ひとこと

  •  中国共産党の理論誌『求是』で「中国こそが世界最大の民主国家だ」というタイトルの文章が掲載されているそうです。中国って民主国家だったんだ…。そう言えば北朝鮮も“朝鮮民主主義人民共和国”と名乗っている民主主義の国だったんだよなあ。うっかり忘れていました。たぶん、彼らの言う“民主国家”や“民主主義”って、我々が知っているモノとは違うんだろうね。でなきゃ、辻褄合わないし…ね。ちなみに我が国日本は、議院内閣制の立憲君主国であり天皇陛下を擁している事から、国の種類(?)としては『帝国』または『皇国』というべきなんだけど、そうは名乗っていないって事、知ってた?
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2017年11月の記事

2017年11月22日 (水)

メトのライブビューイングで「ノルマ」を見てきた

 表題の通り「ノルマ」を見てきました。配役等は以下の通りです。

指揮:カルロ・リッツィ
演出:デイヴィッド・マクヴィカー

ノルマ:ソンドラ・ラドヴァノフスキー(ソプラノ)
アダルジーザ:ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
ポリオーネ:ジョセフ・カレーヤ(テノール)

 このオペラは、いわゆる“プリマドンナオペラ”で、主役ソプラノを楽しみ愛でるオペラです。だから、主役ソプラノの歌唱はめっちゃめっちゃ難しくて、そんちょそこらのソプラノに歌える役ではありません。しかし、その分だけ華があるわけです。

 この「ノルマ」というオペラは、初演当時はともかく、19世紀後半~20世紀前半において、各地の歌劇場で上演されなくなくなり、戦後、事実上、忘れられたオペラになりました。上演されなくなった理由の一つとして「主役の歌唱が難しすぎて平凡な歌手では手に負えない」という理由は絶対にあると思います。そして、マリア・カラス以降に、ポツポツと上演されるようになったのは、腕に覚え(ノドに覚え?)のあるソプラノさんたちが、このオペラの難しさにチャレンジするようになったからでしょう。

 今回のラドヴァノフスキーも、そんなチャレンジ精神あふれるソプラノさんだったようです。実際、彼女の歌唱は良かったですよ。ほんと、最近のオペラ歌手は上手な人が増えました。すごいねえ。

 通常、プリマドンナオペラと呼ばれるオペラは、ムッチャ難しいのはソプラノだけで、他の役はソプラノを目立たせるためもあって、さほど難しくもなければ派手でもないのが普通なのですが、このオペラは、他の役もなかなかチャレンジのしがいのある難しい役なんです(だから、余計上演されなくなったんだと思います)。

 メゾのアダルジーザ役も難しいよね。今回、歌っているのはディドナートですから、そこは安心して見れますが、彼女に問題があるとすると、アダルジーザという役は、ノルマの弟子なので、若い…と言うか、ほんの小娘の設定なんですが、ディドナートだと、ちょっと貫禄があって、ノルマとアダルジーザが師弟関係ではなく、もうちょっと近い関係…例えば、上司と部下関係ぐらいにしか見えないのが、残念と言えば残念かな? かと言って、この演目は、今年のメトのオープニングアクトなわけで、ディドナートを見せる…という興行的な狙いもあるんだろうから、ここは外せないわけです。

 テノールのポリオーネを歌ったカレーヤも、実に見事でした…ってか、よく歌うよなあって感じです。ポリオーネという役は、テノールの中でも、かなり難しい役です。おまけに人間的にはクズだし、完全に脇役だし…多くのテノールが歌いたがらない理由は分かります。そこにあえて手を出したカレーヤには感服します。プロとして立派だと思います。

 というわけで、このオペラは、主要3人の見事な歌唱を楽しむオペラなんです。

 でもね、この作品が長い事、上演されなかった理由も、見ていて何となく分かりました。もちろん、主要3人の歌唱がめっちゃめっちゃ難しくて、歌い手を揃えるのが大変というのが、一番大きな理由だと思いますが、そればかりではないと思います。

 このオペラじゃ、客が集まらない…と思いました。音楽的には素晴らしい作品だと思うけれど、音楽的な価値と興行的な価値は違うわけで、興行的にはかなり難しいオペラだなって思いました。

 その主な理由は、ベッリーニの書いたメロディにあります。

 オペラ『ノルマ』のメロディは、実に美しくて耽美なメロディがたゆたうように流れていきます。でも、美しいばかりで、あまり激しくはないし、楽しくもないのです。むしろ、落ち着いているし、威厳すらあるのです。荘厳でもあります。

 美しい音楽が続くけれど、曲調に大きな変化はありません…申し訳ないけれど、このオペラを聞いて、そう思いました。どの曲もどの曲も不安げなのです。おまけに一曲一曲が長いんだな…。

 どんなに美しいものでも、続けば飽きます。ベッリーニの書いた音楽は、本当に、どの曲も美しくて素晴らしいのだけれど、そんな美しい音楽がずっと続くんです。ずっとずっと続くんです。ただただ美しいのです。美しさに感動はしますが、やがて飽きます。歌手たちが高難度のアリアを次々に歌い、最初こそは感心しますが、やがて慣れてしまいます。

 一度聞いたら満腹になっちゃうよなあ。それがこのオペラの特徴です。満腹になってしまうので、すぐに繰り返して聞きたいとは、ちょっと思いません。いい曲がたくさんあるので、つまみ食いのように、それだけを取り出して、コンサート等で歌ってくれるなら歓迎だけれど、一度見てしまうと、オペラとして、もう一度最初から見るのは、ハードル高いです。

 それにこのオペラ、終わった後に、歌いたくなるようなメロディが無いんです。つまり、キラーソングが無いんです。「Casta Diva/清らかな女神よ」が、このオペラを代表するアリアなんですが、このアリアを口ずさんでみたいと思う? 私は思わないよ。美しくて難しいアリアだけれど、やっぱり地味だもの。

 さらに言うと、オペラにありがちだけれど、ストーリーは凡庸で、単なる舞台装置の一つでしかなく、特に目を見張るものではありません。今回は演出のマクヴィガーが頑張りましたが、これを凡庸な演出で見たら、ストーリー的には退屈で仕方ないと思うよ。ここも、このオペラのマイナス要因です。

 正直、ノルマというオペラは、一度は見た方がいいと思うけれど、繰り返して見たいとまでは思わないし、人にも薦めないなあ。ただし、プリマドンナオペラだから、ソプラノ歌手が変われば、ガラッと変わるオペラでもあるから、ソプラノが変われば、また見てもいいかなって思います。でも、歌えるソプラノは限られているから、そんなにしょっちゅう上演もされないしね。

 そんな事を今回は考えました。

蛇足 それにしてもポリオーネってクズ野郎だね。私はテノールだから、どうしてもポリオーネを中心にオペラを見ちゃうんだけれど、正直、こんなクズ野郎、見ていて胸糞悪くなるばかりです。不快だよ。そりゃあ、多くのテノールが避けるわけだ。ただし、音楽は美しいので、コンサートなどで取り上げてくれれば、それはそれで良しですが、オペラとして見ちゃうと、ダメなところばかりが目立つので、パスしたいです。

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2017年11月21日 (火)

乾燥と戦う(声楽編)

 フルートでは、主にクチビルの乾燥に注目してみましたが、声楽では、クチビルはもちろん、ノドの乾燥というのも気になるところです。

 なにしろ、歌手という人種は、笛吹きさんたちと違って、歌う度に、大きくクチをガバっと開いて、素早く空気の出し入れをしながら歌っているわけなので、ノドもクチの中も乾燥しやすいし、何よりも楽器である声帯がノドにあって、ここの表面から潤いが失われると、あれこれ歌いづらくなるわけで、乾燥と戦うという視点で考えると、笛吹きさんたちよりも過酷な戦いを強いられがちとなります。

 乾燥から身を守るために、よく見かけるのがマスクです。学校の合唱部の生徒さんなんかは、常時マスク着用でノドやクチビルの乾燥を防いでいる人、よく見かけますね。実際、これがとりあえず、簡便で効果的なやり方なんだろうと思います。

 ただね、常時マスク着用というのは、客観的に見ると、異様だよね。

 本来、マスクというのは、唾液の飛沫を防ぐためにするわけで、そういう点では防湿目的に使うには十分な性能があるのですが、本来、医療現場等の衛生が求められる現場で使われるものであって、我々の日常生活の中で使うものではありません。ごく一般人が日常生活の中でマスクをするのは、日本ぐらいなんだそう(ほんと?)で、だから外国人が来日して、町中をマスクをした人々が歩いているのを見ると、恐ろしさを感じるんだそうです。何かヤバイ病気が流行っていたり、深刻な大気汚染が発生しているんじゃないかって思うと思わないとか?

 何しろ、あれだけ大気汚染がヤバイ中国ですから、マスクをしている人って、ごくごく少数の人たちなんだそうです。そこまででは無いにせよ、やはり深刻な大気汚染を抱えている韓国でも、マスクをしている人はごくごく少数。日本の空気は、それらの国と比べりゃあマシと言っちゃあマシなんだし、グローバル・スタンダード的には、マスクなんて不要な国なわけです。

 ヤバイ病気が流行る事って、めったに無いけれど、『風邪予防』や『インフルエンザ予防』のためにマスクをする人もいるけれど、風邪やらインフルエンザやらのウィルスは、マスクなんて素通りしちゃうから関係ないんだよね。つまり、気休めでしかないわけです。

 ただし、実際に風邪やインフルエンザに感染している人がマスクをするのは、効果がないわけじゃないようです。つまり、咳などをして、細菌入りの唾液の飛沫を周囲に拡散するのを防ぐ役割くらいは果たせます。だから、マスクは感染者がするのは理由があるけれど、健康な人が予防のためにしても、意味はないんです。

 もちろん、ウィルスの侵入をキャンセルできる高性能なマスクもあるけれど、それって手術室等で医者が身につけているような医療用で、見た目もかなり大げさなモノになってしまうし、第一、息苦しくて日常生活では使えないです。

 まあ、でも、日本って変態な国だから、涼しくなってくると、マスク着用者が街にあふれていたりするんだけれど…。それに、こんな事を書いている私だって、春先は花粉症のためにマスク着用者になってしまうので、あんまり偉そうな事は書けないんだけれど…さあ。

 マスクはきちんと着用すると花粉の侵入は防げます…が、かなり息苦しくなりますね。よく息苦しいからと言って、マスクから鼻を出したり、頬やアゴに隙間を作って着用する人もいますが、それだと花粉の侵入は千客万来状態になります。

 マスクを着用するというのは、本来、息苦しくなるって事を織り込んでおかないといけないんだな。

 閑話休題。確かにマスクは鼻ノドの乾燥予防には役立ちますが、単純に乾燥予防のためだけなら、マスクをしなくても、実は、しっかりクチを閉じておけば、問題ありません。乾燥でノドがよく乾く人は、実は常時クチが開きっぱなしで、クチ呼吸をしている人だったりします。

 呼吸って、鼻からでもクチからでも出来るんだよね。で、大抵の人は、無意識に両方を併用していたりします。だから、ノドも乾くし、風邪もひく。クチ呼吸を封印できれば、ノドも乾きにくくなるし、風邪もひきにくくなる。これ、ほんと。

 ただし、クチ呼吸を封印して、鼻呼吸だけで生活していくのは、かなり難しいし、現実的ではないし、歌うことを考えると、鼻呼吸よりもクチ呼吸の方が強力だから、クチ呼吸を完全に封印するのは、難しいんだよね。それに、喋るという行為自体がクチ呼吸の延長線上にあるわけだから、どうしても喋ってしまえば、ノドから息が出てしまって乾燥に導かれてしまうわけだしね。喋っていないと死んでしまうタイプの人は、ノドが乾燥するのは宿命のようなモノなのです。

 あと、鼻に疾患を持っている人はクチ呼吸はできませんし、風邪ひいて鼻水垂らしている人もクチ呼吸はできません。

 ほんと、鼻呼吸をするための条件って、厳しいのだけれど、そうであっても、なるべく鼻呼吸で暮らすように心がけていくだけでも、乾燥の程度を押さえることできると思います。日常生活では、おしゃべりや運動をなるべく控えて、できるだけ乾燥を防ぐように心がけるだけでも、だいぶ違います。

 あとはやっぱり、部屋の加湿を心がけることかな? 寝室には加湿器は必要だし、私などは歌の練習をする部屋(書斎)にも簡易な加湿装置を用意して、部屋が乾燥しないように気をつけています。

蛇足 部屋で金魚を飼うと、部屋が乾燥しなくて都合がいいよ(笑)。

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2017年11月20日 (月)

乾燥と戦う(フルート編)

 寒くなってきましたね。寒くなってくると、湿度が高くなりづらく、どうしても空気は乾燥しがちです。空気が乾燥すると、我々のカラダの表面から水分が抜けやすくなります。つまり“お肌が乾燥する”ってヤツです。まあ、単にお肌が乾燥するだけなら、別にそんなに大きな問題ではありませんが、我々笛吹きにとって大問題となるのは、クチビルが乾いてガサガサになる事です。

 クチビルが乾いてガサガサになると、なんかフルートが吹きづらくなります。フルートの音も、ちょっとガサつくような気がします。ガサガサも程度がひどくなると、やがてクチビルが切れてしまいます。クチビルが切れると…痛いですよね。まあ、クチビルが切れても痛いだけで演奏には支障はないそうです。H先生は以前、演奏中にうっかりクチビルが切れてしまい、クチから血をダラダラ流しながら、流血状態で演奏をしたと言ってました(あんまり想像したくないですね)。

 私などはハートが弱いので、クチビルが切れたらフルートを吹くのを止めてしまうだろうし、回復するまでは演奏しないと思います。はい、チキン野郎なんです。

 なので、冬の間は、なるべくクチビルを切らないように気をつけています。

 うっかりやりがちなのは「クチビルを舐めてしまう」ことです。これ、その場の一瞬なら問題ないのですが、本当に乾燥している時に、うっかりクチビルを舐めてしまうと、すぐにクチビルが乾燥してしまい、むしろ舐める前よりもひどい状態になりかねません。それを防ぐには、乾く前に再度舐めるわけですが、そんなにクチビルばかり舐めているわけにはいきませんから、早晩、クチビルが乾き切り、やがて切れてしまうわけです。

 痛いです。

 そこで簡単な防御策が、リップクリームです。リップクリーム自体は、ドラッグストアでもコンビニでも百均でも変えるので便利です。ポケットに入れておくのは当然として、私が常駐するような場所には常に備えておきますし、外出用のカバンの中にも入れておきます。ですから、私は常時10本以上のリップクリームを用意しまくっているわけです。

 リップクリームの主成分はワセリンです。ワセリンは石油から精製して作られる鉱物油の一種で、ゆっくりと経皮吸収されます。硬めの油ですから、クチビルに塗ると、クチビルの表面に皮膜を作り、その皮膜がクチビルを乾燥から守り、クチビルの表面を滑らかにするわけです。

 ただ、硬めで吸収される速度も遅いため、どうしてもべたつくわけで、それが気になる人には気になるでしょうね。リップクリームを塗ってフルートを吹けば、当然、フルートにもリップクリームは付きます。ただ、銀にワセリンを塗ったからと言って、何か銀に悪影響があるのかと言えば、ないわけですから、そんなに気にすることもないのかもしれません。

 ただ、ワセリンは鉱物油ですから、アレルギー体質の人だとアレルギーが出てしまう事がないわけではありません。まあ、それほど過敏なアレルギー体質の人は、金属アレルギーも持っているだろうから、ワセリンを塗る以前に、フルートに触ること自体が厳しいかもしれません(ニッケルは結構アレルギーが出ますし、金銀だってアレルギー皆無って訳にはいきません)が…。

 ひとまず私は、リップクリームで毎年乗り切っています。ま、一時しのぎなんですが…。

 根本的な解決を図るなら、例え乾燥しきった冬季であっても、常にクチビルプルンプルンが理想ですが、これはなかなか難しいですね。油とタンパク質をたっぷり取る食生活をすれば可能かもしれませんが、それはなかなか難しいです。

 スキンケアという観点から見れば、馬油を塗るという方法があります。馬油は、読んで字のごとく“馬の油”であって、馬の皮下脂肪から作った動物性油脂であります。ちゃんと精製されて作られた馬油は、馬臭くもなく使いやすいです。同じ哺乳類の油ですから、経皮吸収の速度は速く、塗ればすぐに染み込んでしまいます。なので、ワセリンのように、皮膚の表面に皮膜を作る効果はあまり期待できません。だいたい、経皮吸収以前に油が柔らかいので、皮膜を作るには適さない油です。とにかく、塗ればすぐに吸収されて無くなってしまいます。でも、無くなったら塗って、無くなったら塗ってを繰り返せば、やがてクチビルが油でプルンプルンになる…はずです(試したことは無いので断言できませんが、たぶんそうなります)。スキンケアという観点から考えると、こちらの方が正しいやり方のような気がします。

 問題は、馬油はリップクリームやワセリンと違って高価な事…かな。あと、入手もそんなに簡単じゃないです。少なくとも百均やコンビニじゃ売ってません。ドラッグストアでも在庫がある店と無い店に分かれるでしょうね。

 馬油を確実に入手するなら、ネット通販が一番確実かもしれません。

 

 まあ、乾燥を免れる一番良い方法は、十分に潤っている部屋から一歩も出ない事ですが…そりゃあなかなか無理だよなあ(笑)。

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2017年11月19日 (日)

百貨店の生き残る道はどこにあるのか?

 時代が変われば、世の中が変わっていきます。商売のやり方も変わり、流行る店潰れる業界が出てきます。

 昨今で言えば、ネット通販がドンドン拡大していきます。便利で安いですからね。そのため、宅配業者が繁盛しすぎてアップアップになっています。また、ネット通販が普及したため、町の本屋とレコード屋が軒並み潰れました。まあ、本屋に関して言えば、ネット通販だけでなく、コンビニの雑誌販売にも大きく食われてしまったんだろうと思います。コンビニと言えば、一時期、猛烈な勢いで町の酒屋がコンビニに変わっていき、酒屋が壊滅してしまいました。またパソコン&プリンターの普及によって、町の印刷屋さんも潰れちゃいました。名刺と年賀状印刷、あるいは近所の商店のチラシ印刷など、もはや町の印刷屋の出番じゃないですからね。で、そのパソコン&プリンターも普及し尽くしてしまったようで、以前ほどは売れるわけではないそうです。スマホの普及でカメラ業界もガタガタだと聞くし…20世紀の人間にとっては、慣れ親しんだ社会が音をたてて崩れていくのを見るのは、隔世の感があるわけです。ああ、年寄りになったんだなあって肌身で感じるわけです。

 で、そんな時代の流れに飲み込まれ、現在のところ、だいぶヤバイのが百貨店業界なんだそうです。

 百貨店と言うと、何でも売っているというイメージがありますが、そもそもは呉服屋さんだった店が多く、今でも百貨店の主力商品は服なんですが、人々は服を百貨店で買わなくなって久しくなったわけです。

 だって、百貨店で取り扱っている服って高いもの。普段着は買えないよね。普段着なら、大型スーパー(ダイエーとかイトーヨーカードとかイオンとか…)やユニクロなどの普段着を取り扱うアパレル系の店で購入するなり、スーツでも子ども服でも婦人服でも、安売りの専門店もあるわけで、それらの店に行けば十分なわけです。

 どうかすると、よそ行きとか言われる、いわゆる晴れ着だって、そういう店で購入できたりするわけで、なかなかデパートで服を買うなんて、庶民の選択肢から無くなって久しい気がします。

 言われてみると、近隣にある地元密着型の百貨店は、だいぶ消えました。かつて百貨店だったビルは、今や単なる貸しビルとなり、大型電気店が入ったり、今時のお店がテナントとして入店しています。また、一度更地になって、百貨店が出来る前の地元のお店らが復活しているところもあります。今も百貨店として残っているのは、大手の全国展開している百貨店の支店ばかりですが、これらの支店とて、決して楽ってわけではないようです。

 だろうねえ…。

 百貨店が今の人に受けない理由にはいくつかあります。一つは「なんでも売っている」こと。また「良いものがそれなりの値段で売っている」こと。さらには「店舗が広い」こと。私が思うだけでも、3つの理由は簡単に思い浮かびます。

 「なんでも売っている」事は、かつては大きなアドヴァンテージだったと思います。デパートに行って買い物すれば、なんでも揃う…事に魅力を感じていた時代もあったと思いますが、今の人の感覚は、それとは違うんだと思います。今や百貨店は「なんでも売っている」のではなく「たくさんの商品はあるけれど、本当に欲しいものがない」状態になっていると思います。

 “広くて浅い”ではなく“狭くて深い”のが受けるのが現代なのです。これは商店で言えば、百貨店のように「なんでも売っている」店よりも、取扱商品の幅は狭くても、色々とニッチな商品まで揃えている専門店の方を、現代人は好むわけです。

 また百貨店にはバイヤーと呼ばれる、凄腕の目利きの方々が良い品物を選んで取り揃えているわけですが、そのために百貨店の棚に並んでいるものは、品質が良い代わりに、たいてい安くないです。

「良いモノが高いのは当たり前じゃないか」

 そりゃあそうですが、我々の日常生活の中で、良いモノって、そんなに必要ないです。我々に必要なのは、生活に間に合うモノであって、必ずしも良いモノではないのです。だって良いモノって、オーバースペックだったりします。そのオーバーな部分にまでお金を払えるかどうかってところが問題なんだと思います。昭和の時代って、人々は夢を持っていましたから、そういう夢の部分も含めて、お金を支払えたと思うのだけれど、現在の人は冷めていて現実的だから、夢にはお金をかけないんだよね。みんな、身の丈を知っているんだよ。だから、オーバースペックなモノって、贅沢すぎて、受けが悪いんです。

 百貨店って、たいてい店舗が大きいです。店の中を歩いているだけで疲れちゃます。買い物に行って疲れちゃたんでは本末転倒です。昭和の時代は、百貨店に買い物に行くこと自体が一大イベントだから、疲れたってよかったのだろうけれど、現代の客にとって、店なんて、必要な買い物ができれば十分なわけで、めちゃくちゃ広い必要はありません。むしろ、広い店だと、目当てのモノを見つけるまでにヘトヘトになります。だいたい、ネット通販で出掛けなくても買い物ができる時代に、広い店内を歩き回った日には、二度と行きたくなくなるわけです。

 そういうふうに考えていくと、百貨店というシステムは、昭和の時代のシステムであって、今の時代には色々と合っていないわけで、そりゃあ商売が傾いても仕方ないのかもしれません。

 でも、百貨店業界にも人が働いているわけで、そう簡単に業界が無くなってしまっても困るわけです。なんとか、生き残らないといけません。デジカメの普及でフィルムがダメになった時に、フィルムメーカーが化粧品や製薬の分野に乗り出したように、百貨店業界も別の業種に転向する必要があるのかもしれません。

 まあ、私ごときが思いつくような事は、関係者の方々には、すでに経営コンサルタントの方々からさんざん提案されているだろうけれど、まあ、素人が好き勝手な事を書き散らしていると思って、目こぼししていただくことにします。

 百貨店の強みというのは、駅そばの一等地に土地を持っている事…でしょ? じゃあ、その土地に百貨店以外のモノを建てて商売すればいいのよ。で、私が思うに、店舗付きマンションがいいんじゃないの? 駅のすぐそばのマンションって、絶対需要があると思うわけです。ビル全部を店舗にしたりとか、あるいはオフィスビルにするというのもありだけれど、それってどうしても景気に左右されるわけで、商売としては不安がないわけではなりません。そこへ行くと、住宅ってのは、家賃収入としては大した金額ではないかもしれないけれど、駅そばの一等地であれば、恒久的に需要はありつづけると思うわけです。それに低層階を店舗にして貸ビル業をやって、家賃をごっそりいただけば、それはそれで美味しいでしょ? そんな感じでマンション経営をしてみるってのは、いかが! つまり、百貨店から不動産業への転向なんだけれど、決して悪い話じゃないと思うんだよね。立地条件が良いのだから、マンションだって高級タワーマンションにしちゃえばいいわけだしね。そうすれば、その土地土地の金持ち有志たちが入居すると思うんだけれど…いかがかしら?

 あと、駅前と言うと、地方都市だとパチンコ屋がブイブイ言わせてます。でも、デパートがあるような大都市の駅前には、案外パチンコ屋がなかったりします。だからと言って、百貨店がパチンコ屋をやるわけには、さすがにいきませんよね(笑)。でも、カジノならどうなんでしょ? 会員制の高級カジノを大都市の駅前でドドーンとやってみる。もちろん、法改正は必要でしょうが、そんなものは業界から圧力かけて何とかしちゃえば良いんじゃないの? 駅前カジノ…悪くないと思うよ。貧乏人はパチンコ、金持ちは会員制高級駅前カジノって棲み分けなんていいんじゃないかと思います。

 カジノに抵抗があるなら…ブックメーカーも悪くないんじゃないの? とにかく、年寄りの金持ち相手の博打は、これからの成長産業だと私は思うんだよね。そこに手を出さないなんて、ありえないんじゃないかな…なんて私は思うわけです。

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2017年11月18日 (土)

たぶん、止まると死んじゃうんだろうなあ…

 緋ドジョウのヨッチャンの話です。

 以前から、ボロボロでよく仮死状態になっているという話を書いていましたが、最近のヨッチャンは、あまり仮死状態にならず、パッと見、いつも元気ハツラツで活発に泳いでいます。

 でもよく見ると…大丈夫かな?と心配になります。

 確かに仮死状態にならず、いつも泳いでいます。その泳ぎ方だって、どこか異常性を感じさせるような危機的な泳ぎではなく、あくまでも通常の落ち着いた泳ぎ方なのですが、問題は、その合間合間に見せるヨッチャンの姿です。

 いつもいつも泳いでいるとは言え、全くの休憩無しで泳いでいるわけではなく、少し泳いでは少し休憩を入れ、また少し泳いでは少し休憩を入れるって感じです。その休憩を入れている時…たぶん気が抜けているんだと思うのだけれど…休憩に入った途端に、ヨッチャンの動きが、なんかフワっとして、お腹を上にして浮かんでいきそうになるのです。

 完全にお腹が上になる前に、気合が入り、また普通に泳ぎだすので、ボケッと見ているとヨッチャンのヤバさに気づきません。

 たぶん、ヨッチャンは元気になって泳いでいるのではなく、泳いでいないと、転覆してしまうんじゃないかな? ドジョウが転覆してしまうと言うのは、今まで私は見たことないのですが、金魚が転覆病の症状を見せる直前に、ヨッチャンと似たような行動を取るんです。

 ただ違いは、金魚の場合は、せいぜい続いても丸1日が限界で、すぐに転覆状態で安定してしまうのですが、ヨッチャンは、なんだかんだ言って、もう4~5日も、こんな状態なのです。

 ヨッチャン的には「止まるとヤバイ! 止まると死んじゃう!」って感じで、追い立てられるように泳いでいるんだと思います。

 やっぱり、ドジョウってタフなのかもしれない。

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2017年11月17日 (金)

ホットワインを飲んでみたい

 フルートのレッスンに行ってきました。ちょうど姉様と入れ替わりでしたので、ロングトーン練習は先生と二人でしました。

 最近の私は、フルートを組み立てる際、ついつい頭部管を浅めに刺してしまうみたいで、いつも音が低すぎると注意を受けます。まあ、なんとなくなんだけれど、音は低めの方が好きみたいなんだよね、私。困った事です。

 二人でロングトーンなので、先生の音に合わせればいいだけなので、バッチグーで楽でした。これが姉様も加わると三人になるので、どちらに合わせるべきか悩んだりします。

 さて、エルステユーブンゲンは22番です。自宅練習も重ねましたが、暗譜演奏するには、まだ少し自信がなかったので、今回は暗譜でなく、がっつり譜面を見て演奏しました。次回までには、ちゃんと暗譜してこようっと。23番は、まだまだ初見に近い感じで、次に吹くべき音をソワソワしながら吹いてます。

 プチエチュードは19番だったんだけれど、いやあ、実にひどかった。練習してもしても、全然吹ける気がしなくて、実際、まだまだ音取り段階の状態で、そんなひどい状態でレッスンを受けちゃいました。自分史上、一番未完成な状態でのレッスンです。とにかく、ゆっくりゆっくり、一音一音確認しながらの演奏(ってか、単に音を置いているだけ?)だったので、えらく時間がかかってしまいました。まだまだ曲の形になってません。この曲は、仕上がるまで時間がかかりそうです。

 40リトルピーセズは5番からです。ひとまずヘンデルのメヌエットは合格をいただきましたが、別にちゃんと吹けたわけではなく、あっちこっちダメダメなんだけれど、終わりにしてもらいました。なんかね…。次の6番はシューマンなのでうまく吹ける…と思いきや、細かいところで指が絡まってしまい不合格になりました。次回、もう一回って感じです。次回は6番のシューマンのメヌエットに加え、7番のバッハのメヌエットです。

 本日の雑談は…ドイツの家庭料理は、ちょっとアレだけれど、レストランで食べる食事は安くて美味しいって話です。ちなみに、ドイツの家庭料理は、日本人が考える“料理”以前の料理で、いわゆる乾き物ばかりを食べるんだそうです。固くて黒いドイツパンにジャム塗って、おかずはチーズオンリーで、それに薄いビールで夕食を毎日します…って感じなんだそうです。とにかく、家庭料理には手間というものは掛けないんだそうです。

 その代わり、レストランの食事は安くて美味しいんだそうです。で、先生からあれこれ美味しいドイツ料理を教えてもらったけれど…全部、忘れた(笑)。いやあ、別にメモを取りながら雑談していたわけじゃないし、私の頭だとドイツ語は全然ひっかからなくてね。話を聞いているそばから、ポロポロ名詞が抜けていくのが実感できました。いやあ、ドイツ語出来ないって、単に話せないだけじゃなくて、記憶も出来ないって事だな。

 書けるほど覚えているのは、ドイツのホットワイン(これは英語の単語だから脳に残ったんだよ)の美味しさについて。ホットワインってのは、別にワインのお湯割りでもなけれど、ワインの熱澗でもなくて、ワインに様々な香辛料を加えて、それを温めて作った、ワインとは、かなり異なる飲料なんだそうです。その味付けもレストランごとに個性があって楽しいのだそうです。

 先生はホットワインが大好きで、ドイツではよく飲んだそうですが、日本だと、まずホットワインがないし、たまにレストランのメニューにあっても、ただのワインのお湯割りだったりするので、がっかりするんだそうです。

 …という感じで、本場ドイツのレストランで食べる料理と、日本にあるドイツ料理店で食べる料理の違いについて、あれこれ教えてもらいましたが、私なりの結論を書きますと…美味しい料理は現地に行かなきゃ食べられない。これは万国に通じる真理である…って事です。食べ物は、風土や気候と密接につながっているわけで、そこが異なれば、おのずと美味しさも数段下がってしまうわけです。

 本場が一番…ってのは、何もドイツ料理に限った話じゃないしね。

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2017年11月16日 (木)

じゃあ、フルート奏者ってどんな人間なの?

 これ、色々と考えてみました…が、実は類型化するのが、案外難しいかなって思いました。少なくとも『歌手=自己顕示欲の塊』というほど、類型化できそうもないなあって思いました。

 と言うのも、フルート奏者って、我が国の場合、圧倒的多数を占めているのが、中学校や高校あたりの吹奏楽部でフルート吹いている人たちで、この人たちって、自分でフルートを選択して吹いている子もいるだろうけれど、案外、先生とか先輩とかに指名されてフルートを吹いているような子も大勢いるわけで、それを考えると、フルート奏者に色々な性格の人がいても不思議じゃないわけです。

 なので、オトナになってからフルートを始めた、趣味のフルート奏者さんたちに話を絞って考えてみました。

 まず、大人になってからフルートを始めた人には、2パターンあると思います。一つは“リベンジ組”、もう一つは“なんとなく組”です。

 リベンジ組は、そもそも吹奏楽経験者で、本当はフルートを吹きたかったのに、フルート以外の楽器を担当する事になって、フルート愛をこじらせてしまったタイプの人です。こういう人って…情が深いんですよね。半ばあきらめ、半ば忘れてしまっていた、若い頃のフルートへの愛が、ひょんな事から燃え上がり、どうにもなくなってフルートを手にしてしまうわけで、そのタフな精神エネルギーに私は敬服いたします。

 もうひとつの、なんとなく組は…自分ではなんとなく始めたような気がしてますが、実はその大半が、フルートの“ピカピカ”に心を奪われた人たちです。

 楽器って、実はその大半が木製なんですよね。ヴァイオリンしかり、ギターしかり、フルート以外の管楽器しかり、まあ現代的な電子楽器だと、金属とか合成樹脂とかの楽器もありますが、それらもだいたい黒系に塗装されていて地味なのが普通です。フルート同様、光り物系の楽器だと、金管楽器がそうだけれど、金管楽器は、その名の通り、やっぱり金色です。そこへ行くと鏡のように光り輝くフルートは、そのピカピカ度においては、楽器界ピカイチなわけで(最近はシルバーメッキのトランペットがありますが、そこはちょっと横に置いて)あれこれ楽器はあるけれど、何と言っても、一番ピカピカなのは…フルートなんです。このフルートのピカピカに心を奪われて…で、なんとなく始めちゃったわけです。

 実は私だって、冷静に考えてみると…そうではないとは言い切れません。店頭に並んでいたピカピカのフルートに心を惑わされて、衝動買いしちゃって、それが今日まで続いているわけなんです。ああ、ピカピカに心奪われた事を否定できない…残念だ(涙)。

 そういうわけで、フルート奏者の一つのパターンとして『光り物好き』ってあります。

 ただ、単に光り物好きと言えば、フルートほどピカピカではないにせよ、金管楽器のゴールドの輝きだって捨てがたいです。でも、そこに行かずにフルートに行ったというのは、金管楽器のギラギラっとした押しの強い音が苦手なんだと思います。

 フルートの音って、なんかモヤっとしてませんか? そのモヤっとしている部分が、優しさとか癒やしとかのイメージにつながっているんだと思いますが、やっぱりフルートって、なんかモヤってしていると思います。類は友を呼ぶじゃないですが、フルート奏者さんって、なんかはっきりしない“モヤッ”とした雰囲気を持っている人が…私の観察では多いと思うし、そこがオトナから始めた人の特徴かなって思います。

 そこへ行くと、学生時代に吹奏楽部でもまれた人たちは、たとえフルート奏者と言えども、全然モヤっとしてません。むしろ、尖っている感じすらします。まあ、吹奏楽部って、人間関係にせよ、練習時間とか、とにかくあれこれあれこれがハードだからね、ブラックだからね、そこで生き残るくらいだから、よほど人間が強くないとやっていけないわけです。

 というわけで、私の独断ですが、オトナになってフルート始めた人は、なんともふんわりとしてモヤっとした癒し系の人で、情が深くて、光り物好きって感じかな? 一方、子供の頃からフルートやっている人には色々な性格の人がいるけれど、共通しているのは、タフであるって事でしょう。女社会である吹奏楽部をやりきったんだから、そりゃあタフだよね。うん、タフだタフだ。

 と、このように全く異なるタイプの人間がフルートという楽器をたしなんでいるわけで、そりゃあ簡単に類型化なんて出来ないよね。

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2017年11月15日 (水)

自己顕示欲の強い人間しか歌わない(?)

 よく楽器と性格の関係性って話題になります。例えば、ヴァイオリンは天才肌の努力家で常識人であり、トランペットは勇ましく、派手だけれど案外おとなしいという複雑な性格の持ち主が多いとか…まあ、見る人が見れば、また結果はおのずと変わるんでしょうが…。

 その点で行くと、歌う人、つまり歌手の性格と言うのは、押しが強く、自己顕示欲の塊である…と言えそうです。この場合の歌手と言うのは、クラシック声楽やオペラの歌手であり、ポピュラー音楽ならばヴォーカル担当の人間を指します。合唱とかバックコーラスを主に担当するような人は、ちょっと気質が違うような気がします。

 つまり、今回の記事は、ソロシンガーの気質について考えてみようって記事です。

 いや、実際、歌が好きなだけの人なら、カラオケで歌っていればいいんです。何も人前に出て、大声出さなくてもいいんです。他人に聞いてもらいたい…という気持ちがあっても、普通は合唱止まりです。なにもソロで歌わなくてもいいですし、スポットライトを独り占めにして歌う必要なんて全然無いのです。

 だいたい、バンドなんかも、成功したバンドが解散すると、彼らは第二の人生として…楽器の連中は裏方仕事で音楽を黙々と続ける人が多いけれど、ヴォーカル担当の人は、さんざんフロントマンをやって顔が売れていた事もあって、ソロシンガーとして独立した後、結局、歌の仕事ではなく、大体がタレントか俳優に転職して落ち着くでしょ?

 生活のためとは言え、あんたは、音楽やりたいの? それとも目立ちたいの? って尋ねたくなります。

 そもそも歌なんて、イヤなら歌わなきゃいいわけで、それでも人前で歌っているのは、むしろ人前で歌うのが好きなわけで、スポットライトを浴びたいわけで、目立つことが好きなんです。チヤホヤされたい…んです。

 本人には自覚があるかどうから別として、歌手なんて人種は、歌が好きで歌が得意なのはもちろんとして、目立ちたがり屋の自己顕示欲の強い人間なんです。

 違う?

 特に高音歌手はそうですね。高音で歌うと音的に目立ちますからね。

 クラシック系で言えば、ソプラノやテノールには…目立ちたがり屋が多いですね。ポピュラー系もロックシンガーは高音歌手が多いせいか、やっぱり目立ちたがり屋が多いです。

 歌手は目立つのが好き、というよりも、目立つのが好きだから歌手を選択する…とも言えます。

 かく言う私も、きっと、自己顕示欲の塊ですね。少なくとも、ブログを10年やり続けられるわけだもん、そりゃあ、目立ちたがり屋だよな(汗)。

 明日はフルート奏者の気質について考えます。

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2017年11月14日 (火)

すべての音楽は騒音である

 音楽を学んでいると、騒音問題とは縁が切れません。特に私は、昭和の時代に起こった、『ピアノ騒音殺人事件』の地域に住んでいるので、騒音問題は決して他人事ではありません。

 なにしろ、アップライトピアノの音がうるさくて我慢ならずに殺しちゃうわけだからね。ピアノ程度の音で殺人事件が起こるわけです。ピアノよりも大きな音の楽器は、ほんと、気をつけないと危ないです。金管楽器はほぼアウトでしょう。実は声楽も、正しい発声で歌うと金管並の音量になりますから、これもアウトです。

 人間が「うるさい!」と感じる要素は、もちろん音量は大切な要素ですが、なにも音量だけに限ったわけではありません。音量がそこそこでも、不快に感じる音は、やっぱり騒音です。特に甲高い音は一般的に不快です。(下手くそな)ヴァイオリンの音が不快に感じられるのは、音が高いからであって、フルートも音量そのものは可愛いものですが、音が高いので、結構、癇に障るわけです。

 打楽器は、音量に関わらず、耳についた段階でまずアウトです。打撃音というのは、人の神経を逆なでするモノですからね。

 問題は楽器の音だけではありません。音楽の再生装置の音量も問題になります。いわゆるステレオの音が大きいのは、やはり騒音扱いになります。今や音楽の再生装置はステレオだけでなく、パソコンやテレビなども問題になります。最近のパソコンやテレビは、かつてのオーディオ機器にも劣らぬほどの高音質で鳴りますからね。低音も高音もよく響きます。

 私のパソコンの場合、付属のスピーカーではなく、音楽再生用のスピーカーを接続しているので、パソコンでもなかなか良い音で音楽が楽しめますが、そのために騒音度はかなり高いようです。特にウーハーを一緒に鳴らすと、一発でアウトのようです。

 家の中だけでなく、外出先でも、最近はスマホ+ヘッドフォンで音楽を聞く人が増えましたが、これもヘッドフォンから漏れ聞こえる音が結構問題になります。音量的には大したものではないのですが、一度耳につくと、なかなか離れないもので、気になると言ったら、気になるものです。人によっては殺意を覚えるほどだそうです(怖いですね)。

 道を歩いていても、カーステレオの音量をガンガンにして走っている車などが、信号待ちなんかをしていると、たまったもんではありません。私の友人で、走っている車の中で発声練習をしたり歌の練習をしたりしている人がいます(器用ですね)が、その人なんかも、信号待ちの時は、周囲に多大な迷惑をかけているんじゃないかと心配します。

 騒音に関しては趣味の問題も関係します。ランパルの神ががった演奏であっても、アンチクラシックの人(世界中の人々の大半がそうですね:汗)には、耳障りの騒音にしか感じられません。逆も真なりで、例えば、ロックの名曲「紫の炎」だって、クラオタが聞けば、ただの騒音だからね。いい曲なんだけれどね…「紫の炎」って。

 ちなみに「紫の炎」って曲はこんな曲です。ボリュームをアゲアゲで聞くのが、正しい楽しみ方ですよん(笑)。

 結局、どんな音楽であれ、音楽という音楽はすべて、聞く人によって音楽であったり、騒音であったりするわけで、興味のない人間にとっては、どんなに素晴らしい音楽であっても騒音でしかない…ってわけです。それゆえに我々音楽学習者は、自分たちが出す音に細心の注意を払っていかないといけないわけです。だって、ご近所から「うるさい!」ってクレームつけられたら、音楽を趣味には出来ませんからね。

 我が家の場合、家を建てる段階で、防音の事を考えて作っていますので、多少の音は問題にはなりませんが、それでも練習する時間を決めて、深夜(笑)は音を出さないようにしています。フルートやヴァイオリンはともかく、声楽は本当に大音量になりがちですからね、気をつけないと。

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2017年11月13日 (月)

高価なフルートは何のためにあるのか?

 学生や子どもは自分では楽器を買いません。親なり学校なりが与えた楽器をただひたすら吹くだけです。ですから、大抵の場合、高価なフルートとは無縁です。

 オトナの初学者の場合、最初こそは廉価なスチューデントモデルの楽器を吹いていますが、そこから始めて、フルートにはまり、ドンドン楽器を買い替えていく人もいます。また、複数の楽器を所持する人もいます。なにしろ、オトナには財力がありますからね。大人買いだってしちゃいます。

 本来、高価なフルートは、プロ奏者のためにあります。つまり、これらの楽器は、プロ仕様の楽器ってわけです。

 だからと言って、アマチュアが入手してはいけない理由はないし、アマチュアが購入してくれなければ、高価なフルートはさらに高価にならざるをえなくなるでしょうから、アマチュア奏者が高価なフルートを入手する事は、購入者本人のためのみならず、多くのプロ奏者の助けにもなるし、フルートメーカーにとっても良い事なので、決して間違いではありません。

 しかし…「なんか、低音が鳴ったり鳴らなかったりするので、フルートを買い替えてみるか」とか「高音ミが出ないから、フルート買い替えてみるか」とかの理由で高価なフルートに買い換えても、たぶん満足いかないと思います。

 と言うのも、低音が鳴ったり鳴らなかったりするのも、高音ミが出ないのも、楽器のせいではなく、奏者の力量不足が原因だからです。だから、楽器の買い替えでなく、練習時間倍増が幸せになる道だったりします。

 あ、もっとも、高音ミに関しては、Eメカの無い楽器を使っている人がEメカ搭載楽器に変えれば、多少の効果は認められます…が、高音EはEメカ無くても出せるようになりますから、それだけの理由で楽器の買い替えは、ちょっとばかりコストパフォーマンスがよろしくないかもしれません。

 「先生が買い替えを薦めたから…」と言うのなら、買い換える理由が(たぶん)あるんだと思うし、買い換えることで幸せになれるかもしれません。ただし、楽器店に雇われている先生の場合は、その楽器店の方針で(本当は必要ないのに)楽器の買い替えを薦められるかもしれません。まあ、その時は、先生への恩義もあるでしょうから、自分のお財布と相談して決めてください。

 高価な楽器に買い換えることで得られるもの…それは音量です。フルートの場合は、必ずしも物理的な音量とは限らないかもしれません。ただ一般的に高価な楽器ほど“遠鳴り”するものと考えても大きく間違っていません。

 高価になれば、フルートの材質が変わったり、管厚が変わったりしますが、これらもすべて音量を増大する方向に作用します。

 遠鳴りがする楽器って大切だよね。特にプロの場合は、大きな会場で演奏する機会もあるでしょうから、ぜひ必要なんだと思います。

 「高価なフルートは良い音色がするのでは?」

 フルートの音色は、確かに楽器によって多少の違いはあるし、高価な楽器の方が一般的には良い音がしますが、フルートの場合、その音色は楽器が左右する要素よりも、奏者による違いの方が、影響大きそうです。つまり、音色に不満があるならば、楽器を買い換えるよりも、音色作りに励んだ方が効果大なのです。

 「高価なフルートの方が操作性が良いのでは?」

 これは調整の問題の方が大きいと思います。思いっきり廉価な楽器はともかくとして、スチューデントモデル以上ならば、フルートの値段よりも、どれだけきちんと調整されているかの方が、操作性に大きな影響を与えると思います。最近、フルートが吹きづらくなったなあ…と思ったら、フルートを買い換える前に、今のフルートを調整に出すのが良いですよ。第一、高価なフルートは重量級の楽器であることも多いので、操作性だけを考えたら、楽器は軽い方が絶対に操作性は良いって(笑)。

 「金ピカのフルートの方がカッコイイじゃん!」

 これは否定しません。実際、プラチナの楽器(メッキじゃないよ)と金メッキの楽器、お値段的には、プラチナの楽器の方が比較にならないくらいに高価ですが、ぱっと見は、金メッキの楽器の方がお高く見えます。ですから、高価そうに見える…という理由で楽器を買い換えることは…アリですね。だいたい、自由経済社会においては、高価な買い物をし市場経済をうるおす事は、むしろ正しい事なので「金ピカはかっこいい!」という理由でフルートを買い替えても良しです。

 と言うわけで『高価なフルートは何のためにあるのか?』と問われれば、それはプロが使用するために存在するわけで、高価なフルートを入手する事で、より大きな会場で演奏することが可能になり、見た目にもゴージャスな感じにもなります…って事が言えると思います。

 アマチュアの場合は…社会に経済的な活気を与えると言う意味で、フルート買い替えは、音量優先でも見た目重視でも構いませんが、アリです。ただし、フルートを買い換えれば、今の不満はすべて解決する…という夢は見ない方がよいですね。フルートを買い替えたからと言って、解決しない事はたくさんありますからね。

 まあ、楽器に不平不満があっても、フルートを買い換える前に、自分の技量を確認し、練習積み上げた方が幸せになれる可能性は高いですよ…とだけは老婆心ながら申し上げておきます。

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2017年11月12日 (日)

なぜ時代劇が廃れてしまったのか考えてみた

 前回、新作の水戸黄門を熱心に見ている事を告白した私です。

 それにしても不思議に思うのは、私が子どもの頃は、毎週のようにテレビでやっていた時代劇が、現在では、地上波ではほとんど見られなくなってしまった事です。似たようなモノとしては、NHKの大河ドラマがあるけれど、あれは時代劇と言うよりも歴史劇だからね。似てはいるけれど、ちょっと違う。大河ドラマは時代劇じゃあ、ありません。

 時代劇は、別名“まげもの”と呼ばれているけれど、基本的に“ちょんまげ”を付けた人々が活躍する芝居です。時代背景は…おおよそ江戸時代っぽいけれど、必ずしも江戸時代とは限りません。基本的に、時代考証なんてありません。そこんとこは自由みたいです。とりあえず登場人物たちが“ちょんまげ”していれば、後は何をしても良いのが時代劇です。

 そういう意味では、時代劇は一種のコスチュームプレイであり、ファンタジーなのです。ちょんまげさえしていれば、歴史ものをやろうが、現代的なテーマでやろうが、いっそSFをやったっていいんです。“歴史に忠実”をモットーとする歴史劇とは、そこが違います。

 その何でもありの自由さが、今の時代に合わないのかもね。今の人たちは、学歴も上がり、知的な人が増えてきたので、ある意味、ハチャメチャな時代劇ではなく、シリアス風味の歴史劇を好むようになったのかもしれません。

 また、時代劇と言えば、勧善懲悪です。勧善懲悪は分かりやすくていいのですが、これも今の人たちには受けないのかもしれません。今の時代は、正義が見えづらい世の中です。正義が正しいばかりでもなく、悪者にも悪者なりの事情があったりするわけで、とにかく複雑なのが現代社会です。勧善懲悪で割り切れるほど、現代社会は、単純な世の中ではないのです。

 あと、時代劇と言えば、派手な立ち回りが付き物です。いわゆる“殺陣”ですね。正義のヒーローが悪人たちをバッタバッタと斬り殺していくのですが…ヒーローが堂々と人殺しをしちゃ…ダメだよね。それに残酷だし…。そういう部分も今の人には受け入れられずらいかもねえ…。

 さらに言えば、時代劇と言えば、武士たちの主従の関係が描かれたり、町人とお武家様の対立が描かれたり、お家の存続が問題になったりしますが、そういう家父長的な感覚って、今っぽくないよね。今は個人主義の時代だけれど、時代劇と個人主義は…相性悪いよね。

 そう考えると、確かに時代劇って、色々と今の時代とは合わないねえ。

 で、今の時代と合わないと言えば、似たようなものに特撮モノがあります。特撮モノは、基本的にSFだから、あれこれ現実世界とは違った価値観で物語が進行していきます。しかし、時代劇が廃れてしまったにも関わらず、特撮モノは…仮面ライダーにせよウルトラマンにせよ、今でも元気に毎週毎週新作が作り続けられています。それはなぜでしょう。

 と言う訳で、時代劇と特撮モノを比べてみました。

 まず、似たような点です。

 時代劇も特撮モノも、まず物語の本質がファンタジーであり、現実離れをした物語が展開されます。現実離れをしている分、例えば、衣装代(特撮ならばきぐるみ代)がかかりますし、小道具も特注品となり費用がかさみます。スタジオ撮影ならば、いちいちセットを組まないといけないので、やはり制作費がかかります。その代わり、ある一定のお約束を守れば、後は何をやっても自由です。“ある一定のお約束”ってのは、水戸黄門なら印籠を見せるとか、当山の金さんなら背中の桜吹雪を見せるとか、ウルトラマンや仮面ライダーなら変身して戦うとか…ですね。そこさえ押さえておけば、後は何をやってもOKなのが、ファンタジーである時代劇や特撮モノの特徴です。

 一方、時代劇と特撮モノでは違いがあります。その違いが、特撮は元気だけれど、時代劇が廃れてしまった原因になると思います。

 まず、時代劇と特撮モノでは、メインターゲットとなる視聴者が異なります。時代劇の対象は…普通にオトナです。それも年寄りが多いかな? ですから、一度ファンになると、ずっと見続けます。いわば固定ファンが付くわけです。

 一方、特撮モノのメインターゲットは子どもたちです。大きなお友だちも特撮モノを見ないわけではありませんが、それでもやはりメインターゲットは子どもたちです。それもだいたい幼稚園ぐらいから…せいぜい小学校低学年ぐらいまでです。つまり、視聴者の年齢の幅は、せいぜい5年ぐらいでしょうか? いわば5年経つと視聴者がまるまる入れ替わるってわけです。

 ですから、極端な話、特撮モノは同じ話を5年ごとに繰り返しても、全然平気なのです。視聴者は常に入れ替わっているので、同じ話であって、その時見ている受け手にとっては新鮮なわけで、いわば過去の物語の焼き直しの繰り返しでも全くOKなのです。常に古くて新鮮な物語が提供できるのが特撮モノなのです。

 一方、時代劇は…ずっと同じ人が見てますので、同じ話を繰り返すわけにはいきません。しかし、物語の消費度が激しく、毎度毎度新規な物語を提供していくのは、当然無理なので、やがて物語が定型化していき(そうしないと物語の量産化は難しいのです)、それが物語のワンパターン化を生み出し、結果として、同じようで、でも少しずつ違った物語を作り続けていきます。類型化された物語の大量生産、つまりマンネリが発生します。

 お年寄りには物語がマンネリでもいいのです。いやむしろ、マンネリの方が安心してみられるので、むしろ歓迎ですが、若い人間は変化を求めます。いつもいつもマンネリした物語をみせつけられていては、せっかく若い人間が時代劇に興味を持ったとしても、長続きせず、やがて離れてしまい、ますます時代劇ファンの固定化が進んでしまうわけです。

 で、その固定ファンが未来永劫に存在しつづけるなら、それはそれで良いのでしょうが、人間は年齢を重ねると、やがて死んでしまいます。かつてはたくさんいた時代劇の固定ファンも少しずつその数を減らし、今ではだいぶ少なくなってしまいました。これが時代劇の衰退の一つの原因でしょう。

 また、制作側の都合もあります。

 スタジオ撮影は、時代劇であれ、特撮モノであれ、手間暇お金がかかります。そこで、可能であれば、なるべくロケで撮影したいのが制作者側の本音でしょう。スタジオ撮影と較べると、ロケの撮影の方が、あれこれ安価で済むからです。

 実際、特撮モノはロケでの撮影が多いですよ。屋外のシーンだけでなく、屋内のシーンですら、外部の建物を借りて撮影して、制作費を浮かせて、その分の費用を特撮部分の撮影にぶち込むわけです。

 時代劇の場合は…ロケでの撮影が年々難しくなっているんだそうです。と言うのも、時代劇のロケの場合、少しでも現代的な要素がある場所では撮影が不可能だからです。

 ビル街での撮影が不可なのは当然として、普通の田舎道でも、電信柱があればアウトだし、道路が舗装されていてもダメです。自販機なんて論外だし、田んぼはOKでも畑は…栽培している作物(例えばトマトなどの西洋野菜の畑はダメだし、ビニールハウスは論外)によってはアウトです。そういうふうに条件を絞って撮影可能な場所を探していくと…時代劇に適した場所はなかなか無いので、ロケのバリエーションが広がらず、風景が一本調子になりやすいし、結局はスタジオ撮影や太秦などの時代劇専用撮影所での撮影ばかりになってしまうわけです。で、制作費が高額になり、なかなか制作されにくくなり、放送もしずらくなってきた…ってわけです。

 制作費の問題をあげれば、スポンサーの問題にも関わってきます。

 特撮モノは、子供向けの商品を扱っている会社(おもちゃとか食品とか衣料品とか)がスポンサーになりやすいです。でも時代劇だと、今時の会社はスポンサーになりづらいです。

 例えば、自動車メーカーとかパソコン会社、家電メーカーに携帯会社、ゲーム会社にアパレル会社等々は、時代劇のスポンサーにはまずなりません。だって、スポンサーをやるメリットがないもの。自社の製品と時代劇とは、どうやっても結びつかないでしょ? 時代劇のスポンサーができる会社と言えば、製薬会社と保険会社ぐらいかな? 高齢者向けの商品を扱っている会社ぐらいです。

 演じる役者側の都合もあるでしょう。

 特撮モノはSFものですが、芝居の基本ベースは現代劇です。セリフ回しはもちろん、衣装も所作も現代劇と同じですから、それほど演技のキャリアがないような新人でも、なんとか演じる事ができますし、実際、特撮モノは新人俳優たちの登竜門的な役割もあります。

 一方、時代劇は、時代劇特有のお約束事に満ちあふれています。セリフも時代劇特有の言葉が多いですし、セリフ回しも現代劇とは異なります。衣装も違うし、所作も違うし、そもそもちょんまげを付けなきゃいけませんが、ちょんまげをしてしまうと顔が変わってしまうので、それを嫌う役者も多いようです。実際、大河ドラマなんか、歴史モノなのに、登場人物たちがみんな総髪(ちょんまげではなく、今風の髪型)だったりします。空想上の人物が総髪でも、それはありかもしれませんが、歴史上の人物の場合、その人がちょんまげの人なら、やっぱりちょんまげにしないとダメなんじゃないかな? 例えば、織田信長の総髪なんて、ありえないでしょ!

 セリフや台本の問題は、演じる役者だけの問題ではありません。そもそも脚本家や監督などのスタッフですから、ちゃんと分かっているのか不安になるようなケースも、最近の歴史モノでは多々見かけます。歴史モノですらちゃんとできないのに、時代劇で時代劇っぽい時代言葉を使って芝居を制作するって…そりゃあ難しいよね。それに、見ている視聴者たちも時代劇を見慣れなくなったので、若い世代を中心に時代劇の言葉が分からなくなってきているし、そこをいい加減にしてしまうと、今度は固定ファンであるお年寄りたちが文句を言い出すし…。だって、そこらへんをいい加減にしてしまうと、時代劇特有の雰囲気が時代劇から失われ、それが時代劇の輝きを曇らせるようになってしまうわけです。つまりは、時代劇が持っていた、あの特有な“非現実感”が薄れてくるわけで…そこがダメになったら、そりゃあ時代劇も面白くなくなってしまうよね。

 結局、色々と細かい理由はあるけれど、時代劇の衰退は、ある意味、時代の流れに流されただけであり、昔ながらの時代劇なら消えていくしかないわけです。

 時代劇はテレビ番組の1ジャンルにしか過ぎないわけで、その役目を終えて消えて無くなるなら、それはそれで仕方ないし、時代劇は日本文化の一つであるというのならば、今の時代に即したモノに変革していかないと、今の視聴者たちには受け入れられないよね。制作者たちも、そこは分かっているんだと思う。だから、BSなどで時代劇のリブートをしているんだと思う。そうやって、試行錯誤をしながら、今の時代の時代劇を模索しているんだと思います。

 だって、新作の水戸黄門は、昔ながらのテイストを保ちながらも、新しい部分もあって、面白いよ。

蛇足 スターウォーズって、時代劇をリスペクトして作られた作品だったって知ってましたか? ジェダイってのは、時代劇の“時代”が鈍った言葉です。ライトセーバーは日本刀のオマージュだし、ダースベーダーやストームトルーパーのデザインは日本の鎧がモチーフだし…ね。初期シリーズの重要キャラクターのオビ=ワン・ケノービの“オビ”は黒帯の“おび”なんだそうだし、そもそもあのキャラクターは三船敏郎がやる予定だったとかなんとか…。

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2017年11月11日 (土)

ウルシが我が家に来ました

 ミドリ(二代目)が星になり、こりゃをウカウカしていられねえぜって訳で、さっそく新しい子を迎えに行きました。

 金魚というのは、スペースの有無とエサの量で大きく育ってしまう生き物なのです。幸い、今はエサを少し抑えめにしていますので、かつてのような巨大魚は存在しませんが、それでも水槽内にスペースが生じると、その分だけ大きく育ってしまいます。大きく育ってしまうと、水槽内の金魚の定数が減ってしまいます。ですから、ミドリが星になったからと言って、すぐに新しい子を補充しないままだと、残った子たちが育ってしまい、金魚の定数が減ってしまい、次に新しい子を入れても、じきに誰かが星になる…って事になってしまうので、今の金魚定数(5匹)を死守するためにも、ミドリの後釜をすぐに入れないといけないのです。

 で、さっそく総合ペットショップに行ってきました。

 以前は、徒歩約5分のところに金魚専門店があったのですが、そこはだいぶ前に廃業してしまい、今、我が家から比較的近いと思われる金魚専門店は2軒とも、電車で30分以上かかりますので、なかなか行けません。そこでやむなく、総合ペットショップ(はっきり言っちゃえば、イヌネコ屋さんが片手間で金魚も売ってます…って感じの店)に行ってきました。ここなら、我が家からバスで一本なので、肉離れな私にも優しい感じなのです。

 ちなみに、この店は、ミドリはもちろん、ヤヨイやアセビを購入したお店なのでした。最近は、この店で金魚を購入することが多いんですね。

 で、総合ペットショップに行ったわけです。

 今いる子たちは、皆、白っぽい子か赤っぽい子ばかりなので、ミドリ同様、濃い色の金魚が欲しかったのです。まあ、出目金でなくてもOKなのはもちろん、黒でなくても、茶色やフナ色でもよかったのです…が、そこは金魚専門店ではない悲しさ、取り扱っている金魚の種類もごく少なくて、濃い色の金魚と言えば、黒出目金一択でした。

 本当は、星になったばかりの子と同じ種類の子は、その直後に飼うのは、ちょっとためらいを感じる私ですが、そこは仕方がありません。それにしても、黒出目金を見ると、やっぱりミドリのことを思い出します。

 数匹泳いでいる中、一番、ミドリに似た感じの子を選びました。つまり、目がはっきりと飛び出ていて、背びれがピンとしていて、尾ビレも腹ビレも長くて、体色は漆黒+黄金の黒出目金です。

 価格は400円でした。安い…、さすがB級金魚です。名前は、漆黒の“漆”からウルシと名付けました。お店で見た時は「新しい子にしては、大きいかな…」と思いましたが、水槽に入れてみたら、さほど大きくはなく、大きさ的にはやっぱりチビでした…ってか、ベルちゃんやアセビと比べても、二回りぐらいは小型です。いやあ、小さくて小さくて、まるで金魚のミニチュアのようです。ううむ、実にカワイイ…。

 で、この子を水槽に入れたところ、他の子たちの態度が全然変化なく、普段通りだった事にビックリしました。ウチの金魚たちは、これで案外、ビビリで、新しい子を入れると、入れた子も、元いた子も、互いにビビってしまうのですが、今回、ビビっているのは、新入りのウルシだけで、他の子たちは、全然平気な顔をしていました。

 「もしかしたら、ミドリが水槽に戻ってきた…って思ってないか?」

 案外、ミドリとウルシの区別が付いていないのかもしれません。まあ、大きさは全然違いますが、カタチはほぼ同じのそっくりさんですからね。金魚たちの可愛い脳みそでは、区別つかないのかもしれない…という容疑が濃厚な我が家の水槽でした。

 金魚って、やっぱり可愛いおバカちゃんなのかもしれない。

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2017年11月10日 (金)

改めて…椅子の座り方を習いました

 フルートのレッスンに行ってきました。

 「先週は立ったままでレッスンしちゃって、ごめんね」といきなり謝られました。もちろん、私が肉離れで足が痛かったのだけれど、座って吹くよりも立って吹いた方がいいんじゃないかと…自分の意思で、ちょっと頑張って、前回は立ってレッスンを受けたのです。

 もちろん、普段は立ってレッスンを受けますが、肉離れになって以降は、座ってレッスンを受けていた私です。で、肉離れだって、少しずつ良くはなっているわけで、それで立ったわけです。

 私、なんとなくレッスンは立って受けるものだと思ってますし、座って吹くよりも、立って吹いた方が自由に腹筋は使えるし、立った方が良いと思ってました。

 …もちろん、自宅でダラっと練習している時は、椅子に座ってフルート吹いてますが(汗)。あ、歌う時は座ったまま歌うなんて、足を怪我していてもしてないよ。

 で、先生曰く「フルートは座ったままでも、ちゃんと吹けないとダメだよ」ってわけで、椅子への座り方をレクチャーしていただきました。考えてみれば、オケでフルートを吹く人は座っているし、室内楽の人も座って演奏する事多いよね。よくよく考えてみると、フルートを立って吹くのは…ソリストだけかも(!)。って事は、フルートは立って吹くよりも、座って吹く機会の方が多いかも…。おお、スゴイことに、今、気づいたぞ。

 ってわけで、今回は、先生から教わったとおりに、椅子に腰掛けてフルートを吹きました。とは言っても、そんなに難しいことを教わったわけではなく、単に、椅子には浅く掛け、背もたれは使用せず、腰を縦に伸ばして、背筋をピンとして、頭を空高く伸ばして、まるでバレリーナにでもなった気分でフルートを吹く…ってだけの話です。その姿勢なら、座っていても、しっかり息がお腹に入ってくるって寸法なわけです。

 その姿勢で、ロングトーン練習です。まあ、良しです。

 エルステユーブンゲンの21番は…たっぷり自宅練習をしてきて、自信満々でしたが、やっぱり中間部でチョロチョロ、ミスっちゃいました。先生「うーん」と唸っていましたが、とりあえず合格にしてくれました。…ほっとしたよ。

 22番は…なんか難しい。前回、吹けなかったところは、猛練習してきたけれど、まだまだダメだな。なんか悪い螺旋に入ってしまったようで…ううむ、なんとかこの壁を乗り越えないと。次回からは、この22番を暗譜し、23番に取り組まなくっちゃね。

 プチエチュードの18番は…合格です。ノーミスってわけには行きませんでしたが、ひとまず、甘々でしょうが、合格をいただきました。ミスっているのも、練習不足が原因ではなく、かすみ目(笑)が原因で、演奏中に楽譜が見えなくなって、それでミスちゃうわけで、暗譜をすればいいんだけれど、そこまで練習を積んでいるわけでもなく…ってわけで、かすみ目ミスは大目に見てもらっての合格です。やれやれ。

 次回は19番ですが、この曲は、私史上、一番黒々とした楽譜です。いやあ、ほぼ真っ黒、漆黒じゃないですか? なんか吹ける気がしません。先生曰く「まずはゆっくりゆっくり吹いてらっしゃい」との事。そりゃあこんな曲、いきなり指定速度では吹けませんって…。

 40リトルピーセズは、5番のヘンデルのメヌエットですが…いやあ、練習をしてもしても、なんかつかめなくて…ちゃんと吹けません(涙)。譜面的には簡単なのに、ジェンジェン無理っす…。なので、不合格でした。

 「一週間で1曲ずつ仕上げてもらうからね!」と言うわけで、不合格の5番は来週まで持ち越しですが、それはそれとして、6番のシューマンのメロディが宿題に加わりました。ああ、シューマンだ。これなら吹けそう…。

 で、シューマンは吹けるけれど、バッハとかヘンデルとかは、なんともならないです…と愚痴ったところ、バッハとかヘンデルのメロディは器楽的だけれど、シューマンなどのロマン派のメロディーはメロディアスだからね…との事でした。

 まあ、私はメロディアスなメロディは吹けるけれど、器楽的なメロディを苦手としているってわけですね。しかし、フルートは器楽なのに、器楽的なメロディーが苦手って…私も相当変わり種だね。

 で、今回の雑談は…「実は明日、ウチの息子の結婚式なんだよ!」ってわけで、息子さんの結婚式までのアレコレのお話をうかがいました。おめでとうございます。さすがに、そんなプライベートな事をネットに書くわけにはいかないので、今回の雑談は勘弁してください。

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2017年11月 9日 (木)

声をチェンジさせて歌っちゃいけない

 まだまだ声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。

 最初は、今回で終了である、武満徹作曲の「○と△の歌」です。まずは声の色の確認からです。とにかく、歌詞のイメージと声の色をつなげていくのです。丸い声、赤い声、広い声、尖った声…これらをどう発声していくか。そのためには、まずしっかりと声のイメージをして、そのイメージを表現するのにふさわしい声を出していくわけです。そのためには、声のポジションを変えなければいけないだろうし、クチのカタチ、息の速さだって変えていかなければいけないし、変えた先は必ずしも理想的な状態ではないかもしれない。しかし、悪声と言えども声は声という割り切り方だって必要かもしれません。

 とにかく、色々な色を持った声で歌わないといけません。きれいな歌い方だけが良いわけではありません。演劇的な要素も大切なのです。音楽的な美しさと演劇的な表現の折り合いをどうつけていくか、その折り合いの付け方こそが歌の美しさにつながるわけです。

 これらは一朝一夕で出来るわけではありません。これからも頑張っていかなければいけませんが、まずは出来る範囲でやっていきます。

 次はドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。

 前回のレッスンでは、最初にある1オクターブの跳躍がうまくできずに、跳んだ先の音がフラットしてしまうという醜態をさらした私でしたが、今回はきれいに1オクターブ跳んだは跳んだのですが…先生曰く、それではダメなんだそうです。

 どうダメなのかと言えば、音が跳んでいる最中に声がチェンジしてしまっているのです。これはダメなんですね。たとえどんなに音が離れていても、その間は細かなポルタメントでつないで歌わないといけないのです。デジタル式でピョンと跳んでしまってはいけません。ましてや、跳んでいる最中にポジションが変わる(声の発声法が変わる)のは、ダメ中のダメなのです。

 とは言え、この曲での冒頭の1オクターブの跳躍は、テノールにとっては難しい跳躍なのです。と言うのも、この跳躍は、五線下のCから五線中のCへの跳躍だからです(つまり、低音のドから中音のドへの跳躍です)。テノールだと、低いCの少し上に低音のチェンジがあるわけです(私の場合は、Dのあたりにチェンジ箇所があります)。なので、普通に歌うと、最初の低いCと次の中音のCでは声をチェンジしますので、当然あれこれ発声方法が変わってしまうのだけれど、それではダメよって話なんです。

 特に私の場合は、中音のCはまあまあだけれど、低音のCは、明らかに掘った声になっているそうなのです。それじゃあダメだね

 ちなみに、バリトンだと低いCから中音のCへの跳躍はチェンジがないので、とても簡単なようなのですが…。

 では、テノールである私(というか、テノールの声帯を持つ私の場合は…と言った方が正しい言い方でしょうね)は、この箇所をどう歌うべきかという話になりますが、やっちゃいけないのが、低いCをいきなり出すこと。これをやっちゃうと次の中音のCに行く時に必ず声がチェンジしてしまうのです。それを回避するためにやるべき事は、最初に中音のCを出してしまうこと(!)。

 つまり、楽譜上は“低いC -> 中音C”と書かれていますが、それを“中音C -> 低いC -> 中音C”と歌ってしまうってわけです。もちろん、最初の中音Cは一瞬だけ出して、発声するや否やそれをポルタメントでググっと1オクターブ下まで下げて歌って、すぐにそれを元の音程まで戻して次の中音Cを歌ってしまえという、ある意味テクニカルでトリッキーな歌い方をしましょうってわけです。

 感覚的には、中音Cにヒモを引っ掛けたら、そのヒモをグイっと下に引っ張って低音Cを出し、出し終えたら、ヒモから手を離して、元の中音Cに戻す…という感覚です。ですから、そんなに低音で頑張ってはいけないわけだし、そのために音量的に不足していても、響き的に貧弱であっても、それそれで良しと割り切らないといけません。

 この曲の曲想を考えると、フレーズの開始(ってか曲の開始だけれど)を安定的に歌うよりも、若干の不安要素を内包しながら歌った方が結果的に正しい…と言うか、作曲家はそこまで考えて“低いC -> 中音C”の跳躍を書いたのではないかと思われます。つまり、この曲は、楽にバリトンやメゾソプラノが歌うのではなく、何ともならないところを何とかしてテノールやソプラノが歌うことを念頭に置いているのはないと、私は思うわけです。

 また曲中に何度も出てくる、いきなり高い音から下降音型で始まるメロディーも、いきなり高音をストレートに発声するのではなく、まずその高い音程のハミングで鼻を鳴らしてから声を出すのが良いのです。つまり「準備は早め早めに」って感じです。

 細かい音符が動く箇所は、その音の動きをノドで動かすのではなく、ブランデーをグラスの中で揺らすようなイメージに、同じポジションで動かして歌うのが吉です。

 と言う訳で、今回のレッスンは終了です。

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2017年11月 8日 (水)

大切な事は、息を流し続ける事です

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 ハミング練習ですが、いつも通り…いや、いつも以上に高いポジションで歌うことを意識しました。いつもそうなのですが、ハミング練習は上行音程を使って練習しますが、私の声的には、3番目の音がいつも一番良い感じなんだそうです。なので、最初っから、3番目の音の響きで歌えるようにしましょうって言われました。

 つまり、最初の音と次の音の響きはあまり良くなく、いつも2番目と3番目の音の間で、ポジションが変わっていて、その変わった先の3番目以降の音のポジションが良いらしいのです。…確かに確認しながら歌ってみれば、2番目と3番目の間で、声がグイっと高みに登っているのが分かります。確かにポジションチェンジをしていますね。

 音程に合わせて、ポジションが移動するのは、クラシック声楽においてはダメです。ダメなんです。クラシック声楽では、すべての音を同じポジションから歌うのが理想なのです。

 だから、よく音痴の方の音程指導の中で、音程に合わせて手を上げ下げして、音程の高さと声の高さを意識的に連動させて歌わせて、それで音痴脱却を図るというやり方がありますが、あのやり方だと、手を上げ下げする事で、音程だけでなく、声のポジションも変わってしまうので、クラシック声楽的には望ましいやり方ではありません。クラシック声楽的には、手は常に同じ高さで、むしろ手は上下ではなく前後に動かすのが良いかなって思います。低い音は手前に、高い音は遠くに動かす感じ? まあ、それはともかく、声のポジションが動いちゃダメなんです。

 でも、ポジションが変わってしまうのは、声が出しづらいから無意識に動くわけです。声が出しづらい理由は、一つは単純に低い音だから。もう一つが腹圧が低いために声が支えきれていないから。と二つの理由が考えられます。

 だから、しっかり腹圧をかけ、低い音であっても意識的に高いポジションで歌うようにする必要があります。当然、出しづらい低音ですから、そこを頑張ってはいけないのです。むしろ、しっかり鳴らない、声にならない…で良いのだそうです。だってテノールだもの。バリトンやバスの方のような立派な低音が出るはずもなく、むしろそんな低音を出しちゃいけないのです。

 ですから、低い音は貧弱で貧相な声でいいわけです。それなのに、そんな低い音を頑張っちゃうと、私のように、フレーズの途中でポジションチャンジをしてしまったり、低い音に引っ張られて高音が出づらくなったりするわけですから、低い音を頑張るのはダメなんですね。

 とにかく、鳴ろうが鳴らなかろうが、息をしっかり通すことだけを気にかけて歌っていく事が大切なのです。

 さて、次にやったのが『馬のいななき』練習です。ヒヒーンのヒーンで練習です。ちなみに女声の場合は、子犬のキャンキャンのキャンで練習するそうです。

 とにかく、ヒーンです。このヒーンで音型練習をするわけですが、これが案外、難しいのです。普通に、アーだとかマーだとかなら簡単にできるのですが、不思議な事に、ヒーンだとできないのです。ヒーンになった途端、声が詰まったり、声に伸びがなかったりと難しいのです。話し声ならできるのに、これが歌声になった途端にうまくできなくなります。つまり、歌声の時に何かが起こっていて、それがヒーンがうまくいかない原因になっているってわけです。

 まず、ノドに力が入っている事。無駄に大声を出そうとしている事。自然な発音でなく、どこかに不自然な動作が入っている事。…などが予想されます。

 この馬のいななき練習は、声をやたらと消耗するので、たくさん練習してはいけないそうだけれど、必要な練習なので、毎日やりなさいと宿題として出されました。まあ、忘れない限り(笑)毎日やるようにしましょう。

 とにかく、ポジションを動かさずに歌うにせよ、馬のいななきにせよ、大切な事は、息を流し続ける事です。特に高い音ほど多くの息を流して歌うようにする事が大切です。

 高い声を出すには色々なやりかたがあるわけで、必ずしも息を流さなければ出せないわけではないけれど、まず最初は息を流して高音を歌う事を身につける事が大切。なぜなら、このやり方が一番声を消耗しない発声方法だからです。

 私の場合、発声練習ならば、この息を流す発声方法では、今現在でも、若干低めながらもHi-Cまで発声できているそうです。だから、このやり方で練習を重ねていけば、Hi-Cまでは歌えるようになるはずなんだそうです。Hi-C以上の高い音に関しては、また別のやり方が必要になってくるわけですが、それはもっとずっと先の話なので、今はそこまでは考える必要はないわけで、今はひたすら息を流し続けて高音を歌っていくやり方に集中するべきなのです。

 “高い音=アクート”と考えがちですが、私のように中低音の発声方法のまま、息を流し続けていって高音を歌うやり方もあるわけです。どちらがいいかは、簡単に言えないけれど、初心者に毛の生えた程度の私にとっては、アクートのように鋭く高音を歌うよりも、息を流して歌うやり方の方が、リスクが低くて使い勝手がよさそうなわけです。

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2017年11月 7日 (火)

まだしばらく武満を歌っていきます

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは次の曲決めからです。とにかく、約束では今回で武満の「○と△の歌」は終了という事になっていますので、次回からは新しい曲に取り組まないといけません…が、なんとなく忙しくて、次の曲を決め兼ねている私でした。

 ドナウディで歌曲の勉強をしているので、本来のもう一曲はオペラアリアを学ぶ予定なのですが、今は武満をやっています。次回も武満で行くか、あるいは別の日本歌曲で行くのか、それとも従来通りオペラアリアを勉強するのか。どちらにせよ、私がある程度選曲をして、それで先生と相談するのですが、そこを迷い迷っていました。なんとなく…今はオペラアリアを歌うって気分じゃないんですよ。

 たぶん、門下の発表会~クラシックコンサートと連続して舞台を踏んで大曲を歌ってきたので、ちょっと大曲から離れたい…って気持ちがあったりします。だから、ドナウディとか武満とかが良かったわけです。

 なので、ひとまずドナウディと武満の楽譜を持ってレッスンに行きました。まだ、この二人の歌を歌いたい気分だったのです。

 Y先生的には…もう少し武満をやってもよいとお考えのようでした。「○と△の歌」は今回で終わりですが、武満には他にも良い曲はあるし、次から次へと歌っていっても良いと思っていたようでした。

 と言う訳で、次の曲も武満に決まりました。いや、まだしばらく、少なくとも私が飽きるまでは武満を学び続ける事になりました。つまり、これからしばらくは、イタリア曲と武満って組み合わせでレッスンが進行していく事になったわけです。

 今回も先生からあれこれ武満のオススメソングをご紹介いただき、最終的に、次は「恋のかくれんぼ」を歌うことにしました。いい曲ですよ。

 ギターとソプラノという組み合わせの音源です。武満のソングでは割と多い組み合わせです。私はもちろん、ピアノと歌います。この音源では「恋のかくれんぼ」の後に「雪」が演奏されます。「雪」も良い曲ですね。でも、歌詞がフランス語なので、私が歌うことはないでしょうね。

 さて、次回からこの曲で頑張る事にしました。さらに、その次に歌う曲もなんとなく決めました。先生的には、次のレッスンには武満を2曲持ってきてもいいよと言われましたが、さすがにそれだけ自宅で練習してくる余裕はないので、お断りしました。武満は、ゆっくりゆっくり一曲ずつたっぷり歌い込んでいきたいと思ってます。

 私が今の段階で武満を学ぶ理由は二つあります。一つは、武満は現代音楽なのでソルフェージュ的に難しいので、楽譜をしっかり読みこんで忠実に歌う良い勉強になるからという理由。もう一つは、歌詞が日本語なので、声に色をつける勉強になるっていう理由です。

 特に二番目の理由が大切で、イタリア語の歌を歌っていると、声がよく出るようにはなるけれど、歌詞のイタリア語は、いくら勉強したからと言って、よく理解できるわけでもなく、ましてや歌詞のニュアンスや感情表現となると、隔靴掻痒の感を免れないわけです。例えば“嬉しい”と歌詞に表現されていても、その嬉しさがどんな嬉しさで、どの程度の嬉しさで、だからどんな声で表現しないといけないのか…ってのは、外国語の曲だとそのあたりが分かりづらくて、結果として一本調子に歌いがちですが、そこは母語である日本語歌詞の歌だと、そのあたりのニュアンスもよく分かるわけだから、その“嬉しさ”の内容に合わせた声で歌うという事が可能になってくるわけです。

 歌詞の内容に合わせて、声を変えていく…それを『声に色を付ける』と表現するのですが、声に色を付けていくには、歌詞の内容がよく分かる日本語歌詞の曲が良く、とりわけ武満は歌手の歌声に色を求める作曲家なので、その手の勉強にはうってつけってわけです。

 武満の曲は音域的には難しくなく(ってか、むしろ私には低いくらいです)、高音チャレンジの機会がなくなってしまうのです(それはテノール的には、とっても残念なのです)が、声に色々な色を付けて歌うことで、音色の幅を増やすという勉強は、高い音が出せる以上に、歌手としては大切な事なので、頑張っていきたいと思います。

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2017年11月 6日 (月)

最近、プラ管フルートの調子が悪いのです

 タイトル通り、最近、プラ管フルートのプラ子の調子が悪いのです。プラ子は、ヌーボ社製の廉価なプラスチックフルートです。製品名は“NUVO ヌーボ プラスチック製 フルート Student Flute FGSFBLK”と言い、価格は約1万5千円で、基本的にはメンテフリーな楽器で、いわゆるスチューデントモデルの楽器です。

 

 見た目は安っぽいですし、実際廉価な製品なのですが、性能は値段の割にはしっかりしています。音程も操作性も合格ラインです。ただし、鳴らすポイントが狭い上に、息をうわばみのように飲み込んでしまうので、スチューデントモデルでありながら、本当の初心者には吹きこなせないかもしれません。そういう意味では、遊びで吹くためのフルートではなく、向上心あふれる上昇志向の学習者向けのフルートであり、ある意味、手強いコーチのような楽器です。

 なので、私はこいつを練習用フルートとして愛用しています。ほんと、練習用としては、なかなか手強くて良いですよ。ですから、ほぼ、毎日のように吹いています。本妻であるアゲハ(アルタスの総銀フルート)は、自宅練習では、週に1回あるいは2回も吹けば良い方で、吹いている時間は、アゲハよりもプラ子の方が多いくらいです。

 なにしろ、こいつで練習しておくと、レッスンなどでアゲハを吹くと、楽で楽で…。アゲハだって、他のフルート較べると、ツンデレ度が極めて高い、吹くのが難しいフルートなんですが、それ以上にプラ子を吹くのは難しく、こいつで鍛えられると、どんな楽器でも吹けそうな気がするくらいです。プラ子は、良い練習楽器として活用しています。

 私は、こいつを書斎のフルートスタンドにいつでも差してあります。で、気が向いたら、すぐに手に取って吹いて、吹き終えたら、そのままフルートスタンドに差します。

 片付けませんし、手入れもしません。気楽なものてすし、扱いはかなり雑です。それでも良いのが、この子の特徴です。

 声楽が2ヶ月連続で本番だったため、その間、ちょっとフルートの練習時間が減り気味でしたが、声楽の本番も終わり、今までの分も含めて、少しフルートの練習時間を増やしているのが最近の私です。

 で、フルートの使用量が増えたせいでしょうか…最近、プラ子の調子が悪いのです。

 原因ははっきり分かっています。Aisキーにトラブルが発生しているからです。Aisキーですよ、Aisレバーじゃなくて、Aisキーね。

 で、どんなトラブルが起こったのかと言うと、このキーの動きがとても鈍くなったのです。押えるのは良いのですが、そこから開放しずらくなった…と言うか、一度塞ぐと、キーが開くのに時間が掛かると言うか、もっさりしか動かなくなったって感じなのです。おそらく、Aisキーのタンポがキーホールのエッジに張り付くようになったみたいです。実際、ペタペタという音がしますしね…。張り付くというか粘着する? それですばやく開かなくなったようです。で、よく見ると、このAisキーだけが、他のキーと較べて、デフォルトの位置がトーンホールにやけに近づいているのですよ。つまり調整をして、もう少しキーとトーンホールの距離を開けてやれば良いのかもしれませんし、少し練習間隔をあけて、キータンポを乾かしてやれば、張り付きもしなくなるかもしれません。

 …って原因は分かっているけれど、プラ子は毎日吹いているから乾かす暇がないし、キーの調整は自分でやるんだけれど、そのための精密ドライバーをどこにやったのか思い出せないし…。

 という訳で、調子が悪い調子が悪いと言いながら、毎日吹いてます。あんまりAisキーの戻りが悪くてイライラする日は、Aisキーレバーを操作して、無理にAisキーを開いていたりします(ああ、乱暴だ!)

 まあ、調子が悪いと書きながらも、このフルート、購入して以来、もう5年も経つんだよね。5年間、何のメンテナンスもせずに、毎日毎日の酷使に耐えてきたわけで、もうすでに減価償却はとっくに終えていると思うんだよね。ほんと、ご苦労様って感じです。新品に買い換えてもいいのだけれど、なんとなく愛着もあるので、まだ使い続けています。

 まあ、本格的に調子の悪さに耐えられなくなったら、新品に買い換えると思います。これだけ安価な楽器なので、別に修理する必要ないよね。

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2017年11月 5日 (日)

最近は、水戸黄門にハマってます

 最近の私は、水戸黄門にハマっています。毎週、水戸黄門をテレビで見るのを楽しみにしています…と書くと、なんか変ですか?

 「再放送でも見ているの?」

 いえいえ、新作を見ています。

 「黄門様は、やっぱり里見浩太朗?」

 いえいえ、実は武田鉄矢がやってます。そうなんです、新作の水戸黄門は、黄門様を武田鉄矢が演じているのですよ。

 「でも、TBSじゃないよね」

 いえいえ、放送はTBSですよ、ただし、BS-TBSです。そう、BS放送なんですよ。BS-TBSで、毎週水曜日の午後7時から放送しています。公式サイトはこちらです。放送予定は全10回で、すでに半分の5回は放送終了ですから、残り半分なんですよ。

 今回の黄門様はいいですよ。何がいいって、リブート版なのです。ですから、今までの過去の黄門様からのしがらみは取っぱらって、でも物語の骨子はしっかりと引き継いでドラマが描かれています。

 だから、黄門様御一行も実にミニマムです。なにしろ、黄門様と助さん格さんと弥七の4人組です。八兵衛もいないし、お銀も飛猿もいません。その代わり、4人のキャラ、とりわけ、助さん格さんのそれぞれのキャラが際立っています。

 また黄門様が小柄なジジイ(失礼)で良いのですよ。おまけに、インテリ臭くて理屈っぽくて説教臭い(笑)。たまに故事成語をセリフにはさんでくるし、情け深くて優しくて…なんか、金八先生がそのままジジイになったような黄門様なのです。

 今回は東北の旅なんだけれど、毎回、その土地の民謡と土地の名産を取り上げるし、なんか楽しい。私は、今までの水戸黄門は好きになれなくて、親が熱心にテレビで見ていても、私自身は気が惹かれなかったのだけれど、今度の水戸黄門は、結構気に入ってみています。

 私もジジイになり、勧善懲悪の時代劇を好むようになったのでしょうか? それとも新作の水戸黄門は、テイストが今風になり、そこが気に入ってみているのでしょうか? 自分でもよく分かりません。

 時代劇は、すっかり地上波では廃れてしまいましたが、CS放送とかBS放送では、再放送はもちろん、新作も時々作られています。大岡越前は、NHKのBS放送で、ジャニーズの東山紀之を主演に、今も時折製作され放送されています。鬼平犯科帳は、昨年、CS放送で新作アニメになって放送されましたしね。リブートしたりフォーマットを変えたりしながら、時代劇は地味に少しずつ復活しているのです。

 次は遠山の金さんが、BSあたりで新作として登場するんじゃないかしら? なんてね。それとも次は…暴れん坊将軍?

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2017年11月 4日 (土)

ミドリ(二代目)が星になりました

 黒出目金のミドリが星になってしまいました。

 先月のまとめ記事の金魚のコーナーでは、…

>最近は黒出目金のミドリもなんか調子悪そうです。ミドリについては、今週末の金魚記事に少し書いてみるつもりです。

 なんて書きましたが、あの記事をアップした、その翌日にミドリは星になってしまいました。私の予測よりも、だいぶ早い旅立ちだったのです。

 あの記事をアップした頃のミドリの調子は…と言えば、活動している時は、普通に元気でした。ただ、寝ていたり、寛いで脱力していたりする時の様子が、ちょっと変な程度でした。具体的に言えば、寝ている時の姿勢が真っ直ぐではありませんでした。斜めになります。斜め45度どころの騒ぎではありません。ほぼ真横になっちゃいます。金魚のくせに、横たわって寝るんです。また時々は、腹が上になって寝ていたりもしていました。

 水中に漂っている時も、その姿勢は真っ直ぐではありませんでした。左右に斜めになる事はもちろん、お尻が持ち上がっている事が多かったです。ちょっと持ち上がっているくらいなら良いのですが、ほぼ頭を真下にして垂直姿勢になっている事もあります。

 たまに、ポンプに吸われて吸い付いていますし、水草の中にからまって身動き取れない時もありました。

 全体的に不活発で、なんともけだるい感じだったのです。ですから、私も「そろそろミドリ、ヤバイみたいだな…」とは思っていましたが、こんなに早くとは思っていませんでした。

 結論から言えば、例年のように、夏バテで星になってしまったようです。

 ひと夏、クーラーつけっぱなしにしてやったのになあ…。他の子たちが元気いっぱいでしたが、ミドリにはクーラー程度での室温コントロールでは足りなかったみたいです。

 夏の終わり頃(って、最近ですが)から、食欲もみるみる無くなってきましたし、動作も緩慢で、寝ている事が多くなりました。調子が悪くはなっているけれど、所詮は夏バテですから、しばらく休息していれば、やがて時間が解決してくれる…と思ったのですが、そうは行かなかったようです。

 ミドリが星になったのは、家人がすべて出払っていた昼間の時間帯のようで、一番早く帰宅した妻がミドリを見た時には、すでに他の子たちに美味しく食べられてしまい、ボロボロになっていたそうです。

 金魚には、仲間意識ってどれくらいあるんだろ? 弱っていたり、死んでしまえば、ただのたんばく質なのは事実だし、緋ドジョウのヨッチャンが弱った時に、みんなでヨッチャンを食べてしまったのは、ドジョウと金魚の違いがあって、仲間意識なんて皆無だろうから、仕方ないけれど、今度は同じ金魚同士じゃない? それなのに、自分たちの仲間が死んだら、すぐに食べちゃうって、所詮、金魚は魚類だなって思いました。

 ミドリが我が家にやってきたのは、2015年の3月で、実はヤヨイと一緒に我が家にやってきた子で、当然、ヤヨイと同じ年で、現役最年長魚だったミドリです。2年半も我が家にいてくれた子で、今まで飼ってきた黒出目金の中では、一番のご長寿金魚でした。それに、歴代の我が家の子の中でも、特に美しい子でした。星になってしまったのは、ほんと、残念です。

 バイバイ、ミドリ。

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2017年11月 3日 (金)

国産一体型パソコンは…やっぱり高価なパソコンだよなあ

 痛い足を引きずりながら、トボトボとフルートのレッスンに行ってきました。

 ウンと早めに家を出発したので、ちょっといつもよりも早めにお教室に入りました。姉様が先生とレッスンをしていました。いつもながら、見事な二重奏です。これだけ完璧に吹いている(ように聞こえる)のに、あれこれダメが出るのは、私なんかよりも数段上級者だからなんでしょうね。腕が上がると、先生のチェックもより厳しくなるわけです。そういう意味では、私なんかは、まだまだ全然なわけです。

 さて、ロングトーン練習です。例によって3人でやりました。バッチリです。今回思った事は(今更だけれど)フルートって、楽に吹いた方が良い音がするね。適度に力を抜いて、息もあんまり使わなくて、フニャって感じで吹いていると、いい感じでフルートの管体が響いて良いんですね。ただ、そうやって楽に吹くには、腹筋をメッチャ使う必要があるって事だね。結局、フルートも歌同様に、いい音出したきゃ、腹筋鍛えろって話になりそうです。

 エルステユーブンゲンは21番です。今回は自宅練習を結構熱心にやってたので、8割方は暗譜できていたのですが、中間部がちょっと怪しかったのです。しかし、思い切って暗譜で吹いてみたら、案の定、中間部はメタメタで落ちまくりました。自宅練習で出来ない事は、レッスンでは出来るわけがない…そんな当たり前の事を痛感しました。

 レッスン(ある意味、私にとっての本番)をナメちゃいけませんね(ナメているわけじゃないですけれど)。

 22番は…前回のレッスンでは吹けていたのに、今回はなぜか吹けなくなりました。いや別に、レッスンで急に吹けなくなったのではなく、自宅練習でも吹けなくなりましたから、本格的に吹けなくなりました。なんか、リズムが分からなくなっちゃったんです。スタッカートの処理に時間がかかってしまい、そこでズレちゃうんです。今までそんな事なかったのに…。先生曰く「拍を感じていないから」との事ですが、まさに図星です。

 プチエチュードは18番。自宅では、ほぼパーペキに吹けていたのに、レッスンではあっちこっちミスりました。とりわけ、高音のレの運指を間違えまくったのは…いや恥ずかしい。とにかく、もっと吹き込んで、レッスンでも自宅練習並に吹けるようにしないとね。精進あるのみです。

 40リトルピーセズは、3番のバッハの『ガボット』から。メロディは簡単なのに、結局、あっちこっちミスちゃいました。自宅でもなかなかノーミスでは吹けない曲です。別に難しくはないんだけれど、なんか私の中には無いものを要求されているようで、うまくいきません。私の中のバッハ成分が足りないのでしょうね。結局ちゃんと吹けなかったのですが「こんな曲、いつまでも吹いているわけにはいかない」と言われて、合格というか終了となりました。

 で、次の4番のシューマンの『ハミング・ソング』は一発合格。バッハもシューマンも曲の難易度的にはほぼ同じなんだけれど、バッハに苦労して、シューマンは簡単に仕上げちゃう私って…根っからのロマン派人間なのかもしれない(笑)。いやあ、ロマン派の音楽、大好きだよぉ。次回は、5番のヘンデルの『メヌエット』ですが…吹けるかな? バッハ成分の足りない私ですが、おそらくヘンデル成分もだいぶ足りない私だから…なあ。ヘンデルなんて『メサイア』ぐらいしか掌中にないもの、イケるかな?

 さて、今回の雑談は…先生的には深刻な話で、先生のご自宅のパソコンが壊れちゃった…って話です。

 パソコン起動はするんだけれど、画面は何も見えない…って状態のようです。つまり、本体はOKだけれど、ディスプレイ周りにトラブルが発生しているようなのです。

 「だったら、ディスプレイのケーブルとか、ディスプレイそのものを交換すればいいじゃない?」

 いわゆる一体型パソコンなんですよ。だから、見かけはデスクトップなんだけれど、構造的にはノートパソコンのようなもので、外部へのディスプレイ端子なんて気の利いたものはなくて、マザーボードとディスプレイは筐体内で接続されているわけです。

 なので、パソコンオタクならともかく、一般人である先生には、修理をするか、買い換えるかと言った選択肢しかないんですね。

 パソコンそのものは、某国産メーカーなので、色々とサービスは良いのだけれど、いずれもお金がかかるのが厄介です。修理だって電話一発でやってくれるようだけれど、結構お値段が張るわけです。買い換えるにしても、電話一発で新品の同等品を持ってきてくれるのだけれと、やっぱり値段はバカになりません。値段の事だけ考えると、量販店に行って新品買って、そこであれこれサービスしてもらった方が全然安いです(たぶん、半額以下になるでしょうね)。ただ、そうなると国内メーカー品ってわけにはいかないでしょう。

 先生は、別にパソコンのメーカーにこだわりがあるわけじゃないけれど、自分であれこれ出来るわけじゃないので、本当はメーカーなり、販売店なりにお任せで、手間を掛けずに、パソコンを交換したいだけなのです。でも、それを望むと、かなりな金額になり(いや、ほんと、高いんですよ)、そこがどうにも納得いかないのです。

 「私は、ワードとエクセルとメールとインターネットが出来て、Blu-rayが見れれば、それでいいんだよ」なんですよ。それしか望んでいなければ、確かにハイスペックなパソコンは入らないし、ディスプレイも20型程度でいいんだそうです。

 たぶん、ディスプレイを20型程度にしちゃうから、国産だと高価なマシンになるんだろうね。国産のディスプレイは高いからね。でも、ここをケチって小さなサイズのディスプレイには出来ません。だって、先生、老人だもん。私も老人だから分かるけれど、パソコンのディスプレイはなるべく大きいのがいいし、解像度もそんなに高くせず、なるべく文字をデカく表示させたいんだよね。

 ちなみに私が使っているディスプレイは、先生の希望サイズと同じ20型で、それを推奨の1200×1600で使ってます。本当はもっと解像度を下げたいのだけれど、まあ我慢してます。もちろん(笑)国産品ではないので、安いですよ。当時でも2万円でお釣りが来ました。その前に使っていたのは大型高級ブラウン管のディスプレイで、これはほんと高価でしたから、それと比べると、タダみたいなモノです。

 先生も私のような安価な外付けディスプレイが使えればいいのだけれど、一体型パソコンじゃあそんなわけにはいかないんだよね。

 一体型って、面倒かからないけれど、一部が壊れても、全体の買い替えになっちゃうのがダメなところだよね。でも、そうやってメーカーは、パソコンの買い替えをさせようとしているわけだし、ユーザーだって難しい接続から逃げられるわけだから、まあWIN-WINっちゃあそうなのかもしれません。

 とりあえず、頑張れ、先生。

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2017年11月 2日 (木)

伴奏者は、どうやって見つけますか?

 今回の記事は、ある方からメールをいただいたのがきっかけです。まあ、この方は、実にあっちこっちの方々に同様なメールを送っているようですが…(苦笑)。

 それさておき、アマチュア音楽家が人前で演奏を披露するという状況を想像してみてください。

 フルートならば、無伴奏での演奏ってのがありますので、必ずしも伴奏者が必要というわけではないでしょう。でも、無伴奏で演奏するのって、聞いていて寂しいし、1曲2曲ならともかく、それなりの曲数を一度に演奏するとなると、すべてを無伴奏曲ってわけにはいきません。そんな事をすれば、どうしてもプログラムの単調さからは免れませんし、音楽的な広がりもありません。そうなると、やはり、伴奏者をお願いすることに越したことはありません。

 合唱も同様です。無伴奏での合唱も良いですが、やはり伴奏ピアノがあった方が音楽の幅が広がります。

 声楽となると…伴奏無しはありえません。必ずピアニストを帯同しての演奏とならざるを得ません。

 つまり、いくらアマチュア音楽家とは言え、人前での演奏を前提とするならば、伴奏者を必要とするでしょう…ってわけです。

 となると、どうやって伴奏者を探して依頼するかが問題となります。

 おそらく、合唱の人たちは、普段の練習時から伴奏ピアノは必要ですから、普段伴奏をしてくださるピアニストさんにお願いするだろうし、それがダメでも、ピアニストさん経由で、別のピアニストさんを紹介してもらうという事できますし、合唱団の場合なら、指導をしてくださる先生がいらっしゃるだろうから、その先生経由でピアニストさんを紹介してもらえばいいのです。

 どちらにせよ、合唱は人が集まって音楽をやっているわけですから、誰かしらピアニストのアテがあったりするわけで、それほどピアニスト探しに苦労はしないと思います。

 問題は、個人で活動しているアマチュア音楽家の場合ですね。

 クラシック系のフルートや、声楽を学んでいる人は、基本、普段は一人で活動していると思います。門下の発表会等なら、伴奏者は先生が用意してくれるでしょうから、特に問題ないでしょう。問題となるのは、個人で何かの演奏会(例えば私なら、クラシックコンサート)に参加したり、慰問活動をしたり…って場合です。つまり“私”が個人的に伴奏してくれるピアニストさんを用意しないといけないって場合です。

 そんな場合に、あなたならどうしますか?

 私は…別に慌てません。一応、お願いできるピアニストさんは二人確保していますので、まずはそのお二人のどちらかに声をかけさせていただきます。もしもそのお二人がダメでも、まだ他にもプロアマ問わずピアニストさんの知り合いはいるので、そういう方々に声を掛けてみることも出来ます。

 でも、皆が皆、私のようにピアニストさんの知り合いがいるわけじゃないですね。

 ピアニストさんに知り合いはいないけれど、ピアニストさん急募!って方は、どうすればよいのでしょうか?

 どこかにピアニストさんを斡旋してくださる方はいないのでしょうか? まあ、私なら、ダメ元で近所の音楽教室やピアノ教室に問い合わせてみると思います。ほとんどの方は、どこの馬の骨とも分からないようなオッサンからの仕事の依頼なんて断ってくるでしょうが、中には物好きな方もいらっしゃるかもしれませんからね。それでピアニストさんを見つけられればラッキーです。

 でも、そんな片っ端から問い合わせしてみるような勇気を持ち合わせない人もいるかもしれません。まあ、その程度のハートの強さが無い人が人前で演奏を披露するとは考えづらいのですが、仮にいたとします。知らない人に、いきなり問い合わせするなんて無理!って思ってしまうわけですね。

 そういう人はどうするのでしょうか? 今はインターネットの時代ですから、ネットを利用して探すかもしれません。

 そこで記事の冒頭に書きました、ある方からのメールです。普段の私は、その手のメールをいただいても無視をするのが普通なのですが、今回は、ちょっと興味が沸いた事と、こうやってブログネタにもできたので、例外的に、そのサイトをご紹介したいと思います。

 “伴奏者募集広場”というインターネットのサイトがあります。

 ここは、その名のとおり、伴奏者を見つけるためのサイトです。伴奏したい人と伴奏してもらいたい人を取り持つサイトです。ま、健全な出会い系サイトと言えるかもしれません。

 用途としては、一応、音楽コンクール等の、マジだったりガチだったりするような時にピアノ伴奏を依頼できる、本物のピアニストさんを紹介してくれるサイトです。仕事の依頼の方法は、サイト経由でピアニストさんに直接メールで依頼するカタチです。こんなやり方で、サイト運営者は儲かるのかしら?

 まあ、一応、マジガチ系の仕事を前提としているようですから、アマチュア音楽家には無縁なサイトに思えますが、相手のピアニストさんはプロですから、依頼のやり方と謝礼の取り決めさえ、ちゃんとしておけば、もう少し緩い感じのお仕事であっても、依頼できるんじゃないかな…なんて思います。アマチュア音楽家であっても、そこんとこさえきちんとしていれば、それほどマジガチ系の仕事でなくても、依頼するのは可能だと思うよ。

 それはさておき、このサイトの良いところは、明朗会計な事かな? 音楽関係の仕事って、口約束も多く、多くは信頼関係で成り立っていたりするので、金銭的にアバウトだったりする事もあり、その業界の人間ならともかく、門外漢から見れば、寿司屋で時価の寿司を頼むような怖い感じはしますでしょ? でも最初っから明朗会計ならば、安心してお願いできるし、こちらの予算に応じて伴奏者さんを依頼する事もできます。

 ダメなところは…別にこのサイトの責任じゃないけれど、伴奏者さんが都会に集中しているって事かな? 都会の人なら、このサイトも便利に使えるかもしれないけれど、地方の人には…あまり役にたたないよなあ。だって、地方のピアニストさんがあまり登録していないからね。

 おそらく、本当に需要があるのは、地方の方なんじゃないかな? 都会の人って、周囲にたくさんピアニストさんがいらっしゃるから、この手のサイトを利用しなくて、すぐにピアニストさんは見つかるでしょ? でも地方って、音楽ネットワークが都会ほど広くないし、ピアニストさんがそもそも地方には少ないから、伴奏してくれるピアニストさんの情報って貴重だと思います。

 プロの音楽家さんって、ほんと、地方だと数少ないんだよね。学校の音楽の先生ですから、地方では人手不足だからね。都会は音楽家がたくさんいすぎて、仕事が足りなくて、音楽の仕事にありつけないプロの方も大勢いらっしゃるのに、地方だと音楽家そのものが少ないんだよね。

 音楽家さんって、何故か、地方に住みたがらないんだよ。たとえ仕事にあぶれていても、地方には行きたがりません。でもね、地方にいけば、それなりに仕事があるのにね。

 私が以前フルートを習っていた笛先生は、今、某地方にいるのだけれど、そこでもフルートをバリバリ教えているんだけれど、今ではフルートを教えるだけでなく、演奏活動も充実しているみたいだし(なにしろ、その土地では唯一のプロフルーティストでから、地域独占で活動しているようです)地元のテレビ局にも出入りできるようになり、ローカル番組等で使う音楽を演奏したり、作曲したりと、結構忙しいみたいです。こちらにいた時はなかなか難しかった、自分のための海外でのフルートの勉強も、今では定期的に行っているみたいで、羽振りがよくなったんだなあって、端からは見えます。

 私の見えない部分でのご苦労も当然あるでしょうが、押しなべて言えば、地方移住大成功ってパターンのようです。

 閑話休題。おそらく他にも似たような伴奏者紹介サービスはあるかもしれないけれど、これも何かの縁なので、こちらの“伴奏者募集サイト”をご紹介させていただきましたが、私自身はここを利用する予定はないし、何かトラブル等が発生しても、サイトのご利用は自己責任って事で、よろしくお願いしますよ。

蛇足 本当にガチマジ系の仕事を依頼するなら、こういうサイトではなく、ちゃんとした音楽事務所と話をして、そちらからピアニストさんを派遣してもらう方がいいような気がします。何か不測の事態が起こった時、個人的な依頼だとどうにもならない事があっても、事務所経由なら、事務所が何とかしてくれるでしょ。ガチマジ系なら、その辺のリスクもちゃんと計算に入れて、仕事の依頼をするべきだと…私は思います。

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2017年11月 1日 (水)

知ってましたか? 日本の音楽大学って、全部私立学校なんですよ

 実は私、知りませんでした。先日、日本中の音大のホームページをチェックしたれ…と思ってサーフィンをしていた時に気づいたんですよ。日本には、国公立の音楽大学って存在しないんです。私立学校しかないんです。

 ほら、だって…、桐朋学園、国立音大、武蔵野音大、東京音大、洗足学園、昭和音大等々、みんな私立学校じゃん。

 道理で、音大って、お金がかかるわけだ。

 「あれ、東京芸術大学って国立大学じゃなかったけ?」

 東京芸術大学って学校は、確かに国立大学だけれど、音楽大学ではありません。その名のとおり、芸術大学なんです。学部としては、美術学部と音楽学部の2学部があり、大学院としては、美術研究科と音楽研究科、映像研究科、国際芸術創造研究科の4つの研究科がある大学なのです。我々、音楽ファンは芸大を音大であると思いがちですが、あの大学は音大ではなく、音楽学部のある芸術大学だったんですね。

 「じゃあ、公立大学に音大って無いの?」

 音楽大学はないんです。でも芸術大学なら、愛知県立芸術大学、京都市立芸術大学、沖縄県立芸術大学の3つもあるんです。いずれの学校も、東京芸術大学同様に、美術学部と音楽学部の2学部があります。また、大分県立芸術文化短期大学は公立の芸術系の短期大学ですが、音楽科があります。

 「国公立大学で、芸術大学以外に音楽の勉強できる学校はないの?」

 実はあります。代表的なのが、各都道府県に一つはある、教員養成系の大学にある音楽教員養成課程がそれです。特に俗に“ゼロ免課程”と呼ばれる、教員免許を取得しない課程で学ぶと、一般の音楽大学や芸術大学の音楽学部並の勉強ができるようです。また、お茶の水女子大学の文教育学部には芸術・表現行動学科があり、その音楽表現コースでは、音楽の専門教育が受けられるようです。

 というわけで、我が国には国公立の音楽大学は存在しませんが、音楽の専門教育を受けられるような音楽系の学部学科は存在するわけです。さすがに国公立大学ですから、これらの大学の学費は私立の音大と較べると、かなり安価となっているようです。

 私立の音楽大学は、経済的に裕福でないと我が子を通わせ切れませんが、これらの国公立系の大学なら庶民の家庭でも、ちょっと頑張ると我が子を通わせることが不可能ではありません。ただし、どこの学校も(音楽的なレベルであったり、学力的なレベルであったり)レベルが高いので、それなりの準備が親にも子にも必要となるようですが…。

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