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2019年8月11日 (日)

私の好きな懐かしのスターたち その4 カーペンターズ

 私はカーペンターズのほぼリアルタイムのファンです。とは言え、その全盛期ではなく、ちょっと盛りを過ぎたあたりでファンになった“遅れてきたファン”という立場です。初めてリアルタイムで購入したアルバムが「パッセージ」ですから、推して知るべしという感じです。

 私とカーペンターズの出会いは、私の友人が「もう聞かなくなったシングル盤があるから、それをあげるよ」と言って、幾つかもらったシングル盤の中にカーペンターズの「オンリー・イエスタデイ」「シング」「トップ・オブ・ザ・ワールド」があって、この3曲にぞっこんハマってしまった私は、その年の誕生日に母親にねだって、カーペンターズのベストアルバム(それも2枚組:笑)を購入してもらい、以来、しばらくの間、カーペンターズ漬けになっていたというのが、彼らの音楽との出会いなんです。

 カーペンターズの何が良いかと問われれば、まずはカレンの歌声です。深いアルトの声に魅せられました。当時の女性歌手は洋の東西を問わず、基本的にソプラノですから、アルトというだけで、強い個性であったわけです。

 そこに、分厚くて美しいハーモニーとみごとに調和の取れたバッキングが加わります。今まで聞いたことのないような丁寧で緻密な音楽に惹かれたのです。ひとつひとつの音が美しくて、その美しい音たちの積み重ねられた音楽は、決してパワフルとは言えなかったけれど、精密な感じがしました。

 彼らの売りは、カバー曲で、古今東西の有名曲を彼ら流にアレンジしなおして演奏するの魅力でした。で、多くの場合、オリジナル曲よりも魅力的に仕上げるのだから、もう無敵です。この手法は、ロックではなくジャズのやり方なんですよね。そういう意味では、いかにもアメリカンな音楽製作をしていたわけです。

 彼らのデビュー曲である「涙の乗車券」は、原曲はビートルズですが、それをカーペンターズは、ちっともビートルズっぽくなく、全く自分たちのオリジナルのように演奏してしまうのだから、そりゃあもう、素晴らしいのひとことです。

 こっちがビートルズの「涙の乗車券」

 で、こっちがカーペンターズの「涙の乗車券」

 ね、すごいよね。これ、デビューしたての19歳の歌声とは思えません。

 そんなカーペンターズですが、彼らの活動期間も、10年とちょっとでお終いです。メインヴォーカルのカレンが拒食症で死んでしまったのです。カレンがいないカーペンターズなんてありえませんからね。一時期、娘のミンディをメインヴォーカルにカーペンターズを再結成した兄リチャードでしたが、それも長続きはしませんでした。やっぱり、カーペンターズはカレンの歌声あってのモノなんでしょうね。

 

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2019年8月10日 (土)

私の好きな懐かしのスターたち その3 イエロー・マジック・オーケストラ

 今回取り上げるのは、今でも大物ミュージャンである、イエロー・マジック・オーケストラことYMOです。

 この人たちも、ジュリーやゴダイゴと時代的には丸かぶりなんですが、全然かぶっているというイメージがありません(笑)。やっぱり彼らとはジャンルが違うんですよね。

 YMOはアメリカからの逆輸入という形で日本の音楽ファンの間に浸透していったと思います。最初に日本中心で活動していた頃は、全然注目されず、彼らの音楽を聞く人は変わり者という扱いだったんですよ。

 それがアメリカで認められたというニュースが日本に伝わり、それじゃ聞いてみようってわけで、彼らの音楽を実際に聞いた音楽ファンたちが、みんな彼らに食いついていったという感じだったと思います。食わず嫌いは音楽でもダメなんですよね。

 実際、私も彼らの音楽を始めて聞いたのは、弟が友人から借りてきた、アメリカ盤の「ソリット・ステイト・サヴァイヴァー」でしたから、食わず嫌いをしていたクチなんです。このアメリカ盤は、日本盤の「ソリット・ステイト・サヴァイヴァー」と「増殖」を足した感じのアルバムで、ほぼほぼ当時のYMOのベスト盤的な感じでした。このアルバムからYMOに入れた私は、幸せだったのかもしれません。

 このアルバムには「ライディーン」「テクノポリス」「ビハインド・ザ・マスク」などの世界的な有名曲も入ってますが、私の心を真っ先に掴んだのが、日本盤のアルバムで言うなら「増殖」に入っている「ナイス・エイジ」でした。とにかくカッコいいんです。

 初期のYMOって、インストバンドのイメージが強いですし、実際、彼らも歌抜きの音楽で世界に勝負をかけていたそうですが、それでもたまにヴォーカル入りの曲もリリースしていました。私は…やっぱり歌が好きですから、インスト曲よりも、この手のヴォーカル曲に心惹かれちゃうんですね。

 YMOの音楽は、いわゆるテクノ・ポップというジャンルの音楽で、今ではごく普通の音楽なんですが、当時としてはとても新しい音楽でした。なにしろ、当時のポピュラー音楽はビートルズの影響下にあって、ロックが音楽の主役だったんです。つまり不良たちが汗をかきながら音楽をやっていた時代だったのです。そこへYMOが登場して、オタクが汗をかかずにコンピューターを操って、音楽をするようになったのです。つまり、音楽の担い手が、不良からオタクに変わったんですよ!

 で、そんなオタク音楽のYMOが、あっという間に音楽シーンを塗り替えてしまいました。今の音楽シーンは、大なり小なり、YMOの影響下にあると思います。そういう意味では、世界の音楽を変えてしまった偉大なグループでしたと言えるでしょうね。

 YMOの実質的な活動期間は、約7年です。これってビートルズの活動期間とほぼほぼ一緒なわけで、世界を変えてしまうようなバンドって、それくらいしか持たないって言えるのかもしれません。

蛇足 この「ナイス・エイジ」という曲は、当時、大麻不法所持の罪で逮捕されたポール・マッカートニーへのメッセージとして書かれた曲だという事です。まあ、ポールとYMOは共にクリス・トーマスというプロデューサーさんにお世話になっているわけで、この二組が知り合いでも何の不思議はないのだけれどね。

 

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2019年8月 9日 (金)

私の好きな懐かしのスターたち その2 ゴダイゴ

 そんな私がジュリーの次に心を掴まれたのは、ゴダイゴの音楽でした。

 ゴダイゴの音楽との出会いは、実は映画なんです。「キタキツネ物語」というサンリオ製作の映画はご存知でしょうか? 最初の上映は1978年ですが、のちの2013年にリメイクされたので、そちらでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。でも、私が見て感動したのは、オリジナルの1978年版なのです。

 実はこの映画を見たのは、本当に偶然で、当時まだ子どもだった私は、大人たちに連れられて、本当は手塚治虫の「火の鳥」を見に行ったはずだったのに、すでに「火の鳥」の上映は終了していたので、わざわざ都会(横浜の馬車道)まで来て、何も見ずに帰るのは癪だし、子ども連れだから動物ものでいいだろうというチョイスで「キタキツネ物語」を見た(見せられた)私だったのです。

 「キタキツネ物語」の音楽はゴダイゴの担当で、特に子どもたちの音楽はゴダイゴの歌と演奏だったのです。これがまた、カッコいいんだわ。なんか、音楽がカラっとしていて、それまでの日本の歌謡曲とは全然違うんです。いやあ、ビックリしたわ。

 この「キタキツネ物語」からほんの数ヶ月後に「ガンダーラ」がリリースされて、ゴダイゴは一躍時代の寵児になったわけです。その後の活躍については、皆さんもご存知の通りです。

 当時のゴダイゴって、ほぼほぼアイドルでしたね。昨日取り上げたジュリーとは時代的にかぶるんですが、全然ジャンルが違うので、時代的にかぶっているというイメージが全くありません。それに、ジュリーがヴィジュアル的にカッコいい存在なのに、ゴダイゴのヴィジュアルは全くダメ(それは今も同じ)なんですよね。でも、当時のゴダイゴはアイドルとして、すごいパワーがあって、ヒットチャートに同時に2曲3曲チャートインなんて、日常茶飯事だったんですよ。それくらいに売れていたんですね。

 当時の私はすっかりゴダイゴに夢中で、アルバムを買って、毎日毎日聞いていました。まだ幼かった事もあり、彼らの歌詞(ほぼほぼ英語でした)は丸暗記しちゃってました。私の英語脳のかなりの部分は、ゴダイゴで出来上がっています(笑)。

 そんな彼らの代表曲と言えば、普通は「ガンダーラ」「銀河鉄道999」「モンキーマジック」などを取り上げるべきでしょうが、今回私がご紹介したいのは、隠れた名曲である「Try to wake up to a morning」です。

 この曲は、当時のゴダイゴとしては珍しく、Top10入りしなかった(とは言え15位だったそうです)シングル曲「はるかな旅へ」のB面曲なんです。でも、すごく良い曲です。そもそも1979年の24時間テレビのテーマソングとして作られた曲なんです。ま、悪いはずはないよね。ちなみにA面曲の「はるかな旅へ」も私、大好きです。このシングルは三ヶ月連続リリースの真ん中に発売されたシングルで、こいつの前が「ビューティフルネーム」で、後が「銀河鉄道999」なんですね。超有名曲にはさまれてのリリースだったし、これら2曲はシングルのみ発売の曲でしたが「はるかな旅へ」も「Try to wake up to a morning」も、当時の最新アルバム「Our Decade」の収録曲でした。当時のファンはみんなアルバムを購入していたという事もあって、このシングルは絶望的に売れなかったんだと思います。

 しかし、この音源、昔のテレビの録画らしく、ゴーストが激しくて何ともブレブレな画像です。今はデジタル放送なので、ゴーストなんて皆無だけれど、昔はちょっと田舎の山間部に行くと、テレビの画面なんて電波があっちこっちで反射しまくって、こんな感じのゴーストだらけになっちゃっていたんだよね。ああ、この感じが懐かしいです。

 さてさて、ゴダイゴは今でも大好きで、たまにコンサートに出かけますよ。今じゃメンバーもすっかり年をとってしまい、ほぼほぼオジイチャンになっていますが、元々ヴィジュアルが売りではないので、年をとってお爺ちゃんバンドになっても全然問題ありません(笑)。

 

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2019年8月 8日 (木)

私の好きな懐かしのスターたち その1 沢田研二

 さて、例年よりも少し早めですが、毎年恒例の“夏の連載”を開始します。今年の夏の連載は「私の好きな懐かしのスターたち」です。私の音楽的基盤を作ってくれたミュージシャンたちを取り上げて語ってみたいと思います。ちなみに、連載期間中でも、ワタシ的な時事ネタの記事は途中途中で放り込むので、よろしくお願いします。

 で、最初に取り上げるのが、沢田研二ことジュリーです。

 ジュリーも今じゃすっかり反日左翼系芸能人になってしまいました(この世代の文化人は、進駐軍のWGIPの影響下にあるので仕方ないのです)が、若い頃のジュリーは、今とは全然違い、突き抜けたアイドルであって、実にノンポリな存在でした。

 ジュリーの全盛期(ってか人気の頂点は)は、グループサウンズの時代、つまりタイガースのヴォーカル時代だと思うのですが、残念ながら、私はその頃をリアルには知りません。私がジュリーを知ったのは、タイガース解散後、ソロ歌手として活躍し始めた時代です。

 ソロ歌手としてのジュリーの全盛期は「勝手にしやがれ」から「TOKIO」までの、1977~1980年だと思うし、もちろん私もこの時代のジュリーは大好きですし「サムライ」なんて、私のカラオケの十八番だったりもします。

 でも、私が本当に大好きなジュリーは、この頃の派手派手なジュリーではなく、なんとも色っぽくて悪いオトナっぽかった、ソロとして独立したばかりの頃なんですね。曲で言うと「危険なふたり」から「時の過ぎゆくままに」の頃のジュリーが大好きでした。

 とにかく、この頃のジュリーは、歌もヴィジュアルもかっこよかったんですよ。

 これは「時の過ぎゆくままに」です。ほんと、かっこよいんですね。昔のアイドル歌手って、今とは違って、これくらい普通に歌えたんですね。ああ、かっこいいかっこいい。
 とにかく、当時の私は子どもでしたから、普段から聞く音楽は、当時のアニソンとかCMソングばかりでした。そんな子どもがジュリーの歌声に、心を鷲掴みにされ、オッサンになった今でも、まだ(昔の)ジュリーが大好きだったりするんです。

 ほぼ、私の音楽の原点になっているのがジュリーの音楽なんだと思います。

 

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2019年7月24日 (水)

どこからでも行けます!

 別にフルートに限った話ではないですが、私個人的にはフルートの話になります。

 練習が不足している…とよく言いますし、実際、私もブログで書きます。

 この“練習が不足している”状態とは、別に完璧に演奏できるようになっている事を指しているわけではありません。完璧に演奏できるようになったなら、練習が足りているどころか、違う練習をするべきであって、量の問題ではなく質の問題になるからです。

 “練習が不足している”とは、あくまでも練習の量の問題であって「もっとたくさん練習していれば、当然クリアしているはずの問題がクリアしていないのは、単純に練習の量が不足しているからだ…」と自覚しているって話なんだろうと思います。

 練習不足の解決方法は、練習をするだけの話です。量の話ですから、量を満たせば良いだけの話です。

 とは言え、練習量ってのは目で見えるものではありませんから、何を以て、不足しているのか、十分なのか、余っているのか、分かりません。困ったものです。

 H先生がおっしゃるには「練習をきちんとやっていれば自然と暗譜できる」んだそうです。つまり、暗譜するほど練習しないと、練習した事にはならないし、練習不足だ…という事なのでしょう。頭が上がりません。だって私、今までフルート曲で、一曲たりとも、きちんと暗譜できた事、ないんですもの。今のエルステユーブンゲンなんて、完璧に暗譜課題なのに、ちっとも暗譜できないので、前に進まないくらいだもの。そのラインで言えば、私の練習不足は明々白々なのでした。

 別の方がおっしゃるには、暗譜まではともかく…楽譜を見ながらなら、任意の場所からいつでも演奏ができる…くらいまで練習しないと、練習不足なのだそうです。具体的に言えば、フレーズの切れ目はもちろん、たとえフレーズの途中からであっても、指定された箇所から、すぐに演奏が始められるほどに吹き込んで、始めて練習十分と言えるって話です。この感覚なら、分からないでもないです。でも、フレーズの途中から演奏を始めるのって、楽譜がきちんと読めなかった頃は出来なかったなあ。今は、それなりに楽譜も読めるようになったので、まあなんとか対応しちゃうけど…。って考えると、これは練習量の多寡ではなく、読譜力の問題かなって気もしないではないです。

 もっと近視眼的な感覚で言えば、その日の目的が達成されれば、その日の練習は十分だ…と言えなくないです。例えば、今日は、曲の出だしの4小節をばっちり吹けるようになればいいや…と考えて練習始めて、その練習の終わりには、その4小節がばっちり吹けていれば…もちろん合格です。これは悪い感覚ではないと思います。ただ(私だけでしょうか?)練習開始時に、本日の目標みたいなモノを決めないよね。ただ、漫然と練習を始めて、ある程度時間が過ぎたから、本日の練習終了みたいな感じになっている…から、全然進歩しないわけだ。ああ、そうだったのか。

 何をどう言ってみたところで、私の練習不足は逃げることのできない現実です。いや、自分の気持ち的には、決して練習をしていないわけではないのですが、結果として、私程度の練習量では、全然成果につながらないわけで、それをもって“練習量が足りない”と言い訳してしまうのでした。

 ああ、色々残念だなあ。

蛇足  じゃあ声楽は練習十分なのかと言えば、やっぱり練習不足です。ただ、声楽は楽器を持たなくても練習できるので、フルートほど極端な練習不足にはなりません。例えば、道を歩きながら、鼻歌交じりに歌ってみたって、風呂に入りながらの鼻歌だって、目的さえ履き違えなければ、これはこれで立派な練習になるけれど、フルートではそんなにお手軽にはいかないものね。

 

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2019年7月17日 (水)

耳を大切にしたい

 現在、某ガッコの吹奏楽部の顧問ってヤツをやってます。これで三度目だよ(爆)。前回の顧問から4~5年ぶりなので、あれこれ新鮮なのはいいのですが、感じる事は「老いたなあ…」って事です。

 たまに連中の練習に付き合うのですが、練習の最中から練習後しばらくは、耳がボーっと鳴っていて、その後、明らかに難聴になっています。老人性難聴がそもそも始まっているだろう上に、物理的に耳が痛くなったりもします。大きな音に耳のハードウェアが耐えられなくなってきているようで、連中の練習に付き合うのも、カラダに負担がかかるようになりました。

 冷静に考えてみても、吹奏楽の演奏音って、爆音だよね。どれくらい爆音かと言えば、普段は補聴器をして生活をしている難聴の方で吹奏楽をやっている人が私の知り合いにいるくらいですから、吹奏楽って(程度にもよるけれど)難聴者でもできる音楽ってわけです。ちなみに、ロックバンドをやっている知り合いもいますよ、ロックも爆音だからね…。

 もっとも、彼らは音楽の練習中は、補聴器をしているのかな? それとも練習中は補聴器を外すのかな?(今度会ったら、尋ねてみようっと)

 閑話休題。演奏している人はもちろん、指揮者とか指導者とか、耳は大丈夫なのかしら? 日常的に爆音に接していると、耳って早くダメになるのは事実なんだけれど、何か耳を守る手段とか習慣とかあるのかしら?

 私の場合は、顧問であってコーチではないので、練習には毎日付き合うわけではないし、付き合うにしても短時間なので、その時間だけ我慢すればいいと言えば、そうなんだけれど、日常的に吹奏楽と付き合う人はどうしているのでしょうね?

 慣れれば平気? まさか…ね? 学生時代しか吹奏楽をやらない(つまり人生の短い期間だけしか吹奏楽をやらないから)別に気にする必要はない…と言うのかな? まあ、生徒はそうであっても、指導者は長期間指導するのが普通だから、やはり耳を守るなんらかの対策をしていてもいいよね。

 市民吹奏楽団など、大人の団体さんは、それなりに長い期間吹奏楽をやるわけで、耳の保護とか、どうしているんでしょうね?

 この記事は愚痴と言うよりも、みなさんどうしているの? 私はちょびっと困ってますって話なのですよん。

 

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2019年7月13日 (土)

JASRACは隠密を雇っていたようだ…

 話題的にちょっと古くなるのですが(やっぱりアレコレ考えちゃうよね)やはり書くことにします。

 実はJASRACとヤマハは現在、著作権法関連で法廷対決をしています。

 現行の著作権法では、音楽を演奏してお客さんに聞かせる権利を「演奏権」とし、これは作詞家&作曲家の権利であると定めています。なので、演奏家が音楽を演奏した際に、定められた著作権料を作詞家&作曲家に支払わなければなりません。

 コンサートとかリサイタルとかライブとかなら、当然の話です。

 で、多くの作詞家&作曲家から著作権料の徴収を代行しているJASRACが、これをコンサートやリサイタルやライブばかりでなく、ヤマハを始めとする音楽教室でのレッスンでの模範演奏からも著作権料を徴収すると決め、それを音楽教室に求めているのに対して、ヤマハ等は、音楽教室でのレッスンでの模範演奏は、コンサートとかリサイタルとかライブとは別モノであって、その演奏から著作権料を求めるのはオカシイので支払うつもりはない…と言っている次第なのです。

 で、現在の争点は、演奏活動であるならば、そこにはお客さんがいるはずなので、レッスンを受けている生徒さんは、演奏を聞きに来ているお客さんなのか、そうではないのか…という点になっているのだそうです。これを難しく言うと、生徒への模範演奏は「公衆への演奏」に当たるのか否かという話です。

 JASRACが言うには、そこで音楽が演奏され、それを聞く人がいるんだから、そこに「公衆への演奏」が成り立つというわけだし、ヤマハ側は「教室での演奏は、音楽を聞かせる事が目的ではないので、そこに「公衆への演奏」は成り立たないので、著作権料の支払い義務は生じない」というわけです。で、裁判沙汰になっているわけです。

 そういう状況下において、JASRACが自社の職員をヤマハ銀座店の音楽教室に潜入させて、あれこれ情報を入手した上で、その職員が近々行われる裁判に証人として出廷する予定がある…って話なのです。どう思いますか? ちなみに報道された記事はこちらです。つまり、JASRACが裁判を自分たちに有利に進めるために、ヤマハに対して隠密調査をしたって話だね。

 で、その隠密さん、女性のようで、音楽教室に入会するにあたり、自分の職業を“JASRAC職員”ではなく“主婦”として登録したそうです。まあ、既婚女性はすべからく主婦かもしれないけれど、JASRACに勤めている人は、普通は“主婦”ではなく“会社員”って登録するべきだよな。なんかズルい気がします。

 隠密さんが入会したコースは“ヴァイオリン上級者向けコース”だったそうです。ヤマハでは、レッスンを初級者・中級者・上級者と分けるようなので、一番上のコースとなりますが、ヤマハはグループレッスンだし、上級者向けコースとは言っても、それはお月謝のランクであり、テキストの進み具合の話であって、一般に想像される“上級者”とはだいぶ違うとは思います。とは言え、実際、隠密さんのヴァイオリンの腕前がどれくらいなのかは分からないけれど、ひとまず、素人さんではないようです。

 そもそもJASRACという音楽関係の団体に就職しているわけだから、隠密さんは音楽関係者の可能性もあります。少なくとも、ヴァイオリンの基礎基本はマスターしているから上級者向けコースだったわけだし、もしかすると音大ぐらい卒業している可能性だってあります(音大卒業だからと言って、専攻楽器が上手とは限らないんだよね)。

 で、隠密さんは、月に数回ずつ2年間もレッスンに通い、発表会にも参加したそうです。真面目にヴァイオリン学んでんじゃん。教えてくださる先生とも、人間として親密になった事でしょう。

 いくら親しくなったからと言って、隠密さんは隠密だから、自分の雇い主に役立つ情報を見つけて持っていくわけです。曰く「先生の演奏は(ヤマハが用意した伴奏音源と一緒に演奏したので)とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感した…うんぬん」とか、曰く「生徒は全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いている…うんぬん」とか、ね。そういう言い方で、レッスンの場でも「公衆への演奏」が行われたと言いたいわけなんだよね、JASRACは。

 でもさ、実際のクラシック系の有料コンサートで、演奏者がカラオケと一緒に演奏したら、お客さんはブーイングするんじゃないかな? カラオケ伴奏って段階で、すでにコンサートとは別物でしょう。また、レッスンの場で、生徒が全身を耳にして講師の演奏を聞くのは、講師の説明を真剣に聞くのと同じレベルの話であって、学ぶ者として当然の姿勢じゃないの?

 そう考えると、レッスンにいるのは生徒であって、公衆なんていないし、公衆への演奏も行われていないと考えられるわけです。まあ、少なくとも私はそう考えますよ。

 それらは横に置いたとしても、隠密さんは隠密だから、そういうモノなんだけれど、せっかく親密になった先生や、学ぶ場所と機会を与えてくれたヤマハに対して、後ろ足で砂をかけるような事をしたわけです。心は傷まないのかな…って、私は心配しますが、そんな事にいちいち心を傷めていたら隠密活動なんてできないか(笑)。でもね、おそらく一生懸命に教えてくださった先生は、今頃激しくショックを受けていると思うよ、だってある意味、裏切られたんだもの。人間不信になっても仕方ないレベルの仕打ちだと思います。私は、隠密さんを教えていた先生に同情しますよ。

 さて、そうは言っても、私は個人的には音楽教室は作詞家&作曲家に著作権料を支払うべきだと思ってます。ただし、それは演奏料として支払うのではなく、教材使用料として支払うべきです。で、それはすでに教材に楽譜が印刷された段階で、著作権者に楽譜(=教材)使用料として支払われているわけだから、もうそれで十分ではないかと思います。

 それをJASRACは、楽譜使用料の他に、演奏料としての著作権料の支払いを求めているわけで、そこに無理があるのです。だって、二重取りだもの。

 だいたい、レッスンでは、先生の模範演奏は必須ではないし、なければ無いでもレッスンは成り立ちます。実際、模範演奏しない先生だっていないわけじゃないです。また演奏しても、部分しか演奏しない事もたびたびです(これはレッスン時間の関係から)。それなのにレッスンから演奏料の支払いを求めるのは行き過ぎだと思います。

 仮に先生による模範演奏があったとしても、生徒はその演奏を楽しむために聞くのではなく、先生の演奏法に注意して聞いているわけで、音楽を聞いているのではなく、演奏そのものを聞いているわけで、乱暴な言い方すれば、曲は何でも良いわけで、大切なのは先生の演奏技法なわけです。そんな姿勢で演奏を聞いている生徒は、コンサートに来るお客さんとは別物であり、レッスンでの演奏は「公衆への演奏」とは明らかに違うと私は思います。

 とは言え、現実的な問題として、すでにカルチャースクールはJASRACに対して、著作権料を支払っている事実があります。カルチャースクールは支払っていて、音楽教室は支払わないのはオカシイと言われれば、まあ言い返せないわな。音楽教室なんて、カルチャースクールのようなものと言うか、音楽専科のカルチャースクールだものね。JASRACの言い分としては「カルチャースクールが支払っているんだから、音楽教室も支払え」って気分なんでしょうね。

 ああ、難しい。でも、今回の隠密調査は、法的にはアリっちゃあアリだけれど、かなり汚い手口だなって私は思います。それに隠密さんの人間性を疑っちゃうよね。いくら仕事とは言え、やって良い事といけない事ってあるわけで、今回のような潜入調査は、人として許されないと、私は心情的にそう思いますよ。

 先生から破門されたり、捨てられたのなら、話は別ですが、そうでない限り、先生はあくまでも先生であって、常に尊敬を持って敬わなきゃいけないと、私は思っているし、そう行っているつもりです。だから、今回の隠密さんの潜入捜査って、心情的に許せないなあ、ほんと、許せない。

 

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2019年6月14日 (金)

アルトリコーダーって変な楽器だと思ってます

 たまにやってくるリコーダーネタです(笑)。ちなみに、私、リコーダーは大好きですし、ソプラノリコーダーは、自分でも遊びでしばしば吹いているくらいに好きですし、身近です。

 でも、吹くのは専らソプラノリコーダーで、アルトリコーダーは持っていますが、まず吹きませんし、吹きたいとも思いません。

 学校でアルトリコーダーの授業はありましたが、私は貧しい家の子だったので、アルトリコーダーを買ってもらえず、ソプラノリコーダーでアルトリコーダーの譜を吹いて怒られていた(ま、当然だね)というくらい、アルトリコーダーとは縁ない人生を過ごしてきました。

 実はアルトリコーダーは、オトナになってから、衝動買い(笑)で購入してみたのですが…いやあ、いくら頑張っても吹けないし、嫌になってしまったので、納戸に投げ入れてしまいました。もう、吹きたいとも思いませんし、二度と見たくないです。

 今では、ソプラノリコーダー以外のリコーダーなら、テナーリコーダーを吹いてみたいと思ってます。テナーは、ちょっと高価なので、気持ちがアゲアゲな時でないと、衝動買いできないので、未だに所有していません。ま、でも、きっと、そのうちに…衝動買いしちゃうんだろうと思ってます。

 リコーダーは、学校ではソプラノがメインですが、実はリコーダー好きな方々には、むしろアルトの方が愛されているそうです。ある意味、リコーダーの魅力にあふれているのがアルトリコーダーなので、リコーダーを楽しむなら、ぜひアルトを吹かないといけないみたいですが、私、全く、食指が動かないのです。

 その理由は…アルトリコーダーが変な楽器だからです(だから、納戸にぶん投げちゃったんです)。

 はいはいはいはい、ここで怒りのメーターがぶっ飛んだ方は、もうちょっと読んでから、怒ってくださいね。

 私がアルトリコーダーを変な楽器だと思う理由は、リコーダーは管楽器なのに、管楽器の常識の中にいないからです。

 管楽器って…原則、どれもこれも移調楽器でしょ? そうでないと、楽器の持ち替えが容易じゃないわけで、例えば、サックスは、どのサックスでも、トーンホールを全部塞いだ時の音は、ド(C)って表記されるわけです。そういう世界にいるのです。サックスは。

 だからアルトサックスはE♭管なので、楽譜上にCと書かれた音は、実際に吹いてみるとCではなく、E♭が出るわけです。つまり、E♭がCになっているわけだけれど、それで無問題なのが、管楽器なのです。それゆえに、サックス奏者は、一つのサックスが吹ければ、他のサックスも容易に吹けるわけです。それが管楽器の常識。

 でも、リコーダーって違うんだよね。でも、ソプラノとかテナーはC管だから、まあ良しです。問題は、アルトリコーダーだね。

 だってね、アルトリコーダーはF管でしょ。だから、全部のトーンホールを塞いだ時にはド(C)って表記されて、ファ(F)の音が出ないといけないのに、アルトリコーダーの場合は、全部のトーンホールを塞いだ時の表記が、ド(C)ではなく、ファ(F)になっているのですよ。トーンホールを全部塞いだのに、楽譜の表記上はファ(F)?なんですよ。全くなんですか、それ! 奥さん。信じられますか?

 「トーンホールを全部塞いでいるのに、ド(C)じゃなくて、ファ(F)って何?…そこが変だよ、アルトリコーダー!」って思うわけよ。

 てなことを、リコーダー吹きの人と話していたら、逆に不思議な顔をされました。曰く「ファが出るんだから、ファって書いてあるのが、当たり前じゃないの?」

 むしろ、私がビックリです、え、そんな発想があるの!

 その人は、基本的にはピアニストで、副業(?)的にリコーダーを演奏しますが、他の管楽器は吹けないどころか、吹いた経験が全く無いのだそうです。

 つまりピアノ目線でリコーダーを吹いているわけです。ああなるほど。それなら、ファ(F)の音を出したければ、楽譜にファ(F)と書くべきだろうなあ。

 でも、管楽器的には違います。管楽器ならば、F管の楽器は、楽譜にド(C)と書いて、ド(C)の運指で、ファ(F)の音が出します。それが管楽器なんです。

 つまり、運指優先主義で運指と楽譜の表記の一致を優先したのが、普通の管楽器であり、リコーダーは、実音優先主義であり、実際に鳴る音と楽譜の表記の一致を優先したわけです。

 私は管楽器奏者ですからね。管楽器奏者目線で考えると、アルトリコーダーって、めっちゃ変な楽器なんですよ。だから、吹きたいけれども、吹かない。アルトリコーダーを変な楽器だと思うのは、そういうわけなのでした。

 実音主義? そこが教育楽器なんだよなあ…なんて、ゲスい事を言っちゃたりしています。

 さて、ここまで読んでも、まだ怒っちゃっている人は、どうぞコメントでもして、うさを晴らしてくださいませ。

 

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2019年6月13日 (木)

楽譜が読めないと、音楽を始めてはいけないのか?

 知り合いと話していて、こんな事を聞きました。

 「私は、本当は吹奏楽をやりたかったんだけれど、楽譜読めないから、やんなかったんだよね」

 もちろん、中学校あたりの部活の話です。楽譜読めないから吹奏楽をやらなかった? そんな馬鹿な! と思うと同時に、そう考える人もいるんだな…とも思いました。それにこんな話は、今回が初めてではなく、機会あるごとに、ちょくちょく聞きます。

 楽譜が読めないと、音楽を始めてはいけないのでしょうか?

 もちろん、楽譜は読めないよりは読めた方が絶対にいいです。これは断言しますが、じゃあ読めないからと言って音楽を始めてはいけないのか言えば…それはちょっと違うような気がします。

 まず、乱暴な話ですが、音楽をポピュラー音楽と日本伝統音楽とクラシック音楽の3つに大きく分けて考えてみます。

 ポピュラー音楽に関して言えば、楽譜は読めた方が良いですが、読めなきゃ読めないなりにやれます。実際、プロミュージシャンにだって楽譜の読めない人は大勢います。楽譜の読み書きよりも、コードが分かる方が大切だし、耳コピできるほど耳が良い事の方が全然大切です。各種教則本も、楽譜が読めない事を前提に書かれていたりしますし、楽譜が読めない事が音楽を始められない理由にはならないと思います。

 日本伝統音楽に関して言えば、楽譜が読めなくても全く問題ないと思います。と言うのも、日本伝統音楽で使われる楽譜は、いわゆる五線譜ではないので、音楽を始めると同時に、その音楽で使われる楽譜の読み書きを習うからです。なので、楽譜(五線譜)が読めないからと言って音楽を始められない理由には、なろうはずがありません。

 さて、クラシック音楽ですが、このジャンルの音楽は、楽譜が読めることが演奏の前提にあると思います。なので、楽譜が読める事は必須です。しかし、最初の段階から、バッチリ楽譜が読めなければいけないのかと言えば、そうではないでしょう。

 誰だって、最初は初心者です。出来ないのは当たり前です。だから楽譜は読めなくて当たり前なのです。音楽を学びながら楽譜を読めるようになれば、それでいいのです。最初から楽譜が読める必要はありません。

 というわけで、一般論として、音楽を始めるにあたって、楽譜が読めなければならないという事はなく、楽譜が読める事が前提の音楽であっても、それは音楽を学びながら楽譜の読み書きを学べばいいだけの話で、楽譜が読めなくても、音楽を始めたいという志があれば、どうにでもなるはずです。

 だから、私の知り合いのように、中学生レベルの吹奏楽で楽譜が読めないからと言って、吹奏楽を始めなかったというのは、吹奏楽をやらなかった理由に「楽譜が読めなかったから」という言い訳をしているだけで、本当に吹奏楽をやりたかったのなら、楽譜が読めなくても、吹奏楽の世界に飛び込んだと思います。

 要はやる気の問題で、やる気がそれほど無かった事を楽譜が読めない事に、問題をすり替えて、言い訳をしていただけね。

 一般論としては、楽譜が読めなくても音楽を始めていいとは言えるのだけれど、オトナが趣味として、吹奏楽とか合唱とかを始めるとなると、話は少しややこしくなるかもしれません。…と言うのも、あなたが入団したいと思う団のレベルによって、そのあたりが変わってくるからです。

 たとえ趣味とは言え、オトナの団体ともなると、目指しているレベルがあります。団員は皆、ある程度の演奏力があり、新人にも即戦力を期待しているような団に、楽譜が読めない人が入るわけにはいかないでしょう。

 しかし、音楽は二の次で、親睦優先の団体なら、新人歓迎だし、楽譜が読めない人にも親切な対応があるので、そういう団体なら、楽譜が読めなくても入団できます。

 これから音楽を始めたいという、割と真面目に考えているオトナに対しては、親睦系の団体は合わないでしょう。となると、楽譜が読めないとチャンスが得られませんから、まずは楽譜の読み書きくらいでできる必要があるでしょう。

 もっとも、楽譜の読み書きができる団体は、そもそも音楽経験がある程度ある事を見越していますし、経験者しか入団できないケースも多々あります。ならば、その団体に入る前に、音楽経験を積む必要があるわけだし、個人レッスンを受けておく必要だってあるかもしれません。

 オトナになってから、音楽を真面目に始めるのって、実は大変な事なのかもしれませんね。別にプロになるわけでもなければ、音大に進学するわけでもなく、ただただ個人の興味関心だけで真剣に音楽を学ぼう…というのは、周囲に理解してもらいづらいし、何より世間の俗事が真面目な学びの妨げになりやすいし…ねえ。

 

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2019年6月 6日 (木)

そう言えば、もう長い間、ギター弾いてないや

 本当にもう長い間、ギターを弾いていません。いや、触ってもいないか。

 ギターと一言で言っても、色々な種類があります。私がメインで弾くのは、いわゆるフォークギターです。今風に言うなら、アコースティックギターって奴です。金属弦の生ギターです。

 この楽器は、主に、歌の伴奏に使います。単独でソロを取ることは、ほとんどありません。伴奏で使うので、特に難しい技法もなく、気軽に手軽に弾けます。楽譜が読めなくても、歌詞にコードが書いてあれば、それで十分という、かなりお手軽な楽器です。コードをジャカジャカかき鳴らしながら弾くわけです。

 若い時はバンドもやっていたので、当然、エレキギターも弾きました。最近は、単に“ギター”と言うと、こちらのエレキの方を指すようですね。音を電気的に歪ませて、単音でグイーングイーンと弾いていきます。主にリフを弾きますので、同じ音型をコードに合わせて移調させながら弾き続けます。たまに気の利いたソロも弾きます。フォークギターと比べると、かなり技巧が必要とされます。ただし、あくまでもバンドの中の楽器なので、バンドに入っていないと、全く面白くない楽器です。

 さらに技巧が必要なのが、クラシックギターと呼ばれる、ナイロン弦の生ギターです。「アルハンブラの思い出」とか「禁じられた遊び」を弾くためのギターと言うとイメージしやすいでしょうね。ソロ演奏が前提なので、一人で低音、リズム、メロディを同時に奏でます。そういう意味では、ピアノに近い楽器です。いわゆる“完全楽器”って奴です。その分、めちゃめちゃ難しいです。私は一時期、独学でクラシックギターをやってみました。クラシックギターは独学でどうこうなるような簡単な楽器ではなかった(汗)ので、結局、モノになりませんでしたが、そのおかげで、当時はだいぶ技巧的なギターが弾けるようになり、エレキギターの演奏がだいぶ楽になりました。

 さて、私は歌いたかった人なので、専らフォークギターでした。なので、ギター自体はそんなに上手である必要はありませんし、実際、上手ではありません。だって、コードで弾ければ、それで十分なんだもの。全然上達する必要無いんだよね。

 じゃあ、ギターを弾きながら、何を歌っていたのかと言うと…だいたい、ビートルズかな?

 じゃあ、なぜ最近はギターを弾かなくなったのかと言うと、ポピュラー系の歌を歌うなら、カラオケに行くようになったからです。歌の伴奏として考えるなら、ギターよりもカラオケの方がゴージャスだし、歌いましたって気分にもなるじゃん。

 あと、歌う歌も、ポピュラーからクラシックにシフトした事も原因の一つかも。ギターはあくまでもポピュラー音楽の伴奏楽器であって、クラシックでは基本的に使わないものね。

 ギターの親戚でリュートという楽器があります。音色はほぼクラシックギターと同じなので、昔のリュート曲をクラシックギターで弾く人は多いです。バロックやルネサンスの時代の歌曲(つまり古楽)は、ピアノではなくリュートで伴奏するのが普通だったので、その頃の歌を歌うならば、ギターで伴奏をしても良いのだけれど…まず古楽系の歌は歌わないものね。私の場合は、2014年に、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」を歌ったきりだなあ。

 ギターを弾くたくないわけではないし、ポピュラーソングだって歌いたくないわけじゃないです。ただ、時間がないんだよね。生きる事と働く事に忙しくて、そもそも音楽をしている時間が少ないし、その少ない時間は、フルートと声楽のレッスンの準備に忙殺されているわけで、とてもとてもポピュラー音楽で遊んでいる時間の余裕がなくて…結果、ギターを全然弾かないという事になってしまったわけです。

 もう少し、人生に余裕があったら、ギターも弾けるんだろうなあ。でも、ギターを弾く余裕があったら、ヴァイオリンのレッスンを復活したいし、ピアノの勉強も再開したいし…ああ、人生、やりたい事だらけじゃないか!

 あ、時間があったら、まず眠りたいか。万年睡眠不足だものなあ…。

 

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