ひとこと

  •  グーグルがファーウェイにソフト提供を止めるんだそうです。つまり、ファーウェイでAndroidが動かない、ChromeもGmailも動かない。つまりファーウェイでスマホを作っても、それを動かすソフトが無くなるって話です。まあ、中国製のソフトを開発すれば問題ない話だけれど、ソフトなんて簡単に短期間で開発できるものではないわけで、いよいよファーウェイやばくない?
2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

カテゴリー「歌劇」の記事

オペラおよび歌劇団に関するエッセイです。オペラ鑑賞記録もここです。

2019年4月16日 (火)

ロイヤル・オペラ・ライブで「椿姫」を見てきた

 私がブログを休んでいる間に上演終了してしまったのだけれど、先日見てきた、ロイヤル・オペラ・ライブの「椿姫」に関して書いておきたいと思います。それにしても、メトのライブビューイングは見逃しても、夏にアンコール上映があるから、たとえ上映期間中に見逃す事があっても、お盆休みに再び見るチャンスが与えられるけれど、ロイヤル・オペラ・ライブは、その手のアンコール上映がないので、一度見逃したら、もう見るチャンスがないのが残念です。一部の作品はDVD化されるのかもしれないけれど、大半の上演に関してはDVDにもならないので、もう見る事はできません。残念です。

 さて、この上演には2つの見どころがあります。一つは、名演出の誉れ高いリチャード・エアの演出である事。もう1つが、プラシド・ドミンゴが(バリトンとして)出演している事、です。

 まず、リチャード・エアの演出だけれど、これは今年で25年続いている演出で、その25年前の上演(ゲオルギューの出世作)のDVDが、かつて発売されていました。今は、中古(アマゾンなら、マーケットプレイス)でないと入手できませんが、興味のある方はどうぞ。

 この演出は、かなり良いです。椿姫は数多くの異なった演出があり、どの演出もなかなか良いものが目白押しなのですが、この演出は、かなり私好みで気に入りました。

 エアの演出の特徴は、21世紀に入ってから、オペラ演出の常識とも言われる“読み替え”が一切無い事です。楽譜に書かれている事が、そのまま舞台上で表現されています。これはとても良いと思いました。特にオペラ初心者が見るなら、こういった演出で見てもらいたいものです。

 もう1つの特徴が、リアル志向である事です。これは演劇志向と言ってもいいかもしれませんが、オペラ的な夢々しさを取り除き、映画や演劇を見ているような、地に足の着いた演出がされています。

 例えば、ヴィオレッタは結核なので吐血するわけですが、舞台上(特に3幕)にはヴィオレッタが吐血したと思われる痕跡が舞台上に残されています。また、ヴィオレッタは病気の性質上、よく咳をするはずですが、今まで見た他の椿姫では、ヴィオレッタが咳き込むシーンなんて見たことはありません(だいたい、オペラ歌手にとって、咳というのはノドを痛める行いですから、舞台はもちろん、日常生活でも咳をしないように、極力努力している方がほとんどです)が、この上演では、ヴィオレッタは折りに触れ、咳き込みます。さらに病床で寝込んでいるヴィオレッタはスッピン(に見える化粧かな)です。考えれば、そりゃあそうで、ベッドで死にかけている患者が、きちんとメイクしている方が可怪しいのです。

 という訳で、私はこの演出がとても気に入りました。

 ここで、キャスト等を書いておきます。

指揮 アントネッロ・マナコルダ
演出 リチャード・エア

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤオ(ソプラノ)
アルフレード:チャールズ・カストロノボ(テノール)
ジェルモン:プラシド・ドミンゴ(バリトン)

 音楽面の話をすると、ドミンゴの歌唱について触れないわけにはいきません。

 私はドミンゴが大好きです。テノール時代はもちろん、バリトン時代のドミンゴも好きです。だいたい、ドミンゴに関しては言えば、テノールとかバリトンとか、そんな事はあまり関係ないのかもしれません。ドミンゴほど、数多くのキャラを感じた歌手はいません。自分のレパートリーというものを固めずに、常に新しい作品、新しい登場人物を歌い続けてきました。テノール時代だって、軽めの役から重厚な役まで、歌ってきたわけで、そんな彼だから、バリトンの役を歌うのは、ある意味当然なのです。そして、ドミンゴはあくまでもドミンゴだから、どんな役を歌うときも、いつもの彼の声で歌ってきたわけで、当然、バリトン役もいつものあの声で歌っちゃうわけです。

 今回は、テノールのカストロノボがやや重いテノールだった事もあって、例によって、ドミンゴとカストロノボの声のコントラストは、あまりありませんでした。むしろ、アンサンブルで歌うと、テノールのカストロノボの歌唱よりも、バリトンのドミンゴの声の方が浮き上がって聞こえるほどです。ドミンゴは、バリトンと言えども、かなり声が軽いですからね。声の軽重で言えば、テノールのカストロノボよりもドミンゴの方が声が軽いと思いました。まあ、ある意味、こんな声の軽いバリトンを使っちゃうのは、キャストミスとも言えますが、ドミンゴ見たさで集客されるわけだし、ドミンゴの歌が聞きたいという人がまだまだたくさんいる以上、これはキャストミスではなく「まあ、そういうモノだ」って事になるのだと思います。

 結論から言ってしまえば、ドミンゴはバリトンではなく、あくまでもドミンゴなんです。つまり「プラシド・ドミンゴ…声種:ドミンゴ」って事になるんだろうと思います(笑)。

 で、そんなドミンゴですが、歌っている様子を見ていると、なんとも苦しげでした。全身全霊を使って、全力で歌っていました。そんな役柄じゃないのに…。もしかすると、体調が悪かったのかもしれませんが、なにしろ、かなりの御老体(78歳!)ですからね。お達者でいらっしゃるだけでも大変なのに、長時間の舞台をこなしているのですから、そりゃあもうビックリポンですって。もう、オペラの舞台は、体力的に厳しいのかもしれません。ドミンゴのお元気な舞台姿を見られるのも、もう長くはないかもしれません。

 主役の二人の歌唱は…私的には、ちょっと残念でした。いや、立派に歌っていましたよ。ただ、慣習的に歌われているバリエーションは避けられていたようで、あくまでもヴェルディの譜面通りの歌唱だったのが…実に実に、残念なわけです。やっぱ、スパンと抜けた高音を響かせてほしいじゃん。私は単純にそう思っただけです。それを除けば、とても良くて上手な歌唱でした。さすがに世界に配信される歌手さんたちだけありますって。

 あと、残念なのは…別に人種差別のつもりはないのだけれど、黒人歌手が貴族の役って、どうなの? 読み替えなしの演劇路線な舞台だっただけに、舞台は見た目重視で、貴族は白人キャストで固めてほしかったというのが本音かな? オペラはヨーロッパ文化だからね、黒人や東洋人が白人の役をやるのは無し…というのが、私の個人的な考えです。ま、偏見と言われれば、その通りなんですがね。

 とても良い上演だっただけに、もう見られないのは残念ですね。

 

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

 

2019年3月21日 (木)

ロイヤル・オペラ・ライブ「スペードの女王」を見てきた

 イギリスのロイヤル・オペラ(いわゆる“コヴェントガーデン”)のライブ・ビューイングを見てきました。演目はチャイコフスキー作曲の「スペードの女王」です。

 「スペードの女王」…まあ、めったに上演されないオペラです。日本じゃまず生の公演は見られません。世界レベルでも、なかなか厳しいようです。なにしろ、ロシア語のオペラですから…ロシア語で歌える一定水準以上の歌手と合唱団を集めるのが大変なのです。おそらく、ロシア語圏以外では、本当に稀にしか上演されないオペラだと思います。

 で、そんな珍品オペラである「スペードの女王」ですが、オペラとしては、かなり良いです。音楽は美しいし、アリアも聴きごたえあるし、重唱も素晴らしいです。もしもこのオペラがロシア語でなく、イタリア語…いやいや、ドイツ語かフランス語で作曲されていたら、もっと普通に上演されていた事でしょう。それぐらいに、素晴らしい作品だと思います。

 じゃあ、このロイヤル・オペラのライブビューイングを見に行くべきかと言うと…少なくとも、この公演は、止めておいた方がいいと思います。お勧めしません。

 何がダメなのかと言うと、演出がダメなのです。

 この演出、日本人向けじゃないわ。というのも、この上演を楽しむには、以下の高いハードルをすべてクリアしている必要があります。

 1)原作のプーシキンの小説を熟知している事。
 2)チャイコフスキーの生涯について知っている事。
 3)歌劇「スペードの女王」のオーソドックスな演出に飽きている事。

 これら3点をクリアしている日本人って、なかなかいないでしょ? 私も1)と3)は満たしていません。なので、今回の上演は、楽しめなかったし、未だに「???」であるし、色々とモヤモヤしています。

 これ、たぶん、ヨーロッパの上流階級で若い時からオペラをたっぷり見ているような人たち向けの演出だと思います。

 なにしろ、この上演では、舞台の上には最初っから最後まで、チャイコフスキーがいるんですよ。もちろん、本来、このオペラにはチャイコフスキーなんて登場しません(当たり前。椿姫の舞台上にヴェルディがいたら可怪しいでしょ?)。でも、この上演では、演出家のアイデアにより、チャイコフスキーが出ずっぱりなんです。本来いないはずの人が舞台にいるので、それだけで、オペラのストーリー進行が分からなくなります。おまけに、このチャイコフスキーをやっている歌手が、時々エレツキー公爵という役になります。このエレツキー公爵というのは、ヒロインであるリーザの婚約者で、そのリーザを主人公であるゲルマンに取られちゃう人であり(つまり、ねとられ)、そのゲルマンを、ラストシーンの賭博場での賭博で負かせて死に追いやる人でもあります。同じ人が同じメイクのまま舞台上で、チャイコフスキーとエレツキー公爵に入れ替わるわけだから、ほんと、分かりづらいのです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 ステファン・フアハイム

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ(テノール)
リーザ:エヴァ=マリア・ウェストプロック(ソプラノ)
チャイコフスキー/エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ
伯爵夫人/スペードの女王:フェリシティ・パーマー(ソプラノ)

 おそらく、このオペラそのものが劇中劇であるという演出なんだろうと思います。

 このオペラは、作曲家であるチャイコフスキーが「スペードの女王」というオペラを作曲しながら、そのストーリーや音楽を妄想し、その妄想の中に自分が入り込んでしまって、登場人物たちの感情の動きに、自分の人生のアレコレを重ねてしまい、苦悩し、最後には精神的に死んでしまうというお話なんだろうと思います。ああ、分かりずれー!

 だいたい「スペードの女王」というオペラの中にも、モーツァルト風の劇中劇(たぶん、本来はバレエシーンだけど、ちゃんとバレエをやらないのです)があるわけだし、入れ子が三重になっているようなオペラなんです。なんかなー。

 という訳で、演出にはアレコレ言いたい事はありますが、歌手の皆さんは、なかなか素晴らしいです。私は、セルゲイ・ポリャコフというテノールが気に入りました。ほんと、素晴らしいテノールです。彼、実は代役なんですよね。本当はアレクサンドルス・アントネンコというテノールがゲルマンを演じるはずだったのですが、風邪をひいてお休みで、急遽入れ替わったそうです。代役にしては、本当に良い歌唱&演技でした。

 しかし、こんなに馴染みのないオペラを、こんな分かりづらい演出で見なければならなかったのは、実に不幸だったと思います。

 このオペラ、メトでやらないかな? メトだったら、日本人にも分かりやすい演出で上演してくれると思うんだよ。音楽が美しいだけに、分かりやすい演出で見たいものです。ああ、残念でした。

 

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2019年2月26日 (火)

メトのライブビューイングで「アドリアーナ・ルクヴルール」を見てきました

 チレア作曲の「アドリアーナ・ルクヴルール」というオペラは、めったに上演されないマイナーな作品です。めったに上演されないのには、色々な理由があるのでしょう。

 私は今まで「ストーリーが分かりづらくて楽しめない」ために上演の機会に恵まれないのではないか…と思っていました。実際、DVD等で見るこのオペラは(日本ではまずリアルな上演は見れません)本当にストーリーが分かりづらいです。その理由は、舞台上のあっちこっちで同時に色々な人が全く別の事を話していて、ストーリーの全体像が掴みづらい事と、実話(当時は有名なスキャンダル)を元にしているので、台本が「当然、この話は知っているよね」という前提があって、あっちこっちストーリーが端折られいたり、人物紹介もせずにあれこれ人々が登場してくるため、元の話(スキャンダルの事ね)を知らない上に、字幕で見る我々日本人には、ほんと、分かりづらいオペラである…という私は思っていました。実際、分かりづらいしね。

 で、今回のメトの演出なのですが、その辺のストーリーの分かりづらさを、うまく整理して、分かりやすく上演してくれています。これ、ほんとオススメです。

 舞台のあっちこっちで行われている会話は、あっちこっちではなく、一箇所にまとめて、場面がドンドン入れ替わることで、それを実現している演出なので、見ている方は、どこを見ないといけないのか迷うという事がありません。また、黙役の人たちがしっかり演技しているので、セリフが説明不足の部分は、そういう人たちの演技で補われているので、すんなりストーリーも頭に入ってきます。

 さすがメト!と感服しました。やっぱりメトのオペラは初心者に優しいです。

 配役等は以下の通りです。

指揮 ジャナンドレア・ノセダ
演出 デイヴィッド・マクヴィカー

アドリアーナ・ルクヴルール アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
マウリッツィオ ピョートル・ベチャワ(テノール)
ブイヨン公妃 アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾ・ソプラノ)
ミショネ アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

 歌手の皆さんは、誰もが歌唱演技ともに水準以上でした。マウリッツィオを演じたベチャワは、君主でありながら、実に恋に悩むチャラ男でいい味を出していましたし、悪女というか自己中女のブイヨン公妃を演じたラチヴェリシュヴィリは、本当に嫌な女を演じていました。二人ともスゲーな。

 主役のアドリアーナを演じたネトレプコは、歌唱も感情がたっぷり入っていたし、演技も迫真もので、かなり良かったのですが…ただ私、ネトレプコが好きじゃないので、オペラに没入できなかったんだよね。

 ネトレプコは上手いソプラノだし、全然不足なんて無いんですよ。単なる私の好みの問題で、ネトレプコが好きじゃないだけで、それだけでオペラが楽しめないなんて…ああ、実に贅沢な悩みです。

 でも、好き嫌いって、趣味の世界では大切ですよ。だって、趣味って嗜好品だもの。

 ネトレプコをディスるつもりは全然ありません。単純に私の好みではないだけです。なので、ストレプコが舞台に出てくると、それだけでガッカリしちゃう私がいます。なんかねー、ネトレプコって好きじゃないんだよね。

 ちなみに、私がネトレプコのどこが気に入らないのか言えば…彼女の声なんです。声が嫌いって、決定的でしょ? なので、今後もずっと好きになれないと思うのです。ですから、メトのライブビューイングだと、ネトレプコって、よく出演してくる(おそらく、今のメトのトップソプラノはネトレプコだろうし…)のですが、彼女が主演ってだけで、ちょっぴりゲンナリしちゃう私なのでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2019年2月13日 (水)

メトのライブビューイングで「椿姫」を見てきました

 先日、メトのライブビューイングで新演出の「椿姫」を見てきました。

 演出が全く変わりました。「椿姫」の時代設定は、このオペラが作曲された当時…つまり、このオペラは現代劇なんです。なので、舞台化する際の時代設定としては、

1)オリジナルの時代設定である19世紀に設定する
2)現代劇である点を重視して、上演される時代(つまり、今)に設定する。

 の、だいたい2通りが考えられるのですが、今回の演出は、時代設定を18世紀に設定したのだそうです。つまり、通常の演出での時代設定とは逆ベクトルの、時代を思いっきり遡上した設定なのですが、これがいいんですよ。

 なぜ、18世紀の時代設定が良いのかと言えば、舞台が華やかで豪華になるからです。舞台って、原則的に、時代設定が、昔に遡れば遡るほど派手になり、逆に、現代に近づけば近づくほど、日常的になって地味になるものです。

 なので「椿姫」の時代設定が100年遡れば、それだけあれこれ派手になるんです。これ、大切です。だって「椿姫」って、パリの社交界のお話であって、なるべく豪華絢爛で夢々しい事が大切じゃないですか?

 時代が古めに設定されるとあれこれ派手になる…具体的に言うと、衣装が派手になります。装飾やら刺繍やらが派手派手になります。小道具も細かな細工の入った派手なモノになります。大道具(舞台装置)だって何やらゴテゴテと絢爛になります。良いでしょ?

 ただ、そうやって派手派手になると、お金がかかります。昨今のオペラハウスはどこも金欠だし、歌手たち(とりわけスター歌手たちの)ギャラは、本当に高いものです。なので、どこもなるべく経費をかけないようにオペラ上演をしたがります。まあ、その結果、オペラの舞台が現代に近づけられてきた(その方が経費が掛からないからね)わけです。

 例えば「椿姫」は3幕ものですが、場面としては4箇所あります。本来ならば、4つの大きくて豪華なセットが必要だし、それに合わせた舞台衣装も必要です。合唱が使われるので、合唱団のメンバーの衣装だって必要だし、衣装に合わせてカツラも必要だろうし、小道具だって…となるわけです。

 そこで、おそらく費用削減のためでしょうか? 今回の演出では、基本的な舞台セットは一つだけで、それらを多少アレンジすることで、4つの場面を表現しています。

 とは言え、基本的には一つの舞台セットですから、舞台中央にあるヴィオレッタのベッドは、最初っから最後まで、ずっと出っぱなしです。左奥にあるピアノも出っぱなしだし、右側にあるソファセットも出っぱなしなので、気になると言えばなります。

 そうやって舞台セットを一つにして、大道具にかかる費用を削減した分、衣装は凝っているようで、合唱団員まで含んで、皆さん、派手な衣装を着ていました。やっぱり、オペラはこうでないとね。少し前までメトで上演していた演出(デッカー版)だと、大道具も簡素だったし、衣装もヴィオレッタ以外は、黒の普段着っぽい衣装で、本当に地味な舞台でがっかりしたものです。

 まあ、昔々のゼッフィレッリが演出した派手派手な舞台には太刀打ちできませんが、今回の演出は、なかなか頑張っていて、私は大変気に入りました。

指揮 ヤニック・ネゼ=セガン
演出 マイケル・メイヤー

ヴィオレッタ ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
アルフレード ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ジョルジョ・ジェルモン クイン・ケルシー(バリトン)

 演出以外の話をすると、今回の公演が、メトの新音楽監督である、ヤニック・ネゼ=セガンの、初制作作品なんだそうです。

 ネゼ=セガンって、まだ42歳なんだそうです。若いね。ぜひ、メトに新しい風を吹き込んでほしいと思います。それにしても、ネゼ=セガンの指揮って、揺らすねえ…。これは好き嫌いが出るかも…私は好きだけれど、これをあざといと受け取る人もいるかもねえ…。

 歌手の皆さんは、頑張っていましたね。ヴィオレッタを演じていたダムラウは、歌はもちろん、演技も相当頑張っていました。ただ、1幕のアリアの最高音のEsは回避していました(残念)。それ以外は、ほぼ満足です。

 テノールのフローレスは…声が全然ヴェルディっぽくなくて、好き嫌いが分かれそうです。彼の声だと、アルフレードは情熱的な青年ではなく、偏執的な青年に感じられてしまうのですよ。フローレスがインタビューで「アルフレードは、いわゆるストーカーでしょ」と発言していますし、まあアルフレードには、確かにそういう部分もあるけれど、そこが強調されてしまうと、ちょっと違うかなって思うわけです。フローレスの甲高い声だと、アルフレードの、恋に狂った部分ばかりが強調されてしまうわけで、いわゆる従来よくある熱血漢で単細胞なアルフレードを求めている人には「???」な声だなって思いました。

 私の個人的な感想で言えば、フローレスは大好きなテノールだけれど、アルフレードは…無いなあって気がしました。まあ、好き嫌いの問題です。

 父ジェルモンは…普段よく聞く「椿姫」とは、あれこれ違っていたような気がします。おそらく、使用した楽譜が違うのかな? バリトンパートは、従来版とは、あれこれ違って聞こえたんですよ。もし、違う楽譜を使ったのなら、バリトンさん、ご苦労さまでした…って感じです。テノールも若干違っていたけれど、あれはたぶんアドリブだな(ぼそっ)。

 バレエは…ダンサーたちの化粧がグロかったけれど、バレエそのものはダイナミックで、好きだな。合唱はいつもながら、メトの合唱はすごいなあって思いましたよ。あと、ビックリしたのは、黙役だけれど、アルフレードの妹が舞台に登場した事。色々な「椿姫」を見たけれど、妹が登場する舞台は、これが初めてかもしれない(汗)。

 メトの演出は、一時はよその歌劇場と同じく、現代化の方向に走っていましたが、昨年あたりから、かつてのメトの演出同様、古典的な演出に戻りつつあるのは、私的にはうれしいです。やっぱりメトは、保守的で、初心者に優しい演出でお願いしたいです。濃いめのファン向けの尖った舞台は、ヨーロッパの歌劇場にまかせてくれた方がいいと、私は思うのでありました。

 ただの私のわがままなんだけれどネ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2019年1月21日 (月)

2019年 プラハ国立劇場の『フィガロの結婚』を見ました

 なぜ、タイトルの冒頭に“2019年”と付けたのかというと、実は2013年にもプラハ国立劇場の『フィガロの結婚』は見ているからです。なので、タイトルに“2019年”と付けました。

 どこで見たのかと言うと、自宅から徒歩10分の地元の市民会館です。徒歩10分で、本格的な海外歌劇団の引っ越し公演が見れるというのは、幸せな事です。もっとも地方の悲しさで、この公演でのメインであるエヴァ・メイの伯爵夫人は無しで、別の歌手さんが演じます。ま、たいてい、当地にくる海外歌劇場引っ越し公演は、東京公演では目玉になっているスター歌手抜きでの公演なんだよね。もっとも、その分、かなり格安な価格設定になってはいるんだけれど…。

 さて、今回知った事だけれど、一言で“プラハ国立~”と呼んでしまうけれど、実際は3つの歌劇場があるんだそうです。日本語で言うと、1つ目が“プラハ国立歌劇場オペラ”、2つ目が“プラハ国立劇場”、3つ目が“プラハ国立歌劇場”だそうです。で、今回、当地に来ているのは、1つ目の“プラハ国立歌劇場オペラ”で、通称“スタヴォスケー劇場”さんです。ちなみに“スタヴォスケー劇場”とは“貴族劇場”という意味で、プラハでは最古参のオペラ劇場なんだそうです。さらに、1つ目と2つ目は、ホールとしての歌劇場は別だけれど、これを運営している歌劇団は同じなので、プラハ国立歌劇場オペラの公演を『プラハ国立劇場』の公演と名乗っても、全然問題はないようです。ちなみ、プラハ国立歌劇場さんは、その設立経緯も運営団体も違うので、これはゴッチャにしてはいけないようです。

 で、今回やってきたプラハ国立劇場は、6年前にやってきたプラハ国立劇場と同じ、スタヴォスケー劇場なんだそうです。

 「同じ歌劇団が同じ演目を上演するの?」

 そうなんですよ。それに気づいたのは、実はオペラ当日だったりします。まあ、事前に知っていたからと言って、きっと見に行ったと思いますが、6年ぶりとは言え、同じ歌劇団の同じ演目を見るなんて、テレビの再放送を見るような感じかな…と、ちょっとしょんぼりしたのは本当です。

 でも、行ってみたら、同じ歌劇場が同じ演目をやっていましたが、演出が全然違っていたので、全く別物として楽しめました。そうだよ、そうじゃなくっちゃ残念だよね。

指揮 ズビネク・ミュラー
演出 マグダレーナ・シュヴェツォヴァー

フィガロ ミロシュ・ホラーク(バリトン)
スザンナ ユキコ・キンジョウ(ソプラノ)
伯爵 ロマン・ヤナール(バリトン)
伯爵夫人 マリエ・ファイトヴァー(ソプラノ)
ケルビーノ アルジュベータ・ヴォマーチコヴァー(メゾソプラノ)
マルチェッリーナ スタニスラヴァ・イルクゥ(メゾソプラノ)

 前回の演出は、多少時代背景を現代寄りにした、演劇色の強いシリアスな演出でしたが、今回の演出は、極端にコメディーに振り切った演出となっていました。なにしろ、登場人物のヘアスタイルが、みんな変(笑)。また、無声映画時代のお笑いのような、極端で類型的な演技が多様され、いかにも「笑ってください」って感じのノリでした。

 今回の演出の特徴の一つに、5人のダンサーの活躍があります。男性1人、女性4人なのですが、彼らが(男性ダンサーも含めて)メイドの格好(つまり、男性は女装をしているわけです)をして、黙役でありながら、黒子のような働きをして、オペラを進行していくのです。

 さらに、フィガロの結婚というオペラは4幕ものですが、これを2幕ずつまとめて、いわゆる2幕ものとして上演していたのですが、当然、本来の1幕と2幕の間、3幕と4幕の間には、舞台装置の移動などの時間が必要なのです。そのために、一度舞台の緞帳を下ろすのですが、その際に、彼らダンサーたちが幕前に立って(チェコの歌劇団なのに)イタリア語でコントをやるんですが、これもまた面白いんです。ただ、笑いのツボが日本人とは違うので、会場には今ひとつ受けないのですが、私はクスっときましたよ。

 さらに、この演出の面白いのは、ケルビーノがダブルキャストだった事です。つまり、ケルビーノという役を二人の人が演じていたって事です。

 もちろん歌唱の部分は、メゾソプラノの方が男装をして演じていたのですが、ケルビーノって、劇中で2回女装するんです。そもそも、ケルビーノというのは、役柄としては男性なのですが、いわゆるズボン役なので、女性歌手が演じます。女性歌手が演じる男性が女装をするというのが、このオペラの面白さなのですが、その女装部分になると、演者が変わるんです。男性ダンサーがケルビーノになります。なので、最初の女装シーン(伯爵夫人の部屋の場面)では、着替えをして、衣装を脱ぎかけますが、実際には女装はせずに、リアルな男性が、着替えの途中なので、半裸な男性として演技をします。歌の部分は舞台の後ろで女性歌手のケルビーノが歌いますので、女装はせずに半裸な男性が部屋で伯爵夫人を誘惑するというシーンになります。これはなかなか目新しい演出だと思いました。

 二度目の女装シーン(バルバリーナにノセられて村娘になる)では、本当に男性ダンサーが村娘の女装をして登場をします。いやあ、これが実に違和感バリバリの女装で、思わず笑っちゃいました。こういう演出もあるんだなあと関心しました。

 舞台が始まる前に、今回の出演キャストを見た時に、ちょっぴり残念な気がしたのは、キャストに日本人が入っていた事です。それもスザンナというほぼほぼ主役に日本人歌手が抜擢されていた事です。

 なんで、外国の歌劇団の引っ越し公演で日本人を見ないといけないの?…と、正直、最初はそう思いました。日本人の歌は、日本の歌劇団で見るから、海外引越公演は、オール外人で見たいじゃない…って思いました。

 でもね、始まったら、そんな気持ち、どこかにすっ飛んじゃいました。ユキコ・キンジョーさん、いいよ。いいソプラノさんです。外人に混ざって歌っていても、存在感はあっても、違和感はありません。さすがに、主要キャストを演じているだけあって、安心安定の歌唱&演技でした。

 他のキャストも、皆、若手~中堅の歌手ばかりで、エネルギッシュで良かったです。あえての文句を言えば、マルチェリーナが若くて、フィガロの妹に見えても、フィガロの母親には見えない事。出演者のほとんど若々しいので、バルバリーナが全然小娘には見えない事。フィガロがかっこよすぎる事…ぐらいかな?

 会場となった、当地の市民会館は、リニューアルしたばかりなのですが、どうやらリニューアルに伴う改装は、良い方向で成功したようです。市民会館には、3つのホールがあって、そのうちに、ミニホールと小ホールでは、私、リニューアル後に歌っていて、響きが豊かになって、よりクラシック音楽向きになったなあと思っていましたが、どうやら大ホールも響きが豊かになってクラシック音楽向きになったようです。と言うのも、見ていて、歌手の皆さんが楽に歌っているのが分かるからです。楽に歌っているのに、声は十分に届いているわけで、良いホールに生まれ変わったんだなあと思いました。

 そうそう、舞台に配置してあった、数々の孔雀のオブジェは何だったのでしょうか? おそらく、笑いの小道具としての機能が与えられていたようですが、笑いのツボが違うせいか、全然笑えませんでした。外国のコメディーって、難しいよ。

 今回の上演は、コメディーに振り切っていたせいか、会場から、結構ゲラゲラ笑い声が上がっていました。私の3つ隣に座っていたオジサンなんて、身を捩って笑い転げていたんだよ。あまりにオーバーアクションで笑うので、私は引いてしまったくらいです。いやあ、フィガロの結婚であんなに笑っている人、初めて見ました。

 とにかく、楽しいフィガロの結婚でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2019年1月16日 (水)

ロイヤル・オペラ「ワルキューレ」を見てきました

 いわゆるライブビューイングです。いつものメトではなく、ロイヤル・オペラ(以前は、コヴェントガーデンと言ってました)の「ワルキューレ」です。今回は、日本橋ではなく、日比谷に見に行きました。そうです、東京ミッドタウン日比谷に新しくできた、TOHOシネマズ日比谷に行ってきました。

 このTOHOシネマズ日比谷は、有楽町マリオン(日劇)にあった TOHOシネマズ日劇の閉鎖に伴い、後継館として作られた映画館なのでした。それにしても、日比谷には東宝系の映画館が多いよね。今回作られたTOHOシネマズ日比谷のほぼ真向かいにTOHOシネマズシャンテがあって、合わせて16スクリーンもあるわけで、都会は違うなあ…。

 それにしても納得いかないのは、向かいにあるTOHOシネマズシャンテはTOHOシネマズ日比谷とは別の映画館扱いなのに、隣にあったTOHOシネマズスカラ座とTOHOシネマズみゆき座は、TOHOシネマズ日比谷になってしまった事です。だったら全部TOHOシネマズ日比谷にしちまうか、シャンテ同様に、スカラ座やみゆき座を残してくれればよかったのに…と思ってます。

 それにしても久しぶりの日比谷です。パリ・オペラ座のライブビューイングを見に、スカラ座(みゆき座だったかも)に行って以来の日比谷です。ああ、パリ・オペラ座のライブビューイングは日本じゃやらなくなったんだよね、やっている時は文句ブーブーな私でしたが、見れなくなると悲しくなります。

 で、ミッドタウン日比谷とシャンテの間の広場でビックリ! かつてそこにあった50cm程度のゴジラ像が無くなって、代わりに2mクラスの大きなゴジラ像がありました。それも以前のゴジラは昭和のフォルムだったのに、今度のゴジラは平成のフォルムをしていました。ううむ、かっこいい。

 なんでも、今度のゴジラ像は、平成のシン・ゴジラかと思ったら、初代ゴジラの当初のオリジナル設定図から作ったゴジラ像なんだそうです。つまり、今日比谷にいる奴がオリジナルのゴジラってわけです。ただし、オリジナルのゴジラは…どう考えても、着ぐるみでは再現できないので、映画化するさいに、昭和のデザインに変更になったのだろうと推測されます。それにしても、オリジナルゴジラ、かっこいい!

 で、以前あった昭和ゴジラ像が無くなってしまって残念…と思っていたら、TOHOシネマズ日比谷のロビーに移動していました(笑)。ああ、よかった…。私的にはゴジラと言えば昭和ゴジラですよん。ああ、懐かしい。

 さて、オペラの話にやっと入ります。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 キース・ウォーナー

ジークムント:スチュアート・スケルトン(テノール)
ジークリンデ:エミリー・マギー(ソプラノ)
ヴォータン:ジョン・ランドグレン(バリトン)
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュテンメ(ソプラノ)
フンディング:エイン・アンガー(フンディング)
フリッカ:サラ・コノリー(フリッカ)

 ワーグナーの作品は、見る側も体力勝負だね。今回の「ワルキューレ」の上映時間は、約5時間だよ。普通の映画なら3本見れます(笑)。

 演奏の出来は、映画で見ている限りにおいては十分に素晴らしかったと思います。劇場で生で聞いている人には、声量不足を感じさせる歌手もいたそうだけれど…まあ、我々には関係ないわな。

 今回の上演で頑張っていたのが、バリトンの二人です。ヴォータンを演じていたジョン・ランドグレンとフンディングを演じていたエイン・アンガーは歌唱・演技・容姿ともに満点を上げたくなるほどの出来栄えでした。特にヴォータンはほぼほぼ主役ですからね、そこにこれだけの歌手が演じてくれたのは、実にありがたい事でした。

 ジークムントを演じていたスチュアート・スケルトンと、ジークリンデを演じていたエミリー・マギーの頑張りは映画館のスクリーンを通して、とても強く感じられました。おそらく、この二人は、歌に特化した歌手で、演技はそんなに上手じゃないんだろうと思います。それでも、一生懸命に演じている事が感じられて、なんか「頑張れ!」とスクリーン越しに応援してあげたくなるほどでした。

 ワーグナーの楽劇って、歌うだけでも大変なんだろうと思います。作曲家のワーグナーの頭の中では、ジークリンデやブリュンヒルデは若くて美しい娘だろうし、ジークムントもジャニーズ体型の青年なんだろうなあと思います。でも、あれだけ歌うのが大変なので、実際に演じるのはビヤ樽体型のオッサンオバサン歌手なんだよね。ああ、残念。脳内補正をしながら鑑賞しないといけません。

 ブリュンヒルデなんて、おそらくは、ほぼほぼセーラームーンみたいな子だろうに、こうしてオペラにしちゃうと、ニーナ・シュテンメが演じる事になっちゃいます。まあ、シュテンメの良いところは、極端な肥満体ではないって事かな? あれだけ歌えて、極端な肥満体ではないというのは、ワーグナー歌手としては稀有な存在なのかもしれませんが…だからと言って、美しいわけではないので、そこは評価が分かれます。私はもう少し太っていてもいいので、かわいらしい人の方が好みだったりします(ごめんなさい)。

 まあ、なんだかんだ言っても、歌手の皆さんは、水準以上の歌唱をしていたと思うし、この曲をあれだけ歌っちゃうんだから、皆さん、超人レベルにすごい歌手なんだと思います。

 歌手と言えば、第三幕の冒頭部で歌われる「ワルキューレの騎行」は脇役ソプラノ8人で歌うのだけれど、ここに出てくるソプラノさんは、ほぼここでしか歌わないので、その一曲入魂さがすごかったです。いやあ、私達はこの一曲で燃え尽きてもかまわない!的な覚悟が感じられるほどに、迫力満点な歌唱でした。本日の白眉はここにあるって感じでした。

 さて、問題は演出かな? ほんと、この演出は好き嫌いが分かれそうです。

 私の個人の感想を一言で言えば「地味!」です。もうちょっと大道具や衣装にお金をかけられなかったのかな…って思います。だって、神様が出てくる話だよ。そこらの路地裏の庶民の話じゃないんだよ。もっと神々しい部分があってもいいし、舞台上も明暗のコントラストがあってもいいんじゃないかなって思います。とにかく、舞台が暗いし、大道具が地味だし、衣装も地味です。

 それでも、演出…とりわけ大道具に関しては、メトのルパージュの演出よりは、数段マシです。あれは…ヒドイよね。

 それでも、やっぱり地味だなあ…特に地味すぎて、こりゃダメだと思ったのが、ラストシーンで、眠るブリュンヒルデを取り囲むローゲの業火です。あまりに炎が地味すぎて、私でも容易に侵入できそうなくらいなんだもの。ありゃダメだよ。もっと派手に燃やさないと…。

 まあ、今回のロイヤル・オペラに限らず、最近のオペラ演出は(メトも含めて)地味で貧相になってきてます。全然、夢々しくないんだよね、そこが本当に残念だし、ワーグナーの楽劇なんて、夢々々々しいくらいでちょうどよいのにさ。本当に残念です。

 ワルキューレの演出は、20世紀のメトで行われていた、オットー・シェンクの演出が、今でも私の中ではベストな演出だと思ってます。

 と言うわけで、演出は好き好きがあるとは思うのものの、演奏&歌唱は水準以上だと思いますので、音楽が聞きたい方にはオススメなオペラ上演だと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年12月10日 (月)

メトのライブビューイングで『西部の娘』を見てきました

 はっきり書きましょう。プッチーニ作曲の『西部の娘』というオペラは名作になりそこねた駄作であると。それゆえ、物好きなオペラ好事家以外の人には、特に鑑賞する価値すらないオペラであると。

 実際、『西部の娘』には歌謡性が欠落しています。おそらくそれは、プッチーニによって意図的に欠落させられたものであると私は考えます。なぜなら、このオペラの第三幕には有名なテノールのアリアがあり、このアリアのみ優れた歌謡性、いわばプッチーニ節と呼べるモノが見受けられるからであり、このアリアは、当初、このオペラには無かった要素だったからです。

 そもそも、この『やがて来る自由の日/Ch'ella mi creda libero e lontano』というアリアは、初演した大テノール歌手のエンリコ・カルーソーが作曲家プッチーニ向かって「このオペラにはアリアがない、アリアを書き加えなきゃ俺は歌わないぜ!」とか言ったとか言わなかったとか。とにかくこのアリアは主演テノール歌手に対するサービスであり、作曲家本人にとっては妥協の産物であって、それゆえにオペラ全編で浮きまくっている場違いなアリアでしかありません。それゆえ、いかにも“後からオマケで付け加えました”って感じで、それまでの音楽と、このアリアは、全くの別ものです。このアリアは「西部の娘」の中よりも「トスカ」や「蝶々夫人」の中にあった方がしっくりする音楽になっているのも仕方のない話なのてず。

 つまり、プッチーニは、歌謡性あふれるメロディアスなアリアを書こうと思えば書けるのに、あえて「西部の娘」には歌謡性を与えなかった…と私は思うのです。

 なぜ彼はそんな事をしたのか? おそらく、彼は迷っていたのでしょう。迷って自分を見失っていたのでしょう。つまり一言で言えば、スランプだったんです。ここまで名作オペラを書き続け、直前には「蝶々夫人」という名作を書いたにも関わらず、世間にはなかなか受け入れてもらえずに苦労をして“これじゃあいけない”と思って、無意識に今までとは別のやり方を模索して、道に迷ったのだと思います。

 まあ、それ以外にも、当時のプッチーニはスキャンダルにまみれていて、心に余裕はなかったろうし、ワーグナーから始まりリヒャルト・シュトラウスにつながっていくオペラ界の潮流だって感じていただろうし…。プッチーニは色々と焦っていたんだろうと思うわけです。

 確信的に、このオペラに歌謡性を与えなかったと思う別の理由として、歌には歌謡性を与えていないのに、伴奏であるオーケストラには豊かな歌謡性を与えているからです。「西部の娘」の歌には、聞くべきものはあまりありませんが、伴奏のオーケストラはなかなかよく仕上がっています。

 でもそれはイタリアの伝統ではないし、プッチーニのスタイルでもありません。

 つまり、プッチーニは『西部の娘』というオペラを、少なくとも『蝶々夫人』レベルの名作オペラに仕上げる事が出来たにも関わらず、あえてそれをしなかったわけです。

 ほんと、聞いていて、実に残念なのです。名曲になりそうなアリアや二重唱は、そこかしこにあふれています。しかし、音楽が輝きを放つ直前、どの曲もメロディーがくすんでしまうのです。ああ、プッチーニの迷いを感じます。まるで「ここで甘美なメロディーを書いてはいけない」と心に誓っているかのようです。

 で、そんな大作曲家プッチーニの駄作である『西部の娘』だけれど、メトは、実に興味深いオペラに仕上げて上演しています。『西部の娘』というオペラは、取り立てて見る価値のあるとは思えないオペラだけれど、このメトの上演は例外であって、これは実に面白い舞台作品だと思います。

 アメリカ人って『西部の娘』が大好きなんだよね。ほんと大好き。その愛情が、駄作オペラを水準以上の出来に仕立て上げたのだと、私は思います。

 ちなみに、このオペラ、CD等で音だけで聞くと、ほんと退屈ですよ。また、メト以外の歌劇場での上演で見ると、実につまらないです。

 しかし、メトの(最近にしては珍しいぐらい)セットにお金をかけ、衣装にも力を入れ、演出にも手間ひまかけた、この上演ならば、話は別です。実に面白いのです。まるで、舞台ではなく、映画を見ているかのような演出は、おそらくメト以外ではできないでしょう。ほんと、金満物量作戦ですよ。でも、これだけの経費と物量を投入して、初めて「西部の娘」というオペラは、見るに耐えうるモノになるという事が分かりました。

 結論。『西部の娘』というオペラには見る価値はないけれど、今回のメトの上演版は、音楽以外の部分があまりに素晴らしいので、見るべきです。特に、舞台制作にかけているアメリカ人の愛情が素晴らしい…と私は思いました。

 キャスティングは最高です。カウフマン、いいですよ。ディック・ジョンソンは彼ぐらいのイケメンじゃないと説得力ありません。ミニーを演じたエヴァ=マリア・ヴェストブルックのような美人さんはオペラには必要不可欠です。とにかく、このオペラ、実質的にミニー以外はすべて男声なわで、掃き溜めに咲く花としては、これくらいの美人じゃないと物語は成立しません。

 まず、他の歌劇場では、これだけの歌えるイケメンと美女を揃えることが難しいでしょう。さすがメト…と言っておきます。

 やっぱり、オペラって、金食い虫なんだと思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年10月15日 (月)

一週間に3度行く

 何の話かと言うと、オペラ鑑賞の話です。

 実は私、この秋、ほぼ一週間(正確には8日)で3度、生のオペラを見るチャンスがありました。普段はオペラ鑑賞を始めとした、音楽鑑賞の話は、ブログには書かない(一々書いていたら、音楽鑑賞ブログになってしまいますからね)のですが、一週間に3度も生オペラを見るという体験は、私的にも極めて稀なので、記録として書いておきたいと思った次第なのです。

 まず最初が、東京芸術大学の奏楽堂で行われた『魔笛』です。いわゆる大学オペラという奴です。

 大学オペラと言うのは、大学のオペラ専攻科が主催して行う、授業の一環として行うオペラ公演です。入場料は極めて安価で、舞台装置や衣装は豪華、演出はオーソドックス、出演者は、ソリストは大学院生か卒業生(もちろん若手)、合唱や黙役、舞踏、各種裏方スタッフは学部生という布陣で行うモノです。オーケストラは先生方や外部のオーケストラを使う場合もあれば、大学の学生たちや卒業生を使う場合もあります。芸大の場合は、ソリストはほぼほぼ大学院生のようですし、オーケストラは先生方のようでした。

 学生および卒業生たちの学びの場としてのオペラ公演ですから、出演者たちは皆熱心ですが、その出来具合には多少のばらつきがあります。これは仕方がありません。観客サイドも教育の場としてのオペラ公演であると認識していますので、皆さん、暖かい目で見守るわけですし、親御さんたちは何はともあれ、感激しちゃうし、受験生たちは憧れの眼差しで舞台を見つめるわけです。そういう暖かさに包まれているのが、大学オペラなんです。

 で、『魔笛』の話ですが、よかったですよ。押しなべて女声が良かったです。水準高いですね、さすが芸大。合唱も分厚くて良し良しです。演出は、実にオーソドックスすぎるほどで、私は気に入りました。チケット代のお手軽さを考えると、見る側にとっても、初心者向けのオペラ公演と言えるかもしれません。妻は今度の発表会で夜女を歌うのですが、とても参考になったそうです。

 芸大で一つ気になったのは、奏楽堂のすぐそばの池の鯉たちです。ここの鯉は、どうも人間が嫌いみたいなのです。ここの鯉は、人影の無い方無い方に動くんですよ。鯉と言うのは、基本的に人懐っこい魚で、普通は人のいる方いる方に寄ってくるものなんですが、それがここの鯉たちは違うんです。そこが(オペラとは関係ないけれど)気になりました。

 その翌日に『ファルスタッフ』を昭和音大で見ました。こちらも大学オペラです。こちらのソリストやオーケストラは卒業生たちが中心でした。この卒業生たちが、普通に上手だったのにはびっくりしました。昭和音大、立派に人材を育ててます。

 こちらのオペラは演出が面白かったです。基本的にはオーソドックなんだけれど、第一幕では舞台を左右2つに割って小さな舞台で演じ、第二幕では全面を使うものの、あまり奥行きを強調しない舞台とし、第三幕の第1場では、舞台の手前に大道具無しの狭い狭い舞台で演じ、最後の第三幕の第2場で、舞台を広々と使った迫力のある場面を作り出しました。で、最後の場面は、舞台が広いだけでなく、出演者たちも合唱および黙役を含めて、大勢の出演者たちで舞台を作って、本当に迫力のある面白い芝居になっていました。

 演出がよかったんですよ。

 そんな面白かった『ファルスタッフ』ですが、実は私、第二幕の記憶があまり定かではないのです。オペラが始まったばかりの頃は元気いっぱいだったのですが、オペラを見ているうちに徐々に弱っていき、第二幕、特に第2場のあたりでは気持ち悪いし、気持ちは集中できないし、だいぶ参っていました。

 第二幕後の休憩で、ペットボトル2本ほどの水を飲んで正気を取り戻しましたので、第三幕はとても楽しめたのですが、第二幕の私は、後から思うに、熱中症になっていたみたいです。オペラを見ていて熱中症になるなんて、人生始めての体験でした。

 会場のテアトロ・ジーリオ・ショウワの館内が、むやみに熱くて熱くて…それが原因で熱中症になってしまったと思います。いやあ、ほんと、とにかく熱かったんですよ。なにしろ、汗が流れるままに観劇していたんだもの。

 この日の暑さがまた特別だった事に加え、観客たちから発せられる熱が結構強烈でした。特に私の真後ろにいたお兄さん(には罪はありませんが)が放出する熱はかなりなもので、まるでストーブの前で観劇しているような気分でした。あのホール、冷房は入っていたのかな? とにかく、デブには辛い熱い熱いオペラだったのです(涙)。

 三つ目は隣町の市民オペラ主催の藤原歌劇団の『椿姫』を見に行きました。これは普通のオペラ公演です。なので、大学オペラと比べてしまうと、大道具が最低限で貧弱と言えば貧弱だし、こんな舞台装置でもオペラはきちんとできると言えばできるのです。ちなみに、オーケストラは昭和音大のテアトロ・ジーリオ・ショウワのオーケストラでした。合唱も(大学オペラと比べると)そんなに多くはないし、バレーダンサーは最低限の二人だし…とまあ、経費的に節約できるところは大胆に節約しつつも、歌手の皆さんは一線級を揃え、それは実に聴き応えのあるオペラでございました。私は次の発表会でアルフレードを歌うので、今回の公演を勉強目線で見ていたのですが、正直に申し上げて、これはちっとも勉強になりません。あれを真似したり参考にしたら、私、ノド壊すって(笑)。

 アマチュアとか若手歌手の歌は、勉強になったり参考になったりしますが、一線級のオペラ歌手の歌唱は、あまりに私と違いすぎて、参考にもなりません。あれを参考にするには、まだまだ多くを学ばないといけないなあって思いました。うむ、残念。

 ま、とにかく、生のオペラ公演を見に行くのは、これで一段落です。世間では毎日のようにオペラ公演が行われているのかもしれませんが、私は、しばらく聞きにいけません。その変わり、この秋は、オペラ以外の各種演奏会が目白押しで、私、毎週のように、あれやこれやと出かける予定です。ほんと、秋は忙しいのよ(涙)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年9月11日 (火)

メトのライブビューイングで『オリー伯爵』を見てきました

 今回もメトのアンコール上映を見てきました。これで今年のアンコール鑑賞はお終いです。で、今回見てきたのは、ロッシーニ作曲の『オリー伯爵』でした。

 指揮:マウリツィオ・ベニーニ
 演出:バートレット・シャー

 オリー伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
 女伯爵アデル:ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
 イゾリエ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
 ランボー:ステファン・デグー(バリトン)
 養育係:ミケーレ・ペルトゥージ(バス)
 ラゴンド夫人:スサネ・レーズマーク(メゾソプラノ)

 なかなか上演機会に恵まれない珍品オペラです。今回のものは2011年の上演ですが、この時がメトでの初上演だったそうです。まあ、ロッシーニには他にたくさん有名作品があるから、この作品が初上演でも無理はないよなあ…。

 このオペラは、イタリア人ロッシーニの作品ですが、フランス語で書かれています。ロッシーニって、晩年(って若くして引退しているので、めっちゃ若い年齢ですが)にイタリアからフランスに移住して、それ以降はフランス語で作品を書いているわけで、ただでさえ上演機会の少ないロッシーニ作品の中でも、フランス語作品の上演は色々とハードルが厳しいわけで、それもあって、上演の機会に恵まれないでしょうね。

 もっとも、上演の機会が少ないのは、フランス語歌唱以前に、歌唱そのものがメッチャ難しいってのもあるかもしれません。とにかく、どの役も、やたらと高音やら細かいパッセージやらが連発され、これを歌いこなせる人を揃えるのって、大変だろうなあって思うわけです。現実問題として、稀代の名テノール、フローレスがいるから上演できる作品とも言えます。フローレスはテノールと呼ばれてますが、実際は、普通のテノールよりも高い声を持っている歌手だからね。そういう特殊な歌手がいないと上演できない作品なのです。なにしろフローレスは一般的なテノールよりも、声域がだいぶ高くて、仮に、彼が標準的なテノールだとしたら、世間一般のテノールはみんなバリトンになっちゃうくらい、飛び抜けて声が高いのです(って意味分かりますか?)。

 というわけで、このオペラは出てくる歌手たちの見事な歌唱を味わうオペラであって、それ以上でもそれ以下でもありません。後の要素はすべてオマケ扱いでいいでしょう。それくらいに歌唱が高度で派手だし、この上演はその部分を大いに満たしてくれています。ほんと、すごいよ、皆さん。歌好きなら、見逃す手は無いと思います。

 さて、歌以外の話をすると、演出は面白かったですよ。このオペラ、ストーリーがメッチャメチャで、じっくり見ていると、あっちこっちで破綻しているのですが、それを演出で分かりやすく表現し、破綻しているところをうまくやり過ごしています。一番良かったのは、このオペラを作曲当時のオペラ劇場で上演しています…という設定で演出しちゃった事かな? だから、メトの舞台の上に、もう一つ小さな舞台を作って、そこが今回の舞台になってます。で、その小さな舞台の周辺に当時の舞台裏とか舞台袖とかが作ってあって、我々はメタ的な視点で当時のオペラ上演を見ている…という事になるわけです。

 つまり、オペラ全体を別の芝居でくるんじゃう…という演出なんです。

 そうすると、分かりづらいストーリーも、歌手たちの通常ではできないくらいにオーバーアクションな演技によって分かりやすくなるんです。なにしろ、このオペラ、真面目に演出しちゃうと、実にバカバカしくて見るに耐えないお話だから、こういうやり方を見つけた演出家さんは、凄腕だなって思うわけです。

 歌好きな方にはお薦めですよ。

 ちなみに、この日のフローレスは、オペラの開演が午後1時だったそうだけれど、12時20分まで自宅にいて、ギリギリに会場入りして舞台に立ったのだそうです。何をグズグズしていたのかと言うと、奥方の自宅出産に立ち会っていたんだそうです。だから、ライブビューイングの中継が始まった時点では、まだ主役のフローレスは楽屋入りしていない…という状況だったのです。いやあ、なんか色々とすごいね。なので、これは演出なのかどうか分からないのだけれど、フローレスが演じるオリー伯爵の登場シーンでは、オリー伯爵を演じる歌手が舞台裏からなかなか出てこなくて、周囲があたふたして歌手を探しに行く…という演技(?)をしていましたが、あれ、本当に演技だったのかな? 実はフローレスの準備がギリギリになってしまって、本当に周囲があたふたしていたのか…なんて邪推をしちゃったりします。

 さて、おまけ。実は私、今まで東劇には銀座方面から行って、その活動範囲も銀座~東劇までの範囲で動いてたのですが、今回始めて、東劇の奥の方…つまり築地方面に行ってみました。いやあ、東劇と築地の場外って、ほんとすぐ近くなんですね。なので、場外でちょっぴり遊んじゃいました。楽しい楽しい。外人さんがたくさんいて、それもおもしろかったです。すしざんまいの店内を覗いた時に、満席だったんだけれど、その客がみんなヨーロッパ系の外国人だけだったのには、びっくりしました。いやあ、築地場外はワンダーランド、世界の観光地なんだなって思いました。

 東劇のオペラ鑑賞とは別に、今度はゆっくり築地観光をしてみたくなりました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年8月29日 (水)

メトのライブビューイングで「ロメオとジュリエット」を見てきた

 えっと、アンコール上映で、2007年上演の「ロメオとジュリエット」を見てきました。もう、10年以上も前の上演です。

指揮:プラシド・ドミンゴ
演出:ギイ・ヨーステン

ジュリエット:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ロメオ:ロベルト・アラーニャ(テノール)
マキューシオ:ネイサン・ガン(バリトン)
ステファーノ:イザベル・レナード(メゾソプラノ)

 グノー作曲のフランスオペラなので“ロミオ”ではなく“ロメオ”ね。ジュリエットは英語でもフランス語でも“ジュリエット”なので変化しません…ってのは、どうでもいい話か(笑)。

 この演出での上演は、すでにメトでは行われていません。2016年にバートレット・シャーの演出に変更されてしまったからです。

 で、この上演なのですが、あれこれいわく付きの上演のようですが、私は気に入りました…が、そこは賛否両論かもしれませんね。

 まず、そもそも、ロメオはアラーニャではなく、本来はローランド・ヴィラゾンだったそうです。それが、ヴィラゾンのキャンセルで、アラーニャに代わったのだそうです。当時、ネトレプコもヴィラゾンも30代半ばですから、ロメオとジュリエットは…多少トウが立っているとは言え、まあ、やれない年齢ではありません(ロメオもジュリエットも十代半ばという設定)が、アラーニャはすでに40代半ば。ちょっと年齢的に厳しいかもしれません。なにしろもう十分、親の年齢だしね。

 第二に、この演出は、そもそもがナタリー・デセイのために考えられた演出で、デセイが演じるという前提があっての演出であって、デセイほど演技ができるわけでもないネトレプコには、そもそも厳しい演出を無理に無理を重ねてなんとかしている(ようで、結構物足りない)わけです。

 第三に、指揮者が、当時はまだテノール歌手だったプラシド・ドミンゴが担当している事。つまり、素人…と言うと言いすぎかもしれませんが、テノール歌手としてはリビング・レジェンドであったとしても、まだ指揮者修行中のペーペーがメトの大舞台で指揮台に上がっちゃったって事です。

 というわけで、あれこれあったわけですね。

 まずテノールがアラーニャに変更した点ですが、私は賛成です。別にヴィラゾンよりもアラーニャが素晴らしいというつもりはありません。ヴィラゾンにはヴィラゾンの、アラーニャにはアラーニャの素晴らしさがあるって話です。

 確かにアラーニャは、すでにロメオを歌うには、当時、年を取りすぎていたのかもしれませんが、ロメオは彼にとっては十八番の役であって、若い時に散々歌ってきた役の一つであって、歌に関して言えば、悪いはずはありません。実際、すごく良かったし…。そういうベテランのワザを見るのも、素敵な経験です。

 まあ、残念と言えば、これはアラーニャのせいではなく、メトの技術スタッフの失敗なんだけれど、今回のライブビューイングでは、アラーニャの高音がすべて割れて収録されてしまっていた事です。いわゆる“過入力”ってやつで、声にディストーションがかかっちゃっているんですよ。これ、ロックならいいんだけれど、オペラではダメだよね。声がジャリジャリしちゃうんだよね。この過入力は、別にアラーニャの歌だけでなく、オーケストラのトゥッティにも、ソプラノのffでも聞こるんだけれど、一番目立ったのがアラーニャの歌声の過入力でした。まあ、テノールの歌声ってオーディオ機器には負担で、テノールばっかり再生していると、スピーカーが早くヘタるとも言うしね。それだけ力強くアラーニャは歌っていたって話です。

 メトのライブビューイングって2006年スタートだから、このロミジュリの段階では、まだ2年目で、今と比べると、あれこれノウハウ不足だったわけで、それでこんな音声収録になっちゃったんだと思います。ちなみに、カメラワークの方も結構ガタガタしていたし、インタビューのやり方とか幕間の見せ方とかも今とは全然違います。黎明期のライブビューイングは色々まだまだだったわけですね。

 ネトレプコの演技は…とても頑張っていたと思います。でも、この演出はやっぱりデセイで見たかったな。ネトレプコが演じるなら、もっと棒立ち演技でもよかったと思います。ネトレプコもプロのオペラ歌手だから、全然演技ができないわけじゃないけれど、そこは最初っから歌手であるネトレプコと、舞台女優あがりのデセイでは比較にならないわけで、それなのに同じ演出でやっちゃダメでしょって話です。当時のネトレプコはまだ若くて美しかったわけだから、そんなに難しい事させなくても、十分、ジュリエットを演じられたと思うんだよね。なんか、中途半端な感じがしました。

 ドミンゴの指揮は…オケが素晴らしかったと思います。メトほどのオーケストラになったら、指揮者は誰であれ水準以上の演奏はしちゃうでしょ? だからドミンゴの指揮でも問題はなかった…と私は思うし、あくまでも指揮やオーケストラは歌手たちを支える側なんだから、まああんなもんでいいんじゃないの? ただ、テノールのキャリアの終わりに、あれだけ頑張って指揮活動をしていたドミンゴが、今では指揮はやらずにバリトンに転向したという事実を見ても、指揮者ドミンゴは…あまり需要がなかったんだろうね。そんな気がします。

 で、今では上演されなくなったヨーステンの演出だけれど、これ、ロミジュリでなかったら通用しないかもしれませんね。なにしろ、舞台装置が象徴的で、舞台だけを見ていると、時間と場所の特定が全然できません。舞台中央に回り舞台があるんだけれど、なんかこれが意味不明なんです。でも、ロミジュリだからね。ストーリーは世界中の誰もが知っているわけだから、こういう象徴的な演出でもいいのかもしれません。

 それに衣装は、現代風ではなく、なんちゃって中世風だったのは、私的には良かったかなって思います。なんちゃって中世風というのは、男女の衣装とも、一見、中世っぽいんだけれど、現代人の目から見て「これ、どーなの?」的な部分は、一部現代的にしている衣装デザインが“なんちゃって”だなあって思いました。

 簡単に一例を上げて言うと、当時の男性貴族の衣装って、特に下半身は“タイツ+ちょうちんブルマ”でしょ? でも、そんな格好をしているヤツはほとんどいなくて、大半は、ジャージ地のジーンズっぽい作業ズボンでした。そんな生地、中世にねーよ。でも、カッコいいかな? すべてがこんな感じでした。

 それにしても、ロミジュリって、良いオペラだな。美しいメロディにあふれるオペラです。これで歌詞がフランス語でなければ、ぜひ私も歌ってみたいオペラです。いやあ、眼福ならぬ、耳福でしたよ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

フォト

↓参加しています

  • 人気blogランキングへ にほんブログ村 クラシックブログへ

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2018 すとん