ひとこと

  •  暑い…暑すぎる。なのにまだ仕事服は春秋モノを着ています。だって、衣替え前だもの。通勤時は上着着用、汗だくです。もっとも、オフィスに入ってしまえば、冷房が効いていて、むしろ上着がないと寒いくらいなのですが…。世の中、ままなりません。
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2018年12月の記事

2018年12月31日 (月)

今年もお世話になりました[2018年を振り返って]

 大晦日でございます。例によって例のごとく、今年一年を私なりに総括していきたいと思います。

1)ブログを2週間ほど休んでしまった事

 なるべくブログは休まずに毎日アップしていこうと思っている私です。でも今年は、お正月に1週間、春に1週間の、計2週間ほどブログを休んでしまいました。いずれも忙しくて記事が書けなかったからです。ネタはあるのに、記事を書く時間がないというのは、結構つらいものがあります。

 ここ、2~3年、たまにブログを休むようになって分かった事は、ブログって、休むと読者が離れてしまうんだよね。で、一度離れた読者は、まあなかなか戻ってこない…んですね。なので、やはりブログって休まない事が大切だし、休む時は、必ず復帰予定日を明記することが大切かなって思ってます。

 まあ、ブログは自分のために書いているわけだし、読者の数の増減でオタオタするのは、本末転倒だし、世の中的にはブログなんて、もうオールドメディアの一つだし、ここでハラハラしても仕方ないのです。まあ、今後はなるべくお休みをしないように心がけるけれど、それでも休まなきゃいけない時は、思い切って休んでしまうと思ってます。でも、なるべく休まないようにしないと…ね(笑)。

 ほんと、毎日ブログを書き続けるって、まあ、楽じゃないよ。

2)足の骨を折りました

 骨折って、人生初めての出来事でした。もっとも、そんなに大した怪我じゃなくて、右足のクルブシの部分を折ったというか欠けたというか、まあそんな感じ。痛いし、腫れたし、歩行に不便はあったけれど、さほど辛くはありませんでした。なにしろ、折って2週間、骨折していた事に気づかずに暮らしていましたもの(笑)。よほど、肉離れの時の方が辛かったです。

 でもまだ痛いのよ。

3)四国に行った

 今年の一大事(笑)は、やはり四国旅行かな? ブログの記事にも書きましたよね。

実は四国に行ってました その1 蒲田に前泊っす

実は四国に行ってました その2 飛行機はいいけど、バスは無理

実は四国に行ってました その3 初日の観光は、こんなもん

実は四国に行ってました その4 やっぱり魚類が好きなんだな

実は四国に行ってました その5 今回のメインイベントは、観光ではなく帰り道だったのです。

 いやあ、四国楽しかったっす。本当は、今年は妻と二人でお伊勢様へお参りに行こうと思っていたのだけれど、この少し前に四国が集中豪雨で大変な被害にあわれたので、少しでもお金を四国に落としましょうってんで、お伊勢様をやめて四国にしたんだよね。ま、そのおかげで、ちょっと大変な事にもなったのだけれど、それも含めて楽しい旅行でした。

 残念だったのは、桂浜まで行ったのに、時間の都合で桂浜水族館に立ち寄れなかった事かな? ここの水族館には、他所ではあまり見かけないアカメがいるんだよね。たぶん、もう二度と桂浜には行かないだろうし、アカメも見られないと思うと、残念無念な私なのでした。アカメを知らない人はググってみてね。やたらと大きなお魚なんだよ。

4)自衛隊音楽まつりに行った

 生まれて初めて、自衛隊音楽まつりに行ってきました。いやあすごかった。

世界最高クラスの吹奏楽のコンサートを聞いてきた

 私の吹奏楽観&音楽観をガラッと変えてしまったコンサートでした。すごいすごい、自衛隊すごい。次は自衛隊の演習を見てみたいと思ってしまった私でした。

5)金魚の入れ替わりについて

 今年の金魚の入れ替わりと言えば、今年の始めの頃にいたのが、次の五匹でした。

 ヤヨイ、シズカ、アセビ、ベル、ウルシ

 1月にルデンがやってきて6匹体制になり、8月にウルシが星になって、再び5匹体制になって、落ち着いています。

 三色琉金のヤヨイは2015年3月からいますので、そろそろ我が家にやってきて4年になります。いつも元気いっぱいですし、体型も整っているし、実に美しい子です。欠点は…性格が極端に悪いぐらいで、性格の悪さは外見に現れないので、実に美しい子です(笑)。

 素赤琉金のシズカは、2015年9月からいますので、3年半になります。顔がヘチャむくれているのと、右下尾びれがちぎれて無くなっているのと、左胸に大きなキズ痕(たぶんヤヨイにやられた)があって、外見的には大きなハンデを負っていますが、背中の盛り上がりといい、見事なティアドロップ形の体型と言い、美しい背びれ&胸びれと言い、怪我さえなければ図鑑に掲載されるレベルの子なんですが、まあ、そういう残念なところも含めてシズカですから仕方ありません。

 更紗琉金のアセビは、今が一番チャーミングかもしれません。2016年8月からいますので、2年ちょっとですが、あまり大きくならず、長いヒレ(体長比ならばウチの子の中で、一番長いんですよ)をいつでもユラユラさせて、本当に可愛い子に育ちました。

 丹頂のベルは、鬼瓦のような顔に育ってしまいました。ウチに来た時は、すごく可愛らしかったのでベルと名付けてあげたのに、すっかりブスになりました(残念)。で、そのベルはアセビのすぐ後の2016年9月にやってきてますが、アセビが元気いっぱいなのに対して、最近のベルはあまり元気がありません。直立している事もあるし、少し前には転覆もしていました。今一番、体調不良なのはベルなのかもしれません。

 出来損ないランチュウであるルデンは、今年2018年の1月にやってきたので、ようやく1年が経つところです。ウチに来た時は、まだ黒子と呼ばれる稚魚だったにも関わらず、今ではシズカとそんなに大きさが変わらないほどにまで成長しました。まだまだ、若さと成長力に満ち溢れた子です。いわゆる、絵に描いたような駄金ですが、本魚はそれを意に介せずに元気いっぱいに暮らしています。

 その他と言うと、真ドジョウが1匹いるだけです。今年やってきた3匹のうちの1匹ですが、当時は名前も付けたのに、今ではすっかり「ドジョウ」としか呼ばれなくなりました。この子の名前、なんだっけ?

 あとはタニシと石巻貝がいるくらいです。

 ドジョウを増やさないと…いけませんが、どこかに適度な大きさの緋ドジョウはいないかしら?

6)今年も幸せな私でした

 とまあ、私の2018年って、こんな感じでした。今年の私は、地味に人生を生きてきていますね。

 プログに書きませんでしたが、今年は仕事がきつかったなあ…。あれこれやったし、たくさんの事がありました。おかげさまで、身体がボロボロになってしまい、この年末は、遊ぶよりも先に、身体のメンテを優先して行っています。病気もしたし、怪我もしたし、身体中があっちこっち痛いし…ああ、年をとるって大変だなあ。

 それでもフルート合宿には行ったし、声楽の発表会もあり、クラシックコンサートにも出場したし、趣味の方は例年通り、ぼちぼち楽しませてもらいました。それだけで、もう十分って気もしますよ。

 さて、来年はどんな年になるのかな? 来年の大晦日も、こんな感じで愚痴りながら、総括の記事をアップできるといいなあ。

 そんなわけで、来年もよろしくお願いします。

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2018年12月30日 (日)

今年[2018年]見たDVD

 昨日は、今年購入したCDについて記事を書きましたが、今日はDVDです。ここ数年、毎月1枚ずつオペラのDVDを買おうとしていた私ですが、今年に入り、それに気が失せ(最近はDVDではなく漫画を買ってます)、DVDの購入枚数も自然と減ってきた私です。

 例によって、記録を取り始めた2016年からの枚数を書いておきます。

2016年が37枚
2017年が36枚

 で、今年ですが、なんと、たったの12枚。独立した記事にするのもどうかと思われるほどになってしまいました。ま、その分、漫画をたくさん買っているんだろうなあって思ってます。たぶん200冊以上(笑)、いい年したオトナなのに(笑)。

 ま、そんなこんなですが、今年のDVDの購入ラインナップは、こんな感じになりました。

【オペラ系】

1)フッテンロッハー「モンテヴェルディ作曲:歌劇『オルフェオ』」

2)ジェラルド・フィンレイ「ロッシーニ作曲:歌劇『ウィリアム・テル』」

3)ジークフリート・イェルザレム「ワーグナー作曲:歌劇『パルジファル』」

4)ジョン・ヴィッカーズ「サン=サーンス作曲:歌劇『サムソンとデリラ』」

5)モンセラート・カバリエ「チレア作曲:歌劇『アドリアーナ・ルクヴルール』」

6)シー・イージェ「ロッシーニ作曲:歌劇『オリー伯爵』」

7)ミーシャ・ディディク「チャイコフスキー作曲:歌劇『スペードの女王』」

8)ピョートル・ベチャワ「レハール作曲:喜歌劇『微笑みの国』」

 毎月1枚ずつ購入していれば、それだけでここが12枚になったはずですが、8枚きりというのが、オペラDVD購入熱が冷めた事を表しています。まだまだ欲しいオペラはあるのだけれど、来年以降はどうしましょうか?

【その他】

9)マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」

10)青薔薇海賊団「早春の大町公演 2018」

11)ミンコフスキー指揮「モーツァルト作曲:カンタータ『悔悟するダヴィデ』」

12)ルチアーノ・パヴァロッティ「パヴァロッティ・クラシック・デュエッツ」

 10)はCDの時に書きました、青薔薇海賊団のモノです。コンサート会場での物販で、2つまとめて購入すると割引になるので、ついつい2つとも買っちゃいましたというパターンです。ま、これもアーチストへのお布施って奴です。

 11)のカンタータは教会ではなく、馬場での演奏で、全編通して、騎馬が見られます。演奏も良いのですが、賢いお馬さんを見るためのDVDとも言えます。なので、カンタータ?って感じになってます。演奏者の姿は歌手も合唱もクローズアップされません。お馬好きにはいいっすよ。

 今年のDVD購入はこんな感じでした。物欲が薄くなったというよりも、別の方面に向かっただけってのが、ちょっと残念です。ああ、それにしても、アマゾンが憎い…。

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2018年12月29日 (土)

今年[2018年]聞いたCD

 毎年アップしているこの記事。今年もアップしちゃいます。

 さて、きちんと記録を取り始めた2010年からの購入CD枚数を上げてみると…

2010年が120枚。
2011年が70枚。
2012年が85枚。
2013年が41枚。
2014年が66枚。
2015年が26枚。
2016年が27枚。
2017年が16枚。

 いやあ、順調に購入枚数が減ってきてますね。善き哉善き哉。

 で、今年の購入枚数は…と言うと、実は32枚です。ダメじゃん、一昨年レベルにまで戻っちゃったよ(涙)。世の中は配信がメインで、妻なんか音楽は専ら、YouTubeとSpotifyなのに、私は未だにCDを購入して、iTunesでデジタル化して、iPhoneに入れて聞いてます。カセットテープがHDDに変わっただけで、やっている事は、ウォークマン時代とほぼ変わりません。いやあ、人間って、なかなか変われないものですね(てへぺろ)。

 というわけで、今年の購入CDを記録のために、書き記しておきます。今年は、ジャンルの偏重も甚だしいよ(笑)。

【シューベルト歌曲】

1)福井敬「シューベルト作曲・松本隆訳詞:美しき水車小屋の娘」

2)イアン・ボストリッジ「シューベルト作曲:美しき水車小屋の娘」

3)ペーター・シュライヤー「シューベルト作曲:美しき水車小屋の娘」

4)ペーター・シュライヤー「シューベルト作曲:冬の旅」

5)ペーター・シュライヤー「シューベルト作曲:白鳥の歌」

 勉強のために「美しき水車小屋の娘」を3枚買いました。ペーター・シュライヤーに関しては(ついでに)他の2つの歌曲集も買っちゃった次第です。実は「美しき水車小屋の娘」に関しては、他にも、テノール歌手が歌っている盤は、ヘフリガー、ウンダーリヒ、カウフマンも持っていたりします。あまり聞きませんが、バリトン歌手のモノも数枚あります。これらの音源を取っ替え引っ替えに聞いて、レコ勉をするわけです。

【その他ドイツ系歌曲】

6)ディードリッヒ・フィッシャー=ディースカウ「ハイドン歌曲集」

7)ディードリッヒ・フィッシャー=ディースカウ「モーツァルト歌曲集」

8)エリーザベト・シュヴァルツコップ「モーツァルト歌曲集」

9)ディードリッヒ・フィッシャー=ディースカウ「リスト歌曲集」

10)ペーター・シュライヤー「ブラームス歌曲集」

11)ペーター・シュライヤー「ブラームス作曲:美しいマゲローネ」

12)イアン・ボストリッジ「シューマン作曲:リーダークライス&詩人の恋」

13)ペーター・ザイフェルト「クララ&ロベルト・シューマン 歌曲と二重唱」

14)ディードリッヒ・フィッシャー=ディースカウ「シューマン二重唱集」

15)ディードリッヒ・フィッシャー=ディースカウ「R・シュトラウス歌曲集」

16)ペーター・シュライヤー「R・シュトラウス作曲:商人の鑑」

17)マティアス・ゲルネ「アイスラー作曲:ハリウッド・ソングブック」

 こちらも、楽しみと言うより勉強のために買いました。ドイツ系の歌曲が多いのは、今後はそっちの方面の歌曲にも手を出そうかなって思っているわけです。こちらの方は、具体的な目的があるわけではなく、むしろ、曲探し?のためですね。何か私が歌うのに良い曲は無いかしら?って感じで聞いてます。モーツァルトの歌曲とか、シューマンの二重唱などはモロにそんな感じです。で、近いウチに、これらの中の曲をどこかでご披露させていただく機会があるかもしれないし、無いかもしれません(笑)。

【その他歌曲】

18)辻裕久&五月女智恵「ベッリーニ歌曲集」

19)チェリル・スチューダー「バーバー歌曲集」

20)ルイジ・アルヴァ「トスティ歌曲集」

21)ピーター・ピアーズ「ブリテン歌曲集」

 こちらも勉強のためですが、特にバーバーとブリテンは英語詩ですから、積極的に聞いて曲探しをしています。

【オペラアリア等】

22)ジョン・ディッキー「モーツァルト テノールアリア集」

23)ペーター・シュライヤー「モーツァルト アリア集」

24)ロベルト・アラーニャ&アレクサンドラ・カルザック「プッチーニ・イン・ラヴ」

25)ロベルト・アラーニャ&アンジェラ・ゲオルギュー「愛のデュエット集」

26)ロベルト・アラーニャ&アンジェラ・ゲオルギュー「ヴェルディ:愛のデュエット集2」

 モーツァルトのテノールアリアは、いずれ腰を据えて学ばないといけません(ふう…)。ソプラノとテノールの二重唱という事で、アラーニャのアルバムを3枚購入しましたが、24)は今の奥様とのデュエット集で、25)と26)は前の奥様とのデュエット集です。お盛んです。

【その他クラシック系オムニバス】

27)青薔薇海賊団「早春の大町公演 2018」

28)五郎部俊朗「サンタ・ルチア~カンツォーネ集~」

 ちなみに27)の青薔薇海賊団は、同名のDVDも購入しちゃいました。青薔薇海賊団と言うのは、クラシック系のグループで、井ノ上了吏(テノール)・上原正敏(テノール)・片寄純也(テノール)・川口静華(ヴァイオリン)・荒 庸子(チェロ)・北村晶子(ピアノ)という6名がメンバーです。つまり、三大テノールっぽいノリでコンサートをする和製バンドってわけです。結構日本中でコンサート(ってか営業)をしているようです。だいたい、東京近郊では年2回ぐらいのペースでやってますので、なるべく見に行くようにしています。面白いよ。

【ポピュラー系】

29)ゴダイゴ「きみはミラクル!」

30)ポール・マッカートニー「エジプト・ステーション」

31)ビートルズ「ザ・ビートルズ&イーシャー・デモ」

32)サザン・オールスターズ「海のOh, Yeah!!」

 たぶん、マッカートニーの「エジプト・ステーション」は彼の最後の作品になるんじゃないかしら? 音楽的にもだいぶ枯れてしまったし…良いんだけれど、なんか寂しいです。ビートルズの「イーシャ・デモ」はマニア向けですが、なかなか良いです。

 毎年書いてますが、CDも置き場に困ってます。なるべく購入しないようにしています。なので、どうしても購入しているのは、勉強用ばかりです。それでも32枚か…。気持ちとしては、音楽は配信に切り替えようと思っているのだけれど…なんか配信って、手元にブツが残らないので寂しくて、ついついCDをボチっちゃうんだよなあ。ああ、私ってオッサンだなあ。書籍はとうの昔に電子書籍オンリーにしたのに、音楽はなかなかそうもいかないです。

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2018年12月28日 (金)

暇をむさぼるのに忙しい日々とになりました[2018年12月の落ち穂拾い]

 ようやっと2018年が終わりそうです。年末なので、少し早いですが、落ち穂拾いとします。

 この年末に忙しく働いていらっしゃる皆様、ご苦労さまです。私は一足先に冬休みに入りました。この冬休みは、足の骨を折ったこともあり、ひたすら体調を整える事に費やしています。

 とにかく寝る、早寝で寝坊を心がけています。毎日、眠れなくなるまで寝ています。で、起きたら、ブログをちょこっとやり、テレビを見て、後は…病院へ行ったり、マッサージに行ったり、たまにポケGOをしたりという、ゆったりとした生活をしています。

 疲れなんて、若い時は一晩で回復したのに、今や積極的に疲労回復に邁進しないと、いつまでも澱のように疲れが残ってしまうのですよ(涙)。ああ、悲しい。というわけで、ダラダラとした冬休みに突入した私でございます。

自称と他称

 福音派とファンダメンタリズムの違いですが…私個人は、この2つは、ほぼ一緒だと思ってます。言葉の違いとしては、自分たちが名乗る時は「福音派」であって、その福音派の人々を他派の人が揶揄する時に「ファンダメンタリズム」という言葉を使っているような気がします。つまり、ファンダメンタリズムには、一種の侮蔑感が伴っている…というのが私の感覚ですが、これが正しいかどうかの保証は全くありません(違っていたら、ごめんね)。

 ちなみに、ファンダメンタリズムではなくても、原理主義者とか、聖書鵜呑み派と呼んでも、侮蔑感をバリバリに感じます。

 なので、アメリカ大統領のトランプ氏は、福音派の支持を受けている大統領なわけですが、彼に敵対する勢力は、彼の事をファンダメンタリストって呼ぶわけで、彼の支持母体をどう呼ぶかで、反対勢力なのかどうなのかが分かるわけで、それはそれで面白いなあと思いました。

フルートは高すぎる?

 物の値段は需要と供給で決まるので、確かに今のフルートの値段は、色々考えてみると、特に一般庶民の金銭感覚的に考えてみると、とても高いのだけれど、それで現実的に売れてしまっている以上、この値段が現代のフルートの適正価格なんだろうと思います。

 でも、昔のフルートが安かった時代の話を聞くたびに、今のフルートの値段は高すぎると思うし、私にもゴールドフルートに対する憧れはありますが、その気持ちは、まんまとメーカーサイドの戦略に乗ってしまっている事になるんだろうなあって思います。

 フルートは楽器であって、生活必需品ではなく(あえて言えば)嗜好品なので、いくら高くても良いわけだし、高価格であっても、それで市場が機能している以上、安値で販売する必要はないのですが、良い品をもっと廉価で販売してくれたら、個人的にはうれしいのだけれどなあ…って思うわけです。

考えてみれば曲の構造って…

 考えてみれば、フルートに限らず、音楽って、スケールかアルペジオのどちらかのパターンを、それなりに組み合わせて作られていますよね。音階とかアルペジオは、さすがの私でも指で覚えていますし、音楽の進行も、和音進行のパターンってのがあって、それに沿って、スケールやらアルペジオやらの組み合わせで音楽が出来ていて、その延長で曲を覚えると…指で覚える…という感覚になっていくのかもしれません。

 音楽のあるある定番を指グセとして覚えてしまう…というのが、指で音楽を覚えるという事ならば、私、なんとなく、分かったような気がします(錯覚かもしれませんが)。

あなたが感じる年末の曲って何ですか?

 一般の方は、山下達郎の「クリスマスイブ」とか、マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス/All I Want for Christmas Is You」でしょうし、クラヲタの皆さんなら、ベートーヴェンの第九でしょうね。

 で、私もクラヲタの端くれですが「第九はちょっと…」と思っている人です。と言うのも、第九って、11月頃から耳にし始めるわけで、肝心の年末の頃はすでに食傷気味になってまして、改めて年末の曲として聞くと、聞き過ぎて、ゲップが出そうな気がするんです。

 そんな私が最も年末を感じる曲と言うと、ヘンデルの「メサイア」かな? この曲は、本当の年末のクリスマス前後じゃないと生では聞けないので、この曲の、特に序曲の部分を聞くと「ああ、今年も年末だな」って感じるわけです。

 ちなみにヨーロッパの方では、年末と言うと、喜歌劇「こうもり」なんだそうですね(ホントかな?)。

今月のお気に入り 日本語訳の「美しき水車小屋の娘」

 ドイツリートは歌詞が大切だと言います。言葉の一つ一つが大切で、ドイツ語が分からないとドイツリートは歌えないとまで言い切る人もいます(じゃあ、私は永遠に無理だな:笑)。

 まあ、私はドイツリートに関しては全然知らないので、その言葉を否定することもできませんが、いくら歌い手が流暢なドイツ語で歌っても、観客サイドが日本人ならば、それも通じないわけで、観客的には、流暢なドイツ語であっても、訛りだらけの下手くそのドイツ語やカタカナドイツ語であっても、全然変わらないわけだったりします。

 なので、ドイツリートドイツリートと言っている人の言葉を聞くたびに、ドイツリートって、ドイツ人以外には理解できない/楽しめない、極めてローカルな音楽なんだなあと、私は思うようにしています。

 それはさておき、言葉が大切なドイツリートであるならば、観客が日本人なら、ドイツ語ではなく日本語で歌うのもありだし、歌詞の内容を重視するなら、むしろそうするべきだろうなあと、私は考えました。で、勉強も兼ねて、日本語訳の「美しき水車小屋」を聞いてみたわけです。

 感想。いいじゃん、これ。日本語訳だと、何を歌っているのかよく分かる。

 だけど、中身が分かっちゃって、すごく残念な気分にもなりました。だってこの曲、もう少し、高尚な内容を歌っているのかと思ったら、全然違っていて、小心者のドーテイ野郎が、女に振られたくらいで自殺しちゃうという、なんとも情けない内容の詩なんですよ。はあ~って感じです。

 歌詞の内容は、歌謡曲や演歌でもありそうな内容で、あまりに俗っぽくってビックリしました。天下のドイツリートと言えども、歌詞の内容的には、脳天気なイタリアの曲と、大差ないじゃん。これなら、日本歌曲の方が、全然高尚だし、芸術っぽいと思うよ。

 でもね、歌詞の内容はアレだけど、音楽そのものは良いと思うし、シューベルトって凄えなあって思います。

 それに詩って内容じゃないんだよね。その内容よりも響きの方が大切だったりするから、日本語に訳しちゃダメで、ドイツ語のままでないとダメなのかもしれない。で、ドイツ語の響きをシューベルトの音楽に載せて楽しむ。もちろん、意味は横において、ただただ言葉の響きと音楽を楽しむ…これがドイツリートだと言うなら、そういうものなのだろうなあと私は納得します。ならば、観客にはドイツ語理解能力は不要だし、歌う側は訛りのない美しいドイツ語で歌わないといけません。

 つまり、ドイツリートドイツリートと言う人たちの言わんとする事は、そういう事なのかなと理解しました。

今月の金魚

2018年12月4日(火) タニシが150匹もやってきました。

今月のひとこと

 足の骨が折れたと言った途端に、急に回りの人々が優しくなりました。(推定)捻挫と(結果)骨折では、こんなに人々の態度が変わるものかと思いました。捻挫は怪我のうちに入らないけれど、骨折は重傷だ…という認識なんでしょうね。ま、私もそれに近い認識ですが(笑)。(2018年11月29日~12月6日)

 雨の日のバス通勤のちょっと嫌な事。バスの床が雨のしずくで濡れていて、すべりやすい事。ずぶ濡れのレインコートを着た幼児が遠慮なくカラダを押し付けてくる事。濡れた傘を私の長靴の中に差し込んでくる事(信じられない!)。(2018年12月6~12日)

 急に寒くなりましたね。気候の変化に体調が追いつかず、風邪をひいてしまいました。ああ、ノドが痛い(涙)。(2018年12月12~22日)

 身体がガタガタです(涙)。腰は痛いし、足は痛いし、脇腹も痛いし、肩も痛いし、頭も痛いし、目もかすむ。胃袋はなんか気持ち悪いし、お通じの様子もなんか変。どうやら、疲れが溜まっているみたいです。今年の冬休みは、身体のメンテに全力をあげて取り組まないとダメみたいです(2018年12月22~27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2018年12月27日 (木)

水抜き…って、よく分かりません(曜日は違いますが、フルートのレッスンの話です)

 フルートのレッスンに行ってきました。今年最後のレッスンで、きっちりとレッスン納めをして参りました。

 とは言え、やることはいつもといっしょ(笑)。まずはロングトーン練習をやり、そしていつもの曲々をやったわけです。

 エルステユーブンゲンの25番と26番はだいぶ吹けるようになりましたが、全然暗譜できてません。と言うのも、年末ですからね。やっぱりお仕事が忙しくて、例によって、ほとんど練習せずにレッスンに行ってるので、そりゃあ暗譜までは手が回りません。先生からは「だいぶ吹けるようになったから、次は暗譜よろしくね」と言われちゃいました。いやあ…(汗)。

 旋律的練習曲は1番でしたが、不合格でした。エルステユーブンゲンの時から自覚していたのですが、目がショボショボして楽譜を読み間違えるんですよ。シとレの区別がつかないなんて当たり前で、なんかもうよく楽譜が見えないのです。楽譜さえちゃんと見えていたら、かなりいい出来ではなかったかな…と思ってしまうくらいに、楽譜の読み間違いでショボショボでした。

 先生に「どうしたら、目がショボショボせずに楽譜が読めますかね?」と尋ねたところ「まあ、無理だね」との事です。先生も目がショボショボする事では悩まれていらっしゃるようで「目さえ、ちゃんとしていたら、どんな曲だって吹けるんだけれどなあ」と愚痴られていました。

 老人は、目が弱点だな。若い時には、こんな悩みなんて無かったよ。

 40リトルピーセズは20番のモーツァルトのメヌエットでしたが、こちらは合格しました。エチュードと違って、曲集の曲はメロディアスなので、ワタシ的には得意…なのかもしれません。メロディアスなメロディーは次が読める?んでしょうね。次の21番はシューベルトの『田舎の舞曲』です。頑張ろうっと。

 今回の雑談は…寒冷地での水抜き作業について。私は湘南地方に住んでいるので“水抜き作業”とは全く無縁な生活をしていますので、そのあたり、ピンと来ないんですよね。で、私同様に、水抜き作業にピンと来ない人のために説明すると、水抜き作業とは、水道管の水を抜く作業の事なんですね。

 WHY?…ですよね。もう少し丁寧に説明すると、共同部分の水道管は別として、そこから自宅部分に水道管を引いているじゃないですか? そこって、自分の家でしか使用していないわけで、自宅で誰も水を使っていないと、その部分の水道管の水って、全く動かないわけじゃないですか? 水道管の中の水が全く動いていない状態の時に、とても気温が下がってしまったら…水道管の中の水が凍ってしまうわけで、水って凍ると体積が増えるって知ってましたか? つまり、寒冷地で長時間水を使っていないと、水道管の中の水が凍って、水道管を破裂させてしまう…ってわけで、それを防ぐために、長期間、水を使わない時には、水道管から水を抜いて、水道管の中をカラにしてしまう事を、水抜き作業と言うのだそうです。

 ちなみに、この場合の長期間とは、一晩で十分長期間なんだそうです。うはー!

 で、なんでそんな話になったのかと言うと、H先生の別荘が、いわゆる寒冷地にあって、そろそろ夜は零下になるそうなので、水道管の破裂をふせぐために、別荘の水抜き作業と、必要な箇所(色々教えてくれましたが、結局、私には分かりませんでした)には不凍液を入れてきたんだそうです。で、もう冬の間は別荘には行けないなあ…という話をしてくださったのでした。

 水道管が凍る…のか。別荘なら、必要な処置をして行かなければいいだけの話だけれど、日々暮らしている土地が寒冷地で、毎日水抜きをしなければいけないのだとしたら…これって、案外、地味に大変かもしれない…と思いました。

 H先生の話って、自宅部分の水道管に限っていたけれど、共同部分の水道管って…凍らないのかしら? その水道管の先につながる集落が深夜の数時間、誰も水を使わなかったら、共同の水道管だって凍っちゃうんじゃないの? 私は寒冷地で暮らした経験がないから、全然分からないのだけれど、ふと、そんな事を考えちゃいました。

 水が出なかったら…死活問題じゃん。

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2018年12月26日 (水)

アゴを大切にしましょう

 これは私の話ではありません。私の知り合いの話なんです。この方を仮にAさんと呼びます。

 で、そのAさんが、ある日、アゴが痛いというではなりませんか? どんな具合に痛いのかと尋ねたところ、クチを少し大きめに開くと痛いというのです。で、その大きめというのは、どれくらいかと尋ねたら、大きめのぶどう(巨峰とかああいう感じのぶどうね)の一粒は、もう痛くてクチに入らない…って話です。

 なので、クチを閉じていれば痛くないし、会話も普通に出来るんだそうです。ただ、歌う事と食べる事に、痛みを感じるそうです。歌は…痛い間はパスしていけば良いのだけれど、食べるのが痛いのは辛いですね。食べないわけにはいきませんからね。

 なんで、そうなったのかと尋ねたら、原因は特に無いんだそうです。ただ、少し前から、アゴの左関節が動かす度にゴリゴリって感じになっていたのだそうです。で、ちょっと違和感を感じていたのだそうだけれど、あれがきっと前兆だったのだろうと言ってました。

 私、クチを大きく開け閉めすると、右側のアゴ関節がカックンカックン音を立てるよ。私もヤバイのかな?

 アゴが痛くて閉口しているのだけれど、一体、医者はどこに行ったら良いのか…それで悩んでいるそうです。

 アゴだから…歯医者かな?と考えているそうです。まあ、確かにアゴは歯医者の管轄かもしれないけれど、口腔外科の方がいいんじゃない?ってアドヴァイスしました(合っているよね?)。歯医者ほどではないけれど、地元にも口腔外科は数軒ありますので、そういう病院を尋ねるか、いっそ最初っから大きめの病院の外科に行って相談して、そこから専門科で見てもらうという手もあるよねって話をしました。

 あと、耳鼻科でも咽喉を見てくれる耳鼻科なら、アゴも見てもらえる…よね。

 いやあ、アゴは他人ごとではないですから、心配です。私もアゴは大切しないとね。アゴを痛くすると、歌えないし、食べられないし…それじゃあ生きているカイがないってもんです。

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2018年12月25日 (火)

息は鼻から吸った方が絶対に良い(断言します)

 以前から、歌う時のブレス(息継ぎ)は、クチでするべきか、ノドでするべきか…という話があります。それぞれに意見があると思います。

 私は以前から「基本は鼻で吸うべきだろうけれど、それじゃあ間に合わない事もあるから、鼻クチ併用で行きます」と答えていましたが、それを撤回します。

 息は鼻から吸った方が絶対に良いですし、そうするべきです。クチから吸うのは、鼻だけから息を吸っていては間に合わない…と言った、緊急時のみ可だけれど、なるべくそれは避けるべきである…という意見に変えました。

 なぜ意見を変えたのか? なぜ鼻クチ併用ではいけないのか?

 鼻から息を吸うのは“鼻呼吸”であり、クチから息を吸うのは“クチ呼吸”であり、クチ呼吸はノドを痛める呼吸だからダメなのです。

 クチ呼吸がいかにノドに良くないかは、ググってみてください。嫌になるほど、たくさんのサイトで「クチ呼吸はダメ」って言ってます。

 で、私がなぜそういう結論に至ったのかというと、ある事があって、鼻呼吸の大切さを感じたからです。

 皆さんは、屋外で歌うことってありますか? 私はたまにあります。屋外で歌うのって、結構キツイんですよね。屋外は、基本的に壁がありませんし、反響板もありません。声は出たら出っぱなしで返ってきませんし、ホールの響きも付きません。声が拡散してしまうので、マイクが無いとホントキツイです。

 そういった音量的なツラさありますが、それ以上にキツイのが、冬場の乾燥した空気です。冬の関東地方って、驚くほど乾燥します。それでも湘南地方は海がありますから、他の関東地方の諸地域と比べるとまだマシでしょうが、それでもかなり乾燥します。

 乾燥した空気の中で、鼻クチ併用で息を吸って歌っていると、あっという間にノドがカラカラになります。ノドが乾く…というか、ノドが乾燥してしまいます。ノドが乾燥すると、声は出づらくなるし、それどころか痛みも伴いますし、それでも無理やり歌っていると、やがて咳き込んでしまい、歌えなくなってしまいます。

 実は私、今まで、そんな感じで、屋外で歌って、咳き込んでしまって、歌えなくなるという事を何度も繰り返していました。

 ところが先日、あんまり寒かった事もあって、鼻呼吸で歌ってしまったのです。もちろん、息の吸い込みに時間がかかりますから、たっぷりした息で歌うのは出来ず、ブレス前の音符は、かなり短めにして、時間をかけて息を吸って歌っていました。歌の出来としては(たぶん)あまり良くないと思いますが、その代わり、ノドは全く乾きませんでした。痛くなる事もなく、咳き込む事もありませんでした。それなりに長い時間でしたが、無事に歌い終えることができました。

 ああ、鼻呼吸って偉大だなあ。

 もちろん、鼻呼吸による欠点ってのはあります。でも、それを補って余るほどの良さがありました。特に冬場の屋外での歌唱は、絶対に鼻から息を吸って歌わないとダメです。

 なので、ホール等の環境が整っている場所での歌唱では、鼻クチ併用でも構いませんが、環境が整っていない場所で歌う場合は、絶対に鼻から息を吸うべきだし、そんな時に慌てないためにも、普段からなるべく鼻で息を吸うように癖を付けておくべきだと思いました。

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2018年12月24日 (月)

第九の演奏を聞いて、私が気づいた事

 メリー・クリスマス!って事はさておき…

 今年も例年のように、クラヲタの常として第九を聞きました。もはや“年末に第九”は日本の年末行事であり、歳時記的レベルの話です。俳句の冬の季語として“第九”は認められてもいいんじゃないかって思ってます。

 ちなみに、私が常用している歳時記には、冬の季語として“だいこ(大根)”はあっても“だいく(第九)”はありません(笑)。

 私は今まで数多くの第九を聞いてきました。たくさん聞くと、いくつかの共通点がある事に気づきました。今回は、それについて5点ほど書いてみたいと思います。

1)オケはプロ、合唱はアマというパターンが多い

 たまにオケも合唱もアマというパターンのコンサートもありますが、そういう時は、たいていオケが残念です。いやいや、演奏の最初の頃は、そんなに残念じゃないんですよ。たいていのアマオケは、第1楽章はお見事だったりします…が、段々疲れてくるんでしょうね。肝心の第4楽章に入る頃には、ヘロヘロになっているアマオケ、多いです。特にホルンさんの消耗は、どのアマオケでも目に余るほどです。音楽を第一に考えるなら、オケはプロのコンサートの方がいいですね。

2)やたらと合唱の規模が大きい

 だいたい、どこも200名規模の合唱団で第九を歌っているみたいですね。まあ、ベートーヴェンによる初演も大規模合唱団だったそうですから、第九の合唱は大規模でいいんでしょうが、冷静に考えると、オケは二管編成なんだから、合唱は半分の100名規模でも多いくらいだと思います。各パート20名の80名で十分じゃないかな?って思います。

 それが大規模合唱になっているのは、単純に合唱団がアマチュアであり、声量不足を考慮して大規模合唱にならざるをえないのでしょう。あと、集客を考えても、合唱団は大規模の方が興行的にも安心できますしね。

3)第3楽章の後、アタッカで第4楽章に入る事は、まずない

 第九って、本来(つまり楽譜上は)第3楽章が終了したら、アタッカで(つまり休むことなく続けて)第4楽章に突入するように出来ていますが、まず、そのように演奏されたコンサートに行った事はありません。

 多くのコンサートでは、第3楽章が終わったら、その時点で合唱団とソリストの入場が行われる事が多いです。本来、合唱団は曲の冒頭からステージにいるべきでしょうが、合唱団の出番は、曲の開始してから約1時間後ですから、その間、ステージでじっとしていろと言うのは、アマチュアさんには酷です。で、曲の途中で入場するわけですが、そのタイミングとして、第3楽章終了後というパターンが多いと思います。

 合唱団の入場って、だいたい10分前後かかります。オケがアマの場合、この時間で休憩を入れて、演奏の立て直しをするわけですから、第3楽章の後のこの時間は、意外に大切な時間なのかもしれません。

 また、第3楽章の前(つまり、第2楽章終了後)に合唱団を入れる事もありますが、その時でも、ソリストの入場は第3楽章後だったりするので、やっぱりアタッカで第4楽章に入る事って、まあ無いですね。

4)だいたい合唱のテノールだけ残念

 合唱団がアマチュアですから、その歌唱レベルも色々です。上手なところもあれば、残念な団体もあります。どの程度の技量の合唱団であっても言えることは、テノールパートは、その他の3パートと比べて、だいたい残念な事が多いです。

 そもそも、残念以前に、人数が揃っていない合唱団もありますし、数が揃っていても質が揃っていないわけで、本当に残念な事が多いです。

 そもそも、第九の合唱パートって難しいんですよ。だから、テノールが残念と言うよりも、他のパートの人たちが頑張っている…と言うべきなのかもしれません。

 一つ言える事は、上手な合唱団は、テノールパートも上手だって事かな?

5)観客の中に子どもがチラホラ

 クラシック音楽のコンサートって、滅多に子どもの姿を見ることはありません。原則、未就学児の入場お断りですから、本当に小さな子どもはいないのですが、第九だと小学生ぐらいの子の姿を見ることは、珍しくありません…ってか、結構見ます。

 おそらく、第九って、歌うにせよ、聞くにせよ、我が国ではクラシック音楽の“入門曲”という扱いなんだろうと思います。第九って、そんなに簡単な曲じゃないんだけどなあ…。親に連れてこられた小学生にとって、第九って楽しいのかな? だいたい、長いし、飽きないかな?

 とにかく第九のコンサートって、他のクラシック音楽のコンサートと違って、何か特別な感じがする事だけは確かです。

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2018年12月23日 (日)

元気でないと病院には行けない?

 私は、おそらく、病院好きな人間だと思います。子どもの頃から、具合が悪くなると、せっせと病院通いをしました。薬局で薬を買って飲むよりも、病院に行って薬をもらった方が安い…と言うので、親も病院に行かせてくれたわけです。

 ちなみに私の親は、内科や外科の病院には行かせてくれたけれど、歯医者は高いと言う理由で行かせてもらえなかった(「歯が痛いぐらいて死んだ人間はいない!」とよく言っていました)ので、私の歯は、ほぼ虫歯でガタガタです。それに詰め物をしたり、銀歯(?)をかぶせて使ってます。まあ、入れ歯じゃないだけ、マシって感じだね。

 さて、そんなわけで、子どもの頃からの病院好きな私ですが、年を取ってから、なかなか病院に行けなくなりました。

 一つには仕事が忙しいというのがあります。なにしろ、病院って、私が働いている時間でしかやってくれないので、病院に行くには、仕事を休むとか早退するとかしないといけないわけなのです。で、具合が悪くても、仕事ができる状態なら、目一杯働いていますので、病院に行けませんし、本当に具合が悪くて働けない状態になれば、病院には行かずに、まっすぐに帰宅して寝込みます。病院に行くほどの体力と精神力が無くなっちゃうんですよ。

 つまり、ある程度の元気が無いと病院には行けませんが、ある程度の元気がある時は働いているので、時間的に病院には行けず、ある程度の元気すら無くなった時は、体力的および精神的に病院に行けない…って事になるわけです。

 それでも以前は、職場のそばの病院に行っていたので、具合が悪い時は、仕事終わりに病院に行くという選択肢がありましたが、その病院には行かない事にした私(そこの先生を信頼できなくなったのです)は、今では具合が悪い時は、専ら自然治癒力に頼り、ある程度元気になってから病院に行くというライフスタイルになってしまいました。

 なので、風邪気味の時は、ひたすら寝る。寝ただけではすっきり治らない時は、やむなく仕事を調整して、むりやり時間を作って病院に行く。仕事の調整には数日かかるのが普通ですから、風邪をひいたとしても、こじらせてから病院に行くので、たいてい、医者には呆れられます。

 怪我をした時は、絆創膏を貼ってごまかすか、湿布をしてごまかす。ごまかしても、ごまかしきれない時は、仕方がないので、時間を作って仕事を抜けて病院に行く…だいたい怪我をして10日とか2週間ほど経っているので、医者に「なぜ早く来ない!」と叱られます。骨が折れた時も、折ってから2週間ほどして病院に行っているわけですからね。

 なんかまるで、医者嫌いの人みたい。本当は病院大好きな人なのになあ…。

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2018年12月22日 (土)

なぜ、すぐにカビが生えるのだろう?

 金魚の水草には、大きく分けて、3つあります。

 マツモグサと、ガボンバと、アナカリスです。

 以前はよくマツモグサを水槽に入れていた私です。と言うのも、以前飼っていた金魚たちは、マツモグサしか食べなかったからです。ガボンバやアナカリスを買ってあげても、見向きもしないのに、マツモグサはモツモツ食べていたので、マツモグサをよく水槽に入れていました。

 問題は、マツモグサって高いんですよ。ウチの水槽サイズだと、一回5千円ぐらいかかってしまうのです。夏場は水草も繁茂するので、2~3ヶ月は持ちますが、冬場は1ヶ月持ちません。実に不経済な水草なんです。

 で、最近はマツモグサをやめて、もっぱらガボンバにしています。と言うのも、今の子たちは、マツモグサも食べますが、ガボンバも喜んで食べるからです。喜んで食べてくれるなら、安い方がいいに決まっています。それにガボンバって安いんです。たっぷり買ってあげても、せいせい1000円です。それで一ヶ月は楽に持ちます。でもマツモグサと違って、繁殖力が弱いので、基本的に毎月毎月追加購入してあげる必要はありますので、トータルではマツモグサと変わらないか、若干安いぐらいですが、毎月1千円ずつ買うのと、たまに5千円ドーンと買うのとでは、精神的な負担が違います。あと、ガボンバは近所のスーパーのペットコーナーとかで普通に売ってますが、マツモグサは休日に電車に乗って、都会の観賞魚屋さんに行かないと売っていないので、電車賃がかかるし、休みがまるまる潰れてしまうという精神的な負担も結構馬鹿になりません。

 ウチの金魚たちは、アナカリスを食べませんが、アナカリスは食べられないが故に、水槽の中にいつまでも漂ってくれて、日陰をつくってくれる貴重な水草ととなります。これはこれで金魚的には必要なので、常に水槽に入れてあげたいのですが、問題は、アナカリスって、すぐに黒いカビが生えちゃうんだよね。水槽に入れて、2週間もすると、だいたい真っ黒になります。おそらく、ウチの水槽に黒カビが常駐していのが原因だろうけれど、アナカリス以外だと、黒カビは繁殖しないので、アナカリスだけが、すぐに真っ黒になってしまうのは、不思議で仕方ありません。

 カビさえ生えなければ、見た目も美しく、金魚の日陰も作れるアナカリスは便利なんだけれどなあ…。

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2018年12月21日 (金)

プロは、演奏技量よりも集客力の方が大切!

 今週もフルートのレッスンに行ってきました…って、別に自慢することじゃないですね。

 今回も前回同様に、座ってレッスンを受けました。座ったままフルートを吹くことにも慣れないといけませんね。ロングトーン練習は、バッチリでした。

 エルステユーブンゲンは、25番と26番です。さすがに練習不足であっても、レッスンが二週間続けば、それなりに吹けちゃいます。なので、先生から「暗譜頑張ってね」と励まされました(汗)。

 旋律的練習曲は…1番です。前回よりはマシに吹けたと思うけれど、まだまだ曲の体をなしていません。もっと吹き込みをしないとね。

 40リトルピーセズは、20番です。トリオ形式の曲だけれど、ダルセーニョで戻った先のリピート記号は繰り返さずに素通りをするという事を学びました。この20番は、楽譜を見た感じでは楽勝なのですが、実際に演奏してみると、あっちこっちミスブローが多発します。モーツァルトはやっぱり難しいです。もちろん、不合格でした。

 今回の雑談は、姉弟子のO先生のリサイタルの話。レッスンの翌日に、近所のシャレオツな洋館で、O先生がリサイタルをします。事前に案内をもらっていた私ですが、その日は外せない仕事が入っていたので、リサイタルには行けないのですが、H先生から「Oのリサイタルに、今から来たいと言ってもダメだよ。だいぶ前にチケットは完売なんだよ」と話されました。

 「リサイタルのチケットが完売なんて、うれしい話じゃありませんか!」

 私がそう言ったところ、H先生は「Oの奴は、ちゃんと客が呼べるんだから、もっと大きなホールでリサイタルをしなきゃいけないのに…(何を遠慮して小さな洋館でリサイタルをするんだい!)」との事でした。

 いくらチケットが完売したと言っても、会場が小さいので、あれこれ経費を支払ってしまうと、O先生の手元に残る純利益は、せいぜい10万円程度で、そんな額じゃ生活厳しいよなあ…って話でした。売れっ子で毎日毎日、日本中でリサイタルをしているような人なら、一回のリサイタルでの純利益が少々少なかろうと、数でカバーしちゃえるでしょうが、普通のクラシックの演奏家は、そう頻繁にリサイタルとかコンサートとかできるわけじゃないので、やはり一回の演奏で、ある程度の収入を得ないと生活は厳しい…って話を、H先生としました。

 まあ、そうだよね。特に演奏は、100人のホールでやろうと、3000人のホールでやろうと、やる事は一緒だもの。可能な限り、大きなホールでリサイタルができるものならやるべきなんだろうと思います。

 だからと言って、やたらと大きなホールでやって、お客さんがあまり来ないで、スカスカになってしまうと、演者としてメンタルがやられるし、大きなホールは借りるのも費用が掛かるし、たくさんのお客さんを集めようとすれば宣伝費もかかるし…そういった諸々の事を考えた上で、それぞれ皆さん、自分の身の丈に合った大きさのホールでリサイタルを計画するわけだけれど、今回のO先生は、ちょっと遠慮しすぎた…というのがH先生の意見なのです。

 ちなみに、H先生は、毎日のように、あっちこっちでリサイタルやらコンサートやらエキストラやらやっているので、我々生徒さんたちには、自分の仕事のスケジュールは伝えないのだそうです(私も聞いてません)。実際、この翌日もその翌日も東京でリサイタルだって言ってましたもの。2DAYSだね。H先生の追っかけをしようとすると、結構大変そうです。実際、以前習っていた笛先生もそうだけれど、演奏メインで食べていこうとすると、毎日のように演奏していないと、なかなか厳しそうです。

 でも、頻繁に演奏しているから、一回の仕事のギャラが高額でなくても、積もり積もっていって、それなりの生活ができるようになるんだね。

 結局、プロの演奏家にとって大切なのは、演奏技量よりも集客力って事ですね。

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2018年12月20日 (木)

本音じゃバリトンに転向したい?

 暇な時間の大半は、常に発声の事ばかり考えている私です。たぶん、テノールと呼ばれる人たちは、プロアマ問わず、そんな感じなんだろうと思います。それくらい、テノールにとって、発声というのは悩ましいものです。

 隣の芝生というのは、常に青いのです。

 本当は失礼な話になるんだろうと思うので、その点は勘弁してほしいのですが、たまにバリトンに転向したくなる時もあります。

 理由は…ですか? 実に実に本当に失礼な理由なんだけれど…発声が楽そうだからです(ごめんなさい)。

 おそらくバリトンの方に言わせれば「発声が楽だと! バリトン、なめんなよ」と怒られそうですが、そう思ってしまう時があります。

 バリトンの一般的な音域と言うのは、低いGから高いGまでの2オクターブです。私、この音域なら、ラクラク出せますので、バリトンの歌は、テクニカル的な部分は別として、みんな楽に歌えると思い上がっているくらいです。

 一方、テノールの一般的な音域というのは、低いCから高いCまでの2オクターブですが、上の方の、A~Cぐらいの音域の発声って、目が潰れるくらいに難しくて、それで四六時中発声について考えないとならないわけなのです。テノールの音域で歌うのは、難しくて、未だにきちんと歌えませんし、今後頑張ったところで歌えるようになれるかどうかは、神のみぞ知るという状況だったりします。

 「だったら、さっさとバリトンに転向すればいいじゃん、何を悩んでいるんだい」

 ほんと、バリトンに転向できれば、そりゃあいいですよね。実際、前に歌を習っていたキング先生は、私にバリトンに転向しなさいと命令したくらいだしね。

 でもね、テノールとバリトンの違いは、発声できる音域の違いで区別されるわけではなく、その人の声の質や特性で区別されるべきものなんですよ。声の音色とかチェンジの箇所とか、高音での輝き、中音でのふくらみとか…ね。そう考えると、私の声は、実に見事にテノールなわけで、それもごく典型的なテノールの声なわけで、バリトンへの転向なんて、ありえないわけで、それを「声が出ないから」なんていう理由でバリトンに転向すれば、それこそ「お前、バリトン、なめてんだろ!」って言われかねません。

 まあ、低音部はバリトンっぽい声を出せる私ですが、中高音に関しては、全然テノールの声だし、実際、テノールは低音は捨てて発声するので、私の声は普通にテノールの声であって、バリトンのパートは歌えば歌えるだろうけれど、それで良いのかと言えば、たぶんダメです。

 なので、日々日々発声について悩んでいるわけです。

 自分の持ち声ばかりは、いくら望んでも変えるわけにはいかないからね。そこが器楽との決定的な違いだね。

 現状、私の場合、高音の無いテノール…つまり、バリノールなわけですが、それは多くの未熟なテノール同様、単純にテクニック不足で高音が発声できないだけで、そこをなんとかクリアして、リアルなテノールにクラスチェンジをしたいものだと願っています。

 ほんと、悩み多いんです。だから、四六時中、発声の事ばかり考えてしまうのです。

 もしも、自分の持ち声を、自分の希望で変えられるなら、私は…テノールではなく、実は、ソプラノになりたいですよ。だって、ソプラノって、名曲ばかり歌えて、ズルいよなあ。ほんと、ズルいと思います。

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2018年12月19日 (水)

私流の暗譜のやり方

 2018年現在の、私流の暗譜のやり方を書いておきたいと思います。

 まず、フルートの暗譜ですが、基本的にできません(笑)。いやあ、全然無理。フルートは、演奏するために指を動かさなきゃダメじゃない? それで、脳みそのリソースが暗譜に振り分けられないんです。フルートの演奏中は“楽譜(音符や様々な音楽記号)を見て、それに該当する動作(運指とかタンギングとか)に翻訳して指を動かす”事に、脳みそのリソースをかなり使ってしまうみたいなのです。なので、暗譜は全然無理です。

 それでもレッスンのエルステユーブンゲンは何とか暗譜しているのだけれど、あれはどうやっているのかと言うと、覚えるべきメロディを固定ドの階名唱にして、それを歌詞として暗譜しています。つまり、歌として暗譜しているわけだ。

 なので演奏する時は、脳内で歌いながら笛を吹いているわけだけれど、これが結構困難で、フルートを持っていなければ、普通に歌えるのに、フルートを持った途端に脳内のリースがフルート演奏に割かれてしまい、全然歌えなくなります。で、暗譜演奏が出来ないわけです。

 という理由で、フルートでの暗譜は、私にとって、かなり無理です。

 よく楽器の場合“指で覚える”という人がいますが、私には想像もできない事です。どうすれば、指で曲が覚えられるのだろう?

 次は声楽。もちろん、普段のレッスンで歌っているモノは、基本的に暗譜しません。暗譜するのは、本番で歌う時です。基本、歌って暗譜前提なんですね。器楽と違って、楽譜をガン見しながら演奏するって、まあありません。

 ただし、ご老人が多い市民合唱団などは楽譜手持ちが多いかな? ご老人は暗譜が難しいものね。私も年々暗譜が大変になってきました。やがて楽譜をガン見しないと歌えなくなるかもしれません。

 同じ合唱でも、児童合唱とかお母さんコーラス(いわゆる、ママさんコーラス)は、若いという事もあって、暗譜が基本だよね…ってか、暗譜どころか踊りながら歌ったりするしね。すごいなあ…。

 さて、私の声楽曲の暗譜のやり方だけれど、まず最初の一ヶ月はひたすら楽譜をガン見して歌うだけです。この段階は、メロディなどの音楽部分をクチに覚えさせる作業となります。まあ、いわゆる音楽稽古って奴です。毎日、一ヶ月も歌っていれば、たいていのメロディは暗記できますし、だいたい歌えるようになります。

 クチでメロディを覚えたら、いよいよ歌詞を覚えます。覚える時は、音程は横において、歌詞をリズム唱として覚えますが、一応、ひとことひとこと、丹念に頭から覚えていきます。1フレーズ覚えたら、それを何度も繰り返して、定着したら次のフレーズに…って感じで行きます。1日の暗記量は、歌詞にすると、だいたい1行程度でしょうか? なので、一曲をだいたい覚えるのに、2週間程度かかっちゃいます。

 で、だいたい覚えたら、その段階で楽譜を外します。当然、まだ暗譜は完全ではないので、あっちこっち歌えませんが、歌えない箇所はもう一度暗記し直します。そうやって、トライ&エラーで、歌えない箇所を潰していきます。

 この段階になると、自宅での音楽練習の時だけでなく、なんとなくボケっとしがちな、ちょっとした空き時間(例えば、道を歩いている時とか、電車バスに乗っている時とか)でも、脳内で一生懸命、歌って暗記の定着作業をします。むしろ、音楽練習で暗記している時間よりも、スキマ時間に暗記している時間の方が多いかもしれません。

 で、だいたい歌えるようになったら、今までリズム唱だったものに音程を付けて、それをクチで覚えます。ダンスや演技が必要なら、この段階で一緒に暗記します。この作業にだいたい一ヶ月かかります。こうやって暗譜をしていきます。

 なので、本番準備としては、三ヶ月程度の時間が必要なわけです。2曲覚える時は2曲同時並行で、3曲覚える時は3曲同時並行で覚えていきます。なので、1曲でも三ヶ月かかりますが、3曲でも同じ期間で覚えちゃいますし、オペラの1シーンを歌った時も、ほぼ同じ期間で暗譜できました。なので、暗譜作業に関しては、暗譜しなければならない分量よりも、暗譜作業に取り組める期間の方が、私には大切なようです。これに関しては、自分でも不思議だなって思ってます。

 実際、以前、二ヶ月ほどで2曲暗譜しないといけない時は、えらく大変だった記憶があります。やってやれない事はないけれど、二ヶ月での暗譜を大変です。やはり歌の暗譜には三ヶ月は必要なようです。

 私はこんな感じで歌の暗譜をしています。

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2018年12月18日 (火)

プロとアマの違い

 もちろん老犬ブログですから、音楽家における、プロフェッショナル(以下プロと略)とアマチュア(以下アマと略)の違いについて語るわけだけれど、考えてみれば、これは野球やサッカー、ゴルフなどのスポーツの世界のプロアマについても通じる内容だなって思いました。ただし音楽の場合、プロアマの境目がある意味でアバウトなために、色々な問題も抱えていると思ってます。

 さて、プロとアマの違いは、4点ほどあると思います。

1)プロは一定水準以上の卓越した技量を有するが、アマの技量は千差万別である。

 分かりきった事ですが、下手くそなプロはいません。少なくとも、一定水準以上の技量を持ち合わせているのが、プロです。その点、アマは初心者も言えば、かつてはプロは目指していたし、そのレベルの技量を持ち合わせているけれど、色々な事情で現在はアマとして活動しています…という人まで、様々な人がいます。

 問題は…と言うか、最近、ポツポツと見かける、プロを自称しているけれど、力量が全然水準に達していない人がいる事です。

 この手の人は、数年間はプロの看板を出していますが、やがてその看板を引っ込めて一般人になる人がほとんどです。私は、これに関しては、日本の音大教育に問題があると思ってます。つまり、学生の技量を卒業までに一定水準にまで引き上げられないまま卒業させてしまうという現実です。でも音大を卒業してしまえば…日本では音大の卒業証書がプロの認定書みたいなものですから…プロを自称して仕事を始めてしまうわけです。

 ほんと、これはどーなのかな?って思うわけです。

2)プロはアマを指導するが、その逆はない。

 プロの音楽家の仕事は、音楽仕事です。当たり前です。その音楽仕事には、作曲や演奏だけでなく教育も入ります。学校の先生になる人もいるし、街の音楽教室の先生になる人もいますし、サークルの指導者になる人もいます。教える事もプロの仕事なのです。ですから、プロはアマを教えるだけでなく、プロがプロを教える事だってあるわけです。

 で、さすがにアマがプロを教えるという事はないでしょうが、しばしば見かけるのが、アマがアマを教える…という場面です。

 学校の部活動でしばしば見かけますし、街のサークルなどでもよくあります。これって、どーなんでしょうね? 指導者を雇う金が無いとか、そもそもその地域に指導者がいないとか、様々な理由ははあるでしょうが、聖書に「盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」と書かれていますが、これって、そういう事だろうと思うのです。

3)プロはその演奏の対価として報酬を得るが、アマは対価として喜びや楽しみ、名誉を得る

 プロは仕事ですからね、自分の楽しみよりも顧客の楽しみや喜びを優先しないといけません。もう飽き飽きしているかもしれませんが、毎日毎日同じ曲を演奏しなければいけない人だっているでしょう。少なくとも、その曲を演奏する事で顧客が喜ぶなら、そうするべきです。

 アマは自分が楽しければ何をしてもいいのです。自分のために演奏するのですし、見物人がいる場面でも、自分の演奏を聞いてもらうというよりも、自分が音楽を演奏して楽しんでいる様子を見てもらう…というので十分でしょう。

 問題は、アマなのに有償で(演奏会と名乗る事が多いですが)発表会を開く事です。さすがに個人のコンサートでチケット販売をするアマは、まずいませんが、しばしばアマの音楽団体が有償で発表会を行っています。チケットを販売する団体には、彼らなりの言い分はあるのでしょうが、彼らはそのチケット代に見合うほどの演奏が出来ているのでしょうか? 出来ているというのなら、なぜプロとして活動しないのでしょうか? 会場費を捻出するためとか、ましてや自分たちの打ち上げ代に回すためにチケットを販売している団体もありますが、それは何かが違うような気がします。

4)プロは基本的に専業であるが、アマは本業の傍らに楽しみながら行う。

 プロの音楽家は、その活動に報酬が伴いますから、基本的に専業です。アマは生業があった上での音楽活動です。

 問題は、専業になりきれない、副業をしなければ生きていけないプロがいるって事です。むろん、本人の技量不足や営業努力不足が原因の場合もありますが、そもそも論として、日本には音楽のプロが多すぎて、彼ら全員に仕事が行き渡っていないという現実があると思います。つまり、仕事の量に対して、人員が多すぎるのです。であれば、副業をせざるをえないプロの方がいても、全く仕方のない事だと思います。

 夢をもって音大を卒業し、海外にも留学し、力量は十分だし、営業努力も人並み以上にしても、生計を支えるだけの仕事に恵まれずに、やむなく廃業してしまう若い音楽家の方々を私は知っていますが、本当にそれは不幸な事だと思ってます。

 以上、プロアマの違いについて見てみましたが、なんかあれこれ問題があるものですね。

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2018年12月17日 (月)

テノールという人種はプライドが高いのか?

 残念ながら、高いでしょうね…。それを確認するのは簡単なわけで、自称他称を含めて、テノールな人に向かって「あなたはバリトンですか?」と尋ねてみてください。おそらくは、即座に強く否定する事でしょう。人によっては、烈火のごとく怒りだすかもしれません。「失礼な事を言うな!」という態度をあからさまに取るかもしれません(バリトンさん、ごめんね)。

 「へへ、そう思う? でもね、一応、テノールなんだよ」みたいに柔らかく答える人は…まずいないよね。なぜなら、テノールという人種にとって、自分がテノールであるという事はレゾンデートルなんだもの。そんなに軽い受け答えはできないのだよ。それを以て、プライドが高いと言うなら、プライドが高いのです。それも、極めて高いのです。

 かく言う私も、高音が苦手な事は棚上げにして、バリトンなのかと尋ねられれば、即座に強く否定してしまいます。「お前はバリトンなのか」という問いは「お前はソプラノなのか」という問いとほぼ同じレベルの、ありえない質問だと思ってしまうからなのです(ほんと、ごめん、バリトンさん)。

 なぜ、そんなにテノールという人種は、高慢ちきなくらいにプライドが高いのかと言うと…バカだからです(笑)。

 テノールという人種は、常に発声の事ばかり考えている、発声バカなのです。常に高音を出すことばかり考えている、高音バカなのです。そして、そのバカさに自分が酔っていたりするわけです。ほんと、救いがたいバカなのです。そんなバカなので、無駄にプライドが高くなっちゃうわけなのです。

 さらに言えば、選民意識も大なり小なりあると思います。自分はテノールとして、神様に選ばれた人間である、という選民意識だね。愚かに思う人も大勢いるだろうけれど、それでもテノールと名乗る人間には、自分が選ばれた人間であるという自負があるわけです。世間の人とはちょっと違う、希少種であるという誇りがあるのです。

 まあ、実際のところ、テノールには、希少種と言うよりも、奇行種というべき人も大勢いますが…ねえ。

 テノールという人種は、バカで変わり者なので、プライドが高いのです。救いがたいアホですが、そこは多めに見ていただいて、ぜひ可愛がってやってほしいと、テノールの一人として、皆様方に切にお願い申し上げます次第でございます。

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2018年12月16日 (日)

定住外国人にも生活保護が支払われている事について

 定住外国人と書きましたが、いわゆる“在日”の方々です。

 彼らは外国人です。日本に住んで、日本名を名乗り、日本人として地域社会で暮らしていますが、彼らの国籍は母国にあり、彼らは日本人ではありません。

 生活保護というのは、憲法25条に基づき、日本国民に対して支給されるものであり、外国人は、それぞれの母国から福祉サービスを受けることになっています。もちろん、難民などの母国から福祉サービスを受けられない人は、在留国での福祉サービスを受けられる事になっている(国際法である難民救済法による)のですが、日本は難民の受け入れを基本的に行っていないので『生活保護は日本人にだけ支払われるもの』という認識で良いと思います。

 でも、現在の日本では、在日の方々が、外国人であるにも関わらず、生活保護を受けられる事になっています。一説には、日本人の生活保護受給者は「50人に1人」であるのに対して、在日の方々の生活保護受給者は「5人に1人」だそうです。

 なぜそうなのかと言うと、朝鮮戦争の際に、密入国してきた彼ら(在日一世ですね)
が、朝鮮戦争が停戦になっても祖国に帰らずに、そのまま日本に不法滞在をし続けたわけで、そんな彼らを、当時の厚生省の役人が、在日一世たちを“難民に準ずる者”として扱いなさいという“通達”を出したからなんですね。つまり、はっきり言っちゃえば、在日一世たちを難民扱いするのは違法なんだけれど、日本人特有の憐憫の情で、特例として緊急の措置として、難民扱いをして彼らを助けてあげましょうという優しさが、そうさせたわけです。

 これも憲法が改正されず、移民の扱いがアバウトだから、仕方なかった行為なんだと思いますし、実際、密入国してきた人たちの中には、戦火を逃れてきた人たちもいたわけで、この事自体は、やむをえない処置であったと言えなくてもないです。

 でも、これはあくまでも在日一世に対する特例であったはずなのに、今や在日二世や三世、いやいや、四世も五世も、生活保護を受けているんです。憐憫の情から出された通達が、ズルズルと慣習というカタチになって、今も継続されているわけです。

 在日一世の方は、戦火を逃れてやってきた人もいるわけで、日本政府は認めなかったけれど、ある意味戦争難民に準ずる人々と言ってもいいし、彼らが日本に生活基盤を作ったため、朝鮮戦争停戦後も母国に帰らずに日本で暮らし続けたのも、分からないでもない。また二世の人たちも全部が日本生まれとは限らないわけで、一世の方と一緒に朝鮮から逃れてきたかもしれない。もしかすると三世にも、それに該当する人がいるかもしれない。

 でもね、在日四世と五世とかは、明らかに朝鮮戦争とは、何の関係もないじゃん。彼らは全く難民ではなく、ただの移民です。すでに親子代々日本で暮らしているわけだし、日本語しか話せなかったりするわけだし、暮らし向きはほぼ日本人なのに、それでも日本に帰化することを拒んで、外国籍のまま暮らしているわけで、そんな彼らにも、生活保護を支給しちゃう日本って、お人好しのお金持ちだと、私は思うわけです。

 「あんたらの事は大嫌いだけど、金だけくれよ」と言われているような気がします。

 この自体を改善するためにも、きちんと移民や外国人労働者に関する法律を整備する事が急務だと思うし、そのためにも性急に憲法を改正する必要があると、私は思うのです。税金の無駄遣いを指摘するのに熱心な方々がいますが、外国人に生活保護を支給するなんて(そんな事は彼らの母国がやるべきことであって日本国がやるべき事ではないわけで)そんな税金の無駄遣いは、本当に止めてほしいと思ってます。

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2018年12月15日 (土)

お気に入りの場所

 そう言えば、以前も“王様の席”と呼ばれるような、水槽の中でブイブイ言わせている子がお気に入りの場所を占拠する…って事がありました。昨今の水槽でも、それが出来つつあります。

 シズカがエサ場とは反対側の割と静かな場所がお気に入りで、気がつくと、いつもそこにいるようになりました。その場所は人間にも近くて、いつもシズカは、そこにいて、人間を観察しているようにも見えます。

 シズカって、あまり人相(?)が良くないので、そこからシズカが人間の方を見ていると、何か文句を言っているのかと感じてしまいます…おそらくシズカのあの不満顔は、ただの地顔ですから、別に文句も不満もないだろうとは思ってますが(笑)。

 で、いつもいつも水槽のすみっこから人間観察をしているシズカなのですが、それを邪魔するのが、ヤヨイなのです。

 別にヤヨイは、その場所がお気に入りとかではなく、シズカがそこにずっといるので、なんとなくチョッカイを出したくなって、それで力づくでシズカを追い出しに掛かるわけで、シズカがそこをどいてしまえば、その場所への興味関心は無くしてしまい、またすぐにシズカが戻ってくるのですが、それにしても、シズカに嫌がらせをしてしまうヤヨイなのです。

 たまにシズカもヤヨイの言いなりにならない時があります。いくらヤヨイがちょっかいを出しても、頑として動かない時があります。そういう時のヤヨイは、シズカの隣にやって来て、幅寄せをしてシズカをガラスに押し付けます。ま、シズカも負けていないので、一生懸命に押し返すわけです。

 その場所に固執するシズカも分かりませんが、相手がそれほど嫌がっているのにチョッカイを出すヤヨイも分かりません。ただ言えることは、その場所がシズカのお気に入りの場所であるって事くらいです。

 なので、いつも水槽のすみっこで、シズカとヤヨイ(と、最近はヤヨイの腰巾着としてルデン)が争っていて、広い水槽を実に狭く使ってます。広い水槽は、アセビとベルという、小さめな子たちが、長いヒレをひらひらさせて泳いでいます。これはこれで見応えあるんですよ。

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2018年12月14日 (金)

ベーレンライターは一癖ある

 久しぶりにレッスンに行きました。なにしろ、前回のレッスンは私が足の骨を折る以前の話ですから…。

 久しぶりのレッスンに行ったら、姉様と先生のレッスンが行われていました。いつもながら、お二人の二重奏は素晴らしい。これが聞けるだけでもレッスンに行く甲斐があるというものです。

 例によってロングトーンはいい感じです。ん? 長期にフルートを吹いていない時のロングトーンはあまりいい感じではない事もあるのに、不思議に調子良かったのは、なんか不思議な感じがします。

 エルステユーブンゲンは25番と26番。もはや「暗譜してきた?」とも尋ねられていくらいにグダグダな演奏をしてしまいました。

 旋律的練習曲は1番です。全然吹けません(笑)。あんまり吹けないので、先生は今回が初回のレッスンだと勘違いしていました。別に私は否定しませんでしたが、実は2回目なのでした(汗)。まあ、それくらいに吹けなかったし、譜読みもできていなかったという事です。

 で、40リトルピーセズは19番のベートーヴェンのメヌエット。正直に白状すると、この曲、事前に全然見ていなかったので、レッスンでは初見で吹いちゃいました。まあ、幸いに簡単な曲だった事もあったので、なんと、合格をいただいちゃいました。次は20番のモーツァルトのメヌエットです。次の曲は長いし、たぶん今回の曲よりも苦戦しそう…。それにしても、20番だね。この曲集には40曲入っているので、なんだかんだ言って、もう半分です。いやあ、曲集だけは消化速度が速いですね。

 今回の雑談は、先生の家のパソコンが壊れてしまった話から、データベースのデータ紛失の話になりました。あれこれ不便があるそうです。一番の不便は経理的な事で(そりゃあそうだよね)、次がなんと楽譜の問題なんだそうです。

 先生はプロのフルート奏者ですから、フルートの楽譜をたくさん持っています。それこそ、数えるのが嫌になるほど、たくさんの楽譜を持っているわけです。同じ曲でも、必要上、出版社違いで持っているんだそうです。いや、同じ出版社でも改訂版が出るたびに揃えているそうなので、本当にたくさん持っているわけです。

 先生はドイツに留学していた事もあり、レパートリーのメインはバッハなんだそうです。なので、楽譜もやはりドイツ系がたくさんあるわけです。なので、私が何気にペータースとベーレンライターの話を振ったところ、ベーレンライター版の楽譜に関する愚痴があれこれ出てきました。

 なんでも、最近のベーレンライター版の楽譜は、バッハが書いたモノからはかなり離れているんだそうです。バッハは、楽譜を極めて簡素に書く人で、それを実際に演奏する時は、演奏者が当時の慣習とかバッハの癖などを考慮して、楽譜に書かれているものを基本に、そこに若干のアレンジを加えながら演奏するのが常識なんだそうだし、それが出来るように勉強するのが、バッハを演奏する人たちの基礎教養なんだそうだけれど、昨今のベーレンライター版のバッハの楽譜は、バッハが書いたとおりではなく、現代の演奏家たちがバッハを実際に演奏する時の演奏が譜面に書かれているのだそうです。つまり、バッハ演奏の深い勉強をしなくても、ベーレンライター版の楽譜を使えば、バッハ演奏家たちと同じような演奏が出来るようになっているんだそうです。

 バッハの専門家であるH先生は、そこに憤慨してました。楽譜は楽譜として、バッハが書いたとおりに出版するべきであって、それをどう演奏するかは、個々の演奏家に任せるべきで、それを出版社が楽譜化しちゃダメだろうって言うわけです。

 ベーレンライター社の楽譜って…高いからね。それくらいの付加価値がないと売れないんじゃないの?…なんて、門外漢である私なんかは考えちゃいますけれどね。専門家であるH先生にとっては、それって許されないほどの暴挙のようなモノらしいです。

 ううむ、でもベーレンライターは非バッハ専門家には、親切とも言えるよね…って、私は一体、どっちの味方なんだいって話です。

蛇足。ベーレンライターの楽譜は高いけれど、見やすいし、紙質も良いので、実は好きだったりします。

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2018年12月13日 (木)

国内版楽譜が絶版でビックリしました

 さて声楽のレッスンの続きの続きと言うか、今やっているベッリーニの歌曲が終わったら、次に何を歌いましょうかという話です。発表会の後にY先生とテノールのA先生と私の三人で相談をして、次はドイツリート。それも大作をやっていきましょう、とまでは決まりました。では手始めに何を歌いましょうかって話になって、そこで候補に上がったのが、シューベルトの連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」です。

 皆さん、知ってますか? 「美しき水車小屋の娘」という連作歌曲集を。

 ドイツ系のテノールさんには必須レパートリーの歌曲集で、逆に言うと、ドイツ系のテノールさん以外は、あまり歌いません。20世紀後半ならば、ドイツ系のリートは、バリトンさんの独壇場で、その頃のバリトンさんならば、この歌曲集を歌っていました(フィッシャー=ディースカウも歌ってますよ)が、最近のドイツリート界では、ドイツリートもなるべく作曲家が書いた原調で歌う風潮となり、この曲に限らず、多くのドイツリートがテノールやソプラノさんたちに歌われるようになりました。特にこの曲は、歌の主人公が若々しい青年である事もあって、まずテノールさんが独占して歌う感じなのです。

 テノールさんばかりが歌う…ってか、バリトンさんが歌わないと(たぶん)楽譜は売れません。だって、テノールさんは、そもそも数が少ない上に、あまり歌曲を歌わないのですよ。彼らは自分の高音をみせびらかせるオペラアリアをレパートリーのメインに据えがちです。ドイツリートを歌うにしても、以前ならともかく昨今は、連作歌曲集なら、シューベルトの「冬の旅」が歌われがちです。だって有名だもの。実際、プロのコンサートでも、リートのコンサートってなると、まず「冬の旅」です。ほんと「冬の旅」ばかりです。その他の歌曲集って、たまにシューマンの「詩人の恋」のコンサートがあるぐらいかな? それ以外となると“シューベルトの夕べ”とか題して、単発の有名な歌曲を並べたプログラムになりがちで、コンサートで「美しき水車小屋の娘」が歌われることって、少なくとも私は知りません。

 昔々は、テノールは「美しき水車小屋の娘」を、バリトンさんは「冬の旅」を歌うという棲み分けがあったようですが、昨今はテノールさんもガンガン「冬の旅」を歌うようになったので、その結果「美しき水車小屋の娘」は歌われなくなったのかもしれません。

 それが原因なのでしょうが、国内楽譜出版社が出していた「美しき水車小屋の娘」の楽譜が、随分前に絶版になっていました。いやあ、ビックリです。こんな有名な歌曲集なのに、国内で出版されていないなんて…!

 そう言えば、数年前に、ヘンデルの「メサイア」も国内では絶版になってしまったのですよね。あの“赤いメサイア”が入手できないなんて…当時は、本当にビックリしたんです。

 ちなみに国内の出版社からは、独唱版ではなく合唱版の「美しき水車小屋の娘」が出版されています。それも、混声版と男声版の二種類も! オリジナルの独唱版は絶版になり、合唱版が販売されている…ってのも、日本の音楽界の現実って奴が反映しているなあって思っちゃいました。日本では、なんでもかんでも合唱や吹奏楽にアレンジしちゃうんだよなあ、で、楽譜もそこそこ売れちゃう…。それが悪いとは全然思わないけれど「なんかなー」って思います。

 ちなみに合唱版の「美しき水車小屋の娘」って、こんな感じです。純粋に邦楽系合唱曲として聞いてみたなら、意外に良さげだったりします。

 さて、国内版の楽譜が無いと、どうしても輸入譜を使わざるを得ません。印刷が見づらいけれど廉価なペータースか、印刷は見やすいけれど高価なベーレンライターかという選択肢ですね。あるいは、極端に印刷が見づらいけれど無料でネットに転がっているフリースコア系の楽譜か(シューベルトの著作権は切れているので、別にフリーのものでも問題ないと言えば問題ないです)。

 でも、どちらにせよ、輸入譜となると、日本語訳がありません。ドイツリートは言葉が命だともいうし、日本語訳とか解説がないと厳しいのは本音です。まあ、訳文も語釈もネットで漁れば済むわけだけれど、なるべく手間はかけたくないのが本音だし、日本の楽譜は安くて見やすいので、輸入譜よりはなるべく日本の楽譜を入手したいのが本音です。

 で、とりあえず私的には、かつて音楽之友社から出ていた大音楽全集に頼る事にしました。困った時の大音楽全集です。この楽譜集は、比較的きれいな新古品や中古品が安価で市場に出回っているので、たまに購入しているのです。「美しき水車小屋の娘」はシューベルト歌曲集の第1巻に入っていました。「美しき水車小屋」と「冬の旅」と「白鳥の歌」が一冊にまとまっている便利な本です。ちなみに、すべて(全集ものですから当然)原調版です。シューベルトの場合、原調版=高声版なので、テノールな私には都合がいいとは言えます。

 ただ、この楽譜集、外国語の歌だと、原語詩の下にカタカナで読み方がふってあるのです。これが結構、目障りだったりします。私の場合、日本語はもちろんだけれど、英語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語は、普通に読めますので、カタカナはむしろ邪魔なんだよね…。どうせ付けるなら、歌える日本語訳詩(松本隆訳なら最高!)を付けてくれたら、それはそれで面白いと思うんだけれどなあ…。

 で、原調の「美しき水車小屋の娘」の場合、高声用と言っても、全般的な音域はさほど高くありません。ただし、第7曲目の「苛立ち/Ungeduld」で、高いAが出る事。その他の曲でも、数回高いG♯が出てきます。歌曲を学ぶのに、これくらいの音程の音が出てくるのは、教えるY先生の目的的にはどうなんでしょうね? 曲中に高い音があると、私はその音ばかりに集中してしまって、歌として学びづらくなると思っているようです(ま、確かにそういう事はあります…)。Y先生としては、一応、中声版でも検討してくるそうなので、実際には、原調版で歌うのか、中声版で歌うのかは、まだ決定ではありません。中声版で歌うことになったら、仕方がないので、ベーレンライター版でも購入するかな。

 どちらにせよ、2019年はシューベルトの「美しき水車小屋の娘」にどっぷりハマりそうです。

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2018年12月12日 (水)

いくら高い音でも中音として歌いなさい

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。今回から新曲になります。ベッリーニ作曲の「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」です。

 ベッリーニの「6つの歌曲」は中声版(原調よりも2~3度低い)で歌っていますので、音域的には無理がない…というよりも楽(中声版は本来はバリトン用の譜面。テノールは原調[高声版]で歌うのが普通です)なのですが、別に高い声を出すのが目的ではなく、歌に関する様々なテクニックを学ぶために歌っているので、これくらいの音域で良いみたいです。それにベッリーニはベルカント時代の作曲家なので、当時のテノール音域(これがやたらと高いんです)で作曲されているとは言え、私にはかなり高いので、中声版が適当…というのは本当の話です。

 まず、跳躍音程の歌い方について。高く飛ぶ前の音の時に、すでに「次は高音に行きますよ」と感じさせるような歌い方をしましょうって事です。つまり、音程はデジタルのように、ビシビシと歯切れよく行くのではなく、常に前の音や次の音を意識し、そこにつながっていくようにレガートに歌って音程を取っていく事が大切なわけです。

 そこで私が何となくイメージしたのが、トロンボーン。トロンボーンのスライドによる音程の取り方に、イメージ的に近いかなって思いました。あと、民族楽器になるけれど、中国の一弦琴? 女子十二楽坊で活躍していた楽器だけれど、これにも近いかなって感じました。

 この歌では“il tuo lo sa”というフレーズが何度か出てきますが、最初に出てきた時の音程が、E♭-D♭-E♭-Fなのですが、E♭とFの間で、私の発声が変わっていて、それは×なのです。Fを高音として狙って出すのではなく、あくまでも中音域の音として特別扱いせずに、4つの音のどれも同じように発声しないといけません。

 最後の“il tuo lo sa”の音程は、D-E♭-F-G♭-(下がって)A-B♭であり、G♭がこの曲での最高音になるわけですが、この音も高音として狙って出さずに、やはり中音域の音として特別扱いせずに、他の音同様に、どこも変えずに出さないといけません。具体的に言えば、Fの音から、よりクチの奥を大きく縦に開き、息を多く送り込む、それだけで全音程度は音程が上昇するので、そうやって歌えばいいのです。決してG♭を狙って、気合一発で出しちゃいけないのです。

 まあ、楽譜を見れば(中声用に低めに転調されている事もあって)このG♭は気合一発で出すように書かれているわけだけれど、それはバリトンさんなら、それもありだろうけれど(バリトンさんにはG♭はかなりの高音であって、合唱バリトンさんならまず使わない高音だしね)、でも私はテノールであって、独唱テノールにとってのG♭ってのは、本来は鼻歌でも歌える程度の高さなわけで、だからこそ、狙って出しちゃダメなんです。

 Y先生的には、すべての音を中音として私に歌わせるために、わざわざテノールの私に中音版の楽譜でレッスンしているわけですから、それを高音として歌っては、学習目的から外れてしまうって話なのです。

 でもね、自分が出せる範囲の音を、高音として狙い撃ちにして出すのって、気持ちがいいんだよねえ…(グチグチ)。

 ともかく、歌曲のレッスンでは、高音は一切使わずに、中音域の発声を充実していきましょうってノリで勉強しているので、私もY先生の方針に従って、高音を封じて歌っていきたいと思います。高音は…オペラアリアの方で頑張ればいいわけだしね。

 …ってわけで、ここまでやってタイムアウト。オペラアリアの代わりに歌う事になった、ビゼー作曲の「Agnus Dei/神の子羊」は次回まわしになりました。

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2018年12月11日 (火)

無気力ではいけない

 声楽のレッスンに行ってきました。発表会後、初めてのレッスンです。まずは先生から公式音源と写真をいただきました。写真には“冴えない汗っかきのデブ”が写ってました。ああ、ビジュアル的には難点しかないなあ…(涙)。

 発表会の講評は、Y先生とテノールのA先生に関しては、当日聞きましたが、その日、早く帰宅されたソプラノのF先生の講評を、改めてY先生から聞きました。

 F先生にしっかり歌を聞いていただくのは、昨年の発表会以来であって、1年前と比べると、私の歌唱はだいぶ良い方向に変わってきているとの事です。特に、今までは見られなかった、息を通して響きで歌おうとしている事、声帯の鳴りに頼らない歌い方をしようとしている事、それらの姿勢が見られるようになった事は大きな進歩だけれど、まだまだ不十分だとの事です。今以上に軽い声で、しっかり息を吐いて歌えるようになると、大きな進歩が見られるでしょう…との事です。

 特に高いFisとGの間で、ガラッと発声が変わってしまうのは、すぐに矯正しないといけないとの事です。別にFisとGの間にチェンジがあるわけではないし、仮にそこがチェンジ箇所であったとしても、今の発声の仕方では良くないとの事です。

 今の私の歌い方では、Gになった途端に、息の勢いが弱まり、それで声が曲がってしまうのだそうです。声が曲がってしまうと、発声的に高音はそこでどん詰まりになるわけで、それは避けないといけないのです。もちろん、ノドの器質的な制限(ノドがバリトンならば…って話です)のために、声が曲がってしまい、高音の限界に達するのは仕方のない事だけれど、息が弱まって声が曲がってしまうのは、いわば言語道断なわけで、息を曲げるのは、もっと高い音になってから、自然に曲がるのに任せるべきであって、こんな低い音で音を曲げてしまうのは、我慢が足りないのか、立派な声で歌いたいがためのカッコを付けているだけだろうとの事です。

 はい、我慢は足りないし、カッコつけて立派な声で歌いたいという願望が強くあるのは事実です。F先生は、よく見ています。

 私がやるべき事は、まずはカッコよく歌おうとする気持ちを捨てる事(極めて難しいです:汗)、Gを狙って出すのは止めて、GをFisと同じように歌う事、ただし流す息の量は増やして歌う事。もちろん、力むのは無しです。つまり、高いGを高音とは思わずに、中音として歌うようにする事…なのです。高いGを中音と感じて歌うのは…心理的に難しいなあ。

 1年後の発表会では「さらに上達しましたね」とF先生に言ってもらえるように頑張ってゆきたいと思います。

 ちなみにF先生の、私の妻に対しての講評の大半は…Hi-Fの発声法に関する事でした。Y先生はバリトンなので、ソプラノ歌手がHi-Fを出すやり方について熟知していないのは当然だし、ソプラノ歌手だからといって、みんながみんなHi-Fの出し方を知っているわけではないのですが、F先生自身はスピントなソプラノだけれど…と言うよりも、スピントなソプラノ故に、テクニックでHi-Fを出す方法を知っているわけで、それをY先生経由で妻に教えてくれました。

 で、そのF先生のやり方で妻が歌うと…Hi-Fが高確率で出ますし、妻が言うには、このやり方ならば、以前よりもHi-Fが簡単に出るそうです。テクニックって大切ですね。発表会以前に、妻がこのテクニックを学んでいたら、もっと楽に“夜の女王”を歌えたのでしょうが、まあそれは良しとしましょう。

 ちなみにY先生曰く、このやり方はテノールがHi-Cを出す時に使うテクニックにも応用が効く…との事ですが、今の私は、Hi-C以前に、高いAを安定して出したい人なので、それはいずれおいおいって感じです。

 さて、レッスンです。いつも言われている事ですが、音程があがるごとに送る息を増やしていく事、口腔内を最初っから開かずに、音程があがるごとに少しずつ確実に開いていく事、口腔内を開くとは二次元的に伸びるのではなく、三次元的に口腔内の容量を増やしていく方向で開いていく事、声はストレートに前に出すのではなく、もっと後ろにまわしてから出す事…等々です。いつも言われているのだけれど、いつも出来ない事です。まあ、言われてすぐに出来るのなら、先生について学んでいる理由もないので、仕方ないと言えば仕方ないです。

 リラックスした声で歌うべきであって、無気力な声では決して歌ってはいけません。それはどういう事かと言えば、腹筋は十分に緊張したまま、ノドをリラックスさせて歌うべきであって、ノドも腹筋もお休みして歌ってしまうと、それは無気力な声でしかないのです。

 でもね、ノドを鳴らさないように歌おうとすると、どうしても腹筋もお休みしてしまうし、腹筋にグッと力を入れて歌うと、ついついノドが鳴ってしまうんだよね。つまり、ノドと腹筋が連動している…ってか、腹筋はお留守でもノドだけ力が入っている事も多いから、まずはノドに力を入れてしまうのが私…って事なんだろうと思います。

 ノドの脱力…難しいなあ。さらに腹筋はしっかりと動かしながらノドの脱力…さらに難しいなあ。

 ノドを開いていく…つまり、口腔内の容量を確保しながら歌う件は、先生がおっしゃるには「クチの中に珠を入れて、それがだんだん大きくなっていく感覚」なんだそうですが、私的に思うに、いわゆる“オペラ声”で歌っていくイメージでいいのかもしれないなあ…と薄々思っているところです。オペラ声と言うのは、素人がオペラ歌手の発声を真似て、むやみに深い声で歌うアレです。実はあんな感じで歌っていくと、口腔内の容量を確保しながら歌えるのではないかと、なんとなく思っている私です。でも、これって正解かしら?

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2018年12月10日 (月)

メトのライブビューイングで『西部の娘』を見てきました

 はっきり書きましょう。プッチーニ作曲の『西部の娘』というオペラは名作になりそこねた駄作であると。それゆえ、物好きなオペラ好事家以外の人には、特に鑑賞する価値すらないオペラであると。

 実際、『西部の娘』には歌謡性が欠落しています。おそらくそれは、プッチーニによって意図的に欠落させられたものであると私は考えます。なぜなら、このオペラの第三幕には有名なテノールのアリアがあり、このアリアのみ優れた歌謡性、いわばプッチーニ節と呼べるモノが見受けられるからであり、このアリアは、当初、このオペラには無かった要素だったからです。

 そもそも、この『やがて来る自由の日/Ch'ella mi creda libero e lontano』というアリアは、初演した大テノール歌手のエンリコ・カルーソーが作曲家プッチーニ向かって「このオペラにはアリアがない、アリアを書き加えなきゃ俺は歌わないぜ!」とか言ったとか言わなかったとか。とにかくこのアリアは主演テノール歌手に対するサービスであり、作曲家本人にとっては妥協の産物であって、それゆえにオペラ全編で浮きまくっている場違いなアリアでしかありません。それゆえ、いかにも“後からオマケで付け加えました”って感じで、それまでの音楽と、このアリアは、全くの別ものです。このアリアは「西部の娘」の中よりも「トスカ」や「蝶々夫人」の中にあった方がしっくりする音楽になっているのも仕方のない話なのてず。

 つまり、プッチーニは、歌謡性あふれるメロディアスなアリアを書こうと思えば書けるのに、あえて「西部の娘」には歌謡性を与えなかった…と私は思うのです。

 なぜ彼はそんな事をしたのか? おそらく、彼は迷っていたのでしょう。迷って自分を見失っていたのでしょう。つまり一言で言えば、スランプだったんです。ここまで名作オペラを書き続け、直前には「蝶々夫人」という名作を書いたにも関わらず、世間にはなかなか受け入れてもらえずに苦労をして“これじゃあいけない”と思って、無意識に今までとは別のやり方を模索して、道に迷ったのだと思います。

 まあ、それ以外にも、当時のプッチーニはスキャンダルにまみれていて、心に余裕はなかったろうし、ワーグナーから始まりリヒャルト・シュトラウスにつながっていくオペラ界の潮流だって感じていただろうし…。プッチーニは色々と焦っていたんだろうと思うわけです。

 確信的に、このオペラに歌謡性を与えなかったと思う別の理由として、歌には歌謡性を与えていないのに、伴奏であるオーケストラには豊かな歌謡性を与えているからです。「西部の娘」の歌には、聞くべきものはあまりありませんが、伴奏のオーケストラはなかなかよく仕上がっています。

 でもそれはイタリアの伝統ではないし、プッチーニのスタイルでもありません。

 つまり、プッチーニは『西部の娘』というオペラを、少なくとも『蝶々夫人』レベルの名作オペラに仕上げる事が出来たにも関わらず、あえてそれをしなかったわけです。

 ほんと、聞いていて、実に残念なのです。名曲になりそうなアリアや二重唱は、そこかしこにあふれています。しかし、音楽が輝きを放つ直前、どの曲もメロディーがくすんでしまうのです。ああ、プッチーニの迷いを感じます。まるで「ここで甘美なメロディーを書いてはいけない」と心に誓っているかのようです。

 で、そんな大作曲家プッチーニの駄作である『西部の娘』だけれど、メトは、実に興味深いオペラに仕上げて上演しています。『西部の娘』というオペラは、取り立てて見る価値のあるとは思えないオペラだけれど、このメトの上演は例外であって、これは実に面白い舞台作品だと思います。

 アメリカ人って『西部の娘』が大好きなんだよね。ほんと大好き。その愛情が、駄作オペラを水準以上の出来に仕立て上げたのだと、私は思います。

 ちなみに、このオペラ、CD等で音だけで聞くと、ほんと退屈ですよ。また、メト以外の歌劇場での上演で見ると、実につまらないです。

 しかし、メトの(最近にしては珍しいぐらい)セットにお金をかけ、衣装にも力を入れ、演出にも手間ひまかけた、この上演ならば、話は別です。実に面白いのです。まるで、舞台ではなく、映画を見ているかのような演出は、おそらくメト以外ではできないでしょう。ほんと、金満物量作戦ですよ。でも、これだけの経費と物量を投入して、初めて「西部の娘」というオペラは、見るに耐えうるモノになるという事が分かりました。

 結論。『西部の娘』というオペラには見る価値はないけれど、今回のメトの上演版は、音楽以外の部分があまりに素晴らしいので、見るべきです。特に、舞台制作にかけているアメリカ人の愛情が素晴らしい…と私は思いました。

 キャスティングは最高です。カウフマン、いいですよ。ディック・ジョンソンは彼ぐらいのイケメンじゃないと説得力ありません。ミニーを演じたエヴァ=マリア・ヴェストブルックのような美人さんはオペラには必要不可欠です。とにかく、このオペラ、実質的にミニー以外はすべて男声なわで、掃き溜めに咲く花としては、これくらいの美人じゃないと物語は成立しません。

 まず、他の歌劇場では、これだけの歌えるイケメンと美女を揃えることが難しいでしょう。さすがメト…と言っておきます。

 やっぱり、オペラって、金食い虫なんだと思います。

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2018年12月 9日 (日)

日本の貧困層が全然貧困じゃない件について

 世界銀行による貧困の国際定義というのがあって、現在の定義では「1日1.9ドル以下で暮らしてる事」を“貧困”と呼びます。1.9ドルとは、日本円にして約200円で、年収に換算すると、7万2千円です。年収7万2千円…確かに少ないです。驚くほど少ないです。私なら、1週間も暮らせない…。これが世界標準の“貧困”の定義です。

 実は世界には、このレベルにすら届かない人たちが、7億人以上います。世界人口は約70億人ですから、10人に1人が年収7万2千円以下の暮らしをしています。我々日本人の感覚で“年収7万2千円”と言うと、少なすぎて、基準としては非現実的に感じますが、この基準以下の人が7億人以上もいるのですから、この貧困の国際定義というのは、妥当と言えば妥当なラインなのです。

 一方、日本で“貧困ビジネス”に携わる人々が言う貧困の定義は「国民所得の中央値の半分以下の収入で暮らしている」事なんだそうです。これを相対的貧困というそうです。これに基づくと、日本人の所得の中央値は年収250万円だから、その半分ってわけで、年収125万円以下が貧困者って事になります。

 確かに年収125万円って聞くと、とても少なく感じます。

 では具体的に考えてみましょう。例えば、夫婦に子ども二人という典型的な家庭のパターンで考えるなら、4人家族ですから、年収500万円以下の家庭が、ここに該当する事になります。

 年収が500万円しか(?)なくても、毎日3食の食事は可能だし、雨露をしのげる家で暮らせるでしょう。さらに、その家の子たちは普通に学校に通えるでしょう。義務教育はもちろん、高校にも行けるだろうし、頑張れば大学にも行けるかもしれない。でも、塾や予備校に通うのはさすがに厳しいかな? まあ、この年収の家庭なら、子どもを塾に通わせるために、お母さんがパートを始めて収入を増やして…というのが、一般的ですが、ここでは年収500万円を越えない事を前提に考えると…その年収で現実的に考えると、高校卒業後、家計を助けるために、子どもは高卒で就職…というパターンになるかもしれません。

 高卒で就職して独立して生活を営む…別に普通の事だし、特に不都合はないと思います。

 たとえその家の子が、頭が普通によくて、将来はお医者さんになろうという希望があったとしても、医学部進学にはお金がかかるわけで、この程度の収入の家の子では、家の収入だけでは医学部に進学する事は、まず無理でしょう。まさに「希望した進路先に、金銭的な理由で、進学できない」わけで、それをもって、貧困であるって、貧困ビジネス関係者は声高に言うわけだけれど…。

 でも、それって本当に貧困なの? 確かに裕福な生活…とは言えないけれど、こんなの普通じゃん。家が貧乏だから学校に行けない…なんて、別に普通じゃないの? 自分の分を知れ!って事じゃん。

 それにもしもこの子が本当に優秀で、医者になる気持ちが強いのなら、奨学金でもなんでも使えばいいのです。確かに実家が裕福な方が医者になるには有利だけれど、本当に優秀な子ならば、色々な手段があるわけです。「希望した進路先に、金銭的な理由で、進学できない」なんて理不尽な事は、現実にはありません。

 かく言う私は、義務教育期間はもちろん、高校や大学やその上でさえ、ロクに授業料を払っていません。それどころかお小遣いすらもらいながら学校に行ってました。意欲と能力があれば、給付の奨学金や授業料免除等々、貧乏だけれど優秀な子を助けるための色々な手段が日本社会にはありますので、それらを活用していけばいいのです。

 もちろん“金銭的な理由”ではなく“本人の能力的な理由”で進学できないケースは多々あるでしょうが、それは貧困とは無関係です。貧困ビジネスの方々が言う、貧困のモデルっておかしいんですよ。

 そもそも、相対的貧困とか言い出す事自体が十分におかしい事だと思います。相対的貧困の定義で行けば、日本人の約16%が貧困になるそうです。16%と言うと、大雑把に言えば、6人に1人の割合ですよ。日本人の6人に1人が貧困? そりゃあ、絶対におかしいって。

 でも、そうじゃないと貧困ビジネスをしている人たちは困るんです。なんとしても、日本にも貧困な人がいてくれないと困るのです。そこで、こんなユルユルの変な定義を持ち出してきたんだと思います。

 やはり貧困の定義には、世界銀行が定めた貧困の国際定義である「1日1.9ドル以下で暮らしてる事」が適切だと思います。

 で、日本で貧困の国際定義を持ち出したら、該当者はほぼゼロ…ってか、そんな生活をしている人がいたら、生活保護の対象になってしまいます。

 ちなみに、夫婦に子ども二人の場合、生活保護の支給額は(地域によって違うけれど)年収ベースで考えると、約360万円になります。貧困の定義ラインである“年収7万2千円”なんて、かるく越えてしまいます。

 そもそも生活保護って、最低限の文化的生活を送れる程度の収入なわけで、そんな生活保護のラインよりも、相対的貧困とかで言う貧困ラインの方が、ずっとずっと上ってのはおかしいのです。

 つまり、相対的貧困という定義が、デタラメなんですよ。

 結論、世界の1割相当の人が貧困で苦しんでいるにも関わらず、ほぼほぼ貧困者のいない日本って、とても豊かな国なんだと思います。そんな国に生まれて、生活している幸せに感謝しています。

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2018年12月 8日 (土)

タニシを150匹迎え入れました

 以前、タニシは1年に1回、真夏の時期に100匹ほど水槽に入れて、それで終わり…ってやっていました。

 真夏のタニシは、かなり大きいです。たった100匹とは言え、量的にはかなりあります。それを金魚たちが長期に渡って食べていくのですが、8月に入れて…だいたいゴールデン・ウィーク前後まで保ちました。で、その後の2~3ヶ月、タニシのいない時期があって、そこは水槽の水草がやたらと食べられてしまったり、もうどうにもならなければ石巻貝を(エサにするには高価だけれど)購入していました。

 なぜ8月にタニシを入れていたのかと言えば、知り合いの農家さんからタニシを分けてもらっていたからです。ちょうどその頃なら、私にも時間があるし、農家さんの方も余裕があったので、それができたわけです。

 でも、その農家の方も高齢のため、牛飼いと田んぼを止めてしまった(畑は今でもやっています)ので、タニシをいただく事ができなくなり、今は業者からタニシを購入するようにしています。

 で、今回、水槽の中のタニシが寂しくなったので、業者さんからタニシを150匹購入したわけです。なぜ、150匹なのかと言うと…業者さんのタニシは、田んぼのタニシと比べると、かなり小ぶりなので、業者経由の150匹でも、田んぼの100匹よりも少ない感じがするからです。かと言って、200匹のタニシを購入するってのも…なんだかなあ…って思ってますので、150匹にしています。

 150匹のタニシは、申し込みの翌々日の夕方に宅急便で届きました(早い!)ので、すぐに(米を研ぐような感じで)洗って、一晩、濃いめの塩水と抗生物質水に漬け込みました。貝殻の表面についている雑菌を排除するためです。で、一晩たったら、今度は半日ほど真水に漬け込みます。思いっきり排泄してもらって、タニシのお腹の中を空っぽにするためです。それらを終えてから、ようやく我が家の水槽に入れます。

 150匹のタニシが入って喜んだのは、ルデンとシズカの、タニシ大好きコンビです。さっそくもぐもぐ食べてました。さあ、今度のタニシはどれくらい保つかな? 一年とは言わないけれど、せめて半年は保ってほしいなあ…。

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2018年12月 7日 (金)

結局、フルートは思いで吹く楽器

 フルートの音程を決めるのは運指です。ドの運指で吹けばドの音が出るし、ミの運指で吹けばミの音が出ます。

 何を当たり前の事を言っているのか!…とお叱りを受けそうですが、厳密に言えば、運指だけではフルートの音程は決まりません。なので「フルートの音程を決めるのは運指です」と断言しちゃうのは、ちょっと違います。

 確かにミの運指で吹けばミの音は出ますが、それは低音のミですか? それとも中音のミですか? って話です。この2つの音の運指は全く同じで、それを息の違いだけで吹き分けているわけです。

 もうちょっと言えば、それらと同じ運指で、高音のミも出ますし、中音のラも出ます。もっと他の音だって、出そうと思って吹けば出ちゃいます。これらは、いわゆる倍音って奴で、フルートは倍音を巧みに利用して、広い音域を確保している楽器です。

 なので、運指はもちろん大切ですが、いくら運指が正しくても、楽器に吹き込む息が適切でないと、正しい音程では吹けないし、全く違った音を発音する事すらあるわけです。

 そのあたりの事を、意識的であれ、無意識的であれ、熟知している奏者の音程は正しいし、音色は美しいのです。そこの意識が不足して、運指のみに頼って演奏している奏者の音程は不確かであり、音色もさほど美しくないのです。

 結局、フルートって、息なんだよね。息を楽音に変えて演奏する楽器だから、なんだかんだ言っても、息が大切なんだよ。

 息って何? って言えば、もちろん、人間の呼吸活動に伴う、主に呼気の事を言うのだけれど、おそらく、そういう理解ではダメなんだと、私は思ってます。

 息って“思い”なんだと思います。フルートをどう鳴らそうか響かせようかと思う“思い”なんだと思ってます。だから、音程であれ、音色であれ、どういう音で鳴らそうかという思いがまずあって、それを息で楽器に伝える事により、楽器は奏者の思いの音で鳴ってくれる…と私は考えています。だから、息は単なる呼気ではなく、奏者の思いであり、意思であり、もっと極端に言っちゃえば、魂であり、霊であるとすら思ってます。

 だから、フルートを吹くという行為は、奏者の思いを具体的な音に変換していく行為なんだと思ってます。

 オカルト気味の話だけれど、私は結構真剣に、そう信じています。

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2018年12月 6日 (木)

元気が良いのはダメなのです

 まずは声楽の話をしましょう。声楽では、元気の良い歌声はダメな声なのです。

 よく小学校あたりの音楽の時間に、先生が児童たちに向かって「元気にハキハキと歌いましょう」とか言っているけれど、あれはダメなのね。「ハキハキ」はともかく「元気に」はダメ、絶対にダメ。

 人は元気に歌おうとすると、全身に力をみなぎらせて歌ってしまいます。結果として、軽く怒鳴ってしまうわけです。で、そんな怒鳴った声(軽く歪んだ声だったりします)を聞いて、多くの人は「元気だなあ」と思うわけで、それを良しとするのは、日本人の感覚なのかもしれないけれど、少なくとも、クラシック声楽の世界では、元気な声はダメなのです。

 「じゃあ、声は腑抜けていた方がいいのかよ」

 いえいえ、そんな力みと一緒に魂まで抜けてしまったような声はダメです。じゃあ、どんな声がいいのか言えば…純粋な声(?)。教会堂に響き渡るとかっこよい種類の声が良いのです。柔らかいけれど密度の濃い声です。日本古来の発声のパターンにはない声なので、イメージ難しいね。日本人は詩吟の声とか義太夫の声、競りの声など、歪んだ声がDNA的に好きだからねえ…。

 次にフルートの話をしましょう。フルートで、元気の良い演奏は決して悪い演奏ではありません。曲によって、元気で快活な演奏は必要です。しかし、元気の良い音で演奏してはいけません。元気の良い音とは、息を吹き込み過ぎな音になりがちです。金管楽器なら、音が厚くなって良いかもしれませんが、フルートでは過剰な息は、音が割れてしまう原因になります。破鐘のような音でフルート演奏したら興ざめだものね。

 かように「元気が良い」という言葉は、普通の生活の中ではプラスの意味を持つ言葉であっても、これが音楽関連に向かって使われた時は、その指し示す内容をきちんと吟味して考えないといけません。モノによっては「元気が良い」が必ずしもプラスな結果をもたらすとは限らないのですから…。

 少なくとも、声楽とフルートにおいては、元気はそこそこで、美しさを余力で探し求める事ができるくらいが、ちょうど良いのかもしれません。なんとも難しい話です。

 “元気が良い”事よりも“美しい”事の方が優先順位が高い…と考えていれば、間違えていないと思います。

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2018年12月 5日 (水)

いつまでレッスンに行ける? いつまで音楽で遊べる?

 ちょっぴり切なくなる話をします。

 私もいい年したオッサンです。いや、爺さんかな? 孫はいないけれど、孫がいても不思議じゃない年だしね。今はまだ元気だし、収入もあるし、忙しいと言いながらも、音楽趣味を続けて、毎日を楽しく過ごしています。

 音楽趣味が無かったら、今頃、仕事のストレスで、ズタボロになっているかもしれません。そういう意味では、音楽で遊べてよかったなあと思ってます。

 で、その音楽趣味って、いつまで続けられるかしら?

 ポイントは、収入と健康と体力ですね。

 収入は…今は現役だから、なんとかなっているけれど、音楽趣味って、基本的にお金がかかる趣味なんですよね。レッスン代は安くないし、発表会や合宿があれば、万札がふっ飛びます。衣装代や楽器のメンテ代もかかります。年金ぐらしで、そんな生活、できるのかしら?

 健康には…自信がありません、全くありません。基本、病弱だものね、脆弱の虚弱だものね。今は健康でも、時がくれば、がっくりきて、ばったりになってしまうかもしれません。あと、何年、元気でいられるか? それ以前に、あと何年、生きて音楽できるのかしら?

 体力は深刻だよね。声楽にせよフルートにせよ、私は歩いてレッスンに通ってますので、歩けなくなったらレッスンにいけません。声楽にせよフルートにせよ、演奏する時は立ったままですか、起立し続けるのが難しくなったらできません。私はおデブちゃんだから、他人よりも、歩いたり立ったりするのが、早い段階でできなくなりそう。膝が壊れたら、一巻のおしまいだしね。

 それと、声楽のY先生は年下だから問題ないとして、フルートのH先生は、かなりのお年なんだよね。時折、引退をほのめかされるけれど、そんなに遠くない将来、H先生は引退されるだろうし、先生が引退されたら、それは同時に私のフルーティストとしての引退だろうなあって思ってます。だってね、一度、H先生のようなすごい人に師事しちゃったら、趣味のオジサン的には、次は無いよ(笑)。よほどの先生についたとしても、結局物足りなるだろうし、そうなると、お互いの不幸になるのは分かるもの。だから、H先生の引退は私の引退なんだけれど、H先生の引退も、すでにカウントダウン状態だから…ねえ。

 人の寿命には限りがあり、未来永劫、今日が続くわけではありません。やがて、私も、私の周囲の人も年をとり、衰えていきます。楽しい音楽の時間にも終わりがあります。

 ああ、あと何年、音楽で遊べるのかな?

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2018年12月 4日 (火)

世界最高クラスの吹奏楽のコンサートを聞いてきた

 少し前の話になりますが、世界最高クラス…だと思われる吹奏楽のコンサートを聞いてきました。もちろん、推定世界最高クラスなのですが、おそらく同意される方も大勢いらっしゃるかと思います。

 何を聞いてきたのかと言えば『自衛隊音楽まつり』です。出演部隊は以下の通りです。

陸上自衛隊中央音楽隊
海上自衛隊東京音楽隊
航空自衛隊航空中央音楽隊
陸上自衛隊東北方面音楽隊
陸上自衛隊西部方面音楽隊
陸上自衛隊第302保安警務中隊
防衛大学儀仗隊
自衛太鼓

在日米陸軍軍楽隊
米海兵隊第3海兵機動展開部隊音楽隊
バガッド・ド・ラン=ビウエ軍楽隊(フランス海軍所属)
シンガポール軍軍楽隊

 コンサートの開催自体は(連載の都合でタイムリーに記事をアップできませんでしたが)本当に素晴らしいコンサートでした。

 自衛隊…と聞くだけで、拒否反応を示す方もいらっしゃるかと思いますが、そういう偏見を取り除いて、純粋に音楽団体として見た場合、ほんと、自衛隊と言うのは、世界最高クラス演奏団体だと思いました。なにしろ、吹奏楽嫌いな私(ごめんなさい、でも巷の吹奏楽の演奏って苦手なんです)なのに、彼らの演奏には感動して、幾度となく感動の涙を流してしまったくらいです。私が嫌いなのは、吹奏楽ではなく、下手くそな吹奏楽の演奏だったのだと、よく分かりました。とにかく、音楽のジャンルを越えて、素晴らしい演奏だったのです。

 そもそも、吹奏楽の起源は軍楽だという説もあるくらいですから、自衛隊の演奏がピカイチなのも、そりゃあ当たり前と言えば当たり前の話なのかもしれません。

 それでは、時間を追って書いていきたいと思います。

 この(あえてこう書きますが)コンサート、実は無料公演なのです。インターネットで申し込みをして、当選すると入場券代わりのはがきが送られてくるのだそうです。で、このはがきのチケットがプラチナチケットで、まあ、簡単には当選しないのだそうです。私なんかは運がない人なので、こういう抽選式のコンサートって、まず当たりません。

 ちなみに、抽選に外れたら転売屋(いわゆるダフ屋、最近はネットで販売するケースが多い)に世話になる人もいらっしゃるみたいですが、その転売価格が高いです。そもそもタダ券なのに、10万円オーバーがザラです。元手がかかっていないのに、この高価格。ダフ屋もいい商売です。

 実はこのコンサートには、出演する隊員さんが家族や知り合いに配るチケットがあります。いわゆる、関係者チケットって奴です。これははがきではなく、普通のチケットなのですが、私の知り合いに、今回のコンサートに出演される隊員さんがいましたので、その方からいただいたチケットで入場しました。別に不正は働いていないし、チケットを分けてくれた隊員さんの演奏は、一生懸命応援したしね(義務は果たしたぜ!)。

 会場は日本武道館です。全席自由席という事もあって、事前に“行列が出来る”と聞いていたので、開場時間の1時間前に現地に到着したのですが、その段階で数百メートルもの入場待ちの行列が出来ていました。ちょっと目がくらみました。足の骨折を抱えているのに、1時間も屋外でただ立って待っているだけ…と言うのも、なかなかつらい体験でした。

 やがて開場時間になり、行列もどんどん前に進み、やがて日本武道館にたどり着きました。入場直前に手荷物検査を受けました(テロ対策としては当然だね)。武道館には正面である南側から入ったのですが、私が入った段階で、正面席はすでに満席。そこから西側に移動していったのですが、私が確保できた座席は、一階の南西席と西席の境目の席で、舞台をほぼ真横から見るような感じの、観劇的にはかなり残念な座席になりましたが、代わりに舞台上部にある特大モニターがよく見える席だったので、まあ良しとしました。

 それにしても、要所要所で案内をしている人も、当然隊員さんなんですが、彼らは実に有能です。あれだけの大人数を、何の迷いもなく、極めて適切にスムーズに案内するんですよ。なので、ほんの短時間で、大きな混乱もなく、観客達はスムーズに着席できちゃうんですよね。いやあ、自衛隊って有能優秀。

 私、日本武道館に入ったのは、これで人生二度目[最初は若い時にビリー・グラハム師の集会に出演者(合唱団メンバーです)として入って、ハレルヤコーラスを歌いました]で、全く不慣れな場所で、なかなか落ち着けなかったのですが…いやあ、武道館って、施設としては古いなあ…。座席は小さいし、冷暖房はダメダメだし、客の動線も良くないし、バリアフリーからは縁遠いし…。なにしろ、ここでビートルズは歌っているわけで、音楽ホールとしては、もはや骨董品だよね(って、ここは音楽ホールじゃなくて、武道館だってば:笑)。

 演奏は、最初に書いた通り、感動&感涙ものでした。音楽には力があるから、きちんと演奏するだけで、人の魂を揺さぶるんですね。普段は、プロアマ含め、なかなかきちんとした演奏を聞くことが少ないので、感動しにくいのです。特に吹奏楽は、アマチュアの音楽ですから、稚拙な演奏も多く、感動しにくいです(ごめん)。

 それにしても、各部隊とも、本当に上手です。歩きながらのマーチング形式で演奏していたのですが、高い水準で行動も音楽も一糸乱れないのです。これを見ちゃったら、他のマーチングは見られません(ほんと、ごめん)。とにかく、すごいです。

 特に日本の部隊は、どの隊も完璧な演奏で、最初は録音を流しているんじゃないかと錯覚するくらいに、あらゆる意味でバランスの取れたスキのない演奏をしていました。あと、最近話題の自衛隊の歌姫の方々が5人も出演されて、眼福でございました。

 ゲスト出演された、外国の部隊もそれぞれに個性的でした。日本の部隊は、いわゆる吹奏楽を演奏したのですが、アメリカの部隊は…ありゃあ吹奏楽ではなく、ブラスロックだね。とにかく、どの曲でもエレキギターが唸る唸る…、アルトサクソフォーンがバリバリ吹き鳴らすわけです。あと、日本の部隊は歌姫がスタンダードナンバーでヴォーカルを取りますが、アメリカの部隊では男性歌手(テノールだね)がロックナンバーでヴォーカルを取ります。お国柄の違いが出ます。

 フランス軍は、バグパイプとチャルメラ(ってラーメンじゃないよ、小型のオーボエね)が大活躍していましたし、シンガポール軍はダンサーさんが大活躍してました(たぶん、あのダンサーさんも兵士なんだろうね)。

 中でも、私が一番感動したのは、第302保安警務中隊の皆さんの行進です(音楽じゃなくてごめん)。この方々は、いわゆる“特別儀仗隊”の方々で、音楽の演奏は一切しないで、ただただ会場を行進し、持っている銃剣を上げ下げするだけなのですが、それがとっても感動的なのです。この方々、普段は、我が国を訪問される国賓の方々を迎える役目の兵隊さんで、他国では近衛兵と呼ばれる仕事をしている方々なのです。やっている事は、ただの行進なんだけれど、それがとても美しいし感動的なのです。彼らの素晴らしさを表現する言葉を私は持ち合わせていませんが、とにかく素晴らしいのです(詳しくは、下に貼った動画を見てください)。

 防衛大学校の儀仗隊の皆さんは、ファンシードリルを見せてくれました。正直、第302保安警務中隊の後では、学生さんたちの動きは見劣りしてしまいます(ごめん)が、第302保安警務中隊の方々は、ただ行進するだけですが、防衛大学校の皆さんはダンス的なフリもあり、なかなか見応えありました。最後に空砲で一斉射撃をするのですが、その爆音に、私は耳を持っていかれました。よく、大きな音を聞いて、耳がツーンとすると言いますが、私はアイスピックで両耳を刺されたような痛みを感じました。いやあ、マジで痛かったです。もっと前の席で聞いていたら、マジ、ヤバかったかもしれません。

 自衛隊と言えども、音楽を演奏する部隊の隊員の皆さんはミュージシャンなわけで、我々一般人と比べると、かなりガタイはいいと言うものの、それでも一般人の範疇の体格なのですが“自衛太鼓”と呼ばれる和太鼓を演奏する隊員の皆さんは一般隊員なんだそうです。自衛太鼓は一般隊員の方々の“部活動”として活動されているという事で、その演者もみな一般隊員の方なわけで、ほぼ全員、レスラーのような体格をしていました。みんな、肩からふともものようなモノが生えているんですよ(笑)。そういう人が二百名前後登場して、それぞれが和太鼓を叩きまくるんです。

 これ、すごいなんてもんじゃないです。

 音って、普通は耳で聞くものですが、この自衛太鼓は耳ではなく、全身で聞きます。いや、全身で聞こえちゃいます。肘や膝で音が聞こえます。足の裏やお尻でも音が聞こえます。胸や腹や背中でも聞こえますし、指先なんて、ハミングをしている時の口腔みたいにビリビリ震えます。音は振動だ…という事が理屈抜きで体感できます。その音圧だけで感動します。『雷鳴』という曲を演奏していましたが、本物の雷鳴よりも、もっと雷鳴でした。この凄さは、録音や中継では伝わりません。実際、この下に貼った公式動画でも、自衛太鼓のパートは音声トラブル?のために大きくカットされているしね。

 休憩なしの2時間のコンサートでしたが、ほんと、あっという間に終わってしまいました。コンサート自体はネットでも中継されましたし、その動画もネットには残っていますし、ここにも貼りましたが、このコンサートの本当の素晴らしさは、やはり直接会場に行って、その目で見て、その耳で聞いて、全身で音楽を感じないと分からないと思いました。下の公式動画でも、その魅力の1/100の伝わってないもの…。いや、ほんと、実際はこんなモンじゃなかったんだよ。

 こんな音楽体験、しようと思って出来るものじゃありません。そういう意味では、よい経験ができました。チケットを分けてくれた隊員さん、ありがたやありがたや…。

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2018年12月 3日 (月)

テノールとバリトンの違いは、気持ちとテクニックの問題でしょ(クイーンの話)

 映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしているそうです。私も見てきました。私の感想としては「映画としては、かなり面白いけれど、クイーンを見たけりゃ、ミュージックビデオ集を見た方が楽しめるなあ…」って感じかな? 

 私の個人的な感想はさておき、映画のヒットと一緒にクイーンとフレディ・マーキュリーが再注目されているそうです。クイーンのファンとしては、嬉しい限りです。

 で、そのフレディの声の話。最新の研究成果では、フレディの声はバリトンなんだそうです。ただし、バリトンと言っても、かなり高いバリトンで、いわゆるテノリトンとかバリノールとか呼ばれるタイプの声だったみたいです。

 私としては「だからどーなの? フレディの声はテノールでしょ?」って思ってます。

 ノド(声帯)と声って、密接な関係はあるけれど、必ずしもイコールではないわけです。もちろん、声はノドの制限を大きく受けるわけで、いくら努力しても物理的に無理な事は無理なのです。テノールのノドの人がバスは歌えないし、その逆も無理。この2つの声種の間には、広くて深い谷があるからです。

 でも、テノールとバリトンの間にある谷は深いけれど、そんなに広いわけではありません。人によっては、ぴょんと飛び越えることが可能な程度の広さだったりします。

 実際、世界的なテノール歌手たちも、そのキャリアの初めはバリトンだったと言う人は、たくさんいるし、テノールでありながらもバリトンの歌も歌っちゃう人もいます。有名なところでは、ドミンゴがそうだし、デル・モナコやベルゴンツィなんかもそうです。現役歌手で言えば、彼らはバリトン役は歌ってませんが、クーラやカウフマンなどのノドは、おそらくバリトンでしょ。

 持っているノドがバリトンであっても、テノールでありたいという強い気持ちと、発声テクニックがあれば、テノールとして活躍できます。

 だから、フレディのノドがバリトンであったとしても、彼の声はテノールなのです。だいたい、あんなエキセントリックな性格の持ち主がテノール以外の声で歌いたいとは、絶対に思わないでしょ? フレディなんて、典型的なテノール気質じゃない?

 あと、フレディの声域が4オクターブではなかったと記事に書いてあるけれど、この世に4オクターブの男声歌手って存在するの? 滅多にいないよ。

 大抵の男声歌手の声域って、いくら広くてもせいぜい2オクターブ前後です。むしろ2オクターブも出せれば、声域は広い方です。

 ちなみにバスの最低音からテノールの最高音までが、約3オクターブです。もし4オクターブの声域を獲得したいなら、バスからカウンターテナー(音域的にはアルトですね)までの声を駆使しないといけません。たまに、本業はバス歌手だけれど、たまにカウンターテナーも歌いますという歌手さんもいますが、そういう人は確かに音域が4オクターブ…って言えるかもしれませんが、そういう方って、途中の声域が中抜けだったりするんだよね。つまり、テノール音域がうまく歌えなかったりします。

 フレディの声は中抜けじゃないし、バス歌手のような低い声は出していません(し、出ないでしょう)。声的には、普通にテノールであって、声域的にも極端に広いわけではありません。実際、クイーンの多重録音されたコーラスの中でも、高いパートはフレディじゃなくて、ロジャーが歌っていますので、実はフレディって、そんなに高音が得意な歌手ではないのかもしれませんが…高音が得意ではないテノール歌手なんて、掃いて捨てるいるので、そこは問題ではないと思います。

 それにフレディは、声の高さとか声域の広さで勝負している歌手ではありません。密度の濃い声と、説得力のあるヴォーカルテクニックとで、独自の世界観を表現している唯一無二の歌手なわけです。フレディの前にフレディなし、フレディの後にフレディ無しです。私はそう信じてますです。

追伸 最近のクイーンは、三代目のヴォーカリストである、アダム・ランバートと共に活動しています(二代目は、バッド・カンパニーのヴォーカルでもあるポール・ロジャースでした)。しかし、あまりにフレディが偉大すぎて、現在のヴォーカリストさんが全く注目されないというのも、困ったものです。いつまでも過去にしがみついていても仕方ないし、死んじゃったフレディが生き返るわけじゃないし…ねえ。

 というわけで、最近のクイーンって、こんな感じのようです。

 これはこれで悪くないと私は思いますよん。

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2018年12月 2日 (日)

日本って豊かだよなあって思うとき

 私は現代日本に生まれ、そこで生活できることに幸せを感じていますし、この幸せを自分の子どもや子孫たちにも享受してもらいたいと思ってます。とにかく、平和である事、経済的に豊かである事は、とても大切でとても幸せな事だと思ってます。

 特に、豊かである事で得られる恩恵には感謝するしかないと思ってます。ほんと、日本って豊かだよね。

 で、こんな私が「日本って豊かだよな」と思う瞬間って、あれこれあるのですが、その中から、私が特に「日本って豊かだよな」と感じる事を3つばかり書いていくのが、今回の記事の趣旨です。ほら、自分たちが幸せである事を自覚し、感謝するって、大切な事だものね。

1)引きこもりが許される事

 引きこもり…いわゆる“ニート”ですが、彼らの存在が許されてしまう日本って、ほんと豊かだと思います。もちろん、家族に引きこもりがいる家庭は、本当に大変だと思いますが、大変だ大変だと言いながらも、引きこもった家族の生活(と遊興)の面倒をみられるほどに、日本の社会は豊かなんだと思います。

 貧しい社会なら「働かざるもの食うべからず」です。日本だって、バブル経済期以前なら、そうだったと思います。学校を卒業した“いい年した大人”が「働いたら負け」とか言いながら、毎日遊んで暮らせるなんて、ほんと、リッチでゴージャスな生活ですって。貧しい社会なら、そんな遊び人を養えるような余裕は社会にないし、家族だって、そんなゴク潰しを養えるような余裕はないし、そもそも貧しい社会には遊びだってあってないようなモノですから、本人も働くしかないし…。

 引きこもりって、褒められた存在ではないけれど、彼らが存在出来る社会って、極めて裕福で余裕のある社会なんだと思います。

2)子どもでもiPhoneを持っている事

 日本の一般的な家庭の場合、子どもが中学生や高校生になると、スマホを買い与えるようです。統計によれば、高校生の95%はスマホを所持しているそうですし、ウチも息子に高校生の時にスマホを買い与えたと思います。

 で、ウチの子には、iPhoneを買い与えました。別に深く考えたわけでもなく、親たちもiPhoneを使っているから、息子にもiPhoneを…程度の考えです。これまた統計によると、高校生が所持しているスマホのうち、iPhoneが占める割合は60%超であり、女子は70%ほどにもなるそうです。つまり、大半の高校生はiPhoneユーザーであると言えます。

 でもね、iPhoneって、Appleという意識高い系の会社の高級なブランド品なんですよね。

 スマホには、iPhone以外にもAndroid系のモノがたくさん販売されていますし、実際、世界では、圧倒的にほとんどの人は、iPhoneではなくAndroid系のスマホを使っています。そのシェア率は90%前後にもなるんだそうです。

 Android系のスマホは、OSがオープン規格なので、世界中のメーカーが製造していますので、高級機から廉価機までラインナップは広く、価格の幅も広く、我々日本人は滅多に見ませんが、中国製のスマホなんて、本当に安いんですよ。スマホを実用本位で考えれば、別に中華なスマホでも問題はないわけで、世界中の人たちは、そういった安いAndroid系のスマホを使っているんです。

 でも日本人は、先の高校生じゃないですけれど、国民の70%超の人たちがiPhoneを使っているんです。これって、日本だけに顕著な現象なんですって。iPhoneの本国であるアメリカですら、iPhoneユーザーは40%前後で、残りは当然Android系です。だいたい、Android系のスマホユーザーよりもiPhoneユーザーの方が多いのは、日本ぐらいなのです。

 つまり、日本人はみんな、高級ブランド品であるiPhoneを愛用している。それも大人だけでなく、子どもたちもiPhoneを持っている。それほどに、日本は豊かである…って事なんです。

 すごいよね。

3)出入国管理法が野党の反対を押し切って改正されちゃうほどに、外国人労働者が増えちゃう事

 出入国管理法については、私も言いたいことや心配することが山のようにありますが、今回はそれには触れません。ただ、法律を改正する事で、これからの日本には、多くの外国人労働者が増えるでしょう。それは日本が外国人労働者を必要としているという事実がある一方で、外国人たちも日本で働きたがっているという側面があります。

 豊かな国には、周辺諸国の貧しい国から仕事を求めて多くの人が集まってきます。ヨーロッパやアメリカは現にそうであるし、日本もそっちへ舵を切るんだろうなあって思うわけです。

 逆に貧しい国からは国民が逃げます、脱出します。あるいは避難したり、捨てられたりします。かつての日本がそうだし、隣国の半島の国がそうだし、今も昔も近所の超大国じゃあ人民が国を捨てて海外に逃げちゃうのはデフォルトです。

 貧しい国からは人々が逃げ、豊かな国には人が集まってくる…なんとわかりやすいのでしょう。

 つまり日本は、出入国管理法が改正されちゃうくらいに、豊かって事なんです。

 ああ、わかりやすい。でも、不足している労働力を補うために外国人労働者を入れるのは全然構わないけれど、日本人の職場を奪ってしまうほど外国人労働者を入れるのは、ちょっと困りモノです。

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2018年12月 1日 (土)

金魚水槽の水換えは、もう少し頻繁に…

 つい先日、ようやく金魚水槽の水換えをしました。今回の水換えは、前回の水換えから、なんと8週間も空いてしまいました。つまり、丸二ヶ月、水換えをしなかったわけです。

 とりあえず、病気などは発生せず、金魚たちは健康に過ごせましたが、本来やるべき事を溜めていたので、あれこれ大変でした。

 まずは、金魚が食べ終わったタニシの殻を回収して捨てるのですが、今回コップに二杯分のタニシの殻を捨てました。いやあ、大変。いやあ、たくさん。タニシは金魚の生き餌なので、食べるのは全然かまわないのですが、それにしても食べる量が多くて大変でした。

 実は今回の水換えをしなかった期間、一度水草が無くなってしまった事があります。ナゼ無くなったのかと言えば、金魚たちが食べちゃったからです。金魚は、普段、おやつとして水草を食べています。水草は食べやすいので、まずはここから減るわけです。で、それを食べ終わると、次にタニシが食べられます。タニシは(金魚的には)美味しいようですが、水草と比べると、食べるのが大変なので、水草を美味しく食べられる時期は、あまりタニシは減りません。水草を食べ尽くしてしまうと、面倒臭さを乗り越えて、タニシが減り始めます。まあ、そんなモンなんです。で、今回は水草が無かった時期が少々あったので、それでたくさんのタニシが食べられてしまったわけで…その片付けが溜まってしまっていたわけです。

 ポンプのフィルターの汚れがすごかったですね。ま、当然と言えば当然なのですが、本当にめちゃめちゃ汚れきっていました。

 水を替えなかったので、水槽の砂利の汚れもすごかったです。砂利の掃除にも手間がかかりました。

 というわけで、人間にとっては、水槽の水換えは、溜めてしまった分だけ手間暇がかかりましたが、金魚にとっては、水を含めて、様々な環境が激変したわけで、本当はその変化を最小限にとどめてやらなければいけないわけで、そういう意味でも、水換えはこまめにやるべきなのです。

 でもね、ここ二ヶ月は、本当に忙しかったんだよ。

 次は年末に大掃除を兼ねて、水換えをしてあげるつもりです。

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