ひとこと

  •  なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。

お知らせ

  • ●クラシックコンサートのお知らせをします。●10月8日(日)、茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部の開演は15時20分となっています。●私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。●入場料は無料の千客万来系のコンサートです。ただし、例年までは市民文化会館で行われていましたが、今年は工事中となって、古い公民館系のホールで行われます。●会場的には、古くて小さい上に設備的にも??がつくような会場で「ここで歌うのはヤだな」という理由で、多くの方々が参加を取りやめたというほどの会場です。私も、練習で使用するならともかく、ここに人を招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、会場までお越しいただく事は望んでいませんが、もしよかったと、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただくと感謝です。
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2017年7月の記事

2017年7月31日 (月)

絶対に今の方が、暑い…と思います[2017年7月の落ち穂拾い]

 毎日毎日、暑いですね。日差しが肌に刺さります。水分が体内からドンドン抜けていくのが分かります。冷房の無い場所には、5分と居たくないです。

 私が子どもの頃の夏って、こんなに暑かったかな? 昔の夏って、今よりもだいぶ涼しかったと思うよ。なにしろ当時は、熱中症ではなく熱射病…つまり、日陰とか屋内とかは安全で、直射日光が当たる屋外だけが危険だったわけだからね。ところが今は、屋外はもちろん、日陰でも屋内でも熱中症で死人が出るんだから、本当に暑くなってんじゃないのって思います。

街の音楽の先生のタイプ

 隣の芝生は青く見える…と言う訳で、友人が習っている先生って、たいていスゴイ先生に見えるわけです。それに較べると、今私が習っている先生は○○が××で、△△が※※で…とか文句を言っちゃう人もいますが、人生いろいろ、先生もいろいろなわけで、その先生ごとに得意な分野とか苦手な対象とかあるわけです。

 確かに、先生によって腕の差と言うのは、確実にあるけれど、少なくとも数名の生徒を集めて、何年も教室経営を維持できている先生ってのは、何らかのウリがあって、先生としての十分条件を備えていると言えるでしょう。

 ちなみに、ウチの先生は、本人は謙遜しちゃうだろうけれど、声楽教師としてはなかなかの腕前だと(私は)信じてます。少なくとも、私は門下を移動して以来、すごぶる上達していますからね。私がいい例です。

 街の音楽の先生の難しいのは、免許制でない事と、生徒の質もてんでバラバラだと言う事です。免許制の事はよく書くので、今回は生徒の質に注目してみると…。

 例えば、先生が一流の演奏家だとしても、習う方の我々がド素人で、先生のスゴさの1/100も感じられないとしたら、レッスン代ばかりが破格で、何を言っているのか分からない、いい加減な教師として目に映るかもしれません。実際、その先生から我々が得るものなんて、あまり無いかもしれないしね。でも、そんな一流の演奏家ならば、一流を目前とした若手プロ音楽家ならば、その先生から、多くの事を学べるでしょう。

 むしろ我々のような趣味のオジサンオバサンには、演奏家としての腕前よりも、オジサンオバサンの扱いに慣れた、アマチュアの指導経験豊富な手練な先生の方が良いと思います。

 例えるならば、学校の先生かな? 学校の先生と言っても、小学校の先生と大学教授では、それぞれ求められる資質が違うでしょ? 街の音楽の先生と言っても、タイプはいろいろと、得意とする生徒の層も違うわけだし、ましてや、先生と生徒の相性だってあるわけです。自分に合わないから、即ダメな教師とは言えないし、自分の大好きな先生が、誰にとっても素晴らしい先生であるとも限らないわけです。

 街の音楽の先生のタイプにも、いろいろあるって話です。

演奏する場がなければ

 さて、音楽教室に通いながらも、そのお教室の規模が小さいと、発表会が無いという事もしばしばあります。それもウリの一つだし、発表会がないからその教室に入りましたという人もいるぐらいですから、一概に発表会をしないからダメとは言えないと思います。しかし、人前での演奏のチャンスが無いというのは、なかなか寂しいものだし、練習も良いけれど、本番を経験する事で大きく成長する事だってあるわけです。それに、発表会が無いとは知らずに、その教室に入ってしまって、いまさら「発表会が無いなんてー!」とビックリしている人だっているでしょう。

 まあ、無いなら無いで仕方ないです。ならば、発表会以外に、どうやって人前で演奏するチャンスを作るかです。

 アマチュアの我々であっても、発表会以外で人前で演奏するチャンスって、いくつかあると思います。

 1)市民文化祭に参加するのはいかが? 大抵の市町村で、秋になると市民文化祭のようなものが開催されます。で、たいていクラシック音楽部門があるので、そこに出演希望を出してみるのはいかがですか? 私の地区のように、誰でも自由参加という緩い市町村もあれば、事前にオーディションをして合格しないと出られないところあるそうですが、まずはチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

 2)やっぱり先生に相談してみる。お教室での発表会がなくても、先生のお知り合いの別の先生の教室の発表会に混ぜてもらえたり、近所のアマチュアの人たちが集まって歌う場を教えてくれたりします。蛇の道は蛇なんです。

 3)最近はどうなのかな? 以前はよく、ミクシィあたりで、定期的に自由参加の発表会や練習会が行われていました。私もヴァイオリンの練習会に数回参加した事があります、面白かったですよ。当時は、声楽の発表会もあったんですが、今でもやっているのかしら? フルートの発表会は…どうなんだろ?

 4)自分で演奏会を主催してみる。私の知り合いが、これをやってます。なんかスゴイパワーなんですが、自分が主催者ですから、一番美味しいところを持っていけるんで、なんか病みつきになるみたいです。演奏する場がなければ、自分で作っちゃえ…は乱暴だけれど、正しいやり方なのかもしれませんね。

 こんな感じでいかがでしょうか?

ノドの脱力

 すべての人の歌声は“ノド声”ですけれど、声における“響き”の割合を多くして、ノドを守りながら歌えればいいと思ってます。

 ノドの脱力は、それだけを考えると難しいです。それにノドを本当に脱力しちゃったら声は出ませんし、声を出せるようにしながらノドの脱力(と思しき行為)をすると「カラダを使ってない」って言われるわけで…難しいです。

 私が思うに、ノドの脱力に集中するから、ノドの脱力が難しいのであって、ノド以外の部分に意識を向けることで、自然とノドへの(思いが薄くなり)負担が軽くなるんだろうと思います。例えば、今の私は、ノドの脱力ではなく、腹筋をグイグイ動かす事と、口腔内の容積をマシマシにすることに集中していますが、これが結果的にノドの脱力につながっていると思います。

今月のお気に入り ジェックス コードレスデジタル 水温計

 観賞魚用の外付けの水温計なんですが、これ、いい感じです。まあ、水槽内の水温を水槽外からガラスを通して測定しているので、センサーを直接水槽内に入れるタイプと較べると、どうしても測定の正確さでは劣るだろうけれど、そんなにシビアなことを求めているわけではないので、まあ、私的にはそれも許容範囲かなと思ってます。

 ネットの情報では、室温と水温の差が激しい時は、水温が室温の影響を受けやすいという事です。つまり、夏は部屋に冷房を入れるので、実際の水温よりも低めに表示され、冬は部屋に暖房を入れるので、実際の水温よりも高めに表示されるってわけですね。ただ、高め低めと言っても、せいぜいが±2度くらいの話のようですから、そのあたりの誤差を頭の中に入れておけば、問題無いと思います。

 そんな事よりも、センサーを水槽の中に入れずに済む事の方が、何かと楽で良いです。

今月の金魚

 2017年7月25日(火) タニシ150匹、到着。今年のタニシたちは、地元産ではなく、はるばる遠くの四国産の子たちです。元気いっぱいです。

今月のひとこと

 まもなく7月になります。なんか今年も、もう半年が過ぎようとしているんだなあ…と思うと、ほんと、時の流れを速く感じます。(2017年6月29日~7月2日)

 7月になりました。夏から秋にかけては観劇のシーズンなんだよね。あちらこちらで色々な舞台が行われる。ああ、楽しみ。(2017年7月2~9日)

 実は私、胃潰瘍になりました。軽度の胃潰瘍なので服薬治療をしておりますが、私の胃袋にはピロリ菌もゴチャマンといるらしくて、なんともイヤンな気分です。まあ、ここ数年、仕事上のストレスがチリツモで胃を痛めてしまったようなのです。歌ったり、笛を吹いたりしているから、この程度の潰瘍で済んだんだろうなあと思うことにしています。音楽やっていなかったら、もっと重度の胃潰瘍とか腫瘍系の病気になっていたんだろうなあ…と思ってます。ふう。(2017年7月9~11日)

 ブログ村のランキングに老犬ブログが反映されていない…。別にランキングのためにブログをやっているわけじゃないけれど、せっかく記事をアップしているのに、取りこぼされて、無視されているのは、気分的にかなりイヤ。おそらく、サーバーが止まって、その間の情報を紛失してしまったのだろうけれど、いつまでも復旧されないし、今更復旧されても、すでにログ的には遠い彼方になってしまっているから、お知らせの意味もない。なんとも、やるせない。納得いかない。ああ、寂しい。(2017年7月11~12日)

 毎日暑いです。これで梅雨がまだ明けていないなんて…とても信じられません。(2017年7月12~18日)

 今日は、湘南地方にも集中豪雨が降りました。台風よりも激しい雨風なんて、なかなか経験できません。幸い、短時間で終わり、大きな被害なく済んだようですが、これが長時間続くと、テレビで報道されているような事になるのだなあと思いました。被災された方々にお見舞い申し上げます。(2017年7月18~20日)

 梅雨があけました! いよいよ夏です! 毎日…暑くなるんだろうなあ…、カラダ、もつかな(涙)。(2017年7月20~22日)

 昨今話題のフェイクニュースですが、日本語で言うところの“虚偽報道”であり、簡単に言っちゃえば“デマ”とか“嘘”です。でも、こんなフェイクニュースですが、コロッと騙されちゃう人も大勢います。イギリスがEU離脱を決めた国民投票だって、多くの人がフェイクニュースに騙されて、うっかり離脱を決めちゃったわけだし、アメリカ大統領のトランプ氏が選ばれたのだって、フェイクニュースのおかげとかじゃないとか…? 諸外国ではネットを中心にフェイクニュースが流れますが、日本では新聞テレビなどを通じて、堂々とフェイクニュースが、さも真実っぽい顔して流れてしまうから手におえません。朝日新聞の従軍慰安婦報道なんてフェイクニュースもいいところだね。あと、マスコミの伝家の宝刀“報道しない自由”を駆使する事によって、真実を隠蔽し、世論を自分たちの都合の良い方向に誘導するのは、フェイクニュースとは違うけれど、フェイクニュースよりもたちが悪いと言えば、たちが悪いのです。マスコミには、両論併記のカタチで真実をのみを報道してもらいたいものです…が、無理っぽいですね。(2017年7月22~25日)

 毎日毎日暑いですね。3年後の今頃は、東京でオリンピックをやっているわけなんだけれど、こんなに暑い中でオリンピックなんてやってい良いのかな? 特に野外でやる種目は、選手はもちろん、観客の健康だって心配です。マラソン…死人は出ないか? マジで心配です。日本の夏の昼間に野外スポーツなんて、そんなクレイジーな事は高校野球だけで十分でしょ? アメリカのテレビ局の都合(番組改編期にオリンピックの中継をやりたいだけなんです)でオリンピックの開催時期が決まるんだけれど、日本の東京でオリンピックをやるなら、本当は5~6月あたりの、花粉症が終わったあたりの春が気候的には良いよね。夏は暑すぎるし、秋は台風とかゲリラ豪雨とかがあるし、冬は寒すぎるからね。まあ、日本の都合とか、選手や観客の健康なんて、アメリカのテレビ局には関係ないから、やっぱり真夏の東京でオリンピックをやるんだろうね。(2017年7月25~28日)

 朝※新聞という会社には“反省”と概念があるのだろうか? 慰安婦問題では虚偽報道を散々繰り返して、日本と日本人の国際的なイメージを徹底的に悪くした前科がある会社なんだけれど、今現在は、一生懸命、加計学園問題でキャンペーンを張っています。この問題、愛媛県前知事の加戸守行氏の証言を聞く限り、おかしな事を言っているのは、前文科事務次官の前川喜平氏の方だと、明白に分かるんだけれど、肝心の朝※新聞は、加戸氏の証言を取り上げずに前川氏の発言ばかりを取り上げて、問題を煽りに煽ってますが…事実を伏せて、自分たちのシナリオに沿った報道をするのって、すでに虚偽報道のレベルに達しているんじゃないかしら? 憲法改正を阻みたいから、本当になりふり構わずな、朝※新聞です。ちなみに“メモ”って言葉は、漢字表記をすると“怪文書”なんだぜ、つまり『出所の分からない、第三者が何らかの意図をもって用意した怪しい文書』って事なんだよ、知ってた?(2017年7月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2017年7月30日 (日)

冷やし中華は、お好きですか?

 私は麺好きです。特にラーメンが好きです。でも、ラーメンは基本的に熱い料理なので、夏場に食するのは、ちょっと勇気がいります。

 そこへ行くと(日本)そばは良いですね。基本の食べ方が、ざるそばとか、盛りそばなどの“つけ麺”ですからね。暑い夏でも美味しくいただけます。また、最近は汁を冷やした“冷やしそば”というメニューもあります。最初は「どうかな?」と思ったのの、そば汁は冷やしてもイケますね。

 うどんもそば同様の夏のラインナップがあって、うどんはうどんで、夏でも美味しくいただけます。

 で、私の好きなラーメンですも“冷やしラーメン”という料理がありそうで…無いですね。一部の地域では、冷やし中華の事を“冷やしラーメン”と呼んでいたり、また別の地域では、ローカル料理としての“冷やしラーメン”があるそうですが、全国的な普及には至っていないし、私も食べたことはありません。

 ちょっと考えてみると、冷やしラーメンって、難しい料理だと思います。と言うのも、ラーメンのスープって、動物性の油が大量に入っているじゃないですか? だからスープを単純に冷やしてしまうと…油が固まってしまって、とても食べられる状態にはならないわけです。だからと言って、油を取り除いてしまうと…スープの旨味が消えて、ラーメンとは別の料理になってしまうわけです。

 だからラーメンの場合は、単純に冷やせばいい…とはならなかったのだと思います。そこで色々と工夫を重ねて出てきたのが、冷やし中華なんだと思います。

 冷やし中華…日本の夏の代名詞みたいな料理ですね。私も子どもの頃は、結構食べました。店でも食べたし、母の手作りでも食べました。正直、料理として美味しいのかと言われると「人、好き好きだね」としか言えないかな? と言うのも、冷やし中華のタレって、あくまでもタレであって、酸っぱいばかりで旨味が無いんですよね。そこが好き嫌いが分かれるポイントかなって思います。食事にアクセントを加える副食だったら問題ないのだけれど、主食で一品料理で…となると、結構厳しいものがあります。

 それでも子どもの頃は選択肢が無かったので、喜んで食べましたが、オトナになった今は、積極的に食べたいとは思いません。

 代わりに、夏のラーメンとして食べるのが、最近よく見かけるようになった“つけ麺”と“まぜそば”です。

 つけ麺は、かけそばや盛りそばのように、そばと汁が分かれていて、そばを汁につけながら食べる料理です。ただ、そばと違うのは、つけ麺の汁は基本的に温かいって事です。あと、通常のラーメンスープよりも、つけ汁の旨味が濃いって事も特徴でしょうね。正直、かなり美味しい料理です。

 一方、まぜそばと言うのも、よく見かけるようになりました。別名を“油そば”とも言うように、麺に油を主体としたタレをかけた料理です。このタレが、冷やし中華とは違って、旨味たっぷりなんです。イメージとしては、カップ焼きそばのソースの代わりに、味付けされた油を垂らして食べる…って感じでしょうか? 食べる時に、丼の中で麺と具材を混ぜ合わせるという作業が汚ならしくて、個人的には、ちょっと引いてしまうのですが、そこを除けば、なかなかに美味しい料理です。

 ちなみに、丼に食材を入れて、かき混ぜて食べるというのは、大陸系の食べ方なんだそうです。そう言われてみると、カツ丼も親子丼も牛丼も、ご飯に具材を載せて食べるけれど、それをかき混ぜてから食べたら…ちょっと周りから引かれますよね。たぶん、そういう事なんだと思います。

 ちなみに、私の場合、納豆を食する時は、たまにご飯と混ぜます…ってか、ご飯茶碗で納豆をこねた時は、後からご飯を入れるので、混ぜるしかなくて、やむなく混ぜて食べるのですが、たかが納豆でも、混ぜて食べるよりも、ご飯の上に載せて食べた方が美味しく感じるんだから、よっぽと混ぜて食べるのが苦手みたいです、私。

 さて、結論。夏にもラーメンを食べたい私ですが、やっぱり汗をかきながら食べるのは、ちょっと遠慮したいので、そんな時に食べるのは…最近では、圧倒的につけ麺ですね。つけ麺、美味しいです。まぜそばも決して嫌いじゃありませんが、麺と具材をまぜるのが苦手です。でも、冷やし中華は…だったら熱いラーメンを食べちゃうかもしれない私でした。

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2017年7月29日 (土)

今年はタニシを購入してみた

 毎年、真夏になると、知り合いの農家さんに話を通して、金魚水槽のためのタニシを譲ってもらっています。譲ってもらっていると言っても、店で買物をするような感じでは全然なく、私自身で半日かけて、知り合いの農家さんの田んぼに行って、ドロの中に手足を突っ込んで、100匹前後のタニシを、それこそ“泥だらけ”になりながら採取しているわけです。

 まあ、半日かけて知り合いの田んぼに行くのがイヤなわけではないし、泥だらけになりながらタニシを取るのも案外楽しいものです。ただ、面倒と言えば面倒だし、以前と違って、真夏でも毎日たっぷり仕事をしている身となると、限られた休日をタニシ採取に使うのがモッタイナイ気もしないではないのです。

 そこで今年はタニシを購入してみる事にしました。

 実はネットで、期間限定で格安のタニシを販売している業者を見つけました。1200円で50匹。一匹あたり24円とは、確かに安いです。タニシって、ネットで買うと、1匹100円前後がザラだものね。1匹100円なら、100匹で1万円ですから、私も頑張って田んぼで泥だらけになってタニシ採集に励みますが、1匹24円なら100匹でも2400円。それならお金で解決しようか…という気持ちになったわけです。

 販売業者さんは四国の業者さんのようで、郵送料が1000円かかります。だったら…って事で、奮発して、タニシを150匹購入する事にしました。だって、郵送料は50匹でも150匹でも同じだし、だったら、たくさん買った方が割安感がするでしょ?

 で、タニシが到着する当日、郵便局から電話がありました。タニシは郵便局のゆうパックで配達されたのですが、郵便局の言う事には「中の水が漏れて、箱がびしょ濡れになっています。配送元に連絡したところ、中の荷物はタニシという事なので、荷物が届いたら、すぐに中を確認して欲しい」と言うのです。で、中を確認して、OKならば、そのまま品物を受け取ってもらい、ダメならば、荷物を配送元に戻します…って事なのです。

 まあ、タニシだし、タニシってのは乾燥しても全然生命維持には問題ない生き物だし、ヤバイのは、たんぱく質が変性するほどの高温だけれど、一応、保冷車で運搬しているようだから問題ないだろう…と思って、のんびりしていたのだけれど、いつまでたっても配達されません。すぐに確認が必要だと連絡が入ったから、じっと自宅待機しているのに、全然来ない…とブツブツ文句を言ってたら、電話から約2時間後にやっと来ました。お、遅い。

 さて、荷物を検めました。箱の中にはパンパンに膨れたビニール袋に入ったタニシたちがいました。特に問題なさそうです。箱の中で漏れていた液体は、タニシたちを冷却するために、箱の中に入っていた氷が溶けて、氷が入れてあったビニール袋から漏れ出ただけのようでした。問題ありません。実際、タニシたちは元気でピンピンしていました。

 郵便局のお姉さん(若いお姉さんが配送してくれました、夜も遅い時間なのにご苦労様です)にお礼を言って、さっそくタニシをビニール袋から取り出して、ガシャガシャ洗います。

 出るわ出るわ…泥がこれでもかってくらいに出てきました。郵送されて、その間にカラダの中の泥も吐き出しているのでしょうが、それにしてもたくさんの泥が出てきました。

 水洗いをして、ある程度キレイになったところで、塩入れて更に洗うと…これまた、これでもかってくらいに泥がでてきました。面白いです。そこで、キレイな水に一晩つけて、さらに泥を吐き出させてから、水槽に入れました。

 みんな、元気です。いやむしろ、毎年私が田んぼから採取してくる子たちよりも元気かもしれません(なぜ?)。まあ、いくら元気でもすぐに金魚に食べられてしまうでしょうが、それでも最低1年はもって欲しいなあっと思いました。通販で買えるとは言っても、季節商品だから、今しか買えないしね。

 そんなわけで、今年はタニシを購入しましたって話でした。

蛇足 実はタニシと一緒に、アナカリス(水草)も一握りぐらい入っていました。サービスと言うよりも、郵送中のタニシの生命維持のためでしょうね。で、この一握りのアナカリスをこのまま捨ててしまうのは勿体ないので、よく洗って、金魚水槽に入れてみました。カボンバ(いつも入れている水草)ならば、すぐに飛びついてかじりつく金魚たちでしたが、アナカリスを見たら、みんな逃げて、水槽の隅っこに潜んでいたよ。見慣れないモノは水草でも怖いんだね。やがて、危害を加えないという事が分かると、そばに近寄って、突っついてみるけれど…どうも食べないみたいだね。アナカリスは食べものと認識されていないみたいです。金魚の意識の中では、ガボンバとアナカリスは明確に食べられるものと食べられないものとして区別されているようです。まるで、同じ貝なのに、タニシは食べるけれど、イシマキガイは食べないのと、同じ仕組みなのかもしれません。

 金魚の考えていることは、いまひとつ、分かりません。

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2017年7月28日 (金)

結局、アンダーソンになりました

 フルートのレッスンに行ってきました。それも大幅な大遅刻で行ってきました。ほんと、一瞬休んでしまおうと思ったほどに、時間的にアウトな感じでレッスンに行きました。

 実際、普段の時なら、レッスンお休みの連絡を入れてしまったかもしれない時間だったのですが、合宿(&発表会)も近いので、頑張ってレッスンに行きました。実は、色々と連絡事項を知りたかったからです。

 合宿まで、あと一ヶ月を切った状況ですが、実は今回、私、まだ合宿の要項をいただいてないのです。だから、合宿をどこでやるのか(たぶん、去年と同じ宿だろうと思ってますが)知らないし、もしも去年と同じ宿なら、足が無い(最寄り駅から宿まで路線バスはないし、徒歩では遠すぎて行けない)ので、宿の送迎バスを利用しないといけないのですが、その乗り合わせ時間とかも知らないし…ね。

 それにアンサンブルの楽譜も、さすがにそろそろ欲しいです。私、初見でアンサンブルできるほどの高度なフルート演奏能力があるわけじゃないですからね。

 と言うわけで、宿の送迎バスの件について、実にアバウトに教えてもらいました。まあ、地方も地方なので、そんなアバウトな感じでいいんだろうと思います。さあて、新幹線のチケットを買わないとなあ…と言うわけだけれど、実は帰宅して気づいたのだけれど、行きの話は確認できたけれど、帰りの件は聞きそびれたよ。ああ、切符は往復で買うつもりだったから…困った(汗)。まあ、とりあえず行きだけでも切符を確保しておくか…。

 で、アンサンブルの楽譜もいただきました。今回は、ルロイ・アンダーソンの「ワルツィング・キャット」です。ジャズ系の曲をやるやるとおっしゃってましたが、結局、アンダーソンの軽音楽になりました。フルート四重奏の三番手が今回の私の担当です。

 フルート四重奏の三番手…弦楽四重奏で言ったら、ビオラの位置だね。そこで楽譜を見てみたら、やっぱりビオラっぽい楽譜でした。基本的に、ブンチャッチャッ、ブンチャッチャッを繰り返すだけ。そりゃあそうだね、ワルツだもん。最後の最後にテンポがアレグロに変わって、三拍子が六拍子に変わって、リズムも変則的になる厄介な箇所があって、そこは全員で合わせるのが、かなり難しそうだなって思ったけど(たぶん、玉突き事故状態になりそう…)、それ以外は別段難しくもなんともない。まあ、ファーストさんとかセカンドさんは、それなりに難しいのだろうし、フォースさんはかっちりリズムを刻んでいくんだろうけれど、サードな私は、皆さんの音の隙間を埋めていく作業に没頭していくわけで、うっかり昼寝をしてしまいそうなくらいに単調な楽譜です。

 もっとも自分のパートが単調だからと言って、合わせが簡単とは…限らないんだよね。アンサンブルにはアンサンブルの難しさがあるわけで…だいたい、ワルツのリズムって、取れない人は本当に全然取れないからね。いや、ワルツ以前に三拍子が取れない人もいるし…。そういう人と組んでいない事を願います。

 となると、自分のパートはちゃんと吹けるようにして、あとは出たとこ勝負って感じになるのかな? とにかく、ファーストとセカンドがどんな動きをするのか、フォースがどんな感じでリズムを揺らしてくるのか…サードの譜面を見ているだけじゃ分からないから(そりゃそうだよね)考えても仕方ないよね。

 ああ、スコアが欲しい…。スコアがあれば、カラオケ作って、自分のパートを全体の中にはめていく練習が出来るんだけれどなあ…。

 さて、レッスンです。ロングトーン練習は、まあまあです。今回、ちょっぴり荒れた音を出していた私です。最近、練習不足のためか、音色があまり美しくないのですよん。

 エルステユーブンゲンは、例によって20番と21番です。今回の20番は、ミスブローもミスタッチもなく、スムーズに吹いたので先生が「暗譜してきた?」と尋ねてきたのだけれど、実に全然、ほぼ全く暗譜をしていないので、ごめんなさいをしました。

 考えてみると、現在、仕事が繁忙期に入って忙しい上に、来月はフルートの合宿&発表会、再来月は声楽の発表会、その次の月はクラシックコンサートと、ほぼ毎月のように本番が入っていて、その準備に追われている私です。エルテユーブンゲンの暗譜にまで、手がまわっていないのが現実です(涙)。

 プチエチュードは17番です。今回、ミスブローが多かったなあ…。とにかく、リズムキープを第一目標にして演奏をしたため、あっちこっち指の間違いやら、息の間違いやらが多発してしまいました。今まで自分が演奏していたよりも、16分音符が速めに演奏しなきゃいけないし、逆に8分音符や4分音符はゆっくり演奏しないといけません。どうしても、細かい箇所はゆっくりめに、緩やかな箇所は速めに演奏したがるものですが、機械的に正しいテンポで演奏出来なきゃダメですからね。まだまだ、練習しないといけません。

 発表会向けのラルゴは…楽譜上は簡単に見えますが、発表会クオリティで仕上げるとなると、やはりなかなか難しいです。先生からは、指は良いけれど、表情がまだ不足しているねと言われました。まあ、そうだよな。

 今回は、私が大幅に遅刻をしてしまったために、雑談は無しです。ゆっくり雑談をしていると、先生、駐車場の追加料金を払わなきゃいけなくなる…ってんで、あわててお帰りになりました。いやあ、時間に間に合ったかな? ちょっと心配です。

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2017年7月27日 (木)

実力以上の難曲に取り組む事って…どう思う?

 ピアノって、習得がかなり難しい楽器だと思います。そのために、教え方とか学ぶべき教材なども、かなり整理されているし、順番がある程度決まっています。まず初心者は、この教則本で学び、それが終わったら、こっちの曲集に移り、それも終わったら、この教則本とあの曲集を併用して学び…と実にシステマチックに学習が進んでいきます。そのシステムは、ある程度、世界共通だし、グローバル化され、スタンダードが存在しているとも言えます。

 ですから、ピアノブログなどを読んでいると、たまに出てくる先生方の悩みが「今度来た生徒さんは、前の先生のところで、実力以上の曲を勉強してきたので、あっちこっち(技術的に)抜けていて、困ってます」って話です。今学んでいる曲の、その前の段階で学び習得しておかなければいけない事が、全然学べていなくて、身にも付いていないのに、なまじ曲集が進んでいるので、実力不相応な難しい曲ばかりを弾きたがる…とかね。良心的な先生ほど、悩むかもしれません。

 でも、生徒の立場で言わせてもらえば…前の先生がOKと言ってくれたから、今の自分はこの曲集に取り組んでいるわけで、今更「あそこが抜けてます」「ここがダメです」と言われても…って感じかな。先生も悩むだろうけれど、生徒だって困るんです。

 だからと言って、前の曲集に戻るのは…理屈で納得できるオトナの生徒ならともかく、子どもの生徒にとっては、成長を否定されたような気になり、良い結果にはならないと思いますし、曲集はそのままで、発表会などで、曲の難易度が戻ってしまうと、これまた成長の否定を感じるだろうし…。それに向上心の強い人ほど、大きな目標に…って事は、自分の実力以上の曲に、挑みたくなるものです。

 私の場合は、ピアノではなく、フルートだけれど、やっぱり自分の実力以上の曲に取り組みたいという誘惑には、常に取り憑かれています。だから吹けもしない曲の楽譜も結構持っていますよ。

 まあとりわけ、趣味のオジサンオバサンと言うのは、実力は低くても志は高いですからね。死ぬまでに“あこがれのあの曲”を演奏してみたいと思って、先生に「あの曲やらせてください」と言い出しても、誰にも文句は言えません。その思いに、うっかり応えてしまう先生を責めることも、簡単にはできないかもしれません。

 しかし、自分の実力以上の曲に、仮に取り組んだとしても、まともに演奏できない事は火を見るよりも明らかだし、やる前までは「なんとなく自分でイケるんじゃねえ?」とか思っていても、いざ実際に取り組めば「こりゃあダメだ」と分かるわけだから、現実問題として、実力以上の曲に取り組む人って、そうそう多くないと思います。

 やってみて、ダメなのに出来ているつもりの人は…それこそが、ピアノ先生方を悩ませているタイプの生徒さんたちで…ううむ、これは確かに根深いモノがあります。出来ていない事に本人が気づいていない以上、とりあえず気づくまでは前に進ませてあげるしかないかな…って個人的には思います。

 まあとにかく、器楽の場合、学ぶ方も、ある程度自分で“出来る/出来ない”がはっきり分かるわけだし、教える方もシステマチックだし、教える/学ぶ順番も決まっているから、その生徒が実力以上の難曲に取り組んでいる事に気づくわけです。

 振り返って、声楽の場合は、どうでしょうか? 生徒が実力以上の難曲に挑む事って、あるんでしょうか?

 まず声楽の場合は、器楽とは違って、基準となる教則本ってのがありません。一応、コールユーブゲンとかコンコーネなどの声楽教則本がありますが、コールユーブンゲンは声楽の教則本と言うよりも、ソルフェージュの教則本だろうし、コンコーネは良い声楽教則本なんだろうけれど、歌詞が無い事もあって、これを使われない先生も大勢いらっしゃいます。

 声楽の場合、多くの初心者は、イタリア古典歌曲を単独で、あるいはコンコーネと併用して学ぶ事が多いと思います。そのイタリア古典歌曲だって、学ぶ順番があるわけではなく、先生がその生徒を見て、適宜必要な曲を与えて学ぶという段取りの事が多いと思います。イタリア古典歌曲をそこそこ学んだら、次はイタリアのロマン派歌曲をやったり、ドイツ歌曲や日本歌曲をやったり、オペラのアリアに取り組んだり…って感じになっていくと思います。

 つまり、大雑把に学ぶ順番はあるにせよ、器楽ほどシステマチックではありませんし、学ぶ順番が決まっているわけでもありません。

 それに加えて、声楽の場合は、持ち声というモノがあります。性別の違いはもちろん、声色の違いもあって、みんながみんな同じ声質であるとは限りません。また、歌を学び始めた段階で、声が楽器として、全然作られていない人もいれば、すでに生活の中でかなり出来上がっている人もいるわけです。声質が違って、楽器としての完成度もそれぞれ違う人たちが、雑駁にまとめられて“初心者”という括りで歌を学ぶわけです。

 極端な話、始めたばかりであっても、すでに夜の女王のアリアを歌える声を持っている初心者もいるわけです。そういう人が、キャリアが浅い中、夜の女王のアリアに取り組んだからと言って、実力以上の曲に取り組んだ…と言えるでしょうか? 実は実力相当の曲を選んだだけなのではないでしょうか?

 その一方で、10年学ぼうが、プロとしてデビューしようが、夜の女王のアリアが歌えないソプラノさんだっています。これは実力うんぬん以前に、声が夜の女王向きでは無いとも言えます。そういうソプラノさんは、どれだけ力を付けたとしても、夜の女王はずっと歌わない/歌えない事でしょう。

 そんなふうに考えていくと、声楽の場合は“実力以上の難曲に取り組む”と言うよりも“現在の自分の声に合わない曲に取り組む”と言い換えた方がいいかもしれません。つまり、自分の音域に収まらない曲や、自分が持っているテクニックでは歌いきれない曲とか、性別や声の質に合わない曲を歌う…そういう“現在の自分の声に合わない曲”に取り組んでいく事が、器楽で言うところの“実力以上の難曲に取り組む”事と同義なのだと思います。

 器楽の場合は、学習順番の問題なのだけれど、声楽の場合は、先生の能力不足とも言えます。器楽にせよ声楽にせよ、その根本には“先生の手抜き”を感じるなあ…。

 そう考えてみると、以前の私なんて、いつも実力以上の難曲に取り組んでいたと思います。キング先生時代の学んだ曲と言うのは、私の実力不足もあるけれど、常に私のその時の声には合わない曲ばかりで、だからレッスンでもきちんと歌えなかったし、発表会などの本番では、必ず決まって失敗し続けてきたわけで、曲の最初っから最後まで歌いきれた曲なんてありません。皆無です。私はそれはイヤだったけれど、先生はそれで良いと思っていたみたいだし、生徒としては、先生がそれで良いと思っている以上、事を荒立てる事はできないし、声楽を学ぶという事は、失敗経験を積み重ねていくものだと錯覚すらしていました。

 その感覚が染み込んでいたので、Y先生のところに移ってからも、しばらくは撃沈前提の曲ばかりを選んで歌っていたと思います。だって、どんな曲であっても、ちゃんと歌えなかったんだもの。どうせ歌えないなら、歌いたい曲を歌って撃沈しちゃえばいいじゃん。

 でも、Y先生のところに移り、歌も上達してきて、普通に歌える曲が増えてくると、歌えない歌を歌う事が苦痛になってきました。なにしろ「失敗することがチャレンジする事」とか思ってましたからね。

 今はそういうチャレンジ精神が失われたとも言えます。だって、自分の声に合わない曲を無理に歌うことがイヤになったんだもの。

 やはり、自分の声に見合った歌を歌いたいです。自分の声に見合った歌を歌いきると、実に気持ちいいですしね。歌えない歌を無理して歌っても、全然楽しくないですし、楽に歌える歌ばかり歌っているのもフラストレーションが溜まるものです。自分の実力相応か、ちょっと難しい曲に果敢に挑んでいきたいです。

 そういう意味では、器楽などで自分の実力以上の難曲に取り組む事って、きちんとは演奏できないわけだから、やはり不幸な事なんだと思います。

 ただ、私がそうであったように、その渦中にいる時は、自分が実力以上の難曲に取り組んでいるという自覚がないかもしれません。出来ない自分が普通であると受け入れてしまうのは、悲しい事だし、音楽が楽しくないって事です。それは、不幸です。趣味なのに楽しくないなんて、ありえませんよね。

 そういう意味でも、趣味のオジサンオバサンの希望やリクエストはあるにせよ、教える側の先生は、うまく折り合いをつけて、実力どおり、あるいは実力に近い曲を選んであげて、音楽の楽しさを教えてあげて欲しいなあって思います。

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2017年7月26日 (水)

吹奏楽だと当たり前の事なんだけれど…

 私が常々違和感を持っている事の一つに、H先生からいただく譜面が必ずパート譜な事があげられます。パート譜…そう、フルートのパート譜なのです。たとえ、ソロ曲(ピアノ伴奏)であっても、合奏曲であっても、自分が担当するパートだけが載っているパート譜が手渡されます。

 これって吹奏楽だと当たり前ですよね。オーケストラなども同様でしょう。おそらく、器楽の人には「こいつ、何を言ってんだ?」的な話だろうと思います。

 だって、自分が担当するパートだけがコンパクトにまとめられたパートの譜の方が実際の演奏の時に便利です。ページをめくる回数が減りますし、うっかり他所のパートを演奏してしまう事もありません。仮に演奏者一人ひとりに総譜を渡したとしたら、演奏の時に、えらく邪魔くさいし、面倒くさすぎて、実際の演奏の足を引っ張りかねません。だから、パート譜が渡されるのは、理屈で分かるんです。

 でもね、そこに若干の不安を感じている私がいることは否定できません。

 歌関係は、ソロ曲であれ、デュエット曲であれ、合唱曲であれ、ヴォーカル譜というのを使用します。このヴォーカル譜は、歌のパートは自分のパートを含めて、すべて掲載され、伴奏はピアノ伴奏ならば、そのままで、オーケストラ伴奏の曲ならば、オーケストラ部分がピアノ伴奏に編曲されて掲載されています。

 つまり、歌関係の人は、総譜あるいはそれに準じた楽譜で常に勉強して歌っているのです。だから、自分のパートはもちろん、他の人たちの動きも熟知し計算しながら歌っているわけです。

 そのため「ピアノがこういうフレーズを弾いたら、歌い出す」とか「ここはソプラノを追っかけて歌う」とか「ここはバスの1オクターブ上をなぞるように歌う」とか「ここからはアルトの三度下をハモりながら歌う」とか「次のフレーズの出だしの音は、直前のソプラノから取ればいいや」とか、あれこれ考えながら歌うのです。

 だから、自分のパートしか載っていないパート譜を見ると、そういうヒントの一切が無いわけですから、途端に不安になるんですよ。

 歌の場合は、両手が空いてますから、どれだけ楽譜が分厚くなっても関係ないし、実際の舞台では、暗譜で歌うことが大半ですから、楽譜をめくる回数なんて関係ありません。ならば楽譜は情報量が多いに越したことはありません。

 一方、器楽の場合は、楽器を操るので両手は塞がっていますし、本番でも楽譜をガン見して演奏することが多いので、楽譜はなるべく見やすいカタチでコンパクトにまとまっているに越したことはありません。

 そういう違いから、器楽ではパート譜が、声楽ではヴォーカル譜が使われるのでしょうが、普段からヴォーカル譜に慣れている私にとって、パート譜は、あまりに情報不足で、ほんと不安の塊なのです。

 ああ、パート譜、怖い。

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2017年7月25日 (火)

言葉の壁って…あるよね

 器楽にはない、声楽特有の演奏上の問題として、言語の問題があります。

 言葉のない歌はないわけで、ではどんな言葉を使って歌うべきなのかというのが、声楽では常につきまとうわけです。

 その立場としては、大きく二つあると思います。一つは翻訳して歌うべきであるという立場であり、もう一つは翻訳せずに原語のまま歌うべきであるという立場です。

 話をクラシック系声楽曲に限ってしまうと、主流は後者の“翻訳せずに原語のまま歌うべきである”となります。イタリア語の歌はイタリア語のまま、ドイツ語の歌はドイツ語のまま、フランス語の歌はフランス語のまま、作曲者が音楽を付けた、そもそもの歌詞で歌うべきである…と考えているわけです。たとえ歌うのが、日本人の趣味のオジサンオバサンであっても…です。

 クラシック系の声楽曲は、芸術作品として扱われているわけで、それでちょっとお高く構えて、外国語の曲はそのまま外国語で歌わされている…事は、おそらく否定できないと思います。実際、外国語で歌うから、なんとなく高尚な感じがするわけで、クラシック系の声楽曲を日本語に翻訳して歌うと…なんか身近な感じになって、ちょっぴり残念な感じがするのは…私だけでしょうか? 

 それにだいたい、とりわけイタリア語系の歌に関して言えば、もしも日本語に訳して歌ったとしたら、その内容のしょーもなさに芸術っぽいイメージは払拭されかねませんし…ねえ(苦笑)。

 まあ、単純にプロの方々が外国語(原語)で歌うのは、留学して海外で歌を勉強しているからでしょうね。

 留学先では原語で勉強してきたわけだから、それをそのまま歌っているに過ぎない…と言えます。日本に帰ってきた/やってきたからと言って、原語で勉強してきた歌を、いちいち日本語に翻訳して歌うと、そのたびごとに歌詞を覚え直さないといけないし、だいたい、外国語と日本語では音韻のシステムが違うわけで、とりわけ母音が違えば、発声テクニックだって違うわけだし、そういう細々した問題をクリアするためにも「どこに行っても原語で歌う」にしておけば、楽で済むわけです。

 そうは言っても、オペラなどはお客さんに舞台で起こっている事が伝わらないといけません。ですから、少し前までは、日本でも海外でも、その土地の言葉に翻訳して上演することも多かったのですが、最近では、舞台でも字幕サービスやら音声サービスやらが普及してきたので、それに伴って、オペラも原語で歌うことが多くなりました。

 つまり、クラシック系声楽は、現在では、ほぼ原語で歌うのが普通のスタイルとなりました。

 まあ、聞く方はよく分からなくても、有難がって聞けばいいだけですから、原語で歌われても問題ありません。歌う方に関して言えば、まあ、趣味のオジサンオバサン的には、歌が好きでも外国語が苦手なら、そもそもクラシック系声楽に来ないだろうし、来たところで「こりゃダメだ」と思ったら、他のジャンルの歌に行けばいいのだから、問題なしです。

 …合唱だって、外国語の歌を歌う団体って少ないでしょ? 多くは邦人作曲家の作品を歌うわけだし…。 それに合唱の場合、ごく少数の団体で外国語で歌うと言っても、その大半は宗教曲だから、ラテン語がほとんどで、ラテン語はほぼローマ字読みOKだから、ローマ字読めれば問題ないし、今やラテン語が話せる人類なんて、ほぼ皆無だか、たどたどしくても無問題だしね。まあ、原語歌唱と言っても、なんとかなる範囲だろうと思います。

 最近は、ポピュラー音楽であっても、洋楽(ロックとかジャズ)は原語のまま歌う事が多くなりました。翻訳主義なのは、いまやミュージカルぐらいかもしれません。とは言え、ミュージカルも海外のキャストが日本の舞台で歌うことも増え、字幕サービスもちらほらと見受けるようになりました。そのうち、ミュージカルも原語上演が当たり前になる日が来るかも?(さすがに、それはないか:笑)

 芸能や芸術もグローバル化している現在、ローカル言語にいちいち翻訳するよりも、原語歌唱の方が世界的な広がり/活躍が可能となりますが、そうは言っても、観客の多くは、その地域に住んでいるローカルな生活をしているローカル人間であり、必ずしも外国語が得意なわけではありません。とりわけ日本人は…外国語苦手な人が多いよね。私も決して得意なわけじゃありません。

 そういう意味では、やはり言葉の壁って、あると思います。その壁を乗り越えられる人って、決して多数派ではないと思うし、そこがクラシック声楽が(とりわけ日本で)普及しない原因であり、クラシック音楽と言うと、多くの人が交響曲や協奏曲などの器楽を思い浮かべるのも、そういった言葉の壁があるからだろうと思います。

 「モーツァルトの代表曲は?」の問いに「交響曲40番」と答える人が、まだまだ多いのは、そういう理由だと思うし、声楽は器楽と較べると色々とハンデを背負っていると思います。

P.S. おそらく「モーツァルトの代表作は?」の問いに対する、一番正しい答えは「フィガロの結婚」と答える事なんだろうけれど、ワタシ的には、ぜひ「魔笛」と答えたいです。

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2017年7月24日 (月)

シアタークリエに行って「レント」を見てきた

 表題にあるとおり、日比谷にあるシアタークリエに行って「レント」を見てきました。シアタークリエに行くのは始めてだけれど、ここは以前、みゆき座があった場所だよね。みゆき座(映画館)は、今は向かいにある宝塚劇場の地下に移動したけれど、昔はシアタークリエのある場所(3D的にも同じ場所)にあったのを覚えています。私はそこで「永遠のマリア・カラス」という映画を見ました。すごく混んでいて、普通席が購入できなくて、やむなく(名称は忘れてしまったけれど)リクライニング式の大きなソファーの高額席で見た覚えがあります。映画代とは別に座席代がかかって、それがすごく高かったので、今でも忘れられません(笑)。

 シアタークリエの入っているビル自体は、隣の日比谷シャンテのビルとつながっていて、なかなか便利です。劇場のロビーは狭くて、正直、居心地良くないのですが、シャンテとつながっているので、シャンテに逃げる事ができますし、シャンテで休憩とれます。なかなかいいです。

 足の便も良いですよ。有楽町駅のすぐそばだし、我々は新橋から劇場に向かったのですが、新橋からでも歩いて行けちゃったくらいですからね。宝塚劇場の向かいで、帝国ホテルの隣です。ほんと、良い場所にあります。

 さて、シアタークリエで上演されている「レント」は東宝製作のミュージカルです。東宝ミュージカルと言うと、帝国劇場で上演されているミュージカルもそうなのだけれど、テレビで見かけるような有名タレントがよくキャスティングされています。

 そういう有名タレントさんが主役や脇役にキャスティングされるのですが、そういうミュージカルって、たいていの場合、主役とモブは上手なんだけれど、脇役さんたちが今ひとつというイメージがあって、キャスティングにスキがあるなあと…と私は思っています。まあ、演技や歌にスキがあっても、彼ら彼女らの集客力はバカにできないわけで、客寄せパンダとしての役目を負わされているのだから仕方ないやと諦める事もあります。いやいや、時によって、上手なのはモブだけで、主役も脇役もパンダだったりすると、見ているのがつらい上演もあったりします。

 そういう点では、今回の「レント」も東宝製作と知った段階で、ミュージカル的には全然期待していなかったのでが、それはいい意味で裏切られました。

 いやあ、いいんですよ。モブの方々はもちろん、主役も脇役もみんな、上手いんです。全然、キャスティングにスキがなくて…まるで劇団四季のミュージカルを見ているみたい(笑)。

 もちろん、従来通り、このミュージカルにだって、客寄せのパンダさんもキャスティングされているわけです。例えば、ケミストリーの堂珍嘉邦さんや、カラオケ★バトルの宮本美季さんなども出演しているんですが、彼らがまた本当に上手なんですよ。パンダさんが上手なんですから、他のガチのミュージカル俳優の皆さんたちは、そりゃあ当然凄腕ばかりなんです。いやあ、いいパフォーマンスを見せていただきました。

 じゃあ素晴らしい舞台だったと手放しで喜べたのかと言うと…かなり辛口な感想になるけれど、ごめん、そうではなかったです。

 出演者も良くて、音楽も良くて、演出も良くて…じゃあ、どこが問題かと言うと、ストーリーと脚本に難があると思いました。

 まずはストーリーだけれど…これは日本版と言うよりも、原作にそもそも起因している問題なんだけれど、このミュージカルに登場する人物たちって、ほぼ全員、ゲイかレズかバイセクあるいはHIV患者ばかりなんです。おまけに、正直、クズ野郎ばかり。いわば、特殊な世界の特殊な人たちの話なんです。

 たいていのストーリーを受け入れる私ですら、この「レント」のストーリーに関しては、正直、若干引きます。共感できる人物が皆無なんです。共感どころか「それはナイだろ!」と思わず突っ込んでしまうような人物ばかり登場してくるんです。

 おそらく、これは私だけの問題ではなく、多くの普通に暮らしている日本人には、かなり異質な人たちの物語であって、たとえ物語であると分かっていても、それを受け入れるのは、なかなか厳しいなあって思いました。20世紀後半のアメリカ人にとって、リアリティーのあるストーリーでも、21世紀の“ミュージカルでも見に行こうか”と考える日本人にとっては、想像を絶する世界の話なんです。

 だから(ビデオ)カメラオタクで、狂言回しであるマークが普通の人に見えてしまうのです。でも客観的に見れば、マークだって、普通に変人です。ただ、アクがそんなに強くないだけの話で、彼だって、決して普通の人ではないのです。でもそんな彼が普通に見えてしまうくらいに、登場人物全員のアクが強いわけです。これはほんと、厳しいストーリーです。

 でも、音楽は実に絶品なんだよ、これが。だから世界中で大ヒットしているんだよね。
 日本版の場合、さらに脚本の問題がここに加わります。

 日本版の脚本…正直、厳しいなあ…と言うのも、舞台を聞いていて、役者の皆さんたちが一体何が言いたいのか、聞き取れないのですよ。

 最初は彼らが下手くそで、そのために聞き取れないのかと思ったのですが、いやいやいやいや、役者さんたちは頑張ってますよ。うまく伝わらないセリフを頑張って客に伝えようとしています。

 つまり、そもそもの脚本があまりうまく出来ていないのだと思いました。

 まず、音楽に言葉を詰め込み過ぎだと思いました。そのため、役者の歌がすごい早口になっているんです。

 そもそも日本語と英語では、同じ音節に込められる言葉の意味の量が違います。同じ音節なら、英語の方がたくさんの意味が入ってます。だから、英語の歌を日本語に翻訳する時は、言葉を選んで、少ない言葉数でも、的確に芝居の内容を伝えられるような歌詞を書いていかなければいけないのですが、今回の「レント」の歌詞は、言葉の厳選がうまく出来てなくて、とにかく言葉が多すぎます。歌詞の言葉が多いので、歌の中で、言葉が上滑りするんですよね。

 さらに英語そのままのセリフもたくさんあります。たとえ元が英語であっても、すでに日本語化している外来語になり、発音も日本語のアクセントであるなら問題は無いのですが、全然英語のままのセリフもたくさんありました。それもちゃんとした英語発音で話されるんです。つまり、日本語と英語のチャンポンなセリフが多くて、まるで、頭の悪い帰国子女の子と話しているような気分になります。彼らのセリフを聞きながら「日本人はそういう言い方しねーよー」というツッコミをバンバン入れたくなりました。

 どうにも、脚本のローカライズと言うか、日本語への翻訳がうまくいっていない…と言うか、未完成な感じというか、翻訳途中なんですって感じの脚本だったのです。ほんと、耳で聞いて理解するには、かなりのハードルの高い脚本だったと思います。

 ほんと、聞いているだけでは何が話されているのか分からないのです。字幕…欲しいなあ。

 それでも私は、そもそもの「レント」のストーリーもセリフも知ってますから、舞台の言葉が聞き取れなくても、全然問題ないのですが、そうでない人たちもたくさん観劇に来ているわけで、そういう人たちがとても困っている姿をたくさんみました。幕間の客席の混乱具合を脚本家さんは知っているのかしら?

 もっと言葉を選んで、少ない言葉で的確に芝居を伝えられるような脚本だったらいいのになあ。

 ミュージカル「レント」は、オペラ「ラ・ボエーム」のミュージカル・リブートです。かつてのオペラを元ネタとして新作ミュージカルを作るわけです。有名な例だと、ミュージカル「ミス・サイゴン」はオペラ「蝶々夫人」のミュージカル・リブートだし、劇団四季で上演する「アイーダ」はオペラではなく、ミュージカルとして作られた「アイーダ」です。まだまだ他にもあるかもしれません。

 ミュージカル「レント」は、オペラ「ラ・ボエーム」のミュージカル・リブートです。ただし、ボエームのミミに相当するのは、レントではミミではなく、実はエンジェルです。背負っているエピソード的には、エンジェルはボエームのショナールのそれを数多く引き継いでいるけれど、キャラクターの立ち位置的にはミミだと言えるでしょう。

 そして、ボエームのムゼッタは、レントではモーリーンになります。ではレントのミミは…と言うと、ボエームのミミとムゼッタの両方の性格を引き継いでいると思われる。つまり、ボエームのミミとムゼッタの二人は、レントでは、エンジェルとミミとモーリーンの3人に振り分けられているわけで、レントのミミは、その中ではボエームのミミであり、ムゼッタであり、そのどちらとも違う、レントのオリジナル色の極めて強いキャラクターと言えるでしょう。ラストシーンで、死にかけて生き返っちゃうシーンなどは、私はコメディであり、アメリカ的なハッピーエンドなんだろうと思ってます。実にアメリカ的な味付けの濃いキャラであると言えるでしょう…日本人的には、、、台無しって感じのキャラなんですが(苦笑)。。

 まあ、言いたいことは山のようにあるけれど、それでもやっぱり、面白くて素晴らしいミュージカルでした。気に入ったからこそ、文句も言いたくなるわけで…2年後にまた上演するようですが、次もまた見に行きたいかもなあ…。

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2017年7月23日 (日)

蛇口からお湯しか出ません!

 毎日毎日暑いですね。

 先日の事です。金魚の水槽に水を足してやろうとして、妻が水道のレバーを上げてところ、蛇口からお湯がでてきました。ウチの水道は、レバーを左側に上げるとお湯が出て、右側に上げると水が出て来るタイプなので、単にレバーを上げるだけだと、普通にお湯が出てしまいます。

 そこで、水が欲しい時は、レバーを水側にひねるわけです。ひねれば、やがて水温が下がって水が出てくるのですが…その日は、いつまで経ってもお湯しか出てきませんでした。

 あれ? 不思議だなと思ったそうだけれど、それでもお湯しか出てきません。間違えたのかと思って、反対側にレバーをひねると、さらに熱いお湯が出てきました。やっぱり、最初が合っていたわけで、水側のレバーをひねっても、水温の高い水…つまりお湯しか出てこなかっただけなのです。

 そのままでは金魚水槽に入れることはできないので、結局、蛇口から出てきたお湯を2リットルのペットボトルに汲んで、しばらくクーラーのかかった室内に放置して水温を下げてから、金魚水槽に入れてみました。

 どうやら、連日の暑さで水道水の水温がかなり熱くなっていたようです。おそらく、我が家に来るまでの間に、ひなた水のようになってしまう場所があるんでしょうね。太陽熱、バカにしちゃいけないようです。

 夜になってしばらくしたら、水道の蛇口から水が出てくるようになりました。

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2017年7月22日 (土)

すごく立派な金魚たちを見た

 金魚の飼い方にも色々あると思います。

 ウチは水槽飼いで、それも室内飼いです。水槽は家族が集まる居間に置いてあります。人間が普段の生活の中で、なんとなく金魚を鑑賞できるようなスタイルで飼っているわけです。

 金魚は水槽で飼っているウチが多いと思いますが、インテリアの一部として、玄関で飼っているウチも多いと思います。実は、私が子どもの頃に飼っていた金魚は、水槽が玄関に置いてありました。これだと、我が家を訪ねてきた来客に金魚を見せる事ができる反面、家族と金魚が関わる時間が、あまり多くは取れないという側面もあります。

 ベランダや縁側で飼っているウチもあると思います。そういう場所だと、太陽の光が水槽に注ぎますので、電灯が不要になります。また、水槽を戸外に置いているウチもたまにあります。商売をしている家だと、店舗に水槽を置いている事もあるでしょう。また、池で金魚を飼っているウチもあるかもしれません。

 で、私が先日、何気なく(ポケモンをしながら)歩いていたところで、立派な金魚を見つけました。

 そこは、自宅兼店舗のようで、しかし建物の中ではなく、店舗脇の軒下に水槽が置いてありました。水槽の大きさは120cm水槽でした。すごく大きな水槽ってわけです。そこに、たくさんの金魚たちがデデンと泳いでいたのです。

 最初にその水槽を見かけた時、そこにいる魚が金魚とは思えなかったのです。だって、みんなデカイんだもの。色合い的に鯉だろうと思っていたのですが、水槽で鯉を買うのも珍しいなあと思いつつ、あれ?と思ったのです。と言うのも、魚の形が鯉とは、ちょっと違うのです。そこで近寄って水槽の中を見てみると、それは金魚でした。

 サイズ的には、かつてウチにいたブニョサイズの子たちが半分ぐらい、それよりも、一回り二回り大きい子たちもたくさんいました。たぶん、一番小さな子でも、今のウチで飼っている子のどれよりも大きいと思います。

 いやあ、驚きました。巨大な金魚たちを、それも一度にたくさん見ることができたんですよ。ビックリしつつも、とてもうれしくなりました。ああ、ここにも金魚好きの人がいるんだ…ってね。

 どの金魚も大きくて、元気でした。カラダに傷もなく、ヒレもピンとしていて、飼い主によく面倒を見てもらっている事がよく分かる子たちばかりでした。

 まあ、あえて難を言うと、本来は赤くなるはずの子たちが、普通に黄色い金魚になっていたという事です。金魚の赤い色素って、金魚本人は作れないんですよね。まあ、黄色くて大きな琉金というのも、なかなか渋くてかわいいモノです。

 実は金魚って、小さいうちは、それなりに赤いんですが、成長するとともに色があせてゆき、赤色が朱色になり、やがて黄色になります。つまり金魚って、加齢とともに体色が薄くなっていくわけです。人間が、加齢とともに禿げていくのと同じなのかもしれません。

 それを防ぐためには、赤い色素を多く含んだエサを与えることで、赤い色を維持していく事ができます。海藻を多く食べるとハゲが防げる(ほんと?)のと同じことです。

 ウチの子たちは、エサとして乾燥アカムシを与えていますので、まだまだ立派に真っ赤です。子供の頃に飼っていた子たちは、植物性のエサを中心に与えていたので、あっという間に赤い金魚が黄色くなってしまったのです。

 金魚は育てている水槽の大きさなりに育つと言います。やはり、巨大な120cm水槽はいいなあ。これくらい大きな水槽だと、金魚もほぼMAXサイズにまで育ち切るんですね。ウチも本当は水槽をもっと大きくして、これくらいの大きさの金魚を飼ってみたいものです。家庭事情もあって、水槽の大きさを今以上にはできないために、金魚はなるべく大きく育たないように苦心しながら育てていますが、これくらい豪快に野放図に金魚を育ててみたいものだなあと思いました。

 普段は通らない場所なのですが、今後はたまに通りかかって、金魚たちにご挨拶をしていことと思いました。

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2017年7月21日 (金)

暑い上に疲れていると…演奏が荒れるね

 フルートのレッスンに行ってきました。いやあ、暑い暑い。レッスンは、日が暮れてから行っているのだけれど、それでもやっぱり暑いです。仕事が終わって帰宅して、シャワーを簡単に浴びてからレッスンに向かうのだけれど、お教室に着いた頃には、もう水をかぶったように汗をかいていて、シャワーの意味なんて、まるで無しです。

 もちろん、お教室には冷房がガンガン効いているんだけれど、私自身から発熱しているから、汗がダダ漏れで、気が散って気が散って…いやあ、汗に負けている私です。

 ロングトーン練習も、流れる汗に気を取られていると…どこを吹いているのか分からなくなります(いやあ、マズイマズイ)。ダメだなあ…。

 エルステユーブンゲンは、毎度毎度の20番と21番です。20番は先週よりも下手くそになっていました。練習していないわけじゃないのだけれど…ダメだな。疲れている時に無理やり練習しても、ちっともカラダに練習の成果が残らないみたいです。残念です。当然、暗譜などできてないし、先生も暗譜の事は尋ねませんでした。まあ、そういう事です。

 プチエチュードは17番でして…こちらも先週よりも下手くそになっていたかもしれません。特にリズムキープがうまくできませんでした。汗が流れて気が散っているなんて、言い訳にしちゃダメだけれど、ほんと気が散ると、リズム感と言うか、タイム感とかテンポ感とかがダメになるね。ああ、夏なんて、大嫌いだー!

 ラルゴは…さすがに発表会を控えた曲なので、これだけは前進しています。多少、立ち止まってしまう箇所はありますが、概ね良い方向に修正されています。後は、この良い演奏を癖にしないと…ダメですね。

 今回の雑談は…ソロ曲は決まったのだけれど、アンサンブルは何にしましょうか?と言う話になりました。去年は、最初はジャズ系の曲にしましょうと言いながら、結局最後は、ベートーベンのト長調のメヌエットになったんです。ですから、今年こそは、昨年やらなかったジャズ系の曲にしようか…って話の流れになりました。先生、私によっぽどジャズ系の曲をやらせたいみたいです。

 まあ、ジャズ系と言っても、楽譜に書かれた曲を楽譜通りに演奏するだけで、アドリブ無しだし、本物のジャズのセッションにはほど遠い、単なるジャズっぽい演奏ってだけなんだけれどね。それでも、クラシック系の人には、リズム的に手に負えない感じなので、その辺の柔軟性ってか、後乗りでフルートが吹ける私に白羽の矢が立っているようなのですが…そんなに私に期待すると、裏切られるよ(笑)。

 それはともかく、アンサンブルの曲も決めていただいて、早めに楽譜が欲しいなあ…。でないと、練習できないじゃん(涙)。

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2017年7月20日 (木)

裏でなくても、設定は大切です

 さらにさらに声楽のレッスンの続きです。二重唱「A Dutiful Wife/従順な妻」の練習に取り掛かりました。

 裏設定…と言うほどでもないのですが、やはりキャラクター設定は大切ですね、と言うところから始まりました。

 この曲は二重唱なので、まずは歌っている二人の気持ちと、二人の関係性が、この歌の歌い方に大きく影響を与えます。ナタリー(女性:ドイツ語版だとヴァレンシエンヌ)には夫がいます。それなのに若い男性であるカミーユから好意を寄せられているわけです。それが嬉しいのか、迷惑なのか? カミーユにしても、心の底からナタリーを愛しているのか、それとも単なるアバンチュールなのか? もっと言えば、カミーユは若者なのか? それとも単なるバカなのか? それとも世間知らずのボンボンなのか? そういう設定によって、二人の関係性が決まり、それに伴って歌い方が変わってくるのです。だから、設定を決めておく事は大切な事です。

 音楽的な事を言うと、まずはリズムが難しいです。ノリが難しいです。リズムが難しいのは、20世紀の音楽だから仕方ないのです。でも、いわゆるクラシックな曲にはないリズムがジャンジャン飛び出しますので、そこは一つ一つ正確に行かないとね。音程も難しいですよ、だってクラシックな曲では使わないようなコード進行の部分がたくさんあるし、音階以外の音が普通にメロディで使われているし…ね。

 さらに、ノリは…たぶん分かりません。だって、舞台はフランスでも、音楽はウィーンの音楽だからね。ウィーンのノリは、ウィーンで暮らさないと…体得できるものじゃないでしょうね。

 高音のHは…今の私だと胸声ではまだまだ歌えませんので、ファルセットを使いますが、私はなるべく胸声との差をなくそうと、可能な限りの太めのファルセットを使って歌ってましたが、先生曰く「細めのファルセットの方が音程を当てやすい」との事なので、まずは細めのファルセットで音程を当てたら、そこから声質を太めにチェンジしていく事にしました。ちなみに、Hの次に続く高いAは、頑張って胸声で出します。

 そして問題は…ハモリの箇所です。互いにそれぞれ自分のメロディを歌っている時は良いのだけれど、女性がメロディで、男性がハモリパートになると…途端にメロメロになるのが私です。だって、私はメロディ以外は歌えない人だからね。ハモリパートを歌っているつもりでも、いつのまにかメロディを歌っちゃう人だからね(ダメじゃん)。ああ、ハモリ、苦手だな。

 …ってわけで、ハモリパートの練習をしました。妻は(メロディを歌うので)もちろん問題ないわけで、主に私のための特訓タイムとなりました。いやあ、難しい難しい。20世紀の音楽なので、フレーズの歌い出しの音が、和音の中に無かったり、ピアノ伴奏の中に無かったりするわけで、私にすれば高度な音取り能力が要求されているわけで、いやあ、大変対戦。なんとか音が取れるようになりましたが…たぶん、次のレッスンまでには忘れてしまうような気がします。で、ハモリパートにばかり時間を使ってしまったので、本日はここまで!となってしまいました。

 「メリー・ウィドウ・ワルツ」とか、妻の歌う「ヴィリアの歌」とかあったんだけど、そこまでレッスンしていただく時間が足りませんでした。なーむ。

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2017年7月19日 (水)

裏設定は大切です

 また声楽のレッスンの続きです。さて、曲の練習に入りました。最初はレハール作曲「メリー・ウィドウ」の「Maxim's/マキシムの歌」です。゛

 自宅練習の成果もあって、やっとクチがまわるようになりました。1番はどうにか…、2番はやっと歌えるかな…って感じです。2番は1番ほど練習するわけでないので、まだちょっと、歌うよりもしゃべっている感じの方が強く、意識的に歌わないとダメかもしれません。

 それと、この曲はオペレッタのリートなので、オペラのアリアのようにカッチリ歌うのではなく、もっと芝居っ気たっぷりにシャレオツな感じで歌うように求められました。まあ、そうだよね。とりわけ私はこの曲を(原語の)ドイツ語ではなく英語で歌うので、オペレッタとは言え、ほぼミュージカルのような感じになるので、だったらいっそ、ミュージカルのソングのように歌ってしまえって事なのです。

 実際、この曲は、舞台作品としてよりも、英訳されてハリウッドでミュージカル映画として製作されヒットして普及したという事実があるわけで、そういう意味では、オペレッタなんだけれど、ほぼミュージカルって言って良いと思いますし、英語で歌う正当性があると思ってます。実際、この作品のオペレッタにおける題名の「ルスティゲ・ヴィトヴェ」で呼ぶ人って少ないでしょ。ほとんどがハリウッド版のタイトル「メリー・ウィドウ」と呼ぶわけですから、やっぱりミュージカルみたいなモンです。

 で、さて先生からの質問が出ました。

 「歌詞に出てくる6人の女の子たち(ロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフル)は、どんな(イメージの)子でしょうか?」

 …いわゆる“裏設定”って奴ですね。でも、そういうイメージをはっきりと決めて、それを想像しながら歌わないと、歌詞がただの「ロロドドジュジュクロクロマルゴフルフル」という呪文になってしまうので注意しなければいけない事は同意します。

 そこで決めた裏設定は、以下の通りです。

 ロロ…白人、金髪、ロングヘア、縦ロール、性格は割りとおしとやかで、6人のリーダー。

 ドド…アフリカ系フランス人(つまりアフリカ移民・黒人だな)と白人とのハーフ。浅黒い肌、黒髪でクルクル(ほぼパンチパーマ)だけどショートカット…イメージとしては大仏ヘアーだね。ボテっとしたクチビルが魅力。快活な性格。物知り。

 ジュジュ…白人、茶髪、シュートヘア、ボーイッシュな感じ。なぜか政局に詳しい。以上の3人は知的な感じでダニロ(この歌の主人公)を会話でおもてなしをするのです。

 クロクロ…セクシーダイナマイト1号。豊満なボディーの持ち主。ダニロはクロクロの胸ばかり見ていて、どんな顔でどんな容姿でどんなしゃべりをするのか、ほとんど記憶にない。

 マルゴ…セクシーダイナマイト2号。こちらも豊満なボディーの持ち主。ダニロはマルコのお尻ばかりを見ていて、どんな顔でどんな容姿でどんなしゃべりをするのか、ほとんど記憶にない。

 フルフル…小柄でぽっちゃり体型。白人で暗い茶髪。香水の趣味が良くて、いつもいい香りがする。ダニロを見ると、とりあえず抱きついて離れない。ダニロに酒をすすめて、彼を酔い潰すのは、常にこの子である。言動はぶりっ子で、ちょっとバカっぽい感じ。

 この6人がダニロのお気に入りなのだけれど、お店に入って、まだほろ酔い程度の時は、最初の3人と、社会情勢やら経済問題やら政治の話やら、とにかくお堅い話をしています。彼女たちもよく勉強していて、ダニロと対等に会話をするのです。マキシムはセレブたちの社交場でもあるので、他のセレブとの客で仕入れたマル秘情報なども、彼女たちはダニロに伝えるわけで、ダニロにとっては、彼女たちと時を過ごすのは、半分遊びで半分勉強なのです。

 一方、後半の3人は、ダニスがすっかり酔っぱらい、泥酔してしまい、頭が回らなくなってきた頃、いつのまにか、最初の3人と入れ替わってダニロのお相手をする子たちです。ダニロをガンガン飲ませてカネを使わせて、お店のためにがっぽり稼ぐのが後半の3人なのです。つまり、ダニロは一度に6人の相手をするのではなく、前半3人、後半3人と遊ぶわけです。ちなみに、後半3人がやってくると、ダニロは外交官から、ただのスケベオヤジに変身します。つまり、店にとっては“良いカモ”になるわけです。でも、それがダニロには、とっても楽しい…という裏設定にしました。

 以上です。実際、この裏設定をしてから、この曲を歌うのが、さらに楽しくなりました。

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2017年7月18日 (火)

ハミング練習は大切です

 さて、声楽のレッスンの話をします。

 まず最初に行ったのはハミング練習です。ハミングは毎回毎回練習しますが、実はハミング練習って大切なんですね。実際の歌唱をハミングだけで歌う事はまず無いのですが、ハミングを声の踏み台にして発声していく事は大切です。声をいきなりスパンと出していくのは、リスキーだし、ノドの健康にも良くないわけです。実際の歌唱現場では、フレーズの出だしは、声よりも息先行で、息が流れてから声が息に乗って出て来る…感じで歌う方が、ノドにやさしいし、難しいフレーズも何なく歌えるようになるわけです。

 その息の通り道を確認し、息に声を乗せていく練習の一つがハミング練習なんですね。だから、ハミング練習は、とても大切な基礎練習の一つです。特にテノールの場合、通常発声で、高いAまでは出しますので、ハミングで高いAまでは発声できないと、そこまでを常用音域にできないわけで、たかがハミングですが、されどハミングという気分で頑張らないといけないわけです。

 しかし、高いAをハミングで歌うのは…私はまだ無理です。どうも腹圧が不足しているようです。私が出来るのは、高いGまでのハミングです。ああ、だからか…高いGまでは常用音域で、高いAが博打になってしまうのは、ハミングが出来る出来ないと関係するのか。納得です。

 で、ハミングに限らず、高音を出すためには…腹筋の強化が必要です。

 ノドを使って声を出すやり方では、ノドに力が入るために、どうしても高音は出づらくなるし、音程も♭気味になります。高音を楽に出すためには、ノドをリラックスさせる必要があるのだけれど、ノドをリラックスさせてしまうと、そりゃあノドのエネルギーで声は出なくなります。だから、腹筋なんですね。腹筋を強化し、腹圧を高めて、そのエネルギーで息を吐き出します。その息がリラックスしたノドの、声がひっくり返るかひっくり返らないかのギリギリのあたりの薄くなったところを通ることで高音が出るわけです。その際、ノドをリラックスしすぎてしまうと、声はひっくり返ってしまいファルセットになってしまいます。これはリラックスのしすぎであってダメなんだけれど、リラックスのしすぎで声がひっくり返る事は、リラックスのしなさすぎで高音が出づらくなり音程も♭気味になる事とを較べるなら、ファルセットになってしまう方がずっとずっとマシなんだそうです。

 ああ、ここでも腹筋の強化が必要なんだな。そして、リラックスしたノドも必要なんだな。

 と言う訳で、この後に続く発声練習では、腹筋をガシガシ鍛える方向の練習をしました。この練習を続けてきたおかげで、以前よりも腹筋が動くようになった気はしますが、筋力がまだまだ弱いので、すぐに疲れてしまいます。疲れてしまうと、腹圧が下がり、そうなると声が出づらくなるので、思わずノドに力が入り、高音が出なくなるという、負のスパイラル状況に陥ります。ダメだな。

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2017年7月17日 (月)

今年もクラシックコンサートに出場する事にしました

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはいきなり打ち合わせです。何の打ち合わせかと言えば…恒例のクラシックコンサートの出演に関する打ち合わせです。

 私は毎年、秋に地元の市民文化祭の一環として行われる“クラシックコンサート”に出演していますが、今年は会場となる市民文化会館が改装工事となり、多くの催し物が中止になっていますので、当然、クラシックコンサートも今年は中止になるだろうと思っていました。だから、昨年のクラシックコンサートで、大ネタのボエームをやったわけです。

 「今年はクラシックコンサートが無いから、発表会に全力投球だな」と思っていたところに、うっかりクラシックコンサートの出演者募集のお知らせを発見してしまいました。そうなんです、今年は会場を変えて、やるんだそうです。

 やるなら出るしかない…私はそういうスタンスです。人生、あと何回ステージに立てるか分からないじゃないですか? 来年の事なんて分かりません。一回一回がラストステージのつもりで頑張るだけです。それが私の生き様なのです。

 でもね…今年は代替の会場に、はっきり言って、難ありなんです。

 小さい上に、古くて、設備も不十分で、おまけに地味で…ボロいんです。そもそも、本番で使われる事はめったになく、合唱等の練習で使われる程度の会場であって、客を入れてコンサートをやるような場所ではありません。クラシックコンサートを無理クリやるにしても、他の場所だってあったんじゃないの?と素朴に思ってしまうような会場なんです。

 妻は、会場がボロいから出たくないと即答しました。だって、全然華やかじゃないんだもの。ドレスを着ても、全然似つかわしくない場所である事は、私も理解します。でも、大切なのは会場じゃ無い…と私は思っていますので、嫌がる妻を説得して、なんとかクラシックコンサートへの出演を決めました。

 決めた以上、ピアニストさんを手配しないといけません。毎年お願いしているピアニストさんに依頼をしたところ、二つ返事でOKをいただきましたが…本当にあの会場でいいのですから…と確認されちゃいました。ピアニストさん的にも、本番をやるのには「ちょっとなあ…」と思う会場のようです。実際、あそこはピアノも…ボロいからなあ。本番に向けて調律はするから音的には問題ないだろうけれど、弾きやすいのかと言えば…どうなんでしょうね。

 さて、妻を説き伏せ、ピアニストさんを確保したら、曲決めです。Y先生と相談して決めるのですが、問題は…クラシックコンサートが、Y門下の発表会の約1ヶ月後だというタイトな日程である事です。前の本番から1ヶ月後の本番って事は、クラシックコンサートに専念できる練習期間はたったの1ヶ月しかありません。ラスト1ヶ月と言えば、ピアニストさんとの合わせの練習をしている時期ですから、当然、曲そのものの練習はそれ以前にしないといけないわけで、発表会の仕上げと、クラシックコンサートの曲練習が時期的に被ります。

 二つの本番のための練習を同時進行でやらないといけないわけです。そりゃあ、アレコレ考えないといけません。

 そこで、本番となると毎回歌っている二重唱は…今回は新曲には取り組まない事にします。発表会で歌うレハールの「メリー・ウィドウ」の二重唱のうち、「A Dutiful Wife/従順な妻」の方を、クラシックコンサートでも歌う事にしました。

 有名曲と言えば「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」の方が断然有名なのですが、あの曲、あんまり歌う箇所がないんですよ。それにあの曲はダンスを伴う曲だけれど、今回のクラシックコンサートの会場の舞台って、超狭くて、ダンスなんて到底ムリだし、お客さんにとっては、どっちの曲も(おそらく)知らないので、だったら、歌い甲斐のある曲の方がいいじゃん…ってわけで、こっちの二重唱を歌うことにしました。持ち時間的な事もあるので、二重唱は妻側の演目に入れます(妻は、その他に発表会で歌う、短縮版の「ヴィリアの歌」を歌います)。

 私の方は自分の持ち時間をたっぷりソロ曲に使えますので、例年通りに、歌曲を2曲歌う事にしました。妻のように、発表会で歌った歌をそのままクラシックコンサートで歌うというやり方もありますが、やっぱりレパートリーを増やしたいという野望と、レッスンでは歌ったけれど、人前では歌っていない曲というのも数曲ありますから、それらの曲に日の目を当てるという事もあって、新曲1曲と、引き出しの中にある曲を1曲とする事にしました。

 まずは新曲だけれど、以前から歌いたくてしょうがなかった曲を候補に上げました。トスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」です。知らない人のために音源を貼っておきます。

 先生から「(クラシックコンサートで歌っても)いいけれど、暗いよ」と言われました。確かに、全然華やかではない曲だけれど、こういうしみじみ系の曲もいいんじゃないかなあ…と私は思うわけです。

 と言う訳で、新曲は「Tristezza/悲しみ」に決定。では、私の引き出しの中にある曲で、この曲と組み合わせる曲を選びます。先生からは、同じトスティの「Tormento!/苦しみ」を薦められました…が、「Tristezza/悲しみ」を歌っての「Tormento!/苦しみ」ですか? 気分サゲサゲで、これ2曲を歌ってお終いでは…ちょっとなあって思いました。やっぱり、能天気に明るい曲を組み合わせた方が良いでしょうって事で、レオンカヴァッロの「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」で行く事にしました。これなら、「Tristezza/悲しみ」の暗さを吹き飛ばしてくれます。

 一応、音源貼っておきますね。

 クラシックコンサートの選曲の事を書いていたら長くなってしまったので、肝心のレッスンの話は次回から始めます。

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2017年7月16日 (日)

一番効果的な罵倒語は何か?…考えてみた

 先日、ヒマに任せて、私に浴びせたら一番効果的な罵倒語は何か?…と考えてみました。

 まず、全く効果のない、心が微動だにしないほど無力な罵倒語を考えてみました。

 まずは“チビ”ですね。私は全然チビじゃないですから。反対語の“デカッ”とか“巨漢”とかって言葉は…罵倒語とは違うよね。ノーダメージです。

 よく使われる“バカ”とか“アホ”なども、私には効果がありません。だって私、バカでもなければアホでもないので、そんな言葉を浴びせかけられたとしても「何言ってんだ、この人は」ぐらいにしか思いません。

 そうそう、以前、ネットでケンカをふっかけられた事がありましたが、その人は罵倒語として“インポ”という言葉をよく使ってましたが、これには私、ビックリしました。まあ、ビックリしただけで、事実無根なので、罵倒語としての効果はゼロだったのですが、こういう下ネタ系の言葉を罵倒語として使うなんて、誰もが知っている有名一流企業にお勤めな方で、普段はお上品なフリをしている人なのに、その本性は結構お下劣なんだと認識を改めざるを得なかったくらいでした。

 …ってか、本気で相手の心を折ろうと思ったら、下品な罵倒語を使うよりも、慇懃無礼にネチネチやった方が、確実に心を折れるんだけれどなあ…。

 閑話休題。次は、心に届くけれど、ダメージはほとんど無い罵倒語を考えてみました。

 まずは“貧乏人”です。今の私は、さすがに裕福とかセレブとか富裕層とかでは全然ないけれど、でも貧乏とか貧困とかとは無縁な生活を送っていますので“貧乏人”という言葉にはダメージを受けませんが、でも子どもの頃の私は、貧乏な家に育ち、見事なくらい赤貧な日々を過ごしていたわけで、その頃の事を言われると「ああ、確かに私は貧乏人だったなあ」と思い出して、ちょっぴりお金がなくて悲しかった事を思い出します。

 “ケチ”と言われると…確かにケチな面もありますから、否定できませんが、でも普段の暮らしぶりは、ケチと言うよりも浪費家の側面が強いかもしれません。とにかく、お金は、あればあるだけ使っちゃう人だからさ。

 “屑(くず)”と言われても、私は屑な人間じゃないと思ってますので、気にしませんが、それでも私にだって欠点はあるわけで、そこを凝視すると、全面的に屑では無いとは言い切れないかもと思って、ちょっぴり生き様を反省したりします。

 多少は心に刺さる罵倒語もあります。ジャブ程度には効果のある罵倒語って感じでしょうか。

 まずは“デブ”ですね。実際、私はデブですから。それも“ふくよか”程度ではなく“恰幅が良い”ほどであり“貫禄がある”くらいにデブってます。でも、単に“デブ”と言われるくらいなら「知ってる」とか「デブですが、なにか?」って思うくらいですが、使い方によっては、結構、グサって刺さる時もあります。“ブタ”という罵倒語も、同様に、使い方によっては効果があります。

 “愚図(ぐず)”とか“ノロマ”とか言うのは“デブ”より、ちょっぴり深めに心に刺さるかな? 実際、私は、何をするにしてもスローモーです。まあ、自分としては、事を慎重に進めているだけで、稚拙を避けるための方便なのですが、それを理解しない人たちからは、しばしば“愚図”とか“ノロマ”とか言われます。実際、私自身、もっとスピーディーに出来ないものかと思う時もあり、そんな時に罵倒されると、更に深く心に刺さります。

 “音痴”という言葉は、以前は深く深く私の心をえぐった罵倒語です。私が歌う理由に『歌が好き』はありますが『音痴脱出』も当初の目的にありました。まあ、何を以て音痴というのかは難しいところですが、当時の私は自分で自分を音痴だと思っていましたから、他人から“音痴”と罵られると、グッサリと深く深く傷ついたものでした。

 今ですか? 今はもう自分の事を音痴であるとは思ってません。世間レベルの話をすれば、むしろ歌上手の部類に入るんじゃないかと鼻タカ(笑)なので“音痴”と言われても、カエルのツラになんとやら…です。

 “音痴”に代わって、私の心に深く突き刺さるようになった言葉は“ハゲ”です。

 そう、私、ハゲなんですよ。ハゲだし、デブなんです。でも、デブと言われても「知ってる」と言い返せますが、ハゲと言われると「知っている」と言う前に、心が痛みます。

 と言うのも、私は自分がデブであるという自覚がありますが、ハゲに関しては、自分がハゲである事を忘れている事も多く、そこで改めてハゲている事を指摘されると、心のスキを突かれたような気がして、ダメージ受けます。

 いや、ハゲは言葉だけでなく、たとえば床屋に行って、自分のハゲを見つめただけでも、結構来ますよ。

 私のハゲが、額からハゲるような、自分でも自覚せざるをえないハゲなら、おそらくデブと同様な感覚になれるんだと思います。他人から「ハゲ」と言われても(毎日鏡で見慣れているので)「知ってる」と受け流せると思います。

 でも、私のハゲは、頭頂部が薄くなるカッパハゲなのです。それも頭の後ろの方がハゲているのです。だから、鏡で自分を見ても、ハゲは見えません。合わせ鏡にして後頭部を見つめると…立派にハゲている頭を直面する事になります。普段、ハゲている事を忘れて生きていますので、ハゲている現実と向き合うと、凹むんですよ。

 なので“ハゲ”という罵倒語は、結構、キマス。

 あと“臭い(くさい)”も、かなり心削られる言葉です。

 自分のニオイって自分には分からないじゃないですか? でも私は、自分が無味無臭ではないくらいの自覚はあります。だから、自分から何らかのニオイが発せられているぐらいの自覚はあります。そして、そのニオイが、他人に不快感を与えている可能性がある事も自覚しています。だから、入浴はマメにしますし、自分が臭わないように、ある程度は気を使っていますし、状況に応じてはオーデコロン等も使用します。。

 だからこそ、たとえ本当は臭くなくても、言いがかりとして“臭い”と言われたとしても、結構きます。“臭い”と言われると「ああ、自分は臭いんだ…」と感じてしまうのです。心にグッサリと言葉が刺さります。

 結論。私に効果的な罵倒語は“ハゲ”と“臭い”でした。いやあ、ほんと“ハゲ”と“臭い”は、めっちゃ心にダメージ受けますよ。“そこの、臭いハゲ”とか呼び止められたら、その場で心臓が止まるかもしれません。それくらい、こたえます。

P.S. ただし“臭い”や“ハゲ”が有効なのは、リアルワールドにおいてです。ネットの中では、ニオイも容姿も相手には認知不能な、関係のない事だと承知していますので、書き言葉で“臭い”とか“ハゲ”とか言われても「だから?」という薄い反応しかできません。

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2017年7月15日 (土)

ヨッチャン、クロちゃん

 最近、私が水槽で気にしているのが、この二匹のドジョウたち、ヨッチャンとクロちゃんです。

 緋ドジョウのヨッチャンの事は何度か書いてきました。体調不良だし、体表がボロボロだし、カラダの色も限りなく白くなってしまって、元気がありません。

 そこへ持ってきて、ここのところ、急に体調を崩し、ときおり「死んでしまったのかな?」と思わせるほどに絶不調なのが、真ドジョウのクロちゃんこと、クロです。

 クロはつい最近まで元気いっぱいだったんですよ。それがここ数日、急に体調不良に陥り、よく腹を上にして水面に浮かんでいたり、狂ったように水槽の中で暴れてみたり…本当におかしいのです。

 どうも、先日、自殺未遂をして以来の挙動不審なのです。自殺未遂をして、水換え中のバケツにダイビングをして事なきを得た…とばかり思っていましたが、実はあの時に、体内に大怪我をしたのかもしれません。なんか、調子がおかしいのです。

 そんなクロを見ていると、ヨッチャンが元気に見えてくるから不思議です。もっとも、ヨッチャンが元気になったわけではなく、やっぱりボロボロで体調不良は不良なのです。

 ドジョウは種類を問わず、基本的にタフな魚です。多少体調が悪くても、持ち直すことが結構あります。そこは金魚ほどか弱い生き物ではないって事なんでしょうね。だから、体調が激烈に悪いヨッチャンクロちゃんですが、案外、回復するんじゃないかな…なんて、楽観視していたりする私がいます。

 問題は…夏に差し掛かっているって事かな? とにかく、夏の水槽は、金魚やドジョウの体力を奪いますからね。具合の悪い子には、なおさら厳しいです。

 それにしても、ドジョウたちって、健康具合と体色に大きな関係があるので、パッと見ただけで、彼らの体調が分かるので、飼いやすいと言えば飼いやすい生き物です。

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2017年7月14日 (金)

今回はちゃんと楽器を持ってレッスンに行きました

 前回のレッスンでは、楽器を持たずにレッスンに行くという失態を犯してしまった私です。今回は、念には念を入れ、しっかりと楽器を持ってレッスンに行ってきました(当然だな)。

 とは言え、定刻からだいぶ遅れてのレッスンとなりました。いやあ、お仕事、忙しいんです。だいぶ待たされた先生(ごめんなさい)は、しっかりご自分の練習をされていたようで、いつものように真っ黒な楽譜を目の回るような速度でビュンビュン吹いてました。

 チャッチャと楽器を組み立てたら、即座にロングトーン練習です。細かい音程は吹きながら調整です。まあ、破綻なくやりました。

 エルステユーブンゲンは、20番と21番ですが、今回も暗譜をせずにレッスンに臨みました。先生も、当然、私が暗譜などしていない事は承知していました。ダメだなあ…早く暗譜を完了させて、せめて20番だけでも終了させないと…。20番、暗譜どころか、後半の指がもつれやすい箇所は見事に指がもつれてしまいました。つまり、練習不足の露呈です。練習しないと、あっという間に指って動かなくなるもんだねえ(涙)。

 プチエチュードは17番です。♯3つの嬰ヘ短調の曲なのですが、変化する音3つのうち、最初のF♯とC♯はいいのですが、ついついG♯をナチュラルで演奏しがちな私です。うっかりナチュラルで音を出して「やば!」とか途中でGisレバーを押している私で、当然「ダメ!」とその度ごとに先生に注意されております。当然、まだまだ不合格でございます。

 夏の合宿兼発表会で演奏するソロ曲、ヘンデルの…「ラルゴ」…って、いやあ、前回の記事まで「オンブラ・マイ・フ」と書いてましたが、よくよく楽譜を見ると「ラルゴ」って書いてあるので、今回からは“ラルゴ”と表記します。

 私はオペラを全幕見たことがないので、はっきりとは知らないのですが、同じメロディーでも歌手によって歌われている部分は「オンブラ・マイ・フ」と呼び、同じオペラの中で、同じメロディだけれど、オーケストラだけで演奏されている演奏曲もあって、そっちは「ラルゴ」と呼ぶのだそうです。微妙にあれこれ違うとか? まあ、そのうち、オペラ全幕を見て確認するつもりですが、今回、私がフルートで演奏するのは、楽譜には“ラルゴ”という曲名になっているので、ラルゴなのです。

 で、そのラルゴですが、発表会用仕上げなので、結構細かい部分まで注意されました。

 まず、トリルですね。トリルに入るタイミング、トリルに入ってから音を動かすまでの僅かな時間だけれど元音をキープしていく感じ。そこから音を動かす動かし方と終え方。たかがトリル、だけどリトルなのです。いやあ、トリルも真剣にやると難しい。

 音価(音符の長さ)を大切に…、それぞれの音符に与えられた長さを、意味なく短くしたり長くしたりしてはいけないわけで、そこは定規で測ったように、ビシッビシッと正確無比にしないといけません。まずは、楽譜通りに冷徹に演奏する事。そうしないとピアノとの合わせの時に苦労する事になる…のだそうです。

 私の場合、声楽曲「オンブラ・マイ・フ」はレパートリーにありますが、ついつ歌っているつもりで吹いてしまいがちなのですが、練習の段階では、まずは歌心ってヤツは封印して、楽譜に忠実に、正確無比に演奏する事が第一です。崩すのは、きちんと正確にできるようになってから…なんだそうで、まあ納得です。

 それとこの曲は、白玉音符が多いのですが、そういう長い音符の時は、息をスパッと吐き出して演奏するのではなく、一度クチの中でグルンと息を回してから吹くのが“吉”なんだそうです。まあ、これは歌でもそうだから、なんとなく分からないでもないです。

 いやあ、ラルゴは単に吹くだけなら簡単なのですが、発表会レベルの仕上げをするとなると、あれこれあれこれ難しいですし、先生曰く「吹けば吹くほど難しくなってくるよ」との事です。いやあ、頑張っていきたいと思います。

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2017年7月13日 (木)

楽譜が手に入らない(涙)

 コンサートなどに行って「ああ、いい曲だな…。私も歌ってみたい/吹いてみたい」とか思った事ありませんか? 私は結構あります。

 ポピュラーソングを歌うのなら、割と話は簡単です。YouTubeで参考音源を聞いて勉強/練習して、カラオケに行って歌えばいいんです。簡単ですね。

 でも、クラシック系の曲だと楽譜を入手するところから始めないといけません。なにしろクラシック音楽ってのは“はじめに楽譜ありき”だものね。でもね、楽譜って、そう簡単に入手できるわけじゃないんですね。

 まず楽譜って、地方だとなかなか入手できないんです。

 と言うのも、楽譜を置いている楽器屋さん自体が地方にはなかったりします。たとえあっても、在庫楽譜大半はピアノの楽譜で、歌やフルートの楽譜なんて無いです。特に、フルートの楽譜は壊滅状態だよね。

 私の住んでいる街の楽器屋さんも、例に漏れず、置いてある楽譜のほとんどはピアノの楽譜です。歌はほんのちょっと。フルートは、教則本と副教材系の楽譜が少々。私が欲しいと思った楽譜は…まあ無いね。

 隣町にかつて少々大きな楽器店が2軒ありましたが…今はゼロです。一つ(ヤマハ)は撤退、一つ(地元系の楽器店)は廃業…と言うか、販売を止めて音楽教室一本になりました。楽譜そのものは、大型書店の音楽コーナーで購入可能ですが、楽器店での在庫とは比較にはなりません。シマムラとかヤマノなどの、他の大手楽器店は最初っからありませんから、これでジ・エンドです。

 と言う訳で、現在、ちょっと気の利いた楽譜が欲しい時は、都会に行くしかありません。

 幸い、私の場合は銀座に行けば、国内の楽譜はもちろん、海外輸入譜も結構入手可能ですから、手間さえ惜しまなければ、なんとかなります。それでも入手できない楽譜(輸入譜が主です)は、インターネットを駆使して購入です。

 問題はインターネットを駆使しても入手できない場合なんですよ。

 「そんな事ってあるんですか?」 あるんですよ。絶版とか廃版とかです。

 楽譜だって商品です。売れないものは、あっと言う間に消えてしまうのは当然として、流行り廃りもありますから、昔はバカ売れだった楽譜も、時代が変わって売れなくなれば消えてしまいます。また海外作品だと、著作権の取扱も日本とは異なるわけで、そのあたりがからんで、市場から消えてしまう楽譜もあります。

 実は最近、私が欲しいなあと思ったけれど、入手できなかった楽譜は、これらのパターンでした。ある曲は、古い古い曲で、あまりに古い曲なので、ピアノやギターではなく、大正琴用の楽譜しか販売されていなくて、そのままでは使えないので、断念しました。また別の曲は、最近の楽譜なのですが、本当に売れなくて、すでに絶版となり、中古の楽譜が元値の10倍ほどの価格で流通していますが、楽譜って元から安くないのですが、それが10倍ほどの値段になってしまうと…躊躇しております。またある曲は海外曲だったのです。ほんの少し前までは入手が容易だったのですが、著作権で問題が発生し、世界的に一斉にこの曲の楽譜が消え、国内でもこの曲を外した改訂版が作られ、以前の版は当然絶版となってしまいました。

 ああ、入手できないと分かると、無性に欲しくなるものです。

 きちんとした音楽教育を受けてさえいれば、楽譜がなくても、自分で採譜して編曲してしまえばいいのですが、悲しいかな、素人にはそんな事はできません。専門業者に頼んで採譜してもらうという手もありますが…そこまでお金をかけるつもりはありません。そうなると、負け犬のように、さっさと尻尾を丸めて、悔し泣きをするしかありません。

 なんかなあ…。楽譜が入手できないのだから諦めるしかないのだけれど、なんか釈然としないし、諦めつかないのよ。

P.S. 海外曲の場合は、ネットの画像検索をかけると、消えたはずの曲であっても、使える楽譜が見つからないわけじゃないですが、それって著作権者に対して無断使用にあたるわけで、コンプライアンスの遵守を旨とする私的には、たとえ私的使用であっても躊躇してしまいます。

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2017年7月12日 (水)

声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

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2017年7月11日 (火)

録音されたら分からないよね

 オーディオファンの方々には申し訳ないのだけれど、私はオーディオ装置というものを信用していません。別にオーディオ装置を毛嫌いしているわけではないし、私自身、録音された音楽を聞いて楽しんでいますし、音楽はなるべく良い音で楽しみたいと思っているし、高価なオーディオ装置の再生音は素敵だなあと思うものの、でも、オーディオ装置に全幅の信頼は寄せられないのです。

 少なくとも、何か大きな技術的なブレイクスルーがない限り、私が満足するようなオーディオ装置って、存在し得ないだろうなあって思ってます。で、私が満足するようなオーディオ装置ってのは“演奏会場そのものを再現できるオーディオ装置”です。つまり「生音を生音のまま再生できる機器」が欲しいなあと思っています、それも簡便な装置で。

 おそらく、現在の技術で私の希望に近いオーディオは…バイノーラル録音だと思います。バイノーラル録音とは何か…と説明し始めると、それだけで一つの記事になってしまいそうな気がするので、知らない人は、各自でググってください。

 バイノーラル録音では、通常のステレオ録音よりも、音の定位がよりはっきりするだろうし、会場の空気感のようなモノも録音再生できるだろうし、ハイレゾ音源として録音すれば、かなりの音質の向上も期待できるのだけれど、私にはそれでも足りません。

 ハイレゾ音源って、いくつか聞いたことあるし、再生装置が素晴らしければ、本当に素晴らしい音質で再生できるわけだけれど、その素晴らしさは、生音の素晴らしさとは、ちょっぴり違うような気がします。それこそ、生の桃と桃缶の桃の違いぐらい違います。いやいや、養殖うなぎと天然うなぎの違いぐらいまで近接しているかもしれません…が、やっぱり違うものは違うのです。

 何と言っても、ヘッドフォーンを着用しないといけないってのが、バイノーラル録音における大きなマイナスポイントだと思っています。それに代わる再生システムとして、昔は4chステレオであったり、現在なら5.1chサラウンドだったりするんでしょうが、それらもバイノーラルほどではないにせよ、かなりいい感じの再生システムだったりしますが、今度は装置が大げさになってしまうのが欠点かな?

 現在のオーディオ機器は、人間の可聴音域を遥かに超えるスペックで録音再生できるのですから、生音と録音再生には、もはや違いがないはずなのですが、それでも実際に聴き比べてみると、なんか違うんですよね。

 一つには、録音された音源って、程度の差こそあれ、化粧されている音だからです。

 音楽に限らず、何か音を録音する際に、収録された音にフィルタをかけて、ある一定以下の音量/周波数をカットし、ある一定以上の音量/周波数は歪まないように低減して録音するのが通例です。そういう加工をして録音するから、すっきりした再生音になるわけですが、そのすっきりした感じが違和感を生み出しているような気がします。

 いやいや、違和感程度なら問題ないです。もっと積極的にフィルタを使って、音質そのものに手を加えて録音された音源だってあるでしょう。また編集されている音源だってあるわけで、演奏者や演奏場所が異なる音源だって、編集次第では一つの音楽にまとめることはできるし、演奏者のミスなども編集過程で修正したり差し替えたりすることも可能です。そうなると、録音は実演よりもミスのない完璧な演奏と言うことすらできますが…それもなんか違うような気がするわけです。

 人間だもの、失敗したっていいじゃない。素晴らしすぎると、リアルを越えてしまいます。

 “ライブ音源”と銘打たれた音源だって、実際は修正されていたり差し替えられていたりオーバーダビングをされていたりするわけです。いまや“ライブ録音”って『レコード会社のスタジオ以外で録音されたもの』程度の意味しかありません。

 つまり、録音された音源って、生音と較べると、物足りない部分があるかと思えば、生音よりもキレイに仕上がっている部分もあるし、より聞きやすかったりするわけです。さすが、そこは工業製品なわけで、天然物と較べると、エグミやアクと言ったものが無いわけです。

 何が言いたいのかと言えば、録音でも、おおよその音楽の素晴らしさは分かると思うのですが、あくまでも“おおよそ”でしかないって事です。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです…って、先週も同じ事を書いたような気がしますが、そういう事です。

 なので昨今の私は、音楽を聞く時は、外出先で聞く時は、3000円程度のカナル型イヤフォーンで、自宅ではパソコンのスピーカー(それでもちょっと良い奴だしウーハーも用意しています)で聞いてます。居間には、ちゃんとしたステレオ装置もあるし、そこそこ良いスピーカーセットもあるんだけれど、普段はあんまり良い機器では音楽を聞いていなかったりします。

 つまり、オーディオ装置に対して、ある種の割り切りがあるわけで、割り切りがあるからこだわりが無いわけで、こだわりが無いから、そんなに良い装置でなくても平気で音楽を聞いちゃうし楽しめちゃうわけです。

 なぜそんな割り切りがあるのかと言えば…オーディオ装置に全幅の信頼を寄せていないからです。ベストな再生音なんて望んでいないので、ほどほどの再生音で楽しめちゃえるわけです。

 安上がりな体質でしょ(笑)。

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2017年7月10日 (月)

オペラ魔女の生歌を聞いてきた

 先日、某A市で行われた『エンターテイメント クラシック Ⅲ』というコンサートに行ってきました。お目当ては、テノール歌手の上原正敏氏だったわけだけれど、このコンサートには“オペラ魔女”こと、翠千賀(みどり・ちか)氏も出演していましたので、ブログ的には、こちらの翠氏の事をメインに書いてみたいと思います。

 まず、翠氏の事を知らない人のために、簡単に説明します。翠氏は、私も大好きなテレ東系の「カラオケ★バトル」という番組の準レギュラーです。番組自体に関しては、以前「私は『カラオケ★バトル』が大好き!」という記事を書きましたので、そちらをご参照ください。

 翠氏は、この番組の中では“高音オペラ魔女”という二つ名を持っている準レギュラー(つまり、常連さんって事ね)で、カラオケマシン相手に、満点をも出してしまうほどのカラオケ名人で、2016年度の年間チャンピオンの一人です。番組内のキャラとしてはヒール(憎まれ役)的存在で“強くて嫌なヤツ”というキャラになってます。まあ、ビッグマウスをかましている事が多いのだけれど、結果が伴っちゃうので、誰も何も言えない…ってキャラ付けなんでしょうね。テレビ出演時のメイクも(魔女っぽさを出すためでしょうか?)キツめで、いい感じで不気味さをアピールしています。

 高音オペラ魔女…という二つ名ですが、番組では歌謡曲を歌っている事もあって(オペラ歌手的な高音を全然出さないので)妻などは「どこが“高音”なの!」と憤っています。まあ、歌謡曲的な高音と、オペラ的な高音は全然違うので、さほど高くない音程の音でも、歌謡曲的には“すっごい高音”って感じなんでしょうね。

 で、彼女のステージを見てきた感想ですが…ステージ上の翠氏と、テレビのオペラ魔女は、かなりキャラが違いますね。まあ、当然と言えば当然で、笑点の木久扇師匠がテレビでは与太郎キャラ(つまりバカ)を演じてますが、素の木久扇師匠はかなりのインテリさんであるのと同様なわけです。プロの方で、素のままテレビに出演している人なんて、いるわけないし…ね。

 オペラ歌手としての翠氏は、正統派のスピント系のソプラノでした。それもプロ歌手としては正統的でマトモな歌い方の人でした。日本のクラシック系演奏家は、かなりの腕を持っていても、なかなかプロとして目が出ない人も多いのですから、たとえカラオケ番組であって、それで名前を全国的に売ることが出来て、ラッキーだったと思います。

 舞台では、ごく普通のオペラ歌手的な発声で歌われていて、カラオケ番組での歌い方とはだいぶ違いました。ご本人がおっしゃるには、テレビではクラシック系の発声ではなく、ミュージカル系の発声に寄せて歌っているんだそうです。と言うのも、クラシック系の発声で歌うと(機械がちゃんと声を拾えず)低い点しか出ないからだそうです。まあ、分かるような気がします。テレビではカラオケマシンでの高得点を狙うために、棒歌いが多いのですが、舞台での歌唱では、かなり濃い目の表現で歌っていました。つまり、テレビタレントのオペラ魔女と、オペラ歌手の翠氏は、歌手としては、別人格と考えた方が良いかもしれません。

 なので、オペラ魔女的なモノを期待して彼女のコンサートに行くと、ちょっとガッカリしちゃうかもしれません。舞台では、あんなにどぎついキャラではありませんから。

 メイクも舞台はテレビとは違って、かわいい系のメイクをしてましたよ。素はかなりの美人とお見受けしました。

 テレビタレントのオペラ魔女も良いけれど、オペラ歌手の翠千賀氏も、なかなか良いなあと思った私でした。

P.S. コンサート終了後の物販コーナーでは、私は翠氏のCDではなく、上原氏のCDを購入して、サインまでいただきました。いやあ、ソプラノよりもテノールの方が好きなんだな、私。

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2017年7月 9日 (日)

少子化の原因は、恋愛至上主義なんじゃないの?

 一体、いつから恋愛しないと結婚してはいけない世の中になってしまったのでしょうか?

 昔々…と言っても、そんなに昔の話ではありません。少なくとも私が若い時はまだ残滓があったし、私の親世代では、ごくごく当たり前の話でしたが、その頃の結婚ってのは、親とか家とかが決めるものであり、結婚相手は、親とか親戚とか、あるいは地域の世話役(“見合いババア”とか呼ばれていた人たち)が“お見合い”というカタチで結婚の世話をしてくれたものです。恋愛を経て結婚に至る人たちもいたけれど、全体的には少数派だったかな? だから明治~昭和前半の文学作品のテーマに「親がすすめる見合いのために、愛し合う二人の仲が割かれる」ってのがあったわけです。

 つまり、ほんのちょっと前までの日本では、恋愛と結婚は別物だったわけです。だから、恋愛しなくても、多くの人は結婚して家庭を作っていたわけです。

 戦争に負けて、アメリカ的な文化が入り込み、いつしか結婚は『“愛し合う二人”による愛の完成形』という事になり、恋愛を経なければカップルとなれず、カップルになれなければ結婚できない、という事になってしまったようです。

 でしょ?

 陽気なヤンキーにとっては、恋愛なんて日常茶飯事でしょうし、それこそ「愛のない結婚生活なんてアンビリーバボー!」って事なんだと思うけれど、日本人にとっては、有史以前からつい最近まで、結婚は周囲のオトナたちが準備してくれるモノであって、結婚式の当日まで結婚相手の顔も見たことない…なんて事だって、あったわけです。

 そんなやり方で、つい最近まで、私たちが暮らす社会は成り立っていたわけです。

 つまり、ごくごく最近まで、多くの日本人にとって、恋愛は必要不可欠なものでなく、しなければしなくても全然構わないモノだったのです。それこそ、仕事一筋、あるいは趣味に没頭した生活をしていても、年頃になれば、適当な相手を見繕ってもらって、結婚して、家庭を営み、その中で相手に対する情愛が生まれ、子どもも生まれて、家族として育っていく…わけです。別に恋愛感情なんてなくても、結婚できたし、家庭も作れたし、社会生活も営めたわけです。

 でも昨今は、まず恋愛でしょ? 恋愛結婚こそが結婚へ至る王道であり、かつてのような、親とか親戚とか見合いババアの紹介による見合い結婚はすっかり廃れてしまいました。代わりに、同世代たちによる合コンなどの集団見合い的な催しは行われるようになったけれど、合コンと結婚は別につながらないし、業者による結婚仲介サービス業もあるけれど、成婚率もそうだけれど、そもそもこれらのサービスを利用する人たちって、どれくらいいるんでしょうね。また、地元振興の名目で各自治体が各種お見合いサービス(例えば“街コン”のようなモノ)もしてますが、これだってどうなんでしょうね。

 私が思うに、日本人の基本的な性格って、決して陽気ではないし、外交的でもないんだと思います。どちらかと言えば、見知らぬ人を警戒する用心深さと、仕事などの自分の役割に没頭する真面目さを兼ね備えた、ヲタク的な性格の持ち主が多いと思います。その上、結婚適齢期の、まだまだ人生経験の少ない若い世代では、他人とコミニュケーションを取る事自体に慣れていない事もあり「恋愛? ムリムリ」と思っている人も多いことでしょう。

 実際に若い人たちと話をしていても、男女問わず、自分が将来結婚できるとは思っていない子って、本当の本当に多いです。自分が恋愛をしている姿が想像できないそうで、恋愛しない以上、相手がいないわけですから、結婚も無理…って思うそうなんです。

 …だよね。私も若い人たちを見ていると、この連中が恋愛できるとは思えなかったりするもの。コミュニケーションが下手くそで、人間関係を構築するのが不器用で、顔見知りの同性同士で遊んでいるのが楽しくて居心地が良くて、ほどほどに真面目だから仕事に勉強に熱心だったりして…そりゃあ、恋愛するチャンスなんてないし、仮にチャンスがあっても、それを活かせるとは、オジサン、全く思わないわけです。

 おまけに、それらの難題をクリアしてカップリングに成功しても、若い世代は経済的にも恵まれていない子が多いから、結婚を先送りにしているうちに仲が冷めて、別れちゃったりするわけでしょ? で、一度失恋すると、いつまでもそれを引きずってしまうのも今の若い子の特徴のようで、なかなか次の恋愛には踏み出せないようです。

 結局、恋愛なんて、我々日本人には、ハードルが高いんだと思います。恋愛を日常的に行うためには、オープンマインドと巧みなコミュニケーション能力が求められるわけだけれど、残念ながら、それらを標準装備している日本の若者って、ほんと、少ないよね。

 我々は、与えられた人間関係を維持するのは得意でも、新規の人間関係を作り上げるのは苦手なんです。だって、与えられた人間生活を維持しつつ新規の人間を排除するってのは“村社会”の特徴だもの。結局、先進国となった今でも、我々のメンタルは昔ながらの“村社会”のままなんだと思うわけです。

 日本人はやっぱり日本人なわけで、陽気なヤンキーにはなれないわけです。それを無理して恋愛至上主義みたいなモノを取り入れちゃったから、多くの若者が恋愛できずに、結婚にたどり着けず、高齢独身となって出産する事なく人生を終えるわけです。

 そりゃあ、人口だって減るよね。

 恋愛なんて趣味的なモノであり、やりたい奴はやればいいけれど、恋愛しなくても、きちんと結婚をして家庭を築いていける、かつての日本のような社会を取り戻さないと、ドンドン日本人が減っていき、やがて絶滅危惧種になって、この世から日本人と日本国と日本文化が無くなってしまうよ。

 そうしたら、きっと、この日本列島には中国人たちが住むんだろうなあ…。だってあの人たちの繁殖力たるや、実はすごいもの。半端ないよね。やがて世界人類の大半が中国人になってしまうんじゃないかしら…って思う時、あるからなあ。

 それもなあ…、なんかなあ…。

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2017年7月 8日 (土)

ハンモックで昼寝をするヨッチャン

 ドジョウという生き物は狭いところが大好きです。とにかく隙間を見つけては、そこに入り込んでご満悦になる生き物です。狭いところがなければ、地面を掘って地中に隠れてしまうくらい、狭くて暗いところが好きです。

 おそらく、この特性はドジョウだけでなく、この手の“細長い魚”一般に共通するんじゃないかしら? と言うのも、穴子とかウツボとかも、自然界においては、岩の割れ目とか砂の中とか、好きだものねえ…。

 で、我が家の場合ですが、一応、ドジョウ達のために、木炭による管(トンネル)のオブジェと、陶器製の空洞のあるブロックを入れていますし、水質保全のための活性炭の入った袋も沈めてあるので、この袋の下に入り込んでいる事も多いですし、水槽の砂利だって比較的潜りやすいものを用意しています。ですから、普段はドジョウたちも、それらの中に入って暮らしているわけです。

 さて我が家では、毎月毎月、水槽に水草を入れています。金魚たちが食べ尽くしてしまうので、一ヶ月ごとに水草を入れているわけです。水草を入れた当初は、水槽の中に、うっそうとした水草の森が出現します。金魚たちが暮らしづらいのではないかというくらい、大量の水草が入るわけです。

 大量の水草のために水槽が狭くなって、金魚たち行動範囲は狭くなって、少々窮屈めとなりますが、この水草だらけになった水槽は、ドジョウ的には喜ばしい感じで、この水草の森の中に、ドジョウ達がよく刺さっています(笑)。先日などは、あのヨッチャンが、水草の森の中に入り込んで、まるでハンモックに寝そべるように、悠々としていました。ほんと、居心地良さそうで、幸せそうでした。

 最近は健康を害して、ちょっと痛々しいところのあるヨッチャンですから、のんびりくつろいでいる様子を見れるのは、飼い主的にもハッピーな事です。

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2017年7月 7日 (金)

楽器を忘れてレッスンに行きました

 ええと、タイトル通り、フルートを持たずにレッスンに行ってしまいました。ダメですね。

 なぜ楽器を忘れてしまったのか…特に理由はありません。単純に疲れていて、頭がボーとしていて、何も考えずにレッスンの用意をして出かけただけです。

 そしてお教室に着いてみたら、私の荷物に楽器が無かった…だけの話なのです。楽譜とか録音機とか、その他レッスンに必要なものはすべて持っていたのに、肝心の楽器だけがなかったのです。

 びっくりしましたよ。私、忘れ物って、まずしない人なのです。今までだって、ボケーとしていた事なんて、何度もあったけれど、それでも忘れ物なんてしない人だったのだから、楽器が無い事よりも、私が忘れ物をした事に、驚いてしまいました。

 先生には「フルートを持ってくるのを忘れてしまいました」と言い、せっかくなので先生とおしゃべりをしたら帰りますと伝えました。

 楽器を取りに家に戻るという事も一瞬考えましたが、それをやってしまうと、お教室の営業時間を越してしまうし、先生のご帰宅時間も遅くなってしまうので、ダメです。

 後で妻から「電話をくれれば、すぐに届けたのに…」と言われました。ああ、たぶん、それが正解なんだと思いますが…自分が忘れ物をしてしまったという事実に、ちょっぴりうろたえてしまった私は、そんな事も思いつきませんでした。ダメですね。

 とにかく先生とは、あれこれ世間話をしました。今回は主に合宿のこぼれ話です。昔々、あんな事があったとか、こんな話があるんだよとか、そういうフルート合宿の歴史話でした。だからネットに書いても面白くないだろうから、今回はパスです。

 それよりも何よりも、フルートのレッスンなのに、フルートを持たずに行くなんて…ああ、ショックだ、ショックだ。

 それにしても、器楽って楽器がないと始まりませんね。これが声楽ならば、手ぶらで行っても、なんとかなるんですよ。発声練習をしたり、暗譜で歌ったり、先生の隣に立って同じ楽譜を見ながら歌ってみたり…でも器楽は楽器がないと…ほんと、どーにもなりません。

 深く深く反省…だ。

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2017年7月 6日 (木)

クラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだな

 クラシック音楽と言うのは、本来は王侯貴族の楽しみです。彼らが自分たちの食事時や宴会時のBGMとして(今で言う)室内楽を演奏させていたのが、そもそもの演奏形態なのです。ですから、作曲家や演奏家も、お屋敷に勤める使用人の一人であって、音楽演奏を専門に働いている御家来衆の一人に過ぎませんでした。

 つまり、当時の音楽(今で言うクラシック音楽)って、王侯貴族の独占物であって、庶民たちはその存在は知っていても、楽しむ事はできなかったわけです。

 で、市民革命があって、王侯貴族たちの特権や贅沢が開放(解体?)されました。そして、王侯貴族の規模縮小&没落に合わせて、音楽家たちは失業し、フリーな存在になりました。

 王侯貴族に変わって、世界の主役になったのが市民たちですが、市民たちには王侯貴族のような経済力はなく、音楽家たちの生活を丸抱えする事ができませんでした。その代わり、演奏会ごとに(チケット代という形で)賃金を支払う(一種の)アルバイトとして彼らを雇うようになりました。

 しかし、王侯貴族たちが楽しんだ室内楽という演奏形式では、客の数も少なく、チケット販売枚数なんて、たかがしれたものです。そんな少額では、音楽家たちの生活を支えることは難しいのです。

 そこで発展していったのが、音楽ホールとオーケストラなわけです。つまり、広い会場にたくさんの市民を集めて、大きな音で演奏することで、一回の演奏会で多くの観客を動員して、演奏会の収益をなるべく大きくしましょう…って事です。

 つまり、チケット一枚の値段はそんなに高くできないけれど、観客の数を増やすことで、全体の利益を確保しようとしたわけで…つまり、音楽の薄利多売が始まったわけです。

 それでも、音楽ホールに集められる人数なんて、たかが知れているわけです。オーケストラが出せる音量にだって限界はあります。だから演奏会は頻繁に行われたわけだし、音楽家たちはツアーを組んで、当時の世界をくまなく旅して演奏活動をしていくしかありませんでした。

 そんな苦労を重ねても、一度始まった音楽の薄利多売商法は、とどまることがありませんでした。多く稼ぐためには、たくさん演奏するしかないのです。

 やがて電気が発明されると、電力を使った音楽ビジネスが始まりました。

 まずはP.A.システムの導入です。つまりマイクとスピーカーの使用です。これによってさらに大きな音楽ホールでの演奏が可能になり、現在のようなアリーナ公演が可能になったわけです。

 次に楽器の電気化&電子化が行われました。楽器を電気化&電子化することで、演奏に必要な音楽家の数を減らす事でできるようになりました。やがて録音技術が発達してレコードが作られるようになると、生演奏の必要がなくなり、音楽家は演奏旅行をせずとも、音楽そのものがパッケージ化されて世界中で販売されるようになり、さらにさらに薄利多売が進んでいったわけです。

 そのレコードが、やがてCDやDVDに変わり、現在のようなネット配信になっていったわけです。

 つまり我々が聞いている音楽と言うのは、薄利多売できるようにアレコレ工夫を重ねた末の音楽だったりするわけです。まあ、我々は王侯貴族ではありませんから、王侯貴族のような楽しみを味わうためには、どこかで妥協しないといけないわけで、それがホール演奏だったり、ネット配信だったりするわけです。

 ポピュラー系音楽のように、薄利多売システムを前提として発展していった音楽は、まあ良いとして、クラシック音楽というのは、薄利多売の始まる前とか、最初期の段階で発展していった音楽だったりするわけです。

 そもそもが生演奏を前提とした音楽ですから、それを録音で聞くのが普通となった現在では…採れたてピチピチの食材と、缶詰やレトルトの食材が違うように、ちょっぴりあっちこっちが違っているわけです。

 ざっくり言っちゃえば、録音される前提の無いクラシック音楽を、録音して聞けば、そりゃあアレコレ違うよって話です。

 「だからどうした!」と言われれば「いや、別に」としか答えられない私ですが、でも録音された音楽って、そんなもんだなって思っている私なのです。つまり、録音された音楽ってのは、薄利多売向けの廉価版の音楽…なんだなあって思っている私なわけなんです。

 そんな薄利多売向けの廉価版演奏であっても、楽しめないわけじゃありません。音楽作品の良さが分からないわけじゃないし、演奏家の素晴らしさが分からないわけじゃありません。でも、音の美しさは…分からないよね。どれだけ素晴らしい録音技術で収録しても、生演奏にはかないません。演奏された音には、録音できない音や再生できない音、収録できない空気の振動というのが含まれており、それがまたその音の美しさを際立たせていたりします。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです。そういう事です。

 そう考えると、やはりクラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだなって思います。

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2017年7月 5日 (水)

英語で歌うのは難しい?

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。今回から、発表会の曲、レハール作曲の「メリー・ウィドウ」に集中です。

 まずはテノールソロの「Maxim's/マキシムの歌」からです。この曲はテノールソロとは言っても、実際の舞台ではバリトン歌手も歌います。いやむしろ、実際の上演ではバリトン歌手が歌う方が多いかな? ただし、元がテノール用に書かれている曲なので、高い音が得意なバリトン、つまり“ハイバリトン”と呼ばれる人たちじゃないと歌えません(Y先生はバリトン[それもバス・バリトン]だけれど、この曲は“高い”ので歌わないのだそうです)。なので、私のような、高音が苦手なテノールでも歌いやすいわけです。実際、音域的には、全然楽です。だって、一番高くてもGですもの。Gはバリトンにとっては目がくらむほどの高音のようですが、テノールにとっては、一番美味しい音です。むしろ、一番低い音が五線下のAなので、この音をきれいに出せるテノールって限られていますから(私は無理です)、そういう意味でも、高いGが出せるならバリトンの方が良いくらいの曲なのです。

 まあ、私は一番低い五線下のAを、その音だけを1オクターブ上に上げて歌います。世のテノールの皆さんは、この曲を歌う時は、そうするので、私もそうします。

 という訳で、音域的には難しくないのですが、難しいのは、テンポが速い事と英語で歌う事です。テンポの速さは練習を重ねることで対応するしかないです。英語で歌う事は…ドイツ語ほどではないけれど…子音が多いので、それらの処理をうまくしていかないとレガートに歌えない難しさがあるわけです。それに楽譜を見ると、音符に子音しか振り分けられていない箇所もいくつかあり、そういうところは工夫して歌わないといけないわけで(子音で音程を作るのは難しいのです)、とにかくアレコレ大変だったりします。

 とにかく、子音の処理を巧みにしないと、歌がゴツゴツしちゃうんですよね。この曲って、酔っぱらいの歌なので、ろれつが回らないグダグダした歌い方は演技としてアリですが、ゴツゴツした歌いクチってのは、ほんと似合いません。滑らかに歌えるように練習していかないと…なあ。

 次は二重唱の「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」です。とりあえず歌ってみましたが、そんなに悪くはないです。楽譜通りに歌うだけならば、歌い込んでいけば、それなりになるでしょう。問題は、慣例に則って楽譜にない音を加える事にしたのですが、そこが結構難しいのです。と言うのも、ソプラノとのハモリの箇所に高いAとGを加えるからです…この曲は、本来Fまでの曲なんです。歴代の歌手さんたちが、それでは物足りないというので、GやAを加えて歌うようにしちゃったんですね。

 高いAなんて、私にとって結構ギリギリの高さなのですが、ハモリの箇所なので、メロディのソプラノをかき消すよう声で歌ってはダメダメです。あくまでも控えめな声で高いAを歌うわけです。ただでさえ難しいAの難易度がグッと上がります。いやあ、控えめの声で歌うなら、Gだって難しいですよ。

 頑張らないと…。

 さらに、この曲はあれこれテンポが揺れるし、本番ではワルツを踊らないといけないし、やる事はたくさんあります。頑張んないとなあ…。

 さて最後も二重唱で「A Dutiful Wife/従順な妻」です。こちらは先の2曲と違って、バリトンが歌うことはまずない、テノールのために書かれた曲です。メロディの中に高いHが白玉音符で出てくる曲です。難しいですね。

 さすがに高いHは、今の私ではちゃんとは出せない音(だってHi-Cの半音下だよ)なので、一応頑張りますが、声が裏返ってファルセットになってしまってもいいやって気持ちで歌っています。実際、気持ちだけでなく実際に声が裏返ってファルセットになってしまう事の方が多いのですが(汗)。

 先生からは「オペレッタだから…」という理由で、ファルセットで歌うのもOKであると認めてもらいましたので、声が裏返ってしまっても堂々とする事にしました。ただ、いくら高い音だからと言って、ファルセットで歌うのは異常事態なので、そんな異常事態を納得させられるような演技が必要だと言われました。さらに、ファルセットで良いのは、この高いHだけで、すぐ次に続く高いAはファルセットではなく、実声で歌わないといけませんとは言われました。そこで、ファルセットでHを出した後、すかさず地声でAを出す練習もしました。フレーズの途中での声の切り替えも難しいです。いやあ、実際、この二重唱は難しいんですよ。

 それにしてもハモリって難しいなあ。

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2017年7月 4日 (火)

疲れている時は、高音は出さないにこしたことはない

 声楽のレッスンに行ってきました。まずは発表会に向けての日程調整からです。と言うのも、発表会の準備は我々出演する生徒たちも忙しいのですが、先生も発表会の前の週にオペラ興行があって(当然、メインキャストです)そちらのリハーサルやらなんやらもあって忙しいのだそうです。そんな先生の忙しいスケジュールに、我々の発表会の準備をねじ込むわけだから、あれこれ調整が必要ってわけです。

 現役の歌手さんに師事しているんだから、そういう事もあるわな。

 とは言え、我々の場合、自分たちで完結している(ソロはそれぞれ歌うわけだし、二重唱も夫婦で歌う)ので、自分たちの都合だけを考えれば良いので簡単です。他の人と二重唱を歌う場合は、相手の都合を考えないといけないし、レッスンをしてくださっている先生との二重唱ならレッスンの中で練習できますが、レッスンをしていない方の先生との二重唱であったり、ゲスト歌手(今回もテノール歌手さんを呼ぶそうです)さんとの二重唱あると、ピアノ合わせの日が合わせの練習日になるわけで大切だし、回数も必要になってくるし、でもそんなには日にちは用意できないし…って事で、日程調整が必要になるわけです。

 あれこれ考えて、我々はピアノ合わせを本番2週間前に1回やってお終いという予定にしました。と言うのも、この時期、私の仕事が忙しくて、何度もピアノ合わせをしている余裕が無い事と、我々がどうであろうと、ピアニストさんはきちんと合わせてくれるだろうから、そんなに回数は必要ないかな?…なんて思った次第です。

 まあ、昨年のボエームの大変さと較べると、今年はかなりのイージーモードで発表会に臨んでいる私だったりします。ダメかな?

 さて、レッスンです。まずはハミング練習です。今回は、声の響きを顔の前面に集める練習をしました。とにかく、むちゃくちゃ顔面がかゆくなりました。今まで、かゆいのがイヤで、声の響きをあまり前に持ってこなかった私ですが、そんな事をしていたらダメなんですね。声はノドの奥から出さなきゃダメですが、響きは顔面にビンビンに響かせるようにしないといけないですね。

 で、発声練習です。今回は私がすでにヘトヘトの状態でレッスンに臨んだので(今の時期、とっても仕事が忙しいんですよん。睡眠時間もガンガン削っております)腹筋の筋トレっぽい練習は、いつもほどキツくはなく、ユルい感じで終わりました。と言うのも、疲れてカラダの動きが悪い時に無理に声を出させると(特に高音)ノドを痛めてしまうので、疲れている時はそれなりの声で勘弁せざるをえないってわけです。

 まあ、無理して怪我しても仕方ないしね…って事です。

 その代わりと言ってはなんだけれど、腹筋を派手に動かす事、クチを派手に縦に開く事、息をしっかり流す事に注意を向けながらの発声練習となりました。

 しかし、ノドの奥を開こうとするとクチが横開きになりやすく、クチを縦開きにしようとするとノドの奥が狭くなってしまいます。まだまだダメだな。

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2017年7月 3日 (月)

私の好きなアマチュア歌手、Aさんの声について

 先日、例によって、私の趣味である“見知らぬ人たちの声楽発表会”を聞きに行きました。いや、正確に言えば「向こうは私の事を知らないけれど、私の方は、ここ数年、その上達具合を見守り続け、今やファンになりつつあるほど大好きな人たちが出演する発表会」ってヤツを聞きに行ったわけです。ほんと、この日を楽しみにし、指折り数えて待っていたわけです。

 その出演者の中に、私がここ数年、とても気にしている歌手さんがいます。その人を仮に“Aさん”と呼ぶことにしましょう。

 Aさんの歌唱スタイルは、とても心が暖かくなるスタイルで、全身全霊で“私は歌が好き、音楽が好き”というのを全開にしてくるスタイルなのです。そう、私好みの歌唱スタイルなんです。以前は、ハートは熱くても、技術が追いつかない、典型的なアマチュアスタイルだったのですが、それでも毎年毎年、目に見えるカタチで上達していきました。

 今までは、ポピュラー寄りの歌曲…と言いますか、オペラ歌手がよく歌うポップス曲やミュージカルソングを歌っていましたが、ついに今年、オペラアリアを歌ってくれたのでした。いやあ、うれしかったです。

 ほんと、1ファンとしては、感慨深いものがあったし、ついにここまで上達したんだなあと(ちょっと上からで申し訳ないのだけれど)感動もしたわけです。いやあ、良いものを見させていただきました。

 で、なまじ、オペラアリアを歌ってくれたので、つい、1ファンとして、あれこれ考えてしまった私なのです。…って言うか、それまで気にしなかった事が気になるようになってしまったのです。

 ポピュラー系の曲とかミュージカルの曲って、声域とか声質とかをあまり気にしない曲が多いです。ポピュラー系の曲は、歌手に合わせて転調するのが普通だし、ミュージカルの曲なんて、舞台ではテノールの人でもバリトンの人でも両方共に歌っちゃう役もたくさんあるし、オペラほど、発声に関してはシビアでなくても歌えるものなので、気にならなかっただけ…なのかなって思いました。

 そのAさんは、男性で、実は私は今まで彼を高音歌手だと思っていたし、実は今でもテノールなんじゃないかと思っているのですが、実際に彼が歌ったのは、バリトンのアリアだったのです。

 歌ったアリアの仕上がりは…アマチュア歌手としては、十分なほどで、私が歌うテノールアリアよりも、よっぽど整っているしカタチどおりに歌われていました。だから、私よりも上手な人…って言えるわけで、そんな上手な人に、私ごときが意見を言うなんて、痴がましいのは百も承知で書くと…Aさん、あなたの声はバリトンじゃないよ…と私は、心の底からそう思うわけです。

 その一方で、なぜ彼がバリトンのアリアを歌ったのか…その理由も分からないでもありません。と言うのも、今までは気にならなかったのですが、実は彼の声って、かなり嗄声(させい)なのです。嗄声とは、音声障害の一種で、いわゆる“ハスキーヴォイス”を指します。まあ、生活する分には、さほどの支障はないので、見逃されがちですが、声帯が健康な状態ではないのは事実です。実際、間違った発声や無理な発声の末に、ノドを壊してしまい嗄声になるケースが多いようです。

 まあ、ポピュラー系歌手には(無理な発声をする人がたくさんいて)嗄声の人が多いので、そういう歌を歌っている時は気にならなかったけれど、クラシック系歌手には嗄声の人はいません…ってか、嗄声の人では、普通は、クラシック系の歌は歌えません。嗄声では音量が得られませんから、マイクを使用するポピュラー系音楽ならともかく、マイクを使用しないクラシック系では歌えないのが普通なのです。

 しかし、Aさんは嗄声にも関わらず、マイク無しでも普通に(やや声は小さめですが、それでもアマチュア歌手としては十分なほどに)歌えるわけで、おそらくは、長年、間違えた発声のまま歌い続けた結果、ノドは壊してしまったけれど、同時にノドが強くなってしまい、嗄声であるにも関わらず、大声量を獲得した…んではないかと想像しました。

 うーん、音楽が好きで、クラシック系音楽が好きな事も、痛いほどに伝わるんだけれど、あの声質で、クラシック系音楽を歌うのは、やはりかなり違和感があるなあ。まあ、アマチュアなのだから、違和感バリバリでも歌っちゃった方が勝ちなんだけれど、おそらくAさんの本来の声質はテノールなんだと思います。ただ、声が潰れちゃったせいで、高音発声がかなり難しくなっているんだろうなあって思います。それでバリトンの曲を歌ったのだろうけれど、バリトンを歌うには、やっぱり声が軽いんだよなあ。おまけに低音はほとんど鳴っていないし、音にもなっていない。そもそも低音を歌えるほど声帯が長くないんだと思います。でも、高音では勝負できないのだから、バリトンの曲を歌ってみたんだろうと思います。

 Aさんに限らず、アマチュア歌手の中には、若い時から音楽が好きで、歌が好きで、自己流に歌い続けて、声を壊してしまった人って…結構いるんだろうなあ…って思います。私は、たまたまノドが強いタイプの人だったので、自己流で歌っていても、ノドを壊さずに済みましたが、普通の人が自己流の間違った発声法で長年無理して歌い続けていけば、そりゃあノドの一つや二つ、壊しても不思議はないです。

 おそらくAさんのノドが壊れたのは、今の先生に師事する前の話だろうと思います。そんな声質のAさんをここまで引っ張り上げた、彼の声楽の先生は、実に素晴らしい手腕の持ち主だと思います。なにしろ、嗄声の人をオペラアリアが歌えるほどに導いたのですから、ほんとスゴイですよ。

 でもね、なんかなあ、他人事なんだけれど、とっても残念で悲しくなりました。彼には今後も頑張って欲しいし、私はこれからも彼を見守り続けていきたいと思ってます。それにしても、学校あたりで、正しい(ってかノドに無理のない健康的な)発声方法を教える事ができたら、歌が好きなのにノドを潰してしまう悲劇が少なくなるのになあ…って思いました。

 いやあ、ほんと、私はたまたまAさんのようにはならなかったけれど、一歩間違えていれば、彼のようになっていたかもしれないし、実際、キング先生に習っていた最後の時期は、レッスンのたびにノドに大きなダメージを受けていたし、あのままキング先生の元で学び続けていたら、きっと私も声を壊して、Aさんのようになってしまっていただろうと思うと、身の毛がよだつ私でした。

 声の健康は、とてもとても大切だと思います。

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2017年7月 2日 (日)

ラーメンとそば、どっちが好き?

 私が住んでいる湘南は神奈川県にありまして、麺類系の飲食店と言えば、圧倒的にラーメン屋だったりします。ラーメン専門店はもちろん、中華飯店であったり、一般食堂(ただしメインメニューはラーメン)であったりはしますが、我々が通常「ラーメン屋」と呼んでいる店ばかりであって、たまにそば屋があって、たまにたまにスパゲッティを出してくるイタ飯屋があって、駅周辺などにわずかながらのうどん屋やちゃんぽん屋があります。

 つまり勢力的には…

  ラーメン屋>>>>>そば屋>=イタ飯屋>>>うどん屋=ちゃんぽん屋

 …って感じでしょうか? それくらい、あっちこっちにラーメン屋ばかりがあります。昔ながらの中華そばを出しているところもあれば、今風の家系ラーメン屋だってあります。チェーン店もあれば、地元密着型の頑固おやじの店もあります。いわゆる“ラーメン激戦区”と言われる地域ほどではありませんが、かなり多くのラーメン屋があります。

 なぜ、こんなにラーメン屋ばかりなのか…と考えてみました。

 単純に言っちゃえば、湘南の人間はラーメンが好き…なんだと思います。これは湘南の人間に限らず、神奈川県の人間全般に言えるかもしれません。なにしろ、日本一の中華街がある県ですから、県民性としてラーメンが好きなのかもしれません。

 湘南は関東地方にあるわけですから、当然、うどん文化圏の外の地方ですから、うどん屋が少ないのは、ある意味、当然です。そば屋やイタ飯屋がラーメン屋と較べて少ないのは…やはり、ちょっぴり地方だからかもしれません。そばとかイタ飯とかって、やっぱり都会の食事ってイメージだもの。かっこいいじゃん。

 そばは、なんか渋い感じがするし、昔っからの都会で食べられるものってイメージがあります。イタ飯はバブルあたりからこっちの、小洒落た街で食べられてる女子向けのランチ…みたいなかんじでしょ? 海と太陽の街、湘南のイメージじゃないよね。だいたい、海の家でラーメンは食べられるけれど、そばとかスパゲッティとかは…無い無い(笑)。

 あ、最近の海の家の二大メニューと言えば、ラーメンとロコモコなんだな。そう、ロコモコ。都会じゃロコモコってオシャレな食事のようだけれど、湘南だと割に普通にあるんだよね。海の家に限らず、海岸近辺の食堂だと何気にメニューに入っているんだよね。ロコモコは、ちょっぴりおしゃれでハワイアンなメニューじゃない? アロハを普段着にしている人が多い湘南だと、そういうハワイアンな感じって日常なんだよね。

 と言う訳で話を戻すと、ラーメンとそばでは、ラーメンが好き…と言うか、ごく普通に日常的にラーメンを食べる生活をしている私でした。これはたぶん、湘南在住という地域性が大きく関係しているような気がします。

 だって、讃岐に住んでいたら、うどんばかり食べるでしょ? 長野に住んでいたら、そばばかり食べるでしょ? ミラノに住んでいたら、スパゲッティばかり食べるでしょ? つまり、そんなモンなんだと思います。

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2017年7月 1日 (土)

ドジョウが翔んだ日

 魚類って水槽の中で飼うわけで、基本的に水槽から出てくることはありません。いわゆる“脱走”…例えば室内飼いのイヌネコが飼い主のスキを狙って、戸外へ脱走して近所を走り回ってくるとか、室内放鳥をしていたインコが、人の出入りに乗じて外へ逃げ出すとか…そういう事は、イヌネコトリだと、たまにあります(私も以前イヌを飼っていた時は、たまに脱走されました)が、基本的に魚類の脱走は…無いって思われるかもしれませんが、実はあるんですね、これが。

 金魚は泳ぎが苦手な魚ですし、貝類はそもそも動きが緩慢なので、水槽からの脱走はありませんが、ドジョウやメダカ、エビなどは気をつけていないと、水槽から脱走する事があります。で、これらの子たちは、一度水槽から脱走すると、大抵の場合は死んでしまうので“脱走”と言うよりも“自殺”というべき結果になってしまいがちです。

 では、彼らはどうやって脱走するのか? それは簡単で、水面からジャンプして外へ飛び出るのです。まあ、水族館等でショーで見ているイルカのジャンプとやっている事は一緒です。

 とにかく、何を思ったか思わないか…何かの拍子に、ピョンと水面から飛び出てしまうのです。ですから、水槽って原則的に蓋をするんですね。蓋をしてあると、水面から飛び出しても、蓋に激突して、再び水に戻りますから。でも、蓋って、水槽の上部を完璧に覆っているわけではありませんから、エサ投入口とか、ろ過装置からの水の流入口などは、隙間的には小さいとは言え、常時開けっ放しで、実際、ここから逃げ出す子もいたりします。

 でも、一番危ないのが、水替えの時ですね。水替えの時は、水槽の蓋を外していますので、この時に逃げ出されると、なかなか厄介です。

 エビは水から直に飛び出すことは少ないです。エビの場合、水面近くに浮かんでいる水草のいる時が危ないのです。水草にいる時にビョンと跳ねると、そのまま水槽の外に出てしまいます。メダカは追われている時に、逃げ道として水面から飛び出ます。ですから、追いかけっこをしていない事を確認して蓋を開けると、まあまあ大丈夫です。

 油断ならないのがドジョウで、この連中は前触れなしで、ピョンと飛び出るんです。それもかなり大きなジャンプをします。エビやメダカのジャンプなんてかわいいものです、案外飛び跳ねても、水槽から出られない事もありますが、ドジョウは軽く50cmぐらいは飛びますから、ジャンプすれば、ほぼ確実に水槽外に行っちゃいます。

 実は先日も、マドジョウのクロが水替え中にジャンプをしました。当然、水槽から飛び出し、居間の床に落下…するはずでしたが、たまたま水替え中で、水槽から抜いた水が入っているバケツの中に落ちました。

 つまり、セーフだったわけです。いやあ、危ない危ない。

 魚類が水槽から飛び出た場合、いずれも体重が軽い事もあって、メダカやエビは打撲等は心配しなくてもいいのです(ドジョウはさすがに体重があるので、軽い怪我、内出血態度はします)が、水中と陸上では生活環境が違いすぎて、酸欠が心配されます。メダカは、そんなに長い時間もちません。急いで水槽に戻してやる必要があります。その点エビはメダカよりも酸欠に強いようで、それなりの時間、無酸素状態でも頑張れるようです。

 ドジョウには酸欠はありません。ドジョウは魚類だけれど、エラ呼吸だけでなく腸管呼吸もできるので空気中からでも酸素は取り込めます。そう言った面での心配はないのですが、ドジョウの場合は、乾燥に弱く、体表のヌメヌメが取れてしまうとアウトなのです。実際、以前飼っていたドジョウは、脱走してティッシュの箱の中に入ってしまい、箱の中でティッシュに巻かれて、あっと言う間にヌメヌメが取れて、発見した時にはかなりヤバい状態だった事があります(結果的には無事でした)。

 とりあえず私が言いたい事はひとつ。いくら今の生活に不平不満があったとしても、水槽から脱走するのは止めて欲しいです。ほんと、命にかかわるんだからね。

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