ひとこと

  •  今日は、近所の田んぼにカルガモの親子がいた。別にカルガモ農法をやっているわけじゃなさそうなので、単純に近所に住んでいるカルガモの親子が水遊びにやってきていただけなんだろうと思う。それにしても、田んぼの周辺は風が涼しくて気持ちいい。地球温暖化の原因は、二酸化炭素うんぬんではなく、単純に減反政策が原因なんじゃないからしら…って思ったりした私です。まあ、それ以前に、地球温暖化なんて嘘っぱちだと思ってますけれど(笑)。
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カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2017年6月 5日 (月)

2017年6月現在の私が考える、高音発声のポイントについて

 クラシック声楽って、案外音域が広いものです。高音歌手はもちろん、低音歌手だって、自分なりの高音へのチャレンジをし続けて歌うのですが、チャレンジ…つまり苦労をして、それを乗り越えて歌うわけです。

 それではなぜ歌手は高音発声に苦労するのでしょうか?

 その人の持っている音域以上の高音を出そうとしているケースは、ちょっと横に置いておくことにして、大抵の場合、ノド声発声のために高音発声に苦労をしているのが、アマチュア歌手の現状だと思います。

 ではなぜ、ノド声だと高音発声に苦労するのか? それはノド声って、往々にして声帯を取り巻く周辺に力が入りすぎて、肝心の声帯の振動を邪魔するからです。

 「声帯の振動を邪魔するって、何?」

 声帯を含む周辺部に力が入りすぎると、その周辺部位が硬直します。ザックリ言うと「筋肉は力が入ると硬くなる」って奴ですね。筋肉が硬くなると、筋肉の動きって悪くなります。声帯とその周辺も筋肉ですから、力が入りすぎて、硬くなると、動きが悪くなって、声帯がうまく伸展しなくなるわけです。

 さらに、力こぶ…じゃないけれど、筋肉って力が入ると、膨らんで硬くなるんですね。ですから声帯とその周辺部が硬くなると言うのは、同時に膨らむってわけで、気管は文字通り“管”ですから、膨らめば、内部の空洞部分が狭くなって、息の流れが悪くなるし、また気管の蓋である声帯が膨らめば、さらに余計に息の流れが悪くなるし、最悪、気管が閉じてしまうことだってあるわけです。そうなると、高音発声どころか、自分で首を絞める事になり、声すら出なくなります。

 ノド声、怖いですね。

 ではなぜ、ノド声になってしまうのでしょうか!

 原因は色々ありますが、一番大きな理由は「その人が“ノドに力の入った声が好き”だから」と言うのは、絶対にあると思います。

 “ノドに力の入った声”とは…感情むき出しの声です。人が興奮している時に出す声って、大抵、ノドに力が入っているものです。そういう、怒鳴り声、怒り声、叫び声、泣き声等、みなノドに力が入っています。人によっては、笑う時すら、グフグフ…とノドを締め上げて、笑ったりするでしょ? 強い感情を歌に載せようとすると、多かれ少なかれノドに力が入ってしまうものなのです。そういう、ある意味、演劇っぽい声(舞台演劇での発声はノドに力を入れる事は必要最低限でしかしないので“演劇っぽい”声と言っておきます)を好きな方って…私も含めて…たくさんいるでしょ? で、自分もそういう声を出そうとすれば…そりゃあノド声になるしかないじゃないですか?

 また、それとは別に、声を出すための息の発動を、ノド周辺で行っている人も多くいますが、そういう人が歌うと、ノド声になってしまう事があります。まあ、それは声を聞いてみると、息が常に浅いので、それと分かります。ちなみに、息が浅すぎる人だと、ノド声どころか、歌声が出なくなってしまうようです。

 では、それらを回避するためにはどうするべきでしょうか?

 まずは、リラックス。脱力です。声帯周辺部に過度な力を加えないようにしましょう。そのために、歌う時は深い息(腹式呼吸)で歌うようにしましょう。これだけで、ノド声リスクはだいぶ下がります。

 次に、クチの奥を縦開きにして、ノドが十分に伸展できるようにしましょう。最後に、声帯を常に(適度に)開けたままでいられるようにしましょう。そのためには、ノドの奥を開くという意識づけが大切でしょう。これらによって、ノド声はだいぶ回避できる…はず…です(笑)。

 で、私自身が気をつけている事を最後に書くなら…、最初は変な声でも、正しい手順を踏んで出た声なら出し続けるようにしています。最初っから立派な声で歌えるわけはないのですから、自分の声が変な声でも良しとしています。要は、そこから鍛え上げて、最終的に立派な声にすればいいのですから。

 あと、音程を強く意識しすぎないようにしています。音程を強く意識すると、発声は二の次で、音程を置きに行くような発声になります。音程を置きにいく歌い方では、発声はいい加減になってしまいがちですからね。発声をきちんとしないと、結局、高音は出ないままになってしまいますからね。

 2017年6月現在の私は、高音発声に関して、こんなふうに考えているわけでした。

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2017年5月 3日 (水)

音痴には治る音痴と治らない音痴がある

 音痴…という言葉は、あまり好きな言葉ではありません。でもね、音楽…とりわけ歌をやる人にとっては、大きな悩みの一つであったりするわけです。なので、今回はあまり好きな言葉ではありませんが、あえて取り上げてみたいと思います。

 よく音痴克服術のようなモノがネットにも書籍にもありますが、実は世の中には、克服できる音痴と克服できない音痴…つまり、治る音痴と治らない音痴があります。

 治らない音痴は…ずばり、障害系の音痴です。ざっくり言えば“聴覚障害(難聴)”による音痴のうち、脳の病変のために難聴になっている人の音痴は治りません。脳の病変のための難聴…いわゆる“感音性難聴”の事ですが、これらの人は、音が聞こえなかったり、聞こえても変調して聞こえるので、正しい音程を適度な音量で聞き取ることが出来ないため、音痴にならざるをえないのです。

 一方“聴覚障害(難聴)”には“伝音性難聴”というモノがあります。こちらは外科手術が有効だったり、手術をしなくても補聴器の使用で難聴を克服する事ができます。補聴器の使用は、なかなか厄介な部分もありますが、これらの補助器具で楽しく音楽生活ができるのなら、取扱いに注意をしながら練習に励んで、音痴を克服しましょう。

 老化による難聴は、実は感音性難聴です。もっとも老人の場合は、脳の病変があれば話は別ですが、脳の病変がなければ、老化のために音を聞き取る力が衰えていくだけなので、表面的には伝音性難聴と同じようなものです。補聴器等の補助道具の使用で、難聴もある程度は克服できます。ただし、音を感じる力自体は衰えていく一方なので、ある時点まで来たら、音楽とは距離を置く必要が出てくるかもしれません。

 以上で治らない音痴の話は終わりです。これ以外の音痴は努力しだいで克服可能な音痴です。

 治る音痴にも色々なタイプの音痴がいます。

1)歌う筋肉が不器用なために音痴になるタイプ

 不器用…と言っても、多くの場合は、訓練不足が原因のようです。つまり、歌う経験が極端に少なくて、そのために任意の音を発声する感覚が掴みきれていないタイプです。ざザックリ言えば、ドの音を聞いて、ドの音を出そうと思っても、ドの音を出すための適度に筋肉を動かす事が(不器用なために)できないのです。これはもう…練習あるのみです。単純に経験値不足が音痴の原因ですから、とことん練習あるのみです。

2)歌い始めは良いのだけれど、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうタイプ。

 ドンドン狂う…と言っても、多くの場合は音が下っていくわけで、こういう人は厳密には音痴ではない事が多いです。と言うのも、相対音感をしっかり持っている人が多いんです。立派な相対音感を持っているにも関わらず、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうのは、単純に呼吸法が悪くて、息の支えが足りなくて、自分で歌っている音が無自覚に少しずつ下っていくわけで、その下った音から次の音を導き出して歌うので、ドンドン音程が下がってしまい、結果として音痴になってしまうのです。

 これもやはり練習あるのみです。しっかりした呼吸法を学び、息をきちんと支えられるような筋肉を身につけられれば、音痴克服です。

3)歌い出しから常に音程がぶら下がり気味になるタイプ

 聞いていて、覇気がなく、なんとも居心地悪く感じる歌い方をする音痴がこのタイプです。これはノド声が原因による音痴です。単純に舌根や声帯周辺部に過剰な力が加わり、声帯が上手に振動できずに音程が下ってしまうわけです。リラックスしている時は、案外、正しい音程で歌えるのに、人前だとからっきし音痴になってしまうのが、このタイプなのです。これはもう、ノド声克服がそのまま音痴克服となるパターンです。

4)歌い出しから常に音程が不安定でどこに音程があるのか分からないタイプ

 実はこのタイプが真正の音痴です。歌い方としては、突拍子もなく音程を外して歌う人と、ほとんど音程の無いお経のような歌い方をする人がいますが、どちらも原因は同じです。単純に耳が悪いのです。

 耳が悪い…と言っても、難聴なわけではなく、生活音はしっかりと聞こえます。ただ、音楽として音を聞くのが苦手なタイプであって、音の分解能や認識力が大きく不足しているために、音程の認識が甘くて音痴状態になってしまうのです。

 多くの場合、音楽的な経験が圧倒的に不足している事が原因となっているようです。まあ、このタイプの人が音楽を趣味にするというのは、通常では考えられませんが、人間って分かりませんからね。今までは音楽に全く興味が無かったのに、ある日目覚めたら、音楽に渇望していた…という事だってあるわけです。でも、今までの人生で音楽に親しみのなない生き方をしていたなら、なかなか音痴克服も容易ではありません。

 なにはともあれ、音楽に親しみましょう。好きな音楽を浴びるほど聞くのが良いですし、楽器を習ってみても良いかもしれません。こういう人は音痴とは違います。音楽と縁がなかっただけの人なので、音楽との縁を深めていく事で、音痴状態から脱却できます。

 ここまでは音程の音痴の話をしてきましたが、世の中には、正しいリズムが取れない“リズム音痴”という人がいます。リズム音痴も経験不足による音痴ならば、練習する事で克服できますが、時空間把握能力(つまり3D認識能力)の不足による音痴は…なかなか厳しいです。結局リズムって、時間を量として感じることができないと刻めないものですからね。

 また、音痴ではないけれど、音痴認定をされてしまう人がいます。悪声のために、どこに音程があるのか分からない発声をしてしまったり、全く感情を入れずに、実につまらなく歌う人がそうです。

 悪声による音痴の人は、発声方法を見直して美声にするしかありません。発声器官に障害がある場合は厳しいですね。そうでなく、単純に声が汚いだけなら…ぜひ、クラシック声楽を学んで、いわゆるベルカントを学びましょう。かなり美声になるはずですよ。

 感情が入らずにつまらない歌しか歌えない人は…まずは恥じらいを捨ててみましょう。感情の無い人間というのは世の中にはいません。ただ、感情を表出するのが苦手なだけです。だから、恥じらいを捨て、自分の感情を表現するだけです。そのためには、歌も良いですが、演劇鑑賞が役立つかもしれません。演劇をたくさん鑑賞して、喜怒哀楽の表現をカラダに刷り込む事が大切かもしれません。まあ、日本人全般的に、喜怒哀楽を表現するのって苦手なんですよね(笑)。

 と言う訳で、音痴だと言われたり、自分は音痴ではないかと思っている人の大半、実は“治る音痴”なんですね。治るものなら治してしまえばいいわけです。それでコンプレックスが一つ減って、人生が明るく晴れやかなものになるのなら、歌の練習ぐらい、軽い軽い…でしょ? 

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2017年3月 9日 (木)

“撃沈”の正体について

 何か調べ物がある時、今の時代ですから、当然ググるわけですが、ググってみると、なんと自分のブログの記事がヒットする事って、案外あります。

 私は毎日ブログを書いてます。正直に言えば、毎日毎日書き飛ばしている事もあり、昔の記事の内容なんて、ほとんど覚えていません。ただ、その時その時の出来事をなるべく正確に正直な気持ちで書いているので、記事の内容に嘘はありませんし、今読んでも、ためになったりします。もっとも、時を経て私自身の考え方や感じ方が変わってしまい、今の私の考えとは全く異なる事を書き連ねている事もありますが、それも人間の成長であり「私って案外進歩しているなあ…」と思うことにしています。

 何とは無しに、昔の自分のブログ記事を読んでいた時、ふと思いました。以前はよく使っていた『撃沈』という言葉、最近は全く使わなくなったなあ…ってね…ってか、以前はよく『撃沈』していたのですが、今の私は全く『撃沈』しなくなったんだよね。

 『撃沈』…当時の私はよくしていましたし、当時の仲間である門下生たちも(私ほどでは無いにせよ)たまにしていました。当時の私は、なぜ撃沈してしまうのか分かりませんでした(だからそこから抜け出せなかったのです)が、今の私は、当時の『撃沈』の正体が分かるし、分かったからこそ、そこから抜け出せたわけです。モノの本質が分かるって、それだけで大切な事なのかもしれません。

 『撃沈』…それは、曲のクライマックスの高音を出そうとしても、なぜかその音に届かずに、苦しげな声で、それもかなり手前の音(長二度ぐらい下?)の音まで音の上行が止まってしまって、目的の高音が出せない現象です。

 その高音だって、それも普段は決して出せないと言い切れないくらいの高さの音であって、実際、録音を聞いてみると、発声練習とか、自宅練習とか、遊びで鼻歌交じりに歌っている時にはすんなり出ているのに、なぜか本番とかレッスンとか、緊張を強いられる場面になると発動する、摩訶不思議な現象なのでした。

 本番だとか、先生の目の前でしか起こらない現象なので、一時は撃沈は“緊張”と関係するのかと思いましたが、結果的に言えば、緊張と撃沈にはあまり大きな関係ありません。まあ緊張するような場面でないと撃沈は起こりようがないので、ゆるい関係はあると思いますが、本質的にはあまり関係ありません。

 撃沈の心理的原因は、むしろ緊張とは逆方向のベクトルで「成功したい」「良く見られたい」という“攻め”のメンタルが原因となっている事が今の私には分かります。

 実際、メンタル的に攻めていない時は撃沈しないのです。撃沈するのは、必ずメンタル的に攻めている時です。それ故に、緊張感とはゆるい関係があるわけです。

 当時、キング先生からは撃沈の対策として、背中を使うなどの「呼気圧を上げる」指導を受けましたが、結論から言えば、それは逆効果です。実は、呼気圧を上げれば上げるほど、撃沈しやすくなるのです。

 撃沈の原因は…ノド声です。ノドが過重な力でカチンコチンに固められ、声帯がピタリと閉じてしまい息が通りづらくなる現象です。声帯が固くなって声が出づらくなるわけだから、呼気圧を高めないと声は出づらいわけですから、呼気圧を高めるのは正解のように見えますが、声帯が固くなって振動しづらくなっているので、そんな状態の声帯に息を吹き込んだところで、ちゃんと振動してくれるはずもなく(ってか、力で声帯の振動を押さえつけているわけですから)意図している音よりもかなり低い声しか発声できなかったのです。

 これが撃沈の声です。いわば「急性劇症ノド声発声症候群」が撃沈の正体なのです。

 あの頃は、基本的にノド声で歌っていました(今でもその癖が残っています。厄介です)。ノドに力を入れて、ガチガチに固めて歌っていましたので、必ず音程はぶら下がっていました。そりゃあ、声帯周辺に力が入ってしまえば、こちらの意図通りに振動してくれないのですから、音程が下がって、当然です。

 それでもなんとか曲そのものを頑張って歌っていたわけですが、曲のクライマックスに差し掛かり、いよいよ最高音が出て来る…となると、一番よい声で歌おうと、さらに意気込むわけです。で、一番良い声とは…当時はノド声が美しい声だと思っていましたから、一番激しいノド声で歌おう…としたわけです。過重な力でノド周辺を固めて、そこに盛大な勢いで息をぶち込んで高い声を出そうとしたわけです。

 理屈で言えば、弦楽器の弦にテンションを加えて、その弦を鳴らすようなもの…です。キング先生的には理屈が通っているやり方なのです。ただ、そのやり方は私には合わなかった…みたいです。少なくとも、私の声帯は弦楽器のような反応はしなかったのです。

 「ここ一番!」の時に、グっと力を込めて発声しても、固くなって振動する事を拒否っている声帯が十分に振動するわけないのです。それをむりやり鳴らして、目的の高さの音が出るわけないのです。それが撃沈の正体です。だから、目標の声が、自宅で出せたり、リラックスした場面では歌えるのに、本番になると必ず撃沈していたのは、そんな理由だったのです。

 高音は、ノドそのものがリラックスしていないと出せるわけないんだよ。

 ああ、あの当時の私に、この事を伝えたかったなあ。無駄に悩んで、間違った方向に努力していたんだからね。ほんと、あの頃の私は、報われない努力をしていた…と今では思います。「あの頃の自分があるから、今の自分がある」と素直に言えない悔しさを感じます。しなくても良い遠回りだったなあと思うし、あの頃身に付けた間違った発声方法が、癖となって、今でも私を苦しめているんだから、本当に悔しいです。

 まあ、あの頃の私にアドヴァイスはできませんが、あの頃に書かれた私の記事を読んだ皆様への罪滅ぼし(?)になれば良いかな…と思って、今回の記事を書いてみました。

 撃沈…それは間違った方向への無駄な努力(笑)。真面目ゆえにハマった落とし穴(大笑)。ほんと、しょーもないなあ(涙)。
 

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2017年3月 8日 (水)

なぜ、腹筋に力を入れて声を支えないといけないのか?

 おそらく、腹筋に力を入れなくても歌える人は歌えるし、声を(意識的に)支えようとしなくても歌える人は歌える。もちろん、私のように、歌っている時にノドの力だけで歌ってしまい、お腹がピクリとも動かない人は、積極的にお腹を動かさないとロクに歌えない事は事実です。でも、それだって慣れの話で、お腹が意思的に動くようになれば、今のように極端な動かし方をしなくても十分なはず…です。

 それなのに、なぜ「腹筋に力を言えて声を支えないといけない」のか?

 おそらく大切なのは“腹筋に力を入れる事”ではないのかもしれません。

 虫刺されの薬には、たいていメントールが入ってます。メントールってのは、ハッカとかミントとかに含まれているスースーさせる成分を言います。なぜ、虫刺されの薬にメントールが入っているのと言えば、虫刺されのかゆみを、メントールのスースー感でカバーして分からなくさせるためです。つまり、虫刺されはかゆいんだけれど、そのかゆさよりも強い刺激があって、スースーしちゃえば、虫刺されのかゆさを感じなくなる…という人間の感覚の特徴を利用しているわけです。

 腹筋に力を入れるのも、実はこれと同じ事が言えるのかもしれません。

 腹筋で息を支えるのは、確かに大切なのですが、別に年がら年中入れている必要はないし、高音や低音などの発声が難しい音ではたっぷり支える必要がありますが、中低音程度なら別にそんなに支えを気にしなくても良いのかもしれません。それでも、なぜに腹筋にこだわるのか。

 虫刺されに対するメントールなんですよ。

 歌手の神経が「腹筋で声を支えよう」に集中すると、他がいい感じにおざなりになるのです。他の代表格が…ノドなんです。つまり、何も考えずに歌ってしまうと、ノドに荷重な力を入れてしまう人(代表例は私)に「腹筋を動かせ」「腹筋に力を入れろ」と意識させると、神経が腹筋に集中して、ノドがおざなりになってしまい、いい感じで脱力するのです。

 人間というのは難しいもので「ノドを脱力せよ」と言われて脱力できる人なんて、まずいません。だから「ノドを脱力しなさい」と教える先生がいたら、その先生は素人です。だって、そんな事、ほとんどの人ができるわけないんだから。

 ノドを脱力させたければ、その他の部位に神経を集中させれば良いのです。例えば「二の腕に力を込めて、力こぶを浮き立たせなさい」でも良いし「足に力を入れて、思いっきり踏ん張りなさい」でも良いし「指先からビームを出しなさい」だって良いんです。どれであっても、ノドの脱力は出来るでしょうから。でも、どうせ力を入れるなら、力を入れた方がよい部位に力を入れた方が、その力をより有効に使えるわけだから、力を入れる先を、二の腕とか足とか指先ではなく腹筋にしているだけです。だって、腹筋に力を入れて、声を支えるってのは、やっぱり(程度の差はあっても)必要だからね。

 だから、ノドの脱力をするために、腹筋に力を入れて、ついでに声も支えている…というのが、正解なんだと思います。

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2017年3月 7日 (火)

なぜ軽い声で歌わないといけないのか?

 私は声楽のレッスンに行く度に、Y先生から「もっと軽い声で、もっと軽い声で」と言われます。たまに「バリトンの私よりも重い声で歌っている」と注意される事もしばしばあります。

 重い声…それはスピントな声であったり、ドラマチックな声であったりして…本来はカッコイイ声のはずなんですが…でもダメなんです。それはなぜか?

 カラダに悪いからです(きっぱり)。聞いていて苦しいからです(さらにきっぱり)。

 歌は自分の本来の声で歌うことが大切です。その本来の声が重い声ならば、重い声で歌って良いのです。それがバリトンであり、バスなのです。でも、本来の声がそんなに重くないのに、作り声で重くして歌ってしまってはいけないのです。

 それは本来の自分の声ではないし、何よりも、ノドを痛めるからです。

 よく声優さんたちが、キャラの声で歌を歌います。あれも一種の“作り声での歌唱”なわけで、ノドに良いはずありませんが、でもあれはマイクで拡声するのが前提の歌い方で、作り声であっても、クラシック声楽と比べると、ノドへの負担は少ないのです(無いわけではありません。そこはプロ根性とテクニックで乗り越えているわけですね)。作り声でクラシック声楽を歌うと…ノドへの負担が多く、声を壊してしまいがちです。

 ノドが弱い人はあっという間にノドを壊してしまいますが、私はノドが強いという稀有な才能を持っているため、少々重い声で歌ってもノドが大丈夫なため、重い声(実は作り声)で歌うのが癖になっていたわけです。

 それにキング先生時代には、好きなオペラ歌手のマネをして歌えと指導されていて、一生懸命、マリオ・デル・モナコやプラシド・ドミンゴなどの重厚な声をマネようとしたのです(マネなんかできるはずないのにね)

 大切な事は、自分の本来の声で楽に歌う事です。それがたとえ、自分の好みの声でなくとも…です。

 無理に作った重い声の大半は、ノド声です。

 ノド声には二種類あって、一つはノドに過重な力を加えて発声する声。もう一つは、舌根を持ち上げてノドにフタをするようにして発声する事。どちらも本来の声よりも暗い音色の声が出ますが、決して健康的で楽な発声には聞こえません。私が罹患しているのは、前者のタイプのノド声ですね。

 このタイプのノド声が悪い理由には多々ありますが、一番良くないのはノドに不健康な事です。無理やり締め付けてカチコチに固めたノドに、無駄に勢いをつけた息を通して発声するわけです。声帯周りの筋肉や粘膜に過度な圧力がかかり、傷が付くことだってあるし、その傷がポリープなどへ発展することだってあるわけです。弱いノドでこれを繰り返してしまうと、いわゆる“ハスキーヴォイス”になってしまう事すらあります。ハスキーヴォイスは、一部の音楽ジャンルではもてはやされる声ですが、クラシック声楽では、単なる悪声扱いです。

 つまり「ハスキーな声に成りたくなきゃ、軽く歌え」って事ですよ。それが、軽く歌わないといけない理由なのです。

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2017年2月 6日 (月)

鳴りと響きについて

 最近、声楽のレッスン記事の中で頻繁に使っている、私の現在の課題である“響き”と、その対義語としての“鳴り”について、一度まとめて書いておいた方がいいかな…と思ったので、書いてみました。ただし、ここに書かれた事は2017年時点の私の考えであって、必ずしも正解とは限りませんし、私自身も今後考え方を変える可能性もありますので、その点を踏まえて読んでください。

 まず、ヒトの声には、大きく分けて“歌声”と“話し声”の2つがあります。この2つはかなり性質の異なるモノなのですが、今回は特に解説しません。直感で理解してくださ(笑)。

 で、歌声とか発声法にも実はいくつか種類があるのですが、ここではクラシック声楽における発声(一般的には、ベルカント唱法と呼ばれる奴)に絞って考えてみます。

 クラシック声楽における発声では、歌声は2つの成分から成り立っていると私は信じています。その2つの成分とは“鳴り”と“響き”です。この2つの成分が、いいバランスになっている時が美声であり、バランスがおかしいのが悪声(?)になるわけです。

 では「鳴りだとか響きだとかは何なのか」と言う事ですが、イメージ的には、鳴りは『声の芯』のようなものであり、ある意味、声の本体部分と考えると良いでしょう。一方、響きは『声の羽根』とも言うべきもので、声がまとうフワフワしていたり、キラキラしていたり、チリチリしていたりという装飾的な部分です。

 また別の言い方をすると、鳴りは『しっかり声帯を鳴らした声』であり、いわば生の声なのですが、響きは『しっかり頭蓋骨に響かせた声』であり、いわば共鳴とか反響とか共振とか、そういう付随的な性格を持った声です。

 または鳴りは『自力自発的に発生させた声』である一方、響きは『自然と膨らんだ声』というイメージもあります。

 私のレッスン記事の中では『声がノドに落ちてノド声になると、声は鳴り中心になり、響きが無くなる』という記述があっちこっちにありますが、これはあくまでも私の場合の話であって、実はこれはレアケースかもしれません。と言うのも、おそらく多くのヒトの場合、声がノドに落ちると、鳴り中心の声にはならずに、怒鳴り声になってしまうと思います。怒鳴り声は、歌声ではなく、話し声の一種です。

 つまり、声から響きが無くなると、残るのが鳴り…ではなく、声から響きが無くなると、声が歌声という状態をキープできなくなり、話し声になってしまう……のが、ごく普通の状態だろうと思われます。

 実は、声を鳴らして歌うのは、難しいのだそうです(笑)。なので、キング先生のところでは、声を鳴らして歌うことを熱心に教えるわけですが、実はこれ自体は正解なのです。ただ、私のように最初からノドを鳴らして歌っている人間に、さらにノドを鳴らして歌うように指導する間違っているし、ノドを鳴らさせるにしても、段階を踏まずにやらせたり、過度に鳴らせたりすると、妻のように声帯を腫らして壊してしまうわけです。

 大切なのは生徒一人ひとりに応じた指導であって、声楽指導が、楽器指導のように定型化しづらいのは、そういう事なのです。

 閑話休題。多くの人にとって、歌声とは、響きが中心の声です。学校などの歌唱指導でも「クチを大きく開いて!」とか「腹筋を使って声を息に乗せて歌いましょう」とか指導しますが、これはすべて響きを増す方向の指導です。また、フォルテを歌う場合では「怒鳴らずに、クチを大きく開いて、カラダによく響かせて歌いましょう」って指導するじゃないですか? これにしたって、声を大きくするには、声の響きを増やして声量を増やしましょうって指導なのです。

 分かりやすいのが、日本の市民合唱団の歌声です。特に合唱で美しく感じる声は、かなり響きに偏った発声です。また、教会音楽の声も響きが多めの声で歌います。

 声が響きに偏っている時は、声に倍音も多く含まれ、全体的に声は、細く高く柔らかく聞こえます。ただし、音程もうわずり傾向になりがちだし、声量も不足気味となります。

 一方、鳴りに偏った声と言うのは、かなり稀有な声です。声帯を適度に絞めた状態で声を強めていくと、普通は、あるところから怒鳴り声になってしまいます。これは声の勢いにノドの筋肉が負けてしまうので、怒鳴り声になってしまうのです。

 一方、ノド声とは、声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声を言います。私がしばしばこの状態に陥るわけですが…。声楽初心者などで、強い声や大きな声、高い声を出そうとして、ついつい息を強めに吐いてしまい、その声の勢いに負けまいとして、ノドが頑張ってしまうと、ノド声になるわけだし、ノドが頑張りきれないと、怒鳴り声になるわけです。逆に頑張りすぎると、以前の私のように、高音に行くにつれ、ノドにフタが被さるような感覚になり、ある所からは声も出なければ息も吐けなくなります。

 ですから、鳴りの声とはは、いわば怒鳴り声にもノド声にもならない、適度に緊張した状態の声であって、声の勢いに負けないほどにノドに筋力があって、しかしさほどの力を入れている状態ではなく、声の勢いとノドの頑張りがほどよくバランス取れている声の事を言います。つまり、自然の状態でかなりノドが頑張れないと、鳴りの声では歌い続けることができないのです。

 なので、普通の人の場合、声を少しでも強めてしまうと、怒鳴り声になってしまい、怒鳴り声を避けようとして、ノドに力を入れると、ついつい力が入りすぎてガチガチになって、ノド声になってしまうのです。鳴りの声は、なかなか難しいのです。

 さらに言うと、鳴りの声は力みの声でもあるわけですから、鳴りに偏った声は、聞き苦しい感じがしますし、聞いていて胸が締め付けられるような気すらします。ですから、強い感情を表現するのに向いている発声と言えます。

 いわゆるオペラ歌手の皆さんは、程度の差こそあれ、皆さん、鳴りの声を使って歌います。でないと、劇場に声が響き渡る事はありえませんし、観客の心を揺さぶる歌は歌えません。ある意味、鳴りの声は世俗的な歌に合っていると言えましょう。だって、宗教曲のように響きの多い声で歌われると、禁欲的と言うか、感情が激しくゆさぶられる事はないでしょ? 鳴りの声は感情にダイレクトにつながる声なのです。

 ただし、鳴りばかりの声では、美しくないし、声の消耗が激しいので、響きの声をそこにプラスして、ノドの負担を減らし、声の耳あたりを良くし、楽に遠くまで声を飛ばしていくのです。

 普通の人が声楽を学んだ場合、まずは響きを豊かにし、響きがある程度豊かになったら、そこからカラダを作って、徐々に声に鳴りを増やしていく(これを声が成長すると言います)ものです。私の場合は、そこの順番が違っていて、まず最初に鳴りを獲得してしまったので、今頃あわてて響きを付け加えている最中なのです。

 そういう意味では、私の声楽のレッスン日記は、他の人にはあまり役に立たない日記なのかもしれません。

追加の豆知識  ノド声に関して、文中で『声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声』と書きましたが、これは私が陥りやすいタイプのノド声です。実はノド声にはもうワンパターンあって、多くの人はこちらのタイプにハマりやすいようです。

 で、そのもうワンパターンあるノド声とは『深みのある声を出そうとして、ノドに力が入り、その結果、舌根が固く大きく隆起して、ノドを塞いでしまう声』です。こちらは“団子声”とも言って、市民合唱団で「ノド声注意!」と言われるノド声は、たいていこちらです。私も、歌の習い始めに、このタイプのノド声になりました。

 私の場合は

 1)スプーンで舌根を押さえながら歌う
 2)舌を前に突き出して歌う

 などの荒療治をして克服しました(笑)。

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2017年1月26日 (木)

歌における音程の取り方について

 楽器ならば、きちんと調律し、チューニングさえされていれば、決められた行為を行う事で、間違いなく正しい音程で演奏できるものです。決められた行為とは、任意のキーを押さえたり、弦の任意の場所を押さえて弾いたり、任意のトーンホールやレバー、ピストンを押さえて吹く事です。とにかく、ある種の決め事どおりの事を行えば、正しい音が出るのです。それが楽器です。

 だって、そういうふうに作られたんだからね。

 そこへ行くと、歌はそんなわけには行きません。なにしろ人間のカラダは歌うために作られたわけではなく、本来は単純に(動物、とりわけ他の哺乳類を見れば分かるとおりに)音声信号(いわゆる“鳴く”行為です)を出すために作られた発声器官を、言葉を話すために転用し、さらに歌うために再転用しているので、ある意味、人間にとって、歌うという行為は、かなり不自然で無理のある行為なのかもしれません。

 それゆえに、見事に正しい音程で歌える人もいれば、なんとも微妙な歌しか歌えない人もいます。人間は、先天的に歌えるようには出来ていないので、それも無理のない事なのかもしれません。

 実は楽器演奏者の中には(アマチュアでは特に)微妙な音程でしか歌えないけれど音楽大好きって人が多くいます。彼らに言わせれば「楽器は、正しい音程で演奏するのが簡単だけれど、歌だと難しいよ。どうやって正しい音で歌えばいいんだい」という悩みを持っていたりします。

 確かに歌と楽器では違います。ドの音を出したいとします。ピアノならドのキーを叩けばいいけれど、人間にはドのキーはありません。フルートなら全部のトーンホールを塞いで吹けばドになりますが、人間にはトーンホールはありません。ヴィオラやチェロなら、一番太い弦の開放弦を弾けばドになります。でも人間には開放弦はありません。

 まったく困ったものです。

 歌は声で成り立ち、声はノドで作られて出てきます。我々はノドの中にある声帯を振動させて発声するのですが、ノドも声帯も見ることも触ることもできません。はっきり言って、どんなふうに動いているか、本人にすら分かりません。そんなブラックボックスなのが声なのです。

 おそらく、音程バッチリで歌っている人だって、自分のノドがどう動いて正しい音程を出しているかなんて、分かっていないと思います。つまり、歌に関しては、楽器のようにメカニカルなモノを考えていては埒が明かないのではないかと思うわけです。

 歌と比べるのならば、楽器ではなく、ダンスではないかな…と私は思います。

 ダンスも、最初からかなり上手に踊れる人もいますが、多くの人は、他人が見てカタチになるようなダンスを踊るのは、かなり難しいのではないかと思います。

 私、以前、あるテレビ番組の企画で、ある歌手のバックダンサーをやった事があります。もちろん、バックダンサーと言っても、素人参加企画であって、いわばモブで、画面の片隅に小さく映った程度の、とても他人に自慢できるような事ではありません。

 で、その歌手さんは、今時のグループアイドルだったので、バックの振り付けと言えども、かなりちゃんとしたダンスであり、教えてくれたのは、その曲のオリジナルの振付師さん(当然、プロもプロ、本格的な振付師さん)だったわけです。かなり懇切丁寧に動作の一つ一つを噛み砕きながら教えてもらいました。5分ほどの曲ですが、我々モブがテレビにうつるのはサビの部分だけなので、そこだけを集中的に1時間ぐらい教えてもらったところで、歌手の皆さんが入ってきて、本番の収録となりました。

 私ですか? 当然、全然ダメでした。たかが一時間の練習で、アイドル歌手のバックダンスなんて出来るわけないです。まあ、モブですし、そういうあたふたしている人がいても良い企画らしいので、それはそれで良かったのですが、もちろん中にはバッチリ踊れていた人もたくさんいました。

 結局、ステップがどうとか、手の動きがどうとか、どこでターンして、どこでジャンプするとか、そんな事を一つ一つ考えていたら、踊れないのですよ。音楽が鳴り始めてカラダが動き出したら、与えられたダンスのイメージに合わせて、カラダが自動的に動き出せなければダンスなんて踊れないのです。多くのことを一度に処理しなければいけないし、そのためには無意識でカラダの各所が動かなければいけない事も多いし、それらを脊髄反射レベルで調整していかなければいけないのです。そうしないと、正しく踊れません。

 「ああ、歌と同じだな」と思ったのです。

 歌も音程正しく歌うためには、正しいメロディーのイメージに合わせて、カラダが自動的に動き出さなければいけないのです。多くのことを一度に行わなければいけないし、そのためには無意識でやらないといけない事も多いし、それらを脊髄反射レベルで調整していく事も必要なのです。そういう同時並行作業の結果が『正しい音程で歌う』事になるわけです。

 なので、音程正しく歌うために、まず最初に必要なのは“正しいメロディーのイメージ”なんだと思います。頭の中で、しっかりと音楽を鳴らせられる事です。案外、音痴な方の頭の中では、音楽が曖昧にしか流れていない事が多いんじゃないかな? 寸分の間違いもなく、きちんとメロディーをイメージできる事。これがまず必要です。

 次は歌うために必要な事を、無意識で行えるように、徹底的にカラダに染み込ませる事。特に発声テクニックは大切です。声を出す事に気を使っているようでは、音程なんて二の次三の次です。ノドの脱力、口腔を広げる事、鼻腔に響かせる事、腹式呼吸で深く呼吸する事。しっかり腹筋で声を支える事…フィジカル面は徹底的に無意識レベルにまで落とし込まないといけません。

 その上で、音を正しく聞き分け、自分の声と外部の音(伴奏だね)を調和させる事。ここまでできて、やっと『音程正しく歌える』のではないかと思います。

 ここまでは、音程正しく歌うための話であって、歌として上手いか下手かは、また別の話になります。

 で、そんなに多くの事を同時にやらなければ、音程正しく歌えないのか…とガックリする必要はありません。それぞれの技量(とりわけフィジカル的なテクニック)は個々に身につければいいし、能力的に足りなければ、足りないなりになんとかなります。

 と言うのも、そこが人間の不思議でして、人間の脳の能力の高さなんだと思います。無意識に行う…とは、無意識に脳がカラダの各所をコントロールしていく事であり、それゆえに、歌う本人は気にする必要がないのです。多くの事を同時に行うのは、脳の無意識のレベルの話であって、歌う本人は、ただただ、メロディーのイメージを正しく持って、そのイメージと自分の歌が違っていないかを、常に聞いて気をつけていれば良いだけなのです。

 要するに、音程正しく歌うためには、自分の歌をしっかりと聞いていればいい…という、身も蓋もない結論になるわけです。

 「自分の歌をしっかり聞いているけれど、どうにもちゃんとは歌えないんだ…」

 それは脳がいくら頑張って最善の結果を出したところで、そこに限界はあります。まずはフィジカルな面での能力不足を疑うべきだろうし、音楽的な知覚能力(要は“耳の良さ”です)を磨かないといけないのです。いくら「足りなければ足りないなりになんとかなる」とは言え、最低限の力量は必要となります。

 ダンスだって、一部の天才を除けば、ズブの素人が、多少の練習でプロ並みに踊れるようになるわけないでしょ? 日頃の努力と鍛錬を少しずつ積み重ねていき、ある程度の力量を兼ね備える事ができたところで、ようやく“ダンサーとしての人生”が始まるわけです。まずはスタートラインに立つ事。そこから上達していき、上手なり名人なりプロなりになっていくわけです。

 まあ、歌にせよ、ダンスにせよ、最低限の力量って奴は、その人のハードルの設定次第とは言え、そんなに高いモノではない…と私は個人的に思ってます。

 まあ、どのみち、まだまだスタートラインに立っていないと思うなら、スタートラインに立てるように精進していくしかないでしょう。スタートラインに立てたと感じたなら、さらに前に進むために、努力や修練をしていくべきです。そうでなければ、歌であれダンスであれ、上達の道を歩めません。そのためには、基本的な練習をきちんきちんと積み上げていかないとダメなのてす。

 学問に王道がないように、歌やダンスにも王道はありません。楽器だって毎日毎日の練習の積み重ねが必要でしょ? 歌だって同じです。「楽器は難しいけれど、歌は簡単」なんて事はありません。楽器同様に、歌だって難しいのですよ。楽器を習得するように、歌も習得していかないと、楽器演奏並に歌う事はできません。

 ま、練習は嘘をつかないので、日々、自分にできる努力を積み重ねていくしかないのです。そうすれば、病的な原因による音痴以外は、必ず音程正しく歌えるようになれるのです。

本日のまとめ

 歌における音程の取り方についてのチェックポイント

 1)メロディーの正しいイメージを持とう。
 2)自分の声をよく聞いてみよう
 3)うまくいかない部分があるなら、自分に欠けているモノを考えてみよう
 4)ゆっくり時間をかけて、努力と鍛錬で不足分を補ってみよう

 実にザックリした結論となってしまいましたが、これが音程正しく歌うための道のりだと思います。

 失礼しました。

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2016年12月19日 (月)

クラシック声楽における成長や加齢の影響や状況について考えてみた

 約一ヶ月ほど前に「フルート演奏における成長や加齢の影響や状況について考えてみた」という記事を書きましたが、今度は“クラシック声楽における成長や加齢の影響や状況”について考えてみました。

 まず、子ども時代の話から。基本的に少年と少女の声は、ほぼ一緒です。ただし、少年合唱と言うのは古来よりありますが、少女合唱と言うのが出てきたのは、男女平等やらフェミニズムやらが台頭してきた近年からじゃないかしら? もっとも日本では、児童合唱と言う名の、実質的にはほぼ少女合唱がありましたが(笑)。

 まあ、なぜ少女よりも少年の合唱の方が歴史が長くて古いのかと言えば…、一つにはキリスト教の持つ(無意識の)女性蔑視の感覚。それと、実質的な問題として、少年の方がカラダが強くて筋肉が発達している分、声が強くて、よく声が通る事があげられるかな?

 歌は筋力だからね。そもそも少年だって、筋力十分とは言えないけれど、それでも少女よりは幾分マシなわけで、少女では筋力が足りなさ過ぎるわけです。そこで少年が登用されたって事になるかな? まあ、少年では筋力も不足だけれど、テクニックも決定的に不足だから、それらを補うために、カストラートなんてモノも作られたわけだしね。

 さて、そんな少年少女期を経て、カラダも成長していくわけです。成長するに従って、男女ともに声変わりを迎え(その程度には差があるけれど)音域が下がり、筋肉が発達してきて、声がしっかりしてきます。

 青年期から中年期にかけて、カラダは完成し、性ホルモンも充実し、男声はより低く太い声になり、女声はよる高くつややかな声になり、やがて安定します。この頃が歌手としての安定期であり、絶頂期なわけです。

 どっぷりと中年になると、男女ともに、少しずつ声が太く強く重くなっていきます。これを声楽の世界では「声が成長する」という言い方をしますが、実質的には声が使い減りしてしまう事なのだろうと思います。レパートリー的にも、軽い声のレパートリーから重い声のレパートリーに変更せざるをえないわけです。

 まあ、もっとも、アマチュア歌手などで、スタートが遅かった人は、中年になったからと言って、急に声が重くことはなりません。おそらく、すでに十分重くなった状態から始めるので、声が重くなったという感覚がないのだろうと思います。あるいは、使い減りするほど使わない/使えないので、声がほとんど減らないのかもしれません。

 さて、どちらが本当なのでしょうか?(笑)。

 さて、プロであれアマチュアであれ、中年を通り越して、老年になっていくと、さすがに声も大きく変化します。

 老年期に入り、性ホルモンの影響が薄れてくると、男女ともに中性的な声になっていきます。もっとも、中性的と言っても、無性的な声というわけではなく、いわゆる“老人”の声になります。つまり、男声はより高く細くなり、女声は低く太くなります。

 最終的(?)には、爺さんと婆さんの声が、ほぼ同じになります。もっとも、爺さんよりも婆さんの方がおしゃべりなので、呼吸筋の衰えが目立たず、案外高齢でも歌えるものです。

 声の成長や加齢の影響や状況について考えたところ、こんな感じでしょうか?

 世間にある市民合唱団って、どこも平均年齢がかなり高いですよね。平均年齢が60歳を越えている団もザラにあるわけで、そういう団の歌声って、やっぱり年齢相当の声なので、自分たちの声にふさわしいレパートリーを歌い続けて欲しいなあ…と私は思いますが、自分たちが好きで歌っているわけですから、何を歌おうと、私がつべこべ言う事ではないという事は、重々承知しております。余計なお世話ですね。

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2016年12月14日 (水)

ヴォイストレーニングを続けると、まずは話し声が変わります

 いわゆるヴォイストレーニングを根気良く続けると、声が変わります。声とは、もちろん直接的には歌声を指しますが、実は話し声も変わります。だいたい、プロの声楽家って、例外なく話し声が美しいでしょ? 話し声はダミ声で滑舌も悪く弱々しい声なのに、歌になると実に立派な声で歌う…なんて、ありえない(笑)。

 ごくまれに、わざと弱々しい声で話す声楽家はいますが、それは声の消耗を恐れて、わざと弱々しい声で、声帯をなるべく鳴らさないように話しているだけなので、ちょっとそういう人は横に置いておくと、たいていの声楽家は立派な声で話すものです。アマチュアとなると、プロの方ほどではありませんが、それでも歌っている人の話し声は、よく通る立派な声の方が多いです。

 それはなぜでしょう?

 実は簡単な事で、よく歌う人の呼吸筋はよく鍛えられているからです。呼吸筋が鍛えられているので、力強い呼吸ができ、普段からパワフルに呼吸をし、吐く息だって力強いわけで、その力強い生きに声が載れば…そりゃあ、よく通る声になりますよね。

 おまけに歌う人は、鼻腔口腔を広く使うことに慣れていますから、話す時も(歌う時ほどではないにせよ)鼻腔口腔を広めに使いますから、話し声にも響きが載ります。鼻腔口腔を広く使う習慣のない一般人と比べると、遥かによく響く声で音量大きめな声で話すわけです。

 それに、歌う人は…もしも鼻やクチに疾患があれば、治すでしょ? 鼻やクチに疾患を抱えたままではヴォイストレーニングもままなりません。健康な鼻やクチは、声をよく響かせます。

 そして、もしかするとこれが一番影響あるかもしれませんが、ヴォイストレーニングをしているという自覚が、歌うことや話すことなど、声を使うことに自信を与えるかもしれません。人は自信があると、物事を堂々と行えるようになるのです。

 そんなわけで、ヴォイストレーニングを続けると、まずは話し声が変わります。嘘じゃないよ。

P.S. フルートなどの管楽器を吹いていると、声楽ほどではないけれど、やはり話し声が変わります。声楽家ではないので、声に響きを載せる事は難しいかもしれませんが、息が強くなるし、息に声を載せて話すことができるようになります。フルーティストって、たいてい、声がデカイのは、そういう理由です(笑)。

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2016年12月12日 (月)

声をノドから外して歌う感覚

 声楽のY先生から「歌は声ではなく、響きで歌いなさい」と何度も何度も指導されている私です。響きで歌えと言われても、何が何やら、何とも分からずに苦労していましたが、先日、ふと「ああ、先生が響きで歌いなさい」と言ったのは、この事なのかもしれない…と、自分でつかめたような気がするので、記録のために記事を書いてみました。これが正解かどうかは、まだ今の私では分かりません。もしかすると、間違っているのかもしれない…という前提でお読みください。

 正直、「響きで歌いなさい」と言われても、響きで歌うにはどうすればいいのか? 響きで歌った声って、具体的にどんな感じになるのか、つい先日までの私には分かりませんでした。せいぜい私が分かっているのは「声のポジションが低いとノド声になるから、ポジションを高め…具体的には鼻腔あたりに持っていくんだろうなあ」とか「たまに正解と言われる声…響きで歌うと、声が鳴っている感じがしなくて、楽だけれど物足りない感じがする」とか「私の通常の発声方法だと、どうやら響きとは無縁らしい」とか…ね。

 で、最近、忙しく、全然カラオケに行けていない私がいまして、あんまりカラオケに行けてないので、ついつい書斎でエア伴奏でエアカラオケをしていたと思ってください。その時に歌った歌、プリンスの“Around the World in a day”という曲の、サビの部分を歌っていた時に、ふと感じたのです。

 「あれ? ノドを鳴らさずに歌えてる…」

 この曲は、面白い曲で、サビの部分(曲のタイトルをコールしているだけなんです)って、実はヴォーカルのプリンスは歌っていないのです。サビはバックコーラスのバンドメンバーたちが歌っているのですが、彼らが歌うように歌ってみたら、声が実に楽に出ている事に気づきました。それも楽なだけでなく、ノドを鳴らすという感覚無しで歌えているのです。

 メインヴォーカルのパートを歌う時は、やはり主役として、かっこよい声で歌おうして、ノドが鳴ってしまうのですが、さらっとバックコーラスのメロディを歌う時の気分で歌うと、ノドを鳴らさずに歌えちゃうのです。

 ただ、この歌い方だと、ノドが閉まらない分、歌声が迫力不足になる事と、ノドが閉まらないために、息がダダ漏れでなってしまいます。その分、しっかりと腹筋で息をコントロールしないとダメだなとも思いました。

 しかし、ロックを聞いて、クラシック声楽のヒントを得るとは…世の中、いつでもどこでも学べるものですね。

P.S. YouTubeには本家のプリンスが歌っている“Around the World in a day”は…無いみたいですね。全部削除されてしまっているみたいです。他の曲は無いわけではないので、この曲だけ無いというのも、なんか変な感じがします。

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