ひとこと

  •  仕事が忙しすぎて、カラダがバテバテです。メトのライブビューイングで「ルサルカ」を見に行こうと思っていたのに、カラダが言うことを聞かずに、出かけられませんでした。ああ、ちょっぴり残念。今はオペラ鑑賞よりも休息を第一としましょう。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2017年2月27日 (月)

メトのライブビューイングで「ロミオとジュリエット」を見てきました

 「ロミオとジュリエット」というストーリーは、古典的なストーリーで、知らない人がいないくらいに有名なストーリーです。

 もちろん、オリジナルはシェークスピアの演劇で、これのパロディとかオマージュとかリブートとか、それこそ亜流はたくさんあるわけです。これを真っ向正面から取り組んでオペラにしたのが、今回私が見た、グノーによるオペラ作品なのです。

 ですから、ストーリーはあの有名なストーリーそのままです。だから、面白い。音楽は…と言うと、グノーの音楽って、メロディアスで素敵ですね。特にこの作品は、オペラ第1幕にあるジュリエットのアリアが有名ですが、それ以外の曲もなかなか素敵です。特に、ロミオとジュリエットの二人による二重唱が、ほぼ各幕ごとに一つずつあるので、重唱ファンには、たまらないかもしれません。

 歌っているのは、ロミオがヴィットーリオ・グリゴーロ、ジュリエットがディアナ・ダムラウです。おそらく、現時点でのベストなキャストでしょう。声も容姿も動きも若々しくて、とても良いんです。特にグリゴーロはイケメン・テノールですから、もうバッチリですね。タッパがもう少しあれば尚良いのでしょうが…贅沢は無しにしましょう。ダムラウは…出来ればもう少しスリムだと良いのですが…なにしろジュリエットって、今風に言えばJCですからね。でもまあ、あのくらいの体型のJCもいないわけではないので、贅沢は言わない事にしましょう(笑)。

 周りを固めている人たちも、とても良いです。個人的には、ローラン神父は若々しい人よりもお爺さんの方が良いのですが、これは私の個人的な趣味ですね(笑)。

 そういうわけで、今回のロミジュリは…、なかなか良いです。お薦めですよ。

 さて、私、実はフランス物って、そんなに詳しくないのです。やっぱりオペラはイタリア物が中心ですからね。フランス物には、最近手を染めたところなのです。

 フランスオペラは、私もY先生もフランス語が苦手で、まず歌うことがないだろうから、なかなか手が出づらかったのです。実際、今回の「ロミオとジュリエット」のテノールアリアなんて、聞いてみると良い曲だから、歌いたくなるわけですが、言葉がからっきしなので、それはまず無いわけです。良い曲なのに、自分には歌うチャンスが回って来ないというのは、なんか蛇の生殺しみたいな感じがして、それでなかなか手が出なかったわけです。

 そこんところに割り切りが出来たわけではないのですが、それでもある種の諦めのような物がないわけでもなく、それでようやくフランス物を見るようになったわけです。でもやっぱり…ああ、ジレンマジレンマ。

 そんなわけでロミジュリも、オペラとしてはよく知らなかったのです。そういう時は、やはり事前に勉強してから見に行くことが多い私でして、今回は勉強のために、以下のDVDを購入したのでした。

 これ、いわゆるオペラ映画です。輸入盤ですが、ちゃんと日本語訳も付いているんですよ。歌っているのは、アラーニャとゲオルギューという、一昔前のゴールデンカップルでして、悪いはずはないのですが…一つ誤算があるとすると、実はこれ、カットの嵐なんです。オペラ本編から比べると、時間的に、約半分のサイズになっています。つまり、大半の音楽はカットされてしまっています。登場人物も整理されて、ストーリーの骨の部分と、それに付随する音楽だけで構成されています。まあ、実際の話、半分に削っても、これはこれで結構楽しめます(笑)。

 半分のサイズになって気づいた事は「ウェストサイド物語って、ロミジュリだったんだな」って事です。実際、半分のサイズになると、ほぼウェストサイドです(笑)。いやあ、なんか新鮮。

 で、ハーフサイズのオペラ映画で予習をして、フルサイズをメトのライブビューイングで見たわけだけれど…やっぱりフルサイズのオペラの方が、ずっといいや。カットされた音楽だって、みんな結構美しいし、ストーリー的には余分な音楽も多いけれど、それはそれで楽しい音楽だし、実際、フルサイズのオペラを見ていても、退屈しないし、時間的にも長いとは感じません。改めて、グノーって天才なんだなって思ったわけです。

 次は…「ファウスト」を見たいですね。実はまだ、この有名なオペラ、見たことないんですよ。以前、メトでやった時は見逃してしまったので、次のチャンスをうかがっている最中なんです。夏のアンコールでやってくれば、見に行くんだけれどなあ…。

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2017年2月 8日 (水)

メトのライブビューイングで『ナブッコ』を見てきました

 表題の通り『ナブッコ』を見てきました。今回の目玉は、レヴァイン指揮&ドミンゴ主演ってところでしょうか? レジェンド二人がタッグを組んでの登場なのです。

 『ナブッコ』はヴェルディの初期の作品で、彼の出世作であります。主役のナブッコ王は、史実で言うところのネブカドネザル2世で、オペラは彼が行ったバビロン捕囚にまつわる話ですが、オペラのストーリーはあまり史実には忠実ではありません。オペラの原作は、聖書のダニエル書という事になっていますが、ダニエル書とはストーリーが全然違います。まあ、バビロン捕囚とネブカドネザル2世という枠組みを借りて作ったオリジナルストーリーのオペラと思っても間違いないと思います。

 ストーリーをごく簡単に説明すると、ナブッコと上の娘であるアビガイッレがエルサレムを占領するが、ユダヤの大祭司ザッカーリア(聖書で言うところのザカリア)は、ナブッコの下の娘であるフェネーナを人質に取っているので大丈夫だと民を落ち着かせる。しかし、フェネーナを危ない目に合わせたくないイズマエーレ(ユダヤの王子にしてフェネーナの恋人)がユダヤを裏切ってフェネーナを助けたためにエルサレムは占領され、神殿は破壊されてしまう。その後、フェネーナはユダヤ教に改宗し、ユダヤ人たちに受け入れられ、イズマエーレの裏切りもチャラとされた。一方、バビロンではアビガイッレによるクーデターが勃発して、ナブッコは精神落乱状態となり、王座を追われる。アビガイッレはユダヤ人の皆殺しを命じる。ユダヤ教に改宗したフェネーナも殺されてしまうと知り、正気を取り戻したナブッコはユダヤ教に改宗し、王座を奪い返して、ユダヤ人たちの故郷への帰還を宣言する。アビガイッレは毒をあおって死んでしまう。まあ、こんな感じのストーリーです。

 ほら、史実とも聖書とも全然違う話でしょ?

 二人の娘のうち、上の娘のアビガイッレはオペラの実質上の主役で、ストーリーは彼女を中心に動きます。下の娘のフェネーナがいわゆるヒロイン役となります。なぜアビガイッレがクーデターを起こしたのかと言えば、彼女はいわゆる庶子で女奴隷の娘であったのに対して、妹であるフェネーナは正妻の娘だったので、このままでは王位はフェネーナが継承してしまう事と、実はアビガイッレは実力者であり、王宮の家来たちの人望もあって、彼らもフェネーナではなくアビガイッレを次期の王として期待していたというのもあるみたいです。まあ、しょせんフィクションなんですがね。

 『ナブッコ』は、ヴェルディの初期の出世作として有名ですし、イタリアでは人気演目だそうですが、他の国での上演は滅多にない、どちらかと言えばマイナーな演目です。メトでも50年ぶりの上演なんだそうです。まあ、作品自体は、悪くはないけれど、特にウリはありません。キラーソングが合唱曲の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」であって、アリアには有名な曲はありません。このオペラは、重唱と合唱で引っ張っていくアンサンブルオペラだと思います。

 メトの演出はストーリーに沿った分かりやすいモノで、いかにもメトだなあ…という感じの演出でした。

 出演歌手は、ソリストも合唱もみんな巨漢ばかりでした。特にソリストは、女性も含めて、ほぼ皆ビヤ樽体型でした。なので、ビジュアル的にはすごく難がありました。合唱団が大勢いるので、彼らに負けない歌声の歌手を揃えようとすると、巨漢体型の歌手にならざるをえなかったのかもしれません。

 歌の出来は合唱を含めてよかったです。ただ一つの難点がテノールのラッセル・トーマスかな? とは言え、彼の責任というよりもキャスティングの問題でしょう。トーマスが演じるイズマエーレはユダヤの王子様なんだけれど、トーマス自身は黒人なんですよ。別に人種偏見うんぬんは無いつもりだけれど、さすがに黒人が黒いままでユダヤの王子を演じるのは、違和感バリバリでした。おまけにトーマスは声が重いテノールなので、バリトンを歌っているドミンゴと、ほぼ同じ音質(笑)…って、ほぼ同じ(大笑)。ドミンゴとの差を出すためには、イズマエーレ役にはもっと声の軽いテノールの方が良かったんじゃないかと思うわけです。

 さて、ここから本題。注目はドミンゴの歌唱でしょう。一時代を作った3大テノールの一人であるドミンゴがバリトンに転向してのオペラです。彼がバリトンに転向したのが70歳になった2010年ですから、もう7年もバリトンをやっているわけですが、私はほぼ始めて見ることになりました。なお、世間的には彼のバリトン転向には、毀誉褒貶色々あります。

 ドミンゴは、そもそもがバリトンだったそうです。学生時代はバリトンとして勉強を重ねて、オペラ歌手になったわけですが、彼が駆け出しの頃、バリトン役でオーディションを受けたところ「君はバリトンではなくテノールだ」と言われて、テノールで合格してしまったのだそうです。そこで、一生懸命テノールの勉強を重ねて、テノールになったのがドミンゴなのです。

 そもそもがバリトンとして勉強したドミンゴなので、彼がテノールとして活躍していた頃も「まるでバリトンのような声だ」とか「高音は不安定だ」とか散々言われていたわけですが、それらの悪評を乗り越えて、美しい中低音と甘いマスク、安定した演技で一時代を作ったわけです。

 その彼が年を取ってテノールからバリトンに転向したわけです。元々高音に不安があったわけですが、いよいよ高齢に達して、高音に無理を感じてバリトンになったと、巷では言われています。まあ、それ以前にドミンゴは今年で77歳になるんです。普通の歌手、特にテノールは50代で引退しますから、歌っている事自体が奇跡みたいなものです。高音に無理があっても仕方ないです。

 …そんな情報を仕入れて、バリトンを歌うドミンゴを聞いた私です。以前、『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』でバリトンのドミンゴを聞いてますが、あれはカメオ出演みたいなものだし、あのネプチューンという役そのものが、ドミンゴのために作られた役なので、あれは除外です。本格的バリトンとしてのドミンゴを聴くのは、実は今回が始めてな私でございました。

 バリトンのドミンゴを聞いた私の感想は「これはバリトンじゃないよ、テノールだよ」です。ドミンゴが歌っている音域はもちろんバリトンの音域なのですが、音域がバリトンなだけで、声そのものはテノール時代のドミンゴの声と同じです。つまり、ドミンゴはテノールの声でナブッコというバリトン役を歌っていたわけです。

 だいたい、テノールとバリトンって、音域的には高音(五線上のラシドの3音)があるかないかだけで、後はほぼ一緒なんですよ。じゃあ、高音が出ればテノールで、出なきゃバリトンなのかと言えば、それは違うわけです。やはりテノールとバリトンを分けるのは、声の音色であって、だからこそ“高音の出ないテノール”とか“高音大好きなバリトン”などがいるわけです。

 ドミンゴの歌声は今でもテノールです。リリコスピントという種類のテノールの歌声です。実際、彼はオペラの舞台ではバリトンを歌いますが、コンサートでは今でもテノールの歌を歌います。高音は…おそらく若い時よりも厳しくなっているのかもしれませんが、出ないわけじゃなさそうです。

 ではなぜ、ドミンゴはバリトンを歌うのか…いや、質問を変えましょう。なぜドミンゴはリサイタルではテノールの歌を歌うのに、オペラの舞台ではテノール役を歌わないのか?

 そう考えると、自ずと答えが出てきます。ドミンゴはすでに70歳を越えました。誰がどう見ても老人です。もはや、それは舞台化粧でごまかせるモノではありません。

 普通のストレートの役者なら、年を取るにつれ、自分の年齢にふさわしい役を演じるだけです。でも、オペラ歌手には声種という縛りがあり、異なる声種の役を歌うことは基本的にしません。しかしテノールという声種には、基本的に若者の役しかないのです。70歳を越えた老人が若者の役をやる…さすがにそれは無理でしょう? 自分の孫よりも若い年齢の歌手の恋人役ができるわけもありません。だから、70歳を越えたドミンゴには、テノールの歌は歌えても、テノールの役はできないのです。

 大半のテノール歌手にとって、それは大きな問題ではありません。なぜなら、大半のテノール歌手は、年を取って老人になる前に引退するからです。50歳を過ぎたあたりから、体力が衰え、仕事のオファーが減ってきて、自然と引退するものです。だから、老人のテノールが歌う役など無くても全然構わないのです。

 ちなみに、3大テノールは売れっ子で、仕事のオファーが途切れなかった事もあって、いずれも現役時代が長く、カレーラスは62歳で、パヴァロッティは69歳で引退しています。ドミンゴが70歳でテノールからバリトンに転向し、77歳の今でも引退せずに歌っているのは、ほんと奇跡みたいなものです。

 さて、オペラの老人役は、たいていバリトンかバスです。だから70歳を越えたドミンゴは、バリトンに転向した…のだと思いました。つまり、声が出なくなったから…と言うよりも、老人役を歌うためにバリトンになったわけです。

 実際、ドミンゴがバリトンに転向してから歌っているのは、今回の『ナブッコ』をはじめ、ヴェルディ作品でバリトンを主役にしたオペラばかりです。で、そのバリトンはたいて、父親役であって、老人のドミンゴが演じてもさほど違和感のない役ばかりなのです。

 で、さらに言えば、それらのバリトン役は、父親役であるがためにバリトンに振られた役ですが、同時にオペラの主人公でもあります。主人公ですから、ただ単に低い声なだけではダメであり、低い上に、力強くて華やかな声でなければなりません。リビング・レジェンドであるドミンゴの声が力強くないはずはなく、華やかでないわけがありません。ある意味、ヴェルディのバリトン役は、主人公の声を持った老歌手がやるべき役なのかもしれません。そう考えると、ドミンゴがヴェルディのバリトン役にこだわっているのも分かる気がします。従来は存在しなかった、老テノールの役として、これらのバリトン役を歌っているのではないかと、私は思うのです。

 実際、ドミンゴのナブッコは良かったですよ。声は全然テノールだったのですが、それでも全く違和感ありませんでした。もちろん、他のバリトン歌手の歌声と較べてしまえば軽い声なのですが、それがナブッコという役を演じるのに何か不足があるかと言えば、特に無いと言えるでしょう。それくらい、彼は彼なりにナブッコを自分の役として歌い演じていました。

 ドミンゴはバリトンに転向したのだけれど、それは身も心もバリトンに成り切ったわけではなく、老いたテノールとしてバリトン用に作曲された役を歌っている…というふうに私は感じました。

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2016年11月15日 (火)

劇団四季の「アラジン」を見てきました

 「アラジン」…すごい人気ですよね。新作ミュージカルという事もあって、物珍しさも手伝いますが、それでも人気が高いミュージカルだそうで、チケットはなかなか入手できないんだそうです。まあ本国アメリカでも「ライオンキング」と人気を二分するほどの人気ミュージカルだそうですから、さもありなんです。

 で、そんな話題のミュージカルを、海劇場の一階センターブロック、前から10列目なんいう、驚くほど良い席で見てきた私でございます(はっきり書きますが、自慢してます:笑)。

 さて感想ですが…劇団四季は、ほんとレベルが高いね。役者さんたちは、主役はもちろん、脇役やモブの方々に至るまで、歌も演技もダンスもピカイチですよ。ほんと、プロの集団です。舞台装置も派手派手のゴージャスで作品世界とマッチしているし、今回は煙や火花などもたくさん使っているし、魔法のじゅうたんに載って、宙乗りしちゃうし…そりゃあもう、派手派手のド派手な舞台でした。

 また作品そのものも、いかにも「アメリカのエンタメ」って感じでした。物語の舞台が中世のアラビアって設定のはずなのに、現代のニューヨークが舞台でも、全く違和感がないようなストーリー展開で“昔話の皮をかぶったファンタジー”であって、終始、ダンスダンスダンスとまくし立ててくるなんて、ほんと、アメリカの典型的なショービズ作品って感じです。とにかく、最初っから最後まで、歌い踊りまくってます。

 アメリカ人って、こういうショーっぽいのを、好むんだよね。実に夢々しいステージでした。

 ストーリーとか、主なミュージックナンバーは、おそらく映画と同じだと思います(私は映画を見ていないので断言できないのですが…)。まあ、ミュージカルでは、さらに新曲を何曲か追加してあるそうです。そういう意味では、映画版よりもさらにパワフルになっている…って事でしょうね。

 つまり、この「アラジン」というミュージカルは、誉め始めだすとキリがないほどの作品です。そういう事なのです。

 でも、あまり誉めると誉め殺しになるので、この辺で誉めるのを止めておきます。

 個人的に残念だなと思った事が二点あります。

 一つは、おもちゃ箱をひっくり返したようなミュージカルなので、すべてがドンドン流れていってしまう事です。せっかく「ホール・ニュー・ワールド」という、ビルボード1位になり、グラミー賞やアカデミー賞の歌曲部門の賞を授賞しているほどの名曲が歌われるのですが、じっくり聞かせるという雰囲気ではなく、劇の流れの中で流されるように歌われてしまった事が残念でした。特にこの歌は、魔法のじゅうたんでの宙乗りのシーンで歌われるので、私なんかは宙乗りそのものをハラハラドキドキしながら見ていましたので、歌なんてロクに聞けてません。だいたいミュージカル全体が、歌を聞かせると言うよりも、ショーを楽しませるという構成になっていて、歌が聞きたい私には残念だったです。

 もう一つは、作品の根幹に関わるのですが、主人公のアラジンの職業が泥棒だった事です。それもチンピラ程度の泥棒。つまり、コソ泥の小悪人なんですよ。これが私には受け入れられませんでした。

 主人公は常に正義の味方の善人でなければならない…なんて事は言いませんが、悪人の主人公ならば、ダークヒーローになれるほどに、ヒールとして吹っ切れていないとダメです。なのに、アラジンときたら、ただのチンピラの兄さんなんですよ。こんな人物にシンパシーを感じられるか…ときたら、そりゃあ無理ですって。でもそれを言い出したら「アラジン」というミュージカルを根本から否定する事になりかねないのですが…私個人的には、主人公の人物設定が本当に納得できません。こんな兄ちゃんが主役なんて…ああ、嫌だ嫌だ。

 なので、良い出来のミュージカルだとは思うものの、私的には「一度見れば十分(でも、一回は見た方が良いかな)」って感じました。

 それにしても「美女と野獣」「ライオンキング」「アイーダ」「リトルマーメイド」と来て「アラジン」ですね。近年の劇団四季は、本当にディズニーづいてますね。ファミリー向けのミュージカルとしては、ディズニーは間違いないですから、分からないでもないのですが、ディズニーミュージカルは、所詮ファミリー向けかな…なんて毒づいている私がいます。

 素晴らしいミュージカルなんだけれど、ディズニー臭さが私の趣味とは合わないかも…って思いました。

PS でも「ライオンキング」は、ディズニーミュージカルだけれど、普通に面白いミュージカルだと思ってます。さすがは手塚治虫の原作だよね(笑)。

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2016年9月26日 (月)

メトのライブビューイングで「ウェルテル」を見てきました

 毎年、お盆の辺りからシルバーウィークぐらいまで、東京築地にある東劇という映画館で、メトのライブビューイングのアンコール上映が行われています。つまり、今まで上映した中からのセレクション・リバイバル上映って奴です。

 今年も例年のように行われました。最近アップした「マリア・ストゥアルダ」とか「連隊の娘」も、そのアンコール上映で見たわけです。で、そのアンコール上映の最後の最後の方に上映された「ウェルテル」を、今回見てきましたという話なのです。

 「ウェルテル」は、フランスオペラです。マスネという作曲家の作品です。ワーグナー以降の作曲家ですから、アリアとレチタティーヴォの区別がなく、演劇性もかなり高いオペラなのです。原作は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」でございます。この物語をフランス語に翻訳した上で戯曲化して音楽を付けたわけです。そりゃあまあ、つまらないはずはないですよね。

 ストーリーはごく簡単で…、

 若者ウェルテルが始めて恋した女性(シャルロット)には婚約者がいました。やがてシャルロットは結婚し、ウェルテルは失恋…のはずだけれど、諦めきれずに旦那のいない時にシャルロットを口説き続けます。抗し難くなったシャルロットは「じゃあクリスマスに会いましょう(それまでは会いません)」と言って、遠回しに拒絶します。ウェルテルは、その彼女の言葉を真に受けて、クリスマスまでの間、シャルロットには会わず、だけど手紙をバンバン書いてシャルロットに迫ります。送られた手紙を読んでいるうちに、あれだけウェルテルを拒絶していたシャルロットが、少しずつウェルテルに心ひかれていきます。やがてクリスマスとなり、ウェルテルがシャルロットの元にやってきました。ひかれあう二人、しかしシャルロットには最後の一線を越える勇気はなく、最後の最後でウェルテルを拒絶します。悲しみ、立ち去るウェルテル。自室でピストル自殺をします。虫の息となったウェルテルの元にシャルロットが現れ、最後の言葉を交わし、ウェルテルは死に、シャルロットはウェルテルの命を断ったピストルで後追いをします。

 ストーリーだけを語ると「なんじゃ、これ」って思うかもしれませんが、原作は18世紀の大ベストセラー恋愛小説だし、それにマスネの美しい音楽が載っているので、ウェルテルというキャラさえ受け入れることができたら、実に素晴らしい恋愛ものオペラなのです。まあ、問題は、主役であるウェルテルのキャラ設定だね。演じているカウフマン自身が「彼は、きっと何かの(精神的な)病気なのだろうけれど、それを客に感じ取られて、引かれたらダメだよね」みたいな事を言ってますが、実際、ウェルテルはかなり変わった人物です。その点さえ乗り越えられれば、ほんと良いオペラですよ。

 このオペラ、フランスオペラだけれど、原作はドイツもので、音楽はまるでイタリアのヴェリズモのような激しさがあります。それでいて、やはりフランスモノ特有なアンニュイで美しい音楽だったりします。色々な点で、よく出来たオペラだと思います。

 やはり主役であるウェルテルを演じるテノール歌手次第で、このオペラの出来は相当に変わりますが、今回のテノールは、泣く子も黙る、ヨナス・カウフマン。当代随一の渋めのイケメンテノールです。ウェルテルを歌うには不足はありません。『春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか』という超有名アリアも、完璧に歌います(この曲は、めっちゃ難しい曲なんです)。まさにはまり役です。

 ヒロインのシャルロットは、ソプラノではなく、メゾソプラノなのが面白いです。若い女性だけれど、人妻だから、作曲家はメゾにしたのかもしれません。ここではソフィー・コッシュが歌っています。やはり、美人が歌うと説得力があります。

 私、今までオペラはイタリアものを中心に見ていました。で、ドイツオペラを少々、その他のオペラは超有名作品だけを嗜む程度にしか見ていなかったわけです。まあ、その基準は「自分がそのオペラの曲を歌うことはあるかな?」という基準だったわけです。フランス語のオペラを私が歌うことは、まずないので、今まではあまり見なかったのですが、たとえ自分が歌わなくても、やっぱり評判の高い素晴らしいという評価のオペラは見た方が楽しいという結論に今回達しました。いや、実際楽しいし。

 マスネは良い作曲家ですね。他にも「マノン」とか「タイス」などの有名作がありますので、いずれは見たいと思うようになりました。

 そうそう、幕間に次回作の予告をしていたのだけれど、当時「ウェルテル」の次の演目は「ボエーム」だったようです。この「ボエーム」は、すでに私見ています

 この「ボエーム」でミミを歌うことになっていた、アニタ・ハーディングの「私の名はミミ」が聞けました。なかなか清楚な歌いクチで、良いですね。この人、本当はこの舞台がメトのデビューだったんだそうです。でも、実際は、当日の朝に発熱して、急遽舞台を降板しちゃったわけで、代わりを歌ったのがオポライスだったわけで、ハーディングさんは、その後、きちんとメトでデビューできたのかしら…とちょっぴり不安になった私でした。

 それにしても、カウフマンってかっこいいわ。声が良くて、身長もあって、痩せていて、イケメンで、演技力もあって…、彼以上のテノール歌手なんて、もういないよと断言できるほど、素晴らしい歌手だよねえ。男の私が見ても、ほれぼれしちゃう歌手ですって。

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2016年9月14日 (水)

メトのライブビューイングで「連隊の娘」を見てきました

 例によって、東劇でメトのライブビューイングのアンコール上映を見てきました。今回はドニゼッティの「連隊の娘」です。

 「連隊の娘」と言うと、テノールがHi-Cを連発するオペラとして有名だし、実際、多くの歌劇場での上演や発売されているDVDなどでは、テノールにスター歌手を配し、Hi-Cの見事さを売りにしているわけです。

 正直、テノールさえ良ければ、後は“どーでもいー”という扱いになりがちのオペラですし、そうであっても仕方のないオペラかなって、私も考えます。

 でも、2008年に収録された、このメト版「連隊の娘」は違います。もちろん、テノールのファン・ディエゴ・フローレスは、素晴らしいです。Hi-Cの9連発だって、見事なものです。でも、この上演に関しては、彼は二番手です。それは本人だって分かっている事でしょう。

 「連隊の娘」というオペラでは、テノールのHi-C連発が最大の売りですから、このアリアを歌い終わった後に、客はアンコールを求めるわけですし、テノール歌手だって、自分の体調を鑑みて、なるべくアンコールに応えるのが、普通なのですが…今回のフローレスは(ライブビューイングであったと言う事情もあるでしょうが)客の求めには応えずに、アンコールを見送ったくらいです。

 でも、それでよかったんだと思います。

 と言うのも、この上演は、テノールのためのモノではなく、明らかにソプラノのための上演なのですから、テノールのアンコールは無くてもいいのです(もちろん、観客的にあった方がうれしいのですけれどもね)。

 そう、この2008年のメトの「連隊の娘」はソプラノのための上演であり、ソプラノ歌手を楽しむための上演なのです。

 そのソプラノとは、すでに引退し、今となっては過去の映像でしか見ることのできない、ナタリー・デセイです。

 今回のオペラは、不世出のソプラノ、ナタリー・デセイを徹底的に味わい楽しむためのオペラなのです。

 とにかく、徹頭徹尾首尾一貫として、ソプラノのためのオペラであり、そして、デセイのすごさを感じるオペラなのです。

 この「連隊の娘」というオペラは、通常のオペラとは違って、いわゆるレチタティーヴォがありません。アリアとアリアは、ストレートな芝居でつないでいきます。そう言った点では、ミュージカルっぽいオペラとも言えます。

 で、アリアとアリアをセリフでつないでいくタイプのオペラでは、しばしばセリフの部分が演出家の手によって書き換えられることがあります。今回の「連隊の娘」のセリフ部分は、完全にデセイが演じるという前提で書き直されているんだそうです。つまりデセイ有りきのアテ書き台本ってわけです。そのせいもあって、実にオペラが小気味良くて楽しいのです。

 とにかく、デセイというオペラ歌手は、歌手である前に女優である人なのです。だから、舞台では役に入り込み、完全に女優として振舞っているわけで、そんな彼女を活かすために台本を書き直しているのだから、素晴らしくないわけはないし、おそらくこの台本では、デセイ以外のソプラノが演じるのは…たぶん無理です。だって、この台本では、デセイ演じるマリーは、15歳の少女ということもあるけれど、常に動き回り、走り回り、飛び回り、何しろ一瞬たりとも止まらない、若いエネルギーにみちあふれた少女なのです。

 そんな若々しい役を、普通のオペラ歌手が演じるのは…まあ無理ってもんです。だって、オペラ歌手って皆さん、ああ見えて、カラダが重いんですね。デブに見えない人だって、かなりの重量級です。その点、デセイは普通体…と言うか、一般人に混じっても小柄な体型で、とてもオペラ歌手の体型ではありません。ああいう小柄な体型だから、飛んだり跳ねたりができるわけです。

 まあ、実際彼女は、オペラ歌手になる前は、ちゃんとした演劇学校で演技を学んだ女優さんで、女優さんなのに歌が上手いので、女優デビュー後に音楽学校に入り直してオペラ歌手になったという経歴の人なので、歌以前に演劇有りというスタイルは、彼女にとって、ごくごく当たり前なんでしょうし、元々が女優さんですから、体型だって、普通の女性サイズなのも、当たり前。

 そういう意味では、オペラ歌手としては異質で、規格外のソプラノと言えます。

 だから、15歳のマリーという役を(カメラのアップシーン以外では)本当の15歳に見えるように演じる事ができるわけです。

 あれだけの演技を魅せつけられたら、Hi-Cを9連発しても、注目されるのはその当座だけで、テノール歌手がかすむのは、当然と言えます。フローレスという稀代の名歌手であっても、デセイとの共演では食われっぱなしってわけです。

 まさにディーヴァです。

 デセイのオペラDVDはたくさん発売されていますが、契約の問題があるのでしょうね。日本語字幕の付いたモノは、ほとんどありません。そのため、日本ではデセイは評価されにくい歌手なのですが、本当に素晴らしい歌手です。今回のメトでの上演のような日本語字幕がついたモノは少ないので、こういうチャンスがあったら、なるべく見るのが良いと思います。

 それにしても、デセイのオペラDVDに日本語字幕をつけて販売してくれる業者さんはいないのかしらね。ほんと、残念だわ。

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2016年9月 8日 (木)

メトのライブビューイングで「マリア・ストゥアルダ」を見てきました

 ただ今、東劇でメトのライブビューイングのアンコール上映をやっていますが、私、先日「マリア・ストゥアルダ」を見てきました。

 「マリア・ストゥアルダ」…ご存知ないですよ。いわゆるマイナーで無名なオペラでございます。

 作曲家はドニゼッティ。いわゆる彼の“チューダー朝三部作”と呼ばれるものの一つです。

 マリア・ストゥアルダとは、当然イタリア語読みであって、原語(英語)読みをすれば“メアリー・スチュアート”なわけです。いわゆる、メアリー1世であって、ほぼ最後のスコットランド王であり、彼女の息子のジェームス1世から現在のイギリス王家が始まるわけで、歴史上の偉人ってか、大人物なわけで、その彼女の人生を多少のフィクションも交えてオペラにしたのが、この作品です。

 ちなみに原作者はシラーさんだそうです。まあ、ヨーロッパ人にとっては、基礎教養的なお話のようです。

 それはともかく、なぜ私がこのオペラを見たのかと言うと…以前「ロベルト・デヴェリュー」を見て感動したから。「ロベルト・デヴェリュー」もドニゼッティの作品であって、やはりチューダー朝三部作の一つ(主役は、処女王ことエリザベス一世)です。「ロベルト・デヴェリュー」があれだけ面白かったのだから、他の2つのオペラも、きっと面白いに違いない…と思って見たのですが…やっぱり面白かったよ。

 実に、歌にあふれた、いかにもオペラオペラしたオペラでした。ドニゼッティーと言うと「愛の妙薬」のイメージが強くて、ああいうチャラけた喜劇を書く人って思いがちです。あるいは「ランメルモールのルチア」のような、声楽テクニックを見せびらかすような派手派手しい歌謡ショウのようなオペラを書く人とも思われがちです。もちろん、ドニゼッティーは商売でオペラを書いているわけだから、受けるモノなら何でも書くのだろうけれど、彼の本質は「愛の妙薬」のような喜劇とか、「ランメルモールのルチア」のようなアクロバティックなオペラではなく、シリアスな歴史劇オペラにあった…と専門家たちは評価しています。

 ただ、彼が得意として歴史劇オペラは、様々な理由があって、現在ではなかなか上演されないので、ドニゼッティと言えば「愛の妙薬」とか「ランメルモールのルチア」になってしまうわけです。

 それに、歴史劇オペラは、前提となる歴史が分からないと楽しめません。我々が、大河ドラマの「真田丸」が楽しめるのは、戦国時代のあれこれの歴史的事実を知っているからであって、その前提がない外国人とか、日本人でも歴史に全く興味のない人だと、あんなに面白い「真田丸」であっても、ほとんど楽しめないでしょう。歴史劇には、そういったドラマの受容に関する根本的欠点を持っています。なので、我々現代日本人が、ドニゼッティの歴史劇(中世ヨーロッパの歴史)に興味が持てないのも仕方ないのです。

 さらに言うと、「ランメルモールのルチア」に限らず、ドニゼッティの時代のオペラ歌手たちは、どうやら現代の歌手たちよりも、歌唱技巧的に高かったようで、ドニゼッティの諸作品を上演するには、現在なら声楽技巧的にトップレベルの歌手たちを集めて、何ヶ月ものリハーサルが必要になるようで、まずはそれだけの人材を集めてキープできるだけの歌劇場なんて、なかなか無いって事です。

 今回の「マリア・ストゥアルダ」だって、なんとメト初演なんだそうです。あれだけ毎日毎日オペラ上演をしているメトですら、未だに手を付けたことのないオペラだったんだそうです。なんとも凄い話です。

 出演者等は以下の通りです。

 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 マリア・ストゥアルダ:ジョイス・ディドナート(メゾ・ソプラノ)
 エリザベス1世:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(ソプラノ)
 レスター伯爵:マシュー・ポレンザーニ(テノール)
 タルボット卿:マシュー・ローズ(バス)
 セシル卿:ジョシュア・ホプキンス(バリトン)

 主役のマリアを歌うディドナートが素晴らしいのは、簡単に想像つきますが、エリザベス1世を歌うヒーヴァーが、ケツアゴなのが残念なんだけれど、なんとも凄いソプラノさんなのです。この人、メトデビューの新人さんなんだそうですが、いやはやなんとも、凄いっすよ。なので、この二人が丁々発止で歌いまくる第二幕なんて、恐ろしいほどの迫力です。ここだけ見るだけでも、十分料金分の価値ありって感じです。

 とにかく、このオペラは、マリアかエリザベスのどちらが常に歌っているオペラです。つまり、二人のディーヴァ対決を楽しむオペラなわけで、声が好きな人にはたまらないオペラとなっています。私はこの上演が初見なのですが、この上演では主役のマリアをメゾが、脇役のエリザベスをソプラノが歌っていますが、通常はマリアをソプラノが、エリザベスをメゾが歌うことが多いので、このオペラを見慣れた人(なんているのかな?)でも、あれこれ面白い上演になっていると思います。

 ちなみに、我らがテノールであるポレンザーニは…たくさん歌ってますが、このオペラに関しては、確実に女優二人に食われています。ああ、残念。

 こうなると、チューダー朝三部作の残りである「アンナ・ボレーナ」も見たいものですが、なんとも予定が合いません。ああ、来年、上演してくれないかな? DVDで購入するという手もあるし、実際「アンナ・ボレーナ」のDVDは持っているけれど、やはり映画館の大画面で見るのと家庭用のテレビで見るんじゃ、あれこれ違うからね。やっぱり、映画館で見たいじゃないですか。

 来年のアンコールでも「アンナ・ボレーナ」が登場する事を期待して待ちます。

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2016年9月 5日 (月)

「ウェストサイド物語」を見てきました

 もうお盆の頃の話になるので、だいぶ前の話です。本来なら、ボツネタにしても良いのだけれど、ボツにするにはもったいない話題なので、時期外れと承知の上で記事をアップします。

 お盆の頃に、地元の文化会館に劇団四季がやってきて「ウェストサイド物語」を上演しました。劇団四季は、昨年の「コーラス・ライン」以来です。

 「ウェストサイド物語」は、バーンスタイン作曲の不朽のミュージカルで、一般的にはナタリー・ウッド主演の映画版によって知られていると思うし、私も映画版で親しんでいるミュージカルです。

 最近ではオペラとして上演される事も多く、2000年にはミラノ・スカラ座で上演されています。当然、録音も映画のサウンドトラック盤が一番有名でしょうが、他にミュージカル歌手たちによるオリジナル盤があったり、オペラ歌手たちの歌唱によるモノも多数あります。中でも、作曲家であるバーンスタイン自身が、クラシックのオーケストラとオペラ歌手を使って録音した、いわば決定盤的なモノすら存在します。

 イメージ的には、ミュージカルとオペラの中間点に位置する音楽作品…って感じかな?

 実際、音楽的には、主役のトニーはミュージカル歌手が歌うにはキイが高すぎるし、脇役だけれどアニタには声に力が必要な役だし、トゥナイトのアンサンブルバージョン(五重唱)は、ミュージカルにしては込み入った音楽の作りになっています。一方で、ダンスやストレートのシーンも多く、特にダンスはバレエを基調に振り付けられているので、当然オペラ歌手では対応できません。

 つまり、上演するには難しいミュージカルってわけです。ですから、有名な作品の割には、なかなか舞台を見るチャンスが無いってわけだ。私も、舞台版を見るのは始めてでした。

 私が見た劇団四季による「ウェストサイド物語」は、2000年のミラノ・スカラ座で演出と振付を行い、2009年のプロードウェイ・リバイバル上演でも演出と振付を行ったジョーイ・マクリーニのもので、そう言った点では、劇団四季版は最新版なのでしょうね。

 ちなみに「ウェストサイド物語」は、現在、スピルバーグが映画化の権利を持っているそうで、場合によっては、スピルバーグによるリメイク版が作成されるかもしれないそうです。それはそれで楽しみです。

 あまりに有名な作品ですから、ストーリーや音楽の説明はしません。

 舞台を見た感想は…ダンスがすごいです。とにかくダンスダンスダンスなんです。歌は…まあ、私の場合、日頃からオペラ歌手達の録音盤を散々聞いているので、そりゃあ比較しちゃいけませんが、それだって劇団四季の皆さんの歌唱は水準以上の歌唱です。どの曲も難しいのに、皆さんきちんと歌いこなしているものなあ。歌に破綻はありません。

 オケはどうやらカラオケのようで、音量のダイナミックスに不足はあるのが残念です。まあ、地方公演にオケの帯同は無理だからね。仕方ないです。

 とにかく、ダンスが凄いのです。例えば、ケンカのシーンもダンスなのです。ダンスだから様式性を感じて美しいのですが、でもケンカのシーンだから、ダンスの迫力も満点です。暴力を美しく見せるためのダンス…なのかもしれません。

 美しい音楽とダンスでコーティングされていますが「ウェストサイド物語」の物語自体は…とても暴力的で暗くて救いのない悲劇です。常に頭の悪い不良少年たちが闊歩していて、それらをリアルに演じると不快に感じるかもしれないほどに、どうしようもない人間たちによる人間劇なのです。

 テーマは…人種差別でしょう。

 映画版では、トニーとマリアの恋愛が物語の中心に据えられていたし、舞台版だって、トニーとマリアは恋に落ちるわけだけれど、それ以上に、ジェット団やシェーク団の間にある憎しみが物語を貫いていきます。

 実は「ウェストサイド物語」って、男臭いミュージカルなんですよ。男臭さとは、ある種の馬鹿っぽさであり、暴力性であるわけです。人種差別に、馬鹿と暴力が加わったら…そりゃあ見られたものではありません。でも、それが一流の芸術作品に仕上がっているのは、音楽とダンスの力…なんだと思います。

 映画版は歴史に残る名画だけれど、舞台版は映画版に負けず劣らずの仕上がりです。

 あと、劇団四季の舞台ですから、役者たちはみな日本語で歌い、日本語で演じているのですが、やはり日本語で演じられると、より心に刺さります。痛いです。ラスト直前まで、音楽とダンスでコーティングされていた物語が、トニーの死を境に、ストレートプレイに変わります。もう、音楽は鳴りません。誰も踊りません。どうしようもない物語が、ラストに来て、むき出しにされます。

 バーンスタインは生前、「ウェストサイド物語」のラストシーンを音楽で書けなかった事を悔やんでいたそうです。あのラストシーンを音楽で書ければ、「ウェストサイド物語」はミュージカルではなく、オペラとして仕上がった…という趣旨の事を言ってたそうですが(バーンスタイには申し訳ないけれど)あのラストシーンには、音楽は不要なんだと思います。ダンスも不要なんだと思います。必要なのは、役者のクチから吐き出される言葉…なんだと思います。

 最後の銃声で、マリアはもちろん、客席にいる我々も、夢から醒めるのです。そして、物語を通して、世の中の不条理に涙するわけです。

 劇団四季による「ウェストサイド物語」を見ることができて、とても良かったと思ってます。

 ちなみに、映画版のラストシーンでは、きちんと音楽が流れるし、トニーもマリアもフィナーレとして二重唱を歌います。そこが万人向けを狙った映画版と舞台版の違いです。まあ、舞台版の構成&演出のまま映画化されたとしたら、かなり後味の悪い作品になっていたと思うし、それでは(当時の)ハリウッドは受け入れられなかったんだろうなあと推測します。なので、ラストシーンの改変は仕方のない事だったのかもしれません。

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2016年8月21日 (日)

素人の発表会でよく耳にするオペラアリア その11「ハバネラ」

 今年のお盆の連載は、今回が最終回です。最後にふさわしい曲をチョイスしてみました。

 今回のアリアは、ビゼー作曲の『カルメン』の「恋は野の鳥(ハバネラ)/L'amour est un oiseau rebelle」です。

 『カルメン』というオペラは、日本では大人気オペラで、誰もが知っていると言っても過言ではないほどの人気作だし、どの曲もシングルカットしたら大ヒット間違いなしという、ハズレ曲のないオペラとしても有名ですが、素人さんの発表会では、驚くほど歌われません。何故か…と言えば、やはり歌詞がフランス語だからでしょうね。歌う人って、イタリア語やドイツ語は得意でも、フランス語はちょっと苦手いう人が多いですからね。

 もっとも、昨今のアリア集では、フランス語だとカタカナでルビの振ってあるものも珍しくないので、その手の楽譜を使えば、カルメンの曲でも歌えないわけではないのです。

 と言うわけでしょうか、案外「ハバネラ」は歌われています。もっとも、この曲、ハバネラと呼ばれる事が多いのですが、正しい曲名は「恋は野の鳥」だったりします。

 こんな感じの曲です。

 歌っているのは、エレーナ・ガランチャです。私の中では、現在最高のカルメン歌いとなっている人です。ちなみに、ちょっと前なら、アグスネ・バルツァだったんですが…ね。さすがのバルツァもガランチャの魅力には、かないませんって。この人、この曲では歌っているばかりですが、実はダンスもかなり上手で、カルメンの第二幕で披露するフラメンコは、本職はだしの素晴らしいダンスだったりします。美人で、歌もダンスも良しなんて、まるでミュージカル歌手みたい(笑)。いや、もちろん、歌唱力は、ミュージカルの人とは全然比較できないほどに卓越しているのですが…。

 今回の歌詞と訳詞は、こちらから転載しました。感謝です。

L'amour est un oiseau rebelle
恋はいうことを聞かない小鳥

Que nul ne peut apprivoiser,
飼いならすことなんか誰にもできない

Et c'est bien en vain qu'on l'appelle,
いくら呼んでも無駄

S'il lui convient de refuser!
来たくなければ来やしない
 
 
Rien n'y fait, menace ou prière,
おどしてもすかしても なんにもならない

L'un parle bien, l'autre se tait;
ひとりがしゃべって ひとりが黙る

Et c'est l'autre que je préfère,
あたしはあとのひとりが好き

Il n'a rien dit; mais il me plaît.
なんにもいわなかったけど そこが好きなの
 
 
L'amour, l'amour...
恋、恋…
 
 
L'amour est enfant de Bohême,
恋はジプシーの生まれ

Il n'a jamais, jamais connu de loi;
おきてなんか知ったことじゃない

Si tu ne m'aimes pas, je t'aime,
好いてくれなくてもあたしから好いてやる

Si je t'aime, prends garde à toi!
あたしに好かれたら あぶないよ!
 
 
L'oiseau que tu croyais surprendre
まんまとつかまえたと思ったら

Battit de l'aile et s'envola;
鳥は羽ばたき 逃げてゆく

L'amour est loin, tu peux l'attendre,
恋が遠くにいるときは 待つほかないが

Tu ne l'attends plus, il set là.
待つ気もなくなったころ そこにいる
 
 
Tout autour de toi, vite, vite,
あたりをすばやく飛びまわり

Il vient, s'en va, puis il revient,
行ったり来たり また戻ったり

Tu crois le tenir, il t'évite,
捕らえたと思うと するりと逃げて

Tu crois l'éviter, il te tient!
逃がしたと思うと 捕らえてる
 
 
L'amour, l'amour...
恋、恋…
 
 
L'amour est enfant de Bohême,
恋はジプシーの生まれ

Il n'a jamais, jamais connu de loi;
おきてなんか知ったことじゃない

Si tu ne m'aimes pas, je t'aime,
好いてくれなくてもあたしから好いてやる

Si je t'aime, prends garde à toi!
あたしに好かれたら あぶないよ!

 この曲は、本来はメゾソプラノ用に書かれたアリアですが、役柄が役柄ですから、昔から少し声が重いソプラノさんたちにも、よく歌われていましたし、また、それが良いのですね。

 作曲家的には、女の色香を表現するために、カルメンをメゾソプラノに設定したのでしょうが、カルメンは色気ムンムンの女であると同時に、まだ若い、現役バリバリの女でもあるわけで、そうなると、あまりオバサンっぽい声で歌われるとオペラ的には困るわけです。

 本来的には、メゾソプラノではなく、スピントなソプラノあたりが歌うべき役柄ではなかったかな? とか思うし、実際、スピントなソプラノさんがよく歌う役でもあります。

 まあ、問題はフランス人の好みかな? って思うわけです。と言うのも、フランス人って、イタリア人と違って、好みが少しばかり低音に傾いているんじゃないかなって思います。テノールで言えば、イタリアならスピントなテノールとして活躍できそうな声の人が、フランスだとバリトンとして活躍する傾向があります。まあ、どっちでもいい話なのかもしれませんが、どっちでも良い時ほど、趣味趣向が表れるわけで、そんなどっちでも良い時に低音に針が触れるのが、フランスなのかなって思うわけです。

 で、カルメンはメゾ・ソプラノになった…と思うわけだったりします。

 まあ、それはともかく、素人的には、メゾとして書かれたおかげで、カルメンには高音が無くなり、その分、高音に難のあるソプラノさんでもチャレンジできる役になった…と言えるでしょう。まさに“ビバ・カルメン”って感じでしょうね。

 それにしても結局このシリーズ、とりあげたアリアは、すべて女声のアリアとなりました。心情的にはテノールのアリアなども取り上げたかったのですが…素人さんの発表会に行くと、歌っている人って、ほとんど女性だから、どうしても“よく耳にするアリア”となると、女声のアリアにならざるをえないんだよね。

 まあ、この女声偏重という傾向は、素人さんの発表会ばかりでなく、プロを目指す人たちの音楽コンクールに行ってもそう。やっぱり同じ傾向です。海外の事はよく分からないけれど、少なくとも日本では“歌は女のモノ”なんだな。それじゃあ、もったいないと私は思うわけだけれど…まあ、仕方ないやな。

 さて、これで夏の連載も終了です。次回からは、平常運転に戻りますので、よろしく。

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2016年8月20日 (土)

素人の発表会でよく耳にするオペラアリア その10「さよなら、ふるさとの家よ」

 さて、今回もコンサート・アリア…と言っても良い曲です。カタラーニが作曲した『ワリー』というオペラの中で歌われるソプラノのアリア「さよなら、ふるさとの家よ/Ebben? Ne andrò lontana」です。

 「カタラーニって誰?」
 「ワリーってオペラって何?」

 大丈夫、私も知りません(笑)。そう言った周辺情報は全く知りませんが、「さよなら、ふるさとの家よ/Ebben? Ne andrò lontana」は、本当によく、しばしば素人さんの発表会で聞きます。ほんと、不思議なくらいに。

 こんな感じの曲です。

 歌っているのは、アンナ・ネトレプコです。現在のメトロポリタン歌劇場のディーヴァですね。彼女の声には、好き嫌いがあるようですが、美貌と歌の巧さにかけては、誰にも文句は言わせません。もっとも、最近は結婚もして、体型もだいぶプヨプヨにくずれてしまいましたが(笑)。そろそろメトもディーヴァの代替わりの時期に差し掛かっているのかもしれません。

 今回の歌詞と訳詞は、こちらのサイトのモノを転載しました。感謝です。

Ebben…?
それなら…?

Ne andrò lontana,
私はここから遠いところに行きましょう
come va l'echo della pia campagna,
聖なる鐘のこだまがあの白い雪の間に

là, fra la neve Bianca,
あの黄金色の雲の間に

là, fra le nubi d'or,
流れていくように。

laddove la speranza,
そこでは、希望も

è rimpianto, è dolor!
嘆きとも苦しみともなるでしょう!
 
 
O della madre mia casa gioconda,
楽しかった母の家よ、

la Wally ne anrdà da te lontana assai,
ワリーはお前から離れて遠くに行くでしょう

e forse a te non farà,
そしてきっと、二度とお前のもとに

mai più ritorno,
帰ってくることはないでしょう。

ne più la rivedrai
お前も二度と私の姿を見ることはないでしょう

Mai più, mai più!
決してないでしょう、決してないでしょう!
 
 
Ne andrò sola e lontana,
私はたった一人で、ここから遠いところに行きましょう

come l'eco della pia campagna...
聖なる鐘のこだまが

là, fra la neve bianca;
あの白い雪の間に流れていくように

Ne andrò solae lontana,
ここから遠いところに、たった一人で行きましょう

E fra le nubi d'or…!
あの黄金色の雲の間に…!

 カタラーニという作曲家は、プッチーニと同時代の作曲家で、日本では全くと言っていいほどの無名な作曲家ですが、海外では彼の作品『ワリー』はもちろん『ローレライ』なども、たまに上演されるそうです。決して、海外では無名な作曲家とは言えないようですが…やっぱり日本じゃあ無名だよね。

 と言うわけで、この曲に関して、特に語るモノを持たない私ですが、なぜ、この曲が発表会でよく歌われるのか…なぜなんだろう? おそらくは声質に関係するのかなって思います。比較的、声の軽い人だと、脇役ソプラノのアリアを始めとして、歌いやすいアリアが揃っていますが、声が成熟している人で初学者だと(大人には多いタイプですね)だと、なかなか選曲が難しいのかもしれません。と言うのも、声が成熟していると、当然、声楽技巧も成熟しているとみなされて、主役ソプラノアリアばかりになって、難しいアリアばかりになってしまいがちです(そこんところは、テノールと同じ状況でしょう)。その中で、比較的、手を出しやすいのが、この曲…ではないかと、私は推測します。

 ま、ハズレているかもしれませんが(笑)。とにかく、発表会でよく聞きますよ、このアリアは。

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2016年8月19日 (金)

素人の発表会でよく耳にするオペラアリア その9「ドレッタの夢」

 オペラのアリアには、オペラそのものがよく上演されているものと、オペラそのものは、ほとんど上演されず、その中の一部のアリアだけがコンサートなどでよく歌われるという性格のものの、2つがあります。

 通常、後者のタイプを“コンサート・アリア”と呼んだりします。コンサート会場だけで歌われるアリアって意味ね。

 私が先の発表会で歌った、チレア作曲の「E'la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」も、いわばコンサート・アリアの一つで、元のオペラである『アルルの女』なんて、まず上演される事ありませんから。

 プッチーニは大オペラ作曲家で『マノン・レスコー』『ラ・ボエーム』『トスカ』『トゥーランドッド』などの有名オペラを書いています。また上演地域に偏りがあるとは言え『蝶々夫人』や『西部の娘』も有名オペラの数に入れても良いと思います。

 しかし、そんなプッチーニにも、ハズレ作品と言うか、無名な作品、滅多に劇場で上演してもらえない作品があります。その中に今回取り上げる「ドレッタの夢/Chi Il Bel Sogno Di Doretta」が含まれる『つばめ』というオペラがあります。

 プッチーニの人気って、デビュー3作目である『マノン・レスコー』で火が付いたのですね。そこから『ラ・ボエーム』でさらに人気が加速して『トスカ』で頂点を迎えます。続く『蝶々夫人』がケチの付け始めで、ここから人気が下がり始め『西部の娘』で、ついに観客から三行半をつきつけられてしまうわけです。

 人気がどん底に落ちたプッチーニが起死回生を目指して発表したのが『つばめ』ですが、これも失敗し、その次に発表したのが、昨日ご紹介した『三部作』となり、これが生前最後のオペラ作品になるわけです。『トゥーランドット』は、プッチーニの死後、弟子たちの補作も加えて完成し、上演されたものなんですね。

 しかしプッチーニはプッチーニなわけで、人気的にどん底の時に作曲した『つばめ』でも、そのキラーソングは、やはり素敵な曲なわけです。今回ご紹介する「ドレッタの夢/Chi il bel sogno di Doretta」は、今やコンサートアリアになってしまった、プッチーニの美しいアリアの一つなのです。

 こんな感じの曲です。

 歌っているのは、アンジェラ・ゲオルギューです。このアリアは、コンサートでよく歌われるので、今回はコンサートの音源から選んでみました。良い歌だと思うし、歌手の声の美しさを思う存分に堪能できる名曲だと思います。素人さんでも、持ち声の美しい人ならば、ぜひ歌ってみたいと思うのでしょうね。その気持ち、よく分かります。

 今回の歌詞と訳詞は、こちらのサイトのものを転載させていただきました。感謝です&、お元気していますか?

Chi il bel sogno di Doretta
誰かドレッタの夢がどんなものか

potè indovinar ?
お分かりになって?

Il suo mister come mai fini ?
彼女の不思議は一体どうして消えたのでしょう。

Ahimè ! Un giorno uno studente
ああ、なんと、ある日ひとりの学生が

in bocca la baciò
彼女の唇に口づけし

e fu quel bacio rivelazione:
その口づけがまさに目覚め

fu la passione !
そして熱情だったのです。

Folle amore ! Folle ebbrezza !
狂おしい恋!狂おしい陶酔!

Chi la sottile carezza
誰にこんなに熱い口づけの

d'un bacio così ardente
ほのかな触れ心地を

mai ridir portà ?
言い表すことができましょう。

Ah ! mio sogno ! Ah !mia vita !
ああ、私の夢、わたしの人生!

Che importa la ricchezza
富にどれほどの意味があるでしょう、

se ai fin è rifiorita la felicià !
幸福がついにまた花開いたなら!

O sogno d'or poter amar così !
こんな風に愛せるのが、すてきな夢!

 このアリアがオペラの中のどのような場面で歌われるのか…実は私、知りません。だって『つばめ』ってオペラ、見たことないもの。でも、音楽はよく聞きます。素人さんの発表会はもちろん、たまにテレビの中からCMソングとして聞くこともあります。ほんと、この曲のサビ部分は、有名なメロディですね。

 さすがはプッチーニ。人気どん底でもプッチーニ…なんだな(笑)。

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