ひとこと

  •  毎年の話だけれど、どうして成人式となると、ごくごく一部だけれど、イキってしまって暴れてしまうオノコが出てしまうのだろうか? たぶん、あれがカッコいいと思っているのだろうけれど、暴れるオノコは極めて少数で誤差の範囲程度しか存在しないんだよね。もしかすると、マスコミがいちいち暴れるオノコたちを報道するから、それに乗じて暴れているんじゃないかと、オッサンは勘ぐってます。マスコミが暴れるオノコたちを無視すると、案外数年で収まるんじゃないかと思っていたりします。
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2018年11月の記事

2018年11月30日 (金)

たぶん…冬になりました…ね[2018年11月の落ち穂拾い]

 寒くなりましたね。でもまだコートは着てません。もう冬なのにね…やっぱり今年は暖かいのかな?

素材の違い、価格帯の違い

 フルートの場合、価格帯の違いで素材が変わってきます。ですから、素材の違いと価格帯の違いの区別が付きづらいという特徴があります。

 例えば、洋銀のフルートと総銀のフルートは、もちろんあれこれ違いますが、それが素材の違いに起因するのか、それとも価格帯の違いに起因するのか、そのあたりの切り分けをある程度ちゃんと考えないといけない時もあるのになあと思います。

 確かに、素材が違うと価格帯が変わってきますが、価格帯が違うと、素材だけではなく、あれこれ違ってきます。そのあれこれ違っている部分まで素材のせいにされたら、素材が可哀想です。

 廉価な価格帯では洋銀が素材として使われる事が多いですが、だからと言って、洋銀がフルートの材質として良くないという事はなく、高価な価格帯と同様の製作レベルで洋銀のフルートを作ってもらえれば、洋銀のフルートだって素晴らしい楽器になります(昔はプロのフルーティストだって洋銀のフルートを使っていたそうですよ)。ただ、どんなに精巧に作られたとしても洋銀は洋銀であって、重い金属(銀とか金とか)と比べれば、どうしても音が飛びづらくはなります…だから、現在のプロは洋銀のフルートを使わないわけですね。

 価格帯の違いが一番わかり易いので、頭部管の作りだと思います。特に音質に影響を与える頭部管のカットは、フルートの価格帯で大きく変わってきます。それを明言しているメーカーもあれば、公にしていないメーカーもありますが、多くのメーカーで、価格帯の違いで頭部管のカットを変え、それによって音のキャラクターを変えています。

 でもそれはあくまでも頭部管のカットの違いによる音のキャラクターが違っているだけで、素材の違いとは、別の問題なんですね。

ノドが強いと何か良いことがあるのか?

 私はノドが強いとよく言われます。それをもって、人様から羨ましがられることもありますが、本人はそれで得したという経験はありません。

 ノドが強いと声を壊さずに無茶ができます。それって良いことでしょうか?

 本来なら、声が壊れてしまうような間違ったやり方でも、ノドが強いために声が壊れないので、いつまでも間違ったやり方のまま続けてしまいますが、これって良いことでしょうか? ノドに力を入れたままである程度歌えてしまいますが、それゆえに、ある程度以上には歌がなかなか進歩しません。歌が上達するチャンスを自ら潰しているわけですが、これって良いことでしょうか? ノドが強いため、簡単にノドが鳴ってしまいますが、それゆえに響きで歌うのが困難で仕方ないのですが、これって良いことでしょうか? 普段のしゃべり声がデカいため、人混みの中でも声がよく通ってしまい、全然内緒話ができないのですが、これって良いことでしょうか?

 ノドが弱いと困ることも多々あるでしょうが、強いからと言って得することもありません。一番良いのは、人並みな事なんだと思います。何事であれ、過ぎたるは及ばざるが如しって話なんだと思ってます。

衣装は大切?

 最近、会う人ごとに「痩せられましたか?」と尋ねられますが、実のところ、全然そんな事はありません。ただ、この言葉、某大手スーパーで作ったスーツを着ている時に限って言われるのです。以前作ったスーツを着ている時とか、カジュアルな服装の時には、絶対に言われません。

 某大手スーパーで作ったスーツは、はっきり言うと、着心地良くないです。着ていて、ちょっと苦しくて、動きづらくて、オーダースーツの割には満足度は低いのですが、それでもこれらを着ていると「痩せられましたか?」と尋ねられるのです。

 生地は縦縞だし、今年の流行りのシルエットって事で、あっちこっち絞って作ってあるんだよね。それが痩せて見える原因かもしれません。

 ある人に「痩せられましたか?」と尋ねられたので「ほれ!」と言って、閉めていた上着の前ボタンを外してみせたら「あ、いつもどおりだ」と言われました。ま、そんなもんだね。

 衣装は大切、衣装でその人の見かけが変わる…みたいだよ。

今月のお気に入り 折りたたみ式ヘルメット タタメット

 平成という時代は、災害続きの時代だったなあと思います。日本各地で大小様々な災害が起こりました。たまたま私の身近では、大きな災害はなく、日々変わらぬ平和を享受していますが、いつ災害に見舞われかねないかと不安がないわけではありません。

 私は関東地方に住んでいます。以前から、関東大震災級の地震がやってくると言われていますし、実際、いつ来ても不思議ではないそうだけれど、ほんと、地震はいつやってくるか分かりません。富士山だって、そろそろ噴火するんじゃないかって言われ続けてます。隣国からミサイルが飛んでこないという保証はないし、隣国の工作員たちがテロ行為を行わないという保証はありません。

 とにかく、考え始めると、あれこれ不安は尽きないわけです。自分の身は自分で守らないといけませんが、そんなに積極的な行動を日々取れるわけではありません。そこで私が出来る事として…少なくとも職場のデスクにはヘルメットを常備しておく事…ぐらいはしておこうと思いました。アタマは大切だからね。

 でも、ヘルメットって、案外かさばります。以前は普通のプラ製ヘルメットをデスクの脇にぶら下げておきましたが、これって結構邪魔になるんですよ。

 で、最近知ったのですが、今の時代、折りたたみのヘルメットってあるんですよ。それだとデスクの脇にぶら下げておいても邪魔になりません。欠点は、万が一の時には、組み立てないとかぶれないという即応性にやや欠ける点がありますが、万が一も大切だけれど、普段の生活で不自由が少ない方が大切なので、思い切ってヘルメットを通常のプラ製のモノから、この折りたたみ式に変更しました。

 ま、このまま使うことなく退職できればいいなあと思ってますが、使う時に慌てないように、時に触れ、折りたたみ式のヘルメットを組み立てています。慣れれば、案外すぐに組み立てられるものです。

今月の金魚

2018年11月9日(土) 最後のメダカがいなくなりました。約10ヶ月ほど我が家の水槽にいましたが…ちょっぴり残念です。

今月のひとこと

 人種差別と言うか、国籍差別と言うか、おそらく韓国で起こる日本向けの諸問題のほとんどは、そういった感情的なモノが原因で起こっていると思います。要は“自由にバカにし、侮蔑できる相手”が韓国人には必要で、その対象がたまたま日本人であった…って事なんだろうと思う。国策としての反日を行っている中国とは、そこが違うわけだ。だから様々なトラブルに関しても、中国とは話し合いの余地もあるだろうけれど、韓国とは話し合いの余地すらないのだろうと思う。つまりは“バカの壁”のようなモノが存在しているって事だな。(2018年10月30日~11月1日)

 ウチの近所の蕎麦屋が、年越しそばの予約を始めました。つい最近まで「暑~い!」と言っていたのに、もう年越しそばが目の前にやってきたんだね。商界的には、ハロウィーインが終わったので、年末年始なんだろうね。きっとそのうち、ジングルベルが聞こえるようになるんだろうなあ…。(2018年11月1~7日)

 オーストラリアで、ナメクジを生食した結果、寄生虫が原因で髄膜炎になった青年がいたそうです。彼は、発病後1年以上も昏睡し、その後も24時間要看護の生活をし、8年間の闘病生活の後、亡くなられたそうです。でも、ナメクジが悪いのではなく(ナメクジは加熱処理をすれば安全に食べられますし、食べる人たちもいます)生食が怖いのです。ちなみに、ナメクジは生食だけでなく、素手で触れることもヤバイそうです。なので、ナメクジを駆除する際も素手では触らないように気をつけたいものです。(2018年11月7~9日)

 来年(2019年)10月から消費税が増税されます(8%->10%)。それに伴って、軽減税率というのが導入され、外食と酒を除いた飲食物の税率が8%に据え置かれます。で、外食をどこで線引するかで混乱しているようです。スーパーで購入したおにぎりを、イートインコーナーで食べたら外食扱いで税率は10%になるのに、お店の片隅に設置されたベンチで食べたら持ち帰り扱いで税率が8%になるのは、なんか変。外食と言うのは、高級レストランや料亭だけでなく、ファミレスもあれば、スーパーのイートインコーナーもあるわけだけれど、きっと軽減税率を考えたお役人さんの頭の中には、庶民感覚がすっぱり抜け落ちていて“外食=ぜいたくな食事”って考えたんだろうね。だから外食は軽減税率の対象にはしなかったわけだ。でもね、実は安い外食って、自炊するよりも安価なんだよね。だから、そこそこお金に苦労している人は、案外、外食が多かったりするんだよ。なので、庶民の生活の事を考えたら、外食も軽減税率の対象にするか、あるいは安価な支払いの外食(例えば、一回の支払いが1万円以下とか…)は軽減税率の対象にするとか…の方が、いいんじゃないの?(2018年11月9~15日)

 放送業界&家電業界では、4K、8Kのテレビ放送で盛り上がっているみたいです。皆さん、4Kのテレビって欲しいですか? 私は廉価ならば欲しいですが、高価ならばパスです。だって、ウチのテレビって42型だもの、そんなに大きくないもの。DVDとBlue-rayの画質の違いだって分からないくらいだもの、4Kや8Kの画面を見ても、たぶん、その美しさは分からないんじゃないかな? いや、それ以前に、アニメとかバラエティとかドラマとかを、そんなに美しすぎる画面で私は見たいのか…って話です。もちろん、廉価なら見たいですが、たぶん最初のうちは高価だよね。100万円以上もするようなテレビは、よう買わんですよ、私。私に買って欲しければ、まずは10万円程度にしてください。話はそれからです。(2018年11月15~21日)

 結局、日産ブランドは消え、あの会社はフランスの物となり、ルノーの日本支店になってしまうのだろうか? 無いと言えないよね。さらにスリーダイヤもシングルのダイヤになってしまうのだろうか? こちらも無いとは言えないなあ。日産の人たちは、自社のことを考えて、今回のクーデターを起こしたのだろうけれど、最終的にフランス政府の勝ちって事になったら、私は日本人として嫌だなあって思います。(2018念11月21~26日)

 クラコンと門下発表会の間で、私、階段から落ちて転んで怪我をしたとブログに書きましたが、実はその時に足が折れていたようです。足が折れたと言っても、右のくるぶしが割れてしまっただけなのですが…。あれから二週間、一向に足の腫れと痛みが完治しないので、ようやく病院に行ったのですが、そこで今回の骨折が判明しました。ああ、私は折れた足で舞台に立っていたわけだな。なんか、かっこいいじゃん。(2018年11月26~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2018年11月29日 (木)

2018 門下発表会 その4 今後の課題と見通し

 そうそう、ドナウディの二重唱「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」の音源をアップしていなかったので、ここにアップします。これは、クラコンでの歌唱です。

 さて、門下の発表会が終わりました。後はいわゆる打ち上げです。打ち上げは基本楽しく飲み食いするのですが、今後の課題とか見通しとかの話も、少しだけしました。

 まず、私が高音苦手な件について。今回の発表会の歌唱を聞いて、三人の先生方の統一した見解は、すでにフィジカル的にも、テクニック的にも、高音を出せる状況にあるのだけれど、メンタル的な問題で、うまく行っていないのだろうという事です。

 メンタル的な問題とは「高音怖い」という苦手意識です。まずは苦手意識が前に出過ぎって事で、つまり“ビビリ”なので高音が出せないってわけです。ああ、メンタルを克服しないとね。

 フィジカル的には、弱さが問題ではなく(もっとも体幹部は決して強いとは言えないので、もっと鍛える必要はありますが)強さ、とりわけノドの強さが、高音発声の邪魔をしているのだろうとも言われました。つまり、フィジカルが過剰に強いので、それが邪魔して高音がうまく出ない…ってわけです。ノドが弱ければ、ノドに力が入りすぎるわけがないわけで(そんな事をしたらノド壊れちゃうし)、なまじノドが強くって、簡単に壊れないものだから過剰に力んでしまい、その力みが高音発声の邪魔になるわけです。ううむ、ノドの強さは私の個性だからなあ…。

 ノドの強さを克服するためには、声がひっくり返るように歌っていくのもやり方の一つだとは言われました。確かに、私の声は、滅多なことではひっくり返らないわけです。もっともそれはひっくり返らないように、ギアチェンジもしているわけですが、そのギアチェンジに問題があるわけです。

 通常のテノール発声では、Aまでは通常発声で、そこから上は半音ごとにギアチェンジをして歌っていくわけだけれど、私はメンタル的にビビりなため、F♯までは通常発声で、そこから先はビビってしまい、訳のわからないギアチェンジをしてしまい、それでダメになっているそうです。なので、ビビらずにAまでは通常発声のままで行き(これが超ムズい)、そこから上はこまめにギアチェンジをしていくようにしていく必要があるでしょうとの事です。難しいね。

 次に歌うアリアは何がいいの?…と、Y先生がA先生に尋ねていたけれど、A先生も困っていました。テノールのアリアには、初学者向けのモノって、ほぼ皆無だからね。

 歌曲に関しては、今現在はベッリーニをやっているけれど、今後も連作歌曲とか歌曲集などの大曲に挑戦しつづけていきましょうって事になりました。いくつか候補が上がりましたが、いよいよドイツリートに手を染めることになるかもしれません。これに関しては、決定したら、またブログに書いてみたいと思います。

 ちなみに、今現在、私が一番歌ってみたいドイツ系の歌曲集は、シューマンの「詩人の恋」なのですが、これはあっさりY先生に却下されました。理由は…メロディが美しすぎて、歌の勉強にならないから…なんだそうです。確かに「詩人の恋」は、歌手の技量がそこそこでも曲がいいので聞けちゃうんですよね。むしろ勉強するなら、歌の優劣がはっきり出るような、歌の出来次第で演奏の出来が大いに変わるようなモノで勉強しないと時間が勿体ないじゃないって事です。なので「詩人の恋」は、そのうち歌えばいいかって思ってます。

 まあ、私的には「ドイツリートよ、来るなら来い!」って感じです。イタリア近代歌曲は声をぶっ飛ばして歌えるので大好きですが、好きな事ばかりやっていては、歌は上達しません。ドイツリートで繊細な歌って奴を勉強するのも、いいかなって思っているわけです。

 ま、とりあえず、次回のレッスンは、歌曲はベッリーニ作曲の「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」と、オペラアリアの代わりにはビゼー作曲の「Agnus Dei/神の子羊」(あえて言えば、オラトリオ系のアリアですね)を歌います。どっちにせよ、ドイツリートをやるとしても、その後だね。

 ひとまず、これで今年の本番関係の連載は終了です。ありがとうございました。

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2018年11月28日 (水)

2018 門下発表会 その3 アリアの本番

 門下の発表会の第二部が始まりました。第一部は歌曲と二重唱がメインですが、第二部はアリア(独唱)と二重唱がメインとなります。つまり、第一部も第二部も二重唱がいっぱいあるのが、ウチの門下の発表会の特徴です。

 二重唱は全体の約半分です。我々夫婦は歌曲の二重唱を歌いましたが、それ以外はみなオペラの二重唱です。そのオペラの二重唱も、一曲を除いて、みな、テノールとソプラノの二重唱です。テノールはゲストのA先生で、ソプラノは門下生たちです。除いた一曲はバリトンとソプラノの二重唱で、バリトンが生徒さんでソプラノはF先生です。三重唱も一曲だけあって、それはバリトンが生徒さんとF先生、テノールがゲストのA先生という、実に男臭い三重唱だったりします。

 今回、ゲストで来てくださったテノールのA先生は、ドニゼッティ歌手さんなので、高音がめちゃくちゃ大得意な人で、顔色一つ変えずに気軽にピャーとHi-Cを出しちゃう人です。すっごく羨ましいです。

 ちなみに、Hi-Cの出し方を尋ねたら、お若い時は気合一発で出していたそうです。昨今は(とは言え、まだまだお若いのですが)気合ではなく、息の流れに注意して喋るように出しているのだそうです。高音を喋るように出す? 私にはよくわかりませんが、でもそれって、きっととても大切な事なのでしょう。

 閑話休題。私の出番が近づいてきました。さっそく舞台袖に行きます。第二部は妻が先で私が後です。なので、妻が舞台に行くのを見送って、舞台袖のモニターで歌を聞きました。ううむ、歌もピアノもあっちこっちでヘマってます。やっぱり「夜の女王のアリア」は難しいんだなあ…。

 妻が“やっちまったよ”って顔をして戻ってきました。まあ、この人、舞台で恥をかくのに慣れていないからね(笑)。私なんて、いつも“やっちまったよ”なので、舞台での失敗なんて全然気にしないのだけれど(爆)。

 さて、今度は私の番です。気合を入れて舞台に飛び出しました。お辞儀をしたら、ピアニストさんが弾き始めます。この曲はイントロが長いので、ピアニストさんが自分のタイミングで弾き始める事になっているので、私はピアニストさんが作ってくれた音楽の流れの中に飛び込むだけです。

 覚悟を決めて、音楽に飛び込んだら、後は必死に泳ぐだけです。クラコン後のレッスンであれこれ修正したので、テクニック的にはクラコンの時よりもうまく処理できたと思うのですが、いかんせん、ついつい力んでしまいます。クラコンのホールよりも今回のホールの方が響きが少なめというのもあります。クラコンの時は、本当にホールの響きに助けてもらったんだなあと、今更感謝するわけです。

 クラコンの時よりも丁寧に注意深く歌ったつもりですが、特に高音に関しては、声が割れたり、怒鳴り声になってしまいました。声が割れるのはノドに力が入りすぎが原因でしょうし、怒鳴り声になってしまうのは、息の流れが乱暴で荒すぎるからだと思います。ノドは脱力、息はなめらかに流して歌わないといけません。分かっちゃいるけど、できないんだなあ…。

 F♯までは気持ちよく歌えているのに、Gになった途端に、息の流れが変わり、ノドに力が入ってしまう…というのが、Y先生の見立てです。ただし、これは私自身が「ここからGだ」と知っている時に現れる現象で、発声練習などで、今自分がどの音程を出しているか分かっていない時(絶対音感なんて持っていないので、自分がどの高さの音を出しているのか分からない私なのです)は、息の流れが変わる事はないそうです。なので、やはりこれに関してはメンタルの問題なんだろうと思います。

 ノドに力が入ってしまう事はメンタルとは関係なく、高音に行くに従って力むそうなので、これは純粋にテクニックの問題なんだろうと思います。

 ああ、オペラアリアも、もっとちゃんと歌えるようになりたいものです。

 で、自分の出番が終わったので、ようやく肩の荷を下ろすことができました。ひとまず、楽屋に行って、カジュアルな服装にチェンジです。で、着替え終わる頃に舞台が終了したので、さっそくロビーに行って、お客様方にご挨拶です。今回も褒めていただきました。自分的には、クラコンよりも発表会の方が、よく歌えたと思っていましたが、クラコンに引き続いて来てくださった方は「クラコンよりも良かったよ」とはおっしゃられなかったので、客観的にはクラコンの方が良かったのかな?って思ってます。

 こうして何度か発表会に継続して出演していると感じるのは、我田引水となりますが、年々上達している事です。今年も昨年よりは、ずいぶんと上達したなあと思いました。やはり、上手な人達がたくさんいる門下で揉まれながら学んでいくって、大切な事なんだなって思いました。

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2018年11月27日 (火)

2018 門下発表会 その2 歌曲の本番です

 で、本番です。とは言っても、門下の発表会ですから、クラコンのようなアウェー感はなく、どこか落ち着いた感じがします。周りはみんな見知った顔ですし、Y先生もF先生も舞台袖で応援してくださってますし、伴奏のピアニストさんはいつものピアニストさんだし…あがるポイントとしては、会場が慣れていないホールってぐらいでしょう。まあ、慣れていないホールとは言え、初見参ってわけではありませんし、セットリスト的に二回目の出演ですし、いい感じで落ち着いて歌えます。

 出番がやってきました。ピアニストさんと励まし合って、Y先生に「いってきます」と挨拶をして、舞台に出ました。まずは歌曲です。レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。

 まあまあ良い感じで歌えたのではないかと思います。時折、音程が不安定になっている部分とか、声から響きが落ちてしまっている部分とかありますが、まあこれが今の私の実力です。

 クラコンの会場よりも響きが短い分、フレーズとフレーズの間合いも短めに、推進力は強めな感じで歌いました。会場によって、歌い方って自然と変わるものです。

 一曲歌って、すぐに舞台袖に引っ込みました。あっさりしたものです。私と入れ替わりに妻が舞台に出て、チマーラの歌曲を歌いました。で、彼女が歌っている間に、私は舞台袖でY先生と譜面台の高さの調整です。二重唱の歌詞カードをクラコンでは手に持って歌いましたが、今回は譜面台を使いましょうってことで、その調整なのです。

 で、妻が歌い終わって舞台袖に戻ってくると、ステマネをやってくださっているY先生が譜面台を舞台にセットしてくださいました。さあ、今度は二重唱です。

 二重唱も、まあまあよく歌えたと思います。歌曲の二重唱は、オペラの二重唱と違って“誤魔化しが効かない”ので大変です。ある意味、合唱曲のような部分もあって、リズムも音程もきちんと合わせていかないといけません。まあ、私の苦手なタイプの曲です。でも、いつまでも苦手を避けていては上達なんてしませんから、今回は苦手な曲にあえての挑戦です。

 ちなみに、私には苦手なタイプの曲ですが、妻は合唱人なので、こういう曲は得意です。得意なために、練習が常に不足していましたが、なんとか本番に帳尻を合わせてきました。歌詞の暗譜にしても、本番直前まで暗譜ができず、歌詞カードの使用を提案してきたのは妻ですが、彼女は本番当日にはしっかり暗譜ができていて、むしろ歌詞カードに頼ってしまったのは、私の方だったりします。なんかなー、ダメじゃん、私。

 ただ、いつも感じていますが、声のボリュームの差はいかんともし難いです。特に今回は声をまとめるために、私と妻が近寄って歌いましたが、この曲は二人の歌手に同じだけの声量が求められる曲なのですが、私は彼女のような小さな声では歌えないし、彼女はこれ以上大きな声では歌えないし、ほんと、ハーモニー的には難しいです。声のまとまりはよかったでしょうが、演奏の完成度としては、どうだったでしょうか?

 とにかく、二重唱を無事(?)に歌い終えた我々は、ピアニストさんと一緒に(ピアニストさんは3曲連続だったのです)舞台袖に引っ込みました。これで我々の第一部の出演は終了です。第一部の残りを客席で聞いて、休憩時間に楽屋に戻って、一息つきました。

 楽屋に戻れば、門下の皆さんと楽屋トークです。今回の発表会は、我々二人と、バリトンのKさんの3人だけが、第一部と第二部の両方に出演で、他の方々はいずれか一方に固めて歌います。まあ、私はまとめて3曲歌うよりも(アリアが大変なので)2つに分けてもらえてうれしかったのですが、Kさんは二度も舞台にあがるのが、ちょっと億劫だったみたいで、1回にまとめてもらいたかった…ってなことを散々楽屋でこぼしていました。私なんかは、複数回舞台に出られてうれしいのですが、そのあたりの感覚って人それぞれで面白いなあって思いました。

 やがて休憩時間も終わり、第二部が始まりました。皆さんは、そのまま楽屋で寛いでいるようですが、私は他の人の舞台を見たいので、さっそく客席に向いました。

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2018年11月26日 (月)

2018 門下発表会 その1 早めに楽屋に入りました

 さて、門下の発表会です。当日は雨の予報が出ていましたが、見事などん曇りで、なかなか良い感じでした。我々の当日リハーサルは12時半開始でしたが、10時過ぎに会場入りをしました。交通機関に何かあったら嫌だし、早めに楽屋入りして、他の人たちのリハーサルを見学したいしね。で、楽屋に荷物を置いたら、小一時間ほど皆さんのリハーサルの様子を見学させていただきました。ここの門下の人たちは、みんな上手なので、勉強になるんだよね。

 で、11時頃に早めの昼食を取りに行きました。ちなみに、てんやで天丼とうどんを食べました。美味しかったよ。

 ゆっくり食事をしてから会場に戻りました。ピアニストさんもやってきて、いよいよリハーサル開始です。

 まずは会場の音響の確認です。声の反響もそこそこあり、いい感じのホールです。先日のクラコンの会場と比べると、クラコンの会場の方が残響が長めです。私的にはクラコン会場の方が好みかな? でも、本当に声がある人にとっては、長めの残響のホールと言うのは、残響のないホールとは違った意味で歌いづらいのだそうです。どういう事かと言うと、自分が歌っている時に、まだ前の声が会場に残っていて、前の声を打ち消しながら歌っていかないといけないのだそうで、これは結構疲れるし、声も早めに消耗するのだそうです。でも、私はそこまで立派な声はないので、クラコン会場ぐらいの残響の方が好きかも(笑)。ま、それはともかく、今度の会場も、歌にはなかなか良い会場です。

 リハーサルは本番と同じ曲順で歌いました。なるべく声を消耗しないように心がけました。なので、歌曲と二重唱は、本番会場の音響を確認する意味も込めて、普通に歌いました。

 ソロは問題ないのですが、二重唱の二人の立ち位置は、クラコンの時とは変えました。クラコンの時は、ピアニストさんを含めて、三人が三角形になるように立って歌いました(音量バランスを取ると、これがベストだったんですね)が、今回はセンターに二人で立ちました。音量のバランスはかなり悪くなります(結果的に私の声が妻の声をかき消す…ような感じになりました)が、二重唱としての声のまとまりの方を優先したわけです。

 オペラアリアに関しては、ピアニストさんには、会場のピアノに慣れるという意味もあって、普通に弾いてもらい、我々歌手の方は鼻歌歌唱でやり過ごしました。だって、声が消耗するのが怖かったんだもの。

 で、最初は妻のアリアを、次に私のアリアの途中まで歌ったところで、タイムアップ。ま、仕方ないよね。で、その後の開場までの時間(我々は最後のリハーサル組だったのです)は自由時間なので、お一人、返しをやりたい方がいらっしゃったので、それをやってもらい、開場直前の時間を使って、もう一度私のアリアのピアノリハーサルをやらせてもらいました。

 ピアニストって、会場が変わると、演奏する楽器が変わるんだよね。これって、笛吹きの立場で考えると、ありえない事です。ピアニストさんって大変だなあ。

 当日リハーサルが終わると開場です。あと30分もすると開演となります。私は着替えるのが遅い人なので、リハーサルが終わったら、すぐに楽屋に戻って着替え始めました。今回は、カフスボタンを使用しなかったので、スムーズに着替えられました。たぶん20分ちょっとしかかからなかったと思います(笑)。

 そうそう、新品タキシードの着心地ですが、バッチリです。いやあ、実に楽です。普段来ているスーツよりも楽な感じです。それでいて、見た感じがきちんとしているので、やっぱり、ちゃんとしたところで作ってもらうと良いのだなあと思いました。

 スーツがきちんとすると、今度は靴のボロさが目立つようになります。次は靴を新調しようかな? 私がステージシューズとして愛用しているのは、ダンスシューズで、見た目は革靴だけれど、靴底はスエードになっていて、足音を立てずに歩けて、適度なすべりがあって、動きやすいというスグレモノなのです。ただダンスシューズは、そこらでは売っていないので、私は銀座まで出かけて、専門店で購入しました。安くないのが欠点かも。

 本番衣装に着替えて、自分の出番まで若干の余裕があったので、客席に行って、他の人の歌を聞きました。やがて自分の出番が近づいてきたので、録音機を客席に仕掛けて、舞台袖に向かいました。

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2018年11月25日 (日)

本意では無い事もやらなきゃならない

 さて、声楽のレッスンの続きです。ピアニストさんがやってきたので、曲の練習に入りました。

 最初は歌曲から…という事で、レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。通して歌いました。丁寧に歌いすぎたせいか、先生からは「野暮ったく聞こえる」と言われました。もう少しシャレオツに、もう少し都会っぽく歌わないとダメなんだそうです。つまり、多少の遊びを入れながら歌ってくださいって事なので、多少、オシャレに歌ってみました。

 ちなみに、歌詞の暗譜間違いが二箇所ありますが…今から暗記し直せるかな?

 最後の4小節がなんともフラフラした感じに聞こえるそうですが、歌っている自分としても得心いかないまま歌っています。なんでしょう? 今ひとつ、分かっていない感じがするのです。音程もなんとなく甘いし…。どうやら、最後の“vinvito”の低いFがうまく決まらないみたいです。このFが決まらないので、その後のフレーズの音程が悪くなる…というわけです。逆にこのFがきちんと歌えると、その後もバッチリ決まってくるので、このFと、それに続くフレーズの練習をしました。本番でも、ちゃんと歌えるといいのですが…。

 次はヴェルディ作曲「椿姫」より「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。すべてが懸案事項なのですが、特に問題なのが“すべてが歌い過ぎ”という点です。「最初から最後までクライマックス!」と言うのが、私の信条なのですが、それをやっちゃうとオペラ歌手(と言っても、アリア1曲しか歌いませんが:笑)としては、破綻しちゃうわけだし、実際、破綻しているわけです。

 声はなるべく休ませながら歌わないといけません…とは言え、カラダは休ませてはいけません。あくまでも休ませるのは、声であり、ノドであり、声帯です。カラダ…腹筋なんてのは、むしろ酷使するべきなのです。

 Y先生からは「二重唱のように歌えればいいのに…」と言われました。二重唱は、非力な声の妻に合わせて、かなり抑えて歌っているのですが、ああいう歌い方がベターだそうです。

 ああいう歌い方は、私的には本意ではないんだよなあ…。あれはやむをえない歌い方であって、フラストレーションが溜まる歌い方なんだけれど、あの歌い方をデフォルトにして歌うと言うのは、心情的にも技術的にも、かなり難しいんです。

 心情的は…横に置いたとしても、技術的には、二重唱のように、最初っから最後まで、ああいう感じの声で歌うなら出来るのだけれど、この曲のようなオペラアリアだと、ああいう感じの歌い方をデフォルトとしても、やはり部分的には、かなり激しく歌わないといけないわけだし、一度激しく歌ってしまうと、そこから穏やかに歌い戻るってのは、私的には難しいのです。走り出したら止まんない、猪突猛進なのが私ですから…。

 Y先生からは、ヴェルディが楽譜に書き込んだ、表情記号の通りに歌えば、自然と声を節約しながら歌えますよと教えていただきました。で、楽譜をよく見てみると…確かにpとかppとかpppとか書いてあります。こういう箇所で、声を休めろって事だろうと思いますが、p系の声って、f系の声よりも、ずっと発声が難しいんだよね。本番間近な今、そこまで対応しきれないよ。

 ああ、ムズい。

 クラコンでも失敗した前半のアリアの高音部分も懸案事項です。歌詞で言えば“Scordo ne' gaudi suoi”です。特に“suo”のE♭から“i”のA♭への4度の跳躍音程がムズいのです。ここを失敗するのは、A♭にばかり意識が行ってしまうのでノドが絞まって失敗するのだそうです。ここではA♭の事は、ひとまず忘れて、まずはその手前のE♭をしっかり鳴らして歌うのが大切で、E♭をしっかり鳴らしておいて、そこからA♭へ声を持ち上げていくわけです。で、それをするために、このフレーズの手前は、しっかり声を休ませて、パワーを溜めておく必要があります。そのように歌えると…いいですね。

 というわけで、次はいよいよ門下の発表会になります。

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2018年11月24日 (土)

ヤクはどのタイミングで飲みますか?

 秋の本番シーズンの連載の真っ最中です。クラコンが終了し、門下の発表会までのわずかな時間にY先生のレッスンがありました。今回は、そのレッスンの記事をアップします。

 さて私、痛い足をひきずって、声楽のレッスンに行ってきました。

 実は、クラコンの翌々日(つまり月曜日)に、今度は、階段から落ちました(涙)。クラコンの前日に舞台から落ちた時は、落下最中の時間があったために、十分な受け身が取れて、怪我をしなかったのですが、今度の階段は、たった一段、あと一段というところで落ちました。ほんの数センチの高さなのに、頭から落ちたので、逆に十分な受け身を取る余裕もなく、うっかり両手両足の擦り傷&打ち身、および右足首の捻挫をやってしまいました。打ち身の方は、さすがに一晩で回復。擦り傷は絆創膏を貼ってごまかしちゃいましたが、右足首の方はごまかしようもなく、びっこを引いて生きていました。

 怪我した当日は、アドレナリンが出ていたのか、あるいはまだ重傷化していなかったのが、何とか活動できたけれど、その日の夜に足首を見たら、くるぶしにコブ(子どものげんこつ大、結構大きい)が出来ていました。いやあ、びっくり。翌日は半日だけ我慢して働いて、後は自宅で寝たきり老人をやっていたら、コブが無くなりました(驚くべき回復力!)。でも、かなり痛かったので、その翌日も半日だけ働いて、ふたたび寝たきり老人をやったら、だいぶ痛みもとれましたので、レッスン当日は、普通にびっこを引きながら働いてから、レッスンに向かったわけです。

 足は痛いとは言え、レッスンは通常運転です。

 まずはハミング練習からです。ハミングで声を響かせる場所をずっと上の方に持ってくるように言われました。ハミングって、クチから鼻にかけての場所に響かせる人が多いと思いますが、それをもっとずっと上の方で響かせるようにしました。感覚的には、鼻の上の方と言うか、目のあたりと言うか、とにかくそのあたりです。そのためには、息をたくさん送る必要があります。

 歌う時に送る息は、男性は少なく、女性は多めになりがちなんだそうです。これは絶対量の話ではなく、声帯から見た適切な息の量と比べて…という話で、男性は声帯が大きいため、かなり多くの息を送らないと歌えないのですが、女性の声帯は小さめで、そのために、むしろ必要以上に多くの息を送ってしまいがちなんだそうです。そのため、男性は響きが落ちがちで、女性は声が上ずりがちになるんだそうです。ま、私は男性で、常時息が足りないので、意識して息を多めに送るように心がけないといけません。

 発声練習では、息を意識して流す練習をしました。とにかくしっかり息を流して歌う、息は流しても、声は鳴らさない、ここが肝心なのです。声を鳴らさないためには、ノドに力を入れない事が大切です。つまり、腹圧を高めて、腹筋は緊張させるのだけれど、ノドは脱力し、首周りは弛緩させるつもりで歌っていくのが、大切な作法なのです。難しいね。

 本番前は、あまり歌わないようにという注意を受けました。声が減ってしまっては、回復が難しいですからね。当日はもちろん、前日もなるべく歌わない。前々日は、軽めに歌うなら、まあよしです。ただし、声が温まるまで歌うのはダメで、声が温まる前に止めるのが大切です。

 うっかり歌いすぎてしまった時は、響声破笛丸とかトラネキサム酸とか飲んで、ノドの腫れを取る必要があるけれど、これらは飲むタイミングに注意しましょうとも言われました。本番に近い時間に飲んでしまうと、薬効のせいで、逆に声が温まらなくなるそうです。歌いすぎて、声が無いまま舞台に上がるのも怖いですが、全然声が温まらないまま舞台に上がるのも怖い話です。

 先生は薬類は飲むにしても前日までにして、当日は飲まないのだそうです。私は…本番の2時間ぐらい前に飲むかな? 先生と違って、私は無茶をしがちだから、前日に飲んだっきりじゃあ、ノドにダメージが残ったままだからね。なるべく、ダメージのない声で歌いたいものです。あと、私はカラダがデカイから、薬が効きづらいし、そんなに効果も強くは出ないので、本番前に飲んでも平気という話もあります。

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2018年11月23日 (金)

クラコン2018 その4 反省はまだしない

 で、二重唱が終わり、妻が退場しました。舞台には私が残って、最後のアリアを歌います。私の次に出演予定になっているギターアンサンブルの方々は、妻が帰ってきたタイミングで舞台に出ようとしたそうですが、私が歌い始めたので、慌てて引っ込んだんだそうです。プログラムには3曲歌うと書いてあるのに、何を勘違いしたんでしょうね?

 で、ヴェルディです。

 このアリアは、音域的には歌えるはずの曲なのですが、今まで何度もブログに書いてきたとおり、やっぱりちゃんとは歌えませんでした。高音にビビる癖は、改善されませんでした。そういう危険ゾーンを数箇所残したまま本番を迎えたわけです。

 クラコンでは、最初の危険ゾーンはヘマってしまいましたが、その他は…ぎりぎり通過できた…かな?と思います。やはり響きの良いホールで歌うと、よく歌えるのではないかなって思いました。レッスンを含めて、これまでで一番良い出来に歌えたと思います。ただし“一番良い出来”と言っても、あくまでも“当社比”であって、冷静に聞いてみると、まだまだアレコレ不足があります。ああ、残念。

 自分の本番、妻の本番と、ミスをしてしまったピアニストさんも、最後になる私の本番では、なんとかメンタルの切り替えが出来て、目立つミスなく(ミスなんて、分からなければしてもしなくても一緒です)弾いてくれました。やったね。

 で、歌い終えて、舞台袖に戻って、妻と一緒に会場ロビーに行きました。見に来てくれた方々にご挨拶です。今回は…ダメ出しはなく、褒めていただくばかりでした。うむ、会場に大いに助けられ、ミスの目立たない歌唱になったようです。妻が「実は本番が今までで一番良かったんですよ」などと、いらない情報を開示してくれました(へへへ)。

 ご挨拶が終わって、ホールに戻って、録音機を回収して、楽屋に戻って、着替えです。すでにバリトン氏は帰っていました。その代わりに、ギター・アンサンブルの方々のギターケースがたくさん置いてありました。彼らは、舞台へはケースでは楽器を持ち込まないんですね。たぶん、フルートの人なら、ケースごと舞台に持ち込んで、舞台袖で楽器を組み立てそうな気がします(それはH門下だけの話かな?)。

 と言う流れで分かるとおり、実は本番で使った二重奏の歌詞カードや舞台袖に持ち込んだ楽譜の回収を忘れてしまいました。いやあ、失敗失敗。以前のクラコンで録音機を会場に忘れてしまった事があったので、録音機の回収は気をつけていたのですが、楽譜を忘れてしまったのは、今回が始めてです。次からは、楽譜の回収にも気をつけないといけませんね。

 で、妻は帰宅後すぐに歌詞カードや楽譜が無い事に気づいて、会場まで戻って、これらを受け取ってきましたが、私が楽譜が無い事に気づいたのは、翌日の自宅練習の時です。で、歌詞カードや楽譜がない事に気づいた私が、妻に尋ねたところ、妻が私の分も合わせて持ち替えてくれていたので、事なきを得たわけです。しっかり者の妻を持った私は幸せモノです。

 今回の演奏は、私達歌い手もピアニストさんも、色々と思う事がありました。このリベンジは、翌週の門下の発表会でする事を誓いました。でも、今、反省をすると凹むので、反省は門下の発表会が終わってからしましょうとも約束しました。

 さあ、次は門下の発表会だ。頑張るぞ。

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2018年11月22日 (木)

クラコン2018 その3 さて本番が始まりました

 さて、本番です。まずは妻の出番だったので、私は当日リハーサル会場から、直接会場のホールに入って、演奏を聞きながら、録音機をセットしました。録音機は、ここから私の本番が終わるまで、ずっと録音しつづけるわけです。

 妻はチマーラ作曲の「雪が降っています」とモーツァルト作曲の「夜の女王のアリア」を歌いました。チマーラ(歌曲)の方は、とても良かったと思います。モーツァルト(アリア)の方は、とても難しいアリアなんだなって思いました。今まで妻は、たいていの曲をかなり完成した形で歌っちゃう人なんだけれど、この曲は決してそうとはいかなかったです。演奏が終わって、妻が「あなたの気持ちがよく分かった。本番で、歌えないってのは、悔しいね」と言いました。まあ確かに、私は常にきちんと歌えないからなあ。

 ピアニストさんは、ソロ演奏でのミスをまだ引きずっているようで、メンタル的に凹んだままで、妻の舞台でも(素人が聞いても分かるほどの)ミスがありました。舞台から下がってきて「もうダメ、引退する…」と言っていたくらいです。

 まあ、舞台には魔物が住んでいますからね。

 妻の本番が終わったので、私も舞台袖に入りました。妻と私の間に二人の方が歌います。ピアニストさんは、この時間でメンタルのリセットに励んでいました。なんとか気持ちを切り替える…と言ってました。妻は、自分の出番が終わったとは言うものの、私の舞台で二重唱を歌うので、今度は二重唱に集中です。私は…と言えば、せいぜい、カラダをほぐすくらいかな? 今更ビビっても仕方ないしね。

 やがて私の出演の時がやってきました。今までは、舞台と舞台袖はカーテンで仕切られていたので、出演者が自分のタイミングで舞台へ登場できたのですが、リニューアル後は、カーテンではなくドアになったので、ステマネの方がドアを開けてくれないと出入りできなくなりました。ここに関しては、自分のタイミングで出入りできた以前の方が良かったかな?

 私のセットリストは…

レスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」(歌曲)
ドナウディ作曲「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」(二重唱)
ヴェルディ作曲「椿姫」より「De'miei bollenti spiriti/燃える心を」(オペラアリア)

 …です。まずはレスピーギからです。この曲はイントロがないので、お互いの準備が完了し、私が舞台の中央に進み出たところで、出だしの音をピアニストさんがポンと弾いてくれるので、そこに乗っかって歌い出しました。

 まあまあ、悪くない感じだったと思います。とにかく、ホールの音響が良くて、とても歌いやすかったです。歌うことに集中できましたし、ホールが良いのは、歌手にとって、とても大切なことなんだなって思いました。以前のホールも、客観的に言えば、汎用ホールとしては音響が良い方だったと思いますが、それでも声の返りはほぼないし、結構息が飲み込まれていく感じのホールだったのです。なので、ついつい力押しで歌ってしまいがちだったのですが、今度のホールは、楽に歌えるし、息が十分に続けられます。いいね、この感じ。

 ちなみに私の次は、本日のトリを取るギターアンサンブルの方々が舞台袖に控えていましたが、私が歌っている最中に、彼らの一人がギターを倒して大きな物音を立てたそうなのですが…歌っている私は全然気が付きませんでした。

 で、次は妻が登場して、ドナウディの二重唱を歌いました。実はこの曲、暗譜できなかったんですよ(涙)。なので、やむなく、歌詞カードを用意して、本番では歌詞カードをチラ見しながら歌いました。歌曲の暗譜は難しいね、特に有節歌曲はほんと難しいです。オペラのアリアなどは、メロディと歌詞が密接に関係しているし、動作を入れて歌いますので、割と簡単に暗譜できるのですが、歌曲、とりわけ有節歌曲と言って、1番2番ってあるヤツは、頭の中で歌詞がこんがらがってしまって、なかなかすっきり歌えないのです。ちなみに、この二重唱は4番まであるんだよ。同じメロディーに4つの異なる歌詞が乗ってて、最後まで混乱したままで、完璧な暗譜ができなかったので、やむなく歌詞カード持参しました。

 まあ、プロでも歌曲は楽譜持参で歌うことがあるから、勘弁してくださいませ。

 二重唱は、私と妻との間に音量差があるので、レッスンでは、私はいつも妻に遠慮して、彼女の歌を消さないように音量を抑え気味に歌っていました。で、音量を抑え気味に歌うと、どうしても音程がフラットしがちで、そこをY先生にはよく注意されましたが、本番のホールは音響が良くて、妻の声も結構聞こえるので、私はあまり遠慮せずに歌ってみました。

 結果的には、やっぱり多少は遠慮しないといけなかったかな…と録音を聞き返して思いました。音量を抑えながらも、音程をキープして歌っていく…のが、今後の私の課題(だって、妻に音量マシマシで歌えとは無理な注文だからね)だな。

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2018年11月21日 (水)

クラコン2018 その2 お風呂屋さんで歌っている気分でした

 クラコンの本番日となりました…が、この日は普通に出勤だった私です。とにかく、いつもどおりに起床して、いつもどおりに支度して、いつもどおりに出勤した私です。で、いつも以上に激しく働き(この日は、特に忙しかったんですよ)、お昼過ぎに早退して、帰宅しました。

 帰宅して、遅めの昼食を食べて、妻と会場に向かいました。いやあ、時間的には、あまり余裕はないのですよ。

 楽屋口から会場入りし、楽屋に荷物を置いたら、バリトン氏がすでに楽屋入りしていました。そりゃあそうだよね、私の楽屋入りが遅いんだよ。ちなみに、この日の男声歌手は、私とバリトン氏だけです。後はみんなソプラノさんなので、男性用楽屋はスカスカなのです。

 楽屋と言うと…、器楽の男性って、あまり楽屋を使わないんだよね。男性ピアニストさんも出演されるけれど、彼は楽屋を利用しないし、私の後に出演するギター・アンサンブルの人たちも、荷物置き場程度にしか楽屋を使用しません。彼らは皆、舞台衣装を着て、楽屋入りして、そのまま舞台袖で待機しちゃうんだよ。

 ちなみに、女性用楽屋は二部屋、男性用は一部屋なんだけれど、女性用の二部屋を合わせたよりも男性用の楽屋の方が広いのです。そんな広い楽屋がスカスカと言うのも、なんかモッタイナイ話です。

 それはさておき、バリトン氏とは、二言三言会話をしただけで、私は早速、リニューアルして新しくなった会場周辺の探検を始めました。状況把握をきちんとしないと落ち着かないタイプの人なんです(お前は犬か!)。

 リニューアルしたとは言え、基本的な動線は以前と同じです。それでもやはり、細かいところが違っています。階段だったところがスロープになっていたり、楽屋を一つつぶしてエレベーターが新設されていたり、その代わり、倉庫だったところが楽屋になっていたり、おトイレの場所が変わっていたり…。

 ホールの扉が、どれも軽くなっていたのは、うれしかったです。今までのドアは、遮音は良かったけれど、とにかく重かったからね。今度のドアは軽くて、遮音も十分ですから、時代の変化を感じます。

 で、軽く周辺を散歩して、ホール(客席)に入りました。前日のリハーサルの時も感じたけれど、豊かで良い響きのホールになりました。クラシックの演奏をする/聞くのに、本当に良いホールに生まれ変わりました。

 そこで、ピアノの演奏を2人ばかり聞いて、楽屋に戻って、着替えました。で、着替えたら、すぐにまたホールに入りました。と言うのも、私達がお願いしているピアニストさんが、今年は伴奏だけでなく、ピアノ独奏でも出演されるので、それを聞きに行きました。

 演奏していた曲は、プーランク作曲の「ノヴェレッテ」でした。私、全然、知らない曲です。どうもあっちこっちミスをしたそうで、本人、相当に落ち込んでいました。体調がかなり悪かったようですが、それでもこの人、めったにミスをしない人なので、本番でミスった事が、かなりひどくショックだったようです。ううむ、ミスをするのが前提で歌っている私とは、住んでいる世界がだいぶ違うんだなあ…。

 体調が悪いくらいでミスをする自分が信じられないんだそうです。

 それはさておき、ピアニストさんの本番が終わって、すぐに当日のリハーサル会場(つまり声出し会場)に行きました。

 実は当日のリハーサル会場の時間割当に関して、主催者側のミスがあって、妻の本番の時間に、私が当日リハーサルをするというタイムスケジュールになっていました。事前に、スケジュール表はいただいていた(ただし、妻はチェックしていますが、私は見てません)ので、その段階で気づけばいいのに、当日まで気づかず、その日の午前に気づいたピアニストさんが、直接主催者さんと掛け合って、リハーサルの時間をずらしてもらったため、結構、本番とリハーサルに隙間のないスケジュールになりました。

 まあ、そんな事は、どうでもいいや。

 とにかく、当日のリハーサル会場に行きました。この部屋は、リニューアルに伴って、新しく作られたミニホールで、最大百人程度が入るホールなのです。天井がめっちゃ高くて、すごく良く響きます。いやあ、響きすぎます。ほぼ、風呂屋状態です。

 だから、歌うのはとても楽で、本番前にここで声出しをしても、全然声は減らないわけで、それはとても良いことなんだけれど、本番のホールとは、あまりにコンディションが違いすぎて、当日リハーサルにはなりづらい場所です。

 でも、このホール、小規模な合唱の演奏なんて聞いたら、至福だろうなあ…って思いました。

 で、ここでの直前のリハーサル時間は二人合わせて20分でしたが、声が減るのをおそれて、それぞれ歌曲を一回ずつ、二重唱を一回歌っただけで、時間が半分以上余ってしまいました。なので、残りの時間は、ひたすらピアニストさんがピアノを弾きまくるという時間に使いました。声は減るけれど、ピアノは減らないからね。

 で、直前リハーサルが終わったので、いよいよ本番に向かいました。

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2018年11月20日 (火)

クラコン2018 その1 舞台から落ちました(涙)

 では、今年(2018年)の秋の本番、第一弾である、地元開催の“クラシックコンサート(以下、クラコンと略)”の連載を開始します。

 話は、本番前日に行われた、リハーサル(ゲネプロっすね)の話からです。

 毎年、前日リハーサルの時間って変わるのです(全体の時間が決まっていて、それをリハーサル希望者の人数割りで決めるのです)が、今年はなんと、多めのリハーサルの時間をいただきました。なんと二人で90分だよ、90分。本番は14分なので、本番の6倍近い時間のリハーサル時間なんです。

 90分と言ったら、普段のY先生とのレッスン時間と同じじゃん(笑)。

 とにかく、前日リハーサルです。ピアニストさんと待ち合わせて、ホールに入りました。

 実は、ホールのある市民会館は、リニューアルをして、私的には今回が始めての使用なのです。リニューアルの内容は、内装の変更が主なのですが、ううむ、だいぶホールの印象が変わりました。

 響きがめっちゃ良くなっているじゃん(驚)。リハーサルなので、お客さんがいない事もあるけれど、ほぼ理想の音響が実現されています。舞台上の声やら物音やらが、やたらと響き渡ります。まあ、これで客が入れば、適当に吸音されて、印象が変わるのでしょうが、いい感じのホールに生まれ変わったと思います。

 リニューアル前のホールは、汎用ホールとしては良い感じのホールでしたが、舞台で生声で歌っていると、声があっちこっちで吸い込まれて、あまり声が返ってこないホールでした。でも、今はいい感じで響きます。しかし、良い音も響きますが、悪い音も結構響きます。

 舞台に設置されているピアノは…高音が痩せた音なのですが…この音が会場にギャンギャンに響いて、ちょっとダメな感じがします。響かないホールなら、あまり気にならないのでしょうが、このホールだと、結構耳障りです。ですから、ピアニストさんも、なるべく高音を鳴らさないように、気を使いながらピアノを弾かれていました。

 しかし響きが豊かと言うのは、歌う人間にとっては、とても良い感じです。以前は、歌っていると、どんどん息が無くなってしまって、歌っていてつらかったのですが、今回は、いくら歌っても、息が余る感じです。私はともかく、声の小さめな方には、うれしいホールになったと思います。実際、妻の歌声でも、ホールいっぱいに響きますからね。歌い手にとっては、本当に良いホールになったと思います。

 おそらく、ポピュラー音楽とか講演会向きに調整していたホールを、リニューアルを機にクラシック音楽向けに調整し直してくれたんだろうなあって思いました。実際、こんなに響くと、ポピュラー音楽とか講演会とかのP.A.システムを使う前提のモノは、どうなるんだろうなあと、余計な心配をしてしまいました。

 客席の座席も横幅が広くなり、以前よりもデブに優しくなりました。これも良い感じです。

 しかし、舞台から客席の昇降に使う階段が、以前のままで、小さい上に手すりも何もないのです。で、舞台から客席に降りようとした私は、思いっきり、一段目から階段を踏み外しました…ってか、舞台から落ちました。ま、階段が小さかったというのもあるけれど、私が不注意だったというのが一番の原因でしょうね。

 とにかく、落ちちゃいました(涙)。舞台の高さは…たぶん1mぐらいですね。正面向きに頭から落ちました。私は柔道マンなので、無意識に前受身をしましたので、大きな怪我はありませんでしたが、落ちる時に右足のかかとが階段にひっかかって、ちょっと右足首を捻ってしまいました。さすがに怪我直後はジンジンするので、しばらく休憩して、痛みの感じを観察していました。10分もしたら、痛みはほぼ引いたので、どこも折れたり切れたりはしなかったみたいです。実際、ほんのちょっと軽く腫れたぐらいです(一晩寝たら、治ってました)。いやあ、軽傷で済んで良かった。痛いだけなら、問題ないしね。

 それにしても、若い時に熱心に柔道をやっていてよかった。柔道のおかげで、本当に私は怪我が少ないよね。今回の件だって、受け身が取れない人だったら、たぶん顔から落ちていただろうから、大変な怪我になるし、頭も打ってしまうだろうから、クラコンどころの騒ぎではなく、即救急車の事案だったかもしれません。

 肝心のリハーサルの方は…問題続出ですが、それは主に私の実力不足が起因する問題ですから、いかんともし難いです。あとは、まな板の鯉の気分で、本番を待つだけです。

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2018年11月19日 (月)

「歌詞がいいですね」は褒め言葉なのか?

 テレビ等でよく聞くコメントとして、歌を褒めるのに「歌詞がいいですね」って言葉があります。

 歌詞がいいって何? 歌の歌詞って、そんなに大切?

 私だって、歌に歌詞は不要だとは思わないし、下手くそな歌詞でもいいとは思いません。良い歌詞に良いメロディが付いていると、良い歌だなあって思います。

 でもね、歌にとって、あくまでも歌詞は二次的なモノであり、音楽のインスパイアの源であり、状況を借りる小道具の一つであって、歌の本質は歌詞ではなく、音楽そのものであると私は考えています。

 ざっくり言えば、同じ歌詞で違うメロディーの曲(「砂山」は、山田耕筰と中山晋平がそれぞれ別のメロディーで作曲しています)は、別の曲だけれど、同じメロディーで歌詞を変えた曲(替え歌などを想像してみて)は、同じ曲だと思ってます。違いますか?

 かように、歌にとって、歌詞とは大切な要素だけれど、決して主役ではないのです。

 だから「歌詞がいいですね」というコメントは、ステーキを食べていて、ステーキの美味しさには触れず、付け合せのじゃがいもが美味しいですねって言っているようなものなのです。和食で言えば、刺し身じゃなくて、ツマを褒めちゃう感じ?

 料理なら、ステーキや刺し身の旨さを褒めましょうよ。歌なら、そのメロディやサウンドの素晴らしさを褒めましょうよ。

 なので、歌詞を褒めているコメントを聞くと「この曲、そんなにメロディがダメなのかな?」って思ったり「この人、この曲の良さが分からないんだ!」と思ってしまう私なのでした。

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2018年11月18日 (日)

今更だけれど電子レンジはすごい

 本日は、門下の発表会です。頑張って歌ってきます。遠くの空からでも、応援をお願いします。発表会の様子や音源に関しては、先日のクラコンとまとめて、後日アップしますので、今しばらくお待ち下さい。

 さて、最近、冷凍食品を始めとする、電子レンジで調理するタイプのお惣菜や料理が、とても美味しいなあと感じています。

 もちろん、妻の手料理は美味しいし、プロの料理人が作ったものはさらに美味しいです。

 スーパーやコンビニなどで売っているお惣菜や料理は、昔はあまり美味しいものではありませんでした。だって、冷めているんだもの(笑)。どんなに美味しい料理であって、冷めてしまえば、さほど美味しくはありません。もちろん、冷めても美味しく食べられるように作っているのだけれど、それだって限度があるってものです。

 電子レンジが家庭に普及し始めた当初は、それらの冷たいお惣菜を簡単に温める機械として役立ちました。冷たい料理をほんの数分でホカホカにしてくれる…ほんと、魔法の機械でした。

 電子レンジのおかげで、冷たいものだけではなく、やがて凍ったもの(つまり冷凍食品だね)も美味しく食べられるようになりました。一般的に、常温保存よりも冷凍保存の方が美味しさを保てるわけで、電子レンジの普及が、冷凍食品の普及と発展を促したわけです。

 やがて、人間はさらに上手な電子レンジの利用法を考えるわけで、それが電子レンジを使った調理です。火や蒸気を使わない放射線による調理法です。

 例えば、ラーメン。昔は美味しいラーメンってのは、美味しいと評判のお店に行かなければ食べられませんでした。うっかりそこらの店に行くと、マズいラーメンが平気で出てきたりしました、そんな時代の話から始まります。

 当時、家庭でラーメンを作る事もありましたが、その頃のラーメンは、今で言う生ラーメンでしたので、それを家庭で美味しく作るのは、なかなか難しかったのです。それに手間もかかりましたしね。特に麺は、家庭ではツルツルシコシコに茹でることが難しかった記憶があります。

 やがてインスタントラーメン(袋麺)が普及し、家庭で手軽にラーメンを作って食べる事ができるようになりました。当初は油揚麺しかなかったので、おなじ“ラーメン”と呼んでいても、お店で食べるラーメンとは、全く異なった料理でしかありませんでした。

 少し経って、ノンフライ麺と呼ばれる麺が登場しました。これはなかなか美味しかったと思います。少なくとも、お店で食べるラーメンに似た感じに作る事が出来るようになりました。でも時代はすでにカップ麺の時代に移り、ノンフライ麺はそれほど普及しなかったと思います。そして、カップ麺にもノンフライ麺タイプの製品はありましたが、油揚麺のものと比べると、待ち時間が長くなりますので、こちらもあまり普及しなかったし、私自身も待ち時間が長いカップ麺は嫌なので、いつも待ち時間と麺の美味しさを天秤にかけて悩んでいました。あとカップ麺では、コストの問題もあって、トッピングの具材がどうしても貧弱なものにならざるをえないのが残念でした。

 そこに登場したのが、電子レンジで調理するタイプのラーメンです。色々なタイプのものがありますが、一番普及しているのが、プラ製の丼に、麺と具材とスープが入っていて、食べる直前に丼の中に麺と具材を入れて、その上からスープをかけて、電子レンジで調理をして食べるというタイプでしょう。これは実にお手軽だし、なんと言っても、美味しいのです。普通にお店で食べるラーメンと、ほぼ同レベルのお味と言っても過言ではありません。すげえなーって個人的に思います。ただし、カップ麺と違って、お値段も高めで、お店で食べるラーメンと同じくらいと言ってもいいくらいのお値段です。まあ、味が同レベルなんだから、お値段も同じでも仕方ないわなあ…って感じです。

 ちなみにインスタントラーメンも、マルちゃん正麺などの新しい乾麺タイプのものが出てきました。これは電子レンジではなく、鍋で作るタイプのラーメンですが、これもなかなか美味しいですよ。

 電子レンジ食品の次に来るのは、おそらくフリーズドライ食品だろうと思ってます。電子レンジすら使わずに美味しい料理を手早く作って食べられる時代がやがて来るだろうと思ってます。

 実はカップ麺って、フリーズドライ食品なんですよね。ただ、あまり美味しくない(ごめんなさい)のは、やはりコストの関係だろうと思います。おそらく、値段を高くできれば、すごく美味しいラーメンを作る事ができるのだろうと思いますが、高価なカップ麺なんて、どこにも需要はありません。なので、今後も家庭で美味しいラーメンを食べたければ、電子レンジで調理するタイプのラーメンにならざるをえないのかなって思ってます。

 最後に、電子レンジでの調理って、食品を加熱するわけですが、その加熱って、放射線(この場合、狭義には電磁線を指します。放射線とは電磁線を含んだ広義の粒子線と電磁波の総称です)を食品にぶつけて、食品の分子を振動させて熱エネルギーを発生させて温めるわけで、原理的には、原爆や劣化ウラン弾で人や街を爆破させるのと、仕組み的には全く同じです(もちろん規模は全然違う)。つまり、電子レンジで調理するってのは、食品を(小規模とは言え)被爆させて食べるわけなのです。なので「放射能こわい!」と言っている人の家庭に、電子レンジがあったりするのって、ちょっとした茶番だと思ってます。

蛇足 IH調理器具も電子レンジ同様に放射線を使って加熱しています。電子レンジはレンジから放射線が外部に漏れないように作られていますので、一応安全と言えば安全なんだけれど、IH調理器具の方は、放射線はダダ漏れ状態です(恐)。ある意味、IH調理器具を使って暮らしている人は、毎日被爆しているとも言えます。なので「放射能こわい!」と言っている人の家庭に、IH調理器具があったりするのって、茶番どころか、笑えないホラーだよね。もちろん、メーカー側は健康に影響のない程度の放射線しか出ていませんと言っているわけなので、それを信じるしかないのだけれど…ね。

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2018年11月17日 (土)

メダカがいなくなりました

 お正月に、メダカを200匹ほど購入しました。メダカラブな方々には申し訳ないけれど、金魚たちへのお年玉の“生き餌”として購入したわけです。そのうち、199匹はあっという間に食べられてしまったのだけれど、最後の1匹には、なぜか誰もクチを付けずにいました。

 最後の1匹は、まるまると太ってしまいました。よく金魚の鼻先を泳いでいましたが、誰もこの子を食べようとはしません。メダカも、たくさんいる時はエサに見えても、1匹しかいなくなるとエサには見えないのかな? このまま、このメダカは金魚と共存していくのかな?…と思っていました。

 それが11月のある日、忽然と見えなくなってしまいました。

 11ヶ月間、誰も手につけなかったメダカを、ついに誰かが食べてしまったわけです。

 なんか残念。とても残念。しかし、誰も責められません、だってエサとして購入したメダカが食べられただけの話だもの。食べられる時期が先送りになって、愛着が湧いて、ちょっぴり可愛く感じていただけの話だもの。

 なんか、いつのまにかメダカも水槽の住民になっていたんだよね。そろそろ名前をつけちゃおうかな…なんて思っていた矢先の話です。

 しかし、これでまた、来年の金魚たちへのお年玉はメダカ200匹と決まりました。楽しみに待っていてくれたまえ>金魚たち

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2018年11月16日 (金)

毎日が忙しい中、なぜ、フルートはいつも練習不足を感じ、声楽はそれほど練習不足を感じないのか?

 つまり、器楽と声楽では、練習内容と練習に必要な時間が、そもそも違うという話です。

 フルートはいつも練習不足です…ってか、フルートを習い始め以来、ずっとずっと練習不足です。「十分に練習をした、これでばっちりだ」なんて思った事は一度もありません。

 今は良くて週に2~3回、それも一回30分程度しか練習できていなフルートです。もちろん、練習不足を感じています。でも以前、毎日欠かさず1時間ずつフルートの練習をしていた時だって、いつも練習不足を感じていました。たぶん、フルートって、いつまで練習しても、どれだけ練習しても、常に練習不足を感じるものなんだろうと思います。

 新しい譜面に取り組んだとします。まず練習の初期段階では、楽譜を読み込んで、メロディーラインを歌って全体を把握するなどの作業をしますが、それは初期段階だけで、その後は、ひたすら楽器の操作に習熟するために、反復練習あるのみです。ずっとずっとずっと楽器を吹き続けるわけです。ただそれだけ。速度を落として丁寧に吹いてみたり、部分を反復したり、色々な練習法はあるにしても、やっている事は楽器を吹くことです。で、いくら吹いても吹いても吹き足りないわけなのです。

 たぶん、フルートって、残りの人生のすべての時間を丸々フルート練習に捧げたとしても、それでもきっと「練習不足だよー」って言ってしまうのだろうと思ってます。それくらい、いくら練習をして「これで良し」という気分にはなりづらいし、とにかく楽器の操作に習熟しなければいけないので、のべつまくなしに楽器を触れていないといけません。それこそ、楽器とがっぷり四つで組み合わないと練習にならないのです。

 一方、声楽だって、練習時間は割けませんし、練習不足は練習不足です。でも、フルートほどには「ああ、練習不足だー」と嘆くことはありません。

 フルートって、いつまでもずっと練習できますが、そもそも声楽はそんなにたくさん練習できません。おのずとその日にできる練習の総量って決まってますので、それをやってしまうと、へとへとになり「今日はもういいか」って気分になります。

 その日に出せる声の量には限界があるし、歌い続けられる体力的な限界もあります。それらは上達すると、かなり容量的に大きくなるようですが、初心者や、それに毛が生えた態度の実力だと、使える声の量もわずかだし、歌い続けられる体力な限界もすぐにやってきます。私のような下手くそなアマチュア歌手は、そもそも、そんなに時間的に長い練習ができないので、割と簡単に「今日は十分に練習した…」って感じになるんですよ。活動限界がかなり低いのです。

 30分も歌い続ければ、汗びっしょりになるし、体力的にもへとへとになり、今日はこれでお終い!って言いたくもなります。

 練習不足を嘆くよりも、練習のしすぎに気をつけているくらいです。活動限界を越えて(根性で)練習しても、良いことは一つもありません。悪い癖は付くし、声の回復に余計な時間が掛かるようになるし、下手すると声を壊しかねません。練習のしすぎは絶対にダメなんです。

 考えようによっては、声楽では休息すら練習であると言えるかもしれません。積極的にノドを休めないといけません。

 歌う時間や体力に限界のある声楽では、歌わない練習をたくさん行います。楽譜を読み込んだり、音取りしたり、レコ勉したり、語学の勉強もしないといけないし、発声についても、いつもいつも考えていたりします。なので、歌うだけが声楽の練習ではないし、道を歩きながらでも、仕事の休憩中とかでも、ちょっとした空き時間に声楽って練習できるんです。

 そこは楽器の操作の習熟が、練習のほとんどである器楽とは、大いに違うわけです。

 大雑把に言えば、このブログを書くという作業自体が、声楽の練習になっています…が、フルートの練習には何の役にも立っていません。

 いわゆる“練習時間”的には、フルートも声楽も似たような感じの私ですが、フルートの練習は“練習時間”でしかできないので、いつも練習不足を感じていますが、声楽は“練習時間”以外に、とても多くの時間、声楽のために頭を使っていますので、歌う以外の練習を毎日とてもたくさん行っているので、あまり練習不足を感じない…のかもしれません。

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2018年11月15日 (木)

科学の発達と日本の音楽家の将来

 科学が発達すると、私達の生活は少しずつだったり、大きくだったり、とにかく変わっていきます。それはどの分野においてもそうなのです。で、生活が変わると、時代に合わせて新しい商売が生まれて繁盛する一方で、今までブイブイ言わせていた職業がダメになり、失業者や廃業者が出てくるわけです。

 社会的な新陳代謝が生じるわけです。

 例えば、プラスチックの普及で竹細工が壊滅したり、給湯器の普及で銭湯が壊滅したり、アマゾン等の通販が繁盛する一方で、街の書店が潰れていったり…とまあ、我々が生きてきた時代の中でも、そういった新陳代謝が行われていったわけです。

 プラスチックの普及で竹細工は壊滅したけれど、プラスチック加工業という産業が出てきて、今や大繁盛しているし、銭湯は無くなったけれど、給湯器会社は、それこそ給湯器は一家に一台の時代ですから良い商売だし、街の書店は潰れたけれど、運送業を圧迫するほどに通信販売は大盛況だったりするわけです。

 それが進歩と調和って奴だな。

 で、翻って、我らが趣味であるクラシック音楽業界を見るならば、この音楽は“クラシック”と名乗っている事から分かる通り、古典的で古い様式で古い形態の音楽なわけです。昔々は、みんながみんな、ロッシーニだとか、ワーグナーだとかに熱狂していたわけで、そんな良い時代があったものです。

 けれど、今の時代、みんながみんな、ロッシーニに熱狂したり、ワーグナーに熱狂したりするわけ? しないよね。むしろ大衆たちはクラシック音楽にそっぽを向き、このジャンルの音楽は、もはや好事家たちが細々と悦に入って楽しんでいるに過ぎない音楽であって、そういう意味では市場としては極めて縮小してしまったわけだ。

 ただ、以前は西欧だけで楽しまれていた、単なるローカル音楽だったクラシック音楽も、今は全世界的に楽しまれるようになり、そういう意味では市場は拡大しているわけよ。広がっているわけよ。

 一方では小さくなり、一方では大きくなる。そのバランスの中で、クラシック音楽は何とか命脈を保っていたのだろうと思うけれど、私が思うに、今やクラシック音楽は、広く薄く深く楽しまれている…って感じかなって思います(笑)。広い地域で、少数の人たちが、オタク的に楽しんでいるのが、今の時代のクラシック音楽の普及具合って感じです。

 で、そうやって、広く薄く深く楽しまれているクラシック音楽界だけれど、そこに科学の進歩って奴が襲いかかっているわけです。

 最初に襲いかかってきたのは、録音技術って奴だと思います。録音技術が普及しはじめたのは、20世紀初頭です。それまでの音楽と言うのは、生演奏が基本であって、音楽を聞きたければ、音楽家に演奏してもらわないといけなかったわけです。でも、録音技術が発達し、その再生装置が普及してくると、わざわざ音楽家に演奏してもらわなくても、レコードをかければ音楽が楽しめるようになったのです。それも、一流の演奏家の演奏が…ですよ。それもノーギャラで!

 そのおかげで、街の飲食店などで演奏していた音楽家たちは失業してしまったでしょうね。だって、彼らにギャラを支払って音楽を演奏してもらわなくても、一流の演奏がいつでも無料で(もちろんレコード購入という初期投資は必要だけれど)聞けるようになってしまったのですからね。

 さらに言えば、我々極東の地の果てに棲んでいるような人間にも、レコードを通して、本場の一流の演奏家の演奏を楽しむ事ができるようになったわけで、録音技術万々歳です。

 次に襲いかかってきたのは、航空機サービスです。つまり、気軽に飛行機に乗れるようになり、海外へもラクラク出かけられるようになったわけです。これは戦後の昭和の時代に実現しました。

 それまでは、録音は軽々と海を越えて広がっていきましたが、実際の演奏家たちは、それぞれのホームグランドでの活躍がメインで、なかなか演奏旅行には行けませんでした。だって、当時の演奏旅行は遠路は船旅だもの。近いところは鉄道が使えますから、なんとでもなりましたが、遠く海外の国へは船でしかいけなかったわけです。船旅って、何ヶ月も時間がかかるんだよね。そうなると、音楽家たちもおいそれとは演奏旅行にはいけないわけで、それぞれの地域に、それぞれブイブイ言わせていたローカルな演奏家たちが頑張っていたのです。

 でも、航空機が発達して、今や一流の演奏家たちは、ジェット機を住処として、毎日、世界中を飛び回っています。おかげで、我々は極東の地に棲みながらも、世界一流の演奏家たちの生演奏を聞くことができるようになりましたが、その代わり、ローカルな演奏家たちの権威は貶められ、多くの方々が稼げなくなり、廃業せざるをえないはめになりました。

 だって、ローカルな人のつまらない演奏を10回聞くならば、超一流の素晴らしい演奏を1回でも聞ければ、うれしいと思うわけじゃない?

 次にやってきたのが、放送です。昨今の高解像度カメラによる映像やらインターネット配信なども、広い意味ではここに入ってくるかなって思います。

 それまでは、世界一流の演奏とは言え、その演奏家だけがやってくるのが普通でした。例えば、オペラで言えば、主演歌手は世界の一流だけれど、オーケストラや脇役歌手、合唱や裏方のスタッフは現地調達が原則でした。だって、全部を全部連れてくるのは無理だし、費用もかかりすぎるしね。

 でも放送ならば、現地の演奏をそのまま全世界に配給できちゃうんですよ。昔はテレビ放送で、やがてビデオ販売になり、今やインターネット配信も可能です。例えば自宅で、ベルリン・フィルの最新公演を楽しめちゃうわけです。すげーな。私がよく楽しんでいる、メトのライブビューイングなんか、歌手のアップは見れるし、楽屋話は聞けるし、字幕は付くし…生の演奏よりも楽しめたりするでしょ?

 放送が普及して、今まで起きてきた事が繰り返されます。世界の一流の演奏を気楽に楽しめるようになれば、邦人演奏家たちによるローカルでそこそこな演奏は自然と見に行かなくなります。

 こうして、世界の一流どころの演奏が世界に蔓延し、彼らはウハウハと儲かりますが、彼ら以外の音楽家たちの需要は減っていきます。仕方ないね。やむをえないので、そういう音楽家たちは、よりニッチで無名な音楽ジャンルに活路を見出すか、それも難しければ音楽家を廃業していくしかありません。

 だからどーしたと言われても困りますが、それが世の中の流れです。

 知り合いの娘さんが音大をヴァイオリンで卒業されたのだけれど、卒業後、全然演奏する場が与えられず、本人はもちろん、親もその事態を悲しんでいて、娘にどうにか演奏の場を与えられないかと、プロの音楽家として生計を立ててほしいと、あれこれ画策&暗躍している姿は実に涙ぐましいのですが、そんな事態になるのは、彼女が音大に進学する以前から分かっていた事なのに、何をいまさら…と他人の私は思うわけです。今の時代、中途半端な実力の音楽家は生き残ることはできないのです。

 大学さえ出れば何とかなる…と親子ともども思っていたようですが、世の中、そんなに甘くありません。音大も商売だから仕方ないとは言え、音大は音楽の専門家を過剰に輩出しすぎだと思います。音大なんて、卒業生を今の1/100にしても、それでもまだ卒業生多過ぎ…って感じじゃないかって思わないでもないです。

 ああ、なんともまとまらない事を、ウダウダと書き連ねてしまった。そういう日もあるって事で、ご勘弁。今日は本当に、まとまってないね。

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2018年11月14日 (水)

声は減るけれど、楽器は減らない

 私が音楽の練習をする時に、いつも頭の片隅で考えているのは「声は減るけれど、楽器は減らない」って事です。

 声って減るんですよ。無論、減ったままではなく、回復だってするんだけれど、声の減っていく速度と比べると、声が回復していく速度って、本当に遅くって「一晩寝れば回復する」ぐらいな感じなので、いつも“声の減り”についてばかり考えています。

 歌の練習をするにしても、いかに声を使わない練習をしていくか…を積極的に考えています。だって、声を使うと減っちゃうからね。

 例えば、歌詞を暗記する時は、まず歌いません。そんな事で声を使ったら、もったいないじゃない? ブツブツブツブツ言いながら、歌詞を暗記します。リズム練習の時も声は使わない。手を叩いたり、しゃべり声でラップのような感じでリズムの練習をします。メロディー練習の時は…やむなく歌いますが、全体のメロディーを覚える時などは、1オクターブ下げたり、そこまで下げなくても、何度か音程を下げて、なるべく声が減らないように工夫しています。

 バッチリ歌うのは、一日最大1時間程度に抑えています。それも休み休みね。

 そこへいくと、楽器って減らないんですよね。自宅で練習している時も、時間があればあるだけ、ずっとフルート吹いてます。最近はめっきり練習時間が減ってしまったので、なるべくフルートを吹くようにしています。フルートを吹く事で、呼吸筋や指の筋トレをしているようなつもりになっています。

 フルート合宿に行ったりすると、ほんと、朝から晩まで、結構長時間、フルートを吹いてます。歌じゃ考えられない事やってます。

 昔、合唱団に所属してした時は、よく歌っていましたね。合唱団の通常の練習って、1
回約3時間でしょ? 夏合宿とかに行くと、朝練、昼練、夜練を合わせると、1日10時間程度の練習時間じゃない? ほんと、よく歌っていました。

 「合唱団でそんなに歌っていたなら、声が減って練習になるはずないじゃん、声が減るって、嘘だろ!」

 いえいえ、声が減るのは嘘ではありません。歌うと行っても、個人で声楽の練習をしている時は、練習中、結構みっちり歌っています。だから、休み休みを心がけないと、ついつい歌いすぎてしまうくらいです。なので、1時間歌えば、もう限界です。

 合唱の練習って、歌っていると言いながら、練習中は、実は圧倒的に歌っていない時間の方が長いんですよ。3時間の練習と言いながらも、それぞれ個人に注目すると、実際には1時間も歌っていません。やはり合唱となると、他のパートの練習の時は、お休みだし、曲を歌っている時だって、案外、曲中にお休みの時間があって、案外歌っていないのです。と言う訳で、声楽と合唱では、練習時間中の歌う量が、そもそも全然違うので、合唱では、声ってあんまり減らないんだよね。

 とは言え、私の場合、合唱団の3時間の練習中の前半の90分で、声を使い切っていて、後半の練習では声が無くなることなんて、しょっちゅうだったけれどね(爆)。練習で(良い意味で)手を抜く事を知らなくて、いつもいつも全力で歌っていたから、あっという間に声が無くなっちゃったわけです。上手な合唱歌手たちは、そこのあたりの使い分けが上手なんだよなあ…。

 まあ、このように声は減ってしまうので、いかにして声を使わない練習をするかで頭を悩ましますが、楽器は減らないので、考える暇があったら、ガンガン練習するべきなんだよね。暇さえあれば、楽器に触っていて、音出していて、常に練習している…が理想なんだと思います。

 もっとも、楽器の練習は楽器がないと出来ません。道を歩きながらとか、昼食食べながらとかの練習は、まず無理です。でも歌だと、道を歩きながらでも鼻歌歌って練習できるし、昼食食べながらでも、歌詞の暗記をしたりとかはできるわけで、スキマ時間を使って練習できるのが、歌の練習だったりします。

 なので、トータルで考えると、私の場合、フルートよりも声楽の方に多くの時間を割いているような気がします。なにしろ、出勤時は、ポケGOやりながら、レコ勉しているもんなあ。ちょっと空いた時間は発声の事を考えたり、歌詞の反復練習していたり…そういうスキマ時間に行う練習だけでも、フルートと比べると、圧倒的な練習時間の違いになるわけです。

 楽器は減らないけれど、楽器が無いと練習できないし、音を出しちゃダメな時間や場所では練習できません。そういう意味では、声楽よりも器楽の方が練習しづらいモノなのかもしれません。

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2018年11月13日 (火)

お気に入りのペンが見つからない(涙)

 私はめったにモノを無くさないのですが、今回ばかりは、本格的に無くしてしまったようなのです(涙)。

 何を無くしたのかと言うと…ペンです。シャーペンとボールペンを1本ずつです。両方とも比較的高価なもので、シャーペンは、当時母が勤めていた会社から子女が入学すると入学祝いがいただけて、それでもらったシャーペンです。私の名前が刻印されたずっしりした金属製の高価なパーカーのシャーペンです。ボールペンの方は、当時勤めていた社長さんからクリスマスプレゼントとしていただいたシャネルのボールペンで、こちらも高価なペンです。2本とも良い品物で、使えば使うほど手になじんでくるもので、なんだかんが言って、三十年以上愛用していました。

 普段は背広の内ポケットに入れて、日用に使用していました。背広を着ない夏場は、ペンケースに入れていました。そうやって三十年以上の時間過ごしてきたわけです。

 で、今年も衣替えの時期が来て、背広を着る季節になりました。そこで、これらのペンを内ポケットに入れようとしたところ、見つかりません。てっきりペンケースに入れてあるものと思いましたが、入っていません。身の回りをあれこれ探したのですが、どこにもありません。

 おっかしいなー…。

 別にペンなら、売るほどたくさん持っています。特にアメニティグッズとしていただくプラ製のボールペンやシャーペンなら、腐るほどたくさん持っています。現に今も、代用品として、某省庁でいただいたボールペンとシャーペン(普通にいただくモノより、良い品なんですよ。さすがは某省庁)を胸に刺してますが、いくら某省庁のネームが入っているとは言え、プラ製なんですね。いい年したオッサンが人前で日用に使うには、ちょっと恥ずかしいレベルです。

 筆記具は値段じゃないですし、あくまでも値段よりも使い勝手を優先するべきなのですが、それでもオッサンはオッサンなわけで、オッサンが持ち歩くのにふさわしいモノってのがあるわけです。オッサンがプラ製のペンを持ち歩くのって…ダメでしょう。

 ブランドのペンは、まだ持っていますが、どれもこれもベテランの古いものばかりなので、これを機に最新の筆記具を持ち歩くことにしました。時代に追いつかないとね。

 で、選んだのが、このペンです。

 値段は…全然安いです。実は私、高価なペンを無くしたのは今回が始めてではないのです。以前にも高価な万年筆を2本同時に無くした事があって、あの時も、凹んだなあ…。とにかく、筆記具って手に馴染むだけあって、無くすと凹むんですよ。なので、それ以来、購入する筆記具は、無くしても凹まないモノ…と決めましたので、こんな感じにしました。

 無くしても凹まない…けれど、オッサンが持っていてもおかしくない。という線でのモノ選びです。

 機能的にも、シャーペンと黒赤のボールペンが一つにまとまっていて便利だし、書き心地も最近の製品だけあって悪くないです。デザインに渋さがありませんが、それは値段を考えれば仕方がないです。まあ、私が持つのですから、これでも上等でしょう。

 それにしてもオッサンは、日々のモノがあまり安く上がらないのが困りモノです。若い時は、平気で安物を使い倒していたんだけれど、年を取ると、もうそういうわけにはいかないんだな、とほほ。

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2018年11月12日 (月)

そこまで鼻に声を入れて良いのだ!

 私はよくコンサート等、生演奏を聞きにいきます。プロの演奏も聞けば、アマチュアの発表会にも行きます。プロのコンサートは、自分のは耳を幸せにするため、楽しみのために聞き、アマチュアは勉強のために行きます。

 プロの方々の演奏は、みな完成されていて、すごいな、素晴らしいなとは思うものの、あまりの完成度に、学ぶべき点というのは、あまりありません。

 例えば先日聞きに行ったプロ歌手のコンサートで、レスピーギの「舞踏への誘い」を歌っていました。ちょうど、私もこの歌を練習していたので、興味深く聞き、ああ、こんなふうに歌うと良いのだなと思い、ぜひ真似してみようと思ったものの、いざ真似しようとしたところで、全然近づけませんでした。真似どころの騒ぎじゃありません。いくら真似しようと思っても、私が歌うと、全然別物なんですね。

 で、その話を声楽のY先生にしたところ「一流の歌手の真似が出来る人は、その人自身も一流の歌手なんだよ」との返事が返ってきました。まあ、そうだよね。ものまねが簡単にできて、それで通用するなら、誰も真面目に声楽なんて学ばないって。

 そのようにプロの演奏は、聞いて楽しむものであって、学ぶ事はあまりないのですが、それでも最近は多々思う事もあります。

 “レコ勉”という勉強の仕方があります。レコード…つまりプロの音源を聞いて勉強をするというやり方です。私もよくレコ勉をしますが、レコ勉では録音の限界というのを感じます。

 多くのプロ歌手の場合、音源の声と生のコンサートの声って、実はかなり違います。これは歌手自身が発声を変えている…わけではなく、単純に歌手の声には、録音される部分と録音されない部分があるって事だと思います。

 例えば、声にまとわりついた、ビリビリした感じとかフワッとした感じとか、そういうのって、録音されないんですよね。なので、録音で聞き慣れた人のコンサートに行くと、その声に違和感を感じたりしますが…コンサートでの声の方が本物なんです。

 で、最近、私が気になり始めたのは、鼻腔で響く感じなのです。

 以前は、私の耳がちゃんと聞けなかったのでしょう、プロ歌手の声を聞いても、それほど感じなかったのですが、最近の私は、この鼻腔で響く感じをすごくよく聞こえるようになりました。音源では、ほとんど感じない、鼻腔で響く感じですが、生のコンサートに行くと、たいていのプロ歌手の方が、ビンビンに響かせているわけです。

 逆に言えば、あれくらい鼻腔に響かせて歌わないといけないのだなとすら思います。

 翻って私は…と言えば、あまり鼻腔に響いた声では歌っていないなあ…と思います。だからと言って、私が今の状態で鼻腔に響いた声で歌おうとすると、きっとやりすぎて、鼻声になったり、声が前に出過ぎたりするんだろうと思います。

 プロの演奏は素晴らしいのですが、それを真似る事は至難の業です。せいぜいよく言っても、ヒントになる程度…ですね。とにかく、プロの演奏を聞けば聞くほど、我彼の差を強く感じる私なのでした。

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2018年11月11日 (日)

年金問題は悩ましいね

 ちょっと前の報道だけれど、こんなニュースがありました。

 ざっくり言っちゃえば、年金ってのは、60歳まで働いて、65歳からもらい始める(これが標準モデル)よりも、70歳まで働いて70歳からもらい始めると、月額にして約10万円ほど多く年金もらえるよ…という報道です。つまり「なるべく高齢まで働いてね、で、年金はなるべく遅くもらってね」という国からのメッセージだろうと私は思うわけです。

 この報道が正しいという前提に立って考えるならば、65歳の年金支給額が月額で約22万円、70歳からの支給だと月額約32万円で、そりゃあ確かに数字だけ見れば、70歳からもらった方がお得っぽいですね。

 ちなみに、このニュースにはありませんが、60歳まで働いて、60歳から年金を支給してもらうと、年金支給額は月額で約15万円ほどになってしまいます。だいぶ減ってしまいますね。少ない感じがしますが、それでも生活保護よりは高額に設定されています。

 年金と言うのは、死ぬまでいただけるものだから、長生きすればするほどたくさんもらえるわけだし、すぐに死んじゃえば、たいしてもらえないものです。いくら70歳から年金をいただけば、32万円もらえると言われても、70歳前に死んじゃえば、いくらももらえないわけです。

 年金は生きて生活するためにいただくものですから、死んでしまえばもらえないのは当然だし、生きていても生活するのに不足を感じるようでは、ちょっと実力不足なわけです。まずはいつまでも元気に働いて、年金の支給額よりも多めの給料をもらい続ければ、年金は不要なんですが、年を取ると、なかなかたくさん働けないし、そうなると収入も少なくなるわけで、なかなか難しいです。体力的な問題とか健康上の理由とかで働けなくなる事もあります。人それぞれ事情もあるわけだし、どのみち、人はいずれ働けなくなるものだしね。年金は必要です。

 仮に、平均余命まで生きられたとして、どのパターンが一番お得かという話だけれど、それはやっぱり“70歳まで働いて70歳から年金受給”ってパターンです。

 ちなみに、平均余命は、60歳の人は82歳、65歳の人は84歳、70歳の人は85歳なんですね。だから、その年まで生きているという前提が考えるのが妥当でしょうね。ならば、70歳でもらうのが一番お得って話になるのです。

 年金受給は、たとえ金額が少なくとも、早くからいただいていれば、それなりの額にはなります。もっとも、後からいただいた方が多くもらえるので、やがて先にもらっていた人の年金受給総額を越してしまいます。

 平均的な65歳受給からの視点で考えると、70歳32万円の人に年金受給総額が越されるのは81歳の時です。平均余命(84歳)まで生きる人なら、70歳からもらった方がお得になります。でもそんなに長生きする自信がなければ、65歳からの受給の方が良いかもしれません。

 また、65歳22万円受給の人が、60歳15万円を越すのは76歳頃です。平均余命よりもだいぶ手前で追い越しちゃうので、60歳15万円よりも65歳22万円の方がお得と言えますが、これも76歳まで生きていたらという前提付きです。

 76歳まで生きる自信のない人は、60歳から受給した方が良さそうだけれど、76歳よりも長生きするつもりの人は65歳まで、バイトでもなんでもして食いつないで、65歳から年金をいただいた方がいいです。まあ、これは60歳になった時の自分の様々な状況を考慮して考えればいい事だと思いますし、平均余命平均余命と言っても、あくまでも“平均”であって、約半数の人はそこまで生きられないという意味でもあるので、自分の健康と体調によく相談するべきでしょう。

 問題は、70歳受給の方です。国の出したモデルでは、70歳まで普通にお給料をもらっているという前提があります。60歳で引退して、後はバイトで食いつなぐ…というパターンではなく、70歳まで現役でバリバリ働くというケースなんです。月額32万円は魅力だけれど、たぶんおそらくほとんどの人は70歳までバリバリ働くわけにはいかないでしょうから、こんな月額にはならないんじゃないかな? そもそも、70歳まで現役で働けるサラリーマンなんて、天下り天下りで渡っていく公務員でもなければ、難しいでしょう。

 国のモデルって、最初っから無理めな話なんです。

 そもそも、現役引退が60歳なのに、年金支給開始の標準モデルが65歳というのが、ひどいと思います。その5年間「バイトしろ」「貯金を切り崩せ」って話でしょ? 国は年金の支給開始年齢を65歳から70歳に、ゆくゆくは引き上げたいのだろうけれど、70歳までの10年間バイト生活をして、年金は70歳からもらってね…って、滅私奉公して身も心もボロボロになった、普通のサラリーマンの最後の10年間の生き方としては…かなり酷な話です。

 ですから、年金に関しては、本来的には、そこをきちんと見直すべきだと思うのです。年金支給開始年齢は遅くするのではなく、むしろ早めるべきです。早めた中で、どうやって年金を維持していくか、その方法を考えるべきでしょう。世の中には、まだまだ60歳退職って職場は多いんですからね。

 現実の庶民の生活をよく見た上で、年金制度をよりよく運用してもらいたいものです。

 まあ、現実問題としては、年金を何歳からもらったら得か?…なんて考えるのではなく、いつまで元気に働けるのか?…って話なんだろうと思います。

 で、今の年金モデルでは、定職であれバイトであれ、65歳まで働く前提なんですよ。なので、現在のシステムの中では、まずは健康第一。で、65歳まではちゃんと働いて収入を得る。その後は自分の健康と体力と職場の事情を鑑みて、引退する時期を考えればいいんじゃないかなって思います。

 ちなみに私の職場は60歳で退職なので、残り5年間はバイトで食いつないでいくしかないんだよね。デブで、体力不足で、健康にも不安があって、手に職なんて特にない、パっとしない60歳の爺さんを雇ってくれるバイトって、どんなんだろ? 今から、ちょっぴり不安です。

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2018年11月10日 (土)

忙しくて水替えしていない(涙)

 さて、本日はクラシックコンサートの本番です。頑張ってきますので、心の中で応援していてください。記事の方は、少し落ち着いてから書きますので、しばらく待っていてください。

 で、金魚の話です。とにかく、日々、忙しいです。で、最近、金魚の水替えをサボっています。

 以前は…だいたい週1ぐらいで水槽の水替えをしていましたが、昨今は、それが月1ぐらいにまで頻度が落ちています。いつぐらいからかと言えば、ヤヨイ体制ができてからぐらいでしょうか? つまり、今の子たちにとって、水槽の水替えは月に1度のイベントって感じなのですが…実は先月は水替えをしていません。

 今まで、4週間おきに水替えしていたのが、すでに水を替えなくなって、もう6週間。さすがにやばいんじゃないかと思ってますが…なかなか週末、時間が取れません。

 金魚の水替えって、思い立ったからと言って、すぐには出来ないのが、水替えの頻度を下げる原因なんですよね。

 水替え作業の前に、浄水器で金魚用の水を作るのですが、量がたくさんと言うこともあって、この過程でだいたい半日使います。で、水は水替え作業の直前に作るのが良いので、そのタイミングも難しいです。で、水替え作業自体は、一緒に水槽の掃除もするので、2時間弱って感じかな? 平日はもちろん、そんな時間は取れません。休日の昼間、まるまる空いていると水替えができるのですが、なかなか時間を確保できません。

 一応、優先順位的には、金魚の水換えよりも、人間たちの生活が優先ですから、人生に余裕のある暮らしができれば、金魚にも時間を割くことができますが、人間たちがキツキツの生活をしていると、なかなか時間を確保できないのです。

 というわけで、金魚たち、ごめん。また今週も水替えは難しそうだ。

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2018年11月 9日 (金)

練習サボると、耳が退化します

 フルートのレッスンに行ってきました。例によってロングトーン練習からですが、今回は、ちっともバッチリではありませんでした。なんか、あっちこっち微妙に気持ち悪いんだよね。それはたぶん、楽器のせいではなく、私の感覚のせいだろうと思います。実は最近、ぜんぜんフルートに触っていなかったんですよ、おそらくはそれが原因で、フルート耳が退化しちゃったかな…なんて思ってます。

 練習をばっちりすれば、すぐに戻るんだろうけれど…。

 と言うわけで、エルステユーブンゲンは、25番と26番だけれど、あまりに最近吹いていないので、楽譜を見ても、どんな音楽だったから見当がつきませんでした。結局、先生に歌ってもらって「はは、なるほど、そんな曲だったかも…」って調子でした、ダメっすね。

 今回から旋律的練習曲に入りました。当然、1番からですが、全然吹けた気がしません。別に大きなミスをするわけでもなく、音楽がバタっと止まることもなくて、なんとなくメロディが流れていくんだけれど、なんか、違うんだよね。でも、先生がおっしゃるには「そんな感じで吹けばいいんだよ」って言われました。どうも、本人の感覚と、曲の仕上がりは違うみたいです。本人的には「もっと吹き込んでおきたい!」なんだと思います。吹き込みが全然足りないのにレッスンに持っていって、それで先生からいい反応がいただけるってのは、やっぱり感覚的に納得いかないんだよね。

 40リトルピーセズは、18番のヘンデルのガボットは合格しました。次は19番のベートーヴェンのソネットです。エルステユーブンゲンも旋律的練習曲も難しくて、なかなか進まない私ですが、この40リトルピーセズは、割と快調に進みます。まあ、エチュードよりも曲集の方が簡単だし楽しいからなんだろうと思います。ま、何も進まないよりは、全然いいと思ってます。

 で、今回の雑談は、山中湖はいいよね…って話です。最近のH先生は、オフの時は、ご自宅にいる時間よりも、山中湖のホテルにいる時間の方が長いんだそうです。おそらくご自宅にいる時は、ご自宅のスタジオでレッスンをする時くらい…なのかもしれませんね。全くのオフの時は、山中湖のホテルで暮らし、音楽の練習も山中湖にスタジオを確保されたそうで、そこでバッチリ練習しているんだそうです。

 なんかもう悠々自適な生活だよね。

 私は、仕事で身も心もすり減らして生きていくのに疲れました。今はただ、早く隠居して、悠々自適…って感じにはならないかもしれませんが、小遣い稼ぎをしながら年金生活をしたいと思ってます。ああ、憧れのご隠居生活…。

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2018年11月 8日 (木)

世俗曲と芸術歌曲のワケメとは?

 私はよくトスティの歌曲を歌います。私の中ではトスティの歌曲は、クラシック声楽曲であり、芸術歌曲の扱いですし、たぶんそれに異を唱える人は少ないだろうと思います。しかし実はつい最近まで、トスティは世俗曲(サロンで歌われる流行歌、当時のポピュラーソング)扱いされ、芸術歌曲としては認められていなかったという事実はご存知でしょうか? 音楽大学などで取り上げられなかったそうですが…もちろん今はそうではありません。

 考えてみれば、シューベルトの歌曲(典型的な芸術歌曲ですよね)だって、発表当時はサロンで歌われていた娯楽のための曲だったわけだし、おそらくどんな歌も、発表当時は、たいてい世俗曲であり、その中から名歌だけが時の流れの中で生き残り、芸術歌曲へと昇華するんじゃないかなって思います。

 私がそう考えるきっかけになった曲は、李香蘭の「蘇州夜曲」です。この曲は、西条八十と服部良一のコンビで、1940年と言うから戦前の映画の劇中歌として発表された歌で、それ以降も多くの歌手たちに取り上げられてきた、名曲中の名曲、いまやりっぱなスタンダードナンバーです。

 こちらは李香蘭が歌う、オリジナルの「蘇州夜曲」です。

 元々が歌謡曲ですが、やがてポピュラー系の歌手やジャズシンガーたちも取り上げるようになり、今ではクラシック歌手が歌うことも少なくありません。で、クラシック歌手の方々が歌われる「蘇州夜曲」を聞くと、私などは日本歌曲の一つとして受け取ってしまいます。もちろん、ご年配の方々は、そうではなく、自分たちや自分たちの少し上の世代の流行歌…つまり世俗曲として受け取っているようだし、かつてこの曲は中国では禁曲扱いされた時代もあったそうだけれど、それも今では開放され、普通の曲扱いされているそうです。曲の受け取り方も、時代や地域によって異なるのです。で、私にとって、この曲はすでに時の流れに生き残った芸術歌曲として聞こえてしまうのです。

 歌っているのは、ソプラノの下垣真希さんです。私は寡聞にも彼女の事を知らないのですが、良いソプラノさんだなあと思います(上から目線に感じたら、ごめんなさい)。

 で、結局、芸術歌曲ってのは、時の流れに生き残ってきた、スタンダード・ナンバーとか、古典歌曲の事を言うのではないかなって思うのです。

 最初から芸術歌曲として作曲された曲もあるでしょうし、流行歌として作曲された曲もあるでしょうが、数年数世代を経て生き残った曲は、みな芸術歌曲であると私は思うようになりました。

 流行歌のほとんどは時代とともに古びて消えて消費されてしまいます。流行歌はそういうものですから、それはそれで仕方ありません。また、芸術歌曲として作曲された歌の大半は、実は再演されずに時の流れの中に消えてしまうものです。人の手によって生み出された歌のほとんどは、時代とともに消えてしまうものなのです。

 だから、何世代にも渡って愛される芸術歌曲の条件としては、芸術歌曲として作曲されたかどうかは問題ではないのです。時の流れの中でも消えることなく、人々に愛された事が大切なんじゃないかって思うわけです。

 けたたましいロックなビートルズの音楽だって、すでにスタンダードナンバーとしての地位を固めていますし、やがて時が経つにつれ、イギリス民謡の扱いになっていくでしょう。そうなれば、やがて芸術歌曲の扱いを受けるようになると思います。音楽大学で、ビートルズの歌を学んで、オペラ歌手たちがステージで歌う時代が来るかもしれません…もっとも、そんな状況は、今の私には全然想像できませんが、でもおそらくそんな時代がやってくると思います。

 日本でも、昭和や平成の時代に流行った流行歌のうち、何曲かは時代の流れの中で生き残り、やがて日本歌曲になっていくんだろうと思います。そして、そうやって残っていく歌は、どんな歌なんでしょうね。私にはうかがい知ることもできませんが、どんな曲が残っていくのか、なんか楽しみです。

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2018年11月 7日 (水)

やっぱスーパーの品物は廉価だけれど、それなりだね

 スーツの話です。以前、タキシードはHANABISHIで、普段遣いのスーツは大型スーパーで作りましたという話をしました。今回は、その話の続きね。

 まず、HANABISHIさんで作ってもらったタキシードですが、メッチャ良いです。カラダにピッタリだし、デザイン的にカッコいいし、その上動きやすくて機能的です。お値段はそれなりにしましたが、お値段以上の仕上がりです。良いですね。おまけに接客も素晴らしくて、ほんと、ケチがつけられません。次はモーニングを作るかもしれませんので、その時はぜひ、またHANABISHIさんにお願いしたいものです。

 問題は、普段遣いのスーツの方です。今回は某大型スーパーの特売を利用しました。とにかく、安いんですよ。普通のお店でオーダースーツを1着作る値段で2着つくっていただけるのです。実質半額だよね。問題は仕上がり…と言うか、品質的な話です。

 結論から言えば、品質は値段なりです。オーダースーツとは言え、着心地は吊るしみたいです。いや、それは言い過ぎか。やはり全体的な仕上がりは吊るしよりは良いです。使っている生地も吊るしよりはだいぶ良いし…。でもね、なんか、微妙にカラダに合っていないし、動きづらくて、着ていて疲れるんです。まあ、値段的には吊るし2着程度の値段でスーツを2着作ったのですから、本当に、値段なりなんです。オーダースーツだと思わなければ、まあアリです。

 まあ、生地は中国製、裁縫も中国、いわゆるメイド・イン・チャイナなスーツです。でも、そうでなきゃ、この値段では売れないよね。だから、その部分は納得しています。

 問題…は、微妙にカラダに合っていない点だね。他の店なら、当然“お直し”の対象になって、微調整をして、より良い仕上がりになるわけだけれど、こちらのスーパーでは“お直し”は無しなんです。公には「お直し承ります」なんだけれど、担当の店員さんと話しをして、いくらクレームを入れても、軽く受け流してくれるんですよ。

 私が「上着がきつい」と言えば「そんな事はない、肩はこんなに余っているじゃないですか(いや、肩じゃなくて、胸がきついんだよ)」と言うし、「キツキツで腕が上がらない」と言えば「上着のボタンは必ず外して着てください(たしかにそれなら腕は上がるけれど、私は前は閉めたい人なんだよ)」だし、ズボンは尻のあたりがちょっとキツめなんだけれど「縫い目が引っ張られていませんよ(だから大丈夫)」って言って取り合ってくれないし…。店員さんから“絶対に直しません”という強い意思を感じます。

 まあ、安物だし、直しを入れちゃうと儲けが飛んじゃうのかもしれません。私も勤め人ですから、そういう事情はなんとなく察してしまいます。

 オーダーでスーツを作ったはずだけれど、オーダー特有のなんとも気持ちのよい着心地というのがなく、なんか窮屈で疲れるんです。肩が凝りやすくなるので、暇を見てはスーツを脱いで肩甲骨をぐるぐる回すようにしています。と言う訳で、値段なりと言えば値段なりの品質なのです。

 これでこのスーパーを見限るのも一つの手だけれど、店には今回のデータが残っているから、次は事前に胸や尻をさらに大きめに作らせて、お付き合いを続けると言うのも手です。なにしろ、安いからね。安さは正義だからね。もちろん、別のお店にトライしてみるのも、また別の手です。

 まあ、スーパーのスーツと専門店のスーツを比べちゃいけないわけで、安いものは安いなりに理由があっての安さなんだから、そこは納得しないといけませんね。で、その安いなりの品質で受け入れられるかというだけの話です。ま、今回、着心地は吊るしのスーツよりはマシ程度だけれど、普通には着れるし、お値段なりの仕上がりなので、自分的には受け入れていくつもりです。実際、かなり安価だったわけだし、全体的にはお得なんだと思います。まあ、色々あったけれど、すべて授業料ってわけです。

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2018年11月 6日 (火)

息をしっかり圧縮して歌わないとダメですよ

 声楽のレッスンの続きです。今回のレッスンは、クラシックコンサート直前の最後のレッスンになります。まずは、レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。

 声を圧縮してから歌いましょう…と言われました。せっかく腹圧を高めて息を上にあげても、上が開けっ放しだと息が抜けてしまうので、必ず一度息を圧縮して、さらに息圧を高めてから、その息を上に送って声にしないといけないのです。息を上へ抜いてみたり、圧縮してみたりと、色々と忙しいのですが、きちんとやるべき事をやらないといけません。

 腹圧を高める一方で、ノドをしっかり下げる事で声は圧縮されます。圧縮された声で歌う事が、声を息で支えるという事なのです。

 毎度言われていますが、子音の処理をしっかりして歌いましょう。フレーズ冒頭の子音は特にしっかり長めに歌うことが大切です。特に“V”と“L”はしっかり長く歌うべきなのです。子音がなくて、いきなり母音で始まるフレーズの時は、子音の代わりにハミングを入れて歌うのが吉なのです。この点について、最近自覚的にやっているつもりなのですが、まだまだ不足しているようなのです。

 低音は下に掘りすぎない事。同じ音程が続く時は、後ろの音ほど音程を高めにとって歌います。最後のフレーズである“v'invi to”は男らしくきっぱり歌い上げて歌いましょう。

 さて、ヴェルディ作曲「椿姫」のテノールアリアの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。なんか、本番が近づくにつれ、よりビビるようになったせいか、以前よりも歌えなくなっているような気がしています(情けないです)。

 とにかく声を上に抜かずに、しっかり圧縮して歌うこと。高い音ばかり意識しているからビビるわけで、高い音の事など考えずに歌いましょう(それができたら苦労してません)。

 高い音の時に、声のポジションを高くすることばかり考えていると、ノドが絞まってしまいます。高い音は、ノドを上下にしっかり引っ張ることを考えるべきで、そのためには、高音の直前に一度ノドを下に思いっきり引っ張る事が肝心であって、それをせずにポジションを高くあげて歌おうとしているから、ノドが絞まってしまう…という事が起こっているようなのです。ううむ、ううむ。

 前半のアリアの“suoi”のE♭-A♭の上行音程は、E♭で一度下へ思いっきり引っ張ってから、引っ張ったままA♭を行くことを忘れずに行う事。後半のアリアは、最後の方は、ずっと高音が続くわけだけれど、そこはしっかり声を圧縮して息の速度をしっかり上げて歌うことを忘れずに行う事です。また、ずっと頑張り続けるのは人間無理だから、休符ごとに、しっかりと休み(残った息を全部吐き出す-深く息を吸う-息を落ち着かせる-腹圧を高める-息を圧縮する-歌い出す)を取る事。時間はいくらかかっても良いのだから、たっぷりゆっくりと休符の時間を活用する事。

 最後は二重唱です。フレーズの最後になると、決まって音程がダメダメになるんだそうです。フレーズの終わり近くになって、しっかり息をしっかり吐くことを自覚しないといけません。息さえしっかり吐けていれば、音程は下がらないそうです。頑張りましょう。
 と言う訳で、いよいよ本番です。頑張っていきましょう。

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2018年11月 5日 (月)

本番後のレッスンで歌う曲を決めました

 声楽のレッスンに行ってきました。まず最初に、秋の2回の本番が終わった後のレッスンで取り上げる歌を決めました。

 歌曲は、やり残してたベッリーニの歌曲「Per pieta, bell'idol mio/私の偶像よ」で決まり、オペラアリアの方は…厳密にはオペラアリアではないのですが…ビゼー作曲の「Agnus Dei/神の子羊」に決めました。知らない人のために音源を貼っておきます。

 ベッリーニの『6つのアリエッタ』を全曲制覇中の私ですが、これらの曲を原調ではなく、日本で入手容易な“中声版”で歌っていますので、今回も中声版で歌います。なぜ中声版で歌うのかと言えば(身も蓋もなく言っちゃえば)原調で歌うのが難しいからです。ま、いずれは原調で歌うことにトライするつもりですが、今は歌いやすい音域に下げた楽譜を用いて、曲そのものを歌う勉強をしている…ってわけです。実際、今年の私は、歌曲は音域的に無理のない曲を歌い、アリアの方はちょっとだけ無理めの曲を歌うという方針でやっているからです。

 こちらの音源で歌っているのは、先日亡くなったモンセラ・カヴァリエの歌唱です。いつもはテノールの歌唱でご紹介する私ですが、今回はカヴァリエさんを偲んでアップしておきます。

 こちらはオペラアリアの代わりに歌うので、私にはちょっと無理めの曲です。その無理めを乗り越えて歌うのが勉強になるわけですね。ちなみに、言語はイタリア語ではなくラテン語です。ビゼーの曲ですが、元々はミサ曲でも歌曲でもなく『アルルの女』で使われた間奏曲(つまりインストです)で、それにギローが歌詞をつけてアレンジをして…このカタチに曲を仕上げたというモノです。テノールの基本レパートリーの一つです。

 しかし、パヴァロッティの歌唱は、いつ聞いても、素晴らしいです(涙)。

 さて、曲も決まったので、レッスンに入りました。

 まずはハミング練習から。腹圧を高めるのは良いのだけれど、上が開いていない(軟口蓋とかあのあたりの話です)と、声が潰れてしまうので、腹圧を高めて息を上に上げたら、それが抜けるように、上を開けていきましょうと言われました。

 で、発声練習です。今回は、軟口蓋を上に上げて発声するという練習を徹底的に行いました。いやあ、軟口蓋を自覚的に上にあげていくというのは感覚的に難しいですね。いわゆる“あくびのクチ”をすればいいのだけれど、これを意識的に行うのは難しいのです。

 それと声が前に出過ぎなので、もっと声を後ろにしまって歌いましょうって話で、言葉は前に、声は後ろに…って言われた事を思い出しました。

 このタイミングでピアニストさんがやってきたので、曲の練習に入りました。

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2018年11月 4日 (日)

そろそろ日本も移民問題に正面から向かっていかないといけないんだと思う

 国会では、外国人労働者問題が盛んに議論されていますね。

 さて、都会に行くと、本当にたくさんの外国人労働者の方々が働いています。飲食店でお運びをしている人はたいてい外国人だし、コンビニのレジにいるのも外国人労働者の方です。駅前でティッシュ等を配っているのも外国人だし、工事現場で汗まみれになって働いているのも外国人です。日本人は、どこで働いているのかと不思議に思うほど、都会には外国人労働者が数多くいます。

 地方では、都会ほど目立ちませんが、それでも工場に行くと、下請けや孫請け会社にはたくさんの外国人労働者の方が働いていたりしますし、公立学校などに行くと、多くのクラスに外国人労働者の子弟が学んでいます。街を歩いている人の中にも、よく見ると、゛相当数の外国の方がいらっしゃいます。また日本人にしか見えない近所の人の中にも、実は外国人だという人は、結構います。

 日本で働いている外国人/元外国人をどのように呼ぶのか、政府の見解によれば、次のようになります。

 移民…日本の国籍取得をした人
 永住者…日本国籍を取得しないで住み続ける外国人
 外国人労働者…永住することを考えず、職のために来日して働いている外国人

 言葉を付け足すと、移民はいわゆる“帰化人”です。生まれ育ちは外国だけれど、ある時に日本に帰化をして日本人になった人たちを“移民”と言います。実は、この“移民”という言葉の定義が、日本と世界標準とでは違うのが、問題をややこしくしてます。世界標準では、帰化をしたら、その国の国民であって、移民とは呼びません。

 永住者は、いわゆる“在日”な方々を指します。つまり外国籍のまま日本人同様の暮らしをしている人を言います。それも本人のみならず、何代にも渡って外国籍のまま日本人同様の生活をしているわけです。日本人同様と言うのは、単に日本人並の生活をしているというだけでなく、日本人名を名乗り、福祉サービス等も日本人同様に受けて生活しているという事です。日本人と違うのは、パスポートが日本のモノではない事と、選挙権がない事と、母国に納税や募金をすると、その分、日本の納税が軽減/免除される事ぐらいです。

 世界標準で考えると、外国籍のまま何代にも渡って外国で暮らし続けるという事はありえない事のようで、その地に暮らし続けるのなら、普通は帰化するものです。これは我が国というよりも、在日の方々のメンタルが世界標準から離れているって事だろうと思います。もっとも、それを許している我が国にも責任がないわけではありません。まあ、これに関しては、またいずれ稿を改めて書きたいと思います。

 で、最後の外国人労働者…これらの方々は、いずれ帰国する予定の外国人たちの事を言います。つまり外国籍の“出稼ぎ労働者”を指します。世界標準では、すぐに帰国するかどうかは別として、ある程度の期間(5年とか10年とか、国によって違います)、その国にとどまって生活する人を移民と呼びます。我が国では、つい先日まで外国人労働者の在留資格は最長3年間でしたが、5年に延びたし、これを10年間に法改正をしている最中です。10年間日本にいれば家族だって母国から呼び寄せるだろうし、そうやって生活基盤を日本に作ったら、もう母国には帰らないですよね。そのまま日本に在留しつづけるだろうし、そういう人をむりやり母国に返すのも人道的に問題があるのではないでしょうか?

 そして母国に帰らずに、不法滞在者となった人たちは正規に働くことができなくなり、やがて犯罪に手を染めるようになる…事だって無いとは言えません。

 それでも日本は移民の受け入れを行わない…なんて事を言っていいのかと私は思うわけです。受け入れていないと言いつつ、実際は移民ウェルカムな状態になっているのではないでしょうか? ウェルカムなら、きちんと彼らの生きる道を法的に確保して、互いの幸せを模索するべきなのです。でも、それは全然できてないわけです。

 これらはみんな、日本の公的な機関が使っている言葉と、現実がかなり乖離しているって事を示しているだろうと思います。

 ちなみに政府の方々が公的に使っている言葉と、国会議員の先生方が国会で使っている言葉(どうやら世界標準の方のニュアンスらしい)の違いも、これまたニュースを分かりづらくしているようです。

 言葉をすり替える事で、問題を隠している…のかもしれませんね。なにしろ、国政に関わる人って、賢い人が多いから。

 日本は、公的には移民(=外国人労働者)の受け入れを(一部を除いて)していない国ですが、実質的には(一部の人が多すぎて)すでに数多くの移民が入り込んでいる国だと思います。

 つまり、建前と実態が違うと言えます。建前では「我が国では移民は受け入れてません(安心してください)」であるけれど、実態は街中に外国人労働者(=移民)が溢れているし「今後はもっと多くの外国人労働者を受け入れていきます」なんですね。

 日本人は移民に拒否反応が…あるんだと思います。その気持を汲み取って、野党の人たちが外国人労働者問題に関して拒否反応を示しているわけです。

 で、私が思うに、日本人が移民に関して拒否反応を示す理由は3つです。

 1つめは「気味が悪い」という感覚です、ま、はっきり言っちゃえば“差別”意識なんだけれど、自分たちとは外見も違うし、使う言葉も違うし、生活習慣も違って、ああ気味が悪い…って感じるので、拒否るって事です。これは、感情なので、子どもの頃から教育して、そういうネガティブな感情を持たないようにしないといけません。まあ、今の学校教育は、そういう意味では割と成功していると思いますので、あと50年くらいしたら、この問題は解決すると思います。

 2つめは「犯罪が増える/治安が悪くなる」です。犯罪に関しては、日本人も外国人も犯罪率には違いはないという統計があります。ただ、外国人が罪を犯すと目立つので、外国人の犯罪が多く感じる…というのが事実かもしれません。もっとも、別の統計では日本人よりも外国人の方が犯罪率が高いという結果のモノもあるそうです。特に、特定の国の外国人の犯罪率が高いとか高くないとか? それに不法入国者などは、どうやって統計に上がってこないし…ね。まあ、統計なんて、どう取るかで結果も変わるものですし、日本人と比べると外国人の人数の方が少ないので、外国人の犯罪率うんぬんと言っても、絶対数的には問題になりえない…とも言えます。

 そうは言っても、外国人が増えると「犯罪が増える/治安が悪くなる」と感じるのは、私でも(差別意識はないつもりですが)肌感覚では理解します。とりわけ、治安が悪くなるのは…外国の方々とは生活習慣が違いますから、犯罪とまではいかなくても、街の中に外国人が増えると、ご近所でのトラブル発生率は確かに増えるでしょうね。それをもって「治安が悪くなる」というのなら、それはそのとおりかもしれません。“郷に入っては郷に従え”は、多くの外国人には通用しないことわざですから…。多くの外国人たちは“リトル○○”を作って、その地域を自分たちの縄張りのようにしてしまいがちなわけで、そういう習慣も、我々日本人からすれば、困った習慣に感じざるを得ないわけです。

 そのアオリを受けるのが、我々日本人社会に溶け込もうと努力する外国人たちなんだよね。数で多いのは、やはり“リトル○○”を作っちゃう人たちで、そういう人たちと、パッと見、同じ感じだから誤解されちゃうんだよね。で、彼らは日本人とうまくやっていこうと努力をするのだけれど、なかなか居場所が作れず、居心地が悪いままなんだよね。

 3つめは、外国人労働者が増えると「日本人の雇用が奪われる」です。確かに、都会では外国人の働く姿が目立っていますし、そのために日本人の雇用が彼らに奪われているというイメージはあります。でも、実際はどうなんでしょうね。雇用者側からすれば、本音じゃ日本人の若者を雇いたいのに、誰も働いてくれない。仕方ないので、外国人を雇っている…ってところじゃないかな? 別に外国人だからと言って、給料を安くしていいという決まりはないからね。最低賃金は誰であれ、守らないといけません。ただ、外国人なら最低賃金でも働いてくれるけれど、日本人は最低賃金では働いてくれない…ってだけなんだと思います。

 ならば「日本人の雇用を奪っている」のではなく「不足している日本の労働者を(最低賃金で)補っている」と言えるのかもしれません。また一方で、外国人労働者が最低賃金で働いてしまうので、外国人労働者でもできる仕事は一向に賃金が上がらず、そういう仕事に就きたい(けれど、最低賃金では働きたくない)日本人の仕事を奪っている…と言えなくもないです。

 でもこれからの世の中は、外国人労働者でもできる仕事は外国人労働者が担い、ロボットでもできる仕事はロボットが担い、日本人でなければできない仕事を日本人が行っていく…という世の中にならざるをえないのだろうと思います。

 アメリカにはだいぶ前から、Poor white/White trash問題がありますが、やがて日本にも、類似した問題が発生するかもしれません。

 人件費というのは、大きな問題です。

 私達が豊かな生活を過ごせる要因の一つに、安い人件費で働いてくれる、彼ら外国人労働者の存在があるわけです。それによって社会全体があれこれ安価で動くようになり(結果デフレが継続するんだけれど)色々なものが安価に提供されるわけです。

 なにしろ、外国人は最低賃金で働いてくれるし、技能研修生というカタチを取れば、最低賃金以下の給与でもOKなので、人件費をかなり安く抑えられます。雇う側からすれば、あれこれ労働条件に贅沢を言いたがる日本人よりも、安価で従順な労働力として重宝されるわけです。

 じゃあ彼らがなんで、そんなに安い値段で働くのか言えば、日本人から見れば“安い給料”であっても、それが彼らの母国の水準と比べると“破格に高給”だからです。飲食店で注文取りをするだけで、夢のような高給がもらえるんですよ。そりゃあ働きたくもなるものです。

 外国人労働者(=移民)が大勢いる国は…豊かな国で間違いないです。ある意味、豊かな国に移民問題は付き物です。日本は世界でも有数の豊かな国であって、すでに、彼ら外国人労働者の存在がなければ、回っていかない社会になっていると思います。

 それにしても、現在、外国人労働者の法的な位置づけでアバウトなんですよね。今国会で審議している法案にしても、かなりザルなわけで、だから野党の人たちがあれこれクレームをつけているわけです。

 どうも外国人労働者問題はすっきりしません。

 これも我々日本人が持つ偏見と、古い憲法と法体制のせいです。我々の心にある偏見を取り除き、きちんと憲法を改正して、彼ら移民の法的な位置づけをきちんと定めないといけないと、私は考えます。そうしなければ、我々も不幸だし、彼ら外国人労働者、つまり移民の方々も不幸になるんだと思います。

 移民だって、日本の社会を構成するメンバーの一人なんです。そこは忘れちゃいけないと思います。

 あと、移民関連の問題として、帰化要件とか永住者に関する件とか、あれこれ法的に見直す必要がある問題は山積していますが、これまたいずれのかには別稿で。

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2018年11月 3日 (土)

金魚も“主”化する?

 よく“池の主”とか“沼の主”とか言って、池とか沼などには、やたらと大きな魚が1匹だけいるものです。

 あれと同じ事が水槽でも起こるのかな? なんて最近思うようになりました。

 で、ヤヨイの話になります。

 ヤヨイはなかなか美形で美しい金魚です。基本的には安いB級金魚なので、品評会的なカタチとか美しさとは無縁なのですが、普通に魚としては美形で美しい子です。つまり健康で元気な子なのです。でも、その美しさに騙されてはいけないわけで、ヤヨイは気が強く、性格はかなり悪どい子です。

 過去記事でも何度か書いていますが、ヤヨイは日々の行動があまり褒められたものではありません。彼女は自分よりも小さな魚に関しては、眼中にないらしく、軽く無視をしていますが、自分よりも古い子や大きな子、同じくらいの大きさの子に関しては容赦がなく、攻撃を加えて怪我をさせたり、時には、やりすぎて殺しちゃったりします。

 きれいな外見に似合わず、かなり武闘派なのがヤヨイなのです。

 我が家の水槽の歴史は、ヤヨイ以前とヤヨイ以降に分かれます。

 これまでは、金魚の入れ替えはあったとしても、必ず、誰かしらが水槽に居続け、金魚なりに、それまでの水槽のルールとか文化とかを次の世代の子たちに引き継いできました。例えば、王様の座席ルールとか、エサねだり係の存在とかね。

 それがヤヨイが水槽に来てから、それまで水槽にいた子は病気や怪我であれよあれよと死んでしまい、ごく短期間でヤヨイが一番古い金魚になってしまいました。ヤヨイが先輩方を粛清しちゃったわけです…ね。

 また、その頃は、金魚の定着が悪く、古い子たちがどんどん星になる一方、新しく入った子も、あっという間に死んでしまうという事もたびたびありました。ヤヨイが気に入らない子をドンドン粛清していったんだと思います。

 それが落ち着いたのは、シズカが我が家に来たあたりからです。

 今や、ウチの二大大型魚は、ヤヨイとシズカなのですが、シズカはこれで案外タフです。今も昔もヤヨイに攻撃をされていますし、最近もヤヨイに大怪我させられましたが、それでも毎日元気に生きています。たぶん、他の子だったら、とっくの昔に、いびり殺されていたかもしれません。

 とにかく、シズカが避雷針のような役目を負い、ヤヨイの攻撃を一手に引き受けるようになったので、水槽が落ち着いたわけです。シズカ的には散々な話ですが、それが事実なんだと思います。

 ルデンが急に大きくなったという話を先日しましたが、このルデンが最近、尾びれ付近を大怪我をしました。これに関しては見ていないので、確証はないのですが、おそらく、ヤヨイがやったのだと思われます。

 ヤヨイの武闘派な性格は、金魚には珍しい性格だろうと思います。で、なぜヤヨイはこんな事をするのかと…と考えてみたのだけれど、もしかしたら彼女は“水槽の主”になろうとしているのかなって思うようになりました。

 自分が一番古くて、一番大きな魚でありたい。これが魚の本能なのか分からないし、今までのウチの水槽の子たちにはなかった傾向(ウチはこれまで巨大魚が共存していました)なのですが、ヤヨイが願っているのは、オンリーワンな水槽の主になりたい…のではないかと思うようになりました。

 となると、目障りなのはシズカなんだよね。だからシズカを集中して攻撃する。でも、シズカはあれで案外タフだから、なかなか排除できない…そこがヤヨイにとって悩ましい事なのかもしれない。で、シズカを排除できないまま、数年が経ち、新入りのルデンも目障りになってきた…という感じなのかもしれません。

 ちなみに、ヤヨイはシズカを攻撃しますが、シズカは誰も攻撃しません。メダカの食べ方を見ても分かりますが、おそらくヤヨイとシズカ、本気で戦ったら、シズカが勝つと思います。それくらいシズカは強い子です…が、性格が温和なので、無抵抗主義で、ただただヤヨイの攻撃に耐えているんだろうと思います。

 ちなみにシズカの顔つきはかなり悪いです。いつも何か不満があるような、ブータレた顔をしていますが、それは長年ヤヨイによるストレスを受け続けた結果なのかもしれません。

 とにかく、ヤヨイの“水槽の主”への道は、なかなか厳しいみたいです。しかし、今までいた“水槽の王様”たちは、もっと友好的な態度だったんだけれどなあ…、ヤヨイ、ヤンチャすぎです。

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2018年11月 2日 (金)

フルートは吹き手が変わると、音が変わる

 そうなんですよ、奥さん。フルートって、同じ楽器でも吹く人が変わると、全然違う音になるんですよ。ビックリでしょ?

 フルートって楽器は、基本的に個人に紐付けられているものです。だから、同じ楽器を別の人たちで共有するということは、ほぼ無いわけで、そこはピアノなどとは違うわけです。

 例外的にあるのが、学校の吹奏楽部で、先輩から後輩へ、楽器の引き継ぎをする程度ですが、学校の先輩と後輩って、そんなに実力差があるわけではないので、楽器の引き継ぎをしても、その楽器から出てくる音はあまり差がないので、フルートの音の変化って分かりづらいんですよね。

 レッスンなどでプロ奏者にフルートを習っていた人などは、自分と先生のフルートの音が違う事は分かると思いますが、それは人の違いもあるけれど、楽器の違いもあるわけで、音が違って当然って思いがちです。何しろ生徒である自分は、洋銀フルートからせいぜい総銀フルートぐらいですけれど、先生と呼ばれる人はたいていゴールドフルートを吹いてますからね。あんな素晴らしい音はゴールドフルートだから出るんだ…って自然に考えて納得してしまうわけです。

 そこでちょっとした実験です。あなたが今練習している曲を、先生にあなたの楽器で模範演奏してもらってください。おそらくビックリしますよ。

 あなたの楽器から、聞いたことの無いような美しい音が鳴り響きますって。まるで、先生が普段から吹いているゴールドフルートのような音色で鳴り始めますって。

 これね、私は初めて自分の楽器を当時の先生に吹いてもらった時に感じました。まるで楽器が違ったかのような、すごい美しい音で鳴るんですよ。つまり、当時の私の実力では、自分の楽器を全然鳴らせていないって事を思い知らされたわけです。

 もちろん、楽器による音色の違いってのはあります。フルートメーカーによる違い、モデルによる違い、楽器の個体差というのもあります。

 具体的に言えば、私が普段吹いているアルタスのフルートって、どれもこれも、他のフルートメーカーの楽器とは、ちょっぴり違った味わいの音色がします。少し音色が深い…と言うか、太い…というか。で、そんなアルタスのフルートも、モデルによって音色が違います。さらに同じメーカーの同じモデルでも、個体差、あります。実際に私、自分の楽器を持参して、楽器屋さんでフルートの試奏をさせてもらう事があるんですが、自分の楽器と同じモデルの楽器を吹いても、音が全然違うんですね。まあ、私のフルートよりも美しい音色で鳴る同じモデルのフルートとは、今まで出会ったことはないんですけれど(えっへん)。

 とまあ、フルートは楽器によって音色が違うんですが、そんな楽器間の音色の違いよりも、奏者による音色の違いの方が、私は大きいと思うんです。それくらい、奏者が異なると、ガラッと音が変わっちゃう楽器がフルートなんだと思います。

 なので、最近の私は、楽器の買い替え熱がすっかり冷めてしまいました。だってね、おそらく私、楽器を買い替えても、次の楽器も、今の楽器と同じような音色で鳴るんだろうなあって思うんです。だとしたら、楽器を買い換える意味ってあるかな…って思っちゃったわけです。

 まあ、ゴールドフルートなら、見た目のインパクトが変わりますから、購入する意味あると思いますが、今の総銀から、よりランクの高い総銀への買い替えは…たぶん意味ないかなって思っちゃったわけです。

 頭部管でも替えたら、音色変わるかな? でも、そんな事するよりも、もっと練習した方が、よっぽど音が美しく変わるかな…なんて考えちゃうわけです。

 ちなみに、ヴァイオリンとかギターとかの弦楽器は、奏者が違っても楽器の音色はほぼ変わりません。奏者の違いってのは、吹奏楽器特有の違いなんだろうと思います。

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2018年11月 1日 (木)

やっぱり秋は素通りされてしまうのか(涙)[2018年10月の落ち穂拾い]

 ちょっと振り返ると、10月の初めはまだまだ暑く、私はほぼ夏服で通勤しておりました。そこからあれよあれよと寒くなり、衣替えをしたのが、10月の中旬(例年よりも2週間遅かったです)で、10月の下旬になって「ぼちぼちコートでも羽織ろうかな…」と思うほどに寒くなりました。

 ほんの一ヶ月で、夏から冬にまっしぐらだよ。ああ、今年も秋は素通りされてしまうのだろうなあ…。

廉価な中華な楽器の罪

 廉価な中華な楽器は、価格的にも、お試し用の楽器であり、初心のほんの最初の段階でお試しで使う、使い捨て楽器ってのが、ちょうど良い使い方だと、私は思います。

 廉価な中華な楽器は、楽器として使えないわけではないのだけれど、楽器としての精度が低く、練習をしていて、うまく行かない時に、自分の技量のせいでうまく行かないのか、それとも楽器が粗悪なためにうまくいかないのかの判断がつかず、それで困ってしまう事が多々あるからです。

 廉価な中華な楽器を使っている場合、大抵の問題は、楽器の粗悪さに起因しますが、だからと言って、すべての問題は楽器のせいであるとも言い切れないのです。たまに楽器ではなくご自分の技量のせい…って事もあって、単純に楽器を買い換えれば済むのか…と言うと、そう単純ではなかったりするわけです。

 でもまあ、おおよそ、うまく行かない時は楽器のせいだと思うし、仮に楽器のせいでなくても、良い楽器を持った方が早く上達するので、うまく出来ない時は楽器のせいと思っても良いのだと思います。

 で、大人なら、そんな粗悪な楽器には、さっさと見切りをつけて、適当な所で良い楽器に買い換えられるので問題ないのですが、問題は子どもたちの場合です。

 親が音楽や楽器の事がよく分からずに、子どもの求めに応じて、廉価な中華な楽器を買い与えてしまう場合があります。

 子ども自身は、音楽に対して、熱いほどの向上心があり、熱心に練習をするのだけれど、いくら練習しても、粗悪な楽器のために、うまく行かず、だからと言って(親に買ってもらった)楽器のせいには出来ずに、向上心はあって努力もするのだけれど、技術的に足踏みをさせられてしまう事があります。

 実際、大勢いるんですよ、そういう子。

 で、そういう子たちも、練習を重ねていくうちに、やがて薄々、楽器がダメなんじゃないか…と気づきます。もっとちゃんとした楽器で練習したい…と思うようになります。でも、それは親にはなかなか言えません。

 仮に、その事をクチに出したとしても、親からすれば「1万円もする楽器を買ってやったのに、この子はもっと高価な楽器を欲しがるなんて…なんて贅沢な!」って思うだろうし、それ以前に気の利く子なら「お父さんに1万円もする楽器を買ってもらったのに、もっと良い楽器が欲しいなんて、とてもクチに出せない」って遠慮しちゃうわけです。

 1万円…楽器の値段として考えれば、どう考えてもおかしな安さですが、日常生活の中での1万円は高額です。子どもから見れば、大金なんです。

 で、3年間、廉価な中華な楽器と付き合って、もうフルートはこりごりと思って、音楽から足を洗ってしまうわけです。その子が、最初っから日本製の楽器を購入してもらっていたら、そうならなかったのかも…と思うと、少々残念な気がします。

 廉価な中華な楽器って、ほんと、罪深いものです。

電子書籍の使い勝手

 電子書籍に関するあれこれについて書いてみたいと思います。

 まず、電子書籍のデータは、どこに保管されるのかという問題ですが、私の場合は、購入直後は、タブレットにデータをダウンロードをして保管していますが、すべてのデータを保管しているわけではありません。原則、購入してから読み終えるまで、タブレットに保管して、読み終えたら削除してしまうという使い方をしています。

 実は、電子書籍を購入するという事は、紙の書籍を購入するのとは、ちょっと感覚が違っていて、現物を手元に置く…と言うよりも、サーバからデータをダウンロードする権利を購入する…という感覚なのです。

 ですから、オリジナルのデータそのものは、サーバにあります。で、そのデータを手元のタブレット等にダウンロードしてから読んでも良いし、ダウンロードせずに、サーバーのデーターをブラウザ等に表示させて読むのもアリです。ですから、一度タブレットにダウンロードしたデータであっても、削除してしまう事は可能だし、削除しても再びサーバからダウンロードする事も可能であります。

 と言うわけで、私の場合、購入したすべての電子書籍を手元には置いているわけではありません。

 購入直後はデータをタブレットにダウンロードしますが、読み終えれば削除します。再び読みたくなれば、再度ダウンロードするだけです。なぜこんな使い方をしているのかと言えば、タブレットのハードディスクの容量には限りがあるからです。すべてのデータをタブレットに入れておくわけにはいかないのです。

 ですので、タブレットにダウンロードしてあるデータも、当面読まないと決意したら、読んでいなくても、一度削除して、タブレットのハードディスクを空けるように心がけているくらいです。つまり、私の電子書籍の書棚は、サーバ側にあって、直近で読みそうなモノだけを手元のタブレットにダウンロードするという運用をしています。

 ですから、タブレットは、基本的にネットに常時接続していません。必要な時だけ接続してダウンロードするというやり方です。

 電子書籍に関して言えば、基本的に読みたい書籍は事前にダウンロードしてあります(たぶん常時500冊程度はタブレットに入っています)ので、ネットのない環境でも読書しております、ってか、ネット環境が悪いところで読書をするんです。ネット環境が良いところでは、読書せずにネットサーフィンしちゃうからね(笑)。

 電子書籍の弱点は、現物を手元に置くのではなく、あくまでもサーバからデータをダウンロードする権利を持っているだけだという点かな? だから、すでに手元にダウンロードしてあるものは、いつまでも読めますが、サーバのみに置いてあるデーターは、サーバ側の事情で読めなくなる事もあります。それが怖ければ、すべてのデーターをダウンロードして保管すればいいのでしょうが、私は物理的に無理だし、たとえサーバ側の事情で、それらの書籍が読めなくなったとしても、まあいいかと軽く考えるようにしています(何しろ人生は有限ですし、買った本が読めなくなる事よりも、次々に新刊を読む方が大事と考えています)ので、特に心配していません。

 あと、購入した電子書籍は、原則、一台の端末にのみ配信可能になります。ただし、サーバとダウンロードする端末の紐づけを変えれば、複数の機器でデータをダウンロードする事は可能でしょうが、具体的にはやった事ないので、どこまで可能かは分かりません。まあ、電子書籍リーダーを変更するぐらいなら、簡単にできそうです。

 読書可能な期限が決められているモノがあります。もちろん、大半の電子書籍には期限がありませんが、期限のあるモノは基本的に無料で、期限が過ぎたら、定価で購入しないと読めなくなります…というモノが大半です。つまり、期限のあるものは、立ち読みの期間が決まっている本だ…と考えればいいんだと思います。

 紙の書籍とは、あれこれ違いますし、紙の書籍の方が優れている点も多々ありますが、私は時代の流れに従って、電子書籍で本を読んでいくスタイルに変えました。電子書籍は…文字の拡大が自由自在なので、老眼には極めて優しいのが良いですね。

今月のお気に入り ジュリーのヒット曲

 先日はドタキャン騒ぎがあって、一躍、時の人になったジュリーこと沢田研二氏ですが、実は私、かつての彼の大ファンだったわけです。だって、若い時の彼って、問答無用にカッコいいじゃん。そりゃあ、誰もが憧れるわけだよ。

 ま、今もいい感じでロックなジジイになって、別のベクトルでカッコいいわけですが、いかんせん、今の彼はサヨクなジイさんで、浮世離れしちゃって、ついていけません。なので、私は彼がサヨクにハンドルを切ったあたりで、生きているジュリーのファンを止めていますが、今もかつてのジュリーのファンであります。

 と言う訳で、かつてのジュリーがいかにカッコよかったかという話は、あれこれ語るよりも、見ればすぐ分かるわけです。そこで音源を貼ります。

 曲は、私が大好きな『サムライ』です。では、どうぞ(笑)。

今月の金魚

 今月はみんなみんな元気でした。

今月のひとこと

 ここんところ、気温の変化が急激すぎて、それにカラダが追いつきません。体調悪いです、疲れやすいです、いつも眠いです。暑さが過ぎ去るのはうれしいけれど、もう少し、優しく秋に移行してほしいものです。なんか、このまま、秋を通り過ぎて、一気に冬に突入しそうな気がしますが、それはほんと、勘弁してほしいと思ってます。(2018年9月29日~10月4日)

 びっくりしました! なんとバスクリンが値上げしています! 近所のスーパーで、今までは400円台で買えましたし、安売りの時は300円台にもなっていたバスクリンが、今や500円オーバーです。ウチでは安売りの時にまとめ買いをしていたので、感覚的には「お値段、2倍になっとるやん」って感じです。いやあ、値上げするにしても、ちょっと上げ過ぎじゃないですか? ウチは今までバスクリン党でしたが、ついに本日、他社の類似品を買いました。だって、そっちは200円でお釣りが来るんだよ。200円と500円なら、比較も検討もないでしょう、多少品質が落ちたとしても、毎日使うものだから、なるべくお安い方がうれしいんですよ。これで、そっちの低価格の方で十分となれば、たぶんもうバスクリンには戻れない(涙)。そんな事を考えて行動した人が私以外にもたくさんいるのではないかと思われます。それくらい、バスクリンの値上げって、庶民的には大きな問題なのよ。(2018年10月4~8日)

 普段遣いのスーツを2着、作ってきました。今回は普段遣いなので、HANABISHIさんではなく、もっと庶民的なお店を探して、そこにオーダーしてきました。というわけで、新しいお店を次々と開拓しております(えっへん)。それもこれも地元の店でスーツを作りたくないから、やむなくなんですがね…。本当はスーツって、地元の店で作るのが一番なんですが、あの店員さんがいる店じゃあ、作りたくないんですよ。(2018年10月8~9日)

 桐朋の大学院生で、おまけに特待生という人をアマチュア歌手と呼んではいけないと思います。実力的にはすでに十分プロの領域に達していると思います。実際、各種コンクールでは入選しているみたいだし…。なので、アマチュア歌手ではなく、正しくは「売出し中の若手歌手」でしょ? で、何の話をしているのかって? そりゃあ“格付けチェック”の話だよ。私もピッチの正確さがダントツに良かったBが正解だと思ったもの。そりゃあ、みんなBがプロ歌手だと思うよ、実際、この人は学生だけれど、すでにプロ歌手だし…。(2018年10月9~15日)

 ようやく衣替えをしました。例年よりも二週間ほど遅いです。それだけ、今年は暑かった…という事ですね。で、たぶん、すぐに寒くなるんだろうなあって、今から覚悟を決めています。ああ、秋を楽しみたいのですが…ねえ。(2018年10月15~16日)

 誤って殺害…が通用するんだ、サウジアラビアって国は(嘆)。(2018年10月16~19日)

 9000人と聞いていた観客数が、当日に7000人だと聞いて、コンサートをドタキャンしちゃったと言ってるジュリーは、ファンの喜びよりも自分のメンツを優先してしまったわけで、それってエンタメ業界のプロとして、どうなんだろう?と思います。確かに3万人入る会場に7000人なら、キャパの1/4にも満たないスカスカ状態なわけで、そりゃあ不貞腐れたくなる気持ちも分からないでもないし、予定していた反原発署名がアリーナ側から禁止されたとしたら、サヨク的にファビョる気持ちも理解できるけれど、集まった7000人のファンのために、いや、たとえそのファンが700人や70人であったとしても、ファンの皆さんはこの日のために、万全の準備をして、日本各地からこの日のコンサートのために万障繰り合わせてやってきたわけで、それを思えば、中止とか延期とかありえないでしょ? コンサートのチケットだけでなく、交通費や宿泊費もかかっているし、家族や仕事仲間に気を使いながら集まってきたわけで、そういうファンの事情も考えた上で、それでも自分のメンツや反原発運動の方が大切だったのか、よくよく考えてもらいたいと思います。ちなみに、私は昔のジュリーのファンです(彼がサヨクに舵を切った時点でファンを辞めました)。かつて好きだったアイドルの醜聞なんて聞きたくないよぉ。(2018年10月19~23日)

 結局、選手は使い捨てなのか…と言われても仕方ないのが、先日福岡県で行われた「プリンセス駅伝 in 宗像・福津」でのスタッフの対応です。岩谷産業の選手が、足を骨折して、途中から四つ這いになって、膝を血だらけにしながらたすきをつないだ…って奴で、一部では美談になってますし、あれで感動した人も大勢いるようですが、私はあれはとんでもない話だと思ってます。選手は右脛骨を骨折して立てなくなって、それで四つ這いだそうですが、脛骨ってスネの骨で太い骨です。これが折れた段階でレースは棄権でしょ? 実際、レースの様子を見ていた監督は、すぐに棄権を申し出たそうだけれど、それが途中でうやむやになってしまって現場の審判に届かず、結局、レースは続行されたそうです。おかしくねえ? 監督の申し出がうやむやになってしまう運営って、絶対におかしいよね。それじゃあ監督がいる理由がないよね。だいたい、選手が自分から棄権することはないし、たとえ監督の意思が確認できなくても、足の骨折って四つ這いでしか前進できない選手がいた段階で、その場でドクターストップでいいじゃないの? それとも駅伝のレースって、ドクター無しで運営しているわけ? 駅伝じゃあ、そんなに選手の安全って軽いんだなって思いました。才能ある選手は、駅伝には近寄っちゃダメだよ。潰されてお終いになりかねないわな。(2018年10月23~29日)

 渋谷のハロウィーンで暴徒化する人々は、成人式で暴れるヤンチャ坊主たちと、メンタル的には同じなんだと思う。違うのは、成人式はシラフだけれど、ハロウィーンは酒が入っているって事かな? あと、成人式は若者だけれど、ハロウィーンはいい年した大人も暴れているって事だね。仮装をして楽しむだけなら、別に問題ないけれど、それで暴れて暴徒化するなんて…陽キャな子って手に負えないね。晴海あたりで行っているオタクな子たちのコスプレが暴徒化したという話は全く聞かないでしょ? そういう点では、陽キャはオタクに負けていると思うよ、完膚無きまでに。(2018年10月29~31日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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