ひとこと

  •  もしも私が北の首領様で、日本や韓国やアメリカに喧嘩を本気で売るなら…韓国には風向きの良い日に風船爆弾のようなもので化学兵器(サリンとかああいうヤツ)をぶっこんで、日本には漁民に装わせた兵士(伝染病に罹患済み)を送り込んでバイオテロを引き起こし、アメリカには…サイバー攻撃だな。銀行とか株式市場とか経済方面の施設を一斉に襲うとか、いっそ原発を遠隔コントロールして大惨事を引き起こすとか…そういう手立てを考えます。そんなわけで、別に北の国が核爆弾とかミサイルとか持つ必要なんてないじゃん。むしろ、そんなモノを持っていると「北のくせに生意気だ!」って言われて、ジャイアンにボコボコにされちゃうよ…ってわけで、ジャイアンはいつコブシを振り上げるのでしょうか? 産経新聞は…12月18日が開戦日かも…って言っているけれど、だとしたら、もう来週じゃん。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2017年12月 7日 (木)

なぜテノールは高音を目指すのか!

 それは楽譜に高音が書いてあるから…なんだけれどね(笑)。

 でも、世間のテノール様たちは、楽譜に高音が書いて無くても、スキあらばメロディーラインを変えてでも、高音を出してしまいがちです。作曲家が色々と考えて、一番高い音をファとかソとかに留めておいても、テノール様はそれを勝手に、ラとかシとか、時にはド(つまりHi-C)とか、人によっては「ボクちゃんはもっと高い音が出せちゃうもんね」と言わんばかりに、レとかミとか変更して歌っちゃいます。

 ほんと、始末に負えないんですよ、テノールという人種は。

 なぜテノールは、そんな事をしちゃうのか…という点について考えてみました。

1)目立つから

 歌手というのは、基本的に自己顕示欲の塊であると以前書きました。音楽的に目立つためには、色々なやり方がありますが、その中の一つの方法として“高音で叫ぶように歌う”というのがあります。

 叫び声ってのは、耳目を集めるからね。

 テノールの高音ってのは、叫び…それも雄叫びと言うのでしょうか、聞いていてそういう印象を私は受けます。雄叫びは…カッコイイよね。なんか、勇ましいよね。大切なところで、そんな声で一発叫べば、そりゃあヒロイックだし、憧れちゃうよね。客にしてみれば、耳が奪われるわけだ。

 同じ高音でも、ソプラノの高音は、同じ叫び声であっても、雄叫びというよりも悲鳴に聞こえかねないわけで、悲鳴は…使い方が難しいよね。効果的に使えば、すごくハマるけれど、ヘマると不快でしかない。だからソプラノの高音歌手は、叫ぶよりも転がすんだろうなあって思うわけです。転がして歌うのは、非日常的で耳目を集めるからね。

2)スカッとするから

 運動するとスカっとする…というのと同じレベルの話です。汗をかくのは気持ちがいい…というのと同じレベルの話です。単純に、大きくて高い声をバーーッと出すのは、生理的に気持ちいい…という話です。

3)達成感があるから

 高音発声って、とにかく難しいのですよ。誰でも彼でもできるわけじゃない。生来の声帯がテノールであったとしても、いきなり最初っから高音を出せるのは、いわゆる天然歌手の類の人であって、大半のテノールは、努力と忍耐と練達と修練によって高音発声を獲得するわけです。だって、普通に発声すればファルセットになっちゃう声を裏返さずに、そのまま高音域を歌うわけで、普通に考えれば、かなりの無理をしているわけだし、それだけ高音発声というのは、テクニック的に難しいのです。

 そんな難しい事をやり遂げる達成感というのは…それまでの苦労が大きければ大きいほど感じるわけだし、テノールの高音発声ってのは、そんなに安定しているわけじゃなく、うまく出せない日だってあるわけで、そんな中、無事に高い声で歌えれば「やったー!」って気持ちになるわけなのです。

 まあ、簡単に言っちゃえば「こんな難しい事をやりとげたオレって、すげーだろ」って感じかな?

4)チヤホヤされるから

 「すごいねー、そんな高い声が出せるんだー」と、心の底からの賞賛であったり、棒読み状態で言われたとしても、あるいは社交辞令であったり、嫉妬の毒が混じっていたとしても、やはり他人から褒められるのって、うれしいものです。

 テノールって希少種です。歌う人の中では、少数派の人種です。その中でも、高音をバンバン歌える人って、希少種の中でも稀少な存在でしょ? 当然、他の人達とは扱いが違うわけです。あるいは、周囲はそんなにチヤホヤしなくても、なんか「オレって特別だろ」と自分で自分を持ち上げちゃう人だっています。

 他人に持ち上げられ、チヤホヤされるのが嫌いな人って…いないでしょ?

5)商売上必要だから

 これはプロ限定だけれど、プロのテノールなんて、高音を決めてナンボって部分があります。そこはアマチュアさんとは違う、シビアな世界でシノギを削っているわけだから、仕方ない。それが売りなんだから、しょうがない。

 むしろ、高音が出せなくなったら、テノール商売を辞めなきゃいけないのが、プロテノールの世界だったりするわけですから。

 とまあ、こんな感じで、テノール様は高音を目指して今日も街のあちこちで叫んでいるわけなんですね。

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2017年12月 6日 (水)

演奏する前に食べていいもの、悪いもの

 気にしない人は全く気にしませんが、気にする人は気にするのは、演奏前の食事です。食べる人、食べない人。食べる人でも、食べて良いものといけないものを気にする人、全く気にしない人。実に様々です。

 気にしない人の話は横に置いて、気にする人や、多少なりとも気にする人たちの話をします。

 まずは、笛吹きさんたちの話。

 演奏前に食事をした方がいいのか、しない方がいいのか…ですが、だいたい男性は「演奏前は基本的に食べない」という印象かな? 食べると眠くなるし、お腹も動きづらくなるので、演奏前は基本的に食べないようにし、その代わり、演奏が終わったら、目一杯、食べて飲んで楽しむ…という人が多いかな?

 一方、女性奏者は「軽く食べておく」という人が多いですね。演奏前に何か食べておかないと力が入らない…とか、空腹のままで演奏すると気持ち悪くなる…とか、空腹だと集中できない…とかで、何か少し食べるんだそうです。ここでポイントは、やはり満腹にはしないって事です。演奏前に満腹にするのは良くないようです。まあ、食事をするという感じよりも、おやつをつまむって感じなのかもしれません。

 あと、食べるにしても、ニオイがキツイようなモノは、楽器が臭くなる(ような気がする)ので極力パスするそうですし、食後は丁寧に歯磨きするんだそうです(当たり前か)。

 一方、歌手の皆さんは、もう少し細かいです。

 基本的な方向性は笛吹きの皆さんと同じですが、歌手の皆さんは笛吹きさんよりもあれこれ細かいようです。

 例えば…ステージの前に軽く一杯引っ掛ける…なんて人がいるそうです。緊張をほぐすという意味があったり、より良い声を出すためであったりするそうです。まあ、だいたい、バリトンとかバスなどの男性低音歌手の皆さん方のようです。でもほんとに一杯引っ掛けると、声って良くなるのかな?

 演奏前は肉料理ではなくパスタ料理を食べ、休憩時間にはバナナを始めとするフルーツを食べるという人たちもいます(主にオペラ歌手)。休憩時間に昼寝をするって人もいるそうです(寝たら、声出なくなるんじゃないの!)。オペラはコンサートと違って、長丁場ですから、あれこれ工夫をされるようです。

 演奏会が近づくと、熱を通した食事しかしないという人もいます。生物生水厳禁ってわけです。

 アマチュア歌手ですと、のど飴を携帯していて、暇さえあれば飴を舐めているって人も見かけますね。薬用のど飴を愛用している人もいます。飴だけでなく、プロポリス系のスプレーを携帯しているという人の話も聞きます。また、食べ物ではありませんが、常時マスクを身に着けて乾燥を防いでいる人もいます。

 飲み物にこだわる人もいます。一般的にはちみつや生姜汁は好まれるようです。オリジナルドリンクを作って用意する人もいます。常温のコーラが良いと言う人(テノールに多いようです)もいます。一方で、お茶はダメという人もいます。お茶を飲むなら麦茶のみOKとか、水しか飲まないとかいう人もいます。何を飲んでもいいけれど、冷たいものは、ノドを冷やすからダメという人もいます。

 人それぞれだね。

 ちなみに、私は全然気にしません。本番前でも食事の時間になれば食事をするし、そうでなければ食べないし、食べるものもその日の気分だから、サンドイッチ食べたり、カツ丼食べたり、カレーライス食べたりと、やりたい放題です。飲み物は、冷たくした濃いお茶が好きです。妻から「カフェインの取りすぎ」と言われますが、好きなんだから仕方ないです。舞台袖で、冷たいお茶をガブガブ飲んで、舞台に出ちゃう時もあります。

 だから、私は下手くそなのかもしれません(大笑)。でも、たかが食べ物で結果が変わるような、ヤワなカラダじゃないからね。へへっ。

蛇足 でもさすがに冬の乾燥の時期は、ノドの乾燥に悩まされます。クチビルにリップクリームを塗る要領で、ノドに油を塗る感覚で「油、飲みたいー!」って、時々思います(でもやった事はありません)。

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2017年12月 5日 (火)

声づくりとモノマネ

 声づくりって…聞きなれない言葉かもしれません。まあ、普通はヴォイストレーニングと言うかな? “声づくり”という言葉は、学校合唱界の用語のようですが、でも今回は、あえてこの“声づくり”という言葉を使ってみたいと思います。と言うのも、フルートには“音作り”がありますが、まあ、それの声楽版とイメージすると分かりやすいかもしれないと思ったからです。

 まず最初に、フルートにおける音作りについて。ロングトーン練習の目的の一つでもありますが、ざっくり言えば「美しい音色」にたどり着くための練習です。

 フルートは楽器ですから、普通に吹いても良い音が出るように作られていますが、それをより良い音で鳴らすために、ロングトーンを吹きながら、自分が鳴らす音に神経を尖らせ、一番美しい音を見つけ、見つけたならば、その音を安定して吹けるように楽器をコントロールして、その反復練習を日々行い、いつでも美しい音でフルートが吹けるように、自分自身に叩き込む練習、それがフルートにおける音作りです。フルートの基礎練習の一つです。

 フルートのロングトーン練習と言うと「今日は○秒鳴らせた!」と言って、吹いている時間の長さを気にする人もいますが、そんな事よりも、音色の美しさや音程の正しさをセンシティブにコントロールしていく事を学ぶ練習なんです。時間の長さは二の次三の次ですね。ロングトーンなんて、きちんと腹筋使って吹けば、誰でもある程度は(普通の演奏で支障がない程度には)できるものだし、それよりも長い音が必要なら、循環呼吸を学べば済むだけの話なんです。だから、ロングトーン練習で「○秒鳴らせた!」と言って喜んでいるのは、あまり意味がない事だし、練習の本質を見失っているんです。

 閑話休題。さて、声楽や合唱における声づくりとは、フルートの音作り同様、美しい歌声を作っていく事にあります。

 フルートの美しい音が、元々その楽器が持っている音を元に、そこに奏者の色を載せて、個性的で美しい音を作っているのと同様に、声楽や合唱における声づくりも、その歌い手が元々持っている自分の声を美しい歌声に磨き上げていく事であって、そのベースにあるのは、フルート同様、自分の楽器である自分の声です。

 だから、いくら“声づくり”とは言え、ゼロから作り上げるわけではないし、自分の声とは全く違う声にはならないのです。具体的に言えば、性別を越えて声を作る事はできないし(もしやりたいなら、ホルモン治療と特別な訓練が必要でしょうね)、低音歌手の声帯を持っている人が高音歌手になるとか、またはその逆とかは、無理ではないでしょうが、効果的であるとは言えません。また同様に、軽い声の歌手が声を重くしたり、重い声の歌手が声を軽くするのも、出来ないわけではないでしょうが、茨の道です。

 一番楽で、一番自然で、一番効果的なのは、自分の声の性質を活かして声を磨いていくことです。つまり、自分の声を受け入れて、自分の声を磨いていく事です。

 これが簡単なようで、実は難しいのです。と言うのも、声づくり以前の状態では、自分を含めて、誰もその人の美しい声(つまり完成形)を知らないからです。

 私の声は、特徴がはっきりした声なので、比較的初歩の段階からテノール、それも普通のテノールと言われ続けていました。私自身は重いテノールが好きだし、今でも可能なら重いテノールになりたいと思い、初歩の頃は、若干反発する気持ちもなかったわけではありませんが、最初っから最後まで私の声を指導してくださった先生方は「すとんさんはテノール」で一致していました。

 初歩の頃の私は、高音が苦手だった(すべてのテノールさんは、初歩においては、だいたい高音が苦手なものです)私に向かって「君にはテノールは無理だから、バリトンに転向しなさい」と言ったのは、キング先生だけで、その他の先生方は、私が高音が苦手であっても「どう聞いても、その声はテノールなんだよなあ…」とグチりながら、高音指導をしてくれたものです。

 こんな感じで、声がはっきりしている人は良いのですが、人の声には個性があって、そう簡単には判別できない事だってあります。

 ウチの妻なんて、その最たるもので、初歩の頃は、低音がよく出ていたので、自分でも「私はアルト歌手」と信じていましたし、合唱などでもアルトパートを歌っていましたし、キング先生のところにいるときも、メゾ~アルトとして声楽を学んでいました。しかし、Y門下に移って、声楽を学び続けていくうちに、ドンドン高音が軽やかに出るようになり、やがて「コロラトゥーラの勉強を始めないといけない」と先生が言い出し、本格的にコロラトゥーラの勉強を始めたら、声がヒャラヒャラ出ちゃって…結局、ウチの妻の声は“低音もよく出るコロラトゥーラ”という事で落ち着きました。しかし、アルトからコロラトゥーラ・ソプラノへの転向だよ(笑)。ありえねーなー(爆)。でも、声の判別って難しくて、そういう事も起こるわけです。

 このように、結果が見えないのが声づくりであり、ここが声づくりの難しいところなのだと思います。

 そこで表題に戻るわけですが、声づくりでは、結果が見えないため、努力の目標を立てるのが難しく、そこでしばしば行われるのが、モノマネです。もちろん、モノマネと言っても、声楽の場合は、当然、プロの声楽家の(声のみですが)モノマネが導入されがちです。

 「あなたの目標とする歌手の歌声を真似して歌いなさい」という指導ですね。私もキング先生に言われて、一時期やっていました。

 この指導法は、実は危険なんですね。一歩間違えると、声を壊し、ノドを潰しかねません。

 声づくりでは、自分の声のまま、自分の声の特徴を活かして、楽な方向に発声を伸ばしていくのなら、問題ありません。ですから、たとえモノマネを取り入れたとして、そのモノマネの対象が、自分の声と似た声の人であるなら、学習の助けになるかもしれませんが、モノマネの対象が自分の声と大きくかけ離れていた場合、これはマズイですし、だいたいの場合、自分の声とモノマネ相手の声は、かけ離れているものです。と言うのも、自分の声に似た歌手をセレクトできる人は、その段階で、すでに声づくりがかなり進んでいる人であって、本当の初歩の人は、自分の声の事など分からないのが当然ですから、自分の声と似た感じのプロ歌手など選べるわけがないからです。

 実際、私がモノマネの対象に選んだのは、テノールとは言え、かなり重量級であり、ほとんどバリトンじゃないの?とも言える、マリオ・デル・モナコでした。私の声はやや軽めの中量級って感じですから、モナコの声とは全然違うわけで、モナコのような歌い方をしていると、ノドに負担がかかりすぎて、ノドが壊れて当然なのですから(実際、壊れかけました)。

 声づくりにモノマネを取り入れるとするなら、それは慎重に行わないといけません。

 またありがちですが、自分と同じ声種の先生の指導を受けていると、無意識のうちに、先生の発声をマネしがちです。ある意味、先生の声のモノマネをするわけですが、これも良いようでマズイ部分があります。

 だって、先生とあなたは別人でしょ? たまたま声が近ければ問題ありませんが、近く思えても、実は遠いって事だってあるわけで、そうなると、不自然で大変で聞き苦しい発声になってしまいます。それは悲しい事です。

 やはり、声づくりはその人の個性を大切にし、一番楽で、一番自然に歌える声、つまり自分の本来の声の性質を活かして声を磨いていくことが、王道だなって思います。

 モノマネは分かりやすい学習方法だけれど、諸刃の剣だったりするので、よくよく考えて導入しないとマズイですね。

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2017年12月 4日 (月)

声楽と器楽の違いとは?

 もちろん、声楽と器楽の一番の違いは、演奏の際に、自分の声を使うか、楽器を使うかの違いが一番大きいでしょう。

 器楽であれば、どんな楽器にするか、自由に選べますし、一度選んで「なんか違うなあ…」と思えば、楽器を変える事も可能ですし、余裕があれば、二つ三つの楽器を同時に学んでも良しです。ガチにヴァイオリンを学んでいる人は、まずピアノを器楽の基本として学びながら、並行してヴァイオリンを学ぶ人は多いです。またオトナだと、フルートを学びながらサックスも嗜む人は多いです。いやいや、それどころか、管楽器プレイヤーにはマルチプレイヤーと言って、フルートとサックスのみならず、クラリネットもオーボエもリコーダーも嗜む人も少なからずいます。すごいよね。

 しかし、自分の声を使うとなると、持って生まれた声で歌うしかなく、これは選択の余地がありません。自分の声が好きであろうと嫌いであろうと、自分の声でしか歌えないのです。声は取り替える事ができないのです。男性が女声では歌えませんし、女性が男声では歌えません。また同じ男声女声であっても、それぞれに声色があって、高い音域が得意な声を持っている人、低い音域が得意な人、声が強くて張りのある人、ソフトな声で包み込むように歌うのが得意な人…声には様々な種類があり、鍛錬していく事で、声の幅や強さをある程度は広げていくことは可能であっても、別物になる事はまず無理です。

 声楽と器楽の違いと言えば、ソロ前提か、アンサンブル前提かという違いもあります。

 歌の場合、独唱と合唱の両立はもちろん可能だけれど(特に日本の趣味の音楽の世界では)普通はあまりしません。独唱の人は独唱を専らとし、合唱の人は合唱を専らとします。器楽の場合は、ピアノ以外は、アンサンブルが大前提にあります。まずはアンサンブルありきが器楽の世界です。器楽を、アンサンブル無しで、ずっとソロでやっている人って…いないわけではないけれど、多くはやむをえなくソロをやっているという人が大半で、そういう人だって、チャンスさえあれば、アンサンブル団体に加わりたいと願うものです。

 声楽と器楽の違いと言えば…言葉を介在させるか、させないかと言った違いもあります。歌には歌詞があります。歌詞はさまざまな言語で書かれています。日本語の歌しか歌わないと心に決めた人は別として、普通の人は声楽を学ぶと、必然的に外国語も学ぶ必要があります。少なくとも、イタリア語とラテン語とドイツ語ぐらいは、読めて、簡単な意味ぐらいは分からないと、とても声楽はやれません。

 そこへ行くと、器楽には言葉が伴いませんから、言葉の壁を簡単に超え、言葉の違いをものともせずに、音楽を共有できます。しかし器楽では音楽でしか表現ができないので、人の持つ様々な感情を象徴的にしか表現できません。

 しかし声楽は言葉を伴うが故に、人々の感情を具体的にダイレクトに音楽に載せて表現する事ができます。感情表現という点について見れば、器楽よりも声楽の方が様々な点で有利であると言えるでしょう。

 器楽の場合、アンサンブルをする事が多く、音楽のイニシアチブを握るのは指揮者である場合が多く、指揮者がいなくても、コンサートマスター等、自分ではない誰かが音楽のイニシアチブを握る事は少なくありません。

 声楽は、基本的に歌手が絶対君主です。歌手が音楽のイニシアチブを握っています。難しいのは、オペラ等で歌手と指揮者が並び立っている時ですが、オペラ全盛期の19世紀はともかく、現代では指揮者が歌手をリードするカタチが多いようですが…それでも両者の力関係によっては、歌手が絶対君主として君臨することもあるようです。

 あと、つまらない事ですが、器楽演奏は基本的に楽譜を見ながら演奏する事が多いですが、声楽は暗譜が大前提です。と言うのも、椅子に座って楽器演奏に専念できる器楽と違って、声楽の場合、多くは歌唱に演技が伴うことが多いからです。演技をしながら歌うなら、楽譜なんて持っていられませんからね、自然と暗譜になるわけです。

 ざっと思いついただけでも、これぐらい、器楽と声楽では違いがありました…という話です。 

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2017年11月21日 (火)

乾燥と戦う(声楽編)

 フルートでは、主にクチビルの乾燥に注目してみましたが、声楽では、クチビルはもちろん、ノドの乾燥というのも気になるところです。

 なにしろ、歌手という人種は、笛吹きさんたちと違って、歌う度に、大きくクチをガバっと開いて、素早く空気の出し入れをしながら歌っているわけなので、ノドもクチの中も乾燥しやすいし、何よりも楽器である声帯がノドにあって、ここの表面から潤いが失われると、あれこれ歌いづらくなるわけで、乾燥と戦うという視点で考えると、笛吹きさんたちよりも過酷な戦いを強いられがちとなります。

 乾燥から身を守るために、よく見かけるのがマスクです。学校の合唱部の生徒さんなんかは、常時マスク着用でノドやクチビルの乾燥を防いでいる人、よく見かけますね。実際、これがとりあえず、簡便で効果的なやり方なんだろうと思います。

 ただね、常時マスク着用というのは、客観的に見ると、異様だよね。

 本来、マスクというのは、唾液の飛沫を防ぐためにするわけで、そういう点では防湿目的に使うには十分な性能があるのですが、本来、医療現場等の衛生が求められる現場で使われるものであって、我々の日常生活の中で使うものではありません。ごく一般人が日常生活の中でマスクをするのは、日本ぐらいなんだそう(ほんと?)で、だから外国人が来日して、町中をマスクをした人々が歩いているのを見ると、恐ろしさを感じるんだそうです。何かヤバイ病気が流行っていたり、深刻な大気汚染が発生しているんじゃないかって思うと思わないとか?

 何しろ、あれだけ大気汚染がヤバイ中国ですから、マスクをしている人って、ごくごく少数の人たちなんだそうです。そこまででは無いにせよ、やはり深刻な大気汚染を抱えている韓国でも、マスクをしている人はごくごく少数。日本の空気は、それらの国と比べりゃあマシと言っちゃあマシなんだし、グローバル・スタンダード的には、マスクなんて不要な国なわけです。

 ヤバイ病気が流行る事って、めったに無いけれど、『風邪予防』や『インフルエンザ予防』のためにマスクをする人もいるけれど、風邪やらインフルエンザやらのウィルスは、マスクなんて素通りしちゃうから関係ないんだよね。つまり、気休めでしかないわけです。

 ただし、実際に風邪やインフルエンザに感染している人がマスクをするのは、効果がないわけじゃないようです。つまり、咳などをして、細菌入りの唾液の飛沫を周囲に拡散するのを防ぐ役割くらいは果たせます。だから、マスクは感染者がするのは理由があるけれど、健康な人が予防のためにしても、意味はないんです。

 もちろん、ウィルスの侵入をキャンセルできる高性能なマスクもあるけれど、それって手術室等で医者が身につけているような医療用で、見た目もかなり大げさなモノになってしまうし、第一、息苦しくて日常生活では使えないです。

 まあ、でも、日本って変態な国だから、涼しくなってくると、マスク着用者が街にあふれていたりするんだけれど…。それに、こんな事を書いている私だって、春先は花粉症のためにマスク着用者になってしまうので、あんまり偉そうな事は書けないんだけれど…さあ。

 マスクはきちんと着用すると花粉の侵入は防げます…が、かなり息苦しくなりますね。よく息苦しいからと言って、マスクから鼻を出したり、頬やアゴに隙間を作って着用する人もいますが、それだと花粉の侵入は千客万来状態になります。

 マスクを着用するというのは、本来、息苦しくなるって事を織り込んでおかないといけないんだな。

 閑話休題。確かにマスクは鼻ノドの乾燥予防には役立ちますが、単純に乾燥予防のためだけなら、マスクをしなくても、実は、しっかりクチを閉じておけば、問題ありません。乾燥でノドがよく乾く人は、実は常時クチが開きっぱなしで、クチ呼吸をしている人だったりします。

 呼吸って、鼻からでもクチからでも出来るんだよね。で、大抵の人は、無意識に両方を併用していたりします。だから、ノドも乾くし、風邪もひく。クチ呼吸を封印できれば、ノドも乾きにくくなるし、風邪もひきにくくなる。これ、ほんと。

 ただし、クチ呼吸を封印して、鼻呼吸だけで生活していくのは、かなり難しいし、現実的ではないし、歌うことを考えると、鼻呼吸よりもクチ呼吸の方が強力だから、クチ呼吸を完全に封印するのは、難しいんだよね。それに、喋るという行為自体がクチ呼吸の延長線上にあるわけだから、どうしても喋ってしまえば、ノドから息が出てしまって乾燥に導かれてしまうわけだしね。喋っていないと死んでしまうタイプの人は、ノドが乾燥するのは宿命のようなモノなのです。

 あと、鼻に疾患を持っている人はクチ呼吸はできませんし、風邪ひいて鼻水垂らしている人もクチ呼吸はできません。

 ほんと、鼻呼吸をするための条件って、厳しいのだけれど、そうであっても、なるべく鼻呼吸で暮らすように心がけていくだけでも、乾燥の程度を押さえることできると思います。日常生活では、おしゃべりや運動をなるべく控えて、できるだけ乾燥を防ぐように心がけるだけでも、だいぶ違います。

 あとはやっぱり、部屋の加湿を心がけることかな? 寝室には加湿器は必要だし、私などは歌の練習をする部屋(書斎)にも簡易な加湿装置を用意して、部屋が乾燥しないように気をつけています。

蛇足 部屋で金魚を飼うと、部屋が乾燥しなくて都合がいいよ(笑)。

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2017年11月15日 (水)

自己顕示欲の強い人間しか歌わない(?)

 よく楽器と性格の関係性って話題になります。例えば、ヴァイオリンは天才肌の努力家で常識人であり、トランペットは勇ましく、派手だけれど案外おとなしいという複雑な性格の持ち主が多いとか…まあ、見る人が見れば、また結果はおのずと変わるんでしょうが…。

 その点で行くと、歌う人、つまり歌手の性格と言うのは、押しが強く、自己顕示欲の塊である…と言えそうです。この場合の歌手と言うのは、クラシック声楽やオペラの歌手であり、ポピュラー音楽ならばヴォーカル担当の人間を指します。合唱とかバックコーラスを主に担当するような人は、ちょっと気質が違うような気がします。

 つまり、今回の記事は、ソロシンガーの気質について考えてみようって記事です。

 いや、実際、歌が好きなだけの人なら、カラオケで歌っていればいいんです。何も人前に出て、大声出さなくてもいいんです。他人に聞いてもらいたい…という気持ちがあっても、普通は合唱止まりです。なにもソロで歌わなくてもいいですし、スポットライトを独り占めにして歌う必要なんて全然無いのです。

 だいたい、バンドなんかも、成功したバンドが解散すると、彼らは第二の人生として…楽器の連中は裏方仕事で音楽を黙々と続ける人が多いけれど、ヴォーカル担当の人は、さんざんフロントマンをやって顔が売れていた事もあって、ソロシンガーとして独立した後、結局、歌の仕事ではなく、大体がタレントか俳優に転職して落ち着くでしょ?

 生活のためとは言え、あんたは、音楽やりたいの? それとも目立ちたいの? って尋ねたくなります。

 そもそも歌なんて、イヤなら歌わなきゃいいわけで、それでも人前で歌っているのは、むしろ人前で歌うのが好きなわけで、スポットライトを浴びたいわけで、目立つことが好きなんです。チヤホヤされたい…んです。

 本人には自覚があるかどうから別として、歌手なんて人種は、歌が好きで歌が得意なのはもちろんとして、目立ちたがり屋の自己顕示欲の強い人間なんです。

 違う?

 特に高音歌手はそうですね。高音で歌うと音的に目立ちますからね。

 クラシック系で言えば、ソプラノやテノールには…目立ちたがり屋が多いですね。ポピュラー系もロックシンガーは高音歌手が多いせいか、やっぱり目立ちたがり屋が多いです。

 歌手は目立つのが好き、というよりも、目立つのが好きだから歌手を選択する…とも言えます。

 かく言う私も、きっと、自己顕示欲の塊ですね。少なくとも、ブログを10年やり続けられるわけだもん、そりゃあ、目立ちたがり屋だよな(汗)。

 明日はフルート奏者の気質について考えます。

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2017年10月30日 (月)

素人笛吹きはヴィブラートにこだわり、素人テノールはアクートにこだわる

 なんか、後ろから刺されそうな気もするけれど、正直、私はそんな気がするんですよ。

 アマチュアフルーティストは、ヴィブラートが出来る出来ないに、やたらとこだわるし、アマチュアのテノール歌手は、なんかアクートにこだわりたがります。少なくとも、ネットに巣食っている人たちは、押しなべてそんな感じです。

 別にこだわる事自体は悪いことではないし、出来ないよりは出来る方が良いに決まっているし、私自身は両方ともマトモに出来ない人なので、出来る人を、単純に、尊敬します。

 まあ、もっとも私の場合、両方とも“出来ない”というよりは“やらない”とか“目指さない”ってのが、私の本音だったりします。なので、ちょっと冷めているんですよ。だから、これらを闇雲に目指している人を傍目で見ていると、正直「他にやるべき事があるんじゃないの」って感じになってしまいます(ごめんなさい)。

 まあ、負け惜しみとも、負け犬の遠吠えとも、受け取ってもらっても、全然構わないのだけれど、私の正直な気持ちは、そんな感じなのです。

 と言うのも…。

 フルートのヴィブラートに関して言うと、まあ私もフルート初心者だから、当初はヴィブラートに対する憧れのようなモノがあり、ぜひ私も出来るようなりたいものだと思った事があります。で、ある日、H先生に「私もヴィブラートの練習を始めたいです」って言った事があります。

 そうしたらH先生曰く「私はヴィブラートなんて教えたことないよ。教えなくても、上達すれば自然とヴィブラートなんて出来るようになる」んだそうです。つまり、ある一定以上のレベルに達すれば、ヴィブラートは特別に習わずとも出来るようになるわけで、それをわざわざ練習して習得するというのは、まだそのレベルに達していないのだから、あまり意味はないよ…ってわけです。

 なので私に対しても「ヴィブラートは教えないよ。でも必ず出来るようになるから、焦っちゃダメだよ」と言ってくださいます。まあ、私は自分の先生を信じるしかないわけで、だからネットなどで懸命にヴィブラートの練習をしている事をアップしている人を見ると、色々とまあ複雑な気分にはなります(やっぱりヴィブラートは出来ないよりも出来る方が良いに決まってますからね)。

 今の私はヴィブラートを身につけるよりも、きれいな音でまっすぐに吹くことを求められています。これが現在の私の優先課題なのであり、今やるべき課題なのです。

 アクートも似たような感じです。Y先生曰く「まずは高いAまでは普通に歌える事。これが大切。それが出来てから、Aよりも高い音の発声を学びましょう」とおっしゃっています。一つずつ一つずつ階段を登っていきましょうって感じです。

 私もテノールですから、中低音を横においても、高い音を出したいです。ピヤーっとHi-Cなんて出してみたいです。それがアクートと呼ばれる発声法ならば、ぜひ体得したいものです。これは本音です。実際、今だって、そういう気持ちがかなり強いですし、以前はそういう歌の学び方をしていました。

 でも、今はY先生の指導に従って、まずは中低音で確実に歌える事を目指しています。中低音で確実に歌うのって、実はやるべき事が多くて難しいです。中低音って、歌っていても地味なんだけれど、曲の大半は中低音で書かれているわけで、高音なんて、一曲に一つか二つしかないわけで、その一つか二つしかない高音に全力を注いで、その他をなおざりにするのか、あるいは、たった一つか二つしかない高音を、たとえ失敗したとしても、残りに全力を注いで良い歌を歌うのか…という選択をせざるを得ない状況ならば、かつての私は前者を選んだと思いますが、今の私は後者を選びます。

 高音を失敗するだけなら、私はアマチュア歌手ですから「ごめん」で済ませちゃいます(世の中はテノールに甘いし…ね)が、歌全体を失敗したら、そりゃあ“音痴”でしかないものね。さすがに音痴はパスです。

 そう思うと、アクートを目指して学習するよりも、今は基礎である中低音を固めたいと思うし、その中低音の延長にある高音で歌いたいから、高い声で歌うようになったとして、それがアクートであろうがなかろうが、必要条件を満たしていれば、たぶん、気にしないのではないかって、今は思います。

 要は、アクートという特殊技法であるかどうかよりも、歌として必要十分な声で歌えればいいやって感じです。まあ、私は音楽ファンだし、オペラヲタクだけれど、発声オタクではないので、そういった技巧面には惹かれないだけのかもしれません。

 それでもやっぱり、本音で言えば、アクートで歌えるものなら歌ってみたいし、それでハナタカになってみたいものです。ただどうやら、私はまだアクートという特殊技法を身につけるよりも前に、身につけなきゃいけない基礎的技法が山ほどあるわけで、そちらを優先しなきゃいけない…という現実もあります。

 ってわけで、なんだかんだと言っても、フルートのヴィブラートや声楽のアクートに憧れている私です。憧れているけれど、こだわりは…無いですね。まあ、そんな私です。

 出来る範囲で全力を尽くす…が、私のモットーなんだな。何しろ、私にとって、音楽は趣味であって、道楽じゃあないから、そんなに一生懸命にはなれないのですよん。

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2017年10月23日 (月)

言いたくないけれど…下手な歌を聞くと、苦しくなります(涙)

 実はかなり前の話になります(ごめん)。

 例によって、趣味の素人の発表会を聞きに行ったと思ってください。今回は声楽の発表会でした。そこは、いわゆる大曲をみんなでバンバン歌っていきましょうって感じのお教室で、他所では聞けないような、まるでプロのコンサートのような、いや、それ以上にヘビーで大きな曲ばかりが歌われる発表会でした。

 当然、出て来る方々も、それらの歌を歌いこなすほど、上手な方々が揃っている、なんとも、うらやましい教室だったわけです。

 上手な歌を連続で聞いて、上機嫌な私でしたが、ある方が歌い始めた途端、なんか息苦しくなり、思わず咳が止まらなくなってしまいました。発表会の最中ですよ、咳なんてしている場合じゃないです。思わずハンカチで口を押さえて、咳のボリュームを下げましたが、それで許されるものではありません。

 マナー違反とは知りつつも、カバンからアメを取り出して舐めました。それでかろうじて咳は止まった…と言うか、止めました。いやあ、苦しかった。

 でも、その人の歌が終わると、ノドの苦しさから解放されて、楽な気分になりました。

 どうやら、私のノドは、その方の歌と連動して苦しくなったようでした。

 その方は、コロラトゥーラ系の歌を歌っていました。確かに声質は軽いソプラノで、その手の曲を歌うのも不思議ではない声なのですし、音程的には、結構難しいはずですが、それも何とかクリアしていました。

 でもね、声がイマイチだったんです。なんか、息が流れていないのです。声が飛んでこないのです。細くて軽い声なんだけれど、その声に何とか深みを付け加えようと努力をしているのも分かりました。でも、なんか声が流れてこないのです。クチの中で声が溜まっている…というか、音をほおばったまま…イメージ的にはリスが歌っているような感じがしたのです(ごめんなさい)。

 そんな声を聞いているうちに、私もノドが詰まるような感じがして、ついつい咳き込んでしまったわけです。

 ああ、つらかった。

 たったそれだけの話なんです。でも気をつけないといけないですね。私は素人さんの発表会が好きで、うまい歌もうまくない歌も好きなのですが、この世には、健康を害する歌もあるって知りました。もちろん、誰でも彼でもダメにするってわけではなく、私のように、歌っている人の声に自分のノドが思わず連動してしまうタイプの人に限ります…が。

 それにしても、発声って大切だなって思いました。音程的に歌えたとしても、それで歌が歌えるわけではないって事が分かりました。自戒していきたいと思います。

 ちなみに、別の発表会でしたが、妻が「この人の歌をこれ以上聞いちゃいけない」と言って、会場から出ていってしまった事がありました。あの時は、私は何とも無かったのだけれど、妻はその人の歌を聞いて、本当に体調を崩してしまいました。人によってツボが違うのだろうけれど、下手な歌って、健康に害があるみたいです。ジャイアンの歌はマンガだから大げさだけれど、あれに近い現象って、現実にあるんだなあって思いました。

 それにしても、歌っている人は歌が下手なだけで、別に罪は無いわけで、そこが厄介と言えば厄介ですね。

P.S. 咳を回避するために、歌唱中だったにも関わらず、アメをなめてしまった私でしたが、その人の出番が終わるやいなや、場内アナウンスで「会場内での飲食の禁止」のアナウンスが(かなり場違いな雰囲気の中で)流れていました。たぶん、私のことを注意していたんだろうなあ…って思いました。では、私はどうすればよかったんだろ? 歌が終わるまでゴホゴホやり続けていればよかったのかな? 周囲の人たちを立ち退かせながら退場するべきだったのかな? それともいっそ、会場で物音をたてた責任をとって、舌を噛んで自決するべきだったのかな? どちらにしても、色々考えた末にアメをなめて咳を鎮めるという選択をした私は間違っていたようです。残念。

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2017年9月14日 (木)

あなたはどこで練習していますか?

 アマチュアの音楽演奏家の場合、練習時間と練習場所は、常に我々を悩ませる大きな問題です。特に練習場所の確保に関しては…音楽の練習は、たいてい音が出ますので、色々と問題となる事が多いです。

 電子楽器ならば、アンプ経由でヘッドフォンをして練習すれば、生活音程度の音しか出ませんので、一般住宅であっても自由に楽器練習ができますが、歌やドラムの練習は…生音ですから、まず無理です。クラシック音楽関係の楽器は、すべてアコースティックですから、必ず音が出ます。金管楽器のような爆音が出ちゃう楽器もありますから、なかなか自宅で練習するのも難しかったりします。

 たとえどんなに美しい演奏であっても、興味のない人にとっては、単なる騒音でしかありません。昔、近所のピアノの練習音がうるさいと言って殺人事件にまで発展した事だってあるじゃないですか! 楽器の練習音って、気になる人には気になるのです。練習する側は、その点に関して、気を使っていくべきです。もっとも、騒音に関する感覚ってのは、人それぞれだし、住んでいる地域によって考え方が違うので、一概にこうすれば良いと言えない点も難しいです。一般的には、人口密集地域ほど騒音には敏感になる傾向があります。ま、そりゃあそうだよね。

 特に賃貸住宅だと、隣室との壁が薄くて音が筒抜けの場合もあるでしょう。そういう場所での音楽の練習は厳しいでしょうね。逆に、都心部の住宅地域であっても、最近の防音対策をしっかりしたマンションならば、隣近所への迷惑は考えなくても、あまり考えなくても良いかもしれません。戸建住宅ならば、その家がちゃんと防音対策をしていれば、あまた問題にならないかもしれません。

 家の中に防音室を作ってみたり、地下室を作って、そこで音楽練習をしていたりと、それなりに工夫をして自宅で練習できる人は、用意周到だし、それに越したことはありません。

 一方、自宅で音楽練習が難しい人は、外部の施設を利用して練習せざるをえません。安価なのは、公共施設の音楽練習室ですね。安価なのはうれしいですが、予約などの手続きがちょっと面倒かもしれません。その点、カラオケ店は、多少値ははりますが、気楽に使えます。大型マンションなどだと、マンション内に共有スペースとして音楽練習室があったりします。そういうのは恵まれていますね。

 音楽は、継続的に練習をしていかなければ上達しませんので、練習場所の確保は、本当に大切な問題だと思います。

 ちなみに私の場合は、戸建てで、自室(書斎と呼んでいます)があるので、そこで練習をしています。書斎は洋室で、変形ですが広さ6~8畳間程度あります。住んでいるところがピアノ殺人事件が起きた地域の隣接地域なので、家を建てる時に、市の条例で、防音と防災の対策をしないといけない事になっているので、自然と防音室の造りになっています。

 書斎の中には、机が二つ(一つが物書き用の机で、もう一つがパソコンデスクです)と、本棚が4台と電子ピアノが1台と姿見が1つ入ってます。椅子は、いわゆる“社長の椅子”と足台があります。で、床には衣装ケース(服ではなく本が入ってます)とそれでも収納しきれなかった本が床に積んでありますので、ほんと、足の踏み場も無いほどに狭くてギュウギュウした空間になっています。まあ、たくさんある書籍は、いい感じで防音材になっていると思います。

 いわゆるオーディオ機材は入っていませんが、パソコンのスピーカーを音楽用のモノに変えているので、音楽なども普通に聞けますし、歌の練習で使うカラオケも、パソコンで作成して使用しています。

 で、ここで私は歌とフルートとヴァイオリンの練習をしています。音が完全に漏れない…という程の完璧な防音室ではありませんが、少なくとも、隣近所の家の中にまで音は届きませんので、安心して音楽の練習が出来ます。それでも、一応のマナーとして、深夜~早朝にかけては、音楽の練習を自粛しております(汗)。

 たぶん、私は恵まれていると思います。これで広ければ、ダンスも練習もできるのになあ…とさらに贅沢な事も言ってますが(笑)。

 皆さんは、どこで音楽の練習をなさっていますか?

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2017年7月27日 (木)

実力以上の難曲に取り組む事って…どう思う?

 ピアノって、習得がかなり難しい楽器だと思います。そのために、教え方とか学ぶべき教材なども、かなり整理されているし、順番がある程度決まっています。まず初心者は、この教則本で学び、それが終わったら、こっちの曲集に移り、それも終わったら、この教則本とあの曲集を併用して学び…と実にシステマチックに学習が進んでいきます。そのシステムは、ある程度、世界共通だし、グローバル化され、スタンダードが存在しているとも言えます。

 ですから、ピアノブログなどを読んでいると、たまに出てくる先生方の悩みが「今度来た生徒さんは、前の先生のところで、実力以上の曲を勉強してきたので、あっちこっち(技術的に)抜けていて、困ってます」って話です。今学んでいる曲の、その前の段階で学び習得しておかなければいけない事が、全然学べていなくて、身にも付いていないのに、なまじ曲集が進んでいるので、実力不相応な難しい曲ばかりを弾きたがる…とかね。良心的な先生ほど、悩むかもしれません。

 でも、生徒の立場で言わせてもらえば…前の先生がOKと言ってくれたから、今の自分はこの曲集に取り組んでいるわけで、今更「あそこが抜けてます」「ここがダメです」と言われても…って感じかな。先生も悩むだろうけれど、生徒だって困るんです。

 だからと言って、前の曲集に戻るのは…理屈で納得できるオトナの生徒ならともかく、子どもの生徒にとっては、成長を否定されたような気になり、良い結果にはならないと思いますし、曲集はそのままで、発表会などで、曲の難易度が戻ってしまうと、これまた成長の否定を感じるだろうし…。それに向上心の強い人ほど、大きな目標に…って事は、自分の実力以上の曲に、挑みたくなるものです。

 私の場合は、ピアノではなく、フルートだけれど、やっぱり自分の実力以上の曲に取り組みたいという誘惑には、常に取り憑かれています。だから吹けもしない曲の楽譜も結構持っていますよ。

 まあとりわけ、趣味のオジサンオバサンと言うのは、実力は低くても志は高いですからね。死ぬまでに“あこがれのあの曲”を演奏してみたいと思って、先生に「あの曲やらせてください」と言い出しても、誰にも文句は言えません。その思いに、うっかり応えてしまう先生を責めることも、簡単にはできないかもしれません。

 しかし、自分の実力以上の曲に、仮に取り組んだとしても、まともに演奏できない事は火を見るよりも明らかだし、やる前までは「なんとなく自分でイケるんじゃねえ?」とか思っていても、いざ実際に取り組めば「こりゃあダメだ」と分かるわけだから、現実問題として、実力以上の曲に取り組む人って、そうそう多くないと思います。

 やってみて、ダメなのに出来ているつもりの人は…それこそが、ピアノ先生方を悩ませているタイプの生徒さんたちで…ううむ、これは確かに根深いモノがあります。出来ていない事に本人が気づいていない以上、とりあえず気づくまでは前に進ませてあげるしかないかな…って個人的には思います。

 まあとにかく、器楽の場合、学ぶ方も、ある程度自分で“出来る/出来ない”がはっきり分かるわけだし、教える方もシステマチックだし、教える/学ぶ順番も決まっているから、その生徒が実力以上の難曲に取り組んでいる事に気づくわけです。

 振り返って、声楽の場合は、どうでしょうか? 生徒が実力以上の難曲に挑む事って、あるんでしょうか?

 まず声楽の場合は、器楽とは違って、基準となる教則本ってのがありません。一応、コールユーブゲンとかコンコーネなどの声楽教則本がありますが、コールユーブンゲンは声楽の教則本と言うよりも、ソルフェージュの教則本だろうし、コンコーネは良い声楽教則本なんだろうけれど、歌詞が無い事もあって、これを使われない先生も大勢いらっしゃいます。

 声楽の場合、多くの初心者は、イタリア古典歌曲を単独で、あるいはコンコーネと併用して学ぶ事が多いと思います。そのイタリア古典歌曲だって、学ぶ順番があるわけではなく、先生がその生徒を見て、適宜必要な曲を与えて学ぶという段取りの事が多いと思います。イタリア古典歌曲をそこそこ学んだら、次はイタリアのロマン派歌曲をやったり、ドイツ歌曲や日本歌曲をやったり、オペラのアリアに取り組んだり…って感じになっていくと思います。

 つまり、大雑把に学ぶ順番はあるにせよ、器楽ほどシステマチックではありませんし、学ぶ順番が決まっているわけでもありません。

 それに加えて、声楽の場合は、持ち声というモノがあります。性別の違いはもちろん、声色の違いもあって、みんながみんな同じ声質であるとは限りません。また、歌を学び始めた段階で、声が楽器として、全然作られていない人もいれば、すでに生活の中でかなり出来上がっている人もいるわけです。声質が違って、楽器としての完成度もそれぞれ違う人たちが、雑駁にまとめられて“初心者”という括りで歌を学ぶわけです。

 極端な話、始めたばかりであっても、すでに夜の女王のアリアを歌える声を持っている初心者もいるわけです。そういう人が、キャリアが浅い中、夜の女王のアリアに取り組んだからと言って、実力以上の曲に取り組んだ…と言えるでしょうか? 実は実力相当の曲を選んだだけなのではないでしょうか?

 その一方で、10年学ぼうが、プロとしてデビューしようが、夜の女王のアリアが歌えないソプラノさんだっています。これは実力うんぬん以前に、声が夜の女王向きでは無いとも言えます。そういうソプラノさんは、どれだけ力を付けたとしても、夜の女王はずっと歌わない/歌えない事でしょう。

 そんなふうに考えていくと、声楽の場合は“実力以上の難曲に取り組む”と言うよりも“現在の自分の声に合わない曲に取り組む”と言い換えた方がいいかもしれません。つまり、自分の音域に収まらない曲や、自分が持っているテクニックでは歌いきれない曲とか、性別や声の質に合わない曲を歌う…そういう“現在の自分の声に合わない曲”に取り組んでいく事が、器楽で言うところの“実力以上の難曲に取り組む”事と同義なのだと思います。

 器楽の場合は、学習順番の問題なのだけれど、声楽の場合は、先生の能力不足とも言えます。器楽にせよ声楽にせよ、その根本には“先生の手抜き”を感じるなあ…。

 そう考えてみると、以前の私なんて、いつも実力以上の難曲に取り組んでいたと思います。キング先生時代の学んだ曲と言うのは、私の実力不足もあるけれど、常に私のその時の声には合わない曲ばかりで、だからレッスンでもきちんと歌えなかったし、発表会などの本番では、必ず決まって失敗し続けてきたわけで、曲の最初っから最後まで歌いきれた曲なんてありません。皆無です。私はそれはイヤだったけれど、先生はそれで良いと思っていたみたいだし、生徒としては、先生がそれで良いと思っている以上、事を荒立てる事はできないし、声楽を学ぶという事は、失敗経験を積み重ねていくものだと錯覚すらしていました。

 その感覚が染み込んでいたので、Y先生のところに移ってからも、しばらくは撃沈前提の曲ばかりを選んで歌っていたと思います。だって、どんな曲であっても、ちゃんと歌えなかったんだもの。どうせ歌えないなら、歌いたい曲を歌って撃沈しちゃえばいいじゃん。

 でも、Y先生のところに移り、歌も上達してきて、普通に歌える曲が増えてくると、歌えない歌を歌う事が苦痛になってきました。なにしろ「失敗することがチャレンジする事」とか思ってましたからね。

 今はそういうチャレンジ精神が失われたとも言えます。だって、自分の声に合わない曲を無理に歌うことがイヤになったんだもの。

 やはり、自分の声に見合った歌を歌いたいです。自分の声に見合った歌を歌いきると、実に気持ちいいですしね。歌えない歌を無理して歌っても、全然楽しくないですし、楽に歌える歌ばかり歌っているのもフラストレーションが溜まるものです。自分の実力相応か、ちょっと難しい曲に果敢に挑んでいきたいです。

 そういう意味では、器楽などで自分の実力以上の難曲に取り組む事って、きちんとは演奏できないわけだから、やはり不幸な事なんだと思います。

 ただ、私がそうであったように、その渦中にいる時は、自分が実力以上の難曲に取り組んでいるという自覚がないかもしれません。出来ない自分が普通であると受け入れてしまうのは、悲しい事だし、音楽が楽しくないって事です。それは、不幸です。趣味なのに楽しくないなんて、ありえませんよね。

 そういう意味でも、趣味のオジサンオバサンの希望やリクエストはあるにせよ、教える側の先生は、うまく折り合いをつけて、実力どおり、あるいは実力に近い曲を選んであげて、音楽の楽しさを教えてあげて欲しいなあって思います。

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