ひとこと

  •  北極に棲んでいるシロクマは、カラダは毛皮で覆われていて寒さ対策はバッチリだろうが、肝心の肉球は直接氷に接しているわけで、無防備じゃないのかな? 肉球は冷たくないのだろうか? 凍傷にはならないのだろうか? 疑問です。南極のペンギンの足も同様だな。
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2018年2月22日 (木)

歌曲は原語で歌うべきなのか?

 歌曲と書きましたが、オペラアリアを含む、クラシック系声楽曲と考えてください。

 私は個人的にクラシック系声楽曲を学んでいます。イタリア系の歌曲やアリアを中心に学び、先日は、武満徹のソングをいくつか学びました。イタリア語の歌も難しいけれど、日本語の歌もなかなか難しいなあと思った次第です。

 先日は「歌曲は原調で歌うべきか?」という記事を書きました。色々と思う事はあるにせよ、原則的に「歌手本位で考えるならば、歌曲は移調して歌ってよし」と考えるべきだけれど、私個人の趣味で言えば「作曲家の意図をくんで、なるべく原調で歌った方が良いかな」という事にしておきました。

 音程と言葉の違いはあるにせよ、同じ風に「歌手本位で考えるならば、歌曲は翻訳して歌ってよし」ってなるんじゃないかな?って思ったわけです。

 ならば、我々日本人は、クラシック系声楽曲を、ドンドン日本語に訳して歌っていけばいいはずだけれど、現実は、ちょっと違います。

 クラシック系声楽曲って、たいてい、原語で歌うよね。歌っている人は、歌の歌詞について勉強しているのだろうから、その意味も、言葉のちょっとしたニュアンスも分かって歌っているのだろうけれど、聞いている我々は、全然分かりません。何か舞台で熱を込めて歌っているなあ…とは分かるけれど、何言っているかなんて、さっぱり分かりません。

 よく「ドイツリートは歌詞の意味が大切」なんて言う人がいらっしゃるけれど、そのドイツリートのコンサートに行っても、歌手は原語で歌うので、聞いている我々はチンプンカンプンです。大切なはずの歌詞の意味なんて、分かるわけありません。もちろん、観客には伝わりません。

 気のきいたコンサートだと、プログラムに歌詞の翻訳が挟まっていたり、字幕スーパーが出るコトもあるのだろうけれど、そんなモノを見ながら音楽を聞いていたら、気が散って仕方なりません。

 意味も音楽も…と思うなら、きちんと日本語に翻訳した歌詞で歌って欲しいと思うのだけれど、まずそういうコンサートに出会う事はありません。

 観客、置いてけぼり…です。

 たまに日本語歌詞で上演されるオペラやオペレッタ上演に出会う事はあります。喜劇作品が多いような気がしますが、歌とお芝居が一体となるので、結構楽しめます。よく知らない歌は日本語で歌ってもらった方が楽しめるのは確かです。

 実際、ミュージカルは、たいてい日本語上演ですよね。だから、楽しいんです。

 なぜ、クラシック系声楽では、現地語ではなく原語で歌うのかと言えば…それが世界の主流だからです。そして、なぜ原語で歌うのが主流になったのかと言えば…ジェット機が発達して、スター歌手たちが世界中を飛びまわるようになったから…です。

 クラシック系声楽と言えども、ジェット機が発達する前は、歌手たちの移動が大変だった事もあり、大抵の歌手(オペラ歌手)はローカルスターでした。活躍の場も地元のオペラハウスが中心です。ですから、現存しているその頃のスター歌手の録音を聞いてみると、結構な数の曲を彼らの母国語である現地語に翻訳して歌っています(もちろん、原語歌唱のものもあります)。

 やがてジェット機が普及し、スター歌手たちが世界中を飛び回るようになりました。そうなると、一つの公演に色々な言葉で歌う歌手たちが集まるようになりました。様々な言葉で歌う歌手たちが集まったからと言って、まさか、言葉をチャンポンにしてオペラを上演するわけにはいきません。そこで歌手たちが歌う歌詞を統一する必要が出てきました。そうなると、勢い、原語で歌うようになるわけです。原語歌唱なら、間違いないし、ある意味、公平ですからね。

 やがて、スター歌手たちが原語で歌うのが普通になれば、将来のスター歌手を目指す若手歌手たちも原語で歌を学ぶようになります。で、せっかく原語で歌を学んだのであれば、それを自分の弟子や生徒に教える時も原語で教えるようになり…という状況が今の状況を生み出したわけです。

 つまり、原語で歌うのは、あくまでも歌う側の都合であって、観客の事を考えているわけじゃありません。そういう意味で、歌手本位の視点で原語歌唱となっているわけで「歌曲は移調して歌ってもOK」と根は一緒です。

 なんだ、そういう事だったのか!

 つまり、クラシック系声楽曲であっても、観客に合わせて、現地語に翻訳して歌っても全然かまわないのだけれど、歌手たちは原語で歌を勉強しているので、コンサート等でも原語で歌っているだけで、別に原語で歌わないといけない…というほどのことでもなさそうです。

 勉強は原語でしても、コンサートやオペラ公演の時は、日本語歌詞で歌えばいいのだろうけれど、それでは暗譜の負担が増えてしまうので、勉強した原語で歌うという、省エネ的な動機があるし、それは分からないでもないけれど、エンタメ的な視点で考えると、どうなんだろうと思わないでもないです。

 あと、声楽に限らず、クラシック系音楽って、教養主義的と言うか、貴族的と言うか、スノッブな部分があって、あえて現地語で歌わずに原語で歌うことで、選民意識をくすぐるというか、愚民を見下す快感を得ると言うか、そんな事もないではないのかな…と思わないでもなかったりします。訳のわからない外国語で歌う事で、有り難さを演出するわけですね。

 まあ私だって「この曲、原語で歌う? それとも日本語で歌う?」と尋ねられたら「原語で歌います!」と即答しちゃうだろうし…ね。私も、なかなかな悪趣味野郎ですからサ。

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2018年2月20日 (火)

歌曲は原調で歌うべきか?

 つまり、歌曲は作曲家が作曲したオリジナルの調性のまま歌うべきか、それとも歌手の声に合わせて自由に移調して歌うべきか…という命題でございます。

 一般的な解答としては「歌曲は自由に移調して歌って良し」です。

 でも、本当にそれでいいのかな?と私は思うわけです。

 確かに、歌手本位で考えるならば、その歌手が一番良いパフォーマンスを発揮できる音域というのは、歌手毎に決まっているわけだから、どんな曲であれ、その音域の範囲に納めて歌った方が良い結果が出るに決まってます。

 だから歌曲を移調して、歌い手の得意な音域に納めて歌うのは、一見、理にかなっているように見えます。実際、歌手本位ならば、それで正解です。

 でも、何か釈然としないのです。

 まず1つ目の釈然としない理由は、これは歌曲のみに適用され、オペラアリアには適用されないって事です。

 歌曲は歌手の音域に合わせて、自由に移調されて歌われるのに対して、オペラアリアは作曲家が書いたオリジナルの調性のまま歌わないといけないのです。その理由として、歌曲は単独で歌われる事が多いけれど、オペラアリアはオペラ全体の中の一部として歌われるから、他の曲とのバランスを考えると、移調して歌うのはふさわしくない…って言うわけです。

 でも、これ、ごまかしだよね。

 確かに、オペラ上演の最中、一部の曲だけ移調して歌うと、不自然な感じがしないわけでもないから、オペラ上演の中では、アリアの移調は禁止…は分かります。でも、コンサートなどで、そのアリアだけ取り出して歌う時も、移調禁止は…分かりません。歌手本位で考えるなら、その歌手の音域に合わせて、オペラアリアも移調して歌っても、何の不都合もないからです。

 私は実際、素人さんの発表会で、オペラアリアを移調して歌われたのを聞いた事があります。有名なテノールのアリアを、低く移調してバリトンの方が歌われていました。破綻なく、見事な歌唱でしたたよ。特に、歌としての不都合はありませんでした。この歌唱を聞いて以来、歌曲が移調されて歌われるのと同様に、オペラアリアも移調して歌っても、まあ、アリかもしれないなあって思いました。

 歌としての不都合はないのに、オペラアリアの移調はダメで、歌曲の移調はアリってのが、私が釈然としない理由の1つです。

 理由はもう1つあります。やはり、その低く移調されたオペラアリアを聞いた時に感じた事です。

 オペラアリアを低く移調して歌われても、確かに歌としての不都合はありませんでした。不都合は無かったのですが…違和感はありました。移調されていても、同じ歌は歌なのですが、なんか違うんですよ。具体的に書けば「歌を聞いた後にカタルシスが解放されない」と言うと…分かるかな? なんか、聞いていて不完全燃焼だったのですよ。

 テノールのアリアって、たいてい最後に聞かせどころの高音があって、そこをアクロバチックに歌うことで、聞き手のカタルシスは解放されるように作られています。バリトン用に移調された時も、全く同じように歌われ、高音部分も移調されて歌われたのですが、テノールが原調で歌った時に感じたカタルシスの解放が、バリトンが移調して歌うと、特に感じられずに、普通の歌として聞こえちゃったんですよ。

 テノールのオペラアリアの高音って、絶妙に作曲されています。テノール歌手のギリギリの音域で、破綻直前の危うい音程で、見事に歌えるように作られています。それを低くしてバリトン歌手が歌うと、バリトン歌手にとっては、破綻寸前の危うい高音であっても聞く側からすると、テノールでの歌唱ほどのヤバさは感じられず、普通の高音にしか聞こえないのです。

 歌の音程と歌手の声質って、関係あると思うのです。で、作曲家はそこを考えて、調性を決めて作曲していると思うのです。それを考えると、オペラアリアを移調して歌っちゃダメという理屈に納得しちゃう私なんですよ。

 で、オペラアリアはダメなのに、なんで歌曲は良いの? って思ってしまうわけで、なんかモヤモヤが残るわけです。

 「君と旅立とう」という歌曲があります。オリジナルはイタリア語の曲で「Con Te Partirò」というタイトルで、アンドレア・ボチェッリというテノール歌手のために書かれ、実際、彼のシングルレコードとして発売され、ヒットしています。

 この曲は、後に、歌詞の一部を英語にして、英語のタイトル「Time To Say Goodbye」に付け替えられて、ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンによって歌われ、大ヒット曲となりました。

 この曲は、男女の二人の歌手によって歌われています。同じ調性で歌われていて、移調されているわけではないのですが、実は歌っている歌手の男女の差もあって、実質的には1オクターブほど音程が違っています。実際の音程が違うので、同じ調性でも、歌の印象が少し違います。私が特に違和感を感じるのは、最後の聞かせどころの高音部分です。

 ボチェッリの、音域ギリギリで歌う高音に対して、ブライトマンの楽々歌う威風堂々たる高音は、曲の印象を大きく変えます。

 これは私の好みですが、ブライトマンが美しい声で楽々と歌うバージョンよりも、ボチェッリが朴訥でギリギリに歌うバージョンの方が好きですし、この曲は、そもそもがボチェッリの持ち歌という事も考えれば、作曲家はこの危うさを出したくても、この音域で曲を作曲したんだと思われます。でも、ソプラノであるブライトマンにとって、この音域は楽勝なんだと思います。楽勝すぎて、高音が安心で安定してしまうのです。

 歌手本位で考えれば、ブライトマンの歌もアリだろうけれど(だから大ヒットしたわけです)、作曲家本位で考えると、ブライトマンの歌唱は、本来の意図とは違うんじゃないかなって思うわけです。オペラアリアを違う声種の歌手が歌うと違和感を感じられるように、歌曲だって本来対象にした声種以外の歌手が歌うと、やっぱり違和感を感じる…んだと思います。

 そして、昔の作曲家の歌曲は、皆さん、結構自由に移調して歌われているけれど、現代作曲家のソングは、移調して歌われたり歌われなかったり、そもそも移調された楽譜が販売されていなかったり…。

 ああ、考えれば考えるほど、頭が混乱する。

 移調問題については、歌手本位で考えるのと、作曲家の意図を汲み取って考えるのと、結果が異なってしまいます。これは、ある意味、立場の違いだけであって、どちらも正解と言えるし、どちらも不適切とも言えます。

 ああ、分からん。私的には、作曲家の意図を最大限に尊重しつつ、時には移調された楽譜で歌うって事になるんだろうなあ。少なくとも、私が楽譜を選ぶ時は、なるべく移調譜ではなく、原調の譜面を利用したいなあって思うわけです。また女声用に作曲された曲はなるべく避けて、男性用に作曲された曲をなるべく歌うように心がけているわけです。ただし、それを他人に強要する事はしないけれどね。

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2018年2月15日 (木)

あいうべ体操をやってみた

 皆さんは「あいうべ体操」というのを知っていますか? 知らない方は、こちらのページをご覧ください。クチ周りの筋肉を鍛えて、鼻呼吸が出来るカラダに鍛えて、健康になりましょうって趣旨の体操です。

 私、ある時、テレビの健康番組で、この「あいうべ体操」を紹介しているのも見て、さっそくマネてみましたが…私、この「あいうべ体操」が出来ない人だという事に気が付きました。どうやら、私だけがそうってわけではなく、その時のテレビの出演者の中にも、私同様に、うまく「あいうべ体操」ができない人がいたからです。

 「あいうべ体操」は、順に「あ」「い」「う」「べー」と発音していくだけの簡単な体操なのですが、問題は「い」なんです。

 世間一般の方は「い」の時に、クチビルを思いっきり横に引っ張るようです。横に引っ張ってから「いー」と発音するんだそうです。しかし、私は違います。むしろクチビルは前に突き出します。実はクチビルのカタチだけで言うなら「い」と「う」は、ほぼ一緒です。違いがあるとすると「う」の方が「い」よりも、幾分突き出し量が多めかなってぐらいです。結構「い」の時は、クチビルを丸めて前に突き出して発音します。なので「い」も「う」もクチビルのカタチはほぼ一緒なので「あいうべ体操」では、十分にクチ周りの筋肉が鍛えられないという事になってしまいます。

 どうやら私、普段から母音は、クチビルのカタチよりも、舌の動きで作っているようなんです。なので、意識すれば、ほとんどクチビルを動かさずに母音発音が出来ます。なので、腹話術はやらないけれど、もしもやったら、なかなかスジが良いのではないかと、勝手に思っているくらいです。

 実は、母音をクチビルのカタチではなく、舌の動きで作るのは、声楽的には望ましい事のようです。と言うのも、声楽では、クチビルはラッパの朝顔部分に当たるわけで、ここで音を拡声しているわけですから、クチビルを使わないと発音できない幾つかの子音はともかく、そうでない限りは、クチビルは構音には関わりなく、大きく開いていた方が、声楽的に有利なわけです。

 なので、自覚はないのですが、おそらく私がクチビルを使わずに母音の発音をしているのは、そもそもそういう傾向があった上に、声楽を学び始めた事でより顕著になったのではないかと思われます。

 思わぬ事で、自分の癖を見つめ直した私でした。

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2018年2月 5日 (月)

歌手から見た、クラシック声楽とポピュラーヴォーカルの違いについて

 クラシック声楽とポピュラーヴォーカルは、別に項を新たにして語る必要もないくらいに、明らかに違います。何しろ、歌う対象が違うからです。

 クラシック声楽は、クラシック音楽における声楽曲を歌い、ポピュラーヴォーカルは20世紀以降に生まれた流行歌を歌っていくわけです。あるいは、どんな広くて大きな舞台でも原則的に生声で歌っていくのがクラシック声楽ならば、本当に狭くて小さなライブハウスであっても、必ずマイクを使って電気的に声を増幅し,加工して歌うのがポピュラーヴォーカルです。

 これらは自明の事であり、今更、クラシックがどうのとかポピュラーどうのとか、今更、両者の違いをあれこれ言っても、面白くもおかしくもないわけです。

 でも、最近、ネットをウロウロしていたら、もう一つ別の視点でクラシック声楽とポピュラーヴォーカルの違いについて語る事ができる事に気づきました。それは、歌手から見た時の、両者の音楽的な違いについてです。

 クラシック声楽曲は、クラシック曲です。音楽の主役は作曲家です。演奏家は、作曲家が作り出した音楽を、残された楽譜に従って、なるべく忠実に、実際の音楽として再現していく役割を負っています。それゆえに、クラシック音楽家はしばしば“再生音楽家”と呼ばれます。

 もちろん、だからと言って、クラシック音楽家が没個性であって良いのかと言えば、それは全く違うわけで、楽譜は音楽の記録方法としては、かなりスキも隙間もある不完全な記録法であるため、より良い音楽を演奏するために、演奏家たちは、演奏に際して、彼らは彼らなりに、楽譜から逸脱しない程度で知恵と工夫を加えて、実際の演奏をしていくわけです。その際の“知恵と工夫”が演奏家の個性であり、それゆえに、クラシック音楽は、演奏家ごとに、同じ音楽であっても、味わいが異なり、そこがクラシック音楽の鑑賞ポイントの1つになるわけです。

 一方、ポピュラー音楽では、楽譜は重要ではありません。重要でないどころか、楽譜が存在しない事すらあります。

 楽譜が存在していても、それには歌詞とコードネームしか書かれていない事もしばしばありますし、五線譜にメロディーが書かれていても、四分音符と八分音符と四分休符ばかりで大雑把にしか書かれていなかったりします。また、メロディーは書かれていても、前奏も間奏も後奏も書かれていなかったりします。その上、パートごとの楽譜なんて無いのが普通ですから、どの楽器奏者も歌手用の楽譜で演奏していたりする事すらあります。

 私が以前、ジャズフルートの勉強をしていた時など、私が楽譜通りに演奏すると、よく注意されたものです。楽譜はあくまでも参考程度に見るものであり、楽譜通りに演奏しちゃダメだよと言われたものです。じゃあどうするのか言えば、楽譜に書かれた音楽に、自分の個性を加えて、音楽を再創造していくわけです。それがポピュラー音楽なんですね。つまり、ポピュラー音楽では、演奏家の個性が大切であり、作曲家は音楽の素材を提供しているだけの話なのです。それに、ポピュラー音楽では、しばしば演奏家が作曲家であるケースも多いです。これなどは、自分の個性をより際立たせて演奏するという前提で、作曲が成されていくわけです。

 つまり、クラシック音楽は、作曲家が作った曲を、より良くより素晴らしく演奏してあげるモノであり、ポピュラー音楽は、作曲家が作った音楽を材料にして、どうやって演奏家の個性を表現していくかが大切なんだと思います。

 ですから、歌手の立場で言えば、確かに音楽が作曲された年代とか、マイク使用の有無も大きな違いである事には間違いありませんが、それ以外にも、楽譜に忠実に、音楽の様式を守って、理想的で美しい音楽を奏でるのがクラシック声楽であるならば、楽譜はあくまでも参考程度で、演奏している場の時代性や地域性を考えながら、いかに歌手である自分の個性を盛り込んだ、ワン&オンリーな音楽を歌い上げていくのかがポピュラー音楽なんだろうと思います。

 規則通りに歌い、自由奔放な歌を避けるのがクラシック声楽であるならば、個性を前面に出し、枠に収まる事を嫌うのがポピュラーヴォーカルであると言えます。

 それゆえ、演奏するために、たくさんの勉強が必要なのがクラシック声楽です。常にその演奏には、正しさが求められているし、理想的な演奏が要求されています。必要なテクニックもたくさんあって、それらを一つ一つ確実に身につけていかないと、クラシック声楽の曲は歌えません。

 一方、ポピュラーヴォーカルは、感性が第一だし、正解があるわけでもないし、ある意味“ウケたら勝ち”なのです。テクニックが不必要とは言いませんが、最低限のテクニック(音程とか和声に関するテクニック)さえあれば、後は自己流で歌ってしまってもOKなのです。

 全然、違うね。

 私的には、どちらも大好きです。ポピュラーヴォーカルだからと言って、全く原曲をとどめないようなメチャメチャな演奏は当然ダメだし、クラシック声楽であっても、演奏家の個性が要求されるカデンツァというモノがあり、その部分の演奏のノリは、まるでポピュラー音楽のようであるわけです。そんな側面もあります。

 結論めいた事を書くなら「歌手の歌いたいように歌うのがポピュラーソング。様式を守って理想を求めていくのがクラシック声楽」って言えるんじゃないかしら?

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2018年1月29日 (月)

金管楽器と歌手の生歌、大音量なのは、どっち?

 …と尋ねると、圧倒的大多数の人は「それはさすがに金管楽器でしょ」と答えると思います。でもね、昔々のヨーロッパの大道芸では、トランペット対オペラ歌手という対決があって、どっちの方が、音量が大きいか、どちらが細かく動けるか、どちらの方がきらびやかな音色が出せるかなどの対決が行われていたそうですから、歌手の生歌だって、そんなに捨てたものじゃないかもしれません。

 実際、素晴らしいテノール歌手の声は、しばしばトランペットに例えられますし…ね。
 そこで、データーで調べてみました。参考にしたのは、このページです。

 参考ページによれば、金管楽器の音量は、110デシベルです。

 歌手の生歌ですが、ポピュラーのヴォーカリストなら、アマチュアで90デシベル、プロで100デシベルだそうです。ポピュラーのヴォーカリストさんたちは、普段の歌唱はマイク使用が前提となりますが、マイクが無くても、それなりの音量で歌っている事が分かります。ちなみに、アマチュアのヴォーカルの90デシベルと言うのは、フルートやヴァイオンリの音量とほぼ同じです。

 声のデカさが売りの、クラシック声楽(オペラ歌手)となると、アマチュアで110デシベル、プロになると120デシベルになるそうです。つまり、金管楽器って、アマのオペラ歌手程度って事になり、プロのオペラ歌手の方が10デシベルほど大音量となるそうです。

 「たった10デシベルでしょ? オペラ歌手の大声にはビックリしたけれど、金管楽器と大差ないじゃん」

 そうおもうでしょ? でもね、デシベルという単位が曲者なのです。

 詳しくは、こちらのページを読んでいただければ良いのですが、10デシベル違うと、音量としては、約3倍ほど違います。

 約3倍違えば、かなり違います…ってか、大違いです。

 ちなみに、ポピュラーのプロ歌手とオペラ歌手では20デシベルの音量差がありますから、比率に直せば、10倍も違います。いやあ、オペラ歌手って、本当に大声なんだなあ。

 オペラ歌手並の騒音として“ジェット機(200m)・新幹線鉄橋・F1コース〔50m〕”
とあります。並大抵の音量じゃないなあ…。

 と言う訳で「金管楽器と歌手の生歌、大音量なのは、どっち?」の答えとして、歌手がプロのオペラ歌手なら、歌手の圧勝。アマのオペラ歌手なら引き分け。ポピュラー歌手なら、余裕で金管楽器の勝ち…となります。

 意外だね。意外だったでしょ?

 ちなみに、こちらのページの情報によると、人間の声の大きさの限界値は、120デシベルなんだそうです。プロのオペラ歌手って、ほぼ限界ギリギリの大声を日常的に出しているってわけですね。ちなみに、普通の人の大声って、80~100デシベル程度なので、ポピュラー歌手って、プロアマともに、普通の人って事になります。なんか、納得。

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2018年1月25日 (木)

声は賜物、ならば平凡な声しか持たない者は歌うべきではないのか?

 時折、そんな事で悩んでいる方をネットで見かけます。私も以前は同様の悩みを持っていたものです。

 この悩みは器楽の人には分からないんだよね。だって、器楽の人なら、今の自分の楽器に不満や不足を感じたら、楽器を買い替えちゃえばいいわけです。だから、深くは悩まない。悩むとしたら、良い楽器を購入するためには財力が必要で、その部分で悩む人は…まあ、いるでしょうね。でも、声楽の人たちの悩みとは根本的に異なります。

 声は…ねえ。取り替えられないのよ。更に言えば、加齢によって劣化するのよ。更に言うと、アマの歌手の皆さんは、歌を始めるのが、割りと人生の晩年に近づいてからだったりするわけで、そうすると最初っから劣化済みの声で歌を始めないといけなかったりするわけです。

 年を取って財力をつけて、良い楽器を購入できる器楽の方々と比べ、年を取って声が劣化して、平凡な声でしか歌えない…と感じる声楽の方々は、本当に切ないね。

 実際、年を取ってしまうと、若者と較べて、筋力は衰えているし、ホルモン分泌もよろしくないし、カラダも乾き気味だし、何をどうやったって、若者のようなツヤツヤした声で歌えるわけもないし、大きな声や細かくよく動く声で歌えないのも当然です。

 ましてや、歌を始めたばかりで、テクニック的にも不足していると「私なんかが歌っていて良いのかしら」とか弱気になったりするわけです。かつての私がそうでした。

 「なに、のぼせあがっているんだい! 一体、自分を何様だと思っているんだよ」 今の私なら、かつての私に、そう言っちゃいます。

 だって、私は、素人様の趣味のオジサマだよ。そんな人に、自分は何を期待しているんだい…って話です。

 平凡な声しか持っていないから歌っちゃいけない? あんたはプロ歌手かって!

 そもそも、自分が歌いたいから歌を始めたわけで、誰かに聞かせるとかそういうのは、二の次三の次でしょ? 歌いたいから歌を始めたのなら、歌っていればいいじゃない。声がどうのこうのは問題じゃないよ。どんな声であれ、歌いたいなら歌えばいい。

 歌いたい事と、聞かせる事は別問題。そこを直結させちゃうから、問題はややこしくなるわけです。

 誰かに自分の歌を聞かせたいと思うなら、そりゃあ色々なハードルを越えていかないといけないけれど、単に歌うだけなら、遠慮は無用。自分の平凡な声で堂々と歌っていけばいいわけです。

 問題は、聞かせる事を前提にしちゃった場合だけれど…多くの人は、人前で歌うと言っても、大半は合唱でしょ? なら問題ないじゃない。合唱は、周囲の人たちと声を合わせて歌うわけで、歌っている人の一人ひとりの声が聞こえちゃダメなわけで、そんな中で歌うなら、声なんて、むしろ平凡な方が合わせやすいんじゃないの? むしろ良い声を持っている人の方が、合唱では苦労しがちだしね。

 合唱ではなく、独唱で歌う人だって、あなたは一体どこで歌うんですか?って話です。門下の発表会やおさらい会程度で歌うなら、別に気にすることないでしょ? だって、聞く方だって“その程度”って分かって聞いてくれるわけだもの。

 まあ、ボランティア活動で歌うのであったり、有料のコンサートを開くとかであったりすると、話は別で、そうなると、プロ的な歌唱水準を求められるわけで、声だって平凡なままではアウトかもしれません。その時は改めて悩めばいいわけで、歌を始めたばかりなのに、いきなりそんなコンサートを開ける人なんて、天才でないかぎりいませんから、別に今の段階で悩む必要はないわけです。

 ってわけで、自分の声の良し悪しで悩む前に、楽しく歌って、人生をほがらかに過ごしましょうって事です。

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2018年1月24日 (水)

キング先生に習っていた期間よりも、今のY先生に習っている期間の方が長くなりました

 ふと気がつくと、そんな事になっていました。

 キング先生 グループレッスン  2007年1月~2009年1月  2年1ヶ月
 キング先生 個人レッスン  2009年2月~2012年6月  3年5ヶ月
  -> キング先生に習っていた期間 5年6ヶ月

 Y先生 個人レッスン  2012年7月~現在(2018年1月) 5年7ヶ月

 レッスン期間はほぼ同じとは言え、ついにY先生に習っている期間の方が長くなりました。正直、感慨深いものがあります。

 もう少し言うと、レッスン期間はほぼ同じと言えども、レッスン時間そのものは…すでにY先生に習った時間の方が多いと思います。

 なにしろ、両先生とも、レッスンは原則、隔週 or 月2回だけれど、キング先生の場合、グループレッスンの時は、個人的に見てもらえるは、一回のレッスンではせいぜい5分程度だったし、個人レッスンになっても、レッスンの半分は休憩時間(&雑談時間)だったので、表面上の時間よりも実際にレッスンで学んでいる時間は少なかったです。だから、ブログでは、一回のレッスンの内容は、一回の記事で書き切れたわけです。

 そこへ行くと、Y先生はレッスン中に休憩時間を入れませんし、雑談もしません。レッスンは常にビッチリやりますので、正味のレッスン時間では、すでに倍以上の差が付いていると思います。ブログの記事も、かなり内容は端折っていますが、Y先生の場合、1回のレッスン内容は、記事にすると、どうしても2~3回になってしまいます。

 私自身の歌い方にしたって、キング先生時代に習った事は、だいぶ抜け、まだ悪い癖は完全に取り除けたとは言えませんが、かなりY先生が教えてくださる、オーソドックスな発声法に馴染んできたと思います。なにしろ、キング先生の教えてくださった発声法って、かなり個性的で画期的で革新的だったからなあ…。

 今はキング先生がダメと言った事を積極的に行い、キング先生が指摘されなかった事を重点的に意識して歌うようになりました。

 まあ、富士山登頂にしたって、色々な登山路があるように、おそらく、キング式発声法であれ、Y先生が教えてくださるオーソドックスな発声法であれ、山頂に到達すれば、それはそれで良いわけで、だから個性的なキング式発声法がダメだとは思わないのだけれど、私的には、誰もが登る、オーソドックスな登山路の方が性に合っているような気がします。

 習っていた期間だけでなく、習った曲数も、すでに違います。

 キング先生 グループレッスン  7曲
 キング先生 個人レッスン  29曲
  -> キング先生に習った曲  36曲

 Y先生 個人レッスン(現在まで) 71曲

 すでに倍近く違います。これは期間は同じでも、レッスン内容やレッスンの濃度の差で、これほどの違いが出たんだと思います。それにしても、思っていたよりも、大きな差だったので、私自身がびっくりしてしまいました。

 キング先生時代は、レッスンや発表会で歌う曲はすべて先生が決めていましたが、Y先生になってからは、私が曲を提案したり、Y先生が曲を推薦したりして、常に相談しながら決めているので、曲数も多いですが、内容も、それなりに幅広いです。自分セレクトの曲を歌うので、歌っていて楽しいですよ。

 あのままキング先生に習い続けていたら、絶対に歌わなかっただろう歌も、今は歌っています。いや、それ以前に、キング先生は私にはテノールは無理だから、バリトンに転向しろと散々言ってましたので、今頃は、半分腐りながらバリトンをやっていたかもしれません…私の声は明らかに軽いテノールなんですが(笑)。それを思うと、Y先生の指導の元、少しずつだけれど、テノール歌手として成長させてもらっているのは、感謝です。

 幼稚園を終えたら、小学校に進学するように、キング先生からY先生へ、師事する先生を変えた事は、偶然だったのですが、結果的に良いことだったと思います。幼稚園では学べない事も、小学校では学べますからね。実際、キング先生ご自身が、声楽の学習は複数の先生を渡り歩いて学ぶものだと教えてくださっていたし…ね。

 次の問題は、いつ小学校を卒業して中学校に進学するか…ですが、その時期はY先生と相談する事になっています(次の先生はY先生がご紹介してくださる事になってます)が、それはまだまだ先の話になりそうです。

 私的には、今しばらくはY先生の元でじっくり学んでいきたいと思ってます。

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2018年1月22日 (月)

二重唱なら二部合唱の楽譜が使える?

 これは盲点だったのですが、上手に選べば、二重唱を歌うチャンスの時に、二部合唱の楽譜が使えるなあ…と思ったわけです。

 実際、Y先生がご自分のコンサートの時に、ソプラノさんとの二重唱で、二部合唱の譜面を使って歌われたのです。二部合唱の上のパートをソプラノさんが、下のパートをY先生が歌いました。その合唱曲は、二部合唱とは言え、ハモリ中心ではなく、掛け合い中心にアレンジされた曲で、二重唱として歌っても、なかなか聴き応えがあるアレンジになっていました。

 いやあ、二重唱の楽譜って、適当なのを探すのって、案外大変なんだよね。

 今まで二重唱を歌う時、オペラとかオペレッタやミュージカルの二重唱曲を選んで歌っていましたが、それが門下の発表会ならまあ良しとして、クラシックコンサートのようなアウェーの場で歌う時は、そういう曲よりも、歌曲や、もっと言っちゃえば童謡や唱歌の二重唱の方が良いかな…と思わないでもなかったのですが…そういう曲で二重唱の楽譜って、無いわけじゃないけれど、そんなに豊富じゃないし、我々で歌えるほど簡単な曲でもなくて、どうしようかな…と悩むことも多かったのです。

 二部合唱の曲も二重唱で歌えるとなると、曲を探す範囲が広がるので嬉しいです。

 高声と低声の組み合わせなら、通常の二部合唱曲が使えます(Y先生のケースがそれね)。高声同士の組み合わせ(ソプラノとテノールの組み合わせとか)なら、同声二部の合唱曲…つまり、ソプラノとソプラノの二重唱曲(結構たくさんあります)が歌えるわけです。

 やったね。

 実際に歌うかどうかは別として、日本では合唱曲って豊富にありますからね。楽譜屋にいけば、本当にたくさんの二部合唱の楽譜があります。特に日本語の歌があるのが、うれしいです。

 日本語の曲は歌うのは難しいけれど、意味がダイレクトに分かって表現しやすいのが良いですね。

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2018年1月18日 (木)

童謡や唱歌などを歌う会がありますが…

 …実に楽しそうですね。

 と言うのも、先日(と言ってもだいぶ前)、Y先生の関係で、童謡や唱歌の会の人たちと親睦の時間を持ちました。

 参加された方々は、私の母親よりもずっとご年配の元気なお姉さま方で、私などは、終始タジタジだったのですが、それでもやはり面白かったです。

 色々と知らない世界を教わりました。

 素人が歌を楽しむにも、色々なやり方があるわけで、私などはすぐに“素人の歌=合唱!”と思いがちですが、童謡や唱歌などを斉唱で歌って楽しむ団体も、それぞれの地域にポツポツとあるわけです。

 基本は斉唱ですから、歌うにしても、合唱ほどハードルが高いわけではありません。事前の練習など要りません。知らない曲を歌う事になったとしても、楽譜をちゃんと読めなくても、耳で曲を覚えればいいわけですから、音楽の専門教育を受けている必要もありません。ただただ楽しく歌えばいいのです。音楽的なレベルはカラオケと大差ないでしょう。ただ、カラオケが少人数で個室に籠もってワイワイ歌っていくのに対して、この手の団体はある程度の人数が集まってワイワイと交友しながら歌っていくわけで、友達作りとしても健全に機能できそうだなあって思いました。

 そういう間口の広さはいいですね。Y先生がご指導されている団体などは、数千人単位の規模の団体なので、活動場所も毎回大ホールを借りてやってらっしゃるようで、ある意味、合唱よりも人口が多いんじゃないの?って思ったりもします。

 (実際、日本の合唱人口と、童謡や唱歌を歌う団体さんの人口と、どっちが多いんでしょうね)

 どうやら、童謡や唱歌を歌う、この手の団体って、分かりやすく言えば、毎回シングインをやっているようなものです。

 参加する度に、新曲をいただいて、その場で簡単なレッスンを受けたら、すぐにみんなで歌う。難しい歌だと、数回連続して取り上げて、自分たちのレパートリーにもするけれど、大抵の曲は、さほど難しくないし、難しい事もしないので、その日に歌ったら、それでお終い。毎回毎回新鮮な気持ちで歌っていくわけです。

 物足りないなあ…と思ったら、周囲の人たちに声をかけて、下部団体を作ってみても良いわけで、実際、Y先生のところは、下部団体として合唱団を作っていましたよ。もっとも、合唱団と言っても、童謡や唱歌の団体から生まれているわけだから、緻密にギチっと合唱をやっていくのではなく、楽しく歌ってハモれば良しって感じの合唱団のようです。

 団体として、忘年会や新年会もあるし、夏の音楽合宿もあり、それらのイベントに参加しても参加しなくてもいいし、マイペースで団体とかかわっていけるのも、なんか自由で良さそうです。

 こういう団体に参加するのって、楽しさ優先なんですね。歌う楽しさ、声を出す喜びを求めていくわけで、案外、私好みかもしれない。

 私の場合、今すぐにこの手の団体に入るつもりはないけれど、年を取って、声も出なくなり、目もしょぼしょぼして楽譜もロクに読めなくなって…それでも元気で歌いたい衝動が無くならなければ、そういう童謡や唱歌を歌う団体に入って、歌い続けていく晩年も…案外楽しそうだなって思いました。

 若い時ならともかく、年を取ったら、合唱団に入って小難しい曲を歌うよりも、そういう斉唱の団体で気軽に歌える方が楽しめそうだよね。

 そういう世界もあるんだなあ…って話です。

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2017年12月21日 (木)

口呼吸と鼻呼吸

 フルートにせよ、声楽にせよ、息を使って演奏します。音楽演奏時は、息はもちろんクチから吐きますが、息を吸うのは…クチから吸いますか? 鼻から吸いますか? と問いかけるのは、よく初心者の方が悩むポイントだし、また指導者によってはこだわりのあるポイントだったりするからです。

 つまり、口呼吸と鼻呼吸のどちらが音楽演奏上、望ましい呼吸法なのか…って事です。

 まあ、確かに、口呼吸にせよ鼻呼吸にせよ、メリット・デメリットが無いわけじゃありません。と言うわけで、口呼吸と鼻呼吸を比較して、それぞれ秀でている点、劣っている点を考えてみましょう。

口呼吸の方が秀でている点

1)短時間で多量の息を一気に吸い込む事ができる

 鼻呼吸では、鼻の穴はクチよりも遥かに小さな穴なので、そこを通して息を吸うならば、どうしても時間がかかってしまうし、あまり多くの息を吸い込む事は難しいです。しかしクチからの呼吸ならば、一気に多量の息を吸い込む事ができます。

2)鼻の病気を持っていても演奏できる

 これは利点と言えないかもしれませんが、鼻に疾患を持っている人って、少なからずいるでしょ? 慢性的な病気の方もいれば、風邪をひいたり、アレルギーだったりと、一時的に鼻が不調になってしまう事もあります。そんな時でも、口呼吸をメインにすれば、演奏できます。

3)声のポジションを下げずに済む

 これは声楽のみの利点ですが、口呼吸をするならば、クチをずっと開けっ放しにする事もできますので、呼吸のたびにポジションを仕切り直す事もせず、ポジションを高めに維持したまま歌えますから、口呼吸の方が楽に歌える…という人もいます。鼻呼吸の人は、どうしても鼻から息を吸う時にクチを閉じてしまいがちですからね。一度クチを閉じてしまうと、声のポジションもリセットされ、再びクチを開けた時に、改めてポジションを高めに設定し直さないといけません。これを回避するために、クチを開けたまま鼻呼吸をすると…不可能ではありませんが、クチで吐いていた息を鼻で吸い込む時の切り替えに一瞬の時間のロスが生じるんです。その一瞬が案外音楽では致命的な時間だったりします。声の事を考えると、口呼吸の方に一理あったりします。

4)鼻を鳴らさずに息ができる

 鼻呼吸では大量の息を一度に吸うことができません。でも、音楽の演奏では、しばしば短い時間にたくさんの息を吸わないといけない事があります。そんな時、鼻呼吸を強行すると…たまに鼻が鳴ったりします。恥ずかしいですね。少なくとも、私は結構な高頻度で鼻が鳴ります。グギグギグギ…と言うか、ズグズグズグ…と言うか。クチで息をすれば無音になるか…と言えば、風切音はせざるをえないので、必ずしも無音というわけにはいかないけれど、クチからの呼吸音は、たとえうるさくても、鼻を鳴らすよりはずっとマシですよね。

鼻呼吸の方が秀でている点

1)クチが乾かない

 口呼吸をしていると、どうしてもクチが乾きます。ノドが乾きます。クチが動きづらくなったり、場合によってむせてしまう事だってあります。鼻はそもそも息を吸い込むための器官ですから、鼻呼吸ならば、そういう不都合は特にありません。

2)ゴミをホコリを吸い込みにくい

 口呼吸は、大きなクチを開けて、一度に息を吸い込むわけで、息以外のモノもついつい吸い込みがちです。ゴミやホコリを吸い込みやすく、そんなモノを吸い込めば、当然演奏にも支障が生じます。NHKの紅白などでは、雪に見立てた紙をザザーと降らせて、それを吸い込みながら歌う演歌歌手が毎年のようにしますが、あれは口呼吸だからであって、鼻呼吸なら、よほどのことが無い限り、紙を吸い込む事はない…と思いますよ。

3)呼吸音が静か

 鼻呼吸は口呼吸ほど、一度に多くの息は吸えません。吸えない代わりに、呼吸音も(よほどの事がないかぎり)小さいです。観客で、演者の呼吸音が気になるという人は少なからずいますので、呼吸音は静かな方が良いに決まってます。特にフルートの場合、口呼吸で息を吸うと…結構響きますよね。

4)循環呼吸は鼻呼吸

 これはフルートのみの利点ですが、フルートで使われるテクニックの一つに、循環呼吸がありますが、この循環呼吸は、鼻呼吸の人じゃないと使えません。

 まあ、こんな感じでしょうか? 口呼吸と鼻呼吸、どちらが良いのかと言えば「そんなのは、個人の好みで好きにすればいいじゃん」って私は思ってます。それぞれのメリット・デメリットを熟知した上で、自分のやりやすい呼吸をしていけばいいと思います。まあ、多くの人は、口呼吸も鼻呼吸も両方やっていると思いますが…。

 呼吸で大切な事は、実はクチから吸うのか、鼻から吸うのかではなく、きちんと腹筋を使って腹式呼吸ができているか否かなんだと思います。腹式呼吸ができていれば、息をクチから吸っても、鼻から吸っても、大きな違いではないと、私は思うわけです。それは、フルートであっても、声楽であっても…です。

 でしょ?

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