ひとこと

  •  仕事が忙しすぎて、カラダがバテバテです。メトのライブビューイングで「ルサルカ」を見に行こうと思っていたのに、カラダが言うことを聞かずに、出かけられませんでした。ああ、ちょっぴり残念。今はオペラ鑑賞よりも休息を第一としましょう。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2017年3月16日 (木)

声楽は安易に習っちゃダメ

 昨日までは子どものピアノの話をしましたが、本日はオトナの声楽の話をします。

 漠然と…歌をもっと上手く歌えるようになりたい…と思って、教室のドアを叩くとします。どこの教室のドアを叩きますか? さすがに、民謡教室とか詩吟教室は、ちょっと違うって分かるので、これらの教室のドアを叩く人は、さすがにいないと思います。そういう意味では、民謡教室とか詩吟教室と言うのは、最初っからきちんとターゲットが絞られているので、教える方も学ぶ方も迷いがなくて幸せですね。

 たいていの人は、あれこれ教室を物色して、いくつかの教室を候補に上げるでしょう? その教室は…ボーカル教室ですか? カラオケ教室ですか? それとも、愛唱歌の教室ですか? 歌声喫茶の教室でしょうか? それとも、ヴォイストレーニングの教室ですか? 声楽の教室ですか?

 実は上記の選択肢は、よく似た教室を2つずつペアにして、それぞれ3つのジャンルの教室を列記したものです。

 最初のボーカル教室とカラオケ教室は、いわゆるJ-POPとかロックとかポップスとか歌謡曲とか演歌など、我々の身近な流行歌や定番の名曲の歌い方を学ぶ教室です。次の愛唱歌や歌声喫茶のグループは、歌を習うと言うよりも仲間づくりのための教室で、音楽ジャンル的には“学校の音楽の授業”的な歌、つまり愛唱歌…童謡や唱歌、世界の民謡などを習います。最後のヴォイストレーニングと声楽の教室が、いわゆるオペラや歌曲などのクラシック系の歌(ずばり、クラシック声楽です)を学ぶ教室です。

 この3つのジャンルは、実は全く違います。だってね…演歌と唱歌とオペラには共通点なんて、あってないようなモノでしょ? 演歌を上手に歌えるようになりたいのに、オペラの勉強をしても、それは全くの筋違いだし、オペラを歌いたいのに唱歌ばかりを歌っていてもラチがあかないわけです。自明の理です。

 だから、自分はどんな歌が歌いたいのか、まずはそれを自分で確認して、それから教室のドアを叩きましょう。うっかり、違うジャンルの歌を教える教室のドアを叩いてはいけません。それは学ぶ方も教える方も両方にとって悲しいミスマッチだからです。

 で、ここで陥りやすいのが、ヴォイストレーニングの教室です。普通の人の感覚なら、ヴォイストレーニングと聞けば『ヴォイス(声)をトレーニング(練習)する』教室だと思って、発声の基礎を徹底的に教えてくれる教室ではないかと錯覚するわけです。で、ここに通えば歌が上手くなると誤解してしまうのです。

 実はヴォイストレーニングの教室に言っても、必ずしもお望み通りに歌が上達するとは限りません。と言うのも、実は、ヴォイストレーニングの看板を掲げて商売をしている先生って、たいていクラシック声楽の先生で、そこでやるのは、クラシック声楽のためのヴォイストレーニングなのです。歌全般に渡るトレーニングをするのではなく、クラシック系の歌を歌うためのトレーニングをする教室なのです。で、その実態は、だいたい声楽教室だったりするわけです。まあだいたい、声楽の基礎クラスの事を『ヴォイストレーニング』と呼ぶのだと思っていても、間違いじゃないのです。

 たしかに、クラシック声楽のジャンルだけれど、ヴォイスをトレーニングする事に間違いはないので、別に看板に偽りがあるわけじゃないのですが、カラオケがうまくなりたいだけの、何も知らない初心者が、うっかり間違えてドアを叩いてしまいがちな、ミスリードを誘うネーミングであることは否定できません。

 「別に、クラシックはすべての基礎だから、カラオケが上手になりたいなら、基礎をしっかり学ぶという意味でも、最初はヴォイストレーニングの先生に習ってもいいんじゃないの?」

 これが楽器を学ぶのならば、正しい答えです。器楽では、クラシックであろうと、ポピュラーであろうと、楽器の基礎テクニックは共通していますし、基礎は基礎であって、最初はどのジャンルであっても、基礎を真面目にしっかり勉強すれば上達します。

 でも、歌は、ジャンルごとに発声が異なり、当然、基礎も異なります。

 ですから、自分が学びたい音楽ジャンルとは別のジャンルの歌の基礎を学んでしまうと、元々歌いたかった音楽ジャンルの歌が上達しないどころか、逆に上達から遠ざかってしまうし、下手をすると歌えなくなることだってあります。

 特にあなたが女性ならば、なまじクラシック声楽を学んでしまうのは、かなり危険です。なぜなら女性がクラシック声楽の基礎を学んでしまうと、カラオケが上手になるどころか、カラオケで歌えなくなってしまう事が多々あるからです。

 これ、ほんと。マジな話です。実際、クラシック声楽を学んだ女性歌手で、カラオケが苦手な人って、掃いて捨てるほどいるんですよ。それくらい、カラオケの発声と、クラシック声楽の発声は、全く違うからです。全然別種の、ある意味、真逆な発声なのです。たとえば、クラシックでダメと言われる地声や“胸に落ちる声”をカラオケ等ではフル活用しているわけだし、クラシック声楽のままで歌えるカラオケソングなんて、かなり限られているしね。

 同じ歌とは言え、違うものは違うのです。それは同じイヌでも、チワワとシベリアンハスキーはかなり違うでしょ? そんな感じです。でも、チワワもシベリアンハスキーも、どっちもワンちゃんだし、ペットにするなら可愛いでしょ? 可愛いと言っても、その可愛さは全然違うわけだし、日々のお世話の仕方だって、かなり違うわけです。

 歌も同様です。

 歌を上手になりたいと思ったら、教室のドアを叩く前に、まず自分がどんな歌を歌いたいのかを、きちんと見定めてから教室のドアを叩きましょう。安易に学び始めてはいけません。特に名称がわかりづらい“ヴォイストレーニング教室”は要注意です。

 繰り返しますが、ヴォイストレーニングはクラシック声楽の教室、つまり独唱を学ぶための教室です。自分が、カラオケを上手になりたいとか、合唱団員としてスキルアップをしたいとか、そういう願いを持っているなら、ヴォイストレーニング教室はお門違いです。まなじヴォイストレーニングの教室で、クラシック声楽の発声をしっかり学んでしまうと、カラオケは歌えなくなるし、合唱からは縁遠い声になってしまいます。

 カラオケの上達を願うなら、カラオケ教室とかボーカル教室がいいと思うし、合唱団員としてのスキルアップを目指すなら、いっそソルフェージュ系の教室で基礎を学んだ方が良いかもしれません。あくまでも、ヴォイストレーニングの教室は、クラシック声楽の基礎を学び、やがては、オペラとか歌曲とか、それらの歌を学びたいという初心者の方々のための教室なのですよ。

 ちなみに、クラシック声楽って、楽しいですよ。クラシック声楽は、娯楽であり芸術であるのは当然として、実は声のアクロバットでもあるんですよ。私は、カラオケよりも、ずっとずっとクラシック声楽の方が楽しいなあって思ってます。だから、一人でも多くの人がクラシック声楽を学んで欲しいと思ってます。だからこそ、うっかりドアのノックしてガッカリして失望して欲しくないのですよ。

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2017年2月 9日 (木)

声種の見分け方

 先日の声楽のレッスン記事で、妻がコロラトゥーラソプラノであった事を書いた記事にコメントが付いて、皆さん、声種の見分け方に興味があるようなので、一般論としての声種の見分け方について、書いてみたいと思います。

 声種と言うのは、合唱でいうところのパートであり、独唱だと音域や音色まで含めた声の分け方を言います。

 多くの人が趣味として歌う場合は、まず合唱団の扉を叩くと思われるので、合唱における声種の見分け方を書いてみます。

 原則的に性の違いは越えないところが多いでしょう。つまり、男声なのにアルトになるとか、女声なのにテノールで歌うとかは、普通の合唱団ではありません。女声ならソプラノかアルト、男声ならテノールかバスになります。つまり、高声か低声かに分かれるわけです。

 団によって多少の違いはあるにせよ、多くの団では次のような基準でパートを分けると思います。

 1)合唱団の都合や人間関係
 2)歌の巧拙
 3)音域

 1)について。どこの団でもソプラノやバスはたくさんいるものです。ですから、新入団者は、なるべくなら、アルトやテノールになって欲しいものです。また合唱団には友達作りのためにやってくる人も大勢いるので、新入会者の人間関係、とりわけ紹介者との関係を重んじてパート分けをする事が多いです。

 2)は、とりわけ女声において、歌の巧拙はパート分けと大きく関係します。正直『メロディーは歌えても、ハモリパートは歌えません』という人は大勢います。そういう人は、他の要因がどうであれソプラノにするしかないので、自然と人数的なバランスを取るためにも、歌える人はアルトにまわってもらう事が多いのです。

 3)について。女声はあまり考えなくても良いかもしれません。オーケストラ付きのラテン語やドイツ語の宗教曲を歌うならともかく、ピアノ伴奏の邦人作曲家の合唱曲だと、ソプラノとアルトでも、そんなに大きく使用音域が変わるわけではありません。むしろ音域について考えるのは男声の方かな? 邦人作曲家の合唱曲でもテノールならFやGぐらいまでは使います。この高さでも案外出ない人はいます、それも大勢ね。これらの音が楽に出ないとテノールは無理です。

 合唱団の声種分けの観点として大切なのは、その人の現在の声であり、力量なのです。『今どれくらい歌えるのか?』を目安にしてパートを分けます。だから、団によって、シーズンが変わるたびに声聞きをして、パートの入れ替えをするところがあるのは、そういう理由なのです。

 次は独唱における声種分けについてです。合唱が“今現在”を重んじているのに対して、独唱は“将来”を見据えた分け方をします。つまりは、今現在はどうであれ『これから練習をして上達していったら、どんな声として完成するのか?』という視点で考えます。ですから、今現在の音域とかは全然関係ありません。ましてや、周囲との人間関係とか、歌の巧拙などは全くの考慮外です。大切なのは、どんな可能性を持っているか…ただそれだけなのです。

 可能性…歌声の可能性ですね。まずは“得意な音域”が問われます。独唱は合唱よりも幅広い音域が求められます。高音歌手はより高い音が、低音歌手はより低い音が求められます。合唱だと、ソプラノでもアルトでもどちらも歌えますとか、テノールでもバスでもOKという人は珍しくありませんが、独唱では考えられません。それぞれが専門家となり、得意な音域で勝負をするのです。ですから、将来的に、どの音域の音で勝負できるようになるか、それを見越して声種を決めていきます。

 次に大切にされるのが、歌い手の個性だと思います。

 個性と言えば、まずはその人の声の音色があります。これは実に人によって様々なのですが、合唱では気にすることのない声の音色は、独唱では音域と同様に大切です。

 また、本人の性格は声種分けするにあたって、大切な要素かもしれません。独唱を目指す人は、多かれ少なかれ我の強い人が多いのですが、それでも高音歌手に関しては、かなり我の強い人でないと務まりません。一方、調整役に長けている人は低音の方が自分を生かせます。

 アマチュアはともかく、プロやセミプロ、そこまで行かなくても活動を熱心に行うアマチュアにとっては、容姿は声種と大きく関わりがあります。昔々は、歌手にとって容姿なんてものは無関係で、ひたすら声が追究されましたが、今の時代はヴィジュアルの時代ですから、容姿は大切です。独唱では、歌手の体格や年齢、美醜で歌える歌が限られます。ドミンゴがバリトンに転向したのだって、声の問題もさることながら、ヴィジュアル的にテノール役が歌えなくなってきた…と言うのも絶対にあると思います。

 70歳過ぎて、恋する王子様の役はやれないよね(笑)。でも、国を憂う王様役なら70歳を過ぎていてもOKでしょ?

 独唱における声種分けのポイントは、その歌手の可能性と個性なのです。

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2017年1月30日 (月)

結局、ソリストさえしっかりしていればOK?

 昨年末は、例によって、第九とかメサイアとかの合唱曲を多く聞きました。年末にオーケストラ付きの合唱曲が多く演奏されるのは、音楽家のボーナス捻出のためという裏事情があるものの、今やすっかり日本クラシック音楽界の冬の恒例行事になった…とも言えます。

 とにかく、私も昨年末、恒例行事として第九とかメサイアとかを聞いたわけです。それも、だいたい毎年同じ団体の演奏を聞いていたりするわけです。

 で、毎年毎年同じ団体の同じ演奏を聞くわけですから、当然前回と較べて、良かった悪かったと勝手な評価を下すわけです。で、その感想を、演奏会終了後に仲間内で共有して楽しむわけです。

 で、私は思ったのでした。結局、今回の演奏会が良かった悪かったと判断する、その基準の一番大きな要素は、合唱団の出来でもなければ、オーケストラの出来でもなく、ソリストたちの出来如何にかかっているって事です。

 これは私がソリスト大好き人間だから…と言うだけでなく、他の人たちの意見を聞いても、だいたいソリストの出来が、そのコンサートの出来に直結しているようなのです。

 まあ、考えてみると分からないでもないです。オーケストラというのは、プロであれ、アマであれ、1年間で大きく変わるものではありません。もちろん、アマオケの場合は、コンサート中のアクシデントが皆無というわけではありません。例えば、曲が進むにつれて疲れてきた弦楽がうねり始めるとか、肝心なところでホルンがひっくり返るとか、トランペットが飛び出すとか…色々あったりしますが、そういう団体は、だいたい昨年も似たような事をやっているし、昨年盤石な演奏を聞かせてくれたところは、たいたい今回も盤石だったりするんです。

 一方、合唱団は…と言うと、大抵はアマチュア団体なのですが、オーケストラ以上に安定しているところが多いです。上手な団体は毎年上手だし、それなりの団体は安定してそれなりだったりします。

 でも、ソリストは違います。ソリストはたいていプロ歌手ですが、同じ演奏会であっても、昨年と今年でメンバーが異なる事の方が多いです。人が変われば、当然、あれもこれも違うわけです。また、同じ人が昨年からの引き続きで歌うこともありますが、ソリストって、面白いぐらいに安定しないんですよね。たぶん体調とかの都合もあるのでしょうが、すごぶる良い歌を歌ってくれるともあれば、なんとも精彩に欠ける時もありますし、大きなミスをする事すらあります。

 そういう意味で、毎年年末に行われる、オーケストラ付き合唱曲の演奏で、一番の不確定要素がソリストだったりするわけで、それゆえに、その年のソリストの出来が、その年の演奏の良し悪しを決める、一番大切な要素となるわけです。

 合唱曲なのに、ソリストで評価が決まるってのも、考えてみれば面白い事です。

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2017年1月25日 (水)

トスティは三流の作曲家なのか?

 さて、ここのところトスティという作曲家について取り上げている私ですが、なぜトスティを取り上げているのかと言うと、

 1)トスティが好きだから
 2)トスティに関する評伝を読んで興味が増したから

 …という理由があります。ちなみに私が読んだのは、以下の本です。

 資料の乏しいトスティに関する書籍であり、大切な資料本なのですが、書籍としては分厚い事と、お世辞にも読みやすいとは言えない本文構成なので、読み通すにはかなりの覚悟と体力が必要かもしれません。ちなみに、私は一度挫折して、しばらく放置していました(笑)。

 さて、本題に入ります。

 私はトスティが好きです。もちろん人物が好きなのではなく、彼の作曲した音楽作品がが好きなのです。でも、トスティは一般常識的に言えば、無名な作曲家になるんだろうなあ…と思います。学校の音楽の授業でトスティという作曲家について学ぶこともなければ、その作品に触れる事もないでしょう。なにしろ、日本の学校の音楽の授業で取り上げる作曲家は、基本的にドイツ系かつ器楽系かつバロック~ロマン派の作曲家ばかりですからね。

 トスティは、イタリア系で声楽系で近代音楽の作曲家です。

 学校の音楽の授業では、イタリア系の作曲家で取り上げられるのは、ヴィヴァルディぐらいかな? いわゆる“バッハ以前”の時代なので、まだドイツ系の作曲家に有名な人がいないので授業で取り上げてもらえるのかな…なんて思ってます。

 学校の音楽の授業では、声楽系の作曲家で取り上げられるのは、モーツァルトやシューベルトなど、そこそこいますが、皆、ドイツ系だし、器楽作品もふんだんに作曲しているような人ばかりです。授業では、声楽作品ではなく器楽作品で彼らを学ぶ事が多くて「声楽作品も作曲する器楽の作曲家」みたいな位置づけのようです。

 ま、声楽は言葉の壁があるなら、仕方ないよね。

 近代音楽の作曲家は、本当に学校では学ばないもので、リヒャルト・シュトラウスとストラヴィンスキーぐらいしか学ばないんじゃないかな? マーラーですら学校じゃ取り上げないからね。

 とにかく、日本の音楽教育では、イタリア系や声楽系、近代音楽の作曲家は冷遇されていると思います。

 なので、一般人がトスティの事を知らなくても不思議はないし、一般的なクラシックヲタクもドイツ器楽系を中心に楽しむ人が大半だから、トスティを知らなくても仕方ないです。トスティを知っている人と言うのは…声楽ファンで、イタリア歌曲大好きな人たちぐらいです。実に少数派、実にニッチな位置づけです。

 そういう、イタリア歌曲好きな人たちの間でのみ有名なのが、トスティという作曲家なのです。

 で、さらに言うと、そんなイタリア歌曲好きな人たちの間でも、評価が低いのがトスティだったりします。

 曰く「流行歌だからね」「芸術的な深みは無いからね」「技巧的にも簡単だし」…まあ、ハズレではないと思います。

 実際、トスティの歌曲は、20世紀の初頭の流行歌でした。特に英語の歌曲は、その楽譜は飛ぶように売れたのだそうです。商業的に成功した曲を“流行歌”と呼ぶなら、トスティの歌曲は流行歌だと思います。

 私のような愛好家には判断つきませんが、トスティの作品には芸術的な深みが無い…と感じる人が大勢いらっしゃるなら、たぶんそうなのでしょう。でも、芸術的な深みうんぬんの評価は、時代によって変わってくるかもしれないし、少なくともトスティの場合は変わってきたと思います。

 現在の感覚では、トスティの英語の歌曲は流行歌であって、せいぜいミュージカルナンバー程度の作品であって芸術的な深みはないけれど、イタリア歌曲やフランス歌曲は、プロのクラシック系歌手たちも頻繁に取り上げる、普通のクラシック声楽曲という扱いになっていると(私は)思います。でも実は、100年ほど前(つまりトスティの晩年)からしばらくの間は、英語だけでなくイタリア語やフランス語の歌曲も“流行歌”扱いであって“芸術的な深み”など無いと言われていたそうです。それが100年かけて、イタリア歌曲とフランス歌曲は認められるようになったわけですから、これから100年後経てば、トスティの評価も大きく変わるかもしれません。

 技巧的にも簡単…他の作曲家の作品が小難しすぎるだけだと思うし、技術的に難易度の高い事と、音楽作品としての価値は、特に関係ないと思います。ただ、技術的に難易度が高くないと、試験やコンクールでの演奏には向きませんし、試験やコンクールなどで頻繁に取り上げられる作品が、音楽的に必ずしも優れているとも思いません。

 まあ、それもこれも含めて、トスティの21世紀前半における扱われ方は、無名作曲家であり、必ずしも一流作曲家として数えられる事はありません。よくて二流? 無名な事も考え合わせれば、三流扱いされちゃう事もあります。まあ、何をもって、一流二流三流の区別をつけるのかは、書いている私自身もよく分かっていませんが(笑)。

 とにかく、トスティという作曲家は、無名で評価の低い作曲家である事だけは確かです。でも、無名で評価の低い割には、イタリア声楽曲という狭い世界に限って言えば、頻繁に新作CDが作成されるし、コンサートでもよく取り上げられます。おそらく、楽譜の販売だって、昨年新版が出たことからも分かるように、結構売れていると思います。

 多くの歌曲作曲家が、ソプラノのために曲を書いている事が多いのだけれど、トスティは男声、特にテノールに向けて曲を書いている事が多いので、私たち(アマチュアと言えども)テノール歌手にとっては、大切なレパートリーであるのです。

 世間の人たちは、もっとトスティの事を知り、もっと愛して欲しいと思います。

 最後にトスティと言えば…「Ideale/理想」ですよね。

 歌っているのは、ユアン・ディエゴ・フローレスです。ある意味、現役テノールの中では、もっともテノールっぽい声をしている人だと思います。今のスターテノールさんたちは、みんな声が重くて、テノールなのにバリトンっぽい声の人が多いですからね。こういう声は貴重なんだと思います。

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2017年1月24日 (火)

トスティはイギリス人だったって知ってましたか?

 さて、今回もトスティの話です。

 日本で歌われるトスティの歌曲のほとんどがイタリア語の歌詞に曲をつけた、いわゆるイタリア歌曲であるために、トスティはイタリア人だと思われがちですが、実は彼はイギリス人だったという事、ご存知でしょうか?

 無論、トスティはイタリア生まれで、その両親ともにイタリア人であり、血筋的には生粋のイタリア人である事には間違いないし、彼の母国語もイタリア語でしょうし、前回の記事で書いた、彼の前半生を見る限り、彼は間違いなくイタリア人なのですが、21世紀の我々の視点から見た場合、彼はどこの国の人なのかと言えば、イギリス人であると答えるのが正解と言えるでしょう。

 つまり国籍の問題です。トスティの国籍は、実はイタリアではなくイギリスなのです。だから、彼はイギリス人…って事になります。

 トスティはイタリアで生まれ、イタリアで教育を受け、若い時分はイタリアで活動していましたが、これまた何があったのかは分かりませんが、30代も半ばの時、あれだけの人気者であり、ブイブイ言わせながら活動をしていたローマを捨てて、トスティはイギリスのロンドンに移住します。

 その後、死の3年前まで、イギリスに住んで働いて、その地でたくさん作曲して(我々が知っている彼のイタリア歌曲も、その多くがイギリスで書かれています)、結婚をし、子どもを産んで家庭を作ります。彼の、いわゆる現役時代の生活の拠点は完全にイギリスにあったわけで、友人たちの多くもイギリス人で、イギリスでもローマ同様に、王家とのつながりを作り、イギリス王室の声楽教師(具体的にはヴィクトリア女王の声楽教師)として働いていたわけです。

 なぜ彼はローマを捨ててイギリスに渡ったのか? これまた本人しか分からない事情があるでしょう。でも私が邪推するに、いくつかの原因があります。

 一つは…何か大きなトラブルを起こしてローマにいられなくなった? イタリア王家がらみで恋愛沙汰を起こしたという説があります。まあ、当時のトスティは、若くてモテモテの独身男性ですからね。全くない話でもないでしょう。

 あるいは…彼のイギリス移住の少し前から、トスティが作曲した楽譜が売れ始めるようになりました。当時は今と違って、録音技術がなかったし、著作権関係も整備されていませんでした。作曲家の収入は、自作曲をコンサートで演奏して、そのギャラをもらうか、楽譜を出版して、その印税をもらうかの2つがあったわけで、だから彼もサロンで自作曲を歌って、演奏収入を得ていたわけだし、彼のファンのご婦人方が楽譜を買ってくれて、それも収入にしていたわけです。

 ところが楽譜は作者のいない地域でも販売されています。

 トスティの楽譜は、彼のイギリス移住の少し前から、イタリア語の下に英語の歌詞を付けて印刷されるようになり、それがイギリスで販売されるようになったのだそうです。イギリスは当時“日の沈まない国”と言われる大英帝国として世界有数の強国だった時代です。そこで、トスティの楽譜が販売されるようになり、これがまたバカスカ売れたんだそうです。つまり、イギリスでもトスティは大人気になったわけです。

 そんなこんなの色々な理由があったのかなかったのかは、私には分かりませんが、とにかくトスティは、えいやー!とばかりに、慣れ親しんだローマを離れて、イギリスに渡りました。

 イギリスに渡ったトスティは、すぐにイギリスの上流階級に食い込み、お金持ち相手の声楽教師を始めます。イギリス王家にも食い込みます。イギリスのロイヤル音楽アカデミーの教授にもなったんだそうです。すごいね。雇われ外国人教師としては、すごい出世だよね。

 そんな先生業の傍ら、彼はガンガン作曲を始めます。今、私達が知っているトスティの歌曲の大半は、彼のイギリス時代に書かれた作品です。

 当初は、イタリア語の作品に英語の訳詞をつけて販売されていた彼の作品ですが、やがて直接英語に音楽をつけるようにもなりました。トスティの英語の歌曲ですね。これがまた、当時はバンバン売れたんだそうです。あまりに売れすぎて、ほぼ流行歌です。

 なにしろトスティの英語の歌曲は、上流階級のみならず、イギリスやアメリカの中産階級のご婦人方にも大受けだったそうで、それゆえに楽譜がガンガン売れたんだそうです。
 実際、彼の英語の歌曲は、中産階級の人々にも愛されて、売れすぎてしまったために、当時から玄人筋には評判が悪かったのです。その一方で、イタリア語やフランス語(上流階級のご婦人はフランス語が大好き)の歌曲は、英語の歌曲ほどは売れなかった(…って事は、中産階級にそっぽを向かれていた可能性があります)そうです。意外ですね。我々が知っているイタリア歌曲も、当時は英語で歌わわれていたものがたくさんある…そうです。

 まあ時代はすでに20世紀ですからね。イギリスやらアメリカやらが、ブイブイ言わせている時代ですからね。そこへいくとイタリアなんて、小さな小さな国だからね。

 イギリスに渡ったトスティは、その地で大成功を収めるわけです。

 そんなトスティがト60歳の時に、その時点ですでに30年以上イギリスで暮らしていたそうだけれど、その年にイタリア国籍を捨てて、イギリス国籍を取得し、それから程なくして、準男爵の称号をもらっています。

 だから、トスティの国籍はイギリスであり、彼はイギリス人なのです。

 彼を呼ぶ時は、イタリア名の“フランチェスコ・パオロ・トスティ”ではなく、本当ならば、アタマに“サー”をつけて、サー・フランシスコ・ポール・トスティ、またはサー・フランシスコと呼ぶのが正しいのです。なお、同じ“サー”を付けなきゃいけないのだけれど、ポール・マッカートニーは騎士(ナイト)であって、トスティは準男爵(バロネス)なので、トスティの方が上位になります。

 なぜ彼はイギリス人になったのか? それはトスティ本人しか分からない事だけれど、長くイギリスで暮らし、働き、成功して、生活の拠点もイギリスにあったわけだし、イギリス王室の方々とも親密な関係にあったわけで、私がトスティなら、30年どころか、10年ぐらいでイギリスに帰化しちゃっただろうね。だって、その方が自然だし、便利じゃん。

 ちなみに、ヘンデルもトスティと似たような人生を送ってます。ヘンデルもドイツ生まれのドイツ人(正確に言えば、当時はドイツなんて国はなくて、神聖ローマ帝国ね)として生まれたわけだけれど、トスティ同様に若い時にイギリスに渡り、そこで働き、そこに住み、その地でたくさん作曲して、生活の拠点が完全にイギリスにあり、友人たちの多くもイギリス人で、イギリスに帰化しています。トスティは帰化までに30年かかったけれど、ヘンデルは15年で帰化しています。

 ちなみにヘンデルは生涯独身で結婚していなくて、子どももいなくて身軽だったので、すぐに帰化しちゃったのかもしれませんが…。

 話をトスティに戻します。トスティはイギリスに帰化したけれど、生涯イタリアを愛して、英語なんか一言もしゃべらなかったという説もありますが、生涯イタリアを愛していた事は事実だろうけれど(なにしろ、晩年はイタリアに戻って死んでますからね)、英語を話さなかったというのは、おそらく間違いです。たぶん、トスティは英語ペラペラだったと思うよ。

 もちろん、イギリスに30年も暮らし、多くのイギリス人の生徒を抱えた先生だったわけだから、英語が話せないわけがないじゃん。

 彼の約300曲に及ぶ歌曲のうち、その半分はイタリア語の詩に曲をつけたもの(イタリア歌曲)だけれど、実は作品の約1/4は、英語の詩に曲をつけたものですし、それがまた自然に詩と音楽が寄り添うように作曲されているわけで、こういう作曲ができる人が英語を話せなかったわけないじゃん。

 ちなみに、残りの1/4の歌曲はフランス歌曲ね。つまり、トスティはイタリア語、英語、フランス語の歌曲を書いているわけで、彼はむしろ語学が得意なタイプだったんじゃないかしらね?

 とにかく、トスティはイギリス人である…って事なんです。なんか意外だよね。

 トスティの英語の歌曲に良い曲はたくさんありますが、その中でも当時バカ売れした曲をアップしておきます

 「That Day!/あの日!」です。良い曲ですよね。私もいずれ歌ってみたいと思っている曲です。ここで歌っているのは、キングオブハイFの、ウィリアム・マッテウッツィです。

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2017年1月23日 (月)

トスティって、本当はヴァイオリニストだったの?

 トスティとは、作曲家のフランチェスコ・パオロ・トスティの事で、その作品は、多くの声楽ファンに親しまれています。彼の作品の大半は歌曲です。歌曲以外の作品も若干作曲しているようですが、ほぼ歌曲専科の作曲家であると断言しても構わないでしょう。なので、歌曲ファン以外にはあまり知られていない、ある意味マイナーな存在なのですが、それでもとにかく(トスティを知っている数少ない)現在の我々は、トスティを“作曲家”として認識しているわけです。

 ではトスティは、キャリアの最初っから作曲家であったのかと言えば違います。意外な事に、彼は学生時代、ヴァイオリンを専攻していたのですよ。つまり、ヴァイオリニストを目指していた音大生だった時代があり、もしかしたら、そのままヴァイオリニストになっていた可能性もある人だったのです。

 でも、ヴァイオリニストとしてのトスティは、学校を卒業するや否やいなくなります。彼のヴァイオリニストとしてのキャリアは、学校卒業とともに終わりを迎える…ってか、彼は方向転換をします。

 一体、何があったのでしょうね? ここは推測するしかなのですが、地元では「俺って、なかなかヴァイオリンじゃあ、イケてるじゃん!」とか思っていたのかもしれません。なにしろ地元では“ヴァイオリンの神童”ともてはやされていたという説もあるくらいですから、田舎のヴァイオリニストとしては、なかなかの腕前だったのかもしれません。でも都会の学校(彼はナポリ音楽院の卒業生です:この学校は現在もあります)に行ったら、自分ぐらい弾ける人なんてウジャウジャいたりするわけで…そんなこんなで、色々と考えるようになったのではないか…と勘ぐる私です。

 とにかく、学校卒業とともにヴァイオリンを辞めてしまったトスティは、最初は田舎に戻って、当時の音大卒業生の定番職業である、地元の教会のオルガン演奏とその教官助手を始めます。

 教会でオルガニストとして働きながら、(彼はピアノやオルガンの腕前もなかなかだったそうです)コツコツと歌曲の作曲を始めたそうです。ここが彼の人生のターニングポイントです。

 数年、オルガニストとして働いたあと、彼は大都会であるローマに出ていきます。オルガニスト時代に作曲した歌曲たちを携えての上京です。ローマに上京してからは、サロンや小さなホールなどで歌う歌手としてキャリアを始めます。声種はテノールです。

 当時はサロン文化がまだまだ健在で、そこで自作のサロン向けの歌曲を歌っていたそうです。また、その時代の流行歌(当然他人の作曲)も歌ったようですが、自分でもドンドン作曲をして、その曲を持って、小規模なツアーなども行っていたようです。結構な人気歌手になったそうです。今で言う、シンガーソングライターのハシリのような人だったのかもしれません。なにしろ、自分でピアノを弾きながら歌っていたそうですよ。つまり、弾き語りをしていたわけです。トスティはかなりの美声であったという説があります。声も良ければ、歌う自作の曲も良かったわけだし、若くて(写真を見る限り)かっこいい青年だったわけで、そりゃあ人気者になるよね。

 人気者になればファンがつきます。彼はサロンを中心に活躍していたので、彼のファンと言えば…上流階級のご婦人方ですね。トスティは、それらの上流階級のご婦人方に歌を教え始めます。やがて上流階級も上流階級である王家(サヴォイア王家)にも出入りするようになり、王家との人脈も得て、ローマの声楽教師として、大繁盛するようになったのだそうです。

 つまり、21世紀の我々はトスティを作曲家であると認識していますが、生前の彼は、もちろん作曲家であったのだけれど、それと同時に学校でヴァイオリンを学んだ、ヴァイオリニストのタマゴであったし、田舎の教会のオルガニストでもあったし、ローマで上流階級のご婦人方から愛されるテノール歌手であり、声楽教師でもあったわけです。

 トスティはヴァイオリニストとして音楽家のキャリアを始めようとした人だったけれど、アレコレ色々な事に手を染めて、最終的には作曲家として後世の人に評価される人になったわけです。

 そんな彼の初期の歌曲を一つアップしておきます。

 「お祝い/L'augurio」という曲です。作品番号1番で、彼が16歳の時の作曲です。音楽院の作曲の授業の課題として作曲されたそうです。ちなみに、当時の指導教官はミケランジェロ・カントーネ先生だそうです。歌っているのは、ウォルター・オマッジョというテノールさんです。

 うーん、曲の出来はまだまだ…かもしれないけれど、あっちこっちトスティっぽいです。、やっぱりトスティはトスティだよね。

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2017年1月19日 (木)

響きの載った声はすごいすごい

 先日、近隣で行われている市民オペラに関する企画の一つとして、笛田博明氏(テノール)と与那城敬氏(バリトン)両名の合同のコンサートがあり、そこに行ってきました。

 いやあ、良かったですよ。どれくらい良かったのかと言えば、普段、クラシック系のコンサートに行ったくらいじゃあ、ブログネタにしない私が、わざわざ取り上げてブログネタにしてしまうくらいに良かったのです。

 何が良かったのか言えば、笛田博明氏の声です。今や、藤原歌劇団のトップテナーの一人ですから、そりゃあ素晴らしいに決まっていますが、それでもやはり、ブログに書かざるをえないほどに素晴らしかったのです。

 もちろん、与那城敬氏も良かったのですが、私はテノールを偏愛する人間なので、どうしても笛田氏中心に聞いて、笛田氏中心に感動してきたわけです。困った性分ですね(笑)。

 で、その笛田氏の声のどんな点が良かったのかと言えば、その響きです。

 少し前にレッスンで声の響きについて学んだところだった事もあり、笛田氏の声に乗っている響きに感激してしまったのです。いやあ、ほんと、ビンビンに響きが載った声だったのですよ。

 笛田氏は、歌劇「道化師」を得意とする、スピント系のテノールなのです。そういう重くて太い声だと、ばっちり鳴りで歌っていると思いがちですが、いやいやどうして、ばっちり響きで歌っているのですよ。すげー、すげー。

 「百聞は一見にしかず」と申しますが、「響きってなんだろ?」と頭でアレコレ考えるよりも、こうしてトップ歌手の生の声を聞いた方が、分かるというものです。

 ほんと、良い勉強になりました。いやあ、私、響きってモノが、どういうものなのか、よく分かりました。後は実践あるのみです。

 響きの載った声は…飛ぶねえ。埋もれないねえ。カツーンと来るね。おまけに、全然力づくの発声には聞こえず、楽々歌っているように聞こえます(実際、楽々歌っているんだろうしね)。

 私は声楽系のコンサートは勉強のために、なるべくたくさん聞くようにしていますし、身近なアマチュアのモノは、やはり勉強になるので聞くようにしていますが、このように、たまにはトッププロのコンサートに行くのも、良い勉強になるものだと、改めて感じ入ったわけでございます。

 要するに、トップ歌手の歌を聞いて、びっくりして感動した…という話です。

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2017年1月16日 (月)

コンサート会場にも色々ある

 コンサート会場にも色々あります。クラシック音楽の関係者が主に利用するのは、響きの良い会場です。“響きが良い”とは“残響音が残る”会場です。天井の高いキリスト教会の礼拝堂とか、内装が木製品ばかりで作られている音楽ホールなどが良い会場とされています。一般的には、残響音が多くなるので、広めの会場が好まれます。

 でもコンサートって、別にクラシック音楽だけが行うわけじゃない…ってか、数だけ言ったらポピュラー音楽の方が多いでしょうし、日本のホールは、コンサート以外の目的にも使うことの多い“多目的ホール”ばかりだから、必ずしもクラシック音楽に適しているモノばかりではありません。

 実は、いわゆる“市民会館”のような多くのホールでは、基本的に、響きの悪いデッドな作りになっているようです。床は絨毯敷きで、壁には吸音材が入っている…なんてザラだものね。と言うのも、P.A.(マイクシステム)を使う前提ならば、デッドな方がハウリングなどのトラブルを避けられるので、好都合なのです。P.A.使用ならば、響きなどは電気的に処理すれば、いくらでも付け加える事ができますしね。

 そうやって、クラシック音楽に不向きなホールが多い中、クラシック関係者は、なるべくクラシック音楽に向いた会場を選んでコンサートをするわけで、会場選びにはあれこれ苦労があるわけです。

 先日、聞きに行ったコンサートは、声楽系のクラシック音楽のコンサートだったのですが、演奏会場が、以前は映画館だったというライブハウスでした。ライブハウスは大半がデッドな作りになっている事が多い(ロックに残響音の多い会場ならば…そりゃあ大変なことになるわけです)のですが、元が映画館って事で、その会場はライブハウスの中でも、かなり強烈なデッドな空間になっていたと思います。おそらく、反響はほぼゼロでしょう。

 分かりやすく言うなら、カラの映画館にたった一人で入ったと想像してみてください。映画館って、遮音が凄いですし、吸音も凄いんですよ。すごく静かに感じるはずです。おそらく、鼓膜のそばを流れる血管の血流の音が聞こえるかもしれないほどに、映画館って無響にして無音な構造になっているのです。

 とにかく(元)映画館はクラシック音楽のコンサートには向きません。

 なので、今回のコンサートでは、クラシックの演奏会にも関わらず、しっかりP.A.が入っていました。入っていると言っても、マイクを手に持って…というのではなく、エアモニが入っていました。エアモニと言うのは、会場の雑音を拾うマイクとそれに付随するシステムの総称です。主な使用方法は、会場の雑音を拾って、それに電気的にエコーを付け加えて会場に流すという奴で、人工的な響きを作り出すシステムです。デッドで響きのない会場でクラシック音楽の演奏をするのだから、人工的に響きをつけてあげましょう…って事です。

 観客的には、これもアリかなって思いました。デッドな音を聞かされるよりも、人工的とは言え、響きのついた音の方が耳に優しいからね。ただ、演奏家的にはどうだったのかな? 特に今回は、モニターを使っていなかったようだから、響きのついた音は客席には聞こえても、舞台には聞こえていなかったわけです。

 演奏者によっては、反響音の少なさを気にする素振りを見せない方もいれば、かなり歌いづらそうにしていた方もいました。プロなんだから、どんな会場にも対応して当たり前…とも言えますが、得手不得手などもあるし、本来的には厳しい会場なので、そこまで求めるのは可哀想かなと思わないでもなかったのです。

 こういう無響無音な場所でコンサートを開くなら、たとえクラシック音楽でも、マイクを使用するのもアリかなって思います。ハンドマイク…では興ざめでしょうが、スタンドマイクの使用ぐらいはアリだと思います。あと、モニタースピーカーも必要だと思いますよ。

 とにかく、映画館でクラシック音楽という、珍しい体験ができました…という話です。

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2016年11月29日 (火)

歌声にも色々ある その2

 さて、ここまで、くどくどと書いて、何が言いたいのかというと、たとえ声域は同じでも声は異なる…って事です。

 私はテノールなので、以下はテノールを代表例として話を進めますと(ソプラノに関してはググると、嫌になるほど出てきますよ)、同じテノールと言っても、実はその中には声の異なるテノールが何種類もあるんだ…という話です。

 私がながながと説明するよりも、実際にその声種の代表的な声を持っていると思われる歌手の声を聞いた方が理解が早いと思われるので、さっそく聞いてみましょう。

 まずはレッジェーロです。何と言っても、ファン・ディエゴ・フローレスが代表でしょうね。ベッリーニ作曲の歌劇『清教徒』のテノールアリア「A te o cara/いとしい乙女よ、あなたに愛を」をお聞き下さい。

 さて、リリコに属する歌手は大勢いますので、中をさらに3つに分けて聞いてみたいと思います。以下の3つの違いは、案外微妙かもしれませんね…。

 まずもって、リリコレジェーロに該当する歌手は実にたくさんいます。私の好みで、ロベルト・アラーニャに代表してもらいましょう。『愛の妙薬』の「Una Furtiva Lagrima/人知れぬ涙」です。

 ど真ん中であるリリコには、さらに多くのテノール歌手が該当します。ここも私の好みで、フランシスコ・アライサに登場願います。。曲は『ラ・ボエーム』の「Che gelida manina/冷たい手を」です。

 リリコスピントは、上記2つの軽い声系のテノールと比べると、数は少々減りますが、それでもやっぱり多数います。それもスター歌手が多くいるのが、この声種の特徴です。今回は、マリア・カラスの音楽的な相棒として有名な、ジュゼッペ・ディ・ステファーノにしましょう。曲は…せっかくですから、カラスとのデュエットにしましょう。マスカーニ作曲の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の二重唱です。

 スピントとなると、だいぶ数が絞られます。ここはやっぱり、プラシド・ドミンゴでしょうね。ジョルダーノ作曲の歌劇『アンドレア・シェニエ』の「Un di all'azzuro spazio guardai profondo/ある日青空を眺めて」です。

 ドラマティコは…ほんと希少種になります。そこで、我らがマリオ・デル・モナコの登場です。歌っているのは『オテロ』の「Niun mi tema/オテロの最後」です。

 ここまで聞いてお分かりのように、声にも色々あるものです。どの曲も使っている音域に大差はありません。歌っている歌手も、同じ音程を歌っていても、それぞれ聞いた感じがだいぶ違うでしょ? これが声種による違いって奴なのです。

 あと、同じ人でも、加齢によって声は変わります。一般的には軽い声が重くなっていくのが普通です。有名どころではパパヴァロッティがそうかな? 彼はデビューの頃はレッジェーロでしたが、年齢とともに声が変わっていき、晩年はレパートリー的にはスピントの役まで歌っていました。ほら、彼の最後のヒット曲(?)がトゥーランドットの「Nessun dorma/誰も寝てはならぬ」でしょ。声って変わるんですよ。

 ちなみに、私の声は、リリコ・レッジェーロなんだそうですが…そう名乗るためには、もっともっと軽やかに歌えないと行けないし、高音だって軽々と出せないといけないので、もっともっと勉強していかないといけないのです。なぜなら声種は、音域だけではなく、音色、つまり声のキャラクターで決まってくるのです。声域は努力と修練で拡げることが可能ですが、音色は天性のモノだからね。だから、声種は音色で決まると言っても過言ではありません。

 なので、クラシック系声楽を学ぶ上で危険なのは、他人のマネです。同じ声種の人のマネをするならば、得る所もあるかもしれませんが、異なる声域の人の歌声や、異なる音色の人の歌声を真似ることは、ノドを傷つけ、声を壊す事になります。キング先生は私に、有名歌手のモノマネ(それも声種の異なる歌手)を強いましたが、これは絶対にやってはいけない事です。やって良いのは“プロの歌声をイメージする”事までであり“プロの歌声をマネする”のはご法度です。大切なのは、自分自身の声で歌うことです。作り声で歌うと、特にクラシック声楽ではノドを酷使しますから、少しでも不自然なことをしてしまうと、あっという間にノドを壊し、声が潰れてしまいます。

 ポピュラー音楽ならば、潰れた声も「ハスキーですね」で済みますが、クラシック系の歌の場合は、潰れた声はガラクタでしかありませんので、細心の注意を払いながら歌を学ばないといけないのです。

 くれぐれも声は大切に…ね。

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2016年11月28日 (月)

歌声にも色々ある その1

 歌声にも色々あります。ポピュラー音楽の場合は、個性が重んじられる音楽という事もあって、楽曲は歌手に合わせて作られて、歌手たちも自分たちの個性を活かして歌っていくわけですから、歌手の数だけ歌声があると言えます。

 一方、クラシック系音楽の場合は、音楽ファーストなわけですから、それぞれの曲ごとに求められる声があり、歌手たちはその求めに応じて歌います。ですから、歌手自身の個性はありつつも、その曲が求めている歌声で歌えることが必要となるわけで、そのため、クラシック系音楽の場合は、ある程度の歌声の類型化は必要となります。

 つまり、歌手たちの声を種類別に分けて、それぞれに声に応じた曲を歌うことが求められるのです。

 一番ポピュラーな歌声の分け方が、合唱のパート分けですね。

 合唱では、人の歌声を、まず女声と男声に分け、それぞれを高音と低音に分けます。つまり、ソプラノ(女声高音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)と4種類の声に分けていきます。

 元々、人の歌声を4つに分けて使うのは、教会音楽の特徴の一つであって、昔々、まだ女声が教会で歌わなかった頃は、ソプラノ(カストラート高音)、アルト(カストラート低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)って感じだったそうです。現在では、カストラートは絶滅しているので、伝統を守っている教会では、ソプラノ(少年高音)、アルト(男声ファルセット歌唱)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)で歌っているようです。

 え?「カストラートって何ですか!」…ですか?

 カストラートと言うのは、少年期に去勢手術を行って、強制的に声変わりを回避してオトナになった歌手の事を言います。ヨーロッパでは、18世紀までは、割りと普通にいたそうですし、20世紀の初頭までは、その存在が確認されました。実際にカストラートによる録音も残されていますしね。

 また、大規模な曲では、歌声を4つではなく、さらに細かく分ける事もありました。その場合は、女声男声の歌声を、高音、中音、低音の3つに分けるようで、つまり、ソプラノ(女声高音)、メゾソプラノ(女声中音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音),バリトン(男声中音)、バス(男声低音)と分けたわけです。

 このように、歌声を4つまたは6つに分ける教会式の分け方は、日本では学校教育でも取り入れられている分け方ですから…まあ、一般常識と言えるでしょう。

 さて、同じクラシック系の音楽であっても、劇場音楽ではもう少し細かく分けていきました。

 劇場音楽ってのは…まあオペラの事です。オペラでは、音楽でお芝居をしていくのですから、その役柄に応じて求められる声が違っていたので、同じ音域であっても、役柄の個性に応じた声が必要とされ、自然と求められる声の種類が増えていきました。

 歌手の歌声を(教会同様の音程による)声域で分けるのは当然として、演じる役の性格を上手に表現するために、歌声の音色に注目して分けました。つまり、かっこいい役にふさわしい声色とか、ひょうきんな役を歌うと似合う音色…とかね。

 歌声を音色で分ける方法には、いくつかありますが、基本的には大きく4つに分ける事が多いと思います。

 それは歌声を、レッジェーロ(軽やかな声)、リリコ(美しい声)、スピント(力強い声)、ドラマティコ(劇的に強い声)の4種類の歌声に分けます。さらにこれらは声域と組み合わされて表現されましたので、例えばソプラノならば、ソプラノ・レッジェーロ(軽やかな女声)、ソプラノ・リリコ(美しい女声)、ソプラノ・スピント(力強い女声)、ソプラノ・ドラマティコ(劇的に強い女声)って分けたわけです。で、これらを声種と呼びます。

 実際には、リリコをさらに、リリコレッジェーロ、リリコ、リリコスピントとさらに3つに細分しますので、人の声は音色によって6種類ずつに分けられると言えます。

 大体、軽やかな声は、若者とか身分の軽い人を演じる声として用いられ、力強い声は年配者とか社会的な地位の高い人を演じる声として用いられます。

 また、この方法以外にも、声楽技法とか演劇技法によって、コロラトゥーラとか、ブッフォとか、ヘルデンとか、歌声をさらに様々に分ける事が可能ですが、それらはひとまず横に置いて、今回は、レッジェーロ、リリコ3種、スピント、ドラマティコまでの分け方までで話を留めておきましょう。

 と言うわけで、学校では、人の声は、せいぜい6種類に分かれると学びますが、劇場では、それらを音色でも分けますので、6☓6種類で36種類に分けて考えます。

 36種類とは…多いですね。

 まあ、ここまでの分け方は、一般常識を越えているので、声楽に詳しくない方なら、知らなくても当然ですから、別に気後れする必要はありません。

 話が長くなってきたので、明日に続きます。

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