ひとこと

  •  放送業界&家電業界では、4K、8Kのテレビ放送で盛り上がっているみたいです。皆さん、4Kのテレビって欲しいですか? 私は廉価ならば欲しいですが、高価ならばパスです。だって、ウチのテレビって42型だもの、そんなに大きくないもの。DVDとBlue-rayの画質の違いだって分からないくらいだもの、4Kや8Kの画面を見ても、たぶん、その美しさは分からないんじゃないかな? いや、それ以前に、アニメとかバラエティとかドラマとかを、そんなに美しすぎる画面で私は見たいのか…って話です。もちろん、廉価なら見たいですが、たぶん最初のうちは高価だよね。100万円以上もするようなテレビは、よう買わんですよ、私。私に買って欲しければ、まずは10万円程度にしてください。話はそれからです。

お知らせ

  • ●2018年秋の本番のお知らせです。●門下の発表会は、次の通りです。●2018年11月18日(日) 横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール 13時開場 13時30分開演です。●こちらは一番下手っぴなのが私なので、最初から聞いても面白いと思います。全体で2時間程度の発表会です。私の出番は二回に分けてますが、最初の出番は14時前後になる予定です。●レスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」●ドナウディ作曲「Amor s'apprende/ 愛は取り付いてしまう」●ヴェルディ作曲「椿姫」より「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」●そういうわけで、一つよろしくお願いします。
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2018年5月の記事

2018年5月31日 (木)

今年は季節の巡り方が、ちと早い?[2018年5月の落ち穂拾い]

 なんか暑い…と思っているウチに、何やら前線なるものが天気図の上で暗躍するようになりました。そろそろ梅雨入りでしょうか? 今年は、いつになく夏が前倒しで迫っているような気がします。

 春がちと短かったような気がします…。

声は吹奏楽器

 そもそも、声って吹奏楽器なのです。だから、発声的には、フルートやオーボエ、トランペットやサックスやホルンなどとも共通点があると、私は考えます。

 吹奏楽器って、基本的に、楽器に吹き込まれる息の量と速度で音程が決まっていきます。そこを間違えてしまうと、狙った音程が出なかったり、思っていたよりも高い音程や低い音程になってしまったりするわけです。

 一般的に、吹奏楽器では高音は発音する時は、少ない量の息を素早い速さで吹き込む必要があります。そこは声楽でも同じだと思います。高音を発声したければ、少なめな息(たぶんそれが適切な量の息)をかなり速い速度で吹き込む必要があります。

 息が少なく、速度も遅ければ、楽器はそもそも鳴りません。息は多いけれど、速度が遅ければ音程は低いままで高音は出せません。で、息が少なくて、速度が速いと、いい感じで高音が出ます。そして、息が多くて、速度が速ければ、楽器はあっという間に壊れます。

 そういうものなのです。で、どれくらいの息の量が適切なのか、どれくらいの息の速さが必要なのかは、試行錯誤を繰り返し、目星を見つけ、そこに向かってカラダを作っていって、会得していくものだと私は思ってます。

YouTube音源を聞いても、声の事なんてほとんど分からないよ

 声の分析は、その人のそもそもの持ち声から検討しないといけないので、歌声だけ聞いて声のことを分析してコメントするのは、実は難しいです。

 なので私は、YouTube音源を聞いて「これはアクート、これはノド声」と言っている人は、その歌手の普段の持ち声をよく知っている人なのか、あるいは歌声だけでその声の本質が分かるほどの素晴らしく分析的な耳を持っている方(あるいは、持っていると錯覚している方)なのか、そのいずれかだろうと思ってます。

 私は、あいにく、それほど優秀な耳を持っていないので、歌声だけで、その人の声うんぬんを語るのは、ちょっとできません。それに私は評論家ではなく(アマチュア)歌手なので、他人の声からあれこれテクニック的な事を学ぶ(盗む?)必要はありますが、他人の歌声の評価判別なんて、興味も関心もありません。そこは声オタクの方に任せたいと思います。

 まあ、それ以前に、いわゆる“響き”と呼ばれる声の成分は、録音されないので、そもそもYouTube音源を聞いて、声のことを語るのは、かなり限定された話しかできない事になります。

ファルセットとアクート

 そもそも口腔内がさほど広くない人が響きをメインで歌うと、他人からはファルセットで歌っているように聞こえるようです。で、本当にファルセットで歌っているのかどうかというのは、その人の持ち声を聞いてみないと判断できませんが…テノールのうちでも、レッジェーロと呼ばれる声質の方は、かなり声が軽くて、持ち声も少年のような声だったりしますので、普通の音域を歌っていても、ファルセットのように聞こえます(が、おそらくそれはファルセットのように聞こえるだけで、本人的にはファルセットではないんだろうなあって私は思います)。

 私のように、本来の持ち声が軽いのに、歌声は重くなっている人は、響きが少ないわけで、私の場合、響きをドンドン増やして歌っていけば、ファルセットでなくても、ファルセットのように聞こえるんじゃないかしら…って思ってます。ですから、なるべく軽い声で歌うために、最近は、歌う時はファルセットの一歩手前の声で歌おうとしています。肝心なのは、ファルセットの一歩手前であって、完全なファルセットにしないってところかな?

 ファルセットかそうでないかの違いは、ファルセットでは、その歌手の通常の声の支えや声質とは異なる声が出てくるので、それで分かります。あくまでも、外面的には、通常の声との比較でしか分かりませんが、人によっては、通常の声とファルセットがよく似ているという人もいます(特にソプラノさんね)ので、外面的に判断するのは、良い耳を持っていないと難しいでしょう。

 一般的に男性の場合は、通常の声とファルセットは、かなりかけ離れていますので、聞けば誰でもその違いは分かりやすいものですし、うっかりファルセットが出てしまうと「声がひっくり返ってしまった!」と焦ったりします。

 しかし男性の中にも女声に近い声帯を持っている人はいます。そもそもの声が高くて軽くて、声帯が弱い系の人だと、通常の声とファルセットがよく似ていて、無自覚にそこを行き来し、ついつい自覚なしにファルセットで歌っているというもいます。ある意味、羨ましい限りです。

 また、高音をアクートではなく、ファルセットで歌う歌手は、案外います。それは出来ないから…ではなく、表現的に必要なので、あえてアクートではなくファルセットで歌うというパターンです。

 有名な例としては、カラヤン指揮でカルメンのドン・ホセ(テノール役)を歌ったカレーラスです。このオペラには有名なテノールアリアの「花の歌」がありますが、この最高音(Bです)をカレーラスは、とても美しいファルセットで歌っています。カレーラスはアクートで歌える歌手なのですが、そこをわざとファルセットで歌っていますが、そのように指示したのは、指揮者のカラヤンなんだそうです。さすがカラヤン、お耽美な趣味ですこと。

 その違いが分かる音源を見つけました。

 この画像の5:00過ぎの箇所はファルセットで歌っています。

 こちらも同じ曲ですし、3:40過ぎのあたりが上記の音源でファルセットで歌っている箇所と同じ箇所ですが、こちらでは力強い(おそらく)アクートで歌っています。

 カレーラスの場合、力強い高音は、たぶんアクートだと思いますが、時折、かなりの高音をアクートではなく、アペルト(響きの少ないノド声寄りの歌声)で歌っちゃう歌手もいるので、高音=アクートとは限らないのですよ。そこが評論家的に難しいところですが、歌手的には「必要な表現ができているなら、声の種類はなんでもいいじゃん」ってところです。実際、オペラでは、ファルセットでもアクートでもアペルトでも、必要で効果的ならば、どんなやり方だってOKのようですし…ね。

今月のお気に入り 「先生と僕」

 今月のお気に入りはマンガです(笑)。いわゆる4コママンガです。主人公は、夏目漱石です。

 作者さんは、夏目金之助ヲタクなんだそうで、その溢れる愛と知識を駆使したマンガです。お話は割と事実に即しているそうです(マンガ的な脚色はもちろんありますが…)。事実に即している割に、主人公である夏目漱石が実にお茶目なんです。地味なマンガですが、なかなかしっかり書かれていると思います。夏目漱石に興味関心がある人は、すでに既読でしょうが、ざっくり日本の明治の文豪たちに興味があるとか、そんな人でも楽しめる、ちょっとニッチで面白いマンガです。

 ちなみに「漱石とはずがたり」というエッセイマンガ風の続編もあります。

今月の金魚

 すでに記事に書きましたが、3匹いるはずのドジョウが、どう見ても1匹しかいません。なぜでしょう?

今月のひとこと

 いよいよGWですね。私にとっては、お正月以来の大型連休となります。春の年度替わりの時は、休むどころが繁忙期ですからね。で、今回の大型連休ですが、前半はゆっくりしているつもりです。映画を見に行ったり、家で溜まったDVDやビデオやテレビを見て過ごすつもりです。後半は…ラ・フォル・ジュルネですね。今年のLFJは昨年までとあれこれ違っていて、東京ローカルの音楽祭に格下げ?してしまったようです。まあ、私的には楽しければ、それでいいので関係ありませんが…。(2018年4月27~5月1日)

 指の腱鞘炎と言うのは、別名“バネ指”と言って、指を曲げると激痛が走るというタイプの病気らしいです。私の場合、指は屈伸には痛みが無く、何もせずとも、指の背がジワーと痛いというタイプです。指を伸ばす方の腱が傷んでいるようです。指を見ていると、指を曲げる腱よりも指を伸ばす腱の方が薄いんだよね。なので、高速で指の屈伸をすると、薄くて弱い側である指を伸ばす腱の方にダメージが出た…ような気がします。ま、一種のスマホ指?なんでしょうね。やっぱ、ボケモンGOをやる時間を減らすのが、一番の治療みたいだな(涙)。(2018年5月1~2日)

 アメリカのギブソン社が経営破綻をしてしまいました。一応、不採算部門を切り捨て、楽器の製造は続けるそうですが…ショックです。ギブソンと言えば、フェンダーとともに、世界の二大ギターメーカーなわけで、フルート業界的に言えば、パウエルやヘインズがヤバイ…と言うのと同じかそれ以上の話題です…って、パウエルやヘインズはすでに一周回って中華資本が入っているんだっけ? それはともかく、ギブソンギターと言えば、ロックのギターです。ギブソンの衰退とは、ロックンロールの衰退なわけです。ああ、時代は移り変わっていくんだなあ…。(2018年5月2~11日)

 我が国には、自由民主党、立憲民主党、社会民主党、国民民主党と、○○民主党が4つもあります。つまり、自由,立憲,社会,国民の違いがあるようです。それぞれには拠って立つ主義主張の違いが党名に反映されているわけです。自由主義、立憲主義,社会主義、国民主義の違いですが、聞き慣れないのは国民主義ですね。国民主義とは、Nationalismの訳語ですが、このNationalismは、他に、民族主義、国家主義、国粋主義などとも訳されます。国民民主党に集まった先生方の顔ぶれを見ていると、国民主義、民族主義、国家主義、国粋主義…果たしてどこの国の主義なのかしらと思ってしまいます。頑張って、日本のために働いて欲しいと願います。(2018年5月11~22日)

 マンガのアニメ化は吉と出る場合と、凶と出る場合がある。私が思うに「ちはやふる」などは吉と出たケースだと思う。実際、アニメは、動きが加わる分、原作のマンガ以上に面白いと思う。で、問題は音楽アニメの場合。「ピアノの森」が現在放送中だが、私には、カイの演奏はもちろんだが、阿字野の演奏も、劇中で誉められているほどに素晴らしいとは思えないんだよね。だから、彼らの演奏シーンになると、アニメそのものがシラケてしまうんです。「この人たち、上手は上手だけれど、天才でもなんでもなく、普通のピアニストさんじゃないの? いくらアニメでも大げさだろ…」って思うわけです。つまり、マンガでは実際の演奏音は聞こえないから、そこは読者が脳内補完をするので、最高の演奏が聞こえるわけだけれど、アニメでは実際の音楽を聞かせてしまうから、それをどう感じるかで、感動もすれば、シラケてもしまうわけです。「ピアノの森」毎週楽しみに見てますが、音楽が鳴ると…ダメなんだよなあ。(2018年5月22~25日)

 北朝鮮とアメリカの話し合いが決裂してしまったわけだけれど、これ、ある意味当然の話なんだよね。というのも、アメリカが求めている「北朝鮮の非核化」と北朝鮮が応えようとしている「朝鮮半島の非核化」は、全く違うものだからね。アメリカは北朝鮮から核兵器を取り上げようとして「北朝鮮の非核化」を求めているわけだけれど、北朝鮮(と韓国と中国)が言っている「朝鮮半島の非核化」と言うのは、韓国からの米軍撤退なんだよね。つまり、韓国から米軍を追い出し、その後、韓国を北朝鮮が飲み込み(統一…とか言うのだろうけれど)、その北朝鮮を中国が傀儡化するって話なんだから、そりゃあアメリカが飲むわけないよね。そうなると、中国と日本が直接国境を接する事になるわけだから、日本にとっても対岸の火事じゃない話なんだよね。(2018年5月25~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2018年5月30日 (水)

とにかくレガートに、丁寧に

 声楽のレッスンの続きです。さて、曲の練習に入りました。

 まずは、ベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」です。

 低い音程のフレーズであっても、息の支えを抜かない事。高音域では支えようとするのが分かるそうですが、中低音域になると(無意識だけれど)楽をして、支えがなくなるのだそうです。でも、歌で大切なのは中低音ですから、ここで支えなくて、どこで支える!ってもんです。とにかく、高くても低くてもそうでなくても、常に声を息で支えるのです。常に息を支えるために必要なのは…そりゃあ筋肉です、筋力です。つまり、体幹の強さが求められるわけです。だから、歌手は(ある程度)カラダを鍛えていかないといけないわけです。それもマッチョなレスラーのような鍛え方ではなく、優雅なバレリーナのような鍛え方が求められるわけです。

 私は、どちらかと言えば、マッチョ系なんだよね。格闘技系の人間だもの、若い頃は、外側の筋肉ばかりを鍛えてしまい、いわゆるインナーマッスルなんて考えもしなかったものだから、そのツケが今になって降り掛かってきています。ああ…。

 もちろん支えは、高い音程ほど、早め早めに支えるわけです。

 ちなみに、しっかり支えられた声だと、音程が良いのだそうですが、支えが抜けてしまった声は音程がフラフラして悪いのだそうです。ま、ありそうな話です。

 次は、ベッリーニ作曲の「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」です。

 この曲に限りるわけでもなく、歌はしっかり息を流して歌わないといけません。私はこの歌を歌っている時、時々、息が止まっているんだそうです。やばいやばい。とにかく、息を流し続けないと…。

 子音を味わって歌わないといけません。味わうというのは、しっかりと丁寧に…という程度の意味です。子音を大切に歌わないと、歌全体が乱雑に聞こえます。

 腹圧を高めて歌うこと。腑抜けた腹からは腑抜けた声しか出ません。

 高音は、まっすくに出さずに、しっかり息をクチの中で回してから出します。とにかく、ローリングです。ローリングローリング…クチの中で息をぐるぐる回して歌う事が大切なのです。

 まあ、普段から注意されている事すべてに気をつけて歌っていれば、間違いないのです。(それが難しい)。

 さて、最後の曲は、ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」です。

 とにかくレガートに歌う事。丁寧に歌う事。そのためには子音を味わう事。

 高音Aを安定して出すためには、ひたすら跳躍音程の練習をする事。Cis~A(6度)の跳躍も手順を踏んで出せば、さほど難しくありません。問題は、いろいろテンパって、正しい手順を踏めずに発声してしまうことです。

 何はなくとも、ノドの奥は開く事。音程は子音で先回りして確認しておく事。しっかりと息を吐く事。声そのものはポルタメントを使って、しっかり回して出す事。

 そういうあれこれをしっかりやっておけば、高音Aは出ない音ではないので、ちゃんとやらないといけません。

 問題は、ちゃんとやるのが難しい事…なんだな。いつもどこかが足りないから、結果的にAに届かないわけです。…一番ダメなのは、腹圧が足りない事かな? ちゃんと息、吐けてないし…なあ。

 ああ、前途多難だよ。

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2018年5月29日 (火)

息のルートを確保して歌うのは難しいですね

 声楽のレッスンに行ってきました。これはGW後のレッスンの記事となります。

 今回のレッスンは、先生、本当に発声練習をやりたかったようで、ハミング練習もそこそこに、すぐに発声練習に取り掛かりました。

 今回のレッスンでは、発声練習の際に、息の通り道の良いルートを見つけ、それを覚えて、維持していくという練習をしました。

 ポイントはいつも言われている通りです。腹圧をしっかりと徐々に高めていく事。ノドの奥を縦に開いていく事。ノドの奥は決して閉じない事。息はしっかり鼻腔に入れていく事。

 そうして見つけた良い息のルートをキープして歌うのです。

 その良いルートから外れて息が漏れてしまったり止まってしまったりすると、息にフタが被さってしまったり、息が吐けなくなってしまったりして、声が裏返ってしまうわけです。

 私の場合、多少、息のルートが間違っていても、高いGまでは(力技で)出てしまいます(テノールですもの)。問題はそこから上です。A♭から上の音は、息のルートを間違えてしまうと、力技でも上手く出せません。いやむしろ、力技に頼った段階で失敗します。

 しかし息の良いルートの確保がしっかりなされていれば、現状、Bまで行けちゃます。それほど、息のルートって大切なのです。

 息の良いルートを確保したら、そこにしっかりと息を吐きます。息をケチってはいけません。たくさん息を吐いて歌います。

 実は声って、息を吐かなくても出せないわけではありません。息をケチって歌う癖(キング先生のところでは奨励されていたので、私にもこの癖があります)が付くと、息を使わずに声が出るようになります。デスヴォイスのように、声帯が自律振動して声が出るようになるんです。つまり、ノドの力で声が出るようになるわけで…そりゃあ見事なノド声になるわけです。ノド声を回避するためには、しっかり息を吐いて歌わないといけないのです。

 さらに声の準備も大切です。歌の半拍前に腹圧を高めて、子音から歌い始めて、目的の音程まで子音で持ち上げてから母音を歌い出す…という行為を毎回毎回しっかり行うのです。

 そしてガーって歌わない事です。子音のある音は、子音を歌い出す事で、ガーっと歌うことを回避できますが、子音のない音(母音だけの音)の場合、子音というクッションがないため、いきなり母音からガーって歌いだしてしまうわけで、それはよくありません。子音がなければ、息だけを通して、その息を目的の音程まで持ち上げてから歌うようにしましょう。決して、破裂音のような感じで母音を歌いだしてはいけないのです。

 たかが、息のルートを確保するだけですが、本当に難しいですね。

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2018年5月28日 (月)

声楽を始めるにあたり、まず何から始めたらいいでしょうか?

 実は、先日のLFJの声楽マスタークラスで、これと似たような質疑がありました。天羽先生は「お好きな曲を練習なされたらよいでしょう」という答えをしていましたが、それはおそらく、質問者の意図や経歴、歌手としてのレベルが分からないから、そう答えざるを得なかったようです。

 実際、質問者の方は、今回始めて、クラシック系の声楽曲を聞いた…そうなんのです。つまり、本当に何も知らない全くの素人さんって事です。

 私なら、そういう全く何も知らない素人さんから、そういう質問をされたら、どう答えるか…考えてみました。

 まず、質問者の年齢と本気度を確認しないといけません。

 若い人なら、これから本格的に勉強すれば、プロに成れるかもしれませんから、そのあたりまで見通して答えてあげないといけません。いい年したオトナなら…そこまで突き詰める必要はないでしょうけれどね(笑)。

 本気度…つまりは、カラオケ上手になりたいレベルなのか、かなりガチで勉強したいのかって事です。もちろん、若い人の場合は、ガチからプロへの道があるでしょう。

 次に確認しないといけないのは、どこに住んでいるのか、どれくらいの経済的な余裕(あるいは家族の協力)があるのか…です。東京はもちろん、関東近郊なら、まあ良いです。しかし、地方在住者となると…よくよく話を聞かないといけません。実際、LFJで質問した方は、地方在住の方で、宿泊しながらLFJに参加していたようなのです。地方在住だと、本当に、学びの選択肢が狭まります。あと、声楽に限らず、ピアノ以外の音楽を勉強するってのは、お金がかかります。遊びの延長で学んだとしても、かなりかかります。ガチで勉強するとなると、本当にかかります。

 なぜ、そういう事を私があれこれ考えるのかと言うと、結局、クラシック声楽って、独学できないからですし、独学できるような教則本や練習曲集が無いからです。

 つまり、クラシック声楽を学ぶならば、まず最初にしなければいけないのは、先生を探すことなんです。それも自分の目的を理解し、自分と(人間的な)相性が良い先生を見つけないと始まらないからです。

 じゃあクラシック声楽の先生はどこにいるか…ですが、その前に、クラシック声楽の先生って、私が思うに、3タイプの方がいると思うのです。

 1)演奏家の方が副業として声楽教師をしている。
 2)元演奏家の方(現教育関係者または現指揮者)が副業/本業として声楽教師をしている。
 3)ピアニストの方(たいていコレペディさん)が副業として声楽教師をしている。

 私が見るに、まあだいたい、この3つのパターンのいずれかなんです。そして、この3パターンに共通する特徴としては、東京近郊にお住まいなんです。

 と言うのも、声楽関係の音楽家の方々って、原則的に東京近郊に多くいらっしゃいます。と言うのも、声楽関係の仕事って、日本だと東京に集中しているからです。地方だと、学校の音楽の先生以外に、音楽家の仕事って…まあないし、地方で必要とされている音楽仕事って、すでにその地方にいる少数の音楽家(たいていはポピュラー系の音楽家たち)に独占されているので、そこにクラシック系音楽家たちが移住していく事って、まあ無いし、地方の仕事は、東京から出かけていって行ってくるので、本当に地方在住のクラシック声楽家って、本当に少ないのです。

 まあ、地方にも、一応、オペラカンパニーはありますから、地方在住のクラシック声楽家の方はゼロってわけではないけれど、東京近郊の人数から見れば、限りなく少ないというのが実情なわけです。

 なので、現実的な話、クラシック声楽を学ぼうと考えると、東京近郊にお住まいの先生のところに通う…という事になる事が多いのですが、これが地理的/金銭的に難しいケースもあるわけです。

 ここなんだよね、クラシック声楽を学ぶ難しさってのは…。

 独学がある程度効けば、自分ひとりで勉強して、モノになりそうだなって思った段階で、東京に出るなりなんなりができますが、クラシック声楽の場合は、初歩の段階から先生について学ばないと難しいわけです。

 ピアノ教師のように、演奏経験がなくても、教師専業でやられている方って大勢いらっしゃるし、都会ばかりでなく、ある程度の地方都市なら先生はいらっしゃるものですが、クラシック声楽となると、演奏経験無しで先生やられている方は少ないですし、地方都市にお住まいの方も少ないのです。

 難しいんだよね。

 あと、クラシック声楽の先生って、看板出してない先生が多いしね。ウチの近所にも、声楽の先生はそこそこいますが、皆さん看板出してないので、知る人ぞ知るって状態です。

 これは声楽教師を専業でやられている方が少ないからなんだろうと思うからです。ピアノの先生なら、電話帳(って古いか?)でも探せますが、クラシック声楽教師なんて電話帳じゃあ見つけられないからね。ネットで探せないわけではないけれど、ネットで見つけても、自分の生活圏とはかけ離れた地域の先生じゃ意味ないしね。

 なので「声楽を始めるにあたり、まず何から始めたらいいでしょうか?」って質問に対しては“まずは自分に合った先生を見つけましょう”が答えになりますが、その先生を見つけるのが初心者には大変なのです。なので、本来ならば“あなたならば○○先生に習われるのがよいでしょう”とアドヴァイスしてあげる事が必要なのでしょうが、世の中、そんなに甘くないんだよね。

 生徒側に先生を探す(選ぶ)権利があるように、先生側にも生徒を引き受けない(選ばない)権利があるし…ね。

 ああ、ほんと、いろいろ難しいーわ。

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2018年5月27日 (日)

我々の目から何を隠したいのだろうか?

 最近は忙しくて、ニュースなど、ちゃんとチェックできていない私です。ですから、テレビから漏れ流れてくる情報をただ受動的に受け取るだけで、本当にダメな状態なのですが、そんな私の耳に飛び込んでくる情報と言うと、その多くは、いわゆる“モリカケ問題”です。

 一体、いつまでやるつもりなんでしょうか? 未来永劫、モリカケるつもりなのでしょうか? 聞けば、モリカケ問題のせいで、国会が空転していたとか? 空転の是非については、その間の事情を私は知らないので、その部分については批判しないし、必要があって空転してしまったのなら、それはそれで仕方ないだろうと思ってます。

 まあ、政治は国会だけで動いているわけではないし、いくら国会が空転していたとしても、政府も内閣も各省庁および官僚の皆さんも動いているわけだし(実際、私も最近、文科省詣をしたし…ね)、中央地方問わず公共団体の皆さんも忙しく働いているわけです。その中には、我々国民が知らなきゃいけない事、注意しなければならない事、それこそ報道で知るべき事柄ってたくさんあると思うのです。それらを差し置いて、モリカケ問題ばかりが報道されているわけで、あんなどーでもいいモリカケに報道時間の多くを割くことで、一体、何を隠したいのか、何を報道したくないのかが、とても気になります。

 マスコミは、モリカケを報道することで、我々を何から目眩まししているのでしょうか?

 何か国内問題で、我々が知っては(マスコミ的、および、そのスポンサー的に)マズい事でもあるのでしょうか? あるいは、外交問題で、国民の目をそらしておいた方が良い事があるのでしょうか? なんであれ、我々の国益とか国民生活とかに影響ある事が隠されているのなら、とても由々しき問題だと思うわけです。

 昨今、北朝鮮に捕虜にされていたアメリカ人が解放されましたが、捕虜にされている日本人(拉致被害者とも言います)の解放は、一体どうなっているのでしょうか? アメリカと北朝鮮の戦争は、いつ始まるのでしょうか? 東シナ海もきな臭いですが、武力衝突などは起こらないのでしょうか? アメリカからふっかけられている関税問題はどうなっていくのでしょうか?

 いやいや、この手の問題は、時間は少なくとも、一応、報道されています。肝心なのは、ちっとも報道されていない事柄でしょう。

 例えば、赤○は、共○党支持者たちの皆さんが購読されるのは当然ですが、地方のお役所の皆さん方の一部は、別に○産党支持でもなんでもないのに、共○党の市議の皆さんのお勧めで、○旗を購入せざるを得ない状況に置かれている事なんて、あまり大きく報道されていないけれど、政治資金という観点で考えるならば、これも結構大きな問題だろうと思うのだけれど、報道されませんよね。

 テレビ新聞が、どーでもいい事を大声で騒ぎ立てている時って、何か大切な事が起こっているんじゃないかと、心配になって、仕方ありません。

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2018年5月26日 (土)

ドジョウが失踪している?

 3匹いるはずのドジョウなんですが、どうも最近、ドジョウが1匹しかいないようなのです。いるのは、たぶんミゾレ…だけ。

 毎朝のエサの時間にも姿を見せるのはミゾレだけだし、水替えの時に水槽の砂をザクザクやるんですが、そこで見かけるのもミゾレだけ。他の子達の姿を全くと言っていいほど見かけなくなりました。

 以前も、いるはずのクロがいつの間にか水槽から消えてしまったし、今回もまだ確証は持てないとは言え、オボロとヒョウが消えてしまった…ようなのです。

 水槽から消えてしまったと言っても、水槽から飛び出してしまったわけでもなさそうです。もしそうなら、水槽外に姿が見えるはずですからね。じゃあ水槽内にいるのか…と言えば、ううむ…という感じなのです。メダカサイズならば、金魚に食べられてしまったと言えますが、ドジョウは水槽の中では、一番大きいサイズの子ですから、仮に金魚が食べたとしても、必ず食べ残しがあるだろうし、何より水槽の水が極端に汚れるはずですが、そういう事はないのです。

 なので、失踪してしまった…という表現しか取れないのですが、果たしてオボロとヒョウはどこに言ってしまったのでしょうか?

 まったく、ドジョウのやることは、全く分かりません。

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2018年5月25日 (金)

せめてパスタマシンをイメージしたい

 さて、本日も前回からの続きで、声楽のレッスンの話です。

 曲のレッスンをはじめました。まずはベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」です。

 私の声は、アタリが強くて、そこから徐々に減衰していくタイプの声なのだそうです。つまり、ギターやピアノのような撥弦楽器のような声なんだそうです。まあ、こういう声って、本来的にポピュラー音楽のスタイルであって、クラシック声楽のスタイルではありません。これをクラシック音楽のスタイルに、そろそろ直していきましょうと言われました。

 ちなみに、クラシック声楽では、声はフワッと出したら、そのままの強さをずっとキープして、スーッと終えるのが理想です。楽器に例えるなら、ヴァイオリンのような擦弦楽器のような声が良いわけです。あるいはフルートやパイプオルガンのような管楽器系の感じでも良いかもしれません。

 Y先生の言葉では「ところてんのような声」が理想なんだそうです。まあ、ところてんではあまりに安価なので、せめて「パスタマシンから出てくる打ちたての麺のような声」とか言って欲しい気もします。

 とにかく、一度出した声をなだらかに減衰させちゃいけないのです。私自身は減衰させているつもりはないのですが、それでも声が減衰してしまうのは、筋力が貧弱なために、無意識に減衰しているようなのです、情けない。

 私は基本的には、歌手や笛吹きではなく、ギタリストなので、あれこれとギター的な発想をしがちなのですが、楽器として音を出す…となると、無意識に美しいギターの音を意識して声を出そうとしているのかもしれません。どうせイメージにするなら、美しいチェロの音でも意識すればいいのにね。

 せめて音取りで使っているシンセ(笑)の音色をピアノじゃなくて、オルガンとかヴァイオリンとかに変更すると、だいぶイメージ変わるのになあ…とその時は思いましたが、私のシンセ、一度スイッチを切って、入れ直してしまうと、必ずピアノの音になってしまうわけで、ついつい喉元を過ぎてしまえば、すっかり忘れて、ピアノの音で音取りしています。ダメだな。

 とにかく、当面はつまらない声になってしまうかもしれないけれど、ヌボーとした声で歌う事を癖づけないといけないようなのです。それが身についたら、そこから声を磨けばいいわけなので、頑張ってパスタマシンのような声を目指していきたいと思ってます。

 次は同じくベッリーニの「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」です。

 この曲は、細かい音符が多くて、比較的黒い楽譜なのですが、黒いが故に、しっかり声を支えて歌わないと、あっという間に音程がとっちらかってしまいます。声を息でしっかり支えていけば、そうそう音程を外さないモノなのです。

 細かい音程の箇所を細かく細かくチェックを入れて歌いました。あんまり細かくチェックを入れていったので、Y先生が「細かくてイヤになったら言ってください」と言ってましたが、私はM的気質があるのかもしれませんが、注意されるのって、あまりイヤだとは思わないのですよね。

 この曲の最後のフレーズは、まるでオペラアリアのバリエーション(イメージ的には、ドニゼッティの「愛の妙薬」の「人知れぬ涙」のバリエーション)のようなフレーズがあるのですが、これが歌ってみると、なんともつじつまが合わないのです。音符の数を正しく歌うと、ゴールが低くなり、ゴールの音程を意識すると、音符をあと一つ多く歌わないといけません。なぜそういう事が起こるのかと言えば、その部分はアカペラなのですが、私が歌う音程の幅が、少しずつ狭くて、それが積み重なってゴール付近になると、音符1個分音程が足りなくなっているって寸法なんです。ダメっすね。特に臨時記号の箇所あたりで大きくヘマっているような感じです。つまり、音程の幅の正確性が大いに欠け、いい加減に歌っているので、そうなってしまうのです。歌っている時は、そんなにアバウトに歌っているるつもりはないのだけれど、歌ってしまうと、不思議に足りないのですよ。

 これまた不思議な現象です(笑)。ま、音感が無いのが原因でしょうが…ねえ(汗)。

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2018年5月24日 (木)

少し前のレッスンの話でごめん

 声楽のレッスンに行ってきました…が、今回の記事は、LFJの記事をアップしていた都合もあって、なんとGW前のレッスンの記事です(笑)。なので、すでに一ヶ月ぐらい前の話になってしまいます。

 さて、ハミング練習からです。今回のハミング練習は、ひたすら軽い声で、鼻腔の上の方を意識して発声する事を念頭に置いて行いました。絶対に声を落としてはいけません。そしてノドの圧力は決して使わずに、ひたすら腹圧だけでハミングをするように言われました。

 次は発声練習です。今回の発声練習では、ノドを鳴らさずに、響きだけで歌う練習をメインに行いました。

 と言うのも、普段からノドを鳴らして歌いがちな私ですが、この日は特にノドが鳴っていたのです。歌以前に、普通に話をしている状態でも、ノドがビリビリと鳴っていました。まるで、弁士のような演説声になっていたわけです。私にしては太くて低い声が、よく鳴っているわけで、歌でなければ、これはこれでアリなんでしょうが、この日の私は、歌には向かない声だったわけです。

 話し声の段階でバリトンよりも太い声だと言われてしまいました。

 まあ、そんな日もあるよね。たぶん、適度に声帯が腫れていたのかもしれません(もう、昔の話なので、なぜそうだったのか、よく覚えていません)。

 こんな“鳴り過ぎているノド”からノドの鳴りを取って、息の流れで声を出せるように整えていきます。

 ノドが鳴らないように、十分にノドを脱力し、ノドを脱力した分、腹圧を高めていきます。これが案外難しいのです。

 で、ノドを脱力していくと、脱力のやり方が悪いせいもあるのだけれど、声が浅くなってしまいます。声は奥から深めに出さなきゃダメです。だから声を奥へ奥へと引っ込めていくのだけれど、いくら引っ込めても、全然足りません。その上、一瞬でも気を抜くと、あっと言う間に声は前に出てしまいます。つまり、本日の私の声は、浅くて良く鳴る声って事になります。ああ、そういう声って、マイク乗りは良いらしいのだけれど、全くクラシック向けじゃない声だなあ…。

 いつも言われている事だけれど、高音への準備は早め早めに。準備とは、十分に腹圧を高め、ノドを開いていく事です。早め早めとは、時間にすると、約半拍程度早めに行います。また、腹圧は下方向に掛けると同時に、上方向にも掛けていきます。ただし、均衡を保つ必要はなく、徐々に上方向に強めに掛けていきます。

 毎度毎度同じような事を書いて記事にしているような気もしますが、実際、声楽のレッスンなんて、同じことの繰り返しなんだから仕方ないです(汗)。それにしても、よくも飽きずに毎度毎度丁寧にご指導くださるY先生に感謝です、ほんと。

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2018年5月23日 (水)

やっぱり、ピアノとオーケストラなんだろうな

 LFJの過去三年間のマスタークラスで開講された講座を、特別講座という名の講演会を除いて、楽器別にカウントしたら、以下のようになりました。

 21回 ピアノ
 7回  ヴァイオリン
 4回  チェロ
 3回  ヴィオラ
 1回  ヴィオラ・ダ・ガンバ,ギター,ハープ,クラリネット,ソプラノ

 全部で40講座ですから、なんと過半数がピアノのマスタークラスだったのです。また、ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロ,ヴィオラ・ダ・ガンバなどの弦楽器たちは、合わせると15クラスで4割弱。それら以外の楽器は、ギター、ハープ,クラリネット,ソプラノで、それぞれ各1回という状態でした。

 マスタークラスと言えども、LFJで行うわけであって、音楽大学等で行っているわけではありませんから、どの楽器を行うかを決める基準の一つに、客の入りがあります。つまり、多くのお客さんたちに来てもらえる楽器のマスタークラスを開催するわけで、そう考えると、LFJの客層的には、何と言ってもピアノが一番人気で、次がヴァイオリン,チェロなどのオーケストラの弦楽器たちという事になります。

 つまり、LFJのお客って、ピアノ好きとオーケストラ好き…と見られているわけです。

 ピアノは鑑賞好きはもちろん、自分で演奏する方も大勢いるでしょうから、分かります。オーケストラ好きは、演奏する人もいないではないでしょうが、専ら鑑賞好き、つまり“クラヲタさん”たちがターゲットだろうと思います。

 不思議に思ったのは、LFJの主催者側は、大勢いる吹奏楽関係の人たちを軽視しているらしいって事です。

 と言うのも、もし吹奏楽を普通に扱っていたら、トランペットとかサックスのマスタークラスが常設されると思うのですよ。でも無いでしょ? だいたい、それ以前に、そもそも吹奏楽というジャンルの音楽が、LFJ…特に東京では滅多に聞かれないでしょ? そこが、案外気になるのですよ。

 今はやっていない、地方のラフォルジュルネでは、吹奏楽って活躍してましたよね。たくさんの吹奏楽関係のプログラムがあったのに、ここ東京は、吹奏楽は冷飯食らいです。ほんと、カゲ薄いんです。

 それくらい 吹奏楽ファンはナメられているんだと思います。ほんと、扱い、軽すぎるよね。

 合唱や声楽に関しては、有料無料のコンサートは、毎年一定数行われているのに、マスタークラスは今回始めての登場でした。ここもちょっとおもしろい傾向だろうと思います。おそらく、合唱や声楽の場合、客の入りが不安視されているのではなく、マスタークラスを開催するためのハードルが高いために、なかなか行えなかったのかもしれません。

 さてさて、つまり結局、日本のクラシック音楽って、なんだかんだ言っても、ピアノとオーケストラなんだよね。もう少し突っ込んで言っちゃえば、日本のクラシック音楽の中心はピアノ音楽であり、そのカウンターパートとしてオーケストラ音楽がある…って感じなんだと思います。

 まあ、実際、そうなんだよね。

 声楽はともかく、吹奏楽と合唱がこんなに盛んなのは、日本の特徴かもしれないけれど、でも、その特徴をうまくすくい上げられなかった事が、地方のLFJ離れに繋がっていったのかもしれません。

 マルタンは、吹奏楽を好きではなさそうだしね。合唱は好きそうだけれど、あくまでも古楽の合唱が好きで、現代合唱曲(それも邦人作曲家の作品)は好みじゃないんだろうね。

 まあ、そんな感じ、そんな感じ。

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2018年5月22日 (火)

LFJ2018 その12 結局、歌は筋力なんですよ

 さて、声楽のマスタークラスのさらに続きです。

 ここで先生は面白い事をし始めました。それは何かと言うと…鉛筆をくわえたまま歌う…という練習方法の紹介です。本当に鉛筆(ペンでもなんでも細長い棒なら可)をくわえます。くわえ方は…サザエさんのマンガでネコがお魚をくわえる、あのくわえ方です(って、分かる?)。両方の犬歯のあたりで鉛筆をかみます。で、そのまま歌う練習をするのです。

 これは上アゴを上げっぱなしにするための練習なんだそうです。で、上アゴが上がりっぱなしになると、自動的にノドが下がるんだそうです(結局、目的はノドを下げる事のようです)。

 私的には、鉛筆をくわえてしまうと、クチが横開きになってしまうので、ちょっと無理かな?って気がします。クチを縦開きにしつつ鉛筆をくわえるには、かなり前方で鉛筆をくわえないといけないので、そんなクチの先端で鉛筆をくわえると…“鉛筆をくわえる”ではなく“鉛筆をかじる”って感じになります。なので、ちょっと無理かも。たぶん、私はクチビル周辺が小さいのかもしれません…。つまり、おちょぼ口なのかもなあ…。

 歌手は自分の声を内耳で聞いているので、自分の声や響きが分からないし、録音しても響きは録音されないから、結局自分では自分の声は分からないのです。とりわけ、響きに関しては、他人の耳を信用するしかないわけで、そこが歌を学ぶのに、独学が適さない理由であり、歌を学ぼうと思ったら、ちゃんとした先生について学ばないといけないのです。

 でも、良い先生の元で学べたとしても、先生のいない場所や時間の自習は大切なわけで、その時間を有効に使うためにも、自分の声を外耳でも聞けるようになると、本当はいいんでしょうね。そのためには、反響の良い部屋で、声と反響音に多少の時間差がある場所で練習できればいいのでしょうが、そんな練習環境のある人って…まずいないよね。

 歌う時に「さあ、歌うぞ」って感じで身構える人が大勢いるけれど、そんな事は決してしてはいけないのだそうです。と言うのも、身構えるって事は、カラダを硬くしてしまうだけであって、歌う時は、カラダを柔らかくしておかないといけないので、決して身構えてはいけないのです。フワっと歌い始めるのがベストなんだそうです。

 高音を歌う時は、狙って出そうとしたら、まず出ないのだそうです。と言うのも、狙うという行為も身構える行為の一種であって、狙った瞬間にカラダが硬くなってしまうからダメなんだそうです。高音を歌う時は“Wow!”ってイメージで出すんだそうです(ほとんどオカルトですね)。

 装飾音符は見せびらかしのために歌うんだと自覚し、しっかりたっぷり見せびらかして歌わないといけないのです。ピンポンダッシュのように、チャチャってやり過ごすのは絶対にダメなんだそうです。

 歌手は顔が命です。その人の顔色をうかがうだけで、その人が高音を出せるかどうか分かるんだそうです。真面目くさった真剣な顔つきの人は絶対に高音を出せません。高音は、キラキラの笑顔からでないと出ないんだそうです。

 で、歌で一番大切なのは、息であって、その息をしっかり鼻腔まで届かせ続ける事ができないと歌は歌えないのです。そのために、筋トレが大切なんだそうです。で、先生自身もスキマ時間に筋トレをし続けているんだそうです。なにしろ、ゴム製のエキスパンダーを常にカバンに持ち運んで、発声練習の度毎に筋トレしているんだそうです。

 このエキスパンダーを縦に持って、声帯を引っ張る感覚と連動させながら筋トレしているそうです。ちなみに、妻はさっそくその気になって、このマスタークラスの翌日に、近所のスーパーでゴムのエキスパンダーを買い込んでいました。

 舌根がかたくなる人は、基本的に支えが弱いのだそうです。支えが弱いからと言って、横隔膜を硬くしてはダメで、支えが弱い人は、ひたすらインナーマッスルを鍛えないといけないのです。

 とまあ、声楽のマスタークラスはこんな感じでした。他にも「いい男を見つけた時の顔で歌う」ってのも何度も言ってましたが、私には理解できないので、うまく書けなかったし、その他にも色々たくさんの事をおっしゃっていましたが、私が理解できなかった事は書けていません。残念です。それでも、声楽のマスタークラスで、私は多くの事を学べました。あとは、学んだことをいかに実践できるか…ですね。

 あと、マスタークラスの客層的には、ソロで歌っている人よりも、合唱で歌っている人の方が多い感じでしたが…天羽先生の教えは、その多くは、あくまでもソリスト向けの話ばかりで、これをそのまま合唱でやったら、たぶん、合唱をぶち壊してしまうような気がします。だって「いかに声を飛ばすか、いかに大きな声を出すか、いかに高い音を出すか」って内容のレッスンだったからね。高い音はともかく、合唱で声を飛ばしたり、大声だしたら…怒られちゃうよね。

 LFJのマスタークラスって、音楽ファンとかアマチュア音楽家を対象にしているわけで、結局、そういうアマチュアさんの中には、歌を志す人は少ない上に、かろうじている歌う人も、そのほとんどが合唱なわけで、そういう中で声楽のマスタークラスをやるってのは、運営側の英断であって、私はそれを支持しますが、来年も(先生は変わっていいので)声楽のマスタークラスをやってくれないかな…なんて期待していたりします。

 声楽のマスタークラスも良いけれど、合唱、あるいは声楽アンサンブルのマスタークラスをやると、たぶん、大入り満員になるんじゃないかしら…って、ちょこっと妄想しました。

 さて、これで私の今年のLFJは終わりです。声楽のマスタークラスに大満足で、帰りはすごくいい気分になったので、銀座に出て、牛タン食べました。贅沢だね(笑)。

 どんどん規模が縮小していくLFJですが、来年はあるのかな? 私的には、なんだかんだ言っても、今年も楽しめたので、来年も期待しているんだけれど…さあ、どうなんだろうなあ。

 継続希望! LFJ!

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2018年5月21日 (月)

メトのライブビューイングで「ルイザ・ミラー」を見てきました

 LFJの連載もそろそろ終わりなのですが、今回はそれをお休みして、こちらの記事をアップしたいと思います。

 まあ、標題の通りです。出かけてきました。本当は、忙しいし、疲れているし、パスしようかと一瞬頭をかすめましたが、頑張って行ってきました。

 結論を言うと、頑張って見てきてよかったです。これはとてもお薦めの上演でした。

 指揮:ベルトラン・ド・ビリー
 演出:エライジャ・モシンスキー

 ルイザ:ソニア・ヨンチェヴァ(ソプラノ)
 ロドルフォ:ピョートル・ベチャワ(テノール)
 ミラー:プラシド・ドミンゴ(バリトン)
 ヴルム:ディミトリ・ベロセルスキー(バス)
 ヴァルター伯爵:アレクサンダー・ヴィノグラドフ(バス)

 まず「ルイザ・ミラー」というオペラ。ヴェルディの作品であるけれど、あまり有名な作品ではありません。ソプラノとテノールに有名なアリアがあるので、アリア集などの楽譜集には掲載される事はありますが、全曲演奏のCDやDVDも少なく、上演機会も多くありません。私も今回見るのが始めてだったのですが、捨て曲が無い音楽的に優れたオペラでした。まあ、ストーリー的には、オペラにはよくある陳腐な話(バカなテノールが事態を悪化させて悲劇に向かう)なので、ストーリー重視の方には呆れられるかもしれませんが、音楽はなかなかのものでした。「マクベス」と「リゴレット」の間の時期のオペラ…と言うと分かるかもしれませんが、彼が爆発的な人気を得る直前の、いわゆる初期~中期頃のオペラで、後のヴェルディを彷彿させるような音楽があっちこっちにたくさんあって、ほんと楽しめました。これはもっと有名になっても良いオペラだなあと思いました。

 で、作品自体もよかったのですが、それを演じる歌手たちが素晴らしかったです。

 ルイザを演じたヨンチェヴァは、トスカの時にも感じましたが、彼女は若い小娘を演じるのが上手いのかもしれません。彼女の歌も演技も、しっかりとルイザの若さ(小娘感)が出ていて、よかったです。ルイザという役は、かなり歌唱が難しそうですが、それを感じさせないほどに巧みに歌っていました。これは初役だそうですが、なかなかハマっていたと思います。

 もう一人の主役である、文字通りの王子様役であるロドルフォを演じたベチャワは、この役の愚かさを十分に演じきっていたと思います。ほんと、見ていて、イライラするほどの若さとバカさをうまく表現していたと思います。もちろん、歌唱も合格点。第三幕の重々しい箇所の歌唱も私的には満足です。

 で、役的には単なる脇役にすぎない、ドミンゴ演じるミラー(ルイザの父)はすごかった。何しろ、彼が舞台にいる時は、ほぼ彼が主役になってしまうのだから(笑)。そのカリスマ性は理屈じゃないです。共演しているソプラノやテノール(本来の主役たち)はやりづらくないのかしら? あと、いつもながらの事ですが、ミラー役はバリトンの役なのですが、ドミンゴはバリトン役をテノール声で演じています。実際、メトの(日本語版)ホームページにも、劇場で配られレジュメにもドミンゴはテノールと記載されています。彼はバリトンに転向したはずですが…今回はテノールとして開き直って歌っているのかしら? それはともかく、本来バリトン役であるミラーをテノール声で演じる事の是非はあるとは思うものの、それを横に置いても、ドミンゴの歌唱と演技は素晴らしかったと思います。ミラーという役が、そもそもテノールを念頭に置いて書かれたんじゃないかしら?と錯覚してしまうほどです(そんなはずは無い!)。

 今回の「ルイザ・ミラー」は、ドミンゴを見るため上演である…と言い切っても良いかもしれません。少なくとも、彼が座長だよなあ(笑)。

 ヴルムとヴァルター伯爵(ロドルフォ父)のバス二人も水準以上だったと思います。まあ、二役とも、もっと重鎮な歌手が歌っても良い役ですが、これはこれでアリだと思いますし、バス同士による二重唱も、なかなか良かったですよ。

 指揮は、本来はレヴァインの予定でしたが、変更してド・ビリーになりました。私はこの指揮者については何も知りませんが、特に問題はありませんでした…ってか、レヴァインがいれば、音楽作りは彼に任せるのだろうけれど、彼がいなくても、今回は指揮者も普通にやっている“生ける伝説”のドミンゴが座長だから、当然と言うか、彼の意見が反映されているのだろうから、問題がないのは、当然と言えば当然でしょう。

 それにしても、公演のキャンセルがあったり、来年からはいよいよ音楽監督も交代だし、レヴァイン、大丈夫なのかな? もっとも、彼の場合、健康問題もさりながら、セクハラ問題もあるわけで…昨今のアメリカのエンタメ界はセクハラにウルサイからね…。レヴァインは、このまま引退…って事になるのかな? レヴァインは大指揮者だけれど、晩節を汚しちゃったねえ…。

 演出は…時代設定をオリジナル設定よりもだいぶこちら側に引き寄せた、いわゆる現代演出なわけだけれど、見ていて全然違和感ありませんでした。いやむしろ、そもそもの設定どおりに男性たちがチョーチンブルマを履いて出てくる方が、今や違和感が生じるでしょうから、これはこれでアリでしょうね。

 という訳で、メトの「ルイザ・ミラー」は、かなりお薦めだと、私は思います。

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2018年5月20日 (日)

LFJ2018 その11 歌は楽に歌わないといけない

 声楽マスタークラスの続きです。

 声の響きは鼻腔で作るものです。だから、息は前に出さずに鼻腔に届かせます。あくまでも“届かせる”のであって“入れて”はいけないのです。なぜなら、声を鼻腔に入れてしまうと鼻声になってしまうからです。じゃあ“届かせる”というのは、どういう感覚なのかと言えば、鼻の頭に付いているホコリをフッと吹き飛ばすような感覚で、息を鼻まで届かせるって感覚なんだそうです。

 クレッシェンドは、単に音が大きくなるだけでなく、アッチェレランドも一緒にかけていくのが、ベルクのやり方なんだそうです。つまり、音楽記号って、作曲家ごとに、癖のある使い方をするケースもあり、そういう作曲家の作品を演奏する時は注意しないといけないって事です。

 息は積極的に使っていきましょう。息の使い方が分かりづらければ、それを可視化すると良いのです。例えば、腕を平泳ぎのように動かして、息と腕の動きを連動させて歌うと、息の使い方がうまく可視化できるわけです。で、その可視化された息を意識化させるわけです。

 目は常に見開いて、鼻も常に開いて歌うのです。また息は、勢いよく出すのではなく、常に温かい息として吐くように心がけます。

 二重母音の発音に関しては、後の母音は曖昧母音で全然OKな代わりに、音程的には前の母音よりも高めに歌うのがコツなんだそうです。

 ポジションが下がりやすい人は息が弱い事が多いので、常にポジション高く歌うためには、息をいつでも鼻腔まで届かせるように、勢いよく(ただし温かい息で)出していく事が肝心です。

 結局、ベルクの「夜」に関しては、曲の解釈や歌い方ではなく、終始、発声発音のレッスンとなりました。で、残り時間がだいぶ少なくなってきたので、ここでコルンゴルトに曲を変え、生徒さんが一度通して歌いました。

 歌い終わって、開口一発、先生が興味深い事を言いました。それは「ペットボトルを慈しむように歌ってください」です。分かります? 実際に先生が、ペットボトルを手に持ち、それを慈しむような動作をしながら歌った時に、私は天羽先生の真意が分かりました。これって、Y先生が常々「歌は粘っこく、粘るように歌う」と言っているのと同義だなと思ったわけです。

 どうも、このマスタークラスで天羽先生がおっしゃっている事と、私が普段のレッスンでY先生から言われている事は、その表現方法は違っていても、その内容はほぼ一緒だと思いました。そして、私とマスタークラスの生徒さんでは、全然歌のレベルは違いますが、それでも注意されることは一緒って事は、それだけ歌の発声ってのは、難しくて、同じことを毎度毎度注意されながら、一歩ずつ前進していく事なんだなって思いました。

 母音の話がありました。ア母音を歌う時はオを、イ母音を歌う時はウを、エ母音を歌う時はアを、それぞれ感じながら歌わないといけないのだそうです。特に音程が上がっていく事は、これが大切で、そうしないと、声が前に飛び出してしまうのだそうです、桑原桑原…。

 上行跳躍音型では、準備は早めにしないといけません。で、その準備とは、クチから突っ込んだ腕が腹の中にまで届くほどに、そこまでカラダ全部を開けっ放しにした上で、事前に息を鼻腔まで届かせておく事です(あくまでも比喩表現です)。それくらいに、あっちこっち開けておき、腹圧を高めて、鼻の頭のホコリを吹き飛ばすくらいやって、準備完了ってわけです。こりゃあ大変だ。

 息は声が音程に届いたからと言って、そこで止めず、常に流し続けます。その流し方も、ただ単に流すのではなく、息を回しながら流していきます。その回す回転速度は、一拍で一回転ぐらいのようです。大切なのは、息のヴァイブレーションなんだそうです。(分かります?)

 で、なぜここまで何度も何度も“開ける”という事を言っているのか…それは、カラダに負担をかけないためなんだそうです。別にカラダが閉じていても、声は出ないわけではありません。ただ、閉じたカラダから声を出すには、かなりの負担をカラダにかけていかないといけないわけで、それでは歌っていてシンドイし、聞いているお客さんもシンドイし、何よりも長い時間歌い続けられません。だから、楽に歌うために、カラダは開けっ放しにし、息は送りっぱなしにして歌うのだそうです。

 さて、今回も長くなってきたので、ここらでお終いにします、続きはまた明日。

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2018年5月19日 (土)

疲れました…

 疲れました…いや、ほんと、疲れた。さすがに仕事が忙しすぎて、精神的に疲れてしまいました。ブログを書く気力すらない…すいません。

 という訳で、今日もお休み。一週間のうちに2回もお休みするなんて、自分でもどうかと思うけれど、でもブログを書く気力がないんだよ。

 ネタなら、まだまだあるんだけどね…ごめんね。

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2018年5月18日 (金)

LFJ2018 その10 (おそらく)LFJ初の声楽のマスタークラス聴講してきました

 バリトン氏のコンサートの後は、標題通り、声楽のマスタークラスを聴講してきました。

 それにしても、声楽って…人気ないなあ。マスタークラスは整理券方式で、開講の90分前から整理券を配布し、大抵の場合、その整理券はすぐに無くなり、もらえなかった人は、キャンセル待ち(整理券は会場5分前で効力を失います)の列を作って並ぶ…というのが、最近のマスタークラスの常套です。

 実は私たち、整理券配布の時間は、バリトン氏のコンサート開始時刻と重なってしまい、整理券をもらうことを諦めていたのです。で、バリトン氏のコンサートが終わってからでは、すぐに開講時間になってしまうので、キャンセル待ちにしても、かなり後ろの列になってしまい…おそらく会場に入る事はできないだろうけれど、まあダメ元で列に並んでみよう…と思って、コンサートが終わってから、ぼつぼつとマスタークラスの会場に向かったのです。

 そうしたら、会場には人があまりいないんですよ。列はありましたが、短いのが1列? 普通は、会場入りを待っている整理券を持っている人の列(座席は自由なので、良い席をゲットするために並ぶんです)と、キャンセル待ちの列の2列があるんですが、ふと見たら、列は1列しかないんですよ。

 あれあれ? もしかしたら…と思って受付に行ったら、まだ整理券が残っていました。はい、もちろん、整理券をいただきました。開講まで、そんなに時間もなかったので、そのまま入場の列に並んだのですが、思いっきり前の方でした。開場して座席をゲットしたら、前方中央部の良い席が確保できました。ううむ、ラッキー…だよね。

声楽マスタークラス

 ソプラノ:天羽明恵

 生徒の方は…大学院生じゃないかな? 用意していた曲目は、コルンゴルトのオペラ「死の都」のアリア「私に残された幸せ(マリエッタの唄)」と、ベルグの「7つの初期の歌曲」から「夜」と「夜のうぐいす」の3曲でした…が、結局歌ったのは、ベルグの「夜」とコルンゴルトの2曲だけでしたが…。

 ちなみに「夜のうぐいす」の“うぐいす”はナイチンゲールの事らしいです。そりゃあそうだ、うぐいすって日本にしかいない鳥って事で有名だからね。それにしても、うぐいすとナイチンゲールは全然違う鳥だし、鳴き声も全然違うのに、ナイチンゲールをうぐいすと訳してしまった先人の方は…ちょっと乱暴だよなあって思います。

 では、レッスンの内容に入ります。生徒さんはまず、ベルグの「夜」を歌いました。歌い終えたところで、先生は楽譜を閉じさせて質問します。この曲は、何拍子の曲で、何調で書かれていますか?と。

 なぜそういう質問をしたのかと、先生から解説が入りました。歌手の中には、自分の歌うメロディーと歌詞しか見ない人がいるけれど、それではダメで、少なくとも、この歌は何拍子で何調なのかぐらいは意識して歌って欲しいから…だそうです。確かに、この質問、私がされたら、まず答えられない(汗)。

 次に歌詞に関する質問をしていました。どんな内容の歌詞なのか、どこで歌われているのか、どんな情景なのか、季節はいつで、時刻は何時頃なのか? 最後は歌詞の逐語訳を求めていました。歌う前に歌詞の内容をしっかり把握しておけって事で、これは私もダメだなあ。

 さて、いよいよ歌の注意に入りました。

 まず歌い出しは大切だから、そこは気をつけて歌うようにと言っていました。これは単純に、フレーズの出だしを大切に歌えという話だけではなく、ドイツ語やイタリア語では、最初の語を言った途端に、文章全体が決まってしまうので、文章の最後まで見通してから歌いださないといけないのだそうです。ちなみに日本語は、言い終わるまで文章は決まらないという言語で、話しながらいくらでも結末を変更できるという、超フレキシブルな言語なんだけれど、そういう柔軟性は西欧の言葉にはないわけで、だから歌い出す前に、しっかりと結論を見据えて歌わないといけないんだそうです。言われてみれば、その通りかもしれません。

 歌はレガートで歌うこと。これは私が毎回Y先生に注意される事と一緒です。天羽先生は、これを「歌を草書体で歌う」という言い方をします。子音を入れる度に母音がブツブツ切れるのではなく、すべてが一筆書きのようにつながった草書体のイメージで歌うのだそうです。具体的には、息を切ることなく、息をつなげて歌うわけです。もちろん、草書体では字に大小があるように、歌の中ではそれぞれの音に強弱を付けていくわけですが、それでも息は切らない…これがレガートだと言うわけです。なるほどね。

 子音をたっぷり時間をかけて歌う事、子音を楽しんで歌うとも言ってました。その際、これはソプラノ特有のやり方なんだそうだけれど、子音を前に出すのではなく、上に流すようにして発音すると結果が良いのだそうです。

 また子音の音程は、母音よりも高くしておく事と注意されていました。これが逆に、子音の音程の方が母音の音程よりも低いと、音程が合っていても、何だからぶら下がった感じの音に聞こえるので、常に子音は高めの音程で歌うわけです。子音の音程が大切だとは、私もY先生に毎回のように注意されています。

 “りんご ごりら らっぱ” 常にフレーズの開始音は、直前に歌い終えたフレーズの声で始める事。そうでないと、レガートにはならないわけです。フレーズごとに声を変えて歌ってはいけないわけです。つまり、最終的には1曲まるまる同じ声で歌うわけです。生徒さんは言われてすぐにできるようになりましたが、我々アマチュアだと、これは難しいかもね。特に音域で声が違う人って、結構いるものね。私の場合、低い音域だと声が胸に落ちてしまうし、高い音域だと、ノドの奥が閉じてしまいます。で、Y先生に注意されるわけです。だって、これって音程を優先して、声を二の次にしてしまうため、声が変わってしまうからダメなんだよね。そこまで極端に変わらなくても、普通の高さの音でも、ちょっとした意識の違いで声が変わってしまう事って、結構あります。常に、同じ声をキープしたまま歌えるようにしないといけません。

 横隔膜の使い方にも言及していました。天羽先生のやり方は、横隔膜は常に下向けに張っていたいそうです。そうする事で、ノドが常に下がった状態をキープできるんだそうです。ちなみに、横隔膜の使い方に関しては、天羽先生とY先生が教えてくださるやり方は、ちょっと違っています。Y先生は「テノール特有の使い方だよ」と言って教えてくださっているのは、最初は天羽先生と同じなんだけれど、それだけでは不足で、横隔膜の中央部に関しては、上に引っ張り上げるのです。横隔膜は最初は下に、しかし中央部だけは上に、やがて全部を上に思いっきり引っ張りあげる…というのをやっています。

 声楽のマスタークラスはまだまだ続きますが、記事が長くなってきたので、今回はここまで。続きはまた明日。

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2018年5月17日 (木)

LFJ2018 その9 実はシナトラの曲が一番うれしかったします

 さて、LFJ最終日に、私は再び丸の内のLFJに行くことにしました。とは言え、GWは日々忙しいので、丸の内に直行するのではなく、メトのライブビューイングを地元の映画館で見てから、丸の内に行くことにしました。メトで見たのは「コジ・ファン・トゥッテ」でした。すでに記事に書きましたので、興味ある人はご覧ください。

 で、メトが終わったら、すでに2時過ぎでした。で、駅の立ち食いそば屋で昼飯(わさび菜とごぼうのかき揚げそば)を食べ、電車に乗って東京駅に行き、徒歩で丸の内の新丸ビルに着いたら、もう夕方(笑)。すでに夕日がギラついていたんだよね、もう今日は終わりって感じなんだよ、私はこれからなのに…笑っちゃうね。

ピアノ二重奏

 ピアノ:井村 理子,コウ 芽里沙

 1)サン=サーンス作曲:「動物たちの謝肉祭」(4手ピアノ版)
 2)サティ作曲:「ジュ・テ・ヴ」(アンコール)

 場所は、新丸ビルの3階アトリウムでした。LFJのコンサート会場って、東京国際フォーラムは(キオスク会場を除き)まずまずなんですが、その周辺で行われている無料コンサート会場は、実に千差万別で、落ち着いた良い響きの会場もあるし、戸外だけれど良い雰囲気の会場もある一方、騒音だらけの会場だったり、とても音楽を聞くような雰囲気ではない会場もいくつかあります。私の場合、たとえ無料コンサートであっても、良い会場で良い音楽が聞きたいので、なるべく良い会場でのコンサートを選んで聞いているつもりです。

 新丸ビルの3階アトリウム…以前は、もう少し静かで、良い響きのある会場だったような気がしたんだけれどなあ…。買い物客の騒音と、店内放送が賑やかで困りました…私が立っていた位置が悪かったのかもしれないけれど、ちょっと残念な会場になっていました。ほんと、残念。

 なので、曲紹介などはピアニストさんがマイクで話してくださったのだけれど、外の騒音の方がうるさくて、ほとんど聞けませんでした。これも残念。

 肝心の演奏の方は…さすがに良かったです。多少、周囲がうるさくて聞きづらい部分はあったけれど、まあ、聞こえない部分は脳内で補って(笑)、良い感じに楽しめました。それにしても、4手ピアノってのは、音数が多くて、にぎやかでいいね。ただ、原曲の室内楽版と較べると、音色が単調にならざるをえないので、その点でも脳内での補いが必要だったりします。

 演奏していたのは、ミニグランドピアノで、本当にミニサイズのグランドピアノでした。会場が賑やかなのに、ミニなピアノで音量が少なめだったのが残念です。おまけに、アートピアノって催し物で使っているピアノなので、サイケなペイントが施された上に、キラキラやフワフワでデコレートされていて、正直、とてもダサかったです(笑)。おもちゃ屋で売っている出来損ないのトイピアノみたいで、なんとも残念です。

 こういうグチャグチャな模様って、景気が悪くて、世の中が閉塞的な時に受けるんだけれど、今はそこまで景気が悪くないし、むしろ少しずつ少しずつ立ち直っている最中なんだし、そういう意味では時代と合ってないアートだよなあって思いました。今どきの女子高生だって、ここまでデコデコにはしないよね。

 で、新丸ビルから東京国際フォーラムまで、地下道を通って行きました。やっぱり夕日は染みるんだよね。

バリトンコンサート

 バリトン:エドウィン・グローリー=マーサ
 ピアノ:ヨアン・エロー

 1)アイスラー作曲:「ハリウッド・ソング・ブック」より

 「冬の旅」があんまり素晴らし過ぎたので、また聞きに行っちゃいました。

 今回はシューベルトほど歌いこんでいないと見えて、バリトン氏は楽譜をガン見で歌っていましたが、そんな事は気にならないほどに、素晴らしいコンサートでした。

 美しい声で歌われるならば、曲目なんて関係ないです。有名な曲であれ、無名な曲であれ、その声を味わえるならば、なんでも良いのです。私はアイスラーの歌曲なんて、全く知りませんが、シューベルト同様にたっぷり楽しんでしまいました。

 アイスラーの歌曲は、二十世紀の曲と言うこともあって、和声的には難しく、メロディーも決して美しくないです。しかし、だからと言って、決して歌いづらいわけではなさそうで、芝居のセリフにメロディーが乗りました程度の歌が多いです(つまり、全曲、レチタティーヴォっぽい感じでした)。

 おそらく、歌詞のドイツ語に寄り添ってメロディーを書きました…って感じなんでしょうね。ドイツ語話者には歌いやすいのかな…って思いました。バリトン氏はフランス人なんだけれど、音楽教育をドイツで受け、卒業したのも、ベルリンのアイスラー音楽院だそうだから、アイスラーの音楽は、きっと十八番なんだろうなあ。

 2)アイスラー作曲:(英語で“カリフォルニア・ウィンター”って言ってましたが、本当の曲名は何でしょうね!)
 3)「ストレンジャー・イン・ザ・ナイト」

 以上はアンコールで歌いました。2)の方は、歌い忘れてしまったので、アンコールで歌いますって感じでした。

 3)は、フランク・シナトラのヒット曲です。いいね、いいね。シナトラも美声歌手だけれど、バリトン氏はさらに美声ですから、もうしびれちゃいます。うへー。

 続きは、また明日。

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2018年5月16日 (水)

今日はお休みです

 えーと、仕事が忙しすぎて、ネタならあるのに、ブログを書いている暇と体力がありません。ごめん、今日は休みます。明日は…なんとか書き上げるつもりです。

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2018年5月15日 (火)

LFJ2018 その8 有料コンサート2つ

 さて、池袋で見たのは、名ソプラノ、バーバラ・ヘンドリックスによるゴスペルコンサートでした。

バーバラ・ヘンドリックスのコンサート

 ソプラノ:バーバラ・ヘンドリックス
 バンドの皆さん:ピアノ1名,ギター2名

 とにかく、席に座るや否や、照明は落とされ、真っ暗な中、手元の資料も読めず、通訳も字幕も無しで、メモを取ることもできず…という状況でコンサートを楽しみました。

 まあ、薄々は分かっていましたが、もうバーバラ・ヘンドリックスはクラシックを歌わないのです。今回のコンサートも、彼女の最新アルバムのプロモーションなのでした。バーバラは、クラシック歌手を引退した後、ゴスペルシンガーになったようです。ゴスペルシンガーと言っても、日本人が想像するパワフルな合唱スタイルの音楽ではなく、むしろカントリー音楽の演奏形態に近いカタチの、最小限のバンドをバックに、一人トツトツと歌っていくというスタイルの音楽です。ちなみにバックミュージャンたちは、おそらくジャズ系の方々です。バーバラ自身もハンドマイクを使用して、普通のポピュラー歌手のように歌っていました。

 コンサート自体は、普通の素朴系ゴスペルコンサートと考えれば、悪くはなかったと思います。むしろ、普通のゴスペルシンガーと較べると、発声はキレイだし、英語の滑舌は妙にクリアで聞きやすいし、何よりも歌が上手でした。その代わり、ゴスペルにありがちな情念のようなモノは、とても薄めでした。ま、元クラシック歌手が歌うゴスペルだもの、畑違いなんだもの、そりゃあ仕方ないよね。

 一応、バーバラ的には、キング牧師によって黒人社会は新しい局面を迎えることが出来た…って事を歌いたかったようです。

 バックの人たちの演奏は、実に地味だったけれど、なかなか味わいのある演奏だと思いました。

 本音で言えば、バーバラのクラシックソングを聞きたかったのだけれど、もはやそれは無いんでしょうね。諦めましょう。それにだいたい、あんな大きなホールで生歌で歌うなんて、現役バリバリの歌手でも厳しいのに、すでにあの年齢のソプラノに、それを求めるのはわがままってことだって事も分かってます。

 まあ、リビング・レジェンドの元気なお姿を拝見出来て、幸せでした…って感じです。
 で、バーバラのコンサートが終わるやいなや、ちょっとだけボケモンGOをやって(笑)、すぐに地下鉄で有楽町に向かいました。地下鉄の中は、明らかにバーバラのコンサートを見た人たちばかりで、みんな一緒に有楽町で降りました。東京国際フォーラムに到着です。

 移動時間として90分ほど見越していたのですが、今回は食事をしなかったので、多少の時間的な余裕がありました。そこでホールEを冷やかしたのですが、今年のホールEは、例年以上にスカスカでした。いや、スッカスッカでした。協賛する企業も少なければ、ホールEにいる人たちも少なめでした。大丈夫なのかな?

 ホールEで時間を潰して、この日最後のコンサートに出掛けました。

冬の旅

 バリトン:エドウィン・グローリー=マーサ
 ピアノ:ヨアン・エロー

 1)シューベルト作曲:歌曲集「冬の旅」

 とにかくすごく良かった。ほんと良かった。

 バリトンのグローリー=マーサは、オペラも歌えるほどのスケールの大きな声の持ち主でした。おまけにイケメンだし…。ピアニストのエローも、ピアノを上手に歌わせられる凄腕の上に、グローリー=マーサとはタイプの違うイケメンさんでした。二人とも若くてイケメンで、こんなに素晴らしいミュージシャンなんです。たぶん、これから有名になるミュージシャンたち…なんだろうな。とにかく、鬼気迫る「冬の旅」でした。

 とにかく、グローリー=マーサの声の美しいこと…。深くてよく響いて美しくて…理想的なバリトンヴォイスですよ。この声を聞くだけで、もう悦楽っす。何を歌っても満足満足なのに、歌っているのがシューベルトの「冬の旅」ですよ。そりゃあもう、鳥肌モノのコンサートでした。

 会場は小さなホールでしたが、グローリー=マーサは、まるで大ホールで歌っているかのように、全身全霊で歌っていました。熱量の高い歌唱でした。私はすぐそばで見ていたので、彼が会場なりに楽して歌っているわけではない事が、すぐに分かりました。全力で歌っているのです。全力なのに、声は楽に出しています。さすが、プロ。そして、観客はその声に酔いしれてしまうわけです。

 それにしても、おそらく多くのクラヲタは「冬の旅」を中声版で聞くのが普通だろうから違和感ないだろうけれど、私は普段から「冬の旅」をテノール歌唱による原調版で聞く事が多いので、ピアノのイントロが流れた途端「低っ!」って思ってしまいました。テノール歌唱に慣れた私でも、グローリー=マーサのバリトン歌唱は渋くて良いです。「低っ!」と思ったのも、最初の数秒だけで、すぐに慣れてしまいました。

 とにかく、グローリー=マーサ、良かったです。バリトンは、美しいです。

 すっかり彼の声に酔っ払ったまま、まっすぐに帰宅しました。家に着いたら、もう日付が変わっていました。いやあ、東京は遠いなあ。もうそんな時間なので、夕食(ってか夜食だよな)は、コンビニで買ったカップ焼きそばでした。で、寝たのは夜中の3時過ぎ。でも、翌日は7時には起きて、たっぷり近場で休日を楽しんだのでした。で、LFJには、その翌日、つまり最終日にもう一度出掛けたのでした。

 それでは、続きはまた明日。

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2018年5月14日 (月)

ロイヤル・オペラのライブビューイングで「カルメン」を見てきました

 さて、話の流れ的には、今回は池袋でのLFJの話を書かないといけないのですが…こちらを優先したいと思います。

 標題の通り「カルメン」を見てきました…が、今回はこの上演を見る事について警告したいと思います。ってか、ザックリ言っちゃえば「見るなら、自己責任で。私は薦めないよ」って事です。

 正直言って、今回のロイヤル・オペラの「カルメン」はゲテモノです。なので、ゲテモノ好きか、あるいは「カルメン」は飽きるほど見て、とにかく変わったモノなら、なんでも歓迎!という人ぐらいにしか薦められません。

 薦められない理由を5つ書きます。

1)音楽が薄い

 歌劇「カルメン」の良いところは、捨て曲がない事。どの瞬間にも美しい音楽があふれている稀代の名オペラである事。しかし、今回の上演では、音楽は軽い扱いを受けています。

 まず、レチタティーヴォがありません。レチタティーヴォにあたる部分は、アナウンスで説明されて終わりです。まあ、そもそも「カルメン」のレチタティーヴォは、ビゼーの作曲ではなく、補作したギローの手になる部分ではあるけれど、今となっては、あれはあれで大切な「カルメン」の一部なのです。そこを大胆にカットしちゃった事は…どうなんでしょうね。

 そもそも「カルメン」って未完成なオペラなんです。ビゼーが書いたのは、たくさんの音楽の断片であって、それを放り出したまま、作曲家であるビゼーは死んでしまったわけです。未完成だけれど、美しい音楽がたくさんあったこのオペラを整理して、良い部分は効果的に配置して、ダメな部分は捨てて、足りない部分は補って、現在我々が知っているカタチの「カルメン」にしたのが、友人の作曲家であるギローってわけです。

 ギローって、一流の作曲家ではありません。彼のオリジナルの作品は、現在残っていないしね。でも、音楽家として全く無能だったのかと言えば、そんなわけはなく、彼はビゼーの「カルメン」だけでなく、オッフェンバックの「ホフマン物語」も未完成のまま作者が死んでしまったので、何とか上演できるカタチに仕上げた人でもあります。まあ、作曲家としては一流ではなかったのでしょうが、残された断片を使って、素晴らしいオペラを作り出すのは得意…って事は、編曲家としてはまずまずの腕前だったと思われます。

 でもまあ「ホフマン物語」では、オッフェンバックの音楽をカットしすぎてしまい、後に別の編曲家の方々が、ギローが捨てた部分も拾い出して、今の「ホフマン物語」にしたわけです。まあ、確かにジュリエッタのシーンを丸々捨ててしまったのは、さすがにギローもやりすぎたと私も思います(笑)。

 閑話休題。で、今回の「カルメン」では、ギローが書いた音楽は捨てて、ギローが捨てたビゼーの音楽を復活させたわけだけれど、これがまあ、ギローが捨てたのが正解だと思われるような陳腐な音楽ばかりを拾ってきたわけです。おまけに、ストーリーの進行を優先させたためか、音楽の繰り返しが少なくて、我々が知っている音楽も、かなりショートバージョンにされて演奏されました。結果、美しいメロディーにあふれていた旧来の「カルメン」が、アナウンスと陳腐なメロディーの中にたまに美しいメロディーが混ざっているという、まさに音楽的に“混ぜものいり”の魅力の少ない音楽に仕上がっています。

 こんな薄い「カルメン」を「カルメン」とは思って欲しくない…というのが、一人のオペラファンである私の正直な気持ちです。

2)芝居とストーリーがちゃんとつながっていない

 芝居…つまり、演出の話になります。この上演の演出は、実に刹那的です。一曲ごとの演出は、まあ目新しいし面白いと思います。でも(現代的演出だと大抵そうなるけれど)歌詞と演出は少々乖離していると思うし、曲と曲の演出は決して繋がっていません。まるで「カルメン」の音楽で作られた、ビデオクリップ集を見ているような気分になります。一見すると、とても演劇的な演出だけれど、全体のストーリーがうまくつながっていないと思うわけです。だから演劇的な演出ですらないと思います。

 だから「カルメン」を見慣れた人だと、そこを面白く感じると思う(私も面白かったです)わけだけれど、「カルメン」はもちろん、オペラそのものに不慣れな人(人類の大半がそうでしょうね)たちにとっては、あれこれ誤解を招くし、誤った理解をさせてしまう、罪深い演出だと思います。

 この演出では、ストーリーも音楽も、いわゆる「カルメン」から、遠く離れすぎている…と私は思うのです。

3)歌手たちは精一杯やっているけれど、結果的に残念

 ここで今回の主要スタッフを書いておきます。

 指揮:ヤクブ・フルシャ
 演出:バリー・コスキー(この人が今回の戦犯です)

 カルメン(メゾソプラノ):アンナ・ゴリャチョーヴァ
 ドン・ホセ(テノール):フランチェスコ・メリ
 エスカミーリョ(バリトン):コスタス・スモリギナス
 ミカエラ(ソプラノ):クリスティナ・ムヒタリアン

 まず、カルメンのゴリャチョーヴァから。彼女は、本当に美人です。こんなに美しいカルメンを見たのは、私、たぶん始めてです。実際、ヴォーグの表紙を飾っても不思議じゃないくらいに美人なんです。おまけに、よく動きます。ダンスも良い感じです。

 でもね、歌がね…。たぶん、この人、ちゃんと歌える人なんだと思うけれど、情念が足りないのよ。こういう演出だからそうなんだろうけれど、どのアリアも薄味。カルメンがなぜ、ソプラノ歌手ではなくメゾソプラノ歌手に割り振られているのかと言えば、そこはもう過剰なまでの情念を歌に込めるためだと私は思ってますが、いかがでしょうね。

 ドン・ホセを歌ったメリは…ごめんなさい、劣化版カレーラスにしか思えなかった! 私には彼自身の魅力を感じられませんした。特に「花のワルツ」の最高音を含むフレーズは、晩年のカレーラスが歌ったように、ファルセットで軽く歌ったのですが、ファルセットの扱い方が、カレーラスほど上手ではなく、その前後と声色が極端に違ってしまったのです。ああ、残念。とても残念なのです。そこ以外は、悪くなかったです。イライラするくらい、しっかりダメ人間を演じていたし(これ、褒め言葉です)。

 エスカミーリョを歌ったスモリギナスの歌唱も、カルメンを歌ったゴリャチョーヴぁ同様に、なんか物足りないのです。そういうふうに歌えという指示が演出家からあったんだろうなあと想像しますが、これはお客さんが見たいエスカミーリョじゃないよ。僕らの知っている、カッコいいエスカミーリョを返してくれ!と言いたい気分です。

 ミカエラに関しては、歌の印象がありません(ごめん)。彼女に関しては、その演技力に圧倒されて(だって、本当にハイティーンの女の子に見えるんだよ)、芝居ばかりに注意が行ってしまい、肝心の歌を聞けませんでした。芝居的にはOKなんだろうけれど、それってオペラ的にはどうなの?って感じがします。

 少しは褒めましょう。音楽的に良かったのは、なんと言っても合唱団の皆さんたちです。オトナの合唱団も良かったし、子どもたちの合唱団も良かったです。合唱団の人たちの、メイクとか衣装とかは、ちょっとなあ…と思うし、歌いながらの演技も大変だろうと思うけれど、歌唱は良かったです。コーラスマスターさんは頑張ったんだろうなあって思います。

4)歌手たち以上にダンサーたちの舞台なんだよ

 この上演で、一番目立つのは、ダンサーたちです。誰よりも目立ってましたね。とにかく、強烈なんですよ。このオペラは、ダンサーのためのオペラなんじゃないの?と思ってしまうくらいに、ダンサーたちが目立っていました。実際、時折、歌が邪魔に感じる事すらありましたよ。それくらいに、ダンスが大きな比重を占める演出となっていました。

 ダンス好きならば、大いに楽しめると思うし、ダンサーさんたち、大活躍ですよ。

5)多くの演出が意味不明

 衣装にせよ、メイクにせよ、やたらと派手で目を引きますが、なぜそうなのかは、結局分かりません。ダンサーさんたちの振り付けも(バレエの振り付けのように)意味があるようで、意味を感じられないし、歌手さんたちもアリアを歌いながら芝居をしますが、なぜそういう演技をするのか、意味が分からないし、刹那的に面白い瞬間もたくさんありましたが、ちょっと考えてみると、なぜそんな演出をするのか、分かりません。

 だいたい、最後。カルメンはホセのナイフには刺されますが、死なないで、ケロッとしてますしね。ほんと、意味不明。

 何度も何度もこの上演を繰り返して見れば、その演出意図ってヤツが分かるのかもしれませんが、この上演は二度見る必要はないと思うので、結局、演出家の演出意図は分からずじまいです。観客に分からないモノなんて、エンタメとしてはダメなんじゃないかな?

 まあ、そんなわけで、この上演は、本当にお薦めできません。この5つの理由の前には、舞台上の大道具は、大きな階段一つで、舞台装置らしい舞台装置がない事なんて、全然問題になりません。時代や場所が不明であったり、現代演出であったりする事も、全然問題になりません。

 とにかく、演出家さんの「オレってすごいだろ?」臭がプンプンとした、ゲテモノな「カルメン」に仕上がっております。ってか、この演出ならば、別に音楽は「カルメン」じゃなくても、よかったんじゃないのってすら、思います。それくらい、音楽なんて、どうでもいいって扱いの上演でした。

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2018年5月13日 (日)

LFJ2018 その7 パソナが終わって、池袋に移動しました

 さて、いよいよパソナでのコンサートは最後のステージとなりました。

マリンバとピアノのコンサート

 マリンバ:野木 青依
 ピアノ:下田 絵梨花

 1)ピアソラ作曲:「天使の死」

 マリンバって、いわゆる木琴ですが、現在のような完成された楽器になったのは、実は割と最近なんだそうです。ですから、マリンバのために作曲された曲って少なくて、どうしても他の楽器用に作曲されたモノをアレンジして演奏する事が多いわけですが、このピアソラに関して言うと、マリンバという楽器とは、かなり親和性が高いかな?って思いました。マリンバの音って、打撃系の音だけれど、案外渋いんだよねえ…。

 2)安倍圭子作曲:「山を渡る風の詩」

 作曲者の安倍圭子氏は、マリンバを現在のような楽器として完成させた方で、いわば、マリンバ界の開祖みたいな方なんだそうです。で、演奏された曲も、マリンバのために書かれたマリンバのための曲なのです。マリンバという楽器の良さを、これでもかと表現している事がよく分かる曲です。たぶん「マリンバって、こんな表現もできる、ちゃんとした楽器なんですよ」というショーケース的な曲なんだろうと思いました。

 ショーケース的な曲…と言っても、バカにしているわけではなく、その楽器の持つ可能性を十分に出してくれる専用の曲であって、こういうオリジナル曲が、どんな楽器にも必要なんだと思いました。アレンジものしかないんじゃ、まだまだなんだよなあって思ったわけです。

 3)ガーシュイン作曲:「パリのアメリカ人」

 この曲って、こんなに脳天気な曲だっけ?と思いました。

 マリンバの音色が(渋いけれど)明るいせいもあるわけで、楽器の音色って大切だねと思った次第です。ま、アメリカ人と言うか、ヤンキーってのは、滅法明るい人ってイメージがあるから、これはこれで良しなんだと思いました。

 と、これでパソナでのコンサートは終了です。ご苦労さまでした。

 で、私たちはパソナのビルから出て、地下に降りて、地下通路を通って(信号が無いので、速く移動できるんですね)地下鉄丸の内線の大手町駅から、一路池袋に向かいました。

 「なぜ池袋に? LFJは、有楽町の東京国際フォーラムでやっているんじゃないの?」

 確かにLFJは、有楽町と言うか、丸の内と言うか、東京国際フォーラムで例年のようにやっているのですが、今年から、地方会場(金沢とかびわ湖とか新潟とか…)でのLFJが終了してしまった代わりじゃないのかもしれませんが、東京は、丸の内だけでなく、池袋でも開催されるようになったのです。

 私は、もちろん、池袋でのLFJは行ったことがないので、試しに池袋でのコンサートも見てみようと思って、今回、パソナでのコンサートの次に池袋のコンサートを予定に入れたわけです。

 パソナから徒歩で地下鉄の駅に行き、地下鉄に乗って、駅に着いたら会場まで徒歩で行き…小一時間使っちゃいましたよ。これだけの時間があったら、エリアコンサートの一つや二つ、見れちゃうじゃん(残念)。

 池袋に着いたら、もう暗くなっていたので、夕食を食べました。ラーメンです(笑)。池袋は丸の内と違って、庶民的な繁華街ですから、夕食には困りません。価格も池袋価格なので、思いっきり庶民的だしね。ただ、街の雰囲気が(当然ですが)丸の内ほど、落ち着いていません。なんか、クラシック音楽って感じの雰囲気じゃないんだよね。

 ラーメン食べて、会場である東京芸術劇場の大ホールに行ったら、時間ギリギリ。いやあ、やばいやばい。座席に座るや否やコンサートが始まっちゃいました。パソナを出て90分じゃ、時間的な余裕なんて、ちっとも無いよ。ほんと遠いよ(涙)、東京~池袋間は…!

 というわけで、続きはまた明日。

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2018年5月12日 (土)

LFJ2018 その6 まさか「スペイン」が聞けるとは思わなかったよ

 ソプラノさんのコンサートが終わったら、再び休憩になりました。おやつとして、会場で販売していたレモンのパウンドケーキとコーヒーをいただきました。美味しかったですよ。

 先程歌ったソプラノさんには、ファンの方がたくさんいるようで、この休憩時間が、まるでファンミーティングのような状態になっていました。なので、聞かずとも色々な事が聞こえてしまいました。まあ、ブログに書きませんが、へーとか、ほぉーとか思うような会話もたくさんありました。全く知らない人同士の会話って、詳細はよく分からないのですが、分からないが故に面白いものだなあと思いました。

 休憩の後は、チェロとピアノのコンサートでした。

チェロとピアノのコンサート

 チェロ:長谷川 晶子
 ピアノ:植野 愛

 1)ブラームス作曲:「チェロとピアノのための6つの歌」より「野の寂しさ」「メロディーのように」「子守唄」「愛の歌」

 私が思うに、ブラームスってヴィジュアルで損をしているような気がします。

 彼が作るメロディーって、これらの曲に限らず、とてもメロディアスで、イケメンな旋律でしょ? ブラームスって、本当に優れたメロディーメーカーだと思うのです。

 でも、あのヴィジュアルなんですよ。毛むくじゃらのクマさんのような容姿でしょ? あの容姿を見てしまうと、彼のメロディーの良さとつながらない…と言うか、ロマンチックからは程遠い彼の容姿は、彼の音楽の良さを忘れさせてしまう…と言うか、足を引っ張る…と言うか、とにかくマイナスに作用しているような気がするんです。

 ショパン…とまでは行かなくても、せめてリストぐらいの容姿をブラームスが持っていたら、世界は大きく変わったかもしれないって、そんな気になるほど、実に耽美なメロディーの曲だったのでした。

 ちなみに、ワーグナーの場合は、容姿はともかく、その奇人っぷりが有名だったようです。となると、当時盛んに論じられていた“ブラームス対ワーグナー”ってのは“醜男対奇人”という、どちらにせよ目も当てられない究極の選択だったのかもしれないし、醜男であれ奇人であれ、作った作品さえ素晴らしければ、それで評価された良い時代であったと言えます。二人とも現代に生きていたら、容姿やら奇行やらが妨げになって、世に出られなかったかもしれませんよ。

 2)ラフマニノフ作曲:「チェロ・ソナタ」第3楽章

 やっぱりラフマニノフの書くメロディーって美しいと思いました。ほんと、美しいのです。ラフマニノフって、優秀なメロディーメーカーなんだなと思いました。器楽曲でこれだけ美しいメロディーが書けるなら、歌曲はきっと素晴らしいだろうなあと思いました。私、ラフマニノフの歌曲、あまりよく知らないのですよ。なにしろ、ロシア語歌唱だからね。言葉の壁を越えて、聞いてみたいと思いましたし、可能なら歌ってみたいかもっ…って思いました。でも、ロシア語はアルファベットすら読めないから、まあ無理だよね。日本語か、せめて英語の歌詞が付いていたら歌えるんだけどなあ…って、ちょっぴり思ってしまいました。

 3)ショパン作曲:「序奏と華麗なるポロネーズ」

 チェロの方がMCで話していたとおり、チェロもピアノも音数が多くて演奏が大変そうでした。

 私が観客の立場で音楽を聞く時は、音数とか、楽譜の黒さとかは全然気にせず、それよりも奏でられる音楽が美しいかどうか、自分の趣味と合うかどうかで判断していますが、アマチュアと言えども演奏家の立場で聞いてしまうと、奏者の演奏テクニックとか、楽譜の音の密度であるとか、フレージングの取り方、音程の正確さなどが、すごく気になります。そういう観点で見ると、ショパンって、よくもこんなに演奏したくない?曲を書くなあ…って思います。だって、どう聞いても難しいもの。ショパン自身がかなりのテクニシャンで、そのテクニックを見せつけるために曲を書いたという部分があるんだろうけれど、観客として聞いても、音楽の美しさに圧倒され、演奏者として聞いても、そのテクニシャンぶりに圧倒される…ショパンって、すごい作曲家なんだなって思いました。

ピアノ二重奏

 ピアノ:関屋 茉梨子 、多羅 紗恵子

 さて、お次はピアノ二重奏でした。二重奏と言っても、二台ピアノではなく、四手ピアノです。つまり、一台のピアノに二人並んで弾く…というパターンです。

 1)ヒナステラ作曲:「三つのアルゼンチン舞曲集」より「年老いた牛飼いの踊り」「ガウチョの踊り」

 何ともおどろおどろしくて楽しげな音楽でした。いかにもラテンな感じです。私はこういう音楽は好きだけれど、会場にいた乳児さんは、この音楽が怖かったらしく、演奏が始まった途端に大泣きを始めてしまいました。まあ、気持ちは分かります。ちなみにこの曲はお一人で演奏されていました。

 2)ピアソラ作曲:「リベルタンゴ」

 リベルタンゴって、チェロとかバンドネオンやアコーディオンで聞く事が多いです。四手ピアノで聞くのは始めてかもしれません。新鮮でした。なにしろ、チェロにせよ、バンドネオンにせよ、その音色って深い響きを伴う渋いものですが、そこへいくとピアノってキラキラじゃないですか? キラキラな音色で奏でるリベルタンゴは、だいぶ印象が変わりますが、これはこれでアリだなって思いました。ただ、だいぶあっさりした仕上がりになって、ラテンぼさが薄くなったような気がします。

 3)チック・コリア作曲:「スペイン」

 こちらはお一人で演奏されました。

 私、スペインって曲、大好きなんですよ。ピアノが主役とは言え、フルートもたくさん聞ける曲ですからね。ジャズフルートを勉強していた頃に知って、それ以来のお気に入り音楽です。

 通常はジャズバンドで演奏される曲ですが、それをピアノ独奏で演奏しました。しかし、この曲、改めて聞いてみると、えらく難しい曲だなあ…と思いました。ジャズって、クラシックよりも一般的に言って、音数が多く、変リズムが多いのですが、この曲って、まさにそんな感じです。クラシックピアノではショパンは難しいと思うけれど、この曲の難しさはショパンとは別ベクトルを向いていると思います。クラシックの人が演奏するのは、本当に大変なんだろうなあって思います。楽譜を見て演奏されていたけれど、楽譜だと、どんなふうに書かれているのかしら?

 ちなみに、チック・コリアを含め、ジャズの人たちが演奏するメロディーと、今回の演奏は微妙に違っていたのですが、それも楽譜に記載されてしまったからかなって思います。ジャズって、基本的には耳コピの世界なんですよね。楽譜はあっても、必ずしも忠実には演奏しないし、楽譜も演奏されたとおりに書かれていないわけで…だから楽譜通りに演奏すると、ちょっと変な感じになってしまう事が多いのです。でも、そんな小さな違いでも、その曲がお気に入りだと、結構気になってしまうわけです。

 4)カプースチン作曲:「シンフォニエッタ」第1楽章、第4楽章

 これは四手ピアノで演奏されました。

 またも出ました、カプースチンって感じです。いやあ、今回はカプースチンを聞くチャンスに恵まれているなあ…。で、曲の印象は…カッコイイの一言です。私はピアノを弾きませんが、もしもピアノ弾きだったならば、こういう曲に憧れるかも。でも、カッコイイけれど、とても難しそう(汗)。色々と勉強になります。

 というわけで、続きはまた明日。

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2018年5月11日 (金)

LFJ2018 その5 アメリカ歌曲もなかなか良い

 アラカルトなコンサートが終了し、また1枠30分のコンサートが再開しました。

ヴァイオリン独奏

 ヴァイオリン:芝田 愛子
 ピアノ:佐藤 友衣

 1)クライスラー作曲:「愛の喜び」
 2)クライスラー作曲:「愛の悲しみ」

 まず、今回のヴァイオリニストさんは、たぶん狙っているんだろうけれど、今回のLFJのキービジュアルの絵姿にそっくりな方でした。あんまりそっくりなので、思わず笑ってしまいました。

 それはさておき、ヴァイオリンという楽器はフルート等とは違って、奏者の音と言うのはなくて、あるのは楽器の音だけ…なんです。だから、ヴァイオリニストさんたちは、自分の理想の音を出してくれる楽器を追い求めるわけだし、そういう理想の音が出る楽器は、高価な値段で取引されるわけです。

 で、今回のヴァイオリニストさんなんだけれど、演奏力はちゃんとしている奏者さんなんだけれど、彼女の弾いているヴァイオリンの音色がねえ…。演奏会場がコンサートホールではなく、オフィスのホワイエ的な場所であるという点を差っ引いても、私の好みではないんだなあ…。華やかな音色なんだけれど、私的にはもう少し太い音で鳴ってくれてもいいかなって感じました。まあ、あくまでも私個人の好みの問題なんだけれどね。

 これでも私、ヴァイオリンも弾きますので、音色の好き嫌いが結構あるんですよん。

 3)ラフマニノフ作曲:「ヴォカリーズ」

 この曲に関しては、このヴァイオリンの音色でも良いかなって思いました。

 クライスラーを演奏した時は物足りなさを感じたのですが、ラフマニノフの時はまるでソプラノ歌手が軽やかに歌っているような印象を受けました。曲によって、必要とされる音色って違うんだなあ…としみじみ思いました。良かったと思います。

 4)ドヴォルザーク作曲:「ユーモレスク」

 足りない! クライスラーの時よりも、物足りなさを強く感じました。この方、ほんと、上手なんです。メロディーの歌わせ方なんて本当に巧みだし、和音奏法のところなんて、実にきれいにハモリを作れていて、絶妙な演奏をしてくださるのです。十分に技巧的な方なんですが、演奏している楽器の音が、私の好みではないのです(涙)。ああ、残念…。

 5)プロコフィエフ作曲:「3つのオレンジの恋」より「行進曲」
 6)プロコフィエフ作曲:「ロミオとジュリエット」より「モンタギュー家とキュピレット家」

 すごく良い! 楽器がすごくよく鳴っていて、力強い音でグイグイ弾いてくれました。この人が使っている楽器は、もしかするとロシア音楽と相性がいいのかもしれない…なんて思いました。とにかく、良いのですよ。ほんと、良い。

 7)チャイコフスキー作曲:「懐かしい土地の思い出」より「メロディー」

 お見事! さすが最後に持ってくるだけあって、なかなかの名演奏だったと思います。やっぱ、ロシア音楽向きの楽器をお使いなんでしょうね。ほんと、良かったです。会場では赤ちゃんがぐずっていたのが残念ですが…まあ、それも仕方ないです。子どももOKってのが、LFJの主旨ですからね。それが嫌なら、ここに来るなって話です。それに、赤ちゃんのぐずり声を飛び越えて、心に刺さってくる音楽でした。

ソプラノ独唱

 ソプラノ:岡村 正子
 ピアノ:紗弓

 ヴァイオリンの次は、ソプラノです。今回のパソナでのコンサートでは、ミュージックエイトのコンサートを除けば、歌手さんは二人だけなんです。貴重なソプラノのコンサートでした。

 1)紗弓作曲:「新しい世界へ」

 ピアニストさんの紗弓の作品でした。ヴォカリーズでした。それが残念でした。

 と言うのも、メロディーが実に歌謡的で、全然器楽的ではないのですよ。ヴォカリーズって、これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、器楽的なメロディーが良いと思うのですよ。と言うのも、歌手の声を楽器として扱うがゆえの、ヴォカリーズなんだと思うのです。だから、歌詞が乗りづらい器楽的なメロディーが良いのです。なのに、この曲ときたら、実に歌謡的で、歌詞がないのが残念な気がするのです。

 誰か、この曲に歌詞を乗せてください。

 2)ヘンデル作曲:歌劇「リナルド」より「私を泣かせてください」

 私はこのソプラノさんの声が好きかもしれない。歌に過剰な思い入れをさせない、極めて素朴な声(素朴さを感じさせるほどに巧みな歌唱テクニックによる歌声)が、本当に好きです。声が美しいので、ヘンデルのような(ロマン派以降の楽曲と較べて)単純なメロディが際立つんだと思います。この人は、自分の歌声の活かし方をよく知っているのかもしれません。

 3)コープランド作曲:「シオンの壁」

 この曲は、ちょっと面白かったです。ピアニストさんは、左手でピアノを弾きながら、右手で太鼓を叩き、ソプラノさんもベルを鳴らして歌います。まずはそういう趣向にびっくりしながらも、ウケてしまいました。

 いわゆるアメリカ歌曲というジャンルです。アメリカ歌曲って、よく知らないんですよ。なかなか耳にしないしね。でも、英語圏の歌手さんたちは、よく歌っているようです。

 日本国内にいると、アメリカ歌曲って、なかなか耳にできません。日本だと、やはり歌曲は、日本とイタリア、ドイツやフランスで、ほぼすべて。たまにイギリス歌曲を歌う人がいるかな…って程度で、アメリカ、スペイン、ロシア、ポーランドの歌曲って、歌う人が少ないせいもあって、なかなか耳にできません。良い音楽もあるだろうに、残念です。歌曲には、言葉の壁がありますから、器楽のように音楽が国境を越えるって、なかなか難しいようなんです。

 4)バーバー作曲:「この輝ける夜に」

 この曲もアメリカ歌曲です。アンニュイな感じの曲で、始めて聞きましたが、とても良いです。私、この曲を歌ってみたいかもしれません。

 5)アメリカ民謡:「シェナンドー」

 建国して二百年ちょっとのアメリカに民謡なんてあるの? って思いましたが、あるようです。誰が作ったのかは分からず、いつのまにか人々が口ずさんでいた歌なんだそうです。ちなみに、シェナンドーと言うのは、ネイティブアメリカンの女の子の名前なんだそうです…って事は、インディアン系の音楽なのかしら? この曲も知らない曲でしたが、良い曲だと思いました。

 6)武満徹作曲:「小さな空」

 最後は日本の歌でした。この曲の直前までの曲は良かったのですが、この曲に関しては、ちょっと歌いすぎだなって思いました。歌詞よりもメロディーが耳に残る歌唱でした。言葉を解さない外国語の歌なら、観客的には、それもアリですが、日本人に対して日本語の歌を歌うならば、言葉を大切に、しっかり意味が伝わるように歌ってほしかったなあと思いました。この曲、歌詞が良いんですよ、だから残念。そして、改めて、日本歌曲を歌うことの難しさを感じました。

 では、続きはまた明日。

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2018年5月10日 (木)

LFJ2018 その4 アラカルトなコンサートも楽しいものです

 さて、お昼です。昼食です。パソナは日本橋にあるので、どこででも昼食くらいは食べられるのですが、無料でコンサートを楽しませていただいているので、せめて昼食代くらいはパソナに落としていきましょうというわけで、同じフロアにある売店で昼食を購入して食べることにしました。

 私が購入したのは、ケバブサンドとトルコライスです。ケバブサンドはピタの中にケバブを入れたもの。トルコライスはご飯の上にケバブを乗せたもの。要は、パンかライスかの違いだけで、基本的に同じものです。ケバブというのはトルコの郷土料理で、ラム肉の薄切りを焼いたものに、各種生野菜(タマネギ、トマト、レタスなど)を、謎のソースであえたものです。いわゆるエスニックな料理であって、好き嫌いはあると思いますが、私は割と好きな味です。

 パソナって本社ビルの中で農業をやっている事ある関係するのかどうかは分かりませんが、とにかく売店の食事が美味しいんですよ。ラム肉も美味しいけれど、野菜が美味しいんです。まあ、その分、お値段は日本橋価格なんだけれど、ミュージックフィー込みだと考えれば、タダみたいな値段です。

 で、昼食終わりの午後の一発目のコンサートは、パソナ・ミュージックメイト・コンサートで、パソナで働きながら音楽活動をしている音楽家の方々のアラカルト・コンサートでした。

テノール独唱

 テノール:田中 尚志

 1)ビゼー作曲:「真珠採り」より「耳に残るは君の歌声」

 私にとっては、本日の午前中のメインイベントでした。テノールの歌唱、それも難曲中の難曲である“真珠採りのアリア”です。これは期待値がぐんぐん上がります。

 で、思った事は、やはりこの曲を歌うには、聖別されたノドが神様から与えられていないと難しいのかな…って事です。実はテノール氏、話し声(つまり地声)がかなり高いのです。ほぼ、女性と同じで、テノールと名乗っていらっしゃるけれど、音域的には、ほぼメールアルトではないかしらという程でした。なので、この曲の高音(並のテノールでは、たとえプロであっても歌えません)を実に軽々と歌っていらっしゃいました。いやあ、実に見事なんです。本当にうらやましいです。

 私も地声は、男性としては比較的に高いのですが、それでもやっぱり男性音域ですから、並か、並以下のテノールでしかありません。この曲が歌える日が来るとは、到底思えません。

 ちなみにテノール氏の高音の出し方なんですが、一度ファルセットで入って音程を掴み、そこからグイっと実声に持っていくやり方をしていました。いわゆるアクートとは違うのですが、この曲に合った実に美しい発声です。こういう発声もアリなんだなって思いました(まあ、私には出来ませんが…)。

 この素晴らしいテノール氏の難をあえて言えば…中低音が弱い事かな? 高音を気持ちよく発声する一方、中低音、とりわけ低音は出しづらそうでしたし、時折???って思う瞬間もありました。高音に特化したテノールなんだなっと思いました。でも、やはりあの高音は、値千金だと思います。

フルート二重奏

 フルート:三浦 千佳,武田 早耶花
 ピアノ:大久保 愛

 1)ケーラー作曲:「花のワルツ」

 使用フルートは、おそらく、お一人がプラチナメッキで、もうお一人が14金だと思います。14金の音は、密度の濃い、硬いけれど柔らかな音でした。プラチナの方は、太めで華やかな感じで、この音の違いって、やっぱり素材よりも奏者の違いかなって思いました。だって、一般的には14金って華やかな感じの音だろうし、プラチナってのはどっしりした感じの音になるわけじゃない。そういう意味では、このお二人はそれらのイメージとは多少違う音色だったわけだし…。とは言え、お二人とも、実に美しい音でフルートを奏でていました。楽器って、なんだかんだ言っても、美しい音色であるべきで、美しければ、もうそれだけで十分って部分はあるわけです。至福の時間でした。

ピアノ独奏

 ピアノ:室井 悠季

 1)バーバー作曲:「ピアノ・ソナタ」第4楽章

 たぶん、始めて聞く曲です。そもそもバーバーという作曲家が、私の守備範囲には無いわけだし、そもそもピアノ・ソナタという音楽ジャンルが、私の守備範囲には無いわけだし…。たぶん、ピアノ音楽好きには、好かれるだろうなあって感じのソナタでした。

クラリネット独奏

 クラリネット:丸木 一巧

 1)サン=サーンス作曲:「クラリネット・ソナタ」 第4楽章

 クラリネットの音色は美しいです。フルートよりも、太くて、低音の響きは本当に豊かです。フルートが女声的な楽器ならば、クラリネットは美しい男声を模しているのだろうと思われるほどです。曲がどうこうと言うよりも、クラリネットの音色に酔いしれました。

ヴィオラ独奏

 ヴィオラ:秀岡 悠太

 1)ヴォーン・ウィリアム作曲:「グリーンスリーブスによる幻想曲」

 ヴィオラ、渋い! この曲は、そもそもが小編成オーケストラ…ってか、弦楽合奏+ピアノ+フルートという編成の曲で、それをヴィオラ用に編曲しているわけで、ヴィオラじゃなきゃ演奏できないという曲ではありません。実際、独奏曲として演奏するなら、ヴァイオリンでも弾けるだろうし、チェロでも弾けると思いました。そう思わせるのも、ヴィオラの音色が、時にヴァイオリン的であったり、時にチェロを彷彿させるような音色だったりしたからであって、両者の良いところどりであって、それがヴィオラという楽器の特徴なのかもしれないけれど、じゃあヴァイオリンのような華やかさがあるかと言えば無いし、チェロほどの深みも無いわけです。そこがヴィオラの辛い所なんだろうなあって思ってしまいました。渋いだけじゃ、物足りないんだよね。ああ、残念。演奏そのものは見事なんですが、やっぱりヴィオラって、独奏楽器としては、物足りない楽器なんだよなあ…。

 という訳で、続きはまた明日。

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2018年5月 9日 (水)

LFJ2018 その3 “現代音楽”と“現代の音楽”は違うような気がする

 さて、次のコンサートは、ちょっと珍しい楽器の組み合わせでした。

ヴィブラホーンとマリンバ

 ヴィブラホーン:田中 里枝
 マリンバ:蓮實 志帆

 ヴィブラホーンっと言うのは、いわゆる“鉄琴”で、マリンバは“木琴”です。とは言え、小学生が演奏するような簡易な感じの楽器ではなく、中高の吹奏楽部あたりで時折見かけるり立派な楽器でした。

 やはり、一般的な知名度は低いと見えて、奏者さんが「マリンバという楽器を始めてみる方(手を上げてください)!」とやってみたら、おずおずとそこそこの人数が手を上げました。やっぱり楽器としては、かなりマイナーなんですね。それに木琴と言えばイメージ湧くんでしょうが、マリンバと言われると、よく分からないって人はクラシックファンであっても、いるんでしょうね。

 実は私、ヴィブラホーンもマリンバも知っているどころか、指導経験があるんだよね(笑)。まあ、そもそも学生の頃は吹奏楽部で(トラで)パーカッションやってたので、その腕を買われて…なんだよな。でも、ヴィブラホーンもマリンバも専門に勉強したわけじゃないので、弾けるメロディーは同時に一つだし、マレットも同時使用は、各腕一本ずつの2本までなので、実は弾けるうちに入らない程度の腕前だったりします(テヘペロ)。

 1)カプースチン作曲「8つの演奏会用エチュード」より「第1番」

 カプースチンという人は、旧ロシア(現在はウクライナ)の作曲家で、現存している作曲家です。いわゆる“現代音楽の作曲家”なんでしょうが、音楽は全然カッコよくてイケている感じです。「8つの演奏会用エチュード」は、彼の代表曲(原曲はピアノ曲で、今回はそれをヴィブラホーン&マリンバ演奏用にアレンジしてあります)だそうですが、すでに楽譜は絶版なんだそうです。ま、現代音楽って、そういう扱いだよね。

 カプースチンの音楽がカッコよくてイケているのは、彼が純粋クラシック作曲家ではなく、若い時代は、ジャズ・ピアニストとしても活躍していたそうで、だからクラシックとジャズの融合なんてのが、自然となされていたのだろうと思います。頭でっかちな音楽じゃないのが、カプースチンの魅力なのかな…って思いました。

 2)ベートーヴェン作曲「喜びの歌」(交響曲第9番第4楽章から)

 たぶん「喜びの歌を演奏します」と事前に知らされていなかったら、元歌は何なのか気づかなかったかもしれません。それくらいに(良い意味で)原型をとどめていないアレンジでした。聞いた感じは「ベートーヴェンの曲をアレンジしました」と言うよりも「B'zの曲をアレンジしました」と言われた方がしっくりするようなアレンジでした。カッコよかったです。

 3)浜田均作曲「SORACHI」

 ジャズのヴィブラホーン奏者さんが書いた、ヴィブラホーンのオリジナル曲です。北海道の空知周辺の風景を音楽で表現したそうです。日本人作曲家の作品のせいでしょうか、川のせせらぎ、空の広がりなどを音楽で表現した感じが、すっと心に染み込んできました。

 カプースチンにも言える事だけれど、これらの曲は“現代音楽”ではなく“現代の音楽”と言ってあげるべきなんじゃないかなって思います。だって“現代音楽”って、難しくてかっこ悪くて誰も聞きたくないようなケッタイな音楽の事を言うわけじゃない? でも、カプースチンにしても浜田氏にしても、親しみやすくてカッコよくて、いつまでも聞いていてような普通の音楽だもの。これらを“現代音楽”でくくっちゃうのは、良くないような気がします。

ソプラノ独唱

 ソプラノ:人見 桂子
 ピアノ:清水 綾

 さて、いよいよ、待ちに待った歌の時間となりました。

 一昨年までのパソナのコンサートは、歌手の方々ばかりのコンサートで、私的にはとても嬉しかったのですが、今年のコンサートでは器楽もバランス良く加わり、その結果、ちょっぴり声楽の比重が少なくなってしまったのは残念です。まあ、仕方ないよね。

 1)ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より「ジプシーの唄」
 2)ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より「何も恐れるものはない(ミカエラのアリア)」

 ソプラノさんが歌い始めて、すぐに私は「ここってもしかしたら、とても歌いづらいのかな?」と思いました。舞台の後ろはガラスだから、音は反響するどころか抜けてしまうし、天井は低いし、天井板はなくて天井裏の設備やら配管やらがむき出しだし、吹付けもしてあって、音は吸われそうだし、左右や奥行きは案外あるし、お客さんは結構入っているし、気にはならないとは言え、騒音雑音は結構あるからそれなりの音量で歌わないといけないし…そうなると歌手さんは、かなり頑張って歌ってしまいますよね。ああ、大変そう。

 それが関係するかどうかは分かりませんが、私にはソプラノさんのヴィブラートが、とても気になりました。声をどの程度揺らすべきかは、それぞれの美意識や趣味が関係するので、一概にこれは良くてこれはダメとは言い切れないと思いますが、このソプラノさんのヴィブラートは私の好みではなかった…というわけです。特に聞かせどころの高音周辺のヴィブラートは「これ! これがいいよー!」と感涙する人もいるんだろうなあと理解しますが、私はダメでした。

 趣味が違うんだよなあ…ってか、クチうるさい客だな、私。

 3)ドニゼッティ作曲 歌劇「ラ・ファボリータ」より「私のファルナンド」

 フランス語からイタリア語に変わった途端、一転して、ヴィブラートが気にならなくなりました。これはヴィブラートが無くなったというわけではなく、あるけれど悪目立ちしなくなったという意味です。やはりカルメンの2曲は歌い始めで歌いづらかったのかな? 普通に良かったです。

 4)ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」より「むごい運命よ」

 こちらも普通に良かったです。だんだん、調子を上げてきたのかしら?

 5)シュトラウス2世作曲 「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は(アデーレのアリア)」

 こういう流れで聞いてくると、声的にどうかな(カルメンとアデーレを同じ歌手が歌うって、アリなの?)と思ったけれど、歌手的にすごく上手くて、なかなか技巧的な歌手さんだなって思いました。ここまで来て、ようやく見直した…って感じです。ステージの始めの頃目立ったヴィブラートが本当に気にならなくなりました。やはり声が温まってきたからでしょうか? あるいは本来的には、こちらのような曲を歌う歌手さんであって、カルメンがレパートリー外なのかもしれません。有名な曲の一つや二つを歌ってあげようというサービス精神なのかしら?

 正直、歌い始めた時は「この人って、どーなの」って思いましたが、聞き終わった時には「最初は調子が出なかったようだけれど、良い歌手さんじゃないですか?」という感想に変わりました。と同時に、最初の印象って大切だから、コンサートの最初で何をどう歌うのかって、とても大切だなって思いました。だって、最初にかけた色眼鏡で最後まで見られる事だってあるわけだから、いくらコンサートの後半が良くても、最初がうまくいってないと、最後までダメじゃんって見られることだってあるわけで…。そこがナマモノであるステージの難しさってわけだなって思いました。

 続きはまた明日。

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2018年5月 8日 (火)

LFJ2018 その2 音楽会だもの、見えなくても文句は言わないよ

 さてLFJの話に戻ります。

 私が遅刻して聞いたのが、ピアノ三重奏のトリオでした。

ピアノ三重奏

 ヴァイオリン:中村 ゆか里
 チェロ:八代 瑞希
 ピアノ:宮崎 真利子

1)ラフマニノフ作曲「ピアノ三重奏曲 第1番 悲しみの三重奏曲」

 ピアノ三重奏曲ってのは、別にピアノが三台で弾くわけではなく、ピアノが加わった三重奏曲って事で、演奏の主役はヴァイオリンです。ピアノは準主役的な立ち位置です。まあ、クラシックにおけるピアノ三重奏ってのは、ジャズにおける、サックス、ピアノ、ウッドベースってトリオに通じる編成だろうと思います。

 ピアノ三重奏なので、ピアノとチェロの方は座って演奏するので、私からは見えず、ただ一人立って演奏してくれたヴァイオリンの方は、私の前に座っている人たちの陰に隠れて見えませんでした。(小柄な女性だと、立っていても、座っている男性とそんなに変わらないんでよね)。まあ、音楽ですから、見えなくても、聞こえればいいのです、そう思うことにしました。

 この曲は、たぶん、始めて聞く曲です。ラフマニノフって事もあり、映画のサウンドトラック曲を聞いているような、割と親しみのある曲でした。こういう堅苦しくない曲は良いです。演奏している3人も、ゆったりと演奏してくれました。

2)ラフマニノフ作曲「ヴォカリーズ(ピアノ三重奏版)」

 大定番曲の珍しいアレンジ版でした。メロディをヴァイオリンが演奏し、ピアノとチェロで支えるという、割とあっさりめのアレンジでした。私は濃い目のドロドロした音楽が好きなので、そんな感じのアレンジをちょっぴり期待しましたが…まあ、曲が曲ですからね、こんな感じなんだろうと思いました。

 でも、やっぱり「ヴォカリーズ」って、いい曲だよね。私、今年のフルートの夏合宿の発表会で、この曲を吹いてみようかな。

ピアノ独奏

 ピアノ:千村 智子

 パソナのコンサートは1組30分で、どんどん演奏者が入れ替わっていきます。最初のピアノ三重奏は10分ほど遅刻してしまい、最初の曲を聞き逃しましたが、ここからはしっかり30分間の演奏を聞きました。

1)スクリャービン作曲「24の前奏曲」より、第1番・第2番・第3番・第4番・第5番・第6番・第8番・第9番・第10番・第11番・第12番・第13番・第15番

 次のコンサートは、上記13曲の連続演奏でした。うっかり数えるのを忘れてしまったので、途中で何番の曲をやっているのか分からなくなりましたが、別に曲の番号に意味はないだろうから「まあいいや」という気分になって、スクリャービンの音世界を堪能する事にしました。

 聞いた感じは…割と渋いって感じかな? 親しみづらいと言うほどではないけれど、じゃあ親しみやすい音楽なのかと言うと、そんな事はないなあって感じで、ピアノ好きならば楽しめるかもしれないけれど、音楽好きだと、やや退屈な感じするなあというのが、正直な感想です。

 でもまあ、それでもいいんです。普段の私が普通の生活の中で、スクリャービンのピアノ・ソナタを聞くチャンスを作るのかと言えば、まずそんな事はしないだろうから、こういう体験はとても大切なんだなあと思った次第です。

 それにしても、同時代のロシア人同士なのに、スクリャービンとラフマニノフって、結構違うねえ。私は俗物なので、ラフマニノフの方が好みかなって思いました。

 と言う訳で、続きはまた明日。

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2018年5月 7日 (月)

メトのライブビューイングで「コジ・ファン・トゥッテ」を見てきました

 ブログ記事をアップする順番を間違えました(汗)。LFJの記事は毎年の事だし、私にとって大切な記事だけれど、リアルの世界ではすでに終わったイベントであり、思い出記事なわけです。しかし、メトのライブビューイングは、今もまだ上映しているわけで、皆さんの参考になるかもしれないはずの記事であって…とにかく、今日はLFJは横に置いて、メトの方の記事を急いでアップします。

 という訳で、モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」の新演出版をライブビューイングで見てきました。

 指揮:デイヴィッド・ロバートソン
 演出:フュリム・マクダーモット
 フィオルデリージ:アマンダ・マジェスキー(ソプラノ)
 ドラベッラ:セレーナ・マルフィ(メゾソプラノ)
 フェルランド:ベン・ブリス(テノール)
 グリエルモ:アダム・プラヘトカ(バス・バリトン)
 デスピーナ:ケリー・オハラ(ソプラノ)
 ドン・アルフォンソ:クリストファー・モルトマン(バリトン)

 見に行く前の舞台写真などを見ていると、どうやら現代演出らしいというのは分かっていました。今っぽい服装で、今っぽい設定で…なんか期待できないなあ…と薄ぼんやり思っていたのでした。

 実際、舞台の設定は1950年代のコニーアイランドっぽい場所(コニーアイランドってのは、ニューヨークの都市型リゾート地の一つで、遊園地などがたくさんあった所のようです。今の日本で言えば、舞浜って感じなんでしょうね)で、まごう事なき“現代演出”だったわけです。

 でもね、これは当たりだと私は思いました。いや、むしろ、古典的な演出よりも、こっちの方がいいかも…とすら思ったわけです。

 だって、そもそも“コジ・ファン・トゥッテ”って、嘘っぽいお話でしょ? ああいう嘘っぽいお話は、嘘がまかり通る舞台装置が必要なわけで、そういう意味でも、現代設定とは言え、リアルとファンタジーがまぜまぜになったリゾート地でのお話ってのは、アリアリなんだと思います。

 で、このオペラの演出における世界観は、ほぼミュージカル映画「グレーテストショーマン」の世界なんです。本当にコビトさんはいたし、火吹き女はリアルに火を吹いていたし、蛇使いは本物の大蛇を首に巻いてたし、剣呑み姉弟は本当に剣を飲んでいたし、本当にあのミュージカル映画の世界観そのままだったんです。実際、共通して出演していたキャストさんもいたし、彼らはもちろんオペラでは黙役なんだけれど、ただのお飾りではなく、しっかりした存在感はあるし、舞台の進行上も必要な人たちなんだよね。

 また、元々からいる役である、哲学者のドン・アルフォンソなんて、グレイテスト・ショーマンの主人公でヒュー・ジャクソンが演じたバーナムそのものだったし…ね。

 あの、グレーテストショーマンの世界のようなエンターテインメントな世界なら、コジ・ファン・トゥッテのお話もアリかなって思ったわけです。

 ちなみに、オペラの中では、舞台になっていた遊園地の名前が“コジ・ファン・トゥッテ”だったりします。おもしろいでしょ? ミュージカル映画「グレーテストショーマン」が楽しめた人なら、このオペラ、楽しめると思いますよ。

 歌手についても書いておきます。最近のメトは、あまり有名ではない人も、とても水準の高い歌唱を聞かせてくれます。今回の人たちも、ケリー・オハラ以外は、あまり有名ではないけれど、みんな高水準の歌を聞かせてくれました。特にテノールのベン・ブリスはすごぶる美声で…ああ、生で彼の歌は聞いてみたいです。

 唯一の有名人であるケリー・オハラだけれど、存在感はすごかったですよ。彼女が出てくると、ほぼ彼女の舞台になってしまうくらいです。演技力は抜群。歌も、期待していた以上に歌えて、むしろビックリ。これで歌が上達してしまったら、無敵のオペラディーヴァになってしまうかもしれません。凄い人材をメトは発掘したのかもしれません。

 もちろん、実際のメトでは、ケリー・オハラは毎回出演できるわけじゃないので、デスピーナを別の人が演じる時もあるだろうけれど、そちらの方は、どんな感じなのだろうかと、余計な心配をしてしまうくらいに、ケリー・オハラは存在感バッチリなんですよ。

 という訳で、この新演出の「コジ・ファン・トゥッテ」は、なかなかおもしろいですよ。あえて欠点を言えば、現代演出って事で、衣装が地味なんてすよね。特に第一幕の姉妹の服装なんて、ほぼ普段着のノリですからね。おまけにフィオルデリージは黒縁メガネをかけているし…なんかそういうところで拒否感を感じる人もいるかもしれません。

 というわけで、好き嫌いが分かれてしまいそうですが、私は気に入りましたという記事になりました。

 まあ、どちらにせよ、かなり個性的な演出なので、始めてコジ・ファン・トゥッテを見るという方には、お勧めしません(笑)が、何度もコジ・ファン・トゥッテは見ております…という方は、騙されたと思って、この演出版を見るとよいですよ。ほんと、おもしろいです。

 あと、オペラとは全然関係ないけれど、来年から、メトの音楽監督が、レヴァインから、若手のヤニック・ネゼ=セガンに交代する事になりました。元々、ネゼ=セガンに音楽監督が交代すると言うのは、決まっていたそうなんだけれど、その交代時期は、来年ではなく、2年先の予定だったそうですが、それが2年間前倒しになっての交代なんだそうです。レヴァインの状態がよろしくないのかもしれませんね。どちらにせよ「ご苦労さま、、レヴァイン。頑張れよ、ネゼ=セガン」ってところでしょうね。

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2018年5月 6日 (日)

LFJ2018 その1 開始早々、あれこれダメな私なんです

 さて、今年もラ・フォル・ジュルネ(以下、LFJと略)に行ってきました。なので、その記事を例年のように書きます。

 今年のLFJは、いよいよ来るものが来たなあ…って感じでした。と言うのも、今までは、金沢とか新潟とかびわ湖とか、LFJって、日本の他の地域でもやっていた大型イベントってイメージだったのですが、ついに日本での公演は東京だけとなり、地方でのLFJはすべて終了(んで、各地でそれぞれ大型音楽フェスをやるようになりました)になってしまいました。まあ、そうだよ、そりゃあそうだよね。音楽祭なんて、フランチャイズでやるもんじゃないよね。それじゃあ、儲かるもんも儲からなくなってしまうわな。大人気コンテンツならともかく、すでにだいぶ下火になってきたイベントだもの、地方活性化ってのを考えても、もはやLFJじゃないわな。だから、地方都市がLFJから離脱しちゃったのも、それはそれで私は納得しています。

 でも、やっぱり寂しいは寂しいですよ。

 でもまあ、東京では、今までは丸の内だけでやっていたのを、今年から池袋でもやるようになり、東京的に規模が大きくなったような錯覚もしますが…まあ、多くは言うまい、武士の情けじゃ…。

 で、私ですが、初日の5月3日から参加しました。

 嬉しいニュースですが、実は今年、パソナがLFJに復帰したんですね。パソナはここ数年、LFJのエリアコンサートをやってくれていたのに、昨年、やらなかったんですよ。多くの協賛企業がガンガンラフォルジュルネから撤退していましたから「いよいよ、パソナもLFJから撤退か…」と諦めていたら、今年は参加してくださるというじゃないですか。

 もう、胸をワクワクさせながら、初日は東京国際フォーラムではなく、パソナ本社に向かった私でした。

 パソナ本社での11時からのコンサートに間に合うように、事前に計画立てましたが、家を出るのが20分近く遅くなり、途中で朝ごはんを食べたのですが、それもすぐに食べ終える事ができるような駅そばの店とかでなく、ちょっと時間がかかる、とんかつ屋に朝っぱらから入って食べてしまったし、途中も急げばいいのに、なんかのんびりしてしまったため、東京駅に着いた段階で、すでに遅刻状態となりました。

 たぶん、私、疲れていたんだと思います。

 ですから私、普段は迷わないのに、東京駅の中で、なぜか迷子になってしまい、日本橋口に出るのに一苦労し、ようやく駅を出て、パソナ本社に向かったら、本社ビルが無くて更地になっていてビックリし、しばらく途方にくれてしまいました。

 やっちまったなあ…って感じです。今年のLFJは開始早々、あれこれケチが付いたなあ(涙)。さあ、どうしよう…と思っていたら、パソナの本社ビルが隣の街区にに移動してた事に気づき、なんとか事なきを得ました。

 あんまり安心してしまったせいか、ビルの入口で躓いてしまいました(涙)。まあ、転ばなかったけれど…もしも転んだら、きっと大事だよね、骨くらい軽く折っていたかもしれないと思うと、ひやひやモンです。

 たぶん、本社ビルを一度壊して建て直すんだよねえ。だから、昨年はLFJにパソナは参加しなかったのか…と勝手に納得した私でした。

 今までのコンサートは、1階にある田んぼに板を張ってステージにして、お客は畦部分にイスを並べて音楽鑑賞をしていたのですが、今年は、やはり1階の玄関から入っての、広い、ロビーと言うか、ラウンジがコンサート会場となっていました。

 普通の部屋(と言うのも変ですが)が会場でしたから、ステージっぽい場所があり、そのすぐそばにコンサート会場風にイスを並べてあり、少し離れたところにはディナーショーっぽく、テーブルとイスが用意されていました。私は、演奏者のすぐそばのイスには座らず、少し離れたところのテーブル席に座りました。少し離れた…と言っても、5メートル程度しか離れていないし、どこに座っても十分に見えるし、聞こえるし、だったらテーブル席の方があれこれ便利だし…と思ってテーブル席に座りました。

 客席から見たステージは、あまり見やすくはなかったです。床の高さは、客席と同じですから、演奏者が座って演奏すると、前の人で全く見えなくなります。立って演奏してくれても、ステーがは窓側にあったため、照明的には逆光になっていまい、やはり見えません。

 まあ、大半の演奏者は座っていたので、ほとんど見えなかっした、その日は天気が悪かったので、逆光はあまり気になりませんでした。

 演奏者が見えない事よりも、気になったのは、その窓から見える風景です。

 窓の先は、路地を挟んで、元の社屋があった場所なんですが、工事中なので、工事現場の壁(って書くと分かりますか)になっていて、その壁に、ゴジラ映画の歴代ポスターが貼ってあるんですよ。特に私の席からは「モスラ対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」「怪獣大戦争」などのポスターがよく見え、演奏者よりも目を引く感じでした。

 さて、遅刻した私がコンサート会場に入った時、ちょうど、最初の最初の1曲目の演奏(スクリャービンのピアノ・ソナタ)が終わり、2曲目へのMCをしていた頃でした。

 という訳で、実際のコンサートの様子は…明日から書きます(テヘペロ)。

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2018年5月 5日 (土)

続・メダカが1匹

 お正月に金魚たちへのお年玉代わりに我が家にやってきたメダカたち(約200匹)は、あっと言う間に金魚たちに食べられてしまい、たった1匹になってしまいましたと、約一ヶ月ほど前の記事に書きました。

 で、あれからどうなったのか…と言えば、未だにメダカが1匹です。増えることもせず(当たり前か)、減ることもなく、ずっとメダカ1匹でいます。

 大皿に残った最後のお菓子…じゃないけれど、金魚たち誰もこのメダカに手を出しません。生き残ったメダカは、しばしばヤヨイやシズカの鼻先を通るのですが、金魚側も特に意識していないようです。あるいは、諦めてしまった…のかもしれません。あるいは…最後に残った勇者を褒め称えているのかもしれません(って、そりゃあ無いか)。とにかく、メダカは1匹なのです。

 メダカは毎日楽しげに暮らしています。ポンプから出てくる水流に逆らって泳ぐ遊びも毎日やっていますし、エサを入れると、金魚たちからは離れた場所で楽しげにエサを食べているし、最近では、カラダも太く大きくなってきています。

 結局、順調に暮らしているみたいです。

 これで、この子が寂しそうだから…と思って、お友達を数匹入れてしまうと…再び金魚たちのメダカ食いスイッチがオンになり、メダカが全滅してしまうのです。だから、当分、メダカはこの子だけ、にしておきます。

 寂しいのと、食べられちゃうのとでは、そりゃあ我慢するのは寂しさだよね。

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2018年5月 4日 (金)

楽しみなのは、夏合宿

 フルートのレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンも例によって、前回のレッスン以来、フルートに触らずじまいという生活を送っていたのですが、レッスン当日、ひょんな事から2時間ほど時間ができたので、ちびっと練習してからレッスンに行きました。

 まあ、たった2時間の練習では、いかほどの効果もありゃしないわな。以前は、毎日2時間程度のフルートの練習をしていたのに、亀足の上達だったんだから、ほとんど練習せずに、当日2時間練習しても、そりゃあねえ…。

 でも、ちょっとでも練習しておくと良いのが、カラダが、フルートを吹く準備が出来ていることかな? だから、レッスン始めのロングトーン練習だって、いつもバッチリなんだけれど、今回はバッチリチリチリって感じで、一部のスキも無いくらいでした。

 でも、ロングトーン練習が上手く行ったからと行って、演奏力とは関係ないんだけれどね。

 さて、エルステユーブンゲンの23番と24番です。しかし、いつまで私はこの曲を吹いているんでしょうね。一応、直前自宅練習では暗譜しようと頑張ったのですが…無理でした。

 プチエチュードは…未だ19番です。前回、下手になった分は取り返せたかもしれないし、今まで指がまわっていなかった箇所も少しだけれどスムーズに吹けるようになった反面、今まで簡単に吹いていた所をボツボツと間違えました。どこが悪いここが悪いではなく、全体的にまだまだですね。つまり、後は読譜と指の問題って感じですね。つまり、練習量不足ってヤツです。

 40リトルピーセズは13番のヘンデルのアリアと14番のハイドンのアリエッタです。13番は、自宅ではまあまあ吹けたので大丈夫と思ってレッスンに臨んだのですが、いざレッスンになると、つまらないミスを連発してしまいました。当然、不合格です。

 14番は、最後の8小節が全然吹けません。まあ、最後に限らず、後半のメロディーがなんともヘンチクリンで、全然吹けません。そこを愚痴ったら先生曰く「だってそこ、オブリガードだからね」との事です。

 へっ? そうなの?

 今までフルート譜だけを見て練習していたので、気が付かなかったけれど、ピアノ譜と合わせて見たら、確かにこの部分、メロディーはピアノじゃん。フルートは…伴奏でした。そりゃあ伴奏なら、吹きづらいし、先もよく見えないわな。

 「オブリガードなんだから、そんなに力入れて吹いちゃダメだよ。主役はピアノ。フルートは軽く軽く、ピアノの邪魔をしないように吹かないとね」

 …うう、私、伴奏って体質に合わないのですよ(涙)。常に主役でいないとダメな人なんですよぉ(我儘)。ああ、14番には苦労しそうだなあ…。

 さて、本日の雑談は、夏合宿の話でした。そうです、今年も夏合宿を開催するそうです。やったねー。合宿、今年唯一の音楽的な楽しみかもしれません、今からワクワクしています。だってさー、声楽の方は、今年はたぶん本番ないから…ね。今年の唯一の本番(ってか人前で演奏するの)は、フルート合宿の発表会ぐらいだもの。頑張らないとね。

 特に今年は、ほんと、フルートの練習を普段は出来ていませんので、せめて合宿で缶詰になっている期間だけでも、死んだつもりで練習しないと…。あれこれ、ダメだよね。

 ああ、今から合宿、楽しみだあ。

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2018年5月 3日 (木)

年を取ったら、節制しないと…ね

 本日からラ・フォル・ジュルネが始まりますが、記事の方は、全部終わってから書きますので、しばらくお待ちくださいね。

 さて、今日の記事は…標題で勘違いされても困るのですが、別に飲酒とか食事とかのダイエット系の話ではありません。歌系の話です。

 人にはそれぞれ持ち声というのがあり、生まれながらに良い声をお持ちの方がいらっしゃいます。そういう人、つまりは“自然歌手”と呼ばれる、自然体のままで、すでに素晴らしい歌手でいらっしゃる方は、若い時からプロアマ問わず、歌の世界で大活躍されるわけです。

 若い時から活躍されて、中年になっても活躍されて…でも、そこを過ぎて、40代とか50代とかになって、いわゆる衰えが見え始める時期になると、そういう方って、一気にダメになってしまう人、多いんですよね。

 若い時に、持ち声の良さに頼り切りで、歌いまくっていたために、歌のテクニックが身に付いておらず、声が使い減りして、カラダが老化を始めると、一気に歌がダメになってしまうわけです。若い時が良かっただけに、その落差はすごいみたいですよ。

 以前、キング先生がおっしゃっていた「テノールは50歳を過ぎると歌えなくなる」という言葉も、この事を指していたのかもしれません。テノールは、プロアマ問わず、持ち声だけで歌っている人、大勢いるもんな。

 で、そこで「節制しなさい」と言っているのは、現在の我が師であるY先生です。

 私は自然歌手ではありません。でも、私もテノールだし、持ち声も平均的な日本人と比較すると、多少は恵まれている部類だろうと思われます。なので、私にも、声だけで歌ってしまう…というか、自分の声をひけらかして歌いたがる傾向があります。

 なので、このまま、このやりかたで歌っていると、あっと言う間に声が劣化して、歌えなくなってしまう恐れが大なのです。それが嫌なら…声はひけらかさずに、節制して、控えめに、テクニカルに歌いなさいと教えてくださるわけです。

 大きな声で歌える事は、私の長所なのですが、これからの事を考えるならば、大きな声は要りません。声がよく鳴るのも、私の長所なのですが、これからの事を考えるならば、声を鳴らしてはいけません。力強く重めの声で歌えるのですが、これからの事を考えるならば、そんな力強い声や重めの声で歌っていはいけません。

 これらの私の長所は諸刃の刃であって、長所であると同時に、私の声が劣化する原因でもあります。幸い、使い減りするほど歌ってきてませんので、まだなんとかなっていますが、やがては声は減ってしまうわけです。このまま歌っていたら、どんどん声がダメになってしまうのだそうです。

 だから、これらの長所を一旦封印して、我慢して、これらの長所を使わずに歌っていく事が必要なのです。だから、声を節制しないといけませんって事になるわけです。

 簡単に歌い飛ばしていけるところを、わざわざテクニカルに歌うように癖をつけていくのも、声が衰えても歌い続けられるようになるためであり、今からその準備をしているのです。歌のテクニックは、歌えなくなってからでは身につかないものね。

 ああ、我慢我慢。節制、節制。

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2018年5月 2日 (水)

あれこれ細かくご指導いただきました

 さて、曲練習です。今回は、新曲の「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」です、もちろんベッリーニの作曲です。

 まずは通して歌ってみました。言われた事は、丁寧に歌う事。同音程の音が続く時は、後ろの音ほど音程を高くしていく事。4度以上の跳躍の時は(たとえ楽に出せたとしても、必ず)ポルタメントを入れて、瞬間的に徐々に音程を高めていくこと。細かなフレーズ(メリスマ…と言うよりもこぶしだな)は1音1音を糸で数珠つなぎにしていく感じでしっかりつなげてレガートに歌っていく事。そして、一番大切なのは、常に息の流れを感じて、息が途切れないように歌っていく事。急に息があふれたり、滞ったりするのも無しで、息の流れが緩やかに続いていくように歌う事。

 そんなにたくさんの事を一度に言われても、出来ませんって(汗)。

 丁寧に歌う…つまり、文字通り“楽譜を正確に歌う”だけじゃダメで、1音1音が大切なのは当然だけれど、1フレーズを1音のようにレガートに歌っていく…ってのが丁寧に歌うという意味だと私は解釈しました。極端な言い方をすると、初心者のピアノのような歌い方ではダメで、せめて初心者のフルートのような歌い方にしろって事だろうなーって私は思うわけです。

 丁寧に歌っていく事で、息の流れが意識できるわけだしね。

 同音程の音が続く時には後ろの音ほど音程を高くしていくのは、私の筋力の問題から、同じ音を続けていくと、自然と後の音ほど緩やかに落ちていってしまうというのもあり、それを防ぐためというのも、もちろんあるわけだけれど、それだけでなく、文字通り、後ろの音ほど、高めの音程を取っていかないと、音楽として面白くないって事もあります。歌っていうのは、自分で音程が作っていける楽器だから、そういう工夫は必要って事です。

 4度以上の跳躍にポルタメントってのは…やはり滑らかに歌う事と関係があると思います。声って、急に切り替えちゃだめなわけで、音程にせよ、音質にせよ、アナログ的に…と言うか、フェーダー切り替えのように、途中を感じさせることで継続性を示しつつ変化させていくのがテクニックなのです。ド~ファという四度音程の跳躍であっても、ドの次にいきなりファが来るのではなく、その間の音たちを一瞬でいいから経過していく事が必要であり、それを観客たちに意識させずに聞かせる事が丁寧な歌い方につながっていくわけです。

 メリスマだかこぶしだかの箇所も、マルカートで1音1音を粒立てて、はっきり歌うのではなく、レガートにつなげていって、1フレーズを1音のように歌っていくわけです。ちなみに、こういう歌い方は、合唱での歌い方と根本的に違う部分でしょうね。

 こうして見ていくと、先生からアレコレ言われたのだけれど、結局は、息の流れを注意されたってわけです…納得です。

 音程の変化、とりわけ細かな音符が連続していく時は、一つ一つの音程を取り直して歌うのではなく、息の流れとクチの開け方だけで音程を変化させて歌っていきます。決して、ノドに力を入れて、ノドで音程は作りません。あくまでも音程は、腹圧と声帯の引張で作っていきます。そういう箇所を歌っている時の自分は、トロンボーンか何かのスライド楽器になったかのような気分です。

 あと、休むところはしっかり休む事を言われました。インテンポで歌う事だけが音楽ではないわけで、特にピアノも歌も休符の部分は、どれだけ休むかは歌手に任されているわけだから、その時の音楽の流れをしっかりつかんで、必要なだけ休んで歌うのです。その時に、自分の息の流れに逆らわないようにするわけです。

 あと、声をぶつけるように歌いだしてはいけない事も注意されました。フレーズの出だしは、常に柔らかい声で、ふわっと発声します。ガツンと発声してはいけません。気分は急激なクレシェンドですね。よく合唱で柔らかく歌い出すために、声の頭に“hを付けて発声しましょう”ってやってますが、気持ち的に同じ感じです。ただし、声楽では決して“h”を付けてはいけませんけれどね。

 それにしても「Almen se non poss'io/もし私ができないなら」って、半端なく難しい曲ですよ。まるでオペラのアリアのようです。ああ、大変。

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2018年5月 1日 (火)

絶対にせよ相対にせよ、音感はなくても、音程感覚は身につけていかなきゃいけないのよ

 声楽のレッスンに行ってきました。最初はハミング練習からです。

 ハミングでは「支えは下に、響きは上に」と注意されました。その“響き”は鼻声になる箇所よりも上で、そんな上から声を出していきます(この文章だけ読むと、かなりオカルトだなあ…:汗)。

 さらに、いつも言われる事ですが、クチの奥(具体的には軟口蓋)を開いていくわけですが、この軟口蓋を開くという感覚が私には今ひとつよく分かっていません。軟口蓋の動きって、自分で把握できないんですよ。鏡を見ると、軟口蓋が上がっていたり上がっていなかったりするんだけれど、その違いを感覚としては捉えられません。鈍いのかな? 神経通ってないのかな? さらに、その軟口蓋の上げ方も、on/offのデジタル的な処理ではなく、少しずつ開き少しずつ閉じるというアナログ的な動作をしなきゃいけないわけで、今の私には難題だったりします。

 頑張ろ。

 さて、発声練習です。今回のレッスンでは、様々な母音を練習しました。発声すると前に出やすい母音、奥に残りやすい母音ってのがありますが、それらを皆等しく前に出していく練習です。その時、声そのものはしっかりと奥からだしていきます。つまり、クチの奥で響きを作り、クチの手前の方で構音するってわけです。クチの中の役割分担をはっきりさせようってわけです。これは文章で書くと難しげですが、やってみると、そんなに難しくないです…ってか、結局、クチの奥をしっかり広げれば良いって話に帰着します。

 半音練習をしました。普段の発声練習では、音階を使いますが、今回は半音で上がり下がりをやってみました、それも伴奏無しです。最初の音だけもらって、半音で上がって下がってをやり、スタート地点に戻ってくるわけですが、戻ってきたところで、ピアノの音程と合わせるわけですが…これが微妙に違うんだな。ちなみに、音階でやれば、そんなに違わないのに、半音でやると、なんとも違うんですね。ゴールがスタートよりも低くなっちゃうんです。

 先生曰く、大概の人はスタートよりもゴールの方が低くなるんだそうです。なぜそうなるのかと言えば、それば感覚の問題ではなく、筋力の問題なんだそうです。つまり、音程の上昇は筋力(腹圧)の上昇であり、音程の下降は減圧なんです。で、上昇の時は微妙に加圧が足らず、下降の時は(力を抜き過ぎて)減圧が多めになりがちで、結果として、半音で行って帰ってをやると、スタートよりもゴールの方が低くなるって寸法なのです。

 音階ではそうならないのは、カラダが慣れていて、加圧にせよ減圧にせよ、カラダが覚えているからできるわけだけれど、半音の動きはカラダが覚えていないために、うまくできないのだそうです。まあ、精密な絶対音感を持っていれば、カラダの感覚に頼らずとも耳の感覚だけでジャストミートできるんだろうけれど、音感を持っていない私のような人間は、うまくできないってわけです。

 大切な事は、何度か繰り返してみて、自分の癖を知る事。どこで上がりづらく、どこで下がりすぎてしまうかを知り、それを調整していく事。そうやって、正しい音程感覚を掴んでいくのだそうです。

 これからは、音階練習ばかりでなく、半音練習もしっかりやりなさいって事なんだろうと思いました。先日も、音階練習(つまり二度の音程移動)ばかりでなく、三度や五度の音程跳躍の練習もしなさいと言われて、始めたばかりですが、ううむ、音階練習、三度&五度の音程跳躍練習に、半音練習か…やるべき事が増えて、忙しいなあ。

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