ひとこと

  •  中国共産党の理論誌『求是』で「中国こそが世界最大の民主国家だ」というタイトルの文章が掲載されているそうです。中国って民主国家だったんだ…。そう言えば北朝鮮も“朝鮮民主主義人民共和国”と名乗っている民主主義の国だったんだよなあ。うっかり忘れていました。たぶん、彼らの言う“民主国家”や“民主主義”って、我々が知っているモノとは違うんだろうね。でなきゃ、辻褄合わないし…ね。ちなみに我が国日本は、議院内閣制の立憲君主国であり天皇陛下を擁している事から、国の種類(?)としては『帝国』または『皇国』というべきなんだけど、そうは名乗っていないって事、知ってた?
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2017年10月の記事

2017年10月31日 (火)

日本は三季の国になったのでしょうか?[2017年10月の落ち穂拾い]

 もうすぐ11月ですね。季節は晩秋ですが…気候的にはすでに冬なんじゃないかって思ってしまいます。だって、寒い日は本当に寒いからね。

 ここ数年感じるのですが、日本は四季の国ではなく、三季の国ではないのかなって思うのです。つまり、春夏冬の3つの季節のある国で、秋なんて、いつの間にか無くなってしまったのではないか…って思うわけです。

 秋って…今の暦では、9~11月でしょ? でも、9月はまだまだ夏の延長だったし、10月の気候は、初めの頃はまだまだ夏の延長のような感じの気候だったのに、10月の終わりの今や冬の入口って感じでしょ? これからさらに増々寒くなってくるわけで、11月はきっと、すでにほぼ冬になっているんじゃないかって思うわけです。

 秋って、いつ来たの? 秋の真ん中である10月の真ん中あたりだって、秋っぽい気候だったのかと言えば、長雨と台風ばかりで、全然季節は清々しくないんですよ。これって秋なの?って思いました。

 春にせよ、夏にせよ、冬にせよ、それぞれの季節には、それぞれの存在感を感じますが、ここ数年、秋の気配ってヤツをほとんど感じない私です。秋ってまだあるの? あるなら、目の前に出してみてよ…と言いたい気分ですよ。

 まあ、長雨と台風が秋の象徴だと言うのなら、確かに秋はあったよね。ほんの一ヶ月にも満たない期間だったけれど…。でも、こんな秋なら、私はいらないなあ。

コレペティさん

 コレペティさんとは、正式にはコレペティトールと言い、歌手に歌を教えてる、コーチの役割も担ったピアニストさんの事を言います。

 コレペティさんは、確かに若い指揮者が修行を兼ねてやるケース(ヨーロッパにはこのケースが多いそうです)もありますが、日本では、ピアニストさんの一種…という方が多いかも。

 つまり、ピアニストにも色々な専門職があって、我々が普通に思い描くような、リサイタル等でピアノ曲をソロで演奏する事を生業とする人もいますが、その他のピアノ仕事を生業とされるピアニストさんもたくさんいらっしゃって、その数あるピアニストさんの専門職の中にコレペティさんもいらっしゃるって感じです。

 ちなみに、Y門下での発表会とか演奏会とかは、Y先生が伴奏ピアニストさんとして、必ずコレペティさんをメインのお仕事にしているピアニストさんにお願いしています。なんでも、通常のピアノ曲と、オペラのピアノ伴奏では、ピアノの奏法が全然違うそうで、普通にピアノの勉強しかされていない方では、オペラアリアの伴奏は、とてもハードルの高い仕事になるんだそうです。

 あと、ウチの近所(というほどの近所でもないのですが)には、コレペティさんが主催する、アマチュア向けの声楽教室があります。そこの発表会は、当然、普段レッスンしてくださる先生(コレペティさんです)が伴奏してくださるので、発表会を見に行っても、生徒の皆さんがのびのびと歌っているのが感じられます。

 また、知り合いの合唱団の練習ピアニストさんは、本業がオペラのコレペティさんだったりします。

 という訳で、その姿が見えづらいだけで、実は案外身近にコレペティさんがいるのかもしれません。ただ、歌わない人には、コレペティさんと普通のピアニストさんの区別が付きづらいだけかもしれません。

 そう言えば、メトの指揮者、レヴァインはコレペティさんでもあって、一流歌手たちに(自分が指揮するオペラの)指導をピアノでする映像がたくさんあります。あと、意外なところでは、リヒテルが元コレペティさんだったらしいです。意外ですね。

ノド声で歌う

 オペラは歌であると同時に演劇でもあります。私がプロ歌手はノド声でも歌えないといけないという理由の一つにオペラがあります。オペラではノド声でも歌えないと劇的表現が厳しいんですよ。その点、ドイツリートはきれいきれいに歌っていればいいので、ノド声発声は不要でしょうね。

 で、アマチュア歌手の場合、オペラを歌う人なんて、ほぼいませんからね。歌っても、アリアを1~2曲程度です。この程度なら別にノド声で歌う必要は、ほぼありません。

 私のように、部分的にであってもオペラの各幕を歌っちゃう人って、本当に稀有なんだろうと思います。

 ボエームの最後のロドルフォのミミを呼び求める声は、結構高い音ですが、ノド声要素が強くないと、締まらないですよ。あそこは響きやらアクートやらでピャーって歌っちゃダメな箇所です。そんな事をしたら、それこそ劇としてのオペラが、ぶち壊しになります。

 ウェルディやプッチーニは、ノドの声でも歌えないと厳しいです。だから、若い歌手たちは、ノドの声の要素の少ない、イタリア古典歌曲とかモーツァルトとかから学び始めるわけです。私がよく歌っている、トスティとかヴァリズモ系のオペラアリアなんて、本当はノド声の要素が強いので、あんまり素人が手を出しちゃいけない曲だったりします。

 でも、好きなんだよねえ(笑)。

良い楽器とは

 良い楽器という基準には、おそらく色々あるのだろうと思います。ある人にとっては、良い音色の楽器であり、ある人にとっては、楽に音の作れる楽器であり、ある人にとっては、音の反応の良い楽器であり、ある人にとっては、酷使しても安定して使える楽器であり、ある人にとっては、金ピカのギラギラの派手な楽器であり…ほんと、奏者の数だけ良い楽器の基準って、もしかするとあるのかもしれません。

 その楽器が良い楽器なのか、悪い楽器なのかの判定をするならば、おそらく悪い楽器は、誰もがその判定が一致して「これはダメだ」と言うのでしょうが、良い楽器は、人によって基準が違えば好みも違うのでで、票が割れるんじゃないかって思います。

 マテキとかアキヤマなどの工房系の楽器は、好みはあれども、みな良い楽器なんだと思います。私は工房系のフルートに憧れています…が、それ以上に自分の楽器を愛していますので、次のフルートを買い換えようなんて思わないのです。ある意味、私は幸せ者なんだと思ってます。

今月のお気に入り ふくらはぎのサポーター

 足の肉離れを起こして、約一ヶ月が経ちました。最初のうちは、包帯でガチガチに固めていました。それはそれで治療効果もあったのだと思いますが、包帯でガチガチに固めると、本当にガチガチに固まります。あんまりガチガチに固めるので、動けなくなるし、血の巡りも悪くなります。まあ、そこが狙い目なのかもしれませんが…。

 しばらくして、足がだいぶ回復してくると、包帯は不要になります。お医者様は「もう包帯で固めなくていいから。足には湿布だけ貼っておけばいい…」と言われます。それはそれで回復のきざしも感じられて嬉しいし、何より毎日包帯を巻くのも、案外大変なので、そこから解放される喜びもあります。

 でもね、包帯を外して湿布だけにすると、やはりあれこれ問題はあるわけです。

 何よりも、今まで痛みを感じなかった足が急に痛くなります。結構、これキツイです。あと、足が頻繁に釣ります。おそらくは冷えるからだろうけれど、怪我している足は、健康な足よりも釣ります…ってか、健康な足は滅多の事では釣りませんが、怪我している足は頻繁に釣ります。

 怪我した直後よりも、包帯を外した直後の方が、痛みに泣かされる事が増えました。

 でも、もう包帯はしたくないです。だって面倒だもの。そこで考えたのが、サポーターをする事。で、さっそく薬局に行ってサポーターを購入してきました。

 私が購入したのがコイツです。

 まあ、サポーターによる違いがどれほどあるかは分かりませんが、これを怪我した足に装着する事で、色々な事が解決しました。

 まずは足が痛くなりません。不思議だね。あと、足が釣りません。これも不思議だね。包帯と較べて、装着が全然楽です。締めつけ感も適度で辛くありません。包帯よりも歩きやすいです。

 箱の中に2枚のサポーターが入っています。本来は、両足につけるために2枚入っているのでしょうが、私は怪我した足にしかつけませんから、洗い替えとして使ってます。便利です。

 やはり筋肉系を怪我した時は、サポーターをすると楽になりますね。有り難い事です。

今月の金魚

 秋になりました。鬼門の秋です。今年は夏の間じゅう、クーラーを付けっぱなしにして、金魚に優しい夏を実践したのですが、それでもやはりちょっと体調を崩している子が、ポツポツと現れてきました。

 ヨッチャンについては記事に書きましたが、最近は黒出目金のミドリもなんか調子悪そうです。ミドリについては、今週末の金魚記事に少し書いてみるつもりです。

今月のひとこと

 楽譜って…高い(涙)。(2017年9月29日~10月8日)

 フルートの夏合宿、声楽の発表会、クラシックコンサート。毎月のように本番がやってきましたが、それもどうやら一段落です。これからはしばらく、実力アップのためにレッスンに集中して学んでいきたいと思います。(2017年10月8~16日)

 もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。(2017年10月16~23日)

 選挙が終わり、今から数年間の日本の政治体制も決まりました。さて、今日からは非民主主義的な手法で、日本を揺さぶる方々が暗躍します…と言っても、その事自体は選挙前からずっとやってますけれどね。それにしても、なぜ選挙結果を受け入れず、日本をダメにする方向で活躍する人たちが、我が国には大勢いるんでしょうね? 「思想信条は個人の自由」とは言え、選挙結果に準じて任せるのが間接民主主義ってヤツでしょ! 憲法にも43条を始めとして、選挙で決めますよと書かれているわけで、民主主義とか憲法とかを大切にしている人ほど、次の選挙までは臥薪嘗胆となるはずなのですが…大騒ぎする人たちは、口先ばかりの人たちで、民主主義も憲法もご存知ないんだろうと思います。(2017年10月23~28日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2017年10月30日 (月)

素人笛吹きはヴィブラートにこだわり、素人テノールはアクートにこだわる

 なんか、後ろから刺されそうな気もするけれど、正直、私はそんな気がするんですよ。

 アマチュアフルーティストは、ヴィブラートが出来る出来ないに、やたらとこだわるし、アマチュアのテノール歌手は、なんかアクートにこだわりたがります。少なくとも、ネットに巣食っている人たちは、押しなべてそんな感じです。

 別にこだわる事自体は悪いことではないし、出来ないよりは出来る方が良いに決まっているし、私自身は両方ともマトモに出来ない人なので、出来る人を、単純に、尊敬します。

 まあ、もっとも私の場合、両方とも“出来ない”というよりは“やらない”とか“目指さない”ってのが、私の本音だったりします。なので、ちょっと冷めているんですよ。だから、これらを闇雲に目指している人を傍目で見ていると、正直「他にやるべき事があるんじゃないの」って感じになってしまいます(ごめんなさい)。

 まあ、負け惜しみとも、負け犬の遠吠えとも、受け取ってもらっても、全然構わないのだけれど、私の正直な気持ちは、そんな感じなのです。

 と言うのも…。

 フルートのヴィブラートに関して言うと、まあ私もフルート初心者だから、当初はヴィブラートに対する憧れのようなモノがあり、ぜひ私も出来るようなりたいものだと思った事があります。で、ある日、H先生に「私もヴィブラートの練習を始めたいです」って言った事があります。

 そうしたらH先生曰く「私はヴィブラートなんて教えたことないよ。教えなくても、上達すれば自然とヴィブラートなんて出来るようになる」んだそうです。つまり、ある一定以上のレベルに達すれば、ヴィブラートは特別に習わずとも出来るようになるわけで、それをわざわざ練習して習得するというのは、まだそのレベルに達していないのだから、あまり意味はないよ…ってわけです。

 なので私に対しても「ヴィブラートは教えないよ。でも必ず出来るようになるから、焦っちゃダメだよ」と言ってくださいます。まあ、私は自分の先生を信じるしかないわけで、だからネットなどで懸命にヴィブラートの練習をしている事をアップしている人を見ると、色々とまあ複雑な気分にはなります(やっぱりヴィブラートは出来ないよりも出来る方が良いに決まってますからね)。

 今の私はヴィブラートを身につけるよりも、きれいな音でまっすぐに吹くことを求められています。これが現在の私の優先課題なのであり、今やるべき課題なのです。

 アクートも似たような感じです。Y先生曰く「まずは高いAまでは普通に歌える事。これが大切。それが出来てから、Aよりも高い音の発声を学びましょう」とおっしゃっています。一つずつ一つずつ階段を登っていきましょうって感じです。

 私もテノールですから、中低音を横においても、高い音を出したいです。ピヤーっとHi-Cなんて出してみたいです。それがアクートと呼ばれる発声法ならば、ぜひ体得したいものです。これは本音です。実際、今だって、そういう気持ちがかなり強いですし、以前はそういう歌の学び方をしていました。

 でも、今はY先生の指導に従って、まずは中低音で確実に歌える事を目指しています。中低音で確実に歌うのって、実はやるべき事が多くて難しいです。中低音って、歌っていても地味なんだけれど、曲の大半は中低音で書かれているわけで、高音なんて、一曲に一つか二つしかないわけで、その一つか二つしかない高音に全力を注いで、その他をなおざりにするのか、あるいは、たった一つか二つしかない高音を、たとえ失敗したとしても、残りに全力を注いで良い歌を歌うのか…という選択をせざるを得ない状況ならば、かつての私は前者を選んだと思いますが、今の私は後者を選びます。

 高音を失敗するだけなら、私はアマチュア歌手ですから「ごめん」で済ませちゃいます(世の中はテノールに甘いし…ね)が、歌全体を失敗したら、そりゃあ“音痴”でしかないものね。さすがに音痴はパスです。

 そう思うと、アクートを目指して学習するよりも、今は基礎である中低音を固めたいと思うし、その中低音の延長にある高音で歌いたいから、高い声で歌うようになったとして、それがアクートであろうがなかろうが、必要条件を満たしていれば、たぶん、気にしないのではないかって、今は思います。

 要は、アクートという特殊技法であるかどうかよりも、歌として必要十分な声で歌えればいいやって感じです。まあ、私は音楽ファンだし、オペラヲタクだけれど、発声オタクではないので、そういった技巧面には惹かれないだけのかもしれません。

 それでもやっぱり、本音で言えば、アクートで歌えるものなら歌ってみたいし、それでハナタカになってみたいものです。ただどうやら、私はまだアクートという特殊技法を身につけるよりも前に、身につけなきゃいけない基礎的技法が山ほどあるわけで、そちらを優先しなきゃいけない…という現実もあります。

 ってわけで、なんだかんだと言っても、フルートのヴィブラートや声楽のアクートに憧れている私です。憧れているけれど、こだわりは…無いですね。まあ、そんな私です。

 出来る範囲で全力を尽くす…が、私のモットーなんだな。何しろ、私にとって、音楽は趣味であって、道楽じゃあないから、そんなに一生懸命にはなれないのですよん。

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2017年10月29日 (日)

リア充って何よ?

 最近、よく耳にする“リア充”という言葉、どんな人の事を言うのでしょうか?

 チャチャっとググってみたところ、リア充とは「現実生活(リアル)が充実している人」の事を言うそうです。うーん、まんまじゃん。

 ただし、語法として「私はリア充です」と言うのは痛い使い方(つまり、誤用)であって、「私は恋人がいないのでリア充ではありません」とか、妬ましさのあまり「リア充、爆発しろ」などと使うのが、言葉として正しい使い方のようです。つまり、リア充という言葉は自分に向けて使う言葉でなく、尊敬やら妬みやらの感情を込めて、他者に向かって使う言葉のようです。自分に向かって使う時は、あくまでも反対のベクトルを向けて、否定形にして使うようです。

 そういう意味では「金持ち」とか「インテリ」とか「イケメン」などと同列の言葉のようです。これらの言葉も、自分に向けて使ったら変でしょ? あくまでも嫉妬と羨望を込めて第三者に向かって使う言葉です。

 言葉の使い方はともかく、本質的な意味を考えてみるなら、リア充という言葉の意味、つまり『現実生活(リアル)が充実する』って、どういう事なのかと考えるチャンスになります。

 リア充という言葉は、そもそもがネットスラングですから、若い人間が多く使います。そのため、充実しているリアルとして、恋愛しているとか、きちんとした職業に就いているとか、派手な交友関係があるとか、幸せな家庭生活を過ごしている(これは女性限定かも)とかがあげられます。インスタグラムなどで、いかにも幸せそうな写真をアップしていたりすると、リア充であると思われるようです。

 つまり“リア充”って“幸せ”のこと? または“幸せな人”の事?

 リア充が幸せという意味なら「私はリア充です」という言葉が誤用と言うよりも、気恥ずかしさを伴う言葉である事が分かります。だって「私は幸せです」って言葉は、間違っていないけれど、正面切って使うには、なんか恥ずかしいものね。ついつい「こんな私が幸せで良いのかな?」とか思っちゃうでしょ。そんな感じなのでしょう。

 ならば「リア充、爆発しろ」は「幸せなヤツなんて、死んじまえ」と言った程度の僻みの言葉なんでしょうね。

 そんな自分が幸せで無い事を強調するために、反対語としての“リア充”という言葉を頻繁に耳にする時代になったと言うことは、それだけ不幸な人が増えている、あるいは、自分は不幸であると感じる人たちが増えている、って事なんでしょう。

 それにしても…不幸な基準がゆるいなあ…。恋人がいないとか、友達がいないとか、定職についていないとか…そんなモンで“不幸”なんだよ。難病に罹患して日々苦しみの中で暮らしているとか、愛する人を立て続けに亡くして悲しみのどん底にいるとか、貧しくて収入も無くて住む家も食べるものも無くて野良犬のような生活をしているとか…とは訳が違うのであります。

 つまり、リア充を否定する事で確認される不幸なんて、軽微な不幸であって、決してマジでもガチでもない、“なんちゃって不幸”なんだよなあ。そういう意味では「リア充、爆発しろ」とか言って人は、まだ本当の不幸を知らない…とも言えます。

 どちらにしても、グローバル・スタンダードで言えば、日本人なんて、みんな幸せなんだよ。そういう事なんだよね。少なくとも「リア充爆発しろ」なんて言っている人は、言えるだけ幸せってわけなんだな。

 若いうちは、貧しくて当たり前、恋人がいなくて当たり前、定職についていなくても全然平気。だいたい、自分が何者なのかも分からないのが“若さ”なんじゃないの? 何も持っていなくても、可能性をたくさん持っているのが若者でしょ? オジサンになると、あれこれ持っているけれど、若者しか持てない、可能性とか未来とか将来とかが、眩しくて眩しくて…ねえ。自分も昔は持っていたのに、一体それらはどこに行ってしまったんだろうなあ…とぼやくことしか出来ないんだよな。

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2017年10月28日 (土)

ヨッチャンが色々と大変そうなのです

 現在、我が家の水槽には3匹のドジョウがいます。一番大きいのがラズ、次がヨッチャン、次に小さめなのが僅差でマッチです。で、今回は、ヨッチャンの話です。

 ラズとマッチは元気ですよ。体色も良くて活動的です。特に問題はありません。

 一方、ヨッチャンは問題だらけです。まず、体色がダメです。ほぼ、ラクトアイスのような黄ばんだ白い体色なのです。ヨッチャンは緋ドジョウですから、本来は、黄色~オレンジ色の体色をしているのが理想ですし、実際、ラズとマッチはその濃さの体色を保っていますが、ヨッチャンは明らかに体色が薄いのです。緋ドジョウの場合は、体調の良さと体色の濃さはほぼ比例しますので、ヨッチャンの体調はすごぶる悪いのです。

 さらにヨッチャンは、皮膚がボロボロです。これは病気と言うよりも、他の子たちに回復できないほどに食いちぎられて、ボロボロになってしまったと言えるでしょう。弱肉強食な水槽ですから、体調が悪くて無抵抗に横たわっていると…カラダはタンパク質ですから、元気な他の子たちに食べられちゃうんですね(仕方ない…)。悪循環ですね。

 そんなわけで、体調が悪すぎて、腹を上に向けて水面で浮かんでみたり、水流にまかせて水槽内を漂ってみたり、ポンプに吸われてみたり…と、かなりダメっぽい感じです。時々は、呼吸も止まり、仮死状態にもなっています。いよいよ星になってしまったかな?と思っていると、やがて動き出したりします。

 ドジョウって、案外、タフなんですよ。

 とは言え、かなりヨッチャンが大変な状態であるのは確かです。まあ、金魚なら、これで早晩アウトになってしまうくらいの状態なのですが、ドジョウって、ここからでも立ち直ったりしますので、私もまだまだ諦めていません。元気になってくれるに越したことはありません。

 と言う訳で、がんばれ、ヨッチャン。負けるな、ヨッチャン。

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2017年10月27日 (金)

エミリー・バイノンのフルートがヘインズに変わったことを知りました

 エミリー・バイノンはフルート奏者です。オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という超一流オーケストラの首席フルート奏者さんです。まあ、世界のトップフルーティストの一人ってわけですね。

 この人、親日家なんだそうで、よく日本にやってきては、コンサート開いたり、マスタークラスをしてくれたりしていて、日本にもファンの多い方なんです。で、この方は、少し前まで、アルタスフルートのPSモデルを使っているという事で、一部のファンの間では有名でした。つまり、先日までは、ウィリアム・ベネットやデニス・ブリヤコフ(ロサンゼルス・フィル)と並んで、アルタスフルートの広告塔だった人です。

 私はこの方のファンです。録音で演奏を聞いて、素晴らしいなあと思っていますし、ぜひ一度は彼女の生演奏を聞いてみたいものだと思っておりました。それでもチャンスがなくて、なかなか行けずに、今日を迎えてしまったのですが…。

 で、そんなバイノンが、使用フルートをアルタスからヘインズに変更されたと言う事を、最近聞きました。使用楽器の変更そのものは、すでに数年前に行っていたようですが…。

 ヘインズと言えば、ランパルが愛用していたメーカーとして有名なアメリカの老舗フルートメーカーですが、一般的には、そのランパルの時代に作られたものが銘器として扱われ、その後の時代に作られたものは、はっきり言っちゃえば、ごく良質な高級フルートとしての扱いを受けています。

 ざっくり言っちゃえば、ヘインズというフルートメーカーは、1960年代ごろをピークに、以降だんだんと衰退していったというわけです。会社に勢いが無くなると、作る楽器も、ピカイチだったのものが、だんだんとそうでなくなってくるわけです。で、良いものが作れなくなると、自然と売れなくなってしまい、経営的にジリ貧となり、やがて身売りされてしまいます。

 ヘインズも例外ではなく、経営難から、中国の会社に買われてしまいました。実際、現在のヘインズは、中国資本の会社です。

 で、チャイナ・マネーが入ったおかげでしょうか? 最近のヘインズは、往年の勢いを少しずつ戻しつつあるようです。今や、バイノンだけでなく、エマニュエル・パユもヘインズを愛用しています。パユと言えば、ブランネンのイメージが強かったのだけれど、今や彼はヘインズなんだそうです。

 もっとも、パユのヘインズは、現在作られているモダン・ヘインズではないかもしれません。雑誌のインタビュー等では、往年のオールド・ヘインズを使用しているような事を言っているらしい…という話を聞きます。直接、その記事を見つけたわけではないので、私自身は???ですが、真実は一体どうなのでしょうね。また、バイノンのフルートはどうなのでしょうね。まあ、オールドであれ、モダンであれ、バイノンが使っているフルートはヘインズであって、アルタスではありません。

 彼らはプロの奏者であって、自分をもっとも上手く表現できる道具として優秀な楽器を選ぶわけですから、今のバイノンにとって、アルタスよりもヘインズの方が、自己表現の道具として、ヘインズの方が優秀だと認められたわけです。

 アルタスユーザーとして、日本のフルートを愛する者としては、残念ですが、それもまた仕方のない事なのだろうと思います。

 まあ、私自身、縁がなくて、ヘインズをきちんと吹いたことはないのですが、もしもヘインズを吹いたら、ヘインズの魅力の虜になってしまうのかしら? 私は自分のフルートが大好きだし、アルタスフルートは良いフルートだと思ってますが、実は、アメリカの高級フルートも大好きです。パウエルとかブランネンとかに機種変更しようなんて事は、夢にも思いません。だって高価なんだもの、手が出ないよ。でも奇跡がおこって、泡銭を手にしたら…やっちゃうかもしれません。それくらい心が揺れ動きます。だから、ヘインズも、もしかすると…なんて思わない事もないではないのです。

 アメリカの高級フルートは、特別なんですよ。

 でも、自分が育てた楽器は格別です。

 私のフルートは、アルタスの1307で、私はこの子をアゲハと呼んでますが、アゲハはお店に並んでいる他の1307と較べると、数段良い音で鳴りますよ。たまたまアゲハが当たりの楽器であるという可能性もありますが、それ以外にも、私が名前をつけて愛し、毎日のように息を吹き込んで育ててきたので、音色が美しく育ってきた…と勝手に思っています。

 もっとも、金属でできた楽器が、たかが人の息で変化するとも思えないのですが…ね。となると、やっぱり愛の力かな(笑)。

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2017年10月26日 (木)

趣味と道楽の境目は…?

  趣味も道楽も、広義で言うところの『遊び』であり、基本的には同じモノです。英語に訳せば、両方とも“hobby”です。

 でも、我々が耳にする感じでは、趣味と道楽は、なんとも違うモノのような気がします。

 ではどう違うのか? 私の個人的な感覚で言えば、趣味は“健全なモノ”、道楽は“後ろめたいモノ”です。

 例えば、お見合い等の席で「あなたのご趣味はなんですか?」と尋ねるのは、まあある事でしょう。しかし「あなたのご道楽はなんですか?」なんて聞くわけないですよ? 仮に尋ねたとして、相手はなんと答えるでしょうか? 趣味なら答えられるけれど、道楽はなんですか?と尋ねられても、答えに窮するだけでしょ?

 だって「趣味は音楽鑑賞です」なんていう当たり障りのない答えはあるけれど、「道楽は音楽鑑賞です」って何か変でしょ? 一体、道楽と呼べるような音楽鑑賞って、どんな音楽鑑賞なんだろう? ってあらぬ妄想を抱きかねません。

 かくの如く、趣味ってのは、健全で、他人にも公言できるものです。一方、道楽というものは…健全でもなければ、他人には公言できないもの? あるいは他人に迷惑をかけてしまうモノ、迷惑をかけていると自覚できるモノなのではないでしょうか?

 趣味人と言うと、なんかカッコいいイメージがありませんか? 趣味によっては、知的であったり、健康的であったり、さわやかであったり…そういうイメージがついて回ります。

 でも道楽者と言うと…いけません。なんか“人間のクズ”と言われているような気がします。

 道楽者と言って、私が最初にイメージするのは、落語『寝床』の旦那です。落語のあらすじは、こちらのサイトにまとまっていますので、御覧ください。この寝床の旦那が、私にとっての道楽者のイメージなんですね。はた迷惑で、自己中心で、周りの迷惑なんて考えない。おまけに嫌がる人たちに自分の下手な芸を見せつけるし…ああなんてひどい人なんだ。

 この旦那、たぶん普段は有能で良い人なんだと思います。それが、こと義太夫になってくると、どうしてこんなに、ポンコツのクズになってしまうのか? そこが道楽者の道楽者たる所以ってやつです。

 最初は、この旦那にしても、義太夫は趣味であったはずです。自分も楽しく、周りも微笑ましく見ていてくれたのだと思います。義太夫仲間もでき、人間関係も広がり、楽しくやれていたはずなのです。それがどこでどう間違えたのか、旦那の義太夫は、周囲の人たちら避けられ疎まれ嫌われるようになり、それを薄々自分でも感じながら、旦那は義太夫を止められない。その業の深さが、趣味と道楽を分けるものではないかしら?

 つまり、理性でコントロールされて愉しんでいるのが趣味。理性が吹っ飛んでしまい夢中になってしまったのが道楽。だから、道楽者の道楽を止めさせることは難しいのです。

 そう考えると、何も道楽って、趣味の世界だけの話じゃないし、ダメダメばかりでもないかもしれません。趣味という非生産的な事を理性を吹っ飛ばすから、人間のクズ扱いを受けるだけで、経済生活であれ家庭生活であれ何であれ、生産的であったり、社会や経済への貢献度が高いモノに対して、理性をふっ飛ばしてガムシャラに、身を粉にして働きかけていくのであれば、それはダメなのではなく、むしろ評価が高くなりますよね。

 日本人の持つ勤勉性って、道楽者の性質と似てます。ただ、理性をふっとばす対象が仕事なのか遊びなのかの違いじゃないでしょうか? 仕事に対してガムシャラになれば、モーレツ社員(ああ、古い言葉だ!)であり、遊びに対してがむしゃらになれば、道楽者と呼ばれるわけです。

 振り返ってみて、私は趣味人なのかな? 道楽者なのかな? 音楽趣味に関して言えば…フルートは全然余裕で趣味ですね。うん、全く趣味過ぎて、H先生には申し訳なく、H門下の中では本気度が低すぎて恥ずかしくなるばかりです。でも歌に関して言うと、やっぱり趣味人なんだろうけれど、半歩ぐらい道楽に踏み込んでいるかも…。少なくとも、下手くそな歌を、ネットで公開しているんだから、寝床の旦那とそんなに大きく変わらないかも(涙)。

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2017年10月25日 (水)

難しい…本当に難しい…

 さて、声楽のレッスンの続きです。発声練習では目からウロコがボロボロ落ちた私でした。

 曲の練習に入りました。当然、新曲です。まずは武満徹作曲の「○と△の歌」です。私にとって、実質上、始めての日本歌曲となります(始めての日本歌曲が武満ってのも、なんかいいでしょ:笑)。

 「チキュウハ」の「ハ」は、通常ならば弱く発音するところだけれど、この場合は、主題を表す助詞「ハ」なので、心持ち強めに発音するのが吉です。また、その後に続く述部は、それぞれ内容に応じて歌い方を変えていくと、単調さを避けられるし、個性も出せますので、是非しないといけません。

 2ページ目の第1段目にある“ウミハフカイ”の“フ”は、ふりがな(?)として“Hu”が振られているけれど、ここは“Fu”と発音する方が日本語的に自然ではないだろうか…と悩みました。もしも、このローマ字による振りがなが、武満本人によって振られたモノならば、それを尊重しないといけないけれど、この曲に関して言うと、メロディーは武満自身によるものだけれど、ピアノ伴奏は他者によるアレンジものだし、振りがなも誰が振ったのか不明なので、そこは歌い手の感性で“Hu”でも“Fu”でも良いのではないだろうかという結論になりました。“Hu”で発音すれば優しい音になるし“Fu”で発音すれば音がまとまって印象的になります…ってわけで、私は“Fu”で発音する事にしました。

 2ページ目の第3段目にある“チキュウハマルイ”の部分が歌いづらいです。特に和音がF6になる部分の音が取りづらいです。まあ、F6と言う和音は、展開するとDm/Fでもあるわけで、長調とも短調とも言える中途半端な和音であって、その中途半端さがメロディーの音を取りづらくさせているんじゃないかなって思います。まあこの歌は現代音楽だからね、一筋縄には行かないのですよ。

 先生的には、これで上がり…ってしても良いような感じでしたが、私的には、まだちょっと納得行っていないので、次回もこの曲を歌うことにしました。でも、次回でこの曲は終わりになりますので、次にレッスンで取り上げる曲を考えないといけません。さて、次は何にしましょう?

 後半はドナウディ作曲の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」です。音楽的には武満の方が全然難しいのですが、歌としてはこちらの方が難しいかもしれません。とにかく、テンポがユレユレなので、歌手が指揮者並の強い意思をもって歌わないといけません…って言うか、この曲、指揮者がいた方が歌いやすいって!

 まずは出だしの1オクターブの跳躍音程ですが…無伴奏でいきなり1オクターブ跳ぶわけで、練習不足が露呈してしまいました。ちゃんと練習しておけば何ということもないはずですが…いやあ、難しいです。自分じゃあ1オクターブ跳んだつもりでも、ちょっとでもノドに力が入っていると音程がフラットしてしまいますからね。脱力、まだまだ難しいです。

 テンポ設定が、やはり難しいです。楽譜に(大雑把に)指定されている通りに歌おうとするだけでは面白くないのです。その中でも、音程が高いところはテンポを速めに、音程が低いところはゆっくりと歌った方が情感がこもりますし、上行フレーズはアゲアゲに、下降フレーズは慎重に歌っていくわけで、なんかドナウディって難しい…。特に“vagamente”と指定されている所は、一体どーすればいいんじゃい。“vagamente”と言うのは「曖昧に」という指定なんだけれど、何を曖昧にすればいいんだろ? 音程ですか? リズムですか? テンポですか? 言葉の譜割りですか? ああ、分かんない! それにいくら“vagamente”だからと言って、きちっとやるべきところはきちっとやらないと、伴奏のピアノとズレズレになってしまうわけだし…最低限、拍頭は合わせないといけないけれど、拍の切れ目と言葉の切れ目が全然一致していないし、何とも何ともじゃありませんか!

 またその箇所を含めて、フレーズが長くて、1ブレスで歌うのは(私的には)ちょっと難しいです。じゃあ、どこでブレスをするべきかとなると…“tutto”の後になるわけだけれど、音楽的には何とも中途半端な箇所でブレスをしないといけないわけで、それがまた難しいのです。ああ、たくさん練習しないと歌えないじゃん。

 曲の後半、テンポがLentoと指定されているけれど、本当にLentoで歌ってしまうと、歌がベターとした印象になってしまうので、テンポはLentoでも、気持ちはAndanteぐらいで歌っていかないといけません。そういうところ、ドナウディって、古典歌曲のスタイルで書かれているけれど、やっぱり半歩ぐらい現代音楽に足を踏み入れているんだろうなあ…。

 で、レッスン終わりは、今年の忘年会の打ち合わせです。今年の忘年会は…先生の年末のコンサートが終わったところで、コンサートの打ち上げを兼ねての忘年会って事になりました。もちろん、私、コンサートを見に行って、その足で忘年会に参加します。で、新年会は…先生の新年のコンサートの打ち上げと兼ねて行う事になりましたが、そっちは仕事の関係で私出席できません、ああ残念、残念。

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2017年10月24日 (火)

久しぶりに自分の欠点と向き合っちゃいました

 声楽のレッスンに行ってきました。クラシックコンサート後、初のレッスンです。これからしばらくは本番が無いので、地道に歌唱力を上げられるように努力していきたいと思います。

 さて、今回のレッスンも、テーマは「腹筋をきちんと使っていこう」です。毎度毎度テーマが同じで、先生にも、ここを読んでくださっている読者の皆さんにも、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 私が腹筋を使おうとして、グイっと腹筋を動かすと、その瞬間にググっと首が肩に埋まるんだそうです。おそらくは無意識に息を圧縮しているんだろうと思いますが、もちろん、これはダメなんです。首は逆に伸びていかなければいけないのです。意識としては、背を伸ばす方向にカラダを伸ばしていく必要があり、そんな、背を伸ばす方向の動きをしながら、腹筋をグイっと体内にしまい込むような動きをする必要があるのです。

 まあ、腹筋を意識的に使わずとも、背を伸ばしていく方向に動いていくと、自然と腹筋が伸びて、結果オーライな感じになりますので、まずはそうやって腹筋を使用し、これ以上背が伸びなくなった段階で、意図的に腹筋をグイグイ入れていくのが吉なのです。

 実は、腹筋を使っていくのは方法論なわけで、本来の目的は、息を流し続ける事なのです。ですから、腹筋を使おうが使わなかろうが、息を流し続けられるなら、それはそれでOKなのです。

 要はそこなんですね。息を流し続けるために、腹筋を使わなければいけないし、息を流し続けるために、ノドに力を入れてノドに蓋しちゃいけないのです。あくびのクチも、ノドに蓋をしないための工夫なんですね。

 目ウロコでした。

 実は私、今までなるべく息を節約するように、少量の息で歌えるようにしていました。だって、それが良い事だとキング先生に習ったんだもん。

 キング先生に習う以前の私は、息をたくさん出しながら歌っていました。それこそ息を流し続けて歌っていたのです。でもそれはキング流の発声方法ではダメな発声方法なわけで、なるべく息を使わずに声を出せるように、少量の息でも長く歌えるように、要は息ではなく、ノド自体を振動させて歌える(いわゆる“ノドを鳴らす”です)のが良いとされ、その方向で努力していって、なんとかそれを習得したわけです。まあ、このあたりの私の苦労は、以前書いた記事を見れば、分かると思います。

 とにかく、キング先生の元で習った、この歌い方は、Y先生の元(って事は、いわゆるスタンダードな発声方法)ではアウトなわけで、私は息の使い方をリビルドしないといけないって事に、ようやく気づきました。

 参ったなあ…。だからY先生は、腹筋腹筋腹筋と言い続けていたわけだ…。

 以前のように、キング先生に歌を習う前のような感じで、息を流して歌えればいいのだけれど、そんなやり方、忘れちゃったよ。今ではすっかり、少量の息で、声を鳴らして歌う、キング流の発声方法が身についちゃっているよ。おお、どうしよう。

 とにかく、息を流し続ける事。不用意にノドを鳴らさない事。これが現在の私の課題となりましたが、いやいやいやいや、これ、難しすぎます。だって、少量の息でしっかりとノドを鳴らして歌う方法を、私は命の次に大切なお金を使って習得したんだよ。それを忘れろ、リセットしろと来たもんだ。ふえー、私の大切なお金と時間を返して欲しいよぉ。

 と、まあ、ひとしきり愚痴ったところで、気分をリセットです。

 とにかく、息を流し続ける事。特に高音に行けば行くほど、息のスピートを増して流していく事。うむ、このあたりはフルートと一緒だね。納得納得。

 ノドは鳴らしすぎない事。ノドが鳴ってしまうと、自然と声が重くなってしまいます。声が重くなってしまうと、高音が出づらくなります。発声練習をする時、当然ですが、低音から始めて高音へと少しずつ移行しながら練習していくのだけれど、最初の低音の発声を頑張ってしまうと、声が重くなりがちなんですね。私の声帯はテノールなんだから、本来は低音なんて鳴らないはずだし、鳴らす必要もないわけです。それを無理無理鳴らすのが習い性となってしまったために、高音で苦労する羽目となっているわけなのです。

 特に問題なのが、本来はちゃんと出ないはずの低音を無理して出すために、ある音(って、具体的に言えば、五線の下の方のレとかドのあたり)から、自然な発声ではなく、掘った声になっているんだそうです。確かに、あのあたりって声が出しづらくて、無意識に発声方法が変わっているって事は、薄々気づいていました。いくら音が低くて出しらくても、声を掘っては元も子もありません。あくまで自然な声のままで、それで出なければ、それはそれで諦める。だってテノールだもん、低い声なんて必要ないもの。それよりも、無理して低い声を出して、高音が出せなくなる方がダメなんです。

 そのためにも、息は流し続けなければいけないし、音が高かろうが低かろうが、クチの中のカタチは変えずに、発声しつづけなければいけないのです。無理して低い声を出すために、掘った声で発声しちゃダメだし、無理して高い声を出すために、薄くて平たい声で発声しちゃダメなんです。低音も中音も高音も、同じクチのカタチで、同じ音色で歌い続けなけばいけないし、そのためには息を流し続けないといけないし、そのためには腹筋をグイグイ使っていかなきゃダメなんです。

 ようやく自分が取り組んでいる事の原因と結果が分かりました。後は、それを実行できるようにすることなのです。分かったからと言って、それが出来なきゃ、意味がありませんからね(評論家になるなら話は別なのですが…)。

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2017年10月23日 (月)

言いたくないけれど…下手な歌を聞くと、苦しくなります(涙)

 実はかなり前の話になります(ごめん)。

 例によって、趣味の素人の発表会を聞きに行ったと思ってください。今回は声楽の発表会でした。そこは、いわゆる大曲をみんなでバンバン歌っていきましょうって感じのお教室で、他所では聞けないような、まるでプロのコンサートのような、いや、それ以上にヘビーで大きな曲ばかりが歌われる発表会でした。

 当然、出て来る方々も、それらの歌を歌いこなすほど、上手な方々が揃っている、なんとも、うらやましい教室だったわけです。

 上手な歌を連続で聞いて、上機嫌な私でしたが、ある方が歌い始めた途端、なんか息苦しくなり、思わず咳が止まらなくなってしまいました。発表会の最中ですよ、咳なんてしている場合じゃないです。思わずハンカチで口を押さえて、咳のボリュームを下げましたが、それで許されるものではありません。

 マナー違反とは知りつつも、カバンからアメを取り出して舐めました。それでかろうじて咳は止まった…と言うか、止めました。いやあ、苦しかった。

 でも、その人の歌が終わると、ノドの苦しさから解放されて、楽な気分になりました。

 どうやら、私のノドは、その方の歌と連動して苦しくなったようでした。

 その方は、コロラトゥーラ系の歌を歌っていました。確かに声質は軽いソプラノで、その手の曲を歌うのも不思議ではない声なのですし、音程的には、結構難しいはずですが、それも何とかクリアしていました。

 でもね、声がイマイチだったんです。なんか、息が流れていないのです。声が飛んでこないのです。細くて軽い声なんだけれど、その声に何とか深みを付け加えようと努力をしているのも分かりました。でも、なんか声が流れてこないのです。クチの中で声が溜まっている…というか、音をほおばったまま…イメージ的にはリスが歌っているような感じがしたのです(ごめんなさい)。

 そんな声を聞いているうちに、私もノドが詰まるような感じがして、ついつい咳き込んでしまったわけです。

 ああ、つらかった。

 たったそれだけの話なんです。でも気をつけないといけないですね。私は素人さんの発表会が好きで、うまい歌もうまくない歌も好きなのですが、この世には、健康を害する歌もあるって知りました。もちろん、誰でも彼でもダメにするってわけではなく、私のように、歌っている人の声に自分のノドが思わず連動してしまうタイプの人に限ります…が。

 それにしても、発声って大切だなって思いました。音程的に歌えたとしても、それで歌が歌えるわけではないって事が分かりました。自戒していきたいと思います。

 ちなみに、別の発表会でしたが、妻が「この人の歌をこれ以上聞いちゃいけない」と言って、会場から出ていってしまった事がありました。あの時は、私は何とも無かったのだけれど、妻はその人の歌を聞いて、本当に体調を崩してしまいました。人によってツボが違うのだろうけれど、下手な歌って、健康に害があるみたいです。ジャイアンの歌はマンガだから大げさだけれど、あれに近い現象って、現実にあるんだなあって思いました。

 それにしても、歌っている人は歌が下手なだけで、別に罪は無いわけで、そこが厄介と言えば厄介ですね。

P.S. 咳を回避するために、歌唱中だったにも関わらず、アメをなめてしまった私でしたが、その人の出番が終わるやいなや、場内アナウンスで「会場内での飲食の禁止」のアナウンスが(かなり場違いな雰囲気の中で)流れていました。たぶん、私のことを注意していたんだろうなあ…って思いました。では、私はどうすればよかったんだろ? 歌が終わるまでゴホゴホやり続けていればよかったのかな? 周囲の人たちを立ち退かせながら退場するべきだったのかな? それともいっそ、会場で物音をたてた責任をとって、舌を噛んで自決するべきだったのかな? どちらにしても、色々考えた末にアメをなめて咳を鎮めるという選択をした私は間違っていたようです。残念。

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2017年10月22日 (日)

トラブル報告…通販で買ったモノが不達かと思ったら、20日遅れで届いた件

 ネット通販全盛の時代です。私もよく利用します。自宅にいながら、日本全国はもちろん世界中から、欲しい商品を購入でき、それを自宅まで届けてもらえるわけで、とても便利なシステムだと思います。私も色々なものをネット通販で購入します。

 でも、ネット通販って、店で直接商品を購入するのと較べると、実は様々な会社の色々なサービスを使っているので、トラブルが起こった時は、色々と面倒だったりします。

 商品を売ってくれる会社はもちろん、その商品を配送してくれる配送業者(海外からだと複数の業者の手を経て届くこともあります)、支払いのためのクレジット会社等々のお世話になります。

 以前、外国のウェブサイトからDVDを購入して、注文とは違った品が届いた時(結構あります)は困りました。クレームは英語でしか受け付けないサイトとか、日本語で受けてくれるけれど対応が不親切なサイトとか…まあ外国のサイトとトラブルが発生した場合は、たいがいこじれるし、面倒だし、泣き寝入りだって、たびたびしました(つまり授業料です)。

 また、遅配とか不達もあります。海外からは通常一ヶ月ほどで荷物が届きますが、たまに三ヶ月ぐらいかかる事もあります。こちらは不達と判断してクレームを入れても、実際は単なる遅配だったりするわけだし、トラブルの元がどこにあるのかも分からない事あり、結果として不達になってしまった時は、やっぱり泣き寝入りをする事もあります。

 海外からの買い物は、言葉の問題や商習慣の違い、単純に遠方からの配送等々、トラブルのタネがたくさんあるわけで、あれこれあっても仕方ないと諦めている私です(それでも日本じゃ入手できないモノとか、めっちゃ安価な価格設定などに惹かれて、ついつい購入しちゃうんだけれど…ね)。

 そこへ行くと、日本国内の買い物なら、それらの諸問題をクリアできるし、日本人は丁寧に仕事をするので、今の今までトラブルなんて発生する事もなく安心して利用していました。それが、つい先日、思いもかけないカタチでトラブルが発生いたしました。

 楽譜を購入した…と思ってください。国内出版社の、ちょっとレアな楽譜です。ちょっとレアなので、近隣の楽譜屋の店頭には無いし、かといって休日に都会に行って購入するヒマもなかったので、ネット通販…具体的にはアマゾンで購入しました。

 あいにく、アマゾンでは品切れだったのですが、マーケットプレイスという、アマゾンの中でサードパーティーが商売をするというサービスがあり、そこで某大手楽器店のWeb通販部から、目的の楽譜を購入した…わけです。その某大手楽器店のWeb通販部を、仮にA社としましょう。アマゾンから直接の購入ならば、配送料無料だったのですが、割と急ぎで欲しかったので、配送料がかかるけれど、在庫があるA社から購入したのです。ちなみに、配送料は250円でした。私自身が電車に乗って東京を往復をすれば約2000円かかっちゃうわけだから、配送料を高いとかは全然思いませんでした。

 で、その日は、楽譜を始め、その他にもあれこれ(別の店から)購入し、やがてそれらの商品が我が家に届きました。

 でも、楽譜だけ届きません。まあ、遅れることもあるだろうと、数日待ちましたが、それでも品物は届きませんでした。さすがに、これは遅すぎる…と思い、どうなっているのだろうかと、ちょっぴり心配になりました。アマゾンには、商品の配送状況などを調べるページがあります。そちらを見たら、まだ配送途中という事だし、荷物の到着予定日まで、まだ数日ありましたので、焦らずに待つことにしました(でも本当は、一刻も早く楽譜を必要としていたのです)。

 焦らずに待つ事にしたとは言え、この段階で、少し不安になっていたのです。というのも、国内で買い物をした場合、注文したら、商品は翌々日に届くのが普通で、遅れても1日か2日の話で、到着予定日の1週間から10日前には、だいたい荷物が届いていたからです。ですから、こんなに遅いというのは珍しい事だったのです。

 とにかく、到着予定日までは待つことにしましたが、なにしろ日数があるわけで…私も少々うっかりしていました。

 数日後“あれ? そろそろ荷物が届いていないのは可怪しくない?”と思って、アマゾンの配送状況を調べるページを開いてみると…なんと、びっくり! 昨日、届いている事になっていたのです。それも我が家に届けた時刻までしっかりアップされていました。

 私はさっそく家族に尋ねましたよ。荷物は届いていないのか?ってね。そしたら、誰も知らないし、受け取っていないのです。あれあれあれ、ウチの中で紛失か? 家中をひっくり返して探しましたが、何も出ません。いよいよ、オカシイです。

 で、ふと思い出しました。荷物が届いたとされる時刻、私は何をしていたのか?

 実は家にいました。それどころか、玄関の前にいて、近所の人と長話をしていたのです。用件は、自治会関係の話で、荷物が到着した時刻を含んで、30分近く、玄関の前で自治会の人と話し込んでいたのです。その間、郵便屋さんは来ましたが、いわゆる配送業者らしき人はいませんでしたし、その郵便屋もウチの前は素通りしていました。

 あれ? オカシイぞ…。

 とりあえず、マーケットプレイスとは言え、アマゾンから購入したわけだから、アマゾンの購入履歴のページから、A社にメール連絡を入れてみました。アマゾンから連絡を入れると、その連絡メールが、A社だけでなくアマゾンにも送られるので、あえてそれを利用しました。

 当然、返事はすぐ来ることはなく、翌日になりました。

 次の日、A社から返事が来ました。内容は「ウチはちゃんと発送した。だから商品が届かないのは配送業者の責任。配送業者に問い合わせをしてくれ」というものでした。まあ、そりゃあそうだろうけれど、その配送業者を指定したのは、あなたの会社であって、こちらが配送業者や配達方法を指定したわけでもないのに…ねえ。A社の印象が悪くなりました。もう二度とその会社で買い物をしない事にしました…とは言え、そもそもその会社、ウチの近所には無いので、今までも買い物してませんでしたが(笑)。

 とりあえず、配送業者のサービスセンターというところに電話を入れてみました。“アマゾンによれば、私の荷物は貴社によってすでに配送済みとなっているのだけれど、品物が到着していないのです”…って内容です。

 サービスセンターの方の対応は丁寧でしたよ。さっそく調べますと言ってくれ、一度、電話を切りました。

 しばらくすると、その配送業者のウチの地区担当の営業所から電話がかかってきました。事情を話しました。向こうの会社の記録は、すでにアマゾンのサイトにアップされているのと同じでした。それどころか「配送担当者が言うには、荷物が大きくて、郵便ポストに入らなかったので、玄関のドアノブに、ビニール袋に入れて、下げておいたそうです」と、具体的な配送状況の話さえ教えてくれました。つまり、配送業者は確実に配達したよと言うわけです。

 そうは言っても、品物は届いていないんだよ。

 ううむ、なんか納得しない。いくら配送されていても品物は確かに届いていないのだから…。

 で、こちらが反論しようと思った矢先に、あちらから「弁償します」と言ってきました。だから、私が購入したものを「具体的に詳しく教えてください」と言ってきました。

 弁償? だってあちらはちゃんと配送したんでしょ? じゃあ責任ないじゃん。確かに私は納得してないし、実際に品物も届いていないけれど、配送会社はやるべき事をやったんでしょ? じゃあ、配送会社に非はないじゃん。非が無いのに、弁償するの? 今度は別の意味で、なんか割り切れない気持ちになりました。

 とは言っても、実際に注文した楽譜は届いていないし、届かないと困るし、それもなるべく早く入手したいし…。おまけに、その楽譜、そんなに安くないし、近所じゃ売ってないし、買いに行く時間もないし…。だいたい、今は足が肉離れ中で不自由だし、気楽に買い物にいけないわけだし。

 言いたいことはアレコレあったし、自己矛盾な気持ちも無いわけじゃなかったけれど、配送会社さんの弁償に応じることにして、説明をしました。

 翌日、配送会社から電話がかかってきました。私が頼んでいた楽譜を銀座(!)まで行って買ってきたので手渡ししたい…のだそうです。昨日の今日で、弁償ですか? 仕事、早くない?

 地区の営業所のエライ人がやってきました。あっちこっちの楽器屋さんに私が頼んだ楽譜の有無を尋ね、在庫を確認したので、自ら出掛けて行って楽譜を購入して、それを弁償の品として届けに来てくれたのです。もちろん、平謝りの平謝りをしてくれました。

 私は今回の件、誰が悪いのか分からないわけだし、今回も泣き寝入りかなと思っていたのに、思わず弁償していただいたので、却って悪い気になってしまいました。

 ここまでやっていだたけて、大変感謝しています。今回の件は水に流しましょう。

 私はエライ人にそう伝えました。だってそうでしょ? 目の前にいる彼が何か悪さをしたわけじゃないし…ね。私は彼と、彼の会社を許しました。誠意には、ちゃんと応えないとダメでしょ?

 でもね、今回の件、最後まで疑問は残りました。それは実際に私の荷物を配送した配達員の行動です。記録が正しければ、彼が我が家に品物を届けた時間、私は玄関前にいたので、絶対に彼の姿を見ているはずなのに見ていないのです。玄関のノブに品物を掛けたと言ってますが、私のその玄関のノブを持っていて、玄関のドアが閉まらないようにずっと支えていたのですから、私に気づかれないようにドアノブに品物を掛けるのは不可能です。

 じゃあ、配達時間を間違えて記載してしまった? 記載時刻よりも前に配達していたのなら、私が玄関に出た時点で気づいています。記載時間よりも遅く配達していたとしても、やはり家を出入りする際にドアノブの品物には気づくはずです。

 その日は、しばらくして出かけたのだけれど、息子くんは家にいたのだから、ピンポンしてくれた段階で、直接荷物を受け取るって(笑)。それに、ウチの近所は治安がいいので、玄関に宅配便の荷物をぶら下げたところで、今まで紛失した事はないし、第一、金目のものならともかく、楽譜なんて、誰が欲しがる? でしょ??

 なんか、あれこれ分からない。でも、弁償してもらったのだし、水に流す事にしたので、これ以上は不問にするのだけれど、やはり最後まで謎は残るわけでした。

 それにしても、その配送業者さんの対応は、実に素晴らしかったと思います。さすがは日本企業だね。

 …なんて思っていました。

 で、そんな事件から数日たったある日の事。それは先の楽譜の配達予定日から、ちょうど20日過ぎた、ある日の事だと思ってください。

 その前日の夜、私は大雨が降る中、仕事で深夜に帰宅しました。いつも帰ると、家のポストを覗いて郵便物の有無を見るのが私の習慣で、その時はポストに何も入っていない事を確認して家に入ったのです。

 で、その翌日、日の出前の大雨が降りしきる中、仕事に出かける私でした。つまり、一晩中大雨が降っていたわけです。で、ポストを何気なく見ると、何か大きな荷物が入っていて、ポストからはみ出てビショビショに濡れていました。

 で、その荷物を取り出して見たところ…それは、あの“不達”だった品物だったのです。配送会社のお問い合わせ伝票番号が一致していますし、中に入っていた納品書は、最初に注文した時にA社から届いた確認メールの記述と一致していますので、完全に、あの“不達”だった品物だったのです。

 ドアノブに品物を掛けた??? じゃあなんで、それが20日後にポストに入っているんだい? それも大雨が降っている真夜中…つまり、配送業務を行っていない時間帯に届くんだい。それに大雨で品物がずぶ濡れで、水が滴っているじゃないか?(中の楽譜自体はビニールで梱包されていたので無事でしたが…)

 まあ、この件は、水に流す事にしたので、これ以上深く追求はしない事にしたのですが、それにしても、結果として品物が届いたとは言え、やっぱり疑問は残ります。20日前に、私が玄関にいる時間にドアノブに掛けたはずの品物が、20日後の真夜中、それも大雨が降っている中、ポストにむき出しで投函されてびしょ濡れになって届いていたのは何故? 私の荷物はタイムマシーンによって配達されたのでしょうか?

 少なくとも言えることは、配送会社から受けた説明「荷物が大きくて、郵便ポストに入らなかったので、玄関のドアノブに、ビニール袋に入れて、下げておいた」は、明らかな嘘だったという事ね。で、その嘘の報告を配送会社からアマゾンにアップしたわけです。嘘をついたのが、配送を担当した配送員なのか、配送会社そのものなのかは分かりませんし、もしかすると私の想像し得ない場所でのトラブルがあったのかもしれません。

 ああ、あれこれ納得いかない。言えることは、実際に配送していないのに、配送した事にして、その虚偽の情報を注文主(直接的にはアマゾン、最終的には私)に伝えると言うのは、企業として信頼できない行為です。

 品物が届かなきゃ、今回のようにクレームが来るわけだし、隠し通せる事ではないのに…一体、どうなっているのでしょうか?

 でも、水に流すと決めたので、これ以上の追求はナシにするし、配送業者さんの名称も明らかにしないし、何よりブログのネタになったので、これで良しとします。

 あと、結果として高価な楽譜が2冊になってしまったけれど、楽譜なんて1冊あれば十分だから、別に得した感じは全然しないんだな(ボソッ)。

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2017年10月21日 (土)

結局、選挙って行かないと損するんだぜ!

 よく「選挙なんて、行っても行かなくても関係ないよなあ。別にオレが投票したからって、世の中変わんないし…」とか言っている人を見かけます。特に若い世代に多いかな? そう言われると、確かに自分の一票をどこに入れたとして、あるいは棄権をしたとして、たった一票で世の中変わんない…なら、投票行くのも面倒だし、天気もいいから遊びに行っちゃえ(今回はあいにく全国的に悪天候だけれど…ね)とか、いつもどおりバイトに行こうとか、家でゴロゴロしていようとか、思うんだろうなあ。

 確かに、たった一票なら世の中は変わらないかもしれません。でも、たかが一票だし、されど一票なんです。

 このページを見てください。総務省が発表している、国政選挙における年代別投票率の統計です。

 これによれば、前回の平成26年度に行われた衆議院選挙では、20歳代の投票率は約33%で、30歳代が約42%、40歳代が約50%、50歳代が約60%、60歳代が約68%、70歳代以上が約59%となっています。全体では約53%の投票率となっています。

 つまり、全体の53%の人しか投票に行っていないのです。裏を返せば、47%の人が投票をしていないのです。

 前回の衆議院選挙の得票率は、与党と野党はほぼ拮抗していて、約50%ずつなんです。実は投票数だけでは、前回の選挙、与党も野党も、別に勝ったも負けたもなかったのです、興味深いですね。それでも得られた議席数は、与党が326席、野党が149議席となりました。そこが小選挙区制の不思議なところで、勝った候補者は僅差で勝ち、負けた候補者は大差で負けると、こういう結果になります。僅差で勝っても大差で勝っても、その選挙区から当選する議員は一人というのが小選挙区で、落選した候補者に入れた大量の票が選挙結果に反映しづらい、民意がきちんと選挙結果に反映しづらい、つまり死に票が大量に出ちゃうのが小選挙区なんです。そういう意味では、少数意見が通りづらい選挙制度なんですね。かつて採用していた中選挙区の方が死に票が少なくてよかったなあって思ってます。

 この小選挙区制を導入した責任者は、当時の首相で日本新党の細川護煕と、自民党から下野した小沢一郎と、当時の自民党総裁河野洋平だったりするわけです。小選挙区制は、、当時、得票率の低い野党が自民党に選挙で勝つために採用された方策(当時“政権交代が可能な選挙制度”って宣伝されてましたね)であって、要は自民党潰しだったわけです。でも結局、自民党は潰れず、たくさんあった野党がグッチャグッチャになって旧民主党ができて、政権交代は果たしたものの、政権実行能力の無さ(つまり無能さを発揮したわけです)をさらけだしただけで、今に至るわけです。

 その結果、民意が反映しづらい、歪な選挙制度だけが残ったわけです。歴史って皮肉なもんだね。

 閑話休題。つまり全体の約半分の人たちしか投票に行って無くて、そのうちの半分の人たちが、それぞれに与党と野党に投票して、今の政治体制が作られているわけです。というわけで、現在の与党(あるいは野党)に投票した人って、全体の25%しかいないってわけです。

 なのに、投票に行ってない人が47%もいるんだよ。

 投票に行かなかった人たちが、もしも投票したとしたら、それだけで選挙結果は大きく変わります。そして(おそらく)日本は変わるんです。

 分かるでしょ? だから、たかが一票だけれど、されど一票なんです。今まで投票をしていなかった人が投票するだけで、日本という国は、大きく変わるんです。びっくりでしょ?

 さらに言うと、年齢別の投票率を見てみると、若い世代ほど投票に行かず、年配者や高齢者ほど投票に行っているのです。20歳代は1/3にも満たない人数しか投票に行っていないけれど、60歳代は7割近い人が投票に行っているのです。

 皆さんがお店のオーナーだったら、店を繁盛させるために、顧客が喜ぶ事をしたいと思いますよね。お客の年齢とか性別とかに合わせたサービスをするのは、当たり前です。

 現在、選挙には老人たちがたくさん投票しています。当然、政治家たちはそれを知っていますから、選挙になれば、老人たちが喜ぶ事を言い、当選すれば、老人たちのためになる政策をバンバン実行します。そうすると、次の選挙でも老人たちが自分に投票してくれるからです。

 何が言いたいか、分かる?

 若い世代が、政治に対して不信感を持ったり、期待していないって話はよく聞きます。政治なんて、自分たちの生活とは関係ないもん…って思っているからですが…ある意味、それは正しい認識です。だって、政治家たちは、若い世代の事なんて、見てないもの。若い世代が喜ぶような政策なんて実行しないもの。だって、そんな事をしたって、若い世代は投票してくれないし、下手に若い世代のための政策を実行して、老人たちの反発を受けたら、次の選挙が危ういじゃない? 自分の顧客である老人たちを第一にし、自分の顧客ではない若い世代なんて、適当にあしらっておけばいい…ってのが(選挙第一主義の)政治家たちの本音です。

 若い世代のための政策を実行させるためには、若い人たちが投票するのが一番なんです。若い人たちが投票してくれる、それで自分が当選したと分かれば、政治家たちはバンバン若い世代向けの政策を実行してくれるし、次の選挙に向けて若い世代の事を考えた公約を掲げてくれます。

 若い世代に向けた政策ってのは、未来につながっていく政策です。日本の未来を考えたなら、現役を退いた老人たちの生活ばかりではなく、これからの日本を支えていく若者世代が安心して暮らせるような政策を実行してもらわないといけないわけで、そのためには、若い世代の人たちが(どこの政党であれ、どんな候補者であり)たくさん投票する必要があるのです。

 政治だってビジネスだから。顧客第一主義なのは当たり前なんです。そして、これは若い世代に限った話じゃないんです。どの世代であれ、どんな主義主張の人であれ、選挙で一票を入れる事で、投票した人の益になる政策が行われる可能性が増えるのです。

 だから、損をしたくなければ、選挙に行かなきゃダメなんです。

 まあ、自分の票が死に票になるとしたら、それは我慢ならないのですが、そのためには現在の小選挙区制をやめる必要がありますが、それはまた別の話です。とにかく、死に票になるかもしれなくても、とにかく選挙に行く。まずは話はそこからしか始まらないのです。

 でも、どこに入れたら良いのか分かんないから行かない…なんて言わないでください。投票をする人として、理想的な姿は、自分の選挙区の立候補者たちの選挙公報を読み比べて、それらを吟味して選んで投票するのが一番です。選挙公報に関しては、ネットでも検索できるので、興味のある方はどうぞ。

 そんなに面倒くさい事はイヤだ…と言うなら、自分の人生とか生活とかで考えてみればいいでしょう。次の衆議院選挙はおそらく4年後でしょから、4年後の未来を考えてみるのです。4年後の社会が、今の社会の延長のような、今とは大きく変わらない世界を望んでいるなら、与党の候補者に投票してみましょう。想像もつかないほどガラッと変わった社会を望んでいるなら、野党の候補者に投票してみましょう。

 与党と言うのは、現在政権を担当している政党の事を言い、具体的には自民党と公明党を指します。野党と言うのは、それ以外の政党を言います。

 日本は長く、自民党が与党になって政治をしてきましたが、たまに野党が選挙で勝って、政権を担うことがあります。最近では、2009~2012年に、現在の立憲民主党につながっていく民主党という政党が政権を握っていました。ちょうど東日本大震災や福島原発事故が起こった頃です。あの頃の記憶がある人は思い出してください。若くて当時を知らない人は周囲の大人たちに聞いてください。あのような社会を望んでいるなら、野党に入れるべきだし、現在の安倍さんの政治を支持する人は与党に入れてください。

 それでも決められない人は、投票場で鉛筆転がしてもいいから、誰か名前を書いてください。投票しないよりは、ずっとマシです。その時は誰だか分からなくて政党も興味なくても、それがきっかけで、その人やその政党に興味を持てれば、次の選挙では迷わずに済むからです。

 だからみんな、選挙に行こうよ。

 P.S. ちなみに私はすでに期日前投票をしちゃったよ(選挙当日はお仕事だからね)。

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2017年10月20日 (金)

最近のお医者様は手相も見るようです

 フルートのレッスンに行ってきました。実はこのレッスン日の翌日が先生のコンサートの日で、私も当然のようにチケットを買って、コンサートに行くのを楽しみにしていたのですが、肉離れを起こし、遠出が難しくなってしまったので、やむなくパスする事にして、それを先生に伝えました。先生は残念そうでしたが、こればかりは仕方ないです。

 という訳で、私がお教室に入る前から先生は、コンサートに向けて、ご自分の練習をたっぷりしていました。で、私が入室し、レッスンの準備が終わると、先生もご自分の練習を止めて、レッスン開始です。

 最初はいつものようにロングトーン練習です。はい、バッチリです。

 エルステユーブンゲンは21番です。今回は…暗譜できませんでした…ってか、練習時間が短かったです。やはり足が悪くて、通勤に時間がかかるので、その分、自宅での音楽の時間が減ってしまうわけです。それでもフルートは頑張って練習しようとしているんですよ。声楽なんて、クラシックコンサートが終わったら、だいぶ練習頻度が下がってしまいました。ダメだね。

 21番は暗譜できてないだけで、ちゃんと吹けるし、音色的にもバッチリなんですが、22番は、楽譜をガン見しても、あっちこっちミスブローをしました。ダメだね。

 プチエチュードは18番です。ミスブローもだいぶ減り、なかなか良い感じになってきましたが、先生曰く「ブレスがいい加減」および「三拍子のリズムがまだまだだね」って事で、さらにもう一回持ち越しになりました。

 いやあ、だって先生、楽譜に書かれている、あっちこっちのブレス記号を消して「ここでブレスをしちゃダメだ」とか言って、ほんと私、酸欠になりながらフルートを吹いているんですよ。ああ、楽譜に書かれている通りのブレスでOKなら、とっくの昔に仕上がっているんじゃないかと思ってます。ああ、苦しい…。

 三拍子うんぬんは、音符の箇所はまあ良いのです。休符がついつい長めになってしまい、三拍子なんだか四拍子なんだか分かりづらくなっているって事のようです。まあ、実際、間違えているところって、私、無意識に四拍子でカウントしていたりするから、先生のご指摘どおりなんだけれどなあ(涙)。

 次回までに休符の長さを確認し、きちんと三拍子のリズムを感じて吹けるようにしてくるのが宿題となりました。

 40リトルピーセズは3番で、バッハのガボットです。練習不足もあるけれど、ううむ、なんか難しい。ちょっとしたところをミスブローしてしまい、さすがに今回は合格できませんでしたので、次回の合格を目指すことにします。ちなみに、次回は4番のシューマンのハミングバードも合わせて練習してくるようにと言われました。「4番は簡単だから一発合格な」って言われちゃいました。できるかな、一発合格。

 さて、本日の雑談は、先生の登山の話です。なんでも、コンサートが終わったら、すぐに登山に出かけるんだそうです。日本海側の山で、頂上から日本海を見るのが楽しみなんだそうです。

 …ちなみに山頂はすでに零下なんだそうです。寒いねえ。「そこに山があるから登る」のが登山家だから仕方ないのだけれど、何もこの寒い時期に寒い地方の山を登る楽しさが私には分かりません。山登りって、つらくてしんどいばかりじゃん。私なら、家のこたつでヌクヌクしてお汁粉を食べる幸せを選ぶなあ(だから、太っているんだよね)。

 そう言えば、別件だけれど、先日、知り合いのお医者さんに手を見せろと言われて見せたら「炭水化物取りすぎ。ストレス溜めすぎ」って言われました。そりゃあ私の手は、ぷっくりしていて、手まで太っているから“炭水化物の取りすぎ”は素人目にも分かるけれど“ストレス溜めすぎ”ってのは、手を見ただけで分かるものなの? 不思議だね。

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2017年10月19日 (木)

楽器を学ぶのに、その楽器を持っていないって、あり得る?

 ネットをサーフィン(笑)していると、色々な記事を見つけます。最近、たまたまでしょうが、ピアノの先生方のブログで共通するグチ(?)に気づきました。それは何かと言うと…

 『ピアノを習うなら、自宅にピアノを買って、毎日練習して欲しい』

 実に当然だな…って思いますでしょ? 私も思いました。で、その直後「そう言えば、ウチの息子くんも長いことピアノ習っていたけれど、結局、ピアノ、買わなかったな…」とも思いました。

 あれ? あれあれ? 私、当然の事をしていなかったよ(汗)。うーむ…。他人のことを言ってる場合じゃないじゃん。

 一応、言い訳をすると、息子くんには本物のピアノは買ってあげられなかったけれど、電子ピアノは買ってあげたよ。ヤマハのクラビノーバ、それもCLPシリーズの方ね。一応、電子ピアノを購入する時、私が直接楽器店に出向いて、目をつぶって各社の各モデルの電子ピアノを弾いた時に…本物のグランドピアノじゃねえ?…って騙されそうになった電子ピアノにしたんだよ。ま、本物は(金銭的にも、近所迷惑的にも)買ってやれないけれど、せめて上等なパチモンにしてやろうと思ったんだね。それに、ひとまず電子ピアノを買ってやるけれど、こいつに本気が見られたら、その時はちゃんとグランドピアノを買ってやるか…とも思っていましたが、結局、息子くんは本気でピアノの練習をしなかったので、最後の最後まで、パチモンの電子ピアノのままだったわけです。

 まあ、バチモンバチモンとは言っても、昨今の電子ピアノは割とよくできています。

 確かに電子ピアノでは、音色を創るとか、音色を磨くとかは、出来ません。ですから、電子ピアノばかりで練習している子は、本物のピアノ(ってのは、私の場合、グランドピアノを想定しています)を弾いた時に、音色関係がダメでしょうね。その代わり、最近の電子ピアノは、キーアクションをグランドピアノにかなり近づけていますので、指の訓練にはなりますし、かなり速いフレーズにも対応できるようになります。

 よく家庭用のピアノとして、アップライトピアノを購入される方が多いと思います。アップライトピアノは生楽器ですから、音色関係の学習をする事が可能ですが、キーアクション関係がアップライトとグランドでは全然違っていて、アップライトではキーが軽いし、キーの戻りがグランドと較べると遅いので、指の訓練という点では、もしかすると今時の電子ピアノの方が優れているのかもしれません(どうなんでしょうね、このあたりはピアノを弾く方々の意見をうかがいたいです)。

 私がピアノを勉強したのは、大学に入って音楽の授業がピアノ必須だったので、やむなく(笑)始めたのですが、授業ではピアノではなく、電子オルガンでピアノを習い、自宅では(大昔の)電気ピアノ(電子ピアノ…とは違います。どっちかというと、安価なシンセっぽい楽器でした)を使っていました。さすがに、それじゃダメだと思った私は、毎日のように音楽科の建物に忍び込んで、練習室のアップライトをガンガン弾いてました。

 そんな感じで練習を重ねて、いざ試験となると、先生の目の前でグランドを弾いたわけですが、いやあ、グランドピアノのキーの重いこと重いこと。ほんと、心が折れてしまいそうになった記憶があります。指の訓練って大切だよね。

 と、私のような不真面目な大学生であっても、一応、オルガンとか電気ピアノとかで、毎日練習をしました。やはり、楽器を学ぶ以上、毎日練習するというのは必要不可欠なことだと思います。

 おそらく、ピアノの先生方の“自宅にピアノが無い”とグチっているのは、グランドピアノが無い…という意味ではなく、アップライトピアノや電子ピアノですら持っていない。もしかすると、安価な電子キーボードも無い、鍵盤楽器というものが無い…という意味なんだと思います。

 自宅に鍵盤楽器が無いという事は、練習をしないで(ってか、できないまま)レッスンに通っているわけだし、宿題を出しても、練習してもらえる事もないわけで、そりゃあ、ピアノの先生方もグチるわけです。

 それぞれの家庭には、様々な事情があるのでしょうし、子どものピアノなんて、別にプロにするわけでもなく、単なる習い事の一つなのだから、そんなにお金とエネルギーを注ぎたくないと考える親御さんもいるのかもしれないけれど、やっぱり(代用品を含めて)ピアノ無しのままでピアノを子どもに習わせるって…ダメでしょ? ピアノを始め、習い事ってお金がかかるものなんだから(私もあまり他人の事は言えませんが…)そこらの覚悟もきっちりしてから、子どもを習い事に送り出して欲しいなあと思います。

 ピアノの先生方のグチも、もっともな事だと思いました。

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2017年10月18日 (水)

2017年クラシックコンサートで歌ってみた その5 歌いました

 さて本番です。まずは私の歌からです。上手側から舞台に上がって…って、上手から舞台に上がると、歌手はまあ良いとして、ピアニストさんは舞台上手から舞台中央を横切って舞台下手に行ってからピアノに座るわけで、やっぱりなんか変です。少なくとも、ピアノという楽器は、ピアニストが舞台下手から登場して演奏するという前提がありそうです。

 まずは、トスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」です。すでに音源を聞いていただけたように、まああんなもんです。舞台から見ると、客席の一番うしろ、舞台から真正面の位置に映写室があります。この映写室と客席の境のガラスが、舞台から見ると、まるで鏡のようになっていて、歌っている自分の姿がよく見えました。まあ、無様な姿ですが、私は練習の時に、よく姿見を使って自分の姿を見ながら練習するので、歌っている時に自分の姿を見られると、なんか自宅練習をしているような気分になって、却って落ち着いたりします。

 もっとも姿見なら、私の声を気持ちよく反射してくれますが、映写室のガラスだと、声が突き抜けて吸われてしまうみたいですね(残念)。

 声の調子は…まあ、悪くはないみたいです。声が減っている感じがしません。これなら次のレオンカヴァッロ作曲の「Mattinata/マッティナータ」もいけそうな気がしていました。

 ピアニストさんに合図して曲に入ると…ピアニストさんが打ち合わせよりもだいぶ速いテンポでピアノを弾き始めました。まあ、私も打ち合わせと違うテンポで歌うことは、ままある事ですから、お互い様ですが、ピアニストさんが打ち合わせのテンポと大きく違うというのは珍しい事です。後で聞いたところ(私自身は気がついていませんでしたが)私の声が減ってきている事に気づいたピアニストさんが、声に負担がかからないように、わざとテンポアップしてくれたそうです。ううむ、ピアニストさんの心遣い、感謝です。

 確かにテンポが遅いと、それだけでノドに負担がかかります。でも、私の場合、速いテンポで歌うと、歌いクチが雑になり、声がノドに落ちてしまうという悪いクセがあります。今回は、なんとしても声をノドに落としてはいけません。そうは言っても、この曲を歌っていくと、ガンガン声が減っていくのが自分でも分かりました。そもそも声が減りやすい曲ですからね。最後は、ご存知のとおり、怒鳴ってますね。すでにこの段階で、本日の声は終了って感じでした。

 ここまで歌って、一度舞台から降りました。次は妻の出番です。妻が「ヴィリアの歌」を歌っている間に、ふたたび声の調整してポジションを高くし直さないといけません。とにかく、ノドをリラックスさせて、一度絞めてしまったノドを緩め、上がってしまった喉仏を下げました。

 ノドのリセット完了! いよいよ二重唱です。

 歌そのものは、一ヶ月前の発表会とほぼ同じです。今回は(私が怪我をしているので)演技をせずに、歌に集中して歌いましたが、声がすでに無くなった状態からの歌唱は、いくらノドをリセットしたとは言え、やはりツライですね。おかげさまで、私、途中で一回、落ちています(分かる?)。後、前回はすっぽぬけた高いBですが、今回スっぽぬけではなく、本当に裏変えっちゃいました。ああ、みっともない。まだまだ高いBは難しいですね。博打にすらなりません(汗)。

 とりあえず、これで私達のクラシックコンサートは終了です。舞台から降りて、最後の方の歌を聞いて、応援に来てくださった方々に感想を聞いてみました。

 去年と較べて上達していると言われました。一年ごとにしっかり歌が上達しているのが感じられると言われ、本当にうれしかったです。自分が上達している事は、自分でも自覚していますが、他人にそれを指摘されると、本当にうれしいものです。

 今年の歌声は、例年と較べて、目立って細い声だったそうです。いつものオスっぽい太めの声で歌うんだろうと思って聞き始めたら、声が細くて中性的な声だったので、びっくりしてしまったんだそうです。声が細かったと言っても、実際には細い声では歌っていません(それは録音を聞いても分かるでしょう)。実際には、歌声の中から、声の成分を減らして、響きの成分を増やして、ノドへの負担を減らして歌っていただけです。

 録音では分かりづらいでしょう(響きの部分は録音されませんから)が、私が意図的に高いボジションで歌っていた事もありますが、私の意図通りに、響き多めに歌えていたようです。録音を聞くと、声そのものは、例年のような私の声ですが、生で聞いた人たちは、だいぶ印象が違っていたようで…録音って(私の場合、録音機材もそんなに良くない事もあって)あんまり信用しちゃダメですね。

 まあ、私はテノールです。それも軽めのリリコなテノールですからね。軽めのキラキラした声が本来の目指すべき声なのですから、オスっぽい声で歌うよりも、中性的で細い感じの声で歌えた方が良いのかもしれません。ゲネプロで声を使い切っちゃった事は、結果的に発声に気を使わざるを得なくて、怪我の功名となったのかもしれません。

 褒められるばかりではありませんでした。ダメ出しもいただきました。声が前にばかり出ていて、ちっとも上に出ていないと言われました。声は一度、上から出て、それかキュッて感じで、頭の上で方向転換をして前に向かっていくのが良いのだけれど、私の場合、直線的に真っ直ぐな感じで前に出ちゃっているそうです。つまり、声に深みが足りないってわけです。

 課題は満載です。頑張っていきましょう。

 クラシックコンサートが終了し、行きはタクシーで会場までやってきましたが、帰りは気持ちがハイになっている事もあって、頑張って、歩いて帰ろうとしました。少し歩いたところで、妻が疲労でダウンしてしまったので、結局タクシーを呼んでしまいました。行きも帰りも車を呼びつけるなんて、ほんとセレブだな(笑)。

 それにしても、とても、楽しかったですよ、クラシックコンサート。どんな会場であれ、歌ってしまえば、私のステージだからね。また来年のコンサートに向けて、さらに上達めざして頑張っていきましょう。

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2017年10月17日 (火)

2017年クラシックコンサートで歌ってみた その4 ポジション調整をしました

 私は他のアマチュア歌手の歌を聞くのが大好きです。上手な人には感心し敬意と憧れを持ち、私と同じようなレベルの方には心からのエールを送り、まだまだ未熟な人の歌を聞いては、どこがダメで、どうすれば良くなるのか考える事で、自分自身を見つめることにもなります。誰を聞いても、どんな曲を聞いても、自分の勉強になるのが、他のアマチュア歌手さんたちの歌唱なのです。

 自分の声出しの前に、会場で数人の歌を聞きましたし、声出しの後、自分の出番の前の人たちの歌も聞きましたが、当地のアマチュア歌手さんたちの特徴は、本業(?)は合唱をやっている人が多いんだろうなあという事です。普段は市民合唱をやっていて、こういうクラシックコンサートの時に、ソロを歌いに来るという人々の姿が目立ちました。

 と言うのも、当地の合唱団の中には、ソロ歌唱を推奨する指導者が何人かいて、そういう指導者が指導する団は、団内発表会があったり、こういうアウェーの場に出演させたりするからです。もちろん、普段は合唱をやっている人だから、私のように独唱ばかりをやっている人とは、アレコレ違うわけで、本番のピアニストさんが、普段は合唱の指導をしてくださる先生だったり、歌も、音程とアーティキュレーションを第一とし、声の美しさとか響きとかは二の次だし、歌の表現もさほど重視していないようです。また息の使い方もレガート寄りもマルカート寄りの使い方をなされます。まあどちらにせよ、あれこれ歌へのアプローチが私とは違っていて、それはそれでいい勉強になります。

 一方で、地元の音楽教室の先生や音大受験生なども出演して、それは見事な歌唱を聞かせたりしてくれます(さすがに専門教育を受けている方は一味違います)。おそらく、私のような、純粋アマチュア声楽家(専門教育を受けず、合唱もせず、ただソロで歌っているだけ…って程度の意味です)と言うのは、案外、少ないのかもしれないなあ…なって思ったりしました。

 さて、自分たちの時間になったので、音出しに行きました。音出しは、ホールのすぐ前にある音楽室です。ここは以前、アマチュア歌劇団を主催していた時に、よく練習会場として使っていた場所で、勝手知ったるなんとかだったりします。

 この音楽室は…今回の本番会場と違って、とても歌いやすい部屋なんです。決して響きが多いとは言えないけれど、それでも目で見た広さと、音響的な広さが一致していて、割と歌いやすいのです。

 さて、部屋に入って最初にしたのは、声の調整です。響声破笛丸を飲み、たっぷり休憩したと言っても、声が疲れてしまった事は事実です。このままでは、舞台で歌っても、声が1曲持つかどうかって感じです。大切な事は、ノドに負担をかけないように歌うことです。声を意図的に響きの領域に入れて、響きが過剰と思われるくらいのポジションで歌えるように調整してみました。

 ノドの健康のためには、いつもそれくらいの事をやらないといけないのですが、ついつい低めのノドを酷使するポジションで歌いがち(それゆえにいつまで経ってもノド声なんですわ)な私です。ほんと、これは悪いクセだよね。

 声を高いポジションに設定して…それでも声の消耗を防ぐために、声出しは本当に声出し程度にして、軽く調整する事にしました。

 ゲネプロで歌った曲はやらない事にして、まずは「Mattinata/マッティナータ」を合わせてみました。この曲は、声が消耗するので、私的にはあまり歌いたくない曲なのですが、テンポの揺れが激しい上に、私の気分でガンガン曲調が変わってしまう曲でもあるので、ピアニストさん的には何度も合わせておきたい曲のようでした。ですから、私が真面目に一回だけ歌って、後は、鼻歌やファルセットで歌いながら、ピアノと合わせる…と言うのをやりました。妻は妻で「ヴィリアの歌」を一度だけ歌いました。結局、声出しだったにも関わらず、時間の大半はピアニストさんのピアノ練習の時間となりました。

 指は声と違って減らないからね。何度も何度も、直前であっても、練習したいものみたいです。

 で、時間になったので、再び会場に戻って、自分たちの出番を待つ我々でありました。
 では今回も音源を貼ります。今回は本番2曲目の、レオンカヴァッロ作曲の「Mattinata/マッティナータ」です。

 足りない声で必死に歌っているのですが、それは音源を聞いても…たぶんバレバレですよね。最後の高いAなんて、ほとんど怒鳴り声だもの。自分でも「やっちまったなー」って思ったくらいです。ダメだよね、歌では叫ぶのはアリでも、怒鳴るのはナシだよね。結果として、実力相応な仕上がりとなりました(ああ、穴に入りたい…)。

 それにしても、キング先生のところにいた頃は、本番の出来は、たいてい練習を上回っていたものだけれど、今は、本番は練習通りに歌えれば上出来で、大抵の場合、練習ほどには歌えなくなりました。奇跡が起こらなくなったと言うか、博打に負けるようになったと言うか、つまり本番に弱くなった…と言えるのかもしれません。

 ちょっと残念だな。

 続きはまた明日。

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2017年10月16日 (月)

2017年クラシックコンサートで歌ってみた その3 お昼は牛丼でした

 ゲネプロを終え、ひとまず解散して昼食を食べに出かけた私でした。

 いやあ、ノドが痛い。声が無くなりました感がマックスです。そもそも、前日に1時間ほど歌っていて、声に余力が無かったところへ、あの会場で不安にかられて力任せに歌ってしまった事もあって、ほんと、声なんて無くなってしまいました。

 どうしたら良いか…と善後策を考えながら、昼食を食べにいきました。勝負メシは…牛丼です。いやあ、会場の一番近くにある食べ物屋が牛丼屋だったからね。今の私、長距離なんて歩けない人だから(へへ)。

 牛丼は、肉増量+生タマゴ+しじみ汁で、タンパク質マシマシにしました。とにかく、減ってしまった声の回復には、まずはタンパク質補充でしょ?

 で、牛丼を食べながら思い出したのは…ゲネプロの様子を録音していたのに、その録音機を録音状態のまま、回収し忘れてしまった事です。あらら、やっちまったぜ!って感じで妻に話したのだけれど、妻はニコニコしながら牛丼を食べ続けるので、仕方なしに、脚の不自由な私が食事を中断して録音機の回収に向かいました。ううむ。

 会場は第一部の子どもたちのピアノ発表会が始まるところで、舞台の上には、本日出演予定のお子様たちがズラリと並んで挨拶をしているところでした。会場は…なんと満席。立ち見の人もチラホラいる状態でした。このクラシックコンサートって、3部構成で、第1部は、某ピアノ教室の発表会で、第2部がオトナの器楽演奏、第3部がオトナの声楽発表会となっていました。

 満席なのは…やっぱり子どもたちの集客力ってすごいな。で、私の録音機ですが…無事にありました。よかった。それにしても、立ち見の人もいるのに、録音機だけで一人分の座席を占拠していたわけで、申し訳ない気分になりました(ごめんなさい)

 すぐに録音機を回収して、牛丼屋に戻りました。妻は相変わらず、美味しそうに牛丼を食べていました。全く…。

 食事を終えて、声の回復のために響声破笛丸を飲んで、楽屋に戻りました。声出しの時間までは、おとなしく休憩です。和室である事を良い事に、畳にゴロ寝でリラックスです。楽屋が和室…と聞いて、最初は戸惑った私でしたが、ゴロ寝でリラックスできるのは、和室の特権です。洋室だと、ここまでのリラックスはできません。ただ、リラックスは良いのだけれど、決して寝ないように心がけました。寝てしまうと、声まで一緒に寝てしまいますからね(くわばらくわばら…)。

 楽屋は基本的に私一人です。時折、ギターアンサンブルの人やバリトンさんが出入りしましたが、彼らは彼らで忙しそうです。

 バリトンさんから「本番まで時間が余って、手もちぶさですね」と言われましたが「本番までやる事がたくさんあるから、そんなに暇じゃないですよ」と答えました。確かに私的にはやる事がたくさんあるわけだし、今だって積極的に休憩を取っているのだけれど、端から見れば、暇持て余してゴロ寝しているわけだし、バリトンさんとしては、おしゃべりのきっかけが欲しかったのかもしれない…と今は思うけれど、その時は、私は私なりに余裕がなくて、ちょっとぶっきらぼうになっていました。いかんね…。

 でも、おしゃべりしちゃうと減ってしまった声が回復しないからね。楽屋じゃあ無言が一番…同じアマチュア歌手なら、そこんとこ分かって欲しいなあ…と思いました。

 とにかく、1時間ほど横になって休憩をしてから、起き上がって、iPodを取り出して、本日歌う曲のカラオケを聞きました。カラオケを聞きながら(楽屋で声を出すわけにはいかないので)頭の中で歌って歌詞の確認しました。

 それからタキシードに着替えると、ちょうど第3部の開始時刻となりましたので、会場に入って、他の出演者方の歌を聞きながら、自分たちの声出しの時間を待つことにしました。

 さて、ここで音源を貼っておきます。本番で私がトスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」を歌っている音源です。これが本番の1曲目だったわけです。色々あっての歌唱なのですし、あれこれ欠点もアラもありますし、何より声のコントロールにばかりかまけて音程が甘々なのが、自分でもイヤになりますが、それでもまあいい感じに歌えていると思います。今の私の歌唱力は、まあこんな感じです。

 私の歌はこんな感じですが、ピアニストさんがいい感じでしょ? このピアニストさん、アマチュアさんなんですよ。アマチュアでもこれくらい弾ける人で、下手なプロよりもずっと上手だし、歌いやすいピアノを弾いてくれるんですよ。私がクラシックコンサートに出演し続けられるのも、このピアニストさんがいるからです。ほんと、ピアニストさんには感謝してもし尽くせません。

 続きはまた明日。

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2017年10月15日 (日)

2017年クラシックコンサートで歌ってみた その2 ゲネプロ

 とりあえず、荷物を楽屋に置いてきて、妻と合流して会場に入りました。

 ゲネプロの時間は1人5分ずつ。開場前の貴重な時間なので、今年はスタッフの人が時間を計測しながら仕切っていました。昨年までのゲネプロは、前日に行っていた事もあって、スタッフの人は誰も参加せず、参加者任せのルーズな進行で、それ故のトラブルもちらほらとあったわけですが、今年はスタッフがきちんと仕切ってくれているのは良いなあと思いました。

 舞台袖は本来は無いのだけれど、会場の一隅を仕切って、簡易な待機場所を作り、そこが舞台袖代わりになっていました。もっとも、そういうものは、本来下手側に作るべきだろうに、何故か上手側に作られていました(やりづらい…)。

 会場に入って、しばらくは客席に座って他の人達のゲネプロの様子を見ていました。会場は(不思議な事に)響きがほとんどありません。ただし、狭いので声は聞こえます。おそらく話し声だって、放送機材なしでもなんとかなりそうです。まさに学校の古い施設っぽい感じです。かなり小さな声の人でも聞こえない…って事はなさそうです。そういう意味では、声量の少ない人には、市民会館の小ホールよりも、歌いやすいのかもしれません(あそこはよく響きますが、声そのものは減衰しちゃうんです)。実際、今回の出演者は、例年出演していた人たちの多くはパスした反面、今回からの新メンバーもちらほらいます。出ない人は、この会場だからパスしたわけだけれど、新しく出てきた人たちは、この会場だから出演する気になったのでしょう。

 ま、人それぞれだね。

 やがて我々の順番となりますので、舞台袖に移動しました。時間は5分…とは言っても、私と妻の二人分あるので、ゲネプロの時間は合計10分あるわけで、何をやろうかとピアニストさんと相談しました。なにしろ、全曲やると13分ぐらいかかってしまうので、それは無理ってわけで…二重唱(妻の歌唱がメインです)はやる事にして、後は声の消耗の少ない「Tristezza/悲しみ」をやる事にしました。これで、だいたい7分ほどです。10分のゲネプロの時間に対しては、お釣りが来るほどです。

 で、我々の番になりました。二重唱を歌います。歌った感じは…すごく歌いづらいです。声が全然響かない会場って、ダメだね。吸音しているわけでもないけれど、反響が無いんです。あれは一体なんなんだろ? 舞台であっても、客席であっても、話し声はよく聞こえるし、なんか話しやすい感じはするのだけれど、歌になるとダメです。全然ダメ。歌っているうちに、ドンドン声のポジションが下がっていくのが分かります。反響が無いので、それをどうにかしようと、無意識にノドに力が入っていきます。声が割れていきます。

 二重唱は、途中で妻だけが歌うパートが長々とあるので、その時に客席に降りて聞いてみました。舞台ではすごく歌いづらいのに、客席では歌声は(響きはないけれど)ちゃんと聞こえていました。いや、お釣りがくるほどにしっかり聞こえていました。

 どうやら、この会場では会場の響きは利用する事はできないけれど、響きがなくても、それなりに聞こえる会場のようであり、意識無意識は別として、頑張って歌わなくても何とかなりそうだなと思いました。で、自分の歌う番になったので、いそいで舞台に昇って続きを歌いましたが、この会場は見た目以上に音響的には狭い部屋なんだなって思いました。狭い部屋なのに、広い会場のような気分で歌ったら、そりゃあダメだよね。狭い部屋なら狭い部屋なりの歌い方をしないと…。

 二重唱が終わった頃は、なんかすごく疲れていました。この消耗した感じは、キング先生のところで歌っていた頃の、あの頃の感覚に似ています。

  後で聞いた話では、天井は採光のためにガラスだかアクリルだかの、その手の薄目の素材で、当日はそれを遮光したんだそうで、それでは野外で歌っているようなものだから、音が全部天井から抜けてしまうわけで、道理で響きが無かったわけです。

 今度は妻が会場に降りて、私の「Tristezza/悲しみ」を聞いて調整しましょうって事で、次の曲を歌おうとしたら、スタッフに止められました。時間切れだから、次の人たちに舞台を明け渡せというのです。

 とりあえず、舞台は明け渡したものの、なんか納得がいきません。もう10分経ったの? 時計をみると…まだ4分程度しか経ってません、我々の持ち時間の10分には遠く及びません。さっそくスタッフにクレームを入れました。どうやら、スタッフの人は何も考えていなくて、会場時間が迫っていることばかりに気が急いていて、可能な限りゲネプロ時間を短くして、さっさと開場したいだけだったのです。と言うのも、早い時間の人たちがゆっくりとゲネプロをやってしまい、後半の人たちのゲネプロにしわ寄せが来ていたのです。

 だからと言って、10分のゲネプロの時間を4分にされて、やるべき事の半分しかやらず、確認するべきことも確認しきれていないうちに舞台を降ろされたのには、納得いきません。

 ゲネプロはチューニングのようなものです。歌は会場に合わせて、会場なりに歌っていくものです。会場には様々な癖があります。その癖を把握した上で、ではどういうふうに発声をしていこうかと調節していくのがゲネプロでやるべきことです。別に声出しとか直前練習のためにゲネプロをするわけではありません。歌手にとって、ゲネプロというのは、必要不可欠なものなのです(特に私のような下手っぴなアマチュア歌手にとっては、なおさらです)。

 なので、今やっている人(ってか、ゲネプロ最後の人)の次に、もう一度ゲネプロをやらせてもらう事にしました。すでに開場時間は過ぎていて、お客さんはロビーにあふれていたけれど、それとこれは話が違うわけです。

 さて二度目のゲネプロです。会場の見た目にはだまされてはいけない事は、二重唱を歌ってみて分かりました。「Tristezza/悲しみ」は、ごく狭い部屋にいる感じで、軽めに歌ってみましたが、結果的には、それでもまだ声を張りすぎだったようです。もっともっと狭い場所で歌っている感じにならないとダメなようです。視覚で感じる広さと、音響的な広さとが、こんなにも違うと、本当にやりづらいです。妻からはやはり、声の張りすぎと言われましたし、実際、ノドの消耗は激しすぎて、ゲネプロを終えて、なんか絶望的な気分になりました。ゲネプロだけで、今日の声を全部使ってしまったような気にすらなりました。いやあ、いけません。

 とりあえず、開場時間は過ぎている事は承知しているので、歌い終えたら、さっさと舞台を引き渡しました。開場は、客席を整理してから、おもむろにお客さんたちが入ってくるのか思っていたら、私の歌が終わるやいなや(ってか、終わる前にすでに…って感じでした)、お客さんたちが会場になだれ込んできました。で、お客さんたちが席取りをしている中で、スタッフの人たちが、客席の椅子を本番用に並べ直しています。なんかあれこれグダグダ…。

 ひとまずロビーに出て、次の声出しまで、3時間ぐらいあるので、ピアニストさんとは解散です。ピアニストさんは一度家に戻るそうです。私も脚の怪我がなければ、一回家に帰っても良いのだけれど、そんな元気もないし、時間も時間なので、家には帰らずにそのまま残ることにし、ひとまず昼食を食べる事にして、会場から出ていきました。

 続きはまた明日。

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2017年10月14日 (土)

2017年クラシックコンサートで歌ってみた その1 楽屋入り

 えー、今年もクラシックコンサートってヤツに出演してみました。でも今年は、例年とはあれこれ違うわけで、一番の違いは…会場が本当にショボかった事です。地域の古い青少年会館で開催されたのですが、その会場がどれくらいショボかったのかと言えば「ええ、あそこでやるなら、私出ない!」という人たちが続出しちゃったほどに、ショボい会場でございました。

 まあ、正直な話、ショボいと言うのは、主に古さに起因しているわけなんだけれどね。それこそ、昭和の小学校の体育館みたいな舞台設備なんです(涙)。

 舞台は狭いのです。グランドピアノを乗せたら、ほぼそれだけでいっぱい…って感じの狭さです。舞台袖はありません。会場から直接、舞台へインだぜ! おまけに音響激劣…ってか音響の事なんか全く考慮されていない造り。おまけに楽屋もありません。一般の人もその前を通るような会議室等の部屋を使用します。当然、建物そのものが昭和の時代の建物で、それもバブル以前の建物だから、そりゃあもう、あっちこっちダメなんです。

 なんで、そんな施設を使ったのかと言えば、他に会場がなかったからです(だったら止めればいいのにねえ)。

 昨年までは、いわゆる“市民会館”の小ホールで開催されていたクラシックコンサートですが、今年は市民会館を建て直す(実際はリフォームです)ためにホールが使えなくなり、でも、他に適切なホールが当地にはなかったため、昭和時代の施設を使用せざるを得なかった…ってわけです。

 私は、市民会館が建て替えと聞いた時に、他に適当な会場が無いわけだし、他市で行うわけにもいかないだろうから、今年のクラシックコンサートは開催しないだろうなあと思いました。でも、やるんだな。予想外の会場を使用するのだけれど、やるんだな。やるんなら、出演さぜるをえないだろう…ってわけで、色々と文句が言われているけれど、私は果敢にも、今年のクラシックコンサートに参加表明をしたわけです。

 それも、Y門下の発表会の一ヶ月後の開催で、ロクに練習する時間もないのに、新曲を携えて出ちゃったわけだ(汗)。ほんと、漢だねえ。

 ま、練習の過程の話は、散々記事でアップしてきたから、話は当日の朝から始めます。

 問題発生です。まず、会場の青少年会館と我が家が微妙に遠いのです。元気なら、スタスタ歩いちゃう距離(それでも結構の距離はある)なんだけれど、私、肉離れ中でしたので、そんな距離もロクに歩けないわけで、色々と考えた末、ここは大奮発してタクシーで会場まで乗り付ける事にしました。

 まるで、セレブじゃん(笑)。

 いつもなら、それぞれのスーツケースにそれぞれの荷物を入れて、ゴロゴロ転がしていくのだけれど、今回は私は、肩掛けの衣装バッグに入るものだけ入れて、入らないものは妻のスーツケースに入れてもらいました。だって、肉離れしていると、スーツケースを転がすのだって難儀なんだよ(その分、妻のスーツケースがパンパンになりました)。

 今年は前日のゲネプロが無くて、ゲネプロは当日の開場前の時間に行う事になりました。幸いにも、私達は出番が遅い(最後から二番目だよ。またもトリだねえ~)ので、ゆっくりと会場入りがやってきましたが、早い出番の人たちは本当に早い時間帯に会場に入ってゲネプロをやったそうで、大変だったみたいですよ(この部分、他人事)。

 会場に到着して、とりあえず荷物は楽屋…として使う和室に入れました。

 楽屋が和室…ってのは、畳敷きで広くて、くつろげるので良いと思うかもしれないけれど、部屋には座布団しかないのよ。椅子はありません。寄りかかるスペースすらありません。そうなると、床に座るか、寝っ転がるかしかできません。おまけに部屋への出入りは、靴を脱いだり履いたりしないといけないわけで、こりゃあ、洋装だと結構不自由です。まさか、タキシードを着て、床に寝っ転がっているわけにもいかないし、食事も床に置いて食べるわけにはいかないし…ねえ。

 ちなみに男性の楽屋を使うのは、私を入れて、たったの4人です。ギターアンサンブルの人が2名と、私とバリトンさんです。4人しかいないのに、広い広い和室が楽屋として与えられたわけです。なんか、贅沢です。たった4人だし、狭い会議室あたりを楽屋にしてくれても十分だったのに…ねえ。

 で、私が楽屋に入った時、男性の楽屋で、数名のオジサンオバサンたちが、お弁当を広げて、食事場所として活用していました。まあ、女性の楽屋は人がたくさんいて混み合っているだろうし、女性の楽屋に男性は入るわけにはいかないだろうし、男性の楽屋はスカスカだし…まあ、そんなわけで、男性の楽屋を食事部屋として使っていたわけです。

 まあね…良いっちゃあ良いし、私も文句はないけれど、階下に行けばロビーがあって、誰もが使える椅子も机もあって、食事をするなら、そっちの場所だろうと思ったけれど…私も特に文句も言いませんでした。

 とりあえず楽屋に入って、カバンからタキシードは取り出したものの、衣装を吊るす場所もなく、仕方なく使っていないふすま(開かずのふすまがあるんです)のところに吊るしました。だってこの部屋、壁がほとんど無いんだよ。窓がドーンとあって、押し入れがドドーンとあって、隣室との境の間仕切りがババーンってあるんだよ。ああ、使い勝手、悪いなあ。

 ちなみに、その間仕切りで仕切られている先は女性の楽屋なんだけれど、その間仕切りが昔のタイプの間仕切りだから、全然防音効果もなく、隣室の女性方のおしゃべりが筒抜けの丸聞こえでした。男性はほとんどいないし、いても無口だから、物音をたてないわけで、それで女性たちは自分たちのおしゃべりが隣に筒抜けとは思っていないのだろうけれど、全部まる聞こえだったりします。

 もっとも、他人のおしゃべりに興味はないので、私はロクに聞きはしなかったけれどね。

 それに隣室よりも騒がしかったのは、部屋のすぐ前に中学校があって、そこで行われていた運動会の方です。音楽もバンバンかけて、大きな声が上がって、うるさいというか、騒がしいと言うか、大変に賑やかすぎました。

 今年は楽屋でくつろぐ…なんて、無理だね。

 とりあえず、荷物を楽屋に置いて、ゲネプロのために会場に入りました。

 続きはまた明日。

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2017年10月13日 (金)

ルイロットは本当に良い楽器なのか?

 皆さんはルイロットというブランド(?)のフルートをご存知でしょうか? 19世紀半ば~20世紀半ばまで、フルート界をブイブイ言わせたフルートの銘器です。音色の良さが特徴だそうで、なんとも魅力的な音色の楽器なんだそうです。「…だそうです」と書くのは、私自身、生のルイロットの音を(おそらく)聞いたことがないからです。

 さて、本日の本題に入ります。ルイロットは、本当に良い楽器なのでしょうか?

 “良い”という言葉には、たくさんの意味があるので、ある人にとって「ルイロットは他に代えがたいほどの素晴らしい楽器」でしょうが、また別の人にとっては「だから何?」程度の楽器になってしまうでしょう。そこが、ヴァイオリン界におけるストラディバリウスのような楽器とは根本的に異なります。ストラディバリウスなら、ほぼすべてのヴァイオリニストが“ストラディバリウスは良い楽器である”って事に承知すると思いますし、事実、ヴァイオリン界のトッププロたちは、こぞってストラディバリウスを使用しています。

 しかしルイロットは、フルーティストなら誰もが有名な古楽器である事は認めても、決して現代のトッププロたちはルイロットを使用していません。ってか、ほとんどのプロフルーティストたちは、たいてルイロット以外のフルートを使用しています。

 別に統計を取ったわけではありませんが、ルイロットって、現役のプロが仕事用の楽器として所有するよりも、好事家たちがコレクションとして所有している方が多いのではないかって思います。

 ルイロットが本当に良い楽器なら、プロヴァイオリニストたちがストラディバリウスを使用し続けるように、プロフルーティストたちがルイロットを使い続けているはずですが、そうではない事には、理由があるのだと思います。

 一つには基準ピッチの問題があります。実はA=440Hzと言うのは、20世紀も半ばになって決まったピッチであって、19世紀の基準ピッチは、実はこの音よりもだいぶ低かったのです。当然、ルイロットがブイブイ言わせていた時代は、現代よりも基準ピッチがだいぶ低かったわけで、そのため、楽器自身が今の楽器とはあれこれサイズ違いが生じていたわけです。

 同じ問題はヴァイオリンにも発生しました。だから、現在のストラディバリウスの多くは、ネットを取り替え、その角度や長さを現代用に改造され、現在の国際基準ピッチに対応しているわけです。

 でもフルートの場合は、そう簡単に行きません。一番多く行われた現代化は、頭部管を短く切ってしまう事です。そこによって、現代の国際基準ピッチでもチューニングできるようにしたわけですが…胴部管の設定が昔のままですから、やはり細かいピッチまでは補正できていません。

 現代フルートは音程の問題もかなりクリアしていて、今のフルートは、そのままでもかなり正しい音程で演奏する事ができます。音程に関しては、現代フルートとルイロットでは、ルイロットに勝ち目がないのは仕方ない事です。

 メカの精度も、やはり現代フルートの方が素晴らしいと思います。

 メカは大切です。プロ奏者は楽器を選ぶ際に、メカの動きを重点的にチェックする人もいるくらい、メカは大切です。骨董品であるルイロットに勝ち目がないのも仕方ないです。

 あと、気にしない人は気にしないでしょうが、古い楽器は金属疲労を起こします。

 ヴァイオリンなどの木製楽器は、年月の経過とともに木の水分が飛び、より固くなって良い音が出るといいますが、金属楽器であるフルートの場合、金属疲労は免れられません。金属楽器の場合、一番良いのは新品の時で、後は時間の経過とともに、ドンドン楽器が劣化していきます。(私には分かりませんが)耳の良い方ほど、新品の楽器を好むそうです。

 とまあ、ここまで色々書いてきましたが、結論を言いますと、ルイロットは本当に良い楽器なのかどうかは…その人の評価によるけれど、プロ奏者は仕事の道具としてルイロットを使うケースは稀である…とは言えます。

 じゃあ、ルイロットは悪い楽器なのかというと、現代的な尺度で考えた場合、あれこれ不足が生じるだけの話で、愛好者の数の多さから考えても、古楽器としては、実に良い楽器である…とは言えそうです。

 私、アマチュアが自分のためにルイロットを吹くのは、全然構わないどころか、うらやましい事だと思います。だって、その人にとって、ルイロットは史上最高の素晴らしいフルートなのですからね。そんな史上最高のフルートを吹いてしまう人は、実にうらやましいし、尊敬に値すると考えます。

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2017年10月12日 (木)

直前のピアノ合わせをしました

 この記事は、クラシックコンサートの前日の話です。

 今回のクラシックコンサートに向けて、ピアニストさんとは、Y先生との2回のレッスンの中で色々と合わせをやりましたが、たった2回の合わせでは足りない事と、先生抜きの我々だけで、遠慮なく言い合いをしながらの合わせが必要だろうという事で、本番前日に会場を借りて、ピアニストさんと我々と、3人だけでピアノ合わせを行いました。

 まあ、先生のいるレッスンでは、先生の指示を書き込むために、楽譜を開いて、楽譜をガン見しながら歌う必要があるわけですが、本番では、当然、楽譜は見ません。暗譜で歌います。楽譜をガン見して歌うのと、暗譜で歌うのでは、実は歌が変わってきます。楽譜を見るエネルギーが歌を表現するエネルギーにまわるため、より表現を深くして歌えるため、楽譜を見て歌うよりも、楽譜を見ないで暗譜で歌った方が、よりテンポが揺れるわけで、その“暗譜歌唱”状態での合わせが本番前にぜひ必要だったわけです。

 近所の公民館の、なぜか電子ピアノが置いてある会議室を借りました。ピアノは電子ピアノで残念なのですが、ほどほどに狭くて、我々のピアノ合わせ程度なら、特に問題はない部屋なのです。ま、会議室なので、防音は全然なっちゃいないのですが、それは我々には関係ありません。まあ、周りで他の会議室を借りている他団体には、いい迷惑でしょうが(ごめんね)。

 まずは本番どおりに歌いましょうって事で、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」から。この曲を発声練習もせずに、いきなり歌いだしました。

 本番の舞台って、今回のクラシックコンサートに限らず、事前に十分な発声とか声出しができるとは限らないのです。それに、事前に十分な発声をして、声を無駄に減らすのも野暮な話なので、私の理想としては、発声をせずにいきなり本番で歌えること…なのです。実際、プロの歌手の中には、発声練習をせずに、いきなり本番を歌い出す人もいるそうです。別にそれをマネているわけではありませんが、以前と比べるとだいぶ声が保ようになった私ですが、それでも声を消耗しやすいテノールですから、無駄に歌わずに済むなら、そうしたいわけです。

 もちろん、いきなり無理な発声をして声を壊したり、ノドを痛めては、元も子もないわけですから、そこは十分に気をつけて歌いだしたわけです。

 この曲、どうも2番の歌詞がいまだに不確実で、ついつい作詞してしまいがちです。もう少し丹念に歌詞を確認しておく必要がありそうです。

 続けて、レオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」に行きました。

 最後の高いAも、少々声が割れてしまったけれど、まあ良しって感じで歌えたと思います。

 2曲連続して歌ったところで、ピアニストさんとアレコレ確認です。主にテンポが変わるところを細かく確認しました。私が何気に歌っている箇所も、ピアニストさんからすれば、テンボがあれこれ揺れているようで、そんな箇所を“意図的に揺らしている箇所”と“意図せず無意識に揺らしている箇所”と“今日の気分で揺らしている箇所”の3箇所に分けて確認です。

 で、次は妻のソロ曲なので、その間は私は休憩です。

 ソロが終われば、今度は二重唱。レハール作曲の喜歌劇「メリー・ウィドウ」の「A Dutiful Wife/従順な妻」です。

 この曲、発表会から歌っているから、一番自信がありそうに思われるだろうけれど、実はこの曲、私的には、今回、一番不安な曲なんですよ。だって、レッスンのたびに、アレがダメ、コレがダメ…とダメ出しばかりされ、未だにそれらの多くがクリアしていない曲なんです。まあ、主にハモリの部分がダメなんだけれど、ハモリでダメ出しされて自信がなくなると、一人で歌っている部分も自信喪失してしまうわけで、なんとも歌うのが憂鬱な感じなんですよ。

 なるべく気にはしないようにしていますが…。

 この曲はオペレッタの曲なので、本来ならば、発表会のように演技を付けて歌うべきなのですが、今回、私の脚がまだ肉離れ中なので、舞台まで歩いていき、立って歌うだけで精一杯で、とても演技なんて出来る余裕もないので、二人で棒立ちのまま、上半身だけの演技っぽいものを付けて歌うだけにしました。いやあ、とても舞台で立ったり座ったりなんてできないもの…。

 まあ、この曲は、出来ない部分はもう諦める(汗)ことにして、出来る部分を完璧にしていこうという方針でやっていく事にしました。

 で、残り時間的なモノもあったので、ソロ曲だけを返すことにしました。

 二度目の返しは、最後の返しという事もあり、全曲を歌った後に、部分的にも歌って、より細かく合わせました。

 という訳で、短い時間に全曲を2回も歌い、その上、合わせの難しい箇所は部分的に歌った事もあり、ピアノ合わせが終わる頃には、すっかり声が無くなってしまい、「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」の最後の高いAは、声が割れてガラガラになってしまいました。ううむ、私の声は、1時間も歌うと、無くなってしまうんだなあ…。ちなみに妻は、むしろ声がドンドン出来るようになりました。妻のタフさと私の脆弱さが目立ちました。ううむ。

 さて、明日は本番ってわけで、響声破笛丸を飲んで、ゆっくり休息です。

 明日はフルート記事をアップする予定です。クラシックコンサート本番の記事は、その後にアップする予定です。よろしく。

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2017年10月11日 (水)

母音も子音もしっかり歌いましょう

 さて、声楽レッスンの続きです。ピアニストさんも到着されたので、曲の練習に入りました。

 本番どおりの曲順で、止めずに通して歌ってみましょうって事で、トスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」からレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を続けて歌いました。先生は、注意点を忘れないように、私が歌っている間、ガンガン楽譜に書き込みをしていました。

 歌い終えたらダメ出しです(汗)。

 まず、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」から。フレーズの歌い出しの準備(いわゆる“タメ”ですね)を大切にしましょうって言われました。歌い出しが案外いい加減なのは、私の悪いクセです。

 Uの母音はもっと深く発音する事。Oの母音はノドの奥の開け閉めで音程をコントロールする事。Tの子音はもっとちゃんと破裂させる事。それも続く母音と同じ音程で破裂させる事。Eの母音は上アゴを開いて発音する事。Mの子音はしっかり時間を取って、ハミングを一瞬入れる感じで歌う事。Pの子音もTのようにしっかり破裂させる事。

 …大変だな。

 フレーズの最後は“さようなら…”の気持ちを込めて、息を遠くへしっかりと吹き飛ばすように逃して歌う事。

 次は、レオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」です。“ove non sei(オベ ノン セイ)”が“オベイ ノン セイ”に聞こえる…と言うので原因究明です。どうやら“オベ”から“ノン”へ移行する際に、舌がゆっくり動いて、クチの中が一瞬狭くなる時に偶然“イ”の母音が発生してしまうのが原因のようです。舌がゆっくり動くのが原因なので“べ”から素早く“ノ”に行けば、物事は解決なのです…が、それ以前に、クチの奥を常に広く開けて歌えば、舌の動きがゆっくりでも“イ”は発生しないので、舌を速く動かすよりも、クチを広げる方を重視した方が良いかもしれません。

 音程が高くなってくると、声質がドンドン細くなってくるけれど、音程が高くなっても、声はしっかり深くして歌う事。息は常にしっかりと後ろに回して出す事。この曲も、やっぱり準備が足りないし、子音の音程が低いので注意する事。

 さて、二重唱の「A Dutiful Wife/従順な妻」です。

 鬼門はやはりハモリの箇所です。この箇所、一人ではちゃんと歌えます。二人ではうまく行きません。レッスンでダメ出しをされるたびにだんだん自信がなくなります。いかんなあ…。なので、先生的には奥の手を使うことにされました。それは、うまく歌えない箇所のピアノの和音の配列を変える事です。あくまでも変えるのは音の配列であって、和音そのものは変えません。しかし、和音の音の配列を変えることで、うまくハモれなかった場合でも、そんなに失敗を感じないような響きになるんだそうです。

 いやあ、ご足労おかけいたします。

 という訳で、最後のレッスン、やるだけのことをやりました。

 最後に、ドナウディの「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」の音源を貼っておきます。クラシックコンサートが終わったら、この曲に取り組みます。

 こちらの音源は、歌詞と和訳が付いているので、知らない曲を聞くには良い音源です。良い曲でしょ? 歌う時は、かなり背筋を酷使しないといけないようなので、今から色々な意味で楽しみな曲です。

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2017年10月10日 (火)

息の支え方を変えてみました

 クラシックコンサートは終わりましたが、話はコンサート以前に戻ります。まだまだコンサートの話にはたどり着きません(ごめんね)。

 さて、声楽のレッスンに行ってきました。

 今回も、前回同様に私達のレッスンの前にプロの方のレッスンが入っていました。感想は…前回同様です(汗)。でも、今度は妻も一緒にレッスンを聞けたので、きっと彼女の勉強になった事でしょう。

 で、我々の順番になりました。いよいよ、クラシックコンサート前、最後のレッスンとなりました。

 ハミング練習は、例によって、奥を開く事を重点的に行いました。

 発声練習は、息の支え方をいつもと変えてみました。今までは、腹筋を中心に息を支えていたのですが、今回は試みに、臀筋や背筋を中心に息を支えるやり方でやってみました。このやり方、昔々、某合唱団にいた時に、当時の合唱指揮者だったS先生に習ったけれど、その時は(当然だけれど)全然できなかったやり方です。まあ、当時は出来ていなくても、なんとなく出来ていたような気がしていたのですが、今思えば、当時は全然ダメでした。もっと、全然ダメでも、周りの団員さんたちも同じ感じで全然ダメだったので、気にならなかった…と言うか、むしろ自分はよく出来ていたんじゃないかって感じすらしていました。

 閑話休題。そういうわけで、久しぶりに臀筋と背筋を意識的に動かしてみたのですが…バリバリバリと音がするような感じがするくらいに、動かしゃあ動くのだけれど、すごいエネルギーが必要…と言うか、これ、絶対、筋肉痛になるだろうなあ…というくらいな感じになりました。やっぱり普段使っていない筋肉を動かすのは大変です。

 ま、それにしても、臀筋も背筋も、自分で思っている以上によく動いてくれました。

 とにかく、息を臀筋で作って、それを背筋に送り、それをそのまま首を経由して、後頭部に渡して、頭頂部から噴水のように湧き出させる…ってイメージです。腹筋は使わないのかと言えば、そんな事はなく、背筋を使う時に、背筋を支えるように腹筋も使っていきますので、腹筋だけで歌っていた時よりも、全身運動っぽくなりますし、腹筋だけでは足りないパワーを、臀筋やら背筋やらを活用することで、マシマシにしていこうというわけです。

 結果はどうなんでしょうね? 私的には、良い感じですが、まだまだカラダが付いてこれないって感じもします。しばらくはこのやり方に慣れていくのもアリかなとは思ってます。

 さて、クラシックコンサート後のレッスンで取り上げる曲を決めました。まずは武満から。まあ、歌いたい歌は色々あります。例えば「小さな空」とか「死んだ男の残したものは」とかの有名曲は是非歌ってみたいのですが、今回の“知らない曲を勉強する”という目的とは違ってきます。で、色々と考えたのだけれど、行き詰まってしまったので、結局、先生が最初に薦めてくださった曲の中から「○と△の歌」を歌うことにしました。もちろん、私、全然知らない曲です。この曲を知っている人って、そんなにいないですよね。
 もう一曲のイタリア歌曲は…ドナウディにしました。最近、トスティばかりを歌っていますから、たまには違う作曲家も良いでしょう。「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」を歌うことにしました。ドナウディの歌曲の中では、割と有名な方に属すると思うので、知っている人は知っていらっしゃるだろうと思います。

 とにかく、クラシックコンサートが終わったら、これら2曲に取り組んでいくつもりです。

 今回は、2曲のうち、武満の「○と△の歌」の音源を貼っておきます。

 えっと、小室等によるポピュラー版の「○と△の歌」です。本当はクラシック版の音源を貼りたかったのですが、クラシック版には私の趣味に合うのが無くて…で、ポピュラー版の音源を貼ってみました。でも、この曲の持つ雰囲気をうまく表現していると思います。もちろん、私が歌う時は、クラシック歌手として歌いますから、だいぶ雰囲気は変わると思いますが、でもこの曲は、そもそもこんな感じの素朴な曲なんです。音楽をあんまりゴージャスにしちゃうのは、違うような気がするんです。だから、この音源っす。

 いいでしょ? 結構。

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2017年10月 9日 (月)

喉声って、そんなに非難されるような声なのでしょうか?

 このブログを含む、声楽系の素人ブログでは、しばしば“喉声”が批判され、非難されます。なぜそういう記述が多いのか言えば…まあ、彼らの発声が基本的に喉声であり、それで散々注意され矯正させられ「喉声って悪い発声なんだな」と刷り込まれるからです。

 でもね、本当に喉声って、そんなに非難されるような声なのかな?

 実際のオペラを聞いてみれば、喉声ってテクニックの一つとして使われるよね。特に、怒りの表現などは、ヘラヘラってした声よりも、どっしりした声の方が良いし、そうでなくても、ヴェリズモなどの激しい表現を伴う曲の場合は、かなり喉声寄りの発声で歌われる事があります。もちろん、全員ってわけじゃないし、喉声の要素をかなり少なくして歌っている歌手もたくさんいます。

 おそらく、私が思うに、喉声には“美しい喉声”と“美しくない喉声”があり、“安全な喉声”と“危険な喉声”があり、“テクニックとして使い回しの効く喉声”と“不器用なだけの喉声”があるんじゃないかなって事です。

 まあ“喉声”ってのを“ファルセット”と置き換えると、割りとすんなり理解されるんじゃないかな?

 美声と言うのは、ノドに適度な力を加えて、適切にコントロールして発声された時に得られるモノで、力を込めすぎると喉声に、力を抜きすぎるとファルセットになってしまうと…私は考えています。

 力を込めるとか抜くとか言ったって、それは定量的に言えるものではなく、あくまでも、その人の体型とか声質とか年齢とか様々な要素で変わってくるわけです。他人が「この人、喉声で歌っている」と感じても、実は本人的にはかなりリラックスして発声している事もあるし、逆に本人的にはガチガチに力を込めているつもりでも、そうは聞こえない場合もあるわけです。

 ほんと、それこそ、声なんて人それぞれなんですよ。

 まあ、演劇表現として、筋肉を緊張させる事で表現される感情ってのがあるわけで、それは怒りの感情であったり、恐怖の感情であったり、我慢であったり…それらを歌唱で表現しようとすれば、ノドを含む身体を全体的にあるいは部分的に過緊張させる必要はあるかもしれないし、その表現として喉声あるいは、喉声寄りの声を使う事だって十分あるでしょう。

 結局、何が言いたいのかと言えば、純粋に発声技法として考えるならば、喉声は不健康だし不健全だし、批判され非難されるのもやむをえないし、素人は喉声歌唱をするべきではないけれど、喉声はファルセット同様、歌唱テクニックとしては有用な発声であるから、安全で美しい喉声を巧みに使いこなす事は、プロ歌手さんにとっては必要な事であろうと思うわけです。

 つまり、素人には禁忌だけれど、プロには必須な声ってわけです。

 実際、プロ歌手となれば、程度の差はあっても、喉声寄りの発声は出来ないと困ると思います。だって、実は、我々日本の庶民は、喉声が大好きだもの。

 我々の喉声好きは、たぶんDNAレベルで大好きなんだと思います。と言うのは、江戸時代に発展した歌付きの邦楽を聞いてみれば分かります。どれもこれも、強烈な喉声で歌うわけだし、そうやって唸った声を美しいと思っていたわけです。これが我々の本質であり、我が民族の声の好みなのです。

 だから、たとえ西洋音楽を歌うにしても、そういう唸りの要素(つまり喉声)を入れた声で歌えば「ああ、いい声だね」「朗々とした声だね」って思ってもらえるわけです。それを純粋に響きの声で歌っちゃうと「なんか物足りないんだよね」と思われて、次のコンサートのチケットの売上はガタ落ちしちゃうわけです。

 クラシック音楽のコンサートと言えども、所詮は興行だもの。お客さんが来てナンボでしょ?

 プロレスは筋書きがあってガチじゃないからダメって言う人がいるけれど、ガチの格闘技なんて地味で、素人が見ても面白くないよ。分かりやすく言えば、オリンピックでレスリングを見ても、たいていの人は、ちっとも面白いとは思わないのと一緒で、レスリングのままでは、興行としては成り立たないわけです。あれに筋書きを入れて、高度な肉体パフォーマンスショーにしたから、興行として成立するわけです。

 歌も同じ事なんだと思うよ。

 教科書どおりに歌っても、それが客に受けなきゃダメなわけです。客に受けるためには、ダメと言われるような発声方法でも、上手に使いこなせないとダメなわけです。だから、プロは、安全で美しい喉声発声ができるようにならなきゃダメなのです。でもそれはプロだからこそ求められる事であって、素人がプロレス技を見よう見まねで使うと、大怪我させたり死人を出したりするのと同様で、素人が喉声発声なんてしちゃいけないのです。

 つまり、喉声はダメよ…と言うのは、素人レベルの話であって、プロやハイアマチュアの人たちは、決してその限りではないって事なのです。

 …と私は思ってます。

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2017年10月 8日 (日)

財布を落としました

 さて、本日のリアルな私は、地元で開催される“クラシックコンサート”に出演しているはずです。この様子は、いずれ記事としてアップしますが、それを書いたり整理したりまとめたりするのに、若干の時間を必要としますので、しばしお待ち下さい。

 って事で、今日の記事に入ります。

 普段の私は、徒歩通勤を常とし、職場への行き帰りでボケモンGOを満喫するという生活をしてましたが、肉離れになって、跛行していた間は、長距離歩くことができなくなってしまったので、やむなく通勤にはバスを使用していました。

 怪我をして、カラダが傷んでいると、考え方も普段とは変わってしまうようです。私の場合は、あれこれ横着になりました。順を踏んで行えば良いことを、一度に済ませようとしたり、普段はカバンに入れて持ち運ぶ荷物も、ポケットに詰め込んだり、手に持ったりして過ごしていました。

 そんなある日、仕事帰りにバスに乗りました。普段は財布をカバンに入れている私ですが、その日は、バスから降りたら、すぐにコンビニに行って買い物をしようと思っていたので、なぜか財布をズボンのポケットに入れてしまいました。普段なら、財布はコンビニで会計を済ますまで、カバンに入れたままにしているのに、なぜか気が急いてしまっていたんでしょうね。とにかく、財布をズボンのポケットに入れてしまいました。

 で、バスが最寄りのバス停に到着し、バスから下車しました。で、下車して、何気にポケットをまさぐってみたら、財布がありません。「あれ?」と思いました。確かにポケットに入れたはずですが…もしかしたら、いつものようにカバンに入っているかもしれないと思って、カバンを探してみたのですが、やっぱりありません。

 どうやら、バスの中で落としてしまったようです。

 私の財布はお金だけでなく、あれこれ大切なモノが入っているから、盗まれたら、シャレになりません。軽くショック状態に陥り、目の前が暗くなりました。

 でも、途方にくれている余裕はありません。

 すでに私が乗っていたバスはバス停を出発してしまっています。その頃の私は、肉離れになったばかりで、歩くのが億劫で仕方のない時期でした。ましてや、走ってバスを追いかける…ありえない事です。

 でも、たぶん、財布はバスの中にある。幸い、私が下りたバスは、ガラガラで、私が最後の客だったから、きっとまだ財布はバスの中にある。私が下りたバス停は、終点の二つ前のバス停だから、今頃バスは終点に着いて、少し休んでいるはず。私は今すぐに終点にたどり着ければ、乗ってきたバスで財布を探せるかもしれないけれど、私の足は、今は、かなり不自由なわけで、二つ先の終点まで歩いていったら、どれくらいかかるか分からない。そんなに時間をかけてしまったら、今は休息しているかもしれないバスだけれど、やがて、次の客を乗せて別の路線に出発するでしょう。あるいは、運が良ければ、バス営業所に戻るかもしれない。どちらにせよ、いつまでもバスは終点に留まってはいないでしょう。

 ひとまず、電話をかけよう!

 私はそう思いました。で、まだ私はバス停にいたので、バス停をよく観察してみたら、バスの営業所の電話番号を見つけました。さっそく電話をしました。

 運良く、電話はすぐにつながりました。財布を落としてしまった事を伝えました。営業所の人は、すぐに運行ダイヤを調べてくれました。私が乗っていたバスは、今はまだ終点にいるけれど、やがて営業所に戻ってくる予定だから、営業所に戻ってきたら、バスの中を探して連絡をするので、携帯の番号を教えて欲しい…と言われました。携帯番号? そんなモノなんて、私暗記していないよ?

 なので、一度電話を切って、調べたらまた連絡をしますと伝えて、電話を切ったところ、運良く次のバスがやってきました。次のバスも同じ終点に向けて走っています。

 私が利用しているバス停には、二つの路線のバスが乗り入れています。両方共同じ終点に向けて走っていますが、一つは30分に一本、もう一つが70分に一本しか走っていないというバス路線(都会じゃ考えられないよね:笑)で、基本的に、一つのバスが過ぎ去ったら、次のバスは…普通は30分後なのですが、たまたま運良く、70分に一本のバスと30分に一本のバスの時間が近くて、すぐに次のバスがやってきた…というわけです。

 私は、青い顔をしたまま、そのバスに飛び乗って、運転手さんに事情を話しました。運転手さんは、すべてを飲み込んでくれて、そのまま私を終点まで運んでくれました。バスの中にはお客さんはいませんでした。

 走りながら、運転手さんは、私の乗ったバスをダイヤで調べ、まだ終点のバス停にいるはずだと言ってくれました。私は終点に向かうバスの中で営業所に電話を掛けなおして、携帯番号を伝えると同時に、今現在、バスで終点に向かっている事を伝えました。

 あっと言う間にバスは終点に着きました。運転手さんは、すぐにバスから降りて、私が乗ったはずのバスを探し出してくれました。私が財布を落としたバスには、そのバスの運転手さんが、車内で休憩をしていました。運転手さん同士で話をしてくれ、二人で車内を探してくれたところ、あっと言う間に財布が見つかりました。ラッキー。

 一応、私のものかどうか確認するため、財布の特徴を言い、財布の中に身分証も入っているので、名前とか電話番号も言って、身分証と確認してもらい、私の財布である事を理解してもらいました。ようやく、私の財布が手元に戻ってきました。

 その頃、営業所から、おそらく電話でやりとりをした職員の方がやってきました。財布を運転手さんたちに探してもらったことを伝えました。職員の方が(社内規則なんだそうですが)遺失物の引き渡しの書類を持ってきたので、それをチャチャっと記入しました。

 一時は財布を紛失し、目の前が真っ暗になり絶望した私ですが、無事に財布を取り戻し、ハッピーな気分にあり、浮かれてしまいました。あんまり浮かれていたので、終点のバス停から帰宅する際に、思わず歩きだしてしまいました。足を怪我しているのに…。

 冷静になったのは、終点の次のバス停を少し越えたあたりでした。足が痛いんだから、無理して歩かずに、バス停にいたんだから、そのままバス停で次のバスを待って、それに乗って帰ればよかったんですよ。事実、悔やみだしたところで、私のそばをバスが走り抜けたくらいでしたから。

 ああ、失敗した!

 次のバス停が私の最寄りのバス停なので、諦めて歩きました。仕方ないね。

 足はだいぶ痛んだけれど、財布が取り戻せて、超ハッピーな私であったのでした。

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2017年10月 7日 (土)

ベルちゃんの尾が食われ、ミドリが左肩に大怪我をしましたが

 真夏のエアコン大作戦で、今年の金魚たちは、割りと平穏無事に暮らしています…と記事にもしたばかりです。しかし、先日、水槽をのぞいてみたら、ベルちゃんの尾が血まみれになり、ミドリも大怪我をしていたのです。

 具体的に書くと、ベルちゃんの尾びれの先の方が真っ赤になって出血しているようであり、ミドリの左体側(人間で言えば、肩のあたり)が大きく盛り上がり、大きな傷口があって、そこから出血しているようなのです。

 ベルちゃんの尾びれは、全体の1/10程が赤くなっていますし、ミドリの肩の膨らみは、出目金の目玉よりも大きく腫れ上がっている感じなのです。

 これは、二匹とも、大怪我だと思います。

 おそらく、ベルちゃんの怪我は、誰かに尾びれを食べられた怪我だろうと思います。ミドリの怪我は…ううむ、分からない。キズは横に長く大きくて、まるで何かに引き裂かれたようなのですが…爪のあるケモノならともかく、そんな事、魚類にできるのかな?

 とにかく、原因&犯人は全然分からないままなのですが、とにかく二匹が大怪我をしてしまったわけです。怪我をした時の一般的な治療は…まずは塩水浴ですが、ウチの水槽は普段から塩水で、すでに塩水浴をしているようなものなので、特にやるべき事もありません。後は、二匹の生命力にまかせるだけなのですが、それにしても、痛々しい怪我です。
 まあ、見ている人間が痛々しいと感じるだけで、金魚には痛覚はありませんから、どれほどの大怪我であっても、本魚たちには痛みも不快感も感じてはいないはずです。おそらく「なんか、カラダが動きづらいなあ」ぐらいにしか感じていないのだろうと思います。

 それにしても、怪我の程度が程度なので、心配でたまりません。それにしても、なぜ、こうなったのだろう? 事故ならば、その原因を取り除き、再発防止に努めないといけないし、犯人がいるのなら、それはそれで何かしらの手立てを施さなきゃいけません。

 ああ、心配だ心配だ。

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2017年10月 6日 (金)

私もウィーンでオペラ三昧な暮らしをしてみたいです(あ、フルートのレッスン記事ですよ)

 フルートのレッスンに行ってきました。まだ肉離れが痛み、ロクに歩けない頃でした。自宅からお教室まで、普段はテクテクとポケモンGOをしながら通っているのですが、さすがに肉離れな足では、ロクに歩けず、やむをえず、バスに乗って行きました。バスに乗っている時間はわずか10分にも満たないのですが、バス停でバスを待つのは30分ほどです。30分あれば、元気な時なら余裕でお教室にたどり着くのですが…ううむ、足が不自由ってのは、本当に不便です。

 お教室に行ったところ、姉様のレッスンが続いていました。ううむ、実に見事な演奏です。うらやましい。

 いつものようにロングトーン練習から始めました。普段は、立ってフルートを吹いている私ですが、さすがに立つことすら厳しく、途中で椅子に座り込んで、ロングトーン練習をしちゃいました。

 さすがに先生からも「そんなにひどいのかい?」と尋ねられてしまいました。ええ、そんなにひどいんです。

 先生曰く「じゃあ、今日は、椅子に座ってレッスンをしよう。音楽なんて、根性出してやるもんじゃないからね」との温かいお言葉、感謝です。

 最初はエルステユーブンゲンの21番です。実は肉離れになる前に一度暗譜したのですが、肉離れになって以来、練習のモチベーションがだだ下がりで、怠けまくっていたら、すっかり忘れてしまいました。以前にも似たようなことがあったなあ…。

 22番は…ほとんど練習できていなかったので、初見状態で吹きました。案外、初見でもどうにかなるものです。どうにもならないのは、暗譜なんだよね。

 プチエチュードは18番です。先生曰く「音もきれいだし、だいたい出来ていますね」との事です。後は、細かいミスを無くして、次回は合格を目指しましょうって事です。足は痛いけれど、頑張りますか…。

 40リトルピーセズは、2番の「小品」です。最初っから先生のピアノとはピッタリ合いましたが、ちょっとばかしテンボが遅めだったようで、もう少し速く…と言われて、もう一度合わせて、バッチグーだったので、今回で合格となりました。次回は3番です。3番はバッハのフランス組曲の中の有名なメロディ「ガボット」なんだそうです。ううむ、フランス組曲って…よく知らないや。

 今回の雑談は、オーケストラピットの中でのフルートの構え方について。オーケストラピットってのは、たいてい狭いです。そこに小さめな編成のオーケストラが入る時ならともかく、ワーグナーだとかプッチーニだとかの、大編成のオーケストラが入ると、オーケストラピットの中はすし詰め状態になるわけです。

 フルートというのは、あんなに長い楽器を横にもって演奏するわけですから、やたらと場所を取るわけで、オーケストラピットの中では肩身が狭いモノなんだそうで、それぞれに工夫しながら、小さくなって吹いているんだそうです。

 なんで、そんな事を尋ねたのかと言うと、先日見た、メトの「タンホイザー」の中で、オーケストラピットにいた、フルートのブリヤコフが、クビを捻って、フルートをカラダの正面に持ってきて、まるでクラリネットかなにかのように吹いている姿を見たからです。いくら狭いとは言え、あんな体勢でフルートって吹かなきゃいけないんでしょうかね?

 先生も以前はよくオーケストラピットに入って仕事をしていたそうですが、確かにオーケストラピットは狭いけれど、どんな体勢でフルートを吹くのかは、それぞれの創意工夫なんだそうです。ブリヤコフのように、楽器を前に持ってきて吹くのもありだそうです。ちなみに先生は、フルートを思いっきり下にさげて吹いたんだそうです。どっちにしても、クビは捻らないといけないみたいです。

 先生が言うには、オーケストラピットの狭さは、まだどうにかなるのだそうです。どうにもならないのは、ピットの中の暗さなんだそうです。とにかくオーケストラピットの中は暗いんだそうです。そりゃあまあ、オーケストラピットってのは、舞台と客席の間にあるわけで、そこが煌々と光り輝いていたらマズイわけで、とにかく客の視線が舞台に集中するように、オーケストラピットの照明は、常に暗めの地味めなんだそうです。

 そんな暗い中で、目をこらしてフルートを吹いていたので、目が悪くなったんだそうです。オーストラピットが暗いのは分かるけれど、それで視力って下がるものなのかな…。
 で、話はそこから「タンホイザー」の話へ移り、若い日にウィーンで見たオペラの数々の話になりましたが、まあ半分は与太話だったので、プログじゃあ、割愛しておきます。それにしても、留学してオペラ三昧とは、羨ましいです。

 先生の考える二大オペラは、ワーグナーの「タンホイザー」と、プッチーニの「ボエーム」なんだそうです。いつ見ても、涙が溢れるほど感動してしまうんだって。まあ、いいオペラだものね。

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2017年10月 5日 (木)

頭の中に、エアな指揮者を用意しましょう

 声楽のレッスンの続きです。

 ひとまず発声練習と言うか、声出しも終了し、いよいよ曲の練習に取り掛かりましょう…と言った感じになりましたが、ちょっと時間が早くて、まだピアニストさんが到着していなかったのです。なので、クラシックコンサート後のレッスンから取り組む曲を決めることにしました。

 いつも、歌曲1曲、アリア1曲を歌っています。今回、歌曲に関しては、私の好きな曲で良いという事です。ただし、いかにもテノールっぽいメロディの曲にしましょうって事です。ヴェルディでも、トスティでも、ドナウディでも、なんでもそのあたりから選んで一曲持ってきてくださいって事なので、次回までにいくつか検討しておきたいと思います。

 で、アリアなんですけれど、私的には、ヴェルディ作曲の「椿姫」のテノールアリア「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」が終わっていないような気がするので、ひとまず、その続きからでいいかなって思っていましたが、先生曰く「すとんさんって、譜読みとか音取りとか苦手でしょ」とおっしゃるわけです。まあ、実際、私は譜読みは苦手ですよ。割りと最近まで「私、譜面、読めませ~ん」って言っちゃっていたくらいですからね。今は、H先生のレッスンで、そのあたりを丁寧に指導していただいたおかげもあって、簡単な楽譜なら、割とさらっと読めるし、多少難しくても、頑張ればどうにか読めるくらいにはなりましたが、確かに苦手と言われれば、苦手です。

 音取りは読譜よりも、もっと苦手かも…。楽器には…ヴァイオリンなどの自分で音程を作っていくタイプの楽器ならともかく、ピアノやフルートなどの、すでに音程が楽器に備わっているタイプならば、音取りは不要だからねえ。いきなり吹いても、どうにかなるわけです。

 でも、歌は違います。

 歌の場合、キーボード等を使って、一音一音、確かめながら、音を取って確認しながら歌っていくわけです。これはプロもアマも同じね。音取りは、歌手にとって、必須作業なわけです。

 でも私の場合、まずはキーボードが苦手だから、音取りをしている時に、キーボードの演奏自体を、うっかり間違えちゃって、その間違ったままで音を取っちゃったりします。ダメじゃん。または、間違いに気づいて、正しい音を弾こうとして弾き直すのだけれど、それでもやっぱり間違えちゃったり…そんな事を繰り返しているうちに、なんか正しい音と間違った音が頭の中で混在しちゃったりして、なんか、あやふやのふやになっちゃうんだよね。そこへ音階外の変化音がメロディに加わると、一体どの音が正しい音なのか分からなくなってしまい、もうお手上げだったりします。

 と、そんな私の現状を踏まえて、先生は、発声が小難しいアリアも勉強に良いけれど、読譜や音取りが小難しい曲を勉強するのも良いのではないかと思われたわけです。で、先生の提案が「アリアではなく、武満を歌いましょう」となったわけです。

 武満徹…うむ、日本の作曲家だね。当然、日本語の歌詞だよね。日本語難しいんだよね、ちゃんと歌えるかな? 武満って、つい最近まで元気に生きていた人だよね。当然、現代作曲家だよね。ノーベンバーステップとかCDで聞いたことあるけれど、やたらと小難しかったよね。

 先生は、武満のうたの中から、数曲を次の候補に上げてくださいました。どの曲も、知名度的にはトップクラスではありませんが(それゆえに、譜読みの練習としては、知らないメロディだから良いのだと思う)、なかなかに面白そうです。さっそく楽譜を入手してみて、どの歌を次に歌うか決めたいと思いました。

 それにしても武満か…いよいよ武満か。ずいぶん遠くに来たものです。

 そんな話をしているうちに、ピアニストさんが到着したので、歌の練習に入りました。まずは、声と体力の消耗の少ないトスティ作曲の歌曲「Tristezza/悲しみ」から歌い始めました。

 この曲はスローな曲だし、歌詞の内容を考えても、粘っこく歌う必要があります。あるいは、情念を込めて歌う…と言うべきかな? 私の歌い方は、まあ、割りとあっさりした歌い口で、とろみが足りないようです。もっと粘って歌わないと…。具体的には、フレーズの出だしにタメと、シャクリが必要です。

 タメる事で、音楽の流れが緩やかになり粘りが出てきます。シャクリ…と言っても、邦楽のシャクリとは違い、声をアンダースローでふわっと載せるように出していく感じのシャクリです。音程を下から当てるのではなく、下から出発するけれど一度高めに持って行ったところから音程を当てていくわけです。下から直線的に当てるのではなく、放物線を描いて当てる感じですね。

 また、邦楽のシャクリは、しばしばウネリを伴いますが、こちらのシャクリはむしろ素直な声でフワッといくわけです。

 タメてシャクる事で、さらにメロディに粘りを増していくわけです。

 メロディをゆっくり歌うと…私の場合…長い音符の終わりの方が自然と音程がぶら下がってしまいます。それに注意するには、しっかり腹筋で息を支えることです。それと関連するのでしょうが、先生に「音符の最後までしっかり責任を持って歌ってください」と言われました。おそらく(特に最近は)フレーズの最後の部分を投げるようにして歌っているので、それをやりすぎると、フレーズの最後がふらついて下ってしまうんでしょね。注意しないといけません。

 あと、アナログで歌ってくださいとも入れました。つまり、デジタルのような階段状の変化ではなく、アナログの持つなめらかな変化を取り入れてくださいという事です。これは、音程、音量、ともにの話です。

 次はレオンカヴァッロ作曲のイタリア民謡である「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」です。

 この曲は、テンポの取り方から注意されました。都会的なシャレたテンポではなく、泥臭い田舎者のテンポで歌ってくださいとの事です。具体的に言えば、速めのテンポだけれど、耳で聞くとゆっくりとリラックスして聞こえるようなテンポの取り方です。歌い方としては、前に突っ込んで歌うのではなく、後ろにタメて歌っていくわけです。はっきり言っちゃえば、こういうテンポの取り方をするとダサいのだけれど、この曲はダサさが必要だから、こんな感じでいいのです。

 朝の歌…なんです。それも忙しい都会の朝ではなく、どこかゆったりとした田舎の朝なのです。清々しい朝を迎えて、元気いっぱいで野良仕事に向かう感じの朝の歌なのです。だから、元気で勢いがあっても、どこかゆったりとのんびりしたテンポ感が必要なのです。

 最高音になる高いラ(nacse l'amore)は子音のLに声を載せて、しっかり歌うように注意されました。

 それとこの曲は、案外テンポが揺れていきます。指揮者がいないので、テンポの揺れを歌手とピアニストで共有していかないといけません。その共有作業が、今回のレッスンの要だったりするのだけれど、なかなか微妙な揺れとか止めとかが多く、細かいところまできっちり合いません。二人でやるとなかなか合わないのだけれど、先生が間に入って、指揮をしてくれると、ピタッと合うのです。やはり指揮者の存在って、ありがたいなあ。

 とは言え、本番は(当然だけれど)指揮者はいないので、歌手もピアニストもお互い“エアな”指揮者を頭に置いて、歌っていくのが良いみたいです。つまり、共通言語として“エア指揮者”を用意して、ここの部分は指揮がこう振る…みたいな理解を互いにしていくわけです。難しいね。

 ここでしばらく休憩(妻のレッスン)を入れて、いよいよ最後の二重唱(レハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」)となりました。この曲は、すでに発表会に向けて、一度完成させているので、歌がどうのこうのではなく、ピアノと歌をどう合わせていくかという練習内容になるはず…でしたが、いやあ、どうもこうも、ハモリの部分がうまく歌えません。

 私、他人に対する共感性が高いから(笑)、他の人と一緒に歌うと、ついつい合わせてしまうと言うか、ざっくばらんに言えば、釣られちゃうんだよね。だから、一人で歌えば、ちゃんと歌えるのに、妻と歌うと、ついついシンクロしてコーラスではなくユニゾンで歌っちゃうんだよね。

 で、ユニゾンで歌う度に、妻に叱られます。その叱り具合は、Y先生に「私よりも手厳しい…」と言われる程です。

 とりあえず、妻さえ隣で歌わなきゃ、私もちゃんと歌えるんです。妻が隣で歌うから、ついつい一緒にユニゾンで歌っちゃうだけなんです。ダメ? ダメなんだろうなあ…。きちんとハモってよと言われますが、こればかりは性分だから…なあ。難しいんだよね。どうして世間の人は隣の人とは全然違う音で平気で歌えるのか、知りたいものです。耳を塞いだって、隣の歌声は骨導で聞こえるから、隣を無視してなんて、絶対できないしなあ…。

 まだ、本番まで、もう一度レッスンがあります。そこでどれだけ仕上げられるか…頑張っていきたいと思います。

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2017年10月 4日 (水)

毎度の事だけれど、腹圧が弱いのが弱点なのです

 声楽のレッスンに行ってきました。私がお教室に入った時、実は我々の前の方がまだレッスンをしていました。その方は、プロのソプラノの方で、私、その方のリサイタルを聞きに行った事もある…という人なのですが、その方がY先生のレッスンを受けてらっしゃいました。

 歌っているのを聞いていると、十分に素晴らしいのですが、本人もY先生も「まだまだ…」「全然ダメ…」とか言っているのです。ええ? 十分に歌えているし、素晴らしいじゃないですか!

 どうやら、プロの合格基準は、我々アマチュアからは想像もつかないほど、高くて厳しいみたいです。まあ、お金を取って歌っているわけで、我々のような趣味で歌っているわけじゃないのだから、そりゃあ完成度が違って当たり前なんだけれど、それにしても、どこがダメなのか分からない箇所にダメ出しされているんです。

 Y先生がレッスンで言っている事の内容も、ほぼ私には分かりませんでした。唯一分かった(理解したわけじゃない)のは、アゴをロックしてしまうと高音が抜けなくなるって事です。でも、アゴをロックするって、どういう事?

 とにかく、丁々発止のレッスンを見学することができて、なんか感激しちゃいました。できれば、私だけでなく、ソプラノである妻が、このレッスンの様子を見ることができたらよかったのだけれど、妻はあいにく近所のコンビニにお茶を買いに行っていて、お教室にやってきた時にはレッスンが終了してしまっていたのでした。残念残念。

 さて、我々のレッスンの順番となりました。

 まずは、発表会の感想からです。まあ、我々的にはベストを尽くして全力を出し切ったわけで、あれが現在の実力と言えば実力で、その結果を冷静に受け入れるだけです。色々あったけれど、それは次への反省へとつなげていきたいです。まあ、大雑把に言っちゃえば「最近にしては、よく出来ていたんじゃないの?」と感じています。まあ、80点?

 先生的には…演技に集中しすぎていて、歌の方がおろそかになっていたのが残念…との事でした。もっとちゃんと歌えるはずなのに、あっちこっちほころびが見えて残念って感じのようです。まあ、実は演技の方は、今回、何も練習していなくて、直前にちょっと打ち合わせをした程度で、本番ぶっつけのアドリブだらけだったのです。なので、確かに演技の方に気が散っていて、歌に集中しきれなかったかもしれませんし、それが良くなかったなあ…と思ってます。

 とにかく、次、頑張ります。

 さて、レッスンです。まずはハミング練習です。今回は、今までとはハミングのやり方をちょっとだけ変えてみました。まず最初に、ノドの奥を一番高く引っ張って、そこから音が高くなるにつれて、高く引っ張ったノドを下へ下へと引っ張っていくというやり方で声を出しました。

 なんか、変な感じです。だって高い音なのに、ノドは下へ引っ張るんですよ。でも、このやり方でも、ちゃんとハミングは出来るんです。不思議ですね。

 発声練習の方は…腹圧を高めて、息をうんと送って、声を頭から突き抜けるように出す練習…と言うか、それができるための予備練習…と言うか、なんでそんなに腹圧が低いの?って話です。

 まあこれでも、Y門下に入門した直後は、お腹なんてピクリとも動かなかったわけで、それが弱々しいとは言え、とりあえず私の気持ちに合わせて動いてくれるようになったのだから、大進歩なんだけれど、問題は腹筋の動き方の程度の問題で、今の動きではまだまだ不足も不足、もっと力強く動いて欲しいってわけです。なにしろ、今の動きは、ほぼ“ゼロかイチか”の動きだし、フルで入った時も、まだまだ不十分なんですから。

 私が高音が苦手なのも、この腹筋の弱さが大きな原因の一つなんだそうです。とにかく、息が弱くて高音が出せない…って感じなんだそうです。

 あと、息が弱いので、声もレガートに出ていないのだそうです。どちらにせよ、もっと力強く長くて可変の効く息が出せないとダメなんだそうです。

 考えてみれば、フルートでも、スラーでつながったフレーズは、息を止めずに流しっぱなしで吹くわけで、歌もあんな感じで歌っていくのが良いのではないかと…最近思うようになりました。

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2017年10月 3日 (火)

なんで大きな声で歌えないの?

 私は歌が好きです。聞くのも好きですが、歌うのはもっと好きです。独唱も好きだし、重唱や合唱も大好きです。しかし、合唱団に行くと、声が大きすぎると言われて、陰湿なイジメに合うことが多いです。

 合唱団のイジメが、いかに陰湿なのかという話題は、またそのうち書くことにして、今回は、なぜ合唱団の人たちって、あんなに声が小さいのかという事について考えてみたいと思います。

 ちなみに私、合唱団に行くと、声がデカイ声がデカイと言われますが、実はそんなに大きな声の持ち主ってわけでもないんだなあと、最近はつくづく思います。

 較べること自体が失礼な話なんですが、プロの皆さんと較べると、私の声量なんて、お話にならない程度で、決して大声ってわけじゃありません。プロでなくても、今のY門下やF門下のお姉さまお兄さま方と較べても、私の声は大きい方には入りません。私よりもお姉さまお兄さまの方が、よっぽど大声です。もっとも、キング門下時代は、門下の中でも大声の方に入りましたから、私の声は大声とは言い切れなくても、小さな声では無いって事は確かです。

 それにしても、押しなべて、合唱をやっている方って、声が小さいです。特に大きな団体の方ほど、一人一人の声は小さい傾向があります。なぜでしょ?

 おそらく一番の原因はメンタルかな?って思います。つまり、その気になれば、もっと声が出ないわけでもないのだろうけれど、なんとなく、大きな声を出さないってヤツです。

 たぶん恥ずかしいんでしょうね。合唱をやっている人って、シャイな人、多いですから。歌うのは好きなんだけれど、自分の歌声を聞かれるのはイヤってタイプです。だったら風呂場で一人で歌ってろ!とか悪態ついちゃますが、それじゃあ物足りないし寂しいのでしょう。だってお風呂場には友達がいませんから(笑)。要は歌いたいし、おしゃべりしたいし、楽しい時間を過ごしたいから合唱団に入ったけれど、歌を聞かれるのはイヤだし、目立つのなんて恥ずかしくてたまらないから、練習の時は小さな声で歌います…って事なのでしょう。

 ですから、練習の時に、指導者がパート別とか、列ごととか、ある程度人数を絞って歌わせる(誰の何がダメなのかをはっきりさせるためですね)と、ますます声が小さくなっていっちゃうんですね。だって、歌う人数が減れば、自分の声がみんなに聞かれてしまい、余計恥ずかしくなってしまうじゃないですか。

 そんなこんなで、いつもいつも小さな声でばかり歌っていると、自然と歌声が小さくなっちゃいますね。そのうち、出そうと思っても、大きな声が出なくなってしまうわけです。一種の廃用性症候群ですね。これが合唱をやっている人が大きな声が出せない理由の1番目です。

 2番目の原因は、その一種の廃用性症候群(?)周りの話になります。まあ、廃用性症候群は大げさな話だけれど、人間のカラダって、使わないと、ドンドン劣化していき、やがては気持ちがあっても動かなくなるんです。

 筋肉がその代表例です。筋肉って使わないと、ドンドン細くなっていきます。筋力というのは、筋肉の断面積と比例関係にありますから、筋肉が細くなると筋力が弱まっていきます。すると、カラダのあっちこっちが動かなくなるし、動いてもゆっくりな動作しか出来なくなります。

 声って、基本的に、筋力で出力します。筋力が弱まると、音量も小さくなり、音域も狭くなり、声もふるえるようになります。ちりめんビブラートで歌っている人なんて、かなり筋力が衰えているのです。

 3番目の原因は、体格の問題があります。歌声とは人体を楽器にして出すわけですが、楽器、とりわけアコーテスィックな楽器と言うのは、一般論として、共鳴箱や共鳴腔が大きいほど音量が大きくなります。それは人間も同じ事で、体格が大きいほど大きな声が出せます。逆に言うと、小さなカラダでは出せる音量にも限度があるって話です。

 もちろん、大きなカラダとは、骨格の組み方が大柄なカラダの事を言います。体重は音量とは直接関係ありません。身長が高い事、胸板が厚い事、お尻がパンと張って大きい事。頭が大きい事。これらの要件を備えている事が、大きな声で歌える要因になるわけで、逆にこれらの要件を満たさない人(背が低い。カラダが薄っぺらい。小尻&小顔)は、大きな声で歌うのは厳しいと言えるでしょう。

 ちなみに歌手にとって体重は、ある程度は必要なんだそうです。ある程度の体脂肪は声の音色を柔らかくするそうですし、体重があれば音波の発信源として効率が良くなり、よりエネルギーを音波に変換するのに無駄が減り、大きな声で歌うことできます。しかし、太り過ぎて、内臓脂肪が多くなりすぎると、体内に脂肪がたまって共鳴腔が狭くなり、むしろ音量は小さめになりますので、太りすぎは歌手にとってプラスにはなりません。

4番目の原因は…テクニック不足? テクニックが不足しているために、バランスの良い発声ができずに、息を声に変換するのがうまく行っていない…ってのは、当然あります。良い発声って、声の大半が外に出てしまうため、声が自分の中に残らないわけで、それで独唱者などは、自分の声を外部からの反響音として聞くわけです。だから、ある程度、反響のある会場だと歌いやすいし、反響がないデッドな会場では歌いづらいわけです。

 で、合唱の場合、自分の歌声は周囲の人たちとの声に混ざり、反響音があろうがなかろうが、自分の声だけを聞くという事はできません。そこは「自分は正しい音程で歌っているハズ」というのを、自分の体内各所の筋肉の緊張で把握していくわけだけれど、実際これはかなり難しいわけで、どうしても自分の音を自分の耳で確認したくなるわけです。

 そうなると、自然の発声はこわれます。本来は、声の大半を外に出さなきゃいけないのに、ある程度の声を外に出さずに、体内に残して、自分の声を骨伝導で聞くようにしちゃうわけです。これは本当はダメなんですよね。これをやっちゃうと、音量が減るだけでなく、音程も音質も怪しくなります。と言うのも、骨伝導で聞く音って、空気の振動で聞こえる音(外に出た音はこれだし、周囲の人たちが聞くのもこれだし、録音される声もこれです)とは違うからね。そんな事をやっていると、いつまでたっても、歌は音痴のままだし、声量だって増えません。ま、どれだけ素っ頓狂な声で歌っていても、音量が小さくて周囲によく聞こえなければ、合唱的には問題ないので、会費とか団費さえ支払ってくれれば、邪魔にはされないんですが…ねえ。

 とまあ、大きな声が出ない原因を4つばかりあげましたが、やはり一番大きな原因は、最初にあげたメンタルの問題でしょう。

 「恥ずかしくて大きな声が出せない」 これに尽きます。

 合唱はバランスが大切です。確かに、合唱団の中で大きな声で歌う人間がいたら、バランスが悪くなります。でもね、音楽なんて、お客さんに聞こえてナンボでしょ? だったら、大きな声で歌う人間を押さえつけて、小さな声でバランスを取るよりも、みんなで大きな声を出して、団全体の声のボリュームを増やした方がいいんじゃないの?

 最大音量(ff)が増えれば、最小音量(PP)の差も大きくなって、音楽の表現力がマシマシになるわけですから、声のボリュームって、大きければ大きいほどいいんじゃないですか?

 もしも本当に音楽や歌や合唱が好きなら、恥ずかしさなんて乗り越えて、ガンガン歌って、バンバン声を出してゆきましょう。

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2017年10月 2日 (月)

ファルセットが自由に出せるようになりました

 このブログの古くからの読者さんは知っているでしょうが、以前の私はファルセットが大の苦手でした。はっきり言っちゃえば、ファルセットで歌うどころか、ファルセットが出せませんでした。

 ま、当時の私は、テノールがファルセットで歌うのは負けだと思ってましたし、キング先生時代はファルセットで歌うことは言われなかったので「ファルセットなんて出せなくてもいいや」と思っていました。

 ファルセットと言うのは、裏声と呼ばれる種類の声で、クラシック系女声の歌声はファルセットから出発しますので、女性でファルセットが出せない人…と言うのは、まずいないのですが、男声は基本的にファルセットを使わないので、男性の中にはファルセットが出せないという人もいます。私がそうでした。男性でファルセットを用いて歌うのは、カウンターテナーとかメールアルトとかソプラニスタとか呼ばれる例外的な声の持ち主だけであって、一般的な男声ではファルセットは、まず使いません。

 …と言うのは、教科書的な答えであり、理想形であって、実際、バスやバリトンはともかく、テノールでは、やむをえず、ファルセットを多用していたりします。

 例えば、合唱テノールですね。団にもよりますが、高いEやFから上の声は、ファルセットで発声しなさいと統一している団も、実は結構あります。

 合唱では音色の統一ってヤツが大切です。いくらテノールであるとは言っても、合唱テノールの中には、EやFあたりで苦労する人もぼちぼちいます。出せる人は実声で歌い、無理な人はファルセットで歌う…では団としての統一性に欠けるので、そのあたりの音程からテノールは全員ファルセットで歌う事にしている団は多いです。また音色の統一だけでなく、EやFを出せたとしても、乱暴な声で発声されてはハーモニーぶち壊しだったりもするので、優しい音色のファルセットを重宝に使う事もあります。

 合唱でテノールをやるなら、ファルセットを自由に使えることは、必須テクニックなのかもしれません。

 また、独唱であっても、ファルセットは発声テクニックとして必要です。高音をPPで歌う事はありますが、そんな時はファルセットを用いて切なく歌うというのもアリなんです。

 まあ、独唱の場合、通常の歌唱では、どんなに高音でもファルセットは用いませんが、だからと言って、ファルセットが出せないというのはマズいんですね。

 と言うのも、私もそうでしたが、ファルセットが出せない人と言うのは、ガチガチにノドに力が入っているからファルセットが出せないわけで、ノド声なんですよ。ですから、そんなノド声で無理に高音を出そうとして、ノドにフタが覆いかぶさったように息が止まってしまうか、それをむりやり突破しても、音程がぶら下がった苦しげな声にしかなりません。それじゃあダメなんですね。

 むしろ、高音を出そうとして、失敗をしてファルセットになってしまうくらいの方がマシなのです。だって、ノドから力が抜けていて、声がスっぽ抜けてしまうからファルセットになってしまうだけなんですから。もちろん、声がスっぽ抜けてしまうのはマズいんですが、ノド声よりは(比較の問題ですが)ずっとマシなんです。

 テノールの高音は、ファルセットになりそうで、ギリギリならないあたりの声で用いるのです。だから、ファルセットで歌っちゃダメなんだけれど、ファルセットでも歌えるようでなければ、テノールとして先が無いんです。

 だから、テノールとして頑張っていくなら、ファルセットが出せるのはもちろん、ファルセットで歌えないといけません。むしろ、ファルセットで歌うのが得意なくらいの方が良いかもね。

 Y先生に代わって、ノド声対策をするようになり、徐々にノドの力を抜いて楽に歌えるようになったところ、少しずつファルセットで歌えるようになりました。まだまだ、ファルセットで歌うのが得意…とまではいきませんが、ひとまず発声としてのファルセットは、割りと自由にできるようになりました。

 ノド声からだいぶ離脱できてきた…って感じでしょうか? 次はファルセットで歌うのではなく、その手前で踏ん張って歌えるようになれたら、うれしいなあって思ってます。

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2017年10月 1日 (日)

肉離れになりました

 表題の通り、肉離れになってしまいました。

 数日前の話です。仕事帰りに、ポケモンGOをしながら、道を歩いていたと思ってください。特に別に変わった事はしていません。あえて言えば(すでに記事に書きましたが)数日前に犬にかまれた右足がまだ、ほんの少しだけれど痛むので、そこをかばって歩いていたかもしれません。また、私の通勤路は基本的に平たい道が多いのですが、肉離れになる少し前、ポケストを回すために、ちょっと脇道に入りました。脇道は見上げるほどの急坂で、そこを昇り降りをして、ちょっと足が疲れてしまった事も遠因になるのかもしれません。でもその他に、これと言った、思い当たる出来事はないのです。ただ、普通に道を歩いていただけです。

 横断歩道があって、そこを渡ろうと思いました。で、信号が変わって、横断歩道を渡っていた時…まさに渡り終えようとした時に、左脚から“ブチっ!”という音が聞こえ、痛みが走りました。その勢いで、横断歩道を渡り終えた私は、すぐに左足の異常に気づきました。

 すぐに思いついたのが、筋断裂。ゆっくり左脚を動かしたところ、ひとまず動きます。全断裂ではなさそうです。脚を触ってみたら…あっという間に腫れ上がりました…ような気がします。実はすでに夜だったので、単に足がむくんでいただけかもしれませんが(汗)。

 歩いてみたら…とても普通には歩けません。ビリビリジンジン痛みます。やばいなあと思いました。とにかく、ボケモンGOは止めて、家に帰ることを優先する事にしました。幸い、我が家はもう目と鼻の先です。

 歩いていた道は、国道一号線で、道路脇はしっかりガードレールで守られていますし、車もびゅんびゅん走っています。タクシーを呼ぼうかと一瞬思ったのだけれど、この先には当分、ガードレールの切れ目がありません。横断歩道とか、バス停のための切れ目はあるけれど、とてもタクシーを呼べるような場所がありません。少し行ったところの路地の入り口で、タクシーを呼べそうな場所があるけれど、そこまで歩けるなら、家まで歩けるなあ…と思い、跛行(いわゆる“びっこをひく”事ですが「びっこ」と書くと差別語だと言う人もいらっしゃるようなので、医学用語の“跛行”を使います。ちなみに“びっこ”は状態を表す言葉であって、障害を表す言葉ではないので、差別語では無いはずなんですが、敏感すぎる人もいるので、念のための処置です。難しい言葉を使って、ごめんね)状態で歩いてみたら、案外歩けました。もちろん、速度は出ませんが、足を外側にひねった跛行をすれば、さほど痛くなく、なんとか歩けます。…ものすごく遅い速度でですが…。

 “タクシーを呼んでも、タクシーを待っている間に家に着く!”と、その時は、そう思ってしまったのです。まだ感覚が元気な人だったのです。なので、根性を出して、頑張って、必死で、跛行で、家にたどり着きました。

 この段階では、足も動くし、大したことではないだろうとタカをくくっていました。脚は腫れているし、痛みもあるけれど、まあ、一晩寝れば、腫れもひいて、痛みも治まるだろうと勝手に思ってました。怪我をしたのが夜で、別に命に関わる怪我でもないので、一晩様子を見ることにしました。

 でも、あんまり足が痛いので、ひとまずロキソニンテープを貼っておきました。

 で、翌朝、起きてみたら、やっぱり足が痛かったです。歩こうと思っても、結構不便を感じます。怪我した直後は何とか動けても、一晩経ったら、むしろ状態がひどくなっていました。

 これは仕事に行くのは、ちょっと無理…と判断しました。やはり病院に行って診てもらった方が良いだろうと思い、ひとまず職場に連絡を入れて、朝イチで整形外科に行きました。

 病院で診てもらったところ、とりあえず、骨には異常はなし。筋肉の部分断裂…ってわけで、左ふくらはぎの肉離れと言われました。

 痛み止めの内服薬と特大のモーラステープと特大の包帯をもらいました。なんでも、肉離れの時は、サポーターで保護するよりも、包帯でガチガチに締め上げた方が良いそうです。ゲートル巻きという包帯の巻き方を教えてもらい、効率的な(笑)跛行のやり方も習いました。

 松葉杖が欲しいです…とお願いしたのだけれど、松葉杖は貸してもらえませんでした。肉離れの場合、全断裂ではないので、跛行なら歩けるわけだし、跛行の際に松葉杖を持っていると却って荷物になって邪魔になるから、むしろ不要ですって言われました。確かに、その通りでした。でも、病院に行った時は、まだまだ痛くて、杖無しではとても歩けないような気がしたんですよ。

 習ったとおりの跛行で歩くと…すごくすごく歩行速度は遅くなりますが、確かに痛み…ってか軽微な痛みで歩けます。なので、その足で、駅まで行ってバスに乗って、ひとまず職場に行きました。で、最低限の仕事だけをしたら、すぐに帰宅して、寝たきり老人になりました。足の怪我は、足を使わずに養生するのが一番です。特にまだまだ急性期ですから、安静が第一です。

 翌日も出勤して、最低限の仕事だけしたら、すぐに帰宅して、寝たきり老人になるという日々が約一週間ほど続きました。

 怪我をして一週間程して、ようやくフルタイムで働けるようになりましたが、それでもなるべく残業はしないで、定時で帰るように心がけました。いやあ、ほんと、この期間、仕事量がめっきり減りました。

 仕事は座業がほとんどなので、支障がないのですが、やはり歩行には困難がある状態です。平らな箇所なら…まあ4~500mくらいなら歩けますが、1Km歩く自信はありません。怪我をする前なら、10Kmは平気で歩いていましたが…めっきり歩けなくなりました。階段は上りも下りもほぼ無理です。なるべくエレベーターを使用しますが、階段しかないところは、手すりに捕まって、ほぼ腕の力で昇り降りをしています。

 いやあ、歩けなくなると、ほんと、生活に支障が出るね。肉離れは、軽度なものでも普通に歩けるようになるまで2週間かかるそうです。少し重くなると、すぐに数ヶ月の治療期間を要するそうで…私も完治までどれくらいかかるんだろう?

 ちなみに、医者からは使い切れないほどのモーラステープをいただいたので、少なくとも、どんなに早く治ったとしても、これが無くくらいの時間は必要って…って医者は思っているんだろうなあ。

 はあ、憂鬱です。

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