ひとこと

  •  やっとネット社会に復帰します。今後は日帰りで遊びに行く事はありますが、家を空ける事はないので、ネットでの反応も普通どおりに行けるんじゃないかと思ってます。とりあえず、外泊で使ってしまった体力の復活を目標に、しばらく大人しくしているつもりです。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2018年8月 5日 (日)

自分の声帯を見てきた

 気管支炎がひどいという話をチョボチョボとしていますが、ほんとひどいのです。もちろん医者にかかっているのですが、それでもあんまりひどいので、妻の勧めもあって、専門医に見てもらうことにしました。万が一でも、変な病気だったらイヤだからね。

 で、先日、妻も以前お世話になった事のある、横浜の大倉山の先生のところに行ってきました。公式サイトはこちらです。

 で、先生と色々話をして、声帯の検査を受けました。使用した器具は…たぶん、ストロボ式電子スコープって奴。金属製の棒(カメラと照明が仕込んであります)をノドに突っ込んで、リアルタイムに声帯の動きを記録するって、すぐれものです。

 金属棒を突っ込まれたまま、高い声低い声あれこれ発声させられました。で、その様子をビデオ撮影したわけです。

 ここにそのビデオ映像を貼ろうかと思ったけれど、内臓のビデオなので、ちょっとグロいかもしれないので、止めておきます。

 ビデオで見た私の声帯は、とにかく痰がたくさん絡んでいたのと、声帯の下部(肺に近い方)が腫れていました。

 声帯そのものはキレイなものだし、声帯の使い方も、なかなか上手だと褒められてしまいました(へへへ)。

 痰は、病変がある時に、細菌等から声帯を守るために出てくるものだから、痰が絡んでいる時と言うのは、あまり声帯の状態が良いわけではないそうです。実際、声帯は腫れていたし…。でも声帯そのものに傷も怪我も結節もないし、声帯の左右は偏り無く振動しているし、腫れている以外に異常はないそうです。

 なので、治療法としては(投薬を受けながら)乾燥を避け、入浴してカラダを温めるくらいで治るそうです。まあ、大した事はないって話です。

 投薬も、今現在、主治医にしてもらっている投薬で正解で、それを続けていくと良いでしょうというわけでした。

 今は咳に悩んでいるけれど、それは声帯に痰が絡んでいる以上仕方ないわけで、やがて声帯の腫れが取れれば、痰も減り、そうすると咳も収まるって事で、まだまだ気長に治療を続けないといけません…って事なんだなあと理解しました。

 それにしても、自分の声帯なんて、なかなか見れませんから、良い経験をしました。

 最近、書店で見かけなくなった先生のご著書(そのうち買おう、そのうち買おうと思っているうちに消えちゃったんだね)も受付で売ってたので、買って帰りました。近頃は電子書籍以外の本は買わないと決めていた私ですが、たまには例外もあるものです。

 それにしても、ノドが痛い。咳が止まらない。全然、歌えない(涙)。

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2018年7月25日 (水)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は?  その2

 昨日の記事の続きです。

 というわけで、このように、私とそのブログ主さん(ってか、一般的なクラヲタさん)では、歌曲の定義が違うので、取り上げる作曲家さんも、こんなに違うわけです。

 これらも視野に入れた上で、そのブログであげられた作曲家たちに対する私のコメントはこんな感じです。

1)モーツァルト、シューベルト、シューマン、フォスター、フォーレ、カントルーブ

 これらの作曲家は、まごうことなく歌曲の作曲家です。彼らが歌曲作曲家のリスト入するのは当然な話です。ただし、カントルーブは、歌曲作曲家なのですが、トップ14に入れるほどの人気作曲家であるのかという疑問は残ります。

2)ベートーヴェン、ヴェルディ

 他のジャンルの曲が有名すぎて、あまり歌曲の作曲家というイメージが薄いのだけれど、まあ歌曲も作曲しているし、よく歌われているし…で、彼らも歌曲作曲家のリスト入しても良いかなって思います。

3)シュッツ、バッハ、ヘンデル、ハイドン、オルフ、デュルフレ

 私としては、彼らを歌曲作曲家には入れたくないです。理由は以下の通り。

 シュッツ…明らかに古楽の人です。時代が合いません。また、作曲した声楽曲も合唱曲とマドリガーレばかりです。マドリガーレはリュート伴奏が基本なので、歌曲とは別ジャンルの音楽であると考えます。

 バッハ…彼も古楽の人でしょ。バッハの場合、膨大な数の声楽曲は書いているけれど、その大半は、カンタータとかオラトリオとか受難曲であって、その中にアリアやモテットがたくさんあって、それらが単独で演奏会などで取り上げられて歌われる事があります。でも、あれらはアリアやモテットであって、歌曲じゃないです。オペラのアリアは歌曲じゃないのと、同じ理屈です。だからバッハを歌曲作曲家として扱うのは、私は反対です。

 ヘンデル…古楽の人です。カンタータの中のアリアは有名な曲が多いですが、私の定義では歌曲ではありません。

 ハイドン…ハイドンは確かに歌曲も作曲していますが、ではハイドンの歌曲って聞いたことありますか? 作曲した事と、人々に愛聴されている事は別です。やはりハイドンは交響曲の父ですよね。

 オルフ…現代版バッハって感じの作曲家で、カルミナ・ブラーナに代表されるカンタータを中心に作曲した人であって、彼の歌曲って…実際に演奏されるんですか?って感じです。オルフを代表的歌曲作曲家の中には入れたくないです。

 デュルフレ…レクイエムを書いているというだけで、基本的にはオルガンの作曲家だし、レクイエムは歌曲じゃないし…。彼を歌曲作曲家に入れるのは、私は反対です。

 なので、私が歌曲作曲家のリスト(14人に限定)すると、こうなります。

モーツァルト
シューベルト
シューマン
メンデルスゾーン
ヴォルフ
ベッリーニ
トスティ
ドナウディ
フォスター
グノー
フォーレ
滝廉太郎
山田耕筰
中田喜直

 こんな感じかな?! もちろん異論は認めます(笑)。

 やはり歌曲作曲家と言えば、ドイツ系のメンデルスゾーンやヴォルフ、イタリア系のベッリーニ、トスティ、ドナウディ、フランス系ならグノーは外せませんし、日本の作曲家を忘れてはいけません。個人的には武満を入れたいのですが…トップ14には入らないわなあ…。

 それにトップ14に限定してしまうと、マーラーやブラームスなどの大物歌曲作曲家も入りません(涙)。レオンカヴァッロやレスピーギが入らないのも残念だし、ロッシーニやヴェルディ、プッチーニが入らないのも残念無念。でもまあ、こんなモンでしょうね。

 私が、歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は、こんな感じです。

蛇足 ちなみに、私が見て参考にしたブログですが、音楽ブログだったのは昔の話で、今はパヨク系の政治ブログになっているみたいなので、あえてリンクはしないでおきます。政治ブログなのは良しとしても(言論の自由は尊重します)パヨク系のブログを紹介する勇気は、私には無いんです(ごめんね)。

蛇足2 メンデルスゾーンの歌曲って、実はメンデルスゾーンの作曲ではなく、姉のファニーの作曲のものが大半なんだそうです…ってか、姉のファニーは、当時の女性の社会的な立場も考慮して、弟の名前で作品を発表していたんだそうです。あの有名な「歌の翼」は、いったいどちらの作品なのかしら?

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2018年7月24日 (火)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は? その1

 クラシック音楽関係の呼び屋さんをやっている方のブログの、昔々の記事に「あなたの好きな歌曲はなんですか?」という記事がありました。選択方式になっていて、作曲家を選択して、コメント欄で曲名を紹介してください…って感じの記事で、そこに上がっている作曲家って、以下のようなリストなんですよ。

シュッツ
バッハ
ヘンデル
ハイドン
モーツァルト
ベートーヴェン
シューベルト
シューマン
ヴェルディ
フォスター
フォーレ
カントルーブ
オルフ
デュリュフレ

 どうですか? このラインナップ…、一応、プロの音楽の呼び屋さんですから、これはこれで客観的なリストアップなんでしょうねえ(棒読み)。歌曲作曲家と言うと、ごく普通に考えると、この14名(+その他)って事になるのかな?(さらに棒読み)

 なので私、選択できませんでした。だって、トスティが無いんだもの(涙)。じゃあってんで、ベッリーニも無いし、ドニゼッティも無いし、ロッシーニも無いし…。ディ・カプアも、ドナウディも、レスピーギも、スカルラッティも、チマーラも、レオンカヴァッロも、無い。かろうじてモーツァルトとヴェルディはあるけれど、プッチーニは無い。

 なんか、意地悪されているみたい…っていうか、私の歌曲作曲家の好みが、一般的なクラシックファンの歌曲作曲家の好みと、大きく違っているだけなんだろうか…と疎外感を感じてしまいます。。

 それにしても、世間が考える歌曲作曲家って、こうなんだ…。なんか、ショックだよ。私と彼らの間に横たわる溝は、広くて深くて長い…んだろうなあ。見えている世界が全く違うじゃん。

 …って、疎外感を感じた上に弱気になってしまうのだけれど…でも、落ち着いて考えると、そんなに弱気になる必要はないし、ましてや疎外感なんて感じる必要もないわけで、我彼でこんなに違うのは、おそらく、歌曲の定義が違うからだと思います。

 私が思うに、ブログ主さんは、歌曲の定義を「歌手がメロディーを歌っている作品」程度にしか考えていないと思います。ま、プロの呼び屋さんがこの程度なら、一般のクラヲタだって、その程度でしょう。

 あと、声楽曲と歌曲の区別が曖昧とか? そう考えると、モーツァルトを始め、ヴェルディやフォーレやデュルフレはレクイエムの作曲家だし、シュッツやバッハ、オルフなんかはカンタータの作曲家だし…ね。ハイドンやベートーヴェン、シューベルト、シューマンはミサ曲書いているし…、ヘンデルはメサイアだし、そういう定義なら、こういうリストになるのかもしれません。フォスターとカントルーブなどの軽めな民謡っぽい曲を書いている、この二人が入っているのは???ですが…。

 とにかく、私が考える歌曲の定義とはだいぶ違うんだよね。

 で、私が考える歌曲の定義は…、

1)原則的に独唱であり、ピアノ伴奏とともに歌う形式の曲であり、古典派以降の独唱曲を指す。ただし、ロマン派以降作曲された、独唱とオーケストラ伴奏の形式の曲も歌曲に加えてもよい。

2)明示された作詞家と作曲家の作品である。

3)オペラやカンタータなどの大曲の一部ではなく、独立した一つの作品である。

4)合唱曲や合唱を伴う曲は、歌曲には入れない。

5)宗教曲は、歌曲には入れない。

 こんな感じです。つまり、1)は、器楽曲でいうところの、ソナタとかコンツェルトの声楽版が歌曲って考えています。基本的に室内楽だし、ピアノ誕生以降の曲じゃないといけないと思ってます。でも、音楽が拡大化したロマン派以降は、歌曲がホールでも演奏されるようになったわけで、それならオケ伴奏でもいいかなって思ってます。

 2)は、民謡とか伝承曲は歌曲じゃないよって話で、歌曲には、作詞家や作曲家の作家性が反映されているものじゃないとダメよって事です。

 3)は、歌曲は歌曲として独立した作品であって、大曲の一部は大曲の一部であって、歌曲じゃないですって話です。

 4)歌曲は合唱曲ではないですって事ですが、重唱曲に関しては、歌曲として作曲されたモノに関しては、歌曲に入れられるように考えています。

 5)宗教曲の場合、独唱+鍵盤楽器なら、それは歌曲ではなく、讃美歌になると思ってます。基本的に歌曲は世俗音楽だと思ってます。

 長くなってきたので、続きはまた明日にします。

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2018年7月12日 (木)

最近、やたらとむせます

 標題のとおり、最近やたらとむせるんですよ。ゲホゲホ。

 原因は…老化? ちょうど私ぐらいの年齢あたりから、老化でむせる人が多くなるって、あっちこっちの医療系のブログに書いてあります。いやあ、老化現象か、仕方ないなあ…とばかりは言っていられません。

 むせる原因は…その手のブログによれば、誤飲が原因とか。つまり、食べ物や飲み物、挙句の果てには自分の唾液とかを飲み込むのが下手になって、それらが本来、食道に行かないといけないのに、うっかり気道に入ってしまい、それでゲホゲホむせる…という話なのです。

 で、こういうよくむせる人は、遠からず誤飲性肺炎を起こすんだそうですし、肺炎というのは、老人の死因の第3位というわけで、このままでは、私もそう遠くない未来に死んじゃうみたいです。ま、仕方ないね。

 私が子どもの頃の老人の死因と言うのは、老衰・ガン・脳卒中って感じだったのに、今や、ガン・心疾患・肺炎なんだって。肺炎、恐るべし。

 もっとも肺炎って、人々の口の端に上がらなかっただけで、老人の死因の4~6位圏内には常に入っていたそうで、昔から死病の一つだったそうです。ちなみに、現在の4~6位は、脳血管障害・老衰・不慮の事故なんだそうです。不慮の事故って何?

 たまに逆流性食道炎(ってか、胃液がノドに上がってくる)もあるし、私、割と年中、ゲホゲホゴホゴホやっている感じがします。あんまりゲホゲホやって、腰がしびれちゃう時もあります(咳って全身運動なんですね)。

 むせると声帯が痛むんだよねえ…。

 で、昨今、四六時中むせるようになった私ですが、そこで思い出すのが、キング先生の言葉です。キング先生のところを辞める少し前ぐらい(まだそんなに関係が悪くなっていなかった頃)に「すとんさん、そのうち、よくむせるように…なるよ!」と言われた言葉を思い出します。

 むせるって何? よくむせるってどういう事? …とむせ知らずの頃はそう思っていましたが、キング先生の予言(呪い?)は当たり、今や四六時中ゲホゲホやってます。

 なぜあの時、キング先生は私がむせるようになると予言できたのか? その理由を知りたいです。まあ、本人に尋ねればいいのでしょうが、私、あの人の声を聞くだけで、さんざんいじめられた思い出がフラッシュバックして、心臓がバクバクしちゃうので、聞けません。一種のPTSDなんだろうね、先生の立場で生徒さんをいじめちゃダメだよね、そんなイジメはイジメのみならずパワハラだしね。ま、そのおかげで、Y先生という、普通に良い先生に師事できるようなったわけだし、世の中はポジティブシンキングで行くしかない。

 まあ、自分の様子を観察してみるに…逆流性食道炎っぽい症状は、食べてすぐ寝てしまって、ウシになってしまうからなるんだよなあ…って思います。なるべく食休みを取るように心がけているのだけれど、でも食べてすぐ寝るのって…至福なんだよね。

 あと、普段のゲホゲホは、食べ物が気道に入ってむせる事が無いわけじゃないけれど、それよりも食べている時に、食べ物がクチの奥ってか、ノドの入り口ってか、そのあたりにあたって、刺激されて、思わず反射行動としてゲホゲホやってしまっているような気がします。反射行動じゃ仕方ないけれど、以前は食べ物がクチの奥に当たらなかった…のかな? 急に反射行動が始まるわけじゃないから、私のクチの開け方が最近変わってって事なのかしらね?

 どちらにせよ、あまり良い事ではないので、気をつけたいし、解決策があるなら知りたいです。

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2018年7月 9日 (月)

ヴィブラートとは何か?

 ヴィブラートとは、ヴァイブレーションの事。略せば“バイブ”って事で『振動』を指します。

 音楽用語としては、そもそもは“声の振動”を意味し、声に輝きと潤いを与えるものだと言われています。で、声のヴィブラートがあまりに美しかったので、各楽器もそれをマネて音に振動を与えるようになったわけです。

 ちなみに、楽器はそもそもがノン・ヴィブラートの音が基本ですから、ヴィブラートを“付ける”訓練をしますが、声の場合、そもそも声が自然に振動するものですから、特にヴィブラートの練習というのはしません。音楽ジャンル(女性歌手が少年歌手のパートを歌う必要があるジャンルなど)によっては、ノン・ヴィブラートで歌う必要あるので、そのためにヴィブラートを付けずに歌う訓練をするほどです。

 横道にそれますが、少年の声(ボーイソプラノなど)には、基本的にヴィブラートはかからないんですね。でも、成人女性の声にはヴィブラートがかかってしまうので、同じ音域(ほぼ)同じ声色であっても、少年と成人女性の声には違いがあります。

 閑話休題。ヴィブラートとよく混同されるものに“こぶし”があります。ヴィブラートが無意識に付加されるモノであるならば、こぶしは意識的に付加していくモノです。そういう意味では、楽器のヴィブラートは意識的に付加していくモノですから、歌の世界(日本の歌謡曲とか演歌の世界です)の“こぶし”に近いモノなのかもしれません。

 声のヴィブラートは、音程の振動を指します。ですから、低い声はゆったりとヴィブラートがかかり、高い声は小刻みにヴィブラートがかかっていきます。音程とヴィブラートの振動感覚というのは関連があるので、これを無視して作為的にヴィブラートを掛けると、違和感が生じ、汚く聞こえます。

 作為的…とは違いますが、結果的に不自然な振動を与えてしまい不快感を与えてしまうのが、いわゆる“縮緬ヴィブラート”と呼ばれるものです。これは声の老化の一種で、声帯周りの筋力低下に伴い、発声動作に痙攣が伴うようになり、そのために不自然な振動が声にかかってしまう事が原因だと考える人がいます。作為ではないので、本人には自覚はないのですが、ヴィブラートの振動が音程とは関係なくつけられているので、聞き心地が良くないのです。こうならないためには、歌う人は、ある一定の歌うための筋力維持というのが必要になるのだろうと思います。

 で、楽器のヴィブラートですが、ヴァイオリン等の弦楽器のヴィブラートは、声と同じ音程に振動を与えるヴィブラートですが、フルート等の管楽器のヴィブラートは、声とは違って、音量の変化によるヴィブラートで、厳密に言うと(管楽器のヴィブラートは)ヴィブラートと呼ぶべきではないのですが、他に呼び名がないし(声の)ヴィブラートの効果を目指してかけているので(管楽器のヴィブラートも)ヴィブラートと呼んでいいのだろうと思います。

 ま、そもそもヴィブラートは、声に輝きと潤いを与えるための技法であり、たまたま元祖である声は音程を揺らして効果を得ていたわけですが、音量を揺らして同じ効果を得られるなら、同じものと扱ってもいいんじゃないかって考えるわけですね。

 ヴィブラートは、いわば美しい楽音を作り出すための技法の一つであって、歌の場合は、正しい発声方法が身につけば、自然と身につくものであり、特に意識するものではないと思います。

 楽器の場合は、意識的に習得しないと身につかないものなので、ヴィブラート奏法ができるようになるためには、そのための特別な努力と修練が必要になります。弦楽器の場合は、ヴィブラート奏法は、かなり古い時代に一般的になってしまったため、ヴィブラートのない弦楽器の演奏音というのは今では考えられないので、たとえアマチュア奏者であっても、頑張って習得していかないといけないと思います。

 そこへいくと管楽器のヴィブラートは、これが奏法の中に組み込まれてきたのは、割と最近(フルートなら20世紀前半のモイーズから一般的になってきた…と私は聞いています)なのだそうで、近年の流行りと言えば、言えます。なので、管楽器のヴィブラートは、歌や弦楽器のヴィブラートとは異なり“マスト”なものとはまだまだ言えないと思います。ネットでは、初心者に毛の生えたくらいの人(ごめんなさい)がヴィブラートの習得に励む様子がよくアップされていますが、私が個人的に思うに、ヴィブラートに励む時間があったら、もっと基礎的な訓練に時間をかけて、まずはきちんとフルートが吹けるようになるのが先決だと思います。ヴィブラートはあくまでも、音に輝きと潤いを与えるための技法であり、いわばオプションですから、オプションを習得する前に“きちんと普通に吹けるようになる事”が前提になってくると思います。

 オプションよりもメインを先に身につけろよ…って話です。オプションはメインを終えてからで十分だろうって…事です。

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2018年6月27日 (水)

では歌は独学で学ぶ事は可能だろうか?

 フルートは独学でも十分学ぶことが可能だと結論づけた私ですが、では歌に関してはどう言うべきか…というのが今回の記事となります。

 フルートでも“吹ける”の基準をかなり下げた私ですが、同様に歌でも“歌える”の基準をかなり下げれば、独学でも歌は学べる…と言いたい気もしますが、そこは器楽と声楽の違いもあり、なかなか言い切るのが難しいと思ってます。

 結論を言ってしまうと、歌に関しては独学は意味がないと思います。なぜなら、歌える人は学ばなくても歌えるし、歌えない人は独学したくらいじゃ歌えるようにはならないからです。

 分かりやすく言えば、フルートを独学で学ぶために必要な、楽器(フルート)と初心者向け教則本は、ちょっと立派な楽器店に行けば売っているので、それを購入して始める事ができますが、歌に関しては、楽器(歌声)も初心者向け教則本も、楽器店では売っていません。つまり、歌に関しては言えば、楽器も買えなきゃ、教則本も入手が難しいのが現実なのです。

 つまり歌に関していえば楽器(歌声)は購入できないので、必ず自分で作らないといけないわけだし、教則本も無いので、歌を上達するための決まりきった練習法もない…ということは、歌う人それぞれの得意不得意に合わせて練習メニューを考えていかないといけないわけで…そういう点を考えるならば、歌に関しては独学で学んでいくのは、ほんと、難しいと思うわけです。

 結局、歌に関して言えば、演奏法を学ぶ前に、楽器を作らないといけないし、作った楽器は一品物なので、その操作法も個別に学ばないといけないわけで、だから歌は、個人的に学ぶ以外に上達していく道はないのかもしれません。これは、クラシック声楽だけの話ではなく、合唱であれ、カラオケであれ、演歌であれ、民謡であれ、ロックやフォークであっても…です。

 歌は個人的に学ばないと、いくら経験を積んでも、決して上達しない事は、市民合唱団に行くと分かります。

 多くの市民合唱団では、個人レッスンはしません。演奏会に向けての曲の練習以外だと、せいぜい発声練習という名の準備体操をするくらいです。定期的に練習に参加すれば、歌うための筋肉が自然と鍛えられますから、入団直後と比べると、多少、地声が強くなる事はあるかもしれませんが、まあ、たいていはそれどまりです。

 合唱団では、音程の良い人は、最初っから良いですし、音程の甘い人は十年歌っていても甘いままです。よほど指導者の腕が良いわけでなければ、市民合唱団の歌などは、十年経っても二十年経っても、大きくレベルが変わるわけではありません。

 歌は、歌っているだけでは上達しないのです。

 だから、バンドのヴォーカルなどは、最初から歌える人が担当する事が多いのは、そういう事だからです。ギターを始めとする楽器たちは、最初は初心者で全然弾けなくても、練習をしていけば、やがて弾けるようになりますが、ヴォーカルに関しては、最初に全然歌えない人が担当してしまうと…いくら練習しても、たいして上達しないので、そのバンドはやがて行き詰まってしまうので、最初から歌える人がヴォーカルを担当するわけです。

 市民合唱団などは、歌えるメンバーが数名いれば、後はむしろ歌えなくて声も出ないメンバーがたくさんいると良いのだと思います。なにしろ、歌えなくて声も出ないメンバーは、演奏の邪魔になりませんし、団を(会費によって)経済的に支えてくれるし、運営も手伝ってくれるから、団としては、とても助かる存在なのです。

 むしろ市民合唱団等では、歌えないけれど声が出ちゃうメンバーというのは、大変毛嫌いされます。なぜなら、彼らは演奏の邪魔だからです。

 彼らが練習に真面目に参加していれば、やがて必ず上達するなら、誰も彼らを邪魔者扱いはしないでしょう。迷惑かけるのも一時の事であって、やがて上達して大事な戦力になる…と思えば、団だって彼らを大切に育てていくでしょうが、現実的には、彼らの歌が上達することは、まずありません。1年歌っても3年歌っても5年歌っても上達はしないのです。やがて上達しない自分に肩身の狭さを感じて彼ら自らが合唱を辞めてしまうか、そうでもなければ、団のお局さんたちが彼らをいびりまくって追い出すか…とにかく、邪魔者はやがて排除されてしまうわけです。

 なので、才能がある人はともかく、普通の人は、歌は独学ではダメで、きちんとした人の指導の元で学ばないと、残念な事に決して上達しないのです…と私は考えています。

 歌って、誰でも歌えそうな気がしますが、誰もが歌えるなら、世の中には音痴と呼ばれる人たちなんているわけないのです。でも悲しいことに、世の中には音痴と呼ばれる人たちは、少なからず存在します。彼らとて、きちんとした指導を受ければ、決して音痴のままではいないと私は思いますが、多くの音痴な人は、歌を学ぶ事はしないので、いつまで経っても音痴なままなのです。

 歌を独学で学ぶのは、とても難しい事だと思います。声楽は器楽ほど、一般人に優しくはない…って事です。

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2018年6月 7日 (木)

声楽的な歌い方と合唱的な歌い方の違いについて

 最近、合唱の人と、何かと歌の話をする機会の多い私です。そこで、気づいた…というか、互いに認めあった、声楽的な歌い方と合唱的な歌い方の違いについて、メモ程度に書いておこうと思いました。

1)レガートとマルカート

 おそらく、一番の違いはここかな?って合意したのですが、それがレガートとマルカートの違いです。

 レガートと言うのは、音と音をなめらかにつないで歌う事です。一方、マルカートと言うのは、音と音をはっきりと粒立てて歌う事です。

 声楽的な歌い方の基本はレガートです。メロディーラインをたっぷりと溜めてつなげて美しく歌っていくわけです。合唱的な歌い方の基本はマルカートです。マルカートで歌う事で、歌詞をクリアに発音し、縦のラインを揃えて歌っていくわけです。

2)飛ばす声と溶ける声

 声を遠くに飛ばして歌うのが声楽的な歌い方であり、自分の声を周囲の声に溶け込ませて歌っていくのが合唱的な歌い方です。もし、これを逆に行ってしまうと台無しになります。周囲の音に溶けて観客に聞こえない声楽歌手の歌なんて聞きたくないでしょ? 合唱団の中から、特定の声だけが飛び出して聞こえてくるなんて、せっかくの合唱をぶち壊しにしてしまうでしょ? つまり、そういう事なのです。

 別の言い方をすれば、目立つ声と目立たない声の違い…とも言えます。

3)美しい声と正しい声

 もちろん、声楽であれ合唱であれ、美しくて正しい声で歌う事は前提ですが、どちらがより強調されるのか言えば、声楽では美しい声が、合唱では正しい声が、より必要とされます。

 ってか、声楽では、いくら音程やリズムやアーティキュレーションが正しく理想的に歌えたとしても、声に魅力がなければ、お話になりません。全然ダメです。正しく歌えるのは前提条件であり、それに加えて、美しい声で歌えないといけません。

 合唱だって美しい声で歌える越したことはありませんが、周囲の仲間たちとの声のバランスを取ることの方が、もっと大切です。自分一人が理想的に美しい声で歌えても、周囲の仲間たちがそこまでの声でなければ、あなたの声ばかりが目立ってしまい浮いてしまいし、せっかくの合唱をぶち壊して兼ねません。合唱では美しい声である事に越したことはありませんが、それよりも周囲と息を合わせ、声を溶かしていく方が大切です。

 ですから、声の美しさに関しては、声楽ほど突き詰めていく必要はなく、むしろハモっていくために、正しい音程・リズム・アーティキュレーションで必要があるのです。

4)一人で背負って立つ声とあなたに全部おまかせの声

 これは発声というよりも歌う姿勢の違いかな? 声楽ってかソリストと言うのは、その場の音楽的な責任を背負って立って歌わないといけません。これは、プロアマ関係ありませんし、舞台の大きさも関係ありません。一度ステージに立ったならば、ピアノなりオーケストラなりをリードしつつ、自分の音楽世界を作らないといけないのです。歌手が音楽を作っていくのです。

 一方、合唱の場合は、あなたまかせ…と言うか、すべてを指揮者にゆだねて歌います。ざっくり言うならば、指揮者が演奏者であって、合唱は、指揮者の良き楽器でなければなりません。指揮者の意図を忠実に再現していくように歌わないといけません。決して自我をむき出しにしちゃいけません。あくまでも自分は抑えて、指揮者に声を捧げていくのです。

5)イタリア語とラテン語

 日本語以外の外国語と言う意味で、一番よく歌うのが、声楽ではイタリア語、合唱ではラテン語ってところでしょうか? ラテン語はほぼローマ字ですから、さほど難しくありませんし、イタリア語もほぼローマ字ですけれど…ラテン語程ローマ字っぽくないのが、たまに傷だったりします。ま、それでもドイツ語やフランス語と比べれば、どちらの言語も日本人には親しみやすい言語なんですけれど…ね。

 とまあ、こんな感じの結論を出したわけです。

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2018年6月 6日 (水)

声域と声種

 私は今でもキング先生に「君にはテノールは無理だから、バリトンに転向しなさい」と言われた事を、はっきりと覚えています。

 その時の私の気持ちは「このお方は、何をおっしゃっていらっしゃるのだろう」という困惑した気持ちでした。もちろん、こんな丁寧な言葉づかいではなく、もっとお下品な言葉遣いの方がふさわしい気持ちでしたけれど…。

 プロの音楽家ともあろうお方が、声域と声種の違いが分かっていらっしゃらない。または、教えることを放棄された…たぶん後者だろうと、今は分かりますが、その時は、前者ではないかと強く呆れてしまったのです。

 声域と声種は違うものでしょ! なぜ、それが分からない(涙)。…当時はマジで、そう思ったものです。

 閑話休題。声域と声種は違うものですが、案外、これがごっちゃになっているケースを見聞きします。それは、声域と声種がペアで考えられることが多いからです。

 例えば「高い声が出るからテノール」「低い声で歌えるからアルト」

 …んなわけないじゃん! 声域はあくまでもその人の持つノドの音域の話であって、声種は声質(つまり声の性格)で決まります。それはつまり…、

 ソプラノやテノールは、若い声です。それがソプラノやテノールの声質です。歌手の実年齢は関係なく、若々しい声で歌えるから、ソプラノやテノールなのです。メロディしか歌えないからソプラノなんてありえないし、高い音を出したいからテノールとか、もう馬鹿すぎる話です。70歳を越えて、もう高音はだいぶ無理になって、バリトンの音域でしか歌えず、バリトン役ばかり歌っているドミンゴであって、声は若々しいので、バリトン役を歌っても、声はテノールなわけで、これは声域と声種が本来的に異なるものだからです。

 メゾやバリトンと言うのは、圧倒的な美声です。それがメゾやバリトンの声質です。とにかく、美しくて耳障りの良い声で無理なく歌って人の魂を揺さぶる事ができるから、メゾやバリトンなのです。高い音も低い音も出ないから、メゾ? バリトン? それはメゾやバリトンをなめています、みくびっています。美しくて魅力的で、時にセクシーですらあるのが、メゾやバリトンなのです。なぜ、カルメンはソプラノではなくメゾなのか? つまり、そういう事なのです。

 アルトやバスと言うのは、愛情たっぷりな声なのです。母であったり、父であったり、王であったり、時には神ですら歌うのが、アルトやバスなのです。彼らの声の本質にあるのが“愛”なのです。声の中に愛があるのが、アルトやバスなのです。ただ単に、低い声を出すだけなら、ガマガエルだって出せるって話です。いかに声に愛を注げるか、それがアルトやバスってモンでしょ。

 そういう声質を考えずに、単純に声域だけで声種を判断するって、ちょっとおかしいと思います。声種を判断する際に、声域はむしろ考えなくても良いのでは…すら思います。と言うのは、声域はある程度訓練すれば、広がるものだから、最初は声域が狭かろうが、高い方や低い星に偏っていたとしても、あまり声域を考えなくても良いのだと思います。訓練を重ねていけば、やがて声は成長し、おのずとその声質にふさわしい声域になってくるものです。声域を広げていく事は、時間がかかるかもしれないし、訓練は大変かもしれないけれど、それでもなんとかなるものなのです。だから、声域よりも声質に注目して声種は判断しないといけないのです。

 声域は訓練次第でどうにでもなりますが、声質は神様から与えられたギフトですから、これは丸ごと受け入れるしかないのです。

 高い声が出ないからバリトン…? バリトンなめんなよ!って感じです。世界中のバリトンさんたちに謝れ!って言いたい気分です。

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2018年6月 5日 (火)

発表会を見ると分かること

 私の趣味は、見知らぬ人たちの発表会を見る事です。公開されているモノしか見れませんので、声楽の発表会や子どものピアノの発表会を見る事が多いです。フルートの発表会はなかなか公開されていないので、見るチャンスが少ないのが残念だし、合唱となると、発表会ではなく演奏会となり、入場料が必要となり、事前のチケット入手(これがまた困難なんだ)が必要となるので、ハードルが高くなってしまうのが残念です。もちろん、非公開とか関係者のみの発表会の見学は遠慮しています。

 アマチュアさんの発表会は、見ていて面白いです。声楽の発表会は、プロ歌手の演奏会と比べても、学ぶ事が多く、実に参考になります。子どものピアノ発表会は、ただただ可愛いです。

 発表会を見ると、個々の生徒さんの実力とか、得意な事や苦手な事などが分かると同時に、そのお教室なり、先生なりの指導方針が透けて見えるのも興味深いです。実際、今は大学生になってしまった息子くんが小学生の頃、ピアノ教室を某大手から個人教室に変更しようとした時に、たくさんのピアノ教室の発表会を見ましたが、本当にお教室なり、先生なりの指導方針の違いってのは、あるんだなあって思いました。

 とにかく、楽しくおおらかに演奏させ、細かい事よりも音楽的な楽しさを優先させているだろう先生がいたり、おそらく音大受験を念頭において緻密でミスのない演奏を目指してビシビシ鍛えているんだろうなあって先生がいたり、クラシック系ピアノ音楽をまっすぐに教えている先生もいれば、ポピュラー音楽やアニソンもあり…で教えている先生もいます。基本カリキュラムが決まっている先生もいれば、子どもに応じて指導を変えているんだろうなあ…って思わせる先生もいたり…と本当に色々でした。

 一般公開されているような声楽の発表会は、基本的に大人の生徒さんたちが歌っていますので、音大志向うんぬんはまずありません。そういう点では、子供のピアノ発表家よりもゆるめの発表会が多いのは否定できません。

 声楽発表会の場合、上達を目指している教室なのか、楽しさを目指している教室なのか、大きく2種類に分かれているかな…って思います。上達を目指している教室の発表会は、皆さん、お上手な方が多いし、無理な大曲を歌っている人も多くありません。割と身の丈に合った選曲をしている人が多いです。毎年見に行くと、年々上達しているのが、手に取るように分かります。

 一方、楽しさを目指している教室は…割と無理めの大曲を歌っている人が多いと思います。さすがに発表会で歌うわけですから、音程は許容範囲で歌いますが、合っているのは音程とリズムだけで、声質とか息の使い方とか歌い方とかアレアレアレ…って感じだったりします。何年たっても欠点が克服されずに発表会自体に停滞感が漂っていたりします。でも、歌っている人は笑顔で楽しげに歌っているわけだし、それはそれでアリなんだろうと思います。

 また大人の声楽発表会は、子どものピアノ発表会と違って、音大などを卒業し専門教育を受けた方(本来ならばプロ歌手になっているような方)が、しばしば生徒さんに混じっている事があります。なので、発表会を聞いていて、めちゃめちゃ上手な方がいらっしゃるからと言って、それはその方が、いわばセミプロな方であって、お教室の手柄ではなかったりする事もあります。なので、歌上手な生徒さんが揃っているからと言って、先生が教え上手であるとは限らなかったりします。

 また、合唱団員さんたちをベースにした声楽教室の発表会などでは、選曲が地味で無理めな曲は避ける傾向があります。だからと言って、生徒さんたちの歌が、必ずしも声楽的な魅力のある歌い方であるとは限りません。いやむしろ、合唱的な発声で歌っている事も多く、こういう人たちって、地味に上手で、見ていて、とても勉強になるんですよね。私は好きです。

 一般的に、歌って、リズムと音程が正しければ、それが正しい歌の歌い方であると思われがちですが、クラシック声楽って、その先を求められているわけで、そこを見据えた指導がしている先生と、そうでなく、そこでとどまっている先生の2種類の先生がいるような気がしないでもないです。もっとも、リズムと音程を正しく歌わせる事って、指導者として、かなり上手でないと難しいという事は、申し添えておきます。

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2018年6月 4日 (月)

なぜ、日本の声楽家さんたちは英語詩の歌曲を歌わないのか?

 日本の声楽家の皆さん、つまり、西洋クラシック声楽を生業となさる歌手の皆さんのレパートリーって、オペラがメインで、歌曲も歌うという方が大半です。で、その歌われる歌曲も、イタリア歌曲、ドイツ歌曲が中心的なレパートリーで、それに加え、歌手によって、フランス歌曲や日本歌曲が加わり、さらにロシア歌曲やスペイン歌曲などの、その他の西洋語の歌曲をレパートリーとする歌手が加わります。

 日本人にとって、もっとも親しみ深い西洋語である英語の歌曲って、多くの作曲家によってたくさんの曲が作曲されているにも関わらず、日本の声楽家の皆さんは、あまり取り上げて歌うことはありません。おそらく、ロシア歌曲やスペイン歌曲よりも少ないかも…。でも、ショパンの歌曲が大半だろうけれど、ポーランドの歌曲よりは、多く歌われているんじゃないかな…ってくらいの印象です(きちんと統計調査を調べたわけじゃありませんから、あくまで、私個人の印象です)。

 英語の歌曲って、良い歌がたくさんありますよ。音源も探せばあれこれあります。でも、なかなか日本の声楽家の皆さんは歌われません。残念ですね。

 で、私は、なぜ日本の声楽家の皆さんが英語詩の歌曲を歌われないのか…考えてみました。

1)そもそも声楽家の皆さんは、英語が苦手

 日本の声楽家の皆さんは、基本的には語学は得意な方が多いと思われますし、海外にもたくさん留学されるので、外国語が苦手という人は少ないはずですが、英語はあまり得意ではない…ってか、苦手だとおっしゃる方の話をチラホラと聞きます。まあ、彼らが留学すると言っても、留学先はイタリアとかドイツとかフランスとかの非英語圏がほとんどですから、イタリア語やドイツ語やフランス語と比べると英語は苦手なのかもしれません。なので、なんとなく、英語詩の歌曲を避けてしまうのかもしれません。

2)音大では英語詩の歌曲は教えない

 多くの音大の声楽科では、イタリア歌曲とドイツ歌曲、日本歌曲は必ず教えますし、その他の言語の歌曲も、師事する教授によっては教えてくださるようだけれど、英語詩の歌曲を音大で教えているという話は、私、寡聞にして聞きません。もしかして教えている大学があるのかもしれませんが、おそらくそれは極少数の大学で教えているかも…?ってレベルなんだろうと思います。多くの、普通に音楽大学を卒業して歌手になられた方は、学生時代に英語詩の歌曲を学んだ経験はないだろうと思われます。

 学校で教えてもらえないと…少なくとも若くてキャリアの浅いうちは、それらの曲をレパートリーにするのは難しいだろうし、キャリアを積んで一人前に成れる歌手なんて、音大卒業生の中のほんの一握りだろうし…と考えると、なかなか声楽家の皆さんが英語詩の歌曲を歌われないのも仕方ないのかもしれません。

3)英語の歌曲はミュージカル(つまりポピュラー音楽)っぽく聞こえる

 案外、この理由が最大の原因かもしれません。英語の歌曲って、ポピュラー音楽っぽく聞こえるんですよ。というのも、ポピュラー音楽って、大半が英語詩ですからね。

4)有名な英語詩の歌曲は少なく、その多くをポピュラー歌手たちが歌っている

 例えば、『ダニー・ボーイ』とか『グリーン・スリーブス』とか『アメージング・グレース』『アニー・ローリー』『庭の千草』『春の日の花と輝く』『埴生の宿』…、そしてフォスターが作曲した数々の歌曲たち…。おそらく、我々が日常生活でなんとなく耳にする英語詩の歌曲って…こんな程度です。クラシック声楽を学んでいる人だと、これにトスティが作曲した数曲の英語詩の歌曲、例えば『Good-Bye』などの曲が入るかなって程度です。おまけにこれらの曲の多くは、クラシック系の歌手ではなく、実はポピュラー系、それもジャズ歌手の皆さんの歌唱で聞くことって…多くありませんか? そう、英語詩の歌曲の一部は、スタンダード音楽としてジャズ歌手の皆さんに歌われる事が、日本では多くて、それもあって、クラシック系の歌手の皆さんがレパートリーにするのを避けている…ような気がしないでもないのです。

5)そもそも英語詩の歌曲はローカルな曲が大半だから

 英語詩の歌曲って、我々が知らないだけで、実はたくさんあります。それは輸入楽譜をちょっと調べてみると分かります。たくさんあるのだけれど、その大半が、我々の耳に届きません。そして、それらの歌曲を歌っているのは、アメリカやイギリスなどの英語を母国語としている歌手の方が大半です。

 これは、日本における日本歌曲の扱いに似た感じなのかもしれません。日本歌曲だって、良い歌曲はたくさんあるけれど、歌っているのは、ほとんど日本人歌手であり、海外の歌手さんたちが日常的なレパートリーとして取り上げる事がないようなもの…と同じで、英語詩の歌曲も、良い歌曲はたくさんあるけれど、歌っているのは、アメリカやイギリスなどの英語を母国語としている歌手が大半で、それらの国以外の歌手さんたちは、ほぼ歌わない…って感じなのかもしれません。

6)英語詩の歌曲って、バロック曲と近現代曲しかないから

 調べてみると分かりますが、英語詩の歌曲って、クラシック音楽のど真ん中である、ロマン派の曲が少ないのです。かろうじて、フォスターがロマン派の作曲と言えますが、その他の有名作曲家は、みな、バロックの時代の作曲か、近現代になってからの作曲家たちばかりです。

 これは、ロマン派の時代のイギリス貴族たちが、母国語の音楽を大切にしなかったから、こうなってしまったんだろうと思います。彼らは、自分たちが英語で生活しているにも関わらず、王宮ではフランス語を用い、音楽ホールではイタリア語で楽しみ…なんていう生活をしていたツケが、ロマン派の時代の英語詩の歌曲の少なさに繋がっているだろうと思われます。

 ま、原因が事なれど、ロマン派の時代に冷飯を食らってしまったという点においては、英語詩の歌曲って、フルート独奏曲と同じような立場なんですね。

7)英語詩の歌曲は難しく、アラが目立つから

 歌ってみると分かりますが、英語って実に歌いづらい言語なんですよ。ドイツ語ほどではないにせよ、子音が強くてレガートに歌いづらいんです。難しい歌を歌えば…当然、歌手としてのアラが見えてしまうわけで、そんな難しい言語の曲は…できれば避けたいですよね。

 以上、日本の声楽家の皆さんが英語詩の歌曲を歌わない理由を考えてみましたが、考えれば考えるほど、やっぱり日本の声楽家の皆さんが英語詩の歌曲を歌うのは、色々と難しいんだなあという結論に達してしまいました。

 仕方ないよなあ…でも、英語詩の歌曲にも、いい曲はたくさんあって、そういう音楽をたまに(笑)聞くと、私は感動しちゃったりします。日本でもっと広く紹介されていいと思うのですよ、英語詩の歌曲ってね。

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