ひとこと

  •  ソフトバングの孫会長が、某講演会で「日本はライドシェアを法律で禁じている。こんな馬鹿な国は無い」と発言されたそうですが、ライドシェア(つまり“白タク”)は、日本を始めとする多くの先進国で禁止だよね。少なくとも、イギリスとフランスとドイツでは禁止で、先進国じゃないけれど韓国(孫氏の母国です)も禁止。ま、きっと、イギリスとフランスとドイツと韓国も日本同様に馬鹿な国なんでしょうね。逆にライドシェアOKなのは、アメリカと中国とインド、ブラジル、ロシア、イスラエル等です。ライドシェア業者って地元の業者でなくても全然OKのようだし、世界的にみると、アメリカのUberと中国の滴滴出行がライドシェア業者としては、世界のトップ2なんだそうです。ま、日本で白タクOKに法改正をするにしても、すでに実行している他の国の実情をしっかり踏まえてやらないとなりません。商売で儲ける事も大切ですが、日本と日本人の安全が脅かされることがない事を願います。特に、海外企業が儲けるばかりになってしまってはいけないと思いますよ。
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2018年3月の記事

2018年3月31日 (土)

美しいシズカさん

 シズカさんは、素赤琉金です。いわゆる、典型的な、我々が思い描く姿かたちをした金魚です。平凡と言えば平凡であり、ありふれていると言えばありふれた金魚なんです。

 でも、水槽の中で、水草が密集している場所をバックに漂っているシズカさんの姿を見た時は「ああ、美しいなあ」と思いました。他の子じゃあ、こうはいきません。

 まず、緑色をバックにしたシズカの体色が実に美しいんですよ。

 シズカの体色は、素赤です。素赤というのは、いわゆる赤い金魚の色なんです。シズカは濃い目の体色の子で、赤の色がかなり濃いです。でも、単純な赤ではなく、赤の下に金色があるんです。だから、赤は赤でも、光り輝く赤なんですね。“赤みの強い金色”という言い方をしてもよいかもしれません。

 我が家の“金”魚であるルデンは、同じ金色と言っても、かなり黄色に近い金色で、見事な黄金色なんですが、シズカの赤色は、赤金色なんですね。

 一応、シズカは専門店で購入したA級金魚なので、体色も立派なら、体型も実に立派です。まあ、怪我をして蝶尾の右下半分が無いのが欠点なくらいです(いつ怪我をして尾びれが無くなったのかは…分かりません)。

 そういう子が緑色の水草をバックに佇んでいると…実に美しいのです。

 あんまり美しいので、写真に取ろうとすると…すぐに逃げ出します。金魚はカメラが嫌いで、写真に取られるのを嫌がるんですね。困ったものです。

 しかし、金魚って美しいです。“生きている宝石”と言っても過言ではありません。ペットにはそれぞれに良さがありますが、金魚のペットとしての良さは、美しい事ですね。
蛇足 金魚は美しいのですが、同時にだらしないんですね。いわゆる“金魚のフン”と言うモノに耐性がないと金魚は飼えません(涙)。

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2018年3月30日 (金)

モイーズで勉強していたりします

 今回は…レッスンに行きませんでした…ってか、レッスンがありませんでした。そ、春休みってヤツですね(笑)。

 という訳で、今回のフルート記事は、私が吹いている“40リトルピーセズ”の作者…というか、編曲家について、ちょっとだけ書いてみようと思います。

 この楽譜集のフルート編曲をした人は、ルイ・モイーズという人です。そう、あの有名なマルセル・モイーズの息子さんです。もちろん、フルート奏者さんです。

 しかし、お父さんがあまりに偉大だったせいか、フルート奏者だったにも関わらず、その音楽活動の大半はピアニストとして…だったんだそうです。なにしろ、お父さんや奥さん(はヴァイオリニストね)のコンサートの時の専属ピアニストとして活躍されたんだそうです。

 また、父親の七光のせいもあって、業界ではかなり有名だったそうで、そのネームバリューを使って、数多くの音楽コンクールを立ち上げたり、客寄せパンダとして音楽教育の片棒を担いだりしていたそうです。

 親が有名ってのも、実力のうちだよね。

 音楽教育に熱心だったせいもあって、フルート教則本もたくさん書いているんだそうです。今、私が使っているのは、そんなフルート教則本の中の一冊なんだそうです。編曲者が、フルーティストでありピアニストであるために、そのアレンジはとても簡単だけれど、実に効果的なんだそうです。まあ、良い編曲の一つなんだそうな。

 というわけで、私はモイーズの教則本でフルートの勉強をしているわけです。ただし、オヤジの方ではなく息子の方のモイーズだけれどね(笑)。

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2018年3月29日 (木)

力んじゃいけない

 今回の記事は、ある意味、前回の記事の続きになるかもしれません。

 力んだ発声はいけません。力んだ声はノド声です。ノド声の正体は“怒鳴り声”です。怒鳴った声で歌ってはいけないのです。

 別に歌う時に怒鳴るつもりなんて、誰にも無いでしょう。でも、ついついノドに力を入れて歌ってしまえば、ノド声になり、怒鳴り声になってしまうわけです。

 では、なぜついついノドに力を入れて発声してしまうのでしょうか?

 大きな声を出す時に、我々はノドに力を入れて叫びます。ヨーロッパのような石造りの建物の中で暮らしていれば、大きな声を出す時は、建物の反響を利用すればいいのですから、響き豊かな声を出せば、それで大きな声になります。でも我々は石造りの建物には暮らしていません。基本的には、紙と木材で作られた家で暮らしています。また石造りに近いコンクリードづくりの建物に暮らしていても、わざわざ建物の内部に内装を施して、紙と木材の家にしてしまいます。紙と木材では、声は反響しません。そんな環境で大きな声が必要となれば…ついつい怒鳴ってしまうのでしょう。

 ノドに力が入るのは、住環境だけが問題ではありません。例えば、ハスキーヴォイスなんてのは、恒常的な力んだ発声の結果、ノドに病変が起きて起こる音声障害の一種です。ハスキーヴォイスは、別に日本人だけの問題ではなく、外国人にも多く見られる障害です。ハスキーヴォイスは黒人に多いイメージがありますが、本当に黒人に多いのか? 黒人にハスキーヴォイスが多いとして、なぜそうなるのかは私には分かりません。

 日本も黒人の事を言えません。日本の純邦楽と呼ばれるジャンルの歌は、ハスキーヴォイスとは異なっていますが、力んだ声で歌うのが特徴です。例えば、詩吟とか、義太夫とかね。あれは、あえてノドに力を入れて、声の音色を特徴的に変えることで、声の通りを良くしているわけです。ああいった声で歌うから、騒がしい中でも歌声が目立って聞こえるわけです。同様なメカニズムで発声しているのが、市場で競りをしている人たちの“あの声”ですし、昔は街の商店街の店主たちが(喧騒の中で商売をしているため)あんな感じの声で商売をしていました。

 人間という種族は、本来、力んだ声を好む種族なのかもしれません。

 なので…もしかしたら、我々が力んで歌ってしまうのは、人間であるが故の事なのかもしれません。

 人間以外の動物たちって、あまり力まないそうです。一番良い例が…排便です(ごめんね)。人間はだいたいにおいて、力んで排便します。生まれたばかりの赤ん坊ですから、力んで排便しているじゃないですか? でも、人間以外の動物の多くは、力まずに、その場でポタポタと排便するわけです。たぶん、人間以外で力んで排便するのは、ペット化されたイヌとネコぐらいじゃないの? イヌネコはトイレの場所をしつけられて、そこで力んで排便します。人間に飼われていても、家畜たち(ウシウマブタ)はそこらで自由に排便しますので、決して力みません。野生動物たちなんて…ほんと、自由だよね。

 閑話休題。とにかく力んじゃいけません。特に歌う時は力んではいけません。力んだ声はノド声です。怒鳴り声です。歌を怒鳴り声で歌っては…興ざめですよね。

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2018年3月28日 (水)

私に掛けられた呪いを解かないと…

 私には、小学3年生の時に担任の先生に掛けられた呪いがあります。今でも、その呪いに縛られたままで、あれこれ苦労をしているわけです。

 その呪いとは「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」です。

 私が小学3年生の時、音楽の授業は担任の先生が担当していました。その担任の先生は、大学出たての若い女性の先生で、専門教科は何か知りませんが、案外ピアノを器用に弾いていたので、音楽が専門の先生だったのかもしれません。

 で、音楽の時間の話。授業中、子どもたちが先生のピアノに合わせて歌うじゃないですか? その歌い方が先生はとても気に入らなかったようで、何度も何度も歌い直しをさせました…一年間に渡って。

 何が気に入らないのかと言えば、歌の出だしが合わない事です。先生がおっしゃるには「歌の出だしがぼんやりしている。もっと元気よく、はっきりと歌わないといけません!」と言うわけで、歌となると、何度も何度も出だしの部分だけをやり直させられました。

 とにかく、歌い出しは“元気よく”です。元気よく歌おうと思えば…子どもの事ですから、力を込めて、半ば怒鳴り声で歌うわけです。そして、力んだ怒鳴り声で歌えば先生は満足ですから、やがてクラス中が怒鳴り声で歌うようになるわけです。

 はい、私も、一生懸命、怒鳴り声で歌いましたよ。私は別に習い事をしていたわけではないので、私にとっては、音楽の時間が音楽教育のすべてだったわけです。それで一年間、怒鳴り声で歌うように仕込まれました。

 その後、年齢を重ねていき、色々な先生に音楽を習いましたが、小3の時の先生ほど、歌にこだわる先生はいませんでした。小学校の音楽の授業なんて、まあ、そんなモンです。私がどんなスタイルで歌っていても、誰も気にしませんでした。だからこそ、小3の時に習った「歌の出だしは、元気よくはっきりと歌う事」をずっと守っていたわけです。

 オトナになっても先生の言いつけは守っていました…ってか、守るどころか、無意識にそう歌うようになっていたわけです。

 怖いですね…。子どもの時の教えって、呪いのようにその人を縛り付けるんです。

 今の年齢になって分かるのは、歌の出だしは、常に元気よくはっきり歌えばいいというものではないって事です。元気よく歌わないといけない時もあれば、穏やかに歌い始めないといけない時もあります。むしろ、穏やかに歌う時の方が多いかな? 言葉をはっきり歌う事は大切ですが、それはあくまでも言葉を構成する子音なり母音なりを鮮明に滑舌良く歌うことが大切なわけで、怒鳴り声で歌うのは、却ってマイナスとなります。

 そこに気づくまで、何十年もかかりました。

 歌の歌い出しは、常にクレシェンドです。息の流れがあり、子音から母音へと声がつながって音になります。そのクレシェンドを極めて短時間で処理をするように歌うべきであって、いきなりガツンとノドを使って歌うのは、ノド声にしかならないわけで、どうにもならないし、そんな歌い方をするべきではないのです。

 私は小3の時に自分に掛けられた呪いの正体をようやく知ることができました。あとは、その呪いを解くだけですが…一度掛けられた呪いって、そう簡単に解けないんですね。ほんと、苦労しています。

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2018年3月27日 (火)

禁・燃え尽き症候群(笑)

 さて、声楽レッスンの続きです。ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」です。以前から、レッスンで取り上げる予定だった曲で、ようやく今回歌ってみたわけです。

 出だしの“Vaghissima”の“V”は、我々日本人には難しい音ですね。私も無意識だと、ついつい「バギッシマ」と発音してしまいますが「ヴァギッシマ」なんですよね。きちんとV音をはっきりくっきりと発音しなければいけません。特にフレーズの冒頭ですから、強調気味に歌っても良いくらいです。

 一度通して歌ってみたところ、さらっと歌いすぎたようで、もっと粘って歌ってくださいと注意されました。うむ、粘ろう。

 何箇所か上に跳躍するフレーズがありますが、その際、クチを開くタイミングは楽譜通りで良いのだけれど、腹圧を高めていくタイミングは、常に半拍先行していないといけません。そうでないと、しっかりと高まった腹圧に乗せて声が上に飛んでいかないからです。つまり、腹圧は常に先に先に準備万端にしないといけないわけで、そこはかなり意識しないと難しいです。

 子音の音程も注意されました。子音。無声子音はともかく、有声子音に関しては音程があるわけです。一般的に歌の場合、音程は母音で決めるものであり、子音は特にジャストの音程でなくても良いとされていますが、それでも有声子音に関しては音程を作る事が可能であり、母音だけに音程がある声よりも、子音も母音も両方に音程がある声の方が、より音楽的であり、より丁寧な歌唱になるわけで、だからこそ、子音にも音程を感じて歌っていくようにしないといけません。子音に音程を与えるには、子音を丁寧に時間をかけて歌わないといけません。歌う時に、しっかり子音にも神経を配って歌う必要があるわけです。つまり、丁寧に歌っていく事で、子音にも音程が乗ってくるわけです。

 さてさて、この曲の最高音は高いAです。この音は、以前の私には無理な音でしたが、最近は必ずしもそうではありません。ただ、単に出すだけではなく、より美しく、より音楽的に、より余裕を持って発音していかなければいけないのです。そして、Aを出せば音楽が終わるわけではなく、その後にも音楽は続いていくわけですから、そこも考えてAを含んだフレーズを歌っていかないといけません。

 結局は、しっかりノドを開いて歌わないといけないわけで、イメージとしては、Aは“ア”の母音で歌っていくつもりでノドを開いていかないといけません。そして、歌い方としてはAの音は、時間が止まってしまっても良い(テノールはだいたい、最高音で時間を止めます)のだけれど、次の音符からはしっかりインテンポに戻し、楽譜通りに歌っていく事が大切です。最高音で燃え尽きちゃいけないわけです。

 で、私は…と言うと、若干燃え尽きちゃっているわけで、最高音の後の歌い方が、少々いい加減になってしまっているようです。先生は、8分音符と4分音符をしっかり意識して歌い分けてくださいと言われました。ううむ、確かにそのあたりいい加減になっているなあ…。最高音で曲が終わるのなら、なんでもいいんだろうけれど、この曲は最高音の後も曲が続きますから、Aを含んだ、その前後のフレーズを丁寧に歌いこんで練習しないといけないわけです。

 禁・燃え尽き症候群(笑)。

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2018年3月26日 (月)

フェルマータの歌い方で苦労しました

 声楽のレッスンに行ってきました。

 最初は例によってハミング練習からですが、今回はまあ悪くないけれど、あんまり開いていないって感じの声から始まり、途中でガバっと開いた感じになりました。その瞬間に先生から「今何をしました?」と尋ねられたのだけれど、自分では分かりませんでした(<-これでは上達しない:涙)。とにかく、急に自分の中がガバっと開いたわけです。

 自分で意識して、最初っからガバっと開けるようになれば良いのだけれど、そこが分からないのよねえ…。

 で、次は発声練習でしたが、これは割とサクっと終えて、さっさと曲の練習に入りました。さて、新曲のベッリーニ作曲の「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」です。

 まずはテンポ決めです。色々な歌手の方が結構自分好みのテンポで歌っています。まあ、私的には…この曲って、パヴァロッティの十八番なので、パヴァロッティの歌唱をベースに、彼がやっている色々なアレコレは無視をして、楽譜に寄り添って歌ってみるという方向でやってみました。

 まずはフレーズを大きく支えて歌うこと。この曲に限りませんが、私の場合、新曲で、まだ十分に歌いこんでいない曲は、どうしても歌詞をきちんきちんと滑舌良く発音しようとしてしまい、その結果音がブチブチとちぎれてしまいます。それはポピュラーソングの歌い方であって、クラシック声楽のそれではないわけで、当然注意されるわけです。先生がおっしゃるには、1音1音をしっかり支えて歌っているのは見えるけれど、そうではなくフレーズをレガートに(つまり、1フレーズを1音のように)感じて、大きく支えて歌うようにすると良いのだそうです。

 8分休符とフェルマータの処理に関してです。この曲は、これが肝なんですよ。どの箇所から言うと…何度か出てきますが、最初の箇所は“Desti il fremito e il desir, ah!”の“,”に振られた8分休符と“ah!”に振られたフェルマータです。

 色々な人が色々なやり方で、8分休符やフェルマータを処理しています。ほんと、人それぞれなんですよ。そこで私はこれを“楽譜通りに処理をする”という当たり前の歌い方をすることにしました(こういう歌い方をする人は、実は少ない…んです)。人前で歌う…例えば私なら発表会等で歌うなら、もう少し自分の色を加えて歌うべきでしょうが、今はレッスンであって勉強のために歌っているわけですから、まずは楽譜通りに8分休符は8分休符として歌い、フェルマータはしっかり音を停留させて歌うことにしました。

 たぶん、作曲家の意図もそこにあるんじゃないかなって(私も)思うし…でも、その歌い方が効果的かと言われれば、若干の疑問はあるんだけれどね(笑)。

 そうと決まると、次はフェルマータの歌い方なんです。こういう長い音って、ある程度は声を伸ばして納得したら声を切るわけなんだけれど、問題はその声の切り方なんですよ。

 私の場合、息を止める感じで音を切ってしまうのだけれど、それは良くないですねという話なのです。ここの箇所は、終わりに向かって息を強めて、息で声を吹き飛ばす感じでノドを開いたままで終えるのが良いのです。つまり、音が消えて終わるのではなく、音が吹き飛んで立ち去ってしまう感じの終わり方が良いわけです。

 たかが音の消え方ですが、されど音の消え方なんですわ。

 あと…譜読みが不完全で、数箇所音を間違えて覚えていました。特に、ピアノに無い音を歌っている箇所は、ついついピアノに引きづられてピアノが弾いている音で歌ってしまうわけですが、そこはきちんと自覚して、ピアノに無い音をしっかり意識的に歌わないといけません。なにしろ、ある意味、そこは聞かせどころなんだからね。

 最後の4小節をどう歌うかを、自分の中でしっかり決めてくださいと先生と言われました。

 色々な人が色々な歌い方をしているわけですが、私的には、ここはアラルガンド(テンポを落としながら、音を強くしていく)をかけて歌いたいと思ってます。ただ、そのアラルガンドが自分よがりではなく、しっかりピアニストにも伝わるように歌わないといけないわけで…次回までに、もっと丁寧にこの曲を歌いこんでくる事になりました。

 続きはまた明日。

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2018年3月25日 (日)

やっぱり紙の本は読みづらい(涙)

 最近は電子書籍で本を読むことの多い私です。なにしろ電子書籍は“字が大きい”“字がはっきりくっきりしている”“明るい”の三拍子ですから、ほんと、読みやすいんてす。まあ、欠点を言えば…光源を見つめているわけですから、目が疲れやすいっちゃあ、まあその通りです。

 でも紙の本も読まないわけじゃないです。すべての書籍が電子化されているわけじゃないですから、必要に迫られて、紙の本も読むわけです。

 でもね、文庫本って字が小さくて読みづらいです。老眼鏡を使っても読みづらくて困ってます。

 でもまあ、書籍に関しては、たとえ文庫本が読みづらくても、図書館などに言って、元の(普通サイズ)の単行本で読めばいいのです。単行本なら、まあ何とか読めるってものです。もっとも最近は、いきなり文庫本で出版されちゃうモノもあって、そういう本は…諦めます。

 読みづらいと言えば…コミックスも相当読みづらいです。コミックス(つまりマンガね)って、単行本のサイズが新書版でしょ? 新書って文庫本よりは大きいとは言え、あのサイズで絵と文字がぎっちり入っていて、小さくて読みづらくて困るのよ。せめて雑誌サイズなら、まだ読めるのにね。マンガの単行本は、本当に小さくて困るのよ。

 コミックスを読むのは、今や子どもだけじゃないんだから、芽の弱った老人にも優しくして欲しいですよん。

 で、大きさだけでもコミックスは困ったものなんだけれど…女性向けマンガ(具体的には「ちはやふる」だけど)になると、絵の線が細くて細かくなって、文字数も増えて…本当に紙の本だと読みづらくなります。ああ、つらい。電子書籍は…少なくともタブレットで読めば、ほぼ雑誌サイズだし、それでも見えなきゃ、拡大すればいいだけの話。

 ああ、やっぱり紙の本は読みづらい(涙)。

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2018年3月24日 (土)

メダカが1匹

 …なんですよ。200匹入れたメダカが、たったの1匹なんです。

 とは言え、メダカがたったの1匹になったのは、別に最近の話ではなく、もう一ヶ月近く前からの話です。

 金魚たちは、メダカを投入されると、我を忘れてメダカを食べ始めます。最初の1日で相当数のメダカが食べつくされます。で、ほぼ一週間から10日で100匹のメダカを食べちゃます。その勢いたるや、見ていて、実に壮観です。

 でも、きれいに100匹食べ尽くせるわけじゃないのです。いつでも、必ず数匹の食べ残し…と言うか、生き残りが出ます。多い時は7-8匹残るんですが、今回は1匹しか残らなかったのです。

 メダカは群れを作って生きる動物ですから、1匹で暮らすというのはツライだろうと思うのですが、どうやら見ている限りは、楽しそうに生きています。

 メダカは流れに逆らって泳ぐ習性がありますが、水槽の中でも、ポンプの吹き出し口に向かって泳いでいます。これがどうにも楽しげなのです。おそらく遊びの一種なのだと思います。

 金魚たちもメダカがたくさんいるとエサだと認識するようですが、一匹しかいないとエサとは思わないみたいで、メダカがシズカやヤヨイの前を素通りしても、全然無視しています。本当に興味がないみたいです。

 と言うわけで、我が家の水槽にはメダカが1匹だけいる…って状況なのです。

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2018年3月23日 (金)

花粉症は(やっぱり)つらい

 フルートのレッスンに行ってきました。

 まずはロングトーンでしたが、今回はバッチリではありませんでした。いや、音程的にはバッチリだったのですが、音色的にバッチリではなく、なんとも合っているような合っていないような、居心地の悪い音で吹いてしまいました。

 で、先生からは「ロングトーンだからと言って、ボケッとしてフルートを吹いてはいけない」と注意されました。端から見ると、その日の私はボケーとフルートを吹いているように見えたのでしょうね。実際、ボケッとしていました。

 疲れていたんですよ。それで集中できてなかった…んです。まあ、それでも寝てはいませんからね。以前、笛先生に習っていた時は、何度かフルートを吹きながら寝てしまった事がありますが、それよりはだいぶマシです。

 今は仕事が忙しくて、無理に無理を重ねて、なんとかレッスンだけは…と思って通っているのですが、カラダはあんまり無理が効かないのです。いかんねえ…。

 エルステユーブンゲンは、23番と24番です。自宅練習をほぼほぼやっていないので、暗譜なんて全くできてません。もちろん、合格なんてするはずはありません。先生曰く「音はとても良いのだから、あとは暗譜さえすれば…」なんですが、その暗譜が難しいんですわん。

 プチエチュードは19番ですが…明らかに下手になってますね。上達という言葉がありますが、その反対語って…下達でしょうか? もしそういう言葉があるならば、今の私は、日々フルートが下達してます(涙)。ああ、エチュード、難しい。

 40リトルピーセズは、12番の“モーツァルトのメヌエット”と13番の“ヘンデルのエア(調子の良い鍛冶屋)”でした。この2曲もあまり練習していません。

 とにかく、12番を吹きました。この曲は、前回のレッスンで不合格になってしまったのですが、その理由は、私がこの曲をモーツァルトの曲である事を意識しすぎて、あまりにロココっぽい切れの良い演奏をしてしまったから。だって、そういう演奏の方が、モーツァルトっぽいでしょ? でも、そんな演奏をしてはいけないのです。あくまでもレッスンですから、楽譜に書いてあるとおりに実直に演奏をする事が大切なのです。

 で、今回は、実直どころか、愚直に楽譜通りに吹いてみました。うむ、合格をいただきました。まあ、世の中なんて、そんなモンですよね。

 次の13番は…初見だったせいもあって、ところどころ指がからまってしまいました。そりゃあダメだよね。なので、次回のレッスンまでに、13番と、次の14番“ハイドンのアリエッタ”を練習してこいと言われましたが…どうせまた初見大会をしちゃうんだろうなあ…。

 今回の雑談は…花粉症は大変だねって話です。

 私は花粉症です。今は花粉症のピークという事もあって、あれこれ大変です。もちろん、薬は飲んでいますし、目薬はさしてます。今年は有り難いことに点鼻薬は使わずに済んでます。そんな感じです。

 普段の生活では、戸外に出る時はマスクを着用していますが(そもそもマスク着用が大嫌いなせいもあって)室内ではマスクを外して生活しています。

 そんな事もあって、戸外ではマスクの中で多少の鼻水が垂れる程度で済んでいますが、室内では、たまにくしゃみを連発しています。まあ、カラダに入って花粉をカラダが追い出そうとしてくしゃみをしてしまうのだろうと思ってます。つまり、マスクって偉大だねって感じです。本来ならば、室内でもマスクをして生活できれば、かなり花粉症も和らいだ生活ができるんでしょうねって事ですが…でも私はマスクが大嫌いなんだよね。特に、マスクをしていると息苦しくなるのが、どうにもこうにも勘弁ならねえんですよ。

 そんな私ですから、当然、フルートを吹く時はマスクを外しているわけです(当たり前か)。

 普段の生活では、私の呼吸って…浅いんですよね。これは誰でもそうだと思います。日常生活の中で深い呼吸をして生きている人がいたら、その人は病気を疑ったほうが良いわけです。それくらい、我々の日常生活における呼吸は浅いんです。

 でも、歌もそうだけれど、フルートを吹く時も、呼吸って深くなるんですよ。まあ、意識をしていないかもしれないけれど、深呼吸をしながら音楽やっているわけです。ただ、歌の場合は、息を深くも吸うけれど、吐き出す方も結構エネルギッシュなわけで、激しくインプットし、激しくアウトプットしているわけです。

 一方、フルートの場合は、静かに深くインプットし、ゆっくりと軽く少しずつアウトプットしている…って感じになるじゃないですか? 

 フルートの場合、吸気が長く体内に存在しているというか、息を吸って留めていくって感じでしょ。息が体内で停留しているって感じがします。声楽って、常に息が動いていて留まる感じがしないんですよ。

 で、フルートを吹いている時に何が起こるかと言えば、歌っている時に感じない、胸の違和感をフルートでは感じるんです。ざっくり言えば、フルートを吹いていると、胸の中が痒くなるんです。おそらく、実際に不快感を感じているのは胸ではなく気管なんだろうと思うのだけれど、胸が痒くてたまらなくなるんです。

 あんまり痒いと、たまらくなるって無意識に咳をしてしまいます。おそらく、気管に入り込んだ花粉をカラダが追い出そうとして咳をしてしまうのですが、これがフルートのレッスン中に頻発するわけです。咳のために、一曲を通して演奏することが困難になるし、レッスンの最初の時間はそうでもないのだけれど、終わり近くになると、もう咳が止まらなくて止まらなくて…。

 それで先生が「花粉症は大変だね」って話になって、他の生徒さんたちの花粉症の話をしてくれたわけです。

 フルートは吹奏楽器ですから、花粉症の皆さんは、それぞれに大変な思いをしながら、フルートを吹いているわけです。

 でしょでしょ、花粉症の笛吹きの皆さん!

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2018年3月22日 (木)

ビートルズ界とカーペンターズ界

 先日、お蔵入りしていたブログ記事の点検をしていた時、この記事を発見しました。実はブログ開始時に書きかけたもので、そのまま10年近くお蔵に入っていたようです。そのままお蔵に入れたままにしてよかったのだけれど、今回、ほんの少しだけ書き足して、世に出す事にしました。

 内容はなんてこと無い、ビートルズとカーペンターズの再発、リミックス、リマスター、再録音(追加録音)の一覧です。

ビートルズ

 1960年代 オリジナルのミックス(ステレオとモノ)
 1987年 最初のCD制作(1~4はモノ、5と6は1987年ステレオミックス、7以降ステレオ)
 1993年 「赤盤」にて一部モノラル曲をステレオミックス
 1999年 「イエローサブマリン・ソングブック」発売
 2000年 「1」発売 24bit  リマスター
 2003年 「レット・イット・ビー・ネイキッド」発売
 2006年 「ラブ」発売 初のマッシュアップ
 2009年 オリジナルアルバム 全面的にリマスター
 2015年 配信サービス(iTunes Store)開始
 2014年 オリジナルアルバム SHM-CD盤として再発売
 2015年 「1」再発売 全曲リマスター&リミックス
 2016年 「ライブ・アット・ハリウッドボール」 リミック&リマスター盤発売
 2017年 「サージェント・ペバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」 リミックス盤 発売
 
 
カーペンターズ

 1970年代 オリジナルのミックス
 1973年 「シングルス」発売 「涙の乗車券」を再録音
 1985年 「イエスタデイ・ワンス・モア」(ベスト盤)発売 追加録音&リミックス
 1991年 「フロム・ザ・トップ」(アンソロジー)発売 リマスター&リミックス
 1994年 「インタープリテーションズ」(ベスト盤)発売 リマスター&リミックス
 1995年 「青春の輝き」日本発売(日本で一番売れた洋楽アルバムとなる)
 1996年 カレンのソロアルバム「カレン・カーペンター」発売
 1998年 オリジナルアルバム 全面的にリマスター&リミックス
 1999年 オリジナルアルバムをオリジナルミックスに戻す
 2004年 「ゴールド」(ベスト盤)発売 リマスター&リミックス
 2001年 未発表音源集「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」発売
 2009年 スタジオ火災のためオリジナルマザーテープが焼失
 2009年 「40/40」発売(ベスト盤)リマスター
 2013年 「シングルス」再発売 リマスター

 ビートルズは1960年代に、カーペンターズは1970年代に活躍したアーチストで、どちらもオリジナル・アルバムは、その10年間で制作されています。つまり、ここに書いたのは、再発売時代の記録って事になります。ベスト盤と未発表音源盤の話になるわけです。

 簡単に用語説明をすると、ビートルズの欄になるステレオミックスと言うのは、ビートルズのオリジナル盤はモノラルだったため、それを時代に合わせてステレオ盤を製作したという事。

 リマスターと言うのは、オリジナルマスターテープ(当然アナログ録音)に起因するノイズなどを取り除き、アナログからデジタルに変換して新しいマスターテープを作る事です。

 マッシュアップとは、全然違う複数の曲を編曲編集作業を加えて、力技で1曲に仕上げる事です(笑)。

 リミックスというのは、マザーテープ(アーチストが録音して最初に作ったテープ)から、もう一度新しいマスターテープを作る作業です。リマスターが既発売品をブラッシュアップしただけのものに対して、リミックスは当初発売されたモノとは全然別の音源を作る事になります。ですから、カーペンターズの欄にかかれている“マザーテープ焼失”と言うのは、とんでもない事だという事が分かると思います。

 …てな記事を約10年前に書きかけていた私でした。

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2018年3月21日 (水)

なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?

 今回の記事は医学的な内容を含みますが、私は医学に関しては(当然ですが)素人さんなので、間違った記述があったら、優しくご指摘くださいね、よろしく。

 さて、標題の『なぜ年を取ると高音が出なくなるのか?』ですが、結論を言っちゃうと、やっぱり“加齢(老化)のせい”のようです。残念。

 なので、どんな人であっても、年齢には勝てませんから、加齢とともに徐々に高音を出しづらくなってしまうわけです。ただし、高音が出しづらくなるだけで、別に低音が出しやすくなるわけではないので、音域も狭まってくるわけです。さらに残念。

 良い例が、プラシド・ドミンゴでしょうね。若い時はテノールとしてバリバリやっていましたが、年を取るに従い高音が出づらくなり、70歳前後からバリトン役を歌い始め、今ではすっかりバリトン歌手として定着しました。バリトンになったからと言って、彼の声が若い時とすっかり変わってしまったのかと言うと、決してそうではなく、明るくヒロイックなテノールのような声で、バリトンを歌っているわけです。ドミンゴを見ていると、老化をしても声色は特に変化なく、低音域が得意になるわけでもなく、ただただ高音が苦手になってくるようです。

 ちなみにドミンゴは、オペラではすっかりバリトン歌手ですが、コンサートなどでは、テノールの歌もまだ歌うし、その時は往年の歌声はまだまだ健在だったりします。

 さて、閑話休題。声は老化すると書きました。しかし、何度もこのブログで書いていますが、人間の筋肉って奴は、決して老化しないんです。いくつになっても鍛え上げて最高のパフォーマンスを発揮できるんです。ですから、声の老化は筋肉のせいではありません。

 ではどこが老化すると、声が老化するのか…ですが、一番影響が大きいのは…軟骨なんだそうです。

 声帯周りって軟骨で出来ています。具体的には、輪状軟骨、甲状軟骨、披裂軟骨、咽頭蓋軟骨の4つの軟膏があって、それらに取り囲まれるように声帯が存在するわけです。で、これらの軟骨を筋肉(内喉頭筋とか外喉頭筋とか)が動かすことで、声帯の張りに強弱が付き、それで音程が作られるわけですが、とりわけ高音を発する際には、軟骨が大きく動いて、声帯が思いっきり引っ張られて高音を発声するのだそうですが、加齢で軟骨の柔軟さが失われると、軟骨が声帯を思いっきり引っ張る事が出来なくなる…んだそうです。それで高音が出しづらくなるんだそうです。

 声帯周りの筋肉を鍛えると、軟骨を動かす筋肉が思いっきり軟骨を動かすわけです。若くて柔らかい軟骨ならば、筋肉が引っ張る方向により大きくしなって声帯を張っていく事ができますが、軟骨が硬くなると、いくら筋肉で引っ張っても、軟骨はびくともしなくなり、声帯もある程度までしか張ることが出来なくなってしまうのだそうです。それで若い時には出せた高音が出しづらくなってくるわけです。

 ちなみに、軟骨の老化は、四十代後半から始まるそうです。このあたりから軟骨の硬化が始まり、高音が出しづらくなるんだそうです。

 また、同じ頃から、カラダが乾燥していくようになります。これも痛手です。

 若い人はカラダが水々しいのですが、老人はカラダが乾燥しています。厳密に言うと、老人は若者よりも、水分や油分が不足しがちで、それで結果的にカラダが乾燥していくわけです。

 声帯は筋肉なんだけれど、その筋肉を粘膜が覆っています。カラダが乾燥してくると、粘膜部分に潤いが失われ、粘膜が硬くなり、声帯自体も実は動きづらくなってきます。これも間接的に高音が出しづらくなる原因となります。

 で、そんなこんなで、人は50歳を越える頃から高音が出づらくなるって寸法なのです。すでに50歳を過ぎてしまった人間にとっては、なんか残念な結果だね。

 でも私は諦めないよ。確かに加齢ってやつからは逃げられないし、老化も受け入れなければいけないです。軟骨が硬くなり、粘膜が乾いて硬くなるのも受け入れよう。しかし、筋肉はまだまだ鍛えられるわけです。

 軟骨を動かすのは筋肉だし、声帯自体も筋肉です。これらが筋肉であるなら、軟骨や粘膜のハンデを筋肉で補っていくしかないじゃないですか!

 まあ、確かに若い人には敵わないし、もっと若い時から歌っていれば良かったという後悔はないわけではないけれど、今の自分にとって、今できる範囲で頑張っていくしかないじゃないの? 山登りで例えれば、もう山頂に登る手立ては失ってしまったのかもしれないけれど、9合目や8合目まで行けるなら、そこを目指せばいいし、そこもダメなら7合目でも6合目でも、それよりももっとふもと近くでもいいじゃない。その時の自分のベストが尽くせれば、それでいいじゃない。

 なんて、私は考えます。それに人間ってヤツは、意思が強ければ、大抵のことは成し遂げられるので「年を取ったので高音は無理だー」と諦めるよりも「年を取って高音が出しづらくなった分、余計に頑張んなきゃいけないな」と思いたいんですよ。

 それに、年を取ると性ホルモンが減ってくるので、男性は声が高く、女性は声が低くなるという説もあります。私は男性なので、軟骨が固くなった分、男性ホルモンが減って、声が高くなって、プラスマイナス・ゼロ…じゃね? なんてお気楽に考えていたりもします。

 まあ、どちらにせよ、諦めたら、そこで終わりだからね。私はまだまだ諦めないよ。

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2018年3月20日 (火)

私は知りたい! 音大の指定校推薦ってヤツを!

 音楽大学にも指定校推薦があるそうな。

 指定校推薦と言うのは、通常の大学の場合、大学側から指定を受けた特定の高校から、合格したら入学する事を条件に生徒を募集する方法です。一応、学業成績のハードルもあるし、人柄についても高校側からの推薦(つまり保障)が必要なわけで、大学側の視点で考えると、評判の良い高校から、人柄と成績の良い学生を早期に確保する入試方法であり、高校側の視点で考えると、生徒の合格が確約される嬉しい入試方法であり、受験生の視点で考えると、憧れの大学に無試験で入れる絶好のチャンスなのが、指定校推薦ってヤツです。

 まあ、入学試験も無く、作文提出と面接ぐらいで決まっちゃうわけで、受ければ受かるのが指定校推薦ですから、大学も高校も受験生も、誰もがうれしいwin-win-winの入試が、指定校推薦なんです。

 まあ、これが一般大学で行われる際には、私も理解します。大学だって経営しなきゃいけないわけだし、色々な方法で学費を納めてくれる学生を確保しないといけませんからね。

 でも、音楽大学にも指定校推薦があると聞いた時には、ビックリしました。いくら経営が厳しくても、それってアリなの?

 音楽高校からの指定校推薦なら、百歩譲って理解できますが、一般の高校からの指定校推薦って、何? それって大丈夫? って単純に考えちゃいました。

 一般大学なら入試はありません。音大も入試は無いの? でも音大の入試って実技試験でしょ? いくら学校の成績が良くても、音楽の力の保障がない生徒を入れちゃっていいの? やっぱり入試はやるの? やらないの? やるとしたら、どんな内容なの? 一般入試とは、どれくらい違うの?

 皆さんも興味津々でしょ? 私は、そこが知りたいです。

 ネットでググっても、この手の情報はなかなか出てこないんですね。関係者なら、直接大学にお電話で尋ねることもできますが、単なる冷やかしの門外漢では、それも出来ないわけで…ああ、でもでもでも、知りたいんだよぉ。知ってどうなるものでもないのだけれど、私の知的好奇心が止まらないのだよぉ。

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2018年3月19日 (月)

今日はお休みします

 ネタは無いわけじゃないです。時間は厳しいけれど、ひねりだせばブログの記事を書けないわけじゃない。じゃあなんでお休みにしちゃうのかと言うと…ちょっと疲れました。疲れると、気分が上がらなくって、それで何とも筆が重くて、今日の分の記事を書き上げる事ができませんでした。

 ごめんなさい。そういう日もあるってわけで勘弁してください。明日は頑張って記事をアップするつもりです。

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2018年3月18日 (日)

友達が少なくても寂しがらない

 趣味を楽しむためには、どんなメンタルが必要なのかと考えてみました。

 すぐに思いついたのは、飽き性ではない事。まあ、粘着質である事と言うとアレですが、一度始めた事は容易に諦めず挫けず継続し続けられるメンタルは必要だろうと思いました。

 あと、ゆるめの金銭感覚。まあ、感覚はメンタルなのかと言われると、微妙に違うのかもしれませんが、とにかくケチな人は趣味なんて出来ません。趣味って、基本的に非生産的だし、お金を湯水のようにジャブジャブ使うし、硬い金銭感覚を持った人には、決して許せないのが趣味生活だろうと思います。

 ずぶとい神経も必要かもね。好きなものは好きだと感じて、優先順位を上げられるメンタルです。実際の我々の人生では、あれもこれも色々とやらなきゃいけない事がたくさんあります。もちろん、そんなたくさんの事を全部は出来ませんから、色々と頭を使って優先順位をつけて、出来るところからひとつずつやっていくわけです。

 人生の優先順位ってヤツは、その人の価値観で決まります。普通は生活に必要な事を優先するでしょう。それは家庭の事であったり、仕事や勉強の事であったり、地域社会での役割であったりするわけで、その多くは、あまり楽しくないけれど、やらなければ困ることばかりだから、やむなく優先順位を上げざるを得ないわけです。

 趣味に生きる人ってのは、そんな必要な事柄の順位を多少下げても、自分の好きな事を優先して順位を上げていける人、つまり、かなり図太い神経を持っていないと、趣味のための時間なんて捻出する事は難しいだろうなあって思うわけです。

 趣味を貫くって、結構、メンタル的なエネルギーを必要とするものね。

 ココらへんまでは割とすぐに思いつきました。

 割とすぐには思いつかなかったけれど、よく考えてみれば大切なメンタル条件が趣味人には必要だなって思いました。それが標題の件です。

『友達が少なくても寂しがらない』

 意外と思われそうですが、趣味人として生きるためには、もちろん友達は多くても全然かまわないですし、社交的な人柄であるなら、それに越したことはないけれど、だからと言って、友達がいないと寂しいと感じてしまう人は、趣味が長続きしない…と私は踏んでいます。ゆえに、趣味人として生きるためには『友達が少なくても寂しがらない』というメンタルが不可欠だろうと考えるわけです。

 もちろん、友達作りのために趣味活動を始める人が大勢いらっしゃる事は知っていますし、それが趣味を始めるきっかけであっても、何の問題でもありません。ただ、そういう人の場合、第一目的が『友人作り』であって、趣味はそのための手段であって、その趣味が何であれ、友達作りに有益ならばそれで良いのですから、友達が出来て、友達付き合いが軌道に乗れば、別にその趣味活動してもしなくても良くなってしまうわけです。

 ってか、趣味を楽しむためには、時として、友情よりも趣味を優先してしまうような鬼畜な部分が、時としては必要かな…って思ってしまう私です。

 いやね、趣味と言うから、なんかお上品に感じるだけで、所詮は道楽でしょ? 道楽者というのは、親兄弟や恋人よりも道楽を優先するわけで、そう考えるなら、友達よりも道楽の方が全然楽しいわけで、ゆえに友達がいてもいいし、いなくても寂しくないわけです。

 「わずらわしい人間関係に振り回されるくらいなら、趣味に没頭している方がいいや」と思えるくらいの人の方が、趣味に前のめりに生きていけると思う次第です。

 反論、大歓迎。

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2018年3月17日 (土)

ルデンの近況報告

 ルデンは…たぶん、出来損ないのランチュウです。本来、ランチュウにはないはずの背びれがしっかり生えている子です。更に、ランチュウならば、尾ビレは短めですが、ルデンは標準サイズの蝶尾となっています。まあ、つまり、ランチュウと琉金のアイノコと言うか、中途半端なランチュウとでも言うべき、C級ランクの金魚です。

 でも、一応、購入先は金魚専門店です。その専門店で“MIX金魚”として売られていました。つまり、雑種…交配失敗個体ってヤツですね。ま、そりゃあそうだわな。

 でも、ルデンには、カタチの奇妙さはともかくとして、体色が実に素晴らしいのです。リアルな金色をしているんですよ。まるで、ゴールドフルートみたいな色をしています。そこそこ成長した今でも、体色は目にも眩しい金色をしています。

 で、我が家に来た当初は、カタチが不出来な上、実に薄っぺらいカラダをしていました。とても金魚とは思えないほどに薄っぺらなカラダでした。こいつは、エンゼルフィッシュか?…は少し大げさですが、そう思ってしまうくらいに薄っぺらだったんです。

 それは単純に、ヤセていただけのようです。

 我が家にやってきて数ヶ月たち、カラダは少しずつ厚みを増してきました。真横に付いていた両目も少しずつ前に向き始めています。

 太ってきた…というよりも、今まで成長出来なかった分を、今、成長しているようです。その証拠に、カラダは厚くなってきました、別に太っている感じはしません。

 ここから、ヤヨイのように、美しいプロポーションを保ったまま成長できるのか、シズカのように、デップリになってしまうのか、かつて我が家にたくさんいた巨大魚のようになってしまうのかは、神のみぞ知る…ですが、ランチュウって、そんなに大きくはなりませんから、ルデンもそんなに大きくならないだろうとタカを括っています。

 ルデンを見ていると、肉も草もたくさん食べます。メダカを入れた当初は、メダカを食べようともしませんでした(し、今でもメダカは食べません)が、タニシはよく食べてます。シズカのように肉食系金魚なのかな…と思っていたら、先日は、実に派手に水草を食べて、真緑のフンをしていました。となると、ヤヨイのように草食系金魚なのかな?

 今は成長途上なので、とにかくクチに入るものを、好き嫌いなく食べているようです。そういう意味では、雑食系金魚なのかもしれません。

 こりゃあ、大きくなるかもしれませんね。

 とは言え、今でも我が家では一番小さくて、一番チビ助な金魚がルデンなのでした。

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2018年3月16日 (金)

墓場に持っていくつもりです

 フルートのレッスンに行ってきました。今回は姉様のレッスンが無かったようで、さすがの先生もご自分の練習もたっぷりし、コーヒーもがぶがぶ飲んで、私が教室に着く頃には、本当に手持ち無沙汰で、首を長くして私の到着を待っていてくださったようです。

 ああ、レッスンに行けてよかった。実は仕事の都合で、今回のレッスンも休むはずだったのだけれど、あれこれトントンと進んだおかげでレッスンに行けたんですよ。ふふん。

 さて、ロングトーン練習は、実にバッチリでした。最近、良い傾向が続いていますが、いつも以上に今回は、本当にバッチリでしたよ。

 エルステユーブンゲンは、前回同様に23番と24番です。まあ、暗譜どころの騒ぎじゃないっす。

 プチエチュードは19番ですが、とにかく練習が全然足らないのです。

 40リトルピーセズは12番のモーツァルトの「メヌエット」でした。これは、モーツァルトが7歳の時に作曲した曲なんだそうです。前回のように、初見の一発合格できたらなあと願っていたのですが、そんなにおいしいことはありませんでした。モーツァルト、嫌いじゃないけれど、シューベルトほど吹きやすくはないみたいです。

 次のレッスンまでに、12番のモーツァルトはもちろん、13番のヘンデルの「アリア」も練習してくる事になりました。ちなみに、13番のヘンデルの「アリア」は、俗称「調子の良い鍛冶屋」という曲だったりします。

 頑張ろう…って、それ以前に練習をしないとね。

 さて、今回の雑談は、プロフルート奏者の話。誰の音が素晴らしくて、誰がそうでもないのか…というのを、H先生独自の目線でズバズバ切ってくれました。

 先生が褒めていたのは、ニコレ、ランパル、ゴールウェイ、モイーズの4人。どこに共通点があるのか、私にはちっとも分からないのだけれど、4人とも、その笛の音がまろやかで雅であるそうな。フルートは、こういう音色で吹きたいものなんだそうです。

 一方、クソミソだったのは…って、その人の名前はさすがに書けません。だって、超有名人なんだもの。ファンの方だってたくさんいるわけで、H先生の指摘はかなり核心をついていたと思うけれど、さすがにネットには書けません。残念。書いてしまえば、炎上をし、アクセス数を稼げるだろうけれど…やっぱりそんな事はしちゃいけません。だってオトナだもん。そっと、私の胸の中にしまっておきます。へへへ。

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2018年3月15日 (木)

高音を出す際の心構えについて

 今回の記事は、皆さんへと言うよりも、自分自身へ言い聞かせるための記事であります。

 テノールにとっての高音は…五線譜の上のAあたりから上の音を指します。つまり、Gまでは当たり前に出せるのが前提条件です。いや、Aまでは当たり前に出せるはずなのです。出せなきゃテノールじゃないわけです。

 ミュージカル等では、男声の高音の限界は、一般的にAとされています。つまり、ミュージカル発声でもAまでは出しなさいっていう感じなのです。だから、勝負はAより上の音なのです。

 もっとも、現在の私にとっては、高音は“Aより上”ではなく“Aから上”なんですけれど…ね。

 それはともかく、テノールのノドを持っていれば、Aはもちろん、それよりも高い音でも出せるはずなのです。それなのに出せない…という人は、私も含めて少なからずいるわけです。

 私がなぜ高音をうまく出せないのか? それは高音が怖いからです。ビビってしまうからです。意識してしまうからです。

 だから、まずは高音を高音として意識しないこと。例えばAは高音だけれど、あくまでもGの次の音なんです。それを忘れない事。Gは楽に出せるんだから、Aはその次の音なんだから、本来は特別な意識なんてしなくても、単純に次の音を出すだけなのに、ついつい意識してしまうし、ビビってしまうし、怖くなってしまうのです。

 そうなると、ノドは固まるし、息は止まるし、意識は飛ぶし、無駄に力は入るし…と、高音を出す方向とは逆な方向にカラダが反応してしまいます。

 そりゃあ、出るものも出ないはずだよね。

 なので、高音を出す際には、高音を高音とは意識せず、AならGの次の音…程度に構えて発声する事が大切…なんだけれど、分かっててもできないのが、人間のサガってヤツなんだわな。

 とにかく、息を力強く、前に出すこと。それこそ、ビーム砲のように出すこと。それで高音は出るわけです。

 後は、音のイメージをしっかり持っている事。音のイメージが無いと、正しい音程では歌えませんからね。

 そして、最大の敵が“頭が真っ白になる事”です。いくら、冷静な時に「アレをやらなきゃダメだ、これはやっちゃダメだ」と分かっていても、曲になると、無意識にテンパってしまって、頭が真っ白になって、事前に考えていた事の1/10もできないわけです。

 歌っている時は、考えちゃダメだよな。考える前に、大切な事はカラダに染み付いて覚えていないとダメなんだわ…ほんと、そう思います。

 それだけ分かっているなら、あとは実践あるのみなんです。なかなか、世の中、うまくは行かないけれどね。

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2018年3月14日 (水)

今回は既習曲で終了でしたが、次回からは新曲に取り組みます

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。ベッリーニの「6つの歌曲」からの曲です。

 まずは「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」です。とにかく丁寧に歌うことです。音程は、常に上から取っていく事。間違えて覚えている箇所は、しっかりと楽譜を見て確認しながら歌うこと。注意されたのは、それくらいでしょうか。すぐに次の曲に行きました。

 次は「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」です。この曲は、ついつい声を飲み込んで歌いがちになので、極力声を前に飛ばして歌うようにする事。あと、声を膨らませて歌う事。

 その次は「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」です。この曲に関しては、歌い込みの足り無さが目立ちました。中声用の楽譜で歌っているのに、原調での歌唱イメージが強いせいか、音程が簡単に高めに外れてしまいます。低い調で歌うのに苦労しました。別に音程的には低くて歌いづらいという事はないのですが、ピアノは(当然)低い調で弾いているし、耳もそれを聞いているのだけれど、ついついカラダは高い調で歌いたがるわけです。参りました。先2曲も練習ではそういう状態から始めて、それを力技でねじ伏せて、低い調でも歌えるようにしてからレッスンに臨んでいたわけですが、この曲は、練習でそれが十分にし終えなかったので、どうにもちぐはぐな歌唱になってしまったわけです。

 「珍しく、高めに音を外している」と言われちゃいました。いやあ、最初っから最後まで、ずっと音を外していたと思いますよ。自分でも、全然、和音にはまっていない事は自覚していましたから(涙)。

 とまあ、こんな感じでしたが、これでこの3曲は終了となりました。別に発表会で歌うわけではないので、これくらいで勘弁したるかーって感じです。

 次回は、まだ全然手のついていないドナウディ作曲「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」をいよいよやります。

 実はこの曲、「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」の後に、歌うはずだったのですが、私がパスをして、代わりに「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」となりました。なぜパスをしたのかと言うと…

 ずっと自宅練習をしていなかったので、すっかり高音が出なくなっていたからです。

 ベッリーニは中声用の楽譜で歌っているので、高音は一つもないのですが、ドナウディの方は、数箇所高音のAがあって、これが練習をサボっていたら、全然カスリもしなくなっていたからです。やばいやばいって感じです。

 次回のレッスンまでには、なんとか調整してきて、Aをかするくらいまでにはしたいと思ってます。ああ、時間を作って練習しなきゃ。腹筋動かさないと…、ノドの脱力を意識しないと…。

 ベッリーニの方は、次回からは新曲となります。「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」となります。ベッリーニの「6つの歌曲」に関しては、今回のレッスンで歌った3曲に関しては、Y先生もしばしばレッスンで取り上げてきたそうですが、残りの3曲は、ご自分でも歌わないし、レッスンでも取り上げた事はないそうです。なので、先生もレッスンが楽しみなんだそうです。

 で、残りの3曲については、中声用の楽譜ではなく、原調版で歌ってもいいですよと言われましたが…さすがにそれはパスしました。少なくとも次に控えている「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」は中声用の楽譜で練習してきます…だって、この曲、原調だとBがあるんだもの(涙)。さすがにBは、今の私では、絶好調でも、まだ厳しいので、Bに挑戦するのではなく、「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」という曲をしっかり歌って学びたいので、今回は中声用にしておきます。

 「Bella Nice,che d'amore/美しいニーチェよ」は中声用でも高いけれど平気?…と先生は一瞬心配されましたが、それは平気だと思います。

 この曲を知らない人のために、例によって音源を貼っておきます。

 パヴァロッティの歌唱です。いつもながら、見事な歌唱です。こんなふうに歌えたら、本当に良いのにねえ(溜息)。

 さて、私は次回のレッスンまでに、どれだけ自宅練習をして、高音Aを出せるように調整してこれるでしょうか? ああ、私も自分事ながら、とても心配です。

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2018年3月13日 (火)

ノドが強いのも良し悪し

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習から。とにかく、軽く響きを豊かに歌うように心がけました。

 発声練習は、とにかくノドを開いて発声です。鏡を見ながら発声しました。鏡を見れば、ノドは簡単に開きます。見ていないと…つい開き忘れてしまうんでしょうね、困ったもんです。なので、自宅練習でも、なるべく、鏡を見ながら発声をすると良いと言われました。良い癖をつけていきましょうって事です。

 ただし、気をつけないといけないのは、ノドを開くことばかりに気をつけていると、声が胸に落ちてしまうのだそうです。声が胸に落ちないように、しっかり聞き耳を立てながら、ノドの開きを確認するわけです。

 声量を抑え気味にして歌いましょう、と言われました。別に私は無理に大きな声を出しているわけではなく、普通に歌うと、大声になってしまうだけなのです。

 ノドの開きはOK、息の通り道もOK、それなのに高音が出ないのは、声のエネルギーが音程ではなく音量に振り切っているからなんだそうです。そこで、音量の増加に使ってしまう声のエネルギーを抑え気味にして、その分余ったエネルギーを音程の上昇に使っていきましょうってわけです。

 そこで、私は地声が大きくて、よく鳴るので、あまり鳴らない声(イメージとしては、小鳥のさえずり:笑)で歌ってみました。先生がおっしゃるには、そういう声で歌った方が、ノドへの負担も掛からないし、先が見えてくるので、なるべくそういう声で歌うように言われました。

 そこでふと思いました。私が今まで歌っていた声は、少し喋り声に寄りすぎていたのかな?と…。力強すぎる声だし、やたらと大声だし、結局ノド声だし…。もっともっと歌声として純化した声でないといけないかな…って。

 そう言えば、以前、先生から、ノドが強いのも困りものだと言われた事があった事を思い出しました。

 ノドが弱い人は、そもそも大きな声が出せません。だから普通に歌っても、全然聞こえないわけです。小さな声だけれど、聞こえる声で歌うために、全身を使って一生懸命に歌うようになるわけだし、声が不足している分、響きを豊かにして歌うわけなのです。

 でも、ノドが強い人は、比較的簡単に大きな声が出ちゃうし、そこそこ高い声や低い声でも楽に出しちゃうわけです。全身を使わなくても歌えちゃうし、響きを豊かにしなくても、十分に聞こえる声で歌えちゃうんです。つまり、ノドの強さに甘えて、努力しないわけです。

 私はノドが強いからなあ…プロ歌手の卵さんにうらやましいって言われちゃうくらいに、ノド強いからなあ。別に甘えたり怠けたりしている自覚はないけれど、出来ちゃうわけだから、出来ない人と比べれば、そりゃあ結果的に努力が足りないよね。

 つまり、そういう事なんだろうなあ。

 自分のノドの強さに頼らずに、歌声として適切な声を全身を使ってテクニカルに出していく事が、歌の上達への道なんだろうなあ…とぼやっと思ったわけです。

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2018年3月12日 (月)

ロイヤルオペラ『リゴレット』を見てきました

 ロイヤルオペラとは“英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2017/18”の事であり、ざっくり書いちゃえば「コヴェントガーデンのライブビューイングを見てきた」って事です。

 私は、オペラのライブビューイングは、アメリカのメトロポリタン歌劇場のモノを中心に見ていますが、たまには別の歌劇場のライブビューイングも、こうして見るわけです。

 同じ演目でも、上演する歌劇場が違えば、あれこれ違うわけです。

 今回、ロイヤルオペラの『リゴレット』は、当地では大人気の演目で、特にその演出は“ゴキブリ・リゴレット”と呼ばれるほどに、地元の人たちからは愛されているんだそうです(リゴレットの道化衣装が、ほとんどゴキブリだから、そう呼ばれているわけです)。

 このディヴィッド・マクビィカーによる演出は、かなりエグい演出です。たぶん、日本では上演できません。メトロポリタンで上演すれば、おそらくブーイングの嵐となるでしょうね。でも、英国の紳士淑女の皆さんは、これを受け入れ、むしろ愛しているわけです。

 さすが、演劇の国イギリス、懐、深いなあ…。

 特に第一幕第一場のマントヴァ公爵の宮殿のシーンがエグいエグい。とにかく、どれだけ公爵が好色であり、リゴレットが並外れた太鼓持ちであり、公爵に使える廷臣たちの性根が腐っているかが、これでもかってくらいに描写されるわけです。このシーンがあってこそ、モンテローネ伯爵の悲しみが際立つのであり、それゆえにリゴレットの公爵に対する警戒心とジルダの誘拐後の悲しみと復讐心が際立つわけです。それゆえのエグい演出なわけです。

 ざっくり言っちゃえば、生オッパイのポロリなんて何度もあるし、生全裸もあれば、生レイプもあるわけです。でも、これ、必要なんですわ。これがあるから、リゴレットの悲劇が生々しく表現されうるわけです。

 という訳で、このエグい演出には、当然好き嫌いがあるでしょう。なので、安易に「ロイヤルオペラのリゴレットはいいよ、ぜひ見たほうがいいよ」とは簡単に言えないわけです。

 さて、歌手に関して言えば、公爵を歌ったマイケル・ファビアーノは、実に素晴らしいです。昨今のテノール歌手で、力強さと輝かしさが両立した歌声って、なかなか無いですよ。実に良いテノールです。

 ジルダを歌ったルーシー・クロウは、カメラがアップになると、ちょっとキツイのですが、それを除けば、ジルダにふさわしいソプラノさんだと思います。声も良いし、演技も十分です。スパラフチーレやマッダレーナの歌手さんたちも、歌も声も演技も、まあ水準以上でしょう。

 リゴレットを歌ったディミトリ・プラタニアスも水準以上と言っちゃあ水準以上なんだけれど、リゴレットという役は、バリトンの持ち役の中でも、エース級の歌手たちが歌ってきた役なわけで、この役を歌うという事は、そういった過去のエース級の歌手たちの歌唱と、どうしても比較されちゃうわけです。

 プラタニアスのリゴレットは…単純にかわいそうなんです。でも、リゴレット自身だって、公爵同様に、相当な悪人だし、性根は腐っているわけだし、その悪人ぶりは、第一幕第一場でしっかりと描写されているわけだから、かわいそうであると同時に、因果応報と言うか、自業自得な部分もあるわけですが、プラタニアスのリゴレットは、そういうリゴレットの持つ、複雑なキャラがうまく表現されていないと思うんですよ。

 リゴレットの悲しみが複雑であればあるほど、ジルダの悲劇が、より際立ち浮かび上がるんですよ。でも、リゴレットが単純にかわいそうなだけだと、ジルダがただ単に、恋に盲目になって暴走しただけのバカな小娘になってしまうわけです。

 だから、モンテローネ伯爵の呪いは、どうなっているの?…って話なんですよ、でしょ?

 このオペラは、本来は昨年亡くなったディミトリー・ホロストフスキーがリゴレットをやるはずだったんだそうです。あくまでもプラタニアスはダブルキャストのBチームのリゴレットだったわけです。もしもホロストフスキーがリゴレットを演じていれば、どんな感じになっていたでしょうか? ホロストフスキーは、かなりのイケメンですからね、典型的な醜男であるリゴレットなんて、演じられたのでしょうか? 逆に、イケメンさを感じさせないほどの演技を見せてくれたでしょうか? 今となっては全く分かりませんが、どちらにせよ、プラタニアスではないバリトンさんで、このリゴレットを見たら、また印象が変わるんじゃないかなって思う私なわけです。

 とにかく、色々あるにはあったわけだけれど、私的には、この上演は大当たりだったわけです。リゴレットというオペラは前々から知っていましたが、今回はじっくりと味わい、その素晴らしさを堪能しました。どれだけ気に入ったのか言えば…映画が終わるや否や、すぐに銀座に行って、リゴレットのヴォーカルスコアを買っちゃったくらいです…八千円もして、高かったけれど(汗)。んで、そのヴォーカルスコアを見ては、映画を思い出して、グフグフ言っているわけです。

 まあ、マントヴァ公爵、いつかは歌ってみたいです。もちろん、いつか…ですね。楽譜を見ると、めまいがするほどに難しいんですわ、マントヴァ公爵。でも、いつか歌ってみたいなあ。

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2018年3月11日 (日)

私は野鳥を見るのが大好きです

 私は基本的に動物が好きです。イヌも好きだし、ネコも好き。もちろん、金魚は大好きだし、インコも文鳥もカナリアもオウムも大好き。ヘビやトカゲも好きだし、カブトムシやクワガタだって好きです。猛獣とか毒のある動物、人になつかない野生動物などは好き嫌い以前に飼えないし、我が家には牧場はないので、家畜も無理だけれど、可能なら、たくさんの動物達をペットにして愛玩したいと思っています。特に、ウマは飼いたいんだよね。これでも乗馬は大好きなので、ウマを飼って、日常の足にして暮らしてみたいという願望すらあるくらいにウマは好きです。

 それはさておき、現実的な問題から、私は金魚を飼っているわけです。金魚、可愛いですよ。

 で、ここ数年、気になっているのが、野鳥です。

 私はトリが大好きです。子どもの頃は、金魚と一緒にセキセイインコや文鳥を飼っていたくらいにトリが好きです。本当は今でも小鳥を飼いたいくらいなんですが…私自身がアレルギー体質なので、トリは飼わない方が良いので、今はトリを愛玩対象にするのを我慢しています。

 トリを飼えないので、その補完作業として、野鳥観察をたまにします。家の近所にいる野鳥たちを観察して、自分をなぐさめているってわけです。

 野鳥…いいですよ。

 家の近所でよく見かけるのが、ヒヨドリですね。見かけはともかく、ピヨピヨ鳴いてかわいいですよ。ムクドリは地域や群れによって体毛の色が変わるので、見ていて面白いです。

 夕方、集団となるスズメたちもなかなか侮りがたいです。1羽1羽は小さくても、それが数百羽の単位になると、その迫力はなんともすごいものです。

 黒いトリと言えば、普通はカラスです。まあ、カラスも近所にいるのですが、カラスは凶暴なトリなので、私の観察対象からは外れます。私にとって黒いトリと言えば、ウミウですね。結構、電線などに止まっています。カラスよりも断然大きくて、迫力ありますよ。

 凶暴…と言うか、凶暴風なのが、カモメとかウミネコとかです。別に何か悪さをするわけではないのですが、あの目つきは怖いです。浜辺を歩いていて、うっかりカモメに囲まれて、あの目でジトーって見つめられると、マジ怖いです。

 リアルに怖いのは、トンビです。なにしろ、マジな猛禽ですからね。外で何かを食べていると、いきなり襲いかかってくる事があります。よく、他所の人たちが近所の浜辺にやってきて、バーベキューとかやってますが、たまにトンビに襲われていますね。地元の人間は、トンビの怖さを知っていますので、そんな迂闊な事はまずしないんですが…。

 トンビを舐めちゃいけないよ。

 コゲラというキツツキの小さいやつがいます。たまに見かけますが、なかなか可愛い奴らです。可愛い奴らと言うと、メジロは、ほんと、可愛いです。あと、シジュウカラと言って、スズメによく見た連中もなかなか可愛いです。ウグイスは鳴き声をたまに聞きますが、なかなか姿を見つけるのは難しいです。レアなヤツです。ちなみに、ウグイスはウグイス色をしていないって知ってました?(ウグイス色の小鳥は、たいていメジロです)

 近所の川辺を歩いていると、各種カモたちをよく見かけます。たまにカワセミも見かけます。一度だけ、白鳥を見かけたことがありますが、きっと何かの間違いで来ちゃったんでしょうね。

 「あ、ツルがいる!」と思って、よく観察すると、たいていサギです。ああ、残念。ちなみに、サギ類は、本当に、たくさんいます。

 たくさんいるというと、セキレイも各種勢揃いしています。セキレイは、よく人の足元をちょこちょこ歩き回るので、踏んでしまいそうになってしまいます。

 カラフルな鳥の群れを見つけると…たいてい、セキセイインコの群れです。元は飼い鳥だったんでしょうが、いつの間にか野生化した連中が群れを作って生活しています。ちなみに、インコの群れは、スズメの群れに負けず劣らず、うるさいです。

 まあ、そんなわけで、私は鳥たちに囲まれて生活しているわけです。毎日、何十何百という鳥たちを目にしています。だから、自宅の鳥かごで小鳥たちを飼っていなくても、心の平安を保つことが出来ているんだろうなあ…。

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2018年3月10日 (土)

シズカがおねだりをするんです

 シズカは素赤琉金です。金魚専門店で売られていたA級金魚なので、ウチの水槽にいる他の子たちとは、あれこれ格が違います。実際、見事な体色&体型をしています。パっと見、図鑑などに載っている子のような立派な金魚だったりします。

 でも、よく見ると、右側の尾びれの下半分が無かったりするんですけれど…ね。でも、それを除けば、大きな欠点の無い、立派な金魚だったりします。

 なので、実に美しい金魚なのです。

 我が家の金魚のツートップはヤヨイとシズカなのですが、あえて言うと、私はヤヨイ派で、妻はシズカ派であり、妻はシズカを実に可愛がっています。シズカもよく妻とコミュニケーションを取っています。コミュニケーションと言っても、アイコンタクトとか、ちょっとした指遊びとかなんですが…。まあ、シズカは人間大好きな金魚なので、妻とシズカのやりとりを見ていると、なんともほのぼのとした気持ちになります。

 そんな“可愛い”シズカが、最近、妻を無視するようになり、なぜか私とコミュニケーションを取りたがるようになりました。妻がシズカを見ると、視線をそらすようになり、指を出すと逃げるようになりました。その代わり、私の方をじっと見つめていて、私が視線をくれてやると、喜んで反応するようになりました。

 面白くないのは妻です。自分が可愛がっているシズカに反抗されているようで、なんとも面白くないわけです。

 よくよく見れば、私に視線をくれるのは、シズカだけでなく、ヤヨイもベルもそうなのです。みんな私を、ウルウルした瞳で見つめるのです。あの、人間には興味のなさそうなヤヨイですら、たまに、本当にごくたまに、私をウルウルした瞳で見つめるのです。

 一体、何があったのでしょうか?

 金魚の考える事なんて、ちっとも分かりませんが、もしも理由があるとしたら、ただ1つです。それは、メダカの投入…かな?

 エサ用のメダカを入れる前に、さんざん金魚たちにメダカを見せて、じらしてから入れたのですが、それをやったのが私なんです。私がメダカを見せて、じらしたんです。ですから、私がメダカを水槽に入れた途端に、金魚たちは飛びつくようにメダカに突入していったわけです。

 なので、私は金魚たちに「メダカを入れてくれる人」という認識のされかたをしているのかな?と思うわけです。なので、金魚のウルウルした瞳は、別に私の事が好きとかそういうのではなく、単純に「メダカ食べたい、もっと入れて欲しい」という要求なだけなのかもしれません。

 いや、きっと、そうなんだろうなあ。

 まあ、理由はなんであれ、金魚たちの熱いまなざしを浴びるのは、悪い気分じゃありません。

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2018年3月 9日 (金)

レッスンに行かないのが常態になりつつある、困った私です

 フルートのレッスンに行ってきました。お教室の入り口で、事務の方に「お久しぶりですね」と言われてしまうくらいに、久しぶりなレッスンなのでした。いかんなあ。

 さて、最初は例によってロングトーン練習でした。割といい感じでした。

 次はエルステ・ユーブンゲンなのですが…、前回のレッスン以来、全くフルートに触っていなかった私は、暗譜しなければいけない曲なのに、譜面を見ても、曲がピンと来ないくらいに、すっかり忘れ切っていました。いやあ、ほんと、ダメだな。吹いたのは23番と24番ですが、そういうわけで、実に新鮮な気持ちで吹きました(涙)。

 プチエチュードは19番でしたが…実に下手くそになってました。なにしろ先生に「この曲、始めてだっけ?」と尋ねられてしまうくらいにダメになっていました。いやあ、練習ってサボっていると、下手になるね。確実に下手になるね。

 やっぱ、レッスンからレッスンの間、一度もフルートを吹かないってのは、ダメだし、そのレッスンとレッスンの間に、本来あるべきレッスンを休んでいるわけで、本当に久しぶりだったりすると、マジでマズイね。マジマズイ。

 40リトルピーセズは、11番のシューベルトの「ワルツ」でした。練習はおろか、譜読みすらしていないのですから、先生の前で、初見で吹いちゃいました。いやあ、やっている事が乱暴だ。

 そしたら「実にいい!」って言われちゃいました。で、合格。散々練習してきたエチュードは下手くそになって、合格なんて、遠のいてしまったのに、こういう曲は初見演奏で一発合格とは、うれしいけれど、努力が報われないと言うか、積み上げてきた努力なんて、簡単に崩れちゃうんだなとか、私はやっぱりメロディが好きなんだなとか、まああれこれ思ったけれど、まあいいや。

 次回は12番で、モーツァルトの「メヌエット」です。ううむ、次回こそは、ちょっとでも練習をして、初見演奏なんてしなくて済むようしたいです。

 さて、今回の雑談は…お酒の話。

 実は先日、先生が57度のスコッチを入手して飲んだのだそうです。かなり良いお酒なんだそうですが、さすがに57度もあると、飲むのも難儀なんだそうです。

 先生は初物ウィスキーは生で飲むそうですが、57度もあると、味もよく分からくなってしまうのだそうです。で、二杯目からは、オンザロックにして飲んだのだそうだけれど、かなりパンチが効いていたそうです。結局、ソーダで割って飲んだそうです。まあ、そりゃあそうだよね。

 それだけ高い度数のウィスキーを生とかオンザロックとかで飲むなんて、私に言わせれば、酒というよりも、アルコールを摂取しているようなモノでしょ…って感じなんだけれど、先生が言うには、やはり度数が高くても良い酒だから、しびれるほどのアルコールの向こう側に、風味を感じるんだそうです。

 まあ、先生はウィスキーを箱買いして、あっという間に飲み干してしまう、本格的な飲ん兵衛だから、57度くらいの酒でも、おいしくいただいちゃうわけです。

 ちなみに先生はウィスキー、とりわけスコッチが好きなのだけれど、それはやはりアルコール度数が高いからなんです。日本酒とか焼酎だと、アルコール度数が低いので、満足いただけないようです。そう言えば、先生、ドイツに留学していたせいもあって、ビールやワインは水みたいなモノだとか言ってたし…。

 ウィスキーは、通常はガラス瓶に入っているものだけれど、たまに陶器に入っているモノもあって、ガラス瓶と全く同じ酒が入っていても、なぜか陶器に入っている酒のほうが美味く感じるとおっしゃっていたけれど、それには深く同意する私でした。

 酒に限らず、器…ってか、パッケージって大切だよね。

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2018年3月 8日 (木)

声楽だとて練習をサボり続けてはいけません

 このブログでは、フルートに関しては“レッスンに行けなかった”とか“練習せずにレッスンに行った”とか“自宅練習を全く/ほとんどしなかった”とか書いてまして、私がいかにフルート練習をサボりまくっている事を書いていますが、じゃあ声楽はどうなのかと言えば、わざわざブログに書いていないだけで、状況としては似たようなものです。

 フルートと声楽のレッスンの違いは、フルートが曜日時間固定でレッスンをしていただいているのに対して、声楽は私と先生のスケジュールをすり合わせた上でレッスンの日時を決めています。

 ですから、フルートの場合、仕事やらなんやらの都合で、レッスンに行けないという事が頻発してしまいますが、声楽の場合、そもそも仕事の都合などを考慮した上でレッスン日を決めていますので、レッスンにはほぼ皆勤しているってだけの話です。

 自宅練習に関して言えば、同じくらい練習をしています…ってか、同じぐらい練習が出来ていません。ただ、フルートは毎週レッスンがありますので、前回のレッスンから一度もフルートに触らないまま次のレッスンを迎えてしまうという事も多々ありますが、声楽は月2回レッスン(ほぼ隔週)なので、レッスンとレッスンの間隔がフルートよりは長いので、その間に数回は自宅練習をするチャンスがある…って程度の違いです。

 フルートにせよ、声楽にせよ、新曲を全く譜読みもせずにレッスンに行くと言うのは、まずありません(実は最近、フルートでありました:汗)。でも、何度かレッスンした曲は、うっかり自宅で何もせずにレッスンに行っちゃうというのは、フルートでも声楽でも、たびたびあったりします。

 …と、おさぼり自慢をしても仕方がないので、この話はここで終わりにしますが、実は先日、あまりに自宅練習をサボり過ぎてしまったために、ついに実害(?)が出てしまった事を書いておきます。

 レッスン後、長らく声楽の自宅練習をしていなかったと思ってください。さすがに、あんまり練習をしないまま、レッスンに行くのは良くないだろうと思い、レッスンの数日前に、ようやく自宅練習で、ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」を取り上げたと思ってください。

 この曲は、レッスンでやりますとだけ決めて、まだ実際はレッスンでは歌っていない曲です。なので、目下自宅で猛練習中…のはずの曲なのです。

 そもそも、なぜこの曲をレッスンで歌おうと決めたのかと言えば、武満の曲を学ぶ中で、中低音域の発声が安定し、その影響もあって、高音が出しやすくなりました。

 「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」での最高音は高いAです。跳躍でピョンと出すのですが、比較的歌いやすい音であり、曲決めの時は「これはいける!」という思いもあって、決めたのですが、あれから数日経ち、自宅練習もサボりまくっていて、久しぶりにこの曲の練習を再開したら…全然Aなんて無理になっていました。

 やばいよ、やぱいよ、やばいよ。

 何がマズイのかと言えば、高音を出すためのカラダの諸器官の連携が全く取れなくなっていました。一番まずいのは、腹筋が全然動かない。サボっているうちに、脳とカラダの各部署の神経接続がぎこちなくなってしまった事と、単純な筋力低下が原因のようです。

 無理に高音を出そうとすると、ノドに力が入ってしまい逆効果だし、単純にノドから力を抜いて発音しようとすると、声がスっぽ抜けてファルセットにしかなりません。

 やばいよ、やばいよ、やばいよ。

 次のレッスンまでに、何とか調整をして、Aが出る状態にしていかないといけません。いやあ、声楽だとて練習をサボり続けてはいけません…という話でした。

蛇足 音楽趣味を再開した頃は時間がたっぷりあって、声楽もフルートも毎日、基礎練習をたっぷりしてから曲の練習が出来たものですが…ああ、あの頃が懐かしい。

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2018年3月 7日 (水)

なぜ、一生懸命に練習するのでしょうか?

 この記事は、オトナから始めた音楽趣味のレイトスターター限定話です。

 なぜ我々は、一生懸命、音楽の練習をするのでしょうか?

 上達したいから…? それはある意味、当然です。誰もが上達したいのです。

 では、上達してどうするつもりなのでしょうか? プロを目指している?…わけはないですよね。だいたい、音楽趣味のレイトスターターさんが一生懸命練習したからと言って、簡単にプロになれるわけではないし、だいたい、プロになりたいと思って練習しているわけじゃないですよね。

 ヒトという生き物は、目的がなければ行動し続けられないものです。そんなにメンタルが強い生き物ではないのです。

 例えば、何かを始めても、たいてい三日坊主に終わる人…少なくありませんが、これらの人々に共通するものがあります。それは、特別な目的も無く、ただ何となく、そんな気になったので、つい始めてみました…という感じだったりします。

 何となく始めてみた人は、そんなに長続きはしないものです。始めるのに理由がなかったのだから、止めるにも、特別の理由はいらないからです。気軽に始めて、気軽に止めちゃう。そんなノリなのです。

 ヒトというものは、○○をするために/○○になるために、やっていないと継続しないものなのです。

 つまり、趣味の継続には目的が必要なのです。目的がなければ、継続できないのです。目的がなければ、一生懸命練習はしないものだし、上達も厳しいものです。

 つまり、モチベーションの継続には、目的が不可欠だという事です。

 では音楽趣味のアマチュアさんの場合、その目的は何でしょうか?

 直近の演奏会? だから、アマチュア音楽団体は、定期的に本番を入れるわけです。常に「次の演奏会に向けて、頑張ろー」を目的とし、モチベーションの源泉としているわけです。

 では、個人のプレイヤーの場合はどうでしょうか? おそらく、個人と言っても、何らかの音楽団体に所属している事が多いので、そうであれば、その団体の本番が定期的にあるでしょうし、あるなら、それが励みとなり、モチベーションとなるわけです。

 「私は本番が好きではないけれど、練習は不思議と好きで、練習だけしていても、結構楽しくて、ついつい練習しちゃうんですよね」という人、まれにいます。私もそのタイプの人かもしれません。

 練習が楽しい…そういう人にとっては、練習こそがモチベーションを保つ秘訣になってくるわけで、練習が目的だから、常に一生懸命練習しちゃうだろうと思いますが、おそらく、そういう人って、稀有な存在なんだろうと思います。

 やはり、練習は好きではない人の方が圧倒的な多数でしょうし、そのために本番という目標が設定されているのだろうと思います。

 あなたはなぜ、一生懸命に練習するのでしょうか?

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2018年3月 6日 (火)

耳って、良くなるのか?

 いわゆる聴覚の話です。おそらく、医学的な聴力に関して言えば、どんなに訓練しても、そんなに良くはならないと思います。と言うのも、これはハードウェアの性能の話であって、いわば「訓練次第で視力は良くなるのか?」とか「訓練次第で嗅覚は鋭くなるのか?」と言えば、同じくNOだからです。

 ただし、我々は経験的に、訓練することで耳が良くなったり、目が良くなったり、鼻が良くなったりする事を知っています。

 我々は機械ではありませんから、センサーを交換して、それらの感度を上げる事はできませんが、ある意味、ドライバソフトの更新をして、ハードウェア性能はそのままで、高性能化する事は可能です。

 ざっくり、オカルト的な書き方をすると、感度は変わらなくても、分解能は良くなる…って感じでしょうか?

 例えば、音楽耳に関して言うと、全く音楽的な耳を持たない人でも、音楽は聞けるし、楽しめます。ただし、普通はそこで彼らが聞いているものは、音の塊であって、一種のバイブレーションのようなものです。なんかよく分からないけれど、心地よいものとして音楽を感じているわけです。ですから、感じているのだけれど、よく分からないので、なんと表現してよいのか、言葉が見つからず、歌で言えば、メロディーやリズムやコードではなく、歌詞の素晴らしさに感動するわけです。

 ほら、だって、歌詞って、言葉でしょ? 歌という音楽の塊の中からでも、言葉は聞こえるし、拾い出せるんです。なので、音楽を聞いて、歌詞のうんちくばかりを垂れ流す人って、音楽が聞こえていないのだなあ…と私は勝手に推測しています。

 音楽を意識的に聞き続けていくと、音楽的な耳が作られてくると思います。ただの音の塊だったものが、いくつかのメロディーが合成されたものであったり、複数の楽器が同時に鳴って響き合っている様子であったりするのが、聞き分けられるようになります。

 おそらく、多くの人の場合、まず聞き分けられるようになるのが、一番大きな音で紡がれるメロディーでしょう。次に下支えをしているベース音。音程の一定している(つまり音程が無い)打楽器たちが作り出すリズムも聞き分けやすいでしょう。そうして、かつてはただの心地よいだけの音の塊を、ひとつひとつ解きほぐして、塊ではなく、音が紡がれたものとして聞こえてくるようになります。

 やがて、音程の高い低い、音色の細い太い、リズムの軽い重いなども分かるようになり、音大の入試に出てくる、聴音の問題が解けるほどに鍛え上げられた耳になるのだと思います。

 もちろん、そうやって鍛え上げられた耳だからと言って、別段、聴力としては、凡人たちの耳と大差はなく、聴音の問題が常に100点満点が取れたとしても、1Km先に落ちた針の音など聞こえるようにはならないのです。

 つまり、絶対的な能力が上がったわけではなく、聞こえた音をどう認識していくかが変わっていくわけです。耳…と言ってしまいますが、べつに耳の能力が向上したわけではなく、耳で聞こえた、音のイメージを脳が認識する時に、訓練する事で、より詳しく、より繊細に感じられるようになるって話です。

 ほら、だって、脳って学習が得意じゃない?

 結論。訓練したところで、聴力は良くならないが、音の分解能は向上し、認識力はだいぶ高まる…ようです。

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2018年3月 5日 (月)

ラ・フォル・ジュルネの名称が変わりました

 今までは“ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”だったのが、今年は“ラ・フォル・ジュルネ・東京”となりました。

 「まあ、東京以外の都市でもたくさい開催されているのに、東京だけ“ジャポン”を名乗っているのも変だから、他の都市開催に合わせて、東京のは東京と呼ぶことにしたんだなあ…と単純に考えていました…が、話はそんなに単純な事でもなかったようです。

 と言うのも、今まで、ラ・フォル・ジュルネ(以下、LFJと略)は、東京丸の内以外に、金沢、新潟、びわ湖、鳥栖(2013年まで)で、最大5都市で開催されていたのですが、そのうち、東京丸の内以外の都市では、今年はLFJを開催しない事が決定したのです。つまり、今年、LFJをやるのは、東京だけなんだそうです。

 え、びっくり!

 さらに、今までは、東京の丸の内で開催されていたのだけれど、今年は、丸の内と池袋の2箇所で開催となりました。

 どうなったんだろ? LFJ。 何が有ったんだろう、LFJ。

 ちなみに、LFJを辞めてしまった、金沢やびわ湖は、独自の音楽祭を開催するそうです。公演演目を見てみたら、金沢やびわ湖の方が東京よりも、どうやら楽しそうです。少なくとも私の場合「LFJじゃ見るべきコンサートが無いようー!」とここ数年は叫び続けているわけですが、金沢やびわ湖だと、見たい演目が目白押しで、あちらにいたら、私はきっと破産している事でしょう。

 ま、何はともあれ、私は今年もLFJには行きます。今年は丸の内だけでなく、しっかり池袋にも行くつもりです。でも、ほんと、見たい公演が無いんだよあなあ…。演目にせよ、出演者にせよ、私の好みとはちょっと違っていて、ほんと魅力無いんだよねえ。なんか、惰性でひとまずチケットは買っているけれど、以前のようなワクワク感は、正直少なくなったかな? 

 本公演には期待できないため、周辺エリアコンサートに期待をしている私ですが、昨年はパソナが周辺エリアコンサートから撤退しちゃったんだよね。パソナのコンサートって大好きだったのに…とても残念。今年はパソナの復活って…1度撤退した企業の復帰って、まあ無いよなあ。残念無念。

 ちなみに、チケットは、全部買えました。何を買ったかは、おいおい記事にしますが、まあ、私が見たいような演目は、人気無いんだろうね。

 ああ、金沢に行きたい。びわ湖に行きたい。丸の内や池袋じゃ、なんか物足りないんだよ。

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2018年3月 4日 (日)

心を静めるために何をなさいますか?

 ざっくり書いちゃえば「抱えきれないストレスをどうやって解消していますか?」という質問です。

 まあ、解消方法は千差万別人それぞれだと思います。

 私の場合は、日常的なストレスを解消するために行っているのは、毎日の音楽練習でしょうか? 音楽練習をする事で、日常的なストレスを上手に解消できていると思います。

 歌の練習って心に良いですよ。なにしろ、大声出せますし、叫び声も上げられます。もうそれだけで、ストレスなんて雲散霧消しちゃいます。こちらはストレスの体外放出の役割を担っているわけです。

 一方、フルートの練習は、その音色で心が和みます。私のアゲハちゃんは、そりゃあ良い音色で鳴きますからね。えぐられた心のキズをやさしく回復してくれます。まるで心の治癒魔法のようです。

 なので、今の私のように、毎日が忙しすぎて、音楽の練習がロクに出来ないと、知らぬ間にストレスが溜まっていくのでした。これはヤバイ。

 先日も自分でヤバイと思うくらいにストレスを抱え込んでいたのですが、全くもって忙しすぎて音楽の練習が出来なかったのです。その時に無意識に私が選択したストレス解消法は…炭水化物の摂取だったなあ。つまり、体内に糖分を大量摂取する事で、血糖値を上げて、一時的に脳を活性化させて、情報処理の速度を上げることで、結果的にストレスを解消し、心の平安を得たわけです。

 確かに私は、ストレスフルな状況におかれると、太る人だもんなあ…。

 でも、美味しいものを食べて心を落ち着けるなんて、直裁的ではあるけれど、決して良い解決策とは言えません。血糖値なんて無駄に上げちゃいけないし、太るなんて以てのほかだよ。

 それに食べる事で日々のイライラを解消なんて…おバカっぽくって、ちょっとイヤ。

 なるべく、ストレス解消に炭水化物に頼るのではなく、音楽でストレスを解消したいと、改めて思った私でした。

蛇足 ストレス解消に炭水化物は強力だけれど、さらにその炭水化物に脂質を加えると、最強だよね。

蛇足2 炭水化物にも色々あるけれど、やっぱ砂糖は魅力的だよね。

蛇足3 糖質制限ってのが、昨今の流行りだけれど、私のストレス解消法は、その真逆だな(笑)。そりゃあ、私がなかなかヤセないわけだ。

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2018年3月 3日 (土)

ラズとマッチが星になりました

 すでに“落穂拾い”で報告しましたが、つい先日、ラズとマッチが同日に星になってしまいました。

 マッチは以前から書いていますが、かなり具合が悪く、何度もすでに星になってしまったのではないかという疑惑がありながらも、なんとか生きていたのです。ラズに関しては、全然元気でした。

 それが、ふと水槽を見たら、ラズがすでに星になっていたんですよ。もう、びっくりです。朝ごはんの時は元気だったのに、昼過ぎには星になっていたんですよ。一瞬、我が目を疑いましたもの…。

 で、星になったラズを水槽から取り出す時に、ふと、水槽の奥の方を見たら…マッチがやっぱり、いつものように倒れていたのです。「また死んだふりをしているのかな…」と思って、ピンセットでつまみ出してみたところ、ふりではなく、本当に死んでました。「ええー!」って感じです。

 最後に残った、緋ドジョウ2匹が同じ日に星になってしまったわけです。

 これで、水槽に残ったドジョウは、先日やってきた、ヒョウ、オボロ、ミゾレの真ドジョウ3匹だけとなってしまいました。まあ、この子たちは頑張ってペットをやってくれてますが、やっぱり緋ドジョウがいないと寂しいです。

 でも、緋ドジョウはなかなかいないんだよね。当面は、この3匹で行きますが、なるべく早い段階で、緋ドジョウも増やしたいと思います。

 ラズ、バイバイ。マッチもお疲れ様でした。

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2018年3月 2日 (金)

フルートの場合、材質の差が音質の差となるのでしょうか?

 個人的には「なる!」と答えたいし、実際、洋銀フルートと総銀フルート、また総銀フルートとゴールドフルートには(好き嫌いは別として)音質の違いを感じます。

 でも、それは材質の差が音質の差に直接影響を与えているのかってなると、冷静に考えれば、音質の差は材質の差だけによるわけではない事は明々白々です。

 と言うのも、これら材質が違うフルートは、材質の違い以前に、その販売価格帯が全然違います。洋銀フルートは“やや高い楽器”になるでしょうし、総銀フルートは“めっちゃ高い楽器”になるでしょうし、ゴールドフルートは“信じられないほど高価な楽器”になると思います。そもそも、販売価格帯が異なるのですから、音質が全く同じであったならば、それは詐欺ってもので、やはり価格なりの良さが無いと、誰も高価な楽器を購入してくれません。

 高価な楽器を高価たらしめているものの要素の1つに材質がありますが、材質だけが音質の差を生んでいるわけではありません。

 ってか、そもそもの話として、フルートはエアリードの楽器であって、音の源である振動は、空気自身が振動することによって生まれます。で、その振動が管体の内部で共鳴共振増幅されて、我々が耳にするフルートの音になります。つまり、フルートの音を作っているのは空気自身であり、それを増幅しているのは管体の内部空間って事になり、頭部管や管体の材質やリッププレートの材質は、特に関係ないと考えるのが、知的な判断であると思います。

 まあ、100歩譲って、頭部管の歌口のカットは、音の振動を直接作る場所であるわけだから、歌口の加工は音質に関係すると言えば関係しているでしょう。

 一般的に、歌口は円に近いカタチほど深い音が出て、歌口が楕円や四角に近づくほどパワフルな音になると言いますし、歌口の、奏者とは反対側のエッジの加工などは、この部分で空気の振動を作るわけだから、ちょっとの違いで振動の作りやすさとか、振動の癖のようなモノが生まれてくるだろうと推測させられます。

 でもこれは、歌口の加工の話であって、材質の話ではありません。

 また、音の遠鳴り…つまり、減衰しづらい音波を発振するためには、音源を作り出す発振体の重量が関係します。オーディオでは常識ですが、良い音を得るためには、音源であるスピーカーを重くしたり、固定する事で、スピーカー自身の振動を抑え、振動エネルギーを効率的に音波に変換していきます。つまり、フルート的に言えば(フルートは固定できないので)重い楽器ほど音が遠くまで飛ぶわけです。フルートは楽器であって、その大きさは基本的に決まっていますので、重量を増すためには、比重の重い材質で作れば良いのです。

 確かに、洋銀よりも銀の方が、銀よりも金の方が、金よりも白金の方が、比重が大きくて重い材質です。なので、材質の差として、洋銀<銀<金<白金の順で、音が遠鳴りするはずです。ま、遠鳴りに関しては、材質の差は大きいでしょうが、遠鳴りは音質の問題とは、やっぱり違います。

 色々考えても、フルートの場合、材質の差が音質の差につながるとは思えないのです。今では、すっかりスクールモデルとなってしまった洋銀フルートですが、昔は一流のプロでも洋銀フルートを使用していたわけだから、洋銀で作られたフルートであっても、立派にプロユースに耐えた訳です。

 結論。フルートの材質の違いは、それが音質の違いには直接はつながらない。しかし、材質が違うフルートは、材質以外の違いの影響もあって、現実的には音質の違いがあると言える。

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2018年3月 1日 (木)

オリンピックを見てマスコミへの不信感がまたも募りました[2018年2月の落ち穂拾い]

 オリンピックが終わりましたね。日本は過去最高のメダル数だったそうで、私も単純にうれしいです。テレビでは、日本がメダルを獲得する度に悔しそうな態度を取ったり、コメントをなさるアナウンサーさんもいて、私は不思議に思いました。たぶん、日本ではない国を応援していたのだろうと思いますが、個人的はどこの国を応援していてもいいのですが、日本のテレビ局のアナウンサーという役割の時は、私情は横において、日本の応援をするべきだと思います。

 テレビを始めとするマスコミの、新入社員採用の際の外国人枠が多すぎるんだろうと思います。マスコミで外国人が働いていても、もちろん良いのだけれど、あまりに外国人が多すぎて、特定の外国に寄り添った報道をするのは、日本のマスコミとしては、絶対にやってはいけない事だと、私は個人的に思うのです。

 まあ、これは日本に限らず、マスコミは第三の権力と言われるほど大切な機関なのですから、極力、外国の影響におかれないような工夫が必要だと思います。極端な話、普通の日本人だけで運営できれば、それは簡単なんだけれど…そうすると、差別だなんだという人がいるんだろうけれど、外国人枠があるって事は、それだけ日本人が入社しづらくなるわけだから、日本人に対する逆差別じゃないかと、割と真剣に感じています。

年寄りになったらガンガン歌おう

 年を取ったら、歌える歌えない以前に、歌いたいという気持ちを大切にしてあげたいなあと思います。

 もちろん、歌には、歌える歌えないのレベル的な問題は常につきまといます。若いうちは、難しい歌や歯が立たない歌は、それが歌えるようになるまで後回しにしても良いと思うけれど、高齢者は後回ししたら、歌えるようになる前にお迎えが来ちゃう事だってあるわけで、そういう意味では「今が一番若くて元気な時」なんだから、歌いたい歌はガンガン歌って欲しいと思います。

 現役を引退したら…とか、年金生活者になったら…とか、後期高齢者と呼ばれるようになったら…とか、どこで一線を引くべきかは、私には想像つきませんが、やはりどこかで線引をして、こから先は、技術習得や上達を目指すよりも、人生のやり残しをなくす事を優先していくべきだろうと思います。

シンギングフォルマント

 同じようなデシベル(音量)でも聞こえ方が違う…と言うのは、その音の倍音構成の違いが原因なんだそうです。と言うのも、人間の耳って、一定程度の高音が耳につくように作られています。たとえば、女性の悲鳴とか、子どもの泣き叫ぶ声とか…一種のエマージェンシーコールですね。逆に低い音は、かなりの音量(つまり、エネルギー量)がないと、ちゃんと耳に届きません。

 オーディオのスピーカーは低音の強い音ばかり鳴らしていると、ヘタリが早いのですが、それも同様な理由で、低い音ほど音にするにはエネルギーがたくさん必要になるので、それだけスピーカーを痛めてしまうというわけです。実はスピーカーに一番悪い音は、テノールの歌声(そこそこ低音で、エネルギー量はたんまりある音…ですね)だという説もあります。

 オペラ歌手の歌声は大ホールでも生声で響くほど大きな声ですが、でも生身から出している音なので、音量には限界があります。限界があっても、会場中に声が轟く理由は、シンギング・フォルマントを多く含んでいるからです。これは、3000Hzあたりに倍音の大きな山がある音です。ちなみに、オーケストラなどの楽音や、普通の人の歌声だと500Hzあたりが山場で、そこからなだらかに高音に向かって倍音が減少していくんだそうです。オペラ歌手の歌声が、耳で聞くよりもずっとずっと高音成分を多く含んでいるので、広い会場でも声が轟き渡るのです。

 ソリストの音も、オーケストラの伴奏の中で埋没せずに浮き立って聞こえるのは、音にエッジが立っているからなんですが、このエッジの正体も、高音成分を多く含んだ倍音構成の音だと、私は聞いています。

今月のお気に入り カルパス

 昨今の私のお気に入りのおやつは…カルパスです。そう、あの酒のツマミのカルパスです。皆さんは、ご存知でしょうか?

 カルパスは、高タンパク・高脂肪・高カロリー・濃塩です。いかにもカラダに悪そうだし、実際、大量に食べれば、絶対に太るし、血圧上がるし、カラダによくありません。でも、これを大量に食べられる人って、いるのかしら? だって、少し食べただけでも、塩辛いよ。あっと言う間に口の中が油っぽくなるよ。これだけを大量に食べる事なんて、出来ようがありません。

 これが酒の席に出てきたら…そりゃあヤバイけれど、私はこれを仕事の合間にちょっとつまむおやつとして食べます。もちろん、仕事中だから、酒も飯も出ません。せいぜい、お茶ぐらいです。しかし、カルパスはお茶のアテとして食べるには味が濃すぎます。結果として、ほんの数本食べただけで、もう満足してしまうのです。オヤツとして、カルパスをたくさん食べられないのです。

 と言う訳で、少しの量で満足できるカルパスが、最近の私のお気に入りのおやつなのです。

今月の金魚

2018年2月13日 名無しのドジョウの一匹が星になる
2018年2月25日 緋ドジョウのラズとマッチが星になる

今月のひとこと

 阿武松親方って、松野家では、何番目だろ?(2018年2月3~12日)

 平昌オリンピックもあり、南北融和、朝鮮統一とかいう雰囲気が出来上がってますが、皆さん忘れているけれど、朝鮮って、二つではなく、三つに分裂しているんですよ。中国の東北部(旧満州)に中国朝鮮族と呼ばれる、少数民族としての朝鮮人たちがいます。人口にして、180万人ほどです。北朝鮮の2400万人、韓国の4700万人と較べると、かなり少ない事は事実だけれど、決して無視して良い人数ではありません。同じ民族なんだろうに、中国朝鮮族の事を完全に無視している朝鮮人って、薄情だなあ…なんて思います。ま、所詮私は日本人なんだけれど…ね。無関係と言えば無関係なんだけれどね。(2018年2月12~15日)

 最近、トリバゴのお姉さん(ナタリー・エモンズ)の声が可愛くなってきた…と言うか、若々しい声に変わってきたような気がする。この急激な変化は…何?(2018年2月15~16日)

 平昌オリンピックが2月8日から25日の日程で行われています。で、その最中の2月15日から17日の3日間がソルラル(春節・旧正月)になります。韓国人はお正月を、我々日本人とは異なり、中国人たちと同日程のソルラルで祝います。ソルラル中は2/3以上の韓国人が故郷に帰省するそうです。つまり、この時期、韓国では民族大移動が行われるわけです。当然、交通機関は麻痺状態です。お店の大半が休業なんだそうです。なんで、そんな時期にオリンピックを開催しているんでしょ? 日本風に言えば、オリンピックを年始年末休みに行うようなものです。オリンピックを見に行った多くの外国人たちが、ソルラルの事を知らずに、泣きをみているそうです。可哀想に…。(2018年2月16~22日)

 北極に棲んでいるシロクマは、カラダは毛皮で覆われていて寒さ対策はバッチリだろうが、肝心の肉球は直接氷に接しているわけで、無防備じゃないのかな? 肉球は冷たくないのだろうか? 凍傷にはならないのだろうか? 疑問です。南極のペンギンの足も同様だな。(2018年2月22~28日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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