ひとこと

  •  グーグルがファーウェイにソフト提供を止めるんだそうです。つまり、ファーウェイでAndroidが動かない、ChromeもGmailも動かない。つまりファーウェイでスマホを作っても、それを動かすソフトが無くなるって話です。まあ、中国製のソフトを開発すれば問題ない話だけれど、ソフトなんて簡単に短期間で開発できるものではないわけで、いよいよファーウェイやばくない?
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カテゴリー「声楽のエッセイ」の記事

声楽に関する様々な事柄について書いてみました

2019年5月21日 (火)

声部と声域について、ちょっと気づいた事

 声部ってのは、ソプラノとかテノールとかってヤツの事で、四部合唱なら、4つに分かれているそれぞれのパートの事を言います。声域ってのは、その人が歌として使える最低音から最高音までの事です。その声部と声域の2つの関係について、今までは以下のように考えていました。

1)男女の音域の差は、基本的に1オクターブ。
2)高音歌手と低音歌手の音域の差は、4~5度。

 つまり、ソプラノ、アルト、テノール、バスと4つの声部で考えるなら、それぞれの声部は、約1/2オクターブずつ離れ、ソプラノとテノール、アルトとバスは、それぞれ1オクターブ程度離れている…ってね。

 たぶん、これは合唱では正解なんだと思います。で、私は今まで、合唱のノリで声部について考えていたわけです。

 でも、独唱をするようになって、自分はテノールだけれど、ソプラノ用の曲やアレンジを、1オクターブ下で歌うのは…案外キツイ事に気づきました。キツイどころか、曲によっては、ほぼ無理って思うほどです。だって、独唱ソプラノって、めっちゃ高いんですよ。

 1オクターブ下で歌うなら、ソプラノよりも、メゾソプラノだなって思うようになりました。実際、メゾソプラノの曲やアレンジだと、テノールの自分は歌いやすいのです。

 同じ目線で独唱曲で考えてみると、アルトの1オクターブ下は、バスではなくバリトンになるみたいです。

 合唱ならば、ソプラノとテノールは1オクターブ差の関係。アルトとバスも1オクターブ差の関係になるけれど、独唱だと、メゾソプラノとテノールが1オクターブ差の関係。アルトとバリトンが1オクターブ差の関係になるんじゃないかと思います。

 じゃあ、ソプラノやバスはどうなの?って言えば、ソプラノの2オクターブ下がバスなのかな?って思います。

 つまり、独唱でも、各声部は約1/2オクターブずつ離れているわけです。ただし、合唱が基本4部なのに対して、独唱は6部が基本になります。

 ですから、メゾソプラノの1オクターブ下がテノールであって、アルトの1オクターブ下がバリトン。ソプラノやバスは、メゾソプラノやバリトンよりも、1/2オクターブがもう少し、上下に離れているって感じになるのです。

 で、音域的には、合唱ソプラノ=独唱メゾ、合唱バス=独唱バリトンって感じかな? アルトとテノールに関しては、合唱も独唱も基本的な音域は同じ(独唱の方が、若干上下に広いかな?)。で、独唱ソプラノと独唱バスは、合唱のソプラノやバスよりも1/2オクターブほど、上下に広い音域を歌う…って感じですね。

 まあ、私の私感なので、間違っているかもしれませんが…。

 

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2019年5月 8日 (水)

某声楽コンクールを見てきました

 ゴールデンウィークの中頃に、東京で行われた、某声楽コンクールを見てきました。実は、このコンクール。当初は私が出場しようかなと思った、アマチュア向けの声楽コンクールだったのでした。ちょうどその準備期間に、私はインフルエンザになってしまったので、エントリーを断念したのですが、もしも私がこのコンクールに出場していたら、どうなっていただろうかという思いも込めて、見に行ったわけです。

 考えてみれば、どんなコンクールかも知らずにエントリーしようとした私って、バカかもしれませんね(笑)。

 そのコンクールはアマチュア向けのコンクールで、ピアノと声楽のコンクールを予選無しの(つまり、エントリーすれば誰でも出場できる)タイプのコンクールでした。一応、年齢と、音楽の専門教育の有無(つまり音大卒かどうか)で、クラス分けをして、その上で全部をゴッチャにして賞を与えるといった、ある意味、乱暴なやりかたをしたコンクールです。小学生も、音楽活動をしているセミプロも、同じ土俵で戦うという、格闘技で言えば、無差別級的なコンクールだったわけです。

 ちなみに賞の区分けはこんな感じです。

 最優秀賞(グランプリ)…第1位
 審査員特別賞…第2位
 金賞…第3位
 銀賞…参加賞(ほぼ全員、この賞をもらえます)
 銅賞…努力賞(舞台で何かをやらかした残念な人たちがもらいます)

 これを、ピアノと声楽で、それぞれに与えられるわけです。

 昼過ぎからピアノのコンクールが、昼下がりから夜にかけて、声楽のコンクールが行われました。私は、ピアノには興味がなかったので、声楽コンクールだけを見ました。

 出場者は30名ちょっと。約半分の人が一般クラスと呼ばれる、オトナの趣味人たちでした。後は子どもたちが5名程度、音大卒の人が10名程度でした。男女別で言えば、10名程が男性で、残りは女声でした。女声はほぼソプラノ、メゾの人がちょっこっといました。男性はほぼバリトンで、ボーイソプラノとカウンターテナーが一人ずつで、テノールはいませんでした。

 出演者の方々は、予選なしとは言え、皆さん、熱心に上手に歌われていました。

 それでも感じたのは、子どもを含めて、一般の方々と、音大卒の人たちは、全然歌のレベルが違っていた事です。やはり人生の多くの時間と多大なる金銭を使って音大で学んだ方々と、旦那芸や有閑マダムの習い事じゃあ、全然違っていました。当然と言えば当然なんだけれど、こうして並べてみると、残酷なくらい、如実に違っていました。やっぱり、皆さん、伊達に専門教育を受けていませんね。

 なので、歌の上手い下手だけで比較しちゃうと、上位者は音大卒ばかりになってしまうでしょうが、実際の賞は、そうではなく、音大卒、一般クラス、子どもの部から、バランスよく受賞していました。つまり、歌の上手い下手だけが審査基準ではないって事ですね。おそらくは、まずは各クラスからバランスよく第3位まで決めてしまう。あと、何かをやらかしちゃった人を銅賞にする。で、残りはみんな銀賞…って感じなんだろうと思いました。

 コンクールに出ている人の特徴を言えば、皆さん、ソルフェージュ的には上手な方ばかりでした。リズムは多少の揺れがあっても問題にはなっていなかったようですが、音程が正しい事は必要最低限のようで、音程が甘めの人は、皆さん、銅賞になっていました。なので、このコンクールに出場するなら、音程に関しては、きっちりしないとダメなようです。

 声に関しては、ホールが実に響きの良いホールだった事もあり(誇張ではなく)蚊の鳴くような歌声でもなんとか聞こえました。そんな小さめな声でも、きちんと銀賞をいただいていましたので、声が小さい、楽器が良くないという理由では、銅賞にはならなかったようです。とは言え、音大卒の人たちで、発音に問題のある人はいませんでした。

 声に問題と言えば、一般クラスには、結構見受けられました。大半の人が、声が小さくて、ここのホールでなければ、歌声は聞こえないかもしれないってレベルの人がとても多くいました。おそらく、普段は合唱を歌っているんでしょうね。ソルフェージュ的にはほぼ完璧で、ただただ音量が小さいと言った人たちです。

 また、声に合った選曲をしていない人も多く、その声で、このアリアを歌うのは、無しだろう…って人も、結構いましたね。

 男性はほぼ全員バリトンだったわけですが、実際のところ、バリノール(または、テノリトン)の方がいました。こんな細くて軽い声で、どうしてこの曲を選んじゃったのかな…って感じで、自分の声にあった選曲をすれば、結果も、もしかしたら違っていたかもしれないのになあ…って思いました。

 1位も2位も、バリトンの方で、きちんと自分の声に合った歌を歌われていました。やはり自分の声質に合った曲を歌うのは大切です。

 女声はとても上手な方も大勢いらっしゃったのだけれど、ソプラノは数も多くて、どうしても埋もれてしまいがちで、賞レースとなると、少数で目立つ男声の方が有利になってしまうのだろうと思いました。

 あと、審査の先生も講評でおっしゃっていましたが、アマチュアはどうしても、自分の実力以上の選曲をしてしまいがちだけれど、こういうコンクールでは、自分の身の丈に合った、実力なりの選曲をして、それをきちんとミスなく歌うのが良いのだそうですし、実際、聞いていて、ちょっと無理めな曲は、やはり印象はよく無かったです。もしも自分が出場するなら、無理のない選曲を心がけないといけないなあって思いました。

 とは言え、アマチュアの出演者の出場目的には「ぜひホールで歌ってみたい」「プロのピアニストで歌ってみたい」「人生の思い出づくりのために歌ってみたい」などがあるでしょうから、そうなると無理めな選曲も無理のない話かなって思いました。

 おそらくですが、もしも私が、今年のこのコンクールに出場したとしたら…たぶん、銅賞でしょうね。良くて銀賞です。そんな感じかな? と言うのも、私は今までのステージで、必ずと言っていいほど、何かをやらかしていますからね。で、そんなやらかし野郎は、ここでは銅賞なので、私が出場したとしたら、やっぱり銅賞でしょう。もしも何もやらかさなかったとしても、上位3名に食い込めるとはとても思えないので、良くても、やっぱり銀賞でしょう。

 目指せ、銀賞。って感じで、来年のこのコンクールに出場するか、どうか、一年かけて考えてみようと思いました。

 

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2019年5月 2日 (木)

テノールは、カメのようにゆっくりした歩みで成長していくのです

 声楽を学んで、ある程度になると、オペラアリアを歌います。

 世の中には色々なアリアがあるわけで、中には超絶技巧が必要な難曲もあれば、初学者が取り組みやすい、比較的簡単なアリアもあるわけです。学習の順番としては当然、その手の簡単なアリアから学び始め、そこから段階を踏んで難しい曲に挑戦していくのが、普通です。

 で、比較的簡単なアリアと言うのは、多くは脇役の歌手のために作曲されたアリアです。オペラには、若い駆け出しの歌手を念頭においた脇役が用意されていて、それらの役のアリアは比較的簡単なのです。

 バリトンやメゾは、そもそも脇役が多い声種です。なので、初学者用のアリアがそれなりにあります。ソプラノは主役が多い声種ですが、実は脇役も多い声種です。ですから、初学者は念入りに脇役のアリアを選んで学んでいけばいいわけです。

 そこで難しいのはテノールです。実はテノールって、脇役があまりありません。テノール役は、そのほとんどが主役です。だいたい、一つのオペラにテノールは、主役一人しか参加しない…なんて作品ばかりです。また、たまにテノールが二人いると、もうひとりは、脇役というよりもチョイ役だったりして、アリアすらなかったりするのです。つまり、テノールのアリアは、そのほとんどが主役用のアリアであり、どれもこれも難しいアリアばかり…だったりします。

 ですから、とても軽い声質で最初から高音がラクラク出てしまう人であったり、そもそも天才で、何の苦労もなく歌える人たちは別として、多くの凡才テノールたちは、初学者レベルでは、歌えるアリアがなくて、本当に困ります。同程度のキャリアの他の声種の学習者たちがアリアをバンバン歌い始めても、テノールさんたちは、ずっとずっと歌曲ばかり歌っていたりするわけです。

 歌曲は歌曲で難しいのですが、オペラアリアほど高い音はありませんし、自分の現在の音域に合わせて移調して歌えるので、初学者なテノールさんでも、歌曲なら歌えるってわけです。

 というわけで、テノールは難しい…と言うよりも、テノールのアリアは難しいために、テノールはいつまでも進歩していないように見られがちだって話でした。

 テノールはカメのようにゆっくりした歩みで成長していくのです。

 蛇足? 私個人の話をすると、現在の私のレベルでは、テノールの簡単なアリアが歌えるか歌えないかのギリギリの立ち位置です。なので、よくよく選曲をして、難しい曲々の中からでも、比較的歌いやすい曲を選んでチャレンジしている最中です。当然、キング先生に習っていた頃は、アリアなんて歌えるほどの技量もなかったけれど、それでも先生に曲を与えられて歌っていました。当然、どの曲も、当時の私には難しすぎて、ちゃんと歌えるはずはなく、失敗ばかり積み重ねてきました。自分的には凹み、先生からは指導をしているのに何故歌えないと言われ続けていました。今思えば、無理ゲーを何度も何度も強いられていたのだなあと思います。

 よく、歌を嫌いになって、歌うのを止めなかったものだと、当時の自分に感心してしまいます。当時の私、偉いなあ…。

 

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2019年4月23日 (火)

歌を学ぶのは難しい(涙)

 昨今、声楽のレッスン帰りに思うことは「歌って難しいなあ」って事です。ほんと、難しいです。

 私などは、声楽を継続的に習い始めて、もう10年を越えました。実は学習歴12年ですよ、学校で言えば、声楽を習い始めたのを小学校1年生に例えるなら、今や高校3年生です。来年はいよいよ音大受験なんですよ(って、嘘です)。

 12年も習っていて、現在の実力は…と言えば、たかが知れています。ほんと、たかが知れているわけで、たまに音源をアップするからお分かりでしょうが、まあ、あんな程度です。自分的には、だいぶ進歩していますが、世間的にはまだまだ全然と言ったレベルです。

 私の場合は、そもそもの音楽的な才能がかなり不足していた上に、音楽的な経験も皆無だし、音楽的な専門教育ももちろん受けていなかったし、ただただ「歌が好き」という気持ちだけでやってきた、いわば“旦那芸”なわけですから、そりゃああんまり上達はしないわけですが、それでも毎日のように歌の練習をして、命の次に大切なお金もつぎ込んできたわけだから、もうちょっと上手くなっていても良いような気がするけれど、現実は、あんな程度だったりするわけです。

 ああ、歌って難しいなあ。

 そこで、悔し紛れに、なんで歌を学ぶのは難しいのか、その理由を考えてみました。

1)自分で音程を作らないといけない。

 ピアノならキーを叩けば、ギターなら正しいフレット位置を指で押さえて弾けば、管楽器なら正しい運指で吹けば、ほぼほぼ正しい音程が出ます。歌は、キーもなければフレットもないし、運指なんて便利なものもありません。耳で聞いて、それを覚えて、声で出す。ただ、それだけ。いやあ、難しい。

 最初は耳で聞いても、正しく聞けなかったりするし、聞いて覚えても、思い通りの高さの声なんて出ませんよ。いやあ、ハードル高い。音程を作ると言った点では、歌って、ヴァイオリン(つまり弦楽器)並に難しいわけです。

2)自分のカラダの動きをコントロールできなゃいけない。

 横隔膜のコントロールだとか、ノドまわりを脱力するとか、軟口蓋を上げるとか、自分のカラダ…それもいわゆるインナーマッスル(体内の筋肉)の動きをコントロールしないと歌えません。同じ筋肉でも、手足の動きなら、他人の動きを見て参考にしたり、自分自身の目で見て確認しながら学ぶ事ができますが、インナーマッスルって、自分のモノも他人のモノも見ることができません。他人のインナーマッスルの動きを推測し、自分のインナーマッスルを理想的な状態になるように動かしていく。そんなコントロールが出来なきゃいけないわけで、こりゃあ難しいよね。ほんと難しい。

 でも、これが出来なきゃ、声楽的な美しい声では歌えないわけだから、頑張るしかないわけです。

3)外国語…英語じゃなくて、イタリア語とかドイツ語とかフランス語とかに慣れ親しまなきゃいけないんだよ。

 歌って、音楽と言葉で成り立っているわけで、私が学んでいる声楽の場合、どうしても、イタリア語は不可欠なわけだし、進歩してくると、ドイツ語(今苦労しています)やフランス語にも手を出さないといけなくなります。

 外国語って、難しいよね。我々は学校で英語を習いましたが、声楽では、そんな親しみのある英語ではない外国語で歌わないといけないわけで、ああ難しい。難しいよね。

 外国語が難しいなら、日本語専科で歌えばいいじゃん…って思うだろうけれど、声楽の場合、日本語って、イタリア語よりもずっと難しいわけで、そんな難しい日本語で歌えるほど、まだ進歩もしていなければ、上達もしていないんだよ。

4)所詮、我々は顔の平らな日本人なんだよ。

 それなのに、立体的な顔を持つ西洋人と同じような声を出さなきゃいけないわけで、こんな平べったい顔の中に、擬似的に立体顔の西洋人のような形を構築して、その上で声を出さなきゃいけないのです。西洋人と比べると、スタート位置が全然違うわけです。

 まあ、クラシック声楽なんて、所詮、彼らの音楽であり、彼らにしてみれば、自分たちのご先祖様の音楽だし、伝統文化は今に脈々と続いているわけです。

 でも我々日本人にとっては、肉体的にも精神的にも西洋人に近づかなきゃ、歌えないのです。もちろん、肉体的にも精神的にも、我々は西洋人とは全く異質な人類なわけで、彼らがたやすく出来る事が我々には無理難題だったりもするわけです。それでも、日々、西洋人の猿真似(ウッキー!)を目指していくしかないのです。

 ハードウェアの違いを、ソフトウェアと努力と根性と要領の良さで乗り越えていかないと、いかんとです。ああ、難しい。

5)おまけに完璧主義の日本人なわけだし。

 ちょっとでもミスがあると全否定しちゃうのが、日本人の悪い体質です。減点方式なんだよね。だから、超一流のオペラ歌手の歌をレコードとかで聞いて、あのレベルで歌えないと「ああ、自分なんて、全然ダメなんだ」と落ち込むのです。ああ、面倒くさい。そんな面倒くさい日本人の一人だったりするのですよ、私だって。一年前の自分よりも、だいぶ上手になっていたとしても、とてもとても、パヴァロッティやドミンゴとは比較にならない程度の歌しか歌えない(当然の話です)わけで、無意識のうちに彼らの歌と比べて、無駄に落ち込んでいたりする私は、やっぱり完璧主義な日本人なんですよ。

 一体、誰と戦っているつもりなんだろ>自問自答だなあ…。

 そんなこんなで、歌って難しいです。自分には難しいです。いつになったら、自分で納得するレベルの歌が歌えるのか…そんな機会は一生与えられないものなのか? それを考えると、わけもなく凹むんだよね。

 

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2019年3月12日 (火)

とてもうらやましく思いました

 先日、同門の兄弟子が、参加している声楽サークルの発表会を聞きに行きました。いやあ、実にうらやましかったですよ。

 今回はアラカルトで、ヴェルディとプッチーニのおいしいとこどりの発表会だったのですが、今回が特別で、いつもの年は普通にオペラを上演しているんだそうです。ま、いわゆる市民歌劇団のひとつです。

 発表会は第一部と第二部に分かれていましたが、原則的にこの二つでは同じ曲目を歌っていました。つまり、第一部と第二部で同じ曲を取り上げているのです(無論、片側だけでしか歌っていない曲も数曲ありました)。ただし、歌い手は違うわけで、いわゆるチーム制なんだなって思いました。オペラなどの上演の時に、本番用チーム(Aチース)と代役チーム(Bチーム)を作って稽古していくアレだなって思いました。プロの場合は、大きな都市とか休日公演はAチームで、地方都市とか平日公演はBチームで公演をして、Bチームだから出番がないというわけではないわけです。普段からオペラをやっているから、自然とAチームBチームを作って練習してきたのかな?…なんて勘ぐってしまいました。

 我が兄弟子は、頑張っていましたよ。男性なので、出番もたくさんありました。

 どこの団体でも女性が多くて男性が少ないのだけれど、オペラというのは、男性も女性も必要だから、どうしても男性メンバーにあれこれ負担が掛かるわけです。それを「大変…」と思うか「うれしい!」と思うかは、その人の気質によるのだと思います。

 今回取り上げた曲は…どれもこれもなかなか難度の高い曲ばかりでした。なんでも、一年掛けて練習するんだそうですが、まあ確かに、それくらいの時間を掛けないと、なかなか歌えないだろうねえ…。

 とにかく、聞いていて、感心しつつも、たっぷり楽しませていただきました。

 「そんなにうらやましいのなら、参加すればいいじゃん」

 私はまだまだ現役だからね…練習日はプログラムに書いてあって、かなり心は揺れましたが、決められた練習日には、たいてい仕事が入っているんだよね。練習に出られる時だけ出ればいいんだよ…なんていう、ユルイ団体ならともかく、そんなユルイことを言っていたら、これだけのステージは出来ないんじゃないのかな?(どうなの?) なので、私がここに参加するのは、今のところ、まず無理だろうなあと思ったわけです。実際、仕事、忙しいのです。

 私が以前入っていた歌劇団は、あちらの門下を辞める時に、自動的に辞める事(当時は、門下生限定の歌劇団だったのです)になってしまい、実に残念な思いをしましたが、その後まもなく仕事が忙しくなったので、あの時辞めなかったとしても、いずれ辞めざるを得なくなっていたよなあ…と思ってます。なので、辞める辞めないはタイミングの問題だったので、途中経過はともかく、どちらにせよ辞めなきゃいけなかったわけで、趣味よりも仕事を優先する事に決めているので、まあオペラと私は縁が遠いんですね、今のところ。

 それに、兄弟子の団体って、良いテノールが二人もいるんだよ。私が入ったところで、必要とはされないだろうなあ…とも思ってます(テノールなんて、団体に1~2名いれば十分だもの)。

 それにしても、うらやましい。ほんと、うらやましい。

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2019年2月27日 (水)

フルートは上達するが、歌はなぜ上達しない?

 私はよくアマチュアの発表会/演奏会を聞きに行きます。声楽が中心ですが、他のジャンルの音楽も聞きますし、同じ団体の演奏を何年にも渡って聞き続けていたりします。そうすると、同じ人の演奏を何年にも渡って聞くわけで、一種の定点観測のような事をしていたりするわけです。

 そこで思うことは、フルートを初めとする器楽の方々と言うのは、毎年毎年、確実に進歩/上達しますね。みんながみんな、前年よりも今年の方が上達している…のですよ。もちろん人によって、その上達度や進歩の具合は違うのだけれど、ほぼ全員、上手くなっているのです。

 一方、歌(いわゆる独唱を中心とした声楽、合唱は含みません)はどうかと言うと、あまり上達しません。同じ人の歌唱を数年に渡って聞いていても、いつもいつも変わり映えしません。進歩も上達も見られず、ほとんど成長しないのです。たまに少しずつ下手になっている人もいるくらいです。

 器楽の人は確実に上達していくのに、なぜ声楽の人は上達しないのだろう…という疑問が沸々と私の中で湧いてきました。

 一つには年齢層の違いがあるかもしれません。器楽の人って、割と若いんですよ。子どもや青年はもちろん、いわゆる大人も現役世代の人がかなりの割合を占めています。老人がいないわけではないけれど、歌ほどじゃないです。

 で、歌は…老人が多いですね。もちろん、若い人や現役世代もいるのですが、やはりアタマが白かったり肌色だったりする人が大半でしょ? 器楽の人たちとは、平均年齢が明らかに違います。この違いは大きいと思います。なにしろ老人は新しい事を学ぶのが苦手だし、老化現象もあるし、あれこれ若者とは違うわけです。

 でも、原因はそれだけじゃないです。いわゆる現役世代の方であっても、器楽は上達していくのに、歌ではあまり上達しません。

 そこにはメソッドの違いがあるかな? って思います。器楽は、どの楽器であっても、標準的な教則本というのがあって、それを順番に学んでいくと、システマチックに上達していけます。一方、歌の方には決まりきった教則本と言うのはありません。学ぶ人の好みに合わせたり、教える先生の趣味に合わせたりして、色々な楽曲を色々な順番で学ぶわけで、どう考えてもシステマチックとは縁遠いわけです。

 器楽ならば、教える人の技量にかかわらず、教則本を順番に学ぶ事で、学ぶ人は一定水準の演奏技術に達しますが、声楽の場合、教える人の意欲や技量や経験に大きく左右されるのではないかと思われます。いくら学ぶ人が熱心であっても、教える方がヘボであったり、意欲が低ければ、全然上達なんてしないわけです。

 歌を教えるには、公的な資格なんて要りませんからね。それに歌える事と教える事は全然別ですから、自らが優秀な歌手であったとしても、教える方は素人なら全然ダメだしね。

 もちろん、優秀な教授能力を持った人であっても、その人が「素人相手なら、これくらいでいいだろう」と言った低いハードルで教えていたとしたら、やはりその人に学んでいる人は、上達するはずありません。つまり、声楽の場合は、良い教師と向学心あふれる生徒の組み合わせでないと上達は難しいと言えます。

 逆に言えば、器楽の場合、教則本がしっかりしている分、ある程度までなら独習も可能だと言えるでしょう。でも、あくまでもある程度までで、先生の指導の元で学んでいる人と、そうでない人では、学習の速度と深度に大きな違いが出るのは、言うまでもありません。いくら独学が可能であると言っても、やはり良い先生について学ぶ事は、器楽においても必要な事です。

 いずれにせよ、学ぶ人には真面目さと向上心が求められます。いくら優秀な教授能力と高い志を持った人を師と仰いでいても、師の教えを守らず従わずに、自分の好き勝手に歌っていたら、そりゃあ全然上達するわけないよね。器楽なら、そんな勝手な事をしていたら、全然教則本が進まないけれど、声楽には教則本がないから、自分が上達しているのかどうかもよく分からなかったりするわけで、それで好き勝手をしちゃうんだろうと思います。

 他にも原因はあるかもしれないけれど、ほんと、声楽を学んでいる人は、なかなか上達しないのですよ。

 そういう点で、私は実に恵まれていると思ってます。私は毎年毎年着実にフルートも歌も上達しています。フルートは器楽だから上達は当然としても、歌が上達している事は、実に稀有なことなのだなあと、最近は思ってます。

 キング先生時代は(今なら分かりますが)私も上達していませんでした。いやむしろ、最後の頃は入門時よりも確実に下手になっていました。笑っちゃうね。以前、妻と「あの時、あのままキング先生に習い続けていたら、今頃どうなっているだろうね」と話したことがありますが、その結論は「今頃は声を壊して歌を辞めているはず」となりました。うん、さもありなん。

 今の私の歌は、あの頃と比べると、かなり上達しましたし、今でも上達し続けています。元の門下の人が今の私の歌を聞いたら、きっとビックリしちゃいますよ。それくらいに上達しちゃっていますからね。

 でもそんな私は恵まれているわけですよ。私のようなアマチュア歌手は、何年歌を学んでも、たいして上達しないのが、ごく当たり前。それが、世間の普通。

 そんな恵まれた状況の私は、今日も音楽の神様に感謝しつづけちゃうわけなのでした。

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2019年2月11日 (月)

自分の腕前は、何によって知れば良いのだろうか?

 それなりの期間、勉強をしたり、習い事をしていると、自分の腕前がどれくらいになったのか知りたくなるのが人の常です。

 漢字の勉強をしたのなら、漢検という検定試験があるので、それを受ければ、ある程度の目安は分かります。英語なら、英検とかTOEFLとかがあります。他の分野であっても、本格的に知りたいと言うのならば、各種検定試験を受ければ、大抵の用が足ります。

 音楽の世界でも、ヤマハのグレード試験があるし、もっとお気楽に考えるならば、今、自分が学んでいる教則本の段階でも、ある程度の腕前は図れます。フルートならば、アルテやその他の教則本の何課を習っているとかで、だいたいの腕前は知れます。

 問題は、そういうモノが一切無い世界…例えば、アマチュア声楽の世界等では、自分の腕前って、何に寄って知れば良いのでしょうか?

 決まりきった教則本があるわけでもないし、人によって、学んでいる教材や課題曲も違うし、同じ曲でも、ある人にとっては、割と初歩の段階で歌えたとしても、別の人にとっては、かなり修練を重ねないと歌えなかったりもします。

 ほんと、人によって、全然違うのが声楽で、それを共通したモノサシで図ろうというのが、そもそも無理なのかもしれません。それでも大雑把になんとなく「こんな順番で学んでいく」というのがあるみたいですから、それが参考になるかもしれません。

 私自身がこの順番で学んでいるわけではありませんが、ネットを見ていると、多くの人が、こんな順番で声楽を学んでいるようです。

A) コールユーブンゲンを学ぶ
B) コンコーネ50番を学ぶ
C) イタリア古典歌曲を学ぶ
D) 日本歌曲を学ぶ
E) ドイツリートを学ぶ
F) オペラを学ぶ

 いやあ、大雑把でごめん。

 ちなみに、私はコールユーブンゲンを全く学んでいませんので、いきなりダメです。コンコーネも10番ぐらいまでしか歌ってませんので、ダメと言えばダメかな? そもそも、これらをきちんと学ぶ人は、大学受験の人じゃないかな? なので、受験生でもない私の場合は、これらをパスしちゃっているのも、仕方ないって事で許してチョンマゲ。

 なので、イタリア古典歌曲は、まあそこそこ学びました。日本歌曲はほとんど歌っていません。ドイツリートは…これから取り組みたいと思っているところです。オペラ…と言うか、アリアと重唱は、少し学びました(が歌えたとは言えないレベルです)。

 なので、私の歌のレベルは、現在はまだまだC段階で、もうちょっとすると、Dを飛ばして、Eになるかなってところだろうと思います。

 しかし、こんなので自分の腕前を格付けしたところで、他人との比較は…まあ無理だよね。そういう点では、声楽って、他人と比べて格付けするのって、やっぱりなかなか難しいのだと思います。そういう意味では、プロアマ含めて、声楽の場合は各種コンクールがそれなりの数、開催されていますので、それらを利用するというのも一つの手段なのかもしれません…が、コンクールも様々なので、それを以て歌の力量の尺度になりうるのかと言うと…ちょっぴり“?”かもしれません。

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2019年2月 7日 (木)

歌手に共通する性格ってあるのだろうか?

 クラコンの練習の時に、ピアニストさんと「歌手に共通する性格って、絶対にあるよね…」って話をしました。

 ここで言う“歌手”というのは、いわゆるソリストさんたちの事です、念の為。

 さて、歌手という人種は、基本的に目立つことが大好きです。目立ちたがり屋だし、人前に出るのが好きだし、何事も率先してやりますし、時にはやりすぎてしまう事もあります。結果として過剰であったりもするわけで、見る人が見れば“恥知らず”と思われてしまうこともあります。特に高声(ソプラノ&テノール)の人には顕著かな?

 また、仕切るの大好きという人も大勢います。よく言えばリーダーシップがあると言えますが、何事も思い通りにしたいという下心があるのかもしれません。

 独立に富むというか、群れないという傾向が強い人も多いです(逆に群れたがる人は合唱に行くんでしょうね)。基本的に“自分大好き”な人、多いですね。頑固で自分を曲げたがらないという困った性格も併せ持っている人も少なからずいます。

 おしゃべりな人が多く、コミュ障の人は少ないと思います。特に(成功している)プロの方は、社交的な人が多いと思われます。まあ、社交的でないと、仕事の依頼もないでしょうからね。

 でも豪気かと言えば…実は強そうに見えて、メンタルは弱めな人が多いかも。かっこよく言えば、繊細な人、多いです。その繊細さをカバーするために、自分で仕切ってみたり、カッコつけてみたりするのかな…なって思わないでもないです。

 声種的な違いで見ると、低い声の人ほど真人間度が高くなります。高い声の人になればなるほど、どこか性格的に破綻しています。ソプラノブスとかテノールバカという言葉は、そういう部分を持ち合わせていることを言い表しているのかもしれません。

 まあ、基本的に人それぞれですし、歌手も人それぞれですから、歌手の中にはよく出来た人や人格者も大勢いるでしょうが、そうでない人も多々います。それもいいじゃないですか…なんて私は考えます。

 で、こうして見ると、歌手の性格って、典型的な日本人の性格とは、大きく異なりますね。また、同じ歌と言うジャンルであっても、合唱の人たちとも、かなり違います。合唱の人は、基本、目立つのが苦手だし、すぐに群れるし、暗躍するし…。器楽の人は、程度の差こそあれ、練習好きの真面目人間が多いし、それが高じてコミュ障気味の人もいないでもないし…ね。

 こうして考えてみると、歌手の人の性格って…音楽家というよりも、演劇をやる人に通じる部分があるかもしれませんね。だから、多くの歌手はオペラを志向するわけだな(なんか納得)。

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2019年2月 6日 (水)

子どもの声域が狭くなっている

 この話は、随分前から児童研究者の間では言われていた事ですが、ここ10~20年という長期間に渡って、子どもたち…具体的には小学生あたりを念頭に置いていいと思います…の声域が狭くなっている傾向が見られるのだそうです。

 なので、学校現場では、昔の子たちが楽々と歌っていた歌を歌うのに苦労するようになり、教科書改定のたびに、少しずつ音域の狭い曲へと曲を入れ替えてきたのだそうです。

 かつては、低いドから高いミまでの10度音程の中で、子ども向けの歌は作られてきたそうですが、今の子たちは、高いミを出すことがなかなか困難だそうです。高いミどころか、その下のレとかも苦しいようで、昨今ではドからドの1オクターブの中で歌うのがせいぜいだとか…。

 もちろん、個人差もあるので、昔の子のように、高いミをラクラクと歌える子もいる一方、ソぐらいが限界で、ドからソの五度音程ぐらいしか歌えない子もいるそうです。

 なぜでしょうね?

 高い声が出なくなっても、低い音が出るようになれば、声域が全般的に下にズレてきた…つまり、子どもの声域が低くなってきたと言えますし、一時期は音楽教育界でも、そう認識されていたようですが、よくよく調べてみると、低い音の限界は変わらず、高い音の限界が、どんどん低くなっているのだそうです。

 確かに、今の子って、歌声もそうだろうけれど、話し声も低くなってませんか? かつては大勢いた、キンキン声で話す声って、めっきり減ったでしょ? 子どもなのに、ソフトで落ち着いた声で話す子が増えた…と私なんかは感じています。

 なぜ、そんな事になったのかは、研究者たちがアレコレ調べているわけで、まだ決定的な説は無いようです。環境ホルモンがどうのとか、食品添加物がどうのとか言う人もいるし、栄養事情が良くなって体格が大きくなったからだろうという人もいます。ほんと、分かりません。

 私はその中では、住宅事情が子どもの音域を狭くしたのではないかと疑っています。つまり、多くの人が人口密集地帯に住み、集合住宅に住み、隣近所に遠慮しつつ、物音をなるべく立てずに、物静かに暮らすようになり、その中で、子どもたちもいつしか物静かに暮らすようになってきて…発声器官が十分に訓練されずに、大きな声や高い声を出すのが苦手になってきた…のではないかと、にらんでいます。

 ま、私は研究者ではないので、それを確認する手立てがなく、言いっぱなしになってしまうのですが、そう思ってます。

 歌うのは筋肉運動です。普段からボールを投げていない子が、上手にボールを投げられないように、普段から大きな声を出さずに、歌うこともしないで育った子たちは、広い音域で歌うことがいつしか苦手になってきた…のではないかって思ってます。

 ま、原因はともかく、ほんと、子どもたちの声域が狭くなったのは事実で、教育現場では、それなりに苦労しているようです。

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2019年1月17日 (木)

声より性格が大切

 私の知り合いで、合唱メインで時折独唱もしますという方がいます。その人を仮にAさんと呼ぶことにします。

 Aさんは、今でもまだまだ十分若い方なのですが、もっともっと若い時から、合唱を始め、合唱を一通りやってみたので、独唱にも手を伸ばしました…という人で、とても上手に歌われる方です。

 で、そんなAさんの合唱でのパートはバス。独唱の時はバリトンと名乗って歌っていますが、その声は、どう聞いてもテノール。それもかなり軽い声なのです。体格もかなり小柄で、高い声ならいくらでも出ます…という感じなのです。その分、バリトンの歌を歌っている時、低い音の鳴りが悪いなあ…とも感じてます。

 つまり、私はAさんをテノールではないか? 合唱ではバスを歌っているけれど、本当はテノールを歌うべきではないのかと、いつも思っていました。

 で、ある日の事。Aさんと二人になったので、思い切って「なぜAさんは、声がテノールなのに、バリトンを歌っているのですか? テノールをやればいいのに…」という、忠告というかアドヴァイスというか意見の押し付けをしたわけです。

 彼の答えは実にシンプルでした。「…忙しいからね…」

 確かに彼の毎日は忙しい毎日です。それは傍で見ていても分かるほどに忙しい日々を送っています。

 彼は元々テノールの声を持っていますので、声の響きの良し悪し(って大切な事ですが…)を除けば、バリトンの歌は歌えます。歌えますが、全然美しくないし、カッコよくもないです。だいたい声がバリトンじゃないんですよ、でも声域的には歌えます。

 そんな彼でもテノールの声で歌おうと思えば、それは確かに大変だと思います。と言うのも、元々持っている声がテノールであっても、テノールの声として鍛えていないわけですから、声域が狭いんです。特に高い声で歌うのは難しいでしょうね。で、それを可能にするためには、テノールとして研鑽を積まないといけないのだけれど、毎日忙しく過ごしている彼にはそれができません。そこで、ひとまず「バリトンでいいや」って事のようです。

 実際、バリトンもテノールも、声域の下の方はそんなに変わらないのです。低いAやせいぜいGまででしょ? でも高い方はかなり違います。バリトンの高音は高いFまでです。Gまで出れば立派です。でも、テノールの高音は高いAまでです。できればHi-Cが欲しい感じだし、さらに可能なら、もっと上まで出せたほうが良いです。つまり、声のレンジとして考えるなら、テノールの方が上に広いのです。

 なので、声域を上に広げるのを横においているテノールさんにとって、バリトンを歌うという事は、音色を除けば、実に気軽なモノなのです。音域を上に広げていくのって、実に大変な事だもの。

 純正なバリトンの方々にとっては失礼極まりない話ですが、テノールの声を持っている人間にとっては、バリトンの音域で歌うのは、かなり楽な話なんです。

 で、そこで楽を選択しちゃう人は、声はテノールであっても、性格はテノールじゃないです。性格がテノールな人は、何はともあれ、高みを無意識に目指してしまうものです。忙しかろうが忙しくなかろうが、常に高音にチャレンジして、成功したり失敗したりを日常的に繰り返していくのが、テノールなのです。

 つまり、テノールにとって大切なのは、テノールの声を持っている事は前提として、まそれより何より大切なのは、性格がテノールである事。つまり“バカ”であるという事です。歌に関することには、簡単にバカになってしまうのがテノールであって、そういう性格でないとテノールはやれません。

 Aさんは賢い人で、バカにはなれない人です。そういう人は、たとえ声がテノールであっても、テノールにはならないモノなのです。そういうモノなのです。

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