ひとこと

  •  政府から民間プロバイダーに対して、著作権侵害を行っている悪質なサイト(“漫☆村”とかね)への接続遮断が要請される事になったんだそうな。今のところは“要請”であって、法的根拠はありませんが、来年の通常国会で関連法の成立を目指して、法律で接続遮断を決めるようです。本来は接続遮断ではなくサイト削除が適当だと思うけれど、管理しているサーバーが国外にあるため、日本の法律ではどうにもできなくて、やむなく“接続遮断”なんだろうと思います。痛し痒しだね。まあ、接続遮断をすれば、日本国内からは閲覧できなくなるけれど、海外のプロバイダーからは相変わらず閲覧可能なわけで、手段はここには書かないけれど、ごくごく簡単な方法で、今までどおり日本国内からでも悪質サイトへアクセスは可能なわけだから、要請の効果の程はどーなんだろーね? まあ、これらのサイトの利用者が情弱であれば、今回のやり方でも効果があるだろうけれど…、普通の知識を持っていれば、状況は全然変わらないんだよなあ。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2018年4月16日 (月)

メトのライブビューイングで「セミラーミデ」を見てきた

 標題通り、ロッシーニ作曲の「セミラーミデ」を見てきました。「“セミラーミデ”? なにそれ、美味しいの?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。まあ、それほどに上演機会の少ない、マイナーオペラなわけです。

 なぜ、このオペラの上演機会が少ないのか? それには色々な理由があります。

 1)歌唱が難しいから。
 2)ストーリーの進行が遅く、上演時間が長く、今の時代に合わないから。
 3)母殺しで解決されるストーリーって、どうなの?
 4)主役がカストラートだから。

 まず1)の歌唱が難しいから…について。このオペラの歌唱部分の楽譜って、どのパートもおそらく“真っ黒”なんだと思います。つまり、装飾音符やらメリスマやらがやたらと多くて、すべてのパートにコロラトゥーラ歌手が必要とされるからです。つまり、細かい音符を正確に転がしていくのが得意な歌手が必要なのです。

 コロラトゥーラという歌唱技法って、実はかなり難しい技法なのです。だから、コロラトゥーラが得意な歌手を、わざわざ“コロラトゥーラ歌手”と呼んでしまうくらいに、コロラトゥーラが得意な歌手って、珍しいし、それだけ希少価値な歌手なのです。

 で、コロラトゥーラという技法は、コロラトゥーラ歌手の大半が、声の軽いソプラノ歌手である事から分かるように、声が高くて軽い事が必要条件となってきます。つまり、声が低い歌手であったり、重い声の持ち主では、声が転がりにくく、なかなかコロラトゥーラが出来ない…という事情があったりします。

 で「セミラーミデ」ですが、オロエ役のバス歌手以外のソリストさんたちには、これでもかってくらいに、やたらとたくさんの…と言うよりも、ほぼすべてのフレーズにコロラトゥーラが付いているのです。コロラトゥーラ標準仕様…ってわけです。はい、ソプラノだけでなく、メゾにもテノールにもバリトンにもコロラトゥーラが得意な歌手が揃わないと成り立たないのが、このオペラなんです。

 そりゃあ、上演されないわな。まあ、今回みたいに無理やり(?)敢行しても、揃える歌手は技量第一優先となるから、スター歌手を揃えることは難しいだろうし、スター歌手が揃わないと、オペラの興行的には厳しかったりするので、そうなると、ますます上演機会が減るだろうね。

 あ、ちなみに今回はこんな感じのキャスティングでした。

指揮 マウリツィオ・ベニーニ
演出 ジョン・コプリー

セミラーミデ(ソプラノ) アンジェラ・ミード
アルサーチェ(メゾソプラノ) エリザベス・ドゥショング
アッスール(バリトン) イルダール・アブドラザコフ
イドレーノ(テノール) ハヴィエル・カマレナ
オロエ(バス)ライアン・スピード・グリーン

 ほら、スター歌手はいないでしょ?

 2)について書くと、まず上演時間は、2幕ものにも関わらず、休憩入れて約4時間かかります。つまり、普通の映画を2本連続して見ているような感じです。で、ストーリーの描写がかなり丁寧で、オペラを見ていて、お話はとても分かりやすいのですが、いかんせん、ストーリー進行が本当にゆっくりで、見ていてキツイものがあります。オペラなのに、丁寧にストーリーを描写しちゃっているんです。いやあ、見ていて疲れますよ。

 さらに3)について書くと、このオペラのストーリーって、結局“母殺し”なんです。父の仇として母を殺すという「え? なに、それ??」って話なんです。国民総マザコンなイタリア人ならともかく、日本人だと…いや日本人に限らず、他の国々の人たちに共感してもらうのって、キツイんじゃないかな?

 で、トドメが4)になります。このオペラの実質的な主役であるアルサーチェという役は、若い軍人なんです。たぶん年齢設定はハタチ前後。軍人だから、屈強な感じで、雄々しさと繊細さが同居しているような青年なんですよ。で、音域とか時代背景や当時の上演スタイルなどを考えてみると、この役、カストラートで演じられることを前提としていると思うのです。カストラートが演じれば、おそらくすっきりするんだろうと思うけれど、今の時代にカストラートがいないので、ズボン役のメゾソプラノがやるんだけれど、これが実に残念なんですよ。

 メトでこの役を演じているエリザベス・ドゥショングは、メイク等を頑張って、見かけは(とても青年軍人には見えないけれど)少年に見えるようにして、オバサン臭さは出していませんが、やはり声がメゾなのが残念なのです。

 楽譜に書いてある音はメゾで歌うのがちょうどよいのだろうけれど、メゾで歌うと、どうしても声がくすみがちになります(まあ、それがメゾの声だからね)。声に輝かしさがないんです。青年軍人役だし、ヒーローなんだしイケメン役なんだし、もっと声に輝きが欲しいよね。そういう点では、メールアルトやカウンターテナーで、声が(女声っぽかったり中性的な声ではなく)男声的な歌手の方に歌ってもらいたかったなあ…って思います。まあ、メトで歌える男声っぽいカウンターテナーの人って…そもそもいるのかしら?

 とまあ、残念点ばかりをとりあげてしまったけれど、歌好きには、なかなか楽しめる演目でした。だって、最初っから最後まで、歌いっぱなしなんですもの。それもやたらと難しいフレーズを歌っているわけで、声のサーカスを見ているような気分になります。そういう意味では、このオペラは、オペラ通の人たちのための演目なのかもしれません。

 私? 私はたっぷり楽しみました。でも、もういいや。二度は聞かなくていいです。少なくとも、あと10年ぐらいは大丈夫です。満腹になりました。そういう感じのオペラでした。

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2018年4月10日 (火)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 さて、お約束どおり、一週間で復活してきました…が、まだまだ仕事が忙しいので、また休むかもしれませんが、その時はご勘弁ね。

 本日の記事は、標題の通りです。ロイヤル・オペラ(通称、コヴェントガーデン)で「トスカ」を見てきました。つい先日、メトの「トスカ」を見てきたばかりなので、ついつい比較してしまいました。

 ちなみに、ロイヤル・オペラの配役等は以下の通りです。

演出 ジョナサン・ケント
指揮 ダン・エッティンガー
出演 アドリアンヌ・ビエチョンカ(トスカ)、ジョセフ・カレヤ(カヴァラドッシ)、ジェラルド・フィンリー(スカルピア)他

 さて、メトとの比較を簡単に言うなら「目に優しいメトロポリタン、耳が嬉しいロイヤル・オペラ」って感じでしょうか? とにかく耳が嬉しいのです。

 オケにせよ、合唱にせよ、もちろんソリストも、すべて水準以上の出来です。これ以上を望むなら、もう後は好みの問題になってしまいます。

 例えば、フィンリーのスカルピアの歌唱はとても良いのですが、私的には、声にもう少し低音成分が強い太めの声の方が好きです。でも、この役はバスの役ではなく、バリトンの役なので、世間一般的にはフィンリーの歌唱で上出来でしょう。カヴァラドッシの声も、もっとヒロイックな声だとうれしいのですが、そもそも彼は画家なので、カレヤの声でも上出来です。ビエチョンカのトスカだって、もっと若々しい声の方が私は好きですが、そんな声でトスカ役は歌われたことがないので、私の言い分はあまりに贅沢です。

 つまり、そんなわがままな好みを言い始めてしまうくらいに、実にすぐれた歌唱だったという事です。世間的には問題ないレベルです。

 しかし、耳が嬉しくなるために、目は閉じないといけない事になりました。

 オペラって目をつぶって見るものだなあ…と、以前から思っていましたが、今回も強くそう思ってしまったわけです。そう、ビジュアル的には、かなり厳しめのトスカだったんです。

 なにしろ、主役3人と指揮者の4人で並ぶと、一番美しい顔の持ち主が…指揮者のエッティンガーなんです。歌手よりも美しい(ってか、イケメンな)指揮者って、どうなの?って思うし、指揮者に容姿で負けちゃう歌手ってもの、残念なモノです。

 特に声は素敵だけれど、トスカ役のビエチョンカの容姿は…年齢相当で、かなり残念です。これが舞台だったら、遠目で見るので「太めのトスカだなあ…」ぐらいで済みますが、ハイヴィジョン収録ですから、あれやこれやをくっきり映し出すので、トスカが若くて美しいというのが、とっても無理に感じてしまうのです。そこがとっても残念です。

 でも、ビエチョンカの努力はスゴイんですよ。今回の上映では、リハーサルシーンもたくさん見せてくれますが、リハーサルのビエチョンカはほぼノーメークなんです。ですから、年相応どこか、あきらかにお婆ちゃんトスカなんですが、本番舞台では、ばっちりメイクをして、若さと美しさをボトムアップしてくるわけです。リハーサル姿から見れば、本番の彼女は一世代ぐらい若返っています。それは実に見事だし、女は化粧で化けるんだなあと思うわけです。だから、舞台の彼女は、あれで精一杯だし、かなりうまく化けているんです。

 でも、ハイビジョンだと、そこまでしても、アップがツラいんですよ。そういう事なのです。

 それに…ビエチョンカも太めだし、カレヤも巨漢ですから、愛の二重唱を歌って、互いに抱き合うと、まるでお相撲さんの取り組みみたいになっちゃいます。いやあ、残念。

 ですから、ヴィジュアル的には、メトの圧倒的な勝ちになります。でも、サウンド的には、絶対にロイヤル・オペラの勝ちです。ソリストの出来が全然違います。特に私が感心したのは、二幕でのカレヤの歌唱です。高らかに勝利宣言をする箇所では、彼の歌声が歪んでしまっているんですよ。つまり、機械の想定以上の音量で歌ってしまったんです。それってすごいでしょ? ああ、生で聞きたかったなあ…と思います。きっと、すごい迫力なんだと思います。

 そう言えば、歌劇場と言っても、メトロポリタンとロイヤルでは、全然劇場の規模が違うんですよね。3800人も入るメトに対して、ロイヤル・オペラは2256人です。ロイヤル・オペラはメトの6割程度の大きさなんですよ。半分ちょっとの大きさしかない歌劇場なんです。だから、メトで劇場を震わせるような大声で歌うなんて、まあ無理なんです。

 ちなみに、スカラ座は2030人、ウィーンの国立歌劇場は1709人なんだってさ。日本の新国立劇場も1814人で、ヨーロッパの劇場並なんです。つまり、メトがやたらと大きいって事ですね。

 そんな大きな劇場で歌う歌手って、つらいでしょうね。だから、メトとロイヤル・オペラの歌唱を比較するのは、ちょっと可哀想なんだけれど、まあ、仕方ないね。

 それにしても、日本にいながら、メトとロイヤル・オペラの比較が最新上演作の比較ができるなんて、なんて贅沢な世の中になったんでしょ。

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2018年3月12日 (月)

ロイヤルオペラ『リゴレット』を見てきました

 ロイヤルオペラとは“英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2017/18”の事であり、ざっくり書いちゃえば「コヴェントガーデンのライブビューイングを見てきた」って事です。

 私は、オペラのライブビューイングは、アメリカのメトロポリタン歌劇場のモノを中心に見ていますが、たまには別の歌劇場のライブビューイングも、こうして見るわけです。

 同じ演目でも、上演する歌劇場が違えば、あれこれ違うわけです。

 今回、ロイヤルオペラの『リゴレット』は、当地では大人気の演目で、特にその演出は“ゴキブリ・リゴレット”と呼ばれるほどに、地元の人たちからは愛されているんだそうです(リゴレットの道化衣装が、ほとんどゴキブリだから、そう呼ばれているわけです)。

 このディヴィッド・マクビィカーによる演出は、かなりエグい演出です。たぶん、日本では上演できません。メトロポリタンで上演すれば、おそらくブーイングの嵐となるでしょうね。でも、英国の紳士淑女の皆さんは、これを受け入れ、むしろ愛しているわけです。

 さすが、演劇の国イギリス、懐、深いなあ…。

 特に第一幕第一場のマントヴァ公爵の宮殿のシーンがエグいエグい。とにかく、どれだけ公爵が好色であり、リゴレットが並外れた太鼓持ちであり、公爵に使える廷臣たちの性根が腐っているかが、これでもかってくらいに描写されるわけです。このシーンがあってこそ、モンテローネ伯爵の悲しみが際立つのであり、それゆえにリゴレットの公爵に対する警戒心とジルダの誘拐後の悲しみと復讐心が際立つわけです。それゆえのエグい演出なわけです。

 ざっくり言っちゃえば、生オッパイのポロリなんて何度もあるし、生全裸もあれば、生レイプもあるわけです。でも、これ、必要なんですわ。これがあるから、リゴレットの悲劇が生々しく表現されうるわけです。

 という訳で、このエグい演出には、当然好き嫌いがあるでしょう。なので、安易に「ロイヤルオペラのリゴレットはいいよ、ぜひ見たほうがいいよ」とは簡単に言えないわけです。

 さて、歌手に関して言えば、公爵を歌ったマイケル・ファビアーノは、実に素晴らしいです。昨今のテノール歌手で、力強さと輝かしさが両立した歌声って、なかなか無いですよ。実に良いテノールです。

 ジルダを歌ったルーシー・クロウは、カメラがアップになると、ちょっとキツイのですが、それを除けば、ジルダにふさわしいソプラノさんだと思います。声も良いし、演技も十分です。スパラフチーレやマッダレーナの歌手さんたちも、歌も声も演技も、まあ水準以上でしょう。

 リゴレットを歌ったディミトリ・プラタニアスも水準以上と言っちゃあ水準以上なんだけれど、リゴレットという役は、バリトンの持ち役の中でも、エース級の歌手たちが歌ってきた役なわけで、この役を歌うという事は、そういった過去のエース級の歌手たちの歌唱と、どうしても比較されちゃうわけです。

 プラタニアスのリゴレットは…単純にかわいそうなんです。でも、リゴレット自身だって、公爵同様に、相当な悪人だし、性根は腐っているわけだし、その悪人ぶりは、第一幕第一場でしっかりと描写されているわけだから、かわいそうであると同時に、因果応報と言うか、自業自得な部分もあるわけですが、プラタニアスのリゴレットは、そういうリゴレットの持つ、複雑なキャラがうまく表現されていないと思うんですよ。

 リゴレットの悲しみが複雑であればあるほど、ジルダの悲劇が、より際立ち浮かび上がるんですよ。でも、リゴレットが単純にかわいそうなだけだと、ジルダがただ単に、恋に盲目になって暴走しただけのバカな小娘になってしまうわけです。

 だから、モンテローネ伯爵の呪いは、どうなっているの?…って話なんですよ、でしょ?

 このオペラは、本来は昨年亡くなったディミトリー・ホロストフスキーがリゴレットをやるはずだったんだそうです。あくまでもプラタニアスはダブルキャストのBチームのリゴレットだったわけです。もしもホロストフスキーがリゴレットを演じていれば、どんな感じになっていたでしょうか? ホロストフスキーは、かなりのイケメンですからね、典型的な醜男であるリゴレットなんて、演じられたのでしょうか? 逆に、イケメンさを感じさせないほどの演技を見せてくれたでしょうか? 今となっては全く分かりませんが、どちらにせよ、プラタニアスではないバリトンさんで、このリゴレットを見たら、また印象が変わるんじゃないかなって思う私なわけです。

 とにかく、色々あるにはあったわけだけれど、私的には、この上演は大当たりだったわけです。リゴレットというオペラは前々から知っていましたが、今回はじっくりと味わい、その素晴らしさを堪能しました。どれだけ気に入ったのか言えば…映画が終わるや否や、すぐに銀座に行って、リゴレットのヴォーカルスコアを買っちゃったくらいです…八千円もして、高かったけれど(汗)。んで、そのヴォーカルスコアを見ては、映画を思い出して、グフグフ言っているわけです。

 まあ、マントヴァ公爵、いつかは歌ってみたいです。もちろん、いつか…ですね。楽譜を見ると、めまいがするほどに難しいんですわ、マントヴァ公爵。でも、いつか歌ってみたいなあ。

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2018年2月21日 (水)

『グレーテスト・ショーマン』を見てきました

 ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画だというので見てきました。ヒュー・ジャックマンと言えば、一般的には“ウルヴァリン”でしょうが、音楽ファン的には「レ・ミゼ」の“ジャン・バルジャン”なわけで、そりゃあ見に行くしかないでしょう。

 公式ホームページはこちらです。

 で、見てきました。さすがに『ラ・ラ・ランド』後のミュージカルというわけで、実に音楽と演技が見事にシンクロしていました。歌も芝居の一部であって、そういう点では21世紀の新しいミュージカルだなって思いました。歌と芝居と演出が高いレベルで関連していました。良いね。

 曲は、どの曲もとても良かったですよ。捨て曲無しです。おそらく、キラーソングは“This is me”だろうけれど、実にパワフルな曲です。いいよ、いいよ。

 何度も繰り返して見たくなるミュージカルです。なかなか良質なミュージカルだと思いました。

 もっとも、だからと言って、手放しで賞賛できるタイプのミュージカルなのかと言えば、ちょっと違います。音楽は良いんだけれど、その他の部分で、物足りなさを感じちゃいます。

 まずは、ストーリー。主人公バーナムの立身出世物語(と挫折)を中心に、それに各種差別問題を絡めているんだけれど、ドラマ的には、そんなに深くないです。「ミュージカルのストーリーなんて、そんなもの」と言えば、それで終わりなんだけれど、だったら、もっと脳天気なストーリーでいいと思うわけです。素材的には、もっと深みのあるストーリーだって作れるだろうに…と思うと、ストーリー的に残念です。

 主人公のバーナムという人は、アメリカではとても有名な実在のビジネスマンらしいし、バーナム以外の登場人物たちも、みな実在の人物で、バーナム同様に有名人らしいのですが、どれもこれも我々日本人には馴染みの薄い人物です。どうやら「みんな知っているよね」というのが前提にあり、あれこれ説明不足の掘り下げ不足なのです。たくさんのエピソードがストーリーに組み込まれていますが、その多くは見ていて「?」となってしまうのですが、おそらくそれはアメリカ人にとっては既知の話であり、細かい説明が省かれているのだろうと思うのだけれど、そういう部分が、我々日本人には、ちょっと不親切な作りになっているようです。

 つまり、ストーリー的には楽しめないし、共感もしづらい話です。でも、それを補って余るほどに、音楽は良いです。

 『グレーテスト・ショーマン』の音楽は、上質な、今時のロック風味のポピュラー音楽です。そこは1950年代のロジャースのミュージカルや1990年代のロイド・ウェーバーの音楽とは違うわけです。

 ミュージカルがこの世に生まれて、約百年くらいでしょうか? そもそもは19世紀末のオペラが、あまりに重厚に規模も大きくなってしまったアンチテーゼとして生まれた、軽妙で洒脱なオペレッタが、20世紀になって、アメリカに渡り、様々な現代的な音楽を吸収して出来上がったのが、現代のミュージカルなわけです。ほぼ20世紀初頭に死滅してしまったオペラにとって変わるように、20世紀初頭に生まれたミュージカルですが、今やオペラとはだいぶ違う地平の上に成り立っているようです。その最極限が『ラ・ラ・ランド』だったんだろうと思いますが、この『グレーテスト・ショーマン』も音楽的には、かなり先端に近いところにいるのだろうと思います。少なくとも、ロイド・ウェーバーの音楽よりも、だいぶ尖っています。

 今のアメリカ人は、こういう歌芝居を好むのかな…って思いました。

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2018年2月19日 (月)

メトのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 私はメトのライブビューイング上映のすべてを見ているわけではありません。基本的に、見たことのないオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時と、新演出のオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時に見ると決めています。

 本当はすべての上演作品を見たいのだけれど、お金と時間に制限があるものでね…。

 で、今回は「トスカ」を見てきました。私、「トスカ」は色々な上演を何度も見ていますが、今回の上演がメトの“新演出”になるそうなので、改めて見る事にしたわけです。

 実はメトの「トスカ」は2009年に演出が変更されたばかりで、10年と経たずに演出が変更されたというわけです。

 どうも、2009年のボンディの演出がダメだったようです。アメリカの観客たちには、あの演出には、かなりご不満だったようで、それで今回の演出変更につながったようです。ちなみに、私は2009年版の演出をアンコール上映で2011年に見ているので、なおさらすぐに変更されたような気になっていたようです。その時の感想記事はこちらです。

 以前の記事を見ても分かる通り、私は個人的にはボンディの演出は好きでした。歌だけでは分かりづらい、ストーリーの説明やキャラの性格の掘り下げも芝居と演出の力で補っていたし、別に不満など、特になかったのですが、アメリカのオペラ好きな方々には、えらく不評だったようです。

 まあ、確かに、ボンディの演出とそれ以前のゼッフィレッリの演出とは、だいぶ違うものね。ボンディの演出は2009年当時から、アメリカでは賛否両論だったそうだしね。

 で、今回のマクヴィガーの演出なんだけれど、振り子が振り戻るかのように、現代演出の要素も残しながら、伝統的な定番の演出に戻ってしまいました。まあ、安心して見られると言えば、その通りなんだけれど、なんかアクが抜けちゃったなあ…って感じです。

 それは演出だけでなく、主演のソニア・ヨンチェヴァとヴィットーリオ・グリゴーロの歌唱のせいもあるかなって思います。二人とも、声が軽いんだよねえ…。なんか、オペラのお話が絵空事のようで、現実っぽさが希薄なんです。まあ、オペラって、基本的に絵空事だし、ファンタジーだし、それに現実っぽさなんて加えるのは、野暮ってもんなんだろうと思うんだけれど、それにしても、ボンディの演出の後だと、なんともアクの無い、優等生向きの演出になっちゃったなあ…って感じです。

 まあ、地元アメリカのファンは、これを望んでいるのなら、仕方ないよね。アメリカ人って、案外保守的なんだよね。

 とは言え、別に私はマクヴィガーの演出がダメとは言いません。これはこれでアリです。ただ、私の好みは、以前のボンディ演出の方だったってだけの話です。

 今回の演出では、トスカは若い娘…ってか、小娘に設定されているそうです。演じる歌手が大御所ソプラノ(つまりオバサン)が多いせいか、ついついトスカって成熟された女性だと思いがちだけれど、今回の小娘設定で物語を見てみると、色々とストーリーに合点がゆくし、何よりトスカのキャラに整合性が出てきます。いやあ、これには今まで気づきませんでした。

 となると、実はスカルピアも若いんじゃないかなって思うようになりました。

 ここから先は、私の妄想です。

 スカルピアって、だいたい爺さんバリトンであったり、若いバリトンでも老けメイクをして演じるので、年寄りのイメージがあるんだけれど、実は思うほど年寄りではなく、せいぜい中年のオッサン程度なんじゃないかって思いました。中年のオッサンって、まだまだギラギラしているものね。ならば、トスカのカラダを求めるのも分からないでもないのです。本当の爺さんは、小娘のカラダなんて欲しがりませんからね。スカルピアは、せいぜい中年の、精力ギンギンのオッサンなんですよ。

 となると、カヴァラドッシの年齢設定にも疑問が生じます。

 カヴァラドッシって、アンジェロッティの親友なんですよね。で、アンジェロッティって、逃亡中の政治犯なんだけれど、彼って、ローマ共和国の高官って設定なんですよ。つまり、とてもエラい政治家様で、そんな立場の人が、そんなに若いはずはないんです。少なくとも、青年ではありません。せいぜい中年、下手すると爺さんの可能性すらあります。そんな人と親友なんだから、カヴァラドッシも、あまり若くはないはずです。もしかすると…中年のオッサン? でも、カヴァラドッシが中年のオッサンなら、スカルピアと対等なクチを聞いちゃうのも分かるし、スカルピアの部下たちを、若造たちを見下すような態度で接するのも分からないでもないです。

 カヴァラドッシが中年オヤジならば、トスカに対する甘々な態度も分かりますし、トスカが嫉妬ぶかい娘なのも分かります。だって、相手はオトナだし、騎士様(つまり貴族だよ)だし、人生経験だって豊かだろうし、お金持ちだろうし…、一方のトスカは、世間知らずの小娘だし、歌姫(ナポレオン時代の歌手なんて、使用人に毛の生えた程度の扱いの職業です)だし、自分に自信がなくて、ついつい嫉妬しちゃうんだろうなあって思うわけです。

 かわいいね、トスカちゃん。

 そんな風に(私が勝手なイメージで年齢設定を変更して)このオペラを見てみると、なんとも新しい世界が広がるわけです。「トスカ」って“オッサン二人が政治争いをしていて、それに小娘が巻き込まれて、あたふたしている話”になるわけです。いやあ、面白い。

 最後に出演者の事を書きます。

 グリゴーロは…カヴァラドッシを歌うのは、まだ早かったんじゃないかな? 上手いんだけれど、この役に必要な声の重さに欠けると思います。演技は熱いんだけれど、声の熱量はちょっと足りないような気がしました。あと、10年ぐらいすると、良い感じになるかもしれませんが…今はまだ声が若すぎるような気がします。

 ヨンチェヴァは…上手いねえ。そもそも演出家が、トスカを小娘に設定しているのだから、これくらい(従来のソプラノさんと比べると)軽めの声のソプラノで良いのだろうね。演出が伝統に回帰しても、歌手の声までは、昔のような大ソプラノの声を求めなかった…って事だわな。昔風のトスカなら、声は重量級のソプラノだものね。でもね、声はともかく、演技力は昔の大ソプラノレベルだったのは…どうなんでしょ?

 ルチッチのスカルピアは…歌も演技も薄味…かな? スカルピアって、悪人のはずなんだけれど、ルチッチが演じると、案外、紳士に見えるんだよね。だからかな、2幕のトスカとスカルピアの対決シーンが、なんとも物足りなく感じてしまいました。当初予定のブリン・ターフェルが歌っていたら、もっとねっとりした悪役になっていたんじゃないかしらって思います。

 そうそう、名前は知らないのだけれど、スポレッタを歌っていた脇役テノールさんの演技が良かったなあって思います。スポレッタなんて、ただの端役なのに、なんか妙に心に残るんだよねえ…。でもこの役、そんなに存在感があっちゃダメな役だとも思うんだけど(笑)。

 それにしても、今回の「トスカ」は、いかにもメトのオペラって感じでした。メトって、保守的なんだよね。保守的だからこそ、子どもや初心者にも安心して勧められるんだよね。「最初にオペラを見るなら、メトの上演版」というのが私の口癖なんだけれど、最近のメトは、ちょっと冒険しすぎて初心者に優しくなかったのですが、今回の演出でメトの「トスカ」は、そんな昔の初心者に優しいオペラに戻ったわけです。

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2017年12月11日 (月)

メトのライブビューイングで「魔笛」を見てきた

 今度のメトの「魔笛」は、かなりお薦めです。

 実はメトのライブビューイングでの「魔笛」って、今回が2度目なんです。最初のヤツは…よくアンコール上映で取り上げられていましたが…短縮&英語版だったのです。なので、ちょっと敬遠して、見てこなかったんですが、あれから約10年。ようやく、フルバージョンでの上演(&ドイツ語上演)がライブビューイングに登場したので、見てきたわけです。

 いやあ、美術と演出が良い仕事をしています。

 私は実演&映像で数多くの「魔笛」を見てきました(皆さんもそうでしょ?)。「魔笛」って、どんな美術や演出で見ても、音楽そのものが素晴らしいから満足できるのに、ストーリーがファンタジーって事もあって、実に様々なアプローチの演出ですら、受け入れてしまう懐の深さのあるオペラなんです。実際、名演出も多いオペラです。

 で、今回の「魔笛」の演出は、メトの主席演出家ニースの手によるものですが、元々のオリジナルの演出は「ライオンキング」の演出家でもある、ジュリー・テイモアによるものです。で、これが、なかなかスゴイんだわ。

 美術の基本的なコンセプトは…おそらく京劇なんだと思う。まあ、主役のタミーノって、あまり知られていないけれど、実は日本人という設定(台本や楽譜にそう書かれている)なんだよね。まあ、アメリカ人から見れば、日本人も中国人も一緒一緒(笑)って事で、京劇風の美術が取り入れられたんだと思うわけです。まあ、日本人である私的には、ぜひタミーノには、台本通りに狩衣を着て欲しいと常々思っているのだけれど…まあ、いいや。そういう私の個人的な願望を横に置くと、なかなかタミーノのキャラ設定も良いですよ。

 この京劇風の美術に、エジプト風味を加えて、全体を前衛芸術風味でまとめ上げたのが、今回の「魔笛」の基本美術路線なんだと思います。まあ、エジプト風味は、メトでは、この演出版以前に使われていたモスタート演出版(美術はホックニーだよ)を引き継いでいるんだと思います。まあ、歌詞を見ても、ザラストロの国はエジプトっぽいんだけれどね。

 この東洋趣味にオリエンタル趣味(ヨーロッパから見ると、エジプトもオリエンタルなんだよね)をミックスして、パペットを多用した演出は…まさに“どこでもない国”感がして、実にファンタスティックで良いです。まさに“おとぎの国”です。

 音楽面では、指揮がレヴァインですから、悪いわけがありません…とは言え、昔のレヴァインと比べちゃうと、音楽の隅々まで神経が行き届いている…ってわけにはいかないかな? 指揮としては、時折、音楽がバラけちゃう時があるんだけれど、そんな事を気にしていたら、オペラ楽しめないから、気にしない事にします。

 例えば、序曲が終わったところで、観客たちが大きな拍手を送っていたけれど、拍手を送るほど、良い出来の演奏だった…とは私は思わないんだよね。むしろ、ところどころ“???”が出ちゃうような演奏だったと、個人的には思ってます。でも、そんなのはオペラ上演としては、気にするようなキズじゃないからね。気にしない、気にしない。

 とは言え、夜の女王の2幕の、あの超有名なアリアで、オケがバラけちゃったのは残念かな。やっぱり、聞かせどころだけでも、ビシっと決めて欲しいものです。ま、歌手の歌い方にも、ちょっとばかり癖があった事は事実だけれど、そういうところもすべて飲みこんでオケを統率して音楽をまとめていくのが指揮者の仕事なんだよなあ…。

 歌手の皆さんは…皆さん、歌も芝居も達者で、とても良かったのですが、正直、ビッグネームなスター歌手は…ザラストロを歌ったルネ・パーペぐらいかな? そのルネ・パーペも今回のライブビューイングのために、特別ゲスト的に出演していたそうだから、普段は、スター歌手抜きで上演しているんだと思います。

 メトのオペラって、スター主義が売りなんだけれど、今回に限らず、最近はあまりスターを使わない傾向があるんだよね。スターを使わない…必然的に、ピチピチの若手歌手とか、地元にいる渋い脇役歌手とか、自分ところで育成した歌手たちを使っていくわけだけれど、私はこれはこれでアリだと思ってます。(ギャラを含めた制作費が抑えられるという劇場側の事情もあるんだろうけれど…)

 スター主義のオペラ上演は、ある種の“座長公演”なわけで、そのスターを見るための上演なんだけれど、スターがいなければ“一座公演”になるわけで、一座のチーム力と作品の素晴らしさが上演を引っ張っていくわけです(代表的なのが、劇団四季のやり方だね)。

 まあ、今回の「魔笛」は、レヴァインとパーペがいるわけで、二人もスターがいるんだから、従来のメトっぽくっていいじゃんとも言えますが、見た感じは、スターうんぬんと言うよりも、一座の力、作品の力を感じました。

 それにまあ、この演出。スターを呼べない演出だよなあ…とも思います。と言うのは、出て来る歌手は、誰も彼も派手な化粧が施されていて、歌手の素顔はほぼ分かりません。美しく化粧されているのは、パミーナぐらいで、後は、京劇風のペイントによる仮面をかぶっているような化粧なのです。かろうじて、パパゲーノやザラストロは…(このオペラとしては)化粧が薄めで、歌手の素顔が想像できなくもないけれど、タミーノとか夜の女王とかは、完全に素顔からかけ離れた顔になっているし、三人の侍女たちに至っては…黒塗りだよ。モノスタトスは黒人ではなくて、蝙蝠男なんだよね(でも、バットマンほどカッコよくはない:笑)。

 あれだけ濃い化粧が要求される上演だと、普通のスター歌手は出演を嫌がるよね。だって、俺様の美しい顔が化粧で隠されちゃうんだよ。顔と名前を大切にするスターの皆さん的には、パスパスパスって感じになっちゃうんだと思います。

 モノスタトスの蝙蝠男は、良い演出だと思いますよ。オペラの中で、モノスタトスとパパゲーノが最初に鉢合わせした時に、お互いの異形にビビり合うという芝居があって、パパゲーノは鳥人(ああ、笑い飯のコントネタを思い出す…)なのでモノスタトスがビビるのは分かるけれど、モノスタトスが黒人で、その姿を見てパパゲーノがビビったら…21世紀のアメリカでは、マズイよね。黒人は異形の者じゃないからね。それにだいたい、今回の上演では、お姫様役のパミーナを歌っているのが黒人歌手だから、黒人役がモンスター扱いってわけにはいかないわけで、じゃあどうするかと考えて、モノスタトスを蝙蝠男にしてしまったんだと思うわけです。鳥人と蝙蝠男…そりゃあ、互いにビビるよね。

 それに、モノスタトスって、最初はザラストス側だけれど、途中で夜の女王側に裏切るキャラだから、蝙蝠男ってのも、なかなかに良い設定なんだと思う。

 そうそう、三人の童子(ただし、白髪で長い長いアゴヒゲを蓄えていたので、キャラ設定的には、老人なのかもしれない)を、本物のボーイソプラノたちが演じていたのは、とても好感が持てます。いいよね、ボーイソプラノ。日本で魔笛上演を見ると、三人の童子って、たいてい小柄な女性歌手が演じる事が多いんだけれど、なんかそれじゃあねえ…。特に、女女女した人が童子を演じると、妙な違和感があって、私は苦手です。

 まあ、色々あるんだけれど、ほんと、この上演は、おすすめですよ。色々と魔笛は見ました…という人でも、退屈せずに見ていられる上演だと思います。

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2017年11月27日 (月)

市民オペラで「トスカ」を見てきました

 先日、F市の市民オペラを見てきました。以前から、ここの市民オペラは本格的で、すごいなあとかねがね思っていたのですが、やっぱり今回も、本格的な上演で、すごかったです。大道具も小道具も衣装もカツラも本格的。むしろ、下手な商業オペラ公演よりも、きちんとしているぐらいです。

主なキャスト等は以下のとおりです。

指揮 園田隆一郎
演出 粟国淳
管弦楽:F市民交響楽団
合唱:F市民合唱連盟

トスカ:佐藤康子(ソプラノ)
カヴァラドッシ:笛田博昭(テノール)
スカルピア:黒田博(バリトン)

 プロの方々の歌や演技には、何の問題もありません。ただただ、楽しませていただきました。観客の入りは7割前後かな? 満席にはほど遠いのですが、なにしろ4日間も公演しているのですから、それだけ入っていれば、たぶんOKなんだと思います。

 感服したのは、市民交響楽団です。いやあ、第二幕までは、ほぼ完璧。パーフェクト。プロのオケにも負けず劣らずの演奏で、二幕後の休憩では妻と「ここの市民オケは、素人離れしたスゴいオケだねえ…」なんて話していたくらいです。でもやっぱり市民オケは市民オケなわけで、演奏技術はプロ並であっても、やはり体力や集中力はプロ並とはいかず、第三幕はだいぶ散漫な演奏になっちゃってました。残念。特に残念だったのは、三幕のテノールアリアの伴奏の音程が、すごく広々と取られていて、ありゃあ歌手は相当歌いづらかっただろうなあと同情しちゃいました。アマオケなら、必ず降りメンがいるはずですから、途中でそういうったメンバーと入れ替わりながら演奏すれば、最後まで高水準の演奏がキープできるんじゃないかなって、思いました(余計なお世話だね)。

 合唱は…女の子たちが大活躍でした。今回の合唱には少年合唱(とは言っても、実態は少女合唱)がたくさん加わっていました。で、彼女たちが舞台上でも歌唱面でも頑張っていて、印象深かったです。オトナの合唱は…ほとんど印象にありません。まあ、印象に無いという事は、無難に役割を終えたという事で良かったんだと思います。

 このオペラ、黙役がたくさん必要なのですが、おそらくそれらの黙役は合唱団の方々が演じられたのだと思いますが、皆さん、きちんと役にハマっていて、自分の役割をきちんと真っ当していました。演技に素人くささが無かったので、おそらく、リハーサルをきっちりやったんだろうなあと思いました。

 ここは3年おきにオペラ公演をするのですが、もう今から3年後が楽しみです。

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2017年11月22日 (水)

メトのライブビューイングで「ノルマ」を見てきた

 表題の通り「ノルマ」を見てきました。配役等は以下の通りです。

指揮:カルロ・リッツィ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

ノルマ:ソンドラ・ラドヴァノフスキー(ソプラノ)
アダルジーザ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
ポリオーネ:ジョセフ・カレーヤ(テノール)

 このオペラは、いわゆる“プリマドンナオペラ”で、主役ソプラノを楽しみ愛でるオペラです。だから、主役ソプラノの歌唱はめっちゃめっちゃ難しくて、そんちょそこらのソプラノに歌える役ではありません。しかし、その分だけ華があるわけです。

 この「ノルマ」というオペラは、初演当時はともかく、19世紀後半~20世紀前半において、各地の歌劇場で上演されなくなくなり、戦後、事実上、忘れられたオペラになりました。上演されなくなった理由の一つとして「主役の歌唱が難しすぎて平凡な歌手では手に負えない」という理由は絶対にあると思います。そして、マリア・カラス以降に、ポツポツと上演されるようになったのは、腕に覚え(ノドに覚え?)のあるソプラノさんたちが、このオペラの難しさにチャレンジするようになったからでしょう。

 今回のラドヴァノフスキーも、そんなチャレンジ精神あふれるソプラノさんだったようです。実際、彼女の歌唱は良かったですよ。ほんと、最近のオペラ歌手は上手な人が増えました。すごいねえ。

 通常、プリマドンナオペラと呼ばれるオペラは、ムッチャ難しいのはソプラノだけで、他の役はソプラノを目立たせるためもあって、さほど難しくもなければ派手でもないのが普通なのですが、このオペラは、他の役もなかなかチャレンジのしがいのある難しい役なんです(だから、余計上演されなくなったんだと思います)。

 メゾのアダルジーザ役も難しいよね。今回、歌っているのはディドナートですから、そこは安心して見れますが、彼女に問題があるとすると、アダルジーザという役は、ノルマの弟子なので、若い…と言うか、ほんの小娘の設定なんですが、ディドナートだと、ちょっと貫禄があって、ノルマとアダルジーザが師弟関係ではなく、もうちょっと近い関係…例えば、上司と部下関係ぐらいにしか見えないのが、残念と言えば残念かな? かと言って、この演目は、今年のメトのオープニングアクトなわけで、ディドナートを見せる…という興行的な狙いもあるんだろうから、ここは外せないわけです。

 テノールのポリオーネを歌ったカレーヤも、実に見事でした…ってか、よく歌うよなあって感じです。ポリオーネという役は、テノールの中でも、かなり難しい役です。おまけに人間的にはクズだし、完全に脇役だし…多くのテノールが歌いたがらない理由は分かります。そこにあえて手を出したカレーヤには感服します。プロとして立派だと思います。

 というわけで、このオペラは、主要3人の見事な歌唱を楽しむオペラなんです。

 でもね、この作品が長い事、上演されなかった理由も、見ていて何となく分かりました。もちろん、主要3人の歌唱がめっちゃめっちゃ難しくて、歌い手を揃えるのが大変というのが、一番大きな理由だと思いますが、そればかりではないと思います。

 このオペラじゃ、客が集まらない…と思いました。音楽的には素晴らしい作品だと思うけれど、音楽的な価値と興行的な価値は違うわけで、興行的にはかなり難しいオペラだなって思いました。

 その主な理由は、ベッリーニの書いたメロディにあります。

 オペラ『ノルマ』のメロディは、実に美しくて耽美なメロディがたゆたうように流れていきます。でも、美しいばかりで、あまり激しくはないし、楽しくもないのです。むしろ、落ち着いているし、威厳すらあるのです。荘厳でもあります。

 美しい音楽が続くけれど、曲調に大きな変化はありません…申し訳ないけれど、このオペラを聞いて、そう思いました。どの曲もどの曲も不安げなのです。おまけに一曲一曲が長いんだな…。

 どんなに美しいものでも、続けば飽きます。ベッリーニの書いた音楽は、本当に、どの曲も美しくて素晴らしいのだけれど、そんな美しい音楽がずっと続くんです。ずっとずっと続くんです。ただただ美しいのです。美しさに感動はしますが、やがて飽きます。歌手たちが高難度のアリアを次々に歌い、最初こそは感心しますが、やがて慣れてしまいます。

 一度聞いたら満腹になっちゃうよなあ。それがこのオペラの特徴です。満腹になってしまうので、すぐに繰り返して聞きたいとは、ちょっと思いません。いい曲がたくさんあるので、つまみ食いのように、それだけを取り出して、コンサート等で歌ってくれるなら歓迎だけれど、一度見てしまうと、オペラとして、もう一度最初から見るのは、ハードル高いです。

 それにこのオペラ、終わった後に、歌いたくなるようなメロディが無いんです。つまり、キラーソングが無いんです。「Casta Diva/清らかな女神よ」が、このオペラを代表するアリアなんですが、このアリアを口ずさんでみたいと思う? 私は思わないよ。美しくて難しいアリアだけれど、やっぱり地味だもの。

 さらに言うと、オペラにありがちだけれど、ストーリーは凡庸で、単なる舞台装置の一つでしかなく、特に目を見張るものではありません。今回は演出のマクヴィガーが頑張りましたが、これを凡庸な演出で見たら、ストーリー的には退屈で仕方ないと思うよ。ここも、このオペラのマイナス要因です。

 正直、ノルマというオペラは、一度は見た方がいいと思うけれど、繰り返して見たいとまでは思わないし、人にも薦めないなあ。ただし、プリマドンナオペラだから、ソプラノ歌手が変われば、ガラッと変わるオペラでもあるから、ソプラノが変われば、また見てもいいかなって思います。でも、歌えるソプラノは限られているから、そんなにしょっちゅう上演もされないしね。

 そんな事を今回は考えました。

蛇足 それにしてもポリオーネってクズ野郎だね。私はテノールだから、どうしてもポリオーネを中心にオペラを見ちゃうんだけれど、正直、こんなクズ野郎、見ていて胸糞悪くなるばかりです。不快だよ。そりゃあ、多くのテノールが避けるわけだ。ただし、音楽は美しいので、コンサートなどで取り上げてくれれば、それはそれで良しですが、オペラとして見ちゃうと、ダメなところばかりが目立つので、パスしたいです。

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2017年9月25日 (月)

メトのライブビューイングで「タンホイザー」を見ました

 標題どおり、先日、メトのライブビューイングで、ワーグナー作曲の「タンホイザー」を見てきました。2015-16年シーズンですから、前々回のシーズンでの上演です。上映時間は、約4時間半、さすがにワーグナー作品は長いです。

 基本データは以下のとおりです。

  ジェイムズ・レヴァイン指揮
  オットー・シェンク演出

  タンホイザー ヨハン・ボータ(テノール)
  女神ヴェーヌス ミシェル・デ・ヤング(メゾ)
  エリザベート エヴェ・マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
  ヴェルフラム ペーター・マッティ(バリトン)
  領主ヘルマン ギュンター・グロイスベック(バス)

 「タンホイザー」はワーグナー作品の中では、比較的よく見る作品(私の場合)ですが、見るたびに印象が異なる作品です。今回はオットー・シェンクの演出バージョンで、割と原作に忠実な演出となっている(はず)です。

 オリジナルのストーリーは知っているという前提で、以下を書きます。

 今回の演出では…なんともタンホイザー君が可哀想というか、何もそこまでイジメなくてもいいじゃないかと思いました。まあ、これは当時のドイツ民衆と、現代の日本人である私の貞操観念の違いってヤツなんでしょうが、いやあ、本人反省しているんだし、水に流してやれよう…と、私なんかは思っちゃうんですよね。当事者のエリザベートちゃんだって許しているんだし…。いや、本当はエリザベートちゃんが一番怒りたいだろうけれど、彼女よりも先に周りが怒り狂っちゃったから、彼女としては彼を守らざるをえないわけで、許したくなくても許さざるをえないわけで、そんな彼女の苦しい立場だって、見ていてつらいです。そういう意味じゃあ、エリザベートちゃんも可哀想。

 タンホイザー君に関しては、自業自得だし、やっぱり罪は罪だし、許される罪と許されない罪ってのがあるんだろうけれど、そこが今ひとつピンと来ないのが、私が現代人だからでしょうね。

 お前ら、信仰があるなら、7の7倍、許したれよ…なんて、私は思うわけですよ。許されない罪なんて無いよ…って思うわけです。

 今回の上演では、演出を原作通りにした事で、そういう理不尽さ…と言うか、文化の違いを強く感じてしまったわけです。

 まあ、タンホイザー君自身、確かにヴェーヌス姉のところに入り浸っちゃった事は褒められない所業だろうし、バカだし、何もバカ真面目な村人たちの前で、ヴェーヌス賛歌なんて歌う必要ないのに…とまあ、オジサン的には「タンホイザー君って、バカモノだな…」としか思えないのですが、それが彼の若さなんですよね。

 オペラの演出を現代的にしてしまう事は、最近、よくあるし、ワーグナー作品って、そういう現代的にされてしまう事が多いわけだけれど、現代化の過程で色々な問題がウヤムヤに処理されてしまいがちだけれど、こういう原作に忠実な演出だからこそ、伝わるモノってのがあるんだなあと思いました。

 さて、ストーリーとか演出とかの話は、これで終わりにして、この上演での楽しみは何かと言うと…テノールのヨハン・ボータの声の悦楽…でしょうね。とにかく、ボータの声が美しいのです。

 このオペラ、主役であるタンホイザーが一番歌う箇所が多く、彼を中心にストーリーも回っていきますから、タンホイザーを歌う歌手に魅力が無いと、この役は勤まりませんし、オペラとしての魅力も半減です。

 そこへ行くと、ヨハン・ボータは…良いです。ほんとに美声です。聞き惚れてしまいます。

 でも…残念な事に、容姿はダメダメです。デブだし、チビだし、醜男だし…。20世紀の、まだ音声だけで勝負していた時代だったら、彼は大テノールになれたと思います。でも、今は21世紀で、ビジュアルが良くないとダメな時代です。だいたい、あんな醜男が、エリザベートやヴェーヌスらの(設定上は)美女たちに褒められるわけがないわな。ほんと、説得力が無い。

 そんなビジュアル的には全く説得力のないボータですが、それでもメトなどという一流劇場で主役を歌っているわけで、それが実に素晴らしいと私は思うわけです。ビジュアル上のハンデを吹き飛ばすほどの美声が素晴らしいってわけです。ほんと、彼の歌声は、素晴らしいです。

 このメトの「タンホイザー」は、ひたすらボータ声を味わう上演です…と言い切っちゃっていいんじゃないかなって思います。もちろん、他の役を歌う歌手たちも素晴らしいのだけれど、ボータの素晴らしさは、また格別。私はそう思いました。

 ま、メトの支配人であるゲルブによれば、この世界には、ワーグナーの主役テノールを歌える歌手は、わずか10人程度しかいないそうな。で、その10人のスケジュールを世界中の歌劇場が奪い合っているわけで、その10人にボータは入るわけで…こんなビジュアルに難のある人でも一流の歌劇場で歌うのだから、ほんと、ワーグナーのテノールって、神に選ばれた人しか歌えないと同時に、こんなボータも音楽の神様に選ばれた、天才テノールの一人なんだよね…としみじみ思うわけです。

 蛇足 それにしても、ワーグナー作品って、出て来る歌手がみんなみんなデカくてデブなんだよね。ワーグナーって、オーケストラが巨大で、それに対抗するために、歌手の声が強くて音量も大きい事が求められるわけで、そうなると自然と、歌手たちはみんな、デカくてデブばかりになってしまうわけだけれど、作者であるワーグナー的には、こんなデブ歌手ばかりを起用せざるを得ない現状をどう思っていただろうねえ…。ワーグナーの頭の中では、登場人物たちはみな、スラッとした細身の美女やイケメンたちなんじゃないかな? そう思うと、ワーグナーが作りたかったのは、オペラじゃなくて、映画だったんじゃないかな?なんて、思う私であります。それも、特撮ファンタジー映画を撮りたかったんじゃないかしら? どうにも、生まれる時代と場所を大きく間違えちゃった人だったんだろうなあって思います。

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2017年9月12日 (火)

日本語上演オペラについて考えてみた

  先日、某K市市民オペラで、ヨハン・シュトラウス作曲の「こうもり」を見てきました。上演自体は、大変良くて、とても楽しいひとときを過ごしました。

 「こうもり」はオペレッタです。一応、オペラ歌手が演じますが、喜歌劇自体はミュージカルのようなもので、セリフ部分が大変多く、演劇性が強いので、大抵の場合、ミュージカル同様、現地語で上演されるのが普通です。なのでしょうか、今回の上演も日本語で行われました。

 日本語での上演ですから、ちょっとしたギャグやジョークも受けるし、ストーリーを説明するための、説明セリフが多くなっても、全然問題ありません。

 問題があるとすると…歌が日本語で歌われる事です。と言うのも、クラシック声楽の発声で日本語を歌われてしまうと…とても聞きづらいからです。

 おそらく日本語とクラシック声楽の親和性が低いため、言葉の聞きやすさと声の美しさの両立が難しいからでしょう。分かりやすく書くと、ヨーロッパ語ならば両立する、言葉としての自然な発声と音楽としての美しい発声が、日本語では、その両者が、あまりにかけ離れていて、その両立が難しいって事です。

 日本語って、クラシック声楽の基本とあるヨーロッパ語と較べると、声が浅いんですね。平べったいと言ってもいいかも。発音は浅ければ浅いほど明瞭であると判断されます。ヨーロッパ語のように深い声で話すと「何をゴニョゴニョ言っているんだ」と言われてしまいます。つまり、クラシック声楽で美しいとされる声は、日本語歌唱では“不明瞭な発音”になってしまい、そもそも両立が難しいのです。オペラ歌手は、声を深くして歌いますから、どうしても日本語が不明瞭になりがちで、何を歌っているのか、分からなくなってしまうのです。

 また、日本語ってヨーロッパ語と違って、アクセントを音程で付けます。ヨーロッパ語はアクセントを強弱で付けますから、どんなメロディーであっても、言葉が乗りやすいのですが、日本語は、話し言葉自体に音程の上下があり、そもそもが歌のような性質があり(百人一首などで和歌の読み手の発音を聞けば、日本語がいかに歌に近い言葉かが分かります)、日本語の持つメロディーと歌のメロディーが合致すれば良いのですが、合致しないと、何を言っているのか、全く分からなくなってしまうのです。それゆえ、外国語の歌を翻訳して歌うためには、訳詞にかなりのエネルギーを注がないといけないのです。と言うのも、元のメロディーと、そこにはめる日本語のメロディーが一致していないといけないのですが…世の中、そんなに簡単には行きませんから、オペラを日本語で歌われちゃうと、何を言っているのか、分からなくなってしまうのです。

 リズムも…ねえ。ヨーロッパ語は母音の長さは言葉の判別には関係ありませんので、言葉に自由にリズムに載せることができますが、日本語は母音の長さは基本的に一定だし、それが変わると意味が変わってしまいます。それゆえに、日本語の歌では、リズム的な冒険はあまりできません。日本語が単調で平板と言われるのは、このためです。

 例えば、ローマ字表記になりますが“obasan”と“obaasan”は、ヨーロッパ人にとっては、同じ風に聞こえるはずです。“aa”とダブっているのは、単なる強調ぐらいにしか思わないはずです。まさか、これで意味が変わって、違う単語になるなんて、ヨーロッパ人は想像もできません。でも、これ、ひらがなで書くと「おばさん」と「おばあさん」になるわけでしょ? そういう難しさが日本語にはあります。

 さらに日本語とヨーロッパ語では、同じ意味を表すためには、一般的に日本語の方が音数が必要だと言われてます。つまり、ヨーロッパ語の歌に日本語を翻訳して載せる場合、すべての意味を翻訳できないわけで、どうしても部分的に省略しないといけないのです。
 発音が聞き取りにくい。なんかイントネーションが変。言葉足らずな感じ。

 これら諸要件が重なって、オペラの日本語上演って、歌の部分が、本当に分かりづらいのです。

 まあ、私は「こうもり」のそもそものストーリーを知っていますから、歌が聞き取れなくても全然問題ないのですが、歌で何を歌っているのかが分かれば、もっと楽しめたんじゃないかなって思います。

 最近は、テレビのバラエティ番組でも、出演者たちのおしゃべりに字幕が付く時代です。オペラの日本語上演にも、少なくとも歌の部分だけでも、字幕が付いたら良いなあと思いました。原語上演の時には、必ず字幕が付くんだから、日本語上演にも字幕を付けてもバチは当たらない…と私は思うのですが、いかがでしょうか?

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