ひとこと

  •  昨今話題のフェイクニュースですが、日本語で言うところの“虚偽報道”であり、簡単に言っちゃえば“デマ”とか“嘘”です。でも、こんなフェイクニュースですが、コロッと騙されちゃう人も大勢います。イギリスがEU離脱を決めた国民投票だって、多くの人がフェイクニュースに騙されて、うっかり離脱を決めちゃったわけだし、アメリカ大統領のトランプ氏が選ばれたのだって、フェイクニュースのおかげとかじゃないとか…? 諸外国ではネットを中心にフェイクニュースが流れますが、日本では新聞テレビなどを通じて、堂々とフェイクニュースが、さも真実っぽい顔して流れてしまうから手におえません。朝日新聞の従軍慰安婦報道なんてフェイクニュースもいいところだね。あと、マスコミの伝家の宝刀“報道しない自由”を駆使する事によって、真実を隠蔽し、世論を自分たちの都合の良い方向に誘導するのは、フェイクニュースとは違うけれど、フェイクニュースよりもたちが悪いと言えば、たちが悪いのです。マスコミには、両論併記のカタチで真実をのみを報道してもらいたいものです…が、無理っぽいですね。
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2017年7月の記事

2017年7月23日 (日)

蛇口からお湯しか出ません!

 毎日毎日暑いですね。

 先日の事です。金魚の水槽に水を足してやろうとして、妻が水道のレバーを上げてところ、蛇口からお湯がでてきました。ウチの水道は、レバーを左側に上げるとお湯が出て、右側に上げると水が出て来るタイプなので、単にレバーを上げるだけだと、普通にお湯が出てしまいます。

 そこで、水が欲しい時は、レバーを水側にひねるわけです。ひねれば、やがて水温が下がって水が出てくるのですが…その日は、いつまで経ってもお湯しか出てきませんでした。

 あれ? 不思議だなと思ったそうだけれど、それでもお湯しか出てきません。間違えたのかと思って、反対側にレバーをひねると、さらに熱いお湯が出てきました。やっぱり、最初が合っていたわけで、水側のレバーをひねっても、水温の高い水…つまりお湯しか出てこなかっただけなのです。

 そのままでは金魚水槽に入れることはできないので、結局、蛇口から出てきたお湯を2リットルのペットボトルに汲んで、しばらくクーラーのかかった室内に放置して水温を下げてから、金魚水槽に入れてみました。

 どうやら、連日の暑さで水道水の水温がかなり熱くなっていたようです。おそらく、我が家に来るまでの間に、ひなた水のようになってしまう場所があるんでしょうね。太陽熱、バカにしちゃいけないようです。

 夜になってしばらくしたら、水道の蛇口から水が出てくるようになりました。

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2017年7月22日 (土)

すごく立派な金魚たちを見た

 金魚の飼い方にも色々あると思います。

 ウチは水槽飼いで、それも室内飼いです。水槽は家族が集まる居間に置いてあります。人間が普段の生活の中で、なんとなく金魚を鑑賞できるようなスタイルで飼っているわけです。

 金魚は水槽で飼っているウチが多いと思いますが、インテリアの一部として、玄関で飼っているウチも多いと思います。実は、私が子どもの頃に飼っていた金魚は、水槽が玄関に置いてありました。これだと、我が家を訪ねてきた来客に金魚を見せる事ができる反面、家族と金魚が関わる時間が、あまり多くは取れないという側面もあります。

 ベランダや縁側で飼っているウチもあると思います。そういう場所だと、太陽の光が水槽に注ぎますので、電灯が不要になります。また、水槽を戸外に置いているウチもたまにあります。商売をしている家だと、店舗に水槽を置いている事もあるでしょう。また、池で金魚を飼っているウチもあるかもしれません。

 で、私が先日、何気なく(ポケモンをしながら)歩いていたところで、立派な金魚を見つけました。

 そこは、自宅兼店舗のようで、しかし建物の中ではなく、店舗脇の軒下に水槽が置いてありました。水槽の大きさは120cm水槽でした。すごく大きな水槽ってわけです。そこに、たくさんの金魚たちがデデンと泳いでいたのです。

 最初にその水槽を見かけた時、そこにいる魚が金魚とは思えなかったのです。だって、みんなデカイんだもの。色合い的に鯉だろうと思っていたのですが、水槽で鯉を買うのも珍しいなあと思いつつ、あれ?と思ったのです。と言うのも、魚の形が鯉とは、ちょっと違うのです。そこで近寄って水槽の中を見てみると、それは金魚でした。

 サイズ的には、かつてウチにいたブニョサイズの子たちが半分ぐらい、それよりも、一回り二回り大きい子たちもたくさんいました。たぶん、一番小さな子でも、今のウチで飼っている子のどれよりも大きいと思います。

 いやあ、驚きました。巨大な金魚たちを、それも一度にたくさん見ることができたんですよ。ビックリしつつも、とてもうれしくなりました。ああ、ここにも金魚好きの人がいるんだ…ってね。

 どの金魚も大きくて、元気でした。カラダに傷もなく、ヒレもピンとしていて、飼い主によく面倒を見てもらっている事がよく分かる子たちばかりでした。

 まあ、あえて難を言うと、本来は赤くなるはずの子たちが、普通に黄色い金魚になっていたという事です。金魚の赤い色素って、金魚本人は作れないんですよね。まあ、黄色くて大きな琉金というのも、なかなか渋くてかわいいモノです。

 実は金魚って、小さいうちは、それなりに赤いんですが、成長するとともに色があせてゆき、赤色が朱色になり、やがて黄色になります。つまり金魚って、加齢とともに体色が薄くなっていくわけです。人間が、加齢とともに禿げていくのと同じなのかもしれません。

 それを防ぐためには、赤い色素を多く含んだエサを与えることで、赤い色を維持していく事ができます。海藻を多く食べるとハゲが防げる(ほんと?)のと同じことです。

 ウチの子たちは、エサとして乾燥アカムシを与えていますので、まだまだ立派に真っ赤です。子供の頃に飼っていた子たちは、植物性のエサを中心に与えていたので、あっという間に赤い金魚が黄色くなってしまったのです。

 金魚は育てている水槽の大きさなりに育つと言います。やはり、巨大な120cm水槽はいいなあ。これくらい大きな水槽だと、金魚もほぼMAXサイズにまで育ち切るんですね。ウチも本当は水槽をもっと大きくして、これくらいの大きさの金魚を飼ってみたいものです。家庭事情もあって、水槽の大きさを今以上にはできないために、金魚はなるべく大きく育たないように苦心しながら育てていますが、これくらい豪快に野放図に金魚を育ててみたいものだなあと思いました。

 普段は通らない場所なのですが、今後はたまに通りかかって、金魚たちにご挨拶をしていことと思いました。

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2017年7月21日 (金)

暑い上に疲れていると…演奏が荒れるね

 フルートのレッスンに行ってきました。いやあ、暑い暑い。レッスンは、日が暮れてから行っているのだけれど、それでもやっぱり暑いです。仕事が終わって帰宅して、シャワーを簡単に浴びてからレッスンに向かうのだけれど、お教室に着いた頃には、もう水をかぶったように汗をかいていて、シャワーの意味なんて、まるで無しです。

 もちろん、お教室には冷房がガンガン効いているんだけれど、私自身から発熱しているから、汗がダダ漏れで、気が散って気が散って…いやあ、汗に負けている私です。

 ロングトーン練習も、流れる汗に気を取られていると…どこを吹いているのか分からなくなります(いやあ、マズイマズイ)。ダメだなあ…。

 エルステユーブンゲンは、毎度毎度の20番と21番です。20番は先週よりも下手くそになっていました。練習していないわけじゃないのだけれど…ダメだな。疲れている時に無理やり練習しても、ちっともカラダに練習の成果が残らないみたいです。残念です。当然、暗譜などできてないし、先生も暗譜の事は尋ねませんでした。まあ、そういう事です。

 プチエチュードは17番でして…こちらも先週よりも下手くそになっていたかもしれません。特にリズムキープがうまくできませんでした。汗が流れて気が散っているなんて、言い訳にしちゃダメだけれど、ほんと気が散ると、リズム感と言うか、タイム感とかテンポ感とかがダメになるね。ああ、夏なんて、大嫌いだー!

 ラルゴは…さすがに発表会を控えた曲なので、これだけは前進しています。多少、立ち止まってしまう箇所はありますが、概ね良い方向に修正されています。後は、この良い演奏を癖にしないと…ダメですね。

 今回の雑談は…ソロ曲は決まったのだけれど、アンサンブルは何にしましょうか?と言う話になりました。去年は、最初はジャズ系の曲にしましょうと言いながら、結局最後は、ベートーベンのト長調のメヌエットになったんです。ですから、今年こそは、昨年やらなかったジャズ系の曲にしようか…って話の流れになりました。先生、私によっぽどジャズ系の曲をやらせたいみたいです。

 まあ、ジャズ系と言っても、楽譜に書かれた曲を楽譜通りに演奏するだけで、アドリブ無しだし、本物のジャズのセッションにはほど遠い、単なるジャズっぽい演奏ってだけなんだけれどね。それでも、クラシック系の人には、リズム的に手に負えない感じなので、その辺の柔軟性ってか、後乗りでフルートが吹ける私に白羽の矢が立っているようなのですが…そんなに私に期待すると、裏切られるよ(笑)。

 それはともかく、アンサンブルの曲も決めていただいて、早めに楽譜が欲しいなあ…。でないと、練習できないじゃん(涙)。

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2017年7月20日 (木)

裏でなくても、設定は大切です

 さらにさらに声楽のレッスンの続きです。二重唱「A Dutiful Wife/従順な妻」の練習に取り掛かりました。

 裏設定…と言うほどでもないのですが、やはりキャラクター設定は大切ですね、と言うところから始まりました。

 この曲は二重唱なので、まずは歌っている二人の気持ちと、二人の関係性が、この歌の歌い方に大きく影響を与えます。ナタリー(女性:ドイツ語版だとヴァレンシエンヌ)には夫がいます。それなのに若い男性であるカミーユから好意を寄せられているわけです。それが嬉しいのか、迷惑なのか? カミーユにしても、心の底からナタリーを愛しているのか、それとも単なるアバンチュールなのか? もっと言えば、カミーユは若者なのか? それとも単なるバカなのか? それとも世間知らずのボンボンなのか? そういう設定によって、二人の関係性が決まり、それに伴って歌い方が変わってくるのです。だから、設定を決めておく事は大切な事です。

 音楽的な事を言うと、まずはリズムが難しいです。ノリが難しいです。リズムが難しいのは、20世紀の音楽だから仕方ないのです。でも、いわゆるクラシックな曲にはないリズムがジャンジャン飛び出しますので、そこは一つ一つ正確に行かないとね。音程も難しいですよ、だってクラシックな曲では使わないようなコード進行の部分がたくさんあるし、音階以外の音が普通にメロディで使われているし…ね。

 さらに、ノリは…たぶん分かりません。だって、舞台はフランスでも、音楽はウィーンの音楽だからね。ウィーンのノリは、ウィーンで暮らさないと…体得できるものじゃないでしょうね。

 高音のHは…今の私だと胸声ではまだまだ歌えませんので、ファルセットを使いますが、私はなるべく胸声との差をなくそうと、可能な限りの太めのファルセットを使って歌ってましたが、先生曰く「細めのファルセットの方が音程を当てやすい」との事なので、まずは細めのファルセットで音程を当てたら、そこから声質を太めにチェンジしていく事にしました。ちなみに、Hの次に続く高いAは、頑張って胸声で出します。

 そして問題は…ハモリの箇所です。互いにそれぞれ自分のメロディを歌っている時は良いのだけれど、女性がメロディで、男性がハモリパートになると…途端にメロメロになるのが私です。だって、私はメロディ以外は歌えない人だからね。ハモリパートを歌っているつもりでも、いつのまにかメロディを歌っちゃう人だからね(ダメじゃん)。ああ、ハモリ、苦手だな。

 …ってわけで、ハモリパートの練習をしました。妻は(メロディを歌うので)もちろん問題ないわけで、主に私のための特訓タイムとなりました。いやあ、難しい難しい。20世紀の音楽なので、フレーズの歌い出しの音が、和音の中に無かったり、ピアノ伴奏の中に無かったりするわけで、私にすれば高度な音取り能力が要求されているわけで、いやあ、大変対戦。なんとか音が取れるようになりましたが…たぶん、次のレッスンまでには忘れてしまうような気がします。で、ハモリパートにばかり時間を使ってしまったので、本日はここまで!となってしまいました。

 「メリー・ウィドウ・ワルツ」とか、妻の歌う「ヴィリアの歌」とかあったんだけど、そこまでレッスンしていただく時間が足りませんでした。なーむ。

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2017年7月19日 (水)

裏設定は大切です

 また声楽のレッスンの続きです。さて、曲の練習に入りました。最初はレハール作曲「メリー・ウィドウ」の「Maxim's/マキシムの歌」です。゛

 自宅練習の成果もあって、やっとクチがまわるようになりました。1番はどうにか…、2番はやっと歌えるかな…って感じです。2番は1番ほど練習するわけでないので、まだちょっと、歌うよりもしゃべっている感じの方が強く、意識的に歌わないとダメかもしれません。

 それと、この曲はオペレッタのリートなので、オペラのアリアのようにカッチリ歌うのではなく、もっと芝居っ気たっぷりにシャレオツな感じで歌うように求められました。まあ、そうだよね。とりわけ私はこの曲を(原語の)ドイツ語ではなく英語で歌うので、オペレッタとは言え、ほぼミュージカルのような感じになるので、だったらいっそ、ミュージカルのソングのように歌ってしまえって事なのです。

 実際、この曲は、舞台作品としてよりも、英訳されてハリウッドでミュージカル映画として製作されヒットして普及したという事実があるわけで、そういう意味では、オペレッタなんだけれど、ほぼミュージカルって言って良いと思いますし、英語で歌う正当性があると思ってます。実際、この作品のオペレッタにおける題名の「ルスティゲ・ヴィトヴェ」で呼ぶ人って少ないでしょ。ほとんどがハリウッド版のタイトル「メリー・ウィドウ」と呼ぶわけですから、やっぱりミュージカルみたいなモンです。

 で、さて先生からの質問が出ました。

 「歌詞に出てくる6人の女の子たち(ロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフル)は、どんな(イメージの)子でしょうか?」

 …いわゆる“裏設定”って奴ですね。でも、そういうイメージをはっきりと決めて、それを想像しながら歌わないと、歌詞がただの「ロロドドジュジュクロクロマルゴフルフル」という呪文になってしまうので注意しなければいけない事は同意します。

 そこで決めた裏設定は、以下の通りです。

 ロロ…白人、金髪、ロングヘア、縦ロール、性格は割りとおしとやかで、6人のリーダー。

 ドド…アフリカ系フランス人(つまりアフリカ移民・黒人だな)と白人とのハーフ。浅黒い肌、黒髪でクルクル(ほぼパンチパーマ)だけどショートカット…イメージとしては大仏ヘアーだね。ボテっとしたクチビルが魅力。快活な性格。物知り。

 ジュジュ…白人、茶髪、シュートヘア、ボーイッシュな感じ。なぜか政局に詳しい。以上の3人は知的な感じでダニロ(この歌の主人公)を会話でおもてなしをするのです。

 クロクロ…セクシーダイナマイト1号。豊満なボディーの持ち主。ダニロはクロクロの胸ばかり見ていて、どんな顔でどんな容姿でどんなしゃべりをするのか、ほとんど記憶にない。

 マルゴ…セクシーダイナマイト2号。こちらも豊満なボディーの持ち主。ダニロはマルコのお尻ばかりを見ていて、どんな顔でどんな容姿でどんなしゃべりをするのか、ほとんど記憶にない。

 フルフル…小柄でぽっちゃり体型。白人で暗い茶髪。香水の趣味が良くて、いつもいい香りがする。ダニロを見ると、とりあえず抱きついて離れない。ダニロに酒をすすめて、彼を酔い潰すのは、常にこの子である。言動はぶりっ子で、ちょっとバカっぽい感じ。

 この6人がダニロのお気に入りなのだけれど、お店に入って、まだほろ酔い程度の時は、最初の3人と、社会情勢やら経済問題やら政治の話やら、とにかくお堅い話をしています。彼女たちもよく勉強していて、ダニロと対等に会話をするのです。マキシムはセレブたちの社交場でもあるので、他のセレブとの客で仕入れたマル秘情報なども、彼女たちはダニロに伝えるわけで、ダニロにとっては、彼女たちと時を過ごすのは、半分遊びで半分勉強なのです。

 一方、後半の3人は、ダニスがすっかり酔っぱらい、泥酔してしまい、頭が回らなくなってきた頃、いつのまにか、最初の3人と入れ替わってダニロのお相手をする子たちです。ダニロをガンガン飲ませてカネを使わせて、お店のためにがっぽり稼ぐのが後半の3人なのです。つまり、ダニロは一度に6人の相手をするのではなく、前半3人、後半3人と遊ぶわけです。ちなみに、後半3人がやってくると、ダニロは外交官から、ただのスケベオヤジに変身します。つまり、店にとっては“良いカモ”になるわけです。でも、それがダニロには、とっても楽しい…という裏設定にしました。

 以上です。実際、この裏設定をしてから、この曲を歌うのが、さらに楽しくなりました。

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2017年7月18日 (火)

ハミング練習は大切です

 さて、声楽のレッスンの話をします。

 まず最初に行ったのはハミング練習です。ハミングは毎回毎回練習しますが、実はハミング練習って大切なんですね。実際の歌唱をハミングだけで歌う事はまず無いのですが、ハミングを声の踏み台にして発声していく事は大切です。声をいきなりスパンと出していくのは、リスキーだし、ノドの健康にも良くないわけです。実際の歌唱現場では、フレーズの出だしは、声よりも息先行で、息が流れてから声が息に乗って出て来る…感じで歌う方が、ノドにやさしいし、難しいフレーズも何なく歌えるようになるわけです。

 その息の通り道を確認し、息に声を乗せていく練習の一つがハミング練習なんですね。だから、ハミング練習は、とても大切な基礎練習の一つです。特にテノールの場合、通常発声で、高いAまでは出しますので、ハミングで高いAまでは発声できないと、そこまでを常用音域にできないわけで、たかがハミングですが、されどハミングという気分で頑張らないといけないわけです。

 しかし、高いAをハミングで歌うのは…私はまだ無理です。どうも腹圧が不足しているようです。私が出来るのは、高いGまでのハミングです。ああ、だからか…高いGまでは常用音域で、高いAが博打になってしまうのは、ハミングが出来る出来ないと関係するのか。納得です。

 で、ハミングに限らず、高音を出すためには…腹筋の強化が必要です。

 ノドを使って声を出すやり方では、ノドに力が入るために、どうしても高音は出づらくなるし、音程も♭気味になります。高音を楽に出すためには、ノドをリラックスさせる必要があるのだけれど、ノドをリラックスさせてしまうと、そりゃあノドのエネルギーで声は出なくなります。だから、腹筋なんですね。腹筋を強化し、腹圧を高めて、そのエネルギーで息を吐き出します。その息がリラックスしたノドの、声がひっくり返るかひっくり返らないかのギリギリのあたりの薄くなったところを通ることで高音が出るわけです。その際、ノドをリラックスしすぎてしまうと、声はひっくり返ってしまいファルセットになってしまいます。これはリラックスのしすぎであってダメなんだけれど、リラックスのしすぎで声がひっくり返る事は、リラックスのしなさすぎで高音が出づらくなり音程も♭気味になる事とを較べるなら、ファルセットになってしまう方がずっとずっとマシなんだそうです。

 ああ、ここでも腹筋の強化が必要なんだな。そして、リラックスしたノドも必要なんだな。

 と言う訳で、この後に続く発声練習では、腹筋をガシガシ鍛える方向の練習をしました。この練習を続けてきたおかげで、以前よりも腹筋が動くようになった気はしますが、筋力がまだまだ弱いので、すぐに疲れてしまいます。疲れてしまうと、腹圧が下がり、そうなると声が出づらくなるので、思わずノドに力が入り、高音が出なくなるという、負のスパイラル状況に陥ります。ダメだな。

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2017年7月17日 (月)

今年もクラシックコンサートに出場する事にしました

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはいきなり打ち合わせです。何の打ち合わせかと言えば…恒例のクラシックコンサートの出演に関する打ち合わせです。

 私は毎年、秋に地元の市民文化祭の一環として行われる“クラシックコンサート”に出演していますが、今年は会場となる市民文化会館が改装工事となり、多くの催し物が中止になっていますので、当然、クラシックコンサートも今年は中止になるだろうと思っていました。だから、昨年のクラシックコンサートで、大ネタのボエームをやったわけです。

 「今年はクラシックコンサートが無いから、発表会に全力投球だな」と思っていたところに、うっかりクラシックコンサートの出演者募集のお知らせを発見してしまいました。そうなんです、今年は会場を変えて、やるんだそうです。

 やるなら出るしかない…私はそういうスタンスです。人生、あと何回ステージに立てるか分からないじゃないですか? 来年の事なんて分かりません。一回一回がラストステージのつもりで頑張るだけです。それが私の生き様なのです。

 でもね…今年は代替の会場に、はっきり言って、難ありなんです。

 小さい上に、古くて、設備も不十分で、おまけに地味で…ボロいんです。そもそも、本番で使われる事はめったになく、合唱等の練習で使われる程度の会場であって、客を入れてコンサートをやるような場所ではありません。クラシックコンサートを無理クリやるにしても、他の場所だってあったんじゃないの?と素朴に思ってしまうような会場なんです。

 妻は、会場がボロいから出たくないと即答しました。だって、全然華やかじゃないんだもの。ドレスを着ても、全然似つかわしくない場所である事は、私も理解します。でも、大切なのは会場じゃ無い…と私は思っていますので、嫌がる妻を説得して、なんとかクラシックコンサートへの出演を決めました。

 決めた以上、ピアニストさんを手配しないといけません。毎年お願いしているピアニストさんに依頼をしたところ、二つ返事でOKをいただきましたが…本当にあの会場でいいのですから…と確認されちゃいました。ピアニストさん的にも、本番をやるのには「ちょっとなあ…」と思う会場のようです。実際、あそこはピアノも…ボロいからなあ。本番に向けて調律はするから音的には問題ないだろうけれど、弾きやすいのかと言えば…どうなんでしょうね。

 さて、妻を説き伏せ、ピアニストさんを確保したら、曲決めです。Y先生と相談して決めるのですが、問題は…クラシックコンサートが、Y門下の発表会の約1ヶ月後だというタイトな日程である事です。前の本番から1ヶ月後の本番って事は、クラシックコンサートに専念できる練習期間はたったの1ヶ月しかありません。ラスト1ヶ月と言えば、ピアニストさんとの合わせの練習をしている時期ですから、当然、曲そのものの練習はそれ以前にしないといけないわけで、発表会の仕上げと、クラシックコンサートの曲練習が時期的に被ります。

 二つの本番のための練習を同時進行でやらないといけないわけです。そりゃあ、アレコレ考えないといけません。

 そこで、本番となると毎回歌っている二重唱は…今回は新曲には取り組まない事にします。発表会で歌うレハールの「メリー・ウィドウ」の二重唱のうち、「A Dutiful Wife/従順な妻」の方を、クラシックコンサートでも歌う事にしました。

 有名曲と言えば「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」の方が断然有名なのですが、あの曲、あんまり歌う箇所がないんですよ。それにあの曲はダンスを伴う曲だけれど、今回のクラシックコンサートの会場の舞台って、超狭くて、ダンスなんて到底ムリだし、お客さんにとっては、どっちの曲も(おそらく)知らないので、だったら、歌い甲斐のある曲の方がいいじゃん…ってわけで、こっちの二重唱を歌うことにしました。持ち時間的な事もあるので、二重唱は妻側の演目に入れます(妻は、その他に発表会で歌う、短縮版の「ヴィリアの歌」を歌います)。

 私の方は自分の持ち時間をたっぷりソロ曲に使えますので、例年通りに、歌曲を2曲歌う事にしました。妻のように、発表会で歌った歌をそのままクラシックコンサートで歌うというやり方もありますが、やっぱりレパートリーを増やしたいという野望と、レッスンでは歌ったけれど、人前では歌っていない曲というのも数曲ありますから、それらの曲に日の目を当てるという事もあって、新曲1曲と、引き出しの中にある曲を1曲とする事にしました。

 まずは新曲だけれど、以前から歌いたくてしょうがなかった曲を候補に上げました。トスティ作曲の「Tristezza/悲しみ」です。知らない人のために音源を貼っておきます。

 先生から「(クラシックコンサートで歌っても)いいけれど、暗いよ」と言われました。確かに、全然華やかではない曲だけれど、こういうしみじみ系の曲もいいんじゃないかなあ…と私は思うわけです。

 と言う訳で、新曲は「Tristezza/悲しみ」に決定。では、私の引き出しの中にある曲で、この曲と組み合わせる曲を選びます。先生からは、同じトスティの「Tormento!/苦しみ」を薦められました…が、「Tristezza/悲しみ」を歌っての「Tormento!/苦しみ」ですか? 気分サゲサゲで、これ2曲を歌ってお終いでは…ちょっとなあって思いました。やっぱり、能天気に明るい曲を組み合わせた方が良いでしょうって事で、レオンカヴァッロの「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」で行く事にしました。これなら、「Tristezza/悲しみ」の暗さを吹き飛ばしてくれます。

 一応、音源貼っておきますね。

 クラシックコンサートの選曲の事を書いていたら長くなってしまったので、肝心のレッスンの話は次回から始めます。

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2017年7月16日 (日)

一番効果的な罵倒語は何か?…考えてみた

 先日、ヒマに任せて、私に浴びせたら一番効果的な罵倒語は何か?…と考えてみました。

 まず、全く効果のない、心が微動だにしないほど無力な罵倒語を考えてみました。

 まずは“チビ”ですね。私は全然チビじゃないですから。反対語の“デカッ”とか“巨漢”とかって言葉は…罵倒語とは違うよね。ノーダメージです。

 よく使われる“バカ”とか“アホ”なども、私には効果がありません。だって私、バカでもなければアホでもないので、そんな言葉を浴びせかけられたとしても「何言ってんだ、この人は」ぐらいにしか思いません。

 そうそう、以前、ネットでケンカをふっかけられた事がありましたが、その人は罵倒語として“インポ”という言葉をよく使ってましたが、これには私、ビックリしました。まあ、ビックリしただけで、事実無根なので、罵倒語としての効果はゼロだったのですが、こういう下ネタ系の言葉を罵倒語として使うなんて、誰もが知っている有名一流企業にお勤めな方で、普段はお上品なフリをしている人なのに、その本性は結構お下劣なんだと認識を改めざるを得なかったくらいでした。

 …ってか、本気で相手の心を折ろうと思ったら、下品な罵倒語を使うよりも、慇懃無礼にネチネチやった方が、確実に心を折れるんだけれどなあ…。

 閑話休題。次は、心に届くけれど、ダメージはほとんど無い罵倒語を考えてみました。

 まずは“貧乏人”です。今の私は、さすがに裕福とかセレブとか富裕層とかでは全然ないけれど、でも貧乏とか貧困とかとは無縁な生活を送っていますので“貧乏人”という言葉にはダメージを受けませんが、でも子どもの頃の私は、貧乏な家に育ち、見事なくらい赤貧な日々を過ごしていたわけで、その頃の事を言われると「ああ、確かに私は貧乏人だったなあ」と思い出して、ちょっぴりお金がなくて悲しかった事を思い出します。

 “ケチ”と言われると…確かにケチな面もありますから、否定できませんが、でも普段の暮らしぶりは、ケチと言うよりも浪費家の側面が強いかもしれません。とにかく、お金は、あればあるだけ使っちゃう人だからさ。

 “屑(くず)”と言われても、私は屑な人間じゃないと思ってますので、気にしませんが、それでも私にだって欠点はあるわけで、そこを凝視すると、全面的に屑では無いとは言い切れないかもと思って、ちょっぴり生き様を反省したりします。

 多少は心に刺さる罵倒語もあります。ジャブ程度には効果のある罵倒語って感じでしょうか。

 まずは“デブ”ですね。実際、私はデブですから。それも“ふくよか”程度ではなく“恰幅が良い”ほどであり“貫禄がある”くらいにデブってます。でも、単に“デブ”と言われるくらいなら「知ってる」とか「デブですが、なにか?」って思うくらいですが、使い方によっては、結構、グサって刺さる時もあります。“ブタ”という罵倒語も、同様に、使い方によっては効果があります。

 “愚図(ぐず)”とか“ノロマ”とか言うのは“デブ”より、ちょっぴり深めに心に刺さるかな? 実際、私は、何をするにしてもスローモーです。まあ、自分としては、事を慎重に進めているだけで、稚拙を避けるための方便なのですが、それを理解しない人たちからは、しばしば“愚図”とか“ノロマ”とか言われます。実際、私自身、もっとスピーディーに出来ないものかと思う時もあり、そんな時に罵倒されると、更に深く心に刺さります。

 “音痴”という言葉は、以前は深く深く私の心をえぐった罵倒語です。私が歌う理由に『歌が好き』はありますが『音痴脱出』も当初の目的にありました。まあ、何を以て音痴というのかは難しいところですが、当時の私は自分で自分を音痴だと思っていましたから、他人から“音痴”と罵られると、グッサリと深く深く傷ついたものでした。

 今ですか? 今はもう自分の事を音痴であるとは思ってません。世間レベルの話をすれば、むしろ歌上手の部類に入るんじゃないかと鼻タカ(笑)なので“音痴”と言われても、カエルのツラになんとやら…です。

 “音痴”に代わって、私の心に深く突き刺さるようになった言葉は“ハゲ”です。

 そう、私、ハゲなんですよ。ハゲだし、デブなんです。でも、デブと言われても「知ってる」と言い返せますが、ハゲと言われると「知っている」と言う前に、心が痛みます。

 と言うのも、私は自分がデブであるという自覚がありますが、ハゲに関しては、自分がハゲである事を忘れている事も多く、そこで改めてハゲている事を指摘されると、心のスキを突かれたような気がして、ダメージ受けます。

 いや、ハゲは言葉だけでなく、たとえば床屋に行って、自分のハゲを見つめただけでも、結構来ますよ。

 私のハゲが、額からハゲるような、自分でも自覚せざるをえないハゲなら、おそらくデブと同様な感覚になれるんだと思います。他人から「ハゲ」と言われても(毎日鏡で見慣れているので)「知ってる」と受け流せると思います。

 でも、私のハゲは、頭頂部が薄くなるカッパハゲなのです。それも頭の後ろの方がハゲているのです。だから、鏡で自分を見ても、ハゲは見えません。合わせ鏡にして後頭部を見つめると…立派にハゲている頭を直面する事になります。普段、ハゲている事を忘れて生きていますので、ハゲている現実と向き合うと、凹むんですよ。

 なので“ハゲ”という罵倒語は、結構、キマス。

 あと“臭い(くさい)”も、かなり心削られる言葉です。

 自分のニオイって自分には分からないじゃないですか? でも私は、自分が無味無臭ではないくらいの自覚はあります。だから、自分から何らかのニオイが発せられているぐらいの自覚はあります。そして、そのニオイが、他人に不快感を与えている可能性がある事も自覚しています。だから、入浴はマメにしますし、自分が臭わないように、ある程度は気を使っていますし、状況に応じてはオーデコロン等も使用します。。

 だからこそ、たとえ本当は臭くなくても、言いがかりとして“臭い”と言われたとしても、結構きます。“臭い”と言われると「ああ、自分は臭いんだ…」と感じてしまうのです。心にグッサリと言葉が刺さります。

 結論。私に効果的な罵倒語は“ハゲ”と“臭い”でした。いやあ、ほんと“ハゲ”と“臭い”は、めっちゃ心にダメージ受けますよ。“そこの、臭いハゲ”とか呼び止められたら、その場で心臓が止まるかもしれません。それくらい、こたえます。

P.S. ただし“臭い”や“ハゲ”が有効なのは、リアルワールドにおいてです。ネットの中では、ニオイも容姿も相手には認知不能な、関係のない事だと承知していますので、書き言葉で“臭い”とか“ハゲ”とか言われても「だから?」という薄い反応しかできません。

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2017年7月15日 (土)

ヨッチャン、クロちゃん

 最近、私が水槽で気にしているのが、この二匹のドジョウたち、ヨッチャンとクロちゃんです。

 緋ドジョウのヨッチャンの事は何度か書いてきました。体調不良だし、体表がボロボロだし、カラダの色も限りなく白くなってしまって、元気がありません。

 そこへ持ってきて、ここのところ、急に体調を崩し、ときおり「死んでしまったのかな?」と思わせるほどに絶不調なのが、真ドジョウのクロちゃんこと、クロです。

 クロはつい最近まで元気いっぱいだったんですよ。それがここ数日、急に体調不良に陥り、よく腹を上にして水面に浮かんでいたり、狂ったように水槽の中で暴れてみたり…本当におかしいのです。

 どうも、先日、自殺未遂をして以来の挙動不審なのです。自殺未遂をして、水換え中のバケツにダイビングをして事なきを得た…とばかり思っていましたが、実はあの時に、体内に大怪我をしたのかもしれません。なんか、調子がおかしいのです。

 そんなクロを見ていると、ヨッチャンが元気に見えてくるから不思議です。もっとも、ヨッチャンが元気になったわけではなく、やっぱりボロボロで体調不良は不良なのです。

 ドジョウは種類を問わず、基本的にタフな魚です。多少体調が悪くても、持ち直すことが結構あります。そこは金魚ほどか弱い生き物ではないって事なんでしょうね。だから、体調が激烈に悪いヨッチャンクロちゃんですが、案外、回復するんじゃないかな…なんて、楽観視していたりする私がいます。

 問題は…夏に差し掛かっているって事かな? とにかく、夏の水槽は、金魚やドジョウの体力を奪いますからね。具合の悪い子には、なおさら厳しいです。

 それにしても、ドジョウたちって、健康具合と体色に大きな関係があるので、パッと見ただけで、彼らの体調が分かるので、飼いやすいと言えば飼いやすい生き物です。

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2017年7月14日 (金)

今回はちゃんと楽器を持ってレッスンに行きました

 前回のレッスンでは、楽器を持たずにレッスンに行くという失態を犯してしまった私です。今回は、念には念を入れ、しっかりと楽器を持ってレッスンに行ってきました(当然だな)。

 とは言え、定刻からだいぶ遅れてのレッスンとなりました。いやあ、お仕事、忙しいんです。だいぶ待たされた先生(ごめんなさい)は、しっかりご自分の練習をされていたようで、いつものように真っ黒な楽譜を目の回るような速度でビュンビュン吹いてました。

 チャッチャと楽器を組み立てたら、即座にロングトーン練習です。細かい音程は吹きながら調整です。まあ、破綻なくやりました。

 エルステユーブンゲンは、20番と21番ですが、今回も暗譜をせずにレッスンに臨みました。先生も、当然、私が暗譜などしていない事は承知していました。ダメだなあ…早く暗譜を完了させて、せめて20番だけでも終了させないと…。20番、暗譜どころか、後半の指がもつれやすい箇所は見事に指がもつれてしまいました。つまり、練習不足の露呈です。練習しないと、あっという間に指って動かなくなるもんだねえ(涙)。

 プチエチュードは17番です。♯3つの嬰ヘ短調の曲なのですが、変化する音3つのうち、最初のF♯とC♯はいいのですが、ついついG♯をナチュラルで演奏しがちな私です。うっかりナチュラルで音を出して「やば!」とか途中でGisレバーを押している私で、当然「ダメ!」とその度ごとに先生に注意されております。当然、まだまだ不合格でございます。

 夏の合宿兼発表会で演奏するソロ曲、ヘンデルの…「ラルゴ」…って、いやあ、前回の記事まで「オンブラ・マイ・フ」と書いてましたが、よくよく楽譜を見ると「ラルゴ」って書いてあるので、今回からは“ラルゴ”と表記します。

 私はオペラを全幕見たことがないので、はっきりとは知らないのですが、同じメロディーでも歌手によって歌われている部分は「オンブラ・マイ・フ」と呼び、同じオペラの中で、同じメロディだけれど、オーケストラだけで演奏されている演奏曲もあって、そっちは「ラルゴ」と呼ぶのだそうです。微妙にあれこれ違うとか? まあ、そのうち、オペラ全幕を見て確認するつもりですが、今回、私がフルートで演奏するのは、楽譜には“ラルゴ”という曲名になっているので、ラルゴなのです。

 で、そのラルゴですが、発表会用仕上げなので、結構細かい部分まで注意されました。

 まず、トリルですね。トリルに入るタイミング、トリルに入ってから音を動かすまでの僅かな時間だけれど元音をキープしていく感じ。そこから音を動かす動かし方と終え方。たかがトリル、だけどリトルなのです。いやあ、トリルも真剣にやると難しい。

 音価(音符の長さ)を大切に…、それぞれの音符に与えられた長さを、意味なく短くしたり長くしたりしてはいけないわけで、そこは定規で測ったように、ビシッビシッと正確無比にしないといけません。まずは、楽譜通りに冷徹に演奏する事。そうしないとピアノとの合わせの時に苦労する事になる…のだそうです。

 私の場合、声楽曲「オンブラ・マイ・フ」はレパートリーにありますが、ついつ歌っているつもりで吹いてしまいがちなのですが、練習の段階では、まずは歌心ってヤツは封印して、楽譜に忠実に、正確無比に演奏する事が第一です。崩すのは、きちんと正確にできるようになってから…なんだそうで、まあ納得です。

 それとこの曲は、白玉音符が多いのですが、そういう長い音符の時は、息をスパッと吐き出して演奏するのではなく、一度クチの中でグルンと息を回してから吹くのが“吉”なんだそうです。まあ、これは歌でもそうだから、なんとなく分からないでもないです。

 いやあ、ラルゴは単に吹くだけなら簡単なのですが、発表会レベルの仕上げをするとなると、あれこれあれこれ難しいですし、先生曰く「吹けば吹くほど難しくなってくるよ」との事です。いやあ、頑張っていきたいと思います。

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2017年7月13日 (木)

楽譜が手に入らない(涙)

 コンサートなどに行って「ああ、いい曲だな…。私も歌ってみたい/吹いてみたい」とか思った事ありませんか? 私は結構あります。

 ポピュラーソングを歌うのなら、割と話は簡単です。YouTubeで参考音源を聞いて勉強/練習して、カラオケに行って歌えばいいんです。簡単ですね。

 でも、クラシック系の曲だと楽譜を入手するところから始めないといけません。なにしろクラシック音楽ってのは“はじめに楽譜ありき”だものね。でもね、楽譜って、そう簡単に入手できるわけじゃないんですね。

 まず楽譜って、地方だとなかなか入手できないんです。

 と言うのも、楽譜を置いている楽器屋さん自体が地方にはなかったりします。たとえあっても、在庫楽譜大半はピアノの楽譜で、歌やフルートの楽譜なんて無いです。特に、フルートの楽譜は壊滅状態だよね。

 私の住んでいる街の楽器屋さんも、例に漏れず、置いてある楽譜のほとんどはピアノの楽譜です。歌はほんのちょっと。フルートは、教則本と副教材系の楽譜が少々。私が欲しいと思った楽譜は…まあ無いね。

 隣町にかつて少々大きな楽器店が2軒ありましたが…今はゼロです。一つ(ヤマハ)は撤退、一つ(地元系の楽器店)は廃業…と言うか、販売を止めて音楽教室一本になりました。楽譜そのものは、大型書店の音楽コーナーで購入可能ですが、楽器店での在庫とは比較にはなりません。シマムラとかヤマノなどの、他の大手楽器店は最初っからありませんから、これでジ・エンドです。

 と言う訳で、現在、ちょっと気の利いた楽譜が欲しい時は、都会に行くしかありません。

 幸い、私の場合は銀座に行けば、国内の楽譜はもちろん、海外輸入譜も結構入手可能ですから、手間さえ惜しまなければ、なんとかなります。それでも入手できない楽譜(輸入譜が主です)は、インターネットを駆使して購入です。

 問題はインターネットを駆使しても入手できない場合なんですよ。

 「そんな事ってあるんですか?」 あるんですよ。絶版とか廃版とかです。

 楽譜だって商品です。売れないものは、あっと言う間に消えてしまうのは当然として、流行り廃りもありますから、昔はバカ売れだった楽譜も、時代が変わって売れなくなれば消えてしまいます。また海外作品だと、著作権の取扱も日本とは異なるわけで、そのあたりがからんで、市場から消えてしまう楽譜もあります。

 実は最近、私が欲しいなあと思ったけれど、入手できなかった楽譜は、これらのパターンでした。ある曲は、古い古い曲で、あまりに古い曲なので、ピアノやギターではなく、大正琴用の楽譜しか販売されていなくて、そのままでは使えないので、断念しました。また別の曲は、最近の楽譜なのですが、本当に売れなくて、すでに絶版となり、中古の楽譜が元値の10倍ほどの価格で流通していますが、楽譜って元から安くないのですが、それが10倍ほどの値段になってしまうと…躊躇しております。またある曲は海外曲だったのです。ほんの少し前までは入手が容易だったのですが、著作権で問題が発生し、世界的に一斉にこの曲の楽譜が消え、国内でもこの曲を外した改訂版が作られ、以前の版は当然絶版となってしまいました。

 ああ、入手できないと分かると、無性に欲しくなるものです。

 きちんとした音楽教育を受けてさえいれば、楽譜がなくても、自分で採譜して編曲してしまえばいいのですが、悲しいかな、素人にはそんな事はできません。専門業者に頼んで採譜してもらうという手もありますが…そこまでお金をかけるつもりはありません。そうなると、負け犬のように、さっさと尻尾を丸めて、悔し泣きをするしかありません。

 なんかなあ…。楽譜が入手できないのだから諦めるしかないのだけれど、なんか釈然としないし、諦めつかないのよ。

P.S. 海外曲の場合は、ネットの画像検索をかけると、消えたはずの曲であっても、使える楽譜が見つからないわけじゃないですが、それって著作権者に対して無断使用にあたるわけで、コンプライアンスの遵守を旨とする私的には、たとえ私的使用であっても躊躇してしまいます。

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2017年7月12日 (水)

声がカラダに残らない

 一般的に「録音された自分の声は、自分が知っている自分の声とは違う」とよく言われます。

 これは何も主観的に感じた違いだけでなく、理屈としても、その違いは説明できるんだそうです。

 録音された声とは、自分のクチから音波として実際に外界に出ていった声であり、録音のみならず、他人が聞いている声というのは、この声の事を言います。これを専門用語では、気導音と言います。

 一方、自分で聞く自分の声と言うのは、もちろん、外界に出ていった声が周囲の事物に反射して聞こえてくるモノも含まれますが、それよりも、声帯振動が体内を伝わって、直接内耳に到達して聞こえている音波(こちらは専門用語で骨導音と言います)の方が音量的に大きいと言うのだそうです。さらに、体内は空気の部分よりも、体液や筋肉脂肪および骨の部分の方が多くて(当たり前)、音がこれらを通過すれば、空気中を伝わった時とは変質するわけで、その結果、音色が変化してしまいます。

 その音色が変化した声を普段から聞いて、それが自分の声だと思っているので、外界に出ていった声を録音して聞くと「なんか変」って思うそうなのです。

 実際、私も声楽を始めた頃…その頃から、レッスンや練習風景を録音していましたが、そこで歌われている私の声を「変だな、奇妙だな」と思っていました。確かに自分の声だけれど、なんか変な聞き慣れない音色だなって思っていたわけです。

 実際、その感覚は長く続きました。やがて録音をたびたび聞くうちに、録音された奇妙な声が自分の声であるという認識を持てるようになったけれど、それでも私自身が普段から聞いている自分の声とは明らかに違っていて、聞き慣れたとは言え、違和感がいつまでも消えずに残っていたのです。

 しかし先日、気がついたのですが、その違和感が消えていました。いや、消えたのは違和感ではなく、奇妙に聞こえた声の方だったのです。

 私が聞いている自分の声と、録音された声、厳密にはまだまだ違うとは思いますが、それでもだいぶ似た感じの声に感じられるようになり、それで今まで感じていた違和感が消えたのです。つまり、自分で聞く自分の声と、録音の声が、ほぼ同じ声に聞こえるようになったのです。

 要因としては二つあると思います。

 まず一つ目の要因は、私の耳が開くようになってきた事です。人の感覚って、案外、意識しないと活用されないものです。話したり歌ったり、楽器を演奏している時もそうだけれど、そういう時って、話す内容に気を取られていたり、上手に歌おうと集中していたり、楽器だったらミスプレイをしないように気を張っていたりするわけです。そういう時って、脳が勝手に聴覚を遮断して、外界からの音を聞かなくなる/聞こえづらくなるです。でも、そこは訓練であるとか、意識付けとかで変える事ができるわけです。私の場合は、歌とかフルートとかを演奏する時に、なるべく外界からの音(周囲の事物に反射して聞こえる、声とか演奏音)を聞くようにしていました。むろん、最初はなかなかうまくできませんでしたが、やがて自然にできるようになりました。

 時期的には…キング先生のところを辞めたあたりからかな? あの頃から、自宅練習に大きな姿見を用意し、この鏡に向かって歌い、鏡からの反射音を聞くように練習方法を変えたからです。先生に声を聞いて修正してもらえなくなったので、自分で自分の声をリアルタイムに聞いて修正していこうと思ったからです。

 で、二つ目の要因は、これはごく最近の事ですが、体内経由の、あの奇妙な声が、聞こえなくなった事です。

 「え? なに?」って感じですが、ざっくり言っちゃえば「体内に声が残らなくなった」と言った感じでしょうか? 声がすべて音波になって、カラダの外に出ていってしまって、自分のカラダの中に声が残らないって感覚なのです。

 ですから、周囲の物音が大きな場では、自分が歌ったりしゃべったりしても、自分の声が何も聞こえなくて、とても不安に感じるようになりました。雑踏などで話していると、自分の声は自分にはほとんど聞こえなくて「こんな小さな声で話していて大丈夫だろうか?」と不安になるのですが、実際、私の声そのものはとても通るらしく、他人にはよく聞こえるそうなのです。自分には聞こえないのに、他人に聞こえる声ってのも、なんか変な感じですね。

 だから、私は内緒話が出来ません。自分では声をセーブしたつもりでも、かなり馬鹿でかい声で周囲に筒抜けになってしまうからです。

 あんまりに声がデカイので、難聴じゃないかしらと疑った事があります。ほら、難聴の人って、本人無自覚でやたらと大きな声で話すじゃない!

 で調べたところ、事実はむしろ逆で、私の聴力はどうも平均以上に良いようです。だから、耳が悪くて大声になってしまったわけではありません。自分で思っている以上に、私の声は通りが良い…ってだけなのです。

 おそらく、話し声も含めて、私の声は今、かなりの高水準で空気の疎密波(音波)に変換されてしまい、体内を振動させる事が少なくなったのではないでしょうか? 声帯振動を空気の疎密波に変換するのが上手になった…と言えるのでしょう。体内を振動させていたエネルギーも空気の疎密波に変換できるようになれば、そりゃあかなりの省エネで大声になるわけです。

 たぶん、これは良いことなんだろうと思います。しかし、合唱や斉唱の時に、ほんとに自分の声が聞こえなくて、不安にかられるのは、精神衛生上、全くうれしくないのでした。

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2017年7月11日 (火)

録音されたら分からないよね

 オーディオファンの方々には申し訳ないのだけれど、私はオーディオ装置というものを信用していません。別にオーディオ装置を毛嫌いしているわけではないし、私自身、録音された音楽を聞いて楽しんでいますし、音楽はなるべく良い音で楽しみたいと思っているし、高価なオーディオ装置の再生音は素敵だなあと思うものの、でも、オーディオ装置に全幅の信頼は寄せられないのです。

 少なくとも、何か大きな技術的なブレイクスルーがない限り、私が満足するようなオーディオ装置って、存在し得ないだろうなあって思ってます。で、私が満足するようなオーディオ装置ってのは“演奏会場そのものを再現できるオーディオ装置”です。つまり「生音を生音のまま再生できる機器」が欲しいなあと思っています、それも簡便な装置で。

 おそらく、現在の技術で私の希望に近いオーディオは…バイノーラル録音だと思います。バイノーラル録音とは何か…と説明し始めると、それだけで一つの記事になってしまいそうな気がするので、知らない人は、各自でググってください。

 バイノーラル録音では、通常のステレオ録音よりも、音の定位がよりはっきりするだろうし、会場の空気感のようなモノも録音再生できるだろうし、ハイレゾ音源として録音すれば、かなりの音質の向上も期待できるのだけれど、私にはそれでも足りません。

 ハイレゾ音源って、いくつか聞いたことあるし、再生装置が素晴らしければ、本当に素晴らしい音質で再生できるわけだけれど、その素晴らしさは、生音の素晴らしさとは、ちょっぴり違うような気がします。それこそ、生の桃と桃缶の桃の違いぐらい違います。いやいや、養殖うなぎと天然うなぎの違いぐらいまで近接しているかもしれません…が、やっぱり違うものは違うのです。

 何と言っても、ヘッドフォーンを着用しないといけないってのが、バイノーラル録音における大きなマイナスポイントだと思っています。それに代わる再生システムとして、昔は4chステレオであったり、現在なら5.1chサラウンドだったりするんでしょうが、それらもバイノーラルほどではないにせよ、かなりいい感じの再生システムだったりしますが、今度は装置が大げさになってしまうのが欠点かな?

 現在のオーディオ機器は、人間の可聴音域を遥かに超えるスペックで録音再生できるのですから、生音と録音再生には、もはや違いがないはずなのですが、それでも実際に聴き比べてみると、なんか違うんですよね。

 一つには、録音された音源って、程度の差こそあれ、化粧されている音だからです。

 音楽に限らず、何か音を録音する際に、収録された音にフィルタをかけて、ある一定以下の音量/周波数をカットし、ある一定以上の音量/周波数は歪まないように低減して録音するのが通例です。そういう加工をして録音するから、すっきりした再生音になるわけですが、そのすっきりした感じが違和感を生み出しているような気がします。

 いやいや、違和感程度なら問題ないです。もっと積極的にフィルタを使って、音質そのものに手を加えて録音された音源だってあるでしょう。また編集されている音源だってあるわけで、演奏者や演奏場所が異なる音源だって、編集次第では一つの音楽にまとめることはできるし、演奏者のミスなども編集過程で修正したり差し替えたりすることも可能です。そうなると、録音は実演よりもミスのない完璧な演奏と言うことすらできますが…それもなんか違うような気がするわけです。

 人間だもの、失敗したっていいじゃない。素晴らしすぎると、リアルを越えてしまいます。

 “ライブ音源”と銘打たれた音源だって、実際は修正されていたり差し替えられていたりオーバーダビングをされていたりするわけです。いまや“ライブ録音”って『レコード会社のスタジオ以外で録音されたもの』程度の意味しかありません。

 つまり、録音された音源って、生音と較べると、物足りない部分があるかと思えば、生音よりもキレイに仕上がっている部分もあるし、より聞きやすかったりするわけです。さすが、そこは工業製品なわけで、天然物と較べると、エグミやアクと言ったものが無いわけです。

 何が言いたいのかと言えば、録音でも、おおよその音楽の素晴らしさは分かると思うのですが、あくまでも“おおよそ”でしかないって事です。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです…って、先週も同じ事を書いたような気がしますが、そういう事です。

 なので昨今の私は、音楽を聞く時は、外出先で聞く時は、3000円程度のカナル型イヤフォーンで、自宅ではパソコンのスピーカー(それでもちょっと良い奴だしウーハーも用意しています)で聞いてます。居間には、ちゃんとしたステレオ装置もあるし、そこそこ良いスピーカーセットもあるんだけれど、普段はあんまり良い機器では音楽を聞いていなかったりします。

 つまり、オーディオ装置に対して、ある種の割り切りがあるわけで、割り切りがあるからこだわりが無いわけで、こだわりが無いから、そんなに良い装置でなくても平気で音楽を聞いちゃうし楽しめちゃうわけです。

 なぜそんな割り切りがあるのかと言えば…オーディオ装置に全幅の信頼を寄せていないからです。ベストな再生音なんて望んでいないので、ほどほどの再生音で楽しめちゃえるわけです。

 安上がりな体質でしょ(笑)。

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2017年7月10日 (月)

オペラ魔女の生歌を聞いてきた

 先日、某A市で行われた『エンターテイメント クラシック Ⅲ』というコンサートに行ってきました。お目当ては、テノール歌手の上原正敏氏だったわけだけれど、このコンサートには“オペラ魔女”こと、翠千賀(みどり・ちか)氏も出演していましたので、ブログ的には、こちらの翠氏の事をメインに書いてみたいと思います。

 まず、翠氏の事を知らない人のために、簡単に説明します。翠氏は、私も大好きなテレ東系の「カラオケ★バトル」という番組の準レギュラーです。番組自体に関しては、以前「私は『カラオケ★バトル』が大好き!」という記事を書きましたので、そちらをご参照ください。

 翠氏は、この番組の中では“高音オペラ魔女”という二つ名を持っている準レギュラー(つまり、常連さんって事ね)で、カラオケマシン相手に、満点をも出してしまうほどのカラオケ名人で、2016年度の年間チャンピオンの一人です。番組内のキャラとしてはヒール(憎まれ役)的存在で“強くて嫌なヤツ”というキャラになってます。まあ、ビッグマウスをかましている事が多いのだけれど、結果が伴っちゃうので、誰も何も言えない…ってキャラ付けなんでしょうね。テレビ出演時のメイクも(魔女っぽさを出すためでしょうか?)キツめで、いい感じで不気味さをアピールしています。

 高音オペラ魔女…という二つ名ですが、番組では歌謡曲を歌っている事もあって(オペラ歌手的な高音を全然出さないので)妻などは「どこが“高音”なの!」と憤っています。まあ、歌謡曲的な高音と、オペラ的な高音は全然違うので、さほど高くない音程の音でも、歌謡曲的には“すっごい高音”って感じなんでしょうね。

 で、彼女のステージを見てきた感想ですが…ステージ上の翠氏と、テレビのオペラ魔女は、かなりキャラが違いますね。まあ、当然と言えば当然で、笑点の木久扇師匠がテレビでは与太郎キャラ(つまりバカ)を演じてますが、素の木久扇師匠はかなりのインテリさんであるのと同様なわけです。プロの方で、素のままテレビに出演している人なんて、いるわけないし…ね。

 オペラ歌手としての翠氏は、正統派のスピント系のソプラノでした。それもプロ歌手としては正統的でマトモな歌い方の人でした。日本のクラシック系演奏家は、かなりの腕を持っていても、なかなかプロとして目が出ない人も多いのですから、たとえカラオケ番組であって、それで名前を全国的に売ることが出来て、ラッキーだったと思います。

 舞台では、ごく普通のオペラ歌手的な発声で歌われていて、カラオケ番組での歌い方とはだいぶ違いました。ご本人がおっしゃるには、テレビではクラシック系の発声ではなく、ミュージカル系の発声に寄せて歌っているんだそうです。と言うのも、クラシック系の発声で歌うと(機械がちゃんと声を拾えず)低い点しか出ないからだそうです。まあ、分かるような気がします。テレビではカラオケマシンでの高得点を狙うために、棒歌いが多いのですが、舞台での歌唱では、かなり濃い目の表現で歌っていました。つまり、テレビタレントのオペラ魔女と、オペラ歌手の翠氏は、歌手としては、別人格と考えた方が良いかもしれません。

 なので、オペラ魔女的なモノを期待して彼女のコンサートに行くと、ちょっとガッカリしちゃうかもしれません。舞台では、あんなにどぎついキャラではありませんから。

 メイクも舞台はテレビとは違って、かわいい系のメイクをしてましたよ。素はかなりの美人とお見受けしました。

 テレビタレントのオペラ魔女も良いけれど、オペラ歌手の翠千賀氏も、なかなか良いなあと思った私でした。

P.S. コンサート終了後の物販コーナーでは、私は翠氏のCDではなく、上原氏のCDを購入して、サインまでいただきました。いやあ、ソプラノよりもテノールの方が好きなんだな、私。

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2017年7月 9日 (日)

少子化の原因は、恋愛至上主義なんじゃないの?

 一体、いつから恋愛しないと結婚してはいけない世の中になってしまったのでしょうか?

 昔々…と言っても、そんなに昔の話ではありません。少なくとも私が若い時はまだ残滓があったし、私の親世代では、ごくごく当たり前の話でしたが、その頃の結婚ってのは、親とか家とかが決めるものであり、結婚相手は、親とか親戚とか、あるいは地域の世話役(“見合いババア”とか呼ばれていた人たち)が“お見合い”というカタチで結婚の世話をしてくれたものです。恋愛を経て結婚に至る人たちもいたけれど、全体的には少数派だったかな? だから明治~昭和前半の文学作品のテーマに「親がすすめる見合いのために、愛し合う二人の仲が割かれる」ってのがあったわけです。

 つまり、ほんのちょっと前までの日本では、恋愛と結婚は別物だったわけです。だから、恋愛しなくても、多くの人は結婚して家庭を作っていたわけです。

 戦争に負けて、アメリカ的な文化が入り込み、いつしか結婚は『“愛し合う二人”による愛の完成形』という事になり、恋愛を経なければカップルとなれず、カップルになれなければ結婚できない、という事になってしまったようです。

 でしょ?

 陽気なヤンキーにとっては、恋愛なんて日常茶飯事でしょうし、それこそ「愛のない結婚生活なんてアンビリーバボー!」って事なんだと思うけれど、日本人にとっては、有史以前からつい最近まで、結婚は周囲のオトナたちが準備してくれるモノであって、結婚式の当日まで結婚相手の顔も見たことない…なんて事だって、あったわけです。

 そんなやり方で、つい最近まで、私たちが暮らす社会は成り立っていたわけです。

 つまり、ごくごく最近まで、多くの日本人にとって、恋愛は必要不可欠なものでなく、しなければしなくても全然構わないモノだったのです。それこそ、仕事一筋、あるいは趣味に没頭した生活をしていても、年頃になれば、適当な相手を見繕ってもらって、結婚して、家庭を営み、その中で相手に対する情愛が生まれ、子どもも生まれて、家族として育っていく…わけです。別に恋愛感情なんてなくても、結婚できたし、家庭も作れたし、社会生活も営めたわけです。

 でも昨今は、まず恋愛でしょ? 恋愛結婚こそが結婚へ至る王道であり、かつてのような、親とか親戚とか見合いババアの紹介による見合い結婚はすっかり廃れてしまいました。代わりに、同世代たちによる合コンなどの集団見合い的な催しは行われるようになったけれど、合コンと結婚は別につながらないし、業者による結婚仲介サービス業もあるけれど、成婚率もそうだけれど、そもそもこれらのサービスを利用する人たちって、どれくらいいるんでしょうね。また、地元振興の名目で各自治体が各種お見合いサービス(例えば“街コン”のようなモノ)もしてますが、これだってどうなんでしょうね。

 私が思うに、日本人の基本的な性格って、決して陽気ではないし、外交的でもないんだと思います。どちらかと言えば、見知らぬ人を警戒する用心深さと、仕事などの自分の役割に没頭する真面目さを兼ね備えた、ヲタク的な性格の持ち主が多いと思います。その上、結婚適齢期の、まだまだ人生経験の少ない若い世代では、他人とコミニュケーションを取る事自体に慣れていない事もあり「恋愛? ムリムリ」と思っている人も多いことでしょう。

 実際に若い人たちと話をしていても、男女問わず、自分が将来結婚できるとは思っていない子って、本当の本当に多いです。自分が恋愛をしている姿が想像できないそうで、恋愛しない以上、相手がいないわけですから、結婚も無理…って思うそうなんです。

 …だよね。私も若い人たちを見ていると、この連中が恋愛できるとは思えなかったりするもの。コミュニケーションが下手くそで、人間関係を構築するのが不器用で、顔見知りの同性同士で遊んでいるのが楽しくて居心地が良くて、ほどほどに真面目だから仕事に勉強に熱心だったりして…そりゃあ、恋愛するチャンスなんてないし、仮にチャンスがあっても、それを活かせるとは、オジサン、全く思わないわけです。

 おまけに、それらの難題をクリアしてカップリングに成功しても、若い世代は経済的にも恵まれていない子が多いから、結婚を先送りにしているうちに仲が冷めて、別れちゃったりするわけでしょ? で、一度失恋すると、いつまでもそれを引きずってしまうのも今の若い子の特徴のようで、なかなか次の恋愛には踏み出せないようです。

 結局、恋愛なんて、我々日本人には、ハードルが高いんだと思います。恋愛を日常的に行うためには、オープンマインドと巧みなコミュニケーション能力が求められるわけだけれど、残念ながら、それらを標準装備している日本の若者って、ほんと、少ないよね。

 我々は、与えられた人間関係を維持するのは得意でも、新規の人間関係を作り上げるのは苦手なんです。だって、与えられた人間生活を維持しつつ新規の人間を排除するってのは“村社会”の特徴だもの。結局、先進国となった今でも、我々のメンタルは昔ながらの“村社会”のままなんだと思うわけです。

 日本人はやっぱり日本人なわけで、陽気なヤンキーにはなれないわけです。それを無理して恋愛至上主義みたいなモノを取り入れちゃったから、多くの若者が恋愛できずに、結婚にたどり着けず、高齢独身となって出産する事なく人生を終えるわけです。

 そりゃあ、人口だって減るよね。

 恋愛なんて趣味的なモノであり、やりたい奴はやればいいけれど、恋愛しなくても、きちんと結婚をして家庭を築いていける、かつての日本のような社会を取り戻さないと、ドンドン日本人が減っていき、やがて絶滅危惧種になって、この世から日本人と日本国と日本文化が無くなってしまうよ。

 そうしたら、きっと、この日本列島には中国人たちが住むんだろうなあ…。だってあの人たちの繁殖力たるや、実はすごいもの。半端ないよね。やがて世界人類の大半が中国人になってしまうんじゃないかしら…って思う時、あるからなあ。

 それもなあ…、なんかなあ…。

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2017年7月 8日 (土)

ハンモックで昼寝をするヨッチャン

 ドジョウという生き物は狭いところが大好きです。とにかく隙間を見つけては、そこに入り込んでご満悦になる生き物です。狭いところがなければ、地面を掘って地中に隠れてしまうくらい、狭くて暗いところが好きです。

 おそらく、この特性はドジョウだけでなく、この手の“細長い魚”一般に共通するんじゃないかしら? と言うのも、穴子とかウツボとかも、自然界においては、岩の割れ目とか砂の中とか、好きだものねえ…。

 で、我が家の場合ですが、一応、ドジョウ達のために、木炭による管(トンネル)のオブジェと、陶器製の空洞のあるブロックを入れていますし、水質保全のための活性炭の入った袋も沈めてあるので、この袋の下に入り込んでいる事も多いですし、水槽の砂利だって比較的潜りやすいものを用意しています。ですから、普段はドジョウたちも、それらの中に入って暮らしているわけです。

 さて我が家では、毎月毎月、水槽に水草を入れています。金魚たちが食べ尽くしてしまうので、一ヶ月ごとに水草を入れているわけです。水草を入れた当初は、水槽の中に、うっそうとした水草の森が出現します。金魚たちが暮らしづらいのではないかというくらい、大量の水草が入るわけです。

 大量の水草のために水槽が狭くなって、金魚たち行動範囲は狭くなって、少々窮屈めとなりますが、この水草だらけになった水槽は、ドジョウ的には喜ばしい感じで、この水草の森の中に、ドジョウ達がよく刺さっています(笑)。先日などは、あのヨッチャンが、水草の森の中に入り込んで、まるでハンモックに寝そべるように、悠々としていました。ほんと、居心地良さそうで、幸せそうでした。

 最近は健康を害して、ちょっと痛々しいところのあるヨッチャンですから、のんびりくつろいでいる様子を見れるのは、飼い主的にもハッピーな事です。

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2017年7月 7日 (金)

楽器を忘れてレッスンに行きました

 ええと、タイトル通り、フルートを持たずにレッスンに行ってしまいました。ダメですね。

 なぜ楽器を忘れてしまったのか…特に理由はありません。単純に疲れていて、頭がボーとしていて、何も考えずにレッスンの用意をして出かけただけです。

 そしてお教室に着いてみたら、私の荷物に楽器が無かった…だけの話なのです。楽譜とか録音機とか、その他レッスンに必要なものはすべて持っていたのに、肝心の楽器だけがなかったのです。

 びっくりしましたよ。私、忘れ物って、まずしない人なのです。今までだって、ボケーとしていた事なんて、何度もあったけれど、それでも忘れ物なんてしない人だったのだから、楽器が無い事よりも、私が忘れ物をした事に、驚いてしまいました。

 先生には「フルートを持ってくるのを忘れてしまいました」と言い、せっかくなので先生とおしゃべりをしたら帰りますと伝えました。

 楽器を取りに家に戻るという事も一瞬考えましたが、それをやってしまうと、お教室の営業時間を越してしまうし、先生のご帰宅時間も遅くなってしまうので、ダメです。

 後で妻から「電話をくれれば、すぐに届けたのに…」と言われました。ああ、たぶん、それが正解なんだと思いますが…自分が忘れ物をしてしまったという事実に、ちょっぴりうろたえてしまった私は、そんな事も思いつきませんでした。ダメですね。

 とにかく先生とは、あれこれ世間話をしました。今回は主に合宿のこぼれ話です。昔々、あんな事があったとか、こんな話があるんだよとか、そういうフルート合宿の歴史話でした。だからネットに書いても面白くないだろうから、今回はパスです。

 それよりも何よりも、フルートのレッスンなのに、フルートを持たずに行くなんて…ああ、ショックだ、ショックだ。

 それにしても、器楽って楽器がないと始まりませんね。これが声楽ならば、手ぶらで行っても、なんとかなるんですよ。発声練習をしたり、暗譜で歌ったり、先生の隣に立って同じ楽譜を見ながら歌ってみたり…でも器楽は楽器がないと…ほんと、どーにもなりません。

 深く深く反省…だ。

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2017年7月 6日 (木)

クラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだな

 クラシック音楽と言うのは、本来は王侯貴族の楽しみです。彼らが自分たちの食事時や宴会時のBGMとして(今で言う)室内楽を演奏させていたのが、そもそもの演奏形態なのです。ですから、作曲家や演奏家も、お屋敷に勤める使用人の一人であって、音楽演奏を専門に働いている御家来衆の一人に過ぎませんでした。

 つまり、当時の音楽(今で言うクラシック音楽)って、王侯貴族の独占物であって、庶民たちはその存在は知っていても、楽しむ事はできなかったわけです。

 で、市民革命があって、王侯貴族たちの特権や贅沢が開放(解体?)されました。そして、王侯貴族の規模縮小&没落に合わせて、音楽家たちは失業し、フリーな存在になりました。

 王侯貴族に変わって、世界の主役になったのが市民たちですが、市民たちには王侯貴族のような経済力はなく、音楽家たちの生活を丸抱えする事ができませんでした。その代わり、演奏会ごとに(チケット代という形で)賃金を支払う(一種の)アルバイトとして彼らを雇うようになりました。

 しかし、王侯貴族たちが楽しんだ室内楽という演奏形式では、客の数も少なく、チケット販売枚数なんて、たかがしれたものです。そんな少額では、音楽家たちの生活を支えることは難しいのです。

 そこで発展していったのが、音楽ホールとオーケストラなわけです。つまり、広い会場にたくさんの市民を集めて、大きな音で演奏することで、一回の演奏会で多くの観客を動員して、演奏会の収益をなるべく大きくしましょう…って事です。

 つまり、チケット一枚の値段はそんなに高くできないけれど、観客の数を増やすことで、全体の利益を確保しようとしたわけで…つまり、音楽の薄利多売が始まったわけです。

 それでも、音楽ホールに集められる人数なんて、たかが知れているわけです。オーケストラが出せる音量にだって限界はあります。だから演奏会は頻繁に行われたわけだし、音楽家たちはツアーを組んで、当時の世界をくまなく旅して演奏活動をしていくしかありませんでした。

 そんな苦労を重ねても、一度始まった音楽の薄利多売商法は、とどまることがありませんでした。多く稼ぐためには、たくさん演奏するしかないのです。

 やがて電気が発明されると、電力を使った音楽ビジネスが始まりました。

 まずはP.A.システムの導入です。つまりマイクとスピーカーの使用です。これによってさらに大きな音楽ホールでの演奏が可能になり、現在のようなアリーナ公演が可能になったわけです。

 次に楽器の電気化&電子化が行われました。楽器を電気化&電子化することで、演奏に必要な音楽家の数を減らす事でできるようになりました。やがて録音技術が発達してレコードが作られるようになると、生演奏の必要がなくなり、音楽家は演奏旅行をせずとも、音楽そのものがパッケージ化されて世界中で販売されるようになり、さらにさらに薄利多売が進んでいったわけです。

 そのレコードが、やがてCDやDVDに変わり、現在のようなネット配信になっていったわけです。

 つまり我々が聞いている音楽と言うのは、薄利多売できるようにアレコレ工夫を重ねた末の音楽だったりするわけです。まあ、我々は王侯貴族ではありませんから、王侯貴族のような楽しみを味わうためには、どこかで妥協しないといけないわけで、それがホール演奏だったり、ネット配信だったりするわけです。

 ポピュラー系音楽のように、薄利多売システムを前提として発展していった音楽は、まあ良いとして、クラシック音楽というのは、薄利多売の始まる前とか、最初期の段階で発展していった音楽だったりするわけです。

 そもそもが生演奏を前提とした音楽ですから、それを録音で聞くのが普通となった現在では…採れたてピチピチの食材と、缶詰やレトルトの食材が違うように、ちょっぴりあっちこっちが違っているわけです。

 ざっくり言っちゃえば、録音される前提の無いクラシック音楽を、録音して聞けば、そりゃあアレコレ違うよって話です。

 「だからどうした!」と言われれば「いや、別に」としか答えられない私ですが、でも録音された音楽って、そんなもんだなって思っている私なのです。つまり、録音された音楽ってのは、薄利多売向けの廉価版の音楽…なんだなあって思っている私なわけなんです。

 そんな薄利多売向けの廉価版演奏であっても、楽しめないわけじゃありません。音楽作品の良さが分からないわけじゃないし、演奏家の素晴らしさが分からないわけじゃありません。でも、音の美しさは…分からないよね。どれだけ素晴らしい録音技術で収録しても、生演奏にはかないません。演奏された音には、録音できない音や再生できない音、収録できない空気の振動というのが含まれており、それがまたその音の美しさを際立たせていたりします。

 さっくり言っちゃえば、ヨナス・カウフマンの録音された歌は素晴らしいけれど、彼の生歌は素晴らしい上に美しいのです。そういう事です。

 そう考えると、やはりクラシック音楽は、やっぱり王侯貴族の趣味なんだなって思います。

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2017年7月 5日 (水)

英語で歌うのは難しい?

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。今回から、発表会の曲、レハール作曲の「メリー・ウィドウ」に集中です。

 まずはテノールソロの「Maxim's/マキシムの歌」からです。この曲はテノールソロとは言っても、実際の舞台ではバリトン歌手も歌います。いやむしろ、実際の上演ではバリトン歌手が歌う方が多いかな? ただし、元がテノール用に書かれている曲なので、高い音が得意なバリトン、つまり“ハイバリトン”と呼ばれる人たちじゃないと歌えません(Y先生はバリトン[それもバス・バリトン]だけれど、この曲は“高い”ので歌わないのだそうです)。なので、私のような、高音が苦手なテノールでも歌いやすいわけです。実際、音域的には、全然楽です。だって、一番高くてもGですもの。Gはバリトンにとっては目がくらむほどの高音のようですが、テノールにとっては、一番美味しい音です。むしろ、一番低い音が五線下のAなので、この音をきれいに出せるテノールって限られていますから(私は無理です)、そういう意味でも、高いGが出せるならバリトンの方が良いくらいの曲なのです。

 まあ、私は一番低い五線下のAを、その音だけを1オクターブ上に上げて歌います。世のテノールの皆さんは、この曲を歌う時は、そうするので、私もそうします。

 という訳で、音域的には難しくないのですが、難しいのは、テンポが速い事と英語で歌う事です。テンポの速さは練習を重ねることで対応するしかないです。英語で歌う事は…ドイツ語ほどではないけれど…子音が多いので、それらの処理をうまくしていかないとレガートに歌えない難しさがあるわけです。それに楽譜を見ると、音符に子音しか振り分けられていない箇所もいくつかあり、そういうところは工夫して歌わないといけないわけで(子音で音程を作るのは難しいのです)、とにかくアレコレ大変だったりします。

 とにかく、子音の処理を巧みにしないと、歌がゴツゴツしちゃうんですよね。この曲って、酔っぱらいの歌なので、ろれつが回らないグダグダした歌い方は演技としてアリですが、ゴツゴツした歌いクチってのは、ほんと似合いません。滑らかに歌えるように練習していかないと…なあ。

 次は二重唱の「I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ」です。とりあえず歌ってみましたが、そんなに悪くはないです。楽譜通りに歌うだけならば、歌い込んでいけば、それなりになるでしょう。問題は、慣例に則って楽譜にない音を加える事にしたのですが、そこが結構難しいのです。と言うのも、ソプラノとのハモリの箇所に高いAとGを加えるからです…この曲は、本来Fまでの曲なんです。歴代の歌手さんたちが、それでは物足りないというので、GやAを加えて歌うようにしちゃったんですね。

 高いAなんて、私にとって結構ギリギリの高さなのですが、ハモリの箇所なので、メロディのソプラノをかき消すよう声で歌ってはダメダメです。あくまでも控えめな声で高いAを歌うわけです。ただでさえ難しいAの難易度がグッと上がります。いやあ、控えめの声で歌うなら、Gだって難しいですよ。

 頑張らないと…。

 さらに、この曲はあれこれテンポが揺れるし、本番ではワルツを踊らないといけないし、やる事はたくさんあります。頑張んないとなあ…。

 さて最後も二重唱で「A Dutiful Wife/従順な妻」です。こちらは先の2曲と違って、バリトンが歌うことはまずない、テノールのために書かれた曲です。メロディの中に高いHが白玉音符で出てくる曲です。難しいですね。

 さすがに高いHは、今の私ではちゃんとは出せない音(だってHi-Cの半音下だよ)なので、一応頑張りますが、声が裏返ってファルセットになってしまってもいいやって気持ちで歌っています。実際、気持ちだけでなく実際に声が裏返ってファルセットになってしまう事の方が多いのですが(汗)。

 先生からは「オペレッタだから…」という理由で、ファルセットで歌うのもOKであると認めてもらいましたので、声が裏返ってしまっても堂々とする事にしました。ただ、いくら高い音だからと言って、ファルセットで歌うのは異常事態なので、そんな異常事態を納得させられるような演技が必要だと言われました。さらに、ファルセットで良いのは、この高いHだけで、すぐ次に続く高いAはファルセットではなく、実声で歌わないといけませんとは言われました。そこで、ファルセットでHを出した後、すかさず地声でAを出す練習もしました。フレーズの途中での声の切り替えも難しいです。いやあ、実際、この二重唱は難しいんですよ。

 それにしてもハモリって難しいなあ。

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2017年7月 4日 (火)

疲れている時は、高音は出さないにこしたことはない

 声楽のレッスンに行ってきました。まずは発表会に向けての日程調整からです。と言うのも、発表会の準備は我々出演する生徒たちも忙しいのですが、先生も発表会の前の週にオペラ興行があって(当然、メインキャストです)そちらのリハーサルやらなんやらもあって忙しいのだそうです。そんな先生の忙しいスケジュールに、我々の発表会の準備をねじ込むわけだから、あれこれ調整が必要ってわけです。

 現役の歌手さんに師事しているんだから、そういう事もあるわな。

 とは言え、我々の場合、自分たちで完結している(ソロはそれぞれ歌うわけだし、二重唱も夫婦で歌う)ので、自分たちの都合だけを考えれば良いので簡単です。他の人と二重唱を歌う場合は、相手の都合を考えないといけないし、レッスンをしてくださっている先生との二重唱ならレッスンの中で練習できますが、レッスンをしていない方の先生との二重唱であったり、ゲスト歌手(今回もテノール歌手さんを呼ぶそうです)さんとの二重唱あると、ピアノ合わせの日が合わせの練習日になるわけで大切だし、回数も必要になってくるし、でもそんなには日にちは用意できないし…って事で、日程調整が必要になるわけです。

 あれこれ考えて、我々はピアノ合わせを本番2週間前に1回やってお終いという予定にしました。と言うのも、この時期、私の仕事が忙しくて、何度もピアノ合わせをしている余裕が無い事と、我々がどうであろうと、ピアニストさんはきちんと合わせてくれるだろうから、そんなに回数は必要ないかな?…なんて思った次第です。

 まあ、昨年のボエームの大変さと較べると、今年はかなりのイージーモードで発表会に臨んでいる私だったりします。ダメかな?

 さて、レッスンです。まずはハミング練習です。今回は、声の響きを顔の前面に集める練習をしました。とにかく、むちゃくちゃ顔面がかゆくなりました。今まで、かゆいのがイヤで、声の響きをあまり前に持ってこなかった私ですが、そんな事をしていたらダメなんですね。声はノドの奥から出さなきゃダメですが、響きは顔面にビンビンに響かせるようにしないといけないですね。

 で、発声練習です。今回は私がすでにヘトヘトの状態でレッスンに臨んだので(今の時期、とっても仕事が忙しいんですよん。睡眠時間もガンガン削っております)腹筋の筋トレっぽい練習は、いつもほどキツくはなく、ユルい感じで終わりました。と言うのも、疲れてカラダの動きが悪い時に無理に声を出させると(特に高音)ノドを痛めてしまうので、疲れている時はそれなりの声で勘弁せざるをえないってわけです。

 まあ、無理して怪我しても仕方ないしね…って事です。

 その代わりと言ってはなんだけれど、腹筋を派手に動かす事、クチを派手に縦に開く事、息をしっかり流す事に注意を向けながらの発声練習となりました。

 しかし、ノドの奥を開こうとするとクチが横開きになりやすく、クチを縦開きにしようとするとノドの奥が狭くなってしまいます。まだまだダメだな。

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2017年7月 3日 (月)

私の好きなアマチュア歌手、Aさんの声について

 先日、例によって、私の趣味である“見知らぬ人たちの声楽発表会”を聞きに行きました。いや、正確に言えば「向こうは私の事を知らないけれど、私の方は、ここ数年、その上達具合を見守り続け、今やファンになりつつあるほど大好きな人たちが出演する発表会」ってヤツを聞きに行ったわけです。ほんと、この日を楽しみにし、指折り数えて待っていたわけです。

 その出演者の中に、私がここ数年、とても気にしている歌手さんがいます。その人を仮に“Aさん”と呼ぶことにしましょう。

 Aさんの歌唱スタイルは、とても心が暖かくなるスタイルで、全身全霊で“私は歌が好き、音楽が好き”というのを全開にしてくるスタイルなのです。そう、私好みの歌唱スタイルなんです。以前は、ハートは熱くても、技術が追いつかない、典型的なアマチュアスタイルだったのですが、それでも毎年毎年、目に見えるカタチで上達していきました。

 今までは、ポピュラー寄りの歌曲…と言いますか、オペラ歌手がよく歌うポップス曲やミュージカルソングを歌っていましたが、ついに今年、オペラアリアを歌ってくれたのでした。いやあ、うれしかったです。

 ほんと、1ファンとしては、感慨深いものがあったし、ついにここまで上達したんだなあと(ちょっと上からで申し訳ないのだけれど)感動もしたわけです。いやあ、良いものを見させていただきました。

 で、なまじ、オペラアリアを歌ってくれたので、つい、1ファンとして、あれこれ考えてしまった私なのです。…って言うか、それまで気にしなかった事が気になるようになってしまったのです。

 ポピュラー系の曲とかミュージカルの曲って、声域とか声質とかをあまり気にしない曲が多いです。ポピュラー系の曲は、歌手に合わせて転調するのが普通だし、ミュージカルの曲なんて、舞台ではテノールの人でもバリトンの人でも両方共に歌っちゃう役もたくさんあるし、オペラほど、発声に関してはシビアでなくても歌えるものなので、気にならなかっただけ…なのかなって思いました。

 そのAさんは、男性で、実は私は今まで彼を高音歌手だと思っていたし、実は今でもテノールなんじゃないかと思っているのですが、実際に彼が歌ったのは、バリトンのアリアだったのです。

 歌ったアリアの仕上がりは…アマチュア歌手としては、十分なほどで、私が歌うテノールアリアよりも、よっぽど整っているしカタチどおりに歌われていました。だから、私よりも上手な人…って言えるわけで、そんな上手な人に、私ごときが意見を言うなんて、痴がましいのは百も承知で書くと…Aさん、あなたの声はバリトンじゃないよ…と私は、心の底からそう思うわけです。

 その一方で、なぜ彼がバリトンのアリアを歌ったのか…その理由も分からないでもありません。と言うのも、今までは気にならなかったのですが、実は彼の声って、かなり嗄声(させい)なのです。嗄声とは、音声障害の一種で、いわゆる“ハスキーヴォイス”を指します。まあ、生活する分には、さほどの支障はないので、見逃されがちですが、声帯が健康な状態ではないのは事実です。実際、間違った発声や無理な発声の末に、ノドを壊してしまい嗄声になるケースが多いようです。

 まあ、ポピュラー系歌手には(無理な発声をする人がたくさんいて)嗄声の人が多いので、そういう歌を歌っている時は気にならなかったけれど、クラシック系歌手には嗄声の人はいません…ってか、嗄声の人では、普通は、クラシック系の歌は歌えません。嗄声では音量が得られませんから、マイクを使用するポピュラー系音楽ならともかく、マイクを使用しないクラシック系では歌えないのが普通なのです。

 しかし、Aさんは嗄声にも関わらず、マイク無しでも普通に(やや声は小さめですが、それでもアマチュア歌手としては十分なほどに)歌えるわけで、おそらくは、長年、間違えた発声のまま歌い続けた結果、ノドは壊してしまったけれど、同時にノドが強くなってしまい、嗄声であるにも関わらず、大声量を獲得した…んではないかと想像しました。

 うーん、音楽が好きで、クラシック系音楽が好きな事も、痛いほどに伝わるんだけれど、あの声質で、クラシック系音楽を歌うのは、やはりかなり違和感があるなあ。まあ、アマチュアなのだから、違和感バリバリでも歌っちゃった方が勝ちなんだけれど、おそらくAさんの本来の声質はテノールなんだと思います。ただ、声が潰れちゃったせいで、高音発声がかなり難しくなっているんだろうなあって思います。それでバリトンの曲を歌ったのだろうけれど、バリトンを歌うには、やっぱり声が軽いんだよなあ。おまけに低音はほとんど鳴っていないし、音にもなっていない。そもそも低音を歌えるほど声帯が長くないんだと思います。でも、高音では勝負できないのだから、バリトンの曲を歌ってみたんだろうと思います。

 Aさんに限らず、アマチュア歌手の中には、若い時から音楽が好きで、歌が好きで、自己流に歌い続けて、声を壊してしまった人って…結構いるんだろうなあ…って思います。私は、たまたまノドが強いタイプの人だったので、自己流で歌っていても、ノドを壊さずに済みましたが、普通の人が自己流の間違った発声法で長年無理して歌い続けていけば、そりゃあノドの一つや二つ、壊しても不思議はないです。

 おそらくAさんのノドが壊れたのは、今の先生に師事する前の話だろうと思います。そんな声質のAさんをここまで引っ張り上げた、彼の声楽の先生は、実に素晴らしい手腕の持ち主だと思います。なにしろ、嗄声の人をオペラアリアが歌えるほどに導いたのですから、ほんとスゴイですよ。

 でもね、なんかなあ、他人事なんだけれど、とっても残念で悲しくなりました。彼には今後も頑張って欲しいし、私はこれからも彼を見守り続けていきたいと思ってます。それにしても、学校あたりで、正しい(ってかノドに無理のない健康的な)発声方法を教える事ができたら、歌が好きなのにノドを潰してしまう悲劇が少なくなるのになあ…って思いました。

 いやあ、ほんと、私はたまたまAさんのようにはならなかったけれど、一歩間違えていれば、彼のようになっていたかもしれないし、実際、キング先生に習っていた最後の時期は、レッスンのたびにノドに大きなダメージを受けていたし、あのままキング先生の元で学び続けていたら、きっと私も声を壊して、Aさんのようになってしまっていただろうと思うと、身の毛がよだつ私でした。

 声の健康は、とてもとても大切だと思います。

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2017年7月 2日 (日)

ラーメンとそば、どっちが好き?

 私が住んでいる湘南は神奈川県にありまして、麺類系の飲食店と言えば、圧倒的にラーメン屋だったりします。ラーメン専門店はもちろん、中華飯店であったり、一般食堂(ただしメインメニューはラーメン)であったりはしますが、我々が通常「ラーメン屋」と呼んでいる店ばかりであって、たまにそば屋があって、たまにたまにスパゲッティを出してくるイタ飯屋があって、駅周辺などにわずかながらのうどん屋やちゃんぽん屋があります。

 つまり勢力的には…

  ラーメン屋>>>>>そば屋>=イタ飯屋>>>うどん屋=ちゃんぽん屋

 …って感じでしょうか? それくらい、あっちこっちにラーメン屋ばかりがあります。昔ながらの中華そばを出しているところもあれば、今風の家系ラーメン屋だってあります。チェーン店もあれば、地元密着型の頑固おやじの店もあります。いわゆる“ラーメン激戦区”と言われる地域ほどではありませんが、かなり多くのラーメン屋があります。

 なぜ、こんなにラーメン屋ばかりなのか…と考えてみました。

 単純に言っちゃえば、湘南の人間はラーメンが好き…なんだと思います。これは湘南の人間に限らず、神奈川県の人間全般に言えるかもしれません。なにしろ、日本一の中華街がある県ですから、県民性としてラーメンが好きなのかもしれません。

 湘南は関東地方にあるわけですから、当然、うどん文化圏の外の地方ですから、うどん屋が少ないのは、ある意味、当然です。そば屋やイタ飯屋がラーメン屋と較べて少ないのは…やはり、ちょっぴり地方だからかもしれません。そばとかイタ飯とかって、やっぱり都会の食事ってイメージだもの。かっこいいじゃん。

 そばは、なんか渋い感じがするし、昔っからの都会で食べられるものってイメージがあります。イタ飯はバブルあたりからこっちの、小洒落た街で食べられてる女子向けのランチ…みたいなかんじでしょ? 海と太陽の街、湘南のイメージじゃないよね。だいたい、海の家でラーメンは食べられるけれど、そばとかスパゲッティとかは…無い無い(笑)。

 あ、最近の海の家の二大メニューと言えば、ラーメンとロコモコなんだな。そう、ロコモコ。都会じゃロコモコってオシャレな食事のようだけれど、湘南だと割に普通にあるんだよね。海の家に限らず、海岸近辺の食堂だと何気にメニューに入っているんだよね。ロコモコは、ちょっぴりおしゃれでハワイアンなメニューじゃない? アロハを普段着にしている人が多い湘南だと、そういうハワイアンな感じって日常なんだよね。

 と言う訳で話を戻すと、ラーメンとそばでは、ラーメンが好き…と言うか、ごく普通に日常的にラーメンを食べる生活をしている私でした。これはたぶん、湘南在住という地域性が大きく関係しているような気がします。

 だって、讃岐に住んでいたら、うどんばかり食べるでしょ? 長野に住んでいたら、そばばかり食べるでしょ? ミラノに住んでいたら、スパゲッティばかり食べるでしょ? つまり、そんなモンなんだと思います。

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2017年7月 1日 (土)

ドジョウが翔んだ日

 魚類って水槽の中で飼うわけで、基本的に水槽から出てくることはありません。いわゆる“脱走”…例えば室内飼いのイヌネコが飼い主のスキを狙って、戸外へ脱走して近所を走り回ってくるとか、室内放鳥をしていたインコが、人の出入りに乗じて外へ逃げ出すとか…そういう事は、イヌネコトリだと、たまにあります(私も以前イヌを飼っていた時は、たまに脱走されました)が、基本的に魚類の脱走は…無いって思われるかもしれませんが、実はあるんですね、これが。

 金魚は泳ぎが苦手な魚ですし、貝類はそもそも動きが緩慢なので、水槽からの脱走はありませんが、ドジョウやメダカ、エビなどは気をつけていないと、水槽から脱走する事があります。で、これらの子たちは、一度水槽から脱走すると、大抵の場合は死んでしまうので“脱走”と言うよりも“自殺”というべき結果になってしまいがちです。

 では、彼らはどうやって脱走するのか? それは簡単で、水面からジャンプして外へ飛び出るのです。まあ、水族館等でショーで見ているイルカのジャンプとやっている事は一緒です。

 とにかく、何を思ったか思わないか…何かの拍子に、ピョンと水面から飛び出てしまうのです。ですから、水槽って原則的に蓋をするんですね。蓋をしてあると、水面から飛び出しても、蓋に激突して、再び水に戻りますから。でも、蓋って、水槽の上部を完璧に覆っているわけではありませんから、エサ投入口とか、ろ過装置からの水の流入口などは、隙間的には小さいとは言え、常時開けっ放しで、実際、ここから逃げ出す子もいたりします。

 でも、一番危ないのが、水替えの時ですね。水替えの時は、水槽の蓋を外していますので、この時に逃げ出されると、なかなか厄介です。

 エビは水から直に飛び出すことは少ないです。エビの場合、水面近くに浮かんでいる水草のいる時が危ないのです。水草にいる時にビョンと跳ねると、そのまま水槽の外に出てしまいます。メダカは追われている時に、逃げ道として水面から飛び出ます。ですから、追いかけっこをしていない事を確認して蓋を開けると、まあまあ大丈夫です。

 油断ならないのがドジョウで、この連中は前触れなしで、ピョンと飛び出るんです。それもかなり大きなジャンプをします。エビやメダカのジャンプなんてかわいいものです、案外飛び跳ねても、水槽から出られない事もありますが、ドジョウは軽く50cmぐらいは飛びますから、ジャンプすれば、ほぼ確実に水槽外に行っちゃいます。

 実は先日も、マドジョウのクロが水替え中にジャンプをしました。当然、水槽から飛び出し、居間の床に落下…するはずでしたが、たまたま水替え中で、水槽から抜いた水が入っているバケツの中に落ちました。

 つまり、セーフだったわけです。いやあ、危ない危ない。

 魚類が水槽から飛び出た場合、いずれも体重が軽い事もあって、メダカやエビは打撲等は心配しなくてもいいのです(ドジョウはさすがに体重があるので、軽い怪我、内出血態度はします)が、水中と陸上では生活環境が違いすぎて、酸欠が心配されます。メダカは、そんなに長い時間もちません。急いで水槽に戻してやる必要があります。その点エビはメダカよりも酸欠に強いようで、それなりの時間、無酸素状態でも頑張れるようです。

 ドジョウには酸欠はありません。ドジョウは魚類だけれど、エラ呼吸だけでなく腸管呼吸もできるので空気中からでも酸素は取り込めます。そう言った面での心配はないのですが、ドジョウの場合は、乾燥に弱く、体表のヌメヌメが取れてしまうとアウトなのです。実際、以前飼っていたドジョウは、脱走してティッシュの箱の中に入ってしまい、箱の中でティッシュに巻かれて、あっと言う間にヌメヌメが取れて、発見した時にはかなりヤバい状態だった事があります(結果的には無事でした)。

 とりあえず私が言いたい事はひとつ。いくら今の生活に不平不満があったとしても、水槽から脱走するのは止めて欲しいです。ほんと、命にかかわるんだからね。

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