ひとこと

  •  最近、読みたいなあと思ったビジネス書とか実用書は、たいてい紙だけでしか出版されていない(涙)。なので、買えないし、読めない。それにあれだけ読んでみたいと切望していたのに、一週間もすれば、私の興味が次に移っているので、その本の事など、どーでもいい気分になっていたりします。以前は、週末ごとに書店に行って、ごっそり本を買っていたのに、昨今はそんな感じで読みたい本が電子書籍化されていないので、読めず、買えずで、読書量が落ちている私です。紙の本を買えばいいじゃんと思われるかもしれないけれど、一度電子書籍に親しんでしまうと、もう紙の本には戻れないんだよ。紙の本を販売しちゃいけないとは言わない。ただ、電子書籍版も同時に発売してくれよ~と声を大にして言いたいだけなのです。
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2018年7月の記事

2018年7月31日 (火)

舌根を盛り上げてはいけません

 声楽のレッスンの続きです。

 とにかく、高い音は息の通り道を確保するのが大切です。現在の私は、息の通り道さえ確保できれば、高いAは楽に出せるし、出ているのだそうです。実際、自分でも、手順さえ間違えなければ、Aは出せるという自信もあります。

 どうやら日々の鍛錬のためか、高いAを出すための筋力が私に備わってきたそうなのです。筋力があっても、実際にうまくいかない事が多いのは、息の通り道がふさがってしまう事が多いからなんだそうです。

 歌う時は、ノドの奥を開きっぱなしにします。それで、高音に行けば行くほど、奥の開きをさらにさらに大きくしていくわけです。しかし私の場合、そこそこまでは奥が開いて歌えるのだけれど、ある程度まで音が高くなってくると、だんだんノドの奥が狭くなってしまい、高いAの手前でノドの奥が閉じてしまうので、高いAが歌えないというわけです。

 ノドの奥が塞がるのは、舌根がクチの中で盛り上がってしまうからです。そこで舌根が盛り上がらないように練習をしました。

 最初にやったのは、鏡を見ながらの発声。しっかり目でクチの奥が見える事を確認しながら発声しました。確かに、クチの奥が見える(=舌根が盛り上がっていない)時は、高音は出ます。クチの奥が見えるほど開いている感覚を覚えることが大切です。

 次は舌を出しっぱなしにして歌う練習です。舌を出しっぱなしにする事で、舌根の盛り上がりを防ぎましょうって事で、これもこの時の感覚を覚える事が大切です。

 人間の仕組みとして、高い声を出そうとすると、舌根が盛り上がっていくのは自然なんだそうです。で、その自然な行為に意図的に逆らえるようになると、自由に高音が出せるようになるわけなんだそうです。でも、自然に反した行為をするわけだから、それを身につけるのは大変な事でしょう。先生曰く、かなりストイックに追い求めていかないと身につかない…のだそうです。でしょうね。

 さて、クラシックコンサート&発表会の時に歌うセットリストの話をしましょう。実際にはレッスン開始前に話したのですが…。

 前回のレッスンの時に、歌曲(レスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」)と二重唱(ドナウディ作曲「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」)は決めましたが、オペラアリアは何を歌うかが未定でした。それをようやく決めました。

 クラシックコンサート&発表会では、ヴェルディ作曲の歌劇「椿姫」のテノールアリア「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」を歌う事にしました。

 実はこのアリア、昨年(2017年)のお正月あたりから発表会準備に取り掛かる6月まで、レッスンで歌っていた曲です。5ヶ月も取り組んでいたのに、結局仕上がらないまま、なんとなく中途半端にペンディングしたまま、今日に至ってしまった曲です。なので、一度取り掛かった曲なんだし、きちんと仕上げてしまいましょうという気持ちもあって、今一度、この曲に取り組む事にしました。

 この曲は、テノールのアリアとしては、さほど難易度が高い曲というわけではありません。なにしろ、最高音はA♭です。最高音がさほど高くない代わりに、この音が何度も何度も登場します(数えたら8回もありました)。高音が地味に効いてくるタイプの歌なのかもしれません。でも、まあ何とかあるでしょうし、何とかしたいと思ってます。

 聞かせどころのカデンツァは、ヴェルディが作曲したカデンツァのまま歌うつもりです。もちろん、別のカデンツァもありますが、別カデンツァはあまり有名ではない上に、実は別カデンツァの方が音が低くて簡単(笑)なんです。おそらく、何らかの理由でヴェルディ作のカデンツァを歌えない歌手向けに作ったのでしょうが、私の場合、特に歌う必要はなさそうです。

 さて、クラシックコンサート&発表会のセットリストも決まった事だし、ぼちぼちと練習を始めたいと思ってます。

 レッスンの続きはまた明日。

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2018年7月30日 (月)

息の通り道を確保しよう

 声楽のレッスンに行ってきました。

 実は今回のレッスン時、私、重篤な気管支炎を患っていました。ほんと、ひどかったのよ。

 原因は…たぶん冷房病。寝る時に冷房をつけっぱなし…は、まあいいとして、風量をマシマシにして寝落ちしてしまったために、気管支がやられてしまったのだと思う。あんまり暑かったから冷房の風量をマシマシにして、納得したら、風量を自動設定にするつもりだったのに、つい寝落ちしてしまって、風量をマシマシのまま寝てしまったのが今回の敗因です。

 ああ、ノド痛い。とにかく、レッスンの前日に医者に行って、あれこれ薬をもらって、それでレッスンに臨んだわけです。痛み止めは偉大だよ。

 病状的には、多少話しづらいけれど、話したり歌ったりはできる…けれど、咳き込む事が多く、その咳のためにノドが痛すぎるって感じです。あと、常に息苦しい事。やたらとノドが乾く事、あきらかにノドが腫れている事…ですね。

 Y先生がおっしゃるには、歌手はノドを酷使するから、気管支炎になる人が多いけれど、気管支炎になっても、病状次第で、歌っちゃダメな時と、むしろ歌った方が良い時があるんだそうです。

 歌っちゃダメなのは、声帯が腫れている時と、声帯周辺の筋肉が動かなくなっている時。むしろ歌った方が良い時は、声帯周辺の筋肉が動きづらくなっている時。動きづらくなっている時は、歌う事でむりやり筋肉を動かす事が必要なのだそうです。

 あと、私はゲホゲホ咳き込むのだけれど、咳の仕方にも注意が必要との事。私の咳は、ダメな咳の仕方で、こういう咳き込み方は、声帯を痛める(実際に痛いです)のでダメなのです。咳にも色々なやり方があるので、自分で声帯に負担の少ない咳の仕方を見つけるべき…なんだそうですが、どうすれば声帯に負担のかからない咳が出来るようになるのかしら? ああ、ノドが痛い(ので、痛み止め飲んでます)。

 さて、レッスンはハミング練習からです。気管支炎で咳き込むせいで、ノドが痛いのです。特に低音を歌おうとすると、ノドがガリガリ言って、とても痛いです。ノドがガリガリ言っているのは、ノドに力が入りすぎているからなんだそうです。普段は、ノドの強さもあって、力が入っている事に無自覚だけれど、今のようにノドの調子が悪い時は、自分の欠点がよく見えている時なので、見えている欠点をつぶしましょう。さしあたって、ノドから無駄な力を抜きましょうとの事です。

 だいたい、テノールなんだから、そんな低音がバリバリ出るわけないのに、普段は出ないはずの低音を無理やりノドを鳴らす事で出しているだけで、気管支炎でノドを痛めて無理ができないのに無理をしようとしているから、ノドがガリガリ言って痛くなるわけです。

 出ないモノは出ないという割り切りが必要であって、出ないから言って無理に出さずに、軽く流して楽に出していくことが大切。これは別に低音に限った話ではなく、高音だって無理に出すのは禁物なのです。なまじノドが強いので、無意識に無理をしちゃうのが、私のダメなところなのです。

 まあ、確かに病気になって、無理ができなくて、自分の欠点と向き合うのも、スケジュールに余裕がある時などは、大切な学習プロセスであるかもしれません。

 で、低音を歌うとノドが痛むけれど、中音になってくると、かなり楽になり、高音になると、さらに楽になります。そういう意味では、私は本質的に高音歌手なんだな。ただ、高音はノドは楽になるけれど、声は出しづらくもなります。声が出しづらくなるので、ついついノドの力を借りて、無理に出しちゃうのは、本来はダメなんだけれど、やっちゃうんだよね。。

 高音が出しづらくなるのは、ノドが腫れていて、息の通り道が狭くなっているからです。そこで発声練習では、ノドを開きっぱなしにして、息の通り道を確保して歌う練習をしました。

 まずはイメージ戦略からです(笑)。ノドを開きっぱなしにするイメージは…クチにトイレットペーパーの芯を咥えるイメージです。それもクチの奥までたっぷりと…。先生的には、本当はトイレットペーパーの芯よりもさらに太いモノの方がイメージ的には良いそうですが、まずは身近なところからイメージを膨らませましょうって感じです。

 で、ノドを開くイメージを作って歌うと、確かにノドは開くのだけれど、無意識にノドを開くと、私は、ノドを下の方向にばかり開いてしまうのです。重力もあるから、ノドを下に開くのは簡単だけれど、上に開くのはなかなか難しいのです。ノドは、上にも下にも両方向に開かないといけないのです。

 そこでさらにイメージを付け加えます。それは、鼻からたくさんの息を出すイメージです。歌う時、クチから息を吐くのは当然だけれど、それと同じくらいの量の息を鼻からも出すイメージにすると、自然と息もたくさん吐けるし、鼻もよく開いて、鼻の力が利用できるようになるわけです。

 まあ、これはイメージのみならず、実際、声楽的な声ってのは、クチからも鼻からも出していくわけです。もちろん鼻声はダメだけれど、クチ声もダメなんです。クチ声って、ただの地声だからね。ロックを歌うなら、それでもいいんだろうけれど、テノールの発声としては(そうやって歌う人もプロにはいますが)少なくとも、教科書的な発声ではないわけです。

 とにかく、ノドは開くわけです。上にも下にも大きく開く事で、声を楽に出せるようにするべきなのです。

 長くなってきたので、続きはまた明日です。

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2018年7月29日 (日)

やっぱり休んじゃダメだな

 今年に入って、ブログをまとめて休む事が増えた私です。いやあ、忙しいのよ。なるべくブログを休まずに済むように、事前に記事を書き溜めておいたり、連載を入れてみたりしています(今回も頑張って、記事を書き上げて、予約機能でアップロードしています)が、それでも、それらの在庫が尽きてしまうほど、忙しい日々が続いちゃったりするわけで、結果としてブログをお休みしちゃうわけです。

 継続は力なり…という言葉がありますが、ほんと、その通りだなって思います。

 と言うのも、お休みが継続すると、明らかにブログの読者数が減ります。おそらく、それまで惰性(ごめん)で読んでくださっていた方々が、ブログのお休みを機会に、老犬ブログを訪れなくなるんだろうと思います。一度減った読者数は、なかなか回復しませんからね…ってか、まず回復しません。

 お休みすればするほど、ブログのアクセス数がジリ貧となり、ブログのランキングも下がります。今年はお休みをする回数が多かったせいか、すでに年頭の頃から半年で、愛読者数は実数を書くのがはばかられるほどに大減少となりました。一日に、何千何百という人が訪れてくださったのが、夢のようです。

 まあ、アクセス数やランキングの順位だけが、ブログの目的では無いので、下がったっていいと言えば良いのだけれど、私も朴念仁ではないので、愛読される方の数が減ってしまうのは、正直、寂しいと言えば寂しい。ランキングが下がるのだって悲しいです。やはりアクセス数とかランキングの順位って、モチベーションの一つだものね。

 さらに言うと、アクセス数やランキングの順位が下がるよりも、心が折れる現実として、コメントが激減している事が挙げられます。先月なんてあんまりコメントが無さ過ぎて、落ち穂拾いでコメントが拾えない現象すら起こりました。

 いやあ、ほんと、ジリ貧。ブログって、休んじゃダメだな。

 とは言え、だからと言って、無理は禁物だよね。優先順位は守らなきゃいけないわけで、実生活はネット生活よりも大切だし、生業は家庭生活の次ぐらいに大切なわけで、そこを守らないと、破綻しちゃうし、何事も長続きしません。

 そもそもが、ブログというネットサービスそのものが、一時期と比べて、かなり衰退しているのも事実です。全体の縮小に伴って、私のブログがジリ貧になってしまうのも、仕方ないと言えば仕方ないと言えるのかもしれないけれど、なんか、そう簡単に納得できません。

 沈みゆく船に乗っている…と言われそうだけれど、案外、ブログもまだまだなんじゃないかなとも思ってます。確かに若者たちは、ブログから消えてしまったようだけれど、オジサンオバサンたちは、まだまだブログに残っています。オジサンオバサンパワーをなめちゃいけない。

 ボケモンGOだって、若者たちがゲームから離れて、一時期はゲーム開始直後の大人気だった頃の1/10程度の参加者数になってしまったと言われたけれど、それでも少しずつ勢力を盛り返してきて、今では過去最高のゲーム参加者数となり、若者たちがたくさんいたゲーム開始直後よりも、ゲーム的にはむしろ盛況だと言うから驚きです。若者が抜けて、代わりに参加してきたのが、いわゆるオジサンオバサンで、これらオジサンオバサンパワーが世界的に結集して、今のボケモンGOの盛況さにつながってきたのだそうです。

 ならば、ブログだって、そうならないとは言えないでしょ? なので、私は、ボケモンGO同様に、まだまだブログで頑張っていきますよ。

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2018年7月28日 (土)

立ち泳ぎをする金魚が二匹…

 最近、更紗琉金(紅白二色の琉金)であるアセビと、丹頂(頭部の肉瘤だけが赤い、全身が白いオランダ獅子頭)であるベルの二匹が、よく立ち泳ぎをしています。

 “よく…”であって、“いつも…”ではないのが救いですが、それでも割と頻繁に立ち泳ぎをしています。

 これ、たぶん、ヤバイ傾向なんだろうと思ってます。金魚は普通、立ち泳ぎをしません。立ち泳ぎをすると言うのは、普通の状態では泳げずに、頭が持ち上がってしまっているわけです。これが進むと…転覆してしまうのではないかと、ヒヤヒヤなのです。

 特に我が家の場合、琉金はある程度の大きさを越えると、転覆してしまうので、私的にはなるべく琉金は飼いたくないのです(可哀想でしょ?)。でも、妻は琉金が好きなので、どうしても琉金を飼ってしまうのです。ああ、アセビもだいぶ大きくなりましたからね。そろそろ転覆してもおかしくない大きさに育ってしまいました…本当に心配です。

 ベルは、体型的にはオランダ獅子頭なので、転覆しづらいし、オランダ獅子頭が転覆するにはかなり大きくならないと厳しいわけですが、ベルは、まだそこまで大きくなっていないので、なぜ立ち泳ぎをしているのが、不思議でなりません。もしかすると、アセビの真似をしているだけなのかな? とは言え、こちらも心配は心配です。

 ちなみに、アセビやベルよりも全然大きな、ヤヨイにしてもシズカにしても、体型は琉金ですが、この二匹は、全く転覆する気配がありません。毎日毎日元気いっぱいに生きています。

 転覆病は、一度なってしまうと、まず治らないし、徐々に金魚の体力がなくなって、やがては死んでしまうわけで、私は金魚の死病、死に至る病だと思ってます。なので、転覆しないように祈りながら金魚たちを育てているわけです。

 せめて、立ち泳ぎの段階でストップしてほしいなあ…と願っています。

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2018年7月27日 (金)

疲れている時のレッスンは…無駄かもしれない

 フルートのレッスンに行ってきました。

 実は今回のレッスン、それなりに練習を重ねてのレッスンだったんですよ。まあ、合宿も近い事もあって、無理して時間を作って、毎日フルートの練習をしていたのです。そうして迎えたレッスンだったのですよ。

 だから、レッスンに行く気まんまんだったわけですが…さすがに仕事も忙しいのに、毎日フルートの練習をしてしまったせいか(笑)、レッスン当日はすっかり疲れ果ててしまい、頭ではレッスンに行かなきゃいけないと思うし、気持ちも前向きでレッスンに行きたいのに、カラダが「…だるい…(涙)」って感じで、レッスンに行くのを拒否していました。

 いやあ、疲れちゃうと、レッスンに行きたくなくなるんですよ。

 妻に「レッスンに行かなくてもいいの?」と促されて、重いカラダをなんとか動かしてレッスンに行ってまいりました。

 レッスンは、行っちゃえば楽しいんだけれど…ね。

 さてレッスンです。ロングトーン練習はいつもどおりです。エルステユーブンゲンは全く暗譜していません。「この曲を暗譜するよりも、合宿の曲を練習しないと、皆さんに迷惑かかります」と言ったところ、そりゃあそうだねと先生も納得してくれました。で、いつものように、あっちこっち間違えながら、23番と24番を吹きました。

 プチエチュードは…実はかなり集中的に練習してきました。合宿では吹かない曲なのですが、なんとか合宿前に仕上げて、合宿後は新曲に取り組みたい私なのです。だから頑張りましたが…疲れている時は集中力に欠けるし、やっぱりあれこれダメですね。ほんと、つまらないミスブローを多発してしまいました。合格どころか、先生に「前回の方が良かったね」と言われてしまう始末。自宅練習の成果が全く現れませんでした。前回は練習なんて、これっぽっちもせずに臨んだレッスンだったんですよ。なのになのに…世の中なんて、そんなもんです。

 40リトルピーセズは14番のアリエッタでしたが、あんまりちゃんとは吹けませんでしたが、先生に勘弁してもらって、ひとまず合格(ってか終了?)って事にしてもらいました。これで、合宿後には新曲の15番に取り組めます。

 合宿の曲であるヴォカリーズは、ほんとボロボロでした。いやあ、自分でもなんでそこで間違えるかね…と思うほどにダメでした。やっぱり疲れていて集中力に欠ける時のレッスンは、あまり効果的ではないね。

 さて雑談は…先生が仕事で使っているパソコンのHDDが壊れてしまったという話。そのパソコンには会計ソフトが入っていて、先生はそれでお金関係の計算をしていたので、HDDが壊れてしまい、本当に往生しているんだそうです。ま、そりゃあそうだよね、一大事だよね。

 ソフトの不都合なら素人でもなんとか対応できる(最悪、再インストールすれば良い)けれど、ハードウェアの故障は本当にどうにもなりません。特にHDDが故障して、パソコンが起動すらしないという状態は、なかなかに辛口な状況です。自分なら…壊れたHDDを引っこ抜いて、他の起動するパソコンに接続して、無理やりデーターだけサルベージするかな? で、壊れたHDDは、当然廃棄だね。先生のところはそうも簡単には行かないだろうから、専門業者に依頼してデータだけサルベージする事になるけれど…お金かかりそうだなあ。

 しかし、パソコンが故障するって…ほんと大変だよね。昔はみんなパソコン無しに暮らしていたんだから、パソコンぐらい無くても平気…って思えないくらいに、今やパソコン無しの生活なんて考えられないものね。私もパソコンが無くなったら、あれこれ困ってしまうよ。いまやパソコンは自分のカラダの一部だもの。少なくとも、脳みその一部になっているよね。卓上のパソコンだけでなく、タブレットとかスマホだってパソコンたものね。文字通り、パソコンを肌身離さず状態で使っている日常生活の中で、現在の我々は生きているって事なんだよね。

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2018年7月26日 (木)

初見が出来ると…いいのになあ

 初見で歌えたり、演奏できたりする人って…いますよね。実にうらやましいです。もっとも、初見演奏ができる人って、そうなるまでにたくさんの努力と時間を費やしているわけで、私はとてもそんな事はやっていないのだから、できないのは、ある意味、当然なんですけれどね。

 まず、楽譜をきちんと読めるようになりたいです。少なくとも、オンタイムで正しく読めるようになりたいです。

 楽譜を読むのって難しいよね。まず私の場合(音感が無いので)音程が分からない。音符を見ても、音が想像できない。これはさすがに、どーにもならない(涙)。音程を確認する段階で、必ず楽器が必要になるので、初見演奏なんて出来るわけがありません。

 で、音程を横に置いたとして、ならば、リズムを正しく読めるようになりたいです。リズム読みがちゃっちゃと出来るようになりたいです。少なくとも、リズム読みがちゃっちゃとできれば、音程は楽器で音取りすればいいんだから、楽譜を読むのがだいぶ楽になるわけです。

 楽譜読みとは直接関係はないけれど、楽器演奏力が上達して、たいていの曲が楽に演奏できるようになれば、たとえ楽譜が初見であっても、楽器の初見演奏は…できるようになるかもしれません…ね。楽器での初見演奏は、まだまだ夢かもしれないけれど、実現の可能性がちょっとある夢なので、希望を持って前に進んでいこうと思います。

 問題は歌だね。音感が無い以上、どうしたって、音取りという作業が私には必要だから、永遠に初見で歌が歌えるようにはならない…のが悲しいね。ほんと、悲しい。

 結論として、私は永遠に初見で歌が歌えるようにはならない…という能力の限界があるのだけれど、たとえ妄想であっても、やっぱり初見演奏ができて、色々な曲を楽譜を見た途端に歌えるようになれたらいいのになあ…とつぶやいておきます。

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2018年7月25日 (水)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は?  その2

 昨日の記事の続きです。

 というわけで、このように、私とそのブログ主さん(ってか、一般的なクラヲタさん)では、歌曲の定義が違うので、取り上げる作曲家さんも、こんなに違うわけです。

 これらも視野に入れた上で、そのブログであげられた作曲家たちに対する私のコメントはこんな感じです。

1)モーツァルト、シューベルト、シューマン、フォスター、フォーレ、カントルーブ

 これらの作曲家は、まごうことなく歌曲の作曲家です。彼らが歌曲作曲家のリスト入するのは当然な話です。ただし、カントルーブは、歌曲作曲家なのですが、トップ14に入れるほどの人気作曲家であるのかという疑問は残ります。

2)ベートーヴェン、ヴェルディ

 他のジャンルの曲が有名すぎて、あまり歌曲の作曲家というイメージが薄いのだけれど、まあ歌曲も作曲しているし、よく歌われているし…で、彼らも歌曲作曲家のリスト入しても良いかなって思います。

3)シュッツ、バッハ、ヘンデル、ハイドン、オルフ、デュルフレ

 私としては、彼らを歌曲作曲家には入れたくないです。理由は以下の通り。

 シュッツ…明らかに古楽の人です。時代が合いません。また、作曲した声楽曲も合唱曲とマドリガーレばかりです。マドリガーレはリュート伴奏が基本なので、歌曲とは別ジャンルの音楽であると考えます。

 バッハ…彼も古楽の人でしょ。バッハの場合、膨大な数の声楽曲は書いているけれど、その大半は、カンタータとかオラトリオとか受難曲であって、その中にアリアやモテットがたくさんあって、それらが単独で演奏会などで取り上げられて歌われる事があります。でも、あれらはアリアやモテットであって、歌曲じゃないです。オペラのアリアは歌曲じゃないのと、同じ理屈です。だからバッハを歌曲作曲家として扱うのは、私は反対です。

 ヘンデル…古楽の人です。カンタータの中のアリアは有名な曲が多いですが、私の定義では歌曲ではありません。

 ハイドン…ハイドンは確かに歌曲も作曲していますが、ではハイドンの歌曲って聞いたことありますか? 作曲した事と、人々に愛聴されている事は別です。やはりハイドンは交響曲の父ですよね。

 オルフ…現代版バッハって感じの作曲家で、カルミナ・ブラーナに代表されるカンタータを中心に作曲した人であって、彼の歌曲って…実際に演奏されるんですか?って感じです。オルフを代表的歌曲作曲家の中には入れたくないです。

 デュルフレ…レクイエムを書いているというだけで、基本的にはオルガンの作曲家だし、レクイエムは歌曲じゃないし…。彼を歌曲作曲家に入れるのは、私は反対です。

 なので、私が歌曲作曲家のリスト(14人に限定)すると、こうなります。

モーツァルト
シューベルト
シューマン
メンデルスゾーン
ヴォルフ
ベッリーニ
トスティ
ドナウディ
フォスター
グノー
フォーレ
滝廉太郎
山田耕筰
中田喜直

 こんな感じかな?! もちろん異論は認めます(笑)。

 やはり歌曲作曲家と言えば、ドイツ系のメンデルスゾーンやヴォルフ、イタリア系のベッリーニ、トスティ、ドナウディ、フランス系ならグノーは外せませんし、日本の作曲家を忘れてはいけません。個人的には武満を入れたいのですが…トップ14には入らないわなあ…。

 それにトップ14に限定してしまうと、マーラーやブラームスなどの大物歌曲作曲家も入りません(涙)。レオンカヴァッロやレスピーギが入らないのも残念だし、ロッシーニやヴェルディ、プッチーニが入らないのも残念無念。でもまあ、こんなモンでしょうね。

 私が、歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は、こんな感じです。

蛇足 ちなみに、私が見て参考にしたブログですが、音楽ブログだったのは昔の話で、今はパヨク系の政治ブログになっているみたいなので、あえてリンクはしないでおきます。政治ブログなのは良しとしても(言論の自由は尊重します)パヨク系のブログを紹介する勇気は、私には無いんです(ごめんね)。

蛇足2 メンデルスゾーンの歌曲って、実はメンデルスゾーンの作曲ではなく、姉のファニーの作曲のものが大半なんだそうです…ってか、姉のファニーは、当時の女性の社会的な立場も考慮して、弟の名前で作品を発表していたんだそうです。あの有名な「歌の翼」は、いったいどちらの作品なのかしら?

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2018年7月24日 (火)

歌曲の作曲家と聞いて思い浮かぶ作曲家は? その1

 クラシック音楽関係の呼び屋さんをやっている方のブログの、昔々の記事に「あなたの好きな歌曲はなんですか?」という記事がありました。選択方式になっていて、作曲家を選択して、コメント欄で曲名を紹介してください…って感じの記事で、そこに上がっている作曲家って、以下のようなリストなんですよ。

シュッツ
バッハ
ヘンデル
ハイドン
モーツァルト
ベートーヴェン
シューベルト
シューマン
ヴェルディ
フォスター
フォーレ
カントルーブ
オルフ
デュリュフレ

 どうですか? このラインナップ…、一応、プロの音楽の呼び屋さんですから、これはこれで客観的なリストアップなんでしょうねえ(棒読み)。歌曲作曲家と言うと、ごく普通に考えると、この14名(+その他)って事になるのかな?(さらに棒読み)

 なので私、選択できませんでした。だって、トスティが無いんだもの(涙)。じゃあってんで、ベッリーニも無いし、ドニゼッティも無いし、ロッシーニも無いし…。ディ・カプアも、ドナウディも、レスピーギも、スカルラッティも、チマーラも、レオンカヴァッロも、無い。かろうじてモーツァルトとヴェルディはあるけれど、プッチーニは無い。

 なんか、意地悪されているみたい…っていうか、私の歌曲作曲家の好みが、一般的なクラシックファンの歌曲作曲家の好みと、大きく違っているだけなんだろうか…と疎外感を感じてしまいます。。

 それにしても、世間が考える歌曲作曲家って、こうなんだ…。なんか、ショックだよ。私と彼らの間に横たわる溝は、広くて深くて長い…んだろうなあ。見えている世界が全く違うじゃん。

 …って、疎外感を感じた上に弱気になってしまうのだけれど…でも、落ち着いて考えると、そんなに弱気になる必要はないし、ましてや疎外感なんて感じる必要もないわけで、我彼でこんなに違うのは、おそらく、歌曲の定義が違うからだと思います。

 私が思うに、ブログ主さんは、歌曲の定義を「歌手がメロディーを歌っている作品」程度にしか考えていないと思います。ま、プロの呼び屋さんがこの程度なら、一般のクラヲタだって、その程度でしょう。

 あと、声楽曲と歌曲の区別が曖昧とか? そう考えると、モーツァルトを始め、ヴェルディやフォーレやデュルフレはレクイエムの作曲家だし、シュッツやバッハ、オルフなんかはカンタータの作曲家だし…ね。ハイドンやベートーヴェン、シューベルト、シューマンはミサ曲書いているし…、ヘンデルはメサイアだし、そういう定義なら、こういうリストになるのかもしれません。フォスターとカントルーブなどの軽めな民謡っぽい曲を書いている、この二人が入っているのは???ですが…。

 とにかく、私が考える歌曲の定義とはだいぶ違うんだよね。

 で、私が考える歌曲の定義は…、

1)原則的に独唱であり、ピアノ伴奏とともに歌う形式の曲であり、古典派以降の独唱曲を指す。ただし、ロマン派以降作曲された、独唱とオーケストラ伴奏の形式の曲も歌曲に加えてもよい。

2)明示された作詞家と作曲家の作品である。

3)オペラやカンタータなどの大曲の一部ではなく、独立した一つの作品である。

4)合唱曲や合唱を伴う曲は、歌曲には入れない。

5)宗教曲は、歌曲には入れない。

 こんな感じです。つまり、1)は、器楽曲でいうところの、ソナタとかコンツェルトの声楽版が歌曲って考えています。基本的に室内楽だし、ピアノ誕生以降の曲じゃないといけないと思ってます。でも、音楽が拡大化したロマン派以降は、歌曲がホールでも演奏されるようになったわけで、それならオケ伴奏でもいいかなって思ってます。

 2)は、民謡とか伝承曲は歌曲じゃないよって話で、歌曲には、作詞家や作曲家の作家性が反映されているものじゃないとダメよって事です。

 3)は、歌曲は歌曲として独立した作品であって、大曲の一部は大曲の一部であって、歌曲じゃないですって話です。

 4)歌曲は合唱曲ではないですって事ですが、重唱曲に関しては、歌曲として作曲されたモノに関しては、歌曲に入れられるように考えています。

 5)宗教曲の場合、独唱+鍵盤楽器なら、それは歌曲ではなく、讃美歌になると思ってます。基本的に歌曲は世俗音楽だと思ってます。

 長くなってきたので、続きはまた明日にします。

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2018年7月23日 (月)

アニメ声とイケボ

 私もアマチュア歌手の端くれなので、声については、いつもあれこれ考えています。

 私がいつも感心しているのは、最近の声優さんたちの凄さです。何がすごいって、彼ら彼女らはアニメでは、いわゆるアニメ声でアフレコをしているわけですが、そのアニメ声でキャラソンも歌っているわけで、こりゃあすごいなあと感心しているわけです。

 アニメ声って、ざっくり言っちゃえば,作り声なわけで、作り声って、たいてい声域が狭いし、声としてのコントロールが難しいのに、そんな作り声で普通以上の上手さで歌っちゃうんだから、声のコントロール能力がすごぶる高いなあ…って思うわけです。

 さすがプロだよなあ、見事だよなあ…。声のコントロール能力に関しては、ほんと、見習いたいものです。

 我々、クラシック系声楽の人だって、歌う時の声は話し声とは違うわけで、ある意味、作り声で歌っていると言えなくもないわけですが、それはあくまでも歌用の作り声なわけですが、いわゆるアニメ声は歌うための作り声ではないわけで、それを考えても、声優さんはすごいと思います。

 でも、アニメ声はいただけないし、マネしない方がいいです。少なくとも、アニメ声とクラシック系声楽の相性は良くないです。

 と言うのも、アニメ声の出し方って、クチの中をなるべく狭くして、息もなるべく多く鼻腔を通して(ってか口腔へはあまり息を通さない)、息漏れの多い声で、滑舌悪く舌っ足らずな感じでしゃべる事で出している声なんですよ。アニメ声は別名“ロリ声”とも言うわけで、オトナが幼女の声を真似して出している声なんですね。そりゃあ、声楽との相性悪いです。

 アニメ声はいただけませんが、アニメにはもうひとつアニメ特有の声があります。それは、イケボと呼ばれる声です。

 イケボというのは、イケメンヴォイスの略で、かっこいい男声の事を言います。これはおそらく、女声のセクシーヴォイスに相当するものだろうと思います。

 イケボの特徴は、低くて若々しくて吐息混じりの声…なんだそうです。吐息混じりはいただけませんが、低くて若々しいのは、確かにかっこよいですが、クラシック声楽的には…おそらく「まだ声が熟成していないバリトン」あるいは「高い声が全然出ないテノール」って扱いになってしまうかな…とも思います。ハイバリトンにすら成らないと思います。

 と言うわけで、アニメに特徴的な、アニメ声にしても、イケボにしても、クラシック声楽とは相性が良くない事が分かりました。

 でも、アニメ声にしてもイケボにしても、日本人には人気の高い声なんですよね。だから、アニメで受けるし、この種の声の声優さんがたくさんいるんです。逆に、クラシック声楽系の声なんて「オペラっぽくて、おおげさで」というイメージで捉えられがちだし、しばしばお笑いネタにさえされちゃうわけで…一般人に対しては受けが良くないなあ…なんて思ったりもします。

 だから何だと言われると困るのだけれど、日本人が好む(?)声と、声楽で美しいと呼ばれる声って、全然違うんだよなあ、ちょっとショックだなあ…って話です。

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2018年7月22日 (日)

あんまり暑いんで、海水浴に行ってきました

 都会に住んでいるなら、海水浴は一大レジャーかもしれないけれど、当地は海のほとりなので、私にとっての海水浴なんて、近所のプールに行くのと変わりないです。

 朝起きたら、暑かったんです。で、お天気はカンカン照り。水に浸かったら、涼しいだろうなあ…と、ふと思い立ったので、朝ごはんを食べたら、海水浴に行くことにしました。

 別に大した用意はいりません。持っていくのは、携帯できる簡易テントと、ゴザと、浮き輪とタオル類とペットボトルと…小銭とiPad(笑)。休憩中はiPadで読書するのよ。

 水着に着替えて、その上から服を羽織って、ビーチサンダル履いて、最寄りのバス停に行きました。ここからバスに乗って、150円で海水浴場に到着しちゃいます。ほとんど、door to door で、海なんだな。

 浜に到着して、適当なところにテントを広げます。カバンから出して、放り投げると、自然にテントができあがるって便利タイプなテントです。まるでポイポイカプセルみたい。テントが飛んでいかないように、ペグ打って、中にゴザ敷いて、荷物を置いて、浮き輪を膨らませて、日焼け止めを塗ったら、準備完了。さあ、海に入りましょう。

 テントから海までの距離は大してない(たぶん10mくらい)けれど、最初の5mの砂が熱くて熱くて…足の裏がやけどしそうになりました…ってか、たぶん軽くやけどした(涙)。だって、足の裏から美味しそうな匂いがしたもの(爆)。

 で、海に入ります。浅瀬の水は生ぬるいけれど、少し奥に行くと、すぐに深くなり、水がひんやりしています。そう、当地の海岸は全然遠浅ではないんですよ。むしろちょっと沖に行くとタイビングが出来るほど深い深い海なんですよ。オトナでも、浮き輪がないと、ちょっと大変です。

 その日は奇跡的に波も穏やかで(普段はサーフィンができるくらいの荒波です)のんびりプカプカ浮かんでいると…あっという間に潮に流されます。いやあ、ここらの海は潮の流れが速いんだよね。まあ、海水浴場のあたりは、潮の流れが浜と平行なので、いくら流されても全然平気なんだけれど、海水浴場から東側に出てしまうと、潮の流れが変わり、あっという間に沖に流されてしまうので要注意です。なので、良い子は海水浴場で遊びましょう。ちなみに、西側は潮の流れの川上(?)になるので、なかなか西側には行けませんが、そっちの海は聖域(神様が住んでいる事になっています)ので、人は入っちゃいけないんだよね。

 ちなみに、ここらの海は、あっちこっちに神様が住んでいるので、要注意なんだな。浜はともかく、聖域になっている海に入ると神様に怒られちゃうんだよ。ま、よそんちに無断で入っちゃいけないのと、理屈は一緒だね。

 で、30分ぐらい海でプカプカしたら、浜に上がって30分ほど読書三昧…を三回繰り返して海水浴終了。テントの中で普段着に着替えて(海の家ならともかく、水着じゃお店に入れません)、浜辺のらーめん屋にGO! いつもは海の家でロコモコ食べて帰るんだけれど、この日はなぜか京都ラーメンな気分だったんです。

 で、ラーメン食べたら、バスに乗って、ウチに帰ります。で、シャワーを浴びて、お茶を飲んで一休みしたら、読書の続きがしたくなって、iPadを持って寝室で横になって読んでいたら、眠くなったので、そのままうたたね。うっかり夜まで寝てしまいました。

 ああ、いい休日を過ごしました。

 ちなみに夏に海に行くと、冬、風邪をひきづらくなるんだよね。だから、夏の間に、もう2~3回は海水浴に行きたいなあ。

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2018年7月21日 (土)

金魚に味覚はあるのか?

 金魚に味覚ってあると思いますか? 私はあると思いますよ。ただし、人間の味覚とはだいぶ違っていると思います。

 人間の場合、味覚は嗅覚と密接な関係があります。だから、鼻をつまんで食べると味が分からない…って事になるわけです。それくらい嗅覚は大切。

 金魚にも鼻はあります。ただし人間とはだいぶ違います。金魚の頭部の、人間の鼻の位置に、穴が4つ開いてますが、あれが鼻なんですね。人間は穴が2つ、金魚は4つです。なぜそうなのかと言えば、人間の鼻は気道を経由して肺につながっています。つまり閉管なわけで、鼻は空気の入り口と出口が兼用になっているわけです。でも金魚の場合、肺はありませんので、鼻は開管でいいのです。なので、穴が4つなんですね。

 ちなみに、鼻の効きはかなり良さそうですよ。と言うのも、餌なんて入れようものなら、すぐに気づいてやってきますからね。かなり高性能な鼻を持っているみたいです。

 しかし金魚の場合…嗅覚と味覚は切り離されているかも? 人間は嗅覚と味覚は密接な関係にあるから、どんなにボケていても、排泄物はクチにしません。だってクサイもの。でも金魚は、平気でフンをクチに入れるんだよね。プンプン臭っているだろうに、平気でクチに入れます。で、入れてから「やばいやばい…」と慌てて吐き出すんです。

 嗅覚は優秀そうですが、細かい作業は苦手そうです。と言うのも、エサを入れると、あっという間に集まってきますが、集まるだけで、食べるのは下手くそです。ピンポイントでエサを狙って食べるというわけではなく、エサのそばまで来たら、後は試行錯誤のようです。嗅覚は優秀なので、匂いの有無については敏感で、大雑把な場所は匂いで分かるけれど、エサの細かい場所等は匂いだけではよく分からず、近寄ると嗅覚ではなく、視力中心になるみたいで、見えないと(見つけられないと)食べません/食べられません。ちょっぴり残念です。だから、エサの近くに来ると、手当たり次第、なんでもクチに入れちゃうんだよね。効率悪い。

 金魚って、基本的に視力が良いのですが…エサを食べている姿を見ていると、あまり近くは見えていないのかもしれません。つまり金魚の場合、デフォルトが遠視? 自然界では遠くの敵を見つけるのが大切で、敵が近くにいたら、見えていても見えていなくても関係ありません(だって食べられちゃうもの)。なので、近くが見えずらく、それもあって、エサを食べる時は手当たり次第になってしまうのかもしれません。

 で、味覚の話です。味覚と嗅覚が切り離されているため(そして遠視のため)、手当たり次第になんでもクチに入れちゃうのが悪食な金魚の特徴です。とにかく、なんでも良いみたいです。だから、フンであってもクチに入れてしまい、入れた後で「やばいやばい…」と吐き出すわけです。だから、フンは食べ物ではない…とクチに入れれば分かるのです。

 つまり、食べて良いモノといけないモノの区別が付く程度の味覚は存在するわけです。
 さて、その次だけれど、美味しいモノと美味しくないモノの区別は付くか…ですが、それは付くようです。

 ウチであげているエサは、金魚にとって、かなり美味しいエサのようです。初めてこのエサを食べた子は、例外なく、狂喜乱舞します。つまり、美味しくて小躍りしてしまうわけです。ちなみに、以前は、このエサ以外のエサも与えていました。朝はこの美味しいエサ、夕は別のエサ…って感じでしたが…朝と夕では金魚の喜び方が違いました。明らかに朝の方が大喜びなのです。食べる時間によるのかな…と思って、朝と夕でエサを替えても、喜び方は同じで、やはり美味しいエサの方が喜びます。

 じゃあと言うので、ずっと普通のエサを与えていた時期もある(だって安いんだもの)のですが、その間の金魚たちは、あまり喜びませんでした。

 ちなみに、いつものエサの代わりに、イトミミズのキューブをあげても大喜びします。でも、安い配合飼料を与えると、エサの食いつきが落ちます。植物系のエサなんて、イヤイヤ食べてます。でも、メダカなんか入れようものなら、水槽の水が沸騰するんじゃないかってくらいに、金魚は興奮しちゃいます(で、すぐに食べ尽くします)。

 どうやら、金魚は動物性たんばく質が大好きなようです。それもなるべく加工していないモノが好きみたいです。もちろん生き餌は大好きです。

 このように、好き嫌いがある…と言うか、美味しいと感じる味覚はあるみたいだし、美味しいモノを食べると、それを学習するみたいです。つまり、金魚には味覚があるし、それを覚える程度の知力もあるって事です。

 ただ見ているかぎり、食べられるものか食べられないものか、食べられるなら、美味しいか美味しくないか…ぐらいの区別がある事は分かりますが、人間のように、甘いとか辛いとか旨いとかの感覚があるかまでは分かりません…ってか、それはたぶん無いと思います。と言うのも、金魚って好き嫌いの個体差ってあまりないような気がします。つまり、彼女たちの味覚って、種族で共通しちゃうほど“大雑把”なんだと思うのです。

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2018年7月20日 (金)

果たして合宿までに間に合うのか?

 フルートのレッスンに行きました。最近、レッスンが続いているなあ…。そう言えば、私はレッスンが続いているけれど、姉様の姿はとんと見かけません。姉様はお休みが続いているみたいです。

 着実に合宿は近づいております。今回は合宿の案内をいただいたよ。ああ、そろそろ新幹線の切符を買ってこないといけないなあ…。

 さて、ロングトーン練習は、実にばっちりで文句のつけようもありませんでした。

 エルステユーブンゲンは23番と24番。先生からは「(いいかげん)暗譜してきた?」と尋ねられたけれど、やっていないものはやっていないのです。

 プチエチュードは19番。これも全然練習していないのだけれど、少しテンポを落として吹いてみたら、そこそこ吹けました。先生からは「もう1回で終わりにしよう」と言われたけれど、来週出来上がる予定はありません(笑)。だって来週もまだまだ練習できそうにないからね。

 10リトルピーセズは14番だけれど、まあひどい。ほとんど吹けない。この曲もテンボをかなり落として吹いてみたけれど、やっぱり吹けないものは吹けません。いやあ、どうも私は、フルートでアルペジオを吹くのが苦手みたい…。アルペジオなんてギターなら簡単なんだけれどなあ…。

 ヴォカリーズは…先生のピアノと合わせてみたよ。まだまだ吹き込みが足りないので、つまらないミスが多くて残念です。ほんと、フルートの練習をたっぷりしたいなあ…。エンターティナーは…やりませんでした。まあ、まだほぼほぼ吹けない感じなので、それはそれで良しです。

 合宿までに、ヴォカリーズとエンターティナーは間に合うのかしら?

 さて、今回の雑談は…ピアノのペダル使いの話。結論を書いちゃうと、下手くそなピアニストほどペダルを多用し、音が汚い。上手なピアニストさんは、ペダルの使い方が上手な上、そもそもペダルにあまり頼らずに、自分の指できちんと音を作っている…という話です。確かに、下手くそ…と言うか、未熟な方々はピアノのペダルを踏みまくりにする傾向があるよね。たぶん、ペダルを多用することで、勝手に音が伸びて、上手に弾けているような気がするんだろうね。確かに音は伸びるし音量は増すけれど、響きは少し犠牲になるかな…って思います。ホントは不協和音にならないように気をつけてペダルって踏み分けなきゃいけないのに、それはなかなか難しいみたいです。ペダルって上手に踏み分けられると、ピアノの音がイキイキするんだけれど…難しいね。

 …なんて、ピアノなんてロクに弾けない私があれこれ言っても説得力ないよね。ちなみに私、ピアノはバイエルの50番台までしかやってません(えへん)。

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2018年7月19日 (木)

シアターオーブで『エヴィータ』を見てきた

 東京渋谷にできた、ミュージカル専用劇場である東急系のシアターオーブに行ってきました。場所的には、ヒカリエのビルの上の方。渋谷は現在、再開発中で、あっちこっち工事中で、ヒカリエはいち早く完成した新しい渋谷の一部って感じです。ビルのデザインもなんかカッコいいです。

 で、そのヒカリエにあるシアターオーブでやっている『エヴィータ』を見てきたわけです。

 まずはシアターオーブの感想から。一言で言うと、立派な劇場でした。広々とした空間を贅沢に使っています。同じミュージカル劇場と言っても、帝国劇場の伝統的な立派さとは全く別ベクトルの今っぽい贅沢さだし、劇団四季の各劇場とかシアタークリエなどの機能的な劇場の作りとも違います。機能的に作られている部分は機能的なんだろうけれど、とにかく空間を贅沢に使っているんです。東京で、空間を贅沢に使うってのは、一番の贅沢なんだと思います。とにかく、高級感を感じてしまう劇場なんです。

 ホワイエがめっちゃ広いのよ。ちなみに、飲食は劇場内はもちろん、ロビーやホワイエでもアウトです。飲み食いしたければ、劇場内のバーとかレストランとかを利用しないといけない決まりです。つまり、持ち込み不可なんです。実際(レストランは行かなかったけれど)バーは大盛況でしたよ。

 肝心の劇場内は、すごく天井が高くて、バルコニー席も桟敷席もあって、一瞬、オペラ劇場かな?と錯覚してしまったくらいです。実際、規模的にもオペラ劇場サイズなんですが…たぶん、吸音等はちゃんとしているだろうから、生歌唱生演奏のオペラには向いていないだろうなあ…。座席もゆったりしていて、デブな私でもラクラクでしたよ。

 演目の『エヴィータ』ですが、なかなか感動モノでした。

 カンパニーはロンドンの団体のようです。作詞家のティム・ライス、作曲家のアンドリュー・ロイド=ウェバー、演出家のハロルド・プリンス(この人は『エヴィータ』のオリジナル演出家でもあります)の3人が歌手たちのオーディションから関わったカンパニーのようで、とてもきちんとしたカンパニーによる上演でした。

 原語上演(英語)で、字幕サービスが付いてました。原語上演は良いですね。言葉と音楽がピタっと合っていて、聞いていて気持ちいいです。日本語上演だと、言葉がいつもあまり気味で、内容的に言葉が足りないと思う事もあるのですが、原語上演の場合、歌詞が最初にあって、それに音楽を付けていくのだから、聞いていて気持ちいいです。

 あと、シアターオーブのオケピは広く、オケは生でした。もっとも、オケと言ってもミュージカル用のオーケストラですから、オペラのオケとは全然違います。シンセサイザーとギターとパーカッションがほとんどで、後はほんの少しの管弦楽器があるくらいです。

 で、今回の上演は、何と言っても、チェ役のラミン・カリムルーが絶品でした。さすがは、ミュージカルテノールの当代トップの一人です。彼を聞くための公演であると言っても過言ではないくらいに素晴らしかったです。エヴィータ役のエマ・キングストンも度肝を抜かれるくらいに素晴らしかったです。

 とにかく、主役の二人の声と歌が凄すぎて…改めてミュージカルの素晴らしさを感じてしまいました。

 ミュージカルって、現代エンタメという事もあって、基本的にはローカライズされて上演されるものです。具体的に言えば、台本を日本語に訳して、日本人俳優が日本語で上演するのです。実際『エヴィータ』も日本では劇団四季がレパートリーとして定期的に上演しています。私、劇団四季の『エヴィータ』はまだ見ていませんが、劇団四季の他のミュージカルは何度か見ていますし、ここは日本のトップクラスのミュージカル劇団だと思っているし、ここが上演している『エヴィータ』ならき素晴らしいだろう事は容易に想像できますが、でも、たぶん、私は劇団四季の『エヴィータ』を当分の間は見に行かないと思います。理由ですか? それは劇団四季にがっかりしたくないからです。

 いやあ、ラミン・カリムルーとエマ・キングストンの歌を聞いたら…申し訳ないけれど「日本のミュージカル俳優さんたちとは次元が違う」と思っちゃいました。上手いとか下手とかではなく、全くの別物なんですよ。それくらい、声と歌が違いました。劇団四季を始めとする日本のカンパニーだと、曲の素晴らしさとかダンスの素晴らしさとか舞台の華やかさとかで感動する事はあっても、俳優たちの声で感動するとか、歌で感動するとかは…正直、無いもの。日本のミュージカルって、やっぱり“歌える俳優”たちの仕事なんです。でも、ラミン・カリムルーとエマ・キングストンは“演じられる歌手”なんですよ、それも一級品の歌手なんです。そりゃあ、同じような事をやっても、全然印象は変わるよね。

 で、主役の二人も素晴らしかったのですが、脇役の方々も当然素晴らしかったです。アンサンブルの人たち(つまりコーラス担当のモブ役の方々)も歌は絶品でした。歌は…とわざわざ書いたのは、歌は良いのにダンスはかなり残念だったからです。特に男声のダンスは…本当に残念でした。群舞なのにバラバラだし、ソロで踊ればポーズが全然決まらないし…女声のダンスは、まあ水準程度はできていたと思うけれど、ほんと男声のダンス(これが結構たくさんあるんだな)は残念過ぎます。ダンスに関して言うと、日本のカンパニーの方が数段上です。日本のミュージカルのアンサンブルの人たちって、すごいんだなあって改めて思いました。

 あと、残念だなって思ったのは…演出です。これ、とても分かりづらいです。

 そもそも『エヴィータ』って、ロンドンのウエストエンドで上演されるために作られたミュージカルで、それが大ヒットして世界的規模で上演されるようになったわけです。だから、オリジナル演出(今回の演出はオリジナル演出です)は、当時(1970年代)のロンドンっ子を念頭に置いて演出されているわけで、おそらく初演当時のロンドンっ子にとって、エヴァ・ペロンという人物は旧知の人物(だって、ほんの20年くらい前に、国賓としてイギリスを訪れた人気者ですよ)だったから、こういう演出でも良かったのかもしれないけれど、日本とアルゼンチンは遠すぎますって。当時の日本人にとっても、エヴァ・ペロンって誰?って話でしょうが、21世紀の現代日本人にとっては、エヴァ・ペロンなんて、全然馴染みのない人ですって。この演出では、ストーリー、分かんないよ。

 私は事前に、マドンナ主演の映画版『エヴィータ』を見ておいて、ストーリーとかを頭に入れておいたのでよかったけれど、ほんと、この演出は日本人には不親切だと思いました。日本人が見るなら、予習が必要だね。

 で、話はずれるけれど、マドンナの映画版の『エヴィータ』って良いですよ。意外なくらいに、マドンナがはまり役です。ただ、映画の『エヴィータ』はマドンナを見る映画であって、他の役は、あれこれカットされたり改変されたりしているし、もうひとり主役であるチェ役は、舞台版ではチェ・ゲバラなんだけれど、映画版では完全に名も無き大衆の一人ぐらいの扱いになっているし、あと音楽も…と言うか、オーケストレーションがかなり違うような気がします。もしかするとオーケストレーションそのものは同じだけれどミキシングが違うのかもしれませんが、聞いた感じはかなり違います…まあそんなわけで、舞台版と映画版は別作品だと考えたほうが良いと思います。それくらい違うのですが、日本人には映画版の方があれこれ親切で良いかも…。ただ、マドンナの映画版のDVDって、今、日本語盤は廃盤中で入手困難みたいなんですよ。残念です。お高い中古品しかないみたいです。

 それにしても、シアターオーブ、気に入りました。また行きたいなあ。ちなみに『エヴィータ』は7月29日までだそうです。あと少しで終わっちゃいます。チケットはまだまだラクラク入手可能っぽいですよ。それもいい席がある感じです。大丈夫かな? 最終的に黒字になるのかしら?

 『エヴィータ』が終わると、次が8月1日~12日でオリジナル演出版の『レント』を、8月15日~26日で『コーラス・ライン』をやるそうです。ああ、どれも海外カンパニーの上演で面白そう(でも私、夏はメトのアンコールに行くので我慢我慢)。シアターオーブは、海外カンパニーの上演だけでなく、日本のカンパニーの上演も行うので、お好きな方はそちらも楽しめます。実際、私は、神田沙也加主演の『マイ・フェア・レディー』は見たいかもしれません。

 しかし、東京ではミュージカルがあっちこっちでひっきりなしに上演されていますね。私は首都圏に住んでいるとは言え、首都圏の端っこの方なので、東京で観劇できるのは、休日だけなのです。東京の人がほんと羨ましいです…が、私が東京に住んでいたら、あっちこっちのコンサートに出向いて、確実に破産しちゃうだろうから、東京に住んでいなくてよかった…とも言えます。

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2018年7月18日 (水)

今年の本番が決まりました、3つもあるよ

 今年の私の本番が決まりました。3つもあります。

 まず最初がフルートの本番です。いわゆる“発表会”ってヤツですね。

 すでにフルートレッスンの記事の中で進行していますが、8月初旬に行われるフルート夏合宿の最中に発表会が行われます。三泊四日の合宿中の3日目の夜にソロの発表会が、4日目の午前中にアンサンブルの発表会があります。当然、非公開です(山の中の交通の便が極めて悪い場所なので、公開されてもお客さんは来れないでしょう)。頑張りますよ。誰も聞きに来れない事もあるので、その時の音源は、ここにアップしたいなあと思ってます。

 発表会で吹く曲は、ソロがラフマニノフ作曲の『ヴォカリーズ』で、アンサンブルはジョプリン作曲の『エンターティナー』です。アンサンブルでは、私が担当するのは3本フルートの3番手です。アンサンブルでは、自分勝手に吹けないのが辛いのですが、この曲に関して言えば、ピアノが入るので、フルートだけで演奏するわけではないので、そこがちょっぴり安心しているところです。指揮者はいませんが、ピアノが指揮者代わりになっていただけるのではないかと…勝手に期待しているわけなのです。やはり、アンサンブルは互いに場の空気を読みながらの演奏よりも、明確に合わせていく対象がはっきりしている方が合わせやすいですからね。問題は…おそらくピアノが入るのは、本番だけ? 練習段階ではフルート3本で練習でしょうから、練習は難しいかな…なんて、今からビビっています。

 残りの2つの本番は、両方とも、つい先日決まったばかりの、声楽の本番です。実はこれが連続しているのですよ。

 まず最初にあるのが、私が毎年出演している当地でのクラシックコンサートです。ようやく開催発表になったのですが、これが11月10日(土)に開催されます。例年よりも一ヶ月ほど遅い日程になってます。まだ出演登録をしていないのですが、出演するとなると、この日の遅い(夕方~夜)の時間帯[いわゆるソワレ]に舞台に上がる事になりそうです(だって、この日も休日出勤なんだもの、仕事終わってからの舞台なのよ)。

 もうひとつの本番が、その翌週の11月18日(日)に開催決定となったY門下の発表会です。横浜のかなっくホールでやるんだよ。こちらはマチネ(昼興行)になります。

 門下の発表会は、すでに一度、6月におさらい会の形式で行ったのですが(って、私は仕事の関係で不参加でした)、やはりきちんとドレスを着て、ライトを浴びて歌いたいという意見も多く、通常通りの発表会もする事になったんだそうです。企画運営する先生方は大変ですが、6月の発表会に参加できなかった身としては、とてもうれしいです。

 で、クラシックコンサートと門下発表会が連続しているので、今年は無理せず同じセットリスト(ってほど大げさじゃないか)で、この2つの本番に臨むことにしました。せめて1ヶ月ぐらいの間が空いていれば、それぞれ別の曲を用意できるんですが、間が1週間しかなければ、それは無理って話です。

 一応、歌うのは、二重唱、歌曲、オペラアリアを各1曲ずつの予定です。Y先生とも相談して、二重唱と歌曲に関しては決めました。二重唱は、ドナウディ作曲の「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」で、歌曲の方は、レスピーギ作曲の「Invito alla danza/舞踏への誘い」です。

 今まで二重唱は、オペラの1場面を歌ってきましたが、今回は歌曲の二重唱にしてみました。実は、オペラを歌うよりも歌曲の方が歌に精密さが要求されるので、私的はチャレンジなんですね。実際、妻は不安がってますし、先生は「大変だと思うよ」って感じです(汗)。二人とも、私の音感の無さを信用しきっているわけですね。

 今回の二重唱は、ハモるところも多いのですが、いくらハモリが苦手だからと言って、それを回避してばかりでは前進しないので、自分でも壁の高さを感じますが、頑張ってみたいと思ってます。

 歌曲の方は、その分、無理なく…というか、のびのびと歌える曲を選んでみました。20世紀の曲なので、和音的に楽しいしね。で、一般的に歌われている高声用に移調された楽譜ではなく、原調の楽譜で歌います。最近の私はレッスンでも高い声は出していない事も多く、今回の本番では、高い音はなるべく回避しようと思って、そういうセレクトにしてみました。たぶん、高声用の楽譜でも歌えると思うのだけれど、作者が想定した曲の色(調性)を尊重してみようかなって思ったわけです。

 オペラアリアに関しては、あれこれ話してみましたが、まだ決まりません。とにかく、テノールのアリアは、どの曲もこの曲も難しいんですよ。なので、私の実力では、あっちこっち足りなくて、ほんと選曲が難しいです。アリアは決まり次第、記事にしますね。

 今回はクラシックコンサートと門下発表会が近いので、両方ともいつもクラシックコンサートでお世話になっているピアニストさんに頼むことにしました。つまり、門下発表会に、ピアニストさんの持ち込みをするわけです。門下発表会の方は、普段ならY先生が用意された凄腕のプロピアニストさんに伴奏をお願いするんだけれど、クラシックコンサートと門下発表会で伴奏するピアニストさんが違うと、それぞれにピアノ合わせをしないといけないので、そこらをまとめちゃえって事で、今回はいつものピアニストさんに両方の伴奏をお願いしました。

 ピアニストさんの持ち込みなんて、ちょっぴりかっこいいなあ…なんてね。。

 クラシックコンサートも門下発表会も公開なので、詳細が決まり次第、またアップしますね。

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2018年7月17日 (火)

高いAを楽に出せたのが、うれしかったです

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。最初はベッリーニ作曲の「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」です。

 まずはしっかりと支えて歌う事。いつも言われている事だけれど、上行音型では音よりも先に腹圧を上げ、クチを開く事。つまり“準備はしっかり早めに”というわけです。また、低い音型だからと言って気を抜かず、音型が低くてもしっかり息で声を支える事。つまり、音が高かろうが低かろうが、いつでも気を抜かずに息で支えている事が大切ってわけです。

 高いGは、私にとっては比較的容易な音ですが、容易だから言って、ただ出せば良いわけではなく、しっかり後ろに回してから、ポルタメントをかけているような気分で、デジタル気分ではなくアナログ気分で出す事。アナログ気分とは、アナログ機器のつまみを回しているような気分ですべての音程をなめて出すようにして音と音の間を移行していくという事です。

 メリスマの部分は、1音1音をしっかりではなく(だからと言って曖昧はダメ)1塊が1音符ぐらいのつもりで、塊ごとにしっかりと支えて歌うのが良いのです。最後の高いGとて、Gを出してオシマイではなく、その後も気を抜かずにしっかりと声を支えて歌い続けていく事。

 とにかく、簡単な曲だからと言って、手を抜かない、気を抜かない、しっかり支える、細かいところまで神経を行き渡らせる…というわけです。

 次は久しぶりの、ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」です。

 こちらは情感豊かに、1フレーズが1音符のつもりでしっかりと支えて歌う事。跳躍音型は、腹筋で支えて歌うのは当然として、音程の上行に関しては、クチをグワッと開いて歌う事で音程の上行を成し遂げます。高いAは、鼻のちからを借りて腹圧で出します。決してノドでは出さない(ってか、ノドでは絶対に出ません)。腹圧で出すとは、全身の力で出すという事にもつながっている。

 私の場合、ノドで出そうとしている時の顔は涼しげなんだそうですが、腹圧で歌っている時は、顔が真っ赤になっているのだそうです。なので、先生的には、私の状態って、丸分かりなんだそうです。

 ちなみに、手順さえ正しく行えば、高いAまでは安定して出せるはずなんだそうです。実際、手順が正しい時は、楽に高いAが出ちゃうんですよ。手順が間違っていると、何をどうやっても無理なんだけれど…ね。

 手順のうち、とりわけ足りないものが腹圧なんだそうで。特に腹筋の動かし方が、遅くて足りないのだそうです。もっともっと腹筋を鍛えて、すばやく動くようにしないといけないし、深く動かせないといけないわけです。こればかりは一朝一夕で出来るようになるわけではなく、日頃の地道な練習が必要ってわけで…練習していない私には遠い未来の目標なんだな…ああ。

 腹筋の動きが遅いのだから、曲の練習も、標準速度ではなく、ゆっくりめの速度で練習して、体の動かし方を確認しながら歌う練習をする必要がありそうです。

 それにしても、今回の練習では、本当に楽に高いAを出せたのがうれしかったです。一度出せたのだから、次からも高いAを楽に出せるとうれしいなっと。

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2018年7月16日 (月)

たかが発声ですが、難しいですね

 声楽のレッスンに行ってきました。まずはハミング練習からです。

 ハミングには大きな声はいりません。むしろ大きな声でハミングをしようとすると、どうしてもノドに力が入ってしまうので、大きな声はいらないのです。それよりも、たとえ小さな声であっても、しっかり支えられた息で歌う方が全然大切なのです。高いポジションで軽く歌う…そのためには、しっかり鼻を使って歌うのです。

 高い声で歌おうとすると、私、ついつい眉間にシワが入ってしまうのだけれど、眉間にシワが入ってしまうと、眉間付近が閉じてしまうので、それは無しです。むしろ眉間は開いて、眉間から声が出ててしまうくらいの感覚で歌うのです。それが高いポジションで歌う事にもつながっていきます。

 さて、次は発声練習です。今回も、鼻をしっかり使うことを重点的に練習しました。鼻声を恐れずにしっかりと鼻に息を通して、鼻腔の響きで歌います。そしてそれができたなら、次は鼻よりも高いポジションで声を出していきます。先生曰く「鼻の上で歌ってください」ってヤツです。鼻で歌うのですから、やっとやっとですから、鼻の上で歌うのは、それこそコペルニクス的転換ってヤツです。

 そして声は前に出すのではなく、一度後ろにグルリと回してから前に出します(ジラーレ?)。高いボジションから声を後ろに回して、声帯は楽にして、腹をしぼって声を出すのです。

 上行フレーズでは、クチを開けていく事で音程を高めていきます。そうやって声帯の負担を減らして歌う癖を付けるのです。決して息の勢いで音程を高くしてはいけません。

 歌って、どんな歌い方でも歌えると言ってしまえば歌えるわけです。ただ、プロの場合は、なるべく楽に消耗の少ない、それでいて聞きやすい声で歌わないといけないわけだし、それが理想の発声なのです。オペラという長丁場を、最後の最後まで楽に余裕をもって歌えるのが、プロとしての最低条件のようですし、我々アマチュアはプロでは無いとは言え、彼らを模範として、楽な声で歌えないといけないのです。

 なので、なるべく声帯の負担を減らして、楽に歌える癖をつけるのです。以前の私のように「最初っから最後までクライマックス!」みたいな歌い方は厳禁なわけです。最後がクライマックスなのは良しとしても、最初っからクライマックスじゃあ声が保たないって…。

 で、さらに舌根ですね。舌根を下げて歌う癖をつけていくわけです。いくらクチの奥を開いてスペースを作っても、舌根が盛り上がって、そのスペースを塞いでしまえば、元も子もないわけです。舌根を下げて歌うのです。

 鼻を使え。眉間は開け。声は後ろに回してから鼻の上から声を出せ。しっかり腹筋で支えろ。クチの奥を開け。舌根は寝かせろ。楽に歌え。たかが発声ですが、難しいですね。

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2018年7月15日 (日)

本物の撮り鉄を見た!

 私は音楽が趣味ですが、世の中の趣味人の中で、多数を占めているのは、車関係の方と鉄道関係の方なんだそうです。と言うのも、これらの2分野に関しては、雑誌の売上げ等がすごくて、他の追随を許さないほどなんだそうです。

 ナンバーワンが車で、二番目が鉄道…。みんな乗り物が好きなんだね。

 ま、いくらたくさんいても、私自身が車にも鉄道にも興味関心が無いせいか、そういう方々との接点はほぼ無いんです。私にとっては、車も鉄道も“移動の時に使うと便利な箱”程度の認識なんです(ごめんね)。

 そんな私が、先日、本物の撮り鉄の方々を目撃しました。本物は違うね、熱量が全然違うね。

 あれは、翠千賀氏のカルメンを見に行こうとして、小田急に乗り換えた時です。ホームに上がるや否や、何か特別な雰囲気を感じました。ホームのあっちこっちに、精神的に熱量高めの方々がカメラを構えて、あっちこっちにいるんですよ。なんとも、不思議な感じでした。

 彼らが撮り鉄な方々だとは、まだその時は気づかなかった私です。だってさあ、電車の写真を撮る人がいるなんて、すぐに思いつかなかったんだもの。この人たち、カメラを持っているけれど、何撮るんだろ?って、素直に疑問に思っていたんですよ。芸能人でもいるのかな? この近所で映画の撮影でもしているのかな? …なんてね。

 そうしたら、ホームに電車が飛び込んできました。通過列車のようでしたが、その電車は…見たら、昔懐かしい、最近ではトンと見かけなくなった、昔っぽいロマンスカーでした。業界用語(?)で言うところのLSEで、この車両のロマンスカーって、2018年7月10日がラストランで引退だったんだそうです。私が見かけたのは、その引退日のほんの数日前の話で、走るLSEを見れる残り少ない貴重なチャンスだったんだろうと思います。なので、その日のその時を狙って、撮り鉄の方々が写真を取りに来ていたわけです。

 なんであれ、熱心な趣味人は熱いね。カラダから出ているオーラが全然違うんですよ。私のような門外漢であっても「あの人たちは、我々とは違う…」というのが分かるほどです。

 電車を写真撮影するという行為に関しては、実に理解不能な私ですが、一つの事に夢中になる趣味人の生き方にはシンパシーを感じます。

 撮り鉄の方々、かっこいい。私はあそこまで趣味に熱中しているか? 自分もあんな強いオーラを出しながら音楽に関わっているのかな…なんて、ちょっぴり自分を省みてしまいました。

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2018年7月14日 (土)

こんな子、知らない!

 最近の我が家の水槽には、購入した覚えのない金魚が泳いでいます…と言うと、ちょっと言い過ぎなんですが、本当に、見覚えのない金魚が堂々と泳いでいるのですよ。

 その子の名前は、ルデンです。

 以前、ルデンが汚くて…という話を記事にしましたが、今のルデンは、めっちゃめっちゃキレイになってしまいました。以前あった、黒とかグレーとかの要素は全く無くなり、渋めの金色だった体色も、今や全身、光り輝く少し赤みを帯びたイエローゴールドになってしまいました。つまり、24Kの輝きです。いやあ、まぶしいまぶしい。

 ルデンは、本当に黄金色の金魚になってしまいました。

 今思うに、やはりルデンは、我が家に来た時は、まだまだ幼くて、稚魚に毛の生えた程度の子だったのだと思います。ほら、金魚の稚魚って、たいてい真っ黒だもの。で、真っ黒な体色が、成長するにつれて、本来の体色に変化していくわけで、なんらかの事情で、ルデンは成長が止まっていたのかもしれません。で、我が家に来て、夏を迎えるこの時期に、止まっていた成長が、突然再開して、ぐいぐいとオトナになっていったのだと思います。

 そう思わないと、今回の件は合点が行きません。

 それはともかく、ルデンは、名前の通り、全身光り輝くゴールデンな金魚になってしまいました。

 もっとも、素晴らしいのは体色だけで、体型は…相変わらず不格好なままです。骨格的には…らんちゅうなんだけれど、背びれはあるし、頭の肉瘤は無いし、薄べったいし、らんちゅう的な特徴はあまりありません。なんとも中途半端な体型です。さすが、ミックス金魚(雑種な金魚のことね)です。まあ、雑種であって体型は残念だけれど、体色は素晴らしいのです。ま、人間も金魚も、一つでも取り柄があれば、それでいいじゃん…と私は思ってます。

 それくらい、ルデンは光り輝いていて、美しいのですよ。

蛇足 今は光り輝くイエローゴールドなルデンですが、よくよく見てみると、日々、赤い色味が増えているような…。光の加減では、イエローがオレンジっぽく見える事すらあります。妻曰く「これから赤が濃くなってくるんじゃないの?」 いやあ、これで赤が濃くなって、金色な金魚がオレンジ色になったら…ただの駄金じゃん。カタチがダメな上に、色まで安っぽいオレンジになったら、ただの駄金じゃん。もしも、たった一つの取り柄が無くなってしまったら…まあそれでもウチの子だけれど、他の子が立派なだけに、とても残念な存在になってしまいそうで、私はちょっと恐れています。

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2018年7月13日 (金)

大雨の中、レッスンに行ってきました

 大雨の中、本当に大雨の中、レッスンに行ってきました。この日の当地は、80mm/h以上の雨が降り、スマホに豪雨予想が届いていました。レッスンに行こうと思って、玄関のドアを開けたら、目の前に水のカーテンがありました。

 一応、長靴履いて、大きな傘を持っていた私ですが、この大雨にはビビりました。正直、大雨を理由にレッスン休んじゃおうかな…と一瞬、心によぎりました。ここで、妻が心配する言葉の一つでもかけてくれたら、これ幸いとレッスンを休んでしまったと思いますが、妻は「行くの?」と、いつものように言っただけ…別に私には興味も関心もないようでしたので、雨の中、レッスンに出かける事にしました。

 お教室までは、徒歩で約10分でしたが、傘はあまり役にたちませんでした。と言うのも、傘の布を雨が突き抜けて、私の頭に注いでくるんですもの(涙)。おまけに、ズボンが濡れてしまい、濡れズボンを経由して長靴の中まで雨が入り込んで(涙)。楽譜はカバンの中に入れていたのですが、カバンは雨には全く無力で、楽譜はびしょびしょに。フルートだけは、フルートカバーはぐしょぐしょになりましたが、ケースの中までは雨は入り込みませんでした。

 当然、私は濡れ鼠となりました(涙)。濡れたまま、冷房のよく効いた部屋に入ると…めっちゃ冷えます(涙)。

 ちなみに、楽譜は濡れると、裏写りするんですよね…。ただでさえ老眼で楽譜が読みづらいのに、裏写りした楽譜なんて、ほとんど読めません。ああ…。

 とにかく、そんな最悪のコンディションの中(でも、心は決して折れなかったよ)、3週連続のレッスンに臨みました。いやあ、最近は3週連続で休む事はあっても、3週連続でレッスンに行く事なんてなかったから、すごいねえ…。

 ロングトーンは…最初はあまりバッチリではありませんでしたので、途中で頭部管を少し入れて音程を調整し、それでもまだうまくいかない感じがしたので、さらに途中でまた頭部管を入れ直すという荒業をやったら、やっとバッチリになりました。やっぱり、雨でずぶ濡れだと平常心を保っているようで、どこかおかしくなっているのかもしれません。

 エルステユーブンゲンは、いつもの23番と24番。暗譜どころか、あっちこっちミスブローを致しました。全然ダメです。

 プチエチュードは19番。途中で何度も、フルートの運指を忘れて、頭真っ白になるという事を経験。ああ、かなり末期的な状況になっているのかもしれない。吹けるところは吹けるのだけれど、吹けないところはどうにもならないのです。ずっとずっとこの曲を吹き、全然上達しません(練習していないのだから当然です)。すでに閉塞感すら漂っております。やっぱり練習しないとダメだよね。

 40リトルピーセズは14番なんだけれど…全くお話になりません。全然、吹けません。もう、嫌になってしまうよ。

 で、ヴォカリーズは…これはまあまあ吹ける。もちろん、全然吹き込みが足りないので、安定感はないけれど、まあ、いける。自分一人で吹くと、リズムを数えるので一生懸命になってしまうけれど(今回は先生がピアノを弾いてくれたので)ピアノを聞いていれば、和音の変わり目とかがヒントになるので、数えなくてもきちんと吹けるのかいいです。ああ、ピアノと合わせる方が、一人で練習するよりも楽でいいや。

 で、今回は新曲をもらいました。合宿で吹く、アンサンブルの曲です。今年は、ジョップリンの「エンターティナー」のサードフルートを担当する事になりました。ちなみに、フルートトリオでの編曲なので、一番下を吹くわけです。自分のパート譜だけしかいただいていませんし、サードにはメロディーのかけらもありませんので、自分が何をやっているのかは、合宿当日に行くまで分からないという、なんともワクワクな状況となっています。

 次回のレッスンからはエンターティナーも入ってくるので、今週中に譜読みをしておかないといけません。練習している暇なんてないのに(笑)、ああ、忙しい。

 で、今回の雑談は…無し。ちょうどレッスンが終わった頃、雨が奇跡的に小降りの状態になったので、先生、急いで帰ることしたのです。なので、雑談はありません。小降りだし、私もちょうどいいやと思って帰りましたが、当然、途中でまたまた大降りになり、すっかりカエルのようになりました。で、家に着く直前にまた、雨が止む…という、雨の神様にいじわるされているような感じを受けました。

 神様、私は何か悪い事をしましたか? 悪いことは…毎日心の奥底で考えていますが、それをクチに出した事はありませんし、行動にも移した事はありませんが、それでも神様は私にバツをお与えになろうとおっしゃるのでしょうか?(涙)

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2018年7月12日 (木)

最近、やたらとむせます

 標題のとおり、最近やたらとむせるんですよ。ゲホゲホ。

 原因は…老化? ちょうど私ぐらいの年齢あたりから、老化でむせる人が多くなるって、あっちこっちの医療系のブログに書いてあります。いやあ、老化現象か、仕方ないなあ…とばかりは言っていられません。

 むせる原因は…その手のブログによれば、誤飲が原因とか。つまり、食べ物や飲み物、挙句の果てには自分の唾液とかを飲み込むのが下手になって、それらが本来、食道に行かないといけないのに、うっかり気道に入ってしまい、それでゲホゲホむせる…という話なのです。

 で、こういうよくむせる人は、遠からず誤飲性肺炎を起こすんだそうですし、肺炎というのは、老人の死因の第3位というわけで、このままでは、私もそう遠くない未来に死んじゃうみたいです。ま、仕方ないね。

 私が子どもの頃の老人の死因と言うのは、老衰・ガン・脳卒中って感じだったのに、今や、ガン・心疾患・肺炎なんだって。肺炎、恐るべし。

 もっとも肺炎って、人々の口の端に上がらなかっただけで、老人の死因の4~6位圏内には常に入っていたそうで、昔から死病の一つだったそうです。ちなみに、現在の4~6位は、脳血管障害・老衰・不慮の事故なんだそうです。不慮の事故って何?

 たまに逆流性食道炎(ってか、胃液がノドに上がってくる)もあるし、私、割と年中、ゲホゲホゴホゴホやっている感じがします。あんまりゲホゲホやって、腰がしびれちゃう時もあります(咳って全身運動なんですね)。

 むせると声帯が痛むんだよねえ…。

 で、昨今、四六時中むせるようになった私ですが、そこで思い出すのが、キング先生の言葉です。キング先生のところを辞める少し前ぐらい(まだそんなに関係が悪くなっていなかった頃)に「すとんさん、そのうち、よくむせるように…なるよ!」と言われた言葉を思い出します。

 むせるって何? よくむせるってどういう事? …とむせ知らずの頃はそう思っていましたが、キング先生の予言(呪い?)は当たり、今や四六時中ゲホゲホやってます。

 なぜあの時、キング先生は私がむせるようになると予言できたのか? その理由を知りたいです。まあ、本人に尋ねればいいのでしょうが、私、あの人の声を聞くだけで、さんざんいじめられた思い出がフラッシュバックして、心臓がバクバクしちゃうので、聞けません。一種のPTSDなんだろうね、先生の立場で生徒さんをいじめちゃダメだよね、そんなイジメはイジメのみならずパワハラだしね。ま、そのおかげで、Y先生という、普通に良い先生に師事できるようなったわけだし、世の中はポジティブシンキングで行くしかない。

 まあ、自分の様子を観察してみるに…逆流性食道炎っぽい症状は、食べてすぐ寝てしまって、ウシになってしまうからなるんだよなあ…って思います。なるべく食休みを取るように心がけているのだけれど、でも食べてすぐ寝るのって…至福なんだよね。

 あと、普段のゲホゲホは、食べ物が気道に入ってむせる事が無いわけじゃないけれど、それよりも食べている時に、食べ物がクチの奥ってか、ノドの入り口ってか、そのあたりにあたって、刺激されて、思わず反射行動としてゲホゲホやってしまっているような気がします。反射行動じゃ仕方ないけれど、以前は食べ物がクチの奥に当たらなかった…のかな? 急に反射行動が始まるわけじゃないから、私のクチの開け方が最近変わってって事なのかしらね?

 どちらにせよ、あまり良い事ではないので、気をつけたいし、解決策があるなら知りたいです。

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2018年7月11日 (水)

努力は必ずしも報われるものではない

 「努力は報われるものだ」という信仰が、我々にはあります。

 だから親たちは自分の子たちに「勉強しなさい」と命じるわけだし、スポーツのコーチたちは選手たちに厳しい特訓を課すわけです。頑張った分だけ結果は得られる…ってわけです。

 「努力は報われるものだ」という信仰は、だいたいの場合、真理であると言っても良いと思います。例えば、百マス計算とか漢字ドリルとか、やればやっただけ効果が出てきます。鉄棒の逆上がりとかも、努力しているうちに、必要な筋力が付いてくるので、できなかった子もできるようになります。パソコン等のタッチタイプだって、努力すればできるようになります。ちなみに、私は二十代の頃に3週間でマスターしましたよん。

 その子が持っている実力のうち、まだ開花していない分を咲かせるためには努力が必要だし、そうする事で、その子は持ち前の力を十分に発揮できるようになるわけです。だから「努力は報われるものだ」という信仰は真理なのです。

 でもね、何でもかんでも努力さえすれば叶うわけじゃないんです。努力だけじゃ手の届かない事だってあるんです。

 例えば、その子の潜在能力以上の成果は努力では得られません。いくら努力を積み重ねたとしても、その子が持って生まれた潜在能力の範囲内の成果…それが最大限の成果であっても…それを越える成果は得られません。

 高い潜在能力を持っている子は、努力次第で、かなり高いところまで登っていけますが、それほど高くない平々凡々な潜在能力しか持ち合わせていなければ、いくら努力して、その程度の成果しか出せません。

 この潜在能力の事を、一般的には“才能”と呼びます。

 つまり、努力はその子が持っている才能の上限までにしか有効ではないのです。

 なので『下手の横好き』という言葉があるわけですね。いくら大好きであっても、才能がなければ、いくら努力をして、経験を積み重ねても、そんなに上達しないってのも、真理なわけです。

 例えば、音楽の演奏とか…ね。私は音感が無いから、音程がいつも甘いし、音感が無いから、すぐに他人の歌につられちゃうわけです。音感が無いから、ポピュラー音楽的なハモリ(コードの中の音程を自由に歌ってハモる)は得意だけれど、クラシック音楽的なハモリ(楽譜に書かれているフレーズを正確に歌ってハモる)は苦手です。

 なんだかんだ言って、もう30年近く歌ってますが、クラシック音楽的なハモリは、やっぱり苦手だし、合唱の才能はほとんど無い私です。

 でも合唱、全く歌えないわけでもないんです。と言うのも、合唱って、パートの中に埋もれて歌えるので、そういう中に埋もれてしまえば歌えないわけじゃないんです。問題は、パートの中に埋もれきれない時…です。なので、小さな合唱団とか、あまり上手ではない合唱団には近寄らないようにしています。だって、そんなところじゃ、私、埋もれる事できませんからね。上手くて大人数の団…そういう団ばかりを渡り歩いてきました。

 と言うわけで、好きだけれど、私には合唱の才能はかなり無くて、限定的にしか歌えません。ああ、残念。ちなみに、ハモリの多い重唱は気合入れて歌ってます。重唱なら、合唱よりも適正があると思うんだよね。

 閑話休題。才能が無いと厳しい反面、才能があれば、努力を始めるスタート地点を最初から高めに設定できるでしょうし、ゴールだって高い位置まで登ってたどり着けるわけです。才能、大切です。

 プロの演奏家たちは、最初から豊かな才能を持っていた人たちの集団であって、その豊かな才能に、子ども時代を犠牲にするほどの努力を積み重ねてきたから、プロの演奏家として立っているわけです。ハイアマチュアとして活躍されている人だって、最初からある程度の才能があり、場合によって、音大等の専門教育を受けていたりするわけだから、趣味のズブの素人とはわけが違うわけです。

 かく言う私だって、あれこれ欠けはあるけれど、声という楽器だけは、それなりの良いモノが与えられているようで、私は私で苦労はあるけれど、それでも声の無い人(失礼)と比べると、立っている場所が違うわけです。自分で言っちゃうのはアレだけれど、これも才能だろうと思います。

 なので、一般論としては「努力は報われるもの」であり、人生、真面目に努力するべきなのですが、あるレベルよりも上の世界では、努力の前に、まずは才能の有無を確認しないと、努力が何の実も結ばない事になりかねないのです。

 ま、寝床の旦那ですよ。

 結局、努力すれば秀才にはなれるかもしれません。しかし、秀才は努力する天才には絶対に勝てないのです。ガラスの仮面を読めば、それって明白でしょ? 亜弓さんってかなり天才の領域に近づいた秀才だけれど、その隣に努力する天才がいるわけで、アレじゃあ勝負にならないよね。

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2018年7月10日 (火)

日本語に訳されたオペラ上演は…

 先日、オペラ魔女こと翠千賀氏の『カルメン』を見ました…と書くと、ちょっと誤解されそうなので、補足すると、テノールの上原正敏氏が毎年某所で行っている、初心者向けのクラシックコンサートに、翠千賀氏が今年もゲストとして出演してくれて、そこで日本語&ハイライトで『カルメン』をやったのを見た…という話です。

 翠氏のカルメン…すごくいいです。これ、マジでいいです。某カラオケ番組でポップスを歌っているよりも一万倍ぐらい良いです。声といい、容姿といい、全体にまとわりつく雰囲気といい、明らかにカルメンははまり役です。今回は、日本語&ハイライトだったので、かなり物足りなかったのですが、次はぜひ彼女のカルメンを、フランス語の全曲版で聞いてみたいですよ。

 それはともかく、上原氏企画のコンサートに二年連続で翠氏が出演したのは…彼女、上原氏の妹弟子なんだそうです。門下の兄貴が企画するコンサートなら…よほどの事が無い限り、出演するしかないだろうね(そういう世界だからね、声楽の世界って)。おかげさまで、売れっ子の翠を二年連続で直接拝見できたわけですからね、眼福眼福。

 さて本題。久しぶりに見た日本語訳のオペラですが…なんか違和感だよね。もちろん、言葉が聞き取れないわけではないし、日本語だからストーリーは分かりやすい。でも、なんか…ねえ。

 オペラの日本語訳って…訳している方には申し訳ないのだけれど、昔っから、あまり日本語としてこなれていない…って感じがします。ミュージカルの日本語訳とか、ディズニー映画の日本語訳ってのは、日本語として自然に歌に載っていると思うのだけれど、オペラの日本語歌詞って、なんか無理があるような気がするんですよ。日本語とオペラのメロディーの相性が悪いのか、日本語訳が古いのか、あるいは完成度が低いのか…まあ、そのあたりは私には分かりかねるのですが、聞き取れないわけじゃないけれど、聞きづらい…というか、言葉が胸にすっと入ってこないんです。

 なので、私的には、原語のフランス語で歌っていただいて、日本語訳は字幕スーパーで出していただく…という最近のやり方の方がいいかなって思ってます。もちろん、歌はフランス語だけれど、芝居部分は日本語でいいんですよ。

 あと、配役の都合もあって、今回は、テノール1人、ソプラノ2人、女優1人、ピアニスト1人という配置で『カルメン』のハイライトをやったわけです。そうなのですよ、つまりバリトン不在だったんですね。エスカミーリョ無しの『カルメン』って、結構物足りないよ。ミカエラかエスカミーリョが、どちらか一人をカットすると言われれば、私なら迷わずミカエラをカットしちゃいますが…まあ、今回はそうもいかず、エスカミーリョをカットしてしまったのだろうと思います。ああ、残念。

 演出は…大道具なし、衣装とちょっとした小道具だけでしたが、芝居は出演者が常に観客側を向いて演じるという、なかなかおもしろい演出でした。舞台右端でカルメンが客席に向かって花を投げると、それが舞台左袖にいるホセの足元に現れるなんて、なかなか目の錯覚を利用した興味深い演出でした。こういうやり方もあるんだなって思いました。

 演出で面白かったのは、女優さんがラウラというオリジナルの役になって、いわば狂言回しとして、舞台の進行を説明していった事です。ハイライト上演の場合、ストーリーをどうやって説明していくかが工夫されるところですが、こういうやり方もアリなんだなって思いました。

 オペラ上演って、フルで行うと、時間も経費もかかるけれど、こんな具合に工夫してハイライトで上演するのも、オペラへのハードルが下がって良いなあと思いました。

 コンサートそのものはとてもよかったのだけれど、一点疑問が残りました。それは物販です。

 今どきって、どこのコンサートでも物販があるわけで、今回のコンサートでも物販がありました。で、私はそこで売っていた青薔薇海賊団(上原氏が所属している、テノール三人組のグループです)の最新CDとDVDのセットを開演前に買いに行ったら、物販コーナーはすでにオープンしていたのにも関わらず、売ってくれなかったのですよ。コンサート終了後に買いに来いと言うので、これはコンサート後にサイン会でもあるのかなと思い、素直に引き下がり、コンサート終了後に買いに行ったら、特に何もなく、普通に販売してくれました。

 一体、あれはなんだったの? 普通、コンサートに行ったら、開演前から物販ってするものじゃないの? わざわざコンサート終了後じゃなきゃ売らないよ…ってなら、何かあるって思うじゃない? でも、何も無し。ああ、なんか納得いかない。まあ、勝手に期待しちゃったこちらの責任かもしれないけれど、なんかガッカリ。でも、最新盤が大幅ディスカウントで買えたから、まあ良しとしておきます。

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2018年7月 9日 (月)

ヴィブラートとは何か?

 ヴィブラートとは、ヴァイブレーションの事。略せば“バイブ”って事で『振動』を指します。

 音楽用語としては、そもそもは“声の振動”を意味し、声に輝きと潤いを与えるものだと言われています。で、声のヴィブラートがあまりに美しかったので、各楽器もそれをマネて音に振動を与えるようになったわけです。

 ちなみに、楽器はそもそもがノン・ヴィブラートの音が基本ですから、ヴィブラートを“付ける”訓練をしますが、声の場合、そもそも声が自然に振動するものですから、特にヴィブラートの練習というのはしません。音楽ジャンル(女性歌手が少年歌手のパートを歌う必要があるジャンルなど)によっては、ノン・ヴィブラートで歌う必要あるので、そのためにヴィブラートを付けずに歌う訓練をするほどです。

 横道にそれますが、少年の声(ボーイソプラノなど)には、基本的にヴィブラートはかからないんですね。でも、成人女性の声にはヴィブラートがかかってしまうので、同じ音域(ほぼ)同じ声色であっても、少年と成人女性の声には違いがあります。

 閑話休題。ヴィブラートとよく混同されるものに“こぶし”があります。ヴィブラートが無意識に付加されるモノであるならば、こぶしは意識的に付加していくモノです。そういう意味では、楽器のヴィブラートは意識的に付加していくモノですから、歌の世界(日本の歌謡曲とか演歌の世界です)の“こぶし”に近いモノなのかもしれません。

 声のヴィブラートは、音程の振動を指します。ですから、低い声はゆったりとヴィブラートがかかり、高い声は小刻みにヴィブラートがかかっていきます。音程とヴィブラートの振動感覚というのは関連があるので、これを無視して作為的にヴィブラートを掛けると、違和感が生じ、汚く聞こえます。

 作為的…とは違いますが、結果的に不自然な振動を与えてしまい不快感を与えてしまうのが、いわゆる“縮緬ヴィブラート”と呼ばれるものです。これは声の老化の一種で、声帯周りの筋力低下に伴い、発声動作に痙攣が伴うようになり、そのために不自然な振動が声にかかってしまう事が原因だと考える人がいます。作為ではないので、本人には自覚はないのですが、ヴィブラートの振動が音程とは関係なくつけられているので、聞き心地が良くないのです。こうならないためには、歌う人は、ある一定の歌うための筋力維持というのが必要になるのだろうと思います。

 で、楽器のヴィブラートですが、ヴァイオリン等の弦楽器のヴィブラートは、声と同じ音程に振動を与えるヴィブラートですが、フルート等の管楽器のヴィブラートは、声とは違って、音量の変化によるヴィブラートで、厳密に言うと(管楽器のヴィブラートは)ヴィブラートと呼ぶべきではないのですが、他に呼び名がないし(声の)ヴィブラートの効果を目指してかけているので(管楽器のヴィブラートも)ヴィブラートと呼んでいいのだろうと思います。

 ま、そもそもヴィブラートは、声に輝きと潤いを与えるための技法であり、たまたま元祖である声は音程を揺らして効果を得ていたわけですが、音量を揺らして同じ効果を得られるなら、同じものと扱ってもいいんじゃないかって考えるわけですね。

 ヴィブラートは、いわば美しい楽音を作り出すための技法の一つであって、歌の場合は、正しい発声方法が身につけば、自然と身につくものであり、特に意識するものではないと思います。

 楽器の場合は、意識的に習得しないと身につかないものなので、ヴィブラート奏法ができるようになるためには、そのための特別な努力と修練が必要になります。弦楽器の場合は、ヴィブラート奏法は、かなり古い時代に一般的になってしまったため、ヴィブラートのない弦楽器の演奏音というのは今では考えられないので、たとえアマチュア奏者であっても、頑張って習得していかないといけないと思います。

 そこへいくと管楽器のヴィブラートは、これが奏法の中に組み込まれてきたのは、割と最近(フルートなら20世紀前半のモイーズから一般的になってきた…と私は聞いています)なのだそうで、近年の流行りと言えば、言えます。なので、管楽器のヴィブラートは、歌や弦楽器のヴィブラートとは異なり“マスト”なものとはまだまだ言えないと思います。ネットでは、初心者に毛の生えたくらいの人(ごめんなさい)がヴィブラートの習得に励む様子がよくアップされていますが、私が個人的に思うに、ヴィブラートに励む時間があったら、もっと基礎的な訓練に時間をかけて、まずはきちんとフルートが吹けるようになるのが先決だと思います。ヴィブラートはあくまでも、音に輝きと潤いを与えるための技法であり、いわばオプションですから、オプションを習得する前に“きちんと普通に吹けるようになる事”が前提になってくると思います。

 オプションよりもメインを先に身につけろよ…って話です。オプションはメインを終えてからで十分だろうって…事です。

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2018年7月 8日 (日)

結婚は何歳までにするべきか!

 …って書くと、よく女性の結婚適齢期やら出産適齢期やらが俎上に上がりますが、そんな話はさんざんし尽くされているので、今回は男性について考えてみたいと思ってます。

 男性の場合、女性と違って、出産適齢期はありません。別に40代になろうと50代になろうと、相手の女性が若ければ、父親になるのは可能だし、実際、そういう人も大勢います。

 女性の場合の結婚は、いつでも出産とペアで考えられますから、なるべく早い方が良いわけで、さすがに10代では早すぎるかもしれませんが、20代あたりがベストだろうと思われます。20代のうちに結婚し、20代のうちに出産を終えて、後は育児に邁進する…というのが生き物としての理想のようですが、現代日本では晩婚傾向も激しくなり、30代前半までには結婚…と考えている人も大勢いらっしゃるようだし、それ以上になると不妊治療込みでの婚活となるんだろうと思います。

 それと比べると、男性の場合は、それほど年齢条件はシビアではありません。むしろ、経済条件の方が厳しいかもしれません。

 若い男性が結婚できない、あるいは結婚に踏み切れない条件の一つに、低収入があります。あるいは、収入が不安定…と言ってもいいかもしれません。なので、よく「正社員になったら結婚しようと思っています」とか「年収が◯百万円を越えたら…」とか「貯金が◯◯百万円を越えたら…」とかの話も聞きます。

 まあ、確かに、バイトとか派遣の身分で、妻子を食べさせていくのはあまりに大変だし、嫁ぐ立場の女性…と言うか、女性の親の立場からすれば、バイト男にかわいい娘をやるのは…かなり不安だし、ついつい反対してしまいたくなります。だから、正社員になったら…というのは、よく分かります。

 で、私は正社員になったら、たとえ低収入であっても、安定して定期収入が得られるようになるわけだから、これを機会に「えいやー!」と結婚してしまうのが良いと思ってます。低い収入でも定期的にお金が入るなら、やりくりでどうにでもなります。貯金だって、やりくりの中で貯めていけばいいんです。だから、定期収入が得られる正社員になったら…というのは、男性の結婚に関しては、必要最低限の条件かなって思います。

 じゃあ、経済条件さえクリアすれば年齢条件は関係ないのか? 確かに男性は女性ほど年齢条件が厳しくはないというものの、やはり、なるべく早めに結婚しておく必要があると思います。

 それは育児の観点からです。

 出産育児の直接的な関わりは、確かに女性が主たる役割を果たすと思います。では男性は、出産育児に全く関わらないのかと言えば、そういう事はなく、特に、妻子を経済的に支えるという役割は男性の主たる役割だと思います。

 問題は、子どもをいつまで経済的に支えるべきか…という事です。男の子なら、学校を卒業して就職するまで、女の子ならお嫁にいくまで、と考えるのが、まだまだ主流かなって思います。子どもの学歴にもよりますが、年齢的には末っ子が20~25歳ぐらいまでは親として子どもを経済的に支える必要があると思います。逆に言えば、女の子と言えども、26を過ぎたら、嫁入り支度ぐらい自分でどうにかしなさいって話です。

 それはさておき、末っ子が25歳になるまで支えるとなると…何歳までに結婚しないといけないのか、自ずと計算ができちゃいます。

 と言うのも、サラリーマンなどには定年があるからです。会社の定年は、現在は60歳というところが多いですね。まあ、若い世代が老人になる頃には、定年は65歳になっているでしょうから、仮に自分が65歳の時に、末っ子が25歳になる計算でいくと…末っ子の誕生は40歳って事になります。一人っ子で、授かり婚ならば、40歳までに結婚するのがタイムリミットと言えるでしょう。子どもは二人で、授かり婚は無し…って考えると、少なくとも35歳までには結婚しておきたいです。

 となると、男性であっても、35歳までには結婚しないとアウトって事になります。

 …もっとも、これは定年ギリギリまで子育てをしなきゃいけないという前提があっての話で、この場合、自分たちの老後は老後資金が貯められずに、カスカスになってしまうという恐れがあります。一般的に老後資金は、定年前の10年間でコツコツ貯めるという人が多いので、それを考えると、さらに結婚年齢は10年早まります。

 つまり25歳までに結婚をして、30歳までには子どもを生み終わって、育児体制に入る…なんだ、年齢的な事を考えると、男性も女性とそんなに大きく変わらないじゃん。

 現代日本がなぜ少子高齢化に向かっているのか言うと、それは晩婚傾向が強く、安心して出産育児ができないから…って事になります。で、晩婚傾向が強いのは、男性の低収入と、女性の高学歴化が原因でしょうね。

 女性の高学歴化は…これも難しい話です。女性だって男性並みの教育は必要ですから、どうしても女性の高学歴化はまぬがれないわけですが…この問題に関しては、チャンスがあれば、後日語ることにして、若い男性の低収入は由々しき問題です。

 経済がうまく回らないと、雇用も収入も増えず、収入が増えないと、結婚に踏み切る男性の年齢が高齢化し、それが少子化につながって、国力の低下につながっていくわけです。

 ああ。

 男女ともに、20代のうちに結婚すべきなんだろうと思います。老後がカスカスになる覚悟があるなら、男性は35歳までが結婚リミットです。そこを越えての結婚は…定年のない自由業ならともかく…って話になりますが、自由業の方も一般的には年齢がいくと収入は厳しくなるようなので、あまりに晩婚では色々と大変になってしまうと思いますよ。

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2018年7月 7日 (土)

今年もタニシがやってきた!

 だいたい毎年、夏に、タニシを大量に水槽に投入している私です。

 以前は、知り合いの農家さんに頼んで、そこの田んぼのタニシを水槽に入れていましたが、その農家さんが昨年廃業されてしまい、その方からタニシをいただけなくなり、別の農家さんに話を持っていったのですが、どこの農家も農薬を使っているので、田んぼにタニシなんていなくて…仕方なしに昨年から、インターネットでタニシを購入する事にしました。

 だって、普通の金魚屋さんじゃあ、石巻貝などは販売しているし、ジャンボタニシなんかも売っているけれど、ごく普通のタニシはなかなか販売していないんだよね。それでやむなく、インターネットで生体購入をしています。

 お値段は、送料込みで、50匹で二千円。今回も150匹購入したので、約六千円です。まあ、相場的にはかなり安く買えました。

 業者が養殖しているタニシなので、田んぼで採集してくる子と比べると…きれいです。泥を吐かせる必要なんてないし、貝殻を磨く必要もありません。念の為、ちょっとだけ検疫のために消毒液に漬けるだけでOK。なんて、お手軽なことか…。

 で、ドドーンと150匹のタニシを水槽に入れてみました。野生の子たちは、水槽に入れた瞬間に動き出す(ってか逃げ出す)のですが、養殖の子たちは、ほぼ一日、じっとしていました。全然動きません。死んでいるのかな…って思ったぐらいです。おそらく死んだふりをして、危機回避を狙っているのでしょうね。

 で、一日が過ぎたあたりから「もう大丈夫…」とばかりに、ぼつぼつと動き出しました。でも、動作が遅いせいか、動き出したところで、金魚たちにだいぶ食べられてしまいました。ううむ、養殖の連中って、危機感は高いのだろうけれど、やっぱりトロいやつはトロそうです。

 金魚的には、ごちそう大量投入…ってことで、みんながみんな、虎視眈々とタニシを狙っています。ウチの子たちは、石巻貝は食べないのに、タニシは食べつくしちゃうんだよね。よほどタニシって美味しいんだろうね。

 まあ、タニシは水槽のお掃除係兼金魚の生き餌担当なので、食べてしまってもいいのだけれど、タニシの補充は年に1回と決めているので、少しは遠慮しながら食べてもらいたいくらいです。できれば、週2匹ぐらいの割合だと嬉しいのだけれど。

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2018年7月 6日 (金)

ちょっぴりパニくりました

 フルートのレッスンに行ってきました。なんとレッスン参加、二週間連続だよ、すごいね。…でも相変わらず、自宅での練習は無しだけれど(涙)。

 最初のロングトーン練習はもうバッチリすぎて、書くことありません。

 エルステユーブンゲンは、いつもの23番と24番。もちろん、暗譜は全然できてません。しかし、そろそろ暗譜して、次に進まないといけないなあ…とは思ってますが…なかなかうまくいきません。今まで全く暗譜しなかったわけじゃなく、暗譜してかなり覚えてしまった時もあるのですが、そういう時に限ってレッスンはなくて忘れてしまい、忙しくて練習できない時にレッスンに行っている現状なので、覚えては忘れ、覚えては忘れの繰り返しで、もう何ともです。何度も、暗譜して忘れるを繰り返していると、なんかもう、暗譜するのも面倒くさい感じ感じます(本音)。

 プチエチュードは19番。まあ、だいたい吹けるのだろうけれど、つまらないミスブローを多発して、一向に仕上がりません。へへへ。

 40リトルピーセズは、前回の記事で13番は不合格…みたいに書きましたが、実は先週で合格になっていたようです。いや、私は不合格のつもりだったのですが、あとから録音と楽譜の書き込みを見てみたら、どうやら「まだまだだけれど…まあいいか」というレベルで合格になっていました。ので、今回は14番のみを吹きました。

 はい、ほぼ、吹けません。全く吹けないわけではなく、後半部の8分音符が主体になっている箇所、ほぼアルペジオの箇所が吹けません。正確に言うと、譜面がちゃんと読めません。譜面が読めないので吹けません。ああ、残念です。ほんと、読譜って苦手なんだよね。

 で、最後はヴォカリーズです。今回は、一通り通してみましたが…すっごい疲れた。この曲、体力消耗するね…。繰り返し部分は全部スルーする方向で考えてみてもいいかもしれない…くらいに、きちんと全曲を吹くと、疲れます。

 だって、ほぼ休みなしだよ。ずっとずっと吹いているんだよ。それものっぺりと…これはシンドイです。

 でもまあ、だいたいオーケーって感じかな? 音色は大丈夫。リズムも分かる。あとはフレージングに気をつけて、ミスを減らしながら、たくさん歌えばいいだけ。まあ、これは追々やっていけばいい事。つまり、あとは吹き込みだね。たくさん練習しないといけません…が、それが一番難しい事かもしれません。

 さて、今回の雑談は…地元のソウルストアともいうべき、某D店がいよいよ無くなってしまうという事を、なんとH先生から教わりました。さっそく、レッスンが終わって、D店に行ってみたら、張り紙があって、ああ、本当に無くなってしまうそうです、それも近日中に…。

 ちょっぴり時間が止まるのを感じました。少しばかりパニックっちゃいました。

 いやあ、無くなるんだ…本当に無くなるんだ…。

 D店って…その全盛期は、今の感覚で言うと、ドンキホーテみたいなノリのお店でしたが、今じゃ、すっかりおとなしくなってしまいました。

 理性で考えれば…D店が無くなってしまうのも、仕方ないよなあとは思います。

 だって、今のD店は、昔ほど安くはないし、昔ほど面白いモノも置いてないし…最近じゃあ、ただのホームセンターだから、それじゃあダメだよね。昔はお店中からワクワク感が溢れていたのに…今じゃすっかりそのワクワク感も無くなって、すでにレゾンデートルを失ってしまった状態だったけれども、それでも改めてD店が無くなると知って…ああ、ショックだ、ショックだ…。

 我が地元では、D店衰退後は、商圏的にはやや落ち込んでいたと思いますが、昨今のイオン系のお店の出店で盛り返しているわけで、今や我が地元はイオンの街とも言える状況になりつつありますし、私もイオン系のお店を利用しています(特に、旧ヤオハン系)が、なんかイオン系には、D店ほどのシンパシーは感じないんだよねえ…。

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2018年7月 5日 (木)

ト音記号しか読めません

 私、ここに告白します。

 実は私、ト音記号の楽譜しか読めません。へ音記号はもちろん、ハ音記号やテノール記号で書かれた楽譜は、ほとんど読めません。どうしても読まなきゃいけない時は、やむをえないので、事前に楽譜にカナを振って対応します(てへぺろ)。

 だってね、だってね。小学校で習った楽譜って、全部、ト音記号だったじゃないですか。まあ、小学四年生でアルトリコーダーを習った時に、ヘ音記号を使っていたような気もするけれど…私は、家が貧しくてアルトリコーダーを買ってもらえなかったら、アルトリコーダーの勉強をしてなくて、ヘ音記号の学習が欠落しているんだよね。

 大学の授業にピアノの実習があった時、渡された楽譜は大譜表(ト音記号とヘ音記号の2つのタイプの楽譜が連結されているタイプです)をいただいたけれど、その時は、左手部分(つまりヘ音記号の部分)は、思いっきりコードネームを書いて、コードで弾いていたので、ヘ音記号は読めずじまいでした。

 そう、私、ヘ音記号は読めませんが、コードでピアノが弾けるんですよ。技術的には指が動かないで、とても下手くそですが…でも、珍しい人でしょ?

 さて、社会人になって、合唱を始めたのだけれど、私は最初っからテノールだったし、入団した合唱団は、かなりマジ系のところで、オーケストラ伴奏の本格的な合唱曲ばかりを歌っていた団だったので、ここでもヘ音記号を学ぶチャンスがありませんでした。ほら、オーケストラ伴奏のマジ系の合唱曲って、テノールはト音記号で書かれているんだよね。これが邦人の作曲家が作ったピアノ伴奏の合唱曲だと、歌のパートは、大譜表に全部一緒に載っていたりして、そうなるとテノールはヘ音記号だし、各パートごとに譜面が分かれていても、テノールはヘ音記号で書かれていたりするのだけれど、私はそういう場で歌わなかったので、ここでもヘ音記号を学ぶチャンスがなかったわけです。

 で、老人になってから、声楽(ってか独唱)を始めたわけだけれど、オペラとか歌曲とかだと、やっぱりテノールはト音記号で書かれちゃうので、ヘ音記号に親しむチャンスがありませんでした。

 フルートも始めたし、ヴァイオリンもちょっとかじったけれど、この2つとも、ト音記号の楽器で、全然ヘ音記号には縁がないんだよね。

 と言うわけで、私。未だにヘ音記号に馴染めませんし、読めません。

 先日、某所で歌ったメサイアのハレルヤなんて、テノールの部分がヘ音記号で書かれていたのですが(びっくりです)、ヘ音記号なんて読めないし、どうせ歌そのものは、いつものアレだろうと思って、ざっくり楽譜を斜め読みして歌っちゃいました。

 やっぱり、ヘ音記号も普通に読めた方がいいんだろうなあ…と思うものの、なんか学ぶチャンスが無いし、使うチャンスも無いんだよね。

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2018年7月 4日 (水)

そろそろ秋のクラシックコンサートが視野に入ってまいりました

 さてさて、声楽の続きの続きです。曲の練習に入りました。今回歌ったのは、ベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」です。何度も「今回で終わりにしよう」と言われながらも、歌い終われば「やっぱりもうちょっとやりましょう」となって、いつまでも終わることのなかった曲です。

 鼻を鍛える練習の後でしたから、この曲を歌う時も、しっかり鼻を意識して歌いました。いや、意識…じゃなくて、鼻の響きを(現時点での)MAXにして歌いました。先生からは「ちょっと鼻に入りすぎ…」と言われましたが、まあ良しです。息をしっかり鼻に入れるために、終始息に腹圧をかけて歌いましたが…いやあ、疲れました。でも、腹圧を弱めると、あっという間に声が落ちてしまいます。声が落ちれば、鼻の響きが無くなるだけでなく、声が重くなるってしまいます。クワバラクワバラ。

 音程に気をつけること。上行音型はしっかり音を届かせる事。下降音型は声を落としすぎない事。どちらもしっかり息を支えていれば、造作もない事なのだけれど…ああ、腹圧、足りねー。

 とにかく、声は落とさない事。ノドの奥を開き、息はまっすぐ前に吐き出さず、クチの中で一回ぐるんと回してから吐くようにする。そのためには、ノドの奥を開く…と言っても、上下に開くだけではなく、前後に開く感覚も加えて、後ろ斜め上や前斜め下へも引っ張って開くようにする。

 加えて、細めの軽い声で歌うこと。とにかく、今の私はバリトン以上に太くて重い声(声が落ちているため)で歌っているので、軽く軽くを意識する事。

 とにかく、あっちこっちに気を使いながら、音程やらリズムやらにも気を使いながら、丁寧に丁寧に歌ったところ…ようやく、この曲は終わりになりました。長かったなー。次は…新曲ではなく、まだやり残している曲…ベッリーニ作曲の「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」と、ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」をやることになっています。

 さて、7月になりました。今年もそろそろ秋のクラシックコンサートの申し込みの時期がやってくるものと思われます。

 実は例年、10月に行われている、当地の市民文化祭でのクラシックコンサートですが、今年は会場の都合で11月に行われるそうです…という(関係者からの)風のうわさが入ってますので、申込みが例年より一ヶ月遅くなるかもしれませんが、どちらにせよ、そろそろ曲を決めておかないといけません。

 一応、二重唱曲を1曲、オペラアリアを1曲、歌曲を1曲、の計3曲で行こうかな…なんて思ってます。

 二重唱曲はオペラの二重唱を考えるのが普通だろうけれど、歌曲の二重唱もなかなか良いかな…なんて迷っています。特に、最近の私は中低音の練習ばかりをして、高音を出していないので、今ひとつ高音に不安があるんですよ。なので、高音の無い二重唱曲がいいかなって思ってます。

 オペラアリアは…先生が勧めてくださっているアリアが、実はフランス語のアリアなんです。で、私、フランス語できません。フランズ語読めません。

 私、カタカナが振ってある楽譜を持っていますが、先生はそれを使っちゃダメというのです。ならば、英語歌詞の付いている楽譜も持っているので、英語で歌いましょうか?と言っていますが、英語じゃ…という反応です。ま、私自身も、そのアリアを英語で歌うのは、ちょっとばかり抵抗があります。では、どうしたらいいのかな…って困ってます。

 それに、フランス語の読みって、ルールが簡単だと言うけれど、実際にはそれなりに面倒くさいんだよね。私、NHKのテレビ講座でフランス語を半年ばかり勉強した事があるけれど、未だにフランス語をちゃんと読めません。なんか、腑に落ちないんだよね。まあ、イタリア語とかドイツ語みたいには行かないのは知ってますので、フランス語しか書いてない楽譜を使っても、結局、自分でカタカナ振っちゃうと思うんだよね。だから、最初っからカタカナが振っているのか、自分でカタカナ振っちゃうか(それも自分で振るわけだから間違いもあったりするんだろうなあ…)の違いしかないわけで、だったら…と思ったりします。

 いっそ、先生のオススメは無視して、別のアリアにするべえかな? それとも、この夏は、ちょっと本腰入れて、フランス語の勉強をするかな…。

 歌曲は、トスティか、今やっているベッリーニか…って感じです。ただ、ベッリーニをやるなら、原曲で歌いたいので、どの曲を選んでもキーが高いのが悩みです。だったらいっそ、武満を歌っちゃおうかしら…なんてね(笑)。

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2018年7月 3日 (火)

鼻とクチはバランス良く…

 さて、声楽のレッスンの続きです。具体的に鼻を鍛える練習に入りました。

 鼻を鍛えるには、ノドを閉じ気味に歌う事が前提となります。ノドをやや閉じて、息を、あえて、鼻に入れていきます。気分としては「鼻声上等!」です。もちろん、最終的に鼻声になってしまってはいけませんが、練習段階では鼻声になる事を恐れてはいけないわけです。

 これは高音を練習する時に、声がひっくり返ってしまう事を恐れてしまうと、いつまで経っても高音発声ができないままであるのと同じで、声がひっくり返る事はダメなんだけれど、声がひっくり返らないのはもっとダメであって、声がひっくり返るかひっくり返らないかのギリギリでひっくり返らない声で歌うのを目指すわけです。鼻に関しても同じで、鼻声はダメなんだけれど、鼻声の要素のない声もダメで、要は鼻の声とクチの声のバランスを保ちながら歌っていく事が大切なのです。

 なので、今現在、クチ100%の声ならば、多少は過剰気味であっても、まずは鼻の声を出していきましょうって事になるわけです。

 なので、鼻100%からクチ100%へ、クチ100%から鼻100%へと同一音程で移行していく練習をしました。最初のうちはスムーズに移行できず、ガタガタになりがちですが、これを練習を繰り返すことでスムーズにしていくそうです。これがスムーズに出来るようになると、良いバランスをキープできるようになるそうです。

 練習段階では、ノドを閉じ気味にし、鼻声上等で発声しますが、練習が進んでいけば、当然ですが、ノドは開放し、鼻声はペケになります。クチの声に鼻の声の響きを上手に乗せていけるようになれば良いのです。

 とにかく、今はクチメインの声で歌っているので、歌い出す時に、意識的に事前に鼻に息を通してから歌うようにすると、良いのだそうです。ま、これも歌の準備の一つなんだろうと思います。

 あと、息は必要な分を必要な圧力にして歌うことが大切で、過剰に大きな声は不要との事です。私は無意識に大声で歌おうとしてしまいますが、私が大声だと思っている声って、結局、ノドが鳴っている声なんです。声はノドを鳴らさなくても十分聞こえるし、必要な息で歌っていると、必ずしもノドは鳴るわけではないし、音量だって、さほど大きくはなりません。それでも十分遠鳴りな声になるのは、鼻の響きがあるからだこそ…です。逆に言えば、鼻の響きがあれば、無理して大きな声を出す必要はないわけで、その方が、ノドの健康にもつながっていくわけなのです。

 響きをメインにした発声で歌っていくというのは、そういう事なんだそうです。

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2018年7月 2日 (月)

ブレス・コントロールに巧みになりなさい

 声楽のレッスンに行ってきました。

 レッスン室に入るなり先生から「今日から地獄が始まるよ(はぁと)!」と宣言されました。なになに、地獄って何?ってわけで、話を聞いてみると、先日行われた、私が不参加だった発表会(位置付的には“おさらい会”らしいです)を行ってみての、先生の反省事項があって…という話なんです。

 なんでもY門下の生徒さんに共通する欠点として…鼻が弱い…という事を、先生は如実に感じてしまったのだそうです。なので、発表会が終了した今後は、徹底的に皆さんの鼻を鍛えましょう…って決意をしたんだそうです。

 確かに、私も鼻は弱いです。もっとも私の場合は、キング先生の元で、徹底的に鼻を使わないように鍛えられたので、弱いも何もなく、単純に、鼻を使っていないってだけの話なのです。とにかく、鼻をつまんでも、つままなくても、同じ声が出るように訓練を受けました。ちなみに、それ以前の私は、鼻をつまんでしまうとガラっと音色が変わってしまっていたんです。鼻声要素が強い声だったんですね。

 鼻声はもちろんダメですが、鼻声要素は歌声には必須なわけで、鼻をつまんだ時に音色が全然変わらないのはダメなのです。なので、適度に鼻に響かせた声を獲得するために、鼻を鍛えていきましょうという事になりました。

 そもそもが鼻声人間な私ですから、鼻に響かせるのは得意…だったはずですが、今回改めてやってみたら、鼻で声を響かせるのが苦手になっていました(涙)。以前は、高音はかなり鼻の響きを使って出していて、キング先生からダメ出しをされていたくらいなのに、今は高音はおろか、少し高めの音になっただけで、鼻が使えなくなっていました。

 キング先生の指導は(方向性は間違っていたとは言えども)その徹底ぶりはすごかったわけで、彼の指導力の凄さとその影響力を今更感じています。

 さて、鼻に響かせた声で歌うためには、息を鼻からもクチからも同時に出さないといけませんし、鼻はクチよりも高い位置にある事から、息を支える腹圧をかなり高くしないと鼻での響きは得られません。以前の私が高音を鼻で出していたのは、息の支えを腹圧ではなく、ノドの力で持ち上げていったからだろうと思います。

 でも今はノドの力で息を上げていくと、先生からダメが出ますから、頑張って腹圧で息を上げるわけですが、その腹圧が…私は弱くて鼻まで届かなくってダメなのです。ああ、残念。

 腹圧が弱い原因の一つには、そもそもの腹筋の筋力(それもインナーマッスル)が弱いという事もありますが、息を吐き過ぎてしまうために腹圧が低くなってしまうというのもあるようです。もっと、息を(無駄に)吐かないように歌っていく事で、腹圧を高めていくわけです。つまり、腹圧を下から上の方向にばかり掛けるのではなく、上から下への圧力も同時に掛けていく必要があるわけです。

 とどのつまり、ブレス・コントロールに巧みになりなさいって事です。

 特に低音を歌う時は、ある程度の量の息を吐く必要があるけれど、高音になればなるほど、少ない息で歌う必要があります。そうしないと、ノドが鳴りすぎてしまうし、声が重くなってしまうし、やがてはノドが傷んで壊れてしまうからです。

 声が重い…と言えば、レッスン中に「もっと軽い声で歌えませんか?」とよく先生に言われます。「テノールなのに、バリトンの私よりも重い声になっている」と言われると、ぐうの音も出ません。息の吐き過ぎが私の声を重くしているようなのです。

 でも「低音は息をたくさん吐き、高音は息を少なめに吐く」というのは、全くフルートと同じなので、なんか納得です。

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2018年7月 1日 (日)

ついにネタが切れました[2018年6月の落ち穂拾い]

 何のネタが切れたのか言うと…ここ「落ち穂拾い」のネタ切れです。決して、普段の記事のネタ切れではありません。むしろ、普段の記事に関しては、ネタはまだまだたくさんありますが、それを文章に書いている時間がなくて困っているくらいです。

 で、落ち穂拾いのネタ切れの件ですが…実は二段階のネタ切れを経て、今に至りました。

 最初のネタ切れは…もう数年前の事になりますか…。そもそものこの“落ち穂拾い”は私が他の人のブログにしたコメントを再録するコーナーでした。コメント…と言っても、記事にしても良いような濃いめのコメントをあっちこっちのブログでしていたので、それをそのままにするのがもったいなくて、こちらに再録していたわけです。

 やがて、私も色々と忙しくなって、他の人のブログにコメントをする事が難しくなり、そのうち読み逃げばかりするようになりました。そうなると、ここのコーナーに再録するコメントがなくなってしまいました。これがネタ切れの第一段階です。

 しかし、他の人のブログにコメントせずとも、自分のブログ、つまり“老犬ブログ”にはコメントをしていたので、そのコメントを再録するようになりました。記事は読むけれど、コメントまでは読みません…という読者の方もいらっしゃるので、自分のブログへのコメントを再録するのも、意味のあることでした。

 で、しばらくは自分のブログのコメントをここに再録していましたが、ついに先月になり、ここに再録できるほど中身のあるコメントができないという事態を迎えてしまったのです。これがネタ切れの第二段階です。

 なので、今月は、ここに再録するネタがないわけです。いやあ、ヤバイ。実際のところ、濃いめのコメントがない以前に、コメント欄が閑散としているわけで、そりゃあ濃かろうが薄かろうがコメントそのものが無くなっちゃたら、何も書けないわけです。ヤバイです。ああ、先細り先細り…。

 来月は、ここに書けるような実のあるコメントを、私はできるでしょうか? 自分でも心配です。来月もネタ切れのままだったら、ごめんね。

今月のお気に入り 南天のど飴

 最近の私は、多忙による不摂生のため、風邪をひきやすくなっています。風邪をひくと…最初は鼻風邪で、そこからだんだん下りていって、最後は気管支炎になってから治ります。まあ、肺炎にまで至らないのが不幸中の幸いですが、結構、ノドが腫れている期間が長くて、一度風邪をひくと、2週間ぐらい歌えない状態が続くので困っています。

 もちろん、医者に行きますし、薬も飲みますが、やはりのど飴が手放せません。

 のど飴と言うのは、実に3つのタイプがある事は、皆さん、ご存知でしょうか?

 1)菓子類としての“のど飴”
 2)医薬部外品としての“のど飴”
 3)医薬品としての“のど飴”

 1)と2)はコンビニで買えますが、3)は薬屋やドラッグストアに行かないと買えません。

 1)と2)3)の違いは、有効と思われる成分が入っているかどうかの違いです。つまり、単なる気休めか、実際に薬効が認められるのか…の違いです。

 2)と3)の違いは、効果の強さの違いです。当然、3)の方が効果が強いのですが、それは同時に副作用とか飲み合わせとか禁忌も考えなきゃいけないので、普段遣いなら、むしろ2)の方が良いと思われます。実際、2)はお手軽でいいですね。それにだいたい、よく病院で処方されるトローチも、実は3)ではなく2)だったりするんですよ。知ってましたか? なので、2)がダメって事はないんですよ。なので、普段の私は2)のタイプののど飴をなめる事が多いかな? とにかく、入手が楽だし、お手軽だしね。

 その代表格が最近愛用している「龍角散のど飴」ね。

 本当の本当に苦しい時は3)のタイプののど飴をなめます。「浅田飴」とか「南天のど飴」とかがこれに該当します。で、今回は本当に辛かったので、3)のタイプののど飴に手を出したわけです。

 で、3)のタイプとしては、以前はよく「浅田飴」をなめていた私ですが、今回は目先を変えて「南天のど飴」をなめてみました。

 「南天のど飴」って、なかなかいい感じだなって思いました。味が他ののど飴と比べて、マイルドだと思います。薬効に関しては、ノドの腫れがひどすぎて、実はよく分からなかった(たぶん効いていると思います)のですが、味はマイルドで、良いと思いました。ま、これは好みだと思いますが、あまり味が濃い飴って、舌があれるんだよね。そこへいくと「南天のど飴」は良い感じだと思いました。

 なので、しばらくは、ノドが痛くなったら「南天のど飴」をなめるだろう私でした。

今月の金魚

2018年6月24日(日) 緋ドジョウが2匹、我が家の水槽にやってきました。でも、どこにいるんだろ?

今月のひとこと

 ついにキヤノンがフィルムカメラの出荷を止めたんだそうな。生産そのものは2010年に終了していたものの、在庫分を細々と出荷し続けていたそうだけれど、その在庫も無くなってしまったので、キヤノンのフィルムカメラは、今市場に出回っているものが売れてしまえば、もう終わりだそうな。時代だね。昭和な私には、カメラとフィルムは一対のコンビだったのにね。ちなみに、ニコンはまだフィルムカメラの出荷を続けているそうな。(2018年5月30日~6月6日)

 JR東日本が品川駅と田町駅の間にできる新駅の駅名を一般公募するそうです。意味ないねえ…、ポーズだよね。新駅の名称の選択肢なんて、せいぜい『高輪』『芝浦』『泉岳寺』の3つでしょ? 地元は高級感のある『高輪』を推してくるだろうけれど、地下鉄の泉岳寺駅との乗り換え(新駅は地下鉄の隣接地に作られる予定)を考えれば、駅名はほぼ『泉岳寺』で決定でしょ。そうでないと、オリンピックを控えた今、旅行者は困るよ。地元民のプライドを優先するか、公共交通機関としてのわかりやすさを優先するかって話なんだろうと思う。ま、これを契機に、地下鉄の方の駅名も改称しちゃうってのなら、話は別だけれどね。(2018年6月6~7日)

 LINEを使っていると個人情報が韓国に流出しちゃうらしいし、Facebookを使っていると個人情報が中国に共有されてしまうそうです。その点、Twitterはシステム的には大丈夫らしいけれど、それでも利用者側のうっかりで、個人情報ダダ漏れのケースも多々あるそうです。だからどーしたと言われても返事に困るけれど、そういうリスクを承知して使っているなら問題ないけれど、危機感なしで使っているのなら、それはマズくないかい?って事です。アメリカの国会では国家安全保障上の観点から、個人情報の流出って結構気にしているんだよね。そこへ行くと、日本の国会はのんきだね。未だに個人情報の流出よりもモリカケだもん。(2018年6月7~12日)

 私が愛用していた龍角散の細粒が、どうやら随分前に販売中止になっていたようです。今飲んでいるヤツが無くなったら、もうお終いです。ああ、残念。次は、粉末の龍角散にしようか、それも龍角散ダイレクトにするか悩み中…。自宅では粉末を飲んでますが、細粒は主に職場で飲んでいます。職場だと、お手軽に飲めるのが大切だからなあ…。どっちにしようかな…。(2018年6月12~25日)

 サッカーワールドカップですが、私、日本の3連敗と思っておりました。ごめんなさい。第1戦のコロンビア戦はまぐれ勝ちであって、まぐれは二度は続かないと思っていました。なのに、第2戦のセネガル戦は惜しくもドロー。こうなると、まぐれでもなんでもなく、実力で勝ち取った試合結果としか言えません。第3戦は、すでに敗退が決定しているポーランドとの試合です。ポーランドは負けが決まったからと言って、手を抜くチームではないと思います。ここは全力で戦って、自力で1次リーグを突破してほしいと切に願っています。頑張れニッポン。(2018年6月25~28日)

 梅雨の合間の晴れの日は、本当に暑い。日差しが真夏並みに強烈な上に、湿度も高くて不快指数高めで参ってしまう。とは言え、真夏と比べると、コンクリートやアスファルトが熱を蓄えていない分だけ、過ごしやすいとは言えるわけで…都会が暑いのは、地球温暖化のせいではなく、コンクリートとアスファルトの蓄熱、およびエアコンの室外機の排熱が原因なんだろうと、私は考えています。(2018年6月28~29日)

 サッカーワールドカップ、日本は予選リーグを突破しましたね。勝ち星やらなんやらはセネガルと並びましたが、雌雄を決したのは反則の数だったそうです。セネガルも反則の少ないフェアなチームでしたが、日本はセネガルよりもきれいな試合をして、反則数が少なかったため、決勝リーグに出場できることになったんだそうです。まあ「勝てばいい」ではなく「きれいに勝つ」事が評価されたわけで、私はちょっぴりサッカーという競技を見直しました。ちなみに、ポーランド戦、点を取られて以降、日本はパス回し等に時間を使って“これ以上負けを広げない戦い方”をしましたが、一部の人は「そういう戦い方はどうなの? 戦いは常に勝ちを狙っていかないとダメじゃん」と言っているみたいですが、私はそれで良かったと思ってます。戦術と戦略は違うのだから、大きな勝利のためには目先の敗北を受け入れる事だって必要なわけです。点を取られてしまった現状の中、逆転を狙って果敢に攻めて、負けを広げてしまえば、本戦リーグ出場はセネガルに持っていかれてしまう可能性大なわけだから、そこは“1点差負け”をキープする事で本戦リーグ出場を獲得する事が大切だったわけです。日本はクレバーな戦い方をしたと思いますよ。(2018年6月29~30日)

 本日の記事「緋ドジョウがやってきました」がブログ村に反映されません。なんかなー。私のせいではないとは言え、ブログ村から来てくださっている方々にご迷惑をかけている事が心苦しくてなりません。(2018年6月30日)

 さきほど、ブログの再アップをしたら、ブログ村に反映されました。最初のアップの時に、何かエラーがあったんでしょうね。とりあえず、ブログ村に当該記事が反映されました、よかった。よかった。ところで、関東地方は梅雨があけてしまったんだそうな。まだ6月だよ、早くない?(2018年6月30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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