ひとこと

  •  いよいよお盆休みもお終い。なんか残念。あの楽しかった夏の日は、もう終わり。また日常生活が始まるわけだけれど…ううむ、発表会とクラシックコンサートの準備が…。生活はいつもの日常生活に戻るけれど、その中で、着々と発表会とクラシックコンサートの準備に備えていかねば…。がんばろーっと。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2017年7月12日 (水)

声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

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2017年7月 3日 (月)

私の好きなアマチュア歌手、Aさんの声について

 先日、例によって、私の趣味である“見知らぬ人たちの声楽発表会”を聞きに行きました。いや、正確に言えば「向こうは私の事を知らないけれど、私の方は、ここ数年、その上達具合を見守り続け、今やファンになりつつあるほど大好きな人たちが出演する発表会」ってヤツを聞きに行ったわけです。ほんと、この日を楽しみにし、指折り数えて待っていたわけです。

 その出演者の中に、私がここ数年、とても気にしている歌手さんがいます。その人を仮に“Aさん”と呼ぶことにしましょう。

 Aさんの歌唱スタイルは、とても心が暖かくなるスタイルで、全身全霊で“私は歌が好き、音楽が好き”というのを全開にしてくるスタイルなのです。そう、私好みの歌唱スタイルなんです。以前は、ハートは熱くても、技術が追いつかない、典型的なアマチュアスタイルだったのですが、それでも毎年毎年、目に見えるカタチで上達していきました。

 今までは、ポピュラー寄りの歌曲…と言いますか、オペラ歌手がよく歌うポップス曲やミュージカルソングを歌っていましたが、ついに今年、オペラアリアを歌ってくれたのでした。いやあ、うれしかったです。

 ほんと、1ファンとしては、感慨深いものがあったし、ついにここまで上達したんだなあと(ちょっと上からで申し訳ないのだけれど)感動もしたわけです。いやあ、良いものを見させていただきました。

 で、なまじ、オペラアリアを歌ってくれたので、つい、1ファンとして、あれこれ考えてしまった私なのです。…って言うか、それまで気にしなかった事が気になるようになってしまったのです。

 ポピュラー系の曲とかミュージカルの曲って、声域とか声質とかをあまり気にしない曲が多いです。ポピュラー系の曲は、歌手に合わせて転調するのが普通だし、ミュージカルの曲なんて、舞台ではテノールの人でもバリトンの人でも両方共に歌っちゃう役もたくさんあるし、オペラほど、発声に関してはシビアでなくても歌えるものなので、気にならなかっただけ…なのかなって思いました。

 そのAさんは、男性で、実は私は今まで彼を高音歌手だと思っていたし、実は今でもテノールなんじゃないかと思っているのですが、実際に彼が歌ったのは、バリトンのアリアだったのです。

 歌ったアリアの仕上がりは…アマチュア歌手としては、十分なほどで、私が歌うテノールアリアよりも、よっぽど整っているしカタチどおりに歌われていました。だから、私よりも上手な人…って言えるわけで、そんな上手な人に、私ごときが意見を言うなんて、痴がましいのは百も承知で書くと…Aさん、あなたの声はバリトンじゃないよ…と私は、心の底からそう思うわけです。

 その一方で、なぜ彼がバリトンのアリアを歌ったのか…その理由も分からないでもありません。と言うのも、今までは気にならなかったのですが、実は彼の声って、かなり嗄声(させい)なのです。嗄声とは、音声障害の一種で、いわゆる“ハスキーヴォイス”を指します。まあ、生活する分には、さほどの支障はないので、見逃されがちですが、声帯が健康な状態ではないのは事実です。実際、間違った発声や無理な発声の末に、ノドを壊してしまい嗄声になるケースが多いようです。

 まあ、ポピュラー系歌手には(無理な発声をする人がたくさんいて)嗄声の人が多いので、そういう歌を歌っている時は気にならなかったけれど、クラシック系歌手には嗄声の人はいません…ってか、嗄声の人では、普通は、クラシック系の歌は歌えません。嗄声では音量が得られませんから、マイクを使用するポピュラー系音楽ならともかく、マイクを使用しないクラシック系では歌えないのが普通なのです。

 しかし、Aさんは嗄声にも関わらず、マイク無しでも普通に(やや声は小さめですが、それでもアマチュア歌手としては十分なほどに)歌えるわけで、おそらくは、長年、間違えた発声のまま歌い続けた結果、ノドは壊してしまったけれど、同時にノドが強くなってしまい、嗄声であるにも関わらず、大声量を獲得した…んではないかと想像しました。

 うーん、音楽が好きで、クラシック系音楽が好きな事も、痛いほどに伝わるんだけれど、あの声質で、クラシック系音楽を歌うのは、やはりかなり違和感があるなあ。まあ、アマチュアなのだから、違和感バリバリでも歌っちゃった方が勝ちなんだけれど、おそらくAさんの本来の声質はテノールなんだと思います。ただ、声が潰れちゃったせいで、高音発声がかなり難しくなっているんだろうなあって思います。それでバリトンの曲を歌ったのだろうけれど、バリトンを歌うには、やっぱり声が軽いんだよなあ。おまけに低音はほとんど鳴っていないし、音にもなっていない。そもそも低音を歌えるほど声帯が長くないんだと思います。でも、高音では勝負できないのだから、バリトンの曲を歌ってみたんだろうと思います。

 Aさんに限らず、アマチュア歌手の中には、若い時から音楽が好きで、歌が好きで、自己流に歌い続けて、声を壊してしまった人って…結構いるんだろうなあ…って思います。私は、たまたまノドが強いタイプの人だったので、自己流で歌っていても、ノドを壊さずに済みましたが、普通の人が自己流の間違った発声法で長年無理して歌い続けていけば、そりゃあノドの一つや二つ、壊しても不思議はないです。

 おそらくAさんのノドが壊れたのは、今の先生に師事する前の話だろうと思います。そんな声質のAさんをここまで引っ張り上げた、彼の声楽の先生は、実に素晴らしい手腕の持ち主だと思います。なにしろ、嗄声の人をオペラアリアが歌えるほどに導いたのですから、ほんとスゴイですよ。

 でもね、なんかなあ、他人事なんだけれど、とっても残念で悲しくなりました。彼には今後も頑張って欲しいし、私はこれからも彼を見守り続けていきたいと思ってます。それにしても、学校あたりで、正しい(ってかノドに無理のない健康的な)発声方法を教える事ができたら、歌が好きなのにノドを潰してしまう悲劇が少なくなるのになあ…って思いました。

 いやあ、ほんと、私はたまたまAさんのようにはならなかったけれど、一歩間違えていれば、彼のようになっていたかもしれないし、実際、キング先生に習っていた最後の時期は、レッスンのたびにノドに大きなダメージを受けていたし、あのままキング先生の元で学び続けていたら、きっと私も声を壊して、Aさんのようになってしまっていただろうと思うと、身の毛がよだつ私でした。

 声の健康は、とてもとても大切だと思います。

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2017年6月27日 (火)

ノド声だって捨てたモノじゃない? その2

 前回の記事で、ノド声と響きで歌う事は、連続していて、要は程度の問題であると私は書きました。

 ですから、一方的にノド声が悪くて、響きで歌うことは手放しで素晴らしいのかと言えば、必ずしもそうとも言えないのかもしれません。なにしろ、両者は本質的に同じモノですから。

 さて、今回はノド声と、響きで歌う事の、それぞれの長所と欠点について考えてみましょう。

 まずは、分かりやすく、ノド声の欠点から参りましょう。

 ノド声にはたくさんの欠点があります。基本的に大きな音量では歌えないし、高い音も低い音も出づらいです。また美しくもありません。それを無理に大きな音量で歌おうとしたり、高い音や低い音を出そうとすると、ノドに過剰な負担がかかります。長く続けると、ノドが壊れて、歌えなくなってしまうかもしれません。だから、一般的にノド声歌唱は良くない歌唱法であるとされます。

 でもね、歌の発声法としては、かなりダメなノド声歌唱ですが、このダメな歌唱で歌っている人もそこそこいます。そういう人って、ノド声で歌い続けることで、ノドを強くしてしまった人であり、この人が響きのテクニックを体得したら、かなりの音量で歌えるようになるし、高い音も低い音も歌えるようになります。ノド声発声は、健康的な発声方法ではありませんし、一般的には薦められない歌唱法ですが、これができる人って、実はかなりの才能の持ち主かもしれませんね(笑)。

 あと、感情豊かに歌おうとすると、どうしてもノド声の要素を強めにする必要があります。人の感情って、キレイゴトばかりじゃないですからね。時にはノドをふりしぼったり、ノドを締め付けたりなどの悪声で歌わないと表現できない感情もあるわけです。

 人間だもの、いろいろあるよね。

 と言うわけで、響きで歌う事の欠点として、響き中心の歌声では、これら人間的な感情を込めづらい発声であるという事になります。

 これは一方、感情抜きの歌…宗教歌などにふさわしい発声法と言えます。響きを中心にした発声は、世俗を離れた天使のような声になるわけで、教会などでは、この手の声こそが音楽にふさわしいと言えます。そして逆説的に言えば、響きを中心とした歌い方が是とされてきた理由の一つに、歌というものが教会音楽として発展してきた事があげられます。響きを中心にした唱法は、神を賛美する唱法と言えるわけです。

 さて、響きで歌う事の長所はたくさんあります。まずはカラダに負担の少ない発声方法であり、健康的な発声方法であるという事です。発声方法を正しい正しくないで区別するなら、響きで歌う唱法は、正しい歌唱法であると言えると思います。

 そもそも持ち声がさほど豊かでない人であっても、響きを中心に歌うことができれば、人並みの声で歌えるでしょうし、逆に言えば、響きを中心に据えた歌い方で歌わなければ、声に恵まれていない人は歌うことが出来ないとも言えます。

 結論から言えば、長所短所を色々考え合わせてみるならば、ノド声で歌うよりも、響き豊かに歌った方が絶対に良いし、それが正しい歌い方であると言えます。

 しかし、だからと言って、今現在ノド声で歌っている人は、落ち込む必要はありません。なぜなら、これから響きで歌う事をマスターすれば、かなり豊かで恵まれた歌声をゲットできるからです。

 逆に、今現在、響きで歌っている人は、自分が正しい発声をしていると安心していると、やがて表現で壁にぶち当たるようになるかもしれません。その時に、発声方法は崩さずに、いかに声に感情を込めていけるかを考えていかないといけません。

 なんか、話がうまくまとまらなかったけれど…勘弁してください。

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2017年6月26日 (月)

ノド声だって捨てたモノじゃない? その1

 声楽をやっていると“ノド声歌唱”は悪者扱いされがちですが、そんなにノド声歌唱って悪い事なのでしょうか?

 人間はノドを使って声を出します。これには例外がありません。普通の人は声帯を使って声を出し、声帯を切除した人でも下咽頭部を駆使して声を出します。つまり、あなたが人間である限り、ノド声で発声している事は、間違いのない事実です。

 そもそも、すべての人の声はノド声なのです。

 ではなぜ「ノド声で歌ってはいけない」とか「響きで歌いなさい」とか言うのでしょうか?

 仮に、音叉で考えてみましょう。音叉を叩くと音が出ます。でも、あまり大きな音ではありません。しかし、その音叉を机に付けると、机が鳴り出して、音叉の音が大きく聞こえます。ヴァイオリンとかギターなどの楽器に付けると、ビックリするほど大きな音で鳴り出します。あるいは顔面の骨の部分に付けると、顔中から大きな音で音叉が聞こえます。

 声も似たようなモノなんだろうと思います。

 ノドで作る声は、音叉を叩いただけの音のようなもので、そこから出てくる声は、本来はあまり立派でもなければ、大きくもなく、美しくもありません。歌の素人さんの歌声が、たいてい貧弱で小さくて不安定なのは、割りと生に近い声だからです。

 いわゆる、我々がよく言う“ノド声”というのは、本来小さな音量でしかない生のノドの声を、筋力と呼気圧と根性で無理やり大きな音にした声を言います。まあ、発声のメカニズム的には、怒鳴り声や叫び声と似たような感じでしょう。ですから、努力と才能次第では、大きくて立派な声にはなるけれど、あまり美しくはありませんし、無理に大きな声にしていますので、あっちこっちで破綻しています。

 一方“響きで歌う”と言うのは、音叉を顔面の骨(つまり頭蓋骨)に付けた時のような感じでしょう。音叉を頭蓋骨に付ける事で、音叉が頭蓋骨を共鳴共振させるように、声を生のまま出すのではなく、頭蓋骨の随所でノド声を共鳴共振させる事で、生のノド声に共鳴共振させた声をミックスする事で、大きな音量の声を出すのです。この方法ならば、ノドに大きな負担がかからないので、楽に声が出せますし、無理をしていないので、声の美しさもキープできます。

 つまり“ノド声歌唱”と“響きで歌う事”は、元を正せば同じ声帯からのノド声を用いて歌っているわけで、それを頭蓋骨でどの程度響かせているかで違っているくわけで、いわばこれらの二つは連続した声であると言えます。

 だから、すべての声は、ノド声なのです。

 この生のノド声を生のまま拡声したような声を“ノド声”と呼び、生のノド声を頭蓋骨で共鳴共振した声が主に聞こえる声を“響きで歌う”と呼んでいるにすぎないのです。

 我々人間は機械ではありませんから、ゼロかイチかの行動はできません。ノド声と言っても、多少なりとも頭蓋骨の共鳴共振は加わるでしょうし、響きで歌っていても、ノドの声が全く聞こえないわけじゃないのです。要は程度の問題です。

 そう考えてみると、ノド声だからと言って、そう捨てたものではないのかもしれません。

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2017年6月 5日 (月)

2017年6月現在の私が考える、高音発声のポイントについて

 クラシック声楽って、案外音域が広いものです。高音歌手はもちろん、低音歌手だって、自分なりの高音へのチャレンジをし続けて歌うのですが、チャレンジ…つまり苦労をして、それを乗り越えて歌うわけです。

 それではなぜ歌手は高音発声に苦労するのでしょうか?

 その人の持っている音域以上の高音を出そうとしているケースは、ちょっと横に置いておくことにして、大抵の場合、ノド声発声のために高音発声に苦労をしているのが、アマチュア歌手の現状だと思います。

 ではなぜ、ノド声だと高音発声に苦労するのか? それはノド声って、往々にして声帯を取り巻く周辺に力が入りすぎて、肝心の声帯の振動を邪魔するからです。

 「声帯の振動を邪魔するって、何?」

 声帯を含む周辺部に力が入りすぎると、その周辺部位が硬直します。ザックリ言うと「筋肉は力が入ると硬くなる」って奴ですね。筋肉が硬くなると、筋肉の動きって悪くなります。声帯とその周辺も筋肉ですから、力が入りすぎて、硬くなると、動きが悪くなって、声帯がうまく伸展しなくなるわけです。

 さらに、力こぶ…じゃないけれど、筋肉って力が入ると、膨らんで硬くなるんですね。ですから声帯とその周辺部が硬くなると言うのは、同時に膨らむってわけで、気管は文字通り“管”ですから、膨らめば、内部の空洞部分が狭くなって、息の流れが悪くなるし、また気管の蓋である声帯が膨らめば、さらに余計に息の流れが悪くなるし、最悪、気管が閉じてしまうことだってあるわけです。そうなると、高音発声どころか、自分で首を絞める事になり、声すら出なくなります。

 ノド声、怖いですね。

 ではなぜ、ノド声になってしまうのでしょうか!

 原因は色々ありますが、一番大きな理由は「その人が“ノドに力の入った声が好き”だから」と言うのは、絶対にあると思います。

 “ノドに力の入った声”とは…感情むき出しの声です。人が興奮している時に出す声って、大抵、ノドに力が入っているものです。そういう、怒鳴り声、怒り声、叫び声、泣き声等、みなノドに力が入っています。人によっては、笑う時すら、グフグフ…とノドを締め上げて、笑ったりするでしょ? 強い感情を歌に載せようとすると、多かれ少なかれノドに力が入ってしまうものなのです。そういう、ある意味、演劇っぽい声(舞台演劇での発声はノドに力を入れる事は必要最低限でしかしないので“演劇っぽい”声と言っておきます)を好きな方って…私も含めて…たくさんいるでしょ? で、自分もそういう声を出そうとすれば…そりゃあノド声になるしかないじゃないですか?

 また、それとは別に、声を出すための息の発動を、ノド周辺で行っている人も多くいますが、そういう人が歌うと、ノド声になってしまう事があります。まあ、それは声を聞いてみると、息が常に浅いので、それと分かります。ちなみに、息が浅すぎる人だと、ノド声どころか、歌声が出なくなってしまうようです。

 では、それらを回避するためにはどうするべきでしょうか?

 まずは、リラックス。脱力です。声帯周辺部に過度な力を加えないようにしましょう。そのために、歌う時は深い息(腹式呼吸)で歌うようにしましょう。これだけで、ノド声リスクはだいぶ下がります。

 次に、クチの奥を縦開きにして、ノドが十分に伸展できるようにしましょう。最後に、声帯を常に(適度に)開けたままでいられるようにしましょう。そのためには、ノドの奥を開くという意識づけが大切でしょう。これらによって、ノド声はだいぶ回避できる…はず…です(笑)。

 で、私自身が気をつけている事を最後に書くなら…、最初は変な声でも、正しい手順を踏んで出た声なら出し続けるようにしています。最初っから立派な声で歌えるわけはないのですから、自分の声が変な声でも良しとしています。要は、そこから鍛え上げて、最終的に立派な声にすればいいのですから。

 あと、音程を強く意識しすぎないようにしています。音程を強く意識すると、発声は二の次で、音程を置きに行くような発声になります。音程を置きにいく歌い方では、発声はいい加減になってしまいがちですからね。発声をきちんとしないと、結局、高音は出ないままになってしまいますからね。

 2017年6月現在の私は、高音発声に関して、こんなふうに考えているわけでした。

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2017年5月 3日 (水)

音痴には治る音痴と治らない音痴がある

 音痴…という言葉は、あまり好きな言葉ではありません。でもね、音楽…とりわけ歌をやる人にとっては、大きな悩みの一つであったりするわけです。なので、今回はあまり好きな言葉ではありませんが、あえて取り上げてみたいと思います。

 よく音痴克服術のようなモノがネットにも書籍にもありますが、実は世の中には、克服できる音痴と克服できない音痴…つまり、治る音痴と治らない音痴があります。

 治らない音痴は…ずばり、障害系の音痴です。ざっくり言えば“聴覚障害(難聴)”による音痴のうち、脳の病変のために難聴になっている人の音痴は治りません。脳の病変のための難聴…いわゆる“感音性難聴”の事ですが、これらの人は、音が聞こえなかったり、聞こえても変調して聞こえるので、正しい音程を適度な音量で聞き取ることが出来ないため、音痴にならざるをえないのです。

 一方“聴覚障害(難聴)”には“伝音性難聴”というモノがあります。こちらは外科手術が有効だったり、手術をしなくても補聴器の使用で難聴を克服する事ができます。補聴器の使用は、なかなか厄介な部分もありますが、これらの補助器具で楽しく音楽生活ができるのなら、取扱いに注意をしながら練習に励んで、音痴を克服しましょう。

 老化による難聴は、実は感音性難聴です。もっとも老人の場合は、脳の病変があれば話は別ですが、脳の病変がなければ、老化のために音を聞き取る力が衰えていくだけなので、表面的には伝音性難聴と同じようなものです。補聴器等の補助道具の使用で、難聴もある程度は克服できます。ただし、音を感じる力自体は衰えていく一方なので、ある時点まで来たら、音楽とは距離を置く必要が出てくるかもしれません。

 以上で治らない音痴の話は終わりです。これ以外の音痴は努力しだいで克服可能な音痴です。

 治る音痴にも色々なタイプの音痴がいます。

1)歌う筋肉が不器用なために音痴になるタイプ

 不器用…と言っても、多くの場合は、訓練不足が原因のようです。つまり、歌う経験が極端に少なくて、そのために任意の音を発声する感覚が掴みきれていないタイプです。ざザックリ言えば、ドの音を聞いて、ドの音を出そうと思っても、ドの音を出すための適度に筋肉を動かす事が(不器用なために)できないのです。これはもう…練習あるのみです。単純に経験値不足が音痴の原因ですから、とことん練習あるのみです。

2)歌い始めは良いのだけれど、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうタイプ。

 ドンドン狂う…と言っても、多くの場合は音が下っていくわけで、こういう人は厳密には音痴ではない事が多いです。と言うのも、相対音感をしっかり持っている人が多いんです。立派な相対音感を持っているにも関わらず、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうのは、単純に呼吸法が悪くて、息の支えが足りなくて、自分で歌っている音が無自覚に少しずつ下っていくわけで、その下った音から次の音を導き出して歌うので、ドンドン音程が下がってしまい、結果として音痴になってしまうのです。

 これもやはり練習あるのみです。しっかりした呼吸法を学び、息をきちんと支えられるような筋肉を身につけられれば、音痴克服です。

3)歌い出しから常に音程がぶら下がり気味になるタイプ

 聞いていて、覇気がなく、なんとも居心地悪く感じる歌い方をする音痴がこのタイプです。これはノド声が原因による音痴です。単純に舌根や声帯周辺部に過剰な力が加わり、声帯が上手に振動できずに音程が下ってしまうわけです。リラックスしている時は、案外、正しい音程で歌えるのに、人前だとからっきし音痴になってしまうのが、このタイプなのです。これはもう、ノド声克服がそのまま音痴克服となるパターンです。

4)歌い出しから常に音程が不安定でどこに音程があるのか分からないタイプ

 実はこのタイプが真正の音痴です。歌い方としては、突拍子もなく音程を外して歌う人と、ほとんど音程の無いお経のような歌い方をする人がいますが、どちらも原因は同じです。単純に耳が悪いのです。

 耳が悪い…と言っても、難聴なわけではなく、生活音はしっかりと聞こえます。ただ、音楽として音を聞くのが苦手なタイプであって、音の分解能や認識力が大きく不足しているために、音程の認識が甘くて音痴状態になってしまうのです。

 多くの場合、音楽的な経験が圧倒的に不足している事が原因となっているようです。まあ、このタイプの人が音楽を趣味にするというのは、通常では考えられませんが、人間って分かりませんからね。今までは音楽に全く興味が無かったのに、ある日目覚めたら、音楽に渇望していた…という事だってあるわけです。でも、今までの人生で音楽に親しみのなない生き方をしていたなら、なかなか音痴克服も容易ではありません。

 なにはともあれ、音楽に親しみましょう。好きな音楽を浴びるほど聞くのが良いですし、楽器を習ってみても良いかもしれません。こういう人は音痴とは違います。音楽と縁がなかっただけの人なので、音楽との縁を深めていく事で、音痴状態から脱却できます。

 ここまでは音程の音痴の話をしてきましたが、世の中には、正しいリズムが取れない“リズム音痴”という人がいます。リズム音痴も経験不足による音痴ならば、練習する事で克服できますが、時空間把握能力(つまり3D認識能力)の不足による音痴は…なかなか厳しいです。結局リズムって、時間を量として感じることができないと刻めないものですからね。

 また、音痴ではないけれど、音痴認定をされてしまう人がいます。悪声のために、どこに音程があるのか分からない発声をしてしまったり、全く感情を入れずに、実につまらなく歌う人がそうです。

 悪声による音痴の人は、発声方法を見直して美声にするしかありません。発声器官に障害がある場合は厳しいですね。そうでなく、単純に声が汚いだけなら…ぜひ、クラシック声楽を学んで、いわゆるベルカントを学びましょう。かなり美声になるはずですよ。

 感情が入らずにつまらない歌しか歌えない人は…まずは恥じらいを捨ててみましょう。感情の無い人間というのは世の中にはいません。ただ、感情を表出するのが苦手なだけです。だから、恥じらいを捨て、自分の感情を表現するだけです。そのためには、歌も良いですが、演劇鑑賞が役立つかもしれません。演劇をたくさん鑑賞して、喜怒哀楽の表現をカラダに刷り込む事が大切かもしれません。まあ、日本人全般的に、喜怒哀楽を表現するのって苦手なんですよね(笑)。

 と言う訳で、音痴だと言われたり、自分は音痴ではないかと思っている人の大半、実は“治る音痴”なんですね。治るものなら治してしまえばいいわけです。それでコンプレックスが一つ減って、人生が明るく晴れやかなものになるのなら、歌の練習ぐらい、軽い軽い…でしょ? 

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2017年3月 9日 (木)

“撃沈”の正体について

 何か調べ物がある時、今の時代ですから、当然ググるわけですが、ググってみると、なんと自分のブログの記事がヒットする事って、案外あります。

 私は毎日ブログを書いてます。正直に言えば、毎日毎日書き飛ばしている事もあり、昔の記事の内容なんて、ほとんど覚えていません。ただ、その時その時の出来事をなるべく正確に正直な気持ちで書いているので、記事の内容に嘘はありませんし、今読んでも、ためになったりします。もっとも、時を経て私自身の考え方や感じ方が変わってしまい、今の私の考えとは全く異なる事を書き連ねている事もありますが、それも人間の成長であり「私って案外進歩しているなあ…」と思うことにしています。

 何とは無しに、昔の自分のブログ記事を読んでいた時、ふと思いました。以前はよく使っていた『撃沈』という言葉、最近は全く使わなくなったなあ…ってね…ってか、以前はよく『撃沈』していたのですが、今の私は全く『撃沈』しなくなったんだよね。

 『撃沈』…当時の私はよくしていましたし、当時の仲間である門下生たちも(私ほどでは無いにせよ)たまにしていました。当時の私は、なぜ撃沈してしまうのか分かりませんでした(だからそこから抜け出せなかったのです)が、今の私は、当時の『撃沈』の正体が分かるし、分かったからこそ、そこから抜け出せたわけです。モノの本質が分かるって、それだけで大切な事なのかもしれません。

 『撃沈』…それは、曲のクライマックスの高音を出そうとしても、なぜかその音に届かずに、苦しげな声で、それもかなり手前の音(長二度ぐらい下?)の音まで音の上行が止まってしまって、目的の高音が出せない現象です。

 その高音だって、それも普段は決して出せないと言い切れないくらいの高さの音であって、実際、録音を聞いてみると、発声練習とか、自宅練習とか、遊びで鼻歌交じりに歌っている時にはすんなり出ているのに、なぜか本番とかレッスンとか、緊張を強いられる場面になると発動する、摩訶不思議な現象なのでした。

 本番だとか、先生の目の前でしか起こらない現象なので、一時は撃沈は“緊張”と関係するのかと思いましたが、結果的に言えば、緊張と撃沈にはあまり大きな関係ありません。まあ緊張するような場面でないと撃沈は起こりようがないので、ゆるい関係はあると思いますが、本質的にはあまり関係ありません。

 撃沈の心理的原因は、むしろ緊張とは逆方向のベクトルで「成功したい」「良く見られたい」という“攻め”のメンタルが原因となっている事が今の私には分かります。

 実際、メンタル的に攻めていない時は撃沈しないのです。撃沈するのは、必ずメンタル的に攻めている時です。それ故に、緊張感とはゆるい関係があるわけです。

 当時、キング先生からは撃沈の対策として、背中を使うなどの「呼気圧を上げる」指導を受けましたが、結論から言えば、それは逆効果です。実は、呼気圧を上げれば上げるほど、撃沈しやすくなるのです。

 撃沈の原因は…ノド声です。ノドが過重な力でカチンコチンに固められ、声帯がピタリと閉じてしまい息が通りづらくなる現象です。声帯が固くなって声が出づらくなるわけだから、呼気圧を高めないと声は出づらいわけですから、呼気圧を高めるのは正解のように見えますが、声帯が固くなって振動しづらくなっているので、そんな状態の声帯に息を吹き込んだところで、ちゃんと振動してくれるはずもなく(ってか、力で声帯の振動を押さえつけているわけですから)意図している音よりもかなり低い声しか発声できなかったのです。

 これが撃沈の声です。いわば「急性劇症ノド声発声症候群」が撃沈の正体なのです。

 あの頃は、基本的にノド声で歌っていました(今でもその癖が残っています。厄介です)。ノドに力を入れて、ガチガチに固めて歌っていましたので、必ず音程はぶら下がっていました。そりゃあ、声帯周辺に力が入ってしまえば、こちらの意図通りに振動してくれないのですから、音程が下がって、当然です。

 それでもなんとか曲そのものを頑張って歌っていたわけですが、曲のクライマックスに差し掛かり、いよいよ最高音が出て来る…となると、一番よい声で歌おうと、さらに意気込むわけです。で、一番良い声とは…当時はノド声が美しい声だと思っていましたから、一番激しいノド声で歌おう…としたわけです。過重な力でノド周辺を固めて、そこに盛大な勢いで息をぶち込んで高い声を出そうとしたわけです。

 理屈で言えば、弦楽器の弦にテンションを加えて、その弦を鳴らすようなもの…です。キング先生的には理屈が通っているやり方なのです。ただ、そのやり方は私には合わなかった…みたいです。少なくとも、私の声帯は弦楽器のような反応はしなかったのです。

 「ここ一番!」の時に、グっと力を込めて発声しても、固くなって振動する事を拒否っている声帯が十分に振動するわけないのです。それをむりやり鳴らして、目的の高さの音が出るわけないのです。それが撃沈の正体です。だから、目標の声が、自宅で出せたり、リラックスした場面では歌えるのに、本番になると必ず撃沈していたのは、そんな理由だったのです。

 高音は、ノドそのものがリラックスしていないと出せるわけないんだよ。

 ああ、あの当時の私に、この事を伝えたかったなあ。無駄に悩んで、間違った方向に努力していたんだからね。ほんと、あの頃の私は、報われない努力をしていた…と今では思います。「あの頃の自分があるから、今の自分がある」と素直に言えない悔しさを感じます。しなくても良い遠回りだったなあと思うし、あの頃身に付けた間違った発声方法が、癖となって、今でも私を苦しめているんだから、本当に悔しいです。

 まあ、あの頃の私にアドヴァイスはできませんが、あの頃に書かれた私の記事を読んだ皆様への罪滅ぼし(?)になれば良いかな…と思って、今回の記事を書いてみました。

 撃沈…それは間違った方向への無駄な努力(笑)。真面目ゆえにハマった落とし穴(大笑)。ほんと、しょーもないなあ(涙)。
 

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2017年3月 8日 (水)

なぜ、腹筋に力を入れて声を支えないといけないのか?

 おそらく、腹筋に力を入れなくても歌える人は歌えるし、声を(意識的に)支えようとしなくても歌える人は歌える。もちろん、私のように、歌っている時にノドの力だけで歌ってしまい、お腹がピクリとも動かない人は、積極的にお腹を動かさないとロクに歌えない事は事実です。でも、それだって慣れの話で、お腹が意思的に動くようになれば、今のように極端な動かし方をしなくても十分なはず…です。

 それなのに、なぜ「腹筋に力を言えて声を支えないといけない」のか?

 おそらく大切なのは“腹筋に力を入れる事”ではないのかもしれません。

 虫刺されの薬には、たいていメントールが入ってます。メントールってのは、ハッカとかミントとかに含まれているスースーさせる成分を言います。なぜ、虫刺されの薬にメントールが入っているのと言えば、虫刺されのかゆみを、メントールのスースー感でカバーして分からなくさせるためです。つまり、虫刺されはかゆいんだけれど、そのかゆさよりも強い刺激があって、スースーしちゃえば、虫刺されのかゆさを感じなくなる…という人間の感覚の特徴を利用しているわけです。

 腹筋に力を入れるのも、実はこれと同じ事が言えるのかもしれません。

 腹筋で息を支えるのは、確かに大切なのですが、別に年がら年中入れている必要はないし、高音や低音などの発声が難しい音ではたっぷり支える必要がありますが、中低音程度なら別にそんなに支えを気にしなくても良いのかもしれません。それでも、なぜに腹筋にこだわるのか。

 虫刺されに対するメントールなんですよ。

 歌手の神経が「腹筋で声を支えよう」に集中すると、他がいい感じにおざなりになるのです。他の代表格が…ノドなんです。つまり、何も考えずに歌ってしまうと、ノドに荷重な力を入れてしまう人(代表例は私)に「腹筋を動かせ」「腹筋に力を入れろ」と意識させると、神経が腹筋に集中して、ノドがおざなりになってしまい、いい感じで脱力するのです。

 人間というのは難しいもので「ノドを脱力せよ」と言われて脱力できる人なんて、まずいません。だから「ノドを脱力しなさい」と教える先生がいたら、その先生は素人です。だって、そんな事、ほとんどの人ができるわけないんだから。

 ノドを脱力させたければ、その他の部位に神経を集中させれば良いのです。例えば「二の腕に力を込めて、力こぶを浮き立たせなさい」でも良いし「足に力を入れて、思いっきり踏ん張りなさい」でも良いし「指先からビームを出しなさい」だって良いんです。どれであっても、ノドの脱力は出来るでしょうから。でも、どうせ力を入れるなら、力を入れた方がよい部位に力を入れた方が、その力をより有効に使えるわけだから、力を入れる先を、二の腕とか足とか指先ではなく腹筋にしているだけです。だって、腹筋に力を入れて、声を支えるってのは、やっぱり(程度の差はあっても)必要だからね。

 だから、ノドの脱力をするために、腹筋に力を入れて、ついでに声も支えている…というのが、正解なんだと思います。

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2017年3月 7日 (火)

なぜ軽い声で歌わないといけないのか?

 私は声楽のレッスンに行く度に、Y先生から「もっと軽い声で、もっと軽い声で」と言われます。たまに「バリトンの私よりも重い声で歌っている」と注意される事もしばしばあります。

 重い声…それはスピントな声であったり、ドラマチックな声であったりして…本来はカッコイイ声のはずなんですが…でもダメなんです。それはなぜか?

 カラダに悪いからです(きっぱり)。聞いていて苦しいからです(さらにきっぱり)。

 歌は自分の本来の声で歌うことが大切です。その本来の声が重い声ならば、重い声で歌って良いのです。それがバリトンであり、バスなのです。でも、本来の声がそんなに重くないのに、作り声で重くして歌ってしまってはいけないのです。

 それは本来の自分の声ではないし、何よりも、ノドを痛めるからです。

 よく声優さんたちが、キャラの声で歌を歌います。あれも一種の“作り声での歌唱”なわけで、ノドに良いはずありませんが、でもあれはマイクで拡声するのが前提の歌い方で、作り声であっても、クラシック声楽と比べると、ノドへの負担は少ないのです(無いわけではありません。そこはプロ根性とテクニックで乗り越えているわけですね)。作り声でクラシック声楽を歌うと…ノドへの負担が多く、声を壊してしまいがちです。

 ノドが弱い人はあっという間にノドを壊してしまいますが、私はノドが強いという稀有な才能を持っているため、少々重い声で歌ってもノドが大丈夫なため、重い声(実は作り声)で歌うのが癖になっていたわけです。

 それにキング先生時代には、好きなオペラ歌手のマネをして歌えと指導されていて、一生懸命、マリオ・デル・モナコやプラシド・ドミンゴなどの重厚な声をマネようとしたのです(マネなんかできるはずないのにね)

 大切な事は、自分の本来の声で楽に歌う事です。それがたとえ、自分の好みの声でなくとも…です。

 無理に作った重い声の大半は、ノド声です。

 ノド声には二種類あって、一つはノドに過重な力を加えて発声する声。もう一つは、舌根を持ち上げてノドにフタをするようにして発声する事。どちらも本来の声よりも暗い音色の声が出ますが、決して健康的で楽な発声には聞こえません。私が罹患しているのは、前者のタイプのノド声ですね。

 このタイプのノド声が悪い理由には多々ありますが、一番良くないのはノドに不健康な事です。無理やり締め付けてカチコチに固めたノドに、無駄に勢いをつけた息を通して発声するわけです。声帯周りの筋肉や粘膜に過度な圧力がかかり、傷が付くことだってあるし、その傷がポリープなどへ発展することだってあるわけです。弱いノドでこれを繰り返してしまうと、いわゆる“ハスキーヴォイス”になってしまう事すらあります。ハスキーヴォイスは、一部の音楽ジャンルではもてはやされる声ですが、クラシック声楽では、単なる悪声扱いです。

 つまり「ハスキーな声に成りたくなきゃ、軽く歌え」って事ですよ。それが、軽く歌わないといけない理由なのです。

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2017年2月 6日 (月)

鳴りと響きについて

 最近、声楽のレッスン記事の中で頻繁に使っている、私の現在の課題である“響き”と、その対義語としての“鳴り”について、一度まとめて書いておいた方がいいかな…と思ったので、書いてみました。ただし、ここに書かれた事は2017年時点の私の考えであって、必ずしも正解とは限りませんし、私自身も今後考え方を変える可能性もありますので、その点を踏まえて読んでください。

 まず、ヒトの声には、大きく分けて“歌声”と“話し声”の2つがあります。この2つはかなり性質の異なるモノなのですが、今回は特に解説しません。直感で理解してくださ(笑)。

 で、歌声とか発声法にも実はいくつか種類があるのですが、ここではクラシック声楽における発声(一般的には、ベルカント唱法と呼ばれる奴)に絞って考えてみます。

 クラシック声楽における発声では、歌声は2つの成分から成り立っていると私は信じています。その2つの成分とは“鳴り”と“響き”です。この2つの成分が、いいバランスになっている時が美声であり、バランスがおかしいのが悪声(?)になるわけです。

 では「鳴りだとか響きだとかは何なのか」と言う事ですが、イメージ的には、鳴りは『声の芯』のようなものであり、ある意味、声の本体部分と考えると良いでしょう。一方、響きは『声の羽根』とも言うべきもので、声がまとうフワフワしていたり、キラキラしていたり、チリチリしていたりという装飾的な部分です。

 また別の言い方をすると、鳴りは『しっかり声帯を鳴らした声』であり、いわば生の声なのですが、響きは『しっかり頭蓋骨に響かせた声』であり、いわば共鳴とか反響とか共振とか、そういう付随的な性格を持った声です。

 または鳴りは『自力自発的に発生させた声』である一方、響きは『自然と膨らんだ声』というイメージもあります。

 私のレッスン記事の中では『声がノドに落ちてノド声になると、声は鳴り中心になり、響きが無くなる』という記述があっちこっちにありますが、これはあくまでも私の場合の話であって、実はこれはレアケースかもしれません。と言うのも、おそらく多くのヒトの場合、声がノドに落ちると、鳴り中心の声にはならずに、怒鳴り声になってしまうと思います。怒鳴り声は、歌声ではなく、話し声の一種です。

 つまり、声から響きが無くなると、残るのが鳴り…ではなく、声から響きが無くなると、声が歌声という状態をキープできなくなり、話し声になってしまう……のが、ごく普通の状態だろうと思われます。

 実は、声を鳴らして歌うのは、難しいのだそうです(笑)。なので、キング先生のところでは、声を鳴らして歌うことを熱心に教えるわけですが、実はこれ自体は正解なのです。ただ、私のように最初からノドを鳴らして歌っている人間に、さらにノドを鳴らして歌うように指導する間違っているし、ノドを鳴らさせるにしても、段階を踏まずにやらせたり、過度に鳴らせたりすると、妻のように声帯を腫らして壊してしまうわけです。

 大切なのは生徒一人ひとりに応じた指導であって、声楽指導が、楽器指導のように定型化しづらいのは、そういう事なのです。

 閑話休題。多くの人にとって、歌声とは、響きが中心の声です。学校などの歌唱指導でも「クチを大きく開いて!」とか「腹筋を使って声を息に乗せて歌いましょう」とか指導しますが、これはすべて響きを増す方向の指導です。また、フォルテを歌う場合では「怒鳴らずに、クチを大きく開いて、カラダによく響かせて歌いましょう」って指導するじゃないですか? これにしたって、声を大きくするには、声の響きを増やして声量を増やしましょうって指導なのです。

 分かりやすいのが、日本の市民合唱団の歌声です。特に合唱で美しく感じる声は、かなり響きに偏った発声です。また、教会音楽の声も響きが多めの声で歌います。

 声が響きに偏っている時は、声に倍音も多く含まれ、全体的に声は、細く高く柔らかく聞こえます。ただし、音程もうわずり傾向になりがちだし、声量も不足気味となります。

 一方、鳴りに偏った声と言うのは、かなり稀有な声です。声帯を適度に絞めた状態で声を強めていくと、普通は、あるところから怒鳴り声になってしまいます。これは声の勢いにノドの筋肉が負けてしまうので、怒鳴り声になってしまうのです。

 一方、ノド声とは、声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声を言います。私がしばしばこの状態に陥るわけですが…。声楽初心者などで、強い声や大きな声、高い声を出そうとして、ついつい息を強めに吐いてしまい、その声の勢いに負けまいとして、ノドが頑張ってしまうと、ノド声になるわけだし、ノドが頑張りきれないと、怒鳴り声になるわけです。逆に頑張りすぎると、以前の私のように、高音に行くにつれ、ノドにフタが被さるような感覚になり、ある所からは声も出なければ息も吐けなくなります。

 ですから、鳴りの声とはは、いわば怒鳴り声にもノド声にもならない、適度に緊張した状態の声であって、声の勢いに負けないほどにノドに筋力があって、しかしさほどの力を入れている状態ではなく、声の勢いとノドの頑張りがほどよくバランス取れている声の事を言います。つまり、自然の状態でかなりノドが頑張れないと、鳴りの声では歌い続けることができないのです。

 なので、普通の人の場合、声を少しでも強めてしまうと、怒鳴り声になってしまい、怒鳴り声を避けようとして、ノドに力を入れると、ついつい力が入りすぎてガチガチになって、ノド声になってしまうのです。鳴りの声は、なかなか難しいのです。

 さらに言うと、鳴りの声は力みの声でもあるわけですから、鳴りに偏った声は、聞き苦しい感じがしますし、聞いていて胸が締め付けられるような気すらします。ですから、強い感情を表現するのに向いている発声と言えます。

 いわゆるオペラ歌手の皆さんは、程度の差こそあれ、皆さん、鳴りの声を使って歌います。でないと、劇場に声が響き渡る事はありえませんし、観客の心を揺さぶる歌は歌えません。ある意味、鳴りの声は世俗的な歌に合っていると言えましょう。だって、宗教曲のように響きの多い声で歌われると、禁欲的と言うか、感情が激しくゆさぶられる事はないでしょ? 鳴りの声は感情にダイレクトにつながる声なのです。

 ただし、鳴りばかりの声では、美しくないし、声の消耗が激しいので、響きの声をそこにプラスして、ノドの負担を減らし、声の耳あたりを良くし、楽に遠くまで声を飛ばしていくのです。

 普通の人が声楽を学んだ場合、まずは響きを豊かにし、響きがある程度豊かになったら、そこからカラダを作って、徐々に声に鳴りを増やしていく(これを声が成長すると言います)ものです。私の場合は、そこの順番が違っていて、まず最初に鳴りを獲得してしまったので、今頃あわてて響きを付け加えている最中なのです。

 そういう意味では、私の声楽のレッスン日記は、他の人にはあまり役に立たない日記なのかもしれません。

追加の豆知識  ノド声に関して、文中で『声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声』と書きましたが、これは私が陥りやすいタイプのノド声です。実はノド声にはもうワンパターンあって、多くの人はこちらのタイプにハマりやすいようです。

 で、そのもうワンパターンあるノド声とは『深みのある声を出そうとして、ノドに力が入り、その結果、舌根が固く大きく隆起して、ノドを塞いでしまう声』です。こちらは“団子声”とも言って、市民合唱団で「ノド声注意!」と言われるノド声は、たいていこちらです。私も、歌の習い始めに、このタイプのノド声になりました。

 私の場合は

 1)スプーンで舌根を押さえながら歌う
 2)舌を前に突き出して歌う

 などの荒療治をして克服しました(笑)。

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