ひとこと

  •  もしも私が北の首領様で、日本や韓国やアメリカに喧嘩を本気で売るなら…韓国には風向きの良い日に風船爆弾のようなもので化学兵器(サリンとかああいうヤツ)をぶっこんで、日本には漁民に装わせた兵士(伝染病に罹患済み)を送り込んでバイオテロを引き起こし、アメリカには…サイバー攻撃だな。銀行とか株式市場とか経済方面の施設を一斉に襲うとか、いっそ原発を遠隔コントロールして大惨事を引き起こすとか…そういう手立てを考えます。そんなわけで、別に北の国が核爆弾とかミサイルとか持つ必要なんてないじゃん。むしろ、そんなモノを持っていると「北のくせに生意気だ!」って言われて、ジャイアンにボコボコにされちゃうよ…ってわけで、ジャイアンはいつコブシを振り上げるのでしょうか? 産経新聞は…12月18日が開戦日かも…って言っているけれど、だとしたら、もう来週じゃん。
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カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2017年12月11日 (月)

メトのライブビューイングで「魔笛」を見てきた

 今度のメトの「魔笛」は、かなりお薦めです。

 実はメトのライブビューイングでの「魔笛」って、今回が2度目なんです。最初のヤツは…よくアンコール上映で取り上げられていましたが…短縮&英語版だったのです。なので、ちょっと敬遠して、見てこなかったんですが、あれから約10年。ようやく、フルバージョンでの上演(&ドイツ語上演)がライブビューイングに登場したので、見てきたわけです。

 いやあ、美術と演出が良い仕事をしています。

 私は実演&映像で数多くの「魔笛」を見てきました(皆さんもそうでしょ?)。「魔笛」って、どんな美術や演出で見ても、音楽そのものが素晴らしいから満足できるのに、ストーリーがファンタジーって事もあって、実に様々なアプローチの演出ですら、受け入れてしまう懐の深さのあるオペラなんです。実際、名演出も多いオペラです。

 で、今回の「魔笛」の演出は、メトの主席演出家ニースの手によるものですが、元々のオリジナルの演出は「ライオンキング」の演出家でもある、ジュリー・テイモアによるものです。で、これが、なかなかスゴイんだわ。

 美術の基本的なコンセプトは…おそらく京劇なんだと思う。まあ、主役のタミーノって、あまり知られていないけれど、実は日本人という設定(台本や楽譜にそう書かれている)なんだよね。まあ、アメリカ人から見れば、日本人も中国人も一緒一緒(笑)って事で、京劇風の美術が取り入れられたんだと思うわけです。まあ、日本人である私的には、ぜひタミーノには、台本通りに狩衣を着て欲しいと常々思っているのだけれど…まあ、いいや。そういう私の個人的な願望を横に置くと、なかなかタミーノのキャラ設定も良いですよ。

 この京劇風の美術に、エジプト風味を加えて、全体を前衛芸術風味でまとめ上げたのが、今回の「魔笛」の基本美術路線なんだと思います。まあ、エジプト風味は、メトでは、この演出版以前に使われていたモスタート演出版(美術はホックニーだよ)を引き継いでいるんだと思います。まあ、歌詞を見ても、ザラストロの国はエジプトっぽいんだけれどね。

 この東洋趣味にオリエンタル趣味(ヨーロッパから見ると、エジプトもオリエンタルなんだよね)をミックスして、パペットを多用した演出は…まさに“どこでもない国”感がして、実にファンタスティックで良いです。まさに“おとぎの国”です。

 音楽面では、指揮がレヴァインですから、悪いわけがありません…とは言え、昔のレヴァインと比べちゃうと、音楽の隅々まで神経が行き届いている…ってわけにはいかないかな? 指揮としては、時折、音楽がバラけちゃう時があるんだけれど、そんな事を気にしていたら、オペラ楽しめないから、気にしない事にします。

 例えば、序曲が終わったところで、観客たちが大きな拍手を送っていたけれど、拍手を送るほど、良い出来の演奏だった…とは私は思わないんだよね。むしろ、ところどころ“???”が出ちゃうような演奏だったと、個人的には思ってます。でも、そんなのはオペラ上演としては、気にするようなキズじゃないからね。気にしない、気にしない。

 とは言え、夜の女王の2幕の、あの超有名なアリアで、オケがバラけちゃったのは残念かな。やっぱり、聞かせどころだけでも、ビシっと決めて欲しいものです。ま、歌手の歌い方にも、ちょっとばかり癖があった事は事実だけれど、そういうところもすべて飲みこんでオケを統率して音楽をまとめていくのが指揮者の仕事なんだよなあ…。

 歌手の皆さんは…皆さん、歌も芝居も達者で、とても良かったのですが、正直、ビッグネームなスター歌手は…ザラストロを歌ったルネ・パーペぐらいかな? そのルネ・パーペも今回のライブビューイングのために、特別ゲスト的に出演していたそうだから、普段は、スター歌手抜きで上演しているんだと思います。

 メトのオペラって、スター主義が売りなんだけれど、今回に限らず、最近はあまりスターを使わない傾向があるんだよね。スターを使わない…必然的に、ピチピチの若手歌手とか、地元にいる渋い脇役歌手とか、自分ところで育成した歌手たちを使っていくわけだけれど、私はこれはこれでアリだと思ってます。(ギャラを含めた制作費が抑えられるという劇場側の事情もあるんだろうけれど…)

 スター主義のオペラ上演は、ある種の“座長公演”なわけで、そのスターを見るための上演なんだけれど、スターがいなければ“一座公演”になるわけで、一座のチーム力と作品の素晴らしさが上演を引っ張っていくわけです(代表的なのが、劇団四季のやり方だね)。

 まあ、今回の「魔笛」は、レヴァインとパーペがいるわけで、二人もスターがいるんだから、従来のメトっぽくっていいじゃんとも言えますが、見た感じは、スターうんぬんと言うよりも、一座の力、作品の力を感じました。

 それにまあ、この演出。スターを呼べない演出だよなあ…とも思います。と言うのは、出て来る歌手は、誰も彼も派手な化粧が施されていて、歌手の素顔はほぼ分かりません。美しく化粧されているのは、パミーナぐらいで、後は、京劇風のペイントによる仮面をかぶっているような化粧なのです。かろうじて、パパゲーノやザラストロは…(このオペラとしては)化粧が薄めで、歌手の素顔が想像できなくもないけれど、タミーノとか夜の女王とかは、完全に素顔からかけ離れた顔になっているし、三人の侍女たちに至っては…黒塗りだよ。モノスタトスは黒人ではなくて、蝙蝠男なんだよね(でも、バットマンほどカッコよくはない:笑)。

 あれだけ濃い化粧が要求される上演だと、普通のスター歌手は出演を嫌がるよね。だって、俺様の美しい顔が化粧で隠されちゃうんだよ。顔と名前を大切にするスターの皆さん的には、パスパスパスって感じになっちゃうんだと思います。

 モノスタトスの蝙蝠男は、良い演出だと思いますよ。オペラの中で、モノスタトスとパパゲーノが最初に鉢合わせした時に、お互いの異形にビビり合うという芝居があって、パパゲーノは鳥人(ああ、笑い飯のコントネタを思い出す…)なのでモノスタトスがビビるのは分かるけれど、モノスタトスが黒人で、その姿を見てパパゲーノがビビったら…21世紀のアメリカでは、マズイよね。黒人は異形の者じゃないからね。それにだいたい、今回の上演では、お姫様役のパミーナを歌っているのが黒人歌手だから、黒人役がモンスター扱いってわけにはいかないわけで、じゃあどうするかと考えて、モノスタトスを蝙蝠男にしてしまったんだと思うわけです。鳥人と蝙蝠男…そりゃあ、互いにビビるよね。

 それに、モノスタトスって、最初はザラストス側だけれど、途中で夜の女王側に裏切るキャラだから、蝙蝠男ってのも、なかなかに良い設定なんだと思う。

 そうそう、三人の童子(ただし、白髪で長い長いアゴヒゲを蓄えていたので、キャラ設定的には、老人なのかもしれない)を、本物のボーイソプラノたちが演じていたのは、とても好感が持てます。いいよね、ボーイソプラノ。日本で魔笛上演を見ると、三人の童子って、たいてい小柄な女性歌手が演じる事が多いんだけれど、なんかそれじゃあねえ…。特に、女女女した人が童子を演じると、妙な違和感があって、私は苦手です。

 まあ、色々あるんだけれど、ほんと、この上演は、おすすめですよ。色々と魔笛は見ました…という人でも、退屈せずに見ていられる上演だと思います。

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2017年11月27日 (月)

市民オペラで「トスカ」を見てきました

 先日、F市の市民オペラを見てきました。以前から、ここの市民オペラは本格的で、すごいなあとかねがね思っていたのですが、やっぱり今回も、本格的な上演で、すごかったです。大道具も小道具も衣装もカツラも本格的。むしろ、下手な商業オペラ公演よりも、きちんとしているぐらいです。

主なキャスト等は以下のとおりです。

指揮 園田隆一郎
演出 粟国淳
管弦楽:F市民交響楽団
合唱:F市民合唱連盟

トスカ:佐藤康子(ソプラノ)
カヴァラドッシ:笛田博昭(テノール)
スカルピア:黒田博(バリトン)

 プロの方々の歌や演技には、何の問題もありません。ただただ、楽しませていただきました。観客の入りは7割前後かな? 満席にはほど遠いのですが、なにしろ4日間も公演しているのですから、それだけ入っていれば、たぶんOKなんだと思います。

 感服したのは、市民交響楽団です。いやあ、第二幕までは、ほぼ完璧。パーフェクト。プロのオケにも負けず劣らずの演奏で、二幕後の休憩では妻と「ここの市民オケは、素人離れしたスゴいオケだねえ…」なんて話していたくらいです。でもやっぱり市民オケは市民オケなわけで、演奏技術はプロ並であっても、やはり体力や集中力はプロ並とはいかず、第三幕はだいぶ散漫な演奏になっちゃってました。残念。特に残念だったのは、三幕のテノールアリアの伴奏の音程が、すごく広々と取られていて、ありゃあ歌手は相当歌いづらかっただろうなあと同情しちゃいました。アマオケなら、必ず降りメンがいるはずですから、途中でそういうったメンバーと入れ替わりながら演奏すれば、最後まで高水準の演奏がキープできるんじゃないかなって、思いました(余計なお世話だね)。

 合唱は…女の子たちが大活躍でした。今回の合唱には少年合唱(とは言っても、実態は少女合唱)がたくさん加わっていました。で、彼女たちが舞台上でも歌唱面でも頑張っていて、印象深かったです。オトナの合唱は…ほとんど印象にありません。まあ、印象に無いという事は、無難に役割を終えたという事で良かったんだと思います。

 このオペラ、黙役がたくさん必要なのですが、おそらくそれらの黙役は合唱団の方々が演じられたのだと思いますが、皆さん、きちんと役にハマっていて、自分の役割をきちんと真っ当していました。演技に素人くささが無かったので、おそらく、リハーサルをきっちりやったんだろうなあと思いました。

 ここは3年おきにオペラ公演をするのですが、もう今から3年後が楽しみです。

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2017年11月22日 (水)

メトのライブビューイングで「ノルマ」を見てきた

 表題の通り「ノルマ」を見てきました。配役等は以下の通りです。

指揮:カルロ・リッツィ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

ノルマ:ソンドラ・ラドヴァノフスキー(ソプラノ)
アダルジーザ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
ポリオーネ:ジョセフ・カレーヤ(テノール)

 このオペラは、いわゆる“プリマドンナオペラ”で、主役ソプラノを楽しみ愛でるオペラです。だから、主役ソプラノの歌唱はめっちゃめっちゃ難しくて、そんちょそこらのソプラノに歌える役ではありません。しかし、その分だけ華があるわけです。

 この「ノルマ」というオペラは、初演当時はともかく、19世紀後半~20世紀前半において、各地の歌劇場で上演されなくなくなり、戦後、事実上、忘れられたオペラになりました。上演されなくなった理由の一つとして「主役の歌唱が難しすぎて平凡な歌手では手に負えない」という理由は絶対にあると思います。そして、マリア・カラス以降に、ポツポツと上演されるようになったのは、腕に覚え(ノドに覚え?)のあるソプラノさんたちが、このオペラの難しさにチャレンジするようになったからでしょう。

 今回のラドヴァノフスキーも、そんなチャレンジ精神あふれるソプラノさんだったようです。実際、彼女の歌唱は良かったですよ。ほんと、最近のオペラ歌手は上手な人が増えました。すごいねえ。

 通常、プリマドンナオペラと呼ばれるオペラは、ムッチャ難しいのはソプラノだけで、他の役はソプラノを目立たせるためもあって、さほど難しくもなければ派手でもないのが普通なのですが、このオペラは、他の役もなかなかチャレンジのしがいのある難しい役なんです(だから、余計上演されなくなったんだと思います)。

 メゾのアダルジーザ役も難しいよね。今回、歌っているのはディドナートですから、そこは安心して見れますが、彼女に問題があるとすると、アダルジーザという役は、ノルマの弟子なので、若い…と言うか、ほんの小娘の設定なんですが、ディドナートだと、ちょっと貫禄があって、ノルマとアダルジーザが師弟関係ではなく、もうちょっと近い関係…例えば、上司と部下関係ぐらいにしか見えないのが、残念と言えば残念かな? かと言って、この演目は、今年のメトのオープニングアクトなわけで、ディドナートを見せる…という興行的な狙いもあるんだろうから、ここは外せないわけです。

 テノールのポリオーネを歌ったカレーヤも、実に見事でした…ってか、よく歌うよなあって感じです。ポリオーネという役は、テノールの中でも、かなり難しい役です。おまけに人間的にはクズだし、完全に脇役だし…多くのテノールが歌いたがらない理由は分かります。そこにあえて手を出したカレーヤには感服します。プロとして立派だと思います。

 というわけで、このオペラは、主要3人の見事な歌唱を楽しむオペラなんです。

 でもね、この作品が長い事、上演されなかった理由も、見ていて何となく分かりました。もちろん、主要3人の歌唱がめっちゃめっちゃ難しくて、歌い手を揃えるのが大変というのが、一番大きな理由だと思いますが、そればかりではないと思います。

 このオペラじゃ、客が集まらない…と思いました。音楽的には素晴らしい作品だと思うけれど、音楽的な価値と興行的な価値は違うわけで、興行的にはかなり難しいオペラだなって思いました。

 その主な理由は、ベッリーニの書いたメロディにあります。

 オペラ『ノルマ』のメロディは、実に美しくて耽美なメロディがたゆたうように流れていきます。でも、美しいばかりで、あまり激しくはないし、楽しくもないのです。むしろ、落ち着いているし、威厳すらあるのです。荘厳でもあります。

 美しい音楽が続くけれど、曲調に大きな変化はありません…申し訳ないけれど、このオペラを聞いて、そう思いました。どの曲もどの曲も不安げなのです。おまけに一曲一曲が長いんだな…。

 どんなに美しいものでも、続けば飽きます。ベッリーニの書いた音楽は、本当に、どの曲も美しくて素晴らしいのだけれど、そんな美しい音楽がずっと続くんです。ずっとずっと続くんです。ただただ美しいのです。美しさに感動はしますが、やがて飽きます。歌手たちが高難度のアリアを次々に歌い、最初こそは感心しますが、やがて慣れてしまいます。

 一度聞いたら満腹になっちゃうよなあ。それがこのオペラの特徴です。満腹になってしまうので、すぐに繰り返して聞きたいとは、ちょっと思いません。いい曲がたくさんあるので、つまみ食いのように、それだけを取り出して、コンサート等で歌ってくれるなら歓迎だけれど、一度見てしまうと、オペラとして、もう一度最初から見るのは、ハードル高いです。

 それにこのオペラ、終わった後に、歌いたくなるようなメロディが無いんです。つまり、キラーソングが無いんです。「Casta Diva/清らかな女神よ」が、このオペラを代表するアリアなんですが、このアリアを口ずさんでみたいと思う? 私は思わないよ。美しくて難しいアリアだけれど、やっぱり地味だもの。

 さらに言うと、オペラにありがちだけれど、ストーリーは凡庸で、単なる舞台装置の一つでしかなく、特に目を見張るものではありません。今回は演出のマクヴィガーが頑張りましたが、これを凡庸な演出で見たら、ストーリー的には退屈で仕方ないと思うよ。ここも、このオペラのマイナス要因です。

 正直、ノルマというオペラは、一度は見た方がいいと思うけれど、繰り返して見たいとまでは思わないし、人にも薦めないなあ。ただし、プリマドンナオペラだから、ソプラノ歌手が変われば、ガラッと変わるオペラでもあるから、ソプラノが変われば、また見てもいいかなって思います。でも、歌えるソプラノは限られているから、そんなにしょっちゅう上演もされないしね。

 そんな事を今回は考えました。

蛇足 それにしてもポリオーネってクズ野郎だね。私はテノールだから、どうしてもポリオーネを中心にオペラを見ちゃうんだけれど、正直、こんなクズ野郎、見ていて胸糞悪くなるばかりです。不快だよ。そりゃあ、多くのテノールが避けるわけだ。ただし、音楽は美しいので、コンサートなどで取り上げてくれれば、それはそれで良しですが、オペラとして見ちゃうと、ダメなところばかりが目立つので、パスしたいです。

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2017年9月25日 (月)

メトのライブビューイングで「タンホイザー」を見ました

 標題どおり、先日、メトのライブビューイングで、ワーグナー作曲の「タンホイザー」を見てきました。2015-16年シーズンですから、前々回のシーズンでの上演です。上映時間は、約4時間半、さすがにワーグナー作品は長いです。

 基本データは以下のとおりです。

  ジェイムズ・レヴァイン指揮
  オットー・シェンク演出

  タンホイザー ヨハン・ボータ(テノール)
  女神ヴェーヌス ミシェル・デ・ヤング(メゾ)
  エリザベート エヴェ・マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
  ヴェルフラム ペーター・マッティ(バリトン)
  領主ヘルマン ギュンター・グロイスベック(バス)

 「タンホイザー」はワーグナー作品の中では、比較的よく見る作品(私の場合)ですが、見るたびに印象が異なる作品です。今回はオットー・シェンクの演出バージョンで、割と原作に忠実な演出となっている(はず)です。

 オリジナルのストーリーは知っているという前提で、以下を書きます。

 今回の演出では…なんともタンホイザー君が可哀想というか、何もそこまでイジメなくてもいいじゃないかと思いました。まあ、これは当時のドイツ民衆と、現代の日本人である私の貞操観念の違いってヤツなんでしょうが、いやあ、本人反省しているんだし、水に流してやれよう…と、私なんかは思っちゃうんですよね。当事者のエリザベートちゃんだって許しているんだし…。いや、本当はエリザベートちゃんが一番怒りたいだろうけれど、彼女よりも先に周りが怒り狂っちゃったから、彼女としては彼を守らざるをえないわけで、許したくなくても許さざるをえないわけで、そんな彼女の苦しい立場だって、見ていてつらいです。そういう意味じゃあ、エリザベートちゃんも可哀想。

 タンホイザー君に関しては、自業自得だし、やっぱり罪は罪だし、許される罪と許されない罪ってのがあるんだろうけれど、そこが今ひとつピンと来ないのが、私が現代人だからでしょうね。

 お前ら、信仰があるなら、7の7倍、許したれよ…なんて、私は思うわけですよ。許されない罪なんて無いよ…って思うわけです。

 今回の上演では、演出を原作通りにした事で、そういう理不尽さ…と言うか、文化の違いを強く感じてしまったわけです。

 まあ、タンホイザー君自身、確かにヴェーヌス姉のところに入り浸っちゃった事は褒められない所業だろうし、バカだし、何もバカ真面目な村人たちの前で、ヴェーヌス賛歌なんて歌う必要ないのに…とまあ、オジサン的には「タンホイザー君って、バカモノだな…」としか思えないのですが、それが彼の若さなんですよね。

 オペラの演出を現代的にしてしまう事は、最近、よくあるし、ワーグナー作品って、そういう現代的にされてしまう事が多いわけだけれど、現代化の過程で色々な問題がウヤムヤに処理されてしまいがちだけれど、こういう原作に忠実な演出だからこそ、伝わるモノってのがあるんだなあと思いました。

 さて、ストーリーとか演出とかの話は、これで終わりにして、この上演での楽しみは何かと言うと…テノールのヨハン・ボータの声の悦楽…でしょうね。とにかく、ボータの声が美しいのです。

 このオペラ、主役であるタンホイザーが一番歌う箇所が多く、彼を中心にストーリーも回っていきますから、タンホイザーを歌う歌手に魅力が無いと、この役は勤まりませんし、オペラとしての魅力も半減です。

 そこへ行くと、ヨハン・ボータは…良いです。ほんとに美声です。聞き惚れてしまいます。

 でも…残念な事に、容姿はダメダメです。デブだし、チビだし、醜男だし…。20世紀の、まだ音声だけで勝負していた時代だったら、彼は大テノールになれたと思います。でも、今は21世紀で、ビジュアルが良くないとダメな時代です。だいたい、あんな醜男が、エリザベートやヴェーヌスらの(設定上は)美女たちに褒められるわけがないわな。ほんと、説得力が無い。

 そんなビジュアル的には全く説得力のないボータですが、それでもメトなどという一流劇場で主役を歌っているわけで、それが実に素晴らしいと私は思うわけです。ビジュアル上のハンデを吹き飛ばすほどの美声が素晴らしいってわけです。ほんと、彼の歌声は、素晴らしいです。

 このメトの「タンホイザー」は、ひたすらボータ声を味わう上演です…と言い切っちゃっていいんじゃないかなって思います。もちろん、他の役を歌う歌手たちも素晴らしいのだけれど、ボータの素晴らしさは、また格別。私はそう思いました。

 ま、メトの支配人であるゲルブによれば、この世界には、ワーグナーの主役テノールを歌える歌手は、わずか10人程度しかいないそうな。で、その10人のスケジュールを世界中の歌劇場が奪い合っているわけで、その10人にボータは入るわけで…こんなビジュアルに難のある人でも一流の歌劇場で歌うのだから、ほんと、ワーグナーのテノールって、神に選ばれた人しか歌えないと同時に、こんなボータも音楽の神様に選ばれた、天才テノールの一人なんだよね…としみじみ思うわけです。

 蛇足 それにしても、ワーグナー作品って、出て来る歌手がみんなみんなデカくてデブなんだよね。ワーグナーって、オーケストラが巨大で、それに対抗するために、歌手の声が強くて音量も大きい事が求められるわけで、そうなると自然と、歌手たちはみんな、デカくてデブばかりになってしまうわけだけれど、作者であるワーグナー的には、こんなデブ歌手ばかりを起用せざるを得ない現状をどう思っていただろうねえ…。ワーグナーの頭の中では、登場人物たちはみな、スラッとした細身の美女やイケメンたちなんじゃないかな? そう思うと、ワーグナーが作りたかったのは、オペラじゃなくて、映画だったんじゃないかな?なんて、思う私であります。それも、特撮ファンタジー映画を撮りたかったんじゃないかしら? どうにも、生まれる時代と場所を大きく間違えちゃった人だったんだろうなあって思います。

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2017年9月12日 (火)

日本語上演オペラについて考えてみた

  先日、某K市市民オペラで、ヨハン・シュトラウス作曲の「こうもり」を見てきました。上演自体は、大変良くて、とても楽しいひとときを過ごしました。

 「こうもり」はオペレッタです。一応、オペラ歌手が演じますが、喜歌劇自体はミュージカルのようなもので、セリフ部分が大変多く、演劇性が強いので、大抵の場合、ミュージカル同様、現地語で上演されるのが普通です。なのでしょうか、今回の上演も日本語で行われました。

 日本語での上演ですから、ちょっとしたギャグやジョークも受けるし、ストーリーを説明するための、説明セリフが多くなっても、全然問題ありません。

 問題があるとすると…歌が日本語で歌われる事です。と言うのも、クラシック声楽の発声で日本語を歌われてしまうと…とても聞きづらいからです。

 おそらく日本語とクラシック声楽の親和性が低いため、言葉の聞きやすさと声の美しさの両立が難しいからでしょう。分かりやすく書くと、ヨーロッパ語ならば両立する、言葉としての自然な発声と音楽としての美しい発声が、日本語では、その両者が、あまりにかけ離れていて、その両立が難しいって事です。

 日本語って、クラシック声楽の基本とあるヨーロッパ語と較べると、声が浅いんですね。平べったいと言ってもいいかも。発音は浅ければ浅いほど明瞭であると判断されます。ヨーロッパ語のように深い声で話すと「何をゴニョゴニョ言っているんだ」と言われてしまいます。つまり、クラシック声楽で美しいとされる声は、日本語歌唱では“不明瞭な発音”になってしまい、そもそも両立が難しいのです。オペラ歌手は、声を深くして歌いますから、どうしても日本語が不明瞭になりがちで、何を歌っているのか、分からなくなってしまうのです。

 また、日本語ってヨーロッパ語と違って、アクセントを音程で付けます。ヨーロッパ語はアクセントを強弱で付けますから、どんなメロディーであっても、言葉が乗りやすいのですが、日本語は、話し言葉自体に音程の上下があり、そもそもが歌のような性質があり(百人一首などで和歌の読み手の発音を聞けば、日本語がいかに歌に近い言葉かが分かります)、日本語の持つメロディーと歌のメロディーが合致すれば良いのですが、合致しないと、何を言っているのか、全く分からなくなってしまうのです。それゆえ、外国語の歌を翻訳して歌うためには、訳詞にかなりのエネルギーを注がないといけないのです。と言うのも、元のメロディーと、そこにはめる日本語のメロディーが一致していないといけないのですが…世の中、そんなに簡単には行きませんから、オペラを日本語で歌われちゃうと、何を言っているのか、分からなくなってしまうのです。

 リズムも…ねえ。ヨーロッパ語は母音の長さは言葉の判別には関係ありませんので、言葉に自由にリズムに載せることができますが、日本語は母音の長さは基本的に一定だし、それが変わると意味が変わってしまいます。それゆえに、日本語の歌では、リズム的な冒険はあまりできません。日本語が単調で平板と言われるのは、このためです。

 例えば、ローマ字表記になりますが“obasan”と“obaasan”は、ヨーロッパ人にとっては、同じ風に聞こえるはずです。“aa”とダブっているのは、単なる強調ぐらいにしか思わないはずです。まさか、これで意味が変わって、違う単語になるなんて、ヨーロッパ人は想像もできません。でも、これ、ひらがなで書くと「おばさん」と「おばあさん」になるわけでしょ? そういう難しさが日本語にはあります。

 さらに日本語とヨーロッパ語では、同じ意味を表すためには、一般的に日本語の方が音数が必要だと言われてます。つまり、ヨーロッパ語の歌に日本語を翻訳して載せる場合、すべての意味を翻訳できないわけで、どうしても部分的に省略しないといけないのです。
 発音が聞き取りにくい。なんかイントネーションが変。言葉足らずな感じ。

 これら諸要件が重なって、オペラの日本語上演って、歌の部分が、本当に分かりづらいのです。

 まあ、私は「こうもり」のそもそものストーリーを知っていますから、歌が聞き取れなくても全然問題ないのですが、歌で何を歌っているのかが分かれば、もっと楽しめたんじゃないかなって思います。

 最近は、テレビのバラエティ番組でも、出演者たちのおしゃべりに字幕が付く時代です。オペラの日本語上演にも、少なくとも歌の部分だけでも、字幕が付いたら良いなあと思いました。原語上演の時には、必ず字幕が付くんだから、日本語上演にも字幕を付けてもバチは当たらない…と私は思うのですが、いかがでしょうか?

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2017年8月27日 (日)

メトのライブビューイングで『シモン・ボッカネグラ』を見てきた

 お盆休み~夏休みと言えば、メトのアンコール上映です。私も例年のように、見逃していた過去上映作を見に行きました。

 今回、見てきたのが、2009-2010年のシーズンに上映された、ヴェルディ作曲の「シモン・ボッカネグラ」です。これは当時、テノールであったドミンゴが、始めてバリトン役にチャレンジした作品として、話題を呼んだ作品です。

 今となっては、この時を境に、ドミンゴがテノールからバリトンへ転向した事は分かっていますが、当時はそれをなかなか言い出しにくい状況だったようで、バリトンへの転向ではなく、ちょっとバリトンの役を歌ってみました…って感じで世間的には通していたようで、本人自身、インタビューの中で「自分はテノールだけど…」という枕詞を何度も言っていたくらいです。

 ま、それだけバリトン転向には慎重だったのでしょうね。

 で、実際、どうだったのかと言えば…ドミンゴ、はまり役です。良いですよ。

 シモン・ボッカネグラと言えば、バリトンの大役であり、歴代の大バリトン歌手たちが演じてきた役です。作曲家であるヴェルディは、この役はバリトン歌手が演じる事を念頭に置いて作曲したわけだから、バリトン歌手が歌うのが、そりゃあ良いのだけれど、若い時に数多くの英雄を演じてきたテノール歌手が演じるシモンも、実に良いのです。

 まず、プロローグです。この部分は前日譚だけあって、登場人物の年齢が本来の年齢よりも25歳若いのです。主人公のシモンは…おそらく30代前半という設定。まず、この段階では、その若さが表現できないといけません。今まで見てきたバリトン役のシモンは…たいてい老成しすぎてます。最初っから老人なのです。この段階では青年…は言い過ぎですが、まだ中年になりたての若いオッサンでないといけませんが、その若さがバリトン歌手ではうまく表現できません。

 そこへ行くと、若作りというのはテノールの得意技であって、ドミンゴが演じるシモンは、実に若々しいシモンなわけで、30代と言われれば、そう見えなくもないほどに若いシモンを演じています。まず、ここで高得点です。

 第一幕以降は25年経っているわけで、シモンもアラカンになっているわけですが、実にドミンゴがいい感じで老けていて「ああ、シモンも老人になったんだな」と感じるわけです。この25年の年月の取り方が実に上手なのです。まあ、この時のドミンゴの実年齢が、69歳ですから、アラカンと言えば、素の自分に近いわけで、そりゃあ上手に年も取るわな…って感じです。

 そして、歌唱スタイルがなんとも良いのです。シモンという役、総督と訳されていますが、つまりはジェノバ共和国の初代大統領なわけで、総督という役職は、それなりの威光のある役職であって、それゆえにバリトン歌手が歌ってきた役(偉い人と嫌なヤツは、たいていバリトンです)なのですが、ドミンゴのような重い声のテノールには、実にぴったりな役です。若い時に、道化師やオテロなどを歌ってきたテノールが年老いてから演じるのに、本当にぴったりの役だと思いました。

 ただし、ドミンゴにバリトン声を求めるのは違います。いくら「バリトン寄りのテノール」とは言え、テノールはテノールであってバリトンではありませんし、ドミンゴはシモンを、バリトンに寄せた声ではなく、あくまでも自分のテノールの声で歌っています。

 でも、この年老いたテノールの声がシモン役に、不思議とハマっているんですよ。

 ドミンゴは、本当に良い役を見つけてきたと思います。

 テノールは声の特質から、演じる役が若者ばかりです。おまけに体力的にもキツイ高音を連発しないといけません。ですから、テノールは他の声と比べると、どうしても歌手生命が短くなってしまいます。もっと老人のテノール役があれば、もっとカラダへの負担の少ない、高音の少なめなテノールの役があれば…と思う人々がいても不思議ありません。それくらい、テノールの役って、若くて高音に偏っているわけです。

 ドミンゴは、そもそも高音が得意なテノールではありませんでしたし、卓越した歌唱技術で歌っていたので、年を取ったからと言って、急に歌えなくなるわけではありません。しかし、60歳を越えて青年役をやるのは無理だし、高音だってキツくなってくるわけです。そこで、老人のテノールでも歌える役はないかと探して、見つけ出したのが、英雄的なバリトン役だったんだろうと思います。そして、それが見事当たったわけです。

 ドミンゴのシモン・ボッカネグラ。正直言って、テノールがバリトンの主役を歌っているゲテモノです。誰にでも薦められるモノではありません。だからと言って、簡単には否定できないのも確かです。実際、これはこれでアリだと私は思いました。

 これは劇場も演出も指揮者も違いますが、ドミンゴが「シモン・ボッカネグラ」を演じているBlu-rayです。メトのアンコールでまだ見れるならそれを、なかなか難しいのであれば、このBlu-rayでドミンゴのシモンを見てみると良いでしょう。

 テノール歌手の新しいレパートリーを見ることができます。

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2017年8月 3日 (木)

『ミス・サイゴン:25周年記念公演 in ロンドン』を見てきました

 やっと、やっと見てこられました。舞台中継版(つまり“ライブビューイング”って呼ばれる舞台中継を映画化したヤツね)の『ミス・サイゴン』! 見たかったんだよ、これ。でも、なかなかスケジュールが合わなくて(だって、どこの劇場でも1週間程度しか上映してくれないんだもの)、DVDになってから見るか…と半ばあきらめていたところ、東劇で上映してくれるという情報を得たので見てきました。

 とは言え、この上映は、明日(2017年8月4日)で終了予定です。だって、8月5日からは、メトのアンコール上映が始まるからね。だから、見たい人は急いでね。

 公式ホームページを貼っておきます。東劇以外では、まだやっている映画館もごく少数ですがありますので、チェックよろしく、です。

 まあ、そもそも、この『ミス・サイゴン』、東宝配給なんですよ。だから、今年の春に、全国の東宝系の映画館で上映されていました。その時には、忙しくて、うっかり見逃した私です。ああ、残念。

 こんなに時期をズラして上映する東劇は…実は松竹系ですから、いわば2番館扱いでの上映だったのかもしれません。ほら、東宝の映画を松竹で上映するってわけだしね。でも、どこであれ、大きなスクリーンで見ることができて感謝だし、今は昔と違って、映画もフィルムではなくデータでしょ? 昔の映画だと、フィルムって上演する度に劣化するから、きれいな絵で見たかったら、なるべく早く、ロードショーのうちに見に行くのが吉で、二番館上映ってなると、さんざん劣化したフィルムで上映するわけで、ちょっぴり残念になるわけです。私は地方在住者ですから、子どもから青年期にかけて、映画は常に、二番館、三番館で見てました。地元で映画を見るって、そういう事でしたから、そういう事には慣れていたのだけれど…ね。それにしても、映画がデータ化されて、地方と都会の格差が無くなった時は、ちょっぴり嬉しかったものです。

 ちなみ『ミス・サイゴン』、DVD等は10月に発売予定になってます。

 『ミス・サイゴン』ってミュージカル、名前ばかり有名だけれど、これまでは日本では、実はなかなか見ることが難しいミュージカルでした。と言うのも、舞台での上演は、東宝製作で、帝劇を中心に、全国興行もしているとは言え、そんなに頻繁に舞台が上演されるわけでもなく、なかなか実際の舞台を見に行くチャンスと言うのは多くなく、実際に見るのは、お好きな方でないと難しかったのです。

 ま、それはその他のミュージカルでも同じ事です。

 多くの日本人にとって、ミュージカルってのは、やっぱり映画なんですよ。ミュージカルって、映画化されて、始めて日本中で気軽に映画館で見ることができるし、テレビ等でも放送してもらえる…って感じでしょ?

 まあ、海外の有名ミュージカルは、たいていハリウッドあたりが映画化してくれるので、それでも問題はないのですが、実はこの作品、有名なだけれど、これまで映画化されていませんでした。まあ、作品のテーマ(ベトナム戦と現地妻とブイドイだもの)的に、アメリカでの映画化は難しいのかもしれませんね。だってこのミュージカル、見る人が見れば、人種差別だとか女性差別だとか、なにしろアメリカ人が嫌う事柄が、てんこ盛りの作品だから、そういう事にシビアなハリウッドでは、恐ろしくて手が出せなかったというのもあるでしょう。

 とにかく、映画化されなきゃ、日本の一般市民が気軽に『ミス・サイゴン』を見るってわけには行きませんよね。

 で、今回(アメリカのハリウッドではなく、イギリス製作だけれど)舞台中継版だけれど映画化され、日本の歌芝居ファンの方々にも、気軽に見ることができるようになったわけで、ほんと、めでたい事です。この舞台中継版が世界に受け入れられたら、いよいよ本格的な映画化がされるんじゃないでしょうか?(単なる私の憶測です)

 今回の映像化は、ここのところ、キャメロン・マッキントッシュ(イギリスの有名プロデューサー)が手がけている、有名ミュージカル25周年記念公演の流れの一環として製作されています。

 最初に映像化されたのが『レ・ミゼラブル』の25周年記念公演で、次は『オペラ座の怪人』の25周年記念公演でした。今作はそれらの次の“25周年記念公演”になるわけです。…とは言え、日本では、レミゼやファントムとは異なり、実は『ミス・サイゴン』の映画は、当初、お蔵に入っていたんだそうな。海外で製作されて、間もなく日本で封切られたのではなく、製作当時は上映を見送られたそうです。まあ、ミュージカル作品としては『ミス・サイゴン』ってのは、トップクラスの人気作品ってわけじゃないからね。とは言え、人気ミュージカルである事には間違いないので、日本での上演25周年の今年に合わせて、蔵出し上映が決まったのだそうです。良かった、良かった。

 25周年ライブとしては、第三作目にあたるので、『ミス・サイゴン』では、それなりの製作ノウハウが溜まってきたようで、前2作と比べると、映像作品の完成度としては、なかなかのモノがあります。そこが単なるライブビューイング作品とは違うわけです。

 もちろん、劇場での舞台中継がメインですが、そこに後日、別撮りした映像を加えて編集したため、ミュージカル全体がスピーディーに進行するし、客席からでは見られないアングルにカメラが置かれたり、実になかなか良い感じです。

 今回の『ミス・サイゴン』は、なんと言っても良いのが、それぞれの役柄が、きちんと正しい人種の役者にキャスティングされているって事です。

 『ミス・サイゴン』は、オペラ『蝶々夫人』のミュージカル・リブートなわけで、現地妻の悲劇がテーマの一つなわけです。そうなると、そこにはどうしても人種問題が絡んできます。ましてや『ミス・サイゴン』は、そこにベトナム戦争まで絡んできますから、役者の人種って大切なんですね。

 東宝製作の日本版だと…当たり前だけれど、すべての役を日本人俳優が演じてしまうため、人種対立が分かりづらいのですが、この映画では、ベトナム人やタイ人などのアジア系の役は、ちゃんとアジア系の役者が演じているし、アメリカ人は、いかにもアメリカ人的な白人や黒人たちが演じているわけです。これ、とっても大切です。これができているから、物語の悲劇性がより深まるわけだし、これをやっちゃうと…アメリカ人的には、実に居心地悪い感じになるんだろうなあ…って思います(ファンタジー性が薄れ、リアルっぽくなってしまうからね。だからハリウッドでの映画化が避けられてきたんだろうと思います)。

 という訳で、今回のこの映画は、なかなかよろしいですし、歌芝居がお好きな方は、ぜひ一度はご覧になると良いと思います。ほんと、歌も芝居も良いです。もちろん、上演の質は、25周年だから悪いはずはありません。

蛇足 で、思ったのは、人種の違いがうまく表現できていない日本版の『ミス・サイゴン』(当然、帝劇版を前提に考えてます)は、その点に関しては残念なんだけれど、それ以外は、結構頑張っていたんだなあ…って、改めて思いました。翻訳ミュージカルって、どうしてもオリジナルと日本版を見比べちゃうと、日本版ってあれこれ残念だったりする事が多いのだけれど、ミス・サイゴンに関しては、東宝も頑張っていたなあと思うし、このミュージカルって、日本人俳優には演じやすい演目なのかなとも思いました。なにしろ、物語の舞台はベトナム&タイだからね、モロにアジアが舞台だし、登場人物の大半もアジア人だからかもしれないし、主人公のキムが、蝶々さんに重なるからかもしれないけれど、日本版も良いので、チャンスがあったら、ぜひ帝劇版もご覧になると良いと思いました。

 私個人的には、DVDが発売されたら、即購入で永久保存盤になると思ってます。

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2017年7月24日 (月)

シアタークリエに行って「レント」を見てきた

 表題にあるとおり、日比谷にあるシアタークリエに行って「レント」を見てきました。シアタークリエに行くのは始めてだけれど、ここは以前、みゆき座があった場所だよね。みゆき座(映画館)は、今は向かいにある宝塚劇場の地下に移動したけれど、昔はシアタークリエのある場所(3D的にも同じ場所)にあったのを覚えています。私はそこで「永遠のマリア・カラス」という映画を見ました。すごく混んでいて、普通席が購入できなくて、やむなく(名称は忘れてしまったけれど)リクライニング式の大きなソファーの高額席で見た覚えがあります。映画代とは別に座席代がかかって、それがすごく高かったので、今でも忘れられません(笑)。

 シアタークリエの入っているビル自体は、隣の日比谷シャンテのビルとつながっていて、なかなか便利です。劇場のロビーは狭くて、正直、居心地良くないのですが、シャンテとつながっているので、シャンテに逃げる事ができますし、シャンテで休憩とれます。なかなかいいです。

 足の便も良いですよ。有楽町駅のすぐそばだし、我々は新橋から劇場に向かったのですが、新橋からでも歩いて行けちゃったくらいですからね。宝塚劇場の向かいで、帝国ホテルの隣です。ほんと、良い場所にあります。

 さて、シアタークリエで上演されている「レント」は東宝製作のミュージカルです。東宝ミュージカルと言うと、帝国劇場で上演されているミュージカルもそうなのだけれど、テレビで見かけるような有名タレントがよくキャスティングされています。

 そういう有名タレントさんが主役や脇役にキャスティングされるのですが、そういうミュージカルって、たいていの場合、主役とモブは上手なんだけれど、脇役さんたちが今ひとつというイメージがあって、キャスティングにスキがあるなあと…と私は思っています。まあ、演技や歌にスキがあっても、彼ら彼女らの集客力はバカにできないわけで、客寄せパンダとしての役目を負わされているのだから仕方ないやと諦める事もあります。いやいや、時によって、上手なのはモブだけで、主役も脇役もパンダだったりすると、見ているのがつらい上演もあったりします。

 そういう点では、今回の「レント」も東宝製作と知った段階で、ミュージカル的には全然期待していなかったのでが、それはいい意味で裏切られました。

 いやあ、いいんですよ。モブの方々はもちろん、主役も脇役もみんな、上手いんです。全然、キャスティングにスキがなくて…まるで劇団四季のミュージカルを見ているみたい(笑)。

 もちろん、従来通り、このミュージカルにだって、客寄せのパンダさんもキャスティングされているわけです。例えば、ケミストリーの堂珍嘉邦さんや、カラオケ★バトルの宮本美季さんなども出演しているんですが、彼らがまた本当に上手なんですよ。パンダさんが上手なんですから、他のガチのミュージカル俳優の皆さんたちは、そりゃあ当然凄腕ばかりなんです。いやあ、いいパフォーマンスを見せていただきました。

 じゃあ素晴らしい舞台だったと手放しで喜べたのかと言うと…かなり辛口な感想になるけれど、ごめん、そうではなかったです。

 出演者も良くて、音楽も良くて、演出も良くて…じゃあ、どこが問題かと言うと、ストーリーと脚本に難があると思いました。

 まずはストーリーだけれど…これは日本版と言うよりも、原作にそもそも起因している問題なんだけれど、このミュージカルに登場する人物たちって、ほぼ全員、ゲイかレズかバイセクあるいはHIV患者ばかりなんです。おまけに、正直、クズ野郎ばかり。いわば、特殊な世界の特殊な人たちの話なんです。

 たいていのストーリーを受け入れる私ですら、この「レント」のストーリーに関しては、正直、若干引きます。共感できる人物が皆無なんです。共感どころか「それはナイだろ!」と思わず突っ込んでしまうような人物ばかり登場してくるんです。

 おそらく、これは私だけの問題ではなく、多くの普通に暮らしている日本人には、かなり異質な人たちの物語であって、たとえ物語であると分かっていても、それを受け入れるのは、なかなか厳しいなあって思いました。20世紀後半のアメリカ人にとって、リアリティーのあるストーリーでも、21世紀の“ミュージカルでも見に行こうか”と考える日本人にとっては、想像を絶する世界の話なんです。

 だから(ビデオ)カメラオタクで、狂言回しであるマークが普通の人に見えてしまうのです。でも客観的に見れば、マークだって、普通に変人です。ただ、アクがそんなに強くないだけの話で、彼だって、決して普通の人ではないのです。でもそんな彼が普通に見えてしまうくらいに、登場人物全員のアクが強いわけです。これはほんと、厳しいストーリーです。

 でも、音楽は実に絶品なんだよ、これが。だから世界中で大ヒットしているんだよね。
 日本版の場合、さらに脚本の問題がここに加わります。

 日本版の脚本…正直、厳しいなあ…と言うのも、舞台を聞いていて、役者の皆さんたちが一体何が言いたいのか、聞き取れないのですよ。

 最初は彼らが下手くそで、そのために聞き取れないのかと思ったのですが、いやいやいやいや、役者さんたちは頑張ってますよ。うまく伝わらないセリフを頑張って客に伝えようとしています。

 つまり、そもそもの脚本があまりうまく出来ていないのだと思いました。

 まず、音楽に言葉を詰め込み過ぎだと思いました。そのため、役者の歌がすごい早口になっているんです。

 そもそも日本語と英語では、同じ音節に込められる言葉の意味の量が違います。同じ音節なら、英語の方がたくさんの意味が入ってます。だから、英語の歌を日本語に翻訳する時は、言葉を選んで、少ない言葉数でも、的確に芝居の内容を伝えられるような歌詞を書いていかなければいけないのですが、今回の「レント」の歌詞は、言葉の厳選がうまく出来てなくて、とにかく言葉が多すぎます。歌詞の言葉が多いので、歌の中で、言葉が上滑りするんですよね。

 さらに英語そのままのセリフもたくさんあります。たとえ元が英語であっても、すでに日本語化している外来語になり、発音も日本語のアクセントであるなら問題は無いのですが、全然英語のままのセリフもたくさんありました。それもちゃんとした英語発音で話されるんです。つまり、日本語と英語のチャンポンなセリフが多くて、まるで、頭の悪い帰国子女の子と話しているような気分になります。彼らのセリフを聞きながら「日本人はそういう言い方しねーよー」というツッコミをバンバン入れたくなりました。

 どうにも、脚本のローカライズと言うか、日本語への翻訳がうまくいっていない…と言うか、未完成な感じというか、翻訳途中なんですって感じの脚本だったのです。ほんと、耳で聞いて理解するには、かなりのハードルの高い脚本だったと思います。

 ほんと、聞いているだけでは何が話されているのか分からないのです。字幕…欲しいなあ。

 それでも私は、そもそもの「レント」のストーリーもセリフも知ってますから、舞台の言葉が聞き取れなくても、全然問題ないのですが、そうでない人たちもたくさん観劇に来ているわけで、そういう人たちがとても困っている姿をたくさんみました。幕間の客席の混乱具合を脚本家さんは知っているのかしら?

 もっと言葉を選んで、少ない言葉で的確に芝居を伝えられるような脚本だったらいいのになあ。

 ミュージカル「レント」は、オペラ「ラ・ボエーム」のミュージカル・リブートです。かつてのオペラを元ネタとして新作ミュージカルを作るわけです。有名な例だと、ミュージカル「ミス・サイゴン」はオペラ「蝶々夫人」のミュージカル・リブートだし、劇団四季で上演する「アイーダ」はオペラではなく、ミュージカルとして作られた「アイーダ」です。まだまだ他にもあるかもしれません。

 ミュージカル「レント」は、オペラ「ラ・ボエーム」のミュージカル・リブートです。ただし、ボエームのミミに相当するのは、レントではミミではなく、実はエンジェルです。背負っているエピソード的には、エンジェルはボエームのショナールのそれを数多く引き継いでいるけれど、キャラクターの立ち位置的にはミミだと言えるでしょう。

 そして、ボエームのムゼッタは、レントではモーリーンになります。ではレントのミミは…と言うと、ボエームのミミとムゼッタの両方の性格を引き継いでいると思われる。つまり、ボエームのミミとムゼッタの二人は、レントでは、エンジェルとミミとモーリーンの3人に振り分けられているわけで、レントのミミは、その中ではボエームのミミであり、ムゼッタであり、そのどちらとも違う、レントのオリジナル色の極めて強いキャラクターと言えるでしょう。ラストシーンで、死にかけて生き返っちゃうシーンなどは、私はコメディであり、アメリカ的なハッピーエンドなんだろうと思ってます。実にアメリカ的な味付けの濃いキャラであると言えるでしょう…日本人的には、、、台無しって感じのキャラなんですが(苦笑)。。

 まあ、言いたいことは山のようにあるけれど、それでもやっぱり、面白くて素晴らしいミュージカルでした。気に入ったからこそ、文句も言いたくなるわけで…2年後にまた上演するようですが、次もまた見に行きたいかもなあ…。

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2017年5月30日 (火)

ロイヤル・オペラのライブ・シネマ・シーズン『蝶々夫人』を見てきました

 オペラのライブビューイング(という名の映画上映)は、今までアメリカのメトロポリタン歌劇場と、フランスのパリ・オペラ座のものを見てきましたが、今回新しく、イギリスのロイヤル・オペラ(昔は、コヴェント・ガーデンと呼んでいた歌劇場です)のライブビューイングを見てきました。

 オペラの映画上映のスタイルは、ロイヤル・オペラでは“ライブビューイング”と呼ばずに“ライブ・シネマ”と呼んでいるようです(差別化ですね)。

 実は、ロイヤル・オペラのライブビューイングは、以前から日本で上映されていました。昨年までは、イオン系の映画館でやっていました。その事自体は知っていたのですが、上映期間が、木曜日の夜にたった一回きりの上映…というスタイルだったので、私は見に行けなかったのですよ。だって、いくら夜の遅い時間とは言え、仕事が終わってから、遠方の映画館(近所ではやってなかったんです)出掛けるんじゃ開始時間には間に合わないし、翌日もあるから、平日にオペラ見ちゃうと寝不足で翌日仕事にならないし…ね。なので、面白い演目がやっている事は知っていましたが、見に行けなかったのですよ。

 おそらく契約の問題なんでしょうが、今年からロイヤル・オペラは、イオン系ではなく東宝系の映画館で上映する事になり、さらに木曜の夜一回切りの上映ではなく、メトやオペラ座同様、一週間の連続上映になったわけです。よかったよかった。

 そもそも東宝系では、これまでパリオペラ座のライブビューイングをやっていたのですが、それも一昨年までで、昨年はオペラ座のライブビューイングは、日本では無かったんですよね。ですから、イオン系では今までやっていたオペラ上映を止めて、東宝系ではパリ・オペラ座からロイヤル・オペラに乗り換えた…形になったわけです。

 で、ロイヤル・オペラのライブビューイングです。なかなか見に行くチャンスがなくて、ようやく見に行けたのが(日本では)今シーズン最後のオペラとなる『蝶々夫人』だったわけです(イギリスでの今シーズン最後のオペラは、カウフマンの『オテロ』ですが、日本では…東宝の契約が継続するなら…来シーズンのオープニングとして上映されるようです)。

 メトとオペラ座もかなり違いましたが、ロイヤル・オペラもだいぶ違って面白かったですよ。

 まずはスタッフと出演者は以下の通りです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
蝶々夫人 エルモネラ・ヤホ
ピンカートン マルチェロ・プエンテ
シャープレス スコット・ヘンドリックス
スズキ エリザベス・デ・ション

 歌手の皆さんは…ごめん、誰も知らない。でも、歌唱に不足はなかったです。今の時代、歌手も上手い人達が増えてますから、私ごときが知らなくても、素晴らしい歌手は山のようにいるって事です。ってか、音楽としては、歌手のみならず、指揮もオーケストラも合唱も、高水準の演奏で、とても素晴らしかったですよ。

 例によって、問題は…演出ですね。『蝶々夫人』は、なまじ日本を舞台にしているだけあって、我々日本人が見ると、常にあれこれ問題を感じる演出ばかりなんです。で、ロイヤル・オペラの今回の演出も…日本人目線で見ると、あれこれ腑に落ちない事だらけの演出でした。

 衣装が和風と言うよりも、中華風に沖縄風味を混ぜたような感じだったけれど、まあ良いでしょう。障子が左右ではなく、上下に可動するのも演出と考えましょう。床が畳ではなく、フローリングなのも許します。

 でも、許せないほど気になったのは、主役の蝶々さんのメイクです。これ、絶対におかしいです。まあ、彼らイギリス人から見た日本の芸者さんって、こう見えるのかもしれないけれど、ほぼ“バケモノ”になってました。色々おかしい蝶々さんを見てきた私ですが、今回の蝶々さんのおかしさは、たぶん群を抜きます。いわゆる“花魁”をイメージした白塗りメイクなんでしょうが、実にあれこれ違っていて、おかしいと言うよりも、醜悪なんです。見るに堪えない…歌唱が良いだけに、実に残念です。

 蝶々さんを演じた歌手のヤホの名誉のために書き添えておくと、彼女は決して不美人ではありません。スタイルも良いし、リハーサルシーンを見る限り、容貌もおそらくは並以上だと思われます。要は、メイクがダメなんです。彼女の顔に、あのメイクは合わないのです。

 ただし、いわゆる白塗りのメイクが全くダメかと言うと、そうでもなく、ヤマドリ氏のメイクはむしろカッコよくて、惚れ惚れしました。いわゆる“歌舞伎”のメイクなんですが、これは衣装とあいまってカッコよく決まっていました。ヤマドリ氏に限らず、男性の白塗りメイクはまあまあ見れる感じだったのが、蝶々さんに限らず、概ね女性の白塗りメイクが全滅だったのは…一体なぜだったのでしょうか?

 舞台の前に行われていた、女優さんによる解説は、メトとは違って、お勉強風味が強くて、これはこれで楽しめました。動くプッチーニ(当時の映像です)がたくさん見れたのは興味深かったです。

 今回は、蝶々さんのメイクにドン引きしちゃった私ですが、メイク以外には及第点を与えたいと思います。今後も日本で上映してくれるのなら、私、メト同様、ロイヤル・オペラにも通ってみたいと思ってます。それくらい、良かったんだよ。

 ちなみに、来シーズンの上映予定の演目は…オテロ、魔笛、ボエーム、リゴレット、トスカ、カルメン、マクベス、マノン、なんです。わりと定番の演目が並んでますよね。楽しみです。

蛇足 ロイヤル・オペラは、パリオペラ座同様、オペラだけでなく、バレエのライブビューイングも行っています。来シーズンでは『くるみ割り人形』や『白鳥の湖』などをやるようですが、私はバレエが分からないので、そこには興味が惹かれません。

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2017年5月22日 (月)

なんか、とってもうらましかった

 時間は少々さかのぼります。先日…と言っても、GWよりも前なのですが、久しぶりに趣味の“見知らぬ人たちの発表会”を見てきました。

 場所は、横浜のフィリアホールでした。実はここ、一度は今年の門下の発表会の候補会場になったところでした…が、その時はメンバーがあまり乗り気ではなくて流れてしまった会場なのです。実施されていれば、今年の1月あたりにそこで歌っていたはずの場所でした。ですから、どんな場所なのか、興味津々でしたが、実に良いホールでした。問題は…500名程度の中ホールだったって事ぐらいかな? 私は大きなホールで歌うのが好きなので、中ホールであろうと大ホールであろうとかまわない人です。まあ、発表会程度の話なので、500席もあれば、当然客席はガラガラになりますが、それもいいんじゃないの?って思うわけですが、みんながみんな、そう考えるわけではなく、とにかく広いホールはイヤって人たちも大勢いるわけです。そう考える人たちには、フィリアホールは確かに大きいホールで乗り気がしなかったのでしょうね。良いホールなのに残念です。

 それはともかく、発表会を見に行きました。発表会は第一部と第二部に分かれ、第一部は通常の発表会形式で、第二部はオペラ上演(!)でした。

 第一部の通常形式の発表会から見たのですが、まず、ここの門下の人たちはすごいなあと思いました。今まで素人の声楽発表会はたくさん見てきたつもりですが、ここはほんと、異色というか、ずば抜けていました。何がずば抜けていたのかと言えば、みんなすごい声で歌ってました。あ、もちろん、誉め言葉です。

 まずは声量が半端ないです。プロも顔負けって声量の人ばかりでした。さらに言うと、どなたも高音がピヤーと出ていて、なんかもう、私なんてタジタジになってしまいました。声量があって、高音が得意で…なんともうらやましい限りです。「ここの先生に習うと、こうなるのか…」と先生の声楽コーチとしての腕前に感心してしまいました。

 無論、アマチュアさんたちですから、満点ではありません。あれこれ欠点が無いわけではありません。共通して苦手とする点も多々ありましたが…別にヨソの門下をディスつもりはないので、欠点に関しては書かないでおきます。とにかく、豊かな声量&伸びる高音には、私、感服しました。

 さらに…ここの門下は生徒さんを募集しているみたいなんですよね…習いに行っちゃおうかしら…なんて、思ったりしちゃました(実際問題としては、時間がないので、無理なんだけれどね)

 で、第一部だけでも、一人一人が大きな曲を2~3曲歌います。一人の持ち時間って、どれくらいなんだろ? 10分以上はありそうな感じがします。

 さらに、第二部のオペラ上演が加わります。演目は…やったね!…『メリー・ウィドウ』でした。

 『メリー・ウィドウ』自体はハイライト上演って事で、数曲をカットしてましたし、ストーリーも単純にして枝葉の部分をカットして、自分たち用に脚色していましたが、歌だけでなく、しっかり演技もダンスをしていて、普通に1編のオペラとして鑑賞できました。

 歌だけならともかく、芝居をして、ダンスをして…すごいなあって思ったわけです。プロの助演も多数あったりし、そもそも門下生にも専門教育を受けた人(音大卒は当然として、元宝塚の人もいるし、女優さんもいるし…って感じ)が何人もいたりして、通常のアマチュア声楽愛好家たちの発表会とは、そもそも色々違うわけですが、それでもすごいなあって思いました。カミーユ(テノール役)の人は(純粋)アマチュアさんでしたが、すごくいい声でした。ああ、あれこれうらやましい。

 歌は…日本語と原語(ドイツ語)がチャンポンでした。まあ、私は『メリー・ウィドウ』を熟知していますので、全然気になりませんでした。

 あんまり、ヨソの門下の発表会を見ても、うらやましいと思うことは、まず無い私なのですが、ここの門下の発表会は、ほんと、うらやましいかったです。それにしても、皆さん、お上手だよなあ。私の実力では、ここの門下に加わっても、お話にならないだろうなあ…。

 まあ、『メリー・ウィドウ』に関しては、私も自分ところの発表会で歌うつもりですが、やはり発表会の中の1曲として歌うのと、こうして(ハイライト上演とは言え)オペラとして歌うのでは、大違いです。それに…「女・女・女のマーチ」は是非歌いたいですよ…男性6重唱なので、オペラでないと歌えないのですが、ああ歌いたい歌いたい。

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