ひとこと

  •  放送業界&家電業界では、4K、8Kのテレビ放送で盛り上がっているみたいです。皆さん、4Kのテレビって欲しいですか? 私は廉価ならば欲しいですが、高価ならばパスです。だって、ウチのテレビって42型だもの、そんなに大きくないもの。DVDとBlue-rayの画質の違いだって分からないくらいだもの、4Kや8Kの画面を見ても、たぶん、その美しさは分からないんじゃないかな? いや、それ以前に、アニメとかバラエティとかドラマとかを、そんなに美しすぎる画面で私は見たいのか…って話です。もちろん、廉価なら見たいですが、たぶん最初のうちは高価だよね。100万円以上もするようなテレビは、よう買わんですよ、私。私に買って欲しければ、まずは10万円程度にしてください。話はそれからです。

お知らせ

  • ●2018年秋の本番のお知らせです。●門下の発表会は、次の通りです。●2018年11月18日(日) 横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール 13時開場 13時30分開演です。●こちらは一番下手っぴなのが私なので、最初から聞いても面白いと思います。全体で2時間程度の発表会です。私の出番は二回に分けてますが、最初の出番は14時前後になる予定です。●レスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」●ドナウディ作曲「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」●ヴェルディ作曲「椿姫」より「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」●そういうわけで、一つよろしくお願いします。
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2018年11月の記事

2018年11月15日 (木)

科学の発達と日本の音楽家の将来

 科学が発達すると、私達の生活は少しずつだったり、大きくだったり、とにかく変わっていきます。それはどの分野においてもそうなのです。で、生活が変わると、時代に合わせて新しい商売が生まれて繁盛する一方で、今までブイブイ言わせていた職業がダメになり、失業者や廃業者が出てくるわけです。

 社会的な新陳代謝が生じるわけです。

 例えば、プラスチックの普及で竹細工が壊滅したり、給湯器の普及で銭湯が壊滅したり、アマゾン等の通販が繁盛する一方で、街の書店が潰れていったり…とまあ、我々が生きてきた時代の中でも、そういった新陳代謝が行われていったわけです。

 プラスチックの普及で竹細工は壊滅したけれど、プラスチック加工業という産業が出てきて、今や大繁盛しているし、銭湯は無くなったけれど、給湯器会社は、それこそ給湯器は一家に一台の時代ですから良い商売だし、街の書店は潰れたけれど、運送業を圧迫するほどに通信販売は大盛況だったりするわけです。

 それが進歩と調和って奴だな。

 で、翻って、我らが趣味であるクラシック音楽業界を見るならば、この音楽は“クラシック”と名乗っている事から分かる通り、古典的で古い様式で古い形態の音楽なわけです。昔々は、みんながみんな、ロッシーニだとか、ワーグナーだとかに熱狂していたわけで、そんな良い時代があったものです。

 けれど、今の時代、みんながみんな、ロッシーニに熱狂したり、ワーグナーに熱狂したりするわけ? しないよね。むしろ大衆たちはクラシック音楽にそっぽを向き、このジャンルの音楽は、もはや好事家たちが細々と悦に入って楽しんでいるに過ぎない音楽であって、そういう意味では市場としては極めて縮小してしまったわけだ。

 ただ、以前は西欧だけで楽しまれていた、単なるローカル音楽だったクラシック音楽も、今は全世界的に楽しまれるようになり、そういう意味では市場は拡大しているわけよ。広がっているわけよ。

 一方では小さくなり、一方では大きくなる。そのバランスの中で、クラシック音楽は何とか命脈を保っていたのだろうと思うけれど、私が思うに、今やクラシック音楽は、広く薄く深く楽しまれている…って感じかなって思います(笑)。広い地域で、少数の人たちが、オタク的に楽しんでいるのが、今の時代のクラシック音楽の普及具合って感じです。

 で、そうやって、広く薄く深く楽しまれているクラシック音楽界だけれど、そこに科学の進歩って奴が襲いかかっているわけです。

 最初に襲いかかってきたのは、録音技術って奴だと思います。録音技術が普及しはじめたのは、20世紀初頭です。それまでの音楽と言うのは、生演奏が基本であって、音楽を聞きたければ、音楽家に演奏してもらわないといけなかったわけです。でも、録音技術が発達し、その再生装置が普及してくると、わざわざ音楽家に演奏してもらわなくても、レコードをかければ音楽が楽しめるようになったのです。それも、一流の演奏家の演奏が…ですよ。それもノーギャラで!

 そのおかげで、街の飲食店などで演奏していた音楽家たちは失業してしまったでしょうね。だって、彼らにギャラを支払って音楽を演奏してもらわなくても、一流の演奏がいつでも無料で(もちろんレコード購入という初期投資は必要だけれど)聞けるようになってしまったのですからね。

 さらに言えば、我々極東の地の果てに棲んでいるような人間にも、レコードを通して、本場の一流の演奏家の演奏を楽しむ事ができるようになったわけで、録音技術万々歳です。

 次に襲いかかってきたのは、航空機サービスです。つまり、気軽に飛行機に乗れるようになり、海外へもラクラク出かけられるようになったわけです。これは戦後の昭和の時代に実現しました。

 それまでは、録音は軽々と海を越えて広がっていきましたが、実際の演奏家たちは、それぞれのホームグランドでの活躍がメインで、なかなか演奏旅行には行けませんでした。だって、当時の演奏旅行は遠路は船旅だもの。近いところは鉄道が使えますから、なんとでもなりましたが、遠く海外の国へは船でしかいけなかったわけです。船旅って、何ヶ月も時間がかかるんだよね。そうなると、音楽家たちもおいそれとは演奏旅行にはいけないわけで、それぞれの地域に、それぞれブイブイ言わせていたローカルな演奏家たちが頑張っていたのです。

 でも、航空機が発達して、今や一流の演奏家たちは、ジェット機を住処として、毎日、世界中を飛び回っています。おかげで、我々は極東の地に棲みながらも、世界一流の演奏家たちの生演奏を聞くことができるようになりましたが、その代わり、ローカルな演奏家たちの権威は貶められ、多くの方々が稼げなくなり、廃業せざるをえないはめになりました。

 だって、ローカルな人のつまらない演奏を10回聞くならば、超一流の素晴らしい演奏を1回でも聞ければ、うれしいと思うわけじゃない?

 次にやってきたのが、放送です。昨今の高解像度カメラによる映像やらインターネット配信なども、広い意味ではここに入ってくるかなって思います。

 それまでは、世界一流の演奏とは言え、その演奏家だけがやってくるのが普通でした。例えば、オペラで言えば、主演歌手は世界の一流だけれど、オーケストラや脇役歌手、合唱や裏方のスタッフは現地調達が原則でした。だって、全部を全部連れてくるのは無理だし、費用もかかりすぎるしね。

 でも放送ならば、現地の演奏をそのまま全世界に配給できちゃうんですよ。昔はテレビ放送で、やがてビデオ販売になり、今やインターネット配信も可能です。例えば自宅で、ベルリン・フィルの最新公演を楽しめちゃうわけです。すげーな。私がよく楽しんでいる、メトのライブビューイングなんか、歌手のアップは見れるし、楽屋話は聞けるし、字幕は付くし…生の演奏よりも楽しめたりするでしょ?

 放送が普及して、今まで起きてきた事が繰り返されます。世界の一流の演奏を気楽に楽しめるようになれば、邦人演奏家たちによるローカルでそこそこな演奏は自然と見に行かなくなります。

 こうして、世界の一流どころの演奏が世界に蔓延し、彼らはウハウハと儲かりますが、彼ら以外の音楽家たちの需要は減っていきます。仕方ないね。やむをえないので、そういう音楽家たちは、よりニッチで無名な音楽ジャンルに活路を見出すか、それも難しければ音楽家を廃業していくしかありません。

 だからどーしたと言われても困りますが、それが世の中の流れです。

 知り合いの娘さんが音大をヴァイオリンで卒業されたのだけれど、卒業後、全然演奏する場が与えられず、本人はもちろん、親もその事態を悲しんでいて、娘にどうにか演奏の場を与えられないかと、プロの音楽家として生計を立ててほしいと、あれこれ画策&暗躍している姿は実に涙ぐましいのですが、そんな事態になるのは、彼女が音大に進学する以前から分かっていた事なのに、何をいまさら…と他人の私は思うわけです。今の時代、中途半端な実力の音楽家は生き残ることはできないのです。

 大学さえ出れば何とかなる…と親子ともども思っていたようですが、世の中、そんなに甘くありません。音大も商売だから仕方ないとは言え、音大は音楽の専門家を過剰に輩出しすぎだと思います。音大なんて、卒業生を今の1/100にしても、それでもまだ卒業生多過ぎ…って感じじゃないかって思わないでもないです。

 ああ、なんともまとまらない事を、ウダウダと書き連ねてしまった。そういう日もあるって事で、ご勘弁。今日は本当に、まとまってないね。

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2018年11月14日 (水)

声は減るけれど、楽器は減らない

 私が音楽の練習をする時に、いつも頭の片隅で考えているのは「声は減るけれど、楽器は減らない」って事です。

 声って減るんですよ。無論、減ったままではなく、回復だってするんだけれど、声の減っていく速度と比べると、声が回復していく速度って、本当に遅くって「一晩寝れば回復する」ぐらいな感じなので、いつも“声の減り”についてばかり考えています。

 歌の練習をするにしても、いかに声を使わない練習をしていくか…を積極的に考えています。だって、声を使うと減っちゃうからね。

 例えば、歌詞を暗記する時は、まず歌いません。そんな事で声を使ったら、もったいないじゃない? ブツブツブツブツ言いながら、歌詞を暗記します。リズム練習の時も声は使わない。手を叩いたり、しゃべり声でラップのような感じでリズムの練習をします。メロディー練習の時は…やむなく歌いますが、全体のメロディーを覚える時などは、1オクターブ下げたり、そこまで下げなくても、何度か音程を下げて、なるべく声が減らないように工夫しています。

 バッチリ歌うのは、一日最大1時間程度に抑えています。それも休み休みね。

 そこへいくと、楽器って減らないんですよね。自宅で練習している時も、時間があればあるだけ、ずっとフルート吹いてます。最近はめっきり練習時間が減ってしまったので、なるべくフルートを吹くようにしています。フルートを吹く事で、呼吸筋や指の筋トレをしているようなつもりになっています。

 フルート合宿に行ったりすると、ほんと、朝から晩まで、結構長時間、フルートを吹いてます。歌じゃ考えられない事やってます。

 昔、合唱団に所属してした時は、よく歌っていましたね。合唱団の通常の練習って、1
回約3時間でしょ? 夏合宿とかに行くと、朝練、昼練、夜練を合わせると、1日10時間程度の練習時間じゃない? ほんと、よく歌っていました。

 「合唱団でそんなに歌っていたなら、声が減って練習になるはずないじゃん、声が減るって、嘘だろ!」

 いえいえ、声が減るのは嘘ではありません。歌うと行っても、個人で声楽の練習をしている時は、練習中、結構みっちり歌っています。だから、休み休みを心がけないと、ついつい歌いすぎてしまうくらいです。なので、1時間歌えば、もう限界です。

 合唱の練習って、歌っていると言いながら、練習中は、実は圧倒的に歌っていない時間の方が長いんですよ。3時間の練習と言いながらも、それぞれ個人に注目すると、実際には1時間も歌っていません。やはり合唱となると、他のパートの練習の時は、お休みだし、曲を歌っている時だって、案外、曲中にお休みの時間があって、案外歌っていないのです。と言う訳で、声楽と合唱では、練習時間中の歌う量が、そもそも全然違うので、合唱では、声ってあんまり減らないんだよね。

 とは言え、私の場合、合唱団の3時間の練習中の前半の90分で、声を使い切っていて、後半の練習では声が無くなることなんて、しょっちゅうだったけれどね(爆)。練習で(良い意味で)手を抜く事を知らなくて、いつもいつも全力で歌っていたから、あっという間に声が無くなっちゃったわけです。上手な合唱歌手たちは、そこのあたりの使い分けが上手なんだよなあ…。

 まあ、このように声は減ってしまうので、いかにして声を使わない練習をするかで頭を悩ましますが、楽器は減らないので、考える暇があったら、ガンガン練習するべきなんだよね。暇さえあれば、楽器に触っていて、音出していて、常に練習している…が理想なんだと思います。

 もっとも、楽器の練習は楽器がないと出来ません。道を歩きながらとか、昼食食べながらとかの練習は、まず無理です。でも歌だと、道を歩きながらでも鼻歌歌って練習できるし、昼食食べながらでも、歌詞の暗記をしたりとかはできるわけで、スキマ時間を使って練習できるのが、歌の練習だったりします。

 なので、トータルで考えると、私の場合、フルートよりも声楽の方に多くの時間を割いているような気がします。なにしろ、出勤時は、ポケGOやりながら、レコ勉しているもんなあ。ちょっと空いた時間は発声の事を考えたり、歌詞の反復練習していたり…そういうスキマ時間に行う練習だけでも、フルートと比べると、圧倒的な練習時間の違いになるわけです。

 楽器は減らないけれど、楽器が無いと練習できないし、音を出しちゃダメな時間や場所では練習できません。そういう意味では、声楽よりも器楽の方が練習しづらいモノなのかもしれません。

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2018年11月13日 (火)

お気に入りのペンが見つからない(涙)

 私はめったにモノを無くさないのですが、今回ばかりは、本格的に無くしてしまったようなのです(涙)。

 何を無くしたのかと言うと…ペンです。シャーペンとボールペンを1本ずつです。両方とも比較的高価なもので、シャーペンは、当時母が勤めていた会社から子女が入学すると入学祝いがいただけて、それでもらったシャーペンです。私の名前が刻印されたずっしりした金属製の高価なパーカーのシャーペンです。ボールペンの方は、当時勤めていた社長さんからクリスマスプレゼントとしていただいたシャネルのボールペンで、こちらも高価なペンです。2本とも良い品物で、使えば使うほど手になじんでくるもので、なんだかんが言って、三十年以上愛用していました。

 普段は背広の内ポケットに入れて、日用に使用していました。背広を着ない夏場は、ペンケースに入れていました。そうやって三十年以上の時間過ごしてきたわけです。

 で、今年も衣替えの時期が来て、背広を着る季節になりました。そこで、これらのペンを内ポケットに入れようとしたところ、見つかりません。てっきりペンケースに入れてあるものと思いましたが、入っていません。身の回りをあれこれ探したのですが、どこにもありません。

 おっかしいなー…。

 別にペンなら、売るほどたくさん持っています。特にアメニティグッズとしていただくプラ製のボールペンやシャーペンなら、腐るほどたくさん持っています。現に今も、代用品として、某省庁でいただいたボールペンとシャーペン(普通にいただくモノより、良い品なんですよ。さすがは某省庁)を胸に刺してますが、いくら某省庁のネームが入っているとは言え、プラ製なんですね。いい年したオッサンが人前で日用に使うには、ちょっと恥ずかしいレベルです。

 筆記具は値段じゃないですし、あくまでも値段よりも使い勝手を優先するべきなのですが、それでもオッサンはオッサンなわけで、オッサンが持ち歩くのにふさわしいモノってのがあるわけです。オッサンがプラ製のペンを持ち歩くのって…ダメでしょう。

 ブランドのペンは、まだ持っていますが、どれもこれもベテランの古いものばかりなので、これを機に最新の筆記具を持ち歩くことにしました。時代に追いつかないとね。

 で、選んだのが、このペンです。

 値段は…全然安いです。実は私、高価なペンを無くしたのは今回が始めてではないのです。以前にも高価な万年筆を2本同時に無くした事があって、あの時も、凹んだなあ…。とにかく、筆記具って手に馴染むだけあって、無くすと凹むんですよ。なので、それ以来、購入する筆記具は、無くしても凹まないモノ…と決めましたので、こんな感じにしました。

 無くしても凹まない…けれど、オッサンが持っていてもおかしくない。という線でのモノ選びです。

 機能的にも、シャーペンと黒赤のボールペンが一つにまとまっていて便利だし、書き心地も最近の製品だけあって悪くないです。デザインに渋さがありませんが、それは値段を考えれば仕方がないです。まあ、私が持つのですから、これでも上等でしょう。

 それにしてもオッサンは、日々のモノがあまり安く上がらないのが困りモノです。若い時は、平気で安物を使い倒していたんだけれど、年を取ると、もうそういうわけにはいかないんだな、とほほ。

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2018年11月12日 (月)

そこまで鼻に声を入れて良いのだ!

 私はよくコンサート等、生演奏を聞きにいきます。プロの演奏も聞けば、アマチュアの発表会にも行きます。プロのコンサートは、自分のは耳を幸せにするため、楽しみのために聞き、アマチュアは勉強のために行きます。

 プロの方々の演奏は、みな完成されていて、すごいな、素晴らしいなとは思うものの、あまりの完成度に、学ぶべき点というのは、あまりありません。

 例えば先日聞きに行ったプロ歌手のコンサートで、レスピーギの「舞踏への誘い」を歌っていました。ちょうど、私もこの歌を練習していたので、興味深く聞き、ああ、こんなふうに歌うと良いのだなと思い、ぜひ真似してみようと思ったものの、いざ真似しようとしたところで、全然近づけませんでした。真似どころの騒ぎじゃありません。いくら真似しようと思っても、私が歌うと、全然別物なんですね。

 で、その話を声楽のY先生にしたところ「一流の歌手の真似が出来る人は、その人自身も一流の歌手なんだよ」との返事が返ってきました。まあ、そうだよね。ものまねが簡単にできて、それで通用するなら、誰も真面目に声楽なんて学ばないって。

 そのようにプロの演奏は、聞いて楽しむものであって、学ぶ事はあまりないのですが、それでも最近は多々思う事もあります。

 “レコ勉”という勉強の仕方があります。レコード…つまりプロの音源を聞いて勉強をするというやり方です。私もよくレコ勉をしますが、レコ勉では録音の限界というのを感じます。

 多くのプロ歌手の場合、音源の声と生のコンサートの声って、実はかなり違います。これは歌手自身が発声を変えている…わけではなく、単純に歌手の声には、録音される部分と録音されない部分があるって事だと思います。

 例えば、声にまとわりついた、ビリビリした感じとかフワッとした感じとか、そういうのって、録音されないんですよね。なので、録音で聞き慣れた人のコンサートに行くと、その声に違和感を感じたりしますが…コンサートでの声の方が本物なんです。

 で、最近、私が気になり始めたのは、鼻腔で響く感じなのです。

 以前は、私の耳がちゃんと聞けなかったのでしょう、プロ歌手の声を聞いても、それほど感じなかったのですが、最近の私は、この鼻腔で響く感じをすごくよく聞こえるようになりました。音源では、ほとんど感じない、鼻腔で響く感じですが、生のコンサートに行くと、たいていのプロ歌手の方が、ビンビンに響かせているわけです。

 逆に言えば、あれくらい鼻腔に響かせて歌わないといけないのだなとすら思います。

 翻って私は…と言えば、あまり鼻腔に響いた声では歌っていないなあ…と思います。だからと言って、私が今の状態で鼻腔に響いた声で歌おうとすると、きっとやりすぎて、鼻声になったり、声が前に出過ぎたりするんだろうと思います。

 プロの演奏は素晴らしいのですが、それを真似る事は至難の業です。せいぜいよく言っても、ヒントになる程度…ですね。とにかく、プロの演奏を聞けば聞くほど、我彼の差を強く感じる私なのでした。

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2018年11月11日 (日)

年金問題は悩ましいね

 ちょっと前の報道だけれど、こんなニュースがありました。

 ざっくり言っちゃえば、年金ってのは、60歳まで働いて、65歳からもらい始める(これが標準モデル)よりも、70歳まで働いて70歳からもらい始めると、月額にして約10万円ほど多く年金もらえるよ…という報道です。つまり「なるべく高齢まで働いてね、で、年金はなるべく遅くもらってね」という国からのメッセージだろうと私は思うわけです。

 この報道が正しいという前提に立って考えるならば、65歳の年金支給額が月額で約22万円、70歳からの支給だと月額約32万円で、そりゃあ確かに数字だけ見れば、70歳からもらった方がお得っぽいですね。

 ちなみに、このニュースにはありませんが、60歳まで働いて、60歳から年金を支給してもらうと、年金支給額は月額で約15万円ほどになってしまいます。だいぶ減ってしまいますね。少ない感じがしますが、それでも生活保護よりは高額に設定されています。

 年金と言うのは、死ぬまでいただけるものだから、長生きすればするほどたくさんもらえるわけだし、すぐに死んじゃえば、たいしてもらえないものです。いくら70歳から年金をいただけば、32万円もらえると言われても、70歳前に死んじゃえば、いくらももらえないわけです。

 年金は生きて生活するためにいただくものですから、死んでしまえばもらえないのは当然だし、生きていても生活するのに不足を感じるようでは、ちょっと実力不足なわけです。まずはいつまでも元気に働いて、年金の支給額よりも多めの給料をもらい続ければ、年金は不要なんですが、年を取ると、なかなかたくさん働けないし、そうなると収入も少なくなるわけで、なかなか難しいです。体力的な問題とか健康上の理由とかで働けなくなる事もあります。人それぞれ事情もあるわけだし、どのみち、人はいずれ働けなくなるものだしね。年金は必要です。

 仮に、平均余命まで生きられたとして、どのパターンが一番お得かという話だけれど、それはやっぱり“70歳まで働いて70歳から年金受給”ってパターンです。

 ちなみに、平均余命は、60歳の人は82歳、65歳の人は84歳、70歳の人は85歳なんですね。だから、その年まで生きているという前提が考えるのが妥当でしょうね。ならば、70歳でもらうのが一番お得って話になるのです。

 年金受給は、たとえ金額が少なくとも、早くからいただいていれば、それなりの額にはなります。もっとも、後からいただいた方が多くもらえるので、やがて先にもらっていた人の年金受給総額を越してしまいます。

 平均的な65歳受給からの視点で考えると、70歳32万円の人に年金受給総額が越されるのは81歳の時です。平均余命(84歳)まで生きる人なら、70歳からもらった方がお得になります。でもそんなに長生きする自信がなければ、65歳からの受給の方が良いかもしれません。

 また、65歳22万円受給の人が、60歳15万円を越すのは76歳頃です。平均余命よりもだいぶ手前で追い越しちゃうので、60歳15万円よりも65歳22万円の方がお得と言えますが、これも76歳まで生きていたらという前提付きです。

 76歳まで生きる自信のない人は、60歳から受給した方が良さそうだけれど、76歳よりも長生きするつもりの人は65歳まで、バイトでもなんでもして食いつないで、65歳から年金をいただいた方がいいです。まあ、これは60歳になった時の自分の様々な状況を考慮して考えればいい事だと思いますし、平均余命平均余命と言っても、あくまでも“平均”であって、約半数の人はそこまで生きられないという意味でもあるので、自分の健康と体調によく相談するべきでしょう。

 問題は、70歳受給の方です。国の出したモデルでは、70歳まで普通にお給料をもらっているという前提があります。60歳で引退して、後はバイトで食いつなぐ…というパターンではなく、70歳まで現役でバリバリ働くというケースなんです。月額32万円は魅力だけれど、たぶんおそらくほとんどの人は70歳までバリバリ働くわけにはいかないでしょうから、こんな月額にはならないんじゃないかな? そもそも、70歳まで現役で働けるサラリーマンなんて、天下り天下りで渡っていく公務員でもなければ、難しいでしょう。

 国のモデルって、最初っから無理めな話なんです。

 そもそも、現役引退が60歳なのに、年金支給開始の標準モデルが65歳というのが、ひどいと思います。その5年間「バイトしろ」「貯金を切り崩せ」って話でしょ? 国は年金の支給開始年齢を65歳から70歳に、ゆくゆくは引き上げたいのだろうけれど、70歳までの10年間バイト生活をして、年金は70歳からもらってね…って、滅私奉公して身も心もボロボロになった、普通のサラリーマンの最後の10年間の生き方としては…かなり酷な話です。

 ですから、年金に関しては、本来的には、そこをきちんと見直すべきだと思うのです。年金支給開始年齢は遅くするのではなく、むしろ早めるべきです。早めた中で、どうやって年金を維持していくか、その方法を考えるべきでしょう。世の中には、まだまだ60歳退職って職場は多いんですからね。

 現実の庶民の生活をよく見た上で、年金制度をよりよく運用してもらいたいものです。

 まあ、現実問題としては、年金を何歳からもらったら得か?…なんて考えるのではなく、いつまで元気に働けるのか?…って話なんだろうと思います。

 で、今の年金モデルでは、定職であれバイトであれ、65歳まで働く前提なんですよ。なので、現在のシステムの中では、まずは健康第一。で、65歳まではちゃんと働いて収入を得る。その後は自分の健康と体力と職場の事情を鑑みて、引退する時期を考えればいいんじゃないかなって思います。

 ちなみに私の職場は60歳で退職なので、残り5年間はバイトで食いつないでいくしかないんだよね。デブで、体力不足で、健康にも不安があって、手に職なんて特にない、パっとしない60歳の爺さんを雇ってくれるバイトって、どんなんだろ? 今から、ちょっぴり不安です。

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2018年11月10日 (土)

忙しくて水替えしていない(涙)

 さて、本日はクラシックコンサートの本番です。頑張ってきますので、心の中で応援していてください。記事の方は、少し落ち着いてから書きますので、しばらく待っていてください。

 で、金魚の話です。とにかく、日々、忙しいです。で、最近、金魚の水替えをサボっています。

 以前は…だいたい週1ぐらいで水槽の水替えをしていましたが、昨今は、それが月1ぐらいにまで頻度が落ちています。いつぐらいからかと言えば、ヤヨイ体制ができてからぐらいでしょうか? つまり、今の子たちにとって、水槽の水替えは月に1度のイベントって感じなのですが…実は先月は水替えをしていません。

 今まで、4週間おきに水替えしていたのが、すでに水を替えなくなって、もう6週間。さすがにやばいんじゃないかと思ってますが…なかなか週末、時間が取れません。

 金魚の水替えって、思い立ったからと言って、すぐには出来ないのが、水替えの頻度を下げる原因なんですよね。

 水替え作業の前に、浄水器で金魚用の水を作るのですが、量がたくさんと言うこともあって、この過程でだいたい半日使います。で、水は水替え作業の直前に作るのが良いので、そのタイミングも難しいです。で、水替え作業自体は、一緒に水槽の掃除もするので、2時間弱って感じかな? 平日はもちろん、そんな時間は取れません。休日の昼間、まるまる空いていると水替えができるのですが、なかなか時間を確保できません。

 一応、優先順位的には、金魚の水換えよりも、人間たちの生活が優先ですから、人生に余裕のある暮らしができれば、金魚にも時間を割くことができますが、人間たちがキツキツの生活をしていると、なかなか時間を確保できないのです。

 というわけで、金魚たち、ごめん。また今週も水替えは難しそうだ。

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2018年11月 9日 (金)

練習サボると、耳が退化します

 フルートのレッスンに行ってきました。例によってロングトーン練習からですが、今回は、ちっともバッチリではありませんでした。なんか、あっちこっち微妙に気持ち悪いんだよね。それはたぶん、楽器のせいではなく、私の感覚のせいだろうと思います。実は最近、ぜんぜんフルートに触っていなかったんですよ、おそらくはそれが原因で、フルート耳が退化しちゃったかな…なんて思ってます。

 練習をばっちりすれば、すぐに戻るんだろうけれど…。

 と言うわけで、エルステユーブンゲンは、25番と26番だけれど、あまりに最近吹いていないので、楽譜を見ても、どんな音楽だったから見当がつきませんでした。結局、先生に歌ってもらって「はは、なるほど、そんな曲だったかも…」って調子でした、ダメっすね。

 今回から旋律的練習曲に入りました。当然、1番からですが、全然吹けた気がしません。別に大きなミスをするわけでもなく、音楽がバタっと止まることもなくて、なんとなくメロディが流れていくんだけれど、なんか、違うんだよね。でも、先生がおっしゃるには「そんな感じで吹けばいいんだよ」って言われました。どうも、本人の感覚と、曲の仕上がりは違うみたいです。本人的には「もっと吹き込んでおきたい!」なんだと思います。吹き込みが全然足りないのにレッスンに持っていって、それで先生からいい反応がいただけるってのは、やっぱり感覚的に納得いかないんだよね。

 40リトルピーセズは、18番のヘンデルのガボットは合格しました。次は19番のベートーヴェンのソネットです。エルステユーブンゲンも旋律的練習曲も難しくて、なかなか進まない私ですが、この40リトルピーセズは、割と快調に進みます。まあ、エチュードよりも曲集の方が簡単だし楽しいからなんだろうと思います。ま、何も進まないよりは、全然いいと思ってます。

 で、今回の雑談は、山中湖はいいよね…って話です。最近のH先生は、オフの時は、ご自宅にいる時間よりも、山中湖のホテルにいる時間の方が長いんだそうです。おそらくご自宅にいる時は、ご自宅のスタジオでレッスンをする時くらい…なのかもしれませんね。全くのオフの時は、山中湖のホテルで暮らし、音楽の練習も山中湖にスタジオを確保されたそうで、そこでバッチリ練習しているんだそうです。

 なんかもう悠々自適な生活だよね。

 私は、仕事で身も心もすり減らして生きていくのに疲れました。今はただ、早く隠居して、悠々自適…って感じにはならないかもしれませんが、小遣い稼ぎをしながら年金生活をしたいと思ってます。ああ、憧れのご隠居生活…。

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2018年11月 8日 (木)

世俗曲と芸術歌曲のワケメとは?

 私はよくトスティの歌曲を歌います。私の中ではトスティの歌曲は、クラシック声楽曲であり、芸術歌曲の扱いですし、たぶんそれに異を唱える人は少ないだろうと思います。しかし実はつい最近まで、トスティは世俗曲(サロンで歌われる流行歌、当時のポピュラーソング)扱いされ、芸術歌曲としては認められていなかったという事実はご存知でしょうか? 音楽大学などで取り上げられなかったそうですが…もちろん今はそうではありません。

 考えてみれば、シューベルトの歌曲(典型的な芸術歌曲ですよね)だって、発表当時はサロンで歌われていた娯楽のための曲だったわけだし、おそらくどんな歌も、発表当時は、たいてい世俗曲であり、その中から名歌だけが時の流れの中で生き残り、芸術歌曲へと昇華するんじゃないかなって思います。

 私がそう考えるきっかけになった曲は、李香蘭の「蘇州夜曲」です。この曲は、西条八十と服部良一のコンビで、1940年と言うから戦前の映画の劇中歌として発表された歌で、それ以降も多くの歌手たちに取り上げられてきた、名曲中の名曲、いまやりっぱなスタンダードナンバーです。

 こちらは李香蘭が歌う、オリジナルの「蘇州夜曲」です。

 元々が歌謡曲ですが、やがてポピュラー系の歌手やジャズシンガーたちも取り上げるようになり、今ではクラシック歌手が歌うことも少なくありません。で、クラシック歌手の方々が歌われる「蘇州夜曲」を聞くと、私などは日本歌曲の一つとして受け取ってしまいます。もちろん、ご年配の方々は、そうではなく、自分たちや自分たちの少し上の世代の流行歌…つまり世俗曲として受け取っているようだし、かつてこの曲は中国では禁曲扱いされた時代もあったそうだけれど、それも今では開放され、普通の曲扱いされているそうです。曲の受け取り方も、時代や地域によって異なるのです。で、私にとって、この曲はすでに時の流れに生き残った芸術歌曲として聞こえてしまうのです。

 歌っているのは、ソプラノの下垣真希さんです。私は寡聞にも彼女の事を知らないのですが、良いソプラノさんだなあと思います(上から目線に感じたら、ごめんなさい)。

 で、結局、芸術歌曲ってのは、時の流れに生き残ってきた、スタンダード・ナンバーとか、古典歌曲の事を言うのではないかなって思うのです。

 最初から芸術歌曲として作曲された曲もあるでしょうし、流行歌として作曲された曲もあるでしょうが、数年数世代を経て生き残った曲は、みな芸術歌曲であると私は思うようになりました。

 流行歌のほとんどは時代とともに古びて消えて消費されてしまいます。流行歌はそういうものですから、それはそれで仕方ありません。また、芸術歌曲として作曲された歌の大半は、実は再演されずに時の流れの中に消えてしまうものです。人の手によって生み出された歌のほとんどは、時代とともに消えてしまうものなのです。

 だから、何世代にも渡って愛される芸術歌曲の条件としては、芸術歌曲として作曲されたかどうかは問題ではないのです。時の流れの中でも消えることなく、人々に愛された事が大切なんじゃないかって思うわけです。

 けたたましいロックなビートルズの音楽だって、すでにスタンダードナンバーとしての地位を固めていますし、やがて時が経つにつれ、イギリス民謡の扱いになっていくでしょう。そうなれば、やがて芸術歌曲の扱いを受けるようになると思います。音楽大学で、ビートルズの歌を学んで、オペラ歌手たちがステージで歌う時代が来るかもしれません…もっとも、そんな状況は、今の私には全然想像できませんが、でもおそらくそんな時代がやってくると思います。

 日本でも、昭和や平成の時代に流行った流行歌のうち、何曲かは時代の流れの中で生き残り、やがて日本歌曲になっていくんだろうと思います。そして、そうやって残っていく歌は、どんな歌なんでしょうね。私にはうかがい知ることもできませんが、どんな曲が残っていくのか、なんか楽しみです。

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2018年11月 7日 (水)

やっぱスーパーの品物は廉価だけれど、それなりだね

 スーツの話です。以前、タキシードはHANABISHIで、普段遣いのスーツは大型スーパーで作りましたという話をしました。今回は、その話の続きね。

 まず、HANABISHIさんで作ってもらったタキシードですが、メッチャ良いです。カラダにピッタリだし、デザイン的にカッコいいし、その上動きやすくて機能的です。お値段はそれなりにしましたが、お値段以上の仕上がりです。良いですね。おまけに接客も素晴らしくて、ほんと、ケチがつけられません。次はモーニングを作るかもしれませんので、その時はぜひ、またHANABISHIさんにお願いしたいものです。

 問題は、普段遣いのスーツの方です。今回は某大型スーパーの特売を利用しました。とにかく、安いんですよ。普通のお店でオーダースーツを1着作る値段で2着つくっていただけるのです。実質半額だよね。問題は仕上がり…と言うか、品質的な話です。

 結論から言えば、品質は値段なりです。オーダースーツとは言え、着心地は吊るしみたいです。いや、それは言い過ぎか。やはり全体的な仕上がりは吊るしよりは良いです。使っている生地も吊るしよりはだいぶ良いし…。でもね、なんか、微妙にカラダに合っていないし、動きづらくて、着ていて疲れるんです。まあ、値段的には吊るし2着程度の値段でスーツを2着作ったのですから、本当に、値段なりなんです。オーダースーツだと思わなければ、まあアリです。

 まあ、生地は中国製、裁縫も中国、いわゆるメイド・イン・チャイナなスーツです。でも、そうでなきゃ、この値段では売れないよね。だから、その部分は納得しています。

 問題…は、微妙にカラダに合っていない点だね。他の店なら、当然“お直し”の対象になって、微調整をして、より良い仕上がりになるわけだけれど、こちらのスーパーでは“お直し”は無しなんです。公には「お直し承ります」なんだけれど、担当の店員さんと話しをして、いくらクレームを入れても、軽く受け流してくれるんですよ。

 私が「上着がきつい」と言えば「そんな事はない、肩はこんなに余っているじゃないですか(いや、肩じゃなくて、胸がきついんだよ)」と言うし、「キツキツで腕が上がらない」と言えば「上着のボタンは必ず外して着てください(たしかにそれなら腕は上がるけれど、私は前は閉めたい人なんだよ)」だし、ズボンは尻のあたりがちょっとキツめなんだけれど「縫い目が引っ張られていませんよ(だから大丈夫)」って言って取り合ってくれないし…。店員さんから“絶対に直しません”という強い意思を感じます。

 まあ、安物だし、直しを入れちゃうと儲けが飛んじゃうのかもしれません。私も勤め人ですから、そういう事情はなんとなく察してしまいます。

 オーダーでスーツを作ったはずだけれど、オーダー特有のなんとも気持ちのよい着心地というのがなく、なんか窮屈で疲れるんです。肩が凝りやすくなるので、暇を見てはスーツを脱いで肩甲骨をぐるぐる回すようにしています。と言う訳で、値段なりと言えば値段なりの品質なのです。

 これでこのスーパーを見限るのも一つの手だけれど、店には今回のデータが残っているから、次は事前に胸や尻をさらに大きめに作らせて、お付き合いを続けると言うのも手です。なにしろ、安いからね。安さは正義だからね。もちろん、別のお店にトライしてみるのも、また別の手です。

 まあ、スーパーのスーツと専門店のスーツを比べちゃいけないわけで、安いものは安いなりに理由があっての安さなんだから、そこは納得しないといけませんね。で、その安いなりの品質で受け入れられるかというだけの話です。ま、今回、着心地は吊るしのスーツよりはマシ程度だけれど、普通には着れるし、お値段なりの仕上がりなので、自分的には受け入れていくつもりです。実際、かなり安価だったわけだし、全体的にはお得なんだと思います。まあ、色々あったけれど、すべて授業料ってわけです。

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2018年11月 6日 (火)

息をしっかり圧縮して歌わないとダメですよ

 声楽のレッスンの続きです。今回のレッスンは、クラシックコンサート直前の最後のレッスンになります。まずは、レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。

 声を圧縮してから歌いましょう…と言われました。せっかく腹圧を高めて息を上にあげても、上が開けっ放しだと息が抜けてしまうので、必ず一度息を圧縮して、さらに息圧を高めてから、その息を上に送って声にしないといけないのです。息を上へ抜いてみたり、圧縮してみたりと、色々と忙しいのですが、きちんとやるべき事をやらないといけません。

 腹圧を高める一方で、ノドをしっかり下げる事で声は圧縮されます。圧縮された声で歌う事が、声を息で支えるという事なのです。

 毎度言われていますが、子音の処理をしっかりして歌いましょう。フレーズ冒頭の子音は特にしっかり長めに歌うことが大切です。特に“V”と“L”はしっかり長く歌うべきなのです。子音がなくて、いきなり母音で始まるフレーズの時は、子音の代わりにハミングを入れて歌うのが吉なのです。この点について、最近自覚的にやっているつもりなのですが、まだまだ不足しているようなのです。

 低音は下に掘りすぎない事。同じ音程が続く時は、後ろの音ほど音程を高めにとって歌います。最後のフレーズである“v'invi to”は男らしくきっぱり歌い上げて歌いましょう。

 さて、ヴェルディ作曲「椿姫」のテノールアリアの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。なんか、本番が近づくにつれ、よりビビるようになったせいか、以前よりも歌えなくなっているような気がしています(情けないです)。

 とにかく声を上に抜かずに、しっかり圧縮して歌うこと。高い音ばかり意識しているからビビるわけで、高い音の事など考えずに歌いましょう(それができたら苦労してません)。

 高い音の時に、声のポジションを高くすることばかり考えていると、ノドが絞まってしまいます。高い音は、ノドを上下にしっかり引っ張ることを考えるべきで、そのためには、高音の直前に一度ノドを下に思いっきり引っ張る事が肝心であって、それをせずにポジションを高くあげて歌おうとしているから、ノドが絞まってしまう…という事が起こっているようなのです。ううむ、ううむ。

 前半のアリアの“suoi”のE♭-A♭の上行音程は、E♭で一度下へ思いっきり引っ張ってから、引っ張ったままA♭を行くことを忘れずに行う事。後半のアリアは、最後の方は、ずっと高音が続くわけだけれど、そこはしっかり声を圧縮して息の速度をしっかり上げて歌うことを忘れずに行う事です。また、ずっと頑張り続けるのは人間無理だから、休符ごとに、しっかりと休み(残った息を全部吐き出す-深く息を吸う-息を落ち着かせる-腹圧を高める-息を圧縮する-歌い出す)を取る事。時間はいくらかかっても良いのだから、たっぷりゆっくりと休符の時間を活用する事。

 最後は二重唱です。フレーズの最後になると、決まって音程がダメダメになるんだそうです。フレーズの終わり近くになって、しっかり息をしっかり吐くことを自覚しないといけません。息さえしっかり吐けていれば、音程は下がらないそうです。頑張りましょう。
 と言う訳で、いよいよ本番です。頑張っていきましょう。

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2018年11月 5日 (月)

本番後のレッスンで歌う曲を決めました

 声楽のレッスンに行ってきました。まず最初に、秋の2回の本番が終わった後のレッスンで取り上げる歌を決めました。

 歌曲は、やり残してたベッリーニの歌曲「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」で決まり、オペラアリアの方は…厳密にはオペラアリアではないのですが…ビゼー作曲の「Agnus Dei/神の子羊」に決めました。知らない人のために音源を貼っておきます。

 ベッリーニの『6つのアリエッタ』を全曲制覇中の私ですが、これらの曲を原調ではなく、日本で入手容易な“中声版”で歌っていますので、今回も中声版で歌います。なぜ中声版で歌うのかと言えば(身も蓋もなく言っちゃえば)原調で歌うのが難しいからです。ま、いずれは原調で歌うことにトライするつもりですが、今は歌いやすい音域に下げた楽譜を用いて、曲そのものを歌う勉強をしている…ってわけです。実際、今年の私は、歌曲は音域的に無理のない曲を歌い、アリアの方はちょっとだけ無理めの曲を歌うという方針でやっているからです。

 こちらの音源で歌っているのは、先日亡くなったモンセラ・カヴァリエの歌唱です。いつもはテノールの歌唱でご紹介する私ですが、今回はカヴァリエさんを偲んでアップしておきます。

 こちらはオペラアリアの代わりに歌うので、私にはちょっと無理めの曲です。その無理めを乗り越えて歌うのが勉強になるわけですね。ちなみに、言語はイタリア語ではなくラテン語です。ビゼーの曲ですが、元々はミサ曲でも歌曲でもなく『アルルの女』で使われた間奏曲(つまりインストです)で、それにギローが歌詞をつけてアレンジをして…このカタチに曲を仕上げたというモノです。テノールの基本レパートリーの一つです。

 しかし、パヴァロッティの歌唱は、いつ聞いても、素晴らしいです(涙)。

 さて、曲も決まったので、レッスンに入りました。

 まずはハミング練習から。腹圧を高めるのは良いのだけれど、上が開いていない(軟口蓋とかあのあたりの話です)と、声が潰れてしまうので、腹圧を高めて息を上に上げたら、それが抜けるように、上を開けていきましょうと言われました。

 で、発声練習です。今回は、軟口蓋を上に上げて発声するという練習を徹底的に行いました。いやあ、軟口蓋を自覚的に上にあげていくというのは感覚的に難しいですね。いわゆる“あくびのクチ”をすればいいのだけれど、これを意識的に行うのは難しいのです。

 それと声が前に出過ぎなので、もっと声を後ろにしまって歌いましょうって話で、言葉は前に、声は後ろに…って言われた事を思い出しました。

 このタイミングでピアニストさんがやってきたので、曲の練習に入りました。

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2018年11月 4日 (日)

そろそろ日本も移民問題に正面から向かっていかないといけないんだと思う

 国会では、外国人労働者問題が盛んに議論されていますね。

 さて、都会に行くと、本当にたくさんの外国人労働者の方々が働いています。飲食店でお運びをしている人はたいてい外国人だし、コンビニのレジにいるのも外国人労働者の方です。駅前でティッシュ等を配っているのも外国人だし、工事現場で汗まみれになって働いているのも外国人です。日本人は、どこで働いているのかと不思議に思うほど、都会には外国人労働者が数多くいます。

 地方では、都会ほど目立ちませんが、それでも工場に行くと、下請けや孫請け会社にはたくさんの外国人労働者の方が働いていたりしますし、公立学校などに行くと、多くのクラスに外国人労働者の子弟が学んでいます。街を歩いている人の中にも、よく見ると、゛相当数の外国の方がいらっしゃいます。また日本人にしか見えない近所の人の中にも、実は外国人だという人は、結構います。

 日本で働いている外国人/元外国人をどのように呼ぶのか、政府の見解によれば、次のようになります。

 移民…日本の国籍取得をした人
 永住者…日本国籍を取得しないで住み続ける外国人
 外国人労働者…永住することを考えず、職のために来日して働いている外国人

 言葉を付け足すと、移民はいわゆる“帰化人”です。生まれ育ちは外国だけれど、ある時に日本に帰化をして日本人になった人たちを“移民”と言います。実は、この“移民”という言葉の定義が、日本と世界標準とでは違うのが、問題をややこしくしてます。世界標準では、帰化をしたら、その国の国民であって、移民とは呼びません。

 永住者は、いわゆる“在日”な方々を指します。つまり外国籍のまま日本人同様の暮らしをしている人を言います。それも本人のみならず、何代にも渡って外国籍のまま日本人同様の生活をしているわけです。日本人同様と言うのは、単に日本人並の生活をしているというだけでなく、日本人名を名乗り、福祉サービス等も日本人同様に受けて生活しているという事です。日本人と違うのは、パスポートが日本のモノではない事と、選挙権がない事と、母国に納税や募金をすると、その分、日本の納税が軽減/免除される事ぐらいです。

 世界標準で考えると、外国籍のまま何代にも渡って外国で暮らし続けるという事はありえない事のようで、その地に暮らし続けるのなら、普通は帰化するものです。これは我が国というよりも、在日の方々のメンタルが世界標準から離れているって事だろうと思います。もっとも、それを許している我が国にも責任がないわけではありません。まあ、これに関しては、またいずれ稿を改めて書きたいと思います。

 で、最後の外国人労働者…これらの方々は、いずれ帰国する予定の外国人たちの事を言います。つまり外国籍の“出稼ぎ労働者”を指します。世界標準では、すぐに帰国するかどうかは別として、ある程度の期間(5年とか10年とか、国によって違います)、その国にとどまって生活する人を移民と呼びます。我が国では、つい先日まで外国人労働者の在留資格は最長3年間でしたが、5年に延びたし、これを10年間に法改正をしている最中です。10年間日本にいれば家族だって母国から呼び寄せるだろうし、そうやって生活基盤を日本に作ったら、もう母国には帰らないですよね。そのまま日本に在留しつづけるだろうし、そういう人をむりやり母国に返すのも人道的に問題があるのではないでしょうか?

 そして母国に帰らずに、不法滞在者となった人たちは正規に働くことができなくなり、やがて犯罪に手を染めるようになる…事だって無いとは言えません。

 それでも日本は移民の受け入れを行わない…なんて事を言っていいのかと私は思うわけです。受け入れていないと言いつつ、実際は移民ウェルカムな状態になっているのではないでしょうか? ウェルカムなら、きちんと彼らの生きる道を法的に確保して、互いの幸せを模索するべきなのです。でも、それは全然できてないわけです。

 これらはみんな、日本の公的な機関が使っている言葉と、現実がかなり乖離しているって事を示しているだろうと思います。

 ちなみに政府の方々が公的に使っている言葉と、国会議員の先生方が国会で使っている言葉(どうやら世界標準の方のニュアンスらしい)の違いも、これまたニュースを分かりづらくしているようです。

 言葉をすり替える事で、問題を隠している…のかもしれませんね。なにしろ、国政に関わる人って、賢い人が多いから。

 日本は、公的には移民(=外国人労働者)の受け入れを(一部を除いて)していない国ですが、実質的には(一部の人が多すぎて)すでに数多くの移民が入り込んでいる国だと思います。

 つまり、建前と実態が違うと言えます。建前では「我が国では移民は受け入れてません(安心してください)」であるけれど、実態は街中に外国人労働者(=移民)が溢れているし「今後はもっと多くの外国人労働者を受け入れていきます」なんですね。

 日本人は移民に拒否反応が…あるんだと思います。その気持を汲み取って、野党の人たちが外国人労働者問題に関して拒否反応を示しているわけです。

 で、私が思うに、日本人が移民に関して拒否反応を示す理由は3つです。

 1つめは「気味が悪い」という感覚です、ま、はっきり言っちゃえば“差別”意識なんだけれど、自分たちとは外見も違うし、使う言葉も違うし、生活習慣も違って、ああ気味が悪い…って感じるので、拒否るって事です。これは、感情なので、子どもの頃から教育して、そういうネガティブな感情を持たないようにしないといけません。まあ、今の学校教育は、そういう意味では割と成功していると思いますので、あと50年くらいしたら、この問題は解決すると思います。

 2つめは「犯罪が増える/治安が悪くなる」です。犯罪に関しては、日本人も外国人も犯罪率には違いはないという統計があります。ただ、外国人が罪を犯すと目立つので、外国人の犯罪が多く感じる…というのが事実かもしれません。もっとも、別の統計では日本人よりも外国人の方が犯罪率が高いという結果のモノもあるそうです。特に、特定の国の外国人の犯罪率が高いとか高くないとか? それに不法入国者などは、どうやって統計に上がってこないし…ね。まあ、統計なんて、どう取るかで結果も変わるものですし、日本人と比べると外国人の人数の方が少ないので、外国人の犯罪率うんぬんと言っても、絶対数的には問題になりえない…とも言えます。

 そうは言っても、外国人が増えると「犯罪が増える/治安が悪くなる」と感じるのは、私でも(差別意識はないつもりですが)肌感覚では理解します。とりわけ、治安が悪くなるのは…外国の方々とは生活習慣が違いますから、犯罪とまではいかなくても、街の中に外国人が増えると、ご近所でのトラブル発生率は確かに増えるでしょうね。それをもって「治安が悪くなる」というのなら、それはそのとおりかもしれません。“郷に入っては郷に従え”は、多くの外国人には通用しないことわざですから…。多くの外国人たちは“リトル○○”を作って、その地域を自分たちの縄張りのようにしてしまいがちなわけで、そういう習慣も、我々日本人からすれば、困った習慣に感じざるを得ないわけです。

 そのアオリを受けるのが、我々日本人社会に溶け込もうと努力する外国人たちなんだよね。数で多いのは、やはり“リトル○○”を作っちゃう人たちで、そういう人たちと、パッと見、同じ感じだから誤解されちゃうんだよね。で、彼らは日本人とうまくやっていこうと努力をするのだけれど、なかなか居場所が作れず、居心地が悪いままなんだよね。

 3つめは、外国人労働者が増えると「日本人の雇用が奪われる」です。確かに、都会では外国人の働く姿が目立っていますし、そのために日本人の雇用が彼らに奪われているというイメージはあります。でも、実際はどうなんでしょうね。雇用者側からすれば、本音じゃ日本人の若者を雇いたいのに、誰も働いてくれない。仕方ないので、外国人を雇っている…ってところじゃないかな? 別に外国人だからと言って、給料を安くしていいという決まりはないからね。最低賃金は誰であれ、守らないといけません。ただ、外国人なら最低賃金でも働いてくれるけれど、日本人は最低賃金では働いてくれない…ってだけなんだと思います。

 ならば「日本人の雇用を奪っている」のではなく「不足している日本の労働者を(最低賃金で)補っている」と言えるのかもしれません。また一方で、外国人労働者が最低賃金で働いてしまうので、外国人労働者でもできる仕事は一向に賃金が上がらず、そういう仕事に就きたい(けれど、最低賃金では働きたくない)日本人の仕事を奪っている…と言えなくもないです。

 でもこれからの世の中は、外国人労働者でもできる仕事は外国人労働者が担い、ロボットでもできる仕事はロボットが担い、日本人でなければできない仕事を日本人が行っていく…という世の中にならざるをえないのだろうと思います。

 アメリカにはだいぶ前から、Poor white/White trash問題がありますが、やがて日本にも、類似した問題が発生するかもしれません。

 人件費というのは、大きな問題です。

 私達が豊かな生活を過ごせる要因の一つに、安い人件費で働いてくれる、彼ら外国人労働者の存在があるわけです。それによって社会全体があれこれ安価で動くようになり(結果デフレが継続するんだけれど)色々なものが安価に提供されるわけです。

 なにしろ、外国人は最低賃金で働いてくれるし、技能研修生というカタチを取れば、最低賃金以下の給与でもOKなので、人件費をかなり安く抑えられます。雇う側からすれば、あれこれ労働条件に贅沢を言いたがる日本人よりも、安価で従順な労働力として重宝されるわけです。

 じゃあ彼らがなんで、そんなに安い値段で働くのか言えば、日本人から見れば“安い給料”であっても、それが彼らの母国の水準と比べると“破格に高給”だからです。飲食店で注文取りをするだけで、夢のような高給がもらえるんですよ。そりゃあ働きたくもなるものです。

 外国人労働者(=移民)が大勢いる国は…豊かな国で間違いないです。ある意味、豊かな国に移民問題は付き物です。日本は世界でも有数の豊かな国であって、すでに、彼ら外国人労働者の存在がなければ、回っていかない社会になっていると思います。

 それにしても、現在、外国人労働者の法的な位置づけでアバウトなんですよね。今国会で審議している法案にしても、かなりザルなわけで、だから野党の人たちがあれこれクレームをつけているわけです。

 どうも外国人労働者問題はすっきりしません。

 これも我々日本人が持つ偏見と、古い憲法と法体制のせいです。我々の心にある偏見を取り除き、きちんと憲法を改正して、彼ら移民の法的な位置づけをきちんと定めないといけないと、私は考えます。そうしなければ、我々も不幸だし、彼ら外国人労働者、つまり移民の方々も不幸になるんだと思います。

 移民だって、日本の社会を構成するメンバーの一人なんです。そこは忘れちゃいけないと思います。

 あと、移民関連の問題として、帰化要件とか永住者に関する件とか、あれこれ法的に見直す必要がある問題は山積していますが、これまたいずれのかには別稿で。

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2018年11月 3日 (土)

金魚も“主”化する?

 よく“池の主”とか“沼の主”とか言って、池とか沼などには、やたらと大きな魚が1匹だけいるものです。

 あれと同じ事が水槽でも起こるのかな? なんて最近思うようになりました。

 で、ヤヨイの話になります。

 ヤヨイはなかなか美形で美しい金魚です。基本的には安いB級金魚なので、品評会的なカタチとか美しさとは無縁なのですが、普通に魚としては美形で美しい子です。つまり健康で元気な子なのです。でも、その美しさに騙されてはいけないわけで、ヤヨイは気が強く、性格はかなり悪どい子です。

 過去記事でも何度か書いていますが、ヤヨイは日々の行動があまり褒められたものではありません。彼女は自分よりも小さな魚に関しては、眼中にないらしく、軽く無視をしていますが、自分よりも古い子や大きな子、同じくらいの大きさの子に関しては容赦がなく、攻撃を加えて怪我をさせたり、時には、やりすぎて殺しちゃったりします。

 きれいな外見に似合わず、かなり武闘派なのがヤヨイなのです。

 我が家の水槽の歴史は、ヤヨイ以前とヤヨイ以降に分かれます。

 これまでは、金魚の入れ替えはあったとしても、必ず、誰かしらが水槽に居続け、金魚なりに、それまでの水槽のルールとか文化とかを次の世代の子たちに引き継いできました。例えば、王様の座席ルールとか、エサねだり係の存在とかね。

 それがヤヨイが水槽に来てから、それまで水槽にいた子は病気や怪我であれよあれよと死んでしまい、ごく短期間でヤヨイが一番古い金魚になってしまいました。ヤヨイが先輩方を粛清しちゃったわけです…ね。

 また、その頃は、金魚の定着が悪く、古い子たちがどんどん星になる一方、新しく入った子も、あっという間に死んでしまうという事もたびたびありました。ヤヨイが気に入らない子をドンドン粛清していったんだと思います。

 それが落ち着いたのは、シズカが我が家に来たあたりからです。

 今や、ウチの二大大型魚は、ヤヨイとシズカなのですが、シズカはこれで案外タフです。今も昔もヤヨイに攻撃をされていますし、最近もヤヨイに大怪我させられましたが、それでも毎日元気に生きています。たぶん、他の子だったら、とっくの昔に、いびり殺されていたかもしれません。

 とにかく、シズカが避雷針のような役目を負い、ヤヨイの攻撃を一手に引き受けるようになったので、水槽が落ち着いたわけです。シズカ的には散々な話ですが、それが事実なんだと思います。

 ルデンが急に大きくなったという話を先日しましたが、このルデンが最近、尾びれ付近を大怪我をしました。これに関しては見ていないので、確証はないのですが、おそらく、ヤヨイがやったのだと思われます。

 ヤヨイの武闘派な性格は、金魚には珍しい性格だろうと思います。で、なぜヤヨイはこんな事をするのかと…と考えてみたのだけれど、もしかしたら彼女は“水槽の主”になろうとしているのかなって思うようになりました。

 自分が一番古くて、一番大きな魚でありたい。これが魚の本能なのか分からないし、今までのウチの水槽の子たちにはなかった傾向(ウチはこれまで巨大魚が共存していました)なのですが、ヤヨイが願っているのは、オンリーワンな水槽の主になりたい…のではないかと思うようになりました。

 となると、目障りなのはシズカなんだよね。だからシズカを集中して攻撃する。でも、シズカはあれで案外タフだから、なかなか排除できない…そこがヤヨイにとって悩ましい事なのかもしれない。で、シズカを排除できないまま、数年が経ち、新入りのルデンも目障りになってきた…という感じなのかもしれません。

 ちなみに、ヤヨイはシズカを攻撃しますが、シズカは誰も攻撃しません。メダカの食べ方を見ても分かりますが、おそらくヤヨイとシズカ、本気で戦ったら、シズカが勝つと思います。それくらいシズカは強い子です…が、性格が温和なので、無抵抗主義で、ただただヤヨイの攻撃に耐えているんだろうと思います。

 ちなみにシズカの顔つきはかなり悪いです。いつも何か不満があるような、ブータレた顔をしていますが、それは長年ヤヨイによるストレスを受け続けた結果なのかもしれません。

 とにかく、ヤヨイの“水槽の主”への道は、なかなか厳しいみたいです。しかし、今までいた“水槽の王様”たちは、もっと友好的な態度だったんだけれどなあ…、ヤヨイ、ヤンチャすぎです。

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2018年11月 2日 (金)

フルートは吹き手が変わると、音が変わる

 そうなんですよ、奥さん。フルートって、同じ楽器でも吹く人が変わると、全然違う音になるんですよ。ビックリでしょ?

 フルートって楽器は、基本的に個人に紐付けられているものです。だから、同じ楽器を別の人たちで共有するということは、ほぼ無いわけで、そこはピアノなどとは違うわけです。

 例外的にあるのが、学校の吹奏楽部で、先輩から後輩へ、楽器の引き継ぎをする程度ですが、学校の先輩と後輩って、そんなに実力差があるわけではないので、楽器の引き継ぎをしても、その楽器から出てくる音はあまり差がないので、フルートの音の変化って分かりづらいんですよね。

 レッスンなどでプロ奏者にフルートを習っていた人などは、自分と先生のフルートの音が違う事は分かると思いますが、それは人の違いもあるけれど、楽器の違いもあるわけで、音が違って当然って思いがちです。何しろ生徒である自分は、洋銀フルートからせいぜい総銀フルートぐらいですけれど、先生と呼ばれる人はたいていゴールドフルートを吹いてますからね。あんな素晴らしい音はゴールドフルートだから出るんだ…って自然に考えて納得してしまうわけです。

 そこでちょっとした実験です。あなたが今練習している曲を、先生にあなたの楽器で模範演奏してもらってください。おそらくビックリしますよ。

 あなたの楽器から、聞いたことの無いような美しい音が鳴り響きますって。まるで、先生が普段から吹いているゴールドフルートのような音色で鳴り始めますって。

 これね、私は初めて自分の楽器を当時の先生に吹いてもらった時に感じました。まるで楽器が違ったかのような、すごい美しい音で鳴るんですよ。つまり、当時の私の実力では、自分の楽器を全然鳴らせていないって事を思い知らされたわけです。

 もちろん、楽器による音色の違いってのはあります。フルートメーカーによる違い、モデルによる違い、楽器の個体差というのもあります。

 具体的に言えば、私が普段吹いているアルタスのフルートって、どれもこれも、他のフルートメーカーの楽器とは、ちょっぴり違った味わいの音色がします。少し音色が深い…と言うか、太い…というか。で、そんなアルタスのフルートも、モデルによって音色が違います。さらに同じメーカーの同じモデルでも、個体差、あります。実際に私、自分の楽器を持参して、楽器屋さんでフルートの試奏をさせてもらう事があるんですが、自分の楽器と同じモデルの楽器を吹いても、音が全然違うんですね。まあ、私のフルートよりも美しい音色で鳴る同じモデルのフルートとは、今まで出会ったことはないんですけれど(えっへん)。

 とまあ、フルートは楽器によって音色が違うんですが、そんな楽器間の音色の違いよりも、奏者による音色の違いの方が、私は大きいと思うんです。それくらい、奏者が異なると、ガラッと音が変わっちゃう楽器がフルートなんだと思います。

 なので、最近の私は、楽器の買い替え熱がすっかり冷めてしまいました。だってね、おそらく私、楽器を買い替えても、次の楽器も、今の楽器と同じような音色で鳴るんだろうなあって思うんです。だとしたら、楽器を買い換える意味ってあるかな…って思っちゃったわけです。

 まあ、ゴールドフルートなら、見た目のインパクトが変わりますから、購入する意味あると思いますが、今の総銀から、よりランクの高い総銀への買い替えは…たぶん意味ないかなって思っちゃったわけです。

 頭部管でも替えたら、音色変わるかな? でも、そんな事するよりも、もっと練習した方が、よっぽど音が美しく変わるかな…なんて考えちゃうわけです。

 ちなみに、ヴァイオリンとかギターとかの弦楽器は、奏者が違っても楽器の音色はほぼ変わりません。奏者の違いってのは、吹奏楽器特有の違いなんだろうと思います。

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2018年11月 1日 (木)

やっぱり秋は素通りされてしまうのか(涙)[2018年10月の落ち穂拾い]

 ちょっと振り返ると、10月の初めはまだまだ暑く、私はほぼ夏服で通勤しておりました。そこからあれよあれよと寒くなり、衣替えをしたのが、10月の中旬(例年よりも2週間遅かったです)で、10月の下旬になって「ぼちぼちコートでも羽織ろうかな…」と思うほどに寒くなりました。

 ほんの一ヶ月で、夏から冬にまっしぐらだよ。ああ、今年も秋は素通りされてしまうのだろうなあ…。

廉価な中華な楽器の罪

 廉価な中華な楽器は、価格的にも、お試し用の楽器であり、初心のほんの最初の段階でお試しで使う、使い捨て楽器ってのが、ちょうど良い使い方だと、私は思います。

 廉価な中華な楽器は、楽器として使えないわけではないのだけれど、楽器としての精度が低く、練習をしていて、うまく行かない時に、自分の技量のせいでうまく行かないのか、それとも楽器が粗悪なためにうまくいかないのかの判断がつかず、それで困ってしまう事が多々あるからです。

 廉価な中華な楽器を使っている場合、大抵の問題は、楽器の粗悪さに起因しますが、だからと言って、すべての問題は楽器のせいであるとも言い切れないのです。たまに楽器ではなくご自分の技量のせい…って事もあって、単純に楽器を買い換えれば済むのか…と言うと、そう単純ではなかったりするわけです。

 でもまあ、おおよそ、うまく行かない時は楽器のせいだと思うし、仮に楽器のせいでなくても、良い楽器を持った方が早く上達するので、うまく出来ない時は楽器のせいと思っても良いのだと思います。

 で、大人なら、そんな粗悪な楽器には、さっさと見切りをつけて、適当な所で良い楽器に買い換えられるので問題ないのですが、問題は子どもたちの場合です。

 親が音楽や楽器の事がよく分からずに、子どもの求めに応じて、廉価な中華な楽器を買い与えてしまう場合があります。

 子ども自身は、音楽に対して、熱いほどの向上心があり、熱心に練習をするのだけれど、いくら練習しても、粗悪な楽器のために、うまく行かず、だからと言って(親に買ってもらった)楽器のせいには出来ずに、向上心はあって努力もするのだけれど、技術的に足踏みをさせられてしまう事があります。

 実際、大勢いるんですよ、そういう子。

 で、そういう子たちも、練習を重ねていくうちに、やがて薄々、楽器がダメなんじゃないか…と気づきます。もっとちゃんとした楽器で練習したい…と思うようになります。でも、それは親にはなかなか言えません。

 仮に、その事をクチに出したとしても、親からすれば「1万円もする楽器を買ってやったのに、この子はもっと高価な楽器を欲しがるなんて…なんて贅沢な!」って思うだろうし、それ以前に気の利く子なら「お父さんに1万円もする楽器を買ってもらったのに、もっと良い楽器が欲しいなんて、とてもクチに出せない」って遠慮しちゃうわけです。

 1万円…楽器の値段として考えれば、どう考えてもおかしな安さですが、日常生活の中での1万円は高額です。子どもから見れば、大金なんです。

 で、3年間、廉価な中華な楽器と付き合って、もうフルートはこりごりと思って、音楽から足を洗ってしまうわけです。その子が、最初っから日本製の楽器を購入してもらっていたら、そうならなかったのかも…と思うと、少々残念な気がします。

 廉価な中華な楽器って、ほんと、罪深いものです。

電子書籍の使い勝手

 電子書籍に関するあれこれについて書いてみたいと思います。

 まず、電子書籍のデータは、どこに保管されるのかという問題ですが、私の場合は、購入直後は、タブレットにデータをダウンロードをして保管していますが、すべてのデータを保管しているわけではありません。原則、購入してから読み終えるまで、タブレットに保管して、読み終えたら削除してしまうという使い方をしています。

 実は、電子書籍を購入するという事は、紙の書籍を購入するのとは、ちょっと感覚が違っていて、現物を手元に置く…と言うよりも、サーバからデータをダウンロードする権利を購入する…という感覚なのです。

 ですから、オリジナルのデータそのものは、サーバにあります。で、そのデータを手元のタブレット等にダウンロードしてから読んでも良いし、ダウンロードせずに、サーバーのデーターをブラウザ等に表示させて読むのもアリです。ですから、一度タブレットにダウンロードしたデータであっても、削除してしまう事は可能だし、削除しても再びサーバからダウンロードする事も可能であります。

 と言うわけで、私の場合、購入したすべての電子書籍を手元には置いているわけではありません。

 購入直後はデータをタブレットにダウンロードしますが、読み終えれば削除します。再び読みたくなれば、再度ダウンロードするだけです。なぜこんな使い方をしているのかと言えば、タブレットのハードディスクの容量には限りがあるからです。すべてのデータをタブレットに入れておくわけにはいかないのです。

 ですので、タブレットにダウンロードしてあるデータも、当面読まないと決意したら、読んでいなくても、一度削除して、タブレットのハードディスクを空けるように心がけているくらいです。つまり、私の電子書籍の書棚は、サーバ側にあって、直近で読みそうなモノだけを手元のタブレットにダウンロードするという運用をしています。

 ですから、タブレットは、基本的にネットに常時接続していません。必要な時だけ接続してダウンロードするというやり方です。

 電子書籍に関して言えば、基本的に読みたい書籍は事前にダウンロードしてあります(たぶん常時500冊程度はタブレットに入っています)ので、ネットのない環境でも読書しております、ってか、ネット環境が悪いところで読書をするんです。ネット環境が良いところでは、読書せずにネットサーフィンしちゃうからね(笑)。

 電子書籍の弱点は、現物を手元に置くのではなく、あくまでもサーバからデータをダウンロードする権利を持っているだけだという点かな? だから、すでに手元にダウンロードしてあるものは、いつまでも読めますが、サーバのみに置いてあるデーターは、サーバ側の事情で読めなくなる事もあります。それが怖ければ、すべてのデーターをダウンロードして保管すればいいのでしょうが、私は物理的に無理だし、たとえサーバ側の事情で、それらの書籍が読めなくなったとしても、まあいいかと軽く考えるようにしています(何しろ人生は有限ですし、買った本が読めなくなる事よりも、次々に新刊を読む方が大事と考えています)ので、特に心配していません。

 あと、購入した電子書籍は、原則、一台の端末にのみ配信可能になります。ただし、サーバとダウンロードする端末の紐づけを変えれば、複数の機器でデータをダウンロードする事は可能でしょうが、具体的にはやった事ないので、どこまで可能かは分かりません。まあ、電子書籍リーダーを変更するぐらいなら、簡単にできそうです。

 読書可能な期限が決められているモノがあります。もちろん、大半の電子書籍には期限がありませんが、期限のあるモノは基本的に無料で、期限が過ぎたら、定価で購入しないと読めなくなります…というモノが大半です。つまり、期限のあるものは、立ち読みの期間が決まっている本だ…と考えればいいんだと思います。

 紙の書籍とは、あれこれ違いますし、紙の書籍の方が優れている点も多々ありますが、私は時代の流れに従って、電子書籍で本を読んでいくスタイルに変えました。電子書籍は…文字の拡大が自由自在なので、老眼には極めて優しいのが良いですね。

今月のお気に入り ジュリーのヒット曲

 先日はドタキャン騒ぎがあって、一躍、時の人になったジュリーこと沢田研二氏ですが、実は私、かつての彼の大ファンだったわけです。だって、若い時の彼って、問答無用にカッコいいじゃん。そりゃあ、誰もが憧れるわけだよ。

 ま、今もいい感じでロックなジジイになって、別のベクトルでカッコいいわけですが、いかんせん、今の彼はサヨクなジイさんで、浮世離れしちゃって、ついていけません。なので、私は彼がサヨクにハンドルを切ったあたりで、生きているジュリーのファンを止めていますが、今もかつてのジュリーのファンであります。

 と言う訳で、かつてのジュリーがいかにカッコよかったかという話は、あれこれ語るよりも、見ればすぐ分かるわけです。そこで音源を貼ります。

 曲は、私が大好きな『サムライ』です。では、どうぞ(笑)。

今月の金魚

 今月はみんなみんな元気でした。

今月のひとこと

 ここんところ、気温の変化が急激すぎて、それにカラダが追いつきません。体調悪いです、疲れやすいです、いつも眠いです。暑さが過ぎ去るのはうれしいけれど、もう少し、優しく秋に移行してほしいものです。なんか、このまま、秋を通り過ぎて、一気に冬に突入しそうな気がしますが、それはほんと、勘弁してほしいと思ってます。(2018年9月29日~10月4日)

 びっくりしました! なんとバスクリンが値上げしています! 近所のスーパーで、今までは400円台で買えましたし、安売りの時は300円台にもなっていたバスクリンが、今や500円オーバーです。ウチでは安売りの時にまとめ買いをしていたので、感覚的には「お値段、2倍になっとるやん」って感じです。いやあ、値上げするにしても、ちょっと上げ過ぎじゃないですか? ウチは今までバスクリン党でしたが、ついに本日、他社の類似品を買いました。だって、そっちは200円でお釣りが来るんだよ。200円と500円なら、比較も検討もないでしょう、多少品質が落ちたとしても、毎日使うものだから、なるべくお安い方がうれしいんですよ。これで、そっちの低価格の方で十分となれば、たぶんもうバスクリンには戻れない(涙)。そんな事を考えて行動した人が私以外にもたくさんいるのではないかと思われます。それくらい、バスクリンの値上げって、庶民的には大きな問題なのよ。(2018年10月4~8日)

 普段遣いのスーツを2着、作ってきました。今回は普段遣いなので、HANABISHIさんではなく、もっと庶民的なお店を探して、そこにオーダーしてきました。というわけで、新しいお店を次々と開拓しております(えっへん)。それもこれも地元の店でスーツを作りたくないから、やむなくなんですがね…。本当はスーツって、地元の店で作るのが一番なんですが、あの店員さんがいる店じゃあ、作りたくないんですよ。(2018年10月8~9日)

 桐朋の大学院生で、おまけに特待生という人をアマチュア歌手と呼んではいけないと思います。実力的にはすでに十分プロの領域に達していると思います。実際、各種コンクールでは入選しているみたいだし…。なので、アマチュア歌手ではなく、正しくは「売出し中の若手歌手」でしょ? で、何の話をしているのかって? そりゃあ“格付けチェック”の話だよ。私もピッチの正確さがダントツに良かったBが正解だと思ったもの。そりゃあ、みんなBがプロ歌手だと思うよ、実際、この人は学生だけれど、すでにプロ歌手だし…。(2018年10月9~15日)

 ようやく衣替えをしました。例年よりも二週間ほど遅いです。それだけ、今年は暑かった…という事ですね。で、たぶん、すぐに寒くなるんだろうなあって、今から覚悟を決めています。ああ、秋を楽しみたいのですが…ねえ。(2018年10月15~16日)

 誤って殺害…が通用するんだ、サウジアラビアって国は(嘆)。(2018年10月16~19日)

 9000人と聞いていた観客数が、当日に7000人だと聞いて、コンサートをドタキャンしちゃったと言ってるジュリーは、ファンの喜びよりも自分のメンツを優先してしまったわけで、それってエンタメ業界のプロとして、どうなんだろう?と思います。確かに3万人入る会場に7000人なら、キャパの1/4にも満たないスカスカ状態なわけで、そりゃあ不貞腐れたくなる気持ちも分からないでもないし、予定していた反原発署名がアリーナ側から禁止されたとしたら、サヨク的にファビョる気持ちも理解できるけれど、集まった7000人のファンのために、いや、たとえそのファンが700人や70人であったとしても、ファンの皆さんはこの日のために、万全の準備をして、日本各地からこの日のコンサートのために万障繰り合わせてやってきたわけで、それを思えば、中止とか延期とかありえないでしょ? コンサートのチケットだけでなく、交通費や宿泊費もかかっているし、家族や仕事仲間に気を使いながら集まってきたわけで、そういうファンの事情も考えた上で、それでも自分のメンツや反原発運動の方が大切だったのか、よくよく考えてもらいたいと思います。ちなみに、私は昔のジュリーのファンです(彼がサヨクに舵を切った時点でファンを辞めました)。かつて好きだったアイドルの醜聞なんて聞きたくないよぉ。(2018年10月19~23日)

 結局、選手は使い捨てなのか…と言われても仕方ないのが、先日福岡県で行われた「プリンセス駅伝 in 宗像・福津」でのスタッフの対応です。岩谷産業の選手が、足を骨折して、途中から四つ這いになって、膝を血だらけにしながらたすきをつないだ…って奴で、一部では美談になってますし、あれで感動した人も大勢いるようですが、私はあれはとんでもない話だと思ってます。選手は右脛骨を骨折して立てなくなって、それで四つ這いだそうですが、脛骨ってスネの骨で太い骨です。これが折れた段階でレースは棄権でしょ? 実際、レースの様子を見ていた監督は、すぐに棄権を申し出たそうだけれど、それが途中でうやむやになってしまって現場の審判に届かず、結局、レースは続行されたそうです。おかしくねえ? 監督の申し出がうやむやになってしまう運営って、絶対におかしいよね。それじゃあ監督がいる理由がないよね。だいたい、選手が自分から棄権することはないし、たとえ監督の意思が確認できなくても、足の骨折って四つ這いでしか前進できない選手がいた段階で、その場でドクターストップでいいじゃないの? それとも駅伝のレースって、ドクター無しで運営しているわけ? 駅伝じゃあ、そんなに選手の安全って軽いんだなって思いました。才能ある選手は、駅伝には近寄っちゃダメだよ。潰されてお終いになりかねないわな。(2018年10月23~29日)

 渋谷のハロウィーンで暴徒化する人々は、成人式で暴れるヤンチャ坊主たちと、メンタル的には同じなんだと思う。違うのは、成人式はシラフだけれど、ハロウィーンは酒が入っているって事かな? あと、成人式は若者だけれど、ハロウィーンはいい年した大人も暴れているって事だね。仮装をして楽しむだけなら、別に問題ないけれど、それで暴れて暴徒化するなんて…陽キャな子って手に負えないね。晴海あたりで行っているオタクな子たちのコスプレが暴徒化したという話は全く聞かないでしょ? そういう点では、陽キャはオタクに負けていると思うよ、完膚無きまでに。(2018年10月29~31日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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