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  •  誤って殺害…が通用するんだ、サウジアラビアって国は(嘆)。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2018年10月11日 (木)

自分で上げたハードルに苦しむ

 私のような趣味の音楽人は…とりわけ年をとってから演奏を始めたような人は、演奏を始める前歴史に、音楽愛好者を長くやっていた…という人がいらっしゃいます。もちろん、この場合の“音楽愛好者”とは“聞くだけオジサン”の事です。CDなどで発売されている一流のプロの演奏を繰り返して愛聴しているだけで、リアルな音楽演奏体験の無い人の事を言います。この“聞くだけオジサン”の特徴として、耳が肥えている…事があげられます。ま、一言で言えば、評論家タイプのオジサマなんですよ。

 この“聞くだけオジサン”の前史を持った人間が趣味で演奏を始めると、あれこれ大変です。何が大変かと言うと…まずは『自分の演奏がとても不満足』なんです。いつでも、いつまでも…です。

 そりゃあそうだよね。ピアノが好きで大好きで、世界の超一流のピアニストの録音ばかり聞いてきた人が、年をとってからピアノを始めたとしても、絶対に世界の超一流ばりの演奏なんて、一瞬たりともできやしないもの。おまけに、ピアノ始めたばかりのオッサンと世界の超一流を、比較しなきゃいいのに、ついつい比較しちゃって、凹むわけです。

 馬鹿だね。

 我々、アマチュア音楽家は音楽演奏の楽しさを味わうために演奏しているわけで、本来、他者との比較なんて意味のない事です。まあ、それでも技術的な上達も楽しみの一つですから、過去の自分と今の自分を比較するのは、悪いことではないと思いますが、他人と自分を比較しても、何もなりません。ましてや、世界の超一流と比べるなんて…バカも休み休み言って欲しいものです。

 でも困った事に“聞くだけオジサン”って、世界の超一流の演奏が“ごくごく普通の演奏”だと思っているんです。

 そうなると、自分の拙い演奏なんて(実際にはキラリと光る良いところが多々ある演奏であっても)ゴミ同然にしか感じられないのです。いくら頑張って練習してもゴミしか生産できない自分と、うまく折り合いがつけば、自己評価が低いまま、音楽演奏を続けていくのでしょうが、折り合いがつけられなければ、やがて嫌気がさして音楽演奏から離れてしまうわけです。

 なので、音楽演奏を趣味とする人の中に、元“聞くだけオジサン”って、案外いそうでいないんですよ。その多くは脱落しちゃうんですよ。

 その結果、音楽演奏を趣味とする人って、演奏するのは大好きだけれど、聞くことに興味のない人たちが意外なほど多かったりするのは、そんなわけだったりします。実際、練習に練習を重ね、趣味の時間の大半を練習にささげていたら、音楽を聞いている時間が無い…って事にもなります。それほど、音楽を聞く趣味と、音楽を演奏する趣味の両立は、色々と大変なようなのです。

 で、私の話ですが…声楽に関しては、私は『折り合いをつけた“聞くだけオジサン”』になると思います。まあ“聞くだけ~”と言っても、本格的なクラヲタのオジサマたちと比べると、全然聞けていない部類なんですけれどね。持っているCDだって、たかがしれているしね。それでも聞くことに興味のない人たちからすれば、音楽鑑賞に費やしてきた時間は膨大なものだし、持っているCDだって、それなりです。

 つまり、私は、実に中途半端なクラヲタなので、なんとか演奏も楽しめるのかもしれません。

 でもやっぱり“聞くだけオジサン”なので、なかなかにハードルは高いんです。

 例えば、オペラアリアを歌う場合、カデンツァも込みで歌いたいと思う人です。もちろん、カデンツァは難しくて簡単には歌えません。だけど歌いたいんですよ。

 別にカデンツァなんてオプションですから、本来は歌わなくていいし、多くのカデンツァは作曲家の手によるものではありませんから、カデンツァを歌うのは、作曲家の意図を無視した行為だし、ある意味、自己顕示欲を満たすだけの行為とも言えます。そうであっても“聞くだけオジサン”にとっては、カデンツァはオペラアリアにば標準装備であって、無くてはならないモノなのです。だから自分で歌うなら、必ずカデンツァ込みで歌いたいのです。

 でも、それは無理だよね。でも、歌いたい。でも、やっぱり無理。で、強行すると、当然、撃沈。そりゃあそうだよね。そもそも歌えないモノを歌おうとしたって、そりゃあ歌えないわな。

 ほんと、元“聞くだけオジサン”は厄介なんです。

 ちなみに、フルート音楽に関しては、私、ほとんど知りません。おまけに聞くことにも、それほど興味もありませんし、執着もありません。CDはそこそこ持ってますが、ほぼ聞きません。フルート音楽を聞く事に喜びを見出せずに、フルートを演奏することを楽しんでいるのです。

 なので、フルートで演奏する曲に関しては…実はこだわりも抵抗もありません…ってか、理想が無いのかもしれません。他人にとやかく言われたとしても、自分が楽しく吹ければいいんです。

 ダブルスタンダード…まさにそうです。声楽ではあれほどこだわりがあるのに、フルート音楽には、全くと言っていいほどいい加減なのです。だからと言って、声楽と比べてフルートはあまり好きではないのか問われれば、それは決してそうではなく、声楽もフルートも好きだし、両者を比べる事はできません。時期とかタイミングとか色々あって、声楽に集中している時期もあれば、フルートに専念している時もありますが、どちらが好きで、どちらが二の次とか、そういう感覚はありません。

 とは言え、私、自分の事をアマチュア歌手だとは認識していますが、アマチュアフルーティストであるとは…ちょっと認識できてません。だって、フルート、下手すぎるもの。これは興味と言うよりも、演奏力の違いね。“アマチュアフルーティスト”ではなく“アマチュアフルーティストを目指す者”なんですね。通常の運指をど忘れしちゃう程度の人は、フルーティストじゃないよね。

 つまり何が言いたいのかと言えば、演奏活動って事で言えば、フルートに関しては、只々楽しいだけの私ですが、声楽に関しては、元“聞くだけオジサン”だった事もあって、自分で自分の首を絞め、素直に楽しめなくなっている、ちょっとかわいそうな存在だったりするわけです。

 ほんと、厄介。ほんと、面倒くさいです。

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2018年10月 4日 (木)

歌曲はなるべく原調で歌いたい

 歌曲は…楽譜屋に行けば、高声用、中声用、低声用って感じで、声に合わせて、同じ曲が調性を変えて売られています。歌手たちは自分の声に合った楽譜を購入して、それで歌います。また、自分の声にあった楽譜がなければ、自分で移調作業をして歌ってしまう人もいます。

 別にそれで何の問題も無いと思います。歌手が最高のパフォーマンスを行うために、自分の声に合わせて歌うなんて、ごく当然な話です。むしろ、自分の声に合わない曲を無理して歌う方が、見苦しいし聞き苦しいと思います。

 私も基本的には、自分の声に合った調/声域で歌いたいと思います。

 最近は、それに合わせて、別の事も考えています。それは“作曲家の意図”です。なぜ、作曲家は、その調で曲を書いたのか、なぜそのメロディーをその音高で書いたのか…おそらく、そんなに軽い気持ちで、その調性や音高を選んだわけではないと思うのです。作曲家には作曲家の意図があって、その調性や音高を選んでいるんだと思うのです。

 以前、キング先生の元で、ベッリーニ作曲の「Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ」を勉強した時、私は高声用の楽譜でレッスンを受けました。はっきり言ってしまえば、わざわざ粋がって高声用でレッスンを受けちゃったんだと思います。キング先生は、それでもしっかりレッスンはしてくださいましたが、先生的には納得していなかったようです。

 この曲に関しては、高声用の楽譜(ソプラノ用です。私はこの楽譜を使用していました)ではなく、原調の楽譜(メゾソプラノ用です)で歌った方がいいと、やんわり教え諭してくれましたが、当時の私には聞く耳がありませんでした。

 先生がなぜ高声用でなく原調の方を良しとしたのか…と言えば、原調ならば月光が、タイトルどおり“優雅な感じ”なのですが、高声用にしてしまうと“ギラギラな感じ”になってしまうのです。曲としては同じだけれど、そこから受ける印象はかなり別物になるんですね。

 当時はそんな事よりも、少しでも高い声を出したい気持ちでいっぱいで、先生のアドヴァイスは心に留まらなかったのです。

 でも今は違います。少しでも高い声を出したい気持ちに変わりはありませんが、作曲家の意図を少しは大切にしたいという気持ちも、少しだけれど持てるようになりました。可能で無理がなければ、なるべく作曲家が指定した調性で歌った方がいいかなあ…と思うようになりました。

 もちろん、原調が自分の声に合わなければ、話は別です。声に合わない曲は歌わないのが一番ですが、それでも歌いたい時は、自分の声に合わせた移調譜を使っちゃうと思います。あくまでも、自分の声優先です。で、自分の声のキャパシティーの中で、最大パフォーマンスとは違うかもしれないけれど、原調で歌えるなら、自分を押し出すよりも、作曲家の意図を大切にしよう…と思うようになりました。

 私にはよく分からないけれど、調性が違うと、和音の色が違うっていうじゃない。色彩って大切だよね。移調する事で、その曲の色が変わっちゃうのは、あまり良くないと思うのです(ただし、私にはよく分かりません)。

 それと、声楽的に言えば、調性だけでなく、声域が変わると、声の支え方が変わるでしょ? 作曲家的には、声を張ってほしくないと思って、低めの音域で書いたフレーズを、勝手に移調して高くして、思いっきり声を張って歌ったら…作曲家さん、がっかりするよね。逆もそうで、声を張って欲しいと思って高く書いたのに、低く歌われても、また違うと思うし…。そんな事も、たまに考えるんですよ。

 なので、歌曲はなるべく、原調で、作曲家が指定している音高で歌えるのなら、なるべくそのままで歌ってみたいと思うわけです。

 ちなみに、オペラアリアを移調して歌うのはありえないと思ってます。オペラアリアは、自分の声色を優先して選ぶべきだし、声域なり技術なりが足りなければ、頑張っていくしかないと思ってます。それゆえ、オペラアリアを歌うのは難しいのです。

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2018年8月30日 (木)

東京音楽コンクール(声楽部門)を見てきました

 えっと、標題通りです。いつもの年なら、音楽コンクールを見てきても、記事にしたり、ましてやアップするなどしていないのですが、今年は特別です。どこが特別なのかと言うと…今年は二次予選と本選と両方見てきたからです。

 実は数年前から、東京音楽コンクールを見てきました。最初の年は、本選だけ見てガッカリして…と言うのも、本選がつまらなかったからです。上手いのかもしれないけれど、全然面白くない人たちが面白くない曲を歌うだけの、実に退屈なコンクールだったからです。

 まあ、コンクールなんだから、つまらなくても仕方ないよね…と当時は思っていたものでした。で、その年の予選の表を見てみたら、予選の方が色々な声種の人たちが出場していたし、中には面白そうな曲を歌っている人もいるし、本選はオペラアリアだけだけれど、二次予選は歌曲も歌わないといけないし…というわけで、本選よりも面白そうに思えたのです。

 で、次の年は二次予選(一次予選は非公開なのです)を見に行きました。実に面白かったですよ。なんだ、コンクールと言っても、とても上手な人たちのガラ・コンサートとして楽しめるじゃんって思ったわけです。で、わくわくして結果発表を待っていたら、本選に進んだのが、面白くない歌を面白くなく歌った人だったので、ガッカリして本選は見に行かなかったわけです。

 そんな感じで、それ以降も、二次予選を楽しんだら、本選はパス…という楽しみ方をしていたわけです。で、今年も例年通りのやり方で楽しもうと思って、二次予選を見に行ったわけです。

 で、二次予選です。例年の通り、お上手な方々が揃っていました。ま、そりゃあそうだよね、コンクールだもの。オペラアリアあり、歌曲ありだし、色々な声種の方が歌っていて、例年のように楽しみました。

 私は、私自身がテノールですから、テノール歌手さんの歌を楽しみにしています。でも、コンクールに出てくるテノールさんって、例年、コンクールでは勝ち残れそうもない(ごめんなさい)方が多くて「まあ…ね」って感じで、正直「テノールってきっついなあ…」と思っていたのですよ。

 でも、今年はちょっと違いました。テノールさんはお二人出場していたのですが、小堀勇介氏が、めっちゃ良かったんですよ。何が良かったのかと言えば、声です。正直言うと、コンクールの二次予選に出てくる段階で、みんな上手なんですよ。少なくとも、素人の耳では、判断がつかないくらいに、皆さん上手なんです。だから、素人的には、声の凄さでしか感動できない…という状態なんですよ。いや、それくらいに皆さん、実力的に拮抗しているんです。

 で、声が凄い…ってタイプの歌手さんは、あまりコンクールには出てこないのですね。コンクールに出てくる人たちは、みなさん「歌が上手」というタイプの方々で「声が凄い」タイプの人って…たぶん、コンクール向きじゃないんでしょうね。

 で、この小堀氏は、実に声が素晴らしかったのですよ。いや、ビックリしちゃいました。ここ数年、コンクールを見てきましたが、小堀氏はピカイチじゃない? そう思いました。

 でもね、もっと凄い人がいたんですよ。

 コンクールの最後から2番目に歌った、ザリナ・アルティエンバエヴァ(ソプラノ)氏、今回(おそらく)唯一の外国人だと思うのですが、この人が第一声を聞いて、びっくりしました。いやあ、レベルが違うんですよ。この人が歌った途端に、今までの出演者の事を忘れちゃいましたもの。それくらいに、声の凄さのレベルが違うんです。

 二次予選のチケット代って500円なんですよ。でもね、このアルティエンバエヴァ氏の歌だけで、500円以上の価値があるなって思いました。それくらいに、私、感動しました。コンクールでは感心する事はあっても、感動する事なんて無かった私ですが、たぶん始めて、コンクールで感動しちゃいました。

 なので、このアルティエンバエヴァ氏の後に歌う人(登場順で言えば最後の人)は、可愛そうだなって思いました。だって、こんな凄い声の持ち主の後だもの、何をどう歌ったってダメじゃっ…ってね。

 確かに、次の人(ソプラノの種谷典子氏)は、声ではアルティエンバエヴァ氏にはかなわないかな…って思いましたが、その妙な雰囲気に惹かれました。なんだろ、歌っている姿に気持ちを持っていかれるんですよ。フリや簡単な演技を付けて歌うのは、皆さんやっているんだけれど、この人の場合は、なんか違うんですね。歌も演技も含めて、なんか心に残るんです。

 で、当然、本選出場者の中には、上記3名の方が残りました。なので、今年は本選を見に行くことに急遽決めました。だって、この3名が歌うなら、絶対に本選は面白いに決まっているじゃないですか。

 この段階の私の予想では、テノールの小堀氏とソプラノのアルティエンバエヴァ氏の一騎打ちかな?って思っていました。

 で、本選です。この日は仕事でしたが、早退して会場に向かいました。地方勤務だと、定時まで働いちゃうと、東京のコンサートには間に合わないんだよね。

 本選は、この3名を加えた5名で争いました。結果は…

第1位&聴衆賞
ザリナ・アルティエンバエヴァ(ソプラノ)

第2位
小堀 勇介(テノール)
種谷 典子(ソプラノ)

第3位
(なし)

 いやあ、だって、アルティエンバエヴァ氏の歌唱は、最初っから最後まで凄かったもの。あれにはなかなか簡単にケチは付けられません。私は一騎打ちかなって思っていた小堀氏は、最後の方で、声に輝きがなくなってきて…たぶん、ペース配分を間違えちゃったんだろうなあって思います。失敗は無いんだけれど、声にキラキラがなくなってしまいました。そこでアルティエンバエヴァ氏と差が着いちゃったなあって感じました。種谷氏は声とか歌とかは(ごめんなさい)上記の二人ほどではないのだけれど、やっぱり不思議なオーラを感じさせる人で、歌い始めると心を持っていかれてしまいます。小堀氏と同順位だったのも納得です。残りの二人の方は…例年のコンサートの出演者でした。上手いんだけれど、素人ウケはしないよなあ…って感じで、ごめんなさい。

 それにしても、アルティエンバエヴァ氏(舌を噛みそう…)は凄いソプラノさんでした、ファンになっちゃいそう…。小堀氏もなかなかのテノールさんで、ファンになっちゃいましたよ。いやあ、この二人の歌唱を1000円(本選のチケット代です)で聞けたのは、ほんと、お得でしたよ、マジ感動でした。

 というわけで、例年は書かない、コンサート感想記を書いちゃったわけです。

 なお、東京国際音楽コンクールのホームページはこちらです。

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2018年8月 5日 (日)

自分の声帯を見てきた

 気管支炎がひどいという話をチョボチョボとしていますが、ほんとひどいのです。もちろん医者にかかっているのですが、それでもあんまりひどいので、妻の勧めもあって、専門医に見てもらうことにしました。万が一でも、変な病気だったらイヤだからね。

 で、先日、妻も以前お世話になった事のある、横浜の大倉山の先生のところに行ってきました。公式サイトはこちらです。

 で、先生と色々話をして、声帯の検査を受けました。使用した器具は…たぶん、ストロボ式電子スコープって奴。金属製の棒(カメラと照明が仕込んであります)をノドに突っ込んで、リアルタイムに声帯の動きを記録するって、すぐれものです。

 金属棒を突っ込まれたまま、高い声低い声あれこれ発声させられました。で、その様子をビデオ撮影したわけです。

 ここにそのビデオ映像を貼ろうかと思ったけれど、内臓のビデオなので、ちょっとグロいかもしれないので、止めておきます。

 ビデオで見た私の声帯は、とにかく痰がたくさん絡んでいたのと、声帯の下部(肺に近い方)が腫れていました。

 声帯そのものはキレイなものだし、声帯の使い方も、なかなか上手だと褒められてしまいました(へへへ)。

 痰は、病変がある時に、細菌等から声帯を守るために出てくるものだから、痰が絡んでいる時と言うのは、あまり声帯の状態が良いわけではないそうです。実際、声帯は腫れていたし…。でも声帯そのものに傷も怪我も結節もないし、声帯の左右は偏り無く振動しているし、腫れている以外に異常はないそうです。

 なので、治療法としては(投薬を受けながら)乾燥を避け、入浴してカラダを温めるくらいで治るそうです。まあ、大した事はないって話です。

 投薬も、今現在、主治医にしてもらっている投薬で正解で、それを続けていくと良いでしょうというわけでした。

 今は咳に悩んでいるけれど、それは声帯に痰が絡んでいる以上仕方ないわけで、やがて声帯の腫れが取れれば、痰も減り、そうすると咳も収まるって事で、まだまだ気長に治療を続けないといけません…って事なんだなあと理解しました。

 それにしても、自分の声帯なんて、なかなか見れませんから、良い経験をしました。

 最近、書店で見かけなくなった先生のご著書(そのうち買おう、そのうち買おうと思っているうちに消えちゃったんだね)も受付で売ってたので、買って帰りました。近頃は電子書籍以外の本は買わないと決めていた私ですが、たまには例外もあるものです。

 それにしても、ノドが痛い。咳が止まらない。全然、歌えない(涙)。

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2018年7月25日 (水)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は?  その2

 昨日の記事の続きです。

 というわけで、このように、私とそのブログ主さん(ってか、一般的なクラヲタさん)では、歌曲の定義が違うので、取り上げる作曲家さんも、こんなに違うわけです。

 これらも視野に入れた上で、そのブログであげられた作曲家たちに対する私のコメントはこんな感じです。

1)モーツァルト、シューベルト、シューマン、フォスター、フォーレ、カントルーブ

 これらの作曲家は、まごうことなく歌曲の作曲家です。彼らが歌曲作曲家のリスト入するのは当然な話です。ただし、カントルーブは、歌曲作曲家なのですが、トップ14に入れるほどの人気作曲家であるのかという疑問は残ります。

2)ベートーヴェン、ヴェルディ

 他のジャンルの曲が有名すぎて、あまり歌曲の作曲家というイメージが薄いのだけれど、まあ歌曲も作曲しているし、よく歌われているし…で、彼らも歌曲作曲家のリスト入しても良いかなって思います。

3)シュッツ、バッハ、ヘンデル、ハイドン、オルフ、デュルフレ

 私としては、彼らを歌曲作曲家には入れたくないです。理由は以下の通り。

 シュッツ…明らかに古楽の人です。時代が合いません。また、作曲した声楽曲も合唱曲とマドリガーレばかりです。マドリガーレはリュート伴奏が基本なので、歌曲とは別ジャンルの音楽であると考えます。

 バッハ…彼も古楽の人でしょ。バッハの場合、膨大な数の声楽曲は書いているけれど、その大半は、カンタータとかオラトリオとか受難曲であって、その中にアリアやモテットがたくさんあって、それらが単独で演奏会などで取り上げられて歌われる事があります。でも、あれらはアリアやモテットであって、歌曲じゃないです。オペラのアリアは歌曲じゃないのと、同じ理屈です。だからバッハを歌曲作曲家として扱うのは、私は反対です。

 ヘンデル…古楽の人です。カンタータの中のアリアは有名な曲が多いですが、私の定義では歌曲ではありません。

 ハイドン…ハイドンは確かに歌曲も作曲していますが、ではハイドンの歌曲って聞いたことありますか? 作曲した事と、人々に愛聴されている事は別です。やはりハイドンは交響曲の父ですよね。

 オルフ…現代版バッハって感じの作曲家で、カルミナ・ブラーナに代表されるカンタータを中心に作曲した人であって、彼の歌曲って…実際に演奏されるんですか?って感じです。オルフを代表的歌曲作曲家の中には入れたくないです。

 デュルフレ…レクイエムを書いているというだけで、基本的にはオルガンの作曲家だし、レクイエムは歌曲じゃないし…。彼を歌曲作曲家に入れるのは、私は反対です。

 なので、私が歌曲作曲家のリスト(14人に限定)すると、こうなります。

モーツァルト
シューベルト
シューマン
メンデルスゾーン
ヴォルフ
ベッリーニ
トスティ
ドナウディ
フォスター
グノー
フォーレ
滝廉太郎
山田耕筰
中田喜直

 こんな感じかな?! もちろん異論は認めます(笑)。

 やはり歌曲作曲家と言えば、ドイツ系のメンデルスゾーンやヴォルフ、イタリア系のベッリーニ、トスティ、ドナウディ、フランス系ならグノーは外せませんし、日本の作曲家を忘れてはいけません。個人的には武満を入れたいのですが…トップ14には入らないわなあ…。

 それにトップ14に限定してしまうと、マーラーやブラームスなどの大物歌曲作曲家も入りません(涙)。レオンカヴァッロやレスピーギが入らないのも残念だし、ロッシーニやヴェルディ、プッチーニが入らないのも残念無念。でもまあ、こんなモンでしょうね。

 私が、歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は、こんな感じです。

蛇足 ちなみに、私が見て参考にしたブログですが、音楽ブログだったのは昔の話で、今はパヨク系の政治ブログになっているみたいなので、あえてリンクはしないでおきます。政治ブログなのは良しとしても(言論の自由は尊重します)パヨク系のブログを紹介する勇気は、私には無いんです(ごめんね)。

蛇足2 メンデルスゾーンの歌曲って、実はメンデルスゾーンの作曲ではなく、姉のファニーの作曲のものが大半なんだそうです…ってか、姉のファニーは、当時の女性の社会的な立場も考慮して、弟の名前で作品を発表していたんだそうです。あの有名な「歌の翼」は、いったいどちらの作品なのかしら?

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2018年7月24日 (火)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は? その1

 クラシック音楽関係の呼び屋さんをやっている方のブログの、昔々の記事に「あなたの好きな歌曲はなんですか?」という記事がありました。選択方式になっていて、作曲家を選択して、コメント欄で曲名を紹介してください…って感じの記事で、そこに上がっている作曲家って、以下のようなリストなんですよ。

シュッツ
バッハ
ヘンデル
ハイドン
モーツァルト
ベートーヴェン
シューベルト
シューマン
ヴェルディ
フォスター
フォーレ
カントルーブ
オルフ
デュリュフレ

 どうですか? このラインナップ…、一応、プロの音楽の呼び屋さんですから、これはこれで客観的なリストアップなんでしょうねえ(棒読み)。歌曲作曲家と言うと、ごく普通に考えると、この14名(+その他)って事になるのかな?(さらに棒読み)

 なので私、選択できませんでした。だって、トスティが無いんだもの(涙)。じゃあってんで、ベッリーニも無いし、ドニゼッティも無いし、ロッシーニも無いし…。ディ・カプアも、ドナウディも、レスピーギも、スカルラッティも、チマーラも、レオンカヴァッロも、無い。かろうじてモーツァルトとヴェルディはあるけれど、プッチーニは無い。

 なんか、意地悪されているみたい…っていうか、私の歌曲作曲家の好みが、一般的なクラシックファンの歌曲作曲家の好みと、大きく違っているだけなんだろうか…と疎外感を感じてしまいます。。

 それにしても、世間が考える歌曲作曲家って、こうなんだ…。なんか、ショックだよ。私と彼らの間に横たわる溝は、広くて深くて長い…んだろうなあ。見えている世界が全く違うじゃん。

 …って、疎外感を感じた上に弱気になってしまうのだけれど…でも、落ち着いて考えると、そんなに弱気になる必要はないし、ましてや疎外感なんて感じる必要もないわけで、我彼でこんなに違うのは、おそらく、歌曲の定義が違うからだと思います。

 私が思うに、ブログ主さんは、歌曲の定義を「歌手がメロディーを歌っている作品」程度にしか考えていないと思います。ま、プロの呼び屋さんがこの程度なら、一般のクラヲタだって、その程度でしょう。

 あと、声楽曲と歌曲の区別が曖昧とか? そう考えると、モーツァルトを始め、ヴェルディやフォーレやデュルフレはレクイエムの作曲家だし、シュッツやバッハ、オルフなんかはカンタータの作曲家だし…ね。ハイドンやベートーヴェン、シューベルト、シューマンはミサ曲書いているし…、ヘンデルはメサイアだし、そういう定義なら、こういうリストになるのかもしれません。フォスターとカントルーブなどの軽めな民謡っぽい曲を書いている、この二人が入っているのは???ですが…。

 とにかく、私が考える歌曲の定義とはだいぶ違うんだよね。

 で、私が考える歌曲の定義は…、

1)原則的に独唱であり、ピアノ伴奏とともに歌う形式の曲であり、古典派以降の独唱曲を指す。ただし、ロマン派以降作曲された、独唱とオーケストラ伴奏の形式の曲も歌曲に加えてもよい。

2)明示された作詞家と作曲家の作品である。

3)オペラやカンタータなどの大曲の一部ではなく、独立した一つの作品である。

4)合唱曲や合唱を伴う曲は、歌曲には入れない。

5)宗教曲は、歌曲には入れない。

 こんな感じです。つまり、1)は、器楽曲でいうところの、ソナタとかコンツェルトの声楽版が歌曲って考えています。基本的に室内楽だし、ピアノ誕生以降の曲じゃないといけないと思ってます。でも、音楽が拡大化したロマン派以降は、歌曲がホールでも演奏されるようになったわけで、それならオケ伴奏でもいいかなって思ってます。

 2)は、民謡とか伝承曲は歌曲じゃないよって話で、歌曲には、作詞家や作曲家の作家性が反映されているものじゃないとダメよって事です。

 3)は、歌曲は歌曲として独立した作品であって、大曲の一部は大曲の一部であって、歌曲じゃないですって話です。

 4)歌曲は合唱曲ではないですって事ですが、重唱曲に関しては、歌曲として作曲されたモノに関しては、歌曲に入れられるように考えています。

 5)宗教曲の場合、独唱+鍵盤楽器なら、それは歌曲ではなく、讃美歌になると思ってます。基本的に歌曲は世俗音楽だと思ってます。

 長くなってきたので、続きはまた明日にします。

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2018年7月12日 (木)

最近、やたらとむせます

 標題のとおり、最近やたらとむせるんですよ。ゲホゲホ。

 原因は…老化? ちょうど私ぐらいの年齢あたりから、老化でむせる人が多くなるって、あっちこっちの医療系のブログに書いてあります。いやあ、老化現象か、仕方ないなあ…とばかりは言っていられません。

 むせる原因は…その手のブログによれば、誤飲が原因とか。つまり、食べ物や飲み物、挙句の果てには自分の唾液とかを飲み込むのが下手になって、それらが本来、食道に行かないといけないのに、うっかり気道に入ってしまい、それでゲホゲホむせる…という話なのです。

 で、こういうよくむせる人は、遠からず誤飲性肺炎を起こすんだそうですし、肺炎というのは、老人の死因の第3位というわけで、このままでは、私もそう遠くない未来に死んじゃうみたいです。ま、仕方ないね。

 私が子どもの頃の老人の死因と言うのは、老衰・ガン・脳卒中って感じだったのに、今や、ガン・心疾患・肺炎なんだって。肺炎、恐るべし。

 もっとも肺炎って、人々の口の端に上がらなかっただけで、老人の死因の4~6位圏内には常に入っていたそうで、昔から死病の一つだったそうです。ちなみに、現在の4~6位は、脳血管障害・老衰・不慮の事故なんだそうです。不慮の事故って何?

 たまに逆流性食道炎(ってか、胃液がノドに上がってくる)もあるし、私、割と年中、ゲホゲホゴホゴホやっている感じがします。あんまりゲホゲホやって、腰がしびれちゃう時もあります(咳って全身運動なんですね)。

 むせると声帯が痛むんだよねえ…。

 で、昨今、四六時中むせるようになった私ですが、そこで思い出すのが、キング先生の言葉です。キング先生のところを辞める少し前ぐらい(まだそんなに関係が悪くなっていなかった頃)に「すとんさん、そのうち、よくむせるように…なるよ!」と言われた言葉を思い出します。

 むせるって何? よくむせるってどういう事? …とむせ知らずの頃はそう思っていましたが、キング先生の予言(呪い?)は当たり、今や四六時中ゲホゲホやってます。

 なぜあの時、キング先生は私がむせるようになると予言できたのか? その理由を知りたいです。まあ、本人に尋ねればいいのでしょうが、私、あの人の声を聞くだけで、さんざんいじめられた思い出がフラッシュバックして、心臓がバクバクしちゃうので、聞けません。一種のPTSDなんだろうね、先生の立場で生徒さんをいじめちゃダメだよね、そんなイジメはイジメのみならずパワハラだしね。ま、そのおかげで、Y先生という、普通に良い先生に師事できるようなったわけだし、世の中はポジティブシンキングで行くしかない。

 まあ、自分の様子を観察してみるに…逆流性食道炎っぽい症状は、食べてすぐ寝てしまって、ウシになってしまうからなるんだよなあ…って思います。なるべく食休みを取るように心がけているのだけれど、でも食べてすぐ寝るのって…至福なんだよね。

 あと、普段のゲホゲホは、食べ物が気道に入ってむせる事が無いわけじゃないけれど、それよりも食べている時に、食べ物がクチの奥ってか、ノドの入り口ってか、そのあたりにあたって、刺激されて、思わず反射行動としてゲホゲホやってしまっているような気がします。反射行動じゃ仕方ないけれど、以前は食べ物がクチの奥に当たらなかった…のかな? 急に反射行動が始まるわけじゃないから、私のクチの開け方が最近変わってって事なのかしらね?

 どちらにせよ、あまり良い事ではないので、気をつけたいし、解決策があるなら知りたいです。

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2018年7月 9日 (月)

ヴィブラートとは何か?

 ヴィブラートとは、ヴァイブレーションの事。略せば“バイブ”って事で『振動』を指します。

 音楽用語としては、そもそもは“声の振動”を意味し、声に輝きと潤いを与えるものだと言われています。で、声のヴィブラートがあまりに美しかったので、各楽器もそれをマネて音に振動を与えるようになったわけです。

 ちなみに、楽器はそもそもがノン・ヴィブラートの音が基本ですから、ヴィブラートを“付ける”訓練をしますが、声の場合、そもそも声が自然に振動するものですから、特にヴィブラートの練習というのはしません。音楽ジャンル(女性歌手が少年歌手のパートを歌う必要があるジャンルなど)によっては、ノン・ヴィブラートで歌う必要あるので、そのためにヴィブラートを付けずに歌う訓練をするほどです。

 横道にそれますが、少年の声(ボーイソプラノなど)には、基本的にヴィブラートはかからないんですね。でも、成人女性の声にはヴィブラートがかかってしまうので、同じ音域(ほぼ)同じ声色であっても、少年と成人女性の声には違いがあります。

 閑話休題。ヴィブラートとよく混同されるものに“こぶし”があります。ヴィブラートが無意識に付加されるモノであるならば、こぶしは意識的に付加していくモノです。そういう意味では、楽器のヴィブラートは意識的に付加していくモノですから、歌の世界(日本の歌謡曲とか演歌の世界です)の“こぶし”に近いモノなのかもしれません。

 声のヴィブラートは、音程の振動を指します。ですから、低い声はゆったりとヴィブラートがかかり、高い声は小刻みにヴィブラートがかかっていきます。音程とヴィブラートの振動感覚というのは関連があるので、これを無視して作為的にヴィブラートを掛けると、違和感が生じ、汚く聞こえます。

 作為的…とは違いますが、結果的に不自然な振動を与えてしまい不快感を与えてしまうのが、いわゆる“縮緬ヴィブラート”と呼ばれるものです。これは声の老化の一種で、声帯周りの筋力低下に伴い、発声動作に痙攣が伴うようになり、そのために不自然な振動が声にかかってしまう事が原因だと考える人がいます。作為ではないので、本人には自覚はないのですが、ヴィブラートの振動が音程とは関係なくつけられているので、聞き心地が良くないのです。こうならないためには、歌う人は、ある一定の歌うための筋力維持というのが必要になるのだろうと思います。

 で、楽器のヴィブラートですが、ヴァイオリン等の弦楽器のヴィブラートは、声と同じ音程に振動を与えるヴィブラートですが、フルート等の管楽器のヴィブラートは、声とは違って、音量の変化によるヴィブラートで、厳密に言うと(管楽器のヴィブラートは)ヴィブラートと呼ぶべきではないのですが、他に呼び名がないし(声の)ヴィブラートの効果を目指してかけているので(管楽器のヴィブラートも)ヴィブラートと呼んでいいのだろうと思います。

 ま、そもそもヴィブラートは、声に輝きと潤いを与えるための技法であり、たまたま元祖である声は音程を揺らして効果を得ていたわけですが、音量を揺らして同じ効果を得られるなら、同じものと扱ってもいいんじゃないかって考えるわけですね。

 ヴィブラートは、いわば美しい楽音を作り出すための技法の一つであって、歌の場合は、正しい発声方法が身につけば、自然と身につくものであり、特に意識するものではないと思います。

 楽器の場合は、意識的に習得しないと身につかないものなので、ヴィブラート奏法ができるようになるためには、そのための特別な努力と修練が必要になります。弦楽器の場合は、ヴィブラート奏法は、かなり古い時代に一般的になってしまったため、ヴィブラートのない弦楽器の演奏音というのは今では考えられないので、たとえアマチュア奏者であっても、頑張って習得していかないといけないと思います。

 そこへいくと管楽器のヴィブラートは、これが奏法の中に組み込まれてきたのは、割と最近(フルートなら20世紀前半のモイーズから一般的になってきた…と私は聞いています)なのだそうで、近年の流行りと言えば、言えます。なので、管楽器のヴィブラートは、歌や弦楽器のヴィブラートとは異なり“マスト”なものとはまだまだ言えないと思います。ネットでは、初心者に毛の生えたくらいの人(ごめんなさい)がヴィブラートの習得に励む様子がよくアップされていますが、私が個人的に思うに、ヴィブラートに励む時間があったら、もっと基礎的な訓練に時間をかけて、まずはきちんとフルートが吹けるようになるのが先決だと思います。ヴィブラートはあくまでも、音に輝きと潤いを与えるための技法であり、いわばオプションですから、オプションを習得する前に“きちんと普通に吹けるようになる事”が前提になってくると思います。

 オプションよりもメインを先に身につけろよ…って話です。オプションはメインを終えてからで十分だろうって…事です。

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2018年6月27日 (水)

では歌は独学で学ぶ事は可能だろうか?

 フルートは独学でも十分学ぶことが可能だと結論づけた私ですが、では歌に関してはどう言うべきか…というのが今回の記事となります。

 フルートでも“吹ける”の基準をかなり下げた私ですが、同様に歌でも“歌える”の基準をかなり下げれば、独学でも歌は学べる…と言いたい気もしますが、そこは器楽と声楽の違いもあり、なかなか言い切るのが難しいと思ってます。

 結論を言ってしまうと、歌に関しては独学は意味がないと思います。なぜなら、歌える人は学ばなくても歌えるし、歌えない人は独学したくらいじゃ歌えるようにはならないからです。

 分かりやすく言えば、フルートを独学で学ぶために必要な、楽器(フルート)と初心者向け教則本は、ちょっと立派な楽器店に行けば売っているので、それを購入して始める事ができますが、歌に関しては、楽器(歌声)も初心者向け教則本も、楽器店では売っていません。つまり、歌に関しては言えば、楽器も買えなきゃ、教則本も入手が難しいのが現実なのです。

 つまり歌に関していえば楽器(歌声)は購入できないので、必ず自分で作らないといけないわけだし、教則本も無いので、歌を上達するための決まりきった練習法もない…ということは、歌う人それぞれの得意不得意に合わせて練習メニューを考えていかないといけないわけで…そういう点を考えるならば、歌に関しては独学で学んでいくのは、ほんと、難しいと思うわけです。

 結局、歌に関して言えば、演奏法を学ぶ前に、楽器を作らないといけないし、作った楽器は一品物なので、その操作法も個別に学ばないといけないわけで、だから歌は、個人的に学ぶ以外に上達していく道はないのかもしれません。これは、クラシック声楽だけの話ではなく、合唱であれ、カラオケであれ、演歌であれ、民謡であれ、ロックやフォークであっても…です。

 歌は個人的に学ばないと、いくら経験を積んでも、決して上達しない事は、市民合唱団に行くと分かります。

 多くの市民合唱団では、個人レッスンはしません。演奏会に向けての曲の練習以外だと、せいぜい発声練習という名の準備体操をするくらいです。定期的に練習に参加すれば、歌うための筋肉が自然と鍛えられますから、入団直後と比べると、多少、地声が強くなる事はあるかもしれませんが、まあ、たいていはそれどまりです。

 合唱団では、音程の良い人は、最初っから良いですし、音程の甘い人は十年歌っていても甘いままです。よほど指導者の腕が良いわけでなければ、市民合唱団の歌などは、十年経っても二十年経っても、大きくレベルが変わるわけではありません。

 歌は、歌っているだけでは上達しないのです。

 だから、バンドのヴォーカルなどは、最初から歌える人が担当する事が多いのは、そういう事だからです。ギターを始めとする楽器たちは、最初は初心者で全然弾けなくても、練習をしていけば、やがて弾けるようになりますが、ヴォーカルに関しては、最初に全然歌えない人が担当してしまうと…いくら練習しても、たいして上達しないので、そのバンドはやがて行き詰まってしまうので、最初から歌える人がヴォーカルを担当するわけです。

 市民合唱団などは、歌えるメンバーが数名いれば、後はむしろ歌えなくて声も出ないメンバーがたくさんいると良いのだと思います。なにしろ、歌えなくて声も出ないメンバーは、演奏の邪魔になりませんし、団を(会費によって)経済的に支えてくれるし、運営も手伝ってくれるから、団としては、とても助かる存在なのです。

 むしろ市民合唱団等では、歌えないけれど声が出ちゃうメンバーというのは、大変毛嫌いされます。なぜなら、彼らは演奏の邪魔だからです。

 彼らが練習に真面目に参加していれば、やがて必ず上達するなら、誰も彼らを邪魔者扱いはしないでしょう。迷惑かけるのも一時の事であって、やがて上達して大事な戦力になる…と思えば、団だって彼らを大切に育てていくでしょうが、現実的には、彼らの歌が上達することは、まずありません。1年歌っても3年歌っても5年歌っても上達はしないのです。やがて上達しない自分に肩身の狭さを感じて彼ら自らが合唱を辞めてしまうか、そうでもなければ、団のお局さんたちが彼らをいびりまくって追い出すか…とにかく、邪魔者はやがて排除されてしまうわけです。

 なので、才能がある人はともかく、普通の人は、歌は独学ではダメで、きちんとした人の指導の元で学ばないと、残念な事に決して上達しないのです…と私は考えています。

 歌って、誰でも歌えそうな気がしますが、誰もが歌えるなら、世の中には音痴と呼ばれる人たちなんているわけないのです。でも悲しいことに、世の中には音痴と呼ばれる人たちは、少なからず存在します。彼らとて、きちんとした指導を受ければ、決して音痴のままではいないと私は思いますが、多くの音痴な人は、歌を学ぶ事はしないので、いつまで経っても音痴なままなのです。

 歌を独学で学ぶのは、とても難しい事だと思います。声楽は器楽ほど、一般人に優しくはない…って事です。

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2018年6月 7日 (木)

声楽的な歌い方と合唱的な歌い方の違いについて

 最近、合唱の人と、何かと歌の話をする機会の多い私です。そこで、気づいた…というか、互いに認めあった、声楽的な歌い方と合唱的な歌い方の違いについて、メモ程度に書いておこうと思いました。

1)レガートとマルカート

 おそらく、一番の違いはここかな?って合意したのですが、それがレガートとマルカートの違いです。

 レガートと言うのは、音と音をなめらかにつないで歌う事です。一方、マルカートと言うのは、音と音をはっきりと粒立てて歌う事です。

 声楽的な歌い方の基本はレガートです。メロディーラインをたっぷりと溜めてつなげて美しく歌っていくわけです。合唱的な歌い方の基本はマルカートです。マルカートで歌う事で、歌詞をクリアに発音し、縦のラインを揃えて歌っていくわけです。

2)飛ばす声と溶ける声

 声を遠くに飛ばして歌うのが声楽的な歌い方であり、自分の声を周囲の声に溶け込ませて歌っていくのが合唱的な歌い方です。もし、これを逆に行ってしまうと台無しになります。周囲の音に溶けて観客に聞こえない声楽歌手の歌なんて聞きたくないでしょ? 合唱団の中から、特定の声だけが飛び出して聞こえてくるなんて、せっかくの合唱をぶち壊しにしてしまうでしょ? つまり、そういう事なのです。

 別の言い方をすれば、目立つ声と目立たない声の違い…とも言えます。

3)美しい声と正しい声

 もちろん、声楽であれ合唱であれ、美しくて正しい声で歌う事は前提ですが、どちらがより強調されるのか言えば、声楽では美しい声が、合唱では正しい声が、より必要とされます。

 ってか、声楽では、いくら音程やリズムやアーティキュレーションが正しく理想的に歌えたとしても、声に魅力がなければ、お話になりません。全然ダメです。正しく歌えるのは前提条件であり、それに加えて、美しい声で歌えないといけません。

 合唱だって美しい声で歌える越したことはありませんが、周囲の仲間たちとの声のバランスを取ることの方が、もっと大切です。自分一人が理想的に美しい声で歌えても、周囲の仲間たちがそこまでの声でなければ、あなたの声ばかりが目立ってしまい浮いてしまいし、せっかくの合唱をぶち壊して兼ねません。合唱では美しい声である事に越したことはありませんが、それよりも周囲と息を合わせ、声を溶かしていく方が大切です。

 ですから、声の美しさに関しては、声楽ほど突き詰めていく必要はなく、むしろハモっていくために、正しい音程・リズム・アーティキュレーションで必要があるのです。

4)一人で背負って立つ声とあなたに全部おまかせの声

 これは発声というよりも歌う姿勢の違いかな? 声楽ってかソリストと言うのは、その場の音楽的な責任を背負って立って歌わないといけません。これは、プロアマ関係ありませんし、舞台の大きさも関係ありません。一度ステージに立ったならば、ピアノなりオーケストラなりをリードしつつ、自分の音楽世界を作らないといけないのです。歌手が音楽を作っていくのです。

 一方、合唱の場合は、あなたまかせ…と言うか、すべてを指揮者にゆだねて歌います。ざっくり言うならば、指揮者が演奏者であって、合唱は、指揮者の良き楽器でなければなりません。指揮者の意図を忠実に再現していくように歌わないといけません。決して自我をむき出しにしちゃいけません。あくまでも自分は抑えて、指揮者に声を捧げていくのです。

5)イタリア語とラテン語

 日本語以外の外国語と言う意味で、一番よく歌うのが、声楽ではイタリア語、合唱ではラテン語ってところでしょうか? ラテン語はほぼローマ字ですから、さほど難しくありませんし、イタリア語もほぼローマ字ですけれど…ラテン語程ローマ字っぽくないのが、たまに傷だったりします。ま、それでもドイツ語やフランス語と比べれば、どちらの言語も日本人には親しみやすい言語なんですけれど…ね。

 とまあ、こんな感じの結論を出したわけです。

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