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  •  7月も中旬なのに、まだ梅雨があけない…。そろそろあけてもいいのに、全然気配すらなく、余裕で雨空が続いてます。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2019年6月27日 (木)

「アラジン」を見てきた

 ここで言う「アラジン」は、只今絶賛上映中のディズニーの実写版映画の「アラジン」の事です。ちなみに私は、劇団四季のミュージカル版「アラジン」は見たことがありますが、オリジナル(?)のディズニーアニメ版の「アラジン」は見たことが無い事を白状しておきます。

 というわけで、私の「アラジン」のイメージはミュージカルだし、ディズニーアニメって、ミュージカル仕立てのモノも多いので、当然、今回の実写版「アラジン」もミュージカル映画だと思って見に行きました。結果は…まあ、ミュージカルだったかな? ただ、あんまり歌っていなかった印象があります。ストレートプレイがかなり多いミュージカル?だったような気がします。

 なので、音楽に期待して見に行くと、ちょっぴりガッカリするかもね。

 ちなみに私が見たのは、字幕版だったので、話題のプレミアム吹替版についてはコメントできませんが…字幕版で思ったのは「ウィル・スミス、歌、上手~い」って事。アラジンとジャスミンの俳優さんは、そもそも歌える人をキャスティングしているだろうから、歌が上手くて当然だけれど、ジニー役のウィル・スミスは、ウィル・スミスありきのキャスティングだろうから、彼の歌の能力って、期待していなかったのだけれど、彼、歌がめっちゃ上手じゃない? すげーな。あんまり上手すぎて、歌はダブルの人が歌っているんじゃないかと邪推しちゃいます(ほんとはどーなんだろ?)

 キラーソングである「A Whole New World」は、普通に良かったですよ。まあ、この曲は「アラジン」の挿入歌と言うよりも、今や普通にスタンダード・ナンバーになってる曲だから良くて当然か。

 で、映画そのものにはあまり期待していなかったのですが、実際に見て、感心したのが、映画ならではのスケール感とか、アクションやダンスとか、特撮(CG)の部分です。

 いやあ、劇中の世界が広い広い。たぶん、オリジナルのアニメ版も世界が広いんだろうけれど、私が知っている「アラジン」はミュージカル版だから、所詮舞台の上なんだよ、そこと比べると、目がくらむばかりに世界が広いんです。

 ミュージカル映画だから、ダンスはフィーチャーされて当然だけれど、そのダンスが実にキレキレなんですよ。あれ、本当にリアルに踊っているの? と思ってしまうくらいに、みんなキレキレなダンスを踊るんです。実際、どうなんでしょうね? あれはリアルなダンスなの? それとも特撮仕掛けのダンスシーンなの?

 アクションシーンは、当然CG&スタント満載なんだろうけれど、実に手に汗握る迫力です。ほんと、目が喜びまくるアクションシーンの連続なんです。イアーゴと空飛ぶ絨毯の空中戦なんて、ほんと、すごいよ。

 そうそう、舞台が王宮だから、あれこれゴージャスでカラフルなんだけれど、実写だと、本当にゴージャスでカラフルに見えるからすごいよね。

 ちょっぴり残念だったのは、オウムのイヤーゴが年寄り鳥だった事かな? CGとリアルなオウムをダブルで使っていたんだろうけれど、オウムの年齢が分かる人なんて少ないんだから、もっと若くてキレイなオウムを使って欲しかったかな…。虎のラジャーは、実に見事で立派な虎だったけれど、あれはきっと100%完全にCGだったから、あれだけ立派になったんだと思う…ってか、リアルな虎を俳優さんたちと同じステージには立たせられないよね。

 アラジンとジャスミンの俳優さんは、実にアラジンとジャスミンでした。イメージどおりだよね。ウィル・スミスのジニーは…やっぱり、チャラ男バージョンのウィル・スミス…かな? ウィル・スミスってアクの強い役者さんだから、役が彼に引き寄せられちゃうんだよなあ。まあ、あのジニーに関しては、好き嫌いがあるかも?

 私、正直な話、あまり期待せずに見に行った「アラジン」だけれど、期待していなかった分、満足しました。うん、面白い映画でしたよ。ミュージカル映画としてみると、ちょっぴり寂しいけれど、普通のファンタジー映画として見るなら、まあ上質な映画だと思いました。

 なので、しばらくしたらまた実写版を見てもいいかなって思うけれど、だからと言ってアニメ版を見たいとは思わないんだよね。アニメ版のあの絵柄が、私を遠ざけるんだよね。だから、あの頃のディズニーアニメって、良作が多いという評判だけれど、どれもこれも実は見ていないんだよね。

 あ、「美女と野獣」だけは、仕事がらみでアニメ版を見たっけ。で、アニメ版を知っているから、実写版は期待しなさすぎて見なかったんだけれど、「アラジン」の実写版がこんなにおもしろいなら「美女と野獣」の実写版を見なかった事に、いまさら後悔している私なのでした。

 今年の夏休みは「ライオンキング」の実写版が公開されるんだよね。ふふふ…。

蛇足  やっぱり、アラジンという若者には共感できないなあ。主人公がコソドロってのが、この物語の大きな欠点だと私は思います。貧しい行商人とか、雇い止めされたばかりの青年とかじゃ、いけなかったのかしら?

 

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2019年6月18日 (火)

ロイヤル・オペラ・ライブで「ファウスト」を見てきた

 グノー作曲の「ファウスト」を映画で見てきました。演奏していたのは、ロイヤル・オペラ(コヴェントガーデン)です。映画のオペラと言えば、今まではメト中心な私でしたが、今年は案外、ロイヤル・オペラを見る回数が多くて、自分でもビックリしています。

 さて、今回の上演のスタッフは、以下のような感じでした。

指揮 ダン・エッティンガー
演出 デイビット・マクヴィカー

ファウスト:マイケル・ファビアーノ(テノール)
メフィストフェレス:アーウィン・シュロット(バリトン)
マルグリート:イリーナ・ルング(ソプラノ)
ヴァランティン:ステファン・デグー(バリトン)

 ちなみに、マルグリートは、本来はディアナ・ダムラウが歌う予定でした。キャンセルされちゃって代役の歌手さんが歌ったわけですが…ダムラウを見たくないわけではありませんが、別にルングさんでも十分でした。そもそも、マルグリートって役は、そんなに主張の強い存在感のある役じゃないし、スターが演じなくても十分と言えるし…ねえ。

 で、ファウストというオペラそのもののの感想ですが、なんでしょう…まるで高級旅館の夕食のようなオペラでした。とにかく、ご馳走感あふれるオペラです。さすが、フランスグランドオペラですね。すべてのソリストにキラーソングのアリアはあるし、合唱も重唱も豊富にあるし、バレエもたくさんたくさんあるわけです。五幕にある「ワルプスギスの夜」なんて、独立したバレエ演目としてやれるレベルのバレエ曲だよね。

 で、どの曲も水準以上なので、オペラを見終わると、もう満腹です。19世紀に大流行した理由も分かります。

 このオペラの欠点は…あえて言えば…長い事かな? なにしろ五幕ものだからね、休憩抜きの演奏時間だけで3時間越え! 休憩時間を入れれば…なかなかの演奏時間になっちゃうでしょ? 普通に30分の休憩を4回入れれば、それだけで+2時間だもの。ほぼワーグナーオペラ並の時間になるわけで、忙しい現代人向けではないのかもしれません。その上演時間の長さ以外には目立って大きな欠点のない名作オペラなのでした。

 作曲家はグノーだし、ストーリーはゲーテだもん、悪いわけないよね。後は演出家次第だけれど、今回の上演のデイビット・マクヴィカーの演出って、ゴージャスで分かりやすくて私は好きです。彼の演出って、どことなくゼフィレッリの演出に通じる部分もあって、いいよね。

 歌手はみんな水準以上で良かったですが、特筆すべきは、ネトレプコの元旦那のシュロットですね。ヨーロッパで悪魔役をやるというのは、我々日本人には分からない“何か”があると思うのですが、なんとも肝の座った悪魔を演じていました。すげえよ。

 それにしても、ストーリーには救いがないねえ。メフィストフェレスは悪魔だからクズなのは当然として、主人公のファウストも陰キャの上にクズなんだよね。クズ二人組に食い物にされちゃうのが、世間知らずな小娘であるマルグリートなわけで、マルグリート可愛そう過ぎます。妊娠させられて、心を病んで、子どもを殺して、監獄入り…だよ。悪魔と関わると、ロクなことがないわけです。ま、そもそもカタルシスの開放なんて無いストーリーだからこそ、最後の最後に神様が登場してマルグリートを救っちゃうんだけれど、これって19世紀的にはアリなんだろうけれど、21世紀の日本人にとっては「???」なわけで、まあ無いよね。

 まあ、オペラのストーリーって、救いのないバッドエンドが多いんだけれど(それが悲劇ってヤツなんだろうね)その中でも、なかなかに後味の悪いのが、ファウストかもしれませんね。

 ちなみに、今年の9月に、ロイヤル・オペラが日本にやってきます。その時の上演演目が「オテロ」と「ファウスト」です。来日公演に持ってくるほどの自信演目ってわけですね。ちなみに、来日公演ではファウストを歌うのはグリゴーロです。グリゴーロが陰キャのクズを演じるのはどうかと思うけれど、声的には適役ですね。ま、私は行きませんが(笑)。だって、高いんだもの。S席が約6万円だよ。二人で行けば12万円。12万円支払うなら、オペラ鑑賞ではなく、女房と二人で温泉旅行に行きたいですって。

 

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2019年5月27日 (月)

ロイヤルオペラのライブで「運命の力」を見てきた

 ロイヤルオペラ(コヴェントガーデンのこと)では、映画館での上演を“ライブビューイング”ではなく“ライブ”という言葉を使っているんだけれど、普通日本では“ライブ”って、生で直接コンサートを見る事を言うんだよね。事前に収録したものを映画館で見るのは“ライブ”とは言わないわけで、そこんとこ、関係者の皆様には考えていただきたいなあ…と思ったり思わなかったりします。

 まあ“ライブ”って“生中継”のつもりで使っているのだろうけれど(実際、日本以外では生注意らしいし、以前イオン系で配給されていた頃は生中継だったらしいけれど…東宝系に配給が変わってからの)日本じゃあ生中継じゃないし、日本語の(カタカナ語の)“ライブ”には生中継って意味は無いし…。最近は“ライブ中継”なんて言葉も見聞きしますが、まあせいぜいそんなところだよね。

 と、表題を書くのに悩んでしまったので、ついついグチが出てしまいました。

 それはさておき「運命の力」です。

指揮:アントニオ・パッパーノ
演出:クリストフ・ロイ

レオノーラ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ドン・アルヴァーロ:ヨナス・カウフマン(テノール)
ドン・カルロ:ルドヴィク・テジエ(バリトン)

 この「運命の力」というオペラは、ヴェルディの中期~後期にかけての作品で、音楽的には充実したピカイチの作品ですが、上演機会には恵まれない、ちょっぴりマイナーな作品になっています。でも、音楽的にはピカイチなんですね。ほぼ、捨て曲はありません。オペラ全曲での演奏はあまりありませんが、序曲やアリアなどは取り出して演奏されるチャンスもあり、オペラファンなら結構聞き知っている音楽だったりします。実際、とても聴きごたえのある面白いオペラです。

 特に今回の上演は、主人公の二人にスターを迎えた事もあり、本当にお薦めです。これ、DVDで発売されるのなら、マストアイテムになると思いますよ。

 オペラ好きにはたまらない公演ですが、じゃあ万人向けのオペラなのかと言うと、そうでは無いし、上演機会が極端に少ない理由も分かるオペラが、この「運命の力」なのです。

 まず、お話が分からないのです。これ、致命的ですね。登場人物たちの説明がオペラ内で圧倒的に不足しているうえに、幕が変わるたびに時が飛び、登場人物たちの立場が代わります。おまけに、お話はシリアスっぽいのに、実は荒唐無稽だし、ご都合主義だし、ストーリーなんて無いものと思わないと、とても見ていられません。それくらいに分からないストーリーのオペラなのです。これじゃあ、上演されなくても仕方ないです。

 おまけに劇場にとって、このオペラを上演するのは、かなりの負担になるんだろうなあと思いますし、それゆえに上演されづらいんだろうなあとも思いました。

 だって、ちゃんと歌えるソリストが11人も必要なんだよ。普通のオペラでは、ソリストなんて5~6人いれば十分なのに、このオペラはその倍のソリストが必要なのです。ギャラが掛かって仕方ないよね。おまけに合唱団とバレエ団は、そこそこ大規模に必要だし…。ああ、人件費がかかりそう。

 さらに言うと、このオペラは場面が7つあるのですが、それがほぼ全部別の場所なので、ト書きに忠実に舞台を作るなら、大道具のセットが7つも必要なのです。たいていの歌劇場では、構造上、大道具なんて3セットしか用意できません。メトのような大劇場でも5つが限界。7つのセットなんて…どないせいいうねん、って感じです。

 つまり「運命の力」というオペラは、音楽だけが突出して素晴らしいオペラであって、その他は金食い虫の上に、訳わからない感じになってます。ざっくり言えば「とても美しくて残念な駄作オペラ」という範疇に入ると思います。

 それをロイヤルオペラは頑張って上演したんだよ、そこを私は評価したいです。

 まず、歌手に関しては…ギャラを支払えるの?ってくらいに頑張ってます。ソリスト11人、皆、実に達者な歌手を揃えています。主役二人は大スターだしね。それも声と役が実にピッタリと合っている二人を選んでいます。今の時代、確かに「運命の力」をやるなら、この二人が一番の適任でしょうね。それくらい、歌手に関しては充実した公演になっています。ほんと、音だけなら、永久保存版ですよ。

 金のかかる大道具(舞台セット)に関しては、演出が頑張って、たった1つのセットですべてを乗り切っています。もちろん、あっちこっち無理はあるんだけれど、その無理の中でとても頑張っていると思います。でも、こうでもしないと、現実的には難しいだよねえ…。

 分からづらいお話も、演出家が頑張って、分かんないところは演技や映像で補って、なるべく観客に分かりやすくしています。それでも限界はあるものの、この演出は、まあお薦めかなって思うくらいです。

 ただ、根本のストーリーそのものは、やっぱりダメですね。

 このオペラのテーマって「魂の救済」なんです。いかにも19世紀的なテーマですが、そのテーマが、教会批判という辛口のオブラートに包まれて表現されています。ですから、ぱっと見だと、ただの教会批判のオペラに見えてしまいます。これじゃあ、西洋社会じゃあ受け入れられないよね。

 そのオブラートの部分を剥ぎ取って「魂の救済」に目を向けても…現代社会に生きる我々には、どうなんでしょう?ってテーマじゃない。今の人たちって、そこまで魂の救済なんて求めてないしね。そうなると、やっぱりお話は無視して、音楽だけを楽しむしか無い…って結論になります。

 でも、その音楽が絶品なんですよ。ほんともう、素晴らしいったらありゃしないんです。そんな、色々と残念なオペラだったんですよ、運命の力って。

お知らせ 明日はココログのメンテがあるので、念のためにブログはお休みします。明後日以降も、メンテの具合によってはお休みしますので、別にブログが更新されなかったとしても心配しないでくださいね。よろしく。

 

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2019年4月16日 (火)

ロイヤル・オペラ・ライブで「椿姫」を見てきた

 私がブログを休んでいる間に上演終了してしまったのだけれど、先日見てきた、ロイヤル・オペラ・ライブの「椿姫」に関して書いておきたいと思います。それにしても、メトのライブビューイングは見逃しても、夏にアンコール上映があるから、たとえ上映期間中に見逃す事があっても、お盆休みに再び見るチャンスが与えられるけれど、ロイヤル・オペラ・ライブは、その手のアンコール上映がないので、一度見逃したら、もう見るチャンスがないのが残念です。一部の作品はDVD化されるのかもしれないけれど、大半の上演に関してはDVDにもならないので、もう見る事はできません。残念です。

 さて、この上演には2つの見どころがあります。一つは、名演出の誉れ高いリチャード・エアの演出である事。もう1つが、プラシド・ドミンゴが(バリトンとして)出演している事、です。

 まず、リチャード・エアの演出だけれど、これは今年で25年続いている演出で、その25年前の上演(ゲオルギューの出世作)のDVDが、かつて発売されていました。今は、中古(アマゾンなら、マーケットプレイス)でないと入手できませんが、興味のある方はどうぞ。

 この演出は、かなり良いです。椿姫は数多くの異なった演出があり、どの演出もなかなか良いものが目白押しなのですが、この演出は、かなり私好みで気に入りました。

 エアの演出の特徴は、21世紀に入ってから、オペラ演出の常識とも言われる“読み替え”が一切無い事です。楽譜に書かれている事が、そのまま舞台上で表現されています。これはとても良いと思いました。特にオペラ初心者が見るなら、こういった演出で見てもらいたいものです。

 もう1つの特徴が、リアル志向である事です。これは演劇志向と言ってもいいかもしれませんが、オペラ的な夢々しさを取り除き、映画や演劇を見ているような、地に足の着いた演出がされています。

 例えば、ヴィオレッタは結核なので吐血するわけですが、舞台上(特に3幕)にはヴィオレッタが吐血したと思われる痕跡が舞台上に残されています。また、ヴィオレッタは病気の性質上、よく咳をするはずですが、今まで見た他の椿姫では、ヴィオレッタが咳き込むシーンなんて見たことはありません(だいたい、オペラ歌手にとって、咳というのはノドを痛める行いですから、舞台はもちろん、日常生活でも咳をしないように、極力努力している方がほとんどです)が、この上演では、ヴィオレッタは折りに触れ、咳き込みます。さらに病床で寝込んでいるヴィオレッタはスッピン(に見える化粧かな)です。考えれば、そりゃあそうで、ベッドで死にかけている患者が、きちんとメイクしている方が可怪しいのです。

 という訳で、私はこの演出がとても気に入りました。

 ここで、キャスト等を書いておきます。

指揮 アントネッロ・マナコルダ
演出 リチャード・エア

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤオ(ソプラノ)
アルフレード:チャールズ・カストロノボ(テノール)
ジェルモン:プラシド・ドミンゴ(バリトン)

 音楽面の話をすると、ドミンゴの歌唱について触れないわけにはいきません。

 私はドミンゴが大好きです。テノール時代はもちろん、バリトン時代のドミンゴも好きです。だいたい、ドミンゴに関しては言えば、テノールとかバリトンとか、そんな事はあまり関係ないのかもしれません。ドミンゴほど、数多くのキャラを感じた歌手はいません。自分のレパートリーというものを固めずに、常に新しい作品、新しい登場人物を歌い続けてきました。テノール時代だって、軽めの役から重厚な役まで、歌ってきたわけで、そんな彼だから、バリトンの役を歌うのは、ある意味当然なのです。そして、ドミンゴはあくまでもドミンゴだから、どんな役を歌うときも、いつもの彼の声で歌ってきたわけで、当然、バリトン役もいつものあの声で歌っちゃうわけです。

 今回は、テノールのカストロノボがやや重いテノールだった事もあって、例によって、ドミンゴとカストロノボの声のコントラストは、あまりありませんでした。むしろ、アンサンブルで歌うと、テノールのカストロノボの歌唱よりも、バリトンのドミンゴの声の方が浮き上がって聞こえるほどです。ドミンゴは、バリトンと言えども、かなり声が軽いですからね。声の軽重で言えば、テノールのカストロノボよりもドミンゴの方が声が軽いと思いました。まあ、ある意味、こんな声の軽いバリトンを使っちゃうのは、キャストミスとも言えますが、ドミンゴ見たさで集客されるわけだし、ドミンゴの歌が聞きたいという人がまだまだたくさんいる以上、これはキャストミスではなく「まあ、そういうモノだ」って事になるのだと思います。

 結論から言ってしまえば、ドミンゴはバリトンではなく、あくまでもドミンゴなんです。つまり「プラシド・ドミンゴ…声種:ドミンゴ」って事になるんだろうと思います(笑)。

 で、そんなドミンゴですが、歌っている様子を見ていると、なんとも苦しげでした。全身全霊を使って、全力で歌っていました。そんな役柄じゃないのに…。もしかすると、体調が悪かったのかもしれませんが、なにしろ、かなりの御老体(78歳!)ですからね。お達者でいらっしゃるだけでも大変なのに、長時間の舞台をこなしているのですから、そりゃあもうビックリポンですって。もう、オペラの舞台は、体力的に厳しいのかもしれません。ドミンゴのお元気な舞台姿を見られるのも、もう長くはないかもしれません。

 主役の二人の歌唱は…私的には、ちょっと残念でした。いや、立派に歌っていましたよ。ただ、慣習的に歌われているバリエーションは避けられていたようで、あくまでもヴェルディの譜面通りの歌唱だったのが…実に実に、残念なわけです。やっぱ、スパンと抜けた高音を響かせてほしいじゃん。私は単純にそう思っただけです。それを除けば、とても良くて上手な歌唱でした。さすがに世界に配信される歌手さんたちだけありますって。

 あと、残念なのは…別に人種差別のつもりはないのだけれど、黒人歌手が貴族の役って、どうなの? 読み替えなしの演劇路線な舞台だっただけに、舞台は見た目重視で、貴族は白人キャストで固めてほしかったというのが本音かな? オペラはヨーロッパ文化だからね、黒人や東洋人が白人の役をやるのは無し…というのが、私の個人的な考えです。ま、偏見と言われれば、その通りなんですがね。

 とても良い上演だっただけに、もう見られないのは残念ですね。

 

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2019年3月21日 (木)

ロイヤル・オペラ・ライブ「スペードの女王」を見てきた

 イギリスのロイヤル・オペラ(いわゆる“コヴェントガーデン”)のライブ・ビューイングを見てきました。演目はチャイコフスキー作曲の「スペードの女王」です。

 「スペードの女王」…まあ、めったに上演されないオペラです。日本じゃまず生の公演は見られません。世界レベルでも、なかなか厳しいようです。なにしろ、ロシア語のオペラですから…ロシア語で歌える一定水準以上の歌手と合唱団を集めるのが大変なのです。おそらく、ロシア語圏以外では、本当に稀にしか上演されないオペラだと思います。

 で、そんな珍品オペラである「スペードの女王」ですが、オペラとしては、かなり良いです。音楽は美しいし、アリアも聴きごたえあるし、重唱も素晴らしいです。もしもこのオペラがロシア語でなく、イタリア語…いやいや、ドイツ語かフランス語で作曲されていたら、もっと普通に上演されていた事でしょう。それぐらいに、素晴らしい作品だと思います。

 じゃあ、このロイヤル・オペラのライブビューイングを見に行くべきかと言うと…少なくとも、この公演は、止めておいた方がいいと思います。お勧めしません。

 何がダメなのかと言うと、演出がダメなのです。

 この演出、日本人向けじゃないわ。というのも、この上演を楽しむには、以下の高いハードルをすべてクリアしている必要があります。

 1)原作のプーシキンの小説を熟知している事。
 2)チャイコフスキーの生涯について知っている事。
 3)歌劇「スペードの女王」のオーソドックスな演出に飽きている事。

 これら3点をクリアしている日本人って、なかなかいないでしょ? 私も1)と3)は満たしていません。なので、今回の上演は、楽しめなかったし、未だに「???」であるし、色々とモヤモヤしています。

 これ、たぶん、ヨーロッパの上流階級で若い時からオペラをたっぷり見ているような人たち向けの演出だと思います。

 なにしろ、この上演では、舞台の上には最初っから最後まで、チャイコフスキーがいるんですよ。もちろん、本来、このオペラにはチャイコフスキーなんて登場しません(当たり前。椿姫の舞台上にヴェルディがいたら可怪しいでしょ?)。でも、この上演では、演出家のアイデアにより、チャイコフスキーが出ずっぱりなんです。本来いないはずの人が舞台にいるので、それだけで、オペラのストーリー進行が分からなくなります。おまけに、このチャイコフスキーをやっている歌手が、時々エレツキー公爵という役になります。このエレツキー公爵というのは、ヒロインであるリーザの婚約者で、そのリーザを主人公であるゲルマンに取られちゃう人であり(つまり、ねとられ)、そのゲルマンを、ラストシーンの賭博場での賭博で負かせて死に追いやる人でもあります。同じ人が同じメイクのまま舞台上で、チャイコフスキーとエレツキー公爵に入れ替わるわけだから、ほんと、分かりづらいのです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 ステファン・フアハイム

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ(テノール)
リーザ:エヴァ=マリア・ウェストプロック(ソプラノ)
チャイコフスキー/エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ
伯爵夫人/スペードの女王:フェリシティ・パーマー(ソプラノ)

 おそらく、このオペラそのものが劇中劇であるという演出なんだろうと思います。

 このオペラは、作曲家であるチャイコフスキーが「スペードの女王」というオペラを作曲しながら、そのストーリーや音楽を妄想し、その妄想の中に自分が入り込んでしまって、登場人物たちの感情の動きに、自分の人生のアレコレを重ねてしまい、苦悩し、最後には精神的に死んでしまうというお話なんだろうと思います。ああ、分かりずれー!

 だいたい「スペードの女王」というオペラの中にも、モーツァルト風の劇中劇(たぶん、本来はバレエシーンだけど、ちゃんとバレエをやらないのです)があるわけだし、入れ子が三重になっているようなオペラなんです。なんかなー。

 という訳で、演出にはアレコレ言いたい事はありますが、歌手の皆さんは、なかなか素晴らしいです。私は、セルゲイ・ポリャコフというテノールが気に入りました。ほんと、素晴らしいテノールです。彼、実は代役なんですよね。本当はアレクサンドルス・アントネンコというテノールがゲルマンを演じるはずだったのですが、風邪をひいてお休みで、急遽入れ替わったそうです。代役にしては、本当に良い歌唱&演技でした。

 しかし、こんなに馴染みのないオペラを、こんな分かりづらい演出で見なければならなかったのは、実に不幸だったと思います。

 このオペラ、メトでやらないかな? メトだったら、日本人にも分かりやすい演出で上演してくれると思うんだよ。音楽が美しいだけに、分かりやすい演出で見たいものです。ああ、残念でした。

 

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2019年2月26日 (火)

メトのライブビューイングで「アドリアーナ・ルクヴルール」を見てきました

 チレア作曲の「アドリアーナ・ルクヴルール」というオペラは、めったに上演されないマイナーな作品です。めったに上演されないのには、色々な理由があるのでしょう。

 私は今まで「ストーリーが分かりづらくて楽しめない」ために上演の機会に恵まれないのではないか…と思っていました。実際、DVD等で見るこのオペラは(日本ではまずリアルな上演は見れません)本当にストーリーが分かりづらいです。その理由は、舞台上のあっちこっちで同時に色々な人が全く別の事を話していて、ストーリーの全体像が掴みづらい事と、実話(当時は有名なスキャンダル)を元にしているので、台本が「当然、この話は知っているよね」という前提があって、あっちこっちストーリーが端折られいたり、人物紹介もせずにあれこれ人々が登場してくるため、元の話(スキャンダルの事ね)を知らない上に、字幕で見る我々日本人には、ほんと、分かりづらいオペラである…という私は思っていました。実際、分かりづらいしね。

 で、今回のメトの演出なのですが、その辺のストーリーの分かりづらさを、うまく整理して、分かりやすく上演してくれています。これ、ほんとオススメです。

 舞台のあっちこっちで行われている会話は、あっちこっちではなく、一箇所にまとめて、場面がドンドン入れ替わることで、それを実現している演出なので、見ている方は、どこを見ないといけないのか迷うという事がありません。また、黙役の人たちがしっかり演技しているので、セリフが説明不足の部分は、そういう人たちの演技で補われているので、すんなりストーリーも頭に入ってきます。

 さすがメト!と感服しました。やっぱりメトのオペラは初心者に優しいです。

 配役等は以下の通りです。

指揮 ジャナンドレア・ノセダ
演出 デイヴィッド・マクヴィカー

アドリアーナ・ルクヴルール アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
マウリッツィオ ピョートル・ベチャワ(テノール)
ブイヨン公妃 アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾ・ソプラノ)
ミショネ アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

 歌手の皆さんは、誰もが歌唱演技ともに水準以上でした。マウリッツィオを演じたベチャワは、君主でありながら、実に恋に悩むチャラ男でいい味を出していましたし、悪女というか自己中女のブイヨン公妃を演じたラチヴェリシュヴィリは、本当に嫌な女を演じていました。二人ともスゲーな。

 主役のアドリアーナを演じたネトレプコは、歌唱も感情がたっぷり入っていたし、演技も迫真もので、かなり良かったのですが…ただ私、ネトレプコが好きじゃないので、オペラに没入できなかったんだよね。

 ネトレプコは上手いソプラノだし、全然不足なんて無いんですよ。単なる私の好みの問題で、ネトレプコが好きじゃないだけで、それだけでオペラが楽しめないなんて…ああ、実に贅沢な悩みです。

 でも、好き嫌いって、趣味の世界では大切ですよ。だって、趣味って嗜好品だもの。

 ネトレプコをディスるつもりは全然ありません。単純に私の好みではないだけです。なので、ストレプコが舞台に出てくると、それだけでガッカリしちゃう私がいます。なんかねー、ネトレプコって好きじゃないんだよね。

 ちなみに、私がネトレプコのどこが気に入らないのか言えば…彼女の声なんです。声が嫌いって、決定的でしょ? なので、今後もずっと好きになれないと思うのです。ですから、メトのライブビューイングだと、ネトレプコって、よく出演してくる(おそらく、今のメトのトップソプラノはネトレプコだろうし…)のですが、彼女が主演ってだけで、ちょっぴりゲンナリしちゃう私なのでした。

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2019年2月13日 (水)

メトのライブビューイングで「椿姫」を見てきました

 先日、メトのライブビューイングで新演出の「椿姫」を見てきました。

 演出が全く変わりました。「椿姫」の時代設定は、このオペラが作曲された当時…つまり、このオペラは現代劇なんです。なので、舞台化する際の時代設定としては、

1)オリジナルの時代設定である19世紀に設定する
2)現代劇である点を重視して、上演される時代(つまり、今)に設定する。

 の、だいたい2通りが考えられるのですが、今回の演出は、時代設定を18世紀に設定したのだそうです。つまり、通常の演出での時代設定とは逆ベクトルの、時代を思いっきり遡上した設定なのですが、これがいいんですよ。

 なぜ、18世紀の時代設定が良いのかと言えば、舞台が華やかで豪華になるからです。舞台って、原則的に、時代設定が、昔に遡れば遡るほど派手になり、逆に、現代に近づけば近づくほど、日常的になって地味になるものです。

 なので「椿姫」の時代設定が100年遡れば、それだけあれこれ派手になるんです。これ、大切です。だって「椿姫」って、パリの社交界のお話であって、なるべく豪華絢爛で夢々しい事が大切じゃないですか?

 時代が古めに設定されるとあれこれ派手になる…具体的に言うと、衣装が派手になります。装飾やら刺繍やらが派手派手になります。小道具も細かな細工の入った派手なモノになります。大道具(舞台装置)だって何やらゴテゴテと絢爛になります。良いでしょ?

 ただ、そうやって派手派手になると、お金がかかります。昨今のオペラハウスはどこも金欠だし、歌手たち(とりわけスター歌手たちの)ギャラは、本当に高いものです。なので、どこもなるべく経費をかけないようにオペラ上演をしたがります。まあ、その結果、オペラの舞台が現代に近づけられてきた(その方が経費が掛からないからね)わけです。

 例えば「椿姫」は3幕ものですが、場面としては4箇所あります。本来ならば、4つの大きくて豪華なセットが必要だし、それに合わせた舞台衣装も必要です。合唱が使われるので、合唱団のメンバーの衣装だって必要だし、衣装に合わせてカツラも必要だろうし、小道具だって…となるわけです。

 そこで、おそらく費用削減のためでしょうか? 今回の演出では、基本的な舞台セットは一つだけで、それらを多少アレンジすることで、4つの場面を表現しています。

 とは言え、基本的には一つの舞台セットですから、舞台中央にあるヴィオレッタのベッドは、最初っから最後まで、ずっと出っぱなしです。左奥にあるピアノも出っぱなしだし、右側にあるソファセットも出っぱなしなので、気になると言えばなります。

 そうやって舞台セットを一つにして、大道具にかかる費用を削減した分、衣装は凝っているようで、合唱団員まで含んで、皆さん、派手な衣装を着ていました。やっぱり、オペラはこうでないとね。少し前までメトで上演していた演出(デッカー版)だと、大道具も簡素だったし、衣装もヴィオレッタ以外は、黒の普段着っぽい衣装で、本当に地味な舞台でがっかりしたものです。

 まあ、昔々のゼッフィレッリが演出した派手派手な舞台には太刀打ちできませんが、今回の演出は、なかなか頑張っていて、私は大変気に入りました。

指揮 ヤニック・ネゼ=セガン
演出 マイケル・メイヤー

ヴィオレッタ ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
アルフレード ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ジョルジョ・ジェルモン クイン・ケルシー(バリトン)

 演出以外の話をすると、今回の公演が、メトの新音楽監督である、ヤニック・ネゼ=セガンの、初制作作品なんだそうです。

 ネゼ=セガンって、まだ42歳なんだそうです。若いね。ぜひ、メトに新しい風を吹き込んでほしいと思います。それにしても、ネゼ=セガンの指揮って、揺らすねえ…。これは好き嫌いが出るかも…私は好きだけれど、これをあざといと受け取る人もいるかもねえ…。

 歌手の皆さんは、頑張っていましたね。ヴィオレッタを演じていたダムラウは、歌はもちろん、演技も相当頑張っていました。ただ、1幕のアリアの最高音のEsは回避していました(残念)。それ以外は、ほぼ満足です。

 テノールのフローレスは…声が全然ヴェルディっぽくなくて、好き嫌いが分かれそうです。彼の声だと、アルフレードは情熱的な青年ではなく、偏執的な青年に感じられてしまうのですよ。フローレスがインタビューで「アルフレードは、いわゆるストーカーでしょ」と発言していますし、まあアルフレードには、確かにそういう部分もあるけれど、そこが強調されてしまうと、ちょっと違うかなって思うわけです。フローレスの甲高い声だと、アルフレードの、恋に狂った部分ばかりが強調されてしまうわけで、いわゆる従来よくある熱血漢で単細胞なアルフレードを求めている人には「???」な声だなって思いました。

 私の個人的な感想で言えば、フローレスは大好きなテノールだけれど、アルフレードは…無いなあって気がしました。まあ、好き嫌いの問題です。

 父ジェルモンは…普段よく聞く「椿姫」とは、あれこれ違っていたような気がします。おそらく、使用した楽譜が違うのかな? バリトンパートは、従来版とは、あれこれ違って聞こえたんですよ。もし、違う楽譜を使ったのなら、バリトンさん、ご苦労さまでした…って感じです。テノールも若干違っていたけれど、あれはたぶんアドリブだな(ぼそっ)。

 バレエは…ダンサーたちの化粧がグロかったけれど、バレエそのものはダイナミックで、好きだな。合唱はいつもながら、メトの合唱はすごいなあって思いましたよ。あと、ビックリしたのは、黙役だけれど、アルフレードの妹が舞台に登場した事。色々な「椿姫」を見たけれど、妹が登場する舞台は、これが初めてかもしれない(汗)。

 メトの演出は、一時はよその歌劇場と同じく、現代化の方向に走っていましたが、昨年あたりから、かつてのメトの演出同様、古典的な演出に戻りつつあるのは、私的にはうれしいです。やっぱりメトは、保守的で、初心者に優しい演出でお願いしたいです。濃いめのファン向けの尖った舞台は、ヨーロッパの歌劇場にまかせてくれた方がいいと、私は思うのでありました。

 ただの私のわがままなんだけれどネ。

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2019年1月21日 (月)

2019年 プラハ国立劇場の『フィガロの結婚』を見ました

 なぜ、タイトルの冒頭に“2019年”と付けたのかというと、実は2013年にもプラハ国立劇場の『フィガロの結婚』は見ているからです。なので、タイトルに“2019年”と付けました。

 どこで見たのかと言うと、自宅から徒歩10分の地元の市民会館です。徒歩10分で、本格的な海外歌劇団の引っ越し公演が見れるというのは、幸せな事です。もっとも地方の悲しさで、この公演でのメインであるエヴァ・メイの伯爵夫人は無しで、別の歌手さんが演じます。ま、たいてい、当地にくる海外歌劇場引っ越し公演は、東京公演では目玉になっているスター歌手抜きでの公演なんだよね。もっとも、その分、かなり格安な価格設定になってはいるんだけれど…。

 さて、今回知った事だけれど、一言で“プラハ国立~”と呼んでしまうけれど、実際は3つの歌劇場があるんだそうです。日本語で言うと、1つ目が“プラハ国立歌劇場オペラ”、2つ目が“プラハ国立劇場”、3つ目が“プラハ国立歌劇場”だそうです。で、今回、当地に来ているのは、1つ目の“プラハ国立歌劇場オペラ”で、通称“スタヴォスケー劇場”さんです。ちなみに“スタヴォスケー劇場”とは“貴族劇場”という意味で、プラハでは最古参のオペラ劇場なんだそうです。さらに、1つ目と2つ目は、ホールとしての歌劇場は別だけれど、これを運営している歌劇団は同じなので、プラハ国立歌劇場オペラの公演を『プラハ国立劇場』の公演と名乗っても、全然問題はないようです。ちなみ、プラハ国立歌劇場さんは、その設立経緯も運営団体も違うので、これはゴッチャにしてはいけないようです。

 で、今回やってきたプラハ国立劇場は、6年前にやってきたプラハ国立劇場と同じ、スタヴォスケー劇場なんだそうです。

 「同じ歌劇団が同じ演目を上演するの?」

 そうなんですよ。それに気づいたのは、実はオペラ当日だったりします。まあ、事前に知っていたからと言って、きっと見に行ったと思いますが、6年ぶりとは言え、同じ歌劇団の同じ演目を見るなんて、テレビの再放送を見るような感じかな…と、ちょっとしょんぼりしたのは本当です。

 でも、行ってみたら、同じ歌劇場が同じ演目をやっていましたが、演出が全然違っていたので、全く別物として楽しめました。そうだよ、そうじゃなくっちゃ残念だよね。

指揮 ズビネク・ミュラー
演出 マグダレーナ・シュヴェツォヴァー

フィガロ ミロシュ・ホラーク(バリトン)
スザンナ ユキコ・キンジョウ(ソプラノ)
伯爵 ロマン・ヤナール(バリトン)
伯爵夫人 マリエ・ファイトヴァー(ソプラノ)
ケルビーノ アルジュベータ・ヴォマーチコヴァー(メゾソプラノ)
マルチェッリーナ スタニスラヴァ・イルクゥ(メゾソプラノ)

 前回の演出は、多少時代背景を現代寄りにした、演劇色の強いシリアスな演出でしたが、今回の演出は、極端にコメディーに振り切った演出となっていました。なにしろ、登場人物のヘアスタイルが、みんな変(笑)。また、無声映画時代のお笑いのような、極端で類型的な演技が多様され、いかにも「笑ってください」って感じのノリでした。

 今回の演出の特徴の一つに、5人のダンサーの活躍があります。男性1人、女性4人なのですが、彼らが(男性ダンサーも含めて)メイドの格好(つまり、男性は女装をしているわけです)をして、黙役でありながら、黒子のような働きをして、オペラを進行していくのです。

 さらに、フィガロの結婚というオペラは4幕ものですが、これを2幕ずつまとめて、いわゆる2幕ものとして上演していたのですが、当然、本来の1幕と2幕の間、3幕と4幕の間には、舞台装置の移動などの時間が必要なのです。そのために、一度舞台の緞帳を下ろすのですが、その際に、彼らダンサーたちが幕前に立って(チェコの歌劇団なのに)イタリア語でコントをやるんですが、これもまた面白いんです。ただ、笑いのツボが日本人とは違うので、会場には今ひとつ受けないのですが、私はクスっときましたよ。

 さらに、この演出の面白いのは、ケルビーノがダブルキャストだった事です。つまり、ケルビーノという役を二人の人が演じていたって事です。

 もちろん歌唱の部分は、メゾソプラノの方が男装をして演じていたのですが、ケルビーノって、劇中で2回女装するんです。そもそも、ケルビーノというのは、役柄としては男性なのですが、いわゆるズボン役なので、女性歌手が演じます。女性歌手が演じる男性が女装をするというのが、このオペラの面白さなのですが、その女装部分になると、演者が変わるんです。男性ダンサーがケルビーノになります。なので、最初の女装シーン(伯爵夫人の部屋の場面)では、着替えをして、衣装を脱ぎかけますが、実際には女装はせずに、リアルな男性が、着替えの途中なので、半裸な男性として演技をします。歌の部分は舞台の後ろで女性歌手のケルビーノが歌いますので、女装はせずに半裸な男性が部屋で伯爵夫人を誘惑するというシーンになります。これはなかなか目新しい演出だと思いました。

 二度目の女装シーン(バルバリーナにノセられて村娘になる)では、本当に男性ダンサーが村娘の女装をして登場をします。いやあ、これが実に違和感バリバリの女装で、思わず笑っちゃいました。こういう演出もあるんだなあと関心しました。

 舞台が始まる前に、今回の出演キャストを見た時に、ちょっぴり残念な気がしたのは、キャストに日本人が入っていた事です。それもスザンナというほぼほぼ主役に日本人歌手が抜擢されていた事です。

 なんで、外国の歌劇団の引っ越し公演で日本人を見ないといけないの?…と、正直、最初はそう思いました。日本人の歌は、日本の歌劇団で見るから、海外引越公演は、オール外人で見たいじゃない…って思いました。

 でもね、始まったら、そんな気持ち、どこかにすっ飛んじゃいました。ユキコ・キンジョーさん、いいよ。いいソプラノさんです。外人に混ざって歌っていても、存在感はあっても、違和感はありません。さすがに、主要キャストを演じているだけあって、安心安定の歌唱&演技でした。

 他のキャストも、皆、若手~中堅の歌手ばかりで、エネルギッシュで良かったです。あえての文句を言えば、マルチェリーナが若くて、フィガロの妹に見えても、フィガロの母親には見えない事。出演者のほとんど若々しいので、バルバリーナが全然小娘には見えない事。フィガロがかっこよすぎる事…ぐらいかな?

 会場となった、当地の市民会館は、リニューアルしたばかりなのですが、どうやらリニューアルに伴う改装は、良い方向で成功したようです。市民会館には、3つのホールがあって、そのうちに、ミニホールと小ホールでは、私、リニューアル後に歌っていて、響きが豊かになって、よりクラシック音楽向きになったなあと思っていましたが、どうやら大ホールも響きが豊かになってクラシック音楽向きになったようです。と言うのも、見ていて、歌手の皆さんが楽に歌っているのが分かるからです。楽に歌っているのに、声は十分に届いているわけで、良いホールに生まれ変わったんだなあと思いました。

 そうそう、舞台に配置してあった、数々の孔雀のオブジェは何だったのでしょうか? おそらく、笑いの小道具としての機能が与えられていたようですが、笑いのツボが違うせいか、全然笑えませんでした。外国のコメディーって、難しいよ。

 今回の上演は、コメディーに振り切っていたせいか、会場から、結構ゲラゲラ笑い声が上がっていました。私の3つ隣に座っていたオジサンなんて、身を捩って笑い転げていたんだよ。あまりにオーバーアクションで笑うので、私は引いてしまったくらいです。いやあ、フィガロの結婚であんなに笑っている人、初めて見ました。

 とにかく、楽しいフィガロの結婚でした。

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2019年1月16日 (水)

ロイヤル・オペラ「ワルキューレ」を見てきました

 いわゆるライブビューイングです。いつものメトではなく、ロイヤル・オペラ(以前は、コヴェントガーデンと言ってました)の「ワルキューレ」です。今回は、日本橋ではなく、日比谷に見に行きました。そうです、東京ミッドタウン日比谷に新しくできた、TOHOシネマズ日比谷に行ってきました。

 このTOHOシネマズ日比谷は、有楽町マリオン(日劇)にあった TOHOシネマズ日劇の閉鎖に伴い、後継館として作られた映画館なのでした。それにしても、日比谷には東宝系の映画館が多いよね。今回作られたTOHOシネマズ日比谷のほぼ真向かいにTOHOシネマズシャンテがあって、合わせて16スクリーンもあるわけで、都会は違うなあ…。

 それにしても納得いかないのは、向かいにあるTOHOシネマズシャンテはTOHOシネマズ日比谷とは別の映画館扱いなのに、隣にあったTOHOシネマズスカラ座とTOHOシネマズみゆき座は、TOHOシネマズ日比谷になってしまった事です。だったら全部TOHOシネマズ日比谷にしちまうか、シャンテ同様に、スカラ座やみゆき座を残してくれればよかったのに…と思ってます。

 それにしても久しぶりの日比谷です。パリ・オペラ座のライブビューイングを見に、スカラ座(みゆき座だったかも)に行って以来の日比谷です。ああ、パリ・オペラ座のライブビューイングは日本じゃやらなくなったんだよね、やっている時は文句ブーブーな私でしたが、見れなくなると悲しくなります。

 で、ミッドタウン日比谷とシャンテの間の広場でビックリ! かつてそこにあった50cm程度のゴジラ像が無くなって、代わりに2mクラスの大きなゴジラ像がありました。それも以前のゴジラは昭和のフォルムだったのに、今度のゴジラは平成のフォルムをしていました。ううむ、かっこいい。

 なんでも、今度のゴジラ像は、平成のシン・ゴジラかと思ったら、初代ゴジラの当初のオリジナル設定図から作ったゴジラ像なんだそうです。つまり、今日比谷にいる奴がオリジナルのゴジラってわけです。ただし、オリジナルのゴジラは…どう考えても、着ぐるみでは再現できないので、映画化するさいに、昭和のデザインに変更になったのだろうと推測されます。それにしても、オリジナルゴジラ、かっこいい!

 で、以前あった昭和ゴジラ像が無くなってしまって残念…と思っていたら、TOHOシネマズ日比谷のロビーに移動していました(笑)。ああ、よかった…。私的にはゴジラと言えば昭和ゴジラですよん。ああ、懐かしい。

 さて、オペラの話にやっと入ります。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 キース・ウォーナー

ジークムント:スチュアート・スケルトン(テノール)
ジークリンデ:エミリー・マギー(ソプラノ)
ヴォータン:ジョン・ランドグレン(バリトン)
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュテンメ(ソプラノ)
フンディング:エイン・アンガー(フンディング)
フリッカ:サラ・コノリー(フリッカ)

 ワーグナーの作品は、見る側も体力勝負だね。今回の「ワルキューレ」の上映時間は、約5時間だよ。普通の映画なら3本見れます(笑)。

 演奏の出来は、映画で見ている限りにおいては十分に素晴らしかったと思います。劇場で生で聞いている人には、声量不足を感じさせる歌手もいたそうだけれど…まあ、我々には関係ないわな。

 今回の上演で頑張っていたのが、バリトンの二人です。ヴォータンを演じていたジョン・ランドグレンとフンディングを演じていたエイン・アンガーは歌唱・演技・容姿ともに満点を上げたくなるほどの出来栄えでした。特にヴォータンはほぼほぼ主役ですからね、そこにこれだけの歌手が演じてくれたのは、実にありがたい事でした。

 ジークムントを演じていたスチュアート・スケルトンと、ジークリンデを演じていたエミリー・マギーの頑張りは映画館のスクリーンを通して、とても強く感じられました。おそらく、この二人は、歌に特化した歌手で、演技はそんなに上手じゃないんだろうと思います。それでも、一生懸命に演じている事が感じられて、なんか「頑張れ!」とスクリーン越しに応援してあげたくなるほどでした。

 ワーグナーの楽劇って、歌うだけでも大変なんだろうと思います。作曲家のワーグナーの頭の中では、ジークリンデやブリュンヒルデは若くて美しい娘だろうし、ジークムントもジャニーズ体型の青年なんだろうなあと思います。でも、あれだけ歌うのが大変なので、実際に演じるのはビヤ樽体型のオッサンオバサン歌手なんだよね。ああ、残念。脳内補正をしながら鑑賞しないといけません。

 ブリュンヒルデなんて、おそらくは、ほぼほぼセーラームーンみたいな子だろうに、こうしてオペラにしちゃうと、ニーナ・シュテンメが演じる事になっちゃいます。まあ、シュテンメの良いところは、極端な肥満体ではないって事かな? あれだけ歌えて、極端な肥満体ではないというのは、ワーグナー歌手としては稀有な存在なのかもしれませんが…だからと言って、美しいわけではないので、そこは評価が分かれます。私はもう少し太っていてもいいので、かわいらしい人の方が好みだったりします(ごめんなさい)。

 まあ、なんだかんだ言っても、歌手の皆さんは、水準以上の歌唱をしていたと思うし、この曲をあれだけ歌っちゃうんだから、皆さん、超人レベルにすごい歌手なんだと思います。

 歌手と言えば、第三幕の冒頭部で歌われる「ワルキューレの騎行」は脇役ソプラノ8人で歌うのだけれど、ここに出てくるソプラノさんは、ほぼここでしか歌わないので、その一曲入魂さがすごかったです。いやあ、私達はこの一曲で燃え尽きてもかまわない!的な覚悟が感じられるほどに、迫力満点な歌唱でした。本日の白眉はここにあるって感じでした。

 さて、問題は演出かな? ほんと、この演出は好き嫌いが分かれそうです。

 私の個人の感想を一言で言えば「地味!」です。もうちょっと大道具や衣装にお金をかけられなかったのかな…って思います。だって、神様が出てくる話だよ。そこらの路地裏の庶民の話じゃないんだよ。もっと神々しい部分があってもいいし、舞台上も明暗のコントラストがあってもいいんじゃないかなって思います。とにかく、舞台が暗いし、大道具が地味だし、衣装も地味です。

 それでも、演出…とりわけ大道具に関しては、メトのルパージュの演出よりは、数段マシです。あれは…ヒドイよね。

 それでも、やっぱり地味だなあ…特に地味すぎて、こりゃダメだと思ったのが、ラストシーンで、眠るブリュンヒルデを取り囲むローゲの業火です。あまりに炎が地味すぎて、私でも容易に侵入できそうなくらいなんだもの。ありゃダメだよ。もっと派手に燃やさないと…。

 まあ、今回のロイヤル・オペラに限らず、最近のオペラ演出は(メトも含めて)地味で貧相になってきてます。全然、夢々しくないんだよね、そこが本当に残念だし、ワーグナーの楽劇なんて、夢々々々しいくらいでちょうどよいのにさ。本当に残念です。

 ワルキューレの演出は、20世紀のメトで行われていた、オットー・シェンクの演出が、今でも私の中ではベストな演出だと思ってます。

 と言うわけで、演出は好き好きがあるとは思うのものの、演奏&歌唱は水準以上だと思いますので、音楽が聞きたい方にはオススメなオペラ上演だと思います。

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2018年12月10日 (月)

メトのライブビューイングで『西部の娘』を見てきました

 はっきり書きましょう。プッチーニ作曲の『西部の娘』というオペラは名作になりそこねた駄作であると。それゆえ、物好きなオペラ好事家以外の人には、特に鑑賞する価値すらないオペラであると。

 実際、『西部の娘』には歌謡性が欠落しています。おそらくそれは、プッチーニによって意図的に欠落させられたものであると私は考えます。なぜなら、このオペラの第三幕には有名なテノールのアリアがあり、このアリアのみ優れた歌謡性、いわばプッチーニ節と呼べるモノが見受けられるからであり、このアリアは、当初、このオペラには無かった要素だったからです。

 そもそも、この『やがて来る自由の日/Ch'ella mi creda libero e lontano』というアリアは、初演した大テノール歌手のエンリコ・カルーソーが作曲家プッチーニ向かって「このオペラにはアリアがない、アリアを書き加えなきゃ俺は歌わないぜ!」とか言ったとか言わなかったとか。とにかくこのアリアは主演テノール歌手に対するサービスであり、作曲家本人にとっては妥協の産物であって、それゆえにオペラ全編で浮きまくっている場違いなアリアでしかありません。それゆえ、いかにも“後からオマケで付け加えました”って感じで、それまでの音楽と、このアリアは、全くの別ものです。このアリアは「西部の娘」の中よりも「トスカ」や「蝶々夫人」の中にあった方がしっくりする音楽になっているのも仕方のない話なのてず。

 つまり、プッチーニは、歌謡性あふれるメロディアスなアリアを書こうと思えば書けるのに、あえて「西部の娘」には歌謡性を与えなかった…と私は思うのです。

 なぜ彼はそんな事をしたのか? おそらく、彼は迷っていたのでしょう。迷って自分を見失っていたのでしょう。つまり一言で言えば、スランプだったんです。ここまで名作オペラを書き続け、直前には「蝶々夫人」という名作を書いたにも関わらず、世間にはなかなか受け入れてもらえずに苦労をして“これじゃあいけない”と思って、無意識に今までとは別のやり方を模索して、道に迷ったのだと思います。

 まあ、それ以外にも、当時のプッチーニはスキャンダルにまみれていて、心に余裕はなかったろうし、ワーグナーから始まりリヒャルト・シュトラウスにつながっていくオペラ界の潮流だって感じていただろうし…。プッチーニは色々と焦っていたんだろうと思うわけです。

 確信的に、このオペラに歌謡性を与えなかったと思う別の理由として、歌には歌謡性を与えていないのに、伴奏であるオーケストラには豊かな歌謡性を与えているからです。「西部の娘」の歌には、聞くべきものはあまりありませんが、伴奏のオーケストラはなかなかよく仕上がっています。

 でもそれはイタリアの伝統ではないし、プッチーニのスタイルでもありません。

 つまり、プッチーニは『西部の娘』というオペラを、少なくとも『蝶々夫人』レベルの名作オペラに仕上げる事が出来たにも関わらず、あえてそれをしなかったわけです。

 ほんと、聞いていて、実に残念なのです。名曲になりそうなアリアや二重唱は、そこかしこにあふれています。しかし、音楽が輝きを放つ直前、どの曲もメロディーがくすんでしまうのです。ああ、プッチーニの迷いを感じます。まるで「ここで甘美なメロディーを書いてはいけない」と心に誓っているかのようです。

 で、そんな大作曲家プッチーニの駄作である『西部の娘』だけれど、メトは、実に興味深いオペラに仕上げて上演しています。『西部の娘』というオペラは、取り立てて見る価値のあるとは思えないオペラだけれど、このメトの上演は例外であって、これは実に面白い舞台作品だと思います。

 アメリカ人って『西部の娘』が大好きなんだよね。ほんと大好き。その愛情が、駄作オペラを水準以上の出来に仕立て上げたのだと、私は思います。

 ちなみに、このオペラ、CD等で音だけで聞くと、ほんと退屈ですよ。また、メト以外の歌劇場での上演で見ると、実につまらないです。

 しかし、メトの(最近にしては珍しいぐらい)セットにお金をかけ、衣装にも力を入れ、演出にも手間ひまかけた、この上演ならば、話は別です。実に面白いのです。まるで、舞台ではなく、映画を見ているかのような演出は、おそらくメト以外ではできないでしょう。ほんと、金満物量作戦ですよ。でも、これだけの経費と物量を投入して、初めて「西部の娘」というオペラは、見るに耐えうるモノになるという事が分かりました。

 結論。『西部の娘』というオペラには見る価値はないけれど、今回のメトの上演版は、音楽以外の部分があまりに素晴らしいので、見るべきです。特に、舞台制作にかけているアメリカ人の愛情が素晴らしい…と私は思いました。

 キャスティングは最高です。カウフマン、いいですよ。ディック・ジョンソンは彼ぐらいのイケメンじゃないと説得力ありません。ミニーを演じたエヴァ=マリア・ヴェストブルックのような美人さんはオペラには必要不可欠です。とにかく、このオペラ、実質的にミニー以外はすべて男声なわで、掃き溜めに咲く花としては、これくらいの美人じゃないと物語は成立しません。

 まず、他の歌劇場では、これだけの歌えるイケメンと美女を揃えることが難しいでしょう。さすがメト…と言っておきます。

 やっぱり、オペラって、金食い虫なんだと思います。

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