ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2017年5月の記事

2017年5月31日 (水)

さて、そろそろ夏がやってくるけれど…その前に梅雨だな[2017年5月の落ち穂拾い]

 いよいよ5月も終わり、6月になります。テレビの天気予報では、連日、夏日がどうのこうのという報道がされています。暑くなってきましたね。もうすぐ夏ですね。でも、その前に、うっとおしい梅雨がやってくるんだな(溜息)。

なぜ私は音源をアップするのか?

 私は、たまにですが、自分の演奏の音源をアップする事があります。なぜそんな事をするのでしょうか?

 私はブログで、歌や発声やフルートについて色々と書き散らしています。時には(自分ではそんなつもりはなくても)エラそうな態度になってしまう事もあります。でも、たまに自分の演奏をアップする事で「こいつ、エラそうな事を言ってるけれど、こんな程度なんだ」と知ってもらう事で、私の発言の裏取りと言うか、リアリティってヤツを感じてもらえたらと思って音源をアップしています。

 私は原則的に他人をディスる事はしないように心がけていますが、それでも無意識であったり、結果的にであったりして、他人をディスってしまう事が無いわけではありません。だからこそ、自分の演奏をアップしておきたいと思ってます。

 インターネットって(表面上は)匿名で発言ができるために、簡単に他人に悪意を向けることが可能ですし、実際、自分のことは棚に上げて、他人をクソミソにけなす人も大勢います。中には、名誉毀損で訴えられるんじゃないかと思うほどに、ひどい事を書いている人もいます。

 よほど私生活がつらいのでしょうね。やるせない不満をネットにぶつけているのだろうと思います。私も、そういう可哀想な人に絡まれ続けられた事があるので、被害者の方々の心中を察するに余りあります。でも「被害者は往々にして加害者になりやすい」という言葉もあります。かつては、そういう可哀想な人に絡まれた私ですが、いつ何時、今度は私が可哀想な人になって、普通に暮らしている他人に絡みだすか分かりません。それが人間ってモノだからです。

 だからと言って「物言わぬも腹膨るる事」であるのも事実です。たまには、他人に対して文句を言ったり、多少はディスらざるをえない事だってあるでしょう。

 しかしだからと言って、自分の演奏をアップもしないで、他人をディスってしまうなんて、それはかなり卑怯な行為だと思ってます。他人をディスるなら、自分も同じ土俵に上がるべきだと私は考えます。自分は安全地帯にいて、他人を一方的にディスるのは、卑怯な行為だし、恥ずかしい行為だと思います。

 まあ単純に、私はなるべくフェアでありたい…と思っているのです。卑怯者には決してなりたくないと思っているのです。ただ、それだけなんです。

 なので、自分の演奏をたまにアップして、自戒しているわけなんですよ。

どこまでが“我々”なのか?

 私が思うに、人類が国家や民族の違いを乗り越えて、手と手とを取り合って、平和な社会を築き上げるなんて…単なる妄想なんですよ。共産主義が、寝ぼけたジジイの戯言だったように、世界平和なんて、この世にありえない“絵に描いた餅”だと思ってます。

 すでにご存知の通り、現代社会は“我々と彼ら”の時代に突入してしまいました。

 問題は、どこまでを“我々”として認識していくかです。“我々”を国家で括るか、はたまた民族で括るか、あるいは宗教で括ってみたり、地域や業界で括ってみたり…括りようのない人たちは、家族や親戚一同で“我々”という存在を括ってしまうのかもしれません。

 トランプ氏のアメリカファーストは、アメリカ国民を“我々”にしているわけだし、隣の中国は、中国共産党が“我々”なわけですし、韓国は民族という枠組みで“我々”を形作っているわけだから、準同盟国である日本よりも、休戦中の北の人たちにシンパシーを感じているわけです。なにしろ、北も南も同じ民族であり、彼らにとっては“我々”なんですわな。

 まあ、それらは別段変な事でもなく、ある意味、アメリカも中国も韓国も、しごく当然な事をやっているだけです。

 翻って、我が国日本に住んでいる日本人は、どこまでを“我々”と考えているのでしょうか? かつての日本国首相の中には「日本は日本人だけの国じゃありません」とルーピーな事を言った人がいますが、我々はどこまでを“我々”扱いしているのか、改めて確認する必要があるんじゃないかと思ってます。「日本は日本人だけの国じゃありません」のなら、この日本は誰の国であって、我々日本人の居場所は、世界のどこにあるのかって話なんですよ。

 私たちは、国と民族がほぼ一致する珍しい存在です。だから、本当は“我々”の認識なんて簡単なはずなのですが、War Guilt Information Program って毒が満身に巡って、今の体たらくなんだろうと思います。

二重唱の難しさ

 合唱は緻密に精密に正確に歌えないとダメです。音程にせよ、リズムにせよ。それが合わせモノの基本だからです。

 一方、独唱は緻密で精密で正確な歌唱である事が望ましいけれど、それ以上に魅力的な歌唱である事が優先されます。逆に言えば、魅力的な歌唱であれば、緻密でなくても精密でなくても正確でなくても、それどころか楽譜の改変やら、楽譜からの逸脱やらをやってもOKです。魅力的な歌唱とは、観客の心を引きつける歌であって、抜群に歌が上手いってので観客の心を引きつける事もあるだろうけれど、声が美しい、キャラが立っている、演劇的である、なんてのでも観客を感動させればOKなんです。

 二重唱は…と言えば、基本は独唱と同じで魅力的な歌唱でなければいけませんが、だからと言って、歌が魅力的でありさえすればいいのかと言えば、そこは違います。二重唱の場合は、独唱と違って相手役がいるわけで、そういう点では、合唱のように合わせモノであります。

 二重唱では(当然の事だけれど)二重唱の相手役と息を合わせられるかどうかが大切です。いや、正しく言えば、相手役と息を合わせた上で、それぞれが魅力的に歌うのが、本来の二重唱なのです。

 合唱は団体戦であって、自分の事よりもチームの歌を優先するべきです。独唱は自分さえよければ大成功なのであって、いくらわがままに傍若無人であろうとも、良い歌さえ歌えば、すべてがチャラになります。しかし二重唱は、自分の事ばかりではなく、相手の事も考えながら、でも自分の事はおそろかにせずに歌う…ここが二重唱の難しさだと思います。

 相手役と息を合わせる…気心が知れていれば、なんとかなりますが、そんなに親しくない人とだって二重唱を歌うチャンスってのはあるわけで、そんな時は、結構お互い気を使いながら歌うことになります。それはプロもアマも同じなんだそうですが…アマの場合は、技量の壁もありますから、なおさら大変だと思います。(プロアマの組み合わせなら、プロが一方的にアマに合わせてくれるから、楽と言えば楽です)

 そんな難しい二重唱だけれど、いい勉強になりますから、私はなるべく人前で歌う時は、二重唱を歌うようにして、勉強のチャンスを増やしています。まあ、私の場合は、妻がいるので、二重唱の相手がいるからできるわけですが…。普通の人は、相手役を探すところから始めるわけだから、なかなか二重唱を歌うのも難しいですね。

今月のお気に入り 鯵の唐揚げ

 熱海の駅ビルが先日建て変わり、新しいお店がたくさん入りました。その中に(熱海なのになぜか)小田原吉匠さんが入りました。ここの店、主に高速道路のドライブインを中心にチェーン展開をしているそうで、ドライバーの方には馴染みの店なのかもしれませんが、普段車で遠出をしない私には、実に新鮮な出会いでした。

 詳しくはHPを見てもらえば分かるのだけれど、この店、鯵(アジ)の唐揚げを売っているのです。で、この鯵の唐揚げがめちゃめちゃ美味しかったんですよ。頭から尻尾まで余す所なく全部美味しくいただけちゃうんです。いやあ、実に美味しかったです。

 私が食べたのは塩味としょうゆ味なんだけれど、私の好みは塩味です。最初は、塩1枚(鯵の開きを揚げてます)、しょうゆ1枚を食べたのだけれど、あんまり美味しかったので、さらに塩を5枚買って、すぐに食べてしまいました。いやあ、本当はもっと買って食べたかったのだけれど、さすがに食べ過ぎは良くないと思った次第です。

 また熱海に行ったら、鯵の唐揚げを買おうっと。

今月の金魚

 今月も金魚はみんな元気でした。

今月のひとこと

 ああ、ゴールデンウィークに突入いたしました。今年のGWは、レッスンと温泉とラ・フォルジュルネとオペラで過ごそうかと思ってます。あ、溜まったDVDも見ないとなあ。ああ、とりあえず忙しいGWになりそうだなっとね。それはそれと、今年のラフォルジュルネは、パソナが不参加なんすよ。ああ、残念残念残念。私はパソナのコンサートが大好きだったのに…、もう生きる希望が無くなったよ(ちょっと大げさ)。とにかく、パソナが不参加で悲しい私でした。(2017年4月29日~5月4日)

 さあ、ゴールデンウィークも後半に突入しました。私は、例のごとく、ラ・フォル・ジュルネに行ってきます。皆さんは求めていないだろうけれど、なるべく早くに、ラ・フォル・ジュルネの連載も始めたいと思います。てへへ。(2017年5月4~6日)

 顔を開いて歌う…の“顔を開く”とは、十四松君のような顔をして歌うことではないかしら?…と思う今日この頃の私でした。(2017年5月6~16日)

 ついにヤマハがJASRACを訴えたようですね。ヤマハの心情は理解するけれど、果たして裁判は勝てるのか? まあ、ゆるゆると観察していきたいと思います。(2017年5月16~23日)

 理解できない事。昨今の中国では「脚臭塩」と呼ばれる、足の臭いのする食塩が蔓延しているそうだ。分析してみると、亜硝酸塩という毒物さえ混入しているそうだ。また逆に健康に良いとされている短鎖脂肪酸が入っているケースもあったそうだ。どちらにせよ、食塩というものは、ほぼ純粋な“NaCl”じゃないの? 国際食品規格委員会で定められた食塩の品質に照らし合わせても、亜硝酸塩とか短鎖脂肪酸などが入り込む余地は無いんだけれどなあ。食塩というのは、人間が生きていく上で必要不可欠なものなのに、その食塩の品質すら危ういなんて、ああ理解できない。ちなみに、足の臭いのする食塩とか言うけれど、足の臭いって…どんなんだろ? 足って、そんなに臭いか?(2017年5月23~28日)

 テレビ番組『題名のない音楽会』の司会が、五嶋龍から石丸幹二に代わって、はや二ヶ月になりますが…やっぱり石丸幹二に代わってから、良いね。安心して見ていられます。彼は言葉に力があるし、若くないのも嬉しいです。五嶋龍は頑張っていたけれど、やっぱり彼は若すぎたと思います。テレビタレントとしても経験不足だし、見ているこっちがハラハラドキドキしていたもの。おまけにニューヨーク在住で収録の度にアメリカから来日していたそうだから、彼の司会は、あれこれ無理があったんだと思います。石丸幹二の司会はまだ始まったばかりだけれど、黛敏郎の33年は無理としても、羽田健太郎や佐渡裕のように7年ぐらいはやってほしいなあって思います。(2017年5月28~29日)

 日本の領土…ってか、領海内にミサイルを打ち込まれました。自分の国の領土領海内にミサイルを打ち込まれたら、普通は即時開戦でしょ。それくらいナメられた事をヤラれているのに、憲法9条のおかげで何も手出しができないのだとしたら、東京にミサイルを打ち込まれても、憲法9条のおかげで何もできないって事でしょ? たとえ何百万人の日本人が殺されても何もできないって事でしょ? だって専守防衛だから、ミサイル基地を叩く事は出来ないのだから、ミサイルは打たれっぱなしでしょ? それって、おかしくない? 日本人が殺されるような事があっても、ヤラレっぱなしを容認するような憲法なんて、クソ食らえだ!(2017年5月29~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2017年5月30日 (火)

ロイヤル・オペラのライブ・シネマ・シーズン『蝶々夫人』を見てきました

 オペラのライブビューイング(という名の映画上映)は、今までアメリカのメトロポリタン歌劇場と、フランスのパリ・オペラ座のものを見てきましたが、今回新しく、イギリスのロイヤル・オペラ(昔は、コヴェント・ガーデンと呼んでいた歌劇場です)のライブビューイングを見てきました。

 オペラの映画上映のスタイルは、ロイヤル・オペラでは“ライブビューイング”と呼ばずに“ライブ・シネマ”と呼んでいるようです(差別化ですね)。

 実は、ロイヤル・オペラのライブビューイングは、以前から日本で上映されていました。昨年までは、イオン系の映画館でやっていました。その事自体は知っていたのですが、上映期間が、木曜日の夜にたった一回きりの上映…というスタイルだったので、私は見に行けなかったのですよ。だって、いくら夜の遅い時間とは言え、仕事が終わってから、遠方の映画館(近所ではやってなかったんです)出掛けるんじゃ開始時間には間に合わないし、翌日もあるから、平日にオペラ見ちゃうと寝不足で翌日仕事にならないし…ね。なので、面白い演目がやっている事は知っていましたが、見に行けなかったのですよ。

 おそらく契約の問題なんでしょうが、今年からロイヤル・オペラは、イオン系ではなく東宝系の映画館で上映する事になり、さらに木曜の夜一回切りの上映ではなく、メトやオペラ座同様、一週間の連続上映になったわけです。よかったよかった。

 そもそも東宝系では、これまでパリオペラ座のライブビューイングをやっていたのですが、それも一昨年までで、昨年はオペラ座のライブビューイングは、日本では無かったんですよね。ですから、イオン系では今までやっていたオペラ上映を止めて、東宝系ではパリ・オペラ座からロイヤル・オペラに乗り換えた…形になったわけです。

 で、ロイヤル・オペラのライブビューイングです。なかなか見に行くチャンスがなくて、ようやく見に行けたのが(日本では)今シーズン最後のオペラとなる『蝶々夫人』だったわけです(イギリスでの今シーズン最後のオペラは、カウフマンの『オテロ』ですが、日本では…東宝の契約が継続するなら…来シーズンのオープニングとして上映されるようです)。

 メトとオペラ座もかなり違いましたが、ロイヤル・オペラもだいぶ違って面白かったですよ。

 まずはスタッフと出演者は以下の通りです。

指揮 アントニオ・パッパーノ
蝶々夫人 エルモネラ・ヤホ
ピンカートン マルチェロ・プエンテ
シャープレス スコット・ヘンドリックス
スズキ エリザベス・デ・ション

 歌手の皆さんは…ごめん、誰も知らない。でも、歌唱に不足はなかったです。今の時代、歌手も上手い人達が増えてますから、私ごときが知らなくても、素晴らしい歌手は山のようにいるって事です。ってか、音楽としては、歌手のみならず、指揮もオーケストラも合唱も、高水準の演奏で、とても素晴らしかったですよ。

 例によって、問題は…演出ですね。『蝶々夫人』は、なまじ日本を舞台にしているだけあって、我々日本人が見ると、常にあれこれ問題を感じる演出ばかりなんです。で、ロイヤル・オペラの今回の演出も…日本人目線で見ると、あれこれ腑に落ちない事だらけの演出でした。

 衣装が和風と言うよりも、中華風に沖縄風味を混ぜたような感じだったけれど、まあ良いでしょう。障子が左右ではなく、上下に可動するのも演出と考えましょう。床が畳ではなく、フローリングなのも許します。

 でも、許せないほど気になったのは、主役の蝶々さんのメイクです。これ、絶対におかしいです。まあ、彼らイギリス人から見た日本の芸者さんって、こう見えるのかもしれないけれど、ほぼ“バケモノ”になってました。色々おかしい蝶々さんを見てきた私ですが、今回の蝶々さんのおかしさは、たぶん群を抜きます。いわゆる“花魁”をイメージした白塗りメイクなんでしょうが、実にあれこれ違っていて、おかしいと言うよりも、醜悪なんです。見るに堪えない…歌唱が良いだけに、実に残念です。

 蝶々さんを演じた歌手のヤホの名誉のために書き添えておくと、彼女は決して不美人ではありません。スタイルも良いし、リハーサルシーンを見る限り、容貌もおそらくは並以上だと思われます。要は、メイクがダメなんです。彼女の顔に、あのメイクは合わないのです。

 ただし、いわゆる白塗りのメイクが全くダメかと言うと、そうでもなく、ヤマドリ氏のメイクはむしろカッコよくて、惚れ惚れしました。いわゆる“歌舞伎”のメイクなんですが、これは衣装とあいまってカッコよく決まっていました。ヤマドリ氏に限らず、男性の白塗りメイクはまあまあ見れる感じだったのが、蝶々さんに限らず、概ね女性の白塗りメイクが全滅だったのは…一体なぜだったのでしょうか?

 舞台の前に行われていた、女優さんによる解説は、メトとは違って、お勉強風味が強くて、これはこれで楽しめました。動くプッチーニ(当時の映像です)がたくさん見れたのは興味深かったです。

 今回は、蝶々さんのメイクにドン引きしちゃった私ですが、メイク以外には及第点を与えたいと思います。今後も日本で上映してくれるのなら、私、メト同様、ロイヤル・オペラにも通ってみたいと思ってます。それくらい、良かったんだよ。

 ちなみに、来シーズンの上映予定の演目は…オテロ、魔笛、ボエーム、リゴレット、トスカ、カルメン、マクベス、マノン、なんです。わりと定番の演目が並んでますよね。楽しみです。

蛇足 ロイヤル・オペラは、パリオペラ座同様、オペラだけでなく、バレエのライブビューイングも行っています。来シーズンでは『くるみ割り人形』や『白鳥の湖』などをやるようですが、私はバレエが分からないので、そこには興味が惹かれません。

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2017年5月29日 (月)

合唱人が声楽を学んで失う6つの事

 先日「合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点」という記事を書きました。今回の記事は、いわば、その記事の続きです。合唱人が声楽を学ぶと、決して良いことばかりが待っているわけではありません。声楽を学ぶ事で失う事も、実は多々あったりします。

1)訓練されていない素人っぽい声

 声楽を個人的に学んで、しっかり良い発声を身につければ…当然、訓練されていない素人っぽい声で歌うことは出来なくなります。これは良いことでもありますが、実は残念な事でもあるのです。

 と言うのも、市民合唱団という音楽団体は、アマチュアの方々によって結成されているもので、その団員の多くは当然素人なわけで、その歌声も当然素人の声であり、未訓練の声をベースにして成り立っています。

 未訓練の素人の歌声で合唱を組み立てていくのが市民合唱団であり、そこにきちんとした発声を学んだ深い音色で豊かな音量の声が混ざっていたら、声の均質性が破られるわけです。

 日本のアマチュア合唱というのは、私が思うに、均質性を求めるものです。理想は『まるで一人の歌手が歌っているみたいに自然に響く歌声』なんだろうと思います。そこは合唱に“群衆の歌”を求める、ヨーロッパやアメリカの合唱とはかなり違うと思ってます。
 未訓練の声の集団の中に、訓練済みの声が混ざると…ちょっと居場所が無くなってしまうかもしれません。

2)高音で歌う快感

 一般的に合唱曲は、オーケストラ付き合唱曲でもない限り、どのパートであって、使用される音域、とりわけ高音は制限されているものです。とりわけ、邦人作曲家による作品は、市民合唱団の方々が歌いやすいように、彼らの音域に合わせて作曲されている事が多いです。

 つまり、どのパートも…最高音が低いです(汗)。

 発声をきちんと学ぶと、誰であれ、学ぶ前と較べて音域が広がります。以前は苦労していた高音も割りと楽に発声できるようになり、高い音を歌うのが楽しくなります。でも合唱団で歌う曲は、どれもこれも最高音が低かったりしますので、高い音を歌うチャンスがなくなり、次第にフラストレーションが…たまるかもしれませんよ。特に高音歌手(ソプラノとかテノールとか)にとっては、耐え難いことになるかもしれません。

3)低い音域でのファルセット(男声のみ)

 多くの市民合唱団では、高音はファルセット(弱々しい裏声)で発声することにしている団は少なからずあります。とりわけ、男声パートの高音は、基本的にファルセットで…という団はかなりありますね。で、ファルセットに切り替える音は…団によって違うようですが、だいたい、五線内の高いミか、その上のファぐらいからファルセットで…という所が多いと思います。

 つまり、バスの人たちはファルセットを使わなくてもよいけれど、テノールの人たちは、高い音はファルセットで歌ってくださいね…って事です。合唱では声の均質性が求められているわけだし、発声を学んでいない人が、高音を怒鳴り声などで乱暴に歌うようでは団として困るので、そういう取り決めにしている理由も分かりますが…ミとかファなんて、ちゃんと発声を学んだテノールにとっては、実は結構楽な音域なんですよ。

 テノールの声が一番高らかに響き渡るのは、実は五線の上のソなんですよ。

 だから、ちゃんと発声を学んでしまうと、ミやファなどの低い音域をファルセットで歌うのが、逆に困難になります。まあ、ファルセット唱法も立派な声楽テクニックですから、出来ないのはまずいのですが、それにしても、ソよりも下の音域での歌唱がファルセットって、独唱の方には、まず有り得ない事なので、そういう低い音域をファルセットで歌うのは、結構大変です。

 それにようやく胸声で普通に発声できるようになった高音をファルセットで歌いなさいと言われるのは、精神的に辛いし…ね。

4)ソプラノのポジション(女声のみ)

 なまじ声楽を学んで、歌唱能力がアップしてしまうと、本当は声が細くて高くてソプラノの声なのに「あなたは歌が上手だから」と言われて、指導者や幹部団員の方に、アルトを担当するように言われるかもしれません。なにしろ、ソプラノには「あたし、メロディーしか歌えないから」という人とか「ソプラノ以外は絶対にイヤ」とか言う人たちがゴロゴロしているせいでしょうか? 常にアルトって、手不足の人材不足だったりするわけです。なにしろアルトって、メロディじゃない箇所を歌うわけだから、楽譜がきちんと読めたり、確実に音が取れる人じゃないと歌えないわけです。

 そこにちゃんと楽譜が読めて、楽譜どおりに歌える人が現れたら、そりゃあソプラノに置いておくのはもったいないって話で、たとえ声がどうであれ、アルトへ直行だったりするわけです。

5)バスのポジション(男声のみ)

 今度は男性の話です。

 合唱でバスを歌っている人が声楽を学ぶと、バリトンとして勉強を始めると思います(日本人で純正バス歌手は、まずいません)。やがてはバリトンとして上達して、声が成熟してくると思います。低音までよく出て、太くて男性的な声で歌えるようになると同時に、以前よりも高音が楽に美しく出せるようになってくると思います。そうなると「君は高い音が出るから」と言われて合唱ではバスではなく、テノールを担当するように言われるかもしれません。と言うのも、合唱テノールの音域って、独唱バリトンとほぼ同じなんですね。そうでなくても、どこの団でもテノールは少数派で、団の弱点であるわけだから、そこを補強できる人材がいるなら、何でもしたいというのが本音でしょう。

 しかし、音色を考えると、バリトンの人をテノールに置くのも乱暴な話ですが、ソプラノの人がアルトに回されちゃうのと、同じ理屈なんですね。市民合唱団では、声の質よりも、音域や読譜力や人間関係が優先されるんです。

6)友人や居場所

 で、その人間関係の話です。

 一部の合唱団員は独唱を学んだ人を毛嫌いします。見下したり、イジメたりする人も少なからずいます。アマチュア歌手はもちろん、下手するとプロ歌手ですら、憎む人がいます。どうして、そういう心の動かし方をするのか、私には分かりませんが、確実にどの合唱団にも、少なからぬ人数の方々が、アンチ独唱なのです。

 今まであなたと仲良くやっていた友人であっても、あなたが声楽を学んでいると知ると、手のひらを返す恐れはあります。そうでなくても、よそよそしくなったり、あなたを外して楽しげに振る舞うようになるかもしれません(ってか、たぶんそうなる方が多いでしょうね)。

 本来、独唱であろうと合唱であろうと、同じ声楽であり、歌であります。歌唱テクニックにしても、基本的には同じなはずで、同じ人が独唱も合唱もできて当たり前なのです。だから、合唱にせよ、独唱にせよ、違いが有るはずもなく、互いを意識する必要も、本来はないのです。

 でも、それはあくまでも、建前であって、日本アマチュア音楽界においては、独唱と合唱は全く別の音楽として、棲み分けがされています。それゆえに、声楽を学んだ人は、合唱の人たちからすれば“あっちの世界の人”と認識されてしまうのかもしれません。

 たとえあなたに向上心があったとしても、今の合唱団で友人とうまくやっていて、今後も友人関係を大切にし、自分の居場所を確保したいのなら、向上心にフタをして、自分の可能性に目をつぶって、合唱一筋まっしぐらも、悪くないのかもしれません。

 世の中、なかなかうまく行きません。一つのモノを手に入れれば、別のモノを失うなんて、ザラです。一つの可能性を選択する事は、他の可能性を捨てる事でもあります。だから、合唱人が声楽を学ぶなんて、良いことばかりが待っているわけではないのです。

 なんか、世知辛い話だね。

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2017年5月28日 (日)

近所のスーパーが潰れた

 私の日常における最近の大きな事件と言うと、近所にあった、地元密着型チェーン店のスーパーマーケットが潰れた事です。いやあ、びっくりした。

 このスーパー、地元では有名な老舗チェーン店で、市内で4店舗展開(昔はもっとたくさん店舗があったのだけれど、徐々に縮小していって、最終的には4店になりました)をしていて、近隣の人たちの生活にとって、欠くことのできない大切なお店でした。

 ウチの近所にある店舗が本部だったようです。潰れる直前まで、特に悪い噂もなく、普通に商売をしていました。肉、魚、野菜など、基本的に地元のモノを中心に品揃えをし、地産地消をモットーに商売をしていました。お惣菜が安かった事と、私の通勤路にあった事もあって、たまに利用していました。

 ある日、買い物をして帰ろうと、店に行ったところ、シャッターが閉じていて、店が潰れていました。なんでも、資金繰りに失敗したそうで…あとでネットを見たら、自己破産なんだそうです。負債額は約2億…。たぶん、自転車操業だったんだろうけれど、いつかどこかで資金がうまく回らなくなってしまったんでしょうね。中小企業にはありがちな倒産パターンです。

 私が住んでいる地域は、駅前こそ、全国レベルの大規模スーパーが進出していますが、そこをハズレてしまうと、今回潰れてしまったスーパーを始め、地元密着型の小規模チェーンのスーパーが、いい具合に共存点在していました。今回、一つの地元チェーン店が潰れてしまったことで、あちらこちらに歯欠け状態でスーパーの無い集落が生じてしまいました。どうするんだろうなあ…。

 もちろん、それらの集落にもかつては八百屋や魚屋があったわけだけれど、スーパーが出来た事で、スーパーがそれらの店に取って代わったわけだけれど、そのスーパーが無くなってしまった事で、買い物難民の発生が懸念されるわけです。

 若い世代は、何とでもなるでしょう。少し遠方でも買い物に行けますし、休日ごとに食料品の買いだめをしたっていいんです。問題は、老人たちですね。遠方に買い物に行くのも大変だろうし、日々の買い物は、単なる買い物ではなく、近所の人たちとつながる大切なひとときだったりしていたわけです。

 スーパーが潰れてしまった事は、単に買い物先が無くなるだけでなく、それ以上の影響を地域に与えてしまったわけです。

 かつてのスーパーの跡地のすぐそばに、別のスーパーがすぐに入ってくるわけではありませんから、地元にとっては、案外、大きな問題だったりします。

 どうするんだろうなあ…。今は様子を見守るしかありません。

 幸い、我が家は、だいぶ前に、毎日通うスーパーを、潰れてしまった店から別の店(それこそ全国レベルの大規模スーパー)に変えていたので、影響はありません。とは言え、かつては毎日通った店だったし、つい最近まで仕事帰りに寄っては買い物していたんですよ。そんな慣れ親しんだ店が潰れてしまったのは、なんとも寂しい限りです。

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2017年5月27日 (土)

ヨッチャンがどうも具合が悪いらしい

 ウチには緋ドジョウが3本、いや、3匹います。それぞれ、ラズ、ヨッチャン、マッチという名前がついています。ラズはこの中では一番の古株。年を取ってきて、多少カラダがボコボコしてきましたが、体色も良く、いつも元気です。マッチは一番小柄ですが、どこもボコボコしていなくて、ラズ同様に体色も良くて、いつも元気です。

 問題はヨッチャンです。ヨッチャンは、ラズを一回り小さくした程度の大きさで、カラダのボコボコさはラズより顕著です。体色はほぼスノーホワイトで、いつも元気が無く、時折呼吸すらしていない形跡があります。たまに腹を上にして水底に沈んでいます。カラダも数か所、金魚たちに食べられた形跡があります。満身創痍なんです。

 食欲だけは強くて、他のドジョウたちがおっとり食事をしているのに対して、ヨッチャンは常に激しく、すごい勢いで金魚の中に混じってエサを食べています。これだけ体調が悪そうなのに、なんとか生きているのは、この強い食欲のおかげかもしれません。

 でも、元気なのはエサの時だけで、それ以外は、生きているんだか死んでしまったのか、よく分からないくらいに、動きません。気絶している事も多いみたいです、いや、仮死状態って言った方がよいのかな?

 とにかく、ヨッチャンの具合が悪いのです。

 何か病気を抱えているのかもしれないし、そうではなくて、単なる虚弱体質なのかもしれないし、よく分からないのだけれど、具合が悪いのは確かです。しかし、ドジョウという生き物は、これで結構タフで、具合が悪い悪いと見えても、なかなか星にはなりづらく、具合が悪いまま長生きしたりするんですよ。

 ヨッチャンも日々毎日具合が悪いのですが、具合が悪いまま、何とか生きているわけです。頑張れ。

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2017年5月26日 (金)

日本のホールはでかすぎる!?

 フルートのレッスンに行ってきました。なんと、3週連続でレッスンに通いました、我ながらよくやった(笑)。特に今回は、たった一回だけれど、時間的にたっぷりと練習してからレッスンに臨みました。…そう、時間的にたっぷり…ね。ただし、疲れていて集中力皆無な練習でしたので、あまり効果的な練習とは言えませんでした。

 練習は集中力に欠けたままダラダラとやるくらいなら、短時間であっても集中して練習した方が、絶対に効果的だと思いました。

 という訳で、エルステユーブンゲンは20番21番ともに、まだまだ合格からは遠い状態でした。

 プチエチュードの16番は、時折臨時記号を落としてしまうミスはありましたが、装飾音符以外は、まあまあ吹けました。もう、メトロノームがなくても、リズムを見失う事はありません…装飾音符が付いている音符以外は!

 そうなんで、まだまだ装飾音符の処理が下手くそなんです。おそらく、時間をかけて練習すれば、これも解決できる問題だと思うのですが、その練習時間が確保できないので、どうにもこうにもなのです。

 まあ、時とやる気があれば解決する問題なので、頑張りたいと思います。

 さて、今回の雑談は…日本のホールって、無闇に広いよねえ…という話でした。もちろん、ホールに大中小とありますが、今回は大ホール…と言うか、オーケストラがメインで使うホールの話。

 まあ、ホールが広い方がお客がたくさん入るわけだし、興行として考えるなら、ハコが大きい方が収益が高いわけだから、大きなホールには需要があるのが当たり前なんだけれど、先生的には、それはなんか違うんじゃないのって話です。

 日本のホールは基本的に舞台が狭くて、観客席が広いのが大半です。でも、あちら(先生の話ですからドイツやオーストリアです)のホールって、実はそんなに観客席は大きくないのだそうです。基本的に舞台と観客席って、同じような広さなんだそうです。特に馬蹄形ホールは、舞台上にオペラのセットが3つも4つも並べられる広さですから、半端ない広さなんだろうと思います。

 平土間って本当に小さくて、舞台に立つと(日本のホールなら2階とか3階なんだろうけれど、あちらは)すぐ目の前がボックス席なんだそうです。つまり、客席の奥行きがさほど広くないそうなのです。で、そのボックス席も奥行きは3列前後なんだそうです。だから、そんなに収容人数が多くないのです。で、ホールが大きくないから、無理に大きな音で演奏しなくていいので、音の美しさを追求できるんだそうです。

 「テレビで見ると大きく見えるけれど、ウィーンのホールなんて、本当に小さくて狭いんだよ」との事です。

 ちなみに、ボックス席ってのは、いわば個室が並んでいるような状態であり、それぞれの個室を管理するボーイさんがいて、彼らにチップを渡さないとボックス席に入ることすらできないそうなのです。そういう習慣は日本にはないので、面白いですね。相撲のマス席のように、お弁当とか食べながら音楽鑑賞できるのかと思ったら、食べられないわけでないようだけれど、結構皆さん、普通に真面目に音楽鑑賞をするんだそうです。ふーん、そうなんだ。

 てっきり私は、ワインとか飲んで、美女と語らいながら、舞台を鑑賞できるものとばかり思ってました。それはどうやら、私の脳内の妄想のようでした。

 ちょっと、残念。

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2017年5月25日 (木)

合唱人が声楽を学んで得られる5つの利点

 日々、合唱を嗜んでらっしゃる方の中には、合唱だけでなく声楽も習っている方々が、少なからずいらっしゃると思います。もろろん、これらの方々の多くは、合唱人としての向上のために声楽を習っているわけです。

 では、合唱人が声楽を学んで得られる利点…私がざっと考えるに5つの利点がありますが、それらについて考えてみましょう。

1)声楽を学ぶ事で、ちゃんとした発声が学べる

 いきなりこう書くと、カチンと来る方も大勢いらっしゃると思いますが、落ち着いてください。

 多くの合唱団で、毎回の練習の最初に“ヴォイトレ”と称して10~30分程度の発声練習をします。団によって、専門の先生にお願いしてヴォイトレをしている団もあると思いますし、その時に懇切丁寧な指導を受けている団もあると思います。

 でもね、でもね。合唱団でのヴォイトレは、あくまでも先生一人で団に所属している大勢の団員の方の発声をみているわけです。必ずしも、マンツーマンの指導が行われているわけではありません。

 実は発声と言うのは、天才ではない限り、個人的に矯正していかないと、どうにもならないものなのです。発声の先生が、一人ずつ声を聞いて、つきっきりで具体的な指導をしていかないと改善されないのが発声なのです。そういう意味では、発声ってのは、学びにくいものなのかもしれません。

 例えてみるならば、短距離走のようなものなのかもしれません。

 誰だって短距離ぐらい走れます。でも、普通に走っただけでは速くは走れません。速く走るために、合理的なフォームが必要となります。この合理的なフォームと言うのは、普通の人が走る姿からは程遠いものだったりしますし、一人ひとりのカラダが違うために、一人ひとりにとってのベストのフォームもまた違います。だから、短距離を志す人は、専門のコーチとつきっきりで速く走るためのフォームを探し出して身につけていきます。もちろん、天才にはコーチは不要です。天才は自分一人で最適なフォームを見つけて走ってしまうでしょう。でも、多くの凡才は、コーチと二人三脚で試行錯誤を重ねながら、そのランナーに最適なフォームを見つけていくのです。

 歌の発声も、誰でも声ぐらい出せるし歌も歌えるけれど、広い音域を美しく歌うためには、声楽コーチにマンツーマンで指導を受けないと、なかなか難しいようです。

 それに、実際の所、各合唱団でヴォイトレと称して行われているものの多くは、練習前の単なる準備体操だったりします。準備体操は準備体操として必要ですが、準備体操ばかりをしても、声はちっとも美しくならないのは自明の理です。

 だから、声楽を学んで、個人的に発声をみてもらう事で、発声が良くなるのです。

2)自分の声で歌う自信が付く(ソロが取れるようになる

 合唱で歌っていても、それは集団として歌っているわけで、決して一人ひとりが個人として歌っているわけではありません。また、求められている声も集団としての声であって、その中で、個人の声が突出していてはいけません。合唱では基本的に、個を集団に埋没させていかないといけません。集団の中で生きる声で歌わないといけません。

 そのため、極端な話、個人としてはきちんと歌えなくても全然OKです。高い音や低い声、あるいは声の変わり目などの声の出しづらい箇所は、パスして歌っても集団として成り立っているなら問題ありません。声的に問題なくても、上手く歌えない箇所とか暗譜が完了していない箇所も同様にパスしても、集団として成り立っていれば、これまたOKです。なにしろチームプレイで歌っているわけですから、個々の弱点は他のメンバーがカバーすれば、それで良いのが合唱なのです。

 しかし独唱はそういうわけにはいきません。いつ何時でも、きちんと歌うことが要求されるし、休む事も逃げる事も仲間に頼る事もできません。演奏の責任をきちんと自分一人で背負っていかなければいけません。

 それゆえに、歌う技量も上がるし、覚悟も定まります。他人に頼る事も少なくなり、勉強もきちんとしていかないといけません。つまり、自分の声で歌う自信を持てるようになるわけです。もし、団内でソリストを募った時などは、積極的にアピールできるようになるかもしれません。

3)歌が上手になる

 個人で歌を学んでいるのだから、そりゃあ上手にならないと困ります(笑)。

 合唱であっても、歌が下手では困るけれど、合唱では、自分が歌えない場所は歌わないという選択肢があるし、中途半端な出来で歌われても、周囲の人々に迷惑がかかるから、むしろ歌わない方が良いのだけれど、それを繰り返していては、いつまでたっても歌が上手にはなりません。

 独唱なら、失敗しても自分のせいですから、気にせずに失敗できるし、失敗を重ねていくことで上達していく事もできます。それに一人で歌っているわけだから、失敗をすれば、その事実と一人で立ち向かっていかなくてはいけません。そういう事を繰り返しているうちに、歌が上達していきます。

4)楽譜に強くなる

 また合唱なら、楽譜に弱くても周囲が歌っている声に合わせて歌うことで、なんとなく歌えているような気分になれます。また多くの団では音取り用の音源を制作して団員たちに配布しているところも多いと思います。そういう団では、楽譜が読めなくても、音取り音源を聞いて耳で覚え歌う事ができます。

 しかし、独唱ではそうはいきません。楽譜と向き合って自分なりの表現を考えて歌わないといけません。もちろん、独唱の場合、有名歌手たちの音源も豊富にあって、それらから音取りをする事はできるでしょう。音取りはしても、表現方法まで真似てしまっては、それは自分が歌ではなく、有名歌手のモノマネにしかなりません。コピーキャットでは歌手として終わりです。

 結果として、楽譜に強くならざるを得なくなります。なにしろ、周囲の人を頼れませんから(笑)。楽譜にも自然と強くなっていきます。

5)レパートリーが広がる

 もちろん、合唱をやっていれば合唱曲のレパートリーが増えます。しかし独唱をやると、合唱曲だけでなく独唱曲のレパートリーも増えます。特に、合唱曲の中にある独唱曲が歌えるようになるのがうれしいです。

 合唱団で合唱を始めて、最初の頃は合唱も面白いし、歌もぐんぐん上達していくと思います。数年して、伸び悩みの時期がやってきますが、そんな時は「ちょっと声楽を習ってみるか」と思い立つのも面白いことだと思います。

 もちろん、合唱人が声楽を学ぶ事で失うこともいくつかありますが、それはまた機会を改めて書きたいと思います。

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2017年5月24日 (水)

歌はテクニカルに歌いましょう

 声楽のレッスンの続きです。歌の練習に入りました。先生に『メリー・ウィドウ』の楽譜は渡しましたが、私はまだまだ自宅練習を開始していないため、今回は『メリー・ウィドウ』の曲はパスして、今までどおり、ティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」と、ヴェルディの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」を歌いました。ちなみに、妻はすでに「ヴィリアの歌」のレッスンを始めました。まあ、本番はまだまだ先なので、私はゆっくりと構えていくことにします。

 去年の『ラ・ボエーム』と比べたら、今年は歌う歌の難易度や暗譜をする分量もお話にならないくらいです。おそらく労力的には、昨年の1/10程度でしょ? 仕事も忙しいので、焦らずにボツボツと準備していきます。、

 で、ティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」です。

 今回は、音程を上から取る練習をしました。キング先生に習っていた時からよく「音程は上から取りなさい」と言われ続けてきましたが、言われてできるくらいなら、習いに来ないわけです。

 音程を上から取るのは大切な事です。一つには音程のぶら下がりを予防できますし、音程の正確さも増します。そういう点では、声楽テクニックとしては大切なんですね。

 やり方は…もちろん、目標とする音の音程よりもちょっとだけ高い音程で声を発声してから目標の音程に合わせていくわけですが、それだけ教わってもできるわけないわけです。

 だいたい人間と言うのは気持ち悪い事は避けるわけで、歌の音程にしたって、基本的にはジャストな音程で歌いたがるわけです。だってそれが一番気持ち良い事なんですから。それをわざわざ、ほんの少しだけ上に外してから入れ直すという作業をするわけで、それは人間の本性に逆らう作業なわけですから、そんなに簡単にできるわけないのです。

 では、その気持ち悪い事を気持ち悪くなく自然に行うにはどうしたら良いのか? そこで声楽テクニックって奴を使うわけです。

 まず、音程を上から取るためには、背筋とか腰筋などを一度下に引っ張る必要があります。感覚としては“身をすくめる”感じかもしれません。これは準備動作ですね。それから上アゴを開いて高音を出します。もちろん、目標の音程よりも多少高めの音程を出すわけですから、息は思いっきり多めにして出します。このようにする事で、瞬間的に高めの音程を気持ち悪くなく出せるわけです。

 気持ち悪くなく高めの音程を出したところで、出てしまった音程はちょっと高めで不快なわけですから、すぐさま修正をして気持ちよくて正しい音程にしないといけません。そこで、声を出した直後に、声をかぶせていきます。声をかぶせて若干音程を下げて、声に深みを与えて、音楽的に正しい声にするわけです。

 ちなみに、声をかぶせるには、下アゴを若干落とし、上アゴを若干前に倒していくわけです。気分としては嘔吐ですわな(笑)。この一連の動作をスムーズに行うわけです。

 別に音程なんて、下からジャストに当てても正解と言えば正解なんだけれど、わざわざ一度高めに出して、それを調整してジャストにするのは、正確さだけが大切なのではなくて、その方が聞いていて心地よいわけで、より音楽的って事なんです。まあ、器楽でもフルートなどの管楽器にはない奏法なんだけれど、弦楽器では主に独奏者が似たような事をやります。メロディーの音程をフワッフワッと上から置いていくと音楽的に聞こえるってわけです。

 歌う側からすれば、音程なんて、高くても低くても気持ち悪いものですが、聞く側からすると、若干高めの音程って、気持ちが高揚するし、伴奏から浮き上がって聞こえるので、上から音程を取るのは良いことなんだそうです。

 「O Primavera!.../春よ」という曲は、歌うだけなら、さほど難しい歌ではありません。だからこそ、テクニカルに歌わないと、それなりには聞こえないわけです。つまり簡単だからこそ“歌って終わり”じゃないわけです。

 音程を上から取る事もそうだけれど、あれこれテクニカルに歌う事を要求されるわけです。声やら勢いやらだけで歌うのではなく、いかにテクニカルに安定的に歌えるかを考えて丁寧に歌っていく事が大切なのです。

 さて、次はヴェルディ作曲の「椿姫」のテノールアリアの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。レッスンの残り時間が少なくなってしまったため、部分的にやりましょうって事になりました。

 前回は曲の前半分であるレチタティーヴォの部分をやったので、今回は後半のアリアの部分をやりましょうかと先生から提案されましたが、実は私、レチタティーヴォの部分の復習に専念して、アリアの方はあまり練習できてなかったので、今回もレチタティーヴォのレッスンをお願いしました。

 音程を間違えて覚えてきたところは何とか修正してきました。うまく歌えない“scordo ne'gaudi suoi”の部分を集中してレッスンしてもらいました。

 まずは「準備が早すぎる」と言われました。“scordo ne'gaudi suoi”でいつも失敗するのですが、とりわけ最後の“i”の部分のA♭はうまく歌えません。私は“scrdo”に入ったところで、あれこれ準備を始めるわけですが、それでは準備が早すぎて、肝心の“i”には届かなくなってしまうわけです。準備はあくまでも直前にするべきであって、それまでは平常心と平時の発音で乗り切らないといけないのです。

 “scordo ne'gaudi suoi”ならば“scordo ne'gaudi”までは、平常心の平時の発音…ってか、むしろこの後の事を考えるならば、平時の発音よりも少々狭い口腔で歌った方が良いくらいです。で、“suoi”の“suo-”で下も上も開いて腹圧を上げて“-i”を出していかないとA♭には届かないわけです。特に“i”という母音は、クチを閉じてしまう母音なので、他の母音なら届く音程も“i”だから届かないという事もあり、極めてテクニカルに歌わないとうまくいかないわけです。

 さらに言うなら、その後に続く“tutto”のGは、“suoi”のA♭を出したなら、そのままの体制でどこも緩めること無く持ち込まないと歌えないのです。

 これを歌うのに必要なテクニックと体力がまだ私には無いために、いつもいつも失敗してしまうわけなんだな。残念。

 歌ってものは、勢いで歌ってい喜んでいるうちは、上達しないわけです。やはり大切なのはテクニックであり、歌うためのカラダづくりなわけです。今の私は、その二つを手に入れるために頑張っているわけです。

 頑張っていきましょう。

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2017年5月23日 (火)

テノールなんだから、バリトンっぽいやり方はダメです

 5月の上旬、GWが開けた直後に、声楽のレッスンに行ってきました。

 発表会の曲を『メリー・ウィドウ』に決めた私たちですが、実はまだ練習は始めていません。で、練習を始める前に…という事で、先生と確認をしました。それは“R”の発音をどうするか? ザックリ言えば、あまり巻かない英語(イギリス英語)にするか、巻き巻きの米語(アメリカ英語)にするか、どちらかに統一しましょうって事です。

 実は私と妻は、それぞれ英語を勉強した環境が違います。彼女はイギリスの知的な階級の方々にもまれながら英語を勉強してきたので、話す“英語”は英語です(って分かる?)。一方私は、FEN(現AFN)を聞いて育った人なので、ガチガチの米語なんですわ。私が米語で、彼女が英語なので、発音がアレコレ違うのですが、特に顕著に違うのが“R”の巻き方なのです。彼女はあまり巻きませんが、私はこれでもか!ってぐらいに巻きます。まあ、英語の発音と米語の発音は他にも色々と違うので、二重唱をするなら揃えましょうって事になりました。

 で、どうするか…って話ですが、そりゃあもう“英語”に統一ですわな(涙)。だって、お上品だもの。『メリー・ウィドウ』はお貴族様たちのお話だからね、それを米語で歌ったらヘンでしょ?って話です。そりゃまあそうだけれど…。

 私も頑張って英語で歌いたいと思います。

 さて、レッスンです。ハミング練習は、上アゴを開く、顔を開く、腹筋で支えるに集中して行いました。

 発声練習は、今回も筋トレ中心で行いました。毎度毎度言われている事なのですが、私の場合、声の重さに較べて内筋が弱いんだそうです。だから、やるべき事は、声の重さにふさわしいくらいに内筋を鍛えていくのか、内筋の強さに合わせて声を軽くしていくのか…なのです。可能なら、楽だし、将来性もあるのが、声を軽くして歌う方が望ましいのです。でも私、声を軽くして歌うのがなかなか苦手なんです。ついつい重めの声で歌ってしまう私なんです。そんな感じで重い声で歌い続けるのなら、筋肉を鍛えるしかないじゃないですか…って話になるわけです。

 一般的に、声って加齢に伴って重くなるんですね。私もいい年ですから、軽い声で歌えないのは仕方ないのかもしれませんが、この歳で筋トレってのも結構厳しいです。

 さらに言えば、筋トレ筋トレと言っても、インナーマッスル(呼吸筋)の筋トレだから、なかなか難しいのです。いわゆる筋トレってのは、カラダの外側の筋肉(アウターマッスル)を鍛えるわけです。ダンベルやバーベル、通常の腹筋運動などで鍛える事のできる筋肉は、アウターマッスルです。しかし、声楽で必要なのはインナーマッスルですから、これらのやり方では鍛える事はできません。

 じゃあどうするか? 私が必要としている腹筋は、インナーマッスルの腹筋であり、いわゆる呼吸筋ですから、呼吸をすることで鍛えるわけですが、日常生活の中での呼吸をいくらしても鍛えられないわけですから、日常生活以上の負荷をかけた呼吸を行うことで腹筋を鍛えるわけです。

 まあ、意図的に深くて速い呼吸をする事で呼吸筋を鍛えるわけです…って、マジに呼吸をすると、過呼吸になりますから、そこは呼吸運動だけを行って、ガス交換としての呼吸はそこそこにしないと倒れてしまうわけです。結構危ないのですよ。だから、レッスンで行うわけだけれど、本当は自宅でもやった方が上達も速いんだよねえ…。

 それに加え、音程の上昇のテクニックがバリトン的だと注意されました。まあ、先生(バリトン)を無意識に真似てしまったようで、そこはテノール的に音程を上げていかないとダメですよって事です。

 音程を上昇させるテクニックとは、声帯をひっぱって行うわけですが、その引っ張り方が、テノール(高音歌手)とバリトン(低音歌手)では違うわけです。それは、それぞれの声(音色)が違うためです。バリトンはノドを広げていく感じで声帯をひっぱるのに対し、テノールは口蓋垂を引っ張り上げる感じで声帯を広げていくのです。もちろん、テノールにせよバリトンにせよ、どちらか一方だけ行えばいいってわけではないし、とりわけテノールが限界ギリギリの高音を出す際は、口蓋垂を引っ張りつつ、ノドを拡張していかないとダメなのですが、主にする動きが口蓋垂なのかノドなのかは音色の関係もあるので、大切なんだそうです。

 今の私にとって、口蓋垂を持ち上げるよりもノドを広げる方が楽なので、ついつい楽な方向に流れてしまったわけですが、自分の声の特徴を考えるならば、あえて面倒な方をメインにやらないといけないってわけです。

 面倒面倒と避けてばかりいたら、いつまでも出来るようにはならないわけです。そこはあえて、困難な道に進んで苦手克服をするところなのだと思います。頑張りましょう。

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2017年5月22日 (月)

なんか、とってもうらましかった

 時間は少々さかのぼります。先日…と言っても、GWよりも前なのですが、久しぶりに趣味の“見知らぬ人たちの発表会”を見てきました。

 場所は、横浜のフィリアホールでした。実はここ、一度は今年の門下の発表会の候補会場になったところでした…が、その時はメンバーがあまり乗り気ではなくて流れてしまった会場なのです。実施されていれば、今年の1月あたりにそこで歌っていたはずの場所でした。ですから、どんな場所なのか、興味津々でしたが、実に良いホールでした。問題は…500名程度の中ホールだったって事ぐらいかな? 私は大きなホールで歌うのが好きなので、中ホールであろうと大ホールであろうとかまわない人です。まあ、発表会程度の話なので、500席もあれば、当然客席はガラガラになりますが、それもいいんじゃないの?って思うわけですが、みんながみんな、そう考えるわけではなく、とにかく広いホールはイヤって人たちも大勢いるわけです。そう考える人たちには、フィリアホールは確かに大きいホールで乗り気がしなかったのでしょうね。良いホールなのに残念です。

 それはともかく、発表会を見に行きました。発表会は第一部と第二部に分かれ、第一部は通常の発表会形式で、第二部はオペラ上演(!)でした。

 第一部の通常形式の発表会から見たのですが、まず、ここの門下の人たちはすごいなあと思いました。今まで素人の声楽発表会はたくさん見てきたつもりですが、ここはほんと、異色というか、ずば抜けていました。何がずば抜けていたのかと言えば、みんなすごい声で歌ってました。あ、もちろん、誉め言葉です。

 まずは声量が半端ないです。プロも顔負けって声量の人ばかりでした。さらに言うと、どなたも高音がピヤーと出ていて、なんかもう、私なんてタジタジになってしまいました。声量があって、高音が得意で…なんともうらやましい限りです。「ここの先生に習うと、こうなるのか…」と先生の声楽コーチとしての腕前に感心してしまいました。

 無論、アマチュアさんたちですから、満点ではありません。あれこれ欠点が無いわけではありません。共通して苦手とする点も多々ありましたが…別にヨソの門下をディスつもりはないので、欠点に関しては書かないでおきます。とにかく、豊かな声量&伸びる高音には、私、感服しました。

 さらに…ここの門下は生徒さんを募集しているみたいなんですよね…習いに行っちゃおうかしら…なんて、思ったりしちゃました(実際問題としては、時間がないので、無理なんだけれどね)

 で、第一部だけでも、一人一人が大きな曲を2~3曲歌います。一人の持ち時間って、どれくらいなんだろ? 10分以上はありそうな感じがします。

 さらに、第二部のオペラ上演が加わります。演目は…やったね!…『メリー・ウィドウ』でした。

 『メリー・ウィドウ』自体はハイライト上演って事で、数曲をカットしてましたし、ストーリーも単純にして枝葉の部分をカットして、自分たち用に脚色していましたが、歌だけでなく、しっかり演技もダンスをしていて、普通に1編のオペラとして鑑賞できました。

 歌だけならともかく、芝居をして、ダンスをして…すごいなあって思ったわけです。プロの助演も多数あったりし、そもそも門下生にも専門教育を受けた人(音大卒は当然として、元宝塚の人もいるし、女優さんもいるし…って感じ)が何人もいたりして、通常のアマチュア声楽愛好家たちの発表会とは、そもそも色々違うわけですが、それでもすごいなあって思いました。カミーユ(テノール役)の人は(純粋)アマチュアさんでしたが、すごくいい声でした。ああ、あれこれうらやましい。

 歌は…日本語と原語(ドイツ語)がチャンポンでした。まあ、私は『メリー・ウィドウ』を熟知していますので、全然気になりませんでした。

 あんまり、ヨソの門下の発表会を見ても、うらやましいと思うことは、まず無い私なのですが、ここの門下の発表会は、ほんと、うらやましいかったです。それにしても、皆さん、お上手だよなあ。私の実力では、ここの門下に加わっても、お話にならないだろうなあ…。

 まあ、『メリー・ウィドウ』に関しては、私も自分ところの発表会で歌うつもりですが、やはり発表会の中の1曲として歌うのと、こうして(ハイライト上演とは言え)オペラとして歌うのでは、大違いです。それに…「女・女・女のマーチ」は是非歌いたいですよ…男性6重唱なので、オペラでないと歌えないのですが、ああ歌いたい歌いたい。

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2017年5月21日 (日)

LFJ その8 ピアノと手品

 新東京ビルのロビーでカウンターテナーを聞いた後は、ふたたびTOKIAに戻って、ピアノコンサートを聞きました。

ピアノのコンサート

 実は会場入りしたのが、本番30分前で、まだ会場はスカスカで人もロクにいなかったので、整理券をもらおうとしたら、すでに整理券は無くなっていました。これまでTOKIAのコンサートでは、30分前に来れば余裕で整理券が入手できたのに、これはいかに!とビックリしてしまいました。

 まあ、整理券が無いものは仕方ないです。今更別のコンサートに行くのもなんなので、立ち見を覚悟でキャンセル待ちの列に並びました。実際、その会場の座席数は約100席で、私の前に12人も並んでいたので、いくらなんでも、そんなにキャンセルが出るわけもないだろうと、ほぼ諦めて並んでいたわけです。

 私が並んでいるうち、ボチボチと整理券を手にした客たちが戻ってきました。開演時間近くになると、座席のかなりの部分が埋まってしまいました(当然だね)。やがて係員が前の方から空席を確認しては、キャンセル待ちの人たちを呼び始めました。ちなみに、開演5分前になっても来なければ、自動的にキャンセル扱いになるようです。

 私は13番目だったので、諦めていたのですが、ドンドンキャンセル待ちの人が座っていき、なんと私も、後ろから2番目の列だったのだけれど、座ってコンサートを聞くことが出来ました。ラッキー。ダメ元でもキャンセル待ちをしていてよかったです。ってか、キャンセル多過ぎ! 無料公演だからって、気軽にキャンセルする人が多かったんだろうなあって思いました。

 菅原望(ピアノ)、喜多宏丞(ピアノ)

 1)ショパン:マズルカ第5番 変ロ長調
 2)ショパン:マズルカ第13番 イ短調
 3)セブラック:「休暇の日々」から第1楽章より「ロマンチックなワルツ」
 4)チャイコフスキー:「四季」より、5月「白夜」
 5)ハイドン:ソナタ 変ホ長調 第1~2楽章
 6)ブラームス:ワルツより、第1番、第2番、第3番、第4番、第15番
 7)シューベルト:軍隊行進曲

 1)と2)のショパンは明るい曲と陰りのある曲です。ピアノのコンサートでショパンが聞けるというのは、ベタと言えばベタですが、ほっとする瞬間です。別に他の作曲家が嫌いなわけではないのですが、やはりショパンとピアノの組み合わせは別格です。いかにも「クラシック音楽を聞いているんだなあ…」という気分にさせられます。演奏は、普通に良かったです。

 3)は癒し系の現代曲のようでした。曲のところどころに難解な和音が入っているけれど、それがかえってスパイスのような味わいとなり、曲をシメているような気がしました。

 4)は舞曲ではありませんでした(笑)。季節にちなんだ曲って事で選曲されたようです。チャイコフスキーはもちろんクラシックの作曲家ですが、こうして聞いてみると、かなり世俗的と言うか、ポピュラーっぽい響きの音楽を作る人なんだなあって思いました。特にこの曲は、何かドラマの劇伴として使えそうだなって思いました。

 5)のハイドンだけれど、ハイドンって、やっぱりモーツァルトベートーヴェンの間の時代の人だなって思いました。さらに言えば“芸術家”と言うよりも“音楽職人”って感じのなのかなって思いました。良い作品なんだけれど、作品にハイドンの顔が見えない…ってか、見えづらいんだよなあ…って思ったわけです。作家性が薄いのかな…。

 ちなみに第2楽章では、ピアノの手前で(演奏をしている人とは別の)ピアニストさんが手品をしていました。どんな感じなのかと言うと…まさにこの動画そのものでした。と言うか、この動画はロングバージョンで、LFJではショートバージョンを披露していたわけです。

 クラシックの方々も、集客のために、あれこれ頑張っているんだなあって思いました…が、正直、音楽鑑賞に手品は…面白かったけれど、邪魔かな?って思いました。

 6)は連弾でした。ブラームスって、肖像画から見ると、ほぼクマオヤジなわけですが、音楽はほぼ乙女でお耽美なんですよね。そのギャップがたまらない人にはたまらないのかなって思いました。まあ、世の音楽ファンはすべからず“ブラームス派”か“ワーグナー派”のどちらかに分かれるんだそうです(都市伝説ですよぉ~)が、私は“ワーグナー派”なので、あえてブラームスの音楽には触れない事にしておきます(笑)。

 7)はアンコールでした。行進曲って元気が沸き立つ音楽ですよね。鑑賞疲れでヘロヘロになっている時のマーチは…効きますね。

今年のまとめ

 というわけで、以上で今年の私のLFJは終了しました。最終日は夕方で終えて、その日の夜は、東劇に移動して、メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見ました。(すでに記事はブログにアップ済みです)。

 私がLFJに初参加したのは、2007年の「民族のハーモニー」からです。世は“のだめブーム”で多くの人がクラシック音楽を聞いていて、LFJもすごくすごく盛況でした。やがて“のだめブーム”も終わり客が減り、東日本大震災が起こり、原発事故があって、有名ミュージャンの多くが日本に来たがらなくなり、LFJに出演してくれる音楽家が一気に小粒化してしまいました。やがて共催してくれた企業の多くも撤退してしまいました。今は往時の面影も無いほどに、小粒な音楽祭になってしまいました。

 最初から小規模精鋭でやっているなら問題はないけれど、縮小しレベルダウンして今に至っているわけで、全盛期を知っている者としては、寂しい限りだし、LFJ自身、以前ほど面白い音楽祭では無くなってきた事も事実です。LFJは、東京以外の地方でもやっていますが、すでに金沢と鳥栖は開催をしていません。今でもやっているのは、東京,新潟,びわ湖の三ヶ所です。客離れも激しく、だいぶ規模縮小を余儀なくさせられているわけです。

 事実、私も相当熱が冷めてしまいました。

 来年もLFJは開催されるだろうけれど、私はどうしようかな? 演目次第だし、良い演目があれば、惰性で行ってしまうだろうけれど、せっかくのGWで良い季節なんだし、もっと別のレジャーに身を投じてもいいよなあ…って思わないでもないです。

 GWの頃って季節もいいし、箱根や鎌倉、江ノ島に行ってもいいよね。そんな事すら考えるようになりました。

 なんか、閉塞感があるんだよね、昨今のLFJって。正直、ワクワクしなくなってきました。祝祭感を感じられなくなった?

 それでも今年で言えば、『こうもり』とか、カウンターテナーの演奏は良かったし、(厳密に言えば、LFJとは違うけれど)モーツァルトのヴァイオリンを使ったコンサートも良かった。でも、たまたまかもしれないけれど、心惹かれるフルートの演奏には出会わなかったし、もっと歌を聞きたかったし、もっとピアノやヴァイオリンを聞きたかったです。

 今年のLFJはこんな感じです。明日からは通常運転に戻ります。

蛇足 パソナがLFJから撤退したのが、個人的には一番キツかったです。

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2017年5月20日 (土)

LFJ その7 カウンターテナー

 さて、レモネードはどこで飲んだのか言うと、丸の内仲通りです。『ダヴィデ王』を見る前に、ヴァイオリンの路上ライブを見たわけですが、その会場近くの屋台でレモネードを売っていたのを見ていたので、そこで買い、道路に置かれているテーブルに座って、レモネードを飲んでいたわけです。

 ああ、乾いたノドには、レモネードって…美味しいんだよね。

 なぜ、そんな所にいたのか…と言うと、実は次のコンサートがここで行われるらしいのです。

カウンターテナー

 次のコンサートは、カウンターテナーの彌勒忠史氏のコンサートで、その会場は、ネットにもオフィシャルパンフレットにも“丸の内仲通り・新東京ビル前”とあり、さっき見たNaorchestraさんと同じ場所なのです。Naorchestraさんは路上ライブで、P.A.を入れてコンサートをしていたけれど、カウンターテナーもマイクを使うのかな? まさか? でも反響板も天井もない道路で生歌はちょっとつらすぎるだろうなあ…などと心配しつつ、休憩を兼ねて、レモネードを飲んでいたわけです。

 やがて妻が、演奏会場はここじゃないんじゃないか、間違っているんじゃないかって言い出しました。確かに時間が迫ってきたのに、周囲には何の動きもないわけです。客すら集まっていないのです。オフィシャルプログラムにはここでやると記載されているけれど、実は変更になっていて、知らないのは私たちだけなのかもしれない…もしかするとそんな事があるのかもしれない…と、そんな考えが私の頭をよぎりました。でもね…。

 ここじゃないかもしれない、別の場所かもしれない…と、妻が私のそばで散々言うんだけれど、私はレモネードを飲んでいるわけです。まさに至福のひととき。もしも不安や不審点があるなら、もういい年したオトナなんだから、私に頼らずに、自分で解決すればいいのに…と思っていたけれど、そばでずっと文句を言われ続けていると、そうも言ってられません。

 やがて、ゆっくりレモネードも飲んでいられない気分になり、やむをえず、私が一人で周囲の様子を確認に行ったわけです。で、ほんの数歩歩いたところで、すぐにそばの新東京ビルに到着したわけです(そりゃあそうです、このビルの前が会場だと告知されていたのですから)。そのビル内の様子が何やら慌ただしいので、そばにいた係員らしき人に尋ねたら、このビルのエントランスで、カウンターテナーのコンサートをすると言うじゃありませんか。ありゃ、会場変更だよ。

 そこで、すぐ目と鼻の先の距離だったけれど、だけど大声を出すわけにもいかないので、さっそく妻に電話をして呼び出したわけです。

 なんかなー、やれやれって感じです。

 彌勒忠史(カウンターテナー),佐藤亜紀子(リュート)

 1)作者未詳:恋する人(バンドナード)
 2)フレスコバルディ:そよ風が吹けば(フィリア)
 3)モンテヴェルディ:ニンファの嘆き(パッサカリア)
 4)リュートソロ(カナリオ)
 5)メールラ:愛のチェトラにのせて(チャコーナ)
 6)サンチェス:簒奪者にして暴君(パッサカリア)
 7)作者未詳:恋する人(バンドナード)

 カウンターテナーの生歌をじっくり聴くのは、久しぶり。カウンターテナーってのは、なかなか出会えない、珍獣のようなものですね。

 今回の曲はすべて舞曲で、当時の大ヒットナンバーだったそうです。その“当時”と言うのは、日本の歴史で言うと、安土桃山時代に相当するそうです。いやあ、古い楽曲ですね。

 カウンターテナーの歌声は、男性による裏声歌唱なんだけれど、単なる裏声歌唱とはだいぶ違います。発声的には裏声なんだろうけれど、かなり力強い声で、これはこれで特別な声だと思いました。音域的にはメゾソプラノぐらいだろうけれど、女性のメゾよりも明るい声で、メゾよりも力強い声です。こう書くと、メゾの人が気を悪くするだろうけれど、メゾの上位互換のような声です。

 バロックオペラと呼ばれる音楽ジャンルがあります。読んで字のごとく、バロックと呼ばれる時代に盛んに上演されたオペラです。それらのオペラで主役を演じていたのは、今はもう存在しない、カストラートと呼ばれる歌手たちでした。カストラートとは、去勢手術を施した男性歌手で、少年の声帯を持った成人男性の歌手です。

 今は人道的な問題もあって、カストラートは公には存在しない事になっています。(マイケル・ジャクソンが少年期にホルモン治療を受けて、疑似カストラートになったという都市伝説がありますが…今となっては真偽の程は確かめられません)

 カストラートが存在しないので、現在ではこれらのバロックオペラを上演する際、かつてカストラートが歌っていた役(当然、男性の役です)を、いわゆる“ズボン役”と呼ばれる女性歌手が演じる事が多いのだけれど、音域は正しくても、やはりどうしても声質は女声的にならざるをえないし、外見だって男性に見えることはまずありません。宝塚歌劇のように、出演者がすべて女性ならば、男性のメイクをして男装すれば、男性に見えない事もないわけではありませんが、バロックオペラには、普通に男性歌手も登場するので、いくら頑張っても、ズボン役の女性歌手は、やはり女性にしか見えないのです。

 たまに、カストラートの役をカウンターテナーが演じる事があります。音域的には正しくても、やはり本物のカストラートとは発声法が違うわけですから声は違います。それでも女性歌手とは比べれば、声も容姿も男性的なわけであり、カストラートの役を彼らカウンターテナーが演じれば、演技的にも声的にもだいぶ違うなあと思いました。

 バロックオペラの、元々はカストラートのために書かれた役は、やはり女性であるメゾが歌うよりも、多少声が違っても、男性であるカウンターテナーが歌った方が演劇的には良いかなって思いました。もちろん、本当はカストラートが歌ってくれるのが一番なんですが…カストラートは現存しないのですから仕方ありません。声も容姿も異なる女性歌手よりは、声は異なっていても容姿がOKな男性歌手(カウンターテナー)の方が(言葉は悪いのですが)まだマシかなって思います。

 ただ、メゾソプラノのズボン役と呼ばれる人たちは、それこそ履いて捨てるほどたくさんいるわけだし、それだけたくさんいれば、上手な歌手もたくさんいます。一方、カウンターテナーは珍獣なわけで、めったにいませんし、オペラを歌えるほどの技量の持ち主となると、さらに少なくなるわけで、バロックオペラのカストラート役をすべてカウンターテナーでカバーする事は、おそらく無理だから、メゾがズボン役として活躍しているのでしょう。

 まあ、そう考えると、カストラート役をズボン役が歌っても、仕方ないかなって思います。

 さて、コンサートの話に戻ります。

 伴奏をしていたリュートの音は、ほぼクラシックギターと同じでした。奏法もリュートとギターでは、かなり共通しているようです。ただ、楽器の構造や見かけは若干違います。音量も相当少なめで…そりゃあリュートは滅んでギターに取って代わられてしまったのも仕方ないなあって思いました。

 1)~6)の音楽そのものは、いかにもバロックな感じで、親しみはないですが、面白かったです。

 実は、最後の7)はアンコール曲で、1)と同じ曲です。1)が歌手が一人で歌ったのに対して、7)は歌の一部(お囃子的な部分)を観客が歌うという形式でした。さすがに、声楽のコンサートを聞きに来ている人たちって、結構歌える人が多くて、この観客参加型の曲が、実にばっちり決まっていたのには、ちょっと驚いた私でした。

 続きはまた明日

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2017年5月19日 (金)

LFJ その6 レモネードが飲みたくなりました

 帝国劇場の向かいのビルでコンサートを聞いたので、昼食はそのまま帝国劇場の地下街にあるインド料理店に入りました。私、ここのカレー、大好きなんです。

 で、食べ終わって、エッチラオッチラと東京国際フォーラムに向かって歩いていったところ、路上ライブに出くわしました。

路上ライブ

 路上ライブと言っても、これもまたLFJ関連のコンサートでした。今年から、丸の内仲通りという道の一部を歩行者天国にして、そこでコンサートを開いていたわけです。私のコンサート鑑賞予定には無かったのだけれど、たまたまそこを通りがかったわけです。

 Naorchestra(ヴァイオリン)

 1)残酷な天使のテーゼ
 2)チャールダッシュ
 3)ジュピター

 というわけで、コンサートの途中から聞きました。道路の真ん中で、何の反響板もない場所での演奏だったので、ヴァイオリンにマイクを付け、P.A.で拡声するというスタイルでの演奏でした。伴奏も、いわゆる電子キーボードでシンセサイザー的な使用法をしていました。そういう点では、演奏スタイルは純粋クラシックと言うよりも、ポピュラー・ヴァイオリンのスタイルだと思います。LFJは本格クラシックが多いから、この手のライトな音楽が挟まると、ちょっと心が休まる感じがします。気分が楽になります。それに私、こういう、ポピュラー系と言うか、軽音楽系のヴァイオリンって、実は好きなんです。

 なんか、ヴァイオリンを弾きたくなってしまいました。

ダヴィデ王

 さて、カレーを食べて満腹になったところで、本日の有料公演である『ダヴィデ王』を見に行きました。

 シンフォニア・ヴァルソヴィア,ダニエル・ロイス(指揮)
 ローザンヌ声楽アンサンブル
 クリストフ・バリサ(語り),ロランス・アミー(巫女)
 リュシー・シャルタン(ソプラノ)
 マリアンヌ・ベアーテ・キーランド(メゾソプラノ)
 エンドリク・ウクスヴァラフ(テノール)

 オネゲル:オラトリオ『ダヴィデ王』

 この曲は、そもそもが作者オネゲルが、4時間超えの超大作オペラとして構想を練っていた作品なんだそうです。超大作オペラとして構想を練っていて、売り込みもしていたようだけれど、時代はすでに20世紀なわけで、映画とミュージカルの時代に、ワーグナーばりの超大作オペラなんて発注してくれる人もなく、結局、小編成オケと数人の声楽アンサンブルによる、オラトリオとして制作発表してしまったという作品です。

 ちなみに、初演はそんなミニサイズで演奏したけれど、再演の時は、夢が諦められなかったのか、オーケストラを普通サイズにして音楽の響きを豊かにし、歌わない役者を二人(語りと巫女)追加して、ストーリーを分かりやすくしたそうです。つまり、初演の演奏形態は作者の意図とは違うって事だし、当然、作者的には、この再演版が決定稿…って感じだったんでしょうが、今回の演奏もそうだし、数少ない音源でもそうですが、この曲を演奏する際は、初演のオーケストラ編成と声楽アンサンブルに、再演の語りと巫女を付けたカタチでの演奏が定着してしまったようです。

 この曲、きちんとオペラになっていたら、それはそれで面白かったと思うけれど、完成されなかったオペラの事をグチグチ言っても仕方ないので、やめにしておきます。

 とりあえず、本日の編成では、オケは全員で17人。それにピアノにオルガン、歌手3人、役者2人の小編成でした。

 会場は…ホールCでした。ほんと、ここは客の動線が悪いんですよね。何か事故や災害があっても逃げることはできない構造になっています。まあ、万が一の時は、ここに閉じ込められてしまうわけで、ここに入るのには勇気がいるんです。どうにかならないものかな?

 ちなみに、今回の上演では字幕サービスが付いたよ。うれしいな。

 さて、音楽面の話をすると、オケはほぼブラスバンドでした…ってか、1管編成のブラスバンドですよ。弦楽器はコントラバスだけ。まあ、弦パートはオルガンで演奏するんでしょうね。音楽的には現代音楽のハズですが、曲自体はとてもメロディアスで聞きやすい音楽でした。まあ、オケが管楽器中心ってところが現代音楽的とも言えます。

 演奏はハイレベルでした。オケはすごく上手。特にトランペットの響きは特筆モノでした。合唱は大所帯でしたが、荒らさなんて全く無くて精密に歌っていました。ソリストは、伴奏が小編成って事もあるけれど、音量よりも美の響きの美しさを大切にして歌っていたようです(だからと言って、決して小さな声ってわけじゃないんですよ)。

 ストーリー展開も速くて、オラトリオで説明付きだから、1時間程度の演奏時間で何とかなるけれど、これがオペラになって、説明する人がいなくて、すべてをレチタティーヴォで説明するとなると、果たして4時間超えで済むのかなって思いました。これだけのストーリーは、オラトリオだからコンパクトに収まったわけで、オペラじゃあ入りきれないだろうなあって思いました。だって、ダヴィデ王のほぼ一生のエピソードを音楽化したわけだしね。これは、オペラにするなら、ほんと大変だと思います。

 オラトリオだから、役なんてなくて、声種で歌手を分けているだけなんだけれど、これに役を付けだしたら、かなりの人数が必要になるだろうね。ほんと、そんな妄想を膨らませていると面白くなってきます。

 そうそう、ちょっと気になったのは、演奏中にソリストも合唱の人も、ペットボトルの水を飲んでいた事かな? 舞台って乾燥しやすいし、ポピュラー音楽の人は、水を飲みながら歌う事も珍しくないけれど、クラシックの人で、舞台で給水する人って…たぶん日本じゃ珍しいよね。国民性の違いかな? 別に嫌な感じはしなかったけれど、珍しい光景だったので、へーって思いました。

 なんか、つられてノドが乾いたような気がしたので、音楽が終わって外に出たら、無性にレモネードが飲みたくなってしまいました。

 続きはまた明日。

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2017年5月18日 (木)

LFJ その5 4Kとモーツァルトのヴァイオリン

 本日最後のマスター・クラスを見終えた私たちは、その足で、すぐそばで行われる4K上映の会場に行きました。

4K上映での『ローエングリン』

 昨年もやっていた、クラシカジャパンによるオペラの4K上演を見ました。今年の演目はワーグナー作曲の『ローエングリン』の第三幕の前半でした。ローエングリンはベチャワで、エルザはネトレプコでした。

 私は『ローエングリン』をちゃんと見たことはないのだけれど、一瞥して思った事は「エルザって嫌な女だな」って事です。この理解は正しい理解なのかな? それともネトレプコが演じているから嫌な女に見えるのかな? さあ、どっちだろう。

 去年も書いたと思うけれど、4Kは実に素晴らしいけれど、やっぱりオーバースペックだと思います。自宅のテレビには4Kはいらないね。少なくとも、DVDとBlu-rayの差が分からない私には、4Kのシステムを自宅に入れても意味ないなあ。4Kは大スクリーンで威力を発揮するシステムだと思います。だから、自宅ではなく、映画館とかのへ導入だよね。

 最近は、映画館もデジタル化していて、かつてはフィルムで搬入されていた映画が、昨今はBlu-rayで搬入されるという話も聞きます。って事は、映画館でも、Blu-rayのシステムで、あれだけの鮮明な画面で見れるってわけで、そうなると、ますます4Kってオーバースペックなんだなあって思います。

 とは言え、技術は常に高めておいたほうが良いわけだから、普及はしなくても、4Kシステムは4Kシステムとして頑張って欲しいと思いました。それに4Kを否定しちゃったら、8Kなんて論外だしね(笑)。

 『ローエングリン』の歌に関して言うと、ベチャワもネトレプコも、旧来のワーグナー歌いと呼ばれる歌手の皆さんとは、ちょっと違いますね。旧来の皆さんと比べると、パワー不足と言うか、線の細い声なんだけれど、より精密に歌っているのが分かります。これって、20世紀末にカラヤンが求めていたワーグナー演奏なんじゃないの?って思いました。あの頃は、今と比べると歌手のレベルが(正直)低かったと思います(ごめん)。精密に歌えない代わりに、迫力でごまかしていたような気もします。あるいは、迫力を出すために、精密さを捨てていた…というべきかな 

 細かい所は目をつぶって、迫力で押し通す歌唱も私個人はキライじゃないですが、カラヤンが目指していたワーグナーは、そういうモノではなかったわけで、あの頃、カラヤンのワーグナーって、玄人筋にはウケが悪かったのは、カラヤンが時代の先を見ていたからであって、同時代を見ていなかったからかもしれません。カラヤンの足元に群がる人たちからすれば「遠くばかり見てないで、少しはこっち見ろよ」って気分だったのかもしれません。

 そういう意味では、世の中がようやくカラヤンの理想に近づいてきたのかもしれません。

 で、4K上演を見終えたら、ホールEで踊られている阿波踊りを横目で眺めながら、この日は帰宅をした私でした。

 で、その翌日は、一日丸々休息に充て、最終日にもう一度LFJに出動したわけです。

ロビーコンサート

 さて、LFJ最終日の話を始めましょう。

 我々は、東京国際フォーラム…ではなく、日比谷の帝国劇場の向かいにある、第一生命保険日比谷本社に向かいました。その会場では、国際モーツァルテウム財団による、コレクション展とコンサートが開かれていたのです。

 コレクション展の方は『ナンネルとヴォルフガング』というタイトルの展示で、ナンネルの人生を通して見たモーツァルトの人生って感じのまとめ方の展示会が行われていました。レプリカかもしれないけれど、モーツァルト一家の肖像画とか、モーツァルト直筆の楽譜とかが展示されていました。

 でも肝心なのはコンサートの方で、こちらは『今蘇る、モーツァルトの響き』というタイトルで、モーツァルトが実際にザルツブルグ時代に愛用していたヴァイオリン(実物が現存しているわけです)によるモーツァルト作品の演奏ってわけです。

 フランク・シュタートラー(ヴァイオリン),菅野潤(ピアノ)

 1)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ イ長調 KV305
 2)モーツァルト:クラヴィーアソナタ ハ長調 KV330
 3)モーツァルト:ヴァイオリンソナタ ハ長調 KV296

 ピアノはモーツァルトの愛用品。伴奏の鍵盤楽器は、モーツァルトが使ったかどうかはの説明は無かったけれど、モーツァルト時代に普及した、フォルテピアノでした。今のピアノの原型となる楽器で、実際、モーツァルトのピアノソナタって、このフォルテピアノを念頭において作曲されているんだよね。

 まずは、モーツァルトのヴァイオリンだけれど、見た目も音も、ごく普通のヴァイオリンでした(当たり前)。聞きようによっては、古い楽器の音がするような気がします…が、それは21世紀の現代の話であって、モーツァルトの時代には、このヴァイオリンもまだまだ新品だったわけで、新しい楽器の音がしていたのだと思います。それが年月の経過と共に、音も丸く馴染んでくるようになったのだと思います。そういう意味では、ヴァイオリンは確かにモーツァルトのモノかもしれないけれど、我々が聞いている音は、モーツァルトが聞いていた音とは、だいぶ違っているかもしれません。

 会場となった第一生命日比谷本社の一階ロビーは、すごい良い場所でした。石造りで、見上げるほどに天井が高くて、まるでヨーロッパの教会堂のような造りになっていました。ほんと、ここ最高ですよ。

 私は舞台からかなり遠くに座ったのですが、それでも音量的に不足は感じませんでした…ヴァイオリンに関しては。この会場、ヴァイオリンはよく聞こえたのですが、フォルテピアノは今ひとつでした。フォルテピアノは現代ピアノほど、音量が出るわけでもなく、まだ完成途上のフォルテピアノより、当時すでに楽器として完成されていたヴァイオリンの方がよく聞こえるのも、当然といえば当然なのかもしれません。

 私はモーツァルトのヴァイオリンソナタには馴染みがないのだけれど、1)はまるでピアノとヴァイオリンがそれぞれ歌手で、その歌手たちの二重唱を聞いているような感覚になりました。あるいは、ヴァイオリンとピアノの会話を聞いているような感覚に襲われたと書いてもいいかもしれませんね。

 2)は、あまり聞こえなかったので、楽しめませんでした。まあ、楽器の特性や性能も関係しているので、多くは語りません。

 3)は派手で華やかな曲でした。本当に二重唱のような曲でした。モーツァルトの楽曲は、器楽曲にも歌があふれている…って事でいいですよね。

 それにしても、モーツァルトはこのヴァイオリンで、ザルツブルグの宮廷楽団でコンサートマスターをしていたそうです。もちろん、モーツァルトは子どもの頃からピアノの神童として有名だったわけだし、我々がよく知る、天才作曲家でもあったわけで、モーツァルトって人は、音楽に関しては(改めて思ったけれど)超人なんだなあ。いやあ、尊敬しちゃいますよ。

 続きはまた明日。

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2017年5月17日 (水)

LFJ その4 マスタークラスもそろそろ潮時かな…

 夕食は、妻の薦めでガパオライスを食べました。ガパオライスってのは、タイ料理の一種で、いわば“鶏肉のバジル炒めご飯”なんです。妻は、これをどこぞの大学祭に行って食べて、とても美味しかったそうで、今回の屋台村にガパオライスの店が出ていたので、ぜひ食べようって事になったわけです。

 妻は熱心に薦めましたが、言っちゃあなんだけれど、ガパオライスはタイ料理だよ。そもそも、私も妻もタイ料理は苦手で、普段は絶対に手を出さないのですが、あまりの妻の強い薦めで食べてみました。

 …やっぱり、タイ料理でした。ガパオライスには何の罪もないし、タイ料理も悪くありません。ただ、私の好みには全く合わないってだけです。食の好みに善悪はないからね。あれだけ強く薦めた妻のクチにも合わなかったみたいです。始終「辛い、辛い」と言ってましたが、タイ料理って基本的に辛いんだよね。一体、どこで、どんなガパオライスを食べたんだか…。

フラメンコ

 夕食後はホールEに戻って、今度はフラメンコ歌手の舞台を見ることにしました。

 アントニア・コントレラマ(フラメンコ歌手)
 ホアン・ラモン・カロ(ギター)

 まずはギタリストが一人で出てきて、何やらソロ曲を演奏しました。まあ、前座ですね。次に女性歌手が出てきて、椅子に座って、何やら歌いだしました。ちょっとアレ?って思ったものの、カスタネットを持って踊るのはダンサーさんなわけで、歌手なら歌うだけだよね…って納得しました。

 舞台には歌手とギタリストが一人ずつで、割りとおとなしい舞台でした。フラメンコと言えば、激しい音楽やダンスを想像していたので、ちょっと拍子抜けと言うか、期待とは違うものが出てきて、アレ?って気分になりました。歌っている曲は、なんかのんびりした民謡っぽい曲でした。何を歌っているかは、全然分からなかったけれど、おそらくスペイン民謡なんでしょうね。日本の民謡にも通じるような、何か物悲しい曲でした。

 曲調がゆっくりとしていたし、音量もそんなに大きいわけではなかったので、私は会場に流れるBGMに気を持っていかれました。舞台をやっている時くらい、会場のBGMを切ればいいのに…って思いました。それだけ、私は舞台に集中していなかったんですね。

 やはりフラメンコは、クラシック音楽とは別ジャンルの音楽だなと思い、まだ演奏中だったけれど、立ち見だった事もあって、会場から離れて、ソフトクリームを食べる事にしました。帝国ホテルのソフトクリームだったので、さてどんな上品なアイスだろうかと思って待っていたら、出てきたのはスジャータのソフトクリームでした。スジャータのソフトクリームって、日本中の観光地のあっちでもこっちでも食べられるヤツでしょ。ちょっとガッカリしちゃいました。

 美味しかったけれど、スジャータだったら、別にここで食べなくてもいいかなあ…って思ったわけです。

ピアノのマスタークラス

 ソフトクリームを食べて、時間的にもちょうど良くなったので、ガラス棟を上がって、マスタークラスを聞きにいきました。

 マルク・ラフォレ(ピアノ)

 J.S.バッハ:バルティータ No.2 BWV826 ハ長調

 今回の生徒さんの演奏は、最初はどうなるかと思ってハラハラして見ていましたが、後半は徐々に調子を上げてきたようでした。

 パルティータは舞曲集なので、それぞれの舞曲の性格が際立つように演奏しないといけないのだそうです。そのためには、演奏者は意図を持って演奏し、その意図がきちんと観客に伝わるように演奏しないといけません。そのためには、多少演奏がイビツになっても仕方がなく、美しい演奏よりもより強く表現する事を優先して欲しいのだそうです。

 ただし、表現すると言っても、バッハの時代の音楽様式を踏まえた上での表現でないとダメで、我々はついうっかりすると、ロマン派的な演奏をしがちだけれど、バッハはロマン派ではないので、そこは注意をしないといけないのだそうです。

 例えば、曲の冒頭部は楽譜ではアルペジオになっているそうだけれど、これを楽譜に書かれたままアルペジオで、このまま演奏してはいけないのだそうです。なぜなら、それはバッハの時代の音楽様式と異なるわけで、いくら楽譜にアルペジオで書かれていても、そこは批判的にならないといけない…というわけです。少なくともラフォレ先生ならば、ここはアルペジオでは演奏しないのだそうです。アルペジオを止めて、和音をガツンと弾いてしまうわけです。

 アルペジオを止めて和音をガツンと弾いてしまえば、演奏的には簡単になってしまいます。その時、その演奏の簡単さが観客に伝わるようではダメで、簡単なんだけれど簡単だと感じさせてはダメなのです。ここは“痛み”を以て演奏し、その“痛み”が観客に届かないとダメ。“痛み”が伝われば、誰も“簡単な演奏”とは思わないわけで、つまり、1音1音に情熱を込めて演奏しなさいって事なんだと思います。

 そんな事を言いながら、先生が模範演奏すると、生徒さんの演奏とはまるで違った音楽が展開されるわけです。なにしろ生徒さんの演奏は“楽譜を音にしてきました”程度で、その先まで踏み込んだものではないわけで…まあ、これは生徒さんの演奏家としての力量の問題になるわけです。

 午前中のビオラ・ダ・ガンバのマスタークラスでも感じた事だけれど、LFJでのマスタークラスも、だいぶ性格が変わってきたなあ…と思いました。マスタークラス自体は、ずいぶん前から恒例として行われてきたけれど、以前のマスタークラスは、生徒自身が演奏家として、それなりに成熟していて、自分なりに完成された音楽を持ってきて、それを先生にぶつける事で、新しい音楽的な局面が開かれていく様が見れましたが、ここ数年は、生徒さんもだいぶ未熟な方が増え、音楽として完成されていない状態で、マスタークラスに持ってきてレッスンを受けているような感じになりました。

 つまり、マスタークラスではなく、通常の音楽レッスンになってきたわけです。

 高いレベルのレッスンが見られるから“マスター”クラスであって、そうでないなら人前での公開に耐えない…と私は思います。そういう意味でも、LFJのマスタークラス、色々と潮時だなあ…と感じたわけです。

 続きはまた明日。

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2017年5月16日 (火)

やっぱり休憩は欲しい…です

 今回は、LFJの連載はお休みし、別の話題をぶっ込みます。

 これも一種のライブビューイングだろうと思うのだけれど、先日、蜷川幸雄シアターの『ジュリアス・シーザー』を見てきました。これは、2014年に埼玉県の“彩の国さいたま芸術劇場”で上演したものをビデオ収録し、それを映画館で上映するってヤツです。蜷川幸雄氏の没後1周年を記念しての上演です。

 詳しくはこちらをご覧になって下さい。

 キャストはこんな感じでした。

 阿部寛(ブルータス)
 藤原竜也(アントニー)
 横田栄司(シーザー)
 吉田鋼太郎(キャシアス)

 タイトルは『ジュリアス・シーザー』だけれど、主役は、阿部寛演じるブルータスでした。

 私はストレート・プレイをあまり見ないし、蜷川幸雄氏の演劇は見たことがなかったので、楽しみにしていました。演劇に関しては全くのド素人なので、良いも悪いも分からず、ただただ楽しませてもらったわけです。

 映画で見ても、これだけの迫力なんだから、生で見たら、すごく感激しただろうなあって思いましたし、ストレート・プレイも捨てたものじゃないなあって思いました。

 演劇そのものは面白かったし、役者さんたちの演技にも引き込まれました。セリフは…いかにも古典の翻訳ものっぽく、時代がかったセリフは雰囲気があって良かったし、ストーリーもスピーディーに進んで良かったです。

 ただ、参ったのは、タイトルに書いたとおり、休憩が欲しかったなあ…って事です。

 実際の舞台では、第1幕が90分で、20分休憩し、第2幕を90分やる…という構成だったそうですが、映画館では、20分の休憩を飛ばして、連続3時間の上映だったんですよ。これは観客にとって、かなりキツイです。メトのライブビューイングだってなんだって、最近の舞台中継ものだったら、舞台の休憩に合わせて、映画上演であっても休憩を入れてくれるものです。でも、この『ジュリアス・シーザー』は休憩無しのぶっ通し上映でした。

 DVDなら、休憩が無くても、ディスクを止めて勝手に休憩できるからいいのです。でも映画館での上映なら、休憩は必要だよ。私も途中でトイレに行ったし、他のお客さんたちも、結構上映中に出入りしていました。やっぱり3時間休憩無しはキツイって。

 それと、音声が割れ気味で聞き取りづらかったなあ…。役者のセリフがよく聞こえなかったのは、困りモノです。やがて割れ気味の音質にも慣れて、後半はなんとか分かるようになったけれど、最初の1時間ぐらいは何を言っているのか、半分も分かりませんでした。音声に関する技術的な問題が解決されていない感じです。メトはもちろん、NHKの舞台中継などでも、もっと音声クリアだよ。

 中身が良かっただけに、休憩無しと音声が割れ気味だったのには、困りました。一週間交代で4作品連続上映なので、当初は次週も見に行こうと思ってましたが、今はちょっと考えています。だって、休憩が無いんだよ。3時間休憩無しは、年寄りには厳しいな…。

 こういう舞台中継モノは、見る人の事も考えて、上映の計画を立てて欲しいものです。せっかく良い舞台なのに、本当に残念だなあって思いました。映画だって、上映時間の長い大作モノは、昔からインターミッションがあったでしょ? そういう客への配慮が欲しかった…と思う次第なのでした。

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2017年5月15日 (月)

LFJ その3 さすがは有料公演です

 食後の合唱曲を聞いた後は、ふたたび東京国際フォーラムを後にし、次の演奏場所に向かった私たちでした。

木管五重奏団

 向かった先は、今回から加わった新しい演奏場所、三菱商事MC FORESTの1階広場でございます。丸ビルの(東京駅から見ると)すぐ裏の場所で、丸の内にあるのに“丸の内エリア”ではなく“LFJエリア”という、ちょっと3番手的な扱いを受けている演奏会場でございました…三菱系なのに、ちょっと寂しい扱いなのが残念な場所です。

 ここ、演奏会場として良いですよ。野外なので、天候さえ良ければ…という条件付きですが、感じとしては、三菱一号館美術館近くの、丸の内ブリックススクエアのような場所です。高いビルに囲まれた、静かで響きの良い空間なのです。むしろこちらは、三菱商事MC FORESTの玄関前ですから、ビルそのものが反響板の役割をしますから、丸の内ブリックススクエアよりも良いかもしれません。あと、椅子が何脚か用意されていて、座りながら聞けるのも良いかもしれませんね(丸の内プリックスクエアは、基本的に立ち見オンリーです)。

 この場所で聞いたのは、木管五重奏の演奏でした。

 Appasionista [川口晃(フルート),是沢悠(オーボエ),西崎智子(クラリネット),河崎聡(ファゴット),安田健太(ホルン)]

 1)ファルカシュ:17世紀の古いハンガリー舞曲集より
 2)トマジ:世俗と神聖な5つの踊りより
 3)松本孝弘:ultra soul
 4)イベール:3つの小品

 1)は素朴な感じのなごみ系の曲でした。4曲演奏してくれましたが、どの曲も素朴です。そもそも木管五重奏曲として作られたオリジナル曲なんだそうです。道理で、それぞれの楽器の良さも引き出されていて、好感の持てる曲でした。

 2)は現代曲だそうで…よく分かりませんでした。どうも私は現代曲は苦手なようです。例によって、メロディがありそうで無い感じの曲でした。

 3)は、すごく良かったですよ。前半はワルツに、後半は四拍子のいわゆる縦ノリのリズムにアレンジされていました。フルートは何気に高難度なテクニックを披露していて、思わず演奏に引き込まれてしまいました。ちなみに、ドラムパートはフルートが演奏していたんですよ、想像できる?

 4)は知る人ぞ知る木管五重奏曲の定番にして名曲なんだそうです(私は知りませんでした)。なんでも、出版譜の指定と作者の指定が違うそうで、今回は作者の指定通りの順番で演奏した(第3楽章→第2楽章→第1楽章)んだそうです。私には馴染みのない曲でしたが、各楽器がそれぞれ活躍する箇所もあり、曲想もどことなくアンニュイで、しっかりメロディーもあって、良い感じでした。

 客のウケも良くて、LFJではめったにないアンコールをやってくれました。ファルカシュの曲でしたが…どの曲をやったのかは、私には分かりませんでした。

こうもり

 次は有料コンサートです。東京国際フォーラムに戻りました。

 びわ湖ホール声楽アンサンブル
  大川修司(指揮),渡辺治子(ピアノ)、中村敬一(演出)
  アイゼンシュタイン(増田貴寛)
  ロザリンデ(平尾悠)
  ファルケ(五島真澄)
  オルロフスキー公爵(山際きみ佳)
  アルフレード(島影聖人)
  アデーレ(藤村江李奈)

 ヨハン・シュトラウス二世:オペレッタ「こうもり」(ハイライト・演奏会形式・日本語版)

 とにかくおもしろかったです。全3幕2時間半のモノを、あまり有名ではない曲を省き、込み入った部分をすっきりとまとめて、全1幕約1時間にしました。主要な曲はすべて演奏し、ストーリーも基本的に同じで、短縮オペラとしては、上出来でした。さらに言えば、演奏会形式と銘打ってますが、大道具が無いだけで、歌手たちは衣装を着て、しっかり演技をしながら演奏していました。日本語歌唱でしたが、オペレッタは現地語上演が原則ですから、日本語も気にならず、とても頼ませてもらいました。

 かなりたくさんの客が時間ギリギリ、あるいは遅刻して入ってきたので、開始時刻が少々遅れてしまいました。おそらく、ホールEで演奏された「こうもり」を見てきたのでしょう。あちらは無料演奏だし、同じように、ハイライト・演奏会形式・日本語版だし、その上、こちらよりも演奏時間が長いし、合唱団が加わっているし…声楽ファンなら行くよね。私も、移動時間の事を考えなければ、必ずそちらにも行きました…で、多くの人が移動時間の事を考えなかったようで、あちらを見てからこちらにきたのでしょうね。それでこちらの演奏開始が遅れてしまったようです。

 ホールEでの「こうもり」、どんな感じだったんだろ? そちらはそちらで、私だって興味あったのよ。

 さて、こちらの有料コンサートの話に戻ります。通常はバリトンが演じるアイゼンシュタインが、こちらではテノールさんによって歌われました。もう、それだけで私は満足だったりします。さらに、アルフレード(そもそもテノール役です)は、オルロフスキーが歌えるんじゃないの?ってくらいに高いテノールさんでした。で、そのオルロフスキーは…と言えば、まるで宝塚の男役さん?って感じのソプラノさんが演じていました。日頃からズボン役にケチをつけがちな私ですが、この配役には納得しました。

 セリフ部分はかなりの改変&現代化がされていて、日本語の喜劇として、きちんと成立していました。

 LFJで、割りとしっかりしたオペラを見たのは、これが始めてかもしれません。LFJは器楽演奏に傾きがちだからなあ…。いやあ、とても良いものを見せていただきました。さすがは有料公演。感謝感謝です。

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2017年5月14日 (日)

LFJ その2 私の舌は貧乏舌なんです

 マスタークラスの次は、東京国際フォーラムの隣のビルであるTOKIAに行って、コンサートを聞きました。

アラカルト・コンサート

 私が聞いたコンサートは特に名称はありませんでしたが、オーディションをくぐった、複数のアマチュアさんや若手プロの方々が出演するコンサートでした。そういう意味で“アラカルト・コンサート”なのです。

 山本爽楽(ピアノ)、松尾茉莉(ヴァイオリン)、加納裕生野(ピアノ)、塙美里(サックス)、宮野志織(ピアノ)

 1)山本爽楽:Capriccio for RANPO(山本爽楽)
 2)クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット(松尾茉莉&加納裕生野)
 3)ブラームス:ハンガリー舞曲第5番(松尾茉莉&加納裕生野)
 4)モンティ:チャールダッシュ(松尾茉莉&加納裕生野)
 5)フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 第2楽章(塙美里&宮野志織)
 6)プーランク:愛の小径(塙美里&宮野志織)

 1)は自作自演って奴です。登場したピアニストさんはまだ少年でした。おそらく天才なんでしょうね。「世界よ、僕の才能に酔いしれよ!」と思ったかどうかは不明ですが、楽しげに自作を演奏していました。もっとも、演奏された曲は、ジャンル的には現代曲って奴なので、聞いていて、ちょっとも面白くなかったです。ただ、音がジャカジャカ鳴っているなあ…って感じです。現代曲って聞く人を選ぶからね…私のような低レベルの音楽ファンでは、とても楽しめる曲ではありませんでしたが、それが現代曲って奴なんだから、仕方ないですね。LFJのような一般客相手の(それも無料)コンサートには、似つかわしくない選曲だなって思いました。

 江戸川乱歩に影響を受けて書いた曲なんだそうですが、それならば“for Ranpo”ではなく“for Rampo”だとオジサンは思います。

 2)~4)のコンビは、ピアニストである加納さんがオーディションに申込んだのだそうですが、演奏は完全に相方であるヴァイオリニストの松尾さんがメインになっていました。

 ヴァイオリンのソロってカッコイイなあ…って、素直に思いました。メロディをカッコよく演奏するならヴァイオリンしかないよね…って、メロディの無い曲の後だったので、本当に強く感じました。3曲ともカッコよい上に、なんとも哀愁があって、心に染み込んで…いやあ、良いモノを聞かせていただきました。

 5)は、ヴァイオリン・ソナタのヴァイオリン部分をアルトサックスで演奏してみました…という演奏だったのです。これは好みの問題だと思うし、一生懸命に演奏してくれたのも分かるのだけれど、なんかサックスの良さをあまり感じられない曲だなあって思いました。聞きながら「これじゃない感」を強く感じた私でした。サックスとピアノの組み合わせなら、他にも良い曲はたくさんあるだろうに…。

 6)はアンコールとして演奏してくれましたが、こちらはサックスがサックスサックスしていて、とても良かったです。最初っから、こちらを演奏すれば良かったのに…なんて思いましたよ。やはり、楽器のキャラクターと曲のキャラクターが合わなければ、一生懸命演奏してもお客を楽しませられないものだなあ…って思いました。

 まあ、出演者を募集して集めたそうですから、出演者的には、客を喜ばせるよりも、オーデションを勝ち抜き、せっかく手にした千載一遇の演奏の場に、自分のとっておきの曲を演奏したい…と願うわけで、そこにはお客を楽しませるという姿勢が薄くても仕方ないかなって思いました。所詮、無料コンサートだしね。

 ああ、パソナのコンサートが恋しい(涙)。

キオスクコンサート

 アラカルト・コンサートを見終え、再び東京国際フォーラムに戻った我々でした。以前、展示ホールと呼んでいたホールEで行われるコンサートを聞きに戻りました。

 時間の余裕をもって戻ったつもりでしたが、キオスクコンサートは人気があるので、席はすでにどこにもありませんでした。演奏が始まるまで、時間がかなりあったし、ちょうどお昼時という事もあったので、座席を確保するのは諦めて、ちょっと離れているけれど、会場内で食事をしながら聞きましょうって事になりました。

 会場で食事となると…帝国ホテルのケータリングですね。私はチキンカレーとホットドッグを、妻は本日のランチを食べました。さすがはホテルのケータリングです。お値段も高級だし、お味もお上品でした。まあ、お値段が高級なのは覚悟していたので文句はないのですが、お味がお上品なのには、さすがに困りました。カレーライスなのに、目をつぶって食べると、ハヤシライスみたいなんだもの。私のような庶民にとって、これはカレーライスとは言えないですね。カレーライスみたいな姿をした何か別の料理です。

 私にとってのカレーって、市販のカレー粉を使って妻が家庭で作ってくれるカレーであり、インド人シェフのいるインド料理屋で出されるカレーなんです。でも、ホテルでお食事をされるようなセレブな人々は、家庭でカレーを食べないのかな? インド人がやっているようなインド料理屋なんて行かないのかな?

 ホテルのカレーって、全然違うんですよ。でも、この味を支持する方々がたくさんいるから、帝国ホテルはこの味でカレーを客に提供するわけです。誰も支持しなきゃ、とっくの昔にメニューから消えているか、今風の味になっているわけです。でも、この味で堂々と提供されているって事は、この味を好み、この味を支持する人々がいるってわけで…、それは帝国ホテルの利用者の皆さんなわけで…、そういう人にとっては、この味こそがカレーライスなんでしょうから、私とは住んでいる世界が全然違うわけです。

 つらつらと思い出してみれば、帝国ホテルに限らず、日本にある、いわゆる一流ホテルで食べられるカレーライスって、味が薄いよねえ。まあ、私もすべての一流ホテルのレストランのカレーを食べ歩いたわけではないけれど、東京とか横浜とかの一流って言われるホテルで(なぜか)カレーライスを食べる機会がチョボチョボあったわけで、思い出してみれば、どこも薄味で、いかにも健康に良さそうな、古風なカレーライスだったような気がします。

 だから悪いの帝国ホテルではなく、私の舌なんだよな。

 私はあっちの世界の人間にはなれないなあ…って思いました。私の魂が、あの料理をカレーと呼びたくないと叫んでいます。料理としては、かなり美味しいのだけれど、でもこれは私が知っているカレーという料理の範疇には入らないですよ。全くの別ジャンルの料理だと思います。

 ちなみに、妻が食べた、本日のランチは、とても美味しかったそうだけれど、ごく少量で、私なら1分以内に食べ終える自信がありますよ。

 なんとも物足りない食事となってしまったので、食後にコンビニに駆け込んで、ソイバーを3本食べて、お腹を落ち着かせました。やっぱり私にはホテルの食事は似合わないみたいです。

 つまり、私の舌は“貧乏舌”って事ですな(涙)。

 さて、肝心の音楽の方は、こんな感じでした。

 リベラル・アンサンブル・オーケストラ、曽我大介(指揮)、一音入魂合唱団

 1)チャイコフスキー:スラブ行進曲
 2)ボロディン:オペラ「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」

 まず、オーケストラがめっちゃ上手かったのです。このオケはプロなの?アマなの?って思いました。アマにしては上手すぎるし、プロにしては情熱的なのです。プロとアマの良い部分を両方共に持っているようなオケでした。もしかすると、トラとしてプロが大量参加しているアマ団体とか? それにしても、チャイコフスキーの音楽には、これくらいの熱量高めの演奏がお似合いです。

 合唱も上手。特に女声がめっちゃ上手でした。男声は…上手なんだけれど、いかにもパワー不足な感が拭えませんでした。男女ほぼ同数のようでしたから、普通なら男声優位のはずなだけれど、男声にとって歌いづらい音域だったのかな? 終始女声優位な感じでした。まあ、女声はメロディなので、それはそれでアリですが、男声ファンとしては寂しかったです。

 と言う訳で、続きはまた明日。

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2017年5月13日 (土)

LFJ その1 ヴィオラ・ダ・ガンバのマスタークラス

 さて、今年もラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(以下LFJと略)が開催されました。私も例年のように、初日と最終日に参加しましたので、例年のように、自分の記録のために記事をアップしていきたいと思います。

 2017年の今年、私的にショックだったのは、パソナがエリアコンサートに不参加だった事です。いやあ、ほんとにショックで、パソナのコンサートが無くなったんだから、今年はLFJそのものに行くのを止めてしまうおうかと思ったぐらいです(マジです)。

 もっとも、パソナコンサートが無くなったと知った時点で、すでに有料コンサートのチケットを購入していたので、泣く泣く出かけたのですが、もしも有料コンサートの販売以前に知っていたら、本当に行かなかったかも…それくらいショックな出来事でした。

 ここ数年、私にとって、パソナコンサートありきのLFJだったからなあ…。

 さて、気持ちを切り替えてゆきましょう。

 LFJの初日の初っ端は…ヴィオラ・ダ・ガンバのマスタークラスに行きました。先生は、フィリップ・ピエルロ先生です。

マスタークラス(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

 初回のマスタークラスって、10時半開始で、整理券はその90分前の9時から配布で、例年は朝9時に行って整理券をもらっていたのですが、今年は1時間遅れの10時に整理券を貰いに行きました。1時間遅れの登場ってのは…それくらい、例年とは私のテンションが違うって事ですね。30分前に行って、整理券がもらえなかったら見なくてもいいや…くらいの低いテンションだったわけです。…でも、30分前で整理券をもらえちゃったので、例年通り、マスタークラスを見ることが出来ました。

 演目は、マラン・マレ作曲(誰?)の『ヴィオール曲集第3巻 組曲ト長調』の中から『壮大なアルマンド』と『クーラント』の2曲でした。

 曲的には全く知らない曲だったし、曲もそんなに面白いものでもなく、正直生徒さんの演奏にもワクワクしませんでした。ただ、ヴィオラ・ダ・ガンバという珍しい楽器の音楽が聞けたことが収穫かな?

 ヴィオラ・ダ・ガンバと言うのは、古楽器の一種で古楽で用いるチェロのような楽器です。弦は7本で、指板にはフレットがあります。弦が7本と言う事は、かなり音域も広そうです。実際、課題曲の演奏では、先生との二重奏(先生が低音部、生徒さんが高音部を演奏)でしたが、広い音域を縦横無尽に使った感じが、面白かったですよ。

 まず先生は、弓の使い方を丁寧に教えていました。

 弓の全幅をきちんと使い切る事。弓は大胆に大きく使う事。そして、フレーズを弾き終わったら、弓を弦に押し付けたままにせず、弓を空に飛ばす事など、音を生き生きとし、部屋の残響を活用する方向の指導をしていました。また、フレーズの中に、メロディと伴奏が混ざっているのですが、メロディの部分は弓をたっぷり使い、伴奏の部分(装飾的な経過音が多い)では、弓をほんのちょっとだけ使うなど、メロディとそれ以外の弾き分けも注意していました。

 左手の指導もしていました。

 どうやら生徒さんは(癖なんでしょね)フレットの直上に指を置いて弾きがちで、これのせいで、どうも音がくぐもるようなんです。何度も先生に注意されていました。それを先生は注意するために、和音を弓でなく、ギターのように爪弾いて弾いてみせたり、プリングオン/オフをやらせてみたりしていましたが、どうにも上手く行かなかったみたいです。

 私が見るに、生徒さんはヴァイオリンから転向してきて、ヴァイオリンの奏法が抜けていないのではないかと思いました。と言うのも、フレットの扱いがなんともぎこちないんですよ。ヴィオラ・ダ・ガンバはフレットがあるので、むしろ左手はギター的な使い方をしないといけないのです。

 ヴァイオリンとギター。その左手の動かし方は似ているようで、実はかなり違うんですね。私は両方弾くので分かるのですが、ほんと、ちょっとした感覚が全然違うんです。実際、私もヴァイオリンに熱心に取り組んでいた時は、リードギターが弾けなくなっていましたもの。それくらいに違うんです(リズムギターはコード奏法なので、演奏に支障なしでした:笑)。でも、ギターに夢中になっている時でもヴァイオリンは弾けるんですよ。つまり、ヴァイオリン→ギターは難しいのですが、ギター→ヴァイオリンはさほど大変でもないのです。まあ、これは私に限った事かもしれませんが、面白いですね。

 ちなみにヴィオラ・ダ・ガンバは、フレットがある事からも、左手はかなりギターに近いんですね。どうも、そこに生徒さんは苦労しているみたいでした。

 クーラントでは、三拍子のリズムの取り方を注意してました。クーラントは舞曲ですから、強拍の置き方が大切で、機械的な三拍子では全くダメで、だからと言ってワルツのようなリズムの取り方をしてもダメ。つまり、楽譜を見て、そのまま演奏してもクーラントにはならないわけで、じゃあクーラントをどう演奏したら良いかと言えば…クーラントを踊ってみて、そのリズム感覚で弾かなきゃダメみたいで、先生は一生懸命クーラントの動きとそのリズムを教えてくれてました。

 だってねえ…日本人の我々にはクーラントという踊り、踊るチャンスどころか、踊っているのを見ることだって難しいよね。そりゃあ手取り足取りにあらざるを得ません。

 でも、舞曲は実際に踊ってみないとリズムが分からない…と言うのは、きわめて正論だなって思いました。逆に言えば、ダンサーの動きが分かれば、舞曲はノリノリに弾けるわけで、そこが観賞用の音楽と、実用音楽の違いなんだなって思いました。

 時代様式の問題でしょうか、生徒さんは(ヴァイオリン奏法的に)ヴィブラートを付けたがるのですが、それは先生に止められていました。ヴィオラ・ダ・ガンバが活躍したバロック時代、ヴィブラートはあまり使わなかったようです。ヴィブラートの代わりに、クレシェンド&ディミヌエンドを多用して音を膨らませていたようです。ヴィブラートを多用するとロマン派ってぽい音になってしまうんだそうです。

 ヴィオラ・ダ・ガンバなんて、おそらく一生演奏するチャンスの無い楽器だけれど、こうしてレッスン風景を見せてもらうと、知的好奇心が刺激されるものです。

 続きはまた明日。

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2017年5月12日 (金)

合宿に行けたらいいね

 少し前の話になりますが、フルートのレッスンに行ってきました。とにかく、行くだけ行く。例え自宅でロクに練習していなくても、私は勇気をもってレッスンに行った私だったのです。

 実は先生、前の生徒さんと私のレッスンの間に(幾人の生徒さん達がレッスンをお休みしてしまったため)なんと4時間もの空き時間があったんだそうで、たっぷり自分の練習してしまったのだそうです。

 「いつもは、スキマの時間…例えば1時間とか2時間ずつしか練習しないんだけれど、4時間もまとめて練習をすると、疲れるね」と言ってました。ちなみに先生は、普段は朝の体重と夜の体重が、だいたい2Kg違うんだそうです。それはなぜかと言うと、暇さえあれば一日中フルートを吹いているからだそうです。

 「フルートを吹いていると体力使うんだよね。見た目は楽そうに吹いているけれど、ちっとも楽じゃないからね…」と言ってました。確かにそうだけれど、それでも2Kgの差は凄いよね。

 さてレッスンですが、ロングトーン練習はバッチリでございました。

 エルステユーブンゲンは、未だに20番と21番です。

 「ロクに練習していませんので、暗譜も出来てません」と自己申告したところ「メトロノーム通りに吹ける?」と尋ねられたので、さすがにそれは出来るので(実は前回と前々回のレッスンでは、メトロノーム通りのテンポでは吹けなかったのです)、規定の速度で演奏しました。まあ、20番にせよ、21番にせよ、少しずつでも練習はしているので、ちょっとずつは上達しているようです。

 練習はちょっとずつでもやっていると上達するようですね。うっかり、練習をサボり続けると、途端に下手になります。不思議ですね。

 プチエチュードは16番です。自分で書くのもなんだけれど、結構ミスなく吹けるようになりました。今まではテンポキープが難しくて、メトロノームとお友達になって吹いていたのですが、今回はいよいよメトロノームは外して、自分のテンポ感だけで吹きました。案外イケるものです。

 今回からは、装飾音符を入れることになっていたので、頑張って入れてみたのですが、やっぱり装飾音符は難しいね。

 ところで私は知らなかったのだけれど、トリルが付いている音符がタイで次の音符につながっている場合、トリルは前の音符だけにかかるのか、それともタイでつながっている次の音符までトリルを続けるのか…皆さん、知ってましたか?

 私は知りませんでした…ってか、誤解していました。私はタイって音符の足し算で、付点音符で書いてもいいのだけれど、読譜がしやすいようにタイを使っているんだと思ってましたので、タイでつながっている音符は実質、長い音符のようなもの…と思っていたので、当然トリルは次の音まで掛けていたのですが、先生曰く、それはちがう…のだそうです。

 トリルはトリルが書かれている音符までで、タイでつながった先の音符にはトリルは掛からず、音の動きは止めなきゃダメなんだそうです。うひゃー、知らなかったよ。

 とにかく、トリルを始めとする装飾音符はまだまだなんです。

 さて、今回の雑談は…合宿に行きましょう、です。

 合宿の案内プリントをいただきました。今回は40回目の合宿でアニバーサリーなんですね。まあ、それはともかく、私、前回合宿に行って、色々と学んだし、何より楽しかったので、やっぱり今年も合宿に行きたいのですが…今のところ、仕事を調整しているところです。去年は運良く、仕事と仕事の狭間で合宿に行けたのですが…今年はどうなるのか、ちょっと不安ですが、なるべく合宿に行きたいなあ…なんて思ってます。

 合宿に行くと、一日中、ずっとずっとフルートを吹きっぱなしです。イヤになるほどフルートを吹きます。実際、私はイヤになってしまったわけだし、その当座は「飽きるほどフルートを吹いて、本当に飽きちゃうなあ」なんて思っているわけだけれど、やはりそれからしばらくして、合宿での集中練習の良さを感じるようになります。やはり、あれだけ集中してずっとずっと練習していると、ブレイクスルーがあるみたいです。すぐには気づかないけれど、間違いなく上達してますよ、これ。今、私はそれを実感していますもの。やはり、合宿ってすごいわあ。

 そんなわけで、今年の合宿にも行きたい私です。

 問題は…仕事だけでなく、声楽の発表会の直近にフルートの合宿があるので、フルートと声楽の両立ができるかな?という不安も無きにしもあらずだったりするのです。へへへ。

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2017年5月11日 (木)

テクニカルに歌ってください

 さて、声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。ティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」です。

 まずはピアノのような音程の取り方で歌ってはダメだと言われました。音符間の音程の移動はピアノのようなデジタル的な移動ではなく、音符と音符を滑らかにつないで移動をするのです。大げさに言えば、すべての音符にポルタメントをかけていくつもりで歌うのです。いやいや、音符間のみならず、白音符等は音符のうちに、すでに次の音符へのポルタメントを始めるくらいの勢いで、滑らかに滑らかに歌っているわけです。

 音程とは“音の色の違い”であると感じる人がいるそうですが、そうならば、白音符内のポルタメントは、音符の中で音の色を変えていくようなモノです。

 クレシェンドやディミヌエンドもなるべく掛けていくようにしましょう。楽譜に書かれているものは当然として、その他にも感情の赴くままに掛けていきましょう。つまり、今の私の歌い方は、ちょっとパキパキしすぎていて面白くないので、あれこれ人間味を加えていきましょうって事です。まあ確かに、ちょっと歌い込みが足りなくて、面白みにかける歌い方になっている点については自覚しています。

 (高い)E-E-Gのフレーズでは、Gを発声するために準備をしていくわけだけれど、その準備をちょうど良いタイミングでしないといけません。Gになってから行うのは、もちろん遅すぎます。だからと言って、その手前のEが始まる前とか、始まった直後では、今度は準備が早すぎます。しっかり(手前の)Eを発声してから、準備を開始し、準備が完了してからGを出す…のがベストなタイミングなので、そのタイミングを逃さないようにしないといけません。以前は「準備が遅い」と注意されつづけていた事もあって、最近は準備を早めにするように心がけていたのですが、その準備がどうやら早すぎる傾向にあって、注意されたようです。もちろん、この場合の準備とは、腹筋を入れるタイミングと、上アゴを上げていくタイミングの事を言います。ちなみに、私は上アゴを上げるのが、ちょっと苦手なために、少し早めに準備を開始してしまうようです。

 ヴェルディ作曲の歌劇「椿姫」のテノールアリア「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」を少しだけやりました。少しと言うのは、前半部のレチタティーヴォの部分を指します。

 この部分で気をつける事は“一度アクセルを踏んだら、踏みっぱなしにする事”です。つまり、腹筋をグイと入れたら、しばらくは入れっぱなしにして、決して緩めないって事です。これ、結構大変です。とにかく、休まない事が肝心です。緩めてしまうと、もうアクセルを踏むことができなくなってしまうので、とにかく休まずにアクセルを入れっぱなしにするのです。

 音程正しく歌うことは大切だけれど、今回は音程の事は考えずに、ひたすらアクセルの事だけを考えるように言われました。音程は気にせずとも、アクセルさえきちんと踏めていけば、音程問題はあとからでも、どうにでもなるようです。まずはテクニカルに歌う事です。音程優先のあまり、勢いで歌ってはいけません…って事ですね。

 さて、今回は知らない人のために、マキシムの歌を貼っておきます。これ、英語歌唱なんですよ。もっとも、私が歌う版とは歌詞違いですが(訳詞なので、あれこれバージョン違いがあります)英語で歌った時の雰囲気が分かると思います。

 なかなかアルコール臭い感じでしょ?

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2017年5月10日 (水)

カミーユとダニロを歌います

 話は4月の下旬、ゴールデンウィークの一番最初の日になりますが、声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは、発表会の曲を決めました。先生には事前にメールで連絡をして了承を得ていましたが、決定は実際の楽譜を見てから決めましょうというわけで、楽譜を持っていきました。

 で、レハール作曲の『メリー・ウィドウ』を歌うことにしました。

 問題は何語で歌うか?って事ですね。これ、原語はドイツ語なんですが、プロでもドイツ語で歌うことは少ないんですよ、だってオペレッタですから。大抵の場合、この曲は現地語で歌われます。だから、ここ日本では日本語で歌われる事が多いです。もっとも、外国の歌劇団がやってきて上演する時は、その歌劇団のお国言葉で歌われることが多いです。ドイツ語圏の国ならドイツ語上演だし、フランス語圏ならフランス語、英語圏ならば英語で歌われます。だから、言葉に関しては、割りと自由に考えてよいのではないかと思います。

 で、私達は何語で歌うべきか…と考えた時、真っ先に思ったのは、やっぱり“日本語”だけれど、日本語歌唱って母国語歌唱であるので難しいだよね。それに母国語で歌う“こっ恥ずかしさ”というのもあり、色々と考えて、英語で歌う事にしました。

 英語歌唱なら、ドイツ語はもちろん、イタリア語ほど苦労はしないし、英語の歌ならジャンルを問わず浴びるほど聞きまくっているので、歌うにも苦労はない。それに英語なら、楽譜も音源も演技画像も入手しやすいしね…ってわけで、先生に「メリーウィドウを英語で歌いたいです」と申し出て、OKをいただいたわけです。

 歌うのは、以下の4曲です。

No.2  A Dutiful Wife/従順な妻(ナタリー&カミーユ)
No.4  Maxim's/マキシムの歌(ダニロ)
No.7b Vilia/ヴィリアの歌(ソーニャ)
No.17 I love you so/メリー・ウィドウ・ワルツ(ソーニャ&ダニロ)

 英語版なので、役名がドイツ語版(日本語版)とは異なります。とは言え、男性陣のダニロとカミーユは、そのままです。カミーユなんて、スペルからすれば“カマイル”になってもおかしくないのですが、ひとまずそのままです。

 女性の名前はガラッと変わります。主役のハンナはソーニャに、ヴァランシエンヌはナタリーになります。ほぼ別人です(笑)。

 私はカミーユとダニロの二役を歌います。カミーユもダニロもテノールの役ですが、ダニロはバリトンでも歌う役…ってか、昨今の上演ではむしろバリトンが歌う役なので、音域的には“高音が苦手なテノール”向けの役となり、私的には好都合なのですが、カミーユは純正テノールの役なので、かなり高音がビシバシ出てきます。一応、数カ所の高音に関しては、レハール自らがフレーズを2つずつ用意しているので、私は低い音でもOKなフレーズで歌うつもりです。とにかく、鬼門はナタリーとカミーユで歌う二重唱かな? この曲に全力投球するつもりです。

 まあ、鬼門と書きましたが、本来的な目的は、実はこの二重唱を歌うことです。これが歌いたいので『メリー・ウィドウ』を選曲しました。でも、この曲はそんなに有名な曲でもないし『メリー・ウィドウ』と言えば、アレとアレでしょ!って事で、独唱曲も同じ『メリー・ウィドウ』から選んだ次第なのです。

 独唱曲はダニロとして歌います。で、ダニロの歌は歌唱面ではなんとかなるでしょうが、マキシムの歌は泥酔しながらの歌なので演技が求められるし、ワルツは実際に踊りながら歌うのでダンスの練習(ウィンナーワルツ)が必要になります。まあ、歌と合わせて、そちらも練習してなんとかしましょう。

 さて、レッスンです。最初はハミング練習からです。一音一音差をつけながらレガートに発声する練習をしました。一音一音差をつけるには、一音一音きちんと顔を開いていき、レガートに歌うにはしっかりと腹筋で息を支えていくわけです。腹筋で息を支えるのも難しい私が、顔を開きながら歌うというのは、かなりの至難な技となりました。もっとも、まだ“顔を開く”ってのがよく分かっていない私なんだけれど…ねえ。

 発声練習になりました。発声練習はほぼ筋トレ状態です。涼しい部屋で汗みどろになって発声しました。一音ずつ腹筋を入れる、フレーズごとに腹筋を入れる、フレーズの頂点を目指して腹筋を入れ、頂点を過ぎたら腹筋を緩めながら歌うなど、様々な腹筋の入れ方のパターンを練習をしました。ああ、シンド。

 合わせて、顔を開く練習もしましたが、顔は高いGまでは順調に開いているそうですが、それがA♭やAになった途端に閉じてしまうのだそうです。そんなつもりは毛頭ないのだけれどなあ…。だからA♭より上が苦手なのだな。ああ、くまったくまった。

 さて、知らない人のために、カミーユとナタリーの二重唱…ってか、ヴァランシエンヌとカミーユの二重唱を貼っておきます…原曲のドイツ語歌唱ですが(笑)。

 音楽は…おしゃれな二重唱でしょ?

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2017年5月 9日 (火)

メトのライブビューイングで『イドメネオ』を見てきたよ

 メトロポリタン歌劇場のライブビューイング(松竹系映画館で上映中)で、モーツァルト作曲の『イドメネオ』を見てきました。キャスト等は以下の通りです。

 指揮:ジェイムズ・レヴァイン
 演出:ジャン=ピエール・ポネル

 イドメネオ:マシュー・ポレンザーニ(テノール)
 イダマンテ:アリス・クート(メゾソプラノ)
 イリア:ネイディーン・シエラ(ソプラノ)
 エレットラ:エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(ソプラノ)

 まず、このオペラは、モーツァルトが残した、数少ない“オペラ・セリア”であるという事です。実はモーツァルトのオペラで有名なのは、ほぼ“オペラ・ブッファ”だったりします。『フィガロの結婚』しかり『ドン・ジョヴァンニ』しかり…です。

 まあ、セリアとブッファの違いは、能楽で言えば“能”と“狂言”のような違いと言えます。つまり、シリアスものとコメディものの違いってわけです。

 つまり、モーツァルトって、コメディ作家として有名なんだけれど、じゃあシリアスものが苦手なのかと言えば…別にそうではなくて、彼もプロの作曲家だから、オペラ・セリアの依頼があればオペラ・セリアを書き、オペラ・ブッファの依頼があればオペラ・ブッファを書くわけで、全盛期の彼のところにはブッファの注文が殺到、セリアの注文がほとんど来なかっただけの話です。

 ちなみに、モーツァルトとほぼ逆の立場だったのが、ヴェルディです。彼の場合、彼の資質や好みももちろんあったのだろうけれど、彼の元にはオペラ・セリアの注文ばかりがやって来て、ブッファが求められなかったので、ヴェルディの作品の大半はオペラ・セリアなわけです。ちなみにヴェルディはブッファも書きたかったので、最晩年に『ファルスタッフ』というブッファを書いたわけです。

 モーツァルトのセリアとして有名なのは、やっぱり今回の『イドメネオ』です。これは彼が24歳と言うから、全盛期入り口の時期の作品です。翌年には『後宮からの逃走』を書いているしね。悪いわけがありません。

 モーツァルトのセリアには、他に2作品あります。『ポントの王ミトリダーテ』と『皇帝ティートの慈悲』です。彼が長生きをしていれば、もっともっとオペラ・セリアを書いたかもしれません。もしもそうならば、ワーグナーが行ったオペラ改革をモーツァルトが行っていたかもしれません…とまあ、想像ならばいくらでも言えますが、事実としてモーツァルトのオペラ・セリアは『イドメネオ』を含めても、3作品しかありません。

 『ポントの王ミトリダーテ』は彼が14歳の時の作品です。天才モーツァルトの作品とは言え、14歳の少年の作品です。

 もう一つが『皇帝ティートの慈悲』ですが、これは彼の最晩年の作品であり、『魔笛』を作曲中に、急ぎで作曲(たった18日間で作曲終了)したとか、レチタティーヴォの一部は弟子のジュースマイヤーが書いているとか、まあ色々と言われている作品です。

 そういう点では、ケチのつかない、唯一のオペラ・セリアが『イドメネオ』だったりするようです。実際、モーツァルトは『イドメネオ』に大変な自信があって、当時はあっちこっちに売り込みをかけています(が、当時はまだ作曲家としては駆け出しだったので、うまくいかなかったようです)。

 それにしても、モーツァルトのオペラ・セリアがなかなか上演されないのは、別に作品がダメだから…ってわけではないと思います。おそらくは…カストラートの問題でしょう。当時のオペラ・セリアにはカストラートは欠かせない歌手だったからです。

 実際、『イドメネオ』の初演にもカストラート歌手が登場しています。主役のイドメネオと、彼の息子のイダマンテは、カストラート歌手のために書かれています。もちろん、モーツァルトは彼らが演じる前提(つまりアテ書き)でオペラを完成させています。

 カストラートは、現在は存在しない声の歌手であり、現在はカストラート歌手の役は、カウンターテナーかメゾソプラノかテノールが歌いますが、それはあくまでも代用であって、いずれもカストラートの声ではないわけですから、色々と難しいわけで、それがセリアの上演を阻んでいる原因の一つになっていると思います。

 実際、初演の時はカストラートに歌わせたイドメネオとイダマンテの二役ですが、それでは上演が色々と難しかったようで、再演の時は、モーツァルト自らがこの二役をカストラートからテノールに変更して歌わせています。まあ、モーツァルトが活躍していた18世紀末ですら、すでにカストラート歌手に歌わせるのは、かなり難しい状況だったようです。

 ちなみに『イドメネオ』は、現在の上演では、イドメネオはテノールが、イダマンテはメゾソプラノまたはテノールが歌うのが通例です。ちなみに、パヴァロッティは若い時にイダマンテを歌い、キャリアの後半時期にはイドメネオを歌っていました。今回のメトの上演では、イドメネオをテノールが、イダマンテをメゾソプラノが歌っているわけです。

 実は私、メト版を見る前に家で『イドメネオ』の予習をしていたのですが、その時は『イドメネオ』にあまり良い印象を持っていませんでした。と言うのも、話もなんとなく分かりづらいし、音楽的にはダラっとして、とっ散らかっているような気がしたからです。しかしメト版を見たら『イドメネオ』が好きになりました。

 まずポネルの演出がとても分かりやすい演出で、これを見ると、オペラのストーリーがとても良く分かります。さすがはメトのオペラです。あと、レヴァインの音楽づくりも、メリハリを効かせていて、音楽がキビキビしています。

 あれこれ予習せずに、いきなりメト版を見ても良かったかもしれない…と、今は思ってます。メト版の『イドメネオ』は実に良い出来です。おかげさまで、今となっては『イドメネオ』は、モーツァルトのオペラの中でも、好きなオペラになったかもしれません。少なくとも『フィガロの結婚』よりも好きかも(笑:実は私『フィガロの結婚』があまり好きではありません)。

 とにかく、このオペラ、テノールがたくさん出演します。主役のイドメネオはもちろん、脇役のテノール(イドメネオ王の腹心、アルヴァーチェ)にも、立派なアリアがあったりします。またアリアはなくても、ストーリーのキーパーソンの一人、大司祭もテノールが演じます。メト版ではイダマンテはメゾでしたが、上演によってはイダマンテもテノールが演じますから、そうなると、舞台上の男性はほぼテノールになります。ああなんと、『イドメネオ』って、テノール三昧が出来ちゃうオペラなんですよ。ちなみに、女性はほぼソプラノだから、ソプラノとテノールばかりのオペラなんです。

 今回のメトの話に戻ります。

 イリアを歌ったネイディーン・シエラは、どこの国の人かは分からないけれど(でもカラードです)、声もテクニックもハイレベルだし、すごい美人です。年も驚くほどに若い(たぶんまだ二十代?)ので、これからが楽しみな有望なソプラノさんです。

 歌唱面では、エレットラを歌ったエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーが、頭一つずば抜けていたと思います。とにかく、彼女の歌を聞くだけでも『イドメネオ』を聴く価値があると思います。

 イダマンテを歌ったアリス・クートは悪くなかったけれど、やはり私的には、イダマンテはテノール、またはカウンターテナーに歌ってほしかったな…と言うのも、イダマンテという青年は、これで結構骨のある若者なんですよ。オペラには視覚も大切なわけで、そんな骨太青年をオバサン歌手にやらせちゃダメでしょ。私はそう思いますよ。

 ポレンザーニは良かったと思います。モーツァルトを歌うテノールは、パワーよりも美声が必要だ…と改めて思いました。ポレンザーニって、なかなか良い声しているなあ。

 それにしてもレヴァインって、今年何歳なんだろ?(今年73歳です) 幕間にドキュメンタリーを上映してたけれど、昔製作されたドキュメンタリーフィルムなんだけれど、そこに出てくるレヴァインが若い若い。

 今回、ホストをしていたエリック・オーウェンが、舞台ウラでネプチューンを歌ったそうですが、登場時間はなんとたったの2分なんだそうです。それもオペラの最終場で歌うだけなので、番組のホストもできるわけです。

 とにかく、ほんとのほんと、今回の『イドメネオ』はお薦めです。ただし、上演時間は4時間半の長丁場だから、見に行くなら、覚悟が必要かもね(笑)。でも、私は全然長くは感じなかったよ。

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2017年5月 8日 (月)

こんな大涌谷は、私の知っている大涌谷じゃない!

 まだまだブログ休止期間中に書き溜めた記事(特にレッスン記事)はあるのですが、それはまた次の機会にして、今回は、ゴールデンウィークの初っ端に、箱根の大涌谷に行ってきた事をアップします。

 大涌谷、ほんと久しぶりです。息子君が小学生低学年ぐらいまでは、箱根に頻繁に通っていた私なのですが、ここ数年は、ゴールデンウィークと言えば、ラ・フォル・ジュルネに行くようになってしまいました。また、その他の季節にせよ、オペラを見たり、コンサートに行ったりと、東京方面に出かける事が増え、それに加え、定宿にしていたホテルが建て替えして、料金がググンとアップしたり、さらに大涌谷で噴火が起きて、しばらく箱根山に入山禁止になっていたりとか…なんとなくここ数年、箱根から足が遠ざかっていた私でした。

 でも先日、ブラタモリで箱根を取り上げていて、それで箱根愛が再燃してしまい「せいやー!」って感じで箱根に行ってきました。

 そんな久しぶりの箱根は、あれこれ色々と変わっていました。

 まず変わってしまったのは…大涌谷です。これ、私が知っている大涌谷ではありません。

 まずは、ロープウェイと駅が変わってしまいました。まあ、これは、いわゆるアップグレードですから、変わっても許します。でもね、大涌谷が駅周辺で終わりなんですよ。そこから先が無いんです。これはショックでした。

 以前は、駅から、遊歩道があって、イオウの臭いを満喫しながら噴出地を歩き、地熱と噴煙の中で黒玉子を食べたものです。それが今は、駅から出たら、駅の隣の土産物店で売っている黒玉子を食べて、駅の側の谷(遠くで噴煙が上がっています)を遠くから見るだけです。かつては煙にまかれながら散歩したり、足元で地下水がグラグラ沸騰して、すぐ目の前で黒たまごを茹でていたのを見物できたのに…。イオウの臭いだってプンプンしていたのに…。ああ、味気ない。

 こんな大涌谷なんて、大涌谷とは認めないよ! 私の大涌谷を返せ!

 まあ、人命優先、安全第一だけれど…ねえ、でもこれじゃあ物足りないよ。ああ、情けない。ああ、寂しい。

 でも、相変わらず、黒玉子は美味しかったよ。

 変わったと言えば、箱根湯本駅周辺もガラッと変わりました。私が知っている箱根湯本駅は、ほぼ、第三東京市駅だったのに、今や、そんな風情なんてゼロです。ちょっと残念ですが…これもアップグレードのようなものだから勘弁します。

 アップグレードと言えば、須雲川のほとりにある、私が定宿にしていたホテルにも、久しぶりに行きました。建物を建て替えたこともあって、全然趣が変わってしまいました。ひなびた田舎ホテルだったのが、立派な観光ホテルに生まれ変わっていました。以前は、お客もまばらでのんびりしていたのに、今や人があふれ、とても賑々しくなっていました。

 肝心の温泉は、内湯しかなかったのが、広くて大きな野天風呂となり、開放的で良い感じになりました。相変わらず、お湯は良かったです。水は美味しかったです。以前ほどではないけれど、のんびりできました。

 やっぱり、箱根っていいなあ。今回のお宿以外にも、かつて通った日帰り温泉たちにも挨拶したくなりました。また、箱根に通おうかな…。

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2017年5月 7日 (日)

思わず、ほっこりしてきました

 先日、ポケモンGOをするために、電車に乗って、あまり馴染みのない集落に行ってきました。ポケモンGOってのは、ある意味、陣取りゲームなわけですが、その集落は私の所属するチームがブイブイ言わせている集落なので、ひとつご相伴に預かれるとうれしいなあ…という気持ちで行ったわけです。

 まあ、馴染みが無いと書きましたが、全く馴染みがないわけではなく、実は私の墓がある地域で、墓参りを兼ねてのポケモンGOだったりするわけだったりはします。

 とにかく、広い広い公園墓地があるような場所ですから、とても都会的な場所ではなく、見渡す限り緑色な地域でして、そんな地域をスマホ片手に妻と歩いていたわけです。

 とある集会場の前を通り過ぎようとした時に「お花、見ていきませんか?」と声を掛けられました。その集会場で、近隣の婦人会の有志のサークルに、生け花と陶芸のサークルがあって、その団体の発表会が、その集会所でやっていたわけです。

 私は、花の事も、陶芸の事も分からないので、正直、遠慮したい気持ちだったのですが、客引きのおばあちゃんの笑顔に負けて、お花を見に集会場に入りました。

 素人さんが焼いた花瓶やお皿に、素人さんが花を活けているわけです。ですから、街なかでよく行われている“生け花展”とは、だいぶ勝手が違いました。

 まず、活けられている花が…なんとも身近なんですよ。一部は近隣に咲いている野の花だろうと思うし、花屋さん経由で入手したと思われるモノも、割りと地味めの花が中心で、全然派手さがない生け花なのです。

 おまけにそれらが飾られている花瓶にせよ、お皿にせよ、皆小ぶりでイビツで、なんともほのぼのとした器ばかりなんです。

 ほのぼのした器に派手さのない花々…と書くと、なんとも冴えない感じがすると思うでしょうが、それが案外グッと来るというか“控えめの美”というか、全体的になんとも“おしとやか”だったんです。

 こういう生け花もいいなあ…と思いました。

 さらにおもてなしとして、お抹茶と手作り羊羹をいただきましたが、それもとても美味しかったです。ただ、集会場の前を通り過ぎただけなのに、思わず、気持ちがほっこりしてしまいました。

 プロの生け花はもちろん良いのですが、アマチュアの生け花も、プロには無い味があって、悪くないなと思いました。

 ああ、これは音楽にも言える事なのかもしれないって思いましたよ。

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2017年5月 6日 (土)

食べている間は無呼吸じゃないの?

 私、常々不思議に思っている事がございます。それは『金魚って食べている時は息をしていていないの?』あるいは『食べている時に、なぜむせないの?』です。

 と言うのも、金魚って我々と違って鼻が無いでしょ? エサを食べるにしても、息をするにしても、両方共クチを使っているわけです。つまり我々的に言えば“年中鼻が詰まってクチ呼吸している人”と同じ状態なのです。

 私もずっと以前、まだ花粉症が世間的に認知されていなかった頃、毎年春先になると、鼻が詰まって詰まって、それはもう毎年ひどい状態になっていました。当時は、花粉症の事を“春風邪”と呼んでました。「春風邪はバカはひかない」と言って、毎年春風邪をひく自分は、ひかない周りの愚民たちに対して、ちょっぴり優越感みたいなものを感じていたりいなかったりしていましたが、だからと言って、風邪薬を飲んだからと言って、症状が良くなるわけでもなく、毎年ヒドイことになっていたわけです。

 よく両方の鼻の穴が詰まってしまい、口呼吸を余儀なくされることも、ままありました。あれは苦しかったなあ…。

 とにかく、普通にしている時は、クチで呼吸していても、そんなに困ることはありません。せいぜい、やたらとノドが乾燥して困るってぐらいです。でも、食事の時は…はなはだしく困りました。だって、モノを食べる時って、クチが食事に使われてしまうので、息が出来ないじゃないですか? そりゃあ苦しかったですよ。

 金魚はクチでエサを食べ息をしているわけだから、エサを食べている時は無呼吸状態になって、苦しくはないのでしょうか?

 鼻が詰まっていながらも食事をすると、どうしても息苦しくなります。それで、やむを得ず、クチ開いて、食事と呼吸の両立は図ると…たいてい食べ物が気管に入って、むせます。金魚とて、クチから入ったエサは食道に行きますが、呼吸のために取り込んだ水はエラに行くわけで、それぞれ行き先が異なるわけで、うっかりエサがエラに入っていったら…むせないのかしら?

 なんて、思いながら、水槽のドジョウを見ていたら、ちょうど食事中でした。水槽の水底に沈んでしまったエサをモツモツと食べています。で、その様子をじっくり観察していたら、ときおりエラから砂利がボコボコ出てくるじゃないですか? つまりドジョウは、水底に沈んだエサを食べるとき、エサも砂利も一緒に吸い込んで、エサは胃袋へ、その他のモノ(砂利も当然含みます)はエラの方に行くようです。で、そのままエラ経由で外へ排出されてしまうようです。

 人間ならば、むせてしまう状況でも、彼らは平気なようです。

 考えてみれば、人間にはエラがないから、誤って気管に入った異物は、一度クチに戻してから処理をしないといけません。なにしろ呼吸器官は閉管になっていますからね。ところが金魚やドジョウなどの魚類の呼吸器官は開管なんですね。誤って気管に入ってしまったものは、そのまま気管から外へ排出してしまえばいいわけで、人間のようにむせかえって、異物をクチに戻す必要がないのです。

 つまり、彼らは食事中にむせる必要が全くないのです。

 ああ、うらやましいぞ。こんなカラダの構造なら、花粉症でも楽に乗り切れるに違いないです…ってか、彼らには花粉症は、そもそも存在していないんだっけ?

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2017年5月 5日 (金)

メガネは奢りましょう

 話はまたも4月の上旬頃となります。フルートのレッスンに行ってきました(笑)。今年度初です。レッスン休む事の多い私ですが、実はこの前回のレッスン日も忙しくてレッスン休むので連絡したら、レッスンそのものがお休みでした。いやあ、毎週レッスンに行っていれば、レッスンの休講日も知れるのに、あんまりレッスンに行かないので、休講も知りませんでした。まあ、いいけど。

 で、レッスンに行って、あれこれお知らせをいただきました。だって、めったにH先生と会えないからね…。

 夏合宿のお知らせもいただきました。去年、とても楽しかったから、今年も行きたいのだけれど…問題は仕事のスケジュールだな(涙)。

 さて、レッスンですが、いつものロングトーン練習はバッチリでした。H先生に習い始めの頃は、あんなに苦労したのに…いつのまにか上達しているんですね。

 エルステユーブンゲンは20番と21番です。日々忙しくて(当然?)練習などしていないので、暗譜は論外の私でした。暗譜どころか、20番はメトロノームで88の速度指定があって、それで吹けなきゃいけないのですが、久しぶりのフルートという事もあって、先生に60までテンポダウンをしてもらいました。いやあ、暗譜どころか、指が回らなくなっているという事実と直面しちゃったわけです。いやあ練習をしないでいると…いつのまにか下手くそになっているんですね。

 20番がこんなテイタラクだから、21番の出来も推して知るべしです。

 で、プチエチュードの方は、16番で、こちらは練習していない割に、案外吹けちゃいました。悪い癖が抜けたのかもしれません。まあ、そんなに速い曲でもないので、落ち着いて吹けばどうにかなるのかもしれません。

 先生からは「では、次回からは、もう少しテンポアップしてみようか? それとそろそろ装飾音符を加えて練習してきてください」です。いやあ、実はテンポが(先生の指定なのだけれど)規定のテンポよりだいぶ遅いんだな(汗)。それを規定のテンポに近づけましょうってわけだけれど、速度がちょっとでも速くなると、指ってからまるんだよね。あと、装飾音符って、付けた途端にタイム感とかリズム感とかが吹っ飛んでしまうから、厄介なんだよね。

 ま、そんなこんなで、とにかく練習しないとあきません…ってところで落ち着きました。

 さて、今回の雑談は…メガネです。

 先生がいきなり「君のメガネはいくら?」と尋ねられました。

 私、自分で買い物をする事って、ほとんどないから、自分が身に付けているモノの値段って知らないんだよね。私のメガネも、選ぶのは私だけれど、値札見ないし、支払うのは妻だから、ほんと、分からないんだよね。

 ただ、大手のチェーン店で購入したから、世間相場よりもだいぶ安いはずだけれど、一応、フレームはブランドモノだから、そこそこしたはず(ブランドモノだとは、購入してから妻から知らされたんだけどね。純粋に“カッコイイ”から購入したんだけれど、デザイナーズブランドだから、カッコイイにきまっているわけだ)。でも、私の場合、フレームよりも、レンズにお金がかかっているんだよね。

 私は、当然老眼だけれど、その他に、遠視もあるし、乱視もあるし、色々と考えた結果、遠近両用メガネ…ではなく中近両用メガネ(遠方はメガネを外せばいい事にしたので、中近両用メガネなのです)にした事もあるし、ブルーライトとかもカットしちゃっているし、薄いレンズにもしているし、まあ、とにかくそこそこお高いレンズにしたのです。なので、私のケースは、あまり参考にならないんだよね。

 先生、老眼の度が進んで、最近は楽譜がよく見えないので、メガネを新調しようと思っているそうなのです。

 先生の場合、楽譜がくっきり見えないのは死活問題なのだそうです。と言うのも、演奏の仕事に行けば、現場でその日の曲たちの楽譜が渡されて、それを初見で演奏する…のが普通なんだそうです。

 なんでも、プロは練習しないんだそうです…ってか、練習しないでも(初見でどんな曲も)吹けなきゃ仕事が回ってこないんだそうです。

 だからこそ、楽譜はいつでもくっきりはっきり見えないと困るんだそうです。「最近は、ダブルバーとナチュラルの見分けがつかなくて困るんだよね」との事ですが、それはさぞお困りでしょう。

 たぶん、先生の場合、メガネは経費で落ちるんじゃないかな? だって、仕事に不可欠な道具だものね。

 なんでも、(楽譜だけがはっきり見える)単焦点の演奏専用メガネが欲しいし、音楽家は案外多くの人が、演奏専用メガネを持っているそうなので、先生もいよいよそちらの世界にデビューしようかなってお考えのようなのです。

 だったら、安物に手を出しちゃダメだよね。フレームはおしゃれに、レンズは良いやつをチョイスしないとね。だって、商売道具なんだから、つまらない妥協はしちゃダメだよね。

 まあ、私は今のメガネが気に入っているので、もし度が合わなくなったら…今度はレンズだけ変えて、フレームは今のヤツを使い続けるつもりです。だって今のフレーム、カッコイイだけでなく、なかなか掛け心地も良いのですよ。

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2017年5月 4日 (木)

“気軽にオペラ”で『ラ・ボエーム』を見てきた

 約一ヶ月ほど前の話になりますが、横浜のみなとみらいホールの小ホールで毎年行われている“気軽にオペラ”シリーズの『ラ・ボエーム』を見てきました。廉価なお値段(全席指定で5000円なら、オペラとしてはかなり安い)で、ドレスコード無しの上、原語上演日本語字幕付きは、なかなかに優秀な上演だと思いました。もちろん、上演内容や歌手さんたちの実力にも大満足でした。

 なにゆえ、これほどの廉価な上演が可能になったのかと言えば…、一つにはオーケストラを止めてピアノ伴奏にした事。時代を現代に移し、近隣のアパレル(と言っても、みなとみらいだよ)から衣装の提供を受けている事。合唱団を使わずに、アンダーの若手が必要最低限の合唱を担当した事。ストーリーに不必要な場面や曲を大幅にカットして人員を大幅に削減した事…などが上げられます。

 フルサイズのオペラ上演にこだわる人には向きませんが、あっちこっちカットした事で経費節減をめざした上演と言えます…と書くと「なんだー(ガッカリ)」と思う人がいるかもしれませんが、カットは通常のオペラ上演でも普通に行われる事ですし、CDなどの録音でも珍しい事ではありません。オペラ(に限らず、長尺ものの音楽作品)と言うものは、様々な都合によって、通常はカットされたカタチで上演される事が多いのです。で、今回の上演では、通常よりもかなり多めにカットされたカタチで上演された…ってわけですね。それで経費を抑えた…ってわけです。

 さらに、オーケストラを止めてピアノ伴奏にした事は、費用的にかなり影響があるでしょう。なにしろ、ピアノならピアニスト一人のギャラで済みますが、オーケストラとなると百人の弦管打楽器奏者のギャラが発生します。これは大きいです。もっとも、オケであってもピアノであっても、指揮者は必要です。指揮者はギャラが高いし、ピアノ伴奏なんだから指揮者は不要…にしても良さそうですが、ボエームの音楽ってかなり複雑で、やはり現場を指揮者に仕切ってもらわないと、アンサンブルがぶち壊れてしまうタイプの音楽だから、ピアノ伴奏なのに指揮者が演奏に加わるのは、仕方がないのでしょう。

 大道具を最小限にするのは、日本のオペラ上演の基礎基本ですから、大道具に費用をかけないのは、改めて言うこともないのですが、それでも衣装や小道具って、結構かかるわけです。舞台専用の専門レンタル業者から衣装を借りてくるのが、日本では当たり前のようですが、衣装を専門業者からのレンタルでなく、協賛者から提供してもらえるなら、かなり費用は浮くわけで、アパレルさんたちが上演協力をしてくれるのは、オペラ上演にとってありがたいわけだし、アパレルさんたちの宣伝にも良いわけで、なかなかのWIN-WINな関係だと思いました。実際、私はオペラ終演後に、衣装協力をしたアパレルさんのロゴが気になって、どこにあるのか調べちゃいましたもの。

 合唱の問題は大きいです。ボエームの第二幕は合唱団の見せ場であって、大規模な混声合唱と児童合唱、脇役テノール(パルピニョール)の活躍、黙役の軍隊のパレードなど、派手でパリの華やかさを演出する場面ですが、ここがオペラ上演的には費用がかさむわけだけれど、この第二幕のこれらの場面をバッサリとカットして、これらの出番を不要にしてしまったのは、すごいと思いました。確かに、こういうやり方もアリと言えばアリですね。もちろん、第三幕の冒頭部の合唱のシーンもカット。こうやって、合唱の見せ場をカットする事で(合唱好きには残念だけれど)上演にかかわる人数を減らし、廉価な舞台を作ったわけです。、このやり方を思いついた人を、私は尊敬します(マジです)。

 だってね、なにしろ合唱って経費がかかるんだよね。人数が多いから、その分ギャラとしての支出が増えるのは、オーケストラと一緒なんだけれど、実は合唱に携わる歌手さんたちのギャラって、案外高いんですよ。上演によっては、ソロを歌う歌手さんたちよりも、合唱を歌う歌手さんたちの方が、ギャラを高めに設定してあったりするんです。これ意外でしょ? でも、割りとよくあるんです。おまけに仕事そのものもソリストよりも合唱の方が数が多いので、実は合唱メインで仕事をやっているプロ歌手さんって、ソリストさんたちよりも仕事としては成り立っているし安定していたりするわけです。まあ、合唱メインで仕事をするのも、なかなかの狭き門ではあるそうですが…。

 まあ、今回の上演は、オケや合唱の人員削減で実現した廉価版のボエームでしたが、歌の部分はホンモノなわけで、私はこういうオペラ上演が普及してくるといいなあと思いました。ここ数年継続されている“気軽にオペラ”シリーズですが、色々と大変な事もあるのでしょうが、来年も演目を変更して行って欲しいなあと思います。もちろん、私も見に行きますよ。

 最後に苦言をいくつか。たぶん、経費を節約するために、練習回数をかなり少なくしたんじゃないかなって思いました。と言うのも、ピアノと歌の息があまり合っていなかったのです。もちろん、これは歌手たちとピアニストの問題だけではなく、歌手たちと指揮者の問題でもあるわけです。ボエームって、ワーグナー以降の音楽であり、半分ぐらいは現代音楽だから、聞いた以上に複雑な音楽であり、これをバッチリ合わせるためには、それなりのリハーサル時間が必要だと思われるからです。歌手たちは割りとまとまっていたので、歌手たちと、指揮者やピアニストたちの合わせが不十分だったかな…って感じられた事です。とにかく、歌手たちはもっと前へ前へと行きたいのに、ピアノが(って事は指揮が)歌手たちに付いていくのに、やっとこさって感じだったからです。細かな事だけれど、ちょっと残念な部分でもありました。

 あと、字幕スーパーが付いていたのは、とても嬉しかったのですが、その翻訳が…字幕の字数制限もあるのだろうけれど、かなり意訳がキツく、ところどころ日本語として“?”な部分があった事です。言語明瞭意味不明な事も多く、読み流してしまう事もできるわけだけれど、なまじ引っかかってしまうと、途端に頭の中に“?”が湧き出るような日本語訳だった事。意訳も過ぎると別物になってしまうからね。そこも残念でした。

 でも、残念なのは、そのくらいかな? 後は大満足。私の中では、かなりの高得点な上演だったわけです。

 ほんと、来年も実施されるなら、ぜひ行きたいものです。

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2017年5月 3日 (水)

音痴には治る音痴と治らない音痴がある

 音痴…という言葉は、あまり好きな言葉ではありません。でもね、音楽…とりわけ歌をやる人にとっては、大きな悩みの一つであったりするわけです。なので、今回はあまり好きな言葉ではありませんが、あえて取り上げてみたいと思います。

 よく音痴克服術のようなモノがネットにも書籍にもありますが、実は世の中には、克服できる音痴と克服できない音痴…つまり、治る音痴と治らない音痴があります。

 治らない音痴は…ずばり、障害系の音痴です。ざっくり言えば“聴覚障害(難聴)”による音痴のうち、脳の病変のために難聴になっている人の音痴は治りません。脳の病変のための難聴…いわゆる“感音性難聴”の事ですが、これらの人は、音が聞こえなかったり、聞こえても変調して聞こえるので、正しい音程を適度な音量で聞き取ることが出来ないため、音痴にならざるをえないのです。

 一方“聴覚障害(難聴)”には“伝音性難聴”というモノがあります。こちらは外科手術が有効だったり、手術をしなくても補聴器の使用で難聴を克服する事ができます。補聴器の使用は、なかなか厄介な部分もありますが、これらの補助器具で楽しく音楽生活ができるのなら、取扱いに注意をしながら練習に励んで、音痴を克服しましょう。

 老化による難聴は、実は感音性難聴です。もっとも老人の場合は、脳の病変があれば話は別ですが、脳の病変がなければ、老化のために音を聞き取る力が衰えていくだけなので、表面的には伝音性難聴と同じようなものです。補聴器等の補助道具の使用で、難聴もある程度は克服できます。ただし、音を感じる力自体は衰えていく一方なので、ある時点まで来たら、音楽とは距離を置く必要が出てくるかもしれません。

 以上で治らない音痴の話は終わりです。これ以外の音痴は努力しだいで克服可能な音痴です。

 治る音痴にも色々なタイプの音痴がいます。

1)歌う筋肉が不器用なために音痴になるタイプ

 不器用…と言っても、多くの場合は、訓練不足が原因のようです。つまり、歌う経験が極端に少なくて、そのために任意の音を発声する感覚が掴みきれていないタイプです。ざザックリ言えば、ドの音を聞いて、ドの音を出そうと思っても、ドの音を出すための適度に筋肉を動かす事が(不器用なために)できないのです。これはもう…練習あるのみです。単純に経験値不足が音痴の原因ですから、とことん練習あるのみです。

2)歌い始めは良いのだけれど、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうタイプ。

 ドンドン狂う…と言っても、多くの場合は音が下っていくわけで、こういう人は厳密には音痴ではない事が多いです。と言うのも、相対音感をしっかり持っている人が多いんです。立派な相対音感を持っているにも関わらず、歌っているうちにドンドン音程が狂ってしまうのは、単純に呼吸法が悪くて、息の支えが足りなくて、自分で歌っている音が無自覚に少しずつ下っていくわけで、その下った音から次の音を導き出して歌うので、ドンドン音程が下がってしまい、結果として音痴になってしまうのです。

 これもやはり練習あるのみです。しっかりした呼吸法を学び、息をきちんと支えられるような筋肉を身につけられれば、音痴克服です。

3)歌い出しから常に音程がぶら下がり気味になるタイプ

 聞いていて、覇気がなく、なんとも居心地悪く感じる歌い方をする音痴がこのタイプです。これはノド声が原因による音痴です。単純に舌根や声帯周辺部に過剰な力が加わり、声帯が上手に振動できずに音程が下ってしまうわけです。リラックスしている時は、案外、正しい音程で歌えるのに、人前だとからっきし音痴になってしまうのが、このタイプなのです。これはもう、ノド声克服がそのまま音痴克服となるパターンです。

4)歌い出しから常に音程が不安定でどこに音程があるのか分からないタイプ

 実はこのタイプが真正の音痴です。歌い方としては、突拍子もなく音程を外して歌う人と、ほとんど音程の無いお経のような歌い方をする人がいますが、どちらも原因は同じです。単純に耳が悪いのです。

 耳が悪い…と言っても、難聴なわけではなく、生活音はしっかりと聞こえます。ただ、音楽として音を聞くのが苦手なタイプであって、音の分解能や認識力が大きく不足しているために、音程の認識が甘くて音痴状態になってしまうのです。

 多くの場合、音楽的な経験が圧倒的に不足している事が原因となっているようです。まあ、このタイプの人が音楽を趣味にするというのは、通常では考えられませんが、人間って分かりませんからね。今までは音楽に全く興味が無かったのに、ある日目覚めたら、音楽に渇望していた…という事だってあるわけです。でも、今までの人生で音楽に親しみのなない生き方をしていたなら、なかなか音痴克服も容易ではありません。

 なにはともあれ、音楽に親しみましょう。好きな音楽を浴びるほど聞くのが良いですし、楽器を習ってみても良いかもしれません。こういう人は音痴とは違います。音楽と縁がなかっただけの人なので、音楽との縁を深めていく事で、音痴状態から脱却できます。

 ここまでは音程の音痴の話をしてきましたが、世の中には、正しいリズムが取れない“リズム音痴”という人がいます。リズム音痴も経験不足による音痴ならば、練習する事で克服できますが、時空間把握能力(つまり3D認識能力)の不足による音痴は…なかなか厳しいです。結局リズムって、時間を量として感じることができないと刻めないものですからね。

 また、音痴ではないけれど、音痴認定をされてしまう人がいます。悪声のために、どこに音程があるのか分からない発声をしてしまったり、全く感情を入れずに、実につまらなく歌う人がそうです。

 悪声による音痴の人は、発声方法を見直して美声にするしかありません。発声器官に障害がある場合は厳しいですね。そうでなく、単純に声が汚いだけなら…ぜひ、クラシック声楽を学んで、いわゆるベルカントを学びましょう。かなり美声になるはずですよ。

 感情が入らずにつまらない歌しか歌えない人は…まずは恥じらいを捨ててみましょう。感情の無い人間というのは世の中にはいません。ただ、感情を表出するのが苦手なだけです。だから、恥じらいを捨て、自分の感情を表現するだけです。そのためには、歌も良いですが、演劇鑑賞が役立つかもしれません。演劇をたくさん鑑賞して、喜怒哀楽の表現をカラダに刷り込む事が大切かもしれません。まあ、日本人全般的に、喜怒哀楽を表現するのって苦手なんですよね(笑)。

 と言う訳で、音痴だと言われたり、自分は音痴ではないかと思っている人の大半、実は“治る音痴”なんですね。治るものなら治してしまえばいいわけです。それでコンプレックスが一つ減って、人生が明るく晴れやかなものになるのなら、歌の練習ぐらい、軽い軽い…でしょ? 

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2017年5月 2日 (火)

常に軽さを求め続けること

 声楽のレッスンの続きです。

 曲の練習に入りました。まずはティリンデッリ作曲の「O Primavera!.../春よ」です。先生はこの曲をもちろんご存知だけれど、自分で歌った事もなければレッスンで取り上げた事もないそうで、ピアノは全くの始めての初見演奏となりました。いやあ、かなり弾きづらそうでした。

 この曲、私自身は大好きで、数年前から歌ってみたいと思っていて温めていた曲なので、メロディーラインはバッチリ。ただ、あまり自宅練習が出来かったので、うまくクチが回らずに、歌詞はあっちこっちカミカミとなりました。

 とにかく大雑把には歌えているので、先生の指導は細かくなりました。

 まずはねっとりと歌って欲しいそうです。明瞭にパキンパキンと歌うのは無しです。テンポがあっちこっちで揺れる曲ですが、揺れるなら揺れるで、分かりやすく揺らして欲しいのだそうです。中途半端な揺らしでは物足りないって事です。高音がところどころに出てくるのだけれど、声を押さずにまわして出すようにとの事でした。短い音符であっても、しっかり息を吐いて歌う。高いところでも息は飲まずにしっかりと吐く。とにかく、たくさん息を吐きながら歌うのが大切なのです。

 短調の部分になっても、声色はあくまでも明るいままが良いのです。また、メロディーが低くなった時には、無理に滑舌良く歌う必要はなく、メロディーが低くなった時は、メロディーの求めに応じて、つぶやき気味に歌うのもアリです。

 フェルマータの部分は、最後はクチを開けたまま息を吐ききって声を切ります。決して、クチを閉じて、声を飲み込んで、息を切って音を止めてはいけません。

 曲の最後はたたみかけるような感じで息せき切って歌いきって終えます。

 さて、アリアです。久しぶりの「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。

 この曲のメロディーは重い声を求めているけれど、それに応じて重く歌ってしまうと、必ず声に破綻が生じるので、音楽は重さを求めていても、声や歌い方はなるべく軽さを維持していく事。

 レチタティーヴォの部分は、最初から最後まで声を支え続けないと歌えない曲で、あまり休む箇所はないのだけれど、逆に言えば、声を支え続けられるならば、楽に歌えるタイプの曲なのだそうです。歌っているうちに疲れてしまい、声が支え続けられなくなると…やがて歌が破綻してきます。結局最終的には体力勝負なんだな。カラダ、鍛えないと。

 顔を開いて歌うのはとても大切なのです。顔が閉じてくると音程が乱れがちになり、顔をしっかり開いていると音程良く歌う事ができます。どれだけ音程が高くても、しっかり支えて、顔をビローンと広げれば、たいていの音は発声できるようになるんだそうです。

 アリアの部分は、レチタティーヴォよりも体力をガンガン使うメロディーとなっているけれど、ところどころ曲の中で休める箇所があるので、そういう箇所に差し掛かったら、しっかり休む事。休む時は、しっかり息を吐ききって休む事(これ大切)。また、体力勝負の曲だからこそ(作曲家の意図とは食い違ってしまうけれど)全体的に軽く楽に歌うように心がける事。

 今回は、こんな感じでした。さて、発表会の曲について考えないと…ね。

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2017年5月 1日 (月)

顔を開いて歌いましょう

 声楽のレッスンに行ってきました…とは言え、これはブログをお休みしていた4月の上旬の頃の話です。

 まずは発表会の話から。あれから発表会の参加者およびオペラ参加者を募ったんだそうです。今回は、発表会の場所も良いためか、参加者多数になったんだそうです。で、参加者が増えたため、時間の余裕も無くなってしまい、一人あたりの持ち時間が少なめにならざるをえないのだそうです。つまり、とてもオペラをやっている余裕はありませんって事です。さらに、オペラに出たいという人たちも、合同練習に参加するのは難しい…って言う人も多く、今回はオペラ上演は現実的ではないのでパス…って事になりました。

 まあ、たとえハイライト&演奏会形式であっても、オペラ上演は色々と厳しいという事は理解しています。前回のボエームが最初で最後であっても、仕方がないだろうなあと思っていますので、今回、オペラが流れてしまったのは、私の中では「まあ、そうだよね」という事で飲み込みました。

 オペラは一人じゃできないものね。次のチャンスを待ちましょう。

 今回はオペラをやらないので、自分で発表会の曲目を考えないといけません。持ち時間もさほど多くはないので、アリアまたは二重唱を1曲…か、短めのアリアと歌曲の組み合わせって感じでしょうか。ウチの門下は、自分で選曲するので、まあ、これからアレコレ考えていきたいと思ってます。

 先生からは、ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』の第一幕の二重唱はいかが?と、薦められていますが…あれって音が高いし、難しいんだよねえ。

 さてレッスンです。まずは発声練習です。

 今回のポイントは…顔を開いて声を出す、です。私たちは普段意識していませんが、頭蓋骨にも関節…と言うか、連結部があり、骨と骨がごくわずかだけれど動かせます。そこを動かす…と言うか、動かす覚悟で顔の各パーツを外側に動かして発声してみましょう…って事です。これ、キング先生から習った事の真逆です。キング先生は「歌う時は無表情で! 発声と表情は切り離す」と、よく言ってました。ま、発声方法にも色々あるって事で…。

 顔を開いて声を出す…分かりやすく言うと『しかめっ面』の逆ベクトル方向に顔全体を動かして発声しましょう、です。

 顔を開く…やってやれない事ではないのですが、やり慣れていないので、すぐに疲れて戻ってしまいます。しかめっ面なら何分でもできるんですが(笑)。で、顔を開いていると腹筋を忘れ、腹筋に集中すると顔を忘れ…と、私はほんとトリアタマだな。

 ちなみに、顔を開いている様子は、旗から見ているとアホ面に見えます。まさに“テノールバカ”です。ちなみに、顔を開いていく方向は、まずは上下が優先です。次が前後で、最後が左右ですね。この順番は大切なんだそうです。

 で、顔を開く練習をした後は、ひたすら腹筋の筋トレのようなレッスンを受けました。結局、理屈だけじゃ歌えない、カラダが伴わなきゃ歌えない…ってわけで、ひたすら腹筋を鍛える練習をしましたとさ。いやあ、しんどい。

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