ひとこと

  •  やっとネット社会に復帰します。今後は日帰りで遊びに行く事はありますが、家を空ける事はないので、ネットでの反応も普通どおりに行けるんじゃないかと思ってます。とりあえず、外泊で使ってしまった体力の復活を目標に、しばらく大人しくしているつもりです。
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カテゴリー「発声法のエッセイ」の記事

発声に関する様々な事柄について書いてみました。グループレッスン時代の話もここです。

2018年7月23日 (月)

アニメ声とイケボ

 私もアマチュア歌手の端くれなので、声については、いつもあれこれ考えています。

 私がいつも感心しているのは、最近の声優さんたちの凄さです。何がすごいって、彼ら彼女らはアニメでは、いわゆるアニメ声でアフレコをしているわけですが、そのアニメ声でキャラソンも歌っているわけで、こりゃあすごいなあと感心しているわけです。

 アニメ声って、ざっくり言っちゃえば,作り声なわけで、作り声って、たいてい声域が狭いし、声としてのコントロールが難しいのに、そんな作り声で普通以上の上手さで歌っちゃうんだから、声のコントロール能力がすごぶる高いなあ…って思うわけです。

 さすがプロだよなあ、見事だよなあ…。声のコントロール能力に関しては、ほんと、見習いたいものです。

 我々、クラシック系声楽の人だって、歌う時の声は話し声とは違うわけで、ある意味、作り声で歌っていると言えなくもないわけですが、それはあくまでも歌用の作り声なわけですが、いわゆるアニメ声は歌うための作り声ではないわけで、それを考えても、声優さんはすごいと思います。

 でも、アニメ声はいただけないし、マネしない方がいいです。少なくとも、アニメ声とクラシック系声楽の相性は良くないです。

 と言うのも、アニメ声の出し方って、クチの中をなるべく狭くして、息もなるべく多く鼻腔を通して(ってか口腔へはあまり息を通さない)、息漏れの多い声で、滑舌悪く舌っ足らずな感じでしゃべる事で出している声なんですよ。アニメ声は別名“ロリ声”とも言うわけで、オトナが幼女の声を真似して出している声なんですね。そりゃあ、声楽との相性悪いです。

 アニメ声はいただけませんが、アニメにはもうひとつアニメ特有の声があります。それは、イケボと呼ばれる声です。

 イケボというのは、イケメンヴォイスの略で、かっこいい男声の事を言います。これはおそらく、女声のセクシーヴォイスに相当するものだろうと思います。

 イケボの特徴は、低くて若々しくて吐息混じりの声…なんだそうです。吐息混じりはいただけませんが、低くて若々しいのは、確かにかっこよいですが、クラシック声楽的には…おそらく「まだ声が熟成していないバリトン」あるいは「高い声が全然出ないテノール」って扱いになってしまうかな…とも思います。ハイバリトンにすら成らないと思います。

 と言うわけで、アニメに特徴的な、アニメ声にしても、イケボにしても、クラシック声楽とは相性が良くない事が分かりました。

 でも、アニメ声にしてもイケボにしても、日本人には人気の高い声なんですよね。だから、アニメで受けるし、この種の声の声優さんがたくさんいるんです。逆に、クラシック声楽系の声なんて「オペラっぽくて、おおげさで」というイメージで捉えられがちだし、しばしばお笑いネタにさえされちゃうわけで…一般人に対しては受けが良くないなあ…なんて思ったりもします。

 だから何だと言われると困るのだけれど、日本人が好む(?)声と、声楽で美しいと呼ばれる声って、全然違うんだよなあ、ちょっとショックだなあ…って話です。

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2018年6月25日 (月)

声種の決定は…好き好きでいいんじゃないの?

 私は以前、『声種と声域』という記事で「声域で声種を決めるなよ」という趣旨の記事を書きました。で、結論としては、声種は声質に着目して判断しましょうとしました。

 この記事に書いた事は、私の主張としては揺るがないものなのだし、プロの方とか、プロ志望の方は、そうあるべきだけれど、アマチュアさんの場合は、それだけじゃ済まないかなって、あの記事を書いて以来、考えるようになりました。

 つまり、アマチュアさんには、もう一つ別の尺度があって、それで声種を決めてもいいのかなって事です。

 そのもう一つ別の尺度とは…「自分の好み」(笑)です。ざっくり言えば“歌いたいパートが自分のパート”でもいいかな?って事です。

 今、パートと書きましたが、この前提条件の一つに“市民合唱団で歌う”という暗黙の了解を設定しました。と言うのも、ソロで歌うなら、いくら自分の好みがあろうと(特にオペラアリア等は)やはり歌えないものは歌えませんから、自然と自分の声質にあった歌に落ち着くわけですし、歌曲は自分の歌える音域に移調すればいいわけだから、あまり自分の声種とかを意識しなくても良いわけです。

 アマチュアシンガーさんが、一番自分の声種を意識するのは、やはり合唱団でのパート分けではないかと思うわけで、で、そのパート分けだけれど、団の方針でオーディションなどがあったりするところもあるわけで、そういう団に所属しているのなら、団の方針に従わないといけないとは思うものの、そうでなく、割と自己申告とか周囲との相談で成り立っているような団に所属しているのなら、まずは自分の好みをクチに出して主張してみるのも良いのかなって思います。

 実際、ソプラノとアルト、テノールとバス、それぞれ両方歌えますよって人、いるじゃないですか? あるいは初心者や初学者などは両方とも歌えないじゃないですか? だったら、歌いたい方を主張するのも、アリかなって思うわけです。

 第三者的には「え? その声でそのパートを歌うの?」って思うことあるかもしれませんが、アマチュアさんなら、ますは「やりたいことを、悔いなくやってから死ぬ」というのがあるわけで、残り少ない人生、自分の歌いたいパートを思いっきり歌ってみるのが良いかな…って思うようになりました。

 もちろん、希望したパートがあまりに自分の声とは合っていない場合もあるでしょうが、そんな場合、そうそう無理は続きませんから、やっぱり自分の声とは合っていないパートを歌い続けていくのは、いくら歌いたいと思っていも、やがて歌っている事が苦痛に感じるようになりますから、そうしたら、もっと楽に歌えるパートに移動すればいいのです。

 やるだけやったら、人生、悔いは残らないでしょ?

 と言う訳で、あくまでもアマチュアさん限定だけれど、声種の決定は、まずは自己申告を優先し、やりたいパートにチャレンジしてみる…でいいかなって、個人的には思ってます。

 まあ、こんな意見、合唱団の運営サイドの人から見れば「ありえない!」って思われるかもしれませんが、団中心ではなく、歌う個人に焦点を当てて考えてみれば、私の言ってる事も、そんなに的外れではないと思っていただけるかな…なんて思ってます。

 もちろん「ウチは市民合唱団だけれど、プロのような合唱を目指しています」という団は、その限りではないでしょうね。

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2018年5月 3日 (木)

年を取ったら、節制しないと…ね

 本日からラ・フォル・ジュルネが始まりますが、記事の方は、全部終わってから書きますので、しばらくお待ちくださいね。

 さて、今日の記事は…標題で勘違いされても困るのですが、別に飲酒とか食事とかのダイエット系の話ではありません。歌系の話です。

 人にはそれぞれ持ち声というのがあり、生まれながらに良い声をお持ちの方がいらっしゃいます。そういう人、つまりは“自然歌手”と呼ばれる、自然体のままで、すでに素晴らしい歌手でいらっしゃる方は、若い時からプロアマ問わず、歌の世界で大活躍されるわけです。

 若い時から活躍されて、中年になっても活躍されて…でも、そこを過ぎて、40代とか50代とかになって、いわゆる衰えが見え始める時期になると、そういう方って、一気にダメになってしまう人、多いんですよね。

 若い時に、持ち声の良さに頼り切りで、歌いまくっていたために、歌のテクニックが身に付いておらず、声が使い減りして、カラダが老化を始めると、一気に歌がダメになってしまうわけです。若い時が良かっただけに、その落差はすごいみたいですよ。

 以前、キング先生がおっしゃっていた「テノールは50歳を過ぎると歌えなくなる」という言葉も、この事を指していたのかもしれません。テノールは、プロアマ問わず、持ち声だけで歌っている人、大勢いるもんな。

 で、そこで「節制しなさい」と言っているのは、現在の我が師であるY先生です。

 私は自然歌手ではありません。でも、私もテノールだし、持ち声も平均的な日本人と比較すると、多少は恵まれている部類だろうと思われます。なので、私にも、声だけで歌ってしまう…というか、自分の声をひけらかして歌いたがる傾向があります。

 なので、このまま、このやりかたで歌っていると、あっと言う間に声が劣化して、歌えなくなってしまう恐れが大なのです。それが嫌なら…声はひけらかさずに、節制して、控えめに、テクニカルに歌いなさいと教えてくださるわけです。

 大きな声で歌える事は、私の長所なのですが、これからの事を考えるならば、大きな声は要りません。声がよく鳴るのも、私の長所なのですが、これからの事を考えるならば、声を鳴らしてはいけません。力強く重めの声で歌えるのですが、これからの事を考えるならば、そんな力強い声や重めの声で歌っていはいけません。

 これらの私の長所は諸刃の刃であって、長所であると同時に、私の声が劣化する原因でもあります。幸い、使い減りするほど歌ってきてませんので、まだなんとかなっていますが、やがては声は減ってしまうわけです。このまま歌っていたら、どんどん声がダメになってしまうのだそうです。

 だから、これらの長所を一旦封印して、我慢して、これらの長所を使わずに歌っていく事が必要なのです。だから、声を節制しないといけませんって事になるわけです。

 簡単に歌い飛ばしていけるところを、わざわざテクニカルに歌うように癖をつけていくのも、声が衰えても歌い続けられるようになるためであり、今からその準備をしているのです。歌のテクニックは、歌えなくなってからでは身につかないものね。

 ああ、我慢我慢。節制、節制。

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2018年4月26日 (木)

声と響きの正体

 最近の私は、歌声のことばかり考えています。まあ、アマチュア歌手としては、ごく当然の事なのかもしれませんが、ほんと、歌声のことばかり考えています。

 で、このところ考えるのは、声と響きの話。一体、声って何? 響きって何? って考えてます。

 まず大前提なんだけれど、声にせよ、響きにせよ、それらの発信源は声帯です。それ以外の部位からは、これらの音声は出ません。

 つまり、声にしても、響きにしても、根っこは一緒。声帯の振動で生まれた音なんです。じゃあ、その違いは何? どこにあるの? って考えるわけです。

 共鳴腔の中の響かせ方の違い? 支えの問題? 多少は関連あるだろうけれど、ここらに問題の答えがあるようには思えません。

 そこでピンと来たのが、幼女の話し方。幼女全般と言うよりも、割とおとなしめのお姫様タイプの幼女(幼稚園児あたりをイメージしてます)の話し方です。彼女たちって、ヒトなのに、まるで小鳥がさえずるような声で話すんですよ。同じ幼女でも、活発な子は違います。彼女たちは、少年たちと同じように、しっかりした声で話します。でも、お姫様タイプの幼女たちは、小鳥がさえずるように話します。この小鳥のさえずりのように聞こえる声が、いわゆる“響き”の声ではないかと思ったわけです。

 では、なぜ彼女たちの声が小鳥のように聞こえるのか…もちろん、その音高も関連しますが、一番の原因は、彼女たちの筋力不足。根本の筋力が不足気味なので、少年や活発な幼女たちとは違って、しっかりとした声が出せなくて、ふわふわ話すわけです。この筋力不足気味のふわふわした声が、小鳥のように聞こえる原因なのではないか…と私は考えました。この幼女たちも成長に伴い、やがて筋力増強してくれば、ふわふわ話さなくなるわけですし…ね。

 つまりお姫様タイプの幼女たちのような、ふわふわした声で歌えれば、響き多めの声で歌えるのではないかと思ったのです。

 しかし、オトナは幼女と違って、必要にして十分なだけの筋力を持っています。ですから、素のままの声では響き多めの声にはなりません。

 そこで必要なのが、リラックスだとか脱力だとかのテクニックなんだろうと思います。

 声帯から力を抜いてリラックスさせた状態で、声帯を振動させられたとしたら、お姫様タイプの幼女のように、響き多めのふわふわした声になるのではないかしら?って…。だから、声楽のレッスンでは、常に“リラックス”とか“脱力”だとかが言われ続けているんじゃないかしらって…思うわけです。

 ああ、なんか、納得。

 で、響きの声がリラックスした声であるならば、響きと対義語として使われる“声”は、逆に声帯をしっかりと鳴らした時の声…って言えるのではないでしょうか?

 つまり“響きと声”と言いながら、実は“響き”にせよ“声”にせよ、それらが単独で存在している事はなく“響き”と“声”は連続した一続きのものであると考えたわけです。

 で、我々の声のニュートラルな状態は…やっぱり“声”と呼ばれる状態だろうと思います。そして、そこよりも、声帯の脱力度が高ければ、声は芯を失って“響き”になります。また逆に“声”の状態よりも、声帯がしっかりしすぎる程に鳴ってしまえば、それは“鳴り”と呼ばれます。「声がよく鳴っているよね」って言われる時の状態がこれです。

 さらに“鳴り”の状態よりも声帯に力を込めて、しっかりしすぎるほどに声を鳴らしてしまえば、それはやりすぎとなり“怒鳴り声”になり、この“怒鳴り声”は、ほぼ“ノド声”と呼ばれるものになるのではないか…と考えました。

 そうなると…

  響き > 声 > 鳴り > 怒鳴り(ノド声)

 となります。

 で、これらの違いは、声帯周辺の筋肉のリラック具合なんだろうと思います。リラックスして声帯が脱力してくれば、声は響きになっていくし、緊張して声帯に力を込めてしまえば、声は鳴りや怒鳴りになっていくと考えています。

 そして、これらとダイレクトに関連してくるのが、ノドの強さかもしれません。

 ノドがあまり強くない方は、そもそも声を鳴らす事が苦手です。ノド声なんて無理も無理です。こういう方が軽く歌うと、ふわふわな声になり、まるで小鳥たちのような軽々とした声で歌えるわけで、それは響きをメインにした声で歌っているからです。

 一方、ノドが強い方は、声を鳴らすのが普通だし、鳴らしすぎてノド声になっていたりします。こういうヒトが響きの声で歌おうと思うと、振り子を逆に振っていかないといけないわけで、そりゃあ大変な仕事になるのだろうと思います。力を込めるのは簡単な事だけれど、力を抜くというのは、名人や達人の行いだもの、簡単にはいきません。

 そうなると、響きメインで歌うには、ノドは弱い方が良いのかもしれません。少なくともノドの強い方よりもスタートがずっと有利ですよね。もっとも、ノドが弱いと、声量は少なめになるし、声の通りも良くなくなるので、そもそもは歌向きな声ではないとも言えます。でも一人で歌えなくても仲間と合唱を楽しむ分には問題はないでしょうね。

 実際、響きの方が多くいる合唱団のハーモニーって、すごぶる美しいですものね。

 ソロで歌っていこうと頑張っている方って、程度の差こそあれ、ノドは強い方が多いと思います。そういう方が響きの声で歌うためには、脱力・脱力・脱力…ってなるわけで、皆さん、泣きを見ているわけです(涙)。

 というわけで、ノドに力をどれくらい入れるかで、我々の声は“響き”“声”“鳴り”“怒鳴り”に分かれていくというふうに私は考えました。

 いかがでしょうか?

蛇足 …と言うよりも追記ですが、今回の記事内容は、すべてノドの脱力うんぬんの話に終始しています。もちろんの話ですが、息そのものはしっかりと支えて、必ずちゃんと発声しないとダメですよん。

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2018年4月24日 (火)

歌は中低音が命

 私はテノールという事もあって、歌においては高音にこだわりがあります。高音命です。高音さえ出せれば、それでいいとすら、時折、思うこともあります。

 これは極端な例ですが、まあ、歌を志す者、趣味とする者は、多かれ少なかれ、高音にこだわりがあると思います。なにしろ、歌の難しさの要素の一つに“音程の高さ”ってのがあるくらいですからね。

 ですから常に“高音が出ない”という悩みがつきまといます。しかしY先生に言わせると、私の場合、高音が出る出ない以前に多くの問題を抱えているわけです。

 つまり、私自身は“高音が出ない”という事を悩みとして自覚しているわけですが、先生から見れば“高音はもちろん、高音以外もちゃんと出てない”って事になるわけです。高音に悩む前に、高音以外の音をしっかり歌って欲しいってわけです。何しろ、歌の9割9分は高音以外の音で成り立っているわけですからね。

 じゃあ、高音が出ている人は中低音もしっかり出ているのか…と言うと、プロはともかく、趣味の素人レベルだと、高音しか出せていない人って、実はたくさんいるんですね。むしろ、高音が得意だからこそ、高音ばかり練習をし、人前で歌えば「高い声が出るんですね~」と感心されてしまい、中低音がおろそかになっているなっているというパターンの人、実に多くいます。

 そもそも、素人でプロ並に歌える人って、ごく少数ですからね。なぜなら、プロ並みに歌える人は、そもそもプロになっているわけだし(笑)。

 素人で、趣味として歌っているアマチュア歌手は、程度の差こそあれ、なんらかの問題を抱えていて当然なわけです。

 でね、男性の場合、やっぱり歌の上手な人は…バリトンに多いんです。バリトンの人って、ある意味、高音を特別扱いしていないわけで、低音も中音も高音も等しく勉強して、曲全体としての上手さを追究していくわけで、そりゃあ歌ウマにもなるよね。テノールは、どうしても高音を飛び道具(アクートなんて、ほんと、飛び道具だよね)として考えちゃうし、飛び道具が手に入ればうれしくなっちゃうし、飛び道具が使えるようになれば、それで遊んでしまうわけで、なかなか歌手としての上達は二の次三の次になりがちです。

 これって、女声の場合は、アクートをコロラトゥーラに置き換えてみると分かりやすいかも…。

 アクートもコロラトゥーラも、それらを使う曲よりも、使わない曲の方が圧倒的に数多いわけだし、アクートもコロラトゥーラも、あくまでも飛び道具であって、歌の本質とは関係ない歌唱テクニックであって、それが出来ないからと言って、歌が歌えないわけじゃないのです。いやむしろ、アクートが得意、コロラトゥーラが得意と言っているアマチュアさんは「この人、ちゃんと歌が歌えないかも…」と、歌が分かっている人たちに思われているかもしれません。

 歌のほとんどは中低音(つまり五線譜の中の音)で出来てます。高音にこだわって学ぶよりも、地味に中低音を磨く勉強をした方がよっぽと歌が上達するし、理知的な学習者と言えるでしょう。

 だけど、やっぱり、高音にこだわるんだよね、私は。テノールだもん。だからテノールって“バカ”って言われるんだよな(汗)。

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2018年4月19日 (木)

案外、合唱での歌い方も正しいものなんだな…と思いました

 今回の標題は…ほんと、失礼な書き方ですね。ごめんなさい。

 私は声楽(を含んだ音楽演奏)を人生最後の趣味としているので、どうしても声楽視点でモノを考えがちで、その視点から見ると、合唱での歌い方は、時折物足りなかったり、方向性が違っていたりするわけで、それについて時折意見を述べたりします。それが時によって人によって、反対意見を書いているように受け取られるし、実際反対意見を書いていたりする事もあるわけで、今回もそういう視点からの記事だとご理解ください。

 さて、私はテノールで、合唱でもテノールパートを歌うわけですが、私が今まで属した合唱団ではたいてい、高音(と言っても、五線の上の方のEとかFとかの話ですが…)を歌う時は、無理に叫んで出さずに、ファルセットで軽く出せという指示がよくありました。

 叫び声よりも裏声で行けよ…って事なのです。もちろん、叫ばなければ裏声でなくても良し…と言ってくれた指導者もいれば、たとえ実声で楽に出せたとしても、必ず高音はファルセットで出さないといけないという指導者もいました。

 私が尊敬していた指導者は「ファルセットは負けだから…」といい(音程を外していけないのは前提として)多少叫んだとしてもファルセットを使わない方が良いという考え方でしたが…そういう考え方の合唱指導者って、やっぱり少数派なんですよね。多くの指導者は「叫ぶよりもファルセット」「高音は必ずファルセット」なんですよ。

 当時の私は、先の指導者の言葉を盲信していた上に、ファルセットが苦手という事もあり、なるべくファルセットを使わずに歌っていたので…まあ、後は何度かブログに書いたとおりです。

 そんなわけでファルセットを毛嫌いしていた私でしたが、先日の記事で書いたとおり、テノールの高音(よく“アクート”と呼ばれる領域の声です)がファルセットの延長線上にあるならば、合唱でテノールがファルセットを多用して歌うのも、分からないでもないなあ…と思いました。

 もちろん、アクートとファルセットは、全く同じモノではありませんし、単純にファルセットを強化したからと言ってアクートにはならないのは明白ですが、アクートがファルセットの亜種であり、進化系であり、アクートの中にファルセットがあるのならば、合唱におけるテノールがファルセットを用いて歌い、その音色を合唱の中に加えるのは、案外、正しいやり方なのもしれないなあ…って思います。

 以前の私は、たとえ合唱とは言え、テノールにファルセットで歌わせるなんて…と全く納得していなかったのでした。市民合唱団等のテノールにファルセットを使っ歌わせるのだって、単純に高い音が出せない(または、不安定)だから、ファルセットに逃げているだけだろうと思っていたし、高い音をすべてファルセットで出させるのも、単純に音色の調整が目的であって、ある人は実声で楽に歌い、ある人は叫び、ある人はファルセットで歌っているなら、そこは誰でも出せるファルセットに統一した方が音色の統一感が出せるわけで、そんなやり方は、高い音を出せない人間に合わせたやり方ではないかと、ぐずぐず思っていたのです。

 今の私は違います。合唱で大切なのは、個々人の声ではなく、合唱団としての集団の声であり、響きです。テノールが個人でファルセットで歌うのはどうなのかなと思う私ですが、集団の中で、内声として和声の響きの中でテノールがファルセットの声で歌い、あの響きをハーモニーの中に加える事で、その響きに輝きが加わるなら、それはそれでアリって思っています。

 一人ひとりのファルセットはか細く弱い声であっても、大人数で発声すれば、それなりの力強さも得られるというものです。なら、ファルセット歌唱も合唱ではアリでしょうね。

 どちらにしても、叫び声はノンです。ファルセットはウィです。

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2018年4月18日 (水)

アンサンブルとソロ、合唱と声楽で違う点

 先日、あるプロ奏者の方と話した時に教えてもらった事です。

 オーケストラの中で演奏する時とソリストとして演奏する時では、演奏上、わざと変えている点はありませんか?という質問をしたところ、次のような答えをいただきました。

 まず1点目は、楽器を変えるのだそうです。オーケストラの中で演奏する時と、ソロを演奏する時は、違う楽器を使うようにしているのだそうだけれど、どう違うのかと言うと、音量の問題なんだそうです。オーケストラの中で演奏する時は、標準的な響きの楽器を使うんだそうですが、ソロの時は、バカ鳴りする楽器を使うんだそうです。一曲の中で、ソロとオーケストラをやる時は、オケの時は控えめに演奏し、ソロの時は目一杯で演奏するんだそうです。

 つまり、アンサンブルの時とソロの時では、音量の違いが大切だって事のようです。ま、アンサンブルならば、その集団のみんなの音が合わさって大音量になるけれど、ソロは一人で、そのアンサンブルと戦うわけですからね。音量、大切です。でないと、後ろの音にかき消されてしまうわけですし…。

 次にあげられたのは、ピッチです。ソロで演奏する時は、バックで演奏しているオケよりも、ほんの少しだけ、気持ちだけピッチを高くして演奏するんだそうです。そうする事で、オケの中でもソロの音が埋もれずに聞こえるんだそうです。へえー、です。

 あとは…衣装。まあ、男性はあまり関係ないだろうけれど、女性の場合は、オケの中で演奏する時と、ソロで演奏する時は、衣装が全然違うので、そこは(当たり前だけれど)注意するそうです。オケの時は、黒のロングドレスでシックな感じですが、ソロの時はカラーのハデハデなドレスですし、装飾品で身を飾る事も必要だし…。

 ここから分かる事は、ソリストにとって必要な事は“大きな音”で“ピッチは若干上げて”で“衣装はハデハデ”って事です。とにかく、音楽的にもビジュアル的にも目立つことが大切ってわけです。

 これは器楽の人に尋ねたので、楽器の世界の話ですが、歌の世界にも通じるなあと思いました。つまり、合唱とクラシック声楽の違いね。

 合唱人よりも、声楽人の方が、大きな声が必要…なのは当然ですね。

 ピッチを高めに歌う事は…さすがにダメでしょう。合唱であれ声楽であれ、ピッチは正確が旨だと思いますが、声の中に含まれる倍音、つまり音色に関して言えば、声楽人は声の響きを豊かにし、高音成分を多く含んだ声で歌うのが良いわけだし、合唱で高音成分を多く含んだ声で歌うと…たぶん周囲の声に溶けづらい声になって、ダメかもね。

 衣装は…個人が目立つのが禁忌な合唱と、スポットライトを浴びて目立ってナンボな声楽とでは、やっぱり違います。

 アンサンブルとソロの違いは、器楽の世界も、歌の世界も案外、似ているものだなと思いました。

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2018年4月17日 (火)

高音の正体は…やっぱりファルセット?

 最近は忙しくて、他所様のブログをなかなか拝見できない私です。すっかり読む頻度も落ち、たまに読んでも、いわゆる“読み逃げ”をしてしまい、なかなかコメントまでは残していません。ごめんね。

 なので、最近はブログ村で気になったタイトルの記事を拾い読みする事が多い私でした。

 で、先日、気になったタイトルの記事を読んでいたら、面白い事が書かれていました。ちなみに、そのブログの著者さんは、ここのブログにもたまにコメントくださる青子さんのブログだったりします(コメントできなくて、ごめんね)。

 私が気になった部分(青子さんの先生のセリフです)だけを引用しますと

>「低い声の時、声帯は全部が震えています。」
>「高い声の時、声帯は上だけ震えています。」

 ふむ、つまり、大雑把に言えば、低い声は地声で、高い声は裏声で歌えって事ですね。

 なんだ、女声の高音って、ファルセットじゃん。

 まあ、厳密にはファルセットではなく、頭声とかミックスヴォイスなのかもしれませんが、大きなくくりで言えば、やっぱりファルセットじゃん。

 そこで、ピンと閃いた事は、男声の高音、とりわけアクートって呼ばれるモノって、ファルセットなんじゃないの?

 もちろん“アクート=ファルセット”と言い切ってしまうのは、あまりに乱暴すぎます。厳密には、我々がイメージする、裏声に類似したファルセットと、アクートとでは、その音質、音圧、音量ともに、全然違うわけで、単純な意味で“アクート=ファルセット”とは言えないのは重々承知の上で、やっぱり“アクート=ファルセット”なんじゃないかと思いついてしまったわけなんです。

 例えば“YUBAメソッド”という発声理論がありますが、あそこではウラ声(ファルセットのことね)を「息漏れの有るウラ声」、「息漏れの無いウラ声」の二種類に分けて考えています。で、そのうち「息漏れの無いウラ声」を練習して、高音発声を可能にしていくのですが、そうやって獲得していく声こそが、女声の高音であり、男声のアクートなんじゃないかって思ったわけです。

 ま、私の閃きでむりやりつなげているので、関係者の皆様、間違っていたらごめんなさい。

 つまり、ファルセットを未訓練のまま(ポピュラー歌手のように)弱々しい声で歌ってしまえば、ただのファルセットに過ぎませんが、ファルセットを訓練して、鍛える事で、ファルセットが強い声で歌えるようになり、それが女声では高音、男声ではアクートになっていくのではないかしらって思ったわけです。

 …思っただけで、自分はちっとも出来ないので、間違っているかもしれないけれど、とにかく、そう思ったんですよ。

 ならば、ノドの強い人ほど、高音発声が苦手というのも、理屈としては分かります。というのも、ノドの強い人って、往々にしてファルセットが苦手だし、声がひっくり返るのを筋力で押さえつけて、なおかつ、かなりの高音まで地声で歌っちゃうものね。で、結果、ノド声発声って言われるわけです。それじゃあ、本当の高音は歌えません。

 だから、高音ほど、ノドの脱力が必要だと叫ばれるわけです。ノドが脱力すれば、声って、簡単に裏返りますからね。問題は、裏返る前と裏返った後での音色の統一なんです。ノドが弱くて、かなり低い音で声がひっくり返ってしまうなら、音色の変化は気づきづらいですよね。ノドが強くて、かなり高い音まで声がひっくり返らないならば、音色の変化は…とても大きくて、使い物にならないわけです。

 高音をスムーズに出すには、ノドを脱力して、かなり低い音から積極的に声をひっくり返していく事で、高音部を違和感の少ないファルセットで歌うことです。で、その違和感の少ないファルセットを鍛えていく事で、アクートになっていく…だろうと思うのです。
 で、ノドを脱力する事で、ノドの力で声は出せなくなるので、声を出すエンジンを腹圧に変えていくわけだし、そのために腹式呼吸が必要になっていくわけです。

 合っているかどうかは別として、私の中では、あれこれつながって、結構スッキリしました。

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2018年3月29日 (木)

力んじゃいけない

 今回の記事は、ある意味、前回の記事の続きになるかもしれません。

 力んだ発声はいけません。力んだ声はノド声です。ノド声の正体は“怒鳴り声”です。怒鳴った声で歌ってはいけないのです。

 別に歌う時に怒鳴るつもりなんて、誰にも無いでしょう。でも、ついついノドに力を入れて歌ってしまえば、ノド声になり、怒鳴り声になってしまうわけです。

 では、なぜついついノドに力を入れて発声してしまうのでしょうか?

 大きな声を出す時に、我々はノドに力を入れて叫びます。ヨーロッパのような石造りの建物の中で暮らしていれば、大きな声を出す時は、建物の反響を利用すればいいのですから、響き豊かな声を出せば、それで大きな声になります。でも我々は石造りの建物には暮らしていません。基本的には、紙と木材で作られた家で暮らしています。また石造りに近いコンクリードづくりの建物に暮らしていても、わざわざ建物の内部に内装を施して、紙と木材の家にしてしまいます。紙と木材では、声は反響しません。そんな環境で大きな声が必要となれば…ついつい怒鳴ってしまうのでしょう。

 ノドに力が入るのは、住環境だけが問題ではありません。例えば、ハスキーヴォイスなんてのは、恒常的な力んだ発声の結果、ノドに病変が起きて起こる音声障害の一種です。ハスキーヴォイスは、別に日本人だけの問題ではなく、外国人にも多く見られる障害です。ハスキーヴォイスは黒人に多いイメージがありますが、本当に黒人に多いのか? 黒人にハスキーヴォイスが多いとして、なぜそうなるのかは私には分かりません。

 日本も黒人の事を言えません。日本の純邦楽と呼ばれるジャンルの歌は、ハスキーヴォイスとは異なっていますが、力んだ声で歌うのが特徴です。例えば、詩吟とか、義太夫とかね。あれは、あえてノドに力を入れて、声の音色を特徴的に変えることで、声の通りを良くしているわけです。ああいった声で歌うから、騒がしい中でも歌声が目立って聞こえるわけです。同様なメカニズムで発声しているのが、市場で競りをしている人たちの“あの声”ですし、昔は街の商店街の店主たちが(喧騒の中で商売をしているため)あんな感じの声で商売をしていました。

 人間という種族は、本来、力んだ声を好む種族なのかもしれません。

 なので…もしかしたら、我々が力んで歌ってしまうのは、人間であるが故の事なのかもしれません。

 人間以外の動物たちって、あまり力まないそうです。一番良い例が…排便です(ごめんね)。人間はだいたいにおいて、力んで排便します。生まれたばかりの赤ん坊ですから、力んで排便しているじゃないですか? でも、人間以外の動物の多くは、力まずに、その場でポタポタと排便するわけです。たぶん、人間以外で力んで排便するのは、ペット化されたイヌとネコぐらいじゃないの? イヌネコはトイレの場所をしつけられて、そこで力んで排便します。人間に飼われていても、家畜たち(ウシウマブタ)はそこらで自由に排便しますので、決して力みません。野生動物たちなんて…ほんと、自由だよね。

 閑話休題。とにかく力んじゃいけません。特に歌う時は力んではいけません。力んだ声はノド声です。怒鳴り声です。歌を怒鳴り声で歌っては…興ざめですよね。

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2018年3月21日 (水)

なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?

 今回の記事は医学的な内容を含みますが、私は医学に関しては(当然ですが)素人さんなので、間違った記述があったら、優しくご指摘くださいね、よろしく。

 さて、標題の『なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?』ですが、結論を言っちゃうと、やっぱり“加齢(老化)のせい”のようです。残念。

 なので、どんな人であっても、年齢には勝てませんから、加齢とともに徐々に高音を出しづらくなってしまうわけです。ただし、高音が出しづらくなるだけで、別に低音が出しやすくなるわけではないので、音域も狭まってくるわけです。さらに残念。

 良い例が、プラシド・ドミンゴでしょうね。若い時はテノールとしてバリバリやっていましたが、年を取るに従い高音が出づらくなり、70歳前後からバリトン役を歌い始め、今ではすっかりバリトン歌手として定着しました。バリトンになったからと言って、彼の声が若い時とすっかり変わってしまったのかと言うと、決してそうではなく、明るくヒロイックなテノールのような声で、バリトンを歌っているわけです。ドミンゴを見ていると、老化をしても声色は特に変化なく、低音域が得意になるわけでもなく、ただただ高音が苦手になってくるようです。

 ちなみにドミンゴは、オペラではすっかりバリトン歌手ですが、コンサートなどでは、テノールの歌もまだ歌うし、その時は往年の歌声はまだまだ健在だったりします。

 さて、閑話休題。声は老化すると書きました。しかし、何度もこのブログで書いていますが、人間の筋肉って奴は、決して老化しないんです。いくつになっても鍛え上げて最高のパフォーマンスを発揮できるんです。ですから、声の老化は筋肉のせいではありません。

 ではどこが老化すると、声が老化するのか…ですが、一番影響が大きいのは…軟骨なんだそうです。

 声帯周りって軟骨で出来ています。具体的には、輪状軟骨、甲状軟骨、披裂軟骨、咽頭蓋軟骨の4つの軟膏があって、それらに取り囲まれるように声帯が存在するわけです。で、これらの軟骨を筋肉(内喉頭筋とか外喉頭筋とか)が動かすことで、声帯の張りに強弱が付き、それで音程が作られるわけですが、とりわけ高音を発する際には、軟骨が大きく動いて、声帯が思いっきり引っ張られて高音を発声するのだそうですが、加齢で軟骨の柔軟さが失われると、軟骨が声帯を思いっきり引っ張る事が出来なくなる…んだそうです。それで高音が出しづらくなるんだそうです。

 声帯周りの筋肉を鍛えると、軟骨を動かす筋肉が思いっきり軟骨を動かすわけです。若くて柔らかい軟骨ならば、筋肉が引っ張る方向により大きくしなって声帯を張っていく事ができますが、軟骨が硬くなると、いくら筋肉で引っ張っても、軟骨はびくともしなくなり、声帯もある程度までしか張ることが出来なくなってしまうのだそうです。それで若い時には出せた高音が出しづらくなってくるわけです。

 ちなみに、軟骨の老化は、四十代後半から始まるそうです。このあたりから軟骨の硬化が始まり、高音が出しづらくなるんだそうです。

 また、同じ頃から、カラダが乾燥していくようになります。これも痛手です。

 若い人はカラダが水々しいのですが、老人はカラダが乾燥しています。厳密に言うと、老人は若者よりも、水分や油分が不足しがちで、それで結果的にカラダが乾燥していくわけです。

 声帯は筋肉なんだけれど、その筋肉を粘膜が覆っています。カラダが乾燥してくると、粘膜部分に潤いが失われ、粘膜が硬くなり、声帯自体も実は動きづらくなってきます。これも間接的に高音が出しづらくなる原因となります。

 で、そんなこんなで、人は50歳を越える頃から高音が出づらくなるって寸法なのです。すでに50歳を過ぎてしまった人間にとっては、なんか残念な結果だね。

 でも私は諦めないよ。確かに加齢ってやつからは逃げられないし、老化も受け入れなければいけないです。軟骨が硬くなり、粘膜が乾いて硬くなるのも受け入れよう。しかし、筋肉はまだまだ鍛えられるわけです。

 軟骨を動かすのは筋肉だし、声帯自体も筋肉です。これらが筋肉であるなら、軟骨や粘膜のハンデを筋肉で補っていくしかないじゃないですか!

 まあ、確かに若い人には敵わないし、もっと若い時から歌っていれば良かったという後悔はないわけではないけれど、今の自分にとって、今できる範囲で頑張っていくしかないじゃないの? 山登りで例えれば、もう山頂に登る手立ては失ってしまったのかもしれないけれど、9合目や8合目まで行けるなら、そこを目指せばいいし、そこもダメなら7合目でも6合目でも、それよりももっとふもと近くでもいいじゃない。その時の自分のベストが尽くせれば、それでいいじゃない。

 なんて、私は考えます。それに人間ってヤツは、意思が強ければ、大抵のことは成し遂げられるので「年を取ったので高音は無理だー」と諦めるよりも「年を取って高音が出しづらくなった分、余計に頑張んなきゃいけないな」と思いたいんですよ。

 それに、年を取ると性ホルモンが減ってくるので、男性は声が高く、女性は声が低くなるという説もあります。私は男性なので、軟骨が固くなった分、男性ホルモンが減って、声が高くなって、プラスマイナス・ゼロ…じゃね? なんてお気楽に考えていたりもします。

 まあ、どちらにせよ、諦めたら、そこで終わりだからね。私はまだまだ諦めないよ。

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