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  •  もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2017年9月14日 (木)

あなたはどこで練習していますか?

 アマチュアの音楽演奏家の場合、練習時間と練習場所は、常に我々を悩ませる大きな問題です。特に練習場所の確保に関しては…音楽の練習は、たいてい音が出ますので、色々と問題となる事が多いです。

 電子楽器ならば、アンプ経由でヘッドフォンをして練習すれば、生活音程度の音しか出ませんので、一般住宅であっても自由に楽器練習ができますが、歌やドラムの練習は…生音ですから、まず無理です。クラシック音楽関係の楽器は、すべてアコースティックですから、必ず音が出ます。金管楽器のような爆音が出ちゃう楽器もありますから、なかなか自宅で練習するのも難しかったりします。

 たとえどんなに美しい演奏であっても、興味のない人にとっては、単なる騒音でしかありません。昔、近所のピアノの練習音がうるさいと言って殺人事件にまで発展した事だってあるじゃないですか! 楽器の練習音って、気になる人には気になるのです。練習する側は、その点に関して、気を使っていくべきです。もっとも、騒音に関する感覚ってのは、人それぞれだし、住んでいる地域によって考え方が違うので、一概にこうすれば良いと言えない点も難しいです。一般的には、人口密集地域ほど騒音には敏感になる傾向があります。ま、そりゃあそうだよね。

 特に賃貸住宅だと、隣室との壁が薄くて音が筒抜けの場合もあるでしょう。そういう場所での音楽の練習は厳しいでしょうね。逆に、都心部の住宅地域であっても、最近の防音対策をしっかりしたマンションならば、隣近所への迷惑は考えなくても、あまり考えなくても良いかもしれません。戸建住宅ならば、その家がちゃんと防音対策をしていれば、あまた問題にならないかもしれません。

 家の中に防音室を作ってみたり、地下室を作って、そこで音楽練習をしていたりと、それなりに工夫をして自宅で練習できる人は、用意周到だし、それに越したことはありません。

 一方、自宅で音楽練習が難しい人は、外部の施設を利用して練習せざるをえません。安価なのは、公共施設の音楽練習室ですね。安価なのはうれしいですが、予約などの手続きがちょっと面倒かもしれません。その点、カラオケ店は、多少値ははりますが、気楽に使えます。大型マンションなどだと、マンション内に共有スペースとして音楽練習室があったりします。そういうのは恵まれていますね。

 音楽は、継続的に練習をしていかなければ上達しませんので、練習場所の確保は、本当に大切な問題だと思います。

 ちなみに私の場合は、戸建てで、自室(書斎と呼んでいます)があるので、そこで練習をしています。書斎は洋室で、変形ですが広さ6~8畳間程度あります。住んでいるところがピアノ殺人事件が起きた地域の隣接地域なので、家を建てる時に、市の条例で、防音と防災の対策をしないといけない事になっているので、自然と防音室の造りになっています。

 書斎の中には、机が二つ(一つが物書き用の机で、もう一つがパソコンデスクです)と、本棚が4台と電子ピアノが1台と姿見が1つ入ってます。椅子は、いわゆる“社長の椅子”と足台があります。で、床には衣装ケース(服ではなく本が入ってます)とそれでも収納しきれなかった本が床に積んでありますので、ほんと、足の踏み場も無いほどに狭くてギュウギュウした空間になっています。まあ、たくさんある書籍は、いい感じで防音材になっていると思います。

 いわゆるオーディオ機材は入っていませんが、パソコンのスピーカーを音楽用のモノに変えているので、音楽なども普通に聞けますし、歌の練習で使うカラオケも、パソコンで作成して使用しています。

 で、ここで私は歌とフルートとヴァイオリンの練習をしています。音が完全に漏れない…という程の完璧な防音室ではありませんが、少なくとも、隣近所の家の中にまで音は届きませんので、安心して音楽の練習が出来ます。それでも、一応のマナーとして、深夜~早朝にかけては、音楽の練習を自粛しております(汗)。

 たぶん、私は恵まれていると思います。これで広ければ、ダンスも練習もできるのになあ…とさらに贅沢な事も言ってますが(笑)。

 皆さんは、どこで音楽の練習をなさっていますか?

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2017年7月27日 (木)

実力以上の難曲に取り組む事って…どう思う?

 ピアノって、習得がかなり難しい楽器だと思います。そのために、教え方とか学ぶべき教材なども、かなり整理されているし、順番がある程度決まっています。まず初心者は、この教則本で学び、それが終わったら、こっちの曲集に移り、それも終わったら、この教則本とあの曲集を併用して学び…と実にシステマチックに学習が進んでいきます。そのシステムは、ある程度、世界共通だし、グローバル化され、スタンダードが存在しているとも言えます。

 ですから、ピアノブログなどを読んでいると、たまに出てくる先生方の悩みが「今度来た生徒さんは、前の先生のところで、実力以上の曲を勉強してきたので、あっちこっち(技術的に)抜けていて、困ってます」って話です。今学んでいる曲の、その前の段階で学び習得しておかなければいけない事が、全然学べていなくて、身にも付いていないのに、なまじ曲集が進んでいるので、実力不相応な難しい曲ばかりを弾きたがる…とかね。良心的な先生ほど、悩むかもしれません。

 でも、生徒の立場で言わせてもらえば…前の先生がOKと言ってくれたから、今の自分はこの曲集に取り組んでいるわけで、今更「あそこが抜けてます」「ここがダメです」と言われても…って感じかな。先生も悩むだろうけれど、生徒だって困るんです。

 だからと言って、前の曲集に戻るのは…理屈で納得できるオトナの生徒ならともかく、子どもの生徒にとっては、成長を否定されたような気になり、良い結果にはならないと思いますし、曲集はそのままで、発表会などで、曲の難易度が戻ってしまうと、これまた成長の否定を感じるだろうし…。それに向上心の強い人ほど、大きな目標に…って事は、自分の実力以上の曲に、挑みたくなるものです。

 私の場合は、ピアノではなく、フルートだけれど、やっぱり自分の実力以上の曲に取り組みたいという誘惑には、常に取り憑かれています。だから吹けもしない曲の楽譜も結構持っていますよ。

 まあとりわけ、趣味のオジサンオバサンと言うのは、実力は低くても志は高いですからね。死ぬまでに“あこがれのあの曲”を演奏してみたいと思って、先生に「あの曲やらせてください」と言い出しても、誰にも文句は言えません。その思いに、うっかり応えてしまう先生を責めることも、簡単にはできないかもしれません。

 しかし、自分の実力以上の曲に、仮に取り組んだとしても、まともに演奏できない事は火を見るよりも明らかだし、やる前までは「なんとなく自分でイケるんじゃねえ?」とか思っていても、いざ実際に取り組めば「こりゃあダメだ」と分かるわけだから、現実問題として、実力以上の曲に取り組む人って、そうそう多くないと思います。

 やってみて、ダメなのに出来ているつもりの人は…それこそが、ピアノ先生方を悩ませているタイプの生徒さんたちで…ううむ、これは確かに根深いモノがあります。出来ていない事に本人が気づいていない以上、とりあえず気づくまでは前に進ませてあげるしかないかな…って個人的には思います。

 まあとにかく、器楽の場合、学ぶ方も、ある程度自分で“出来る/出来ない”がはっきり分かるわけだし、教える方もシステマチックだし、教える/学ぶ順番も決まっているから、その生徒が実力以上の難曲に取り組んでいる事に気づくわけです。

 振り返って、声楽の場合は、どうでしょうか? 生徒が実力以上の難曲に挑む事って、あるんでしょうか?

 まず声楽の場合は、器楽とは違って、基準となる教則本ってのがありません。一応、コールユーブゲンとかコンコーネなどの声楽教則本がありますが、コールユーブンゲンは声楽の教則本と言うよりも、ソルフェージュの教則本だろうし、コンコーネは良い声楽教則本なんだろうけれど、歌詞が無い事もあって、これを使われない先生も大勢いらっしゃいます。

 声楽の場合、多くの初心者は、イタリア古典歌曲を単独で、あるいはコンコーネと併用して学ぶ事が多いと思います。そのイタリア古典歌曲だって、学ぶ順番があるわけではなく、先生がその生徒を見て、適宜必要な曲を与えて学ぶという段取りの事が多いと思います。イタリア古典歌曲をそこそこ学んだら、次はイタリアのロマン派歌曲をやったり、ドイツ歌曲や日本歌曲をやったり、オペラのアリアに取り組んだり…って感じになっていくと思います。

 つまり、大雑把に学ぶ順番はあるにせよ、器楽ほどシステマチックではありませんし、学ぶ順番が決まっているわけでもありません。

 それに加えて、声楽の場合は、持ち声というモノがあります。性別の違いはもちろん、声色の違いもあって、みんながみんな同じ声質であるとは限りません。また、歌を学び始めた段階で、声が楽器として、全然作られていない人もいれば、すでに生活の中でかなり出来上がっている人もいるわけです。声質が違って、楽器としての完成度もそれぞれ違う人たちが、雑駁にまとめられて“初心者”という括りで歌を学ぶわけです。

 極端な話、始めたばかりであっても、すでに夜の女王のアリアを歌える声を持っている初心者もいるわけです。そういう人が、キャリアが浅い中、夜の女王のアリアに取り組んだからと言って、実力以上の曲に取り組んだ…と言えるでしょうか? 実は実力相当の曲を選んだだけなのではないでしょうか?

 その一方で、10年学ぼうが、プロとしてデビューしようが、夜の女王のアリアが歌えないソプラノさんだっています。これは実力うんぬん以前に、声が夜の女王向きでは無いとも言えます。そういうソプラノさんは、どれだけ力を付けたとしても、夜の女王はずっと歌わない/歌えない事でしょう。

 そんなふうに考えていくと、声楽の場合は“実力以上の難曲に取り組む”と言うよりも“現在の自分の声に合わない曲に取り組む”と言い換えた方がいいかもしれません。つまり、自分の音域に収まらない曲や、自分が持っているテクニックでは歌いきれない曲とか、性別や声の質に合わない曲を歌う…そういう“現在の自分の声に合わない曲”に取り組んでいく事が、器楽で言うところの“実力以上の難曲に取り組む”事と同義なのだと思います。

 器楽の場合は、学習順番の問題なのだけれど、声楽の場合は、先生の能力不足とも言えます。器楽にせよ声楽にせよ、その根本には“先生の手抜き”を感じるなあ…。

 そう考えてみると、以前の私なんて、いつも実力以上の難曲に取り組んでいたと思います。キング先生時代の学んだ曲と言うのは、私の実力不足もあるけれど、常に私のその時の声には合わない曲ばかりで、だからレッスンでもきちんと歌えなかったし、発表会などの本番では、必ず決まって失敗し続けてきたわけで、曲の最初っから最後まで歌いきれた曲なんてありません。皆無です。私はそれはイヤだったけれど、先生はそれで良いと思っていたみたいだし、生徒としては、先生がそれで良いと思っている以上、事を荒立てる事はできないし、声楽を学ぶという事は、失敗経験を積み重ねていくものだと錯覚すらしていました。

 その感覚が染み込んでいたので、Y先生のところに移ってからも、しばらくは撃沈前提の曲ばかりを選んで歌っていたと思います。だって、どんな曲であっても、ちゃんと歌えなかったんだもの。どうせ歌えないなら、歌いたい曲を歌って撃沈しちゃえばいいじゃん。

 でも、Y先生のところに移り、歌も上達してきて、普通に歌える曲が増えてくると、歌えない歌を歌う事が苦痛になってきました。なにしろ「失敗することがチャレンジする事」とか思ってましたからね。

 今はそういうチャレンジ精神が失われたとも言えます。だって、自分の声に合わない曲を無理に歌うことがイヤになったんだもの。

 やはり、自分の声に見合った歌を歌いたいです。自分の声に見合った歌を歌いきると、実に気持ちいいですしね。歌えない歌を無理して歌っても、全然楽しくないですし、楽に歌える歌ばかり歌っているのもフラストレーションが溜まるものです。自分の実力相応か、ちょっと難しい曲に果敢に挑んでいきたいです。

 そういう意味では、器楽などで自分の実力以上の難曲に取り組む事って、きちんとは演奏できないわけだから、やはり不幸な事なんだと思います。

 ただ、私がそうであったように、その渦中にいる時は、自分が実力以上の難曲に取り組んでいるという自覚がないかもしれません。出来ない自分が普通であると受け入れてしまうのは、悲しい事だし、音楽が楽しくないって事です。それは、不幸です。趣味なのに楽しくないなんて、ありえませんよね。

 そういう意味でも、趣味のオジサンオバサンの希望やリクエストはあるにせよ、教える側の先生は、うまく折り合いをつけて、実力どおり、あるいは実力に近い曲を選んであげて、音楽の楽しさを教えてあげて欲しいなあって思います。

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2017年7月25日 (火)

言葉の壁って…あるよね

 器楽にはない、声楽特有の演奏上の問題として、言語の問題があります。

 言葉のない歌はないわけで、ではどんな言葉を使って歌うべきなのかというのが、声楽では常につきまとうわけです。

 その立場としては、大きく二つあると思います。一つは翻訳して歌うべきであるという立場であり、もう一つは翻訳せずに原語のまま歌うべきであるという立場です。

 話をクラシック系声楽曲に限ってしまうと、主流は後者の“翻訳せずに原語のまま歌うべきである”となります。イタリア語の歌はイタリア語のまま、ドイツ語の歌はドイツ語のまま、フランス語の歌はフランス語のまま、作曲者が音楽を付けた、そもそもの歌詞で歌うべきである…と考えているわけです。たとえ歌うのが、日本人の趣味のオジサンオバサンであっても…です。

 クラシック系の声楽曲は、芸術作品として扱われているわけで、それでちょっとお高く構えて、外国語の曲はそのまま外国語で歌わされている…事は、おそらく否定できないと思います。実際、外国語で歌うから、なんとなく高尚な感じがするわけで、クラシック系の声楽曲を日本語に翻訳して歌うと…なんか身近な感じになって、ちょっぴり残念な感じがするのは…私だけでしょうか? 

 それにだいたい、とりわけイタリア語系の歌に関して言えば、もしも日本語に訳して歌ったとしたら、その内容のしょーもなさに芸術っぽいイメージは払拭されかねませんし…ねえ(苦笑)。

 まあ、単純にプロの方々が外国語(原語)で歌うのは、留学して海外で歌を勉強しているからでしょうね。

 留学先では原語で勉強してきたわけだから、それをそのまま歌っているに過ぎない…と言えます。日本に帰ってきた/やってきたからと言って、原語で勉強してきた歌を、いちいち日本語に翻訳して歌うと、そのたびごとに歌詞を覚え直さないといけないし、だいたい、外国語と日本語では音韻のシステムが違うわけで、とりわけ母音が違えば、発声テクニックだって違うわけだし、そういう細々した問題をクリアするためにも「どこに行っても原語で歌う」にしておけば、楽で済むわけです。

 そうは言っても、オペラなどはお客さんに舞台で起こっている事が伝わらないといけません。ですから、少し前までは、日本でも海外でも、その土地の言葉に翻訳して上演することも多かったのですが、最近では、舞台でも字幕サービスやら音声サービスやらが普及してきたので、それに伴って、オペラも原語で歌うことが多くなりました。

 つまり、クラシック系声楽は、現在では、ほぼ原語で歌うのが普通のスタイルとなりました。

 まあ、聞く方はよく分からなくても、有難がって聞けばいいだけですから、原語で歌われても問題ありません。歌う方に関して言えば、まあ、趣味のオジサンオバサン的には、歌が好きでも外国語が苦手なら、そもそもクラシック系声楽に来ないだろうし、来たところで「こりゃダメだ」と思ったら、他のジャンルの歌に行けばいいのだから、問題なしです。

 …合唱だって、外国語の歌を歌う団体って少ないでしょ? 多くは邦人作曲家の作品を歌うわけだし…。 それに合唱の場合、ごく少数の団体で外国語で歌うと言っても、その大半は宗教曲だから、ラテン語がほとんどで、ラテン語はほぼローマ字読みOKだから、ローマ字読めれば問題ないし、今やラテン語が話せる人類なんて、ほぼ皆無だか、たどたどしくても無問題だしね。まあ、原語歌唱と言っても、なんとかなる範囲だろうと思います。

 最近は、ポピュラー音楽であっても、洋楽(ロックとかジャズ)は原語のまま歌う事が多くなりました。翻訳主義なのは、いまやミュージカルぐらいかもしれません。とは言え、ミュージカルも海外のキャストが日本の舞台で歌うことも増え、字幕サービスもちらほらと見受けるようになりました。そのうち、ミュージカルも原語上演が当たり前になる日が来るかも?(さすがに、それはないか:笑)

 芸能や芸術もグローバル化している現在、ローカル言語にいちいち翻訳するよりも、原語歌唱の方が世界的な広がり/活躍が可能となりますが、そうは言っても、観客の多くは、その地域に住んでいるローカルな生活をしているローカル人間であり、必ずしも外国語が得意なわけではありません。とりわけ日本人は…外国語苦手な人が多いよね。私も決して得意なわけじゃありません。

 そういう意味では、やはり言葉の壁って、あると思います。その壁を乗り越えられる人って、決して多数派ではないと思うし、そこがクラシック声楽が(とりわけ日本で)普及しない原因であり、クラシック音楽と言うと、多くの人が交響曲や協奏曲などの器楽を思い浮かべるのも、そういった言葉の壁があるからだろうと思います。

 「モーツァルトの代表曲は?」の問いに「交響曲40番」と答える人が、まだまだ多いのは、そういう理由だと思うし、声楽は器楽と較べると色々とハンデを背負っていると思います。

P.S. おそらく「モーツァルトの代表作は?」の問いに対する、一番正しい答えは「フィガロの結婚」と答える事なんだろうけれど、ワタシ的には、ぜひ「魔笛」と答えたいです。

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2017年3月16日 (木)

声楽は安易に習っちゃダメ

 昨日までは子どものピアノの話をしましたが、本日はオトナの声楽の話をします。

 漠然と…歌をもっと上手く歌えるようになりたい…と思って、教室のドアを叩くとします。どこの教室のドアを叩きますか? さすがに、民謡教室とか詩吟教室は、ちょっと違うって分かるので、これらの教室のドアを叩く人は、さすがにいないと思います。そういう意味では、民謡教室とか詩吟教室と言うのは、最初っからきちんとターゲットが絞られているので、教える方も学ぶ方も迷いがなくて幸せですね。

 たいていの人は、あれこれ教室を物色して、いくつかの教室を候補に上げるでしょう? その教室は…ボーカル教室ですか? カラオケ教室ですか? それとも、愛唱歌の教室ですか? 歌声喫茶の教室でしょうか? それとも、ヴォイストレーニングの教室ですか? 声楽の教室ですか?

 実は上記の選択肢は、よく似た教室を2つずつペアにして、それぞれ3つのジャンルの教室を列記したものです。

 最初のボーカル教室とカラオケ教室は、いわゆるJ-POPとかロックとかポップスとか歌謡曲とか演歌など、我々の身近な流行歌や定番の名曲の歌い方を学ぶ教室です。次の愛唱歌や歌声喫茶のグループは、歌を習うと言うよりも仲間づくりのための教室で、音楽ジャンル的には“学校の音楽の授業”的な歌、つまり愛唱歌…童謡や唱歌、世界の民謡などを習います。最後のヴォイストレーニングと声楽の教室が、いわゆるオペラや歌曲などのクラシック系の歌(ずばり、クラシック声楽です)を学ぶ教室です。

 この3つのジャンルは、実は全く違います。だってね…演歌と唱歌とオペラには共通点なんて、あってないようなモノでしょ? 演歌を上手に歌えるようになりたいのに、オペラの勉強をしても、それは全くの筋違いだし、オペラを歌いたいのに唱歌ばかりを歌っていてもラチがあかないわけです。自明の理です。

 だから、自分はどんな歌が歌いたいのか、まずはそれを自分で確認して、それから教室のドアを叩きましょう。うっかり、違うジャンルの歌を教える教室のドアを叩いてはいけません。それは学ぶ方も教える方も両方にとって悲しいミスマッチだからです。

 で、ここで陥りやすいのが、ヴォイストレーニングの教室です。普通の人の感覚なら、ヴォイストレーニングと聞けば『ヴォイス(声)をトレーニング(練習)する』教室だと思って、発声の基礎を徹底的に教えてくれる教室ではないかと錯覚するわけです。で、ここに通えば歌が上手くなると誤解してしまうのです。

 実はヴォイストレーニングの教室に言っても、必ずしもお望み通りに歌が上達するとは限りません。と言うのも、実は、ヴォイストレーニングの看板を掲げて商売をしている先生って、たいていクラシック声楽の先生で、そこでやるのは、クラシック声楽のためのヴォイストレーニングなのです。歌全般に渡るトレーニングをするのではなく、クラシック系の歌を歌うためのトレーニングをする教室なのです。で、その実態は、だいたい声楽教室だったりするわけです。まあだいたい、声楽の基礎クラスの事を『ヴォイストレーニング』と呼ぶのだと思っていても、間違いじゃないのです。

 たしかに、クラシック声楽のジャンルだけれど、ヴォイスをトレーニングする事に間違いはないので、別に看板に偽りがあるわけじゃないのですが、カラオケがうまくなりたいだけの、何も知らない初心者が、うっかり間違えてドアを叩いてしまいがちな、ミスリードを誘うネーミングであることは否定できません。

 「別に、クラシックはすべての基礎だから、カラオケが上手になりたいなら、基礎をしっかり学ぶという意味でも、最初はヴォイストレーニングの先生に習ってもいいんじゃないの?」

 これが楽器を学ぶのならば、正しい答えです。器楽では、クラシックであろうと、ポピュラーであろうと、楽器の基礎テクニックは共通していますし、基礎は基礎であって、最初はどのジャンルであっても、基礎を真面目にしっかり勉強すれば上達します。

 でも、歌は、ジャンルごとに発声が異なり、当然、基礎も異なります。

 ですから、自分が学びたい音楽ジャンルとは別のジャンルの歌の基礎を学んでしまうと、元々歌いたかった音楽ジャンルの歌が上達しないどころか、逆に上達から遠ざかってしまうし、下手をすると歌えなくなることだってあります。

 特にあなたが女性ならば、なまじクラシック声楽を学んでしまうのは、かなり危険です。なぜなら女性がクラシック声楽の基礎を学んでしまうと、カラオケが上手になるどころか、カラオケで歌えなくなってしまう事が多々あるからです。

 これ、ほんと。マジな話です。実際、クラシック声楽を学んだ女性歌手で、カラオケが苦手な人って、掃いて捨てるほどいるんですよ。それくらい、カラオケの発声と、クラシック声楽の発声は、全く違うからです。全然別種の、ある意味、真逆な発声なのです。たとえば、クラシックでダメと言われる地声や“胸に落ちる声”をカラオケ等ではフル活用しているわけだし、クラシック声楽のままで歌えるカラオケソングなんて、かなり限られているしね。

 同じ歌とは言え、違うものは違うのです。それは同じイヌでも、チワワとシベリアンハスキーはかなり違うでしょ? そんな感じです。でも、チワワもシベリアンハスキーも、どっちもワンちゃんだし、ペットにするなら可愛いでしょ? 可愛いと言っても、その可愛さは全然違うわけだし、日々のお世話の仕方だって、かなり違うわけです。

 歌も同様です。

 歌を上手になりたいと思ったら、教室のドアを叩く前に、まず自分がどんな歌を歌いたいのかを、きちんと見定めてから教室のドアを叩きましょう。安易に学び始めてはいけません。特に名称がわかりづらい“ヴォイストレーニング教室”は要注意です。

 繰り返しますが、ヴォイストレーニングはクラシック声楽の教室、つまり独唱を学ぶための教室です。自分が、カラオケを上手になりたいとか、合唱団員としてスキルアップをしたいとか、そういう願いを持っているなら、ヴォイストレーニング教室はお門違いです。まなじヴォイストレーニングの教室で、クラシック声楽の発声をしっかり学んでしまうと、カラオケは歌えなくなるし、合唱からは縁遠い声になってしまいます。

 カラオケの上達を願うなら、カラオケ教室とかボーカル教室がいいと思うし、合唱団員としてのスキルアップを目指すなら、いっそソルフェージュ系の教室で基礎を学んだ方が良いかもしれません。あくまでも、ヴォイストレーニングの教室は、クラシック声楽の基礎を学び、やがては、オペラとか歌曲とか、それらの歌を学びたいという初心者の方々のための教室なのですよ。

 ちなみに、クラシック声楽って、楽しいですよ。クラシック声楽は、娯楽であり芸術であるのは当然として、実は声のアクロバットでもあるんですよ。私は、カラオケよりも、ずっとずっとクラシック声楽の方が楽しいなあって思ってます。だから、一人でも多くの人がクラシック声楽を学んで欲しいと思ってます。だからこそ、うっかりドアのノックしてガッカリして失望して欲しくないのですよ。

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2017年2月 9日 (木)

声種の見分け方

 先日の声楽のレッスン記事で、妻がコロラトゥーラソプラノであった事を書いた記事にコメントが付いて、皆さん、声種の見分け方に興味があるようなので、一般論としての声種の見分け方について、書いてみたいと思います。

 声種と言うのは、合唱でいうところのパートであり、独唱だと音域や音色まで含めた声の分け方を言います。

 多くの人が趣味として歌う場合は、まず合唱団の扉を叩くと思われるので、合唱における声種の見分け方を書いてみます。

 原則的に性の違いは越えないところが多いでしょう。つまり、男声なのにアルトになるとか、女声なのにテノールで歌うとかは、普通の合唱団ではありません。女声ならソプラノかアルト、男声ならテノールかバスになります。つまり、高声か低声かに分かれるわけです。

 団によって多少の違いはあるにせよ、多くの団では次のような基準でパートを分けると思います。

 1)合唱団の都合や人間関係
 2)歌の巧拙
 3)音域

 1)について。どこの団でもソプラノやバスはたくさんいるものです。ですから、新入団者は、なるべくなら、アルトやテノールになって欲しいものです。また合唱団には友達作りのためにやってくる人も大勢いるので、新入会者の人間関係、とりわけ紹介者との関係を重んじてパート分けをする事が多いです。

 2)は、とりわけ女声において、歌の巧拙はパート分けと大きく関係します。正直『メロディーは歌えても、ハモリパートは歌えません』という人は大勢います。そういう人は、他の要因がどうであれソプラノにするしかないので、自然と人数的なバランスを取るためにも、歌える人はアルトにまわってもらう事が多いのです。

 3)について。女声はあまり考えなくても良いかもしれません。オーケストラ付きのラテン語やドイツ語の宗教曲を歌うならともかく、ピアノ伴奏の邦人作曲家の合唱曲だと、ソプラノとアルトでも、そんなに大きく使用音域が変わるわけではありません。むしろ音域について考えるのは男声の方かな? 邦人作曲家の合唱曲でもテノールならFやGぐらいまでは使います。この高さでも案外出ない人はいます、それも大勢ね。これらの音が楽に出ないとテノールは無理です。

 合唱団の声種分けの観点として大切なのは、その人の現在の声であり、力量なのです。『今どれくらい歌えるのか?』を目安にしてパートを分けます。だから、団によって、シーズンが変わるたびに声聞きをして、パートの入れ替えをするところがあるのは、そういう理由なのです。

 次は独唱における声種分けについてです。合唱が“今現在”を重んじているのに対して、独唱は“将来”を見据えた分け方をします。つまりは、今現在はどうであれ『これから練習をして上達していったら、どんな声として完成するのか?』という視点で考えます。ですから、今現在の音域とかは全然関係ありません。ましてや、周囲との人間関係とか、歌の巧拙などは全くの考慮外です。大切なのは、どんな可能性を持っているか…ただそれだけなのです。

 可能性…歌声の可能性ですね。まずは“得意な音域”が問われます。独唱は合唱よりも幅広い音域が求められます。高音歌手はより高い音が、低音歌手はより低い音が求められます。合唱だと、ソプラノでもアルトでもどちらも歌えますとか、テノールでもバスでもOKという人は珍しくありませんが、独唱では考えられません。それぞれが専門家となり、得意な音域で勝負をするのです。ですから、将来的に、どの音域の音で勝負できるようになるか、それを見越して声種を決めていきます。

 次に大切にされるのが、歌い手の個性だと思います。

 個性と言えば、まずはその人の声の音色があります。これは実に人によって様々なのですが、合唱では気にすることのない声の音色は、独唱では音域と同様に大切です。

 また、本人の性格は声種分けするにあたって、大切な要素かもしれません。独唱を目指す人は、多かれ少なかれ我の強い人が多いのですが、それでも高音歌手に関しては、かなり我の強い人でないと務まりません。一方、調整役に長けている人は低音の方が自分を生かせます。

 アマチュアはともかく、プロやセミプロ、そこまで行かなくても活動を熱心に行うアマチュアにとっては、容姿は声種と大きく関わりがあります。昔々は、歌手にとって容姿なんてものは無関係で、ひたすら声が追究されましたが、今の時代はヴィジュアルの時代ですから、容姿は大切です。独唱では、歌手の体格や年齢、美醜で歌える歌が限られます。ドミンゴがバリトンに転向したのだって、声の問題もさることながら、ヴィジュアル的にテノール役が歌えなくなってきた…と言うのも絶対にあると思います。

 70歳過ぎて、恋する王子様の役はやれないよね(笑)。でも、国を憂う王様役なら70歳を過ぎていてもOKでしょ?

 独唱における声種分けのポイントは、その歌手の可能性と個性なのです。

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2017年1月30日 (月)

結局、ソリストさえしっかりしていればOK?

 昨年末は、例によって、第九とかメサイアとかの合唱曲を多く聞きました。年末にオーケストラ付きの合唱曲が多く演奏されるのは、音楽家のボーナス捻出のためという裏事情があるものの、今やすっかり日本クラシック音楽界の冬の恒例行事になった…とも言えます。

 とにかく、私も昨年末、恒例行事として第九とかメサイアとかを聞いたわけです。それも、だいたい毎年同じ団体の演奏を聞いていたりするわけです。

 で、毎年毎年同じ団体の同じ演奏を聞くわけですから、当然前回と較べて、良かった悪かったと勝手な評価を下すわけです。で、その感想を、演奏会終了後に仲間内で共有して楽しむわけです。

 で、私は思ったのでした。結局、今回の演奏会が良かった悪かったと判断する、その基準の一番大きな要素は、合唱団の出来でもなければ、オーケストラの出来でもなく、ソリストたちの出来如何にかかっているって事です。

 これは私がソリスト大好き人間だから…と言うだけでなく、他の人たちの意見を聞いても、だいたいソリストの出来が、そのコンサートの出来に直結しているようなのです。

 まあ、考えてみると分からないでもないです。オーケストラというのは、プロであれ、アマであれ、1年間で大きく変わるものではありません。もちろん、アマオケの場合は、コンサート中のアクシデントが皆無というわけではありません。例えば、曲が進むにつれて疲れてきた弦楽がうねり始めるとか、肝心なところでホルンがひっくり返るとか、トランペットが飛び出すとか…色々あったりしますが、そういう団体は、だいたい昨年も似たような事をやっているし、昨年盤石な演奏を聞かせてくれたところは、たいたい今回も盤石だったりするんです。

 一方、合唱団は…と言うと、大抵はアマチュア団体なのですが、オーケストラ以上に安定しているところが多いです。上手な団体は毎年上手だし、それなりの団体は安定してそれなりだったりします。

 でも、ソリストは違います。ソリストはたいていプロ歌手ですが、同じ演奏会であっても、昨年と今年でメンバーが異なる事の方が多いです。人が変われば、当然、あれもこれも違うわけです。また、同じ人が昨年からの引き続きで歌うこともありますが、ソリストって、面白いぐらいに安定しないんですよね。たぶん体調とかの都合もあるのでしょうが、すごぶる良い歌を歌ってくれるともあれば、なんとも精彩に欠ける時もありますし、大きなミスをする事すらあります。

 そういう意味で、毎年年末に行われる、オーケストラ付き合唱曲の演奏で、一番の不確定要素がソリストだったりするわけで、それゆえに、その年のソリストの出来が、その年の演奏の良し悪しを決める、一番大切な要素となるわけです。

 合唱曲なのに、ソリストで評価が決まるってのも、考えてみれば面白い事です。

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2017年1月25日 (水)

トスティは三流の作曲家なのか?

 さて、ここのところトスティという作曲家について取り上げている私ですが、なぜトスティを取り上げているのかと言うと、

 1)トスティが好きだから
 2)トスティに関する評伝を読んで興味が増したから

 …という理由があります。ちなみに私が読んだのは、以下の本です。

 資料の乏しいトスティに関する書籍であり、大切な資料本なのですが、書籍としては分厚い事と、お世辞にも読みやすいとは言えない本文構成なので、読み通すにはかなりの覚悟と体力が必要かもしれません。ちなみに、私は一度挫折して、しばらく放置していました(笑)。

 さて、本題に入ります。

 私はトスティが好きです。もちろん人物が好きなのではなく、彼の作曲した音楽作品がが好きなのです。でも、トスティは一般常識的に言えば、無名な作曲家になるんだろうなあ…と思います。学校の音楽の授業でトスティという作曲家について学ぶこともなければ、その作品に触れる事もないでしょう。なにしろ、日本の学校の音楽の授業で取り上げる作曲家は、基本的にドイツ系かつ器楽系かつバロック~ロマン派の作曲家ばかりですからね。

 トスティは、イタリア系で声楽系で近代音楽の作曲家です。

 学校の音楽の授業では、イタリア系の作曲家で取り上げられるのは、ヴィヴァルディぐらいかな? いわゆる“バッハ以前”の時代なので、まだドイツ系の作曲家に有名な人がいないので授業で取り上げてもらえるのかな…なんて思ってます。

 学校の音楽の授業では、声楽系の作曲家で取り上げられるのは、モーツァルトやシューベルトなど、そこそこいますが、皆、ドイツ系だし、器楽作品もふんだんに作曲しているような人ばかりです。授業では、声楽作品ではなく器楽作品で彼らを学ぶ事が多くて「声楽作品も作曲する器楽の作曲家」みたいな位置づけのようです。

 ま、声楽は言葉の壁があるなら、仕方ないよね。

 近代音楽の作曲家は、本当に学校では学ばないもので、リヒャルト・シュトラウスとストラヴィンスキーぐらいしか学ばないんじゃないかな? マーラーですら学校じゃ取り上げないからね。

 とにかく、日本の音楽教育では、イタリア系や声楽系、近代音楽の作曲家は冷遇されていると思います。

 なので、一般人がトスティの事を知らなくても不思議はないし、一般的なクラシックヲタクもドイツ器楽系を中心に楽しむ人が大半だから、トスティを知らなくても仕方ないです。トスティを知っている人と言うのは…声楽ファンで、イタリア歌曲大好きな人たちぐらいです。実に少数派、実にニッチな位置づけです。

 そういう、イタリア歌曲好きな人たちの間でのみ有名なのが、トスティという作曲家なのです。

 で、さらに言うと、そんなイタリア歌曲好きな人たちの間でも、評価が低いのがトスティだったりします。

 曰く「流行歌だからね」「芸術的な深みは無いからね」「技巧的にも簡単だし」…まあ、ハズレではないと思います。

 実際、トスティの歌曲は、20世紀の初頭の流行歌でした。特に英語の歌曲は、その楽譜は飛ぶように売れたのだそうです。商業的に成功した曲を“流行歌”と呼ぶなら、トスティの歌曲は流行歌だと思います。

 私のような愛好家には判断つきませんが、トスティの作品には芸術的な深みが無い…と感じる人が大勢いらっしゃるなら、たぶんそうなのでしょう。でも、芸術的な深みうんぬんの評価は、時代によって変わってくるかもしれないし、少なくともトスティの場合は変わってきたと思います。

 現在の感覚では、トスティの英語の歌曲は流行歌であって、せいぜいミュージカルナンバー程度の作品であって芸術的な深みはないけれど、イタリア歌曲やフランス歌曲は、プロのクラシック系歌手たちも頻繁に取り上げる、普通のクラシック声楽曲という扱いになっていると(私は)思います。でも実は、100年ほど前(つまりトスティの晩年)からしばらくの間は、英語だけでなくイタリア語やフランス語の歌曲も“流行歌”扱いであって“芸術的な深み”など無いと言われていたそうです。それが100年かけて、イタリア歌曲とフランス歌曲は認められるようになったわけですから、これから100年後経てば、トスティの評価も大きく変わるかもしれません。

 技巧的にも簡単…他の作曲家の作品が小難しすぎるだけだと思うし、技術的に難易度の高い事と、音楽作品としての価値は、特に関係ないと思います。ただ、技術的に難易度が高くないと、試験やコンクールでの演奏には向きませんし、試験やコンクールなどで頻繁に取り上げられる作品が、音楽的に必ずしも優れているとも思いません。

 まあ、それもこれも含めて、トスティの21世紀前半における扱われ方は、無名作曲家であり、必ずしも一流作曲家として数えられる事はありません。よくて二流? 無名な事も考え合わせれば、三流扱いされちゃう事もあります。まあ、何をもって、一流二流三流の区別をつけるのかは、書いている私自身もよく分かっていませんが(笑)。

 とにかく、トスティという作曲家は、無名で評価の低い作曲家である事だけは確かです。でも、無名で評価の低い割には、イタリア声楽曲という狭い世界に限って言えば、頻繁に新作CDが作成されるし、コンサートでもよく取り上げられます。おそらく、楽譜の販売だって、昨年新版が出たことからも分かるように、結構売れていると思います。

 多くの歌曲作曲家が、ソプラノのために曲を書いている事が多いのだけれど、トスティは男声、特にテノールに向けて曲を書いている事が多いので、私たち(アマチュアと言えども)テノール歌手にとっては、大切なレパートリーであるのです。

 世間の人たちは、もっとトスティの事を知り、もっと愛して欲しいと思います。

 最後にトスティと言えば…「Ideale/理想」ですよね。

 歌っているのは、ユアン・ディエゴ・フローレスです。ある意味、現役テノールの中では、もっともテノールっぽい声をしている人だと思います。今のスターテノールさんたちは、みんな声が重くて、テノールなのにバリトンっぽい声の人が多いですからね。こういう声は貴重なんだと思います。

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2017年1月24日 (火)

トスティはイギリス人だったって知ってましたか?

 さて、今回もトスティの話です。

 日本で歌われるトスティの歌曲のほとんどがイタリア語の歌詞に曲をつけた、いわゆるイタリア歌曲であるために、トスティはイタリア人だと思われがちですが、実は彼はイギリス人だったという事、ご存知でしょうか?

 無論、トスティはイタリア生まれで、その両親ともにイタリア人であり、血筋的には生粋のイタリア人である事には間違いないし、彼の母国語もイタリア語でしょうし、前回の記事で書いた、彼の前半生を見る限り、彼は間違いなくイタリア人なのですが、21世紀の我々の視点から見た場合、彼はどこの国の人なのかと言えば、イギリス人であると答えるのが正解と言えるでしょう。

 つまり国籍の問題です。トスティの国籍は、実はイタリアではなくイギリスなのです。だから、彼はイギリス人…って事になります。

 トスティはイタリアで生まれ、イタリアで教育を受け、若い時分はイタリアで活動していましたが、これまた何があったのかは分かりませんが、30代も半ばの時、あれだけの人気者であり、ブイブイ言わせながら活動をしていたローマを捨てて、トスティはイギリスのロンドンに移住します。

 その後、死の3年前まで、イギリスに住んで働いて、その地でたくさん作曲して(我々が知っている彼のイタリア歌曲も、その多くがイギリスで書かれています)、結婚をし、子どもを産んで家庭を作ります。彼の、いわゆる現役時代の生活の拠点は完全にイギリスにあったわけで、友人たちの多くもイギリス人で、イギリスでもローマ同様に、王家とのつながりを作り、イギリス王室の声楽教師(具体的にはヴィクトリア女王の声楽教師)として働いていたわけです。

 なぜ彼はローマを捨ててイギリスに渡ったのか? これまた本人しか分からない事情があるでしょう。でも私が邪推するに、いくつかの原因があります。

 一つは…何か大きなトラブルを起こしてローマにいられなくなった? イタリア王家がらみで恋愛沙汰を起こしたという説があります。まあ、当時のトスティは、若くてモテモテの独身男性ですからね。全くない話でもないでしょう。

 あるいは…彼のイギリス移住の少し前から、トスティが作曲した楽譜が売れ始めるようになりました。当時は今と違って、録音技術がなかったし、著作権関係も整備されていませんでした。作曲家の収入は、自作曲をコンサートで演奏して、そのギャラをもらうか、楽譜を出版して、その印税をもらうかの2つがあったわけで、だから彼もサロンで自作曲を歌って、演奏収入を得ていたわけだし、彼のファンのご婦人方が楽譜を買ってくれて、それも収入にしていたわけです。

 ところが楽譜は作者のいない地域でも販売されています。

 トスティの楽譜は、彼のイギリス移住の少し前から、イタリア語の下に英語の歌詞を付けて印刷されるようになり、それがイギリスで販売されるようになったのだそうです。イギリスは当時“日の沈まない国”と言われる大英帝国として世界有数の強国だった時代です。そこで、トスティの楽譜が販売されるようになり、これがまたバカスカ売れたんだそうです。つまり、イギリスでもトスティは大人気になったわけです。

 そんなこんなの色々な理由があったのかなかったのかは、私には分かりませんが、とにかくトスティは、えいやー!とばかりに、慣れ親しんだローマを離れて、イギリスに渡りました。

 イギリスに渡ったトスティは、すぐにイギリスの上流階級に食い込み、お金持ち相手の声楽教師を始めます。イギリス王家にも食い込みます。イギリスのロイヤル音楽アカデミーの教授にもなったんだそうです。すごいね。雇われ外国人教師としては、すごい出世だよね。

 そんな先生業の傍ら、彼はガンガン作曲を始めます。今、私達が知っているトスティの歌曲の大半は、彼のイギリス時代に書かれた作品です。

 当初は、イタリア語の作品に英語の訳詞をつけて販売されていた彼の作品ですが、やがて直接英語に音楽をつけるようにもなりました。トスティの英語の歌曲ですね。これがまた、当時はバンバン売れたんだそうです。あまりに売れすぎて、ほぼ流行歌です。

 なにしろトスティの英語の歌曲は、上流階級のみならず、イギリスやアメリカの中産階級のご婦人方にも大受けだったそうで、それゆえに楽譜がガンガン売れたんだそうです。
 実際、彼の英語の歌曲は、中産階級の人々にも愛されて、売れすぎてしまったために、当時から玄人筋には評判が悪かったのです。その一方で、イタリア語やフランス語(上流階級のご婦人はフランス語が大好き)の歌曲は、英語の歌曲ほどは売れなかった(…って事は、中産階級にそっぽを向かれていた可能性があります)そうです。意外ですね。我々が知っているイタリア歌曲も、当時は英語で歌わわれていたものがたくさんある…そうです。

 まあ時代はすでに20世紀ですからね。イギリスやらアメリカやらが、ブイブイ言わせている時代ですからね。そこへいくとイタリアなんて、小さな小さな国だからね。

 イギリスに渡ったトスティは、その地で大成功を収めるわけです。

 そんなトスティがト60歳の時に、その時点ですでに30年以上イギリスで暮らしていたそうだけれど、その年にイタリア国籍を捨てて、イギリス国籍を取得し、それから程なくして、準男爵の称号をもらっています。

 だから、トスティの国籍はイギリスであり、彼はイギリス人なのです。

 彼を呼ぶ時は、イタリア名の“フランチェスコ・パオロ・トスティ”ではなく、本当ならば、アタマに“サー”をつけて、サー・フランシスコ・ポール・トスティ、またはサー・フランシスコと呼ぶのが正しいのです。なお、同じ“サー”を付けなきゃいけないのだけれど、ポール・マッカートニーは騎士(ナイト)であって、トスティは準男爵(バロネス)なので、トスティの方が上位になります。

 なぜ彼はイギリス人になったのか? それはトスティ本人しか分からない事だけれど、長くイギリスで暮らし、働き、成功して、生活の拠点もイギリスにあったわけだし、イギリス王室の方々とも親密な関係にあったわけで、私がトスティなら、30年どころか、10年ぐらいでイギリスに帰化しちゃっただろうね。だって、その方が自然だし、便利じゃん。

 ちなみに、ヘンデルもトスティと似たような人生を送ってます。ヘンデルもドイツ生まれのドイツ人(正確に言えば、当時はドイツなんて国はなくて、神聖ローマ帝国ね)として生まれたわけだけれど、トスティ同様に若い時にイギリスに渡り、そこで働き、そこに住み、その地でたくさん作曲して、生活の拠点が完全にイギリスにあり、友人たちの多くもイギリス人で、イギリスに帰化しています。トスティは帰化までに30年かかったけれど、ヘンデルは15年で帰化しています。

 ちなみにヘンデルは生涯独身で結婚していなくて、子どももいなくて身軽だったので、すぐに帰化しちゃったのかもしれませんが…。

 話をトスティに戻します。トスティはイギリスに帰化したけれど、生涯イタリアを愛して、英語なんか一言もしゃべらなかったという説もありますが、生涯イタリアを愛していた事は事実だろうけれど(なにしろ、晩年はイタリアに戻って死んでますからね)、英語を話さなかったというのは、おそらく間違いです。たぶん、トスティは英語ペラペラだったと思うよ。

 もちろん、イギリスに30年も暮らし、多くのイギリス人の生徒を抱えた先生だったわけだから、英語が話せないわけがないじゃん。

 彼の約300曲に及ぶ歌曲のうち、その半分はイタリア語の詩に曲をつけたもの(イタリア歌曲)だけれど、実は作品の約1/4は、英語の詩に曲をつけたものですし、それがまた自然に詩と音楽が寄り添うように作曲されているわけで、こういう作曲ができる人が英語を話せなかったわけないじゃん。

 ちなみに、残りの1/4の歌曲はフランス歌曲ね。つまり、トスティはイタリア語、英語、フランス語の歌曲を書いているわけで、彼はむしろ語学が得意なタイプだったんじゃないかしらね?

 とにかく、トスティはイギリス人である…って事なんです。なんか意外だよね。

 トスティの英語の歌曲に良い曲はたくさんありますが、その中でも当時バカ売れした曲をアップしておきます

 「That Day!/あの日!」です。良い曲ですよね。私もいずれ歌ってみたいと思っている曲です。ここで歌っているのは、キングオブハイFの、ウィリアム・マッテウッツィです。

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2017年1月23日 (月)

トスティって、本当はヴァイオリニストだったの?

 トスティとは、作曲家のフランチェスコ・パオロ・トスティの事で、その作品は、多くの声楽ファンに親しまれています。彼の作品の大半は歌曲です。歌曲以外の作品も若干作曲しているようですが、ほぼ歌曲専科の作曲家であると断言しても構わないでしょう。なので、歌曲ファン以外にはあまり知られていない、ある意味マイナーな存在なのですが、それでもとにかく(トスティを知っている数少ない)現在の我々は、トスティを“作曲家”として認識しているわけです。

 ではトスティは、キャリアの最初っから作曲家であったのかと言えば違います。意外な事に、彼は学生時代、ヴァイオリンを専攻していたのですよ。つまり、ヴァイオリニストを目指していた音大生だった時代があり、もしかしたら、そのままヴァイオリニストになっていた可能性もある人だったのです。

 でも、ヴァイオリニストとしてのトスティは、学校を卒業するや否やいなくなります。彼のヴァイオリニストとしてのキャリアは、学校卒業とともに終わりを迎える…ってか、彼は方向転換をします。

 一体、何があったのでしょうね? ここは推測するしかなのですが、地元では「俺って、なかなかヴァイオリンじゃあ、イケてるじゃん!」とか思っていたのかもしれません。なにしろ地元では“ヴァイオリンの神童”ともてはやされていたという説もあるくらいですから、田舎のヴァイオリニストとしては、なかなかの腕前だったのかもしれません。でも都会の学校(彼はナポリ音楽院の卒業生です:この学校は現在もあります)に行ったら、自分ぐらい弾ける人なんてウジャウジャいたりするわけで…そんなこんなで、色々と考えるようになったのではないか…と勘ぐる私です。

 とにかく、学校卒業とともにヴァイオリンを辞めてしまったトスティは、最初は田舎に戻って、当時の音大卒業生の定番職業である、地元の教会のオルガン演奏とその教官助手を始めます。

 教会でオルガニストとして働きながら、(彼はピアノやオルガンの腕前もなかなかだったそうです)コツコツと歌曲の作曲を始めたそうです。ここが彼の人生のターニングポイントです。

 数年、オルガニストとして働いたあと、彼は大都会であるローマに出ていきます。オルガニスト時代に作曲した歌曲たちを携えての上京です。ローマに上京してからは、サロンや小さなホールなどで歌う歌手としてキャリアを始めます。声種はテノールです。

 当時はサロン文化がまだまだ健在で、そこで自作のサロン向けの歌曲を歌っていたそうです。また、その時代の流行歌(当然他人の作曲)も歌ったようですが、自分でもドンドン作曲をして、その曲を持って、小規模なツアーなども行っていたようです。結構な人気歌手になったそうです。今で言う、シンガーソングライターのハシリのような人だったのかもしれません。なにしろ、自分でピアノを弾きながら歌っていたそうですよ。つまり、弾き語りをしていたわけです。トスティはかなりの美声であったという説があります。声も良ければ、歌う自作の曲も良かったわけだし、若くて(写真を見る限り)かっこいい青年だったわけで、そりゃあ人気者になるよね。

 人気者になればファンがつきます。彼はサロンを中心に活躍していたので、彼のファンと言えば…上流階級のご婦人方ですね。トスティは、それらの上流階級のご婦人方に歌を教え始めます。やがて上流階級も上流階級である王家(サヴォイア王家)にも出入りするようになり、王家との人脈も得て、ローマの声楽教師として、大繁盛するようになったのだそうです。

 つまり、21世紀の我々はトスティを作曲家であると認識していますが、生前の彼は、もちろん作曲家であったのだけれど、それと同時に学校でヴァイオリンを学んだ、ヴァイオリニストのタマゴであったし、田舎の教会のオルガニストでもあったし、ローマで上流階級のご婦人方から愛されるテノール歌手であり、声楽教師でもあったわけです。

 トスティはヴァイオリニストとして音楽家のキャリアを始めようとした人だったけれど、アレコレ色々な事に手を染めて、最終的には作曲家として後世の人に評価される人になったわけです。

 そんな彼の初期の歌曲を一つアップしておきます。

 「お祝い/L'augurio」という曲です。作品番号1番で、彼が16歳の時の作曲です。音楽院の作曲の授業の課題として作曲されたそうです。ちなみに、当時の指導教官はミケランジェロ・カントーネ先生だそうです。歌っているのは、ウォルター・オマッジョというテノールさんです。

 うーん、曲の出来はまだまだ…かもしれないけれど、あっちこっちトスティっぽいです。、やっぱりトスティはトスティだよね。

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2017年1月19日 (木)

響きの載った声はすごいすごい

 先日、近隣で行われている市民オペラに関する企画の一つとして、笛田博明氏(テノール)と与那城敬氏(バリトン)両名の合同のコンサートがあり、そこに行ってきました。

 いやあ、良かったですよ。どれくらい良かったのかと言えば、普段、クラシック系のコンサートに行ったくらいじゃあ、ブログネタにしない私が、わざわざ取り上げてブログネタにしてしまうくらいに良かったのです。

 何が良かったのか言えば、笛田博明氏の声です。今や、藤原歌劇団のトップテナーの一人ですから、そりゃあ素晴らしいに決まっていますが、それでもやはり、ブログに書かざるをえないほどに素晴らしかったのです。

 もちろん、与那城敬氏も良かったのですが、私はテノールを偏愛する人間なので、どうしても笛田氏中心に聞いて、笛田氏中心に感動してきたわけです。困った性分ですね(笑)。

 で、その笛田氏の声のどんな点が良かったのかと言えば、その響きです。

 少し前にレッスンで声の響きについて学んだところだった事もあり、笛田氏の声に乗っている響きに感激してしまったのです。いやあ、ほんと、ビンビンに響きが載った声だったのですよ。

 笛田氏は、歌劇「道化師」を得意とする、スピント系のテノールなのです。そういう重くて太い声だと、ばっちり鳴りで歌っていると思いがちですが、いやいやどうして、ばっちり響きで歌っているのですよ。すげー、すげー。

 「百聞は一見にしかず」と申しますが、「響きってなんだろ?」と頭でアレコレ考えるよりも、こうしてトップ歌手の生の声を聞いた方が、分かるというものです。

 ほんと、良い勉強になりました。いやあ、私、響きってモノが、どういうものなのか、よく分かりました。後は実践あるのみです。

 響きの載った声は…飛ぶねえ。埋もれないねえ。カツーンと来るね。おまけに、全然力づくの発声には聞こえず、楽々歌っているように聞こえます(実際、楽々歌っているんだろうしね)。

 私は声楽系のコンサートは勉強のために、なるべくたくさん聞くようにしていますし、身近なアマチュアのモノは、やはり勉強になるので聞くようにしていますが、このように、たまにはトッププロのコンサートに行くのも、良い勉強になるものだと、改めて感じ入ったわけでございます。

 要するに、トップ歌手の歌を聞いて、びっくりして感動した…という話です。

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