ひとこと

  •  毎日毎日暑いですね。3年後の今頃は、東京でオリンピックをやっているわけなんだけれど、こんなに暑い中でオリンピックなんてやってい良いのかな? 特に野外でやる種目は、選手はもちろん、観客の健康だって心配です。マラソン…死人は出ないか? マジで心配です。日本の夏の昼間に野外スポーツなんて、そんなクレイジーな事は高校野球だけで十分でしょ? アメリカのテレビ局の都合(番組改編期にオリンピックの中継をやりたいだけなんです)でオリンピックの開催時期が決まるんだけれど、日本の東京でオリンピックをやるなら、本当は5~6月あたりの、花粉症が終わったあたりの春が気候的には良いよね。夏は暑すぎるし、秋は台風とかゲリラ豪雨とかがあるし、冬は寒すぎるからね。まあ、日本の都合とか、選手や観客の健康なんて、アメリカのテレビ局には関係ないから、やっぱり真夏の東京でオリンピックをやるんだろうね。
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カテゴリー「ダイエット&エッセイ」の記事

毎週のダイエットの記録と、私の生活エッセイです

2017年7月23日 (日)

蛇口からお湯しか出ません!

 毎日毎日暑いですね。

 先日の事です。金魚の水槽に水を足してやろうとして、妻が水道のレバーを上げてところ、蛇口からお湯がでてきました。ウチの水道は、レバーを左側に上げるとお湯が出て、右側に上げると水が出て来るタイプなので、単にレバーを上げるだけだと、普通にお湯が出てしまいます。

 そこで、水が欲しい時は、レバーを水側にひねるわけです。ひねれば、やがて水温が下がって水が出てくるのですが…その日は、いつまで経ってもお湯しか出てきませんでした。

 あれ? 不思議だなと思ったそうだけれど、それでもお湯しか出てきません。間違えたのかと思って、反対側にレバーをひねると、さらに熱いお湯が出てきました。やっぱり、最初が合っていたわけで、水側のレバーをひねっても、水温の高い水…つまりお湯しか出てこなかっただけなのです。

 そのままでは金魚水槽に入れることはできないので、結局、蛇口から出てきたお湯を2リットルのペットボトルに汲んで、しばらくクーラーのかかった室内に放置して水温を下げてから、金魚水槽に入れてみました。

 どうやら、連日の暑さで水道水の水温がかなり熱くなっていたようです。おそらく、我が家に来るまでの間に、ひなた水のようになってしまう場所があるんでしょうね。太陽熱、バカにしちゃいけないようです。

 夜になってしばらくしたら、水道の蛇口から水が出てくるようになりました。

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2017年7月16日 (日)

一番効果的な罵倒語は何か?…考えてみた

 先日、ヒマに任せて、私に浴びせたら一番効果的な罵倒語は何か?…と考えてみました。

 まず、全く効果のない、心が微動だにしないほど無力な罵倒語を考えてみました。

 まずは“チビ”ですね。私は全然チビじゃないですから。反対語の“デカッ”とか“巨漢”とかって言葉は…罵倒語とは違うよね。ノーダメージです。

 よく使われる“バカ”とか“アホ”なども、私には効果がありません。だって私、バカでもなければアホでもないので、そんな言葉を浴びせかけられたとしても「何言ってんだ、この人は」ぐらいにしか思いません。

 そうそう、以前、ネットでケンカをふっかけられた事がありましたが、その人は罵倒語として“インポ”という言葉をよく使ってましたが、これには私、ビックリしました。まあ、ビックリしただけで、事実無根なので、罵倒語としての効果はゼロだったのですが、こういう下ネタ系の言葉を罵倒語として使うなんて、誰もが知っている有名一流企業にお勤めな方で、普段はお上品なフリをしている人なのに、その本性は結構お下劣なんだと認識を改めざるを得なかったくらいでした。

 …ってか、本気で相手の心を折ろうと思ったら、下品な罵倒語を使うよりも、慇懃無礼にネチネチやった方が、確実に心を折れるんだけれどなあ…。

 閑話休題。次は、心に届くけれど、ダメージはほとんど無い罵倒語を考えてみました。

 まずは“貧乏人”です。今の私は、さすがに裕福とかセレブとか富裕層とかでは全然ないけれど、でも貧乏とか貧困とかとは無縁な生活を送っていますので“貧乏人”という言葉にはダメージを受けませんが、でも子どもの頃の私は、貧乏な家に育ち、見事なくらい赤貧な日々を過ごしていたわけで、その頃の事を言われると「ああ、確かに私は貧乏人だったなあ」と思い出して、ちょっぴりお金がなくて悲しかった事を思い出します。

 “ケチ”と言われると…確かにケチな面もありますから、否定できませんが、でも普段の暮らしぶりは、ケチと言うよりも浪費家の側面が強いかもしれません。とにかく、お金は、あればあるだけ使っちゃう人だからさ。

 “屑(くず)”と言われても、私は屑な人間じゃないと思ってますので、気にしませんが、それでも私にだって欠点はあるわけで、そこを凝視すると、全面的に屑では無いとは言い切れないかもと思って、ちょっぴり生き様を反省したりします。

 多少は心に刺さる罵倒語もあります。ジャブ程度には効果のある罵倒語って感じでしょうか。

 まずは“デブ”ですね。実際、私はデブですから。それも“ふくよか”程度ではなく“恰幅が良い”ほどであり“貫禄がある”くらいにデブってます。でも、単に“デブ”と言われるくらいなら「知ってる」とか「デブですが、なにか?」って思うくらいですが、使い方によっては、結構、グサって刺さる時もあります。“ブタ”という罵倒語も、同様に、使い方によっては効果があります。

 “愚図(ぐず)”とか“ノロマ”とか言うのは“デブ”より、ちょっぴり深めに心に刺さるかな? 実際、私は、何をするにしてもスローモーです。まあ、自分としては、事を慎重に進めているだけで、稚拙を避けるための方便なのですが、それを理解しない人たちからは、しばしば“愚図”とか“ノロマ”とか言われます。実際、私自身、もっとスピーディーに出来ないものかと思う時もあり、そんな時に罵倒されると、更に深く心に刺さります。

 “音痴”という言葉は、以前は深く深く私の心をえぐった罵倒語です。私が歌う理由に『歌が好き』はありますが『音痴脱出』も当初の目的にありました。まあ、何を以て音痴というのかは難しいところですが、当時の私は自分で自分を音痴だと思っていましたから、他人から“音痴”と罵られると、グッサリと深く深く傷ついたものでした。

 今ですか? 今はもう自分の事を音痴であるとは思ってません。世間レベルの話をすれば、むしろ歌上手の部類に入るんじゃないかと鼻タカ(笑)なので“音痴”と言われても、カエルのツラになんとやら…です。

 “音痴”に代わって、私の心に深く突き刺さるようになった言葉は“ハゲ”です。

 そう、私、ハゲなんですよ。ハゲだし、デブなんです。でも、デブと言われても「知ってる」と言い返せますが、ハゲと言われると「知っている」と言う前に、心が痛みます。

 と言うのも、私は自分がデブであるという自覚がありますが、ハゲに関しては、自分がハゲである事を忘れている事も多く、そこで改めてハゲている事を指摘されると、心のスキを突かれたような気がして、ダメージ受けます。

 いや、ハゲは言葉だけでなく、たとえば床屋に行って、自分のハゲを見つめただけでも、結構来ますよ。

 私のハゲが、額からハゲるような、自分でも自覚せざるをえないハゲなら、おそらくデブと同様な感覚になれるんだと思います。他人から「ハゲ」と言われても(毎日鏡で見慣れているので)「知ってる」と受け流せると思います。

 でも、私のハゲは、頭頂部が薄くなるカッパハゲなのです。それも頭の後ろの方がハゲているのです。だから、鏡で自分を見ても、ハゲは見えません。合わせ鏡にして後頭部を見つめると…立派にハゲている頭を直面する事になります。普段、ハゲている事を忘れて生きていますので、ハゲている現実と向き合うと、凹むんですよ。

 なので“ハゲ”という罵倒語は、結構、キマス。

 あと“臭い(くさい)”も、かなり心削られる言葉です。

 自分のニオイって自分には分からないじゃないですか? でも私は、自分が無味無臭ではないくらいの自覚はあります。だから、自分から何らかのニオイが発せられているぐらいの自覚はあります。そして、そのニオイが、他人に不快感を与えている可能性がある事も自覚しています。だから、入浴はマメにしますし、自分が臭わないように、ある程度は気を使っていますし、状況に応じてはオーデコロン等も使用します。。

 だからこそ、たとえ本当は臭くなくても、言いがかりとして“臭い”と言われたとしても、結構きます。“臭い”と言われると「ああ、自分は臭いんだ…」と感じてしまうのです。心にグッサリと言葉が刺さります。

 結論。私に効果的な罵倒語は“ハゲ”と“臭い”でした。いやあ、ほんと“ハゲ”と“臭い”は、めっちゃ心にダメージ受けますよ。“そこの、臭いハゲ”とか呼び止められたら、その場で心臓が止まるかもしれません。それくらい、こたえます。

P.S. ただし“臭い”や“ハゲ”が有効なのは、リアルワールドにおいてです。ネットの中では、ニオイも容姿も相手には認知不能な、関係のない事だと承知していますので、書き言葉で“臭い”とか“ハゲ”とか言われても「だから?」という薄い反応しかできません。

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2017年7月 9日 (日)

少子化の原因は、恋愛至上主義なんじゃないの?

 一体、いつから恋愛しないと結婚してはいけない世の中になってしまったのでしょうか?

 昔々…と言っても、そんなに昔の話ではありません。少なくとも私が若い時はまだ残滓があったし、私の親世代では、ごくごく当たり前の話でしたが、その頃の結婚ってのは、親とか家とかが決めるものであり、結婚相手は、親とか親戚とか、あるいは地域の世話役(“見合いババア”とか呼ばれていた人たち)が“お見合い”というカタチで結婚の世話をしてくれたものです。恋愛を経て結婚に至る人たちもいたけれど、全体的には少数派だったかな? だから明治~昭和前半の文学作品のテーマに「親がすすめる見合いのために、愛し合う二人の仲が割かれる」ってのがあったわけです。

 つまり、ほんのちょっと前までの日本では、恋愛と結婚は別物だったわけです。だから、恋愛しなくても、多くの人は結婚して家庭を作っていたわけです。

 戦争に負けて、アメリカ的な文化が入り込み、いつしか結婚は『“愛し合う二人”による愛の完成形』という事になり、恋愛を経なければカップルとなれず、カップルになれなければ結婚できない、という事になってしまったようです。

 でしょ?

 陽気なヤンキーにとっては、恋愛なんて日常茶飯事でしょうし、それこそ「愛のない結婚生活なんてアンビリーバボー!」って事なんだと思うけれど、日本人にとっては、有史以前からつい最近まで、結婚は周囲のオトナたちが準備してくれるモノであって、結婚式の当日まで結婚相手の顔も見たことない…なんて事だって、あったわけです。

 そんなやり方で、つい最近まで、私たちが暮らす社会は成り立っていたわけです。

 つまり、ごくごく最近まで、多くの日本人にとって、恋愛は必要不可欠なものでなく、しなければしなくても全然構わないモノだったのです。それこそ、仕事一筋、あるいは趣味に没頭した生活をしていても、年頃になれば、適当な相手を見繕ってもらって、結婚して、家庭を営み、その中で相手に対する情愛が生まれ、子どもも生まれて、家族として育っていく…わけです。別に恋愛感情なんてなくても、結婚できたし、家庭も作れたし、社会生活も営めたわけです。

 でも昨今は、まず恋愛でしょ? 恋愛結婚こそが結婚へ至る王道であり、かつてのような、親とか親戚とか見合いババアの紹介による見合い結婚はすっかり廃れてしまいました。代わりに、同世代たちによる合コンなどの集団見合い的な催しは行われるようになったけれど、合コンと結婚は別につながらないし、業者による結婚仲介サービス業もあるけれど、成婚率もそうだけれど、そもそもこれらのサービスを利用する人たちって、どれくらいいるんでしょうね。また、地元振興の名目で各自治体が各種お見合いサービス(例えば“街コン”のようなモノ)もしてますが、これだってどうなんでしょうね。

 私が思うに、日本人の基本的な性格って、決して陽気ではないし、外交的でもないんだと思います。どちらかと言えば、見知らぬ人を警戒する用心深さと、仕事などの自分の役割に没頭する真面目さを兼ね備えた、ヲタク的な性格の持ち主が多いと思います。その上、結婚適齢期の、まだまだ人生経験の少ない若い世代では、他人とコミニュケーションを取る事自体に慣れていない事もあり「恋愛? ムリムリ」と思っている人も多いことでしょう。

 実際に若い人たちと話をしていても、男女問わず、自分が将来結婚できるとは思っていない子って、本当の本当に多いです。自分が恋愛をしている姿が想像できないそうで、恋愛しない以上、相手がいないわけですから、結婚も無理…って思うそうなんです。

 …だよね。私も若い人たちを見ていると、この連中が恋愛できるとは思えなかったりするもの。コミュニケーションが下手くそで、人間関係を構築するのが不器用で、顔見知りの同性同士で遊んでいるのが楽しくて居心地が良くて、ほどほどに真面目だから仕事に勉強に熱心だったりして…そりゃあ、恋愛するチャンスなんてないし、仮にチャンスがあっても、それを活かせるとは、オジサン、全く思わないわけです。

 おまけに、それらの難題をクリアしてカップリングに成功しても、若い世代は経済的にも恵まれていない子が多いから、結婚を先送りにしているうちに仲が冷めて、別れちゃったりするわけでしょ? で、一度失恋すると、いつまでもそれを引きずってしまうのも今の若い子の特徴のようで、なかなか次の恋愛には踏み出せないようです。

 結局、恋愛なんて、我々日本人には、ハードルが高いんだと思います。恋愛を日常的に行うためには、オープンマインドと巧みなコミュニケーション能力が求められるわけだけれど、残念ながら、それらを標準装備している日本の若者って、ほんと、少ないよね。

 我々は、与えられた人間関係を維持するのは得意でも、新規の人間関係を作り上げるのは苦手なんです。だって、与えられた人間生活を維持しつつ新規の人間を排除するってのは“村社会”の特徴だもの。結局、先進国となった今でも、我々のメンタルは昔ながらの“村社会”のままなんだと思うわけです。

 日本人はやっぱり日本人なわけで、陽気なヤンキーにはなれないわけです。それを無理して恋愛至上主義みたいなモノを取り入れちゃったから、多くの若者が恋愛できずに、結婚にたどり着けず、高齢独身となって出産する事なく人生を終えるわけです。

 そりゃあ、人口だって減るよね。

 恋愛なんて趣味的なモノであり、やりたい奴はやればいいけれど、恋愛しなくても、きちんと結婚をして家庭を築いていける、かつての日本のような社会を取り戻さないと、ドンドン日本人が減っていき、やがて絶滅危惧種になって、この世から日本人と日本国と日本文化が無くなってしまうよ。

 そうしたら、きっと、この日本列島には中国人たちが住むんだろうなあ…。だってあの人たちの繁殖力たるや、実はすごいもの。半端ないよね。やがて世界人類の大半が中国人になってしまうんじゃないかしら…って思う時、あるからなあ。

 それもなあ…、なんかなあ…。

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2017年7月 2日 (日)

ラーメンとそば、どっちが好き?

 私が住んでいる湘南は神奈川県にありまして、麺類系の飲食店と言えば、圧倒的にラーメン屋だったりします。ラーメン専門店はもちろん、中華飯店であったり、一般食堂(ただしメインメニューはラーメン)であったりはしますが、我々が通常「ラーメン屋」と呼んでいる店ばかりであって、たまにそば屋があって、たまにたまにスパゲッティを出してくるイタ飯屋があって、駅周辺などにわずかながらのうどん屋やちゃんぽん屋があります。

 つまり勢力的には…

  ラーメン屋>>>>>そば屋>=イタ飯屋>>>うどん屋=ちゃんぽん屋

 …って感じでしょうか? それくらい、あっちこっちにラーメン屋ばかりがあります。昔ながらの中華そばを出しているところもあれば、今風の家系ラーメン屋だってあります。チェーン店もあれば、地元密着型の頑固おやじの店もあります。いわゆる“ラーメン激戦区”と言われる地域ほどではありませんが、かなり多くのラーメン屋があります。

 なぜ、こんなにラーメン屋ばかりなのか…と考えてみました。

 単純に言っちゃえば、湘南の人間はラーメンが好き…なんだと思います。これは湘南の人間に限らず、神奈川県の人間全般に言えるかもしれません。なにしろ、日本一の中華街がある県ですから、県民性としてラーメンが好きなのかもしれません。

 湘南は関東地方にあるわけですから、当然、うどん文化圏の外の地方ですから、うどん屋が少ないのは、ある意味、当然です。そば屋やイタ飯屋がラーメン屋と較べて少ないのは…やはり、ちょっぴり地方だからかもしれません。そばとかイタ飯とかって、やっぱり都会の食事ってイメージだもの。かっこいいじゃん。

 そばは、なんか渋い感じがするし、昔っからの都会で食べられるものってイメージがあります。イタ飯はバブルあたりからこっちの、小洒落た街で食べられてる女子向けのランチ…みたいなかんじでしょ? 海と太陽の街、湘南のイメージじゃないよね。だいたい、海の家でラーメンは食べられるけれど、そばとかスパゲッティとかは…無い無い(笑)。

 あ、最近の海の家の二大メニューと言えば、ラーメンとロコモコなんだな。そう、ロコモコ。都会じゃロコモコってオシャレな食事のようだけれど、湘南だと割に普通にあるんだよね。海の家に限らず、海岸近辺の食堂だと何気にメニューに入っているんだよね。ロコモコは、ちょっぴりおしゃれでハワイアンなメニューじゃない? アロハを普段着にしている人が多い湘南だと、そういうハワイアンな感じって日常なんだよね。

 と言う訳で話を戻すと、ラーメンとそばでは、ラーメンが好き…と言うか、ごく普通に日常的にラーメンを食べる生活をしている私でした。これはたぶん、湘南在住という地域性が大きく関係しているような気がします。

 だって、讃岐に住んでいたら、うどんばかり食べるでしょ? 長野に住んでいたら、そばばかり食べるでしょ? ミラノに住んでいたら、スパゲッティばかり食べるでしょ? つまり、そんなモンなんだと思います。

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2017年6月25日 (日)

ネトパヨの特徴と対策について

 ネトパヨとは、私が今作った造語です(笑)。ネットに大勢いらっしゃる愛国主義者の方々を、その反対陣営(反日&売国主義)の方々が“ネトウヨ”と呼んでいるので、ならばそう呼んでいる方々でネットを主戦場としている人々を、ネットパヨク、略してネトパヨと呼んじゃえばいいじゃん…という発想です。

 私は自分の事をネトウヨだとは全く思っていません。だいたい、考え方が愛国主義と言うには、あれこれヌルすぎます。それ以前に、私自身、思想的には中立でありたいといつも考えていますので、思想的には盤石とはとても言えない状況で、何事にしても足元だってグラグラな感じで、すぐに他人の影響をウケまくるし、日和るし、弱気なので、とてもネトウヨと呼べないし、仮にネトウヨだとしたら、まだまだ序の口程度の、かなり弱っちい存在であり、やはりどう考えても、私はネトウヨの範疇には入らないと思っています。あえて言えば“小市民”あるいは“雰囲気に流されるヤツ”ぐらいかなあと自覚していますが、それでも“日本大嫌い”な人々の視点で私を見ると、こんな私でもネトウヨに見えるらしく、あれこれちょっかいを出してくる人がいないわけではありません。

 私がバリバリのネトウヨなら、それはそれでバトル歓迎に思うかもしれませんが、誤解された上で噛みつかれるなんて、誤爆もいいところです。まあ、あれもこれも一種の有名税なのかな…なんて思ってます。

 そんなわけで、少なからぬネトパヨの方々に関わらせていただいたので、私なりに彼らの特徴と、そんな彼らにどう対処したら良いかって事を記事にしておきます。

 この記事が何かのお役にたてれば幸いです。

ネトパヨの特徴

 一番大きな特徴は『自分の主義主張を声高に発言するが、相手からの反論は聞かない』という点かな? 彼らが何を考えていても、それはそれで良いと思いますが、はっきり言って、この姿勢はダメです。独善的です。だから、議論にはなりません。それなのに、こちらにはしっかりイチャモンつけてきます。

 イチャモンに対して、きちんと対応して、真摯に議論を持ちかけると、話題を巧妙にはぐらかして、自分の主義主張を再度声高に発言してきます。まるで、壊れたレコードのようにね。

 また、彼らの主張って、そのベースにある事柄のすべてが事実ってわけでもなく、事実だったり事実でなかったりする事を根拠に、あれこれ言ってくるわけです。

 で、その事実でなかったりする事…はっきり言っちゃえばデマなんですが、そのデマを巧みに織り込んでくるのも彼らの特徴です。これが厄介なんですね。

 さらに言えば、デマを話の根幹の部分ではなく、周辺事実? 枝葉の部分に巧みに織り込んでくるんです。そこを軽視したり、無視して議論を進めてしまうと、そのデマが否定されなかったという事を以て事実認定し、次の議論の前提条件になってしまう事もあります。かと言って、反論すると、反論することでデマが強調されます。おそらく、これが彼の狙いなんだろうと思います。つまり、話の中にデマを混ぜて、それに触れられなければ、デマを事実化して自分たちに有利に話を進め、デマが否定されるなら、こんどはそのデマについて話しだし、話題を巧妙に自分たちに有利なモノへとすり替えていくんですね。

 ここで言い負かされてしまうと、相手の勝ち(?)になってしまいますが、そもそもデマはデマであり、虚偽ですから、きちんと筋立てて反論すれば、容易に論破できますし、論破できれば、相手も窮地に追い込まれますので、彼らのデマに関しては、一つ一つ簡潔に完璧に論破していく必要があります。

 またネトパヨの方々の発言には、マニュアルでもあるのでしょうか? よく「のび太のくせに生意気だ」的な論調でこちらを攻めてくる事があります。もちろん、本当に“のび太”と言っているわけでなく、この“のび太”の部分には、こちらが反論できないような事実を入れてくるわけです。その事実は無茶でも何でも良いし、一見、攻撃をしているの?と思われるようなへんちくりんな事でもいいのです。

 例えば「ジジイは黙ってろ」とか「ハゲのくせに生意気だ」とか「デブはデブらしく飯でも食ってろ!」とかね。この手の類の、話にもならないような暴言を浴びせてきます。「なんかもう~」と思うこともありますが、おそらくリアル場面なら、大声出して怒鳴り散らして、その場の空気を支配するという手法をネットでやっていんだろうなあって思います。

 とにかく、何でも良いんですよ。彼らにとって大切なのは、攻める事。攻め続ける事なのです。なにしろ、攻撃は最大の防御ですから。彼らは、とにかく攻撃する事で、相手を防御(つまり反論)に専念させて、話題をすり替えていくのが目的ですから、ちょっとでも自分が不利になったら「のび太のくせに生意気だ」と叫び出すんです。

 正直、彼らのこのやり方には、心理的に引いてしまう私(非論理的な人間、つまりバカが嫌いなんです)ですが、そこで一歩も引かずに、防御しつつ、チクリチクリと相手を攻めていければいいのです。ボクシングに例えて言うなら、ガードを固めながら、時折ジャブを打つわけです。ジャブも数当たれば、それなりのダメージになります。

 また、彼らは絶対に謝りません。「しまった! 失敗した!」と思っても、まず謝りません。彼ら的には、謝ったら負けなのです。謝ったら、相手方の言い分を丸呑みしなければいけないと思いこんでいるようなので、絶対に謝りません。それでも追い込んでいくと、先程の「のび太のくせに生意気だ」発言をしてきたりします。それが通用しないとわかると、今度は攻撃の矛先を変えて、周囲に悪口を撒き散らしたり、こちらの身内とか友人とかを攻撃し始めます。

 卑怯なやり方ですが、ネトパヨって、基本的に卑怯な連中なんです。ですから、卑怯な手法を取ることに、なんの躊躇もないんです。困った事です。

 またネトパヨの方々は、複数のハンドル、アカウント、IDを使用するのが常態です。たまにそれらを駆使して、自作自演をしたり、マッチポンプをやったりします。ただし、そんなに頭がよろしくない方も多いので、複数の人格を演じるのが下手くそで、すぐに馬脚を現しますので、お話になりません。

 とにかく、汚い手でも卑怯な手でも、勝てばそれで良いと思っているのが、彼らネトパヨの特徴です。

ネトパヨ対策

 彼らに対処する時の姿勢の基本の基本として、話題の変更やはぐらかしなどを許さないようにしましょう。彼らは自分たちが不利になると、簡単に話題をはぐらかして、自分たちの土俵に話を持ち込んでいきますので、それを拒絶して、最初から最後まで、何について話しているのかを明らかにして、話題をそらさせないようにします。それだけでも、かなり効果的です。

 彼らの垂れ流す小さなデマや嘘に対しても、一つ一つはっきりと「それは嘘です」と否定し、相手が嘘つきである事を周囲に印象づけるのも効果的です。さらには、彼らが無茶な事やデタラメを言い出したら、一つ一つ「それはおかしい」と否定し、相手が論理的な人間ではない事を周囲に印象づけるのも手です。

 相手が攻めてきても、こちらは最低限の防御だけをするよう心がけましょう。過剰に反応すれば、相手の思うつぼだし、相手を攻める事は同じ土俵に上がることになるので、それは避けましょう。最低限の防御をしているだけでも、そもそもがデマによる攻撃なのですから、相手は勝手に自滅します。

 よく相手に謝らせる事にこだわる人がいますが、彼らは絶対に謝りませんかから、そこにこだわるのは不毛なことです。むしろ、謝るチャンスを与えつつも、彼らが謝らない事を逆手にとって「この人間は謝ることの出来ない狭量な人間である」と周囲に印象づける方が効果的だと言えるでしょう。

 ネトパヨの方々は、すぐに相手の言質を取りたがります。ですから、彼らと議論をする際には、失言はもちろん軽口にも注意を払う必要があります。決して揚げ足を取られないように注意深くなることが肝心です。

 ネトパヨの方々は、とてもとてもメンツを大切にするので、彼らをやっつけたければ、彼らのメンツをつぶせば良いのです。嘘つき、卑怯者、愚か者と行った扱いをしてあげれば、それだけで相手は火病ります。実際に、あるネトパヨの方を卑怯者扱いをしてあげたら、それが原因で、リアルに血圧があがって入院騒動になってしまった事もあります。私には全く理解できませんが、彼らにとってメンツって、それくらいに大切なようなのです。

 なので、ネトパヨに勝ちたければ、基本的に彼らは卑怯者なのですから、彼らを卑怯者扱いをすればいいのです。彼らは卑怯者のくせに、何より卑怯者と言われることを恐れていますからね。だったら卑怯な事をしなければいいじゃん…と私は思うのですが、行動と思想信条が一致しないのも、ネトパヨの特徴ですから仕方ありません。

 つまりネトパヨ相手なら、論理的に勝てなくても問題ないのです。相手を卑怯者だと印象付ければ、それでネトパヨ対策として、十分です。

 一番良いのは、彼らに絡まれない事です。しかし、こちらがいくら気をつけていても、噛み付いてくる時は噛み付いてきます。それがネトパヨです。そうなったら、交通事故にでもあったとでも思って諦めて、ネトパヨの駆除に励んでください。

 私は思想信条の自由を信じています。他の人々が、個人的にどんな事を考えて、どんな人や団体を支持していようと、それはそれで自由です。私は何も文句言いませんし、誰にも文句を言ってほしくないです。

 でもね、自分の思想信条が尊重されるのと同様に、他人の思想信条も尊重しないといけないという市民社会における基本的合意事項を理解できないのが、ネトパヨの方々なのです。彼らネトパヨの方々は、基本的に独裁主義者のようで、自分と異なる意見の人間の存在を許しません。それこそ、言論封鎖であり、ファッショなのですが、そこに気づいていないのもネトパヨの特徴なんだと思います。

 自分と異なる意見の人間とも、一緒に笑って暮らせる社会が、成熟した市民社会だと私は信じています。まだまだ日本社会もネット社会も、成熟からは程遠い社会なんだなあって思います。

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2017年6月18日 (日)

人生の残り時間について考える

 先日、ねんきん定期便が届きました。私が将来受給できるねんきんは…まあ、暮らせないほど少なくはないけれど、趣味三昧な生活は到底できない額だという事を改めて認識しました。現役引退後は、趣味に没頭して暮らしたいと思ってましたが、世の中そんなに甘くはないってわけです。

 それよりも、年金受給開始年齢は65歳なので、いったい何年、年金生活をするのだろうかと思いたち、私は(推定で)あと何年生きていられるのかな?と平均余命を調べてみました。

 このページで、平均余命を見ることができます。平均余命とは、その年令の人が平均して、あと何年生きていられるかって統計なので、平均寿命よりも実用的な統計数値です。ちなみに、いわゆる平均寿命と言うのは、0歳時の平均余命の事で、大人はそこから数年生き延びていますから、大抵の人は、平均寿命よりも長く生きることになります。

 私の場合、すでに平均余命は30年を切っています。もうあと30年も生きられないのか。人生の中間点を折り返したどころか、復路真っ只中じゃあないっすか。

 まあ、あとせいぜい30年、悔いなく楽しく生活していきたいものです。ちなみに、年金受給開始年齢である65歳での平均余命は20年間です。つまり、年金暮らしも20年ってわけです。まあ、悪くはないよね。

 この年金暮らしが20年間とは言え、20年間ずっと健康で元気で暮らせるわけじゃあありません。健康寿命ってのがあるわけです。健康寿命と言うのは、健康的に生活できる年齢の上限を言います。それは、こちらのページで見る事ができます。

 これによると、男性は71歳までは健康らしいです。つまり、年金をもらって6年間は生活をエンジョイできるわけです。その後、こちらのページによれば、10年ばかり不健康な生活…ってか、平均余命で考えると15年前後は不健康な生活を送るようになるみたいです。で、この不健康な生活ってヤツが、場合によっては寝たきりも含む…なわけで、その寝たきり期間を終えたら、ようやくお迎えが来るわけです。不健康な生活をしたくなければ、70歳前後で死んじゃえばいいわけです…が、人生、なかなかそうはいきません。

 私の場合、平均余命は30年弱ですが、そのうち最後の10~15年は寝たきりになる予定なので、元気で遊んで暮らせるのも、あと15~20年。歌ったり、笛を吹いたりできるのも、長く見積もっても、あと20年。そう考えると、ガンガン歌って、レパートリー増やして、フルートもガンガン吹いて、あれこれ色んな曲を吹き飛ばしていきたいと切に思うようになりました。

 20年なんて、あっという間だよね。そう考えると、私の人生の残り時間も、あとわずか、あっという間の時間しか残されていないんだよね…統計的には。

 まあ、統計はあくまでも平均値で、それよりも早く死んでしまったり、不健康になる事もあるわけだから「あと20年は健康でいられる」と思うこと自体が思い上がりなんだろうけれど、それが思い上がりであっても、そんなに長くない事を改めて認識し、受け入れる私でありました。

 思えば、若い時は、時間なんて無限にあって、人生なんて永遠に続くモノだと思ってましたよ。

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2017年6月11日 (日)

何歳からオジサンオバサン?

 世の中には、オジサンオバサン呼ばわりをされると、ムッと来る人がいます。まあ、確かに、いくら呼びかけているのが幼い子供であっも、女子高生を捕まえて「ねえ、オバチャン」と声をかけられるのは、少々可哀相な気がします。

 とは言え、アラサー…いやアラフォーあたりのご婦人で、他人からオバサン呼ばわりされて怒っているのは、ちょっと違うんじゃないのかな?って思わないでも無いです。

 オジサンオバサンの漢字表記は色々あります。“伯父さん伯母さん”“叔父さん叔母さん”“小父さん小母さん”あたりの表記が多く使われますでしょうか? 共通しているのは、いずれの表記にも“父”や“母”という字が入っている事です。

 また感覚的にも、オジサンオバサンと言うのは、お兄さんやお姉さんよりも年長で、お爺さんお婆さんよりも年若って感じではないでしょうか? つまり、家族内での呼称(自分の両親の兄弟姉妹は、年齢とは関係なく、オジサンオバサンです)は別として、世間一般的には『父または母である世代の人』をオジサンオバサンと呼ぶのだろうと思います。

 昔々(と言っても100年ぐらい前)ならば、人々(特に女性)は10代の後半で嫁入りをして、すぐに子を産みますから、20代はすでに母親世代となります。そこで産んだ子が、また10代後半で出産すれば、そのお母さんは40代で祖母になるわけですから、オジサンオバサンと呼ばれるのは、20代~30代となりますし、私が子供の頃は、まだまだそんな感覚が残っていたような気もしますが…それはさすがに現代の感覚とは合致しません…ね。でしょ?

 今の日本は、世界でもまれに見るほどの晩婚社会です。当然、親になる年齢も昔よりも高齢化しているわけです。現在の平均初婚年齢は、男女ともに約30歳なんだそうです(遅すぎてビックリ!)。…と、なると30代で親になり、その時生まれた子が30歳で孫を産むと考えると…なんと、30代~50代がオジサンオバサン時代となります。

 100年前、お爺さんお婆さんと呼ばれていた人たちが、100年後の現在、オジサンオバサンの世代となります。いやあ、晩婚にもほどがあります。

 ちなみに、21世紀の現代、世界の平均初婚年齢[女性]は25歳です。昔の“女性はクリスマスケーキ”と言ってた時代の方が、世界標準に近かったわけです。それを考えると、ほんと今の時代は、異常なくらいに晩婚化が進んじゃった事が分かります。

 それにしても、日本人の平均初婚年齢が30歳ってなると、アラフォーはともかく、アラサーのご婦人方が「オバサン!」と呼ばれて怒ってしまうのも、全くスジの通らない事ではないのかもしれません。でも、20歳と30歳を同じ「お姉さん」と呼ぶのも、ためらいがあります。やっぱり30歳はオバサンって呼びたいなあ(ごめん)…ってか、オバサンと呼んでも自然な世の中になってほしいなあ…と思います。

 だいたい、平均初婚年齢が30歳って、おかしな世の中だと思うよ。ちなみに、不妊治療の平均開始年齢が33歳だそうだけれど、初婚年齢と不妊治療の開始年齢が、ちょっと近すぎると思いませんか? (ちょっと乱暴な言い方だと承知していますが)結婚後の自然妊娠可能期間があまりに短いですよね。これでは日本の人口が減っても仕方ないと思います。

 日本の初婚年齢が高齢化しているのは、本人だけの責任ではなく、当然、社会の責任、政治の責任も大いにあると思いますが、それでもなんとか、もっと若い時代に結婚出産できるような世の中にしていかないと、日本もかなりマズい…と思います。

 それはさておき、30代~50代はオジサンオバサン時代です。アラサーになったら、オジサンオバサン呼ばわりされても甘受しましょう。世の中は、あなたをそう見ているって事です。

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2017年6月 4日 (日)

そう言えば、新聞販売店って、バンバン潰れてませんか?

 新聞販売店って、事件を取材して記事を書いて新聞を実際に作って印刷している新聞社の事ではなく、新聞社から届けられた新聞を、地域に宅配をしている地元密着の新聞屋さんの事です。

 その新聞販売店が、数年前からバンバン潰れていませんか?

 と言うのも、ウチのすぐ近所にあった朝日新聞系の大きな新聞販売店が先日潰れて…ってか、地域から撤退してしまいました。それで思ったのですが、その少し前に、読売新聞系の別の新聞販売店も、毎日新聞系の別の新聞販売店も、ウチの近所から撤退していました。産経新聞系は、本当にウチの近所にあったのですが、そのもっと前に撤退しちゃっていた事も思い出しました。

 どうやらもう、ウチの近所には新聞販売店って奴が無くなってしまったようです(驚)。

 まあ、ウチは新聞をだいぶ前(20年ぐらい前からかな?)から取っていないので、新聞販売店が潰れても、全然困らないのですが、近所で新聞を取っている家は、近所の販売店が無くなってしまったために、遠方の新聞販売店から届けてもらっているようです。まあ、顧客側からすれば、どこから届けられているにせよ、きちんきちんと毎朝新聞が届けば文句はないでしょうが、配達する側からすれば、他店の販売エリアを受け入れるというのは、労せず契約数が増えるわけで、増収になるけれど、その分、販売エリアが広がって、労力が余計に増えることになります。単純計算で言えば、距離で2倍広がったなら、それって広さでは4倍になるわけだから、仕事量は格段に増えるわけです。とは言え、採算割れを起こすような地域だから元の店が潰れちゃったわけで、そこを引き継いでも、あんまた旨味はないかもしれないし、だいたい地域が広がった分だけ(配達員を増やして)人件費も増えるし…どうなんでしょうね。

 潰れた販売店も大変だけれど、その仕事を引き継いだ新聞販売店も楽じゃないね。

 私がまだ学生だった頃、友人の一人が新聞奨学生でした。早朝…と言うよりも、深夜に出勤して、折り込み広告を新聞にはさんで、それを小脇に抱えて、スクーターに乗って、一軒一軒配達していくわけです。冬などは、夜明け前に配達を含めたすべての仕事を終えるわけで、当時の私は朝が苦手だったので、そんな重労働を淡々と毎日こなしていた友人を心の中から尊敬していたものです。

 新聞販売店って、新聞社から送られてきた新聞を配達&集金する事と、配達する新聞に折込広告を入れて広告代を得る事の、2つの仕事で収入を得ているそうですが…新聞そのものが契約してもらえない時代になってきたので、配達する新聞数も減ってきたでしょうし、配達する新聞が減れば、そこに挟む折込広告も減ってしまうわけで、新聞販売店的には、かなり大変な事なんだろうと思います。

 でも新聞が契約してもらえないのも…無理はないと思います。事実、ウチは新聞、取ってないしね。

 今更、新聞の時代じゃ無いでしょ! だって新聞って…情報遅いからね。今やニュースは、速報ならネットで、一通りのニュースなら、テレビで知ることができます。ニュース解説だって、ネットをググれば、それなりに深く知ることができますし、テレビにも池上彰氏のようにニュース解説専門のタレントさんだっているわけだし…ね。

 有料で遅れた情報を届ける新聞よりも、無料で最新の情報を画像や動画付きで見ることの出来るテレビやネットに人々が流れるのは…そりゃあ当然だよね。その上、昔ならともかく、今や新聞にも嘘やデタラメが掲載されている事は、万民が知る所だしね。そういう点では、新聞ってオワコンだなって思います。

 そんなオワコンな新聞に頼り切っている新聞販売店って、切ないなあ…って思うわけです。

 そう言えば、新聞販売員って人がいますよね。山のように、洗剤とか食用油とか野球のチケットを持ってきて「一ヶ月でいいので、契約してください!」としつこく迫る人ね。新聞の契約費よりも明らかに高額なおまけを持ってきてますが、あれって商売になるのかしらねえ? ウチは洗剤も食用油も、自分セレクトがあるので、販売員が持ってきたモノなど欲しくもないし、野球も興味ないし、それ以前に、モノで釣られるというのが、なんとも情けなくて、それで新聞を取らなかったのです。

 もっとも、手ぶらで契約にきても契約したとしても、結局、新聞って、取っていると新聞紙が溜まるんだよね。あれって始末に困るじゃない! だから、なんだかんだと言って、やっぱり新聞は取らないんだね。

 で、新聞を取らない生活をしていて、困ることって…あまりないです。折込広告がないので、近所のスーパーの安売りがどうなっているかが分からない事と、折込広告と一緒に配られる、地域のミニコミ紙が読めない事が困ることかな。でもまあ、スーパーに安売り目当てで行くことはまず無いし、ミニコミ紙が読めないのは…実は結構困るけれど、まあそれは諦めるしかないと思ってます。

 時は流れ、時代は移り、社会の仕組みも人々の生活も変わっていきます。それにともない、商売にも流行り廃りはあります。新聞販売店って、昔は景気が良かった業種(なにしろ地域独占だし再販制度で守られているし…ね)のようですが、今や未来のない仕事の一つだと思います。やがて新聞の宅配は廃れ、人々は必要に応じて、コンビニで新聞購入するようになると思います。

 そうだ、新聞販売店がつぶれないためには…副業でコンビニをすればいいんじゃないの? コンビニも新聞も深夜営業が当たり前だし、地域密着という点でも同じだし、労働力として若者をたくさん抱えているって店も同じでしょ? 案外、新聞販売店とコンビニって、親和性が高いんじゃないの?

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2017年5月28日 (日)

近所のスーパーが潰れた

 私の日常における最近の大きな事件と言うと、近所にあった、地元密着型チェーン店のスーパーマーケットが潰れた事です。いやあ、びっくりした。

 このスーパー、地元では有名な老舗チェーン店で、市内で4店舗展開(昔はもっとたくさん店舗があったのだけれど、徐々に縮小していって、最終的には4店になりました)をしていて、近隣の人たちの生活にとって、欠くことのできない大切なお店でした。

 ウチの近所にある店舗が本部だったようです。潰れる直前まで、特に悪い噂もなく、普通に商売をしていました。肉、魚、野菜など、基本的に地元のモノを中心に品揃えをし、地産地消をモットーに商売をしていました。お惣菜が安かった事と、私の通勤路にあった事もあって、たまに利用していました。

 ある日、買い物をして帰ろうと、店に行ったところ、シャッターが閉じていて、店が潰れていました。なんでも、資金繰りに失敗したそうで…あとでネットを見たら、自己破産なんだそうです。負債額は約2億…。たぶん、自転車操業だったんだろうけれど、いつかどこかで資金がうまく回らなくなってしまったんでしょうね。中小企業にはありがちな倒産パターンです。

 私が住んでいる地域は、駅前こそ、全国レベルの大規模スーパーが進出していますが、そこをハズレてしまうと、今回潰れてしまったスーパーを始め、地元密着型の小規模チェーンのスーパーが、いい具合に共存点在していました。今回、一つの地元チェーン店が潰れてしまったことで、あちらこちらに歯欠け状態でスーパーの無い集落が生じてしまいました。どうするんだろうなあ…。

 もちろん、それらの集落にもかつては八百屋や魚屋があったわけだけれど、スーパーが出来た事で、スーパーがそれらの店に取って代わったわけだけれど、そのスーパーが無くなってしまった事で、買い物難民の発生が懸念されるわけです。

 若い世代は、何とでもなるでしょう。少し遠方でも買い物に行けますし、休日ごとに食料品の買いだめをしたっていいんです。問題は、老人たちですね。遠方に買い物に行くのも大変だろうし、日々の買い物は、単なる買い物ではなく、近所の人たちとつながる大切なひとときだったりしていたわけです。

 スーパーが潰れてしまった事は、単に買い物先が無くなるだけでなく、それ以上の影響を地域に与えてしまったわけです。

 かつてのスーパーの跡地のすぐそばに、別のスーパーがすぐに入ってくるわけではありませんから、地元にとっては、案外、大きな問題だったりします。

 どうするんだろうなあ…。今は様子を見守るしかありません。

 幸い、我が家は、だいぶ前に、毎日通うスーパーを、潰れてしまった店から別の店(それこそ全国レベルの大規模スーパー)に変えていたので、影響はありません。とは言え、かつては毎日通った店だったし、つい最近まで仕事帰りに寄っては買い物していたんですよ。そんな慣れ親しんだ店が潰れてしまったのは、なんとも寂しい限りです。

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2017年5月 7日 (日)

思わず、ほっこりしてきました

 先日、ポケモンGOをするために、電車に乗って、あまり馴染みのない集落に行ってきました。ポケモンGOってのは、ある意味、陣取りゲームなわけですが、その集落は私の所属するチームがブイブイ言わせている集落なので、ひとつご相伴に預かれるとうれしいなあ…という気持ちで行ったわけです。

 まあ、馴染みが無いと書きましたが、全く馴染みがないわけではなく、実は私の墓がある地域で、墓参りを兼ねてのポケモンGOだったりするわけだったりはします。

 とにかく、広い広い公園墓地があるような場所ですから、とても都会的な場所ではなく、見渡す限り緑色な地域でして、そんな地域をスマホ片手に妻と歩いていたわけです。

 とある集会場の前を通り過ぎようとした時に「お花、見ていきませんか?」と声を掛けられました。その集会場で、近隣の婦人会の有志のサークルに、生け花と陶芸のサークルがあって、その団体の発表会が、その集会所でやっていたわけです。

 私は、花の事も、陶芸の事も分からないので、正直、遠慮したい気持ちだったのですが、客引きのおばあちゃんの笑顔に負けて、お花を見に集会場に入りました。

 素人さんが焼いた花瓶やお皿に、素人さんが花を活けているわけです。ですから、街なかでよく行われている“生け花展”とは、だいぶ勝手が違いました。

 まず、活けられている花が…なんとも身近なんですよ。一部は近隣に咲いている野の花だろうと思うし、花屋さん経由で入手したと思われるモノも、割りと地味めの花が中心で、全然派手さがない生け花なのです。

 おまけにそれらが飾られている花瓶にせよ、お皿にせよ、皆小ぶりでイビツで、なんともほのぼのとした器ばかりなんです。

 ほのぼのした器に派手さのない花々…と書くと、なんとも冴えない感じがすると思うでしょうが、それが案外グッと来るというか“控えめの美”というか、全体的になんとも“おしとやか”だったんです。

 こういう生け花もいいなあ…と思いました。

 さらにおもてなしとして、お抹茶と手作り羊羹をいただきましたが、それもとても美味しかったです。ただ、集会場の前を通り過ぎただけなのに、思わず、気持ちがほっこりしてしまいました。

 プロの生け花はもちろん良いのですが、アマチュアの生け花も、プロには無い味があって、悪くないなと思いました。

 ああ、これは音楽にも言える事なのかもしれないって思いましたよ。

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