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2019年7月29日 (月)

立派な声で歌いたがる…のはダメなんです

 基本的に人前で歌いたがる人間は、自覚の有無はともかくとして、目立ちたがり屋で自己主張の強い人間です。かっこいい自分を見てもらいたいのです。できれば称賛してもらいたいのです。たとえ他人に褒めてもらえなくても、自分で自分にご褒美をあげたいし、自分を褒めそやしたいのです。まあこれも承認欲求の一種であり、その発露であるとも言えます。

 それもあって、歌う人は、歌が上手くなりたいし、上手くなったと実感したいのはもちろん、自分でそれを感じたい人間でもあります。

 特に、ソリストさん、特にソプラノとかテノールとか派手なメロディを歌う人は、概ね、そんな感じです。同じソリストさんでも、メゾさんとかバリトンさんだと、そこまで承認欲求は強くないかもしれません。合唱歌手さんだと、もっともっと控えめかもしれません。

 というわけで、テノールさんたちの話です。

 テノールさんは、基本的に目立ちたがり屋だし、輪の中心にいたい人だし、カッコいいのが大好きな人です。歌う声も、誰よりも大きくて、誰よりも高くて、誰よりも響く声で歌いたいものなのです。

 彼らにとって、歌は声であって、声さえ響き渡れば、それだけで気分は上々なわけです。

 ですから、テノールさんは、プロであれ、アマチュアであれ、ベテランであれ、初心者であれ、朗々とした立派な声で歌いたがるものです。実際に、そんな立派な声で歌える人なら、朗々と歌えばいいのです。問題は、大半のアマチュアテノールさんは、そんなに立派な声じゃないし、朗々とは歌えないのです。いや、それどころか、色々と発声に問題を抱えている事すらあります。ま、だからアマチュアなんだとも言えますが…。

 発声に問題を抱えているのなら、謙虚になって発声を学べばいいのだけれど、それが難しいのがテノールという人種なのです。別に彼らが謙虚ではないとは言いません。謙虚に発声を学ぶ姿勢がない…なんて言いません。ただ、彼らは常に立派な声で歌いたがるだけなのです。

 発声を学習している最中でさえ、ついうっかり立派な声で歌ってしまいます。その立派な声とは、客観的に“立派な声”というよりも、自分にとって“立派な声”だからタチが悪いのです。で、すぐに、ついうっかり立派な声で歌ってしまいますから、全然正しい発声が身につかないのです。

 ダメだなあ…。

 自己流の立派な声で歌い続けると、どうなるかと言えば、早晩、声が壊れます。実際、私、キング先生のところで、危うく声を壊してしまうところでしたから。まあ、私の場合は、壊れる前にキング先生から離れたので、今があるのですが、そうでなければ、今頃は声を壊してしまい、歌を辞めて、フルート一直線なオジサンになっていたと思います。

 それはさておき、テノールが希少種だと言われる理由の一つに、テノール初学者たちが、その学習過程でドンドン壊れてしまい、モノになる人が少ないので、結果として希少種になってしまうというのがあります。ま、そもそも、男声は基本がバリトンであって、テノールなんて最初から人数が少ないのに、それがどんどん壊れちゃうんだから、そりゃあ希少種にしかならないわな。

 声を壊さないためには、立派な声で歌わない…というのが大切なのですが、それが出来ないのがテノールと呼ばれる人々の気質なんですよね。レッスンで、立派な声を自制できるくらいなら、テノールやってないだろうし(笑)。

 なので、テノールを指導される先生方って、ほんと大変だろうなあって思います。

 かく言う私も、レッスンでは、ついつい大きくて、自分基準で立派な声で歌っていまいます。鳴りが強い…ってのは、まさにそんな状態の声です。

 ダメだなあ、分かっちゃいるけれど、全然できない(涙)。

 

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2019年7月25日 (木)

結論。骨格が違うんだから出来ない!

 日本人の骨格は、どこもかしこも平べったいのです。左右の幅と比べて、前後の幅が極端に狭いのです。これは、胸も腹も、そして頭についても言えます。おまけに背も低いし…とにかく、平べったくて、薄くって、ちっちゃいんです。容積的にとても少ないカラダなんです。

 一方、クラシック音楽の地であるヨーロッパ系の人たちの骨格は、どこもかしこも太いです。一本一本の骨も太くて頑丈なだけでなく、骨格自体も厚みがあって、正方形というか円形というか、前後左右どの方向にもカラダの厚みがあるし、背も高い。容積的にはかなり大きいカラダなんです。

 違うよなあ…違うよねえ…。日本人を基準にして考えると、彼らは基本的に巨人ですよ。そばにいると、同じ人類とは思えません。何かが根本から違うと感じてしまいます。

 で、そんな巨人たちが嗜む音楽がクラシック音楽なんですよ。

 「ヨーロッパ系の人と言っても、色々いるよ。確かにゲルマン系の人たちは大きいけれど、声楽の国イタリアの人々はラテン系だから、日本人と比べて、そんなに極端に大きなわけじゃないよ」

 イタリア人は、身分差でカラダの大きさが違う(これホントね)ので、確かに小さな人も多いけれど、歌手になろうなんて考える人たちは、きちんと教育を受けなければなれませんから、そんなに小さい人たちではありませんし…仮に身長が日本人と変わらなかったとしても、人種的な特徴が違うわけで、彼らは身長の高低に関わらず、カラダは分厚いのです。日本人とは比べ物にならないほどに、良いガタイをしています。日本人のような、ペラペラでヒョロヒョロなカラダをしている人はいないのです。

 つまり、おしなべて、ヨーロッパ人は、日本人よりもカラダが分厚く、容積的に大きいのです。そんな彼らが、吹奏楽器を演奏すれば、日本人よりもパワフルになるに決まっているのです。歌えば、深くて良く響く声が出るに決まっているのです。

 これはハードウェアの違いだから、どうにもなりません。はあ…。

 なので、我々が彼らのように出来ないのは当然であり、そこは諦めなければいけません。結論。骨格が違うんだから出来なくても仕方ないのです。

 残された道は、この平べったいカラダを最大限に駆使して、少しでも容積的に大きく使えるようにしていくか…って事なんだろうと思います。全く同じには出来ないにせよ、少しでも近づけるように努力しつづける事、それがクラシック音楽を学ぶ者に求められている事なんだと思います。

 であるならば、まずはクラシック音楽を志すモノとしては、器楽を目指すというのが賢いやり方です。器楽であるなら、楽器を使って音楽をするわけで、楽器そのものは彼らの使うものと同じものが入手できます。つまり、同じ土俵で相撲が取れるわけです。後の不足分は、努力と根性と科学的トレーニングでどーにかすればいいのです。

 問題は声楽だよね。これはもう、ほんと、どーにもしよーがありません。正直な話、為す術なし、です。でも、そこで諦めて、歩みを止めたら、そこで終わりです。

 イタリア人のようには決して歌えない我々ですが、それでも彼らに少しでも近づけるように、彼らのマネが上手にできるように、前を向いて前進し続けていかなければならないのです。所詮、クラシック音楽は彼らの民族音楽なのです。我々には色々とハードルが高くて、うまく出来なくても、それはそれで仕方ないのです。

 あるいは、我々は彼らとは違うという弱点をむしろ長所にして、ヨーロッパ人とは違った切り口で、我々なりのクラシック音楽を演奏していくというやり方もあります。

 私個人的には後者で貫いていきたいですが…アマチュアはともかく、プロの方々はそんなに簡単には行かないのだろうなあと、あれこれお察し申し上げちゃいます。

 ま、とりあえず、できないものはできないのです。でも、そこで諦めるのではなく、できる事を最大限にやっていきましょう。

 はい、ポジティブ思考で行きましょう。

 

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2019年7月18日 (木)

なぜ高い声が出ないのか?

 昨今、高い声が出始めてきた私です。で、高い声が出るようになって、なぜ高い声が出るようになってきたのか、分かるようになってきました…ってか、高い声を出せるようになってから、なぜ今まで高い声が出なかったのかが分かってきた…って感じですね。

 で、そんな2019年現在の、私の感じている事を覚え書き程度に書き残しておこうと思いました。

1)脱力…ってか力まない
2)速い息を適量送り続ける
3)鼻の調子が良い
4)腹筋が“内→上”方向によく動く
5)クチの奥を縦によく伸ばす
6)インフルエンザにかかった

 1)脱力…ってか力まない。 どこが? ノドが…です。ノド以外は結構必死ですが、ノドはダランとしています。声って、ノド…ってか、声帯で鳴るわけです。だから、ここを力を込めて押さえつけちゃいけないんだろうと思います。それこそ鳴るモノも鳴らなくなるわけです。

 その代わり、一生懸命、喉仏を下げてみたり、うなじを上げたりはしてますよ。でも、ノドはだらしないくらいにダランとするようにしています。でも、緊張したりして、うっかりノドに力が入ると、途端に高音って出しづらくなるんだよね。だから、ノドを力まない事って、すっごく大切なんだと思います。

 2)速い息を適量送り続ける。 声は息に乗って出ます。だから、息を吐かないといけません。で、ゆっくりと息を吐くと、低い声は出やすくなりますが、高い音は出ません。出やすい声の高さと息の速度には一定の関連があるようです。だから、高い音を出したければ、息を速く吐き続ける必要があります。しかし、息をたくさん吐いてしまうと、息の勢いでノドが固くなってしまいます。だから、息は適量だけ吐かないといけません。

 この適量ってヤツが難しくて、私の感覚的には、かなり少量なのです。分量としては少しだけれど、速い息を通し続ける。これ、大切です。

 3)鼻の調子が良い。 2)との関連ですが、速い息をどこに送るか…ですが、行き先は、感覚的に言えば、目です。目頭です。息を目頭から吐き出すつもりで息を送ってます。もちろん、息は目頭からは出ません。実際の息は、ほとんどがクチから出ます。でも気分は目頭から息を吐き出します。だから、この感覚は全くのオカルトです(笑)。

 目頭から息を吐き出すために、息が鼻を経由して目に到達しないといけません。つまり、息が鼻に入らないといけないのです。

 実は私、アレルギー性鼻炎なんですよ。アレルギー体質なので、花粉症の時期は苦しんでいますが、そうでない時期もアレルギーにやられています。今も、特に意味もなく、いつも泣いています。いやあ、アレルギーで涙が止まらないんですよ、困ったもんです。

 実は、割と最近まで、いつも鼻がグズグズ言ってましたし、たいてい詰まっていました。これもアレルギーのせいなのですが、ある時から、鼻がアレルギー症状を出さなくなりました。ま、その分、目のアレルギー症状が激しくなったような気がしますが…。なんであれ、鼻の調子がいいんです。で、鼻の調子が良くなってきたのと、高音が出始めてきたのが、ほぼ同じ時期でした。

 よく分かりませんが、高音と鼻の調子は、関係がありそうです。

 4)腹筋が“内→上”方向によく動く。 これは前々からY先生の指導を受けて言われ続けてきた事ですが、なかなかうまくできませんでした。言われたからと言って、すぐにできるようになるわけではなく、何度もトライしているうちに、神経がつながってきて、筋肉が覚醒してくるのです。そこに至るまでには時間が掛かるんですね。

 それが最近、ようやく、割と動くようになりました。まだまだ筋力そのものは弱く、すぐに疲れてしまうし、そんなにすばやく動かす事はできませんが、それでも自分の意思道理に動かすことができるようになりました。それと高音が出せるようになったのは同じ時期でした。ちなみに、腹筋をこのように動かすのは高音発声の時だけです。中音発声の時は“前→後”だし、低音発声の時は(腹筋ではなく背筋を)“上→下”に動かすと、楽に発声できます。

 5)クチの奥を縦によく伸ばす。 逆に言えば、中音程度では、クチの奥は縦開きにこそすれ伸ばさない。ここ一発って時にグインと伸ばすと高音が出るみたいです。中音程度の時に、うっかりこのあたりを伸ばしてしまうと、もうそれ以上の高音は出ませんので、ここを伸ばすのは、最後の最後まで我慢しないといけません。高いFあたりで伸ばしちゃうと、その後がキツイんだな。

 6)インフルエンザにかかった。 インフルエンザそのものが大切なのではなく、インフルエンザにかかって、約一ヶ月ほど、全然歌えなかった事が良かったのだろうと思います。一ヶ月も歌わなかった事で、それまでにあった、歌う時の変な癖が抜けていました。変な癖を、カラダが忘れてしまったんですね。で、その忘れてしまったところに、今学んでいる正しい発声法が入ったわけで、それもあって、高音が出せるようになったのだろうと思ってます。つまり、テクニックの立て直しというか、入れ替えが行われた…って事です。

 学ぶ事と忘れる事のバランスが、なんであれ、上達のためには必要です。学ばなければ、どんどん忘れていってしまいます。しかし、学ぶばかりで忘れなければ、間違った学習が定着して、上達できません。第一義的には、日々しっかりと練習をする事が大切ですが、たまにドカンと休んで、自分のテクニックの棚卸しをする必要があるんじゃないかと思います。

 ま、今考える事は、こんな事です。しかし、これだけではまだまだ不足がありますね。一番不足と感じるのが、筋力です。もっともっと筋力が必要だろうと思いますが、どの部位のどの方向への筋力が不足しているのかが分かりません。まだまだ課題の多い私です。

 

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2019年7月15日 (月)

そう言えば、ドイツ唱法って、なんじゃらほい?

 最近、声楽のレッスンでドイツリートを学び始めた私です。まあ、昨今は発表会準備で、ちょっとばかりお休みしていますが、それが終われば、またまた着手予定です。

 まだ合格した曲も1曲きりという、ほんと初学で、稚拙で、ヨロヨロやっておりますが(笑)。

 で、ふと思った事があります。そう言えば、ドイツ唱法ってのがあったなあ…ってね。ドイツリートを歌っているんだから、ドイツ唱法で歌わないといけないのでは?…ってね。でも、ドイツ唱法って何ですか? 美味しいんですか?

 というわけで、ググって見ました(笑)。

 まあ、身も蓋もない事が書かれているサイトですが、まあ、真実はこんなところにあるのかもしれません。

>歌唱時に腹壁を外側へ張る方法(ベリーアウト)と腹壁を内側へ凹ませる方法(ベリーイン)の両者が存在し

 で、そのベリーアウトがドイツ唱法ってヤツで、ベリーインがベルカント唱法ってヤツになります。すごく納得です。

 確かに、昔々、合唱団でボイトレと称して散々やらされたのが、腹式呼吸で息を深く吸い込んで、息をお腹に溜め込んだら、なるべくそれをキープしたまま歌うってやり方で、それってドイツ唱法だったんだなあ…。あと、笛先生にフルートを習っていた時、息を吸い込んだら、腹筋の前面を固めて息をキープしていくんだよ…とも教えてもらいましたが、あれもドイツ唱法の流れだったんだなあ…って思います。

 なあんだ、ドイツ唱法って、私が昔習ったやり方じゃん。

 とすると、今、Y先生から習っている発声法とは、相いれないなあ。だって、今習っているのは、ベリーインのやり方、つまりベルカント唱法ってヤツだもの。

 この両者、カラダの使い方が、ほぼ真逆なんだよね。いや、結果はほぼ同じ(伸展した声帯に、よく支えられた息で歌う)なんだけれど、そこに至るやり方が全然違うのです。私が器用ならともかく、残念な事に不器用なんだよね。なので、真逆のやり方を2つマスターして使いこなすなんて、無理だな。となると、私の場合、歌うのがイタリアオペラであっても、ドイツリートであっても、今学んでいるベリーインのやり方を貫いて歌った方が良いって事になります。

 それにまあ、昨今の流行りはベリーインのようなので、私はそれで行きます。

 ちなみに、どちらが正しいとか間違っているとかは、ないんじゃないかと思います。

 大昔の名テノールであるカルーソーは、発声練習(のデモンストレーション?)の時にグランドピアノを腹につけて、息を吸って腹筋だけでピアノを動かしたという伝説が残っています。もしもそれが事実なら、カルーソーはベリーアウトだったと言えます。また、ちょっと前の名テノールであるパヴァロッティは、高音を出す際の感覚として「クチの中から心臓が飛び出てしまうような感覚」と言ってますので、これは明らかにベリーインです。カルーソーもパヴァロッティも、どちらも歴史的な名テノールですから、ベリーアウトであれ、ベリーインであれ、極めれば世界を取れるわけで、そうなると、どちらが正しくて、どちらが間違っているとは言えないでしょう。ただ、昨今の流行りはベリーインなので、私はそっちに行きますよって話です。

 

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2019年7月 3日 (水)

脱力って大事、ほんと大事

 先日、例によってアマチュアの声楽発表会を聞きに行きました。割とよく発表会を聞きに行く団体なので“見知らぬ人の発表会”と言うよりも“見知った人たちの発表会”なわけで、その成長ぶりを確認するのが楽しみな発表会でした。

 で、その団体の発表会を…実は今回、数年ぶりに聞きに行ったわけです。最近、聞きに行っていなかったので、さぞや皆さん上達をしただろうと思って聞きにいったわけですが、実際問題としては、上達した人もいれば、現状維持の人もいるし、却って下手になっている人もいたりして、全般的には「あまり変わらないなあ…」という印象でした。アマチュア歌手が歌を上達するのって、色々と難しいんでしょうね。

 で、その団体の特徴は2つあって、…

 1)声量が極端に小さい事
 2)力の入った声で歌っている事

 …でした。で、この2つは実は同じ事が原因なんだろうと思います。それは「ノドの脱力不足」だと思いました。

 声の支えをノドで取り、音程もノドで取り…という、いわゆる“ノド声”で歌っている方が実に多くいました。ノドで歌っているので、中低音は太めの力みすぎな声で、高音は苦しげな声で歌うのが、その団体の特徴にすらなっていました。

 おそらく、こういう声が(指導者の)好みなんでしょうね。一聴すると、ヴェリズモオペラ向きの声に聞こえますが、一種の作り声なので、ちょっと無理があるように私には感じられました。

 もっと伸びやかに歌えれば、もっと上手になるのになあ…と他人事ながら、ちょっぴり残念な思いになりました。ほんと、脱力って大事、ほんと大事だよ。

 理想とする声を目指して、その声に近づけていくのではなく、自分の声を素直に美しく出していく。これが発声では大切な事だと思います。しっかり声を支えて、ノドを脱力して、きちんと響きをのせて歌う。その結果、自分の理想とする声とは違ったとしても、それは受け入れないとね。自分は自分、なるようにしたならないのです。

 私だって、マリオ・デル・モナコのような、重厚なテノールの声が好きだし、ああなったらいいなあと思うものの、現実の私は、それとは全然違う声なわけで、モナコのマネをしたって、何にもならないわけです。それより、私自身の声を磨いていって、自分の声で歌えるようにする方が、全然マシだと思ってます。

 あと、選曲は大切ね。私が聞く限りでは、声に合わない歌(チェンジの付近の音が多い歌や、低音が多くて音程を取れていない歌)を歌っている人も目立ちました。一般的には、音域の低い曲は簡単な曲という扱いを受けやすいのですが、それも程度があるわけで、低くても、自分の声に合っていない歌は、簡単そうに見えて、実は難しく、アラが目立つんですよね。

 ノドの脱力と選曲の大切さ、私も決して他人事じゃないんだよね、気をつけていかないと…。

 

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2019年7月 2日 (火)

なぜ音がぶら下がるのか?(声楽編)

 思えば、以前習っていたキング先生からは、歌声がぶら下がっている(♭している)と言われ続けました。簡単に言えば「君、音痴!」って事ですね。ですから、よくピアノの音を聞いて歌えとか、毎日音叉を聞き続けろとか、音感…ですか?を正すというか、鍛えるというか、そういう注意を日々受けて練習していました。歌っている私自身、音が微妙にズレているという自覚はありました。でも、自覚はあっても、それをどうにかする手段が分からなかったのです。だから先生に相談したわけですが…。

 まあ、確かに私には絶対音感はありません。でも、ジャンルを問わず、音楽は好きだし、楽しんでいます。音楽を楽しめる程度の音感はあるわけだし、ピアノだって聞かずに自分勝手に歌っているわけじゃないです。自分なりにピアノをよく聞いて、それに合わせて歌おうとしているのに、なぜか音程がぶら下がってしまうのです。

 悩みですよね。当時、かなり真剣に悩んでいました。もちろん、先生に相談をしました。その結果、言われたアドヴァイスは「耳が悪い」で、だから毎日音叉を聞きなさい…だったわけです。

 耳が悪い…と言われても、聴力的には問題ないし、毎日音叉を聞いて、Aの音を覚えても、だからと言って、私の歌が常にぶら下がっていた事については、何の改善もありませんでした。

 キング先生の門下にいた間は、私の音痴(?)は全然治りませんでした。

 治るわけないです。だって私の音痴の原因は音感の悪さではなかったんだもの。原因の特定が間違っているから、その指導法も間違っていて、結果的に音痴と言う症状は、ちっとも改善されなかったわけです。

 では、原因は何だったのかと言えば、発声が悪い事だったのです。

 キング先生の教室は『ボイス・トレーニング』を看板に掲げていましたが、だからと言って、きちんと発声を学んだ記憶はありません。歌は習ったし、よく遊んでもらったけれど(この点に関しては感謝しています)、発声に関しては何も教えてもらっていません。なにしろ「発声にコツはない。何度も何度もチャレンジするだけ。百回やってダメなら千回やる。千回やってダメなら一万回やる」と言われてました。つまり「我流を貫け」ですね。もっとも、その我流の結果に対して、一応、ダメは言ってくれてはいました。だから、全く指導がないわけではないのだけれど、発声の正しいやり方そのものは、教えてはくれませんでした。自分(キング先生)のマネをしろとは言われたけれど(たぶん、それが彼流の“指導”)そのマネがうまくはできないんだよね。だって、人間が違うんだからサ。それに、ものまねができる人/できない人がいるし、上手な人/下手な人もいるわけじゃない? ちなみに私はものまねって、めっちゃ下手だよ。言葉で説明されないと、全然分かんないんだよ。

 だから、キング先生に習っている間に、ドンドン歌は下手になっていきました。仕方ないよね。

 閑話休題。音程の悪さは音感が悪いからではなく、発声が悪いのが原因です。私はよく音がぶら下がりましたが、これはノドに力が入りすぎているからです。脱力して歌えるようになれば、自然と音程は正しくなります。私とは逆に、音程が上ずってしまう人は、息が抜けてしまう人です。支えをしっかりとして、しっかり声を捕まえるようにすれば、自然と音程は正しくなります。

 要するに、耳が聞こえないなどの物理的な制約がなく、普通に音楽が好きで音楽を楽しんでいるような人の場合、音程の悪さは、音感の悪さと言うよりも、発声の悪さが大きな要因となります。ですから、発声がちゃんとしてくれば自然と音程も正しくなるわけで、音程が悪いからと言って、音程だけを取り上げて、ああでもないこうでもないとやる事自体が間違いであり(木を見て森を見ず…だね)歌の勉強をしているのに、いつまでたっても音程が悪いのは、きちんと発声を学んでいないからなのです。

 結論。なぜ音がぶら下がるのか? それは脱力がきちんとできていないからです。音痴で悩んでいる人は、きちんと発声を教えられる声楽教師とかヴォイストレーナーなどの元で学べば、早晩正しい音程で歌えるようになります。ガンバ。

 

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2019年6月19日 (水)

練習は録音していますか?

 皆さんは、自分の練習を録音していますか? 私は、先生方の許可を得て、レッスンは録音していますが、日々の自宅練習は…以前はたまにやっていましたが、ここ数年はやってません(汗)。

 まず、レッスンを録音する事は良いことだと思います。もちろん、先生の許可は必要ですが、レッスンの最中にノートを取るのは難しいですし、習った事をすべて暗記できるわけではありません。レッスンを録音する事でノートを取る事の代わりになります。ですから、レッスンが終わったら、レッスンを振り返るために(私は要所要所ですが)その録音を聞くと良いでしょう。録音を聞き直す事で、レッスンで学んだ事が定着しやすくなります。

 また、レッスンでの演奏を、自宅練習の時の伴奏として使うことができます(私はしていません)し、レッスンの録音も溜まってくると、自分の成長記録になります。

 自宅での日々の練習も録音するとよいでしょう。と言うのも、自分の演奏って、自分ではよく分からないし、演奏に一生懸命になっていると、演奏の細かい部分の様子も分かりません。歌の場合は、どんな声が出ているか、なかなか分からないものです。なので、録音をして、それを再生しながら練習をしていくのは、良い事です。

 ただ、これを真面目にやっていると、あっという間に録音が溜まってしまい、大変な事になるので、録音しては消し、録音しては消し、を繰り返す必要があります。

 と言いつつ、私はやっていないんですよね(汗)。以前はやっていたのですが、今はやっていません。やっていない理由はいくつかあります。

 一番大きな理由としては「録音をしても録音を聞き返す時間がもったいない」です。仕事が忙しくて練習時間の捻出に困難を覚える昨今なので、せっかく作った練習時間を録音を聞く作業には、もったいなくて、使いたくないんですよ。練習時間中はひたすら練習したい…録音しても聞き返さないなら、録音する必要はないじゃん…って感じなのです。ですから、たっぷり練習時間がある環境ならば、しっかり練習を録音して、それを聞き直しながら練習を進めていくのが吉なのです。

 じゃあ、練習中の音は聞かない?って話ですが、なるべくリアルタイムで聞くようにしています。音楽の練習をしている書斎には、かなり大きな姿見の鏡があります。日頃はこの鏡に向かって練習をしています。自分の出した音がこの鏡に反響して、リアルタイムで自分の音が聞こえますので、今はそれを参考にしています。もちろん、これができるためには、自分の耳を開くという訓練を終えていないといけません。初心のうちは、なかなか耳を開くことはできませんので、これは難しいのですが、少しずつ上達してくると、耳を開いて演奏する事で出来るようになります(ってか、これが出来ないとアンサンブルは出来ません)ので、自分自身とアンサンブルをしているような感覚で練習していくわけです。

 ま、それでもフィードバックのしやすさという点では、姿見の鏡は、録音にはかなわないのですが…ね。ただ、鏡は鏡として、録音以外の点で十分に有用なので、ぜひ練習室には置いておいた方がいいですよ。自分の歌っている姿をチェックするのって、音を聞くのと同様に、大切な事だと思います。何しろ誰でも“無くて七癖”ですからね。

 

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2019年6月17日 (月)

男性が声楽を学ぶのは難しいのか?

 先日、私の趣味である、全く知らない赤の他人の発表会を見てきました。今回見に行ったのは、声楽の発表会で、複数の教室の合同発表会でした。合同発表会ですから、かなり規模が大きくて、男性の生徒さんもそれなりにいました。

 もちろん、素人の発表会ですから、上手さのレベルは様々で、つい最近始めたんだろうなあ…という人から、この人絶対に音大を卒業している…という人までピンキリでした。概ね、女性は普通にアマチュア歌手の皆さんでした。

 問題は男性陣です。そんなに数は多くないのだけれど、奇妙な発声をしている人がとても目立ちました。割合にすると、約半数の人が「なに、これ、こんな発声しちゃっていいの?」って感じでした。なんだろうなあ…下手じゃなくて、奇妙なんです。下手なら、やがて上手になると思うのですが、奇妙なのは、その先どうなっていくのか分からないじゃないですか? そういう意味では、奇妙と言うのは、下手よりもタチが悪いのかもしれません。

 奇妙な発声の方々の特徴は、裏声がとても強いって事です。まあ、突き抜けてカウンターテナーになっちゃっている方々もいましたが、それはまあ、それでいいのですが、そうでなく、テノールの音域をほぼすべて裏声で歌っている人も少なからずいました。むしろ、よくそんなアクロバチックな事ができるなあと感心するものの、それはクラシック系の男性の発声とは異質なものです。裏声が強い代わりに…ってわけでもないでしょうが、響きはほぼありませんでした。キンキン声になるか、逆に飲み込んだような声になっていました。

 じゃあ、下手なのかと言うと、必ずしもそうではないのです。少なくとも、ソルフェージュ的(リズムとか音程とか)には上手だったりするんです。あくまでも、奇妙なのは発声なのです。

 あんまり、おかしな発声の方々が多かったので、不思議に思っていたのですが、最後の最後に「ああ、なるほど」と納得する事がありました。それは、その合同発表会の先生方は、すべて女性の先生だったのです。

 声楽の発声って、男性と女性では、基礎基本は同じでも、そこから一歩踏み出すと、全然違うんです。奇妙な発声をしている男性生徒さんは、もしかして、女性の発声をしている…のかもしれません。それもかなり未熟な形で…。もし、そうなら納得します。

 実際、女性の先生が、女性の生徒に教えるように男性に発声を教えたとしたなら、まあ、あんな感じの奇妙な声になっても仕方ないようなあと、理解しちゃった私なのです。と言うのも、私自身、女性の先生に習って、女性の発声を学んだ経験があるからです。私の場合は、私自身が不器用ですから、自分にとって不自然な女性の発声なんて、できるはずもなく、むしろソルフェージュ的にもおかしくなり、かなり筋金入りの音痴になってしまった事があります。だいたい、当時の私は、裏声の発声自体がすごく困難だったんですよ。

 もちろん、女性の先生であっても、男性の発声方法に理解があって、それを指導できる方なら、問題はないでしょうが、多くの街の声楽教師というのは、歌手の成れの果て(ごめんなさい)であって、声楽教育のプロではありません。歌手の成れの果てですから、自分が学んできた事しか知りません(その代わり、その分野ではプロです、当たり前か)。

 それに、街の声楽教室に集まる生徒さんのほとんどは女性ですから、別にご自身が女性の発声しか教えられなかったとしても、特に問題はありません。男性の生徒が門を叩いてきたら、断ればいいだけの話です。以前、私を教えてくださった女性の先生は、断る事はしなかったけれど、基礎基本だけ教えたら、男性の先生にバトンタッチするから…という約束だったんです(が、バトンタッチをしてもらう前に、ご縁が切れてしまったんですね)。

 色々な教室事情があるでしょうし、何でもかんでも男性生徒を断ってしまったら、男性が声楽を学ぶチャンスが著しく小さくなってしまうので、男性を受け入れてくださる女性の先生はありがたい存在なのですが、教える以上はきちんと男性の発声を教えてくださる事を強く望みます。

 実際、その合同発表会にも、しっかりとした男性の声で歌っていた方もいらっしゃったので、先生方のすべてが男性の発声を教えられない…ってわけではないのでしょうが、奇妙な方々が目立ってしまっただけなのかもしれません。

 もっとも、しっかりした男性の声で歌われていた方も、必ずしも声と歌が合っていたとは言えなかったのが残念です。特に私が違和感を感じたのは、テノール用のアリアや歌曲を3度下げて歌ってしまった方々です。アリアを移調するのは、私的には無しですが、そこはどうなんでしょうね。歌曲は移調して歌っても全然問題の無い曲もありますが、曲によってはアリア同様に「高音を一発で決めるのがキモ」というタイプの歌曲もあって、それを下げちゃダメでしょう…って気分なんですわ。たぶん、男性の先生なら、彼らの声質からそんな選曲は許さないだろうけれど、そこは生徒も先生もよく分かっていないんだろうなあって思いました。

 歌って、音程とリズムが合ってなきゃダメなんだけれど、音程とリズムさえ合っていれば良いってわけじゃなくて、声とか発声とかって、大切な歌の要素だと思います。作曲家は、歌を書く時に、前提としている声があるわけで、やはりそれは尊重していかないといけないのだと思います。私だって、バリトン用の曲は、音域的に楽だけれど、声質が全然合わないから、まず歌わないしね。

 とは言え、アマチュアは楽しんだほうが勝ちなんだよね。だから、どんな声でどんな曲を歌おうが、楽しければいいとは言えますが、より楽しむならば、やはりきちんとした発声で歌えたほうが楽しいし、自分の声にあった曲を歌った方がもっと楽しいと思います。

 女性は女性教師に、男性は男性教師に習うのが、ある意味理想なんだろうけれど、だからと言って、軽いコロラトゥーラの先生が重いスピントのソプラノの生徒に自分のやり方を押し付けたら、やっぱり生徒はうまく歌えないと思います。大切なのは、先生の性別よりも、先生がどれだけ教えることに心を砕いて、勉強しているかって事だと思います。どんな分野でも「できる事と、教える事は別物」なんですね。だから私は単なる『歌手の成れの果て』が声楽を教えるのは、どうしたものかなと疑問を持っています。教える以上、ご自身が歌えるは当然として、やはり教えるための勉強もしていなければ、きちんと教えられないだろうなあと思ってます。

 女性の先生は女性の生徒さんを教えていれば、案外、それでOKって部分があります。男性の先生って、ただでさえ数が少ないのに、音大受験生は熱心に教えても、アマチュアさんを教えてくれる先生は、なかなかいなかったりします。そういう意味では、男性が声楽を学ぶのは難しい世の中なのかもしれません。

 

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2019年5月23日 (木)

どうして、歌っているとノドが痛くなるんだろ?

 これは私個人の問題なので、皆さん方には何の役にもたたない話かもしれません。

 私、歌っていると、ノドが痛くなります。と言っても、いつも痛くなるわけではなく、ある一定の条件のもとで歌っていると、必ずノドが痛くなるのです。

 1)音域が低くて狭い曲
 2)間奏が無くて、歌いっぱなしの曲
 3-1)屋外または広くて反響のない会場
 3-2)モニタースピーカーの無い会場

 こんな感じです。

 1)は、音域が1オクターブちょっとで、下のシからミまでの約10度程度の曲です。それでも音が音域に満遍なく散っていればいいのですが、その大半がド~ラの中に収まっているような曲は、かなりキツイです。その程度の音域なら、楽に思えるかもしれませんが、私には地味にキツイです。

 2)は文字どおり間奏がなくて、最初っから最後まで歌いっぱなしの曲です。特に1)と条件がダブルで来ると、途中で咳き込んでしまう事すらあります。

 3)は、3-1)または3-2)って事ですが、結局、音の跳ね返りがなくて、自分の声が聞こえない状況だと、ノドが痛くなってしまうのです。たぶん、無意識に頑張っちゃうんだろうと思います。

 イメージしやすいように、具体的に言っちゃえば…野外で讃美歌を歌うとノドが痛くなる…と思っていただければ、間違ってはいません。なので、キャロリングは苦手です。

 まあ、実際のところ、讃美歌でなくても“誰でも歌える”ようにアレンジされている曲は、私には鬼門なんですね。みんなが歌いやすくても、私にはちょっぴりキツイんですね。つまり、私の声に合わない…んだと思います。

 私の場合、特にト音記号の五線譜の下の方(ド~ラ)に集まっているメロディーよりも、上の方(ソ~ミ)に集まっている曲の方が、断然歌うのも楽だし、ノドが痛くなりません。

 おそらく、メロディが五線譜の下の方に集まっている歌は、ちょっぴり無理をして歌っているんだろうと思います。自分でも感じるのですが、そのあたりの音域の曲を歌うと、息が出過ぎてしまうようです。必要以上の息が声帯に当たっていくようなのです。声帯もカラダの一部ですから、必要以上に大量の息が強めに当たり続ければ、痛くなっていくのは当然です。

 それでも間に休憩が入れば、また話が違うのでしょうが、休憩無しで、ずっと歌い続けると(讃美歌って、本当に間奏が無くて[間奏どころか休符すらない曲もゴロゴロあります]、最初から最後まで歌いっぱなしなんですよ)ノドが痛くなるんです。ほんの4小節でもいいから、間奏があれば、本当にかなり違うのですが…。

 とまあ、そんな感じで、低めの曲をずっと歌い続けていると、いつのまにかノドが痛くなってしまう私なのです。で、ノドが痛くなって、歌の途中で咳き込んだり、歌えなくなってしまうのです。なんとも悲しい事です。

 私もバカではありませんので、一応、対策は考えています。それは

 A)息は弱めで、軽く歌う
 B)独唱でなければ、途中で適当に休む
 C)そもそも声に合わない曲は歌わないで済むように逃げる

 ま、こんな感じです。私、そんなに歌が上手なわけではないので、何でも歌えるってわけじゃないんですよ。痛みと言うのは、カラダからのメッセージなわけで、痛いのを無理して歌っていると、絶対に声に支障が出てくるので、なるべく痛くならないように工夫しながら、歌ったり、逃げたりをしていきたいと思ってます。

 

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2019年4月25日 (木)

合唱と独唱の発声は、本当に同じなのでしょうか?

 たぶん、プロレベルになると同じなのかもしれないのだけれど、アマチュアレベル…それも私程度のレベルでは、合唱(市民合唱レベルを想定)と独唱の発声は、基本テクニックこそ同じだろうと思われるものの、実際の姿は、かなり違う状態になっているのではないかと思われます。

 どれくらい違うのかと言えば、独唱の方が合唱に入って無邪気に歌うと、たいてい声が浮いて合唱の邪魔になります。また、合唱の方が頑張ってソロを歌っても、何か物足りなさを感じさせる歌になる事が多いです。そういうのを見ていると、やはり合唱と独唱の発声は、アマチュアレベルでは、実は違うのではないかと思わざるを得ないのです。

 アマチュアレベルでは…つまり、アマチュアはテクニックが未熟ですから、その未熟さが、合唱と独唱では、それぞれ異なる方向に現れ、本来は同一であるべきものだけれど、アマチュアレベルでは“実は発声が違うのでは?”と思ってしまうほど、違った状態になっているのだろうと思います。

 独唱の方の未熟さは…アンサンブルに不慣れな事に尽きると思います。周囲の音をよく聞いて、そこに音程とか音色とかを合わせていくというのが、うまく出来ない人が多く、ただただ「大きくて美しい声で歌おう」という意識ばかりが高くて、そのために、周囲の声とは異質の声で歌ってしまい、結果、周囲から声が浮いてしまうというわけです。はっきり言っちゃえば、独善的なんです。

 一方、合唱の方の未熟さは…心の強さが足りない事かな? 独唱をする人たちの“前へ前へ”という心意気はみんなすごいですからね。合唱の方の多くは、そういう心の強さを持ち合わせていないわけで(だから合唱をやっているんだろうと思います)、いざ自分が独唱を歌うという場面になると、前へ出るどころか、一歩二歩心理的に引いてしまうわけで、それが声にも現れ、観客にも伝わってしまうわけです。つまり、弱気なんですね。

 無論、独善的であったり、弱気であったりとする、心理的な問題も抱えていますが、アマチュアですから、それ以外にも、発声的な技術不足がそれぞれにあるわけです。そういったものが複合的に作用して、独唱と合唱では、ほぼ、発声が違ってしまうのだと思います。

 

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