ひとこと

  •  なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。

お知らせ

  • ●クラシックコンサートのお知らせをします。●10月8日(日)、茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部の開演は15時20分となっています。●私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。●入場料は無料の千客万来系のコンサートです。ただし、例年までは市民文化会館で行われていましたが、今年は工事中となって、古い公民館系のホールで行われます。●会場的には、古くて小さい上に設備的にも??がつくような会場で「ここで歌うのはヤだな」という理由で、多くの方々が参加を取りやめたというほどの会場です。私も、練習で使用するならともかく、ここに人を招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、会場までお越しいただく事は望んでいませんが、もしよかったと、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただくと感謝です。
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コメントについて

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カテゴリー「音楽一般」の記事

音楽ネタだけど、ノンジャンルなものはここです

2017年9月14日 (木)

あなたはどこで練習していますか?

 アマチュアの音楽演奏家の場合、練習時間と練習場所は、常に我々を悩ませる大きな問題です。特に練習場所の確保に関しては…音楽の練習は、たいてい音が出ますので、色々と問題となる事が多いです。

 電子楽器ならば、アンプ経由でヘッドフォンをして練習すれば、生活音程度の音しか出ませんので、一般住宅であっても自由に楽器練習ができますが、歌やドラムの練習は…生音ですから、まず無理です。クラシック音楽関係の楽器は、すべてアコースティックですから、必ず音が出ます。金管楽器のような爆音が出ちゃう楽器もありますから、なかなか自宅で練習するのも難しかったりします。

 たとえどんなに美しい演奏であっても、興味のない人にとっては、単なる騒音でしかありません。昔、近所のピアノの練習音がうるさいと言って殺人事件にまで発展した事だってあるじゃないですか! 楽器の練習音って、気になる人には気になるのです。練習する側は、その点に関して、気を使っていくべきです。もっとも、騒音に関する感覚ってのは、人それぞれだし、住んでいる地域によって考え方が違うので、一概にこうすれば良いと言えない点も難しいです。一般的には、人口密集地域ほど騒音には敏感になる傾向があります。ま、そりゃあそうだよね。

 特に賃貸住宅だと、隣室との壁が薄くて音が筒抜けの場合もあるでしょう。そういう場所での音楽の練習は厳しいでしょうね。逆に、都心部の住宅地域であっても、最近の防音対策をしっかりしたマンションならば、隣近所への迷惑は考えなくても、あまり考えなくても良いかもしれません。戸建住宅ならば、その家がちゃんと防音対策をしていれば、あまた問題にならないかもしれません。

 家の中に防音室を作ってみたり、地下室を作って、そこで音楽練習をしていたりと、それなりに工夫をして自宅で練習できる人は、用意周到だし、それに越したことはありません。

 一方、自宅で音楽練習が難しい人は、外部の施設を利用して練習せざるをえません。安価なのは、公共施設の音楽練習室ですね。安価なのはうれしいですが、予約などの手続きがちょっと面倒かもしれません。その点、カラオケ店は、多少値ははりますが、気楽に使えます。大型マンションなどだと、マンション内に共有スペースとして音楽練習室があったりします。そういうのは恵まれていますね。

 音楽は、継続的に練習をしていかなければ上達しませんので、練習場所の確保は、本当に大切な問題だと思います。

 ちなみに私の場合は、戸建てで、自室(書斎と呼んでいます)があるので、そこで練習をしています。書斎は洋室で、変形ですが広さ6~8畳間程度あります。住んでいるところがピアノ殺人事件が起きた地域の隣接地域なので、家を建てる時に、市の条例で、防音と防災の対策をしないといけない事になっているので、自然と防音室の造りになっています。

 書斎の中には、机が二つ(一つが物書き用の机で、もう一つがパソコンデスクです)と、本棚が4台と電子ピアノが1台と姿見が1つ入ってます。椅子は、いわゆる“社長の椅子”と足台があります。で、床には衣装ケース(服ではなく本が入ってます)とそれでも収納しきれなかった本が床に積んでありますので、ほんと、足の踏み場も無いほどに狭くてギュウギュウした空間になっています。まあ、たくさんある書籍は、いい感じで防音材になっていると思います。

 いわゆるオーディオ機材は入っていませんが、パソコンのスピーカーを音楽用のモノに変えているので、音楽なども普通に聞けますし、歌の練習で使うカラオケも、パソコンで作成して使用しています。

 で、ここで私は歌とフルートとヴァイオリンの練習をしています。音が完全に漏れない…という程の完璧な防音室ではありませんが、少なくとも、隣近所の家の中にまで音は届きませんので、安心して音楽の練習が出来ます。それでも、一応のマナーとして、深夜~早朝にかけては、音楽の練習を自粛しております(汗)。

 たぶん、私は恵まれていると思います。これで広ければ、ダンスも練習もできるのになあ…とさらに贅沢な事も言ってますが(笑)。

 皆さんは、どこで音楽の練習をなさっていますか?

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2017年9月10日 (日)

あなたは趣味を隠していませんか?

 「あなたの趣味はなんですか?」と尋ねられたら、なんと答えますか?

 もちろん、尋ねた人や団体、問いが発せられた場所や状況などを考え合わせて、なんか正直に答えるのって、躊躇しませんか? だって…趣味って、思いっきりプライペートな事じゃないですか? それをなぜ、見知らぬ人、あるいは見知っている人に、正直に答えないといけないのでしょうか?

 別に悪事を働いているつもりはないけれど“勤労は美徳である”という価値観がまだまだ優勢な我が国において、趣味三昧なプライバシーを公表する事は、ちびっと背徳な香りがしないでもないのです。

 違いますか?

 なので、多くの人は「あなたの趣味はなんですか?」と尋ねられると「読書です」「音楽鑑賞です」「旅行です」「食べ歩きです」などと言った、当たり障りのない趣味を答えるのだ思います(ほんとうにこれらが趣味の皆さん、ごめんなさい)。

 実際私も「趣味はなんですか?」と尋ねられた時、ちょっと警戒しつつ「音楽鑑賞」って書く事多いです。実際、クラシック音楽、ボピュラー音楽問わず、毎日、浴びるほど音楽を聞いて生活していますから、嘘じゃないし、音楽関係の話題を振られても、大抵答えられるし…まあ、大きく間違った答えではないと思います。

 あと、運動系の趣味を答えないといけないなあ…と空気を読んだ時は「昔、柔道をやっていました」とか「最近は散歩が趣味です」とか答えます。決して「ボケモンGOが大好きです」なんて言わないよ(きっぱり)。

 相手がロハスな人(もはや死語だな)なら「金魚を飼ってますよ」って言うかも。

 でも、せいぜいここまでだね。よほどの事がないかぎり、声楽の事とか、フルートの事とか、ブログの事とか、社交ダンスの事とか、アニメの事とか、ポケGOの事などは言いません。言わないから、ブログに書いているんだとも言えますが…。とにかく、まずクチに出す事はないです。

 よほど親しい人だったり、安心安全な相手であると「実はフルートをたしなみます」と答えるかもしれません。ポイントは“フルートをたしなむ”のであって“フルートを吹きます”とは言わない事。だって、フルートを吹けると公言できるほどの腕前なんて、私、持っていないもの! あと「フルートを吹く」=“吹奏楽が好き/やっていた”と誤解されることが多いので、そのあたりにも気をつけて話をするようにします。

 あくまでもフルートは“たしなんでいる”だけで吹いてはいないし、吹奏楽とも無縁なんです…というポジションを取ります。でも、そんな事をいちいち説明するのも面倒だし、吹奏楽命な人だと、敵性人とみなされることもあるので、だったら最初っからフルートを持ち出さない方が懸命なんだな。

 相手が歌好きな人なら「昔々、ちょっとだけ合唱をやってましたが…だいぶ前に止めてしまい、今はもうすっかりです、へへへ」なんて答えるかもしれません。でも、今現在、独唱をバリバリ学んでいる事はおくびにも出しません…たぶん。だって、相手の歌好きのレベルやジャンルが分からない以上、下手なことを答えて、気まずくなってもマズいじゃない? それにガチな合唱人だと、独唱者は敵性人ですから、そのあたりにも気をつけないといけないしね。

 ブログをやっている事は、まず言いません。私、ネットとリアルは切り分けたい人なんです。それに、ネットの知り合いとリアルに知り合うのは平気だけれど、リアルな知り合いとネットでつながるのは、なんかイヤなんです…この感覚、分かるかな?

 それにブログをやっている事が分かると「じゃあLINEで…」とか「Facebookで…」とか言われるじゃない? でも私は今のところ、ブログを管理するだけで精一杯で、その他の事には手を広げたくないし、そんな事を説明しても分かってもらえるとも限らないので、リアルな世界では「パソコンとかネットとか苦手なオジサン」のふりをしちゃう事が多いです。だって、面倒くさいんだもの。

 社交ダンスの事も言いません。今現在、ほとんど踊れなくなってしまっているという悲しい現状があるので、とても趣味ですとは言えないというわけなんだけれど、それ以外にも、多くの世間の人は社交ダンスの事なんて、ちっとも分からないので、うっかり「趣味は社交ダンスです」って答えちゃうと、社交ダンスの説明から始めないといけないし、なまじ社交ダンスの事を知っている人は、たいがいディープな人が多いので、こんどは仲間に誘われちゃうわけで、それも結構面倒くさいでしょ? 別に私は、妻と踊れればいいだけで、ダンス仲間はいらないし、サークルにも入りたくないんだけれど、それをディープな人の前で言うと、敵性人になっちゃうし…。

 アニメやボケモンGOの事も言いません。これらは私の楽しみであって、趣味ではないからです。実際、趣味と呼べるほど詳しくないし、趣味の人たちほど深くもないからです。実際“趣味の一歩手前”ぐらいな感じなんです。

 と、まあ、あれこれ屁理屈を書きましたが、要は、これらのガチな趣味は、他人に言うには恥ずかしいってわけです。まるで、他人に身内の話をすると、思わず照れてしまうような感じで、趣味の事を語るのは恥ずかしいのです。

 で、リアルな生活では、趣味を隠す…というか、言わずに済ませてしまう事が多いのです。そんな人って、私だけでしょうか? いやたぶん、私同様に、自分の本当の趣味について、他人には語らない人って、案外たくさんいるんじゃないかって思うのです。

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2017年9月 6日 (水)

何のために音楽をやるのか?

 先日、ネットサーフィン(古い…)をしていたら、「オトナになってから音楽を始めたって上達するわけがない。上達しないのに音楽をやるのはおかしい。そもそもオトナには音楽をやる資格がない」ってな主旨のページを見つけました。

 武士の情けでリンクは張らないであげるけれど…内容はともかく、そのモノの書き方にイラツイて、正直、カッチーンと来ました。まあ、よくよく読めば、とても良識のあるオトナのモノの書き方ではないので、おそらく、中学生あたりの生意気盛りのガキが、ネットで顔が見えないことを良いことに書き散らした文章だろうと思いました。

 私は良識あるオトナです。子どもの戯言にいちいち反応して、腹立てても仕方ないわけです。

 それでもやっぱり、その書き方にはカッチーンと来た私です。でも、内容に関しては、多少なりとも心にひっかかったわけです。

 この子の立場は「音楽は、プロ演奏家になるためにやるものであって、遊びでやるものではない。やる以上は人生のすべてをかけて練習に励み、プロ演奏家になるべきであって、そうでない人間は音楽をやってはいけない。だから、音楽は子どものうちから始めるべきである。子どものうちから始めても上達しない者は音楽を辞めるべきだし、上達する見込みのないオトナは、そもそも音楽をやる資格がない」というものでした。

 こんな事を言っている、この子自体、どれくらいの演奏力を持っているんでしょうね。プロ演奏家を真剣に目指しているのなら、おそらく中学生あたりでしょうから、すでに国内コンクールのタイトルをいくつか持っているんだろうと思います。もしかすると、国内の賞は取り尽くし、今は国際的なコンクールで賞を取るための準備をしている真っ最中でしょうね。

 …なんて、イヤミを書いてみたりして…。でも、クラシック畑で真面目にプロ演奏家を目指しているなら、中学生あたりで、すでに賞レースに絡むくらいの実力がないと厳しいよね。

 この子の考え方は、プロ演奏家至上主義…とでも言うのかな? 音楽を…ってか、音楽演奏能力を生活の手段と考えて、日々の音楽の練習を職業訓練の一種と考えているわけです。世界に通じる演奏家を目指してガッパガッパ稼ぎたいなら、確かに子どもの時からハードトレーニングを積み重ねていかないといけないし、やっている中で才能が不足していると分かったなら、プロ演奏家になることを諦めないといけないだろうし、それこそ人生のすべてをかけて練習に励まないといけないわけです。

 そういう生き方もアリです。また、そういう人生を選んで突き進んでくれる人がいないと、この世から音楽がなくなってしまうので、才能ある方々にはぜひ頑張っていただきたいのだけれど…演奏家として生きる人って、そんなにたくさん要らないんだよね。

 日本国内のクラシック音楽界に限った話でも、必要とされるプロ演奏家なんて、1世代で数千人ぐらいでしょ? まあ、現在、日本国内には33のプロオケがあるそうだから、33×100名として3300名の器楽奏者が入れば十分です。それに歌手とピアニストとソリストと指揮者を加えても、せいぜい4000人も入れば間に合うはずです。全体で4000人なら、1世代を25年と考えても、プロ演奏家なんて1年に160名誕生すればいいわけだから、音楽大学も日本に一つあれば十分って話です。

 例えば、東京芸術大学の音楽部の入学定員が237名ですから、日本の音大は、芸大一つで十分というか、芸大一つでも多すぎるって話になります。その他の公立音大はもちろん、私立音大もすべて廃業しろって話になります。で、そこに入れない人間は、音楽をやる資格がないって、言い切っちゃっているわけです。

 これを以てしても、この子の話が、いかに現実離れをしているかが分かります。まあ、こういう中二病的な考え方、個人的には嫌いじゃないけれど、いつまでもこういうふうに考えていると、生きづらいだろうねえ。

 まあ「何のために音楽をやっている?」の問いに対して「プロ演奏家になるため」という答えもアリですが、現実的には、それだけじゃないってわけです。

 音楽を学んでいる人が十人いたら、その答えは十通りあっていいと思います。もちろん「プロ演奏家になるため」に音楽を学ぶのはアリです。でも「単純に音楽が好きだから」「女の子にモテたいから」「音楽をやっているって、カッコいいじゃん」「趣味/教養として」「子どもの時からやっていて、なんとなく惰性で…」「部活だから」「健康づくりのため」「友達づくりの手段として」とか、ほんと、なんでもアリだと思うわけです。

 と言うのも、それらの答えはすべて、結局は一つの答えに導かれていくからです。それは…

 …「人間だから」です。

 音楽って、人間しかやりません。まあ、鳥はさえずりますが、あれは音楽と言って良いか私には分かりません。鳥以外の動物は…音楽やらないよね。類人猿と呼ばれる、チンパンジーやゴリラは、もしかすると我々の知らないところで、音楽に興じる事があるのかもしれないけれど、でも我々人間の音楽の楽しみと比べられるほどではないと思います。

 つまり、音楽を演奏したり、聞いたり、楽しんだりするのは、我々が人間だからであり、音楽は、人間が作り出し引き継いできた文化の一つなのです。だから、我々が何のために音楽をやっているのかと言えば、音楽という人が作って引き継いできた文明を、楽しむためなのてす。

 で、音楽を楽しむには、色々なレベルがあるわけです。

 演奏するのもアリです。作曲するのもアリです。そして、それを生業とするのもアリだし、趣味としていくのだってアリです。また、他人の演奏を聞いて楽しむだけでも、問題なしです。

 演奏家にならない/なれない人間が音楽を学ぶ理由は、音楽のより良い享受者になるためである…と言えるでしょう。つまり、音楽を学ぶことで、より音楽が好きになり、音楽文化を支える礎となっていくって事です。プロ演奏家は観客がいて、始めてプロ演奏家なのです。演奏家の数の何百倍何千倍何万倍の数の音楽ファンがいないと、音楽が文化として成り立つことはないのです。

 だから、何のために音楽をやるのかと言えば、ごくごく一部の人は、プロ演奏家になるためでしょうが、その他大勢の大部分の人は、音楽をより好きになるために音楽をやっている…って言えると、私は思ってます。

 で、そういうその他大勢の方々がいて、はじめて、音楽は人間の文化として継続していく事ができるのだと、思ってます。

 だから音楽はいつ始めても良いのです。もちろん、プロ演奏家になるならば、タイムリミットはありますが、それ以外の目的ならば、始めたくなった時が適齢期です。音楽を始めるのに理由は要りません。我々人間でなければ音楽は楽しめないのですから、大いに音楽を楽しもうではありませんか!

 つまり「何のために音楽をやるのか?」と言う問いに対して「面倒くさい事は抜きにして、音楽、楽しんじゃえ!」というのが、私なりの答えだったりします。

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2017年8月24日 (木)

大好きな作曲家について語ってみよう その10 ショパン

 ショパンと言えば、ピアノ専科の作曲家…と言っても過言ではないでしょう。ピアノ少女と元ピアノ少女たちの憧れの作曲家であり、日本のクラヲタたちも大好きな作曲家であります。もちろん、私も大好きですよ。

 オペラや歌曲が好きな私が「ショパンが好き」と言うと意外に思われるかもしれませんが、実は私、ショパンも大好きなのです。

 きっかけは…と言うと、大学生の頃の友人にクラシックヲタの友人がいて、私は彼からクラシック音楽の基礎知識を学んだのだけれど、その彼からいただいたレコードの一つがショパンだったのです。サムソン・フランソワの演奏するショパン名曲集でした。

 当時はiPodも無ければCDもまだ一般に普及していなかった時代なので、レコードをカセットに落として、それをウォークマンで聞くという生活をしていました。で、毎日毎日、サムソン・フランソワのショパンを聞いたなあ…。

 なので、今でも、サムソン・フランソワの演奏するショパンは、音質は良くないけれど、好きです。まあ、カセットテープで聞いているのですから、最初っから音質は問題外なんですけれどね(笑)。

 サムソン・フランソワのショパンは大好きですが「ただしショパンはサムソン・フランソワに限る」なんて事は言いません。アシュケナージのショパンも、ポリーニのショパンも好きですよ。良い演奏はたいてい好きです。つまり、ショパンのピアノに関しては、演奏の違いよりも、ショパンの音楽そのものが好きなんだろうと思います。

 ショパンのイメージと言うと、アイドル人気・年増好き・病弱って感じかな?

 ショパンが活躍した頃のパリって、演奏家のアイドル人気が高かった時代で、リストとかパガニーニなんてのは、トップクラスのアイドル人気があったわけだけれど、なかなかどうして、ショパンもアイドルとしての人気は彼らに負けなかったわけで、ショパンにはそういうハデハデしいイメージがあります。

 本当に年増が好き…だったかどうかは分からないけれど、ショパンと言うと、ジョルジュ・サンドの名前が対になって出てきます。ショパンとジョルジュ・サンドのスキャンダルって…語れるほど知っているわけではないけれど、色々とスキャンダラスな事があったらしいなあ…というイメージがあります。

 そして病弱。やがて夭折。まあ、天才ですからね、長生きは、当然、していません。

 ショパンはどこの国の音楽家? と尋ねれば、答えは「ポーランドの音楽家」と答えるのが正解だし、当人も自分はポーランド人であるという自覚が強かったらしいので、ショパンはポーランドの音楽家で良いのだろうけれど、実は彼って、血統的には、半分はフランス人なんだそうです。

 ショパンの父親はフランス人で、母親がポーランド人なのです。で、生まれ育ったのがポーランドで、教育を受けたのもポーランドだったから、ポーランド人としてのアイデンティティーを持っていたわけだけれど、彼は若くしてパリに出てきて、音楽家としてのキャリアを積んでいき、活躍したのもパリであって、音楽家としての彼は、完全にフランスの音楽家という立場だったりします。

 同時代に活躍したリストがハンガリー人を名乗りながらも、その実態はドイツの音楽家だった事とも、なんか重なる部分があります。もしかすると、ショパンやリストの時代は、自分を異邦人化してキャラ立ちさせるのが、マーケッティングの手法だったりして(笑)。もっともポーランド人だとかハンガリー人だとか言っているうちは可愛いものです。パガニーニなんかは“悪魔の化身”だと噂があったわけで…外国人どころか人外じゃん、パガニーニって(笑)。

 ショパンの名曲はたくさんありますが、私が好きなのは、ベタだし、少女趣味かもしれないけれど「英雄ポロネーズ」です。ああ、ベタだな(笑)。

 曲を紹介するため、YouTubeの音源を漁ってみましたが、本当に色々なピアニストが、色々なスタイルで演奏していました。そんな中で、私が気に入ったのが、このユンディ・リの演奏です。

 この人、容姿がなんとなく、SMAPの木村くんに似ているので「なんかなあー」と思うものの(私はSMAPなら中居君派です)、その演奏は奇に走らずに、私の思い描くショパンの音楽にとても近い演奏をしていたので、気に入りました。ショパンって、有名な演奏家でも、自分の個性を前面に押し出して、ショパンが聞いていたら怒り出しそうな演奏が多いのですが、まあこれはいい感じだなって思った次第です。

 でもまあ、本当にショパンが好きな人が聞けば、これも違うのかもしれませんが…。

 では、これで今年の夏の連載は終了です。明日からは通常運転に戻りますので、よろしく。

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2017年8月23日 (水)

大好きな作曲家について語ってみよう その9 シューベルト

 シューベルトと言えば“歌曲王”です。実に有名な歌曲を数多く作曲しています。それゆえに歌曲王と呼ばれていますし、実際、歌曲(ドイツ歌曲、つまり“リート”)という音楽ジャンルは、シューベルトがその代表格の作曲家であるわけで、彼のことを“歌曲王”と呼ぶことに異存のある人は、たぶん、いないと思います。

 でも、意外な事に、私が子どもだった頃のシューベルトのイメージは、歌曲王ではなく、交響曲の作曲家だったのです。まあ、これは私が子どもで勉強不足だった事もあるのだろうけれど、でも世間のオトナたちも似たような感じで、テレビのクイズ番組でも、シューベルトと言えば…未完成交響曲、というイメージでした。

 その原因は…おそらく、この映画のせいでしょう。

 この映画、戦前の日本で大ヒットしたんだそうです。私も子どもの頃にテレビで見て(まだ当時は、普通に戦前の白黒映画もテレビ放送されていました)感動した覚えがあります。ちなみに、本国ドイツでは不評だったそうですが(笑)。どうやら、この映画の影響もあって、シューベルトと言えば“未完成交響曲”というイメージがついたようです。

 実は私が生まれて初めて、お小遣いで購入したクラシック音楽が「未完成交響曲」でした。

 もっともお目当ては、A面のベートーヴェンの「運命」でした。こっちが欲しくてレコードを買いました。で、そのレコードのB面にシューベルトの「未完成」が収録されていたわけです。

 A面B面って分かる? 今のように音楽がネットで配信されるようになる前、音楽はCDという形態で発売されていたのだけれど、そのCDの前の形態が、いわゆるレコードでした。

 レコードと言うのは、直径30cmほどの黒いプラスチック板で、その表面には溝が刻み込まれていて、このレコードを回転盤の上に乗せて、溝を針でトレースし、その針で拾った信号を、物理的/電気的に増幅して、音として再生し、それを聞いていたんです。原始的でしょ? でも、20世紀はほとんどの時代、音楽はこのレコードで聞いていたんだよ。それくらい、レコードの音楽メディアとしての歴史は長かったのね。

 それに技術的な進歩もしていたしね。それがレコードの長寿を支えていたわけだけれど、最初はせいぜい5分程度しか音楽が収録できなかったのに、やがて回転数を落としても高音質で再生可能になると、収録時間も増えて、30分前後も収録できるようになったし、溝の内側と外側にそれぞれ違う信号を刻むことが可能になると、それでステレオ再生できるようにもなったし…。一時期は、溝の上と下でも別の信号を刻めるようになると、4ch再生ができるようになったけれど…これはさすがに時代的にやりすぎだったようで、やがて廃れてしまったけれど、今の5.1サラウンドとして、再び復活しているようですがね。

 針の材質も最初は竹だったのが、やがて鉄に変わり、次にサファイヤとかダイヤモンドになり、最終的にはレーザー光線にまで進化したんだよね。すごいよね。で、針がレーザーなると、溝には音声信号だけでなく画像信号も入れられるようになり、レコードではなく、レーザーディスクと呼ばれるようになったのだけれど…ね。

 ま、そんなレコードたちも、歴史の役目を終え、今じゃ博物館や古本屋の片隅でしか見かけられないようになったわけさ。

 ちなみにレコードは板と言うか、円板だったので、当然、表と裏があるわけで、その両面に溝を刻むのが普通だったわけです。で、メインの面をA面と呼び、おまけの方をB面って呼んでいたわけです。

 で、当然、私の子どもの頃は、レコード全盛期だったわけですよ。

 たぶん、当時、一番多く発売されていたクラシック音楽のレコードが、指揮者や演奏団体は変わっても、この2曲の組み合わせのレコードだったんじゃないかしら?

 私が購入した「運命/未完成」のレコードは、ワルター指揮コロンビア交響楽団のステレオ録音のモノでした。

 最初のレコードだったし、本当に何度も何度も繰り返して聞きました。当時はまだ小学生で…ほんと、マセガキですわな(笑)。

 ワルターとコロンビア響の組み合わせの良い音源が見つからなかったけれど、ワルターとニューヨークフィルの良い音源が見つかったので、そちらをアップします。

 昔の日本では…と言うか、昔の日本のインテリさんたちには、シューベルトと言うと、まずはこの曲だったんですね。シューベルトの未完成交響曲って、良い曲だと思うのだけれど、実は彼にはまだまだ世に知られていない作品がたくさんあるそうです。実際、彼の作品全集はまだ完成していないそうだし(作品数が多い上に、悪筆なので校訂が難しいのだそうです)

 実際、彼はかなり謎の多い人物なんだそうです。と言うのも、彼は若くして職業音楽家として自立していたのだけれど、決して成功していた音楽家ではなかった代わりに、熱心な固定ファンがいて、彼らがシューベルトの生活をかろうじて支えてくれたため、シューベルトは作曲に邁進できたのだそうです。だから、未発表の曲がわんさかとあって、未だに研究者たちが作品の整理をし続けているほどなのです。

 それって、ある意味、一番恵まれた音楽生活なのかもしれないなあって思います。音楽家は、めっちゃめちゃ売れれば、仕事に忙殺されます。売れなければ音楽家を廃業しなければいけません。しかし、生活できる程度に売れていれば、自分の好きな音楽を好きなだけ書き続ける事ができます。シューベルトって、ちょうど、そのあたりの音楽家…だったんじゃないかなって思います。

 歌曲が多いのも、彼があまり売れなかったからだろうと思います。と言うのも、売れっ子の作曲家なら、歌曲なんて書かている時間がないもの。売れている歌系の作曲家なら、当然、オペラを書いて、劇場で一発当てるでしょ? でもオペラは、一曲が大きいですから、書くのにエネルギーを必要だし、リスクも高い。何よりオペラを書いている間は無収入ですから、作曲家に経済的な余力がないと、オペラ作曲に集中できないわけです。当然、オペラを作曲するなら、用意周到に作曲に臨まないといけません。

 しかし歌曲なら、良い詩とインスピレーションがあれば、それだけで書けます。ただし、オペラと違って、たいしたお金にはなりません。でも歌曲が好きで、最初っから売れない事か前提なら、バンバン歌曲も書けるわけです。

 シューベルトも何曲かオペラを書いていますが、現在上演される事はまずありません。シューベルトが書いているのですから、音楽的に悪いはずはありませんが、何かが足りないのでしょうね。ちなみに、シューベルトのオペラは、当時オペラはイタリア語で書かれるのがデフォルトであった時代にドイツ語でしか書かれなかったそうなのです。ちょうどシューベルトがドイツ語でオペラを頑張って書いていた時期に、ドイツ語オペラの鏑矢とされている、ウェーバー作曲の「魔弾の射手」が上演されています。皮肉なことに、音楽の神様は、ドイツ語オペラの作曲家として、シューベルトではなくウェーバーを選んだわけです。

 まあ、オペラの分野では成功できなかったシューベルトですが、歌曲王と呼ばれるほどの作曲家になったわけだから、それで良いのではないでしょうか?

 考えてみれば、歌曲とオペラの両方のジャンルで活躍した作曲家って…いないよね。おそらく、オペラ作曲家に必要な資質と、歌曲の作曲家に必要な資質って、全然違うのかもしれません。

 さて、シューベルトの歌曲と言うと、名曲がたくさんありますが、私はやはり「魔王」が大好きです。

 シューベルトの歌曲は、歌曲だから、男女問わず、声の高い低いも関係なく、誰もが自分の声に合わせて歌って構わないのだけれど、日本ではシューベルトの歌曲と言うと、バリトンの歌というイメージが強いですね。実際、バリトン歌手の皆さんは、よくシューベルトを歌われます(今回の音源はテノール歌手のボストリッジです、念のため)。

 それはそれで良いのですが、実はバリトンの皆さんが歌っているシューベルトって、低く移調された楽譜を使っているのです。実際にシューベルトが作曲した調はかなり高い調であって、いわゆる高声用の楽譜が原調だったりします。つまり、シューベルトは、作曲をするにあたって、歌い手としてソプラノまたはテノールを念頭に置いていたわけです。
 歌曲…とりわけドイツ歌曲は、音楽も大切ですが詩も大切です。そういう意味では外国語のまま聞くのは、間違いなのかもしれません。我々日本人は日本語で聞かないといけないのかもしれません…というわけで、日本語歌唱の「魔王」です。

 予想外に良いですね。歌唱も良ければ、訳詞も良い。これ、なかなかですよね。歌っている歌手が誰だか分からないし、映像の方がふざけているし、この動画を作った人には、音楽に対しても、作曲家や歌手や演奏家に対しても、リスペクトが感じられないけれど、歌唱はほんとうに良いですね。

 さて、次回で、今年の夏の連載はお終いです。最後は誰になるかな? お楽しみに。

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2017年8月22日 (火)

大好きな作曲家について語ってみよう その8 ヘンデル(とバッハ)

 小学校の音楽室には、偉大な作曲家の肖像画が貼られている事、多いでしょ? 私が卒業した小学校にも、作曲家の肖像画が貼られていました。ウチの学校の場合、スタートになる一番最初の肖像画がバッハで、そこに「音楽の父」と書かれていました。

 バッハの次がヘンデルで、そこには「音楽の母」と書かれていました。

 でも、母って、女の人じゃん、ヘンデルって女性なの?…って、そんなわけないです、肖像画を見れば、確かに長髪(後にカツラと知りました)だけれど、どう見ても普通にオッサンです。オッサンなのに“母”って変でしょ? 実はこれ、私が子供の頃から思っていた疑問でした。一体、誰がヘンデルの事を「音楽の母」と呼び始めたのでしょうね、実に不思議です。今でも不思議です。

 まあ、バッハを「音楽の父」と呼ぶならば、同時代に活躍したヘンデルを“母”と呼んじゃえって話なんでしょうね。それなら、分からないでもありません。でも、ヘンデルって、バッハと並べていい作曲家なのかな? 私は以前から、そう思ってました。ちなみにヘンデルを“音楽の母”と呼ぶのは、日本だけらしいですし…。

 まあ、日本にはバッハのファンってたくさんいます。バッハの音楽大好きな人もたくさんいます(フルートのH先生もその一人)、バッハの演奏だけに集中している音楽家や音楽ファンの方もたくさんいます。それくらいに、多くのファンを持っているバッハです。

 一方、それに匹敵するほどヘンデルのファンって…日本にいるのかな? どうにも、バッハのファンと比べると、ヘンデルのファンって、少ないのではないかな? なんて、私、思うのですよ。

 バッハって、ドイツから出たことはなく、当時的には作曲家と言うよりも、オルガニストであり、バッハ自身よりも、彼らの息子たちの方が実は当時は有名で、つまりはバッハは、今でこそバッハであり“大バッハ”と呼ばれる人だけれど、当時はむしろ“バッハ・パパ”だったわけです。

 そんなバッハが敬愛してやまないのが、当時の大作曲家であったヘンデルであり、バッハはヘンデルに会いたくて会いたくて仕方なかったのだけれど、当時の売れっ子作曲家であるヘンデルにとって、地方でくすぶっているオルガニストとわざわざ会うメリットもなくて、終始バッハとの面会は断り続けていたそうなのです。

 つまり、本来、ヘンデルはバッハと並び称してはいけないほどの“格上の音楽家”だったわけです。ヘンデルはイギリス王室御用達の音楽家であり、その曲は世界中で演奏されていたほどの重要人物であったけれど、バッハはドイツのローカルな音楽家であり、その死後、彼の作品は忘れられてしまったほどなのですから。それくらいに大きな格差があった二人なのです。

 バッハにとってのキーパーソンは、メンデルスゾーンでした。秀才であるメンデルスゾーンが音楽の勉強をしている時に、図書館の書架で見つけたのがバッハの楽譜だったのです。「これほどの作曲家の作品が埋もれたままなんて…もったいない」ってわけで、メンデルゾーン主催で、バッハの「マタイ受難曲」を復活上演したところ、これが大成功して、今に至り、あげくの果てに、ヘンデルとの音楽家としての立場すら入れ替わってしまった…と言うわけです。

 なんかなー。

 ヘンデルは、当時から国際的に活躍していた音楽家であり、その後も、その作品のいくつかはクラシック音楽のスタンダード曲として残り、いつも世界のどこかでその作品が演奏され続けているほどの大作曲家にも関わらず…ちょっとその扱い、軽くない? なんて私は思ったりするわけです。バッハがあれほど持ち上げられるのなら、ヘンデルはもっと重々しく扱われてもいいんじゃないの?ってね。

 ヘンデルの伝記を読んでみると、まさにその人生は成功者の人生であり、確かに日本人的には共感しづらいのは事実です。また、その代表曲が「メサイア」であり、日本では長らく「メサイア」を翻訳されたドイツ語で歌うのが普通だった昔は、ヘンデルもそれなりの人気があったそうですが、20世紀の終盤頃から「メサイア」を原語である英語で歌うのが普通になってきたあたりから、日本でのヘンデル人気って、陰りを見せるようになってきたと感じるのは私だけでしょうか?

 実際、今でもそうだけれど、クラシック音楽ファンって、ドイツ至上主義であると、私は何度も書いてますが、同時に、英語や英国およびアメリカを嫌いますよね。イギリス音楽とかアメリカ音楽を、ちょっと下に見る傾向がありますよね。「メサイア」もドイツ語で歌えばドイツ音楽だけれど、英語で歌うとイギリス音楽扱いをされて、それで人気が落ちてきた…と思うのは、私の偏見でしょうか?

 まあ、英語とかイギリスとかアメリカとかって…クラシック音楽って言うよりも、ポピュラー音楽ってイメージの方が強いものね。ミュージカルにせよ、ロックンロールにせよ、英語だもんね。私も、トスティの英語の歌曲を歌ったら「ミュージカルの曲みたい」と言われた事あります。それくらいに言語の違いによるイメージの違いって大きいんだなあって思います。

 そういう意味では、ヘンデルって「メサイア」のおかげでイメージダウンしているかな…なって思う事あります。ちょっと残念。

 ヘンデルは、もちろん、数多くのオペラを作曲していますが、それだけではありません。実際「メサイア」はオペラではなく、オラトリオだし、器楽曲にも有名な作品はたくさんあります。例えば…これね。

 「アラ・ホーンバイプ」です。「水上の音楽」の第2組曲の第2曲です。ネアカだよね、いかにも祝祭音楽だよね。私はこういう音楽が大好きだけれど、真面目な日本では受けが悪いのかもね。もっと真面目で、もっとネクラじゃないと、日本では受けないのかも。確かに、バッハの音楽って真面目だしネクラ(ゴメン)だものね。

 ちなみにバッハと言えば、これ。「マタイ受難曲」です。

 ヘンデルとの音楽性の違いは…すぐに分かるほどに違いますね。私も「マタイ受難曲」は大好きだし、これは日本人受けするってのも、よく分かります。でも、ネクラと言えばネクラだね。

 ロッシーニよりベートーヴェンが好きな日本人は、ヘンデルよりもバッハが好きなわけです。享楽的で祝祭的な音楽よりも、禁欲的で自己批判的な音楽の方を好むわけで。それが国民性なんだからと言っちゃえば仕方ないのかもしれないけれど、クラシック音楽ってヤツは、我々の音楽ではなく、ヨーロッパの民族音楽なんだから、まずは現地での評価ってヤツは大切に尊重しないと、なんかいけないんじゃないかって思う私でありました。…だからと言って、バッハやベートーヴェンがダメって事じゃないです。もっと、ロッシーニやヘンデルも評価しましょうって話です。

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2017年8月21日 (月)

大好きな作曲家について語ってみよう その7 レオンカヴァッロ

 いやあ、出しちゃいました、マイナー作曲家“レオンカヴァッロ”(笑)。

 思わず(笑)マークを付けちゃいましたが…。実際、レオンカヴァッロは、キラ星のごとく並ぶ大作曲家の群れの中に入れるには…ちょっと無名な作曲家である事は、私も重々承知をしています。でも、大好きな作曲家だし、ある意味、私の人生を大きく変えた作曲家であるので、無茶を承知で、ここに入れてみました(爆)。

 レオンカヴァッロという作曲家は、世間的には無名作曲家されても仕方ないのです。だって、代表曲は「道化師」ただ1曲。それもデビュー作なんですよ。つまりレオンカヴァッロという作曲家は、音楽界の“一発屋”なんです。そう言われても仕方ない存在が、レオンカヴァッロなのです。

 でも、その“一発”が、とても素敵なのです。

 私が今のようにオペラにハマるきっかけとなったのが、このレオンカヴァッロの「道化師」だったのです。

 この世にオペラというものが存在する事を知った時、その頃の私の音楽の師匠ともいうべき職場の先輩が「オペラを聞くなら、マリア・カラスとマリオ・デル・モナコを聞かないとダメ!」と言うので、さっそくこの二人の歌手の代表作を入手して、聞きました。

 で、何を聞いたのか言えば、カラスは「椿姫」を、モナコは「道化師」を聞きました。

 当時は、レコードからCDへの移行期で、もちろんネットなどあってない時代でした。多くの有名な演奏が(レコードだったので)廃盤となり、順にCD化されていた時代です。私が入手したカラスの「椿姫」は、モノラルのライブ音源で、実に音質が悪かったです。ほぼ、海賊盤のような音質で(今の私なら平気なのですが)当時の私には、その音質の悪さは耐え難いもので、どんなにカラスの歌唱が素晴らしいと言われていても、二度と聞きたくないと思ってしまったものです。

 ちなみに、マリア・カラスの音源は、現存するモノは、どれもこれも音質的には誉められたものではありません。現在の音源を聞き慣れている耳には、耐え難いほどの低音質の録音ばかりですが…お好きな方にはこの低音質もまた味になっているようです。ある意味、フルトヴェングラーのライブ録音の第九もまた、音質的には最低最悪、海賊盤以下と言ってよほどの劣悪な音質なのですが、それでもオールドなクラシックファンに愛聴されています。おそらく、それと通じたモノがあるのだろうと思います。

 カラスは素晴らしい歌手ですし、そのカリスマ性は他の歌手の追随を許さないことは私も同意しますが、その演技力や歌唱力に関して言えば、最近の歌手たちのレベルも上がり、決してカラスがトップであるとは言いづらい状況になってきたと思います。現在の世界トップのソプラノたちは、カラス並か、それ以上の演技力と歌唱力を持っていると思うので、オペラの勉強のためなら、何も無理して悪い音源(で映像があまり残っていない)カラスを聞く必要はなく、最近のハイビジョン収録のオペラで勉強した方が良いと思います。

 マリア・カラスは、あの時代では、ずば抜けて素晴らしいソプラノだったのだと思いますが、後の続く世代の歌手たちは、みなカラスを目指し、カラスから学び、やがてカラスを乗り越えていったわけです。だって、カラスの全盛期って、もう半世紀も昔の話だよ。むしろカラスを乗り越えられなきゃ、ダメでしょってくらいの時間は経ってますって。

 まあ、世代交代論的に言えば、モナコだってカラスと似たり寄ったりの状況でしょう。

 しかし、カラスは聞けなかった私が、モナコは愛聴したのです。カラスがソプラノで、モナコがテノールだった…というのも一つの理由ですが、カラスの音源の低音質と比べると、モナコの録音は、なかなか優秀であり、現在の我々の鑑賞にも耐えうるレベルのものであった事も大きな要因だろうと思います。実際、モナコ関係の録音の多くは、スタジオ録音だしステレオ録音だし、なかなか良いんですよ。もちろん、カラスのEMIと、モナコのデッカといった、レコード会社の技術力の差もあったとは思います。

 ちなみに、モナコのライブ録音(最近は結構出回ってますよね)は、実はあまり薦められません。音質がカラス並に悪いのはもちろんとして、歌唱としても、表現を優先するあまり、あっちこっちに歌唱的な破綻はあって、コレクター商品としての入手ならともかく、オペラの勉強には向きません。そういう事を考えていくと、ライブ録音がたくさんレコード化されたカラスって、本当に歌が上手いんだなあと改めて思うわけです。

 閑話休題。そんなわけで、モナコが歌う「道化師」を、私はオペラを学び始めの頃、浴びるほど聞きました。そして、ある意味モナコが歌う「道化師」が、私にとって、すべてのオペラの評価基準の物差しにすらなりました。それくらい、私の血肉となったのが、この録音だったのです。

 ちなみに、この録音は、さすがに現在では廃盤になっています。まあ、中古屋に行けば、高価な値段で取引されていますが、オペラの勉強のなら、そこまでのお金を支払ってまで入手する必要はないでしょう。現在安く流通しているDVDの方が良いと思います。

 さて、このモナコの「道化師」にハマったのは、もちろん主役を歌うモナコの素晴らしさがあったとは思うけれど、やはり作品の素晴らしさがあった事は事実です。どんなに歌集が素晴らしくても、つまらない作品だったら、こんなにハマるわけないですもの。

 実際、その後も、色々なテノール歌手が歌う「道化師」を買い求め聴き漁りました。歌手によって、表現の違いもあり、深い感銘を受けた演奏もあれば、残念なモノもありましたが、それであっても、オペラ「道化師」がイヤになる事はありませんでした。それどころか、ますます大好きになって…。私にとって「道化師」というオペラは、それくらい大切な作品になってしまったわけです。

 たぶん「道化師」にどっぷりハマってしまった人は私一人だけではないと思います。この作品にハマっている人は、世界中にたくさんいるんだと思います。だから、今でも世界中の歌劇場で上演されるわけです。

 でも残念な事に、作曲家であるレオンカヴァッロにとっては、これが最初で最後の成功作だったのです。

 どんな気分だったのでしょうね。彼は「道化師」以降も多くのオペラを書いていますが、どれも現在上演される事はありません。当時的には、失敗作の連続であったと聞きます。

 あと、彼は歌曲も多く書いていますが…現在でも普通に演奏される曲は「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」くらいでしょう。良い曲ですが、この曲は、曲の良さで残ったのではなく、当時の大スター、エンリコ・カルーソのために作曲され、彼が歌って録音してヒットしたおかげで残っている曲なのです。彼が書いた多くの歌曲は「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」クラスの歌曲は他にもたくさんあります。輸入盤を漁ると、レオンカヴァッロの歌曲集もありますし、歌曲の楽譜も割と簡単に入手できますが…なかなか実際の演奏会では聞けませんよね。

 実際に、レオンカヴァッロは、普通に良い曲はたくさん書いてます。ただ、歴史の流れの中では、いずれ消えてしまう程度の作品ばかりなのは否めないでしょうね。そういう意味で、やはり彼は“一発屋”なのです。

 最後に面白い作品を紹介します。この曲も、やがて歴史の中に消え去ってしまう事は必定なのですが…。テノールと管弦楽のための交響詩です。珍しいジャンルの曲ですよね。タイトルは「5月の夜」です。歌詞はフランス語です。この曲は、詩人と音楽の女神の会話を交響詩にした作品です。詩人の歌唱をテノールが、音楽の女神の部分はオーケストラが演奏するという意欲作で、決して悪い作品ではないのですが…それでも残らないというのが、いやはやなんともです。

 この曲がフランス語ではなく、イタリア語かラテン語で書かれていたら、もう少し演奏のチャンスも残っていたろうになあ…なんて思ったりします。

 演奏時間は、小一時間です。お時間のある方は、どうぞ。

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2017年8月19日 (土)

大好きな作曲家について語ってみよう その6 ワーグナー

 ワーグナー…ドイツナチスのテーマ音楽として使われた事もあって、サヨクの方々に鬼のように嫌われている作曲家です。いや、サヨクだけでなく、良識ある人々には未だに眉をひそめられているフシが無いわけじゃないです。実際、ユダヤ系の人々は今でもワーグナーを嫌っていますし、なにかとナチスとペアで語られる作曲家ですが、それって、ワーグナー本人にすれば「なにそれ、迷惑(プンスカ!)」って話でしょうね。

 実際、ワーグナーの生前には当然ですが、ナチスなんて無くて、彼の死後、残された音楽があまりに素晴らしいから、劇場型政治の創始者であるナチス(ってかヒトラー)が、ワーグナーの音楽を利用したわけで、ワーグナーとナチスの紐付けはナチスが勝手にやった事で、ワーグナー本人やその音楽と、ナチスや戦争やユダヤ人虐殺は、無関係なんだけれど…あまりに紐付けられたイメージが強くて、そんな甘いことは言ってられませんわな。

 という訳で、未だに一部の人たちからはタブー視されるワーグナーですが、私は、純粋に音楽として、大好きですよ。もちろん、戦争を賛美するつもりは毛頭ありませんし、ユダヤ人虐殺だって肯定しませんよ。そういうナチス関係の諸事とは切り離して、音楽としてのワーグナー作品を愛していますし、その作者であるワーグナーを尊敬します。

 もっとも、ワーグナー自身は、筋金入りのヒトタラシで、やり手で、天才なんだけれど同時に職人タイプの音楽家でもあったわけで、ほんと、スケールのデカイ人なんだと思います。まあ、見方によっちゃあ、クズだったんだけれどね(笑)。とにかく、個性、強すぎな人です。たぶん、彼の本質は、中二病のオヤジなんだけれど、音楽の才能に満ち溢れすぎていて、中二病の悪夢を音楽で表現できちゃったわけで、そういう意味では、現代の日本的に言っちゃえば、円谷英二とか、手塚治虫とか、宮﨑駿とか、庵野秀明とか、富野 由悠季とか…まあ、そういう人たちと同じ種類の人で、単なる音楽家と言うよりも、妄想を表現する天才だったんだろうと思うわけです。

 つまり彼は、音楽家である以前に、表現者であったわけです。だから「自分が作るモノは歌劇じゃない、楽劇だ!」と言い出さざるを得なかったんだろうと思います。

 つまりのところ、19世紀ヨーロッパに登場したオタクキングがワーグナーではなかろうかと思うわけです。たぶん、今の時代に生きていたら、作曲家ではなく、アニメや特撮をバンバン製作しているんじゃないかしら…なって思ったりする私なのでした。

 それはさておき、音楽史的には、すっごい作曲家であった事は確かで、モーツァルトがタネをまいたドイツオペラを、ベートーヴェンやウェーバーを経由して、本格的に花を咲かせたのがワーグナーだものね。ちなみに幕引きをしたのが、リヒャルト・シュトラウスね。

 とにかく、ワーグナーの功績は、クラシック音楽的に見ても、オペラ的に見ても、ドイツ音楽的に見ても、どの方面から見ても、無視できないことに大きいわけです。ワーグナーがいなかったら、ドイツオペラなんて無視しちゃってもいい程度のジャンルで終わっていただろうし、“ワーグナーこそがドイツオペラである”って言っちゃってもいいと思うし、それくらいワーグナーって、天才的なわけで、素晴らしいわけで、だからナチスが使っちゃったのも納得しちゃうわけです。

 とにかく、ワーグナーの作品って、すごいよね。

 私も今までたくさんの音楽を聞いてきたし、感動もいっぱいしてきたけれど、音楽を聞いて、腰が抜けて立てなかったという経験は、ワーグナーでしか、した事はないよ。

 かつて、横浜で上演された二期会の「神々のたそがれ」…日本人キャストによる日本初演だったそうです…を生で聞いて、本当に腰が抜けて、オペラが終わっても、感動のあまり、しばらく立てなかったもの(マジです)。

 それくらい、毒々しい音楽を書いたのがワーグナーなんです。

 ワーグナーって、マルチな才能を豊かに持っていた人なんだと思います。友人…と言うよりも、師匠として学びたいタイプの人です。もっとも、実際にそばにいたとしても、きっと彼は自分の仕事の手伝いはさせても、弟子に手取り足取り何か教えてくれるってタイプではなさそうだけれどね。天才から何かを学ぶっては…そりゃあ無理だわな。

 という訳で、私が好きなワーグナーと言えば「神々のたそがれ」のフィナーレ…いわゆる“ブルュンヒルデの自己犠牲”と呼ばれている曲です。本当に感動的な音楽なのですが…劇場で生演奏を見るのと、YouTubeでチャチャと見るのとでは、感動も全然違うだろうけれど、こういう毒々しい音楽もあるんだなあと思ってください。

 それにしても、並のソプラノじゃ歌いきれない重量級の歌だよね…。ワーグナーって、作品第一主義の作曲家で、歌い手の事は…たぶん、何も考えてないと思います。まあ、オタクって妄想に生きている人間だからね、しょーがないね。

 私にとってワーグナーという作曲家は、ナチス御用達の作曲家ではなく、オタクで中二病をこじらせた作家…なんだな。私に同意する人がどれくらいいるかは分からないけれど、私はそういうふうに彼の事を考えています。

 明日は連載をお休みして、違う系の記事をぶっ込みます。

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2017年8月18日 (金)

大好きな作曲家について語ってみよう その5 ベートーヴェン

 初っ端のモーツァルトはともかく、その後、ヴェルディ、プッチーニ、トスティと、私は大好きだけれど、世間的にはマイナー作曲家が続いてしまったので、ここらでメジャーな作家を出しとかないと、バランス悪いなあと感じた私が、今回取り上げるのが、ベートーヴェンです。大メジャーです(笑)、パフパフパフ~…!。

 私、自分でも意外なのですが、ベートーヴェンって作曲家、実は好きなんですね。とは言っても“聴力を失っても音楽家を辞めなかった不屈の精神”とか“苦難から喜びへ”とか“運命はこのように開かれる”とか“楽聖”とか“9つの交響曲”とか“ピアノの新約聖書”とか“三大B”とか、そういう多くの人々がベートーヴェンに惹かれるワードには、特に魅力を感じていません。

 私がベートーヴェンに感じる魅力ってのは“不器用な人間が一生懸命に頑張っている姿…”かな? ベートーヴェンって、楽聖とか言われ、音楽の神様のような扱いを一部の方々にされていますが、私が見るに、彼って、そんなに才能豊かでもないし(ごめんなさい)、そんなに偉い作曲家でもない(ごめんなさい)って思うんですよ。

 もちろん、音楽家としては一流だし、才能だって他の作曲家と比べれば豊かに持っている事に間違いは無いわけだろうけれど、ちょっと過大評価されすぎ…って思うわけです。一流だけれど、超一流って感じじゃないし、同時代的にも一番手ではなく、二番手扱いの作曲家だったわけで、それなのによくぞ、後世(つまり現在)の評価が、こんなに高くなったのかな? ベートーヴェン君、頑張ったもんね…って感じなんですよ。

 才能が超一流でなくても、努力と根性とタレント性で超一流の評価を得て、結果として“世界一の作曲家”の地位を固めた、不器用で愚直な音楽家。それが私にとってのベートーヴェンなのです。

 日本の学校における音楽教育って、ドイツ視点なんですよ。はっきり言っちゃえば、ドイツに偏った見方をしています。

 クラシック音楽が全盛期だった時代、世界の中心は、ドイツではなく、今は小国となってしまったオーストリアであり、その都のウィーンであり、ウィーンを取り巻くように、フランスのパリとか、イギリスのロンドンとかが、一大音楽消費地として存在していたわけです。

 だから、モーツァルトもウィーンを目指したし、ベートーヴェンもウィーンに出てきたのです。ウィーンじゃイマイチだったヘンデルはロンドンを目指したわけだし、パリに落ち着いたショパンだって、最初はパリではなくウィーンでの成功を目指していたわけです。

 で、ベートーヴェンの時代、ベートーヴェンもウィーン子に愛されていたけれど、決してナンバーワンではありませんでした。

 勘違いしちゃいけないんだけれど、ベートーヴェンの時代、ダントツ一番人気の作曲家は、ロッシーニです。ベートーヴェンではありません。それどころ、ロッシーニは、ウィーンのみならず、パリでもロンドンでも大人気で、当時の世界ナンバーワン作曲家だったわけです。今でも、日本以外じゃあ、きちんと人気作曲家として扱われています。ただ、日本はドイツ視点でクラシック音楽を見ているので、ロッシーニの評価は低いんです。だってロッシーニを評価しちゃうと、相対的にベートーヴェンの評価を下げざるを得ないけれど、ドイツ視点的には、それは有り得ない話だからね。だから、ロッシーニは空気のようにいない事にされちゃうわけだ。

 当時のベートーヴェンは、あくまでもロッシーニの陰に隠れた、二番手、三番手の作曲家であり、現在のような高名な天才音楽家という扱いではなかったのです。

 ってか、ベートーヴェンの音楽って、同時代的には、かなり無視されていたんだよね。彼の生前、一番有名な曲で、彼の名刺代わりとなった曲って…当時は“戦争交響曲”と呼ばれた“ウェリントンの勝利”という曲です。で、この曲は、後に改訂されてオーケストラで演奏されるようになり、現代の私たちはそれで聞きますから、それでも立派で、いかにもベートーヴェン的な交響曲として聞きますが、この曲、実は、作曲された当時は“パンハルモニコン”と呼ばれる自動演奏オルガンのために作曲された、自動演奏オルガンの販売促進用のデモ曲だったんです。つまり、今風に言うならCMソングです。

 意外ですか? でも、当時のベートーヴェンの評価と、彼の立ち位置なんて、そんなモンだったんですよ。ロッシーニが大人気作曲家で、売れに売れて、お金を稼ぎすぎちゃって、このままではせっかく稼いだカネが使えないって心配になって、40歳になる前に、作曲家を辞めて、残りの人生(彼は76歳まで生きてました)を消費と浪費と美食に費やしたけれど、それでも財産を使い切れなかったそうなんだよね。すごいね。

 そこへ行くと、ベートーヴェンは、いつもお金の心配をし、日々倹約の毎日を送り、貯金に励んでいたわけで、貧乏ではなかったけれど、けっして豊かとも言い切れない人生を過ごしたわけで、彼は彼なりに頑張っていたわけです。

 私は、そんな、天才とは程遠い、業界では二番手三番手で、日々、営業努力をし、売れない音楽を書き続けて、一生懸命に働き続けた、ベートーヴェンが好きなんです。フリーランスの鏡じゃないですか!

 そんな彼が、ロッシーニに追いつき追い越せと頑張って、何度も書き直して、根性で仕上げたのが、歌劇『フィデリオ』です。ベートーヴェンが書き残した、たった1曲しかないオペラ、それも正直な話、ベートーヴェンというブランドがあるから残っているだけで、もしもこの作品が優良な作品の多いロッシーニの筆によるものだったら、きっと駄作扱いをされてしまって、消えてしまった程度の出来でしかなくても、私は、この『フィデリオ』が好きなんです。

 だって、実に、暗いんだもん(笑)。でも、音楽はいいですよ。陰キャラ満開の根暗ベートーヴェンの本領発揮って感じの音楽なんです。特に私が好きなのは、第二幕冒頭のテノールアリア「Gott! Welch Dunkel hier!/神よ、ここは暗い」です。

 ね、暗いでしょ? おまけに長いでしょ? イントロが長くて長くて、いつになったら歌が始まるんだい…って感じです。実際、この曲、イントロだけで4分あります。ロッシーニなら、アリア1曲分です(笑)。いかにもベートーヴェンが書きそうな、根暗な音楽でしょ? でも、これも彼の計略なんだと思うのです。根明でお気楽なロッシーニの音楽に対して、正面切って戦うには、こういう暗さが必要だったんだと思うんです。さすがはベートーヴェン、目のつけどころが違います。ただ、こういう暗い曲は、当時のウィーンでは、いや、当時のヨーロッパでは、受けなかった…ただそれだけなんです。

 ちなみに、参考音源で歌っているのは、ヨナス・カウフマンです。ドイツオペラのトップテナーは、現在、間違いなく彼だものね。彼の歌唱で聞くのが吉です。

 さて、こんな挑戦者然として、あれこれ格闘しているのが、私の好きなベートーヴェンなのです。交響曲やピアノソナタ、弦楽四重奏で楽聖として君臨している大作曲家ではなく、当時の人気者、ロッシーニに追いつき追い越せで、持っている才能のすべてを注ぎ込み、奮闘努力を重ねたベートーヴェンが好きなのです。

 その努力が、彼の死後、報われて、今は楽聖と呼ばれるほどの偉大な音楽家扱いを受けるようになったのだから、彼の努力も無駄ではなかった…と言えると思います。

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2017年8月17日 (木)

大好きな作曲家について語ってみよう その4 トスティ

 はい、今回取り上げる作曲家は、イタリアの作曲家、トスティです。ここのブログを読み続けている方は「あ、出た出た」と思ってくださるでしょうが、一般の音楽ファンの方々だと「誰、それ?」的な作曲家さんでございます。

 いやあ、私、トスティ大好きですよ。私が今までレッスン等で学んだ曲は、のべで108曲になりますが、そのうちの15曲がトスティの作品です。これは、作曲家別で学んだ曲数で言うと第1位になります。それだけ私は積極的にトスティを学び、歌ってきたって事です。

 ちなみに、第2位はプッチーニの13曲になります。ただし、プッチーニの場合、その大半は去年集中的に学んだ「ラ・ボエーム」なんですがね(笑)。トスティはコンスタントにコツコツと学んで、この曲数なんです。

 トスティは、声楽の作曲家です。それも歌曲の作曲家で、オペラは一曲も書いてません。さらに、彼の作品のほとんどである歌曲は、テノールを対象に書かれているものがほとんどです。つまり、トスティはテノール歌手のための作曲家であると言っても過言ではありません。それは、ショパンがピアニストのための作曲家であるのと同様なのです。

 だから、テノールである私が、トスティの事を好きにならずにはいられないってわけなのです。

 トスティについては、好きすぎて、すでに記事にして書いていますので、もしよかったら、それらの記事も御覧ください。

トスティって、本当はヴァイオリニストだったの?

トスティはイギリス人だったって知ってましたか?

トスティは三流の作曲家なのか?

 トスティは、いわゆるメロディーメイカーです。美しいメロディーをいっぱい書いてくれました。世の多くの作曲家たちは、彼らが生み出した最上のメロディを、大抵の場合、ソプラノに与えます。まあ、作曲家のほとんどはスケベ親父ですから、下心込みで、ソプラノにいい顔をしたいというのは、私も男ですから分からないでもないです。ですから、オペラのアリアであれ、歌曲であれ、美しいメロディーは、たいていソプラノのものであり、他の声種は、ソプラノのために書かれたメロディを移調して歌うことが多いのです。

 しかしテノールにはトスティがいます。トスティは、彼の生み出した美しいメロディをソプラノのためではなく、テノールのために書きました。これは彼が男に下心があったから…では決して無く(彼は、音楽家には珍しく、同性愛者ではありません:笑)、実は彼自身が優秀なテノール歌手であったので、自分のために曲を書くことが多かったし、美しいメロディーは自分のために使ったので、結果としてテノール歌手のための良曲がたくさん残ったわけです。

 ああ、うれしい。

 ちなみに、テノール歌手のために書かれた曲というのは、オペラのテノールアリアと、トスティの歌曲以外だと、ナポリ民謡ぐらいしかありません。ナポリ民謡は、良い歌が多いのだけれど、所詮民謡であって、芸術家曲ではありません。テノールアリアは、主役級のアリアしか無いので、激烈に難しく、歌う人を選びます。その点においても、トスティの歌曲がテノールのために書かれた幸せを私は喜びます。

 もっとも、トスティの歌曲はメロディが美しすぎるため「こんなのは芸術歌曲じゃない、イタリア民謡だ!」と言ってはばからない人がいるのも事実です。最近はそうでもないらしいのですが、ちょっと前までは、トスティの作品は鬼っ子扱いで、音大などでは学ばなかったそうです。まあ、いいけれど。

 トスティについては、今までも何度も書いてきていますので、何を語っても“屋上屋を架す ”となってしまうのですが、それほど私がトスティとその作品が大好きなことは分かってください。

 さて、大好きな一曲を選ぶとなると…本当に困ります。トスティに関しては、どれもこれも大好きですからね。あえて選ぶとすると…有名な曲ではありませんが「Love Me!/私を愛してください!」かな? 本当に美しい曲なんですよ。

 歌っているのは、テノールのホセ・カレーラスです。動画じゃないのが残念だけれど、この歌、本当に歌っている人が少なくて、当然、YouTubeに上げられている動画も少ないのです。その中では、この音源がやっぱり良くて、これにしました。実は私自身が歌った音源をここに貼っちゃうかと一瞬思って、聞き直して見たら、わざわざ貼り付ける価値もない歌唱であった事を思い知りました。

 当たり前の話だけれど、私の歌は、まだまだ下手っぴだね。上手くなる日は来るのかしら?

 どうしても私の歌を聞きたいという人(そんな人なんているのかしら?)は、ここをクリックしてください。どうなっても知らないよ(爆)。

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