ひとこと

  •  もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。
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カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2017年10月 9日 (月)

喉声って、そんなに非難されるような声なのでしょうか?

 このブログを含む、声楽系の素人ブログでは、しばしば“喉声”が批判され、非難されます。なぜそういう記述が多いのか言えば…まあ、彼らの発声が基本的に喉声であり、それで散々注意され矯正させられ「喉声って悪い発声なんだな」と刷り込まれるからです。

 でもね、本当に喉声って、そんなに非難されるような声なのかな?

 実際のオペラを聞いてみれば、喉声ってテクニックの一つとして使われるよね。特に、怒りの表現などは、ヘラヘラってした声よりも、どっしりした声の方が良いし、そうでなくても、ヴェリズモなどの激しい表現を伴う曲の場合は、かなり喉声寄りの発声で歌われる事があります。もちろん、全員ってわけじゃないし、喉声の要素をかなり少なくして歌っている歌手もたくさんいます。

 おそらく、私が思うに、喉声には“美しい喉声”と“美しくない喉声”があり、“安全な喉声”と“危険な喉声”があり、“テクニックとして使い回しの効く喉声”と“不器用なだけの喉声”があるんじゃないかなって事です。

 まあ“喉声”ってのを“ファルセット”と置き換えると、割りとすんなり理解されるんじゃないかな?

 美声と言うのは、ノドに適度な力を加えて、適切にコントロールして発声された時に得られるモノで、力を込めすぎると喉声に、力を抜きすぎるとファルセットになってしまうと…私は考えています。

 力を込めるとか抜くとか言ったって、それは定量的に言えるものではなく、あくまでも、その人の体型とか声質とか年齢とか様々な要素で変わってくるわけです。他人が「この人、喉声で歌っている」と感じても、実は本人的にはかなりリラックスして発声している事もあるし、逆に本人的にはガチガチに力を込めているつもりでも、そうは聞こえない場合もあるわけです。

 ほんと、それこそ、声なんて人それぞれなんですよ。

 まあ、演劇表現として、筋肉を緊張させる事で表現される感情ってのがあるわけで、それは怒りの感情であったり、恐怖の感情であったり、我慢であったり…それらを歌唱で表現しようとすれば、ノドを含む身体を全体的にあるいは部分的に過緊張させる必要はあるかもしれないし、その表現として喉声あるいは、喉声寄りの声を使う事だって十分あるでしょう。

 結局、何が言いたいのかと言えば、純粋に発声技法として考えるならば、喉声は不健康だし不健全だし、批判され非難されるのもやむをえないし、素人は喉声歌唱をするべきではないけれど、喉声はファルセット同様、歌唱テクニックとしては有用な発声であるから、安全で美しい喉声を巧みに使いこなす事は、プロ歌手さんにとっては必要な事であろうと思うわけです。

 つまり、素人には禁忌だけれど、プロには必須な声ってわけです。

 実際、プロ歌手となれば、程度の差はあっても、喉声寄りの発声は出来ないと困ると思います。だって、実は、我々日本の庶民は、喉声が大好きだもの。

 我々の喉声好きは、たぶんDNAレベルで大好きなんだと思います。と言うのは、江戸時代に発展した歌付きの邦楽を聞いてみれば分かります。どれもこれも、強烈な喉声で歌うわけだし、そうやって唸った声を美しいと思っていたわけです。これが我々の本質であり、我が民族の声の好みなのです。

 だから、たとえ西洋音楽を歌うにしても、そういう唸りの要素(つまり喉声)を入れた声で歌えば「ああ、いい声だね」「朗々とした声だね」って思ってもらえるわけです。それを純粋に響きの声で歌っちゃうと「なんか物足りないんだよね」と思われて、次のコンサートのチケットの売上はガタ落ちしちゃうわけです。

 クラシック音楽のコンサートと言えども、所詮は興行だもの。お客さんが来てナンボでしょ?

 プロレスは筋書きがあってガチじゃないからダメって言う人がいるけれど、ガチの格闘技なんて地味で、素人が見ても面白くないよ。分かりやすく言えば、オリンピックでレスリングを見ても、たいていの人は、ちっとも面白いとは思わないのと一緒で、レスリングのままでは、興行としては成り立たないわけです。あれに筋書きを入れて、高度な肉体パフォーマンスショーにしたから、興行として成立するわけです。

 歌も同じ事なんだと思うよ。

 教科書どおりに歌っても、それが客に受けなきゃダメなわけです。客に受けるためには、ダメと言われるような発声方法でも、上手に使いこなせないとダメなわけです。だから、プロは、安全で美しい喉声発声ができるようにならなきゃダメなのです。でもそれはプロだからこそ求められる事であって、素人がプロレス技を見よう見まねで使うと、大怪我させたり死人を出したりするのと同様で、素人が喉声発声なんてしちゃいけないのです。

 つまり、喉声はダメよ…と言うのは、素人レベルの話であって、プロやハイアマチュアの人たちは、決してその限りではないって事なのです。

 …と私は思ってます。

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2017年10月 2日 (月)

ファルセットが自由に出せるようになりました

 このブログの古くからの読者さんは知っているでしょうが、以前の私はファルセットが大の苦手でした。はっきり言っちゃえば、ファルセットで歌うどころか、ファルセットが出せませんでした。

 ま、当時の私は、テノールがファルセットで歌うのは負けだと思ってましたし、キング先生時代はファルセットで歌うことは言われなかったので「ファルセットなんて出せなくてもいいや」と思っていました。

 ファルセットと言うのは、裏声と呼ばれる種類の声で、クラシック系女声の歌声はファルセットから出発しますので、女性でファルセットが出せない人…と言うのは、まずいないのですが、男声は基本的にファルセットを使わないので、男性の中にはファルセットが出せないという人もいます。私がそうでした。男性でファルセットを用いて歌うのは、カウンターテナーとかメールアルトとかソプラニスタとか呼ばれる例外的な声の持ち主だけであって、一般的な男声ではファルセットは、まず使いません。

 …と言うのは、教科書的な答えであり、理想形であって、実際、バスやバリトンはともかく、テノールでは、やむをえず、ファルセットを多用していたりします。

 例えば、合唱テノールですね。団にもよりますが、高いEやFから上の声は、ファルセットで発声しなさいと統一している団も、実は結構あります。

 合唱では音色の統一ってヤツが大切です。いくらテノールであるとは言っても、合唱テノールの中には、EやFあたりで苦労する人もぼちぼちいます。出せる人は実声で歌い、無理な人はファルセットで歌う…では団としての統一性に欠けるので、そのあたりの音程からテノールは全員ファルセットで歌う事にしている団は多いです。また音色の統一だけでなく、EやFを出せたとしても、乱暴な声で発声されてはハーモニーぶち壊しだったりもするので、優しい音色のファルセットを重宝に使う事もあります。

 合唱でテノールをやるなら、ファルセットを自由に使えることは、必須テクニックなのかもしれません。

 また、独唱であっても、ファルセットは発声テクニックとして必要です。高音をPPで歌う事はありますが、そんな時はファルセットを用いて切なく歌うというのもアリなんです。

 まあ、独唱の場合、通常の歌唱では、どんなに高音でもファルセットは用いませんが、だからと言って、ファルセットが出せないというのはマズいんですね。

 と言うのも、私もそうでしたが、ファルセットが出せない人と言うのは、ガチガチにノドに力が入っているからファルセットが出せないわけで、ノド声なんですよ。ですから、そんなノド声で無理に高音を出そうとして、ノドにフタが覆いかぶさったように息が止まってしまうか、それをむりやり突破しても、音程がぶら下がった苦しげな声にしかなりません。それじゃあダメなんですね。

 むしろ、高音を出そうとして、失敗をしてファルセットになってしまうくらいの方がマシなのです。だって、ノドから力が抜けていて、声がスっぽ抜けてしまうからファルセットになってしまうだけなんですから。もちろん、声がスっぽ抜けてしまうのはマズいんですが、ノド声よりは(比較の問題ですが)ずっとマシなんです。

 テノールの高音は、ファルセットになりそうで、ギリギリならないあたりの声で用いるのです。だから、ファルセットで歌っちゃダメなんだけれど、ファルセットでも歌えるようでなければ、テノールとして先が無いんです。

 だから、テノールとして頑張っていくなら、ファルセットが出せるのはもちろん、ファルセットで歌えないといけません。むしろ、ファルセットで歌うのが得意なくらいの方が良いかもね。

 Y先生に代わって、ノド声対策をするようになり、徐々にノドの力を抜いて楽に歌えるようになったところ、少しずつファルセットで歌えるようになりました。まだまだ、ファルセットで歌うのが得意…とまではいきませんが、ひとまず発声としてのファルセットは、割りと自由にできるようになりました。

 ノド声からだいぶ離脱できてきた…って感じでしょうか? 次はファルセットで歌うのではなく、その手前で踏ん張って歌えるようになれたら、うれしいなあって思ってます。

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2017年9月13日 (水)

声は年を取っても衰えない?

 先日「こうもり」を聞きに行った時の話。公演そのものは午後からだったので、会場近くのそば屋でお昼ごはんを食べた私でした。

 私がそばを食べている、その隣のテーブルのお姉さま軍団の方々の会話が、聞くともなく聞こえてしまいました。別に盗み聞きをするなんて、野暮な事はするつもりは全然ないのですが、そのお姉さま軍団の方々の声が大きすぎて、店内のどこからでも聞こえるくらいに大きすぎるので、盗み聞きではなく、勝手に声が耳に入ってきた…って感じなのです。

 あれこれたくさんの事を話していらっしゃいました。どうやら、この軍団の方々は、声楽のグループレッスンを受けている方々のようで、どうやら同じレッスンを受けている仲間同士のようでした。おそらく、今回のオペラに出演されている方に師事されているようで、先生の応援に来られたようなのです。とは言え、決してオペラファンというわけでもなく、むしろオペラ観劇そのものには、あまり慣れていないようではありました。

 で、そのお姉さまたちが、あれこれたくさんの話題を話していたのですが、その中に「年を取っても、声は衰えてないから、これからも頑張っていきましょう」って調子で話されていたのです。

 「…これからも頑張っていきましょう」という前向きの発言部分は、ただ単に微笑ましいだけなのですが、その前の「年を取っても、声は衰えないから…」の部分には、ちょっと待てよ…と思ったわけです。

 ちょっと待てよ…と思ったのは確かですが、そこで見知らぬ他人の会話にクチをはさむほど、私は良識のない人間ではないので、その場は黙ってやりすごしましたが、この人たち、本当に、年を取っても声が変わらないなんて信じているのかしら?

 声って、明らかに年齢で変わるよね。同じ人でも、少年少女時代の声、青年時代の声、中年からオジサンオバサンになった頃の声、そしてジイさんバアさんになった時の声、それぞれ明らかに、声が違います。だから、演劇などでは、役の年齢に応じて、役者は声を変えていくわけです。つまり、一般的には、年齢に応じて、人の声は変わるわけで「年を取っても、声は衰えないから…」というのは、ちょっとどうなのかな?とは思うわけです。

 なぜ年齢で声が変わるのかと言うと、要因は二つあります。一つは筋肉であり、もう一つは性ホルモンであります。

 筋肉…そう、声は筋肉を使って発声します。声帯が筋肉であるのはもちろんの事、呼吸筋だって筋肉だし、響きを作るためにカラダのあっちこっちを広げたり伸ばしたりするのだって筋肉の仕事です。で、筋肉は一般的に若い時の方が力強く激しく動きますが、やがて年を取るに従って、少しずつ衰えていくのが普通なのです。

 でもね、実は、筋肉は加齢では、衰えないのですよ。だから、あのお姉さま軍団の言っている事も、半分ぐらいは正解なのです。筋肉は使用しないと衰え、使用すると強くなります。これは年齢とは関係ありません。ですから、筋肉むきむきなジイさんなんて、あっちこっちにいるし、若くても運動不足の塊のような人は、ロクな筋肉を持っていませんし、運動不足のあげく、年齢を積み重ねていくと、やがて廃用症候群という病気にだってなっちゃうわけです。

 だから歌い続けていく事で、歌に必要な筋肉を鍛えていけば、歌い続けられていくのは本当なのです。

 でもね、声って、性ホルモンの影響をすごく受けるもので、性ホルモンは、どうしたって加齢の影響をモロに受けますからね…。この部分を無視して、目をつぶって「声は衰えない」と言ってしまうのは、あまりに無理ある事だと思います。

 声って、人生において、大雑把に3つのステージがあるのだと思います。

 それは、少年少女期と、成人期と、老年期の3つです。ザックリ言えば、性ホルモンの分泌前の時代と、性ホルモンの影響下にある時代と、性ホルモンの影響から抜け出た時代の3つです。もちろん、人として完成期である成人期の声が充実しているのは当然です。
 少年少女期は、性ホルモンの影響が弱い(子どもであっても性ホルモンは、微量ではあるけれど、分泌しているようです)ので、男女の声の差は、オトナほどの違いはありません。むしろ、少年少女の声の違いは、性ホルモンよりも筋肉の差によって生じる要素の方が多いかもしれません。

 成人期に入ると、性ホルモンの分泌も盛んになり、それぞれの性に合わせて声を変化させ、異性を引きつける声に変えていきます。女性は軽やかな声に、男声は力強い声になります。音域だって、女性は子ども時代の音域を中心に上下に大きく広がります。男性は、子ども時代の音域からグッと下って、いかにも“オトナ”な声に質的に変貌しちゃいます。それゆえ、男女では、声が全く違うと言っても良いほどに変わるわけです。

 しかし、性ホルモンの影響を抜け出して老人期になると、それぞれの声から、女性的な特徴や男性的な特徴が薄れ、互いに中性的声に変化していきます。女性は、音域が下がり、声質も太くなります。男性は低音が出しづらくなり、声質は細くなっていきます。

 また男女ともに、性ホルモンの影響から抜け出すと、声から潤いや輝きが失われ、声に渋みが加わってきます。性ホルモンは若さも司るホルモンですから、性ホルモンの減少によって、いわゆる老人の声ってヤツに変わります。また、人によって、声がかすれやすくなる人もいます。

 そういう意味では、年を取ると、音域が変わってしまい、声のツヤも失われてしまいます。つまり、声が衰えていきます。これは人によって程度の差はあるとは言え、誰もが声の衰えからは、逃れられません。

 私は、それはそれでいいんじゃないかなって思ってます。性ホルモンが減少して、声質が年寄りくさくなのは仕方ないじゃありません。それは衰えだろうけれど、その衰えは受け入れていけばいいんじゃないかって思います。

 渋く老成した声じゃないと歌えない歌って、たくさんあるじゃない。年を取って、声からツヤが失われしまったなら、ツヤめかない声で歌った方がジーンと来る歌を歌えばいいじゃないって思うわけです。

 筋肉は衰えないのだから、歌い続けていけば、声はいつまでも出るわけです。ただ、声色だけは、加齢に伴って、ジジババの声になっていくだけです。

 私も老人の初心者クラスの人間です。声も、正直、ツヤッぽくはないです。ぎりぎり、成人の声…かなってところで踏ん張っています。

 もう老人に近い声であって、とうの昔に子どもの声でないので、当たり前ですが、子ども声でないと歌えない歌は…歌うのを諦めています。

 今は成人の声で歌える歌をガンガン歌っていきたいと思っています。いや、残された時間の少なさを考えると、尻に火がついたような感じすらします。今のうちに、あれもこれも歌っておきたい…と焦る日々です。

 やがて声が年を取って、老人の声になったならば、老人の声で歌うと味が出てくる歌をしみじみと歌っていきたいと思ってます。

 別にそれでいいじゃん。老いから目を背けるではなく、老いと戦うわけでもなく、老いを受け入れて、その時なりにベストを尽くしていけばいい…と思っています。

 つまり、年を取れば声は衰えてしまうけれど、年を取ったら、取ったなりに、衰えた声をうまく活用して歌っていきたい…と思っているわけです。

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2017年7月12日 (水)

声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

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2017年7月 3日 (月)

私の好きなアマチュア歌手、Aさんの声について

 先日、例によって、私の趣味である“見知らぬ人たちの声楽発表会”を聞きに行きました。いや、正確に言えば「向こうは私の事を知らないけれど、私の方は、ここ数年、その上達具合を見守り続け、今やファンになりつつあるほど大好きな人たちが出演する発表会」ってヤツを聞きに行ったわけです。ほんと、この日を楽しみにし、指折り数えて待っていたわけです。

 その出演者の中に、私がここ数年、とても気にしている歌手さんがいます。その人を仮に“Aさん”と呼ぶことにしましょう。

 Aさんの歌唱スタイルは、とても心が暖かくなるスタイルで、全身全霊で“私は歌が好き、音楽が好き”というのを全開にしてくるスタイルなのです。そう、私好みの歌唱スタイルなんです。以前は、ハートは熱くても、技術が追いつかない、典型的なアマチュアスタイルだったのですが、それでも毎年毎年、目に見えるカタチで上達していきました。

 今までは、ポピュラー寄りの歌曲…と言いますか、オペラ歌手がよく歌うポップス曲やミュージカルソングを歌っていましたが、ついに今年、オペラアリアを歌ってくれたのでした。いやあ、うれしかったです。

 ほんと、1ファンとしては、感慨深いものがあったし、ついにここまで上達したんだなあと(ちょっと上からで申し訳ないのだけれど)感動もしたわけです。いやあ、良いものを見させていただきました。

 で、なまじ、オペラアリアを歌ってくれたので、つい、1ファンとして、あれこれ考えてしまった私なのです。…って言うか、それまで気にしなかった事が気になるようになってしまったのです。

 ポピュラー系の曲とかミュージカルの曲って、声域とか声質とかをあまり気にしない曲が多いです。ポピュラー系の曲は、歌手に合わせて転調するのが普通だし、ミュージカルの曲なんて、舞台ではテノールの人でもバリトンの人でも両方共に歌っちゃう役もたくさんあるし、オペラほど、発声に関してはシビアでなくても歌えるものなので、気にならなかっただけ…なのかなって思いました。

 そのAさんは、男性で、実は私は今まで彼を高音歌手だと思っていたし、実は今でもテノールなんじゃないかと思っているのですが、実際に彼が歌ったのは、バリトンのアリアだったのです。

 歌ったアリアの仕上がりは…アマチュア歌手としては、十分なほどで、私が歌うテノールアリアよりも、よっぽど整っているしカタチどおりに歌われていました。だから、私よりも上手な人…って言えるわけで、そんな上手な人に、私ごときが意見を言うなんて、痴がましいのは百も承知で書くと…Aさん、あなたの声はバリトンじゃないよ…と私は、心の底からそう思うわけです。

 その一方で、なぜ彼がバリトンのアリアを歌ったのか…その理由も分からないでもありません。と言うのも、今までは気にならなかったのですが、実は彼の声って、かなり嗄声(させい)なのです。嗄声とは、音声障害の一種で、いわゆる“ハスキーヴォイス”を指します。まあ、生活する分には、さほどの支障はないので、見逃されがちですが、声帯が健康な状態ではないのは事実です。実際、間違った発声や無理な発声の末に、ノドを壊してしまい嗄声になるケースが多いようです。

 まあ、ポピュラー系歌手には(無理な発声をする人がたくさんいて)嗄声の人が多いので、そういう歌を歌っている時は気にならなかったけれど、クラシック系歌手には嗄声の人はいません…ってか、嗄声の人では、普通は、クラシック系の歌は歌えません。嗄声では音量が得られませんから、マイクを使用するポピュラー系音楽ならともかく、マイクを使用しないクラシック系では歌えないのが普通なのです。

 しかし、Aさんは嗄声にも関わらず、マイク無しでも普通に(やや声は小さめですが、それでもアマチュア歌手としては十分なほどに)歌えるわけで、おそらくは、長年、間違えた発声のまま歌い続けた結果、ノドは壊してしまったけれど、同時にノドが強くなってしまい、嗄声であるにも関わらず、大声量を獲得した…んではないかと想像しました。

 うーん、音楽が好きで、クラシック系音楽が好きな事も、痛いほどに伝わるんだけれど、あの声質で、クラシック系音楽を歌うのは、やはりかなり違和感があるなあ。まあ、アマチュアなのだから、違和感バリバリでも歌っちゃった方が勝ちなんだけれど、おそらくAさんの本来の声質はテノールなんだと思います。ただ、声が潰れちゃったせいで、高音発声がかなり難しくなっているんだろうなあって思います。それでバリトンの曲を歌ったのだろうけれど、バリトンを歌うには、やっぱり声が軽いんだよなあ。おまけに低音はほとんど鳴っていないし、音にもなっていない。そもそも低音を歌えるほど声帯が長くないんだと思います。でも、高音では勝負できないのだから、バリトンの曲を歌ってみたんだろうと思います。

 Aさんに限らず、アマチュア歌手の中には、若い時から音楽が好きで、歌が好きで、自己流に歌い続けて、声を壊してしまった人って…結構いるんだろうなあ…って思います。私は、たまたまノドが強いタイプの人だったので、自己流で歌っていても、ノドを壊さずに済みましたが、普通の人が自己流の間違った発声法で長年無理して歌い続けていけば、そりゃあノドの一つや二つ、壊しても不思議はないです。

 おそらくAさんのノドが壊れたのは、今の先生に師事する前の話だろうと思います。そんな声質のAさんをここまで引っ張り上げた、彼の声楽の先生は、実に素晴らしい手腕の持ち主だと思います。なにしろ、嗄声の人をオペラアリアが歌えるほどに導いたのですから、ほんとスゴイですよ。

 でもね、なんかなあ、他人事なんだけれど、とっても残念で悲しくなりました。彼には今後も頑張って欲しいし、私はこれからも彼を見守り続けていきたいと思ってます。それにしても、学校あたりで、正しい(ってかノドに無理のない健康的な)発声方法を教える事ができたら、歌が好きなのにノドを潰してしまう悲劇が少なくなるのになあ…って思いました。

 いやあ、ほんと、私はたまたまAさんのようにはならなかったけれど、一歩間違えていれば、彼のようになっていたかもしれないし、実際、キング先生に習っていた最後の時期は、レッスンのたびにノドに大きなダメージを受けていたし、あのままキング先生の元で学び続けていたら、きっと私も声を壊して、Aさんのようになってしまっていただろうと思うと、身の毛がよだつ私でした。

 声の健康は、とてもとても大切だと思います。

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2017年6月27日 (火)

ノド声だって捨てたモノじゃない? その2

 前回の記事で、ノド声と響きで歌う事は、連続していて、要は程度の問題であると私は書きました。

 ですから、一方的にノド声が悪くて、響きで歌うことは手放しで素晴らしいのかと言えば、必ずしもそうとも言えないのかもしれません。なにしろ、両者は本質的に同じモノですから。

 さて、今回はノド声と、響きで歌う事の、それぞれの長所と欠点について考えてみましょう。

 まずは、分かりやすく、ノド声の欠点から参りましょう。

 ノド声にはたくさんの欠点があります。基本的に大きな音量では歌えないし、高い音も低い音も出づらいです。また美しくもありません。それを無理に大きな音量で歌おうとしたり、高い音や低い音を出そうとすると、ノドに過剰な負担がかかります。長く続けると、ノドが壊れて、歌えなくなってしまうかもしれません。だから、一般的にノド声歌唱は良くない歌唱法であるとされます。

 でもね、歌の発声法としては、かなりダメなノド声歌唱ですが、このダメな歌唱で歌っている人もそこそこいます。そういう人って、ノド声で歌い続けることで、ノドを強くしてしまった人であり、この人が響きのテクニックを体得したら、かなりの音量で歌えるようになるし、高い音も低い音も歌えるようになります。ノド声発声は、健康的な発声方法ではありませんし、一般的には薦められない歌唱法ですが、これができる人って、実はかなりの才能の持ち主かもしれませんね(笑)。

 あと、感情豊かに歌おうとすると、どうしてもノド声の要素を強めにする必要があります。人の感情って、キレイゴトばかりじゃないですからね。時にはノドをふりしぼったり、ノドを締め付けたりなどの悪声で歌わないと表現できない感情もあるわけです。

 人間だもの、いろいろあるよね。

 と言うわけで、響きで歌う事の欠点として、響き中心の歌声では、これら人間的な感情を込めづらい発声であるという事になります。

 これは一方、感情抜きの歌…宗教歌などにふさわしい発声法と言えます。響きを中心にした発声は、世俗を離れた天使のような声になるわけで、教会などでは、この手の声こそが音楽にふさわしいと言えます。そして逆説的に言えば、響きを中心とした歌い方が是とされてきた理由の一つに、歌というものが教会音楽として発展してきた事があげられます。響きを中心にした唱法は、神を賛美する唱法と言えるわけです。

 さて、響きで歌う事の長所はたくさんあります。まずはカラダに負担の少ない発声方法であり、健康的な発声方法であるという事です。発声方法を正しい正しくないで区別するなら、響きで歌う唱法は、正しい歌唱法であると言えると思います。

 そもそも持ち声がさほど豊かでない人であっても、響きを中心に歌うことができれば、人並みの声で歌えるでしょうし、逆に言えば、響きを中心に据えた歌い方で歌わなければ、声に恵まれていない人は歌うことが出来ないとも言えます。

 結論から言えば、長所短所を色々考え合わせてみるならば、ノド声で歌うよりも、響き豊かに歌った方が絶対に良いし、それが正しい歌い方であると言えます。

 しかし、だからと言って、今現在ノド声で歌っている人は、落ち込む必要はありません。なぜなら、これから響きで歌う事をマスターすれば、かなり豊かで恵まれた歌声をゲットできるからです。

 逆に、今現在、響きで歌っている人は、自分が正しい発声をしていると安心していると、やがて表現で壁にぶち当たるようになるかもしれません。その時に、発声方法は崩さずに、いかに声に感情を込めていけるかを考えていかないといけません。

 なんか、話がうまくまとまらなかったけれど…勘弁してください。

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2017年6月26日 (月)

ノド声だって捨てたモノじゃない? その1

 声楽をやっていると“ノド声歌唱”は悪者扱いされがちですが、そんなにノド声歌唱って悪い事なのでしょうか?

 人間はノドを使って声を出します。これには例外がありません。普通の人は声帯を使って声を出し、声帯を切除した人でも下咽頭部を駆使して声を出します。つまり、あなたが人間である限り、ノド声で発声している事は、間違いのない事実です。

 そもそも、すべての人の声はノド声なのです。

 ではなぜ「ノド声で歌ってはいけない」とか「響きで歌いなさい」とか言うのでしょうか?

 仮に、音叉で考えてみましょう。音叉を叩くと音が出ます。でも、あまり大きな音ではありません。しかし、その音叉を机に付けると、机が鳴り出して、音叉の音が大きく聞こえます。ヴァイオリンとかギターなどの楽器に付けると、ビックリするほど大きな音で鳴り出します。あるいは顔面の骨の部分に付けると、顔中から大きな音で音叉が聞こえます。

 声も似たようなモノなんだろうと思います。

 ノドで作る声は、音叉を叩いただけの音のようなもので、そこから出てくる声は、本来はあまり立派でもなければ、大きくもなく、美しくもありません。歌の素人さんの歌声が、たいてい貧弱で小さくて不安定なのは、割りと生に近い声だからです。

 いわゆる、我々がよく言う“ノド声”というのは、本来小さな音量でしかない生のノドの声を、筋力と呼気圧と根性で無理やり大きな音にした声を言います。まあ、発声のメカニズム的には、怒鳴り声や叫び声と似たような感じでしょう。ですから、努力と才能次第では、大きくて立派な声にはなるけれど、あまり美しくはありませんし、無理に大きな声にしていますので、あっちこっちで破綻しています。

 一方“響きで歌う”と言うのは、音叉を顔面の骨(つまり頭蓋骨)に付けた時のような感じでしょう。音叉を頭蓋骨に付ける事で、音叉が頭蓋骨を共鳴共振させるように、声を生のまま出すのではなく、頭蓋骨の随所でノド声を共鳴共振させる事で、生のノド声に共鳴共振させた声をミックスする事で、大きな音量の声を出すのです。この方法ならば、ノドに大きな負担がかからないので、楽に声が出せますし、無理をしていないので、声の美しさもキープできます。

 つまり“ノド声歌唱”と“響きで歌う事”は、元を正せば同じ声帯からのノド声を用いて歌っているわけで、それを頭蓋骨でどの程度響かせているかで違っているくわけで、いわばこれらの二つは連続した声であると言えます。

 だから、すべての声は、ノド声なのです。

 この生のノド声を生のまま拡声したような声を“ノド声”と呼び、生のノド声を頭蓋骨で共鳴共振した声が主に聞こえる声を“響きで歌う”と呼んでいるにすぎないのです。

 我々人間は機械ではありませんから、ゼロかイチかの行動はできません。ノド声と言っても、多少なりとも頭蓋骨の共鳴共振は加わるでしょうし、響きで歌っていても、ノドの声が全く聞こえないわけじゃないのです。要は程度の問題です。

 そう考えてみると、ノド声だからと言って、そう捨てたものではないのかもしれません。

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2017年6月 5日 (月)

2017年6月現在の私が考える、高音発声のポイントについて

 クラシック声楽って、案外音域が広いものです。高音歌手はもちろん、低音歌手だって、自分なりの高音へのチャレンジをし続けて歌うのですが、チャレンジ…つまり苦労をして、それを乗り越えて歌うわけです。

 それではなぜ歌手は高音発声に苦労するのでしょうか?

 その人の持っている音域以上の高音を出そうとしているケースは、ちょっと横に置いておくことにして、大抵の場合、ノド声発声のために高音発声に苦労をしているのが、アマチュア歌手の現状だと思います。

 ではなぜ、ノド声だと高音発声に苦労するのか? それはノド声って、往々にして声帯を取り巻く周辺に力が入りすぎて、肝心の声帯の振動を邪魔するからです。

 「声帯の振動を邪魔するって、何?」

 声帯を含む周辺部に力が入りすぎると、その周辺部位が硬直します。ザックリ言うと「筋肉は力が入ると硬くなる」って奴ですね。筋肉が硬くなると、筋肉の動きって悪くなります。声帯とその周辺も筋肉ですから、力が入りすぎて、硬くなると、動きが悪くなって、声帯がうまく伸展しなくなるわけです。

 さらに、力こぶ…じゃないけれど、筋肉って力が入ると、膨らんで硬くなるんですね。ですから声帯とその周辺部が硬くなると言うのは、同時に膨らむってわけで、気管は文字通り“管”ですから、膨らめば、内部の空洞部分が狭くなって、息の流れが悪くなるし、また気管の蓋である声帯が膨らめば、さらに余計に息の流れが悪くなるし、最悪、気管が閉じてしまうことだってあるわけです。そうなると、高音発声どころか、自分で首を絞める事になり、声すら出なくなります。

 ノド声、怖いですね。

 ではなぜ、ノド声になってしまうのでしょうか!

 原因は色々ありますが、一番大きな理由は「その人が“ノドに力の入った声が好き”だから」と言うのは、絶対にあると思います。

 “ノドに力の入った声”とは…感情むき出しの声です。人が興奮している時に出す声って、大抵、ノドに力が入っているものです。そういう、怒鳴り声、怒り声、叫び声、泣き声等、みなノドに力が入っています。人によっては、笑う時すら、グフグフ…とノドを締め上げて、笑ったりするでしょ? 強い感情を歌に載せようとすると、多かれ少なかれノドに力が入ってしまうものなのです。そういう、ある意味、演劇っぽい声(舞台演劇での発声はノドに力を入れる事は必要最低限でしかしないので“演劇っぽい”声と言っておきます)を好きな方って…私も含めて…たくさんいるでしょ? で、自分もそういう声を出そうとすれば…そりゃあノド声になるしかないじゃないですか?

 また、それとは別に、声を出すための息の発動を、ノド周辺で行っている人も多くいますが、そういう人が歌うと、ノド声になってしまう事があります。まあ、それは声を聞いてみると、息が常に浅いので、それと分かります。ちなみに、息が浅すぎる人だと、ノド声どころか、歌声が出なくなってしまうようです。

 では、それらを回避するためにはどうするべきでしょうか?

 まずは、リラックス。脱力です。声帯周辺部に過度な力を加えないようにしましょう。そのために、歌う時は深い息(腹式呼吸)で歌うようにしましょう。これだけで、ノド声リスクはだいぶ下がります。

 次に、クチの奥を縦開きにして、ノドが十分に伸展できるようにしましょう。最後に、声帯を常に(適度に)開けたままでいられるようにしましょう。そのためには、ノドの奥を開くという意識づけが大切でしょう。これらによって、ノド声はだいぶ回避できる…はず…です(笑)。

 で、私自身が気をつけている事を最後に書くなら…、最初は変な声でも、正しい手順を踏んで出た声なら出し続けるようにしています。最初っから立派な声で歌えるわけはないのですから、自分の声が変な声でも良しとしています。要は、そこから鍛え上げて、最終的に立派な声にすればいいのですから。

 あと、音程を強く意識しすぎないようにしています。音程を強く意識すると、発声は二の次で、音程を置きに行くような発声になります。音程を置きにいく歌い方では、発声はいい加減になってしまいがちですからね。発声をきちんとしないと、結局、高音は出ないままになってしまいますからね。

 2017年6月現在の私は、高音発声に関して、こんなふうに考えているわけでした。

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2017年5月 3日 (水)

音痴には治る音痴と治らない音痴がある

 音痴…という言葉は、あまり好きな言葉ではありません。でもね、音楽…とりわけ歌をやる人にとっては、大きな悩みの一つであったりするわけです。なので、今回はあまり好きな言葉ではありませんが、あえて取り上げてみたいと思います。

 よく音痴克服術のようなモノがネットにも書籍にもありますが、実は世の中には、克服できる音痴と克服できない音痴…つまり、治る音痴と治らない音痴があります。

 治らない音痴は…ずばり、障害系の音痴です。ざっくり言えば“聴覚障害(難聴)”による音痴のうち、脳の病変のために難聴になっている人の音痴は治りません。脳の病変のための難聴…いわゆる“感音性難聴”の事ですが、これらの人は、音が聞こえなかったり、聞こえても変調して聞こえるので、正しい音程を適度な音量で聞き取ることが出来ないため、音痴にならざるをえないのです。

 一方“聴覚障害(難聴)”には“伝音性難聴”というモノがあります。こちらは外科手術が有効だったり、手術をしなくても補聴器の使用で難聴を克服する事ができます。補聴器の使用は、なかなか厄介な部分もありますが、これらの補助器具で楽しく音楽生活ができるのなら、取扱いに注意をしながら練習に励んで、音痴を克服しましょう。

 老化による難聴は、実は感音性難聴です。もっとも老人の場合は、脳の病変があれば話は別ですが、脳の病変がなければ、老化のために音を聞き取る力が衰えていくだけなので、表面的には伝音性難聴と同じようなものです。補聴器等の補助道具の使用で、難聴もある程度は克服できます。ただし、音を感じる力自体は衰えていく一方なので、ある時点まで来たら、音楽とは距離を置く必要が出てくるかもしれません。

 以上で治らない音痴の話は終わりです。これ以外の音痴は努力しだいで克服可能な音痴です。

 治る音痴にも色々なタイプの音痴がいます。

1)歌う筋肉が不器用なために音痴になるタイプ

 不器用…と言っても、多くの場合は、訓練不足が原因のようです。つまり、歌う経験が極端に少なくて、そのために任意の音を発声する感覚が掴みきれていないタイプです。ざザックリ言えば、ドの音を聞いて、ドの音を出そうと思っても、ドの音を出すための適度に筋肉を動かす事が(不器用なために)できないのです。これはもう…練習あるのみです。単純に経験値不足が音痴の原因ですから、とことん練習あるのみです。

2)歌い始めは良いのだけれど、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうタイプ。

 ドンドン狂う…と言っても、多くの場合は音が下っていくわけで、こういう人は厳密には音痴ではない事が多いです。と言うのも、相対音感をしっかり持っている人が多いんです。立派な相対音感を持っているにも関わらず、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうのは、単純に呼吸法が悪くて、息の支えが足りなくて、自分で歌っている音が無自覚に少しずつ下っていくわけで、その下った音から次の音を導き出して歌うので、ドンドン音程が下がってしまい、結果として音痴になってしまうのです。

 これもやはり練習あるのみです。しっかりした呼吸法を学び、息をきちんと支えられるような筋肉を身につけられれば、音痴克服です。

3)歌い出しから常に音程がぶら下がり気味になるタイプ

 聞いていて、覇気がなく、なんとも居心地悪く感じる歌い方をする音痴がこのタイプです。これはノド声が原因による音痴です。単純に舌根や声帯周辺部に過剰な力が加わり、声帯が上手に振動できずに音程が下ってしまうわけです。リラックスしている時は、案外、正しい音程で歌えるのに、人前だとからっきし音痴になってしまうのが、このタイプなのです。これはもう、ノド声克服がそのまま音痴克服となるパターンです。

4)歌い出しから常に音程が不安定でどこに音程があるのか分からないタイプ

 実はこのタイプが真正の音痴です。歌い方としては、突拍子もなく音程を外して歌う人と、ほとんど音程の無いお経のような歌い方をする人がいますが、どちらも原因は同じです。単純に耳が悪いのです。

 耳が悪い…と言っても、難聴なわけではなく、生活音はしっかりと聞こえます。ただ、音楽として音を聞くのが苦手なタイプであって、音の分解能や認識力が大きく不足しているために、音程の認識が甘くて音痴状態になってしまうのです。

 多くの場合、音楽的な経験が圧倒的に不足している事が原因となっているようです。まあ、このタイプの人が音楽を趣味にするというのは、通常では考えられませんが、人間って分かりませんからね。今までは音楽に全く興味が無かったのに、ある日目覚めたら、音楽に渇望していた…という事だってあるわけです。でも、今までの人生で音楽に親しみのなない生き方をしていたなら、なかなか音痴克服も容易ではありません。

 なにはともあれ、音楽に親しみましょう。好きな音楽を浴びるほど聞くのが良いですし、楽器を習ってみても良いかもしれません。こういう人は音痴とは違います。音楽と縁がなかっただけの人なので、音楽との縁を深めていく事で、音痴状態から脱却できます。

 ここまでは音程の音痴の話をしてきましたが、世の中には、正しいリズムが取れない“リズム音痴”という人がいます。リズム音痴も経験不足による音痴ならば、練習する事で克服できますが、時空間把握能力(つまり3D認識能力)の不足による音痴は…なかなか厳しいです。結局リズムって、時間を量として感じることができないと刻めないものですからね。

 また、音痴ではないけれど、音痴認定をされてしまう人がいます。悪声のために、どこに音程があるのか分からない発声をしてしまったり、全く感情を入れずに、実につまらなく歌う人がそうです。

 悪声による音痴の人は、発声方法を見直して美声にするしかありません。発声器官に障害がある場合は厳しいですね。そうでなく、単純に声が汚いだけなら…ぜひ、クラシック声楽を学んで、いわゆるベルカントを学びましょう。かなり美声になるはずですよ。

 感情が入らずにつまらない歌しか歌えない人は…まずは恥じらいを捨ててみましょう。感情の無い人間というのは世の中にはいません。ただ、感情を表出するのが苦手なだけです。だから、恥じらいを捨て、自分の感情を表現するだけです。そのためには、歌も良いですが、演劇鑑賞が役立つかもしれません。演劇をたくさん鑑賞して、喜怒哀楽の表現をカラダに刷り込む事が大切かもしれません。まあ、日本人全般的に、喜怒哀楽を表現するのって苦手なんですよね(笑)。

 と言う訳で、音痴だと言われたり、自分は音痴ではないかと思っている人の大半、実は“治る音痴”なんですね。治るものなら治してしまえばいいわけです。それでコンプレックスが一つ減って、人生が明るく晴れやかなものになるのなら、歌の練習ぐらい、軽い軽い…でしょ? 

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2017年3月 9日 (木)

“撃沈”の正体について

 何か調べ物がある時、今の時代ですから、当然ググるわけですが、ググってみると、なんと自分のブログの記事がヒットする事って、案外あります。

 私は毎日ブログを書いてます。正直に言えば、毎日毎日書き飛ばしている事もあり、昔の記事の内容なんて、ほとんど覚えていません。ただ、その時その時の出来事をなるべく正確に正直な気持ちで書いているので、記事の内容に嘘はありませんし、今読んでも、ためになったりします。もっとも、時を経て私自身の考え方や感じ方が変わってしまい、今の私の考えとは全く異なる事を書き連ねている事もありますが、それも人間の成長であり「私って案外進歩しているなあ…」と思うことにしています。

 何とは無しに、昔の自分のブログ記事を読んでいた時、ふと思いました。以前はよく使っていた『撃沈』という言葉、最近は全く使わなくなったなあ…ってね…ってか、以前はよく『撃沈』していたのですが、今の私は全く『撃沈』しなくなったんだよね。

 『撃沈』…当時の私はよくしていましたし、当時の仲間である門下生たちも(私ほどでは無いにせよ)たまにしていました。当時の私は、なぜ撃沈してしまうのか分かりませんでした(だからそこから抜け出せなかったのです)が、今の私は、当時の『撃沈』の正体が分かるし、分かったからこそ、そこから抜け出せたわけです。モノの本質が分かるって、それだけで大切な事なのかもしれません。

 『撃沈』…それは、曲のクライマックスの高音を出そうとしても、なぜかその音に届かずに、苦しげな声で、それもかなり手前の音(長二度ぐらい下?)の音まで音の上行が止まってしまって、目的の高音が出せない現象です。

 その高音だって、それも普段は決して出せないと言い切れないくらいの高さの音であって、実際、録音を聞いてみると、発声練習とか、自宅練習とか、遊びで鼻歌交じりに歌っている時にはすんなり出ているのに、なぜか本番とかレッスンとか、緊張を強いられる場面になると発動する、摩訶不思議な現象なのでした。

 本番だとか、先生の目の前でしか起こらない現象なので、一時は撃沈は“緊張”と関係するのかと思いましたが、結果的に言えば、緊張と撃沈にはあまり大きな関係ありません。まあ緊張するような場面でないと撃沈は起こりようがないので、ゆるい関係はあると思いますが、本質的にはあまり関係ありません。

 撃沈の心理的原因は、むしろ緊張とは逆方向のベクトルで「成功したい」「良く見られたい」という“攻め”のメンタルが原因となっている事が今の私には分かります。

 実際、メンタル的に攻めていない時は撃沈しないのです。撃沈するのは、必ずメンタル的に攻めている時です。それ故に、緊張感とはゆるい関係があるわけです。

 当時、キング先生からは撃沈の対策として、背中を使うなどの「呼気圧を上げる」指導を受けましたが、結論から言えば、それは逆効果です。実は、呼気圧を上げれば上げるほど、撃沈しやすくなるのです。

 撃沈の原因は…ノド声です。ノドが過重な力でカチンコチンに固められ、声帯がピタリと閉じてしまい息が通りづらくなる現象です。声帯が固くなって声が出づらくなるわけだから、呼気圧を高めないと声は出づらいわけですから、呼気圧を高めるのは正解のように見えますが、声帯が固くなって振動しづらくなっているので、そんな状態の声帯に息を吹き込んだところで、ちゃんと振動してくれるはずもなく(ってか、力で声帯の振動を押さえつけているわけですから)意図している音よりもかなり低い声しか発声できなかったのです。

 これが撃沈の声です。いわば「急性劇症ノド声発声症候群」が撃沈の正体なのです。

 あの頃は、基本的にノド声で歌っていました(今でもその癖が残っています。厄介です)。ノドに力を入れて、ガチガチに固めて歌っていましたので、必ず音程はぶら下がっていました。そりゃあ、声帯周辺に力が入ってしまえば、こちらの意図通りに振動してくれないのですから、音程が下がって、当然です。

 それでもなんとか曲そのものを頑張って歌っていたわけですが、曲のクライマックスに差し掛かり、いよいよ最高音が出て来る…となると、一番よい声で歌おうと、さらに意気込むわけです。で、一番良い声とは…当時はノド声が美しい声だと思っていましたから、一番激しいノド声で歌おう…としたわけです。過重な力でノド周辺を固めて、そこに盛大な勢いで息をぶち込んで高い声を出そうとしたわけです。

 理屈で言えば、弦楽器の弦にテンションを加えて、その弦を鳴らすようなもの…です。キング先生的には理屈が通っているやり方なのです。ただ、そのやり方は私には合わなかった…みたいです。少なくとも、私の声帯は弦楽器のような反応はしなかったのです。

 「ここ一番!」の時に、グっと力を込めて発声しても、固くなって振動する事を拒否っている声帯が十分に振動するわけないのです。それをむりやり鳴らして、目的の高さの音が出るわけないのです。それが撃沈の正体です。だから、目標の声が、自宅で出せたり、リラックスした場面では歌えるのに、本番になると必ず撃沈していたのは、そんな理由だったのです。

 高音は、ノドそのものがリラックスしていないと出せるわけないんだよ。

 ああ、あの当時の私に、この事を伝えたかったなあ。無駄に悩んで、間違った方向に努力していたんだからね。ほんと、あの頃の私は、報われない努力をしていた…と今では思います。「あの頃の自分があるから、今の自分がある」と素直に言えない悔しさを感じます。しなくても良い遠回りだったなあと思うし、あの頃身に付けた間違った発声方法が、癖となって、今でも私を苦しめているんだから、本当に悔しいです。

 まあ、あの頃の私にアドヴァイスはできませんが、あの頃に書かれた私の記事を読んだ皆様への罪滅ぼし(?)になれば良いかな…と思って、今回の記事を書いてみました。

 撃沈…それは間違った方向への無駄な努力(笑)。真面目ゆえにハマった落とし穴(大笑)。ほんと、しょーもないなあ(涙)。
 

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