ひとこと

  •  やっとネット社会に復帰します。今後は日帰りで遊びに行く事はありますが、家を空ける事はないので、ネットでの反応も普通どおりに行けるんじゃないかと思ってます。とりあえず、外泊で使ってしまった体力の復活を目標に、しばらく大人しくしているつもりです。
2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2018年8月16日 (木)

メトのライブビューイングで『エルナーニ』を見てきた

 連載を中断して、この記事をぶっこみます。

 今、東劇ではメトのライブビューイングのアンコール上映を行っています。アンコール上映とは、以前の上演目の中から、見逃した上演や、もう一度見たい上演を連日上映してくれる、有り難い企画です。私は毎年アンコール上映に行ってるくらいです。

 で、今年も何回かアンコール上映に行くつもりなのですが、まず今年最初に見てきたのが、ヴェルディ作曲の『エルナーニ』です。

 この上演は、2011-12年のシーズンのものなので、もう7年前のモノになります。目玉は、まだ元気なホヴォロストフスキーを見れる事かな?

 ディミトリー・ホヴォロストフスキー。昨年(2017年)の11月に55歳で亡くなった、ロシアのバリトンです。銀髪で、とにかくイケメンなバリトンです。たいていのテノールが容姿では彼に勝てません。声も芝居も水準以上ですから、長生きしたならばレジェンド歌手になれたはずの逸材です。惜しい人を亡くしました。

 その彼がまだ50歳になったばかりの上演を見てきたわけです。

 指揮 マルコ・アルミアート
 演出 ピエール・ルイジ・サマリターニ
 
 エルナーニ マルチェッロ・ジョルダーニ(テノール)
 エルヴィーラ アンジェラ・ミード(ソプラノ)
 国王カルロ ディミトリー・ホヴォロストフスキー(バリトン)
 シルヴァ フェルッチオ・フルラネット(バス)

 まず『エルナーニ』という作品の感想から。このオペラは実に無名なオペラで、ほぼ上演されるチャンスのない珍しい作品です。実際、日本でも21世紀になるまで上演される事の無かったというくらいに不遇な作品なのです。

 巨匠ヴェルディの作品なのに…ね。

 巨匠の作品なのに、なぜ上演されないのか? よほどの駄作なのか? …いいえ、違います。むしろ良作です。ただ、ヴェルディの他の作品と比べてしまうと、見劣りするというだけでの話で、これが他の一発屋オペラ作曲家の作品だったら、もっと上演されるチャンスもあったろうになあ…と思われるくらいの良作です。

 実際、ヴェルディが30歳の頃の、まだ駆け出しの頃の作品で、名作『ナブッコ』の次々回作として作曲された作品で、『ナブッコ』がイタリア国内でヴェルディの名前を知らしめた作品であるならば、『エルナーニ』はヴェルディにとって、最初に各国で翻訳版が上演されたオペラであって、いわば彼を国際的なオペラ作曲家として認知せしめた作品なのです。そんな作品が、悪いはずはありません。

 ストーリー的には少々複雑で分かりづらいオペラですが、とにかく、全編、歌いまくりです。メロディアスなオペラアリアはもちろん、パワフルな重唱や合唱がオペラ全体を導いていきます。悪いはずがありません。ただし、上演に際しては、歌手を選ぶことは必定でしょう。とにかく、歌いまくりですから、歌える歌手を揃える必要があります。

 ある意味、同じヴェルディ作品である『トロヴァトーレ』に似た作りのオペラと言えるかもしれません。

 さて、今回のメトの上演は、歌手たちを揃えた…という点では合格と言えるでしょう。特に主役のテノールのジョルダーニが素晴らしいと私は思います。そもそもジョルダーニは、この上演の三ヶ月前に交通事故死をしたサルヴァトーレ・リチートラの代役だったそうです。確かに、他のメンバーと比べて、実力はともかく、スター性に欠ける彼がここに入っているのには違和感がありますが、それはそういう理由だったからです。それにしても、ジョルダーニの声も歌も(バカっぽい)芝居も、実に良かったと思います。

 お目当てのホヴォロストフスキーは、例によってイケメン過ぎます。バリトンって、一部の役を除いて、そんなにカッコよくてはいけないのです。少なくとも、テノールの引き立て役じゃないと説得力がないのです。今回の『エルナーニ』においてもそうです。エルナーニ役のジョルダーニも(肥満体だけれど)まあカッコいい人ですが、ホヴォロストフスキーとは比較になりません。バリトンの方が、数段イケメンって、なんですか、これ? そのイケメンなバリトンが劇中で“王様 -> 皇帝様”に大出世しちゃうんだよ。そんなスーパーなバリトンを振って、ソプラノがお馬鹿なテノール(皇帝様のお慈悲で、山賊の頭から貴族に昇格)に走る必然性が分かりません。エルヴィーラって、ダメンズなの? まさか…。

 カッコ良すぎるホヴォロストフスキーには、トロヴァトーレのルーナ伯爵か、カルメンのエスカミーリョがお似合いですって。それ以外の役には、彼はイケメン過ぎるって。

 シルヴァを演じたフルラネットは、素晴らしすぎます。ラストシーンでの彼の演技は…演出家の意図だろうが、納得いきませんが、それ以外は素晴らしいです。

 問題のラストシーンでは、エルナーニのみならずエルヴィーラも自殺してしまうのが、この演出のキモなんだけれど、エルナーニはともかく、エルヴィーラの自殺も冷ややかに眺め「これでワシの復讐が終わりだ…」ってシルヴァが言うのは、絶対におかしいです。エルヴィーラが自殺した段階で、シルヴァは取り乱さないといけないし、彼女の救命に走るはずです。彼にとって、エルナーニはクソ生意気な小僧かもしれないけれど、エルヴィーラは最愛の姪にして、自分の元婚約者にして、今だって妻にしたい女性ナンバーワンなんだから、その死を冷静に受け入れられるはずはないのです。だから、演出がオカシイと思うわけですよ。最後にエルヴィーラを殺しちゃった演出家は、そこが甘いんですよ。エルヴィーラは、生き残って、シルヴァの嫁になって、悲劇が完成するんですって。

 そのエルヴィーラを演じたソプラノのミードは、容姿以外は及第点です。容姿は…3人の男を狂わせるほどの美貌もセクシーさも彼女には無いので、説得力に大いに欠けます。今の時代、オペラには役にふさわしい容姿も大切だからね。少なくとも、もう少し痩せてないと、この役を演じるには不足だし、もっと痩せていて歌の上手い、若手ソプラノなんて掃いて捨てるほどいるわけだから、そういう意味でも、ちょっと残念かな?

 マイナーオペラだから、レパートリーに入っている美人ソプラノがたまたまいなかっただけなのかもしれませんが…。ああ、残念。

 演出の一部には疑問がありますが、今回の上演は、概ね良い出来だと思います。1983年にオリジナル演出が作られたそうだけれど、やはり70~80年代のメトの演出はいいですね。ゴージャスで分かりやすいです。最近のメトの新演出はダメな演出が多いですから、たまに行われる、昔の演出での上演って、本当に楽しみです

 メトにも色々な都合はあるのだろうけれど、20世紀後半のようなテイストの演出を復活させてほしいなあって思います。そういう豪華さとわかり易さがメトのウリだと思うんだよね。

 とにかく、今回の『エルナーニ』の上演は、良かったですよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年7月19日 (木)

シアターオーブで『エヴィータ』を見てきた

 東京渋谷にできた、ミュージカル専用劇場である東急系のシアターオーブに行ってきました。場所的には、ヒカリエのビルの上の方。渋谷は現在、再開発中で、あっちこっち工事中で、ヒカリエはいち早く完成した新しい渋谷の一部って感じです。ビルのデザインもなんかカッコいいです。

 で、そのヒカリエにあるシアターオーブでやっている『エヴィータ』を見てきたわけです。

 まずはシアターオーブの感想から。一言で言うと、立派な劇場でした。広々とした空間を贅沢に使っています。同じミュージカル劇場と言っても、帝国劇場の伝統的な立派さとは全く別ベクトルの今っぽい贅沢さだし、劇団四季の各劇場とかシアタークリエなどの機能的な劇場の作りとも違います。機能的に作られている部分は機能的なんだろうけれど、とにかく空間を贅沢に使っているんです。東京で、空間を贅沢に使うってのは、一番の贅沢なんだと思います。とにかく、高級感を感じてしまう劇場なんです。

 ホワイエがめっちゃ広いのよ。ちなみに、飲食は劇場内はもちろん、ロビーやホワイエでもアウトです。飲み食いしたければ、劇場内のバーとかレストランとかを利用しないといけない決まりです。つまり、持ち込み不可なんです。実際(レストランは行かなかったけれど)バーは大盛況でしたよ。

 肝心の劇場内は、すごく天井が高くて、バルコニー席も桟敷席もあって、一瞬、オペラ劇場かな?と錯覚してしまったくらいです。実際、規模的にもオペラ劇場サイズなんですが…たぶん、吸音等はちゃんとしているだろうから、生歌唱生演奏のオペラには向いていないだろうなあ…。座席もゆったりしていて、デブな私でもラクラクでしたよ。

 演目の『エヴィータ』ですが、なかなか感動モノでした。

 カンパニーはロンドンの団体のようです。作詞家のティム・ライス、作曲家のアンドリュー・ロイド=ウェバー、演出家のハロルド・プリンス(この人は『エヴィータ』のオリジナル演出家でもあります)の3人が歌手たちのオーディションから関わったカンパニーのようで、とてもきちんとしたカンパニーによる上演でした。

 原語上演(英語)で、字幕サービスが付いてました。原語上演は良いですね。言葉と音楽がピタっと合っていて、聞いていて気持ちいいです。日本語上演だと、言葉がいつもあまり気味で、内容的に言葉が足りないと思う事もあるのですが、原語上演の場合、歌詞が最初にあって、それに音楽を付けていくのだから、聞いていて気持ちいいです。

 あと、シアターオーブのオケピは広く、オケは生でした。もっとも、オケと言ってもミュージカル用のオーケストラですから、オペラのオケとは全然違います。シンセサイザーとギターとパーカッションがほとんどで、後はほんの少しの管弦楽器があるくらいです。

 で、今回の上演は、何と言っても、チェ役のラミン・カリムルーが絶品でした。さすがは、ミュージカルテノールの当代トップの一人です。彼を聞くための公演であると言っても過言ではないくらいに素晴らしかったです。エヴィータ役のエマ・キングストンも度肝を抜かれるくらいに素晴らしかったです。

 とにかく、主役の二人の声と歌が凄すぎて…改めてミュージカルの素晴らしさを感じてしまいました。

 ミュージカルって、現代エンタメという事もあって、基本的にはローカライズされて上演されるものです。具体的に言えば、台本を日本語に訳して、日本人俳優が日本語で上演するのです。実際『エヴィータ』も日本では劇団四季がレパートリーとして定期的に上演しています。私、劇団四季の『エヴィータ』はまだ見ていませんが、劇団四季の他のミュージカルは何度か見ていますし、ここは日本のトップクラスのミュージカル劇団だと思っているし、ここが上演している『エヴィータ』ならき素晴らしいだろう事は容易に想像できますが、でも、たぶん、私は劇団四季の『エヴィータ』を当分の間は見に行かないと思います。理由ですか? それは劇団四季にがっかりしたくないからです。

 いやあ、ラミン・カリムルーとエマ・キングストンの歌を聞いたら…申し訳ないけれど「日本のミュージカル俳優さんたちとは次元が違う」と思っちゃいました。上手いとか下手とかではなく、全くの別物なんですよ。それくらい、声と歌が違いました。劇団四季を始めとする日本のカンパニーだと、曲の素晴らしさとかダンスの素晴らしさとか舞台の華やかさとかで感動する事はあっても、俳優たちの声で感動するとか、歌で感動するとかは…正直、無いもの。日本のミュージカルって、やっぱり“歌える俳優”たちの仕事なんです。でも、ラミン・カリムルーとエマ・キングストンは“演じられる歌手”なんですよ、それも一級品の歌手なんです。そりゃあ、同じような事をやっても、全然印象は変わるよね。

 で、主役の二人も素晴らしかったのですが、脇役の方々も当然素晴らしかったです。アンサンブルの人たち(つまりコーラス担当のモブ役の方々)も歌は絶品でした。歌は…とわざわざ書いたのは、歌は良いのにダンスはかなり残念だったからです。特に男声のダンスは…本当に残念でした。群舞なのにバラバラだし、ソロで踊ればポーズが全然決まらないし…女声のダンスは、まあ水準程度はできていたと思うけれど、ほんと男声のダンス(これが結構たくさんあるんだな)は残念過ぎます。ダンスに関して言うと、日本のカンパニーの方が数段上です。日本のミュージカルのアンサンブルの人たちって、すごいんだなあって改めて思いました。

 あと、残念だなって思ったのは…演出です。これ、とても分かりづらいです。

 そもそも『エヴィータ』って、ロンドンのウエストエンドで上演されるために作られたミュージカルで、それが大ヒットして世界的規模で上演されるようになったわけです。だから、オリジナル演出(今回の演出はオリジナル演出です)は、当時(1970年代)のロンドンっ子を念頭に置いて演出されているわけで、おそらく初演当時のロンドンっ子にとって、エヴァ・ペロンという人物は旧知の人物(だって、ほんの20年くらい前に、国賓としてイギリスを訪れた人気者ですよ)だったから、こういう演出でも良かったのかもしれないけれど、日本とアルゼンチンは遠すぎますって。当時の日本人にとっても、エヴァ・ペロンって誰?って話でしょうが、21世紀の現代日本人にとっては、エヴァ・ペロンなんて、全然馴染みのない人ですって。この演出では、ストーリー、分かんないよ。

 私は事前に、マドンナ主演の映画版『エヴィータ』を見ておいて、ストーリーとかを頭に入れておいたのでよかったけれど、ほんと、この演出は日本人には不親切だと思いました。日本人が見るなら、予習が必要だね。

 で、話はずれるけれど、マドンナの映画版の『エヴィータ』って良いですよ。意外なくらいに、マドンナがはまり役です。ただ、映画の『エヴィータ』はマドンナを見る映画であって、他の役は、あれこれカットされたり改変されたりしているし、もうひとり主役であるチェ役は、舞台版ではチェ・ゲバラなんだけれど、映画版では完全に名も無き大衆の一人ぐらいの扱いになっているし、あと音楽も…と言うか、オーケストレーションがかなり違うような気がします。もしかするとオーケストレーションそのものは同じだけれどミキシングが違うのかもしれませんが、聞いた感じはかなり違います…まあそんなわけで、舞台版と映画版は別作品だと考えたほうが良いと思います。それくらい違うのですが、日本人には映画版の方があれこれ親切で良いかも…。ただ、マドンナの映画版のDVDって、今、日本語盤は廃盤中で入手困難みたいなんですよ。残念です。お高い中古品しかないみたいです。

 それにしても、シアターオーブ、気に入りました。また行きたいなあ。ちなみに『エヴィータ』は7月29日までだそうです。あと少しで終わっちゃいます。チケットはまだまだラクラク入手可能っぽいですよ。それもいい席がある感じです。大丈夫かな? 最終的に黒字になるのかしら?

 『エヴィータ』が終わると、次が8月1日~12日でオリジナル演出版の『レント』を、8月15日~26日で『コーラス・ライン』をやるそうです。ああ、どれも海外カンパニーの上演で面白そう(でも私、夏はメトのアンコールに行くので我慢我慢)。シアターオーブは、海外カンパニーの上演だけでなく、日本のカンパニーの上演も行うので、お好きな方はそちらも楽しめます。実際、私は、神田沙也加主演の『マイ・フェア・レディー』は見たいかもしれません。

 しかし、東京ではミュージカルがあっちこっちでひっきりなしに上演されていますね。私は首都圏に住んでいるとは言え、首都圏の端っこの方なので、東京で観劇できるのは、休日だけなのです。東京の人がほんと羨ましいです…が、私が東京に住んでいたら、あっちこっちのコンサートに出向いて、確実に破産しちゃうだろうから、東京に住んでいなくてよかった…とも言えます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年7月10日 (火)

日本語に訳されたオペラ上演は…

 先日、オペラ魔女こと翠千賀氏の『カルメン』を見ました…と書くと、ちょっと誤解されそうなので、補足すると、テノールの上原正敏氏が毎年某所で行っている、初心者向けのクラシックコンサートに、翠千賀氏が今年もゲストとして出演してくれて、そこで日本語&ハイライトで『カルメン』をやったのを見た…という話です。

 翠氏のカルメン…すごくいいです。これ、マジでいいです。某カラオケ番組でポップスを歌っているよりも一万倍ぐらい良いです。声といい、容姿といい、全体にまとわりつく雰囲気といい、明らかにカルメンははまり役です。今回は、日本語&ハイライトだったので、かなり物足りなかったのですが、次はぜひ彼女のカルメンを、フランス語の全曲版で聞いてみたいですよ。

 それはともかく、上原氏企画のコンサートに二年連続で翠氏が出演したのは…彼女、上原氏の妹弟子なんだそうです。門下の兄貴が企画するコンサートなら…よほどの事が無い限り、出演するしかないだろうね(そういう世界だからね、声楽の世界って)。おかげさまで、売れっ子の翠を二年連続で直接拝見できたわけですからね、眼福眼福。

 さて本題。久しぶりに見た日本語訳のオペラですが…なんか違和感だよね。もちろん、言葉が聞き取れないわけではないし、日本語だからストーリーは分かりやすい。でも、なんか…ねえ。

 オペラの日本語訳って…訳している方には申し訳ないのだけれど、昔っから、あまり日本語としてこなれていない…って感じがします。ミュージカルの日本語訳とか、ディズニー映画の日本語訳ってのは、日本語として自然に歌に載っていると思うのだけれど、オペラの日本語歌詞って、なんか無理があるような気がするんですよ。日本語とオペラのメロディーの相性が悪いのか、日本語訳が古いのか、あるいは完成度が低いのか…まあ、そのあたりは私には分かりかねるのですが、聞き取れないわけじゃないけれど、聞きづらい…というか、言葉が胸にすっと入ってこないんです。

 なので、私的には、原語のフランス語で歌っていただいて、日本語訳は字幕スーパーで出していただく…という最近のやり方の方がいいかなって思ってます。もちろん、歌はフランス語だけれど、芝居部分は日本語でいいんですよ。

 あと、配役の都合もあって、今回は、テノール1人、ソプラノ2人、女優1人、ピアニスト1人という配置で『カルメン』のハイライトをやったわけです。そうなのですよ、つまりバリトン不在だったんですね。エスカミーリョ無しの『カルメン』って、結構物足りないよ。ミカエラかエスカミーリョが、どちらか一人をカットすると言われれば、私なら迷わずミカエラをカットしちゃいますが…まあ、今回はそうもいかず、エスカミーリョをカットしてしまったのだろうと思います。ああ、残念。

 演出は…大道具なし、衣装とちょっとした小道具だけでしたが、芝居は出演者が常に観客側を向いて演じるという、なかなかおもしろい演出でした。舞台右端でカルメンが客席に向かって花を投げると、それが舞台左袖にいるホセの足元に現れるなんて、なかなか目の錯覚を利用した興味深い演出でした。こういうやり方もあるんだなって思いました。

 演出で面白かったのは、女優さんがラウラというオリジナルの役になって、いわば狂言回しとして、舞台の進行を説明していった事です。ハイライト上演の場合、ストーリーをどうやって説明していくかが工夫されるところですが、こういうやり方もアリなんだなって思いました。

 オペラ上演って、フルで行うと、時間も経費もかかるけれど、こんな具合に工夫してハイライトで上演するのも、オペラへのハードルが下がって良いなあと思いました。

 コンサートそのものはとてもよかったのだけれど、一点疑問が残りました。それは物販です。

 今どきって、どこのコンサートでも物販があるわけで、今回のコンサートでも物販がありました。で、私はそこで売っていた青薔薇海賊団(上原氏が所属している、テノール三人組のグループです)の最新CDとDVDのセットを開演前に買いに行ったら、物販コーナーはすでにオープンしていたのにも関わらず、売ってくれなかったのですよ。コンサート終了後に買いに来いと言うので、これはコンサート後にサイン会でもあるのかなと思い、素直に引き下がり、コンサート終了後に買いに行ったら、特に何もなく、普通に販売してくれました。

 一体、あれはなんだったの? 普通、コンサートに行ったら、開演前から物販ってするものじゃないの? わざわざコンサート終了後じゃなきゃ売らないよ…ってなら、何かあるって思うじゃない? でも、何も無し。ああ、なんか納得いかない。まあ、勝手に期待しちゃったこちらの責任かもしれないけれど、なんかガッカリ。でも、最新盤が大幅ディスカウントで買えたから、まあ良しとしておきます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年5月21日 (月)

メトのライブビューイングで「ルイザ・ミラー」を見てきました

 LFJの連載もそろそろ終わりなのですが、今回はそれをお休みして、こちらの記事をアップしたいと思います。

 まあ、標題の通りです。出かけてきました。本当は、忙しいし、疲れているし、パスしようかと一瞬頭をかすめましたが、頑張って行ってきました。

 結論を言うと、頑張って見てきてよかったです。これはとてもお薦めの上演でした。

 指揮:ベルトラン・ド・ビリー
 演出:エライジャ・モシンスキー

 ルイザ:ソニア・ヨンチェヴァ(ソプラノ)
 ロドルフォ:ピョートル・ベチャワ(テノール)
 ミラー:プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ヴルム:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
 ヴァルター伯爵:アレクサンダー・ヴィノグラドフ(バス)

 まず「ルイザ・ミラー」というオペラ。ヴェルディの作品であるけれど、あまり有名な作品ではありません。ソプラノとテノールに有名なアリアがあるので、アリア集などの楽譜集には掲載される事はありますが、全曲演奏のCDやDVDも少なく、上演機会も多くありません。私も今回見るのが始めてだったのですが、捨て曲が無い音楽的に優れたオペラでした。まあ、ストーリー的には、オペラにはよくある陳腐な話(バカなテノールが事態を悪化させて悲劇に向かう)なので、ストーリー重視の方には呆れられるかもしれませんが、音楽はなかなかのものでした。「マクベス」と「リゴレット」の間の時期のオペラ…と言うと分かるかもしれませんが、彼が爆発的な人気を得る直前の、いわゆる初期~中期頃のオペラで、後のヴェルディを彷彿させるような音楽があっちこっちにたくさんあって、ほんと楽しめました。これはもっと有名になっても良いオペラだなあと思いました。

 で、作品自体もよかったのですが、それを演じる歌手たちが素晴らしかったです。

 ルイザを演じたヨンチェヴァは、トスカの時にも感じましたが、彼女は若い小娘を演じるのが上手いのかもしれません。彼女の歌も演技も、しっかりとルイザの若さ(小娘感)が出ていて、よかったです。ルイザという役は、かなり歌唱が難しそうですが、それを感じさせないほどに巧みに歌っていました。これは初役だそうですが、なかなかハマっていたと思います。

 もう一人の主役である、文字通りの王子様役であるロドルフォを演じたベチャワは、この役の愚かさを十分に演じきっていたと思います。ほんと、見ていて、イライラするほどの若さとバカさをうまく表現していたと思います。もちろん、歌唱も合格点。第三幕の重々しい箇所の歌唱も私的には満足です。

 で、役的には単なる脇役にすぎない、ドミンゴ演じるミラー(ルイザの父)はすごかった。何しろ、彼が舞台にいる時は、ほぼ彼が主役になってしまうのだから(笑)。そのカリスマ性は理屈じゃないです。共演しているソプラノやテノール(本来の主役たち)はやりづらくないのかしら? あと、いつもながらの事ですが、ミラー役はバリトンの役なのですが、ドミンゴはバリトン役をテノール声で演じています。実際、メトの(日本語版)ホームページにも、劇場で配られレジュメにもドミンゴはテノールと記載されています。彼はバリトンに転向したはずですが…今回はテノールとして開き直って歌っているのかしら? それはともかく、本来バリトン役であるミラーをテノール声で演じる事の是非はあるとは思うものの、それを横に置いても、ドミンゴの歌唱と演技は素晴らしかったと思います。ミラーという役が、そもそもテノールを念頭に置いて書かれたんじゃないかしら?と錯覚してしまうほどです(そんなはずは無い!)。

 今回の「ルイザ・ミラー」は、ドミンゴを見るため上演である…と言い切っても良いかもしれません。少なくとも、彼が座長だよなあ(笑)。

 ヴルムとヴァルター伯爵(ロドルフォ父)のバス二人も水準以上だったと思います。まあ、二役とも、もっと重鎮な歌手が歌っても良い役ですが、これはこれでアリだと思いますし、バス同士による二重唱も、なかなか良かったですよ。

 指揮は、本来はレヴァインの予定でしたが、変更してド・ビリーになりました。私はこの指揮者については何も知りませんが、特に問題はありませんでした…ってか、レヴァインがいれば、音楽作りは彼に任せるのだろうけれど、彼がいなくても、今回は指揮者も普通にやっている“生ける伝説”のドミンゴが座長だから、当然と言うか、彼の意見が反映されているのだろうから、問題がないのは、当然と言えば当然でしょう。

 それにしても、公演のキャンセルがあったり、来年からはいよいよ音楽監督も交代だし、レヴァイン、大丈夫なのかな? もっとも、彼の場合、健康問題もさりながら、セクハラ問題もあるわけで…昨今のアメリカのエンタメ界はセクハラにウルサイからね…。レヴァインは、このまま引退…って事になるのかな? レヴァインは大指揮者だけれど、晩節を汚しちゃったねえ…。

 演出は…時代設定をオリジナル設定よりもだいぶこちら側に引き寄せた、いわゆる現代演出なわけだけれど、見ていて全然違和感ありませんでした。いやむしろ、そもそもの設定どおりに男性たちがチョーチンブルマを履いて出てくる方が、今や違和感が生じるでしょうから、これはこれでアリでしょうね。

 という訳で、メトの「ルイザ・ミラー」は、かなりお薦めだと、私は思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年5月14日 (月)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「カルメン」を見てきました

 さて、話の流れ的には、今回は池袋でのLFJの話を書かないといけないのですが…こちらを優先したいと思います。

 標題の通り「カルメン」を見てきました…が、今回はこの上演を見る事について警告したいと思います。ってか、ザックリ言っちゃえば「見るなら、自己責任で。私は薦めないよ」って事です。

 正直言って、今回のロイヤル・オペラの「カルメン」はゲテモノです。なので、ゲテモノ好きか、あるいは「カルメン」は飽きるほど見て、とにかく変わったモノなら、なんでも歓迎!という人ぐらいにしか薦められません。

 薦められない理由を5つ書きます。

1)音楽が薄い

 歌劇「カルメン」の良いところは、捨て曲がない事。どの瞬間にも美しい音楽があふれている稀代の名オペラである事。しかし、今回の上演では、音楽は軽い扱いを受けています。

 まず、レチタティーヴォがありません。レチタティーヴォにあたる部分は、アナウンスで説明されて終わりです。まあ、そもそも「カルメン」のレチタティーヴォは、ビゼーの作曲ではなく、補作したギローの手になる部分ではあるけれど、今となっては、あれはあれで大切な「カルメン」の一部なのです。そこを大胆にカットしちゃった事は…どうなんでしょうね。

 そもそも「カルメン」って未完成なオペラなんです。ビゼーが書いたのは、たくさんの音楽の断片であって、それを放り出したまま、作曲家であるビゼーは死んでしまったわけです。未完成だけれど、美しい音楽がたくさんあったこのオペラを整理して、良い部分は効果的に配置して、ダメな部分は捨てて、足りない部分は補って、現在我々が知っているカタチの「カルメン」にしたのが、友人の作曲家であるギローってわけです。

 ギローって、一流の作曲家ではありません。彼のオリジナルの作品は、現在残っていないしね。でも、音楽家として全く無能だったのかと言えば、そんなわけはなく、彼はビゼーの「カルメン」だけでなく、オッフェンバックの「ホフマン物語」も未完成のまま作者が死んでしまったので、何とか上演できるカタチに仕上げた人でもあります。まあ、作曲家としては一流ではなかったのでしょうが、残された断片を使って、素晴らしいオペラを作り出すのは得意…って事は、編曲家としてはまずまずの腕前だったと思われます。

 でもまあ「ホフマン物語」では、オッフェンバックの音楽をカットしすぎてしまい、後に別の編曲家の方々が、ギローが捨てた部分も拾い出して、今の「ホフマン物語」にしたわけです。まあ、確かにジュリエッタのシーンを丸々捨ててしまったのは、さすがにギローもやりすぎたと私も思います(笑)。

 閑話休題。で、今回の「カルメン」では、ギローが書いた音楽は捨てて、ギローが捨てたビゼーの音楽を復活させたわけだけれど、これがまあ、ギローが捨てたのが正解だと思われるような陳腐な音楽ばかりを拾ってきたわけです。おまけに、ストーリーの進行を優先させたためか、音楽の繰り返しが少なくて、我々が知っている音楽も、かなりショートバージョンにされて演奏されました。結果、美しいメロディーにあふれていた旧来の「カルメン」が、アナウンスと陳腐なメロディーの中にたまに美しいメロディーが混ざっているという、まさに音楽的に“混ぜものいり”の魅力の少ない音楽に仕上がっています。

 こんな薄い「カルメン」を「カルメン」とは思って欲しくない…というのが、一人のオペラファンである私の正直な気持ちです。

2)芝居とストーリーがちゃんとつながっていない

 芝居…つまり、演出の話になります。この上演の演出は、実に刹那的です。一曲ごとの演出は、まあ目新しいし面白いと思います。でも(現代的演出だと大抵そうなるけれど)歌詞と演出は少々乖離していると思うし、曲と曲の演出は決して繋がっていません。まるで「カルメン」の音楽で作られた、ビデオクリップ集を見ているような気分になります。一見すると、とても演劇的な演出だけれど、全体のストーリーがうまくつながっていないと思うわけです。だから演劇的な演出ですらないと思います。

 だから「カルメン」を見慣れた人だと、そこを面白く感じると思う(私も面白かったです)わけだけれど、「カルメン」はもちろん、オペラそのものに不慣れな人(人類の大半がそうでしょうね)たちにとっては、あれこれ誤解を招くし、誤った理解をさせてしまう、罪深い演出だと思います。

 この演出では、ストーリーも音楽も、いわゆる「カルメン」から、遠く離れすぎている…と私は思うのです。

3)歌手たちは精一杯やっているけれど、結果的に残念

 ここで今回の主要スタッフを書いておきます。

 指揮:ヤクブ・フルシャ
 演出:バリー・コスキー(この人が今回の戦犯です)

 カルメン(メゾソプラノ):アンナ・ゴリャチョーヴァ
 ドン・ホセ(テノール):フランチェスコ・メリ
 エスカミーリョ(バリトン):コスタス・スモリギナス
 ミカエラ(ソプラノ):クリスティナ・ムヒタリアン

 まず、カルメンのゴリャチョーヴァから。彼女は、本当に美人です。こんなに美しいカルメンを見たのは、私、たぶん始めてです。実際、ヴォーグの表紙を飾っても不思議じゃないくらいに美人なんです。おまけに、よく動きます。ダンスも良い感じです。

 でもね、歌がね…。たぶん、この人、ちゃんと歌える人なんだと思うけれど、情念が足りないのよ。こういう演出だからそうなんだろうけれど、どのアリアも薄味。カルメンがなぜ、ソプラノ歌手ではなくメゾソプラノ歌手に割り振られているのかと言えば、そこはもう過剰なまでの情念を歌に込めるためだと私は思ってますが、いかがでしょうね。

 ドン・ホセを歌ったメリは…ごめんなさい、劣化版カレーラスにしか思えなかった! 私には彼自身の魅力を感じられませんした。特に「花のワルツ」の最高音を含むフレーズは、晩年のカレーラスが歌ったように、ファルセットで軽く歌ったのですが、ファルセットの扱い方が、カレーラスほど上手ではなく、その前後と声色が極端に違ってしまったのです。ああ、残念。とても残念なのです。そこ以外は、悪くなかったです。イライラするくらい、しっかりダメ人間を演じていたし(これ、褒め言葉です)。

 エスカミーリョを歌ったスモリギナスの歌唱も、カルメンを歌ったゴリャチョーヴぁ同様に、なんか物足りないのです。そういうふうに歌えという指示が演出家からあったんだろうなあと想像しますが、これはお客さんが見たいエスカミーリョじゃないよ。僕らの知っている、カッコいいエスカミーリョを返してくれ!と言いたい気分です。

 ミカエラに関しては、歌の印象がありません(ごめん)。彼女に関しては、その演技力に圧倒されて(だって、本当にハイティーンの女の子に見えるんだよ)、芝居ばかりに注意が行ってしまい、肝心の歌を聞けませんでした。芝居的にはOKなんだろうけれど、それってオペラ的にはどうなの?って感じがします。

 少しは褒めましょう。音楽的に良かったのは、なんと言っても合唱団の皆さんたちです。オトナの合唱団も良かったし、子どもたちの合唱団も良かったです。合唱団の人たちの、メイクとか衣装とかは、ちょっとなあ…と思うし、歌いながらの演技も大変だろうと思うけれど、歌唱は良かったです。コーラスマスターさんは頑張ったんだろうなあって思います。

4)歌手たち以上にダンサーたちの舞台なんだよ

 この上演で、一番目立つのは、ダンサーたちです。誰よりも目立ってましたね。とにかく、強烈なんですよ。このオペラは、ダンサーのためのオペラなんじゃないの?と思ってしまうくらいに、ダンサーたちが目立っていました。実際、時折、歌が邪魔に感じる事すらありましたよ。それくらいに、ダンスが大きな比重を占める演出となっていました。

 ダンス好きならば、大いに楽しめると思うし、ダンサーさんたち、大活躍ですよ。

5)多くの演出が意味不明

 衣装にせよ、メイクにせよ、やたらと派手で目を引きますが、なぜそうなのかは、結局分かりません。ダンサーさんたちの振り付けも(バレエの振り付けのように)意味があるようで、意味を感じられないし、歌手さんたちもアリアを歌いながら芝居をしますが、なぜそういう演技をするのか、意味が分からないし、刹那的に面白い瞬間もたくさんありましたが、ちょっと考えてみると、なぜそんな演出をするのか、分かりません。

 だいたい、最後。カルメンはホセのナイフには刺されますが、死なないで、ケロッとしてますしね。ほんと、意味不明。

 何度も何度もこの上演を繰り返して見れば、その演出意図ってヤツが分かるのかもしれませんが、この上演は二度見る必要はないと思うので、結局、演出家の演出意図は分からずじまいです。観客に分からないモノなんて、エンタメとしてはダメなんじゃないかな?

 まあ、そんなわけで、この上演は、本当にお薦めできません。この5つの理由の前には、舞台上の大道具は、大きな階段一つで、舞台装置らしい舞台装置がない事なんて、全然問題になりません。時代や場所が不明であったり、現代演出であったりする事も、全然問題になりません。

 とにかく、演出家さんの「オレってすごいだろ?」臭がプンプンとした、ゲテモノな「カルメン」に仕上がっております。ってか、この演出ならば、別に音楽は「カルメン」じゃなくても、よかったんじゃないのってすら、思います。それくらい、音楽なんて、どうでもいいって扱いの上演でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年5月 7日 (月)

メトのライブビューイングで「コジ・ファン・トゥッテ」を見てきました

 ブログ記事をアップする順番を間違えました(汗)。LFJの記事は毎年の事だし、私にとって大切な記事だけれど、リアルの世界ではすでに終わったイベントであり、思い出記事なわけです。しかし、メトのライブビューイングは、今もまだ上映しているわけで、皆さんの参考になるかもしれないはずの記事であって…とにかく、今日はLFJは横に置いて、メトの方の記事を急いでアップします。

 という訳で、モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」の新演出版をライブビューイングで見てきました。

 指揮:デイヴィッド・ロバートソン
 演出:フュリム・マクダーモット
 フィオルデリージ:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
 ドラベッラ:セレーナ・マルフィ(メゾソプラノ)
 フェルランド:ベン・ブリス(テノール)
 グリエルモ:アダム・プラヘトカ(バス・バリトン)
 デスピーナ:ケリー・オハラ(ソプラノ)
 ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン(バリトン)

 見に行く前の舞台写真などを見ていると、どうやら現代演出らしいというのは分かっていました。今っぽい服装で、今っぽい設定で…なんか期待できないなあ…と薄ぼんやり思っていたのでした。

 実際、舞台の設定は1950年代のコニーアイランドっぽい場所(コニーアイランドってのは、ニューヨークの都市型リゾート地の一つで、遊園地などがたくさんあった所のようです。今の日本で言えば、舞浜って感じなんでしょうね)で、まごう事なき“現代演出”だったわけです。

 でもね、これは当たりだと私は思いました。いや、むしろ、古典的な演出よりも、こっちの方がいいかも…とすら思ったわけです。

 だって、そもそも“コジ・ファン・トゥッテ”って、嘘っぽいお話でしょ? ああいう嘘っぽいお話は、嘘がまかり通る舞台装置が必要なわけで、そういう意味でも、現代設定とは言え、リアルとファンタジーがまぜまぜになったリゾート地でのお話ってのは、アリアリなんだと思います。

 で、このオペラの演出における世界観は、ほぼミュージカル映画「グレーテストショーマン」の世界なんです。本当にコビトさんはいたし、火吹き女はリアルに火を吹いていたし、蛇使いは本物の大蛇を首に巻いてたし、剣呑み姉弟は本当に剣を飲んでいたし、本当にあのミュージカル映画の世界観そのままだったんです。実際、共通して出演していたキャストさんもいたし、彼らはもちろんオペラでは黙役なんだけれど、ただのお飾りではなく、しっかりした存在感はあるし、舞台の進行上も必要な人たちなんだよね。

 また、元々からいる役である、哲学者のドン・アルフォンソなんて、グレイテスト・ショーマンの主人公でヒュー・ジャクソンが演じたバーナムそのものだったし…ね。

 あの、グレーテストショーマンの世界のようなエンターテインメントな世界なら、コジ・ファン・トゥッテのお話もアリかなって思ったわけです。

 ちなみに、オペラの中では、舞台になっていた遊園地の名前が“コジ・ファン・トゥッテ”だったりします。おもしろいでしょ? ミュージカル映画「グレーテストショーマン」が楽しめた人なら、このオペラ、楽しめると思いますよ。

 歌手についても書いておきます。最近のメトは、あまり有名ではない人も、とても水準の高い歌唱を聞かせてくれます。今回の人たちも、ケリー・オハラ以外は、あまり有名ではないけれど、みんな高水準の歌を聞かせてくれました。特にテノールのベン・ブリスはすごぶる美声で…ああ、生で彼の歌は聞いてみたいです。

 唯一の有名人であるケリー・オハラだけれど、存在感はすごかったですよ。彼女が出てくると、ほぼ彼女の舞台になってしまうくらいです。演技力は抜群。歌も、期待していた以上に歌えて、むしろビックリ。これで歌が上達してしまったら、無敵のオペラディーヴァになってしまうかもしれません。凄い人材をメトは発掘したのかもしれません。

 もちろん、実際のメトでは、ケリー・オハラは毎回出演できるわけじゃないので、デスピーナを別の人が演じる時もあるだろうけれど、そちらの方は、どんな感じなのだろうかと、余計な心配をしてしまうくらいに、ケリー・オハラは存在感バッチリなんですよ。

 という訳で、この新演出の「コジ・ファン・トゥッテ」は、なかなかおもしろいですよ。あえて欠点を言えば、現代演出って事で、衣装が地味なんてすよね。特に第一幕の姉妹の服装なんて、ほぼ普段着のノリですからね。おまけにフィオルデリージは黒縁メガネをかけているし…なんかそういうところで拒否感を感じる人もいるかもしれません。

 というわけで、好き嫌いが分かれてしまいそうですが、私は気に入りましたという記事になりました。

 まあ、どちらにせよ、かなり個性的な演出なので、始めてコジ・ファン・トゥッテを見るという方には、お勧めしません(笑)が、何度もコジ・ファン・トゥッテは見ております…という方は、騙されたと思って、この演出版を見るとよいですよ。ほんと、おもしろいです。

 あと、オペラとは全然関係ないけれど、来年から、メトの音楽監督が、レヴァインから、若手のヤニック・ネゼ=セガンに交代する事になりました。元々、ネゼ=セガンに音楽監督が交代すると言うのは、決まっていたそうなんだけれど、その交代時期は、来年ではなく、2年先の予定だったそうですが、それが2年間前倒しになっての交代なんだそうです。レヴァインの状態がよろしくないのかもしれませんね。どちらにせよ「ご苦労さま、、レヴァイン。頑張れよ、ネゼ=セガン」ってところでしょうね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年4月16日 (月)

メトのライブビューイングで「セミラーミデ」を見てきた

 標題通り、ロッシーニ作曲の「セミラーミデ」を見てきました。「“セミラーミデ”? なにそれ、美味しいの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。まあ、それほどに上演機会の少ない、マイナーオペラなわけです。

 なぜ、このオペラの上演機会が少ないのか? それには色々な理由があります。

 1)歌唱が難しいから。
 2)ストーリーの進行が遅く、上演時間が長く、今の時代に合わないから。
 3)母殺しで解決されるストーリーって、どうなの?
 4)主役がカストラートだから。

 まず1)の歌唱が難しいから…について。このオペラの歌唱部分の楽譜って、どのパートもおそらく“真っ黒”なんだと思います。つまり、装飾音符やらメリスマやらがやたらと多くて、すべてのパートにコロラトゥーラ歌手が必要とされるからです。つまり、細かい音符を正確に転がしていくのが得意な歌手が必要なのです。

 コロラトゥーラという歌唱技法って、実はかなり難しい技法なのです。だから、コロラトゥーラが得意な歌手を、わざわざ“コロラトゥーラ歌手”と呼んでしまうくらいに、コロラトゥーラが得意な歌手って、珍しいし、それだけ希少価値な歌手なのです。

 で、コロラトゥーラという技法は、コロラトゥーラ歌手の大半が、声の軽いソプラノ歌手である事から分かるように、声が高くて軽い事が必要条件となってきます。つまり、声が低い歌手であったり、重い声の持ち主では、声が転がりにくく、なかなかコロラトゥーラが出来ない…という事情があったりします。

 で「セミラーミデ」ですが、オロエ役のバス歌手以外のソリストさんたちには、これでもかってくらいに、やたらとたくさんの…と言うよりも、ほぼすべてのフレーズにコロラトゥーラが付いているのです。コロラトゥーラ標準仕様…ってわけです。はい、ソプラノだけでなく、メゾにもテノールにもバリトンにもコロラトゥーラが得意な歌手が揃わないと成り立たないのが、このオペラなんです。

 そりゃあ、上演されないわな。まあ、今回みたいに無理やり(?)敢行しても、揃える歌手は技量第一優先となるから、スター歌手を揃えることは難しいだろうし、スター歌手が揃わないと、オペラの興行的には厳しかったりするので、そうなると、ますます上演機会が減るだろうね。

 あ、ちなみに今回はこんな感じのキャスティングでした。

指揮 マウリツィオ・ベニーニ
演出 ジョン・コプリー

セミラーミデ(ソプラノ) アンジェラ・ミード
アルサーチェ(メゾソプラノ) エリザベス・ドゥショング
アッスール(バリトン) イルダール・アブドラザコフ
イドレーノ(テノール) ハヴィエル・カマレナ
オロエ(バス)ライアン・スピード・グリーン

 ほら、スター歌手はいないでしょ?

 2)について書くと、まず上演時間は、2幕ものにも関わらず、休憩入れて約4時間かかります。つまり、普通の映画を2本連続して見ているような感じです。で、ストーリーの描写がかなり丁寧で、オペラを見ていて、お話はとても分かりやすいのですが、いかんせん、ストーリー進行が本当にゆっくりで、見ていてキツイものがあります。オペラなのに、丁寧にストーリーを描写しちゃっているんです。いやあ、見ていて疲れますよ。

 さらに3)について書くと、このオペラのストーリーって、結局“母殺し”なんです。父の仇として母を殺すという「え? なに、それ??」って話なんです。国民総マザコンなイタリア人ならともかく、日本人だと…いや日本人に限らず、他の国々の人たちに共感してもらうのって、キツイんじゃないかな?

 で、トドメが4)になります。このオペラの実質的な主役であるアルサーチェという役は、若い軍人なんです。たぶん年齢設定はハタチ前後。軍人だから、屈強な感じで、雄々しさと繊細さが同居しているような青年なんですよ。で、音域とか時代背景や当時の上演スタイルなどを考えてみると、この役、カストラートで演じられることを前提としていると思うのです。カストラートが演じれば、おそらくすっきりするんだろうと思うけれど、今の時代にカストラートがいないので、ズボン役のメゾソプラノがやるんだけれど、これが実に残念なんですよ。

 メトでこの役を演じているエリザベス・ドゥショングは、メイク等を頑張って、見かけは(とても青年軍人には見えないけれど)少年に見えるようにして、オバサン臭さは出していませんが、やはり声がメゾなのが残念なのです。

 楽譜に書いてある音はメゾで歌うのがちょうどよいのだろうけれど、メゾで歌うと、どうしても声がくすみがちになります(まあ、それがメゾの声だからね)。声に輝かしさがないんです。青年軍人役だし、ヒーローなんだしイケメン役なんだし、もっと声に輝きが欲しいよね。そういう点では、メールアルトやカウンターテナーで、声が(女声っぽかったり中性的な声ではなく)男声的な歌手の方に歌ってもらいたかったなあ…って思います。まあ、メトで歌える男声っぽいカウンターテナーの人って…そもそもいるのかしら?

 とまあ、残念点ばかりをとりあげてしまったけれど、歌好きには、なかなか楽しめる演目でした。だって、最初っから最後まで、歌いっぱなしなんですもの。それもやたらと難しいフレーズを歌っているわけで、声のサーカスを見ているような気分になります。そういう意味では、このオペラは、オペラ通の人たちのための演目なのかもしれません。

 私? 私はたっぷり楽しみました。でも、もういいや。二度は聞かなくていいです。少なくとも、あと10年ぐらいは大丈夫です。満腹になりました。そういう感じのオペラでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年4月10日 (火)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 さて、お約束どおり、一週間で復活してきました…が、まだまだ仕事が忙しいので、また休むかもしれませんが、その時はご勘弁ね。

 本日の記事は、標題の通りです。ロイヤル・オペラ(通称、コヴェントガーデン)で「トスカ」を見てきました。つい先日、メトの「トスカ」を見てきたばかりなので、ついつい比較してしまいました。

 ちなみに、ロイヤル・オペラの配役等は以下の通りです。

演出 ジョナサン・ケント
指揮 ダン・エッティンガー
出演 アドリアンヌ・ビエチョンカ(トスカ)、ジョセフ・カレヤ(カヴァラドッシ)、ジェラルド・フィンリー(スカルピア)他

 さて、メトとの比較を簡単に言うなら「目に優しいメトロポリタン、耳が嬉しいロイヤル・オペラ」って感じでしょうか? とにかく耳が嬉しいのです。

 オケにせよ、合唱にせよ、もちろんソリストも、すべて水準以上の出来です。これ以上を望むなら、もう後は好みの問題になってしまいます。

 例えば、フィンリーのスカルピアの歌唱はとても良いのですが、私的には、声にもう少し低音成分が強い太めの声の方が好きです。でも、この役はバスの役ではなく、バリトンの役なので、世間一般的にはフィンリーの歌唱で上出来でしょう。カヴァラドッシの声も、もっとヒロイックな声だとうれしいのですが、そもそも彼は画家なので、カレヤの声でも上出来です。ビエチョンカのトスカだって、もっと若々しい声の方が私は好きですが、そんな声でトスカ役は歌われたことがないので、私の言い分はあまりに贅沢です。

 つまり、そんなわがままな好みを言い始めてしまうくらいに、実にすぐれた歌唱だったという事です。世間的には問題ないレベルです。

 しかし、耳が嬉しくなるために、目は閉じないといけない事になりました。

 オペラって目をつぶって見るものだなあ…と、以前から思っていましたが、今回も強くそう思ってしまったわけです。そう、ビジュアル的には、かなり厳しめのトスカだったんです。

 なにしろ、主役3人と指揮者の4人で並ぶと、一番美しい顔の持ち主が…指揮者のエッティンガーなんです。歌手よりも美しい(ってか、イケメンな)指揮者って、どうなの?って思うし、指揮者に容姿で負けちゃう歌手ってもの、残念なモノです。

 特に声は素敵だけれど、トスカ役のビエチョンカの容姿は…年齢相当で、かなり残念です。これが舞台だったら、遠目で見るので「太めのトスカだなあ…」ぐらいで済みますが、ハイヴィジョン収録ですから、あれやこれやをくっきり映し出すので、トスカが若くて美しいというのが、とっても無理に感じてしまうのです。そこがとっても残念です。

 でも、ビエチョンカの努力はスゴイんですよ。今回の上映では、リハーサルシーンもたくさん見せてくれますが、リハーサルのビエチョンカはほぼノーメークなんです。ですから、年相応どこか、あきらかにお婆ちゃんトスカなんですが、本番舞台では、ばっちりメイクをして、若さと美しさをボトムアップしてくるわけです。リハーサル姿から見れば、本番の彼女は一世代ぐらい若返っています。それは実に見事だし、女は化粧で化けるんだなあと思うわけです。だから、舞台の彼女は、あれで精一杯だし、かなりうまく化けているんです。

 でも、ハイビジョンだと、そこまでしても、アップがツラいんですよ。そういう事なのです。

 それに…ビエチョンカも太めだし、カレヤも巨漢ですから、愛の二重唱を歌って、互いに抱き合うと、まるでお相撲さんの取り組みみたいになっちゃいます。いやあ、残念。

 ですから、ヴィジュアル的には、メトの圧倒的な勝ちになります。でも、サウンド的には、絶対にロイヤル・オペラの勝ちです。ソリストの出来が全然違います。特に私が感心したのは、二幕でのカレヤの歌唱です。高らかに勝利宣言をする箇所では、彼の歌声が歪んでしまっているんですよ。つまり、機械の想定以上の音量で歌ってしまったんです。それってすごいでしょ? ああ、生で聞きたかったなあ…と思います。きっと、すごい迫力なんだと思います。

 そう言えば、歌劇場と言っても、メトロポリタンとロイヤルでは、全然劇場の規模が違うんですよね。3800人も入るメトに対して、ロイヤル・オペラは2256人です。ロイヤル・オペラはメトの6割程度の大きさなんですよ。半分ちょっとの大きさしかない歌劇場なんです。だから、メトで劇場を震わせるような大声で歌うなんて、まあ無理なんです。

 ちなみに、スカラ座は2030人、ウィーンの国立歌劇場は1709人なんだってさ。日本の新国立劇場も1814人で、ヨーロッパの劇場並なんです。つまり、メトがやたらと大きいって事ですね。

 そんな大きな劇場で歌う歌手って、つらいでしょうね。だから、メトとロイヤル・オペラの歌唱を比較するのは、ちょっと可哀想なんだけれど、まあ、仕方ないね。

 それにしても、日本にいながら、メトとロイヤル・オペラの比較が最新上演作の比較ができるなんて、なんて贅沢な世の中になったんでしょ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年3月12日 (月)

ロイヤルオペラ『リゴレット』を見てきました

 ロイヤルオペラとは“英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2017/18”の事であり、ざっくり書いちゃえば「コヴェントガーデンのライブビューイングを見てきた」って事です。

 私は、オペラのライブビューイングは、アメリカのメトロポリタン歌劇場のモノを中心に見ていますが、たまには別の歌劇場のライブビューイングも、こうして見るわけです。

 同じ演目でも、上演する歌劇場が違えば、あれこれ違うわけです。

 今回、ロイヤルオペラの『リゴレット』は、当地では大人気の演目で、特にその演出は“ゴキブリ・リゴレット”と呼ばれるほどに、地元の人たちからは愛されているんだそうです(リゴレットの道化衣装が、ほとんどゴキブリだから、そう呼ばれているわけです)。

 このディヴィッド・マクビィカーによる演出は、かなりエグい演出です。たぶん、日本では上演できません。メトロポリタンで上演すれば、おそらくブーイングの嵐となるでしょうね。でも、英国の紳士淑女の皆さんは、これを受け入れ、むしろ愛しているわけです。

 さすが、演劇の国イギリス、懐、深いなあ…。

 特に第一幕第一場のマントヴァ公爵の宮殿のシーンがエグいエグい。とにかく、どれだけ公爵が好色であり、リゴレットが並外れた太鼓持ちであり、公爵に使える廷臣たちの性根が腐っているかが、これでもかってくらいに描写されるわけです。このシーンがあってこそ、モンテローネ伯爵の悲しみが際立つのであり、それゆえにリゴレットの公爵に対する警戒心とジルダの誘拐後の悲しみと復讐心が際立つわけです。それゆえのエグい演出なわけです。

 ざっくり言っちゃえば、生オッパイのポロリなんて何度もあるし、生全裸もあれば、生レイプもあるわけです。でも、これ、必要なんですわ。これがあるから、リゴレットの悲劇が生々しく表現されうるわけです。

 という訳で、このエグい演出には、当然好き嫌いがあるでしょう。なので、安易に「ロイヤルオペラのリゴレットはいいよ、ぜひ見たほうがいいよ」とは簡単に言えないわけです。

 さて、歌手に関して言えば、公爵を歌ったマイケル・ファビアーノは、実に素晴らしいです。昨今のテノール歌手で、力強さと輝かしさが両立した歌声って、なかなか無いですよ。実に良いテノールです。

 ジルダを歌ったルーシー・クロウは、カメラがアップになると、ちょっとキツイのですが、それを除けば、ジルダにふさわしいソプラノさんだと思います。声も良いし、演技も十分です。スパラフチーレやマッダレーナの歌手さんたちも、歌も声も演技も、まあ水準以上でしょう。

 リゴレットを歌ったディミトリ・プラタニアスも水準以上と言っちゃあ水準以上なんだけれど、リゴレットという役は、バリトンの持ち役の中でも、エース級の歌手たちが歌ってきた役なわけで、この役を歌うという事は、そういった過去のエース級の歌手たちの歌唱と、どうしても比較されちゃうわけです。

 プラタニアスのリゴレットは…単純にかわいそうなんです。でも、リゴレット自身だって、公爵同様に、相当な悪人だし、性根は腐っているわけだし、その悪人ぶりは、第一幕第一場でしっかりと描写されているわけだから、かわいそうであると同時に、因果応報と言うか、自業自得な部分もあるわけですが、プラタニアスのリゴレットは、そういうリゴレットの持つ、複雑なキャラがうまく表現されていないと思うんですよ。

 リゴレットの悲しみが複雑であればあるほど、ジルダの悲劇が、より際立ち浮かび上がるんですよ。でも、リゴレットが単純にかわいそうなだけだと、ジルダがただ単に、恋に盲目になって暴走しただけのバカな小娘になってしまうわけです。

 だから、モンテローネ伯爵の呪いは、どうなっているの?…って話なんですよ、でしょ?

 このオペラは、本来は昨年亡くなったディミトリー・ホロストフスキーがリゴレットをやるはずだったんだそうです。あくまでもプラタニアスはダブルキャストのBチームのリゴレットだったわけです。もしもホロストフスキーがリゴレットを演じていれば、どんな感じになっていたでしょうか? ホロストフスキーは、かなりのイケメンですからね、典型的な醜男であるリゴレットなんて、演じられたのでしょうか? 逆に、イケメンさを感じさせないほどの演技を見せてくれたでしょうか? 今となっては全く分かりませんが、どちらにせよ、プラタニアスではないバリトンさんで、このリゴレットを見たら、また印象が変わるんじゃないかなって思う私なわけです。

 とにかく、色々あるにはあったわけだけれど、私的には、この上演は大当たりだったわけです。リゴレットというオペラは前々から知っていましたが、今回はじっくりと味わい、その素晴らしさを堪能しました。どれだけ気に入ったのか言えば…映画が終わるや否や、すぐに銀座に行って、リゴレットのヴォーカルスコアを買っちゃったくらいです…八千円もして、高かったけれど(汗)。んで、そのヴォーカルスコアを見ては、映画を思い出して、グフグフ言っているわけです。

 まあ、マントヴァ公爵、いつかは歌ってみたいです。もちろん、いつか…ですね。楽譜を見ると、めまいがするほどに難しいんですわ、マントヴァ公爵。でも、いつか歌ってみたいなあ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月21日 (水)

『グレーテスト・ショーマン』を見てきました

 ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画だというので見てきました。ヒュー・ジャックマンと言えば、一般的には“ウルヴァリン”でしょうが、音楽ファン的には「レ・ミゼ」の“ジャン・バルジャン”なわけで、そりゃあ見に行くしかないでしょう。

 公式ホームページはこちらです。

 で、見てきました。さすがに『ラ・ラ・ランド』後のミュージカルというわけで、実に音楽と演技が見事にシンクロしていました。歌も芝居の一部であって、そういう点では21世紀の新しいミュージカルだなって思いました。歌と芝居と演出が高いレベルで関連していました。良いね。

 曲は、どの曲もとても良かったですよ。捨て曲無しです。おそらく、キラーソングは“This is me”だろうけれど、実にパワフルな曲です。いいよ、いいよ。

 何度も繰り返して見たくなるミュージカルです。なかなか良質なミュージカルだと思いました。

 もっとも、だからと言って、手放しで賞賛できるタイプのミュージカルなのかと言えば、ちょっと違います。音楽は良いんだけれど、その他の部分で、物足りなさを感じちゃいます。

 まずは、ストーリー。主人公バーナムの立身出世物語(と挫折)を中心に、それに各種差別問題を絡めているんだけれど、ドラマ的には、そんなに深くないです。「ミュージカルのストーリーなんて、そんなもの」と言えば、それで終わりなんだけれど、だったら、もっと脳天気なストーリーでいいと思うわけです。素材的には、もっと深みのあるストーリーだって作れるだろうに…と思うと、ストーリー的に残念です。

 主人公のバーナムという人は、アメリカではとても有名な実在のビジネスマンらしいし、バーナム以外の登場人物たちも、みな実在の人物で、バーナム同様に有名人らしいのですが、どれもこれも我々日本人には馴染みの薄い人物です。どうやら「みんな知っているよね」というのが前提にあり、あれこれ説明不足の掘り下げ不足なのです。たくさんのエピソードがストーリーに組み込まれていますが、その多くは見ていて「?」となってしまうのですが、おそらくそれはアメリカ人にとっては既知の話であり、細かい説明が省かれているのだろうと思うのだけれど、そういう部分が、我々日本人には、ちょっと不親切な作りになっているようです。

 つまり、ストーリー的には楽しめないし、共感もしづらい話です。でも、それを補って余るほどに、音楽は良いです。

 『グレーテスト・ショーマン』の音楽は、上質な、今時のロック風味のポピュラー音楽です。そこは1950年代のロジャースのミュージカルや1990年代のロイド・ウェーバーの音楽とは違うわけです。

 ミュージカルがこの世に生まれて、約百年くらいでしょうか? そもそもは19世紀末のオペラが、あまりに重厚に規模も大きくなってしまったアンチテーゼとして生まれた、軽妙で洒脱なオペレッタが、20世紀になって、アメリカに渡り、様々な現代的な音楽を吸収して出来上がったのが、現代のミュージカルなわけです。ほぼ20世紀初頭に死滅してしまったオペラにとって変わるように、20世紀初頭に生まれたミュージカルですが、今やオペラとはだいぶ違う地平の上に成り立っているようです。その最極限が『ラ・ラ・ランド』だったんだろうと思いますが、この『グレーテスト・ショーマン』も音楽的には、かなり先端に近いところにいるのだろうと思います。少なくとも、ロイド・ウェーバーの音楽よりも、だいぶ尖っています。

 今のアメリカ人は、こういう歌芝居を好むのかな…って思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん