ひとこと

  •  人生初。タピオカドリンクというモノを飲んでみた。ミルクティーにグミがたくさん沈んでいた…という感想。やたらと甘い。どことなく中華な風味。たぶん、もう二度と飲まないと思う。
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カテゴリー「音楽一般」の記事

音楽ネタだけど、ノンジャンルなものはここです

2019年6月14日 (金)

アルトリコーダーって変な楽器だと思ってます

 たまにやってくるリコーダーネタです(笑)。ちなみに、私、リコーダーは大好きですし、ソプラノリコーダーは、自分でも遊びでしばしば吹いているくらいに好きですし、身近です。

 でも、吹くのは専らソプラノリコーダーで、アルトリコーダーは持っていますが、まず吹きませんし、吹きたいとも思いません。

 学校でアルトリコーダーの授業はありましたが、私は貧しい家の子だったので、アルトリコーダーを買ってもらえず、ソプラノリコーダーでアルトリコーダーの譜を吹いて怒られていた(ま、当然だね)というくらい、アルトリコーダーとは縁ない人生を過ごしてきました。

 実はアルトリコーダーは、オトナになってから、衝動買い(笑)で購入してみたのですが…いやあ、いくら頑張っても吹けないし、嫌になってしまったので、納戸に投げ入れてしまいました。もう、吹きたいとも思いませんし、二度と見たくないです。

 今では、ソプラノリコーダー以外のリコーダーなら、テナーリコーダーを吹いてみたいと思ってます。テナーは、ちょっと高価なので、気持ちがアゲアゲな時でないと、衝動買いできないので、未だに所有していません。ま、でも、きっと、そのうちに…衝動買いしちゃうんだろうと思ってます。

 リコーダーは、学校ではソプラノがメインですが、実はリコーダー好きな方々には、むしろアルトの方が愛されているそうです。ある意味、リコーダーの魅力にあふれているのがアルトリコーダーなので、リコーダーを楽しむなら、ぜひアルトを吹かないといけないみたいですが、私、全く、食指が動かないのです。

 その理由は…アルトリコーダーが変な楽器だからです(だから、納戸にぶん投げちゃったんです)。

 はいはいはいはい、ここで怒りのメーターがぶっ飛んだ方は、もうちょっと読んでから、怒ってくださいね。

 私がアルトリコーダーを変な楽器だと思う理由は、リコーダーは管楽器なのに、管楽器の常識の中にいないからです。

 管楽器って…原則、どれもこれも移調楽器でしょ? そうでないと、楽器の持ち替えが容易じゃないわけで、例えば、サックスは、どのサックスでも、トーンホールを全部塞いだ時の音は、ド(C)って表記されるわけです。そういう世界にいるのです。サックスは。

 だからアルトサックスはE♭管なので、楽譜上にCと書かれた音は、実際に吹いてみるとCではなく、E♭が出るわけです。つまり、E♭がCになっているわけだけれど、それで無問題なのが、管楽器なのです。それゆえに、サックス奏者は、一つのサックスが吹ければ、他のサックスも容易に吹けるわけです。それが管楽器の常識。

 でも、リコーダーって違うんだよね。でも、ソプラノとかテナーはC管だから、まあ良しです。問題は、アルトリコーダーだね。

 だってね、アルトリコーダーはF管でしょ。だから、全部のトーンホールを塞いだ時にはド(C)って表記されて、ファ(F)の音が出ないといけないのに、アルトリコーダーの場合は、全部のトーンホールを塞いだ時の表記が、ド(C)ではなく、ファ(F)になっているのですよ。トーンホールを全部塞いだのに、楽譜の表記上はファ(F)?なんですよ。全くなんですか、それ! 奥さん。信じられますか?

 「トーンホールを全部塞いでいるのに、ド(C)じゃなくて、ファ(F)って何?…そこが変だよ、アルトリコーダー!」って思うわけよ。

 てなことを、リコーダー吹きの人と話していたら、逆に不思議な顔をされました。曰く「ファが出るんだから、ファって書いてあるのが、当たり前じゃないの?」

 むしろ、私がビックリです、え、そんな発想があるの!

 その人は、基本的にはピアニストで、副業(?)的にリコーダーを演奏しますが、他の管楽器は吹けないどころか、吹いた経験が全く無いのだそうです。

 つまりピアノ目線でリコーダーを吹いているわけです。ああなるほど。それなら、ファ(F)の音を出したければ、楽譜にファ(F)と書くべきだろうなあ。

 でも、管楽器的には違います。管楽器ならば、F管の楽器は、楽譜にド(C)と書いて、ド(C)の運指で、ファ(F)の音が出します。それが管楽器なんです。

 つまり、運指優先主義で運指と楽譜の表記の一致を優先したのが、普通の管楽器であり、リコーダーは、実音優先主義であり、実際に鳴る音と楽譜の表記の一致を優先したわけです。

 私は管楽器奏者ですからね。管楽器奏者目線で考えると、アルトリコーダーって、めっちゃ変な楽器なんですよ。だから、吹きたいけれども、吹かない。アルトリコーダーを変な楽器だと思うのは、そういうわけなのでした。

 実音主義? そこが教育楽器なんだよなあ…なんて、ゲスい事を言っちゃたりしています。

 さて、ここまで読んでも、まだ怒っちゃっている人は、どうぞコメントでもして、うさを晴らしてくださいませ。

 

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2019年6月13日 (木)

楽譜が読めないと、音楽を始めてはいけないのか?

 知り合いと話していて、こんな事を聞きました。

 「私は、本当は吹奏楽をやりたかったんだけれど、楽譜読めないから、やんなかったんだよね」

 もちろん、中学校あたりの部活の話です。楽譜読めないから吹奏楽をやらなかった? そんな馬鹿な! と思うと同時に、そう考える人もいるんだな…とも思いました。それにこんな話は、今回が初めてではなく、機会あるごとに、ちょくちょく聞きます。

 楽譜が読めないと、音楽を始めてはいけないのでしょうか?

 もちろん、楽譜は読めないよりは読めた方が絶対にいいです。これは断言しますが、じゃあ読めないからと言って音楽を始めてはいけないのか言えば…それはちょっと違うような気がします。

 まず、乱暴な話ですが、音楽をポピュラー音楽と日本伝統音楽とクラシック音楽の3つに大きく分けて考えてみます。

 ポピュラー音楽に関して言えば、楽譜は読めた方が良いですが、読めなきゃ読めないなりにやれます。実際、プロミュージシャンにだって楽譜の読めない人は大勢います。楽譜の読み書きよりも、コードが分かる方が大切だし、耳コピできるほど耳が良い事の方が全然大切です。各種教則本も、楽譜が読めない事を前提に書かれていたりしますし、楽譜が読めない事が音楽を始められない理由にはならないと思います。

 日本伝統音楽に関して言えば、楽譜が読めなくても全く問題ないと思います。と言うのも、日本伝統音楽で使われる楽譜は、いわゆる五線譜ではないので、音楽を始めると同時に、その音楽で使われる楽譜の読み書きを習うからです。なので、楽譜(五線譜)が読めないからと言って音楽を始められない理由には、なろうはずがありません。

 さて、クラシック音楽ですが、このジャンルの音楽は、楽譜が読めることが演奏の前提にあると思います。なので、楽譜が読める事は必須です。しかし、最初の段階から、バッチリ楽譜が読めなければいけないのかと言えば、そうではないでしょう。

 誰だって、最初は初心者です。出来ないのは当たり前です。だから楽譜は読めなくて当たり前なのです。音楽を学びながら楽譜を読めるようになれば、それでいいのです。最初から楽譜が読める必要はありません。

 というわけで、一般論として、音楽を始めるにあたって、楽譜が読めなければならないという事はなく、楽譜が読める事が前提の音楽であっても、それは音楽を学びながら楽譜の読み書きを学べばいいだけの話で、楽譜が読めなくても、音楽を始めたいという志があれば、どうにでもなるはずです。

 だから、私の知り合いのように、中学生レベルの吹奏楽で楽譜が読めないからと言って、吹奏楽を始めなかったというのは、吹奏楽をやらなかった理由に「楽譜が読めなかったから」という言い訳をしているだけで、本当に吹奏楽をやりたかったのなら、楽譜が読めなくても、吹奏楽の世界に飛び込んだと思います。

 要はやる気の問題で、やる気がそれほど無かった事を楽譜が読めない事に、問題をすり替えて、言い訳をしていただけね。

 一般論としては、楽譜が読めなくても音楽を始めていいとは言えるのだけれど、オトナが趣味として、吹奏楽とか合唱とかを始めるとなると、話は少しややこしくなるかもしれません。…と言うのも、あなたが入団したいと思う団のレベルによって、そのあたりが変わってくるからです。

 たとえ趣味とは言え、オトナの団体ともなると、目指しているレベルがあります。団員は皆、ある程度の演奏力があり、新人にも即戦力を期待しているような団に、楽譜が読めない人が入るわけにはいかないでしょう。

 しかし、音楽は二の次で、親睦優先の団体なら、新人歓迎だし、楽譜が読めない人にも親切な対応があるので、そういう団体なら、楽譜が読めなくても入団できます。

 これから音楽を始めたいという、割と真面目に考えているオトナに対しては、親睦系の団体は合わないでしょう。となると、楽譜が読めないとチャンスが得られませんから、まずは楽譜の読み書きくらいでできる必要があるでしょう。

 もっとも、楽譜の読み書きができる団体は、そもそも音楽経験がある程度ある事を見越していますし、経験者しか入団できないケースも多々あります。ならば、その団体に入る前に、音楽経験を積む必要があるわけだし、個人レッスンを受けておく必要だってあるかもしれません。

 オトナになってから、音楽を真面目に始めるのって、実は大変な事なのかもしれませんね。別にプロになるわけでもなければ、音大に進学するわけでもなく、ただただ個人の興味関心だけで真剣に音楽を学ぼう…というのは、周囲に理解してもらいづらいし、何より世間の俗事が真面目な学びの妨げになりやすいし…ねえ。

 

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2019年6月 6日 (木)

そう言えば、もう長い間、ギター弾いてないや

 本当にもう長い間、ギターを弾いていません。いや、触ってもいないか。

 ギターと一言で言っても、色々な種類があります。私がメインで弾くのは、いわゆるフォークギターです。今風に言うなら、アコースティックギターって奴です。金属弦の生ギターです。

 この楽器は、主に、歌の伴奏に使います。単独でソロを取ることは、ほとんどありません。伴奏で使うので、特に難しい技法もなく、気軽に手軽に弾けます。楽譜が読めなくても、歌詞にコードが書いてあれば、それで十分という、かなりお手軽な楽器です。コードをジャカジャカかき鳴らしながら弾くわけです。

 若い時はバンドもやっていたので、当然、エレキギターも弾きました。最近は、単に“ギター”と言うと、こちらのエレキの方を指すようですね。音を電気的に歪ませて、単音でグイーングイーンと弾いていきます。主にリフを弾きますので、同じ音型をコードに合わせて移調させながら弾き続けます。たまに気の利いたソロも弾きます。フォークギターと比べると、かなり技巧が必要とされます。ただし、あくまでもバンドの中の楽器なので、バンドに入っていないと、全く面白くない楽器です。

 さらに技巧が必要なのが、クラシックギターと呼ばれる、ナイロン弦の生ギターです。「アルハンブラの思い出」とか「禁じられた遊び」を弾くためのギターと言うとイメージしやすいでしょうね。ソロ演奏が前提なので、一人で低音、リズム、メロディを同時に奏でます。そういう意味では、ピアノに近い楽器です。いわゆる“完全楽器”って奴です。その分、めちゃめちゃ難しいです。私は一時期、独学でクラシックギターをやってみました。クラシックギターは独学でどうこうなるような簡単な楽器ではなかった(汗)ので、結局、モノになりませんでしたが、そのおかげで、当時はだいぶ技巧的なギターが弾けるようになり、エレキギターの演奏がだいぶ楽になりました。

 さて、私は歌いたかった人なので、専らフォークギターでした。なので、ギター自体はそんなに上手である必要はありませんし、実際、上手ではありません。だって、コードで弾ければ、それで十分なんだもの。全然上達する必要無いんだよね。

 じゃあ、ギターを弾きながら、何を歌っていたのかと言うと…だいたい、ビートルズかな?

 じゃあ、なぜ最近はギターを弾かなくなったのかと言うと、ポピュラー系の歌を歌うなら、カラオケに行くようになったからです。歌の伴奏として考えるなら、ギターよりもカラオケの方がゴージャスだし、歌いましたって気分にもなるじゃん。

 あと、歌う歌も、ポピュラーからクラシックにシフトした事も原因の一つかも。ギターはあくまでもポピュラー音楽の伴奏楽器であって、クラシックでは基本的に使わないものね。

 ギターの親戚でリュートという楽器があります。音色はほぼクラシックギターと同じなので、昔のリュート曲をクラシックギターで弾く人は多いです。バロックやルネサンスの時代の歌曲(つまり古楽)は、ピアノではなくリュートで伴奏するのが普通だったので、その頃の歌を歌うならば、ギターで伴奏をしても良いのだけれど…まず古楽系の歌は歌わないものね。私の場合は、2014年に、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」を歌ったきりだなあ。

 ギターを弾くたくないわけではないし、ポピュラーソングだって歌いたくないわけじゃないです。ただ、時間がないんだよね。生きる事と働く事に忙しくて、そもそも音楽をしている時間が少ないし、その少ない時間は、フルートと声楽のレッスンの準備に忙殺されているわけで、とてもとてもポピュラー音楽で遊んでいる時間の余裕がなくて…結果、ギターを全然弾かないという事になってしまったわけです。

 もう少し、人生に余裕があったら、ギターも弾けるんだろうなあ。でも、ギターを弾く余裕があったら、ヴァイオリンのレッスンを復活したいし、ピアノの勉強も再開したいし…ああ、人生、やりたい事だらけじゃないか!

 あ、時間があったら、まず眠りたいか。万年睡眠不足だものなあ…。

 

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2019年6月 3日 (月)

時代背景を考えながら演奏するべきだろうか?

 具体的に例をあげて言えば、バロック時代の曲を演奏する時に、バロック時代の音楽様式などの時代背景を考えながら、当時のオリジナルの演奏スタイルで演奏するべきだろうか?という話です。

 学術研究をしている学者さんや演奏団体は、そうするべきです。

 問題は、エンタメとして演奏している方々や、人生の潤いとして演奏している我々のようなアマチュア音楽家ですね。

 エンタメとして演奏している方々…ほとんどのプロ音楽家がそうだろうと思いますが、彼らの場合は、自分の客が喜んでくれる方向で演奏するのが良いだろうと思います。

 つまり、当時の時代背景を重視して、現代のスタイルとは異なったスタイルで演奏する事を、自分たちの客が望んでいる場合は、そのようにするべきだろうし、客がそこまで望まないのならば、自分たちの(現代的な)スタイルで、自分たちの(現代的な)アプローチで演奏し、自分たちの音楽家としての個性を前面に出して演奏した方が良いと思われます。ずばり、古楽専門演奏団体と認知されているようなら、そのようなスタイルで演奏するべきだし、一般的なオーケストラ団体としてしか認知されていないようならば、自分たちのスタイルで演奏すれば良い…というのが、私の考えです。

 アマチュア音楽家の場合は、客よりも、演奏する自分中心で考えればいいと思います。自分は何を望んでいるのか、何がやりたいのか、そこがはっきりしていれば、どんなスタイルで演奏するべきかが、自ずと知れます。古楽っぽく徹したいなら、そうすればいいし、ロマン派っぽくやりたければやればいいし、ジャズのノリでやりたいなら、思いっきり弾けちゃえばいいのです。

 だって、アマチュアってのは、自由が服を着て歩いているような存在なんだからね。

 クラシック音楽は、すべからく、その時代性を重視し、その曲が作曲された当時の音楽を再現する事が正しいのだとお考えなら、ご自分はそのお考えで突き進めばいいのだけれど、音楽の楽しみ方は人それぞれで千差万別なので、他人の楽しみ方にアレコレ言うのは(私も含めて)野暮ってもんだと思います。

 

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2019年5月22日 (水)

作曲家と演奏家、偉いのはどっち?

 たまに音楽ブログで話題に上がる鉄板ネタですが、皆さんはいかがお考えですか?

 この場合“偉い”の定義が難しいですが「より多くの人々にリスペクトされている」を“偉い”と定義したいと思います。“リスペクト”というカタカナ語で分かりづらければ“重要視されている”とか“良い仕事をした”とか読み替えてもらってもOKです。

 そうなると、私の答えは単純で、お二人とも現存されている場合は、ギャラの高い方が偉いと判定します。単純でしょ? この世はお金ですから、多くのギャラをもらえる方が、世の中から多くリスペクトされている…と私は判断するのです。

 では、片方が鬼籍に入っている場合はどうでしょうか? 鬼籍に入っている方はギャラがもらえないので、比較検討ができません。いやいや、両者ともに鬼籍に入っている場合も、二人ともギャラはもらえませんから、当然、ギャラでは比較できません。

 その際は、音源で考えます。“Aという作曲家の作品をBという演奏家が演奏している音源”を探し/思い浮かべ、その音源は、AまたはBのどちらの名前が前面に推されているかで判断します。

 ポピュラー音楽の場合は、ほぼほぼ演奏家が前面に推されているので、作曲家よりも演奏家の方が偉いと言えます。例えば、プレスリーの音源を入手した時に、それがプレスリーの音源だから入手したわけであり、その音源の作曲家が誰であるかなんて…ほとんど気にしないでしょ? そういう事です。

 では、作曲家至上主義であるクラシック音楽の場合は、どうでしょうか? 例えばベートーヴェンの「運命」なんて、超有名な作品の音源の場合、やはり人々は「運命」だから購入するわけで、そういう意味では、作曲家は偉いのです。

 でも、その「運命」ですら“カラヤンの運命”とか“クライバーの運命”とか“フルトヴェングラーの運命”とか言われて売られているモノもあるわけで、そうなってくると、いくらベートーヴェン御大であっても、カラヤンやクライバーやフルトヴェングラーに負けていると言わざるを得ません。

 このようなケースの場合、作曲家よりも演奏家の方が偉いと判断されます。ああ、ああ、作曲家と演奏家、どっちが偉いのか、もう分かんない。

 となってくると、私の場合、次に判断基準となってくるのは、ジャケットです。ジャケットで演奏家がアップになっているのは、演奏家が偉い。作曲家がアップになっている時は、作曲家が偉い。

 では風景写真などがジャケットになっていて、作曲家も演奏家もアップになっていない時は…作曲家が偉い…と考えるようになりました。と言うのも、そういう音源って、作曲家も演奏家も推されていないのですが、それって「ひとまず、この曲を聞いてくれ」というのが音源発売者の姿勢かなって思うからです。つまり、そこで推されているのは作品そのものであり、作品が推されているのですから、それは作曲家が偉い…と私は考えるからです。

 こんな感じで、私は作曲家と演奏家の偉さを考えています。なので、たいていの場合、作曲家よりも演奏家の方が偉いって事になりがちだったりします。

 

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2019年3月18日 (月)

“下手”という言葉は、使いづらい

 我々は日常生活の中で、割と簡単に“下手”という言葉を使いたがりですが、音楽の世界では“下手”という言葉は、本当に使いづらいなあって思ってます。

 まずは私のようなアマチュア音楽家の演奏に“下手”とは言いづらいです。なぜなら、アマチュアは、基本、道楽であり、旦那芸ですから、下手くそが大前提にあり、そんな彼らに“下手”と言うのは、野暮というものです。なので、私は、“技術的に未熟”とか“上手いとは言えない”という表現を使いがちです。

 実際、下手な人に向かって、キミは下手だね…なんて言えるほど、空気の読めない人ではないからね。

 次は、音楽オタクとして、無責任にプロの演奏に対して“下手”と言っちゃう人もいるけれど、私はやっぱり、プロの音楽家に対して“下手”とは言いづらいのです。いやむしろ、プロには下手な人はいない…とすら断言しちゃいます。

 実際、プロなのに下手な人がいたら、音楽業界は厳しいですから、あっという間に淘汰され、プロとしてやっていけないはずなのです。ですから、プロとして活動できている人に、下手くそはいないのです。

 もちろん、プロであっても、演奏でミスをする人はいます。いや、ミスをしない人はいません。ミスの少ない人もいますが、盛大にミスをする人だって、プロにはいます。いや歌いながらピアノ弾いちゃう人なんて、ミスどころの騒ぎじゃなくて、ピアノよりも歌の方が耳についたりしちゃいます。ある意味、ミスよりもひどい話なのかもしれません。

 じゃあ、ミスの多い彼らは下手くそなのかと言えば、そうではないでしょう。無論、コンクールなどの場面では、ミスの少ない方が良いに決まっていますが、通常のコンサートでは、ミスの多寡なんて問題にはなりません。いくらミスが多いと言っても、音楽のカタチが崩れるほどのミスを連発する人はプロとしてやっていけませんから、ミスが多いと言っても「他のプロと比べるとミスが多い」程度のはずです。

 プロの場合、ミスの多寡よりも大切なのは『その演奏で金が取れるのか』って事でしょう。そういう意味では“上手な演奏=金が取れる演奏”であるわけです。

 じゃあ、金が取れないような演奏は下手くそな演奏なのかと言えば、それも違うと思います。金が取れない演奏と言えども、技術的には一定水準をクリアしているはずですから、技巧的に下手なわけはありません。ただ言えることは“金が取れない演奏=人々に好まれない演奏”であるという事です。

 人々に好まれない…つまり、好かれない、愛されない…ってだけの話です。少なくとも、お金を払ってまでは聞きたいとは思わないって事です。ざっくり言っちゃえば、好みの問題なのです。

 好きな演奏にはお金を払うけれど、嫌いな演奏にはお金は払いたくない…ってだけの話なのです。で、嫌いなタイプの演奏をするプロに向かって「下手くそ!」と、ついつい言ってしまいたくなるけれど、それは技術的に下手なのではなく、自分の好みの演奏ではないってだけで、それに対して“下手”と言うのは、違うんだなあって思うわけです。

 そう考えていくと、ほんと、下手という言葉は使いづらいのです。

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2019年3月14日 (木)

楽譜が読めなくても、音が取れなくても、とりあえず問題無し

 何の話をしているのかというと、音楽趣味に誘われた時の断り文句「だって、私、楽譜が読めないもの」「私、音痴(正しい音が取れない…程度の意味でしょう)だから、無理」というのは、全然、断る理由にはなりませんよって事です。

 誰でも最初は初心者です。始める人も受け入れる人も、そこを忘れちゃいけません。

 例えば、小さな子どもがピアノを始めて習う時、その段階で楽譜が読めるのかと言えば、読める訳ありません。だって、これからそれを習うんだから、出来なくて当然でしょ? 実はオトナだって、初めての人は、子どもと一緒で、出来なくて当然なんです。

 オトナって、なまじオトナだから、なんでも出来て当然…って考えがちなんですけれど、オトナであれ、子どもであれ、学んでいない事は出来なくて当然で、そこのところで、謙虚になれるかどうかが、楽譜が読める読めないよりも大切な事ではないかと私は思うわけです。

 いや、ほんと、楽譜は読めないよりも読めた方が良いに決まっていますが、最初は読めなくても、やっているうちに読めるようになりますから、謙虚に学ぶ姿勢を崩さずに努力しつづければ、問題ないでしょう。自称音痴も同様です。やっているうちに音も取れるようになりますから、謙虚にしていればいいのです。

 ほんと、理屈じゃないんです。音楽をやっていれば、楽譜なんて、いつのまにか読めるようになりますし、自称音痴も経験を積んでいけば、どうにかなるものです。カラダが覚えていくのです。なので、入門段階で、楽譜読めなくても、音が取れなくても、それが始められない理由にはならないのです。

 特に、先生について個人的に音楽を学ぼうというのなら、出来ない事は最初っから出来ませんと伝えて学べばいいだけです。

 問題は、市民音楽団体などに入団して音楽活動をしよう…って場合ですね。

 「ウチの団は、楽譜が読めないとダメですよ」「ウチの団は、自分で音が取れないとついていけませんよ」という団体ならば、当然、入団試験があるでしょうから、素直にその試験を受けて、パスすれば良し、パス出来なかったら縁がなかったと諦めれば良し、です。問題は、入団試験が無い団体でしょう。本来、そういう団体は、基本的に初心者大歓迎のはずですから、団員の皆さんに嫌われないように気を配りながら謙虚に学んでいけばいいのです…が、しばしば新入団員に最初っから既存の団員並の能力を要求する団体もあります。そういう団体こそ入団試験を課すべきなのですが、うっかりそういう団体に初心者が入団してしまった場合は…謙虚に頑張っていくしかないです。。

 実は、音楽に興味が全くなくて、誘われて迷惑だな、でも相手は友人だし変な事は言えないなあ…って感じた時の、差し障りのない断り方なら「楽譜が読めません」と言って断るよりも「私、直前にならないと、スケジュールが決まらない事が多いし、練習には出られない事の方が多いかな?」と言えばいいのです。音楽団体って、練習日決まっているし、基本的には毎回出席が前提になっているわけで、そこへロクに練習に出られない初心者なんて、入ってもらっては困るわけで、そういう断り方をすればいいのです。

 それでも「いいよいいよ」と誘ってくれるなら、そういう団体は音楽よりも別のモノ、例えば団員同士のコミュニケーションを大切にしている友達サークルですから、ケース・バイ・ケースですが、参加を前向きに考えてもいいんじゃないでしょうか?

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2019年3月13日 (水)

アマメインのコンサートと、プロメインのコンサート

 私はしばしば、アマチュアの有料コンサートに対して苦言を呈してきました。ま、はっきり言えば、ほぼクレーマーですね。

 まあ、この件に関しては、人それぞれの考えがあり、私は他人の別の考え方も尊重していきたいと思いますので「アマチュアが有料コンサートを開いて何が悪い!」とお考えの方は、ぜひ有料コンサートを開き続けてください。コンサートのアガリは、ぜひ有効有益にお使いくださる事を願っています。自分たちの飲み代に使うのは、個人的にはよろしくない事だと私は思ってます。

 で、今回の記事の目的は、そこが問題ではありません。

 プロは有料コンサートが、アマは無料の演奏会が基本…と私が書くと、ではプロアマ混在の時はどうするんだという話を聞きますので、そういう場合の、私のコンサートに対する考え方を書きたいと思います。

 要は、主催者は誰なのか…という事に尽きるのではないでしょうか?

 主催者が、プロ側の人(ま、大抵は音楽事務所ですね)の場合は、そのコンサートはプロのコンサートであり、そこにアマチュアが招かれたというわけでしょうから、有料コンサートになって当然だと思います。だってプロのコンサートだもん。アマの方が、主催者からお弁当代とか交通費とかの必要経費をいただくのは問題ないと思いますし、もしもギャラをいただけたなら「我々の演奏をプロ同様と思われたのだな」と感謝していただけばいいのだと思ってます。要はビジネスの話ですからね。

 主催者がアマ側の場合(多くは演奏団体が主催者を兼ねるのでしょうね)、アマチュアのコンサートだと私は考えます。当然、ゲスト出演されるプロの方(この場合は、演奏家が前提)にはギャラを支払わないといけませんが、それをチケット代でまかなうのは、私は違うと考えています。また、指導者とか指揮者とか伴奏者がプロであっても、お客さんたちは彼らの演奏を聞きに来るわけではありませんから、有料コンサートにしてしまうのは、どうかなって思ってます。彼らへの謝礼ぐらい、自分たちでどーにかしなさいよ。

 第九などの大規模な演奏会だと、多くの場合、NPO団体あたりが主催者になりますが、私はその段階で、純然たるアマチュアの演奏会ではないと考えてます。まあ、NPO団体が絡んでいる事で、プロの演奏会に準じるものと思ってますので、有料コンサートになっても仕方ないかなって思ってます。それにNPO団体なら、コンサートのアガリを飲み代にする事もないでしょうし…ね。

 プロとアマが対等な立場で協力しあって…ってコンサート、たまに聞きますが、そういうのって実際にはあるんだろうけれど、本当に対等な立場なのかな…なんて勘ぐったりします。アマチュアの人たちが、いい具合にプロの人に“やりがい”を搾取されているんじゃないかしら…なんて思うわけですよ。それにアマと同じステージに立つなんて…プロの人も自分を安売りし過ぎじゃないかしら?

 まあ、そういうコンサートって、プロアマ合同とは言っても、実際はプロのコンサートになるわけだし、プロが関わっている以上、有料で行うしかないわけだから、有料でも仕方ないのかなって思ってます。

 まあ、客の立場からすれば、せっかくチケット代がかかっているなら、アマチュアを外して、全部、プロの演奏にしてほしいと切実に願うわけですが…ね。

 私の考えの原則は「プロはたとえどんなに小さな仕事であっても、その代価をいただくべきである」と「アマは道楽であり旦那芸なんだから、自腹を切ってこそ粋と言うものだし、アガリで飲むなんて言語道断である」なのね。だから、アマチュアはチケット販売すんなよって、口を酸っぱくして言っているわけなんです。

 ま、こんな感じです。

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2019年3月 6日 (水)

生き残るためには合唱に力をいれていく?

 なんの話をしているのかと言うと、ヤマハを始めとする大手の音楽教室の話です。たまたま古いニュース(2016年頃のニュースね)をいくつか見て知った事です。

 皆さんもご承知の通り、少子高齢化というわけで、ピアノ教室に通う子どもの数が減っています。なんでも(当時の)10年前と比べると、7割減とか8割減とかの大幅減なんだそうです。そこで、子どもが減った分を大人で補おうと、大人向けの音楽教室(もちろん器楽)を開設してみたのですが、確かに大人の音楽教室には一定の需要はあったものの、とても規模的には、子どもの減った穴を埋められるほどにはならなかったのだそです。

 大人の音楽教室はそれなりに流行っているものの、生徒数としては、子どもの約3割程度の生徒数で、それもここ数年ですっかり安定してしまったのだそうです(子どもの方は、相変わらず減り続けているそうです)。

 このままじゃ、音楽教室という商売そのものがジリ貧…って事で、新たな活路として注目されたのが“合唱”なんだそうです。

 合唱…もちろん、高齢者対象の音楽教室です。なにしろ平日の昼間に開講するのですから、小学校程度の子どもはもちろん、現役世代の大人も無理です。

 でもこれ、着目点はいいですよね。老人って、歌好きだし、各地で行われている市民合唱祭等を見に行くと、歌っているのは高齢者ばかりだし、彼らは複数の団体を掛け持つのが普通だし、昼間の空いている教室を有効出来るわけだし…。大手音楽教室で合唱の講座が開かれれば、そのうちの何名かが通う事でしょう。

 さらに言うと、合唱って、指導者一人で、何十人もの生徒さんの面倒が見れるわけで、商売としても、かなり美味しいです。音楽教室は、個人レッスンならマンツーマンだし、グループレッスンにしても、先生一人に生徒はせいぜい5~6名程度でしょ? でも、合唱なら10人や20人、いやそれ以上の人数だって一人の講師で面倒見れるわけで、商売としては、かなり美味しいわけです。

 で、現実的にはどうなったのでしょうか? 私が見かけた記事は、どれも2~3年前の記事で、確かにそのあたりから、大手音楽教室で合唱(ポップス系の斉唱?)の講座がドンドン開講されていますが、きちんと生徒さんは集まっているのでしょうか? ネットをちょこっと漁った程度では分かりませんでした。うまく生徒を集めることができ、経営が安定していると良いなあと思いました。

 別にこれは外交辞令ではなく、現実問題として、日本の音楽教育の中で大手音楽教室が果たしている役割って小さくないと思ってます。そこが経営難で規模縮小とか撤退とかなったら、日本の音楽教育の衰退へとつながっていくと思っているからです。

 市場の縮小ってのは、ほんと経営的には厄介なんだろうなあって思います。最終的には企業のスリム化で対応していく事になるのだろうけれど、企業って簡単にスリム化できないからね。うまくいっている事を願っています。

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2019年2月25日 (月)

なぜ、クラシックの人は、他のジャンルの音楽を見下しやすいのか?

 なぜか知らないけれど、クラシック好きな人って、他のジャンルの音楽を見下したような発言をする人が少なくないような気がします。もちろん、例外もいるし、悪意が無い事は分かるのだけれど、濃いめのクラヲタになればなるほど、他人を見下したような態度が見え隠れするような気がするのです。

 私のように、ポピュラー音楽大好きです…とか、オペラのようなマイナージャンルが好きです…とか言うと、多少は違うのだろうけれど「交響曲以外は音楽とはみなしません」的な人って、ほんと、悪意はないのだろうけれど、他のジャンルの音楽を見下し気味じゃないかなって感じてます。

 で、そんな「交響曲以外は音楽とはみなしません」というクラヲタって、実にたくさんいたりするんです。

 別に交響曲大好きでも構わないし、それ以外の音楽を聞かないくらいに偏重していても、全く問題はないと思うのだけれど、それがどうして「俺様サイコー」になるのかが分かりません。

 別に良いじゃん、ロックを聞いていても…、J-pop聞いていても…、アイドル歌謡だっていいじゃん、地下アイドルのどこが悪い! あ、別に私個人は地下アイドルは聞かないから、そこにシンパシー感じちゃイヤよ(笑)。

 でもね、私はAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」もベートーヴェンの「運命」もヴェルディの「椿姫」も等しく素晴らしい音楽だと思うし、それぞれが最高の音楽だと思うわけよ。少なくとも、それぞれのファンにとっては、これらの曲は、それぞれにナンバーワンなわけで、ジャンルの違いはあっても、ファンがそそぐ熱量に違いはないし、音楽に優劣なんて無いって、マジで思ってます。

 だから、クラシックファンがアイドル歌謡を馬鹿にしていいとは全く思わないけれど「“運命”と“恋するなんちゃら”が同じくらいに素晴らしいだって? 馬鹿言ってるんじゃねえよ」と思われているだろうなあくらいは容易に想像できます。

 指原莉乃はベートヴェンと同じくらいに素晴らしい音楽家だ…とか書いたら、マジで殴られそうだけれど、私は結構、それに近い事を考えています(私は別に、アンチ・ベートーヴェンではないし、指原莉乃のファンでもありません)。

 やっぱり、クラシック音楽は、とりわけ交響曲を中心とする“あの手の音楽”は学校で勉強するから偉いと錯覚されているんだろうなあって思います。知的な音楽として教養扱いされているんだよね。そこへいくと、ポピュラー音楽なんて、頭悪そうだもんな(ごめんね)。アイドル歌謡なんて、めっちゃめっちゃ頭悪そうだもんな(ほんと、ごめんね)。

 まるで、クラシック音楽って、選ばれた人々にしか楽しめない音楽…みたいな扱いで、庶民には近づきがたい音楽であって、庶民は、そこらの草でも食って…じゃなくて、そこらのポピュラー音楽でも聞いていればいいんだって扱いに感じるんだよね。だから、一部のクラヲタは、他のジャンルの音楽を見下すんじゃないかしら? いや、これもなんか違うような気がします。

 ああ、よく分からない。分かる事は、濃いめのクラヲタさんと話をしている時に、うっかりポピュラー音楽の話をすると「…ああ、あれね…」って反応されて、哀れんだ目で見られる事です。

 まあ、いいけど。見下されてもいいけれど。

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