お知らせ

  •  こちらのブログは2019年8月14日に終了しました。現在は引っ越しをし、こちらで活動しています。ブックマーク等の変更をお願いします。また、こちらのブログにコメントをされてもお返事しかねますので、コメントは新しい現在のブログにしていただきますように、お願いします。

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2019年3月31日 (日)

ここまでのココログの不都合について

 私のブログの運営会社はココログです。ニフティのブログ部門で、日商岩井と富士通が立ち上げ、その後はずっと富士通の子会社だったはずなのに、近年(ってか、一昨年の2017年)にノジマの子会社になってました。え? ココログってノジマだったの?

 それはともかく、2019年の3月19日にメンテが行われました。メンテ…と言うよりも、大幅リニューアルだったようで、ブログシステムの交換だったようです。PC版の画面でブログを読んでいる人は“ひとこと”欄で、その都度、私が愚痴っているので、状況はお分かりかと思いますが、スマホで見ている人は“ひとこと”が読めない(今回のメンテから、そういう仕様になりました)ので、まとめ記事的なモノを書いておく必要があるかな?と思い、ひとまず、事の顛末と現在の状況について書いておく事にしました。

 実は私、その日(2019年3月19日)にメンテがあるとは知りませんでした。たぶん、メールとかで連絡があったのかもしれないけれど、メールチェックはしない人なので、メール連絡じゃ分かりません。ココログのトップページとかをアクセスすれば分かったのかもしれないけれど、ココログのトップページには滅多にアクセスしないし、自分のブログの管理画面には何の知らせもなかった(この点はココログのミスだと思ってます)ので、大幅メンテがある事自体を知らずに、その日を迎えてしまいました。

 その日、朝起きて、自分のブログを確認したら、記事がアップされていなかったので、ビックリしました。さっそく、管理画面に行ってみたら…メンテ中とありました。メンテ中じゃあしょうがないか。まあ、メンテなら早朝から始まって、せいぜい昼ぐらいで終わるだろうし、メンテが終わったら、記事は自動でアップされるだろうから、しばらく待ちましょう…と鷹揚に構えていました。なにしろ老人ですからね、何事も焦らないのです。

 でも、よくよく画面を見たら、メンテ終了予定時刻は夕方の5時じゃないですか。ほとんど一日が終わっている…。でもまあ、それでも仕方ないかって感じになりました(老人ですから:笑)。

 ちなみにメンテが終わるまで、管理画面での操作は何もできないので、記事のアップはもちろんですが、近況を知らせる“ひとこと”欄の更新もできなかったのは、ちょっと困ったかな? 当日の記事がアップされない事で心配されている方もいらっしゃるかもしれないので、せめて“ひとこと”欄だけでも更新できたらよかったのになあ…。

 メンテは夕方5時になっても終わらず、結局、7時に終了したようです。しかし、メンテが終わっても、アクセスが集中してサーバーがパンクしているようで、私、管理画面には行けず、予約投稿しておいた記事は、なぜか、アップされませんでした。

 それどころか、自分のブログにも行けなくなる事が発生し、数回に1回程度の割合で「そんなアドレスのブログはないよ。入力ミスか、もしくはブログを止めちゃったかもね。ひとまず20秒後にココログのトップページにつないでおくから、頭冷やせよ」的なメッセージが出ちゃいました。おいおいそれは無いだろ? せめて「回線が混んでいてアクセスできません。また後で接続してね」ぐらいのメッセージ出せや!と思ったものです。

 私自身が自分のブログの管理画面にアクセスできたのは、午後9時過ぎでした。その時点でも予約投稿しておいた記事はアップされていなかったので、ひとまず予約取り消しをし、事の顛末を“ひとこと”欄に書いて、その日はブログをお休みする事にしました。

 それにしても、新しい管理画面は…慣れないせいもあって、とても使いづらいですよん(涙)。

 翌日は、メンテでアクセスできなかった事を記事にして、予約投稿をしておいたのですが、やっぱり予約投稿はされませんでした。仕方ないので、手動アップにしたので、その日の記事のアップはだいぶ遅れてしまいました。ごめんなさい。

 記事自体は、手動でアップできましたが、記事の体裁はかなりグチャグチャです(これは今でもまだ完全には直ってません)。アップ前にあれこれ工夫しておかないと、読みやすくはアップできないみたいです。ああ、面倒くさい。

 予約投稿ができないのは厳しいけれど、ある意味、それ以上に厳しかったのは、ping送信が出来なくなってしまった事です。具体的に言うと、ランキングに参加している“にほんブログ村”と“人気ブログランキング”に、こちらのブログの記事更新が全く伝わらない事です。お陰様で、ランキングがぐんぐん落ちましたよ(涙)。

 この件に関しては、ランキングサイト側の自分の管理画面から手動で“代理ping送信”を行う事で、可能だという事が分かり、ひとまずは、それで乗り切る事にしましたが…“にほんブログ村”はともかく“人気ブログランキング”の方は、代理ping送信をしても、ブログの記事更新が全くされていなくて…一体どうしましょ? ああ、困った困った。

 それよりも大変だったのは、スマホの方です。

 自分のスマホに作っておいた、老犬ブログのショートカット(ってかアイコン)から老犬ブログにアクセスすると「そんなブログ無いよ。たぶん辞めちゃったんだよ」的なメッセージがデデンと出ます。これには困りました。だって、いつも使っているショートカットだよ。そこからアクセスすると「そんなブログ無いよ」ってメッセージが出るんだもの。別に辞めちゃったわけじゃないのに(涙)。

 結局、ショートカットの使用は諦め、改めてググって老犬ブログにたどり着き、そこから新しくショートカットを作ってアクセスしたら、きちんとアクセスできました。で、新旧のショートカットを比べてみたら、今までのショートカットと新しく作ったショートカットでは、関連しているアドレスが違うでやんの(驚)。つまり、今までのスマホ用のブログは本当に辞めちゃっていて、新しいアドレスでスマホ用のブログが展開されているわけだから、今までのショートカットじゃあ「そんなブログ無いよ」って言われても仕方ないわな。

 でもね、無断でアドレスを変えちゃうってのは、本当は駄目だよね。

 でも、なんでスマホでそんな事が起こったのかというと、ブログを読もうと思って、スマホで本来のアドレス(PCで見られる奴ね)を入力すると、自動的にスマホ用の別アドレスに飛ばされて、スマホ用のページを見るという仕組みだったようです。で、今回のリニューアルで、スマホ用のページのアドレスが変わったようで、本来のアドレスから飛ばされるページが変わったようなのです。

 だから、改めてググって見つけた新ページをショートカットにし直したところ、今度はスムーズにブログにたどり着けるようになったというわけです。これだって、事前に分かっていれば、読者の皆さんにお知らせする事ができたのに…。

 だってさあ、以前のページでショートカットを作って(ググる事を思いつかず)そこからしか老犬ブログに行こうとしなければ、老犬ブログは終わってしまったブログ…って事になってしまうわけで…ああ、多くの読者の皆さんが路頭に迷っているに違いないと思うと、とてもいたたまれない気分になります。

 ちなみに、今度のスマホ用のページでは、PCと同じ“PC版”の画面は見ることができません。これって駄目だよね。スマホ用のページとPC版のページの情報量は全然違うし、私はPC版を基準にブログを作っているので、スマホ用のページだけでは、あっちこっち情報が欠落してしまうんだよね。だから、今後はそういう人のために、少し記事の書き方を変えないといけないかなって思うわけです。

 あと、新しいスマホ用のページは、広告だらけで、本当に見づらいです。

 私がココログを使っている理由の一つは、私がニフティの有料会員なので、ココログでは広告無しのページが作れるからです。広告ってウザいじゃん。

 実際、PC版には広告がありません。スマホ用のページは…以前はちょっと広告があって、それがウザくてイライラしていましたが、今度のスマホ用のページは、記事よりも広告の方が多い感じで、とても嫌です。とにかく、広告を避けなきゃ記事にたどり着かないなんて、会費を返せよって言いたいくらいです。ブログ主から会費をもらい、読者からは広告料をせしめる…って、二重取りじゃん。ココログ、おかしいって。だったら、会費をアップしてでも、広告なしコースを作るべきだよ。広告嫌いという人は、私も含めて、それなりにいるはずだもん。

 念のために書いておくと、スマホで老犬ブログを見るとダメダメですが、タブレットでは普通にPC版でブログを見ることができます…が、ウチのブログに来る方の大半は、スマホ経由なんだよね。

 先月までの、PC対スマホの比率は、だいたい4:6でスマホの方が多かったのに、今月はもうすでに5:5になってます。20日のメンテ以降、スマホの方が減ったと要素されるので、来月はもっとスマホからの人の割合が減ってくるでしょうね。つまり、かなりの数のスマホユーザーの方が「すとんさんのブログ、終わっちゃったんだよね」と誤解しているか「すとんさんのブログ、見づらいから読むの止めた」と思って切ってしまったかの、どちらかでしょう? ああ、ココログさん、どうしてくれるんだい!

 さて、あれこれクレームを書き散らかしましたが、メンテの翌日である、20日と21日は、そんな感じで、ほんと、不満だらけの中にいました。

 22日になると、多少状況が変わってきました。

 たまに失敗はしますが、予約投稿が動き始めました。これは、うれしいです。

 また、全然改行できなかった記事が、きちんと改行できるようになりました…が、今度は改行の幅が広すぎて、かなり不格好。さらにきちんとならないかな?

 “にほんブログ村”へのPing送信が自動でできるようになりました。ただし“人気ブログランキング”には、まだPing送信がされていません。さらに手動で代理Pingを送信をしても情報が更新されません。ああ、どうしましょう?

 その後も、日を経るに従って、少しずつ状況はよくなってきたようです。

 例えば、サーバーの不安定さが、以前よりはマシになってきました。それでも結構な頻度でアクセスできない事がありますが、そんな時のメッセージが「ブログ辞めちゃったかもよ」から「今混んでいるから、また後でね」という内容のコメントに変わりました。同じアクセスできない状態でも「ブログ辞めちゃったかもよ」と出ると「私はまだブログを辞めてないよ。そんな悲しい事は言わないでおくれ…」という気分になりますので、多少はマシになったかも…って感じです(いい感じに、システム側に誤魔化されている?)。
 一向に変わらない部分もあります。特に海外の読者さんがコメントできない状態…というか、コメントが拒否られるという状況はまだまだ続いているようです。

 最後に、今回のメンテ(ってか、リニューアル)の、ネットでの反響…ってかクレームは、なかなかすごいですね。実際、今回のメンテって、何のために行ったのでしょうか! 使い勝手が悪くなって、サーバーが不安定になって、多くの人が文句を言っています。ココログから出ていくと宣言している人もたくさんいますし、商業ブログを中心に、ひとまず別ブログを開設した人々もいます。今回のメンテで、誰か得した人はいるのかな?

 ちなみに、今はまだココログから過去記事を抽出できない(エクスポートできない)ので、ココログから他所のブログに引っ越す事はできません。ココログは、ほとぼとが冷めるまで、エクスポートを解除しないつもりかしら? それってやり方が汚い…ような気がします。ココログに見切りをつけて逃げ出そうとしても、その足をしっかり握っているわけでしょ? これが有料サービスのやる事かね…と文句を言いたくなるのも分かります。

 もっとも私の場合、色々不満はあるけれど、10年以上、このアドレスでブログをやっているわけだから、いまさら他所のブログに移行するのは、あれこれリスクがありすぎるので、ちょっと考えてしまいます。でも、あんまりココログの使い勝手が悪いまんまなら、それも考えなきゃいけないなあって思ってます。ストレス無しで使える方がいいものね。

 はあ…、以前のシステムに戻らないかな(望)。

 ココログのアホーっ! ノジマのバカーっ!

 

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2019年3月30日 (土)

シズカは人間が好き

 魚類は基本的に人間に興味がありません。強いて言えば、給餌マシーンとしての人には興味があります。ですから、池の鯉が人影を見ると集まってくるのは、人が来たから餌がもらえると思って集まるだけで、人が来たから集まると言うよりも、エサが来たから集まる…というのが真相に近いでしょう。

 金魚も似たようなもので、エサの時間になると、エサ投入口に集まったり、人影を追いかけたりするのも、人を追いかけているというよりも、エサを追いかけているに過ぎません。

 金魚にとって、人はエサなのです。ですから、エサとしての興味しか無いのが普通です。

 しかし、どうやらシズカだけは、エサとしての人ではなく、コミュニケーションができる相手としての人が好きみたいです。

 シズカにとって、人はエサだけれど、エサだけでなく、自分のそばにいつもいる他の生き物…という認識はあるみたいです。なので、エサ以外の時でも人には興味津々です。

 シズカはよく人間を観察しています。人間の食事風景もよく見ていますし(水槽は食卓の上にあるんです)、テレビも見ています。人間同士の会話にも聞き耳をたてているようだし、水槽のガラス越しにかまってやると、きちんと反応します。

 他の子じゃあ、こうはいかないのだよねえ…。

 シズカは、他の子たちよりも、ちょっぴり賢いのかもしれません。

 それと、シズカって、いつもいじめられている事もあり、他の金魚があまり好きじゃないんだよ。それで人間と関わりを持とうとしているのかもしれません。

 

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2019年3月29日 (金)

フルートって、実は音域が広い?

 普段フルートを吹いているので、あまり音域の事は考えないのですが、先日、リコーダーを吹いた時、その音域の狭さに辟易してしまいました。

 ネットで調べると、リコーダーの音域って2オクターブと1音(低音のドから中音のドを超えて高音のドの一つ上のレまで出る…って感覚です)なんだそうだけれど、実際に吹いてみると、その音域は…せいぜい10度ですね。つまり“ドレミファソラシドレミ”です。実際、リコーダー用の一般的な楽譜って、この音域に収まるように曲がアレンジされています。

 もちろん、リコーダーだって頑張れば、ミの上のファやソも出ないわけじゃないけれど、それよりも上は…少なくとも私には無理です。リコーダー専科で日々練習している人だと、ネットで言われるように“2オクターブと1音”まで出せるんでしょうね。でもそれは一般的な音域とは違うと思います。

 さて、リコーダーの10度の音域って、その広さとしては、訓練されていない歌声の広さとほぼ同じです。そういう点では、リコーダーの音域は狭いわけではなく、歌声と同じって事で、むしろ取り扱いやすい広さと言えるのかもしれません。

 一方、フルートの音域は約3オクターブ。低音のドから始まって、その1オクターブ上はもちろん、その上のドを超えて、その上のドの手前のシまでが通常音域となります。つまり“ドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシ”です。もちろん、低いドよりも半音低い音が出る楽器もあるし、最高音シよりも高いドやレを出す方もいますが、私が楽々出せるのは、この約3オクターブの音です。

 リコーダー(それもリコーダー専科の方)の約2倍の音域だし、具体的に言えば、テナーリコーダーとアルトリコーダーとソプラノリコーダーを合わせたのと、ほぼ同じだけの音域が一つの楽器で出せます。

 なので、フルートが3本あれば、テナーリコーダーとアルトリコーダーとソプラノリコーダーの合奏と、ほぼ同じ事ができます。なんかすごいな。

 さらに言うと、上記の3本+グレートバスリコーダーを加えたリコーダーアンサンブルをたまに見ますが、それってフルート3本+テナーフルートと、ほぼ同じ感じになります。

 さらに、フルートはリコーダーの音域を超えるだけでなく、pとfの差も大きい、つまりデュナーミクも広いです。つまり、笛の中では、フルートって、なかなかに優秀な笛って言えるような気がします。

 そして、フルート合奏を「同じ楽器が3本じゃん、合奏としては面白みがないなあ」なんて、あまり甘く見ない方がよいかもなあ…と改めて思ったわけです。

 

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2019年3月28日 (木)

力をセーブしていても、声が大きいと言われます

 かつての私は、力の限りの声で熱心に歌っていました。それが正しい事であり、自分の熱意を表現する方法であるし、歌なんて満身の力で歌うべきだろうという思い込みもあったわけで、ほんと力の限りで歌っていました。ですから、1時間も歌えば、声が枯れ、ノドがガラガラになりました…ってか、1時間ぐらい歌わないと、声に支障が出なかったわけだから、ほんと、ノドが強いんだなあとも思います。

 そんな感じで力の限りの声で歌う…ほぼ絶叫スタイルだし、実際、あっちこっちで叫んでいたと思います。そんな声の人が、合唱はもちろん、斉唱であっても、そういう集団の中で歌えば、悪目立ちをするわけで、ある意味、迷惑千万でしかないわけです。

 でも、それは昔の話。今の私はパラダイムシフトを経て、決して力の限りに歌うことはしません。いやむしろ、省エネを常に心がけて歌っているわけです。ま、これは今のY先生の教えでもあるわけですが、それがようやく身につき始めたところとも言えます。

 それでも声は大きいと言われます。

 以前の私は、力の限りに歌っていたわけですから、いわゆる“大きな声”で歌っていたのですから「声が大きい」のは当たり前です。今の私は、省エネで歌いますので、自分的にはそんなに大きな声で歌っているつもりはありません。それでも「声が大きい」と相変わらず言われます。困っています。

 まあ、物理的に…と申しましょうか、私の声は音波のエネルギーとしては、やはり普通の人たちよりも、大きめなんだろうと思います。いわゆる、地声がデカイってパターンなのかもしれません。しゃべる職業ですから、声は日常生活で鍛えられているのです。でも、それだけで「声が大きい」と言われるわけではないのだろうと思います。

 今は(当たり前ですが)声が響くように歌っています。これって声楽の基本でしょ? で、響く声で歌えば(当然)声は響きます。声は響くと、よく聞こえます。このよく聞こえる事が「声が大きい」と誤解されるようです。

 それに周囲がアマチュア以前の素人さんたち(って表現で分かるかな?)の場合、どうしても歌声は平たくなりがちです。彼らの平たい声と、私の響く声は、明らかに異質なわけで、異質なモノって目立つんだよね。で、目立つと声の大小に関わらず“うるさい”って思われるわけです。

 全力込めて歌っていた時に「うるさい!」と言われるのは、ある意味当然なので「すみません…」という気持ちになっていましたが、今のように、割と軽めにセーブしながら歌っているにも関わらず「うるさい!」と言われちゃうと、どうにも腑に落ちません。一体、どうしたら良いのでしょうか?

 

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2019年3月27日 (水)

新作のオペラDVDの国内盤はどうしたの?

 今回の記事は、きちんと調査をして書いているわけではありませんので、もしかしたら間違っているのかもしれません。間違っていたら、ごめんなさいね。


 で、私が若い時、オペラのLD(当時はまだDVDは無かったのです)って、結構頻繁に販売されていました。なんだかんだ言って、毎月新譜が出ていたと思います。


 今の時代、オペラのDVDって、毎月新譜なんて…出ていないよね。いや、それどころか、年単位で見ても、新譜って出ているのかしら? ごくたまに、過去の名演がアーカイブのようなカタチで再発売される事はありますが、以前のように、とれたてのピチピチの上演がDVDで販売される事って…まず見かけません。


 以上の話は、日本メーカーによる日本盤のDVDの話です。つまり、最近の日本のDVDメーカーさんは、オペラの新譜をちっとも出してくれないという愚痴です。


 その影響もあってでしょうか? 昨今の輸入盤DVDには、日本語字幕が付くことが増えてきました。


 そもそも以前は、オペラの輸入盤のDVDには、日本語字幕は付かないのが、ほとんど常識でした。どのディスクも、字幕は、英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・中国語が標準で、それにイタリア語とか韓国語とかポルトガル語とかが付いてきたりこなかっただったんです。まず、日本語字幕が付くことはありませんでした。


 輸入盤のDVDって安いんですよね。日本盤の半額~1/3ぐらいの価格だし、日本盤にはない上演なんかもたくさんDVD化されていて、うらやましかったです。


 それが今では、国内メーカーからのDVDの発売が目立たなくなった代わりに、輸入盤に日本語字幕が付くようになり、安価にオペラDVDが入手できるようになって、うれしいです。安価になっただけではなく、上演頻度の低い珍しいオペラなどにも日本語字幕を付けて販売してくれるので、楽しめるオペラの数も増え、趣味人としては万々歳です。


 ただ、昔に作られたロングセラーのDVDには、日本語字幕が付いていないこともあって、そこはまだまだ残念かな? まあ、昔の映像に改めて日本語字幕を付けるなんて…まあしないよね。


 これがいわゆる、経済のグローバル化による恩恵ですね。日本のDVDメーカーは不景気で、新しいオペラDVDは販売できなくても、海外メーカーがより安価で豊富なラインナップでオペラDVDを発売してくれるんですから。


 ただまあ、日本人としては、ちょっぴり寂しいですよ。安価で豊富なラインナップの中から選り取り見取りで好きなオペラのDVDが買える今の方が、絶対に幸せなんだけれど、やはり日本企業が元気でブイブイ言わせてくれている方がいいもの。日本企業が幸せというのは、そこで働いている日本人たちが幸せって事だし、そういう幸せな日本人がたくさんいると、国全体も幸せになっていくわけだしね。


 みんながみんな、幸せになる未来が訪れると良いなあと私は思いますが、このままグローバリズムが進んでいっても、それは世界が平均化していくだけで、日本を含んだ豊かな先進国は、どんどん貧しく不幸になっていくんだよね。儲かるのは、GAFAを始めとするアメリカのIT系企業ばかり。だいたいグローバリズムと言うのは「世界がみんなアメリカになっちゃえばいいのに」という経済社会だからさ、アメリカの一部の企業しか儲からない仕組みになっていると、私は理解しています。


 頑張れ、日本企業。頑張れ、日本人。


 


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2019年3月26日 (火)

さあ、次回からはドイツ歌曲だよ

 さて、歌のレッスンに入りました。まずは、ベッリーニ作曲の「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」です。


 この歌には、結構たくさん符点のリズムがあります。そういう符点をきちんと意識してリズムを若干強調する感じで歌っていく事が大切です。私の場合、意識が薄くなると、だんだん符点が弱まって普通の8分音符のリズムになってしまうのです。ダメですね。


 歌になっても、軟口蓋を上げて歌うことを意識しながら…は続きました。母音によって、軟口蓋の上げられる高さが違うので、そこも意識しながらです。


 音程の上昇は軟口蓋の上昇であると思うこと。だからと言って、音程の下降は軟口蓋の下降ではなく、頑張って現状キープをし続ける事なのです。高音は、息の勢いに頼らずに、軟口蓋の高さ(つまりは声帯の張りだね)で勝負する事。軟口蓋を上げて、クチの奥を開いて、その開いた箇所に息を流し込んで、高音を出す…って感じです。


 音程の甘さは、支えの弱さだと思う事。音程がふらつくとか、音が下がりすぎる等、これらもすべて支えの弱さから来ると知る事。


 息をたくさん吹きすぎるとノドに来る。息は適量が良いのであって、足りないと感じる時は支えを強くして、息のトルクを上げていく事。


 臨時記号については要注意です。臨時記号が付いている音は、音階外の音だから、きちんと意識して出すこと。意識しないと、すぐにズレてしまいます。この歌の最高音は、G♭だけれど、私の場合、気を抜いて歌ってしまうと、ついつい(音階内の音である)Gで歌ってしまいます。半音も高い音をムリクリ出して…ほんと自業自得ですね。


 ひとまず、これでベッリーニは終了です。ここで学んだベッリーニの6曲の歌曲は、時折思い出して復習をして、レパートリーとしての定着を目指します。万が一、どこかで歌わないといけないチャンスがあっても、このレパートリーがあれば、20分程度なら、なんとかなるわけです。


 さあ、次回からは、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」だ。


 今回のレッスンはまだ続きます。次はビゼー作曲の「Agnus Dei/神の子羊」です。


 この曲はスローテンポという事もありますが、歌う時は常に楽譜で、次の音を目視して意識しながら歌う事。また、高音も叫ばずに柔らかく歌う事(ただし、ファルセットはダメです)。


 この曲をどう歌うか、先生と相談しました。この曲は「Agnus Dei/神の子羊」というタイトルから分かる通り、歌詞はラテン語でミサ曲の一種です。で、この曲を純然たる摺動局として、あたかもバッハの曲(つまり古楽ですね)のように歌うか、あるいは時代性を考慮してロマン派の曲として歌うか…です。


 私は、現代という時代を背負って歌っていきたいと思っている人なので、この曲は、現代的な視点から見たロマン派の歌曲として歌っていくことにしました。まあ、古楽は苦手…という事情もあったりするわけなのですが? いや、ほんと、どちらを選ぶかで、歌い方って、極端に変わるんですよ。


 この曲の最高音はA♭なのですが、息の流れさえ順調なら、割と楽に歌えます。歌詞も短くて繰り返しが多いし、この曲も、ベッリーニの歌曲同様にレパートリーにしていきたい曲です。


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2019年3月25日 (月)

たぶんリセットしたのだと思います

 声楽のレッスンに行ってきました。まずは、おねだりからです。

 兄弟子の別団体での発表会を見に行ったという話は、以前したと思います。やっぱりオペラはいいよね。もちろん全編上演などはできないにせよ、部分的に1シーンとかやってみたいです。以前、ウチの門下でも「ラ・ボエーム」をやったわけだし、そろそろまたオペラを発表会でやってもいいんじゃないかと、おねだりをしてみました。

 でも、正直、先生はあまり良い顔はされないんですね。それは…先生がおっしゃるには、ウチの門下は、声楽の門下であって、オペラ同好会でもなければ、市民歌劇団でもないので、オペラをやるとなると、あれこれなかなか難しいモノ(具体的に言えば、メンバーの同意とか練習場所とか…)があるみたいです。でもまあひとまず、私は、歌いたい演目の歌いたいシーンをリクエストしておきました。そうしたら、先生即座に「じゃあ、私とやりましょう!」とおっしゃってくれたけれど、先生とやるよりも門下生同士(つまりアマチュア同士)で、手探りしながら音楽を作っていくのがいいんだよね。先生とやっちゃうと、出来上がったレースの上を、先導されながら、補助輪つけて走っているような気がするんだよなあ…(でも、歌わないよりは、なんぼもマシですが)。

 とにかく、次の発表会に向けてのおねだりをしてみました(まだ日程も場所も全然決まりません)。

 さて、レッスンです。最初はハミング練習からです。今回は、とにかく、軟口蓋を上げていく事と、息をつないで歌っていくことの二つを重点的に意識して行いました。

 発声練習です。とにかく、ひたすら軟口蓋を上げて歌う練習をしました。ほぼ、軟口蓋周りの筋トレをしまくったと言っても過言ではないでしょう。

 「口を開く」と言うと、ついつい口先ばかり大きく開いてしまいがちな私ですが、大切なのは、口の奥を開くこと…つまり、軟口蓋を上げる事です。で、その軟口蓋を上げるには、その周辺の筋肉を鍛えないといけないというわけで、今回はそれをやりました。まあ、一回のレッスンでどうにかなるものではないけれど、どの筋肉が軟口蓋につながっているのかというのを確認し、意識付けするためのレッスンである…という認識で行いました。いやあ、疲れる疲れる。

 インフルエンザ&喘息で約1ヶ月ほど歌っていなかったせいもあって、ずいぶんとあれこれリセットされたようです。ざっくり言えば、歌い方が自然と変わって、今の私の状態に合った素直な歌い方に合ってきた…って感じになりました。

 実際、一ヶ月も歌わないと、本当にあれこれ忘れてしまうし、鈍ってしまし、出来なくなります。技術だけでなく、筋肉だって落ちてしまいます。前回のレッスンでは、衰えた筋力を意識化して、それを以前の水準に戻す事を主眼に行いました。それを踏まえて、ある程度筋肉が戻ってくると、歌い方が変わった事が目立つようになりました。

 ひとことで言うと「息の流れが良くなった」そうです。まあ、自覚的には、腹圧かけて常に息を流しながら歌うように気をつけるようになった事と、同時に、息をたくさん流し過ぎないように息をセーブしながら歌うようになった事でしょうか。あと、音程によって流す息の量も意識的に変えるようにしました。それらをまとめて先生は「息の流れが良くなった」とおっしゃってくれたのだと思います。

 この良い状態を、しっかりと継続できたらいいなあと、目下、癖付けを行っている最中なのでした。

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2019年3月24日 (日)

親切が仇になっている

 今回の話は、町中にあふれる外国語表記に関しての私感です。

 昨今…に限らないけれど、町中を歩いていると、外国語の看板とか注意書きとかがやたらとたくさん見かけるようになりました。あれは日本語が不自由な人向け…となると、在日外国人というよりも、インバウンド客向けなんだろうと思います。さもありなんです。

 注意書きが増えてきた理由には、色々あると思います。まあ、根本にあるのは、日本の文化や習慣は、他の国とはかなり違うので、インバウンド客が自国のルールで行動されると、結構迷惑であり、我々も不快になるし、彼らも不便を感じるわけだから、それらを事前に避けたい…でも直接注意するのは、怖いし、外国語分かんないし、下手に注意してトラブルになるのも嫌だし、何より彼らだっていちいち注意されたら気分悪いだろうし、だったら注意書きをして、それを読んでもらって、自主的に、彼らに我々のルールに従ってもらいたい…とまあ、そんな感じなんだろうと思います。

 ならば、それらの注意事項は、イラスト付きの平易な日本語で作ればいいと私なんかは思う(日本旅行をするのだから、簡単な日本語の勉強ぐらいしてくるだろうし、翻訳アプリぐらいは用意してくるだろうから日本語でも問題ないし、イラストを付けておけば、理解の助けにはなるし…って事ね)のだけれど、それをしないで外国語で注意書きをするのは、日本語が苦手であろう彼らへの親切なんだろうと思います。

 でもね、その親切が仇になっているような気がするんです。

 一部の大都会と有名所の観光地はそうではないのだろうけれど、ちょっと辺鄙な観光地とか、さほど大きくない街とか(最近はそういう場所を好んで、インバウンド客って来るんだよね。感覚が日本人とはかなり違うのです)で見かける、外国語の注意書きとかって、ホント意味不明なのです。

 だいたい、その手の注意書きって、英語と中国語と朝鮮語(いわゆるハングルだね)で書かれています。私は朝鮮語に関しては、全く分からないのでコメントを控えますが、英語と中国語はカタコト程度に理解しております。で、そんなカタコト英語&中国語でも分かるくらいに、奇妙奇天烈な事が書かれているのです。

 具体的な事を書くと、具体的な事物をディスる事になりかねないので、具体的な話は避けますが「そういう言い回しじゃ、分かってもらえないだろう」って文章に多々ぶち当たりるわけです。

 「そういう言い回しじゃ、分かってもらえないだろう」ってのは、別に単語の意味とか文法的な誤りがあるわけではなく、おそらく学校の授業ならば正解にしてもらえるかもしれない文章だけれど、実際のインバウンド客の皆々様には、そういった発想がないので、せっかくの注意書きの文章が、言語明瞭意味不明になっている事が、こんな私程度の語学力でも分かっちゃうって事です。いや、日本語も外国語もほどほどに分かる私だから気づく事であって、日本語しか分からない、外国語しか分からないという人だと、どこがおかしいのかすら分からないかもしれません。

 要は、学校仕様の和製英語や和製中国語が氾濫していますよって事です。

 そういう文章って、プロの翻訳家さんとか、百歩譲って日本に来ている留学生さんとかにチェックしてもらえば、すぐに分かるような間違った文章なんですよ。間違っているのは、文章ではなく、その根底にある発想なんですよね。日本語で考えて、その日本語を外国語に直訳しているから、言語明瞭意味不明になってしまうのです。

 本来の手順としては、日本語ではなく外国語で考えて、それをわかり易い文章で表記するだけの話なのですが、“外国語で考えて”という部分のハードルが高くて、結果としてヘマってしまっているのだろうと思います。

 それこそ、外国語で表記する事で、かえって分かりづらくなっているわけで、平易な日本語(+イラスト)で書けば分かるのに…親切が仇になっているよなあ…って事です。

 なまじ、学校でそこそこ外国語をかじった程度の人が文章を考えるからダメなんだと思います。「生兵法は大怪我の元」ってわけです。

 いやあ、ほんと、町中には変な外国語が氾濫しているんですよ、マジでね。

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2019年3月23日 (土)

ガボンバだけでなく、アナカリスも食べ始めた!

 ウチにいる今の金魚たちは、あまり贅沢ではありません。以前いた子たちは、案外贅沢で、水草はマツモグサしか食べませんでした。あれは高いんだよね。普通に安く売っているカボンバやアナカリスは絶対にクチにしませんでした。

 ところが、今の子たちは、もちろんマツモグサも食べますが、ガボンバも喜んで食べます。ガボンバを食べる以上、高いマツモグサを買う必要もないので、最近はもっぱらガボンバを水槽に入れてあげました。

 で、そのガボンバがとても気に入ったらしく、毎日毎日すごい量を食べるので、次から次へとガボンバを買い足さなければならず、結局、お値段的には、マツモグサを買い与えているのを同じだけの出費を強いられるようになりました。

 でも、同じ量のマツモグサを買わされる事を考えれば、だいぶ安上がりである事には間違いありません。

 で、そんなガボンバ大好きな子ですが、同じ金魚藻でもアナカリスは食べませんでした。まあ、アナカリスは葉も厚いし、茎も太いし、まあ食べやすくはないです。ですから、水槽の中にはカボンバとアナカリスが入っていますが、専ら食用なのはガボンバで、アナカリスは繁茂して、日陰を作る役割を果たしていました。

 で、先日、大好きなガボンバを食い尽くしてしまい、次のガボンバを買ってきてやろうと思っていたところ、店のガボンバが品切れだったので、次の入荷日まで待たないといけない事になりました。金魚たちも、食べるべきガボンバが入らずに困っていました。

 ガボンバを食べると言っても、普段はガボンバの葉を食べるのですが、葉を食べ尽くしてしまったら、次は茎を食べ始めました。で、ガボンバの茎も相当食べたところで、ふと気がつくと、アナカリスの葉が食い尽くされていました。

 そりゃあ、茎を食うよりも、葉を食うよなあ…。

 しかし、アナカリスまで食べてしまうとは…。前の子たちは、ガボンバやアナカリスには絶対にクチをつけずに、マツモグサしか食べなかったのに、今の子たちは、まずはガボンバだけれど、無くなれば、アナカリスでもいいみたいです。

 とにかく、クチに入って栄養になれば、なんでもいいみたいなのです。たくましさを感じると同時に、なんか意地汚いなあ…と思いました。まあ、それか生きるって事なんだけれど…ねえ。

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2019年3月22日 (金)

笛って何?

 「笛ってなんだろう?」となんとなく考えてみました。

 まずフルートは笛で間違いないと思います。ピッコロも同様でしょう。リコーダーも縦笛と呼ぶくらいだから笛です。オカリナは…笛だよね。鳩笛だもん。

 日本の楽器でも考えてみました。尺八は笛ですよね。雅楽の笛(龍笛)も笛でしょう。祭囃子の笛(篠笛)も笛ですよね。能で使われる笛(能管)も笛ですね。でも、雅楽でよく使う笙は笛か言われると…なんか違うような気がします。篳篥(ひちりき)やチャルメラもなんか違うような気がします。

 オーケストラ系の楽器で言えば、同じ木管楽器でも、クラリネットやオーボエは笛とは違うような気がします。ジャズ等では、フルートとサックスはよく持ち替えをして演奏しますが、フルートは笛だけれど、サックスは…笛なのかな? なんか違うような気がします。

 くどくど考えているよりも辞書に尋ねてみようと、手元の電子辞典(広辞苑)にたずねてみたら、笛とは吹奏楽器の総称で、笙や篳篥も含めるとありました。なんか意外。

 笛という言葉が吹奏楽器の総称ならば、トランペットも笛って事になります。広辞苑の定義は、かなり大雑把なようです。おそらく、邦楽の世界では、笙や篳篥を含めた吹奏楽器全般を笛と呼ぶのかもしれません。邦楽の世界にはラッパはありませんからね。

 笙や篳篥はリードを発信体として使う楽器で、その構造は、笙はハーモニカに、篳篥はオーボエに似ているそうです。ハーモニカやオーボエは笛なのかと言われると、なんか違うような気がします。なので、邦楽的には笙や篳篥は笛なんでしょうが、私の個人的な感覚では違うんです。

 じゃあ、私の感覚で言うところの笛とは何か? どうやら、エアリードの吹奏楽器をそう呼んでいるんじゃないかと思い当たりました。

 だから、フルートやピッコロはもちろん、龍笛・能管・篠笛も笛だし、口笛もホイッスルも笛です。どうも私の感覚と広辞苑の定義にはだいぶ距離があるみたいです。

 ちなみに、笛と言うけれど、草笛は草をリードとして鳴らすのだから、笛じゃないと言えるけれど、なんとなく草笛は笛に分類しちゃうんだよね。これは、言葉に思考が引きづられているのかもしれません。

 辞書的には、笛とは吹奏楽器全般の事を言うようだけれど、私的にはエアリードの楽器を笛と呼びたいのです。

 ここまで書いて、Wikipediaを見たら、笛とはエアリードの木管楽器の事だとありました。そうかそうか、私の感覚は、広辞苑よりもWikipedia寄りの感覚なんだなと、妙に納得した次第です。

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2019年3月21日 (木)

ロイヤル・オペラ・ライブ「スペードの女王」を見てきた

 イギリスのロイヤル・オペラ(いわゆる“コヴェントガーデン”)のライブ・ビューイングを見てきました。演目はチャイコフスキー作曲の「スペードの女王」です。

 「スペードの女王」…まあ、めったに上演されないオペラです。日本じゃまず生の公演は見られません。世界レベルでも、なかなか厳しいようです。なにしろ、ロシア語のオペラですから…ロシア語で歌える一定水準以上の歌手と合唱団を集めるのが大変なのです。おそらく、ロシア語圏以外では、本当に稀にしか上演されないオペラだと思います。

 で、そんな珍品オペラである「スペードの女王」ですが、オペラとしては、かなり良いです。音楽は美しいし、アリアも聴きごたえあるし、重唱も素晴らしいです。もしもこのオペラがロシア語でなく、イタリア語…いやいや、ドイツ語かフランス語で作曲されていたら、もっと普通に上演されていた事でしょう。それぐらいに、素晴らしい作品だと思います。

 じゃあ、このロイヤル・オペラのライブビューイングを見に行くべきかと言うと…少なくとも、この公演は、止めておいた方がいいと思います。お勧めしません。

 何がダメなのかと言うと、演出がダメなのです。

 この演出、日本人向けじゃないわ。というのも、この上演を楽しむには、以下の高いハードルをすべてクリアしている必要があります。

 1)原作のプーシキンの小説を熟知している事。
 2)チャイコフスキーの生涯について知っている事。
 3)歌劇「スペードの女王」のオーソドックスな演出に飽きている事。

 これら3点をクリアしている日本人って、なかなかいないでしょ? 私も1)と3)は満たしていません。なので、今回の上演は、楽しめなかったし、未だに「???」であるし、色々とモヤモヤしています。

 これ、たぶん、ヨーロッパの上流階級で若い時からオペラをたっぷり見ているような人たち向けの演出だと思います。

 なにしろ、この上演では、舞台の上には最初っから最後まで、チャイコフスキーがいるんですよ。もちろん、本来、このオペラにはチャイコフスキーなんて登場しません(当たり前。椿姫の舞台上にヴェルディがいたら可怪しいでしょ?)。でも、この上演では、演出家のアイデアにより、チャイコフスキーが出ずっぱりなんです。本来いないはずの人が舞台にいるので、それだけで、オペラのストーリー進行が分からなくなります。おまけに、このチャイコフスキーをやっている歌手が、時々エレツキー公爵という役になります。このエレツキー公爵というのは、ヒロインであるリーザの婚約者で、そのリーザを主人公であるゲルマンに取られちゃう人であり(つまり、ねとられ)、そのゲルマンを、ラストシーンの賭博場での賭博で負かせて死に追いやる人でもあります。同じ人が同じメイクのまま舞台上で、チャイコフスキーとエレツキー公爵に入れ替わるわけだから、ほんと、分かりづらいのです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
演出 ステファン・フアハイム

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ(テノール)
リーザ:エヴァ=マリア・ウェストプロック(ソプラノ)
チャイコフスキー/エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ
伯爵夫人/スペードの女王:フェリシティ・パーマー(ソプラノ)

 おそらく、このオペラそのものが劇中劇であるという演出なんだろうと思います。

 このオペラは、作曲家であるチャイコフスキーが「スペードの女王」というオペラを作曲しながら、そのストーリーや音楽を妄想し、その妄想の中に自分が入り込んでしまって、登場人物たちの感情の動きに、自分の人生のアレコレを重ねてしまい、苦悩し、最後には精神的に死んでしまうというお話なんだろうと思います。ああ、分かりずれー!

 だいたい「スペードの女王」というオペラの中にも、モーツァルト風の劇中劇(たぶん、本来はバレエシーンだけど、ちゃんとバレエをやらないのです)があるわけだし、入れ子が三重になっているようなオペラなんです。なんかなー。

 という訳で、演出にはアレコレ言いたい事はありますが、歌手の皆さんは、なかなか素晴らしいです。私は、セルゲイ・ポリャコフというテノールが気に入りました。ほんと、素晴らしいテノールです。彼、実は代役なんですよね。本当はアレクサンドルス・アントネンコというテノールがゲルマンを演じるはずだったのですが、風邪をひいてお休みで、急遽入れ替わったそうです。代役にしては、本当に良い歌唱&演技でした。

 しかし、こんなに馴染みのないオペラを、こんな分かりづらい演出で見なければならなかったのは、実に不幸だったと思います。

 このオペラ、メトでやらないかな? メトだったら、日本人にも分かりやすい演出で上演してくれると思うんだよ。音楽が美しいだけに、分かりやすい演出で見たいものです。ああ、残念でした。

 

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2019年3月20日 (水)

昨日はどうも失礼しました

 実は昨日は、私のブログを管理しているココログの、大規模なメンテがありました。
 メンテのお知らせに気づかなかった私は、普段どおりにブログの記事を予約投稿し、朝になってから、無事に記事がアップされた事を確認しようとしたら…記事がアップされていなかったわけです。そこで可怪しいなあと思いつつ、調べてみたら、昨日はココログの大規模メンテだったわけです。
 そうと知っていたら、最初っから、昨日はブログをお休みしたんだけれどなあ…。
 今回の大規模メンテは、当初予定では、夜中の1時からお昼までがメンテの時間だったのですが、メンテ終了時刻が延期され、結局、メンテが終了したのは夕方の5時でした。しかし、その時間になっても、予約投稿した記事はアップされず、どうやらまともにサーバーも動作していないようでした。なにしろ私などは、自分のブログの管理画面にさえアクセスできない状態でした。
 参ったね。そこから2時間半たった7時半過ぎに、ようやくブログの管理画面にたどり着けた私は、ようやく“ひとこと”欄を書く事ができました。
 で、昨日の予約記事は…全く投稿される気配がなかったので、投稿を延期させてもらいました。
 とまあ、そんな事が昨日はあったわけです。
 それにしても、新しいココログの管理画面、慣れないせいもあるけれど、なんか使いづらいです。
 ああ、我慢ガマン。


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2019年3月18日 (月)

“下手”という言葉は、使いづらい

 我々は日常生活の中で、割と簡単に“下手”という言葉を使いたがりですが、音楽の世界では“下手”という言葉は、本当に使いづらいなあって思ってます。

 まずは私のようなアマチュア音楽家の演奏に“下手”とは言いづらいです。なぜなら、アマチュアは、基本、道楽であり、旦那芸ですから、下手くそが大前提にあり、そんな彼らに“下手”と言うのは、野暮というものです。なので、私は、“技術的に未熟”とか“上手いとは言えない”という表現を使いがちです。

 実際、下手な人に向かって、キミは下手だね…なんて言えるほど、空気の読めない人ではないからね。

 次は、音楽オタクとして、無責任にプロの演奏に対して“下手”と言っちゃう人もいるけれど、私はやっぱり、プロの音楽家に対して“下手”とは言いづらいのです。いやむしろ、プロには下手な人はいない…とすら断言しちゃいます。

 実際、プロなのに下手な人がいたら、音楽業界は厳しいですから、あっという間に淘汰され、プロとしてやっていけないはずなのです。ですから、プロとして活動できている人に、下手くそはいないのです。

 もちろん、プロであっても、演奏でミスをする人はいます。いや、ミスをしない人はいません。ミスの少ない人もいますが、盛大にミスをする人だって、プロにはいます。いや歌いながらピアノ弾いちゃう人なんて、ミスどころの騒ぎじゃなくて、ピアノよりも歌の方が耳についたりしちゃいます。ある意味、ミスよりもひどい話なのかもしれません。

 じゃあ、ミスの多い彼らは下手くそなのかと言えば、そうではないでしょう。無論、コンクールなどの場面では、ミスの少ない方が良いに決まっていますが、通常のコンサートでは、ミスの多寡なんて問題にはなりません。いくらミスが多いと言っても、音楽のカタチが崩れるほどのミスを連発する人はプロとしてやっていけませんから、ミスが多いと言っても「他のプロと比べるとミスが多い」程度のはずです。

 プロの場合、ミスの多寡よりも大切なのは『その演奏で金が取れるのか』って事でしょう。そういう意味では“上手な演奏=金が取れる演奏”であるわけです。

 じゃあ、金が取れないような演奏は下手くそな演奏なのかと言えば、それも違うと思います。金が取れない演奏と言えども、技術的には一定水準をクリアしているはずですから、技巧的に下手なわけはありません。ただ言えることは“金が取れない演奏=人々に好まれない演奏”であるという事です。

 人々に好まれない…つまり、好かれない、愛されない…ってだけの話です。少なくとも、お金を払ってまでは聞きたいとは思わないって事です。ざっくり言っちゃえば、好みの問題なのです。

 好きな演奏にはお金を払うけれど、嫌いな演奏にはお金は払いたくない…ってだけの話なのです。で、嫌いなタイプの演奏をするプロに向かって「下手くそ!」と、ついつい言ってしまいたくなるけれど、それは技術的に下手なのではなく、自分の好みの演奏ではないってだけで、それに対して“下手”と言うのは、違うんだなあって思うわけです。

 そう考えていくと、ほんと、下手という言葉は使いづらいのです。

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2019年3月17日 (日)

幼名制度を復活させてみてはいかが?

 キラキラネームを自分で裁判所に訴え出て改名したという高校生のニュースがありました。キラキラネームにも色々有るけれど「王子様」という敬称込みの名前って、バカすぎる名前で、普通の名前に改名できて、本当に良かったと思います。

 私が思うに、キラキラネームって、本人にとっては災難であり、一種の呪いであると思ってます。いくら親の願いを名前に込めたのだと言い張っても、子どもだって、やがては成長してオトナにもなれば老人にもなるし、社会的にも地位を得られるようになるかもしれないのに、そんな我が子の未来すら見通せない親につけられたキラキラネームは、本人を縛る呪詛でしかないと思います。

 私が思うキラキラネームと言うのは、世間でいう“変な名前”だけでなく、難読ネームや異読ネームも含んでいます。なので、かつてキラキラネームの事を、DQNネームと呼んでいましたが、イメージとしては、そのまんまな私です。

 さて、用語説明です。難読ネームというのは、単純にどう呼んで良いのか分からない難しい読み方の名前です。使用している漢字が難しくて読めないケースもあれば、使用している漢字そのものは簡単なのだけれど、その組み合わせだと読めないよってケースもあります。具体例は…見知らぬ人をディスってもいけないので避けますが、ほんと若い人の名前で読めない名前って、増えましたよね。とにかく“読めない名前”と思ってください。

 異読ネームと言うのは、普通に読むと違う読み方になってしまうという名前です。例えば“太郎”と書いて“いちろう”と読むというパターンの名前ね。誰だって普通“太郎”と書いてあれば“たろう”と読むでしょ? それを“いちろう”と読んでくださいと言われると…なかなか大変です。

 これら、変な名前、難読ネーム、異読ネームというのは、古い書物を読んでいると、昔からあるようですし、今もあるわけだし、おそらくこれからもあるんだろうなあって思います。

 つまり、いつの時代でも、親に付けられた名前で苦しむ人が後を絶たないって事です。

 でも、それでも昔は、そんなキラキラした名前でも平気だったのは、子ども時代の名前と、成人してからの名前が違っていたからです。なので、子ども時代は、目一杯キラキラしたヘンテコな名前でも全然OKで、成人するあたりで、その人の将来を見据えて、きちんとした、まともなオトナの名前に付け替えるという習慣があったからです。もちろん、その人の正式で本当の名前はオトナになってから付けた名前であって、子ども時代の名前は、幼名と呼ばれ、一種の消耗品扱いだったわけです。

 いっそ、この幼名制度を今の時代に復活したら、親が付けるキラキラネームで苦しむ人たちを救えるのではないかって、私は思うのです。

 いくら言ったって、キラキラネームを付けちゃう親はいるわけだし、そんなキラキラネームを付けられた子が、成人になる段階で、改めてオトナの名前を付ける事にすれば、キラキラネームに人生を狂わせられる事も無くなるのでは…と思うのです。

 それにオトナになってから正式な名前を付けるのなら、そこには当然、自分自身の意見も入ってくるだろうし、自分の名前に誇りとアイデンティティーをきちんと持てるようにもなるんじゃないかなって思うわけです。

 キラキラネームだけでなく、自分の名前に違和感を持つ人たちの救済にもつながるしね。

 ただ、今の社会だと、何歳ぐらいでオトナの名前を名乗りだすのかは…は、慎重に考えないといけないかも。小学生ぐらいなら、まだ子どもの名前でいいと思うけれど、中高生だと思春期で、あれこれ精神的に面倒くさい状態(つまり“中二病”ってヤツね)だから、うっかり変な名前を付けかねないし、本当に成人してからじゃあ、ちょっと遅いような気もするしね。

 ううむ、なんか難しい。

 でもね、マイナンバーが個人の特定に広く使われるようなれば、名前なんて、なんでも良くなるかもしれません。それこそ明治の志士じゃないけれど、数年おきに名前を変えるのもできないわけじゃないよね。それはそれでありかもね。

 とにかく、誕生時に親が名付けた名前を一生名乗り続けなければいけないという制度は、見直す必要があると思います。

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2019年3月16日 (土)

子どもの頃は何でも可愛い

 子どもって可愛いです。人間の幼児も可愛いけれど、ペットたちも子どもの時代は可愛いものです。仔犬、子猫…可愛いですね。雛鳥も可愛いですよ。爬虫類や昆虫類の子どもは…個性が強いので、人それぞれに感じ方が違ってくるかもしれませんが…やっぱり可愛いものです。毛虫なんかも、よく見ると、案外、可愛いんですよ。

 で、魚類の話。魚類も子どもの時代は、かなり可愛いですよ。

 哺乳類と違って、容姿は単純に成魚たちと比べて小さいってだけで、特に可愛らしさはないかもしれませんが、動きが、やっぱり子ども子どもしていて可愛いです。

 ルデンも体が半分黒かった時代(稚魚の時代ですね)は、かなり可愛かったものです…もっとも彼女の場合、あっという間に成魚に成長してしまい、今ではむしろでっぷりと育ってしまい、ふてぶてしいぐらいです。

 現在、我が家の水槽で、とっても可愛いのは、2匹の緋ドジョウたちです。体長が5cm程度の、まだまだ子どものドジョウなんです。

 体も小さくて可愛いのですが、動きが実に子供っぽくて、幼さがあって、本当に可愛くてラブリーなんです。妻なんか、もうメロメロですよ。

 たかが、ドジョウなんですが、本当に可愛いし、見ていて飽きないです。このまま、ずっと子どもでいてくれたら、可愛いし、嬉しいのですが、やがてこの子たちも成魚になってしまうのだと思うと、ちょっぴり寂しいです。可愛い時期って…そんなに長くは続きませんからね。息子くんを見ていると、ほんと、そう思います。あんな彼も、幼児期はとても可愛かったんですよ。

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2019年3月15日 (金)

酒で作ったツマミで酒を飲む

 フルートのレッスンに行ってきました。

 ついに私、フルートの組み立て方を忘れてしまいました!

 足部管を胴部管に入れたはいいけれど、足部管をどういう向きに入れるのが正しいのか、分からなくなってしまいました。いやあ、焦った焦った。仕方ないので、適当に組み立てて、それで構えてみて、指で操作できるかどうか確認しちゃいました。そういう事ってあるんですね。

 時々、フルートの運指を忘れてしまうことはありますが、フルートを組み立てられなくなるなんて…自分でもビックリです。

 さて、ロングトーン練習は、今回もバッチリでした。

 エルステユーブンゲンは,未だに25番と26番です。「音はきれいですね」と褒められましたが、全然暗譜してません。先生もいちいち「暗譜してきた?」とは尋ねません。でも、暗譜しないと教則本が進みませんから、暗譜しないといけないんだよなあ…分かっちゃいるけれど、暗譜ができません。

 旋律的練習曲は1番です。前回よりも、スムーズに吹けるようになりましたが、先生からは「もっと歌うように」と言われました。このエチュードはただ吹ければいいのではなく、歌うように吹けなければいけないのだそうで、だから楽譜を追っかけているようではまだまだってわけで、もっと歌わないといけないのだそうです。歌うのは得意なので、頑張りますよ。

 40リトルピーセズは、22番のバッハのメヌエットです。先生が言っていたように、なんとも難しかったです。ところどころで息が詰まってしまって音が出づらくなります。跳躍が激しくて、うまくブレスのコントロールができなくなって、そうなってしまうようです。なんとも、手強い曲です。

 さて、本日の雑談は…最近の日本酒は安いねえ…という話。

 H先生は酒飲みですが、もっぱらウィスキー党で、日本酒は飲みません。そんな先生が最近日本酒にハマっている理由は…アサリの酒蒸しなんだそうです。

 なんでも最近はしょっちゅうアサリの酒蒸しを作って食べているんだそうです。いや、食べているというか、酒のツマミにして飲んでいるんですが…。

 で、酒蒸しですから、当然料理酒を使って作るのですが、普通にスーパーに売っているような料理酒だと、せいぜい4回も酒蒸しを作ったら無くなってしまうのだそうです。で、先生はほぼ毎日酒蒸しを食べているので、普通の料理酒では全然物足りないのだそうです。

 それである時、ひらめいたのだそうです。料理酒と言ったって、中身は日本酒じゃないか? 日本酒だったらピンキリじゃないか…と。別に日本酒を酒として飲むわけじゃないから、味とか等級とかにこだわる必要もないし、安い酒なら、料理酒よりもうんと安いのではないか…ってわけで、スーパーとかコンビニで日本酒を漁るようになったのだそうです。そうすると、安酒…というのでしょうか? 本当に安い日本酒って、たくさんあるんだそうです。で、そういった安酒を買ってきて、それでアサリを蒸して食べているんだそうです。いくら安酒でも、アサリを蒸すにはオーパースペックなわけで、毎日、実に美味しいアサリの酒蒸しを食べているのだそうです。

 レッスンの時にも、近所で買ったという日本酒を見せてくれました。紙パックで3リットルも入った日本酒でした(あえてブランド名は秘す:笑)。で、この日本酒で蒸したアサリをサカナにウィスキーを飲んでいるんだそうです。

 酒で作ったツマミで酒を飲む…なんとも、アルコール臭がぷんぷんしてきそうな話でした。

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2019年3月14日 (木)

楽譜が読めなくても、音が取れなくても、とりあえず問題無し

 何の話をしているのかというと、音楽趣味に誘われた時の断り文句「だって、私、楽譜が読めないもの」「私、音痴(正しい音が取れない…程度の意味でしょう)だから、無理」というのは、全然、断る理由にはなりませんよって事です。

 誰でも最初は初心者です。始める人も受け入れる人も、そこを忘れちゃいけません。

 例えば、小さな子どもがピアノを始めて習う時、その段階で楽譜が読めるのかと言えば、読める訳ありません。だって、これからそれを習うんだから、出来なくて当然でしょ? 実はオトナだって、初めての人は、子どもと一緒で、出来なくて当然なんです。

 オトナって、なまじオトナだから、なんでも出来て当然…って考えがちなんですけれど、オトナであれ、子どもであれ、学んでいない事は出来なくて当然で、そこのところで、謙虚になれるかどうかが、楽譜が読める読めないよりも大切な事ではないかと私は思うわけです。

 いや、ほんと、楽譜は読めないよりも読めた方が良いに決まっていますが、最初は読めなくても、やっているうちに読めるようになりますから、謙虚に学ぶ姿勢を崩さずに努力しつづければ、問題ないでしょう。自称音痴も同様です。やっているうちに音も取れるようになりますから、謙虚にしていればいいのです。

 ほんと、理屈じゃないんです。音楽をやっていれば、楽譜なんて、いつのまにか読めるようになりますし、自称音痴も経験を積んでいけば、どうにかなるものです。カラダが覚えていくのです。なので、入門段階で、楽譜読めなくても、音が取れなくても、それが始められない理由にはならないのです。

 特に、先生について個人的に音楽を学ぼうというのなら、出来ない事は最初っから出来ませんと伝えて学べばいいだけです。

 問題は、市民音楽団体などに入団して音楽活動をしよう…って場合ですね。

 「ウチの団は、楽譜が読めないとダメですよ」「ウチの団は、自分で音が取れないとついていけませんよ」という団体ならば、当然、入団試験があるでしょうから、素直にその試験を受けて、パスすれば良し、パス出来なかったら縁がなかったと諦めれば良し、です。問題は、入団試験が無い団体でしょう。本来、そういう団体は、基本的に初心者大歓迎のはずですから、団員の皆さんに嫌われないように気を配りながら謙虚に学んでいけばいいのです…が、しばしば新入団員に最初っから既存の団員並の能力を要求する団体もあります。そういう団体こそ入団試験を課すべきなのですが、うっかりそういう団体に初心者が入団してしまった場合は…謙虚に頑張っていくしかないです。。

 実は、音楽に興味が全くなくて、誘われて迷惑だな、でも相手は友人だし変な事は言えないなあ…って感じた時の、差し障りのない断り方なら「楽譜が読めません」と言って断るよりも「私、直前にならないと、スケジュールが決まらない事が多いし、練習には出られない事の方が多いかな?」と言えばいいのです。音楽団体って、練習日決まっているし、基本的には毎回出席が前提になっているわけで、そこへロクに練習に出られない初心者なんて、入ってもらっては困るわけで、そういう断り方をすればいいのです。

 それでも「いいよいいよ」と誘ってくれるなら、そういう団体は音楽よりも別のモノ、例えば団員同士のコミュニケーションを大切にしている友達サークルですから、ケース・バイ・ケースですが、参加を前向きに考えてもいいんじゃないでしょうか?

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2019年3月13日 (水)

アマメインのコンサートと、プロメインのコンサート

 私はしばしば、アマチュアの有料コンサートに対して苦言を呈してきました。ま、はっきり言えば、ほぼクレーマーですね。

 まあ、この件に関しては、人それぞれの考えがあり、私は他人の別の考え方も尊重していきたいと思いますので「アマチュアが有料コンサートを開いて何が悪い!」とお考えの方は、ぜひ有料コンサートを開き続けてください。コンサートのアガリは、ぜひ有効有益にお使いくださる事を願っています。自分たちの飲み代に使うのは、個人的にはよろしくない事だと私は思ってます。

 で、今回の記事の目的は、そこが問題ではありません。

 プロは有料コンサートが、アマは無料の演奏会が基本…と私が書くと、ではプロアマ混在の時はどうするんだという話を聞きますので、そういう場合の、私のコンサートに対する考え方を書きたいと思います。

 要は、主催者は誰なのか…という事に尽きるのではないでしょうか?

 主催者が、プロ側の人(ま、大抵は音楽事務所ですね)の場合は、そのコンサートはプロのコンサートであり、そこにアマチュアが招かれたというわけでしょうから、有料コンサートになって当然だと思います。だってプロのコンサートだもん。アマの方が、主催者からお弁当代とか交通費とかの必要経費をいただくのは問題ないと思いますし、もしもギャラをいただけたなら「我々の演奏をプロ同様と思われたのだな」と感謝していただけばいいのだと思ってます。要はビジネスの話ですからね。

 主催者がアマ側の場合(多くは演奏団体が主催者を兼ねるのでしょうね)、アマチュアのコンサートだと私は考えます。当然、ゲスト出演されるプロの方(この場合は、演奏家が前提)にはギャラを支払わないといけませんが、それをチケット代でまかなうのは、私は違うと考えています。また、指導者とか指揮者とか伴奏者がプロであっても、お客さんたちは彼らの演奏を聞きに来るわけではありませんから、有料コンサートにしてしまうのは、どうかなって思ってます。彼らへの謝礼ぐらい、自分たちでどーにかしなさいよ。

 第九などの大規模な演奏会だと、多くの場合、NPO団体あたりが主催者になりますが、私はその段階で、純然たるアマチュアの演奏会ではないと考えてます。まあ、NPO団体が絡んでいる事で、プロの演奏会に準じるものと思ってますので、有料コンサートになっても仕方ないかなって思ってます。それにNPO団体なら、コンサートのアガリを飲み代にする事もないでしょうし…ね。

 プロとアマが対等な立場で協力しあって…ってコンサート、たまに聞きますが、そういうのって実際にはあるんだろうけれど、本当に対等な立場なのかな…なんて勘ぐったりします。アマチュアの人たちが、いい具合にプロの人に“やりがい”を搾取されているんじゃないかしら…なんて思うわけですよ。それにアマと同じステージに立つなんて…プロの人も自分を安売りし過ぎじゃないかしら?

 まあ、そういうコンサートって、プロアマ合同とは言っても、実際はプロのコンサートになるわけだし、プロが関わっている以上、有料で行うしかないわけだから、有料でも仕方ないのかなって思ってます。

 まあ、客の立場からすれば、せっかくチケット代がかかっているなら、アマチュアを外して、全部、プロの演奏にしてほしいと切実に願うわけですが…ね。

 私の考えの原則は「プロはたとえどんなに小さな仕事であっても、その代価をいただくべきである」と「アマは道楽であり旦那芸なんだから、自腹を切ってこそ粋と言うものだし、アガリで飲むなんて言語道断である」なのね。だから、アマチュアはチケット販売すんなよって、口を酸っぱくして言っているわけなんです。

 ま、こんな感じです。

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2019年3月12日 (火)

とてもうらやましく思いました

 先日、同門の兄弟子が、参加している声楽サークルの発表会を聞きに行きました。いやあ、実にうらやましかったですよ。

 今回はアラカルトで、ヴェルディとプッチーニのおいしいとこどりの発表会だったのですが、今回が特別で、いつもの年は普通にオペラを上演しているんだそうです。ま、いわゆる市民歌劇団のひとつです。

 発表会は第一部と第二部に分かれていましたが、原則的にこの二つでは同じ曲目を歌っていました。つまり、第一部と第二部で同じ曲を取り上げているのです(無論、片側だけでしか歌っていない曲も数曲ありました)。ただし、歌い手は違うわけで、いわゆるチーム制なんだなって思いました。オペラなどの上演の時に、本番用チーム(Aチース)と代役チーム(Bチーム)を作って稽古していくアレだなって思いました。プロの場合は、大きな都市とか休日公演はAチームで、地方都市とか平日公演はBチームで公演をして、Bチームだから出番がないというわけではないわけです。普段からオペラをやっているから、自然とAチームBチームを作って練習してきたのかな?…なんて勘ぐってしまいました。

 我が兄弟子は、頑張っていましたよ。男性なので、出番もたくさんありました。

 どこの団体でも女性が多くて男性が少ないのだけれど、オペラというのは、男性も女性も必要だから、どうしても男性メンバーにあれこれ負担が掛かるわけです。それを「大変…」と思うか「うれしい!」と思うかは、その人の気質によるのだと思います。

 今回取り上げた曲は…どれもこれもなかなか難度の高い曲ばかりでした。なんでも、一年掛けて練習するんだそうですが、まあ確かに、それくらいの時間を掛けないと、なかなか歌えないだろうねえ…。

 とにかく、聞いていて、感心しつつも、たっぷり楽しませていただきました。

 「そんなにうらやましいのなら、参加すればいいじゃん」

 私はまだまだ現役だからね…練習日はプログラムに書いてあって、かなり心は揺れましたが、決められた練習日には、たいてい仕事が入っているんだよね。練習に出られる時だけ出ればいいんだよ…なんていう、ユルイ団体ならともかく、そんなユルイことを言っていたら、これだけのステージは出来ないんじゃないのかな?(どうなの?) なので、私がここに参加するのは、今のところ、まず無理だろうなあと思ったわけです。実際、仕事、忙しいのです。

 私が以前入っていた歌劇団は、あちらの門下を辞める時に、自動的に辞める事(当時は、門下生限定の歌劇団だったのです)になってしまい、実に残念な思いをしましたが、その後まもなく仕事が忙しくなったので、あの時辞めなかったとしても、いずれ辞めざるを得なくなっていたよなあ…と思ってます。なので、辞める辞めないはタイミングの問題だったので、途中経過はともかく、どちらにせよ辞めなきゃいけなかったわけで、趣味よりも仕事を優先する事に決めているので、まあオペラと私は縁が遠いんですね、今のところ。

 それに、兄弟子の団体って、良いテノールが二人もいるんだよ。私が入ったところで、必要とはされないだろうなあ…とも思ってます(テノールなんて、団体に1~2名いれば十分だもの)。

 それにしても、うらやましい。ほんと、うらやましい。

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2019年3月11日 (月)

音程は合っているのに音痴に聞こえる歌声

 音痴という言葉があります。「音が分からない」という意味で、音楽に関わる人間としては、ほぼほぼ“チャブ台返し”に近い絶望的な感じのする言葉です。手の施しようがない感じ…と言っても過言ではないでしょう。

 一般的には音痴は音程関係に使われる言葉です。音程が不明瞭であったり、音程が間違っていたり狂っていたりすると「音痴」と言われます。

 ですから、音程が合ってさえいえば、それは音痴ではないはずですが、世の中には、音程が合っていても音痴扱いされる人がいます。

 例えば、某ジャニーズ事務所の某歌手の方は、確かに若い時の音程のハズし方は、それはそれは見事なモノでしたが、ベテランになるにつれ、音程の暴れ方はおとなしくなり、ちょっと前だとほぼほぼ音程に関しては許容範囲に収まるようになってきました(最近はアレコレあったせいでしょうか、全く歌わなくなりました…ね)。

 つまり、彼が歌う歌は、音程としてはだいたい合っているのです。でも、歌を聞けば、やっぱりハズレているように感じるし、正直、音痴な歌声にしか聞こえません。

 なぜ、個々の音程は合っているのに、歌は音痴に聞こえるのか? 彼のようなケースの場合、歌を歌声でなく、話し声で歌っているために音痴に聞こえる…と考えた時期もありますが、歌を話し声で歌う歌手は、ポピュラー系の歌手には少なからずいますが、それらの歌手の歌は、別に音痴には聞こえません。

 なぜ、彼の歌ばかりが、音程が合っているのに音痴に聞こえるのか…。

 考えました。考えた結果、一つの結論に達しました。それは、歌が音痴でなくても、声が音痴なのではないか…です。

 どういう事かと言うと、彼の声はかなりハスキーです。ハスキーなだけならば別に音痴ではありません。ただ、彼の声はハスキーはハスキーでもかなり個性のあるハスキー声で、彼独自の声のにごり方をしているのです。それは本来、ポピュラー歌手としては武器になりうるものです。でも、彼の場合は、それが運悪く、逆方向に働きかけて、結果として、何を歌っても音痴に聞こえてしまうのではないかしらというのが、現時点での私の結論です。

 人の声って、基音といくつかの倍音が同時に鳴って、複数の音程の音がからみあって、声色を作っています。きれいな声というのは、それらの倍音が美しくハモるように鳴っている声であって、ハスキーな声というのは、それらの音が不協和音の関係になり、それがノイジーに聞こえるわけなのです。つまり、ハスキーな声というのは、声の中に不協和音の響きを持っているわけです。これがいい味になって、ハスキーな声は好まれるのですが、それが行き過ぎて、不協和音だらけの声になってしまうと、聞いていて不快に感じるのです。その不快な感じを“音痴”というふうに判断されてしまう…と私は思いました。

 つまり、歌そのものは音痴でもなんでもないのだけれど、声があまりに濁り過ぎて歪み過ぎていて、それでちょっとした不快感を感じ、その不快な感じをうまく言い表せる言葉がないので、ついつい慣れ親しんだ“音痴”という言葉を使って表現してしまっているのだと…。

 だから、彼の場合、もう少し声色に気を使って、不協和音成分を減らすならば、歌は今以上に上手に聞こえるようになるんだろうと思います。

 もっとも、彼の場合、音痴はもはや持ち芸だから、なまじ歌が中途半端にうまくなるよりも、下手くそなまま突っ走ったほうがいいんだろうから、きっと音痴を治さずにいくんだろうなあ…って思いました。

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2019年3月10日 (日)

子供部屋おじさん…って何?

 最近ネットでは“伊藤若冲”と“子供部屋おじさん”という言葉が流行っているようです。伊藤若冲というのは、江戸時代の画家の名前で、私の大好きな画家です。私の好きな画家が皆さんにも愛されるようになってきたようで、ちょっとだけ古いファンとしては、とても嬉しい限りです。

 で“子供部屋おじさん”の話ですが、これの定義は『実家の子供部屋で暮らしている未婚中年男性』の事らしいです。ちなみにここで言う“子供部屋”とは、学習用机とジャンプマンガとフィギュアのある部屋を言い“中年”とは30~50代のオジサンを指すようです。

 たぶん、子供の頃からずっと実家に暮らし続けている男性の部屋には、学習机があるだろうし(だって机って必要でしょ)、ジャンプマンガやフィギュアだってあるでしょう?

 私は実家ぐらしじゃないし、学習机は持っていないけれど、書斎という名の自室を持っています。そこには、大きな机が入っているし、キン肉マン全巻持っているし、フィギュアというかプラモデルぐらいは部屋に飾っているよ。そういう意味では、自室を持っている男性は、多かれ少なかれ、子供部屋おじさんの要素を持っているような気がします。

 私の場合、面倒を見てくれる女性が、母親でなく妻であるってだけの話なんだよな。

 それはともかく“子供部屋おじさん”って、なんとも心に刺さる言葉だよね。「男というものは、いくつになっても少年の心を忘れないものサ」なんて言い訳じゃダメなのかな?

 おそらくは“子供部屋おじさん”という言葉の居心地の悪さは、そこではなく、むしろ“未婚中年男性が実家で暮らしている”部分にあるのかもしれません。女性の場合、成人すると未婚であっても実家から出ていって独立するケースは多いし、仮に実家暮らしをしていても、家事手伝い…というか、主婦的なポジションになっていくというか、子供部屋おじさんのような、いつまでも庇護される存在のままではないのに、そこへいくと「おじさんたちは!(ってか「男どもは!」って感じなのかな?)」って部分なのかもしれません。

 いつまでも親と仲良く暮らして、とりわけ母親と良好な関係なままの男性を他人(特に成人女性)から見ると、気持ち悪く見えるのかもしれません。

 でもね、男性的な思考をすれば、職場と実家が近かったら実家住まいするだろうし、実家で暮らしていれば、家事一切はやらずに済むし、食事は用意してもらえるし、洗濯だってやってもらえるわけで、浮いた時間とお金で趣味三昧できるわけだし、実家住まいのどこが悪い!ってなるわけです。子供部屋おじさん、万歳!ってところっすよ。

 私も結婚をするまでは、子供部屋で暮らしていたよ。もっとも、二十代で結婚しているから、子供部屋おじさんにはならずに済んだけれどね。実家と職場が近ければ、子供部屋に住み続けるのって、普通じゃないかしら?

 それにしても“子供部屋おじさん”って言葉、心に刺さるわ、ぐさっと刺さるわ。

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2019年3月 9日 (土)

実はルデンの尾ビレは折れています

 ルデンの右の尾ビレは、折れています。途中で、クシャッと曲がったままになっていて、曲がり口は白くなっています。あの白いのは、いわゆるカサブタであって、つまり、尾ビレが折れた箇所から、常に体液が出ているってわけで、開放性の骨折をしていると言えます。

 痛そうだなあ…人間なら、痛くてたまらないでしょうが、金魚には痛覚がないので、全然平気みたいです。

 ルデンが尾ビレを折ったのは…おそらく我が家に来てからでしょう。まだゴールデン金魚だった頃のルデンの尾ビレは健康でしたもの。そこから今に至るどこかで折れてしまったようです。

 なので、ウチの赤い金魚は2匹ともキズモノです。もう一匹の赤い金魚であるシズカは、右の尾ビレの下半分がありませんし、左背中には、大きな傷跡がありますし…。シズカの体型は、図鑑に載ってもおかしてくないくらいに立派なカラダなのですが、そんなキズモノなのが残念です。

 ちなみに、我が家で怪我がなくて、健康自慢なのは、アセビとヤヨイです。この子たちのカラダに傷はありませんし、毎日元気たっぷりです。ベルはキズこそありませんが、時折死んだふりをしているので、とても健康な金魚とは言えません。

 怪我があってもなくても、みんな可愛い我が家の金魚ですが、怪我をしている金魚は、正直、見ていて、痛々しいです。ほんと、金魚には痛覚がなくてよかったね。

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2019年3月 8日 (金)

カタチから入りたがる人が多いが…

 私なんかも、案外、そんなタイプの人間かもしれません。まずはカタチを揃えてから、それに臨む…よく言えば、準備万端で事に当たるタイプの人間とも言えるでしょう。

 音楽の入門時も、やはりカタチから入りたがる人が多いような気がします。私がそうでしたが、フルートを習い始める前に、まずはフルートを購入するって感じです。

 「楽器がなければ、お話にならないじゃん」 まあ、そりゃあそうなんだけれど…さあ。

 まあ、私の場合は、最初はフルートを習うつもりもなく、ただ単純にフルートを“衝動買い”をしちゃっただけなので、厳密には「カタチから入った」というよりも「考えなしに始めた」と言うべきなのかもしれません(笑)。それはさておき…、

 とにかく、カタチから入りたがる人は、楽器を習うにしても、まずは楽器を購入するところから始めて、先生を探すのは二の次三の次にする傾向があります。

 あるいは、学校の部活等で楽器を始める時に、まだ自分の担当楽器が決まらないのに、先に楽器を買っちゃう人もいます(自前の楽器を持っている方が、その楽器に決まりやすい…という理由もあるようですが)。

 どちらにせよ、まだ右も左も分からない状態で、楽器を買うのは危険だな…とオジサンは思ってます。実際、私の場合だって、フルートを衝動買いしたのはよいものの、半年と経たないうちに、楽器の買い替えを余儀なくさせられているわけだし…ね。

 楽器って高いでしょ? 普通の金銭感覚で考えれば、安物の楽器と言えども、滅法高いわけです。通常は、簡単に楽器の買い替えなんてできませんし、しません。

 楽器ってね、良し悪しの他に、当たり外れがあります。良し悪しに関しては、だいたい価格と比例しますので、高い楽器を買っておけば、たいてい良い楽器に当たるし、安物はやっぱり安物なので良くない楽器(ごめん)である確率が極めて高くなります。

 でもね、楽器は高いし、いつまで続けられるか分からないから、最初っから高い楽器は買えないので、値段と妥協すると…良くない楽器にせざるを得ないんだよね。で、良くない楽器は…奏者側の力量がある程度あるならば、なんとか御していけるかもしれないけれど、初心者さんには扱いきれないのがほとんど。良い楽器であるならば、順調に上達できたはずの人でも、良くない楽器を持ってしまったがために、上達が阻害されて、楽器や音楽が嫌いになってしまうなんて事にもなりかねません。

 じゃあ、頑張って高い楽器を購入すれば解決かと言えば、案外、そうでもないんですよ。楽器の当たり外れとか、奏者との相性問題とかがあるからです。

 同じ高級楽器でも、かなり良い楽器と、あんまり良くない楽器があります。同じお金を支払うなら、良い楽器を入手したいのが人情です。それと相性問題もあって、自分に合う楽器合わない楽器ってのもあって、なるべく自分に合った楽器にしたいものです。

 これは初心者では全く分かりません。都会の大きな楽器店に行けば、一流のプロ奏者の選定品というのがありますから、まあこれは確実に“かなり良い楽器”なので、そういう楽器を選べば間違いはありませんが、これが自分に合うかどうかは、また別の話です。いくら良い高級楽器でも、自分の手に余るようなら、良い楽器とは言えないのです。

 結論から言ってしまえば、楽器の購入…と言うか、選定/選択は、初心者には無理です。「楽器店の人に相談して…」と言っても、楽器店も商売ですから、可能な限り高価な楽器を売りつけようとしてくるし、あれこれマシマシで売りつけてくるものです。商売だものね。実際、私は、中学新入学生と思しき親子に、セルマーのサックスを売りつけている現場を見たことがあります。「中学の吹部でセルマーかよ!」と思いましたが、別に商売のジャマをするのもアレなので静観しておりましたが、まんまとセルマーを買ってましたね。

 音楽趣味を始めるにあたり、当初は楽器を購入しなくても、どうにかなるものです。先生について習うのなら、先生が貸出用の楽器を持っている事が大半ですから、まずは先生に相談するのがいいでしょうし、学校の部活等なら、学校の楽器というのがありますから、ボロであっても、最初はそれを使えばいいのです。

 初心者がよく知らないうちに楽器を買ってしまうと、たいてい失敗します。私のように(笑)。

 なので、音楽趣味として、楽器を学ぶ事を始めるなら、カタチから入るのは止めにして、まずはレンタル楽器で吹いてみる、それで少し学んでみる。で、自分が続けられるかどうかを見定めてから、続けていくと決めた時に、先生とか諸先輩の意見なども取り入れながら、自分の楽器を購入していけばいいんじゃないかしらって思うわけです。

 お金って大切だから、ちゃんと考えて使わないと。

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2019年3月 7日 (木)

耳の調子が不安定です

 今回の記事は直接音楽とは関係ありませんが、私の備忘録として書いておきます。

 実はここのところ、耳の不調に悩まされていました。具体的には、常時耳鳴りがしています。これは今も続いていますが、静かな環境になると、常にキーンという高周波が聞こえます。まあ、うるさい環境だと、周囲の音に耳鳴りなんてかき消されてしまうでしょうが…。

 ネットによれば、加齢性難聴の1症状なんだそうです。まあ、耳鳴りなんて、気にすれば気になるけれど、気にしなければ気にならないものです。常に鳴っているって事は、昔のカセットテープのヒスノイズと同じですから、意識から消してしまえば、特に問題ありません。

 それよりも気になっていたのは、ここ一ヶ月弱ぐらいでしょうか? 徐々に聴力が落ちてきた事です。具体的にはテレビの音が聞こえづらくなりました。以前と同じボリュームにしていると、ほんと聞こえない。快適に聞こえる音量にすると、かなり大きな音になっています(最近のテレビのボリュームはデジタル式だから、音量が数値化されているので、よく分かるんですよ)。家族に迷惑をかけてはいけないので、通常の音量にしていましたが、聞こえない聞こえない。本当に不便でした。困ってました。

 で、先週末、ついに右耳が聞こえなくなりました。聞こえなくなったと言っても外部の音が聞こえなくなっただけで、骨導音はよく聞こえます。つまり、外の音はロクに聞こえないのに、自分の話し声ばかりが頭の中に響くって感じです。ちなみに、左耳は右耳ほどではなく、閉塞感も特にないのですが、客観的にはだいぶ聴力的に落ちていると感じました。

 こりゃあ、やばいなあ。ま、片耳は聞こえるから、日常生活的には支障はないか(笑)。実際、映画を見に行っても楽しめるし、テレビも聞こえるし、本も読めるし(耳関係ないか:笑)。音楽を聞くと、右側の音が聞こえないのでステレオ録音はちょっとアレだけれど、モノラル録音の音源(って、いつの時代のだよ:笑)は、特に支障ありません。

 ちなみに突発性難聴も疑ってみましたが、あれは内耳性の病気であって、どうも私の場合、内耳は元気みたいなので、疑うべきは、鼓膜とか外耳とかの病変と、ストレスによる感音系の難聴だな。

 グダグダしていてもアレなので、月曜日になったら耳鼻科に行こう!と思っていたら、月曜の朝にすっかり耳が聞こえるようになっていました。耳鳴りは残っていますが、聴力的には両耳的に問題なし…症状がなければ、医者に行っても医者が困るので、ひとまず様子を見ることにしました。

 今回の件で考えた事。このまま症状が進み、右耳は完全に聴力を失い、左耳のわずかばかりの残存聴力で生活をしなければならないとなった時の事を想像してみました。

 まあその場合、左耳に補聴器を入れる事になるんだろうし、最近の補聴器の進化も知らないわけじゃないけれど、それでも生活が不便になると言えば不便になるんだろうなあ…。生活の質がだだ下がりしそう…。

 それでも日常生活は、なんとかなるでしょう。しかし、今の音楽趣味は辞めないといけないだろうなあって思いました。だって、外部の音がよく聞こえないんじゃあ、アンサンブルは無理だし、歌は歌えないよね。フルートも厳しいかも。やるとしたら…電子ピアノかな? 補聴器の代わりのヘッドフォンを大音量にすれば、楽しめないわけでもないかって思いました。家に遊んでいる電子ピアノなら数台あるから、それ使えばいいしなあ…と、前向きに考えてみることにしました。ただ、先生とのコミュニケーションは難しくなるだろうから、先生に習うのは無理かも。独学でピアノか…それも老人になってから。上達しないだろうねえ。まともなピアノ曲なんて、弾けないままかもしれないけれど、まあそれは仕方ないでしょう…とまで覚悟を決めていました。ほんとだよ。

 原因不明のままだけれど、両耳が普通に聞こえるようになって、ほっとしています。まだしばらくは、歌もフルートもできそうです。

 とりあえず、今の所、両耳とも普通に聞こえていますが、爆弾を抱えている状態である事には間違いありません。先週末、突然右耳が聞こえなくなったように、ある日突然、耳が聞こえなくなる日がやってくるかもしれません。それまで、あと何年/何ヶ月/何日…分かりません。それを考えると、私がいつまで歌えるのか、全然分かりません。最悪、明日には歌えなくなっている事だってありえるわけですからね。

 あとどれくらい歌えるのか、笛が吹けるのかは、分かりませんが、歌える間は歌っていきたいと思いました。今も大切に、そしてやりたい事は先延ばしにせずに、なるべく今やってしまうようにしようと思いました。

 明日はないかもしれないのです。
 案外、終わりの日は、すぐそばに迫っているのかもしれませんしね。

 今を大切に…切実にそう思いました。

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2019年3月 6日 (水)

生き残るためには合唱に力をいれていく?

 なんの話をしているのかと言うと、ヤマハを始めとする大手の音楽教室の話です。たまたま古いニュース(2016年頃のニュースね)をいくつか見て知った事です。

 皆さんもご承知の通り、少子高齢化というわけで、ピアノ教室に通う子どもの数が減っています。なんでも(当時の)10年前と比べると、7割減とか8割減とかの大幅減なんだそうです。そこで、子どもが減った分を大人で補おうと、大人向けの音楽教室(もちろん器楽)を開設してみたのですが、確かに大人の音楽教室には一定の需要はあったものの、とても規模的には、子どもの減った穴を埋められるほどにはならなかったのだそです。

 大人の音楽教室はそれなりに流行っているものの、生徒数としては、子どもの約3割程度の生徒数で、それもここ数年ですっかり安定してしまったのだそうです(子どもの方は、相変わらず減り続けているそうです)。

 このままじゃ、音楽教室という商売そのものがジリ貧…って事で、新たな活路として注目されたのが“合唱”なんだそうです。

 合唱…もちろん、高齢者対象の音楽教室です。なにしろ平日の昼間に開講するのですから、小学校程度の子どもはもちろん、現役世代の大人も無理です。

 でもこれ、着目点はいいですよね。老人って、歌好きだし、各地で行われている市民合唱祭等を見に行くと、歌っているのは高齢者ばかりだし、彼らは複数の団体を掛け持つのが普通だし、昼間の空いている教室を有効出来るわけだし…。大手音楽教室で合唱の講座が開かれれば、そのうちの何名かが通う事でしょう。

 さらに言うと、合唱って、指導者一人で、何十人もの生徒さんの面倒が見れるわけで、商売としても、かなり美味しいです。音楽教室は、個人レッスンならマンツーマンだし、グループレッスンにしても、先生一人に生徒はせいぜい5~6名程度でしょ? でも、合唱なら10人や20人、いやそれ以上の人数だって一人の講師で面倒見れるわけで、商売としては、かなり美味しいわけです。

 で、現実的にはどうなったのでしょうか? 私が見かけた記事は、どれも2~3年前の記事で、確かにそのあたりから、大手音楽教室で合唱(ポップス系の斉唱?)の講座がドンドン開講されていますが、きちんと生徒さんは集まっているのでしょうか? ネットをちょこっと漁った程度では分かりませんでした。うまく生徒を集めることができ、経営が安定していると良いなあと思いました。

 別にこれは外交辞令ではなく、現実問題として、日本の音楽教育の中で大手音楽教室が果たしている役割って小さくないと思ってます。そこが経営難で規模縮小とか撤退とかなったら、日本の音楽教育の衰退へとつながっていくと思っているからです。

 市場の縮小ってのは、ほんと経営的には厄介なんだろうなあって思います。最終的には企業のスリム化で対応していく事になるのだろうけれど、企業って簡単にスリム化できないからね。うまくいっている事を願っています。

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2019年3月 5日 (火)

久しぶりに歌ってみたら…疲れました

 さて、歌の練習に入りました。今回は、ベッリーニ作曲の「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」です。

 今回は、細かい音符を丁寧に歌う事と、子音をしっかり発音していく事を中心に学びました。特に細かくて低い音をしっかり歌っていくと、全体が楽に歌える(先生曰く“流して歌える”ので、低い音ほどしっかり歌っていくように指導していただきました。

 どうしてもテノールという人種は、上ばかりを見て、高い音をどう出すかという事ばかりを考えて、低い音、特に低くて短い音は、捨ててしまう傾向にあるのだけれど、そこを捨てずに、むしろ丁寧にきちんと歌っていく事で、歌全体の歌唱のクオリティを上げていくという事を目指しました。

 神は細部に宿る…わけですから、細かいところ丁寧に歌っていくのは、とても大切な事です。

 高音をひっかけるようにして歌っていくのは演歌のやり方であって、ベルカントならば、しっかりノドを開いて息の勢いと支えの力で音程を上げて歌っていきましょうって言われました…うむ、そうしているつもりだけれど、演歌っぽく歌っていましたか? まあ、日本人だからなあ…、無意識に演歌や歌謡曲っぽく歌ってしまうのかもしれません。クワバラクワバラ。

 とにかく、無理やり歌うと、すぐにノドにきます。ああ、ノド弱っているなあ。なので、腹筋を使って、丁寧に歌っていかないと、すぐにバテます。実際、結構疲れちゃいました。

 今の曲が終わったら、次はシューベルト作曲の連作歌曲「水車小屋の娘」に取り掛かります。そこで今回は、私が購入したペータースの楽譜の確認を先生としました。まあ、定番の楽譜を購入したわけですから、文句のあるはずはありません。

 ちなみに中声版で勉強するわけですが、中声版は原調版と比べると、だいたいどの曲も全音低い調になっています。たった1音(カラオケ的には-2)とは言え、おバカテノール的には不満が無いわけではないけれど、先生には先生の意図があって、あえて中声版を教材として選んだわけです。

 曰く、まずはドイツ語の捌き方を覚える事。ドイツ語での歌唱に慣れる事。とにかく、ドイツ語での歌唱は、イタリア語のような感じではできないそうです。イタリア語は歌いやすい言語だけれど、ドイツ語はむしろ歌いづらく、息が詰まりやすい言語なんだそうで、そのあたりの克服をまずしないといけないわけで、ドイツ語を克服したら、将来的には原調版で歌うのもいいけれど、今は中声版で、しっかりドイツ語歌唱の勉強をしましょうって事なのです。

 頑張って、ドイツ語でも歌えるようにするぞっと。

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2019年3月 4日 (月)

コンクール出場は辞めました

 声楽のレッスンに行ってきました。いやあ、ほんと久しぶりのレッスンでした。ほぼ一ヶ月ぶりのレッスンだったりします。もちろん、声楽のレッスンに行けなかった理由は、体調不良なんですけれどね。とにかく、まともに呼吸ができなくなり、声もロクに出せなくなっていたので、歌なんて無理無理状態だっだわけで、ようやく声(話し声)が出るようになって、まだ一週間も経っていない状態でのレッスンとなりました。

 レッスンの最初に先生に言ったのは「コンクールに出るのは辞めました」です。いやあ、実はこの段階で、コンクールまで約2ヶ月って感じで、ここから声を立て直して、歌をブラッシュアップして、ピアニストさんと演奏を練り上げて…って、そりゃあ時間的に無理だよね…ってわけで、今回はあっさりと諦める事にしました。

 別にコンクールに出ないと死んじゃうわけじゃないしね。

 と言う訳で、先生には、ここ最近の体調の話をして、声の立て直しからお願いしました。いや実際、病気になって以来、この日が初めてまともに歌った日になったからです。

 ハミング練習から発声練習ですが、今回は狭い音程の動きからノドを温めて様子を見ていく感じで始めました。

 先生の感想は、ノドも腹筋も見事にパワーダウンしている…けれど、両方とも同じような感じでダウンしているので、バランス的に、ノドが脱力している分、むしろいい感じ…との話でした。音域的にも以前とほぼ同じ。ノドの鳴りが無い分、聞きやすい感じだけれど、音量的には、かなり落ちているそうです。

 ここから、ノドはこのままの状態をキープして、腹筋を強めていければ理想だけれど、小さな筋肉ほど早く回復していくので、腹筋よりもノドが早く回復してしまうと、以前よりも鳴りの強い声になってしまうので、そこは注意して、腹筋の回復に努めるようにしましょうとの事です。

 と言う訳で、発声練習は、ノドに負担を掛けずに、腹筋をウンと使って発声する練習です。結構疲れました。ついつい、うっかりしてノドを鳴らしてしまうと、あっという間にノドが痛くなるので、今はそんなにノドは鳴らせないのが、むしろいい感じかもしれません。

 病気をして、しばらく歌えなかったので、いい意味で、声があれこれリセットしているので、ここで悪い癖を排除して、良い面を重点的に伸ばしていく事が肝心なんだろうと思いました。

 ほどほどに頑張っていきたいと思います。

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2019年3月 3日 (日)

お父さんお母さんと呼んではいけない?

 日本の話ではありません。フランスの話なんだそうです。

 先日、正式にフランスの下院で可決されたのだそうです。何が可決されたのかと言えば、学校では“父親”“母親”という言葉を使ってはいけないと決まったのです。では、かつての父親や母親は何て呼ぶのか言えば“親1号”“親2号”なんだってさ。

 フランス、大丈夫?

 なんでも、なんでこんなへんちくりんな法案が可決したのか言えば、同性婚家族への配慮なんだそうで、今後、学校関係の公的文書はすべて“親1号”“親2号”となるそうです。

 どう考えても、頭悪いとしか思えません。

 フランスだって、普通に男女が結婚している夫婦が大半でしょ? そういう家庭では従来どおり、お父さんお母さんでいいわけで、何も彼らを1号2号と呼ぶ必要はないと思うんだよね、ヤッターマンじゃあるまいし。

 配慮するなら、父親や母親の記入欄を二人の名前を書けるようにするればいいんじゃないの? 父親欄に二人書ける、母親欄に二人書ける。それでいいじゃん、別に、父親とか母親という言葉を殺す必要はないし、父親とか母親とかいう概念を消し去る必要もないと思います。

 言葉って、その国の文化だからね。

 それに父母をやめて1号2号ってなれば、男女の親のどっちを1号にするべきか…今度はフェミニストあたりが文句言いそうだし、現実問題として、男を1号、女を2号とした場合(おそらく大多数の家庭がそうなるでしょう)、正妻さんは2号だけれど、お妾さんも二号さんでしょ? それってもめませんか? それともお妾さんは三号さんになるのかな?(ここは、洋数字と漢数字の違いがポイントなんだな)

 ごく少数である同性婚家族への配慮だろうけれど、少数者を配慮するあまり、大多数の人間が迷惑被るのは、無しでしょ!

 ちなみに、フランスのPTA代表は、この法案に大賛成なんだそうです。「社会の現実に沿った措置であり、子供が『普通と違う』といってイジメにあう事がなくなる」んだそうです。

 “社会の現実”って何? そういう現実も確かにあるだろうけれど、決して多数派じゃないでしょ? 『普通と違う』と言ってイジメにあうって…そもそも同性婚そのものが普通じゃないという社会認識があるって事でしょ? 正すべきは、父親母親という呼称を消すことではなく、同性婚への差別意識を消し去るべきでしょ? フランスのPTAって、ズレてない?

 でもその一方で、フランス国内では、学校はすでに遅いくらいで、税務署とか鉄道とかパリの市議会では、すでに父母でなく、1号2号なんだって。ある意味、フランス、進んでます。

 日本でも、国会で、父親母親の呼称は止めて、すべて1号2号にしろって決まったら、私はその日が日本文化が死んだ日だと思うと思いますよ。

蛇足  太郎さんと一郎さんが結婚して、子どもを迎え入れたら、それぞれを1号2号と呼ばせずに“太郎父さん”“一郎父さん”と呼ばせりゃいいじゃん…なんて、私は思うわけだ。同性婚家庭に配慮って…要は、性別の意味を含んだ言葉を社会から排除したいってわけなんだろうけれど、それならまず最初に、フランス語から、男性名詞と女性名詞を排除する事から始めて欲しいなあ。ありゃあ、面倒くさくて堪らんのよ。

蛇足2  この問題について調べていたら、もう一つ別の事が分かりました。実はフランスの学校で、週休3日なんだって。月火木金が登校日で、水土日はお休みなんだって、ああ、フランスのセンセが羨ましいよ。

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2019年3月 2日 (土)

ドジョウがボコボコな理由

 ウチにはマドジョウ(普通の食用のドジョウ)が一匹います。かなり大きいです。で、この子のカラダがボコボコなのです。

 今までも、カラダがボコボコになるドジョウがいました。ある程度大きくなったマドジョウがボコボコになる傾向があります。ボコボコというのは、カラダがしなやかではなく、固く細かく折れ曲がった感じになるのです。

 見るからに、背骨の異常だと思われます。ですから、栄養不足のくる病か、それに類した病気ではないかと思っていましたが、最近は別の事を考えています。

 このカラダがボコボコになる子は、同時に激しくむやみに水槽内で暴れる傾向がある事に気づきました。暴れる…と言っても、かなり激しく暴れます。本当に、水槽内を上へ下への大騒ぎで体を色々なモノや壁面にぶつけまくります。私は今まで、この二つの事柄を別のものとして考えていましたが、実は、関係があるのではないでしょうか?

 何が原因かはまだ分かりませんが、ドジョウが大暴れをして、その結果、大怪我をするのです。その際に背骨を折ってしまうのかもしれないし、折らなくても、激しく動かすために背骨が曲がってしまうのかもしれません。それを何度か繰り返すうちに、背骨が細かく折れて、カラダがボコボコになってしまうのかもしれません。今はそう考えるようになりました。

 怪我の結果で、カラダがボコボコになってしまったのなら、可哀想だけれど治ることはないでしょう。

 それにしても、なぜあんなに大暴れをするのでしょうか? ある程度大きくなったマドジョウに共通する行動なので、何か原因があるのかもしれません。習性なのかな? それとも何かの病気なのかしら? 分かりません。ちなみに、同じドジョウでも、緋ドジョウが暴れる事はまずありません。

 魚類には痛覚がないので、カラダがボコボコになっても痛くはないし、辛くもないだろうけれど、見た目はかなり痛々しいのです。

 治せるものなら、治してあげたいです。

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2019年3月 1日 (金)

今年初めてのレッスンでした

 フルートのレッスンに行ってきました。なんと、今年初めてのレッスンでした。ちゃんとレッスンの最初に「あけましておめでとうございます」って挨拶もしました。挨拶、大切だものね。

 この2ヶ月間、体調が悪かったり、仕事が忙しかったりで、全然フルートに触れていなかったわけなので、色々と新鮮な気持ちでレッスンを受けちゃいました。

 いつものロングトーン練習も、実に新鮮。ちなみに、ロングトーン自体はバッチリの上にバッチリでした。自分で思うに、変な力みが取れて、いい感じになっているのではないかしら。ただ、お腹がうまく使えていなくて、かなり意識して吹かないと、まともに吹けなかったのは、カラダがなまってしまったわけで、その事を切実に感じた次第でございます。

 エルステユーブンゲンは、25番と26番でした。当然、暗譜なんてできていない…どころか、どんな曲だか忘れてしまったので、ほぼ初見感覚で丁寧に吹きました。演奏そのものは、なかなかよく吹けました。後は暗譜のみって感じです。

 旋律的練習曲は、まだ1番です。でも、まあまあ、吹けたかな? 先生からは「スラーとブレスに気をつけて。かなりいい加減だよ」と言われました。うむ、自覚あります。スラーは…なんだろ? 演奏の勢いで、いい加減になっちゃっているわけで、もっと丁寧に吹くことで克服はできそうです。ブレスは…単純に息が保たないんですよ。つまり、カラダの問題です。両方とも練習を重ねていけば克服できるんだろうなあって思います。

 問題は、その練習重ねていけるほど、練習していないって点かな?

 40リトルピーセズは、21番のシューベルトの「田舎の舞曲」でしたが、これは合格をいただきました。やったね。まあ、こういう白っぽい曲は得意なんですよ、私。

 次回は22番のバッハの「メヌエット」になりますが、先生曰く「この曲は難しいからね、しっかり練習しておいで」と脅かされました。先生が難しいと言うなんて、一体、どれくらい難しいのかしら? たぶん、本当に難しいのでしょうね。

 で、今回の雑談は…あれ、何も話さなかったよ。ただただ…この時期は忙しいね、大変だねと言われただけです。実際、年度末は超忙しい私なのでした。忙しいけれど、次回はなるべく早い時期に来たいモノです。

 ところで、先生、お具合が悪そうだったけれど、大丈夫なのかしら?

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