ひとこと

  •  いよいよお盆休みもお終い。なんか残念。あの楽しかった夏の日は、もう終わり。また日常生活が始まるわけだけれど…ううむ、発表会とクラシックコンサートの準備が…。生活はいつもの日常生活に戻るけれど、その中で、着々と発表会とクラシックコンサートの準備に備えていかねば…。がんばろーっと。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2017年2月の記事

2017年2月28日 (火)

花粉が飛び始めました[2017年2月の落ち穂拾い]

 例年の事ですが、花粉が飛び始めましたね。さっそく、連日、目が痒い私です。ほんと、目を取り外せて、じゃぶじゃぶ洗えたらいいのになあ…と思う、今日このごろです。一時期飲んでいた養命酒を止めちゃっいるので、症状がちょっとヒドイのかな…って思ってます。養命酒…結構、効果的なんだよな(体質にもよるみたいだけれど)。

歌えない時はどうする

 楽器の演奏者は、超が付くほどの大真面目な方が良いのですが、歌の場合、適当でアバウトな人柄の方が良いと思います。だって歌なんて、どうやったって、そんなに精密な演奏はできないもの。どこかで妥協が必要だからね。そういう意味で、程々で妥協できる方が良いと思います。

 とは言え、いくら“妥協できる方が良い”とは言え、実際にちゃんと歌えないのは、もちろんダメなわけで、じゃあ歌えない時はどうすれば良いかだけれど、これは合唱と独唱では対処方法が違うと思います。

 合唱の場合は…歌わない。これに尽きます。もちろん最初から手を出さないもアリだけれど、部分的に歌わないでもいいんじゃないかなって思います。例えば、歌えないフレーズは口パクにしちゃうとか、歌える音だけ歌うとか…自分が歌えなくても、歌えている人の邪魔はしないのが、合唱の基本ですからね。

 独唱の場合は…自分を貫く。これに尽きます。独唱の場合は、歌い崩しが認められますから、自分なりに歌えばいいのです。その際に大切なのが、いかにも失敗しましたって感じにするのではなく「私はこのように歌いたいのです」という自信と言うか、ハッタリと言うか、演技力があれば、それで通っちゃいます。独唱なんて、そんなもんです。

ネコのかわいらしさ

 私は、イヌ派、ネコ派と尋ねられるとイヌ派なんです。イヌは大好きです。じゃあ、ネコは嫌いなのかと言うと、実はよく分からないのです。

 私の母親がイヌ偏愛主義者で、イヌばかりを飼っていたので、ネコを飼うなんてありえなかったのですね。

 長じて、独立して、さてペットを買おうとなった時、実はネコは選択肢にあがりました。と言うのも、ネコって、イヌよりも人との距離が近そうな気がしたからです。でも、結局飼わなかったのは、私がネコアレルギーだからです。

 子どもの頃は自分がネコアレルギーだとは知らなかったので、チャンスさえあれば、ネコを飼っていたかもしれませんが、大人になって、自分がアレルギー体質で、ネコとカニとスギ花粉はアウトだと分かったので、パスするようになったのです。

 なので、ネコは、猫好きな皆さんのブログを読んで「はぁ~」と溜息をつきながら、楽しませてもらっているのです。

 たぶん、ネコの良さは動きの可愛らしさかな…って思います。ネコって、曲線的に動くでしょ? 他の動物はたいてい動作が直線的です。イヌなんか典型的な直線動きで、見ていて動作がカクカクするんです。これはウマもそうだし、キツネやイタチもそう。爬虫類や鳥類もそう。多くの魚類もそう。もちろん人間もそう。でもネコは違うんです。そこがネコの魅力かなって思ってます。

 ちなみに、魚類も直線的に動きますし、金魚も和金系は直線的に動きますが、琉金系は泳ぎが抜群に下手くそなので、結果としてヨレヨレと曲線的な動きをします。まあ、ネコとは本質的に動き方が違うのですが、金魚(琉金系)のヨレヨレした動きもかわいいものです。

和音と感情

 私にとって和音って、うねりとか波動なんです。美しくうねうねしているのか、うねうねの具合が気持ち悪いのか…どうも、世間一般とは感覚がズレているような…。

 世間一般では、ドミソ(長調)から受ける印象は「陽」「明」「喜」であり、ラドミ(短調)は「陰」「暗」「悲」というのは、まあ、全世界共通なんだろうと思います。少なくとも、日本の学校教育ではそう教えます。だから多くの日本人はそう思っていると思いますよ。

 でも、私はそんな風に感じた事ないです。ドミソはドミソでCだし、ラドミはラドミでAmです。私にとってはそんだけです。まあ、それもこれも音感が無いからかもしれませんが(笑)。

 でも実際、映画等では、明るい場面では長調ベースの音楽、暗い場面では短調の音楽が当てられることが多いのです。明るい場面にふさわしい音楽を選んだら長調ベースの音楽となったのか、長調ベースの音楽だから明るい場面に使ったのか…まあ、どちらでもいいのですが(笑)。おそらく「長調=明るい、短調=暗い」という感覚は、割りとポピュラーな感覚なのかもしれません。

今月のお気に入り ウィンナー

 実は私が無知なだけだったのですが、いわゆるウィンナーソーセージってあるじゃないですか? スーパーで袋に入って、安いモノで100円前後、ちょっと良いモノになると300円とか500円とかになる奴。小さいものはひとくちサイズで、多少大きくても、せいぜい10cm程度に加工された棒状の肉製品です。ま、材料も昔ながらの魚肉のモノもありますが、最近は豚肉系のモノが増えた感じです。

 子どもの頃は、このウィンナー、たいてい加熱して食べていたんですよ。肉代わりに野菜炒めに入れてみたり、煮込んでポトフに入れてみたり、おでんに入れても美味しいし、弁当などには、炒めたウィンナーをそのままの形で入れてみたり…。まあ、そんな風にウィンナーには親しんでいたのです。

 だから、ウィンナーって、加熱しないと食べられないもの…って思い込んでいたんですね。

 ですから、実はウィンナーって、非加熱でも食べられる、袋から出して、直接そのまま食べられると知って、驚きました。考えてみれば、同じ肉製品であるハムやベーコンだって、そのまま食べられるわけだから、ウィンナーだって同様なはずなのに、なぜか「ウィンナーだけは加熱しなきゃダメ」って思い込んでいたわけです。

 いやあ、ウィンナーが生食OKと知って以来、ウィンナーラブになっている私です。加熱しても生でも美味しいウィンナー。結構イケます。

 昨今の好みは、カップラーメンに生ウィンナーをドーンと入れて食べること。つまり、生ウィンナーをトッピングして食べるわけですよ。これが結構、イケるんです。

今月の金魚

 みんな元気です。相変わらず欠食ですが(笑)。

今月のひとこと

 アメリカではトランプ大統領に対する反発が激しく、反対デモの類があっちこっちで行われているとか? 私も個人的にはトランプ大統領って「???」とは思うものの、彼は正式な選挙を勝ち抜いて就任したアメリカ大統領なのです。あんな人を自分たちが大統領に選んだくせに、今更四の五の言っているようじゃ、アメリカの民主主義もいかほどのモンなのかなって思います。これじゃあ民主主義政治ではなく、衆愚政治だよね。せいぜい、しっかりと鈴と縄をつけて、他所に迷惑をかけないようにしてほしいものです。(2017年1月30日~2月11日)

 ポケモンGOの話。本日ようやくラプラスをゲット。これで、カイリュー,カビゴン,シャワーズ,ラプラス,ウィンディ,サイドン,ギャラドス,フーディン,ナッシー,ゴローニャ,ベトベトン,リザードン,フシギバナなどの「強い!」と言われるポケモンを揃える事ができました。後は手元でゆっくり育てているゴーリキーをカイリキーに進化させれば、ほぼほぼ無敵なチーム編成が出来る…ってわけだ。ふふふ。(2017年2月11~17日)

 昨年12月に、愛知県常滑市のサークルK(コンビニ)の店内で、陳列しているおでんを指で何度も突っついて、その様子をネットにアップしていた日本スノーボード協会公認の元プロボーダーの 豊嶋悠輔(28)さんが、威力業務妨害と器物損壊の疑いで逮捕されていました。まあ、そりゃあ、おでん鍋に指を突っ込まれたら、おでんはすべて廃棄、鍋は洗浄消毒をしないとダメだよね。客商売だもの。いたずらにしては、かなり悪質だと思います。で、先日、この男の事件について、名古屋地検半田支部は不起訴処分にしたんだそうです。簡単に言えば「裁判をするまでもなく、この男は無罪!」って、名古屋地方検察庁が決めたって事です。ちなみに容疑者を逮捕するのが警察で、逮捕された容疑者に罪があるかどうか調べて、罪人であると思ったら裁判にかけるのが検察です。裁判所はその罪人に対して(無罪を含めて)どれくらいの刑罰がふさわしいかを決める役所です。と言う訳で、地検が不起訴を決めたら、裁判にかける前に無罪が決まるわけです。みなさん。コンビニのおでんを指で何度も何度も突っついて、おでんを廃棄させて、店に損害を与えても無罪だという事が証明されてしまいました。さあ、日本全国にいる皆さん、いますぐコンビニに行って、おでん鍋に指を何度も何度も突っ込んで遊びましょう。あなたがたは罪には問われませんから、大いに遊びましょう。さあ、祭りだ、祭りだ。(2017年2月17~20日)

 追加。元プロボーダーの件は示談となって事件にされなかっただけかもしれません。ごめん、私の思慮が足りなかったかも。まあ、という訳で、おでんツンツンはやっぱりいけません。祭りじゃないぞ、気をつけよう。

 ポケモンGOの話。先日、アップデートがあって、新しいポケモンが増えたり、ワザの強さが変わったり、若干ルールが変更になったり…今までのゲームのやり方を多少見直さないといけない状態となり、なんか新しいゲームに取り組んでいるような気がします。うまいなあ、こうやって客を飽きさせないように運営側が気を使っているわけだ。さあ、さっさとラッキーを育てて、ハピナスにしないとな。(2017年2月20~23日)

 またもポケモンGOの話で恐縮なのですが、ハピナス、強すぎ。どう攻略すれば良いのか…ああ、悩ましいぞ。(2017年2月23~24日)

 時が経てば明白になりますが、金正男暗殺事件(?)は、まさかこれほど大騒ぎになるなって、首謀者の方々は思っていなかったんでしょうね。これほど話題になり、マレーシアやインドネシア、ベトナムとの国交問題にまで発展するなんて夢にも思っていなかったんでしょうね。21世紀はITと情報の時代なんだよね。20世紀のスパイ映画じゃあるまいし、人一人殺して、隠密に事が運ぶわけないのに…ねえ。感覚が古いんだよな。(2017年2月24~27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2017年2月27日 (月)

メトのライブビューイングで「ロミオとジュリエット」を見てきました

 「ロミオとジュリエット」というストーリーは、古典的なストーリーで、知らない人がいないくらいに有名なストーリーです。

 もちろん、オリジナルはシェークスピアの演劇で、これのパロディとかオマージュとかリブートとか、それこそ亜流はたくさんあるわけです。これを真っ向正面から取り組んでオペラにしたのが、今回私が見た、グノーによるオペラ作品なのです。

 ですから、ストーリーはあの有名なストーリーそのままです。だから、面白い。音楽は…と言うと、グノーの音楽って、メロディアスで素敵ですね。特にこの作品は、オペラ第1幕にあるジュリエットのアリアが有名ですが、それ以外の曲もなかなか素敵です。特に、ロミオとジュリエットの二人による二重唱が、ほぼ各幕ごとに一つずつあるので、重唱ファンには、たまらないかもしれません。

 歌っているのは、ロミオがヴィットーリオ・グリゴーロ、ジュリエットがディアナ・ダムラウです。おそらく、現時点でのベストなキャストでしょう。声も容姿も動きも若々しくて、とても良いんです。特にグリゴーロはイケメン・テノールですから、もうバッチリですね。タッパがもう少しあれば尚良いのでしょうが…贅沢は無しにしましょう。ダムラウは…出来ればもう少しスリムだと良いのですが…なにしろジュリエットって、今風に言えばJCですからね。でもまあ、あのくらいの体型のJCもいないわけではないので、贅沢は言わない事にしましょう(笑)。

 周りを固めている人たちも、とても良いです。個人的には、ローラン神父は若々しい人よりもお爺さんの方が良いのですが、これは私の個人的な趣味ですね(笑)。

 そういうわけで、今回のロミジュリは…、なかなか良いです。お薦めですよ。

 さて、私、実はフランス物って、そんなに詳しくないのです。やっぱりオペラはイタリア物が中心ですからね。フランス物には、最近手を染めたところなのです。

 フランスオペラは、私もY先生もフランス語が苦手で、まず歌うことがないだろうから、なかなか手が出づらかったのです。実際、今回の「ロミオとジュリエット」のテノールアリアなんて、聞いてみると良い曲だから、歌いたくなるわけですが、言葉がからっきしなので、それはまず無いわけです。良い曲なのに、自分には歌うチャンスが回って来ないというのは、なんか蛇の生殺しみたいな感じがして、それでなかなか手が出なかったわけです。

 そこんところに割り切りが出来たわけではないのですが、それでもある種の諦めのような物がないわけでもなく、それでようやくフランス物を見るようになったわけです。でもやっぱり…ああ、ジレンマジレンマ。

 そんなわけでロミジュリも、オペラとしてはよく知らなかったのです。そういう時は、やはり事前に勉強してから見に行くことが多い私でして、今回は勉強のために、以下のDVDを購入したのでした。

 これ、いわゆるオペラ映画です。輸入盤ですが、ちゃんと日本語訳も付いているんですよ。歌っているのは、アラーニャとゲオルギューという、一昔前のゴールデンカップルでして、悪いはずはないのですが…一つ誤算があるとすると、実はこれ、カットの嵐なんです。オペラ本編から比べると、時間的に、約半分のサイズになっています。つまり、大半の音楽はカットされてしまっています。登場人物も整理されて、ストーリーの骨の部分と、それに付随する音楽だけで構成されています。まあ、実際の話、半分に削っても、これはこれで結構楽しめます(笑)。

 半分のサイズになって気づいた事は「ウェストサイド物語って、ロミジュリだったんだな」って事です。実際、半分のサイズになると、ほぼウェストサイドです(笑)。いやあ、なんか新鮮。

 で、ハーフサイズのオペラ映画で予習をして、フルサイズをメトのライブビューイングで見たわけだけれど…やっぱりフルサイズのオペラの方が、ずっといいや。カットされた音楽だって、みんな結構美しいし、ストーリー的には余分な音楽も多いけれど、それはそれで楽しい音楽だし、実際、フルサイズのオペラを見ていても、退屈しないし、時間的にも長いとは感じません。改めて、グノーって天才なんだなって思ったわけです。

 次は…「ファウスト」を見たいですね。実はまだ、この有名なオペラ、見たことないんですよ。以前、メトでやった時は見逃してしまったので、次のチャンスをうかがっている最中なんです。夏のアンコールでやってくれば、見に行くんだけれどなあ…。

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2017年2月26日 (日)

やっぱり日本のマスコミは信用できないんだよ

 先日、テレビで報道されていましたが、野球選手のイチローが怪我をしたんだそうです。

 イチローは現在、アメリカのメジャーリーグのマイアミ・マーリンズに所属しています。今年で43歳。メジャーデビューが2001年ですから、今年で17年もメジャーで活躍している事になります。すっげーな。ちなみに、かつて日本にオリックスという球団があったのだけれど、そこに所属していた選手で、今も現役なのは彼だけなんだそうです。それもまたすげーな。

 そんな彼が、練習中にメジャー5年目の30歳の中堅外野手であるバーンズ(Brandon Barnes)選手とぶつかって右膝と腰を痛めてしまったのだそうです。なんでもイチローは故障知らずの稀有な選手として有名で、メジャー入り後、今回初めて医務室に行ったと話題になったんだそうです。それもまたすげーな。

 とにかく、今は大事をとって、普段とは別メニューの練習をしているそうで、なんとか開幕までに間に合わそうとしているそうです。

 で、イチローを怪我させてしまったバーンズ選手ですが、なにしろリビング・レジェンドのイチローに負傷させてしまったんだから、そりゃあ一大事なわけです。さっそく、怪我をさせた当日、彼のロッカーはカラにされ、ロッカーの扉に解雇通告書が貼られていたんだそうです。

 で、これがその解雇通告書を持って写真に収まっているバーンズ選手本人なわけです。ちなみにこの写真を撮影したのは、マーリンズの番記者のハーレイ氏(Tim Healey)です。

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 まあ、この写真から分かるように、解雇通告書と言っても、いわゆる“アメリカン・ジョーク”なわけです。もちろん、ホンモノじゃありません。実際、バーンズ選手はイチローに謝罪し、イチローも許しているし、それを同僚選手たちも見ているわけで…その上での悪ふざけなわけです。

 ちなみに、この解雇通告書。これを書いたのは、イチローではなく、ディー・ゴードン(Devaris "Dee" Gordon)選手です。この選手もすごい選手なんだけれど…まあ、興味があったらググってください。

 で、なんて書いてあるのかと言えば…

 “You're Cut! Good Luck IN KoreA…”です。で、下にグチャグチャと書かれているのが、イチローの直筆サインなんだそうです。イチローの直筆サインなんて、すごいよね。バーンズ選手も、このメモーを家宝にして永久保存するとかしないとか言ったそうです。

 さて、書かれた内容は…と言えば、ざっくり訳せば「お前はクビだ! 韓国リーグで頑張れ」なんだね。バーンズ選手は、現在マイナーリーグに所属していて、お試しとしてメジャーに来ているわけです。プレオープンで活躍できれば、そのままメジャー選手として採用され、活躍できなそうだな…と判断されればマイナーリーグに戻る…という状況なわけです。で、こういう“キツ~い”ジョークが浴びせられたわけです。

 真面目な日本人なら、たとえジョークでも、かなり凹みそう…。

 で、このニュース自体、イチローの怪我と合わせて、ゆるゆるなエピソードの一つとして報道されたのですが、日本の報道では“You're Cut! Good Luck”で報道されたのです。実際、私がテレビで見たのも“You're Cut! Good Luck”でした。

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 どうでもいい事かもしれないけれど、わざと“IN KoreA…”の部分は省いて報道されたわけです。

 なんで?

 簡単な話“IN KoreA…”の部分に不快感を感じたからだよ、日本のマスコミが。だから、わざわざ情報をカット(笑)して報道したわけ。ま、一種の捏造報道だわな。

 “IN KoreA…”の“KoreA…”は、韓国の意味もあるけれど“Kore-A”で、マイナーリーグでも、かなり下のクラスに属するAリーグのチームという意味もあるわけです。マイナーリーグにも色々な順番があって、メジャー直前がAAAリーグで、その下がAAリーグ、さらに下がAリーグです。別にAリーグが最下層ってわけではなく、さらに下のリーグもあるわけなんだけれど、Aリーグの選手ってのは、メジャーリーグから見れば、うんとうんと遠い存在なわけで、Aリーグの選手からすれば、メジャーリーグなんて、雲の上の存在ってわけで、そういう事まで含んだジョークなんだよね。

 だから、わざわざ最後の“a”を“A”と大文字にしているのは、そういう事。もちろん、悪く受け取れば「韓国の野球はAリーグ程度」とも取れるけれど、単純にKoreaは、単語の末尾が“a”だから、ジョークのネタにされただけで“Japan”じゃジョークにならないじゃん。たぶん、そんだけだね。ヘイトじゃないよ。彼らに韓国をバカにする気持ちは(おそらく)無いんだと思うよ。

 そもそもバーンズ選手って、メジャーに上がるには成績が微妙なわけで、メジャーと契約できなければ、マイナーリーグに戻るか、海外で野球をやるしかないわけだけれど、日本の至宝であるイチロー選手を怪我させちゃったわけだから、日本野球には来れないわけで「じゃあ、韓国リーグで頑張れよ」ってな意味だってあるわけよ。

 ジョークもジョーク。そんなに目くじら立てる事じゃないし、それが分からないようなら、ネット用語で言う所の“アスペ”でしょ?

 それを勝手に日本のマスコミが「ムカッ!」と来て、そのジョークの肝の部分を削除して報道したわけです。マスコミの人って、優秀な人だらけだから、当然“アスペ”じゃないわけで、じゃあ何かって話なんですよ。

 「“IN KoreA…”と報道することで気分を害する人の事を考慮して、わざわざ親切心でこの部分をカットして報道したんじゃないの?」

 別に“IN KoreA…”付きで気分を害する人なんて、いるの? 大半の日本人は気にもしないし「これは、ジョークだよ」って解説付きで報道するんだから、日本にいる朝鮮系移民の人たちだって気にしないでしょ。つまり、マスコミ連中は誰に配慮して情報操作を行ったのかって事なんです。単純に、自分たちがムカついたから、事実を改変して伝えたわけです。彼らが、アメリカ人のジョーク(つまり、ただの遊び心)を勝手にヘイト扱いにしているわけです。

 普段から、韓国目線で日本と日本人をバカにしているマスコミだから、韓国って言葉が出ただけで“自分たちがバカにされた! ヘイトだヘイトだ!”って感じたんだろうね。残念な人たちだし、君たちは本当はどこのお国の方なんですか?と、小一時間ぐらい問い詰めたい気分になりました。

 あああ…。だから、日本のマスコミって信用できないんだわ。

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2017年2月25日 (土)

ミドリは案外グルメな金魚なのかもしれません

 我が家の金魚は、エサ係が妻に変わって以来、一日一食になり、以前のように無駄に大きくなる子が少なくなりました。ヤヨイは現在の水槽の中では一番大きな子ですが、それでも巨大魚とは(まだ)言えない程度の大きさです。以前の状態なら、おそらくとっくに巨大魚になっていたはずの子なのですが…。

 食べ過ぎると人間は太りますが、金魚は太るか、巨大化します。どうすれば太って、どうすれば巨大化するのかは分かりませんが、おそらく人間とは違って、成長が止まる時期が、金魚はかなり遅いのかもしれません。

 ちなみに、ヤヨイは巨大化の方向に、シズカは太る方向に育っています。その他の三匹は、ミドリがGOODな体型で、アセビとベルちゃんがこじんまりとしています。

 という訳で、5匹いる金魚ですが、ヤヨイとシズカがいわば両巨頭で、この2匹だけ、なんか飛び抜けて大きくなっているのです。

 大きくなっているのは、たくさん食べているからですが、この2匹、それぞれ食の好みがちょっと違います。

 シズカは、エサ以外だと、水草の葉だけを食べます。あくまでもメインはエサのようで、この子は、妻がエサを入れてくれる事と、エサがどこから入るのかは、分かっているようです。ですから、朝になると、一匹だけエサの入り口で待機して、妻がそばを通るとワクワクしているんです。まあ、多少は知恵があるみたいです。

 ヤヨイは…はっきり言っておバカちゃんです。エサは人間がくれるという事は分かっているようですが、誰がくれるのかは分からないみたいで、人間が現れると、それだけてワクワクしているようですし、人間の後を追いかけて、水槽の中を右往左往しています。

 ヤヨイは水草を大量に食べます。なにしろ、ミドリ色の糞を一番たくさんしているのはヤヨイですからね。ヤヨイは水草の葉だけでなく、茎でもなんでも食べます。とにかく、クチのそばにやってくれば、それをかじって食べちゃうみたいです。シズカは、一応、茎と葉を見分けて、葉だけを食べますが、ヤヨイは…どれだけ見ているのかな? クチのそばにやってきた緑色をクチにくわえてガツガツ食べるんです。ほんと、容赦ないですよ。

 水草も繁茂している時は、葉の方がクチに入りやすいので、ヤヨイも葉を中心に食べているみたいですが、水草を水槽に入れてからしばらくすると、食べられてしまって水草の葉が少なくなるのですが、それでもシズカは葉を選んで食べますが、ヤヨイは手近な所から食べてますので、結果として茎もたくさん食べてしまうのです。ただ、やはり茎は葉と違って固くて食べづらいようで、よく茎をくわえたまま、ブンブン水草を振り回してるヤヨイの姿が見られます。結構ワイルドなんですよね。

 ちなみに、他の三匹は…と言うと、あまり水草を食べている様子は見られません。たまにアセビやベルちゃんが遠慮がちに葉を食べているようですが、ミドリはあんまり水草を食べないようです(糞を観察している分かります)。その代わり、ミドリはタニシをよく食べているようです。出目金で、なんか動作が鈍く見えますし、実際、動作は鈍いのですが、よくタニシをくわえてモツモツやってます。タニシはほぼ一日一個ずつ食べられているようで、ミドリは案外グルメな金魚なのかもしれません。

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2017年2月24日 (金)

サプリメントを賢く使おう

 仕事の都合で、ちょっと間が空いてしまいましたが、フルートのレッスンに行ってきました。

 例によって、ロングトーンの練習からですが、バッチリでしたよ。

 エルステユーブンゲンは、20番も21番も、全然、全く、箸にも棒にも…って感じです。と言うのも、エルステユーブンゲンの曲は、あまり練習できなかったからです。

 なぜなら、今回から新たに取り組むプチエチュードの16番に苦労しているからです。この前の15番は合格もらうまで半年かかりましたが…今回はどれくらいかかるんだろ?

 とにかく、吹いていて、しっくり来ないのです。だから、この曲ばかり練習して時間を使ってしまうので、エルステユーブンゲンの曲まで手がまわらないのですね。

 「それは譜読みがきちんと出来ていないからです」と先生に言われました。確かにそうなのかもしれません。きちんと譜を読み込めていないので、曲として実感が湧かないのかもしれません。

 特に、中間部にある、メロディーと伴奏を同時に吹いている箇所が、うまくつかめません。メロディーを吹きつつ、伴奏(和音のアルペジオです)も合わせて吹く…というか、拍頭の音がメロディーで、それ以外は伴奏なので、メロディーはメロディーとしてつなげて吹いて、伴奏は伴奏としてつなげて吹いて、一人で二役…と言うか、フルート一本で、ピアノの右手と左手を同時に演奏するような曲の造りになっているのですが、これがどうにもしっくり来ないのです。

 この部分、奏者である私がしっくり来ないと、聞いている人にはヒッチャカメッチャカにしか聞こえないので、奏者が納得して吹く事は大切です。

 さらに言うと、この曲は9/8拍子なので、うまくリズムにノレないのも、辛いです。あと、装飾音符もそこそこあるのですが…これらは苦手なので、ひとまず後回しにしていますし、先生も全体が吹けるようになってから装飾音符を入れていけばいいとおっしゃっていますので、そうするつもりです。

 いやあ、16番、難しいわ。

 リズムに関しては、メトロノームを併用しながら練習して、カラダで覚えてしまうしかないと思うので(メトロノームの使用はキライなんだけれど)頑張る事にします。とにかく、しっくり来るように頑張りたいと思います。

 今回の雑談は、サプリメントの話です。先日、H先生、免許の書き換えがあったそうですが、年を取ったせいだと言われましたが、視力がガタ落ちなんだそうです。その視力というのも、近眼の度が進んだとかいう視力ではなく(先生は近眼ではありません)、モノを見る力そのものが落ちてきたという話なのです。

 言われてみると、私も最近、モノを見る力が衰えてきた事を実感しています。とにかく、世界が色あせ、目のカメラとしての性能として分解能の低下を実感しているのです。若い時と比べると、世界がぼんやりと霞んでしか見えなくなってきたわけです。別に病気とかそういうのではなく、力としての視力の衰えを感じているのです。

 で、H先生も視力の低下を実感していて、このままでは免許の書き換えで不合格が出てしまうかもしれないと危惧されたのだそうです。そこで先生、免許書き換えの予定日の約一週間前から、ブルーベリーの錠剤を多量に飲み始めたのだそうです。そして、書き換えの日も、ピーカンに晴れ渡った日を選んだのだそうです。

 つまり、自分の視力を高め、明るい日を選んで、書き換えに行ったところ、自分でもびっくりするくらいに良く見えて、無事に免許の書き換えに成功されたのだそうです。

 「ブルーベリー、本当に効くぞ!」なんだそうです。確かに効くのかもね、私も必要となったら、ブルーベリーの大量投与って奴に頼ろうかしらね。

 でも今の私は、ブルーベリーよりもノコギリヤシの方が必要かも…。結構切実なんだよねえ…。

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2017年2月23日 (木)

アゴが痛いのです(涙)

 先日、朝起きたら、アゴが痛くなっていました。前夜までは何とも無かったのに、朝目覚めたら、ザムザは虫になっていた…のではなく、すとんはアゴが痛くなっていました(涙)。

 朝食の唐揚げ(私は朝から肉&揚げ物を多量に食べる人です)を食べるにも、クチがうまく動かずに苦労しました。

 クチをきちんと閉じたり、アゴの骨を外してクチを大開きすると、アゴ関節のあたりがボヤーと、しかし強く痛みます。中途半端にクチを開いている分には、鈍痛がするくらいで、どってことないのですが、クチを閉じたり、大開きをすると、強い痛みがジワーンと広がります。

 鈍痛には慣れてしまいますが、やっぱり痛いは痛いので、寒いのに、朝から冷や汗をかき続けました。

 アゴが痛いくらいじゃ仕事は休めないので、頑張って出勤して、職場の医療関係者の方に、相談してみたら、今日一日は様子を見ても良いけれど、翌日になっても、今以上に痛みが強くなるなら、すぐに病院に行かないといけない。もちろん、痛みが引いてしまえば問題は無いし、今のような緩めの痛みが継続するくらいなら、仕事の都合を見ながらでも良いけれど、なるべく早めに病院を受診するのが良いという事だったので、その日は、ひとまず様子を見ることにしました。

 顎関節症の可能性があるので、あんまり悠長に構えていてはいけないそうです。

 そこでさっそく顎関節症なる病気についてネットで調べました。

 基本的には若い女性の病気のようですが、管楽器奏者とオペラ歌手の職業病でもあるそうですね。管楽器奏者とオペラ歌手ですか…ピンポイントで来ますねえ(汗)。

 原因は不明。歯ぎしりが原因とも言われるし(ちなみに私は歯ぎしりしません)、頬杖が原因とも言われるし(頬杖はよくつきます)、あくびが原因とか(あくびは…結構するなあ)、ストレスが原因とも言われます。クチを無理に縦開きにしても起こるそうで、私の場合は、これが直近の原因かもしれません。とにかく、高音を発声しようとして、ここんとこ、むりやりクチを全開していたから…なあ。アゴの関節に過度の負担がかかってしまったようです。

 治療法は無いわけではないけれど、あまり芳しい治療法があるわけでもなく、すっかり治ってしまう人もいれば、持病として長く付き合う人もいるそうです。症状も様々で、ひどくなると、まともにクチが開かなくなり、歌えなくなるのはもちろん、食事も難しくなってくるそうです。

 そんな事になったら、やせてしまうじゃあないか!

 とにかく、ずーっと痛いので、午前のおやつの時間にアスピリンを飲みました。アスピリンには、解熱、鎮痛、消炎の作用がありますが、これら3つの効能に期待して飲んでみたわけですが…これがずばり当たって、昼頃には熱も下がり、痛みを引いて、アゴも少し楽に動くようになりました。昼食以降は、なんとか通常運転できるようになりました。もっとも、クチを閉じる事はさっそくしましたが、クチの全開は…ちょっと怖いので、やめておきました。

 それでも全快したわけではないので「明日は病院かな…」と思い、さらにネットで調べてみると、顎関節症って…歯医者で治療するのが普通みたいですね。ええ? 歯医者なの? 外科じゃないの? アゴの関節が痛いんだから口腔外科かとばかり思ってましたが…口腔外科なら、近所の大病院にあるし、病院自体には何度も手術などでお世話になっているので、行くのは躊躇ないのですが…歯医者って、あんまり行きたくない病院ですよね、だって、歯医者って町医者じゃん。虫歯とか歯槽膿漏とかならともかく、アゴが痛くて歯医者に行くのって…なんかちょっと違う感じがします。

 少なくとも、私の場合、アゴの痛みは、歯のかみ合わせではなく、顎関節の酷使が原因で、顎関節が炎症を起こしているってのは、自分のカラダなので、よく分かってます。なのに…歯医者に行くの? なんか違うよなあ…。

 で、その日の夜はフルートのレッスンだったので、H先生に「アゴが痛いのです」と言ったところ、先生はその症状を尋ねられたので、答えたところ「グルコサミンを飲みなさい。それも国産の高い奴! それで良くなるよ」と言われました。

 グルコサミンって…膝の関節が痛くなった時に飲むサプリですよね。ん? 待てよ? 膝もアゴも、関節って意味じゃ同じか! じゃあ、グルコサミンを飲んで見るか…。

 そんなこんなで、その翌日を迎えたところ、痛みはほぼ収まっていた(良かったなあ…)ので、さらにグルコサミンを飲んで、様子を見ることにしました。

 これで痛みがずっとずっと収まってくれればいいのですが…正直、顎関節症にはなりたくありません。病気が原因で、歌やフルートを止めるのは、ちょっと残念すぎるでしょ? という訳で、グルコサミングルコサミン…。頑張って、グルコサミンを飲み続けるぞぅ。

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2017年2月22日 (水)

波に乗っかって歌う…私の考える和音感

 先日、音感の記事を書いた時、コメントで音感にからめて和音感についての話も出てきました。確かに、音感を持っている人にとっては、和音って音の集まりだから音感の話になるのだろうけれど、私のように音感が全滅している人にとっては、和音感ってのは、音感とは、また別のモノなんだよね。また(これもどなたかのコメントにありましたが)絶対音感を持っているからと言って、必ずしも和音を分析的に聞けるわけでもないようです。そうなると、やっぱり和音感は音感とは別物…って事になるんだろうと思います。

 和音は“音の塊”なのか、それとも“音の集合体”なのか? 人それぞれ感じ方が違うのかもしれませんが、ここから先は、和音を“音の塊”として感じる私の主観に基いて書きます(失礼)。

 私が和音を音の塊として感じるのは、もちろん、和音を「分析的に聞けないから」というのが一番大きな理由ですが、それ以外にも、単音と和音に大きな違いを感じないからです。

 例えばドソという和音(パワーコードと言って、一番単純な形の和音です)と、単音のド。ピアノの鍵盤を叩いてみて感じる印象は(私にとっては)ほぼ同じなんです(笑)。特にドソの和音のドを強く、ソを添えるように鳴らすと、私の中では“瓜二つ”になるんです。もちろん、全く同じじゃないです(そこまで耳が悪いわけじゃないです)。あえて言うと、単音のドは痩せていて、ドソの和音は太っているんです。そう感じるんです。そして、単音のドもドソの和音も体格に違いはあっても、同じ音に感じます。

 このように、和音ってのは、単音を太らせたもの…と私は感じるんです。だから、単なる音の集合体とは違うのね。“足し算”と言うよりも“掛け算”みたいに感じるわけです。で、元となる音に加えていく音の組み合わせ方を変えることで、音の太り方を変えていく…それが和音なんだと思うのです。

 和音の話をすると、協和音と不協和音の話がよく出ます。協和音ってのは、音階の中の任意の音に対して、三度と五度の音を重ねたものを言います。ドミソとかファラドとかソシレとかね。クラシック音楽で主に使うのは、この協和音です。時代が下がるにつれ、不協和音も使うようになりますが、日本人の多くがイメージするクラシック音楽だと、この協和音を機能的に使った曲が大半だったりします(ここでするべき和音進行については割愛します)。

 不協和音と言うのは、この協和音に対して、余計な音を足したものを言います。例えば、ドミソにシを足してドミソシとか、さらにレを足してドミソシレとか、さらにファを足してドミソシレファとか、あるいはラを足してドミソラとかね。それぞれ、コードネームで書けば、C7であったり、C9であったり、C11であったり、Am7であったりします。

 また、協和音のある音をちょっと動かしたものも、不協和音って呼びます。ドミソのソを半音上げてドミソ#にしたり、逆に半音下げてドミソ♭にしたり、ミを半音あげてドファソにしたりね。それぞれコードネームで書けば、Caugだったり、C♭5だったり、Csus4だったりするわけなんだけれどね。

 これら不協和音は、ポピュラー音楽では普通に使う(だからコードネームが存在するわけだ)けれど、クラシック音楽では近現代曲(日本人が好まないクラシック音楽です)ぐらいしか使わなかったりします。

 そもそも、協和音不協和音という言葉自体、クラシック系の用語であって、和音を『協』と『不協』に分けちゃう発想自体がすごいと思います。私に言わせれば、それぞれ音の太らせ方が違うだけで、みんな美しい和音であって、決して不協な和音じゃないんだけれどなあ…。

 おそらくクラシック音楽って、美の基準が“高い”と言うか“狭い”と言うか、とにかく一本スジが通っているんだと思います。一方、ポピュラー音楽は、基本的に“なんでもアリ”と言うか、間口が広いと言うか、美の基準がユルイのかもしれません。それは、和音に関する美意識の違いにも現れているんだろうなあ。

 じゃあ、和音の美しい美しくないは、どこで分けるのか? それは和音をどう捉えるかで変わるのかもしれません。

 私にとって、音は波なんです。つまり、音波ね。だから和音も波です。波動だね。その波動のうねりが心地よければ、美しい和音であり、うねりがなっちゃないのがダメな和音なんです。

 だから、ハモるってのは、どういう事なのかと言えば、ある波に別の波をかぶせた時に、最初の波と次の波が互いに呼応しあうのがハモるって事であって、互いに打ち消し合ってしまうのがハモっていない状態だと感じています。

 で、色々な音が混ざって波がグチャグチャになっているのがノイズです。すべての音域でグチャグチャになっているのがホワイトノイズで、中低音域がグチャグチャなのがピンクノイズね。

 ちなみに、音色も波動の違いだと感じています。きれいな音色は波も美しく、汚い音は波がグチャグチャなんです。そこは単音であっても和音であっても同じ事です。

 ええと、ここで使っている“波”という言葉は比喩表現ではなくて、本当に音波の“波”を表しています。だって私には、音というのは“波”なんだもの。

 以前「すとんさんはピアノに合わせて歌えるから音感がある」とのコメントをいただきましたが、別に私には音感はありませんが、ピアノが出す波に対して、自分の声がうまく呼応するように歌っているから、ピアノと声が合っているだけで、別に音感があるわけじゃないのです。

 だから、私にとって、歌とか合奏とかって、波乗りみたいなモノなんだよね。

 その証拠に私、アカペラで歌うとヒドイですよ。もう、なんじゃソレ?ってくらいに、フリーダムな音楽になってしまいますが、伴奏があれば、その伴奏音の波に乗せて声を出していくので、まあまあな歌になるわけです。音感があれば、伴奏の有無に関わらず、正しい音程で歌えるはずだものね。

 まあ、サーファーは波があってナンボでしょ。波がなければ、ただの丘サーファーってわけで…かっこ悪いじゃん。ですから、私には音感はないけれど、和音感はあるんだろうなあって思ってます。

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2017年2月21日 (火)

リズム感は複合的で統合的な感覚でありんす

 昨日は音感について考えました。結局、音感とは記憶力の事であると結論づけた私ですが、今回はリズム感について考えてみたいと思います。

 私は、そんなにリズム感は悪くないつもりです。まあ、普通? いつもいつも正確無比とは言い難いけれど、そんなにデタラメじゃないつもりです。少なくとも、音楽にノッてダンスを踊れるくらいのリズム感はあります。四拍子だけでなく、三拍子や六拍子だって平気です。これが九拍子とか七拍子とか五拍子とかになると、ちょっと苦労します。つまり、ポリリズムはちょっと苦手って感じかな? でもまあ、普通の人はそんなモンでしょう。でも、音楽をやる人としては…もう少しきっちりしていた方が良いかな…とは思います。

 まあ、私のリズム感については、それくらいにして、リズム感の実態について考えてみたいと思います。

 リズム感ってのは、音感とは違って、それほど単純ではないかな…って思います。と言うのも、音感って基本的にインプットの問題だと思うのです。今聞いた音は何の音なのか?…という感覚です。アウトプットの話は、歌唱力とか演奏力とかの別の話になります。

 しかし、リズム感って奴は、インプットとアウトプットの両方にまたがる問題でしょ? 聞いて分かる事と、うまく表現できる事。この2つが揃ってのリズム感覚なわけで、その分、話は簡単には進まないのです。

 まず、インプット方面で考えるならば、必要なのは時間感覚かなって思います。結局リズムって、時間の長短でしょ? この時間の長短がきちんと分かる能力がリズム感なのかなって思います。

 アウトプット的に必要なのは…運動神経? いわゆる『自分が意図したとおりの動きをし続けられる事』ですね。例えば、手を叩くでも、ちょっとの時間だけ手を叩くのは、、誰でも出来ますが、これをある程度の時間(一曲分だとしたら3分程度?)やり続けるのは大変です。また、動く速度にしても、タラタラしか動けないのではダメで、ある程度はシャープな動きができないと細かいリズムを表現できません。お手本に合わせて手を叩くだけにしたって、運動神経が必要です。

 そしてインプットとアウトプットの間にある、いわば情報処理の部分もリズム感と関係します。具体的に言えば、楽譜を見てリズムを自分で生成するって部分です。これが音感ならば、楽譜に書かれた音程を思い浮かべればいいので簡単ですが、リズムはそんなに簡単じゃあないのです。

 リズムの生成方法には、大きく分けて2つあると、私は考えます。一つはクラシック的なリズム。もう一つはポピュラー音楽的なリズムです。

 クラシック音楽的なリズムとは、足し算のリズムです。つまり、楽譜にかかれている音符(この場合、音符の時間的な長さにだけ注目ですね)を次々に表現していくリズムです。具体的に言えば「タンタンタタタン」というリズムを手拍子で表現するなら、まず一発手を叩いた後、四分音符(に相当する時間)をあけて、次の手を叩き、また四分音符あけたら、次を叩く。今度は八分音符あけて、叩いて、また八分音符あける。で最後の音を叩いて四分音符あいたら音を止める。これで「タンタンタタタン」というリズムができるわけです。

 クラシックの場合は、音楽の横の流れを大切にするので「タンタンタタタン」なら“四分音符-四分音符-八分音符-八分音符-四分音符”と順に、それぞれの音符の長さに応じて、手を叩けばいいのです。

 細かい話をすると、これらの音符、四分音符なら四分音符で、八分音符なら八分音符で、だいたい同じ長さだけれど、厳密に同じでなくて良いわけです。音楽の流れによっては、ちょっと長めにしたり、ちょっと短めでも良い…ってか、そういう緩急をつけて演奏するのがクラシック音楽の特徴なので、合奏などの場合は、微妙に異なる長さの音符をピシっと合わせるために、指揮者が必要になってくるわけです。

 もう1つのポピュラー音楽的なリズムは、割り算だと私は考えています。ポピュラー音楽には指揮者はいません。その代わり、ビート(強拍)という基準音が存在します。音楽がどんな流れであっても、ビートは全員で合わせます。逆に言えば、ビートからズレている音は割といい加減なのです。譜面上は等間隔に指定されているリズムも奏者の気分や個性で符点っぽく演奏されたり、連符のように演奏されたりと色々です。細かいところは自由に、ビートの部分はパシッと合わせるわけです。

 例えば「タンタンタタタン」というリズムを一般的な4ビートで手拍子するなら3つある「タン」と「タタ」の最初の「タ」はビートに合わせて、きっちりと手を叩かないといけませんが、「タタ」の後ろの「タ」は、少々ルーズでも可なのです。8ビートで手拍子するなら、すべての音符をきちっと叩かないといけませんが、2ビートで手拍子するなら、最初の「タン」と「タタ」の最初の「タ」だけ、ばっちり叩けば、後はノリでどうぞって感じになります。

 こういうバラついた感じがポピュラー音楽の特徴であり、これをビートに関係なく、リズムのバラつきを抑えて、すべてを正確に表現する(つまり、32ビートとか、64ビートとか、128ビートにすればいいわけです)と、いわゆるハウスとかテクノというジャンルになります(これはこれでポピュラー音楽なんですけれどね)。

 ああ、リズムについて考え始めると、アタマがワヤワヤになってしまいます。ほんと、リズム感って、複雑な感覚なんだなあって思います。

 「音程の音痴は訓練次第で治るけれど、リズムの音痴はなかなか治らない」と言いますが、それはリズム感ってのが、複合的で統合的な感覚だからなのだと思います。

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2017年2月20日 (月)

音感とは記憶力の事である

 私には音感がありません。絶対音感はもちろん、相対音感ですら危ないです。だからと言って、音楽が楽しめないわけではないし、フルートが吹けないわけでも、歌が歌えないわけでもありません。でも、音感はほぼ全くと言って良いほどありません。

 ポーンとピアノのキイを叩いて出た音が、何の音なのか分からないし、ポンポーンと二つのキイを叩いて出た音が、どれくらい離れているかも分かりません。

 しかし、どれくらい離れているは分からなくても、音が上がったのか下がったのかは、2度以上なら、さすがに分かりますが、1度の違い(って事は実質半音だね)だと(だらし無い話だけれど)だと、たまに間違えます。

 でもね、音の違いは分からなくても、ポンと叩かれた音と同じ音を発声する事はできます。でも、同じ音をフルートでは吹けません。だって、何の音なのかが分からないんたもの。だから、知らないメロディーであっても、聞けば歌えますが、何度聞いても聞くだけではフルートは吹けません。フルートは楽譜がないと、お手上げなのです。つまり歌だと耳コピできますが、笛だと耳コピできません。そんな程度の人間なのです。

 では、なぜ、私はその程度の人間なのかと考えてみました。

 まあ『才能が無いから』とか『幼少時にまともの音楽教育を受けなかったから』とか『人間としての程度が知れてるから』とか『馬鹿だから』とか…そういうのは、ちょっと横に置いてみました。でないと話が進まないからね。

 自分の無能力さに関する事柄を抜きにして考えてみました。一体、何が原因となって、私には音感が無いのだろうか? そもそも音感っで何なんだろう?

 うーん、うーん、うーんと唸って出た答えは、音感って、実は記憶力じゃないのかな?って思いました。音程に関する記憶力の事を“音感”って言うんじゃないのかな?

 そうであるならば、よく「絶対音感は幼少時でなければ身につかない」と言われるのも解せます。幼児の記憶力って、爆発的にすごいんだよね。彼らはなんでもかんでも暗記できちゃうんだもの、あの記憶力があって始めて絶対音感という、音の印象を個別に暗記する事ができるわけです。

 記憶力は年を取るに従って衰えていきます。一説には小学校高学年を境に、後はズルズルズルズルと能力が低下していくだけなんだそうですね。記憶力が衰えてくれば、個々の音の印象を覚えることができなくなっても当然です。個々の音についての記憶は無理であっても、音と音の関係性の印象は覚える事ができるようです。これが相対音感って奴でしょう。この相対音感は、一般的には、大人になっても身につけることができるんだそうです。

 一般的には…ですね(涙)。

 実は私、子どもの頃から、記憶力ってダメなんですよ。特に言語的な記憶力と言うか、分析的な記憶力って奴が壊滅的にダメなんですよ。

 私が得意なのは、目で見た風景をまるまる覚える事。いわゆる“フォトメモリ”って奴で、例えば英単語を暗記するなら、普通の人は、英単語をブツブツ言いながら覚えたり(聴覚的に言葉として覚えるわけです)、何度も何度も書きながら覚えたり(運動をしてカラダに覚えさせるわけです)しますが、私は全然違っていて、ただぼーっと単語帳を眺めて、単語帳のページを丸々暗記します。そこに何が書かれているとかは、全く関係ありません。ただただ単語帳のページを風景として暗記します。テストの時などは、頭の中にある単語帳をめくって該当箇所を読んで答えるわけです。全く理解せずに暗記しちゃう人なんですね。

 実は今でもそうで、エルステユーブンゲンの暗譜は、音とか指とかでなく、楽譜を丸々暗譜して、頭の中でその楽譜をガン見して吹いているんですよん(笑)。

 楽譜は見えるので暗譜できますが、音は…見えません。私、見えないものって、なかなか覚えられないんです。

 でも時間をかければ、丸暗記はできますので、曲としての音楽は覚えられるし楽しめるのですが、あくまでも全体を丸暗記ですから「途中から…」とか「部分的に…」とかだと、かなり苦戦します。

 まあ、私の事はさておいて、音感って奴は『音に関する印象の記憶力』の事だと思います。それが個々の音に関する情報まで記憶できれば『絶対音感』となり、個々は無理でも、音と音の相互関係に関して記憶できれば『相対音感』になるのだと思います。

 となると、私の場合は、絶対音感も相対音感も、身につけるのは、まずは無理だな。私にできるのは丸暗記だけなので、音楽も丸暗記するしかないわけです。で、問題は、私はすでに若くないって事です。昨日食べた食事すら思い出せないほどに、記憶力が低下している現在、音楽を丸暗記するのも、結構苦労しているわけです。

 まあ、出来ない事を恨んでも仕方ないし、衰えてしまった事は受け入れるしかありません。ただ、今できる事を全力で行う…それだけです。

 でもね、やっぱり、音感を持っている人って、羨ましいです。

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2017年2月19日 (日)

そう言えば、街の商店が無くなってきましたね

 先日、ふと気づいたのですが、街に点在していた一般商店が、私が子どもだった頃と較べると、だいぶ少なくなってきました。かつてはにぎやかだった商店街も、今では閑古鳥が鳴いているところも多く、ウチの近所の商店街も、今や通りには商店よりも(商店を廃業した)一般住宅の方が数が多いくらいです。

 例えば、ウチの近所にあった八百屋と魚屋と肉屋と酒屋と乾物屋と電気屋が集まっていた小さな商店街の場合だと、今でも商売を続けているのは、八百屋だけ、それも数年前に商売替えをして、今では八百屋ではなくコンビニだったりします。でもやっているだけ立派なもので、他の商店は廃業してしまって、普通の民家になりました。

 街を見渡すと、かつての商店街はほぼ壊滅状態で、地域住民の買い物は、コンビニやスーパーマーケットがその役を担っているように見えます。ですから、地域住民的には、商店街に通っていたのが、コンビニやスーパーマーケットに行き先を変えただけで、特に不自由はない…ってか、むしろ品数豊富で良いサービスを受けられるようになったわけです。

 一見、めでたしめでたしのような気もしますが、なんか寂しいですね。

 実は、ウチの実家は某地方都市でお菓子屋を営んでいました。ええ、お菓子屋です。駄菓子やスナック菓子から、煎餅やまんじゅうのような和菓子と、ちょっとしたパンやケーキも取り扱った、総合菓子店だったわけですが、その店を祖父の代までは頑張って営んでいたわけですが、祖父の死後、父はその店を継ぎませんでした。

 場所的に都市の一等地にあるので、父は家を建て替えて、一階部分を貸店舗に、二階部分を自分たちの住居にしました。最初は某電話会社さんにテナントとして入ってもらってホクホクだったのですが、しばらくして出ていってしまったので、今は医療機関に入ってもらってます。

 そんなわけで、ウチは今でも(貸店舗ですが)商売をやってますが、隣の八百屋は廃業してしまってシャッターを下ろしたままだし、その先の電気店は古道具屋に商売替えをしましたが…どうなんでしょうね。商店街自身もお店が減り、一般住宅になってしまった店もあれば、シャッターを下ろしたままのところも目立ちます。

 実はすぐそばにスーパーがあったので、みんな、近くのスーパーに客を取られた…と思っていたら、そのスーパー自体も先日潰れてしまって、今では跡地が駐車場になっています。と言うのも、そのスーパー自体はそこそこ流行っていたようですが、親会社が経営不振だったので、整理されてしまったようです。地元の人間は、潰れてしまったスーパーの更に奥に、別のスーパーができたので、今はそちらに行っているようですが、新しいスーパーは山の上の方にあるので、お年寄りなどは通うのに大変みたいです。

 栄枯盛衰、夢の跡…でございます。

 大手のコンビニやスーパーが地元に進出してくると、その土地に暮らす人々の生活は便利になりますし、雇用も増える…かもしれませんが、昔から商売をやっていたところは大変になりますし、大手は大手の事情があって、地元の都合とは関係なく店舗を撤退してしまう事もあるわけで、もしもスーパーがやってきて、そのた地元の商店街が無くなって、その後にそのスーパーが撤退して、その後何もやってこなかったら…街そのものが滅びかねないなあ…なんて、想像してしまいました。

 昔ながらの街の商店街は素晴らしい…とは思いません(これはこれであれこれ大変だし不便なのです)が、大手資本の大型店ばかりになって、地元に密着した商店がないと、まさかの時に現代人としての最低限の生活が崩壊してしまうので、商店街は商店街として頑張ってほしいなあ…と思ってます

 ですから、どこで買っても同じものなら、なるべく地元のお店で買いましょう。私はなるべくウチの近所(徒歩1分)の、元酒屋のコンビニ(笑)であれこれ色々と買うようにしています。だって、そのコンビニが無くなったら、私困るもん。

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2017年2月18日 (土)

金魚と冬眠

 金魚は魚類です。つまり変温動物です。変温動物であれば、冬になれば…冬眠します。実際、戸外で飼われている金魚は冬眠します。

 なぜ冬眠するのか…と言えば、冬眠するしかないからです。と言うのも、彼らは変温動物ですから、外気温が低くなれば水温も低くなって、当然体温も低くなるわけで、体温がある程度低くなれば活動が鈍くなり、あるところを越えてしまうと活動が出来なくなります。で、冬眠せざるを得ないわけです。まあ、一種のコールドスリープ状態になるわけです。

 我々人間は恒温動物で冬眠はしないので、この冬眠するという感覚は、なかなか分かりづらいのですが、彼ら変温動物は冬眠するわけです。

 戸外で飼われるという事は、水盆とか池とかで飼われているのだろうけれど、冬の池って凍るよ。戸外で飼われる金魚は、その凍った水の下の0度近い水の中で、じっと動かずに、エサも食べずに、冬眠をするわけです。

 と言う訳で、金魚も冬眠をする生き物なのですが、屋内で飼われていると、少々事情が異なってきます。

 我が家の金魚の場合は、屋内水槽飼いなので、少々面白い事になっています。

 まず平日の昼間は、我が家は留守がちになので、水槽が置かれている居間の暖房が切られている事が多いので、室温が低くなり、それに伴って水温も下って、金魚たちは動きづらくなるようです。いわば、金縛り状態となり、水槽の底でじっとしている事が多いです。おそらく寝ている…それも熟睡しているようです。

 夕方になって人間たちが帰宅していると、居間にも暖房が入り、徐々に室温水温が上がっていきますと、金魚たちも少しずつ動きが活溌になり、人間の就寝時刻のあたりには、元気ハツラツでお祭り状態になります。

 人間が寝てしまい、居間の暖房が切られる夜から早朝にかけては、室温水温が少しずつ下ってきて、朝になると、金魚の動きはだいぶ緩慢になるようですが…朝は一日一回のエサの時間があるので、その時は、満身の力を込めて、力強く泳ぎ回ります。

 朝はもちろん暖房を入れますが、時間的には短時間だし、すぐに人間たちは出払ってしまうので、たぶん、水温はそれほど上がらずに、やがて長い平日の昼間になると、さらにさらに室温が下がって、金魚たちは金縛り状態になるようです。

 面白いですね。

 ちなみに、休日は朝から晩まで人間がいて、ずっと暖房が入っている事が多いので、金魚たちは一日中、元気ハツラツで大騒ぎしています。

 変温動物の暮らしも、なかなか楽じゃないみたいです。

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2017年2月17日 (金)

フルートは素材で音が変わるのか

 この話題は、アマチュア笛吹きにとって永遠の課題かもしれません。時が経つにつれ、私も多少なりとも考え方が変わってきていますので、2017年現在の私の考え方を書いておきたいと思います。

 まずフルートは素材で音が変わるのか? 私が思うところをはっきり書いてしまえば“フルートは素材じゃ音が変わらない”と私は思ってます。つまり、洋銀もゴールドも、音色の違いはごく僅差であって、ほぼ同じだと思います。ああ、身も蓋もない。

 素材が音色にあたえる影響はゼロではないかもしれませんが、それ以外の要素の影響が大きすぎて、結果として、素材でフルートの音は変わらない…と思うようになりました。

 まず、フルートはエアリードの楽器です。クラリネットやオーボエのようにリードで原音を作ったり、トランペットのようにクチビルが震えて原音を作っているわけではなく、頭部管に息を吹き込む事で空気の振動が作られ、その空気の振動が管体の中を行き来することで音が作られているのです。

 空気が振動して音を作っているわけで、その空気が洋銀の管の中にあろうが、ゴールドの管の中にあろうが、空気は空気なのであって、そこで作られる振動(つまり音)は、基本的に同じだからです。

 ですから、管体の素材は音に影響をほとんど与えないのです。特に金属管に関しては、その影響力は皆無じゃないでしょうか? もし管体が音に影響を与えるならば、それは素材の違いより、管体の体積とか長さとか重さとか硬さとかの方だと思います。体積や長さが変われば、空気の振動自体が変わって音程や音色に影響が出ますし、重さが変われば音量が変わってきます。硬さが変われば音の立ち上がりが変わってきます。

 「初心者の頃は洋銀フルートを使ってきましたが、先生から『そろそろあなたもシルバーの楽器がいいわね』と言われましたが、あれは一体どういう事なんでしょうか?」

 それこそ楽器の重さの問題だと思います。

 音とは振動です。振動だから、発信源には、その振動エネルギーに負けないほどに位置エネルギーが強いものが良いのです。つまり、音を出すモノは重い方が良いって事です。これ、オーディオの基本ね。

 今までは、楽器に吹き込む息も弱く、楽器を鳴らす力も小さかったので、軽い洋銀の楽器で十分だったけれど、楽器に吹き込む息も強くなり、より大きな音で演奏出来るようになったので、より重いシルバーの楽器の方が良い…って事なんだろうと思います。位置エネルギーの強い楽器の方が、弱音から強音まで無理なく美しく発音できるというものです。

 「そうは言っても、実際のところ、洋銀フルートとゴールドフルートは音が違うじゃん」

 それは素材の違いではなく、造りの違いでしょう。特にフルートの場合、楽器の値段で、頭部管の造りが違うので、その影響だと思います。

 頭部管の造りの違いは、音に与える影響が大きいと思います。フルートは空気が振動して音を作る楽器ですが、頭部管は、その空気の最初の振動を作り出す部分ですから、頭部管の造りの違いは、その音に大きな影響を与えます。実際、頭部管を取り替えると、ガラッと楽器の音が変わるでしょ?

 なので、ゴールドフルートの頭部管を洋銀フルートに差し込んで吹いてみたら、ゴールドフルートのような音がする…はずです。まあ、私はゴールドフルートを持っていないので、試してないのですが、総銀フルートに洋銀フルートの頭部管を実際に差した時には、総銀フルートから洋銀フルートのような音が出ました。ちなみに逆を試そうとしたら…頭部管が入らずに断念した記憶があります(笑)。

 なので、頭部管銀のフルートって、なかなかコストパフォーマンスが良い楽器なのかもしれません。

 「でもプロはたいていゴールドフルートじゃん」

 H先生もゴールドフルートですよ。それも今時珍しい厚管のゴールドです。とにかくすごいよ。

 プロ奏者がゴールドフルートを所持する理由は2つです。一つは営業上の必要から、も一つが演奏上の必要からです。

 営業上の必要とは、見るからに高級で高価な楽器を使うことで、プロとしてお客に夢を与えられる事、尊敬を集められる事、プロとしての立ち位置を明確にする事でしょう。つまり「プロなんだから、見るからに良い楽器(高価な楽器)を使って当然」って事です。

 演奏上の必要とは…H先生がよく言うのですが「ゴールドフルートは音が飛ぶからね。オケはゴールドでないと」なんだそうです。つまり、ゴールドフルートは重くて位置エネルギーが大きいので、オーケストラの演奏の中でも、フルートの音がホールの隅々までよく届くって事です。

 「楽器屋に行けば、ゴールドを勧められるけれど、あれってどうなの?」

 もちろん商売だからですが、それだけでもないと思います。実際、価格の高いフルートは、より丁寧に作られ、道具としての使い勝手もグンと良くなっています。で、フルートは価格が高くなるにつれ、素材が変わってきますので、結果としてゴールドフルートとか総銀フルートは高級フルートって事になり、腕が上達してきたら、ぜひそういうフルートを使った方が良いって事になるわけです。

 私個人も、今は総銀フルートで満足していますが、もしも、もっともっと腕が上達してきたら、将来は高級フルートとして、ゴールドフルートを購入するかもしれません…っと言うわけで、別に私はゴールドフルートを否定しているわけではないのです(念のため)。

 おそらく、フルートの音に与える影響は、その素材なんかよりも、頭部管の造りと、奏者自身の身体の方が大きい…と私は思います。特にフルートの場合“奏者自身の音”が、何と言っても影響が大きいです。ある程度の腕前になると、どのフルートを吹いても同じ音しかしなくなるのが、その証拠です。私程度の腕前でも、ちゃんと“私の音”ってのがあって、自分で聞いていても、楽器による音の差はかなり小さいです。他人が聞くと、ほぼ一緒に聞こえるようです。なので、昔は楽しかった、楽器店をまわってフルートの試奏をするのだって、今は、昔ほどメーカーごとの、フルートのモデルごとの差を感じなくなって、どれ吹いても自分の音になってしまうので、つまらなくなって、試奏をするのを止めてしまったわけです。

 逆に言うなら、素材の違いで音色が大きく変わってしまううちは、まだまだなのかもしれません。しかし、ゴールドフルートは、その造りの丁寧さや道具としてのレベルの高さがありますので、素材云々は抜きにして、ぜひ手元に置いておきたい楽器です。音色の変化を楽器に求めるのなら、フルートの素材に注目するよりも、頭部管の造りに注目して選んだほうが良いと思います。あと、日々の練習で、自分自身の音をブラッシュアップする事かな?

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2017年2月16日 (木)

生演奏と録音

 本来、生演奏と録音された演奏では、その音も雰囲気も感動も段違いですが、その事を現代で暮らす我々は忘れてしまったフシが見受けられます。

 まあ、現代人である我々にとって“音楽を聞く”という行為は、その大半が録音された演奏を聞く…と言っても過言じゃないですからね。CDで音楽を聞く、iPodやiPhoneで音楽を聞く、配信された音楽を携帯で聞く、YouTubeにアップされた音楽を聞く、テレビで放送された音楽を聞く、車の中でラジオから音楽を聞く、商店街でBGMとして流されている音楽を聞く…ほら、我々の日常生活で耳にする音楽って、ほぼ録音された演奏を聞いているわけです。

 むしろ、現代人にとって、音楽を生演奏で聞く…というチャンスは、どれぐらいあるものでしょうか? 積極的にコンサートやリサイタルに行く人は別として、普通に暮らす人々が生演奏に接する機会と言えば、子どものピアノの発表会? 中学校の文化祭で演奏する吹奏楽部? 街角で歌うストリートミュージシャンたちの演奏? こんなものだよね。

 さらにこの生演奏を『生楽器による生演奏』に限ってしまうと、ポップス系のコンサートやストリートミュージシャンの生演奏すら除外されてしまいます。おそらく、普通に暮らす現代人が『生楽器による生演奏』を聞く機会なんて、ほとんど無いのかもしれません。

 録音が今ほど普及する前の人たちは、当然、音楽を生演奏で聞いていたわけです。当時はポピュラー音楽ですら、ジャズやラテン音楽の時代ですから、当然、生楽器による生演奏だったわけです。だって電気がさほど普及していなかったから、電子楽器やP.A.がまだまだだったからです。それゆえに『生楽器による生演奏』ばかりを聞いていました。

 人々が耳にする音楽が“生楽器による生演奏”から“録音された演奏”へと変わっていったのは、つい先日の話であり、それは唐突にガラっと切り替わったようです。

 その切り替わりの時代の代表的な音楽家である、指揮者のフルトヴェングラーは録音された音楽を「音楽の缶詰」と言って嫌っていたのは有名ですが、録音された音楽を「音楽の缶詰」と評したのは、蓋し名言だと私は思います。

 生演奏も録音された音楽も、その両方を聞いていた世代の人たちは、その違いが分かるが故でしょうか? 録音された音楽の再生音を、いかに生演奏に近づけられるものかと苦心したものです。これをオーディオ趣味と呼び、その人たちをオーディオ・マニアと呼んだわけです。

 そもそも録音された音楽には、あれこれ“欠け”があります。マイクロフォンはすべての音情報を拾えるわけではありません。レコーディング機材…大昔はSP盤、そこからアナログテープ、デジタルテープ、現代のハードディスクへと変わりましたが、それでもすべての音情報が記録できるわけではありません。またそれを再生するスピーカーも、すべての情報を音として再現できるわけではありません。そうやって、生演奏と録音された演奏がかけ離れていってしまうのです。

 昔の人は、その違いを知っていたからこそ、オーディオ趣味に走る人々がいたのですが、今の時代、どれくらいの人がオーディオ趣味に走るのでしょうか? 以前は電気店でも大きな面積を占めていたオーディオコーナーは、いまや規模縮小が当たり前、オーディオコーナーそのものが無くなってしまった店すらあります。

 生まれた時から録音された演奏ばかりを聞いて育った人たちは、生楽器による生演奏が、録音された演奏とは、かなり違うモノであることを知らないままでオトナになってしまったのではないでしょうか? それゆえ、録音された演奏を生演奏に近づけて聞きたい…という欲求が薄いのかもしれません。

 音楽が録音され、人々がそれを楽しめるようになった事は、大変良いことだと思います。自宅にいながら、世界中の音楽を楽しめるわけだし、同時代の演奏はもとより、昔の名演奏すら聞けるわけですからね。その代償として、生演奏から見れば劣化した音楽で我慢せざるをえないわけです。

 私はこれって、音楽をラーメンに例えて考えると分かりやすいのかなって思っています。

 ラーメンって、本来は中華料理の一つのメニューであり、本物を食するには、本場中国に行って食するとか、あるいは日本各地にある中華街などで中国人シェフたちが調理したものを食するとかしないと、本来はダメなわけです。

 これは、クラシック音楽ならばヨーロッパで、ジャズならアメリカで聞く、本場の本物の演奏に相当します。また彼らが来日して演奏するのは、中華街で中国人シェフのラーメンを食べるようなものかもしれません。

 やがて、日本人シェフが本場に渡って料理修行をしたり、それらの本場で修行してきた人に次の世代の人たちが弟子入りをして、日本の街のあちこちにラーメン屋が開店しはじめました。これら街のラーメン屋さんのラーメンは、本場の味を踏まえながらも、日本人の好みに合わせて、ラーメンの味を調整し、より美味しいものに仕上げてきます。

 留学帰りの演奏家や、留学帰りの演奏家に弟子入りをした演奏家さんたちは、街のラーメン屋みたいなもので、本物のテイストを残しながらも、我々日本人の好みに応じた演目をチョイスし、我々に分かりやすく、解説をしたり説明をしたり工夫をしながら演奏してくれるわけです。

 一方、袋入のインスタントラーメンやカップラーメン、スーパーで売っている生ラーメン等は、録音された音楽に相当するのかな?って思います。

 名店の店主が監修したカップラーメンって、あるでしょ? あれって実に美味しいけれど、やっぱり実際にお店で提供されるラーメンとは、どこか違うわけで、その違いが、店屋物とインスタントの違いかなって思うわけです。

 生演奏と録音の演奏の違いは、ざっと聞いた分はほぼ同じなんだけれど、細かな魅力や輝きや響きって部分が違うわけで、そのちょっとの違い(しかし大きな魅力の差)は、ラーメンにおける店屋物とインスタントとの違いみたいなものかなって思うわけです。

 で、ラーメンと言えば、現代では、お店だけでなく、家庭でも普通に食べる料理であり、家庭で食べるラーメンは、当然、スーパーなどで入手できるモノであるので、インスタントが主流となるわけです。子どもの時代に食べるラーメンなんて、それこそ、カップ麺だったり、母親が作る袋入りのインスタントラーメンか、スーパーの生ラーメンを母親が調理してくれるものであって、子どもたちは、それがラーメンだと思い込むわけです。

 実は私がそうでした。だから、オトナになって、お店でラーメンを食べた時は「これはラーメンみたいだけれど、ラーメンじゃない!」って思ったものです(笑)。

 まあ、録音が普及したことで、我々の音楽鑑賞ライフは充実したわけだけれど、やはり録音は生演奏とは違うわけで、ある意味、生演奏にはかなわないわけで、生を聴かずに、その音楽なり、演奏家なりを判断しては、かわいそうだなって思う私なのでありました。

 それって、一度もその名店に足を運んだこともないのに、その店が監修したカップラーメンを食べて、それでその店の味を批評したら…おかしいでしょ? それと同じ事ね。

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2017年2月15日 (水)

アゴを全開して声帯を伸ばそう

 さらに声楽のレッスンの続きです。今度はアリアです。ヴェルディ作曲「椿姫」のテールのアリア「De'miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。

 まだ、歌い込みが全然足りないので、部分的にリズムがいい加減だったり、音程が怪しかったりする箇所があるので、それらを間違えずに一発で歌えるように、音を取りながら、しっかりと歌い込んでこないといけません。

 さて、この曲はレチタティーヴォから始まるわけですが、先生曰く「なぜ、この曲は、こんなに軽く歌えるのか!」とビックリしていました。なにしろ私、無自覚に歌うと、バリトンよりも重い声で歌ってしまい(汗)、毎回のように注意されている人なのに、この曲に関して言えば、無自覚に歌い始めても、かなり軽めの声で歌っているのだそうです。

 良い事なんだけれど、それが無自覚って部分が残念なわけで、しっかり自覚をもって軽い声でいつも歌うことが必要なわけです。それにしても、なぜこの曲だけ軽い声で歌えるのでしょうね。本人にも分かりません(そこが私のダメなところなのです)。

 “scordo ne'gaudi suoi”の“suoi”がE♭-A♭という上行跳躍音形なのですが、このA♭でいつも失敗する私です。ちなみに、他の箇所のA♭はまあまあ歌えるわけだから、A♭が出ないわけじゃないのです。単純に出し方が悪いのでしょう。

 結論から言えば、E♭-A♭という4度の跳躍で、跳んだ距離が4度に届いていないってだけです。だから、4度に届くような跳び方をすればいいだけの話です。

 私の音程跳躍力が4度に足りないのなら、飛び跳ねる前に足を溜めて跳べばいいのです。

 足を溜める…と言っても、リアルに息を溜めてしまっては力づくになってしまうのでダメです。では何を溜めるのか? 音を上に飛ばすわけですから、単純に考えるとノドを上に引っ張り上げることで実現できますが、それをするための溜めですから、ノドを下に引っ張る事が必要となってきます。“scordo ne'gaudi suoi”というフレーズは上行音程なのですが、ノドは逆方向に下に引っ張って歌い“suoi”の“suo”まで思いっきり下に引っ張って、そこから“i”で、下に引っ張ったノドはそのまま下に溜めたままで、そこから思い切って上に引っ張り上げるのです。そうしないと、跳躍の箇所は歌えません。音は上行させながら、ノドは下降させていくのって、案外むずかしいものです。もちろん、ノドを上に引っ張り上げる時には、腹筋は嫌になるほど体内にめりこむように押し込みます。順番的には…

 1)ノドを下に引っ張る
 2)腹筋を体内にめり込ませる
 3)ノドを上に引っ張る
 4)実際にA♭の音を発声する

 …って感じです。こういう難しい箇所ほどテクニカルに歌うことが大切だし、もしもテクニカルに歌おうとして歌えなくても、それはあきらめるしかないのです。

 私は本来あきらめが悪い人間なので、失敗しそうになると、なんとかしようとしてしまいがちです。例えば、この箇所にしても、テクニックで上手に歌える時は良いのですが、うっかり音が届かない時も、諦めきれないので、力づくで何とかしようとしてしまいがちですが…それは絶対にやってはダメと先生に念を押されました。

 力づくの苦しげな声で歌う癖が付いてしまった人よりも、失敗は失敗のままにできる人の方が、早く上達するのだそうです。そして、同じ失敗なら、力づくで歌うのではなく、声がひっくり返ってしまった方が、まだ未来は明るいのだそうです。

 とにかく『その“力づくの声”は使うなよ』って事です。反省です。

 さらに言うと、高音を出す時は、クチを全開にしないといけません。私はめったにクチを全開にしないのですが、そこがダメなんだそうです。高音を歌う時は、しっかりとアゴの関節を外して、頬に縦筋が現れるほどに極端にクチを開かないといけないのです。

 そう、アゴの関節を外さなきゃダメなんですよ。アゴの関節を外すと言っても、完全に本当に外してはいけません。実は、アゴの関節って、二段階で外れるんですよ。クチって大きく開くと、普通はあるところまでしか開きません。多くの人がその状態です。これが普通で健康な状態です。しかしアゴは、そこからもう一段階、カクって感じがして、さらに大きく開きます。これは出来る人と出来ない人がいるし、できるけれどアゴに痛みが走る人もいます。そういう人は無理をするべきではありません。

 私の場合は、痛みこそがありませんが、違和感がありました。ですが、これを違和感なく、スムーズにできるようにしないと高音が出ないとY先生に言われて、時間をかけて、なんとかスムーズにできるようにしましたが、やはり以前の癖が残っていて、ガクってなる前まででアゴの開きをやめてしまうわけです。せっかくできるようになったのだから、アゴは全開で歌いなさいって言うわけです。

 アゴを全開にして、クチを大きく開く動作は、声帯を思いっきり引っ張る事とつながるのだそうです。クチの開きが中途半端な人間は、声帯の引っ張りも中途半端なのです。それじゃあダメなんです。それにアゴを極限まで開いてしまうと、ノドに力が入らないので、お腹で歌わざるをえないわけです。そうやって、しっかりアゴを大開にして声帯伸ばして腹筋を使って歌えるようになれば、Hi-Cも夢ではないわけです。

 後半のアリア部分は…メタメタでした。全然歌い込みが足りないので、本当にあっちこっち穴だらけです。特にアリアの後半になってくると、疲れてしまって、あっちこっちがダメになり、支えも無くなって、力任せな歌になってしまいます。

 後半は高いA♭が連発しますが、そこを楽に歌わないと、ドンドンHPを削られてしまって、カデンツァまで声が持ちません。声が疲れてくると、ドンドン音程がぶら下がっていきます。もちろん、そこで力づくになってはいけません。では何か出来るのか?

 対処療法的には“軟口蓋を上げる”事で音程のぶら下がりに対応できます。軟口蓋を上げて歌えば、音程が多少あがりますので、音がぶら下がり気味になってきた時は、意識的に軟口蓋を上げていくことで対応できます。それでも対応しきれない時は…どうにもなりません。ですから、そういう事態を招かないように、事前の対応が大切なのです。

 事前の対応とは、脱力して楽に歌っていく事です。ついついノドを始めとするカラダの各所に力を入れて歌ってしまうから疲れるわけで、疲れるのは腹筋だけにしておかないと、声が長持ちしないのです。

 音がぶら下がる…キング先生に師事していた時に、さんざん言われた事です。キング先生からは「耳が悪いから音が下がるんだ」と言われて、音叉の持ち歩きを命じられたり、ピアノの音当てを散々やらされました。確かにキング先生のおっしゃるとおり、耳の悪い人は正しい音程では歌えません。しかし、だからと言って、そういう人は常に音が下がるわけではなく、耳が悪ければ、音がとっぱずれるだけなので、常に音程がぶら下がる場合は、耳の良し悪しとは無関係です。

 音のぶら下がりは…Y先生に言わせると、ノドに無駄な力が入って、ノドが硬直する事で起こるのだそうです。ノドが硬直すると、声帯ってちょっと縮むんだそうです。その縮んだ分だけ、音が下がるわけです。だから、音のぶら下がりを解消するためには、縮んだ声帯を伸ばせばよいので、対処療法的には軟口蓋を上げるのが良いわけですが…それ以前に、ノドが硬直して収縮しないようにすれば、なお良いわけです。

 対処療法よりも根治療法の方が良いわけで…そういう意味でも、無駄な力みを加えないように歌わないといけませんね。

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2017年2月14日 (火)

歌はテクニカルに歌わないといけない

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。まずは、トスティ作曲の「Penso!/僕は思っている」です。

 この曲に数回出てくる高音は、ネチっと歌うのではなく、投げ捨てるように息を吐き出して歌うこと。私の歌い方は、いつまでも音を握ったまま抱えているような発声なので、そうではなくポーンと投げ出すように歌うわけです。

 逆に後半の“Ma tu,…tu l'ai scordato”から始まる箇所は、テンポも遅くなるので、ねちっこくネバネバと歌って、前半部との雰囲気の違いを表現するのが吉です。

 “come in quel di beato”のフレーズは“beato”の“a”が最高音のG♯になります。私はこの箇所を、フレーズに入ったあたりから声をかぶせ始めて歌っているそうなのです(無自覚です:汗)が、それはダメなんだそうです。と言うのも、確かに声をかぶせると高音が出しやすくなるのだけれど、かぶせた箇所からせいぜい1~2音程度までしか高くならないのだそうです。だから、声をかぶせるのは早すぎてはダメなのです。ぎりぎりまで待ってからかぶせるの効果的…というわけで、フレーズに入った箇所からではなく、単語(beato)に入ったところから声をかぶせましょうという事で、そうやって歌ってみました。つまり“di”でかぶせる準備を始め“be”でかぶせ始めて“a”できちんとかぶせて“to”で声を戻すわけです。ほんの一瞬だけ、ヒョイとかぶせておしまいなのです。

 無意識に勢いで声を出すのでなく、こんな感じで意図的にテクニカルに発声する事は大切なのです。それに勢いで出した声は聞き苦しいしね。

 “Ah!”もC♯-Eという音型なのだけれど、これを馬鹿丁寧にC♯を歌ってEにつなげて歌うのではなく、C♯を歌ったら、そのまま何も変えずにC♯に声をかぶせてEにして歌う方が、よりレガートに聞こえるわけだし、何より声が楽で休まるのです。こういう所もテクニカルに歌うと良いわけです。

 さて、この曲は今回で終了となりました。ご苦労様です。次回からは何を歌いましょうか…というわけで、たまたま妻がイタリア古典歌曲の楽譜を持っていたので、その中から“ある曲”を歌いたいと先生に申し出たところ、その曲は難しすぎてレッスンには適さないというわけで却下となりました。いずれそのうち歌うことにして、再度イタリア古典歌曲から選び直すことにしました。

 先生の感覚では、私はイタリア古典歌曲(のうち学ぶべき曲はすでに)学び終えている段階なんだそうです。だから、そういう人のためにイタリア古典歌曲から選曲するのは、なかなか難しい…とこぼしておられたので「私、あんまりイタリア古典歌曲を学んでいませんよ」と言いました。実際、私、そんなに多くのイタリア古典歌曲をやっていないんですね。なにしろ、キング先生のレッスンって、レッスン回数は多いのですが、一つの曲をいつまでもいつまでもねちねちやっていくパターンなので、数多くの曲の勉強は出来ないんですね。せいぜい年に4~6曲学ぶ感じです。ですから、キング先生に師事していた時は、もっとたくさんのイタリア古典歌曲を学びたいと直訴して…軽く無視された記憶があります(笑)。とにかくそんなわけで、初歩の段階で学んでいないといけない曲も抜けていたりするのが私なんですね。

 とにかく、まだやっていない曲はどれなのか教えて欲しいとおっしゃるので「まず、1番のアマリッリはやってないです。2番は…やったなあ…、3番もまだで…」と言い始めたら「じゃあ(1番の)アマリッリをやろう」って事になりました。まあ、そりゃあそうだよね。アマリッリって、割りと早い段階で学ぶ曲だよね。まだやっていない事がビックリなんだと思います。

 と言う訳で、次回からは「アマリッリ/Amarilli」です。この曲を知らない人のために音源を貼っておきます。

 歌っているのはカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーです。たぶん、この曲はこういう形態(男声が女声音域で歌う+ギター伴奏)で歌うのが正しいのだと思います。

 と言うのも、この曲は、歌詞の内容から考えれば男性の曲なのですが、元々マドリガーレ(つまり歌曲)として作曲されているし、メロディの音型を考えると、男声よりも女声の方が適していると思われるし、実際、今では多くの女性歌手たちに歌われています。メロディの音型に加え、この曲が作曲された時期(ルネサンス期)という事も考え合わせてみると、たぶん、この曲は本来、プロ歌手であるカストラートが歌うことを念頭に置いて作曲されたんじゃないかなって思います。ならば、男性向けの歌詞の曲が女声の音質用に書かれているのも納得です。でも、現在はカストラートなんていません。また、時代背景を考えると、ピアノはまだ無いし、通奏低音による伴奏ならば、リュートが一般的だった時代なわけです。となると、現在ならば、クラシックギターによる伴奏でカウンターテナーが歌うのが、最善って事になるわけです。で、この音源を選んでみました。

 この曲がカストラート(女声)向けの曲ならば、この音源での歌唱のように、極めて軽く軽く歌う必要があります。そういう意味では、私が苦手とするタイプの曲なわけで…良い勉強になりそうだなあ(汗)。

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2017年2月13日 (月)

自分の癖を知って、その癖を無くしましょう

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習からです。今回はしっかりお腹を使うことを目的に行いました。とにかく、外見からでも分かるほどにしっかりお腹を動かす事をやりました…が、私のお腹の動き方が、どうも先生が納得できるほど動いているわけではありませんでした。それもまた無理のない事で、実は私、100%の力でお腹を動かしてはいなかったのです。

 と言うのも、満身の力を込めてお腹を動かすと、ノドが痛くなるんですよ。だから、ノドが痛くなる手前までの力でしかお腹を動かしていないのです…と答えたところ「それは、お腹以外にも力が入っているからでしょう」と言われました。で、先生が観察したところ、私の場合、お腹を動かすと、カラダのあっちこっちに力が入るのだけれど、特に胸の筋肉にかなり力が入っているみたいなのです。発声する時は「ノドは脱力、胸も脱力」を心がける事となりました。

 また腹筋の動かし方にも注意が入りました。私の場合、最初の一撃でかなり力が入ってしまうのだけれど、これはあまり良い動かし方ではないそうです。お腹は徐々に徐々にフワッとした感じで緩やかに動くのが良いそうです。腹筋がゆっくりと入っていって、ゆっくりと抜けていく感じがベストなんだそうです。

 さて、発声練習です。腹筋での息の支えに重点を置いた練習をしました。

 腹筋を上げる際、抵抗を感じないまま、グイっと上げるのは良くないのだそうです。腹筋に重さ(抵抗)を感じながら、動かすのが良いのです。ゆっくりゆっくり重みを感じながら腹筋を動かしていくわけです。

 自分の癖を知る事は大切です。私が高音へ行く時の癖を書くと…

 1)高音の直前で息が切れる/引っ込む
 2)クチが上下に少し閉じる
 3)クチが横に少し開く

 これはすべて悪い癖です。1)の高音の直前で息が切れるのは、本当に無自覚なのですが、おそらく高音に向けて“息を溜めている”のかもしれません。一瞬、息を止めて、次の瞬間に発射するわけですが、これは勢いで声を出すやり方ですね。歌は常にレガートが大切ですから、高音だろうと低音だろうと、常に前の音とは息がつながっていないといけません。

 2)と3)も無自覚なのですが、要するに、高音を意識すると、クチが縦開きから横開きに変わってしまうって事です。声が平たくなる…とも言えます。もしかすると、無意識に声を平たく出そうとしているのかもしれません。クラシック声楽では、高音でも低音でも、平たい声で歌っては美しくないので、この私の癖は悪い癖なのです。

 とにかく、声は縦開きに。決して息を溜めずにレガートで歌う。なかなか難しいですが、意識しない事には改善されませんから、まずは自分の悪い癖を見つめて矯正していきましょう。

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2017年2月12日 (日)

音楽教室にも著作権料?

 JASRACが音楽教室からも著作権料の徴収を始める…という事が、ネットでは話題になっているようです。こんな新聞記事や,こんな新聞記事が出ているくらいです。まあ、宇多田ヒカル氏は、インターナショナルスクール卒だし、今だって海外で暮らしている人だから、日本の社会事情や法律や世間常識に疎いのは仕方ないけれど、影響力ある人だから、もう少し調べてから発言すればいいのに…とオジサンは心配します(大きなお世話)。

 何かと悪者にされるJASRACです(私も個人的にはJASRACのやり方が全面的に正しいとは思えません)が、それでも音楽制作者にとっては必要な組織であって、JASRACが厳しく著作権料の取り立てをしているので、彼らが生活できているという部分はあります。

 今回、JASRACの新方針に反対を唱えているのは、ヤマハやカワイなどの大手音楽教室会社と街の音楽教室の先生方です。今まで音楽教室は、教育活動として著作権料の支払いは無しで自由に音楽の演奏及び指導をしてきたわけですが、これからは著作権料をきちんとJASRACに支払わないといけなくなるからです。

 両者の言い分をザックリまとめると…JASRAC的に言わせれば、本来、音楽教室からも著作権料を徴収しないといけなかったのだけれど、今までは諸般の事情でそれをしてこなかったけれど、今度からよろしくね…って事らしいし、音楽教室側に言わせれば、教育目的での使用なのに課金するなんてヒドイじゃないか、既得権益の侵害だ…って事らしいです。

 まあ、なんだかんだとモメたところで、結局はJASRACの言うとおりになるんだろうなあとは思います。それに、専業の音楽教室は著作権料を支払っていなかったのかもしれないけれど、カルチャースクールのような、音楽だけでなく、ダンスや語学やお習字なども教える教室からは、JASRACはすでに著作権料を徴収しているそうです。なので、同じように音楽教室をやっていても、専業のところからは取らず、あれこれ色々な種類の教室をやっているところからは取る…という不公平が、現状としてあるわけです。

 つまり私の場合、フルートはカルチャースクールで学んでいるので、フルートに関しては著作権料を支払っているわけですが、カルチャースクールを辞めて、ヤマハの音楽教室に行けば著作権料を支払わずに済むわけです。なんか変でしょ?

 「楽譜を購入する段階で、すでに著作権料を支払っているのに、レッスンでも二重取りをするのか」

 そんな事を言って怒っている人もいるようですが、楽譜の購入とレッスン(演奏)は違うわけで、楽譜の購入の場合は購入する度に、演奏の場合は演奏の度に著作権を支払わないといけないようです。

 もちろん、教育目的と無料演奏での使用の場合は、これに限らないそうです。

 「音楽教室では教育目的のために演奏しているのです」

 これはたぶん通用しないです。著作権料の支払いを免除されている教育機関って、いわゆる一条校であり、一条校ってのは学校教育法の第一条で定められている学校の事で、これらが法的に言うところの“学校”であって、専門学校や塾や音楽教室などは、ここに該当しません。

 ちなみに一条校ってのは、具体的に言うと『第一条 この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする』と学校教育法に明記されています。

 それに一条校だって、教育目的での使用の時だけ著作権料が免除になるだけで、それ以外では免除されません。例えば国語。授業で文学作品を取り上げる際は、その使用に関しては著作権料は発生しません。もちろんたとえ教育目的であってもコピーの使用は不可ですから、先生も生徒もテキストの購入(教科書だね)は不可欠なんですよ。購入してしまえば、その利用には著作権料は発生しませんし、定期テストなどにも自由に使えます。しかし入試問題として文学作品を利用した場合は、文芸家協会などの著作権管理会社にきちんと著作権料を支払うんですよ。入試は教育目的ではない、営利活動だ(?)ってわけです。授業ではOKでも、入試はアウトなんです。

 音楽教室などでの教育は、もちろん教育目的だろうけれど、一条校ではないし、それで利益を得ているわけだから、同時に営利活動でもあるわけで、JASRACはそこを以って著作権料を徴収しようとしているんだろうと思います。

 私はJASRACの言い分に100%の同意はしませんが、彼らの言い分も分からないでもないし、すでにカルチャースクールからは著作権料を徴収しているのに、専業の音楽教室からは著作権料を徴収しないってのは、やっぱり不公平だと思います。

 「著作権料が課せられると、受講料の値上げにつながり、生徒の負担が増える」

 誤解があるようだけれど、著作権料を支払うのは教室ではなく生徒です。生徒から徴収した分をまとめて教室がJASRACに収めるシステムになっていると思います。学習教材として生徒が楽曲を利用するので、その分の著作権料を支払う事になるはずです。一部では講師の模範演奏に関して著作権料を支払わなければならないかのような情報がありますが…もしもそこまでしたら、JASRACはやりすぎだと思うし、鬼畜ですね。その時は一揆を起こしても良いかもしれません。

 と言う訳で、著作権料を支払うのは生徒ですから、生徒の負担が増えるのは仕方ないです。第三者である作曲家が作った曲を教材として学んでいるのは事実ですからね。受益者負担って奴ですし、それがイヤなら音楽なんて習わなければいいんです。

 ちなみに発生する著作権料は、今のところ“業者の年間受講料収入の2.5%とする”ようです。つまり、月謝の2.5%です。ヤマハ音楽教室を例にすると、小学生向けのピアノコースは最初のステップ1だと月3回で7000円/月だそうです(ヤマハって高くない?)から、このコースの生徒さんだと、月に175円の著作権料が徴収されることになります。

 まあ、音楽教室的に言えば、175円/月の必要経費が増えるわけです。その分を音楽教室側がかぶるとなると、規模の大きな大手ほど文句を言いたくなるでしょう。分からないでもないです。だからと言って、受講料の値上げをするにしても、7000円/月の受講料を7175円/月にするなら分かるけれど、おそらくキリのよい数字…例えば7200円/月とか7500円/月とかにするんだろうし、もしかしたら8000円/月にしてくるかもしれないけれど、それって我々の無知に付け込んで行う便乗値上げでしょ? 客の立場で言えば、著作権料の徴収よりも、便乗値上げの方がイラってくるよね。

 生徒の立場でモノを申すならば、月に175円ほどのお布施(著作権料のことね)で、今、自分が学んでいる音楽たちを作ってくれた作曲家さんたちの生活を、少しだけれど支えることで出来るのなら、どうぞ徴収なさってくださいまし…って感じかな?

 音楽って無料じゃないわけで、やはり作者にはちゃんと報酬が届くようにするべきだと思います。

 今回は音楽教室がターゲットだったけれど、他にも音楽をタダ乗りしている人たちはいるわけだから、音楽制作者たちの生活のためにも、そういう人たちからもきちんと徴収しないといけないって思うわけです。

 ただね、今回のJASRACのやり方、“包括的処理”ってのは、いかにも独占企業のやり方で心情的には賛成しかねるし、2.5%の根拠も分かりません。

 大手音楽教室からは著作権料を徴収するけれど、街の個人教室は免除されるそうだけれど(つまり街のピアノ教室はJASRACに収める分の著作権料を丸々ポケットに入れて良い事になります)、それもなんか不平等を感じます。

 私なんかはクラシック音楽ばかりを学んでいるので、著作権料とは本来、無縁のところにいるはずだし、それでもカルチャースクール経由で一応著作権料を支払っている事になっているらしいし…。気分はタダ取りされているような感じがしないでもありません。そもそも、そういうJASRACのやり方が好きじゃないし、平等でもないし、正義でもないわけで、正直「で、どうなの?」って言いたい気持ちが無いわけじゃないけれど、音楽制作者の皆さんの生活の事を考えると、あれこれ飲み込んだ上、今回の件には、ひとまず賛成な私でした。

 JASRACは業界ではほぼ独占企業でしょ? そこが大問題なんだと思います。JASRACと同規模の著作権関係を管理する会社がもう一つ二つできて、そこに競争が生じない限り、JASRAC問題はすっきりしないんだと思います。

 ああ、理屈では納得できても、心情的には納得できないモノが残るんだよね。要するに、私を含んだ世間という奴は、JASRACを信用していない…って事なんだろうね。

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2017年2月11日 (土)

ペットとアレルギー

 私は、イヌ派、ネコ派と尋ねられるとイヌ派なんです。イヌは大好きです。じゃあ、ネコは嫌いなのかと言うと、実はよく分からないのです。

 と言うのも、私、ネコアレルギーなんですよ。だから、ネコ本体がアウトなのはもちろん、ネコがその場にいなくても、ネコを飼っている家には入れません。

 ネコを飼ってみたいという衝動は、実は今までも何度かあったのですが、アレルギーなので飼えないのです。ちなみに、イヌにもネコほどではありませんが、やっぱりアレルギー反応は出ます。なので、今現在は、イヌもネコも飼わない事にしています。ちなみに、私、インコ大好きなんですが、インコも用心して飼わないんですよ。小鳥も、ネコほどじゃありませんが、アレルギー反応が出てしまう私でした。

 子どもの頃は、母がイヌ好きインコ好きというわけで、イヌやインコを飼っていました。今思うと、イヌもインコも可愛いのですが、彼らを飼っていた時分は、私、アレルギーによる呼吸困難に苦しめられていました。特にインコを飼っていた時は辛かったですねえ…。一時期は繁殖に繁殖を重ねて10匹以上インコがいた時はかなり悪い状態でしたが、やがてインコが全滅してしまい、鳥かごなども片付けてしまうと、呼吸がかなり楽になり、自分はインコとは相性が悪いのだと知りました。

 インコの後はイヌを飼い始めました。普段の生活の中では、イヌはインコほど息苦しくはなりませんでしたが、それでも毛の生え変わる時期は呼吸困難になりました。イヌにも多少のアレルギー反応が出たようです。

 ですから、独立してペットのいない生活になった途端に、私、呼吸が楽になったのを覚えています。アレルギー体質の人間にとって、ペットは鬼門のようです。

 ちなみに私の場合、イヌはごくごく軽微なアレルギー反応、インコは軽度のアレルギー反応が出ますが、ネコに関しては爆裂的な反応を示します。

 ネコ屋敷に入った途端に、喘鳴がするし、涙と鼻水が止まらなくなります。本当につらいです。スギ花粉による花粉症の重症のような感じになります。1時間もいると、全身が痒くなります。たぶん、一週間暮らしたら、死んでしまうかもしれません。それ以前に、ネコが原因のアナフィラキーショックを起こしてしまうかもしれません。

 そんな私にとって、ネコは歩く殺人兵器だったりします。放射能汚染よりもネコ汚染の方が、私には深刻なんです。

 なので、散歩をしていると、たまに野良猫と出会うわけですが、妻はよくネコをかまいますが、私はネコに近寄りません。本音で言えば、私もネコのところに行って遊びたいのですが、後が怖いので近寄れないのです。

 アレルギー体質だと、ペットにも不自由します。ちなみにペットのどこがダメなのかと言えば“体毛”なのだと思います。トリで言えば“羽毛”ですね。ネコがアウトで、イヌが割とセーフなのも、毛のフワっしたと感じの違いじゃないかなって思います。なにしろ、イヌは剛毛だからね(笑)。

 そんなアレルギー体質の人でも飼えるペットがいくつかあります。それは毛のないペットたちです。金魚はその中でも手軽に飼えるペットだと思います。あと、爬虫類(ヘビとかトカゲね)もおそらく平気だと思います。カエルやイモリのような両生類もOKでしょう。

 逆に言えば、哺乳類や鳥類は程度の差はあるけれど、大抵アウトです。

 よくイヌに服を着せて飼う人がいます。あれに「なんでケモノに服なんか着せるだ!」と批判的な事を言う人がいますし、おそらくペットに服を着せている飼い主は無自覚かもしれませんが、服を着せることで、ある程度の抜け毛は防げると思います。抜け毛が防がれれば、アレルギー人間にとっては、多少なりとも良い状態になるわけです。できれば、すべてのイヌネコに服を着せたい気分の私です。

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2017年2月10日 (金)

フルートを習い始めて世界が広がった

 フルートを習い始めて、今年の5月で9年になります。いやあ、よく続いた。中学入学とともにフルートを習い出したなら、今年は大学3年生になるわけだ。ほんとによく続いた。学生から始めた人なら、ここまで続ける人って珍しいでしょうね。もっとも、学生から始めた人なら、もっと上手になっているだろうけれど(笑)。

 さすがに10年前の私からは考えられないのが、現在の私の状況です。とにかく、フルートを習って、私の人生、色々変わりました。その中でも、大きな変化が3つありました。

1)得意な楽器が出来た

 もちろん、この場合の“得意な楽器”と言うのはフルートの事ですが、私の人生で、こんな本格的な楽器を真剣に学んだのは始めてなわけでして、大きく胸を張って「得意な楽器が出来た」と公言できます。10年前には考えられないよね。

 もちろん、10年前の私でも演奏できる楽器はありました。例えば、ギターです。でもギターは独学だし、いわゆるフォークギターであって、ざっくばらんに言えば、コードをかき鳴らすだけで、クラシックギターの奏法ができるわけでもなければ、エレキギター(ロックギター)のようにグイングインに弾けるわけでもなく、ただただコードをかき鳴らして歌の伴奏をするくらいです。

 他にはキイボードが出来ますが、腕前はたかが知れていて、大人用のバイエルの真ん中ぐらいで終了していまので、その程度のモンです。だって、大学の授業で学んで、そこまでやったところで単位(“器楽演習1”という授業だったと思う)をいただいちゃったんだもの。独学みたいなモノだったので、それ以上は学びませんでした。

 小学生の頃に、鼓笛隊でドラムスをやっていたので、当時はドラムを叩けたのに、今では全然からっきしダメですので、これは出来る楽器のうちに入りません。

 大人になってからは、クロマチックハーモニカもやってみたけれど、すぐに挫折。ヴァイオリンは、先生について本格的に始めてみたものの、時間がきびしかったのと、東日本大震災のうやむやで先生が移住されてしまったので、初歩の段階で挫折。あえて言えば、義務教育で習ったリコーダーが少々吹ける程度だけれど、リコーダーという楽器そのものに制限がありすぎて、自由に音楽演奏ができるというわけではありませんでした。

 そこへ行くと、10年近く習ったフルートは、私の人生史上、一番得意な楽器になったかもしれません。私基準だと、かなり吹けるようになりました。そんな得意な楽器が私にできるなんて、うれしい変化です。

2)いつの間にか楽譜が読めるようになっていた(驚)

 以前の私だって、全く楽譜が読めない…というわけではありませんでした。だからと言って、楽譜が読めるのか…と言えば、どちらかと言えば読めない方に属する人間でした。だって、知っている曲の楽譜を見ても、メロディが思い浮かばなかったくらいですからね。

 でも今は違います。たとえ初見の楽譜であっても、その楽譜に書かれた曲が知っている曲だったら、すぐに曲名を言い当てられるほどに、楽譜が読めるようになりました。もちろん、知らない曲でも、さほど複雑でなければ、初見でもフルートで吹ける程度に楽譜が読めます。

 本来、楽譜を読めるようになるには、ソルフェージュを勉強する必要があるのでしょうが、私の場合は、楽典はそもそも学校の授業できちんと習っていたので問題なく、後は五線のオタマジャクシの扱い方なのですが、その部分がかなり上達したと思います。

 一番の恩人は、やはりH先生でしょうね。H先生のレッスンでは、とにかく楽譜通りに吹くのが、まず第一。私とて例外ではありません。クラシック音楽演奏家として、ごく当たり前ですが「楽譜通りに吹け!」という指導、これが効きました。

 笛先生に習っていた頃は、楽譜は参考程度に見るだけで楽譜通りに吹いたら負けって雰囲気だった(まあ、即興を良しとするジャズでしたからね)し、楽譜にも階名を振っていたんですよ。それが今じゃあ、エルステユーブンゲンの曲なんて、初見で吹いちゃうんですよ。いやあ、ほんと、楽譜がかなり読めるようになりました。ありがたいことです。

3)ブログを通して多くの人たちと知り合えた

 フルートを始めて、フルート関連の記事をブログにアップし始めて、多くのフルート仲間と知り合いになりました。今でこそ、私のフルート熱も平常となり、せいぜい週に1~2度程度、フルート記事をアップするくらいですが、一番熱心だった頃は、週5でフルート記事をアップしていたくらいですからね。

 フルートのオフ会(演奏会だったり、お茶会だったり、セッションだったり…ね)にも出席したし、フルート関連のブログにも相互訪問をしていたり…懐かしがってはいけないのかもしれないけれど「何もかも懐かしい」気がします。昨今は、日常生活が忙しすぎて、他所のブログをなかなか見に行けないからなあ(涙)。

 また、フルート関連の人たちを通じて、他の世界についても知ることができました。アマオケとか、吹奏楽とか、クリスタルフルートとか、フルート合奏団とか、尺八とか…ね。世界が広がると、自分が拡大したような気になるものですね。

 ブログを通して世界が広がりました。10年前には考えられなかった事です。

 こんな感じで、私の人生にフルートが加わってから、あれこれと変わったのでした。

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2017年2月 9日 (木)

声種の見分け方

 先日の声楽のレッスン記事で、妻がコロラトゥーラソプラノであった事を書いた記事にコメントが付いて、皆さん、声種の見分け方に興味があるようなので、一般論としての声種の見分け方について、書いてみたいと思います。

 声種と言うのは、合唱でいうところのパートであり、独唱だと音域や音色まで含めた声の分け方を言います。

 多くの人が趣味として歌う場合は、まず合唱団の扉を叩くと思われるので、合唱における声種の見分け方を書いてみます。

 原則的に性の違いは越えないところが多いでしょう。つまり、男声なのにアルトになるとか、女声なのにテノールで歌うとかは、普通の合唱団ではありません。女声ならソプラノかアルト、男声ならテノールかバスになります。つまり、高声か低声かに分かれるわけです。

 団によって多少の違いはあるにせよ、多くの団では次のような基準でパートを分けると思います。

 1)合唱団の都合や人間関係
 2)歌の巧拙
 3)音域

 1)について。どこの団でもソプラノやバスはたくさんいるものです。ですから、新入団者は、なるべくなら、アルトやテノールになって欲しいものです。また合唱団には友達作りのためにやってくる人も大勢いるので、新入会者の人間関係、とりわけ紹介者との関係を重んじてパート分けをする事が多いです。

 2)は、とりわけ女声において、歌の巧拙はパート分けと大きく関係します。正直『メロディーは歌えても、ハモリパートは歌えません』という人は大勢います。そういう人は、他の要因がどうであれソプラノにするしかないので、自然と人数的なバランスを取るためにも、歌える人はアルトにまわってもらう事が多いのです。

 3)について。女声はあまり考えなくても良いかもしれません。オーケストラ付きのラテン語やドイツ語の宗教曲を歌うならともかく、ピアノ伴奏の邦人作曲家の合唱曲だと、ソプラノとアルトでも、そんなに大きく使用音域が変わるわけではありません。むしろ音域について考えるのは男声の方かな? 邦人作曲家の合唱曲でもテノールならFやGぐらいまでは使います。この高さでも案外出ない人はいます、それも大勢ね。これらの音が楽に出ないとテノールは無理です。

 合唱団の声種分けの観点として大切なのは、その人の現在の声であり、力量なのです。『今どれくらい歌えるのか?』を目安にしてパートを分けます。だから、団によって、シーズンが変わるたびに声聞きをして、パートの入れ替えをするところがあるのは、そういう理由なのです。

 次は独唱における声種分けについてです。合唱が“今現在”を重んじているのに対して、独唱は“将来”を見据えた分け方をします。つまりは、今現在はどうであれ『これから練習をして上達していったら、どんな声として完成するのか?』という視点で考えます。ですから、今現在の音域とかは全然関係ありません。ましてや、周囲との人間関係とか、歌の巧拙などは全くの考慮外です。大切なのは、どんな可能性を持っているか…ただそれだけなのです。

 可能性…歌声の可能性ですね。まずは“得意な音域”が問われます。独唱は合唱よりも幅広い音域が求められます。高音歌手はより高い音が、低音歌手はより低い音が求められます。合唱だと、ソプラノでもアルトでもどちらも歌えますとか、テノールでもバスでもOKという人は珍しくありませんが、独唱では考えられません。それぞれが専門家となり、得意な音域で勝負をするのです。ですから、将来的に、どの音域の音で勝負できるようになるか、それを見越して声種を決めていきます。

 次に大切にされるのが、歌い手の個性だと思います。

 個性と言えば、まずはその人の声の音色があります。これは実に人によって様々なのですが、合唱では気にすることのない声の音色は、独唱では音域と同様に大切です。

 また、本人の性格は声種分けするにあたって、大切な要素かもしれません。独唱を目指す人は、多かれ少なかれ我の強い人が多いのですが、それでも高音歌手に関しては、かなり我の強い人でないと務まりません。一方、調整役に長けている人は低音の方が自分を生かせます。

 アマチュアはともかく、プロやセミプロ、そこまで行かなくても活動を熱心に行うアマチュアにとっては、容姿は声種と大きく関わりがあります。昔々は、歌手にとって容姿なんてものは無関係で、ひたすら声が追究されましたが、今の時代はヴィジュアルの時代ですから、容姿は大切です。独唱では、歌手の体格や年齢、美醜で歌える歌が限られます。ドミンゴがバリトンに転向したのだって、声の問題もさることながら、ヴィジュアル的にテノール役が歌えなくなってきた…と言うのも絶対にあると思います。

 70歳過ぎて、恋する王子様の役はやれないよね(笑)。でも、国を憂う王様役なら70歳を過ぎていてもOKでしょ?

 独唱における声種分けのポイントは、その歌手の可能性と個性なのです。

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2017年2月 8日 (水)

メトのライブビューイングで『ナブッコ』を見てきました

 表題の通り『ナブッコ』を見てきました。今回の目玉は、レヴァイン指揮&ドミンゴ主演ってところでしょうか? レジェンド二人がタッグを組んでの登場なのです。

 『ナブッコ』はヴェルディの初期の作品で、彼の出世作であります。主役のナブッコ王は、史実で言うところのネブカドネザル2世で、オペラは彼が行ったバビロン捕囚にまつわる話ですが、オペラのストーリーはあまり史実には忠実ではありません。オペラの原作は、聖書のダニエル書という事になっていますが、ダニエル書とはストーリーが全然違います。まあ、バビロン捕囚とネブカドネザル2世という枠組みを借りて作ったオリジナルストーリーのオペラと思っても間違いないと思います。

 ストーリーをごく簡単に説明すると、ナブッコと上の娘であるアビガイッレがエルサレムを占領するが、ユダヤの大祭司ザッカーリア(聖書で言うところのザカリア)は、ナブッコの下の娘であるフェネーナを人質に取っているので大丈夫だと民を落ち着かせる。しかし、フェネーナを危ない目に合わせたくないイズマエーレ(ユダヤの王子にしてフェネーナの恋人)がユダヤを裏切ってフェネーナを助けたためにエルサレムは占領され、神殿は破壊されてしまう。その後、フェネーナはユダヤ教に改宗し、ユダヤ人たちに受け入れられ、イズマエーレの裏切りもチャラとされた。一方、バビロンではアビガイッレによるクーデターが勃発して、ナブッコは精神落乱状態となり、王座を追われる。アビガイッレはユダヤ人の皆殺しを命じる。ユダヤ教に改宗したフェネーナも殺されてしまうと知り、正気を取り戻したナブッコはユダヤ教に改宗し、王座を奪い返して、ユダヤ人たちの故郷への帰還を宣言する。アビガイッレは毒をあおって死んでしまう。まあ、こんな感じのストーリーです。

 ほら、史実とも聖書とも全然違う話でしょ?

 二人の娘のうち、上の娘のアビガイッレはオペラの実質上の主役で、ストーリーは彼女を中心に動きます。下の娘のフェネーナがいわゆるヒロイン役となります。なぜアビガイッレがクーデターを起こしたのかと言えば、彼女はいわゆる庶子で女奴隷の娘であったのに対して、妹であるフェネーナは正妻の娘だったので、このままでは王位はフェネーナが継承してしまう事と、実はアビガイッレは実力者であり、王宮の家来たちの人望もあって、彼らもフェネーナではなくアビガイッレを次期の王として期待していたというのもあるみたいです。まあ、しょせんフィクションなんですがね。

 『ナブッコ』は、ヴェルディの初期の出世作として有名ですし、イタリアでは人気演目だそうですが、他の国での上演は滅多にない、どちらかと言えばマイナーな演目です。メトでも50年ぶりの上演なんだそうです。まあ、作品自体は、悪くはないけれど、特にウリはありません。キラーソングが合唱曲の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」であって、アリアには有名な曲はありません。このオペラは、重唱と合唱で引っ張っていくアンサンブルオペラだと思います。

 メトの演出はストーリーに沿った分かりやすいモノで、いかにもメトだなあ…という感じの演出でした。

 出演歌手は、ソリストも合唱もみんな巨漢ばかりでした。特にソリストは、女性も含めて、ほぼ皆ビヤ樽体型でした。なので、ビジュアル的にはすごく難がありました。合唱団が大勢いるので、彼らに負けない歌声の歌手を揃えようとすると、巨漢体型の歌手にならざるをえなかったのかもしれません。

 歌の出来は合唱を含めてよかったです。ただ一つの難点がテノールのラッセル・トーマスかな? とは言え、彼の責任というよりもキャスティングの問題でしょう。トーマスが演じるイズマエーレはユダヤの王子様なんだけれど、トーマス自身は黒人なんですよ。別に人種偏見うんぬんは無いつもりだけれど、さすがに黒人が黒いままでユダヤの王子を演じるのは、違和感バリバリでした。おまけにトーマスは声が重いテノールなので、バリトンを歌っているドミンゴと、ほぼ同じ音質(笑)…って、ほぼ同じ(大笑)。ドミンゴとの差を出すためには、イズマエーレ役にはもっと声の軽いテノールの方が良かったんじゃないかと思うわけです。

 さて、ここから本題。注目はドミンゴの歌唱でしょう。一時代を作った3大テノールの一人であるドミンゴがバリトンに転向してのオペラです。彼がバリトンに転向したのが70歳になった2010年ですから、もう7年もバリトンをやっているわけですが、私はほぼ始めて見ることになりました。なお、世間的には彼のバリトン転向には、毀誉褒貶色々あります。

 ドミンゴは、そもそもがバリトンだったそうです。学生時代はバリトンとして勉強を重ねて、オペラ歌手になったわけですが、彼が駆け出しの頃、バリトン役でオーディションを受けたところ「君はバリトンではなくテノールだ」と言われて、テノールで合格してしまったのだそうです。そこで、一生懸命テノールの勉強を重ねて、テノールになったのがドミンゴなのです。

 そもそもがバリトンとして勉強したドミンゴなので、彼がテノールとして活躍していた頃も「まるでバリトンのような声だ」とか「高音は不安定だ」とか散々言われていたわけですが、それらの悪評を乗り越えて、美しい中低音と甘いマスク、安定した演技で一時代を作ったわけです。

 その彼が年を取ってテノールからバリトンに転向したわけです。元々高音に不安があったわけですが、いよいよ高齢に達して、高音に無理を感じてバリトンになったと、巷では言われています。まあ、それ以前にドミンゴは今年で77歳になるんです。普通の歌手、特にテノールは50代で引退しますから、歌っている事自体が奇跡みたいなものです。高音に無理があっても仕方ないです。

 …そんな情報を仕入れて、バリトンを歌うドミンゴを聞いた私です。以前、『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』でバリトンのドミンゴを聞いてますが、あれはカメオ出演みたいなものだし、あのネプチューンという役そのものが、ドミンゴのために作られた役なので、あれは除外です。本格的バリトンとしてのドミンゴを聴くのは、実は今回が始めてな私でございました。

 バリトンのドミンゴを聞いた私の感想は「これはバリトンじゃないよ、テノールだよ」です。ドミンゴが歌っている音域はもちろんバリトンの音域なのですが、音域がバリトンなだけで、声そのものはテノール時代のドミンゴの声と同じです。つまり、ドミンゴはテノールの声でナブッコというバリトン役を歌っていたわけです。

 だいたい、テノールとバリトンって、音域的には高音(五線上のラシドの3音)があるかないかだけで、後はほぼ一緒なんですよ。じゃあ、高音が出ればテノールで、出なきゃバリトンなのかと言えば、それは違うわけです。やはりテノールとバリトンを分けるのは、声の音色であって、だからこそ“高音の出ないテノール”とか“高音大好きなバリトン”などがいるわけです。

 ドミンゴの歌声は今でもテノールです。リリコスピントという種類のテノールの歌声です。実際、彼はオペラの舞台ではバリトンを歌いますが、コンサートでは今でもテノールの歌を歌います。高音は…おそらく若い時よりも厳しくなっているのかもしれませんが、出ないわけじゃなさそうです。

 ではなぜ、ドミンゴはバリトンを歌うのか…いや、質問を変えましょう。なぜドミンゴはリサイタルではテノールの歌を歌うのに、オペラの舞台ではテノール役を歌わないのか?

 そう考えると、自ずと答えが出てきます。ドミンゴはすでに70歳を越えました。誰がどう見ても老人です。もはや、それは舞台化粧でごまかせるモノではありません。

 普通のストレートの役者なら、年を取るにつれ、自分の年齢にふさわしい役を演じるだけです。でも、オペラ歌手には声種という縛りがあり、異なる声種の役を歌うことは基本的にしません。しかしテノールという声種には、基本的に若者の役しかないのです。70歳を越えた老人が若者の役をやる…さすがにそれは無理でしょう? 自分の孫よりも若い年齢の歌手の恋人役ができるわけもありません。だから、70歳を越えたドミンゴには、テノールの歌は歌えても、テノールの役はできないのです。

 大半のテノール歌手にとって、それは大きな問題ではありません。なぜなら、大半のテノール歌手は、年を取って老人になる前に引退するからです。50歳を過ぎたあたりから、体力が衰え、仕事のオファーが減ってきて、自然と引退するものです。だから、老人のテノールが歌う役など無くても全然構わないのです。

 ちなみに、3大テノールは売れっ子で、仕事のオファーが途切れなかった事もあって、いずれも現役時代が長く、カレーラスは62歳で、パヴァロッティは69歳で引退しています。ドミンゴが70歳でテノールからバリトンに転向し、77歳の今でも引退せずに歌っているのは、ほんと奇跡みたいなものです。

 さて、オペラの老人役は、たいていバリトンかバスです。だから70歳を越えたドミンゴは、バリトンに転向した…のだと思いました。つまり、声が出なくなったから…と言うよりも、老人役を歌うためにバリトンになったわけです。

 実際、ドミンゴがバリトンに転向してから歌っているのは、今回の『ナブッコ』をはじめ、ヴェルディ作品でバリトンを主役にしたオペラばかりです。で、そのバリトンはたいて、父親役であって、老人のドミンゴが演じてもさほど違和感のない役ばかりなのです。

 で、さらに言えば、それらのバリトン役は、父親役であるがためにバリトンに振られた役ですが、同時にオペラの主人公でもあります。主人公ですから、ただ単に低い声なだけではダメであり、低い上に、力強くて華やかな声でなければなりません。リビング・レジェンドであるドミンゴの声が力強くないはずはなく、華やかでないわけがありません。ある意味、ヴェルディのバリトン役は、主人公の声を持った老歌手がやるべき役なのかもしれません。そう考えると、ドミンゴがヴェルディのバリトン役にこだわっているのも分かる気がします。従来は存在しなかった、老テノールの役として、これらのバリトン役を歌っているのではないかと、私は思うのです。

 実際、ドミンゴのナブッコは良かったですよ。声は全然テノールだったのですが、それでも全く違和感ありませんでした。もちろん、他のバリトン歌手の歌声と較べてしまえば軽い声なのですが、それがナブッコという役を演じるのに何か不足があるかと言えば、特に無いと言えるでしょう。それくらい、彼は彼なりにナブッコを自分の役として歌い演じていました。

 ドミンゴはバリトンに転向したのだけれど、それは身も心もバリトンに成り切ったわけではなく、老いたテノールとしてバリトン用に作曲された役を歌っている…というふうに私は感じました。

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2017年2月 7日 (火)

輸入盤の購入には気をつけよう

 今も昔もそうですが、日本のレコード会社が製作販売するCDやDVDは高すぎると思います。もちろん、レコード会社には会社なりの言い分があるのは分かりますが、それでも高いと思います。だって同じアーチストの同じアルバムが、日本とアメリカでは値段が全然違うんですよ。

 昔々のレコードの時代は、アメリカのレコードは日本の半額…場合によって1/3程度の値段でした。これは無視できない差ですよね。おまけに昔は、同じアルバムでも(ミキシングやカッティングが国ごとに違ったので)日本とアメリカでは音質が違っていて、だいたいにおいてアメリカの方が良い音だったので、なおさらでした。日本盤がアメリカ盤に勝っていたのは、ジャケットの作り(日本の方が丁寧に作られています)と歌詞カードの有無とレコード盤そのものを入れるビニール袋の有無ぐらいかな? 音楽を聞く時に、ジャケットや歌詞カードを目を皿のようにして眺める人ならともかく、私なんかは何も見ずに音楽に集中して聴くスタイルだったので、そんな付加価値なんて有り難くも何ともなかったのでした。それよりも、アルバムを安価に入手できた方が、1枚の値段で、2枚3枚と購入できるわけで、金銭的理由から自然と、学生の頃より輸入盤の購入をしていた私でした。

 それでも昔は、今と違って輸入盤の購入って大変でした。どこでも売っているわけじゃなかったからね。秋葉原の輸入盤専門店に行くか、都会にある輸入盤を取り扱っている中古レコード屋に行くか、地方だとデパートでたまに行われる“輸入盤フェア”に行くぐらいしか、輸入盤の入手手段が無かったのですからね。それも在庫数的には、ほんの少しだけ、ボツボツって感じでした。

 だからタワーレコードが日本(渋谷)に進出してきた時は、嬉しかったなあ…。輸入盤の在庫が豊富にあって、いつでも輸入盤が買えるようになったからです。やがて社会人になる頃には、六本木のウェーブ(当時、輸入盤の在庫が日本一という噂のレコード屋でしたが…現在はありません)によく買い出しに行くようになりました。それからしばらくすると、新星堂あたりでも輸入盤を取り扱うようになり、地方都市でも手軽に輸入盤を購入できるようになり、今やアマゾンなどのネット通販を使えば、国内盤も輸入盤も区別なく同じような感じで購入できます。

 昔と比べると、隔世の感があります。

 でも昔から輸入盤の購入にはトラブルが多々有りました。

 レコード時代の話をすれば、私の持っていたある輸入盤が、必ず同じ箇所で針飛び(正確に言うと、針が前に戻ってしまう)を起こしていました。レコード盤にキズがあるなら、それも納得ですが、盤面を丹念に見ても、そんな事もなく、ただ、いつも同じ箇所で同じように前に戻って先に進まなかったのでした。

 で、ある時、ルーペでレコード盤を仔細に眺めていたら…当該箇所のレコード盤の溝が埋まっている事が分かりました。そりゃあ針が溝からはみ出て、もとに戻ってしまっても無理の無い話だなって思いました。その時は、ルーペで確認しながら、針を使って溝を彫って開通させた覚えがあります。

 アナログ時代の話ですね。

 CDの時代になると、国内盤として販売されていても円盤そのものは、海外でプレスされたモノが流通し始めました。CDはレコードと違って輸送に適しているのでしょうね。国内でプレスするよりも海外のモノを輸入してケースを交換して販売した方が自社製作するよりもコストがかからないのでしょう。でも、そうなると、国内盤も輸入盤も全く中身が同じで値段だけ違うわけで、ますます国内盤を購入する理由が無くなります。売れなくなってきたからでしょうか、やがて国内のレコード会社は、海外アーチストのCD販売を縮小していきました。特にクラシック音楽に関しては、顕著に販売縮小を感じたものです。

 そして音楽配信が普及し、現在のようにCD全般が売れない時代になってしまんだわけです。

 CDの時代によくあったトラブルが、中身違いです。例えば、AというアーチストのCDを買ったのに、ケースを開けてみたら、中に入っていたのは、全く知らないアーチストのCD…これが結構あるんですね。当時は店頭でCDを購入していたので、販売店に持っていって交換してもらっていましたが、結構面倒くさかったです。

 面倒くさいと言えば、BというアーチストのCDを買い、ケースを開けてみて、中に入っているCDにもしっかりBのアーチスト名が書かれているのに、再生してみると、妙に違和感がある…というケースもごくたまにありました。よくよく聞いてみると、どうやら別アーチストのCDに、Bのラベルが印刷されていて同封されていた…といったケースです。日本じゃありえませんが、輸入盤だとごくごくたまにあるんです。びっくりですね。

 あと、CDの初期によくあったのが、再生できないCDです。輸入盤には結構ありました。どういう事か言うと、CDを購入して、自分のディスクマン(懐かしいなあ)で再生しようとしても、全然再生できないのです。CD付きラジカセ(懐かしい…)でも再生できません。そこで、販売店に持っていって確かめると、店頭のオーディオ機器だとちゃんと再生できるのです。再生できる以上、交換してもらえず、泣く泣く再生できないCDを引き取るわけです。

 ちなみに、家に持って帰って、ちゃんとしたコンポで再生してみたら、あっさり再生できました。でも、ディスクマンやCD付きラジカセじゃ無理…今じゃそんな事は無いのだけれど、昔はよくありました。今思うに、いわゆる“焼きが甘い”ため、安いプレイヤーでは再生できなかったんだと思います。

 配信の時代になっても、輸入盤…と言うか、海外製作の音源には雑な音源がありましたね。ある曲(ぶっちゃけ、メサイア)のあるトラックが抜け、その代わりに同じトラックが連続して並んでいるという音源がありました。具体的に言えば、…35番、36番、37番、37番、39番…って感じです。38番がなくて37番が2回入っているわけです。販売元はiTunesだったのでアップルでしたが、メールのやり取りが結構面倒くさかったです。商品に対するクレームになるわけですが、店頭で和気あいあいと説明するのとは違って、メールでは事務的だし、すべてを言葉にしないといけないので、本当に面倒でした。まあ、対応そのものはちゃとしていて、返金もしてくれたので、そのお金を持って、リアルの店舗でリアルなCDを購入しました。でも、CDよりも配信の方がだいぶ安かったので、損をしたような気になりました。

 最近はオペラのDVDも輸入盤を購入する事が増えました。DVDはコピーガードのために、色々と細工がしてあり、以前は輸入盤を購入しても、日本のプレイヤーでは再生できませんでした。いや、再生以前に、日本語字幕そのものが付いてませんので、輸入盤はオペラには向いてませんでした。ですから、オペラDVDに関しては、日本メーカーの商品を購入せざるを得なかったわけです。同じタイトルが(再生できないのだけれど)海外のモノだと2000円ぐらいで購入できるのが、日本製になると1万円程度になりました。約5倍だよ、信じられないよね。もっとも、ビデオ時代は同じタイトルが3万円程度でしたから、ほんと安くなったものです。

 元々オペラファンなんて数が少ない上に、こんなにバカ高くては誰も買いません。やがて、日本メーカーもオペラのDVDの制作本数を減らし、ああ困ったなあ…と思っていたところ、最近のオペラの輸入DVDは、コピーガードを外し、日本語字幕の付いたモノがちらほら出始めましたので、私も少しずつ、そういうDVDを購入するようになりました…ってか、最近はその手の輸入DVDばかり購入しています。だって、安いんだもの。どれくらい安いのかと言うと、CDよりも安いDVDがわんさかあるんです。ほんと、輸入DVDって安いんですよ。

 でもやっぱり輸入盤だから、安いんだけれど、あれこれ雑なんです。

 例えば、歌と日本語訳の字幕がズレている…と言った悲しいDVDを持っています。本来は、今歌っている歌の歌詞が字幕で出るのが普通ですが、そのDVDは第2幕の途中までは正確なんだけれど、第2幕の途中からが字幕が遅れて出るようになりました。どういう事かと言えば、今「12345…」という歌詞を歌い、その次に「abcd…」と言う歌詞を歌ったとします。ですが「12345…」の日本語訳字幕は「12345…」を歌っている時には出ずに、次の「abcd…」を歌っている時に出ると言った具合なのです。これ、結構、気持ち悪いし、混乱します。

 あと、パッケージには日本語字幕の記載が無いし、販売ページにも「日本語字幕無し」と書いてあるのに、実際のDVDのメニュー画面に日本語字幕の選択肢があって、それを選ぶとちゃんと日本語字幕が表示されるという嬉しい雑なDVDもありました。

 これは販売業者の問題ですが、販売ページに「日本語字幕付き」と書いてあるし、そういう商品が実在しているにも関わらず、送られてきた商品には日本語字幕が付いていない…といったケースがありました。メールでクレームを付けましたが、相手のカスタマーサービスには、日本語がうまく伝わらず、煙に巻かれて(1000円ちょっとのDVDだった事もあって)そのまま泣き寝入りしてしまった事もあります。今思えば、海外の業者さんだったんだから、最初っから英語でやりとりしていたら、違っていたかもな…と思うわけですが、英語でクレームつけても、やっぱり煙に巻いてくるような業者だったのかもしれません。

 とにかく、輸入盤購入には、今も昔も色々とトラブルがつきものだって話です。ほんと、日本の会社にせよ店舗にせよ、客の扱いが丁寧なんだよね。つくづく、そう思います。でも、高いんだよなあ。

 品質が良くて、カスタマーサービスも充実しているけれど、価格が割高…これはなにもCDやDVDに限らず、メイドインジャパンの特徴なのかもしれませんね。昔はこれが通用したのかもしれないけれど、今の時代はサービスの良さよりも価格が安い方が顧客に喜ばれるんだよね。一番良いのは、サービスが良くて価格も安い…なんだよね、その両立が無理なら、サービスより価格。これがグローバルスタンダードなんだろうと思います。

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2017年2月 6日 (月)

鳴りと響きについて

 最近、声楽のレッスン記事の中で頻繁に使っている、私の現在の課題である“響き”と、その対義語としての“鳴り”について、一度まとめて書いておいた方がいいかな…と思ったので、書いてみました。ただし、ここに書かれた事は2017年時点の私の考えであって、必ずしも正解とは限りませんし、私自身も今後考え方を変える可能性もありますので、その点を踏まえて読んでください。

 まず、ヒトの声には、大きく分けて“歌声”と“話し声”の2つがあります。この2つはかなり性質の異なるモノなのですが、今回は特に解説しません。直感で理解してくださ(笑)。

 で、歌声とか発声法にも実はいくつか種類があるのですが、ここではクラシック声楽における発声(一般的には、ベルカント唱法と呼ばれる奴)に絞って考えてみます。

 クラシック声楽における発声では、歌声は2つの成分から成り立っていると私は信じています。その2つの成分とは“鳴り”と“響き”です。この2つの成分が、いいバランスになっている時が美声であり、バランスがおかしいのが悪声(?)になるわけです。

 では「鳴りだとか響きだとかは何なのか」と言う事ですが、イメージ的には、鳴りは『声の芯』のようなものであり、ある意味、声の本体部分と考えると良いでしょう。一方、響きは『声の羽根』とも言うべきもので、声がまとうフワフワしていたり、キラキラしていたり、チリチリしていたりという装飾的な部分です。

 また別の言い方をすると、鳴りは『しっかり声帯を鳴らした声』であり、いわば生の声なのですが、響きは『しっかり頭蓋骨に響かせた声』であり、いわば共鳴とか反響とか共振とか、そういう付随的な性格を持った声です。

 または鳴りは『自力自発的に発生させた声』である一方、響きは『自然と膨らんだ声』というイメージもあります。

 私のレッスン記事の中では『声がノドに落ちてノド声になると、声は鳴り中心になり、響きが無くなる』という記述があっちこっちにありますが、これはあくまでも私の場合の話であって、実はこれはレアケースかもしれません。と言うのも、おそらく多くのヒトの場合、声がノドに落ちると、鳴り中心の声にはならずに、怒鳴り声になってしまうと思います。怒鳴り声は、歌声ではなく、話し声の一種です。

 つまり、声から響きが無くなると、残るのが鳴り…ではなく、声から響きが無くなると、声が歌声という状態をキープできなくなり、話し声になってしまう……のが、ごく普通の状態だろうと思われます。

 実は、声を鳴らして歌うのは、難しいのだそうです(笑)。なので、キング先生のところでは、声を鳴らして歌うことを熱心に教えるわけですが、実はこれ自体は正解なのです。ただ、私のように最初からノドを鳴らして歌っている人間に、さらにノドを鳴らして歌うように指導する間違っているし、ノドを鳴らさせるにしても、段階を踏まずにやらせたり、過度に鳴らせたりすると、妻のように声帯を腫らして壊してしまうわけです。

 大切なのは生徒一人ひとりに応じた指導であって、声楽指導が、楽器指導のように定型化しづらいのは、そういう事なのです。

 閑話休題。多くの人にとって、歌声とは、響きが中心の声です。学校などの歌唱指導でも「クチを大きく開いて!」とか「腹筋を使って声を息に乗せて歌いましょう」とか指導しますが、これはすべて響きを増す方向の指導です。また、フォルテを歌う場合では「怒鳴らずに、クチを大きく開いて、カラダによく響かせて歌いましょう」って指導するじゃないですか? これにしたって、声を大きくするには、声の響きを増やして声量を増やしましょうって指導なのです。

 分かりやすいのが、日本の市民合唱団の歌声です。特に合唱で美しく感じる声は、かなり響きに偏った発声です。また、教会音楽の声も響きが多めの声で歌います。

 声が響きに偏っている時は、声に倍音も多く含まれ、全体的に声は、細く高く柔らかく聞こえます。ただし、音程もうわずり傾向になりがちだし、声量も不足気味となります。

 一方、鳴りに偏った声と言うのは、かなり稀有な声です。声帯を適度に絞めた状態で声を強めていくと、普通は、あるところから怒鳴り声になってしまいます。これは声の勢いにノドの筋肉が負けてしまうので、怒鳴り声になってしまうのです。

 一方、ノド声とは、声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声を言います。私がしばしばこの状態に陥るわけですが…。声楽初心者などで、強い声や大きな声、高い声を出そうとして、ついつい息を強めに吐いてしまい、その声の勢いに負けまいとして、ノドが頑張ってしまうと、ノド声になるわけだし、ノドが頑張りきれないと、怒鳴り声になるわけです。逆に頑張りすぎると、以前の私のように、高音に行くにつれ、ノドにフタが被さるような感覚になり、ある所からは声も出なければ息も吐けなくなります。

 ですから、鳴りの声とはは、いわば怒鳴り声にもノド声にもならない、適度に緊張した状態の声であって、声の勢いに負けないほどにノドに筋力があって、しかしさほどの力を入れている状態ではなく、声の勢いとノドの頑張りがほどよくバランス取れている声の事を言います。つまり、自然の状態でかなりノドが頑張れないと、鳴りの声では歌い続けることができないのです。

 なので、普通の人の場合、声を少しでも強めてしまうと、怒鳴り声になってしまい、怒鳴り声を避けようとして、ノドに力を入れると、ついつい力が入りすぎてガチガチになって、ノド声になってしまうのです。鳴りの声は、なかなか難しいのです。

 さらに言うと、鳴りの声は力みの声でもあるわけですから、鳴りに偏った声は、聞き苦しい感じがしますし、聞いていて胸が締め付けられるような気すらします。ですから、強い感情を表現するのに向いている発声と言えます。

 いわゆるオペラ歌手の皆さんは、程度の差こそあれ、皆さん、鳴りの声を使って歌います。でないと、劇場に声が響き渡る事はありえませんし、観客の心を揺さぶる歌は歌えません。ある意味、鳴りの声は世俗的な歌に合っていると言えましょう。だって、宗教曲のように響きの多い声で歌われると、禁欲的と言うか、感情が激しくゆさぶられる事はないでしょ? 鳴りの声は感情にダイレクトにつながる声なのです。

 ただし、鳴りばかりの声では、美しくないし、声の消耗が激しいので、響きの声をそこにプラスして、ノドの負担を減らし、声の耳あたりを良くし、楽に遠くまで声を飛ばしていくのです。

 普通の人が声楽を学んだ場合、まずは響きを豊かにし、響きがある程度豊かになったら、そこからカラダを作って、徐々に声に鳴りを増やしていく(これを声が成長すると言います)ものです。私の場合は、そこの順番が違っていて、まず最初に鳴りを獲得してしまったので、今頃あわてて響きを付け加えている最中なのです。

 そういう意味では、私の声楽のレッスン日記は、他の人にはあまり役に立たない日記なのかもしれません。

追加の豆知識  ノド声に関して、文中で『声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声』と書きましたが、これは私が陥りやすいタイプのノド声です。実はノド声にはもうワンパターンあって、多くの人はこちらのタイプにハマりやすいようです。

 で、そのもうワンパターンあるノド声とは『深みのある声を出そうとして、ノドに力が入り、その結果、舌根が固く大きく隆起して、ノドを塞いでしまう声』です。こちらは“団子声”とも言って、市民合唱団で「ノド声注意!」と言われるノド声は、たいていこちらです。私も、歌の習い始めに、このタイプのノド声になりました。

 私の場合は

 1)スプーンで舌根を押さえながら歌う
 2)舌を前に突き出して歌う

 などの荒療治をして克服しました(笑)。

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2017年2月 5日 (日)

水素水飲むくらいなら、レモンをかじった方がマシ?

 私は迂闊にも気にしていなかったのですが、年末から年始にかけて、水素水業界は熱かったそうです。と言うのも、昨年末に国民生活センターから水素水に関する調査データーが公表されたからです。

 公表された事をかいつまんで書くと…

1)水素水には、公的な定義は無いよ。特定保健用食品(トクホ)や機能性表示食品として許可、届出されたものは無いよ。

2)水素水の効能として「様々な病気の原因といわれる悪玉活性酸素を無害化する」と書いてある商品があるけれど、これは医薬品医療機器等法や健康増進法や景品表示法に抵触するかもしれないよ。

3)水素水として販売されているモノの半分近くの商品からは、表示通りの濃度の水素ガスが検出されたよ。でも残りの半分は、水素ガスが検出されなかったり、されても微妙だったりしたよ。

4)水素水生成機は、水質や水量に影響を受け、必ずしも表示通りの水素濃度の水素水を作れるとは限らないよ。

5)水に溶けている水素ガスは、容器の開封後、時間経過でドンドン抜けていくよ。

 この発表を受け、報道は「水素水はただの水だった」とか報道した(私は知りませんでした)そうで、関連業者の皆さんはカンカンになったわけです。そりゃあまあ、商売の邪魔をされたわけだから、怒って当然だわな。

 ちなみに、国民生活センターは「水素水はただの水だ」とは一言も言ってません。ただ、水素水はトクホ等ではないので効用を書いちゃダメだし、商品によって水素ガス濃度もマチマチだと言っているだけです。

 でもまあ、国民生活センターの報告を読む限り、はっきりと書いていないだけの話で、水素水って、限りなく水みたいなものだと言う事は分かります。

 で、水素水がただの水か、それとも魔法の水なのかは(私、興味がないので)横に置くことにして、水素水の効能とされている「悪玉活性酸素を無害化する」について、ちょっと思うところがあります。

 おそらく、酸素に水素を加えると水になるから、体内にある活性酸素だって、水素を取り込めば水になって無害化するんじゃないの…という考えが、水素水の効能として言われているのだろうけれど、これって明らかに机上の空論であって、事実とはかなり遠いんだよね。

 と言うのも、確かに酸素に水素を加えると、化学式の上では水ができるけれど、実際はただ酸素と水素を混ぜるだけじゃ水になりません。2つのガスを混ぜた上で、化学反応を起こさせないと水にはなりません。具体的に言えば「水素と酸素が混じっているガスにエネルギー(火花とか火炎とか)を加えて水素爆発をさせる」必要があります。そうしないと、水は出来ません…って、中学校で習ったでしょ?

 なので、水素水を飲んだだけじゃ、体内の活性酸素と水素水の水素は結合しないのです。水素水を飲んだ後に、火のついた木炭でも飲んで、体内で水素爆発を起こさせないと水は出来ないのですが…ってか、そんな事をしたら、爆発して水を作る前に大やけどをしてしまいます(笑)。

 じゃあ、活性酸素って奴には何の手も打てないのか…と言えば、そうではないわけです。

 活性酸素の正体は過酸化水素であり、つまり酸化した水であって、酸素が余計にくっついている水なのです。この過酸化水素から、余計な酸素を奪って、通常の水にしてあげれば良いのです。そのためには、過酸化水素に、水素が余計にくっついている物質と化学反応させて水をつくれば良いわけです。この作業を還元って言うわけだし、水素が余計にくっついていて容易に過酸化水素と反応してくれる物質を還元剤と呼びます。

 で、そんな還元剤の一つで、有名なのが、ビタミンCなのです。

 つまりビタミンCを摂取すれば、容易に体内の過酸化水素が還元されて、活性酸素は減るって寸法なのです。この反応を“グルタチオン-アスコルビン酸回路”って言うのです。高校の生物の時間に習ったと思うけれど…詳しくはググってね。

 つまり、トクホにも認定されないような水素水を飲んで、活性酸素をどうにかしようと考えるくらいなら、ビタミンCを補給した方が、簡単に確実に活性酸素を退治できる…ってわけなのですね。

 なので「水素水飲むくらいなら、レモンをかじった方がマシ」という結論となるわけです。

蛇足 緑茶って、すぐに酸化して色が変わってしまうので、昔は飲料として販売するのが難しかったのですが、お茶の酸化を防ぐために、お茶にビタミンCを添加すれば良い事が発見されて、それ以来、普通にお茶がペットボトル等で販売されるようになりました。ビタミンCって、それくらい還元剤として優秀なんだけれど、ペットボトルのお茶を飲んでも、ちっとも酸っぱくないのはなぜ? ビタミンCって、強烈に酸っぱいはずなんだけれどね。

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2017年2月 4日 (土)

金魚のペットとしての優位性について

 ペットの王様の座は、ずっとずっとイヌでしたが、最近では、その座はネコに取って代わられたのだそうです。ペット業界も戦国時代ですなあ。

 金魚は…正直言ってペット業界の中では、選挙で言えば泡沫候補。企業で言えば、町工場程度の小さな存在かな…って思います。でも小なりと言えども、金魚もなかなか捨てたものではないですよ。そこで、金魚がイヌネコを始め、その他のペットと比べた時の優っている点について書いてみたいと思います。

1)安価である

 とにかく金魚は安価です。金魚本体も安価だけれど、その他もろもろの飼育機器の購入を含めても、金魚の初期費用は安価です。おそらく金魚よりも安くあがるのは…小鳥かな? 本体価格はともかく、周辺機器の費用が小鳥と比べると、金魚の方が多少かかります。水槽+ろ過装置と鳥かごじゃあ、そりゃあ鳥かごの方が安価だよね。でも、イヌネコ爬虫類と比べたら安価だし、同じ観賞魚でも熱帯魚よりも安価です。もちろん、ウシウマブタなどのペット(ってか家畜?)とは比べ物になりません。

 これらの初期費用が安いだけでなく、日々にかかる経費(つまりランニングコスト)も金魚は安いです。エサ代は破格に安いですよ。それ以外にかかる費用は、ろ過装置のメンテ代ぐらいだし…ね。とにかく、安いです。子どもの小遣いでも飼育可能でしょう。

2)カラフルだよ

 金魚は色にあふれています。赤色、白色、黒色、青色、黄色に金色、おまけにテカテカのグロスまで載っています。ほんとカラフルです。なにしろ金魚は、別名“泳ぐ宝飾品”ですからね。目に鮮やかで、ゴージャスなペットなのです。

 イヌネコは、基本的に黒か白か茶色だものね。色に関しては地味です。金魚並にカラフルなペットと言えば…インコ系の小鳥かな? インコやオウムは、種類を問わずにハデハデだからね。

3)狭くても平気

 金魚は、飼育スペースが狭くても平気です。ってか、家庭用の水槽って、そんなに大きなサイズのモノはないです。普通は30cm水槽でしょ? 大きくても90cm水槽とか…。水盆だと、もっと大きなモノもありますが、それだってたかが知れています。イヌネコのような運動スペースが必要ではないので、家が狭くても平気です。金魚よりも狭くても平気なのは…昆虫かな? 甲虫類は金魚と同じか、もう少し狭い水槽でも飼えますからね。小鳥の鳥かごも、床面積的には水槽と同じか、もうすこし小さめかもしれません。

4)静かです

 とにかく、金魚は物静かです。基本的に物音を立てません。騒音問題とは無縁です。せいぜいろ過装置の稼働音がするくらいです。金魚より静かなのは…おそらく爬虫類くらいです。爬虫類も音を立てませんし、爬虫類は、ろ過装置すら不要です。本当に静かだと思いますよ。小鳥やイヌネコ…とりわけイヌはしばしば『鳴き声がうるさい』と言って、騒音問題となります。私も以前飼っていたワンコがやたらと遠吠えする子で、ご近所でも有名で困ってました(汗)。

5)臭くないです

 金魚は基本的に無臭です。臭くありません。もちろん、ろ過装置のメンテをサボれば、多少の悪臭もしますが、それでもたかが知れていますし、ろ過装置のメンテをきちんとしていれば、本当に臭いません。金魚よりも臭わないペットは…たぶんいません。金魚と比べたら、どのペットも臭いですよ。おそらく金魚と同じくらい無臭なのは…観葉植物じゃないかしら? とにかく、金魚って臭くないんですよ。

6)どこでも飼えます

 金魚は水がある場所なら、どこでも飼えます。

 基本は水槽で買うことです。だから、屋内室内で飼うことが多いでしょうが、別に屋外で飼育しても問題ありません。庭に衣装用のプラケースを並べて、そこで金魚を飼っている人を私は知ってます。また、昔ながらに池で金魚を飼う人もいます。

 屋外で金魚を飼う場合、一番注意しないといけないのは野鳥です。湘南は野鳥天国だからねえ…ウチの近所だと白鷺(しらさぎ)や青鷺(あおさぎ)、大鷺(だいさぎ)などの鷺類が危険です。連中、庭の池に住んでいる魚類を美味しくいただくからねえ…。他にも、カワセミとかトンビとかも池の魚を狙います。池の上に屋根をつけないと、これらの鷺連中に食べ尽くされてしまいます。

7)放っておいても平気です

 金魚は水槽飼いなので、運動に連れ出す必要はないし、勝手に部屋を荒らしたり、屋外を放浪したりもしないし、変温動物ですから生命維持に関して省エネなので、水もエサも毎日やらなくても平気。おそらく、一週間ぐらいの絶食なら何てことないです。飼い主が旅行に行っても寂しがりません。

 夏の暑さはさすがに堪えるようなので、水温が30度を越えないように日陰で涼しいところで飼育する必要がありますが、冬の寒さは全然平気です。水温が下がってくると活動が鈍くなって冬眠しちゃうだけです。さすがに金魚は(メダカとは違って)氷の中では生きられませんので、水の中まで凍らなければ大丈夫です。まあ、よほど浅い池でもないかぎり、極寒でもなかなか池の中までは凍らないので、心配は不要です。

 というわけで、なかなかペットとしてはニッチな存在な金魚ですが、なかなか良いところもたくさんあるんですよ。皆さんも、金魚を飼ってみてはいかがでしょうか?

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2017年2月 3日 (金)

乾燥の季節となりました

 乾燥の季節となりました。笛吹きの皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?

 私は自慢ではないですが、乾燥肌です。それでも夏は汗まみれなので、適度に肌は潤っておりますが、冬に見ると汗はかかないし、空気は乾燥しているし…ってわけで、私の体表はパリパリに乾燥してしまうわけです。手はガサガサ、クチビルもガサガサで困っています。

 今年の私は、乾燥対策して、手指を手始めとして、カラダのあちこちに馬油を塗ることにしました。これがなかなか良いのですよ。馬油はあっという間にカラダに染みとおり、ベタつきなどほとんどなくて快適です。

 市販のハンドクリームなんて、塗ってからしばらくはベタベタしているので、フルートに触れませんし、乾いたかな?と思っても、手を洗ったりして水分を加えると、またまたベタベタのドロドロになるじゃない? そうなると、フルートを汚したくないので、またお預けになるわけです。そこへいくと馬油は、手に塗れば、塗ったそばからベタベタが無くなってサラッとするし、手を洗ってもベタベタになりません。フルートを汚さないのがいいです。いやあ、ナイスナイス。

 問題は、馬油って、市販のハンドクリームと比べると、圧倒的に高価だという事かな(笑)。

 と言う訳で、乾燥肌対策に馬油はなかなか良いのですが、一箇所だけ満足していないのが、クチビルの乾燥です。

 実は冬になると、私のクチビルは乾いてガサガサになるのですが、そのクチビルに馬油を塗ると、あっという間にサラッとしてしまい、クチビルの表面のガサガサは、馬油を塗ったところでガサガサのまんまなのです。

 クチビルがしっとりしつつも、表面はガサガサのまんまなのです。なんとも不思議な感覚です。

 馬油は、皮膚の表面と言うよりも、皮膚そのものに効き目があるみたいです。塗ると、あっという間に染み通り、表面は素通しっぽい感じになります。

 なので、馬油は万能油とは言え、クチビルには合わないかな…って思ってます。

 クチビルがガサガサのままだと、歌は困らないけれど、フルートじゃあ困るんだよね。なんか、気のせいかもしれないけれど、クチビルがガサガサしていると、フルートの音が美しくないような気がするんですよ。

 やっぱり、クチビルは定番のリップクリームだね。ワセリンを直接塗っても良いのだけれど、ワセリンは美味しくない(笑)ので、適度に香料が加えられているメンソレータム系のリップクリームを愛用しています。

 なので、フルートの練習の前には、リップクリームをグリグリ塗っています。リッププレートにクリームが付いてしまいますが、気にしない気にしない。付いたものはティッシュで拭き取ればよろしい。レッスンの時は、家を出る前にグリグリ塗っていきます。そうすると、ちょうど良い塩梅で、フルートにクリームがほとんど付かないのです。やっぱり、リップクリームも馬油ほど速くはないけれど、時間が経つと肌に浸透していくんでしょうね。

 と言う訳で、冬場は、めっちゃやたらとリップクリームを消費してしまう私なのでした。

P.S. リップクリームはちゃんとドラッグストアで購入した方が良いです。ついつい近くで便利だからコンビニで購入しようとしてしまいますが、コンビニのリップクリームはやたらと高価です。1本300円程度でしょ? ドラッグストアだと、2本で100円だったりすくじゃない? この差は大きいよね。

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2017年2月 2日 (木)

奇跡の一声が出ちゃいました

 さて、声楽のレッスンの続きです。トスティ作曲の歌曲「Penso!/僕は思っている」です。

 この曲、最初思っていたよりも、かなりの難曲のようです。速いし、高いし、ピアノは難しいし…。まあ、レッスンの課題曲としては、学ぶことが多くて良いのかもしれません。

 ついつい速さに引きずられ歌ってしまいますが、速さに負けずに、一音一音丁寧に歌わないといけませんし、何よりも響きを忘れちゃいけません。そこで、せっかく習った腹筋のアクセルを使って、1フレーズごとにその踏み方を確認しながら歌っていきました。

 で、アクセルを踏むのと連動して、ノドを開いていく練習をしました。アクセルを踏んで息が吐き出されたら、それに合わせて、喉仏を下げて、軟口蓋を上げていくのです。言葉にすると簡単ですが、実際にやってみると、なかなか難しいです。

 速さに負けないためには、準備を早めにする事と、色々な事を考えずにできるようにしておく事が大切です。歌詞を読むことに神経を使ってしまうと、歌わずについついしゃべってしまいます。歌詞を丸暗記する事で、歌詞が自然とクチがら出てくれば、歌詞の事に気を使わずに歌い続けることができるわけです。早めの準備と、歌詞をクチにつけるためには…練習が必要です。たくさん歌いこむ事で、これらの事が確実になっていくのですから。

 発声練習では、上昇音型でのアクセルの踏み方を中心に練習しましたが、実際の歌では、下降音型もたくさんあって、そんなフレーズでもしっかりアクセルを緩めながらも踏み続ける事を学びました。アクセルを緩めすぎると、声に響きがなくなります。アクセルを緩めないで下降音型を歌うのは無理です。だから、緩めながらも踏み続けるという矛盾した行為をやり続けるのです。

 今回、アクセルの踏み方に注意を払いながら歌っていったのですが、そんな事もあって、たった一度だけ、最高音のG♯を驚くほどの美声で歌ってしまいました。たったの一度きりでしたが、私もびっくりしましたが、先生もびっくりしました。アクセルさえ正しく踏めれば、プロ並みの声で歌えるものなのだなあ…と我ながら恐れ入ったのでした。先生も、今回は1回しか出来なかったけれど、1度できたなら、これからも出来るので、その出来る確率をドンドン上げて、出来るのが普通になるように目指しましょうって事なのです。

 そのためには、最高音の事ばかり考えずに、今歌える音域の音を楽に楽に歌えるようになることが大切で、そうやって楽に歌える音域を確実にして大切にしていく事で、音域の拡大ができるわけです。その先に、今回のような美声があるのだから、楽に歌う事と、テクニカルに歌う事の2つを大切にしていきましょうなのです。

 とにかく、アクセルをきちんと踏んで、息を吐き続けるのが、とてもとても肝心なのです。

 さらに、自分のクチが金管のベルだと思う事が大切だそうです。クチのカタチが歪むと、声の響きが歪みます。私はクチのカタチに無頓着すぎるので、そのために音色が犠牲になっている部分があります。もっと、スカッとかっこよくクチが開ければ、もっと良い音色で歌えるようになるそうです。ああ、ならば頑張らないとね。

 奇跡のG♯が出たので、その後も高音を狙って歌ってしまいましたが、やはり高音は狙って出そうとするものではないみたいです。高音を狙えば狙うほど、胸に力が入ってしまい、うまく息が吐けなくなりました。ダメだな。

 クチの奥を開く…のも四苦八苦しながらやってますが、やはり言い古された「嘔吐のつもりで歌う」と言うのは、かなり正解なのではないかと、オエーと思いながら歌ってみる私でありました。

 とにかく、今回のレッスンでは、多くの事を学びました。「Penso!/僕は思っている」に集中して学んでしまい、時間を使ってしまったので、今回アリアはパスです。

 最近書いていなかった、妻の話をちょっとだけ。

 妻は、以前所属していた合唱団ではアルトを担当し、キング先生のところでも、アルトやメゾを歌っていました。なにしろ、発表会ではカルメンを歌ったくらいですからね。メゾもメゾ、真正なメゾソプラノという扱いでした。そんな事もあって、妻は自分の声種は独唱なメゾ、合唱だとアルトだと思っていたのですが、Y先生に声を聞いてもらって「ソプラノに間違いない」と言われて、それ以来ソプラノに転向していた妻でした。ソプラノに転向した直後は「ソプラノになったと言え、アルトと大して変わらないなあ…」と私は思ってました。声の響きも良くないし、声量もないし、なんかうまく行ってない感じが続いていました。アルトの歌が彼女に合っていないように、ソプラノの歌も、そんなにしっくり来るわけではなかったのです。

 そんな日々がしばらく続いたところで、ある日ふと、妻の声が、ソプラノはソプラノでも、コロラトゥーラではないかしらと先生が気づき、試しにコロラトゥーラのアリアにチャレンジしてみたところ、これがうまくはまったようで、妻の声がみるみる良い方向に変わっていきました。今はドニゼッティ作曲の「シャモニーのリンダ」の小難しいアリアを歌ってますが、このアリアを歌っている時の妻の声は良いですよ。声の響きも整い、声量も増し、声がビンビン飛んでいく感じがします。

 妻は話し声がやや低めで、それゆえに今までアルトだと思われていたわけですが、実はコロラトゥーラだったようです。話し声と歌声は、ほぼ無関係という良い実例でした。

 紆余曲折有りましたが、どうやら妻はコロラトゥーラソプラノのようです。でも、今まで誰もそれを見抜けなかったし、本人も想像だにしていなかったわけだし、プロの声楽教師ですら見誤っていたわけですから、声を見つけるというのも、実に難しい事なのですね。

 そんな彼女を見ていると、私は一応、リリコレッジェーロのテノールって事になってますが、本当の本当はどうなのだろうか…と思わないでもありません。私の声って、そこまで軽くないような気が、本人的にはするんだよね。

 でも、どうなんだろうね?

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2017年2月 1日 (水)

アクセルの踏み方を習いました

 声楽のレッスンに行ってきました。まずはハミングの練習からです。

 今回のレッスンに至るまで、私、頑張って宿題の腹筋運動をコツコツと続けてきました。その結果、以前よりもずっと楽に腹筋が動くようになりました。ただしそれは“筋力がついた”と言うよりも“神経がつながってきた”って感じです。今までは、腹筋を動かそうとして、うまく動かせなかったのが、今は以前よりも簡単に自分の意思で腹筋が動くのが分かります。それもかなり軽快に動きます。いやいや、自分の意思でも動くけれど、意思とは関係なしに、無意識でも自然に腹筋が動いているのが分かります。

 なかなかの進歩じゃない?

 そこで今回は、腹筋が動くという前提の元、響きを多めに歌う癖をつける練習をしました。ちなみに、ここで言う響きとは、イタリア語で“ティンブロ”と呼ぶものなんだそうです。

 さて、その響きを多めにする方法ですが…

 1)息をたくさん吐く。
 2)クチの奥をしっかり開ける。  以上です。

 今回はとにかく、息をガンガン吐きながら歌うのを練習しましたが…これが難しい。私はキング先生の元で、徹底的に息を節約しながら歌う事を学び、今やそれが癖になっているので、息をたくさん吐いて歌うのが苦手です。ちなみに、息を節約して歌うためには、胸で息を支える事が必要で、そのために胸の筋力が必要なのですが、私は息を節約するために胸を使いすぎています。なので、胸を脱力しないと、息をたくさん送って歌う事ができず、胸を脱力しながら、息をたくさん吐いて歌う…これが本当に大変でした。

 あんまり大変なので、ついつい眉間にシワを寄せて歌ってしまうと「眉間を開いて!」と注意が飛びますし、息を吐き過ぎて足りなくなると、ついつい胸を使ってしまうのですが、それもアウトなのです。

 間違った事を学んでしまうと、それを直すのに、習得する事の何倍もの労力が必要になるので、なるべく最初から正しい事を学ぶべきだ…と痛感しました。

 次に腹筋の使い方を、アクセルを踏む感覚で練習しました。アクセルをちょっとだけ踏む。少しずつ踏んでいく。踏んだアクセルを、ちょっと戻す…とかね。もちろん、アクセル全開の練習もしました。腹筋をアクセルを踏むように、自由に扱えたら、もっと上手く歌えるようになれるんだろうなあ…って思いました。

 腹筋を使って、響きで歌っていくと、声は楽で、ちっとも充実感がない代わりに、やたらとカラダが疲れてきます。カラダは疲れてきますが、声は楽なので、あまり消耗しません。声が楽だと聞いていて心地よいですし、声が楽なので、高い声も楽に出せます。

 プロ歌手でも、鳴りを多めに力技で歌っている人も結構いますが、歌はなるべく力技ではなく、テクニックを駆使してテクニカルに歌うべきだというのがY先生の方針です。と言うのも、テクニカルに歌えば、失敗する可能性は低くなるし、万が一、失敗しても大きく外すことがないからです。力技だとハマればバッチリかもしれませんが、外せば空振りなのです。野球で言えば、ヒットやバントや盗塁でコツコツと点を稼いでいくやり方でいくか、ホームラン狙いの大味なやり方で点を取っていくやり方でいくか、そんな感じなのかもしれません。

 それに鳴りの声で歌うには、特別な才能が必要なのです。私は比較的、鳴りの声は得意なのだけれど、別に豊かな才能があるわけでなく、鳴りの声だけでは歌いきれていないので、やはり響きを交えて、テクニカルに歌えるようになるのに越したことはないのです。

 それに、私の場合、鳴り中心の声で歌うと、どうしても声は尖るし、平べったくなるし、軽薄になるし…音色としては、全然美しくなくて、ただ単に、大きな声で歌えるだけの人になり兼ねません(でも歌っていて充実感はあるんですよ)。

 なので、元々持っている鳴りの声に、響きの声をプラスして自由に歌えるようになりたいのです。難しいなあ…。

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