ひとこと

  •  政府から民間プロバイダーに対して、著作権侵害を行っている悪質なサイト(“漫☆村”とかね)への接続遮断が要請される事になったんだそうな。今のところは“要請”であって、法的根拠はありませんが、来年の通常国会で関連法の成立を目指して、法律で接続遮断を決めるようです。本来は接続遮断ではなくサイト削除が適当だと思うけれど、管理しているサーバーが国外にあるため、日本の法律ではどうにもできなくて、やむなく“接続遮断”なんだろうと思います。痛し痒しだね。まあ、接続遮断をすれば、日本国内からは閲覧できなくなるけれど、海外のプロバイダーからは相変わらず閲覧可能なわけで、手段はここには書かないけれど、ごくごく簡単な方法で、今までどおり日本国内からでも悪質サイトへアクセスは可能なわけだから、要請の効果の程はどーなんだろーね? まあ、これらのサイトの利用者が情弱であれば、今回のやり方でも効果があるだろうけれど…、普通の知識を持っていれば、状況は全然変わらないんだよなあ。
2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

コメントについて

  • コメントは、どの記事に対して付けてくださっても結構です。歓迎します。ただし、以前書いた記事については、現在では多少考え方が変わってしまったものもあります。また、コメントをくださる場合は必ず“名前”の欄にハンドルネームをご記入ください。ココログ的には、コメントの際の名前の記入は任意となっていますが、このブログでは必須としますので、ご了解ください。また、その時に使用されるハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。複数ハンドルの同時使用、及び別人への成りすまし発言、捨てハンドルのご使用等は固くご遠慮願います。迷惑コメントやアラシ発言に関しては放置でお願いします。記事とは無関係のものや、プライバシーに触れたコメント、スパムコメント、エロ系コメント、商用コメント及びにネットマナーを無視したコメントに関しては、予告なしに削除する事もあることを御承知置きください。また、度重なる迷惑コメントに関しては、ニフティに「迷惑コメント」として通知し処理してもらうことにしました。

カテゴリー

メールについて

  • 記事の訂正および削除の依頼と、部外者に見られることなく、私(すとん)と連絡を取りたい方は、メールリンク(この下にある「メール送信」)をクリックしてメールでご連絡ください。その際、どの記事でもかまいませんから、コメントに「メールを送りました」と一報いただけると幸いです。私、メールを見る習慣がないので、黙っているといつまでもメールを放置してしまいますので、よろしくお願いします。メールを送ったことをお知らせいただいたコメントは、メール確認後、すみやかに削除させていただきますので、ご安心ください。

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

2018年2月の記事

2018年2月28日 (水)

実はとっても残念だったりします

 さらに声楽のレッスンは続きます。

 次はベッリーニ作曲の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を歌いました。注意された事は「マリンコニーア」と一緒で、子音の音程をしっかり確認してから歌い出す事と、息を吐き続けて、スーパーレガートに歌っていく事です。

 この曲は中声版であるため、音域的には問題がありませんが、なにしろ久しぶりに歌った事と、そもそもメロディに変化音が多いため、いくつかのフレーズを間違えて歌ってしまいました。しっかり楽譜を読んで、きちんと気を入れて歌わないといけませんね。一度歌った事があるからと言って、いい加減な譜読みは厳禁です。

 とにかく、今回のレッスンで歌ったのは、この2曲です。原調(は高声版なのです)ではなく、中声版で学んでいるのは、音楽的に楽に普通に歌える事が必要だから。歌えるからこそ、もっとよく歌えるように、中音域に神経を行き届かせて歌う事を学ぶのが目的なのです。どうしても、高音が含まれていると、その高音ばかりに気が行ってしまい、まずは歌える事を目指してしまい、中音域など、いい加減にしがちになってしまうからです。歌える事を目指すのではなく、より良く歌える事を目指す勉強なのです。

 音楽の大半は中音域の音で出来ているのだから、中音域をキレイに歌えることがとても大切だ…とY先生は時折言います。実際、決めの高音なんて、曲の中では、1回か2回くらいしか登場しないものね。歌のほとんどは中音域で出来ているというのは、あながち間違いではないのです。だから、高音も大切だけれど、中音域はもっともっと大切ってわけです。

 確かに、中音域を美しく丁寧に歌えたら、素敵だよね。

 先生曰く、歌の学習もこの段階に入ると、急に歌が嫌いになって、辞めてしまう人が続出?するそうなんです。まあ、細かい事ばかりに気をつけて歌うよりも、細かい事は横に置いて、バババーって歌っている方が楽しいものね。細かい事を注意され続けていると、終いにイヤになってしまう人も…そりゃあいるだろうからね。で、先生が、それを心配しているわけです。

 実際、私も、歌はバババーって歌い飛ばしたいタイプの人です。だからと言って、細かいことを注意されるのがイヤってわけではありません…ってか、そもそも注意されるのがイヤなら、歌を習おうなんて考えないものね。むしろ細かい事を注意されるのは、ウェルカムなのです。問題は、細かいことを注意されて私が嫌気が差すよりも、何度も何度も同じことを注意し続けているのに、一向に上達しない私を見て、先生が嫌気を差してしまう方が心配です(笑)。

 ですので、次回のレッスンも、これらの細かいところを中心に、この2曲を学びます。で、時間があったら、さらに「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」もやります。たぶん時間的にこれで精一杯だけれど、まだ時間的な余裕があったら、ドナウディ作曲の「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」をやるそうです。つまり、ドナウディよりも先にベッリーニをやっつけてしまおうって話です。ま、それはそれで良しです。

 話は変わりますが、実は先生から、今年の発表会の打診がありました…が、なんと、その日は、どうしても外せない仕事が入っていて、私、参加できません。ううむ、残念。皆さんに打診して、参加希望者が多ければ決行するそうです。日程的に良いし、場所やら何やらの条件も良いので、きっと皆さん、参加するだろうなあ。でも、私は参加できない。ああ、残念だ残念だ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月27日 (火)

タンドリングは得意じゃないけれど、リップロールは苦手なのです

 さて、声楽レッスンの続きです。

 曲のレッスンに入りました。まずは、ベッリーニ作曲の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」です。

 中声版を歌っている事もあって、低音にも高音にも無理はなく、歌うこと自体は、特に問題はありません。だからこそ、細部にまで気を使って歌っていくのです。

 最初に注意されたのは、子音の音程です。音節というのは、子音と母音で作られているわけですが、必ず母音の前に子音が先行しているわけです。だからこそ、まずは子音の音程をしっかりと確認し、子音が正しい音程になってから、母音を発音していく事で、より正しい音程感を作っていけるのです。音程の大半は、母音の音程で感じるわけですが、子音の音程がいい加減だと、その音の音程がなんとも落ち着かない感じになるわけです。子音も母音も、しっかりと正しい音程で歌わないといけません。

 私の悪い癖の一つに、割と気楽にいい加減に歌いだしてしまうというのがあります。つまりは、フレーズの出だしが結構いい加減で、音程的にもフラフラしているってわけです。ですからフレーズの最初は音程もいい加減で、歌っているうちに(少しずつ調整されて)なんとなく音程がはまっていく…という感じなのですが、そうではなく、最初っからバシっと音程を決めて歌うべきで、そのためには、最初の1音目の子音から、しっかり音程にはめていかないといけないのです。そのためにも、まずは子音の音程の確認から始めて、歌い出さないといけないのです。

 まずは子音の音程を確認し、それが正しい音程となったところで、そこへ母音を滑らせるように入れて歌っていくわけです。それを各フレーズごとに行うのです。

 それがフレーズの最初の1音目の歌い方。

 次がフレーズの2音目以降の歌い方です。2音目以降では、息を途切らせる事なく、常に息を吐き続けて、すべての音を滑らかに繋いで歌っていきます。1音ごとにブツブツ息を切るのではなく、1フレーズがまるで1音であるかのように、ずっとずっと息を繋いで歌っていくのです。

 話し言葉って、無意識とは言え、案外、息がブチブチ切れていくものです。特に破裂音とか破擦音などが連続していると、どうしてもブチブチ切れていくわけだし、そうやって切って発音していく事が、滑舌の良さにもつながっていくわけなんだけれど、歌声では、たとえ破裂音や破擦音があっても、息をブチブチとは切らず、なるべくフワフワと、切っているようで切らないようで…といった感じで、音は切っても息を切らずに歌っていくのです。

 それがレガートで歌うって事であり、歌は常にレガートでなければいけないのです。

 歌声は、話し声の延長にあるわけではないって事です。だいたい、話し声で、歌声のように、ずっと息を出し続けて話していたら…それはそれで何か変でしょ?

 “tr”をしっかり発音するように言われました。そこで“tr”をしっかり発音しようとすると、どうしても音が重くなってしまいます。先生からは、なるべく軽く“tr”を発音しなさいと言われるのだけれど、ついつい“tr”を発音する際に、不要な力が加わってしまうのです。

 まあ、出来ないわけじゃないけれど“tr”って、ちょっと苦手かも。特に“tr”の“r”ね。巻き舌は普通には出来るし、いつでも出来るけれど、じゃあ延々と巻き舌をやってご覧と言われると…身構えると出来ないわけじゃないけれど、身構えていないと…ちょっと無理かも。苦手じゃないにせよ、少なくとも得意じゃ無いのてす。

 ちなみに“tr”はどうにかなるけれど、実は“br”だと、たぶんお手上げです。“br”は…本当に苦手なんです。本当に出来ません。

 つまり、タンドリングは得意じゃないのだけれど、リップロールは苦手なんです。

 苦手なら、練習すればいいじゃんと思われるでしょうが、本当に苦手だと、練習すら出来ないのですよ。ここが悩みなのです。

 閑話休題。“tr”を軽く発音していくためには、舌に力を入れずに発音する事が肝心なわけです。そうでなく、ちょっとでも舌に力が入ってしまうと、うまく“tr”が出来ないだけでなく、音程が下がったり、届かなかったりするので、“tr”に限らず、どんな音でも軽く、しっかりと息を通して歌う事が大切となります。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月26日 (月)

言うは易し、行うは難し

 声楽のレッスンに行きました。

 まずはハミング練習から。なるべく息の流れが変わらないように気を使いながらハミングをしました。なにしろ、私の場合、無意識にハミングをすると、必ず、2音目で息の流れが変わってしまうからです。先生からも「最初はいい感じだったんだけれど、すぐにどこか変なところに行ってしまう」と言われているので、極力、最初から最後まで同じ道を息には通ってもらうように努力してみました。

 そのために必要な事は…ノドを開けっ放しの広げっぱなしにする事です。で、ノドを開けっ放しの広げっぱなしにするためには、しっかり腹圧をかけて息を送り出す事です。分かっちゃいるけれど、できないのです(汗)。

 発声練習に入りました。ノドは縦開きです…これは何度も何度も注意されているし、少しずつ自覚出来るようになりました。ノドを縦開きにして、さらにしっかり開かなければいけないのですが、その際、私はノドを下にばかり開いてしまい、ちっとも上には開いていかないのだそうです。

 まあ、下に開くのは重力に従って開けりゃあいいんだから、基本的に簡単なのです。上に開いていくには重力に逆らって開けなければいけないので、ちょっと大変なのです。だから、意識的に上に開けていかなければいけません。

 その際、注意する事として、上に開けるためには、上への余白というか余地というか、まだ上に開ける可能性を残した状態から始める事。最初っから、最大限に開いた状態から発声し始めちゃうと、そりゃもう、それ以上ノドを開くことは出来るわけがないので、余裕のある状態から発声し始め、ここぞというところから、徐々に開いていく事が肝心なのです。

 最初っからクライマックスではダメなのです。

 あと、せっかくノド(この場合は口蓋垂)を上に開いていっても、舌根が同時に同じように盛り上がってしまっては、せっかくノドが開いても、開いた分だけ、舌で塞いでいるのだから、意味が無いのです。舌根は定位置のまま、口蓋垂だけを上げていくので理想なのです。

 …という訳で、早速鏡を見ながらの練習となりました。口蓋垂を上げながらも舌根を上げずに発声していきます。

 鏡を見ながらやれば、そんなに難しい事ではありません。つまり、きちんと目で見ていれば意識化も容易なわけです。問題は、普段歌っている状態では、自分の口蓋垂も舌根も見えないわけで、見えていないと、なかなか意識化するのが難しく、それでついつい口蓋垂に連動して舌根も動いてしまうわけです。

 ダメじゃん。

 見えないけれど、自分のカラダの感覚と、ちょっとした声の色の変化などを頼りに、舌根を動かさないように歌わないといけないのです。こればかりは、反復練習をして、感覚を掴んでいくしかないんでしょうね。

 さて、今回は腹圧のかけかたの勉強をしました。

 息を支えるためには、腹圧をかけないといけません。だからと言って、息を吐き出す方向にばかり腹圧をかけていけば、一気に息は出てしまいます。だから言って、きちんと腹圧をかけないと、息がへなへなになってしまいます。

 つまり、腹圧は息を吐き出す方向にかけていくのはもちろんだけれど、息の出過ぎを防ぐために、息を出さない方向にも同時にかけていかないといけないのです。息を吐き出す方向と息を出さない方向の、反対方向の力を同時にかけて、絶妙な力の均衡状態を作って、巧みに息をコントロールしていかなければいけないのです。

 ここが難しいのです。大切なのは、絶妙な力の均衡状態を作る事であって、決して力を入れて腹筋を固めちゃいけないのです。固めずに、力の近郊を保ちながら、少しずつ少しずつ息を吐き出す方向に、絶えず動かし続ける事が肝心なのです。

 言うは易し、行うは難し…ですね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月25日 (日)

行きたいところ、見たいもの

 私には、死ぬまでに行ってみたいところ、見てみたいものがあります。ざっと数えてみたら、十ばかりあったので、それを順不同で書いてみたいと思います。願いと言うものは、言葉にすれば、いずれ叶うかもしれないからね。

宝塚  もちろん、宝塚市に行きたいわけではなく、宝塚歌劇団の公演を生で見たいって話です。ああ、宝塚、一度は生で見てみたい。まあ、宝塚市にある本拠地の劇場に行ければ最高なんだろうけれど、そこまでは望んでいません。近場でいいんです。私は湘南に住んでいるので、東京の日比谷の劇場でいいんです。場所に関するこだわりはなく、とにかく生で観劇したいのです。

 なら、さっさと見に行けばいいじゃないか? そりゃあ、その通りだし、実際、ネットでチケットを買って、日比谷に行けば、簡単に見られるのは分かっちゃいるんだけれど、…。

 でもね、宝塚と言えば、圧倒的に女性のファンが多いわけじゃない? いや、圧倒的に多いと言うよりも、ほぼ女性ファンしかいないわけじゃない? 私には、あの女性の群れの中に入って、平常心でお芝居を見る勇気がないんです。

 疎外感とアウェー感に恐れおののいているのです。

 だってね、宝塚独特の、キャピキャピした雰囲気の客席に身を置けないし、何よりも化粧臭さにはたぶん耐えられません。ああ、宝塚の公演を生で見たいけれど、宝塚の客席には…行けないよなあ…。

ジブリ美術館  別に宝塚と違って、チケットを買って行けばいいだけなんだけれど、あそこって、入場定員があって入場制限があるでしょ? 私が入場しちゃうと、入れない人がいるわけでしょ? やはりジブリ美術館って、子供のための美術館だと思うわけです。いい年したオッサンよりも、夢見る子供たちが入るべきだよなあ…なんて思うと、何となく遠慮しちゃうんですよ。なので、行きたいけれど、なんとなく足が向かないんですよ。

 別に禁じられているわけではないのだけれど、なんとなく、私ごときが行ってはいけない場所…って感じているんです。

 もっともっと年をとって、もっともっと面の皮が厚くなったら、たぶん禁忌を犯して、ジブリ美術館に行くと思いますが…今はまだ、その禁忌を犯すほどの勇気がないのです。

ユニーバサルスタジオジャパン  単純に大阪にあるので行けない…ってだけの話です。ユニバーサルスタジオが千葉にあったら、とっくに行ってます(笑)。

 大阪は湘南からだと遠いからね。新幹線に乗っていかないとダメだろうし、宿泊だって必要かもしれないけれど、私はオタクなので、新幹線に乗って移動するとか無理だし、自宅以外の場所で寝泊まりするというのも無理なので、遠方にはお出かけできないんです。

 つまり、ユニバーサルスタジオジャパンには行きたいけれど、日帰りでは行けないので、行けない…というか、行かないので、行きたいのです。

伊勢神宮  行きたいです。ぜひ行ってみたいです。ただ、伊勢は大阪以上に遠いので、きちんとした旅行として計画して、覚悟を決めて行かないといけないので、そう簡単に実行できないのです。私、オタクなので、基本的に出不精なのです。

 でも、伊勢神宮は生きている間に、一度は行ってみたいと思ってます。

出雲大社  伊勢神宮の次に行きたい場所が出雲大社なんです。別にいまさら縁結びは必要ありませんが、なんとなく出雲大社には惹かれるんだよなあ…。

天橋立  行ってしまえば「なあんだ…」と思うんだろうなあって思うのだけれど、それでも一度は行ってみたいのです。別に深い意味はないのだけれど、子供の頃から、一度は行ってみたいと、なぜか思い続けている場所なんですよ。なんでだろ?

鬼怒川温泉  私は温泉が大好きです。実は日本中の温泉をめぐる旅をしたいと思っているくらいに温泉が大好きです。旅に行くなら温泉地じゃないと嫌だと、真剣に思っているくらいに温泉が大好きです。

 私が今まで、ぜひぜひ行ってみたい温泉地ナンバー1だったのが、草津温泉だったのですが、草津は念願かなって、先日、行ってきましたので、かつてナンバー2だった鬼怒川温泉が、今は行きたい温泉地ナンバー1になったのです。

 ああ、鬼怒川温泉。行ってみたい。

冬の北海道  北海道は好きな土地です。もちろん複数回、観光に行ってます。でも、その頃の私は、乗馬をするために北海道に行っていたので、雪の無い夏場を中心に出かけていました。

 夏の北海道は、なかなか良かったです。

 最近は乗馬をしている余裕もないので、北海道にはご無沙汰をしている日々で申し訳ない感じです。

 で、かつては乗馬をしに北海道に行っていた私ですが、最近はムクムクとスキーをしに北海道に行きたくなっているのです。一応、これでも、スキーはできるんですよ(下手だけれど…)。

 別にスキーなんて、滑れればどこでもいいじゃん。

 まあ、そうなんだけれど…せっかく行くなら、スキー以外にも楽しみがあった方がいいじゃん…ってわけで、北海道でスキーをしたいんです。

 北海道でのスキー以外の楽しみって何? それは食べ物です。料理じゃないのよ、食べ物が楽しみなんです。北海道って、たぶん地元の人は分かっちゃいないだろうけれど、食材が美味しいんですよ。農作物にせよ、海産物にせよ、乳製品にせよ、お肉にせよ、そういう普通の食材が美味しいのですよ。だから、別に料理なんて、なんでもいいんです。普通に炒めたり焼いたりすれば、それでもう十分なごちそうでしょ? だから北海道に行きたいんです。

 湘南も、全国レベルで見れば、肉も魚も野菜も美味しい地域なんだろうと思うけれど、それでも北海道には完敗していると…割りと真剣に考えている私なのでした。

国後島・択捉島  だれしも秘境には憧れがあるでしょ? 私にとって、行ってみたい秘境のナンバー1が、国後島・択捉島なんです。別に何か目標やら目的やらがあるわけではなく、単純に“簡単には行けないから行ってみたい”ってだけの話なんです。それも日本人として、国内旅行として、行ってみたいのです。

 国後島・択捉島は、かの島々をロシアの領地として認めてしまうならば、行く手段はあるんだろうと思うのだけれど、そうじゃなくて、日本国内旅行として行ってみたいのが私の願いなんです。なんかね、あの島々をロシア領として認めてしまうのは、日本人としてダメな気がするんだよね。

ミラノスカラ座  やっと出てきました、外国旅行(笑)。私、基本的に海外旅行には興味のない人なんです。だってね、わざわざ数時間、いや数日もかけて、移動に苦労して、言葉の通じない場所に行って、風俗習慣の異なる人々に囲まれて、日頃食べ慣れないものを食べる…という、ストレスの溜まる、難行苦行をする意味が、全く分からない人なんです。

 日帰りで、各種ストレスなく海外に行けたら、たぶん行っちゃうんだけれど、まあそれは無理なので、旅行に行くなら、国内旅行がいいやって思ってます。

 だって、オタクだもん。遠出はイヤなのね。

 そんな海外には行きたくない私なんですが、それでも一度は行ってみたいのが、ミラノスカラ座なんです。もちろん、ただ、行くだけで無く、行ったら必ず、ヴェルディやプッチーニなどのイタリアオペラをみたいと思ってます。そんだけの話です。

 まあ、ウィーン歌劇場やバイロイト祝祭劇場にも行きたいし、ライブビューイングではよく見ているメトロポリタン歌劇場で生オペラも見たいのだけれど、まずはミラノスカラ座に行きたいのですよ。スカラ座を経験したら、その他の歌劇場にも行きたいのです。

 そんな私なのでした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月24日 (土)

マッチとオボロ

 ドジョウの話を二つします。

 最初は、マッチの話。マッチは小さめの緋ドジョウです。ついこの前まで元気一杯だったのですが、最近は大変具合が悪そうです。ほとんど息もせず、水槽の水底で腹を上にして沈んでいるので、死んでしまったのかと思って、ピンセットで突っついてみても何の反応もないので、水槽から取り出してしまうと、かすかにカラダを動かして“まだ死んでないよ”アピールをします。そんな事がここ数日、続いています。

 まあ、ドジョウってタフですから、こんな瀕死の状態からでも、もしかすると回復しちゃって元気になる事もあるので、今は温かくマッチを見守っています。

 次の話。3匹いるマドジョウのうち、2匹にヒョウとミゾレと言う名前を付けた話をはしましたが、その時、残りの一匹の名前はまだ未定でしたが、最近、その子にオボロという名前を付けたので報告します。

 オボロは朧で、ヒョウよりも体色が薄く、ミゾレよりも濃いので、その中間的なポジションからオボロと名付けました。

 最初の数日はうまく行ってました。やがて、だんだん、3匹の区別が難しくなってきたのです。

 と言うのも、ドジョウの体色って体調とか外界の様子とかで変化するんです。

 以前は、はっきり体色の異なっていた3匹ですが、今では、ほぼ一緒の体色になってしまい、体色だけで3匹を識別するのが難しくなりました。そこで、今では次の基準で3匹の識別を行っています。

 オボロ…赤っぽいグレーの体色。水玉模様は、細かくて密度が高い。カラダはマドジョウの中では、一番長い。

 ヒョウ…青っぽいグレーの体色。水玉模様の一つ一つがかなり大きめ。カラダは太めの短め。

 ミゾレ…白っぽいグレーの体色。水玉模様の大きさは標準的だけれど、密度がかなり薄い。

 こんな感じです。とにかく、ドジョウの個体識別は、かなり難しいですが、やがて慣れてくれば…たぶん簡単になるんじゃないかなって思ってます。ちなみに、性格ですが、ミゾレは人間が好きな子で、金魚並に自己アピールをします。他の二匹も、ミゾレほどではありませんが、緋ドジョウ程度には、人間が好きなようで、よく姿を見せてくれます。

 真ドジョウという生き物は、以前から何匹も飼っていますが、たいていはペットとしての自覚があまりなく、水槽にいても、人間にはその姿をめったに見せてくれない生き物なのですが、今度の3匹は、緋ドジョウ並のペット意識を持っているようです。飼い主的には、ちょっとうれしいです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月23日 (金)

経営と教育、優先すべきなのは…さあ、どっち?

 フルートのレッスンに行きました。たぶん、一ヶ月ぶり(笑)。仕事が忙しくて行けなかったのです。ま、社会人だもの、あるよね。

 さすがにこれだけレッスンの間隔があき、練習もほとんどしていないとなると、あれこれ忘れます。もちろん、暗譜しかけた曲はほぼきれいに忘却の彼方に行ってしまいました。残念な事です。

 でも、忘れたのはそれだけでなく、あれこれあった、悪い癖も忘れてしまったようで、吹いていて、なんかいい感じでした。たまに練習をしない期間があると、その間に、あれこれリセットされるようです。

 ロングトーン練習は、実にいい感じでした。

 エルステユーブンゲンは、23番と24番です。以前は吹きづらかったフレーズがなぜか吹きやすく感じました。指や息の感じは良いのですが、確実にタンギングが下手になっているのを感じました。いかんです。

 プチエチュードは19番ですが、あんなに吹きづらかった曲なのに、案外スラスラ吹ける自分にビックリしました。ただし、込み入った箇所(楽譜の黒い部分)は、譜読みが追いつかずに指が止まりがちになります。譜読みさえ、もっと速い速度で出来たら、たぶん音楽も停滞せずに行けたんだろうなあって思いました。

 今の私レベルの場合、指の動く速度よりも、譜を読む速度の方が遅いので、それが足かせになっているようです。つまり、ソルフェ能力の低さが全体の足を引っ張っているわけです。ああ、残念だ。

 40リトルピーセズは、9番のベートーヴェンの「スコットランド地方の踊り」と10番のシューマンの「見知らぬ国と人々について」です。エチュードは苦手な私ですが、曲になると、案外ノリでスラスラ行ってしまいます。2曲とも合格いたしました。先生にもたくさん褒めていただきました。

 生徒さんたちの中には、曲よりもエチュードが好きって人がたくさんいるし、自分も若い時はエチュードが大好きだったけれど、すとんさんはエチュードよりも曲の方が得意なようだね…とH先生には、私の本質を見透かされてしまいました。はい、私、小難しい音楽は苦手なんです。好きなのは、メロディアスの音楽なんです。へへへ。

 という訳で、次回は11番のシューベルトの「ワルツ」です。テンポが早い上に変化音がたくさんあって…私の苦手なタイプの曲だな、頑張らないと…。

 今回の雑談は、今が入試シーズンもあって、入試と言うか、私立学校の生徒募集について、です。

 H先生は、以前、音楽大学で先生をやっていたわけですが、音楽大学と言うのは、日本には私立大学しか無いので、当然、先生も私立学校の先生をやっていたわけです。

 この時期は、生徒をたくさん合格させようとする理事会と、学生の質を落とさずに守ろうとする教授会とのせめぎあいというか、パワーゲームが行われていたそうなのです。

 極端に言っちゃえば、生徒の能力や将来の可能性などは考えずに、ただただ4年間学費を納めるために通学させりゃあいいじゃんという方向性を打ち出す理事会と、経営も大事だけれど、力のない学生なんかを入学させても進路先で苦労させる事になるから、それなら大学に入れずに、他の道に行ってもらった方がいいじゃないかという教授会とは、そりゃあソリも合わないわな。

 理事会には理事会の正義があり、教授会には教授会の愛があるわけです。正義と愛のどちらが強いか…と言えば、それは簡単に決着はつかないわけで、だから毎年パワーゲームをするわけです。

 まあ、どこの学校でも、似たような事はあるんだろうなあって思います。

 勉強は才能がある学生だけがすればいいのか? 才能がなくても意欲があれば勉強をするべきなのか? 才能も意欲もなくても、それでもむりやりにでも教育は与えないといけないのか? 義務教育ならともかく、大学教育では、学生本人の能力を考慮に入れなければいけませんが、それでも学ぶ権利は尊重されないといけないのか? 門外漢な私には、結論めいたことなど言えませんよ。

 ま、私立学校は、営利企業ですってのが、1つの結論かな?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2018年2月22日 (木)

歌曲は原語で歌うべきなのか?

 歌曲と書きましたが、オペラアリアを含む、クラシック系声楽曲と考えてください。

 私は個人的にクラシック系声楽曲を学んでいます。イタリア系の歌曲やアリアを中心に学び、先日は、武満徹のソングをいくつか学びました。イタリア語の歌も難しいけれど、日本語の歌もなかなか難しいなあと思った次第です。

 先日は「歌曲は原調で歌うべきか?」という記事を書きました。色々と思う事はあるにせよ、原則的に「歌手本位で考えるならば、歌曲は移調して歌ってよし」と考えるべきだけれど、私個人の趣味で言えば「作曲家の意図をくんで、なるべく原調で歌った方が良いかな」という事にしておきました。

 音程と言葉の違いはあるにせよ、同じ風に「歌手本位で考えるならば、歌曲は翻訳して歌ってよし」ってなるんじゃないかな?って思ったわけです。

 ならば、我々日本人は、クラシック系声楽曲を、ドンドン日本語に訳して歌っていけばいいはずだけれど、現実は、ちょっと違います。

 クラシック系声楽曲って、たいてい、原語で歌うよね。歌っている人は、歌の歌詞について勉強しているのだろうから、その意味も、言葉のちょっとしたニュアンスも分かって歌っているのだろうけれど、聞いている我々は、全然分かりません。何か舞台で熱を込めて歌っているなあ…とは分かるけれど、何言っているかなんて、さっぱり分かりません。

 よく「ドイツリートは歌詞の意味が大切」なんて言う人がいらっしゃるけれど、そのドイツリートのコンサートに行っても、歌手は原語で歌うので、聞いている我々はチンプンカンプンです。大切なはずの歌詞の意味なんて、分かるわけありません。もちろん、観客には伝わりません。

 気のきいたコンサートだと、プログラムに歌詞の翻訳が挟まっていたり、字幕スーパーが出るコトもあるのだろうけれど、そんなモノを見ながら音楽を聞いていたら、気が散って仕方なりません。

 意味も音楽も…と思うなら、きちんと日本語に翻訳した歌詞で歌って欲しいと思うのだけれど、まずそういうコンサートに出会う事はありません。

 観客、置いてけぼり…です。

 たまに日本語歌詞で上演されるオペラやオペレッタ上演に出会う事はあります。喜劇作品が多いような気がしますが、歌とお芝居が一体となるので、結構楽しめます。よく知らない歌は日本語で歌ってもらった方が楽しめるのは確かです。

 実際、ミュージカルは、たいてい日本語上演ですよね。だから、楽しいんです。

 なぜ、クラシック系声楽では、現地語ではなく原語で歌うのかと言えば…それが世界の主流だからです。そして、なぜ原語で歌うのが主流になったのかと言えば…ジェット機が発達して、スター歌手たちが世界中を飛びまわるようになったから…です。

 クラシック系声楽と言えども、ジェット機が発達する前は、歌手たちの移動が大変だった事もあり、大抵の歌手(オペラ歌手)はローカルスターでした。活躍の場も地元のオペラハウスが中心です。ですから、現存しているその頃のスター歌手の録音を聞いてみると、結構な数の曲を彼らの母国語である現地語に翻訳して歌っています(もちろん、原語歌唱のものもあります)。

 やがてジェット機が普及し、スター歌手たちが世界中を飛び回るようになりました。そうなると、一つの公演に色々な言葉で歌う歌手たちが集まるようになりました。様々な言葉で歌う歌手たちが集まったからと言って、まさか、言葉をチャンポンにしてオペラを上演するわけにはいきません。そこで歌手たちが歌う歌詞を統一する必要が出てきました。そうなると、勢い、原語で歌うようになるわけです。原語歌唱なら、間違いないし、ある意味、公平ですからね。

 やがて、スター歌手たちが原語で歌うのが普通になれば、将来のスター歌手を目指す若手歌手たちも原語で歌を学ぶようになります。で、せっかく原語で歌を学んだのであれば、それを自分の弟子や生徒に教える時も原語で教えるようになり…という状況が今の状況を生み出したわけです。

 つまり、原語で歌うのは、あくまでも歌う側の都合であって、観客の事を考えているわけじゃありません。そういう意味で、歌手本位の視点で原語歌唱となっているわけで「歌曲は移調して歌ってもOK」と根は一緒です。

 なんだ、そういう事だったのか!

 つまり、クラシック系声楽曲であっても、観客に合わせて、現地語に翻訳して歌っても全然かまわないのだけれど、歌手たちは原語で歌を勉強しているので、コンサート等でも原語で歌っているだけで、別に原語で歌わないといけない…というほどのことでもなさそうです。

 勉強は原語でしても、コンサートやオペラ公演の時は、日本語歌詞で歌えばいいのだろうけれど、それでは暗譜の負担が増えてしまうので、勉強した原語で歌うという、省エネ的な動機があるし、それは分からないでもないけれど、エンタメ的な視点で考えると、どうなんだろうと思わないでもないです。

 あと、声楽に限らず、クラシック系音楽って、教養主義的と言うか、貴族的と言うか、スノッブな部分があって、あえて現地語で歌わずに原語で歌うことで、選民意識をくすぐるというか、愚民を見下す快感を得ると言うか、そんな事もないではないのかな…と思わないでもなかったりします。訳のわからない外国語で歌う事で、有り難さを演出するわけですね。

 まあ私だって「この曲、原語で歌う? それとも日本語で歌う?」と尋ねられたら「原語で歌います!」と即答しちゃうだろうし…ね。私も、なかなかな悪趣味野郎ですからサ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月21日 (水)

『グレーテスト・ショーマン』を見てきました

 ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画だというので見てきました。ヒュー・ジャックマンと言えば、一般的には“ウルヴァリン”でしょうが、音楽ファン的には「レ・ミゼ」の“ジャン・バルジャン”なわけで、そりゃあ見に行くしかないでしょう。

 公式ホームページはこちらです。

 で、見てきました。さすがに『ラ・ラ・ランド』後のミュージカルというわけで、実に音楽と演技が見事にシンクロしていました。歌も芝居の一部であって、そういう点では21世紀の新しいミュージカルだなって思いました。歌と芝居と演出が高いレベルで関連していました。良いね。

 曲は、どの曲もとても良かったですよ。捨て曲無しです。おそらく、キラーソングは“This is me”だろうけれど、実にパワフルな曲です。いいよ、いいよ。

 何度も繰り返して見たくなるミュージカルです。なかなか良質なミュージカルだと思いました。

 もっとも、だからと言って、手放しで賞賛できるタイプのミュージカルなのかと言えば、ちょっと違います。音楽は良いんだけれど、その他の部分で、物足りなさを感じちゃいます。

 まずは、ストーリー。主人公バーナムの立身出世物語(と挫折)を中心に、それに各種差別問題を絡めているんだけれど、ドラマ的には、そんなに深くないです。「ミュージカルのストーリーなんて、そんなもの」と言えば、それで終わりなんだけれど、だったら、もっと脳天気なストーリーでいいと思うわけです。素材的には、もっと深みのあるストーリーだって作れるだろうに…と思うと、ストーリー的に残念です。

 主人公のバーナムという人は、アメリカではとても有名な実在のビジネスマンらしいし、バーナム以外の登場人物たちも、みな実在の人物で、バーナム同様に有名人らしいのですが、どれもこれも我々日本人には馴染みの薄い人物です。どうやら「みんな知っているよね」というのが前提にあり、あれこれ説明不足の掘り下げ不足なのです。たくさんのエピソードがストーリーに組み込まれていますが、その多くは見ていて「?」となってしまうのですが、おそらくそれはアメリカ人にとっては既知の話であり、細かい説明が省かれているのだろうと思うのだけれど、そういう部分が、我々日本人には、ちょっと不親切な作りになっているようです。

 つまり、ストーリー的には楽しめないし、共感もしづらい話です。でも、それを補って余るほどに、音楽は良いです。

 『グレーテスト・ショーマン』の音楽は、上質な、今時のロック風味のポピュラー音楽です。そこは1950年代のロジャースのミュージカルや1990年代のロイド・ウェーバーの音楽とは違うわけです。

 ミュージカルがこの世に生まれて、約百年くらいでしょうか? そもそもは19世紀末のオペラが、あまりに重厚に規模も大きくなってしまったアンチテーゼとして生まれた、軽妙で洒脱なオペレッタが、20世紀になって、アメリカに渡り、様々な現代的な音楽を吸収して出来上がったのが、現代のミュージカルなわけです。ほぼ20世紀初頭に死滅してしまったオペラにとって変わるように、20世紀初頭に生まれたミュージカルですが、今やオペラとはだいぶ違う地平の上に成り立っているようです。その最極限が『ラ・ラ・ランド』だったんだろうと思いますが、この『グレーテスト・ショーマン』も音楽的には、かなり先端に近いところにいるのだろうと思います。少なくとも、ロイド・ウェーバーの音楽よりも、だいぶ尖っています。

 今のアメリカ人は、こういう歌芝居を好むのかな…って思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年2月20日 (火)

歌曲は原調で歌うべきか?

 つまり、歌曲は作曲家が作曲したオリジナルの調性のまま歌うべきか、それとも歌手の声に合わせて自由に移調して歌うべきか…という命題でございます。

 一般的な解答としては「歌曲は自由に移調して歌って良し」です。

 でも、本当にそれでいいのかな?と私は思うわけです。

 確かに、歌手本位で考えるならば、その歌手が一番良いパフォーマンスを発揮できる音域というのは、歌手毎に決まっているわけだから、どんな曲であれ、その音域の範囲に納めて歌った方が良い結果が出るに決まってます。

 だから歌曲を移調して、歌い手の得意な音域に納めて歌うのは、一見、理にかなっているように見えます。実際、歌手本位ならば、それで正解です。

 でも、何か釈然としないのです。

 まず1つ目の釈然としない理由は、これは歌曲のみに適用され、オペラアリアには適用されないって事です。

 歌曲は歌手の音域に合わせて、自由に移調されて歌われるのに対して、オペラアリアは作曲家が書いたオリジナルの調性のまま歌わないといけないのです。その理由として、歌曲は単独で歌われる事が多いけれど、オペラアリアはオペラ全体の中の一部として歌われるから、他の曲とのバランスを考えると、移調して歌うのはふさわしくない…って言うわけです。

 でも、これ、ごまかしだよね。

 確かに、オペラ上演の最中、一部の曲だけ移調して歌うと、不自然な感じがしないわけでもないから、オペラ上演の中では、アリアの移調は禁止…は分かります。でも、コンサートなどで、そのアリアだけ取り出して歌う時も、移調禁止は…分かりません。歌手本位で考えるなら、その歌手の音域に合わせて、オペラアリアも移調して歌っても、何の不都合もないからです。

 私は実際、素人さんの発表会で、オペラアリアを移調して歌われたのを聞いた事があります。有名なテノールのアリアを、低く移調してバリトンの方が歌われていました。破綻なく、見事な歌唱でしたたよ。特に、歌としての不都合はありませんでした。この歌唱を聞いて以来、歌曲が移調されて歌われるのと同様に、オペラアリアも移調して歌っても、まあ、アリかもしれないなあって思いました。

 歌としての不都合はないのに、オペラアリアの移調はダメで、歌曲の移調はアリってのが、私が釈然としない理由の1つです。

 理由はもう1つあります。やはり、その低く移調されたオペラアリアを聞いた時に感じた事です。

 オペラアリアを低く移調して歌われても、確かに歌としての不都合はありませんでした。不都合は無かったのですが…違和感はありました。移調されていても、同じ歌は歌なのですが、なんか違うんですよ。具体的に書けば「歌を聞いた後にカタルシスが解放されない」と言うと…分かるかな? なんか、聞いていて不完全燃焼だったのですよ。

 テノールのアリアって、たいてい最後に聞かせどころの高音があって、そこをアクロバチックに歌うことで、聞き手のカタルシスは解放されるように作られています。バリトン用に移調された時も、全く同じように歌われ、高音部分も移調されて歌われたのですが、テノールが原調で歌った時に感じたカタルシスの解放が、バリトンが移調して歌うと、特に感じられずに、普通の歌として聞こえちゃったんですよ。

 テノールのオペラアリアの高音って、絶妙に作曲されています。テノール歌手のギリギリの音域で、破綻直前の危うい音程で、見事に歌えるように作られています。それを低くしてバリトン歌手が歌うと、バリトン歌手にとっては、破綻寸前の危うい高音であっても聞く側からすると、テノールでの歌唱ほどのヤバさは感じられず、普通の高音にしか聞こえないのです。

 歌の音程と歌手の声質って、関係あると思うのです。で、作曲家はそこを考えて、調性を決めて作曲していると思うのです。それを考えると、オペラアリアを移調して歌っちゃダメという理屈に納得しちゃう私なんですよ。

 で、オペラアリアはダメなのに、なんで歌曲は良いの? って思ってしまうわけで、なんかモヤモヤが残るわけです。

 「君と旅立とう」という歌曲があります。オリジナルはイタリア語の曲で「Con Te Partirò」というタイトルで、アンドレア・ボチェッリというテノール歌手のために書かれ、実際、彼のシングルレコードとして発売され、ヒットしています。

 この曲は、後に、歌詞の一部を英語にして、英語のタイトル「Time To Say Goodbye」に付け替えられて、ソプラノ歌手のサラ・ブライトマンによって歌われ、大ヒット曲となりました。

 この曲は、男女の二人の歌手によって歌われています。同じ調性で歌われていて、移調されているわけではないのですが、実は歌っている歌手の男女の差もあって、実質的には1オクターブほど音程が違っています。実際の音程が違うので、同じ調性でも、歌の印象が少し違います。私が特に違和感を感じるのは、最後の聞かせどころの高音部分です。

 ボチェッリの、音域ギリギリで歌う高音に対して、ブライトマンの楽々歌う威風堂々たる高音は、曲の印象を大きく変えます。

 これは私の好みですが、ブライトマンが美しい声で楽々と歌うバージョンよりも、ボチェッリが朴訥でギリギリに歌うバージョンの方が好きですし、この曲は、そもそもがボチェッリの持ち歌という事も考えれば、作曲家はこの危うさを出したくても、この音域で曲を作曲したんだと思われます。でも、ソプラノであるブライトマンにとって、この音域は楽勝なんだと思います。楽勝すぎて、高音が安心で安定してしまうのです。

 歌手本位で考えれば、ブライトマンの歌もアリだろうけれど(だから大ヒットしたわけです)、作曲家本位で考えると、ブライトマンの歌唱は、本来の意図とは違うんじゃないかなって思うわけです。オペラアリアを違う声種の歌手が歌うと違和感を感じられるように、歌曲だって本来対象にした声種以外の歌手が歌うと、やっぱり違和感を感じる…んだと思います。

 そして、昔の作曲家の歌曲は、皆さん、結構自由に移調して歌われているけれど、現代作曲家のソングは、移調して歌われたり歌われなかったり、そもそも移調された楽譜が販売されていなかったり…。

 ああ、考えれば考えるほど、頭が混乱する。

 移調問題については、歌手本位で考えるのと、作曲家の意図を汲み取って考えるのと、結果が異なってしまいます。これは、ある意味、立場の違いだけであって、どちらも正解と言えるし、どちらも不適切とも言えます。

 ああ、分からん。私的には、作曲家の意図を最大限に尊重しつつ、時には移調された楽譜で歌うって事になるんだろうなあ。少なくとも、私が楽譜を選ぶ時は、なるべく移調譜ではなく、原調の譜面を利用したいなあって思うわけです。また女声用に作曲された曲はなるべく避けて、男性用に作曲された曲をなるべく歌うように心がけているわけです。ただし、それを他人に強要する事はしないけれどね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月19日 (月)

メトのライブビューイングで「トスカ」を見てきました

 私はメトのライブビューイング上映のすべてを見ているわけではありません。基本的に、見たことのないオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時と、新演出のオペラ(で、なおかつ興味をそそられるオペラ)を上演する時に見ると決めています。

 本当はすべての上演作品を見たいのだけれど、お金と時間に制限があるものでね…。

 で、今回は「トスカ」を見てきました。私、「トスカ」は色々な上演を何度も見ていますが、今回の上演がメトの“新演出”になるそうなので、改めて見る事にしたわけです。

 実はメトの「トスカ」は2009年に演出が変更されたばかりで、10年と経たずに演出が変更されたというわけです。

 どうも、2009年のボンディの演出がダメだったようです。アメリカの観客たちには、あの演出には、かなりご不満だったようで、それで今回の演出変更につながったようです。ちなみに、私は2009年版の演出をアンコール上映で2011年に見ているので、なおさらすぐに変更されたような気になっていたようです。その時の感想記事はこちらです。

 以前の記事を見ても分かる通り、私は個人的にはボンディの演出は好きでした。歌だけでは分かりづらい、ストーリーの説明やキャラの性格の掘り下げも芝居と演出の力で補っていたし、別に不満など、特になかったのですが、アメリカのオペラ好きな方々には、えらく不評だったようです。

 まあ、確かに、ボンディの演出とそれ以前のゼッフィレッリの演出とは、だいぶ違うものね。ボンディの演出は2009年当時から、アメリカでは賛否両論だったそうだしね。

 で、今回のマクヴィガーの演出なんだけれど、振り子が振り戻るかのように、現代演出の要素も残しながら、伝統的な定番の演出に戻ってしまいました。まあ、安心して見られると言えば、その通りなんだけれど、なんかアクが抜けちゃったなあ…って感じです。

 それは演出だけでなく、主演のソニア・ヨンチェヴァとヴィットーリオ・グリゴーロの歌唱のせいもあるかなって思います。二人とも、声が軽いんだよねえ…。なんか、オペラのお話が絵空事のようで、現実っぽさが希薄なんです。まあ、オペラって、基本的に絵空事だし、ファンタジーだし、それに現実っぽさなんて加えるのは、野暮ってもんなんだろうと思うんだけれど、それにしても、ボンディの演出の後だと、なんともアクの無い、優等生向きの演出になっちゃったなあ…って感じです。

 まあ、地元アメリカのファンは、これを望んでいるのなら、仕方ないよね。アメリカ人って、案外保守的なんだよね。

 とは言え、別に私はマクヴィガーの演出がダメとは言いません。これはこれでアリです。ただ、私の好みは、以前のボンディ演出の方だったってだけの話です。

 今回の演出では、トスカは若い娘…ってか、小娘に設定されているそうです。演じる歌手が大御所ソプラノ(つまりオバサン)が多いせいか、ついついトスカって成熟された女性だと思いがちだけれど、今回の小娘設定で物語を見てみると、色々とストーリーに合点がゆくし、何よりトスカのキャラに整合性が出てきます。いやあ、これには今まで気づきませんでした。

 となると、実はスカルピアも若いんじゃないかなって思うようになりました。

 ここから先は、私の妄想です。

 スカルピアって、だいたい爺さんバリトンであったり、若いバリトンでも老けメイクをして演じるので、年寄りのイメージがあるんだけれど、実は思うほど年寄りではなく、せいぜい中年のオッサン程度なんじゃないかって思いました。中年のオッサンって、まだまだギラギラしているものね。ならば、トスカのカラダを求めるのも分からないでもないのです。本当の爺さんは、小娘のカラダなんて欲しがりませんからね。スカルピアは、せいぜい中年の、精力ギンギンのオッサンなんですよ。

 となると、カヴァラドッシの年齢設定にも疑問が生じます。

 カヴァラドッシって、アンジェロッティの親友なんですよね。で、アンジェロッティって、逃亡中の政治犯なんだけれど、彼って、ローマ共和国の高官って設定なんですよ。つまり、とてもエラい政治家様で、そんな立場の人が、そんなに若いはずはないんです。少なくとも、青年ではありません。せいぜい中年、下手すると爺さんの可能性すらあります。そんな人と親友なんだから、カヴァラドッシも、あまり若くはないはずです。もしかすると…中年のオッサン? でも、カヴァラドッシが中年のオッサンなら、スカルピアと対等なクチを聞いちゃうのも分かるし、スカルピアの部下たちを、若造たちを見下すような態度で接するのも分からないでもないです。

 カヴァラドッシが中年オヤジならば、トスカに対する甘々な態度も分かりますし、トスカが嫉妬ぶかい娘なのも分かります。だって、相手はオトナだし、騎士様(つまり貴族だよ)だし、人生経験だって豊かだろうし、お金持ちだろうし…、一方のトスカは、世間知らずの小娘だし、歌姫(ナポレオン時代の歌手なんて、使用人に毛の生えた程度の扱いの職業です)だし、自分に自信がなくて、ついつい嫉妬しちゃうんだろうなあって思うわけです。

 かわいいね、トスカちゃん。

 そんな風に(私が勝手なイメージで年齢設定を変更して)このオペラを見てみると、なんとも新しい世界が広がるわけです。「トスカ」って“オッサン二人が政治争いをしていて、それに小娘が巻き込まれて、あたふたしている話”になるわけです。いやあ、面白い。

 最後に出演者の事を書きます。

 グリゴーロは…カヴァラドッシを歌うのは、まだ早かったんじゃないかな? 上手いんだけれど、この役に必要な声の重さに欠けると思います。演技は熱いんだけれど、声の熱量はちょっと足りないような気がしました。あと、10年ぐらいすると、良い感じになるかもしれませんが…今はまだ声が若すぎるような気がします。

 ヨンチェヴァは…上手いねえ。そもそも演出家が、トスカを小娘に設定しているのだから、これくらい(従来のソプラノさんと比べると)軽めの声のソプラノで良いのだろうね。演出が伝統に回帰しても、歌手の声までは、昔のような大ソプラノの声を求めなかった…って事だわな。昔風のトスカなら、声は重量級のソプラノだものね。でもね、声はともかく、演技力は昔の大ソプラノレベルだったのは…どうなんでしょ?

 ルチッチのスカルピアは…歌も演技も薄味…かな? スカルピアって、悪人のはずなんだけれど、ルチッチが演じると、案外、紳士に見えるんだよね。だからかな、2幕のトスカとスカルピアの対決シーンが、なんとも物足りなく感じてしまいました。当初予定のブリン・ターフェルが歌っていたら、もっとねっとりした悪役になっていたんじゃないかしらって思います。

 そうそう、名前は知らないのだけれど、スポレッタを歌っていた脇役テノールさんの演技が良かったなあって思います。スポレッタなんて、ただの端役なのに、なんか妙に心に残るんだよねえ…。でもこの役、そんなに存在感があっちゃダメな役だとも思うんだけど(笑)。

 それにしても、今回の「トスカ」は、いかにもメトのオペラって感じでした。メトって、保守的なんだよね。保守的だからこそ、子どもや初心者にも安心して勧められるんだよね。「最初にオペラを見るなら、メトの上演版」というのが私の口癖なんだけれど、最近のメトは、ちょっと冒険しすぎて初心者に優しくなかったのですが、今回の演出でメトの「トスカ」は、そんな昔の初心者に優しいオペラに戻ったわけです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年2月18日 (日)

そもそも“立ち読み”が窃盗であるという自覚がないのが原因だろう

 日本漫画家協会という団体が“海賊版サイトについての見解”という記事をアップしました。詳しくは、直接、そちらの記事を読んでいただければ良いのだけれど、かいつまんで書けば「違法サイトでマンガを読んで済ませないで、ちゃんとマンガを購入して読んで欲しい」って事です。

 マンガは本ではなく、コンテンツです。だから、本であろうと、データであろうと、読者にとっては、マンガが読めれば、それでOKなのです。だから、実際のマンガ本で読もうが、電子書籍で読もうが、違法サイトで読もうが、読めれば、それで用が足りてしまいます。

 違法サイトでマンガを読んだ読者は、読み終えたマンガのマンガ本を購入するでしょうか? まあ、コレクター習癖のある人は別として、普通の感覚の人なら、一度読んだマンガを改めて本屋で買うことは無いでしょう。だって、マンガはコンテンツであって本では無いからです。一度違法サイト等でマンガを読んでしまえば、そのコンテンツを楽しんだ事になり、改めてマンガ本を購入する必要がなくなります。つまり、マンガ本を購入してコンテンツを楽しむはずだったのに、違法サイト等でコンテンツをを楽しんでしまい、結果的にマンガ本を購入しなくなれば、それはマンガ本を買わずにそのコンテンツだけを盗んだにも等しい行為とも考えられます。つまり、違法サイト等でマンガを読む事は、ある意味、マンガ本を窃盗しているようなモノなのです。

 実際、違法マンガサイトが隆盛を極める中、マンガ本の売上は、ドンドン減っているそうです。ま、目の前のマンガ本は動きませんから、マンガ本の売上減としか考えられませんし、この二つの現象を直接結びつけて考えるのは、ちょっと乱暴かもしれませんが、それでも、本来ならばマンガ本を購入していたはずの人が、違法サイトでマンガを読んでしまったために、購入せずに済ませているならば、それはマンガ本を盗んだにも等しい行為だし、そんな人が増えていけば、自然とマンガ本の売上も下がる事でしょう。

 マンガ本の売上が下がって困るのは誰でしょうか? 出版社でしょうか? 確かに、会社も困るだろうけれど、どんな会社もリスクヘッジは考えているわけで、マンガが売れなくなっても、会社自体は、あれこれ頑張って、なんとかしようとするものです。マンガが売れなきゃ、別の違うモノを売るだけです。マンガが売れなきゃ困ることは事実だけれど、マンガが売れなきゃ売れないで、何とか対応できるのが会社です。

 やはり一番困るのは、マンガを書いている漫画家さんと、その愛読者の皆さんでしょうね。マンガ本が売れなければ、漫画家さんはマンガ執筆で生活が出来なくなります。連載を取りやめたり、連載の間隔が開いたり、掲載雑誌が廃刊になったり、単行本が販売されなくなったりするでしょう。もしかすると、生活のために漫画家を廃業せざるを得なくなるかもしれません。そうなると、その漫画家さんは困ります。また、その漫画家さんの作品を楽しみにしていた愛読者の方々は、その漫画家さんの作品が読めなくなるわけで、こちらも困ります。

 才能が無くて、続けていけなくなった人は、自然淘汰だから、ある意味、漫画家廃業も仕方がないかもしれません。でも、才能があっても、その才能を支えられるだけの金銭的な報酬がなければ、その才能を発揮する事はできません。それが一人二人ではなく、もっと大きな数の才能の集団が、その才能を発揮する事ができなくなれば、文化の衰退が始まります。

 まあ、話はかなり大げさになってしまいましたが、要は「商品は購入してから楽しみましょう。盗んで楽しんではいけません」って事です。

 とは言え、違法サイトを読んでいる人は、自分の行為が窃盗であるとは、全然思っていないだろうと思います。

 と言うのも、日本には、昔から、マンガに限らず、本屋の店先で無料で本を読む“立ち読み”という習慣があるからです。おそらく、違法サイトでマンガを読んでいる人は、本屋の店先でマンガを立ち読みしているのと、そう変わらない感覚でマンガを読んでいるのだろうと思います。

 問題なのは、マンガ本一冊の内容を、丸々違法サイトで読めてしまう事です。さらに考えてみれば、立ち読みだって、実は同じ事なのです。

 文字の本なら、本を一冊丸々、本屋の店先で読み終えるなんて事はありえません。だから、店先で、立ち読みをして、気に入らなければ買わないだろうし、気に入れば、その本を購入したものてす。

 しかしマンガ本は違います。マンガ本の一冊なんて、ほんの数分あれば読み終えられます。立ち読みで、マンガ本1冊…どころか、2冊3冊と読んでしまう人もいます。で、読んだマンガを買うかと言えば、まあそれはありません。

 これは、先程から何度も書いてますが、対価を支払わずにコンテンツを楽しんだのだから、いわば、窃盗に当たるわけですが、別に立ち読みした人には、そんな感覚はないし、マンガ本を売っている本屋にしても、立ち読みは本が汚れて困ったものだと思っているだろうけれど、だからと言って、それが立ち読みが窃盗であるとは思わないわけだし、現在の刑法では、物体としての本が盗まれているわけではないから、立ち読みを窃盗扱いできないわけです。これはコンテンツとかソフトパワーの保護について、法整備が遅れているゆえで、現実に法律が追いついていない事の1つの現れですが、コンテンツを無断で無理で楽しんだ(=盗んだ)という事実を重んじれば、立ち読みは窃盗とほぼ同義となります。

 まあ、窃盗扱いせずとも、昨今の本屋では、マンガ本は立ち読み防止として、一冊一冊ビニールで包むようですが…その手間もおそらくバカにならないでしょうね。

 悪気がないのが、一番手に負えないわけですが、マンガの違法サイトなんて、潰しても潰しても、すぐに次のサイトが出てくるわけです。で、マンガ違法サイトがあり、日本に立ち読みという習慣がある以上、おそらく、法律でどうにかしなければ、きっとどうにもならないと思います。

 マンガぐらい、カネ出して買えよ…とオジサンは思うんだけれど、世間の人達は、そう思っていないから、違法サイトがブイブイ言わせるわけだよねえ。で、マンガ本を買わずに浮かしたオカネは何に使っているのか…と言えば、おそらくスマホ代だよね。毎月毎月スマホ代を支払っているために、金銭的な余力がなくなって、マンガも買わずに違法サイトで済ませている…だろうと、別に根拠はないけれど、そんな感じがします。

 スマホの普及で、マンガ本に限らず、多くの商売やサービスが危機に面しています。時代が変わるって、こういう事なんだなあと思います。

 まあ、マンガ本に関して言えば、違法マンガサイトも問題ですが、それ以前に、新古書店や図書館の問題。再販制度の問題。音楽で言えばJASRACに相当する著作権管理団体が無い事など、問題は山積みで、違法マンガサイトさえ片付ければ、それで万々歳とはならないんだよね。

 どちらにせよ、一番弱い立場なのが、作者であって、彼らを守り、彼らの生活を保障してあげれらないと、いずれ日本のマンガ文化も衰退をせざるをえないってわけで、その遠因が、我々消費者の好ましくない消費活動にある…って言えるのかもしれません。

 という訳で、今回は問題を投げっぱなしで終わりにします。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月17日 (土)

ヒョウと申します、ミゾレと申します

 全滅した真ドジョウ2匹の代わりに、新たに真ドジョウを4匹、我が家に迎え入れた話をしました。

 で、その4匹のうち、2匹に名前を付けたので、ご紹介します。ヒョウとミゾレです。ですから、現在、我が家のドジョウラインナップは、以下の通りになります。

 ラズ(緋ドジョウ・最古参)
 マッチ(緋ドジョウ)
 クロ(真ドジョウ・行方不明)
 ヒョウ(真ドジョウ・新入り)
 ミゾレ(真ドジョウ・新入り)
 名無し1(真ドジョウ・新入り)
 名無し2(真ドジョウ・新入り)

 ヒョウは、色の濃い体色のマドジョウです。色が濃いだけでなく、模様(ドジョウは体表に細かな水玉模様があります)の一つ一つがかなり大きく、通常は模様が入らない頭部や腹部にまで水玉模様があります。いや、その模様の大きさから、水玉模様と言うよりも、もはやヒョウ柄と言って良いくらいなので、ヒョウ(豹)と名付けました。

 ミゾレは、逆に体色の薄い子です。かなり白に近いグレーで、水玉模様もかなり薄めの子です。全体的に、白ボケしているような体色なので、ミゾレ(霙)と名付けました。イメージは『みぞれ味のかき氷』です(笑)。

 ちなみに、ヒョウもミゾレもあまり大きなドジョウではありません。

 残りの2匹は、何の特徴もない、普通の真ドジョウなので、まだ個体識別が出来てません。個体識別ができると命名されるのが、我が家のルールなので、この2匹の命名は、きっと、まだまだ先の話だろなあ…と思っていたら、先日、そのうちの一匹が星になってしまいました。これで真ドジョウは、ヒョウとミゾレと名無しになりました。ああ、結果的に個体識別ができるようになってしまいました。いずれは、名無しにも名前をつけてやらないとなあ…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月16日 (金)

メカは偉大だ

 メカとは、フルートなどに載っている、あのメカの事を指しています。

 あのメカのおかげで、フルートは、本来複雑な運指を必要とするモノでも、割と簡便な運指に置き換えて吹くことができます。あのメカのおかげで、複雑な調性の曲でも(比較的)楽に演奏できるわけです。

 さらに言えば、人間の通常の手の大きさでは演奏しづらい、小型楽器や大型楽器の演奏をラクにしてくれます。

 私は先日、ファイフを吹いていました。ファイフは、ほぼピッコロと、楽器の大きさや音域が一致しています。まあ、簡易版ピッコロと言っても良い感じの教育楽器なのですが、ファイフには当然、メカは搭載されていません。指で直接トーンホールを塞ぐわけですが、これが結構大変なのです。なにしろ、私の手はファイフよりもだいぶ大きいので、上手くホールを塞ぐのに難航しちゃうわけです。ファイフにもピッコロ同様に、メカが搭載されていてたら、指の置き場はメカでしっかり確保されるわけで、それだけでだいぶ吹きやすくなるんだろうなあと思いました。また、面倒な運指も、メカの使用で簡略化できれば、複雑の調性の曲もファイフで吹けるようになるでしょう。とにかくファイフは変化音が苦手ですから、そんなに複雑な調性の曲は吹けません。吹けるのは、C管という事もあって、ハ長調にヘ長調にト長調ぐらいかな? ニ長調や変ロ長調は頑張ればどうにかなるかもしれないけれど、イ長調とか変ホ長調はあまり頑張りたくないし、それ以上はちょっと無理でしょう。でも、メカがあれば、それも楽になるはずです。

 ちなみにファイフは、かなり音痴な楽器なので、標準的な運指はありますが、より正しい音程で演奏するためには、自分で試行錯誤して運指を工夫した方が良いです。

 さて、指の置き場と言えば、逆のパターンもあって、知り合いの女性でリコーダーが得意な方がいるのですが、彼女は、ソプラノ、ソプラニーノ、アルト、バスのリコーダーを吹きます。テノールだけは吹きません。なぜかと尋ねたら「テナーだけ、指が届かない」んだそうです。

 リコーダーはフルート同様に笛なのですが、基本的にメカが搭載されていません。例外的に、バスリコーダーとコントラバスリコーダーにはメカが搭載されています。実はテナーリコーダーにも部分的にメカが搭載されていますが、メカが搭載されていない部分もあって、その部分のホールとホールの間隔が広すぎて、指が届かないのだそうです。

 ね、メカは偉大でしょ。

 ちなみに私はテナーリコーダーはジャストサイズなので、とても吹きやすいです(笑)。

 もしもフルートにメカが搭載されていなかったら…とは、想像せずとも経験できます。フラウト・トラベルソを吹いてみれば、メカのありがたさを実感できるでしょう。フルート・トラベルソは、古楽器版のフルートと言って良い楽器で、色々と素朴に作られています。メカが使われていない事も特徴の一つです。プラスチック製のモノが、リコーダーメーカーのアウロスから比較的安価で販売されています。私は所有していませんが、色々なイベントで、このプラ製フラウト・トラベルソを吹いた事がありますが、面白い楽器です。私は、この楽器を吹いた時に、ああメカって有り難いなあって思いました。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2018年2月15日 (木)

あいうべ体操をやってみた

 皆さんは「あいうべ体操」というのを知っていますか? 知らない方は、こちらのページをご覧ください。クチ周りの筋肉を鍛えて、鼻呼吸が出来るカラダに鍛えて、健康になりましょうって趣旨の体操です。

 私、ある時、テレビの健康番組で、この「あいうべ体操」を紹介しているのも見て、さっそくマネてみましたが…私、この「あいうべ体操」が出来ない人だという事に気が付きました。どうやら、私だけがそうってわけではなく、その時のテレビの出演者の中にも、私同様に、うまく「あいうべ体操」ができない人がいたからです。

 「あいうべ体操」は、順に「あ」「い」「う」「べー」と発音していくだけの簡単な体操なのですが、問題は「い」なんです。

 世間一般の方は「い」の時に、クチビルを思いっきり横に引っ張るようです。横に引っ張ってから「いー」と発音するんだそうです。しかし、私は違います。むしろクチビルは前に突き出します。実はクチビルのカタチだけで言うなら「い」と「う」は、ほぼ一緒です。違いがあるとすると「う」の方が「い」よりも、幾分突き出し量が多めかなってぐらいです。結構「い」の時は、クチビルを丸めて前に突き出して発音します。なので「い」も「う」もクチビルのカタチはほぼ一緒なので「あいうべ体操」では、十分にクチ周りの筋肉が鍛えられないという事になってしまいます。

 どうやら私、普段から母音は、クチビルのカタチよりも、舌の動きで作っているようなんです。なので、意識すれば、ほとんどクチビルを動かさずに母音発音が出来ます。なので、腹話術はやらないけれど、もしもやったら、なかなかスジが良いのではないかと、勝手に思っているくらいです。

 実は、母音をクチビルのカタチではなく、舌の動きで作るのは、声楽的には望ましい事のようです。と言うのも、声楽では、クチビルはラッパの朝顔部分に当たるわけで、ここで音を拡声しているわけですから、クチビルを使わないと発音できない幾つかの子音はともかく、そうでない限りは、クチビルは構音には関わりなく、大きく開いていた方が、声楽的に有利なわけです。

 なので、自覚はないのですが、おそらく私がクチビルを使わずに母音の発音をしているのは、そもそもそういう傾向があった上に、声楽を学び始めた事でより顕著になったのではないかと思われます。

 思わぬ事で、自分の癖を見つめ直した私でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年2月14日 (水)

大きな声で歌えばいいというものではない

 声楽レッスンは、まだ続きます。

 まずは、昨日紹介できなかった二曲の音源を貼ります。

 最初の曲は「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」です。これはパヴァロッティがレヴァインのピアノで歌っている音源をアップしておきます。いつもながら、素晴らしい歌唱だと思います。

 次の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を歌っているのは、メゾソプラノのバルトリです。この人、カストラートの役を歌うことが多い人ですが、普通に歌曲を歌っても、やっぱり上手ですね。でも、やっぱり声は、少年っぽいと言われれば、たしかに少年っぽい声ですわな。、

 さて、武満が終わる事で、しばらく日本歌曲からは距離を置きます。いやあ、日本歌曲って難しかったなあ。次に日本歌曲を歌うとしたら…林リリ子先生つながりで、林光氏のソングかな?(説明しないよ)

 さて、レッスンは、ドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 先生から最初に言われたのは「すとんさんは、すべての音を観客に聞こえるように歌っていますか?」です。もちろん、そりゃあそうなんですが、そういう気持ちでは、この曲は歌わない方が良いと言われました。

 だいたい、曲の出だしがppなんだし、いきなりの1オクターブの跳躍という事は、最初の一声は、観客の耳にしっかり届かなくても良い…と言うか、観客の方が耳をそばだてて聞くくらいで、ちょうどよいと言うのです。

 確かに、人って、大きな声で話されたからと言って相手の話をよく聞いているわけではなく(むしろ、うるさいなあと思って、耳を塞いだりするじゃん)、むしろ小声でひそひそ話した時の方が、その人の言葉が気になるものなのです。

 だから、歌もすべてがすべて、大声でしっかりはっきりくっきりと歌う必要はなく、時にささやき、時にはつぶやく事も大切なのです。で、この曲は、ささやきともつぶやきとも言えぬ、小さなppで歌い出されるわけです。この音をしっかり歌っては、むしろダメなんです。

 懸案事項の Lento の箇所は、だいぶ速いテンポで歌ってみました。前後のフレーズよりも、速度がゆっくりになっていれば良し…くらいの気持ちです。実際に歌ってみたテンポは、かなり速かったと思います。そんな感じで、かなり早めのテンポで歌ってみて、ようやくギリギリOKって感じになりました。気を抜いて、ゆっくりなテンポで歌ってしまうと、かなり歌が破綻してしまいます。ああ、難しいね。

 そんなこんなで、色々とありましたが、これでようやく、この曲も終了です。お疲れさまでした。次回は、同じドナウディの「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」となります。これが終わると、次もまだドナウディを歌うつもりです。

 というわけで、次回からしばらく、ベッリーニとドナウディに、どっぷり浸かる私となります。それにしても、次のレッスンまでに、4曲準備しないといけないのだけれど、そんな時間が、私にあるかしら。ちょっときびしいぞ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月13日 (火)

限りなくジャズっぽい曲でした

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。まずは、武満徹作曲の「うたうだけ」です。

 この曲は歌ってみて分かったのですが…ジャズだね。ジャズソングを忠実に五線譜に書いてみました…って感じの曲です。もちろん、クラシック的アプローチで演奏するなら、譜面に忠実に歌っていけばいいわけですが、譜面に忠実であろうとすればするほど、ジャズに近づいていきます。

 これ、純粋クラシックの人には、とてつもなく歌いづらいだろうなあ…。

 リズムが難しい事に加え、和音が難しくて、クラシック音楽的には変化音が多用され、クラシック音楽的な和声進行に慣れていると、メロディーの音程が取れないと思います。なにしろ、和音は、7thや9thがバンバン使われているし、先生が「ここの音は、とても取りづらいと思います」と指摘された箇所は、楽譜上は7thだけれど、実際は13thの和音なわけで(ハ長調で表現すれば)C13なんて、ジャズの実際の演奏現場ではDm/Cとして演奏するわけで、そんなのジャズでは日常茶飯事だから、私なんぞは、そんな和音はカラダに入っているので、別に取りづらいも取りづらくないも無いわけです。でも、純粋クラシックの人には、C13はC13であって、そのままC13であって、Dm/Cにして演奏するわけもないから、ただの不協和音になってしまい、だから、音を取りづらく感じるんだろうなあ…。

 私は、この曲を自宅で練習している時に、何度も何度もジャズフルートの笛先生、ジャズピアノのヒイロ先生に習った事を思い出しちゃいましたよ。ああ、「こういうリズムの時は、こんなふうにカウントすると良いんだっけ」「跳ねる時は、一瞬のタメがかっこいいんだっけ」「スイングする時は、体全体でスイングするとノレルんだよな」とか…ね。伴奏のピアノも、明らかにジャズピアノ風だったので、これ、ヒイロ先生の伴奏で歌ったら、絶対に気持ちいいだろうなあ…なんて思ったものです。なにしろ、この曲のピアノ伴奏は、部分的に空白で、その部分はピアニストさんのアドリブで演奏する事になっているのですが、ヒイロ先生なら、きっと、オシャレなアドリブをぶち込んでくれると思うし…ね。

 とにかく、ジャズ色の濃い曲なのです。

 先日のコンサートで、武満を歌ったY先生でしたが、この曲も実は演奏候補に上がっていたそうなのです。最終的には、人前で歌われなかったのですが、それはどこまでジャズに寄って歌うべきかで悩まれたからなんだそうです。

 Y先生は、もちろん、純粋クラシックの歌手です。器用な方ですから、ジャズ風に歌うこともできるのですが、クラシック歌手として歌う場合は、それが悩みどころで、どこまでジャズに近寄り、どこまでクラシックに留まって歌うか…それが問題だったそうです。プロは悩むところが我々と違います。

 私は、その点、何も悩まず(笑)、何も考えずに、クラシックアプローチで歌いました。私の場合、クラシックアプローチで歌っても、ジャズっぽいのがにじみ出ちゃいますので、にじみ出ちゃったモノは仕方がないとあきらめて(笑)しまうわけです。

 不自然に歌うよりも、自然な感じで歌うべきだし、その結果、ジャズっぽくなっても、それは仕方ないよねって立場です。

 たった一回のレッスンでしたが(得意ジャンルの曲なので)この曲は今回で終わりになりました。次からは、いよいよベッリーニの『6つのアリエッタ』となります。で、学習順番ですが、以前原調で歌った事のある1番の「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」、2番の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」、6番の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を、まずは練習してくる事になりました。できたら、この三曲は次回のレッスンで上げてゆきたいものです。で、これらが終わったら、腰を据えて、3番以降の曲に取り組みます。

 と言う訳で、今回はこれらの曲をよく知らない人のために、例によって音源を貼っておきます。

 歌っているのは、ロランド・ヴィラゾンです。いつもながら、素晴らしい演奏ですね。伴奏がオーケストラってのも珍しいですね。ちなみに、最後のフレーズに変奏を加えて歌っているので、楽譜通りの歌唱じゃないと言えば、そのとおりだけれど、まあ、これくらいの変奏は許されるんじゃないかな?

 残りの曲の音源は、明日紹介します。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月12日 (月)

コペルニクスだよ、こりゃきっと

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは、ハミング練習からです。いつもの注意を受けました。響きを高く、クチの中は縦に広げて、クチの上部を上に引っ張り上げて、息をしっかりと通す。それだけの事です。それだけの事が、いつもいつもうまく出来なくて注意を受けちゃうわけです。

 発声練習です。音程をテクニカルに取っていきましょう、ってか、テクニカルに歌えば、自然と音程は気持ち良いところに収まっていきます。詰まるところ、1)息の通り道がしっかり確保されている。2)ノドが楽に発声できている。これらが十分に成されていれば、音程は気持ち良いところに収まるし、テクニック的にうまく行っていなければ、音程はフラットしてしまうわけです。

 発声をする際に気をつけるのは、きちんとテクニカルに歌えているかどうかです。テクニカルに歌えば、音程は気にしなくても良いのです。(音程が正しくても、必ずしもテクニカルに歌えているわけではないので、音程の正しさではなくテクニカルに歌えているかどうかに気をつけるべきなのです。必ずしも“逆は真成らず”なのです。)

 で、テクニック的にOKで、音程がちゃんとしているようになってから、次の段階を考えるべきなのです。次の段階とは、声の音色であったり、表現であったりと言った事柄です。テクニック的に不足したままで、表現に走ってしまうと、間違いなく音程に破綻が来るそうなのです。だから、まずはテクニック。そして音程がしっかりしてから、声の音色の幅を広げ、その後に表現が来ます。

 コペルニクスだね、こりゃ。

 私はキング先生に習っていた時から、まずは“表現を”一番にするように心がけてきました。それはこのブログの古い読者さんなら分かってくださると思います。多少、音程が甘くても、表現がちゃんとしていたら、お客さんは聞いてくれると言われ続けてきましたし、私自身もその言葉を信じてやってきました。実際、音程は正しくても表現力に乏しい歌唱よりも、多少音程に難が有っても、鬼気迫る表現力を伴って歌われた歌の方が、私自身、好きだったしね。

 とにかく、表現力だったんですよ。で、更に歌に“テクニックは要らない”とも言われていました。私が自宅練習であれこれ工夫してくると、即座に否定され「小賢しい事はするな。歌にはテクニックなど必要ない。必要なのは反復練習だ!」と言われたものです。10回歌ってできなければ100回歌え、100回歌ってできなければ1000回歌え、1000回歌ってできなければ…というノリなのです。ここもキング先生とY先生の違いで、Y先生はむしろ反復練習を嫌うんですよね。

 と言うのも、上手に歌えているなら、反復練習は声を減らすだけなので必要ないし、上手に歌えていないなら、反復練習をする事で、失敗経験ばかりを増やして、下手くそが固定化されてしまうので、反復練習を嫌っているのです。

 先生によって、良しとする方法論が違うわけです。まいったね、こりゃ。

 とにかく、表現は横に置いて、まずはテクニック、それも息や声のテクニックに気をつけて、音程正しい歌が歌えるようにがんばります。

 Y先生曰く「出ない音は、何をどうやっても出ないのだから、出ない音を出そうなんて苦労をしてはいけない。それよりも、今、出せる音を、もっときちんと、もっと美しく出せるように努力しないといけない」ってわけです。今まで、出ない音をどうやって出そうかと必死こいていた私からすれば、これもコペルニクスなわけです。

 ああ、目からウロコがポロポロ落ちる落ちる…。

 そして、テクニカルに歌うためには、自分のカラダを自由にコントロールできなきゃいけないのだから、まずはフィジカルを鍛えないといけません。必要な筋肉や神経を鍛えていかなければいけません。だから、テクニカルに歌うためにも、筋トレが必要なのです。動かない部位を意識的に動かせるようにする必要があるのです。

 腹筋は、まだまだ不十分ですが、以前と較べると、だいぶ動くようになりました。次は軟口蓋&口蓋垂です。私の口蓋垂は、ほんと、動きが悪いです。もっと意識的に、もっと俊敏に動かせないといけません。腹筋も難しいけれど、軟口蓋&口蓋垂は、自分じゃ見えない場所だから、これを意識的に動かすのは、なかなか容易なことではありません。頑張らないと…ね。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

2018年2月11日 (日)

なぜ人は寒い地方に住むのか?

 不謹慎であることを承知の上で、そんな疑問が私に思い浮かびます。

 だって、寒いって、ツライでしょ!? 雪って、大変じゃないですか?

 私自身、適度な寒さは、むしろ好きで、暑いよりも寒い方が好ましいと思う人なんですが、そんな私の好みとは別に、カラダは暑さには我慢できても、寒さには耐えられず、寒い日々が続くと、必ずと言っていいほど、体調を崩します。熱を出します。だるくなります。眠くなります。風邪をひきます。

 いくら部屋に暖房を入れたとしても、戸外はどうやったって寒いわけです。寒い外と温かい室内の往復をしているうちにカラダが参ってしまいます。いや、往復しなくても、長時間戸外にいれば、カラダの芯から冷えてしまいます。冷えて体調を崩すわけです。

 なので、私の場合、冬なんて、健康な日々よりも、体調不良な日々の方が多いくらいです。

 そんな、私から見て「なぜ人は寒い地方に住むのだろうか? ツラくないだろうか? カラダ壊さないのだろうか? 命の危険は感じないのだろうか?」と真剣に思うわけです。

 だって、私は絶対に寒い地方では暮らせないからです。

 でも現実には、寒い地方にも多くの人々が暮らしているわけです。寒さや積雪をものともせずに暮らしているのです。私には到底成し遂げられない事を、日々の暮らしの中で、自然体で行っているわけです。

 マジ、尊敬っす。

 おそらく、私が仮に、寒い地方に(春~夏頃)移住したとして、春夏秋は快適に暮らしたとしても、冬がやってきて、戸外の気温が下がり、雪が降って、雪に閉じ込められるような生活になったら、たぶん死にます。死なないまでも、寝込みます。おそらく、救急車で運ばれるような騒ぎになり兼ねません。だって、寒いんだもん。

 「すとんさんはスキーに行った事はないの? スキーに行って、元気に楽しめたなら、北国だって平気だよ」

 スキーには何度か行った事はあります。楽しみました。スキー旅行は短期間だし、私にとっては、一大イベントですから、旅行中は、アドレナリン出っぱなし状態になるわけですから、これは参考になりません。

 スキー宿の親父さんが「北国じゃ、いくら寒くても風邪ひかないんだよ、何しろ寒すぎて、風邪のウィルスも死んじゃうから」なんてボケをかましてくれましたが、その言葉が例え本当だったとしても、私、風邪のウィルス以前に、寒さで死んじゃいますから。

 「確かに、外は寒いけれど、室内はホッカホッカだよ」

 私は“引きこもり”じゃありません。いくら室内が暖かくても、外が寒ければ、それでやられてしまいます。防寒着? 宇宙服レベルの防寒着を着ていれば、おそらく問題ないでしょうが、スキーウェアに毛の生えたような防寒着なら関係ありません。冷たい外気を吸い込んで、呼吸器から冷えていきますからね。なまじ、温かい服装だと、ちょっと動いて汗をかき(私はよく汗をかきます)、それが冷えると…めっちゃめっちゃ冷たいじゃないですか! それで体温を奪われてしまいます。

 たぶん、私はクマで例えるなら、ツキノワグマであって、ヒグマじゃないんだと思います。果物に例えるなら、ミカンであって、リンゴじゃないんだと思います。魚介に例えるなら、ハマグリであって、ホタテじゃないんだと思います。つまり、そういう事。

 なので、私には、人が寒い地方に住む理由が、全く分かりません。

 一応、知的には「故郷である」「先祖伝来の土地がある」「地縁がある」「仕事がある」「家族や親戚が住んでいる」などの理由で、寒い地方に住んでいるだろうと理解するものの、でも寒さの前には、そんな事、関係ないじゃんって思う私がいます。

 だから私は寒い地方に住んでいないんだろうし、寒い地方の人は、私のような弱音は吐かないから、そのまま寒い地方に住み続けられるのだろうと思います。

 でもほんと、寒い地方になぜ人は住み続けているんだろう。私には分かりません(おそらく、寒い地方に暮らす人々は、私に分かってもらおうなんて思いもしないでしょうが…)。

 ああ、常春の国、マリネラに移住したい…。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月10日 (土)

メダカの食べ方にも個性が出ます

 弱肉強食な話を書きますので「ちょっと勘弁」という方は、また明日ご来場下さいませ。
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 では行きます。

 じつは先日も書いたとおり、ルデンと真ドジョウを我が家に迎えた時に、エサ用メダカとして販売されていたヒメダカたちを、文字通り“エサ用”として購入した私でした。いやあ、メダカって、金魚たちの大好物なんですよね。なので、お正月だったという事もあって、金魚たちにお年玉のつもりでエサ用メダカを購入してきました。

 買ってきたメダカは、100匹で1000円。1匹10円です。ペットとして考えれば破格の安さですが、エサとして考えると、決して安くはない値段です。でも“お年玉”なんだから是非もないです。

 で、メダカたちを家に連れて帰りました。すぐには水槽に入れず、まずは検疫をしますが、その前に、ビニール袋に入ったメダカたちを金魚たちに見せました。「ほーら、メダカをこんなに買ってきたよ」 心なしか、金魚たち、とりわけヤヨイがワクワクしているようです。

 ほんの短時間だけれど、塩水と抗生物質の溶けた水につけて、軽く消毒(?)をして、いよいよメダカを水槽に入れます。入れる時は、100匹同時にいっきに水槽に入れます。

 すると、今まで見たことのないスピードで金魚たちが、メダカの群れに飛び込んでいきました。あっと言う間に、数匹のメダカが金魚たち…ヤヨイとシズカが主ですが…のクチに入ってしまいました。

 一度メダカをクチに入れると、金魚たちはそれをしばらくモグモグかじります。その様子を見て「あ、この子はメダカを食べたな」と分かるわけです。

 ファーストアタックの後は、メダカも群れを作って立て直します。金魚も…単体のメダカには恐れをいだきませんが、群れになると、何か大きな生き物に見えるのでしょうか…明らかにメダカの群れを恐れています。

 水槽の片側でメダカが群れを作り、その反対側でメダカたちに背を向けて寄り添う金魚たちがいます。一種の膠着状態です。たまさか群れからメダカが離れると…まずはヤヨイが飛びついて食べようとしますが…あまりうまくいきません。金魚の移動速度よりも、圧倒的にメダカの泳ぐ速度の方が速いんです。ですから、ヤヨイに追いかけられた程度で食べられるメダカではありません。

 しかしヤヨイもかなりしつこいです。逃げるメダカが群れに戻るまで、徹底的に追いかけます。今まで見たこともない程、キビキビと動きながらメダカを追いかけます。逃げたメダカを水槽の隅や角に追い込むことができると…なんとかクチに入れることができますが…メダカもみすみす追い込まれるような馬鹿ではありませんから、たいていはヤヨイの追跡を振り切って、群れに戻ります。追えども追えども、メダカはクチに入らず、かなりヘトヘトになったヤヨイがそこに見えます。

 一方、シズカはあまり激しく動きません。いや、むしろ水槽の底でじっとしています。そんなじっとしたシズカの前を、ヤヨイに追われて逃げてきたメダカがスーと通ると、シズカは大きなクチをいきなり開けて、大きく水を吸い込みます。すると、あっと言う間に、目の前にいたメダカがシズカのクチに入っていきました。

 お見事!

 群れの姿に怯えながらも、群れから離れたメダカを執拗に追いかけまわして、なんとかメダカをクチにするヤヨイと、ヤヨイが追いかけまして逃げ惑うメダカが自分の前を通った時にスーとクチにするシズカと、どちらが効率が良いのか観察していると…明らかにシズカの方がたくさんのメダカをクチにしていました。と言うよりも、シズカはずっとモグモグしていて、それが終わるとスーと吸い込んで、またモグモグして…の繰り返しです。

 ヤヨイも何匹かのメダカをクチにしたようですが、しばらくの間奇跡的な動きを見せた後、明らかに疲れ切っていました。そりゃあそうだよなあ…。だいぶ無理をしていたようです。しかし、ヤヨイの労働は、労多くして益少しでしたが、それでもそれなりの数のメダカを食する事ができたようです。そりゃあまあ、あれだけ苦労しているんだもの、少しは報われないとね。

 ちなみに、他の子たちは言えば、ベルはヤヨイの後を追いかけて、たまにヤヨイから逃げた子が目の前に来た時に積極的にハンティングをしているようですが、あまり食していないようです。でも確実に食べています。アセビとウルシは、メダカをエサとは認識していないようで、ほぼ無関心です。ルデンは、メダカの群れを見ると、その中に飛び込んでいって、群れを蹴散らして楽しそうです。まるで、鳩の群れを見つけると飛び込む幼児のようです(笑)。

 たかが観賞魚ですが、金魚たちにも個性というものがあるんです。

 そんなわけで、最初に100匹入れたメダカは、1週間で10匹以下になり(あっという間でした)、その後は少ない数で安定し、時折、歯が欠けるように一匹一匹少なくなりました。二週間ほどで、残り4匹となり、その後はしばらく、その数で安定していました。

 そんなところに、真ドジョウ全滅のあおりを受けて、新たにメダカ100匹を再投入しました。

 二度目は最初ほどの感動や喜びはなかったようで、二度目のメダカ投入を、金魚たちは平常心で迎えました。だからと言って、メダカを食べないわけではないのですが、最初のヤヨイのように、必死に追いかける事は無くなりました。少なくとも、人間が起きている時間(つまり、水槽の電灯が煌々と点いている時間)は、普通に暮らしていますが、夜中の電灯が消える時間にメダカを食べているようで、朝になる度に、メダカの数が少しずつ少しずつ減っていきました。

 おそらく、金魚は夜目が効くんでしょうね(目玉が大きいからなあ)。おまけに昼間たっぷり寝ていますから、夜中も眠くないんだと思います。その点、メダカは目が小さいし、昼間はずっと活動して寝てませんから、金魚たちの夜襲に対応できないのかもしれません。

 そんなわけで、毎日毎日少しずつメダカが食べられているようですが、それでも最初のペースではメダカは減っていません。あれから二週間ほど経ちましたが、それでもメダカは20匹前後残っています。まあ、いずれ全滅してしまうと思いますが、全滅まで、まだ数週間かかりそうです。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月 9日 (金)

人はなぜフルートを買ってしまうのでしょうか?

 フルート吹きには、誰でも身に覚えがあるでしょうが、フルートって、買い替えたくなりますよね。あるいは、買い足したくなりますよね。とにかく、動機は何であれ、人はフルートを買い替える、あるいは買い足していく生き物なのです…で、合っているよね(笑)。

 例によって、その動機を整理して羅列していきましょう(今週はこのパターンが多くてゴメンなさい)

 1)マイ楽器が欲しいから。これは最初の購入ですから、買い替えや買い足しとは厳密に違いますが、フルートの買い物には違いないので、ここに入れておきます。これからフルートを始めようと決意したので、まずは楽器を買ってしまおうとか、部活動で部の楽器を使っていたけれど、そろそろ自分の楽器にしたいなあとか、フルートを習いだしたばかりで、ずっとレンタル楽器を使っていたけど、そろそろ自分の楽器が…という人が、覚悟を決めて、本格的にフルートに取り組もうと決意した時に、これからの笛人生をともに歩むマイ楽器を購入するわけです。良い楽器と巡り会えることを祈っています。

 2)楽器をグレードアップするため。先生に買い替えを薦められる時は、たいてい、このパターンです。初心者用の楽器は、容易に音が出る代わりに、さほど鳴りません。ある程度、笛吹きとして上達してきて、楽器を鳴らせるようになってきたら、その人にパワーに合わせた楽器に持ち替えた方が良いわけです。そこで、初心者用楽器から、総銀フルートやゴールドフルートに買い換えるわけです。

 3)教室や先生の都合のため。教室や先生から楽器の買い替えを薦められる事があります。大抵の場合は、2)のケースでしょうが、時には、そう見せかけておいて、実は教室や先生の都合のため…正直に書いてしまうと、大人の事情のために、楽器の買い替えを薦められる事があります。単純に店の売上に貢献するために楽器の買い替えを薦められるわけです。その際は、オトナの対応をするのが良いでしょう。もちろん、それがきっかけで、良い楽器との出会いもあるでしょうから、買い替えるのも、もちろんアリだし、それはそれで良しだと思います。

 4)今使っている楽器はあまりにヒドいため。初心者が何も知らずに楽器を購入して、その楽器をもって先生に習いに行くと、早晩、先生から楽器の買い替えを薦められる事があります。素人ゆえの悲しさで、楽器としては、ちょっとヒドいモノを知らずに入手してしまったため、その楽器を使っていては、きちんと学ぶことができなくなってしまうのです。先生としては、そんな状況を見かねて、ちゃんとした楽器を購入するように言われるわけです。多くは、安いだけの中国製のフルートを買ってしまった場合に言われるようです。いくら安くても、国産大手楽器メーカーの品なら、そんな心配も不要ですが、中国製の楽器は…安いだけで、ヒドいモノもありますからね。

 5)今の楽器に行き詰まりを感じた時。あるいは飽きた時と言い換えてもいいかもしれません。とにかく、その楽器をを吹いていて、楽しさを感じなくなった時、人は思わず「買い替えちゃおうかな…」と思うものです。そんな時は…お財布さえ許すなら、ドンドン買い替えてしまいましょう。楽器を複数所有するのも、音楽愛好家の楽しみの1つです。欲しくなった時が買い時です。じゃんじゃん買い足してしまいましょう。フルートを丸々買い替えるほどの財力が無ければ、頭部管だけ買い替えるのもアリですよ。

 6)今の楽器に不満があるわけじゃないけれど、新しい楽器が欲しくなった時。例えば、セカンド楽器が欲しいとか、野外で吹きたいからプラ管フルートが欲しいとか、あるいは次の発表会に向けて、カッコいいフルートが欲しいとか…。そんな時もあります。いいじゃないですか、じゃんじゃん買い足して行きましょう。買い物は正義です。

 私も、何回かフルートを購入しています。まず最初は当然、1)のパターンです。で、その時に買ったのが、安物の中国製フルートだったので、4)のパターンで今のアゲハ(総銀フルート)に買い換えています。で、その後、セカンドフルートとしてプラ管フルートのプラ子を購入していますから、6)のパターンもやっています。

 それにしても、なんでフルートって、定期的に買いたくなるんでしょうね? 全く、不思議です。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2018年2月 8日 (木)

アマチュアも、やはり幾つかの種類に分けられますね

 昨日はプロ音楽家をいくつかの種類に分けてみましたので、返す刀で、我々アマチュア音楽家も幾つかの種類に分けて考えてみました。

 1)プロの卵。将来プロ音楽家になるべく、修行と研鑽を積んでいる最中の人。

 2)習い事(主にピアノ)の子ども。1)と部分的にかぶるけれど、特に将来音楽家になるつもりもなく、習い事として学んでいる人たち。ある時ふと「音大に進学しよう」と思い立って、1)になる人も、それなりにいます。

 3)専門教育を受けたアマチュア音楽家。アマチュア音楽家の中には、音大卒業の資格こそ持っていないけれど、プロの音楽家から数年に渡って専門教育を受けてきた人がいます。実力的には、音大卒にも匹敵する演奏力を持っていたりする人たちで、いわゆる“セミプロ”とか“ハイアマチュア”とか言われる人たちです。音大卒で、その後音楽業界に入らなかった人も、本来はこのジャンルに入るアマチュアさんだろうと、私は思ってます。

 4)ピアノ教育を受けたアマチュア音楽家。2)の子どもが成長すると、ここになります。幼少時からのピアノ教育のおかげで音楽が特技となり、オトナになった今、音楽活動を趣味としている人たち。3)の人たちほど本格的な専門教育は受けていないけれど、音楽演奏に必要な技量は物心付いた時にはすでに身についていたという人たちです。

 5)部活動として音楽をしている学生と、卒業後も音楽を続けているアマチュア音楽家。3)と6)の中間的な存在で、とりわけ熱心に続けてきた人たちは、限りなく3)に近い存在になります。

 6)音楽を趣味として真剣に取り組んでいるアマチュア音楽家。多くは大人になってから始めたスロースターターで、ある程度の年齢になって、時間とお金に余裕が生まれた事で、音楽を始めたという人たち。中高年に多いタイプ。世間一般の人が思う「趣味で音楽をやってます」というイメージ通りの人たちです。音楽を楽しみとして享受し、ある意味、本当に音楽好きな人たちが、この人たちです。ただ、好きだという気持ちが先行して、技術がなかなか伴わないのは、ご愛嬌だったりします。

 7)目的達成の手段として、音楽活動をしているアマチュア音楽家。目的にも色々あります。例えば、友達/仲間づくりのために音楽団体で活動をしていたり、異性にもてたいために音楽をやっていたり、目立ちたいから、チヤホヤされたいからという気持ちで音楽をやっていたり…と、真面目に音楽をやっている5)の人たちから白い目で見られがちな人たちです。しかし、目的はどうであれ、音楽活動をコンスタントにしている以上は、アマチュア音楽家であり、彼らは目的をもっているがゆえに向上心はめざましく、しばしばプロやプロ同様になってしまう事すらあるのが、ここの人たちです。

 もちろん、アマチュアの場合、純粋のこれら7つのパターンに分かれるのではなく、それぞれの特徴をいくつか併せ持つ人たちがほとんどだろうと思われます。ちなみに私は、純粋に6)のタイプです(笑)。典型的なアマチュア音楽家で“下手の横好き”タイプです。

 ここを読んでいる方の多くは、アマチュア音楽家でしょうが、皆さんは、どのタイプになるのでしょうか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年2月 7日 (水)

プロにも幾つか種類がある

 私はよく、このブログで、我々アマチュア音楽家のカウンターパートとしてプロ音楽家を取り上げますが、我々アマチュア音楽家にだって、色々な人がいるように、プロ音楽家にも色々な人がいて、必ずしもまとめてひとくくりに言えるような存在ではありません。
 一つの事実として、我が国では、音楽大学を卒業した人を(クラシック音楽における)プロ音楽家として扱う習慣があります。これは、我が国には、諸外国のような、音楽家の国家資格(あるいはそれに準ずる資格)がないため、音大卒を一つのプロの資格として取り扱っているからです。

 これがうまく機能していれば良いのですが、現実は全く違います。

 もちろん、音楽大学を卒業した人の中には、バリバリと音楽業界で活躍している、本物のプロ音楽家の方も大勢いらっしゃるわけですが、その一方、音楽大学卒業後、音楽業界とは無縁な世界で生きている人もいらっしゃるわけで、そんな生活の中で、音楽は趣味として嗜む程度の人もいるわけです。ほんの数年、専門教育を受けただけの趣味の人を“プロ”…と呼ぶ現状は、やはり音大卒がプロの資格として、うまく機能していない事の証だと思われます。

 私の書いている事、何か間違っているでしょうか? 話を音楽に限らずに、一般業界に置き換えてみると、分かりやすいと思いますよ。学校を卒業して資格を持っているだけで、現場経験もなく、何も実績を積んでいない人がプロを名乗れる業界なんて、音楽業界ぐらいでしょ?

 さて、本題です。

 私、プロの音楽家にも幾つかの種類があると思います。

 1)演奏活動を生計の主にしているプロ音楽家。まあ、我々が通常“プロ”として思い浮かべるのが、このタイプの音楽家です。

 2)教育活動を生計の主にしているプロ音楽家。先の演奏主体の音楽家から移行してくる人(例えば音大教授などね)や、街のピアノの先生たちが含まれます。いわゆる“レッスンプロ”に相当する位置付けです。演奏を主体に活躍している人たちと比べると、地味な存在ですが、立派なプロ音楽家である人たちです。

 3)上記の1)2)を兼業しているプロ音楽家。いわゆる“街の音楽家”と呼ばれる方々です。地方都市では、大切な音楽文化の担い手であります。

 4)上記の1)2)を行いつつも、それらの収入だけでは生活が成り立たない音楽家。つまり、生活のために別の仕事に就いていたり、家族の収入があったり、不動産収入などがあるなど、有償無償の音楽活動はしているものの、これらの収入だけでは暮らしていけない人々です。このあたりから、プロとアマのグレーゾーンに突入してくるかな…と私は思ってます。たとえ収入的に厳しくても、演奏であれ、教育であれ、一定水準の技術を有していれば、プロと名乗るのもおかしな話ではないのですが、そこがどうにもあやふやな方もいるわけで、このクラスの音楽家が日本には多いのが、我が国の音楽業界のあやふやさの原因の一つなんだろうと思ってます。そういう意味でも、音楽家の国家資格のようなモノがあっても良いのかもしれないと思います。

 5)音楽大学を卒業しただけの、自称プロ音楽家。特別なキャリアは積んでおらず、音楽活動も、我々アマチュア音楽家と大差なかったりします。それでも音大卒というだけで、プロを自称しているのです。

 6)音楽大学を卒業していない、現場叩き上げでキャリアを積んできたプロ音楽家。主に演奏現場にいます。音大を卒業していないけれど、高度な演奏技術を持ち、そのためにプロの現場で活躍している音楽家の方々です。ポピュラー音楽の世界でのプロ音楽家は、大半がこのタイプの方ですが、クラシック音楽の世界でも、ごく少数ながら、このタイプの音楽家の方はいらっしゃいます。すでに演奏家としてのキャリアを積んでいたので、あえて音楽大学には進学しなかった…というタイプの方々ですね。

 私は、プロ音楽家を以上の6つのタイプに分けて考えていますが、皆さんはどう思われるでしょうか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年2月 6日 (火)

音楽関係の本は、なぜ電子書籍化しないの?

 実は、かねてからずっと不思議に思っている事です。

 最近の私は、楽譜以外の紙の書籍を買わない事にしています。と言うのも、家の中が本だらけで、足の踏み場もないし、本が生活空間を圧迫しているので、もうこれ以上、本を増やすわけにはいかないからです。

 でも、本は読みたいのです。そこで、電子書籍なんです。電子書籍はデーターですから、場所を取りません。何万冊あっても、すべてiPadの中に収まってしまいます。ほんと、収納場所を必要としません。おまけに拡大が自由自在ですから、老眼な私にとっては、大型活字本にも匹敵するほど、目に優しいので、大変便利にしています。場所的な問題と、老眼的な問題の二つから、私は電子書籍だけを読むことにしているのです。

 でも、世の中の本のすべてが電子書籍化されているわけではありません。電子書籍化されていないモノについては…読むのを諦めることにしました。最初から、この世に存在しないモノと考える事にしました。だって「この本、電子書籍になっていないから、紙の本を買いました」なんて事を繰り返していたら、今までの生活と、何にも変わらないからね。

 なので、本屋に行って、書棚を眺めて、読みたい本を見つけたら、その場で買わずに(ごめんなさい>本屋さん)、電子書籍版を探して、それで購入するようにしていますが、以前は、電子書籍として販売されている書籍は限られていましたので、多くの本を諦めていた私ですが、最近の新刊は、大抵、電子書籍版も同時に販売しているので、読みたい本を諦めるという事は、あまりしなくて済むようになりました。なにしろ昨今は、雑誌だって、電子書籍で販売しているくらいですよ。

 もちろん、その一方で、今でも電子書籍としては販売されず、紙の本のみで販売されているモノがあります。

 その代表的なのが、音楽関係の書籍です。音楽関係の書籍って、ほんと、電子書籍化されませんね。声楽系の本も、合唱系の本も、発声系の本も、フルート系の本も、音楽家のエッセイ本も、音楽雑誌も、本当に電子書籍化されません。

 ちょっと調べたところ、音楽之友社の場合、ほんの数点の書籍のみ電子書籍化されているようです。だいたい、昨年の6月から月1冊のペースで、ちょぼちょぼと出てます。ほとんど“焼け石に水”状態です。他の音楽系の出版社について調べたところ、やはり同じような感じで、どの出版社も、電子書籍化されている書籍は、指で数えるほどしかありません。

 大半の音楽関係の書籍が電子書籍化されないので、購入したくてもできないし、読みたくても読めません。

 まあ、私に残された人生の時間も短いので、音楽関係の書籍を読めなくても、他に読みたい本は、ヤマのようにあるので、別に困らないと言えば、全然困らないし、平気なんだけれど、可哀想なのは、本当だったら私が購入をしたはずの本を発行している出版社だよね。売れるはずの一冊が、売れなかったわけだから。

 私は、本を古本屋、とりわけ“新古書店”で買うことをポリシーとして避けています。本は必ず新品を街の本屋で買っていました。ただし、絶版本のみは、さすがに旧来の古書店(たいていの場合は、古書専門店に行きました)で購入するというやり方をせざるをえなかったです。で、街の本屋で購入していた本を、ネットの電子書籍を購入する…に変えたわけです。

 まあ、私のような人は、まだまだ少数派だとは思うけれど、世の中には確実にいるし、少しずつ数を増やしていると思うんですよ。

 昔の本は、活字を拾って版を組んで印刷していたわけで、そんなものを電子化するには、一度印刷したものを、1ページ1ページごとにスキャンしなければいけなかったので、その手間ひまが大変な事は想像できますし、古い本を簡単に「電子書籍化しろ!」とも言えなかったと思いますが、最近の書籍は、大半が電子入稿ですから、スキャンの必要もなく、電子データを紙に印刷するか、電子書籍データに変換するかの違いぐらいしかないはずなので、実は電子書籍化するのは、そんなに手間なんて掛からないはずなんです。

 ただ確かに、今まで紙の本で出版していたモノを電子書籍化することで、傾く業界はあります。

 具体的に言えば、印刷業界ですね。印刷屋とか製紙会社とかインク会社とかは、紙で本を印刷しなくなったら、商売あがったりです。

 しかし、肝心の出版会社は、直接印刷をするわけじゃないですから、別に電子書籍にしたところで、何か困ることがあるかと言えば…特にないはずです。むしろ、電子書籍の方が、書籍化のコストは(印刷のみならず、流通の経費も不要ですから)低いはずで、価格を同じにすれば、それだけ利益が増えるし、電子書籍の方を安い定価で販売したとしても、やはりマージンを多めに取ることで、利益を若干多めに確保できるわけだし、何より、私のように「紙の本は買わない」って決めている人でも電子書籍なら購入してもらえるわけだから、電子書籍にしない手はないはずなのです。

 それもあって、多くの出版社では、紙の本と同時に電子書籍も販売しているわけです。

 もう一つ傾く業界が、街の本屋さんですね。これに関しては、本当に申し訳ないと思ってます。今まで散々お世話になっていたわけですが、それを電子書籍購入へ切り替えたために、街の本屋さんからネット書店へ購入先を変えてしまったわけですからね。

 閑話休題。ほんと音楽関係の書籍って、見事なくらいに電子書籍化してくれないので、私、全然音楽関係の書籍を購入することができてません。これ、本当に残念なんです。

 音楽関係の書籍って、出版しているのが、音楽関係の専門出版社ばかりであるって事と関係あるかなって思います。専門出版社であるため、そもそも商売の規模が小さく、会社自体も小さいため、電子書籍化に必要な人員を割くことが難しいので、電子書籍化が後手後手にまわっているのかもしれません。

 世の中、すでにちらほらと、流通やコストの関係もあって、電子書籍だけの出版で、紙の本は販売されません…なんて本も出始めたのに、未だに紙の本に固執している(固執せざるをえない?)音楽専門出版社って、商売的にはかなりマズイんじゃないかなって…他人事ながら、ちょっぴり心配しちゃいます。おそらく、もっと商売がジリ貧になって、にっちもさっちも行かなくなるまでは、本格的に電子書籍化の方向には舵を切らないんじゃないかなあ…って思ってます。

 電子書籍化が遅れれば遅れるほど、潜在的読者を失っているんです。それが商売のジリ貧につながっていく事に…おそらくはすでに気づいているのでしょうが、効果的な手が打てないのだろうと思います。そこは会社規模が小さいがための、余裕の無さってヤツなんだろうと思います。

 頑張れ、音楽関係専門出版社のみなさん!

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年2月 5日 (月)

歌手から見た、クラシック声楽とポピュラーヴォーカルの違いについて

 クラシック声楽とポピュラーヴォーカルは、別に項を新たにして語る必要もないくらいに、明らかに違います。何しろ、歌う対象が違うからです。

 クラシック声楽は、クラシック音楽における声楽曲を歌い、ポピュラーヴォーカルは20世紀以降に生まれた流行歌を歌っていくわけです。あるいは、どんな広くて大きな舞台でも原則的に生声で歌っていくのがクラシック声楽ならば、本当に狭くて小さなライブハウスであっても、必ずマイクを使って電気的に声を増幅し,加工して歌うのがポピュラーヴォーカルです。

 これらは自明の事であり、今更、クラシックがどうのとかポピュラーどうのとか、今更、両者の違いをあれこれ言っても、面白くもおかしくもないわけです。

 でも、最近、ネットをウロウロしていたら、もう一つ別の視点でクラシック声楽とポピュラーヴォーカルの違いについて語る事ができる事に気づきました。それは、歌手から見た時の、両者の音楽的な違いについてです。

 クラシック声楽曲は、クラシック曲です。音楽の主役は作曲家です。演奏家は、作曲家が作り出した音楽を、残された楽譜に従って、なるべく忠実に、実際の音楽として再現していく役割を負っています。それゆえに、クラシック音楽家はしばしば“再生音楽家”と呼ばれます。

 もちろん、だからと言って、クラシック音楽家が没個性であって良いのかと言えば、それは全く違うわけで、楽譜は音楽の記録方法としては、かなりスキも隙間もある不完全な記録法であるため、より良い音楽を演奏するために、演奏家たちは、演奏に際して、彼らは彼らなりに、楽譜から逸脱しない程度で知恵と工夫を加えて、実際の演奏をしていくわけです。その際の“知恵と工夫”が演奏家の個性であり、それゆえに、クラシック音楽は、演奏家ごとに、同じ音楽であっても、味わいが異なり、そこがクラシック音楽の鑑賞ポイントの1つになるわけです。

 一方、ポピュラー音楽では、楽譜は重要ではありません。重要でないどころか、楽譜が存在しない事すらあります。

 楽譜が存在していても、それには歌詞とコードネームしか書かれていない事もしばしばありますし、五線譜にメロディーが書かれていても、四分音符と八分音符と四分休符ばかりで大雑把にしか書かれていなかったりします。また、メロディーは書かれていても、前奏も間奏も後奏も書かれていなかったりします。その上、パートごとの楽譜なんて無いのが普通ですから、どの楽器奏者も歌手用の楽譜で演奏していたりする事すらあります。

 私が以前、ジャズフルートの勉強をしていた時など、私が楽譜通りに演奏すると、よく注意されたものです。楽譜はあくまでも参考程度に見るものであり、楽譜通りに演奏しちゃダメだよと言われたものです。じゃあどうするのか言えば、楽譜に書かれた音楽に、自分の個性を加えて、音楽を再創造していくわけです。それがポピュラー音楽なんですね。つまり、ポピュラー音楽では、演奏家の個性が大切であり、作曲家は音楽の素材を提供しているだけの話なのです。それに、ポピュラー音楽では、しばしば演奏家が作曲家であるケースも多いです。これなどは、自分の個性をより際立たせて演奏するという前提で、作曲が成されていくわけです。

 つまり、クラシック音楽は、作曲家が作った曲を、より良くより素晴らしく演奏してあげるモノであり、ポピュラー音楽は、作曲家が作った音楽を材料にして、どうやって演奏家の個性を表現していくかが大切なんだと思います。

 ですから、歌手の立場で言えば、確かに音楽が作曲された年代とか、マイク使用の有無も大きな違いである事には間違いありませんが、それ以外にも、楽譜に忠実に、音楽の様式を守って、理想的で美しい音楽を奏でるのがクラシック声楽であるならば、楽譜はあくまでも参考程度で、演奏している場の時代性や地域性を考えながら、いかに歌手である自分の個性を盛り込んだ、ワン&オンリーな音楽を歌い上げていくのかがポピュラー音楽なんだろうと思います。

 規則通りに歌い、自由奔放な歌を避けるのがクラシック声楽であるならば、個性を前面に出し、枠に収まる事を嫌うのがポピュラーヴォーカルであると言えます。

 それゆえ、演奏するために、たくさんの勉強が必要なのがクラシック声楽です。常にその演奏には、正しさが求められているし、理想的な演奏が要求されています。必要なテクニックもたくさんあって、それらを一つ一つ確実に身につけていかないと、クラシック声楽の曲は歌えません。

 一方、ポピュラーヴォーカルは、感性が第一だし、正解があるわけでもないし、ある意味“ウケたら勝ち”なのです。テクニックが不必要とは言いませんが、最低限のテクニック(音程とか和声に関するテクニック)さえあれば、後は自己流で歌ってしまってもOKなのです。

 全然、違うね。

 私的には、どちらも大好きです。ポピュラーヴォーカルだからと言って、全く原曲をとどめないようなメチャメチャな演奏は当然ダメだし、クラシック声楽であっても、演奏家の個性が要求されるカデンツァというモノがあり、その部分の演奏のノリは、まるでポピュラー音楽のようであるわけです。そんな側面もあります。

 結論めいた事を書くなら「歌手の歌いたいように歌うのがポピュラーソング。様式を守って理想を求めていくのがクラシック声楽」って言えるんじゃないかしら?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 音楽ブログ 大人の音楽活動へ
にほんブログ村

2018年2月 4日 (日)

あんまり寒いので、体調悪いです[2018年1月の落ち穂拾い]

 今月(先月?)は、月替りのところで、記事が詰まってしまったので、今回の“落ち穂拾い”を、ようやくアップします。

 さて、今年の冬は寒いです。寒さが厳しいです。

 私は湘南地方に住んでいる事からもお分かりのように、寒さにはめっぽう弱いタイプの南国タイプの人です。寒い事自体は決して嫌いじゃないのですが、カラダが寒さについていけません。スキーもスケートも嫌いじゃないけれど、行けば、必ず体調崩すという人です。

 なので、毎日がスキー場やスケート場にいるような気温が続いていますので、私、カラダを壊し続けています。

 ああ、寒い。ああ、寒い。気温が低いというだけで、あっちこっちカラダの調子が悪くなります。たまに生命の危機を感じます。

 暑いのは、デブなので暑くてつらいのですが、いくら暑くても、それだけで体調を崩す事ってありません。特に近年は冷房が発達しているので、夏バテにもならないからね。

 しかし、これだけ冬が寒いと、カラダの芯まで凍えてしまいます。

 たとえ、あっちこっちで暖房入れていても、ゆっくりとお風呂に入っていても、暖かくなるのはカラダの表面だけで、カラダの芯にはいつまでも冷えが残ってしまうので、カラダが壊れてしまうんだよね。

 ああ、寒さがつらい(涙)。

プロとアマ

 どこまで行っても、アマはアマ。プロはプロ。決して交わる必要もなければ、同じ土俵に上がる必要もないのです。いわば、住んでいる世界が違うのです。

 そもそも、アマチュアの一部の方々には、プロに対する敬意が無いと思います。敬意が無いので、プロをアマの延長線上にあるものと誤解してしまうんだと思います。音楽に限らず、どんな世界でもプロはプロなんです。そして、アマはアマなんだと思います。そこには決して越えられない壁があるし、また無ければ、プロはプロとは名乗れないと思います。

 魚釣りで例えるならば、魚一匹釣って、その魚の大小で一喜一憂しているなんて、アマならではの楽しみであって、プロの漁師目線で考えれば、ありえない事です。プロは漁で生活しているわけですから、魚なんて船いっぱいに捕まえて、大漁旗でも掲げて帰れるほどに釣れなきゃ、なかなか喜べるものではありません。喜ぶべき基準が全然違うのです。しかし、魚一匹釣って得られる喜びは、おそらくプロには分からないアマチュアならではの喜びだと思います。

私がフルート試奏の旅を辞めた理由

 フルートには、いわゆる“奏者の音”ってヤツがあります。

 フルートは、楽器本体の音色よりも、演奏者の音色の方が、強く楽音に影響するそうです。これは突き詰めて言うと、どんな楽器を使っても、その奏者の音にしかならないって事です。

 クーパー吹こうが、ムラマツ吹こうが、ナガハラ吹こうが、ゴールウェイの音は、常にゴールウェイの音だったわけです。我々は、彼の音源を聞いて、どの楽器を使用しているかなんて、まず分かりません。でもゴールウェイが吹いているって事は、何となく分かるわけです。

 楽器としてのフルートそのものの音って、演奏者が感じているほどの違いを、観客は聞き分ける事はできないのです。

 それを理解した時、私はフルートの買い替えを止めました。今のフルートをずっと吹いていく事に決めたのです。と、同時にフルート試奏の旅も意味を感じなくなったので、やめたわけです。

 なんて書きながら、ある日ふと、ゴールドフルートに持ち替えたりして(笑)。

アロマオイル、好き好き

 この冬は、下の記事に書きました“ボトル加湿器”を寝室で使っています。この加湿器は、超音波式なので、アロマディフューザーとしても使えますので、アロマオイルというモノを使ってみました。

 近所のスーパーで購入(最近のスーパーって、こんなモノも売っているんですね)したラベンダーのアロマを使用していますが、なかなか良い感じです。安眠効果があるそうです…まあ、確かにぐっすり寝てますね。

 最初の一本はスーパーで購入したので、そこそこ高価でしたが、アロマオイルそのものを気に入ったので、次のオイルはネットで購入しました。結構安価でびっくりしました。

 そもそも、私は部屋には線香を焚きたい人なので、アロマも好きです。いや、線香は火を使いますが、アロマは火を使わないので、その点は安心です。まあ、アロマの香りはペットには有毒なんだそうですが、我が家の寝室にはペットはいません(金魚たちは居間にいます)ので、その点でも安心です。

 なんか、くせになりそう。

今月のお気に入り ボトル加湿器

 というわけで、ペットボトルを使った加湿器です。最近の私は、これを加湿器&アロマディフューザーとして愛用しています。

 これ、なかなか良いですよ。ただ、電源が通常のコンセントではなUSB端子なので、私は変換プラグ(iPhoneに付属していたヤツ)を使用して、壁のコンセントから電源取って使ってます。電源がUSB端子なので、ついついパソコンから電気をとって使用したくなりますが、それはどうなのかな?

 と言うのも、これ、結構派手に水霧を噴出します。なので、実に寝室向きです。湿度にもよるのだけれど、たまに周囲が湿っている時があります。なので、パソコンから電源取って使用するって事は、パソコンの側で使用するってわけで、そのパソコンに対して加湿してしまうわけです。

 パソコンって、原則、水気禁止でしょ? なので、このタイプの加湿器って、パソコン側で使用する時には注意が必要だと思います。でも、寝室なら問題無しです。おまけにアロマディフューザーとして使えるし…ね。

 おそらく、この手の加湿器はオフィスでの使用を前提として、USB端子で電源を取るようになっているんだと思います…が、派手に水霧を上げるタイプだと、デスクの機器や書類等に影響でないかしら…と、ちょっと心配します。

 と言う訳で、これとは別のオフィス用の加湿器と思われるヤツを使用している同僚のデスクをチェックしてみました。案の定、側にあった書類が、しんなりしていました。まあ、書類がしんなりしていても、実害は全く無いからいいけれど、私的にはしんなりした書類は、ちょっとイヤ(私は潔癖症ではないけれど、あんまりいい加減なのはイヤなタイプです)。おまけに、同僚のデスクにはパソコンが無いけれど、私のデスクにはパソコン2台も乗っているしね。もしも私がデスク用の加湿器を使うなら、もっと地味なタイプのモノにしないといけないかも…って思いました。

 とにかく、今回のやつは、実に派手に水霧をあげます。なにしろ、一晩で200mlぐらいは霧にして、部屋中に散布してくれるからね。寝室使いには、もってこいって感じです。

今月の金魚

2018年1月2日 緋ドジョウのヨッチャンが星になりました。

2018年1月6日 ルデンと真ドジョウ2匹がやってきました。

2018年1月17日 名無しの真ドジョウの1匹が星になりました。

2018年1月27日 真ドジョウのカジャが星になりました。
           真ドジョウを4匹、水槽に迎えました。

今月のひとこと

 包丁をナイフと英訳する事に違和感を感じています。包丁は、作り方も日本刀と同じだし、鍛冶職人も日本刀の伝統を引き継いでいる人が多いわけだし、少なくとも日本の包丁は、ナイフと言うよりもスウォードと訳したい気がします。(2017年12月24日~2018年1月1日)

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ところで、今年(昨年?)の紅白はウッチャンのコント満載で、私は大いに楽しみました。(2018年1月1~7日)

 お正月はのんびり過ごそうと決めたのに、結局毎日、ポケモンをゲットしに散歩ばかりし続けて、心身ともにへとへとになりました。ダメじゃん。(2018年1月7~9日)

 私は夫婦喧嘩というものをした事がないので興味もなかったのですが、実は我が国では、夫婦喧嘩をすると、逮捕され拘留されてしまう事があり、時によっては、それが全国にニュースとして報道されてしまうのです。ああ、怖い。何が怖いのかって、天下国家の事件と、たかが夫婦喧嘩が、同列扱いで報道してしまうマスコミの狂気が怖いです。誰の話をしているかと言えば、某三橋氏の件です。(2018年1月9~19日)

 小室哲哉氏が引退なんだそうです…が、なんか違和感があるなあ。“引退”って、表舞台にいた現役の人が、その仕事を辞める事で、大抵の場合は現役から裏方に回って、次の人たちを支えるポジションに移行することで、歌謡界で言うなら、人気アイドル歌手が引退して、作曲家になったり、プロデューサーになったりする事じゃない。で、小室氏は、顔出ししていたけれど、そもそもが作曲家&プロデューサーであって、裏方仕事の人でしょ? 裏方仕事の人の引退って…それはその業界から去ることを言うのだろうから、それは引退ではなく、廃業って言うんじゃないの?(2018年1月19~23日)

 記録的な大雪が関東地方に降りました。翌日は、物音一つしない静寂な朝を迎えました。いつもなら日の出の頃から、鳥たちのさえずりでうるさくなるのですが、雪と寒さのせいでしょうか、鳥の声が全く聞こえませんでした。なんか、不思議な感じです。(2018年1月23~25日)

 寒波到来とともに体調を崩しました(涙)。原因は…冷え…でしょうね。発熱こそありませんが、頭痛と吐き気に悩まされております。うう、北国には住めない体質なんだなあ。(2018年1月25~2月3日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村

2018年2月 3日 (土)

真ドジョウ、全滅!

 先日、水槽にやってきた真ドジョウ2匹のうち、1匹は10日ほどで星になり、残った子をカジャと命名しましたが、その子もその後10日ほどで星になってしまいました。

 なんてこったい!

 ドジョウはタフだと思っていましたが…今回の子たちは、どうやら違ったようです。

 水槽のお掃除役を、ラズとマッチの2匹だけに任せるのは、それは無理という事で、カジャが星になった日の午後、急遽、ドジョウを追加することにし、またも金魚専門店に行ってきました。

 あれから20日ほど経っていますから、もしかすると、緋ドジョウが入荷しているかも…なんて淡い期待をしていましたが、緋ドジョウは入荷していませんでした。その代わり、ホトケドジョウが数匹入荷していましたが、そのホトケドジョウの小さい事! ほとんどメダカと大きさが変わりません。これじゃあ、金魚たちが丸呑みしてしまう…というわけで、以前同様、エサ用ドジョウとして販売されている真ドジョウにウチに来てもらうことにしました。

 前回は2匹連れ帰って全滅したので、今度は倍の4匹連れ帰ることにしました。

 実は、4匹も10匹も値段は変わらないので、お店の人に「10匹じゃなくて、いいんですか?」と何度か確認されましたが、さすがに真ドジョウ10匹は…いらないよね。無駄に多く飼ってしまっても、ドジョウにも定数があるだろうからなあ…。

 エサ用の小動物コーナーに立ち寄ったので、ついでに、エサ用のメダカも100匹ほど購入しました。ヤヨイが喜ぶ様子が目に浮かびます。ついでに、金魚大好きガボンバも大量入手。こりゃあ、春から縁起がいいね。

 ちなみに、かわいい金魚はたくさんいましたので、一切、金魚水槽は見ないようにしました。だって、下手に眺めて、可愛い子と目があってしまったら、先日のルデンのように連れ帰りたくなるじゃないですか! 我が家の金魚定員をすでにオーバーしているのに、それをさらにオーバーさせるわけにはいかないので、ここは心を鬼にして、金魚は見ませんでした。

 ああ、なんか残念。

 そう言えば、タニシがだいぶ減り、水槽のガラス面の汚れも目立つようになってきたので、近いうちに、タニシを大量入手しないといけないかな…なんて、ぼんやり考えています。タニシは…通販で購入だろうなあ。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

2018年2月 2日 (金)

残念な事に、オーケストラの主役はヴァイオリンなんですよ

 フルートは、そもそもの横笛までさかのぼれば、かなり古くからある楽器ですし、実際、ルネサンス時代とかバロック時代とかの、いわゆる古楽と言われる音楽がブイブイ言わせていた時期は、かなり人気の楽器だったようだし、演奏人口もそれなりにいたようです。

 それだけ人気のあったフルートならば、その後に発生したオーケストラで主役の座を射止めても不思議なかったのに、現実のオーケストラはヴァイオリンを主役としたアンサンブルに発展し、フルートはオーケストラサウンドに彩りを加える管楽器の一角を担う程度の存在に落ち着きました。

 なんかなー、なんでかなー。オーケストラがフルートを中心としたアンサンブルになっても良かったのに、なぜなぜどーして、ヴァイオリンが中心のアンサンブルになっちゃったのかなー。

 だってね、フルートもヴァイオリンも、楽器としての基本的な音量はほぼ同じ。音域だって、ほぼ同じ。携帯性も同じような感じだし、別にフルートがヴァイオリンと入れ替わっても不思議ないじゃん…って思うわけです。

 でもまあ、その一方で、確かにヴァイオリンがフルートに優っている点もないわけじゃないからなあ…とも思うわけです。

 例えば、半音演奏や転調の容易さ。ヴァイオリンはどんな調でも容易に演奏できますし転調も簡単にできます。要は、左手の親指をネックに置く場所を変えれば、演奏するフレーズ全体の調を容易に移動できます。でもフルートは…演奏しながら管の長さを変更できるわけもなく、その結果、楽に演奏できる調と、苦手とする調があり、転調も必ずしも容易であるとは言えません。

 フルートにはブレスの影響があり、人の息の長さよりも長い音やフレーズの演奏は、原則的に無理です(ま、現代奏法である循環呼吸というテクニックはありますが…)。一方、ヴァイオリンは弓の長さ分しか音は出せませんが、上手に弓を返せば、無限に長い音やフレーズの演奏が可能です。これって、結構デカい違いかも。

 アンサンブルにおける、兄弟楽器というか、同属楽器にもフルートは恵まれていません。ヴァイオリンには、ビオラやチェロ、コントラバスといった兄弟たちがいて、彼らとつるめば、実に幅広い音域を支配する事ができます。でもフルートの兄弟楽器ってのは、ピッコロぐらいです。フルートとピッコロのコンビは、なかなか魅力的だけれど、あまりに高音に偏っていて、そんなに心安らぐ感じはしません。と言うのも、肝心の低音楽器がいないからです。

 もちろん、今でこそ、アルトフルート、バスフルート、コントラバスフルートという低音フルートが存在しますが、これらの楽器が誕生したのは、近代に入ってからの話であって、古典派からロマン派の時代には、これらの楽器は存在しなかったわけですから、フルートとピッコロだけで、オーケストラの主役を張るには…色々と厳しかったんだと思います。

 あと、たぶんだけれど、時代の好み…もあるかも。と言うのも、オーケストラが発展していった、古典派からロマン派の時代って、フルート音楽が徐々に衰退していった時代なんだよね。つまり、フルートという楽器は、古典派やロマン派の作曲家たちの好みとは、少し違っていた…という事です。あの頃、もてはやされた楽器は、ヴァイオリンとかピアノであって、フルートの人気は…その前の時代ほどじゃありませんでした。

 そう考えると、フルートがオーケストラの主役になれなかったのは、ある意味、仕方ない話なのかもしれないけれど、一人の笛吹きとしては、残念至極な感じがします。オーケストラがフルートアンサンブルを中心としたアンサンブルだったら…なんかワクワクしませんか?

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ フルートへ
にほんブログ村

2018年2月 1日 (木)

ドナウディは続くよ、まだしばらくは

 さてさて、声楽レッスンの続きです。

 次回から学ぶ「歌うだけ」の音源紹介をしていませんでしたので、まずはそこからです。

 歌っているのは、アルト歌手の小川明子氏です。

 その次に取り組む、ベッリーニの歌曲集の音源紹介は…また近づいたら、行いたいと思います。

 「小さな部屋で」の次は、終わりにしましょうと以前から言っていたにもかかわらず、まだまだ終わらない、ドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 前回歌い方を変えた部分はしっかり意識して修正してきましたが…それでもまだまだな仕上がりのようでした。特にダメなのは、Lento と指定されている箇所の歌い方なんだそうです。いくらLentoと指定されているからと言って、自分で扱いきれないほどテンポを落としてはいけないわけで、あくまでも自分がコントロールできる範囲でのLentoで歌わないといけないのです…が、私は自分がコントロールできるよりも、ついつい遅めのテンボで歌ってしまうって、歌に破綻が生じるようです。

 分かっちゃいるんだけれど、どうしてもゆっくり歌いたくなってしまうのです。

 先生がおっしゃるには、私には自分で歌えるためのテンポがきちんと把握できない…つまり、テンポ感がしっかりしていないのが原因だろう…との事なので、自分でしっかりとテンポを捕まえて歌わないいけないわけで、そこんところが要練習ってわけで、まだまだ終わりにはなりませんでした。

 あと、やはり歌いながら、息のルートが変わってしまっているそうで、そこもきちんとルートを変えずに、音色の統一を図らないといけないとも言われました。音程が跳躍しても、跳ぶ前と跳んだ後を同じ音色で歌うわけで…これが私には、ちょー難しいわけです。ああ…。

 コツとしては、終始高いポジションで歌を歌うのだそうです。つまり、高いポジションで低い音程を歌うのは(大変だけれど)出来ないわけじゃないけれど、低いポジションで高い音程を歌うのは、まだまだ無理だからです。ああ…。

 とにかく、まだまだドナウディで勉強しないといけないようです。

 「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」が終わっても、次に「Vaghissima sembianza/かぎりなく美しい絵姿」が控えているし、その後も(私的には)歌いたい歌があるので、もうしばらくはドナウディ漬けの日々が続きます。

 頑張ろっと。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。
にほんブログ村 クラシックブログ 声楽へ
にほんブログ村

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

フォト

↓参加しています

アマゾンでどうぞ

アマゾンで検索

トラックバックについて

  • 2011年12月1日以降の記事において、トラックバックの受付を止める事にしました。それ以前の記事に関しましては、トラックバックの受付自体は継続いたしますが、承認公開制にさせていただく事にしました。また今までトップページに表示していました「最近のトラックバック」という項目の表示も止めました。よろしくお願いいたします。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ

このブログは2007年8月14日から始めました

  • Copyright(C) 2007-2017 すとん