ひとこと

  •  お相撲さんは格闘家であり、その素手は強力な武器であるわけだから、土俵以外の場所では、たとえ素手であったとしても他人を殴ってはいけないわけだし、ましてやその手に器物を掴んで凶器を使用してしまったら、言い訳はできないし、そもそもやり過ぎだし、卑怯ですらあると、私は思う。今回の件は、日馬富士にも同情すべき点は多々あると思うし、魔が差したのかもしれないが、鉄拳制裁はアウトだと思う。武道や格闘技は、暴力とは違うわけだが、角界の範たる横綱が暴力を行使しちゃあ言い訳できないよなあ。
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カテゴリー「ダイエット&エッセイ」の記事

毎週のダイエットの記録と、私の生活エッセイです

2017年11月19日 (日)

百貨店の生き残る道はどこにあるのか?

 時代が変われば、世の中が変わっていきます。商売のやり方も変わり、流行る店潰れる業界が出てきます。

 昨今で言えば、ネット通販がドンドン拡大していきます。便利で安いですからね。そのため、宅配業者が繁盛しすぎてアップアップになっています。また、ネット通販が普及したため、町の本屋とレコード屋が軒並み潰れました。まあ、本屋に関して言えば、ネット通販だけでなく、コンビニの雑誌販売にも大きく食われてしまったんだろうと思います。コンビニと言えば、一時期、猛烈な勢いで町の酒屋がコンビニに変わっていき、酒屋が壊滅してしまいました。またパソコン&プリンターの普及によって、町の印刷屋さんも潰れちゃいました。名刺と年賀状印刷、あるいは近所の商店のチラシ印刷など、もはや町の印刷屋の出番じゃないですからね。で、そのパソコン&プリンターも普及し尽くしてしまったようで、以前ほどは売れるわけではないそうです。スマホの普及でカメラ業界もガタガタだと聞くし…20世紀の人間にとっては、慣れ親しんだ社会が音をたてて崩れていくのを見るのは、隔世の感があるわけです。ああ、年寄りになったんだなあって肌身で感じるわけです。

 で、そんな時代の流れに飲み込まれ、現在のところ、だいぶヤバイのが百貨店業界なんだそうです。

 百貨店と言うと、何でも売っているというイメージがありますが、そもそもは呉服屋さんだった店が多く、今でも百貨店の主力商品は服なんですが、人々は服を百貨店で買わなくなって久しくなったわけです。

 だって、百貨店で取り扱っている服って高いもの。普段着は買えないよね。普段着なら、大型スーパー(ダイエーとかイトーヨーカードとかイオンとか…)やユニクロなどの普段着を取り扱うアパレル系の店で購入するなり、スーツでも子ども服でも婦人服でも、安売りの専門店もあるわけで、それらの店に行けば十分なわけです。

 どうかすると、よそ行きとか言われる、いわゆる晴れ着だって、そういう店で購入できたりするわけで、なかなかデパートで服を買うなんて、庶民の選択肢から無くなって久しい気がします。

 言われてみると、近隣にある地元密着型の百貨店は、だいぶ消えました。かつて百貨店だったビルは、今や単なる貸しビルとなり、大型電気店が入ったり、今時のお店がテナントとして入店しています。また、一度更地になって、百貨店が出来る前の地元のお店らが復活しているところもあります。今も百貨店として残っているのは、大手の全国展開している百貨店の支店ばかりですが、これらの支店とて、決して楽ってわけではないようです。

 だろうねえ…。

 百貨店が今の人に受けない理由にはいくつかあります。一つは「なんでも売っている」こと。また「良いものがそれなりの値段で売っている」こと。さらには「店舗が広い」こと。私が思うだけでも、3つの理由は簡単に思い浮かびます。

 「なんでも売っている」事は、かつては大きなアドヴァンテージだったと思います。デパートに行って買い物すれば、なんでも揃う…事に魅力を感じていた時代もあったと思いますが、今の人の感覚は、それとは違うんだと思います。今や百貨店は「なんでも売っている」のではなく「たくさんの商品はあるけれど、本当に欲しいものがない」状態になっていると思います。

 “広くて浅い”ではなく“狭くて深い”のが受けるのが現代なのです。これは商店で言えば、百貨店のように「なんでも売っている」店よりも、取扱商品の幅は狭くても、色々とニッチな商品まで揃えている専門店の方を、現代人は好むわけです。

 また百貨店にはバイヤーと呼ばれる、凄腕の目利きの方々が良い品物を選んで取り揃えているわけですが、そのために百貨店の棚に並んでいるものは、品質が良い代わりに、たいてい安くないです。

「良いモノが高いのは当たり前じゃないか」

 そりゃあそうですが、我々の日常生活の中で、良いモノって、そんなに必要ないです。我々に必要なのは、生活に間に合うモノであって、必ずしも良いモノではないのです。だって良いモノって、オーバースペックだったりします。そのオーバーな部分にまでお金を払えるかどうかってところが問題なんだと思います。昭和の時代って、人々は夢を持っていましたから、そういう夢の部分も含めて、お金を支払えたと思うのだけれど、現在の人は冷めていて現実的だから、夢にはお金をかけないんだよね。みんな、身の丈を知っているんだよ。だから、オーバースペックなモノって、贅沢すぎて、受けが悪いんです。

 百貨店って、たいてい店舗が大きいです。店の中を歩いているだけで疲れちゃます。買い物に行って疲れちゃたんでは本末転倒です。昭和の時代は、百貨店に買い物に行くこと自体が一大イベントだから、疲れたってよかったのだろうけれど、現代の客にとって、店なんて、必要な買い物ができれば十分なわけで、めちゃくちゃ広い必要はありません。むしろ、広い店だと、目当てのモノを見つけるまでにヘトヘトになります。だいたい、ネット通販で出掛けなくても買い物ができる時代に、広い店内を歩き回った日には、二度と行きたくなくなるわけです。

 そういうふうに考えていくと、百貨店というシステムは、昭和の時代のシステムであって、今の時代には色々と合っていないわけで、そりゃあ商売が傾いても仕方ないのかもしれません。

 でも、百貨店業界にも人が働いているわけで、そう簡単に業界が無くなってしまっても困るわけです。なんとか、生き残らないといけません。デジカメの普及でフィルムがダメになった時に、フィルムメーカーが化粧品や製薬の分野に乗り出したように、百貨店業界も別の業種に転向する必要があるのかもしれません。

 まあ、私ごときが思いつくような事は、関係者の方々には、すでに経営コンサルタントの方々からさんざん提案されているだろうけれど、まあ、素人が好き勝手な事を書き散らしていると思って、目こぼししていただくことにします。

 百貨店の強みというのは、駅そばの一等地に土地を持っている事…でしょ? じゃあ、その土地に百貨店以外のモノを建てて商売すればいいのよ。で、私が思うに、店舗付きマンションがいいんじゃないの? 駅のすぐそばのマンションって、絶対需要があると思うわけです。ビル全部を店舗にしたりとか、あるいはオフィスビルにするというのもありだけれど、それってどうしても景気に左右されるわけで、商売としては不安がないわけではなりません。そこへ行くと、住宅ってのは、家賃収入としては大した金額ではないかもしれないけれど、駅そばの一等地であれば、恒久的に需要はありつづけると思うわけです。それに低層階を店舗にして貸ビル業をやって、家賃をごっそりいただけば、それはそれで美味しいでしょ? そんな感じでマンション経営をしてみるってのは、いかが! つまり、百貨店から不動産業への転向なんだけれど、決して悪い話じゃないと思うんだよね。立地条件が良いのだから、マンションだって高級タワーマンションにしちゃえばいいわけだしね。そうすれば、その土地土地の金持ち有志たちが入居すると思うんだけれど…いかがかしら?

 あと、駅前と言うと、地方都市だとパチンコ屋がブイブイ言わせてます。でも、デパートがあるような大都市の駅前には、案外パチンコ屋がなかったりします。だからと言って、百貨店がパチンコ屋をやるわけには、さすがにいきませんよね(笑)。でも、カジノならどうなんでしょ? 会員制の高級カジノを大都市の駅前でドドーンとやってみる。もちろん、法改正は必要でしょうが、そんなものは業界から圧力かけて何とかしちゃえば良いんじゃないの? 駅前カジノ…悪くないと思うよ。貧乏人はパチンコ、金持ちは会員制高級駅前カジノって棲み分けなんていいんじゃないかと思います。

 カジノに抵抗があるなら…ブックメーカーも悪くないんじゃないの? とにかく、年寄りの金持ち相手の博打は、これからの成長産業だと私は思うんだよね。そこに手を出さないなんて、ありえないんじゃないかな…なんて私は思うわけです。

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2017年11月12日 (日)

なぜ時代劇が廃れてしまったのか考えてみた

 前回、新作の水戸黄門を熱心に見ている事を告白した私です。

 それにしても不思議に思うのは、私が子どもの頃は、毎週のようにテレビでやっていた時代劇が、現在では、地上波ではほとんど見られなくなってしまった事です。似たようなモノとしては、NHKの大河ドラマがあるけれど、あれは時代劇と言うよりも歴史劇だからね。似てはいるけれど、ちょっと違う。大河ドラマは時代劇じゃあ、ありません。

 時代劇は、別名“まげもの”と呼ばれているけれど、基本的に“ちょんまげ”を付けた人々が活躍する芝居です。時代背景は…おおよそ江戸時代っぽいけれど、必ずしも江戸時代とは限りません。基本的に、時代考証なんてありません。そこんとこは自由みたいです。とりあえず登場人物たちが“ちょんまげ”していれば、後は何をしても良いのが時代劇です。

 そういう意味では、時代劇は一種のコスチュームプレイであり、ファンタジーなのです。ちょんまげさえしていれば、歴史ものをやろうが、現代的なテーマでやろうが、いっそSFをやったっていいんです。“歴史に忠実”をモットーとする歴史劇とは、そこが違います。

 その何でもありの自由さが、今の時代に合わないのかもね。今の人たちは、学歴も上がり、知的な人が増えてきたので、ある意味、ハチャメチャな時代劇ではなく、シリアス風味の歴史劇を好むようになったのかもしれません。

 また、時代劇と言えば、勧善懲悪です。勧善懲悪は分かりやすくていいのですが、これも今の人たちには受けないのかもしれません。今の時代は、正義が見えづらい世の中です。正義が正しいばかりでもなく、悪者にも悪者なりの事情があったりするわけで、とにかく複雑なのが現代社会です。勧善懲悪で割り切れるほど、現代社会は、単純な世の中ではないのです。

 あと、時代劇と言えば、派手な立ち回りが付き物です。いわゆる“殺陣”ですね。正義のヒーローが悪人たちをバッタバッタと斬り殺していくのですが…ヒーローが堂々と人殺しをしちゃ…ダメだよね。それに残酷だし…。そういう部分も今の人には受け入れられずらいかもねえ…。

 さらに言えば、時代劇と言えば、武士たちの主従の関係が描かれたり、町人とお武家様の対立が描かれたり、お家の存続が問題になったりしますが、そういう家父長的な感覚って、今っぽくないよね。今は個人主義の時代だけれど、時代劇と個人主義は…相性悪いよね。

 そう考えると、確かに時代劇って、色々と今の時代とは合わないねえ。

 で、今の時代と合わないと言えば、似たようなものに特撮モノがあります。特撮モノは、基本的にSFだから、あれこれ現実世界とは違った価値観で物語が進行していきます。しかし、時代劇が廃れてしまったにも関わらず、特撮モノは…仮面ライダーにせよウルトラマンにせよ、今でも元気に毎週毎週新作が作り続けられています。それはなぜでしょう。

 と言う訳で、時代劇と特撮モノを比べてみました。

 まず、似たような点です。

 時代劇も特撮モノも、まず物語の本質がファンタジーであり、現実離れをした物語が展開されます。現実離れをしている分、例えば、衣装代(特撮ならばきぐるみ代)がかかりますし、小道具も特注品となり費用がかさみます。スタジオ撮影ならば、いちいちセットを組まないといけないので、やはり制作費がかかります。その代わり、ある一定のお約束を守れば、後は何をやっても自由です。“ある一定のお約束”ってのは、水戸黄門なら印籠を見せるとか、当山の金さんなら背中の桜吹雪を見せるとか、ウルトラマンや仮面ライダーなら変身して戦うとか…ですね。そこさえ押さえておけば、後は何をやってもOKなのが、ファンタジーである時代劇や特撮モノの特徴です。

 一方、時代劇と特撮モノでは違いがあります。その違いが、特撮は元気だけれど、時代劇が廃れてしまった原因になると思います。

 まず、時代劇と特撮モノでは、メインターゲットとなる視聴者が異なります。時代劇の対象は…普通にオトナです。それも年寄りが多いかな? ですから、一度ファンになると、ずっと見続けます。いわば固定ファンが付くわけです。

 一方、特撮モノのメインターゲットは子どもたちです。大きなお友だちも特撮モノを見ないわけではありませんが、それでもやはりメインターゲットは子どもたちです。それもだいたい幼稚園ぐらいから…せいぜい小学校低学年ぐらいまでです。つまり、視聴者の年齢の幅は、せいぜい5年ぐらいでしょうか? いわば5年経つと視聴者がまるまる入れ替わるってわけです。

 ですから、極端な話、特撮モノは同じ話を5年ごとに繰り返しても、全然平気なのです。視聴者は常に入れ替わっているので、同じ話であって、その時見ている受け手にとっては新鮮なわけで、いわば過去の物語の焼き直しの繰り返しでも全くOKなのです。常に古くて新鮮な物語が提供できるのが特撮モノなのです。

 一方、時代劇は…ずっと同じ人が見てますので、同じ話を繰り返すわけにはいきません。しかし、物語の消費度が激しく、毎度毎度新規な物語を提供していくのは、当然無理なので、やがて物語が定型化していき(そうしないと物語の量産化は難しいのです)、それが物語のワンパターン化を生み出し、結果として、同じようで、でも少しずつ違った物語を作り続けていきます。類型化された物語の大量生産、つまりマンネリが発生します。

 お年寄りには物語がマンネリでもいいのです。いやむしろ、マンネリの方が安心してみられるので、むしろ歓迎ですが、若い人間は変化を求めます。いつもいつもマンネリした物語をみせつけられていては、せっかく若い人間が時代劇に興味を持ったとしても、長続きせず、やがて離れてしまい、ますます時代劇ファンの固定化が進んでしまうわけです。

 で、その固定ファンが未来永劫に存在しつづけるなら、それはそれで良いのでしょうが、人間は年齢を重ねると、やがて死んでしまいます。かつてはたくさんいた時代劇の固定ファンも少しずつその数を減らし、今ではだいぶ少なくなってしまいました。これが時代劇の衰退の一つの原因でしょう。

 また、制作側の都合もあります。

 スタジオ撮影は、時代劇であれ、特撮モノであれ、手間暇お金がかかります。そこで、可能であれば、なるべくロケで撮影したいのが制作者側の本音でしょう。スタジオ撮影と較べると、ロケの撮影の方が、あれこれ安価で済むからです。

 実際、特撮モノはロケでの撮影が多いですよ。屋外のシーンだけでなく、屋内のシーンですら、外部の建物を借りて撮影して、制作費を浮かせて、その分の費用を特撮部分の撮影にぶち込むわけです。

 時代劇の場合は…ロケでの撮影が年々難しくなっているんだそうです。と言うのも、時代劇のロケの場合、少しでも現代的な要素がある場所では撮影が不可能だからです。

 ビル街での撮影が不可なのは当然として、普通の田舎道でも、電信柱があればアウトだし、道路が舗装されていてもダメです。自販機なんて論外だし、田んぼはOKでも畑は…栽培している作物(例えばトマトなどの西洋野菜の畑はダメだし、ビニールハウスは論外)によってはアウトです。そういうふうに条件を絞って撮影可能な場所を探していくと…時代劇に適した場所はなかなか無いので、ロケのバリエーションが広がらず、風景が一本調子になりやすいし、結局はスタジオ撮影や太秦などの時代劇専用撮影所での撮影ばかりになってしまうわけです。で、制作費が高額になり、なかなか制作されにくくなり、放送もしずらくなってきた…ってわけです。

 制作費の問題をあげれば、スポンサーの問題にも関わってきます。

 特撮モノは、子供向けの商品を扱っている会社(おもちゃとか食品とか衣料品とか)がスポンサーになりやすいです。でも時代劇だと、今時の会社はスポンサーになりづらいです。

 例えば、自動車メーカーとかパソコン会社、家電メーカーに携帯会社、ゲーム会社にアパレル会社等々は、時代劇のスポンサーにはまずなりません。だって、スポンサーをやるメリットがないもの。自社の製品と時代劇とは、どうやっても結びつかないでしょ? 時代劇のスポンサーができる会社と言えば、製薬会社と保険会社ぐらいかな? 高齢者向けの商品を扱っている会社ぐらいです。

 演じる役者側の都合もあるでしょう。

 特撮モノはSFものですが、芝居の基本ベースは現代劇です。セリフ回しはもちろん、衣装も所作も現代劇と同じですから、それほど演技のキャリアがないような新人でも、なんとか演じる事ができますし、実際、特撮モノは新人俳優たちの登竜門的な役割もあります。

 一方、時代劇は、時代劇特有のお約束事に満ちあふれています。セリフも時代劇特有の言葉が多いですし、セリフ回しも現代劇とは異なります。衣装も違うし、所作も違うし、そもそもちょんまげを付けなきゃいけませんが、ちょんまげをしてしまうと顔が変わってしまうので、それを嫌う役者も多いようです。実際、大河ドラマなんか、歴史モノなのに、登場人物たちがみんな総髪(ちょんまげではなく、今風の髪型)だったりします。空想上の人物が総髪でも、それはありかもしれませんが、歴史上の人物の場合、その人がちょんまげの人なら、やっぱりちょんまげにしないとダメなんじゃないかな? 例えば、織田信長の総髪なんて、ありえないでしょ!

 セリフや台本の問題は、演じる役者だけの問題ではありません。そもそも脚本家や監督などのスタッフですから、ちゃんと分かっているのか不安になるようなケースも、最近の歴史モノでは多々見かけます。歴史モノですらちゃんとできないのに、時代劇で時代劇っぽい時代言葉を使って芝居を制作するって…そりゃあ難しいよね。それに、見ている視聴者たちも時代劇を見慣れなくなったので、若い世代を中心に時代劇の言葉が分からなくなってきているし、そこをいい加減にしてしまうと、今度は固定ファンであるお年寄りたちが文句を言い出すし…。だって、そこらへんをいい加減にしてしまうと、時代劇特有の雰囲気が時代劇から失われ、それが時代劇の輝きを曇らせるようになってしまうわけです。つまりは、時代劇が持っていた、あの特有な“非現実感”が薄れてくるわけで…そこがダメになったら、そりゃあ時代劇も面白くなくなってしまうよね。

 結局、色々と細かい理由はあるけれど、時代劇の衰退は、ある意味、時代の流れに流されただけであり、昔ながらの時代劇なら消えていくしかないわけです。

 時代劇はテレビ番組の1ジャンルにしか過ぎないわけで、その役目を終えて消えて無くなるなら、それはそれで仕方ないし、時代劇は日本文化の一つであるというのならば、今の時代に即したモノに変革していかないと、今の視聴者たちには受け入れられないよね。制作者たちも、そこは分かっているんだと思う。だから、BSなどで時代劇のリブートをしているんだと思う。そうやって、試行錯誤をしながら、今の時代の時代劇を模索しているんだと思います。

 だって、新作の水戸黄門は、昔ながらのテイストを保ちながらも、新しい部分もあって、面白いよ。

蛇足 スターウォーズって、時代劇をリスペクトして作られた作品だったって知ってましたか? ジェダイってのは、時代劇の“時代”が鈍った言葉です。ライトセーバーは日本刀のオマージュだし、ダースベーダーやストームトルーパーのデザインは日本の鎧がモチーフだし…ね。初期シリーズの重要キャラクターのオビ=ワン・ケノービの“オビ”は黒帯の“おび”なんだそうだし、そもそもあのキャラクターは三船敏郎がやる予定だったとかなんとか…。

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2017年11月 5日 (日)

最近は、水戸黄門にハマってます

 最近の私は、水戸黄門にハマっています。毎週、水戸黄門をテレビで見るのを楽しみにしています…と書くと、なんか変ですか?

 「再放送でも見ているの?」

 いえいえ、新作を見ています。

 「黄門様は、やっぱり里見浩太朗?」

 いえいえ、実は武田鉄矢がやってます。そうなんです、新作の水戸黄門は、黄門様を武田鉄矢が演じているのですよ。

 「でも、TBSじゃないよね」

 いえいえ、放送はTBSですよ、ただし、BS-TBSです。そう、BS放送なんですよ。BS-TBSで、毎週水曜日の午後7時から放送しています。公式サイトはこちらです。放送予定は全10回で、すでに半分の5回は放送終了ですから、残り半分なんですよ。

 今回の黄門様はいいですよ。何がいいって、リブート版なのです。ですから、今までの過去の黄門様からのしがらみは取っぱらって、でも物語の骨子はしっかりと引き継いでドラマが描かれています。

 だから、黄門様御一行も実にミニマムです。なにしろ、黄門様と助さん格さんと弥七の4人組です。八兵衛もいないし、お銀も飛猿もいません。その代わり、4人のキャラ、とりわけ、助さん格さんのそれぞれのキャラが際立っています。

 また黄門様が小柄なジジイ(失礼)で良いのですよ。おまけに、インテリ臭くて理屈っぽくて説教臭い(笑)。たまに故事成語をセリフにはさんでくるし、情け深くて優しくて…なんか、金八先生がそのままジジイになったような黄門様なのです。

 今回は東北の旅なんだけれど、毎回、その土地の民謡と土地の名産を取り上げるし、なんか楽しい。私は、今までの水戸黄門は好きになれなくて、親が熱心にテレビで見ていても、私自身は気が惹かれなかったのだけれど、今度の水戸黄門は、結構気に入ってみています。

 私もジジイになり、勧善懲悪の時代劇を好むようになったのでしょうか? それとも新作の水戸黄門は、テイストが今風になり、そこが気に入ってみているのでしょうか? 自分でもよく分かりません。

 時代劇は、すっかり地上波では廃れてしまいましたが、CS放送とかBS放送では、再放送はもちろん、新作も時々作られています。大岡越前は、NHKのBS放送で、ジャニーズの東山紀之を主演に、今も時折製作され放送されています。鬼平犯科帳は、昨年、CS放送で新作アニメになって放送されましたしね。リブートしたりフォーマットを変えたりしながら、時代劇は地味に少しずつ復活しているのです。

 次は遠山の金さんが、BSあたりで新作として登場するんじゃないかしら? なんてね。それとも次は…暴れん坊将軍?

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2017年10月29日 (日)

リア充って何よ?

 最近、よく耳にする“リア充”という言葉、どんな人の事を言うのでしょうか?

 チャチャっとググってみたところ、リア充とは「現実生活(リアル)が充実している人」の事を言うそうです。うーん、まんまじゃん。

 ただし、語法として「私はリア充です」と言うのは痛い使い方(つまり、誤用)であって、「私は恋人がいないのでリア充ではありません」とか、妬ましさのあまり「リア充、爆発しろ」などと使うのが、言葉として正しい使い方のようです。つまり、リア充という言葉は自分に向けて使う言葉でなく、尊敬やら妬みやらの感情を込めて、他者に向かって使う言葉のようです。自分に向かって使う時は、あくまでも反対のベクトルを向けて、否定形にして使うようです。

 そういう意味では「金持ち」とか「インテリ」とか「イケメン」などと同列の言葉のようです。これらの言葉も、自分に向けて使ったら変でしょ? あくまでも嫉妬と羨望を込めて第三者に向かって使う言葉です。

 言葉の使い方はともかく、本質的な意味を考えてみるなら、リア充という言葉の意味、つまり『現実生活(リアル)が充実する』って、どういう事なのかと考えるチャンスになります。

 リア充という言葉は、そもそもがネットスラングですから、若い人間が多く使います。そのため、充実しているリアルとして、恋愛しているとか、きちんとした職業に就いているとか、派手な交友関係があるとか、幸せな家庭生活を過ごしている(これは女性限定かも)とかがあげられます。インスタグラムなどで、いかにも幸せそうな写真をアップしていたりすると、リア充であると思われるようです。

 つまり“リア充”って“幸せ”のこと? または“幸せな人”の事?

 リア充が幸せという意味なら「私はリア充です」という言葉が誤用と言うよりも、気恥ずかしさを伴う言葉である事が分かります。だって「私は幸せです」って言葉は、間違っていないけれど、正面切って使うには、なんか恥ずかしいものね。ついつい「こんな私が幸せで良いのかな?」とか思っちゃうでしょ。そんな感じなのでしょう。

 ならば「リア充、爆発しろ」は「幸せなヤツなんて、死んじまえ」と言った程度の僻みの言葉なんでしょうね。

 そんな自分が幸せで無い事を強調するために、反対語としての“リア充”という言葉を頻繁に耳にする時代になったと言うことは、それだけ不幸な人が増えている、あるいは、自分は不幸であると感じる人たちが増えている、って事なんでしょう。

 それにしても…不幸な基準がゆるいなあ…。恋人がいないとか、友達がいないとか、定職についていないとか…そんなモンで“不幸”なんだよ。難病に罹患して日々苦しみの中で暮らしているとか、愛する人を立て続けに亡くして悲しみのどん底にいるとか、貧しくて収入も無くて住む家も食べるものも無くて野良犬のような生活をしているとか…とは訳が違うのであります。

 つまり、リア充を否定する事で確認される不幸なんて、軽微な不幸であって、決してマジでもガチでもない、“なんちゃって不幸”なんだよなあ。そういう意味では「リア充、爆発しろ」とか言って人は、まだ本当の不幸を知らない…とも言えます。

 どちらにしても、グローバル・スタンダードで言えば、日本人なんて、みんな幸せなんだよ。そういう事なんだよね。少なくとも「リア充爆発しろ」なんて言っている人は、言えるだけ幸せってわけなんだな。

 若いうちは、貧しくて当たり前、恋人がいなくて当たり前、定職についていなくても全然平気。だいたい、自分が何者なのかも分からないのが“若さ”なんじゃないの? 何も持っていなくても、可能性をたくさん持っているのが若者でしょ? オジサンになると、あれこれ持っているけれど、若者しか持てない、可能性とか未来とか将来とかが、眩しくて眩しくて…ねえ。自分も昔は持っていたのに、一体それらはどこに行ってしまったんだろうなあ…とぼやくことしか出来ないんだよな。

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2017年10月22日 (日)

トラブル報告…通販で買ったモノが不達かと思ったら、20日遅れで届いた件

 ネット通販全盛の時代です。私もよく利用します。自宅にいながら、日本全国はもちろん世界中から、欲しい商品を購入でき、それを自宅まで届けてもらえるわけで、とても便利なシステムだと思います。私も色々なものをネット通販で購入します。

 でも、ネット通販って、店で直接商品を購入するのと較べると、実は様々な会社の色々なサービスを使っているので、トラブルが起こった時は、色々と面倒だったりします。

 商品を売ってくれる会社はもちろん、その商品を配送してくれる配送業者(海外からだと複数の業者の手を経て届くこともあります)、支払いのためのクレジット会社等々のお世話になります。

 以前、外国のウェブサイトからDVDを購入して、注文とは違った品が届いた時(結構あります)は困りました。クレームは英語でしか受け付けないサイトとか、日本語で受けてくれるけれど対応が不親切なサイトとか…まあ外国のサイトとトラブルが発生した場合は、たいがいこじれるし、面倒だし、泣き寝入りだって、たびたびしました(つまり授業料です)。

 また、遅配とか不達もあります。海外からは通常一ヶ月ほどで荷物が届きますが、たまに三ヶ月ぐらいかかる事もあります。こちらは不達と判断してクレームを入れても、実際は単なる遅配だったりするわけだし、トラブルの元がどこにあるのかも分からない事あり、結果として不達になってしまった時は、やっぱり泣き寝入りをする事もあります。

 海外からの買い物は、言葉の問題や商習慣の違い、単純に遠方からの配送等々、トラブルのタネがたくさんあるわけで、あれこれあっても仕方ないと諦めている私です(それでも日本じゃ入手できないモノとか、めっちゃ安価な価格設定などに惹かれて、ついつい購入しちゃうんだけれど…ね)。

 そこへ行くと、日本国内の買い物なら、それらの諸問題をクリアできるし、日本人は丁寧に仕事をするので、今の今までトラブルなんて発生する事もなく安心して利用していました。それが、つい先日、思いもかけないカタチでトラブルが発生いたしました。

 楽譜を購入した…と思ってください。国内出版社の、ちょっとレアな楽譜です。ちょっとレアなので、近隣の楽譜屋の店頭には無いし、かといって休日に都会に行って購入するヒマもなかったので、ネット通販…具体的にはアマゾンで購入しました。

 あいにく、アマゾンでは品切れだったのですが、マーケットプレイスという、アマゾンの中でサードパーティーが商売をするというサービスがあり、そこで某大手楽器店のWeb通販部から、目的の楽譜を購入した…わけです。その某大手楽器店のWeb通販部を、仮にA社としましょう。アマゾンから直接の購入ならば、配送料無料だったのですが、割と急ぎで欲しかったので、配送料がかかるけれど、在庫があるA社から購入したのです。ちなみに、配送料は250円でした。私自身が電車に乗って東京を往復をすれば約2000円かかっちゃうわけだから、配送料を高いとかは全然思いませんでした。

 で、その日は、楽譜を始め、その他にもあれこれ(別の店から)購入し、やがてそれらの商品が我が家に届きました。

 でも、楽譜だけ届きません。まあ、遅れることもあるだろうと、数日待ちましたが、それでも品物は届きませんでした。さすがに、これは遅すぎる…と思い、どうなっているのだろうかと、ちょっぴり心配になりました。アマゾンには、商品の配送状況などを調べるページがあります。そちらを見たら、まだ配送途中という事だし、荷物の到着予定日まで、まだ数日ありましたので、焦らずに待つことにしました(でも本当は、一刻も早く楽譜を必要としていたのです)。

 焦らずに待つ事にしたとは言え、この段階で、少し不安になっていたのです。というのも、国内で買い物をした場合、注文したら、商品は翌々日に届くのが普通で、遅れても1日か2日の話で、到着予定日の1週間から10日前には、だいたい荷物が届いていたからです。ですから、こんなに遅いというのは珍しい事だったのです。

 とにかく、到着予定日までは待つことにしましたが、なにしろ日数があるわけで…私も少々うっかりしていました。

 数日後“あれ? そろそろ荷物が届いていないのは可怪しくない?”と思って、アマゾンの配送状況を調べるページを開いてみると…なんと、びっくり! 昨日、届いている事になっていたのです。それも我が家に届けた時刻までしっかりアップされていました。

 私はさっそく家族に尋ねましたよ。荷物は届いていないのか?ってね。そしたら、誰も知らないし、受け取っていないのです。あれあれあれ、ウチの中で紛失か? 家中をひっくり返して探しましたが、何も出ません。いよいよ、オカシイです。

 で、ふと思い出しました。荷物が届いたとされる時刻、私は何をしていたのか?

 実は家にいました。それどころか、玄関の前にいて、近所の人と長話をしていたのです。用件は、自治会関係の話で、荷物が到着した時刻を含んで、30分近く、玄関の前で自治会の人と話し込んでいたのです。その間、郵便屋さんは来ましたが、いわゆる配送業者らしき人はいませんでしたし、その郵便屋もウチの前は素通りしていました。

 あれ? オカシイぞ…。

 とりあえず、マーケットプレイスとは言え、アマゾンから購入したわけだから、アマゾンの購入履歴のページから、A社にメール連絡を入れてみました。アマゾンから連絡を入れると、その連絡メールが、A社だけでなくアマゾンにも送られるので、あえてそれを利用しました。

 当然、返事はすぐ来ることはなく、翌日になりました。

 次の日、A社から返事が来ました。内容は「ウチはちゃんと発送した。だから商品が届かないのは配送業者の責任。配送業者に問い合わせをしてくれ」というものでした。まあ、そりゃあそうだろうけれど、その配送業者を指定したのは、あなたの会社であって、こちらが配送業者や配達方法を指定したわけでもないのに…ねえ。A社の印象が悪くなりました。もう二度とその会社で買い物をしない事にしました…とは言え、そもそもその会社、ウチの近所には無いので、今までも買い物してませんでしたが(笑)。

 とりあえず、配送業者のサービスセンターというところに電話を入れてみました。“アマゾンによれば、私の荷物は貴社によってすでに配送済みとなっているのだけれど、品物が到着していないのです”…って内容です。

 サービスセンターの方の対応は丁寧でしたよ。さっそく調べますと言ってくれ、一度、電話を切りました。

 しばらくすると、その配送業者のウチの地区担当の営業所から電話がかかってきました。事情を話しました。向こうの会社の記録は、すでにアマゾンのサイトにアップされているのと同じでした。それどころか「配送担当者が言うには、荷物が大きくて、郵便ポストに入らなかったので、玄関のドアノブに、ビニール袋に入れて、下げておいたそうです」と、具体的な配送状況の話さえ教えてくれました。つまり、配送業者は確実に配達したよと言うわけです。

 そうは言っても、品物は届いていないんだよ。

 ううむ、なんか納得しない。いくら配送されていても品物は確かに届いていないのだから…。

 で、こちらが反論しようと思った矢先に、あちらから「弁償します」と言ってきました。だから、私が購入したものを「具体的に詳しく教えてください」と言ってきました。

 弁償? だってあちらはちゃんと配送したんでしょ? じゃあ責任ないじゃん。確かに私は納得してないし、実際に品物も届いていないけれど、配送会社はやるべき事をやったんでしょ? じゃあ、配送会社に非はないじゃん。非が無いのに、弁償するの? 今度は別の意味で、なんか割り切れない気持ちになりました。

 とは言っても、実際に注文した楽譜は届いていないし、届かないと困るし、それもなるべく早く入手したいし…。おまけに、その楽譜、そんなに安くないし、近所じゃ売ってないし、買いに行く時間もないし…。だいたい、今は足が肉離れ中で不自由だし、気楽に買い物にいけないわけだし。

 言いたいことはアレコレあったし、自己矛盾な気持ちも無いわけじゃなかったけれど、配送会社さんの弁償に応じることにして、説明をしました。

 翌日、配送会社から電話がかかってきました。私が頼んでいた楽譜を銀座(!)まで行って買ってきたので手渡ししたい…のだそうです。昨日の今日で、弁償ですか? 仕事、早くない?

 地区の営業所のエライ人がやってきました。あっちこっちの楽器屋さんに私が頼んだ楽譜の有無を尋ね、在庫を確認したので、自ら出掛けて行って楽譜を購入して、それを弁償の品として届けに来てくれたのです。もちろん、平謝りの平謝りをしてくれました。

 私は今回の件、誰が悪いのか分からないわけだし、今回も泣き寝入りかなと思っていたのに、思わず弁償していただいたので、却って悪い気になってしまいました。

 ここまでやっていだたけて、大変感謝しています。今回の件は水に流しましょう。

 私はエライ人にそう伝えました。だってそうでしょ? 目の前にいる彼が何か悪さをしたわけじゃないし…ね。私は彼と、彼の会社を許しました。誠意には、ちゃんと応えないとダメでしょ?

 でもね、今回の件、最後まで疑問は残りました。それは実際に私の荷物を配送した配達員の行動です。記録が正しければ、彼が我が家に品物を届けた時間、私は玄関前にいたので、絶対に彼の姿を見ているはずなのに見ていないのです。玄関のノブに品物を掛けたと言ってますが、私のその玄関のノブを持っていて、玄関のドアが閉まらないようにずっと支えていたのですから、私に気づかれないようにドアノブに品物を掛けるのは不可能です。

 じゃあ、配達時間を間違えて記載してしまった? 記載時刻よりも前に配達していたのなら、私が玄関に出た時点で気づいています。記載時間よりも遅く配達していたとしても、やはり家を出入りする際にドアノブの品物には気づくはずです。

 その日は、しばらくして出かけたのだけれど、息子くんは家にいたのだから、ピンポンしてくれた段階で、直接荷物を受け取るって(笑)。それに、ウチの近所は治安がいいので、玄関に宅配便の荷物をぶら下げたところで、今まで紛失した事はないし、第一、金目のものならともかく、楽譜なんて、誰が欲しがる? でしょ??

 なんか、あれこれ分からない。でも、弁償してもらったのだし、水に流す事にしたので、これ以上は不問にするのだけれど、やはり最後まで謎は残るわけでした。

 それにしても、その配送業者さんの対応は、実に素晴らしかったと思います。さすがは日本企業だね。

 …なんて思っていました。

 で、そんな事件から数日たったある日の事。それは先の楽譜の配達予定日から、ちょうど20日過ぎた、ある日の事だと思ってください。

 その前日の夜、私は大雨が降る中、仕事で深夜に帰宅しました。いつも帰ると、家のポストを覗いて郵便物の有無を見るのが私の習慣で、その時はポストに何も入っていない事を確認して家に入ったのです。

 で、その翌日、日の出前の大雨が降りしきる中、仕事に出かける私でした。つまり、一晩中大雨が降っていたわけです。で、ポストを何気なく見ると、何か大きな荷物が入っていて、ポストからはみ出てビショビショに濡れていました。

 で、その荷物を取り出して見たところ…それは、あの“不達”だった品物だったのです。配送会社のお問い合わせ伝票番号が一致していますし、中に入っていた納品書は、最初に注文した時にA社から届いた確認メールの記述と一致していますので、完全に、あの“不達”だった品物だったのです。

 ドアノブに品物を掛けた??? じゃあなんで、それが20日後にポストに入っているんだい? それも大雨が降っている真夜中…つまり、配送業務を行っていない時間帯に届くんだい。それに大雨で品物がずぶ濡れで、水が滴っているじゃないか?(中の楽譜自体はビニールで梱包されていたので無事でしたが…)

 まあ、この件は、水に流す事にしたので、これ以上深く追求はしない事にしたのですが、それにしても、結果として品物が届いたとは言え、やっぱり疑問は残ります。20日前に、私が玄関にいる時間にドアノブに掛けたはずの品物が、20日後の真夜中、それも大雨が降っている中、ポストにむき出しで投函されてびしょ濡れになって届いていたのは何故? 私の荷物はタイムマシーンによって配達されたのでしょうか?

 少なくとも言えることは、配送会社から受けた説明「荷物が大きくて、郵便ポストに入らなかったので、玄関のドアノブに、ビニール袋に入れて、下げておいた」は、明らかな嘘だったという事ね。で、その嘘の報告を配送会社からアマゾンにアップしたわけです。嘘をついたのが、配送を担当した配送員なのか、配送会社そのものなのかは分かりませんし、もしかすると私の想像し得ない場所でのトラブルがあったのかもしれません。

 ああ、あれこれ納得いかない。言えることは、実際に配送していないのに、配送した事にして、その虚偽の情報を注文主(直接的にはアマゾン、最終的には私)に伝えると言うのは、企業として信頼できない行為です。

 品物が届かなきゃ、今回のようにクレームが来るわけだし、隠し通せる事ではないのに…一体、どうなっているのでしょうか?

 でも、水に流すと決めたので、これ以上の追求はナシにするし、配送業者さんの名称も明らかにしないし、何よりブログのネタになったので、これで良しとします。

 あと、結果として高価な楽譜が2冊になってしまったけれど、楽譜なんて1冊あれば十分だから、別に得した感じは全然しないんだな(ボソッ)。

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2017年10月21日 (土)

結局、選挙って行かないと損するんだぜ!

 よく「選挙なんて、行っても行かなくても関係ないよなあ。別にオレが投票したからって、世の中変わんないし…」とか言っている人を見かけます。特に若い世代に多いかな? そう言われると、確かに自分の一票をどこに入れたとして、あるいは棄権をしたとして、たった一票で世の中変わんない…なら、投票行くのも面倒だし、天気もいいから遊びに行っちゃえ(今回はあいにく全国的に悪天候だけれど…ね)とか、いつもどおりバイトに行こうとか、家でゴロゴロしていようとか、思うんだろうなあ。

 確かに、たった一票なら世の中は変わらないかもしれません。でも、たかが一票だし、されど一票なんです。

 このページを見てください。総務省が発表している、国政選挙における年代別投票率の統計です。

 これによれば、前回の平成26年度に行われた衆議院選挙では、20歳代の投票率は約33%で、30歳代が約42%、40歳代が約50%、50歳代が約60%、60歳代が約68%、70歳代以上が約59%となっています。全体では約53%の投票率となっています。

 つまり、全体の53%の人しか投票に行っていないのです。裏を返せば、47%の人が投票をしていないのです。

 前回の衆議院選挙の得票率は、与党と野党はほぼ拮抗していて、約50%ずつなんです。実は投票数だけでは、前回の選挙、与党も野党も、別に勝ったも負けたもなかったのです、興味深いですね。それでも得られた議席数は、与党が326席、野党が149議席となりました。そこが小選挙区制の不思議なところで、勝った候補者は僅差で勝ち、負けた候補者は大差で負けると、こういう結果になります。僅差で勝っても大差で勝っても、その選挙区から当選する議員は一人というのが小選挙区で、落選した候補者に入れた大量の票が選挙結果に反映しづらい、民意がきちんと選挙結果に反映しづらい、つまり死に票が大量に出ちゃうのが小選挙区なんです。そういう意味では、少数意見が通りづらい選挙制度なんですね。かつて採用していた中選挙区の方が死に票が少なくてよかったなあって思ってます。

 この小選挙区制を導入した責任者は、当時の首相で日本新党の細川護煕と、自民党から下野した小沢一郎と、当時の自民党総裁河野洋平だったりするわけです。小選挙区制は、、当時、得票率の低い野党が自民党に選挙で勝つために採用された方策(当時“政権交代が可能な選挙制度”って宣伝されてましたね)であって、要は自民党潰しだったわけです。でも結局、自民党は潰れず、たくさんあった野党がグッチャグッチャになって旧民主党ができて、政権交代は果たしたものの、政権実行能力の無さ(つまり無能さを発揮したわけです)をさらけだしただけで、今に至るわけです。

 その結果、民意が反映しづらい、歪な選挙制度だけが残ったわけです。歴史って皮肉なもんだね。

 閑話休題。つまり全体の約半分の人たちしか投票に行って無くて、そのうちの半分の人たちが、それぞれに与党と野党に投票して、今の政治体制が作られているわけです。というわけで、現在の与党(あるいは野党)に投票した人って、全体の25%しかいないってわけです。

 なのに、投票に行ってない人が47%もいるんだよ。

 投票に行かなかった人たちが、もしも投票したとしたら、それだけで選挙結果は大きく変わります。そして(おそらく)日本は変わるんです。

 分かるでしょ? だから、たかが一票だけれど、されど一票なんです。今まで投票をしていなかった人が投票するだけで、日本という国は、大きく変わるんです。びっくりでしょ?

 さらに言うと、年齢別の投票率を見てみると、若い世代ほど投票に行かず、年配者や高齢者ほど投票に行っているのです。20歳代は1/3にも満たない人数しか投票に行っていないけれど、60歳代は7割近い人が投票に行っているのです。

 皆さんがお店のオーナーだったら、店を繁盛させるために、顧客が喜ぶ事をしたいと思いますよね。お客の年齢とか性別とかに合わせたサービスをするのは、当たり前です。

 現在、選挙には老人たちがたくさん投票しています。当然、政治家たちはそれを知っていますから、選挙になれば、老人たちが喜ぶ事を言い、当選すれば、老人たちのためになる政策をバンバン実行します。そうすると、次の選挙でも老人たちが自分に投票してくれるからです。

 何が言いたいか、分かる?

 若い世代が、政治に対して不信感を持ったり、期待していないって話はよく聞きます。政治なんて、自分たちの生活とは関係ないもん…って思っているからですが…ある意味、それは正しい認識です。だって、政治家たちは、若い世代の事なんて、見てないもの。若い世代が喜ぶような政策なんて実行しないもの。だって、そんな事をしたって、若い世代は投票してくれないし、下手に若い世代のための政策を実行して、老人たちの反発を受けたら、次の選挙が危ういじゃない? 自分の顧客である老人たちを第一にし、自分の顧客ではない若い世代なんて、適当にあしらっておけばいい…ってのが(選挙第一主義の)政治家たちの本音です。

 若い世代のための政策を実行させるためには、若い人たちが投票するのが一番なんです。若い人たちが投票してくれる、それで自分が当選したと分かれば、政治家たちはバンバン若い世代向けの政策を実行してくれるし、次の選挙に向けて若い世代の事を考えた公約を掲げてくれます。

 若い世代に向けた政策ってのは、未来につながっていく政策です。日本の未来を考えたなら、現役を退いた老人たちの生活ばかりではなく、これからの日本を支えていく若者世代が安心して暮らせるような政策を実行してもらわないといけないわけで、そのためには、若い世代の人たちが(どこの政党であれ、どんな候補者であり)たくさん投票する必要があるのです。

 政治だってビジネスだから。顧客第一主義なのは当たり前なんです。そして、これは若い世代に限った話じゃないんです。どの世代であれ、どんな主義主張の人であれ、選挙で一票を入れる事で、投票した人の益になる政策が行われる可能性が増えるのです。

 だから、損をしたくなければ、選挙に行かなきゃダメなんです。

 まあ、自分の票が死に票になるとしたら、それは我慢ならないのですが、そのためには現在の小選挙区制をやめる必要がありますが、それはまた別の話です。とにかく、死に票になるかもしれなくても、とにかく選挙に行く。まずは話はそこからしか始まらないのです。

 でも、どこに入れたら良いのか分かんないから行かない…なんて言わないでください。投票をする人として、理想的な姿は、自分の選挙区の立候補者たちの選挙公報を読み比べて、それらを吟味して選んで投票するのが一番です。選挙公報に関しては、ネットでも検索できるので、興味のある方はどうぞ。

 そんなに面倒くさい事はイヤだ…と言うなら、自分の人生とか生活とかで考えてみればいいでしょう。次の衆議院選挙はおそらく4年後でしょから、4年後の未来を考えてみるのです。4年後の社会が、今の社会の延長のような、今とは大きく変わらない世界を望んでいるなら、与党の候補者に投票してみましょう。想像もつかないほどガラッと変わった社会を望んでいるなら、野党の候補者に投票してみましょう。

 与党と言うのは、現在政権を担当している政党の事を言い、具体的には自民党と公明党を指します。野党と言うのは、それ以外の政党を言います。

 日本は長く、自民党が与党になって政治をしてきましたが、たまに野党が選挙で勝って、政権を担うことがあります。最近では、2009~2012年に、現在の立憲民主党につながっていく民主党という政党が政権を握っていました。ちょうど東日本大震災や福島原発事故が起こった頃です。あの頃の記憶がある人は思い出してください。若くて当時を知らない人は周囲の大人たちに聞いてください。あのような社会を望んでいるなら、野党に入れるべきだし、現在の安倍さんの政治を支持する人は与党に入れてください。

 それでも決められない人は、投票場で鉛筆転がしてもいいから、誰か名前を書いてください。投票しないよりは、ずっとマシです。その時は誰だか分からなくて政党も興味なくても、それがきっかけで、その人やその政党に興味を持てれば、次の選挙では迷わずに済むからです。

 だからみんな、選挙に行こうよ。

 P.S. ちなみに私はすでに期日前投票をしちゃったよ(選挙当日はお仕事だからね)。

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2017年10月 8日 (日)

財布を落としました

 さて、本日のリアルな私は、地元で開催される“クラシックコンサート”に出演しているはずです。この様子は、いずれ記事としてアップしますが、それを書いたり整理したりまとめたりするのに、若干の時間を必要としますので、しばしお待ち下さい。

 って事で、今日の記事に入ります。

 普段の私は、徒歩通勤を常とし、職場への行き帰りでボケモンGOを満喫するという生活をしてましたが、肉離れになって、跛行していた間は、長距離歩くことができなくなってしまったので、やむなく通勤にはバスを使用していました。

 怪我をして、カラダが傷んでいると、考え方も普段とは変わってしまうようです。私の場合は、あれこれ横着になりました。順を踏んで行えば良いことを、一度に済ませようとしたり、普段はカバンに入れて持ち運ぶ荷物も、ポケットに詰め込んだり、手に持ったりして過ごしていました。

 そんなある日、仕事帰りにバスに乗りました。普段は財布をカバンに入れている私ですが、その日は、バスから降りたら、すぐにコンビニに行って買い物をしようと思っていたので、なぜか財布をズボンのポケットに入れてしまいました。普段なら、財布はコンビニで会計を済ますまで、カバンに入れたままにしているのに、なぜか気が急いてしまっていたんでしょうね。とにかく、財布をズボンのポケットに入れてしまいました。

 で、バスが最寄りのバス停に到着し、バスから下車しました。で、下車して、何気にポケットをまさぐってみたら、財布がありません。「あれ?」と思いました。確かにポケットに入れたはずですが…もしかしたら、いつものようにカバンに入っているかもしれないと思って、カバンを探してみたのですが、やっぱりありません。

 どうやら、バスの中で落としてしまったようです。

 私の財布はお金だけでなく、あれこれ大切なモノが入っているから、盗まれたら、シャレになりません。軽くショック状態に陥り、目の前が暗くなりました。

 でも、途方にくれている余裕はありません。

 すでに私が乗っていたバスはバス停を出発してしまっています。その頃の私は、肉離れになったばかりで、歩くのが億劫で仕方のない時期でした。ましてや、走ってバスを追いかける…ありえない事です。

 でも、たぶん、財布はバスの中にある。幸い、私が下りたバスは、ガラガラで、私が最後の客だったから、きっとまだ財布はバスの中にある。私が下りたバス停は、終点の二つ前のバス停だから、今頃バスは終点に着いて、少し休んでいるはず。私は今すぐに終点にたどり着ければ、乗ってきたバスで財布を探せるかもしれないけれど、私の足は、今は、かなり不自由なわけで、二つ先の終点まで歩いていったら、どれくらいかかるか分からない。そんなに時間をかけてしまったら、今は休息しているかもしれないバスだけれど、やがて、次の客を乗せて別の路線に出発するでしょう。あるいは、運が良ければ、バス営業所に戻るかもしれない。どちらにせよ、いつまでもバスは終点に留まってはいないでしょう。

 ひとまず、電話をかけよう!

 私はそう思いました。で、まだ私はバス停にいたので、バス停をよく観察してみたら、バスの営業所の電話番号を見つけました。さっそく電話をしました。

 運良く、電話はすぐにつながりました。財布を落としてしまった事を伝えました。営業所の人は、すぐに運行ダイヤを調べてくれました。私が乗っていたバスは、今はまだ終点にいるけれど、やがて営業所に戻ってくる予定だから、営業所に戻ってきたら、バスの中を探して連絡をするので、携帯の番号を教えて欲しい…と言われました。携帯番号? そんなモノなんて、私暗記していないよ?

 なので、一度電話を切って、調べたらまた連絡をしますと伝えて、電話を切ったところ、運良く次のバスがやってきました。次のバスも同じ終点に向けて走っています。

 私が利用しているバス停には、二つの路線のバスが乗り入れています。両方共同じ終点に向けて走っていますが、一つは30分に一本、もう一つが70分に一本しか走っていないというバス路線(都会じゃ考えられないよね:笑)で、基本的に、一つのバスが過ぎ去ったら、次のバスは…普通は30分後なのですが、たまたま運良く、70分に一本のバスと30分に一本のバスの時間が近くて、すぐに次のバスがやってきた…というわけです。

 私は、青い顔をしたまま、そのバスに飛び乗って、運転手さんに事情を話しました。運転手さんは、すべてを飲み込んでくれて、そのまま私を終点まで運んでくれました。バスの中にはお客さんはいませんでした。

 走りながら、運転手さんは、私の乗ったバスをダイヤで調べ、まだ終点のバス停にいるはずだと言ってくれました。私は終点に向かうバスの中で営業所に電話を掛けなおして、携帯番号を伝えると同時に、今現在、バスで終点に向かっている事を伝えました。

 あっと言う間にバスは終点に着きました。運転手さんは、すぐにバスから降りて、私が乗ったはずのバスを探し出してくれました。私が財布を落としたバスには、そのバスの運転手さんが、車内で休憩をしていました。運転手さん同士で話をしてくれ、二人で車内を探してくれたところ、あっと言う間に財布が見つかりました。ラッキー。

 一応、私のものかどうか確認するため、財布の特徴を言い、財布の中に身分証も入っているので、名前とか電話番号も言って、身分証と確認してもらい、私の財布である事を理解してもらいました。ようやく、私の財布が手元に戻ってきました。

 その頃、営業所から、おそらく電話でやりとりをした職員の方がやってきました。財布を運転手さんたちに探してもらったことを伝えました。職員の方が(社内規則なんだそうですが)遺失物の引き渡しの書類を持ってきたので、それをチャチャっと記入しました。

 一時は財布を紛失し、目の前が真っ暗になり絶望した私ですが、無事に財布を取り戻し、ハッピーな気分にあり、浮かれてしまいました。あんまり浮かれていたので、終点のバス停から帰宅する際に、思わず歩きだしてしまいました。足を怪我しているのに…。

 冷静になったのは、終点の次のバス停を少し越えたあたりでした。足が痛いんだから、無理して歩かずに、バス停にいたんだから、そのままバス停で次のバスを待って、それに乗って帰ればよかったんですよ。事実、悔やみだしたところで、私のそばをバスが走り抜けたくらいでしたから。

 ああ、失敗した!

 次のバス停が私の最寄りのバス停なので、諦めて歩きました。仕方ないね。

 足はだいぶ痛んだけれど、財布が取り戻せて、超ハッピーな私であったのでした。

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2017年10月 1日 (日)

肉離れになりました

 表題の通り、肉離れになってしまいました。

 数日前の話です。仕事帰りに、ポケモンGOをしながら、道を歩いていたと思ってください。特に別に変わった事はしていません。あえて言えば(すでに記事に書きましたが)数日前に犬にかまれた右足がまだ、ほんの少しだけれど痛むので、そこをかばって歩いていたかもしれません。また、私の通勤路は基本的に平たい道が多いのですが、肉離れになる少し前、ポケストを回すために、ちょっと脇道に入りました。脇道は見上げるほどの急坂で、そこを昇り降りをして、ちょっと足が疲れてしまった事も遠因になるのかもしれません。でもその他に、これと言った、思い当たる出来事はないのです。ただ、普通に道を歩いていただけです。

 横断歩道があって、そこを渡ろうと思いました。で、信号が変わって、横断歩道を渡っていた時…まさに渡り終えようとした時に、左脚から“ブチっ!”という音が聞こえ、痛みが走りました。その勢いで、横断歩道を渡り終えた私は、すぐに左足の異常に気づきました。

 すぐに思いついたのが、筋断裂。ゆっくり左脚を動かしたところ、ひとまず動きます。全断裂ではなさそうです。脚を触ってみたら…あっという間に腫れ上がりました…ような気がします。実はすでに夜だったので、単に足がむくんでいただけかもしれませんが(汗)。

 歩いてみたら…とても普通には歩けません。ビリビリジンジン痛みます。やばいなあと思いました。とにかく、ボケモンGOは止めて、家に帰ることを優先する事にしました。幸い、我が家はもう目と鼻の先です。

 歩いていた道は、国道一号線で、道路脇はしっかりガードレールで守られていますし、車もびゅんびゅん走っています。タクシーを呼ぼうかと一瞬思ったのだけれど、この先には当分、ガードレールの切れ目がありません。横断歩道とか、バス停のための切れ目はあるけれど、とてもタクシーを呼べるような場所がありません。少し行ったところの路地の入り口で、タクシーを呼べそうな場所があるけれど、そこまで歩けるなら、家まで歩けるなあ…と思い、跛行(いわゆる“びっこをひく”事ですが「びっこ」と書くと差別語だと言う人もいらっしゃるようなので、医学用語の“跛行”を使います。ちなみに“びっこ”は状態を表す言葉であって、障害を表す言葉ではないので、差別語では無いはずなんですが、敏感すぎる人もいるので、念のための処置です。難しい言葉を使って、ごめんね)状態で歩いてみたら、案外歩けました。もちろん、速度は出ませんが、足を外側にひねった跛行をすれば、さほど痛くなく、なんとか歩けます。…ものすごく遅い速度でですが…。

 “タクシーを呼んでも、タクシーを待っている間に家に着く!”と、その時は、そう思ってしまったのです。まだ感覚が元気な人だったのです。なので、根性を出して、頑張って、必死で、跛行で、家にたどり着きました。

 この段階では、足も動くし、大したことではないだろうとタカをくくっていました。脚は腫れているし、痛みもあるけれど、まあ、一晩寝れば、腫れもひいて、痛みも治まるだろうと勝手に思ってました。怪我をしたのが夜で、別に命に関わる怪我でもないので、一晩様子を見ることにしました。

 でも、あんまり足が痛いので、ひとまずロキソニンテープを貼っておきました。

 で、翌朝、起きてみたら、やっぱり足が痛かったです。歩こうと思っても、結構不便を感じます。怪我した直後は何とか動けても、一晩経ったら、むしろ状態がひどくなっていました。

 これは仕事に行くのは、ちょっと無理…と判断しました。やはり病院に行って診てもらった方が良いだろうと思い、ひとまず職場に連絡を入れて、朝イチで整形外科に行きました。

 病院で診てもらったところ、とりあえず、骨には異常はなし。筋肉の部分断裂…ってわけで、左ふくらはぎの肉離れと言われました。

 痛み止めの内服薬と特大のモーラステープと特大の包帯をもらいました。なんでも、肉離れの時は、サポーターで保護するよりも、包帯でガチガチに締め上げた方が良いそうです。ゲートル巻きという包帯の巻き方を教えてもらい、効率的な(笑)跛行のやり方も習いました。

 松葉杖が欲しいです…とお願いしたのだけれど、松葉杖は貸してもらえませんでした。肉離れの場合、全断裂ではないので、跛行なら歩けるわけだし、跛行の際に松葉杖を持っていると却って荷物になって邪魔になるから、むしろ不要ですって言われました。確かに、その通りでした。でも、病院に行った時は、まだまだ痛くて、杖無しではとても歩けないような気がしたんですよ。

 習ったとおりの跛行で歩くと…すごくすごく歩行速度は遅くなりますが、確かに痛み…ってか軽微な痛みで歩けます。なので、その足で、駅まで行ってバスに乗って、ひとまず職場に行きました。で、最低限の仕事だけをしたら、すぐに帰宅して、寝たきり老人になりました。足の怪我は、足を使わずに養生するのが一番です。特にまだまだ急性期ですから、安静が第一です。

 翌日も出勤して、最低限の仕事だけしたら、すぐに帰宅して、寝たきり老人になるという日々が約一週間ほど続きました。

 怪我をして一週間程して、ようやくフルタイムで働けるようになりましたが、それでもなるべく残業はしないで、定時で帰るように心がけました。いやあ、ほんと、この期間、仕事量がめっきり減りました。

 仕事は座業がほとんどなので、支障がないのですが、やはり歩行には困難がある状態です。平らな箇所なら…まあ4~500mくらいなら歩けますが、1Km歩く自信はありません。怪我をする前なら、10Kmは平気で歩いていましたが…めっきり歩けなくなりました。階段は上りも下りもほぼ無理です。なるべくエレベーターを使用しますが、階段しかないところは、手すりに捕まって、ほぼ腕の力で昇り降りをしています。

 いやあ、歩けなくなると、ほんと、生活に支障が出るね。肉離れは、軽度なものでも普通に歩けるようになるまで2週間かかるそうです。少し重くなると、すぐに数ヶ月の治療期間を要するそうで…私も完治までどれくらいかかるんだろう?

 ちなみに、医者からは使い切れないほどのモーラステープをいただいたので、少なくとも、どんなに早く治ったとしても、これが無くくらいの時間は必要って…って医者は思っているんだろうなあ。

 はあ、憂鬱です。

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2017年9月24日 (日)

犬に噛まれました

 先日、休日の昼間の事ですが、妻と散歩をしていました。私は散歩が趣味で、よく近所をブラブラ歩くのです。まあ、いかにも老人的な趣味でしょ(笑)。で、その日も散歩をしていたわけです。

 散歩をしていると、色々な人たちとスレ違います。土地柄でしょうか? 犬を飼っている人が多いので、犬連れの人とは、よくスレ違います。大型犬もいれば、小型犬もいます。洋犬もいれば、日本の犬もいます。ウチの近所の傾向的な事を言うと…洋犬の大型犬が多いかな? いわゆる、レトリバー系のワンコは、本当にたくさんいます。シェパード系もよく見かけます。後は中型犬になるけれど、ボステリとかビーグルとかダックスフンドとかも見かけます。日本の犬はあまり見ません。見ても、柴犬ぐらいかな? 昔々の私が子どもだった頃は、和犬をベースにした雑種犬がたくさんいたのですが、最近はみんな、ペットショップで購入してくるせいか、ちゃんと犬種が分かる犬、それもたいていは洋犬を飼っている人ばかりになりました。

 とにかく、やたらとワンコを飼っている人が多い土地柄で、ワンコの散歩とすれ違うなんて、ほんと、意識することすらない程に、ありふれた日常なのです。

 で、その時も、いつもの日常だったのです。私と妻が道を歩いていました。たまたま、道路に立ち止まって、路傍ののゴミ捨て場を片付けていた老人がいたのです。彼は犬(柴犬)を連れていて、おそらく散歩の途中だったのでしょうが、ゴミ捨て場が気になったらしく、ついついゴミ捨て場の片付けをしていたのです。

 私も、ゴミ捨て場の片付けをしている老人の姿を見ながら『ご苦労な事だな』と思いながら、その側を歩いていきました。すると、突然、いきなり老人の側にいた柴犬が、私の右足に噛み付いてきました。事前に威嚇する事もなく、いきなりです。それもほんの少し離れていたのですが、犬の方から飛びかかってきて、ガブリ…ですよ。

 私、何十年に渡って当地に暮らし、今まで何百匹何万匹ものワンコとすれ違ってきました。

 私自身はワンコラブな人ですが、ワンコには嫌われるタイプの人間です。例外的に大型犬たちには、むやみに関心を持たれ、愛されるのですが、中型犬以下にはサッパリなんです。大抵の中型犬は、私を見ると、離れていきます。頭ぐらいなでてやりたいのですが、スーと逃げていくので、無理強いはしません。極端な子になると、離れた上で、私に向かって唸ります。ウーとか声を荒げて「それ以上、近づくなよ」と警告してきます。さらに極端な子は、離れた上でワンワンと大きな声で吠え掛かります。さらに極端な子は、飼い主を引きずって私から逃げようとします。

 ほんと、中型犬以下には、全く人気のない人なんですよ、私。それは自覚していますから、別にいいんです。その代わり、大型犬たちは、私を見ると、たいてい寄ってきて「なでて、なでて」とやってくるからいいんです。ああ、大型犬って、かわいいなあ…。

 それはともかく、何の警告もなければ、事前予告も無しに、中型犬である、その柴犬はいきなり私に飛びかかってきて、私の右足をガブリと噛んで、ピヤーと逃げ出しました。ヒット&アウェーってヤツです。

 さすがに犬に噛まれると痛いので「痛っ!」と言って、我が足を見ると、実に見事にズボンが切り裂かれていました。かなり本気で噛みついて、噛みちぎったようです。肝心の足の方は、ワンコのクチに対して、私の足の方がだいぶ太かったために、上手に噛みつく事ができず、いわゆる擦過傷を残しただけで、数カ所皮膚が裂けただけです。出血はしましたが、それほど大したキズではありませんでした。

 私が犬に噛まれた事は、すぐに飼い主の老人も気づき、妻も気づきました。

 私は事を荒立てるつもりもなく、怪我も大した怪我では無かったけれど、スボンは派手に切り裂かれていて、これは修理も難しいほどに破損してしまった(20cm×30cm程度の穴が開いてしまいました)ので、私、老人に「怪我は大した事はないので、気にしなくてもいいけれど、このズボンはさすがにダメになってしまったので、スボンは弁償してください」と言いました。

 そうしたら老人が、家がすぐ近くだから、ひとまず家に来てくれ…と言うので、行きました。家まで本当にすぐでしたが、その間、老人は、ポカスカと飼い犬を殴っていました。しつけのつもりでしょうが…たぶん、このワンコ、なぜ殴られたか分かっていないと思う。私が見るに、このワンコ、かなり頭が悪そうだもの。こういう天然系のワンコには、きちんと教えてやらないと、何も分からないと思うよ。老人が言うには、このワンコには噛み癖があって、飼い主ですら、頻繁に噛みついてくるんだそうです。だからと言って、赤の他人を噛みついて良い理由にはなりません。

 私としては、ズボンの弁償代…実はまだまだ新品だったけれど、そんなに良いズボンを履いていたわけじゃないので、五千円も貰えれば(新品は買えないけれど)OKってするつもりでしたが、老人は「保険を使うので大丈夫」と言いました。どうも、きちんと対応したい?みたいで、事を大きくしたいみたいです。

 私自身は大げさにしたくはありませんでした。私にすれば、道を歩いていたら、いきなり犬に噛まれて、ズボンがダメになってしまったのだから、そのズボンを弁償してもらえれば良いわけで、それ以上の手間とか時間とかを使いたくは無かったのです。だから、保険を使うなんて、面倒でイヤだったのですが、老人が保険保険と言うので、任せることにしました。

 そのワンコは、毎年きちんと狂犬病予防注射は打っているのだそうです。ま、それは信じる事にしました。狂犬病への対策はきちんとしていて、噛まれたキズ自体は大した事はなかったので、怪我自体は放置するつもりでしたが、老人がどうしてもヨーチンを塗りたいと言って聞かなかったので、ヨーチンを塗らせて、バンソコウを貼らせてあげました。「今時、ヨーチンかよ?」とは思ったものの、相手は老人ですから、昔の治療法しか知らないので仕方ありません。「私(老人)も、こいつ(柴犬)によく噛まれるけれど、たいていはこれ(ヨーチン)で治りますよ」と誇らしげです。

 とにかく、互いに連絡先を交換して別れました。実はこの後、軽く外食をしてから映画を見ようと思っていたのですが、ズボンがビリビリで、このままでは外食も映画も無理なので、一度家に戻って、ズボンを履き替えることにしました。

 歩いているうちに、だんだんとキズが痛くなってきました。これはキズの痛みなのか、それともヨーチンが沁みて痛いのかは、よく分かりませんが、とにかく痛くなってきました。さらに相手は保険を使うと言っていた事を思い出し、たいしたキズではないけれど、後で何か起こっても嫌だなと思ったので、スボンを履き替えたら、外食は取りやめて、そのまま病院に行くことにしました。

 休日だったので、病院の救急外来に行きました。救急外来は、その重症度に応じて受診する順番が決められますので、病院はたまたまスカスカだったけれど、私は約2時間ほど待ちました。ま、しょうがないね。

 先生には、犬に噛まれた事と、相手の犬が狂犬病予防接種済みである事と、相手が保険対応をするつもりだと言う事を伝えて、見てもらいました。あれほど傷んでいた傷口も待ち時間のうちに痛くなくなってしまいました。ヨーチンを洗い流して、傷口をみてもらいました。一つ一つのキズは小さいけれど、それなりに深いキズとなっています。でも、全体としては、狂犬病の心配さえなければ、大した事はない…と言われました。私も同意見です。ただ、その犬が狂犬病でなくても、様々な雑菌は当然持っているわけだから、キズが化膿しないように気をつける必要はあるとの事でした。また、怪我をしたからと言って、絆創膏貼るのは良くないそうで、今はキズを洗ったら、傷口を開放して、キズの中から体液をドンドン出させるのが良いそうで、絆創膏を貼るなら、昔ながらのガーゼのついたタイプではなく、シリコンタイプの絆創膏の方が良いそうです。

 さて、その日は休日で、ここは救急外来なので、診断書は書けないそうで、翌日(平日です)の午前中にもう一度来院して、外科を受診して、そこで診断書を書いてもらうように言われました。

 なんか、二度手間。なんか、面倒くさい。でも、相手が保険を使うなら、診断書は必要ですと、お医者さんに言われちゃいました。「保険会社は加害者の味方であって、被害者のために動いてくれるわけじゃないから、診断書は絶対に必要ですよ」との事です。ああ、確かにそりゃあそうだよね。

 キズが化膿しないように、抗生剤とステロイド系の塗り薬をもらいました。ちなみに、抗生剤はかなり強めの薬のようで、こいつを飲むと、いきなりカラダがダルくなって眠くなります。でも、頑張って、当初予定どおり、映画は見に行ったよ(笑)。ただし、食事抜きで映画を見たので、空腹で目が回っちゃいました。

 翌日は平日だったけれど、お休みをもらって、病院に行く直前までグーグー寝て、それで病院に行きました。病院は割とスムーズで、ほとんど待ち時間もなく、診断書をいただきました。キズは大したことないけれど、診断書では「全治一週間」という事になってました。ほー“全治一週間”って、こんな感じなんだ。全治一週間の怪我って、今までは大きな怪我だと思っていたけれど、実は大したことない、小さな怪我って意味なんだね。たしかに、この程度のキズだったら、一週間あればキレイに治るよね。

 で、病院終わって家に戻って昼ごはんを食べたら、また夕方までグーグー寝ました。いやあ、普段はこんなに眠れない人(当たり前か)なのに、その日は一日中、寝てばかりいました。よほど、抗生剤がシンドイみたいです。

 で、その翌日から普通に出勤。当然、抗生剤を飲んでますから、なんとも気分はアンニュイだし、ダルいし、眠い…けど頑張りました。

 保険関係は、一応保険会社から連絡はありましたが…どうせあれこれ時間がかかる事でしょう。まあ、うやむやにされそうになったら、記事にするかもしれませんが、普通に弁償してもらったら、記事にはしない…ってか、してもつまらないでしょうから、これでお終いです。まあ、“ひとこと”欄でご報告ぐらいはするつもりです。

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2017年9月17日 (日)

戦争が再開するかもしれませんね

 私は、紙の新聞を取っていないので、ニュースは主に、テレビとネットから仕入れています。特に出勤までのひとときは、朝の情報番組をつけっぱなしにして、ニュースを垂れ流して、それで日々の情報を仕入れています。

 私が毎朝見ている、その情報番組は、某半島が大好きなようで、毎朝毎朝、半島関係のニュースをたっぷりと放送してくれます(おかげで半島情報に詳しくなりました)。当然、最近は、ミサイル関係やら軍事関係のニュースがばかりです。まあ、北の国関係のニュースは、その番組にかぎらず、どこの放送局でも、どこの番組でも、長時間報道しています。半島の話でなければ、誰と誰が不倫関係だとか、そんなゲスな話題ばかりです。

 それはともかく、最近はその北国が、きな臭い事は事実です。

 考えてみれば、隣の半島って、1950年6月25日に始まった、あの戦争が、まだ終わっていないですよ。今は単に“休戦中”なだけで、戦争状態は未だ継続中なわけで、北国とアメリカとの間には平和条約なんて結ばれていないし、当然、北国と南国は、未だに敵国関係だったりするわけです。中国とロシアが北国の制裁に非協力的なのも、そりゃあそうで、あの国たちは、そもそもが北国チームの一員なんです。

 日本には、これを忘れていたり、知らなかったりする人たちがいます。いや、政治家やマスコミですら忘れてんじゃないの?って思う時があります。

 つまり、アジアの極東地域は、ここ70年近く、ずっと戦争状態なんです。我々日本は、たまたまアメリカの核の傘の元、軍事的にはアメリカの属国になって、安穏とした生活が送れたに過ぎません。周囲の国々は、常に戦争に備え、活動をし変化してきたわけです。

 未だに戦争は終わっていないのだから、再開するのは当然であり、後はいつ再開するのかという時間の問題だけだと言えます。それがたまたま60年近く再開しなかっただけの話なのです。

 実はすでに水面下ではあの戦争が再開していると言っている人たちがいます。そういう人たちは、今のこの状態を“北○鮮戦争”という名称で呼んでいます(○には“あさ”という漢字が入ります)。

 すでに戦争が始まっていると言う人は、実は北国のミサイルがうまく飛ばないのだって、彼の国の技術力が低いのではなく、アメリカからのサイバー攻撃を受けているために、うまくミサイルを飛ばせないのだという説だってあります。

 まあ、何はともあれ、水面下ではなく、リアルな武力を用いた戦争再開の時期が、なんとなく近づいているような気がします。

 それに加え、テレビが毎日のように隣国の脅威をあおるから、私の周辺にも、戦争が始まるのではないか、自分たちの頭の上にミサイルが降ってくるのではないかとか、大変心配している人もいます。つい先日もミサイルが北海道の上を飛んでいったしね。

 そういう人って、日頃は「憲法9条があるから日本は平和だ」と言っている人だったりするのですが、だったら、憲法9条があるんだから、戦争なんて起こらないはずだし、隣国だってミサイルなんて打たないはずなのにね。憲法9条さえ守っていれば日本や世界は平和になるはずなのに、何を心配しているんでしょうね?

 私は憲法9条なんて、屁のつっぱりにも成らない妄言だと思ってますし、世界はかなりシビアなものだと思ってますから、いずれは戦争は再開するだろし、ミサイルは飛ぶだろうし、そのうちの数発は日本にも飛んで来るだろうと思ってます。

 北国が本気で日本を潰す気なら、ミサイルは首都圏を、とりわけ東京を狙って打ってきます。

 彼の国に、そこまでの覚悟がなく(あとで言い訳ができるように)単純に軍事作戦としてミサイルを打つなら、日本はアメリカの同盟国だし、在日米軍の基地だってあるわけだから、米軍の基地を狙ってミサイルを打つでしょう。

 ただの脅しでミサイルを打っているなら、首都圏や関西圏を外して、北海道とか九州四国などの上を飛ばしてくるでしょう。その場合、決してミサイルを落とす事はありません。だって、脅しなんですから。

 私は首都圏に住んでいるけれど、東京に在住在勤をしているわけではないし、米軍基地のある県に住んでいるとは言え、決して隣接地域に住んでるわけでもないので、本来ならば、北国のミサイルなんて心配する必要はない(ほんと、他人事でごめんなさい)のですが、問題は、北国のミサイル性能なんて、全く信頼できないわけで、狙ったところに当たらないだろうし、そこから微妙にだったり大きくだったり、どっちみちズレた地点にミサイルが落ちるだろうと思うから、まがりなりにも首都圏に住んでいて、米軍基地の広い意味での周辺域に住んでいる私としては、目標からそれたミサイルが飛んでくる事を覚悟してます。

 ミサイルなんて、めったに当たることはないけれど、当たったら、仕方ないよね。それは道を歩いていたら、車に当たって、交通事故にあうのと似たようなもんです。確率的には、ミサイルに当たるよりも、車に当たる方が、ずっと高い確率だろうから、日頃、交通事故の心配もせずに道を歩いている私ですから、ミサイルが当たる心配なんて、してもしょーがないと思ってますし、そう思ってしまうのも当然と言えば当然です。

 私の周辺の人は、ミサイルに核弾頭を積まれる事を恐れているようですが、核に限らず、爆弾なんて、着弾地点の周辺を破壊するだけです。巻き込まれたら死んだり、大怪我をしたり、財産を失ったりするだけですから、覚悟決めちゃえば、そんなに怖くないです。

 それより怖いのが、毒ガスや病原菌かな? 死ぬにしても即死ではなくて苦しいだろうし、毒ガスだと脳がやられるし、病原菌に罹患すれば苦しみます。そういう事に伴う苦しさは…怖いなあ。覚悟なんて簡単に決まらないよ。

 爆弾もイヤだけれど、私には、毒ガスや病原菌の方が比較にならないほど怖いです。

 もっとも、怖い怖いと言っても、だからと言っても、私に何かが出来るわけでもないので、たとえ隣国で戦争が起ころうとも、私は心を落ち着けて、日常生活を淡々と過ごすしかないかなって思ってます。

 現状、北の国が日本にミサイルを打っているのも、恐怖によって、日本を精神的にコントロールしようというつもりであって、やっている事はテロリズムそのものなのだから、大切な事はビビらない事です。ミサイルを恐れない事、怖がらない事です。ま、自分が死んでも仇は必ず取ってもらえると信じて死ぬだけの話です。死ぬのが恐ろしかったら…売られたケンカを買うしか無いでしょう。野蛮なやり方ですが、これがグローバルスタンダードってヤツです。憲法改正をしましょう、日本軍を持ちましょう、核武装しましょう…って話です。

 たとえ日本がヘラヘラして、北国の言いなりになって手を出さなくても、いずれ北国とアメリカはぶつかるでしょう。今は北国も威勢がよいですが、実際問題、北と米では戦力に差があり過ぎます。直接当たれば、数時間から数日で決着が着きます。もしかすると、日本を攻撃している間もなく、戦争が終わっちゃうかもしれません。1950年代とはアレコレ状況が違うのです。

 だから、無駄に騒ぐのはやめようと思います。だって実際問題、どうなるか分からないじゃない? 騒いで戦争回避できるなら、いくらでも騒ぐけれど、単に自分が不安だから騒ぐと言うのは、どうにもかっこ悪いでしょう。弱い犬ほどよく吠えると言います。私、これでも関東の人間なので、すぐにカッコつけたがるんですよ(笑)。

 無論、争いごとは無い方が良いし、話し合いで物事が解決するなら、それに越したことはありません。でもね、世界は我々日本の庶民の常識とはかけ離れていて、愚かで利己的で粗野で野蛮なんです。話し合いは暴力の序曲でしかなかったりします。いや、話し合いですら、言葉の暴力や陰謀でしかなかったりします。

 歴史を見れば分かるけれど、人間の歴史って、戦争の歴史だし、戦争をするのが人間的だと言えるし、人間なんだからついつい戦争しちゃうんだよとも言えるかもしれません。

 現実を見つめて、それを受け入れて、前に進む。それがオトナのやり方でしょ? 現実から目を背けて、泣きじゃくって騒ぎ立てるのは、愚か者のやり方です。ましてや、サイコロは我々の手には無いのです。ならば、どんな賽の目が出ようと、肝を据えて対処していくしかないじゃん。

 ほんと、憲法9条の力で、世界が平和で、戦争のない世の中になればいいけれど…ねえ。北の首領様が、日本の憲法第九条に免じて、核開発を止めて、核放棄をしてくれたら、私は憲法改正反対運動に身を投じますよ。

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