ひとこと

  •  政府から民間プロバイダーに対して、著作権侵害を行っている悪質なサイト(“漫☆村”とかね)への接続遮断が要請される事になったんだそうな。今のところは“要請”であって、法的根拠はありませんが、来年の通常国会で関連法の成立を目指して、法律で接続遮断を決めるようです。本来は接続遮断ではなくサイト削除が適当だと思うけれど、管理しているサーバーが国外にあるため、日本の法律ではどうにもできなくて、やむなく“接続遮断”なんだろうと思います。痛し痒しだね。まあ、接続遮断をすれば、日本国内からは閲覧できなくなるけれど、海外のプロバイダーからは相変わらず閲覧可能なわけで、手段はここには書かないけれど、ごくごく簡単な方法で、今までどおり日本国内からでも悪質サイトへアクセスは可能なわけだから、要請の効果の程はどーなんだろーね? まあ、これらのサイトの利用者が情弱であれば、今回のやり方でも効果があるだろうけれど…、普通の知識を持っていれば、状況は全然変わらないんだよなあ。
2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2018年4月19日 (木)

案外、合唱での歌い方も正しいものなんだな…と思いました

 今回の標題は…ほんと、失礼な書き方ですね。ごめんなさい。

 私は声楽(を含んだ音楽演奏)を人生最後の趣味としているので、どうしても声楽視点でモノを考えがちで、その視点から見ると、合唱での歌い方は、時折物足りなかったり、方向性が違っていたりするわけで、それについて時折意見を述べたりします。それが時によって人によって、反対意見を書いているように受け取られるし、実際反対意見を書いていたりする事もあるわけで、今回もそういう視点からの記事だとご理解ください。

 さて、私はテノールで、合唱でもテノールパートを歌うわけですが、私が今まで属した合唱団ではたいてい、高音(と言っても、五線の上の方のEとかFとかの話ですが…)を歌う時は、無理に叫んで出さずに、ファルセットで軽く出せという指示がよくありました。

 叫び声よりも裏声で行けよ…って事なのです。もちろん、叫ばなければ裏声でなくても良し…と言ってくれた指導者もいれば、たとえ実声で楽に出せたとしても、必ず高音はファルセットで出さないといけないという指導者もいました。

 私が尊敬していた指導者は「ファルセットは負けだから…」といい(音程を外していけないのは前提として)多少叫んだとしてもファルセットを使わない方が良いという考え方でしたが…そういう考え方の合唱指導者って、やっぱり少数派なんですよね。多くの指導者は「叫ぶよりもファルセット」「高音は必ずファルセット」なんですよ。

 当時の私は、先の指導者の言葉を盲信していた上に、ファルセットが苦手という事もあり、なるべくファルセットを使わずに歌っていたので…まあ、後は何度かブログに書いたとおりです。

 そんなわけでファルセットを毛嫌いしていた私でしたが、先日の記事で書いたとおり、テノールの高音(よく“アクート”と呼ばれる領域の声です)がファルセットの延長線上にあるならば、合唱でテノールがファルセットを多用して歌うのも、分からないでもないなあ…と思いました。

 もちろん、アクートとファルセットは、全く同じモノではありませんし、単純にファルセットを強化したからと言ってアクートにはならないのは明白ですが、アクートがファルセットの亜種であり、進化系であり、アクートの中にファルセットがあるのならば、合唱におけるテノールがファルセットを用いて歌い、その音色を合唱の中に加えるのは、案外、正しいやり方なのもしれないなあ…って思います。

 以前の私は、たとえ合唱とは言え、テノールにファルセットで歌わせるなんて…と全く納得していなかったのでした。市民合唱団等のテノールにファルセットを使っ歌わせるのだって、単純に高い音が出せない(または、不安定)だから、ファルセットに逃げているだけだろうと思っていたし、高い音をすべてファルセットで出させるのも、単純に音色の調整が目的であって、ある人は実声で楽に歌い、ある人は叫び、ある人はファルセットで歌っているなら、そこは誰でも出せるファルセットに統一した方が音色の統一感が出せるわけで、そんなやり方は、高い音を出せない人間に合わせたやり方ではないかと、ぐずぐず思っていたのです。

 今の私は違います。合唱で大切なのは、個々人の声ではなく、合唱団としての集団の声であり、響きです。テノールが個人でファルセットで歌うのはどうなのかなと思う私ですが、集団の中で、内声として和声の響きの中でテノールがファルセットの声で歌い、あの響きをハーモニーの中に加える事で、その響きに輝きが加わるなら、それはそれでアリって思っています。

 一人ひとりのファルセットはか細く弱い声であっても、大人数で発声すれば、それなりの力強さも得られるというものです。なら、ファルセット歌唱も合唱ではアリでしょうね。

 どちらにしても、叫び声はノンです。ファルセットはウィです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年4月18日 (水)

アンサンブルとソロ、合唱と声楽で違う点

 先日、あるプロ奏者の方と話した時に教えてもらった事です。

 オーケストラの中で演奏する時とソリストとして演奏する時では、演奏上、わざと変えている点はありませんか?という質問をしたところ、次のような答えをいただきました。

 まず1点目は、楽器を変えるのだそうです。オーケストラの中で演奏する時と、ソロを演奏する時は、違う楽器を使うようにしているのだそうだけれど、どう違うのかと言うと、音量の問題なんだそうです。オーケストラの中で演奏する時は、標準的な響きの楽器を使うんだそうですが、ソロの時は、バカ鳴りする楽器を使うんだそうです。一曲の中で、ソロとオーケストラをやる時は、オケの時は控えめに演奏し、ソロの時は目一杯で演奏するんだそうです。

 つまり、アンサンブルの時とソロの時では、音量の違いが大切だって事のようです。ま、アンサンブルならば、その集団のみんなの音が合わさって大音量になるけれど、ソロは一人で、そのアンサンブルと戦うわけですからね。音量、大切です。でないと、後ろの音にかき消されてしまうわけですし…。

 次にあげられたのは、ピッチです。ソロで演奏する時は、バックで演奏しているオケよりも、ほんの少しだけ、気持ちだけピッチを高くして演奏するんだそうです。そうする事で、オケの中でもソロの音が埋もれずに聞こえるんだそうです。へえー、です。

 あとは…衣装。まあ、男性はあまり関係ないだろうけれど、女性の場合は、オケの中で演奏する時と、ソロで演奏する時は、衣装が全然違うので、そこは(当たり前だけれど)注意するそうです。オケの時は、黒のロングドレスでシックな感じですが、ソロの時はカラーのハデハデなドレスですし、装飾品で身を飾る事も必要だし…。

 ここから分かる事は、ソリストにとって必要な事は“大きな音”で“ピッチは若干上げて”で“衣装はハデハデ”って事です。とにかく、音楽的にもビジュアル的にも目立つことが大切ってわけです。

 これは器楽の人に尋ねたので、楽器の世界の話ですが、歌の世界にも通じるなあと思いました。つまり、合唱とクラシック声楽の違いね。

 合唱人よりも、声楽人の方が、大きな声が必要…なのは当然ですね。

 ピッチを高めに歌う事は…さすがにダメでしょう。合唱であれ声楽であれ、ピッチは正確が旨だと思いますが、声の中に含まれる倍音、つまり音色に関して言えば、声楽人は声の響きを豊かにし、高音成分を多く含んだ声で歌うのが良いわけだし、合唱で高音成分を多く含んだ声で歌うと…たぶん周囲の声に溶けづらい声になって、ダメかもね。

 衣装は…個人が目立つのが禁忌な合唱と、スポットライトを浴びて目立ってナンボな声楽とでは、やっぱり違います。

 アンサンブルとソロの違いは、器楽の世界も、歌の世界も案外、似ているものだなと思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年4月17日 (火)

高音の正体は…やっぱりファルセット?

 最近は忙しくて、他所様のブログをなかなか拝見できない私です。すっかり読む頻度も落ち、たまに読んでも、いわゆる“読み逃げ”をしてしまい、なかなかコメントまでは残していません。ごめんね。

 なので、最近はブログ村で気になったタイトルの記事を拾い読みする事が多い私でした。

 で、先日、気になったタイトルの記事を読んでいたら、面白い事が書かれていました。ちなみに、そのブログの著者さんは、ここのブログにもたまにコメントくださる青子さんのブログだったりします(コメントできなくて、ごめんね)。

 私が気になった部分(青子さんの先生のセリフです)だけを引用しますと

>「低い声の時、声帯は全部が震えています。」
>「高い声の時、声帯は上だけ震えています。」

 ふむ、つまり、大雑把に言えば、低い声は地声で、高い声は裏声で歌えって事ですね。

 なんだ、女声の高音って、ファルセットじゃん。

 まあ、厳密にはファルセットではなく、頭声とかミックスヴォイスなのかもしれませんが、大きなくくりで言えば、やっぱりファルセットじゃん。

 そこで、ピンと閃いた事は、男声の高音、とりわけアクートって呼ばれるモノって、ファルセットなんじゃないの?

 もちろん“アクート=ファルセット”と言い切ってしまうのは、あまりに乱暴すぎます。厳密には、我々がイメージする、裏声に類似したファルセットと、アクートとでは、その音質、音圧、音量ともに、全然違うわけで、単純な意味で“アクート=ファルセット”とは言えないのは重々承知の上で、やっぱり“アクート=ファルセット”なんじゃないかと思いついてしまったわけなんです。

 例えば“YUBAメソッド”という発声理論がありますが、あそこではウラ声(ファルセットのことね)を「息漏れの有るウラ声」、「息漏れの無いウラ声」の二種類に分けて考えています。で、そのうち「息漏れの無いウラ声」を練習して、高音発声を可能にしていくのですが、そうやって獲得していく声こそが、女声の高音であり、男声のアクートなんじゃないかって思ったわけです。

 ま、私の閃きでむりやりつなげているので、関係者の皆様、間違っていたらごめんなさい。

 つまり、ファルセットを未訓練のまま(ポピュラー歌手のように)弱々しい声で歌ってしまえば、ただのファルセットに過ぎませんが、ファルセットを訓練して、鍛える事で、ファルセットが強い声で歌えるようになり、それが女声では高音、男声ではアクートになっていくのではないかしらって思ったわけです。

 …思っただけで、自分はちっとも出来ないので、間違っているかもしれないけれど、とにかく、そう思ったんですよ。

 ならば、ノドの強い人ほど、高音発声が苦手というのも、理屈としては分かります。というのも、ノドの強い人って、往々にしてファルセットが苦手だし、声がひっくり返るのを筋力で押さえつけて、なおかつ、かなりの高音まで地声で歌っちゃうものね。で、結果、ノド声発声って言われるわけです。それじゃあ、本当の高音は歌えません。

 だから、高音ほど、ノドの脱力が必要だと叫ばれるわけです。ノドが脱力すれば、声って、簡単に裏返りますからね。問題は、裏返る前と裏返った後での音色の統一なんです。ノドが弱くて、かなり低い音で声がひっくり返ってしまうなら、音色の変化は気づきづらいですよね。ノドが強くて、かなり高い音まで声がひっくり返らないならば、音色の変化は…とても大きくて、使い物にならないわけです。

 高音をスムーズに出すには、ノドを脱力して、かなり低い音から積極的に声をひっくり返していく事で、高音部を違和感の少ないファルセットで歌うことです。で、その違和感の少ないファルセットを鍛えていく事で、アクートになっていく…だろうと思うのです。
 で、ノドを脱力する事で、ノドの力で声は出せなくなるので、声を出すエンジンを腹圧に変えていくわけだし、そのために腹式呼吸が必要になっていくわけです。

 合っているかどうかは別として、私の中では、あれこれつながって、結構スッキリしました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年3月29日 (木)

力んじゃいけない

 今回の記事は、ある意味、前回の記事の続きになるかもしれません。

 力んだ発声はいけません。力んだ声はノド声です。ノド声の正体は“怒鳴り声”です。怒鳴った声で歌ってはいけないのです。

 別に歌う時に怒鳴るつもりなんて、誰にも無いでしょう。でも、ついついノドに力を入れて歌ってしまえば、ノド声になり、怒鳴り声になってしまうわけです。

 では、なぜついついノドに力を入れて発声してしまうのでしょうか?

 大きな声を出す時に、我々はノドに力を入れて叫びます。ヨーロッパのような石造りの建物の中で暮らしていれば、大きな声を出す時は、建物の反響を利用すればいいのですから、響き豊かな声を出せば、それで大きな声になります。でも我々は石造りの建物には暮らしていません。基本的には、紙と木材で作られた家で暮らしています。また石造りに近いコンクリードづくりの建物に暮らしていても、わざわざ建物の内部に内装を施して、紙と木材の家にしてしまいます。紙と木材では、声は反響しません。そんな環境で大きな声が必要となれば…ついつい怒鳴ってしまうのでしょう。

 ノドに力が入るのは、住環境だけが問題ではありません。例えば、ハスキーヴォイスなんてのは、恒常的な力んだ発声の結果、ノドに病変が起きて起こる音声障害の一種です。ハスキーヴォイスは、別に日本人だけの問題ではなく、外国人にも多く見られる障害です。ハスキーヴォイスは黒人に多いイメージがありますが、本当に黒人に多いのか? 黒人にハスキーヴォイスが多いとして、なぜそうなるのかは私には分かりません。

 日本も黒人の事を言えません。日本の純邦楽と呼ばれるジャンルの歌は、ハスキーヴォイスとは異なっていますが、力んだ声で歌うのが特徴です。例えば、詩吟とか、義太夫とかね。あれは、あえてノドに力を入れて、声の音色を特徴的に変えることで、声の通りを良くしているわけです。ああいった声で歌うから、騒がしい中でも歌声が目立って聞こえるわけです。同様なメカニズムで発声しているのが、市場で競りをしている人たちの“あの声”ですし、昔は街の商店街の店主たちが(喧騒の中で商売をしているため)あんな感じの声で商売をしていました。

 人間という種族は、本来、力んだ声を好む種族なのかもしれません。

 なので…もしかしたら、我々が力んで歌ってしまうのは、人間であるが故の事なのかもしれません。

 人間以外の動物たちって、あまり力まないそうです。一番良い例が…排便です(ごめんね)。人間はだいたいにおいて、力んで排便します。生まれたばかりの赤ん坊ですから、力んで排便しているじゃないですか? でも、人間以外の動物の多くは、力まずに、その場でポタポタと排便するわけです。たぶん、人間以外で力んで排便するのは、ペット化されたイヌとネコぐらいじゃないの? イヌネコはトイレの場所をしつけられて、そこで力んで排便します。人間に飼われていても、家畜たち(ウシウマブタ)はそこらで自由に排便しますので、決して力みません。野生動物たちなんて…ほんと、自由だよね。

 閑話休題。とにかく力んじゃいけません。特に歌う時は力んではいけません。力んだ声はノド声です。怒鳴り声です。歌を怒鳴り声で歌っては…興ざめですよね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年3月21日 (水)

なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?

 今回の記事は医学的な内容を含みますが、私は医学に関しては(当然ですが)素人さんなので、間違った記述があったら、優しくご指摘くださいね、よろしく。

 さて、標題の『なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?』ですが、結論を言っちゃうと、やっぱり“加齢(老化)のせい”のようです。残念。

 なので、どんな人であっても、年齢には勝てませんから、加齢とともに徐々に高音を出しづらくなってしまうわけです。ただし、高音が出しづらくなるだけで、別に低音が出しやすくなるわけではないので、音域も狭まってくるわけです。さらに残念。

 良い例が、プラシド・ドミンゴでしょうね。若い時はテノールとしてバリバリやっていましたが、年を取るに従い高音が出づらくなり、70歳前後からバリトン役を歌い始め、今ではすっかりバリトン歌手として定着しました。バリトンになったからと言って、彼の声が若い時とすっかり変わってしまったのかと言うと、決してそうではなく、明るくヒロイックなテノールのような声で、バリトンを歌っているわけです。ドミンゴを見ていると、老化をしても声色は特に変化なく、低音域が得意になるわけでもなく、ただただ高音が苦手になってくるようです。

 ちなみにドミンゴは、オペラではすっかりバリトン歌手ですが、コンサートなどでは、テノールの歌もまだ歌うし、その時は往年の歌声はまだまだ健在だったりします。

 さて、閑話休題。声は老化すると書きました。しかし、何度もこのブログで書いていますが、人間の筋肉って奴は、決して老化しないんです。いくつになっても鍛え上げて最高のパフォーマンスを発揮できるんです。ですから、声の老化は筋肉のせいではありません。

 ではどこが老化すると、声が老化するのか…ですが、一番影響が大きいのは…軟骨なんだそうです。

 声帯周りって軟骨で出来ています。具体的には、輪状軟骨、甲状軟骨、披裂軟骨、咽頭蓋軟骨の4つの軟膏があって、それらに取り囲まれるように声帯が存在するわけです。で、これらの軟骨を筋肉(内喉頭筋とか外喉頭筋とか)が動かすことで、声帯の張りに強弱が付き、それで音程が作られるわけですが、とりわけ高音を発する際には、軟骨が大きく動いて、声帯が思いっきり引っ張られて高音を発声するのだそうですが、加齢で軟骨の柔軟さが失われると、軟骨が声帯を思いっきり引っ張る事が出来なくなる…んだそうです。それで高音が出しづらくなるんだそうです。

 声帯周りの筋肉を鍛えると、軟骨を動かす筋肉が思いっきり軟骨を動かすわけです。若くて柔らかい軟骨ならば、筋肉が引っ張る方向により大きくしなって声帯を張っていく事ができますが、軟骨が硬くなると、いくら筋肉で引っ張っても、軟骨はびくともしなくなり、声帯もある程度までしか張ることが出来なくなってしまうのだそうです。それで若い時には出せた高音が出しづらくなってくるわけです。

 ちなみに、軟骨の老化は、四十代後半から始まるそうです。このあたりから軟骨の硬化が始まり、高音が出しづらくなるんだそうです。

 また、同じ頃から、カラダが乾燥していくようになります。これも痛手です。

 若い人はカラダが水々しいのですが、老人はカラダが乾燥しています。厳密に言うと、老人は若者よりも、水分や油分が不足しがちで、それで結果的にカラダが乾燥していくわけです。

 声帯は筋肉なんだけれど、その筋肉を粘膜が覆っています。カラダが乾燥してくると、粘膜部分に潤いが失われ、粘膜が硬くなり、声帯自体も実は動きづらくなってきます。これも間接的に高音が出しづらくなる原因となります。

 で、そんなこんなで、人は50歳を越える頃から高音が出づらくなるって寸法なのです。すでに50歳を過ぎてしまった人間にとっては、なんか残念な結果だね。

 でも私は諦めないよ。確かに加齢ってやつからは逃げられないし、老化も受け入れなければいけないです。軟骨が硬くなり、粘膜が乾いて硬くなるのも受け入れよう。しかし、筋肉はまだまだ鍛えられるわけです。

 軟骨を動かすのは筋肉だし、声帯自体も筋肉です。これらが筋肉であるなら、軟骨や粘膜のハンデを筋肉で補っていくしかないじゃないですか!

 まあ、確かに若い人には敵わないし、もっと若い時から歌っていれば良かったという後悔はないわけではないけれど、今の自分にとって、今できる範囲で頑張っていくしかないじゃないの? 山登りで例えれば、もう山頂に登る手立ては失ってしまったのかもしれないけれど、9合目や8合目まで行けるなら、そこを目指せばいいし、そこもダメなら7合目でも6合目でも、それよりももっとふもと近くでもいいじゃない。その時の自分のベストが尽くせれば、それでいいじゃない。

 なんて、私は考えます。それに人間ってヤツは、意思が強ければ、大抵のことは成し遂げられるので「年を取ったので高音は無理だー」と諦めるよりも「年を取って高音が出しづらくなった分、余計に頑張んなきゃいけないな」と思いたいんですよ。

 それに、年を取ると性ホルモンが減ってくるので、男性は声が高く、女性は声が低くなるという説もあります。私は男性なので、軟骨が固くなった分、男性ホルモンが減って、声が高くなって、プラスマイナス・ゼロ…じゃね? なんてお気楽に考えていたりもします。

 まあ、どちらにせよ、諦めたら、そこで終わりだからね。私はまだまだ諦めないよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年3月15日 (木)

高音を出す際の心構えについて

 今回の記事は、皆さんへと言うよりも、自分自身へ言い聞かせるための記事であります。

 テノールにとっての高音は…五線譜の上のAあたりから上の音を指します。つまり、Gまでは当たり前に出せるのが前提条件です。いや、Aまでは当たり前に出せるはずなのです。出せなきゃテノールじゃないわけです。

 ミュージカル等では、男声の高音の限界は、一般的にAとされています。つまり、ミュージカル発声でもAまでは出しなさいっていう感じなのです。だから、勝負はAより上の音なのです。

 もっとも、現在の私にとっては、高音は“Aより上”ではなく“Aから上”なんですけれど…ね。

 それはともかく、テノールのノドを持っていれば、Aはもちろん、それよりも高い音でも出せるはずなのです。それなのに出せない…という人は、私も含めて少なからずいるわけです。

 私がなぜ高音をうまく出せないのか? それは高音が怖いからです。ビビってしまうからです。意識してしまうからです。

 だから、まずは高音を高音として意識しないこと。例えばAは高音だけれど、あくまでもGの次の音なんです。それを忘れない事。Gは楽に出せるんだから、Aはその次の音なんだから、本来は特別な意識なんてしなくても、単純に次の音を出すだけなのに、ついつい意識してしまうし、ビビってしまうし、怖くなってしまうのです。

 そうなると、ノドは固まるし、息は止まるし、意識は飛ぶし、無駄に力は入るし…と、高音を出す方向とは逆な方向にカラダが反応してしまいます。

 そりゃあ、出るものも出ないはずだよね。

 なので、高音を出す際には、高音を高音とは意識せず、AならGの次の音…程度に構えて発声する事が大切…なんだけれど、分かっててもできないのが、人間のサガってヤツなんだわな。

 とにかく、息を力強く、前に出すこと。それこそ、ビーム砲のように出すこと。それで高音は出るわけです。

 後は、音のイメージをしっかり持っている事。音のイメージが無いと、正しい音程では歌えませんからね。

 そして、最大の敵が“頭が真っ白になる事”です。いくら、冷静な時に「アレをやらなきゃダメだ、これはやっちゃダメだ」と分かっていても、曲になると、無意識にテンパってしまって、頭が真っ白になって、事前に考えていた事の1/10もできないわけです。

 歌っている時は、考えちゃダメだよな。考える前に、大切な事はカラダに染み付いて覚えていないとダメなんだわ…ほんと、そう思います。

 それだけ分かっているなら、あとは実践あるのみなんです。なかなか、世の中、うまくは行かないけれどね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年10月 9日 (月)

喉声って、そんなに非難されるような声なのでしょうか?

 このブログを含む、声楽系の素人ブログでは、しばしば“喉声”が批判され、非難されます。なぜそういう記述が多いのか言えば…まあ、彼らの発声が基本的に喉声であり、それで散々注意され矯正させられ「喉声って悪い発声なんだな」と刷り込まれるからです。

 でもね、本当に喉声って、そんなに非難されるような声なのかな?

 実際のオペラを聞いてみれば、喉声ってテクニックの一つとして使われるよね。特に、怒りの表現などは、ヘラヘラってした声よりも、どっしりした声の方が良いし、そうでなくても、ヴェリズモなどの激しい表現を伴う曲の場合は、かなり喉声寄りの発声で歌われる事があります。もちろん、全員ってわけじゃないし、喉声の要素をかなり少なくして歌っている歌手もたくさんいます。

 おそらく、私が思うに、喉声には“美しい喉声”と“美しくない喉声”があり、“安全な喉声”と“危険な喉声”があり、“テクニックとして使い回しの効く喉声”と“不器用なだけの喉声”があるんじゃないかなって事です。

 まあ“喉声”ってのを“ファルセット”と置き換えると、割りとすんなり理解されるんじゃないかな?

 美声と言うのは、ノドに適度な力を加えて、適切にコントロールして発声された時に得られるモノで、力を込めすぎると喉声に、力を抜きすぎるとファルセットになってしまうと…私は考えています。

 力を込めるとか抜くとか言ったって、それは定量的に言えるものではなく、あくまでも、その人の体型とか声質とか年齢とか様々な要素で変わってくるわけです。他人が「この人、喉声で歌っている」と感じても、実は本人的にはかなりリラックスして発声している事もあるし、逆に本人的にはガチガチに力を込めているつもりでも、そうは聞こえない場合もあるわけです。

 ほんと、それこそ、声なんて人それぞれなんですよ。

 まあ、演劇表現として、筋肉を緊張させる事で表現される感情ってのがあるわけで、それは怒りの感情であったり、恐怖の感情であったり、我慢であったり…それらを歌唱で表現しようとすれば、ノドを含む身体を全体的にあるいは部分的に過緊張させる必要はあるかもしれないし、その表現として喉声あるいは、喉声寄りの声を使う事だって十分あるでしょう。

 結局、何が言いたいのかと言えば、純粋に発声技法として考えるならば、喉声は不健康だし不健全だし、批判され非難されるのもやむをえないし、素人は喉声歌唱をするべきではないけれど、喉声はファルセット同様、歌唱テクニックとしては有用な発声であるから、安全で美しい喉声を巧みに使いこなす事は、プロ歌手さんにとっては必要な事であろうと思うわけです。

 つまり、素人には禁忌だけれど、プロには必須な声ってわけです。

 実際、プロ歌手となれば、程度の差はあっても、喉声寄りの発声は出来ないと困ると思います。だって、実は、我々日本の庶民は、喉声が大好きだもの。

 我々の喉声好きは、たぶんDNAレベルで大好きなんだと思います。と言うのは、江戸時代に発展した歌付きの邦楽を聞いてみれば分かります。どれもこれも、強烈な喉声で歌うわけだし、そうやって唸った声を美しいと思っていたわけです。これが我々の本質であり、我が民族の声の好みなのです。

 だから、たとえ西洋音楽を歌うにしても、そういう唸りの要素(つまり喉声)を入れた声で歌えば「ああ、いい声だね」「朗々とした声だね」って思ってもらえるわけです。それを純粋に響きの声で歌っちゃうと「なんか物足りないんだよね」と思われて、次のコンサートのチケットの売上はガタ落ちしちゃうわけです。

 クラシック音楽のコンサートと言えども、所詮は興行だもの。お客さんが来てナンボでしょ?

 プロレスは筋書きがあってガチじゃないからダメって言う人がいるけれど、ガチの格闘技なんて地味で、素人が見ても面白くないよ。分かりやすく言えば、オリンピックでレスリングを見ても、たいていの人は、ちっとも面白いとは思わないのと一緒で、レスリングのままでは、興行としては成り立たないわけです。あれに筋書きを入れて、高度な肉体パフォーマンスショーにしたから、興行として成立するわけです。

 歌も同じ事なんだと思うよ。

 教科書どおりに歌っても、それが客に受けなきゃダメなわけです。客に受けるためには、ダメと言われるような発声方法でも、上手に使いこなせないとダメなわけです。だから、プロは、安全で美しい喉声発声ができるようにならなきゃダメなのです。でもそれはプロだからこそ求められる事であって、素人がプロレス技を見よう見まねで使うと、大怪我させたり死人を出したりするのと同様で、素人が喉声発声なんてしちゃいけないのです。

 つまり、喉声はダメよ…と言うのは、素人レベルの話であって、プロやハイアマチュアの人たちは、決してその限りではないって事なのです。

 …と私は思ってます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年10月 2日 (月)

ファルセットが自由に出せるようになりました

 このブログの古くからの読者さんは知っているでしょうが、以前の私はファルセットが大の苦手でした。はっきり言っちゃえば、ファルセットで歌うどころか、ファルセットが出せませんでした。

 ま、当時の私は、テノールがファルセットで歌うのは負けだと思ってましたし、キング先生時代はファルセットで歌うことは言われなかったので「ファルセットなんて出せなくてもいいや」と思っていました。

 ファルセットと言うのは、裏声と呼ばれる種類の声で、クラシック系女声の歌声はファルセットから出発しますので、女性でファルセットが出せない人…と言うのは、まずいないのですが、男声は基本的にファルセットを使わないので、男性の中にはファルセットが出せないという人もいます。私がそうでした。男性でファルセットを用いて歌うのは、カウンターテナーとかメールアルトとかソプラニスタとか呼ばれる例外的な声の持ち主だけであって、一般的な男声ではファルセットは、まず使いません。

 …と言うのは、教科書的な答えであり、理想形であって、実際、バスやバリトンはともかく、テノールでは、やむをえず、ファルセットを多用していたりします。

 例えば、合唱テノールですね。団にもよりますが、高いEやFから上の声は、ファルセットで発声しなさいと統一している団も、実は結構あります。

 合唱では音色の統一ってヤツが大切です。いくらテノールであるとは言っても、合唱テノールの中には、EやFあたりで苦労する人もぼちぼちいます。出せる人は実声で歌い、無理な人はファルセットで歌う…では団としての統一性に欠けるので、そのあたりの音程からテノールは全員ファルセットで歌う事にしている団は多いです。また音色の統一だけでなく、EやFを出せたとしても、乱暴な声で発声されてはハーモニーぶち壊しだったりもするので、優しい音色のファルセットを重宝に使う事もあります。

 合唱でテノールをやるなら、ファルセットを自由に使えることは、必須テクニックなのかもしれません。

 また、独唱であっても、ファルセットは発声テクニックとして必要です。高音をPPで歌う事はありますが、そんな時はファルセットを用いて切なく歌うというのもアリなんです。

 まあ、独唱の場合、通常の歌唱では、どんなに高音でもファルセットは用いませんが、だからと言って、ファルセットが出せないというのはマズいんですね。

 と言うのも、私もそうでしたが、ファルセットが出せない人と言うのは、ガチガチにノドに力が入っているからファルセットが出せないわけで、ノド声なんですよ。ですから、そんなノド声で無理に高音を出そうとして、ノドにフタが覆いかぶさったように息が止まってしまうか、それをむりやり突破しても、音程がぶら下がった苦しげな声にしかなりません。それじゃあダメなんですね。

 むしろ、高音を出そうとして、失敗をしてファルセットになってしまうくらいの方がマシなのです。だって、ノドから力が抜けていて、声がスっぽ抜けてしまうからファルセットになってしまうだけなんですから。もちろん、声がスっぽ抜けてしまうのはマズいんですが、ノド声よりは(比較の問題ですが)ずっとマシなんです。

 テノールの高音は、ファルセットになりそうで、ギリギリならないあたりの声で用いるのです。だから、ファルセットで歌っちゃダメなんだけれど、ファルセットでも歌えるようでなければ、テノールとして先が無いんです。

 だから、テノールとして頑張っていくなら、ファルセットが出せるのはもちろん、ファルセットで歌えないといけません。むしろ、ファルセットで歌うのが得意なくらいの方が良いかもね。

 Y先生に代わって、ノド声対策をするようになり、徐々にノドの力を抜いて楽に歌えるようになったところ、少しずつファルセットで歌えるようになりました。まだまだ、ファルセットで歌うのが得意…とまではいきませんが、ひとまず発声としてのファルセットは、割りと自由にできるようになりました。

 ノド声からだいぶ離脱できてきた…って感じでしょうか? 次はファルセットで歌うのではなく、その手前で踏ん張って歌えるようになれたら、うれしいなあって思ってます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年9月13日 (水)

声は年を取っても衰えない?

 先日「こうもり」を聞きに行った時の話。公演そのものは午後からだったので、会場近くのそば屋でお昼ごはんを食べた私でした。

 私がそばを食べている、その隣のテーブルのお姉さま軍団の方々の会話が、聞くともなく聞こえてしまいました。別に盗み聞きをするなんて、野暮な事はするつもりは全然ないのですが、そのお姉さま軍団の方々の声が大きすぎて、店内のどこからでも聞こえるくらいに大きすぎるので、盗み聞きではなく、勝手に声が耳に入ってきた…って感じなのです。

 あれこれたくさんの事を話していらっしゃいました。どうやら、この軍団の方々は、声楽のグループレッスンを受けている方々のようで、どうやら同じレッスンを受けている仲間同士のようでした。おそらく、今回のオペラに出演されている方に師事されているようで、先生の応援に来られたようなのです。とは言え、決してオペラファンというわけでもなく、むしろオペラ観劇そのものには、あまり慣れていないようではありました。

 で、そのお姉さまたちが、あれこれたくさんの話題を話していたのですが、その中に「年を取っても、声は衰えてないから、これからも頑張っていきましょう」って調子で話されていたのです。

 「…これからも頑張っていきましょう」という前向きの発言部分は、ただ単に微笑ましいだけなのですが、その前の「年を取っても、声は衰えないから…」の部分には、ちょっと待てよ…と思ったわけです。

 ちょっと待てよ…と思ったのは確かですが、そこで見知らぬ他人の会話にクチをはさむほど、私は良識のない人間ではないので、その場は黙ってやりすごしましたが、この人たち、本当に、年を取っても声が変わらないなんて信じているのかしら?

 声って、明らかに年齢で変わるよね。同じ人でも、少年少女時代の声、青年時代の声、中年からオジサンオバサンになった頃の声、そしてジイさんバアさんになった時の声、それぞれ明らかに、声が違います。だから、演劇などでは、役の年齢に応じて、役者は声を変えていくわけです。つまり、一般的には、年齢に応じて、人の声は変わるわけで「年を取っても、声は衰えないから…」というのは、ちょっとどうなのかな?とは思うわけです。

 なぜ年齢で声が変わるのかと言うと、要因は二つあります。一つは筋肉であり、もう一つは性ホルモンであります。

 筋肉…そう、声は筋肉を使って発声します。声帯が筋肉であるのはもちろんの事、呼吸筋だって筋肉だし、響きを作るためにカラダのあっちこっちを広げたり伸ばしたりするのだって筋肉の仕事です。で、筋肉は一般的に若い時の方が力強く激しく動きますが、やがて年を取るに従って、少しずつ衰えていくのが普通なのです。

 でもね、実は、筋肉は加齢では、衰えないのですよ。だから、あのお姉さま軍団の言っている事も、半分ぐらいは正解なのです。筋肉は使用しないと衰え、使用すると強くなります。これは年齢とは関係ありません。ですから、筋肉むきむきなジイさんなんて、あっちこっちにいるし、若くても運動不足の塊のような人は、ロクな筋肉を持っていませんし、運動不足のあげく、年齢を積み重ねていくと、やがて廃用症候群という病気にだってなっちゃうわけです。

 だから歌い続けていく事で、歌に必要な筋肉を鍛えていけば、歌い続けられていくのは本当なのです。

 でもね、声って、性ホルモンの影響をすごく受けるもので、性ホルモンは、どうしたって加齢の影響をモロに受けますからね…。この部分を無視して、目をつぶって「声は衰えない」と言ってしまうのは、あまりに無理ある事だと思います。

 声って、人生において、大雑把に3つのステージがあるのだと思います。

 それは、少年少女期と、成人期と、老年期の3つです。ザックリ言えば、性ホルモンの分泌前の時代と、性ホルモンの影響下にある時代と、性ホルモンの影響から抜け出た時代の3つです。もちろん、人として完成期である成人期の声が充実しているのは当然です。
 少年少女期は、性ホルモンの影響が弱い(子どもであっても性ホルモンは、微量ではあるけれど、分泌しているようです)ので、男女の声の差は、オトナほどの違いはありません。むしろ、少年少女の声の違いは、性ホルモンよりも筋肉の差によって生じる要素の方が多いかもしれません。

 成人期に入ると、性ホルモンの分泌も盛んになり、それぞれの性に合わせて声を変化させ、異性を引きつける声に変えていきます。女性は軽やかな声に、男声は力強い声になります。音域だって、女性は子ども時代の音域を中心に上下に大きく広がります。男性は、子ども時代の音域からグッと下って、いかにも“オトナ”な声に質的に変貌しちゃいます。それゆえ、男女では、声が全く違うと言っても良いほどに変わるわけです。

 しかし、性ホルモンの影響を抜け出して老人期になると、それぞれの声から、女性的な特徴や男性的な特徴が薄れ、互いに中性的声に変化していきます。女性は、音域が下がり、声質も太くなります。男性は低音が出しづらくなり、声質は細くなっていきます。

 また男女ともに、性ホルモンの影響から抜け出すと、声から潤いや輝きが失われ、声に渋みが加わってきます。性ホルモンは若さも司るホルモンですから、性ホルモンの減少によって、いわゆる老人の声ってヤツに変わります。また、人によって、声がかすれやすくなる人もいます。

 そういう意味では、年を取ると、音域が変わってしまい、声のツヤも失われてしまいます。つまり、声が衰えていきます。これは人によって程度の差はあるとは言え、誰もが声の衰えからは、逃れられません。

 私は、それはそれでいいんじゃないかなって思ってます。性ホルモンが減少して、声質が年寄りくさくなのは仕方ないじゃありません。それは衰えだろうけれど、その衰えは受け入れていけばいいんじゃないかって思います。

 渋く老成した声じゃないと歌えない歌って、たくさんあるじゃない。年を取って、声からツヤが失われしまったなら、ツヤめかない声で歌った方がジーンと来る歌を歌えばいいじゃないって思うわけです。

 筋肉は衰えないのだから、歌い続けていけば、声はいつまでも出るわけです。ただ、声色だけは、加齢に伴って、ジジババの声になっていくだけです。

 私も老人の初心者クラスの人間です。声も、正直、ツヤッぽくはないです。ぎりぎり、成人の声…かなってところで踏ん張っています。

 もう老人に近い声であって、とうの昔に子どもの声でないので、当たり前ですが、子ども声でないと歌えない歌は…歌うのを諦めています。

 今は成人の声で歌える歌をガンガン歌っていきたいと思っています。いや、残された時間の少なさを考えると、尻に火がついたような感じすらします。今のうちに、あれもこれも歌っておきたい…と焦る日々です。

 やがて声が年を取って、老人の声になったならば、老人の声で歌うと味が出てくる歌をしみじみと歌っていきたいと思ってます。

 別にそれでいいじゃん。老いから目を背けるではなく、老いと戦うわけでもなく、老いを受け入れて、その時なりにベストを尽くしていけばいい…と思っています。

 つまり、年を取れば声は衰えてしまうけれど、年を取ったら、取ったなりに、衰えた声をうまく活用して歌っていきたい…と思っているわけです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年7月12日 (水)

声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん