ひとこと

  •  もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

カテゴリー「合唱」の記事

合唱関係のエッセイです

2017年10月 3日 (火)

なんで大きな声で歌えないの?

 私は歌が好きです。聞くのも好きですが、歌うのはもっと好きです。独唱も好きだし、重唱や合唱も大好きです。しかし、合唱団に行くと、声が大きすぎると言われて、陰湿なイジメに合うことが多いです。

 合唱団のイジメが、いかに陰湿なのかという話題は、またそのうち書くことにして、今回は、なぜ合唱団の人たちって、あんなに声が小さいのかという事について考えてみたいと思います。

 ちなみに私、合唱団に行くと、声がデカイ声がデカイと言われますが、実はそんなに大きな声の持ち主ってわけでもないんだなあと、最近はつくづく思います。

 較べること自体が失礼な話なんですが、プロの皆さんと較べると、私の声量なんて、お話にならない程度で、決して大声ってわけじゃありません。プロでなくても、今のY門下やF門下のお姉さまお兄さま方と較べても、私の声は大きい方には入りません。私よりもお姉さまお兄さまの方が、よっぽど大声です。もっとも、キング門下時代は、門下の中でも大声の方に入りましたから、私の声は大声とは言い切れなくても、小さな声では無いって事は確かです。

 それにしても、押しなべて、合唱をやっている方って、声が小さいです。特に大きな団体の方ほど、一人一人の声は小さい傾向があります。なぜでしょ?

 おそらく一番の原因はメンタルかな?って思います。つまり、その気になれば、もっと声が出ないわけでもないのだろうけれど、なんとなく、大きな声を出さないってヤツです。

 たぶん恥ずかしいんでしょうね。合唱をやっている人って、シャイな人、多いですから。歌うのは好きなんだけれど、自分の歌声を聞かれるのはイヤってタイプです。だったら風呂場で一人で歌ってろ!とか悪態ついちゃますが、それじゃあ物足りないし寂しいのでしょう。だってお風呂場には友達がいませんから(笑)。要は歌いたいし、おしゃべりしたいし、楽しい時間を過ごしたいから合唱団に入ったけれど、歌を聞かれるのはイヤだし、目立つのなんて恥ずかしくてたまらないから、練習の時は小さな声で歌います…って事なのでしょう。

 ですから、練習の時に、指導者がパート別とか、列ごととか、ある程度人数を絞って歌わせる(誰の何がダメなのかをはっきりさせるためですね)と、ますます声が小さくなっていっちゃうんですね。だって、歌う人数が減れば、自分の声がみんなに聞かれてしまい、余計恥ずかしくなってしまうじゃないですか。

 そんなこんなで、いつもいつも小さな声でばかり歌っていると、自然と歌声が小さくなっちゃいますね。そのうち、出そうと思っても、大きな声が出なくなってしまうわけです。一種の廃用性症候群ですね。これが合唱をやっている人が大きな声が出せない理由の1番目です。

 2番目の原因は、その一種の廃用性症候群(?)周りの話になります。まあ、廃用性症候群は大げさな話だけれど、人間のカラダって、使わないと、ドンドン劣化していき、やがては気持ちがあっても動かなくなるんです。

 筋肉がその代表例です。筋肉って使わないと、ドンドン細くなっていきます。筋力というのは、筋肉の断面積と比例関係にありますから、筋肉が細くなると筋力が弱まっていきます。すると、カラダのあっちこっちが動かなくなるし、動いてもゆっくりな動作しか出来なくなります。

 声って、基本的に、筋力で出力します。筋力が弱まると、音量も小さくなり、音域も狭くなり、声もふるえるようになります。ちりめんビブラートで歌っている人なんて、かなり筋力が衰えているのです。

 3番目の原因は、体格の問題があります。歌声とは人体を楽器にして出すわけですが、楽器、とりわけアコーテスィックな楽器と言うのは、一般論として、共鳴箱や共鳴腔が大きいほど音量が大きくなります。それは人間も同じ事で、体格が大きいほど大きな声が出せます。逆に言うと、小さなカラダでは出せる音量にも限度があるって話です。

 もちろん、大きなカラダとは、骨格の組み方が大柄なカラダの事を言います。体重は音量とは直接関係ありません。身長が高い事、胸板が厚い事、お尻がパンと張って大きい事。頭が大きい事。これらの要件を備えている事が、大きな声で歌える要因になるわけで、逆にこれらの要件を満たさない人(背が低い。カラダが薄っぺらい。小尻&小顔)は、大きな声で歌うのは厳しいと言えるでしょう。

 ちなみに歌手にとって体重は、ある程度は必要なんだそうです。ある程度の体脂肪は声の音色を柔らかくするそうですし、体重があれば音波の発信源として効率が良くなり、よりエネルギーを音波に変換するのに無駄が減り、大きな声で歌うことできます。しかし、太り過ぎて、内臓脂肪が多くなりすぎると、体内に脂肪がたまって共鳴腔が狭くなり、むしろ音量は小さめになりますので、太りすぎは歌手にとってプラスにはなりません。

4番目の原因は…テクニック不足? テクニックが不足しているために、バランスの良い発声ができずに、息を声に変換するのがうまく行っていない…ってのは、当然あります。良い発声って、声の大半が外に出てしまうため、声が自分の中に残らないわけで、それで独唱者などは、自分の声を外部からの反響音として聞くわけです。だから、ある程度、反響のある会場だと歌いやすいし、反響がないデッドな会場では歌いづらいわけです。

 で、合唱の場合、自分の歌声は周囲の人たちとの声に混ざり、反響音があろうがなかろうが、自分の声だけを聞くという事はできません。そこは「自分は正しい音程で歌っているハズ」というのを、自分の体内各所の筋肉の緊張で把握していくわけだけれど、実際これはかなり難しいわけで、どうしても自分の音を自分の耳で確認したくなるわけです。

 そうなると、自然の発声はこわれます。本来は、声の大半を外に出さなきゃいけないのに、ある程度の声を外に出さずに、体内に残して、自分の声を骨伝導で聞くようにしちゃうわけです。これは本当はダメなんですよね。これをやっちゃうと、音量が減るだけでなく、音程も音質も怪しくなります。と言うのも、骨伝導で聞く音って、空気の振動で聞こえる音(外に出た音はこれだし、周囲の人たちが聞くのもこれだし、録音される声もこれです)とは違うからね。そんな事をやっていると、いつまでたっても、歌は音痴のままだし、声量だって増えません。ま、どれだけ素っ頓狂な声で歌っていても、音量が小さくて周囲によく聞こえなければ、合唱的には問題ないので、会費とか団費さえ支払ってくれれば、邪魔にはされないんですが…ねえ。

 とまあ、大きな声が出ない原因を4つばかりあげましたが、やはり一番大きな原因は、最初にあげたメンタルの問題でしょう。

 「恥ずかしくて大きな声が出せない」 これに尽きます。

 合唱はバランスが大切です。確かに、合唱団の中で大きな声で歌う人間がいたら、バランスが悪くなります。でもね、音楽なんて、お客さんに聞こえてナンボでしょ? だったら、大きな声で歌う人間を押さえつけて、小さな声でバランスを取るよりも、みんなで大きな声を出して、団全体の声のボリュームを増やした方がいいんじゃないの?

 最大音量(ff)が増えれば、最小音量(PP)の差も大きくなって、音楽の表現力がマシマシになるわけですから、声のボリュームって、大きければ大きいほどいいんじゃないですか?

 もしも本当に音楽や歌や合唱が好きなら、恥ずかしさなんて乗り越えて、ガンガン歌って、バンバン声を出してゆきましょう。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年6月20日 (火)

声楽人が合唱団に入って失う5つのモノ

 昨日は「声楽人が合唱団に入って得る5つのモノ」を書きましたが、声楽人が合唱団に入って合唱を始める事で失うものだって幾つかあります。今回は、そんな“失うモノ”について書いてみたいと思います。

 1)自由に歌うこと

 声楽は自分の個性を前面に押し出して、自分を表現していきます。一方、合唱では大勢いる歌手たちがそれぞれに自分を押し出して行ったら…当然、音楽はバラバラになってしまいます。声楽では音楽は歌手のモノですが、合唱では必ずしも音楽は歌手のモノではありません。では誰のモノかと言えば…それは指揮者のモノです。合唱では指揮者が絶対的な存在なのです。

 ですから、合唱を歌うと言う事は、指揮者に従い、指揮者の楽器となって歌う事を意味します。あくまでも指揮者の意図を表現するために歌います。決して自分の個性を生かした歌い方ではダメです。そういう点では、合唱では歌手に音楽的な自由はないのです。そこを我慢できるか…と言うよりも、そこに喜びを見いだせるかどうかが問題となります。個性の強い人、自己表現をしたい人には合唱は向いていないのかもしれません。

2)自由な時間

 (いわゆるアマチュアの)合唱団の練習は、押しなべて長時間に渡ります。声楽人は、声が減る事を恐れて、長時間の練習はしないのモノですが、合唱は違います。合唱では、一回の練習時間が2時間ってのはザラで、これが3時間とか4時間とかいう団も決して少なくないです。また、回数も頻繁にあって、週に1回の練習という団が多いとは言え、週2回という団も少なからずあります。つまり、合唱団に入団すると、趣味生活の時間の大半を合唱に費やさざるをえなくなる事もありうるわけです。

 それに加えて、自宅での練習ってのもあるわけで、ほんと合唱を始めると、合唱に時間がみるみると吸い取られていくわけで、その他の事をする自由な時間って奴が無くなってしまいます。

 だからと言って、合唱はチームですから、自分だけサボったり怠けたりってわけには行かないのが辛いですね。声楽ならば、所詮は自分ごとですから、そこは自分のペースで練習できるのと較べると、ほんと雲泥の差です。

3)自由な選曲

 当然の話ですが、本番等での選曲は、指揮者と団の代表者さんたちの話し合いで決まることがほとんどです。一般団員の意見を聞いて選曲される事って…普通はありません。その合唱団に所属している限りは、次の本番で歌う曲が、たとえ自分の趣味に合わない曲であっても、選曲されれば、それを歌うしかないのです。

 気に入らない曲を歌うほどの忍耐力があなたにはありますでしょうか?って話です。

4)スポットライト

 実はここが一番切実な問題だったりします(笑)。

 声楽は歌手が主役です。しかし合唱は指揮者が主役であって、歌手たちは合唱という楽器の一部で合唱は指揮者の楽器でしかなく、合唱団員はその楽器の一部でしかありません。たとえ演奏が大成功であっても、スポットライトを浴びて賞賛を受けるのは指揮者であって、合唱団ではないわけだし、ましてや合唱団員の一人ひとりにスポットライトが当たることは、決して無いのです。

 「注目なんて浴びなくてもいいのよ」という人ならば全然問題ないだろうが、「それではイヤ」という人が…声楽人には少なからずいるような気がします。自分が歌ったのだから、きちんと注目を浴びたいし、ちやほやされたい…そう思う人もいるでしょう。実は私はそのタイプの人です。別にちやほやされたいとまでは思わないけれど、努力に見合う正当な評価と賞賛は欲しいと思ってます。そこをスルーされるのは、なんか納得いかない人です。でも、そういう人って、私以外にもいるでしょ?

5)人を信じる心

 声楽人が合唱団に入った場合、嫌な思いをする人は大勢います。ちょっとした嫌がらせから始まり、イジメにまで発展する事すらあります。人間不信になる人もいるし、合唱嫌い、音楽嫌いになる人もいます。

 原則的に、合唱人は声楽人が気になります。それが好意という形で興味を持ってくれる人がいるなら、その場合はそれはそれで良いのですが、排除という形で攻撃してくる人も大勢います。これが問題です。

 集団原理として、異物を排除するというのは、ごく自然の行いなのかもしれませんが、その結果として、声楽人が合唱を始めると、嫌がらせを受けて、イジメられて、やがて人を信じる心が失われていきます。悲しい事ですが、現実です。

 でもきっと、声楽人を快く受け入れてくれる合唱団も、きっとこの世には一つや二つあるはずだと私は信じています。ただ、そんな団体と出会った事はありません。だからでしょうね。合唱から声楽に転向してくる人はわんさかといますが、その逆はあまりいません。

 なんとも残念な話です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月19日 (月)

声楽人が合唱団に入って得る5つのモノ

 以前、「合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点」「合唱人が声楽を学んで失う6つの事」という二つの記事を書きましたが、今回はその反転版、もともと声楽だけを学んでいた人が合唱団に入ったらどうだろうか…という事を考えて記事にしてみました。

 実際の話、多くのアマチュア歌手さんは、最初は合唱団に入り、色々とあって声楽に転向、あるいは合唱をしつつ並行して声楽を学ぶ…という二つの道をたどるケースが圧倒的に多く、その逆である“声楽から合唱へ”というのは、おそらく、レアケースであり、今回の記事は単なる思考実験の域からは出ないと思うけれど、考えてみることは楽しい事なので、頑張って記事を書いてみました。

 で、今回は声楽人(声楽をやっているアマチュアの人をこう表現してみました。合唱人という言葉は、たまに見かけますが、声楽人と言う言葉は…私見かけたことないですが、勘弁してください)が声楽を辞めて合唱団に入ると、声楽だけを学んでいた時と較べて、いくつかのモノを得ることができます。あ、声楽と言うのは、クラシック声楽のことであり、独唱とほぼ同義であると理解してください。

1)仲間

 …いわずもがな…ですね。何しろ声楽は基本的に一人で学ぶものです。私は妻と二人で連れだって習ってますが、これはレアケースであり、基本は一人で先生と対峙しながら学ぶものです。ある意味、孤独な学習…かもしれません。

 そこへ行くと、合唱は一人じゃできません。必ず、人の集団の中に入らないとできません。人の集団に入れば、おのずと仲間ができます。それも音楽という趣味を共通にした仲間です。楽しいですよ。

 普段の練習も楽しいけれど、夏とか本番直前とかに行われる合宿なんかは、めっちゃ楽しいよ。

2)アンサンブル経験

 声楽は独唱のみならず、二重唱なども歌うわけで、全くアンサンブルが無い…とは言えないけれど、やはり合唱とは違って、アンサンブル経験は圧倒的に少ないわけです。だって基本的に独唱だからね。それに、二重唱などのアンサンブルと、合唱はまた別モノだしね。良い経験になると思いますし、面白いと思います。

3)オーケストラとの共演

 すべての合唱団では得られるわけではないけれど、オーケストラとの共演を前提として活躍する合唱団がいくつかあります。そういう団体に入ると、オーケストラをバックに歌うことができます。声楽でオーケストラ伴奏なんて、アマチュアじゃまず無いですからね。オーケストラの伴奏で歌えるだけでも、良い経験だと思います。

4)コストパフォーマンス

 合唱は声楽と較べて、圧倒的に安価です。声楽一回分のレッスン代で、合唱団なら何ヶ月もの団費がまかなえます。本番の衣装だって、ゼロが一つ二つ違いますし、本番出演費だって違います。趣味として継続していくための必要経費が、合唱は本当に少なくて済みます。コストパフォーマンスが良いのです。コストパフォーマンスが良いなら、その分の費用を別のことに回せますし、趣味に費やす金銭が減るので、生活が多少なりとも豊かになります。

5)喜びや達成感を共有できる

 「悲しみは分け合うと半分に、喜びは分け合うと二倍に増える」という言葉がありますが、これは真実だと思います。同じ目標を掲げて頑張ってきた仲間との喜びや達成感は、声楽ではなかなか得られない事だと思います。

 …と書いていくと、合唱をやっていくと、良いことばかりのような気がしますし、実際、良いことばかりを経験する方も大勢います。合唱をやる事で、声楽では得られない楽しみや喜びが得られることは事実ですから、合唱をやった事のない声楽人の方は(っていないだろうけれど)一度合唱を経験してみるのも良いと思いますよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月15日 (木)

私が合唱を歌うのが苦手な件について

 私は合唱を歌うのは、決して嫌いではありませんが、得意とは言えません。いや、どっちかと言えば苦手の部類に属するかもしれません。

 合唱を歌うのが苦手な事については、色々と理由があります。

 1)声が周囲の声や伴奏と溶けずに、音質的に飛び出してしまう
 2)声が大きすぎて、ホールに朗々と響いてしまう
 3)他のパートにつられやすい

 1)と2)は独唱を中心に声楽を学んでいるので、ある程度は仕方のない事です。そうであっても、自分の声を抑えて歌えば問題はないはずなのですが、私は自分の声を抑えて歌うのが苦手です。いや、最初こそは小さめの声で歌うように心がけていても、やがて乗ってくれば、大声を出さないまでも、自分にとってのmf程度の音量で歌ってしまいます(だってその方が楽だし自然だし…)が、この自分にとってのmfは、他の人にとってはfffか、それ以上の音量らしく、それじゃあ合唱をぶち壊しかねないのです。

 それに音量を抑えたとしても、私の声って、よく通るし、ホールだと響き渡っちゃうんだよね。だから、音量を度外視しても、音質的な問題もあって、合唱の中で声が浮き上がっちゃうわけです。

 ほんと、困ったものです。

 ならば、音量も抑え、音質も地味にして歌えばいいじゃん…って話ですが、それがまたなかなか継続できないのです。

 さらに自分の声ばかりが響いてしまうので、合唱団的には参っちゃうし、観客的にもダメダメなんですが、自分的にも、他の人の声が自分の声で聞こえなくなっちゃうんですよ。だから、違った事をしていても、なかなか気づかなかったりします。

 全く、合唱には不向きな声なのです。

 そこで、3)なのですが…、もちろん、きちんと練習やらリハーサルやらの時間が十二分にあって、歌うべきパートの音がしっかり取れていれば、他のパートにつられる事は(あまり:汗)ありません。練習不足であったり、音取りがきちんとされていない段階で合唱を歌ってしまうと、たいてい他のパートにつられてしまいます。それはそれは、面白いくらいに釣られまくります(涙)。

 たいていは、無意識にメロディーを歌っているんです(汗)。そばで正しい音で歌っている人がいても、ダメです。私自身がしっかりと音を取っていないかぎり、どうやってもメロディー、または一番高声であるソプラノ(の1オクターブ下)を歌ってしまうのです。

 私、ハモリパートを歌うのが、超絶苦手なんです。体質的にハモリは無理なんです。常にメロディーを歌いたがる…そんな悲しい体質なんです。だからたっぷりリハーサルをして、そのハモリのメロディが自分の中でメロディーに感じられるくらいに歌い込まないと、なかなかうまく自分のパートが歌えないのですね。ああ、残念。

 実は、この1)2)と3)の問題の根が一緒であるのではないかと、最近気づいたのです。

 つまり、私の声が合唱から飛び出しやすい事と、私が他のパートにつられやすい事には、深い関係があった事に気づいたのでした。

 どうやら私は、歌う時に、自分の声を(伴奏と合わせて)聞いて、音程やリズムを常時調整しているようなのです。つまり、常に周囲の状況に自分を合わせながら、フィードバックをして歌っているわけです。だから、自分の声が聞こえない状況では、まるっきり歌えなくなってしまうのです。そこで無意識に自分の声が自分に聞こえるように歌ってしまい、結果として私の歌声が合唱から飛び出したり、ホールに響き渡たらせたりしてしまいます。

 でも実際の合唱では、そんな事をすれば、自分の声が大きくなりすぎて、うまくフィードバックができない上に、微かに聞こえるメロディーに無意識で乗っかってしまって、もうワヤクチャな歌になってしまうのです。

 合唱人からすれば、考えられないくらいの、ヘボ歌手なんですね、私。

 解決策は…合唱に参加しない事…かな?

 あとは、私並の声量の歌手たちが揃っている、オペラ系の合唱に限って参加するとか? 周りみんなが私並の声量なら、1)~3)の問題も表面化せずに済むけれど…私、合唱を歌うなら、オペラ系じゃなくて、宗教系のミサ曲とかカンタータとかを歌いたい人なんです。オペラを歌うなら、合唱ではなく、ソリストをやりたいんです。合唱を歌うなら、合唱が主役となる宗教曲が歌いたいのです。

 モーツァルトの『レクイエム』とか、バッバの『マタイ受難曲』とか歌ってみたいじゃないですか?

 とにかく今はまだ、私の歌の技量が少なすぎて、合唱に対応できないのが現実です。ああ、早く歌が上達して、独唱も合唱も両方できる歌手になりたいものです。そうなると、趣味の幅もグンと広がるんだけどなあ…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月 1日 (木)

メサイアが無くなった!

 先日、連絡があったのですが、ウチの近所(と言っても、ちょっと離れた他市)で行なわれている、某メサイアの会が解散?してしまったようなのです。

 そこは毎年、趣味でメサイアを歌う人たちを集めて、会場を借りて、伴奏ピアノや独唱歌手を用意して、合唱の部分をいわゆるシンガロングの形式にして、みんなでメサイアを歌うという主旨の会でした。私も過去に一度だけ参加した事があります。なかなか楽しい会でした。

 メサイアと言うのは、合唱曲と思われがちですが、実はオラトリオなんですね。つまり、オペラの親戚のような音楽ジャンルですから、演奏時間が長いんです。メサイアの場合、慣習的なカットをしても2時間オーバー、カットしなけりゃ3時間を越える大作です。なにしろ、途中に休憩を1~2回入れるのが普通なくらいの規模の曲なのです。それほどの大作ですから、なかなか市民合唱団あたりでは取り上げるのが難しく、でも曲自体は有名ですから、多くの人が歌いたいわけで、そんなわけで、色々な形で、練習少なめですぐに本番で、メサイアだけを歌う“メサイアを歌おう”的な会が日本の各地にあるわけです。

 で、そんなわけでウチの近所にも“メサイアを歌おう”の会があったわけですが、それがこの度解散してしまったのです。

 解散してしまった理由は…私は知りません。がしかし、私が勝手に邪推するならば、おそらく原因は2つぐらい有りそうだなって思いました。

 一つは金銭的な問題。以前から、会の会計が赤字続きだと聞いていました。諸経費が増えていくのに、参加人数が減っていった…んではないかなって思います。つまり、金銭的なバランスシートが崩れてきたんじゃないかしら?

 長年やっていて諸経費が増えるのは、世の常だから仕方ないです。参加人数が減ってきったのは、新人の新規参入に較べて、今まで参加してきた人たちの参加取りやめの方が多くなってきたから…でしょうね。今まで熱心に参加していた人たちは、諸般の事情で参加できなくなってきたって事だろうと思います。はっきり言っちゃえば、今までお元気だった人がお元気でなくなったり、天に召されたりして、参加人数が減ってしまったんだろうと思います。

 収入が減った分は…広告などで補ったり、スポンサーを探して資金援助をしてもらうという手はありますが…でもそれって、運営陣にとっては、かなりエネルギーの必要な事で、運営を行っている人たち(は、どこでもご老人たちが中心)では担っていけないという現実的な側面もあると思います。

 金銭問題はバカにできないよね。これは結構深刻な問題です。

 さらに1つの問題が考えられます。それは、今まで会を支えていた人たちの高齢化…でしょうね。皆さん、若い時からこの会を支えてきたわけですが、そんな昔若かった人も、やがて年を取り、皆さん老人になってしまったわけです。老人になり、体力も気力も衰え、昔は何の苦労もなかった事がしんどくなり、その上、仲間たちも一人減り二人減り…ってなってしまったんだろうと思います。

 うまく若い世代に引き継げればよかったのでしょうか、世の中、そうは簡単に世代交代ができるわけでもなく、力尽きてしまった…と私は見ています。

 以上、私の勝手な邪推です。全然的はずれかもしれないけれど、案外良いところを突いているんじゃないかと思ってます。

 と言うのも、合唱団体の高齢化ってのは、日本中で同時多発的に起こっている問題であり、今や単に“高齢化”が問題なのではなく、高齢化と世代交代失敗のために、色々な団体が活動停止に追い込まれているのも問題になっているわけです。

 メサイアの会が無くなってしまうのは、とても残念だけれど、他所の市町村の市民団体の話なので、私にどうこうできる問題ではありません。むしろ今、私が心配しているのは、ウチの地元で活動していて、私もたまに参加している、第九の会です。ここも高齢化が激しい上に、世代交代がうまく行ってないんですよ。参加人数自体は毎年多くて盛況だから、今後の継続は不可能ではないと思われるのだけれど、運営している人たちがそろそろバテてしまいそうなのが心配です。

 (運営人以外の人たちの会への加入)継続を前提とせず、毎年リブートしていくカタチで運営されているため、運営していく人たちの世代交代がうまくできなかった…んじゃないかな? なんて思うわけです。

 人間には寿命があるわけだから、どんな団体も世代交代がうまくいかなきゃ、いずれ行き詰まり活動停止に追い込まれていくわけです。

 私が合唱メインに活動していたら、それらの仕事を引き継ぎたいと思うけれど、現在の私にとって、合唱はあくまでも趣味の余暇であって、独唱がメインで勝負どころだから、あまり合唱関係にエネルギーを割けないわけで、あれこれ合唱団体が活動停止に追い込まれていく様子を傍で見て、心配するくらいしかできないんです。

 でも、あの第九の会が無くなったら、とっても残念だな。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年5月29日 (月)

合唱人が声楽を学んで失う6つの事

 先日「合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点」という記事を書きました。今回の記事は、いわば、その記事の続きです。合唱人が声楽を学ぶと、決して良いことばかりが待っているわけではありません。声楽を学ぶ事で失う事も、実は多々あったりします。

1)訓練されていない素人っぽい声

 声楽を個人的に学んで、しっかり良い発声を身につければ…当然、訓練されていない素人っぽい声で歌うことは出来なくなります。これは良いことでもありますが、実は残念な事でもあるのです。

 と言うのも、市民合唱団という音楽団体は、アマチュアの方々によって結成されているもので、その団員の多くは当然素人なわけで、その歌声も当然素人の声であり、未訓練の声をベースにして成り立っています。

 未訓練の素人の歌声で合唱を組み立てていくのが市民合唱団であり、そこにきちんとした発声を学んだ深い音色で豊かな音量の声が混ざっていたら、声の均質性が破られるわけです。

 日本のアマチュア合唱というのは、私が思うに、均質性を求めるものです。理想は『まるで一人の歌手が歌っているみたいに自然に響く歌声』なんだろうと思います。そこは合唱に“群衆の歌”を求める、ヨーロッパやアメリカの合唱とはかなり違うと思ってます。
 未訓練の声の集団の中に、訓練済みの声が混ざると…ちょっと居場所が無くなってしまうかもしれません。

2)高音で歌う快感

 一般的に合唱曲は、オーケストラ付き合唱曲でもない限り、どのパートであって、使用される音域、とりわけ高音は制限されているものです。とりわけ、邦人作曲家による作品は、市民合唱団の方々が歌いやすいように、彼らの音域に合わせて作曲されている事が多いです。

 つまり、どのパートも…最高音が低いです(汗)。

 発声をきちんと学ぶと、誰であれ、学ぶ前と較べて音域が広がります。以前は苦労していた高音も割りと楽に発声できるようになり、高い音を歌うのが楽しくなります。でも合唱団で歌う曲は、どれもこれも最高音が低かったりしますので、高い音を歌うチャンスがなくなり、次第にフラストレーションが…たまるかもしれませんよ。特に高音歌手(ソプラノとかテノールとか)にとっては、耐え難いことになるかもしれません。

3)低い音域でのファルセット(男声のみ)

 多くの市民合唱団では、高音はファルセット(弱々しい裏声)で発声することにしている団は少なからずあります。とりわけ、男声パートの高音は、基本的にファルセットで…という団はかなりありますね。で、ファルセットに切り替える音は…団によって違うようですが、だいたい、五線内の高いミか、その上のファぐらいからファルセットで…という所が多いと思います。

 つまり、バスの人たちはファルセットを使わなくてもよいけれど、テノールの人たちは、高い音はファルセットで歌ってくださいね…って事です。合唱では声の均質性が求められているわけだし、発声を学んでいない人が、高音を怒鳴り声などで乱暴に歌うようでは団として困るので、そういう取り決めにしている理由も分かりますが…ミとかファなんて、ちゃんと発声を学んだテノールにとっては、実は結構楽な音域なんですよ。

 テノールの声が一番高らかに響き渡るのは、実は五線の上のソなんですよ。

 だから、ちゃんと発声を学んでしまうと、ミやファなどの低い音域をファルセットで歌うのが、逆に困難になります。まあ、ファルセット唱法も立派な声楽テクニックですから、出来ないのはまずいのですが、それにしても、ソよりも下の音域での歌唱がファルセットって、独唱の方には、まず有り得ない事なので、そういう低い音域をファルセットで歌うのは、結構大変です。

 それにようやく胸声で普通に発声できるようになった高音をファルセットで歌いなさいと言われるのは、精神的に辛いし…ね。

4)ソプラノのポジション(女声のみ)

 なまじ声楽を学んで、歌唱能力がアップしてしまうと、本当は声が細くて高くてソプラノの声なのに「あなたは歌が上手だから」と言われて、指導者や幹部団員の方に、アルトを担当するように言われるかもしれません。なにしろ、ソプラノには「あたし、メロディーしか歌えないから」という人とか「ソプラノ以外は絶対にイヤ」とか言う人たちがゴロゴロしているせいでしょうか? 常にアルトって、手不足の人材不足だったりするわけです。なにしろアルトって、メロディじゃない箇所を歌うわけだから、楽譜がきちんと読めたり、確実に音が取れる人じゃないと歌えないわけです。

 そこにちゃんと楽譜が読めて、楽譜どおりに歌える人が現れたら、そりゃあソプラノに置いておくのはもったいないって話で、たとえ声がどうであれ、アルトへ直行だったりするわけです。

5)バスのポジション(男声のみ)

 今度は男性の話です。

 合唱でバスを歌っている人が声楽を学ぶと、バリトンとして勉強を始めると思います(日本人で純正バス歌手は、まずいません)。やがてはバリトンとして上達して、声が成熟してくると思います。低音までよく出て、太くて男性的な声で歌えるようになると同時に、以前よりも高音が楽に美しく出せるようになってくると思います。そうなると「君は高い音が出るから」と言われて合唱ではバスではなく、テノールを担当するように言われるかもしれません。と言うのも、合唱テノールの音域って、独唱バリトンとほぼ同じなんですね。そうでなくても、どこの団でもテノールは少数派で、団の弱点であるわけだから、そこを補強できる人材がいるなら、何でもしたいというのが本音でしょう。

 しかし、音色を考えると、バリトンの人をテノールに置くのも乱暴な話ですが、ソプラノの人がアルトに回されちゃうのと、同じ理屈なんですね。市民合唱団では、声の質よりも、音域や読譜力や人間関係が優先されるんです。

6)友人や居場所

 で、その人間関係の話です。

 一部の合唱団員は独唱を学んだ人を毛嫌いします。見下したり、イジメたりする人も少なからずいます。アマチュア歌手はもちろん、下手するとプロ歌手ですら、憎む人がいます。どうして、そういう心の動かし方をするのか、私には分かりませんが、確実にどの合唱団にも、少なからぬ人数の方々が、アンチ独唱なのです。

 今まであなたと仲良くやっていた友人であっても、あなたが声楽を学んでいると知ると、手のひらを返す恐れはあります。そうでなくても、よそよそしくなったり、あなたを外して楽しげに振る舞うようになるかもしれません(ってか、たぶんそうなる方が多いでしょうね)。

 本来、独唱であろうと合唱であろうと、同じ声楽であり、歌であります。歌唱テクニックにしても、基本的には同じなはずで、同じ人が独唱も合唱もできて当たり前なのです。だから、合唱にせよ、独唱にせよ、違いが有るはずもなく、互いを意識する必要も、本来はないのです。

 でも、それはあくまでも、建前であって、日本アマチュア音楽界においては、独唱と合唱は全く別の音楽として、棲み分けがされています。それゆえに、声楽を学んだ人は、合唱の人たちからすれば“あっちの世界の人”と認識されてしまうのかもしれません。

 たとえあなたに向上心があったとしても、今の合唱団で友人とうまくやっていて、今後も友人関係を大切にし、自分の居場所を確保したいのなら、向上心にフタをして、自分の可能性に目をつぶって、合唱一筋まっしぐらも、悪くないのかもしれません。

 世の中、なかなかうまく行きません。一つのモノを手に入れれば、別のモノを失うなんて、ザラです。一つの可能性を選択する事は、他の可能性を捨てる事でもあります。だから、合唱人が声楽を学ぶなんて、良いことばかりが待っているわけではないのです。

 なんか、世知辛い話だね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年5月25日 (木)

合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点

 日々、合唱を嗜んでらっしゃる方の中には、合唱だけでなく声楽も習っている方々が、少なからずいらっしゃると思います。もろろん、これらの方々の多くは、合唱人としての向上のために声楽を習っているわけです。

 では、合唱人が声楽を学んで得られる利点…私がざっと考えるに5つの利点がありますが、それらについて考えてみましょう。

1)声楽を学ぶ事で、ちゃんとした発声が学べる

 いきなりこう書くと、カチンと来る方も大勢いらっしゃると思いますが、落ち着いてください。

 多くの合唱団で、毎回の練習の最初に“ヴォイトレ”と称して10~30分程度の発声練習をします。団によって、専門の先生にお願いしてヴォイトレをしている団もあると思いますし、その時に懇切丁寧な指導を受けている団もあると思います。

 でもね、でもね。合唱団でのヴォイトレは、あくまでも先生一人で団に所属している大勢の団員の方の発声をみているわけです。必ずしも、マンツーマンの指導が行われているわけではありません。

 実は発声と言うのは、天才ではない限り、個人的に矯正していかないと、どうにもならないものなのです。発声の先生が、一人ずつ声を聞いて、つきっきりで具体的な指導をしていかないと改善されないのが発声なのです。そういう意味では、発声ってのは、学びにくいものなのかもしれません。

 例えてみるならば、短距離走のようなものなのかもしれません。

 誰だって短距離ぐらい走れます。でも、普通に走っただけでは速くは走れません。速く走るために、合理的なフォームが必要となります。この合理的なフォームと言うのは、普通の人が走る姿からは程遠いものだったりしますし、一人ひとりのカラダが違うために、一人ひとりにとってのベストのフォームもまた違います。だから、短距離を志す人は、専門のコーチとつきっきりで速く走るためのフォームを探し出して身につけていきます。もちろん、天才にはコーチは不要です。天才は自分一人で最適なフォームを見つけて走ってしまうでしょう。でも、多くの凡才は、コーチと二人三脚で試行錯誤を重ねながら、そのランナーに最適なフォームを見つけていくのです。

 歌の発声も、誰でも声ぐらい出せるし歌も歌えるけれど、広い音域を美しく歌うためには、声楽コーチにマンツーマンで指導を受けないと、なかなか難しいようです。

 それに、実際の所、各合唱団でヴォイトレと称して行われているものの多くは、練習前の単なる準備体操だったりします。準備体操は準備体操として必要ですが、準備体操ばかりをしても、声はちっとも美しくならないのは自明の理です。

 だから、声楽を学んで、個人的に発声をみてもらう事で、発声が良くなるのです。

2)自分の声で歌う自信が付く(ソロが取れるようになる

 合唱で歌っていても、それは集団として歌っているわけで、決して一人ひとりが個人として歌っているわけではありません。また、求められている声も集団としての声であって、その中で、個人の声が突出していてはいけません。合唱では基本的に、個を集団に埋没させていかないといけません。集団の中で生きる声で歌わないといけません。

 そのため、極端な話、個人としてはきちんと歌えなくても全然OKです。高い音や低い声、あるいは声の変わり目などの声の出しづらい箇所は、パスして歌っても集団として成り立っているなら問題ありません。声的に問題なくても、上手く歌えない箇所とか暗譜が完了していない箇所も同様にパスしても、集団として成り立っていれば、これまたOKです。なにしろチームプレイで歌っているわけですから、個々の弱点は他のメンバーがカバーすれば、それで良いのが合唱なのです。

 しかし独唱はそういうわけにはいきません。いつ何時でも、きちんと歌うことが要求されるし、休む事も逃げる事も仲間に頼る事もできません。演奏の責任をきちんと自分一人で背負っていかなければいけません。

 それゆえに、歌う技量も上がるし、覚悟も定まります。他人に頼る事も少なくなり、勉強もきちんとしていかないといけません。つまり、自分の声で歌う自信を持てるようになるわけです。もし、団内でソリストを募った時などは、積極的にアピールできるようになるかもしれません。

3)歌が上手になる

 個人で歌を学んでいるのだから、そりゃあ上手にならないと困ります(笑)。

 合唱であっても、歌が下手では困るけれど、合唱では、自分が歌えない場所は歌わないという選択肢があるし、中途半端な出来で歌われても、周囲の人々に迷惑がかかるから、むしろ歌わない方が良いのだけれど、それを繰り返していては、いつまでたっても歌が上手にはなりません。

 独唱なら、失敗しても自分のせいですから、気にせずに失敗できるし、失敗を重ねていくことで上達していく事もできます。それに一人で歌っているわけだから、失敗をすれば、その事実と一人で立ち向かっていかなくてはいけません。そういう事を繰り返しているうちに、歌が上達していきます。

4)楽譜に強くなる

 また合唱なら、楽譜に弱くても周囲が歌っている声に合わせて歌うことで、なんとなく歌えているような気分になれます。また多くの団では音取り用の音源を制作して団員たちに配布しているところも多いと思います。そういう団では、楽譜が読めなくても、音取り音源を聞いて耳で覚え歌う事ができます。

 しかし、独唱ではそうはいきません。楽譜と向き合って自分なりの表現を考えて歌わないといけません。もちろん、独唱の場合、有名歌手たちの音源も豊富にあって、それらから音取りをする事はできるでしょう。音取りはしても、表現方法まで真似てしまっては、それは自分が歌ではなく、有名歌手のモノマネにしかなりません。コピーキャットでは歌手として終わりです。

 結果として、楽譜に強くならざるを得なくなります。なにしろ、周囲の人を頼れませんから(笑)。楽譜にも自然と強くなっていきます。

5)レパートリーが広がる

 もちろん、合唱をやっていれば合唱曲のレパートリーが増えます。しかし独唱をやると、合唱曲だけでなく独唱曲のレパートリーも増えます。特に、合唱曲の中にある独唱曲が歌えるようになるのがうれしいです。

 合唱団で合唱を始めて、最初の頃は合唱も面白いし、歌もぐんぐん上達していくと思います。数年して、伸び悩みの時期がやってきますが、そんな時は「ちょっと声楽を習ってみるか」と思い立つのも面白いことだと思います。

 もちろん、合唱人が声楽を学ぶ事で失うこともいくつかありますが、それはまた機会を改めて書きたいと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年1月30日 (月)

結局、ソリストさえしっかりしていればOK?

 昨年末は、例によって、第九とかメサイアとかの合唱曲を多く聞きました。年末にオーケストラ付きの合唱曲が多く演奏されるのは、音楽家のボーナス捻出のためという裏事情があるものの、今やすっかり日本クラシック音楽界の冬の恒例行事になった…とも言えます。

 とにかく、私も昨年末、恒例行事として第九とかメサイアとかを聞いたわけです。それも、だいたい毎年同じ団体の演奏を聞いていたりするわけです。

 で、毎年毎年同じ団体の同じ演奏を聞くわけですから、当然前回と較べて、良かった悪かったと勝手な評価を下すわけです。で、その感想を、演奏会終了後に仲間内で共有して楽しむわけです。

 で、私は思ったのでした。結局、今回の演奏会が良かった悪かったと判断する、その基準の一番大きな要素は、合唱団の出来でもなければ、オーケストラの出来でもなく、ソリストたちの出来如何にかかっているって事です。

 これは私がソリスト大好き人間だから…と言うだけでなく、他の人たちの意見を聞いても、だいたいソリストの出来が、そのコンサートの出来に直結しているようなのです。

 まあ、考えてみると分からないでもないです。オーケストラというのは、プロであれ、アマであれ、1年間で大きく変わるものではありません。もちろん、アマオケの場合は、コンサート中のアクシデントが皆無というわけではありません。例えば、曲が進むにつれて疲れてきた弦楽がうねり始めるとか、肝心なところでホルンがひっくり返るとか、トランペットが飛び出すとか…色々あったりしますが、そういう団体は、だいたい昨年も似たような事をやっているし、昨年盤石な演奏を聞かせてくれたところは、たいたい今回も盤石だったりするんです。

 一方、合唱団は…と言うと、大抵はアマチュア団体なのですが、オーケストラ以上に安定しているところが多いです。上手な団体は毎年上手だし、それなりの団体は安定してそれなりだったりします。

 でも、ソリストは違います。ソリストはたいていプロ歌手ですが、同じ演奏会であっても、昨年と今年でメンバーが異なる事の方が多いです。人が変われば、当然、あれもこれも違うわけです。また、同じ人が昨年からの引き続きで歌うこともありますが、ソリストって、面白いぐらいに安定しないんですよね。たぶん体調とかの都合もあるのでしょうが、すごぶる良い歌を歌ってくれるともあれば、なんとも精彩に欠ける時もありますし、大きなミスをする事すらあります。

 そういう意味で、毎年年末に行われる、オーケストラ付き合唱曲の演奏で、一番の不確定要素がソリストだったりするわけで、それゆえに、その年のソリストの出来が、その年の演奏の良し悪しを決める、一番大切な要素となるわけです。

 合唱曲なのに、ソリストで評価が決まるってのも、考えてみれば面白い事です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2016年10月 5日 (水)

合唱団におけるイジメの原因について考えてみた

 声楽をやっている人のうち、少なからぬ人たちは、合唱で嫌な経験をしています。「声が目立ちすぎる」「声が大きすぎる」「一人だけギラギラして声で歌っている」「声が周囲と溶けない」「あなたが歌うと合唱にならない」とか言われてね。合唱経験のある声楽の人なら、これらの事の一つや二つ、身に覚えがあるでしょ?

 別に彼らとて、悪意を持って邪魔をしているわけではなく、自然体で普通に歌っているだけなのです。それだけで「声が目立つ」「大きい」「ギラギラ」「溶けない」とか罵倒されているわけなんです。わざとじゃないんだ…と言っても、合唱の人はそれを信じてくれないのですね。「目立ちたがり屋なだけだろう」「声なんていくらでも小さくできるじゃないか」「ギラギラした声は/周囲に溶けない声は、発声が悪いからだ」と言って、同情すらしてくれません。

 我々は皆さんと同じように、熱心に普通に歌っているだけなのです。ただ、出てくる声が違うだけなのです。

 周囲の方々と同じような声で歌えるものなら、とっくにやっていますって。出来ないから困っているわけだし、申し訳ないと思っているわけです。

 攻撃されている立場では、強くは言い返せないから、皆さん黙ってますが、心の中では「周りの人々がもっとしっかりした声で歌ってくれれば、私だけが目立つことはないのに」「…もっと大きな声で歌ってくれれば…」「…もっと声を飛ばしてくれれば…」「…もっと強い声で歌ってくれれば…」「…もっと…もっと…」と思わない事もないのですよ。ただ、言わないだけです。そんな事を言えば、火に油をそそぐだけで、もっと皆さんのご機嫌を損ねてしまうだろうなあって、なんとなく感じるからです。だから怖くて言えないのです。

 はっきり書いちゃえば、合唱の皆さん方が、今以上に大きくて通りの良い声では歌えないように、声楽に逃げ込んだ人たちの多くは、今以上に小さくて控えめで遠慮した声では歌えないだけなのです。合唱の人たちが声楽の人たちのような声で歌えないように、声楽の人たちが合唱の人たちのように歌うには、かなりのテクニックが必要だし、多くのアマチュアシンガーさんだと、それらのテクニックの習得までは出来ていないのです。

 実際、音量増々で歌うよりも、音量を絞って歌う方が、ずっとずっと難しいのです。

 音量増々では歌えない人に「もっと小さな声で歌え!」と言われると、心の中では「音量を絞る方が、音量増々で歌うよりも難しいんだぞ。なのに、音量増々で歌えないような人には言われたくない…」とか毒づいちゃいます。

 あと、音量を絞って歌うのは、難しい事に加えて、楽しくもないのです。声を出す喜びが薄いのです。つまり声の出る人間にとって、小さな声で歌うというのは『労多くして功少なし』なわけで(声楽をやっている人のすべてにあてはまるわけではありませんが)私のような享楽的な人間だと、本能的に避けてしまうわけです。嫌気がさしてしまうわけです。だって、我々アマチュア音楽家にとって、音楽なんて趣味だよ、趣味。まずは楽しくないと! 自分がハッピーになるために音楽をやっているわけでしょ? なのに、苦労を強いられて、砂を噛むような思いで音楽やるなんて、本末転倒じゃん…という訳で、合唱は好きでも、合唱団に対して居心地の悪さを感じるわけで、そんな状態の時に、イジワルされたり、嫌がらせされたりすると「ええい、こんな合唱団なんか辞めてやる!」という事になるわけです。

 だから誤解してほしくないのだけれど、合唱を辞めて声楽を始めた人たちの多くは、その特定の合唱団がイヤになっただけで、合唱音楽そのものがイヤになったわけではないし、受け入れてもらえる合唱団があれば、喜んで入団して合唱活動をしたいと思う人もたくさんいるわけです。

 「じゃあ、普通の合唱団ではなく、オペラ合唱団で活動すればいいじゃん?」

 実際、そうしている人もたくさんいますよね。ある程度、声の出ちゃう人が合唱やろうと思えば、その道くらいしかないかもしれません。

 私個人の話をすると…オペラ合唱団は、今のところはパスなんだな。と言うのも、オペラ歌うなら、合唱団としてモブを歌うのではなく(たとえ舞台がどんなに小さくても)ソリストとして役名の付いているモノを歌いたいんですね。

 なので、今のところ、合唱はいいか…と思っている私です。

蛇足 合唱団に行くと、やたらと絡んでくる人いますよね。新参者に興味津々と言うべきか、密かに(明らかに?)こちらの値踏み&格付けをしているフシもあります。群れの中での位置づけってのが大切なのは分かるけれど…うっとおしいなあ。あの、うっとおしさがイヤなので、合唱には足が向かない…というのも、正直ありますね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2016年8月 8日 (月)

なぜ合唱団は、やたらと人を入れたがるのか?

 もちろん、メンバー増やして、会費収入が欲しい!…という現実的な話はあるだろうけれど、それはちょっと横に置いておきます。

 一部の団体では、入団規定が合ったり入団試験があったりして、誰でも彼でもが入団できるのではなく、一定水準以上の人しか入れない団体もありますが、多くの市民合唱団たんでは、入り口は広くして、基本的に…と言うか、表向きは“誰でもウェルカム”な団が多くあります。

 日本の市民合唱ってやつは、その根っこと言うか、スタート段階で、新左翼のオルグ活動があったわけで、その系譜に連なる団体もまだまだたくさん活動しているわけだし、また、新左翼とは団体としての直接的なつながりはなくても、なんだかんだ言って、人間同士のつながりは案外まだまだあるわけで、あの頃の気質や精神やノウハウを受け継いだ合唱団なんて、ゴロゴロしているわけです。なにしろ「歌ってマルクス、踊ってレーニン」って時代の方々が団の中心にいるんですからね。

 私が昔々属した合唱団も、普段の活動はノンポリっぽかったけれど、夏合宿で宴会になった時は、みんな酔っ払ってロシア民謡(ってか革命歌だな)をガンガン歌い飛ばしていたものなあ。ああ、この人たちって赤い人なんだなあ…って思いました。だからと言って、私に共産主義とかを吹き込んだりとかはしなかったけれどね。

 と言うわけで、むしろ、最近の若者だけで結成されたような合唱団でもない限り、純粋に音楽なつながりだけで成り立っている合唱団なんて、少ないような気がします。

 元々が共産党のオルグ活動から、うたごえ運動を経由して、日本の合唱が始まったわけです。オルグである以上、誰でも入団可能で、団体としては大きければ大きいほど良いわけだし、エリート否定、みんな平等、努力の差はあっても能力の差は無い。自由平等! 優秀な指導者の元、一丸となって目標に向かって邁進していく…わけです。

 当時の共産党は、合唱活動を通して、日本の共産主義化を画策していたわけですが…それが成功したかと言えば…どうなんでしょうね? おそらくは、この計画の立案者が思っていたほどは成功しなかったと言えるんじゃないでしょうか? なにしろ、日本男子は歌わないからね(笑)。もう、呆れるほどに歌わないのが日本男子だから、音楽を通しての共産主義化は失敗だよね。

 でも、オルグ活動を通して、広く日本に合唱のタネをまいたという功績は大きいと思います。

 まあ、たとえルーツが共産主義運動であったとしても、現在の日本の市民合唱団に対して、共産主義うんぬんと言うのは、もはや野暮というものでしょうね。赤い老人はたくさんいるでしょうし、選挙のたびに大きな声を出していますが、今更日本を共産主義化するには、日本は豊かすぎます。もっと、貧しくならないと共産主義を受け入れる事はないでしょうね。それゆえに、現在の共産主義関係の方々は、日本の国力を削ぐ方向の活動をしている人たちが大勢いるわけですが、それはまた別の問題です。

 元々が、合唱団を通して、革命の組織づくりのための人集めだったわけだから、誰でもウェルカムだし、入団してくれたら、自分たちに染まって欲しい、自分たちの組織の一部になってほしいと願うわけだし、そんな感情は、共産主義うんぬんを抜きにしても、日本の合唱団にはあるような気がします。

 ここまでくると、共産主義がどうのこうのと言うよりも、日本人自身が持っている、全体主義的な傾向の方が影響力あるかも。むしろ、共産主義的…と言うよりも、日本古来からある村社会的…と言うべき状況なのかもしれません。

 その村社会的な秩序と、当時の共産主義思想が共鳴したわけで、それが当時の貧しい世相を背景に若者たちの心を捕らえたのだと思います。今は、村社会も共産主義も廃れちゃいましたから、それと合わせて合唱も廃れちゃったのかもしれません。

 海外の合唱音楽が、神様中心の教会音楽と、恋愛ドロドロの劇場音楽の2つで成り立っているように、日本の合唱音楽は、みんな仲良く和気あいあいのサークル系音楽で成り立っているのかな?って思うわけです。考えてみれば、うたごえ運動なんて“みんな仲良く和気あいあい”だものね。

 別に日本の合唱をディスっているわけじゃないからね、誤解しないでね。

 だいたい、思想信条を問わず、自分たちの属する仲良しグループが大きくなるのは、単純に、誰でもうれしいものね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん