ひとこと

  •  グーグルがファーウェイにソフト提供を止めるんだそうです。つまり、ファーウェイでAndroidが動かない、ChromeもGmailも動かない。つまりファーウェイでスマホを作っても、それを動かすソフトが無くなるって話です。まあ、中国製のソフトを開発すれば問題ない話だけれど、ソフトなんて簡単に短期間で開発できるものではないわけで、いよいよファーウェイやばくない?
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カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2019年5月23日 (木)

どうして、歌っているとノドが痛くなるんだろ?

 これは私個人の問題なので、皆さん方には何の役にもたたない話かもしれません。

 私、歌っていると、ノドが痛くなります。と言っても、いつも痛くなるわけではなく、ある一定の条件のもとで歌っていると、必ずノドが痛くなるのです。

 1)音域が低くて狭い曲
 2)間奏が無くて、歌いっぱなしの曲
 3-1)屋外または広くて反響のない会場
 3-2)モニタースピーカーの無い会場

 こんな感じです。

 1)は、音域が1オクターブちょっとで、下のシからミまでの約10度程度の曲です。それでも音が音域に満遍なく散っていればいいのですが、その大半がド~ラの中に収まっているような曲は、かなりキツイです。その程度の音域なら、楽に思えるかもしれませんが、私には地味にキツイです。

 2)は文字どおり間奏がなくて、最初っから最後まで歌いっぱなしの曲です。特に1)と条件がダブルで来ると、途中で咳き込んでしまう事すらあります。

 3)は、3-1)または3-2)って事ですが、結局、音の跳ね返りがなくて、自分の声が聞こえない状況だと、ノドが痛くなってしまうのです。たぶん、無意識に頑張っちゃうんだろうと思います。

 イメージしやすいように、具体的に言っちゃえば…野外で讃美歌を歌うとノドが痛くなる…と思っていただければ、間違ってはいません。なので、キャロリングは苦手です。

 まあ、実際のところ、讃美歌でなくても“誰でも歌える”ようにアレンジされている曲は、私には鬼門なんですね。みんなが歌いやすくても、私にはちょっぴりキツイんですね。つまり、私の声に合わない…んだと思います。

 私の場合、特にト音記号の五線譜の下の方(ド~ラ)に集まっているメロディーよりも、上の方(ソ~ミ)に集まっている曲の方が、断然歌うのも楽だし、ノドが痛くなりません。

 おそらく、メロディが五線譜の下の方に集まっている歌は、ちょっぴり無理をして歌っているんだろうと思います。自分でも感じるのですが、そのあたりの音域の曲を歌うと、息が出過ぎてしまうようです。必要以上の息が声帯に当たっていくようなのです。声帯もカラダの一部ですから、必要以上に大量の息が強めに当たり続ければ、痛くなっていくのは当然です。

 それでも間に休憩が入れば、また話が違うのでしょうが、休憩無しで、ずっと歌い続けると(讃美歌って、本当に間奏が無くて[間奏どころか休符すらない曲もゴロゴロあります]、最初から最後まで歌いっぱなしなんですよ)ノドが痛くなるんです。ほんの4小節でもいいから、間奏があれば、本当にかなり違うのですが…。

 とまあ、そんな感じで、低めの曲をずっと歌い続けていると、いつのまにかノドが痛くなってしまう私なのです。で、ノドが痛くなって、歌の途中で咳き込んだり、歌えなくなってしまうのです。なんとも悲しい事です。

 私もバカではありませんので、一応、対策は考えています。それは

 A)息は弱めで、軽く歌う
 B)独唱でなければ、途中で適当に休む
 C)そもそも声に合わない曲は歌わないで済むように逃げる

 ま、こんな感じです。私、そんなに歌が上手なわけではないので、何でも歌えるってわけじゃないんですよ。痛みと言うのは、カラダからのメッセージなわけで、痛いのを無理して歌っていると、絶対に声に支障が出てくるので、なるべく痛くならないように工夫しながら、歌ったり、逃げたりをしていきたいと思ってます。

 

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2019年4月25日 (木)

合唱と独唱の発声は、本当に同じなのでしょうか?

 たぶん、プロレベルになると同じなのかもしれないのだけれど、アマチュアレベル…それも私程度のレベルでは、合唱(市民合唱レベルを想定)と独唱の発声は、基本テクニックこそ同じだろうと思われるものの、実際の姿は、かなり違う状態になっているのではないかと思われます。

 どれくらい違うのかと言えば、独唱の方が合唱に入って無邪気に歌うと、たいてい声が浮いて合唱の邪魔になります。また、合唱の方が頑張ってソロを歌っても、何か物足りなさを感じさせる歌になる事が多いです。そういうのを見ていると、やはり合唱と独唱の発声は、アマチュアレベルでは、実は違うのではないかと思わざるを得ないのです。

 アマチュアレベルでは…つまり、アマチュアはテクニックが未熟ですから、その未熟さが、合唱と独唱では、それぞれ異なる方向に現れ、本来は同一であるべきものだけれど、アマチュアレベルでは“実は発声が違うのでは?”と思ってしまうほど、違った状態になっているのだろうと思います。

 独唱の方の未熟さは…アンサンブルに不慣れな事に尽きると思います。周囲の音をよく聞いて、そこに音程とか音色とかを合わせていくというのが、うまく出来ない人が多く、ただただ「大きくて美しい声で歌おう」という意識ばかりが高くて、そのために、周囲の声とは異質の声で歌ってしまい、結果、周囲から声が浮いてしまうというわけです。はっきり言っちゃえば、独善的なんです。

 一方、合唱の方の未熟さは…心の強さが足りない事かな? 独唱をする人たちの“前へ前へ”という心意気はみんなすごいですからね。合唱の方の多くは、そういう心の強さを持ち合わせていないわけで(だから合唱をやっているんだろうと思います)、いざ自分が独唱を歌うという場面になると、前へ出るどころか、一歩二歩心理的に引いてしまうわけで、それが声にも現れ、観客にも伝わってしまうわけです。つまり、弱気なんですね。

 無論、独善的であったり、弱気であったりとする、心理的な問題も抱えていますが、アマチュアですから、それ以外にも、発声的な技術不足がそれぞれにあるわけです。そういったものが複合的に作用して、独唱と合唱では、ほぼ、発声が違ってしまうのだと思います。

 

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2019年3月28日 (木)

力をセーブしていても、声が大きいと言われます

 かつての私は、力の限りの声で熱心に歌っていました。それが正しい事であり、自分の熱意を表現する方法であるし、歌なんて満身の力で歌うべきだろうという思い込みもあったわけで、ほんと力の限りで歌っていました。ですから、1時間も歌えば、声が枯れ、ノドがガラガラになりました…ってか、1時間ぐらい歌わないと、声に支障が出なかったわけだから、ほんと、ノドが強いんだなあとも思います。

 そんな感じで力の限りの声で歌う…ほぼ絶叫スタイルだし、実際、あっちこっちで叫んでいたと思います。そんな声の人が、合唱はもちろん、斉唱であっても、そういう集団の中で歌えば、悪目立ちをするわけで、ある意味、迷惑千万でしかないわけです。

 でも、それは昔の話。今の私はパラダイムシフトを経て、決して力の限りに歌うことはしません。いやむしろ、省エネを常に心がけて歌っているわけです。ま、これは今のY先生の教えでもあるわけですが、それがようやく身につき始めたところとも言えます。

 それでも声は大きいと言われます。

 以前の私は、力の限りに歌っていたわけですから、いわゆる“大きな声”で歌っていたのですから「声が大きい」のは当たり前です。今の私は、省エネで歌いますので、自分的にはそんなに大きな声で歌っているつもりはありません。それでも「声が大きい」と相変わらず言われます。困っています。

 まあ、物理的に…と申しましょうか、私の声は音波のエネルギーとしては、やはり普通の人たちよりも、大きめなんだろうと思います。いわゆる、地声がデカイってパターンなのかもしれません。しゃべる職業ですから、声は日常生活で鍛えられているのです。でも、それだけで「声が大きい」と言われるわけではないのだろうと思います。

 今は(当たり前ですが)声が響くように歌っています。これって声楽の基本でしょ? で、響く声で歌えば(当然)声は響きます。声は響くと、よく聞こえます。このよく聞こえる事が「声が大きい」と誤解されるようです。

 それに周囲がアマチュア以前の素人さんたち(って表現で分かるかな?)の場合、どうしても歌声は平たくなりがちです。彼らの平たい声と、私の響く声は、明らかに異質なわけで、異質なモノって目立つんだよね。で、目立つと声の大小に関わらず“うるさい”って思われるわけです。

 全力込めて歌っていた時に「うるさい!」と言われるのは、ある意味当然なので「すみません…」という気持ちになっていましたが、今のように、割と軽めにセーブしながら歌っているにも関わらず「うるさい!」と言われちゃうと、どうにも腑に落ちません。一体、どうしたら良いのでしょうか?

 

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2019年3月11日 (月)

音程は合っているのに音痴に聞こえる歌声

 音痴という言葉があります。「音が分からない」という意味で、音楽に関わる人間としては、ほぼほぼ“チャブ台返し”に近い絶望的な感じのする言葉です。手の施しようがない感じ…と言っても過言ではないでしょう。

 一般的には音痴は音程関係に使われる言葉です。音程が不明瞭であったり、音程が間違っていたり狂っていたりすると「音痴」と言われます。

 ですから、音程が合ってさえいえば、それは音痴ではないはずですが、世の中には、音程が合っていても音痴扱いされる人がいます。

 例えば、某ジャニーズ事務所の某歌手の方は、確かに若い時の音程のハズし方は、それはそれは見事なモノでしたが、ベテランになるにつれ、音程の暴れ方はおとなしくなり、ちょっと前だとほぼほぼ音程に関しては許容範囲に収まるようになってきました(最近はアレコレあったせいでしょうか、全く歌わなくなりました…ね)。

 つまり、彼が歌う歌は、音程としてはだいたい合っているのです。でも、歌を聞けば、やっぱりハズレているように感じるし、正直、音痴な歌声にしか聞こえません。

 なぜ、個々の音程は合っているのに、歌は音痴に聞こえるのか? 彼のようなケースの場合、歌を歌声でなく、話し声で歌っているために音痴に聞こえる…と考えた時期もありますが、歌を話し声で歌う歌手は、ポピュラー系の歌手には少なからずいますが、それらの歌手の歌は、別に音痴には聞こえません。

 なぜ、彼の歌ばかりが、音程が合っているのに音痴に聞こえるのか…。

 考えました。考えた結果、一つの結論に達しました。それは、歌が音痴でなくても、声が音痴なのではないか…です。

 どういう事かと言うと、彼の声はかなりハスキーです。ハスキーなだけならば別に音痴ではありません。ただ、彼の声はハスキーはハスキーでもかなり個性のあるハスキー声で、彼独自の声のにごり方をしているのです。それは本来、ポピュラー歌手としては武器になりうるものです。でも、彼の場合は、それが運悪く、逆方向に働きかけて、結果として、何を歌っても音痴に聞こえてしまうのではないかしらというのが、現時点での私の結論です。

 人の声って、基音といくつかの倍音が同時に鳴って、複数の音程の音がからみあって、声色を作っています。きれいな声というのは、それらの倍音が美しくハモるように鳴っている声であって、ハスキーな声というのは、それらの音が不協和音の関係になり、それがノイジーに聞こえるわけなのです。つまり、ハスキーな声というのは、声の中に不協和音の響きを持っているわけです。これがいい味になって、ハスキーな声は好まれるのですが、それが行き過ぎて、不協和音だらけの声になってしまうと、聞いていて不快に感じるのです。その不快な感じを“音痴”というふうに判断されてしまう…と私は思いました。

 つまり、歌そのものは音痴でもなんでもないのだけれど、声があまりに濁り過ぎて歪み過ぎていて、それでちょっとした不快感を感じ、その不快な感じをうまく言い表せる言葉がないので、ついつい慣れ親しんだ“音痴”という言葉を使って表現してしまっているのだと…。

 だから、彼の場合、もう少し声色に気を使って、不協和音成分を減らすならば、歌は今以上に上手に聞こえるようになるんだろうと思います。

 もっとも、彼の場合、音痴はもはや持ち芸だから、なまじ歌が中途半端にうまくなるよりも、下手くそなまま突っ走ったほうがいいんだろうから、きっと音痴を治さずにいくんだろうなあ…って思いました。

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2018年12月25日 (火)

息は鼻から吸った方が絶対に良い(断言します)

 以前から、歌う時のブレス(息継ぎ)は、クチでするべきか、ノドでするべきか…という話があります。それぞれに意見があると思います。

 私は以前から「基本は鼻で吸うべきだろうけれど、それじゃあ間に合わない事もあるから、鼻クチ併用で行きます」と答えていましたが、それを撤回します。

 息は鼻から吸った方が絶対に良いですし、そうするべきです。クチから吸うのは、鼻だけから息を吸っていては間に合わない…と言った、緊急時のみ可だけれど、なるべくそれは避けるべきである…という意見に変えました。

 なぜ意見を変えたのか? なぜ鼻クチ併用ではいけないのか?

 鼻から息を吸うのは“鼻呼吸”であり、クチから息を吸うのは“クチ呼吸”であり、クチ呼吸はノドを痛める呼吸だからダメなのです。

 クチ呼吸がいかにノドに良くないかは、ググってみてください。嫌になるほど、たくさんのサイトで「クチ呼吸はダメ」って言ってます。

 で、私がなぜそういう結論に至ったのかというと、ある事があって、鼻呼吸の大切さを感じたからです。

 皆さんは、屋外で歌うことってありますか? 私はたまにあります。屋外で歌うのって、結構キツイんですよね。屋外は、基本的に壁がありませんし、反響板もありません。声は出たら出っぱなしで返ってきませんし、ホールの響きも付きません。声が拡散してしまうので、マイクが無いとホントキツイです。

 そういった音量的なツラさありますが、それ以上にキツイのが、冬場の乾燥した空気です。冬の関東地方って、驚くほど乾燥します。それでも湘南地方は海がありますから、他の関東地方の諸地域と比べるとまだマシでしょうが、それでもかなり乾燥します。

 乾燥した空気の中で、鼻クチ併用で息を吸って歌っていると、あっという間にノドがカラカラになります。ノドが乾く…というか、ノドが乾燥してしまいます。ノドが乾燥すると、声は出づらくなるし、それどころか痛みも伴いますし、それでも無理やり歌っていると、やがて咳き込んでしまい、歌えなくなってしまいます。

 実は私、今まで、そんな感じで、屋外で歌って、咳き込んでしまって、歌えなくなるという事を何度も繰り返していました。

 ところが先日、あんまり寒かった事もあって、鼻呼吸で歌ってしまったのです。もちろん、息の吸い込みに時間がかかりますから、たっぷりした息で歌うのは出来ず、ブレス前の音符は、かなり短めにして、時間をかけて息を吸って歌っていました。歌の出来としては(たぶん)あまり良くないと思いますが、その代わり、ノドは全く乾きませんでした。痛くなる事もなく、咳き込む事もありませんでした。それなりに長い時間でしたが、無事に歌い終えることができました。

 ああ、鼻呼吸って偉大だなあ。

 もちろん、鼻呼吸による欠点ってのはあります。でも、それを補って余るほどの良さがありました。特に冬場の屋外での歌唱は、絶対に鼻から息を吸って歌わないとダメです。

 なので、ホール等の環境が整っている場所での歌唱では、鼻クチ併用でも構いませんが、環境が整っていない場所で歌う場合は、絶対に鼻から息を吸うべきだし、そんな時に慌てないためにも、普段からなるべく鼻で息を吸うように癖を付けておくべきだと思いました。

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2018年12月 6日 (木)

元気が良いのはダメなのです

 まずは声楽の話をしましょう。声楽では、元気の良い歌声はダメな声なのです。

 よく小学校あたりの音楽の時間に、先生が児童たちに向かって「元気にハキハキと歌いましょう」とか言っているけれど、あれはダメなのね。「ハキハキ」はともかく「元気に」はダメ、絶対にダメ。

 人は元気に歌おうとすると、全身に力をみなぎらせて歌ってしまいます。結果として、軽く怒鳴ってしまうわけです。で、そんな怒鳴った声(軽く歪んだ声だったりします)を聞いて、多くの人は「元気だなあ」と思うわけで、それを良しとするのは、日本人の感覚なのかもしれないけれど、少なくとも、クラシック声楽の世界では、元気な声はダメなのです。

 「じゃあ、声は腑抜けていた方がいいのかよ」

 いえいえ、そんな力みと一緒に魂まで抜けてしまったような声はダメです。じゃあ、どんな声がいいのか言えば…純粋な声(?)。教会堂に響き渡るとかっこよい種類の声が良いのです。柔らかいけれど密度の濃い声です。日本古来の発声のパターンにはない声なので、イメージ難しいね。日本人は詩吟の声とか義太夫の声、競りの声など、歪んだ声がDNA的に好きだからねえ…。

 次にフルートの話をしましょう。フルートで、元気の良い演奏は決して悪い演奏ではありません。曲によって、元気で快活な演奏は必要です。しかし、元気の良い音で演奏してはいけません。元気の良い音とは、息を吹き込み過ぎな音になりがちです。金管楽器なら、音が厚くなって良いかもしれませんが、フルートでは過剰な息は、音が割れてしまう原因になります。破鐘のような音でフルート演奏したら興ざめだものね。

 かように「元気が良い」という言葉は、普通の生活の中ではプラスの意味を持つ言葉であっても、これが音楽関連に向かって使われた時は、その指し示す内容をきちんと吟味して考えないといけません。モノによっては「元気が良い」が必ずしもプラスな結果をもたらすとは限らないのですから…。

 少なくとも、声楽とフルートにおいては、元気はそこそこで、美しさを余力で探し求める事ができるくらいが、ちょうど良いのかもしれません。なんとも難しい話です。

 “元気が良い”事よりも“美しい”事の方が優先順位が高い…と考えていれば、間違えていないと思います。

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2018年11月12日 (月)

そこまで鼻に声を入れて良いのだ!

 私はよくコンサート等、生演奏を聞きにいきます。プロの演奏も聞けば、アマチュアの発表会にも行きます。プロのコンサートは、自分のは耳を幸せにするため、楽しみのために聞き、アマチュアは勉強のために行きます。

 プロの方々の演奏は、みな完成されていて、すごいな、素晴らしいなとは思うものの、あまりの完成度に、学ぶべき点というのは、あまりありません。

 例えば先日聞きに行ったプロ歌手のコンサートで、レスピーギの「舞踏への誘い」を歌っていました。ちょうど、私もこの歌を練習していたので、興味深く聞き、ああ、こんなふうに歌うと良いのだなと思い、ぜひ真似してみようと思ったものの、いざ真似しようとしたところで、全然近づけませんでした。真似どころの騒ぎじゃありません。いくら真似しようと思っても、私が歌うと、全然別物なんですね。

 で、その話を声楽のY先生にしたところ「一流の歌手の真似が出来る人は、その人自身も一流の歌手なんだよ」との返事が返ってきました。まあ、そうだよね。ものまねが簡単にできて、それで通用するなら、誰も真面目に声楽なんて学ばないって。

 そのようにプロの演奏は、聞いて楽しむものであって、学ぶ事はあまりないのですが、それでも最近は多々思う事もあります。

 “レコ勉”という勉強の仕方があります。レコード…つまりプロの音源を聞いて勉強をするというやり方です。私もよくレコ勉をしますが、レコ勉では録音の限界というのを感じます。

 多くのプロ歌手の場合、音源の声と生のコンサートの声って、実はかなり違います。これは歌手自身が発声を変えている…わけではなく、単純に歌手の声には、録音される部分と録音されない部分があるって事だと思います。

 例えば、声にまとわりついた、ビリビリした感じとかフワッとした感じとか、そういうのって、録音されないんですよね。なので、録音で聞き慣れた人のコンサートに行くと、その声に違和感を感じたりしますが…コンサートでの声の方が本物なんです。

 で、最近、私が気になり始めたのは、鼻腔で響く感じなのです。

 以前は、私の耳がちゃんと聞けなかったのでしょう、プロ歌手の声を聞いても、それほど感じなかったのですが、最近の私は、この鼻腔で響く感じをすごくよく聞こえるようになりました。音源では、ほとんど感じない、鼻腔で響く感じですが、生のコンサートに行くと、たいていのプロ歌手の方が、ビンビンに響かせているわけです。

 逆に言えば、あれくらい鼻腔に響かせて歌わないといけないのだなとすら思います。

 翻って私は…と言えば、あまり鼻腔に響いた声では歌っていないなあ…と思います。だからと言って、私が今の状態で鼻腔に響いた声で歌おうとすると、きっとやりすぎて、鼻声になったり、声が前に出過ぎたりするんだろうと思います。

 プロの演奏は素晴らしいのですが、それを真似る事は至難の業です。せいぜいよく言っても、ヒントになる程度…ですね。とにかく、プロの演奏を聞けば聞くほど、我彼の差を強く感じる私なのでした。

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2018年10月25日 (木)

頭声の正体について考えてみた

 実は私、以前から“頭声”“胸声”という言葉は知っていましたし、なーんとなくのイメージも持っていましたが、それをビシッと説明できる言葉は持ち合わせていませんでした。

 それが最近、自分なりに腑に落ちるようになったので、それをここに書いてみたいと思います。

 まず、頭声と、それに対になる胸声について、以前は誤解していました。

 私は単純に「頭声は頭に響く声、胸声は胸に響く声」と思っていましたし、そのように理解して歌っていましたが、それではダメな事に気が付きました。と言うのも、単純に「胸に響く声」として歌ってしまうと、それはただの地声になってしまうからです。

 地声はダメです、絶対にダメです。

 そこで「頭声VS胸声」という対立軸だけでは足りない事に気が付きましたが、その足りないモノは何なのか…が長いこと分からなかったのです。

 最近は、そこに“ポジションの高い低い”を加えてみたらどうだろうか…と考えるようになりました。ポジションの高い声とは、オカルト的に考えるならば、頭蓋骨の上部から出てくるような声であり、感覚的に言えば、ノドの奥から声帯にかけての部分を十分に引っ張った時の声のことです。ちなみにボジションの低い声とは、オカルト的に言えば、アゴの下から胸にかけての部分から出てくる渋い声であり、感覚的に言えば、ノドの奥から声帯にかけての緊張が低くて、その引っ張りが足りない、楽に発声できる声の事です。

 で、まずは最初にこのポジションの高低が問題になるのです。ボジションの高い声ほど音楽的な声(つまり歌声)であり、ポジションの低い声ほど世俗的な声(地声とか話し声とか)となります。ちなみにポジションの高低に関しては、デジタル的に二分割されるものではなく、アナログ的に無段階でその高さが変わっていくと思われます。

 で、ポジションの高い声のうち、主に鼻腔共鳴を使って響きを与えられる声を“頭声”と呼び、胸腔共鳴を使って響きを与えられる声を“胸声”と呼ぶのであると、私は個人的に考えました。もちろん、完全なる頭声とか胸声とかだけで歌う人はいませんので、多くの歌手は、程度の差や割合の差こそあれ、その歌声には鼻腔共鳴と胸腔共鳴の両方が付加され、豊かな響きで歌っているわけです。

 つまり、歌で使う声は、常にポジションが高い声でないとダメなのです。低いポジションの声は、少なくともクラシック声楽ではダメです。低いポジションで高音は出ませんし、低いポジションで低声を出そうとすると、声が胸に落ちて、地声発声になってしまいます。歌で使う声は、鼻腔であれ胸腔であり、声に響きが与えられるものであるという事です。響きのない声は歌声じゃない…とも言えるわけです。

 ただし、ポピュラーではそれらの欠点も個性の一つですから、低いポジションの声で歌うのもアリです。

 これが2018年の私が考える、頭声とか胸声とかです。

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2018年10月24日 (水)

オは楽勝、アは簡単、ウはまあまあ、エが結構難しい、イは極端に難しい

 今回は声楽関係の話です。

 ええと、何の話かと言うと、母音ごとに発声の難しさが違う…という話です。これは人によって違うのかもしれないけれど、私の場合は、表題の通り…、

 オは楽勝、アは簡単、ウはまあまあ、エが結構難しい、イは極端に難しい。

 …と感じています。

 理由は…クチの横開き、縦開きの件と関連しているのかな?…なんて考えています。

 声楽では、クチは原則的に縦開きが理想です。どの母音であっても、クチは縦開きにするものなのです。

 しかし、私は日本人。普段は日本語を話していますので、どうしても日本語の発音に引っ張られてしまいます。母音をカタチ作るのに、日本語はクチビルを主に使い、西欧語は舌を主に使います。なので、構音図を見ると、日本語の場合は、正面から見たクチビルのカタチが書かれているのに対して、西欧語の場合は、頭部を縦にかち割って、舌の位置が書かれているのは、それぞれの言語の特徴によるものです。

 西欧語は、母音の構音を主に舌で行うので、クチビルはあまり構音とは関係しません。ですから、歌に有利な“クチは縦開き”は容易にできるわけです。

 一方、日本語はクチビルで構音しますから、クチビルのカタチがとても重要なわけで、アはクチを全開、ウとオはクチをやや縦開きにする一方、イとエに関しては、クチビルを横開きどころか、横に引っ張って出すわけで、そりゃあなかなか縦開きにはならないわけです。

 声楽では、たとえ日本語の歌詞を歌うにしても、構音関係は西欧語式にやらないといけないのですが、私はイタリア語の歌詞であっても、母音をついつい日本語式に発音しようとしてしまうので、クチビルを横に引っ張りがちな、イとエが苦手なのだと思います。

 一応、そのあたりの理屈はよく分かっているし、理性では理想に近いカタチで行おうとしていますが、どうしても無意識レベルで、ついついイやエの時に日本式になってしまい、クチビルを縦開きにしづらいのです。

 で、結果、イやエに難しさを感じるわけなのです。実際に、高音にせよ、低音にせよ、イやエは、その他の母音と比べると、半音~全音ぐらいは音域が狭いですし、発声そのものに苦労しています。

 ああ、苦手だ、苦手だ。

 クチビルを縦に開きながらも、美しいイやエの母音を発声するための練習をするしかないよね。とにかくこれは、場数を踏んで、自分に癖を付けていくしかないわけで、ああ、頑張ろう頑張ろう…だな。

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2018年10月18日 (木)

一音ごとにポジションを変えて歌うのは良くないです

 先日、テレビを見ていて気づきました。世の中には、一音ごとにポジションを変えて歌う人がいるんですね。

 (プロアマ含めて)多くの人は歌う時に、そんなに極端に声のポジションは変えていきません。と言うのも、声のポジションと音色は関係が深く、頻繁にポジションを変えて歌えば、当然、頻繁に声の音色も変わってしましため、あまり声のポジション移動は行いません…ってか、そんなに細かく声のポジションを変えながら歌えるほど、みんなそんなに器用じゃないのです。むしろ、声の音色の統一を保つためにも、歌っている時は、なるべくポジションは固定して歌うべきなのです。

 でもね、一音ごとにポジションを変えて歌っちゃった人をテレビで見ちゃったんです。それもその方、ポピュラー系のプロ歌手だったから、二度ビックリでした。素人ならともかく、歌のプロがそんな事をするなんて…って感じでした。

 もっとも、一音ごとにポジションを変えて歌うなんて芸当は、素人ではできない、ある種のテクニックと考えれば、やっぱりプロの方じゃないと無理なのかな…とも思いました。

 一音ごとにボジションを変える理由は色々あるでしょうが、私が思うに2点の理由が考えられると思います。

 まずは、すべての音域で自分の声を最大限に張るため…です。やはり低い音域は太めの音色の方が声が張れるし、高い音域は軽い音色の方が声が張れます。すべての音域において、張り上げた声で歌いたくて、微妙にポジションを変えながら歌っている可能性があります。

 次に考えられるのは、たまたまその人が、声色と音程がリンクしている人だったのかもしれません。音程を音の高さではなく音色で覚えている人…って、たまにいるのですが、そういうタイプの人なのかもしれません。昔あった、メロトロンという楽器(磁気テープを用いた、アナログ再生式のサンプル音声再生楽器です)のような発声をしちゃう人と言うべきか、声まね、ものまねとして、歌を学んでしまった人…って感じなのでしょうか?

 まあ、ポピュラー系の歌手さんでしたから、どんな歌い方をしても、それは“個性”で片付けられてしまうわけで、それはそれで良いのですが、我々のようなクラシック声楽を学んでいる人は、彼のような歌う方って、絶対にしてはいけないわけです。

 確かに音色を変えながら歌えば、高音や低音は歌いやすくなり、発声しやすくなるだろうし、テクニックとして音色を変えて歌うのはアリだろうけれど、それを常態としてはいけないと、私は思うわけです。

 統一された音色で歌うのが、クラシック声楽の歌い方でしょ? でなきゃ、声種なんて意味ないしね。

 で、振り返って、私の発声はどうなのよ?って話ですが、流石に1音ずつポジションを変えるような技量はありませんが、技量が無い故に、低めのポジションで歌い始めるとか、歌っているうちに、どんどんボジションが下がっていくとか。音程が低めの旋律を歌うとポジションが落ちてしまい、それっきり高めのボジションで歌えなくなるとか…色々と問題を抱えていたりするわけです。

 私の場合は、何度もY先生から指摘されているように、腹圧の弱さがポジションを高めに維持することを困難にして、ポジションが落ちてしまう…という感じなんだろうなあって思うわけです。

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