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2019年2月28日 (木)

インフル発喘息経由花粉症行[2019年2月の落ち穂拾い]

 今月は、インフルエンザから始まり、喘息に苦しみ、花粉症で涙を流す一ヶ月となりました。なんか、ずっとマスクしてます。

 健康面でかなり悪かった一ヶ月です。まあ、死ななかっただけ良かったという事にしましょう。しかし、病むたびに健康の大切さを思う我です。

 呼吸器がダメージを受けていたので、歌もフルートもほとんど嗜まなかった一ヶ月で、音楽から距離を置いていた一ヶ月とも言えます。まだ、完治ではありませんが、ぼちぼちと過ごしていきたいと思ってます。

吹奏楽のフルートの皆様、ごめんなさいです

 吹奏楽でのフルートって、実に地味です。まず聞こえないし、音楽的にも脇役っぽいフレーズを吹いていたりします。クラリネットがオーケストラでのヴァイオリンの役割を果たし、サックスや金管たちは、ビオラやチェロの役割を果たしているのに対し、フルートは、特に大きな役割を与えられず、せいぜいが、全体のサウンドの穴埋め的な役割をやっていたりするわけです。

 上記の話を吹奏楽のフルートの人に言うと、不快な顔をしたり、キレる人もいます。ま、そりゃあそうだ。

 吹奏楽におけるフルートとは、吹奏楽のレギュラーメンバーであり、大抵の曲に参加している必要不可欠な楽器という立ち位置です。ただ、一生懸命に演奏しているにもかかわらず、観客の耳には聞こえないケースがあまりに多いのです。どうせ聞こえないのだから、いてもいなくても一緒じゃんと、乱暴な人を言う人すらいます。

 吹奏楽の中でのフルートという楽器は、結構特別で、フルートって、吹奏楽の中でも、すごく人気のある楽器なんですよ。志望者も多く、吹奏楽をやっている人の中には、本当はフルート志望で中学校の吹奏楽部に入ったのだけれど、フルートは一杯だから言われて別の楽器(たいてい低音楽器)をやるハメになった…という人が大勢(少なくとも私の周辺には大勢)います。それぐらい人気があって、別格なのが、吹奏楽のフルートなんです。

 オトナになってからフルートを始めたという人の中には、上のような理由で、中学高校でフルートをやれなかったので、オトナになった今、フルートを始めましたという人がいるくらいです。

 ある吹奏楽の指導者の弁によると、吹奏楽の中でフルートは聞こえなくても良い楽器なのだそうです。理由は2つあって、一つは「フルートはトランペットの倍音を演奏する」ため、トランペットの音の一部になっていればよいだけで、フルートとして聞こえなくてよいのだという事と、もう一つは「志望者の少ない低音楽器や打楽器の演奏者候補として、フルート志望者が必要」なんだそうです。つまり、トランペット奏者が上手だったり、低音楽器奏者が大勢いるような団体なら、別にフルートおよびフルート奏者は不要というわけで、アンサンブル的には、フルートはいなくてもいいくらいだと、その指導者は言ってました(吹奏楽のフルートさんたち、ごめんなさい。でも、この話は、私の意見じゃなくて、又聞きなので、私に反論されても、上手く返事できないかも…って感じです)。

 なんか不思議な扱いだよね(って、ディスっているつもりはないのよ、気に障ったらごめんね)。

景気が悪いんだよね

 個人経営のピアノ教室の先生に、なぜ年配の女性が多いのかといえば、

 1)若い頃は大手音楽教室で先生をやったり、別の仕事で頑張って、開業資金を貯めていたので、開業時には、ある程度の年齢になってしまうから。

 2)そもそもが専業主婦で、育児から開放されたので、自宅でマイペースでできる仕事としてピアノ教師を選んだから。

 という理由が考えられます。それはそれでまあ良しです。

 ピアノ教室は、少子高齢化の影響もあり、はっきり言っちゃえば、斜陽産業です。今後は以前のようなペースで、街のピアノ教室が開店していくかと言われると、難しいですし、個人の教室が無くなる地域も出てくるでしょうが、その受け皿として、その地域に大手楽器店の音楽教室があれば、まあなんとかなるとも言えます。

 少子高齢化で斜陽産業になったのはピアノ教室だけじゃないです。子どもにまつわる産業は、おしなべてダメです。じゃあ、逆に増えている老人向けの産業は快調なのかと言うと…そうでもないんですよね。労働人口が減っているためかもしれませんが、日本全体で動いているお金が少ない…ような気がするんですよね。つまり、経済的なパイが縮小している? あ、それを“景気が悪い”って言うのか! とにかく、お金が動いていないから、どんな産業も厳しいんだよね。

 そうなると、生活に必需となる衣食住に関わる産業が安牌って事になるんだろうけれど、世間を見ていると、そうとも考えられないんだよねえ…。昨今は、衣食住にもお金をかけない…と言うか、かけなくても安価なモノがいくらでもあるって感じだよね。

 ああ、景気が悪いなあ…。

 しかし、価格が安いのには、必ず理由があるわけで、安い商品が流通しているところには、必ず泣いている人がいるんだよなあ。安ければいいというのは、近視眼的な考え方であり、ある程度の未来を見通すならば、物価は若干高めの方がお金が動いていいんだよね。

今月のお気に入り CDのボックス

 最近(でもないか:笑)、アマゾンなどの輸入CDを扱っている店を見ていて気づく事は、1960年代や70年代、80年代のアーチストたちのアルバムがボックス化されて販売されている事です。で、驚くなのは、その値段です。ボックスは…だいたい5枚くらい入っている事が多いのですが、その値段は、CD1枚分と同等か、それよりも安いくらいなのです。驚きだよね。

 コアなファンは、当然それらのCDを持っているだろうから購入しないだろうけれど、ライトなファンだと結構持っていないCDも多いから、こういう安価なボックスモノは助かるし、昔ファンだったという人は、この年代だとレコードは持っていてもCDは持っていないという人もいるわけで、そういう人には、CDのボックス・セットは実にありがたいものです。

 発売されているアーチストたちの全盛期を考えても、これらのボックスの販売対象年齢は、ジジイババアですね。まあ、若い人向けに販売するなら、ボックス販売ではなく、配信だろうし…ね。私もジジイなので、メーカー側の策略に乗せられて、ウカウカと何箱も買ってしまいました。

 最近買った中で、かなりお買い得だったなあと思うのが、このマドンナのボックスです。

 マドンナは好きだったけれど、レコードはベスト盤ぐらいしか持っていなかったライトなファンな私です。なので、こうやって通常のアルバムがボックス・セットになって安価で売られているのは、ほんとうれしいですよ。これを買った当時は、マドンナのヘビロテをしたものです。

 最近は、ジェスロ・タルのCDをボックスで揃えて、ウハウハ言っている私でありました。

今月の金魚

 今月は特に無しです。

今月のひとこと

 ようやく、インフルエンザから帰還いたしました。ご心配かけました。(2019年2月4~9日)

 インフルエンザからは帰還したものの、体調は相変わらず絶不調で、時折は(マジで)生命の危険を感じながらビクビクと生活を送ってます。おとなしくしていれば別にどうという事もないのですが、少し真面目に動くと酸欠で意識が飛びかけます(ってか、すでに何度かブラックアウトしています)。医者とも相談しつつ治療に励んでいます。まあ、時間はかかるだろうけれど、やがて回復に向かうものと信じています。(2019年2月9~16日)

 結局、体調は不調のまま安定しています。なんかなあ…。体調が悪いと、音楽趣味が出来ないのはもちろん、頭が回らないので、仕事でもあれこれ支障が生じていますし、実はブログを書くのも負担に感じています。モノを考えたくないんだよね…。比較的体調が良い瞬間を狙って、あれこれ活動をしていますが、ある日突然、ブログが更新されなくなったら、体調が悪すぎてブログの更新できなくなったんだと…と思ってください。ほんと、シンドいんだよね。(2019年2月16~21日)

 選挙が近いと噂される今日このごろですが、私、立憲民主党と国民民主党の違いが分かりません。要するに、両方とも民主党でしょ? あの悪夢の民主党なわけでしょ? 立憲とか国民とか付けていても、本質的には同じでしょ? 要するに、ゴールデンハムスターとジャンガリアンハムスターは、違う種類のハムスターだけれど、ハムスターである事には間違いないわけで、それってイヌネコや金魚やカメやイグアナとは明らかに違うわけで、所詮、ハムスターはハムスターじゃんって話なんだと思ってます。日本の政党は、自民党と公明党と共産党は分かるけれど、それ以外はごちゃごちゃして、なんかよく分かりません。(2019年2月21~26日)

 なんか最近…でもないのかな? 日本と日本人が、韓国になめられて馬鹿にされているような気がします。単純に悔しいです。(2019年2月26日~27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2019年2月27日 (水)

フルートは上達するが、歌はなぜ上達しない?

 私はよくアマチュアの発表会/演奏会を聞きに行きます。声楽が中心ですが、他のジャンルの音楽も聞きますし、同じ団体の演奏を何年にも渡って聞き続けていたりします。そうすると、同じ人の演奏を何年にも渡って聞くわけで、一種の定点観測のような事をしていたりするわけです。

 そこで思うことは、フルートを初めとする器楽の方々と言うのは、毎年毎年、確実に進歩/上達しますね。みんながみんな、前年よりも今年の方が上達している…のですよ。もちろん人によって、その上達度や進歩の具合は違うのだけれど、ほぼ全員、上手くなっているのです。

 一方、歌(いわゆる独唱を中心とした声楽、合唱は含みません)はどうかと言うと、あまり上達しません。同じ人の歌唱を数年に渡って聞いていても、いつもいつも変わり映えしません。進歩も上達も見られず、ほとんど成長しないのです。たまに少しずつ下手になっている人もいるくらいです。

 器楽の人は確実に上達していくのに、なぜ声楽の人は上達しないのだろう…という疑問が沸々と私の中で湧いてきました。

 一つには年齢層の違いがあるかもしれません。器楽の人って、割と若いんですよ。子どもや青年はもちろん、いわゆる大人も現役世代の人がかなりの割合を占めています。老人がいないわけではないけれど、歌ほどじゃないです。

 で、歌は…老人が多いですね。もちろん、若い人や現役世代もいるのですが、やはりアタマが白かったり肌色だったりする人が大半でしょ? 器楽の人たちとは、平均年齢が明らかに違います。この違いは大きいと思います。なにしろ老人は新しい事を学ぶのが苦手だし、老化現象もあるし、あれこれ若者とは違うわけです。

 でも、原因はそれだけじゃないです。いわゆる現役世代の方であっても、器楽は上達していくのに、歌ではあまり上達しません。

 そこにはメソッドの違いがあるかな? って思います。器楽は、どの楽器であっても、標準的な教則本というのがあって、それを順番に学んでいくと、システマチックに上達していけます。一方、歌の方には決まりきった教則本と言うのはありません。学ぶ人の好みに合わせたり、教える先生の趣味に合わせたりして、色々な楽曲を色々な順番で学ぶわけで、どう考えてもシステマチックとは縁遠いわけです。

 器楽ならば、教える人の技量にかかわらず、教則本を順番に学ぶ事で、学ぶ人は一定水準の演奏技術に達しますが、声楽の場合、教える人の意欲や技量や経験に大きく左右されるのではないかと思われます。いくら学ぶ人が熱心であっても、教える方がヘボであったり、意欲が低ければ、全然上達なんてしないわけです。

 歌を教えるには、公的な資格なんて要りませんからね。それに歌える事と教える事は全然別ですから、自らが優秀な歌手であったとしても、教える方は素人なら全然ダメだしね。

 もちろん、優秀な教授能力を持った人であっても、その人が「素人相手なら、これくらいでいいだろう」と言った低いハードルで教えていたとしたら、やはりその人に学んでいる人は、上達するはずありません。つまり、声楽の場合は、良い教師と向学心あふれる生徒の組み合わせでないと上達は難しいと言えます。

 逆に言えば、器楽の場合、教則本がしっかりしている分、ある程度までなら独習も可能だと言えるでしょう。でも、あくまでもある程度までで、先生の指導の元で学んでいる人と、そうでない人では、学習の速度と深度に大きな違いが出るのは、言うまでもありません。いくら独学が可能であると言っても、やはり良い先生について学ぶ事は、器楽においても必要な事です。

 いずれにせよ、学ぶ人には真面目さと向上心が求められます。いくら優秀な教授能力と高い志を持った人を師と仰いでいても、師の教えを守らず従わずに、自分の好き勝手に歌っていたら、そりゃあ全然上達するわけないよね。器楽なら、そんな勝手な事をしていたら、全然教則本が進まないけれど、声楽には教則本がないから、自分が上達しているのかどうかもよく分からなかったりするわけで、それで好き勝手をしちゃうんだろうと思います。

 他にも原因はあるかもしれないけれど、ほんと、声楽を学んでいる人は、なかなか上達しないのですよ。

 そういう点で、私は実に恵まれていると思ってます。私は毎年毎年着実にフルートも歌も上達しています。フルートは器楽だから上達は当然としても、歌が上達している事は、実に稀有なことなのだなあと、最近は思ってます。

 キング先生時代は(今なら分かりますが)私も上達していませんでした。いやむしろ、最後の頃は入門時よりも確実に下手になっていました。笑っちゃうね。以前、妻と「あの時、あのままキング先生に習い続けていたら、今頃どうなっているだろうね」と話したことがありますが、その結論は「今頃は声を壊して歌を辞めているはず」となりました。うん、さもありなん。

 今の私の歌は、あの頃と比べると、かなり上達しましたし、今でも上達し続けています。元の門下の人が今の私の歌を聞いたら、きっとビックリしちゃいますよ。それくらいに上達しちゃっていますからね。

 でもそんな私は恵まれているわけですよ。私のようなアマチュア歌手は、何年歌を学んでも、たいして上達しないのが、ごく当たり前。それが、世間の普通。

 そんな恵まれた状況の私は、今日も音楽の神様に感謝しつづけちゃうわけなのでした。

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2019年2月26日 (火)

メトのライブビューイングで「アドリアーナ・ルクヴルール」を見てきました

 チレア作曲の「アドリアーナ・ルクヴルール」というオペラは、めったに上演されないマイナーな作品です。めったに上演されないのには、色々な理由があるのでしょう。

 私は今まで「ストーリーが分かりづらくて楽しめない」ために上演の機会に恵まれないのではないか…と思っていました。実際、DVD等で見るこのオペラは(日本ではまずリアルな上演は見れません)本当にストーリーが分かりづらいです。その理由は、舞台上のあっちこっちで同時に色々な人が全く別の事を話していて、ストーリーの全体像が掴みづらい事と、実話(当時は有名なスキャンダル)を元にしているので、台本が「当然、この話は知っているよね」という前提があって、あっちこっちストーリーが端折られいたり、人物紹介もせずにあれこれ人々が登場してくるため、元の話(スキャンダルの事ね)を知らない上に、字幕で見る我々日本人には、ほんと、分かりづらいオペラである…という私は思っていました。実際、分かりづらいしね。

 で、今回のメトの演出なのですが、その辺のストーリーの分かりづらさを、うまく整理して、分かりやすく上演してくれています。これ、ほんとオススメです。

 舞台のあっちこっちで行われている会話は、あっちこっちではなく、一箇所にまとめて、場面がドンドン入れ替わることで、それを実現している演出なので、見ている方は、どこを見ないといけないのか迷うという事がありません。また、黙役の人たちがしっかり演技しているので、セリフが説明不足の部分は、そういう人たちの演技で補われているので、すんなりストーリーも頭に入ってきます。

 さすがメト!と感服しました。やっぱりメトのオペラは初心者に優しいです。

 配役等は以下の通りです。

指揮 ジャナンドレア・ノセダ
演出 デイヴィッド・マクヴィカー

アドリアーナ・ルクヴルール アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
マウリッツィオ ピョートル・ベチャワ(テノール)
ブイヨン公妃 アニータ・ラチヴェリシュヴィリ(メゾ・ソプラノ)
ミショネ アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

 歌手の皆さんは、誰もが歌唱演技ともに水準以上でした。マウリッツィオを演じたベチャワは、君主でありながら、実に恋に悩むチャラ男でいい味を出していましたし、悪女というか自己中女のブイヨン公妃を演じたラチヴェリシュヴィリは、本当に嫌な女を演じていました。二人ともスゲーな。

 主役のアドリアーナを演じたネトレプコは、歌唱も感情がたっぷり入っていたし、演技も迫真もので、かなり良かったのですが…ただ私、ネトレプコが好きじゃないので、オペラに没入できなかったんだよね。

 ネトレプコは上手いソプラノだし、全然不足なんて無いんですよ。単なる私の好みの問題で、ネトレプコが好きじゃないだけで、それだけでオペラが楽しめないなんて…ああ、実に贅沢な悩みです。

 でも、好き嫌いって、趣味の世界では大切ですよ。だって、趣味って嗜好品だもの。

 ネトレプコをディスるつもりは全然ありません。単純に私の好みではないだけです。なので、ストレプコが舞台に出てくると、それだけでガッカリしちゃう私がいます。なんかねー、ネトレプコって好きじゃないんだよね。

 ちなみに、私がネトレプコのどこが気に入らないのか言えば…彼女の声なんです。声が嫌いって、決定的でしょ? なので、今後もずっと好きになれないと思うのです。ですから、メトのライブビューイングだと、ネトレプコって、よく出演してくる(おそらく、今のメトのトップソプラノはネトレプコだろうし…)のですが、彼女が主演ってだけで、ちょっぴりゲンナリしちゃう私なのでした。

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2019年2月25日 (月)

なぜ、クラシックの人は、他のジャンルの音楽を見下しやすいのか?

 なぜか知らないけれど、クラシック好きな人って、他のジャンルの音楽を見下したような発言をする人が少なくないような気がします。もちろん、例外もいるし、悪意が無い事は分かるのだけれど、濃いめのクラヲタになればなるほど、他人を見下したような態度が見え隠れするような気がするのです。

 私のように、ポピュラー音楽大好きです…とか、オペラのようなマイナージャンルが好きです…とか言うと、多少は違うのだろうけれど「交響曲以外は音楽とはみなしません」的な人って、ほんと、悪意はないのだろうけれど、他のジャンルの音楽を見下し気味じゃないかなって感じてます。

 で、そんな「交響曲以外は音楽とはみなしません」というクラヲタって、実にたくさんいたりするんです。

 別に交響曲大好きでも構わないし、それ以外の音楽を聞かないくらいに偏重していても、全く問題はないと思うのだけれど、それがどうして「俺様サイコー」になるのかが分かりません。

 別に良いじゃん、ロックを聞いていても…、J-pop聞いていても…、アイドル歌謡だっていいじゃん、地下アイドルのどこが悪い! あ、別に私個人は地下アイドルは聞かないから、そこにシンパシー感じちゃイヤよ(笑)。

 でもね、私はAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」もベートーヴェンの「運命」もヴェルディの「椿姫」も等しく素晴らしい音楽だと思うし、それぞれが最高の音楽だと思うわけよ。少なくとも、それぞれのファンにとっては、これらの曲は、それぞれにナンバーワンなわけで、ジャンルの違いはあっても、ファンがそそぐ熱量に違いはないし、音楽に優劣なんて無いって、マジで思ってます。

 だから、クラシックファンがアイドル歌謡を馬鹿にしていいとは全く思わないけれど「“運命”と“恋するなんちゃら”が同じくらいに素晴らしいだって? 馬鹿言ってるんじゃねえよ」と思われているだろうなあくらいは容易に想像できます。

 指原莉乃はベートヴェンと同じくらいに素晴らしい音楽家だ…とか書いたら、マジで殴られそうだけれど、私は結構、それに近い事を考えています(私は別に、アンチ・ベートーヴェンではないし、指原莉乃のファンでもありません)。

 やっぱり、クラシック音楽は、とりわけ交響曲を中心とする“あの手の音楽”は学校で勉強するから偉いと錯覚されているんだろうなあって思います。知的な音楽として教養扱いされているんだよね。そこへいくと、ポピュラー音楽なんて、頭悪そうだもんな(ごめんね)。アイドル歌謡なんて、めっちゃめっちゃ頭悪そうだもんな(ほんと、ごめんね)。

 まるで、クラシック音楽って、選ばれた人々にしか楽しめない音楽…みたいな扱いで、庶民には近づきがたい音楽であって、庶民は、そこらの草でも食って…じゃなくて、そこらのポピュラー音楽でも聞いていればいいんだって扱いに感じるんだよね。だから、一部のクラヲタは、他のジャンルの音楽を見下すんじゃないかしら? いや、これもなんか違うような気がします。

 ああ、よく分からない。分かる事は、濃いめのクラヲタさんと話をしている時に、うっかりポピュラー音楽の話をすると「…ああ、あれね…」って反応されて、哀れんだ目で見られる事です。

 まあ、いいけど。見下されてもいいけれど。

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2019年2月24日 (日)

野球と空手は落選しました

 2020年は東京オリンピックですが、その次の2024年はフランスのパリでオリンピックが開かれます。で、先日、パリ五輪での開催種目に関する会議が開かれたそうですが、そこで、東京五輪で3大会ぶりに開催される野球(&ソフトボール)と、新規に加わった空手に関して、その開催は東京五輪限りであって、次回開催のパリ五輪では開催されない事に決まりました。

 野球と空手が東京五輪限りの種目になって、結局、オリンピックには根付かなかった事は、日本人として残念に思ってます。

 残念に思う一方、客観的に考えると、野球と空手がオリンピックに定着しなかったのは、仕方ない事だなとも思いました。

 野球は単純に、世界的に見ると、ただのマイナースポーツであって、特にヨーロッパでの不人気ぶりには目を覆うばかりだからです。で、オリンピックってのは、そもそも基本的にヨーロッパの貴族の趣味に合わせたスポーツ大会なわけで、ヨーロッパ貴族の皆さんが好まないスポーツはなかなか定着しないのです。おまけに野球は、野球場という、野球以外には使えない巨大施設が必要であり、そんな施設を野球をやらない国で新設するのは、無理なのです。なので、野球がオリンピックに定着しないのは「さもありなん」と思うわけです。

 おまけに野球によく似たスポーツにクリケットがあります。で、このクリケットは、実はヨーロッパでは割と有名なスポーツであり、世界的に見ると、野球よりもクリケットの方が競技人口が多いくらいです。ヨーロッパ人的な発想でいけば「野球の前にクリケットをオリンピックに入れるべきだろう」と考えるわけだし、そんなクリケットですら、実施する国が少ないからという理由で、オリンピックには入っていないし、今後も入る予定はありません。

 でもクリケットは、コモンウェルスゲームズの花形競技となっています。コモンウェルスゲームズというのは、英連邦(昔の大英帝国)で行われているオリンピックみたいな国際スポーツ大会であり、それを考えると、野球も日米が中心になって行っているワールドカップで開催されるレベルの競技であって、オリンピックには似つかわしくない競技であるとも言えます。

 とにかく、野球をオリンピック競技に定着させたければ、ヨーロッパでの野球人気を日米並にする必要があるし、そのためには、野球以上の人気を誇るクリケットをぶっつぶして、取って代わるくらいの勢いが必要になるわけです。まあ、現実的じゃあないよね。

 空手に関しては、もっと話が単純です。空手は、テコンドーがオリンピック競技であり続ける限り、オリンピックに定着することは難しいです。

 テコンドーは空手から生まれた格闘技であって、日本人的には明らかに違う競技なのですが、ヨーロッパ人から見れば、両者はほぼ同じなんです。似たような格闘技を二つも行う理由はないわけですし、おまけに競技人口的には、オリンピック競技であるテコンドーの方が世界的には多いわけで、もはや空手がオリンピック種目になる事はありえないのです。

 将来的にテコンドーがオリンピック種目からハズレた時が、空手がオリンピック種目に入り込むチャンスだろうと思いますが、そういうチャンスは、たぶん無いと思ってます。

 ちなみに、東京で新規に加わり、パリでも開催が継続される種目は3つあって、スケートボードとスポーツクライミング(ボルダリング)とサーフィンです。これは3つは、ヨーロッパでも大人気な種目ですから、そりゃあオリンピックで開催され続けるよね。サーフィンなんて、海が無い国では開催不可能なのに、それでもやるんだよね。

 ちなみに、パリ五輪から新設される種目は、ブレイクダンスだけのようですが…確かにブレイクダンスは世界中で行われているし、世界的には競技人口(?)も多いし、今までオリンピック競技に入らなかったのが不思議なくらいだから、これはまあ、当然とも言えるわけです。

 ちなみに日本は、世界的に見ると、ブレイクダンスに関しては強豪国であって、多くの国際大会で優秀な成績を上げているそうなので、パリ五輪でも十分にメダルが狙える競技なんだそうですよ。

 野球がダメなら、ブレイクダンスで頑張ろう!って感じなんでしょうね、パリでは。

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2019年2月23日 (土)

金魚の睡眠

 金魚は(当たり前ですが)魚類です。魚類という生き物は、原則的に眠りません。生まれてから死ぬまで、覚醒したままなのが普通のようです。意識を失うことはない…のが魚類一般の特徴なのです。

 とは言え、覚醒したまま…と言っても、脳を休ませなければ生きていけないので、覚醒レベルを下げる事で睡眠の代用をしているとの事です。

 人間は魚類とは違うので、それをイメージするのは難しいのですが、脳の半分を休ませながら、残り半分で覚醒しつづけるという感じのようです。なので、休憩中の魚類の活動はかなり鈍くなりますが、それでも覚醒し続けているので、外敵には機敏に反応できるわけです。

 人間の場合、寝ている時は、脳のすべてが休むわけではなく、生命維持に必要な箇所(例えば呼吸などね)は、ずっと覚醒しつづけているわけで、睡眠中とは言え、脳のすべてがお休みしているわけでないのです。要するに、覚醒と睡眠の違いは、自我や意識を司る部分まで覚醒しているのか、自我や意識の部分はお休みして生命維持に必要な箇所だけが覚醒しているのかの違いとも言えます。

 で、金魚の話です。

 どうも、金魚たちを観察していると、睡眠に二段階ありそうなのです。一つは、いわゆる「半分寝て、半分起きている状態」であり、魚類としては通常の睡眠状態です。

 もうひとつは、どうにも深く休んでいて、人間の睡眠に近いくらいに深く眠っている状態の睡眠の状態です。つまり、熟睡しているわけです。

 魚類的な休息を取っている時の金魚は、水中に漂っているだけに見えますが、何かあると機敏な反応を取ります。そのON-OFFの切り替えの速さには感心するばかりです。

 一方、人間の睡眠に近いくらいに深く寝ている時もあります。こういう時は、水底にベチャッと沈んでいますし、呼吸もかなり回数少なくなりますし、ちょっとやそっとの事では反応しません。ほぼ熟睡しています。寝起きも悪くて、機敏な反応はまずできません。これらの睡眠は、時間的には深夜の時間帯に多く観察できます。

 ちなみに、このような深い眠りは、若い金魚はしませんし、水槽にやってきたばかりの新参者もしません。ある程度、大きくなり、ウチの水槽に慣れた子だけが熟睡します。おそらく、ウチの水槽に外敵がいない事が分かった頃から、安心して熟睡するのだろうと思います。

 結局、魚類が完全に眠らないのも、自然界では常に外敵の脅威にさらされているからなのだろうと思います。常戦場であり、少しも気を抜けない環境で生きているから完全に眠らないのだろうと思います。飼い金魚たちには外敵がいませんから、気持ちを緩めて熟睡しても何の問題もありません。ですから、魚類であるにも関わらず、安心して熟睡できるようになるのだろうと思います。

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2019年2月22日 (金)

ポピュラー音楽は、歪みが好き?

 ポピュラーと言っても、主にロックとかジャズとかブルースとかの話です。

 あの手の音楽って、音がデフォルトで歪んでいませんか? 例えば、ギターはディストーションがかかっているのがデフォルトだし、ヴォーカルだってハスキーな声が尊ばれる感じじゃない?

 歪んでいるよね。

 そもそもフルートが、これらの音楽で多用されない理由は、フルートのデフォルトの音が、あまりに歪みから遠い音色だからじゃないかしらって思います。さらに言えば、ジャズフルートって、音色的に若干歪んでいるよね。どの程度歪ませるかは演奏者次第だけれど、いわゆる美しい音ではなく、わざと歪んだ音で演奏していると思うのですよ。

 歪んだ音ってのは、ノイズを多く含んだ音…だよね。

 不協和音なんてモノは、美しい和音にあえてノイズを加えて、和音の響きを歪ませているという言い方ができるんじゃないかなって思います。ジャズとブルースなんて、セブンスが基本的な和音だったりするわけじゃない。歪んでいるよね。

 じゃあなんで、ポピュラー音楽って、音が歪んでいるのかと言うと…それらの音楽が打楽器メインで作られているから…じゃないかしらって、個人的に考えています。つまり、リズムありきの音楽でしょ? で、打楽器ってのは、ノイジーな楽器であって、ノイズの塊と言ってもいいわけで、そんなノイジーな音をベースにした音楽だから、やはり常にどこか歪んでいて、その歪みと言うか、濁りが、演奏者や観客を安心させるんじゃないかしら?

 一方、古典的なクラシック音楽ってのは、美しい音を求める音楽で、歪みんだ音とかってのは、無いわけじゃないけれど、ポピュラー音楽的なノイジーな音じゃないのは、ベースにあるのが“天国の音楽”だからなんだろうと思います。教会に鳴り響く神の調べ…が音楽の理想なんだと思います。そこには、歪みも雑音もないわけだ。ただただ美しく調和された音の響きがあるだけです。

 神様の美しさを求めた音楽と、人々がそこらへんのモノをポコポコ叩いて作り出した音楽じゃあ、あまりに共通点がないわな…なんて思いました。

 だからフルートも、クラシックの時はなるべく美しい音色で吹きたいと思うけれど、ジャズなんかの時は、汚ないけれど個性的な音で吹きたいって思ったりするわけです。

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2019年2月21日 (木)

ベートーヴェン、モーツァルト、バッハ

 確か、NHKの「らららクラシック」の再放送(?)を見ていた時の話だから、少し前の話題になりますが、音楽界最強の作曲家は誰かというお題が出ていて、その結果は…

 1位 ベートーヴェン
 2位 モーツァルト
 3位 バッハ

 …でした。ああ、いかにも学校の授業で音楽習いました…って答えだなって思いました。

 まあ、ベートーヴェンが素晴らしくないとか言うつもりはないし、そもそも「最強の作曲家って何?」とか思わないでもないけれど、まあ“すごい作曲家3人をあげろ”って意味なんだろうなあって思うわけです。

 たぶん、これって、ドイツ音楽しか聞かない人の感想なんだろうなあって思いました。

 客観的事実として、ベートーヴェンってロッシーニに負けた作曲家でしょ? 事実、同時代に活躍した二人だし、当時はロッシーニは大人気で、ベートーヴェンはなんとかしてロッシーニの大成功にあやかりたいモノだと頑張って「フィデリオ」とか書いたけれど、全然ロッシーニの足元に及ばす、もちろん人気も及ばず…で、成功しすぎたロッシーニは、37歳で音楽家を引退して(つまり“勝ち逃げ”)、以降は稼ぎすぎたお金を浪費する生活を75歳まで過ごした人で、少なくとも、ロッシーニはベートーヴェンよりも“強い作曲家”だと思うよ。

 そんなロッシーニを差し置いて、ベートーヴェンがランクインというのは、とても納得いかないわけです。

 ロッシーニはイタリア音楽じゃん、そんなの学校じゃ習わないから無視無視…と言うならば、じゃあワーグナーはどうなのよと問いたいです。ワーグナーを忘れちゃダメでしょ? ルードヴィヒ二世にノイシュヴァンシュタイン城建てさせたワーグナーは強いよ。作曲家として、かなり強いよ。それに音楽面で言っても、クラシック音楽って、ワーグナー以前とワーグナー以降に分かれると言っても過言じゃないわけで、そんなワーグナーをランクインさせないチャートなんて、信じられないわけよ。ライトモチーフ、なめんなよ。

 ワーグナーと言えば、同時代の大作曲家であるヴェルディはどうなのよ? そもそも、ヴェルディの「椿姫」を聞いたことがある人なら分かってもらえると思うのだけれど、ヴェルディがイタリア人だからと言って、最強ランクに入れないとしたら、信じられない愚行でしょ? それともイタリア人に対する人種差別でもあるのかしら?

 まあ、モーツァルトは孤高の天才だし、バッハは宗教音楽というジャンルのトップだから、ランクインはまあ分かります。でも、ベートーヴェンを入れるなら、ロッシーニはどうしたって話になるし、ロッシーニを入れるんなら、ヴェルディやワーグナーはどうなんだといいたいわけです。

 いやいや、それ以前に、最強の作曲家と言ったら、ポール・マッカートニーを外していいのかって疑問が沸々と湧き上がってきます。最強の作曲家という意味が“大成功した作曲家”という意味なら、ポールこそが最強でしょ? 人類最強の作曲家でしょ?

 そもそも、作曲家のトップ3を選ぶなんで、誰もが納得しないお題なんだよね。特に、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハの順位には納得しない私です。

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2019年2月20日 (水)

人はなぜ、嫌いな音楽を悪く言うのだろうか?

 誰にでも好き嫌いはあります。音楽好きと言っても、ジャンルによって好き嫌いがあって当然です。なにしろ“趣味の問題”ですから。

 演歌大好きな人がいれば、ジャズが大好きな人がいます。演歌もジャズも好きな人もいれば、演歌は好きだけれどジャズは苦手という人がいる一方、演歌は嫌いだけれどジャズ命という人もいます。

 ロックが好きな人がいれば、いわゆるポピュラー音楽が好きな人がいます。アイドル歌謡が好きな人もいれば、童謡や唱歌が好きな人だっています。

 クラシック音楽という狭い範囲に限っても、交響曲大好きな人もいれば、ピアノ命の人もいるし、私のように歌が好きという人もいます。

 複数のジャンルの音楽が好きという人は珍しくありませんが、たいていの人には、好きな音楽がある一方、苦手な音楽も存在するものです。

 私個人の話をすると、私は割と万遍なく色々な音楽を好む人間ですが、それでも正直苦手な音楽はあります。

 例えば、私、交響曲は苦手です。それでも、モーツァルトとかハイドンとかベートーヴェンは聞きますし、ベルリオーズは大好きだし、ブラームスもようよう聞きます。苦手なのは、ブルックナーとかマーラーとかシベリウスあたりからです。まあ、いわゆる後期ロマン派以降の交響曲が苦手なんですわ。

 なんで、苦手なのかと言えば…長いから。聞いているうちに飽きちゃうんだよね。あと、メロディーが無いから。私にとって音楽ってのはメロディだから、メロディの無い交響曲はどうしたって楽しめないんです。それに交響曲って、音楽として混沌としているでしょ? そういう混沌とした、よく分からない音楽ってダメなんだよ。

 …って、ほら。嫌いな音楽って事で話を始めると、こうやって、結果的にその音楽をディスってしまう事になりがちです。別に自分としては、その音楽が苦手な理由を、悪意なく言っているつもりでも…客観的に見れば、単なる悪口でしかありません。

 そもそも、私が交響曲が苦手な理由なんて、理由にすらなっていません。

 私は最初に、交響曲は“長いから苦手だ”と言ってますが、長い長いと言っても、特別に長いヤツを除けば、交響曲なんて、1曲、60~90分程度の長さです。私が大好きなオペラで言えば、せいぜい1幕分です。オペラと比べれば、確実に交響曲の方が短いのに、オペラは大好きで、交響曲が苦手なんて、スジが通ってません。

 メロディが無い…なんて書いてますが、メロディの無い音楽なんて、基本的にはありません。ただ、交響曲の場合、歌や協奏曲のようなソリストがいませんので、どの楽器がメロディーを奏でているかが分かりづらいだけで、交響曲ファンの方は、そこを分かっているので、交響曲の中でもメロディーを感じているわけで、私なんてのは、単純に交響曲に不慣れで、どの楽器がメロディーを演奏しているかが分からないので“メロディーが無い”って言っているだけで、実際はメロディーが無いのではなく、私がメロディーを見つけられないだけなんです。

 交響曲は音楽として混沌としている? それこそ言いがかりで、交響曲に慣れていないだけの話で、交響曲を聞くコツのようなモノが分からず、どうをどうやって愉しめばいいのかが分からなくて、そういった迷いの状態を“混沌としている”と言っているだけで、実際のところ、混沌としているのは音楽ではなく、聞き手である私の方なんです。

 こうやって、苦手な音楽の話をすると、話している側は、冷静に「なぜ私はその音楽が苦手なのか」と話しているつもりでも、軽くその音楽をディスっているわけだし、難癖を付けてしまっているだけなんです。

 悪いのは音楽ではなく、聞き手の方なのにね。

 だから、客観的に聞けば、嫌いな音楽に関して語るって事は、その音楽の悪口を言うことになりがちです。たとえ、悪意が無くても、上から目線になりがちで、その音楽のファンからすれば、不愉快な物言いにしかならないわけです。

 なので、自分が苦手なモノには、あえて触れていかないってのが、本来、吉なんだと思います。だから、このブログには、交響曲の話って、ほとんど出ないでしょ?

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2019年2月19日 (火)

音型を丹念に練習することの大切さを切々と感じる日々

 …切々と感じています。まあ、感じているだけで、実行していないのだけれど(涙)。

 でもほんと、最近、音型練習大切だなって思ってます。ここで言う音型って「ドレミレド」とか「ドミソミド」とかの簡単なものから「ドソミドレラファレ」などの???なものや、アルペジオや音階とか、そういう音の連なりの事で、それらの音型を丹念に心を込めて練習していくのって大切だなって思うわけです。

 もちろん、そんな練習、私、ちっともやっていません(涙)。やっていないからこそ、大切だなって思っているのかもしれません(ちょっぴり天の邪鬼な私です)。

 と言うのも、結局、音楽って、音型の集合だなって思うようになったからです。色々な音型がまとまって連なってつながっていって、音楽って作られているんだなって思うのです。

 だから、そういう音型を事前に丁寧に練習する事が大切だと思うのです。フルートだったら、音型と言わずにフィンガリングと言う方が一般的かも。

 とにかく、声楽だったらコールユーブンゲンとか、フルートだったらタファゴベとか、一見見ると、無味乾燥な黒くてうねうねした楽譜を丁寧に学んで自分のものにしていく事って、大切なんだろうなあって思うわけです。

 そして、それらの練習は散発的に行うのではなく、日課のごとく、毎日毎日飽きることなく繰り返して学び続けることが大切なんだろうなあとも思うわけです。

 まあ、思っているだけで、ちっとも実行しない人間が、何を言っても説得力はないのだけれど、ほんと、音型練習って大切だと思うよ。私は基本的にはコツコツ型の人間なので、こういう音型練習を毎日したい人間なんだけれど、それができないからこそ「大切だー、大切だー」と書き散らしているんだろうなあって思うわけです。

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2019年2月18日 (月)

クラシックレコードのレーベルに関する話

 私は年寄りです。なので(自分にとって)昔のことはよく覚えているし、その時の記憶を保持したまま、今を生きているので、しばしば時代からズレている事も多々あります。
 そんな事を最近感じた私です。

 私が若かった時は、クラシックレコードと言えば、独グラモフォン、英ロンドン、蘭フィリップ、英EMI、米コロンビアって感じでした。実際、私のレコード棚やCD棚は、これらのレーベルの円盤でいっぱいです。実は当時、米RCAというレーベルもあったのですが、全く私の眼中には入りませんでした、たぶんお好みのCDがなかったのかもしれません。

 このうち、米コロンビアは、日本のソニーに買われてしまって、レーベルもソニー・クラシカルになってしまった事は知っていました。あと、英ロンドンは、英デッカと名称が変わり、日本での発売会社も、キングレコードからポリドールレコードに変更になった事も知っていました。なにしろ、当時、独グラモフォンも蘭フィリップも、日本ではポリドールから発売されていたので、クラシック音楽はポリドールから発売されるものという認識になりました。このあたりの記憶の上書きはきちんとできたのですが、それ以外の部分はまったく昔のままでした。

 それが先日、英EMIのCDを購入したはずなのに、見慣れないレーベルが付いていたんですよ。で、びっくりしてあれこれ調べたら、英EMIというレーベルが無くなった事を知ったのです。

 ちなみに、英EMIの円盤たちは、現在、米ワーナーのレーベルが付けられて販売されています。

 そこで、他のレーベルはどうなっているのか、調べてみました。

 独グラモフォンと英デッカは、今もレーベルは存在しています。蘭フィリップは、なんと英デッカに吸収されてしまい、昔、蘭フィリップレーベルで発売されていた円盤は、今は英デッカのレーベルで売られているそうです。確かにアマゾンで調べてみたら、イムジチの「四季」が英デッカのレーベルで売られていました…あああ。

 私の眼中に無かった米RCAも、すでに無く、現在では、米BMGに吸収され、レーベルもBMGになってしまったそうです。

 で、発売会社という観点からみると、独グラモフォンと英デッカは、私の記憶ではポリドールから発売されていたのだけれど、今はユニバーサルから発売されているそうです。米BMGは、なんと、現在はソニーから発売されているそうです。

 つまり、現在の主なクラシック系の円盤は、ユニバーサル(フランス)、ワーナー(アメリカ)、ソニー(日本)の3社から出ているって事になります。

 変われば変わるものだね。

 おまけ。英EMIは、米ワーナーに身売りをしたんだけれど、ビートルズやクイーンは、米ワーナーではく、仏ユニバーサルから発売されているのはなぜ? クラシックとポピュラーでは、身売り先を変えたのかしら? なんか、よく分からないなあ。

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2019年2月17日 (日)

名前って、社会的な記号なんだと思ってます

 先日、何気なく徒然草(の現代訳)を読んでいたら、次のような文章と出会いました。著作権の問題もあるので、原文で引用しますね。

徒然草 第百十六段
 寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

 これを私訳しますと…

 お寺の名前を始め、その他の色々なモノに名前を付ける時に、昔の人は、凝った名前をつけずに、ただ、見たままに、あっさりと命名したものです。ところが最近では、あれこれ考え悩み、命名者が知恵者であることを証明しようと、わざと凝った命名をしているように思えるのは、とても気分が悪い。人の名前も、見たことのない珍しい漢字を使うのは、まったく意味がない。どんな事であっても、珍しい事を求めて、一般的でないものをありがたがるのは、無教養な人が必ずやりそうなことですね…なんてね。

 徒然草と言うと、今から700年ぐらい前に書かれたエッセイ集です。人の本質は今も昔も700年前も、そんなに変わらないんだなって思いました。

 それにしても、700年前から、キラキラネームってあったようです。最初は珍しい名前も、みんながそれを良しとして、たくさんの人に名付けられてしまうと、もうそれはキラキラではなく、ごく普通の名前になってしまい、定着してしまうのでしょうね。今の子どものキラキラした名前だって、そのうちの幾つかは時の流れと共に定着してしまうのでしょうね。

 私が思うに、問題はキラキラネームではなく、難読ネームなんだろうなって思います。

 名前って、記号ですから。世界がその人を呼ぶための社会的な記号ですから。その記号が、難読で、その人を何と呼んだら良いのかが難しいと…その名前は記号としての役割を果たせません。

 “花子”と書いて“はなこ”と読むなら記号として十分ですが、“花子”と書いて“エリザベス”と読むなら、記号として破綻しています。これは極端な例ですが、要はキラキラネームって、そういう事でしょ。

 「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり」 人の名前も、見たことのない珍しい漢字を使うのは、まったく意味がない…兼好さんもそう言っているわけで、世間に正しく呼ばれることを拒否する名前を我が子に付けるってのは、止めた方がいいと思うし、不幸にもそんな名前を付けられた子に対して、簡単に改名できるような法整備が必要なんだろうなあって思います。

 名前って、本人のモノだけれど、本人が選べないモノじゃない? ある意味、ハズレな名前の子って、ほんと、人生で損をするんだと思うんだよね。少なくとも、私に採用権があったなら、キラキラネームの子は会社で採用しないよ。だって、変な名前(ごめん)は本人の責任ではないとは言え、本人の一部である事は間違いないわけでしょ。学校じゃないんだもの、フェアである必要もないし(たとえ真人間であっても)変な人である可能性が高いなら、そこはパスだよね。少なくとも、私ならそうします。

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2019年2月16日 (土)

最近のルデン

 最近のルデンの話をします。

 最近のルデンは、大きいです。我が家に来た時は、メダカに毛の生えた程度の小さな小さな魚だったのに、あれよあれよというまに成長してしまいました。

 我が家に来た時は、ほぼ黒い魚で、腹部がきれいな金色でしたが、今思えば、これはまだ稚魚だったために黒かっただけ(金魚は、どの種類であれ、生まれたばかりの稚魚の頃は真っ黒なんです。つまり、ルデンは稚魚だったにもかかわらず、もうオトナの大きさにまで成長していたってわけです)で、今はぐんぐん成長して、あっという間にベルやアセビを追い抜いて、ほぼシズカぐらいの大きさになってしまいました。

 その成長速度にビックリです。

 で、体色も、成長して黒が抜けたのは当然として、当初こそ、光り輝く金色でしたが、あれよあれよというまに赤みを帯びてしまい、今や濃い目の赤い金魚になってしまいました。色的にもシズカに瓜二つで、比べてみると、ややルデンの方が薄いかな…? ってくらいに赤くなってしまいました。

 で、カラダの長さはクチから尾びれの付け根までなら、シズカとほぼ同じです。カラダの大きさは、シズカは多少の厚みはあるとは言え、基本的に高い金魚の体型(つまり菱形)ですが、ルデンはほぼ俵型だし、筋肉質なシズカと比べるとルデンはボテっとした体型なので、体重的にはルデンの方がシズカよりも重いかもしれません。

 もっとも、シズカは(切れてしまった右下尾ビレ以外の)すべてのヒレが長いのですが、ルデンのヒレはどれも短くて小さいので、ヒレ込みならば、まだシズカの方が大きいかもしれません。

 ルデンは体型的には、らんちゅうです。ただし、らんちゅうの出来損ないなので、らんちゅうにはあってはならない背びれがチョコンと付いてます。またらんちゅうには立派な肉瘤があるものですが、ルデンには全くありません。尾びれは(普通のらんちゅうと比べても)かなり小さな蝶尾なので、泳ぎはウルトラ級に下手くそです。いわゆる“雑種金魚”で金魚フリーク的には無価値な子ですが、生命力だけは旺盛な子のようです。最近では、ヤヨイにあれこれちょっかいを出しています。やがて、水槽で一番の大型金魚になり、水槽の親分になってしまいそうな勢いです。

 とにかく、いつも何か食べていますし、他の子のような好き嫌いもないようです。

 我が家に来た当初とは、全く姿が変わってしまったルデンですが、この子はこの子なりに、毎日を元気いっぱいに生きています。

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2019年2月15日 (金)

久しぶりのプラ管フルートの話を書きます

 私は総銀のフルートを所持していますが、普段、自宅で吹いているのはプラ製のフルートです。

 なぜ、プラ製のフルートを吹いているのかと言うと、別にこれで不便を感じていないからです。

 リンクしたのは最新型ですが、私が吹いているのは旧型で、おそらく一番古いタイプのものです。

 プラ管フルートとは言え、音色は…総銀フルートとほぼ同じ。吹き心地も同じ。銀よりも軽いので、気楽に吹けるし、メンテナンスフリーなので、何の手入れもいりません。

 問題は…実に安っぽい外見である事と、まともな楽器として見られない事…かな? まあ、服装で言えば、ジャージの部屋着って感じかな? 人前に出る時は、外出着である総銀フルートを吹きます。

 しかし、プラ管フルート、ネットでの評判は、あまり良くないみたいです。

 おそらく、プラ管フルートをきちんと吹くのは、洋銀フルートを吹くよりも、もしかすると難しいのかもしれません…ってか、洋銀フルートって、初心者が吹くことを前提としてチューンされているけれど、どうもプラ管フルートって、そういう配慮が無いような気がします。

 しかし、ある程度吹ける人(具体的には私)なら、このプラ管でも、普通に3オクターブの音域は軽々出るし、音量的にも総銀フルートとほぼ変わりません。音色の幅…ってか、総銀フルート、音色がほぼ同じなんだよね。まあ、奏者が同じなんだから、当たり前と言えば当たり前。

 私が感じる特徴(ある意味、欠点)は、総銀よりも多くの息を呑む事かな? なので、ブレストレーナーとしては最適です。少なくとも、このプラ管フルートでなんとか吹けるようになった曲は、総銀フルートではラクラク吹ける事間違いなしです。

 見かけが安っぽいので、クラシックでは使いづらいかもしれませんが、ポピュラー音楽では、むしろ使いやすいかもしれないです。メンテナンスフリーですから、ゾンザイに扱えるのは、頼もしいですよ。

 ある意味、奏者を選ぶ楽器と言えます。お値段から受ける印象とかネーミングとは違って、普通の初心者の手には負えません。割と難しめの楽器だと思います。初心者の方は、素直にヤマハのスクールモデルを購入した方が幸せになれます。

 なのでこの楽器、万人に向かってお薦めはしませんが、ある程度吹ける人なら、お気楽な(おもちゃでなくて)楽器として十分使えると思いますよ。

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2019年2月14日 (木)

大きくなったら、ピアノの先生になりたいの!

 私が子供の頃は、そう言ってた女の子、たくさんいました。もちろんこれは“子供の言葉”なわけで、真に受けてどうするってレベルの話です。「お花屋さんになりたい」「ケーキ屋さんになりたい」と同じレベルの話で、お花屋さんになりたかった子やケーキ屋さんになりたかった子がお花屋さんにもケーキ屋さんにもなっていないように、ピアノの先生にもなっていない…ってだけの話です。

 ただ、お花屋さんもケーキ屋さんも、その子がならなかっただけで、なろうと思えばなれないわけじゃないし、今ではそれらの職業について日々頑張っていらっしゃる方も大勢います。どんな街でも、生花店はあるし、洋菓子店だってあります。

 翻って、ピアノの先生って、今どれくらいいるんだろ? 

 息子君にピアノを習わせようとした時に、ピアノの先生を探しましたが、すでにその段階で、ピアノの先生には年配者が多かったです。若いお嬢さんがピアノを教えている…というのは、大手楽器店の教室は別として、個人経営のピアノ教室には、ほぼほぼいませんでした。ウチの近所で、唯一いらっしゃったのは、ご両親の音楽教室(父親がバリトン歌手で、母が家庭婦人でピアノの先生)を継いだ姉妹くらいでした。

 つまり、ウチの近所じゃ、若いピアノの先生って、ほぼほぼいないんだよね。

 やがて年月が流れていくと、今現役で頑張っていらっしゃる年配のピアノの先生はリタイヤされるわけで、そうなると街ナカに個人のピアノの先生がほぼいなくなってしまうわけです。それでもピアノを学ばせたかったら、大手楽器店のピアノ教室に通えばいいわけだから、学ぶ側からすれば、さほど困らないと言えば困らないわけです。

 ただね、今度は逆に大手楽器店のピアノの先生に着目して考えてみると、所詮彼らは雇われ教師だし、そこの社員ってわけではなく、身分保障的にはかなり不安定と言えなくもないです。そのせいがあってかなくてか、私が見ている限りでは、大手楽器店の音楽教室における先生の定着率って、あまり良くないような気がします。

 ピアノって、学ぶのに時間がかかる楽器だと思うのですよ。だから、先生との関係も長期に渡るわけで、そうなると大手楽器店のお教室ではなく、個人経営のお教室で、先生とがっぷり四つに組んで学んでいかないと、習得が難しいと個人的には思うわけです。

 おそらく原因は少子化で、ピアノを学ぶ子供の数が減ったから、街のピアノの先生に若い人たちが参入できないだけで、こうなってしまったのだろうとは思います。大手楽器店の音楽教室ですら、子供を教えているだけでは経営が厳しいようで、積極的にオトナを教えているわけだしね。

 子供の習い事も、かつてはピアノってトップクラスにいたのだけれど、スイミングや英会話に抜かれて、ずいぶん月日が経ちました。つまり、街のピアノ教室という産業が、現在、かなりの斜陽産業であるってところなんでしょうね。しかしこのまま街のピアノ教室が減っていったら、ますます子供たちがピアノを学ばないようになるでしょう。

 実際、学校の合唱コンクールとか、昔はどのクラスにもピアノが弾ける子がいたものですが、今では誰もピアノが弾けないクラスも多く、無伴奏で合唱をするとか…、あるいは一部の学校では、カラオケ伴奏で合唱コンクールをしちゃうなんて話もチラホラ聞きます。ああ、そういう時代になってきたんだなあって思うのです。

 だからどうしたと言われても「いいえ別に…」としか私は答えないし、ピアノは弾けた方が人生色々と豊かに楽しくなるだろうけれど、弾けないからと言って困るわけじゃない。

 でもなんか、寂しいのですよ。

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2019年2月13日 (水)

メトのライブビューイングで「椿姫」を見てきました

 先日、メトのライブビューイングで新演出の「椿姫」を見てきました。

 演出が全く変わりました。「椿姫」の時代設定は、このオペラが作曲された当時…つまり、このオペラは現代劇なんです。なので、舞台化する際の時代設定としては、

1)オリジナルの時代設定である19世紀に設定する
2)現代劇である点を重視して、上演される時代(つまり、今)に設定する。

 の、だいたい2通りが考えられるのですが、今回の演出は、時代設定を18世紀に設定したのだそうです。つまり、通常の演出での時代設定とは逆ベクトルの、時代を思いっきり遡上した設定なのですが、これがいいんですよ。

 なぜ、18世紀の時代設定が良いのかと言えば、舞台が華やかで豪華になるからです。舞台って、原則的に、時代設定が、昔に遡れば遡るほど派手になり、逆に、現代に近づけば近づくほど、日常的になって地味になるものです。

 なので「椿姫」の時代設定が100年遡れば、それだけあれこれ派手になるんです。これ、大切です。だって「椿姫」って、パリの社交界のお話であって、なるべく豪華絢爛で夢々しい事が大切じゃないですか?

 時代が古めに設定されるとあれこれ派手になる…具体的に言うと、衣装が派手になります。装飾やら刺繍やらが派手派手になります。小道具も細かな細工の入った派手なモノになります。大道具(舞台装置)だって何やらゴテゴテと絢爛になります。良いでしょ?

 ただ、そうやって派手派手になると、お金がかかります。昨今のオペラハウスはどこも金欠だし、歌手たち(とりわけスター歌手たちの)ギャラは、本当に高いものです。なので、どこもなるべく経費をかけないようにオペラ上演をしたがります。まあ、その結果、オペラの舞台が現代に近づけられてきた(その方が経費が掛からないからね)わけです。

 例えば「椿姫」は3幕ものですが、場面としては4箇所あります。本来ならば、4つの大きくて豪華なセットが必要だし、それに合わせた舞台衣装も必要です。合唱が使われるので、合唱団のメンバーの衣装だって必要だし、衣装に合わせてカツラも必要だろうし、小道具だって…となるわけです。

 そこで、おそらく費用削減のためでしょうか? 今回の演出では、基本的な舞台セットは一つだけで、それらを多少アレンジすることで、4つの場面を表現しています。

 とは言え、基本的には一つの舞台セットですから、舞台中央にあるヴィオレッタのベッドは、最初っから最後まで、ずっと出っぱなしです。左奥にあるピアノも出っぱなしだし、右側にあるソファセットも出っぱなしなので、気になると言えばなります。

 そうやって舞台セットを一つにして、大道具にかかる費用を削減した分、衣装は凝っているようで、合唱団員まで含んで、皆さん、派手な衣装を着ていました。やっぱり、オペラはこうでないとね。少し前までメトで上演していた演出(デッカー版)だと、大道具も簡素だったし、衣装もヴィオレッタ以外は、黒の普段着っぽい衣装で、本当に地味な舞台でがっかりしたものです。

 まあ、昔々のゼッフィレッリが演出した派手派手な舞台には太刀打ちできませんが、今回の演出は、なかなか頑張っていて、私は大変気に入りました。

指揮 ヤニック・ネゼ=セガン
演出 マイケル・メイヤー

ヴィオレッタ ディアナ・ダムラウ(ソプラノ)
アルフレード ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ジョルジョ・ジェルモン クイン・ケルシー(バリトン)

 演出以外の話をすると、今回の公演が、メトの新音楽監督である、ヤニック・ネゼ=セガンの、初制作作品なんだそうです。

 ネゼ=セガンって、まだ42歳なんだそうです。若いね。ぜひ、メトに新しい風を吹き込んでほしいと思います。それにしても、ネゼ=セガンの指揮って、揺らすねえ…。これは好き嫌いが出るかも…私は好きだけれど、これをあざといと受け取る人もいるかもねえ…。

 歌手の皆さんは、頑張っていましたね。ヴィオレッタを演じていたダムラウは、歌はもちろん、演技も相当頑張っていました。ただ、1幕のアリアの最高音のEsは回避していました(残念)。それ以外は、ほぼ満足です。

 テノールのフローレスは…声が全然ヴェルディっぽくなくて、好き嫌いが分かれそうです。彼の声だと、アルフレードは情熱的な青年ではなく、偏執的な青年に感じられてしまうのですよ。フローレスがインタビューで「アルフレードは、いわゆるストーカーでしょ」と発言していますし、まあアルフレードには、確かにそういう部分もあるけれど、そこが強調されてしまうと、ちょっと違うかなって思うわけです。フローレスの甲高い声だと、アルフレードの、恋に狂った部分ばかりが強調されてしまうわけで、いわゆる従来よくある熱血漢で単細胞なアルフレードを求めている人には「???」な声だなって思いました。

 私の個人的な感想で言えば、フローレスは大好きなテノールだけれど、アルフレードは…無いなあって気がしました。まあ、好き嫌いの問題です。

 父ジェルモンは…普段よく聞く「椿姫」とは、あれこれ違っていたような気がします。おそらく、使用した楽譜が違うのかな? バリトンパートは、従来版とは、あれこれ違って聞こえたんですよ。もし、違う楽譜を使ったのなら、バリトンさん、ご苦労さまでした…って感じです。テノールも若干違っていたけれど、あれはたぶんアドリブだな(ぼそっ)。

 バレエは…ダンサーたちの化粧がグロかったけれど、バレエそのものはダイナミックで、好きだな。合唱はいつもながら、メトの合唱はすごいなあって思いましたよ。あと、ビックリしたのは、黙役だけれど、アルフレードの妹が舞台に登場した事。色々な「椿姫」を見たけれど、妹が登場する舞台は、これが初めてかもしれない(汗)。

 メトの演出は、一時はよその歌劇場と同じく、現代化の方向に走っていましたが、昨年あたりから、かつてのメトの演出同様、古典的な演出に戻りつつあるのは、私的にはうれしいです。やっぱりメトは、保守的で、初心者に優しい演出でお願いしたいです。濃いめのファン向けの尖った舞台は、ヨーロッパの歌劇場にまかせてくれた方がいいと、私は思うのでありました。

 ただの私のわがままなんだけれどネ。

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2019年2月12日 (火)

歌謡曲とJ-POPの違いについて、私が考えた事

 厳密な定義は、ヨソのページを見てください(笑)。ここでは、私の感覚的な話をしたいと思います。

 ざっくり言っちゃえば、歌謡曲とJ-POPの違いは、それが昭和の大衆音楽なのか、平成の大衆音楽なのか、と言った時代の違いではないかと思ってます。つまり“昭和歌謡”が“J-POP”に変容して別物になったと考えてます。

 じゃあ、昭和の歌謡曲が平成のJ-POPに変わった時に、何がどう変わったのかと言えば…歌詞が何を言っているのか、耳で聞いてわからなくなった…という点が大きく変わったと思います。

 昭和の歌謡曲は、演歌も含めて、リアルタイムに耳で聞いて理解できたものです。

 「歌を聞いても、何言っているのか全然分からない」という声が聞こえ始めたのは、サザンオールスターズからです。今でこそ、彼が何を歌っているのか、平成の我々は分かりますが、昭和のオジサンオバサンたちには、全く分かりませんでした。それは何故かと言えば、ヴォーカルの桑田佳祐が曲を歌う際に、わざと母音や子音を日本語のそれではなく、外国語っぽいモノに変えて歌っていたからです。つまり「外国語訛りの日本語(それもかなり“なんちゃって”です)」で歌っていたからです。

 実際、当時の若者の耳には、サザンの音楽は、歌詞の日本語訛りにしても、サウンド自体が既存の日本の音楽とは違って、まるで洋楽(ってかビートルズ)っぽい事もあって、ボーと聞いていると、まるで洋楽を聞いているような錯覚に陥ったものです。それも、本物の洋楽と違って、日本語で歌っているわけですから、ちゃんと聞けば、何を歌っているのか分かるのです。本物の洋楽を聞いて、何を歌っているのか分かる日本の若者なんて、当時はそんなにいなかった(今もいないか:笑)わけで、サザンの音楽は、歌謡曲ではなく“親しみやすい洋楽っぽい音楽”だったわけです。

 で、このサザンの音楽が大人気となり、フォロワーが多く生まれ、それらが普及し始めたのが、平成に入ってから…と私が理解しています。

 もちろん、J-POPの構成要素はサザンの“訛った日本語”だけでなく、YMOによる“電子音楽化”もあるし、小室哲哉による“大衆音楽の舞曲化”もあります。それらがゴチャ混ぜになって、今のJ-POPが出来上がったと、私は見ています。

 でも、私個人にとって、J-POPの大きな特徴は“ちょっと聞いただけでは、何を歌っているのか分からない事”なんです。逆に言えば、モー娘。や48グループの楽曲のように歌っている事がちゃんと聞こえちゃう音楽は、ある意味、昭和歌謡に先祖返りしちゃっているJ-POPなんだろうなあって思うわけです。つまり、アイドル歌謡はJ-POPの鬼っ子と言うか、隔世遺伝的で生まれた昭和歌謡の孫なのかもしれません。

 私はオジサンだし、昭和の人間なので、平成の音楽であるJ-POPは、ちょっと苦手です。それは別に、何を歌っているのか分からないからでもなく、コンピューターサウンドだからでもなく、もちろん踊れる音楽だから嫌ってわけでもないのです。じゃあ、J-POPのどこが気に入らないのかと言えば、同時代音楽であるため、玉石混交の石ばかりが目立つ点です。昭和歌謡にも駄作はいっぱいあったけれど、そんなものは時代の流れの中で消えてしまったわけで、今聞くことができる昭和の歌謡曲は、いずれも名曲ばかりですし、私の思い出の中の歌謡曲も、いずれも名曲だらけです。でも、今、街中を流れているJ-POPには、駄作も数多く、つまらない音楽ばかりが目立つからです。良い曲もあるのだろうけれど、悪貨は良貨を駆逐しているせいでしょうか、売れている曲は耳にできても、良い曲はなかなか耳にできない…と思ってます。

 ちなみに私が良い曲だと思う基準は…単純に“歌える曲”です。つまり美しいメロディとか、キャッチーなメロディを持っている曲です。そういう曲って、ほんと、少ないよね。

 別に音楽は、メロディーが無くても売れます。でも、メロディーが無いと、人々が歌い継ぎませんから、やがて時代の中で消費され、消えていってしまいます。J-POPは、昭和の歌謡曲と違って、最初から消費材として作られた音楽が多すぎて、どれだけ残っていくのでしょうか? 私個人にとっては、どうでもよい事ですが、知的な興味はあります。

 百年後の日本人に「平成の時代の音楽って言うと、どんな感じの音楽だと思っている?」と尋ねたい気分です。

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2019年2月11日 (月)

自分の腕前は、何によって知れば良いのだろうか?

 それなりの期間、勉強をしたり、習い事をしていると、自分の腕前がどれくらいになったのか知りたくなるのが人の常です。

 漢字の勉強をしたのなら、漢検という検定試験があるので、それを受ければ、ある程度の目安は分かります。英語なら、英検とかTOEFLとかがあります。他の分野であっても、本格的に知りたいと言うのならば、各種検定試験を受ければ、大抵の用が足ります。

 音楽の世界でも、ヤマハのグレード試験があるし、もっとお気楽に考えるならば、今、自分が学んでいる教則本の段階でも、ある程度の腕前は図れます。フルートならば、アルテやその他の教則本の何課を習っているとかで、だいたいの腕前は知れます。

 問題は、そういうモノが一切無い世界…例えば、アマチュア声楽の世界等では、自分の腕前って、何に寄って知れば良いのでしょうか?

 決まりきった教則本があるわけでもないし、人によって、学んでいる教材や課題曲も違うし、同じ曲でも、ある人にとっては、割と初歩の段階で歌えたとしても、別の人にとっては、かなり修練を重ねないと歌えなかったりもします。

 ほんと、人によって、全然違うのが声楽で、それを共通したモノサシで図ろうというのが、そもそも無理なのかもしれません。それでも大雑把になんとなく「こんな順番で学んでいく」というのがあるみたいですから、それが参考になるかもしれません。

 私自身がこの順番で学んでいるわけではありませんが、ネットを見ていると、多くの人が、こんな順番で声楽を学んでいるようです。

A) コールユーブンゲンを学ぶ
B) コンコーネ50番を学ぶ
C) イタリア古典歌曲を学ぶ
D) 日本歌曲を学ぶ
E) ドイツリートを学ぶ
F) オペラを学ぶ

 いやあ、大雑把でごめん。

 ちなみに、私はコールユーブンゲンを全く学んでいませんので、いきなりダメです。コンコーネも10番ぐらいまでしか歌ってませんので、ダメと言えばダメかな? そもそも、これらをきちんと学ぶ人は、大学受験の人じゃないかな? なので、受験生でもない私の場合は、これらをパスしちゃっているのも、仕方ないって事で許してチョンマゲ。

 なので、イタリア古典歌曲は、まあそこそこ学びました。日本歌曲はほとんど歌っていません。ドイツリートは…これから取り組みたいと思っているところです。オペラ…と言うか、アリアと重唱は、少し学びました(が歌えたとは言えないレベルです)。

 なので、私の歌のレベルは、現在はまだまだC段階で、もうちょっとすると、Dを飛ばして、Eになるかなってところだろうと思います。

 しかし、こんなので自分の腕前を格付けしたところで、他人との比較は…まあ無理だよね。そういう点では、声楽って、他人と比べて格付けするのって、やっぱりなかなか難しいのだと思います。そういう意味では、プロアマ含めて、声楽の場合は各種コンクールがそれなりの数、開催されていますので、それらを利用するというのも一つの手段なのかもしれません…が、コンクールも様々なので、それを以て歌の力量の尺度になりうるのかと言うと…ちょっぴり“?”かもしれません。

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2019年2月10日 (日)

バナナの皮で滑って転ぶ?

 バナナの皮で滑って転ぶ…という場面を見たことはありますでしょうか? 私は現実社会で見たことはありません…と言うよりも、現実社会で、バナナの皮が道路に落ちているのを見たことがありません。皆さんはいかがでしょうか?

 では、どこで見たのかというと、私の場合は…アニメかな? 昔は今と違って、アメリカ製のカートゥーン(子ども向けアニメ)が毎日のように放送されていました。それら、カートゥーンの中で見ていたと思います。たぶん『ポパイ』とか『トムとジェリー』とか、たぶんその手のアニメです。

 で、調べてみると、バナナの皮で滑って転ぶというネタは、これらのアニメが初出ではなく、元々はチャップリンが1915年に製作した『By The Sea/アルコール先生海水浴の巻』で使用したネタなんだそうです。当時、よほどウケたネタなんでしょうね、そこからオマージュやらパロディーやらで“バナナの皮で滑って転ぶ”というネタが世界的に普及していったようです。

 …ってか、道にバナナの皮、捨てるなよ!

 昨今、日本にも外国人観光客が増えてきました。その事自体は、喜ばしいことですが、外国人観光客が増える事で、色々な問題も発生しています。その中の一つに、彼らが平気でゴミのポイ捨てをするって事です。

 ゴミのポイ捨て…昔のオトナたちは、結構平気でしていましたね。私は、当時は、正義感あふれる子どもだったので、そういうオトナたちの姿を見て、イライラしていました。何しろ、当時のオトナのポイ捨てってのは、すごかったよ。なんでもかんでも、外に捨てていました。道はもちろん、空き地とか川とか山の中とか、もうそりゃあもう、到るところに捨ててました。中には、平気で他人の家にゴミを投げ捨てていた人もいたくらいです。

 「ゴミのポイ捨てはやめよう」 いつしかそんな事が言われるようになり「ゴミはゴミ箱へ」という教育がなされ、やがて、町中でゴミを捨てる人がいなくなりました。ようやく、道にゴミが落ちていない世の中がやってきました。

 そうやって、町中の美化運動がある程度の効果を達成したところで、今度は外国人たちによるゴミのポイ捨てが問題となってます。今後は、来日観光客相手に「ゴミはゴミ箱へ」というキャンペーンを行わないといけません。まあ、時間は掛かるだろうけれど、きっと実現できるだろうと私は信じてます(まあ、私が生きている間は無理だろうけれど)。

 バナナの皮で滑って転ぶ…ってのが、あまりにありえなくて笑えなくなる日が早くやって来ることを私は願ってます。

 蛇足 確かに町中へのゴミのポイ捨てはなくなったけれど、ちょっと人里離れた谷戸とか空き地とかに行くと、不法廃棄物がこれでもかってくらいに、あったりします。見える場所でのゴミのポイ捨てはなくなっても、見えない場所への不法廃棄物がまだまだ減りません。まだまだ日本人も、民度低いんだなあ…って思ってます。

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2019年2月 9日 (土)

ヤヨイの元気がないと、みんなが元気

 いつも元気なヤヨイですが、先日、たまたまでしょうか、ヤヨイに元気がありませんでした。水草の影の水底にベターと沈んで、じっとしていました。人間で言えば、風邪ひいて寝込んでいるような感じです。

 で、いつも水槽でブイブイ言わせているヤヨイが、そんな感じでおとなしかった日があったと思ってください。その日の他の子たちは…と言うと、みんな生き生きして、活発に楽しげに水槽中を泳ぎ回っていました。特にシズカはとても喜んでいるかのように見えるほどに、軽やかに泳いでいましたし、他の子たちも元気いっぱいに泳いでいました。

 ヤヨイが元気な時は、ヤヨイだけが活発に泳ぎ、他の子たちは水槽のすみで小さくなっているのが常だから、他の子たちは、日頃から、よほどヤヨイに抑圧されているんでしょうね。

 鬼の居ぬ間に洗濯…って感じでしょうか。良くも悪しくも、影響力有り過ぎなヤヨイでした。

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2019年2月 8日 (金)

フルートと聞くと、どんな音楽ジャンルを思い浮かべますか?

 すごく偏りのある集団ですが、私の身近な人々に上記の質問をぶつけてみました。

 結果は、圧倒的に“吹奏楽”で、残りはすべて“クラシック”でした。ちなみに、トランペットも吹奏楽でした。ギターはロックで、ヴァイオリンはクラシックで、ピアノは…「???」とか「ピアノはピアノじゃん」とかって感じでした。たぶん“ピアノ”という音楽ジャンルがあるみたいです。

 他の楽器はともかく、フルートって吹奏楽の楽器なんですね。私個人は、フルートってクラシック音楽の楽器だと思っていたので、実に意外でビックリしました。

 フルートは吹奏楽…まあ、そう言われてみれば、世間一般の人がフルートを見かけるのって、吹奏楽の演奏の時だろうし、身近でフルートを吹いている人を思い浮かべれば、吹奏楽をやっている人だろうし、楽器店でも吹奏楽の楽器の代表格であるサックスの隣に置いてあったりして、まあフルートって吹奏楽の楽器なんでしょうね。

 で、フルートが吹奏楽の楽器として見られるのは仕方がない…と言うか、そういう事実を私は受け入れないといけないなあと思いました。

 おそらく、普通の人にとって、オーケストラと比べると、吹奏楽って、ずっと身近な音楽で、だからフルートは“オーケストラの楽器”というイメージではなく“吹奏楽の楽器”というイメージなんでしょうね。

 でねでね、吹奏楽やらオーケストラやらはともかく、フルートと聞いて「ジャズの楽器だよね」と答えた人が皆無だったのが、私は無性に悲しいです。自分でも、フルートと聞けば、ジャズよりもクラシックの方がイメージが強くても、それでもジャズという答えがなかったのは、ほんとにほんと悲しいです。

 まあ、ジャズの世界じゃ、フルートって、原則的にサックス奏者の持ち替え楽器だからなあ…影薄いんだよね。かつて、私にフルートを教えてくださった笛先生も、今ではフルートよりもサックスの仕事の方が多いって言ってたしなあ…ジャズだと、やっぱりサックスであって、フルートじゃないんだよね。フルートの音って、ジャジーじゃないんだよなあ。

 さらにさらに悲しいのは「フルートってロックだよね」と答えた人も皆無だった事。おそらく、これは調査範囲を私の知り合いという枠を外して、日本国民全員に問うても「フルートはロック」という答えは得られないだろうなあって思います。まあ、私自身も「フルートと言えばクラシック」という人だし(ポリポリ)。

 でもね、ロックのフルートもかっこいいんだよ。

 ちなみに、最初の2分は、前の曲とのリンクで、曲が始まるのは、1:55あたりからです。ヴォーカル&フルートが、イアン・アンダーソンという、ロック系のフルーティストです。ちなみに、この曲を作詞作曲しているのは彼自身です。これを聞くと、ロックのフルートもかっこいいよねって、思いませんか? でも、彼のフルートの音って、吹奏楽やクラシックのフルートの音とは全然違います。歪んでいるし濁っているし…無論、いわゆるフルートっぽい音でも演奏するのだけれど、吹奏楽やクラシックよりも、かなり音色の幅が広そうです。実際、彼のフルートの音って、いわゆるフルートの音のイメージよりも、なんかサックスっぽい音なんだよね。

 で、フルートのメインの活動の場が、吹奏楽であったり、クラシックであったりするのは良しとしても、そのままのイメージのままでは、フルートの将来は現状維持がやっとで(吹奏楽はともかく)ファン数が激減しているクラシック音楽と一緒に共倒れになる可能性もないわけじゃないです。フルートがより多くの人々に愛されるためには、フルートを吹奏楽やクラシックだけでなく、ポピュラーやロックでも十分に活躍できる楽器であることを知らしめ、若い音楽プレイヤーたちがフルートを手にとってくれる事が大切なんだろうなあって思ってます。

 日本でも、どこぞのロックバンドでフルートを扱えば、あっという間にロック系フルートが流行ると思うんだけれどなあ…。なかなかいないよね。これだけ吹奏楽が発達し、若いフルート奏者もたくさんいるのに、なぜにロックにフルートが使われないのか…オジサンは勝手に悲しんでいます。

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2019年2月 7日 (木)

歌手に共通する性格ってあるのだろうか?

 クラコンの練習の時に、ピアニストさんと「歌手に共通する性格って、絶対にあるよね…」って話をしました。

 ここで言う“歌手”というのは、いわゆるソリストさんたちの事です、念の為。

 さて、歌手という人種は、基本的に目立つことが大好きです。目立ちたがり屋だし、人前に出るのが好きだし、何事も率先してやりますし、時にはやりすぎてしまう事もあります。結果として過剰であったりもするわけで、見る人が見れば“恥知らず”と思われてしまうこともあります。特に高声(ソプラノ&テノール)の人には顕著かな?

 また、仕切るの大好きという人も大勢います。よく言えばリーダーシップがあると言えますが、何事も思い通りにしたいという下心があるのかもしれません。

 独立に富むというか、群れないという傾向が強い人も多いです(逆に群れたがる人は合唱に行くんでしょうね)。基本的に“自分大好き”な人、多いですね。頑固で自分を曲げたがらないという困った性格も併せ持っている人も少なからずいます。

 おしゃべりな人が多く、コミュ障の人は少ないと思います。特に(成功している)プロの方は、社交的な人が多いと思われます。まあ、社交的でないと、仕事の依頼もないでしょうからね。

 でも豪気かと言えば…実は強そうに見えて、メンタルは弱めな人が多いかも。かっこよく言えば、繊細な人、多いです。その繊細さをカバーするために、自分で仕切ってみたり、カッコつけてみたりするのかな…なって思わないでもないです。

 声種的な違いで見ると、低い声の人ほど真人間度が高くなります。高い声の人になればなるほど、どこか性格的に破綻しています。ソプラノブスとかテノールバカという言葉は、そういう部分を持ち合わせていることを言い表しているのかもしれません。

 まあ、基本的に人それぞれですし、歌手も人それぞれですから、歌手の中にはよく出来た人や人格者も大勢いるでしょうが、そうでない人も多々います。それもいいじゃないですか…なんて私は考えます。

 で、こうして見ると、歌手の性格って、典型的な日本人の性格とは、大きく異なりますね。また、同じ歌と言うジャンルであっても、合唱の人たちとも、かなり違います。合唱の人は、基本、目立つのが苦手だし、すぐに群れるし、暗躍するし…。器楽の人は、程度の差こそあれ、練習好きの真面目人間が多いし、それが高じてコミュ障気味の人もいないでもないし…ね。

 こうして考えてみると、歌手の人の性格って…音楽家というよりも、演劇をやる人に通じる部分があるかもしれませんね。だから、多くの歌手はオペラを志向するわけだな(なんか納得)。

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2019年2月 6日 (水)

子どもの声域が狭くなっている

 この話は、随分前から児童研究者の間では言われていた事ですが、ここ10~20年という長期間に渡って、子どもたち…具体的には小学生あたりを念頭に置いていいと思います…の声域が狭くなっている傾向が見られるのだそうです。

 なので、学校現場では、昔の子たちが楽々と歌っていた歌を歌うのに苦労するようになり、教科書改定のたびに、少しずつ音域の狭い曲へと曲を入れ替えてきたのだそうです。

 かつては、低いドから高いミまでの10度音程の中で、子ども向けの歌は作られてきたそうですが、今の子たちは、高いミを出すことがなかなか困難だそうです。高いミどころか、その下のレとかも苦しいようで、昨今ではドからドの1オクターブの中で歌うのがせいぜいだとか…。

 もちろん、個人差もあるので、昔の子のように、高いミをラクラクと歌える子もいる一方、ソぐらいが限界で、ドからソの五度音程ぐらいしか歌えない子もいるそうです。

 なぜでしょうね?

 高い声が出なくなっても、低い音が出るようになれば、声域が全般的に下にズレてきた…つまり、子どもの声域が低くなってきたと言えますし、一時期は音楽教育界でも、そう認識されていたようですが、よくよく調べてみると、低い音の限界は変わらず、高い音の限界が、どんどん低くなっているのだそうです。

 確かに、今の子って、歌声もそうだろうけれど、話し声も低くなってませんか? かつては大勢いた、キンキン声で話す声って、めっきり減ったでしょ? 子どもなのに、ソフトで落ち着いた声で話す子が増えた…と私なんかは感じています。

 なぜ、そんな事になったのかは、研究者たちがアレコレ調べているわけで、まだ決定的な説は無いようです。環境ホルモンがどうのとか、食品添加物がどうのとか言う人もいるし、栄養事情が良くなって体格が大きくなったからだろうという人もいます。ほんと、分かりません。

 私はその中では、住宅事情が子どもの音域を狭くしたのではないかと疑っています。つまり、多くの人が人口密集地帯に住み、集合住宅に住み、隣近所に遠慮しつつ、物音をなるべく立てずに、物静かに暮らすようになり、その中で、子どもたちもいつしか物静かに暮らすようになってきて…発声器官が十分に訓練されずに、大きな声や高い声を出すのが苦手になってきた…のではないかと、にらんでいます。

 ま、私は研究者ではないので、それを確認する手立てがなく、言いっぱなしになってしまうのですが、そう思ってます。

 歌うのは筋肉運動です。普段からボールを投げていない子が、上手にボールを投げられないように、普段から大きな声を出さずに、歌うこともしないで育った子たちは、広い音域で歌うことがいつしか苦手になってきた…のではないかって思ってます。

 ま、原因はともかく、ほんと、子どもたちの声域が狭くなったのは事実で、教育現場では、それなりに苦労しているようです。

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2019年2月 5日 (火)

今日から復活です[2019年1月の落ち穂拾い]

 今日から復活です。1週間のお休みありがとうございました。

 とりあえず、インフルエンザ、なめちゃいけません。そんちょそこらの風邪とは違います。かかってみて分かったけど、確かにこれ、死人が出るよな…、脳みそ腫れるよな…。結構、危険な病気だと思いました。

 私は死にませんでしたし、脳みそも腫れませんでしたが、手足は燃えるように熱くなりました。感覚的には炎上しているような感覚です。手のひらから炎が出せそうな気分でした。まあ、気分だけですが…。

 医者とも相談して、私は服薬せずに自然治癒力で治しました。昨今は色々とインフルエンザの薬もありますが、私の場合、あれこれ持病もあるので、インフルエンザだから言って、特に服薬はせずに、自然治癒力任せにしました。まあ、おとなしくしていれば、インフルエンザは自然治癒力でも治るものですし、少し前まではみんな自然治癒力で治していたわけだし…。インフルエンザだからと言って、服薬を始めるようになったのは最近の話ですから、昔気質の私なぞは気合で治す事にしました。

 ただし、インフルエンザ脳炎だけは気をつけないといけない(気合でどうにかなる問題ではありません)ので、発熱が40度を越えるようなら、救急車を呼びましょうとは、お医者さんと約束しておりましたが、さすがに40度を越える発熱には至らなかったので、私の場合、ひたすら寝て、インフルエンザを治したわけです。まあ、結果オーライだったと思ってます。皆さんは、真似しちゃダメだよ。

 で、先月の落ち穂拾いですが、先月は、拾う落ち穂が全く無い! いやあ、困った困った、もはや笑うしかないです。パワー落ちてんなあ、私。

 パワー落ちている原因は、あれこれありますが、一番の原因は、日本ブログ村のランキングかな? あそこ、最近、完全リニューアルをしたのだけれど、その少し前の部分的リニューアルの頃から、私のブログのランキングがダダ下がりで、いやあ、モチベーション、下がる下がる。

 おそらく、ランキングの集計方法や計算方法が変わったんだろうと思うのだけれど、それにしても順位が下がりっぱなしです。いやあ、凹むなあ…。

 もっとも、ここ最近の順位は、1週間お休みしていたのだから、順位が下がっても仕方ないとは言え、昨年、一ヶ月お休みしていた頃よりも順位は落ちてます。いやあ、順位が落ちると、気分も落ち込むなあ。

 まあ、順位のためにブログを書いているわけではないので、今後も粛々と記事をアップしていきますが、それにしてもちょっと落ちすぎ…。インフルエンザのお見舞い代わりに、ドドンと順位のアップとかしてくれないかな…ブログ村さん。

今月のお気に入り トラネキサム酸

 先月の私は、骨折と喘息とノド痛の三重苦だったりしました。その上にインフルエンザにもなったわけで、泣きっ面に蜂な私でございました。ああ、またも、へこみ系の話題でごめんなさい。

 骨折の方は、徐々に回復に向かっています…ってか、骨折と言うのは、そもそも、自然治癒力に頼るしかないので、日々、少しずつ良くなっているのを実感しています。でも、まだまともに歩けない(涙)。

 喘息は…ああ、息苦しい。とにかく、歌えないし、笛吹けないし、何より動けない。お医者の言う事を守って、安静と投薬を続けるしかないわけで、たぶん、温かくなれば、多少は良くなるはずだと信じています。でもまあ、喘息でノドの粘膜が弱っているわけで、それがノド痛の原因だろうし、だからインフルにもなったんだろうと思ってます。

 で、トラネキサム酸(あるいは、トランサミン)です。最近、ノドが痛い時には、お医者に言って、この薬をいただいてます。私の場合、ひどくなってから服用する事が多いので、1日の摂取量が、750mgではあまり効きませんが、1500mgだと、割と効きます。とは言え、薬の分量は勝手に決められないので、そこはお医者さんと相談して、今回は何mgと決めています。

 本当は、薬にお気に入りがあるのはどうかなと思いますが、昨今は、ノドが痛くなると、すぐにお医者に行ってトラネキサム酸をもらうようにしています。ちなみに、トラネキサム酸には一般売薬もあって、ペラックT錠がこれに当たります。

 こちらは医者の処方箋いらずで入手できますが、保険が効かないので、その分割高(じゃないんだけれどね)になります。なので、私はなるべく、お医者に行って、トラネキサム酸を入手するようにしています。やはり、専門家の意見は聞いておいた方がいいしね。

今月の金魚

2019年1月6日 緋ドジョウ2匹、銀座の高級熱帯魚屋さんからやってくる。

今月のひとこと

 今年の冬は、今のところ、寒いんだけれど、それほど寒いわけではなく、かと言って、暖かい冬と言い切るには、やっぱり寒い冬です。でも、全国各地で雪不足?なんでしょ? 客観的に見ると、暖かい冬なんでしょうね。(2018年12月27日~2019年1月1日)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。(2019年1月1~7日)

 正月早々だけれど、なんかカラダの調子が今ひとつです。風邪ひいて正月寝込んでいた妻の風邪をもらったのかもしれません。仕事始めなのに困ったなあ…。(2019年1月7~9日)

 ミントチョコって、子供用歯磨き粉の味がする…。(2019年1月9~15日)

 毎年の話だけれど、どうして成人式となると、ごくごく一部だけれど、イキってしまって暴れてしまうオノコが出てしまうのだろうか? たぶん、あれがカッコいいと思っているのだろうけれど、暴れるオノコは極めて少数で誤差の範囲程度しか存在しないんだよね。もしかすると、マスコミがいちいち暴れるオノコたちを報道するから、それに乗じて暴れているんじゃないかと、オッサンは勘ぐってます。マスコミが暴れるオノコたちを無視すると、案外数年で収まるんじゃないかと思っていたりします。(2019年1月15~23日)

 AさんとBさんの間にトラブルがあったとします。で、Aさんは「トラブルは解決済み」と公言しているけれど、Bさんは「トラブルは何も解決していない。当方は全く納得していない」と言っている場合、客観的には両者の間にあるトラブルは何も解決されていない…という判断になるわけだね。それにしても、借りた金返さない人っているんだよね。一度もらったら、こっちのモノ、貸した方が悪いって発想は、私には分かりません。少なくとも、金銭授受の記録が残っている分だけでも返却すれば、大問題にならずに済んだのに…。(2019年1月23~24日)

 バンクシーっぽい絵が日本中で見つかっているけれど、まあ、ほぼほぼ偽物だよね。でも、マスコミが取り上げちゃったから、今後も愉快犯的に増え続けるんだろうね。おそらく最初は単なるファンアートだったのだろうけれど、今や話題になりたいだけの贋作でしかないよ。壁の落書きが本物だという鑑定が付くまで、報道に取り上げなきゃいいのに。(2019年1月24~26日)

 江ノ島のイルミネーションを見てきた。物量的にはまあまあだけれど、センスの良さが光ります。灯台丸々イルミってのは、なかなかすごいよ。人もそんなに多くないし、案外、お薦めかもしれません。(2019年1月26~28日)

 インフルエンザに罹患しました。つらいです(涙)。(2019年1月28日~2月4日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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