ひとこと

  •  仕事が忙しすぎて、カラダがバテバテです。メトのライブビューイングで「ルサルカ」を見に行こうと思っていたのに、カラダが言うことを聞かずに、出かけられませんでした。ああ、ちょっぴり残念。今はオペラ鑑賞よりも休息を第一としましょう。
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カテゴリー「合唱」の記事

合唱関係のエッセイです

2017年1月30日 (月)

結局、ソリストさえしっかりしていればOK?

 昨年末は、例によって、第九とかメサイアとかの合唱曲を多く聞きました。年末にオーケストラ付きの合唱曲が多く演奏されるのは、音楽家のボーナス捻出のためという裏事情があるものの、今やすっかり日本クラシック音楽界の冬の恒例行事になった…とも言えます。

 とにかく、私も昨年末、恒例行事として第九とかメサイアとかを聞いたわけです。それも、だいたい毎年同じ団体の演奏を聞いていたりするわけです。

 で、毎年毎年同じ団体の同じ演奏を聞くわけですから、当然前回と較べて、良かった悪かったと勝手な評価を下すわけです。で、その感想を、演奏会終了後に仲間内で共有して楽しむわけです。

 で、私は思ったのでした。結局、今回の演奏会が良かった悪かったと判断する、その基準の一番大きな要素は、合唱団の出来でもなければ、オーケストラの出来でもなく、ソリストたちの出来如何にかかっているって事です。

 これは私がソリスト大好き人間だから…と言うだけでなく、他の人たちの意見を聞いても、だいたいソリストの出来が、そのコンサートの出来に直結しているようなのです。

 まあ、考えてみると分からないでもないです。オーケストラというのは、プロであれ、アマであれ、1年間で大きく変わるものではありません。もちろん、アマオケの場合は、コンサート中のアクシデントが皆無というわけではありません。例えば、曲が進むにつれて疲れてきた弦楽がうねり始めるとか、肝心なところでホルンがひっくり返るとか、トランペットが飛び出すとか…色々あったりしますが、そういう団体は、だいたい昨年も似たような事をやっているし、昨年盤石な演奏を聞かせてくれたところは、たいたい今回も盤石だったりするんです。

 一方、合唱団は…と言うと、大抵はアマチュア団体なのですが、オーケストラ以上に安定しているところが多いです。上手な団体は毎年上手だし、それなりの団体は安定してそれなりだったりします。

 でも、ソリストは違います。ソリストはたいていプロ歌手ですが、同じ演奏会であっても、昨年と今年でメンバーが異なる事の方が多いです。人が変われば、当然、あれもこれも違うわけです。また、同じ人が昨年からの引き続きで歌うこともありますが、ソリストって、面白いぐらいに安定しないんですよね。たぶん体調とかの都合もあるのでしょうが、すごぶる良い歌を歌ってくれるともあれば、なんとも精彩に欠ける時もありますし、大きなミスをする事すらあります。

 そういう意味で、毎年年末に行われる、オーケストラ付き合唱曲の演奏で、一番の不確定要素がソリストだったりするわけで、それゆえに、その年のソリストの出来が、その年の演奏の良し悪しを決める、一番大切な要素となるわけです。

 合唱曲なのに、ソリストで評価が決まるってのも、考えてみれば面白い事です。

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2016年10月 5日 (水)

合唱団におけるイジメの原因について考えてみた

 声楽をやっている人のうち、少なからぬ人たちは、合唱で嫌な経験をしています。「声が目立ちすぎる」「声が大きすぎる」「一人だけギラギラして声で歌っている」「声が周囲と溶けない」「あなたが歌うと合唱にならない」とか言われてね。合唱経験のある声楽の人なら、これらの事の一つや二つ、身に覚えがあるでしょ?

 別に彼らとて、悪意を持って邪魔をしているわけではなく、自然体で普通に歌っているだけなのです。それだけで「声が目立つ」「大きい」「ギラギラ」「溶けない」とか罵倒されているわけなんです。わざとじゃないんだ…と言っても、合唱の人はそれを信じてくれないのですね。「目立ちたがり屋なだけだろう」「声なんていくらでも小さくできるじゃないか」「ギラギラした声は/周囲に溶けない声は、発声が悪いからだ」と言って、同情すらしてくれません。

 我々は皆さんと同じように、熱心に普通に歌っているだけなのです。ただ、出てくる声が違うだけなのです。

 周囲の方々と同じような声で歌えるものなら、とっくにやっていますって。出来ないから困っているわけだし、申し訳ないと思っているわけです。

 攻撃されている立場では、強くは言い返せないから、皆さん黙ってますが、心の中では「周りの人々がもっとしっかりした声で歌ってくれれば、私だけが目立つことはないのに」「…もっと大きな声で歌ってくれれば…」「…もっと声を飛ばしてくれれば…」「…もっと強い声で歌ってくれれば…」「…もっと…もっと…」と思わない事もないのですよ。ただ、言わないだけです。そんな事を言えば、火に油をそそぐだけで、もっと皆さんのご機嫌を損ねてしまうだろうなあって、なんとなく感じるからです。だから怖くて言えないのです。

 はっきり書いちゃえば、合唱の皆さん方が、今以上に大きくて通りの良い声では歌えないように、声楽に逃げ込んだ人たちの多くは、今以上に小さくて控えめで遠慮した声では歌えないだけなのです。合唱の人たちが声楽の人たちのような声で歌えないように、声楽の人たちが合唱の人たちのように歌うには、かなりのテクニックが必要だし、多くのアマチュアシンガーさんだと、それらのテクニックの習得までは出来ていないのです。

 実際、音量増々で歌うよりも、音量を絞って歌う方が、ずっとずっと難しいのです。

 音量増々では歌えない人に「もっと小さな声で歌え!」と言われると、心の中では「音量を絞る方が、音量増々で歌うよりも難しいんだぞ。なのに、音量増々で歌えないような人には言われたくない…」とか毒づいちゃいます。

 あと、音量を絞って歌うのは、難しい事に加えて、楽しくもないのです。声を出す喜びが薄いのです。つまり声の出る人間にとって、小さな声で歌うというのは『労多くして功少なし』なわけで(声楽をやっている人のすべてにあてはまるわけではありませんが)私のような享楽的な人間だと、本能的に避けてしまうわけです。嫌気がさしてしまうわけです。だって、我々アマチュア音楽家にとって、音楽なんて趣味だよ、趣味。まずは楽しくないと! 自分がハッピーになるために音楽をやっているわけでしょ? なのに、苦労を強いられて、砂を噛むような思いで音楽やるなんて、本末転倒じゃん…という訳で、合唱は好きでも、合唱団に対して居心地の悪さを感じるわけで、そんな状態の時に、イジワルされたり、嫌がらせされたりすると「ええい、こんな合唱団なんか辞めてやる!」という事になるわけです。

 だから誤解してほしくないのだけれど、合唱を辞めて声楽を始めた人たちの多くは、その特定の合唱団がイヤになっただけで、合唱音楽そのものがイヤになったわけではないし、受け入れてもらえる合唱団があれば、喜んで入団して合唱活動をしたいと思う人もたくさんいるわけです。

 「じゃあ、普通の合唱団ではなく、オペラ合唱団で活動すればいいじゃん?」

 実際、そうしている人もたくさんいますよね。ある程度、声の出ちゃう人が合唱やろうと思えば、その道くらいしかないかもしれません。

 私個人の話をすると…オペラ合唱団は、今のところはパスなんだな。と言うのも、オペラ歌うなら、合唱団としてモブを歌うのではなく(たとえ舞台がどんなに小さくても)ソリストとして役名の付いているモノを歌いたいんですね。

 なので、今のところ、合唱はいいか…と思っている私です。

蛇足 合唱団に行くと、やたらと絡んでくる人いますよね。新参者に興味津々と言うべきか、密かに(明らかに?)こちらの値踏み&格付けをしているフシもあります。群れの中での位置づけってのが大切なのは分かるけれど…うっとおしいなあ。あの、うっとおしさがイヤなので、合唱には足が向かない…というのも、正直ありますね。

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2016年8月 8日 (月)

なぜ合唱団は、やたらと人を入れたがるのか?

 もちろん、メンバー増やして、会費収入が欲しい!…という現実的な話はあるだろうけれど、それはちょっと横に置いておきます。

 一部の団体では、入団規定が合ったり入団試験があったりして、誰でも彼でもが入団できるのではなく、一定水準以上の人しか入れない団体もありますが、多くの市民合唱団たんでは、入り口は広くして、基本的に…と言うか、表向きは“誰でもウェルカム”な団が多くあります。

 日本の市民合唱ってやつは、その根っこと言うか、スタート段階で、新左翼のオルグ活動があったわけで、その系譜に連なる団体もまだまだたくさん活動しているわけだし、また、新左翼とは団体としての直接的なつながりはなくても、なんだかんだ言って、人間同士のつながりは案外まだまだあるわけで、あの頃の気質や精神やノウハウを受け継いだ合唱団なんて、ゴロゴロしているわけです。なにしろ「歌ってマルクス、踊ってレーニン」って時代の方々が団の中心にいるんですからね。

 私が昔々属した合唱団も、普段の活動はノンポリっぽかったけれど、夏合宿で宴会になった時は、みんな酔っ払ってロシア民謡(ってか革命歌だな)をガンガン歌い飛ばしていたものなあ。ああ、この人たちって赤い人なんだなあ…って思いました。だからと言って、私に共産主義とかを吹き込んだりとかはしなかったけれどね。

 と言うわけで、むしろ、最近の若者だけで結成されたような合唱団でもない限り、純粋に音楽なつながりだけで成り立っている合唱団なんて、少ないような気がします。

 元々が共産党のオルグ活動から、うたごえ運動を経由して、日本の合唱が始まったわけです。オルグである以上、誰でも入団可能で、団体としては大きければ大きいほど良いわけだし、エリート否定、みんな平等、努力の差はあっても能力の差は無い。自由平等! 優秀な指導者の元、一丸となって目標に向かって邁進していく…わけです。

 当時の共産党は、合唱活動を通して、日本の共産主義化を画策していたわけですが…それが成功したかと言えば…どうなんでしょうね? おそらくは、この計画の立案者が思っていたほどは成功しなかったと言えるんじゃないでしょうか? なにしろ、日本男子は歌わないからね(笑)。もう、呆れるほどに歌わないのが日本男子だから、音楽を通しての共産主義化は失敗だよね。

 でも、オルグ活動を通して、広く日本に合唱のタネをまいたという功績は大きいと思います。

 まあ、たとえルーツが共産主義運動であったとしても、現在の日本の市民合唱団に対して、共産主義うんぬんと言うのは、もはや野暮というものでしょうね。赤い老人はたくさんいるでしょうし、選挙のたびに大きな声を出していますが、今更日本を共産主義化するには、日本は豊かすぎます。もっと、貧しくならないと共産主義を受け入れる事はないでしょうね。それゆえに、現在の共産主義関係の方々は、日本の国力を削ぐ方向の活動をしている人たちが大勢いるわけですが、それはまた別の問題です。

 元々が、合唱団を通して、革命の組織づくりのための人集めだったわけだから、誰でもウェルカムだし、入団してくれたら、自分たちに染まって欲しい、自分たちの組織の一部になってほしいと願うわけだし、そんな感情は、共産主義うんぬんを抜きにしても、日本の合唱団にはあるような気がします。

 ここまでくると、共産主義がどうのこうのと言うよりも、日本人自身が持っている、全体主義的な傾向の方が影響力あるかも。むしろ、共産主義的…と言うよりも、日本古来からある村社会的…と言うべき状況なのかもしれません。

 その村社会的な秩序と、当時の共産主義思想が共鳴したわけで、それが当時の貧しい世相を背景に若者たちの心を捕らえたのだと思います。今は、村社会も共産主義も廃れちゃいましたから、それと合わせて合唱も廃れちゃったのかもしれません。

 海外の合唱音楽が、神様中心の教会音楽と、恋愛ドロドロの劇場音楽の2つで成り立っているように、日本の合唱音楽は、みんな仲良く和気あいあいのサークル系音楽で成り立っているのかな?って思うわけです。考えてみれば、うたごえ運動なんて“みんな仲良く和気あいあい”だものね。

 別に日本の合唱をディスっているわけじゃないからね、誤解しないでね。

 だいたい、思想信条を問わず、自分たちの属する仲良しグループが大きくなるのは、単純に、誰でもうれしいものね。

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2016年8月 4日 (木)

たぶん、日本の合唱のレベルは、かなり高いんじゃないかしら?

 あくまでも私の印象なのですが、プロはちょっと横に置いて、日本のアマチュア合唱団って、かなりレベルが高いんじゃないかしら?って思います。

 レベルが高い…と言っても、何か比較対象があるわけではなく、絶対評価? 庶民の余暇時間の有効利用にしては、レベルがやたらと高いよね…という話です。

 もちろん、日本のアマチュア合唱団と言ってもピンキリなのは、よく分かっているし、アマチュア団体に向かって優劣を語るのはおこがましいことなのかもしれないけれど、それでも日本のアマチュア合唱団って、かなりレベルが高いんじゃないかなって思います。

 そう思わせる理由がいくつかあります。

1)日本人の集団大好きな気質

 合唱には、大きく分けて、宗教曲のような心と声を合わせて歌うモノと、オペラ合唱のように個人の集合として歌うモノがあります。日本人が得意なのは“心と声を合わせて歌う”タイプの合唱曲です。これ、得意、大得意です。本当に上手な団体だと、大勢いるのに、たったひとりで歌っているかのように声を合わせて歌っていますからね。ほんと、凄いです。ただ、その代わり、オペラ合唱のような、歌い手一人ひとりの個性を前面に出して歌う、個人の集合としての合唱は…苦手かもしれません…が、苦手な事はやらなきゃいいわけだし、実際やらないし…ね。とにかく日本人は、心と声を合わせて歌うのが、本当に上手だと思いますよ。

2)邦楽合唱曲というジャンル

 現代に生きる作曲家たちが、毎年毎年、日本語による合唱曲を今でもたくさん作り続けています。当然のように、名曲と呼ばれるモノも作られていますし、それらの曲を歌っていくことで、合唱団の歌唱レベルも上がっていきます。

 新作が作られ続けていくというのは、そのジャンルに勢いとか力がある証拠です。邦楽合唱曲が今でも作曲され続けているのは、日本の合唱界に勢いと力があるからでしょう。

 もっとも、日本のクラシック系の作曲家さんは、合唱曲を始め、吹奏楽の曲やゲームの曲、テレビの劇伴などを作曲していく事で生活の糧を得ている人が多い…という事情もあり、それで合唱曲が量産されているという、作曲家側の都合もあります。

 まあ、つまりは、ウィン・ウィンの関係が、合唱を盛んにし、盛んだから実力も高まるわけです。

3)合唱人口の多さ

 日本で合唱を楽しむ人は、決して少なくはありません。日本の場合、男性が歌わないだけで、女性は結構、歌や合唱を楽しんでいます。それは、お母さん合唱の隆盛を見ても分かります。それに、うたごえ運動から合唱に入った人とか、学校の合唱部(かつてはどこの学校にもあったものです)から合唱に入った人など、まだまだ健在ですからね。

 嗜む人が多いほど、トップのレベルは高くなるのが普通ですから、多くの人々に支えられている日本の合唱のレベルが低いとは思えません。

 もっとも、キリスト教信仰をベースにしているヨーロッパの人々は、物心付く前から教会で歌っていますから、実際に合唱団として活動している人たちだけでなく、予備軍まで含めると、やっぱり彼らには敵いません。

 とにかく、日本の合唱界の弱点は、男性が歌わないって事だと思います。日本の合唱の黎明期は、むしろ男声合唱の方が盛んだったと聞いていますが…なぜ日本の男は歌わなくなってしまったのでしょうか? 日本の女性は、結構歌っているのに…ね。結局、当初の男声合唱の方々は、音楽ではないモノに惹かれて集まっていた…から、現在、その音楽以外のモノにシフトしてしまい、いなくなってしまった…とも言えます。その音楽以外のモノって…女? それとも思想? あるいは運動?

4)プロ団体の少なさ

 日本ではクラシック音楽で食べていくのは困難です。特に合唱で食べていくのは、かなり難しいと思います。教会も歌劇場も少ないですからね…。海外ならば、プロの合唱歌手として活躍できる人も、日本ではアマチュアに甘んじなければいけません。それもあって、日本のアマチュア市民合唱団には、プロ並の腕前の(ってか、チャンスがあればプロになっていた)人も多くいますので、そういう人たちが合唱団の歌唱の水準を上げてると思われます。

 まあ、これは合唱団に限らず、アマオケなどでも見られる事で、ほぼ全員、音大卒業生で占められているアマオケってのも珍しくないですからね。一体、どこが“アマチュア”だー!と言いたくなるけれど、それは別の話。それに合唱だと、アマオケほど、極端な事にはなっていないようです。

結論) こんなわけで、私は日本のアマチュア合唱団の歌のレベルは(ピンキリである事は承知ですが)、おしなべて言えば、レベルが高いんじゃないかなって思ってます。

 「じゃあ、プロの合唱団はどうなの?」って話になると思いますが、日本のプロ合唱団は、海外と比べると、色々と恵まれていないと思います。座付きではないので、収入も安定せず、本番の回数も限られています。どうしても合唱活動以外で収入を得ないと生活できません。その点、海外のプロ合唱団だと、毎日歌って定期収入を確保できる団もありますから、そういう団で働けば、歌のことだけを考えればいいわけで、日本とは条件が違い過ぎます。

 貧すれば鈍する。日本のプロ合唱界は、厳しい言い方ですが、こう言わざるを得ません。海外の団体と比べるのは…ちょっと酷かもしれません。私はそう思います。

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2016年6月21日 (火)

声は天賦のモノ

 先日、合唱関係の記事を書いて、ちょっとばかり荒れました。まあ、私の筆力の不足が招いた混乱であり、その点に関しては、申し訳ないなあと思ってます。

 で、私が合唱を取り上げる際に、合唱と声楽の発声の違いについて、よく取り上げるわけですが、どうやら、これが合唱の方々には気に食わないようであると察します。

 私には他意も悪意もないのはご了解いただきたいと願いつつ書かせてもらうならば、日本国内の一般的な市民音楽活動レベルにおいては、合唱と声楽では求めているモノが違うので、合唱の人と声楽の人では、やっぱり声が違うと思います。

 合唱の人たちの声は、素朴で均質で没個性的です。声質的には薄く、一人一の声量に欠けますが、音程コントロールは得意なようです。(悪口を言っているわけではない事はご理解いただきたい)

 一方、声楽の人たちの声は、個性的です。たいがいの場合、声質も声量も声域も、合唱の人達とは異なり、比較すると抜きん出ている事が多いのですが、じゃあ、どれだけ素晴らしい歌声なのかと言えば、そこはアマチュアの悲しさ、抜きん出でいる部分もあれば、逆に凹んでいる部分もあり、出来る事はすごく出来ますが、出来ない事はテンでダメだったりします。でなきゃ、とっくにプロデビューしているわけだしね(笑)。そんなダメな部分も抱えたまま、三者三様、十人十色、百人百様ってわけで、オンリーワンな個性的な存在として歌っているわけです。(そうでなきゃ、声楽なんて出来ません)

 …と書くと、一部の合唱の人たちが「キーっ!」と言って、目くじらを立てそうですが、まあまあ、落ち着いてください。

 なぜそうなのか! それは、声が天賦のモノだからです。良いとか悪いとかの問題ではなく、人は神様から与えられた声でしか歌えないのです。それこそ、楽器ならば、楽器店に行って、自分好みの楽器を買えばいいのですが、声はそうではなく、神様から自分に与えられた声という楽器を使うしか無いのです。

 だから、出来ることは出来る。出来ないことは出来ない。努力で埋められる穴は埋めたとしても、埋められない穴や、埋めるためには時間がかかる穴に関しては、オトナの対処が必要だ…と言いたいわけです。

 声って天賦のモノなわけで、人それぞれです。普通に歌うだけで、大きな音量で遠鳴りの声を出しちゃう人もいる一方で、どんなに頑張っても、ささやくような声でしか歌えない人だっているのです。目立つ声でしか歌えない人もいれば、周囲の音にすぐにかき消されてしまうような声でしか歌えない人もいるのです。

 まず、人それぞれ、声もそれぞれで、我彼の違いという現実を受け入れ、互いの存在を認め合いましょうよ。

 その上で、合唱団ならば、その合唱団の活動方針があるわけだから、それに沿って、メンバー募集をしたり、指導計画/演奏計画を立てていけばいいんじゃないかと思います。誰でも彼でも入団させるのも悪くはないけれど、入団テストを施行して、一定水準以上のメンバーを集めるようにするのも一つの手だし、誰でも彼でも入団させたとしても、オーケストラのように“降りメン制度”を導入して、曲にふさわしい声の人が舞台にあがるようにするとか、いっそ、なんでもありのごった煮の団体にするかどうか、色々と検討していけばいいんじゃないかって思います。

 その上で「この人は、ウチの団員としては、ふさわしくない」という判断が出たなら、いじわるをしたり、居場所をなくしたり、精神的に追い込んだりなどの行為は止めて、しかるべき立場の人から、事務的に通達をしてやめてもらえばいいわけです。そういうオトナの対応をしないで、いじわるをして辞めさせることを続けていくと、合唱という音楽ジャンルの敵を増やし、やがては合唱が廃れていく原因になっていくんだと思います。

 それはさておき、声は天賦のモノであり、声の違いを認めていくならば、現代日本の市民音楽活動では、声楽と合唱を両立させていくのは、なかなか難しいのかもしれませんね。

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2016年3月 3日 (木)

合唱と重唱の違いとは

 昨今、年に数回ずつ、重唱曲を歌うチャンスに恵まれている私です。その多くは、妻との二重唱曲ですが、もしかすると7月に行われる声楽の門下発表会では、もっと多くの人数で歌う重唱曲にチャレンジできるかもしれません。

 歌を人前で歌うチャンスって、普通に暮らしていると、そうそうはありません。

 一般的に趣味で歌うとしても、人前で歌うとなると、その多くは合唱団に入って演奏会で歌うか、愛唱歌のサークルに入って発表会などでサークルのメンバーと一緒に斉唱で歌うか…そのあたりでしょうね。それはそれで楽しいと思います。

 私も本来なら、そのあたりで音楽を楽しみたかった人ですが、どうも合唱団は居心地が悪くて長続きせず、愛唱歌のサークルに入るには枯れ具合がイマイチ足りなくて、それでまあ、王道からはみ出して、声楽をやっている次第だったりします。

 趣味で声楽をやっているという事自体が、すごくマイナーな存在である事は承知しています。それも、オジサンで、テノールとなると、本当に希少な存在であるわけです。希少であるがゆえに、多少能力不足であっても、独唱はもちろんですが、重唱のチャンスも、ままあるわけです。

 それはさておき…。

 合唱と重唱。ともに複数の人間で歌っていくわけですが、かなり毛色が違っています。一番の違いは、合唱は一つのパートを複数の人間で歌っていきますが、重唱は一人ずつ自分のパートを歌います。つまり、合唱も重唱も、複数のパートから音楽が成り立っていますが、それらのパートの一つ一つを複数の人間が協力しあって歌えば合唱だし、一人の歌手が責任をもってそのパートを歌っていけば重唱となります。つまり、重唱を歌う人は合唱人ではなく、基本的に独唱者って事になります。

 昨今の合唱、とりわけバロック系の合唱には、各パート一人ずつという、実に小規模な合唱のスタイルの演奏も数が増えてきました。これらは一見、重唱のように見えますが、やはりそれでも合唱と重唱は違います。

 合唱は、基本的に“声を合わせて歌う”わけで、歌う人数の多寡に関わらず、合唱という楽器になって歌うのです。私がイメージする合唱と言うのは、パイプオルガンの人声版なのです。パイプオルガンという楽器は、演奏する際に同時に複数のパイプが鳴って、分厚い音を作りますが、それであっても、最終的にオルガンの音になるわけです。合唱も同様に、何人で歌っても、最終的には合唱という楽器になるわけです。

 対して、重唱と言うのは、単純に、独唱者がたまたま同時に歌っているだけであって、声を合わせるよりも、歌い手の個性の発露の方に重点が置かれていると思います。

 分かりやすいのが、ベートーヴェンの第九交響曲でしょうね。合唱隊にいて、よく耳にするのが「ソリストさんたちは、合わせが下手だね」という言葉。いつも一つの楽器になって歌っている合唱の人たちからすれば、ソリストさん達の重唱部分の声が、全然融け合っていなくて、それぞれの個性がぶつかりあっている状態を称して「下手だね」と言っているんだろうと思うのだけれど、それはたぶん下手とは違うんです。あの部分は、個性がぶつかっていていいんだと思います。あそこで溶け合った声が欲しければ、ベートーヴェン自身があの部分を合唱で書いたと思うからです。何故、合唱ではなく重唱にしたのかと言えば、溶け合わない声(それでいて、しっかりとハーモニーとして成り立っている声)が欲しかったからだと思うのです。

 まあ、合唱とは大勢の人間が関わっているけれど、楽器として見るなら、1つの楽器なのです。しかし重唱の場合、それが二重唱なら2つの楽器が、三重唱なら3つの楽器が、参加するソリストの数だけ楽器の数が増えてくる…というわけです。つまり、合唱と重唱は、歌い手の数のみならず、使用する楽器として考えるなら、両者は似て非なるものって事になるわけです。

 まあ、器楽で言ったら、オーケストラと弦楽四重奏団の違いみたいなものかな?

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2015年11月16日 (月)

市民合唱団(混声)の高齢化問題について考えてみた

 私が合唱団体の発表会(?)に行かなくなって、ずいぶん経ちます。以前は、その手の団体の役員までやっていたと言うのに(笑)。私は行きませんが、妻は友人関係もあって、その手の催しに出かけますが、帰るなり「出演団体が減っていた」とか「どこも人数が減っていた」と寂しい事を言います。

 以前より危惧されていましたが、いよいよ、市民合唱団の高齢化問題が、のっぴきならない状況になってきたんだなあと思います。

 市民合唱団の高齢化問題…具体的に言えば「世代交代が進まず、徐々に高齢化し、団の存続維持すら難しい状況の団体が増えてきた」って事です。

 ですから、問題の根幹にあるのは、実は“高齢化”ではなく“世代交代が進まない”事なんです。現団員がドンドン高齢化しても、それ以上に若い団員が入団して団を盛り上げているなら問題はないわけです。でも、若い団員が入団しなければ、現団員だけで団を盛り上げていかないといけないわけですが、現団員ってヤツは、年を追うごとに年を老いるわけで、10年経てば10歳老いて、20年経てば20歳老いるわけです。で、ふと気づくと、以前は皆さん壮年でバリバリしていたのが、今や老人ばかりになってヨボヨボになっているわけです。

 私が合唱団体の催しを見なくなったのは、どの団体もヨボヨボになってきたからです。いや、ヨボヨボだけならまだいいのです。「お達者ですね」とニコニコしながら見ていればいいから。でも、舞台で倒れる人が続出してくると、舞台を見ていても、痛々しくて、いたたまれないんですよ。

 倒れるご本人にすれば、来年の本番に出られるかどうか分からないのだから、出演できる今年は多少の無理をしても、なんとかして…という気持ちでご出演されるのでしょうし、それを止める権利は私にない事ぐらい分かってます。でも、全くの赤の他人であっても、そんな命を削ってまでの舞台なんて、痛々しくて見れないじゃないですか?

 それに舞台で倒れなくても、今まで毎年見かけていた顔が見れなくなった事に気づく寂しさも、ちょっとイヤですし…。聞けば、ご家族の状況が変わって、合唱をしている余裕が無くなったとか、ご本人がご病気になられたとか…しばらく噂も聞かないなあと思ったら、鬼籍に入られたという話を人づてに教えられたりして…ほんと、寂しいんですよ。

 ですから、以前はたくさんメンバーがいた団体も、メンバーがドンドン消えてしまい、今や少人数編成で頑張る団体ばかりになってしまいました。いや、少人数になっても存続しているところは、まだマシで、メンバーがいなくなって解散してしまった団体だってあります。

 ほんと、寂しいね。

 では、なぜ既成の団体に、なかなか新人が入ってこないのでしょうか?

 理由は簡単なんです。市民合唱団って、基本的に閉鎖的な団体が多いからです。

 一応、外向けには「団員募集、初心者歓迎」と歌ってますが、実際は全くの嘘です。まあ、団員募集は嘘ではないのかもしれませんが、誰でもいいわけでもないし、全くのよそ者の初心者を歓迎しているわけではありません(当たり前の話です)。

 よしんば初心者で無かったとしても、自分たちよりも下手な人は、邪魔だから、入って欲しくないのです。また、自分たちよりも上手な人は、目障りだから、入って欲しくないのです。結局、邪魔にならない人しか入れません。そんな邪魔にならない人って誰?と言えば、それは現団員の友人です。つまり、全くの新人ではなく、団員の知人・友人・知り合いぐらいしか、入れないのです。そして、老人の知り合いは、たいてい老人であって、だから若い人が入ってこないのです。

 結局、合唱団員の平均年齢が下がる事って、まず無いのです。

 それに、これは団体の責任ではありませんが、合唱音楽そのものの人気が、以前と比べると、凋落しているのも原因です。

 なぜ人気が無くなってきたのか? それは若い人が合唱に親しまなくなったからです。では、なぜ若い人が合唱に親しまなくなったのかと言えば…昔はどこの学校にもあった合唱部が、今はほとんどの学校で廃部になってしまったからです。かろうじて残っている学校の合唱部は、そのほとんどが女声合唱の合唱部になっています。

 その女声合唱の合唱部出身は、数は多くはないけれど、今でもOGを輩出しつづけていますので、その人たちが、お母さん合唱(以前は、ママさんコーラスと呼んでいた音楽ジャンルです)を支えるコアなメンバーになっていくので、お母さん合唱は、今も昔も盛んなのですが、そういう人たちは、老人中心で、混声合唱や男声合唱を中心に活躍している市民合唱団にはなかなか入っていきません。

 つまりザックリ言っちゃえば、普通の若い人たちは合唱をしないので、市民合唱団が廃れてしまった…と言えるのかもしれません。

 と言うのも、今や、普通の人が歌を楽しむなら、合唱ではなくカラオケでしょ? 若い世代は、むしろ年配の世代の人たちよりも、音楽は好きだし、歌は好きだけれど、みんなカラオケに行っちゃうんです。決して合唱団には行かないのです。

 と言うのも、元々合唱ってのは、ヨーロッパの教会音楽を元にした外来の音楽なわけで、日本人のDNAには無い音楽です。DNAには無い音楽だから、放っておいたら誰もやりません。

 日本の歌って、今も昔も、実は“ウナる”音楽であって“ハモる”音楽ではないんだよね。だから、放っておいたら、誰もハモらないんです。西洋音楽の影響を受けたポピュラー音楽ですら、曲の盛り上がり部分を“コーラス”ではなく“サビ”にしてしまうのが日本人なんです。だから、普通の人には、ハモるとかコーラスとかの概念がないんです。

 だから、しっかりと教えて、親しませて、馴染ませないと、日本人はハモらないし、合唱しないんです。やっぱり、学校に合唱部が無くなったのは、合唱界にとって、痛い出来事だと思います。

 まあ、それでも、若者の一部は合唱に興味を持ちます。その数は昔よりもずっとずっと少ないかもしれないけれど、合唱に興味を持つ人たちは出てきます。ただ、そんな彼らが、既成の市民合唱団に入る事は、まあ無いでしょう。なぜなら、彼らは既成の団体に加わるよりも、自分たちの団体を立ち上げて、そこで活動しちゃうからです。それが今時の若者気質です。

 そりゃあそうでしょ、合唱なんて、気の合う仲間たちと歌うから楽しいのであって、見も知らない老人たちと一緒に歌っても楽しくないもの。それに、その手の若者って、技術が高いから、老人団体と一緒だと、不完全燃焼になってしまうしね。

 まあ、そんな若者たちの団体が増えれば、合唱の世界も廃れないのだろうけれど、若者たちの団体って、そんなに数多くないんだよね。結果として、老人を中心とした団体は、メンバーが減り、団体が消失してしまうが、それを補うほどに、若い人たちの団体が生まれているわけではないので、全体として合唱が廃れていくというイメージとなってしまうわけです。

 合唱を再度盛んにするにはどうしたら、良いのでしょうか?

 やはり学校教育にかけるしかないかなって、個人的には思います。学校の音楽の授業に、もっと合唱を取り込み、若い人なら誰でも合唱ができるくらいにしておけば、やがて合唱好きが生まれて、合唱も盛んになると思います。しかし、学校教育の現状を見ていると、今後、音楽の授業が減ることはあっても、増えることは、たぶんないです。

 それに、少子化が進む中、どこの学校も生徒数が少なくなってしまい、大勢の人間を必要とする合唱は、なかなか学校教育で取り上げづらいという事実もあります。

 では、学校教育に期待できないのなら、何に期待できるのでしょうか?

 一つは、やっぱり、テレビかな? 合唱をテーマにしたドラマを作って、それがヒットさせれば、日本人ってミーハーだから、すぐに合唱も復興する事でしょう。問題は、今までも合唱をテーマにしたドラマがいくつか作られたけれど、どれもこれもブームを引き起こせるほどにヒットしたドラマはないという事実。

 と言うのも、いわゆる、邦人合唱って、やっぱり古臭いんですよね。だから、合唱をテーマに取り上げた時点で、ドラマが古臭くなってしまい、若い人たちには訴えづらくなるわけです。

 アメリカだと『ハイスクールミュージカル』とか『グリー』とかの、合唱をテーマにしたヒットドラマがあるけれど、やはり、ヨーロッパ文化が根底にあるアメリカ人と、そんなものは皆無な日本人の違いがあると思うし、そんなアメリカだって、ミュージカルのソングとか、ポピュラー音楽のマッシュアップなどを中心にすえた合唱をやっているわけで、決して伝統的で古臭いタイプの合唱をやっているわけじゃありませんし、ロックバンドを伴奏にした、ガンガンの合唱をやるくらいぶっ飛ばないと、今の若者の気を引くのは難しいのかもしれませせん。

 こうなりゃ、腹をくくって「老兵は死なず、ただ去るのみ」とカッコつけて、時間の流れに身を任せるしかないのか…もね。

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2015年1月19日 (月)

メサイアを歌ってきました

 先日、鎌倉で行われた、メサイアのシンガロングって奴に初参加をしてきました。

 シンガロング…Sing Along、まあ「ドンドン歌おう」とか「一緒に歌おう」とか、そういう催し物でして、今回のシンガロングに即して具体的に説明するなら、舞台にオーケストラと指揮者がいて、彼らが伴奏してくれるので、客席にいる皆で合唱パートを歌っちゃおう…っていう催し物ですね。だから、普通のコンサートにいる“演奏を聴くだけ”のお客さんってのはいなくて、みんな楽譜持参で歌うのが前提なんです。

 だいたい、座席そのものが、パート別に分かれているわけだしね。

 以前から、このシンガロングの存在は知っていて、いつか参加したいと願っていたのが叶ったわけで、私的には嬉しかったし、楽しかったり、色々と満喫してきたわけです。

 まずは私の個人的な話から。

 今回のシンガロングは、土曜日に開催されたのですが、私は前日の金曜日の朝に、いきなりノドを腫らしました。木曜日の夜から乾燥が激しそうだから、加湿器のスイッチを入れておいてくれと妻に頼んで寝たんですが、妻が加湿器のスイッチを入れなかったために、心配していた通り、ノドが乾燥でやられてしまって、パンパンに腫れてしまったわけです。金曜日は仕事に行きました。病状的には、しゃべったりフルートを吹いたりは出来るけれど、歌うのはちょっとパスかな…って程度でした。

 金曜日の夜にあれこれと手を打ってみたもの、結局、症状的には、ひどくはなっても回復しないまま、当日の朝を迎えてしまいました。

 「ノド、痛い~、声、出ない~」とグチグチ文句を言ったものの、乾燥による風邪であって、別にウィルスがどうのこうのってわけでもないと(勝手に)判断して、シンガロングに参加する事にしました。

 「まあ、他人に伝染る病気でもないし、ソロでなく合唱なんだから、歌えなければ歌わなきゃいいし、辛くなったら、いつでも止めればいいわけだし…」とまあ、そんな感じです。

 会場に着いた私は、ワクワクです。だって、合唱歌うのって、数年ぶりだもん。なんか、合唱する感覚を忘れていた事を思い出しちゃうくらいに久しぶり。パートの中に入って、その他大勢になる感覚を味わっていました。

 と同時に、自分が合唱に向いていない性格なんだなって事を、歌う前からひしひしと感じていました。と言うのも、私、パートに入ってその他大勢になると、すごぶる無責任になるもの(笑)。そして、その無責任な感覚を喜んでいるんです。これは合唱人としてはダメだよね。

 どう無責任なのかと言うと「自分自身はきちんと歌えなくても、パートとして歌えてりゃいいや(だから、そんなに真剣にならなくてもいいんだよな)」という感覚。本来、合唱人としては「自分は合唱の一部を担う人間として、全力を尽くして歌おう」と思うべきなんだろうし、それは理屈では分かるんだけれど、感覚的には「…楽しよう」って思っちゃうわけです。ほんと、合唱には不向きだよね。

 実際に、このシンガロングに備えて、自主練をしてきましたが、その自主練だって、めっちゃめっちゃ甘めの練習でしたもの。きちんとメロディの音程やらリズムやらを把握していなくてもOKという基準でドンドン練習していたからね。

 ほら、なにしろ、自分がきちんと歌えなくても、合唱なら、周囲がきちんと歌っているから、それに合わせればいいわけでしょ? いわば、カラオケなら『ガイドメロディに合わせて歌えばいいじゃん』状態ですね。いやあ、無責任無責任。

 だから「ちゃんと歌おう」よりも「楽しんで帰ろう」が、私の中では優先されていたわけです。ああ、ほんと、合唱を真面目にやっている人に怒られそうな私です。

 こんなゆるい感じでシンガロングに臨んだ私です。ですから、必ずしもきちんと歌えたわけではなく、あっちで落ちたり、こっちで落ちたりとかしてました。まあ、変な音を出さないように、自信のないところとか、周囲に合わせられそうもないところは、率先して、傍観者になっていました。

 で、とにかく、合唱全体を壊さないように気をつけていました。

 歌っていると、たまに私しか歌い出さない時が何度かありました。最初は「あれ? 間違えたか? ヤバイ!」とか思って、そういう時は、すぐに引っ込みましたが、それを何度か繰り返しているうちに、実は私だけが合っていて、周囲が総崩れだった事が分かり、練習不足なのは、私だけではないと分かりました。その後は、周囲がついて来なくても、マイペースで歌いました。まあ、私が引っ張れるところは引っ張り、他の方が引っ張っている時は、それについていく…という緩さですね。実際、私も何度も落ちましたし(笑)。

 あと、何よりノドが痛かったんですね。ですから、ノドを第一に考えて歌いました。

 ノドが痛い時は、とにかくノドを使わずに歌うのです。しっかりお腹で息を支えて、ポジションは高くして、声を絶対に張らずに、息を流して歌う。これが出来ないと、ノドが痛くなりますので、本当の本当に気を使って歌っていました。自分的には、正しい発声で、ごくごく軽く控えめに歌っていたわけです。

 そんな控えめヴォイスで歌っていた私ですが、ソプラノパートにいた妻によれば、私はいつものように“突き抜けた声”で歌っていたそうです。遠く離れたソプラノからでも、私の声はよく聞こえたそうです。ああ、合唱を壊すつもりは毛頭ない私なんですが、こればかりは声質の問題もあって、例によって、合唱クラッシャーになっていたそうです(汗)。

 ちなみに、テノールパートには、私以外にも、数人、突き抜ける声の人たちがいたそうで、妻が言うには、突き抜けた人たちは突き抜けた同士で合わせて歌っているように聞こえたんだそうです。しかし、その“突き抜けたーず”とその他のテノールパートが全然合ってなかったそうです。指揮者さんは苦労したことでしょうね。

 そうそう、懐かしく感じた事もありました。それはメリスマ(いわゆる十六分音符が羅列されている箇所ね)の歌い方です。私はそういう箇所に限らず、フレーズ全体を滑らかに歌うように心掛けていますし、すでにそれか癖になっています。でも、合唱畑の人って、決してフレーズを滑らかには歌わないんですよね。どっちかと言うと、メリハリをきちんとつけてカクカク歌うんです。大勢で合わせて歌うためには必要なことなのかもしれません。でも並んで歌うと、全然違うので、思わずニコニコしちゃうわけですよね。いわばメリスマの箇所を私が「ア~~~~~~」と歌っているとしたら、隣の人は「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…」と歌っているわけなんです。ああ、ほんと、懐かしい。私も以前は「ハッ、ハッ、ハッ…」と歌っていたわけで、それを直されて今があるわけですからね。

 このあたりの歌唱法の違いは、ソロと合唱のスタイルの違いなんだと思います。、

 話題を私の事から離してみると…参加者の大半が、人生の先輩ばかりで、先行きがとても心配になりました。無論、参加している人たちはお元気な方々ばかりなのですが、失礼だけれど、このうち五年後、十年後もお元気な方って、どれだけいらっしゃるのかな? たとえ体は元気でも、声はドンドン衰えていくわけです。いや、すでに全盛期から比べれば、衰えが隠せない人もとても多そうでした。人間ですから、どうしたって衰えますし、それはそれで受け入れるべきだと思います。でも、それは個人の話。団体としては、先輩たちが衰えた分、後輩たちが頑張ればいいのですが、このシンガロングに限らず、合唱界には、いわゆる後輩たちが、なかなか入ってこないんですよね。だから、全体としてもドンドン衰えてしまい先細ってしまうわけです。だから先行きが心配になるのです。

 それって、歌う人もそうだけれど、このシンガロングを支えているスタッフの人たちにも同じことが言えます。働いている方々は、高齢者ばかり見受けられるけれど、大丈夫かな…って思いました。

 別に、このシンガロングだけに限らず、合唱界全体に激しい高齢化の波が押し寄せているのは事実だし、実際、ドンドン(混声)合唱団が無くなっています。このシンガロングにしても、次回、本当にやるかどうか(できるかどうか)は「これから考える」と、会の最後に司会の方が言ってましたしね。

 まあ、このシンガロングに限らず、合唱関係のイベントは、今後ドンドン激減していくでしょうから、今のうちに参加できるものはドンドン参加していかないといけないなあって思いました。「ああ、参加したかったのに、無くなっちゃったよ」と愚痴らず済むようにね。

 私もかなり緩い覚悟で参加した今回のシンガロングでしたが、実際に、かなり緩かったです。歌っている時は、自分は楽器の一つになっていて、演奏の状況などよく分かりませんが、傍観者になって、演奏を聞いている時は「こりゃあ、大変だな」って思ったものです。まあ、幸い、シンガロングには純粋な観客はいないので、いくら大変でも全然構わないのですが。

 もしも、来年も開催されるようなら、私のスケジュール次第ですが、また参加したいなあって思いました。今回、きちんと練習できずに、当日は傍観者にならざるをえなかった数曲もしっかりと予習しておいて、もうちょっとちゃんと歌えるようになっておきたいです。と言うのも、やはり、ちょっとでも若い人間が、色々な点で支えていかないと、マズいなあって思ったからです。で、もしも私にできることがあるなら、それはしっかり歌う事かな…って思ったからです。

 だからと言って、責任を感じたわけでは全くなく、やはり根本的にお気楽で無責任な感じなんですけれどね。

 とにかく、楽しかったです。で、当日は、ノドがちょっぴり痛いくらいの私でしたが、翌朝から、いきなり激しい腹痛に襲われた私でした。どうやら、会場でもらって帰ってきたみたいです(涙)。ああいう閉鎖空間に大勢の人間が集まって、歌う(って事は、激しく呼吸をする)と、空気感染的なモノは、どうしてももらってきますよね。こちらが元気いっぱいなら、問題なくても、ちょっとでも参っていると、こうやってつらい目に合うわけです。まあ、私は「…お腹痛い(涙)…」で済みますが、これがご老人だと命取りになったりするわけで…皆さん、大丈夫だったかな?

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2015年1月14日 (水)

上手くても物足りない演奏

 去年の年末、某G音楽大学のメサイアを聞きました。さすがに日本のトップレベルの音大生たちが束になって取り組んだメサイア演奏です。実に上手な演奏でした。特に、合唱なんて、あれだけの人数で歌っているのにも関わらず、クリアな合唱で、メロディラインも歌詞も、実によく分かりました。ほんと、お手本として聞くなら、最高の演奏だったと思うし、あれだけの高水準な合唱は、なかなか聞くことは出来ないと思います。

 合唱も高水準だったけれど、オーケストラも、ソリストたちも実に高いレベルで演奏をしていました。

 …と書くと、べた褒めっぽいですが、実はそうでもないんです。

 技術的に上手であることと、観客を魅了したり、満足させるのは、全くの別物だということです。しかし、今回に関して言えば「エンタメ性が乏しい」とか「観客に聞かせる事を念頭においていない」などとは言いません。エンタメ性に乏しいなんて事は無く、演奏者たちは観客の心を揺さぶる演奏を一丸となって行っていました。

 じゃあ、問題はどこにあるのかと言うと…会場にあります。会場が大きすぎたのです。

 今回の演奏は東京文化会館大ホールで行われました。このホール、5階建てで2300席以上もある、本当に大きなホールです。そして、この大きなホールで演奏するには、今回のオーケストラや合唱では、あまりに規模が小さく、ソリストたちもこのホールで歌いには、甚だパワー不足であっただけなんです。今回のG大の演奏規模なら、会場の大きさは、せいぜい1000席程度かな? このくらいの規模のホールなら、実に適切で魅力的な演奏になった思いますが、あの東京文化会館大ホールでは、ホールが大きすぎた…と思った次第です。

 クラシック音楽では、演奏するのにP.A.システム(俗に言う“マイクとスピーカー”)は使わないのですから、演奏する際には、その演奏者たちに適した大きさの会場で演奏するか、あるいは演奏会場の規模に応じた演奏者たちを集めないといけません。そこに齟齬が生じると、クラシック音楽の場合は、色々と不都合が生じて、うるさすぎたり、物足りなさを感じたりするわけです。ポピュラー音楽ではP.A.システムがあるため、一人の歌手が巨大な競技場でも場末のクラブでも、その両方で同じような演奏をすることも可能ですが、クラシック音楽では、演奏者と演奏会場の組み合わせが、演奏の質に大きく関わる要因となります。

 今回のG大の演奏者たちには、今回のホールは大きすぎたと思います。今回のホールの大きさに対応できたのは、おそらく男声合唱とトランペットとティンパニーぐらいじゃないかしら? 女声合唱も弦合奏もソリストたちも、極めて上手なんだけれど、全然物足りなかったです。

 合唱の規模をもっと大きくする事は出来なかったのかしら? オケも人数を増やすわけにいかなかったのかしら? ソリストは…そもそも古楽の声楽を勉強しているような人に、あのホールは不向きでミスマッチだったと思います。あのホールは、オペラ向きでしょう。かと言って、オペラの声楽を学んでいる人たちに、メサイアを歌わせるのでは、演奏者と歌唱スタイルにミスマッチが生ずるわけだし…やはり、演奏会場が合っていなかったというべきなのかもしれません。

 幸い、私は砂かぶりの席(って言い方も変ですね)に座っていたので、そのような演奏でも楽しむ事ができましたが、会場の反響音の乏しい演奏音は、いくら上手であっても、多少なりとも聞き苦しさを感じるものです。ましてや、ホールの中央部の席だと、一体どんなふうに聞こえたんでしょうね。実に丁寧で上手な演奏をしていただけに、音が会場を拡散してしまっていたのでは、不満足にしか聴こえないと思います。

 良い演奏だっただけに、会場の大きさとのミスマッチが、とても残念に思えたのでした。

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2014年7月28日 (月)

財布が寂しいけど、音楽をやりたいなら…

 発展途上国とか先進国でもスラム周辺とか、つまり貧しい人々がたくさんいる場所では、スポーツと言えば、まずサッカーなんだそうです。決して、野球とかゴルフとかでは無いそうで、貧しい地域ではサッカーが盛んなんだそうです。

 理由は…サッカーはボール一つあれば、他の道具がいらず、大勢が遊べるから…なんだそうです。おまけにサッカーボールと来たら、かなり大きいから無くなる事もまず無いし、バスケットボールやバレーボールのように、よく跳ねるボールでなくてもいいので、極端な話、ボロ布を丸めてまとめたようなものをボール代わりに使っても全然かまわないのだそうです。

 さらに、正式な試合となれば話は別だろうけれど、遊び程度なら、コートの大きさもゴールの大きさもいいかげんでいいし、人数もアバウトでいいし、ユニフォームだっていらないし、空き地にラインを書いて、ボールを持って、みんなで集まれば、それでOKなんだから、ほんと、金がかからないわけです。

 そこへ行くと、野球ならバットにボールにグローブが必要だし、ボールはすぐに無くなるから予備が必要だね。ゴルフならクラブとボール(予備含む)と…ゴルフ場が必要だね。他のスポーツでも、ネットが必要だったり、よく弾む良いボールが必要だったり、ラケットなどの専用の道具が必要だったり、専用の競技場が必要だったり…ね。乗馬なんか、馬を飼っていないとできないんだよね。ほんと、お金がかかります。

 つまりスポーツには、お金がかかるスポーツとかからないスポーツがあるわけです。

 そこへ行くと音楽は…基本的にお金がかかるものばかりです。まず、楽器が必要でしょ? で、その楽器というのがピンきりだけれど、そこそこ高価だったりします。ポピュラー音楽に使う楽器は、それでも常識的な価格でおさまっていますが、クラシック音楽で使う楽器は、基本的に非常識な値段なのがほとんどです。

 総銀フルートが一本100万円? グランドピアノが1台150万円? ヴァイオリンが時価??? 絶対に奇怪しいでしょ?

 でも高いからと言って、楽器無しというわけにはいきません。まあ、初心者用に廉価な楽器、例えばフルートなら洋銀フルートが、ピアノなら電子ピアノが、ヴァイオリンでも安い輸入楽器セットがあったりしますし、それで最初は十分かもしれないけれど、腕が上達すれば、すぐにそれらの楽器じゃ物足りなくなって高価な楽器に買い換えたくなるわけで、最初はなんとかなっても、やがてそれなりのお金がかかるようになるわけです。

 結局のところ、なかなか貧乏人では音楽を学ぶのは、とりわけクラシック系の音楽を学ぶのは、難しいです。

 安くて良い楽器があればいいのだけれど、楽器の世界って、きちんと市場が確立しているので、楽器の値段と楽器のグレードはキレイに関連しています。楽器を見極める力がない人はともかく、ある程度真面目に音楽をやっていれば、良い楽器と悪い楽器の区別がつけられるようになるわけだし、そうなった時に、良い楽器(=高価な楽器)を入手できないのは、とてもとても悲しい事です。

 そんな事は、皆さん薄々知っているわけです。だから、例えばヴァイオリンなら、ヴァイオリンを自分が始めるにしても、子どもに習わせるにしても、数年おきに楽器を買い換える必要がある事を頭の片隅にインプットして、経済的な負担がかかる事を覚悟してから手を伸ばすわけです。つまり、音楽を始めるには、経済的な覚悟が必要だって事ね。覚悟が出来ないなら、演奏を諦めて、鑑賞の方に身を置くしかないのです。

 さて、金持ちしか音楽は学べないのかと言えば、実はそんな事はありません。

 音楽に、お金がかかる一番の理由(と思われているの)は、楽器の購入とそのメンテナンスなんですね。だから、そこをパスできれば、それなりにお金をかけずに音楽を学べるわけです。

 つまり、楽器を使うからお金がかかるんだから、楽器を使わなければいいんです。

 楽器を使わない…そうです、歌です。歌えばいいんですよ。声帯はすべての人間に標準装備されていますから、改めて購入する必要はないんです。「ヴァイオリンはお金がかかる~」と嘆いたり「安い楽器でも大丈夫」とホラを吹くくらいなら、ヴァイオリンでなく、歌を始めればいいんですよ。

 もちろん、才能の有無はありますから、生まれた時から素晴らしい歌が歌える人もいるけれど、練習に練習重ねて、やっとなんとか歌えるようになる人もいます。でも、歌えない人って(脳や耳に障害がない限り)いません。苦労はするかもしれないし、たいして上手くはなれないかもしれませんが、どんな人でも最終的には歌えるようになります。少なくとも、趣味として楽しめる程度には歌えるようになります。

  お金もかからないし、努力さえすれば誰でもソコソコには上達するのが、歌なんです。だったら「音楽やりたいけれど、お金がない」とか「お金がかかるので音楽できない」と言っている人たちは、ぜひぜひ歌をやってみてください。

 お手軽なところではカラオケがあります。もう少し本気を入れるなら、バンドのヴォーカリストを目指してもいいでしょう。私のようにガチなクラシック音楽が好きなら、オペラとかリートなどのクラシック声楽もいいでしょうし、肩肘張らずに、ポピュラーとクラシックの中間あたりをお望みだったり、一人で歌うのは恥ずかしいと思われるなら、合唱をやってみるのもアリです。

 案外、歌う場所ってあるもんです。

 でも(あえて言うけれど)日本の、とりわけ男性にとって、音楽って楽器演奏なんだよね、決して歌じゃないんです。バンドなんかでも、メンバーのほとんどは男性なのに、ヴォーカルだけは女の子ってのはよくあるパターンです。「日本男子と言うのは歌わないもの」という取り決めでもあるんじゃないかというくらい、男性にとって、音楽とは楽器演奏の事であって、決して歌ではないのです。

 でも、それってどうなんだろうね。楽器もいいけれど、歌も楽しいよ。楽器には楽器の楽しみがあり、歌には歌の楽しみがあると思います。これは笛と歌の両方をやっている私だから感じることかもしれないけれど、どちらもそれぞれに違っているけれど、それぞれに楽しいです。

 だから、経済的な理由で音楽を躊躇しているなら、ぜひぜひ歌をやってほしいと思うんです。特に日本男子は、歌うべきです。食べず嫌いならぬ“歌わず嫌い”はダメだと思いますよ。

 「少年よ、お金に余裕がないなら、歌を歌いなさい!」

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