ひとこと

  •  今日は、近所の田んぼにカルガモの親子がいた。別にカルガモ農法をやっているわけじゃなさそうなので、単純に近所に住んでいるカルガモの親子が水遊びにやってきていただけなんだろうと思う。それにしても、田んぼの周辺は風が涼しくて気持ちいい。地球温暖化の原因は、二酸化炭素うんぬんではなく、単純に減反政策が原因なんじゃないからしら…って思ったりした私です。まあ、それ以前に、地球温暖化なんて嘘っぱちだと思ってますけれど(笑)。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2017年5月30日 (火)

ロイヤル・オペラのライブ・シネマ・シーズン『蝶々夫人』を見てきました

 オペラのライブビューイング(という名の映画上映)は、今までアメリカのメトロポリタン歌劇場と、フランスのパリ・オペラ座のものを見てきましたが、今回新しく、イギリスのロイヤル・オペラ(昔は、コヴェント・ガーデンと呼んでいた歌劇場です)のライブビューイングを見てきました。

 オペラの映画上映のスタイルは、ロイヤル・オペラでは“ライブビューイング”と呼ばずに“ライブ・シネマ”と呼んでいるようです(差別化ですね)。

 実は、ロイヤル・オペラのライブビューイングは、以前から日本で上映されていました。昨年までは、イオン系の映画館でやっていました。その事自体は知っていたのですが、上映期間が、木曜日の夜にたった一回きりの上映…というスタイルだったので、私は見に行けなかったのですよ。だって、いくら夜の遅い時間とは言え、仕事が終わってから、遠方の映画館(近所ではやってなかったんです)出掛けるんじゃ開始時間には間に合わないし、翌日もあるから、平日にオペラ見ちゃうと寝不足で翌日仕事にならないし…ね。なので、面白い演目がやっている事は知っていましたが、見に行けなかったのですよ。

 おそらく契約の問題なんでしょうが、今年からロイヤル・オペラは、イオン系ではなく東宝系の映画館で上映する事になり、さらに木曜の夜一回切りの上映ではなく、メトやオペラ座同様、一週間の連続上映になったわけです。よかったよかった。

 そもそも東宝系では、これまでパリオペラ座のライブビューイングをやっていたのですが、それも一昨年までで、昨年はオペラ座のライブビューイングは、日本では無かったんですよね。ですから、イオン系では今までやっていたオペラ上映を止めて、東宝系ではパリ・オペラ座からロイヤル・オペラに乗り換えた…形になったわけです。

 で、ロイヤル・オペラのライブビューイングです。なかなか見に行くチャンスがなくて、ようやく見に行けたのが(日本では)今シーズン最後のオペラとなる『蝶々夫人』だったわけです(イギリスでの今シーズン最後のオペラは、カウフマンの『オテロ』ですが、日本では…東宝の契約が継続するなら…来シーズンのオープニングとして上映されるようです)。

 メトとオペラ座もかなり違いましたが、ロイヤル・オペラもだいぶ違って面白かったですよ。

 まずはスタッフと出演者は以下の通りです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
蝶々夫人 エルモネラ・ヤホ
ピンカートン マルチェロ・プエンテ
シャープレス スコット・ヘンドリックス
スズキ エリザベス・デ・ション

 歌手の皆さんは…ごめん、誰も知らない。でも、歌唱に不足はなかったです。今の時代、歌手も上手い人達が増えてますから、私ごときが知らなくても、素晴らしい歌手は山のようにいるって事です。ってか、音楽としては、歌手のみならず、指揮もオーケストラも合唱も、高水準の演奏で、とても素晴らしかったですよ。

 例によって、問題は…演出ですね。『蝶々夫人』は、なまじ日本を舞台にしているだけあって、我々日本人が見ると、常にあれこれ問題を感じる演出ばかりなんです。で、ロイヤル・オペラの今回の演出も…日本人目線で見ると、あれこれ腑に落ちない事だらけの演出でした。

 衣装が和風と言うよりも、中華風に沖縄風味を混ぜたような感じだったけれど、まあ良いでしょう。障子が左右ではなく、上下に可動するのも演出と考えましょう。床が畳ではなく、フローリングなのも許します。

 でも、許せないほど気になったのは、主役の蝶々さんのメイクです。これ、絶対におかしいです。まあ、彼らイギリス人から見た日本の芸者さんって、こう見えるのかもしれないけれど、ほぼ“バケモノ”になってました。色々おかしい蝶々さんを見てきた私ですが、今回の蝶々さんのおかしさは、たぶん群を抜きます。いわゆる“花魁”をイメージした白塗りメイクなんでしょうが、実にあれこれ違っていて、おかしいと言うよりも、醜悪なんです。見るに堪えない…歌唱が良いだけに、実に残念です。

 蝶々さんを演じた歌手のヤホの名誉のために書き添えておくと、彼女は決して不美人ではありません。スタイルも良いし、リハーサルシーンを見る限り、容貌もおそらくは並以上だと思われます。要は、メイクがダメなんです。彼女の顔に、あのメイクは合わないのです。

 ただし、いわゆる白塗りのメイクが全くダメかと言うと、そうでもなく、ヤマドリ氏のメイクはむしろカッコよくて、惚れ惚れしました。いわゆる“歌舞伎”のメイクなんですが、これは衣装とあいまってカッコよく決まっていました。ヤマドリ氏に限らず、男性の白塗りメイクはまあまあ見れる感じだったのが、蝶々さんに限らず、概ね女性の白塗りメイクが全滅だったのは…一体なぜだったのでしょうか?

 舞台の前に行われていた、女優さんによる解説は、メトとは違って、お勉強風味が強くて、これはこれで楽しめました。動くプッチーニ(当時の映像です)がたくさん見れたのは興味深かったです。

 今回は、蝶々さんのメイクにドン引きしちゃった私ですが、メイク以外には及第点を与えたいと思います。今後も日本で上映してくれるのなら、私、メト同様、ロイヤル・オペラにも通ってみたいと思ってます。それくらい、良かったんだよ。

 ちなみに、来シーズンの上映予定の演目は…オテロ、魔笛、ボエーム、リゴレット、トスカ、カルメン、マクベス、マノン、なんです。わりと定番の演目が並んでますよね。楽しみです。

蛇足 ロイヤル・オペラは、パリオペラ座同様、オペラだけでなく、バレエのライブビューイングも行っています。来シーズンでは『くるみ割り人形』や『白鳥の湖』などをやるようですが、私はバレエが分からないので、そこには興味が惹かれません。

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2017年5月22日 (月)

なんか、とってもうらましかった

 時間は少々さかのぼります。先日…と言っても、GWよりも前なのですが、久しぶりに趣味の“見知らぬ人たちの発表会”を見てきました。

 場所は、横浜のフィリアホールでした。実はここ、一度は今年の門下の発表会の候補会場になったところでした…が、その時はメンバーがあまり乗り気ではなくて流れてしまった会場なのです。実施されていれば、今年の1月あたりにそこで歌っていたはずの場所でした。ですから、どんな場所なのか、興味津々でしたが、実に良いホールでした。問題は…500名程度の中ホールだったって事ぐらいかな? 私は大きなホールで歌うのが好きなので、中ホールであろうと大ホールであろうとかまわない人です。まあ、発表会程度の話なので、500席もあれば、当然客席はガラガラになりますが、それもいいんじゃないの?って思うわけですが、みんながみんな、そう考えるわけではなく、とにかく広いホールはイヤって人たちも大勢いるわけです。そう考える人たちには、フィリアホールは確かに大きいホールで乗り気がしなかったのでしょうね。良いホールなのに残念です。

 それはともかく、発表会を見に行きました。発表会は第一部と第二部に分かれ、第一部は通常の発表会形式で、第二部はオペラ上演(!)でした。

 第一部の通常形式の発表会から見たのですが、まず、ここの門下の人たちはすごいなあと思いました。今まで素人の声楽発表会はたくさん見てきたつもりですが、ここはほんと、異色というか、ずば抜けていました。何がずば抜けていたのかと言えば、みんなすごい声で歌ってました。あ、もちろん、誉め言葉です。

 まずは声量が半端ないです。プロも顔負けって声量の人ばかりでした。さらに言うと、どなたも高音がピヤーと出ていて、なんかもう、私なんてタジタジになってしまいました。声量があって、高音が得意で…なんともうらやましい限りです。「ここの先生に習うと、こうなるのか…」と先生の声楽コーチとしての腕前に感心してしまいました。

 無論、アマチュアさんたちですから、満点ではありません。あれこれ欠点が無いわけではありません。共通して苦手とする点も多々ありましたが…別にヨソの門下をディスつもりはないので、欠点に関しては書かないでおきます。とにかく、豊かな声量&伸びる高音には、私、感服しました。

 さらに…ここの門下は生徒さんを募集しているみたいなんですよね…習いに行っちゃおうかしら…なんて、思ったりしちゃました(実際問題としては、時間がないので、無理なんだけれどね)

 で、第一部だけでも、一人一人が大きな曲を2~3曲歌います。一人の持ち時間って、どれくらいなんだろ? 10分以上はありそうな感じがします。

 さらに、第二部のオペラ上演が加わります。演目は…やったね!…『メリー・ウィドウ』でした。

 『メリー・ウィドウ』自体はハイライト上演って事で、数曲をカットしてましたし、ストーリーも単純にして枝葉の部分をカットして、自分たち用に脚色していましたが、歌だけでなく、しっかり演技もダンスをしていて、普通に1編のオペラとして鑑賞できました。

 歌だけならともかく、芝居をして、ダンスをして…すごいなあって思ったわけです。プロの助演も多数あったりし、そもそも門下生にも専門教育を受けた人(音大卒は当然として、元宝塚の人もいるし、女優さんもいるし…って感じ)が何人もいたりして、通常のアマチュア声楽愛好家たちの発表会とは、そもそも色々違うわけですが、それでもすごいなあって思いました。カミーユ(テノール役)の人は(純粋)アマチュアさんでしたが、すごくいい声でした。ああ、あれこれうらやましい。

 歌は…日本語と原語(ドイツ語)がチャンポンでした。まあ、私は『メリー・ウィドウ』を熟知していますので、全然気になりませんでした。

 あんまり、ヨソの門下の発表会を見ても、うらやましいと思うことは、まず無い私なのですが、ここの門下の発表会は、ほんと、うらやましいかったです。それにしても、皆さん、お上手だよなあ。私の実力では、ここの門下に加わっても、お話にならないだろうなあ…。

 まあ、『メリー・ウィドウ』に関しては、私も自分ところの発表会で歌うつもりですが、やはり発表会の中の1曲として歌うのと、こうして(ハイライト上演とは言え)オペラとして歌うのでは、大違いです。それに…「女・女・女のマーチ」は是非歌いたいですよ…男性6重唱なので、オペラでないと歌えないのですが、ああ歌いたい歌いたい。

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2017年5月 9日 (火)

メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見てきたよ

 メトロポリタン歌劇場のライブビューイング(松竹系映画館で上映中)で、モーツァルト作曲の『イドメネオ』を見てきました。キャスト等は以下の通りです。

 指揮:ジェイムズ・レヴァイン
 演出:ジャン=ピエール・ポネル

 イドメネオ:マシュー・ポレンザーニ(テノール)
 イダマンテ:アリス・クート(メゾソプラノ)
 イリア:ネイディーン・シエラ(ソプラノ)
 エレットラ:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(ソプラノ)

 まず、このオペラは、モーツァルトが残した、数少ない“オペラ・セリア”であるという事です。実はモーツァルトのオペラで有名なのは、ほぼ“オペラ・ブッファ”だったりします。『フィガロの結婚』しかり『ドン・ジョヴァンニ』しかり…です。

 まあ、セリアとブッファの違いは、能楽で言えば“能”と“狂言”のような違いと言えます。つまり、シリアスものとコメディものの違いってわけです。

 つまり、モーツァルトって、コメディ作家として有名なんだけれど、じゃあシリアスものが苦手なのかと言えば…別にそうではなくて、彼もプロの作曲家だから、オペラ・セリアの依頼があればオペラ・セリアを書き、オペラ・ブッファの依頼があればオペラ・ブッファを書くわけで、全盛期の彼のところにはブッファの注文が殺到、セリアの注文がほとんど来なかっただけの話です。

 ちなみに、モーツァルトとほぼ逆の立場だったのが、ヴェルディです。彼の場合、彼の資質や好みももちろんあったのだろうけれど、彼の元にはオペラ・セリアの注文ばかりがやって来て、ブッファが求められなかったので、ヴェルディの作品の大半はオペラ・セリアなわけです。ちなみにヴェルディはブッファも書きたかったので、最晩年に『ファルスタッフ』というブッファを書いたわけです。

 モーツァルトのセリアとして有名なのは、やっぱり今回の『イドメネオ』です。これは彼が24歳と言うから、全盛期入り口の時期の作品です。翌年には『後宮からの逃走』を書いているしね。悪いわけがありません。

 モーツァルトのセリアには、他に2作品あります。『ポントの王ミトリダーテ』と『皇帝ティートの慈悲』です。彼が長生きをしていれば、もっともっとオペラ・セリアを書いたかもしれません。もしもそうならば、ワーグナーが行ったオペラ改革をモーツァルトが行っていたかもしれません…とまあ、想像ならばいくらでも言えますが、事実としてモーツァルトのオペラ・セリアは『イドメネオ』を含めても、3作品しかありません。

 『ポントの王ミトリダーテ』は彼が14歳の時の作品です。天才モーツァルトの作品とは言え、14歳の少年の作品です。

 もう一つが『皇帝ティートの慈悲』ですが、これは彼の最晩年の作品であり、『魔笛』を作曲中に、急ぎで作曲(たった18日間で作曲終了)したとか、レチタティーヴォの一部は弟子のジュースマイヤーが書いているとか、まあ色々と言われている作品です。

 そういう点では、ケチのつかない、唯一のオペラ・セリアが『イドメネオ』だったりするようです。実際、モーツァルトは『イドメネオ』に大変な自信があって、当時はあっちこっちに売り込みをかけています(が、当時はまだ作曲家としては駆け出しだったので、うまくいかなかったようです)。

 それにしても、モーツァルトのオペラ・セリアがなかなか上演されないのは、別に作品がダメだから…ってわけではないと思います。おそらくは…カストラートの問題でしょう。当時のオペラ・セリアにはカストラートは欠かせない歌手だったからです。

 実際、『イドメネオ』の初演にもカストラート歌手が登場しています。主役のイドメネオと、彼の息子のイダマンテは、カストラート歌手のために書かれています。もちろん、モーツァルトは彼らが演じる前提(つまりアテ書き)でオペラを完成させています。

 カストラートは、現在は存在しない声の歌手であり、現在はカストラート歌手の役は、カウンターテナーかメゾソプラノかテノールが歌いますが、それはあくまでも代用であって、いずれもカストラートの声ではないわけですから、色々と難しいわけで、それがセリアの上演を阻んでいる原因の一つになっていると思います。

 実際、初演の時はカストラートに歌わせたイドメネオとイダマンテの二役ですが、それでは上演が色々と難しかったようで、再演の時は、モーツァルト自らがこの二役をカストラートからテノールに変更して歌わせています。まあ、モーツァルトが活躍していた18世紀末ですら、すでにカストラート歌手に歌わせるのは、かなり難しい状況だったようです。

 ちなみに『イドメネオ』は、現在の上演では、イドメネオはテノールが、イダマンテはメゾソプラノまたはテノールが歌うのが通例です。ちなみに、パヴァロッティは若い時にイダマンテを歌い、キャリアの後半時期にはイドメネオを歌っていました。今回のメトの上演では、イドメネオをテノールが、イダマンテをメゾソプラノが歌っているわけです。

 実は私、メト版を見る前に家で『イドメネオ』の予習をしていたのですが、その時は『イドメネオ』にあまり良い印象を持っていませんでした。と言うのも、話もなんとなく分かりづらいし、音楽的にはダラっとして、とっ散らかっているような気がしたからです。しかしメト版を見たら『イドメネオ』が好きになりました。

 まずポネルの演出がとても分かりやすい演出で、これを見ると、オペラのストーリーがとても良く分かります。さすがはメトのオペラです。あと、レヴァインの音楽づくりも、メリハリを効かせていて、音楽がキビキビしています。

 あれこれ予習せずに、いきなりメト版を見ても良かったかもしれない…と、今は思ってます。メト版の『イドメネオ』は実に良い出来です。おかげさまで、今となっては『イドメネオ』は、モーツァルトのオペラの中でも、好きなオペラになったかもしれません。少なくとも『フィガロの結婚』よりも好きかも(笑:実は私『フィガロの結婚』があまり好きではありません)。

 とにかく、このオペラ、テノールがたくさん出演します。主役のイドメネオはもちろん、脇役のテノール(イドメネオ王の腹心、アルヴァーチェ)にも、立派なアリアがあったりします。またアリアはなくても、ストーリーのキーパーソンの一人、大司祭もテノールが演じます。メト版ではイダマンテはメゾでしたが、上演によってはイダマンテもテノールが演じますから、そうなると、舞台上の男性はほぼテノールになります。ああなんと、『イドメネオ』って、テノール三昧が出来ちゃうオペラなんですよ。ちなみに、女性はほぼソプラノだから、ソプラノとテノールばかりのオペラなんです。

 今回のメトの話に戻ります。

 イリアを歌ったネイディーン・シエラは、どこの国の人かは分からないけれど(でもカラードです)、声もテクニックもハイレベルだし、すごい美人です。年も驚くほどに若い(たぶんまだ二十代?)ので、これからが楽しみな有望なソプラノさんです。

 歌唱面では、エレットラを歌ったエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーが、頭一つずば抜けていたと思います。とにかく、彼女の歌を聞くだけでも『イドメネオ』を聴く価値があると思います。

 イダマンテを歌ったアリス・クートは悪くなかったけれど、やはり私的には、イダマンテはテノール、またはカウンターテナーに歌ってほしかったな…と言うのも、イダマンテという青年は、これで結構骨のある若者なんですよ。オペラには視覚も大切なわけで、そんな骨太青年をオバサン歌手にやらせちゃダメでしょ。私はそう思いますよ。

 ポレンザーニは良かったと思います。モーツァルトを歌うテノールは、パワーよりも美声が必要だ…と改めて思いました。ポレンザーニって、なかなか良い声しているなあ。

 それにしてもレヴァインって、今年何歳なんだろ?(今年73歳です) 幕間にドキュメンタリーを上映してたけれど、昔製作されたドキュメンタリーフィルムなんだけれど、そこに出てくるレヴァインが若い若い。

 今回、ホストをしていたエリック・オーウェンが、舞台ウラでネプチューンを歌ったそうですが、登場時間はなんとたったの2分なんだそうです。それもオペラの最終場で歌うだけなので、番組のホストもできるわけです。

 とにかく、ほんとのほんと、今回の『イドメネオ』はお薦めです。ただし、上演時間は4時間半の長丁場だから、見に行くなら、覚悟が必要かもね(笑)。でも、私は全然長くは感じなかったよ。

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2017年5月 4日 (木)

“気軽にオペラ”で『ラ・ボエーム』を見てきた

 約一ヶ月ほど前の話になりますが、横浜のみなとみらいホールの小ホールで毎年行われている“気軽にオペラ”シリーズの『ラ・ボエーム』を見てきました。廉価なお値段(全席指定で5000円なら、オペラとしてはかなり安い)で、ドレスコード無しの上、原語上演日本語字幕付きは、なかなかに優秀な上演だと思いました。もちろん、上演内容や歌手さんたちの実力にも大満足でした。

 なにゆえ、これほどの廉価な上演が可能になったのかと言えば…、一つにはオーケストラを止めてピアノ伴奏にした事。時代を現代に移し、近隣のアパレル(と言っても、みなとみらいだよ)から衣装の提供を受けている事。合唱団を使わずに、アンダーの若手が必要最低限の合唱を担当した事。ストーリーに不必要な場面や曲を大幅にカットして人員を大幅に削減した事…などが上げられます。

 フルサイズのオペラ上演にこだわる人には向きませんが、あっちこっちカットした事で経費節減をめざした上演と言えます…と書くと「なんだー(ガッカリ)」と思う人がいるかもしれませんが、カットは通常のオペラ上演でも普通に行われる事ですし、CDなどの録音でも珍しい事ではありません。オペラ(に限らず、長尺ものの音楽作品)と言うものは、様々な都合によって、通常はカットされたカタチで上演される事が多いのです。で、今回の上演では、通常よりもかなり多めにカットされたカタチで上演された…ってわけですね。それで経費を抑えた…ってわけです。

 さらに、オーケストラを止めてピアノ伴奏にした事は、費用的にかなり影響があるでしょう。なにしろ、ピアノならピアニスト一人のギャラで済みますが、オーケストラとなると百人の弦管打楽器奏者のギャラが発生します。これは大きいです。もっとも、オケであってもピアノであっても、指揮者は必要です。指揮者はギャラが高いし、ピアノ伴奏なんだから指揮者は不要…にしても良さそうですが、ボエームの音楽ってかなり複雑で、やはり現場を指揮者に仕切ってもらわないと、アンサンブルがぶち壊れてしまうタイプの音楽だから、ピアノ伴奏なのに指揮者が演奏に加わるのは、仕方がないのでしょう。

 大道具を最小限にするのは、日本のオペラ上演の基礎基本ですから、大道具に費用をかけないのは、改めて言うこともないのですが、それでも衣装や小道具って、結構かかるわけです。舞台専用の専門レンタル業者から衣装を借りてくるのが、日本では当たり前のようですが、衣装を専門業者からのレンタルでなく、協賛者から提供してもらえるなら、かなり費用は浮くわけで、アパレルさんたちが上演協力をしてくれるのは、オペラ上演にとってありがたいわけだし、アパレルさんたちの宣伝にも良いわけで、なかなかのWIN-WINな関係だと思いました。実際、私はオペラ終演後に、衣装協力をしたアパレルさんのロゴが気になって、どこにあるのか調べちゃいましたもの。

 合唱の問題は大きいです。ボエームの第二幕は合唱団の見せ場であって、大規模な混声合唱と児童合唱、脇役テノール(パルピニョール)の活躍、黙役の軍隊のパレードなど、派手でパリの華やかさを演出する場面ですが、ここがオペラ上演的には費用がかさむわけだけれど、この第二幕のこれらの場面をバッサリとカットして、これらの出番を不要にしてしまったのは、すごいと思いました。確かに、こういうやり方もアリと言えばアリですね。もちろん、第三幕の冒頭部の合唱のシーンもカット。こうやって、合唱の見せ場をカットする事で(合唱好きには残念だけれど)上演にかかわる人数を減らし、廉価な舞台を作ったわけです。、このやり方を思いついた人を、私は尊敬します(マジです)。

 だってね、なにしろ合唱って経費がかかるんだよね。人数が多いから、その分ギャラとしての支出が増えるのは、オーケストラと一緒なんだけれど、実は合唱に携わる歌手さんたちのギャラって、案外高いんですよ。上演によっては、ソロを歌う歌手さんたちよりも、合唱を歌う歌手さんたちの方が、ギャラを高めに設定してあったりするんです。これ意外でしょ? でも、割りとよくあるんです。おまけに仕事そのものもソリストよりも合唱の方が数が多いので、実は合唱メインで仕事をやっているプロ歌手さんって、ソリストさんたちよりも仕事としては成り立っているし安定していたりするわけです。まあ、合唱メインで仕事をするのも、なかなかの狭き門ではあるそうですが…。

 まあ、今回の上演は、オケや合唱の人員削減で実現した廉価版のボエームでしたが、歌の部分はホンモノなわけで、私はこういうオペラ上演が普及してくるといいなあと思いました。ここ数年継続されている“気軽にオペラ”シリーズですが、色々と大変な事もあるのでしょうが、来年も演目を変更して行って欲しいなあと思います。もちろん、私も見に行きますよ。

 最後に苦言をいくつか。たぶん、経費を節約するために、練習回数をかなり少なくしたんじゃないかなって思いました。と言うのも、ピアノと歌の息があまり合っていなかったのです。もちろん、これは歌手たちとピアニストの問題だけではなく、歌手たちと指揮者の問題でもあるわけです。ボエームって、ワーグナー以降の音楽であり、半分ぐらいは現代音楽だから、聞いた以上に複雑な音楽であり、これをバッチリ合わせるためには、それなりのリハーサル時間が必要だと思われるからです。歌手たちは割りとまとまっていたので、歌手たちと、指揮者やピアニストたちの合わせが不十分だったかな…って感じられた事です。とにかく、歌手たちはもっと前へ前へと行きたいのに、ピアノが(って事は指揮が)歌手たちに付いていくのに、やっとこさって感じだったからです。細かな事だけれど、ちょっと残念な部分でもありました。

 あと、字幕スーパーが付いていたのは、とても嬉しかったのですが、その翻訳が…字幕の字数制限もあるのだろうけれど、かなり意訳がキツく、ところどころ日本語として“?”な部分があった事です。言語明瞭意味不明な事も多く、読み流してしまう事もできるわけだけれど、なまじ引っかかってしまうと、途端に頭の中に“?”が湧き出るような日本語訳だった事。意訳も過ぎると別物になってしまうからね。そこも残念でした。

 でも、残念なのは、そのくらいかな? 後は大満足。私の中では、かなりの高得点な上演だったわけです。

 ほんと、来年も実施されるなら、ぜひ行きたいものです。

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2017年2月27日 (月)

メトのライブビューイングで「ロミオとジュリエット」を見てきました

 「ロミオとジュリエット」というストーリーは、古典的なストーリーで、知らない人がいないくらいに有名なストーリーです。

 もちろん、オリジナルはシェークスピアの演劇で、これのパロディとかオマージュとかリブートとか、それこそ亜流はたくさんあるわけです。これを真っ向正面から取り組んでオペラにしたのが、今回私が見た、グノーによるオペラ作品なのです。

 ですから、ストーリーはあの有名なストーリーそのままです。だから、面白い。音楽は…と言うと、グノーの音楽って、メロディアスで素敵ですね。特にこの作品は、オペラ第1幕にあるジュリエットのアリアが有名ですが、それ以外の曲もなかなか素敵です。特に、ロミオとジュリエットの二人による二重唱が、ほぼ各幕ごとに一つずつあるので、重唱ファンには、たまらないかもしれません。

 歌っているのは、ロミオがヴィットーリオ・グリゴーロ、ジュリエットがディアナ・ダムラウです。おそらく、現時点でのベストなキャストでしょう。声も容姿も動きも若々しくて、とても良いんです。特にグリゴーロはイケメン・テノールですから、もうバッチリですね。タッパがもう少しあれば尚良いのでしょうが…贅沢は無しにしましょう。ダムラウは…出来ればもう少しスリムだと良いのですが…なにしろジュリエットって、今風に言えばJCですからね。でもまあ、あのくらいの体型のJCもいないわけではないので、贅沢は言わない事にしましょう(笑)。

 周りを固めている人たちも、とても良いです。個人的には、ローラン神父は若々しい人よりもお爺さんの方が良いのですが、これは私の個人的な趣味ですね(笑)。

 そういうわけで、今回のロミジュリは…、なかなか良いです。お薦めですよ。

 さて、私、実はフランス物って、そんなに詳しくないのです。やっぱりオペラはイタリア物が中心ですからね。フランス物には、最近手を染めたところなのです。

 フランスオペラは、私もY先生もフランス語が苦手で、まず歌うことがないだろうから、なかなか手が出づらかったのです。実際、今回の「ロミオとジュリエット」のテノールアリアなんて、聞いてみると良い曲だから、歌いたくなるわけですが、言葉がからっきしなので、それはまず無いわけです。良い曲なのに、自分には歌うチャンスが回って来ないというのは、なんか蛇の生殺しみたいな感じがして、それでなかなか手が出なかったわけです。

 そこんところに割り切りが出来たわけではないのですが、それでもある種の諦めのような物がないわけでもなく、それでようやくフランス物を見るようになったわけです。でもやっぱり…ああ、ジレンマジレンマ。

 そんなわけでロミジュリも、オペラとしてはよく知らなかったのです。そういう時は、やはり事前に勉強してから見に行くことが多い私でして、今回は勉強のために、以下のDVDを購入したのでした。

 これ、いわゆるオペラ映画です。輸入盤ですが、ちゃんと日本語訳も付いているんですよ。歌っているのは、アラーニャとゲオルギューという、一昔前のゴールデンカップルでして、悪いはずはないのですが…一つ誤算があるとすると、実はこれ、カットの嵐なんです。オペラ本編から比べると、時間的に、約半分のサイズになっています。つまり、大半の音楽はカットされてしまっています。登場人物も整理されて、ストーリーの骨の部分と、それに付随する音楽だけで構成されています。まあ、実際の話、半分に削っても、これはこれで結構楽しめます(笑)。

 半分のサイズになって気づいた事は「ウェストサイド物語って、ロミジュリだったんだな」って事です。実際、半分のサイズになると、ほぼウェストサイドです(笑)。いやあ、なんか新鮮。

 で、ハーフサイズのオペラ映画で予習をして、フルサイズをメトのライブビューイングで見たわけだけれど…やっぱりフルサイズのオペラの方が、ずっといいや。カットされた音楽だって、みんな結構美しいし、ストーリー的には余分な音楽も多いけれど、それはそれで楽しい音楽だし、実際、フルサイズのオペラを見ていても、退屈しないし、時間的にも長いとは感じません。改めて、グノーって天才なんだなって思ったわけです。

 次は…「ファウスト」を見たいですね。実はまだ、この有名なオペラ、見たことないんですよ。以前、メトでやった時は見逃してしまったので、次のチャンスをうかがっている最中なんです。夏のアンコールでやってくれば、見に行くんだけれどなあ…。

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2017年2月 8日 (水)

メトのライブビューイングで『ナブッコ』を見てきました

 表題の通り『ナブッコ』を見てきました。今回の目玉は、レヴァイン指揮&ドミンゴ主演ってところでしょうか? レジェンド二人がタッグを組んでの登場なのです。

 『ナブッコ』はヴェルディの初期の作品で、彼の出世作であります。主役のナブッコ王は、史実で言うところのネブカドネザル2世で、オペラは彼が行ったバビロン捕囚にまつわる話ですが、オペラのストーリーはあまり史実には忠実ではありません。オペラの原作は、聖書のダニエル書という事になっていますが、ダニエル書とはストーリーが全然違います。まあ、バビロン捕囚とネブカドネザル2世という枠組みを借りて作ったオリジナルストーリーのオペラと思っても間違いないと思います。

 ストーリーをごく簡単に説明すると、ナブッコと上の娘であるアビガイッレがエルサレムを占領するが、ユダヤの大祭司ザッカーリア(聖書で言うところのザカリア)は、ナブッコの下の娘であるフェネーナを人質に取っているので大丈夫だと民を落ち着かせる。しかし、フェネーナを危ない目に合わせたくないイズマエーレ(ユダヤの王子にしてフェネーナの恋人)がユダヤを裏切ってフェネーナを助けたためにエルサレムは占領され、神殿は破壊されてしまう。その後、フェネーナはユダヤ教に改宗し、ユダヤ人たちに受け入れられ、イズマエーレの裏切りもチャラとされた。一方、バビロンではアビガイッレによるクーデターが勃発して、ナブッコは精神落乱状態となり、王座を追われる。アビガイッレはユダヤ人の皆殺しを命じる。ユダヤ教に改宗したフェネーナも殺されてしまうと知り、正気を取り戻したナブッコはユダヤ教に改宗し、王座を奪い返して、ユダヤ人たちの故郷への帰還を宣言する。アビガイッレは毒をあおって死んでしまう。まあ、こんな感じのストーリーです。

 ほら、史実とも聖書とも全然違う話でしょ?

 二人の娘のうち、上の娘のアビガイッレはオペラの実質上の主役で、ストーリーは彼女を中心に動きます。下の娘のフェネーナがいわゆるヒロイン役となります。なぜアビガイッレがクーデターを起こしたのかと言えば、彼女はいわゆる庶子で女奴隷の娘であったのに対して、妹であるフェネーナは正妻の娘だったので、このままでは王位はフェネーナが継承してしまう事と、実はアビガイッレは実力者であり、王宮の家来たちの人望もあって、彼らもフェネーナではなくアビガイッレを次期の王として期待していたというのもあるみたいです。まあ、しょせんフィクションなんですがね。

 『ナブッコ』は、ヴェルディの初期の出世作として有名ですし、イタリアでは人気演目だそうですが、他の国での上演は滅多にない、どちらかと言えばマイナーな演目です。メトでも50年ぶりの上演なんだそうです。まあ、作品自体は、悪くはないけれど、特にウリはありません。キラーソングが合唱曲の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」であって、アリアには有名な曲はありません。このオペラは、重唱と合唱で引っ張っていくアンサンブルオペラだと思います。

 メトの演出はストーリーに沿った分かりやすいモノで、いかにもメトだなあ…という感じの演出でした。

 出演歌手は、ソリストも合唱もみんな巨漢ばかりでした。特にソリストは、女性も含めて、ほぼ皆ビヤ樽体型でした。なので、ビジュアル的にはすごく難がありました。合唱団が大勢いるので、彼らに負けない歌声の歌手を揃えようとすると、巨漢体型の歌手にならざるをえなかったのかもしれません。

 歌の出来は合唱を含めてよかったです。ただ一つの難点がテノールのラッセル・トーマスかな? とは言え、彼の責任というよりもキャスティングの問題でしょう。トーマスが演じるイズマエーレはユダヤの王子様なんだけれど、トーマス自身は黒人なんですよ。別に人種偏見うんぬんは無いつもりだけれど、さすがに黒人が黒いままでユダヤの王子を演じるのは、違和感バリバリでした。おまけにトーマスは声が重いテノールなので、バリトンを歌っているドミンゴと、ほぼ同じ音質(笑)…って、ほぼ同じ(大笑)。ドミンゴとの差を出すためには、イズマエーレ役にはもっと声の軽いテノールの方が良かったんじゃないかと思うわけです。

 さて、ここから本題。注目はドミンゴの歌唱でしょう。一時代を作った3大テノールの一人であるドミンゴがバリトンに転向してのオペラです。彼がバリトンに転向したのが70歳になった2010年ですから、もう7年もバリトンをやっているわけですが、私はほぼ始めて見ることになりました。なお、世間的には彼のバリトン転向には、毀誉褒貶色々あります。

 ドミンゴは、そもそもがバリトンだったそうです。学生時代はバリトンとして勉強を重ねて、オペラ歌手になったわけですが、彼が駆け出しの頃、バリトン役でオーディションを受けたところ「君はバリトンではなくテノールだ」と言われて、テノールで合格してしまったのだそうです。そこで、一生懸命テノールの勉強を重ねて、テノールになったのがドミンゴなのです。

 そもそもがバリトンとして勉強したドミンゴなので、彼がテノールとして活躍していた頃も「まるでバリトンのような声だ」とか「高音は不安定だ」とか散々言われていたわけですが、それらの悪評を乗り越えて、美しい中低音と甘いマスク、安定した演技で一時代を作ったわけです。

 その彼が年を取ってテノールからバリトンに転向したわけです。元々高音に不安があったわけですが、いよいよ高齢に達して、高音に無理を感じてバリトンになったと、巷では言われています。まあ、それ以前にドミンゴは今年で77歳になるんです。普通の歌手、特にテノールは50代で引退しますから、歌っている事自体が奇跡みたいなものです。高音に無理があっても仕方ないです。

 …そんな情報を仕入れて、バリトンを歌うドミンゴを聞いた私です。以前、『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』でバリトンのドミンゴを聞いてますが、あれはカメオ出演みたいなものだし、あのネプチューンという役そのものが、ドミンゴのために作られた役なので、あれは除外です。本格的バリトンとしてのドミンゴを聴くのは、実は今回が始めてな私でございました。

 バリトンのドミンゴを聞いた私の感想は「これはバリトンじゃないよ、テノールだよ」です。ドミンゴが歌っている音域はもちろんバリトンの音域なのですが、音域がバリトンなだけで、声そのものはテノール時代のドミンゴの声と同じです。つまり、ドミンゴはテノールの声でナブッコというバリトン役を歌っていたわけです。

 だいたい、テノールとバリトンって、音域的には高音(五線上のラシドの3音)があるかないかだけで、後はほぼ一緒なんですよ。じゃあ、高音が出ればテノールで、出なきゃバリトンなのかと言えば、それは違うわけです。やはりテノールとバリトンを分けるのは、声の音色であって、だからこそ“高音の出ないテノール”とか“高音大好きなバリトン”などがいるわけです。

 ドミンゴの歌声は今でもテノールです。リリコスピントという種類のテノールの歌声です。実際、彼はオペラの舞台ではバリトンを歌いますが、コンサートでは今でもテノールの歌を歌います。高音は…おそらく若い時よりも厳しくなっているのかもしれませんが、出ないわけじゃなさそうです。

 ではなぜ、ドミンゴはバリトンを歌うのか…いや、質問を変えましょう。なぜドミンゴはリサイタルではテノールの歌を歌うのに、オペラの舞台ではテノール役を歌わないのか?

 そう考えると、自ずと答えが出てきます。ドミンゴはすでに70歳を越えました。誰がどう見ても老人です。もはや、それは舞台化粧でごまかせるモノではありません。

 普通のストレートの役者なら、年を取るにつれ、自分の年齢にふさわしい役を演じるだけです。でも、オペラ歌手には声種という縛りがあり、異なる声種の役を歌うことは基本的にしません。しかしテノールという声種には、基本的に若者の役しかないのです。70歳を越えた老人が若者の役をやる…さすがにそれは無理でしょう? 自分の孫よりも若い年齢の歌手の恋人役ができるわけもありません。だから、70歳を越えたドミンゴには、テノールの歌は歌えても、テノールの役はできないのです。

 大半のテノール歌手にとって、それは大きな問題ではありません。なぜなら、大半のテノール歌手は、年を取って老人になる前に引退するからです。50歳を過ぎたあたりから、体力が衰え、仕事のオファーが減ってきて、自然と引退するものです。だから、老人のテノールが歌う役など無くても全然構わないのです。

 ちなみに、3大テノールは売れっ子で、仕事のオファーが途切れなかった事もあって、いずれも現役時代が長く、カレーラスは62歳で、パヴァロッティは69歳で引退しています。ドミンゴが70歳でテノールからバリトンに転向し、77歳の今でも引退せずに歌っているのは、ほんと奇跡みたいなものです。

 さて、オペラの老人役は、たいていバリトンかバスです。だから70歳を越えたドミンゴは、バリトンに転向した…のだと思いました。つまり、声が出なくなったから…と言うよりも、老人役を歌うためにバリトンになったわけです。

 実際、ドミンゴがバリトンに転向してから歌っているのは、今回の『ナブッコ』をはじめ、ヴェルディ作品でバリトンを主役にしたオペラばかりです。で、そのバリトンはたいて、父親役であって、老人のドミンゴが演じてもさほど違和感のない役ばかりなのです。

 で、さらに言えば、それらのバリトン役は、父親役であるがためにバリトンに振られた役ですが、同時にオペラの主人公でもあります。主人公ですから、ただ単に低い声なだけではダメであり、低い上に、力強くて華やかな声でなければなりません。リビング・レジェンドであるドミンゴの声が力強くないはずはなく、華やかでないわけがありません。ある意味、ヴェルディのバリトン役は、主人公の声を持った老歌手がやるべき役なのかもしれません。そう考えると、ドミンゴがヴェルディのバリトン役にこだわっているのも分かる気がします。従来は存在しなかった、老テノールの役として、これらのバリトン役を歌っているのではないかと、私は思うのです。

 実際、ドミンゴのナブッコは良かったですよ。声は全然テノールだったのですが、それでも全く違和感ありませんでした。もちろん、他のバリトン歌手の歌声と較べてしまえば軽い声なのですが、それがナブッコという役を演じるのに何か不足があるかと言えば、特に無いと言えるでしょう。それくらい、彼は彼なりにナブッコを自分の役として歌い演じていました。

 ドミンゴはバリトンに転向したのだけれど、それは身も心もバリトンに成り切ったわけではなく、老いたテノールとしてバリトン用に作曲された役を歌っている…というふうに私は感じました。

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2016年11月15日 (火)

劇団四季の「アラジン」を見てきました

 「アラジン」…すごい人気ですよね。新作ミュージカルという事もあって、物珍しさも手伝いますが、それでも人気が高いミュージカルだそうで、チケットはなかなか入手できないんだそうです。まあ本国アメリカでも「ライオンキング」と人気を二分するほどの人気ミュージカルだそうですから、さもありなんです。

 で、そんな話題のミュージカルを、海劇場の一階センターブロック、前から10列目なんいう、驚くほど良い席で見てきた私でございます(はっきり書きますが、自慢してます:笑)。

 さて感想ですが…劇団四季は、ほんとレベルが高いね。役者さんたちは、主役はもちろん、脇役やモブの方々に至るまで、歌も演技もダンスもピカイチですよ。ほんと、プロの集団です。舞台装置も派手派手のゴージャスで作品世界とマッチしているし、今回は煙や火花などもたくさん使っているし、魔法のじゅうたんに載って、宙乗りしちゃうし…そりゃあもう、派手派手のド派手な舞台でした。

 また作品そのものも、いかにも「アメリカのエンタメ」って感じでした。物語の舞台が中世のアラビアって設定のはずなのに、現代のニューヨークが舞台でも、全く違和感がないようなストーリー展開で“昔話の皮をかぶったファンタジー”であって、終始、ダンスダンスダンスとまくし立ててくるなんて、ほんと、アメリカの典型的なショービズ作品って感じです。とにかく、最初っから最後まで、歌い踊りまくってます。

 アメリカ人って、こういうショーっぽいのを、好むんだよね。実に夢々しいステージでした。

 ストーリーとか、主なミュージックナンバーは、おそらく映画と同じだと思います(私は映画を見ていないので断言できないのですが…)。まあ、ミュージカルでは、さらに新曲を何曲か追加してあるそうです。そういう意味では、映画版よりもさらにパワフルになっている…って事でしょうね。

 つまり、この「アラジン」というミュージカルは、誉め始めだすとキリがないほどの作品です。そういう事なのです。

 でも、あまり誉めると誉め殺しになるので、この辺で誉めるのを止めておきます。

 個人的に残念だなと思った事が二点あります。

 一つは、おもちゃ箱をひっくり返したようなミュージカルなので、すべてがドンドン流れていってしまう事です。せっかく「ホール・ニュー・ワールド」という、ビルボード1位になり、グラミー賞やアカデミー賞の歌曲部門の賞を授賞しているほどの名曲が歌われるのですが、じっくり聞かせるという雰囲気ではなく、劇の流れの中で流されるように歌われてしまった事が残念でした。特にこの歌は、魔法のじゅうたんでの宙乗りのシーンで歌われるので、私なんかは宙乗りそのものをハラハラドキドキしながら見ていましたので、歌なんてロクに聞けてません。だいたいミュージカル全体が、歌を聞かせると言うよりも、ショーを楽しませるという構成になっていて、歌が聞きたい私には残念だったです。

 もう一つは、作品の根幹に関わるのですが、主人公のアラジンの職業が泥棒だった事です。それもチンピラ程度の泥棒。つまり、コソ泥の小悪人なんですよ。これが私には受け入れられませんでした。

 主人公は常に正義の味方の善人でなければならない…なんて事は言いませんが、悪人の主人公ならば、ダークヒーローになれるほどに、ヒールとして吹っ切れていないとダメです。なのに、アラジンときたら、ただのチンピラの兄さんなんですよ。こんな人物にシンパシーを感じられるか…ときたら、そりゃあ無理ですって。でもそれを言い出したら「アラジン」というミュージカルを根本から否定する事になりかねないのですが…私個人的には、主人公の人物設定が本当に納得できません。こんな兄ちゃんが主役なんて…ああ、嫌だ嫌だ。

 なので、良い出来のミュージカルだとは思うものの、私的には「一度見れば十分(でも、一回は見た方が良いかな)」って感じました。

 それにしても「美女と野獣」「ライオンキング」「アイーダ」「リトルマーメイド」と来て「アラジン」ですね。近年の劇団四季は、本当にディズニーづいてますね。ファミリー向けのミュージカルとしては、ディズニーは間違いないですから、分からないでもないのですが、ディズニーミュージカルは、所詮ファミリー向けかな…なんて毒づいている私がいます。

 素晴らしいミュージカルなんだけれど、ディズニー臭さが私の趣味とは合わないかも…って思いました。

PS でも「ライオンキング」は、ディズニーミュージカルだけれど、普通に面白いミュージカルだと思ってます。さすがは手塚治虫の原作だよね(笑)。

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2016年9月26日 (月)

メトのライブビューイングで「ウェルテル」を見てきました

 毎年、お盆の辺りからシルバーウィークぐらいまで、東京築地にある東劇という映画館で、メトのライブビューイングのアンコール上映が行われています。つまり、今まで上映した中からのセレクション・リバイバル上映って奴です。

 今年も例年のように行われました。最近アップした「マリア・ストゥアルダ」とか「連隊の娘」も、そのアンコール上映で見たわけです。で、そのアンコール上映の最後の最後の方に上映された「ウェルテル」を、今回見てきましたという話なのです。

 「ウェルテル」は、フランスオペラです。マスネという作曲家の作品です。ワーグナー以降の作曲家ですから、アリアとレチタティーヴォの区別がなく、演劇性もかなり高いオペラなのです。原作は、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」でございます。この物語をフランス語に翻訳した上で戯曲化して音楽を付けたわけです。そりゃあまあ、つまらないはずはないですよね。

 ストーリーはごく簡単で…、

 若者ウェルテルが始めて恋した女性(シャルロット)には婚約者がいました。やがてシャルロットは結婚し、ウェルテルは失恋…のはずだけれど、諦めきれずに旦那のいない時にシャルロットを口説き続けます。抗し難くなったシャルロットは「じゃあクリスマスに会いましょう(それまでは会いません)」と言って、遠回しに拒絶します。ウェルテルは、その彼女の言葉を真に受けて、クリスマスまでの間、シャルロットには会わず、だけど手紙をバンバン書いてシャルロットに迫ります。送られた手紙を読んでいるうちに、あれだけウェルテルを拒絶していたシャルロットが、少しずつウェルテルに心ひかれていきます。やがてクリスマスとなり、ウェルテルがシャルロットの元にやってきました。ひかれあう二人、しかしシャルロットには最後の一線を越える勇気はなく、最後の最後でウェルテルを拒絶します。悲しみ、立ち去るウェルテル。自室でピストル自殺をします。虫の息となったウェルテルの元にシャルロットが現れ、最後の言葉を交わし、ウェルテルは死に、シャルロットはウェルテルの命を断ったピストルで後追いをします。

 ストーリーだけを語ると「なんじゃ、これ」って思うかもしれませんが、原作は18世紀の大ベストセラー恋愛小説だし、それにマスネの美しい音楽が載っているので、ウェルテルというキャラさえ受け入れることができたら、実に素晴らしい恋愛ものオペラなのです。まあ、問題は、主役であるウェルテルのキャラ設定だね。演じているカウフマン自身が「彼は、きっと何かの(精神的な)病気なのだろうけれど、それを客に感じ取られて、引かれたらダメだよね」みたいな事を言ってますが、実際、ウェルテルはかなり変わった人物です。その点さえ乗り越えられれば、ほんと良いオペラですよ。

 このオペラ、フランスオペラだけれど、原作はドイツもので、音楽はまるでイタリアのヴェリズモのような激しさがあります。それでいて、やはりフランスモノ特有なアンニュイで美しい音楽だったりします。色々な点で、よく出来たオペラだと思います。

 やはり主役であるウェルテルを演じるテノール歌手次第で、このオペラの出来は相当に変わりますが、今回のテノールは、泣く子も黙る、ヨナス・カウフマン。当代随一の渋めのイケメンテノールです。ウェルテルを歌うには不足はありません。『春風よ、なぜ私を目覚めさせるのか』という超有名アリアも、完璧に歌います(この曲は、めっちゃ難しい曲なんです)。まさにはまり役です。

 ヒロインのシャルロットは、ソプラノではなく、メゾソプラノなのが面白いです。若い女性だけれど、人妻だから、作曲家はメゾにしたのかもしれません。ここではソフィー・コッシュが歌っています。やはり、美人が歌うと説得力があります。

 私、今までオペラはイタリアものを中心に見ていました。で、ドイツオペラを少々、その他のオペラは超有名作品だけを嗜む程度にしか見ていなかったわけです。まあ、その基準は「自分がそのオペラの曲を歌うことはあるかな?」という基準だったわけです。フランス語のオペラを私が歌うことは、まずないので、今まではあまり見なかったのですが、たとえ自分が歌わなくても、やっぱり評判の高い素晴らしいという評価のオペラは見た方が楽しいという結論に今回達しました。いや、実際楽しいし。

 マスネは良い作曲家ですね。他にも「マノン」とか「タイス」などの有名作がありますので、いずれは見たいと思うようになりました。

 そうそう、幕間に次回作の予告をしていたのだけれど、当時「ウェルテル」の次の演目は「ボエーム」だったようです。この「ボエーム」は、すでに私見ています

 この「ボエーム」でミミを歌うことになっていた、アニタ・ハーディングの「私の名はミミ」が聞けました。なかなか清楚な歌いクチで、良いですね。この人、本当はこの舞台がメトのデビューだったんだそうです。でも、実際は、当日の朝に発熱して、急遽舞台を降板しちゃったわけで、代わりを歌ったのがオポライスだったわけで、ハーディングさんは、その後、きちんとメトでデビューできたのかしら…とちょっぴり不安になった私でした。

 それにしても、カウフマンってかっこいいわ。声が良くて、身長もあって、痩せていて、イケメンで、演技力もあって…、彼以上のテノール歌手なんて、もういないよと断言できるほど、素晴らしい歌手だよねえ。男の私が見ても、ほれぼれしちゃう歌手ですって。

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2016年9月14日 (水)

メトのライブビューイングで「連隊の娘」を見てきました

 例によって、東劇でメトのライブビューイングのアンコール上映を見てきました。今回はドニゼッティの「連隊の娘」です。

 「連隊の娘」と言うと、テノールがHi-Cを連発するオペラとして有名だし、実際、多くの歌劇場での上演や発売されているDVDなどでは、テノールにスター歌手を配し、Hi-Cの見事さを売りにしているわけです。

 正直、テノールさえ良ければ、後は“どーでもいー”という扱いになりがちのオペラですし、そうであっても仕方のないオペラかなって、私も考えます。

 でも、2008年に収録された、このメト版「連隊の娘」は違います。もちろん、テノールのファン・ディエゴ・フローレスは、素晴らしいです。Hi-Cの9連発だって、見事なものです。でも、この上演に関しては、彼は二番手です。それは本人だって分かっている事でしょう。

 「連隊の娘」というオペラでは、テノールのHi-C連発が最大の売りですから、このアリアを歌い終わった後に、客はアンコールを求めるわけですし、テノール歌手だって、自分の体調を鑑みて、なるべくアンコールに応えるのが、普通なのですが…今回のフローレスは(ライブビューイングであったと言う事情もあるでしょうが)客の求めには応えずに、アンコールを見送ったくらいです。

 でも、それでよかったんだと思います。

 と言うのも、この上演は、テノールのためのモノではなく、明らかにソプラノのための上演なのですから、テノールのアンコールは無くてもいいのです(もちろん、観客的にあった方がうれしいのですけれどもね)。

 そう、この2008年のメトの「連隊の娘」はソプラノのための上演であり、ソプラノ歌手を楽しむための上演なのです。

 そのソプラノとは、すでに引退し、今となっては過去の映像でしか見ることのできない、ナタリー・デセイです。

 今回のオペラは、不世出のソプラノ、ナタリー・デセイを徹底的に味わい楽しむためのオペラなのです。

 とにかく、徹頭徹尾首尾一貫として、ソプラノのためのオペラであり、そして、デセイのすごさを感じるオペラなのです。

 この「連隊の娘」というオペラは、通常のオペラとは違って、いわゆるレチタティーヴォがありません。アリアとアリアは、ストレートな芝居でつないでいきます。そう言った点では、ミュージカルっぽいオペラとも言えます。

 で、アリアとアリアをセリフでつないでいくタイプのオペラでは、しばしばセリフの部分が演出家の手によって書き換えられることがあります。今回の「連隊の娘」のセリフ部分は、完全にデセイが演じるという前提で書き直されているんだそうです。つまりデセイ有りきのアテ書き台本ってわけです。そのせいもあって、実にオペラが小気味良くて楽しいのです。

 とにかく、デセイというオペラ歌手は、歌手である前に女優である人なのです。だから、舞台では役に入り込み、完全に女優として振舞っているわけで、そんな彼女を活かすために台本を書き直しているのだから、素晴らしくないわけはないし、おそらくこの台本では、デセイ以外のソプラノが演じるのは…たぶん無理です。だって、この台本では、デセイ演じるマリーは、15歳の少女ということもあるけれど、常に動き回り、走り回り、飛び回り、何しろ一瞬たりとも止まらない、若いエネルギーにみちあふれた少女なのです。

 そんな若々しい役を、普通のオペラ歌手が演じるのは…まあ無理ってもんです。だって、オペラ歌手って皆さん、ああ見えて、カラダが重いんですね。デブに見えない人だって、かなりの重量級です。その点、デセイは普通体…と言うか、一般人に混じっても小柄な体型で、とてもオペラ歌手の体型ではありません。ああいう小柄な体型だから、飛んだり跳ねたりができるわけです。

 まあ、実際彼女は、オペラ歌手になる前は、ちゃんとした演劇学校で演技を学んだ女優さんで、女優さんなのに歌が上手いので、女優デビュー後に音楽学校に入り直してオペラ歌手になったという経歴の人なので、歌以前に演劇有りというスタイルは、彼女にとって、ごくごく当たり前なんでしょうし、元々が女優さんですから、体型だって、普通の女性サイズなのも、当たり前。

 そういう意味では、オペラ歌手としては異質で、規格外のソプラノと言えます。

 だから、15歳のマリーという役を(カメラのアップシーン以外では)本当の15歳に見えるように演じる事ができるわけです。

 あれだけの演技を魅せつけられたら、Hi-Cを9連発しても、注目されるのはその当座だけで、テノール歌手がかすむのは、当然と言えます。フローレスという稀代の名歌手であっても、デセイとの共演では食われっぱなしってわけです。

 まさにディーヴァです。

 デセイのオペラDVDはたくさん発売されていますが、契約の問題があるのでしょうね。日本語字幕の付いたモノは、ほとんどありません。そのため、日本ではデセイは評価されにくい歌手なのですが、本当に素晴らしい歌手です。今回のメトでの上演のような日本語字幕がついたモノは少ないので、こういうチャンスがあったら、なるべく見るのが良いと思います。

 それにしても、デセイのオペラDVDに日本語字幕をつけて販売してくれる業者さんはいないのかしらね。ほんと、残念だわ。

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2016年9月 8日 (木)

メトのライブビューイングで「マリア・ストゥアルダ」を見てきました

 ただ今、東劇でメトのライブビューイングのアンコール上映をやっていますが、私、先日「マリア・ストゥアルダ」を見てきました。

 「マリア・ストゥアルダ」…ご存知ないですよ。いわゆるマイナーで無名なオペラでございます。

 作曲家はドニゼッティ。いわゆる彼の“チューダー朝三部作”と呼ばれるものの一つです。

 マリア・ストゥアルダとは、当然イタリア語読みであって、原語(英語)読みをすれば“メアリー・スチュアート”なわけです。いわゆる、メアリー1世であって、ほぼ最後のスコットランド王であり、彼女の息子のジェームス1世から現在のイギリス王家が始まるわけで、歴史上の偉人ってか、大人物なわけで、その彼女の人生を多少のフィクションも交えてオペラにしたのが、この作品です。

 ちなみに原作者はシラーさんだそうです。まあ、ヨーロッパ人にとっては、基礎教養的なお話のようです。

 それはともかく、なぜ私がこのオペラを見たのかと言うと…以前「ロベルト・デヴェリュー」を見て感動したから。「ロベルト・デヴェリュー」もドニゼッティの作品であって、やはりチューダー朝三部作の一つ(主役は、処女王ことエリザベス一世)です。「ロベルト・デヴェリュー」があれだけ面白かったのだから、他の2つのオペラも、きっと面白いに違いない…と思って見たのですが…やっぱり面白かったよ。

 実に、歌にあふれた、いかにもオペラオペラしたオペラでした。ドニゼッティーと言うと「愛の妙薬」のイメージが強くて、ああいうチャラけた喜劇を書く人って思いがちです。あるいは「ランメルモールのルチア」のような、声楽テクニックを見せびらかすような派手派手しい歌謡ショウのようなオペラを書く人とも思われがちです。もちろん、ドニゼッティーは商売でオペラを書いているわけだから、受けるモノなら何でも書くのだろうけれど、彼の本質は「愛の妙薬」のような喜劇とか、「ランメルモールのルチア」のようなアクロバティックなオペラではなく、シリアスな歴史劇オペラにあった…と専門家たちは評価しています。

 ただ、彼が得意として歴史劇オペラは、様々な理由があって、現在ではなかなか上演されないので、ドニゼッティと言えば「愛の妙薬」とか「ランメルモールのルチア」になってしまうわけです。

 それに、歴史劇オペラは、前提となる歴史が分からないと楽しめません。我々が、大河ドラマの「真田丸」が楽しめるのは、戦国時代のあれこれの歴史的事実を知っているからであって、その前提がない外国人とか、日本人でも歴史に全く興味のない人だと、あんなに面白い「真田丸」であっても、ほとんど楽しめないでしょう。歴史劇には、そういったドラマの受容に関する根本的欠点を持っています。なので、我々現代日本人が、ドニゼッティの歴史劇(中世ヨーロッパの歴史)に興味が持てないのも仕方ないのです。

 さらに言うと、「ランメルモールのルチア」に限らず、ドニゼッティの時代のオペラ歌手たちは、どうやら現代の歌手たちよりも、歌唱技巧的に高かったようで、ドニゼッティの諸作品を上演するには、現在なら声楽技巧的にトップレベルの歌手たちを集めて、何ヶ月ものリハーサルが必要になるようで、まずはそれだけの人材を集めてキープできるだけの歌劇場なんて、なかなか無いって事です。

 今回の「マリア・ストゥアルダ」だって、なんとメト初演なんだそうです。あれだけ毎日毎日オペラ上演をしているメトですら、未だに手を付けたことのないオペラだったんだそうです。なんとも凄い話です。

 出演者等は以下の通りです。

 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:デイヴィッド・マクヴィカー

 マリア・ストゥアルダ:ジョイス・ディドナート(メゾ・ソプラノ)
 エリザベス1世:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(ソプラノ)
 レスター伯爵:マシュー・ポレンザーニ(テノール)
 タルボット卿:マシュー・ローズ(バス)
 セシル卿:ジョシュア・ホプキンス(バリトン)

 主役のマリアを歌うディドナートが素晴らしいのは、簡単に想像つきますが、エリザベス1世を歌うヒーヴァーが、ケツアゴなのが残念なんだけれど、なんとも凄いソプラノさんなのです。この人、メトデビューの新人さんなんだそうですが、いやはやなんとも、凄いっすよ。なので、この二人が丁々発止で歌いまくる第二幕なんて、恐ろしいほどの迫力です。ここだけ見るだけでも、十分料金分の価値ありって感じです。

 とにかく、このオペラは、マリアかエリザベスのどちらが常に歌っているオペラです。つまり、二人のディーヴァ対決を楽しむオペラなわけで、声が好きな人にはたまらないオペラとなっています。私はこの上演が初見なのですが、この上演では主役のマリアをメゾが、脇役のエリザベスをソプラノが歌っていますが、通常はマリアをソプラノが、エリザベスをメゾが歌うことが多いので、このオペラを見慣れた人(なんているのかな?)でも、あれこれ面白い上演になっていると思います。

 ちなみに、我らがテノールであるポレンザーニは…たくさん歌ってますが、このオペラに関しては、確実に女優二人に食われています。ああ、残念。

 こうなると、チューダー朝三部作の残りである「アンナ・ボレーナ」も見たいものですが、なんとも予定が合いません。ああ、来年、上演してくれないかな? DVDで購入するという手もあるし、実際「アンナ・ボレーナ」のDVDは持っているけれど、やはり映画館の大画面で見るのと家庭用のテレビで見るんじゃ、あれこれ違うからね。やっぱり、映画館で見たいじゃないですか。

 来年のアンコールでも「アンナ・ボレーナ」が登場する事を期待して待ちます。

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