ひとこと

  •  小室哲哉氏が引退なんだそうです…が、なんか違和感があるなあ。“引退”って、表舞台にいた現役の人が、その仕事を辞める事で、大抵の場合は現役から裏方に回って、次の人たちを支えるポジションに移行することで、歌謡界で言うなら、人気アイドル歌手が引退して、作曲家になったり、プロデューサーになったりする事じゃない。で、小室氏は、顔出ししていたけれど、そもそもが作曲家&プロデューサーであって、裏方仕事の人でしょ? 裏方仕事の人の引退って…それはその業界から去ることを言うのだろうから、それは引退ではなく、廃業って言うんじゃないの?
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カテゴリー「ダイエット&エッセイ」の記事

毎週のダイエットの記録と、私の生活エッセイです

2018年1月21日 (日)

タクシーアプリって、スグレモノ

 私は割りとタクシーを利用する人なのかもしれません。

 声楽のレッスンに行く時は、原則的にタクシーを利用していますし、そうでなくても、何かかにやと言い訳をしてタクシーに乗っています。

 私のタクシーの使い方は、都会で多く見られる“流しのタクシーを拾う”という使い方ではなく、タクシー会社に連絡をして、自分が今いる場所に配車してもらって利用する…というやり方です。ま、電話一本で車をまわしてもらっているわけです。と言うのも、都会とは違って、こちらではタクシーって駅前から乗るのが普通で、町中を走っているタクシーって、ほぼフリーではなく、お客さんを乗せて走っている車ばかりなので、町中でタクシーを拾うのは、なかなかに試練なのです。ですから、チャチャッとタクシーを使いたければ、タクシー会社に電話して配車してもらう方が全然合理的なのです。

 タクシー会社に電話をする…となると、当然、ご贔屓の会社が生まれ、いつも同じ会社に連絡するようになります。で、一つの会社をずっと利用していると、色々な営業努力をしている事に気づきます。

 以前、気になったのは、ご贔屓のお客さんに磁気カードを渡して、よく行く場所を登録しておくというサービスです。3箇所まで登録できるので、自宅と会社ともう1箇所を登録される方が多いと聞きました。これは結構便利でした。と言うのも、タクシーに乗った時に、道案内をしなくてもいいからです。有名な場所(例えば駅とか寺社仏閣とか)なら道案内は不要でしょうが、自宅に帰るとなると、まず普通のタクシーの運転手さんは私の自宅を知らないので、いちいち毎回道案内をしないといけないのですが、このカードを使うと「自宅をお願いします」と言えば、寝てても自宅まで送り届けてくれます。ほんと、便利です。近所の温泉から帰る時によく便利に使ったものです。

 タクシーを電話で呼ぶのは、普段は割りとスムーズなのですが、悪天候の時などは、なかなか電話が繋がらなかったり、繋がっても「今、車がすべて出払っていて、30分ほどお待ちください」と言われる事もあります。いや、30分ならまだマシで、1時間待てとか、今日は無理と言われて断られてしまう事もありました。そういう事をある時、タクシーの運転手さんにグチったら、優先番号と言うのを教えてもらった事があります。お得意さん専用回線とでも言う番号で、その番号から来た配車依頼は優先するというヤツで、この番号による配車で、だいぶ助かったものです。

 またタクシー会社に電話をすると電話料金がかかるわけですが(当たり前)、お得意さん用のフリーダイヤルってのもあって、そちらからかけると電話代はタクシー会社持ちになりました。

 ちなみに、優先番号とフリーダイヤルとでは、どちらの配車を優先するのかと尋ねた事があります。その時の答えは…フリーダイヤルの方でした。つまり“フリーダイヤル>優先番号>一般回線”という順番だったようです。

 とは言え、電話を使ったこれらのサービスも、今は昔で、どの会社も経費削減のために、電話オペレーターの数を減らしたり、電話回線を減らしたりしているようで、私が贔屓にしていた会社も、だいぶ前に優先番号を止め、フリーダイヤルも昨年で止めてしまいました。(磁気カードのサービスは、かなり前に止めてました)

 じゃあ今はどんなサービスをやっているのかと言うと、タクシーアプリによるサービスです。つまり、スマホでタクシーを呼んでね!というサービスなんです。

 これ、結構便利なんですよ。

 まず、何が便利かと言うと、タクシーを呼ぶ時に、自分の居場所とか、ここにタクシーを呼んでほしいなどの場所の説明をしなくていいんです。アプリを立ち上げると、まず現在地の地図が表示されるので、そこで良ければ、その場所をタッチする事でタクシーを呼ぶことができます。現在地でない場所にタクシーを呼びたければ、地図で場所を指定してタッチすればOKです。電話で場所を説明するよりも、スムーズで簡単です。

 ワンタッチで配車をお願いすると、タクシーが来るまでの所要時間が表示されますし、予約したタクシーが今どこにいるのかも地図に表示されるので「まだまだ時間がかかりそうだな」とか「あの道の角に見える頃だな」と分かって、タクシー待ちでイライラする事もありません。

 私は使っていませんが、他にも色々な便利な機能があるようです。

 例えば、タクシーを呼ぶ場所の登録ができるので、いつも同じ場所からタクシーを利用するなら、その場所を登録しておくと簡単に配車予約ができるです。また、タクシーを呼んだ時に、行き先も指定すると、タクシーの乗車時間と料金も分かります。また、行き先も登録できますから、いつもの場所に行く時は、道案内をしなくても、その場所まで連れて行ってくれるようです。その上、事前予約も可能ですから、この日のこの時間にタクシーに乗る!と決めてあるなら、数日前から配車予約をして、予約時間ビッタリにその場所まで車で迎えに来てくれるんだそうです。

 いやあ、便利ですね。

 まあ、タクシーというのは、地域密着型の交通機関ですから、そういうサービスをやっている地域や会社がある一方で、まだまだ旧来型のビジネス展開をしているところもあって、タクシーアプリのない会社もあると思いますが、ほんと、タクシーアプリって便利なんですよ。タクシーをよく利用するなら、一度、タクシーアプリの有無を調べてみるといいですよ。

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2017年12月24日 (日)

皆さん、喫茶店には行かれますか?

 私はたまに行きます。行く目的は…時間つぶしか、休憩か、そのいずれかです。

 時間つぶしと言うのは、外出先で、たとえば映画を見ようと思ったけれど、映画の時間まで、まだ1時間ぐらいあるよ、どうしよう…って時に、喫茶店に入って時間をつぶします。こういう時は、目的が時間つぶしなので、喫茶店ではなくても、全然かまわないわけで、昔なら、本屋に入って時間を潰したものですが、今は体力も無くなり、できれば座りたいので、喫茶店をチョイスするわけです。

 休憩はずばり休憩であって、外出先で疲れた時に、座ってお茶を飲むために喫茶店に入ります。

 で、実際に入る喫茶店は…スターバックスやドトールなどの今風のチェーン店のコーヒー屋が多いです…ってか、町中で目立つ喫茶店って、たいていこの2店なんだよね。また、喫茶店の代わりに、ファミレスにも行きます。だって、ファミレスって、喫茶店の上位互換でしょ?

 若い時は、休憩とかお茶を飲むよりも、友人たちとの時間を楽しむために喫茶店に行きました。例えば、滝沢とか、ルノアールなどの、お茶を出した後は気兼ねなく放置してくれる、ゆったり系の喫茶店によく行きました。コーヒー代は安くなかったけれど、場所代だと思えば、気になりませんでした。気の置けない男友達たちと話す時は、たいていこれらの店を使いました。

 そう言えば、デートでもよく喫茶店は使ったな。ちなみにお茶はルノアールで、食事をする時は、たいていブラスパロット(不二家のレストランのハイブランド、おしゃれな感じがしてました。今はもう無くなっちゃいましたけど…)に行きました。で、食後のデザートはコージーコーナーに行ったモンです。これが学生時代のデートの定番メニューでした。

 若い時は、町中でよく見かけた純喫茶(ビルが一つ、まるまる喫茶店なんて店もよくありました)も、最近はとんと見かけなくなりました。以前、よく通った横浜の純喫茶に久しぶりに出かけてみたら、パチンコ屋になっていて、びっくりしました。純喫茶に限らず、今は町中で見つける喫茶店の数自体が減ったんじゃないかって思います。で、たまにみかける喫茶店も、たいていチェーン店でしょ? 昔はどこにでもあった、個人経営の趣味の良い喫茶店が、ほんとに無くなりました。

 若い時は、友人たちとしゃべったり遊んだりするために喫茶店に行きました。だって、いい年した若いものが道端で話し込むわけにはいかないし、公園とかじゃ、夏は暑くて冬は寒くて我慢ならないものね。

 今の若い子たちは、友人たちとおしゃべりをする時は、どこに行くのかと尋ねたら、マックやミスドなどの、軽食系のチェーン店が多いみたいです。ああ、なるほどね。あの手の店って、我々の頃は、今ほど普及していなかったからなあ…。あと、お茶じゃなくて軽食系なのも…今のスタバやドドールって、おしゃべりをするって雰囲気じゃないものね。

 時代が変われば、色々と変わります。

 昔はあった名曲喫茶も…懐かしいなあ。今はクラシック音楽も手軽に聞ける時代になりましたが、昔はクラシックは高価なステレオじゃなきゃダメって雰囲気があって、でも、高価なステレオ装置なんて、なかなか個人じゃ買えないから、名曲喫茶で音楽を聞く…というスタイルがあったそうです。私もたまに行ったけれど、私は音質にはさほどこだわらない音楽ファンだったので、そのありがたさがよく分からなかったよ。でも、クラヲタの友達と名曲喫茶で過ごした時は、至福の時間だったなあ。

 私は甘いものが好きなので、昔は喫茶店に行くと(今ならファミレスに行くと)パフェとかアイスとか頼んでしまうのですが、連れの女性がコーヒーとか頼むと、たいてい店員は、パフェを彼女の前に、コーヒーを私の前に置くんだよね。男は甘いものを食べないってイメージがあるんでしょうね。

 パフェと言えば、昔、横浜にパフェを大きな器で提供する喫茶店があって、それを我々は「金魚鉢パフェ」と呼んでいました。いや、ほんと、金魚鉢のような器にアイスがたっぷり入っていたんだよ。私はたまにその店に行ってパフェを食べたんだけれど、さすがにその店は女の子だらけだったので、男一人(あるいは男の集団)では入れず、よく女の子たちに頼んで、同伴してもらって、パフェを食べに行ったものです。

 子どもの頃、母と一緒に入った喫茶店で、ソーダ水を頼むと、真っ青なソーダ水が出てきたものです。真っ青だよ(笑)。当然、食品添加物の合成着色料ってヤツをふんだんに使っているわけだし、今じゃ見ることも出来ないだろうけれど、なんか懐かしいなあ。

 喫茶店の話をし始めると、なんかとめどもなくなってしまって、まとまりのない話になっしまったけれど、ごめんね。

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2017年12月17日 (日)

意外に知らなかった…

 お店の資本関係とブランドの関係と言うのは、分かりづらく、また分かりづらくする事で、企業はうまく立ち回って商売をしているわけです。

 フルート業界で言うと、アルタスとアズミとジュピターの関係みたいなモンです。

 で、最近知って、びっくりしたのが、中華東秀の話です。中華東秀というのは、中華料理のチェーン店です。東京や神奈川県などの限られた地域でローカルに展開しているので、知らない人の方が圧倒的に多いのでしょうが、ここは安くて美味しくて、メニューも豊富で、ほんと、大衆中華料理店の見本のような店で、私、大好きな店なのです。

 で、この中華東秀と、オリジン弁当が同系列の会社だったって知りませんでした。正確に言うと、中華東秀が弁当事業を始めて、それがオリジン弁当になったわけです。

 今や、本家の中華東秀よりもオリジン弁当の方が有名になっちゃったわけね。

 で、その中華東秀やオリジン弁当は、元々は日本の会社だったんだけれど、今は買収されて、イオンの子会社になっちゃったんだそうです。オリジン弁当がイオンに吸収されたという話は知ってましたが、中華東秀もイオンだったなんて…レジでワオンが使えるのは、なんか不思議な感じがしていたのですが、そういう理由だったそうです。

 また、近所のスーパーが地元スーパーからマックスバリュに変わりました。マックスバリュはイオン系だという事は知っていましたが、実はイオンに買収される前は、ヤオハンだったんですよね。ヤオハンが経営破綻をしてイオンに買われてマックスバリュになっちゃったわけです。

 ヤオハンと言えば、熱海発の、一時は世界進出も果たした大スーパーマーケットなわけで、熱海にシンパシーを感じている私にとっては、全く見知らぬ会社ってわけじゃありません。なんか、昔、お世話になったお姉さんが、知らない間にお嫁に行って名前を変えて、オバサンになって、そんなオバサンと久しぶりに会って「ああ、オバサンは、あの時のお姉さんだったんだね」って感じがしています。

 それにしても、毎日の食材を買っているスーパーの、旧マイカルは、今やイオンスタイルになってしまったし、我が家の最寄りの映画館はシオンシネマだし…知らぬ間に、私の人生はイオンに取り込まれているじゃん。もしもイオンに何か起こったら、私の人生、一気に混乱してしまうじゃないか!

蛇足 と言う訳で、我が家の買い物はイオンで済ます事が多いのだけれど、個人的にはイトーヨーカドーの方が好きです。なんか、並んでいるモノが私好みなんだよね。コンビニもセブンイレブンが好きだな…近所にないけれど。

蛇足2 イオンスタイルもマックスバリュも同じイオン系だけれど、品揃えが微妙に違っていて、イオンスタイルはなんでもかんでも豊富に揃っているけれど、マックスバリュは私の心を惹き付けるモノばかりがセレクトされて売られているような気がします。だから、マックスバリュに行くと、なんか心がザワザワします。さすがは、元ヤオハン!

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2017年12月10日 (日)

コンビニが無くなると…不便じゃないですか?

 …じゃないですか? でしょ?

 ウチの近所の、徒歩1分の、我が家の冷蔵庫代わりにしていたコンビニが先月閉店してしまいました(涙)。もっとも、廃業したわけではなく、跡地に別コンビニが開店する予定になっているものの、開店時期は来年の1月中旬なわけで、二ヶ月近くもコンビニが無いんです。年始年末のコンビニがとっても重宝する時期に、コンビニが無いのです。

 ああ、悲しい。

 近所のコンビニが無くなると、本当の本当に困りますし、困っています。

 で、次に近いコンビニ…徒歩約10分くらいの場所にコンビニがあって、そこをやむなく使っていたのですが、その店も、みるみる棚から品物が消えてしまいました。あれあれ、なんか変だなと思っていたら…その店は…なんと、今週で閉店なんだそうです。おっと!

 次に近いコンビニ…って言うと、どこも徒歩30分前後はかかります。ああ、遠い(涙)。

 コンビニってのは、気軽にフラッと寄れる店であって、いずれも徒歩圏にあるのも…という前提が私の中にあるので、近所のコンビニが2軒とも閉店と言うのは、キツすぎます。

 まあ、ウチの近所に限った話ではなく、近隣のコンビニが次々と改装による閉店、または廃業していってます。改装による閉店であっても、1~2ヶ月は閉店していて不便だし、廃業されちゃうと、それこそ不便不便です。

 それにしても、コンビニ、減ったなあ…。以前は、それこそ、100mおきにコンビニが林立していた(ような感じ)だったのに、今はほんと、コンビニ減りました。実はほんの数年前までは、徒歩10分圏内には、あと3軒のコンビニがあったのに、それらは少し前に廃業してしまっていました。

 コンビニが無いと、コピーが出来ないし、小腹がすいても何も買えないし、雑誌も買えないし、お茶も買えない。まあ、食料品程度なら、コンビニが無くても、近所のスーパーに行けば間に合うとは言え、なんかスーパーって、コンビニと比べると、あまりお手軽感が無いんだよね。主婦ならともかく、オジサンには、コンビニの方が精神的に入りやすいんです。

 コンビニって、日常生活のオアシスだよね…。いやあ、ほんと、コンビニ無くなって、アレコレ困ってます。

 もう、コンビニの無い生活なんて、想像できません。こんなライフスタイルの私は、到底田舎じゃ生きていけません…って。

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2017年12月 3日 (日)

読解力が無い…じゃ済まされない話

 皆さんは、次の1)の文章と、2)の文章、同じ内容だと思いますか、思いませんか?

1)幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。

2)1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

 また、次の文章を読んで、オセアニアに広がっている宗教は何だか分かりますでしょうか?

3)仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。

 
 
 
 
 
 
 答えです。1)と2)はもちろん、同じ内容ではありません…ってか、2)は内容的に間違っているよね。3)は、もちろんオセアニアに広がっている宗教は、キリスト教です。

 実はこの調査、国立情報学研究所による調査だそうです。これは、中高生を中心とした約2万5千人を対象にした調査結果なんだそうです。で、1)2)の問題を間違えた人(つまり、二つの文章は同じ内容だと理解した人)は、中学生は約43%、高校生でも約28%もいたそうです。3)の問題を間違えた人(オセアニアの宗教はイスラム教だと回答しています)は、中学生は約38%、高校生では約28%となったそうです。

元ネタはこちらです。

 この調査が示すものは何かと言えば、中学生では4割の子が、高校生でも3割の子が、文章をきちんと読んで理解する事ができない…って事なのです。

 中学生の4割、高校生の3割…すごく高い割合だと思いませんか? 我々の身の回りを見回した時、そんなに高確率で文章が読めない中高生がいる…とは、とても思えません。もちろん、世の中には低学力の子も大勢いますが、さすがにこの程度の平易な文章が読めないほどの子が、そんなにたくさんいるとは思えません。

 この調査結果を信用するならば、実はこれらの読めない子は、読めないことが悟られていないだけ…で、実はこの調査結果のように、多くの文章の読めない子が存在する…って事なんじゃないでしょうか?

 つまり、本当は文章なんて、ちゃんと読めないけれど、読解力以外の能力を駆使して判断をしていて、傍目からはきちんと文章を読んで理解しているように振る舞っているだけなのではないか…と、私は思うわけです。だって、本当に文章を正しく読み取って行動しているかなんて、傍目から見ているだけじゃ分からないよね。理解した上で行動しているのか、誤解して動いているのか、何かも考えずに直感で動いているのかなんて…他人の日常生活なんて、そんなに興味深く観察しないしね。

 では読解力に大いに欠ける人たちが、読解力以外の、どんな能力を使って、文章を判断して行動しているのかと言えば…ずばり『ヤマカン』でしょう(笑)。つまり、知的作業ではなく、直感的作業で、文章内容を判断して、日々の暮らしを営んでいるわけです。だって、そうとしか思えないじゃない?

 「ヤマカンって…。すとんさん、いくらなんでも、乱暴…」

 確かに乱暴かもしれません。ならば、ヤマカンという言葉を『キーワード選択』と呼び変えましょう。つまり、文章を(読むのではなく)ザーっと見て、目立ついくつかの単語(キーワード)をピックアップして、そこから自分の都合の良いように組み合わせて、判断する…のです。ほら、ヤマカンとやっている事、一緒でしょ?

 問題に戻ります。1)と2)は、キーワードが全く同じなので、同じ内容の文章だと判断して間違え、3)は『オセアニア』は文章内で『イスラム教』のすぐそばにあるので、“オセアニア=イスラム教”と判断して間違えるわけです。

 こんなレベルのストラテジーしか持ち合わていなくても、日常生活を送るには、大きな支障はないでしょうね。だから、こういう意地悪な(ごめんなさい)調査でもしない限りは、読解力の無さなんて、明るみに出ないわけです。

 そして読解力というのは、我々が思っている以上に、高度な知的作業だと言うことなのです。

 実はこの『キーワード選択』は、人工知能(ってか人工無能というか、単純な演繹だけで物事を判断する装置)が文章を判断する時の基本ルーチンなのです。つまり、読解力のない人は(高度な知的作業を放棄して)人工知能と同じ手続きで文章判断をしているって事になります。

 ちなみに、この基本ルーチンには(当然)限界があって、この基本ルーチンでは判断できない文というのは、山のようにあります。だから人工知能の研究者たちは「人工知能は、文章を判断できても、読み解くことはできない」と嘆いているわけです。だから、上にあるような設問だと、読解力の無い人同様、人工知能は、コロッとひっかかって間違えてしまうんだそうてす。

 人工知能と同じ事をやっていたら、人工知能の方が計算が速いし、扱えるテータベースも大きいのだから、いずれ人工知能に抜かれてしまいます。つまり、読解力のない人間は、いずれ人工知能にとって代わられ、ホワイトカラーの仕事ができなくなってしまうって話なのです。ほら、パソコンって事務仕事得意だからね…。

 逆に言えば、人間が人工知能に優っているのが読解力だから、文章を正しく書き、正しく読める人間、つまり文章作成&処理能力の高い人は、簡単に人工知能に仕事が奪われない…とも言えます。もちろんこれは、人工知能の文章判断ルーチンの発展にブレイクスルーが無ければ…という話ですが。

 それにしても、読解力の無い子って、こんなにたくさんいたんですね。子どもがこれなら、オトナだって推して知るべしです。おそらく、オトナも高校生と大きく変わらない割合で読解力の無い人がいるんでしょうね。

 日本国民の少なからぬ人数の人たちが、読解力が不足しているために、矛盾していたり、大声で叫ぶだけで中身のない発言とか、耳に心地よいだけの言葉、刺激の強い言葉などに惑わされて、その発言者の発言内容を吟味したり、その矛盾を見抜いたり、実現可能性や発言の妥当性などを、きちんと理解して評価できる読解力がないのだとしたら…あああ、なんと恐ろしい事だろう。

 “馬鹿の壁”ではないけれど、いくら正論を述べても、きちんと理解してもらえず、筋道立てて説明しても理解してもらえず、専ら刺激的で耳に心地よい言葉ばかりに反応するだけの人たちが、こんなにたくさんいるなら…民主主義も考えものかもしれません。

 たぶん、マスコミの人たちは、こういう事を、ずっと昔から経験的に知っていたんだと思います。

 なんか、とってもヤバイ箱を開いてしまったような気がします。

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2017年11月26日 (日)

図書館の存在は実に悩ましい?

 先日行われた全国図書館大会で、文藝春秋社の社長さんが、図書館で文庫本の貸出を止めてもらえないかという主旨の発言をしたんだそうです。理由は、文庫本を図書館で貸し出されると、文庫本が売れなくなるかもしれないし、文庫本が売れなくなると、会社が傾いてしまうから…なんだそうです。詳しくは、こちらのサイトをご覧ください。

 この文藝春秋社の社長さん以前にも、新潮社の社長さんが、同じ全国図書館大会で、図書館での新刊の貸出を1年間ほど待って欲しいという発言をされています。これは、図書館で新刊を貸し出してしまうと、新刊が売れなくなってしまい、新刊が売れないと、会社としては困るから…という事なんだそうです。

 まあ本当の問題は、図書館うんぬんではなく、深刻な出版不況が原因なんだよ。景気が良ければ、出版社の社長さんもこんな事は言わないはずです。

 まあ、不況です。出版不況です。これはアベノミクスがどうのこうのではなく、我々の生活スタイルが変わってきた事が一番の原因でしょう。図書館およびそのサービスが近年充実の方向にある事や、インターネットの普及のため、コンテンツの無料化が常識となってきた事、電子書籍の普及、ネット通販の普及によるリアルな書店の衰退、携帯スマホの普及で通信費が家計を圧迫し、教養娯楽費が減ってきている事…本当に様々な原因が出版不況の原因となるでしょう。

 なにはともかく、確かに出版界は不況でしょう。でも出版不況だからと言って、人々は本を読まなくなったわけではなく、本屋で本を買わなくなったたけなのです。で、人々は本屋で本を買わずに、読みたい本は、図書館に行って、無料で借りてきて読むというスタイルに移行する人たちが増えてきたわけです。だから、年々、本は売れなくなってきたけれど、図書館での本の貸出冊数は年々増加傾向にあるんだそうです。

 そもそも図書館、それもいわゆる公共図書館というシステムには、最初っから、色々なジレンマが存在するわけです。

 図書館って、教育機関であって、誰に対しても、知識や情報に平等に接することができる場を与えている施設であって、市民教育の一環を担っている大切な施設なわけです。だから、図書館に納められている本は、知識や情報のデータベースという立ち位置になります。

 また、本と言うのは、常に本屋で売っているわけではなく、世間のごく狭いところにしか流通しない本(専門書の類がそう)もあれば、昔々に出版され、現在では絶版になってしまった本もあります。つまり、本屋に行けば、いつでも必ず目的の本が入手できるってわけじゃないのです。また読みたい/調べたいのだけれど、個人で購入するには高価過ぎる本もあるわけです。それらの本を買い取って収蔵するという役割も、図書館にはあるわけです。

 さらに出版社の中には、一般の人々には売れないだろうけれど、世の中に出さなければならないと判断して出版する本もあります。大手なら赤字覚悟で出版するだろうけれど、中小な出版社だと、これらの書籍を出版する時は、全国の図書館が購入する前提でコスト計算をして出版したりします。もしも図書館がこの世になければ、多くの“売れないけれど世の中に出す必要のある本”が出版されない事になってしまいます。そういう意味でも、図書館の存在は世の中の役に立っているわけです。

 しかし、その一方で、文藝春秋社や新潮社の社長さんたちが言う事にも一理はあるわけです。特にエンタメ系の本だと、その手の影響も強く見られるのでしょう。実際、読みたい本は買わずに、図書館で借りてきて、それで済ます…という人も大勢いるわけですからね。

 「エンタメ系の書籍なんて、図書館で揃える必要なんてないじゃないか?」

 そうは簡単に割り切れないと思います。まずは、どこで誰がエンタメ系かそうではないかの判断をするかが問題だろうし、たとえエンタメ系の書籍であっても、10年20年50年100年経った時の資料的価値も無視できません。出版された当時は、夏目漱石だって芥川龍之介だって、エンタメだったんだよ。ある意味、書籍の価値を決めるのは、今の人ではなく後世の人なのかもしれません。ならば、今の人は今のモノを後世に伝えることが大切なのです。

 私が思うに、図書館で本を貸し出す際に、出版社や著作権者に何のバックも無い事に問題があるんだと思うのです。図書館で本を貸し出すごとに、一定の費用が、出版社や著作権者の手に渡れば、おそらく問題は解決するんだと思うわけです。レンタルビデオを始めとする、各種レンタル品はそのような手続きが踏まれていますし、書籍だって、貸本屋(最近はだいぶ減りましたが、絶滅したわけではありません)で借りれば、レンタル料が発生します。

 唯一、図書館だけは、書籍の貸し借りにレンタル料が介在しないのです。

 ではなぜ図書館ではレンタル料が発生しないのか? 一つには、図書館が、万民に広く開かれた教育機関であるから。もう一つとして、図書館というシステムは、レンタル料うんぬんという概念が生まれる前にできて運営されてきたシステムだから、図書館システムにはレンタル料という考え方がそもそも無いからです。

 図書館は本を買い取る事で、その本の所有権を入手します。つまり買った本は図書館のモノとなります。で、図書館は買い取った本を、教育目的あるいは福祉行為として(つまり商売気抜きで)我々に無料で貸し出しているからです。図書館が本を購入することで、その本は公共の財産となるわけで、その公共の財産を公共の一部である市民らが利用するわけだから、特段のレンタル料などは発生しないのです。

 図書館で買い取られた本が、無料で貸し出されているから、その本が10人に読まれようと、100人に読まれようと、100万人に読まれようと、それは出版社や著作権者には何の関係もないわけです。「ああ、図書館ではたくさん借りられているな…」と思うだけです。

 つまり、人々が本を読む事で、得られる知識なり情報なり、あるいは享楽なりの代償を、本来は本を購入する事で、出版社や著作権者の手元に対価として渡るのですが、それが購入ではなく図書館での貸出となった瞬間に、図書館で購入された分の対価だけしか入らず、その後、人々がその本を読むことで得られる知識なり情報なり享楽なりの代償が、タダ乗りされているのが問題なんだと思います。

 タダ乗りを防止するには…やっぱり、図書館で本を貸し出す際にはレンタル料って必要なのかも…。

 だからと言って(レンタルショップのように)図書館利用者が、図書館から本を借り出す度に料金が発生するとなると、また話は別になるわけです。もしも、図書館の利用に費用がかかるようになれば、誰もが知識や情報に平等に接する事が担保されなくなります。つまり、経済的に余裕がある人しか図書館を利用できなくなり、経済的な余裕のない人は、知識や情報に接するチャンスが大いに減ってしまうのです。これは図書館の教育機関としての存在意義にも関わる由々しき問題と言えましょう。

 では図書館利用者から料金を徴収できないのなら、税金で支払えばいいじゃんと言う人もいるかもしれないけれど、それも違う話です。市民の大半が図書館で本を借りているのなら、それも税金の使いみちとしてはありでしょうが、現実問題として、図書館って、利用する人は利用するけれど、利用しない人は全くと言っていいほど利用しません。

 図書館での貸出者数は、のべで年間1億8千万人ほどという数字があります。これだけを見ると、日本の人口よりも多いのですが、リピーター率というか、一人の人が年間で図書館から本を借りる回数は、平均で年6回だそうだから、ざっくり計算すると、図書館を利用する人は、年間3000万人ほどになるわけです。なんか多いね。この3000万人という数字は、日本人の4人に1人に相当するわけです。つまり日本人の1/4は図書館を日常的に利用していると言えるわけです。

 逆に言えば、日本人の3/4の人たちは図書館を利用しないわけで、税金の使いみちとしては、1/4の人たちしか利用しないサービスに税金を投入するってのは、なかなか大変です。議会が承認するかしらねえ? 税金だって限られているわけだし、優先順位が高い事ってたくさんあるからねえ。

 つまり、図書館で買い取った本の利用に関して、誰もお金を支払わないので、結果として、出版社や著作権者が泣きを見ている…と言うか、出版社や著作権者の好意の元で、図書館運営が成り立っているわけです。

 そりゃあ、出版社とすれば、グチのひとつも言いたくなるわな。

 でも、この問題は簡単に解決できないね。このまま、出版社と著作権者の好意に甘え続けていけば、やがて出版社も潰れてしまい、本が出せなくなるし、出版社から本が出せなくなると、作家の皆さんたちは、いくら作品を書いても、それを発表する手立てとしての出版社を失えば、収入を得るチャンスを失うわけで、日本の出版業界や文学界にとっても、危機的状況になると思うのだけれど、ほんと、どうしたらいいんでしょうね。

 私個人は、図書館をほとんど利用しない人なので、欲しい本は自分で買っちゃう人なんだけれど、だからと言って「図書館なんて無くなればいい」とは思ってません。私は使わないけれど、使う人はいるでしょ? 特に子どもや学生さんたちには、大いに図書館を使って欲しいと思うし、図書館の本で大いに知識を吸収して欲しいと思ってます。

 だって、知識は力だもの。知恵は勇気だもの。図書館がそれらを若い世代の人たちに与えているのなら、それだけで図書館の存在価値が十分にあるってもんです。

 でも、出版業界の不況も見過ごしにはできないわけで、そういうモロモロの事を踏まえて、文庫本は貸さないで…とか、新刊の貸出は1年待って…とか、出版社の社長さんたちがグチるわけです。

 現状、図書館から貸し出した本に関して、出版社と著作権者に利用に関する費用が支払われない以上、図書館およびその利用者である我々も、何らかの譲歩をしないといけない時期にやってきたのかもしれません。出版社が潰れて、作家業が経済的に成り立たなくなったら、元も子もないものね。

 とは言え、最初に言ったとおり、出版不況は図書館だけの責任じゃないから、社会全体を見通した抜本的解決策ってヤツを考えないと、次々と出版社が廃業していくしかなくなるんだろうなあって思います。

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2017年11月19日 (日)

百貨店の生き残る道はどこにあるのか?

 時代が変われば、世の中が変わっていきます。商売のやり方も変わり、流行る店潰れる業界が出てきます。

 昨今で言えば、ネット通販がドンドン拡大していきます。便利で安いですからね。そのため、宅配業者が繁盛しすぎてアップアップになっています。また、ネット通販が普及したため、町の本屋とレコード屋が軒並み潰れました。まあ、本屋に関して言えば、ネット通販だけでなく、コンビニの雑誌販売にも大きく食われてしまったんだろうと思います。コンビニと言えば、一時期、猛烈な勢いで町の酒屋がコンビニに変わっていき、酒屋が壊滅してしまいました。またパソコン&プリンターの普及によって、町の印刷屋さんも潰れちゃいました。名刺と年賀状印刷、あるいは近所の商店のチラシ印刷など、もはや町の印刷屋の出番じゃないですからね。で、そのパソコン&プリンターも普及し尽くしてしまったようで、以前ほどは売れるわけではないそうです。スマホの普及でカメラ業界もガタガタだと聞くし…20世紀の人間にとっては、慣れ親しんだ社会が音をたてて崩れていくのを見るのは、隔世の感があるわけです。ああ、年寄りになったんだなあって肌身で感じるわけです。

 で、そんな時代の流れに飲み込まれ、現在のところ、だいぶヤバイのが百貨店業界なんだそうです。

 百貨店と言うと、何でも売っているというイメージがありますが、そもそもは呉服屋さんだった店が多く、今でも百貨店の主力商品は服なんですが、人々は服を百貨店で買わなくなって久しくなったわけです。

 だって、百貨店で取り扱っている服って高いもの。普段着は買えないよね。普段着なら、大型スーパー(ダイエーとかイトーヨーカードとかイオンとか…)やユニクロなどの普段着を取り扱うアパレル系の店で購入するなり、スーツでも子ども服でも婦人服でも、安売りの専門店もあるわけで、それらの店に行けば十分なわけです。

 どうかすると、よそ行きとか言われる、いわゆる晴れ着だって、そういう店で購入できたりするわけで、なかなかデパートで服を買うなんて、庶民の選択肢から無くなって久しい気がします。

 言われてみると、近隣にある地元密着型の百貨店は、だいぶ消えました。かつて百貨店だったビルは、今や単なる貸しビルとなり、大型電気店が入ったり、今時のお店がテナントとして入店しています。また、一度更地になって、百貨店が出来る前の地元のお店らが復活しているところもあります。今も百貨店として残っているのは、大手の全国展開している百貨店の支店ばかりですが、これらの支店とて、決して楽ってわけではないようです。

 だろうねえ…。

 百貨店が今の人に受けない理由にはいくつかあります。一つは「なんでも売っている」こと。また「良いものがそれなりの値段で売っている」こと。さらには「店舗が広い」こと。私が思うだけでも、3つの理由は簡単に思い浮かびます。

 「なんでも売っている」事は、かつては大きなアドヴァンテージだったと思います。デパートに行って買い物すれば、なんでも揃う…事に魅力を感じていた時代もあったと思いますが、今の人の感覚は、それとは違うんだと思います。今や百貨店は「なんでも売っている」のではなく「たくさんの商品はあるけれど、本当に欲しいものがない」状態になっていると思います。

 “広くて浅い”ではなく“狭くて深い”のが受けるのが現代なのです。これは商店で言えば、百貨店のように「なんでも売っている」店よりも、取扱商品の幅は狭くても、色々とニッチな商品まで揃えている専門店の方を、現代人は好むわけです。

 また百貨店にはバイヤーと呼ばれる、凄腕の目利きの方々が良い品物を選んで取り揃えているわけですが、そのために百貨店の棚に並んでいるものは、品質が良い代わりに、たいてい安くないです。

「良いモノが高いのは当たり前じゃないか」

 そりゃあそうですが、我々の日常生活の中で、良いモノって、そんなに必要ないです。我々に必要なのは、生活に間に合うモノであって、必ずしも良いモノではないのです。だって良いモノって、オーバースペックだったりします。そのオーバーな部分にまでお金を払えるかどうかってところが問題なんだと思います。昭和の時代って、人々は夢を持っていましたから、そういう夢の部分も含めて、お金を支払えたと思うのだけれど、現在の人は冷めていて現実的だから、夢にはお金をかけないんだよね。みんな、身の丈を知っているんだよ。だから、オーバースペックなモノって、贅沢すぎて、受けが悪いんです。

 百貨店って、たいてい店舗が大きいです。店の中を歩いているだけで疲れちゃます。買い物に行って疲れちゃたんでは本末転倒です。昭和の時代は、百貨店に買い物に行くこと自体が一大イベントだから、疲れたってよかったのだろうけれど、現代の客にとって、店なんて、必要な買い物ができれば十分なわけで、めちゃくちゃ広い必要はありません。むしろ、広い店だと、目当てのモノを見つけるまでにヘトヘトになります。だいたい、ネット通販で出掛けなくても買い物ができる時代に、広い店内を歩き回った日には、二度と行きたくなくなるわけです。

 そういうふうに考えていくと、百貨店というシステムは、昭和の時代のシステムであって、今の時代には色々と合っていないわけで、そりゃあ商売が傾いても仕方ないのかもしれません。

 でも、百貨店業界にも人が働いているわけで、そう簡単に業界が無くなってしまっても困るわけです。なんとか、生き残らないといけません。デジカメの普及でフィルムがダメになった時に、フィルムメーカーが化粧品や製薬の分野に乗り出したように、百貨店業界も別の業種に転向する必要があるのかもしれません。

 まあ、私ごときが思いつくような事は、関係者の方々には、すでに経営コンサルタントの方々からさんざん提案されているだろうけれど、まあ、素人が好き勝手な事を書き散らしていると思って、目こぼししていただくことにします。

 百貨店の強みというのは、駅そばの一等地に土地を持っている事…でしょ? じゃあ、その土地に百貨店以外のモノを建てて商売すればいいのよ。で、私が思うに、店舗付きマンションがいいんじゃないの? 駅のすぐそばのマンションって、絶対需要があると思うわけです。ビル全部を店舗にしたりとか、あるいはオフィスビルにするというのもありだけれど、それってどうしても景気に左右されるわけで、商売としては不安がないわけではなりません。そこへ行くと、住宅ってのは、家賃収入としては大した金額ではないかもしれないけれど、駅そばの一等地であれば、恒久的に需要はありつづけると思うわけです。それに低層階を店舗にして貸ビル業をやって、家賃をごっそりいただけば、それはそれで美味しいでしょ? そんな感じでマンション経営をしてみるってのは、いかが! つまり、百貨店から不動産業への転向なんだけれど、決して悪い話じゃないと思うんだよね。立地条件が良いのだから、マンションだって高級タワーマンションにしちゃえばいいわけだしね。そうすれば、その土地土地の金持ち有志たちが入居すると思うんだけれど…いかがかしら?

 あと、駅前と言うと、地方都市だとパチンコ屋がブイブイ言わせてます。でも、デパートがあるような大都市の駅前には、案外パチンコ屋がなかったりします。だからと言って、百貨店がパチンコ屋をやるわけには、さすがにいきませんよね(笑)。でも、カジノならどうなんでしょ? 会員制の高級カジノを大都市の駅前でドドーンとやってみる。もちろん、法改正は必要でしょうが、そんなものは業界から圧力かけて何とかしちゃえば良いんじゃないの? 駅前カジノ…悪くないと思うよ。貧乏人はパチンコ、金持ちは会員制高級駅前カジノって棲み分けなんていいんじゃないかと思います。

 カジノに抵抗があるなら…ブックメーカーも悪くないんじゃないの? とにかく、年寄りの金持ち相手の博打は、これからの成長産業だと私は思うんだよね。そこに手を出さないなんて、ありえないんじゃないかな…なんて私は思うわけです。

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2017年11月12日 (日)

なぜ時代劇が廃れてしまったのか考えてみた

 前回、新作の水戸黄門を熱心に見ている事を告白した私です。

 それにしても不思議に思うのは、私が子どもの頃は、毎週のようにテレビでやっていた時代劇が、現在では、地上波ではほとんど見られなくなってしまった事です。似たようなモノとしては、NHKの大河ドラマがあるけれど、あれは時代劇と言うよりも歴史劇だからね。似てはいるけれど、ちょっと違う。大河ドラマは時代劇じゃあ、ありません。

 時代劇は、別名“まげもの”と呼ばれているけれど、基本的に“ちょんまげ”を付けた人々が活躍する芝居です。時代背景は…おおよそ江戸時代っぽいけれど、必ずしも江戸時代とは限りません。基本的に、時代考証なんてありません。そこんとこは自由みたいです。とりあえず登場人物たちが“ちょんまげ”していれば、後は何をしても良いのが時代劇です。

 そういう意味では、時代劇は一種のコスチュームプレイであり、ファンタジーなのです。ちょんまげさえしていれば、歴史ものをやろうが、現代的なテーマでやろうが、いっそSFをやったっていいんです。“歴史に忠実”をモットーとする歴史劇とは、そこが違います。

 その何でもありの自由さが、今の時代に合わないのかもね。今の人たちは、学歴も上がり、知的な人が増えてきたので、ある意味、ハチャメチャな時代劇ではなく、シリアス風味の歴史劇を好むようになったのかもしれません。

 また、時代劇と言えば、勧善懲悪です。勧善懲悪は分かりやすくていいのですが、これも今の人たちには受けないのかもしれません。今の時代は、正義が見えづらい世の中です。正義が正しいばかりでもなく、悪者にも悪者なりの事情があったりするわけで、とにかく複雑なのが現代社会です。勧善懲悪で割り切れるほど、現代社会は、単純な世の中ではないのです。

 あと、時代劇と言えば、派手な立ち回りが付き物です。いわゆる“殺陣”ですね。正義のヒーローが悪人たちをバッタバッタと斬り殺していくのですが…ヒーローが堂々と人殺しをしちゃ…ダメだよね。それに残酷だし…。そういう部分も今の人には受け入れられずらいかもねえ…。

 さらに言えば、時代劇と言えば、武士たちの主従の関係が描かれたり、町人とお武家様の対立が描かれたり、お家の存続が問題になったりしますが、そういう家父長的な感覚って、今っぽくないよね。今は個人主義の時代だけれど、時代劇と個人主義は…相性悪いよね。

 そう考えると、確かに時代劇って、色々と今の時代とは合わないねえ。

 で、今の時代と合わないと言えば、似たようなものに特撮モノがあります。特撮モノは、基本的にSFだから、あれこれ現実世界とは違った価値観で物語が進行していきます。しかし、時代劇が廃れてしまったにも関わらず、特撮モノは…仮面ライダーにせよウルトラマンにせよ、今でも元気に毎週毎週新作が作り続けられています。それはなぜでしょう。

 と言う訳で、時代劇と特撮モノを比べてみました。

 まず、似たような点です。

 時代劇も特撮モノも、まず物語の本質がファンタジーであり、現実離れをした物語が展開されます。現実離れをしている分、例えば、衣装代(特撮ならばきぐるみ代)がかかりますし、小道具も特注品となり費用がかさみます。スタジオ撮影ならば、いちいちセットを組まないといけないので、やはり制作費がかかります。その代わり、ある一定のお約束を守れば、後は何をやっても自由です。“ある一定のお約束”ってのは、水戸黄門なら印籠を見せるとか、当山の金さんなら背中の桜吹雪を見せるとか、ウルトラマンや仮面ライダーなら変身して戦うとか…ですね。そこさえ押さえておけば、後は何をやってもOKなのが、ファンタジーである時代劇や特撮モノの特徴です。

 一方、時代劇と特撮モノでは違いがあります。その違いが、特撮は元気だけれど、時代劇が廃れてしまった原因になると思います。

 まず、時代劇と特撮モノでは、メインターゲットとなる視聴者が異なります。時代劇の対象は…普通にオトナです。それも年寄りが多いかな? ですから、一度ファンになると、ずっと見続けます。いわば固定ファンが付くわけです。

 一方、特撮モノのメインターゲットは子どもたちです。大きなお友だちも特撮モノを見ないわけではありませんが、それでもやはりメインターゲットは子どもたちです。それもだいたい幼稚園ぐらいから…せいぜい小学校低学年ぐらいまでです。つまり、視聴者の年齢の幅は、せいぜい5年ぐらいでしょうか? いわば5年経つと視聴者がまるまる入れ替わるってわけです。

 ですから、極端な話、特撮モノは同じ話を5年ごとに繰り返しても、全然平気なのです。視聴者は常に入れ替わっているので、同じ話であって、その時見ている受け手にとっては新鮮なわけで、いわば過去の物語の焼き直しの繰り返しでも全くOKなのです。常に古くて新鮮な物語が提供できるのが特撮モノなのです。

 一方、時代劇は…ずっと同じ人が見てますので、同じ話を繰り返すわけにはいきません。しかし、物語の消費度が激しく、毎度毎度新規な物語を提供していくのは、当然無理なので、やがて物語が定型化していき(そうしないと物語の量産化は難しいのです)、それが物語のワンパターン化を生み出し、結果として、同じようで、でも少しずつ違った物語を作り続けていきます。類型化された物語の大量生産、つまりマンネリが発生します。

 お年寄りには物語がマンネリでもいいのです。いやむしろ、マンネリの方が安心してみられるので、むしろ歓迎ですが、若い人間は変化を求めます。いつもいつもマンネリした物語をみせつけられていては、せっかく若い人間が時代劇に興味を持ったとしても、長続きせず、やがて離れてしまい、ますます時代劇ファンの固定化が進んでしまうわけです。

 で、その固定ファンが未来永劫に存在しつづけるなら、それはそれで良いのでしょうが、人間は年齢を重ねると、やがて死んでしまいます。かつてはたくさんいた時代劇の固定ファンも少しずつその数を減らし、今ではだいぶ少なくなってしまいました。これが時代劇の衰退の一つの原因でしょう。

 また、制作側の都合もあります。

 スタジオ撮影は、時代劇であれ、特撮モノであれ、手間暇お金がかかります。そこで、可能であれば、なるべくロケで撮影したいのが制作者側の本音でしょう。スタジオ撮影と較べると、ロケの撮影の方が、あれこれ安価で済むからです。

 実際、特撮モノはロケでの撮影が多いですよ。屋外のシーンだけでなく、屋内のシーンですら、外部の建物を借りて撮影して、制作費を浮かせて、その分の費用を特撮部分の撮影にぶち込むわけです。

 時代劇の場合は…ロケでの撮影が年々難しくなっているんだそうです。と言うのも、時代劇のロケの場合、少しでも現代的な要素がある場所では撮影が不可能だからです。

 ビル街での撮影が不可なのは当然として、普通の田舎道でも、電信柱があればアウトだし、道路が舗装されていてもダメです。自販機なんて論外だし、田んぼはOKでも畑は…栽培している作物(例えばトマトなどの西洋野菜の畑はダメだし、ビニールハウスは論外)によってはアウトです。そういうふうに条件を絞って撮影可能な場所を探していくと…時代劇に適した場所はなかなか無いので、ロケのバリエーションが広がらず、風景が一本調子になりやすいし、結局はスタジオ撮影や太秦などの時代劇専用撮影所での撮影ばかりになってしまうわけです。で、制作費が高額になり、なかなか制作されにくくなり、放送もしずらくなってきた…ってわけです。

 制作費の問題をあげれば、スポンサーの問題にも関わってきます。

 特撮モノは、子供向けの商品を扱っている会社(おもちゃとか食品とか衣料品とか)がスポンサーになりやすいです。でも時代劇だと、今時の会社はスポンサーになりづらいです。

 例えば、自動車メーカーとかパソコン会社、家電メーカーに携帯会社、ゲーム会社にアパレル会社等々は、時代劇のスポンサーにはまずなりません。だって、スポンサーをやるメリットがないもの。自社の製品と時代劇とは、どうやっても結びつかないでしょ? 時代劇のスポンサーができる会社と言えば、製薬会社と保険会社ぐらいかな? 高齢者向けの商品を扱っている会社ぐらいです。

 演じる役者側の都合もあるでしょう。

 特撮モノはSFものですが、芝居の基本ベースは現代劇です。セリフ回しはもちろん、衣装も所作も現代劇と同じですから、それほど演技のキャリアがないような新人でも、なんとか演じる事ができますし、実際、特撮モノは新人俳優たちの登竜門的な役割もあります。

 一方、時代劇は、時代劇特有のお約束事に満ちあふれています。セリフも時代劇特有の言葉が多いですし、セリフ回しも現代劇とは異なります。衣装も違うし、所作も違うし、そもそもちょんまげを付けなきゃいけませんが、ちょんまげをしてしまうと顔が変わってしまうので、それを嫌う役者も多いようです。実際、大河ドラマなんか、歴史モノなのに、登場人物たちがみんな総髪(ちょんまげではなく、今風の髪型)だったりします。空想上の人物が総髪でも、それはありかもしれませんが、歴史上の人物の場合、その人がちょんまげの人なら、やっぱりちょんまげにしないとダメなんじゃないかな? 例えば、織田信長の総髪なんて、ありえないでしょ!

 セリフや台本の問題は、演じる役者だけの問題ではありません。そもそも脚本家や監督などのスタッフですから、ちゃんと分かっているのか不安になるようなケースも、最近の歴史モノでは多々見かけます。歴史モノですらちゃんとできないのに、時代劇で時代劇っぽい時代言葉を使って芝居を制作するって…そりゃあ難しいよね。それに、見ている視聴者たちも時代劇を見慣れなくなったので、若い世代を中心に時代劇の言葉が分からなくなってきているし、そこをいい加減にしてしまうと、今度は固定ファンであるお年寄りたちが文句を言い出すし…。だって、そこらへんをいい加減にしてしまうと、時代劇特有の雰囲気が時代劇から失われ、それが時代劇の輝きを曇らせるようになってしまうわけです。つまりは、時代劇が持っていた、あの特有な“非現実感”が薄れてくるわけで…そこがダメになったら、そりゃあ時代劇も面白くなくなってしまうよね。

 結局、色々と細かい理由はあるけれど、時代劇の衰退は、ある意味、時代の流れに流されただけであり、昔ながらの時代劇なら消えていくしかないわけです。

 時代劇はテレビ番組の1ジャンルにしか過ぎないわけで、その役目を終えて消えて無くなるなら、それはそれで仕方ないし、時代劇は日本文化の一つであるというのならば、今の時代に即したモノに変革していかないと、今の視聴者たちには受け入れられないよね。制作者たちも、そこは分かっているんだと思う。だから、BSなどで時代劇のリブートをしているんだと思う。そうやって、試行錯誤をしながら、今の時代の時代劇を模索しているんだと思います。

 だって、新作の水戸黄門は、昔ながらのテイストを保ちながらも、新しい部分もあって、面白いよ。

蛇足 スターウォーズって、時代劇をリスペクトして作られた作品だったって知ってましたか? ジェダイってのは、時代劇の“時代”が鈍った言葉です。ライトセーバーは日本刀のオマージュだし、ダースベーダーやストームトルーパーのデザインは日本の鎧がモチーフだし…ね。初期シリーズの重要キャラクターのオビ=ワン・ケノービの“オビ”は黒帯の“おび”なんだそうだし、そもそもあのキャラクターは三船敏郎がやる予定だったとかなんとか…。

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2017年11月 5日 (日)

最近は、水戸黄門にハマってます

 最近の私は、水戸黄門にハマっています。毎週、水戸黄門をテレビで見るのを楽しみにしています…と書くと、なんか変ですか?

 「再放送でも見ているの?」

 いえいえ、新作を見ています。

 「黄門様は、やっぱり里見浩太朗?」

 いえいえ、実は武田鉄矢がやってます。そうなんです、新作の水戸黄門は、黄門様を武田鉄矢が演じているのですよ。

 「でも、TBSじゃないよね」

 いえいえ、放送はTBSですよ、ただし、BS-TBSです。そう、BS放送なんですよ。BS-TBSで、毎週水曜日の午後7時から放送しています。公式サイトはこちらです。放送予定は全10回で、すでに半分の5回は放送終了ですから、残り半分なんですよ。

 今回の黄門様はいいですよ。何がいいって、リブート版なのです。ですから、今までの過去の黄門様からのしがらみは取っぱらって、でも物語の骨子はしっかりと引き継いでドラマが描かれています。

 だから、黄門様御一行も実にミニマムです。なにしろ、黄門様と助さん格さんと弥七の4人組です。八兵衛もいないし、お銀も飛猿もいません。その代わり、4人のキャラ、とりわけ、助さん格さんのそれぞれのキャラが際立っています。

 また黄門様が小柄なジジイ(失礼)で良いのですよ。おまけに、インテリ臭くて理屈っぽくて説教臭い(笑)。たまに故事成語をセリフにはさんでくるし、情け深くて優しくて…なんか、金八先生がそのままジジイになったような黄門様なのです。

 今回は東北の旅なんだけれど、毎回、その土地の民謡と土地の名産を取り上げるし、なんか楽しい。私は、今までの水戸黄門は好きになれなくて、親が熱心にテレビで見ていても、私自身は気が惹かれなかったのだけれど、今度の水戸黄門は、結構気に入ってみています。

 私もジジイになり、勧善懲悪の時代劇を好むようになったのでしょうか? それとも新作の水戸黄門は、テイストが今風になり、そこが気に入ってみているのでしょうか? 自分でもよく分かりません。

 時代劇は、すっかり地上波では廃れてしまいましたが、CS放送とかBS放送では、再放送はもちろん、新作も時々作られています。大岡越前は、NHKのBS放送で、ジャニーズの東山紀之を主演に、今も時折製作され放送されています。鬼平犯科帳は、昨年、CS放送で新作アニメになって放送されましたしね。リブートしたりフォーマットを変えたりしながら、時代劇は地味に少しずつ復活しているのです。

 次は遠山の金さんが、BSあたりで新作として登場するんじゃないかしら? なんてね。それとも次は…暴れん坊将軍?

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2017年10月29日 (日)

リア充って何よ?

 最近、よく耳にする“リア充”という言葉、どんな人の事を言うのでしょうか?

 チャチャっとググってみたところ、リア充とは「現実生活(リアル)が充実している人」の事を言うそうです。うーん、まんまじゃん。

 ただし、語法として「私はリア充です」と言うのは痛い使い方(つまり、誤用)であって、「私は恋人がいないのでリア充ではありません」とか、妬ましさのあまり「リア充、爆発しろ」などと使うのが、言葉として正しい使い方のようです。つまり、リア充という言葉は自分に向けて使う言葉でなく、尊敬やら妬みやらの感情を込めて、他者に向かって使う言葉のようです。自分に向かって使う時は、あくまでも反対のベクトルを向けて、否定形にして使うようです。

 そういう意味では「金持ち」とか「インテリ」とか「イケメン」などと同列の言葉のようです。これらの言葉も、自分に向けて使ったら変でしょ? あくまでも嫉妬と羨望を込めて第三者に向かって使う言葉です。

 言葉の使い方はともかく、本質的な意味を考えてみるなら、リア充という言葉の意味、つまり『現実生活(リアル)が充実する』って、どういう事なのかと考えるチャンスになります。

 リア充という言葉は、そもそもがネットスラングですから、若い人間が多く使います。そのため、充実しているリアルとして、恋愛しているとか、きちんとした職業に就いているとか、派手な交友関係があるとか、幸せな家庭生活を過ごしている(これは女性限定かも)とかがあげられます。インスタグラムなどで、いかにも幸せそうな写真をアップしていたりすると、リア充であると思われるようです。

 つまり“リア充”って“幸せ”のこと? または“幸せな人”の事?

 リア充が幸せという意味なら「私はリア充です」という言葉が誤用と言うよりも、気恥ずかしさを伴う言葉である事が分かります。だって「私は幸せです」って言葉は、間違っていないけれど、正面切って使うには、なんか恥ずかしいものね。ついつい「こんな私が幸せで良いのかな?」とか思っちゃうでしょ。そんな感じなのでしょう。

 ならば「リア充、爆発しろ」は「幸せなヤツなんて、死んじまえ」と言った程度の僻みの言葉なんでしょうね。

 そんな自分が幸せで無い事を強調するために、反対語としての“リア充”という言葉を頻繁に耳にする時代になったと言うことは、それだけ不幸な人が増えている、あるいは、自分は不幸であると感じる人たちが増えている、って事なんでしょう。

 それにしても…不幸な基準がゆるいなあ…。恋人がいないとか、友達がいないとか、定職についていないとか…そんなモンで“不幸”なんだよ。難病に罹患して日々苦しみの中で暮らしているとか、愛する人を立て続けに亡くして悲しみのどん底にいるとか、貧しくて収入も無くて住む家も食べるものも無くて野良犬のような生活をしているとか…とは訳が違うのであります。

 つまり、リア充を否定する事で確認される不幸なんて、軽微な不幸であって、決してマジでもガチでもない、“なんちゃって不幸”なんだよなあ。そういう意味では「リア充、爆発しろ」とか言って人は、まだ本当の不幸を知らない…とも言えます。

 どちらにしても、グローバル・スタンダードで言えば、日本人なんて、みんな幸せなんだよ。そういう事なんだよね。少なくとも「リア充爆発しろ」なんて言っている人は、言えるだけ幸せってわけなんだな。

 若いうちは、貧しくて当たり前、恋人がいなくて当たり前、定職についていなくても全然平気。だいたい、自分が何者なのかも分からないのが“若さ”なんじゃないの? 何も持っていなくても、可能性をたくさん持っているのが若者でしょ? オジサンになると、あれこれ持っているけれど、若者しか持てない、可能性とか未来とか将来とかが、眩しくて眩しくて…ねえ。自分も昔は持っていたのに、一体それらはどこに行ってしまったんだろうなあ…とぼやくことしか出来ないんだよな。

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