ひとこと

  •  毎日毎日暑いですね。3年後の今頃は、東京でオリンピックをやっているわけなんだけれど、こんなに暑い中でオリンピックなんてやってい良いのかな? 特に野外でやる種目は、選手はもちろん、観客の健康だって心配です。マラソン…死人は出ないか? マジで心配です。日本の夏の昼間に野外スポーツなんて、そんなクレイジーな事は高校野球だけで十分でしょ? アメリカのテレビ局の都合(番組改編期にオリンピックの中継をやりたいだけなんです)でオリンピックの開催時期が決まるんだけれど、日本の東京でオリンピックをやるなら、本当は5~6月あたりの、花粉症が終わったあたりの春が気候的には良いよね。夏は暑すぎるし、秋は台風とかゲリラ豪雨とかがあるし、冬は寒すぎるからね。まあ、日本の都合とか、選手や観客の健康なんて、アメリカのテレビ局には関係ないから、やっぱり真夏の東京でオリンピックをやるんだろうね。
2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合のハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

カテゴリー「音楽一般」の記事

音楽ネタだけど、ノンジャンルなものはここです

2017年7月13日 (木)

楽譜が手に入らない(涙)

 コンサートなどに行って「ああ、いい曲だな…。私も歌ってみたい/吹いてみたい」とか思った事ありませんか? 私は結構あります。

 ポピュラーソングを歌うのなら、割と話は簡単です。YouTubeで参考音源を聞いて勉強/練習して、カラオケに行って歌えばいいんです。簡単ですね。

 でも、クラシック系の曲だと楽譜を入手するところから始めないといけません。なにしろクラシック音楽ってのは“はじめに楽譜ありき”だものね。でもね、楽譜って、そう簡単に入手できるわけじゃないんですね。

 まず楽譜って、地方だとなかなか入手できないんです。

 と言うのも、楽譜を置いている楽器屋さん自体が地方にはなかったりします。たとえあっても、在庫楽譜大半はピアノの楽譜で、歌やフルートの楽譜なんて無いです。特に、フルートの楽譜は壊滅状態だよね。

 私の住んでいる街の楽器屋さんも、例に漏れず、置いてある楽譜のほとんどはピアノの楽譜です。歌はほんのちょっと。フルートは、教則本と副教材系の楽譜が少々。私が欲しいと思った楽譜は…まあ無いね。

 隣町にかつて少々大きな楽器店が2軒ありましたが…今はゼロです。一つ(ヤマハ)は撤退、一つ(地元系の楽器店)は廃業…と言うか、販売を止めて音楽教室一本になりました。楽譜そのものは、大型書店の音楽コーナーで購入可能ですが、楽器店での在庫とは比較にはなりません。シマムラとかヤマノなどの、他の大手楽器店は最初っからありませんから、これでジ・エンドです。

 と言う訳で、現在、ちょっと気の利いた楽譜が欲しい時は、都会に行くしかありません。

 幸い、私の場合は銀座に行けば、国内の楽譜はもちろん、海外輸入譜も結構入手可能ですから、手間さえ惜しまなければ、なんとかなります。それでも入手できない楽譜(輸入譜が主です)は、インターネットを駆使して購入です。

 問題はインターネットを駆使しても入手できない場合なんですよ。

 「そんな事ってあるんですか?」 あるんですよ。絶版とか廃版とかです。

 楽譜だって商品です。売れないものは、あっと言う間に消えてしまうのは当然として、流行り廃りもありますから、昔はバカ売れだった楽譜も、時代が変わって売れなくなれば消えてしまいます。また海外作品だと、著作権の取扱も日本とは異なるわけで、そのあたりがからんで、市場から消えてしまう楽譜もあります。

 実は最近、私が欲しいなあと思ったけれど、入手できなかった楽譜は、これらのパターンでした。ある曲は、古い古い曲で、あまりに古い曲なので、ピアノやギターではなく、大正琴用の楽譜しか販売されていなくて、そのままでは使えないので、断念しました。また別の曲は、最近の楽譜なのですが、本当に売れなくて、すでに絶版となり、中古の楽譜が元値の10倍ほどの価格で流通していますが、楽譜って元から安くないのですが、それが10倍ほどの値段になってしまうと…躊躇しております。またある曲は海外曲だったのです。ほんの少し前までは入手が容易だったのですが、著作権で問題が発生し、世界的に一斉にこの曲の楽譜が消え、国内でもこの曲を外した改訂版が作られ、以前の版は当然絶版となってしまいました。

 ああ、入手できないと分かると、無性に欲しくなるものです。

 きちんとした音楽教育を受けてさえいれば、楽譜がなくても、自分で採譜して編曲してしまえばいいのですが、悲しいかな、素人にはそんな事はできません。専門業者に頼んで採譜してもらうという手もありますが…そこまでお金をかけるつもりはありません。そうなると、負け犬のように、さっさと尻尾を丸めて、悔し泣きをするしかありません。

 なんかなあ…。楽譜が入手できないのだから諦めるしかないのだけれど、なんか釈然としないし、諦めつかないのよ。

P.S. 海外曲の場合は、ネットの画像検索をかけると、消えたはずの曲であっても、使える楽譜が見つからないわけじゃないですが、それって著作権者に対して無断使用にあたるわけで、コンプライアンスの遵守を旨とする私的には、たとえ私的使用であっても躊躇してしまいます。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年7月11日 (火)

録音されたら分からないよね

 オーディオファンの方々には申し訳ないのだけれど、私はオーディオ装置というものを信用していません。別にオーディオ装置を毛嫌いしているわけではないし、私自身、録音された音楽を聞いて楽しんでいますし、音楽はなるべく良い音で楽しみたいと思っているし、高価なオーディオ装置の再生音は素敵だなあと思うものの、でも、オーディオ装置に全幅の信頼は寄せられないのです。

 少なくとも、何か大きな技術的なブレイクスルーがない限り、私が満足するようなオーディオ装置って、存在し得ないだろうなあって思ってます。で、私が満足するようなオーディオ装置ってのは“演奏会場そのものを再現できるオーディオ装置”です。つまり「生音を生音のまま再生できる機器」が欲しいなあと思っています、それも簡便な装置で。

 おそらく、現在の技術で私の希望に近いオーディオは…バイノーラル録音だと思います。バイノーラル録音とは何か…と説明し始めると、それだけで一つの記事になってしまいそうな気がするので、知らない人は、各自でググってください。

 バイノーラル録音では、通常のステレオ録音よりも、音の定位がよりはっきりするだろうし、会場の空気感のようなモノも録音再生できるだろうし、ハイレゾ音源として録音すれば、かなりの音質の向上も期待できるのだけれど、私にはそれでも足りません。

 ハイレゾ音源って、いくつか聞いたことあるし、再生装置が素晴らしければ、本当に素晴らしい音質で再生できるわけだけれど、その素晴らしさは、生音の素晴らしさとは、ちょっぴり違うような気がします。それこそ、生の桃と桃缶の桃の違いぐらい違います。いやいや、養殖うなぎと天然うなぎの違いぐらいまで近接しているかもしれません…が、やっぱり違うものは違うのです。

 何と言っても、ヘッドフォーンを着用しないといけないってのが、バイノーラル録音における大きなマイナスポイントだと思っています。それに代わる再生システムとして、昔は4chステレオであったり、現在なら5.1chサラウンドだったりするんでしょうが、それらもバイノーラルほどではないにせよ、かなりいい感じの再生システムだったりしますが、今度は装置が大げさになってしまうのが欠点かな?

 現在のオーディオ機器は、人間の可聴音域を遥かに超えるスペックで録音再生できるのですから、生音と録音再生には、もはや違いがないはずなのですが、それでも実際に聴き比べてみると、なんか違うんですよね。

 一つには、録音された音源って、程度の差こそあれ、化粧されている音だからです。

 音楽に限らず、何か音を録音する際に、収録された音にフィルタをかけて、ある一定以下の音量/周波数をカットし、ある一定以上の音量/周波数は歪まないように低減して録音するのが通例です。そういう加工をして録音するから、すっきりした再生音になるわけですが、そのすっきりした感じが違和感を生み出しているような気がします。

 いやいや、違和感程度なら問題ないです。もっと積極的にフィルタを使って、音質そのものに手を加えて録音された音源だってあるでしょう。また編集されている音源だってあるわけで、演奏者や演奏場所が異なる音源だって、編集次第では一つの音楽にまとめることはできるし、演奏者のミスなども編集過程で修正したり差し替えたりすることも可能です。そうなると、録音は実演よりもミスのない完璧な演奏と言うことすらできますが…それもなんか違うような気がするわけです。

 人間だもの、失敗したっていいじゃない。素晴らしすぎると、リアルを越えてしまいます。

 “ライブ音源”と銘打たれた音源だって、実際は修正されていたり差し替えられていたりオーバーダビングをされていたりするわけです。いまや“ライブ録音”って『レコード会社のスタジオ以外で録音されたもの』程度の意味しかありません。

 つまり、録音された音源って、生音と較べると、物足りない部分があるかと思えば、生音よりもキレイに仕上がっている部分もあるし、より聞きやすかったりするわけです。さすが、そこは工業製品なわけで、天然物と較べると、エグミやアクと言ったものが無いわけです。

 何が言いたいのかと言えば、録音でも、おおよその音楽の素晴らしさは分かると思うのですが、あくまでも“おおよそ”でしかないって事です。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです…って、先週も同じ事を書いたような気がしますが、そういう事です。

 なので昨今の私は、音楽を聞く時は、外出先で聞く時は、3000円程度のカナル型イヤフォーンで、自宅ではパソコンのスピーカー(それでもちょっと良い奴だしウーハーも用意しています)で聞いてます。居間には、ちゃんとしたステレオ装置もあるし、そこそこ良いスピーカーセットもあるんだけれど、普段はあんまり良い機器では音楽を聞いていなかったりします。

 つまり、オーディオ装置に対して、ある種の割り切りがあるわけで、割り切りがあるからこだわりが無いわけで、こだわりが無いから、そんなに良い装置でなくても平気で音楽を聞いちゃうし楽しめちゃうわけです。

 なぜそんな割り切りがあるのかと言えば…オーディオ装置に全幅の信頼を寄せていないからです。ベストな再生音なんて望んでいないので、ほどほどの再生音で楽しめちゃえるわけです。

 安上がりな体質でしょ(笑)。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年7月10日 (月)

オペラ魔女の生歌を聞いてきた

 先日、某A市で行われた『エンターテイメント クラシック Ⅲ』というコンサートに行ってきました。お目当ては、テノール歌手の上原正敏氏だったわけだけれど、このコンサートには“オペラ魔女”こと、翠千賀(みどり・ちか)氏も出演していましたので、ブログ的には、こちらの翠氏の事をメインに書いてみたいと思います。

 まず、翠氏の事を知らない人のために、簡単に説明します。翠氏は、私も大好きなテレ東系の「カラオケ★バトル」という番組の準レギュラーです。番組自体に関しては、以前「私は『カラオケ★バトル』が大好き!」という記事を書きましたので、そちらをご参照ください。

 翠氏は、この番組の中では“高音オペラ魔女”という二つ名を持っている準レギュラー(つまり、常連さんって事ね)で、カラオケマシン相手に、満点をも出してしまうほどのカラオケ名人で、2016年度の年間チャンピオンの一人です。番組内のキャラとしてはヒール(憎まれ役)的存在で“強くて嫌なヤツ”というキャラになってます。まあ、ビッグマウスをかましている事が多いのだけれど、結果が伴っちゃうので、誰も何も言えない…ってキャラ付けなんでしょうね。テレビ出演時のメイクも(魔女っぽさを出すためでしょうか?)キツめで、いい感じで不気味さをアピールしています。

 高音オペラ魔女…という二つ名ですが、番組では歌謡曲を歌っている事もあって(オペラ歌手的な高音を全然出さないので)妻などは「どこが“高音”なの!」と憤っています。まあ、歌謡曲的な高音と、オペラ的な高音は全然違うので、さほど高くない音程の音でも、歌謡曲的には“すっごい高音”って感じなんでしょうね。

 で、彼女のステージを見てきた感想ですが…ステージ上の翠氏と、テレビのオペラ魔女は、かなりキャラが違いますね。まあ、当然と言えば当然で、笑点の木久扇師匠がテレビでは与太郎キャラ(つまりバカ)を演じてますが、素の木久扇師匠はかなりのインテリさんであるのと同様なわけです。プロの方で、素のままテレビに出演している人なんて、いるわけないし…ね。

 オペラ歌手としての翠氏は、正統派のスピント系のソプラノでした。それもプロ歌手としては正統的でマトモな歌い方の人でした。日本のクラシック系演奏家は、かなりの腕を持っていても、なかなかプロとして目が出ない人も多いのですから、たとえカラオケ番組であって、それで名前を全国的に売ることが出来て、ラッキーだったと思います。

 舞台では、ごく普通のオペラ歌手的な発声で歌われていて、カラオケ番組での歌い方とはだいぶ違いました。ご本人がおっしゃるには、テレビではクラシック系の発声ではなく、ミュージカル系の発声に寄せて歌っているんだそうです。と言うのも、クラシック系の発声で歌うと(機械がちゃんと声を拾えず)低い点しか出ないからだそうです。まあ、分かるような気がします。テレビではカラオケマシンでの高得点を狙うために、棒歌いが多いのですが、舞台での歌唱では、かなり濃い目の表現で歌っていました。つまり、テレビタレントのオペラ魔女と、オペラ歌手の翠氏は、歌手としては、別人格と考えた方が良いかもしれません。

 なので、オペラ魔女的なモノを期待して彼女のコンサートに行くと、ちょっとガッカリしちゃうかもしれません。舞台では、あんなにどぎついキャラではありませんから。

 メイクも舞台はテレビとは違って、かわいい系のメイクをしてましたよ。素はかなりの美人とお見受けしました。

 テレビタレントのオペラ魔女も良いけれど、オペラ歌手の翠千賀氏も、なかなか良いなあと思った私でした。

P.S. コンサート終了後の物販コーナーでは、私は翠氏のCDではなく、上原氏のCDを購入して、サインまでいただきました。いやあ、ソプラノよりもテノールの方が好きなんだな、私。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2017年7月 6日 (木)

クラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだな

 クラシック音楽と言うのは、本来は王侯貴族の楽しみです。彼らが自分たちの食事時や宴会時のBGMとして(今で言う)室内楽を演奏させていたのが、そもそもの演奏形態なのです。ですから、作曲家や演奏家も、お屋敷に勤める使用人の一人であって、音楽演奏を専門に働いている御家来衆の一人に過ぎませんでした。

 つまり、当時の音楽(今で言うクラシック音楽)って、王侯貴族の独占物であって、庶民たちはその存在は知っていても、楽しむ事はできなかったわけです。

 で、市民革命があって、王侯貴族たちの特権や贅沢が開放(解体?)されました。そして、王侯貴族の規模縮小&没落に合わせて、音楽家たちは失業し、フリーな存在になりました。

 王侯貴族に変わって、世界の主役になったのが市民たちですが、市民たちには王侯貴族のような経済力はなく、音楽家たちの生活を丸抱えする事ができませんでした。その代わり、演奏会ごとに(チケット代という形で)賃金を支払う(一種の)アルバイトとして彼らを雇うようになりました。

 しかし、王侯貴族たちが楽しんだ室内楽という演奏形式では、客の数も少なく、チケット販売枚数なんて、たかがしれたものです。そんな少額では、音楽家たちの生活を支えることは難しいのです。

 そこで発展していったのが、音楽ホールとオーケストラなわけです。つまり、広い会場にたくさんの市民を集めて、大きな音で演奏することで、一回の演奏会で多くの観客を動員して、演奏会の収益をなるべく大きくしましょう…って事です。

 つまり、チケット一枚の値段はそんなに高くできないけれど、観客の数を増やすことで、全体の利益を確保しようとしたわけで…つまり、音楽の薄利多売が始まったわけです。

 それでも、音楽ホールに集められる人数なんて、たかが知れているわけです。オーケストラが出せる音量にだって限界はあります。だから演奏会は頻繁に行われたわけだし、音楽家たちはツアーを組んで、当時の世界をくまなく旅して演奏活動をしていくしかありませんでした。

 そんな苦労を重ねても、一度始まった音楽の薄利多売商法は、とどまることがありませんでした。多く稼ぐためには、たくさん演奏するしかないのです。

 やがて電気が発明されると、電力を使った音楽ビジネスが始まりました。

 まずはP.A.システムの導入です。つまりマイクとスピーカーの使用です。これによってさらに大きな音楽ホールでの演奏が可能になり、現在のようなアリーナ公演が可能になったわけです。

 次に楽器の電気化&電子化が行われました。楽器を電気化&電子化することで、演奏に必要な音楽家の数を減らす事でできるようになりました。やがて録音技術が発達してレコードが作られるようになると、生演奏の必要がなくなり、音楽家は演奏旅行をせずとも、音楽そのものがパッケージ化されて世界中で販売されるようになり、さらにさらに薄利多売が進んでいったわけです。

 そのレコードが、やがてCDやDVDに変わり、現在のようなネット配信になっていったわけです。

 つまり我々が聞いている音楽と言うのは、薄利多売できるようにアレコレ工夫を重ねた末の音楽だったりするわけです。まあ、我々は王侯貴族ではありませんから、王侯貴族のような楽しみを味わうためには、どこかで妥協しないといけないわけで、それがホール演奏だったり、ネット配信だったりするわけです。

 ポピュラー系音楽のように、薄利多売システムを前提として発展していった音楽は、まあ良いとして、クラシック音楽というのは、薄利多売の始まる前とか、最初期の段階で発展していった音楽だったりするわけです。

 そもそもが生演奏を前提とした音楽ですから、それを録音で聞くのが普通となった現在では…採れたてピチピチの食材と、缶詰やレトルトの食材が違うように、ちょっぴりあっちこっちが違っているわけです。

 ざっくり言っちゃえば、録音される前提の無いクラシック音楽を、録音して聞けば、そりゃあアレコレ違うよって話です。

 「だからどうした!」と言われれば「いや、別に」としか答えられない私ですが、でも録音された音楽って、そんなもんだなって思っている私なのです。つまり、録音された音楽ってのは、薄利多売向けの廉価版の音楽…なんだなあって思っている私なわけなんです。

 そんな薄利多売向けの廉価版演奏であっても、楽しめないわけじゃありません。音楽作品の良さが分からないわけじゃないし、演奏家の素晴らしさが分からないわけじゃありません。でも、音の美しさは…分からないよね。どれだけ素晴らしい録音技術で収録しても、生演奏にはかないません。演奏された音には、録音できない音や再生できない音、収録できない空気の振動というのが含まれており、それがまたその音の美しさを際立たせていたりします。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです。そういう事です。

 そう考えると、やはりクラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだなって思います。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月29日 (木)

独学(含む通信教育)の悪い点について

 前回、独学の良さについて記事を書きましたが、今回は悪い点について書いてみたいと思います。光があれば陰があり、長所があれば短所があるのが、世の常でしょ?

 さて、独学の一番悪い点と言えば…自分を追い込む事ができないって事でしょうか? 誰しも、自分には甘いものです。あとちょっと頑張れば世界が変わるのに、その手前で休んじゃったり、課題曲がなかなか仕上がらなかったり、まだちゃんとできないのにOKにして次の曲に進んでしまったり…とかね。独学だと、そういう事をやりがちです。

 そんな事をやっていると、上達は亀の歩みのようですよね。さらに、壁にぶち当たると、壁の乗り越え方が分からないという事もあるけれど、壁の手前で成長が止まってしまう事もしばしばあります。芸がなかなか自分のモノにならないんですね。

 で、つい辞めてしまったりね。そう、独学だと辞めるのが簡単なんですよ。独学は始める時のハードルが低いのが長所でしたが、同時に辞める時のハードルだって低いんです。しかも、始める時に周囲に内緒で始めちゃったような人は、辞める時だって周囲には内緒で辞めちゃうので、最初っから学ばなかったも同然なのです。

 だって、辞めるって…恥ずかしいものね。挫折した自分を他人に知られたくないよね。先生についていたら、多少挫折しようがなんだろうが、そんなに簡単に辞められません。だいたい先生に「辞めます」って言うの、勇気いるものね。先生だって必死に止めるし…。そこへいくと、独学なら簡単に辞められますもの。

 で、独学って指導者無しなわけだけれど、指導者がいない事で困る事もいくつかあります。

 例えば、間違っていても、その間違いに気づかないままだった…なんて事は、独学ではありがちです。また、ちょっとしたコツが分からないために、本来なら簡単に習得できる事が、遠回りの苦戦をしてしまうなんて事もあります。また、正しい順序で学べば容易に習得できる事が、学ぶ順番を間違えてしまって苦戦するとか…独学あるあるです。

 また、独学は教則本等を利用して自分で学んでいくわけですが、教則本って、実はそんなに細かくはないんですよね。ちょっとしたコツとかは書いていないものなのです。そういうちょっとしたコツは、先生から直接教えてもらうくらいしかないわけです。

 あと、独学は(当然ですが)人間関係が広がりません。教室に通って先生の元で学べば、先生との関係ができます。発表会などに参加すれば、同門の先輩後輩とのつながりが生まれます。それらの人を介して、同じ趣味の友達ができたりもします。とにかく、人間関係が広がり、世界が拡大していきます。

 独学には、それがありません。まあ、今はネットの時代ですから、ネットの友達は独学でもできるかもしれませんが、リアルな友人を作るのはなかなか難しいと思います。

 まあ、そこらが独学の限界って言えば、限界なのかもしれません。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月28日 (水)

独学(含む通信教育)の良い点について

 何かを学ぶ時に、その学び方には色々とあります。私は自分の性格も考えて、現在は声楽もフルートも先生について直接教えていただいております。でもそんな私も、若い頃は結構あれこれ独学で学んたものです。たとえば、音楽関係ならギター演奏がそうだし、ちょっとした作曲や編曲も独学で学びました。パソコン関係はほぼ独学です。パソコンの操作やパソコンの組み立て、各種ソフトの使用法など、だいたい独学です。中には仕事で活用しているモノもありますが、それらも独学で身につけました。よく頑張ったものです。

 独学…ここでは書籍などがら自学自習するだけでなく、通信教育などの、生身の先生に直接教わらないモノも含めて、すべて独学扱いにしていきます…には、学習としてなかなか良い側面があります。

 まず、自分のペースで学べる…と言うスタイルは、忙しい社会人にピッタリです。先生に習っていると、仕事の都合でレッスンを休むことも避けられませんが、独学ならその手のプレッシャーは全くありません。また、通わなくてもよいので、お教室への行き帰りの時間を有効に使えます。

 しかし独学の一番のメリットは、何と言っても“身近に先生がいなくて学べる”って事でしょうね。都会なら、どんな分野であっても、先生は探せば見つかるものです。しかし地方だと、なかなか先生は見つかりません。ほんと、地方では先生探しに苦労するわけです。しかし、独学なら、そんな先生不足にも決して負けません。

 また、日本人は基本的にシャイです。習い事をしています…となかなかおおっぴらに出来ない人もいたりするでしょう。こんな恥知らずの塊と思われる私ですら、職場とか親戚内では尋ねられない限り、自分が歌を歌ったりフルートを吹いていたりする事を言うことは無いです。なにしろ私だってシャイな日本人ですからね。隠しているつもりはないし、黙っている理由だって特にありませんが、なんとなく言えないものです。

 先生について学んでいても、そんな感じです。

 それに趣味なんて遊んでいるようなもの(ってか、ずばり遊んでいるわけですが)、遊びに対して、日本人って何やら後ろめたい感情を持ってしまう人もいないわけではありません。また単純に、下手な状態では恥ずかしいので、上達するまでは他人に知られたくないと思うプライドの高い人だっているわけです。

 独学で学ぶのなら、それらの秘密を秘密のままにしておきやすいです。

 あと、ケチくさい話ですが、独学はコストパフォーマンスが高いです。教材費がかかるのは仕方ないにせよ、先生への謝礼は不要だし、交通費もかかりません。これってメリット大きいよね。

 そう考えると、独学もなかなか良いモノです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月22日 (木)

最初の先生選びは大切なんだけれど…

 別に音楽に限らないのだけれど、最初に師事する先生の選択って、とても大切だと思います。だって、最初の先生からは、基礎の基礎を習うわけだし、その後に続く音楽人生の根本的な事を学ぶわけです。ここで間違った事を教わったり、方向違いの事を学んでは、無駄足どころか、才能や興味ややる気を潰されかねません。そういう意味でも、最初の先生選びって、とても大切だと思います。

 でも現実は、先生を選べるほど贅沢な環境にいる人って…そんなにいませんよね。大都会とか、高級住宅地周辺部なら音楽関係の先生もゴッチャリいるでしょう。あるいは、子どものピアノ教室ぐらいなら、かなりの地方にでも行かない限り、ご町内に数名程度はいるでしょう。また、ちょっとした繁華街がある町なら、大手楽器店主催の音楽教室だってありますから、選択肢に限りはあると言えども、なんとか先生を選ぶ事ができるでしょう。

 問題は、地方都市とか、もっと地方都市とか、もっともっと地方都市に住んでいたり、あるいは声楽を含んだマイナー楽器(フルートなんぞはここに入るでしょう)を習いたいと思った時です。特に現役世代の男性だと、時間もままならぬ事が多いので、更に輪をかけて、先生を見つけにくいという現実があります。

 いや、それ以前に、先生そのものが選ぶどころでなく、ご近所には一人もいなかったりする事だってあります。そうなると、思いっきり遠距離の先生に師事せざるをえないわけで、実際、私の知り合いでも、電車に片道1時間乗ってフルートを習いに行っている方がいたり、新幹線に乗って声楽の先生のところに通っている方もいらっしゃいます。その姿勢には頭が下がります。

 レッスン代よりも交通費の方にお金がかかるといったケースだって、稀ではないと思うのです。

 音楽の先生を見つけるのって、特に最初の先生を見つけるって、こちらにツテがない事もあるけれど、本当に難しいです。とても選ぶどころの話ではありません。

 それにだいたい、音楽関係の先生たちって、看板を出さず、電話帳にも乗せず、ネットにすら情報を出さずに営業している人もたくさんいるわけじゃないですか? その世界に数年いれば、そういう先生たちの存在も知り、連絡を取ることも可能だけれど、全くの初心者の頃は、連絡すら取れないわけで、本当に先生探しに苦労します。

 そうやって、見つけ出した先生が、良い先生ならば、その人は恵まれた人であると言えます。最初の先生が、たいした人でなかったり、自分の学習目標とは合わなかったり、人間的に合わなかったりしたら、ダメダメですもの。

 せめて、町の音楽の先生が免許制で、どの先生も最低限の演奏能力と教授能力を有している事が保証されていれば良いのですが、現実はそうではなく、演奏はできても、他人に教える事ができない人だったり、演奏能力そのものに問題があったり…なんて人も、町の音楽の先生をやっていたりするんだから、困ったものです。

 よく「音楽を学ぼうと思ったら、複数の先生に師事することが大切だよ」と言われます。これは同時に複数の先生から学ぶ…と言うのではなく、一人の先生にある程度習ったら、ドンドン積極的に先生を変えていく事が大切だという意味です。

 先生にも得手不得手があるわけだから、その先生の良い部分を学んだら、次の先生に足りない部分を補ってもらう…という事もありますが、先生を変える事を前提に考えれば、最初にハズレの先生に付いたとしても、次の先生で挽回してもらうという事も可能になります。そういう意味で、先生を変えていくのは大切ですし、いずれ先生を変えていく…という前提があれば、最初の先生選びも、それほど深刻になる必要がなくなるかもしれません。「この先生、合わないかも…」と思ったら、次の先生に移動すればいいわけです。

 でも私達は人間だもの、情がわくんだよね。ダメな先生かも…と思っていても、なかなか縁を切れないのが、普通に人の感覚ですから、そんなに簡単に先生を変えられないのも現実だったりします。

 ああ、やっぱり最初の先生選びって難しいなあ。

 私個人の話をすると…最初の声楽T先生は、はっきり言って失敗だったなあ。指導力があまりなくて、教えることもありきたりで、おまけに人間的に相性が良くなかったと思います。あれこれあって放逐されて、その後20年近く音楽から遠ざかってしまったのも、その先生のおかげですから(汗)。

 二番目のキング先生は、音楽の楽しさを教えてくれた先生で、よく遊んでくれました。その点については感謝しています。でも教える方はカラッキシで、ちゃんとした歌い方を教えてもらった覚えはなく、声楽テクニック否定派の先生で、テノールの声帯を持っている私を伸ばす事ができず、偽バリトンにしようとしていたくらいの人です。もう少し長く習っていたら、ノドを潰していた事でしょう。危ない所でした。

 三番目のY先生は、キング先生とは真逆で、あまり遊んでくれません。その代わり、みっちり教えくださる方で、声楽テクニック皆無だった私に、筋道立てて、声楽テクニックとその論理を教えてくださってます。おかげさまで、この先生について、私は始めて歌が上達している事を実感しています。

 フルートの最初の先生は、ジャズの笛先生で、この先生には、本当によくしてもらいました。基礎をきちんと教えていただきましたし、音楽は生き物である事を教えてもらいました。一方、私が未熟だったこともあるけれど、大雑把に仕上がっていれば良しとしてくださっていたので、私のフルートには緻密さが欠落していたわけです。

 今のH先生には、音楽演奏における緻密さを仕込まれている最中です。また、演奏以外にも多くのことを教えて下さいます。そういう意味では、いかにも先生先生した先生です。音大教授の前歴もあるため、お弟子さんも星の数ほどいるわけで、いかにも教え慣れている先生で、フルートを習っていても、なんか安心して学べる、安定さを感じています。ただ、最近、引退を考えているような事をおっしゃってますので、いつまでH先生に習い続けられるか、ちょっと心配だったりします。

 ヴァイオリンは、一人の先生にしか習えませんでしたが、これは私のわがまま(さすがに声楽とフルートとヴァイオリンの3つを習い続けるのは、時間的に無理でした)で辞めてしまったので、今でも申し訳無さを感じています。教え方も型どおりではなく、私の必要と実力を見極めて教えてくださっていたので、この先生にある程度習えていたら、私のヴァイオリンももいっぱしになっていたかもしれません。そういう意味ではとても残念だったりします。

 ひとまず私の場合、今習っている、声楽の先生もフルートの先生も、良い人で良かったですし、お二人に習っていて、私が上達している事を私自身が実感できている事が何よりです。

 楽しく遊んでくれるのも嬉しいのですが、やはり上達しなきゃ、何のために謝礼をお支払して学んでいるのか、分かりませんからね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年6月21日 (水)

なぜ、優勝と聴衆賞は異なるのか?

 音楽コンクールの話です。

 これから夏本番を迎えると、各地で様々な音楽コンクールが開催されます。

 音楽コンクールにも色々なレベルのものがあり、その審査対象となる音楽家にもいろいろなタイプがあり、コンテスト参加者はそれぞれに真剣で、その姿勢に関して、私は到底チャチャを入れる気持ちにはなりません。熱心さは、誰であれ、見ていて胸熱となるのです。

 で、そんな胸熱となるコンクールが大小様々開催され、そのうちのわずかなモノぐらいしか私は見るチャンスがないのですが、音楽コンクールを見させてもらって、いつも不思議に思うことがあります。

 それは『なぜ、優勝と聴衆賞は異なるのか?』って事です。

 コンクールである以上、参加者たちには順位が付けられます。その是非についても語りたいことはありますが、今回はそれはパス。それについては、いずれまた稿を改めて書くかもしれません。とにかく、コンクールですから、順位が付けられ、1位、2位、3位とか、優勝、準優勝とか、金賞、銀賞、銅賞とか、呼び方は色々あっても、順位が付けられ、格付けがされる事には違いありません。

 この順位を付ける人は、審査員と呼ばれる人で、大抵のコンクールでは、その道のプロの方々が審査員をやります。高名な演奏家たちが審査員を務める場合もあれば、(学校主催のコンクールだと)教授や先生と呼ばれる人たちが審査員を務める場合もあります。

 一方、大抵のコンクールでは、聴衆賞とかオーディエンス賞とか観客賞とか呼んで、そのコンクール本番にやってきた観客たちに「本日,一番良かった演奏者は誰ですか?」などと言った内容のアンケートを取り、それらを集計して、いわゆる聴衆賞を決めます。

 で、たいていのコンクールで、優勝者と、聴衆賞を受賞した音楽家が一致しないんですよね。まず一致しません。まあ、まれに優勝者と聴衆賞を同時に受賞する音楽家もいますが、そんな事はよっぽどの事がない限り、まあまあ、無いです。皆無です。面白いぐらいにダブりません。

 なんででしょうか?

 音楽コンクールには「優勝者は聴衆賞の対象から外す」という取り決めでもあるのでしょうか? それならば私にも理解できますが…そんな取り決めって、有るのかな? もしもそうならば、観客が人気投票をする用紙に一言「聴衆賞は優勝者以外から選ばれます」とかの文言が必要だと思うし、その文言がない以上、それは考えづらいです。

 となると、考えられる事は一つ。プロの目線で素晴らしいと思った音楽家と、観客目線で素晴らしいと思った音楽家は、異なる…って事です。

 プロの目線は(私はプロの音楽家ではないので、あくまでも推測ですが)、演奏の巧拙とか、表現力の豊かさとか、その演奏者の将来性(年齢とか美醜とか師匠筋とか…)とか、そう言ったモノで順位を付けているんじゃないかしら? いわば、その音楽家がコンクール当日までに積み上げてきたものを評価しているわけです。

 一方、聴衆賞は、その日、一番観客を喜ばせてくれた音楽家が獲得します。その音楽家がどれほど巧みな技術を持っているかとか、素晴らしい師匠たちに学んできた事とか、そういったモノではなく、当日の演奏にどれだけ熱を込めることが出来たのかとか、美しい容姿や派手なファッションに加え、オーバーアクションによる演奏をしたとか、なにはともあれ、モノによっては、あざとい部分もあるかもしれないけれど、それでも観客の心をつかんで離さなかった人を観客は評価し“この人がこの日の一番!”って書いていくわけです。

 音楽家を学生であると考え、音楽コンクールが、学校の卒業試験のようなものなら、専門家の先生方による評価で十分であると考えます。しかし、音楽家をエンターテイナーと考え、音楽コンクールをエンタメ界へ送り出す新人発掘の場であると考えるなら、むしろ聴衆に支持された音楽家を高く評価するべきであり、聴衆賞ではなく、むしろそちらを優勝にするべきではないのかしら? なんて、思ったりもするわけです(ケホケホ)。

 違うかな?

 音楽家って、狭い狭い音楽家たちの互助会的な世界の中で生きていくのではなく、我々素人の耳目を大いに集めて、我々に一時の享楽を音楽によって与えるのが生業なんじゃないのかしら? 音楽家は、芸術家であると同時に芸能の人であり、エンターティナーなんじゃないかしら?

 だから私は、コンクール等で、優勝と聴衆賞を異なる音楽家が受賞する事に、強い違和感を感じるわけなのです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2017年3月22日 (水)

楽譜が読めない…?

 ネットを読んでいると「楽譜が読めない」という悩みをお持ちの方が大勢いらっしゃいます。まあ、私だって程度の差こそあれ、読める部類には入らないかな…?って思ってます。単旋律の簡単な楽譜を見て初見で歌うくらいはできますが(つまり、声楽やフルートの譜なら、かろうじて読めるって程度ね)、それだってちょっと込み入ってくると初見では厳しいし、楽器やメトロノームの助けが必要になってくる事もあります。また、ピアノやオルガンのような二段譜とか、合唱とか弦楽四重奏とかオーケストラなどの多段譜は全く手が出ません。だいたいヘ音記号なんて全然読めないし…。

 で、それで困っているかと言えば、特に今のところ困っていません。だから、とりあえず、今の程度楽譜が読めれば、まあいいかと思ってます。

 要するに、私の場合、その程度、楽譜が読めれば困らないし、逆に言えば、その程度の楽譜が読めないと困るのです。困るので、そこまでの読譜力が身についた…とも言えます。

 なので、楽譜が読めないとお悩みの方は、今、楽譜が読めない事で何が困っているのかを考えてみる必要があります。

 と言うのも、音楽の種類によっては、必ずしも楽譜が読めないとダメなんて事は無いからです。楽譜が読めないと困る音楽もあれば、楽譜不要の音楽だってあるわけで、自分がやっている音楽ばどちらなのか? また読めなきゃいけないにしても、全員オーケストラ譜が読める必要は無いのですから、どんな楽譜をどの程度まで読めなきゃいけないのか、そこの見極めが肝心です。

 ざっくり言っちゃえば、楽譜が読めないと困るのは、クラシック系の器楽曲と、学校の音楽の授業ぐらいでしょ? クラシック音楽でも歌系だと(プロでも)口移しで勉強している人は(特に海外だと)たくさんいるようです。国内国外問わず、アマチュアだと、相当多数の人は音楽を耳で覚えるんじゃないかしら。ならば、楽譜はそんなに読めなくても困りません。ポピュラー音楽の人は、原則、楽譜は使わないので、読める必要はありません(読めないよりは読めた方が便利とは言えます)。

 何はともあれ、読めなければいけない楽譜は読めるようにしましょう。でも、読めなくても良い難しい楽譜を読めるようなるために時間をかけて勉強する必要があるなら、人生は有限なのだから、その分の時間を別の事に使う方が良い…と私は考えます。

 できなきゃいけない事をきちんとできるようにする。楽譜を読むことだって同様です。必要ならば、きちんと勉強して楽譜を読めるようにする。読めなくても困らないなら、別に焦る必要はありません。それでいいじゃん。

 実際、ポピュラー音楽だと、一流のプロでも楽譜が読めない人ってたくさんいます。だって、読める必要がないもの。

 有名な話ですが、ビートルズの元メンバーであるポール・マッカートニーは、楽譜の読み書きが出来ないので、オーケストラから依頼があって、オラトリオを作曲した時に、彼は音楽を作る事はできるけれど、それをオーケストラの人たちが演奏できるような楽譜に書くことは出来ませんでした。なぜなら、彼は作曲した曲を、クチ三味線でメンバーに伝えてバンドサウンドを作っていたからです(ポピュラー音楽ではごく普通の事です)。

 ですから、ポールが作った音楽をオーケストラの人に分かるように楽譜に書き起こす必要がありました。そこでポールは、自分の音楽を楽譜に書く係として、クラシック系の作曲家であるカール・デイヴィスにお願いして作業を始めたら、完成した時には、いつのまにか共作者になっていたんだそうです。ポール曰く「彼は私の音楽を書き留めただけ」なのに、共作者として分前の半分を持っていってしまったわけで「ビジネストラブルが生じた」んだそうです。

 それに懲りたポールが、次作以降のクラシック作品の作曲では、他人と一緒に仕事をしない事にしたんだそうです。じゃあ、ポールは楽譜の読み書きを勉強したのかと言えば、答えはNOで、彼はその後は、ピアノとコンピューターを繋いで、彼がピアノで弾いたフレーズをコンピューターが楽譜に起こして、出来上がった楽譜を、コンピューターが音にしたものを聞いて修正するという手法でクラシック系の曲を作曲するようにしたのだそうです。そんなやり方で、ポール・マッカートニーは、数曲のクラシック系のピアノ曲やオーケストラ曲を作曲しているわけです。

 今では、クラシック系の音楽も普通に作曲しちゃうポール・マッカートニーだけれど、彼はいまだに楽譜の読み書きはできないんだそうです。だって、出来る必要がないんだからね。

 彼のような例もあるわけだから、必要最低限の楽譜が読めることは必要だろうけれど、それ以上は不要であると私は考えるわけです。

 実際、私が簡単な単旋律の楽譜が読めるようになったのは、必要にかられてです。

 歌しか歌っていなかった頃は、ほとんど楽譜は読めませんでした。だって、歌は耳コピーで勉強できるからね。きちんと楽譜が読めなくてもなんとかなりました。しかし、フルートは違います。フルートを耳コピーで演奏するのは、私には難しいです。やはり楽譜を頼りに演奏するしかないわけで、そうなってくると、必然的に楽譜が読めるようになってくるわけです。

 また、今やっているフルートのレッスンのうち、エルステユーブンゲンの学習は、このテキストを学ぶ事で自然と楽譜が読めるようになるので、それで私の読譜力が上がってきたというのもあります。

 なので、楽譜が読めないとお嘆きの方は、本当に楽譜が読めないと困るのか、もし困っているのなら、困っているのに読めないのはなぜか?…と考える必要があるわけです。

 実は楽譜が読めない事がコンプレックスであるけれど、でも読めない事で困っていないのなら…おそらく楽譜が読めるようにはならないと思います。楽譜が読めないと困る人…例えば、吹奏楽とかアマオケとかをやっている人は、すでに楽譜は読めるだろうから、楽譜が読めない事で悩む事なんて、ありえないと思うわけです。

 つまり楽譜が読めないと悩んでいる段階で…まあ、楽譜は読めないよりは読めた方が良いに決まってますが…楽譜が読めなくても、何とかなっているんだと思います。

 特に歌関係は、音源を聞いたり、音取りCDなどの世話になれば、楽譜はちゃんと読めなくても何とかなりますからね。何とかなっているなら、それでいいじゃんと私は考えます。また、ポピュラー音楽系の人は、基本(プロでも)耳コピーですから、楽譜が読めないと悩む時間があったら、耳コピーの精度を上げる方が大切だろうと大切だと思うわけです。

 結論 楽譜が読めないと悩むのはやめよう。読めないのは、読めなくても困っていないからです。もし本当に楽譜が読めないと困るのなら、とっくの昔に、楽譜は読めるようになっているはずだからです。

 でしょ?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2017年3月21日 (火)

私は『カラオケ★バトル』が大好き!

 最近、な~んとなくハマっているテレビ番組があります。それはテレビ東京系列で放送されている『カラオケ★バトル』でございます。もっとも“ハマっている”と言っても、レギュラー放送を毎週おっかける程のファンではなく、たまに放送されるスペシャルだけを見ているという、なんとも中途半端なファンでございました。

 …と言うのも、私が好きなのは、いわゆる色々なジャンルのプロの方々がカラオケという同じ土俵同じルールで競い合うのが好きなのであって、別に子どもののど自慢やカラオケ自慢のアマチュアの歌は、どちらかと言うと苦手だからです。まあ、偏見なんだけれどね。

 同じ歌と言っても、クラシック声楽やポピュラーソング、ジャズや民謡や演歌じゃあ、それぞれ発声方法も違えば、歌のテクニックも違うわけです。本来は同じ土俵に上げちゃいけないくらいに違う歌なんだけれど、それらを無理やり同じ土俵に乗せて、統一したルールで格付けしちゃうわけだから、これが面白くないわけないです。

 いわば、格闘技で言えば、何でもありの総合格闘技みたいなものだからね。これが面白くないわけないんです。元関取対キックボクサーとか、空手家対プロレスラーとかね。ほら、ワクワクするでしょ?

 だから私は上手なプロたちが競う『カラオケ★バトル』が好きなのであって、子どもやアマチュアの歌を好まないのは、彼らはいわば“カラオケ”という同じ競技の中で戦っているからです。彼らの歌にはバックボーンの違いもなければ、テクニックのバリエーションも無いからね。ただただ、カラオケの上手さを競っているだけでしょ? それは私の好みとは違うのです。

 で、ジャンルの違う、本来ならば交わるはずのないプロ歌手たちを判定する統一ルールってのが、カラオケの精密判定ってヤツです。つまり、機械判定ね。人間の好みや感情やしがらみなどが一切加わらない、極めてフェアな判定方法です。だからこそ、ジャンルの違う歌手たちの判定ができるわけです。

 この機械による判定って、フェアと言えばフェアだし、極めて公平なんだろうけれど、聞いていて、かなり不満が生じるのも事実です。と言うのも、人間が判定していたら、低評価になってしまうだろう歌が高評価となり、逆に人間が聞いていたら、つい高い点を付けてしまいそうな歌に低評価(と言っても、番組に出てくる人たちは皆、超人的な高得点を取るので、その中での低評価であって、世間的には十分高評価なんだけれど…ね)を平気で付けてしまう事が解せないと同時に「機械で判定すると、こうなるんだなあ」と妙な納得をしてしまうわけです。

 機械は、音程とかリズムなどの正しさとか、適度の抑揚や歌唱テクニックの有無などをうまく聞き分けて採点しているようです。まあ、測定して数値化できるモノを採点しているわけです。でも、歌の要素には測定できない要素も結構あって、そういう要素はカラオケの精密判定からは除外されてしまうのですね。

 それは声の美しさであったり、滑舌の良さであって、エモーショナルな歌い方であったりする部分です。これらの要素は、人間が歌の上手さを判定する際には、かなり重要視される部分だけれど、機械で測定できない要素ですから、カラオケ★バトルでは、すっぽり抜け落ちてしまっていると思います。

 だから、聞いていて聞き苦しい声であっても高評価だし、感情のあまり入らない棒歌いであっても高評価を受けるわけです。そこらヘンは機械判定の限界かなって思います。でもまあ、すべてのジャンルの歌に通用する万全なルールなんて有り得ないのだから、今のカラオケの精密判定で、とりあえずは十分ではないかとも思っています。

 後、テレ東のマイクのシステムが、あまりに放送局ぽくって残念だなあと感じる時があります。特に、クラシック系の歌手の歌声がほとんど拾えていないのが残念。過入力で声が歪んでつまらない音色になっていたり、声の中に含まれている高い倍音(いわゆる、シンギング・フォルマントってヤツね)がほとんど拾えていなかったり、スタジオで生で聞いたら素晴らしいだろうと思われる歌声が、テレビだとやせ細った声でしか聞けないのは、放送だからだろうけれど、せっかくのハイビジョンなんだし、音声だって、もう少し高品位なモノで放送してくれたら感謝だよね。まあ、カラオケ★バトルはバラエティ番組だからね。マジな音楽番組、とりわけクラシック音楽番組レベルのものを要求してはいけないのだけれど、でも何とかならないからなあ…とは思うわけで、ちょっぴり残念です。

 でも、この番組、大好きですよ。ほんと、面白いです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん