ひとこと

  •  毎年の話だけれど、どうして成人式となると、ごくごく一部だけれど、イキってしまって暴れてしまうオノコが出てしまうのだろうか? たぶん、あれがカッコいいと思っているのだろうけれど、暴れるオノコは極めて少数で誤差の範囲程度しか存在しないんだよね。もしかすると、マスコミがいちいち暴れるオノコたちを報道するから、それに乗じて暴れているんじゃないかと、オッサンは勘ぐってます。マスコミが暴れるオノコたちを無視すると、案外数年で収まるんじゃないかと思っていたりします。
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カテゴリー「音楽一般」の記事

音楽ネタだけど、ノンジャンルなものはここです

2019年1月15日 (火)

なぜ現役世代にクラシック音楽は普及しなかったのか?

 クラシック系のコンサートに行くと、お客はたいていジジババばかりです。いわゆるシニア世代とかシルバー世代とかプラチナ世代とか言われる方々がブイブイ言わせているわけです。

 昔からこうだったのかと言えば、違います。私が若かった頃のコンサートは、現役世代の方々がひしめいていました。ジジババなんて、ほんのちょっとしかいなかったんですよ。ましてや、私のような若者世代なんて、ほとんどいませんでした。

 あれから30±α年。あの頃ブイブイ言わせていた現役世代がジジババになり、コンサートホールでブイブイ言わせています。当時ジジババだった人たちは、おそらく天国に召されていなくなり、若者世代だった私のような現役世代の終わりかけの半分シニアに足を突っ込んでいるような人は、相変わらずちょっとしかいません。

 で、我々よりも若い、いわゆる現役世代の人たちは、コンサート会場では、ほぼほぼ皆無と言って良い状態となっています。

 結局、今も昔もクラシック音楽を支えてきたのは、今のジジババ、つまりシニア世代の方々であって、その下の世代には、クラシック音楽は普及しなかった…と言えるんじゃないかなって思ってます。

 このままでは、ジジババのシニア世代の方々が死に絶えたら(ごめんなさい)、クラシック音楽を支える人がいなくて、日本のクラシック音楽も死に絶えてしまいます。

 冗談ではなく、かなりマジな話です。クラシック業界は、若い世代をファンとして取り込むのに失敗し続けた結果、現役世代をファンとして取り込むのに失敗してしまったと言えるのです。

 では、なぜ現役世代にクラシック音楽ファンは少ないのか?

 「現役世代は忙しくて音楽なんて聞いている暇ないから?」

 ならば、なぜ、昔の現役世代の方々はクラシック音楽を聞いたのでしょうか? 今の現役世代も忙しいけれど、昔の猛烈社員時代を経験した今のジジババたちの現役世代の忙しさは、我々の忙しさどころではないはずです。それでも彼らは音楽を嗜んだ。忙しいから音楽を聞かない…と言うのは、言い訳に過ぎません。

 昔の人はハングリーだった…と言うのは、言えると思います。彼らは、何事にもハングリーで、音楽だって、自分から食らいついて楽しんでいったわけです。当然、クラシック音楽だって、なんだかよく分からなくてもガツガツと貪っているうちに、楽しくなってしまったんだろうと思います。

 一方、今の現役世代は、ゆとり世代とかさとり世代とか言われる人たちが大半です。まあ、有り体に言えば“欲が無い”わけで、全くガツガツなんてしていなくて、ハングリーとは方向性が真逆な人たちです。よく知らないものには興味を示しませんし、欲しがりません。クラシック音楽のような、自分たちの生活の中には無いものには、特段の興味を示さないだろうし、欲しがりませんし、楽しもうとはしません。

 クラシック音楽は、学校の音楽の時間に勉強して、卒業したら、それでお終い…って感覚なんだろうと思います。終わったもの、つまり、クラシック音楽は彼らにとって“オワコン”なんだろうと思います。

 それじゃあ、聞くわけないよな。コンサートにも行かなきゃ、CDも買わないよね。

 別に私はクラシック業界の人ではないので、この業界が先細ってダメになっても、まあいいやと思ってます。この世の楽しみはクラシック音楽だけじゃないので、これがダメになったら、別の楽しみを見つければいいだけと思ってます。なので、現状をどうにかしようとかいう思いも特にありません。

 ただ、少しでも長く楽しめたらいいなあとは思ってます。そういう意味では、多少なりとも、若い世代にクラシック音楽が浸透してくれたらいいなあって思います。

 では、どうすれば、若い世代にクラシック音楽が浸透できるのか? それはまず、オワコンで無くなる事です。学校の音楽の授業で学ぶモノではなく、日常生活の中に普通にある音楽になればいいのです、今のポピュラー音楽のように…って、無理か?

 仮面ライダーもウルトラマンもガンダムも昔のコンテンツだし、スーパーマンやバットマンだって、昔のコンテンツです。でも今でも新作が作られ続けています。日本のヒーローたちは(並行世界が前提なんだろうね。前作までが全くなかったかのように)新作が作られ続けている(おそらく輪廻転生だ)し、ハリウッドのヒーローたちは、リブートというやり方(こちらはある意味、時間の巻き戻しです)で、何度も何度も再生産されつづけています。クラシック音楽も、新作が作られたり、リブートされて再生産されるならば良いのでしょうが、なぜ、特撮ヒーローには可能な事が、音楽だと無理なのか?

 鍵は、プロデューサーの不在…なのかもしれない。と私は考えます。

 それでもクラシック音楽は、ヨーロッパでは自分たちの文化だから細々と残るだろうけれど、少なくとも日本では壊滅状態になるんじゃないかしら? 当然、国内のクラシック音楽家のうち、相当数は廃業せざるをえないだろうし、私立の音大はバッタバッタ倒産するんだろうねえ…。まあ、そんな未来もありうるって話です。

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2018年12月19日 (水)

私流の暗譜のやり方

 2018年現在の、私流の暗譜のやり方を書いておきたいと思います。

 まず、フルートの暗譜ですが、基本的にできません(笑)。いやあ、全然無理。フルートは、演奏するために指を動かさなきゃダメじゃない? それで、脳みそのリソースが暗譜に振り分けられないんです。フルートの演奏中は“楽譜(音符や様々な音楽記号)を見て、それに該当する動作(運指とかタンギングとか)に翻訳して指を動かす”事に、脳みそのリソースをかなり使ってしまうみたいなのです。なので、暗譜は全然無理です。

 それでもレッスンのエルステユーブンゲンは何とか暗譜しているのだけれど、あれはどうやっているのかと言うと、覚えるべきメロディを固定ドの階名唱にして、それを歌詞として暗譜しています。つまり、歌として暗譜しているわけだ。

 なので演奏する時は、脳内で歌いながら笛を吹いているわけだけれど、これが結構困難で、フルートを持っていなければ、普通に歌えるのに、フルートを持った途端に脳内のリースがフルート演奏に割かれてしまい、全然歌えなくなります。で、暗譜演奏が出来ないわけです。

 という理由で、フルートでの暗譜は、私にとって、かなり無理です。

 よく楽器の場合“指で覚える”という人がいますが、私には想像もできない事です。どうすれば、指で曲が覚えられるのだろう?

 次は声楽。もちろん、普段のレッスンで歌っているモノは、基本的に暗譜しません。暗譜するのは、本番で歌う時です。基本、歌って暗譜前提なんですね。器楽と違って、楽譜をガン見しながら演奏するって、まあありません。

 ただし、ご老人が多い市民合唱団などは楽譜手持ちが多いかな? ご老人は暗譜が難しいものね。私も年々暗譜が大変になってきました。やがて楽譜をガン見しないと歌えなくなるかもしれません。

 同じ合唱でも、児童合唱とかお母さんコーラス(いわゆる、ママさんコーラス)は、若いという事もあって、暗譜が基本だよね…ってか、暗譜どころか踊りながら歌ったりするしね。すごいなあ…。

 さて、私の声楽曲の暗譜のやり方だけれど、まず最初の一ヶ月はひたすら楽譜をガン見して歌うだけです。この段階は、メロディなどの音楽部分をクチに覚えさせる作業となります。まあ、いわゆる音楽稽古って奴です。毎日、一ヶ月も歌っていれば、たいていのメロディは暗記できますし、だいたい歌えるようになります。

 クチでメロディを覚えたら、いよいよ歌詞を覚えます。覚える時は、音程は横において、歌詞をリズム唱として覚えますが、一応、ひとことひとこと、丹念に頭から覚えていきます。1フレーズ覚えたら、それを何度も繰り返して、定着したら次のフレーズに…って感じで行きます。1日の暗記量は、歌詞にすると、だいたい1行程度でしょうか? なので、一曲をだいたい覚えるのに、2週間程度かかっちゃいます。

 で、だいたい覚えたら、その段階で楽譜を外します。当然、まだ暗譜は完全ではないので、あっちこっち歌えませんが、歌えない箇所はもう一度暗記し直します。そうやって、トライ&エラーで、歌えない箇所を潰していきます。

 この段階になると、自宅での音楽練習の時だけでなく、なんとなくボケっとしがちな、ちょっとした空き時間(例えば、道を歩いている時とか、電車バスに乗っている時とか)でも、脳内で一生懸命、歌って暗記の定着作業をします。むしろ、音楽練習で暗記している時間よりも、スキマ時間に暗記している時間の方が多いかもしれません。

 で、だいたい歌えるようになったら、今までリズム唱だったものに音程を付けて、それをクチで覚えます。ダンスや演技が必要なら、この段階で一緒に暗記します。この作業にだいたい一ヶ月かかります。こうやって暗譜をしていきます。

 なので、本番準備としては、三ヶ月程度の時間が必要なわけです。2曲覚える時は2曲同時並行で、3曲覚える時は3曲同時並行で覚えていきます。なので、1曲でも三ヶ月かかりますが、3曲でも同じ期間で覚えちゃいますし、オペラの1シーンを歌った時も、ほぼ同じ期間で暗譜できました。なので、暗譜作業に関しては、暗譜しなければならない分量よりも、暗譜作業に取り組める期間の方が、私には大切なようです。これに関しては、自分でも不思議だなって思ってます。

 実際、以前、二ヶ月ほどで2曲暗譜しないといけない時は、えらく大変だった記憶があります。やってやれない事はないけれど、二ヶ月での暗譜を大変です。やはり歌の暗譜には三ヶ月は必要なようです。

 私はこんな感じで歌の暗譜をしています。

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2018年12月18日 (火)

プロとアマの違い

 もちろん老犬ブログですから、音楽家における、プロフェッショナル(以下プロと略)とアマチュア(以下アマと略)の違いについて語るわけだけれど、考えてみれば、これは野球やサッカー、ゴルフなどのスポーツの世界のプロアマについても通じる内容だなって思いました。ただし音楽の場合、プロアマの境目がある意味でアバウトなために、色々な問題も抱えていると思ってます。

 さて、プロとアマの違いは、4点ほどあると思います。

1)プロは一定水準以上の卓越した技量を有するが、アマの技量は千差万別である。

 分かりきった事ですが、下手くそなプロはいません。少なくとも、一定水準以上の技量を持ち合わせているのが、プロです。その点、アマは初心者も言えば、かつてはプロは目指していたし、そのレベルの技量を持ち合わせているけれど、色々な事情で現在はアマとして活動しています…という人まで、様々な人がいます。

 問題は…と言うか、最近、ポツポツと見かける、プロを自称しているけれど、力量が全然水準に達していない人がいる事です。

 この手の人は、数年間はプロの看板を出していますが、やがてその看板を引っ込めて一般人になる人がほとんどです。私は、これに関しては、日本の音大教育に問題があると思ってます。つまり、学生の技量を卒業までに一定水準にまで引き上げられないまま卒業させてしまうという現実です。でも音大を卒業してしまえば…日本では音大の卒業証書がプロの認定書みたいなものですから…プロを自称して仕事を始めてしまうわけです。

 ほんと、これはどーなのかな?って思うわけです。

2)プロはアマを指導するが、その逆はない。

 プロの音楽家の仕事は、音楽仕事です。当たり前です。その音楽仕事には、作曲や演奏だけでなく教育も入ります。学校の先生になる人もいるし、街の音楽教室の先生になる人もいますし、サークルの指導者になる人もいます。教える事もプロの仕事なのです。ですから、プロはアマを教えるだけでなく、プロがプロを教える事だってあるわけです。

 で、さすがにアマがプロを教えるという事はないでしょうが、しばしば見かけるのが、アマがアマを教える…という場面です。

 学校の部活動でしばしば見かけますし、街のサークルなどでもよくあります。これって、どーなんでしょうね? 指導者を雇う金が無いとか、そもそもその地域に指導者がいないとか、様々な理由ははあるでしょうが、聖書に「盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」と書かれていますが、これって、そういう事だろうと思うのです。

3)プロはその演奏の対価として報酬を得るが、アマは対価として喜びや楽しみ、名誉を得る

 プロは仕事ですからね、自分の楽しみよりも顧客の楽しみや喜びを優先しないといけません。もう飽き飽きしているかもしれませんが、毎日毎日同じ曲を演奏しなければいけない人だっているでしょう。少なくとも、その曲を演奏する事で顧客が喜ぶなら、そうするべきです。

 アマは自分が楽しければ何をしてもいいのです。自分のために演奏するのですし、見物人がいる場面でも、自分の演奏を聞いてもらうというよりも、自分が音楽を演奏して楽しんでいる様子を見てもらう…というので十分でしょう。

 問題は、アマなのに有償で(演奏会と名乗る事が多いですが)発表会を開く事です。さすがに個人のコンサートでチケット販売をするアマは、まずいませんが、しばしばアマの音楽団体が有償で発表会を行っています。チケットを販売する団体には、彼らなりの言い分はあるのでしょうが、彼らはそのチケット代に見合うほどの演奏が出来ているのでしょうか? 出来ているというのなら、なぜプロとして活動しないのでしょうか? 会場費を捻出するためとか、ましてや自分たちの打ち上げ代に回すためにチケットを販売している団体もありますが、それは何かが違うような気がします。

4)プロは基本的に専業であるが、アマは本業の傍らに楽しみながら行う。

 プロの音楽家は、その活動に報酬が伴いますから、基本的に専業です。アマは生業があった上での音楽活動です。

 問題は、専業になりきれない、副業をしなければ生きていけないプロがいるって事です。むろん、本人の技量不足や営業努力不足が原因の場合もありますが、そもそも論として、日本には音楽のプロが多すぎて、彼ら全員に仕事が行き渡っていないという現実があると思います。つまり、仕事の量に対して、人員が多すぎるのです。であれば、副業をせざるをえないプロの方がいても、全く仕方のない事だと思います。

 夢をもって音大を卒業し、海外にも留学し、力量は十分だし、営業努力も人並み以上にしても、生計を支えるだけの仕事に恵まれずに、やむなく廃業してしまう若い音楽家の方々を私は知っていますが、本当にそれは不幸な事だと思ってます。

 以上、プロアマの違いについて見てみましたが、なんかあれこれ問題があるものですね。

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2018年12月 5日 (水)

いつまでレッスンに行ける? いつまで音楽で遊べる?

 ちょっぴり切なくなる話をします。

 私もいい年したオッサンです。いや、爺さんかな? 孫はいないけれど、孫がいても不思議じゃない年だしね。今はまだ元気だし、収入もあるし、忙しいと言いながらも、音楽趣味を続けて、毎日を楽しく過ごしています。

 音楽趣味が無かったら、今頃、仕事のストレスで、ズタボロになっているかもしれません。そういう意味では、音楽で遊べてよかったなあと思ってます。

 で、その音楽趣味って、いつまで続けられるかしら?

 ポイントは、収入と健康と体力ですね。

 収入は…今は現役だから、なんとかなっているけれど、音楽趣味って、基本的にお金がかかる趣味なんですよね。レッスン代は安くないし、発表会や合宿があれば、万札がふっ飛びます。衣装代や楽器のメンテ代もかかります。年金ぐらしで、そんな生活、できるのかしら?

 健康には…自信がありません、全くありません。基本、病弱だものね、脆弱の虚弱だものね。今は健康でも、時がくれば、がっくりきて、ばったりになってしまうかもしれません。あと、何年、元気でいられるか? それ以前に、あと何年、生きて音楽できるのかしら?

 体力は深刻だよね。声楽にせよフルートにせよ、私は歩いてレッスンに通ってますので、歩けなくなったらレッスンにいけません。声楽にせよフルートにせよ、演奏する時は立ったままですか、起立し続けるのが難しくなったらできません。私はおデブちゃんだから、他人よりも、歩いたり立ったりするのが、早い段階でできなくなりそう。膝が壊れたら、一巻のおしまいだしね。

 それと、声楽のY先生は年下だから問題ないとして、フルートのH先生は、かなりのお年なんだよね。時折、引退をほのめかされるけれど、そんなに遠くない将来、H先生は引退されるだろうし、先生が引退されたら、それは同時に私のフルーティストとしての引退だろうなあって思ってます。だってね、一度、H先生のようなすごい人に師事しちゃったら、趣味のオジサン的には、次は無いよ(笑)。よほどの先生についたとしても、結局物足りなるだろうし、そうなると、お互いの不幸になるのは分かるもの。だから、H先生の引退は私の引退なんだけれど、H先生の引退も、すでにカウントダウン状態だから…ねえ。

 人の寿命には限りがあり、未来永劫、今日が続くわけではありません。やがて、私も、私の周囲の人も年をとり、衰えていきます。楽しい音楽の時間にも終わりがあります。

 ああ、あと何年、音楽で遊べるのかな?

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2018年12月 3日 (月)

テノールとバリトンの違いは、気持ちとテクニックの問題でしょ(クイーンの話)

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしているそうです。私も見てきました。私の感想としては「映画としては、かなり面白いけれど、クイーンを見たけりゃ、ミュージックビデオ集を見た方が楽しめるなあ…」って感じかな? 

 私の個人的な感想はさておき、映画のヒットと一緒にクイーンとフレディ・マーキュリーが再注目されているそうです。クイーンのファンとしては、嬉しい限りです。

 で、そのフレディの声の話。最新の研究成果では、フレディの声はバリトンなんだそうです。ただし、バリトンと言っても、かなり高いバリトンで、いわゆるテノリトンとかバリノールとか呼ばれるタイプの声だったみたいです。

 私としては「だからどーなの? フレディの声はテノールでしょ?」って思ってます。

 ノド(声帯)と声って、密接な関係はあるけれど、必ずしもイコールではないわけです。もちろん、声はノドの制限を大きく受けるわけで、いくら努力しても物理的に無理な事は無理なのです。テノールのノドの人がバスは歌えないし、その逆も無理。この2つの声種の間には、広くて深い谷があるからです。

 でも、テノールとバリトンの間にある谷は深いけれど、そんなに広いわけではありません。人によっては、ぴょんと飛び越えることが可能な程度の広さだったりします。

 実際、世界的なテノール歌手たちも、そのキャリアの初めはバリトンだったと言う人は、たくさんいるし、テノールでありながらもバリトンの歌も歌っちゃう人もいます。有名なところでは、ドミンゴがそうだし、デル・モナコやベルゴンツィなんかもそうです。現役歌手で言えば、彼らはバリトン役は歌ってませんが、クーラやカウフマンなどのノドは、おそらくバリトンでしょ。

 持っているノドがバリトンであっても、テノールでありたいという強い気持ちと、発声テクニックがあれば、テノールとして活躍できます。

 だから、フレディのノドがバリトンであったとしても、彼の声はテノールなのです。だいたい、あんなエキセントリックな性格の持ち主がテノール以外の声で歌いたいとは、絶対に思わないでしょ? フレディなんて、典型的なテノール気質じゃない?

 あと、フレディの声域が4オクターブではなかったと記事に書いてあるけれど、この世に4オクターブの男声歌手って存在するの? 滅多にいないよ。

 大抵の男声歌手の声域って、いくら広くてもせいぜい2オクターブ前後です。むしろ2オクターブも出せれば、声域は広い方です。

 ちなみにバスの最低音からテノールの最高音までが、約3オクターブです。もし4オクターブの声域を獲得したいなら、バスからカウンターテナー(音域的にはアルトですね)までの声を駆使しないといけません。たまに、本業はバス歌手だけれど、たまにカウンターテナーも歌いますという歌手さんもいますが、そういう人は確かに音域が4オクターブ…って言えるかもしれませんが、そういう方って、途中の声域が中抜けだったりするんだよね。つまり、テノール音域がうまく歌えなかったりします。

 フレディの声は中抜けじゃないし、バス歌手のような低い声は出していません(し、出ないでしょう)。声的には、普通にテノールであって、声域的にも極端に広いわけではありません。実際、クイーンの多重録音されたコーラスの中でも、高いパートはフレディじゃなくて、ロジャーが歌っていますので、実はフレディって、そんなに高音が得意な歌手ではないのかもしれませんが…高音が得意ではないテノール歌手なんて、掃いて捨てるいるので、そこは問題ではないと思います。

 それにフレディは、声の高さとか声域の広さで勝負している歌手ではありません。密度の濃い声と、説得力のあるヴォーカルテクニックとで、独自の世界観を表現している唯一無二の歌手なわけです。フレディの前にフレディなし、フレディの後にフレディ無しです。私はそう信じてますです。

追伸 最近のクイーンは、三代目のヴォーカリストである、アダム・ランバートと共に活動しています(二代目は、バッド・カンパニーのヴォーカルでもあるポール・ロジャースでした)。しかし、あまりにフレディが偉大すぎて、現在のヴォーカリストさんが全く注目されないというのも、困ったものです。いつまでも過去にしがみついていても仕方ないし、死んじゃったフレディが生き返るわけじゃないし…ねえ。

 というわけで、最近のクイーンって、こんな感じのようです。

 これはこれで悪くないと私は思いますよん。

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2018年11月19日 (月)

「歌詞がいいですね」は褒め言葉なのか?

 テレビ等でよく聞くコメントとして、歌を褒めるのに「歌詞がいいですね」って言葉があります。

 歌詞がいいって何? 歌の歌詞って、そんなに大切?

 私だって、歌に歌詞は不要だとは思わないし、下手くそな歌詞でもいいとは思いません。良い歌詞に良いメロディが付いていると、良い歌だなあって思います。

 でもね、歌にとって、あくまでも歌詞は二次的なモノであり、音楽のインスパイアの源であり、状況を借りる小道具の一つであって、歌の本質は歌詞ではなく、音楽そのものであると私は考えています。

 ざっくり言えば、同じ歌詞で違うメロディーの曲(「砂山」は、山田耕筰と中山晋平がそれぞれ別のメロディーで作曲しています)は、別の曲だけれど、同じメロディーで歌詞を変えた曲(替え歌などを想像してみて)は、同じ曲だと思ってます。違いますか?

 かように、歌にとって、歌詞とは大切な要素だけれど、決して主役ではないのです。

 だから「歌詞がいいですね」というコメントは、ステーキを食べていて、ステーキの美味しさには触れず、付け合せのじゃがいもが美味しいですねって言っているようなものなのです。和食で言えば、刺し身じゃなくて、ツマを褒めちゃう感じ?

 料理なら、ステーキや刺し身の旨さを褒めましょうよ。歌なら、そのメロディやサウンドの素晴らしさを褒めましょうよ。

 なので、歌詞を褒めているコメントを聞くと「この曲、そんなにメロディがダメなのかな?」って思ったり「この人、この曲の良さが分からないんだ!」と思ってしまう私なのでした。

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2018年11月15日 (木)

科学の発達と日本の音楽家の将来

 科学が発達すると、私達の生活は少しずつだったり、大きくだったり、とにかく変わっていきます。それはどの分野においてもそうなのです。で、生活が変わると、時代に合わせて新しい商売が生まれて繁盛する一方で、今までブイブイ言わせていた職業がダメになり、失業者や廃業者が出てくるわけです。

 社会的な新陳代謝が生じるわけです。

 例えば、プラスチックの普及で竹細工が壊滅したり、給湯器の普及で銭湯が壊滅したり、アマゾン等の通販が繁盛する一方で、街の書店が潰れていったり…とまあ、我々が生きてきた時代の中でも、そういった新陳代謝が行われていったわけです。

 プラスチックの普及で竹細工は壊滅したけれど、プラスチック加工業という産業が出てきて、今や大繁盛しているし、銭湯は無くなったけれど、給湯器会社は、それこそ給湯器は一家に一台の時代ですから良い商売だし、街の書店は潰れたけれど、運送業を圧迫するほどに通信販売は大盛況だったりするわけです。

 それが進歩と調和って奴だな。

 で、翻って、我らが趣味であるクラシック音楽業界を見るならば、この音楽は“クラシック”と名乗っている事から分かる通り、古典的で古い様式で古い形態の音楽なわけです。昔々は、みんながみんな、ロッシーニだとか、ワーグナーだとかに熱狂していたわけで、そんな良い時代があったものです。

 けれど、今の時代、みんながみんな、ロッシーニに熱狂したり、ワーグナーに熱狂したりするわけ? しないよね。むしろ大衆たちはクラシック音楽にそっぽを向き、このジャンルの音楽は、もはや好事家たちが細々と悦に入って楽しんでいるに過ぎない音楽であって、そういう意味では市場としては極めて縮小してしまったわけだ。

 ただ、以前は西欧だけで楽しまれていた、単なるローカル音楽だったクラシック音楽も、今は全世界的に楽しまれるようになり、そういう意味では市場は拡大しているわけよ。広がっているわけよ。

 一方では小さくなり、一方では大きくなる。そのバランスの中で、クラシック音楽は何とか命脈を保っていたのだろうと思うけれど、私が思うに、今やクラシック音楽は、広く薄く深く楽しまれている…って感じかなって思います(笑)。広い地域で、少数の人たちが、オタク的に楽しんでいるのが、今の時代のクラシック音楽の普及具合って感じです。

 で、そうやって、広く薄く深く楽しまれているクラシック音楽界だけれど、そこに科学の進歩って奴が襲いかかっているわけです。

 最初に襲いかかってきたのは、録音技術って奴だと思います。録音技術が普及しはじめたのは、20世紀初頭です。それまでの音楽と言うのは、生演奏が基本であって、音楽を聞きたければ、音楽家に演奏してもらわないといけなかったわけです。でも、録音技術が発達し、その再生装置が普及してくると、わざわざ音楽家に演奏してもらわなくても、レコードをかければ音楽が楽しめるようになったのです。それも、一流の演奏家の演奏が…ですよ。それもノーギャラで!

 そのおかげで、街の飲食店などで演奏していた音楽家たちは失業してしまったでしょうね。だって、彼らにギャラを支払って音楽を演奏してもらわなくても、一流の演奏がいつでも無料で(もちろんレコード購入という初期投資は必要だけれど)聞けるようになってしまったのですからね。

 さらに言えば、我々極東の地の果てに棲んでいるような人間にも、レコードを通して、本場の一流の演奏家の演奏を楽しむ事ができるようになったわけで、録音技術万々歳です。

 次に襲いかかってきたのは、航空機サービスです。つまり、気軽に飛行機に乗れるようになり、海外へもラクラク出かけられるようになったわけです。これは戦後の昭和の時代に実現しました。

 それまでは、録音は軽々と海を越えて広がっていきましたが、実際の演奏家たちは、それぞれのホームグランドでの活躍がメインで、なかなか演奏旅行には行けませんでした。だって、当時の演奏旅行は遠路は船旅だもの。近いところは鉄道が使えますから、なんとでもなりましたが、遠く海外の国へは船でしかいけなかったわけです。船旅って、何ヶ月も時間がかかるんだよね。そうなると、音楽家たちもおいそれとは演奏旅行にはいけないわけで、それぞれの地域に、それぞれブイブイ言わせていたローカルな演奏家たちが頑張っていたのです。

 でも、航空機が発達して、今や一流の演奏家たちは、ジェット機を住処として、毎日、世界中を飛び回っています。おかげで、我々は極東の地に棲みながらも、世界一流の演奏家たちの生演奏を聞くことができるようになりましたが、その代わり、ローカルな演奏家たちの権威は貶められ、多くの方々が稼げなくなり、廃業せざるをえないはめになりました。

 だって、ローカルな人のつまらない演奏を10回聞くならば、超一流の素晴らしい演奏を1回でも聞ければ、うれしいと思うわけじゃない?

 次にやってきたのが、放送です。昨今の高解像度カメラによる映像やらインターネット配信なども、広い意味ではここに入ってくるかなって思います。

 それまでは、世界一流の演奏とは言え、その演奏家だけがやってくるのが普通でした。例えば、オペラで言えば、主演歌手は世界の一流だけれど、オーケストラや脇役歌手、合唱や裏方のスタッフは現地調達が原則でした。だって、全部を全部連れてくるのは無理だし、費用もかかりすぎるしね。

 でも放送ならば、現地の演奏をそのまま全世界に配給できちゃうんですよ。昔はテレビ放送で、やがてビデオ販売になり、今やインターネット配信も可能です。例えば自宅で、ベルリン・フィルの最新公演を楽しめちゃうわけです。すげーな。私がよく楽しんでいる、メトのライブビューイングなんか、歌手のアップは見れるし、楽屋話は聞けるし、字幕は付くし…生の演奏よりも楽しめたりするでしょ?

 放送が普及して、今まで起きてきた事が繰り返されます。世界の一流の演奏を気楽に楽しめるようになれば、邦人演奏家たちによるローカルでそこそこな演奏は自然と見に行かなくなります。

 こうして、世界の一流どころの演奏が世界に蔓延し、彼らはウハウハと儲かりますが、彼ら以外の音楽家たちの需要は減っていきます。仕方ないね。やむをえないので、そういう音楽家たちは、よりニッチで無名な音楽ジャンルに活路を見出すか、それも難しければ音楽家を廃業していくしかありません。

 だからどーしたと言われても困りますが、それが世の中の流れです。

 知り合いの娘さんが音大をヴァイオリンで卒業されたのだけれど、卒業後、全然演奏する場が与えられず、本人はもちろん、親もその事態を悲しんでいて、娘にどうにか演奏の場を与えられないかと、プロの音楽家として生計を立ててほしいと、あれこれ画策&暗躍している姿は実に涙ぐましいのですが、そんな事態になるのは、彼女が音大に進学する以前から分かっていた事なのに、何をいまさら…と他人の私は思うわけです。今の時代、中途半端な実力の音楽家は生き残ることはできないのです。

 大学さえ出れば何とかなる…と親子ともども思っていたようですが、世の中、そんなに甘くありません。音大も商売だから仕方ないとは言え、音大は音楽の専門家を過剰に輩出しすぎだと思います。音大なんて、卒業生を今の1/100にしても、それでもまだ卒業生多過ぎ…って感じじゃないかって思わないでもないです。

 ああ、なんともまとまらない事を、ウダウダと書き連ねてしまった。そういう日もあるって事で、ご勘弁。今日は本当に、まとまってないね。

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2018年11月14日 (水)

声は減るけれど、楽器は減らない

 私が音楽の練習をする時に、いつも頭の片隅で考えているのは「声は減るけれど、楽器は減らない」って事です。

 声って減るんですよ。無論、減ったままではなく、回復だってするんだけれど、声の減っていく速度と比べると、声が回復していく速度って、本当に遅くって「一晩寝れば回復する」ぐらいな感じなので、いつも“声の減り”についてばかり考えています。

 歌の練習をするにしても、いかに声を使わない練習をしていくか…を積極的に考えています。だって、声を使うと減っちゃうからね。

 例えば、歌詞を暗記する時は、まず歌いません。そんな事で声を使ったら、もったいないじゃない? ブツブツブツブツ言いながら、歌詞を暗記します。リズム練習の時も声は使わない。手を叩いたり、しゃべり声でラップのような感じでリズムの練習をします。メロディー練習の時は…やむなく歌いますが、全体のメロディーを覚える時などは、1オクターブ下げたり、そこまで下げなくても、何度か音程を下げて、なるべく声が減らないように工夫しています。

 バッチリ歌うのは、一日最大1時間程度に抑えています。それも休み休みね。

 そこへいくと、楽器って減らないんですよね。自宅で練習している時も、時間があればあるだけ、ずっとフルート吹いてます。最近はめっきり練習時間が減ってしまったので、なるべくフルートを吹くようにしています。フルートを吹く事で、呼吸筋や指の筋トレをしているようなつもりになっています。

 フルート合宿に行ったりすると、ほんと、朝から晩まで、結構長時間、フルートを吹いてます。歌じゃ考えられない事やってます。

 昔、合唱団に所属してした時は、よく歌っていましたね。合唱団の通常の練習って、1
回約3時間でしょ? 夏合宿とかに行くと、朝練、昼練、夜練を合わせると、1日10時間程度の練習時間じゃない? ほんと、よく歌っていました。

 「合唱団でそんなに歌っていたなら、声が減って練習になるはずないじゃん、声が減るって、嘘だろ!」

 いえいえ、声が減るのは嘘ではありません。歌うと行っても、個人で声楽の練習をしている時は、練習中、結構みっちり歌っています。だから、休み休みを心がけないと、ついつい歌いすぎてしまうくらいです。なので、1時間歌えば、もう限界です。

 合唱の練習って、歌っていると言いながら、練習中は、実は圧倒的に歌っていない時間の方が長いんですよ。3時間の練習と言いながらも、それぞれ個人に注目すると、実際には1時間も歌っていません。やはり合唱となると、他のパートの練習の時は、お休みだし、曲を歌っている時だって、案外、曲中にお休みの時間があって、案外歌っていないのです。と言う訳で、声楽と合唱では、練習時間中の歌う量が、そもそも全然違うので、合唱では、声ってあんまり減らないんだよね。

 とは言え、私の場合、合唱団の3時間の練習中の前半の90分で、声を使い切っていて、後半の練習では声が無くなることなんて、しょっちゅうだったけれどね(爆)。練習で(良い意味で)手を抜く事を知らなくて、いつもいつも全力で歌っていたから、あっという間に声が無くなっちゃったわけです。上手な合唱歌手たちは、そこのあたりの使い分けが上手なんだよなあ…。

 まあ、このように声は減ってしまうので、いかにして声を使わない練習をするかで頭を悩ましますが、楽器は減らないので、考える暇があったら、ガンガン練習するべきなんだよね。暇さえあれば、楽器に触っていて、音出していて、常に練習している…が理想なんだと思います。

 もっとも、楽器の練習は楽器がないと出来ません。道を歩きながらとか、昼食食べながらとかの練習は、まず無理です。でも歌だと、道を歩きながらでも鼻歌歌って練習できるし、昼食食べながらでも、歌詞の暗記をしたりとかはできるわけで、スキマ時間を使って練習できるのが、歌の練習だったりします。

 なので、トータルで考えると、私の場合、フルートよりも声楽の方に多くの時間を割いているような気がします。なにしろ、出勤時は、ポケGOやりながら、レコ勉しているもんなあ。ちょっと空いた時間は発声の事を考えたり、歌詞の反復練習していたり…そういうスキマ時間に行う練習だけでも、フルートと比べると、圧倒的な練習時間の違いになるわけです。

 楽器は減らないけれど、楽器が無いと練習できないし、音を出しちゃダメな時間や場所では練習できません。そういう意味では、声楽よりも器楽の方が練習しづらいモノなのかもしれません。

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2018年11月 8日 (木)

世俗曲と芸術歌曲のワケメとは?

 私はよくトスティの歌曲を歌います。私の中ではトスティの歌曲は、クラシック声楽曲であり、芸術歌曲の扱いですし、たぶんそれに異を唱える人は少ないだろうと思います。しかし実はつい最近まで、トスティは世俗曲(サロンで歌われる流行歌、当時のポピュラーソング)扱いされ、芸術歌曲としては認められていなかったという事実はご存知でしょうか? 音楽大学などで取り上げられなかったそうですが…もちろん今はそうではありません。

 考えてみれば、シューベルトの歌曲(典型的な芸術歌曲ですよね)だって、発表当時はサロンで歌われていた娯楽のための曲だったわけだし、おそらくどんな歌も、発表当時は、たいてい世俗曲であり、その中から名歌だけが時の流れの中で生き残り、芸術歌曲へと昇華するんじゃないかなって思います。

 私がそう考えるきっかけになった曲は、李香蘭の「蘇州夜曲」です。この曲は、西条八十と服部良一のコンビで、1940年と言うから戦前の映画の劇中歌として発表された歌で、それ以降も多くの歌手たちに取り上げられてきた、名曲中の名曲、いまやりっぱなスタンダードナンバーです。

 こちらは李香蘭が歌う、オリジナルの「蘇州夜曲」です。

 元々が歌謡曲ですが、やがてポピュラー系の歌手やジャズシンガーたちも取り上げるようになり、今ではクラシック歌手が歌うことも少なくありません。で、クラシック歌手の方々が歌われる「蘇州夜曲」を聞くと、私などは日本歌曲の一つとして受け取ってしまいます。もちろん、ご年配の方々は、そうではなく、自分たちや自分たちの少し上の世代の流行歌…つまり世俗曲として受け取っているようだし、かつてこの曲は中国では禁曲扱いされた時代もあったそうだけれど、それも今では開放され、普通の曲扱いされているそうです。曲の受け取り方も、時代や地域によって異なるのです。で、私にとって、この曲はすでに時の流れに生き残った芸術歌曲として聞こえてしまうのです。

 歌っているのは、ソプラノの下垣真希さんです。私は寡聞にも彼女の事を知らないのですが、良いソプラノさんだなあと思います(上から目線に感じたら、ごめんなさい)。

 で、結局、芸術歌曲ってのは、時の流れに生き残ってきた、スタンダード・ナンバーとか、古典歌曲の事を言うのではないかなって思うのです。

 最初から芸術歌曲として作曲された曲もあるでしょうし、流行歌として作曲された曲もあるでしょうが、数年数世代を経て生き残った曲は、みな芸術歌曲であると私は思うようになりました。

 流行歌のほとんどは時代とともに古びて消えて消費されてしまいます。流行歌はそういうものですから、それはそれで仕方ありません。また、芸術歌曲として作曲された歌の大半は、実は再演されずに時の流れの中に消えてしまうものです。人の手によって生み出された歌のほとんどは、時代とともに消えてしまうものなのです。

 だから、何世代にも渡って愛される芸術歌曲の条件としては、芸術歌曲として作曲されたかどうかは問題ではないのです。時の流れの中でも消えることなく、人々に愛された事が大切なんじゃないかって思うわけです。

 けたたましいロックなビートルズの音楽だって、すでにスタンダードナンバーとしての地位を固めていますし、やがて時が経つにつれ、イギリス民謡の扱いになっていくでしょう。そうなれば、やがて芸術歌曲の扱いを受けるようになると思います。音楽大学で、ビートルズの歌を学んで、オペラ歌手たちがステージで歌う時代が来るかもしれません…もっとも、そんな状況は、今の私には全然想像できませんが、でもおそらくそんな時代がやってくると思います。

 日本でも、昭和や平成の時代に流行った流行歌のうち、何曲かは時代の流れの中で生き残り、やがて日本歌曲になっていくんだろうと思います。そして、そうやって残っていく歌は、どんな歌なんでしょうね。私にはうかがい知ることもできませんが、どんな曲が残っていくのか、なんか楽しみです。

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2018年10月23日 (火)

最近(?)ネットで見かける“レスナー”って何?

 ネットで見かける、よく分からない専門用語(?)の話です。

 ピアノ系のブログを見ると“レスナー”という用語が飛び交っていたりします。まあ、すべてのピアノ系ブログではなく、ある傾向を持ったピアノブログで見られるわけですが…たぶん、それらのブログのブログ主さんたちは、きっとお友達関係にあるんだろうなあって思われます。

 ブログは閉鎖空間ではありません。閉鎖空間で友人とだけ話したければ、いわゆるフェイスブックなどの身内しか見ることができないタイプのSNSを利用するべきであって、ブログに書き込むべきではありません。ブログは、世界に発信している開かれたメディアであって、全く知らない第三者が見ることを前提とし、奨励しているメディアですから、そこで“仲良しこよし”をやるべきではありません。

 とまあ、オジサンは苦言をついつい言っちゃうわけですが…、本音では「まあ、好き好きにすればいいじゃん」程度にしか思ってなかったりします。

 それはさておき、第三者である私がそれらのブログを拝見させていただいて感じるのが“レスナー”という用語です。もちろん、ブログ内でレスナーという言葉の定義はないので、文脈から判断するのですが、どうやらレスナーという言葉は…

  lesson + er

 で、レスナーのようなのです。レッスン(lesson)に動作者を表す接尾辞(er)をくっつけているわけです。

 そこで考えるのは…まず“lesson”って何?です。

 辞書を見ると“授業”とか“お稽古”とかを指すようです。まあ、それは私にも分かります。で、それに“er”が付くと、全く分かりません。だって“lesson”って名詞だもの。名詞に“er”は付かないでしょう? 付けると気持ち悪いでしょ? 原語明瞭意味朦朧って奴になります。実際、私程度の英語力の持ち主であっても、違和感を感じるほど奇妙な言葉です。そもそも“er”ってのは、動詞に付いて落ち着くものです。

 日本語にはサ行変格動詞というのがあります。「“名詞”+“する”」という動詞ですね。例えば“授業”という言葉は名詞ですが、これに“する”を付けて“授業する”になれば、普通に動詞になります。名詞に接尾辞をつけて動詞にする事ができるわけです。

 でもね、英語にはサ行変格動詞はないから、名詞に何かをくっつけても、それは動詞にはならないわけです。

 まあ、たぶん、レスナーって、和製英語なんだと思います。つまり、一種の専門用語ね。符牒かもしれない。

 和製英語は日本語だから、それはそれで立派な言葉であって、別にそこに文句を言うつもりはありません。それでも仲間内でしか通用しない言葉を、ネットで書いちゃうのは、実は…。

 レスナーという言葉、レッスンをする人(先生)という意味で使う人もいれば、レッスンを受ける人(生徒)という意味で使う人もいるのです。実は最初のうちはここに気づかなくて、それらのブログを読む度に「???」になっていました。

 ってか、結構多くの人がレスナーを“生徒さん”の意味で使っていてビックリだったのです。

 だって、レッスンをサ変動詞的に考えれば、当然“レッスンをする”になるわけでしょ? それに行為者を表す“er”を付けるなら、その意味は“レッスンをする人”になるわけで当然“先生”の事を指しているのかと思ったら、どうやら“生徒さん”を指しているわけです。

 英語(っぽいカタカナ)で言うなら、先生はティーチャーですね。では生徒は…スチューデント? ピアノの生徒さんをスチューデントと呼ぶのはどうなの?って考えれば、ラーナー? 違うよね。スカラー? もっと違うよね。 ピューピル? なんじゃそれ?

 そんなわけで、レスナーという和製英語が登場しちゃったのかな?って推測するわけです。

 で、なんでそこでカタカナ和製英語が登場しちゃうのかな? “生徒さん”でいいじゃん。そこが分からない。

 ちなみに私が仮にピアノの先生で、英語で自分の生徒さんたちを表現するなら…ピアノ教室の生徒さんって、幼稚園からせいぜい小学生たちでしょ? だったら私は“Puppy”って言っちゃうと思います。パピー…“仔犬ちゃん”だね。恋人を“honey(はちみつちゃん)”って呼んじゃう言語だもの、自分のかわいい生徒たちを“仔犬ちゃん”って呼んでも大丈夫だよね? それともダメ?

 閑話休題。とにかく、レスナーという和製英語に、落ち着きの悪さを感じてしょうがない私でした。少なくとも、和製英語を使うにしても、意味が推測しやすい言葉にしましょう。

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