ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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カテゴリー「ラ・フォル・ジュルネ」の記事

ゴールデン・ウィークになると見に行く音楽祭の話です

2017年5月21日 (日)

LFJ その8 ピアノと手品

 新東京ビルのロビーでカウンターテナーを聞いた後は、ふたたびTOKIAに戻って、ピアノコンサートを聞きました。

ピアノのコンサート

 実は会場入りしたのが、本番30分前で、まだ会場はスカスカで人もロクにいなかったので、整理券をもらおうとしたら、すでに整理券は無くなっていました。これまでTOKIAのコンサートでは、30分前に来れば余裕で整理券が入手できたのに、これはいかに!とビックリしてしまいました。

 まあ、整理券が無いものは仕方ないです。今更別のコンサートに行くのもなんなので、立ち見を覚悟でキャンセル待ちの列に並びました。実際、その会場の座席数は約100席で、私の前に12人も並んでいたので、いくらなんでも、そんなにキャンセルが出るわけもないだろうと、ほぼ諦めて並んでいたわけです。

 私が並んでいるうち、ボチボチと整理券を手にした客たちが戻ってきました。開演時間近くになると、座席のかなりの部分が埋まってしまいました(当然だね)。やがて係員が前の方から空席を確認しては、キャンセル待ちの人たちを呼び始めました。ちなみに、開演5分前になっても来なければ、自動的にキャンセル扱いになるようです。

 私は13番目だったので、諦めていたのですが、ドンドンキャンセル待ちの人が座っていき、なんと私も、後ろから2番目の列だったのだけれど、座ってコンサートを聞くことが出来ました。ラッキー。ダメ元でもキャンセル待ちをしていてよかったです。ってか、キャンセル多過ぎ! 無料公演だからって、気軽にキャンセルする人が多かったんだろうなあって思いました。

 菅原望(ピアノ)、喜多宏丞(ピアノ)

 1)ショパン:マズルカ第5番 変ロ長調
 2)ショパン:マズルカ第13番 イ短調
 3)セブラック:「休暇の日々」から第1楽章より「ロマンチックなワルツ」
 4)チャイコフスキー:「四季」より、5月「白夜」
 5)ハイドン:ソナタ 変ホ長調 第1~2楽章
 6)ブラームス:ワルツより、第1番、第2番、第3番、第4番、第15番
 7)シューベルト:軍隊行進曲

 1)と2)のショパンは明るい曲と陰りのある曲です。ピアノのコンサートでショパンが聞けるというのは、ベタと言えばベタですが、ほっとする瞬間です。別に他の作曲家が嫌いなわけではないのですが、やはりショパンとピアノの組み合わせは別格です。いかにも「クラシック音楽を聞いているんだなあ…」という気分にさせられます。演奏は、普通に良かったです。

 3)は癒し系の現代曲のようでした。曲のところどころに難解な和音が入っているけれど、それがかえってスパイスのような味わいとなり、曲をシメているような気がしました。

 4)は舞曲ではありませんでした(笑)。季節にちなんだ曲って事で選曲されたようです。チャイコフスキーはもちろんクラシックの作曲家ですが、こうして聞いてみると、かなり世俗的と言うか、ポピュラーっぽい響きの音楽を作る人なんだなあって思いました。特にこの曲は、何かドラマの劇伴として使えそうだなって思いました。

 5)のハイドンだけれど、ハイドンって、やっぱりモーツァルトベートーヴェンの間の時代の人だなって思いました。さらに言えば“芸術家”と言うよりも“音楽職人”って感じのなのかなって思いました。良い作品なんだけれど、作品にハイドンの顔が見えない…ってか、見えづらいんだよなあ…って思ったわけです。作家性が薄いのかな…。

 ちなみに第2楽章では、ピアノの手前で(演奏をしている人とは別の)ピアニストさんが手品をしていました。どんな感じなのかと言うと…まさにこの動画そのものでした。と言うか、この動画はロングバージョンで、LFJではショートバージョンを披露していたわけです。

 クラシックの方々も、集客のために、あれこれ頑張っているんだなあって思いました…が、正直、音楽鑑賞に手品は…面白かったけれど、邪魔かな?って思いました。

 6)は連弾でした。ブラームスって、肖像画から見ると、ほぼクマオヤジなわけですが、音楽はほぼ乙女でお耽美なんですよね。そのギャップがたまらない人にはたまらないのかなって思いました。まあ、世の音楽ファンはすべからず“ブラームス派”か“ワーグナー派”のどちらかに分かれるんだそうです(都市伝説ですよぉ~)が、私は“ワーグナー派”なので、あえてブラームスの音楽には触れない事にしておきます(笑)。

 7)はアンコールでした。行進曲って元気が沸き立つ音楽ですよね。鑑賞疲れでヘロヘロになっている時のマーチは…効きますね。

今年のまとめ

 というわけで、以上で今年の私のLFJは終了しました。最終日は夕方で終えて、その日の夜は、東劇に移動して、メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見ました。(すでに記事はブログにアップ済みです)。

 私がLFJに初参加したのは、2007年の「民族のハーモニー」からです。世は“のだめブーム”で多くの人がクラシック音楽を聞いていて、LFJもすごくすごく盛況でした。やがて“のだめブーム”も終わり客が減り、東日本大震災が起こり、原発事故があって、有名ミュージャンの多くが日本に来たがらなくなり、LFJに出演してくれる音楽家が一気に小粒化してしまいました。やがて共催してくれた企業の多くも撤退してしまいました。今は往時の面影も無いほどに、小粒な音楽祭になってしまいました。

 最初から小規模精鋭でやっているなら問題はないけれど、縮小しレベルダウンして今に至っているわけで、全盛期を知っている者としては、寂しい限りだし、LFJ自身、以前ほど面白い音楽祭では無くなってきた事も事実です。LFJは、東京以外の地方でもやっていますが、すでに金沢と鳥栖は開催をしていません。今でもやっているのは、東京,新潟,びわ湖の三ヶ所です。客離れも激しく、だいぶ規模縮小を余儀なくさせられているわけです。

 事実、私も相当熱が冷めてしまいました。

 来年もLFJは開催されるだろうけれど、私はどうしようかな? 演目次第だし、良い演目があれば、惰性で行ってしまうだろうけれど、せっかくのGWで良い季節なんだし、もっと別のレジャーに身を投じてもいいよなあ…って思わないでもないです。

 GWの頃って季節もいいし、箱根や鎌倉、江ノ島に行ってもいいよね。そんな事すら考えるようになりました。

 なんか、閉塞感があるんだよね、昨今のLFJって。正直、ワクワクしなくなってきました。祝祭感を感じられなくなった?

 それでも今年で言えば、『こうもり』とか、カウンターテナーの演奏は良かったし、(厳密に言えば、LFJとは違うけれど)モーツァルトのヴァイオリンを使ったコンサートも良かった。でも、たまたまかもしれないけれど、心惹かれるフルートの演奏には出会わなかったし、もっと歌を聞きたかったし、もっとピアノやヴァイオリンを聞きたかったです。

 今年のLFJはこんな感じです。明日からは通常運転に戻ります。

蛇足 パソナがLFJから撤退したのが、個人的には一番キツかったです。

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2017年5月20日 (土)

LFJ その7 カウンターテナー

 さて、レモネードはどこで飲んだのか言うと、丸の内仲通りです。『ダヴィデ王』を見る前に、ヴァイオリンの路上ライブを見たわけですが、その会場近くの屋台でレモネードを売っていたのを見ていたので、そこで買い、道路に置かれているテーブルに座って、レモネードを飲んでいたわけです。

 ああ、乾いたノドには、レモネードって…美味しいんだよね。

 なぜ、そんな所にいたのか…と言うと、実は次のコンサートがここで行われるらしいのです。

カウンターテナー

 次のコンサートは、カウンターテナーの彌勒忠史氏のコンサートで、その会場は、ネットにもオフィシャルパンフレットにも“丸の内仲通り・新東京ビル前”とあり、さっき見たNaorchestraさんと同じ場所なのです。Naorchestraさんは路上ライブで、P.A.を入れてコンサートをしていたけれど、カウンターテナーもマイクを使うのかな? まさか? でも反響板も天井もない道路で生歌はちょっとつらすぎるだろうなあ…などと心配しつつ、休憩を兼ねて、レモネードを飲んでいたわけです。

 やがて妻が、演奏会場はここじゃないんじゃないか、間違っているんじゃないかって言い出しました。確かに時間が迫ってきたのに、周囲には何の動きもないわけです。客すら集まっていないのです。オフィシャルプログラムにはここでやると記載されているけれど、実は変更になっていて、知らないのは私たちだけなのかもしれない…もしかするとそんな事があるのかもしれない…と、そんな考えが私の頭をよぎりました。でもね…。

 ここじゃないかもしれない、別の場所かもしれない…と、妻が私のそばで散々言うんだけれど、私はレモネードを飲んでいるわけです。まさに至福のひととき。もしも不安や不審点があるなら、もういい年したオトナなんだから、私に頼らずに、自分で解決すればいいのに…と思っていたけれど、そばでずっと文句を言われ続けていると、そうも言ってられません。

 やがて、ゆっくりレモネードも飲んでいられない気分になり、やむをえず、私が一人で周囲の様子を確認に行ったわけです。で、ほんの数歩歩いたところで、すぐにそばの新東京ビルに到着したわけです(そりゃあそうです、このビルの前が会場だと告知されていたのですから)。そのビル内の様子が何やら慌ただしいので、そばにいた係員らしき人に尋ねたら、このビルのエントランスで、カウンターテナーのコンサートをすると言うじゃありませんか。ありゃ、会場変更だよ。

 そこで、すぐ目と鼻の先の距離だったけれど、だけど大声を出すわけにもいかないので、さっそく妻に電話をして呼び出したわけです。

 なんかなー、やれやれって感じです。

 彌勒忠史(カウンターテナー),佐藤亜紀子(リュート)

 1)作者未詳:恋する人(バンドナード)
 2)フレスコバルディ:そよ風が吹けば(フィリア)
 3)モンテヴェルディ:ニンファの嘆き(パッサカリア)
 4)リュートソロ(カナリオ)
 5)メールラ:愛のチェトラにのせて(チャコーナ)
 6)サンチェス:簒奪者にして暴君(パッサカリア)
 7)作者未詳:恋する人(バンドナード)

 カウンターテナーの生歌をじっくり聴くのは、久しぶり。カウンターテナーってのは、なかなか出会えない、珍獣のようなものですね。

 今回の曲はすべて舞曲で、当時の大ヒットナンバーだったそうです。その“当時”と言うのは、日本の歴史で言うと、安土桃山時代に相当するそうです。いやあ、古い楽曲ですね。

 カウンターテナーの歌声は、男性による裏声歌唱なんだけれど、単なる裏声歌唱とはだいぶ違います。発声的には裏声なんだろうけれど、かなり力強い声で、これはこれで特別な声だと思いました。音域的にはメゾソプラノぐらいだろうけれど、女性のメゾよりも明るい声で、メゾよりも力強い声です。こう書くと、メゾの人が気を悪くするだろうけれど、メゾの上位互換のような声です。

 バロックオペラと呼ばれる音楽ジャンルがあります。読んで字のごとく、バロックと呼ばれる時代に盛んに上演されたオペラです。それらのオペラで主役を演じていたのは、今はもう存在しない、カストラートと呼ばれる歌手たちでした。カストラートとは、去勢手術を施した男性歌手で、少年の声帯を持った成人男性の歌手です。

 今は人道的な問題もあって、カストラートは公には存在しない事になっています。(マイケル・ジャクソンが少年期にホルモン治療を受けて、疑似カストラートになったという都市伝説がありますが…今となっては真偽の程は確かめられません)

 カストラートが存在しないので、現在ではこれらのバロックオペラを上演する際、かつてカストラートが歌っていた役(当然、男性の役です)を、いわゆる“ズボン役”と呼ばれる女性歌手が演じる事が多いのだけれど、音域は正しくても、やはりどうしても声質は女声的にならざるをえないし、外見だって男性に見えることはまずありません。宝塚歌劇のように、出演者がすべて女性ならば、男性のメイクをして男装すれば、男性に見えない事もないわけではありませんが、バロックオペラには、普通に男性歌手も登場するので、いくら頑張っても、ズボン役の女性歌手は、やはり女性にしか見えないのです。

 たまに、カストラートの役をカウンターテナーが演じる事があります。音域的には正しくても、やはり本物のカストラートとは発声法が違うわけですから声は違います。それでも女性歌手とは比べれば、声も容姿も男性的なわけであり、カストラートの役を彼らカウンターテナーが演じれば、演技的にも声的にもだいぶ違うなあと思いました。

 バロックオペラの、元々はカストラートのために書かれた役は、やはり女性であるメゾが歌うよりも、多少声が違っても、男性であるカウンターテナーが歌った方が演劇的には良いかなって思いました。もちろん、本当はカストラートが歌ってくれるのが一番なんですが…カストラートは現存しないのですから仕方ありません。声も容姿も異なる女性歌手よりは、声は異なっていても容姿がOKな男性歌手(カウンターテナー)の方が(言葉は悪いのですが)まだマシかなって思います。

 ただ、メゾソプラノのズボン役と呼ばれる人たちは、それこそ履いて捨てるほどたくさんいるわけだし、それだけたくさんいれば、上手な歌手もたくさんいます。一方、カウンターテナーは珍獣なわけで、めったにいませんし、オペラを歌えるほどの技量の持ち主となると、さらに少なくなるわけで、バロックオペラのカストラート役をすべてカウンターテナーでカバーする事は、おそらく無理だから、メゾがズボン役として活躍しているのでしょう。

 まあ、そう考えると、カストラート役をズボン役が歌っても、仕方ないかなって思います。

 さて、コンサートの話に戻ります。

 伴奏をしていたリュートの音は、ほぼクラシックギターと同じでした。奏法もリュートとギターでは、かなり共通しているようです。ただ、楽器の構造や見かけは若干違います。音量も相当少なめで…そりゃあリュートは滅んでギターに取って代わられてしまったのも仕方ないなあって思いました。

 1)~6)の音楽そのものは、いかにもバロックな感じで、親しみはないですが、面白かったです。

 実は、最後の7)はアンコール曲で、1)と同じ曲です。1)が歌手が一人で歌ったのに対して、7)は歌の一部(お囃子的な部分)を観客が歌うという形式でした。さすがに、声楽のコンサートを聞きに来ている人たちって、結構歌える人が多くて、この観客参加型の曲が、実にばっちり決まっていたのには、ちょっと驚いた私でした。

 続きはまた明日

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2017年5月19日 (金)

LFJ その6 レモネードが飲みたくなりました

 帝国劇場の向かいのビルでコンサートを聞いたので、昼食はそのまま帝国劇場の地下街にあるインド料理店に入りました。私、ここのカレー、大好きなんです。

 で、食べ終わって、エッチラオッチラと東京国際フォーラムに向かって歩いていったところ、路上ライブに出くわしました。

路上ライブ

 路上ライブと言っても、これもまたLFJ関連のコンサートでした。今年から、丸の内仲通りという道の一部を歩行者天国にして、そこでコンサートを開いていたわけです。私のコンサート鑑賞予定には無かったのだけれど、たまたまそこを通りがかったわけです。

 Naorchestra(ヴァイオリン)

 1)残酷な天使のテーゼ
 2)チャールダッシュ
 3)ジュピター

 というわけで、コンサートの途中から聞きました。道路の真ん中で、何の反響板もない場所での演奏だったので、ヴァイオリンにマイクを付け、P.A.で拡声するというスタイルでの演奏でした。伴奏も、いわゆる電子キーボードでシンセサイザー的な使用法をしていました。そういう点では、演奏スタイルは純粋クラシックと言うよりも、ポピュラー・ヴァイオリンのスタイルだと思います。LFJは本格クラシックが多いから、この手のライトな音楽が挟まると、ちょっと心が休まる感じがします。気分が楽になります。それに私、こういう、ポピュラー系と言うか、軽音楽系のヴァイオリンって、実は好きなんです。

 なんか、ヴァイオリンを弾きたくなってしまいました。

ダヴィデ王

 さて、カレーを食べて満腹になったところで、本日の有料公演である『ダヴィデ王』を見に行きました。

 シンフォニア・ヴァルソヴィア,ダニエル・ロイス(指揮)
 ローザンヌ声楽アンサンブル
 クリストフ・バリサ(語り),ロランス・アミー(巫女)
 リュシー・シャルタン(ソプラノ)
 マリアンヌ・ベアーテ・キーランド(メゾソプラノ)
 エンドリク・ウクスヴァラフ(テノール)

 オネゲル:オラトリオ『ダヴィデ王』

 この曲は、そもそもが作者オネゲルが、4時間超えの超大作オペラとして構想を練っていた作品なんだそうです。超大作オペラとして構想を練っていて、売り込みもしていたようだけれど、時代はすでに20世紀なわけで、映画とミュージカルの時代に、ワーグナーばりの超大作オペラなんて発注してくれる人もなく、結局、小編成オケと数人の声楽アンサンブルによる、オラトリオとして制作発表してしまったという作品です。

 ちなみに、初演はそんなミニサイズで演奏したけれど、再演の時は、夢が諦められなかったのか、オーケストラを普通サイズにして音楽の響きを豊かにし、歌わない役者を二人(語りと巫女)追加して、ストーリーを分かりやすくしたそうです。つまり、初演の演奏形態は作者の意図とは違うって事だし、当然、作者的には、この再演版が決定稿…って感じだったんでしょうが、今回の演奏もそうだし、数少ない音源でもそうですが、この曲を演奏する際は、初演のオーケストラ編成と声楽アンサンブルに、再演の語りと巫女を付けたカタチでの演奏が定着してしまったようです。

 この曲、きちんとオペラになっていたら、それはそれで面白かったと思うけれど、完成されなかったオペラの事をグチグチ言っても仕方ないので、やめにしておきます。

 とりあえず、本日の編成では、オケは全員で17人。それにピアノにオルガン、歌手3人、役者2人の小編成でした。

 会場は…ホールCでした。ほんと、ここは客の動線が悪いんですよね。何か事故や災害があっても逃げることはできない構造になっています。まあ、万が一の時は、ここに閉じ込められてしまうわけで、ここに入るのには勇気がいるんです。どうにかならないものかな?

 ちなみに、今回の上演では字幕サービスが付いたよ。うれしいな。

 さて、音楽面の話をすると、オケはほぼブラスバンドでした…ってか、1管編成のブラスバンドですよ。弦楽器はコントラバスだけ。まあ、弦パートはオルガンで演奏するんでしょうね。音楽的には現代音楽のハズですが、曲自体はとてもメロディアスで聞きやすい音楽でした。まあ、オケが管楽器中心ってところが現代音楽的とも言えます。

 演奏はハイレベルでした。オケはすごく上手。特にトランペットの響きは特筆モノでした。合唱は大所帯でしたが、荒らさなんて全く無くて精密に歌っていました。ソリストは、伴奏が小編成って事もあるけれど、音量よりも美の響きの美しさを大切にして歌っていたようです(だからと言って、決して小さな声ってわけじゃないんですよ)。

 ストーリー展開も速くて、オラトリオで説明付きだから、1時間程度の演奏時間で何とかなるけれど、これがオペラになって、説明する人がいなくて、すべてをレチタティーヴォで説明するとなると、果たして4時間超えで済むのかなって思いました。これだけのストーリーは、オラトリオだからコンパクトに収まったわけで、オペラじゃあ入りきれないだろうなあって思いました。だって、ダヴィデ王のほぼ一生のエピソードを音楽化したわけだしね。これは、オペラにするなら、ほんと大変だと思います。

 オラトリオだから、役なんてなくて、声種で歌手を分けているだけなんだけれど、これに役を付けだしたら、かなりの人数が必要になるだろうね。ほんと、そんな妄想を膨らませていると面白くなってきます。

 そうそう、ちょっと気になったのは、演奏中にソリストも合唱の人も、ペットボトルの水を飲んでいた事かな? 舞台って乾燥しやすいし、ポピュラー音楽の人は、水を飲みながら歌う事も珍しくないけれど、クラシックの人で、舞台で給水する人って…たぶん日本じゃ珍しいよね。国民性の違いかな? 別に嫌な感じはしなかったけれど、珍しい光景だったので、へーって思いました。

 なんか、つられてノドが乾いたような気がしたので、音楽が終わって外に出たら、無性にレモネードが飲みたくなってしまいました。

 続きはまた明日。

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2017年5月18日 (木)

LFJ その5 4Kとモーツァルトのヴァイオリン

 本日最後のマスター・クラスを見終えた私たちは、その足で、すぐそばで行われる4K上映の会場に行きました。

4K上映での『ローエングリン』

 昨年もやっていた、クラシカジャパンによるオペラの4K上演を見ました。今年の演目はワーグナー作曲の『ローエングリン』の第三幕の前半でした。ローエングリンはベチャワで、エルザはネトレプコでした。

 私は『ローエングリン』をちゃんと見たことはないのだけれど、一瞥して思った事は「エルザって嫌な女だな」って事です。この理解は正しい理解なのかな? それともネトレプコが演じているから嫌な女に見えるのかな? さあ、どっちだろう。

 去年も書いたと思うけれど、4Kは実に素晴らしいけれど、やっぱりオーバースペックだと思います。自宅のテレビには4Kはいらないね。少なくとも、DVDとBlu-rayの差が分からない私には、4Kのシステムを自宅に入れても意味ないなあ。4Kは大スクリーンで威力を発揮するシステムだと思います。だから、自宅ではなく、映画館とかのへ導入だよね。

 最近は、映画館もデジタル化していて、かつてはフィルムで搬入されていた映画が、昨今はBlu-rayで搬入されるという話も聞きます。って事は、映画館でも、Blu-rayのシステムで、あれだけの鮮明な画面で見れるってわけで、そうなると、ますます4Kってオーバースペックなんだなあって思います。

 とは言え、技術は常に高めておいたほうが良いわけだから、普及はしなくても、4Kシステムは4Kシステムとして頑張って欲しいと思いました。それに4Kを否定しちゃったら、8Kなんて論外だしね(笑)。

 『ローエングリン』の歌に関して言うと、ベチャワもネトレプコも、旧来のワーグナー歌いと呼ばれる歌手の皆さんとは、ちょっと違いますね。旧来の皆さんと比べると、パワー不足と言うか、線の細い声なんだけれど、より精密に歌っているのが分かります。これって、20世紀末にカラヤンが求めていたワーグナー演奏なんじゃないの?って思いました。あの頃は、今と比べると歌手のレベルが(正直)低かったと思います(ごめん)。精密に歌えない代わりに、迫力でごまかしていたような気もします。あるいは、迫力を出すために、精密さを捨てていた…というべきかな 

 細かい所は目をつぶって、迫力で押し通す歌唱も私個人はキライじゃないですが、カラヤンが目指していたワーグナーは、そういうモノではなかったわけで、あの頃、カラヤンのワーグナーって、玄人筋にはウケが悪かったのは、カラヤンが時代の先を見ていたからであって、同時代を見ていなかったからかもしれません。カラヤンの足元に群がる人たちからすれば「遠くばかり見てないで、少しはこっち見ろよ」って気分だったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がようやくカラヤンの理想に近づいてきたのかもしれません。

 で、4K上演を見終えたら、ホールEで踊られている阿波踊りを横目で眺めながら、この日は帰宅をした私でした。

 で、その翌日は、一日丸々休息に充て、最終日にもう一度LFJに出動したわけです。

ロビーコンサート

 さて、LFJ最終日の話を始めましょう。

 我々は、東京国際フォーラム…ではなく、日比谷の帝国劇場の向かいにある、第一生命保険日比谷本社に向かいました。その会場では、国際モーツァルテウム財団による、コレクション展とコンサートが開かれていたのです。

 コレクション展の方は『ナンネルとヴォルフガング』というタイトルの展示で、ナンネルの人生を通して見たモーツァルトの人生って感じのまとめ方の展示会が行われていました。レプリカかもしれないけれど、モーツァルト一家の肖像画とか、モーツァルト直筆の楽譜とかが展示されていました。

 でも肝心なのはコンサートの方で、こちらは『今蘇る、モーツァルトの響き』というタイトルで、モーツァルトが実際にザルツブルグ時代に愛用していたヴァイオリン(実物が現存しているわけです)によるモーツァルト作品の演奏ってわけです。

 フランク・シュタートラー(ヴァイオリン),菅野潤(ピアノ)

 1)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ イ長調 KV305
 2)モーツァルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 KV330
 3)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ ハ長調 KV296

 ピアノはモーツァルトの愛用品。伴奏の鍵盤楽器は、モーツァルトが使ったかどうかはの説明は無かったけれど、モーツァルト時代に普及した、フォルテピアノでした。今のピアノの原型となる楽器で、実際、モーツァルトのピアノソナタって、このフォルテピアノを念頭において作曲されているんだよね。

 まずは、モーツァルトのヴァイオリンだけれど、見た目も音も、ごく普通のヴァイオリンでした(当たり前)。聞きようによっては、古い楽器の音がするような気がします…が、それは21世紀の現代の話であって、モーツァルトの時代には、このヴァイオリンもまだまだ新品だったわけで、新しい楽器の音がしていたのだと思います。それが年月の経過と共に、音も丸く馴染んでくるようになったのだと思います。そういう意味では、ヴァイオリンは確かにモーツァルトのモノかもしれないけれど、我々が聞いている音は、モーツァルトが聞いていた音とは、だいぶ違っているかもしれません。

 会場となった第一生命日比谷本社の一階ロビーは、すごい良い場所でした。石造りで、見上げるほどに天井が高くて、まるでヨーロッパの教会堂のような造りになっていました。ほんと、ここ最高ですよ。

 私は舞台からかなり遠くに座ったのですが、それでも音量的に不足は感じませんでした…ヴァイオリンに関しては。この会場、ヴァイオリンはよく聞こえたのですが、フォルテピアノは今ひとつでした。フォルテピアノは現代ピアノほど、音量が出るわけでもなく、まだ完成途上のフォルテピアノより、当時すでに楽器として完成されていたヴァイオリンの方がよく聞こえるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

 私はモーツァルトのヴァイオリンソナタには馴染みがないのだけれど、1)はまるでピアノとヴァイオリンがそれぞれ歌手で、その歌手たちの二重唱を聞いているような感覚になりました。あるいは、ヴァイオリンとピアノの会話を聞いているような感覚に襲われたと書いてもいいかもしれませんね。

 2)は、あまり聞こえなかったので、楽しめませんでした。まあ、楽器の特性や性能も関係しているので、多くは語りません。

 3)は派手で華やかな曲でした。本当に二重唱のような曲でした。モーツァルトの楽曲は、器楽曲にも歌があふれている…って事でいいですよね。

 それにしても、モーツァルトはこのヴァイオリンで、ザルツブルグの宮廷楽団でコンサートマスターをしていたそうです。もちろん、モーツァルトは子どもの頃からピアノの神童として有名だったわけだし、我々がよく知る、天才作曲家でもあったわけで、モーツァルトって人は、音楽に関しては(改めて思ったけれど)超人なんだなあ。いやあ、尊敬しちゃいますよ。

 続きはまた明日。

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2017年5月17日 (水)

LFJ その4 マスタークラスもそろそろ潮時かな…

 夕食は、妻の薦めでガパオライスを食べました。ガパオライスってのは、タイ料理の一種で、いわば“鶏肉のバジル炒めご飯”なんです。妻は、これをどこぞの大学祭に行って食べて、とても美味しかったそうで、今回の屋台村にガパオライスの店が出ていたので、ぜひ食べようって事になったわけです。

 妻は熱心に薦めましたが、言っちゃあなんだけれど、ガパオライスはタイ料理だよ。そもそも、私も妻もタイ料理は苦手で、普段は絶対に手を出さないのですが、あまりの妻の強い薦めで食べてみました。

 …やっぱり、タイ料理でした。ガパオライスには何の罪もないし、タイ料理も悪くありません。ただ、私の好みには全く合わないってだけです。食の好みに善悪はないからね。あれだけ強く薦めた妻のクチにも合わなかったみたいです。始終「辛い、辛い」と言ってましたが、タイ料理って基本的に辛いんだよね。一体、どこで、どんなガパオライスを食べたんだか…。

フラメンコ

 夕食後はホールEに戻って、今度はフラメンコ歌手の舞台を見ることにしました。

 アントニア・コントレラマ(フラメンコ歌手)
 ホアン・ラモン・カロ(ギター)

 まずはギタリストが一人で出てきて、何やらソロ曲を演奏しました。まあ、前座ですね。次に女性歌手が出てきて、椅子に座って、何やら歌いだしました。ちょっとアレ?って思ったものの、カスタネットを持って踊るのはダンサーさんなわけで、歌手なら歌うだけだよね…って納得しました。

 舞台には歌手とギタリストが一人ずつで、割りとおとなしい舞台でした。フラメンコと言えば、激しい音楽やダンスを想像していたので、ちょっと拍子抜けと言うか、期待とは違うものが出てきて、アレ?って気分になりました。歌っている曲は、なんかのんびりした民謡っぽい曲でした。何を歌っているかは、全然分からなかったけれど、おそらくスペイン民謡なんでしょうね。日本の民謡にも通じるような、何か物悲しい曲でした。

 曲調がゆっくりとしていたし、音量もそんなに大きいわけではなかったので、私は会場に流れるBGMに気を持っていかれました。舞台をやっている時くらい、会場のBGMを切ればいいのに…って思いました。それだけ、私は舞台に集中していなかったんですね。

 やはりフラメンコは、クラシック音楽とは別ジャンルの音楽だなと思い、まだ演奏中だったけれど、立ち見だった事もあって、会場から離れて、ソフトクリームを食べる事にしました。帝国ホテルのソフトクリームだったので、さてどんな上品なアイスだろうかと思って待っていたら、出てきたのはスジャータのソフトクリームでした。スジャータのソフトクリームって、日本中の観光地のあっちでもこっちでも食べられるヤツでしょ。ちょっとガッカリしちゃいました。

 美味しかったけれど、スジャータだったら、別にここで食べなくてもいいかなあ…って思ったわけです。

ピアノのマスタークラス

 ソフトクリームを食べて、時間的にもちょうど良くなったので、ガラス棟を上がって、マスタークラスを聞きにいきました。

 マルク・ラフォレ(ピアノ)

 J.S.バッハ:バルティータ No.2 BWV826 ハ長調

 今回の生徒さんの演奏は、最初はどうなるかと思ってハラハラして見ていましたが、後半は徐々に調子を上げてきたようでした。

 パルティータは舞曲集なので、それぞれの舞曲の性格が際立つように演奏しないといけないのだそうです。そのためには、演奏者は意図を持って演奏し、その意図がきちんと観客に伝わるように演奏しないといけません。そのためには、多少演奏がイビツになっても仕方がなく、美しい演奏よりもより強く表現する事を優先して欲しいのだそうです。

 ただし、表現すると言っても、バッハの時代の音楽様式を踏まえた上での表現でないとダメで、我々はついうっかりすると、ロマン派的な演奏をしがちだけれど、バッハはロマン派ではないので、そこは注意をしないといけないのだそうです。

 例えば、曲の冒頭部は楽譜ではアルペジオになっているそうだけれど、これを楽譜に書かれたままアルペジオで、このまま演奏してはいけないのだそうです。なぜなら、それはバッハの時代の音楽様式と異なるわけで、いくら楽譜にアルペジオで書かれていても、そこは批判的にならないといけない…というわけです。少なくともラフォレ先生ならば、ここはアルペジオでは演奏しないのだそうです。アルペジオを止めて、和音をガツンと弾いてしまうわけです。

 アルペジオを止めて和音をガツンと弾いてしまえば、演奏的には簡単になってしまいます。その時、その演奏の簡単さが観客に伝わるようではダメで、簡単なんだけれど簡単だと感じさせてはダメなのです。ここは“痛み”を以て演奏し、その“痛み”が観客に届かないとダメ。“痛み”が伝われば、誰も“簡単な演奏”とは思わないわけで、つまり、1音1音に情熱を込めて演奏しなさいって事なんだと思います。

 そんな事を言いながら、先生が模範演奏すると、生徒さんの演奏とはまるで違った音楽が展開されるわけです。なにしろ生徒さんの演奏は“楽譜を音にしてきました”程度で、その先まで踏み込んだものではないわけで…まあ、これは生徒さんの演奏家としての力量の問題になるわけです。

 午前中のビオラ・ダ・ガンバのマスタークラスでも感じた事だけれど、LFJでのマスタークラスも、だいぶ性格が変わってきたなあ…と思いました。マスタークラス自体は、ずいぶん前から恒例として行われてきたけれど、以前のマスタークラスは、生徒自身が演奏家として、それなりに成熟していて、自分なりに完成された音楽を持ってきて、それを先生にぶつける事で、新しい音楽的な局面が開かれていく様が見れましたが、ここ数年は、生徒さんもだいぶ未熟な方が増え、音楽として完成されていない状態で、マスタークラスに持ってきてレッスンを受けているような感じになりました。

 つまり、マスタークラスではなく、通常の音楽レッスンになってきたわけです。

 高いレベルのレッスンが見られるから“マスター”クラスであって、そうでないなら人前での公開に耐えない…と私は思います。そういう意味でも、LFJのマスタークラス、色々と潮時だなあ…と感じたわけです。

 続きはまた明日。

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2017年5月15日 (月)

LFJ その3 さすがは有料公演です

 食後の合唱曲を聞いた後は、ふたたび東京国際フォーラムを後にし、次の演奏場所に向かった私たちでした。

木管五重奏団

 向かった先は、今回から加わった新しい演奏場所、三菱商事MC FORESTの1階広場でございます。丸ビルの(東京駅から見ると)すぐ裏の場所で、丸の内にあるのに“丸の内エリア”ではなく“LFJエリア”という、ちょっと3番手的な扱いを受けている演奏会場でございました…三菱系なのに、ちょっと寂しい扱いなのが残念な場所です。

 ここ、演奏会場として良いですよ。野外なので、天候さえ良ければ…という条件付きですが、感じとしては、三菱一号館美術館近くの、丸の内ブリックススクエアのような場所です。高いビルに囲まれた、静かで響きの良い空間なのです。むしろこちらは、三菱商事MC FORESTの玄関前ですから、ビルそのものが反響板の役割をしますから、丸の内ブリックススクエアよりも良いかもしれません。あと、椅子が何脚か用意されていて、座りながら聞けるのも良いかもしれませんね(丸の内プリックスクエアは、基本的に立ち見オンリーです)。

 この場所で聞いたのは、木管五重奏の演奏でした。

 Appasionista [川口晃(フルート),是沢悠(オーボエ),西崎智子(クラリネット),河崎聡(ファゴット),安田健太(ホルン)]

 1)ファルカシュ:17世紀の古いハンガリー舞曲集より
 2)トマジ:世俗と神聖な5つの踊りより
 3)松本孝弘:ultra soul
 4)イベール:3つの小品

 1)は素朴な感じのなごみ系の曲でした。4曲演奏してくれましたが、どの曲も素朴です。そもそも木管五重奏曲として作られたオリジナル曲なんだそうです。道理で、それぞれの楽器の良さも引き出されていて、好感の持てる曲でした。

 2)は現代曲だそうで…よく分かりませんでした。どうも私は現代曲は苦手なようです。例によって、メロディがありそうで無い感じの曲でした。

 3)は、すごく良かったですよ。前半はワルツに、後半は四拍子のいわゆる縦ノリのリズムにアレンジされていました。フルートは何気に高難度なテクニックを披露していて、思わず演奏に引き込まれてしまいました。ちなみに、ドラムパートはフルートが演奏していたんですよ、想像できる?

 4)は知る人ぞ知る木管五重奏曲の定番にして名曲なんだそうです(私は知りませんでした)。なんでも、出版譜の指定と作者の指定が違うそうで、今回は作者の指定通りの順番で演奏した(第3楽章→第2楽章→第1楽章)んだそうです。私には馴染みのない曲でしたが、各楽器がそれぞれ活躍する箇所もあり、曲想もどことなくアンニュイで、しっかりメロディーもあって、良い感じでした。

 客のウケも良くて、LFJではめったにないアンコールをやってくれました。ファルカシュの曲でしたが…どの曲をやったのかは、私には分かりませんでした。

こうもり

 次は有料コンサートです。東京国際フォーラムに戻りました。

 びわ湖ホール声楽アンサンブル
  大川修司(指揮),渡辺治子(ピアノ)、中村敬一(演出)
  アイゼンシュタイン(増田貴寛)
  ロザリンデ(平尾悠)
  ファルケ(五島真澄)
  オルロフスキー公爵(山際きみ佳)
  アルフレード(島影聖人)
  アデーレ(藤村江李奈)

 ヨハン・シュトラウス二世:オペレッタ「こうもり」(ハイライト・演奏会形式・日本語版)

 とにかくおもしろかったです。全3幕2時間半のモノを、あまり有名ではない曲を省き、込み入った部分をすっきりとまとめて、全1幕約1時間にしました。主要な曲はすべて演奏し、ストーリーも基本的に同じで、短縮オペラとしては、上出来でした。さらに言えば、演奏会形式と銘打ってますが、大道具が無いだけで、歌手たちは衣装を着て、しっかり演技をしながら演奏していました。日本語歌唱でしたが、オペレッタは現地語上演が原則ですから、日本語も気にならず、とても頼ませてもらいました。

 かなりたくさんの客が時間ギリギリ、あるいは遅刻して入ってきたので、開始時刻が少々遅れてしまいました。おそらく、ホールEで演奏された「こうもり」を見てきたのでしょう。あちらは無料演奏だし、同じように、ハイライト・演奏会形式・日本語版だし、その上、こちらよりも演奏時間が長いし、合唱団が加わっているし…声楽ファンなら行くよね。私も、移動時間の事を考えなければ、必ずそちらにも行きました…で、多くの人が移動時間の事を考えなかったようで、あちらを見てからこちらにきたのでしょうね。それでこちらの演奏開始が遅れてしまったようです。

 ホールEでの「こうもり」、どんな感じだったんだろ? そちらはそちらで、私だって興味あったのよ。

 さて、こちらの有料コンサートの話に戻ります。通常はバリトンが演じるアイゼンシュタインが、こちらではテノールさんによって歌われました。もう、それだけで私は満足だったりします。さらに、アルフレード(そもそもテノール役です)は、オルロフスキーが歌えるんじゃないの?ってくらいに高いテノールさんでした。で、そのオルロフスキーは…と言えば、まるで宝塚の男役さん?って感じのソプラノさんが演じていました。日頃からズボン役にケチをつけがちな私ですが、この配役には納得しました。

 セリフ部分はかなりの改変&現代化がされていて、日本語の喜劇として、きちんと成立していました。

 LFJで、割りとしっかりしたオペラを見たのは、これが始めてかもしれません。LFJは器楽演奏に傾きがちだからなあ…。いやあ、とても良いものを見せていただきました。さすがは有料公演。感謝感謝です。

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2017年5月14日 (日)

LFJ その2 私の舌は貧乏舌なんです

 マスタークラスの次は、東京国際フォーラムの隣のビルであるTOKIAに行って、コンサートを聞きました。

アラカルト・コンサート

 私が聞いたコンサートは特に名称はありませんでしたが、オーディションをくぐった、複数のアマチュアさんや若手プロの方々が出演するコンサートでした。そういう意味で“アラカルト・コンサート”なのです。

 山本爽楽(ピアノ)、松尾茉莉(ヴァイオリン)、加納裕生野(ピアノ)、塙美里(サックス)、宮野志織(ピアノ)

 1)山本爽楽:Capriccio for RANPO(山本爽楽)
 2)クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット(松尾茉莉&加納裕生野)
 3)ブラームス:ハンガリー舞曲第5番(松尾茉莉&加納裕生野)
 4)モンティ:チャールダッシュ(松尾茉莉&加納裕生野)
 5)フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第2楽章(塙美里&宮野志織)
 6)プーランク:愛の小径(塙美里&宮野志織)

 1)は自作自演って奴です。登場したピアニストさんはまだ少年でした。おそらく天才なんでしょうね。「世界よ、僕の才能に酔いしれよ!」と思ったかどうかは不明ですが、楽しげに自作を演奏していました。もっとも、演奏された曲は、ジャンル的には現代曲って奴なので、聞いていて、ちょっとも面白くなかったです。ただ、音がジャカジャカ鳴っているなあ…って感じです。現代曲って聞く人を選ぶからね…私のような低レベルの音楽ファンでは、とても楽しめる曲ではありませんでしたが、それが現代曲って奴なんだから、仕方ないですね。LFJのような一般客相手の(それも無料)コンサートには、似つかわしくない選曲だなって思いました。

 江戸川乱歩に影響を受けて書いた曲なんだそうですが、それならば“for Ranpo”ではなく“for Rampo”だとオジサンは思います。

 2)~4)のコンビは、ピアニストである加納さんがオーディションに申込んだのだそうですが、演奏は完全に相方であるヴァイオリニストの松尾さんがメインになっていました。

 ヴァイオリンのソロってカッコイイなあ…って、素直に思いました。メロディをカッコよく演奏するならヴァイオリンしかないよね…って、メロディの無い曲の後だったので、本当に強く感じました。3曲ともカッコよい上に、なんとも哀愁があって、心に染み込んで…いやあ、良いモノを聞かせていただきました。

 5)は、ヴァイオリン・ソナタのヴァイオリン部分をアルトサックスで演奏してみました…という演奏だったのです。これは好みの問題だと思うし、一生懸命に演奏してくれたのも分かるのだけれど、なんかサックスの良さをあまり感じられない曲だなあって思いました。聞きながら「これじゃない感」を強く感じた私でした。サックスとピアノの組み合わせなら、他にも良い曲はたくさんあるだろうに…。

 6)はアンコールとして演奏してくれましたが、こちらはサックスがサックスサックスしていて、とても良かったです。最初っから、こちらを演奏すれば良かったのに…なんて思いましたよ。やはり、楽器のキャラクターと曲のキャラクターが合わなければ、一生懸命演奏してもお客を楽しませられないものだなあ…って思いました。

 まあ、出演者を募集して集めたそうですから、出演者的には、客を喜ばせるよりも、オーデションを勝ち抜き、せっかく手にした千載一遇の演奏の場に、自分のとっておきの曲を演奏したい…と願うわけで、そこにはお客を楽しませるという姿勢が薄くても仕方ないかなって思いました。所詮、無料コンサートだしね。

 ああ、パソナのコンサートが恋しい(涙)。

キオスクコンサート

 アラカルト・コンサートを見終え、再び東京国際フォーラムに戻った我々でした。以前、展示ホールと呼んでいたホールEで行われるコンサートを聞きに戻りました。

 時間の余裕をもって戻ったつもりでしたが、キオスクコンサートは人気があるので、席はすでにどこにもありませんでした。演奏が始まるまで、時間がかなりあったし、ちょうどお昼時という事もあったので、座席を確保するのは諦めて、ちょっと離れているけれど、会場内で食事をしながら聞きましょうって事になりました。

 会場で食事となると…帝国ホテルのケータリングですね。私はチキンカレーとホットドッグを、妻は本日のランチを食べました。さすがはホテルのケータリングです。お値段も高級だし、お味もお上品でした。まあ、お値段が高級なのは覚悟していたので文句はないのですが、お味がお上品なのには、さすがに困りました。カレーライスなのに、目をつぶって食べると、ハヤシライスみたいなんだもの。私のような庶民にとって、これはカレーライスとは言えないですね。カレーライスみたいな姿をした何か別の料理です。

 私にとってのカレーって、市販のカレー粉を使って妻が家庭で作ってくれるカレーであり、インド人シェフのいるインド料理屋で出されるカレーなんです。でも、ホテルでお食事をされるようなセレブな人々は、家庭でカレーを食べないのかな? インド人がやっているようなインド料理屋なんて行かないのかな?

 ホテルのカレーって、全然違うんですよ。でも、この味を支持する方々がたくさんいるから、帝国ホテルはこの味でカレーを客に提供するわけです。誰も支持しなきゃ、とっくの昔にメニューから消えているか、今風の味になっているわけです。でも、この味で堂々と提供されているって事は、この味を好み、この味を支持する人々がいるってわけで…、それは帝国ホテルの利用者の皆さんなわけで…、そういう人にとっては、この味こそがカレーライスなんでしょうから、私とは住んでいる世界が全然違うわけです。

 つらつらと思い出してみれば、帝国ホテルに限らず、日本にある、いわゆる一流ホテルで食べられるカレーライスって、味が薄いよねえ。まあ、私もすべての一流ホテルのレストランのカレーを食べ歩いたわけではないけれど、東京とか横浜とかの一流って言われるホテルで(なぜか)カレーライスを食べる機会がチョボチョボあったわけで、思い出してみれば、どこも薄味で、いかにも健康に良さそうな、古風なカレーライスだったような気がします。

 だから悪いの帝国ホテルではなく、私の舌なんだよな。

 私はあっちの世界の人間にはなれないなあ…って思いました。私の魂が、あの料理をカレーと呼びたくないと叫んでいます。料理としては、かなり美味しいのだけれど、でもこれは私が知っているカレーという料理の範疇には入らないですよ。全くの別ジャンルの料理だと思います。

 ちなみに、妻が食べた、本日のランチは、とても美味しかったそうだけれど、ごく少量で、私なら1分以内に食べ終える自信がありますよ。

 なんとも物足りない食事となってしまったので、食後にコンビニに駆け込んで、ソイバーを3本食べて、お腹を落ち着かせました。やっぱり私にはホテルの食事は似合わないみたいです。

 つまり、私の舌は“貧乏舌”って事ですな(涙)。

 さて、肝心の音楽の方は、こんな感じでした。

 リベラル・アンサンブル・オーケストラ、曽我大介(指揮)、一音入魂合唱団

 1)チャイコフスキー:スラブ行進曲
 2)ボロディン:オペラ「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」

 まず、オーケストラがめっちゃ上手かったのです。このオケはプロなの?アマなの?って思いました。アマにしては上手すぎるし、プロにしては情熱的なのです。プロとアマの良い部分を両方共に持っているようなオケでした。もしかすると、トラとしてプロが大量参加しているアマ団体とか? それにしても、チャイコフスキーの音楽には、これくらいの熱量高めの演奏がお似合いです。

 合唱も上手。特に女声がめっちゃ上手でした。男声は…上手なんだけれど、いかにもパワー不足な感が拭えませんでした。男女ほぼ同数のようでしたから、普通なら男声優位のはずなだけれど、男声にとって歌いづらい音域だったのかな? 終始女声優位な感じでした。まあ、女声はメロディなので、それはそれでアリですが、男声ファンとしては寂しかったです。

 と言う訳で、続きはまた明日。

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2017年5月13日 (土)

LFJ その1 ヴィオラ・ダ・ガンバのマスタークラス

 さて、今年もラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(以下LFJと略)が開催されました。私も例年のように、初日と最終日に参加しましたので、例年のように、自分の記録のために記事をアップしていきたいと思います。

 2017年の今年、私的にショックだったのは、パソナがエリアコンサートに不参加だった事です。いやあ、ほんとにショックで、パソナのコンサートが無くなったんだから、今年はLFJそのものに行くのを止めてしまうおうかと思ったぐらいです(マジです)。

 もっとも、パソナコンサートが無くなったと知った時点で、すでに有料コンサートのチケットを購入していたので、泣く泣く出かけたのですが、もしも有料コンサートの販売以前に知っていたら、本当に行かなかったかも…それくらいショックな出来事でした。

 ここ数年、私にとって、パソナコンサートありきのLFJだったからなあ…。

 さて、気持ちを切り替えてゆきましょう。

 LFJの初日の初っ端は…ヴィオラ・ダ・ガンバのマスタークラスに行きました。先生は、フィリップ・ピエルロ先生です。

マスタークラス(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

 初回のマスタークラスって、10時半開始で、整理券はその90分前の9時から配布で、例年は朝9時に行って整理券をもらっていたのですが、今年は1時間遅れの10時に整理券を貰いに行きました。1時間遅れの登場ってのは…それくらい、例年とは私のテンションが違うって事ですね。30分前に行って、整理券がもらえなかったら見なくてもいいや…くらいの低いテンションだったわけです。…でも、30分前で整理券をもらえちゃったので、例年通り、マスタークラスを見ることが出来ました。

 演目は、マラン・マレ作曲(誰?)の『ヴィオール曲集第3巻 組曲ト長調』の中から『壮大なアルマンド』と『クーラント』の2曲でした。

 曲的には全く知らない曲だったし、曲もそんなに面白いものでもなく、正直生徒さんの演奏にもワクワクしませんでした。ただ、ヴィオラ・ダ・ガンバという珍しい楽器の音楽が聞けたことが収穫かな?

 ヴィオラ・ダ・ガンバと言うのは、古楽器の一種で古楽で用いるチェロのような楽器です。弦は7本で、指板にはフレットがあります。弦が7本と言う事は、かなり音域も広そうです。実際、課題曲の演奏では、先生との二重奏(先生が低音部、生徒さんが高音部を演奏)でしたが、広い音域を縦横無尽に使った感じが、面白かったですよ。

 まず先生は、弓の使い方を丁寧に教えていました。

 弓の全幅をきちんと使い切る事。弓は大胆に大きく使う事。そして、フレーズを弾き終わったら、弓を弦に押し付けたままにせず、弓を空に飛ばす事など、音を生き生きとし、部屋の残響を活用する方向の指導をしていました。また、フレーズの中に、メロディと伴奏が混ざっているのですが、メロディの部分は弓をたっぷり使い、伴奏の部分(装飾的な経過音が多い)では、弓をほんのちょっとだけ使うなど、メロディとそれ以外の弾き分けも注意していました。

 左手の指導もしていました。

 どうやら生徒さんは(癖なんでしょね)フレットの直上に指を置いて弾きがちで、これのせいで、どうも音がくぐもるようなんです。何度も先生に注意されていました。それを先生は注意するために、和音を弓でなく、ギターのように爪弾いて弾いてみせたり、プリングオン/オフをやらせてみたりしていましたが、どうにも上手く行かなかったみたいです。

 私が見るに、生徒さんはヴァイオリンから転向してきて、ヴァイオリンの奏法が抜けていないのではないかと思いました。と言うのも、フレットの扱いがなんともぎこちないんですよ。ヴィオラ・ダ・ガンバはフレットがあるので、むしろ左手はギター的な使い方をしないといけないのです。

 ヴァイオリンとギター。その左手の動かし方は似ているようで、実はかなり違うんですね。私は両方弾くので分かるのですが、ほんと、ちょっとした感覚が全然違うんです。実際、私もヴァイオリンに熱心に取り組んでいた時は、リードギターが弾けなくなっていましたもの。それくらいに違うんです(リズムギターはコード奏法なので、演奏に支障なしでした:笑)。でも、ギターに夢中になっている時でもヴァイオリンは弾けるんですよ。つまり、ヴァイオリン→ギターは難しいのですが、ギター→ヴァイオリンはさほど大変でもないのです。まあ、これは私に限った事かもしれませんが、面白いですね。

 ちなみにヴィオラ・ダ・ガンバは、フレットがある事からも、左手はかなりギターに近いんですね。どうも、そこに生徒さんは苦労しているみたいでした。

 クーラントでは、三拍子のリズムの取り方を注意してました。クーラントは舞曲ですから、強拍の置き方が大切で、機械的な三拍子では全くダメで、だからと言ってワルツのようなリズムの取り方をしてもダメ。つまり、楽譜を見て、そのまま演奏してもクーラントにはならないわけで、じゃあクーラントをどう演奏したら良いかと言えば…クーラントを踊ってみて、そのリズム感覚で弾かなきゃダメみたいで、先生は一生懸命クーラントの動きとそのリズムを教えてくれてました。

 だってねえ…日本人の我々にはクーラントという踊り、踊るチャンスどころか、踊っているのを見ることだって難しいよね。そりゃあ手取り足取りにあらざるを得ません。

 でも、舞曲は実際に踊ってみないとリズムが分からない…と言うのは、きわめて正論だなって思いました。逆に言えば、ダンサーの動きが分かれば、舞曲はノリノリに弾けるわけで、そこが観賞用の音楽と、実用音楽の違いなんだなって思いました。

 時代様式の問題でしょうか、生徒さんは(ヴァイオリン奏法的に)ヴィブラートを付けたがるのですが、それは先生に止められていました。ヴィオラ・ダ・ガンバが活躍したバロック時代、ヴィブラートはあまり使わなかったようです。ヴィブラートの代わりに、クレシェンド&ディミヌエンドを多用して音を膨らませていたようです。ヴィブラートを多用するとロマン派ってぽい音になってしまうんだそうです。

 ヴィオラ・ダ・ガンバなんて、おそらく一生演奏するチャンスの無い楽器だけれど、こうしてレッスン風景を見せてもらうと、知的好奇心が刺激されるものです。

 続きはまた明日。

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2016年5月15日 (日)

LFJ2016 その7 4K上映は…まあ、当分はいいかな。

 マスタークラスの列に並んでいると、すぐそばの会議室で行われている催し物が気になって仕方ありませんでした。それは何かと言うと…4K上映って奴です。なので、ブラレイ先生のマスタークラス終了後、いくつか見ようと思っていたコンサートがあったのですが、またガッカリしてもイヤなので、おやつを少し食べて、ホールE(昨年までの展示ホールを改称したのです)を冷やかしてから、予定していたコンサートをパスして、4K上映を見に行きました。

クラシカジャパン 4K 2015スカラ座「アイーダ」

 4K上映は、クラシカジャパンと言う、CS局が行っていました。もちろん、自社番組の宣伝を兼ねた4K上映のデモなんですが、4K上映というものに初めて触れる私は、なんかワクワクドキドキしちゃいました。

 会場は壁いっぱいの大型スクリーン(120インチ…って言ってたような気が…)に、5.1chサラウンドの高級スピーカー(200万円の値札が付いてました!)の組み合わせです。いやあ、超豪華なホームシアターってか、小さめの映画館のような設備で、4K上映のデモが行われました。

 上映するのは、2015年にスカラ座で行われた「アイーダ」の第2幕第2場の“凱旋の場”でしたが、まずはその前にたっぷりと宣伝ビデオを見せていただきました。

 宣伝ビデオはとても面白かったですし、クラシカジャパンも良い放送をたくさんしているなあと分かりましたし、我が家はケーブルテレビなので、配信元に電話をすれば、明日からでもクラシカジャパンを見ることができるのですが、毎日が忙しくて、とても見ている時間はないなあ…と思いました。現役引退して、時間が余るようになったら、面白いけれど、現役のうちは無理って思ったわけです。でも、ほんと、良い番組が目白押しだなって思いました。

 で、肝心の「アイーダ」は、なかなか面白かったです。なんでも、スカラ座の新演出なんだそうで、今までやっていた派手派手なゼッフィレッリ演出を止めて、ヴェルディの初演当時の演出を可能な限り復元した、オリジナルに近いシュタインの演出で上演という事で、確かにウマもゾウも出ない、地味めな演出でした。何よりも「あれ?」と思ったのは、バレエシーンが一切カットされていた事です。何でも、初演の時はバレエはなかったのだそうです。

 正直、見慣れていないせいもあるけれど「アイーダ」って、グランドオペラでしょ? 祝祭オペラでしょ? こんなに地味でいいの? って感じでした。

 で、肝心の、4K5.1chサラウンド上映ですが…まあ、こんな感じ?って調子で、少し拍子抜けだったかな? 別にダメってわけじゃないんですよ。良いのですよ。でもねえ…って感じでした。

 まず、システムのオーバースペックさを肌で感じました。4Kって、ハイビジョンの四倍の高細密なんだそうですが、例えば我が家の場合、テレビはいわゆる“ハイビジョン対応のテレビ”なので、4Kの再生機を入れても、たぶんきちんと再生できません。

 じゃあ、テレビを4K対応に買い換えればいいじゃんとなるでしょうが、そんなに積極的に導入しなくてもいいかなって思いました。と言うのも、ハイヴィジョンと4Kの差は、おそらく超大型モニター(それこそ120インチ?)を導入して、やっと分かるかどかって程度の違いで、ウチの40インチテレビの場合、DVDとハイヴィジョンの差すら分からないのに、4Kなんて導入しても、DVD画質との差が分からないと思いました。

 結局、画質の良し悪しなんて、ある一定レベルを越えたら関係ないんだなって思ったわけです。だって、コンテンツの中身が良ければ、そこに集中しちゃうわけで、画質の良し悪しは、そこまで気になりません。

 それに、いくら4Kがホームシアター向けとは言え、我が家にホームシアターを構築する予定はないし、だいたい大型画面で楽しむなら、映画館に行って、メトのライブビューイングを見ちゃうもの。あっちは、本当の映画館での上映だから、画面だって比較にならないほどに大きいし、音響だって最高だよ。それと比べちゃうと、4Kって、どうにも分が悪いなあって思いました。

 4Kって、スペースの問題もあるけれど、都市部で流行らないんじゃないの? 土地に余裕があって、一部屋一部屋が大きくて、なおかつ、近隣に映画館がないような地方じゃないと、流行らないんじゃないかしら? だって皆ハイヴィジョンで足りているでしょ? それにだいたい、クラシカジャパンだって、ハイヴィジョン放送だしね…なんて思った私でした。

 …と書きましたが、案外、4K上映自体を満足して楽しんだ私でした。夕食は…ちょっと時間があったので、ガストに行って食べました。丸の内とか銀座だって、ファミレスはあるんだよね。

 夕食を終えて臨んだ最後のコンサートは、トリを飾るにふさわしいコンサートでした。

天地創造(ダニエル・ロイス:指揮、リュシー・シャルタン:ソプラノ、ゾエリーヌ・トロイエ:アルト、ファビオ・トゥルンピ:テノール、アンドレ・モルシュ:バリトン、ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィア)

 今年の(私にとっての)LFJ最後のコンサートは(私には珍しく)ホールAに行きました。

オラトリオ『天地創造(全曲)』[ハイドン]

 今年のLHFの話題コンサートの一つである、ハイドンの大人気オラトリオ『天地創造』を聞いてきました。会場はやたらと馬鹿でかいホールA(客席数5008席だって、信じられないよ。サントリーホールの大ホールの2.5倍の広さです)でした。まあ、馬鹿でかいと言っても、しっかりとP.Aが入っているので、どこに座っても決して聞こえないという事はないし、大型ディスプレイもあるので、どこに座っても決して見えないという事はないのがうれしいですが…まあ、クラシックを演奏するホールとしては、かなり邪道だとは言えます。本当は、オラトリオならば、1000席ぐらいのホールでの演奏が適切な大きさかな(サントリーホールでも大きすぎる)って思ってます。

 今回はそんな馬鹿でかいホールAのセンター前寄りの、普通ならば、良い席を確保できました。ま、ホールAは、どこに座っても関係ないんだけれどね(涙)。

 大型ディスプレイもあるホールでの演奏だから、当然、字幕サービスもあるだろうと思っていたら、字幕はなくて、入り口付近で訳詞の小冊子を無料で配っていました。去年の『マタイ受難曲』は有料で配布していたので、無料にしただけサービスが良くなったなあとは思ったものの…やはり字幕サービスを付けてくれてもいいんじゃないのかなって思いました。

 だって、ストーリーがあるのに、オラトリオだから演技はないのです。だからこそ、字幕サービスがないと、何を歌っているのか全然分からないじゃない。訳詞の小冊子を配っていても、客席真っ暗だから見れないし…。LFJと言うのは、日頃クラシック音楽との親しみのない人も楽しめるコンサートを行うのが主旨なのに、字幕サービス無しで訳詞を渡して会場を真っ暗にするなんて、主催者の頭の程度がよく分かります。

 来年もオラトリオを上演するのなら、ぜひ、字幕サービスを付けて欲しいものです。

 P.A.が入っているとは言え、やはりAホールは広すぎますね。合唱とかオーケストラは遠方からの集音マイクでの収録でも十分ですが、ソリストたちは、若い人たち中心で、声量にも差があって、マイクのレベル調整が難しかったみたいで、かなり聞きづらかったです。特に最初はテノールが本当に聞こえなくて難儀しました(とても軽い声なので、広い会場では声が散ってしまいマイクで拾いづらかったのだろうと思います)。

 ソリストは4人いましたが、かなりの部分はソプラノとバリトンで歌っていました。テノールは第1部と第2部では頑張っていましたが、第3部では最初と最後に少し歌っただけでしたし、アルトに至っては、第3部の最後の歌にちょっとだけアルトのソロパートがあるので、そこだけ歌っていました(ソプラノに較べて、アルトの仕事の何と楽な事よ!)。なので、最終曲は、元気のないテノールと、ヘロヘロになったソプラノとバリトンと、元気いっぱいでアゲアゲなアルトの組み合わせという、何ともバランスの悪い重唱となりました。ああ、ハイドン先生、これって絶対、作曲上のミステイクでしょ!

 日本ではオラトリオそのものが滅多に聞けませんし、『天地創造』という曲は、名ばかりが有名ですが、ほんと、演奏の機会の少ないオラトリオ(アリア中心のオラトリオなので、市民合唱団だと取り上げにくいのです)なので、それが聴けた事は大変うれしい事でしたし、演奏もすごく良くて、しばしばホールAで聞いている事を忘れてしまうほどでした。

 ああ、楽しかった。これで今年のLFJもお終い。今年の来場者数は45万9千人だったそうです。昨年が45万7千人だから、まあ、45万人強の入場者数という事で落ち着いてきたのでしょうね。

 来年のテーマは「ダンス」だそうです。今年よりは楽しい曲が並ぶでしょうね。来年に、乞うご期待ってところですね。

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2016年5月12日 (木)

LFJ2016 その6 音楽を演奏するって、不可能を可能にしていくオカルトなのかもしれません

 昼食を食べ終えて、予定していた次のコンサートに行きました。そのコンサートの演奏会場はとっても素晴らしかったのですが、演奏が…ねえ。事前に告知していた曲目を変更していたのです。まあ、曲目変更に関しては、本日二度目だし、まあそういう事もあるからねえ…って事になるので、それはまあいいのですが、音楽ジャンルが変わってしまうのは…いかがなものかな?

 一応、LFJですから、クラシックコンサートが前提であり、テーマも「ナチューレ(自然)」という縛りがあったはずですし、事前告知の曲目は、まあ、その縛りにかなった曲目でしたが、実際にそこで演奏された曲は、事前告知とは全く違ったJ-POPでしたし、ジャズっぽい…と言うよりも、BGMっぽいサウンドの曲が演奏されていました。ソロ楽器のコンサートでしたが、伴奏はカラオケで、ラジカセっぽい機械から音が出て、それをマイクで拾っていました。

 そういう音楽を聞きたい気分ではなかったので、ちょっぴりガッカリして、その場を去る事にしました。残念です。

 で、空いた時間が出来たので、周辺を散歩する事にして、三菱一号館美術館の併設の歴史資料室とデジタルギャラリーを見てきました。だって、無料だったんですもの。

 で、有意義に時間をつぶして、次のマスタークラスを見に行きました。

ピアノのマスタークラス

 先生は、私の大好きなフランク・ブラレイ先生。生徒さんはショパンの「舟歌」を演奏してくれました。

 実はこのクラス、フランス語の通訳の方が遅刻していたので、最初はブラレイ先生が英語を話して、それを司会の人が通訳するという方法で進められました。まあ、まもなく通訳の方が到着したので、ブラレイ先生も英語を止めて、フランス語で話しましたが…私的には、ブラレイ先生の言葉が直接分かる英語の方が良かったなあ、そのまま英語でマスタークラスを続けて欲しかったのですが、ブラレイ先生、フランス語に切り替えた途端、饒舌になっておりました。やっぱり、英語よりもフランス語の方が不自由がなかったみたいです。

 私、出入り口のドアのそばに座っていたのですが、始まってしばらくして、ルネ・マルタンがやって来て、マスタークラスを見学しようとしたようですが、あいにくの満員だったので、あきらめてすごすごと引き返していました。音楽ディレクターなのに、満員だと見れないんだな(笑)。

 さて、今回もマスタークラスで、私の心に残ったことを書き記していきます。

 クラスの初っ端に、ブラレイ先生が生徒さんに質問をしました。

 「私はショパンをレパートリーに入れていません。あなたは、誰のショパンが1番好きですか?」
 「サムソン・フランソワです」
 「サムソンは、ショパンを即興的に演奏しているように聞かせるけれど、そのためには、右手と左手が独立して動かせないといけません。片方がもう片方につられてはいけません」

 そう言って、ブラレイ先生が見本演奏をしてみました。すごく軽やかで、まるで音楽が波間で漂うかのような感じになりましたが、それを生徒さんが聞いて演奏しても、決してそうはならないのです。

 「右手と左手のルバートを揃えてはいけません。また右手と左手のアクセントも揃えてはいけません」

 そんな事を言っても、生徒さんが簡単にできるわけはありません。

 「では、私(ブラレイ先生)が左手を弾くから、君は右手を弾いてご覧なさい」と言って合わせたところ、すごく良い演奏となりました。

 「ピアノでは、右手と左手は別々の音楽家でないといけません。バレエで男性と女性がカップルになって踊るように、右手と左手は、独立して互いに支えながら演奏していかないといけないのです」

 すごく深い事を、実演をしながら、教えて下さいました。

 また、ブラレイ先生は、こんな事を言ってました。

 「ピアノはレガートもヴィブラートもできません。出来るような事を言う人もいますが、それはただのイマジネーションです。ピアノは打楽器なのです。だから、歌うように弾く事なんて物理的に不可能なのです」

 「ピアノの演奏にはイマジネーションが必要なのです。ピアノはレガートもヴィブラートも物理的に出来ません。しかし、ピアニストが強く念じて演奏すれば、レガートもヴィブラートも、客に“やっているように”聞かせる事ができるし“歌っているように”錯覚させる事もできます。そのように、出来ない事を、あたかも出来ているように思わせて弾くのが、ピアニストのイルージョンなのです」

 念ずれば、出来ない事も出来ているように聞かせられる…言っている事は、かなり無茶苦茶なんですが、その無茶苦茶を実演している人が言うと、無茶苦茶が無茶苦茶に感じられないのだから不思議です。

 ピアニストは、出来ない事をやってしまう、現代の魔術師でなければいけない…言っている事は本当にオカルトなんだけれど、ブラレイ先生は、そういうオカルトなピアニストなんだなあって思いました。

 で、私は、そんなブラレイ先生のオカルトっぽいところに、惹かれているのかもしれません。

 はあ…ブラレイ先生のマスタークラスを聞いて思った事は、やっぱりブラレイ先生のコンサートのチケットを買えば良かった。コンサートを聞きたかった!って事です。ほんと、うっかりしていたなあ…。

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