ひとこと

  •  私が愛用していた龍角散の細粒が、どうやら随分前に販売中止になっていたようです。今飲んでいるヤツが無くなったら、もうお終いです。ああ、残念。次は、粉末の龍角散にしようか、それも龍角散ダイレクトにするか悩み中…。自宅では粉末を飲んでますが、細粒は主に職場で飲んでいます。職場だと、お手軽に飲めるのが大切だからなあ…。どっちにしようかな…。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2018年5月21日 (月)

メトのライブビューイングで「ルイザ・ミラー」を見てきました

 LFJの連載もそろそろ終わりなのですが、今回はそれをお休みして、こちらの記事をアップしたいと思います。

 まあ、標題の通りです。出かけてきました。本当は、忙しいし、疲れているし、パスしようかと一瞬頭をかすめましたが、頑張って行ってきました。

 結論を言うと、頑張って見てきてよかったです。これはとてもお薦めの上演でした。

 指揮:ベルトラン・ド・ビリー
 演出:エライジャ・モシンスキー

 ルイザ:ソニア・ヨンチェヴァ(ソプラノ)
 ロドルフォ:ピョートル・ベチャワ(テノール)
 ミラー:プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ヴルム:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
 ヴァルター伯爵:アレクサンダー・ヴィノグラドフ(バス)

 まず「ルイザ・ミラー」というオペラ。ヴェルディの作品であるけれど、あまり有名な作品ではありません。ソプラノとテノールに有名なアリアがあるので、アリア集などの楽譜集には掲載される事はありますが、全曲演奏のCDやDVDも少なく、上演機会も多くありません。私も今回見るのが始めてだったのですが、捨て曲が無い音楽的に優れたオペラでした。まあ、ストーリー的には、オペラにはよくある陳腐な話(バカなテノールが事態を悪化させて悲劇に向かう)なので、ストーリー重視の方には呆れられるかもしれませんが、音楽はなかなかのものでした。「マクベス」と「リゴレット」の間の時期のオペラ…と言うと分かるかもしれませんが、彼が爆発的な人気を得る直前の、いわゆる初期~中期頃のオペラで、後のヴェルディを彷彿させるような音楽があっちこっちにたくさんあって、ほんと楽しめました。これはもっと有名になっても良いオペラだなあと思いました。

 で、作品自体もよかったのですが、それを演じる歌手たちが素晴らしかったです。

 ルイザを演じたヨンチェヴァは、トスカの時にも感じましたが、彼女は若い小娘を演じるのが上手いのかもしれません。彼女の歌も演技も、しっかりとルイザの若さ(小娘感)が出ていて、よかったです。ルイザという役は、かなり歌唱が難しそうですが、それを感じさせないほどに巧みに歌っていました。これは初役だそうですが、なかなかハマっていたと思います。

 もう一人の主役である、文字通りの王子様役であるロドルフォを演じたベチャワは、この役の愚かさを十分に演じきっていたと思います。ほんと、見ていて、イライラするほどの若さとバカさをうまく表現していたと思います。もちろん、歌唱も合格点。第三幕の重々しい箇所の歌唱も私的には満足です。

 で、役的には単なる脇役にすぎない、ドミンゴ演じるミラー(ルイザの父)はすごかった。何しろ、彼が舞台にいる時は、ほぼ彼が主役になってしまうのだから(笑)。そのカリスマ性は理屈じゃないです。共演しているソプラノやテノール(本来の主役たち)はやりづらくないのかしら? あと、いつもながらの事ですが、ミラー役はバリトンの役なのですが、ドミンゴはバリトン役をテノール声で演じています。実際、メトの(日本語版)ホームページにも、劇場で配られレジュメにもドミンゴはテノールと記載されています。彼はバリトンに転向したはずですが…今回はテノールとして開き直って歌っているのかしら? それはともかく、本来バリトン役であるミラーをテノール声で演じる事の是非はあるとは思うものの、それを横に置いても、ドミンゴの歌唱と演技は素晴らしかったと思います。ミラーという役が、そもそもテノールを念頭に置いて書かれたんじゃないかしら?と錯覚してしまうほどです(そんなはずは無い!)。

 今回の「ルイザ・ミラー」は、ドミンゴを見るため上演である…と言い切っても良いかもしれません。少なくとも、彼が座長だよなあ(笑)。

 ヴルムとヴァルター伯爵(ロドルフォ父)のバス二人も水準以上だったと思います。まあ、二役とも、もっと重鎮な歌手が歌っても良い役ですが、これはこれでアリだと思いますし、バス同士による二重唱も、なかなか良かったですよ。

 指揮は、本来はレヴァインの予定でしたが、変更してド・ビリーになりました。私はこの指揮者については何も知りませんが、特に問題はありませんでした…ってか、レヴァインがいれば、音楽作りは彼に任せるのだろうけれど、彼がいなくても、今回は指揮者も普通にやっている“生ける伝説”のドミンゴが座長だから、当然と言うか、彼の意見が反映されているのだろうから、問題がないのは、当然と言えば当然でしょう。

 それにしても、公演のキャンセルがあったり、来年からはいよいよ音楽監督も交代だし、レヴァイン、大丈夫なのかな? もっとも、彼の場合、健康問題もさりながら、セクハラ問題もあるわけで…昨今のアメリカのエンタメ界はセクハラにウルサイからね…。レヴァインは、このまま引退…って事になるのかな? レヴァインは大指揮者だけれど、晩節を汚しちゃったねえ…。

 演出は…時代設定をオリジナル設定よりもだいぶこちら側に引き寄せた、いわゆる現代演出なわけだけれど、見ていて全然違和感ありませんでした。いやむしろ、そもそもの設定どおりに男性たちがチョーチンブルマを履いて出てくる方が、今や違和感が生じるでしょうから、これはこれでアリでしょうね。

 という訳で、メトの「ルイザ・ミラー」は、かなりお薦めだと、私は思います。

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2018年5月14日 (月)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「カルメン」を見てきました

 さて、話の流れ的には、今回は池袋でのLFJの話を書かないといけないのですが…こちらを優先したいと思います。

 標題の通り「カルメン」を見てきました…が、今回はこの上演を見る事について警告したいと思います。ってか、ザックリ言っちゃえば「見るなら、自己責任で。私は薦めないよ」って事です。

 正直言って、今回のロイヤル・オペラの「カルメン」はゲテモノです。なので、ゲテモノ好きか、あるいは「カルメン」は飽きるほど見て、とにかく変わったモノなら、なんでも歓迎!という人ぐらいにしか薦められません。

 薦められない理由を5つ書きます。

1)音楽が薄い

 歌劇「カルメン」の良いところは、捨て曲がない事。どの瞬間にも美しい音楽があふれている稀代の名オペラである事。しかし、今回の上演では、音楽は軽い扱いを受けています。

 まず、レチタティーヴォがありません。レチタティーヴォにあたる部分は、アナウンスで説明されて終わりです。まあ、そもそも「カルメン」のレチタティーヴォは、ビゼーの作曲ではなく、補作したギローの手になる部分ではあるけれど、今となっては、あれはあれで大切な「カルメン」の一部なのです。そこを大胆にカットしちゃった事は…どうなんでしょうね。

 そもそも「カルメン」って未完成なオペラなんです。ビゼーが書いたのは、たくさんの音楽の断片であって、それを放り出したまま、作曲家であるビゼーは死んでしまったわけです。未完成だけれど、美しい音楽がたくさんあったこのオペラを整理して、良い部分は効果的に配置して、ダメな部分は捨てて、足りない部分は補って、現在我々が知っているカタチの「カルメン」にしたのが、友人の作曲家であるギローってわけです。

 ギローって、一流の作曲家ではありません。彼のオリジナルの作品は、現在残っていないしね。でも、音楽家として全く無能だったのかと言えば、そんなわけはなく、彼はビゼーの「カルメン」だけでなく、オッフェンバックの「ホフマン物語」も未完成のまま作者が死んでしまったので、何とか上演できるカタチに仕上げた人でもあります。まあ、作曲家としては一流ではなかったのでしょうが、残された断片を使って、素晴らしいオペラを作り出すのは得意…って事は、編曲家としてはまずまずの腕前だったと思われます。

 でもまあ「ホフマン物語」では、オッフェンバックの音楽をカットしすぎてしまい、後に別の編曲家の方々が、ギローが捨てた部分も拾い出して、今の「ホフマン物語」にしたわけです。まあ、確かにジュリエッタのシーンを丸々捨ててしまったのは、さすがにギローもやりすぎたと私も思います(笑)。

 閑話休題。で、今回の「カルメン」では、ギローが書いた音楽は捨てて、ギローが捨てたビゼーの音楽を復活させたわけだけれど、これがまあ、ギローが捨てたのが正解だと思われるような陳腐な音楽ばかりを拾ってきたわけです。おまけに、ストーリーの進行を優先させたためか、音楽の繰り返しが少なくて、我々が知っている音楽も、かなりショートバージョンにされて演奏されました。結果、美しいメロディーにあふれていた旧来の「カルメン」が、アナウンスと陳腐なメロディーの中にたまに美しいメロディーが混ざっているという、まさに音楽的に“混ぜものいり”の魅力の少ない音楽に仕上がっています。

 こんな薄い「カルメン」を「カルメン」とは思って欲しくない…というのが、一人のオペラファンである私の正直な気持ちです。

2)芝居とストーリーがちゃんとつながっていない

 芝居…つまり、演出の話になります。この上演の演出は、実に刹那的です。一曲ごとの演出は、まあ目新しいし面白いと思います。でも(現代的演出だと大抵そうなるけれど)歌詞と演出は少々乖離していると思うし、曲と曲の演出は決して繋がっていません。まるで「カルメン」の音楽で作られた、ビデオクリップ集を見ているような気分になります。一見すると、とても演劇的な演出だけれど、全体のストーリーがうまくつながっていないと思うわけです。だから演劇的な演出ですらないと思います。

 だから「カルメン」を見慣れた人だと、そこを面白く感じると思う(私も面白かったです)わけだけれど、「カルメン」はもちろん、オペラそのものに不慣れな人(人類の大半がそうでしょうね)たちにとっては、あれこれ誤解を招くし、誤った理解をさせてしまう、罪深い演出だと思います。

 この演出では、ストーリーも音楽も、いわゆる「カルメン」から、遠く離れすぎている…と私は思うのです。

3)歌手たちは精一杯やっているけれど、結果的に残念

 ここで今回の主要スタッフを書いておきます。

 指揮:ヤクブ・フルシャ
 演出:バリー・コスキー(この人が今回の戦犯です)

 カルメン(メゾソプラノ):アンナ・ゴリャチョーヴァ
 ドン・ホセ(テノール):フランチェスコ・メリ
 エスカミーリョ(バリトン):コスタス・スモリギナス
 ミカエラ(ソプラノ):クリスティナ・ムヒタリアン

 まず、カルメンのゴリャチョーヴァから。彼女は、本当に美人です。こんなに美しいカルメンを見たのは、私、たぶん始めてです。実際、ヴォーグの表紙を飾っても不思議じゃないくらいに美人なんです。おまけに、よく動きます。ダンスも良い感じです。

 でもね、歌がね…。たぶん、この人、ちゃんと歌える人なんだと思うけれど、情念が足りないのよ。こういう演出だからそうなんだろうけれど、どのアリアも薄味。カルメンがなぜ、ソプラノ歌手ではなくメゾソプラノ歌手に割り振られているのかと言えば、そこはもう過剰なまでの情念を歌に込めるためだと私は思ってますが、いかがでしょうね。

 ドン・ホセを歌ったメリは…ごめんなさい、劣化版カレーラスにしか思えなかった! 私には彼自身の魅力を感じられませんした。特に「花のワルツ」の最高音を含むフレーズは、晩年のカレーラスが歌ったように、ファルセットで軽く歌ったのですが、ファルセットの扱い方が、カレーラスほど上手ではなく、その前後と声色が極端に違ってしまったのです。ああ、残念。とても残念なのです。そこ以外は、悪くなかったです。イライラするくらい、しっかりダメ人間を演じていたし(これ、褒め言葉です)。

 エスカミーリョを歌ったスモリギナスの歌唱も、カルメンを歌ったゴリャチョーヴぁ同様に、なんか物足りないのです。そういうふうに歌えという指示が演出家からあったんだろうなあと想像しますが、これはお客さんが見たいエスカミーリョじゃないよ。僕らの知っている、カッコいいエスカミーリョを返してくれ!と言いたい気分です。

 ミカエラに関しては、歌の印象がありません(ごめん)。彼女に関しては、その演技力に圧倒されて(だって、本当にハイティーンの女の子に見えるんだよ)、芝居ばかりに注意が行ってしまい、肝心の歌を聞けませんでした。芝居的にはOKなんだろうけれど、それってオペラ的にはどうなの?って感じがします。

 少しは褒めましょう。音楽的に良かったのは、なんと言っても合唱団の皆さんたちです。オトナの合唱団も良かったし、子どもたちの合唱団も良かったです。合唱団の人たちの、メイクとか衣装とかは、ちょっとなあ…と思うし、歌いながらの演技も大変だろうと思うけれど、歌唱は良かったです。コーラスマスターさんは頑張ったんだろうなあって思います。

4)歌手たち以上にダンサーたちの舞台なんだよ

 この上演で、一番目立つのは、ダンサーたちです。誰よりも目立ってましたね。とにかく、強烈なんですよ。このオペラは、ダンサーのためのオペラなんじゃないの?と思ってしまうくらいに、ダンサーたちが目立っていました。実際、時折、歌が邪魔に感じる事すらありましたよ。それくらいに、ダンスが大きな比重を占める演出となっていました。

 ダンス好きならば、大いに楽しめると思うし、ダンサーさんたち、大活躍ですよ。

5)多くの演出が意味不明

 衣装にせよ、メイクにせよ、やたらと派手で目を引きますが、なぜそうなのかは、結局分かりません。ダンサーさんたちの振り付けも(バレエの振り付けのように)意味があるようで、意味を感じられないし、歌手さんたちもアリアを歌いながら芝居をしますが、なぜそういう演技をするのか、意味が分からないし、刹那的に面白い瞬間もたくさんありましたが、ちょっと考えてみると、なぜそんな演出をするのか、分かりません。

 だいたい、最後。カルメンはホセのナイフには刺されますが、死なないで、ケロッとしてますしね。ほんと、意味不明。

 何度も何度もこの上演を繰り返して見れば、その演出意図ってヤツが分かるのかもしれませんが、この上演は二度見る必要はないと思うので、結局、演出家の演出意図は分からずじまいです。観客に分からないモノなんて、エンタメとしてはダメなんじゃないかな?

 まあ、そんなわけで、この上演は、本当にお薦めできません。この5つの理由の前には、舞台上の大道具は、大きな階段一つで、舞台装置らしい舞台装置がない事なんて、全然問題になりません。時代や場所が不明であったり、現代演出であったりする事も、全然問題になりません。

 とにかく、演出家さんの「オレってすごいだろ?」臭がプンプンとした、ゲテモノな「カルメン」に仕上がっております。ってか、この演出ならば、別に音楽は「カルメン」じゃなくても、よかったんじゃないのってすら、思います。それくらい、音楽なんて、どうでもいいって扱いの上演でした。

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2018年5月 7日 (月)

メトのライブビューイングで「コジ・ファン・トゥッテ」を見てきました

 ブログ記事をアップする順番を間違えました(汗)。LFJの記事は毎年の事だし、私にとって大切な記事だけれど、リアルの世界ではすでに終わったイベントであり、思い出記事なわけです。しかし、メトのライブビューイングは、今もまだ上映しているわけで、皆さんの参考になるかもしれないはずの記事であって…とにかく、今日はLFJは横に置いて、メトの方の記事を急いでアップします。

 という訳で、モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」の新演出版をライブビューイングで見てきました。

 指揮:デイヴィッド・ロバートソン
 演出:フュリム・マクダーモット
 フィオルデリージ:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
 ドラベッラ:セレーナ・マルフィ(メゾソプラノ)
 フェルランド:ベン・ブリス(テノール)
 グリエルモ:アダム・プラヘトカ(バス・バリトン)
 デスピーナ:ケリー・オハラ(ソプラノ)
 ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン(バリトン)

 見に行く前の舞台写真などを見ていると、どうやら現代演出らしいというのは分かっていました。今っぽい服装で、今っぽい設定で…なんか期待できないなあ…と薄ぼんやり思っていたのでした。

 実際、舞台の設定は1950年代のコニーアイランドっぽい場所(コニーアイランドってのは、ニューヨークの都市型リゾート地の一つで、遊園地などがたくさんあった所のようです。今の日本で言えば、舞浜って感じなんでしょうね)で、まごう事なき“現代演出”だったわけです。

 でもね、これは当たりだと私は思いました。いや、むしろ、古典的な演出よりも、こっちの方がいいかも…とすら思ったわけです。

 だって、そもそも“コジ・ファン・トゥッテ”って、嘘っぽいお話でしょ? ああいう嘘っぽいお話は、嘘がまかり通る舞台装置が必要なわけで、そういう意味でも、現代設定とは言え、リアルとファンタジーがまぜまぜになったリゾート地でのお話ってのは、アリアリなんだと思います。

 で、このオペラの演出における世界観は、ほぼミュージカル映画「グレーテストショーマン」の世界なんです。本当にコビトさんはいたし、火吹き女はリアルに火を吹いていたし、蛇使いは本物の大蛇を首に巻いてたし、剣呑み姉弟は本当に剣を飲んでいたし、本当にあのミュージカル映画の世界観そのままだったんです。実際、共通して出演していたキャストさんもいたし、彼らはもちろんオペラでは黙役なんだけれど、ただのお飾りではなく、しっかりした存在感はあるし、舞台の進行上も必要な人たちなんだよね。

 また、元々からいる役である、哲学者のドン・アルフォンソなんて、グレイテスト・ショーマンの主人公でヒュー・ジャクソンが演じたバーナムそのものだったし…ね。

 あの、グレーテストショーマンの世界のようなエンターテインメントな世界なら、コジ・ファン・トゥッテのお話もアリかなって思ったわけです。

 ちなみに、オペラの中では、舞台になっていた遊園地の名前が“コジ・ファン・トゥッテ”だったりします。おもしろいでしょ? ミュージカル映画「グレーテストショーマン」が楽しめた人なら、このオペラ、楽しめると思いますよ。

 歌手についても書いておきます。最近のメトは、あまり有名ではない人も、とても水準の高い歌唱を聞かせてくれます。今回の人たちも、ケリー・オハラ以外は、あまり有名ではないけれど、みんな高水準の歌を聞かせてくれました。特にテノールのベン・ブリスはすごぶる美声で…ああ、生で彼の歌は聞いてみたいです。

 唯一の有名人であるケリー・オハラだけれど、存在感はすごかったですよ。彼女が出てくると、ほぼ彼女の舞台になってしまうくらいです。演技力は抜群。歌も、期待していた以上に歌えて、むしろビックリ。これで歌が上達してしまったら、無敵のオペラディーヴァになってしまうかもしれません。凄い人材をメトは発掘したのかもしれません。

 もちろん、実際のメトでは、ケリー・オハラは毎回出演できるわけじゃないので、デスピーナを別の人が演じる時もあるだろうけれど、そちらの方は、どんな感じなのだろうかと、余計な心配をしてしまうくらいに、ケリー・オハラは存在感バッチリなんですよ。

 という訳で、この新演出の「コジ・ファン・トゥッテ」は、なかなかおもしろいですよ。あえて欠点を言えば、現代演出って事で、衣装が地味なんてすよね。特に第一幕の姉妹の服装なんて、ほぼ普段着のノリですからね。おまけにフィオルデリージは黒縁メガネをかけているし…なんかそういうところで拒否感を感じる人もいるかもしれません。

 というわけで、好き嫌いが分かれてしまいそうですが、私は気に入りましたという記事になりました。

 まあ、どちらにせよ、かなり個性的な演出なので、始めてコジ・ファン・トゥッテを見るという方には、お勧めしません(笑)が、何度もコジ・ファン・トゥッテは見ております…という方は、騙されたと思って、この演出版を見るとよいですよ。ほんと、おもしろいです。

 あと、オペラとは全然関係ないけれど、来年から、メトの音楽監督が、レヴァインから、若手のヤニック・ネゼ=セガンに交代する事になりました。元々、ネゼ=セガンに音楽監督が交代すると言うのは、決まっていたそうなんだけれど、その交代時期は、来年ではなく、2年先の予定だったそうですが、それが2年間前倒しになっての交代なんだそうです。レヴァインの状態がよろしくないのかもしれませんね。どちらにせよ「ご苦労さま、、レヴァイン。頑張れよ、ネゼ=セガン」ってところでしょうね。

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2018年4月16日 (月)

メトのライブビューイングで「セミラーミデ」を見てきた

 標題通り、ロッシーニ作曲の「セミラーミデ」を見てきました。「“セミラーミデ”? なにそれ、美味しいの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。まあ、それほどに上演機会の少ない、マイナーオペラなわけです。

 なぜ、このオペラの上演機会が少ないのか? それには色々な理由があります。

 1)歌唱が難しいから。
 2)ストーリーの進行が遅く、上演時間が長く、今の時代に合わないから。
 3)母殺しで解決されるストーリーって、どうなの?
 4)主役がカストラートだから。

 まず1)の歌唱が難しいから…について。このオペラの歌唱部分の楽譜って、どのパートもおそらく“真っ黒”なんだと思います。つまり、装飾音符やらメリスマやらがやたらと多くて、すべてのパートにコロラトゥーラ歌手が必要とされるからです。つまり、細かい音符を正確に転がしていくのが得意な歌手が必要なのです。

 コロラトゥーラという歌唱技法って、実はかなり難しい技法なのです。だから、コロラトゥーラが得意な歌手を、わざわざ“コロラトゥーラ歌手”と呼んでしまうくらいに、コロラトゥーラが得意な歌手って、珍しいし、それだけ希少価値な歌手なのです。

 で、コロラトゥーラという技法は、コロラトゥーラ歌手の大半が、声の軽いソプラノ歌手である事から分かるように、声が高くて軽い事が必要条件となってきます。つまり、声が低い歌手であったり、重い声の持ち主では、声が転がりにくく、なかなかコロラトゥーラが出来ない…という事情があったりします。

 で「セミラーミデ」ですが、オロエ役のバス歌手以外のソリストさんたちには、これでもかってくらいに、やたらとたくさんの…と言うよりも、ほぼすべてのフレーズにコロラトゥーラが付いているのです。コロラトゥーラ標準仕様…ってわけです。はい、ソプラノだけでなく、メゾにもテノールにもバリトンにもコロラトゥーラが得意な歌手が揃わないと成り立たないのが、このオペラなんです。

 そりゃあ、上演されないわな。まあ、今回みたいに無理やり(?)敢行しても、揃える歌手は技量第一優先となるから、スター歌手を揃えることは難しいだろうし、スター歌手が揃わないと、オペラの興行的には厳しかったりするので、そうなると、ますます上演機会が減るだろうね。

 あ、ちなみに今回はこんな感じのキャスティングでした。

指揮 マウリツィオ・ベニーニ
演出 ジョン・コプリー

セミラーミデ(ソプラノ) アンジェラ・ミード
アルサーチェ(メゾソプラノ) エリザベス・ドゥショング
アッスール(バリトン) イルダール・アブドラザコフ
イドレーノ(テノール) ハヴィエル・カマレナ
オロエ(バス)ライアン・スピード・グリーン

 ほら、スター歌手はいないでしょ?

 2)について書くと、まず上演時間は、2幕ものにも関わらず、休憩入れて約4時間かかります。つまり、普通の映画を2本連続して見ているような感じです。で、ストーリーの描写がかなり丁寧で、オペラを見ていて、お話はとても分かりやすいのですが、いかんせん、ストーリー進行が本当にゆっくりで、見ていてキツイものがあります。オペラなのに、丁寧にストーリーを描写しちゃっているんです。いやあ、見ていて疲れますよ。

 さらに3)について書くと、このオペラのストーリーって、結局“母殺し”なんです。父の仇として母を殺すという「え? なに、それ??」って話なんです。国民総マザコンなイタリア人ならともかく、日本人だと…いや日本人に限らず、他の国々の人たちに共感してもらうのって、キツイんじゃないかな?

 で、トドメが4)になります。このオペラの実質的な主役であるアルサーチェという役は、若い軍人なんです。たぶん年齢設定はハタチ前後。軍人だから、屈強な感じで、雄々しさと繊細さが同居しているような青年なんですよ。で、音域とか時代背景や当時の上演スタイルなどを考えてみると、この役、カストラートで演じられることを前提としていると思うのです。カストラートが演じれば、おそらくすっきりするんだろうと思うけれど、今の時代にカストラートがいないので、ズボン役のメゾソプラノがやるんだけれど、これが実に残念なんですよ。

 メトでこの役を演じているエリザベス・ドゥショングは、メイク等を頑張って、見かけは(とても青年軍人には見えないけれど)少年に見えるようにして、オバサン臭さは出していませんが、やはり声がメゾなのが残念なのです。

 楽譜に書いてある音はメゾで歌うのがちょうどよいのだろうけれど、メゾで歌うと、どうしても声がくすみがちになります(まあ、それがメゾの声だからね)。声に輝かしさがないんです。青年軍人役だし、ヒーローなんだしイケメン役なんだし、もっと声に輝きが欲しいよね。そういう点では、メールアルトやカウンターテナーで、声が(女声っぽかったり中性的な声ではなく)男声的な歌手の方に歌ってもらいたかったなあ…って思います。まあ、メトで歌える男声っぽいカウンターテナーの人って…そもそもいるのかしら?

 とまあ、残念点ばかりをとりあげてしまったけれど、歌好きには、なかなか楽しめる演目でした。だって、最初っから最後まで、歌いっぱなしなんですもの。それもやたらと難しいフレーズを歌っているわけで、声のサーカスを見ているような気分になります。そういう意味では、このオペラは、オペラ通の人たちのための演目なのかもしれません。

 私? 私はたっぷり楽しみました。でも、もういいや。二度は聞かなくていいです。少なくとも、あと10年ぐらいは大丈夫です。満腹になりました。そういう感じのオペラでした。

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2018年4月10日 (火)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 さて、お約束どおり、一週間で復活してきました…が、まだまだ仕事が忙しいので、また休むかもしれませんが、その時はご勘弁ね。

 本日の記事は、標題の通りです。ロイヤル・オペラ(通称、コヴェントガーデン)で「トスカ」を見てきました。つい先日、メトの「トスカ」を見てきたばかりなので、ついつい比較してしまいました。

 ちなみに、ロイヤル・オペラの配役等は以下の通りです。

演出 ジョナサン・ケント
指揮 ダン・エッティンガー
出演 アドリアンヌ・ビエチョンカ(トスカ)、ジョセフ・カレヤ(カヴァラドッシ)、ジェラルド・フィンリー(スカルピア)他

 さて、メトとの比較を簡単に言うなら「目に優しいメトロポリタン、耳が嬉しいロイヤル・オペラ」って感じでしょうか? とにかく耳が嬉しいのです。

 オケにせよ、合唱にせよ、もちろんソリストも、すべて水準以上の出来です。これ以上を望むなら、もう後は好みの問題になってしまいます。

 例えば、フィンリーのスカルピアの歌唱はとても良いのですが、私的には、声にもう少し低音成分が強い太めの声の方が好きです。でも、この役はバスの役ではなく、バリトンの役なので、世間一般的にはフィンリーの歌唱で上出来でしょう。カヴァラドッシの声も、もっとヒロイックな声だとうれしいのですが、そもそも彼は画家なので、カレヤの声でも上出来です。ビエチョンカのトスカだって、もっと若々しい声の方が私は好きですが、そんな声でトスカ役は歌われたことがないので、私の言い分はあまりに贅沢です。

 つまり、そんなわがままな好みを言い始めてしまうくらいに、実にすぐれた歌唱だったという事です。世間的には問題ないレベルです。

 しかし、耳が嬉しくなるために、目は閉じないといけない事になりました。

 オペラって目をつぶって見るものだなあ…と、以前から思っていましたが、今回も強くそう思ってしまったわけです。そう、ビジュアル的には、かなり厳しめのトスカだったんです。

 なにしろ、主役3人と指揮者の4人で並ぶと、一番美しい顔の持ち主が…指揮者のエッティンガーなんです。歌手よりも美しい(ってか、イケメンな)指揮者って、どうなの?って思うし、指揮者に容姿で負けちゃう歌手ってもの、残念なモノです。

 特に声は素敵だけれど、トスカ役のビエチョンカの容姿は…年齢相当で、かなり残念です。これが舞台だったら、遠目で見るので「太めのトスカだなあ…」ぐらいで済みますが、ハイヴィジョン収録ですから、あれやこれやをくっきり映し出すので、トスカが若くて美しいというのが、とっても無理に感じてしまうのです。そこがとっても残念です。

 でも、ビエチョンカの努力はスゴイんですよ。今回の上映では、リハーサルシーンもたくさん見せてくれますが、リハーサルのビエチョンカはほぼノーメークなんです。ですから、年相応どこか、あきらかにお婆ちゃんトスカなんですが、本番舞台では、ばっちりメイクをして、若さと美しさをボトムアップしてくるわけです。リハーサル姿から見れば、本番の彼女は一世代ぐらい若返っています。それは実に見事だし、女は化粧で化けるんだなあと思うわけです。だから、舞台の彼女は、あれで精一杯だし、かなりうまく化けているんです。

 でも、ハイビジョンだと、そこまでしても、アップがツラいんですよ。そういう事なのです。

 それに…ビエチョンカも太めだし、カレヤも巨漢ですから、愛の二重唱を歌って、互いに抱き合うと、まるでお相撲さんの取り組みみたいになっちゃいます。いやあ、残念。

 ですから、ヴィジュアル的には、メトの圧倒的な勝ちになります。でも、サウンド的には、絶対にロイヤル・オペラの勝ちです。ソリストの出来が全然違います。特に私が感心したのは、二幕でのカレヤの歌唱です。高らかに勝利宣言をする箇所では、彼の歌声が歪んでしまっているんですよ。つまり、機械の想定以上の音量で歌ってしまったんです。それってすごいでしょ? ああ、生で聞きたかったなあ…と思います。きっと、すごい迫力なんだと思います。

 そう言えば、歌劇場と言っても、メトロポリタンとロイヤルでは、全然劇場の規模が違うんですよね。3800人も入るメトに対して、ロイヤル・オペラは2256人です。ロイヤル・オペラはメトの6割程度の大きさなんですよ。半分ちょっとの大きさしかない歌劇場なんです。だから、メトで劇場を震わせるような大声で歌うなんて、まあ無理なんです。

 ちなみに、スカラ座は2030人、ウィーンの国立歌劇場は1709人なんだってさ。日本の新国立劇場も1814人で、ヨーロッパの劇場並なんです。つまり、メトがやたらと大きいって事ですね。

 そんな大きな劇場で歌う歌手って、つらいでしょうね。だから、メトとロイヤル・オペラの歌唱を比較するのは、ちょっと可哀想なんだけれど、まあ、仕方ないね。

 それにしても、日本にいながら、メトとロイヤル・オペラの比較が最新上演作の比較ができるなんて、なんて贅沢な世の中になったんでしょ。

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2018年3月12日 (月)

ロイヤルオペラ『リゴレット』を見てきました

 ロイヤルオペラとは“英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2017/18”の事であり、ざっくり書いちゃえば「コヴェントガーデンのライブビューイングを見てきた」って事です。

 私は、オペラのライブビューイングは、アメリカのメトロポリタン歌劇場のモノを中心に見ていますが、たまには別の歌劇場のライブビューイングも、こうして見るわけです。

 同じ演目でも、上演する歌劇場が違えば、あれこれ違うわけです。

 今回、ロイヤルオペラの『リゴレット』は、当地では大人気の演目で、特にその演出は“ゴキブリ・リゴレット”と呼ばれるほどに、地元の人たちからは愛されているんだそうです(リゴレットの道化衣装が、ほとんどゴキブリだから、そう呼ばれているわけです)。

 このディヴィッド・マクビィカーによる演出は、かなりエグい演出です。たぶん、日本では上演できません。メトロポリタンで上演すれば、おそらくブーイングの嵐となるでしょうね。でも、英国の紳士淑女の皆さんは、これを受け入れ、むしろ愛しているわけです。

 さすが、演劇の国イギリス、懐、深いなあ…。

 特に第一幕第一場のマントヴァ公爵の宮殿のシーンがエグいエグい。とにかく、どれだけ公爵が好色であり、リゴレットが並外れた太鼓持ちであり、公爵に使える廷臣たちの性根が腐っているかが、これでもかってくらいに描写されるわけです。このシーンがあってこそ、モンテローネ伯爵の悲しみが際立つのであり、それゆえにリゴレットの公爵に対する警戒心とジルダの誘拐後の悲しみと復讐心が際立つわけです。それゆえのエグい演出なわけです。

 ざっくり言っちゃえば、生オッパイのポロリなんて何度もあるし、生全裸もあれば、生レイプもあるわけです。でも、これ、必要なんですわ。これがあるから、リゴレットの悲劇が生々しく表現されうるわけです。

 という訳で、このエグい演出には、当然好き嫌いがあるでしょう。なので、安易に「ロイヤルオペラのリゴレットはいいよ、ぜひ見たほうがいいよ」とは簡単に言えないわけです。

 さて、歌手に関して言えば、公爵を歌ったマイケル・ファビアーノは、実に素晴らしいです。昨今のテノール歌手で、力強さと輝かしさが両立した歌声って、なかなか無いですよ。実に良いテノールです。

 ジルダを歌ったルーシー・クロウは、カメラがアップになると、ちょっとキツイのですが、それを除けば、ジルダにふさわしいソプラノさんだと思います。声も良いし、演技も十分です。スパラフチーレやマッダレーナの歌手さんたちも、歌も声も演技も、まあ水準以上でしょう。

 リゴレットを歌ったディミトリ・プラタニアスも水準以上と言っちゃあ水準以上なんだけれど、リゴレットという役は、バリトンの持ち役の中でも、エース級の歌手たちが歌ってきた役なわけで、この役を歌うという事は、そういった過去のエース級の歌手たちの歌唱と、どうしても比較されちゃうわけです。

 プラタニアスのリゴレットは…単純にかわいそうなんです。でも、リゴレット自身だって、公爵同様に、相当な悪人だし、性根は腐っているわけだし、その悪人ぶりは、第一幕第一場でしっかりと描写されているわけだから、かわいそうであると同時に、因果応報と言うか、自業自得な部分もあるわけですが、プラタニアスのリゴレットは、そういうリゴレットの持つ、複雑なキャラがうまく表現されていないと思うんですよ。

 リゴレットの悲しみが複雑であればあるほど、ジルダの悲劇が、より際立ち浮かび上がるんですよ。でも、リゴレットが単純にかわいそうなだけだと、ジルダがただ単に、恋に盲目になって暴走しただけのバカな小娘になってしまうわけです。

 だから、モンテローネ伯爵の呪いは、どうなっているの?…って話なんですよ、でしょ?

 このオペラは、本来は昨年亡くなったディミトリー・ホロストフスキーがリゴレットをやるはずだったんだそうです。あくまでもプラタニアスはダブルキャストのBチームのリゴレットだったわけです。もしもホロストフスキーがリゴレットを演じていれば、どんな感じになっていたでしょうか? ホロストフスキーは、かなりのイケメンですからね、典型的な醜男であるリゴレットなんて、演じられたのでしょうか? 逆に、イケメンさを感じさせないほどの演技を見せてくれたでしょうか? 今となっては全く分かりませんが、どちらにせよ、プラタニアスではないバリトンさんで、このリゴレットを見たら、また印象が変わるんじゃないかなって思う私なわけです。

 とにかく、色々あるにはあったわけだけれど、私的には、この上演は大当たりだったわけです。リゴレットというオペラは前々から知っていましたが、今回はじっくりと味わい、その素晴らしさを堪能しました。どれだけ気に入ったのか言えば…映画が終わるや否や、すぐに銀座に行って、リゴレットのヴォーカルスコアを買っちゃったくらいです…八千円もして、高かったけれど(汗)。んで、そのヴォーカルスコアを見ては、映画を思い出して、グフグフ言っているわけです。

 まあ、マントヴァ公爵、いつかは歌ってみたいです。もちろん、いつか…ですね。楽譜を見ると、めまいがするほどに難しいんですわ、マントヴァ公爵。でも、いつか歌ってみたいなあ。

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2018年2月21日 (水)

『グレーテスト・ショーマン』を見てきました

 ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画だというので見てきました。ヒュー・ジャックマンと言えば、一般的には“ウルヴァリン”でしょうが、音楽ファン的には「レ・ミゼ」の“ジャン・バルジャン”なわけで、そりゃあ見に行くしかないでしょう。

 公式ホームページはこちらです。

 で、見てきました。さすがに『ラ・ラ・ランド』後のミュージカルというわけで、実に音楽と演技が見事にシンクロしていました。歌も芝居の一部であって、そういう点では21世紀の新しいミュージカルだなって思いました。歌と芝居と演出が高いレベルで関連していました。良いね。

 曲は、どの曲もとても良かったですよ。捨て曲無しです。おそらく、キラーソングは“This is me”だろうけれど、実にパワフルな曲です。いいよ、いいよ。

 何度も繰り返して見たくなるミュージカルです。なかなか良質なミュージカルだと思いました。

 もっとも、だからと言って、手放しで賞賛できるタイプのミュージカルなのかと言えば、ちょっと違います。音楽は良いんだけれど、その他の部分で、物足りなさを感じちゃいます。

 まずは、ストーリー。主人公バーナムの立身出世物語(と挫折)を中心に、それに各種差別問題を絡めているんだけれど、ドラマ的には、そんなに深くないです。「ミュージカルのストーリーなんて、そんなもの」と言えば、それで終わりなんだけれど、だったら、もっと脳天気なストーリーでいいと思うわけです。素材的には、もっと深みのあるストーリーだって作れるだろうに…と思うと、ストーリー的に残念です。

 主人公のバーナムという人は、アメリカではとても有名な実在のビジネスマンらしいし、バーナム以外の登場人物たちも、みな実在の人物で、バーナム同様に有名人らしいのですが、どれもこれも我々日本人には馴染みの薄い人物です。どうやら「みんな知っているよね」というのが前提にあり、あれこれ説明不足の掘り下げ不足なのです。たくさんのエピソードがストーリーに組み込まれていますが、その多くは見ていて「?」となってしまうのですが、おそらくそれはアメリカ人にとっては既知の話であり、細かい説明が省かれているのだろうと思うのだけれど、そういう部分が、我々日本人には、ちょっと不親切な作りになっているようです。

 つまり、ストーリー的には楽しめないし、共感もしづらい話です。でも、それを補って余るほどに、音楽は良いです。

 『グレーテスト・ショーマン』の音楽は、上質な、今時のロック風味のポピュラー音楽です。そこは1950年代のロジャースのミュージカルや1990年代のロイド・ウェーバーの音楽とは違うわけです。

 ミュージカルがこの世に生まれて、約百年くらいでしょうか? そもそもは19世紀末のオペラが、あまりに重厚に規模も大きくなってしまったアンチテーゼとして生まれた、軽妙で洒脱なオペレッタが、20世紀になって、アメリカに渡り、様々な現代的な音楽を吸収して出来上がったのが、現代のミュージカルなわけです。ほぼ20世紀初頭に死滅してしまったオペラにとって変わるように、20世紀初頭に生まれたミュージカルですが、今やオペラとはだいぶ違う地平の上に成り立っているようです。その最極限が『ラ・ラ・ランド』だったんだろうと思いますが、この『グレーテスト・ショーマン』も音楽的には、かなり先端に近いところにいるのだろうと思います。少なくとも、ロイド・ウェーバーの音楽よりも、だいぶ尖っています。

 今のアメリカ人は、こういう歌芝居を好むのかな…って思いました。

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2018年2月19日 (月)

メトのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 私はメトのライブビューイング上映のすべてを見ているわけではありません。基本的に、見たことのないオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時と、新演出のオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時に見ると決めています。

 本当はすべての上演作品を見たいのだけれど、お金と時間に制限があるものでね…。

 で、今回は「トスカ」を見てきました。私、「トスカ」は色々な上演を何度も見ていますが、今回の上演がメトの“新演出”になるそうなので、改めて見る事にしたわけです。

 実はメトの「トスカ」は2009年に演出が変更されたばかりで、10年と経たずに演出が変更されたというわけです。

 どうも、2009年のボンディの演出がダメだったようです。アメリカの観客たちには、あの演出には、かなりご不満だったようで、それで今回の演出変更につながったようです。ちなみに、私は2009年版の演出をアンコール上映で2011年に見ているので、なおさらすぐに変更されたような気になっていたようです。その時の感想記事はこちらです。

 以前の記事を見ても分かる通り、私は個人的にはボンディの演出は好きでした。歌だけでは分かりづらい、ストーリーの説明やキャラの性格の掘り下げも芝居と演出の力で補っていたし、別に不満など、特になかったのですが、アメリカのオペラ好きな方々には、えらく不評だったようです。

 まあ、確かに、ボンディの演出とそれ以前のゼッフィレッリの演出とは、だいぶ違うものね。ボンディの演出は2009年当時から、アメリカでは賛否両論だったそうだしね。

 で、今回のマクヴィガーの演出なんだけれど、振り子が振り戻るかのように、現代演出の要素も残しながら、伝統的な定番の演出に戻ってしまいました。まあ、安心して見られると言えば、その通りなんだけれど、なんかアクが抜けちゃったなあ…って感じです。

 それは演出だけでなく、主演のソニア・ヨンチェヴァとヴィットーリオ・グリゴーロの歌唱のせいもあるかなって思います。二人とも、声が軽いんだよねえ…。なんか、オペラのお話が絵空事のようで、現実っぽさが希薄なんです。まあ、オペラって、基本的に絵空事だし、ファンタジーだし、それに現実っぽさなんて加えるのは、野暮ってもんなんだろうと思うんだけれど、それにしても、ボンディの演出の後だと、なんともアクの無い、優等生向きの演出になっちゃったなあ…って感じです。

 まあ、地元アメリカのファンは、これを望んでいるのなら、仕方ないよね。アメリカ人って、案外保守的なんだよね。

 とは言え、別に私はマクヴィガーの演出がダメとは言いません。これはこれでアリです。ただ、私の好みは、以前のボンディ演出の方だったってだけの話です。

 今回の演出では、トスカは若い娘…ってか、小娘に設定されているそうです。演じる歌手が大御所ソプラノ(つまりオバサン)が多いせいか、ついついトスカって成熟された女性だと思いがちだけれど、今回の小娘設定で物語を見てみると、色々とストーリーに合点がゆくし、何よりトスカのキャラに整合性が出てきます。いやあ、これには今まで気づきませんでした。

 となると、実はスカルピアも若いんじゃないかなって思うようになりました。

 ここから先は、私の妄想です。

 スカルピアって、だいたい爺さんバリトンであったり、若いバリトンでも老けメイクをして演じるので、年寄りのイメージがあるんだけれど、実は思うほど年寄りではなく、せいぜい中年のオッサン程度なんじゃないかって思いました。中年のオッサンって、まだまだギラギラしているものね。ならば、トスカのカラダを求めるのも分からないでもないのです。本当の爺さんは、小娘のカラダなんて欲しがりませんからね。スカルピアは、せいぜい中年の、精力ギンギンのオッサンなんですよ。

 となると、カヴァラドッシの年齢設定にも疑問が生じます。

 カヴァラドッシって、アンジェロッティの親友なんですよね。で、アンジェロッティって、逃亡中の政治犯なんだけれど、彼って、ローマ共和国の高官って設定なんですよ。つまり、とてもエラい政治家様で、そんな立場の人が、そんなに若いはずはないんです。少なくとも、青年ではありません。せいぜい中年、下手すると爺さんの可能性すらあります。そんな人と親友なんだから、カヴァラドッシも、あまり若くはないはずです。もしかすると…中年のオッサン? でも、カヴァラドッシが中年のオッサンなら、スカルピアと対等なクチを聞いちゃうのも分かるし、スカルピアの部下たちを、若造たちを見下すような態度で接するのも分からないでもないです。

 カヴァラドッシが中年オヤジならば、トスカに対する甘々な態度も分かりますし、トスカが嫉妬ぶかい娘なのも分かります。だって、相手はオトナだし、騎士様(つまり貴族だよ)だし、人生経験だって豊かだろうし、お金持ちだろうし…、一方のトスカは、世間知らずの小娘だし、歌姫(ナポレオン時代の歌手なんて、使用人に毛の生えた程度の扱いの職業です)だし、自分に自信がなくて、ついつい嫉妬しちゃうんだろうなあって思うわけです。

 かわいいね、トスカちゃん。

 そんな風に(私が勝手なイメージで年齢設定を変更して)このオペラを見てみると、なんとも新しい世界が広がるわけです。「トスカ」って“オッサン二人が政治争いをしていて、それに小娘が巻き込まれて、あたふたしている話”になるわけです。いやあ、面白い。

 最後に出演者の事を書きます。

 グリゴーロは…カヴァラドッシを歌うのは、まだ早かったんじゃないかな? 上手いんだけれど、この役に必要な声の重さに欠けると思います。演技は熱いんだけれど、声の熱量はちょっと足りないような気がしました。あと、10年ぐらいすると、良い感じになるかもしれませんが…今はまだ声が若すぎるような気がします。

 ヨンチェヴァは…上手いねえ。そもそも演出家が、トスカを小娘に設定しているのだから、これくらい(従来のソプラノさんと比べると)軽めの声のソプラノで良いのだろうね。演出が伝統に回帰しても、歌手の声までは、昔のような大ソプラノの声を求めなかった…って事だわな。昔風のトスカなら、声は重量級のソプラノだものね。でもね、声はともかく、演技力は昔の大ソプラノレベルだったのは…どうなんでしょ?

 ルチッチのスカルピアは…歌も演技も薄味…かな? スカルピアって、悪人のはずなんだけれど、ルチッチが演じると、案外、紳士に見えるんだよね。だからかな、2幕のトスカとスカルピアの対決シーンが、なんとも物足りなく感じてしまいました。当初予定のブリン・ターフェルが歌っていたら、もっとねっとりした悪役になっていたんじゃないかしらって思います。

 そうそう、名前は知らないのだけれど、スポレッタを歌っていた脇役テノールさんの演技が良かったなあって思います。スポレッタなんて、ただの端役なのに、なんか妙に心に残るんだよねえ…。でもこの役、そんなに存在感があっちゃダメな役だとも思うんだけど(笑)。

 それにしても、今回の「トスカ」は、いかにもメトのオペラって感じでした。メトって、保守的なんだよね。保守的だからこそ、子どもや初心者にも安心して勧められるんだよね。「最初にオペラを見るなら、メトの上演版」というのが私の口癖なんだけれど、最近のメトは、ちょっと冒険しすぎて初心者に優しくなかったのですが、今回の演出でメトの「トスカ」は、そんな昔の初心者に優しいオペラに戻ったわけです。

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2017年12月11日 (月)

メトのライブビューイングで「魔笛」を見てきた

 今度のメトの「魔笛」は、かなりお薦めです。

 実はメトのライブビューイングでの「魔笛」って、今回が2度目なんです。最初のヤツは…よくアンコール上映で取り上げられていましたが…短縮&英語版だったのです。なので、ちょっと敬遠して、見てこなかったんですが、あれから約10年。ようやく、フルバージョンでの上演(&ドイツ語上演)がライブビューイングに登場したので、見てきたわけです。

 いやあ、美術と演出が良い仕事をしています。

 私は実演&映像で数多くの「魔笛」を見てきました(皆さんもそうでしょ?)。「魔笛」って、どんな美術や演出で見ても、音楽そのものが素晴らしいから満足できるのに、ストーリーがファンタジーって事もあって、実に様々なアプローチの演出ですら、受け入れてしまう懐の深さのあるオペラなんです。実際、名演出も多いオペラです。

 で、今回の「魔笛」の演出は、メトの主席演出家ニースの手によるものですが、元々のオリジナルの演出は「ライオンキング」の演出家でもある、ジュリー・テイモアによるものです。で、これが、なかなかスゴイんだわ。

 美術の基本的なコンセプトは…おそらく京劇なんだと思う。まあ、主役のタミーノって、あまり知られていないけれど、実は日本人という設定(台本や楽譜にそう書かれている)なんだよね。まあ、アメリカ人から見れば、日本人も中国人も一緒一緒(笑)って事で、京劇風の美術が取り入れられたんだと思うわけです。まあ、日本人である私的には、ぜひタミーノには、台本通りに狩衣を着て欲しいと常々思っているのだけれど…まあ、いいや。そういう私の個人的な願望を横に置くと、なかなかタミーノのキャラ設定も良いですよ。

 この京劇風の美術に、エジプト風味を加えて、全体を前衛芸術風味でまとめ上げたのが、今回の「魔笛」の基本美術路線なんだと思います。まあ、エジプト風味は、メトでは、この演出版以前に使われていたモスタート演出版(美術はホックニーだよ)を引き継いでいるんだと思います。まあ、歌詞を見ても、ザラストロの国はエジプトっぽいんだけれどね。

 この東洋趣味にオリエンタル趣味(ヨーロッパから見ると、エジプトもオリエンタルなんだよね)をミックスして、パペットを多用した演出は…まさに“どこでもない国”感がして、実にファンタスティックで良いです。まさに“おとぎの国”です。

 音楽面では、指揮がレヴァインですから、悪いわけがありません…とは言え、昔のレヴァインと比べちゃうと、音楽の隅々まで神経が行き届いている…ってわけにはいかないかな? 指揮としては、時折、音楽がバラけちゃう時があるんだけれど、そんな事を気にしていたら、オペラ楽しめないから、気にしない事にします。

 例えば、序曲が終わったところで、観客たちが大きな拍手を送っていたけれど、拍手を送るほど、良い出来の演奏だった…とは私は思わないんだよね。むしろ、ところどころ“???”が出ちゃうような演奏だったと、個人的には思ってます。でも、そんなのはオペラ上演としては、気にするようなキズじゃないからね。気にしない、気にしない。

 とは言え、夜の女王の2幕の、あの超有名なアリアで、オケがバラけちゃったのは残念かな。やっぱり、聞かせどころだけでも、ビシっと決めて欲しいものです。ま、歌手の歌い方にも、ちょっとばかり癖があった事は事実だけれど、そういうところもすべて飲みこんでオケを統率して音楽をまとめていくのが指揮者の仕事なんだよなあ…。

 歌手の皆さんは…皆さん、歌も芝居も達者で、とても良かったのですが、正直、ビッグネームなスター歌手は…ザラストロを歌ったルネ・パーペぐらいかな? そのルネ・パーペも今回のライブビューイングのために、特別ゲスト的に出演していたそうだから、普段は、スター歌手抜きで上演しているんだと思います。

 メトのオペラって、スター主義が売りなんだけれど、今回に限らず、最近はあまりスターを使わない傾向があるんだよね。スターを使わない…必然的に、ピチピチの若手歌手とか、地元にいる渋い脇役歌手とか、自分ところで育成した歌手たちを使っていくわけだけれど、私はこれはこれでアリだと思ってます。(ギャラを含めた制作費が抑えられるという劇場側の事情もあるんだろうけれど…)

 スター主義のオペラ上演は、ある種の“座長公演”なわけで、そのスターを見るための上演なんだけれど、スターがいなければ“一座公演”になるわけで、一座のチーム力と作品の素晴らしさが上演を引っ張っていくわけです(代表的なのが、劇団四季のやり方だね)。

 まあ、今回の「魔笛」は、レヴァインとパーペがいるわけで、二人もスターがいるんだから、従来のメトっぽくっていいじゃんとも言えますが、見た感じは、スターうんぬんと言うよりも、一座の力、作品の力を感じました。

 それにまあ、この演出。スターを呼べない演出だよなあ…とも思います。と言うのは、出て来る歌手は、誰も彼も派手な化粧が施されていて、歌手の素顔はほぼ分かりません。美しく化粧されているのは、パミーナぐらいで、後は、京劇風のペイントによる仮面をかぶっているような化粧なのです。かろうじて、パパゲーノやザラストロは…(このオペラとしては)化粧が薄めで、歌手の素顔が想像できなくもないけれど、タミーノとか夜の女王とかは、完全に素顔からかけ離れた顔になっているし、三人の侍女たちに至っては…黒塗りだよ。モノスタトスは黒人ではなくて、蝙蝠男なんだよね(でも、バットマンほどカッコよくはない:笑)。

 あれだけ濃い化粧が要求される上演だと、普通のスター歌手は出演を嫌がるよね。だって、俺様の美しい顔が化粧で隠されちゃうんだよ。顔と名前を大切にするスターの皆さん的には、パスパスパスって感じになっちゃうんだと思います。

 モノスタトスの蝙蝠男は、良い演出だと思いますよ。オペラの中で、モノスタトスとパパゲーノが最初に鉢合わせした時に、お互いの異形にビビり合うという芝居があって、パパゲーノは鳥人(ああ、笑い飯のコントネタを思い出す…)なのでモノスタトスがビビるのは分かるけれど、モノスタトスが黒人で、その姿を見てパパゲーノがビビったら…21世紀のアメリカでは、マズイよね。黒人は異形の者じゃないからね。それにだいたい、今回の上演では、お姫様役のパミーナを歌っているのが黒人歌手だから、黒人役がモンスター扱いってわけにはいかないわけで、じゃあどうするかと考えて、モノスタトスを蝙蝠男にしてしまったんだと思うわけです。鳥人と蝙蝠男…そりゃあ、互いにビビるよね。

 それに、モノスタトスって、最初はザラストス側だけれど、途中で夜の女王側に裏切るキャラだから、蝙蝠男ってのも、なかなかに良い設定なんだと思う。

 そうそう、三人の童子(ただし、白髪で長い長いアゴヒゲを蓄えていたので、キャラ設定的には、老人なのかもしれない)を、本物のボーイソプラノたちが演じていたのは、とても好感が持てます。いいよね、ボーイソプラノ。日本で魔笛上演を見ると、三人の童子って、たいてい小柄な女性歌手が演じる事が多いんだけれど、なんかそれじゃあねえ…。特に、女女女した人が童子を演じると、妙な違和感があって、私は苦手です。

 まあ、色々あるんだけれど、ほんと、この上演は、おすすめですよ。色々と魔笛は見ました…という人でも、退屈せずに見ていられる上演だと思います。

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2017年11月27日 (月)

市民オペラで「トスカ」を見てきました

 先日、F市の市民オペラを見てきました。以前から、ここの市民オペラは本格的で、すごいなあとかねがね思っていたのですが、やっぱり今回も、本格的な上演で、すごかったです。大道具も小道具も衣装もカツラも本格的。むしろ、下手な商業オペラ公演よりも、きちんとしているぐらいです。

主なキャスト等は以下のとおりです。

指揮 園田隆一郎
演出 粟国淳
管弦楽:F市民交響楽団
合唱:F市民合唱連盟

トスカ:佐藤康子(ソプラノ)
カヴァラドッシ:笛田博昭(テノール)
スカルピア:黒田博(バリトン)

 プロの方々の歌や演技には、何の問題もありません。ただただ、楽しませていただきました。観客の入りは7割前後かな? 満席にはほど遠いのですが、なにしろ4日間も公演しているのですから、それだけ入っていれば、たぶんOKなんだと思います。

 感服したのは、市民交響楽団です。いやあ、第二幕までは、ほぼ完璧。パーフェクト。プロのオケにも負けず劣らずの演奏で、二幕後の休憩では妻と「ここの市民オケは、素人離れしたスゴいオケだねえ…」なんて話していたくらいです。でもやっぱり市民オケは市民オケなわけで、演奏技術はプロ並であっても、やはり体力や集中力はプロ並とはいかず、第三幕はだいぶ散漫な演奏になっちゃってました。残念。特に残念だったのは、三幕のテノールアリアの伴奏の音程が、すごく広々と取られていて、ありゃあ歌手は相当歌いづらかっただろうなあと同情しちゃいました。アマオケなら、必ず降りメンがいるはずですから、途中でそういうったメンバーと入れ替わりながら演奏すれば、最後まで高水準の演奏がキープできるんじゃないかなって、思いました(余計なお世話だね)。

 合唱は…女の子たちが大活躍でした。今回の合唱には少年合唱(とは言っても、実態は少女合唱)がたくさん加わっていました。で、彼女たちが舞台上でも歌唱面でも頑張っていて、印象深かったです。オトナの合唱は…ほとんど印象にありません。まあ、印象に無いという事は、無難に役割を終えたという事で良かったんだと思います。

 このオペラ、黙役がたくさん必要なのですが、おそらくそれらの黙役は合唱団の方々が演じられたのだと思いますが、皆さん、きちんと役にハマっていて、自分の役割をきちんと真っ当していました。演技に素人くささが無かったので、おそらく、リハーサルをきっちりやったんだろうなあと思いました。

 ここは3年おきにオペラ公演をするのですが、もう今から3年後が楽しみです。

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