ひとこと

  •  平昌オリンピックが2月8日から25日の日程で行われています。で、その最中の2月15日から17日の3日間がソルラル(春節・旧正月)になります。韓国人はお正月を、我々日本人とは異なり、中国人たちと同日程のソルラルで祝います。ソルラル中は2/3以上の韓国人が故郷に帰省するそうです。つまり、この時期、韓国では民族大移動が行われるわけです。当然、交通機関は麻痺状態です。お店の大半が休業なんだそうです。なんで、そんな時期にオリンピックを開催しているんでしょ? 日本風に言えば、オリンピックを年始年末休みに行うようなものです。オリンピックを見に行った多くの外国人たちが、ソルラルの事を知らずに、泣きをみているそうです。可哀想に…。
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カテゴリー「声楽のレッスン&活動記録」の記事

声楽の[個人]レッスンで学んだ事や、声楽関係の活動を集めてみました。

2018年2月14日 (水)

大きな声で歌えばいいというものではない

 声楽レッスンは、まだ続きます。

 まずは、昨日紹介できなかった二曲の音源を貼ります。

 最初の曲は「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」です。これはパヴァロッティがレヴァインのピアノで歌っている音源をアップしておきます。いつもながら、素晴らしい歌唱だと思います。

 次の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を歌っているのは、メゾソプラノのバルトリです。この人、カストラートの役を歌うことが多い人ですが、普通に歌曲を歌っても、やっぱり上手ですね。でも、やっぱり声は、少年っぽいと言われれば、たしかに少年っぽい声ですわな。、

 さて、武満が終わる事で、しばらく日本歌曲からは距離を置きます。いやあ、日本歌曲って難しかったなあ。次に日本歌曲を歌うとしたら…林リリ子先生つながりで、林光氏のソングかな?(説明しないよ)

 さて、レッスンは、ドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 先生から最初に言われたのは「すとんさんは、すべての音を観客に聞こえるように歌っていますか?」です。もちろん、そりゃあそうなんですが、そういう気持ちでは、この曲は歌わない方が良いと言われました。

 だいたい、曲の出だしがppなんだし、いきなりの1オクターブの跳躍という事は、最初の一声は、観客の耳にしっかり届かなくても良い…と言うか、観客の方が耳をそばだてて聞くくらいで、ちょうどよいと言うのです。

 確かに、人って、大きな声で話されたからと言って相手の話をよく聞いているわけではなく(むしろ、うるさいなあと思って、耳を塞いだりするじゃん)、むしろ小声でひそひそ話した時の方が、その人の言葉が気になるものなのです。

 だから、歌もすべてがすべて、大声でしっかりはっきりくっきりと歌う必要はなく、時にささやき、時にはつぶやく事も大切なのです。で、この曲は、ささやきともつぶやきとも言えぬ、小さなppで歌い出されるわけです。この音をしっかり歌っては、むしろダメなんです。

 懸案事項の Lento の箇所は、だいぶ速いテンポで歌ってみました。前後のフレーズよりも、速度がゆっくりになっていれば良し…くらいの気持ちです。実際に歌ってみたテンポは、かなり速かったと思います。そんな感じで、かなり早めのテンポで歌ってみて、ようやくギリギリOKって感じになりました。気を抜いて、ゆっくりなテンポで歌ってしまうと、かなり歌が破綻してしまいます。ああ、難しいね。

 そんなこんなで、色々とありましたが、これでようやく、この曲も終了です。お疲れさまでした。次回は、同じドナウディの「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」となります。これが終わると、次もまだドナウディを歌うつもりです。

 というわけで、次回からしばらく、ベッリーニとドナウディに、どっぷり浸かる私となります。それにしても、次のレッスンまでに、4曲準備しないといけないのだけれど、そんな時間が、私にあるかしら。ちょっときびしいぞ。

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2018年2月13日 (火)

限りなくジャズっぽい曲でした

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。まずは、武満徹作曲の「うたうだけ」です。

 この曲は歌ってみて分かったのですが…ジャズだね。ジャズソングを忠実に五線譜に書いてみました…って感じの曲です。もちろん、クラシック的アプローチで演奏するなら、譜面に忠実に歌っていけばいいわけですが、譜面に忠実であろうとすればするほど、ジャズに近づいていきます。

 これ、純粋クラシックの人には、とてつもなく歌いづらいだろうなあ…。

 リズムが難しい事に加え、和音が難しくて、クラシック音楽的には変化音が多用され、クラシック音楽的な和声進行に慣れていると、メロディーの音程が取れないと思います。なにしろ、和音は、7thや9thがバンバン使われているし、先生が「ここの音は、とても取りづらいと思います」と指摘された箇所は、楽譜上は7thだけれど、実際は13thの和音なわけで(ハ長調で表現すれば)C13なんて、ジャズの実際の演奏現場ではDm/Cとして演奏するわけで、そんなのジャズでは日常茶飯事だから、私なんぞは、そんな和音はカラダに入っているので、別に取りづらいも取りづらくないも無いわけです。でも、純粋クラシックの人には、C13はC13であって、そのままC13であって、Dm/Cにして演奏するわけもないから、ただの不協和音になってしまい、だから、音を取りづらく感じるんだろうなあ…。

 私は、この曲を自宅で練習している時に、何度も何度もジャズフルートの笛先生、ジャズピアノのヒイロ先生に習った事を思い出しちゃいましたよ。ああ、「こういうリズムの時は、こんなふうにカウントすると良いんだっけ」「跳ねる時は、一瞬のタメがかっこいいんだっけ」「スイングする時は、体全体でスイングするとノレルんだよな」とか…ね。伴奏のピアノも、明らかにジャズピアノ風だったので、これ、ヒイロ先生の伴奏で歌ったら、絶対に気持ちいいだろうなあ…なんて思ったものです。なにしろ、この曲のピアノ伴奏は、部分的に空白で、その部分はピアニストさんのアドリブで演奏する事になっているのですが、ヒイロ先生なら、きっと、オシャレなアドリブをぶち込んでくれると思うし…ね。

 とにかく、ジャズ色の濃い曲なのです。

 先日のコンサートで、武満を歌ったY先生でしたが、この曲も実は演奏候補に上がっていたそうなのです。最終的には、人前で歌われなかったのですが、それはどこまでジャズに寄って歌うべきかで悩まれたからなんだそうです。

 Y先生は、もちろん、純粋クラシックの歌手です。器用な方ですから、ジャズ風に歌うこともできるのですが、クラシック歌手として歌う場合は、それが悩みどころで、どこまでジャズに近寄り、どこまでクラシックに留まって歌うか…それが問題だったそうです。プロは悩むところが我々と違います。

 私は、その点、何も悩まず(笑)、何も考えずに、クラシックアプローチで歌いました。私の場合、クラシックアプローチで歌っても、ジャズっぽいのがにじみ出ちゃいますので、にじみ出ちゃったモノは仕方がないとあきらめて(笑)しまうわけです。

 不自然に歌うよりも、自然な感じで歌うべきだし、その結果、ジャズっぽくなっても、それは仕方ないよねって立場です。

 たった一回のレッスンでしたが(得意ジャンルの曲なので)この曲は今回で終わりになりました。次からは、いよいよベッリーニの『6つのアリエッタ』となります。で、学習順番ですが、以前原調で歌った事のある1番の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」、2番の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」、6番の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を、まずは練習してくる事になりました。できたら、この三曲は次回のレッスンで上げてゆきたいものです。で、これらが終わったら、腰を据えて、3番以降の曲に取り組みます。

 と言う訳で、今回はこれらの曲をよく知らない人のために、例によって音源を貼っておきます。

 歌っているのは、ロランド・ヴィラゾンです。いつもながら、素晴らしい演奏ですね。伴奏がオーケストラってのも珍しいですね。ちなみに、最後のフレーズに変奏を加えて歌っているので、楽譜通りの歌唱じゃないと言えば、そのとおりだけれど、まあ、これくらいの変奏は許されるんじゃないかな?

 残りの曲の音源は、明日紹介します。

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2018年2月12日 (月)

コペルニクスだよ、こりゃきっと

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは、ハミング練習からです。いつもの注意を受けました。響きを高く、クチの中は縦に広げて、クチの上部を上に引っ張り上げて、息をしっかりと通す。それだけの事です。それだけの事が、いつもいつもうまく出来なくて注意を受けちゃうわけです。

 発声練習です。音程をテクニカルに取っていきましょう、ってか、テクニカルに歌えば、自然と音程は気持ち良いところに収まっていきます。詰まるところ、1)息の通り道がしっかり確保されている。2)ノドが楽に発声できている。これらが十分に成されていれば、音程は気持ち良いところに収まるし、テクニック的にうまく行っていなければ、音程はフラットしてしまうわけです。

 発声をする際に気をつけるのは、きちんとテクニカルに歌えているかどうかです。テクニカルに歌えば、音程は気にしなくても良いのです。(音程が正しくても、必ずしもテクニカルに歌えているわけではないので、音程の正しさではなくテクニカルに歌えているかどうかに気をつけるべきなのです。必ずしも“逆は真成らず”なのです。)

 で、テクニック的にOKで、音程がちゃんとしているようになってから、次の段階を考えるべきなのです。次の段階とは、声の音色であったり、表現であったりと言った事柄です。テクニック的に不足したままで、表現に走ってしまうと、間違いなく音程に破綻が来るそうなのです。だから、まずはテクニック。そして音程がしっかりしてから、声の音色の幅を広げ、その後に表現が来ます。

 コペルニクスだね、こりゃ。

 私はキング先生に習っていた時から、まずは“表現を”一番にするように心がけてきました。それはこのブログの古い読者さんなら分かってくださると思います。多少、音程が甘くても、表現がちゃんとしていたら、お客さんは聞いてくれると言われ続けてきましたし、私自身もその言葉を信じてやってきました。実際、音程は正しくても表現力に乏しい歌唱よりも、多少音程に難が有っても、鬼気迫る表現力を伴って歌われた歌の方が、私自身、好きだったしね。

 とにかく、表現力だったんですよ。で、更に歌に“テクニックは要らない”とも言われていました。私が自宅練習であれこれ工夫してくると、即座に否定され「小賢しい事はするな。歌にはテクニックなど必要ない。必要なのは反復練習だ!」と言われたものです。10回歌ってできなければ100回歌え、100回歌ってできなければ1000回歌え、1000回歌ってできなければ…というノリなのです。ここもキング先生とY先生の違いで、Y先生はむしろ反復練習を嫌うんですよね。

 と言うのも、上手に歌えているなら、反復練習は声を減らすだけなので必要ないし、上手に歌えていないなら、反復練習をする事で、失敗経験ばかりを増やして、下手くそが固定化されてしまうので、反復練習を嫌っているのです。

 先生によって、良しとする方法論が違うわけです。まいったね、こりゃ。

 とにかく、表現は横に置いて、まずはテクニック、それも息や声のテクニックに気をつけて、音程正しい歌が歌えるようにがんばります。

 Y先生曰く「出ない音は、何をどうやっても出ないのだから、出ない音を出そうなんて苦労をしてはいけない。それよりも、今、出せる音を、もっときちんと、もっと美しく出せるように努力しないといけない」ってわけです。今まで、出ない音をどうやって出そうかと必死こいていた私からすれば、これもコペルニクスなわけです。

 ああ、目からウロコがポロポロ落ちる落ちる…。

 そして、テクニカルに歌うためには、自分のカラダを自由にコントロールできなきゃいけないのだから、まずはフィジカルを鍛えないといけません。必要な筋肉や神経を鍛えていかなければいけません。だから、テクニカルに歌うためにも、筋トレが必要なのです。動かない部位を意識的に動かせるようにする必要があるのです。

 腹筋は、まだまだ不十分ですが、以前と較べると、だいぶ動くようになりました。次は軟口蓋&口蓋垂です。私の口蓋垂は、ほんと、動きが悪いです。もっと意識的に、もっと俊敏に動かせないといけません。腹筋も難しいけれど、軟口蓋&口蓋垂は、自分じゃ見えない場所だから、これを意識的に動かすのは、なかなか容易なことではありません。頑張らないと…ね。

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2018年2月 2日 (金)

残念な事に、オーケストラの主役はヴァイオリンなんですよ

 フルートは、そもそもの横笛までさかのぼれば、かなり古くからある楽器ですし、実際、ルネサンス時代とかバロック時代とかの、いわゆる古楽と言われる音楽がブイブイ言わせていた時期は、かなり人気の楽器だったようだし、演奏人口もそれなりにいたようです。

 それだけ人気のあったフルートならば、その後に発生したオーケストラで主役の座を射止めても不思議なかったのに、現実のオーケストラはヴァイオリンを主役としたアンサンブルに発展し、フルートはオーケストラサウンドに彩りを加える管楽器の一角を担う程度の存在に落ち着きました。

 なんかなー、なんでかなー。オーケストラがフルートを中心としたアンサンブルになっても良かったのに、なぜなぜどーして、ヴァイオリンが中心のアンサンブルになっちゃったのかなー。

 だってね、フルートもヴァイオリンも、楽器としての基本的な音量はほぼ同じ。音域だって、ほぼ同じ。携帯性も同じような感じだし、別にフルートがヴァイオリンと入れ替わっても不思議ないじゃん…って思うわけです。

 でもまあ、その一方で、確かにヴァイオリンがフルートに優っている点もないわけじゃないからなあ…とも思うわけです。

 例えば、半音演奏や転調の容易さ。ヴァイオリンはどんな調でも容易に演奏できますし転調も簡単にできます。要は、左手の親指をネックに置く場所を変えれば、演奏するフレーズ全体の調を容易に移動できます。でもフルートは…演奏しながら管の長さを変更できるわけもなく、その結果、楽に演奏できる調と、苦手とする調があり、転調も必ずしも容易であるとは言えません。

 フルートにはブレスの影響があり、人の息の長さよりも長い音やフレーズの演奏は、原則的に無理です(ま、現代奏法である循環呼吸というテクニックはありますが…)。一方、ヴァイオリンは弓の長さ分しか音は出せませんが、上手に弓を返せば、無限に長い音やフレーズの演奏が可能です。これって、結構デカい違いかも。

 アンサンブルにおける、兄弟楽器というか、同属楽器にもフルートは恵まれていません。ヴァイオリンには、ビオラやチェロ、コントラバスといった兄弟たちがいて、彼らとつるめば、実に幅広い音域を支配する事ができます。でもフルートの兄弟楽器ってのは、ピッコロぐらいです。フルートとピッコロのコンビは、なかなか魅力的だけれど、あまりに高音に偏っていて、そんなに心安らぐ感じはしません。と言うのも、肝心の低音楽器がいないからです。

 もちろん、今でこそ、アルトフルート、バスフルート、コントラバスフルートという低音フルートが存在しますが、これらの楽器が誕生したのは、近代に入ってからの話であって、古典派からロマン派の時代には、これらの楽器は存在しなかったわけですから、フルートとピッコロだけで、オーケストラの主役を張るには…色々と厳しかったんだと思います。

 あと、たぶんだけれど、時代の好み…もあるかも。と言うのも、オーケストラが発展していった、古典派からロマン派の時代って、フルート音楽が徐々に衰退していった時代なんだよね。つまり、フルートという楽器は、古典派やロマン派の作曲家たちの好みとは、少し違っていた…という事です。あの頃、もてはやされた楽器は、ヴァイオリンとかピアノであって、フルートの人気は…その前の時代ほどじゃありませんでした。

 そう考えると、フルートがオーケストラの主役になれなかったのは、ある意味、仕方ない話なのかもしれないけれど、一人の笛吹きとしては、残念至極な感じがします。オーケストラがフルートアンサンブルを中心としたアンサンブルだったら…なんかワクワクしませんか?

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2018年2月 1日 (木)

ドナウディは続くよ、まだしばらくは

 さてさて、声楽レッスンの続きです。

 次回から学ぶ「歌うだけ」の音源紹介をしていませんでしたので、まずはそこからです。

 歌っているのは、アルト歌手の小川明子氏です。

 その次に取り組む、ベッリーニの歌曲集の音源紹介は…また近づいたら、行いたいと思います。

 「小さな部屋で」の次は、終わりにしましょうと以前から言っていたにもかかわらず、まだまだ終わらない、ドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 前回歌い方を変えた部分はしっかり意識して修正してきましたが…それでもまだまだな仕上がりのようでした。特にダメなのは、Lento と指定されている箇所の歌い方なんだそうです。いくらLentoと指定されているからと言って、自分で扱いきれないほどテンポを落としてはいけないわけで、あくまでも自分がコントロールできる範囲でのLentoで歌わないといけないのです…が、私は自分がコントロールできるよりも、ついつい遅めのテンボで歌ってしまうって、歌に破綻が生じるようです。

 分かっちゃいるんだけれど、どうしてもゆっくり歌いたくなってしまうのです。

 先生がおっしゃるには、私には自分で歌えるためのテンポがきちんと把握できない…つまり、テンポ感がしっかりしていないのが原因だろう…との事なので、自分でしっかりとテンポを捕まえて歌わないいけないわけで、そこんところが要練習ってわけで、まだまだ終わりにはなりませんでした。

 あと、やはり歌いながら、息のルートが変わってしまっているそうで、そこもきちんとルートを変えずに、音色の統一を図らないといけないとも言われました。音程が跳躍しても、跳ぶ前と跳んだ後を同じ音色で歌うわけで…これが私には、ちょー難しいわけです。ああ…。

 コツとしては、終始高いポジションで歌を歌うのだそうです。つまり、高いポジションで低い音程を歌うのは(大変だけれど)出来ないわけじゃないけれど、低いポジションで高い音程を歌うのは、まだまだ無理だからです。ああ…。

 とにかく、まだまだドナウディで勉強しないといけないようです。

 「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」が終わっても、次に「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」が控えているし、その後も(私的には)歌いたい歌があるので、もうしばらくはドナウディ漬けの日々が続きます。

 頑張ろっと。

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2018年1月31日 (水)

やっぱりやっぱり…日本語で歌うのは、ちょー難しい(汗)

 声楽のレッスンの続きです。歌の練習に入りました。まずは、武満徹作曲の「小さな部屋で」です。

 いやあ、難しい。ほんとにこの曲、楽譜通りに歌うのは難しいです。先生からは、楽譜に忠実に歌うことに集中をしすぎて、日本語の歌詞なのに、歌が多少不自由になっていると言われました。

 日本語の歌は、話し言葉の延長のように自然な歌いクチで聞こえないといけない…わけで、楽譜が見えるような歌い方は、あまり感心できないようです。もちろん、楽譜通りに歌うのが第一義だけれど、そのために日本語として不自然に聞こえては、何にもならないのです。

 つまり、楽譜通りに歌うのだけれど、楽譜から離れて歌う事が大切なんです(って、分かる?)。だからと言って、まるっきり話し言葉で歌うわけでもありません。あくまでも、クラシック声楽として(私は)歌うわけですから、そこはポピュラー音楽的なアプローチは禁物であります。

 まずはレガートに歌うことに注意してみました。母音だけで、楽譜通りに歌ってみる。何度か繰り返して、それが何とかなるようになったら、母音の邪魔をしないように、子音を入れてみる。その際に、日本語(ひらがなとか漢字)を見て歌うよりも、ローマ字を見て歌ってみるのが良いのだそうです。なぜ、ローマ字を見て歌うのかと言えば、その方が、子音や母音を意識して歌えるからです。ひらがなや漢字を見て歌うと、子音や母音の発音がついついなおざりになりがちだからです。

 確かに私の場合、ローマ字を見て歌った方が、しっかりと子音が発音できるし、母音も滑らかに歌えます。歌ってみるまでは「なぜ、ローマ字?」と思っていましたが、いやいや、ローマ字歌唱って大切ですね。

 そうやって、ローマ字歌唱をしながらも、日本語としての不自然さを排除しつつ歌っていくのです。いやあ、日本語の歌曲って…難しいわ。

 それと再度言われたのは、絶対にノドを鳴らして歌ってはいけない…って事です。私はついついノドを鳴らして歌ってしまうのですが、しゃべっている時にノドを鳴らして喋る人は…いないわけです。まあ、義太夫でも唸っていれば話は別でしょうが、まあ、普通の人は、そんな喋り方はしないわけで…そう言われてみれば、確かに私の歌い方って、義太夫とか詩吟とか…西洋音楽と言うよりも、無意識に純邦楽っぽいやり方をしちゃっているのかもしれません。

 いやあ、DNAのなせる業…なのかな? カッコよくはないですね。

 あと、フレーズを歌い終えたら、その都度、必ず歌い直すように言われました。で、その際は、必ず音を上から取り直すことを忘れずに…です。

 高い音は息の支えが大切ですが、低い音もしっかり息の支えがないと、音程がすっ飛んでしまいます。楽に歌える中音域はともかく、低い音も高い音も、しっかり息で音程を支えないといけないわけです。

 とにかく、今回で「小さな部屋で」は終了。次回からは「歌うだけ」にチャレンジをし、それでひとまず武満は終了にします。武満が終わったら、次は…ベッリーニの『6つのアリエッタ』を学ぶ事にしました。何曲かは原調で学びましたが、今回は歌曲集として6曲全部をやります。ただし…原調ではなく、中声用の全音版で、です。

 つまり、高い音にチャレンジをするのではなく、私にあれこれテクニカルに歌う事を学んでもらおうという事らしいです。まずは中声用の楽譜で一通り学んでおけば、必要な時に、それを原調に上げて学び直せば良い…って事らしいです。

 確かに、以前、原調で学んだ「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」も「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」も「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」も、きちんと歌えたわけではありません。そういう意味でも、今一度、中声用でしっかりと学んでおいた方が良いかもしれません…が、たぶん今の私なら、原調でも歌えそうな気がするんだけどなあ…、あの頃とは違うんだけれどなあ…って、思わないでもありませんが、先生には先生なりの意図があって、中声用の楽譜で『6つのアリエッタ』を学ばせようと決めたのだから、それに従う事にしました。

 まあ、私の歌の実力的なモノは、私自身よりも先生の方がきちんと把握しているだろうから、先生のご指導に従って学んで行くのが、一番間違いないのです。

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2018年1月30日 (火)

力の入れすぎは、全てをぶっ壊す

 声楽のレッスンに行きました。

 実はこのレッスン日の私は、明らかな練習不足でした。何しろ、前回のレッスンからこの日まで、自宅練習が出来たのは、たったの1回ですからね。フルートと違って、楽器の組み立てとか片付けとかの面倒が無い分、短い時間でも、ちょこちょこ練習できる声楽なのに、今回は仕事の都合の上に体調不良もあって、たったの1回、それも時間にすると10分程度の練習しかできないまま、レッスンを迎えてしまいました。

 声楽の場合、日々の練習は、そのまま、日々のトレーニングにつながっていきます。その点は、スポーツなどと一緒で、あんまり練習していないと、筋力が衰えていきます。おまけに、体調不良もあって(レッスン当日は、実は午前中いっぱい寝込んでました)、本当に歌の調子も悪かったのです。

 なので、ハミング練習から始めたのですが、筋力不足のためか、カラダがなまってしまったためか、どうしても息が上に上がっていかないのです。ダメなのはいつも通りとも言えますが、いつも以上にダメなのが自覚できるほどにダメでした。半月ほど歌っていませんでしたから、仕方ないと言えば仕方ないのですが、だからと言って、良しとしてはいけません。ですので、しっかりと息を上の方向にしていく事を意識化してみました。カラダが自動的に動かなければ、意識的に動かすしかないわけです。

 さて、発声練習です。息を通すルートを変えないようにと言われました。これは前々から自覚があるのですが、私は歌い出しの1音目と、それに続く2音目以降で、息のルートがしばしば無意識に変わってしまいます。変わってしまうのは無意識だけれど、変わったなあ…とは意識しています。むしろ、無意識に歌うと、2音目で息のルートが変わるのが私だとも言えます。

 で、先生曰く、最初の1音目は良いルートを通って歌われているのに、2音目以降は、違うルートに息が入ってしまうのが残念。2音目以降も1音目と同じルートで息を通して歌ってください…ってわけです。

 無意識だと変わってしまうので、意識的に変わらないようにしました。何をしたのかと言えば…ノドやクチのカタチを力を入れて固めたわけです。このやり方が良いかどうかは自信ありませんが、固めないと音程が上がるたびに、ノドやクチのカタチが(高音を発声しやすいように)変わってしまい、その結果、息のルートが変わってしまうからです。

 力を入れるのは、カタチが変わることを防ぐためであって、発声のための力みは禁物です。

 つまり、目指すは声の音色の統一、ですね。高音も低音も同じ音色で歌いましょうって事です。これはキング先生時代からも散々言われていた私の大きな欠点の1つです。

 とにかく、クチの中は広く、大きく、です。そして、高音になるに従って、上へ上へ広げていきます。逆に言えば、いくらクチの中は広く大きくと言っても、歌い出しの低中音の時にはクチを全開にしてはいけないわけです。最初に全開にしてしまうと、それ以上広がる事はありませんから。そこは余裕を持って、広く大きくして歌うわけです。

 今回のレッスンでは、腹筋の動かし方にも修正が入りました。今までは、腹筋全体を上下動しているようなイメージで動かしていましたが、それでは動きが大げさすぎるし、大変だし、何より動きが鈍くなるので、これからは、机に広げたハンカチの中心をつまんで持ち上げるように、腹筋を全面ではなく、一点が動かすようにしましょうと言われました。イメージするのは、なかなか難しいのですが、確かにこのやり方なら、さほど大変でもないし、多少は機敏に腹筋も動きそうです。

 歌う時に大切なのは、ノドであれ、腹筋であれ、楽である事。十分である事。…なんだそうです。無駄な力は力みに通じるし、機敏に欠けるわけだし、なによりスタミナを削ります。よくキング先生に「すとんさんは、歌のスタミナが足りない」と言われていましたが、スタミナは確かに足りないのでしょうが、それよりも今ある力を有効に使う事ができず、無駄な事ばかりをし、無駄にエネルギーを消耗していたんだろうと思います。自分の体力に応じた、それなりの歌を楽に歌う事。それが大切であって、自分の器以上の事をしようとすれば、あっちこっちに無理が生じ、ひいては楽器が壊れてしまうのです。くわばら、くわばら…です。

 そうそう、キング先生には、よく音程の注意も受けましたが、それも力みが原因なんですよね。無駄な力が加わると、音程ってフラットするんです。ぶら下がるんです。それをぶら下がらないように意識しても、根本原因である力みが取れなきゃ、何をやっても、無駄なんです。かように、歌う際の無駄な力は、障害にこそ成れ、有益な方向に行きません。

 何よりも、力んだ声は、怒鳴り声にも通じるわけだし、そんな声で歌われても、聞いていて不快でしかないわけです。ノドなんて、鳴らさずに歌えるなら、それに越したことはないのですが…ついつい、ノドを鳴らして歌ってしまう私が、ここにいるんです。

 ああ、厄介だな。

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2018年1月17日 (水)

やたらと歌うのが、テクニック的に難しい曲(涙)

 声楽のレッスンの続きです。

 武満の「小さな部屋で」です。なんと申し上げましょうか…とにかく、難しい曲です。何が難しいのかと言うと、まずリズムが難しいのです。

 基本的には4ビートの音楽なのですが、1ビートを2分割していくリズムと3分割していくリズムが混在している上に、3分割の方は、いわゆる三連符で表記されているわけだけれど、じゃあ本当に三連符なのかと言うと、ガチガチの三連符ではなく、むしろ2分割されるはずのモノが、単にスウィングしているだけなんじゃないかって、私は思いました。さらに、アウフタクトは多用されていて、まるでジャズのメロディーみたいなんです。そのジャズっぽいメロディーの中に、時折、ガチガチのクラシックっぽいフレーズが入ってくるわけで、そこが難しいと言うか、実に楽譜どおりだと歌いづらいって感じがします。

 おまけにテンポチェンジも細かく指定してあって、その指定通りにバカ正直に歌おうとすると…何かドツボにはまってしまって、抜けられなくなってしまいます。

 実際、プロの方々の音源を聞いても、楽譜通りのリズムやテンポで歌っている人は…少ないよなあ。

 難しいのはリズムやテンポだけでなく、メロディに臨時記号が多用されています。これは細かく細かく何度も何度もメロディーが転調しているわけで、調性感がややもすると不安定で、気を抜くと、和音が分からなくなって、歌っているメロディーがすっ飛んでしまいます。

 メロディーが現代音楽の上に、リズム&和音的に難しく、簡単に手に負えないのに、先生は「この曲は、声の色の変化が大切なので、歌詞に合わせて、声の色を意識的に変えて歌いましょう」などど注文してくるわけです。

 ううむ、テクニック的にかなり難しい曲です。正直、今の私には、難しくて、手に余っています。まあ、それだけ学ぶモノが多い曲であるとも言えます。いやあ、ほんとに大変なんですって。

 で「声の色を変えるには、軟口蓋をうまく操作すると効果的だよ…」なんて言われると、ああ、ここでも軟口蓋か…って思うわけだったりします。色々、難しいなあ。

 さて、次はドナウディ作曲「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 とにかく、スーパーレガートに歌わないといけません。この曲には、何箇所かフェルマーターがあって、その都度、そのフェルマーターの箇所をどう歌うかを決めてきたわけですが、その中の数カ所のフェルマーターの箇所の歌い方を(今更だけれど)変えることにしました。なので、この曲は、今回で終わりになる予定でしたが、修正した歌い方を練習してきて、次回もう一回って話になりました。ま、より良く歌えるなら、それに越したことはないです。

 「小さな部屋で」は声の色を使い分けるために、軟口蓋は上げたり下げたり忙しいのですが、「私の愛の日々」は、原則的に軟口蓋は上げっぱなしで歌います。考える事は、ずっと上げっぱなしだと疲れてしまうので、どこで軟口蓋を下げて休めるか…って事を考えて歌うことです。だから軟口蓋を上げる事を意識するのではなく、どこなら軟口蓋を休める事ができるかを考えて歌う歌なのです。

 さて「私の愛の日々」はまだ次回も歌いますが、次の歌を決めてしまおうという事になりました。私的には、もう少しドナウディを歌いたい気分だし、有名な曲は学んでおきたいという気持ちもあったので「Vaghissima sembiata/かぎりなく美しい絵姿」はどうですか?と提案したら、それはいいですね、あっさり承認されてしまいました。

 なんでも、ドナウディは発声に良いのだそうです。じゃあ、決まりだね。

 例によって、この曲を知らない人のために音源を貼っておきます。

 良い歌でしょ? 歌っているのは…ヴァレリー・ミラノフというテノールさんなんだけれど…よく知らないや。歌っている人が誰であれ、良い歌は良い歌なんだけれど、この歌をYouTubeでググると、プロ・アマ問わず、韓国人歌手ばっかり出てきて、ビックリ! 韓国じゃ、この曲、大流行なの? それとも彼らの心の琴線に触れる曲なの? なぜなぜなーぜ? 画面がハングルだらけになって、なんか居心地悪いです…。

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2018年1月16日 (火)

たかが発声、されど発声

 声楽のレッスンに行きました。今年最初のレッスンです。

 まずはハミング練習から。腹筋を使って歌うのはもちろん、軟口蓋を今より更に5mmでも1cmでも上げて歌うように言われました。もし、それで限界まで上げているつもりなら、明らかな筋力不足だし『まだ上げられますよ』と答えるなら、限界まで上げてハミングをしてみてくださいって言われました。もちろん私の場合は、限界ではなく、まだ上げられるのだけれど、上げ慣れていないので、かなり意識しないと上がらないという事情があります。

 改めて、軟口蓋を上げるように意識してみました。昨年は、腹筋を使うことを念頭に置いて練習をしましたが、今年の目標は「軟口蓋を上げて歌う」事なんだそうです、と言う訳で、軟口蓋を上げていきましょう。

 さて発声練習です。歌の場合、音程を作るには3つの要素があります。

 1)息の力で音程を作る(腹筋を使用する)
 2)軟口蓋の高さで音程を作る
 3)ノドに力を入れて音程を作る(いわゆる、ノド声)

 3)はもちろんダメな音程の作り方なわけです。昨年は1)を散々やりました。まだ習得したとは言えませんが、今年は2)も加えて音程を作っていきましょうって事なのです。

 と言うのも、現在の私は高いGまでは1)で安定して発声できるのですが、そこから上がうまくいかないのです。でも、軟口蓋を高く上げていけば、そこから全音あるいはもう少し上までの音が安定して発声できるようになるようで「テノールだから、少なくとも高いAまでは安定して発声できるようにしたいですね」というわけです。

 そのためにも、高音だけでなく、中低音であっても、軟口蓋の上下によって音程を作れるようになる事が大切で、3度の跳躍、5度の跳躍、8度の跳躍を、軟口蓋の上下によって発声すると言った課題をたっぷりやりました。軟口蓋のコントロールを手中に収め、中低音はもちろん、高音でも軟口蓋で音程が作れるようになったなら、さらに高音を楽に発声できるようになる…ってわけです。頑張るぞ。

 腹筋の動かし方も再確認をしました。

 そもそもは入門した時に、真っ先に習った(んだけれど、その後忘れてしまったのですが)腹筋を動かし方を、もう一度やってみました。

 通常「腹筋を使う」と言うと、いわゆる下っ腹を背部に向かって引いていく動きをします。それはそれで正しいのですが、それだけでは腹筋の動かし方としては物足りません。実は同時並行的に、上っ腹を更に上に向かって引いていく動きが必要となります。感覚的には、胃袋を使って下から押し上げて、中身をひっくり返していくような動かし方です。

 これらをあくまでも同時並行的…と言うか、後ろに引きつつ、上にも引く…みたいな感覚で行くわけです。特に上っ腹の動きは高音発声には大切な動きなんだそうです。しかし、だからと言って、上っ腹ばかり動かして声を出してしまうと、声が固くなってしまうので、下っ腹も動かしながら上っ腹を動かす事が大切なわけです。

 たかが発声、されど発声って感じです。

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2018年1月11日 (木)

演歌っぽく跳んではいけません

 さらに声楽のレッスンの続きです。

 今回で、武満徹作曲「死んだ男の残したものは」は終わりって事にしました。で、次は何を歌うか?…ですが、次は武満の「小さな部屋で」にしました。

 どんな歌か?って思うでしょうから、音源を貼っておきます。

 歌っているのは、ソプラノの岩下晶子さんです。「小さな部屋で」は武満のソングの中でも、地味なんでしょうね。YouTubeを見ても、なかなか良い音源は見つかりません。岩下さんも悪くないのだけれど、実は私の趣味とはちょっと違うんだよね。でも、他の音源は、私の趣味とはだいぶ違うわけで“だいぶ違う”のと“ちょっと違う”では“ちょっと違う”のをチョイスせざるをえないわけです。

 この曲は、モロに現代音楽なので、和音もメロディもかなり変です(笑)。音取りが大変そう…。頑張ろっと。

 次は、ドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。この曲の最高音は高いGで、歌詞は“Sguar-do”の“Sguar”です。ここだけは閉じた声で魅力的に歌います。難しいね。先生から「開いた声」とか「閉じた声」とか言われても、私自身何となくの感覚でやっちゃっているのが、ダメなんだろうな。もっと理知的に理解し、能動的に自分のカラダをコントロールして歌わないといけないのだろうけれど…まだまだ、何となくしか分かっていないようです。

 とにかく、歌は基本的に開いた声で歌い、決めの箇所だけ、閉じた声で歌うってのは、どうやら基本のようです…と、書いているけれど、現時点ではよく分かっていない私です。

 出だしの“Amorosi”の“A-mo”の1オクターブの跳躍を、演歌っぽく跳ばないようにと、何度も注意されました(が、何度も演歌っぽく跳んでしまいました)。

 演歌っぽく跳ぶ…と言うのは、跳躍する際に微妙にコブシが廻ってタメが生じてしまう事です。クラシックぽく跳ぶためには、タメずにスパンと跳ばないといけません。例えて言うならば、仮面ライダーのような、トランポリンアクションで跳ぶのではなく、スパイダーマンのように、ワイヤーアクションで跳ぶのが理想なのです。つまり、高く跳ぶために反動をつけて一度身を屈めるのはダメで、高く飛びたければ、高いところにフックをかけてそこから引っ張り上げるのが吉なわけです。

 具体的に言えば、低い音から始めて、高い音に移る時にノドを下に引っ張って高音を出すのではなく、直前の低い音を高いポジションで(頑張って歌って)次の高い音を本来のポジションで歌う…というやり方が良いわけです。うむ、難しい。

 とりあえず、これで「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」を終わり…にしてもよかったのですが、次回ももう一度歌う事になりました。と言うのも、武満の方を新曲にするので、二曲同時に新曲…というのは厳しいだろうと言うことで、次回は武満だけを新曲にして、ドナウディは継続して、次回、新曲に替える事にしました。

 さて、「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」の次は、誰のどんな歌曲を歌いましょうか?

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