ひとこと

  •  お相撲さんは格闘家であり、その素手は強力な武器であるわけだから、土俵以外の場所では、たとえ素手であったとしても他人を殴ってはいけないわけだし、ましてやその手に器物を掴んで凶器を使用してしまったら、言い訳はできないし、そもそもやり過ぎだし、卑怯ですらあると、私は思う。今回の件は、日馬富士にも同情すべき点は多々あると思うし、魔が差したのかもしれないが、鉄拳制裁はアウトだと思う。武道や格闘技は、暴力とは違うわけだが、角界の範たる横綱が暴力を行使しちゃあ言い訳できないよなあ。
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2017年9月の記事

2017年9月30日 (土)

なんか、いつのまにか選挙が始まりましたね[2017年9月の落ち穂拾い]

 衆議院が解散され、まだ公示前だと言うのに、あれよあれよという間に、事実的に、選挙戦が始まり、あっけなく民進党が解党してしまいました。日本をダメにした民主党の直系の政党が無くなってしまったため、あそこに集まっていた、反日で売国な政治家たちが見えづらくなったような印象があります。彼らは一体、どこから立候補するのでしょうか? やっぱり“無所属”という党から出馬するのかな?。でも無所属じゃ、お金も人手もまかないきれない人も大勢いるでしょうね。それとも、今流行りの“希望の党”から出てくるのかしら? でも希望の党って、基本的に保守系の政党だよねえ? まさか、今更、共産党とか社民党に行く…わけはないよね。だって、それじゃあ落選確実だもの。

 アベ政権を確実に終わらせなきゃいけない!…なんて言っている人たちは、どうするつもりなのでしょうね。

 

教えられない師匠

 街の音楽教師と呼ばれる人には、色々な人がいます。先日もこのテーマで書いたばかりだけれど、前回とは違う切り口で考えた時に、おそらく本当にたくさんいるのが「生徒を伸ばしたくても伸ばせない」あるいは「弟子の欠点は分かるんだけれど、どう伸ばしていったらよいのか分からない」という、師匠としてダメダメな音楽教師が多数いらっしゃるという事です。

 器楽の先生に関しては、教則本に従って教えればいいので、そこまでの先生は珍しいのですが、声楽のように、教則本などの無い世界では、その先生に教える能力が不足していて、生徒を伸ばす事の出来ない先生って、多いんですよ。

 名選手必ずしも名監督ならず…ですし、ましてや名選手でもない無名の選手が名監督になるのは至難な技であって、自分がプレイできる事と、選手を指導しチームを勝利に導いく事は、全くの別能力なわけです。

 音大で歌を習って、素人よりも少しぐらい上手く歌える程度の人間が、他人様に歌を教えられると思う方が間違っています。歌える事と教える事には、天と地ほどの違いがあるわけです。いや、全くの別能力だと断言できます。

 他人に教えるってのは…本当はすごく難しい事なんです。歌を教えるなら、歌の能力よりも教える能力の方が特化してないとダメなんです。分かりやすく言うなら、歌しか歌えない人間に歌を習うよりも、歌えないけれど歌の事はよく勉強している人間…例えばピアニストさん(つまりコレペティさん)…に歌を習った方が、100万倍マシです。

 やたらと威張り散らす先生なんて、自分が無力な事を知っているからこそ、それを隠そうとして、上から目線になったり、「まだあなたには早い」とか言って教える事から逃げていたり…するんじゃないのって勘ぐりたくもなりますよね。

 こちとら、命の次に大切なお金と時間を費やして歌を習っているんだから、ちゃんと教えろよ…と啖呵をきりたく気持ち…私も以前は持っていました。先生について習っているのだから、自分が成長している、上達しているという、自覚が欲しいんだよね。

 

何のために音楽大学を卒業するのか?

 我が国ではクラシック音楽というのは、あまり人気がありません。従って、その演奏家と言われる人々は、たくさんは要りません。年間200名弱の演奏家が誕生すれば、現状維持できるでしょうから、演奏家養成が目的ならば、音楽大学は、日本国に一つあれば十分です。

 でも、音楽大学のみならず、音楽を専門に学ぶ事が出来る大学は、一つどころか、我が国にはたくさんあり、毎年数万人もの“音大卒業生”を輩出しています。

 と言うのも、いわゆる○○音楽大学という学校は、私立学校を中心に、日本には約10校ほどあります(きちんと数えたわけじゃないから、間違っていたらごめんね)。国立大学ならば、教育系および芸術系の大学には、大抵、音楽専攻があり、たくさんの生徒さんたちが学んでいます。私立の総合大学にも、音楽専攻のある大学がたくさんあります。短期大学にも音楽専攻はあるわけだし、それら全部を数えたら…100校以上の大学で音楽を専門に学ぶ事ができるわけです。卒業生も、ざっと数えるだけで、毎年数万人ずつ輩出される計算になります。

 音楽演奏家なんて、200名弱もいればいいのに、なぜ毎年数万人もの音楽大学(およびそれに準拠する大学)の卒業生を輩出するのでしょうか? これほど、需要と供給がかけ離れている以上、少なくとも、音楽大学は、音楽演奏家だけを養成しているわけではない…というか、音楽演奏家養成はおまけで、本来の目的は別にあると考えるべきでしょう。

 では、それだけの卒業生たちは何のためにいるのか? 第一の目的は…学校の音楽教師の養成のためでしょうね。中学高校の音楽の先生たちを作ること、これが音大の第一目的でしょう。私はそう思います。

 もっとも、音楽演奏家に何万人も要らないように、音楽の先生だって、毎年万単位の新任教師は要りません。結局、余った(失礼)人材は、一般企業に就職するわけで、何のために音楽大学に行ったんですか?みたいな話になってしまいます。

 そう考えると、一昔前によく聞いた「花嫁修業の一環として、音大に行きました(はぁと)」なんてのも、立派な進学理由に思えます。

 それにしても、毎年何万人もの音大卒業生を輩出している日本という国は、実に平和で豊かな国なんだなって思います。(別に皮肉っているわけでも、ディスっているわけでもないので、誤解しちゃ嫌だよ)

 

今月のお気に入り Apple iPad

 以下のリンクは…たぶん最新型だと思う。

 AppleのiPad。いわゆるタブレットってヤツです。私、ホント、お気に入りです。私もお気に入りですが、最近は妻もiPadを購入し、夫婦して愛用しています。

 別にAndroidタブレットやWindowsタブレットがダメというのではなく、私的に愛用しているのがiPadなので、iPadがお気に入りなのです(仕事でWindowsタブレットを使用していますが、あれはあくまでも仕事の道具であって、愛用品ってのとは、私の場合、違います)。

 我々夫婦が使っているのは、いわゆるWi-Fiモデルってヤツです。電話回線の契約をしていないので、ランニングコストがほとんどかかりません。家庭で使用する時は、自動でWi-Fiルーターに接続するので、問題はなく、出先で使う時は、たいていiPhoneを持っていますので、iPhoneに接続して使用する(いわゆる、デザリング)ので、これまた特に問題ありません。

 いやあ、便利便利。私はiPadにキーボードを接続しないので、文章を書く事はしませんが、それ以外では、携帯性の良さもあり、便利に使ってます。

 主に使うのは、電子書籍のリーダーとしてですが、最近はなんとなく、AbemaTVでアニメをザッピングしながら“ながら見”をしています。後は、出先のネットサーフィン(言葉が古くてごめん)かな? そうそう、YouTubeを見るときも、iPadなら寝っ転がって見られるので、これも便利です。タブレットって、本当の意味での“持ち運べるパソコン”なんだと思います。

 

今月の金魚

 夏は無事に越えましたが、怪我をしている子が若干います。まあ、大した怪我ではありませんので、そのうち記事に書きたいと思ってます。

 

今月のひとこと

 「バカは死ななきゃ治らない」という言葉があります。ほんと、誰かがミサイルに当って死なないと分かんないんだと思うんだよね。平和ボケってのは死に至る病だな。話し合いも、制裁も、何の役にもたっていないのに…。世界には警察もいなければ、正義の味方もいなくて、自分の身は自分で守らないといけないのに…いや、子孫の居場所は今のオトナたちが守らないといけないのに…ね。憲法9条とやらが、ミサイルを止めてくれればいいのだが、憲法9条なんて、何の役にも立たない無用の戯言だってのが、まだ分かんないのかね。(2017年8月30日~9月5日)

 いよいよやるのかな…。争い事の無い世の中の方が良いに決まっているけれど、目立ちたがり屋でやんちゃな首領様がいる限り、そんな甘いことも言ってられいわな。リアルな危機に対しては憲法9条なんて、何の役にも立たないじゃん。専守防衛? ミサイル攻撃の前に意味無いよね。今から法改正して予算もつけて…間に合わないよ。だから、以前から、きちんと憲法論議をして、国防について、ちゃんと決めておかなきゃいけなかったのに。ざまあみろ…と笑っている連中の顔が浮かびます。陳腐な復讐劇だけれど、まんまと、そんな手に引っかかっている日本人って、ほんと、お人好しのおバカちゃんだよな。(2017年9月5~14日)

 北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会という機関が「取るに足らない日本列島の4つの島を核爆弾で海中に沈めるべきだ。日本はもはや、われわれの近くに置いておく存在ではない」という報道官声明を発表したそうな。つまり、北朝鮮という国が「日本生意気だから、ミサイル打ち込んで全滅さしたる」と言っているようなわけです。ふーん、それは怖い(棒読み)。それを受けて、日本でも一部の人たちが「ミサイル怖い」「核爆弾怖い」とパニクっているそうな。ふーん、そりゃあ大変だ(棒読み)。北朝鮮が日本にミサイルを打ち込まないようにする方法は、実は簡単なんだな。日本が核武装をすればいいんだよ。そうすれば、北朝鮮は絶対に日本にミサイルを落としません。国際社会なんて、そんなモンです。核爆弾さえあれば、日本の場合は、ミサイルすら不要です。爆撃機が理想だけれど、そんなモンは日本にはないので、軍用ヘリとかオスプレイに核爆弾積んで飛んでいけばいいんです。だから、必要なのは(小型であってもいいので)核爆弾だけです。ちゃっちゃっと核爆弾作って「我が国も核を持ったよ」と北朝鮮に言っちゃえば、それで安心安全なんだな。日本が核を持っても、他国は(たぶん中国と韓国以外は)文句言わないし…。ミサイル怖い怖いと泣いているくらいなら、核武装を真剣に考えてもいいんじゃないの?(2017年9月14~19日)

 なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。(2017年9月19~25日)

 今更だけど、TEPPEN見ました。9マス将棋、面白い…は横に置いて、ピアノ勝負からミスタッチ減点が無くなったのは喜ばしいです。別にミスタッチの多さと音楽的に素晴らしいかどうかは、全くの別モンだし、クラシックならともかく、ポップス演奏には基本的にミスタッチは無いからね。それはそれとして、今回思ったのは、演奏者の力量ではなく、アレンジの良し悪しで勝負が決まった感があって、ちょっぴり演奏者たちが可哀想でした。自分でアレンジをしている人は、まあいいとして、局側から楽譜をもらった人は、納得いかないんじゃないかな? 「これだけ難しい楽譜を弾きこなしたのに予選落ち~?」って感じになったんじゃないかな? でも、演奏が難しい事と、アレンジが良い事は、全く関係ないからなあ…。(2017年9月25~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2017年9月29日 (金)

H先生、スマホデビュー!

 フルートのレッスンに行ってきました。ロングトーン練習はバッチリです。

 さて、エルステユーブンゲンは、やっと21番。20番時代、長かったもんなあ…。もちろん、21番の暗譜なんざあ、まだまだでい。ちなみに、今現在、テキストの9ページ目でございます。このテキストは34ページまでありますので…まだやっと最初の1/4が終わったところです。ああ、長い長い。もちろん、22番なんて、暗譜どころが、譜面見ながら吹いても、間違える間違える。ああ、全然練習が足りません。

 プチエチュードは18番。まあ、大雑把には吹けるのですが、細かい所がまだまだダメです。先生曰く「何箇所かで、中音のレの左人差し指を上げ忘れている」「スタッカートの前の音は、必ず短く吹きなさい」「ブレス、多過ぎ」 まずはこれらを解決しないとね。

 で、新しいテキストの40リトルピーセズです。まずは最初の最初の1番です。モーツァルト作曲の、いわゆる「きらきら星」です。H先生が始めて、ピアノで伴奏してくれました。で、その先生のピアノに合わせてフルートを吹きます。まあ、メロディーも超簡単だし、私、基本的に、この手の合わせものは比較的得意なものですから、きらきら星は一発合格となりました。次の2番は…シューマンの「小曲」です。作品68の5番ってヤツで、正式には「子どものためのアルバム」より「第1部 小さい子どものために 第5曲 小曲」でございます。実は私、この曲、始めて聞くかも(汗)。いやあ、だって私、ピアノ弾かないから、ピアノ曲とか、案外知らないんだよね。でも頑張ろうっと。

 それにしても、やはり曲を吹くのは楽しいよ。エチュードも曲だから楽しいけれど、エチュードよりも、ずっとメロディアスだしね。少なくとも、エルステユーブンゲンより楽しい。エルステユーブンゲンのメロディって、ちっとも美しくないからね…と贅沢言っちゃダメだね。

 さて、今回の雑談と言えば…先生、ついにスマホデビューしました。全然、使い方が分からないそうです(悲)。なので、今は誰とも電話で連絡が取れない状況なのだそうです。ああ、仕事に支障が出まくっているそうですが…まあ、いずれ慣れますから、それまでの辛抱です。

 で「スマホのケースって、何を買えばいいんだい」というザックリした質問を受けたので「まずは、そのスマホを電気屋に持っていって、店員に『こいつに合うケースはどれだい?』と尋ねて、その中から選ぶといいです。素人が店先であれこれ眺めても、分かるものではありません。それくらいに、スマホの大きさって、機種ごとに微妙に違うんですよ」と答えておきました。だってね、先生、ご自分のスマホの機種名すら把握していないのだから、そのレベルの人にあれこれ言うだけ無駄だし、いきなりアレコレ言われても先生だって困るでしょ? ってわけで、そういう返しをした私でした。

 でも、始めてスマホを手に入れた時の、あのワクワクを先生は今味わっているんだと思うと、なんだかうらやましいですよ。

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2017年9月28日 (木)

生徒だって大変なんだ

 昨日までは、先生の立場から見た生徒さんのタイプ別の話をしましたが、今回は逆に、生徒の立場から先生のタイプを見てみました。

 まあ、はっきり言っちゃえば、生徒から見た先生のタイプと言うのは、大きく3つに分かれます。それは『疑問を感じる先生』『人間的に好感の持てる先生』『師として尊敬できる先生』です。まあ簡単に言っちゃえば、先生の格付けであり、松竹梅なわけです。

 まず最初は『疑問を感じる先生』です。松竹梅で言えば梅クラスの先生です。

 疑問を感じる…の“疑問”には色々あります。例えば「この先生について数年経つけれど、一向に上達しないのはなぜだろう?」とか「この先生に教えてもらっても、ちっとも楽しくないのはなぜだろう?」とか「この先生、会う度に言うことが違うけれど大丈夫かしら?」とか「生徒によって態度がコロコロ変わるけれど、それはなぜ?」とか「レッスンの時に雑談ばかりで時間が過ぎてしまう事が多いけれど、いったいレッスンはちゃんとやってくれる気があるのかしら?」とか「なんでこの先生は、いつもいつも威張ってばかりいるのかしら?」とか「私の言う事なんて、ちっとも聞いてくれないけれど、それはなぜ?」とか「レッスンの日時の変更が頻繁なのはなぜ?」とか、それはもう、音楽的な事から、人柄や人格、金銭問題まで、ありとあらゆる事に関して、色々な疑問があります。それらの一つでも疑問が生じれば、それは先生への不信感につながって行きます。そういう意味で、梅ランクの先生なのです。

 そういう梅ランクの先生に学んでいても、あまり良いことはありませんから、早急に先生を変えた方が良いのだけれど、実際に習っていると、情もわくし、簡単には切れないんですよね。そこが悩ましいところです。

 次は『人間的に好感の持てる先生』です。まあ竹ランクの先生です。

 こういう先生も、その実態は、先の『疑問を感じる先生』と大きく変わりません。違いは、『疑問を感じる先生』は生徒に不信感しか持たれていないけれど、『人間的に好感の持てる先生』というのは、生徒に好かれているので、色々と疑問はあっても、生徒が先生の事を好きなので、疑問はあっても、それが許されているだけなのです。つまり「色々あるけれど、ひとまず及第点かな?」って感じの先生です。

 私にとって、キング先生はこのタイプの先生でした。まあ、習い始めた当初から、色々と疑問に思ったり不満に思ったりする事はたくさんありましたし、この先生について学んでいても、一向に上達した気になれなかったし、実際に上達しなかったのだけれど、それでもキング先生に師事していたのは、彼のお茶目な性格が好きだったし、なにより“遊ばせ上手”だったし、生徒たちとよく遊んでくれた事が…気に入ってました。彼の元で学んでいると、実に楽しいのです。そこは彼の美点だと、今でも思ってます。ま、当初は人間関係も良好でしたし…ね。

 で、最後は『師として尊敬できる先生』です。松タイプの先生です。このタイプの先生には解説は不要ですね。本来の先生としての役割をきちんと果たしている先生方の事です。

 お金をとって教えている以上、すべての先生が松タイプでなければいけないのですが、街の音楽の先生は免許制でもなんでもなく、自己申告制と言うか、名乗ったモノが勝ち、開業してしまえばプロ教師って世界ですから、実際の先生のレベルは玉石混交だし、うっかり石ころを掴んじゃう生徒さんもいるわけです。

 掴んだ先生が、宝石なのか、貴石なのか、それともただの石ころなのか、アマチュアである生徒にはなかなか分からないものです。ましてや初心者ならば、なおさらです。

 だから、疑問があっても、迷いながら、先生に付いていくのです。

 都会ならば、先生ショッピングもできるかもしれませんが、地方には選択肢がありませんから、先生が宝石であろうが、ただの石ころであろうが、そこに食らいついていくしかないかもしれません。

 先生も大変でしょうが、生徒だって大変なのです。

 結局、自分の地元に、まともな先生がいなければ、電車バスを利用して、それどころか、人によっては、長距離バスとか新幹線とか飛行機とかを使って、都会のまともな先生に習いに行く人だっているのです。趣味だからこそ、時間とお金に糸目をつけずに学べる人もいるわけで、その情熱たるや、実に素晴らしいわけです。

 生徒だって、本当の本当に、大変なのです。

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2017年9月27日 (水)

先生って大変なんだと思う  その2

 話は昨日の続きです。問題は、私のような趣味のオジサンオバサンを教える場合なのです。と言うのも、この“趣味のオジサンオバサン”を教えるくらい、厄介で面倒な事はないだろうと…教える立場になって考えると、思うわけです。

 まず趣味のオジサンオバサンには、3つのタイプの人がいます。まずはそこを見極めないといけません。

 最初のタイプは、音楽よりも人間関係を拡げる方に重点を置いている人がいます。俗に言う“友達づくりのために音楽を習う”っていう人です。もちろん、先生と友達になりたいという人もいるでしょうが、それよりむしろ、習い事を通して、同好の人との人間関係を広げたいって考える人です。実は数としては、このタイプの人は結構いるんですよ。変な意味ではなく『出会いを求めて、習い事を始める』というわけで、こういう人の目的は、習い事そのものではなく、そこでどんな人と出会えるか…が目的なのです。

 こういう人にシビアに接してはいけません。そもそも、音楽が好きなのかどうかすら怪しいのですからね。レッスンが厳しければ、簡単に辞めてしまうでしょう。楽しくなくても辞めちゃうでしょう、もちろん、友達が出来なきゃ辞めちゃうし、友達が出来れば、その友達と一緒に辞めちゃうかもしれません。

 音楽を学びに来ているのではなく、社交の場を求めてやってきているのですから、先生としては、大きな期待もできなければ、真剣に教えてあげるわけにもいきません。なんとも、割り切れないモノが心に溜まっていくでしょうが、そこは先生業という商売として割り切るしかありません。

 次のタイプは、自分探しのために来ている人です。こういう人は、基本的に真面目です。先生の指示に従い、コツコツと練習もしてくるでしょう。音楽を学ぶ事で、自分の中の新しい自分を探しに来ているわけですから、本当に真面目だし、真摯な学習態度の方が大半です。先生としては教え甲斐のある良い生徒と言えるかもしれません。

 ただ、こういう人って、永遠に自分を探しているわけですから、いつまでも同じ場所にはいません。音楽だって、ある程度やったら、自分なりに見切りをつけて辞めちゃいます。それは実にスパッと切り替えるんです。先生としては、目をかけて教えていただけに、辞められてしまうとガッカリします。裏切られたような気がするかもしれません。そんな生徒が数人連続すると、先生のメンタルにだって影響を与えるでしょう。やがて「趣味の人に真剣に教えても…無駄」と思うようになる先生だっているわけです。ある意味、先生は被害者(?)なわけで、同情しますが、生徒の立場になれば、そんな生徒ばかりじゃないんですよ…と言ってあげたくなります。

 3番めのタイプは、音楽が好きな人です。このタイプの生徒さんは、一見は良さそうですが、実は教える立場で考えると…必ずしも歓迎できる生徒さんではないわけです。

 このタイプの人は、基本的に熱心です。熱心で行き急ぎます。自分の実力を顧みずに、大曲に挑みたがります。先生としては、段取り踏んで順序よく教えていきたいのですが、そのあたりの細かいところをすっ飛ばして来るわけです。はっきり言って、教えづらいでしょうね。

 おまけに…特に趣味のオジサンに多いのですが…あれこれご意見を言ってきます。教えるのは先生なのに、その先生の教え方にあれこれ意見を言ってきます。挙句の果てに、名演奏家を例にあげて演説を始めたりします。先生としてはウザい生徒でしょうね。

 またこういう人は、自己流であれこれやってきたらしく、変な癖が付いている事も多く、先生としては、新しい事を教える前に、これらの癖を直してあげなきゃいけないわけで『ゼロからの出発』どころか『マイナスからの出発』なわけで、先生的には正直「難儀だな…」と思っても仕方ないタイプの人たちです。

 また、音楽が好きな事は確かだけれど、たまに好きなだけで、音楽的な才能が皆無な人もいます。いわゆる“下手の横好き”タイプの人です。で、こういう人は「自分には音楽の才能が無い」「いくらやっても芽が出ない」と分かっても、音楽愛が強いので、いつまでも諦めずに食らいついてくるんですね。まるで、寝床の旦那の義太夫みたいなモンです。こういう人を“愛らしい”と思ってくれる先生ならいいのだけれど、中には“うっとおしい”と考えてしまう先生もいるようです。

 でも、なんだかんだ言っても、最後まで残るのは、このタイプの生徒さんなんです。そりゃあ、教える側から見れば、あれこれ面倒くさいタイプかもしれないけれど、本当の意味で、教室を支えてくれるのは、この人たちです。この人たちを大切にしてあげられる教室は繁盛すると思いますよ。なにしろ、音楽に対する愛にあふれていますからね。

 愛は人を裏切りませんから。

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2017年9月26日 (火)

先生って大変なんだと思う その1

 街の音楽の先生方って、生徒さんを教える時に、どんな事を考えながら教えているのでしょうか? もちろん、人によって違うわけですが、そんな先生方の腹の中を、ちょっとばかり勘ぐってみました。

 まずは一番多くいると思われる、街のピアノ教室の先生方。そういう先生方が対象としているのは、ほぼ幼児~小学生程度のピアノ初心者たち。中にはプロを目指している子もいないわけではないでしょうが、ほとんどの子は、習い事の一つとして、将来的の教養や趣味のために習っているわけです。プロを目指す子は、ある程度のところで、自分の師匠筋に当たる先生に譲ってしまえばいいわけだから、この先生方が教えている生徒の大半は、習い事としてピアノを習っている子たちです。

 まあ、ピアノは教則本どおりに教えていけば問題はありません。だから先生がするべき事は、その子に合った教則本の選択と、教則本中のエチュードの合格ライン(どれくらい弾けたら次の曲に進む)を、適切なところに定めておくって話です。

 習い事の子のハードルをむやみに高くしても仕方ないし、あまりハードルを高くしてピアノが嫌いになられても困りますから、基本的にはそこそこ弾けたらOKにして、まずはピアノの楽しさを知ってもらい、そこから音楽の喜びを感じられるようになってくれたら…って程度で上出来なわけです。だから、楽しくて継続可能な(この部分は商売として大切)ピアノのお稽古を、小学校卒業まで続けてくれればいいのです。大抵の子は、中学校になったら、部活と勉強を理由にピアノ辞めちゃいますから。小学校卒業までの数年間を、楽しくピアノを弾いてもらえれば良いわけです。

 だから、街のピアノの先生に大切な事は、生徒が楽しくピアノを学び続けられる工夫と、その成長が親御さんに分かってもらえるようなイベントの実施でしょう。その上で、生徒には、ピアノ弾きとしての基礎的だけれど、しっかりした力量を身に付けてもらう事。そのために、ピアノ教師として真摯に子どもに向き合う事でしょう。

 ピアノ以外のマイナー楽器の先生も、子ども相手なら、ほぼ同じような感じだろうと思います。音大受験を目指している子なら、ある程度できるようになったら、師匠筋の先生にまかせればいいし、習い事の子たちは、小学校卒業まで、面白おかしく楽器を学んでくれればいいわけですからね。

 子ども相手の音楽の先生なんて、半分は音楽教師だけれど、残りの半分は保育者なんですよね。飽きっぽい子どもをいかに飽きさせずに上達させるか、そこが腕の見せどころだろうと思います。

 さて、問題はオトナの生徒さんを教えている先生方です。このブログ的にも、このあたりの話は外せません。

 もちろん、音大受験とか、音大をすっ飛ばして、いきなりプロを目指している生徒さんもいるだろうけれど、そういう生徒たちには、ガチで教えればいいだけです。相手はオトナですから遠慮はいりません。ガンガン教えればいいのです。それで弱音を吐くようなら、潰れてしまえばいいだけの話なんですから。

 問題は、私のような趣味のオジサンオバサンを教える場合です。

 というわけで、話が長くなってきたので、続きはまた明日。

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2017年9月25日 (月)

メトのライブビューイングで「タンホイザー」を見ました

 標題どおり、先日、メトのライブビューイングで、ワーグナー作曲の「タンホイザー」を見てきました。2015-16年シーズンですから、前々回のシーズンでの上演です。上映時間は、約4時間半、さすがにワーグナー作品は長いです。

 基本データは以下のとおりです。

  ジェイムズ・レヴァイン指揮
  オットー・シェンク演出

  タンホイザー ヨハン・ボータ(テノール)
  女神ヴェーヌス ミシェル・デ・ヤング(メゾ)
  エリザベート エヴェ・マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
  ヴェルフラム ペーター・マッティ(バリトン)
  領主ヘルマン ギュンター・グロイスベック(バス)

 「タンホイザー」はワーグナー作品の中では、比較的よく見る作品(私の場合)ですが、見るたびに印象が異なる作品です。今回はオットー・シェンクの演出バージョンで、割と原作に忠実な演出となっている(はず)です。

 オリジナルのストーリーは知っているという前提で、以下を書きます。

 今回の演出では…なんともタンホイザー君が可哀想というか、何もそこまでイジメなくてもいいじゃないかと思いました。まあ、これは当時のドイツ民衆と、現代の日本人である私の貞操観念の違いってヤツなんでしょうが、いやあ、本人反省しているんだし、水に流してやれよう…と、私なんかは思っちゃうんですよね。当事者のエリザベートちゃんだって許しているんだし…。いや、本当はエリザベートちゃんが一番怒りたいだろうけれど、彼女よりも先に周りが怒り狂っちゃったから、彼女としては彼を守らざるをえないわけで、許したくなくても許さざるをえないわけで、そんな彼女の苦しい立場だって、見ていてつらいです。そういう意味じゃあ、エリザベートちゃんも可哀想。

 タンホイザー君に関しては、自業自得だし、やっぱり罪は罪だし、許される罪と許されない罪ってのがあるんだろうけれど、そこが今ひとつピンと来ないのが、私が現代人だからでしょうね。

 お前ら、信仰があるなら、7の7倍、許したれよ…なんて、私は思うわけですよ。許されない罪なんて無いよ…って思うわけです。

 今回の上演では、演出を原作通りにした事で、そういう理不尽さ…と言うか、文化の違いを強く感じてしまったわけです。

 まあ、タンホイザー君自身、確かにヴェーヌス姉のところに入り浸っちゃった事は褒められない所業だろうし、バカだし、何もバカ真面目な村人たちの前で、ヴェーヌス賛歌なんて歌う必要ないのに…とまあ、オジサン的には「タンホイザー君って、バカモノだな…」としか思えないのですが、それが彼の若さなんですよね。

 オペラの演出を現代的にしてしまう事は、最近、よくあるし、ワーグナー作品って、そういう現代的にされてしまう事が多いわけだけれど、現代化の過程で色々な問題がウヤムヤに処理されてしまいがちだけれど、こういう原作に忠実な演出だからこそ、伝わるモノってのがあるんだなあと思いました。

 さて、ストーリーとか演出とかの話は、これで終わりにして、この上演での楽しみは何かと言うと…テノールのヨハン・ボータの声の悦楽…でしょうね。とにかく、ボータの声が美しいのです。

 このオペラ、主役であるタンホイザーが一番歌う箇所が多く、彼を中心にストーリーも回っていきますから、タンホイザーを歌う歌手に魅力が無いと、この役は勤まりませんし、オペラとしての魅力も半減です。

 そこへ行くと、ヨハン・ボータは…良いです。ほんとに美声です。聞き惚れてしまいます。

 でも…残念な事に、容姿はダメダメです。デブだし、チビだし、醜男だし…。20世紀の、まだ音声だけで勝負していた時代だったら、彼は大テノールになれたと思います。でも、今は21世紀で、ビジュアルが良くないとダメな時代です。だいたい、あんな醜男が、エリザベートやヴェーヌスらの(設定上は)美女たちに褒められるわけがないわな。ほんと、説得力が無い。

 そんなビジュアル的には全く説得力のないボータですが、それでもメトなどという一流劇場で主役を歌っているわけで、それが実に素晴らしいと私は思うわけです。ビジュアル上のハンデを吹き飛ばすほどの美声が素晴らしいってわけです。ほんと、彼の歌声は、素晴らしいです。

 このメトの「タンホイザー」は、ひたすらボータ声を味わう上演です…と言い切っちゃっていいんじゃないかなって思います。もちろん、他の役を歌う歌手たちも素晴らしいのだけれど、ボータの素晴らしさは、また格別。私はそう思いました。

 ま、メトの支配人であるゲルブによれば、この世界には、ワーグナーの主役テノールを歌える歌手は、わずか10人程度しかいないそうな。で、その10人のスケジュールを世界中の歌劇場が奪い合っているわけで、その10人にボータは入るわけで…こんなビジュアルに難のある人でも一流の歌劇場で歌うのだから、ほんと、ワーグナーのテノールって、神に選ばれた人しか歌えないと同時に、こんなボータも音楽の神様に選ばれた、天才テノールの一人なんだよね…としみじみ思うわけです。

 蛇足 それにしても、ワーグナー作品って、出て来る歌手がみんなみんなデカくてデブなんだよね。ワーグナーって、オーケストラが巨大で、それに対抗するために、歌手の声が強くて音量も大きい事が求められるわけで、そうなると自然と、歌手たちはみんな、デカくてデブばかりになってしまうわけだけれど、作者であるワーグナー的には、こんなデブ歌手ばかりを起用せざるを得ない現状をどう思っていただろうねえ…。ワーグナーの頭の中では、登場人物たちはみな、スラッとした細身の美女やイケメンたちなんじゃないかな? そう思うと、ワーグナーが作りたかったのは、オペラじゃなくて、映画だったんじゃないかな?なんて、思う私であります。それも、特撮ファンタジー映画を撮りたかったんじゃないかしら? どうにも、生まれる時代と場所を大きく間違えちゃった人だったんだろうなあって思います。

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2017年9月24日 (日)

犬に噛まれました

 先日、休日の昼間の事ですが、妻と散歩をしていました。私は散歩が趣味で、よく近所をブラブラ歩くのです。まあ、いかにも老人的な趣味でしょ(笑)。で、その日も散歩をしていたわけです。

 散歩をしていると、色々な人たちとスレ違います。土地柄でしょうか? 犬を飼っている人が多いので、犬連れの人とは、よくスレ違います。大型犬もいれば、小型犬もいます。洋犬もいれば、日本の犬もいます。ウチの近所の傾向的な事を言うと…洋犬の大型犬が多いかな? いわゆる、レトリバー系のワンコは、本当にたくさんいます。シェパード系もよく見かけます。後は中型犬になるけれど、ボステリとかビーグルとかダックスフンドとかも見かけます。日本の犬はあまり見ません。見ても、柴犬ぐらいかな? 昔々の私が子どもだった頃は、和犬をベースにした雑種犬がたくさんいたのですが、最近はみんな、ペットショップで購入してくるせいか、ちゃんと犬種が分かる犬、それもたいていは洋犬を飼っている人ばかりになりました。

 とにかく、やたらとワンコを飼っている人が多い土地柄で、ワンコの散歩とすれ違うなんて、ほんと、意識することすらない程に、ありふれた日常なのです。

 で、その時も、いつもの日常だったのです。私と妻が道を歩いていました。たまたま、道路に立ち止まって、路傍ののゴミ捨て場を片付けていた老人がいたのです。彼は犬(柴犬)を連れていて、おそらく散歩の途中だったのでしょうが、ゴミ捨て場が気になったらしく、ついついゴミ捨て場の片付けをしていたのです。

 私も、ゴミ捨て場の片付けをしている老人の姿を見ながら『ご苦労な事だな』と思いながら、その側を歩いていきました。すると、突然、いきなり老人の側にいた柴犬が、私の右足に噛み付いてきました。事前に威嚇する事もなく、いきなりです。それもほんの少し離れていたのですが、犬の方から飛びかかってきて、ガブリ…ですよ。

 私、何十年に渡って当地に暮らし、今まで何百匹何万匹ものワンコとすれ違ってきました。

 私自身はワンコラブな人ですが、ワンコには嫌われるタイプの人間です。例外的に大型犬たちには、むやみに関心を持たれ、愛されるのですが、中型犬以下にはサッパリなんです。大抵の中型犬は、私を見ると、離れていきます。頭ぐらいなでてやりたいのですが、スーと逃げていくので、無理強いはしません。極端な子になると、離れた上で、私に向かって唸ります。ウーとか声を荒げて「それ以上、近づくなよ」と警告してきます。さらに極端な子は、離れた上でワンワンと大きな声で吠え掛かります。さらに極端な子は、飼い主を引きずって私から逃げようとします。

 ほんと、中型犬以下には、全く人気のない人なんですよ、私。それは自覚していますから、別にいいんです。その代わり、大型犬たちは、私を見ると、たいてい寄ってきて「なでて、なでて」とやってくるからいいんです。ああ、大型犬って、かわいいなあ…。

 それはともかく、何の警告もなければ、事前予告も無しに、中型犬である、その柴犬はいきなり私に飛びかかってきて、私の右足をガブリと噛んで、ピヤーと逃げ出しました。ヒット&アウェーってヤツです。

 さすがに犬に噛まれると痛いので「痛っ!」と言って、我が足を見ると、実に見事にズボンが切り裂かれていました。かなり本気で噛みついて、噛みちぎったようです。肝心の足の方は、ワンコのクチに対して、私の足の方がだいぶ太かったために、上手に噛みつく事ができず、いわゆる擦過傷を残しただけで、数カ所皮膚が裂けただけです。出血はしましたが、それほど大したキズではありませんでした。

 私が犬に噛まれた事は、すぐに飼い主の老人も気づき、妻も気づきました。

 私は事を荒立てるつもりもなく、怪我も大した怪我では無かったけれど、スボンは派手に切り裂かれていて、これは修理も難しいほどに破損してしまった(20cm×30cm程度の穴が開いてしまいました)ので、私、老人に「怪我は大した事はないので、気にしなくてもいいけれど、このズボンはさすがにダメになってしまったので、スボンは弁償してください」と言いました。

 そうしたら老人が、家がすぐ近くだから、ひとまず家に来てくれ…と言うので、行きました。家まで本当にすぐでしたが、その間、老人は、ポカスカと飼い犬を殴っていました。しつけのつもりでしょうが…たぶん、このワンコ、なぜ殴られたか分かっていないと思う。私が見るに、このワンコ、かなり頭が悪そうだもの。こういう天然系のワンコには、きちんと教えてやらないと、何も分からないと思うよ。老人が言うには、このワンコには噛み癖があって、飼い主ですら、頻繁に噛みついてくるんだそうです。だからと言って、赤の他人を噛みついて良い理由にはなりません。

 私としては、ズボンの弁償代…実はまだまだ新品だったけれど、そんなに良いズボンを履いていたわけじゃないので、五千円も貰えれば(新品は買えないけれど)OKってするつもりでしたが、老人は「保険を使うので大丈夫」と言いました。どうも、きちんと対応したい?みたいで、事を大きくしたいみたいです。

 私自身は大げさにしたくはありませんでした。私にすれば、道を歩いていたら、いきなり犬に噛まれて、ズボンがダメになってしまったのだから、そのズボンを弁償してもらえれば良いわけで、それ以上の手間とか時間とかを使いたくは無かったのです。だから、保険を使うなんて、面倒でイヤだったのですが、老人が保険保険と言うので、任せることにしました。

 そのワンコは、毎年きちんと狂犬病予防注射は打っているのだそうです。ま、それは信じる事にしました。狂犬病への対策はきちんとしていて、噛まれたキズ自体は大した事はなかったので、怪我自体は放置するつもりでしたが、老人がどうしてもヨーチンを塗りたいと言って聞かなかったので、ヨーチンを塗らせて、バンソコウを貼らせてあげました。「今時、ヨーチンかよ?」とは思ったものの、相手は老人ですから、昔の治療法しか知らないので仕方ありません。「私(老人)も、こいつ(柴犬)によく噛まれるけれど、たいていはこれ(ヨーチン)で治りますよ」と誇らしげです。

 とにかく、互いに連絡先を交換して別れました。実はこの後、軽く外食をしてから映画を見ようと思っていたのですが、ズボンがビリビリで、このままでは外食も映画も無理なので、一度家に戻って、ズボンを履き替えることにしました。

 歩いているうちに、だんだんとキズが痛くなってきました。これはキズの痛みなのか、それともヨーチンが沁みて痛いのかは、よく分かりませんが、とにかく痛くなってきました。さらに相手は保険を使うと言っていた事を思い出し、たいしたキズではないけれど、後で何か起こっても嫌だなと思ったので、スボンを履き替えたら、外食は取りやめて、そのまま病院に行くことにしました。

 休日だったので、病院の救急外来に行きました。救急外来は、その重症度に応じて受診する順番が決められますので、病院はたまたまスカスカだったけれど、私は約2時間ほど待ちました。ま、しょうがないね。

 先生には、犬に噛まれた事と、相手の犬が狂犬病予防接種済みである事と、相手が保険対応をするつもりだと言う事を伝えて、見てもらいました。あれほど傷んでいた傷口も待ち時間のうちに痛くなくなってしまいました。ヨーチンを洗い流して、傷口をみてもらいました。一つ一つのキズは小さいけれど、それなりに深いキズとなっています。でも、全体としては、狂犬病の心配さえなければ、大した事はない…と言われました。私も同意見です。ただ、その犬が狂犬病でなくても、様々な雑菌は当然持っているわけだから、キズが化膿しないように気をつける必要はあるとの事でした。また、怪我をしたからと言って、絆創膏貼るのは良くないそうで、今はキズを洗ったら、傷口を開放して、キズの中から体液をドンドン出させるのが良いそうで、絆創膏を貼るなら、昔ながらのガーゼのついたタイプではなく、シリコンタイプの絆創膏の方が良いそうです。

 さて、その日は休日で、ここは救急外来なので、診断書は書けないそうで、翌日(平日です)の午前中にもう一度来院して、外科を受診して、そこで診断書を書いてもらうように言われました。

 なんか、二度手間。なんか、面倒くさい。でも、相手が保険を使うなら、診断書は必要ですと、お医者さんに言われちゃいました。「保険会社は加害者の味方であって、被害者のために動いてくれるわけじゃないから、診断書は絶対に必要ですよ」との事です。ああ、確かにそりゃあそうだよね。

 キズが化膿しないように、抗生剤とステロイド系の塗り薬をもらいました。ちなみに、抗生剤はかなり強めの薬のようで、こいつを飲むと、いきなりカラダがダルくなって眠くなります。でも、頑張って、当初予定どおり、映画は見に行ったよ(笑)。ただし、食事抜きで映画を見たので、空腹で目が回っちゃいました。

 翌日は平日だったけれど、お休みをもらって、病院に行く直前までグーグー寝て、それで病院に行きました。病院は割とスムーズで、ほとんど待ち時間もなく、診断書をいただきました。キズは大したことないけれど、診断書では「全治一週間」という事になってました。ほー“全治一週間”って、こんな感じなんだ。全治一週間の怪我って、今までは大きな怪我だと思っていたけれど、実は大したことない、小さな怪我って意味なんだね。たしかに、この程度のキズだったら、一週間あればキレイに治るよね。

 で、病院終わって家に戻って昼ごはんを食べたら、また夕方までグーグー寝ました。いやあ、普段はこんなに眠れない人(当たり前か)なのに、その日は一日中、寝てばかりいました。よほど、抗生剤がシンドイみたいです。

 で、その翌日から普通に出勤。当然、抗生剤を飲んでますから、なんとも気分はアンニュイだし、ダルいし、眠い…けど頑張りました。

 保険関係は、一応保険会社から連絡はありましたが…どうせあれこれ時間がかかる事でしょう。まあ、うやむやにされそうになったら、記事にするかもしれませんが、普通に弁償してもらったら、記事にはしない…ってか、してもつまらないでしょうから、これでお終いです。まあ、“ひとこと”欄でご報告ぐらいはするつもりです。

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2017年9月23日 (土)

2017年声楽発表会 その6 最後は大成功でした

 妻が「Vilia's Song/ヴィリアの歌」を歌い終えました。妻はそのまま舞台に居残り、最後の二重唱「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」のイントロが流れます。この曲のイントロは長いので、最初の8小節が終わったところで、舞台袖のドアを開けてもらって、それから私が登場です。小芝居をしながら、少しずつ舞台中央にいる妻のそばに行き、イントロの終わりで彼女の手を取って、歌い始めました。

 今度はさすがに、私、半歩下がって並んで歌いましたよ。同じ失敗を二度繰り返すほどのアホウではありませんからね。

 で、間奏の部分でワルツを踊りました。妻はぐるぐる廻るし、私も(不格好ながら)要所要所でポーズを決めていきます。このダンスは、大受けでした。この曲を踊りながら歌うのって、ヨーロッパのビデオではよくありますが(あっちでは教養のある人たちは、普通に社交ダンスが踊れますからね。歌手であっても、普通にワルツを踊ります)日本では踊れる歌手は…ミュージカルでは普通ですが、オペラでは皆無ですし、ましてやアマチュアでは…という感じですからね。大変喜ばれました。歌としての完成度は高くないかもしれませんが、パフォーマンスとしてはお客さんに喜ばれたので大成功です。

 舞台裏に引っ込んで、大トリの人の舞台が終わったら(ちなみに最後は、ルチアの二重唱です、大曲な上に超難曲です)、妻と二人でロビーに行って、応援に来てくれたお客さんたちに挨拶をしました。社交辞令でしょうが、皆さんに誉められると、悪い気はしません。

 急いで着替えて普段着に戻ったら…打ち上げです。最初は普通の居酒屋さん、二軒目はドイツ料理屋さんです。本番も楽しかったけれど、打ち上げも楽しかったです。特に、私とGENさんとA先生の、いつまでも尽きることのない“テノール談義”は楽しかった。テノールって特殊な世界の住民だからね、テノールにしか共感できない事とか、テノールじゃなきゃ悩まない事とか、あれこれ色々あって、ほんと、話題は尽きないっす。特に…アクート?の話とか、高音の訓練の仕方とか、色々とためになるお話ありがとうございました>A先生。

 あんまり楽しくて、大興奮して、家に帰ったら、全力でバタンキューとなりました。なんでも、家に帰って、私が「カップラーメンが食べたい」と言ったらしく、妻が近くのコンビニ(徒歩1分)にカップラーメンを買いに行っている間に、私は熟睡してしまったそうです。…ま、私自身には、その辺の記憶は無いんだけれどね。で、翌日は、全力でずっと寝ていたようです。で、たまに起きてご飯を食べて、また寝るの繰り返しでした。なので、日曜日の記憶もあんまりありません。

 で、ぐっすり寝て、すっきりとした頭で、月曜日は仕事に向かった私だったのです。

 これで今年(2017年)の発表会の記事はお終いです。ありがとうございました。

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2017年9月22日 (金)

2017年声楽発表会 その5 ソロ曲を歌わせてもらいました

 最初の出番が終わったら、次の出番まで、ちょっとだけ時間があります。なにしろトリですからね(…)。この時間を利用して、妻は衣装とアクセサリを変えます。私は私で、役柄が変わるので、着替えます。今度のダニロは田舎の紳士(オッサン)ですからね。ネクタイを、チャラいヤツから普通の黒蝶ネクタイに戻して、マントを身に着けて、白手袋をして、シルクハットをかぶって、手にはステッキを持ちます。「ただいま、キャバレーに到着しました!」という衣装です。

 そんな恰好で舞台裏でウロウロしていたので、通り過ぎる人通り過ぎる人にギグっとされました。F先生には「誰ですか~?」と尋ねられてしまう始末です(体格から見ても、私以外に該当者がいるはずないのだけれど:笑)。

 なんだかんだとやっているうちに、衣装替えを終えた妻もやってきました。ここから、トリとして、三曲連続で歌います。最初が私のソロ曲「Maxim's/マキシムの歌」、次に妻の「Vilia's Song/ヴィリアの歌」、最後に二重唱で「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」です。

 ピアノの前奏が鳴りだしたら、紳士の外出着に身を固めた私が舞台に登場です。コテコテの衣装なので、ちょっぴり客席もざわめきました。よーし、つかみはOKだ!

 実際の歌唱は、こんな感じです。

 声楽の舞台で、これだけ大げさな衣装を着て歌う人は少ないでしょうね。おまけに、おしゃれ小道具としてステッキまで持っていますから、浮かれきっております。力一杯歌って、拍手をいただいて、次の妻とバトンタッチをしました。

 妻が歌っている間に、次の曲のために着替えます。着替えると言っても、外出着を脱ぐだけですけれどね。さて、次はいよいよ最後の二重唱です。

 と、今回は短めですが、続きは明日とします。

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2017年9月21日 (木)

2017年声楽発表会 その4 さて、本番が始まりました

 出演者の交代のタイミングで、ロビーで待っていたお客さんたちを中に入れ、私自身も会場に入りました。ちょうどGENさんの最初の出番でした。そう、以前、よくこのブログに出入りしていたGENさんとは、今や同門の兄弟弟子なのでありました。ちなみに、私が兄弟子ね(笑)。

 それにしてもGENさんの声っていいなあ。もちろん、アマチュア歌手さんですから、歌には色々と課題はあるけれど(ま、お互い様ですね)、声は太くて優しくていい感じです。私同様、テノールなんだけれど、私がリリコ系のテノールなのに対して、GENさんはスピント系のテノールなのです。テノールはスピント系の方がカッコいいアリアが揃っているし、だいたい人気テノールって、スピント系の方が多かったりするわけで、なんとなく羨ましい感じがします。

 私もスピントなテノールになりたいなあ…(ぼそっ)。ま、無い物ねだりなんですけれど…ねえ。

 GENさんを始め、その他の方々も、皆さん、呆れるほどによく声が出ているし、難しそうな大曲が連続して歌われます。

 今回は、助演のテノールのA先生が大人気で、休む間もなく、相手を変えて、何度も何度も舞台を出たり入ったりします。もちろん、二重唱の相方として登場されるわけです。一曲歌うだけでも大変な曲ばかりを何曲も何曲も連続して歌います。いやあ、ほんと、見ていて大変だなあと思いました。

 やがて第一部も終了しました。さあ、第二部が始まります。私の出番が始まるわけで、重い腰を上げて、私も舞台裏に移動したのでした。

 私の出番は、第二部の2曲目です。すでに時間的な余裕なんて、そんなにあるわけではありません。もっとも、すでにタキシードに着替え、靴もステージ用の靴(靴底がゴムではなくスウェードなんです)に履き替えていた私ですから、そんなに準備に時間がかかるわけではありません。

 自分の出番までにやった事は、たった二つの事でした。一つは、ネクタイを取り替えた事。それまでしていた普通の黒蝶ネクタイを外して、役柄(カミーユ、若くてチャラい貴族の青年)のイメージに合わせて、ラメの入った幅広のキラキラネッカチーフに変更です。これが案外キマらなくて、鏡の前で時間を使ってしまいました。もう一つは、最後のダメ押しの歌詞確認です。特に、これから歌う二重唱はゲネプロで落ちてますからね。心配は心配です。とっても心配です。

 やがて妻も舞台裏に現れました。さて、我々の出番です。ステマネのY先生にお願いして、舞台中央に演技で使うイスを一つ出してもらいます。やがてピアノが前奏を弾き始めたら、演技をしながら、我々が舞台に現れて歌い始めます。

 実際の歌唱はこんな感じでした。

 ええと指摘される前に懺悔しておきます(笑)。あっちこっちで作詞をしています(ダメじゃん)。最高音である高いBは、スっぽ抜けた声で歌っております(明らかな失敗です)。ハモリの箇所が汚いです(ああ…)、もちろん私の音程がちょっと低いからです(残念)。大きなミスはこんな感じ、後は…舞台を見ている程度じゃ気づかない程度の失敗をちょぼちょぼとやってます(録音を耳をすませて聞けば、たくさん分かっちゃうでしょうね)。

 私たち以外にも、簡単な演技をしながらオペラアリアを歌う人はいますが、我々ほど、演技に重きを置いて歌う人たちは、ここには他にいませんから、歌の良し悪しはともかくとして、楽しんでいただけたんじゃないかな?

 たくさんの拍手をいただいて、最初の舞台は終了です。一度、奥に引っ込んで、再度登場します。

 という訳で、続きはまた明日。

P.S. 実はゲネプロの時に、並び方が美しくないと言われ、舞台上に同列に並んで立つのをやめて、妻を前にして、私が半歩下がって並ぶという取り決めをしたのですが、いやあ、本番では私、ついつい舞台中央の前側に立っちゃいました。だって、本番だもん、晴れやかな場所に立ちたいじゃん。スポットライト、浴びたいじゃん。いやあ、無意識にセンターに立っちゃいました。妻曰く「あなたが前に立つから、私はもっと前に立とうと思ったけれど、そんな事をしたら、舞台から落ちちゃうから、仕方なく、半歩下がって歌ったわよ」と叱られてしまいました。いやあ、ごめん。勘弁してね。テノールってバカだから、本能的に目立つように動いてしまい、打ち合わせ通りにできないんだよ(笑)。

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2017年9月20日 (水)

2017年声楽発表会 その3 憎まれ役は心が痛みます

 さて、やがて、私たち男性陣の楽屋入りの時間が近づいてきたので、楽屋に行ったところ、案の定、私達の前の人(合唱の人たち)が時間が過ぎているにも関わらず、楽屋を使ってました。ま、楽屋入りが遅くなったのだから、そりゃあ楽屋開放が遅くなるのも、分からないでもないけれど、本番の都合もあるし、私などは時間の余裕があるからいいけれど、まもなく本番の舞台に上がらないといけない人もいるし、助演のテノールのA先生だって着替えないといけないわけだし、こちらにはこちらの都合があるわけです。

 なんとか交渉をしてもらって(さっき楽屋に入ったばかりで…うんぬんと言ってたようだけれど、そりゃあいつまでも練習室で練習しているからでしょ?)楽屋を開けてもらいました。急いで着替えて、正規の時間に次のグループの人たちに楽屋を引き渡しました。まあ、我々男性で、時間調整をしたわけです。

 それにしても、着替え、大変だったなあ。実は私、着替えるのが遅い人なんですよ。真面目に黙々と着替えるのだけれど、それでもチンタラしてしまうようで、平服からタキシードに着替えるのに20分近くかかってしまうので、本当に急いで着替えました。

 ですから、靴のひもは結べず、カフスボタンとネクタイもせずに、楽屋を飛び出しました。ああ、ノロマは辛いなあ…。

 楽屋を出て、舞台裏に行くと、すでに開場され、お客さんたちが客席に入場していました。出番の早い人達が舞台裏に待機して、本番独特のピリピリした空気がマックスになっていました。そんな中、カフスボタンをして、ネクタイを絞め、靴のひもを…妻に結んでもらい(ズボンがきつめなので、靴のひもを自分で結ぼうとすると、ちょっとやばそうな感じなんですね:笑)、準備万端整ったら、自分の出番まで、楽屋も使えない事なので、当初予定では、客席に行って、お客さんに混じって、第一部の歌唱を聞いちゃおうと思っていたのだけれど…なんか、不安なんですよね。いやあ、不安。こんな私でも、本番を前に、ややナーバスになっております。特に今回、今更練習不足を感じているので、気休めかもしれないけれど、客席に行かずに、練習室に行きました。もう一度、自分の歌を確認しておこうと思ったわけです。

 さすがに本番が始まっているのに、練習室を使おうなんて人は…私ぐらいのようです。一通り練習をし、歌詞を確認し、不安な気持ちを練習でごまかしました。

 で、一通りやって、偽りの安心を手に入れたところで、客席に向かいました。

 それにしても、ノドが保つようになったなあ。朝のゲネプロで歌って、その後で妻と練習して、また一人で練習して、その後、本番だよ。キング門下時代だったら、すでにこの段階で声を使い切ってしまっているよね。今は、発声法を変えたので、そんな事くらいじゃ声は減りません。ああ、上達しているなあ。

 で、練習室を出て、客席に行って発表会を見るために、一度ロビーに行きました。ロビー経由で会場に入ろうと思ったわけです。なにしろ、関係者席は会場の一番後ろに用意されているので、ロビーから入った方が便利なのです。ロビーに向かう途中、助演のテノールのA先生が通路で所在なげにしていたので「楽屋の代わりに練習室が使えますよ。あそこなら一人になれるので、集中できますよ」とアドヴァイスをしておきました。

 で、ロビーに着いたら、大騒ぎな状態でした。ちょうど、合唱の人たちが歌い終わって、興奮冷めやらぬ状態でロビーに来ていました。合唱の人たちの応援団やお友達集団もロビーに集まって、そりゃあもうテンヤワンヤとなってました。

 …気持ちは分かる、…けど、まだ本番中だよ。そういう事は、休憩中か、発表会終了後にやるものだよ。今は静かにして、バックヤードで控えてなきゃダメじゃん…って思ったけれど、でも文化の違いはいかんともしがたいです。

 自分もそうだったから分かるけれど、合唱の人って、自分たちの出番が終わると、終了&解散なんだよね。だから、合唱系のコンクールとか発表会に行くと、他の団体が歌っていても、自分たちが終われば解散で、お客さんたちと交流をしちゃったりするんだよね。お客さんもお客さんで、自分のお目当ての団体だけがお目当てだから、他の団体が歌っていようと、全然関係ないんだよね。でもそういう文化だから、良いも悪いもないのです。
 それに、本番直後って、それがまた、すごく盛り上がるんだよね。

 でも、その場所がロビーってのが、ちょっと困りました。だって、遅れてきた人が会場に入ろうと思っても、会場のドアを開けた途端に、ロビーの喧騒が会場の中に聞こえちゃうわけで…そりゃあダメだよね。もしもロビーが静かだったなら、たとえ舞台が演奏中でも、後からやってきた人が、そおっと静かに入場しちゃうって事も出来ないわけじゃないけれど、現状、ロビーで大騒ぎなので、舞台が演奏中の時は、ドアを開けるに開けられません。それでも入りたいお客さんがいるわけで、私、臨時ドアボーイを始めちゃいました。いやあ、恨まれた恨まれた。客からすれば、聞きたい人が今歌っているのに、なんで入っちゃいけないんだよーってわけだものね。

 片方で会場に入れろと良い、片方で開放感で大騒ぎをしています。で、会場はミニサイズで響きがやたらと良いってきているんです。ああ、憎まれ役って心が痛いです。

 そんなわけで、明日に続きます。

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2017年9月19日 (火)

2017年声楽発表会 その2 時間は守らないと自分たちが困ります

 いやあ、ゲネプロ終わりは、本来ならば楽屋に行くのでしょうが、このホールには楽屋は一部屋しかなく、おまけに今回、楽屋は時間制の交代制で、決まった時間に指定されたメンバーが着替えのためだけに使用する…という事になっています。ですから、空き時間だからと言って、楽屋に行くわけには行かず、ひとまずロビーでぐったりです。

 しばらくぐったりして、魂が戻ってきたところで、妻とゲネプロ反省会をして、気合を入れ直して、他の生徒さんのゲネプロの様子を会場で拝見させていただきました。自分たちの出番がほぼ最後ですから、他の方々の本番の様子を見ることができないので、こういうゲネプロの時に見ておかないといけないわけです。皆さん、去年よりも上達してます。すごいすごい。

 で、12時まで皆さんのゲネプロを見て、ゲネプロ終了前だったけれど、お昼ごはんを食べる事にしました。最後まで見ていたら、午後の時間に余裕がなくなってしまいますからね。

 お昼ごはんは…会場入りする前に食べたパンで、ノドがカサカサになってしまったので、油たっぷりの中華料理にしました。いやあ、中華はノドにやさしい料理だね。中華と言っても、ラーメンと半チャーハンと言った、定番の組み合わせ定食だけれどサ。

 昼食を終えて、会場に戻ってきました。まもなく開場となります。通路にはすでにたくさんのお客さんたちが列を作っていました。出番の早い人たちが舞台の準備を始めていました。準備を終えて出番待ちの人たちは、楽屋が使えないので、舞台裏にイスをズラッと並べて、そこに座って待機です。舞台裏って、スペースは狭いし、物音を立てられないし、出番を控えて、みんなピリピリしているし…ってわけで、何とも不思議な緊張感に包まれた場所で、とてもくつろげるような雰囲気ではありません。

 我々は出番が後半なので、まだ準備を始めるのは早いのですが、居場所が無い(すでにロビーはお客さんでいっぱいなので、ロビーでぐったりも出来ません)ので、一度舞台裏に行ったものの、なんか落ち着かないし、ゲネプロでの失敗もあるので、妻と二重唱の確認をする事にしました。

 確認と言っても、そこらで勝手に声を出すわけにはいかないので、今回の発表会のために、先生方が一部屋練習室を借りてくださったので、そちらに行きました。

 練習室に行ったところ、先客がいました。ま、そりゃあそうだよね。練習室と言っても、そもそもが声出しのための部屋です。皆さん、いきなり本番舞台に上がってフルヴォイスで歌うわけにはいきませんから、こういう声出しのための部屋で少し声を出して、調子を上げておいてから、舞台袖で本番待機をするわけです。

 そもそもが声出しのための部屋ですから、先客がいても問題ないし、自分たちが声出しをしているところに別の人が入ってきて声出しをしたからと言って、文句を言っちゃいけないし、言わないし…。ま、そういう感じです。

 でもね、私たちが行った時にいた先客さんは…合唱団の皆さんでした。

 実は、今回の発表会、Y先生が教えている合唱団の皆さんのグループが1団体、参加する事になっていました。別に合唱団がどうこうというつもりはないのだけれど、合唱の文化って、我々声楽の文化とはアレコレ違うわけで…例えば、声出しの練習室の使用に関しても、声楽の人たちは、他人の存在を気にせず、共存共栄のカタチで、互いに自由に譲り合って使うわけだけれど、合唱の人って、恥ずかしがり屋さんが多いせいか、部屋を専有しちゃうんですよね。多くの場合、練習室を時間を区切って、交代で使っていくわけです。だから、他の人がいると、遠慮して入らないし、自分たちが使っている時は、他人を寄せ付けないのです。

 おまけに、練習熱心なのはいいけれど、時間にルーズ(ごめん)だったりもします。

 無論、今回は声楽の発表会ですから、練習室を時間で区切って使用者を決めるなどの事はせず、譲り合って自由に使ってくださいというカタチになっていました。ですから、別に合唱団の人たちがそこで練習しようと何をしようと自由なのですが…実はその時間、合唱の人たちは、練習室で練習をしている場合ではなかったのです。

 自由に使って良い練習室とは違い、今回、楽屋は一つしかなく、きっちり時間交代で使用しないといけない事になっていました。で、今のこの時間は、合唱団の人たちの楽屋時間で、姉様たちは楽屋に行って着替えていないといけない時間だったのです。練習室で歌など歌っている場合ではないのです。何しろ、楽屋は短時間ずつ順番に交代で使わないと行けないわけで、このままでは姉様たちの楽屋使用時間が終わってしまうのです。なのに、こんなところで歌の練習していたわけです。

 練習熱心で、着替えよりも練習を優先していた…ってわけです。合唱団あるあるだね。

 私、親切心もあって「楽屋入りの時間ですよ」と教えてあげたら「前の人たちが部屋を使っていて、私達も今さっき練習を始めたばかりなんです」と言われました。

 いやいやいや…。別に練習室は、部屋を専有して使うものではなく、それぞれが譲り合いながら、同時に声出しすればいいわけだし、そのための部屋なんだから、先に声を出している人がいたとしても「失礼します」とか言って、部屋に入って、共栄共存を意識しながら、それぞれに声出しなり練習なりをすればいいし、そうするべきなんだけれど、それが出来ないのが合唱人なんだな。ま、私も以前は合唱をやっていたから、その気持ちは、よく分かるけれどね。

 それで、前の人の声出しが終わるのを待っていたために、練習室への入室が遅くなってしまったのでしょう。で、とにかく、練習熱心なんです。自分たちの楽屋入りの時間になっても、ずっと練習を続けていたのも、とにかく「練習しなきゃ!」って気持ちからでしょうね。

 練習優先で、その後の事は考えていないんだと思います。

 ここで、このまま満足いくまで練習をしていたら、楽屋の使用時間もズレてしまい、本番にも支障が出る(順番に楽屋で着替えたり化粧をしたりしなきゃいけないのです)ので、やんわりと「あんまりゆっくりしていると、楽屋、使えなくなってしまいますよ」と言ったところ、ようやく楽屋に移動してくれました。

 私、きっと、良い事を…したんだよね?

 で、空いた練習室に入って、妻と合わせの確認をしました。もちろん、私達の確認作業中にも、他の人たちがやってきて、入れ替わり立ち替わりで、自分たちの声出しをしていきました。そこはお互い様だよね。

 続きはまた明日。

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2017年9月18日 (月)

2017年声楽発表会 その1 ゲネプロで落ちました

 今年の発表会は、正直、アレコレ準備不足のまま迎えてしまったなあ…と、いきなりですが、反省しております。歌の歌い込みも不足し、当日になっても、歌詞がきちんと入っていなかったし、ダンスは一週間前に、ちょっぴり練習したけれど、演技に関してはプランすら立てておらず、当日の会場に向かう電車の中で打ち合わせをしたくらいです。

 昨年のボエームには、本当にたくさんのエネルギーを注ぎましたが、今年のメリーウィドウは“ボエームほど大変じゃないから…”と言う訳で、ちょっぴり気が緩んでいた事は否定できません。油断しちゃダメだよね。

 とにかく、当日の朝9時に会場到着を目指して家を出発しましたが、うっかり、30分前に着いてしまったので、喫茶店に入ってモーニングセットを食べて時間を潰したのが、ある意味、失敗でした。なんかね、トーストが、ノドの水分やらなんやらをキレイに拭き取ってしまったような感じなんですよ。普段から“朝食はパン!”って人なら、なんともない事なんだろうけれど「パンはお菓子であって食事じゃない」と思っている私は、普段、トーストなんて食べないんだな。だから、トーストに慣れておらず、カラダがトーストに負けてしまいました。どうやら、私とパン食は相性が悪いようです。少なくとも、歌う前にはパンは食べない方が良いみたいです。

 それはともかく、9時に会場入りをして、舞台の確認をしました。

 会場となるサルビアホールの音楽ホールは…予想よりも小さかったです。いやあ、ほんとに小さい。これだけ小さいと、ささやき声ですら、会場の隅々まで聞こえそうです。実際、狭い上に反響が強くて、普通に歌うと自分の声があっちこっちに跳ね返ってきて、周り一面自分の声で包まれてしまう感じがします。すぐそばで鳴っているピアノの音が自分の声でかき消されてしまうくらいに声が響く会場です。二重唱なんて、自分の声の反響がうるさくて、相手の声が全然聞こえないんですよ。観客席に行って聞いてみると、曲の開始のピアノの前奏までは、まあいい感じなんですが、歌が始まった途端に、歌の分だけ、やかましい感じになります。

 音楽でやかましいと感じてしまうと言うのは、声が会場の大きさからはみ出してしまっている感じです。まあ、お客さんが入ると変わると言われ、実際にお客さんが入ったら、歌声も落ち着いて聞こえるようになりましたが、客が入る前は、ギンギンのガンガンで、響き渡るというよりも、うるさい感じでした。

 でもね。このくらいの規模の会場ならば、キング先生の発表会ではよく使っているサイズです。自分もそんなサイズの会場で歌ってきたし、アマチュアの声楽発表会程度ならば、むしろ程よい大きさなんでしょうが、今のF&Y門下は、みんな声が出る出る、やたらと出る人ばかりなので、私を始めとして、みんな声がはみ出しちゃうんですよ。二重唱なんてやられた日には、声がうるさすぎて、耳がボーっとしちゃうくらいです。

 …と、不平不満を言うのは簡単です。でも、発表会をするための会場を押さえるのって、大変なんだよね。会場を押さえてくださった方のご苦労を考えれば、文句を言っちゃいけない事は分かってますが、やっぱり会場が小さいと、あれこれ大変です。ただし、会場は小さかったけれど、舞台はそれほど狭さを感じませんでした。

 ひとまず会場入りをし、ゲネプロは9時40分開始だったので、それまでの時間で、妻と演技の相談や、ダンスの確認をしました。実際の舞台が分からないと決められない事もあるので、一番早く会場入りをして、それらの打ち合わせをするわけです。

 で、やがてゲネプロが始まりましたので、自分たちの番までおとなしくして、自分たちの番になったら、打ち合わせ通りに動いてみました。ゲネプロでは、私と妻の動きの確認も大切ですが、ピアニストさんとの最終確認もします。どのタイミングで演奏が始まるかなどの打ち合わせもします。また、会場の大きさに合わせて、声はどれくらいで歌ったらいいのかと言った事も確認します。

 一応、ゲネプロの時には、簡単に通してみました。歌だけなら、一部を歌うだけでも良いのですが、動くとなると、通さないと分からない事もあるのです。

 実はこのゲネプロの時、私「A Dutiful Wife/従順な妻」の後半のハモリ部分で、全く落ちてしまいました。ちょうど曲の切れ目と演技の切り替えが重なって、ちょっと演技に気を使っていたら、うっかり歌が入れなかったのです。入れなかった上に、立ち直れなかったんですよ。ですから、後半は落ちたまま、最後まで行っちゃいました。これ本番なら、大惨事? いや、誰もこの曲なんて知らないから、平気な顔をしていれば、全然OK? ともかく、やらかしちゃったのは事実です。

 二重唱で落ちたショックを引っ張って、次のソロ曲の「Maxim's/マキシムの歌」では、あちこち作詞しちゃうし、先生からは「息が浅すぎます」と注意されてしまうし…。最後の「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」に至っては、ダンスのステップを間違えて、妻に叱られるし、先生からは「立ち位置が美しくない」と言われるし、本番までの改善点がてんこ盛りです。

 で、ゲネプロの最後には、落ちてしまった「A Dutiful Wife/従順な妻」の返しをやりたかったのだけれど、そんな時間の余裕もなく、ゲネプロ終了となりました。

 忸怩たる思いのまま、舞台を次の人に譲って、我々はロビーに行って…ぐったりしました。

 続きはまた明日。

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2017年9月17日 (日)

戦争が再開するかもしれませんね

 私は、紙の新聞を取っていないので、ニュースは主に、テレビとネットから仕入れています。特に出勤までのひとときは、朝の情報番組をつけっぱなしにして、ニュースを垂れ流して、それで日々の情報を仕入れています。

 私が毎朝見ている、その情報番組は、某半島が大好きなようで、毎朝毎朝、半島関係のニュースをたっぷりと放送してくれます(おかげで半島情報に詳しくなりました)。当然、最近は、ミサイル関係やら軍事関係のニュースがばかりです。まあ、北の国関係のニュースは、その番組にかぎらず、どこの放送局でも、どこの番組でも、長時間報道しています。半島の話でなければ、誰と誰が不倫関係だとか、そんなゲスな話題ばかりです。

 それはともかく、最近はその北国が、きな臭い事は事実です。

 考えてみれば、隣の半島って、1950年6月25日に始まった、あの戦争が、まだ終わっていないですよ。今は単に“休戦中”なだけで、戦争状態は未だ継続中なわけで、北国とアメリカとの間には平和条約なんて結ばれていないし、当然、北国と南国は、未だに敵国関係だったりするわけです。中国とロシアが北国の制裁に非協力的なのも、そりゃあそうで、あの国たちは、そもそもが北国チームの一員なんです。

 日本には、これを忘れていたり、知らなかったりする人たちがいます。いや、政治家やマスコミですら忘れてんじゃないの?って思う時があります。

 つまり、アジアの極東地域は、ここ70年近く、ずっと戦争状態なんです。我々日本は、たまたまアメリカの核の傘の元、軍事的にはアメリカの属国になって、安穏とした生活が送れたに過ぎません。周囲の国々は、常に戦争に備え、活動をし変化してきたわけです。

 未だに戦争は終わっていないのだから、再開するのは当然であり、後はいつ再開するのかという時間の問題だけだと言えます。それがたまたま60年近く再開しなかっただけの話なのです。

 実はすでに水面下ではあの戦争が再開していると言っている人たちがいます。そういう人たちは、今のこの状態を“北○鮮戦争”という名称で呼んでいます(○には“あさ”という漢字が入ります)。

 すでに戦争が始まっていると言う人は、実は北国のミサイルがうまく飛ばないのだって、彼の国の技術力が低いのではなく、アメリカからのサイバー攻撃を受けているために、うまくミサイルを飛ばせないのだという説だってあります。

 まあ、何はともあれ、水面下ではなく、リアルな武力を用いた戦争再開の時期が、なんとなく近づいているような気がします。

 それに加え、テレビが毎日のように隣国の脅威をあおるから、私の周辺にも、戦争が始まるのではないか、自分たちの頭の上にミサイルが降ってくるのではないかとか、大変心配している人もいます。つい先日もミサイルが北海道の上を飛んでいったしね。

 そういう人って、日頃は「憲法9条があるから日本は平和だ」と言っている人だったりするのですが、だったら、憲法9条があるんだから、戦争なんて起こらないはずだし、隣国だってミサイルなんて打たないはずなのにね。憲法9条さえ守っていれば日本や世界は平和になるはずなのに、何を心配しているんでしょうね?

 私は憲法9条なんて、屁のつっぱりにも成らない妄言だと思ってますし、世界はかなりシビアなものだと思ってますから、いずれは戦争は再開するだろし、ミサイルは飛ぶだろうし、そのうちの数発は日本にも飛んで来るだろうと思ってます。

 北国が本気で日本を潰す気なら、ミサイルは首都圏を、とりわけ東京を狙って打ってきます。

 彼の国に、そこまでの覚悟がなく(あとで言い訳ができるように)単純に軍事作戦としてミサイルを打つなら、日本はアメリカの同盟国だし、在日米軍の基地だってあるわけだから、米軍の基地を狙ってミサイルを打つでしょう。

 ただの脅しでミサイルを打っているなら、首都圏や関西圏を外して、北海道とか九州四国などの上を飛ばしてくるでしょう。その場合、決してミサイルを落とす事はありません。だって、脅しなんですから。

 私は首都圏に住んでいるけれど、東京に在住在勤をしているわけではないし、米軍基地のある県に住んでいるとは言え、決して隣接地域に住んでるわけでもないので、本来ならば、北国のミサイルなんて心配する必要はない(ほんと、他人事でごめんなさい)のですが、問題は、北国のミサイル性能なんて、全く信頼できないわけで、狙ったところに当たらないだろうし、そこから微妙にだったり大きくだったり、どっちみちズレた地点にミサイルが落ちるだろうと思うから、まがりなりにも首都圏に住んでいて、米軍基地の広い意味での周辺域に住んでいる私としては、目標からそれたミサイルが飛んでくる事を覚悟してます。

 ミサイルなんて、めったに当たることはないけれど、当たったら、仕方ないよね。それは道を歩いていたら、車に当たって、交通事故にあうのと似たようなもんです。確率的には、ミサイルに当たるよりも、車に当たる方が、ずっと高い確率だろうから、日頃、交通事故の心配もせずに道を歩いている私ですから、ミサイルが当たる心配なんて、してもしょーがないと思ってますし、そう思ってしまうのも当然と言えば当然です。

 私の周辺の人は、ミサイルに核弾頭を積まれる事を恐れているようですが、核に限らず、爆弾なんて、着弾地点の周辺を破壊するだけです。巻き込まれたら死んだり、大怪我をしたり、財産を失ったりするだけですから、覚悟決めちゃえば、そんなに怖くないです。

 それより怖いのが、毒ガスや病原菌かな? 死ぬにしても即死ではなくて苦しいだろうし、毒ガスだと脳がやられるし、病原菌に罹患すれば苦しみます。そういう事に伴う苦しさは…怖いなあ。覚悟なんて簡単に決まらないよ。

 爆弾もイヤだけれど、私には、毒ガスや病原菌の方が比較にならないほど怖いです。

 もっとも、怖い怖いと言っても、だからと言っても、私に何かが出来るわけでもないので、たとえ隣国で戦争が起ころうとも、私は心を落ち着けて、日常生活を淡々と過ごすしかないかなって思ってます。

 現状、北の国が日本にミサイルを打っているのも、恐怖によって、日本を精神的にコントロールしようというつもりであって、やっている事はテロリズムそのものなのだから、大切な事はビビらない事です。ミサイルを恐れない事、怖がらない事です。ま、自分が死んでも仇は必ず取ってもらえると信じて死ぬだけの話です。死ぬのが恐ろしかったら…売られたケンカを買うしか無いでしょう。野蛮なやり方ですが、これがグローバルスタンダードってヤツです。憲法改正をしましょう、日本軍を持ちましょう、核武装しましょう…って話です。

 たとえ日本がヘラヘラして、北国の言いなりになって手を出さなくても、いずれ北国とアメリカはぶつかるでしょう。今は北国も威勢がよいですが、実際問題、北と米では戦力に差があり過ぎます。直接当たれば、数時間から数日で決着が着きます。もしかすると、日本を攻撃している間もなく、戦争が終わっちゃうかもしれません。1950年代とはアレコレ状況が違うのです。

 だから、無駄に騒ぐのはやめようと思います。だって実際問題、どうなるか分からないじゃない? 騒いで戦争回避できるなら、いくらでも騒ぐけれど、単に自分が不安だから騒ぐと言うのは、どうにもかっこ悪いでしょう。弱い犬ほどよく吠えると言います。私、これでも関東の人間なので、すぐにカッコつけたがるんですよ(笑)。

 無論、争いごとは無い方が良いし、話し合いで物事が解決するなら、それに越したことはありません。でもね、世界は我々日本の庶民の常識とはかけ離れていて、愚かで利己的で粗野で野蛮なんです。話し合いは暴力の序曲でしかなかったりします。いや、話し合いですら、言葉の暴力や陰謀でしかなかったりします。

 歴史を見れば分かるけれど、人間の歴史って、戦争の歴史だし、戦争をするのが人間的だと言えるし、人間なんだからついつい戦争しちゃうんだよとも言えるかもしれません。

 現実を見つめて、それを受け入れて、前に進む。それがオトナのやり方でしょ? 現実から目を背けて、泣きじゃくって騒ぎ立てるのは、愚か者のやり方です。ましてや、サイコロは我々の手には無いのです。ならば、どんな賽の目が出ようと、肝を据えて対処していくしかないじゃん。

 ほんと、憲法9条の力で、世界が平和で、戦争のない世の中になればいいけれど…ねえ。北の首領様が、日本の憲法第九条に免じて、核開発を止めて、核放棄をしてくれたら、私は憲法改正反対運動に身を投じますよ。

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2017年9月16日 (土)

今年の秋は…どうでしょうか?

 夏は暑いものです。まあ、今年の夏は、雨が続いた事もあって、例年に較べると、だいぶ気温が低く、日照時間も短めの冷夏だったのですが、それでもやはり夏は夏で、それなりには暑かったわけです。

 我が家の金魚にとって、夏は鬼門です。夏をどう過ごせるかが、常に課題でした。

 夏は気温が高く、当然、室温も高くなり、自然と水槽の水温も高くなるのが、毎年の我が家です。昼間は無人の事も多く、エアコンを入れることもないので、居間に置いてある水槽の水温が、30度を越えるのは当たり前で、変温動物である金魚たちは、夏になると、元気ハツラツになっていました。

 で、その反動で、秋になって水温が収まってくると、途端にガックリしてしまい、弱い子たちは星になってしまいました。

 そもそも、夏の元気ハツラツだって、実は空元気なだけで、水温が高いので、それにつれて体温も高くなり、必要以上に活動的になって、無駄に体力を消耗しているだけの話なのです。ですから、見かけは元気ハツラツに見えても、実は無駄に動かされて、疲労困憊のヘトヘトだったりするわけです。そうやって、夏の暑い間に体力を使い果たしたところで、秋がやってきて、今度は水温が下がり、体温も下がり、カラダの動きが悪くなると、それでジ・エンド。星になってしまうわけです。

 それが例年の話でした。

 それを今年は、夏の間、たとえ家に人がいなくても、水槽のある居間の冷房を入れっぱなしにし、室温を上げないようにしました。もちろん、金魚たちの水槽の水温を上げないためです。

 ですから、今年の金魚水槽の水温は、ほぼいつも27度をキープしていました。30度を越えた事は、少なくとも私が見ていた限りではありません。金魚たちの様子も、落ち着いたもので、昼間の暑い時間に昼寝をしている子すらいました。以前からは考えられない事です。

 今年の金魚たちは、夏の暑さを、どうやら回避でき、平常な日々を過ごせたようです。

 さて、秋はどうなるでしょうね。夏の暑さを回避できたので、元気に秋を過ごし、無事に冬に突入できるのでしょうか? それとも夏の暑さは回避できても、やはり秋には何かが起きるのでしょうか?

 あれこれ、ちょっぴり楽しみです。

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2017年9月15日 (金)

新しい教材をいただきました

 フルートのレッスンに行ってきました。今回も結構バッチリ練習してレッスンに臨みました。夏休みが終了してだいぶ経ちますが、実はまだまだ仕事は本調子ではなく、休みの延長みたいな感じ…と言うのは言い過ぎだけれど、忙しさの山場までは若干の余裕があって、それでたくさん練習できただけで…やがてドンドン練習できなくなるんだよなあ…。

 ロングトーン練習は…まあ、いつものような感じです。

 とにかく、練習をたっぷりしておいたので、ようやくエルステユーブンゲンの20番の合格をいただきました。いやあ、暗譜頑張ったよ。次回は21番を暗譜して、22番を練習して…って感じです。

 プチエチュードは18番です、新曲です。こいつも頑張って練習してきたので、まあまあ吹けてます。しかし、まだまだ不確実なミスブローが多いので、当然合格はいただけませんでした(当たり前)。

 スラーとスタッカートが多い曲なので、そこに注意して吹くように言われました。特に、音を短く演奏するのは、スタッカートの音だけでなく、スタッカートの直前の音も短く吹くのですが、それをしばしば忘れているので、よくよく注意を受けました。

 あと、第三オクターブの音を多用する曲なのだけれど、第三オクターブの音を吹きすぎないように言われました。いくら高音であっても、優しく柔らかく息を入れて吹かないといけないのです。夏の合宿でも高音の弱音には苦労しましたが、こちらの曲は弱音でこそありませんが、それでも息の勢いまかせで、ピーピー吹いちゃいけないのです。

 頑張ろう。

 そうそう、新しい教材をいただきました。“40 Little Pieces in Progressive Order  for Beginner Flutists”です。以降は“40リトルピーセズ”と呼びます。この教則本は、いわゆる曲集であって、バロックからロマン派まで(具体的にはバッハからシューマンまで)の有名なメロディーを難易度順に並べてあるものです。それをアタマからエチュードとして演奏していくわけです。

 もっとも、エチュードとして演奏する…と言っても、指の練習ではありません。フルートで歌うためのエチュードなのです。ですから、ここにあるメロディーをカンタービレに演奏していくための教材なのです。脱・棒吹きなのです。もっとも、私は棒吹きなんてしないけれどね。

 という訳で、次回からは、エルステユーブンゲンと、プチエチュードと、40リトルピーセズの3つで学んでいくわけです。頑張っていこうっと。

 さて、今回の雑談は…学生の夏休みの話。

 9月に入り、小学生~高校生の夏休みは終わり、すでに二学期が始まっているわけですが、多くの大学生の夏休みは9月いっぱいまでなのです。つまり、新学期(後期ね)は10月から始まります。

 ですから、前期の試験を7月に終えたら、10月までの4ヶ月弱はお休みなのです。うむ、ちょっと休みすぎじゃ無いのかな?と個人的には思いますが、まあ、大学なんて、そんな感じです。

 今は、音大もそんな感じなんだそうですが、先生が学生だった頃は、前期の試験を9月の下旬に行っていたのだそうです。もちろん、夏休みはありますよ。つまり、試験の直前4ヶ月がお休みなわけです。

 先生の母校は、日本全国から学生が集まる大学だったので、夏休みになると、多くの学生が帰省してしまうのだそうです。特にピアノ科の学生は、下宿だとロクに練習ができない(下宿にグランドピアノを置いている学生なんて、当時は少数派で、大抵の学生は下宿のアップライトピアノで練習するか、あるいはピアノ無し…つまり大学の練習室のピアノで弾くだけ)ので、さっさと実家に帰っちゃうんだそうです。と言うのも、皆さん、地方のお金持ちのお嬢様方ですから、実家には立派なグランドピアノがあるわけで、それで試験までガンガン練習してくるのだそうです。

 で、困るのが、H先生を始めとするピアノ以外の学生さんです。これらの学生さんも試験に備えて練習をしまくるのですが、試験は当然ピアノ伴奏が必要なわけで、伴奏者は自分で探してくるのが基本ですから、まあ、たいていの場合は、ピアノ科の友人に頼むわけです。で、その彼女が夏休みに田舎に帰ったっきり戻ってこないわけです。それじゃ、フルートの練習(特にピアノ合わせ)ができないわけで、田舎から戻ってくるのを一週間早めてもらって、そこでガンガン、フルートの練習をしていたのだそうです。

 今は7月に前期試験をする学校も増え、先生のような悩みも少なくなったそうですが、その分、夏休みに練習をしない学生も増え、演奏が上達しない生徒も増えてきた…なんておっしゃってました。

 まあ「今時の若いモンは…」と言うのは、老人の常なのですが…ね。

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2017年9月14日 (木)

あなたはどこで練習していますか?

 アマチュアの音楽演奏家の場合、練習時間と練習場所は、常に我々を悩ませる大きな問題です。特に練習場所の確保に関しては…音楽の練習は、たいてい音が出ますので、色々と問題となる事が多いです。

 電子楽器ならば、アンプ経由でヘッドフォンをして練習すれば、生活音程度の音しか出ませんので、一般住宅であっても自由に楽器練習ができますが、歌やドラムの練習は…生音ですから、まず無理です。クラシック音楽関係の楽器は、すべてアコースティックですから、必ず音が出ます。金管楽器のような爆音が出ちゃう楽器もありますから、なかなか自宅で練習するのも難しかったりします。

 たとえどんなに美しい演奏であっても、興味のない人にとっては、単なる騒音でしかありません。昔、近所のピアノの練習音がうるさいと言って殺人事件にまで発展した事だってあるじゃないですか! 楽器の練習音って、気になる人には気になるのです。練習する側は、その点に関して、気を使っていくべきです。もっとも、騒音に関する感覚ってのは、人それぞれだし、住んでいる地域によって考え方が違うので、一概にこうすれば良いと言えない点も難しいです。一般的には、人口密集地域ほど騒音には敏感になる傾向があります。ま、そりゃあそうだよね。

 特に賃貸住宅だと、隣室との壁が薄くて音が筒抜けの場合もあるでしょう。そういう場所での音楽の練習は厳しいでしょうね。逆に、都心部の住宅地域であっても、最近の防音対策をしっかりしたマンションならば、隣近所への迷惑は考えなくても、あまり考えなくても良いかもしれません。戸建住宅ならば、その家がちゃんと防音対策をしていれば、あまた問題にならないかもしれません。

 家の中に防音室を作ってみたり、地下室を作って、そこで音楽練習をしていたりと、それなりに工夫をして自宅で練習できる人は、用意周到だし、それに越したことはありません。

 一方、自宅で音楽練習が難しい人は、外部の施設を利用して練習せざるをえません。安価なのは、公共施設の音楽練習室ですね。安価なのはうれしいですが、予約などの手続きがちょっと面倒かもしれません。その点、カラオケ店は、多少値ははりますが、気楽に使えます。大型マンションなどだと、マンション内に共有スペースとして音楽練習室があったりします。そういうのは恵まれていますね。

 音楽は、継続的に練習をしていかなければ上達しませんので、練習場所の確保は、本当に大切な問題だと思います。

 ちなみに私の場合は、戸建てで、自室(書斎と呼んでいます)があるので、そこで練習をしています。書斎は洋室で、変形ですが広さ6~8畳間程度あります。住んでいるところがピアノ殺人事件が起きた地域の隣接地域なので、家を建てる時に、市の条例で、防音と防災の対策をしないといけない事になっているので、自然と防音室の造りになっています。

 書斎の中には、机が二つ(一つが物書き用の机で、もう一つがパソコンデスクです)と、本棚が4台と電子ピアノが1台と姿見が1つ入ってます。椅子は、いわゆる“社長の椅子”と足台があります。で、床には衣装ケース(服ではなく本が入ってます)とそれでも収納しきれなかった本が床に積んでありますので、ほんと、足の踏み場も無いほどに狭くてギュウギュウした空間になっています。まあ、たくさんある書籍は、いい感じで防音材になっていると思います。

 いわゆるオーディオ機材は入っていませんが、パソコンのスピーカーを音楽用のモノに変えているので、音楽なども普通に聞けますし、歌の練習で使うカラオケも、パソコンで作成して使用しています。

 で、ここで私は歌とフルートとヴァイオリンの練習をしています。音が完全に漏れない…という程の完璧な防音室ではありませんが、少なくとも、隣近所の家の中にまで音は届きませんので、安心して音楽の練習が出来ます。それでも、一応のマナーとして、深夜~早朝にかけては、音楽の練習を自粛しております(汗)。

 たぶん、私は恵まれていると思います。これで広ければ、ダンスも練習もできるのになあ…とさらに贅沢な事も言ってますが(笑)。

 皆さんは、どこで音楽の練習をなさっていますか?

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2017年9月13日 (水)

声は年を取っても衰えない?

 先日「こうもり」を聞きに行った時の話。公演そのものは午後からだったので、会場近くのそば屋でお昼ごはんを食べた私でした。

 私がそばを食べている、その隣のテーブルのお姉さま軍団の方々の会話が、聞くともなく聞こえてしまいました。別に盗み聞きをするなんて、野暮な事はするつもりは全然ないのですが、そのお姉さま軍団の方々の声が大きすぎて、店内のどこからでも聞こえるくらいに大きすぎるので、盗み聞きではなく、勝手に声が耳に入ってきた…って感じなのです。

 あれこれたくさんの事を話していらっしゃいました。どうやら、この軍団の方々は、声楽のグループレッスンを受けている方々のようで、どうやら同じレッスンを受けている仲間同士のようでした。おそらく、今回のオペラに出演されている方に師事されているようで、先生の応援に来られたようなのです。とは言え、決してオペラファンというわけでもなく、むしろオペラ観劇そのものには、あまり慣れていないようではありました。

 で、そのお姉さまたちが、あれこれたくさんの話題を話していたのですが、その中に「年を取っても、声は衰えてないから、これからも頑張っていきましょう」って調子で話されていたのです。

 「…これからも頑張っていきましょう」という前向きの発言部分は、ただ単に微笑ましいだけなのですが、その前の「年を取っても、声は衰えないから…」の部分には、ちょっと待てよ…と思ったわけです。

 ちょっと待てよ…と思ったのは確かですが、そこで見知らぬ他人の会話にクチをはさむほど、私は良識のない人間ではないので、その場は黙ってやりすごしましたが、この人たち、本当に、年を取っても声が変わらないなんて信じているのかしら?

 声って、明らかに年齢で変わるよね。同じ人でも、少年少女時代の声、青年時代の声、中年からオジサンオバサンになった頃の声、そしてジイさんバアさんになった時の声、それぞれ明らかに、声が違います。だから、演劇などでは、役の年齢に応じて、役者は声を変えていくわけです。つまり、一般的には、年齢に応じて、人の声は変わるわけで「年を取っても、声は衰えないから…」というのは、ちょっとどうなのかな?とは思うわけです。

 なぜ年齢で声が変わるのかと言うと、要因は二つあります。一つは筋肉であり、もう一つは性ホルモンであります。

 筋肉…そう、声は筋肉を使って発声します。声帯が筋肉であるのはもちろんの事、呼吸筋だって筋肉だし、響きを作るためにカラダのあっちこっちを広げたり伸ばしたりするのだって筋肉の仕事です。で、筋肉は一般的に若い時の方が力強く激しく動きますが、やがて年を取るに従って、少しずつ衰えていくのが普通なのです。

 でもね、実は、筋肉は加齢では、衰えないのですよ。だから、あのお姉さま軍団の言っている事も、半分ぐらいは正解なのです。筋肉は使用しないと衰え、使用すると強くなります。これは年齢とは関係ありません。ですから、筋肉むきむきなジイさんなんて、あっちこっちにいるし、若くても運動不足の塊のような人は、ロクな筋肉を持っていませんし、運動不足のあげく、年齢を積み重ねていくと、やがて廃用症候群という病気にだってなっちゃうわけです。

 だから歌い続けていく事で、歌に必要な筋肉を鍛えていけば、歌い続けられていくのは本当なのです。

 でもね、声って、性ホルモンの影響をすごく受けるもので、性ホルモンは、どうしたって加齢の影響をモロに受けますからね…。この部分を無視して、目をつぶって「声は衰えない」と言ってしまうのは、あまりに無理ある事だと思います。

 声って、人生において、大雑把に3つのステージがあるのだと思います。

 それは、少年少女期と、成人期と、老年期の3つです。ザックリ言えば、性ホルモンの分泌前の時代と、性ホルモンの影響下にある時代と、性ホルモンの影響から抜け出た時代の3つです。もちろん、人として完成期である成人期の声が充実しているのは当然です。
 少年少女期は、性ホルモンの影響が弱い(子どもであっても性ホルモンは、微量ではあるけれど、分泌しているようです)ので、男女の声の差は、オトナほどの違いはありません。むしろ、少年少女の声の違いは、性ホルモンよりも筋肉の差によって生じる要素の方が多いかもしれません。

 成人期に入ると、性ホルモンの分泌も盛んになり、それぞれの性に合わせて声を変化させ、異性を引きつける声に変えていきます。女性は軽やかな声に、男声は力強い声になります。音域だって、女性は子ども時代の音域を中心に上下に大きく広がります。男性は、子ども時代の音域からグッと下って、いかにも“オトナ”な声に質的に変貌しちゃいます。それゆえ、男女では、声が全く違うと言っても良いほどに変わるわけです。

 しかし、性ホルモンの影響を抜け出して老人期になると、それぞれの声から、女性的な特徴や男性的な特徴が薄れ、互いに中性的声に変化していきます。女性は、音域が下がり、声質も太くなります。男性は低音が出しづらくなり、声質は細くなっていきます。

 また男女ともに、性ホルモンの影響から抜け出すと、声から潤いや輝きが失われ、声に渋みが加わってきます。性ホルモンは若さも司るホルモンですから、性ホルモンの減少によって、いわゆる老人の声ってヤツに変わります。また、人によって、声がかすれやすくなる人もいます。

 そういう意味では、年を取ると、音域が変わってしまい、声のツヤも失われてしまいます。つまり、声が衰えていきます。これは人によって程度の差はあるとは言え、誰もが声の衰えからは、逃れられません。

 私は、それはそれでいいんじゃないかなって思ってます。性ホルモンが減少して、声質が年寄りくさくなのは仕方ないじゃありません。それは衰えだろうけれど、その衰えは受け入れていけばいいんじゃないかって思います。

 渋く老成した声じゃないと歌えない歌って、たくさんあるじゃない。年を取って、声からツヤが失われしまったなら、ツヤめかない声で歌った方がジーンと来る歌を歌えばいいじゃないって思うわけです。

 筋肉は衰えないのだから、歌い続けていけば、声はいつまでも出るわけです。ただ、声色だけは、加齢に伴って、ジジババの声になっていくだけです。

 私も老人の初心者クラスの人間です。声も、正直、ツヤッぽくはないです。ぎりぎり、成人の声…かなってところで踏ん張っています。

 もう老人に近い声であって、とうの昔に子どもの声でないので、当たり前ですが、子ども声でないと歌えない歌は…歌うのを諦めています。

 今は成人の声で歌える歌をガンガン歌っていきたいと思っています。いや、残された時間の少なさを考えると、尻に火がついたような感じすらします。今のうちに、あれもこれも歌っておきたい…と焦る日々です。

 やがて声が年を取って、老人の声になったならば、老人の声で歌うと味が出てくる歌をしみじみと歌っていきたいと思ってます。

 別にそれでいいじゃん。老いから目を背けるではなく、老いと戦うわけでもなく、老いを受け入れて、その時なりにベストを尽くしていけばいい…と思っています。

 つまり、年を取れば声は衰えてしまうけれど、年を取ったら、取ったなりに、衰えた声をうまく活用して歌っていきたい…と思っているわけです。

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2017年9月12日 (火)

日本語上演オペラについて考えてみた

  先日、某K市市民オペラで、ヨハン・シュトラウス作曲の「こうもり」を見てきました。上演自体は、大変良くて、とても楽しいひとときを過ごしました。

 「こうもり」はオペレッタです。一応、オペラ歌手が演じますが、喜歌劇自体はミュージカルのようなもので、セリフ部分が大変多く、演劇性が強いので、大抵の場合、ミュージカル同様、現地語で上演されるのが普通です。なのでしょうか、今回の上演も日本語で行われました。

 日本語での上演ですから、ちょっとしたギャグやジョークも受けるし、ストーリーを説明するための、説明セリフが多くなっても、全然問題ありません。

 問題があるとすると…歌が日本語で歌われる事です。と言うのも、クラシック声楽の発声で日本語を歌われてしまうと…とても聞きづらいからです。

 おそらく日本語とクラシック声楽の親和性が低いため、言葉の聞きやすさと声の美しさの両立が難しいからでしょう。分かりやすく書くと、ヨーロッパ語ならば両立する、言葉としての自然な発声と音楽としての美しい発声が、日本語では、その両者が、あまりにかけ離れていて、その両立が難しいって事です。

 日本語って、クラシック声楽の基本とあるヨーロッパ語と較べると、声が浅いんですね。平べったいと言ってもいいかも。発音は浅ければ浅いほど明瞭であると判断されます。ヨーロッパ語のように深い声で話すと「何をゴニョゴニョ言っているんだ」と言われてしまいます。つまり、クラシック声楽で美しいとされる声は、日本語歌唱では“不明瞭な発音”になってしまい、そもそも両立が難しいのです。オペラ歌手は、声を深くして歌いますから、どうしても日本語が不明瞭になりがちで、何を歌っているのか、分からなくなってしまうのです。

 また、日本語ってヨーロッパ語と違って、アクセントを音程で付けます。ヨーロッパ語はアクセントを強弱で付けますから、どんなメロディーであっても、言葉が乗りやすいのですが、日本語は、話し言葉自体に音程の上下があり、そもそもが歌のような性質があり(百人一首などで和歌の読み手の発音を聞けば、日本語がいかに歌に近い言葉かが分かります)、日本語の持つメロディーと歌のメロディーが合致すれば良いのですが、合致しないと、何を言っているのか、全く分からなくなってしまうのです。それゆえ、外国語の歌を翻訳して歌うためには、訳詞にかなりのエネルギーを注がないといけないのです。と言うのも、元のメロディーと、そこにはめる日本語のメロディーが一致していないといけないのですが…世の中、そんなに簡単には行きませんから、オペラを日本語で歌われちゃうと、何を言っているのか、分からなくなってしまうのです。

 リズムも…ねえ。ヨーロッパ語は母音の長さは言葉の判別には関係ありませんので、言葉に自由にリズムに載せることができますが、日本語は母音の長さは基本的に一定だし、それが変わると意味が変わってしまいます。それゆえに、日本語の歌では、リズム的な冒険はあまりできません。日本語が単調で平板と言われるのは、このためです。

 例えば、ローマ字表記になりますが“obasan”と“obaasan”は、ヨーロッパ人にとっては、同じ風に聞こえるはずです。“aa”とダブっているのは、単なる強調ぐらいにしか思わないはずです。まさか、これで意味が変わって、違う単語になるなんて、ヨーロッパ人は想像もできません。でも、これ、ひらがなで書くと「おばさん」と「おばあさん」になるわけでしょ? そういう難しさが日本語にはあります。

 さらに日本語とヨーロッパ語では、同じ意味を表すためには、一般的に日本語の方が音数が必要だと言われてます。つまり、ヨーロッパ語の歌に日本語を翻訳して載せる場合、すべての意味を翻訳できないわけで、どうしても部分的に省略しないといけないのです。
 発音が聞き取りにくい。なんかイントネーションが変。言葉足らずな感じ。

 これら諸要件が重なって、オペラの日本語上演って、歌の部分が、本当に分かりづらいのです。

 まあ、私は「こうもり」のそもそものストーリーを知っていますから、歌が聞き取れなくても全然問題ないのですが、歌で何を歌っているのかが分かれば、もっと楽しめたんじゃないかなって思います。

 最近は、テレビのバラエティ番組でも、出演者たちのおしゃべりに字幕が付く時代です。オペラの日本語上演にも、少なくとも歌の部分だけでも、字幕が付いたら良いなあと思いました。原語上演の時には、必ず字幕が付くんだから、日本語上演にも字幕を付けてもバチは当たらない…と私は思うのですが、いかがでしょうか?

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2017年9月11日 (月)

クラシックコンサートの告知をします

 一昨日、無事に発表会を終えました。実に楽しく、充実時間を過ごせました。詳しい事は、これから記事として書いてアップする予定です。おそらく、来週あたりに記事をアップできると思いますので、今しばらくお待ち下さい。

 で、発表会を終えたばかりですが、実は、すぐにクラシックコンサートがやってきます。そちらにも出演するつもりですので、今回の記事は、そのクラシックコンサートの告知をしたいと思います。一応、簡単な案内は、すでに左欄にアップしておきましたが、左欄をご覧になれない方もいらっしゃるので、本文記事としてもアップしておきます。

 2017年のクラシックコンサートは、10月8日(日)に茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。詳しい行き方などはグーグルさんに聞いてください。駅からは少々離れた場所で、地元の人間ならとともかく、決して行きやすい場所ではありません。おまけに古くて、設備的にも少々??な会場です。

 なぜそんな会場を使用するのかと言うと、昨年までの会場であった市民文化会館が現在改装工事中で使用できないからです。それで今年はクラシックコンサートは中止だろうと…私を含め、多くの出場者たちは思っていたのです。だって、市民文化会館に代わるようなホールが当地にはないからです。だから…私は昨年、大ネタの“ボエーム第1幕”をやったわけです。クラシックコンサートが中止 -> 廃止になる事だってあるわけですからね。

 ところがどっこい…です。なんと、多くの人の予想を裏切り、今年もクラシックコンサートが実施される事になりました。で、その会場が青少年会館ホールなのです。

 正直、ここで行われるとは思ってもみませんでした。と言うのも、古くて設備的にも問題ありとは書きましたが、それに加え、場所的にも行きやすい場所ではなく、地元の人たちも、サークル活動の練習場所としては使いますが、誰も本番会場としては使わない…という場所だったからです。

 なので、今回のクラシックコンサートは、実に小規模です。例年出演していた人たちが「青少年会館ならパスだわ」というわけで、ほんと、参加者が少ないのです。今まで、13時から20時まで、たっぷり行っていたクラシックコンサートですが、今回は休憩もたっぷり入れて、13時から17時までです。出演団体数も、例年50団体を越えていたのですが、今年は30団体程度です。約半分…って感じです。まあ、地元の人は会場のショボさを知っていますので、そんなところでやっても、ドレスも似合わなければ、華やかさにも欠けるしなあ…って感じなんだと思います。

 でも、私は参加します。たとえ会場が、古くても、ショボくても、舞台袖が無くても、楽屋設備がなくても、歌う場所と歌うチャンスがあるなら、私はそこで歌います。だって、オジサンだもの、来年があるという保証はないからね。常に舞台は「これが最後かもしれない」というつもりでいますので、贅沢は言わない事にしているからです。

 さて、今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部自体の開演は15時20分となっています。

 私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。ちなみに、妻の後にもうお一人歌って、それでコンサートが終了って感じなので、私達の出番は…大トリ前のトリ?って感じです。基本的に、クラシックコンサートって、自分のお目当ての出演者の方の出番が終わると、お客さん方皆さん帰られますので、このトリ近くの出演順番って、ほんと、客席スカスカなんだよね(涙)。まあ、いいけど。

 私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。

 入場料は無料です。整理券の必要はありません。誰もやってきて自由に見ることができる、千客万来系のコンサートです。ただ、何度も書きましたが、会場的には期待しないでください。

 私もいつもなら「ぜひ応援に来てください」と書くところですが、正直、この会場にお客さんを招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、今回は例年のようなセリフは書きません。もちろん、会場までお越しいただいて、私のパフォーマンスを直接ご覧になって応援してくださる事はとてもとてもうれしいのですが、会場的にそこまでを望むのは、少々気がひけるのです。ですから、今年は、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただけるだけで感謝です。

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2017年9月10日 (日)

あなたは趣味を隠していませんか?

 「あなたの趣味はなんですか?」と尋ねられたら、なんと答えますか?

 もちろん、尋ねた人や団体、問いが発せられた場所や状況などを考え合わせて、なんか正直に答えるのって、躊躇しませんか? だって…趣味って、思いっきりプライペートな事じゃないですか? それをなぜ、見知らぬ人、あるいは見知っている人に、正直に答えないといけないのでしょうか?

 別に悪事を働いているつもりはないけれど“勤労は美徳である”という価値観がまだまだ優勢な我が国において、趣味三昧なプライバシーを公表する事は、ちびっと背徳な香りがしないでもないのです。

 違いますか?

 なので、多くの人は「あなたの趣味はなんですか?」と尋ねられると「読書です」「音楽鑑賞です」「旅行です」「食べ歩きです」などと言った、当たり障りのない趣味を答えるのだ思います(ほんとうにこれらが趣味の皆さん、ごめんなさい)。

 実際私も「趣味はなんですか?」と尋ねられた時、ちょっと警戒しつつ「音楽鑑賞」って書く事多いです。実際、クラシック音楽、ボピュラー音楽問わず、毎日、浴びるほど音楽を聞いて生活していますから、嘘じゃないし、音楽関係の話題を振られても、大抵答えられるし…まあ、大きく間違った答えではないと思います。

 あと、運動系の趣味を答えないといけないなあ…と空気を読んだ時は「昔、柔道をやっていました」とか「最近は散歩が趣味です」とか答えます。決して「ボケモンGOが大好きです」なんて言わないよ(きっぱり)。

 相手がロハスな人(もはや死語だな)なら「金魚を飼ってますよ」って言うかも。

 でも、せいぜいここまでだね。よほどの事がないかぎり、声楽の事とか、フルートの事とか、ブログの事とか、社交ダンスの事とか、アニメの事とか、ポケGOの事などは言いません。言わないから、ブログに書いているんだとも言えますが…。とにかく、まずクチに出す事はないです。

 よほど親しい人だったり、安心安全な相手であると「実はフルートをたしなみます」と答えるかもしれません。ポイントは“フルートをたしなむ”のであって“フルートを吹きます”とは言わない事。だって、フルートを吹けると公言できるほどの腕前なんて、私、持っていないもの! あと「フルートを吹く」=“吹奏楽が好き/やっていた”と誤解されることが多いので、そのあたりにも気をつけて話をするようにします。

 あくまでもフルートは“たしなんでいる”だけで吹いてはいないし、吹奏楽とも無縁なんです…というポジションを取ります。でも、そんな事をいちいち説明するのも面倒だし、吹奏楽命な人だと、敵性人とみなされることもあるので、だったら最初っからフルートを持ち出さない方が懸命なんだな。

 相手が歌好きな人なら「昔々、ちょっとだけ合唱をやってましたが…だいぶ前に止めてしまい、今はもうすっかりです、へへへ」なんて答えるかもしれません。でも、今現在、独唱をバリバリ学んでいる事はおくびにも出しません…たぶん。だって、相手の歌好きのレベルやジャンルが分からない以上、下手なことを答えて、気まずくなってもマズいじゃない? それにガチな合唱人だと、独唱者は敵性人ですから、そのあたりにも気をつけないといけないしね。

 ブログをやっている事は、まず言いません。私、ネットとリアルは切り分けたい人なんです。それに、ネットの知り合いとリアルに知り合うのは平気だけれど、リアルな知り合いとネットでつながるのは、なんかイヤなんです…この感覚、分かるかな?

 それにブログをやっている事が分かると「じゃあLINEで…」とか「Facebookで…」とか言われるじゃない? でも私は今のところ、ブログを管理するだけで精一杯で、その他の事には手を広げたくないし、そんな事を説明しても分かってもらえるとも限らないので、リアルな世界では「パソコンとかネットとか苦手なオジサン」のふりをしちゃう事が多いです。だって、面倒くさいんだもの。

 社交ダンスの事も言いません。今現在、ほとんど踊れなくなってしまっているという悲しい現状があるので、とても趣味ですとは言えないというわけなんだけれど、それ以外にも、多くの世間の人は社交ダンスの事なんて、ちっとも分からないので、うっかり「趣味は社交ダンスです」って答えちゃうと、社交ダンスの説明から始めないといけないし、なまじ社交ダンスの事を知っている人は、たいがいディープな人が多いので、こんどは仲間に誘われちゃうわけで、それも結構面倒くさいでしょ? 別に私は、妻と踊れればいいだけで、ダンス仲間はいらないし、サークルにも入りたくないんだけれど、それをディープな人の前で言うと、敵性人になっちゃうし…。

 アニメやボケモンGOの事も言いません。これらは私の楽しみであって、趣味ではないからです。実際、趣味と呼べるほど詳しくないし、趣味の人たちほど深くもないからです。実際“趣味の一歩手前”ぐらいな感じなんです。

 と、まあ、あれこれ屁理屈を書きましたが、要は、これらのガチな趣味は、他人に言うには恥ずかしいってわけです。まるで、他人に身内の話をすると、思わず照れてしまうような感じで、趣味の事を語るのは恥ずかしいのです。

 で、リアルな生活では、趣味を隠す…というか、言わずに済ませてしまう事が多いのです。そんな人って、私だけでしょうか? いやたぶん、私同様に、自分の本当の趣味について、他人には語らない人って、案外たくさんいるんじゃないかって思うのです。

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2017年9月 9日 (土)

砂利の中が茶色い…

 先日、水槽の水替えをしました…と、わざわざ書くのは、最近は以前とは違って、水槽の水を毎週替えていないのです。

 以前は、水槽の水を毎週替えていました。それはそれだけ速く水が汚れたからです。でも今は、水が汚れるペースが遅くて、却ってそんなに頻繁に替えない方が良いだろうなあと判断しているので、水換えのペースが以前と較べて落ち着いてしまったのです。

 では、なぜ最近は水槽の水の汚れが遅くなったのかと言えば、いくつか原因があります。

 一つは…金魚がちょっと小さいからです。飼っている金魚の数は、以前も今も同じ5匹なのですが、以前は5匹が5匹とも巨大魚だったのですが、今はすべて小型~中型程度の平凡な大きさの金魚だからです。金魚が小さければ、そりゃあ水も汚しません。

 その金魚の大きさとも関係しますが、エサの量が以前の半分なのです。以前は、朝夕の2回/日でエサをあげていましたが、今は朝だけしかあげていません。一回にあげる量は変わりありませんから、エサの量が半減しているのです。さらに言えば、あげているエサは、金魚たちが大好きな「川魚の主食」というエサで、これだと金魚たちが食べ残さないので、結果として水が汚れないのです。以前は、朝は「川魚の主食」をやり、夕は別のエサをあげていましたが、夕方のエサは「川魚の主食」ほどの人気がなく、多少なりともエサの食べ残しがあり、それが水を汚す原因となっていました。

 また、水草をいつも豊富に水槽に入れています。水草は水の汚さの主な原因である窒素加工物を栄養分としているので、水草が豊富に水槽に入っていると、水の汚れを勝手に除去するので、水が汚れづらいのです。

 とまあ、そんな理由もあって、水槽の水が汚れづらくなった事と、人間に怠け癖がついてしまった事の、大きな二つの理由で、ほんと、最近は水替えのペースがすっかり落ちてしまった我が家でした。以前は月4回水替えしていたのが、最近は月1~2回だからね(最低、月1回の水替えはしています)。

 で、水替えの時、水槽の砂利も一緒に掃除するのです。この時に、砂利の中に棲んでいるバクテリアたちのコロニーを取り除いているのですが、このバクテリアの塊が、たいていは白いタンパク質の塊になっているのですが、今月は、これが白くなく、なんか茶色かったのですよ。別に水槽が臭くなったりはしていませんし、金魚たちも元気なので、問題ないと言えば問題ないのですが、いつも白いバクテリアの塊が茶色の塊に変わったというのは、水槽に棲んでいるバクテリアの種類が変わったというわけです。

 白が茶色に変わって、良かったのかな、悪かったのかな、しばらく様子を見てみたいと思ってます。

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2017年9月 8日 (金)

H先生も、ついにスマホに乗り換える…のかな?

 フルートのレッスンに行ってきました。合宿後、最初のレッスンです。

 姉様のレッスンがだいぶ延長していたようで、たっぷり姉様と先生のデュエットを聞かせていただきました。感謝です。

 さて、ロングトーン練習はバッチリでしたが、音程的には、私、低めの音で吹いてしまっていたようです。合宿後、さらに脱力が進んでみたいで、頭部管の抜きをいつもどおりにしていると、ちょっと低めになってしまうようで、少し深めに頭部管を差し込んでみました。良い事なんだか、悪いことなんだか…。

 エルステユーブンゲンの20番は…実は、ちょっとガッツを入れて自宅練習をしてきて、だいぶ暗譜してきたつもりですが、まだまだ要所要所のツメが甘くて、合格がいただけるほどは吹けませんでした。残念。21番は、当然、不合格でございます。

 プチエチュードの17番は、ようやく合格となりました。合宿でたくさん吹いて頑張ったものね。で、次回からは18番です、新曲です…って、ヤバイじゃん。これから声楽の発表会があって、クラシックコンサートがあって、そっちの練習に時間が取られちゃうのに、ここでフルートが新曲? 新曲となれば、当然、結構な時間を割いて譜読みして練習しなきゃいけないじゃん! あれ、私、何気にヤバイの?

 先生から、だいぶフルートの音色がきれいな感じで落ち着いてきたので、そろそろメロディの勉強をしましょうと言われました。

 という訳で、次あたり、先生が新しい教本を持ってきてくれる事になりました。今度の教本は、曲集のようなもので、簡単なメロディーから始まって、少しずつメロディーの吹き方が学べるようになっているのだそうです。楽しみ、楽しみ。

 メロディの吹き方、要するに“脱・棒吹き”って事ですね。まだ指に大きな不安があったり、音色がダメダメでは、歌うようにメロディを吹ける余裕がないので、そのあたりがクリアしてから、メロディを吹く勉強をするんだそうです。さて、どんな勉強になるのかな? かなり楽しみです。

 で、雑談は、スマホの話。先生は未だにガラケーを使っているのだけれど、最近はスマホに心が惹かれるのだそうです。で、某所で格安スマホを知って、営業をかけられて、なんかその気になったのだそうです。

 まあ、時代はすでにスマホですし、いつまでもガラケーを使ってもいられないので、こういうチャンスがあった時に、スマホに乗り換えるは吉だと思います。しかし、薦められているスマホの搭載メモリーの容量が3ギガだそうです。それで足りるのかしら?

 で、ググってみたら、私が使っているiPhoneっの搭載メモリって1ギガしか無いみたいですね。なんだ、私の携帯の3倍のメモリ積んでいるのか? なら大丈夫だね。

 それにしても時代は格安スマホ…なのかな? 私はそこんとこ無頓着で全然分からないのだけれど、普通のスマホとは、安い以外に何が違うんでしょうね?

 とりあえず、歌にフルートに頑張っていきましょう。

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2017年9月 7日 (木)

発表会に向けて、最初で最後のピアノ合わせです

 発表会に向けてのピアノ合わせに行ってきました。合わせる順番は、本番どおりって事で、「A Dutiful Wife/従順な妻」からです。最初が一番難しい曲ってわけです。

 難しい曲なので、適当に止めながらやっていきましょうと先生はおっしゃっていましたが、結局、最後まで通っちゃいました。

 今までの練習とは違っている部分は…出だしの数小節をテンポアップしました。決して歌いやすくはないのだけれど、オペレッタだし、軽快な感じで行きましょうってわけです。他にも、速く歌える部分は、もう少し速く歌いましょうって事になりました。

 当然、速い部分は速いのですが、遅い部分はもっと遅く溜めて歌う事にしました。まあ、こちらがどれだけ溜めても、ピアニストさんはピアニストさんなので、いくらでも付いてきてくれるので、安心してテンポを揺らせていけます。

 またピアニストさんは、譜面に書いてある音はすべて弾いてくれるのはもちろんですが、それとともに、歌のサポートのために、手がかりとなる音も合わせて弾いてくれるので、とても歌いやすいです。レッスンの時に、妻がうまく歌えなかった箇所も、ピアニストさんが低音でフレーズの支えをしてくれると、ウソのように歌いやすくなりました。さすが、専門家は違います。

 本番では演技を加えながら歌います。さて、どんな演技にするか…まだあまりちゃんとは考えていません。椅子を使った演技にしようとまでは考えているのですが…。

 次は「Maxim's/マキシムの歌」です。実は、この曲が一番てこずったかもしれません。と言うのも、やはりこの曲、そもそもが酔っ払いの歌という事もあって、テンポがすごく揺れるんですよ。で、こちらも相手がプロのピアニストさんだと思うと、遠慮なくテンポを揺らして歌うのですが、揺れるテンポを合わせていくというのは、なかなか難しいわけで、箇所箇所で、どれくらい溜めるのか、どれくらい揺れるのか、Y先生が間を取り持ちながら、決めていきます。

 でもこの曲、本番は酔っ払う事なく歌います(笑)。ちょっと衣装に凝って、コスプレっぽい感じにして歌うつもりです。歌劇ですからね、衣装も大切です。

 で、妻の「ヴィリアの歌」を挟んで「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」です。まあ、この曲は難しくはないので、合わせも苦労しませんでした。ただ、いつも、最後の最後のフレーズで、私の音程の甘さが目立ってしまうので、ここは慣習的な歌い方ではなく、楽譜通りに歌う事も目下の検討課題です。いやあ、テノールのフレーズが高いんだよね。先生は音の高さが難しさの原因なので、バリトン用のフレーズで歌ってみたらどうだろうと薦めてくださるのだけれど、私はテノールだし、テノールにはテノールの矜持があるわけで、テノール用のフレーズで歌うか、それか難しいのなら、レハールが作曲したまま歌うつもりです。実際、各種音源を聞いても、楽譜通りのまま歌うテノールの人も多いので、それもアリかなって思ってます。

 最後は高音で叫んで終わるよりも、低い音で囁くように終わった方が音楽的かな…とも思うわけです。まあ、当日の体調次第って事で考えておきます。

 間奏部分は、最初はピアニストさんが、すごく盛り上げて弾いてくださったのだけれど、当日は、ここは踊る(!)ことにしているので、結局ピアノは、淡々と演奏する事にしました。その代わり、妻が派手派手なワルツの振り付けを考えているようです。

 という訳で、特に波乱もなく、あっさりとピアノ合わせは終わってしまいました。あんまりあっさりと終わってしまったので、次回のレッスンの打ち合わせすらし忘れてしまいました。ううむ、発表会が終わったら、すぐにクラシックコンサートなんだけれど、そのためのレッスンが出来ないよ。困ったね(汗)。

 とりあえず、本番では、全力をつくすだけです。

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2017年9月 6日 (水)

何のために音楽をやるのか?

 先日、ネットサーフィン(古い…)をしていたら、「オトナになってから音楽を始めたって上達するわけがない。上達しないのに音楽をやるのはおかしい。そもそもオトナには音楽をやる資格がない」ってな主旨のページを見つけました。

 武士の情けでリンクは張らないであげるけれど…内容はともかく、そのモノの書き方にイラツイて、正直、カッチーンと来ました。まあ、よくよく読めば、とても良識のあるオトナのモノの書き方ではないので、おそらく、中学生あたりの生意気盛りのガキが、ネットで顔が見えないことを良いことに書き散らした文章だろうと思いました。

 私は良識あるオトナです。子どもの戯言にいちいち反応して、腹立てても仕方ないわけです。

 それでもやっぱり、その書き方にはカッチーンと来た私です。でも、内容に関しては、多少なりとも心にひっかかったわけです。

 この子の立場は「音楽は、プロ演奏家になるためにやるものであって、遊びでやるものではない。やる以上は人生のすべてをかけて練習に励み、プロ演奏家になるべきであって、そうでない人間は音楽をやってはいけない。だから、音楽は子どものうちから始めるべきである。子どものうちから始めても上達しない者は音楽を辞めるべきだし、上達する見込みのないオトナは、そもそも音楽をやる資格がない」というものでした。

 こんな事を言っている、この子自体、どれくらいの演奏力を持っているんでしょうね。プロ演奏家を真剣に目指しているのなら、おそらく中学生あたりでしょうから、すでに国内コンクールのタイトルをいくつか持っているんだろうと思います。もしかすると、国内の賞は取り尽くし、今は国際的なコンクールで賞を取るための準備をしている真っ最中でしょうね。

 …なんて、イヤミを書いてみたりして…。でも、クラシック畑で真面目にプロ演奏家を目指しているなら、中学生あたりで、すでに賞レースに絡むくらいの実力がないと厳しいよね。

 この子の考え方は、プロ演奏家至上主義…とでも言うのかな? 音楽を…ってか、音楽演奏能力を生活の手段と考えて、日々の音楽の練習を職業訓練の一種と考えているわけです。世界に通じる演奏家を目指してガッパガッパ稼ぎたいなら、確かに子どもの時からハードトレーニングを積み重ねていかないといけないし、やっている中で才能が不足していると分かったなら、プロ演奏家になることを諦めないといけないだろうし、それこそ人生のすべてをかけて練習に励まないといけないわけです。

 そういう生き方もアリです。また、そういう人生を選んで突き進んでくれる人がいないと、この世から音楽がなくなってしまうので、才能ある方々にはぜひ頑張っていただきたいのだけれど…演奏家として生きる人って、そんなにたくさん要らないんだよね。

 日本国内のクラシック音楽界に限った話でも、必要とされるプロ演奏家なんて、1世代で数千人ぐらいでしょ? まあ、現在、日本国内には33のプロオケがあるそうだから、33×100名として3300名の器楽奏者が入れば十分です。それに歌手とピアニストとソリストと指揮者を加えても、せいぜい4000人も入れば間に合うはずです。全体で4000人なら、1世代を25年と考えても、プロ演奏家なんて1年に160名誕生すればいいわけだから、音楽大学も日本に一つあれば十分って話です。

 例えば、東京芸術大学の音楽部の入学定員が237名ですから、日本の音大は、芸大一つで十分というか、芸大一つでも多すぎるって話になります。その他の公立音大はもちろん、私立音大もすべて廃業しろって話になります。で、そこに入れない人間は、音楽をやる資格がないって、言い切っちゃっているわけです。

 これを以てしても、この子の話が、いかに現実離れをしているかが分かります。まあ、こういう中二病的な考え方、個人的には嫌いじゃないけれど、いつまでもこういうふうに考えていると、生きづらいだろうねえ。

 まあ「何のために音楽をやっている?」の問いに対して「プロ演奏家になるため」という答えもアリですが、現実的には、それだけじゃないってわけです。

 音楽を学んでいる人が十人いたら、その答えは十通りあっていいと思います。もちろん「プロ演奏家になるため」に音楽を学ぶのはアリです。でも「単純に音楽が好きだから」「女の子にモテたいから」「音楽をやっているって、カッコいいじゃん」「趣味/教養として」「子どもの時からやっていて、なんとなく惰性で…」「部活だから」「健康づくりのため」「友達づくりの手段として」とか、ほんと、なんでもアリだと思うわけです。

 と言うのも、それらの答えはすべて、結局は一つの答えに導かれていくからです。それは…

 …「人間だから」です。

 音楽って、人間しかやりません。まあ、鳥はさえずりますが、あれは音楽と言って良いか私には分かりません。鳥以外の動物は…音楽やらないよね。類人猿と呼ばれる、チンパンジーやゴリラは、もしかすると我々の知らないところで、音楽に興じる事があるのかもしれないけれど、でも我々人間の音楽の楽しみと比べられるほどではないと思います。

 つまり、音楽を演奏したり、聞いたり、楽しんだりするのは、我々が人間だからであり、音楽は、人間が作り出し引き継いできた文化の一つなのです。だから、我々が何のために音楽をやっているのかと言えば、音楽という人が作って引き継いできた文明を、楽しむためなのてす。

 で、音楽を楽しむには、色々なレベルがあるわけです。

 演奏するのもアリです。作曲するのもアリです。そして、それを生業とするのもアリだし、趣味としていくのだってアリです。また、他人の演奏を聞いて楽しむだけでも、問題なしです。

 演奏家にならない/なれない人間が音楽を学ぶ理由は、音楽のより良い享受者になるためである…と言えるでしょう。つまり、音楽を学ぶことで、より音楽が好きになり、音楽文化を支える礎となっていくって事です。プロ演奏家は観客がいて、始めてプロ演奏家なのです。演奏家の数の何百倍何千倍何万倍の数の音楽ファンがいないと、音楽が文化として成り立つことはないのです。

 だから、何のために音楽をやるのかと言えば、ごくごく一部の人は、プロ演奏家になるためでしょうが、その他大勢の大部分の人は、音楽をより好きになるために音楽をやっている…って言えると、私は思ってます。

 で、そういうその他大勢の方々がいて、はじめて、音楽は人間の文化として継続していく事ができるのだと、思ってます。

 だから音楽はいつ始めても良いのです。もちろん、プロ演奏家になるならば、タイムリミットはありますが、それ以外の目的ならば、始めたくなった時が適齢期です。音楽を始めるのに理由は要りません。我々人間でなければ音楽は楽しめないのですから、大いに音楽を楽しもうではありませんか!

 つまり「何のために音楽をやるのか?」と言う問いに対して「面倒くさい事は抜きにして、音楽、楽しんじゃえ!」というのが、私なりの答えだったりします。

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2017年9月 5日 (火)

どうやら本番の舞台は、狭いらしい

 さて、レッスンの続きです。次はワルツです。「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」です。

 この曲はテノールに関して言えば、難しくありません。テノールから引き継いで歌うソプラノの部分がちょっと厄介なだけです。

 あと、この曲は間奏の部分でワルツを踊るわけで、当初我々はちゃんと踊ろうと考えていたわけですが、なにしろ舞台が狭い。本当に狭い。ワルツって、本来はかなり広いスペースを必要とするダンスなんだけれど、とてもじゃないけれど、そんなちゃんと踊るスペースがない…と言うので、どうしましょうか?と悩んでいます。とにかく、当日の舞台の様子を見て、どういうライン取りで、どれくらいにコンパクトにまとめて踊った方がいいかを考えないといけないみたいです。

 これで発表会の曲練習はお終いですが、レッスンはそれで終わりじゃありません。すぐ次に控えている、クラシックコンサートの練習もしないといけません。

 まずはトスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」です。歌詞も音程も特に問題ありません。本番まで、まだ間があるので暗譜は全然ですが、まあまあの出来だそうです。後は、レガートに歌う事です。母音をつないでレガートに歌い、子音は母音のつながり壊さないように、母音と母音の間に挟んでいくように歌っていくわけですが…これが難しいですわ。この曲も、譜面通りでなく、何箇所か、途中に高音を挟んで歌っていくことにしました。

 レオンカヴァッロ作曲の「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」は、勢いで歌い飛ばしてしまいがちなタイプの曲なのだけれど、決して勢いで歌い飛ばす事はせずに、しっかり支えて歌いましょうって事です。特に、曲の最後の変奏の部分は“全部入り”で歌う予定なので、余計にしっかり息を支えないと歌いきれないってわけです。

 ちなみに“全部入り”と言うのは、この曲で通常歌われる慣習的な変奏ってのは、何パターンかあるわけで、そのうちから幾つかを選んで歌うのが普通なのだけれど、私はそれをほぼすべて入れ込んで歌いましょうってわけですから“全部入り”になるわけです。

 まあ、プロの皆さんは、この曲をコンサートの序盤とか、アンコールピースとして歌うわけですから、普通は全部入りでは歌いません。そんな事をすると、疲れちゃいますからね。でも私は、アマチュアだし、たぶん今回がこの曲を人前で歌う、最初で最後のチャンスですから…そりゃあ、全身全霊を込めて、全部入りで歌うわけです。頑張るんですよ。

 と言うわけで、発表会前のレッスンは終了しました。後は、ピアノ合わせだけです。まあ、泣いても笑っても、ピアノ合わせをしたら、発表会なのです。ま、なるようにしかならないけれど…ね。

 頑張りますよ、私は。まずは暗譜しないと…ね。

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2017年9月 4日 (月)

これが発表会前、最後のレッスンなのです

 声楽のレッスンに行ってきました。実は今回のレッスンが、発表会前、最後のレッスンだったりします。本来なら、本番まで、あと一回くらいレッスンがあっても良さそうなのだけれど、Y先生が忙しいため(先生、発表会の直前にオペラ公演が控えてます)、これでお終いです。

 いつも通り、ハミング練習から発声練習をしましたが、さすがに発表会直前レッスンなので、発声練習は短めでした。言われた事は、きちんとクチの奥…と言うよりも、鼻の奥を縦に開いて発声する事。フレーズの頂点や最後の音が下がり気味なので、きちんと注意する事。腹筋は、声よりも先行して動かす事…くらいだったかな?

 さっそく曲の練習に入りました。まずは二重唱の「A Dutiful Wife/従順な妻」からです。

 この曲は、やっぱり歌うのは難しいです。最初の難点はテンポです。どういったテンポで歌うべきなのか…実は先生もお悩みなのです。インテンポで歌うべきか、揺らすべきか、速いテンポで歌うべきなのか、ゆっくりめで良いのか。実はたくさんの音源を聞いても、特に共通点はなく、各自それぞれの歌い方をしているので、私たちは私たちなりに考えて歌いましょうって感じになるわけです。でも、テンポを自分たちで考えながら歌うってのは、やっぱり難しいね。

 原則的には、テンポ自体は速くてもゆっくりでもいいけれど、やはりインテンポで歌うのではなく、適宜、たとえ楽譜に指示はなくても、フレーズの流れに合わせて揺らして歌った方が良いだろうって事です。カチっと歌ってしまっては、オペレッタの良さが死んでしまうし、終始オシャレに歌うべきって事です。フェルマータとテヌートを一杯入れて歌うのが吉なんだそうです。

 まだ暗譜が不十分って事もあるのだけれど(大丈夫か?)、歌詞に注意しながら歌うと音程が甘くなり、音程に気をつけて歌うと歌詞が飛ぶという状況です。今現在、歌詞を暗記している真っ最中なので、基本的には歌詞に気をつけて歌っているのですが、ハモリの箇所は、やはり音程もある程度ちゃんとしていないといけないので、なかなか難しいですね。

 つまり、練習あるのみ。歌がクチに馴染まなきゃダメっすね。

 次はソングの「Maxim's/マキシムの歌」です。

 やりたい事をきちんとやる…これが先生のアドヴァイスです。そのためには、私の意図がしっかり観客やピアニストさんに伝わないといけないのです。では、歌手の意図をテクニカルに歌で伝えるには何をしたら良いでしょうか?

 まずはブレスです。ブレスの間(ま)やブレスの速さや深さで、次のフレーズのテンポ指示をします。歌っている最中のテンポチェンジは、実際の速度を変化させるよりも、速く歌いたければ、マルカート気味に歌い、ゆっくり歌いたければレガート気味に歌う事で、歌手の意図が観客やピアニストに伝わるのです。指揮者がいるわけではないので、このような手段でテンポの変化を伝えるわけです。これがうまく出来ないと、歌手の独りよがりな歌になってしまうし、観客もピアニストも歌手について来られなくなるって寸法なのです。

 この曲、酔っぱらいの曲なので、当初は泥酔の演技を加えながら歌おうかなって思ってましたが、会場の舞台がミニサイズ(10m×5mで真ん中にピアノを置きますので、本当に狭いのです)で、泥酔して歌うと舞台から落ちる可能性もあるみたいなので、酔わず歌う事にしました。それに酔っ払いながら歌うというのは、音楽的に言うと、ポルタメントを多用して歌うって事になり、歌う難易度がちょっと上がる事もあるので、まあ、暗譜に苦労している現状もあるので、今回は酔っぱらいはパスです。なので、今は衣装で工夫して歌おうかって考えているわけです。

 それにしても舞台も狭いけれど、会場自体も小さいので、普段通りの声で歌ってよいのか…も悩んでます。小さな会場で、バカデカい声で歌っても…ねえ。お客さんも不快だろうし、ガンガン響きすぎちゃうと、却って歌いづらいし…ねえ。やはり、会場はある程度大きい方が良いのよ…と愚痴ってみる私でした。

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2017年9月 3日 (日)

貧乏人ほど太っている…?

 私が子どもの頃は、今ほど太っている事のイメージって悪くなかったです。

 例えば、学校で一番太っている子が、全校朝礼などで、健康優良児として表彰されていました。今じゃ、健康優良児なんてのが表彰される事自体ありえないし(だって障害者差別!って言われかねないじゃん)、第一、太っている子が“健康優良児”だよ。今なら、ただの“肥満児”なのに、昔は健康優良児だったんですよ。

 その残滓が、ドラえもんのジャイアンじゃないかな? 彼、よく見ると、肥満体型でしょ?

 子どもだけでなくオトナのイメージでも、太っている事は良いイメージでした。

 例えば、太ったオジサンは、それだけでなんか立派に思われていました。お金持ちのイメージがだいたい、太ったオジサンだったしね。女性も、やせた人よりも、小太りぐらいで、腰がパンと張っているような人が、美人として、もてはやらされていた…と思います。

 少なくとも、太っている事が美徳で、ヤセている事は貧相であり、みっともないと思われていた時代があったわけです。

 昭和だよね、20世紀だよね。

 それがいつしか“デブは病気になりやすい”“デブは自己管理能力がない”“デブはかっこ悪い”と言われて、太っている事は悪徳であるかのように言われるようになりました。

 デブ差別じゃね?

 まあ、確かに肥満によって引き起こされる病気ってのはあるわけで“デブは病気になりやすい”は正解と言えば正解だけれど、じゃあヤセていれば病気にならないのかと言えば、それは違うわけで、ヤセていても病気になる人は病気になります。

 糖尿病なんて、デブの病気のように思われているけれど、別にヤセていてもなる人は糖尿病になるわけで、デブの方が糖尿病のリスクが、とっても高いだけの話です。

 逆に、結核はヤセているほど罹患率が高くなることが分かっています。つまり、デブは結核にとっても成りづらいのです。結核も死に至る病です。ちなみにエイズはデブほど罹患率が高いんだそうです。結核もエイズも伝染病ですが、原因が菌とウィルスの違いがありますが、それは関係するのでしょうか? よく分かりません。

 まあとにかく、だいたい人と言うのは、病気になって死ぬ場合、最後はたいていヤセて、骨と皮のようになって死ぬわけで、病気になって太って死ぬ人というのは、例外的な存在なわけです。それを以てしても、人間、ある程度太っていた方が良いと思います。もちろん、ある程度であって、極端なデブは極端なヤセ同様にダメなんだけれどね。

 さて、とにかく現状を受け入れるならば、デブはダメ…は、先進国ではほぼ常識です。日本も先進国ですから、デブはダメです。でも経済的に貧しい国や地域では、デブよりもヤセの方がダメです。某北の国の首領様がデブデブなのは、デブは素晴らしいという価値観の地域の首領様だからです。つまり、あの国は先進国ではない…貧しいって話です。

 言われてみると、私の子どもの頃の日本は、まだまだ貧しかったです。某北の国ほどでは無かったけれど、やっぱり貧しかったわけです。

 例えば、1950年代の日本人の一人あたりのGDP(国内総生産)は2000ドル程度であり、現在は34000ドル程度だそうですから、単純計算すると、17倍も豊かになっています。すごいね。2000ドル程度の豊かさと言えば、現在のベトナムがそのくらいですから、当時の日本は現在のベトナム程度の豊かさだったわけです。ベトナムをどうこう言うつもりはありませんが、先進国ではないし、暮らせないほど貧しくは無いとしても、決して豊かとは言えない人々が大勢暮らしている国であります。

 そのくらいの経済レベルだと、貧しい人はたいていヤセていて、豊かな人は太っています。確かに昔の日本は、そんな感じでした。

 でも、現在の日本は先進国だし、いわゆる先進国と言われる国々では、逆に貧しい人は太り、豊かな人ほど均整の取れたカラダをしています(決してヤセてはいません)。

 なぜ、そうなるのか言えば…食事の影響でしょう。

 貧しい国では、貧しい人は食事に事欠く事が多く、結果として太れません。豊かな人は逆に過食気味となり太ってしまいます。

 一方、先進国では、いくら貧しいと言っても、食事に事欠くほど貧しい人は、ほぼいません(つまり日本には貧困が、ほぼ存在しないってわけです)。ただし、貧しいゆえに、炭水化物や脂質に偏った食事(ジャンクな食事ですね)を取りがちになります。と言うのも、炭水化物や脂質に偏った食事って安価なんですよ。安い金額でお腹いっぱいになるわけです。豊かな人たちは、タンパク質や野菜を中心とした食事を取ります。これらの食事は栄養バランスが良いけれど、安価ではないので、経済的に豊かでないと、食べ続ける事ができないのです。よって、先進国では、貧しい人は太り、豊かな人は均整の取れたカラダを持っているわけです。

 って事は、貧しい国の金持ちってのは、先進国の貧乏人と、食生活的にほぼ一緒で、だから両者ともに太っている…と言えるのかな? ならば、某北の国の首領様は、日本のボンビーな人々と同じような生活レベルの方…って言えるかも(笑)。

 ちなみに、私が太っているのは、王侯貴族のような食生活…ただし、某北の国の首領様程度ですが…をしているから、太っているんでしょうね。ケケケ…。

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2017年9月 2日 (土)

2017年フルート合宿 その5 本日も音源あります

 ソロの発表会は三日目の夜で、その日の宴会は(まだ四日目を残しているものの)最後の宴会&反省会ということで、それぞれ今までの合宿の思い出と反省を語り、先生からのプレゼントをいただきました。

 自分の反省を言った順に、用意されたプレゼントを選んで持っていくというやり方でした。私は、自分の反省(ステージには魔物が棲んでいるって話)をして、クリーニングクロスをいただきました。ムラマツ製の高級クリーニングクロスです。今まではアルタスからいただいたメガネクリーナーを使っていたのだけれど、これもだいぶ汚れてきたので、ちょうど良いので、交換する事にしました。

 そのうち、フルートスワブもグレードアップしたようだから、交換しようっと。

 さて、今回はフルートアンサンブルの話をします。

 フルートアンサンブル。実は誰がメンバーなのかは、合宿当日までは知らされませんでした。それも合宿初日はまだ知らされず、合宿二日目の昼食の時にメンバーの発表がありました。つまり、アンサンブルの練習は、二日目の午後から始まり、四日目の午前中の発表会に備えなきゃいけなかったのでした。

 事前に与えられたのは、自分のパート譜だけ。ですから、腹をくくって、合宿に行ってから練習をするか、楽譜はアリアリのものだろうから、どこかで音源を見つけて、それで練習をするか…の二つに一つぐらいしかないだろうと思ったのです。

 で、私の取った道は…音源を探して、それで練習をするって方法です。もちろん、全く同じ楽譜を使ったものがあるとは期待していませんので、細かなアレンジの違いは無視して、せめて調性と小節数が同じモノがあれば、それで我慢しようと思いました。

 で、あれこれYouTubeの音源を漁って見つけたのが、この演奏でした。

 この演奏、実はフルート8重奏で、おそらく我々と同じ譜面を使いながらも、1パートを二人で吹いて、パートごとの音を補強しているのではないかと思いました。なので、この演奏をMP3にダウンロードして、iPodに入れました。で、ひたすら、この音源に合わせて、自己練習に励みました。

 だって、ほら。アンサンブルって、まず自分のパートを完璧に吹けなきゃダメでしょ? で、自分のパートだけが完璧に吹けても、他の人たちと合わせられなきゃダメでしょ? それには自分のペースだけで演奏できてもダメで、他の人達と合わせられなきゃダメでしょ?

 ってなわけで、散々、この音源に合わせて練習をしました。もちろん、合宿が始まってからも、iPodを持ち込んで、この音源に合わせて練習をしました。

 そうやって、自分のパートは、ほぼ完璧。音源に合わせてもOK。後は、生きている人間と合わせれば、なんとかなる…ってところまで仕上げておきました。

 で、ようやく、アンサンブルメンバーの発表です。

 1stを演奏するのはFJさん。マダムな方で、9Kのフルートの方です。ソロの演奏を聞く限りでは、なかなかフルート上手の方のようですが、どうやらアンサンブルの方は練習不足のようでした。おそらく、事前に音源等に合わせて練習するか、合宿に行ってから練習するかの選択で、後者を選んでしまったようでした。まあ、私も適当な音源が見つけられなかったら、そうなっていたかもしれないので、FJさんの事は責められません。

 とは言え、指揮者のいない状況で、担当しているのが1stなんだし、はっきり言っちゃえばメロディ担当なんだから、他人の様子などうかがわずに、我が道を真っ直ぐに進んでくれれば、後は我々がそこについていくだけなんだよね。でも、どこか遠慮があるのか、すぐに我々の様子を見てしまうし、演奏も割と止めがち…。つまりは自信がないってわけです。練習不足で自信がなければ弱気になるのは当たり前っちゃあ、当たり前なんだけれど…。ああ、カラ元気でもハッタリでも良いので、一発カマしてくれればいいのになあ…と何度も思ってしまいました(でもクチには出さなかったよ)。

 ま、私だって同じ立場に置かれたら同じような事をしでかしていただろうから、FJさんの事ばかりを責めるわけにはいきません(汗)。

 2ndを吹いたのはSWさん。この方もマダムで9Kの人です。この人は、とっても良い人です。周りにちゃんと気を配ってあげられる人で、それゆえに2ndを任されたのかなって思いました。フルートに関しては、とても熱心な方で、黙々と練習をしていくタイプの人です。ただし、指は私と同じで、あまり回らないタイプです。あと、ちょっとやっかいな持病を持っているので、その対策をしながらの合宿参加で、そういう面で大変な思いをされていました。私と一番気の合った方です。

 4thのIAさんはハイアマチュアの人で、このグループのリーダ兼コーチって感じの人です。とにかく、どのパートも初見でほぼ完璧に吹ける人です。この人がいるから、このグループがなんとかまとまっている…って感じです。実際、H先生がトラとして、あっちこっちの団体に派遣しているくらいの腕前の持ち主なのです。そりゃあ頼りになるわな。で、先生から総譜を預かっていた人で、アンサンブル全体の音楽作りの責を負ってました。

 この3人に私を加えた4人でアンサンブルをしました。

 実際の練習は、なかなか大変でした。しかし、最初の顔合わせの時に、たまたまH先生がいてくださったので、指導をお願いしました。アンサンブルの最初の最初の部分をH先生の指導で積み上げる事が出来たのはラッキーでした。最初が我々だけだと、案外、空中分裂していたかも…。とにかく、指揮者がいて、その元でのアンサンブルって、ほんと、楽なんです。

 だから、2回目以降の練習では、当然指揮者不在で、互いの音を聞きながら合わせていくのだけれど、これが結構ムズカシイ。と言うのも、誰かの音を聞きながら演奏していても、その誰かが落ちちゃえば合わせられないでしょ? こんなエラそうに書いている私も、案外、ボロボロ落ちてました。低音のドなんて、簡単に出ないよ(笑)。で、誰かが落ちると、それを頼りにしていた別の人が落ちて、その連鎖反応で音楽が止まりそうなってしまうわけです。でも、音楽は止めちゃいけないわけだから、何とかみんなして繋いでいっても…肝心のメロディが止まっちゃうと…音楽は止まらざるをえないわけで、それの繰り返しが何度もありました。

 他人の事など無視して、自分さえきちんとテンポをキープして演奏しつづければいいじゃん…と思っても、実際は他の人とのフレーズのやり取りとかあるわけで、そのフレーズを受け取らないと次に進めなかったりもするし、曲中、何度もテンポが揺れたり、小さなブレイクがあったりするのだけれど、その時のきっかけを吹く人が止まっちゃうと、やっぱり音楽は止まっちゃうわけで…、いやあ、アンサンブルって、ある意味、ソロよりもムズカシイんだわ。

 それでもやがて練習を重ねていくと、ここは○さんは落ちやすいけれど、△さんは確実だから、△さんの演奏に合わせ、ここのテンポが緩むところは、◇さんのテンポに合わせて…とコツと言うか、このグループの癖のようなモノが分かってきて、だんだん音楽が止まらなくなっていきました。

 で、どうやら止まらずに最後まで通せるようになったあたりで…発表会がやってくるわけです。実に図ったように良いタイミングでやってくるわけです。

 アンサンブルの発表会は、最終日の午前中です。全部で7グループのうち、我々の出番は5番目でした。で、演奏はこんな感じとなりました。アンダーソン作曲の「ワルツィング・キャット」です。

 ほらほらそこの人! 最初にアップした音源と比べちゃダメですよ~。

 ちなみに私は3rdなので、音源を聞いても、どこを私が吹いているかなんて、きっと分からないと思います。それくらい地味なパートを地味に演奏しております。で、そんな地味なパートを、地味に落ちたりミスったりしています。ああ、本当に本番に弱いなあ…。練習では割りと完璧に近い形で演奏できたのになあ…。ああ、残念。

 という訳で、2017年度のフルート合宿は終了です。今回が40回目の記念の合宿で、先生はこれを機会に、フルートの指導から引退して、合宿も辞めちゃおうって話をしていましたが、どうやら引退撤回、来年も野尻湖で合宿をする…みたいです。いやあ、ひとまず良かった良かった。まあ、私自身、来年参加できるかは、全然未定なんだけれどね。

 それにしても、先生が引退すると聞いた時、私は「じゃあ私もフルートを引退します!」って引退宣言をしました。だってね、H先生の後、別の先生に付いたとしても、どうしたってH先生と比べちゃうじゃないですか? それは新しい先生に失礼だし、自分自身も残念だし…。そうなると、H先生の後は、自学自習に励むしかなくなるけれど、そんな事をしても続くわけないし…そうなると、自然とフルート引退って事になるわけです。

 ひとまず、今年のフルート引退は(私も先生も)ないようなので、安心しました。

 ってなわけで、明日からは通常運転に戻りますよ。よろしくね。

蛇足 今回はスーツケースを宅配便で送るのを止めて、エッチラオッチラ自分で転がして行ったのですが…それのせいもあるのかな? 結局、スーツケースを壊してしまいました。車輪が一つ破損、さらにハンドルがグラグラになってしまいました。なんだかんだ言って、10年くらい使っていたものなあ…。で、このスーツケース、少し小型で使い勝手が良いので、廃棄せずに修理をすることになりました。修理代金は…新規購入ぐらいかかります(何やってんだか!)。でも、修理完了まで時間がかかり、とても発表会までに間に合わないし、少々容量的な不安もあるので、もうひと回り大きいスーツケースも買うことにしました。今度は簡単に壊れないように…って事で、ブランド物を購入したので、結構かかってしまいました。ううむ、お金のことだけを考えるなら、自分でスーツケースを転がしていくよりも、やっぱり宅配便をお願いしたほうが安価だったな。

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2017年9月 1日 (金)

2017年フルート合宿 その4 音源あります

 フルート合宿の話が続いていますが、合宿中、皆さんがクチを揃えて「困ったなあ…」と言っていたのが、実はトイレでした。ホテルのトイレ、どこにもウォシュレットが付いてないんですよ。いやあ、参りました。ほんと、参りました。と言うよりも、自分がいかにウォシュレットに馴染み、ウォシュレットを頼って生きてきたのかを実感しました。

 こんな私、海外旅行には、絶対に行けないなあ…。

 一方、クチを揃えて「いいねえ」と言っていたのが、お風呂です。お湯が良いんですよ。

 風呂は温泉ではなく、鉱泉でした。つまり、冷たい温泉ね。地下水を沸かしたお風呂なんだけれど、このお湯が実に良いのですよ。24時間いつでも入れるというサービスも良いのですが、やっぱりお湯がいいと、旅はそれだけでもツーランクアップです。お湯の良い宿は良い宿なのです。

 しかし、若い時はお湯の良し悪しも分からなかったくせに、ある時を境にお湯の良し悪しにこだわるようになるとは…年を取ると、あれこれ趣味がかわるものですね。

 それにしても、野尻湖は暑かったですよ。昨年のH先生は熱中症で倒れる一歩手前でしたからね。今年の私、クチすっぱく何度も先生に「水分補給!」と言い続けたおかげで、H先生は合宿中、ずっと元気でしたよ。

 さていよいよ、フルートソロの話をしましょう。

 合宿中、H先生のレッスンは、基本的に一日一回でした。人によって、まだまだ仕上がっていないため、午前と午後と一回ずつレッスン受けている人もいましたが、私はまあまな仕上がったいたため、レッスンは一日に一回。それもフルートのレッスンではなく、ピアノ合わせのレッスンをしました。それだって、初回でばっちり合わせられましたので、それほどビッチリとしたレッスンは受けませんでした。

 最初のレッスンこそ、ピアニストさんと互いに様子見で遠慮しながら合わせたのですが、初回でピアノの動きもだいたい分かったので、二回目のレッスンでは、私の方からもピアニストさんに注文を出すなどして、普通のピアノ合わせをしました。ですから、三日目のレッスンの時は、本当にバッチリだったし、フルートはノーミスで吹けたので、バッチリバッチリという感じに仕上がりました。

 今思えば、この時の演奏がベストな演奏だったのだと思います。この時のレッスンの様子を録音しておけば良かったのに…と後悔しても始まりませんね。

 で、発表会は三日目の夜に行われました。

 ステージには魔物が棲んでいるとは、よく言ったものです。本当に私、魔物に食われちゃいました。三日目の昼間の練習では完璧に吹けていたのに…ああ、残念。

 ステージの登場順は5番目でした。昨年は一番初めだったので気が楽だったのですが、今回は初参加の人が4人もいるので、私は5番目なんですね。で、別に楽屋があるわけでもないので、自分の順番まで、客席で他の人の演奏を聞いて、自分の番になったら、客席から舞台に行って、そのまま演奏して、客席に戻る…という手配になっていました。

 別に緊張しているつもりはなかったのですが、自分の演奏を控えて、客席でじっと順番を待っているというのは…あまり心臓には良くないのかもしれません。少なくとも、あまりリラックスはできませんものね。

 最初の4人が終わって、私の順番になりました。少し軽口を叩いて、自分と客席の緊張を取った(つもり)の後、やおら演奏に入りました。この時の演奏が以下のものです。

 曲目は、ヘンデル作曲の「ラルゴ」です。いわゆる「オンブラ・マイ・フ」です。

 大きなミスだけでも2箇所、細かいミスはそれこそ数え切れませんでした。

 今思えば、出だしの音が、ちょっとカスって、すぐ音にならなかったのですが、ここで、ちょっぴりパニクってしまったのかもしれません。出だしに失敗して、うろたえて、後は立ち直る暇もなく、そのまま演奏に流れ込んでしまって、メタメタになってしまった…という感じで…。とにかく、野尻湖にやってきて、一番不出来な演奏がこの本番の演奏でした。

 ああ、本番に弱いなあ…(涙)。おまけに最後の最後は、作曲までしちゃっているし…。とにかく、音楽を止めなかったという事だけだね、褒められる箇所は。

 穴があったら、入りたい。

 でも、そんなに恥ずかしい演奏でもアップしてしまうのが、私なのでした。だって、日頃、ブログでエラそうな事ばかり書いている私ですからね。そんな私の実力はきっちり披露しておかないと、フェアではないですからね。恥をしのんで、全世界に公開です。

 というわけで、本日はメンタルへのダメージが強いので、ここまでです。アンサンブルの話などは…明日アップします。

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