ひとこと

  •  いよいよお盆休みもお終い。なんか残念。あの楽しかった夏の日は、もう終わり。また日常生活が始まるわけだけれど…ううむ、発表会とクラシックコンサートの準備が…。生活はいつもの日常生活に戻るけれど、その中で、着々と発表会とクラシックコンサートの準備に備えていかねば…。がんばろーっと。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2017年3月の記事

2017年3月23日 (木)

ブログを無期限停止とします

 いやあ、参った。
 
 
 
 今まで、どれほど忙しくても、如何に体調が悪くても、毎日毎日更新してきた老犬ブログだけれど、ついに限界を迎えてしまいました。

 もう、更新できない。記事、書けない(涙)。
 
 
 
 
 
 ブログを書くネタは、まだまだたくさんあるのだけれど、もはやブログの記事を書く時間が捻出できない(汗)。忙しい、忙しすぎる。仕事が一年で一番忙しい時期に差し掛かった上に、先日体調を崩して、仕事を先送りにした分が今頃雪崩のように襲いかかっているわけで、マジでシャレにならない状態です。仕事を家に持ち帰っても、なかなか終わりが見えない。

 で、こんなに忙しいのに、さらにしばらく当地を離れないといけない事情もあり、ますますブログに時間を割く余裕がなくなってしまいました。

 苦渋の決断だけれど、このブログを無期限停止とします。
 
 
 
 
 
 一応、仕事が一段落して、心とカラダに余裕が生じて、まとまった時間が取れるようになったら、ブログを再開するつもりでいますが…今はそれがいつになるのか見当つきません。少なくとも2~3日ってわけには行きそうもありません。1週間か、10日か、1ヶ月か…。復帰期日の約束ができないので“無期限”停止なのです。

 それなりの期間、ブログを停止せざるをえないので…たぶん、ブログのランキングがダダ下がりになるだろうなあ(涙)。休みたくないなあ…。ほんと、残念。

 まあ、休んでいる間も、スキマの時間を見つけて、ネットはチェックするつもりだし、一応、コメントにも返事を書くつもりですが…いよいよとなったら、コメントも放置しちゃうかもしれないので、最初に謝っておきます。ごめんね。

 と言うわけで、このブログを無期限停止とします。次に皆さんにお目にかかれる日は…私にも分かりませんが、なるべく早く戻るつもりでいますが…いつ戻れるかは、お約束できません。

 それでは皆さん。さようなら。しばしの別れとなります。

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2017年3月22日 (水)

楽譜が読めない…?

 ネットを読んでいると「楽譜が読めない」という悩みをお持ちの方が大勢いらっしゃいます。まあ、私だって程度の差こそあれ、読める部類には入らないかな…?って思ってます。単旋律の簡単な楽譜を見て初見で歌うくらいはできますが(つまり、声楽やフルートの譜なら、かろうじて読めるって程度ね)、それだってちょっと込み入ってくると初見では厳しいし、楽器やメトロノームの助けが必要になってくる事もあります。また、ピアノやオルガンのような二段譜とか、合唱とか弦楽四重奏とかオーケストラなどの多段譜は全く手が出ません。だいたいヘ音記号なんて全然読めないし…。

 で、それで困っているかと言えば、特に今のところ困っていません。だから、とりあえず、今の程度楽譜が読めれば、まあいいかと思ってます。

 要するに、私の場合、その程度、楽譜が読めれば困らないし、逆に言えば、その程度の楽譜が読めないと困るのです。困るので、そこまでの読譜力が身についた…とも言えます。

 なので、楽譜が読めないとお悩みの方は、今、楽譜が読めない事で何が困っているのかを考えてみる必要があります。

 と言うのも、音楽の種類によっては、必ずしも楽譜が読めないとダメなんて事は無いからです。楽譜が読めないと困る音楽もあれば、楽譜不要の音楽だってあるわけで、自分がやっている音楽ばどちらなのか? また読めなきゃいけないにしても、全員オーケストラ譜が読める必要は無いのですから、どんな楽譜をどの程度まで読めなきゃいけないのか、そこの見極めが肝心です。

 ざっくり言っちゃえば、楽譜が読めないと困るのは、クラシック系の器楽曲と、学校の音楽の授業ぐらいでしょ? クラシック音楽でも歌系だと(プロでも)口移しで勉強している人は(特に海外だと)たくさんいるようです。国内国外問わず、アマチュアだと、相当多数の人は音楽を耳で覚えるんじゃないかしら。ならば、楽譜はそんなに読めなくても困りません。ポピュラー音楽の人は、原則、楽譜は使わないので、読める必要はありません(読めないよりは読めた方が便利とは言えます)。

 何はともあれ、読めなければいけない楽譜は読めるようにしましょう。でも、読めなくても良い難しい楽譜を読めるようなるために時間をかけて勉強する必要があるなら、人生は有限なのだから、その分の時間を別の事に使う方が良い…と私は考えます。

 できなきゃいけない事をきちんとできるようにする。楽譜を読むことだって同様です。必要ならば、きちんと勉強して楽譜を読めるようにする。読めなくても困らないなら、別に焦る必要はありません。それでいいじゃん。

 実際、ポピュラー音楽だと、一流のプロでも楽譜が読めない人ってたくさんいます。だって、読める必要がないもの。

 有名な話ですが、ビートルズの元メンバーであるポール・マッカートニーは、楽譜の読み書きが出来ないので、オーケストラから依頼があって、オラトリオを作曲した時に、彼は音楽を作る事はできるけれど、それをオーケストラの人たちが演奏できるような楽譜に書くことは出来ませんでした。なぜなら、彼は作曲した曲を、クチ三味線でメンバーに伝えてバンドサウンドを作っていたからです(ポピュラー音楽ではごく普通の事です)。

 ですから、ポールが作った音楽をオーケストラの人に分かるように楽譜に書き起こす必要がありました。そこでポールは、自分の音楽を楽譜に書く係として、クラシック系の作曲家であるカール・デイヴィスにお願いして作業を始めたら、完成した時には、いつのまにか共作者になっていたんだそうです。ポール曰く「彼は私の音楽を書き留めただけ」なのに、共作者として分前の半分を持っていってしまったわけで「ビジネストラブルが生じた」んだそうです。

 それに懲りたポールが、次作以降のクラシック作品の作曲では、他人と一緒に仕事をしない事にしたんだそうです。じゃあ、ポールは楽譜の読み書きを勉強したのかと言えば、答えはNOで、彼はその後は、ピアノとコンピューターを繋いで、彼がピアノで弾いたフレーズをコンピューターが楽譜に起こして、出来上がった楽譜を、コンピューターが音にしたものを聞いて修正するという手法でクラシック系の曲を作曲するようにしたのだそうです。そんなやり方で、ポール・マッカートニーは、数曲のクラシック系のピアノ曲やオーケストラ曲を作曲しているわけです。

 今では、クラシック系の音楽も普通に作曲しちゃうポール・マッカートニーだけれど、彼はいまだに楽譜の読み書きはできないんだそうです。だって、出来る必要がないんだからね。

 彼のような例もあるわけだから、必要最低限の楽譜が読めることは必要だろうけれど、それ以上は不要であると私は考えるわけです。

 実際、私が簡単な単旋律の楽譜が読めるようになったのは、必要にかられてです。

 歌しか歌っていなかった頃は、ほとんど楽譜は読めませんでした。だって、歌は耳コピーで勉強できるからね。きちんと楽譜が読めなくてもなんとかなりました。しかし、フルートは違います。フルートを耳コピーで演奏するのは、私には難しいです。やはり楽譜を頼りに演奏するしかないわけで、そうなってくると、必然的に楽譜が読めるようになってくるわけです。

 また、今やっているフルートのレッスンのうち、エルステユーブンゲンの学習は、このテキストを学ぶ事で自然と楽譜が読めるようになるので、それで私の読譜力が上がってきたというのもあります。

 なので、楽譜が読めないとお嘆きの方は、本当に楽譜が読めないと困るのか、もし困っているのなら、困っているのに読めないのはなぜか?…と考える必要があるわけです。

 実は楽譜が読めない事がコンプレックスであるけれど、でも読めない事で困っていないのなら…おそらく楽譜が読めるようにはならないと思います。楽譜が読めないと困る人…例えば、吹奏楽とかアマオケとかをやっている人は、すでに楽譜は読めるだろうから、楽譜が読めない事で悩む事なんて、ありえないと思うわけです。

 つまり楽譜が読めないと悩んでいる段階で…まあ、楽譜は読めないよりは読めた方が良いに決まってますが…楽譜が読めなくても、何とかなっているんだと思います。

 特に歌関係は、音源を聞いたり、音取りCDなどの世話になれば、楽譜はちゃんと読めなくても何とかなりますからね。何とかなっているなら、それでいいじゃんと私は考えます。また、ポピュラー音楽系の人は、基本(プロでも)耳コピーですから、楽譜が読めないと悩む時間があったら、耳コピーの精度を上げる方が大切だろうと大切だと思うわけです。

 結論 楽譜が読めないと悩むのはやめよう。読めないのは、読めなくても困っていないからです。もし本当に楽譜が読めないと困るのなら、とっくの昔に、楽譜は読めるようになっているはずだからです。

 でしょ?

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2017年3月21日 (火)

私は『カラオケ★バトル』が大好き!

 最近、な~んとなくハマっているテレビ番組があります。それはテレビ東京系列で放送されている『カラオケ★バトル』でございます。もっとも“ハマっている”と言っても、レギュラー放送を毎週おっかける程のファンではなく、たまに放送されるスペシャルだけを見ているという、なんとも中途半端なファンでございました。

 …と言うのも、私が好きなのは、いわゆる色々なジャンルのプロの方々がカラオケという同じ土俵同じルールで競い合うのが好きなのであって、別に子どもののど自慢やカラオケ自慢のアマチュアの歌は、どちらかと言うと苦手だからです。まあ、偏見なんだけれどね。

 同じ歌と言っても、クラシック声楽やポピュラーソング、ジャズや民謡や演歌じゃあ、それぞれ発声方法も違えば、歌のテクニックも違うわけです。本来は同じ土俵に上げちゃいけないくらいに違う歌なんだけれど、それらを無理やり同じ土俵に乗せて、統一したルールで格付けしちゃうわけだから、これが面白くないわけないです。

 いわば、格闘技で言えば、何でもありの総合格闘技みたいなものだからね。これが面白くないわけないんです。元関取対キックボクサーとか、空手家対プロレスラーとかね。ほら、ワクワクするでしょ?

 だから私は上手なプロたちが競う『カラオケ★バトル』が好きなのであって、子どもやアマチュアの歌を好まないのは、彼らはいわば“カラオケ”という同じ競技の中で戦っているからです。彼らの歌にはバックボーンの違いもなければ、テクニックのバリエーションも無いからね。ただただ、カラオケの上手さを競っているだけでしょ? それは私の好みとは違うのです。

 で、ジャンルの違う、本来ならば交わるはずのないプロ歌手たちを判定する統一ルールってのが、カラオケの精密判定ってヤツです。つまり、機械判定ね。人間の好みや感情やしがらみなどが一切加わらない、極めてフェアな判定方法です。だからこそ、ジャンルの違う歌手たちの判定ができるわけです。

 この機械による判定って、フェアと言えばフェアだし、極めて公平なんだろうけれど、聞いていて、かなり不満が生じるのも事実です。と言うのも、人間が判定していたら、低評価になってしまうだろう歌が高評価となり、逆に人間が聞いていたら、つい高い点を付けてしまいそうな歌に低評価(と言っても、番組に出てくる人たちは皆、超人的な高得点を取るので、その中での低評価であって、世間的には十分高評価なんだけれど…ね)を平気で付けてしまう事が解せないと同時に「機械で判定すると、こうなるんだなあ」と妙な納得をしてしまうわけです。

 機械は、音程とかリズムなどの正しさとか、適度の抑揚や歌唱テクニックの有無などをうまく聞き分けて採点しているようです。まあ、測定して数値化できるモノを採点しているわけです。でも、歌の要素には測定できない要素も結構あって、そういう要素はカラオケの精密判定からは除外されてしまうのですね。

 それは声の美しさであったり、滑舌の良さであって、エモーショナルな歌い方であったりする部分です。これらの要素は、人間が歌の上手さを判定する際には、かなり重要視される部分だけれど、機械で測定できない要素ですから、カラオケ★バトルでは、すっぽり抜け落ちてしまっていると思います。

 だから、聞いていて聞き苦しい声であっても高評価だし、感情のあまり入らない棒歌いであっても高評価を受けるわけです。そこらヘンは機械判定の限界かなって思います。でもまあ、すべてのジャンルの歌に通用する万全なルールなんて有り得ないのだから、今のカラオケの精密判定で、とりあえずは十分ではないかとも思っています。

 後、テレ東のマイクのシステムが、あまりに放送局ぽくって残念だなあと感じる時があります。特に、クラシック系の歌手の歌声がほとんど拾えていないのが残念。過入力で声が歪んでつまらない音色になっていたり、声の中に含まれている高い倍音(いわゆる、シンギング・フォルマントってヤツね)がほとんど拾えていなかったり、スタジオで生で聞いたら素晴らしいだろうと思われる歌声が、テレビだとやせ細った声でしか聞けないのは、放送だからだろうけれど、せっかくのハイビジョンなんだし、音声だって、もう少し高品位なモノで放送してくれたら感謝だよね。まあ、カラオケ★バトルはバラエティ番組だからね。マジな音楽番組、とりわけクラシック音楽番組レベルのものを要求してはいけないのだけれど、でも何とかならないからなあ…とは思うわけで、ちょっぴり残念です。

 でも、この番組、大好きですよ。ほんと、面白いです。

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2017年3月20日 (月)

吹奏楽とオーケストラの魅力の違い

 吹奏楽は、しばしば『弦楽のないオーケストラ』あるいは『安価なオーケストラ』と言われる事があり「所詮は、オーケストラの劣化コピーじゃないか」と悪口を叩く人もいないわけじゃありません。でも、それらの悪口には悪意しかなく、吹奏楽の姿を正しく理解しているとは言えません。

 もちろん、吹奏楽で演奏する曲は、ほぼすべてのオーケストラで演奏できるでしょう。だって、オーケストラの編成から弦楽器を抜いて、足りない打楽器や管楽器はエキストラで賄えばOKでしょ? 実際、アマチュアオーケストラだと、吹奏楽用の音楽を定期演奏会でかける事もしばしばあります(まあ、管楽器の多い団体が主ですが…)。でもやっぱり、オーケストラが演奏する吹奏楽曲は、吹奏楽団が演奏するのとは、ひと味違います。その風味の違いが、オーケストラの魅力であり、吹奏楽の魅力であるのでしょう。

 オーケストラと吹奏楽団、似ているようで、その音楽スタイルというか、バンドとしての個性はあれこれ違います。

 一番の違いは…音量へのこだわりでしょうか? とにかく、吹奏楽は音量が命と言うか、音量を味わう演奏形態だと思います。そこへいくと、オーケストラの場合、音量にはやはり限界があります。ストラヴィンスキーの楽曲などは、かなり音量的に吹奏楽に近いものも無いわけじゃないですが、アマオケなどで頻繁に演奏される、モーツァルトやベートーヴェン、ハイドンの交響曲など、吹奏楽と比べると、その音量なんて可愛いものです。むしろ、吹奏楽の音量の大きさは、オーケストラよりもロックバンドと比較した方がいいくらいです。

 二番目の違いは…音楽ジャンルへのこだわりの無さ…でしょうか? まあ、アメリカあたりに行きますと、オーケストラにも“ポップス・オーケストラ”というものがありますが、やはり我が国日本のオーケストラは、そこまで砕けてはいません。

 日本ではオーケストラが演奏するのは、オーケストラ用に作曲された、18~19世紀の古典作品ばかりです。一方、吹奏楽は、吹奏楽が得意とする行進曲はもちろん、オーケストラが普段演奏している古典作品(もちろん、吹奏楽用にアレンジされてます)も演奏すれば、流行歌やポップスの吹奏楽バージョンも演奏します。つまり、古典作品も演奏すれば、今時の作品も演奏するわけで、自分たちが演奏したい曲を演奏するという、音楽ジャンルへのこだわりの無さ…と言うよりも、間口の広さは、吹奏楽の楽しみの一つでしょう。ごく普通の一般人にとって、オーケストラが演奏する曲は、なにやら小難しい曲ばかりで親しみを感じられない事が多いですが、吹奏楽団のリストセットは、身近で知っている曲ばかりが並んでいたりするわけだしね。

 三番目の違いは…吹奏楽団って、案外、身近な存在である事かな? やはりオーケストラの演奏者はプロアマ問わず、音大卒業生がほとんどで、なかなかアマチュア演奏家がオケのメンバーになるのは容易な事ではありません。一般の人たちから見れば、オーケストラって、エリート集団なんですよね。一方、吹奏楽団は、音大卒業生と言うよりも、ブラバン経験者がバンドのメンバーの多く占めているわけで、それだけ一般人にとっては身近な存在と言えるでしょう。

 まあ、音大にもプラバンには縁のなかった人には、どうでもいい事かもしれませんが…ね。

 日本における音大卒業生と、ブラバン経験者の数ってのは、考えるまでもなく、圧倒的にプラバン経験者の方が多いわけです。音大卒業生はプロの演奏家はもちろん、音楽関係の職業に就いている人が多いですし、我々一般人がオケのメンバーと知り合うなんて事は、そうそうある事でばありません。

 その点、ブラバン経験者って、ブラバンをやっていたという事以外は普通の人だし、別に音大に行ったり、音楽関係の仕事に就いていたりする事も多くなく、また吹奏楽団のメンバーはアマチュアが圧倒的に多くて、我々の知り合いがバンドのメンバーだったりする事も案外多くて、知り合いを応援する…と言った感覚も吹奏楽を聞く際にはあります。

 オーケストラと比べると、やっばり吹奏楽は身近なんだよね。

 四番目の違いは、オーケストラは、プロアマ問わず、やはり都会にあるものですが、吹奏楽は演奏者の裾野が広いせいもあって、結構の地方に行っても演奏団体があるわけで、地方の人間にとっては、本格的な器楽音楽は吹奏楽でしか聞けない…なんていう環境もあるわけで、それだけ吹奏楽の方が広く行き渡っていると言えるでしょう。これには、吹奏楽が学校の部活動に根ざしているといった事情もあるわけです。オーケストラの主役である弦楽奏者たちは、教師不足もあって、地方ではなかなか生まれないですからね。

 とまあ、結論を言っちゃえば、オーケストラと比べた時の吹奏楽の魅力ってのは、身近である事。音量的に迫力があって、よく知っている曲を演奏してくれる事。知り合いが頑張っているのを応援する事でできる事、地方でも楽しめる事…こんな感じでしょうかね。
 逆に言えば、身近にオーケストラを始め、ロックバンドやジャズバンドやあらゆる音楽ジャンルのバンドが聞けるような環境にあると、なかなか吹奏楽を身近に感じる事が難しくなってくる…とも言えます。

 私が住んでいる地域だと、中学ではそこそこ吹奏楽部も人気がありますが、高校あたりになると吹奏楽よりも軽音楽部の方が元気があったりするわけで、中学で吹奏楽をやっていた子が高校では軽音楽部に移動するというケースも多々あったりするようで、そういう地域だと、なかなか吹奏楽も盛んにはなりづらいのかなあ…なんて思ったりします。

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2017年3月19日 (日)

インスタント味噌汁にハマってます

 私の毎日の昼食は、妻の作ってくれた弁当です。

 私が愛用していた弁当箱は、いわゆる土方のオッサンたちが持っているような魔法瓶タイプの弁当箱で、朝作って、昼に食べても、ご飯もおかずも味噌汁もホカホカでウマウマという弁当箱でした。

 このタイプの弁当箱、最近は無いんですよね。

 実は私が使っていた弁当箱の保温力が激減したんですよ。魔法瓶タイプなので、弁当箱が劣化して、保温性能がダメになったためと思われます。まあ、保温性能が無くなっただけで、弁当箱としては十分に使えるので、しばらくは使ってましたが、やはり壊れたものをそのまま使うのは良くないだろうという事で、弁当箱を買い換えることにしました。

 でも、従来型の製品がなくて、色々と検討した結果、最近、ちょくちょく見かける“ご飯は保温。おかずは常温。スープ入れは無し”という、量産型の弁当箱にする事にしました。内容量的には以前の弁当箱とほぼ同じですが、弁当箱自体は圧倒的に小さくなりました。今はおそらく、こういう小さな弁当箱が流行っているんでしょうね。

 まあ、食事の方は、それでどうにかなるとしても、以前の弁当箱についていたスープ入れが今回の弁当箱には無くなってしまいましたので、このままでは味噌汁が飲めません。この問題をどうにかしないといけません。

 当初は、別にスープボトル(広口の魔法瓶だね)を購入して、弁当箱とスープボトルの両方を携帯しましょう…って考えていたけれど、スープボトルって、案外高価だし、日々の荷物が増えるのは嫌だし、私は毎日水筒も持参している人なので、似たようなボトルが二本ってのもアレだし…というので、妻の味噌汁はあきらめる事にして、職場にスープ用のマグカップを用意して、そのマグカップにお湯を注いで、日々インスタント味噌汁を飲むことにしました。

 昔々まだ実家ぐらしだった時、弁当に味噌汁を持っていく事がまだ難しかったので、やはり職場のマグカップにインスタント味噌汁を作って飲んでいました。あの頃から、永谷園では顆粒の味噌汁がありましたが、あまり安くはなかったので、マルコメあたりから出ていた、生味噌タイプのインスタント味噌汁を飲んでいました。これが結構廉価で、なおかつ、普通に美味しかったんですわ。

 久しぶりにインスタント味噌汁を飲むことになって、当然、昔同様に、生味噌タイプの味噌汁から始めたのですが、商品研究が進んだのでしょうね、昔の味噌汁よりも風味が良くなっていて美味しくなったような気がしました。「月日が過ぎるのも早いものだなあ…」と思った次第です。

 で、さらに言えば、昔はちょっと高価で手が出なかった顆粒タイプの味噌汁も、今ではかなり値も下がり、生味噌タイプと変わらなくなったので、こちらも最近は飲むようになりました。顆粒タイプの味噌汁は…いいね。生みそタイプのモノよりも、さらに風味良く、出汁を強く感じます。生味噌タイプが家庭の味噌汁っぽい味付けなら、顆粒タイプは旅館の味噌汁っぽい味付けかなって思いました。どちらもなかなかのモノです。

 おかげさまで、毎日の昼食の味噌汁が楽しくなりました。今の時代のインスタント味噌汁に、ちょっぴりハマっている私でした。

P.S. 昔は顆粒タイプが高価で手が出なかった私ですが、今はフリーズドライタイプのキューブ型の味噌汁が高価で手が出ない私です。毎日飲むには、まだ高価だもんな、フリーズドライタイプの味噌汁は…。でも、きっと美味しいんだろうなあ…。

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2017年3月18日 (土)

汚れる水槽

 なんか最近、水槽が汚れるんです。最初は水槽の水が濁ってきた…?と思いました。そう言えば、夏場は毎週水換えをしているたのですが、この冬はちょっとおさぼりモードで頻度が下がってしまったので、水が目に見えるほどに汚れてしまったのかな? ああ、マズいなあ…とか思っていました。妻は「誰かが放精した?」とか思ったそうですが、ウチにいるのはみんな女の子なので、それは無いです。

 水槽の蓋を開けて、直接水槽の水を見てみると、さほど汚れていません。目で見えるほどの汚れがないどころか、pH測定器を使って汚れを測定しても、特に水が汚れているわけではありません。

 とりあえず、水そのものはOKです。

 ではなぜ汚れて見えるのか…それは壁面のガラスが汚れているからでした。いわゆる水垢がガラスの壁面に付着して、水が濁って見えるのでした。

 「水槽の掃除をサボっているからだよ」

 まあ、そうなのかな? でも、ウチの水槽は、人の手で水槽掃除をしなくても良い事になっています。つまり、水槽の中にお掃除屋さんたちがいるんですよ。で、ガラスの壁面の掃除担当は…巻き貝たちなんです。タニシや石巻貝たちが、その部分の掃除をすることになっているのですが…彼らの掃除の手が行き届いていないんでしょうね。

 理由の一つは寒いから。巻き貝も変温動物ですから、水温が低くなると動けなくなるんです。あとは、個体数の減少があります。なにしろ、ミドリ(黒出目金)が、タニシを毎日規則正しく一つずつ食べているので、あれだけたくさんいたタニシも、ここのところ、すごく目減りをしているわけです。で、今いるタニシだけでは、ガラスの掃除が行き届かない…という状況のようです。

 ヤヨイとシズカは主に水草を食い散らかし、ミドリはタニシを食べ尽くす。これが今の我が家の現状です。まあ、水草は食べ尽くしても、すぐに安いヤツをスーパーで買ってこれるからいいけれど、タニシはその時期に農家の方から、年に一回わけてもらっているのだから、そうそう簡単に食べ尽くしてもらっては困るんだよなあ…。

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2017年3月17日 (金)

印刷屋さんも厳しいね

 フルートのレッスンに行ってきました。前回のレッスンは風邪をひいてお休みしてしまったので、二週間ぶりのレッスンでした。この二週間、何をしていたのかと言えば、仕事と休養です。今、とにかく仕事は繁忙期なので、普段の数倍忙しいわけですが、それなのに風邪をひいて寝込んでしまい、仕事を溜め込んでしまったので、全然フルートの練習をしていなかったのですよ。参りましたね。ほぼ、ノー練習で臨んだ、今回のレッスンでした。

 先生には毎度の事ですが、練習無しでのレッスンで勘弁していただいてます。社会人だもん、練習せずにレッスンに来る…どころか、練習のためにレッスンに来るは有りにしてもらってます。

 そんなわけで、先生と一緒にレッスンと言うか、練習をしたわけです。

 ロングトーン練習は、ひとまずバッチリ。まあ、文句ない出来です。それに最近、なぜかフルートでの脱力が、なんかうまく言っているような気がします。

 エルステユーブンゲンは20番と21番です。20番は、先生からメトロノールでのテンポ指定をしてもらっているけれど…ううむ、ちょっとテンポに追いつけない感じ? 以前から、ちょっともたもたした感じだったけれど、練習せずに行ったら、すっかり指が回らなくなっておりました。いやあ、練習は正直だけれど、怠慢も正直だね。やればやるだけ上達し、やらなきゃやらないだけ下手になっていきます。こりゃ、おもしろい(涙)。

 先生から、テンポの指定はあるけれど、練習ではまずゆっくりのテンポでいいから確実に吹けるようにしておく事。出来るようになってから、テンポを徐々に指定どおりにしてくるように言われました。もちろん暗譜は必須です。

 21番はメトロノールでのテンポ指定は無いです。アンダンティーノだから、1音1音丁寧に確実に吹けるようにする事が目標です。

 プチエチュードは16番でした。前半部と後半部はまあ良しと言われました。肝心なのは、中間部です。この部分だけを徹底的に練習してくるように言われました。

 確かにこの中間部、うまく吹けないのですが、それは吹ける吹けない以前に、まだ私がこの部分をきちんと掴んでいないから…なんだと思います。おそらく音楽的にこの部分が理解できたら、なんとか吹けるんじゃないかなって思ってます。臨時記号やら装飾音符やら面倒くさい事が多い曲ですが、まずは曲の理解が最初だと思います。だって、自分のやっている事の意味が分からなきゃ、聞いている人はもっと分からないでしょうからね。

 今回の雑談は、印刷の話。

 プロアマ問わず、音楽家と印刷屋は切っても切れない関係にあります。

 発表会とか演奏会とかになると、チラシやらポスターやらチケットやらが必要になります。それらを印刷屋さんに大量に発注するわけですが、なにしろ分量がそれなりにありますから、ちょっとの価格差が大きな差になるわけで、皆さん結構印刷屋にはこだわりがあるようです。

 こと、値段に関して言うと、街の印刷屋ってどうなんでしょうね。

 以前は音楽家の皆さんも、街の印刷屋さんにチラシ等を頼んでいたわけだし、あっちこっちのお店から印刷仕事があったでしょうし、個人からだって、名刺の印刷とか年賀状の印刷などの仕事が、それなりにあったと思いますが、パソコンの普及で少量印刷の印刷(はがき印刷とか名刺印刷ね)の仕事は完全に無くなってしまったと思います。

 頼みの綱は大量印刷(ポスターチラシの類だ)だけれど、昨今はインターネットの印刷屋が紙代よりも安いくらいの値段で、印刷してくれるようになりました。こうなると、もう街の印刷屋の出番は無くなってしまいます。

 厳しいね、印刷屋さんも。

 H先生は、背に腹は代えられないと…今ではインターネットの印刷屋さんを愛用しているんだそうです。まあ、値段を考えるとそうなんだろうね。私は、個人の少量印刷は自分でやってますが、仕事関係の大量発注は…なるべく今まで付き合いのある出入りの業者に頼むようにしています。情がうつっている…と言うのもありますが、世の中は持ちつ持たれつだと思うんだよね。お互い支え合っていくって大切だと思うわけです。他にももっと安く仕事を引き受けてくれるところもあるんだろうけれど、お金に換算できないサービス(主に気働きだね)が出入りの業者だとあるわけで、それを含めて考えると、なかなか安いだけの業者には仕事は頼めないなあ…と思う私でありました。

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2017年3月16日 (木)

声楽は安易に習っちゃダメ

 昨日までは子どものピアノの話をしましたが、本日はオトナの声楽の話をします。

 漠然と…歌をもっと上手く歌えるようになりたい…と思って、教室のドアを叩くとします。どこの教室のドアを叩きますか? さすがに、民謡教室とか詩吟教室は、ちょっと違うって分かるので、これらの教室のドアを叩く人は、さすがにいないと思います。そういう意味では、民謡教室とか詩吟教室と言うのは、最初っからきちんとターゲットが絞られているので、教える方も学ぶ方も迷いがなくて幸せですね。

 たいていの人は、あれこれ教室を物色して、いくつかの教室を候補に上げるでしょう? その教室は…ボーカル教室ですか? カラオケ教室ですか? それとも、愛唱歌の教室ですか? 歌声喫茶の教室でしょうか? それとも、ヴォイストレーニングの教室ですか? 声楽の教室ですか?

 実は上記の選択肢は、よく似た教室を2つずつペアにして、それぞれ3つのジャンルの教室を列記したものです。

 最初のボーカル教室とカラオケ教室は、いわゆるJ-POPとかロックとかポップスとか歌謡曲とか演歌など、我々の身近な流行歌や定番の名曲の歌い方を学ぶ教室です。次の愛唱歌や歌声喫茶のグループは、歌を習うと言うよりも仲間づくりのための教室で、音楽ジャンル的には“学校の音楽の授業”的な歌、つまり愛唱歌…童謡や唱歌、世界の民謡などを習います。最後のヴォイストレーニングと声楽の教室が、いわゆるオペラや歌曲などのクラシック系の歌(ずばり、クラシック声楽です)を学ぶ教室です。

 この3つのジャンルは、実は全く違います。だってね…演歌と唱歌とオペラには共通点なんて、あってないようなモノでしょ? 演歌を上手に歌えるようになりたいのに、オペラの勉強をしても、それは全くの筋違いだし、オペラを歌いたいのに唱歌ばかりを歌っていてもラチがあかないわけです。自明の理です。

 だから、自分はどんな歌が歌いたいのか、まずはそれを自分で確認して、それから教室のドアを叩きましょう。うっかり、違うジャンルの歌を教える教室のドアを叩いてはいけません。それは学ぶ方も教える方も両方にとって悲しいミスマッチだからです。

 で、ここで陥りやすいのが、ヴォイストレーニングの教室です。普通の人の感覚なら、ヴォイストレーニングと聞けば『ヴォイス(声)をトレーニング(練習)する』教室だと思って、発声の基礎を徹底的に教えてくれる教室ではないかと錯覚するわけです。で、ここに通えば歌が上手くなると誤解してしまうのです。

 実はヴォイストレーニングの教室に言っても、必ずしもお望み通りに歌が上達するとは限りません。と言うのも、実は、ヴォイストレーニングの看板を掲げて商売をしている先生って、たいていクラシック声楽の先生で、そこでやるのは、クラシック声楽のためのヴォイストレーニングなのです。歌全般に渡るトレーニングをするのではなく、クラシック系の歌を歌うためのトレーニングをする教室なのです。で、その実態は、だいたい声楽教室だったりするわけです。まあだいたい、声楽の基礎クラスの事を『ヴォイストレーニング』と呼ぶのだと思っていても、間違いじゃないのです。

 たしかに、クラシック声楽のジャンルだけれど、ヴォイスをトレーニングする事に間違いはないので、別に看板に偽りがあるわけじゃないのですが、カラオケがうまくなりたいだけの、何も知らない初心者が、うっかり間違えてドアを叩いてしまいがちな、ミスリードを誘うネーミングであることは否定できません。

 「別に、クラシックはすべての基礎だから、カラオケが上手になりたいなら、基礎をしっかり学ぶという意味でも、最初はヴォイストレーニングの先生に習ってもいいんじゃないの?」

 これが楽器を学ぶのならば、正しい答えです。器楽では、クラシックであろうと、ポピュラーであろうと、楽器の基礎テクニックは共通していますし、基礎は基礎であって、最初はどのジャンルであっても、基礎を真面目にしっかり勉強すれば上達します。

 でも、歌は、ジャンルごとに発声が異なり、当然、基礎も異なります。

 ですから、自分が学びたい音楽ジャンルとは別のジャンルの歌の基礎を学んでしまうと、元々歌いたかった音楽ジャンルの歌が上達しないどころか、逆に上達から遠ざかってしまうし、下手をすると歌えなくなることだってあります。

 特にあなたが女性ならば、なまじクラシック声楽を学んでしまうのは、かなり危険です。なぜなら女性がクラシック声楽の基礎を学んでしまうと、カラオケが上手になるどころか、カラオケで歌えなくなってしまう事が多々あるからです。

 これ、ほんと。マジな話です。実際、クラシック声楽を学んだ女性歌手で、カラオケが苦手な人って、掃いて捨てるほどいるんですよ。それくらい、カラオケの発声と、クラシック声楽の発声は、全く違うからです。全然別種の、ある意味、真逆な発声なのです。たとえば、クラシックでダメと言われる地声や“胸に落ちる声”をカラオケ等ではフル活用しているわけだし、クラシック声楽のままで歌えるカラオケソングなんて、かなり限られているしね。

 同じ歌とは言え、違うものは違うのです。それは同じイヌでも、チワワとシベリアンハスキーはかなり違うでしょ? そんな感じです。でも、チワワもシベリアンハスキーも、どっちもワンちゃんだし、ペットにするなら可愛いでしょ? 可愛いと言っても、その可愛さは全然違うわけだし、日々のお世話の仕方だって、かなり違うわけです。

 歌も同様です。

 歌を上手になりたいと思ったら、教室のドアを叩く前に、まず自分がどんな歌を歌いたいのかを、きちんと見定めてから教室のドアを叩きましょう。安易に学び始めてはいけません。特に名称がわかりづらい“ヴォイストレーニング教室”は要注意です。

 繰り返しますが、ヴォイストレーニングはクラシック声楽の教室、つまり独唱を学ぶための教室です。自分が、カラオケを上手になりたいとか、合唱団員としてスキルアップをしたいとか、そういう願いを持っているなら、ヴォイストレーニング教室はお門違いです。まなじヴォイストレーニングの教室で、クラシック声楽の発声をしっかり学んでしまうと、カラオケは歌えなくなるし、合唱からは縁遠い声になってしまいます。

 カラオケの上達を願うなら、カラオケ教室とかボーカル教室がいいと思うし、合唱団員としてのスキルアップを目指すなら、いっそソルフェージュ系の教室で基礎を学んだ方が良いかもしれません。あくまでも、ヴォイストレーニングの教室は、クラシック声楽の基礎を学び、やがては、オペラとか歌曲とか、それらの歌を学びたいという初心者の方々のための教室なのですよ。

 ちなみに、クラシック声楽って、楽しいですよ。クラシック声楽は、娯楽であり芸術であるのは当然として、実は声のアクロバットでもあるんですよ。私は、カラオケよりも、ずっとずっとクラシック声楽の方が楽しいなあって思ってます。だから、一人でも多くの人がクラシック声楽を学んで欲しいと思ってます。だからこそ、うっかりドアのノックしてガッカリして失望して欲しくないのですよ。

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2017年3月15日 (水)

ピアノはなるべく早めに辞めさせた方が良い

 ピアノは、子どもの習い事としては、代表的な存在だと思います。水泳、英語・英会話に続いての、堂々第3位にランキングされる(こちらのサイトを参照しました)くらい、ポピュラーな習い事だと思いますし、実際に多くの子どもたちが、街のピアノ教室でピアノを学んでいると思います。

 4位や5位の体操や学習塾(つまり勉強だね)まで含めて考えても、ピアノって、ちょっと異質な存在だと思います。

 ピアノって、異様にハードルが高くないですか?

 水泳にせよ、英会話にせよ、体操にせよ、達成感を得るというか、ひとまずのゴールにたどり着くと言うか、ざっくり言えば「泳げるようになった!」とか「(その年令なりに)英語が話せるようになった!」とか「体操得意になった!」と言えるまでにかかる期間と、「ピアノが弾けるようになりました!」と言えるようになるまでの期間が違いすぎるような気がするのです。

 一例を上げれば、水泳なら、子どもが息継ぎを上手にして25mを泳げるようになったら、ひとまず「ボク、泳げるようになったよ!」と本人も思うし、親だって喜べるわけです。

 で、この25m泳げるようになる期間を考えるなら、個人差はあるにせよ、小学生くらいならば、早い子で数日から1~2週間ぐらい、普通の子で1ヶ月ぐらい、遅くとも3ヶ月も水泳を習っていれば、大抵の子は25m泳げるようになるようです。3ヶ月を過ぎてもまだ25m泳げるようにならない子は…泳げないまま水泳を辞めてしまうか、数年間頑張ってやっと泳げるようになるようです。そう、たった25mであっても、泳げるようになるまでに数年かかってしまうわけです。

 つまり、水泳ならば、3ヶ月とか半年習えば、その子が泳ぎに向いているかどうかが分かるわけで、そこから先は、本人の意思や家庭の経済事情で決めればいいのです。場合によっては、方向転換だってありです。人間、泳げなくても死にません。才能、あるいは適性が無いのに、時間とエネルギーを費やして、何も得られないよりは、その子の才能が発揮できる別分野のモノに時間とお金を使えばいいのです。

 これは水泳に限らず、英会話だって、体操だって、3ヶ月とか半年とか習えば、だいたいその子の適性は分かるものです。適性が無いのなら、もっとその子を活かせる道を親子で探すべきです。

 たかが3ヶ月と考えてしまうでしょう。たった3ヶ月で何が分かるんだってね。

 確かに、オトナにとっての3ヶ月とか半年なんてのは、ごく短い時間ですが、子どもにとっての3ヶ月とか半年って、実はかなり長い年月なんですよ。

 例えば、8歳の子(小学校3年生)にとっての3ヶ月と言うのは、人生の1/32の期間にあたるわけです。これを50歳のオトナの人生に換算すれば、約19ヶ月…1年半強の時間に相当するわけです。1年半って、そんなに短い期間じゃないし、適性を判断するには十分な時間でしょ?

 ここで問題なのは、水泳や英会話や体操なら3ヶ月とかせいぜい半年とかで、その子の適性が判断できるとしても、ピアノは3ヶ月とか半年とかで適性が分かるものなのか…って話です。

 ピアノって、ある程度弾けるようになるまで…、つまり、本人も親も「ピアノ? はい、弾けますよ」と即答できるようになるまで…って、たぶん時間がかかるんじゃないかな? 小学校入学と同時にピアノを始めて「部活が忙しい」とか「勉強が大変」などの理由で中学に入る頃にピアノを辞める子が多いと聞きますが、この子たちが、ピアノを弾けるようになってから辞めたのか?…と言えば、かなり厳しいんじゃないかな? 6歳から始めて12歳までのピアノを習っていたと言う事は、12歳の子にとっては、人生の半分の時間を費やしてピアノを学んでいたわけだけれど、人生の半分を捧げたにも関わらず、ピアノから、それにふさわしいだけの見返りを受け取ったのかと言えば…バッチリピアノが弾けるようになった子もいるだろうけれど、いやいや全然弾けるようにはならなかった子だって、たくさんいるわけで、そんな子にとっては、ピアノに費やした時間を、もっと適性のある別の事に使って、本来持っている才能を開花するチャンスが逃してしまったとしたら、それは不幸でしかないわけです。

 ピアノは習得に時間がかかります。ほんと、ピアノはある程度弾けるようになるまで時間がかかる、ある意味、厄介な芸事です。その子に才能や向上心があるなら、多少時間がかかろうが、最終的にはモノにするでしょうから良いとしても、そうでないのなら…例えば、明らかに適性も才能もないのに、親の見栄のためとか、子守代わりにピアノをやらせているのなら、なるべく早めに辞めさせた方が良いと思います。特に子どもがピアノに大した興味もなく、ただ惰性で習っているだけなら、今すぐにでもピアノは辞めさせた方が良いと思います。

 習い事なら他にもたくさんあるわけだし、ピアノ以外に、その子の適性や興味にあったモノがあるはずです。

 ピアノを長い間習って、でも結局ロクに弾けるようにならなかった子なんて、掃いて捨てるほどいます。

 実はウチの息子君がそう。小学校入学から中学校卒業まで9年間、まあ、そこそこ真面目にピアノをやったけれど、全く弾けるようにはなりませんでした。小学生の頃は、音楽大学に行きたいみたいな事を言ってた子だし、歌は人並み以上に歌えるから、音楽の才能が無いわけでは無いと思うのだけれど、ピアノの才能が無かったんだと思います。

 しかし、15歳でピアノを辞めるまで、人生の半分以上の時間をかけてピアノを彼なりに頑張ったわけだけれど、結局、ピアノは弾けるようになりませんでしたし、本人に「お前、ピアノ弾けるだろ?」って尋ねると「弾けるわけないじゃん!」と強く否定するほど、何の達成感もピアノからは得られなかったわけです。

 ほんと、息子にとって、ピアノを習ったていた事は、人生の浪費だったかもしれないし、親のフトコロ的には明らかに大きな損失でした。

 まあ、親としては、息子を見ていて、3~4年生あたりで「こいつ、ピアノの才能、無いな」と見切ったのですが、本人がぜひピアノを習い続けたいと言い張ったので、中学卒業までヤラせたのだけれど、やっぱりモノになりませんでした。才能がないヤツは、いくら頑張ってもモノにはならないね。

 まあつまり、私が息子のピアノの才能を見限るまで、3~4年かかったというわけです。息子は水泳も習っていたし、こっちも全然才能が無かったのだけれど、まあ半年ほどで見限って、1年習って、やっと25m泳げるようになった所で辞めてもらったけれどね。ほんと、ピアノは水泳と違って、習得にも見限るに時間がかかる厄介な芸事だと思います。

 だから「ああ、こりゃダメだ」と思ったら、できるだけ早期にピアノを辞めさせて、次に駒を進めるのが、子どものためだと私は思います。ウチの場合、ピアノを切り捨てるのに、ちょっと時間がかかってしまって、それで次に進めさせてあげられなかったのが、親として心残りです。他にも試すべき事は色々あったのにね。まあ、救いは、歌の才能を見つけてあげられた事…かな。歌は今でも歌ってますし、コンスタントに舞台もやってます。プロにはなって欲しくないけれど、人生の彩りとして歌えることは彼にとって幸せだろうと思います。

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2017年3月14日 (火)

練習は無理強いするべきなのか?

 よく話題になるのが『ピアノを習っている子が全く練習しない』ってのがあります。これはある意味、自然な姿であって、自分から率先してピアノの練習をする子は、本当にピアノが大好きなのか、ピアノしか楽しみがない子なのか、あるいは親の顔色をうかがえるだけの知恵のある子なのか、ただの変人なのか…まあ、そんなところでしょう。

 今の世には娯楽がたくさんあります。一方、時間には限りがあるわけで、今時の子どもたちは結構忙しい毎日を過ごしているわけで、自由に過ごせる時間なんて、案外少ないわけです。その少ない時間に、ピアノの練習をしないといけないと分かっていても、ついついテレビ見たり、マンガを読んだり、友達と無駄話をしたり…なんて、しょーもない事に時間を使ってしまうのが、普通の健全な子どもなんです。だから、ピアノを習っているのに練習しない子がいても、それはピアノがキライというわけではなくて、ただ優先順位的にどうしてもピアノの練習が後回しになってしまい、練習がなおざりになってしまうというだけの話で、これは普通にあるわけです。

 でも、親としては、それはダメですよね。月謝払ってピアノ習わせているのに、練習をちっともしなかったら、なんか月謝がもったいないような気がするし、第一、母親ってのは子育てに真面目な方も多くて、そんな我が子のちゃらんぽらんな姿を見ていると、言い知れない怒りがフツフツと湧いてくるようです。

 で、怒り心頭し、子に練習を無理強いしてしまうわけです。

 子どもにも色々なタイプの子がいます。言われて始めて気がついて「ああ、そうだ。私はピアノの練習をしなければいけないんだっけ」と思い出して、いそいそと練習を始めるタイプの子もいるでしょう。そういう子に練習をしなければいけないと伝える事は必要な事です。でもね、単純に、優先順位の問題でピアノが後回しになっている子に対して、練習を無理強いすると言うのは、要するに、その子の優先順位を強制的に変更させる事であって、そんな事が度重なれば、子どもの中に不満やストレスが溜まっていきます。

 直接的に反抗的な態度に出る子もいるでしょうし、面従腹背な子もいるでしょう。どちらにせよ、ピアノを習っているために嫌な思いをするわけですから、強制的に練習をさせ続けていたら、やがてピアノ嫌いな子になるだけです。それじゃあ、本末転倒です。

 要は“強制”とか“強いる”とかがダメなわけで、練習そのものを子にさせる事は、ピアノを学んでいる以上、必要だし大切だと思います。

 ではどうするべきか? 待っているだけじゃ、子どもって絶対に練習を始めません。

 一つの方法として、生活の中に練習を組み込むのは、いかがでしょうか? 例えば、学校から帰ってきたら、まずはピアノの練習をして、次に宿題をして、それから遊びの時間が始まるとか…、ピアノの練習をしてからオヤツにするとか…、毎日午後5時になったら必ずピアノの練習をするとか…。ピアノの練習をそういう生活習慣の中に組み込むというのはいかがでしょうか?

 あるいは、子どもが遊びで夢中になっていてピアノの練習を始めないなら、親が楽しくピアノを弾き始めてしまうというのはいかがでしょうか? 特に幼い子どもは、オトナが楽しげにしていると、それ自体に興味を持ってやってきますから、やってきたところでピアノの練習を始めるという手もあります。

 それでもピアノの練習をしてくれない子もいるでしょう。そんな子を見ると、親もイライラしますが、ピアノの練習って、毎日しないといけないのでしょうか? 別に職業ピアニストになるわけじゃないのなら、毎日練習しなくても大丈夫でしょ? もちろん、練習しなければ上達しません。これは仕方がないです。ピアノのレッスンは、その子のペースで行うしかないと思いますよ。

 普通の子なら、ずっとずっと練習をしないままって事は、たぶん無いと思います。子どもにも良心がありますから、あまり練習をサボっていると、なんか悪い気がしてきて、そのうちに練習を始めるものです。それでも一向に練習をしないのなら…ピアノが向いていない子なのかもしれません。それはそれでまた別の問題ですね。

 とにかく、子どもに練習を無理強いしても、良い事は一つもありませんから、無理強いはするべきではないと思います。

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2017年3月13日 (月)

習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう

 今週は、オトナも子どもも含めて、習い事について考えてみたいと思ってます。で、まず最初のお題は「習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう」です。

 子どもにピアノを習わせたいとします。もちろん、子ども自身が「アタシ、ピアノを習いたい」と言ってくる場合もあるでしょうし、そんな気配は微塵もなく、単純に親が我が子にピアノを習わせたいと思って始めさせる事もあるでしょう。

 とにかく、始めるとなったら、先生探しをするわけです。で、先生が見つかれば、そこに子どもを預けるわけですが…実はそこでミスマッチが起こることって、たびたびあるんですよ。

 教室の方針と言うか、先生のピアノに関する考え方に、親として同意できているでしょうか? 子どもの教育って、教室だけでは完結しないし、親だけでも成り立たないし、両者の協力体制があって始めて成り立つわけです。その点で合意してますでしょうか? 教室側の方針に徹底的に従っていく覚悟が親側にあるんでしょうか?

 もちろん、習い事を始めるに際して一番大切なのは、ピアノを習う本人の意思ですが、今回はこれを横に置いておくことにします。すると、次に大切なのは、親が習い事に対して何を求めているか…となります。教室の意向だとか先生のピアノに関する考え方なんて、その次の次です。この順序を間違えると、互いの不幸になります。

 で、我が子をピアノ教室に通わせるとします。その時に親は、何を一番に求めていますか? 『我が子を将来世界的なピアニスト…いやいや、そこまでは求めないけれど、少なくとも職業ピアニストにしたい』ですか? 『ピアノ教室は結婚して家庭に入ってもできるから、手に職を付けるという意味で、将来はピアノ教室でも開ける程度になって欲しい』とか考えてますか? あるいは『私たちの子どもだから、勉強が得意にはたぶんならないだろうけれど、でも大学には行って欲しいから、将来の進路の一つに音楽大学を加えるために、今のうちからピアノぐらいは弾けるようになって欲しい』ですか? さもなければ『夕方の忙しい時間、テレビばかりに子守をさせるのも不憫だから、ピアノを習ってピアノの練習をして時間を潰してくれると親として助かる』ですか? 『将来、特技の一つとしてピアノがあってもいいし、楽しみとして音楽に関われる子にしたい』でしょうか? もっと簡単に『近所の子たちもみんなピアノ習っているし、ウチの子もそろそろかな?』ですか? 案外『私、子どもの頃、ピアノを習いたかったのに、習えなかったから、ウチの子にはピアノを習わせたい』でしょうか?

 どれも子どもをピアノ教室に通わせるには、必要にして十分な理由だと思います。

 でもね、ならばその願いを叶えてくれる先生の所に子どもを通わせないとダメですよ。親の願いと先生の教育方針が合っていないと、ほんと不幸になりますって。

 最初の『子どもを職業ピアニストにしたい』と言うのなら、習い始める前に、その事を先生に伝えないといけません。と言うのも、すべての街のピアノ教室の先生が、教え子をプロとして鍛えることができるわけではないからです。先生本人の力量の問題もあるし、その先生が次に紹介できる先生(職業ピアニストにするのなら、子どもの上達に応じて、先生をグレードアップしていく必要があります)にだって限度があります。

 ですから『ウチの子は将来プロのピアニストにしたいのです』と最初に先生に伝える必要はあります。親として、その先生の反応を見て、子どもを預けるべきか否かを考えないといけません。ある意味、子どもの人生を預けるわけですからね。そこは妥協してはいけないと思いますよ。

 『ピアノ教室を開けるといいな』とか『音大進学への選択肢を子どもに与えたい』は、音大進学を目指すという点において同じ事だと思います。

 こういう事を考える親御さんって、自分やその周辺に音大卒業生がいない事が多いのだと思います。と言うのも、音大出身者を身近に見ていたら、こんな事を思うはずないもの(笑)。

 まずはピアノ教室の職業としての可能性とか、音大卒業生たちの大学卒業後の進路とか、音大進学にかかる経費などを、ザックリでいいですから、調べてみるといいですよ。きっと驚きますよ(笑)。世の中、そんなに甘くないし、音大なんて庶民の子が行ったら、大変な事になるって事が分かりますよ。まあ、そんな現実(茨の道ですよぉ~)を知って、それでも我が子に音大進学をさせたいと願っているなら、ピアノの先生に『ウチの子は将来音大に行かせたいのです』と伝えてください。で、その先生の反応を見てくださいね。

 『子守としてピアノ教室に通わせたい』と『ピアノを将来の特技の一つにできたらいいな』の二つは、ピアノを教養の一つとして学ばせたいという点において同じ事です。これらの願いで子どもをピアノ教室に通わせようと思っているのに、教室の方針がスパルタだったら…ダメですよね。だからと行って「子守代わりにピアノを習わせようと思ってます」なんてことを先生に言っちゃダメですよ。ピアノの先生なんて、たいてい真面目人間ですから、そんな事を言ったら、たぶん怒り出します。

 でも教室を見学させてもらったり、体験レッスンを受けたり、その先生に習っている先輩の子たちを見ていると、だいたい分かるものです。大切なのは、その先生に母性(あるいは保育者としての適性)があるか、円満な人格の持ち主であるか、一般的な社会常識を持っているか…です。はっきり言っちゃえば、ピアノの腕なんて二の次三の次で十分です。子どもに優しく寄り添ったレッスンができ、親とも普通にコミュニケーションが取れる先生なのかどうかが大切ですよ。案外、そこらへんがダメな人がピアノ教室をやっている事って…たまに?…ありますからね。つまり、親としてその先生に安心して子どもを預けられるかどうかです。そこの見極めは親として大切ですよ。

 『近所の子が習っている』 …良いきっかけだと思います。出来るならば、その近所の子たちが習っている先生のところで習えるといいですね。生徒が集まる教室には“何か”があるんです。その“何か”は教室ごとに違うでしょうが、その“何か”が魅力的だから生徒が集まるのですから、その“何か”のために自分の子を通わせるのは、ありだと思います。

 『親である自分がやりたくてもできなかったからピアノを習わせたい』 理由としてはダメではありませんが、習わせる前に必ず子ども本人の意思確認は必要でしょう。あなたがピアノを習いたかったように、子どもも実はピアノが習いたいのかもしれません。それならば渡りに船です。しかし、子どもはあなたではありません。あなたが子ども時代にピアノを習いたかったからと言って、あなたの子どもがピアノを習いたいとは限りません。もしかすると、水泳をしたいのかもしれないし、英会話を習いたいのかもしれません。あなたが習いたくても習えなかったのだから、あなたのお子さんも本当に習いたいものをやらせるべきであって、それがピアノとは限りません。そこは注意しましょう。

 それにあなた、子ども時代にピアノが習いたかったんでしょ? 今はどうなんですか? その夢、子どもに託す前に、自分で叶えてしまうのは…ダメですか?

 今の時代、オトナの習い事も珍しくありませんよ。そんなにピアノが習いたかったのなら、いっそ、オトナになった今、誰の遠慮もいらないじゃないですが? ご自身がピアノを習うのはありですよ。子どもではなく、自分がピアノを学んでしまえばいいのです。ぜひ、そうしましょう。

 という訳で、ピアノを題材に話を進めてみました。これはピアノでなく、他の習い事でも同じことです。習い事に何を求めるかで、先生選びは変わります。これは大切な事ですから、決して軽んじてはいけません。求めるモノが変われば、求める先が変わるのは当然です。ですから、習い事の先生に求めるモノを明確にしましょう。

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2017年3月12日 (日)

風邪に気をつけてください

 実は私、先週から今週にかけて風邪をひいておりました。

 今シーズンは風邪もひかずに元気元気…と思っていたところに、ドーンとひいてしまって、気持ちまでひいてしまいました。

 花粉症が発症し、粘膜が腫れて弱っているところに、風邪のウィルスが入ったようです。つまり、花粉さえ飛ばなきゃひかずに済んだ風邪なんです、ああ悔しい。

 ガーと熱が上がったりとか、下痢したりとか、そういう大げさな症状が無かったため、医者にも行けず、仕事も繁忙期だった事もあって、家庭薬で治療しておりました。

 私が風邪をひくと、まずは鼻の粘膜が腫れ(鼻炎)、そこから徐々に腫れる箇所が下がっていき、最後は気管支まで腫れて(気管支炎)、それでオシマイになります。いつもいつも、気管支まで腫れが落ちた後、肺が腫れてしまうのかと心配してますが、今回もそういう事はありませんでした。肺が腫れたら、肺炎だもんね。これはシャレになりません。

 一番つらいのは、気管支炎になる直前の、声帯炎の状態の時です。この時期は、声は出ないは、やたらとノドが痛いは、タンは出るは、咳が途切れないは…です。

 声が出ない時は、もう諦めて、声を出さない。これに尽きます。よく痰切りのために、ウンウンやってしまいがちですが、それもなるべくやらない。医者に行けば、痰切り剤を貰えるので良いのですが、医者に行けない時は、水分を大目にとって、なるべく楽に痰を切れるようにする事。

 その痰切りもそうだけれど、ゴホンゴホンという咳止めにも有効なのが、龍角散です。鎮咳去痰剤という看板は伊達じゃないです。今回、この薬でだいぶ症状が緩和されたと思います。感謝です。

 そうは言ってもノドが痛いのは事実であって、ノドが腫れているのも自覚してます。医者に行けば、鎮痛剤と消炎剤と抗生物質を貰えるところだけれど、医者に行けないんだから、そこは諦めて、古典的な薬だけれど、バファリンを飲みました。バファリンは鎮痛消炎剤だからね。こいつで症状を楽にしました。

 後は“患部に直接”じゃないけれど、スプレー系のノド薬を使用しました。

 こんな感じで、風邪をのりきった私です。でも、みんなは真似しちゃダメだよ。風邪をひいたら、素直に病院に行って、お医者さんの言うことを守りましょうね。

 それにしても、昔は風邪なんか、1日寝ていれば治ったのに、それが3日になり、今や一週間から10日は寝てないと治らなくなりました。今回も体調悪いのに仕事休めないから、とりあえず職場に行って、最低限の仕事だけして、速攻で帰宅して寝る…という生活を一週間ほどしました。なんかなあ…。ほんと、体力無くなったです。

P.S. 薬じゃないけれど、プロポリスのど飴とマヌカハニーは、かなり大量消費しました。

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2017年3月11日 (土)

無双するヤヨイ

 春になり、気温水温ともに上昇してきたせいでしょうか、金魚たちの活動時間が徐々に増えてきました。カラダが自由に動くことがうれしいのでしょうか? 興奮している子すらいます。

 それは我が家の水槽で一番の大型金魚である、三色琉金のヤヨイです。

 とにかく、傍で見ていても、彼女が大興奮している事は分かります。ウチから湧き上がるエネルギーを抑えきれない様子なのです。で、有り余ったエネルギーを使って、無双しまくっているわけです。

 で、どんな事をしているのかと言うと、白い金魚たちで徒党を組んで、他の二匹を追いかけ回すのです。白い金魚たちとは、ヤヨイ(三色琉金)、アセビ(更紗流金)、ベル(丹頂)たちの事で、全体的に白い子たちです。ちなみに、他の二匹とは、シズカ(素赤琉金)とミドリ(黒出目金)です。

 ヤヨイが先頭を切って、この二匹のうちのどちらか(その日の気分で決まるらしい)のお尻を突っつきまくって徹底的に追いかけます。繁殖期に入ったオスが、メスを追いかけるというのがありますが、あんな感じです。違うのは、ヤヨイはメスだということ。そして、ヤヨイは、そこらのオスの百倍ぐらい、しつこいという事です。

 とにかく、今日はシズカを追いかけると決めたら、朝から晩まで、ずっとシズカを追いかけるのです。そんなヤヨイに付き従って、アセビとベルもシズカを追いかけ回すので、どこに逃げても無駄で、本当に徹底的に追いかけるのです。水槽の隅に追い込んでも止めません。水面まで上がっても止めません。水草の森の中に入っても止めません。とにかく、全く止めません。ずっとずっと追いかけています。

 シズカやミドリが死んでしまうのではないかと心配するほどに、徹底的に追いかけ回します。ほんと、無双しているんですよ。

 シズカやミドリも嫌がればいいのに、逃げるばかりで反撃しません。でもヤヨイは、追いかけ回すだけで、それ以上の事はしないので、双方大変疲弊しますが、怪我をするわけではありません。繁殖期でオスがメスを追いかける時は、メスを怪我させてしまう事もたびたびありますから、同じ追いかけ回すにしても、追いかけ方が違うのかもしれません。

 でもとにかく、ヤヨイはシズカやミドリを追いかけ回すのです。それも飽きることなく…。実に無双しています。

 たぶん、楽しいのでしょうね。二匹を追いかけ回している時のヤヨイの目の、生き生きとしている事。ほんと、楽しそうですよ。でも、追いかけ回されている方はたまったもんではありません。

 ヤヨイは…女の子大好きな女の子…なのかもしれません。金魚にも、そういうタイプの子っているんだねえ…。

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2017年3月10日 (金)

フルートの音色を良くするために必要な事

 ネットでフルートの記事を読んでいると、アマチュア笛吹きの方々に共通する悩みとして「音色を良くしたい」が、高確率で上がってきます。それくらい皆さん、音色に悩んでらっしゃるんですね。私は音色よりも、楽譜をクリアに見える視力が欲しいです…。あと、高速に動く指も欲しいです。

 で、音色で悩んでいらっしゃる方は、その原因として『クチビルがガサガサしているのが原因じゃないのか』『アンブシュアが悪いんじゃないか』と悩まれていたりしますが、それはたぶん、違います。

 クチビルのガサガサが原因だったら、毎回リップクリームやらリップグロスやらを塗って、クチビルをスベスベにしてフルートを吹けばいいだけの話です。もし、それらをせずに「クチビルがガサガサだから…」と言っているのなら、それは単なる怠慢です。

 『アンブシュアが悪いんじゃないか』なんて事は、まー、ありませんよ。本当にアンブシュアが悪かったら、音が出ませんから(笑)。音が安定して出ているなら、アンブシュアは、それでOKです。第一、プロ奏者のアンブシュアを御覧なさい。ほんと、皆さん違いますよ。教本には理想のアンブシュアなんてのが書かれていますが、実際は皆さん個性豊かで、三者三様、十人十色のアンブシュアでやっているわけで、フルートを吹きながら、皆さん、自分にベストなやり方を自然に見つけているんです。だから、アンブシュアを必要以上に気にかけるのは良くありません。

 フルートを手に持って、歌口をクチビルに当てて息を吹き込めば、笛が鳴る…このシンプルさが正しいのであって、そこで小細工を弄するから、返って変なことになるのです。シンプル・イズ・ベストでやんす。

 じゃあ、フルートの音色を良くするために、何に気をつけたら良いのかですが…、フルートの音色が良くないと悩んでいる方で、録音をアップされている方が数名いらっしゃいますが、それらの方々に共通しているのが…吹き過ぎなんですね。楽器に息を入れ過ぎているのです。つまり、楽器に本来のキャパ以上の事を求めているので、音が飽和して、音色が濁ってしまう…と言うわけです。

 楽器に息を入れ過ぎてしまうには、様々な理由があると思います。

 1)腹筋が弱くて、息のコントロールがうまくできずに、ついつい息を入れ過ぎてしまう。

 2)大きな音で吹こうとして、ついつい息を入れ過ぎてしまう。

 3)息を入れ過ぎた音がフルートの音だと間違えて学習してしまった。

 1)の人は、ロングトーン練習などをして、フルートを吹くカラダを作れば、やがて問題は解決されるでしょう。厄介なのは、2)や3)の人です。

 2)の人に言いたいのは、楽器にはそれぞれの限界があって、大きな音が出せる楽器と出せない楽器があります。それぞれの楽器の限界手前の音量で吹くのがベストであって、決して限界を超えた音量を求めてはいけません。音量を重視したいのなら、頭部管のカットが音量重視タイプのモノを選ぶべきだし、管体が重い楽器を使用するべきです。プロ奏者がなぜゴールドフルートを愛用するのか言えば、もちろん理由は様々ありますが、大きなホールでの演奏が求められる事が多いから、大きな音量を出すことができるゴールドを選択しているだけ…という点があげられます。

 基本的に、フルートに限らず、楽器ってのは、高価なものほど、大きな音量が出るように作られているものです。ですから、大きな音量が欲しければ、それなりの高級フルートを手にしないといけません。

 もっとも、それ以前に、フルートという楽器は、そもそも大音量では鳴らせない楽器であるという事も知っておかなければいけません。そんなに大音量が欲しければ、トランペットでも吹けばいいのです。

 3)の人は、真面目な方に多いと思います。練習に熱心で、自分の音や、自分の周囲のアマチュアフルーティストの音ばかりを聞いて、それがフルートの音であるとカラダに染み込んでしまった人なんだろうと思います。練習に熱心すぎて、鑑賞が足りないタイプ…なんだと思います。そういう方は、プロの生の演奏を浴びるほど聞くと良いです。おそらく、たくさん聞けば、それだけで音色が良くなります。大切な事は、生演奏を聞くことですね。録音はダメです。美しいフルートの音色の美しい部分って、案外録音から漏れてしまいますからね。

 フルートって、その楽器に応じた、適量の息で吹いた時に、もっとも美しく鳴るように作られているわけだし、おそらくその“適量の息”って、びっくりするくらいに少ない息だと思います。

 ロングトーン練習ってのは、長い時間フルートを鳴らし続けるのが目的ではなく、いかに力強くて少ない息でフルートを美しく鳴らせるようになれるかという事が目的の訓練だと、私は理解しています。

 そうやって、楽器からベストの音を引き出せたなら、そこに“奏者の音”をかぶせてあげればいい、それもとびっきりの美しい“奏者の音”を…です。

 ポイントは、口腔内の容積だと思います。口腔内の容積が大きいほど、フルートの音色は(なぜか)マイルドになり、優しい音になっていく…と私は信じています。

 後は、耳を常にそばだてて自分の音を聞く…って事でしょうね。人間のカラダって不思議なもので、音を聞いて音色に神経を使ってやれば、それだけでカラダが無意識に調整して、ベストな音色でフルートを吹けるようにしてくれるものです。

 とにかく、美しい音色でフルートを吹きたければ、息を入れ過ぎない事。しっかり息を支える事。フルートに音量は求めない事。自分自身の奏者の音を磨く事…それらに尽きるのではないかと…私は素人ながらに、そう思うわけであります。

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2017年3月 9日 (木)

“撃沈”の正体について

 何か調べ物がある時、今の時代ですから、当然ググるわけですが、ググってみると、なんと自分のブログの記事がヒットする事って、案外あります。

 私は毎日ブログを書いてます。正直に言えば、毎日毎日書き飛ばしている事もあり、昔の記事の内容なんて、ほとんど覚えていません。ただ、その時その時の出来事をなるべく正確に正直な気持ちで書いているので、記事の内容に嘘はありませんし、今読んでも、ためになったりします。もっとも、時を経て私自身の考え方や感じ方が変わってしまい、今の私の考えとは全く異なる事を書き連ねている事もありますが、それも人間の成長であり「私って案外進歩しているなあ…」と思うことにしています。

 何とは無しに、昔の自分のブログ記事を読んでいた時、ふと思いました。以前はよく使っていた『撃沈』という言葉、最近は全く使わなくなったなあ…ってね…ってか、以前はよく『撃沈』していたのですが、今の私は全く『撃沈』しなくなったんだよね。

 『撃沈』…当時の私はよくしていましたし、当時の仲間である門下生たちも(私ほどでは無いにせよ)たまにしていました。当時の私は、なぜ撃沈してしまうのか分かりませんでした(だからそこから抜け出せなかったのです)が、今の私は、当時の『撃沈』の正体が分かるし、分かったからこそ、そこから抜け出せたわけです。モノの本質が分かるって、それだけで大切な事なのかもしれません。

 『撃沈』…それは、曲のクライマックスの高音を出そうとしても、なぜかその音に届かずに、苦しげな声で、それもかなり手前の音(長二度ぐらい下?)の音まで音の上行が止まってしまって、目的の高音が出せない現象です。

 その高音だって、それも普段は決して出せないと言い切れないくらいの高さの音であって、実際、録音を聞いてみると、発声練習とか、自宅練習とか、遊びで鼻歌交じりに歌っている時にはすんなり出ているのに、なぜか本番とかレッスンとか、緊張を強いられる場面になると発動する、摩訶不思議な現象なのでした。

 本番だとか、先生の目の前でしか起こらない現象なので、一時は撃沈は“緊張”と関係するのかと思いましたが、結果的に言えば、緊張と撃沈にはあまり大きな関係ありません。まあ緊張するような場面でないと撃沈は起こりようがないので、ゆるい関係はあると思いますが、本質的にはあまり関係ありません。

 撃沈の心理的原因は、むしろ緊張とは逆方向のベクトルで「成功したい」「良く見られたい」という“攻め”のメンタルが原因となっている事が今の私には分かります。

 実際、メンタル的に攻めていない時は撃沈しないのです。撃沈するのは、必ずメンタル的に攻めている時です。それ故に、緊張感とはゆるい関係があるわけです。

 当時、キング先生からは撃沈の対策として、背中を使うなどの「呼気圧を上げる」指導を受けましたが、結論から言えば、それは逆効果です。実は、呼気圧を上げれば上げるほど、撃沈しやすくなるのです。

 撃沈の原因は…ノド声です。ノドが過重な力でカチンコチンに固められ、声帯がピタリと閉じてしまい息が通りづらくなる現象です。声帯が固くなって声が出づらくなるわけだから、呼気圧を高めないと声は出づらいわけですから、呼気圧を高めるのは正解のように見えますが、声帯が固くなって振動しづらくなっているので、そんな状態の声帯に息を吹き込んだところで、ちゃんと振動してくれるはずもなく(ってか、力で声帯の振動を押さえつけているわけですから)意図している音よりもかなり低い声しか発声できなかったのです。

 これが撃沈の声です。いわば「急性劇症ノド声発声症候群」が撃沈の正体なのです。

 あの頃は、基本的にノド声で歌っていました(今でもその癖が残っています。厄介です)。ノドに力を入れて、ガチガチに固めて歌っていましたので、必ず音程はぶら下がっていました。そりゃあ、声帯周辺に力が入ってしまえば、こちらの意図通りに振動してくれないのですから、音程が下がって、当然です。

 それでもなんとか曲そのものを頑張って歌っていたわけですが、曲のクライマックスに差し掛かり、いよいよ最高音が出て来る…となると、一番よい声で歌おうと、さらに意気込むわけです。で、一番良い声とは…当時はノド声が美しい声だと思っていましたから、一番激しいノド声で歌おう…としたわけです。過重な力でノド周辺を固めて、そこに盛大な勢いで息をぶち込んで高い声を出そうとしたわけです。

 理屈で言えば、弦楽器の弦にテンションを加えて、その弦を鳴らすようなもの…です。キング先生的には理屈が通っているやり方なのです。ただ、そのやり方は私には合わなかった…みたいです。少なくとも、私の声帯は弦楽器のような反応はしなかったのです。

 「ここ一番!」の時に、グっと力を込めて発声しても、固くなって振動する事を拒否っている声帯が十分に振動するわけないのです。それをむりやり鳴らして、目的の高さの音が出るわけないのです。それが撃沈の正体です。だから、目標の声が、自宅で出せたり、リラックスした場面では歌えるのに、本番になると必ず撃沈していたのは、そんな理由だったのです。

 高音は、ノドそのものがリラックスしていないと出せるわけないんだよ。

 ああ、あの当時の私に、この事を伝えたかったなあ。無駄に悩んで、間違った方向に努力していたんだからね。ほんと、あの頃の私は、報われない努力をしていた…と今では思います。「あの頃の自分があるから、今の自分がある」と素直に言えない悔しさを感じます。しなくても良い遠回りだったなあと思うし、あの頃身に付けた間違った発声方法が、癖となって、今でも私を苦しめているんだから、本当に悔しいです。

 まあ、あの頃の私にアドヴァイスはできませんが、あの頃に書かれた私の記事を読んだ皆様への罪滅ぼし(?)になれば良いかな…と思って、今回の記事を書いてみました。

 撃沈…それは間違った方向への無駄な努力(笑)。真面目ゆえにハマった落とし穴(大笑)。ほんと、しょーもないなあ(涙)。
 

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2017年3月 8日 (水)

なぜ、腹筋に力を入れて声を支えないといけないのか?

 おそらく、腹筋に力を入れなくても歌える人は歌えるし、声を(意識的に)支えようとしなくても歌える人は歌える。もちろん、私のように、歌っている時にノドの力だけで歌ってしまい、お腹がピクリとも動かない人は、積極的にお腹を動かさないとロクに歌えない事は事実です。でも、それだって慣れの話で、お腹が意思的に動くようになれば、今のように極端な動かし方をしなくても十分なはず…です。

 それなのに、なぜ「腹筋に力を言えて声を支えないといけない」のか?

 おそらく大切なのは“腹筋に力を入れる事”ではないのかもしれません。

 虫刺されの薬には、たいていメントールが入ってます。メントールってのは、ハッカとかミントとかに含まれているスースーさせる成分を言います。なぜ、虫刺されの薬にメントールが入っているのと言えば、虫刺されのかゆみを、メントールのスースー感でカバーして分からなくさせるためです。つまり、虫刺されはかゆいんだけれど、そのかゆさよりも強い刺激があって、スースーしちゃえば、虫刺されのかゆさを感じなくなる…という人間の感覚の特徴を利用しているわけです。

 腹筋に力を入れるのも、実はこれと同じ事が言えるのかもしれません。

 腹筋で息を支えるのは、確かに大切なのですが、別に年がら年中入れている必要はないし、高音や低音などの発声が難しい音ではたっぷり支える必要がありますが、中低音程度なら別にそんなに支えを気にしなくても良いのかもしれません。それでも、なぜに腹筋にこだわるのか。

 虫刺されに対するメントールなんですよ。

 歌手の神経が「腹筋で声を支えよう」に集中すると、他がいい感じにおざなりになるのです。他の代表格が…ノドなんです。つまり、何も考えずに歌ってしまうと、ノドに荷重な力を入れてしまう人(代表例は私)に「腹筋を動かせ」「腹筋に力を入れろ」と意識させると、神経が腹筋に集中して、ノドがおざなりになってしまい、いい感じで脱力するのです。

 人間というのは難しいもので「ノドを脱力せよ」と言われて脱力できる人なんて、まずいません。だから「ノドを脱力しなさい」と教える先生がいたら、その先生は素人です。だって、そんな事、ほとんどの人ができるわけないんだから。

 ノドを脱力させたければ、その他の部位に神経を集中させれば良いのです。例えば「二の腕に力を込めて、力こぶを浮き立たせなさい」でも良いし「足に力を入れて、思いっきり踏ん張りなさい」でも良いし「指先からビームを出しなさい」だって良いんです。どれであっても、ノドの脱力は出来るでしょうから。でも、どうせ力を入れるなら、力を入れた方がよい部位に力を入れた方が、その力をより有効に使えるわけだから、力を入れる先を、二の腕とか足とか指先ではなく腹筋にしているだけです。だって、腹筋に力を入れて、声を支えるってのは、やっぱり(程度の差はあっても)必要だからね。

 だから、ノドの脱力をするために、腹筋に力を入れて、ついでに声も支えている…というのが、正解なんだと思います。

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2017年3月 7日 (火)

なぜ軽い声で歌わないといけないのか?

 私は声楽のレッスンに行く度に、Y先生から「もっと軽い声で、もっと軽い声で」と言われます。たまに「バリトンの私よりも重い声で歌っている」と注意される事もしばしばあります。

 重い声…それはスピントな声であったり、ドラマチックな声であったりして…本来はカッコイイ声のはずなんですが…でもダメなんです。それはなぜか?

 カラダに悪いからです(きっぱり)。聞いていて苦しいからです(さらにきっぱり)。

 歌は自分の本来の声で歌うことが大切です。その本来の声が重い声ならば、重い声で歌って良いのです。それがバリトンであり、バスなのです。でも、本来の声がそんなに重くないのに、作り声で重くして歌ってしまってはいけないのです。

 それは本来の自分の声ではないし、何よりも、ノドを痛めるからです。

 よく声優さんたちが、キャラの声で歌を歌います。あれも一種の“作り声での歌唱”なわけで、ノドに良いはずありませんが、でもあれはマイクで拡声するのが前提の歌い方で、作り声であっても、クラシック声楽と比べると、ノドへの負担は少ないのです(無いわけではありません。そこはプロ根性とテクニックで乗り越えているわけですね)。作り声でクラシック声楽を歌うと…ノドへの負担が多く、声を壊してしまいがちです。

 ノドが弱い人はあっという間にノドを壊してしまいますが、私はノドが強いという稀有な才能を持っているため、少々重い声で歌ってもノドが大丈夫なため、重い声(実は作り声)で歌うのが癖になっていたわけです。

 それにキング先生時代には、好きなオペラ歌手のマネをして歌えと指導されていて、一生懸命、マリオ・デル・モナコやプラシド・ドミンゴなどの重厚な声をマネようとしたのです(マネなんかできるはずないのにね)

 大切な事は、自分の本来の声で楽に歌う事です。それがたとえ、自分の好みの声でなくとも…です。

 無理に作った重い声の大半は、ノド声です。

 ノド声には二種類あって、一つはノドに過重な力を加えて発声する声。もう一つは、舌根を持ち上げてノドにフタをするようにして発声する事。どちらも本来の声よりも暗い音色の声が出ますが、決して健康的で楽な発声には聞こえません。私が罹患しているのは、前者のタイプのノド声ですね。

 このタイプのノド声が悪い理由には多々ありますが、一番良くないのはノドに不健康な事です。無理やり締め付けてカチコチに固めたノドに、無駄に勢いをつけた息を通して発声するわけです。声帯周りの筋肉や粘膜に過度な圧力がかかり、傷が付くことだってあるし、その傷がポリープなどへ発展することだってあるわけです。弱いノドでこれを繰り返してしまうと、いわゆる“ハスキーヴォイス”になってしまう事すらあります。ハスキーヴォイスは、一部の音楽ジャンルではもてはやされる声ですが、クラシック声楽では、単なる悪声扱いです。

 つまり「ハスキーな声に成りたくなきゃ、軽く歌え」って事ですよ。それが、軽く歌わないといけない理由なのです。

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2017年3月 6日 (月)

クラシック音楽って、そんなに高尚なもんかい?

 クラシック音楽とは、高尚な音楽であり、知的な芸術であり、高い教養の持ち主だけが楽しむ音楽であって、無知蒙昧な一般庶民には、とても難解で理解できないシロモノであって、ある意味、高級な人間とそうではない人間とを分ける試金石のような芸術である。

 …なんて思っている人、いませんか?

 無論、今の私はそんな事を思っていませんが、実は子どもの頃は、これに似た考えを持っていました。で、子どもの私が、なぜそんな考え方をしていたのかといえば、周りのオトナたちがそんなふうに考えていたからです。

 「お金持ちはベートーヴェンを聞いて、貧乏人は美空ひばりを聞く」とか「良家の子女はピアノを楽しみ、貧乏なオヤジは飲み屋で流しのギターを聞きながら、安酒をチビチビ飲む」とか…そんな感じ。実際、クラシックファンの家庭には、大仰なオーディオシステムが必ずあったわけだし、その家にはアップライトピアノがあって娘は必ずピアノを習っていたし、いやいや、ピアノどころかヴァイオリンを習っていたりもするわけです。もちろん、貧乏人の家には、オーディオシステムもピアノもヴァイオリンも、それらを習っている娘もいないわけです。

 クラシック音楽を権威づけたもの。それは舶来品信仰と学校教育だと思います。

 今では信じられないかもしれないけれど、私が子どもだった時代は、まだまだ舶来品信仰がありました。舶来品とは輸入品の昔の言い方で、舶来品信仰とは“海外からの輸入品は何でも素晴らしいと思い込み、それらを理屈抜きで信じていた”事を言います。実際、みんなそんな感じで、舶来品を意味なく有難がっていました。

 なにしろ、あの頃は1ドル360円だし、物品税も関税も高かった時代ですから、海外からの輸入品は、どれもこれも価格的には超高級品扱いされたわけだし、手にできるのは、ほんの一握りのお金持ちだけで、貧乏人の手になど届くはずもなく、当時の人の舶来品信仰は、ある意味、仕方のない事だったのかもしれません。

 例えば、当時の海外旅行の土産の一つに洋酒があり、それらを飲み終えると、カラ瓶を応接室のガラスケースの中に飾るという、今では考えられない風習すらありました。いや、もったいなさすぎて、飲まずに封も切らずに、そのまま応接室に飾られていたりもしていました。今じゃ、スーパーで普通に売られているような洋酒なんですが…ね。当時のオトナたちにとって、たまに海外に行った人が持ち帰る洋酒が、本当に有難かったんだと思いますよ。

 それくらい、舶来品って、入手困難な超高級品扱いだったわけで、クラシック音楽とそれにまつわるものって、これら同様に、超高級品だったわけです。だから、金持ちじゃないと、なかなか楽しめなかったのは事実です。

 さらに学校の音楽の時間で教えるのは…クラシック音楽でした。今と違って、民族音楽やら邦楽やらなんて、てんで相手にせず、徹頭徹尾クラシック音楽至上主義であって、その素晴らしさを子どもたちに刷り込んでいったわけです。特に、ベートーヴェンの聖人扱いぷりったら、今じゃ想像できないほどです。

 そんなわけで、クラシック音楽は、高尚な音楽であり、知的な芸術であり、高い教養の持ち主だけが楽しむ音楽であって、無知蒙昧な一般庶民には、とても難解で理解できないシロモノであって、ある意味、高級な人間とそうではない人間とを分ける試金石のような芸術であったわけです。

 ふう、だいたい20世紀においては、それらは正解扱いされていました。

 でも、時は流れて、今や21世紀です。日本人の生活レベルも教養レベルも格段に上がり、誰も応接室に洋酒のカラ瓶なんて飾らなくなりました。舶来品という言葉が死語になって、随分経ちました。昔々は電気街だった秋葉原の大型店舗の中の、良い場所に、広々としたオーディオコーナーがあったものですが、今じゃ売り場の片隅とか、下手すると取り寄せオンリーで、オーディオコーナーそのものが無くなってしまった店舗すらあります。オーディオマニアなんて…失礼を承知で言っちゃうけれど…今の時代、どれくらいいるんでしょう? 自宅にオーディオ専用ルームを作って、高級機器で音楽聞いている人って、どれくらいいるんだろ?

 学校教育では、今やクラシック音楽は、西洋の昔の民族音楽の一種としての扱いで、教えないわけではないけれど、その他の地域や時代の音楽、ポピュラー音楽を含む現在の音楽などと、並立されて学びます。

 真っ当な扱いだと私は思います。

 好き嫌いと良し悪しは違います。私はクラシック音楽、とりわけオペラや声楽を好みます。でも、これが最高の音楽であるとは全く思ってません。数ある音楽の中の一つのジャンルであって、他にも良い音楽がたくさんあります。私にとって、好きな音楽だけれど、高尚な音楽だとも高級な音楽だとも思ってないし、今の時代、クラシック音楽を楽しむ人が、お金持ちやエリートばかりでない事も知ってます。

 でも、未だに「クラシック音楽は高尚な音楽であり…」と思って、ちょっと斜めに構えている人…いるんだよなあ。たいてい、お爺さんなんだけれど、自分の『好き』を『正義』と勘違いして、若者に押し付けちゃダメだよ。

 それじゃあ老害だよ。で、心配なのは、そんな老害老人に支えられている、日本のクラシック音楽に明日はあるのか…って事だけれど、まあ、客が減れば規模を縮小せざるをえなくなるわけで、規模が縮小されれば希少性が生まれるわけで、そうなると「クラシック音楽は高尚な音楽で…」と言った価値観が復活するかもしれませんね。

 うふっ。

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2017年3月 5日 (日)

マスク人間、大量発生中!

 そろそろ花粉が飛び始める時期となりました。私もマスクをして外出するようになりましたが、自分がマスクをすると、やはり周囲が気になるわけで、春になって花粉が飛び始めたという事もあって、街中をマスクをしたマスク人間が大量に出現しているわけです。

 とは言え、彼らの多くは、花粉が飛び始める前からマスクをしている人も多く、別に花粉症とは限りません。風邪でもひいているのかな…と思っても、数カ月間にも渡ってマスクをしている人も大勢いるので、風邪というわけでもなさそうです(風邪なんて3日で治るものね)。

 マスクをしている理由を尋ねてみると、答えは人それぞれでした。ある人は「ずっと風邪気味で風邪が治りきらなくて…」と、しごく真っ当な答えをする人もいます(大丈夫?)が、そうではない人が大半で「風邪予防のため」と答える人が一番多かったかな? マスクって風邪の予防になるのかな? たしかに飛沫感染は防げそうな気がするけれど、その飛沫がマスクの表面に付着しちゃえば、風邪のウィルスなんて、マスクを素通りするんだけれど…。そういう意味では、マスクで風邪予防というのは気休めなのかもしれません。

 おそらく「あなた方と同じ(汚れた)空気は吸いたくないのよ」って事なのかなって解釈しています。まあ、マスクには防塵機能はあるけれど、ホコリやチリなんて、多少吸い込んだところで、気にしなくても大丈だけれど…ね。

 「空気が乾燥しているからね…」 確かに冬になると、関東地方は空気が乾燥しがちだし、マスクをしているとマスクの中って湿気でベトベトになって湿潤な環境になります。ノドの健康を考えると、乾燥よりも湿潤な方が良いのは分かりますが…健康なら、そこまで気を使わなくても大丈夫のような気がします。だいたい、人間って、そんなにデリケートに出来てないと思うんだよね。

 防寒のためにマスクをします…という人もいます。確かにマスクをしていると暖かいよね。これは理解できます。

 あと、案外、マスクをしている理由を尋ねても「ええと…」と言った感じで、くちごもってしまう人も少なからずいます。おそらく、たいした理由がないのか、人に言えない理由なのか…なんでしょうね。

 マスクをする事がおしゃれだと思っている人もいます。女性だと、マスクをする事で化粧の手抜きができるのかもしれません。あと、メンタルに問題を抱えている人だと、マスクをするだけで、なんか強気になれるようです。まあ、たかがマスクじゃん。でもこれがあるとないとでは安心度が違うんだそうです…私には理解できませんが…。

 とにかく、冬~春になると、マスク人間が街中を闊歩するわけです。花粉症の私も、そのうちの一人なので、偉そうに言える立場ではありませんが、とにかく日本中、マスクだらけになるわけです。

 こんな日本の光景を外国からの旅行者が見たら、どう思うんでしょうね。

 実際、色の白黒問わず、外国人がマスクをして街中を歩いている姿って、ほとんど見ませんよね。少なくとも、私の身の回りにいる外国人たちはマスクをしません。彼らは基本的に個人主義なので、日本人がマスクをしていようとしていなかろうと気にしないみたいですが、旅行者はちょっと別じゃないかな? 私達が外国に行って、その国を歩いた時に、道行く人たちがみんなマスクをしていたら、ちょっと不気味じゃないですか? なんか某国のように極端に空気が汚いか、あるいは悪い病気でも流行っているんじゃないかって思いませんか?(実際、我が国では花粉症という名の悪い病気が蔓延していますが…)

 外面を気にする日本人の一人としては、外国からの旅行者に「悪い病気が流行っているんじゃないの」と不審がられるのは、イヤなのですが、実際問題として、スギ花粉が飛び回っているんだから仕方ないのです。花粉症の人がマスクをしないだけでも、街中のマスク人口って大きく下がると思うんですよ。でも、国が花粉症対策をしてくれない以上、マスク人間の数は減りません。日本の印象が悪くなるのは仕方がないのかもしれませんが、なんかイヤだなあ。

 まあ、花粉症に対して国が無策である以上、花粉症と今現在風邪をひいている人は仕方ないとしても、ならばそれ以外の人がマスクを外せば、街中の印象はだいぶ変わると思うんです…と言え、そういう人にはやっぱりそれなりの理由があって、簡単にはマスクは外せないんだろうなあ。そうなると、やはり大切なのは花粉症対策だよ。国家を上げての花粉症対策が必要なんだよ。

 だから、もしもスギ花粉対策を打ち出して選挙に出る政治家がいたら、たとえその人が共産党員だったとしても、私、一票を投じてしまうかもしれません。だってそこに希望を感じるじゃない? それほど、花粉症の人間にとっては深刻な問題なんですよ。

 私の一票が欲しい政治家の皆さんは、ぜひ花粉症対策を公約の中に入れてくださいませ(そして実行してください、お願いします)。

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2017年3月 4日 (土)

金魚の観察ポイントについて

 飼い主たるもの、ペットの健康には十分に留意する必要があります。

 金魚は、生命体としては脆弱な生き物だと思います。簡単に病気になってしまうし、簡単に死んでしまいます。それに病気になったとしても、医者にかかる事はありません。まあ、海外では金魚も獣医さんの手で立派な治療を受けているようですが…日本の獣医は、金魚の治療はしないし出来ません。そもそも、日本の獣医は基本的に家畜医でして、都会の獣医は、家畜に加えて犬猫も診察するってだけの話で、そこに小鳥の診察までしてくれたら立派なくらいで、金魚などの魚類の診察までしてくれるような、腕扱きの獣医は日本にはいないのです。

 それに、金魚の場合、仮に医者にかかる事ができたとしても、一回の診察料で、新しい金魚が何匹も買えるだろうから、経済的に考えてしまうと、医者にかかりづらい現実があります。

 ですから、金魚に長生きしてもらうためには、まずは病気にさせない事です。常に健康体でいられるように世話してあげる事…これらが最優先事項になるわけです。

 では、どういう点に注意して観察したら良いのでしょうか?

 まずはカラダの状態を見てあげる事です。と言うのも、金魚の病気に多いのが皮膚病だからです。難しい事はググってもらう事として、体表が健康であるかを見てあげればいいのです。傷はないか、ウロコは剥がれていないか、ヘンにピロピロしたものは付いていないか、何かモヤモヤしているものは付いていないか、白点が付いていないか…などです。

 傷があったりウロコが剥がれていたら、怪我をしているわけですから、その原因をさぐりましょう。いじめられたのかもしれませんし、自分で傷つけたのかもしれませんし、その他に原因があるのかもしれません。ピロピロしたモノが付いていたら、それはたいてい寄生虫ですから、物理的に取り除く必要があります。ピンセットで丁寧に抜いてあげましょう。モヤモヤしているモノがあったら、可能性は二つあります。一つは人間で言うところのカサブタですから怪我をしている可能性があります。もう一つはカビが生えている可能性があります…人間で言えば水虫みたいなものかもしれません。白点が付いていたら、白点病を疑う必要があります。

 ヒレも観察対象です。ヒレは比較的怪我をしやすい箇所です。またヒレには骨のようなモノが通っていますが、これが折れてしまう事も多々あります。人間で言えば…骨折ですね。また、水槽の中の水が汚くなってバクテリアが大量発生すると、それらのバクテリアが金魚のヒレを食べてしまって、ヒレが小さくなる事があります。ヒレは基本的に再生しませんので、常に気をつかってあげましょう。

 エラも観察対象です。とにかく、腫れていない事が肝心です。腫れて赤くなってしまったり、エラのフタが開きっぱなしになってしまうと、人間で言うところの肺炎状態であって、これは死に至る病気です。原因は…これも水槽の水質汚濁が原因ですから、予防策は、常に水槽の水を清潔に保つ…ぐらいです。

 病気とはすぐに関わらないかもしれませんが、フンを観察する事も大切です。フンを観察する事で、金魚の日常生活や体調が分かります。ウチの子の場合は、赤いフンをしている時は、人が与えたエサを食べて満足している時です。ミドリのフンをしている時は、エサだけでは足りなくて、水草をやけ食いしている事を現しています。黄色いフンをしている時はタニシを食べた時です。白や透明なフンをしている時は、人間で言えば下痢をしている状態で、体調があまり良ろしくないです。太くて長いフンをしている時は、体調は絶好調ですが、細くて短いフンを切れ切れにしかしていない時は、便秘気味の時です。人は便秘では死にませんが、金魚は便秘で死にますので、そういう時は若干水温を上げて、血行良くしてあげる必要があるかもしれません。

 あとは…やっぱり日頃の行動でしょうね。いつもと同じ行動をしていれば安心です。何か突飛な行動をしている時は、何か特別な原因がありますので、そこは注意をしてあげる必要があります。

 飼っている個体の中にオスがいると、季節で放精をしますので、水槽の水が白濁してきます。これは病気ではありませんが、見ていて美しくはないので、その時期はこまめに水槽の水を交換してあげる必要があります。

 こんな感じでしょうか?

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2017年3月 3日 (金)

リップグロスが良いらしいのですが…

 フルートのレッスンに行きました。ロングトーンはいい感じに脱力していたので、バッチリでした。歌もそうだけれど、笛も脱力は大切だね。

 エルステユーブンゲンは、20番と21番。楽譜をガン見すれば、普通に吹けます。問題は…暗譜が完了していない事かな? 20番なんて、簡単に暗譜できそうなんだけれど、暗譜に取り組む絶対時間が少ないので、覚えられないのです(残念だね)。21番は、多くの人が苦手とする1オクターブ以上の跳躍音程をたくさん含むメロディーなんだけれど、私は案外、こういうのは得意なんです。

 さてプチエチュードですが、今回は前回、先生に言われた事もあって、メトロノームとたっぷりお友達になってきました。そりゃあもう、カチカチコチコチの仲ですってば。今まで、何ともつかめなかった16番ですが、カチコチに合わせて吹いているうちに、何となく分かってきました。うんうん。やっぱりメトロノームに合わせて練習するのは大切だな。

 とは言え、まだまだスローテンボじゃないと吹けません。それでも、リズム的には合格点な感じなので、次の課題は「メトロノーム無しでも正しいリズムを吹ける事」「もっとテンポアップしてくる事」の二つが挙げられます。

 メトロノーム無し…とは、自分のカラダでリズムが取れる事。具体的に言えば、足で拍子を取りながら、それに合わせて吹ける事。とは言え、九拍子を全部足でリズムを取るのは大変なので、足は三拍子でリズムを取るのです。つまり、ビートで足踏みをするわけです。で、ビートとビートの間を三連符で演奏すれば、9/8拍子になるわけです。頑張ろ。

 テンポアップは…まあ、この曲はアンダンテの曲なので、そんなに極端にテンポを上げなくてもいいのですが、テンポを上げるために、今のスローテンボでノーミスで吹けなきゃ話になりません。今はまだノーミスとは程遠いのです。だって、臨時記号は苦手だもん。装飾音符なんてイヤなんだもん。ああ、でもこれらの要素をスローテンポで出来るようにして、そこからテンポアップを図らないと、いつまでたっても吹けません。急がば回れの精神です。コツコツ頑張りましょう。

 さて雑談です。今の時期って乾燥しますよね。私はクチビルの乾燥を防ぐために、薬用リップクリームを塗る事が多いのですが、これを塗ってフルートを吹くと、リッププレートがガビガビになるんですね。それがちょっとイヤな私なんです。

 その話をH先生にしたところ、先生曰く「私はリップクリームはキライだね」との事。やっぱりフルートがガビガビになるのがイヤなんだそうです。

 で、先生がリップクリームの代わりに塗っているのが、グロスなんだそうです。

 「グロスはいいよ。血色よく見えるし、クチビルがなめらかになるから、音も良くなるんだよ」なんだそうです。

 グロスって…女性用化粧品だよね。そう言えば、確かに先生の荷物の中に、マニキュアと一緒にそれらしいモノがいつも入っているよね。なるほど。

 しかし、いい年したオッサンのカバンの中に、マニキュアとリップグロスが常在しているなんて…なんか間違われやしないかい?

 とにかくリップグロスは良いそうなんだけれど、私は男性で、そんなものを付けたことはないので、すぐには返事できませんでした。でも、そんなにグロスっていいの? 薬用リップよりも良いの? そんなに良いなら、私も使ってみようかな? でも、どの面を下げてグロスを化粧品売り場で買えるのか、そこが最大の問題かもしれません。

 なんとも、こっ恥ずかしいのよね。

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2017年3月 2日 (木)

思い込みだけで判断しちゃダメです

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。カッチーニ作曲の「Amarilli/アマリッリ」です。いわゆる、イタリア古典歌曲です。

 いわゆる“レコ勉”してきた私ですが、そもそもこの曲がカストラートの曲ですから、教材として聞く音源も低声の女性歌手のモノが多かったのです。自宅練習での最初期は、この歌を歌おうとすると、低めの女声的な声(つまり、カストラートっぽい声?)を出そうと無理に身構えてしまい、ノドを締め付けて歌っていました。しばらくして、それはマズイ事に気づき、女性歌手をレコ勉対象から外して、テノールの歌唱だけでレコ勉を続けた結果、少しずつ楽な発声で歌えるようになりました。

 レコ勉も、声種を選んで聞かないとダメだな(笑)。私は女性でもなければ、カストラートでもないんだから、彼らのような声は出るわけないし(汗)。

 男性的な太めの深めの声で歌う練習をして、ようやくそれが板についた頃にレッスンとなりました。ああ、間に合ってよかった。

 発声練習の続きで、ノドの奥を常に開いて、深い声で歌う事を注意されました。この曲は、なんとなく弱々しい声で歌うというイメージがありますが、そこは軽く無視をして、全力全開で歌いました。いやあ、世間の『アマリッリ』とはだいぶイメージが違う歌い方ですね。

 とにかく、腹筋を使いまくる。声は頬骨に乗せたまま、響きは落とさない。これを徹底的に行う。

 まあ、曲そのものは簡単なので、そう言った発声技巧に注意をして歌ったわけです。

 声の響きの上の方の薄い所を使って、楽に歌うと、古楽っぽい声(?)になるようです。自宅練習でやっちまったような、ノドを締めて歌っちゃダメなんだな。

 あと、高い倍音をいっぱい出して歌うように言われました。と言うのも、私の歌は、音程が正しくても、しばしば音程がぶら下がっているように聞こえるんだそうです。それは単純に、倍音が少なめ…と言うか、貧弱な声で歌ってしまうからで、もっと倍音、それも高い倍音をいっぱい出して歌えば、もっと音程正しく聞こえるようになるそうで、だからたくさん倍音を出して歌いなさい…ってわけです。

 まあ、高い倍音をたくさん含んだ声は、音が実際よりも高く聞こえるからね。そりゃあそうなんだね。そのためにも、鼻腔の響きをもっと活用しないと…。

 さて、今回は、以前から先生がおっしゃっていた、マイアベーアの「おお、パラダイス」の楽譜をようやく入手したので、それを二人で見ました。

 マイアベーアの「おお、パラダイス」という曲は、オペラ「アフリカの女」という、なかなか上演されないオペラの中の一曲で、このアリアだけ取り出して歌われることが多いのです。いわば、扱いとしては“コンサートアリア”なわけですが、なんかイメージ的には、初学のテノールが歌う…というイメージを、私も先生も持っていたわけで、じゃあ次に歌ってみるか…と思って、真面目に楽譜や音源を漁ってみたら、ちゃんとした歌手が歌っている音源は、ほぼフランス語歌唱なうえに、日本で発売されている主な楽譜も歌詞がフランス語なんですよ。

 あれ! 私のイメージじゃあ、この曲はイタリア語歌唱が普通じゃなかったのかな?

 あれこれ楽譜を探してみたら…ありました。こちらの楽譜に収録されている「おおパラダイス」は、英語(笑)とイタリア語の歌詞が付いてました。ちなみに、イタリア語は“原語”という扱いでした。マイアベーアの「アフリカの女」というオペラは、フランスオペラですから、原語はフランス語なのです(笑)が、昔はヨーロッパでも外国のオペラは自国語の歌詞で歌うのが普通でしたから、元がどこの国のオペラであっても、イタリア人歌手はイタリア語で歌ちゃっうわけで、その頃の古い音源のイメージで、私なんぞは、この曲が…イタリア語歌唱が普通じゃない?…って思っていたわけです。

 同じようなケースに、フロトーが作曲した『マルタ』というオペラの中の「夢のごとく」というテノールアリアがあって、この曲、実はドイツ語で作曲されているにも関わらず、イタリア語で歌われるのが普通で、日本で発売されている楽譜もイタリア語の歌詞のモノが大半…なので、根拠なく「おおパラダイス」も似たような状況にあるんじゃないの?っと勝手に思っていたわけです。

 思い込みだけで判断しちゃダメですね。

 で、ようやく入手した、イタリア語の歌詞付きの「おお、パラダイス」でしたが、案外、音が高くて難しいでやんの(笑)。これじゃあ、さすがに今の私の手には負えません…って事で、ペンディングになりました。ま、しょうがないね。

 ちなみに、先程の楽譜ですが、掲載されているアリアのすべてに英語の歌詞が付いています。オペラアリアを英語で歌うチャンスって、まずは無いかもしれないけれど、つらつらと眺めてみると、なかなか面白いですよ。あと、選曲されているアリアも、日本のモノとは一味違うのも、お国柄かもしれませんね。

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2017年3月 1日 (水)

裏声、始めました

 声楽のレッスンに行きました。

 まずは先日、アゴが痛くなってしまった事を話しました。なにしろ、推定される原因がアゴの開き過ぎですから、明らかに歌の(自分勝手な間違った)練習の結果なので、アドヴァイスを貰おうと思ったわけです。

 先生、開口一発「病院へ行った?」…行かずにアスピリンで治しました…と答えたら、唖然としてました。まあ「ありえない!」って顔をされちゃいました。いやあ、だって、アゴが痛いくらいじゃあ、仕事休めないじゃん。

 Y先生からは、やっぱり、アゴの開き過ぎを注意されました。アゴは…もちろん限界近くまで開くことが大切なのですが、あくまでも限界近くまでであって、限界を越えてまで、無理に開けちゃいけないのだそうです。「リハビリがそうでしょ? 痛くなる直前まで動かして運動機能を回復させるわけで、無理に動かして、痛くなってしまったら怪我がひどくなるだけじゃないですか!」 ごもっともです。

 毎日毎日限界近くまで開き続ける事で、少しずつ少しずつ限界が広がっていくわけで、それを一時的に根性を出して無理をして壊してしまったら、元の木阿弥どころか、覆水盆に返らずになってしまうわけです。ああ、危ないところだった。

 なまじ、根性を出して何とかしようとするから、結果が悪くなる…のは、私のいつもの事です。反省です。

 さて、ハミングの練習ですが、今回はノドを閉じずに、開きっぱなしで歌う事に注意して行いました。

 発声練習は、ハミング練習の延長で、開いたノドに息を途切れずに流してレガートに歌う事に留意しました。とにかく、ノドは開きっぱなし、息は流しっぱなし。もちろん、息は腹筋で支え続けないと、あっという間に途切れてしまいます。これが楽にできるようになれば、もっと高い声も楽に出せるようになります。と言うのも、私が高い音が出ないのは、…

 1)高音直前で息が途切れてしまう(息を貯めてしまう)ため。
 2)ノドに力が入って閉じてしまうため。

 …だからです。そこに注意を払うのは大切な事なのです。

 次に行ったのは、高音で音程を維持したまま音色を変える練習。具体的には五線の上のミを明るい声で発声したら、その音程と響きをキープしたまま、音色だけを暗くするという練習。これが結構難しいのよ。最初は音色を暗くしようとすると音程が下っちゃうのよ。音程のキープを優先すると、音色があんまり変わらないし…ホント難しい。

 さらに行ったのは、裏声(弱々しいファルセット)の練習。私は、そもそも裏声が苦手なんだけれど、それはあまり自慢できた話ではなく、裏声が苦手と言うのは、必要以上にノド(声帯)に力が入って、ピタっとくっついていて、そのために裏声が発声できないわけです。まあ、それでも最近はノドの脱力も徐々にできるようになってきたので、裏声の発声も出来ないわけじゃないのだけれど、うまくコントロールは出来ないわけです。

 まずは裏声を低い方(中央ド)から高い方(Hi-E)まで自由に出す事と、裏声と地声の切り替えを同じ音程でスムーズに出来るようにする事。この2つを徹底的にやりましたが…どちらも十分には出来ませんでした。特に裏声と地声の切り替えは難しい(汗)。宿題としてお持ち帰りとなりました。

 とにかく難しいのよ。だって、私が裏声のつもりで高くて弱々しい声を出しても「それ、裏声じゃないから」と即座にダメが出されます。

 裏声と地声は、声帯の使う場所が違うから、聞いていて、すぐに分かるんだそうです。私の高くて弱い声は、裏声ではなく、地声なんだそうです。つまり、私には強い地声と弱い地声があるわけなんですね。普段の歌で使っているのは、強い地声なんですが、これが実はダメな声で、歌は、普段使わない、弱い地声の方で歌わないといけないらしいのです。で、この弱い地声から裏声につなぐことができないと、高音は出せないってわけです。

 だからと言って、テノールの高音は、弱々しい裏声ってわけじゃないのよ。まあ、高音を出せるようになるまでは、まだまだ必要なテクニックがあるみたいです。

 頑張ろうっと。

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