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2019年8月 5日 (月)

森麻季氏のコンサートに行ってきました

 長々とお休みをいただき感謝です。本日からブログを再開したいと思います。

 さて、先日、当地に当代トップクラスのソプラノ、森麻季氏がやってきました。当然、当地のプロ・アマ問わず、声楽&合唱関係者たちがずずずいーと集まった事は言を待ちません。とにかく、知った顔があっちこっちで見受けられました。それくらい、当地の声楽&合唱関係者にとっては、大型“祭り”となりました。

 ま、都会なら(極端な話)割と頻繁に見られるレベルのコンサートであっても、地方都市在住者にとって、めったに無い奇跡のコンサートだったりするわけです。東京の平日の夜のコンサートにホイホイと出かけられる人はともかく、平日は仕事に束縛されていたり、金銭的or時間的な余裕が無い人だと、ビッグネームの休日での地元コンサート開催って本当にありがたいのです。私だって、仕事を終えてから東京に行くのは無理だし、休日であっても東京のコンサートホールまで片道2時間近くかけて出かけるよりも、徒歩10分の地元のホールでやってくれれば、本当に助かります(それに地元開催の方が、同じ内容のコンサートでも確実に安価だしね)

 セットリストは以下の通りでした。

グノー「宝石の歌」~歌劇「ファウスト」より
  [ピアノ曲]
山田耕筰「からたちの花」
久石譲「スタンド・アロン」
ビゼー「何を恐れることがありましょう」~歌劇「カルメン」より
  [ピアノ曲]
グレトリ「私は鎖を断ち切る」~歌劇「嫉妬深い恋人」より
  [休憩]
マイアベーア「影の歌」~歌劇「ディノラー」より
フォーレ「月の光」
フォーレ「夢のあとに」
  [ピアノ曲]
シャルパンティエ「その日から」~歌劇「ルイーズ」より
フォーレ「リディア」
ショーソン「蜂すずめ」
  [ピアノ曲]
グノー「私は夢に生きたい」~歌劇「ロミオとジュリエット」より
  [以下、アンコール]
越谷逹之助「初恋」
ヘンデル「涙の流れるままに」~歌劇「リナルド」より

 コンサートの感想としては…休憩代わりのピアノ曲が多かったなあって思いました。お客さんたちは声楽ファンばかりで、ピアノ曲には興味がないと見えて、森氏が歌っている時は、まあまあ静かなのですが、ピアノ曲になると、一斉に手荷物等をゴソゴソし始めるわけで、いやあ実に興味の無さがあからさまでした。都会なら、そんな事はないけれど、地方都市だと、そのあたり無作法な人も多いからね(溜息)。歌手にとって、コンサートの最中に適当に休憩を取る必要があるのは理解するけれど、私的には共演者にピアニストだけでなく、男性歌手も加えて、デュエットもしつつも、休憩時間として男性歌手に歌わせてもいいのではないかと思いました。男性歌手(特に若くてイケメンなら)が歌っていれば、客の大半を占めるお姉様方も静かにしてくれると思うんだよね。

 さて、肝心な森氏の歌唱は、実に素晴らしかったです。コンサート開始時こそ、ちょっと声が出ていない印象でしたが、最初の2~3曲を歌った後は、すぐに本調子になったようで、十分に楽しませていただきました。それにしても、ほんと、穴のない、実に見事な歌唱であると感服しました。

 あえて言えば問題は、やはりお客さんの側の問題が山積みであって、森氏が歌っていても、平気で咳や咳払いをする人がいて、肝心なところがそれらの騒音でかき消されてしまうこともたびたびあり、都会のコンサートではありえないなあ…とちょっぴり残念な気分にさせられました。私の隣に座っていたお姉さまなどは、常に独り言を言っていて、感動しているのか、休みなく「うーー」とか「あーー」とか言っているだけなく、ピアノの感想の時に「今日のコンサートに来てよかったわ…」というご感想を述べたり、森氏の歌に合わせて鼻歌を歌われたり、コンサートを楽しんでいるのはよく分かりましたが、そりゃあとてもとても私の集中力を削いでくださいました(涙)。ちなみに妻の隣に座っていた方は森氏の同業者の方だったようで、一曲歌い終わるたびに辛口のコメントを友人さんとしていたそうです。コンサートを純粋に楽しめないのなら、来なきゃいいのに…。

 とにかく、コンサートそのものは素晴らしかったのですが、あれこれ雑音が多すぎて…オペラ公演とかテノール歌手のコンサートでは、そういう事ってあまりないのですが、やはり女性歌手のコンサートって事で、お客さんたちもあれこれこじらせちゃうのかもしれません。女の敵は女…ってヤツでしょうか? もっと素直にコンサートを楽しませて欲しいと切実に思ったものです。

蛇足 アンコールは2曲しか書かれていませんが、実際、2曲で終わりました。私が思うに、3曲目が用意されていたのかもしれませんが、「涙の流れるままに」を歌い終えた途端、会場のお姉様方が速攻で帰り支度をし始めたので、まだ会場も暗いのに、そのままコンサートが終わってしまいました。会場が明るくなるまで、結構な時間がありました。暗い中でも、我先に帰り始めちゃったんです。みんなそんなに「涙の流れるままに」が聞きたかったわけだし、「涙の流れるままに」と「スタンド・アロン」の2曲が聞けて、大満足だったようです。後の曲への興味は…あまり無かったのかもしれません。やっぱ、持ち歌を持っている人って強いなあ…。

 

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2019年7月16日 (火)

なぜアマチュアの歌は下手くそに聞こえるのか?

 ここでなぜ“歌”と限定したのかと言えば、器楽の場合、別にアマチュア・プロの差はなく、上手い演奏は上手に、下手な演奏は下手に聞こえるからです。ここで言う、上手い下手は、主に技巧的な話になります。つまり、練習をたくさんして、楽譜の指示通りに、スキのない演奏をすれば、たとえ演者がアマチュアであっても、それなりに上手な演奏に聞こえるというわけです。

 まあ、そんな上手な演奏でも、やはりプロの演奏とは違って、越えられない谷間が存在はするのですが、アマチュア演奏家と言えども、そんなに下手くそな演奏って、案外、できないのです。おそらく、楽器に助けられている部分があるからだろうと思います。

 そこへ行くと、歌は楽器の助けがありませんから、器楽と違って、下手くその穴も多く、そこにうっかりハマってしまう事もあり、なかなかアマチュアの歌が上手に聞こえる事って、難しいし、稀なんです。

 これが素人さんの発表会にたくさん足を運んだ私の感覚です。だって、たまにいる発表会でやたらと上手な人って、ゲストのプロだったり、音大卒業生(つまりセミプロだな)だったして、純粋アマチュアの人って、なかなか上手に歌ってくれないんだよ(涙)。

 門下によっては、みんな目を覆わんばかりに下手…なんてところも(ブログには書かないけれど)たくさんあります。

 閑話休題。さて、本題である“なぜアマチュアの歌は下手くそに聞こえるのか?”について考えてみたいと思います。まず話の前提として、本当に“下手な歌”は除外です(笑)。少なくとも、ソルフェージュ的には正しい歌なのに、下手くそに聞こえる…こういうアマチュア歌手にありがちな問題について、ここでは考えてみたいと思います。

 1)声が揺れる…多くのアマチュア歌手の歌声は、たいてい揺れています。これがヴィブラートなら問題ないのですが、ヴィブラートと呼べるほどに規則正しくもなければ美しくもなく、ただただ音程が揺れるばかりで、それが不快に感じられ「下手くそ」と思われてしまうのです。特に音程が揺れながら下がっていく人が多く、そうなるとますます「下手くそ」って思われてしまうのです。

 音程が下がる…と言っても、チューナーで測れば、かろうじて、その音程の中にいるのに…それでもダメなんですよ。人間の耳って、チューナーよりも敏感だからね。

 2)声がブチブチ切れながら歌う…私もやりがちなんですが、他人の歌でこれをやられると、ほんと残念に思います。本人は無意識なのが残念です。

 ある種の人たちは、歌をマルカートで歌う癖があるみたいです。マルカートとは、音を粒立てて歌う事で、歌の場合、歌詞を滑舌良く歌う事を目指して行われる事が多いのですが、これをずっとやっていると、声がブチブチ切れちゃうんです。それでもポピュラー音楽とか合唱では、マルカート唱法(?)って、結構推奨されるんですよね。でも、クラシック声楽の基本はレガート。もちろん、レガートで歌うのと滑舌良く歌うのを両立させるのは難しいですよ。で、マルカートで歌っちゃうと…残念にしか聞こえないのです。

 3)話し声で歌う…さすがに100%話し声で歌っている人は、クラシック声楽の発表会では見かけませんが、それでもかなり話し声に近い声で歌っている人は大勢います。特に、男性(困)。話し声って話声であって、歌声じゃありません。少なくとも、ベルカント(美しい歌)ではないわな。

 4)声が小さい…アマチュア歌手の最大の特徴が“声が小さい”です。よく聞けば、上手に歌われているような歌であっても、声が小さくて、よく聞こえなければ、良い印象は与えられません。ボサノヴァ歌手の囁くような歌声はマイク使用が前提であって、クラシック声楽はノーマイクが原則ですから、会場に響き渡るような朗々とした歌声でなければいけません。それが最低条件ですよ、でも、その最低条件をクリアできないわけですから、低評価になってしまうのも甘んじて受け入れなければいけません。

 …って感じで、ザッと考えるだけでも、アマチュア歌手の歌が下手くそに聞こえる理由は4つもありました。ううむ、実に残念です。

 で、この4つのうち、最初の1)と2)は歌唱テクニックの問題、3)と4)は発声テクニックの問題です。

 1)は純粋に筋力の問題だと私は考えます。我々アマチュア歌手は、ただでさえ年配者が多く、体力的に不利な状況にある人が多い上に、歌の練習はしても、筋肉を鍛える方向の練習はしないモノね。歌はカラダを楽器として使うわけだから、運動選手並でなくても、ある程度はカラダを鍛え、筋トレをしていく必要があるわけだけれど、そこが不足している以上は、なかなかこの問題は解決しないよね。

 2)は純粋に歌唱テクニックの話ですから、きちんとした指導者について学ぶ事で解決できると思いますが、問題はきちんとした指導者が、必ずしもきちんと指導してくれるわけじゃないってところに問題があります。「アマチュアなんだから、この程度でいいや」とか「基礎トレーニングをすると、生徒が辞めてしまうから、必要だとは思うけれど、なかなか教えられないなあ…」とか、指導者側の思惑もあるけれど、趣味で学んでいるアマチュアに対して、きちんとした指導をしてくれる指導者そのものが多くはないわけで、そこは“縁”なんだよね。ご縁に恵まれないと、なかなかこのあたりは解決できません。

 3)と4)は発声テクニックの問題だけれど、2)の問題と状況&解決方法はほぼ一緒。きちんとした指導者からちゃんとした指導を受ければ、おそらく解決しますが、そこまでの指導をアマチュアが受けるチャンスが少ないのが悩みです。

 要するに、歌の場合、歌声という楽器を自分で作るところから始めないといけないのだけれど、この歌声という楽器を上手に作れない/作ってもらえないために、アマチュア歌手の歌は下手くそに聞こえがちなんです。

 そこが器楽との一番の違いですね。楽器って、ある程度完成されていますから、その楽器を用いて、楽譜通りに演奏すれば、それなりに聞こえますが、歌の場合、いくら楽譜通りに歌唱しても、未完成な歌声で歌うなら、それなりどころか、下手くそにしか聞こえないわけです。

 そう言ったわけで、声楽って器楽よりも困難なのかもしれません。しかし、逆を言えば、声楽の歌声は、個人差があります。才能に恵まれ、声に恵まれた人もいるわけで、そういう人の歌声は、簡単に楽器の限界を越えてしまうでしょう。ごくごくたまにいる、妙に上手なアマチュア歌手さんって、そういう恵まれた人たちなんじゃないのかな…って、ちょっぴりうらやましく思う私でした。

 

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2019年7月11日 (木)

曜日時間固定制とワンレッスン制

 レッスンの形式(?)の話です。

 曜日時間固定制と言うのは、例えばレッスンを、毎月の第1と第3の月曜日の午後3時から…とか決めて、その日のその時間に定期的にレッスンに通うやり方です。子どものピアノ教室なんかは、たいていこのパターンです。謝礼もたいてい定額制で、大抵は月謝ですね。

 一方、ワンレッスン制と言うのは、一回ごとにレッスンの日時を決めていくやり方です。レッスンの終わりに次のレッスンの日時を決めたり、電話を入れて予約してレッスンに行ったり…というやり方です。

 どちらのやり方にも一長一短があると思います。ちなみに、私の場合、フルートは曜日時間固定制で、声楽はワンレッスン制です。

 フルートは曜日時間固定制で、決められた曜日の決められた時間にレッスンに通っています。日時が固定されているので、通いやすいと言えば通いやすいのですが、その時間に不都合が生じると(ま、仕事が入ってしまう事が一番多いのだけれど)レッスンを休まざるを得ません。振替とか補講とかをやる先生もいらっしゃるようですが、ウチの場合、生徒の都合で休んだレッスンの振替はありません。先生の都合で休んだレッスンの場合は…レッスンは年40回という契約で、先生は年47~48回くらいレッスンしてくれるので、たまにお休みしても振替無しです(ま、当然だな)。

 曜日時間固定制なので、私がレッスンに行こうが休もうが、先生は毎回必ずお教室にやって来られます。月謝も固定制なので、私がレッスンに行こうが休もうが、先生には謝礼が支払われますので、レッスンをお休みすることへの罪悪感は、少なくとも金銭的な面ではありません。

 習いはじめの頃は、仕事もそれほど忙しくなかったので、毎回毎回レッスンに通えて楽しかったのですが、最近は仕事が忙しくなり、レッスンには行ける日よりも行けない日の方が増えてきました。だったら、もっと別の都合の都合の良い曜日にレッスンを移せばいい…とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、私のレッスンは出張レッスンで、先生は週に一度しか当地に来られないので、別の曜日に変更するわけにはいかないのです。先生のご自宅に行ければいいのかもしれませんが、先生のご自宅…これがまた遠いんだ。それも結構半端なく(笑)。遠い場所でのレッスンって、以前習っていたヴァイオリンで懲りていますので、今の自宅に近い教室で、可能な限りレッスンに行く…というやり方にしています。

 声楽はワンレッスン制です。私と先生の両者の都合の良い日を選んでレッスンをしていますので、レッスンをお休みするという事が(急病とかを除けば)まずありません。そういう意味では、確実にレッスンができるのですが、レッスン日がどうしても変則的になりやすいですし、間隔だって空いてしまう事が多々あります。今は月2回をベースにしていますが、それでもレッスン日を決めるのに、両者のスケジュールが合わず、毎回苦労がありますし、どうしてもスケジュールが合わない時は、まる一ヶ月レッスンが無い時だってあります。

 レッスンがなければ、先生へ謝礼を支払う事はありません。なので、たまにレッスンの間隔が空いてしまうと、なんか申し訳ない気分になります。

 あと、私も先生も積極的に次のレッスンを決めたがりますので、ウチは大丈夫ですが、ワンレッスン制で、次回のレッスンを決めないまま、時間が経過し、やがて音信不通になってしまうと、そのまま縁が切れてしまい、学びが自然消滅してしまう事もあるようです。そういう点では、レッスンの継続性が、曜日時間固定制よりも難しいのかもしれません。

 とは言え、忙しい人には、ワンレッスン制って魅力ですよね。あと、レッスンがなければ謝礼が発生しませんから、お金にシビアな人にも良いかもしれません。

 曜日時間固定制にせよ、ワンレッスン制にせよ、それぞれ一長一短あるわけで、自分のライフスタイルに合わせた形式で無理なく学び続けられるのが一番良いと私は思います。

 

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2019年7月 4日 (木)

どんなふうに演奏/歌唱したいのか?

 実は音楽を演奏/歌唱する上で、とても大切なことが“どんなふうに演奏/歌唱したいのか?”という、演者の気持ちではないのかと思ってます。

 これは“楽譜通りに”“ミスなく”“ソルフェージュ的に完璧を目指して”演奏するだげでは足りないって事でもあります。ミスなく楽譜通りに演奏するのは、まず最初にクリアすべき課題であって、もちろんこれは目指さなければいけないのだけれど、それで良しと思ったら、その音楽は、とてもつまらないモノになってしまいます。

 コンクール等を見に行くと“とにかくミスさえしなければ良い”と言った姿勢がミエミエの演奏にぶち当たる事があります。まあ、コンクールは減点主義だったりするわけで、そこでミスがあるのは致命的だから気を使う…というのは分かります。でも、そういった演奏は、しばしば聞いていてつまらないのです。そういう人は、上位入賞をするかもしれませんが、決して聴衆賞的なモノは取れません。コンクールで上位入賞をするのが人生の目的ならば、それも良しでしょうが、その後、プロの演奏家としての活躍を目指しているのだとしたら、観客に気に入られない演奏を平気でしちゃう人って、どうなんでしょうねって思うわけです。

 別にこの話は、プロに限ったわけではありません。アマチュアだって同じです。

 あなたが演奏する音楽に、あなたの意思は加わってますか? って話です。あなたはその音楽を演奏する事で、何を表現したいのですか? って話でもあります。

 子どものピアノ発表会は、微笑ましいのですが、概ねつまらないです。自分の子や、知り合いの子が出演しているならばともかく、そうでなければ、あまりに退屈で、とても聞いていられないのが常です。と言うのも、子どものピアノって、正確に演奏することだけでアップアップで、そこに演奏者の意思や感情なんて入っていないのですから、聞いていてつまらないのですよ。ま、これは仕方がない。

 オトナの声楽発表会やフルート発表会でも、ただただ演奏/歌唱するのに精一杯な人もいますが、そういう人の演奏/歌唱は、たいていつまらないです。ま、これも仕方がない。発表会は発表会であって、演奏会ではないのですから、つまらない演奏であってもアリと言えばアリです。

 オトナの発表会でもたまに、プロの演奏会なら必ずあるのが、そういった意思が感じられる演奏/歌唱です。

 そういった意思が感じられる演奏/歌唱は、聞いていて引き込まれます。耳が奪われるし、魂が抜かれます。楽譜通りにミスなく演奏した上で、そこに演奏者としての自分の意思や感情を込めていく…簡単ではないけれど、そこまでやって初めて、音楽を演奏/歌唱していると言えるのではないかと、最近の私はそう思うのです。厳しい感想ですが、観客サイドに立って考えるならば、まさにこの通りなのです。

蛇足  まあ、アマチュアの場合は、意思と言うか、思いが溢れて、しばしばやりすぎて臭くなっている演奏/歌唱もありますが、それもまた、愛すべき演奏/歌唱です。

 

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2019年6月26日 (水)

あと何回演奏できるだろうか?

 人生の後半戦を生きる私としては、常に頭のどこかで人生の残り時間を意識して行動している事に、しばしば気付かされます。

 残り時間って、案外、長くないんだよね。

 あと何回、ご飯を食べられるだろうか? あと何回旅行に行けるだろうか? あと何回桜を見ることができるだろうか? …あと何回本番で歌を歌ったり、笛を吹いたりできるだろうか?

 あと何回…って意識した時から、なるべく歌いたい歌から歌っておきたい、吹いてみたい曲から吹いておきたいと思うようになりました。もちろん、技量不足で演奏できないものは断念せざるを得ませんが、背伸びすれば手に届きそうな曲ならば、多少背伸びしても、今のうちに、元気なうちにやっておきたいと思うようになりました。なにしろ、生きていたって元気じゃなけりゃ、音楽なんてできないものね。元気なうちに出来る事はやっておきたいのですよ。

 フルートに関しては、発表会が合宿の最中で、その日程が仕事とよくぶつかるんですよ。今年もダメだし…、ほんと後何回できるのか、ジリジリしちゃいます。

 歌に関しては、今の声楽の先生であるY先生は、発表会等の本番では、なるべく生徒さんが歌いたい歌を優先して歌えるようにしてくれる先生なので、その点では助かっています。

 先生によって、発表会で歌う曲は、生徒本人が決めるのではなく、先生が与える…ところもあります。「今年の発表会のテーマは○○です」なんて言っているところは、たいていそうです。

 先生が、生徒さん一人一人の力量を見定めて選曲するのは、ある意味正しい事かもしれませんが、あと何回歌えるか不安な人間にとっては、とても迷惑だったりするわけです。

 残された数少ない本番のチャンスに、なぜ歌いたいとは到底思えない曲を歌わないといけないのか? それよりもこっちの曲の方が歌いたいのに…。もしかして、今、自分は、先生からいじめられているではないか…と思ってしまう事があるんだそうです。

 あ、これ、私の話じゃないですよ。私がグチとして聞いた話です。でも、かなり思いつめたグチでした。重い話です。

 アマチュアなのに、楽しさを横に置かされて、苦行を強いられるなんて、あってはならない話だと、今なら強く思いますが、当時はその人をなぐさめる事しかできませんでした。だって、私も不満足な曲を与えられて、いやいや歌っていた、いわば同類だったからです。まあ、私は歌いたくない曲でも、気持ちを切り替えて歌っちゃいますが、世の中、そんな人間ばかりじゃないのです。

 なるべく元気なうちに、歌っておきたい歌を歌ってしまいたいものです。で、人生の終わり近くでは、あの歌もこの歌も歌えてよかった…と言える人生であれば良いと思っています。

 問題は、人間って欲深いし、特に私は強欲であるって事かな? 1曲歌いたい歌を歌ってしまうと、さらに2曲歌いたい歌が増えてしまうので、歌いたい歌が全然減らないという事実が、私の目の前にあるんです、ああ困った困った。

蛇足  フルートは、本当によく仕事と発表会がぶつかるので、全然レパートリーが増えませんし、本番経験も増えません。なので、とても発表会以外のアウェーの舞台での演奏なんて無理無理無理状態なので、他所の舞台でも吹けません。なんか、悪循環に陥っているのかもなあ…。毎週のようにジャズ喫茶で吹いていた頃が懐かしいです(涙)。

 

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2019年6月20日 (木)

自分の声は好きですか?

 以前の私は、自分の声が嫌いでした。なんか変だし…。だから録音された自分の歌を聞くのは、ちょっと嫌でした。

 今は…と言うと、まあまあ良しと思ってます。少なくとも嫌いじゃないし、こういう声もアリだよなあと思ってます。

 別に自己愛が深くなったからではありません。自己愛は、もともと深い人ですからね(笑)。では、何が変わったのかと言うと、私の声そのものが良い方向に変わっただけです。良い方向に変わり、自分の声に好感を持てるようになった…それだけの話です。

 好きにはなったものの、未だに「なんか変だな」という感覚は残っています。まだ、録音された自分の声には慣れません。でも、嫌じゃなくなった…んです。

 なぜ自分の声が、良い方向に変わったのかと言えば、もちろんY先生のご指導のおかげなのですが、自分でも、自分の声を美しい方向に変える努力をしてきたからでもあります。時間は掛かったけれど、少しずつ少しずつ変えていって、今の声があるし、今もまだ改善改良の途中ですから、将来的には、もっと自分の声が好きになっていくと思います。

 蛇足 Y先生の元で声楽を学ぶようになって7年になりました。声が良い方向にグングン変わり始めたのが、ここ1~2年なんです。キング先生時代がグループレッスンも含めて5年ですから、Y先生に習い始めて、最初の5年は足踏みだったわけです。5年掛けて作ったものを壊してスタートラインに立てるようになるまでに5年掛かったわけです。ああ、時間がもったいない! そういう意味で、先生選びって大切なんだなって切実に思うし、ちょっぴり後悔しています。

 蛇足2 実はフルートも同様かもしれません。フルートの音色は、楽器による違いももちろんあるけれど、奏者の違いって大きいです。自分のフルートの音色が気に入らない時は、確かにフルートを買い換える事も方法としてはアリだけれど、それよりも自分自身の音を変えていく方が、より効果的だと思います。地道に、ロングトーン練習を繰り返して、自分が理想とする音色に近づけていく…と言ったやり方が、実は理想の音色を求める王道ではないかと思います。そこまでやった上で、さらにより理想の音色に近付こうとした時に、初めて楽器の買い替えって選択肢が生まれてくるような気がします。

 

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2019年6月10日 (月)

外国語の歌をカタカナで歌ってもよいのだろうか?

 クラシック系の声楽曲って、日本歌曲以外は、外国語歌詞が付いています。当然か。

 じゃあ、クラシック系の声楽曲を歌う人ってみんな、外国語が堪能かと言えば…必ずしもそうじゃないでしょ? プロはともかく、アマチュアの歌手の皆さんは、まれに外国語が堪能な方もいらっしゃいますが、その多くは、そんなに外国語が得意ってわけではないと思います。

 私も、そんなに外国語は得意じゃないですよ。まともに喋れる外国語は、日本語ぐらいです。あ、日本語は母語か(笑)。

 まあ、なんとかなりそうなのは…英語? 一応、学校教育はきちんと受けましたからね。

 私同様、多くのアマチュア歌手さんは、なんとかなるのは、日本語と、せいぜい英語ぐらいでしょうね。でも、クラシック系の声楽曲の主戦場は、イタリア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語なんです。もっとも、日本ではスペイン語の歌は鬼っ子扱いを受けていますので、除外して考えてもよいかもしれませんが(笑)。

 言葉を生活の道具として使えるレベルではなく、歌詞を読んで歌として歌えるレベルで良しとしているアマチュア歌手さんは多いのではないかしら?

 そのレベルであっても、皆さん、なんとかしているのは、イタリア語とドイツ語までじゃないかな? というのも、これらの外国語の曲の楽譜には、カタカタが付いているのは見たことありませんが、フランス語やその他の外国語の曲の楽譜だと、日本の楽譜出版社のものだと、カタカタが付いていたりするモノもあるからです。つまり、そういう需要があるって事です。

 フランス語の歌って、憧れますよね。カタカナ付きの楽譜も販売されているので、それらを購入して、カタカナで歌ってしまう事も可能です。

 可能ですが…それをしちゃっていいの? という思いが、私にはあります。

 ちなみにカタカナ楽譜は、Y先生的にはアウトです。もし、カタカナ付きの楽譜を使うなら、カタカナの部分は黒塗りして見えないようにしてから使いましょうとおっしゃっていました。もっともY先生的には、カタカナはアウトですが、発音記号はセーフなので、外国語が読めないのなら、発音記号が振ってある楽譜(探せばあります)を使いましょうって、よく言ってます。妻は、そうやって、楽譜を探して、チェコ語の歌を歌ってました。チェコ語なんて、普通の日本人にとって、読める方が不思議だよね。

 私的には…カタカナ付きの楽譜って、すごく魅力的です。カタカタが付いている事で、全然手の出ない曲が歌えるようになるなら、それはとても素晴らしい事です。

 でもしかし、カタカナが振ってあると、どうしてもカタカナばかり見てしまいますし、カタカタに引きづられるのも事実です。私、今、ドイツリートの勉強をしていて、実は最初、読めない単語にカタカナを振っていましたが、途中でそのカタカナを消して、今に至っています。というのも、読めないからカタカナを振っていたわけですが、そのカタカナを振ってある部分は、ついついカタカナを読んでしまうのです。で、カタカナで歌ってしまうのです。

 ドイツ語なのに、カタカナのおかげで、まるっきり日本語発音になっちゃうんですよ。これはダメですね。それに気づいたので、途中で振ってあったカタカナを消して、頑張ってドイツ語の歌詞で歌っています。ドイツ語の歌詞を見て歌うなら、稚拙ながらも、頑張ってドイツ語っぽく歌ってみようと頑張れるんですよ。でも、カタカナだと、最初っから完璧日本語になっちゃうんですね。

 カタカナには、あれこれ問題があるようです。

 妻は今、日本歌曲を勉強してますが、彼女の楽譜は歌詞が、日本語とローマ字で書かれています。歌詞の意味は日本語を見ないと分かりませんが、歌う時は、日本語ではなく、むしろローマ字を見て歌った方が、結果が良いようです。不思議ですね。

 日本語の表記って、カタカナだけに限らず、母音とか子音とかを意識しないんですよ。ですから、そのあたりがいい加減になってしまうわけです。厳密性がないんです。

 でも、クラシック系声楽曲で使われている多くの外国語は、母音と子音がしっかり表記されているわけです。母音と子音を無意識に意識して歌っているわけです。日本語だってカナを使わずにローマ字表記になると、母音や子音を無意識に意識してしまうのです。それが結果につながってくる…ってわけです。

 それを思うと、外国語のカタカナ表記だけでなく、日本語のカナ表記にも問題がありそうですが…今回は、そこは深掘りしません。

 外国語にカタカナを振って歌う事に関しては…とても魅力的だけれど、止めた方がいいかな…と、2019年時点の私は、そう考えます。カナを振るよりも、その言葉の正書法を勉強して、カナを使わずに読んで歌えるようになった方がいいかな…って思ってます。

 もちろん、勉強も大切ですが、耳コピも大切です。カタカナ振るよりも、ネイティブシンガーの音源を聞いて、その発音や歌いクチを覚えてコピーしちゃう方が、よっぽど、その歌を自家薬籠のものとするには、近道だと思います。ちゃんと聞けなきゃ、ちゃんと歌えないものね。だから、外国語歌唱に関しては、耳を鍛えるのは、とても大切な事です。

 だからと言って、皆さん方がカタカナ振って歌うのは反対しません、容認します。だって、人それぞれだからね。外国語の勉強が間に合わないから、その歌を歌うのを諦めるなんて、楽しくないじゃない? それはダメだよね、まずは楽しさ追求。それが私の考えるアマチュアリズムですから、楽しくなるためにカタカナが必要なら、ドンドンそれを使えばいいと思うわけです。

 私だって、いつカタカナ礼賛派に変わるか、自分でも分からない…しさ。

 

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2019年5月21日 (火)

声部と声域について、ちょっと気づいた事

 声部ってのは、ソプラノとかテノールとかってヤツの事で、四部合唱なら、4つに分かれているそれぞれのパートの事を言います。声域ってのは、その人が歌として使える最低音から最高音までの事です。その声部と声域の2つの関係について、今までは以下のように考えていました。

1)男女の音域の差は、基本的に1オクターブ。
2)高音歌手と低音歌手の音域の差は、4~5度。

 つまり、ソプラノ、アルト、テノール、バスと4つの声部で考えるなら、それぞれの声部は、約1/2オクターブずつ離れ、ソプラノとテノール、アルトとバスは、それぞれ1オクターブ程度離れている…ってね。

 たぶん、これは合唱では正解なんだと思います。で、私は今まで、合唱のノリで声部について考えていたわけです。

 でも、独唱をするようになって、自分はテノールだけれど、ソプラノ用の曲やアレンジを、1オクターブ下で歌うのは…案外キツイ事に気づきました。キツイどころか、曲によっては、ほぼ無理って思うほどです。だって、独唱ソプラノって、めっちゃ高いんですよ。

 1オクターブ下で歌うなら、ソプラノよりも、メゾソプラノだなって思うようになりました。実際、メゾソプラノの曲やアレンジだと、テノールの自分は歌いやすいのです。

 同じ目線で独唱曲で考えてみると、アルトの1オクターブ下は、バスではなくバリトンになるみたいです。

 合唱ならば、ソプラノとテノールは1オクターブ差の関係。アルトとバスも1オクターブ差の関係になるけれど、独唱だと、メゾソプラノとテノールが1オクターブ差の関係。アルトとバリトンが1オクターブ差の関係になるんじゃないかと思います。

 じゃあ、ソプラノやバスはどうなの?って言えば、ソプラノの2オクターブ下がバスなのかな?って思います。

 つまり、独唱でも、各声部は約1/2オクターブずつ離れているわけです。ただし、合唱が基本4部なのに対して、独唱は6部が基本になります。

 ですから、メゾソプラノの1オクターブ下がテノールであって、アルトの1オクターブ下がバリトン。ソプラノやバスは、メゾソプラノやバリトンよりも、1/2オクターブがもう少し、上下に離れているって感じになるのです。

 で、音域的には、合唱ソプラノ=独唱メゾ、合唱バス=独唱バリトンって感じかな? アルトとテノールに関しては、合唱も独唱も基本的な音域は同じ(独唱の方が、若干上下に広いかな?)。で、独唱ソプラノと独唱バスは、合唱のソプラノやバスよりも1/2オクターブほど、上下に広い音域を歌う…って感じですね。

 まあ、私の私感なので、間違っているかもしれませんが…。

 

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2019年5月 8日 (水)

某声楽コンクールを見てきました

 ゴールデンウィークの中頃に、東京で行われた、某声楽コンクールを見てきました。実は、このコンクール。当初は私が出場しようかなと思った、アマチュア向けの声楽コンクールだったのでした。ちょうどその準備期間に、私はインフルエンザになってしまったので、エントリーを断念したのですが、もしも私がこのコンクールに出場していたら、どうなっていただろうかという思いも込めて、見に行ったわけです。

 考えてみれば、どんなコンクールかも知らずにエントリーしようとした私って、バカかもしれませんね(笑)。

 そのコンクールはアマチュア向けのコンクールで、ピアノと声楽のコンクールを予選無しの(つまり、エントリーすれば誰でも出場できる)タイプのコンクールでした。一応、年齢と、音楽の専門教育の有無(つまり音大卒かどうか)で、クラス分けをして、その上で全部をゴッチャにして賞を与えるといった、ある意味、乱暴なやりかたをしたコンクールです。小学生も、音楽活動をしているセミプロも、同じ土俵で戦うという、格闘技で言えば、無差別級的なコンクールだったわけです。

 ちなみに賞の区分けはこんな感じです。

 最優秀賞(グランプリ)…第1位
 審査員特別賞…第2位
 金賞…第3位
 銀賞…参加賞(ほぼ全員、この賞をもらえます)
 銅賞…努力賞(舞台で何かをやらかした残念な人たちがもらいます)

 これを、ピアノと声楽で、それぞれに与えられるわけです。

 昼過ぎからピアノのコンクールが、昼下がりから夜にかけて、声楽のコンクールが行われました。私は、ピアノには興味がなかったので、声楽コンクールだけを見ました。

 出場者は30名ちょっと。約半分の人が一般クラスと呼ばれる、オトナの趣味人たちでした。後は子どもたちが5名程度、音大卒の人が10名程度でした。男女別で言えば、10名程が男性で、残りは女声でした。女声はほぼソプラノ、メゾの人がちょっこっといました。男性はほぼバリトンで、ボーイソプラノとカウンターテナーが一人ずつで、テノールはいませんでした。

 出演者の方々は、予選なしとは言え、皆さん、熱心に上手に歌われていました。

 それでも感じたのは、子どもを含めて、一般の方々と、音大卒の人たちは、全然歌のレベルが違っていた事です。やはり人生の多くの時間と多大なる金銭を使って音大で学んだ方々と、旦那芸や有閑マダムの習い事じゃあ、全然違っていました。当然と言えば当然なんだけれど、こうして並べてみると、残酷なくらい、如実に違っていました。やっぱり、皆さん、伊達に専門教育を受けていませんね。

 なので、歌の上手い下手だけで比較しちゃうと、上位者は音大卒ばかりになってしまうでしょうが、実際の賞は、そうではなく、音大卒、一般クラス、子どもの部から、バランスよく受賞していました。つまり、歌の上手い下手だけが審査基準ではないって事ですね。おそらくは、まずは各クラスからバランスよく第3位まで決めてしまう。あと、何かをやらかしちゃった人を銅賞にする。で、残りはみんな銀賞…って感じなんだろうと思いました。

 コンクールに出ている人の特徴を言えば、皆さん、ソルフェージュ的には上手な方ばかりでした。リズムは多少の揺れがあっても問題にはなっていなかったようですが、音程が正しい事は必要最低限のようで、音程が甘めの人は、皆さん、銅賞になっていました。なので、このコンクールに出場するなら、音程に関しては、きっちりしないとダメなようです。

 声に関しては、ホールが実に響きの良いホールだった事もあり(誇張ではなく)蚊の鳴くような歌声でもなんとか聞こえました。そんな小さめな声でも、きちんと銀賞をいただいていましたので、声が小さい、楽器が良くないという理由では、銅賞にはならなかったようです。とは言え、音大卒の人たちで、発音に問題のある人はいませんでした。

 声に問題と言えば、一般クラスには、結構見受けられました。大半の人が、声が小さくて、ここのホールでなければ、歌声は聞こえないかもしれないってレベルの人がとても多くいました。おそらく、普段は合唱を歌っているんでしょうね。ソルフェージュ的にはほぼ完璧で、ただただ音量が小さいと言った人たちです。

 また、声に合った選曲をしていない人も多く、その声で、このアリアを歌うのは、無しだろう…って人も、結構いましたね。

 男性はほぼ全員バリトンだったわけですが、実際のところ、バリノール(または、テノリトン)の方がいました。こんな細くて軽い声で、どうしてこの曲を選んじゃったのかな…って感じで、自分の声にあった選曲をすれば、結果も、もしかしたら違っていたかもしれないのになあ…って思いました。

 1位も2位も、バリトンの方で、きちんと自分の声に合った歌を歌われていました。やはり自分の声質に合った曲を歌うのは大切です。

 女声はとても上手な方も大勢いらっしゃったのだけれど、ソプラノは数も多くて、どうしても埋もれてしまいがちで、賞レースとなると、少数で目立つ男声の方が有利になってしまうのだろうと思いました。

 あと、審査の先生も講評でおっしゃっていましたが、アマチュアはどうしても、自分の実力以上の選曲をしてしまいがちだけれど、こういうコンクールでは、自分の身の丈に合った、実力なりの選曲をして、それをきちんとミスなく歌うのが良いのだそうですし、実際、聞いていて、ちょっと無理めな曲は、やはり印象はよく無かったです。もしも自分が出場するなら、無理のない選曲を心がけないといけないなあって思いました。

 とは言え、アマチュアの出演者の出場目的には「ぜひホールで歌ってみたい」「プロのピアニストで歌ってみたい」「人生の思い出づくりのために歌ってみたい」などがあるでしょうから、そうなると無理めな選曲も無理のない話かなって思いました。

 おそらくですが、もしも私が、今年のこのコンクールに出場したとしたら…たぶん、銅賞でしょうね。良くて銀賞です。そんな感じかな? と言うのも、私は今までのステージで、必ずと言っていいほど、何かをやらかしていますからね。で、そんなやらかし野郎は、ここでは銅賞なので、私が出場したとしたら、やっぱり銅賞でしょう。もしも何もやらかさなかったとしても、上位3名に食い込めるとはとても思えないので、良くても、やっぱり銀賞でしょう。

 目指せ、銀賞。って感じで、来年のこのコンクールに出場するか、どうか、一年かけて考えてみようと思いました。

 

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2019年5月 2日 (木)

テノールは、カメのようにゆっくりした歩みで成長していくのです

 声楽を学んで、ある程度になると、オペラアリアを歌います。

 世の中には色々なアリアがあるわけで、中には超絶技巧が必要な難曲もあれば、初学者が取り組みやすい、比較的簡単なアリアもあるわけです。学習の順番としては当然、その手の簡単なアリアから学び始め、そこから段階を踏んで難しい曲に挑戦していくのが、普通です。

 で、比較的簡単なアリアと言うのは、多くは脇役の歌手のために作曲されたアリアです。オペラには、若い駆け出しの歌手を念頭においた脇役が用意されていて、それらの役のアリアは比較的簡単なのです。

 バリトンやメゾは、そもそも脇役が多い声種です。なので、初学者用のアリアがそれなりにあります。ソプラノは主役が多い声種ですが、実は脇役も多い声種です。ですから、初学者は念入りに脇役のアリアを選んで学んでいけばいいわけです。

 そこで難しいのはテノールです。実はテノールって、脇役があまりありません。テノール役は、そのほとんどが主役です。だいたい、一つのオペラにテノールは、主役一人しか参加しない…なんて作品ばかりです。また、たまにテノールが二人いると、もうひとりは、脇役というよりもチョイ役だったりして、アリアすらなかったりするのです。つまり、テノールのアリアは、そのほとんどが主役用のアリアであり、どれもこれも難しいアリアばかり…だったりします。

 ですから、とても軽い声質で最初から高音がラクラク出てしまう人であったり、そもそも天才で、何の苦労もなく歌える人たちは別として、多くの凡才テノールたちは、初学者レベルでは、歌えるアリアがなくて、本当に困ります。同程度のキャリアの他の声種の学習者たちがアリアをバンバン歌い始めても、テノールさんたちは、ずっとずっと歌曲ばかり歌っていたりするわけです。

 歌曲は歌曲で難しいのですが、オペラアリアほど高い音はありませんし、自分の現在の音域に合わせて移調して歌えるので、初学者なテノールさんでも、歌曲なら歌えるってわけです。

 というわけで、テノールは難しい…と言うよりも、テノールのアリアは難しいために、テノールはいつまでも進歩していないように見られがちだって話でした。

 テノールはカメのようにゆっくりした歩みで成長していくのです。

 蛇足? 私個人の話をすると、現在の私のレベルでは、テノールの簡単なアリアが歌えるか歌えないかのギリギリの立ち位置です。なので、よくよく選曲をして、難しい曲々の中からでも、比較的歌いやすい曲を選んでチャレンジしている最中です。当然、キング先生に習っていた頃は、アリアなんて歌えるほどの技量もなかったけれど、それでも先生に曲を与えられて歌っていました。当然、どの曲も、当時の私には難しすぎて、ちゃんと歌えるはずはなく、失敗ばかり積み重ねてきました。自分的には凹み、先生からは指導をしているのに何故歌えないと言われ続けていました。今思えば、無理ゲーを何度も何度も強いられていたのだなあと思います。

 よく、歌を嫌いになって、歌うのを止めなかったものだと、当時の自分に感心してしまいます。当時の私、偉いなあ…。

 

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