ひとこと

  •  仕事が忙しすぎて、カラダがバテバテです。メトのライブビューイングで「ルサルカ」を見に行こうと思っていたのに、カラダが言うことを聞かずに、出かけられませんでした。ああ、ちょっぴり残念。今はオペラ鑑賞よりも休息を第一としましょう。
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2016年12月の記事

2016年12月31日 (土)

今年もお世話になりました[2016年を振り返って]

 大晦日でございます。例によって例のごとく、今年一年を私なりに総括していきたいと思います。

1)ポケモンGOを始めた

 私にとって、2016年最大の出来事は、やっぱり「ポケモンGO」を始めた事でしょう。始めてから半年たちますが、今でも毎日元気にポケモン、やってます(笑)…とは言え、私、元々散歩と言うか、歩くのが大好きな人ですし、日常的によく歩く人なので、普段の生活の延長線上でポケモンをやっている感覚です。例えば、徒歩通勤なので、通勤途上でポケモンやっていたり、休日などは近所をぐるりと散歩したりと、毎日の生活の中で無理の無いようにやっています。でも、普段から一般的な成人男性よりもたくさん歩く生活をしているので、結構ゲームも捗るのですよ。今日、この記事を書いている段階で、プレーヤーレベルは32ですよ。まあまあ頑張っているほうでしょ?

2)『ラ・ボエーム』を歌った

 『ラ・ボエーム』を歌った…と言っても、もちろん「その中のアリアを一曲歌いました」というレベルでもなければ、「全曲歌いました」というレベルでもなく、第一幕の一部(とは言え、ほとんど)と、第四幕(フィナーレ)部分を歌いました。趣味のオジサンのアマチュア歌手としては、かなり画期的な事だと思ってますし、冥土の土産話の一つになる出来事でした。

 歌ったのは、夏の発表会(第一幕の前半と第四幕の後半)と、秋のクラシックコンサート(第一幕の後半)だったのだけれど、これらは私の人生の中でも、特に大きな出来事となりました。夏の発表会についてはこちらから、秋のクラシックコンサートの事はこちらから読んでみて下さい。

3)フルート合宿に初参加した

 H先生に師事して以来、毎年のように誘われながら参加できなかった夏のフルート合宿に、今年はついに参加しちゃいました。詳しい事は、こちらの記事から読んで欲しいのだけれど、いやあ、やっぱり合宿はいいね。ほんと、いいね。楽しかったし、ためになった。来年も可能なら参加したいのだけれど…すべては仕事の都合だったりするんだよね。

4)金魚の入れ替わりについて

 今年の年頭にいたのは、三色琉金のヤヨイ、素赤オランダのミカン、黒出目金のミドリ、丹頂のエナ、素赤琉金のシズカでしたが、7月にエナ(丹頂)とアセビ(更紗流金)が入れ替わり、9月にミカン(素赤オランダ)とベルちゃん(丹頂)が入れ替わりました。なので、現在の金魚たちは、古い順に並べると…

 …三色琉金のヤヨイ、黒出目金のミドリ、素赤琉金のシズカ、更紗流金のアセビ、丹頂のベルちゃんの五匹になります。

 ドジョウは…と言うと、5月にはマドジョウのシロが、8月に緋ドジョウで名無しの一匹が星になってしまい、だからと言って新入りは入れなかったので、現在は、マドジョウのクロと、緋ドジョウのラズとヨッチャン(元名無し)とマッチの、合わせて4匹体制となっています。

 タニシに関して言えば、正月の段階でいた子たちは4月に全滅し、今いる子たちはみんな8月にやってきた子です。ちなみに、まだ数匹いる石巻貝は、もう何年も前からいる子たちです。

 年の始めには4匹いたヌマエビは、いつのまにか全滅してしまいました。残念。5匹で頑張っていたメダカは、何匹か投入した後、10月に全滅してしまいました。これも残念。

 水草は、夏ぐらいまでは何とか頑張ってマツモグサを入れていましたが、8月以降はガボンバに変更しました。で、ガボンバは基本的に毎月新しいのと交換しています。だって、一ヶ月もすると、食い散らかされてなくなってしまうんだもの。

 現在の水槽の状況はこんなものです。

5)今年のダイエット?

 ダイエット…って、なんでしたっけ?

6)今年も幸せな私でした

 今年のこの記事をまとめるにあたり、今年は、騒ぐほどの大きなネタがない年だったなあ…というのが、正直な感想です。なにしろ、ポケモンGOにフルート合宿、ラ・ボエームが大きな出来事に数えられるくらいだもの。ほんと、平和な一年だったと思うし、特別な事が起こらなかった年ってわけです。よかったよかった。

 実際のところは、仕事が忙しすぎて、趣味の音楽やブログに割ける時間が減り、職場と家の往復ばかりになってしまって、特別な事が起こらなかっただけなのかもしれません。でも、それも良しです。

 声楽のレッスンは、仕事の都合に合わせて設定できますので、なんとかキープ出来てますが、フルートの方は、曜日時間が固定なので、仕事の都合でレッスンに行けない事が増えました…ってか、レッスンに行く回数よりも、お休みする回数の方が多いような気がします。ダメじゃん。

 そうであっても、衣食住が足りて、不足のない生活をしているんだから、あまり文句は言えません。結局、今年も私は幸せだったんだと思います。

 そんなわけで、来年もよろしくお願いします。

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2016年12月30日 (金)

今年[2016年]見た映画 その4

 さて、今回で映画の感想連載も終わりです。頑張っていきましょう。

31)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「連隊の娘」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

32)聲の形

 京都アニメーション製作のアニメ映画です。テレビアニメの映画化ではなく、最初っから劇場映画として製作されました。その話を最初に聞いた時には「ああ、残念だな。テレビでやればいいのに…」と思いましたが、実際に見てみて納得です。この物語は、最初から最後まで一気に見せないといけないタイプの物語であって、だから映画という媒体がアニメとしては適している…と思いました。つまり、毎週30分のTVアニメにしたら、途中で脱落してしまう人が続出してしまうだろうし、それは製作者(ってか、ストーリーテラー)の本意ではないでしょう。

 普通に良い映画だと思います。誰の心にもチクッと刺さるタイプの映画です。もしも『君の名は。』がなければ、今年ナンバーワンのアニメ映画として君臨したんじゃないかな? でも実際は『君の名は。』で、すっかりかすんじゃいました。返す返すも運が無いです。

 この原作は、実写でも映画化はできたろうけれど、これを実写化して生身の俳優さんたちに演じられたら、痛くて痛くて仕方ないかも…そういう意味ではアニメで製作した事で、痛みが軽減され、ストーリーが直に心に入ってくるんだと思います。

 良い映画ですよ。ほんと、良い映画です。それにしても、京アニって、すごいアニメ会社だね。スタジオジブリ無き現在、事実上、ここが日本のアニメを牽引しているんだろうなあ…って思います。

33)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ヴェルテル」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

34)君の名は。

 今年ナンバーワンの映画です。まさかまだこの映画を見ていない人は…いないですよね。もしもいたなら、ぜひ映画館で見ましょう。

 え? 「そのうちテレビでやるから、それでいいじゃん」 でも、このアニメって、とても画面が美しいのですよ。大型4Kテレビをかぶりつきで見るならともかく、普通の家庭用のテレビで見るなら、劇場の大画面で見た方がいいですよ。ため息が出るくらいに、美しいアニメです。特に背景が美しい。実写よりもカラフルで美しいです。

 しかし、これだけ作品がヒットしてしまう(日本アニメ歴代2位)と、監督としては、次作へのプレッシャーが半端ないでしょうね。大変だね。

35)超高速!参勤交代 リターンズ

 ヒットした『超高速!参勤交代』の続編というか、帰り道です(笑)。正直言っちゃうと「行ったきりでよかったんじゃないの?」って気がします。

36)言の葉の庭

 『君の名は。』の監督である新海誠氏の前作です。『君の名は。』のヒットに伴い、リバイバル上映されましたので見てきました。

 『君の名は。』とは全然違っていて、まるで同人映画のような仕上がりです。これはヒットしないわ~。でも、新海監督の特徴はすでによく出ていて、美しい背景と、意味深なセリフ回し、キュンとするストーリーは、健在です。この映画では、特に雨や水が美しいです。

 これを作った人が『君の名は。』を作ったわけで、一気に化けたんだなあ…って思います。

37)シン・ゴジラ(二度目)

 同じ映画を、同じ映画館で二度見る…なんて事は、普段の私はしないのですが、今回始めてしちゃいました。だって、蒲田くんがかわいいんだもの…なんてね(笑)。

38)オケ老人

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

39)ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

 ハリー・ポッターの続編…なんだそうですが、続編と言うよりも、スピンオフでしょうね。実際、前日譚だし。もっとも、前日譚と言っても、登場人物はまるっきり被りません。引き継いでいるのは、世界観ぐらいかな? なので“ハリー・ポッターの続き”と言うよりも“ハリー・ポッター的なお話”ぐらいに考えておくのが正解でしょう。

 この映画、すでにシリーズ化が決まっていて、全5作であると発表されていますし、本作では顔出し程度だった、シリーズ通しての悪役であるグリンデルバルトを演じているのは、ジョニー・ディプだったりします。ええ? そんな大物を使っていいの?って思いますが、いいんでしょうね。まあ、最初っから世界的な成功が期待できる作品ですからね。

 特撮の技術が進み、ハリー・ポッターよりも、もっともっと魔法な世界が画面に広がっています。それだけでも、見る価値はある映画だと思います。

40)マダム・フローレンス! 夢見るふたり

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

41)ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

 はい、スター・ウォーズです。でもこれは“エピソード8”ではなく、スピンオフ作品扱いでございます。時間軸的には“エピソード3.9”に当たるとか? つまり、この作品のストーリーの10分後に、エピソード4のお話が始まるんだそうです。

 ふーん、そうなんだ。

 全編に渡って、スター・ウォーズっぽい雰囲気漂う作品です。ちょっとずつだけれど、ダースベーダーもレイア姫も登場します。だから、スター・ウォーズなんだ…と言えますが、私としては「???」な映画でした。

 と言うのも、スター・ウォーズうんぬん以前に、ストーリーのよく分からない映画なんですよ。私が頭が悪いだけなのかな? なんか、どうにもピンと来ないんです。

 画面は終始、スター・ウォーズっぽい世界が繰り広げられているし、バトルシーンも迫力あっていいのだけれど、じゃあ肝心のお話は…と言うと、ドンパチしすぎていて、よく分からないんです。どうにもこうにも、あっちこっちご都合主義でね。語られていない事もたくさんあるみたいで、ストーリーがうまくつながっていないような気がします。でも、スター・ウォーズのファン的には、これでいいんだと思いますが…ファンでない私のようなものは、なんともついていけないのでした。

 クローン戦争って言われても、何が何やら全然分からないのよ。

 レイア姫、合掌。

 と、まあ、こんな感じで、今年は41本の映画を見た私でございます。そう言えば、今年は歌舞伎を一本も見ていないなあ…。歌舞伎、好きなのに、うっかりしていました。来年は、歌舞伎も見るぞー!

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2016年12月29日 (木)

今年[2016年]見た映画 その3

 さて後半です。

 私、ちょっとクグってみたところ、日本人の平均映画鑑賞数って、年1.3本らしいです。つまり、普通の日本人は、映画館には年1回行く程度で、2本行けば、すでに多い方…って事になるそうです。うひょー、なら、年40本近くも見ちゃう私って、ヘビーな映画ファンじゃん。自覚なかった! 映画業界は、もっと私を大切にした方がいいよ!

 もっとも、年1.3本と言いながら、実は日本人の2/3は、年に一度も映画館に行かないのだそうです(あら、もったいない)。残りの1/3も、半分は年に1回しか映画に行かないわけで、残りの半分のうちの半分が年2回ペースで、そのまた残りの半分が年3回ペースで…と言った感じで、残りの半分、残りの半分、残りの半分って感じで、映画を見に行く回数が少しずつ増えていくそうです。年40本なんて、もう“映画エリート”じゃん、何をか言わんやじゃん。

 つまり、映画って、ほとんどの人に見られていなくて、ただし、見る人はガンガン見ているという状況なんだそうです。だから、映画の年間平均鑑賞数って、数字的には“年1.3本”となるけれど、感覚的には「映画なんて誰も見てねーよー」と言うべきなんだそうです。

 ううむ、数字のトリックだよね。

 ちなみに、世界で一番映画に行くのはアメリカ人だそうだけれど、それでも年4.5本なんだそうです。ああ、世界的に映画って、映画館じゃあ誰も見ていないんだなあ。まあ映画なんて、映画館での興行が終わると、すぐにDVDが発売されるし、やがてはテレビで見放題になるわけだしね。そういう状況を踏まえていくと、誰も映画館に映画を見に行かなくなるのも分からないでもないです。

 私だって、近所に映画館がなければ、映画なんて見に行かないかもしれないし…ね。

21)ズートピア

 いかにもディズニー特有の天真爛漫な子供向けアニメのふりをしていますが、実際のところ、この映画はちっとも子ども向けではありません。少なくともストーリーは子供向けではありません。むしろ、子どもには退屈かも…ね。

 この映画、罪のない動物アニメのふりをしていますが、メインテーマは差別でしょうね。人種差別、男女差別、宗教差別、階層差別、ありとあらゆる差別が動物の姿をして表現されています。これらの差別に対して、勇気を持って立ち向かっていこうというのがこの映画のメッセージなんじゃないかなって思います。だから、子供向けアニメというよりも、むしろ、青年向けアニメ映画なんじゃないかな…って思います。

 まだ若い時に、社会の矛盾や差別について考えてもらう…そんな事が期待されている映画なんじゃないかな?

22)殿、利息でござる★

 このお話、史実に基づく実話…なんだそうです。まあ、細かい部分は作劇上の演出もあるのでしょうが「事実は小説よりも奇なり」なんでね。ほんと、面白くて勇気づけられる映画です。『ああ、日本じゃ~ん』って感じの映画です。庶民の知恵がすごいし、それを受け入れるお殿様の度量も広い。だれも悪人がいなくて、WIN-WINのお話。うむ、いかにも良質な日本映画って感じです。

23)デッドプール

 いわゆるアメコミ・ヒーローモノなんだけれど、主人公のデッドプールの性格がハチャメチャで、私は気に入りました。この主人公、ヒーローなんだよ、一応(爆)。

 正直、くっそくだらない映画です(これ、誉め言葉ね。念のため)。くだらない映画が大好きな人向けの映画です。

 デッドプールって…実にチャラいんだよね(笑)。この映画は、デッドプールのチャラさを楽しむ映画じゃないかな…って私思うわけです。

24)貞子vs伽椰子

 …なんか違う感満載の映画でした。でも“貞子”とか“伽倻子”とかではなく、2大モンスター対決の映画として見れば、これはこれでアリです…ってか、最近の貞子は、もはやオリジナルを超越した訳のわからないモンスターになっているので、これで良いと言ったら良いのかも。

 ああ、私を絶叫させた、あの“貞子”は今どこに。伽倻子だって、これじゃあ怖くないよなあ…。貞子や伽倻子と言ったビッグネームを出せば、当然客の期待値は上がるわけで、でもそこには応えられていないわけで…相当に怖くしてくれないと客は納得できないよ。看板倒れ…かな。

25)Too young to die 若くして死ぬ

 この映画、軽井沢スキーバス転落事故の影響で、公開が四ヶ月ほど遅れてしまったのだけれど、私は四ヶ月待ちましたよ。期待通りに素晴らしいコメディー映画でした。いやあ、馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ! ほんと、素晴らしい程に馬鹿馬鹿しい映画で、大好きです。

 子役で成功した俳優さんって、大人になるとパッとしない…とよく言われるけれど、神木隆之介は違うね。子供時代も良かったけれど、青年になってからもいいじゃない。ほんと、すごい役者さんだね。

 それにしても、TOKIOの長瀬は、ジャニーズなのに、ガラの悪い役をやらせたら、なかなか良いねえ…。今年、一番笑えた邦画は、これだね。ちなみに洋画は『デッドプール』だけどね。

26)シン・ゴジラ

 日本人なら是非見て欲しい映画です。もちろん怪獣映画なんだけれど、主役は人間たちです。ゴジラという未曾有の巨大な災害に、人々がどう立ち向かっていったかという映画なわけです。人間、カッコいいー! そういう映画です。

 それにしても、日本社会ってなんて面倒くさいんだー! この面倒臭さって、外国で伝わるのかしら?

 それにしても、蒲田くん(ゴジラの第二形態:まだアンヨは上手じゃありません)のキモかわいさは凄いなあ。さすがはメイド・イン・ジャパンだよ。ネットを中心に女性たちの人気があるのも理解できますが…私的には品川くん(第三形態:始めて二本足歩行をしてます)君のよちよち具合がツボなんだな。ちなみに、最終形態のいわゆるゴジラの通称は、鎌倉さんなんだってさ。鎌倉さんは、絶妙にカッコいいよね。

27)ファインディング・ドリー

 言わずと知れた『ファインディング・ニモ』のスピンオフです…ってか、前作から13年後に公開って、当時ニモに夢中になっていた子どもたちは、みんな大人になっちゃっているって(笑)。出すなら、もっと早く出さなきゃね。

 それにしても、八代亜紀が本人役で出演している(吹替版のみ)のには、びっくりしましたわ。

28)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「マリア・ストゥアルダ」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

29)ペット

 ユニバーサル・ピクチャーズのアニメって、ミニオンズが有名だけれど、実は私、今まで、ユニバーサル・ピクチャーズのアニメって未見だったんだよね。なんとなくだけれど、あのミニオンズから、良くも悪しくも“昔ながらのアメコミっぽさ”を感じて敬遠していました。

 でも、うっかり今作を見てみたら、全然“昔ながらのアメコミっぽさ”が無くて、むしろ『トイ・ストーリー』っぽかったです。つまり、ピクサーみたいでした。やるじゃん、ユニバーサル・ピクチャーズ。ちなみに今作はすでに続編制作が決定しているそうで、そりゃあ見に行かないとね(笑)。あと、近日公開予定の『シング』も面白そう。

 やっぱ、食わず嫌いはいけないよな…。

30)傷物語[熱血篇]

 [鉄血篇]を見た以上、[熱血篇]を見ないわけにはいかないでしょう。

 第一弾の[鉄血篇]が、主人公である阿良々木君と怪異たちとの出会いならば、今作の[熱血篇]は、怪異たちとのバトルの話です。前作に較べてグロさが増しております。

 完結編である[冷血篇]が今から楽しみです。

 さて、次回でこの連載も終了です。お楽しみに。

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2016年12月28日 (水)

今年[2016年]見た映画 その2

 さて『今年見た映画』の第2弾です。昨日も書きましたが、この映画の記事は、昨年までは二分割でアップしていましたし、今年もそれをやろうと思いましたが、実際に記事を書いてみたところ、それでは、一回の分量がかなり多くなって、読む方も大変だろうと思い、急遽、今回は4分割にしてアップする事にしました。ですから、年内は映画の記事だけでお終い。CDやDVDの話は、新年に回す事にしました。ごめんね。

 という訳で、気を取り直して、昨日の続きを行きます。

11)ちはやふる 上の句

 競技カルタに青春をかける若者たちのお話です。マンガ原作の実写映画は成功しないというのが常識ですが、この映画は、そうでもなかったです。むしろ、これは成功例じゃないかな? うまくマンガの世界を実写化できてます。ハナマルをあげたいです。

12)僕だけがいない街

 これもマンガ原作の実写映画です。ただし、結末はマンガとも、アニメとも違って、映画オリジナルです…が、これはこれでアリかな。とにかく、この物語は表現媒体によって、少しずつストーリーが違うのが面白いと言えば面白いです。どの結末も、ある意味タイトルである「僕だけがいない街」をうまく表現しているのは面白いと思いました。

 でも私は、アニメ版が一番好きかも(笑)。

13)バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生

 3D版で見ました。確か、マーベルの“アベンジャーズ”に対抗して、DCには“ジャスティスリーグ”と言うのがありますが、そのジャスティスリーグの第2弾に位置するのが、この映画のようです。

 ちなみに第1弾は一昨年公開された『マン・オブ・スティール』でスーパーマンの話です。このスーパーマンに、今作でバットマンとワンダーウーマンが加わり、フラッシュとアクアマンとサイボーグが近日加わるよ~っ予告されているわけで、近いうちにジャスティスリーグが本格稼働するって寸法になっているわけです。

 ちなみに第3弾である『スーサイド・スクワッド』は、悪役たちの話なんだけれど、うっかり見逃しちゃったよ。DVDで見ておかないと…なあ。

 でもね、今作を見ていると、ジャスティスリーグって、アベンジャーズほど面白くなるものかしらねえ…。だって、スーパーマンもバットマンもワンダーウーマンもみんな根暗なんだもの。アベンジャーズだと、キャプテンは生真面目だけれど、アイアンマンは陽気だし、スパイダーマンは若々しいし、ホークアイやヴィジョンは老成しているわけです。その他のメンバーもみんな個性的でしょ? 画一的な性格の人間のグループよりも、個性的なメンバーの集まりの方が面白いもの…ね。

14)暗殺教室~卒業編~

 マンガ原作の『暗殺教室』の第2弾にして完結編です。まあまあ、よく出来ていると思います。でも『暗殺教室』に関して言えば、アニメを見た方がたぶん楽しめると思います。これは実写とアニメの違いと言うよりも、単純に物語を語っている時間の長さの違いですね。つまり、暗殺教室というストーリーを映画に2本に収めちゃうと、面白い部分がボロボロこぼれちゃうって話です。こういう話は、アニメにしたり、テレビドラマにして、ある程度の時間をかけて物語った方が良いって事です。

 物語には、それを語る適切な長さってのがあるって話であって、この物語は映画には向いていないんじゃないかなって感じたわけです。

 だからと言って、映画がダメとは言いません。これはこれで面白かったですよ。

15)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「マノン・レスコー」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

16)シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ

 いやあ、面白かったし、終始ワクワクしていました。だって、キャプテン対アイアンマンだよ。お互いの事を認めあったヒーロー同士が、訳あって敵対し戦うんだよ。それも別に憎み合ったりしているわけではなく、立場の違いが彼らを戦わせるわけよ。いわば、理想のために自由に戦いたいキャプテンと、現実的に責任を担いながら戦うアイアンマン。どちらも正義なんだよ。

 次回作が楽しみです。

17)ちはやふる 下の句

 実写版『ちはやふる』はひとまず完結ですが、続きは作られるのかな? 役者さんたちが年を取らないうちに、すぐに次を作って欲しいものです。

18)アイアムアヒーロー

 いいよねえ、大泉洋は…。役者として味があります。彼は、ダメカッコいい役をやらせたら、ほんと天下一品です。本作の主人公である英雄も、ダメカッコいいわけで、ほんと、似合います。この映画は大泉洋を味わう映画…なのかもしれません。

 それにしてもゾンビものって、海外では大人気なんだそうですが、日本では、それほど人気ではありません。確かにソンビって怖いし、この映画に出てくるゾンビたちも絶望的に怖いんだけれど、幽霊とは違って、そんなに神秘的じゃないんだよね。だって、肉体を持っていて具体的な存在なんだもの。

 やっぱり、怖いのは、ゾンビよりも幽霊かもしれません(笑)。

19)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「蝶々夫人」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

20)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ロベルト・デヴェリュー」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

 これでやっと、半分です。後半はまた明日から。

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2016年12月27日 (火)

今年[2016年]見た映画 その1

 例によって例のごとく、恒例の“今年見た映画”です。なんか今年もたくさんの映画を見ちゃいました。いやあ、映画ファンの自覚はないのですが、やっぱり私は映画ファンなのかしらね?(笑)。まあ、見ているタイトルを眺めてみると、大衆向けの映画ばかりで、そんなに深いファンではないって事はバレバレなんですが(爆)。でもまあ、これが私…って事でご勘弁を。

 毎年書いてますが…ここに書かれた映画は、私が直接映画館まで出向いて、自腹を切って見てきた映画です。DVDやテレビ放送で見た映画は含まれていません。DVDで購入して見たものは、また後日、記事にしていますが、レンタルDVDとかテレビ放送で見た映画は、ここには含まれていません。その手の記録も残そうと毎年思うのですが…ついつい記録するのを忘れてしまうのです。

 ちなみに、昨年の記事はこちらです。昨年と比較したい方はどうぞ。

 昨年の私は39本の映画を見ましたが、今年は41本です。それ以前の数も含めると、ここ数年、映画を見る本数が増えているような気がします。実は最近感じるのですが、近所の映画館(徒歩5分)がやばいのですよ。いつ行っても、ガラガラでなんともやばいのですよ。それもあって、ちょっと積極的に近所の映画館で映画を見るように心がけていたら、映画を見る本数が増えてしまいました。

 でも、映画って近所に映画館があるから見れるわけで、客の入りが悪くなって映画館が閉鎖されてしまったら、映画を見れなくなってしまうわけだから、一生懸命に支えないとね。そのためにも、なるべく近所の映画館で映画を見るようにしているわけです。

 さて、 それでは例年通り、簡単なコメントを加えながら、今年見た映画をご紹介していきます。

01)海難1890

 良い映画でした。日本・トルコ合作映画と言う事で、世界的に親日国として有名なトルコが、なぜ親日国になったのか、その発端となった1890年の“エルトゥールル号遭難事件”を中心に、その前後に、1985年のイラン・イラク戦争勃発時に、テヘランに取り残された日本人の救援のため、トルコ政府が救援機を飛ばして救出した話が加わっています。

 日本人の情け深さと、トルコ人の友愛の気持ちが描かれた作品です。「情けは人のためならず」なのですが、それにしても見ていて気持ちのよい映画でした。まだこの映画を見ていない人は、ぜひ見た方が良いと思うくらいの作品です。

02)スター・ウォーズ/フォースの覚醒

 あー、スター・ウォーズでした。エピソード7という事で、エピソード6(ジェダイの帰還)の続編っぽさを頑張って出していました。

 でも、この映画、ジョージ・ルーカスの映画じゃなくて、ディズニー映画なんだよね。監督もルーカスじゃなくて、ディズニー社から依頼を受けたエイブラムス監督なんだよ。おまけに主人公は女の子(レイ)に変更になっているし…。そんなわけで、映画全編に渡って“これじゃない”感が漂っている、新スター・ウォーズなのでした。

 たとえ会社はディズニーに買われてしまったとは言え、映画その物は作者であるルーカスに作って欲しかったのだけれど、大人の事情とやらで、今作ではルーカスはノータッチなんだそうです。だから、バチモン感がしちゃうんだよね。よく出来た同人映画って感じがするんだよね。

 エピソード8に期待してます。

03)傷物語[鉄血篇]

 TVアニメ『物語シリーズ』の、時系列的には第1作目にあたるエピソードを映画化した作品です。ちなみに、作品発表順だと第2作目(2008年発表)で、最初からテレビアニメではなく、映画として2012年に公開される予定だった作品ですが、実際の公開は2016年になってしまったわけで、当初予定よりも4年ほど公開が遅れてしまいました。さらに言えば、当初は1本の予定だったのが、3本に分割されて公開しているし…。なんか、色々と大人の事情を感じる映画です。

 まあ、この作品がテレビではなく映画になった理由は…とにかくグロいのです。流血につぐ流血だし、人が焼けるし、腕も足も飛ぶし、臓物も飛び出ちゃう(あ、それは次作か!)し…ってわけで、そりゃあこれじゃあ、さすがに深夜であってもテレビ放送は無理だよな…ってぐらいに、グロいのです。

 ま、そういう話なんだから、仕方ないのだけれどね。

 という訳で、この映画は、見る人を選びます。西尾維新のファンであるとか『物語シリーズ』のファンであるとかじゃないと、キッツイかもね。

 でもね『物語シリーズ』の主人公である、阿良々木君と忍ちゃんの関係って、ここから始まるわけだし、『物語シリーズ』のファーストシーズンのラスボスである委員長ちゃんの話も、ここから始まるわけだしね。『物語シリーズ』ファンなら、覚悟を決めて、見るしかないでしょう。

04)信長協奏曲

 テレビドラマ『信長協奏曲』の最終回を映画でやりました…という作品です。私はこのドラマを見ていなかったので、映画公開に合わせて、テレヒドラマの方をDVDで借りてきて見ましたよ。まあ、面白かったです。とにかく、ストーリーが継続していますから、テレビドラマを見ていない人には、チンプンカンプンな映画です。

 ちなみに、この映画。マンガが原作で、アニメ化もされたようですが、アニメの方は見ていません。残念。

05)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「真珠採り」

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

06)オデッセイ

 3D版で見ました。宇宙モノと言うよりも、サバイバル&救出モノですね。面白かったです。私、こういう映画、ほんと好きなんですよ。

07)ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE

 テレ東のバラエティ番組である『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が大好きな方は必見です。ルイルイとエビスさんの二人に、マドンナとして三船美佳が参加しての三人組で、台湾で路線バスの旅をやっちゃうんです。台風が接近している中でのロケ決行。果たして三人組は無事にゴールできるのか! なんて無闇に煽っちゃうくらいに楽しい映画です。

 しかし、バラエティ番組の映画化ってのも、珍しいよね。

 …と言うわけで、普段から『路線バスの旅』を見ていない人には、この面白さは伝わないかもなあ…。

08)X-ミッション

 これは映画館で見ないとダメなタイプの映画です。あと、映画にストーリーを求める人は見ちゃいけません。ひたすら、大画面で、過激で派手なアクションを見て「うひょー!」と言ってられる人向けの映画です。

 いわゆるバカ映画です。でも、楽しいよ。

09)あん

 ざっくり言えば「ハンセン病差別はいけません」という事を訴える映画です。きちんとしたストーリーがあるので、メッセージ色は強いのに、それを感じさせずに物語に没入できるのだから、ほんと、うまく作られていると思います。オススメです。

10)偉大なるマルグリット

 こちらに記事を書きましたので、よろしく。

 例年は、一回の記事で20本前後取り上げるわけですし、今年もそのペースで書いてみたら、一回の記事の分量が凄いことになってしまったので、急遽、今年は10年ずつの4回に分けてアップする事にしました。

 なので、これでも1/4です。続きばまた明日。

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2016年12月26日 (月)

年末なので、落ち穂拾いが早めに登場しました[2016年12月の落ち穂拾い]

 年末ですね。いつもは月末にアップしている“落ち穂拾い”ですが、今月は一週間ほど早くアップ致します…と言うのも、明日からは、年末恒例のあれこれの記事をアップする予定ですから…ね。で、新年に入れば、例によって連載をしたいと思ってます。ああ、記事の書き溜めをして、年始年末は遊びまくるぞ!

以前の声の方が良かった?

 以前の私の録音(キング先生に師事していた頃の録音)を聞いて、この頃の歌声の方が良かったとおっしゃる方がいらっしゃいます。

 なんであれ、褒めていただけているわけですから、うれしいのですが、ただ手放しで喜べるわけではないのが残念です。

 と言うのも、ネットにアップしているのは、所詮、録音ですからね。

 力強く聞こえる声は、実は単なるノド声なんです。つまり、ダメな声なんです。

 当時の私の歌声は、実際には力強くもなくて、怒鳴り声に毛の生えたような、身近で聞いていると、あまり愉快な声ではありませんでした。耳がざわざわする声…って感じでしょうか? もちろん、そういう声はロックやJ-POP歌手には大勢いますが、クラシックの世界にはまずいません。

 それと、当時もそこそこ声量はありましたが、全然遠鳴りはしない声でした(だって怒鳴り声だもの)。むしろ声量にしても、遠鳴りにしても、今の方が比較にならないほど向上しています。

 カラオケを歌うならば、マイクが使えますので、音量そこそこで遠鳴りのしない声でも全然構わない…と言うか、そういう声の方がマイクが拾いやすいので良いのですが、私はクラシック系声楽の勉強をしているので、そっち方面の声はむしろ駄目なんです。

声種によって、理想とする声、求められる声は違う

 前の話題に続きますが、以前の私の声には“深み”があったとおっしゃる方がいらっしゃいます。まあ、確かに今の私の歌声には、深みなんて無いもんなあ…。

 もちろん、以前の声に“深み”を感じられたとしたら、それもまた録音の妙であって、実際は“ノドに落ちた声”なだけで、つまりは“ノド声乙”だったわけです。

 それにだいたい、テノールの声は“深み”よりも、むしろ“軽さ”ですよね。

 声に“深み”を求めるなら、テノールではなくバリトン歌手の歌を聞いた方がいいと思いますし、実際、バリトンの方々の歌声は深くて美しいです。私も、ああいう声で朗々と歌いたいものだと思う時がありますが、それは無い物ねだりなんですよ。

 第一、テノールに深みを求めて、どうするんですか?(笑) 深みを求めるなら、バリトン歌手を目指さないと…ね。

 声種によって、理想とする声や求められる声は違います。テノールに必要なのは、深みよりも清廉な声です。それこそ、軽さと輝きが第一です。それを身に着けた上での深みなら大歓迎ですが、基本的に深みのある声なんてものは、バリトンさんに任せておけばいい…と私は思ってます。

“好き嫌い”と“良い悪い”は別問題なんです

 私は、マリオ・デル・モナコとかプラシド・ドミンゴと言ったテノール歌手の声が好きです。これらの歌手の声は、テノールでありながら、バリトンの深みを持った声であり、実際問題、ドミンゴは現在はテノールを止めてバリトンに転向してしまいましたし、モナコは現役時代から「高音の出るハイバリトン」疑惑もありました。ですから、彼らはテノールでありながらも、バリトン的な要素の強い歌手だったわけです。

 私も、本来ならば、そこを目指したいのです。だって、そういう声が好きだし、そういう声で歌いたいのですから。

 でも、そこは目指せないのです。なぜなら、私はモナコでもなければドミンゴでもないからです。私、私なのです。

 私は日本人です。クラシック声楽を勉強し、いずれはオペラを部分的にも歌えるようになりたいと思っているアマチュアの学習者&趣味人なのです。

 残念な事に、クラシック声楽では、カラダが楽器です。日本人のカラダからは日本人の声しか出ません。ヨーロッパやアメリカで活躍している、白人系のレコーディング歌手たちのような声は出せないし、出しちゃいけないのです。それをすると…カラダに障害が発生し、楽器が壊れます。

 以前習っていた先生の指導の中で、今思うと「こりゃあダメだ」と思われる指導は、白人系のレコーディング歌手たちのモノマネをして歌えという指導でした。具体的には、デル・モナコのマネをしなさいっていう指導ね。私の声はテノールの中でも、かなりライトな声なのですが、そんな軽い声の持ち主に、バリトン的な要素の強いモナコの声マネなんて、できないし、しちゃいけないのです。

 歌は自分の声で歌わないといけません。私が自分の声で歌えば、どうしたって、日本人の声しか出てきません。それがたとえ合唱っぽくて、薄くてペラペラな声であっても…ね。でもそれでいいんです、それが私のリアルな声ならば、それを受け入れ、それを磨いていく事が目指すべきゴールであり、正解なんですよ。

 好き嫌いと、良い悪いは、別問題って事なんです。

今月のお気に入り さよならパヨク

 今月のお気に入りは書籍です。千葉麗子氏の『さよならパヨク』です。これ、今年の四月に発売されて、あっという間にアマゾンでベストセラーになった話題の書籍なのですが、私、だいぶ前に購入したものの、なかなか活字の本を読むエネルギーがなくて、しばらくの間、積ん読状態にしておりました。

 ようやく、まとまった休みが取れて、心身ともに活字本を読む余裕が出てきたので、某所に遊びに行くついでに電車の中で読み始めたら、あっという間に読んでしまいました。それほど、読みやすくて軽い文章です。

 内容は、基本的には“懺悔&暴露本”なのですが、私の中にモヤモヤしていたモノへの解答がずばりと書かれていて、目からウロコが何枚も落ちました。いやあ、もっと早く読んでおけばよかった。

 ちなみに“パヨク”と言うのは、千葉氏の造語で、意味的には“劣化左翼”の事を指すそうです。まあ、一般的には“サヨク”とカタカナ表記をした時の左翼と同じ内容を指しているんだろうと思います。

 そのパヨクと各種市民運動とK産党の関係が分かりやすく書かれている本なのです。

 今月には、続巻の「くたばれパヨク」出版されました。つまり年内に続巻が出ちゃうほど売れた本…って言えるわけです。

 ちなみに、この続刊。私、購入しましたが、まだ読んでません。だって、他にも読まないといけない本がわんさかとあるんだもの。今度、遠出をした時の電車の中で読もうと思ってます。

今月の金魚

 緋ドジョウのヨッチャンの様子がちょっと気になりますが、その他の子たちは、みんな元気で、ミドリのお尻を追いかけ回しております。

今月のひとこと

 湘南地方では紅葉が色づきました。木々の葉が紅色や黄色に染まってくると…ああ、秋だなあと感じます。紅葉を見ると、無性に焼き芋が食べたくなるのは…私だけ?(201611月29日~12月4日)

 12月になりましたね。師走です。音楽ファン的には“第九の季節”がやってきました。今年の私は、第九を何回聞くのでしょうか(笑)。一応、予定では「今年は生は無し、テレビで2回のみ」のはずでしたが、魚心あれば水心あり…じゃないですが、ひょんな事からご招待券入手で生演奏に行くことになりました。…毎年あるんだよね、こういう事が。さて、今年の私は、第九を何回聞くのでしょうか(爆)。(2016年12月4~7日)

 今日(12/7)の夕食は…カラスに食べられてしまったので、ありません。残念。(2016年12月7~12日)

 福島県の寺社の御神体やら仏像やらが約100体ほど、某半島人によって破壊されたそうです。信仰の対象を破壊? 2001年にバーミヤンの古代遺跡を破壊したタリバンとやっている事は同じです。日本じゃなければ、某国と戦争勃発しても不思議じゃない事件です(日本人は…こういう時おとなしすぎるんだよね)。これって単なる器物破損じゃなくて、精神的テロ行為でしょ! それにしても、このニュース。もっともっと大騒ぎしても良いはずのニュースなのに、本当に報道されませんねえ…。日本人の心を踏みにじっても、器物破損で済むなんて…日本の法律もザルだね。もっとも、御神体や仏像を悪意を持って破壊する人間がいるなんて、日本の法律の前提にそもそも無いんだけれどね。そう言った点では、今回の犯人は、法の前提をひっくり返した悪人とも言えます。ああ、情けない。ああ、悔しい。(2016年12月12~22日)

 ようやく忙しい日々が終わり、これからしばらく、まったりとした日々が過ごせます。別に仕事が終わったわけじゃないけれど、繁忙期が過ぎ、久しぶりに気持ちが楽になりました。このまま、心穏やかに年末年始に突入したいものです。(2016年12月22~24日)

 保育園待機児童問題とか、オリンピック施設建設問題とか、豊洲市場移転問題とか、東京都は何かと出費がかさむようです。これって全部税金なんでしょ? これでふるさと納税とかして、税収が減ったら「日本死ね」なんて言える余裕なんて無いよなあ…と他府県住民は思うわけです。それにしても「日本死ね」が流行語大賞(トップテン)に選ばれるなんて…選考委員の品性が残念すぎるよ。まず第一に、特に流行っていない言葉を流行語大賞に選ぶなんて、政治的意図を感じるし、日本人の品性もだいぶ落ちたもんだよなあって思う。だってね、自分の祖国に向かって「死ね」だよ。これって自分の母親に向かって「死ね」って言ってるのと同じじゃん。外国人や移民の人が「日本死ね」と言うのは訳が違うわけだよ。ああ、イヤだイヤだ。そんなのって人間として、どーかしていると思うよ。(2016年12月24~25日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2016年12月25日 (日)

さて、クリスマスですね

 ちなみに豆知識ですが、クリスマスイブの“イブ”を『前日』という意味に勘違いしていて“クリスマスイブとは、クリスマスの前日である”と思っている人が、日本には多い(だから23日をイブイブって表現したりするんだな)みたいですが、“イブ”とは“イブニング(evening)”の事であり、意味は当然“夕べ”という意味です。つまり、クリスマスイブとは『クリスマスの夕べ』という意味であり、クリスマスイブは、すでにクリスマスの一部なのです。

 たぶん、ここまで書いてもピンと来ない人がいるだろうから、もう少し説明すると、一日の区切り方が、日本とキリスト教社会では違うのです。日本では、真夜中のみんなが寝ているだろう時間に一日の区切りがやってきます。だから、夜寝て、朝目覚めると、翌日になっているわけです。感覚的に、一日って、私たちがその日の生活を始めて(起床)、終える(就寝)までって感じているわけです。

 でも、キリスト教の社会では、ちょっと違います。一日は、夕方から始まって、次の日の夕方で終わります。つまり、日が沈むと、一日が終わって、次の一日が始まるんです。例えば英語の“Day”って言葉、“一日”という意味もあるけれど“昼間”という意味もあるでしょ? つまり、昼間一生懸命働いて、日が沈んで仕事が終わって「やれやれ、今日も無事に終わった…」って感じると、その日が終了するって感覚なんだろうと思います。

 なので、彼らにとっては当然、クリスマスも夕方から始まって夕方に終わるわけで、24日の夕方から、本日25日の夕方までがクリスマスだったりするんです。

 さて、本題。

 当たり前の事ですが、クリスマスって、キリスト教のお祝いなんです。諸説あるけれど、一応、12月25日にイエス・キリストが生まれた…って事になってます。まあ、元々この日はヨーロッパの冬至のお祭りらしいのですが…イエス・キリストが一年365日のうちのどこかで生まれた事だけは確かだし、本当の誕生日なんて分からないのだから、ひとまずお誕生日が12月25日でもいいじゃん…って事にしておきましょう。とにかく、誕生日をお祝いするのが大切なんだよね。

 おそらく、キリスト教の神様であるイエス・キリスト的には、自分の誕生日は、人々がキリスト教会に集まって、お祈りを捧げてくれるのが、一番うれしいんだと思うし、信者の方々は、そうしていると思う。

 それはそれで良いと思います。

 じゃあ、異教徒はイエス・キリストのお誕生を喜んではいけないのか? そんな事はないと思います。ただ、異教徒は教会には行かないだろうし、祈りも捧げないだろうって思うわけです。イエス・キリストから見れば、クリスマスで騒ぐ異教徒たちって“酒が飲みたいだけで友人のパーティーに乱入してくる困ったちゃん”…みたいな存在なんだろうけれど、そんな異教徒たちを苦笑しながら微笑ましく見てくれるんじゃないかと、私は思う。

 神様だもん、度量ぐらいは広くないとね。

 だから私は、日本人がクリスマスをイベント化して、騒ぐのはアリじゃないかと思ってます。ただ、肝心な事は、イベントに始まりイベントに終わるのではなく、クリスマスなんだから、たとえ一瞬であっても「イエス・キリスト様、お誕生日おめでとうございます」と心の中でつぶやいて欲しいと思うわけです。

 心のつぶやきって、祈りの原初のカタチなんだよね。

 だって“酒が飲みたいだけで友人のパーティーに乱入してくる困ったちゃん”だって、まずはパーティー会場の入り口で「お誕生日おめでとう」ぐらいは言ってから入ってくるでしょ? それくらいは最低限のマナーって奴だよね。

 てなわけで、メリー・クリスマス。イエス様、お誕生日おめでとうございます。

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2016年12月24日 (土)

金魚すくいの金魚をうまく飼う秘訣 飼いはじめてから編 その6 新しい子の導入について

 シリーズ連載をしています。前回の記事はこちらです。ちなみに前回の記事(2016年5月28日)からは…約半年ぶりですね。いやあ、このペースで連載と言っていいのかどうか…。えっと、今回が最終回ですので、よろしくです。

 新規に水槽を立ち上げる時の話、過去の連載でしてきたので、今回はすでに水槽があって、先住者がいる水槽の中に新しい子を導入する時の注意について書いてみたいと思います。

 まず、根本的な話になりますが、それぞれの水槽には定員があります。その定員を越える数の金魚を入れると、弱い子から天に召されてしまいますので、まずは数に気をつけましょう。ちなみに、我が家は45cm水槽(中途半端な大きさなんです)ですが、経験から言えることは、小型金魚で6匹。中型金魚で5匹。大型金魚で4匹、巨大金魚で3匹が定員です。

 ペットショップなどでは30cm水槽にたくさんの金魚が泳いでいますが、あれはプロが管理している事と、結構金魚の入れ替えもあるわけで、自宅の水槽で飼うのとではわけが違います。

 案外、金魚って、たくさんは飼えないものです。

 さて、新しい子を水槽に入れる時には…まずは検疫をしましょう。つまり、変なものを持ち込まないように、病院水槽に薬水(私は塩+抗生物質の水)を作り、そこに一昼夜程度漬けます。エサはやらず、糞も出し切らせます。

 そして、新しい子を入れるタイミングは、エサ時にします。新しい子を入れたら、前からいた子たちが興味津々で可愛がりに来ますし、新米金魚は慣れない環境でビビっている上に、自分よりも大きな金魚と一緒にいるわけですから、これって凄いストレスになるみたいなのです。

 ですから、新しい子を入れたら、すぐにエサをあげます。

 エサを入れると、新しい子も、今までいた子も、エサに夢中になってしまい、食べ終わると、新しい子が入ってきた事とか、慣れない環境とか、そういう事を一切合切忘れてしまうようなのです。

 金魚のオツムなんて、その程度なんですよ。ほんと、可愛いものです。

 たいていの家には、水槽は一つしかないでしょうから、すべての金魚は同じ水槽に入ることになると思いますが、その際に、ちょっと注意した方が良い事があります。

 それは、金魚って、見かけは可愛いのですが、あれで案外、容赦のない性格だったりしますので、気をつけないと、イジメのような事が起こります。

 まず、魚型の金魚(和金などね)と丸型の金魚(琉金だな)は、基本的に混ぜない方が良いです。と言うのは、泳ぐ能力が違いすぎて、丸型の金魚が魚型の金魚の餌食になる事があるからです。特に、出目金とかランチュウなどは、よくイジメの対象になりますから、注意です。

 あと金魚って、クチに入るものは、基本的に何でも食べますので、巨大魚がいる水槽に小さな子を入れると、食べられてしまう事があります。

 少なくとも私の経験上、金魚とメダカの混泳は、基本的にメダカが金魚のエサになるだけです。私は金魚とメダカの混泳が大好きなんだけれど…すぐに食べつくされてしまうので、なかなか難しいです。

 さらに言うと、金魚が大きいとメダカのエサになってしまいますが、金魚とメダカの大きさが変わらないと、今度はメダカが金魚(特に丸型)をいじめるんですね。ほら、メダカって魚型でしょ? 泳ぎじゃ絶対にメダカの方が優位なんですよ。

 あと、オスの金魚は危険です。金魚って、大半がメスなのですが、たまにオスがいるんですよ。オスは…たいてい気が荒いです。繁殖期になると、メスを追いかけ回します。水槽の中ではメスは逃げ切れないので、オスに追いかけられて怪我をする事があります。怪我ぐらいならまだマシで、たまに死んでしまったりもします。

 ほんと、水槽がメスだけの時は平和なのですが、オスが入った途端に平和じゃなくなくなるのです。

 金魚のオスメスの見分け方は、難しいのですが、一般的に美形金魚は、たいていオスですよ(笑)。ですから、美しい子を選んで買うと、高確率でオスになります。まあもっとも、金魚専門店ならともかく、普通のペットショップだと、そんなに美しい子はいないので、オスに当たることは、まずありませんが(笑)。

 あと、オスがいると、水槽の水がやたらと汚れます(笑)。なので、オスのいる水槽はマメに水替えをしないといけないのが面倒だったりします。

 まあ、こんな事に気をつけて、新しい子を迎え入れるようにしましょう。

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2016年12月23日 (金)

なぜ、我々はリコーダーを学んだのか?

 私は笛好きです。それは現在、フルートを学んでいる事からも知れましょうが、実はそれ以前からの笛好きでございまして、中学3年の時は、修学旅行先の京都にリコーダーを持ち込み、数人の仲間とリコーダーを吹きながら、京都の街を練り歩くという、実にはた迷惑な行為をしてしまったほどの男でございます(なので、中学の修学旅行の思い出は、リコーダー演奏と枕投げしかないと言う“別に京都に行かなくても良かったんでないの?”というモノとなりました:笑)。

 そうなのです。私の笛好きは、学校で習ったリコーダーがそもそもの始まりで、そこから現在のフルートへとつながっていくのです。つまり、小学校の音楽の時間にリコーダーを習わなければ、私は笛好きにはならなかったのだと思います。

 私の人生は、音楽の授業でリコーダーを学んだ事で大きく変わってしまったのです(なんてね)。

 さて、ここから本題。なぜ小学校でリコーダーを習うのか? 不思議に思った人っていませんか? まあ、音楽の授業なんだから、楽器を学ぶのは当然としても、なぜリコーダーなのか? これがオーケストラで使うような楽器とかなら分かるけれど、リコーダーって、かなりのマイナー楽器で、ほぼほぼ学校の授業でしかお目にかからない楽器じゃないですか? いやむしろ、世間的には「学校の授業でしか見かけない楽器」という位置づけだと思います。そんなマイナーで無名な楽器を、なぜ学校で学ぶのか? ね? 言われてみると、なんとかも不思議でしょ?

 「いやいや、リコーダーは立派な古楽器ですよ。有名な奏者だってたくさんいるじゃないですか? YouTubeで検索かければ、いくらでも見つけられますよ」

 …それはオタクの発想です。新橋の飲み屋街を歩いているサラリーマンあたりに聞いてみれば、100人中100人が「リコーダー? ああ、縦笛ね。学校で吹いたよねえ…」っな答えしか返ってこないって。世間の常識じゃあ“リコーダー=学校の授業でしか見かけない楽器”って事になります。

 ある意味、小学校で習う楽器がリコーダーだから、日本人の音楽生活が広がらないとも言えます。だっで、小学校で習う楽器が、ピアノとかヴァイオリンとかトランペットとかだったら、もっともっと音楽を嗜む日本人が増えていたと思うわけです。

 それなのに、リコーダー。なぜだかリコーダーなのです。

 まあ、実際のところ、現行の「小学校学習指導要領」には、以下のような記述があるのです。

>第3学年及び第4学年で取り上げる旋律楽器は,既習の楽器を含めて,リコーダーや鍵盤楽器などの中から児童の実態を考慮して選択すること。

 なんと学習指導要領(学校で教えるべき内容が明記された法律のようなモノ)に“リコーダー”と明記されているのです。もちろん“既習の楽器を含めて,リコーダーや鍵盤楽器”と書かれているから、別にリコーダーでなくても良いわけで、小学校低学年で習った(つまり既習の楽器である)鍵盤ハーモニカでよいし“鍵盤楽器”と書かれているわけだから、ピアノでもオルガンでもチェンバロでもシンセサイザーでも良いのだけれど“リコーダー”と明記されている以上、リコーダーなのです。

 こういう融通の効かないところがお役所仕事って奴で、学校だって、立派なお役所だからね。だから、小学生はリコーダーを学ぶのです。

 ではなぜ、学習指導要領にリコーダーが明記されたのかと言うと…1936年のベルリン・オリンピック(“ヒットラーのオリンピック”として有名な大会ですね)を観戦していた、坂本良隆氏(当時の日本の高名な指揮者&作曲家さん。島根大学の教授です)がヒットラー・ユーゲントによるリコーダー演奏を見て、えらく感動し「これを日本の音楽教育に取り入れるべし」と思ったようで、この方を中心にリコーダーが日本の音楽教育に組み込まれて普及したのだそうです。

 だから、学校で習うリコーダーは、世界標準のバロック式ではなくて、ジャーマン式なのね。

 つまり、日本におけるリコーダーのルーツは、バロック音楽ではなく、ナチスだったわけです。驚きですね。まあ、当時のナチスと大日本帝国は同盟国だったからね。自然な流れと言えば、ごく自然な流れです。

 まあ、坂本氏という推進者がいたとしても、なぜ、これほどまでにリコーダーが普及したのかと言えば、リコーダーには教育楽器としての利点が数多くあったからです。

 例えば…リコーダーって、誰でも買ってきたら、すぐに吹けるでしょ? 音を出すのに訓練が不必要というのは大切です。なにしろ、小学生って飽きっぽくて根気が無いからね。リコーダーって、粗雑に扱っても、まず壊れない。小型でランドセルに差して持ち運びができるし、弦とかリードや電池のような消耗品も不要だし、面倒な調整もいらない。つまりメンテナンスフリーなわけです。その上、チューニングも不要で、誰が吹いても、まあまあ正確な音程で演奏できるわけです。いかにも半分野生動物のような小学生たちに持たせても、大丈夫ってところが、リコーダーの教育楽器としての長所なわけです。

 さらにプラスチック製というのも利点ですね。なにしろ、安価に大量生産ができるわけで、日本全国に入る小学生一人ひとりに持たせるには、安価で大量生産可能というのは、大きなアドヴァンテージです。もしもピアノを教育楽器として採用したら…ピアノが買えない家庭なんて、たくさんあるわけだから、個人練習なんて出来ない子が続出して、学習効果なんて期待できないわけですし、もしもリコーダーであっても、木製リコーダーが採用されていたら、やはり安価で大量生産というのは無理でしょうから、リコーダーがプラスチック製であるというのは、大切な事なのです。

 このような理由で、リコーダーは日本の音楽教育に取り入れられ、今や日本人の大半が演奏経験のある、ある意味“国民楽器”とすら呼べる地位にまで上り詰めたわけです。そして、私のような笛好き人間を毎年確実に誕生させているわけです。いやあ、なんかすごいね。

 と言うわけで、小学校でリコーダーを学ぶ理由には、日本独自の理由があって今日に至っているわけです。では、他所の国では、どんな楽器を小学生が学び、その国の人の誰もが学んだ事のある国民楽器(?)って、何なんでしょうね? 軽くググってみたのですが、なんとも要領えません。

 ちょっぴり興味があります。

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2016年12月22日 (木)

オジサンは嫌われ者?

 世間が思っているよりも、オジサンには音楽好きが多いんじゃないかと、私はにらんでいます。とは言え、その大半は音楽を鑑賞するのがメインで、演奏する人は少ないとも思います…が。

 女性は、幼い頃からピアノを習ったり、鼓笛隊とか吹奏楽とかに身を投じたりして、音楽を学ぶ人が多いし、事実、日本の音大はほぼ女子大化している事から分かる通り、女性と音楽は親しい関係にあります。その一方で、男性は音楽よりも勉強、音楽よりもスポーツと思われがちで、男性は音楽趣味なんて持っていないと思われるのですが、男性にも音楽趣味を持っている人はいます。

 まあ、女性のように、幼い時からピアノを習ったりなどという、本格的な学び方はしなくても、カラオケ大好きな男性はたくさんいるし、バンド経験者も少なからずいます。ギターやドラムスなどのポピュラー系のアマチュア奏者は、女性よりも男性の方が多いと思います。

 おそらく、幼い時から音楽をきちんと学ぶ事の多い女性は、クラシック系でもポピュラー系でも、どちらの世界にも行けますが、音楽をきちんと学ぶチャンスの少ない男性は、どうしてもポピュラー系の音楽に偏りがちなのです。

 かく言う私も、学校教育を除けば、音楽と正面向いて付き合いだしたのは、中学に入ってからだし、その時に手にした楽器はフォークギター…お店に吊るしで売られていた三千円のギター(ほぼおもちゃだね)でした。ちなみに、そのおもちゃギターは、私があれこれ手を加えて、ごく普通に弾けるように改造(私にはたぶんに木工の才能があるのかもしれません:笑)しました。ちなみにそのおもちゃギターは、オトナになって10万円のギター(奮発しました!)を手に入れるまでは、メインギターとして活躍してもらいました。

 ギターから音楽に入った事もあって、私はベースも弾きますし、キーボードも弾きます。ただし、キーボードを含め、どの楽器もコードで演奏します。五線譜では弾けないのです(汗)。まあ、純粋ポピュラー人間なんて、そんなモンです。

 私のようなオジサンは、案外たくさんいるんじゃないかなって思います。

 私はポピュラー音楽も好きですが、皆さんもご存知の通り、一番好きな音楽は、やはり西洋クラシック音楽なんですね。だから、ギターしか弾けなかった時代も「ギターで弾くクラシック」みたいな楽譜を買っては、クラシック音楽を楽しんでいました。

 そう、私は本当は、ポピュラーじゃなくて、クラシックをやりたかったのです。

 幸い、私は幸運に恵まれ、現在、クラシック声楽とフルートを学ぶことが出来ていますし、一時はヴァイオリンだって学んでいました。ああ、本当に恵まれた人生だなあと思いま。でも、私のような幸運なオジサンは少数だろうと思います。

 本当はクラシック音楽をやりたくてもやれないオジサンの方が多いと思います。

 おそらく、多くのクラシック音楽をやりたいオジサンは、まずはピアノを弾きたいと思うのだろうと思います。やはりクラシック音楽と言えば…ピアノですよ。まあ、オーケストラをイメージする人も大勢いるでしょうが、そこで指揮者になりたいなんて思う人はいませんから、やはり始めるならピアノなんです。

 私の場合、ポピュラーピアノは弾けますし、大学の授業でピアノの基礎は学びました(バイエルを2/3程度やりました)し、マイ電子ピアノも持っていますので、ピアノ欲はほどほどに満足しているのですが、多くのクラシック音楽志望のオジサンは、ピアノが弾きたくて弾きたくてたまらないのだろうと思います。

 で、そうなったところで、ピアノは独学で弾けるほど簡単な楽器じゃありません。バンド経験などがあって、そこそこ音楽に親しんだ人なら、その程度の事は、すぐに察しがつきます。で、どうするのかと言えば、先生を探して、基礎からバッチリ学ぼうって考えるわけです(案外、男性は真面目なんですよ)。

 で、近所のピアノ教室とかネットで見つけたピアノ教室などに当たってみるわけですが、たいていはご丁寧に断られるわけです。曰く「成人男性はお断りしています」ってね。

 そうなんです。たいていのピアノ教室は成人男性お断りなんです。オジサンは嫌われ者なのですよ。

 まあ、ごくごくマレに成人男性を引き受けてくれる先生もわずかながらいますが、やはり、そういう先生は珍しいわけで、なかなか初心者の男性を引き受けてくれるピアノ教室はありません。

 「先生が男性の教室を探せばいいじゃん?」

 まず男性の先生がいるピアノ教室そのものが数少ない上に、地方にはまずいません。都市部にいる男性の先生は、大抵の場合、初心者を引き受けません。都市部の男性の先生が引き受けるのは、音大志望のガチ学習者だけだったりするのです。

 ほんと、オジサンには世知辛いピアノ教室事情なのでした。

 じゃあ、どうする? あきらめる?

 そういうわけにも行きませんよね。一度火がついた熱意は、そう簡単に消えるものではありません。

 私が薦めるのは、大手楽器店やカルチャースクールのピアノ教室です。こういう教室は、原則、誰でもウェルカムですから、成人男性も受け入れます。ただし、これらの教室は、たいてい平日昼間の時間帯に開業しています。そもそもが、ピアノ教室ってのは子どもがメインの顧客ですからね。やはり学校帰りの子どもが通いやすい時間が主な営業時間なのです。

 ですから、平日休みが取れる人でないと、勤め人には正直厳しいです。でも、土日に教室を開いているところも若干ありますし、夜8時近くまでやってくれる教室もあるので、諦めずに探してみるのが良いでしょう。

 それでも見つからなければ、いっその事、奥様やお嬢様に習ってみるのも可です。なに、最初のうちの基礎の基礎だけでいいのです。とにかく、すでにピアノを習い始めている、初学者かもしれないけれど初心者ではないという事実が必要なのです。その事実があれば、最初に断られた数々のピアノ教室の中に再度問い合わせをしても「経験者ならば…」「真面目にピアノを学びたいのなら…」と言って、受け入れてくれる教室が出てくるかもしれないからです。

 「そんな事を言われても…妻も娘もいないんですよ」

 じゃあまず、婚活から始めましょうか。「男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く」と言います。男の独り身の老後は厳しいですよ。それに男性は、たとえ高齢であっても、たとえハゲチャビンであったりデブデブであっても、きちんと生業を持っていて、衣食住の保障があるなら、結婚できるものです。だから、ピアノを学ぶよりも、嫁さんを獲得する方が先決ですって。

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2016年12月21日 (水)

パワー不足…なんです

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。まずはトスティ作曲の「Malia/魅惑」です。

 まずはレガートに歌うこと。気分的には「クチから万国旗を出していく感じ」で息を切らずに、出し続けて歌います。そのためには曲全体に渡って息の支えが必要となります。ちょっとでも支えが不足して、息が途切れて、声が引いてしまったら負けです。

 曲全般を支えていくのは当然として、音程が上がるごとに、支えを改めて1段ずつ入れ直していく感じで歌います。つまり、ギアを入れていくような感じですね。それも当該の音でギアチェンジをするのではなく、手前の音の時にすでにギアを入れておく事が大切です。

 高い音では支えを入れ直すのだから、低い音の時は支えを緩めて良いのか…と言えば、そうではなく、低い音の時は支えを入れ直す必要はなく、現状維持で頑張っていくのです。支えを維持しながら音程だけを下げていくわけで…これはこれで結構難しいです。

 こう書いていくと、永遠に支え入れ続けていく事になり、すぐに限界に達してしまうのではないかと心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、人間は(私は特に)支えを入れたり、維持したりしているつもりでも、ドンドン下がっていくもので、支えを入れても入れても、無意識のうちに支えが抜けてしまうので、永遠に支えを入れ続ける事ができるわけです。

 良いんだか、悪いんだか。

 自宅練習の際に“ひとまず歌えるように練習する”ことは大切だけれど、表面的にカタチを整えて歌えるようになる練習だけではダメなんだそうです。

 単に歌が歌えるだけではダメで、そこを越えて、美しくて大きな声で歌えるようにならないとダメなのです。そのためには支えが肝心…ってなるわけです。逆に言うと、支えが見える声が“美しい声”とも言えます(もちろん、美しい声の条件はそれだけではありませんが…)。それも単純に声が支えられていれば良いというわけではなく、支えの幅というか、支えの強弱が見える声でないといけないのです。

 それに加え、母音だけでなく、子音もたっぷりと息を使って発声しないといけません。
 やるべき事はたくさんあります。

 次は、ジョルダーノ作曲「フェドーラ」のテノールアリア「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」です。

 このアリアは技巧的には難しくない曲です。私が今までマスターしたテクニックで十分カバーできるはずのアリアです。最高音だってAだから、私が出せる音のはずなのです。だから、私でもピャ~と歌えるはずなのに、実際は歌えません。なぜか?

 実はこのアリア、かなりマッチョなアリアなのです。歌い始めるや否や(ゲームで言うところの)HPがみるみる減っていくタイプのアリアなのです。だから、2分足らずの短いアリアなのに(ってか、だから2分足らずの短いアリアなのでしょう)、アリアの後半になると、息も切れ、全身がダルくなってしまうのです。先生も「歌い始めはいいのですが…ね」と言わざるをえないわけなのです。で、疲れきったところで高音Aが出てくるので、すでにパワー不足HP不足になっているので、歌えないのです。先生曰く「歌えるはずなのにね…パワー不足、残念、本当に残念」って事になってしまうわけです。

 高音でパワー不足になると…具体的に言えば、声が裏返ってしまうのです。音程が届かないのはテクニック不足ですが、声が裏返ってしまうのはパワー不足なのです。だから、声が裏返ってしまうのは、同じ失敗でも、音程が届かない(つまり撃沈)よりもマシと言えます。テクニック不足は、そのテクニックを習得しない限り、いつまで経っても解決しませんが、パワー不足は歌っているうちに徐々にパワーが身につきますから、必要なパワーさえ身につけば自然と解決するのです。

 よく市民合唱団などでテノールに高音を裏声で歌わせる事はよくあります。もちろん、それは実声で高音を歌えないからですが、歌えないのはテクニック不足が原因ですから、そこで無理をさせて歌わせても音程が届かない事になりかねません。ならば、音色がダメでも音程が届いている方が合唱的には良いので、そのようにさせるのでしょう。裏声で歌うならば、テクニックも体力も不要ですからね。まあ、アマチュアの体力不足を前提として、失敗を最初から回避するための一種の方便と言えます。

 と言うわけで、合唱では裏声の使用もないわけではありませんし、ポピュラーソングでは、高音の決め所を裏声で弱々しく歌うのもアリだし、それが正解の曲もありますが、アリアの決め所で声が裏返ってしまう? ないない(笑)。少なくとも、オペラアリアでは、裏声は負けなのです。

 なので、必要なのは筋肉を育てることです。自宅練習で、表面的に歌えるようになるだけの練習では筋肉は育たないので、自宅でもしっかり全身の筋肉を使って、それこそ“筋トレ”のつもりで歌わないといけません。一曲歌うごとに汗が吹き出る覚悟で歌うのです。そうしないと、歌なんて上達しない…って事なのです。

 さらに言うと、この曲のように体力勝負の曲では、絶対に“鳴り”で歌ってはいけません。もちろん、一流のプロ歌手は、声にかなり鳴りの成分を入れて歌いますが、あれは一流のプロだからできる事で、アマチュアがあれをマネたら死んでしまうだけなのです。だから声は響きで歌わないといけません。

 とにかく歌の筋トレをして筋肉を育てないと…。

 しかし、筋肉はすぐに育つわけではないので、ひとまず、姑息な手段を取り入れながら、現在の私でも歌えるようにしないといけません。そこで、高いAのある手前に四分休符を入れて歌ってみる事にしました。まあ、これに類似したやり方は、一部のプロの方も採用していますが…プロは長いオペラを歌って、ようやくこのアリアにたどり着くわけだから、私とはだいぶ事情が違います。ですから、私は本来は譜面通りにきっちり歌うべきなのですが…パワー不足で出来ないのだから、仕方がないのです。ちょっと姑息なこのやり方を採用してみる事にしました。もちろん、やり方を変えたからと言って、すぐにできるわけではありません。自宅で練習を重ねて、次のレッスンでその成果を出せたらいいなあと思ってます。

 で、練習に疲れたら、呼吸筋のマッサージとして、イヌの喘ぎのようにハアハアやると良いのだそうです。これでだいぶ固まった筋肉がほぐされるそうです。ただし、やりすぎるとほぐれすぎてしまって歌えなくなるそうです。

 とにかく、歌曲もアリアも、今の曲は次のレッスンで終える事になりました。次回までに選曲をして先生のOKをいただかないとね。で、新年からは新曲にチャレンジしていく事になりそうです。

 さて、来年は何を歌いましょうか?

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2016年12月20日 (火)

やっぱり支えは難しい

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習から。ハミング練習は息の通り道を確認するために行う練習なのだけれど、私、息の通り道については、ようやく分かってきたようで、一発で良いところに息が入るようになりました(やったね)。ただ、息の通り道的には正しくても、支えが不足しているのが難点で、そのため、支え不足から息のポジションがちょっとでも下がると、途端に負担が声帯にキて、ノドが痛くなります。そこは残念です。

 発声練習は…私の弱点である支えの練習を中心に行いました。とりわけ、高音発声の準備としての支えの練習をやりました。

 高音はしっかりと息の支えがないと出せないものなのです。だからと言って、目的の音になってから支えては遅いわけで、目的の音の手前の音の段階で、すでに支えていないといけないのです(“準備”が必要と言うわけです)。だからと言って、手前の音で腹筋を使いすぎて、息を支えきってはいけないのです(今までの私はこれをやっていました)。手前の音では、必要とされる力の約半分の力で息を支え、目的の音になったら、残り半分を使ってグイと支えるのが正しい息の支えなのだそうです。最初の、手前の音を支える段階で100%の力で息を支えちゃダメで、それをするとうまくいかないのです。つまり、二段階で息を支えないと高音発声は出来ないってわけです。うむ、あれこれ面倒だな。

 前回、声の鳴りと響きの両方を同時に鳴らすというのを習ったので、今回もそれをやってみたのですが、どうも私の場合、バランスが悪いみたいで、同時に鳴らそうとすると、鳴りの方が大きくなってしまうようです。

 声の鳴りは極力抑えないといけません。“鳴り”とは、いかにも声帯が鳴っているように感じる声で、迫力のある声が出る一方、とても消耗の激しい声で、ノドを痛めやすい声なのです。ですから(“迫力のある声”は魅力的なんだけれど)ノドを痛めちゃマズいし、そうでなくても消耗が激しければ、長時間歌えないので、それらを回避するために、歌は響きを中心にした声で歌わないといけません。

 響きを中心にした声で歌えば、迫力は不足するものの、音域は広がるし、歌える時間も格段に長くなるし、何より、ノドの健康が保たれるわけです。

 実際(私は放っておくと)鳴りを中心とした声で歌いがちですが、そんな声で歌うと、確かに疲れやすいし、ノドにも負担がかかっている事を感じるし、何よりも高音発声がとても大変になります。鳴りを中心とした声だと、F#ぐらいまではなんとかなりますが、Gなどはだいぶぶら下がってしまうし、それよりも高い音は、かなり厳しいです。しかし、響きを中心にした声に切り替えて歌うとGやAもなんとかなります…どころか、今回の発声練習では、楽にBが出ました。Bだよ、高いBだよ。自分でもそんなに高い声を出したという自覚はなかったので、先生に「今の音はBだよ」と教えてもらうまでは気づかないほどでした。

 響きで歌うって大切なんだな。

 もっとも、いくら楽だからと言って、響きを中心とした声で歌ったとしても、高いBはやはり博打の要素が強くなるそうで、今の(響きを中心とした)発声で歌って良いのはAまでの音で、B以上は発声方法そのものを変えるのだそうです…が、今はB以上の音の発声について考える前に、Aまでの音を確実に今の発声方法で出せるようにするのが先なのだそうです。

 学ぶにも順番ってモノがあるって事らしいです。

 また、母音の種類によって、支えが変わります。私は“i”や“a”は支えやすいのですが、“u”や“o”などの母音では、急に支えが弱くなってしまう傾向があるそうです。母音が“u”や“o”になっても、支えが弱くならないように、いやむしろより強力に声を支えられるようにしないといけないのです。これは意識をすることで解決できるので、漫然と歌わない事が大切になります。

 で、ここまで支え支えと書いてきましたが、私、支えについて、少々勘違いしている部分があった事を白状します。

 実は、ここまで私は“支え”とは腹筋を上に上げる運動で息を押し出す行為だと思っていましたが、これでは支えの半分なのでした。息を支える際には、腹筋を持ち上げて息を押し出していく事が大切ですが、それと同時に喉仏を下げて息を押さえつける事も同時に行わないといけないのです。つまり下からは持ち上げ、上からは押さえつけるわけで、感覚的には胸のあたりで息が上下から潰されて、圧縮される感じがします。こうして息を圧縮していく事が、声の支えにつながっていくのです。それに圧縮した方が、単純に持ち上げるよりも結果が良いのです。

 それにしても私はアンバランスなのです。ノドは強く、声に鳴りの成分が多すぎるのです。ノドが強い割には全身的には強いわけでもなんでもなく、鳴りに匹敵するほど、響きが出せるわけではありません。強いノドに合わせて、全身を鍛えて響きを増やすか、弱いカラダに合わせて、ノドをセーブしていくかなのですが、弱い方向に揃えるのは…ナンセンスだよね。だから、強いノドに匹敵するほどの強い響きが欲しいのです。そのためには、支え支え支えが、肝心なんですね。

 たかが支えですが、難しいです。

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2016年12月19日 (月)

クラシック声楽における成長や加齢の影響や状況について考えてみた

 約一ヶ月ほど前に「フルート演奏における成長や加齢の影響や状況について考えてみた」という記事を書きましたが、今度は“クラシック声楽における成長や加齢の影響や状況”について考えてみました。

 まず、子ども時代の話から。基本的に少年と少女の声は、ほぼ一緒です。ただし、少年合唱と言うのは古来よりありますが、少女合唱と言うのが出てきたのは、男女平等やらフェミニズムやらが台頭してきた近年からじゃないかしら? もっとも日本では、児童合唱と言う名の、実質的にはほぼ少女合唱がありましたが(笑)。

 まあ、なぜ少女よりも少年の合唱の方が歴史が長くて古いのかと言えば…、一つにはキリスト教の持つ(無意識の)女性蔑視の感覚。それと、実質的な問題として、少年の方がカラダが強くて筋肉が発達している分、声が強くて、よく声が通る事があげられるかな?

 歌は筋力だからね。そもそも少年だって、筋力十分とは言えないけれど、それでも少女よりは幾分マシなわけで、少女では筋力が足りなさ過ぎるわけです。そこで少年が登用されたって事になるかな? まあ、少年では筋力も不足だけれど、テクニックも決定的に不足だから、それらを補うために、カストラートなんてモノも作られたわけだしね。

 さて、そんな少年少女期を経て、カラダも成長していくわけです。成長するに従って、男女ともに声変わりを迎え(その程度には差があるけれど)音域が下がり、筋肉が発達してきて、声がしっかりしてきます。

 青年期から中年期にかけて、カラダは完成し、性ホルモンも充実し、男声はより低く太い声になり、女声はよる高くつややかな声になり、やがて安定します。この頃が歌手としての安定期であり、絶頂期なわけです。

 どっぷりと中年になると、男女ともに、少しずつ声が太く強く重くなっていきます。これを声楽の世界では「声が成長する」という言い方をしますが、実質的には声が使い減りしてしまう事なのだろうと思います。レパートリー的にも、軽い声のレパートリーから重い声のレパートリーに変更せざるをえないわけです。

 まあ、もっとも、アマチュア歌手などで、スタートが遅かった人は、中年になったからと言って、急に声が重くことはなりません。おそらく、すでに十分重くなった状態から始めるので、声が重くなったという感覚がないのだろうと思います。あるいは、使い減りするほど使わない/使えないので、声がほとんど減らないのかもしれません。

 さて、どちらが本当なのでしょうか?(笑)。

 さて、プロであれアマチュアであれ、中年を通り越して、老年になっていくと、さすがに声も大きく変化します。

 老年期に入り、性ホルモンの影響が薄れてくると、男女ともに中性的な声になっていきます。もっとも、中性的と言っても、無性的な声というわけではなく、いわゆる“老人”の声になります。つまり、男声はより高く細くなり、女声は低く太くなります。

 最終的(?)には、爺さんと婆さんの声が、ほぼ同じになります。もっとも、爺さんよりも婆さんの方がおしゃべりなので、呼吸筋の衰えが目立たず、案外高齢でも歌えるものです。

 声の成長や加齢の影響や状況について考えたところ、こんな感じでしょうか?

 世間にある市民合唱団って、どこも平均年齢がかなり高いですよね。平均年齢が60歳を越えている団もザラにあるわけで、そういう団の歌声って、やっぱり年齢相当の声なので、自分たちの声にふさわしいレパートリーを歌い続けて欲しいなあ…と私は思いますが、自分たちが好きで歌っているわけですから、何を歌おうと、私がつべこべ言う事ではないという事は、重々承知しております。余計なお世話ですね。

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2016年12月18日 (日)

私は“ふるさと納税”をしない!

 前回は募金の話をしましたが、その時ふと思ったのは“ふるさと納税”の事。これ、納税って言葉を使ってますが、実質は“寄付”であって、募金の隣接領域なんですよね。

 “ふるさと納税”の仕組みをザックリ説明すると…

 1)任意の自治体に寄付をする。
 2)その自治体からお礼の品が届く。
 3)寄付した金額は、所得税および住民税から控除される。

 …という仕組み。つまり、我々ユーザーサイドとしては、自己負担額(つまり、手数料みたいなもんだね)の2000円は負担するものの、お上に支払う税金の納め先が変わるだけで、納める金額は変化なく、それどころか寄付した先の自治体から、お礼として、かなりの高額な返礼品が送られてくるってわけで、御礼の品の分だけ、得をする仕組みなのです。もちろん、寄付をされた自治体は、収入が増えるわけで、御礼の品を贈ってもプラスになるわけだし…みんな得をしてウィンウィンじゃん…って言われます…が、それって本当なの?

 この“ふるさと納税”という仕組みには、看過できない大きな欠点があると思います。それは“ふるさと納税”をする人が住んでいる自治体にとっては、その住民が“ふるさと納税”をすればするほど、減収になるって事なのです。こちらの新聞記事によれば“ふるさと納税”のおかげで、東京都は249億円の赤字、神奈川県は84億円の赤字、愛知県は53億円の赤字です。本来、納められるはずだった税金なのに、シャレにならない金額がこれらの都県では失われているわけです。財源が無くなれば、当然、予定していた事業や住民サービスができなくなるわけです。

 「別に東京や神奈川なんて、住民が多くて、税収もウハウハだから、俺一人が“ふるさと納税”をしても大差ないだろ」 いやいや、違うんですよ。

 実際、東京都世田谷区では“ふるさと納税”のために税収が15億~16億円ほど減ってしまうそうです。ここは、待機児童数が全国で最も多くて、そのためにあれこれ対策を施さなきゃならないのに、それをするための予算(つまり税収)が足らないという悲鳴すら上がってます。(情報元は朝日新聞なんだけれど、ここの記事は有料会員しか読めないのでリンクが張れません、勘弁ね)。

 確かに東京や神奈川は住民が多くて税収も多くて、一見余力がありそうに見えるけれど、住民が多いって事は、住民サービスに多大な費用がかかるって事になります。

 実際問題、大半の地方自治体は赤字経営だと言われています。黒字なのは東京都と鎌倉市ぐらいだとか? でも東京都は黒字でも、世田谷は赤字なんでしょ? 鎌倉は黒字でも神奈川県は赤字なんでしょ? よく分からないけれど、あっちこっちの自治体は、程度の差こそあれ、決して裕福ではないのです。

 だから“ふるさと納税”をしてもらう事は、とてもうれしい事だし、高価な返礼品を贈ってでも寄付を募りたいわけだけれど“ふるさと納税”をされちゃう側は、たまったモンじゃないのです。

 “ふるさと納税”の盲点は2つあります。一つは『寄付金が控除されるために、本来納められる税収が減ってしまう事』、もう一つは『寄付先が自由に選択できる事』です。この2つの盲点のうち、少なくとも一つぐらいは是正しないと、ほんと、大変な事になってしまうと思ってます。

 例えば“ふるさと納税”は寄付なんだし、豪華な返礼品だってもらえるんだから、地元自治体への税金控除を止めてしまえばいいと思うのです。地元へは、住民として、きちんと決まった額の税金を納め、その上で、応援したい自治体があれば、そこへ寄付をする。寄付をされた自治体は、感謝の気持ちとして返礼品を贈る。これでいいじゃん。

 あるいは“ふるさと納税”の寄付先を、本来の趣旨に基づき、その人の“ふるさと”への寄付に限定して、税金を控除できるシステムにしてしまう。その際の“ふるさと”の定義は『かつて住民票を置いていた自治体』って事にしちゃえば良し。つまり“故郷への仕送り”ってわけだ。これなら、本当の意味での“故郷への寄付”になるわけだから、返礼品なんて不要でしょ? 自分を育ててくれた自治体への感謝として寄付をするんだから、お礼なんて求めちゃダメでしょ?

 私は、今、私が住んでいる自治体が赤字も赤字、大赤字で、企業ならとっくに倒産状態だって事を知っていますので、とてもとても“ふるさと納税”なんてできません。私の微々たる税金であっても、地元のために使ってもらいたいです。もちろん、私も人の子ですから、ふるさと納税をして、美味しい地方特産品を返礼品としてもらいたいという欲はあります。でも、そんな欲よりも、地元の財政危機の方が大きな問題でしょ? 私欲を捨て、公のために役立ちたい…そんな単純な事を考えていますので、私は“ふるさと納税”はしないのです。

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2016年12月17日 (土)

ドジョウの観覧車

 最近、緋ドジョウのヨッちゃんの調子が悪そうなのです。ドジョウと言う生き物は、普通は水底の砂利の中に潜って生活するか、水底に沈んでベタッと砂利の上に定着して暮らすものなのです。まあ、傾向としては、マドジョウは砂利の中に潜り、緋ドジョウは砂利の上で生活をする事が多いようです。で、最近、ヨッちゃんは水底にベタッと沈んでいられなくなり、水中で浮いている事が多いのです。よくよく観察してみると、どうも、お尻が浮いてしまうみたいで、そこが原因で、ちゃんと水底に定着するのが難しそうなのです。

 お腹に空気が溜まって、それで浮いてしまうのでしょうね。

 ドジョウは純粋な魚類たちとは違って、エラ呼吸だけでなく、腸管呼吸もします。ですから、他の魚類とは異なり、陸に上がったからと言って、窒息する事はありません。彼らは空気を直接吸って生きていけるのです。

 腸管呼吸をするドジョウは、クチから空気を吸って、肛門からオナラとしてガスを出します。ドジョウがよくオナラをするのは、そういう理由なのです。

 で、糞詰まりならぬ、屁詰まりを起こすと、体内にガスが溜まってしまうわけです。もちろん、糞が詰まるも屁が詰まるも原因は同じで、つまりは“便秘”をしているわけです。

 便秘が解消すれば、特に問題はないでしょうし、解消しなければ、星になってしまうだけです(ドジョウに限らず、動物たち一般は、便秘でも死んぢゃうのです)。ビオフェルミンなどの乳酸菌を溶かし込んだ水の中に泳がせて、便秘の解消を図るというやり方もないわけではありませんが…まあ、今回はヨッちゃん自身の回復力に期待したいと思います。

 とりあえず(推定)便秘でお腹が張って苦しんでいるヨッちゃんなのです。

 で、水底に沈むのが難しくなってきたのですが、だからと言って、おめおめと水面近くで浮いていられるほど、ドジョウとしてのプライドを無くしたわけではないので、なんとかしようと努力(!)をしたのでしょうか、最近は、水草の森の中で生活しています。水草の森の中なら、水面に浮かぶ事はないですし、彼らの大好きな狭い空間にいられて、心も落ち着くようなのです。

 で、先日、例によって水草の森の中にいたヨッちゃんなのですが、彼がいる水草の塊が水流の影響を受けて、縦にぐるぐる回っていました。まるで、観覧車に乗っているようにぐるぐると回っていました。自分がいる水草の塊がぐるぐる縦に回っているのは気持ち悪くないか?と思うものの、ヨッちゃんは案外平気な顔をして、なすがままに回されていました。

 それがまた、可愛いんですよ。

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2016年12月16日 (金)

好き過ぎると、かえって悪口を言いがちになります

 なんと、三週連続でフルートのレッスンに行ってきました。妻からも「すごいじゃん」と誉められてしまいました。快挙快挙。

 レッスンに行くと、先生はコーヒーを飲んでいらっしゃいました。どうやら、姉様が欠席だったみたいです。ピャピャッとフルートを組み立ててロングトーン練習をしました。私の調子は絶好調でしたが、先生があまり調子良くないみたいです。

 どうも風邪をお召しになっていて、どうにも具合が悪そうです。

 「若い時は、風邪なんて3日で直したのに…ね」って、そりゃあもう、我々は全然若くないですから、仕方ないです。私も風邪をひくと治すのに一週間かかりますから。ましてや先生の場合は、持病のために、強い薬を飲んでらっしゃるわけで、そういう点でも普通の人よりもハンデがあるわけで、風邪もなかなか治らなくても不思議ないです。

 でも、フルートは呼吸器を使う楽器だから、風邪をひいていると、本当につらいです。

 さて、レッスンそのものは、私の練習不足のために、そんなに進んでいません。

 エルステユーブンゲンは、例によって19番です。先生に「暗譜した?」と尋ねられたものの、練習不足なので、ちっとも暗譜できてないんですよね。先週なんとか演奏できた20番も、ちょっと練習サボっていたら、あっという間に指がワヤクチャになってしまいました。ううむ、練習って必要だね。

 プチエチュードの方は15番です。自分でも途中までは、かなり良い出来だったと思いますが、集中して楽譜を見ているウチに、なぜかかすみだして、やがて目がウルウルしてしまい、楽譜が見えなくなって、そのまま演奏が行方不明になってしまいました。別にウルウルしたと言っても、泣いていたわけじゃなくて、なんだろ? とにかく水分がじわじわ出てきて、視界がかすみだした…って感じです。

 先生に「演奏中に集中力をとぎらせているじゃないよ」と言われましたが「いえいえ、そうではなく、目がかすんで見えなくなってきたのです」と言ったら「ああ、あるある。それはあるよね。仕方ないね」と同情されちゃいました。

 …二人とも年には勝てません。

 音も良く、指もそこそこまわっていただけに、演奏途中での迷子は返す返すも残念です。

 さて、今週の雑談は、二人で熱心に熱海話をしました。実は、二人とも熱海という町が大好きなので、その熱い熱い熱海愛をぶつけ合いました。なにしろ、肝心のレッスン時間よりも、熱海トークをしていた時間の方が長かったくらいなのサ。

 でも、会話の内容を振り返ってみると、二人とも熱海が好きすぎて、だいぶ熱海をディスっていたかも(笑)。とにかく、坂さえなければ、この世の楽園みたんな街なんだよ、熱海ってところは。あああ…お城のようにそびえ立つマックスバリューは最高なのさ。

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2016年12月15日 (木)

『演歌は日本人の心の歌』ではない!

 私が子どものころは、テレビ等で盛んに演歌が流れていました。今思うと、演歌の絶頂期だったのかもしれません。とにかく、流行歌の大半が演歌で、毎日毎日、好き嫌いを問わず、演歌が日常にあふれていた…そんな時代でした。

 あの頃、よく聞いた言葉が『演歌は日本人の心の歌』という言葉です。演歌こそが日本であり、洋楽(ジャズとかロック)などはヨソ者の音楽であるという主旨のセリフ…と言うか、キャッチコピーでした。演歌歌手はみんな豪華な和服を着飾って歌ってましたし、確かに日本をアピールしていたと思います。あの頃のオトナたちは、本当に演歌が好きでしたね。『演歌は日本人の心の歌』というキャッチコピーを聞く度に、子どもながらも「そうなんだろうなあ」と同意しつつも、なんとも割り切れない気持ちになったものです。

 と言うのも、私は、子ども心に演歌が嫌いでした(笑)。理由ですか? 理由なんてありません。趣向の問題です。ただ「なんか違う」と感じていただけです。ただ「演歌が嫌いなんて、非国民(笑)だな」って思って、なんか自分を汚らしく感じていました。

 好き嫌いは横に置いておくとして、では、どういう点で「なんか違う」と感じたのかと言えば「演歌って…本当に日本の歌なの?」という、当時は言葉にもならなかった漠然とした疑問(?)でした。

 だって、演歌で歌われる世界って、ほとんどが男と女のドロドロした話だし、それも夜の接客業の女性目線の歌が多かったし、特に男に捨てられて恨んでますとか、捨てられたけれど好きなんですとか…なんか、そんな粘着質な世界を、コブシを回しながら、うなりながら、これでもかって具合に粘着的な歌唱法で歌い上げるのです。しつこいったらありゃしない。幼い私は、あの粘着的な部分に違和感を感じていたわけです。「これは違う」「これは我々とは違う」ってね。

 長じて物が分かるようになると、私のファーストインプレッションが正しい事を知るようになりました。

 『演歌は日本人の心の歌』なんて言葉、真っ赤なウソです。

 そもそも演歌って、1960年代に流行った当時の流行のサウンドであって、そのサウンドを作ったのは、古賀政男という作曲家です。“古賀メロディー”という言葉の通り、演歌は、彼のオリジナルのサウンドだったわけで『日本人の心の歌』なんかじゃなかったのです。いわば、1990年代に小室哲哉によって作られた小室サウンドが一時期、日本の音楽界を席巻していたような感じで、1960年代の日本で爆発的ヒットを飛ばし、多くのフォロワーを生み出したヒットサウンドだったのです。

 で、小室サウンドが洋楽、とりわけダンスミュージックをルーツとしているように、古賀メロディのルーツは…と言うと、朝鮮のトロットという大衆音楽だと言われています。つまり、トロットを日本に輸入したのが古賀政男って事になります。

 古賀政男が朝鮮人ではないかという説もあります(私には真偽は分かりません)が、少なくとも言えることは、彼は子供時代を朝鮮で過ごし、朝鮮人たちに囲まれて成長した人であり、朝鮮の音楽を浴びて育った人だという事です。そんな彼が日本で作曲家として成功し、自分のルーツとも言えるトロットを自分の武器として、古賀メロディーを生み出したのです。

 だから、古賀メロディーって、当時のオトナたちにとっては、ニューミュージックだったわけで、少なくとも日本の伝統的な音楽ではなかったわけです。

 だから『演歌は日本人の心の歌』なんてセリフは、当時は、言っている人も聞いている人も冗談のつもりだったのかもしれません。だけれど、当時、子どもだった私は、それを真に受けてしまったわけだし、今と違って情報が乏しく、教育もまだまだ不十分だった当時は『演歌は日本人の心の歌』という言葉を、うっかり信じてしまったオトナも多くいたと思います。

 それを思うと、和服姿で演歌を歌っていた当時の演歌歌手たちは、一種のコスプレだったのかもしれません。

 思えば、演歌が流行っていた当時、日本の芸能界は、朝鮮人や在日朝鮮人があふれていたそうです。そして、彼らがヤクザが深い関係となり“芸能界=ヤバい社会”なんて認識がありました。美空ひばり(この人は日本人です)もヤクザと黒い関係があって、当時はスキャンダルにもなりましたが、あの頃の歌手のコンサートは興行であり、その土地その土地のヤクザさんが仕切らなければ成り立たなかったそうで、それが例え美空ひばりのような売れっ子であっても、ヤクザさんたちの力を借りなければ、当時はまともにコンサートツアーができなかったそうなのです。

 ウチの親たちが、芸能人が大好きだったにもかかわらず、心の中では彼らの事を蔑視していたのは、微妙に人種問題とかヤクザなどの裏社会がからんでいた事を知っていたからかもしれません。

 ちなみに、今の日本の芸能界は、当時ほど朝鮮人や在日の方々が闊歩しているわけでもない(ただしゼロではないです)し、ヤクザも影響力を失いました。

 日本の芸能界に日本人が増えたのは、オーディション番組の普及の影響だと言われています。いわゆる「スター誕生!」などの番組ね。これらの番組のおかげで、普通の日本人の子どもたちが芸能界入りをするようになり、彼らオーディション番組出身者たちは、ヤクザとは関係を持たず、現在のように、レコード会社と音楽事務所が彼らを支えて育てるようになったからです。

 でもほんと、私が子どもの頃は、オーディション番組開始前夜だったので、アイドル歌手にしても、人気俳優にしても、朝鮮人や在日の方々、またはその関係者がたくさんいました。彼らが芸名を名乗り、決して本名を用いなかったのも(当時は朝鮮人差別がなかったわけではないので)その素性を知られたくなかったからでしょう。あえて和服を着ていたのも、一種の変装だったのかもしれません。演歌歌手が多かったのも、彼ら朝鮮系の人々にとって、自分たちのルーツであるトロットによく似た演歌なんて、楽なものだったのでしょうね。それゆえに、私が子どもの頃は、演歌が全盛期だったんだろうと思います。

 ただし、誤解されないように書き添えておくと、演歌歌手のすべてが朝鮮系の人だったわけでなはく、純日本人の演歌歌手(主に民謡出身や洋楽出身者)も大勢いました。

 日本本来の大衆音楽は…民謡や演歌以前の流行歌を聞いてみればわかりますが、明るくてカラっとした音楽が中心です。暗くて粘ったりはしません。ああいう、暗くて粘るのは、朝鮮人の基本的な資質である“恨”を音楽的に表現したものなんだろうと思います。それゆえに、幼い私は「なんか違う」と感じたのだろうと思います。

 それにしても、21世紀になった今でも、たまに『演歌は日本人の心の歌』という言葉を聞きます。今でも言われるほどに、あの言葉は、強烈なキャッチコピーだったんだと思います。

 演歌は今では、ほとんど流行っていません。ほぼ廃れ、死にかけた音楽です。そもそもが借り物の音楽であって、我々の中には無かった音楽ですから、世代を重ねていけば、やがて疎遠になるものです。それが自然の流れってもんです。

 とは言え、音楽の趣味は人それぞれで、演歌大好きだから言って、別に恥じたりする必要はありません。演歌のルーツは日本ではないというだけで、それはクラシック声楽のルーツが日本ではないという事と、ほぼ一緒です。

 要は「誰が何と言っても、私はこの音楽が好き」ならば、演歌であれ、クラシック声楽であれ、好きでいればいいってだけの話です。ただ『演歌は日本人の心の歌』とは、絶対に言ってほしくない…と私が思っているというだけの話なのです。

P.S. 演歌ブームって、いわば“第0次韓流ブーム”だったのかもしれません。

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2016年12月14日 (水)

ヴォイストレーニングを続けると、まずは話し声が変わります

 いわゆるヴォイストレーニングを根気良く続けると、声が変わります。声とは、もちろん直接的には歌声を指しますが、実は話し声も変わります。だいたい、プロの声楽家って、例外なく話し声が美しいでしょ? 話し声はダミ声で滑舌も悪く弱々しい声なのに、歌になると実に立派な声で歌う…なんて、ありえない(笑)。

 ごくまれに、わざと弱々しい声で話す声楽家はいますが、それは声の消耗を恐れて、わざと弱々しい声で、声帯をなるべく鳴らさないように話しているだけなので、ちょっとそういう人は横に置いておくと、たいていの声楽家は立派な声で話すものです。アマチュアとなると、プロの方ほどではありませんが、それでも歌っている人の話し声は、よく通る立派な声の方が多いです。

 それはなぜでしょう?

 実は簡単な事で、よく歌う人の呼吸筋はよく鍛えられているからです。呼吸筋が鍛えられているので、力強い呼吸ができ、普段からパワフルに呼吸をし、吐く息だって力強いわけで、その力強い生きに声が載れば…そりゃあ、よく通る声になりますよね。

 おまけに歌う人は、鼻腔口腔を広く使うことに慣れていますから、話す時も(歌う時ほどではないにせよ)鼻腔口腔を広めに使いますから、話し声にも響きが載ります。鼻腔口腔を広く使う習慣のない一般人と比べると、遥かによく響く声で音量大きめな声で話すわけです。

 それに、歌う人は…もしも鼻やクチに疾患があれば、治すでしょ? 鼻やクチに疾患を抱えたままではヴォイストレーニングもままなりません。健康な鼻やクチは、声をよく響かせます。

 そして、もしかするとこれが一番影響あるかもしれませんが、ヴォイストレーニングをしているという自覚が、歌うことや話すことなど、声を使うことに自信を与えるかもしれません。人は自信があると、物事を堂々と行えるようになるのです。

 そんなわけで、ヴォイストレーニングを続けると、まずは話し声が変わります。嘘じゃないよ。

P.S. フルートなどの管楽器を吹いていると、声楽ほどではないけれど、やはり話し声が変わります。声楽家ではないので、声に響きを載せる事は難しいかもしれませんが、息が強くなるし、息に声を載せて話すことができるようになります。フルーティストって、たいてい、声がデカイのは、そういう理由です(笑)。

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2016年12月13日 (火)

フローレンス・ジェンキンスは100年早く生まれてしまっただけなのかもしれません。

 先日、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』という映画を見てきました。公式ページはこちらね。今年は春先に『偉大なるマルグリット』という映画を見てきたのだけれど、この2つは兄弟と言うか、姉妹のような関係にある映画です。と言うのも、この2つの映画、主人公のモデルは同じ人、フローレンス・フォスター・ジェンキンス女史です。この人がどんな人なのかは…ググれば、あれこれ出てきます。それほどの有名人ってわけですね。

 映画は『マルグリット』の方は、フローレンス・ジェンキンスをモデルとし、そこにかなりのフィクションを加えて話を膨らませたものです。一方『マダム・フローレンス』の方は、実話に則り、そこに多少のフィクションを加えて物語にしたもので、同じテーマ、同じモデルだけれど、それなりに内容は違います。

 どっちが映画として面白いか…と言われれば『マルグリット』の方かな。『マダム・フローレンス』の方は、実話に拠った分、面白さが不足していた…って感じです。だって、フローレンス・ジェンキンスという人は、音痴で金持ちってだけの人でしょ? それだけで映画を一本作るには、ちょっとネタ的に足りないよね。そういう点においては、フィクションをてんこ盛りした『マルグリット』の方が映画的には面白いと思います。

 でもね『マダム・フローレンス』は実話を基にしているだけあって、見ていて、あれこれ考えてしまう事がありました。

 まずは主人公の音痴具合について。『マルグリット』は…まあひどいです。コミカルにひどいです。でもね『マダム・フローレンス』の方は、おそらく音だけ聞けばひどいのですが、映像込みだと…「まあ、普通じゃないの?」って感じになってしまうのです。これって、テーマがボケるよね。

 マダム・フローレンスを演じたメリル・ストリープの演技のせいもあるけれど、映画を見ていると、夫人が“ひどい音痴”には思えないのです。いや、音痴は音痴だし、音程は外しまくりなんだけれど、大騒ぎするほどじゃないような気がするのです。

 だって、この映画で描かれるマダム・フローレンスって、お金持ちでオペラ好きで歌好きな、ただのオバアチャンなんです。確かに、高名なプロの声楽コーチの指導を受け、専属ピアニストを用意して…って、かなり恵まれているけれど、似たような感じの人って、私の周囲には掃いて捨てるほどいるよ。

 プロのオペラ歌手のレッスンを受けて、発表会ではプロのピアニストの伴奏で歌う素人のオバアチャンなんて、私、たくさん知ってます。少なくとも、1ダース程度の人数なら、即座に名前を言えるよ(笑)。私が思うに、フローレンス・ジェンキンスは、100年前だから笑いものにされただけで、21世紀の今なら、ごく普通のオペラ好きのオバアチャンとして世間に受け入れられちゃうだろうし、歌だって「ご愛嬌程度に嗜みます」…って事で、容認されてしまうのではないでしょうか?

 でしょ?

 それにね、音痴な歌しか歌えないとしても、相手はオバアチャンだよ。それもかなりのオバアチャンです。実際に、フローレンス・ジェンキンスがカーネギーホールで歌った時は、76歳(!)だったわけです。76歳と言えば、後期高齢者になるわけだし、そんな年齢のアマチュアのオバアチャンが、プロ歌手のように歌えたら、そっちの方が驚きでしょ?

 それと、この人、映画によると、障害者だったわけじゃないですか? 若い時に梅毒に感染して、今と違ってペニシリンがない時代だったから、完全に治る…というわけには行かず、後遺症としての左手の神経麻痺が描かれていましたが、左手が麻痺しているという事は、脳にも影響があるわけだし、左手以外にも麻痺している箇所はあるわけで、それが聴覚とか歌う筋肉の制御とかにも影響を与えるとしたら、そんな障害を持っている人を笑う事なんてできないでしょ? おまけにその梅毒が、自分の不道徳な行為が原因ではなく、最初の夫から18歳の時に伝染されたというのなら…それは同情するしかないわけです。

 ピアニストになる事を夢見ていた若い女性が、夫から梅毒を伝染され、生死の境をさまよい、障害者となっても、音楽への情熱は冷めず、死を目前とした晩年、あこがれの舞台であるカーネギーホールでリサイタルを開く…メリル・ストリープの演じるマダム・フローレンスって人は、そんな人です。歌が少々音痴でも、私には笑うことはできません。

 それに私、マダム・フローレンスよりも、ヒドい歌しか歌えないのに、某市民会館を貸し切って、毎年ソロコンサートを決行しているオバサンを知ってます。うっかり聞きに行ってしまった事があって、散々な目にあいましたが、そんな現実もあるのです。ほんと、21世紀って、良い世の中だよね。

 フローレンス・ジェンキンスは100年早く生まれてしまっただけなのかもしれません。

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2016年12月12日 (月)

声をノドから外して歌う感覚

 声楽のY先生から「歌は声ではなく、響きで歌いなさい」と何度も何度も指導されている私です。響きで歌えと言われても、何が何やら、何とも分からずに苦労していましたが、先日、ふと「ああ、先生が響きで歌いなさい」と言ったのは、この事なのかもしれない…と、自分でつかめたような気がするので、記録のために記事を書いてみました。これが正解かどうかは、まだ今の私では分かりません。もしかすると、間違っているのかもしれない…という前提でお読みください。

 正直、「響きで歌いなさい」と言われても、響きで歌うにはどうすればいいのか? 響きで歌った声って、具体的にどんな感じになるのか、つい先日までの私には分かりませんでした。せいぜい私が分かっているのは「声のポジションが低いとノド声になるから、ポジションを高め…具体的には鼻腔あたりに持っていくんだろうなあ」とか「たまに正解と言われる声…響きで歌うと、声が鳴っている感じがしなくて、楽だけれど物足りない感じがする」とか「私の通常の発声方法だと、どうやら響きとは無縁らしい」とか…ね。

 で、最近、忙しく、全然カラオケに行けていない私がいまして、あんまりカラオケに行けてないので、ついつい書斎でエア伴奏でエアカラオケをしていたと思ってください。その時に歌った歌、プリンスの“Around the World in a day”という曲の、サビの部分を歌っていた時に、ふと感じたのです。

 「あれ? ノドを鳴らさずに歌えてる…」

 この曲は、面白い曲で、サビの部分(曲のタイトルをコールしているだけなんです)って、実はヴォーカルのプリンスは歌っていないのです。サビはバックコーラスのバンドメンバーたちが歌っているのですが、彼らが歌うように歌ってみたら、声が実に楽に出ている事に気づきました。それも楽なだけでなく、ノドを鳴らすという感覚無しで歌えているのです。

 メインヴォーカルのパートを歌う時は、やはり主役として、かっこよい声で歌おうして、ノドが鳴ってしまうのですが、さらっとバックコーラスのメロディを歌う時の気分で歌うと、ノドを鳴らさずに歌えちゃうのです。

 ただ、この歌い方だと、ノドが閉まらない分、歌声が迫力不足になる事と、ノドが閉まらないために、息がダダ漏れでなってしまいます。その分、しっかりと腹筋で息をコントロールしないとダメだなとも思いました。

 しかし、ロックを聞いて、クラシック声楽のヒントを得るとは…世の中、いつでもどこでも学べるものですね。

P.S. YouTubeには本家のプリンスが歌っている“Around the World in a day”は…無いみたいですね。全部削除されてしまっているみたいです。他の曲は無いわけではないので、この曲だけ無いというのも、なんか変な感じがします。

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2016年12月11日 (日)

募金に注意しましょう

 年末になりましたね。年末になると、なぜか募金活動が活発になるような気がします。街頭のあちらこちらで募金箱を持った人が募金を訴えていたり、職場や学校でも募金を入れる封筒が回ったりする…そんな季節がやってまいりました。

 私、募金に関してはポリシーがございます。それは「募金をするなら、顔が見える人にするか、信用信頼のできる機関にだけする」です。なにしろ、命よりも大切(笑)なお金を募金するんですよ。無駄遣いされちゃイヤでしょ? 変なことに使って欲しくないし、詐欺団体や反日運動をしている団体や国家に、私のお金を使ってほしくない…そう思っているだけなんです。

 ですから、最近は滅多に見ないのですが、もしも目の前に乞食がいれば、私は乞食にお金をあげますよ。だって可哀想だもの。目の前に困った人がいるんだもの、助けてあげたくなるじゃない。そういう事です。

 それにしても、ほんと、最近は、乞食なんていなくなりましたね。私が子どもの頃は、まだまだ乞食がたくさんいましたし(乞食ではないのだけれど)傷痍軍人さんが道端で金銭をねだっていたりしましたが…本当にこういう人はいなくなりました。いれば、私、絶対に募金しちゃいます。

 乞食はいなくなりましたが、最近良く街頭で見かけるのが、大道芸人とかストリートミュージシャンです。私はそれらの人たちの芸を足を止めてまで見るという事はほぼ無いので、多くの場合はスルーしてしまうのですが、時折、心を奪われて芸や音楽に見とれてしまう事があります。そんな時は、しっかりと募金(?)させていただいています。

 あと、お坊さんが托鉢しているのを見かけると、必ず募金させてもらってます。もちろん、神社やお寺にお賽銭箱があれば、入れさせてもらってます。

 養護施設なども、知り合いだったり、知り合いの知り合いだったりしする場合は、直接募金をさせてもら事もあります。これらは顔が見える募金ですね。

 顔が見えない(見えづらい)募金は、信頼している機関のものだけに留めています。毎年させてもらっているのが、共同募金(赤い羽根募金)です。緑の羽根募金は、チャンスが無いので最近はしていませんが、チャンスがあればしても良いと思ってます。また、チャンスがあればしたいと思っている募金には、救世軍の社会鍋があります。あれって、大都市でしかやってないみたいで、ウチの地元では見かけないのですが、もし見かける事があれば是非募金したいと思ってます。

 それと、募金した事は無いのだけれど、最近考えているのは、盲導犬団体への募金かな? よく駅で見かけるのですよ。でも不勉強のまま募金するのは違うかなって思ってますので、しっかり勉強をして、どの団体へ募金をするべきか調べて、納得できたら募金しても良いと思っています。

 でも私がしたいと思っている募金は、それくらいです。それ以外の団体への募金は原則的に断っています。きり無いしネ。

 ですから、街角で行われている、震災とか津波とか関係の“○○のための募金”っては奴は、まずしませんし、何のために誰をどのようなカタチで助けているのか具体性に欠けるし、募金を集めている人も知らない人だし、だいたいそんな団体、詐欺じゃないとは誰も保証してくれないし…ね。

 あるいは、病弱でアメリカに行って高額な治療を受けないと死んじゃうから助けてくださいと訴えている“○○ちゃんを助けるための募金”ってのもしません。本当に困っている人もいるかもしれないけれど、あの手の募金って、詐欺も結構あるんだよね。もしも本当に困っていて助けて欲しいなら、21世紀なんだから、詐欺まがいな街頭募金などせずに、クラウドファンディングを始めればいいと思うわけです。

 それと夏場によくやっている○○時間テレビなどのチャリティ募金もしていません。あれはテレビ番組の企画の一つだし、感動テロの一種だと思うし、だいたい、あの募金は、募金の数割は出演した芸能人の高額ギャラになっちゃうわけでしょ? それって何か違うような気がします。

 ユニセフ系の募金もしてません。ユニセフを名乗る団体って、いくつかあって、実は本家ユニセフとは全く関係ない団体もあるってご存知ですか? 日本人はカタカナに弱いので、ついつい誤魔化されちゃうわけです。私、以前、ユニセフを名乗る団体の募金団体に街頭で出会って、腕を掴まれた上に大声で募金を強要された経験があります。なんとか振り切って逃げたのですが、逃げる際に人混みの中で大声で罵倒されてしまいました。「人でなしー!」とか言われたよ。ありゃあ、立派な暴力行為だよな。後で調べたら、そのユニセフは、本家のユニセフではなく、バチモノのユニセフでした。いやあ、危なかったなあ。そんな得体の知れない団体には募金したくないよ。

 ちなみに本家のユニセフへの募金は、街頭では行っていないそうです。ユニセフへの募金は、ユニセフ親善大使である黒柳徹子さんが開設している口座に直接入金するシステムになっています。ちなみにこちらのサイトに口座が記載されています。でも、正直、そこまでの気持ちが私には無いので(ごめんね)、私はユニセフへの募金はしていません。なんか、バチモノのユニセフ以来、ユニセフ自体が一種のトラウマになっちゃっているんだよ。私と同じような怖い思いをした人も少なくないと思うと、絶対、バチモノのお陰で本家の評判って悪くなっているよね…。

 私は税制上の優遇を受けたいわけではないし、自分自身の生活でキリキリという事もあって、そんなに募金活動には熱心ってわけではありません。ですから、できる募金は少額なのだけれど、そんな少額であっても、しっかりと生きた募金として使って欲しいなあと思っているので、募金先は限定させてもらっているのです。

 皆さんも、やみくもに募金をするのではなく、募金したお金がしっかりと使ってもらえる所に募金すると良いと思いますよ。少なくとも、募金詐欺にあったり、募金したお金が反日団体の運動資金になる事が無いようにしてください。

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2016年12月10日 (土)

金魚の“エサくれ”アピール

 どんなペットであれ、生きている以上、エサは食べます。時間になれば(あるいは、ならなくても)エサをねだるわけで、そのエサのねだり方が可愛かったりするわけです。で、そのねだり方はペットの種類や、その個性ごとにそれぞれなのです。

 金魚はどんな風にエサをねだるのでしょうか?

 まず他のペットと違って、金魚の大きな特徴は、彼らには胃袋が無いという事です。従って、彼らには“満腹”という感覚がなく、常に空腹であり、欠食を感じているのです。ちなみに、胃袋が無いのは金魚だけでなく、フナとかコイなども胃袋がありません。クチから入ったエサは食道を通過したら、直接、腸に行ってしまうのだそうです。

 金魚には胃袋がありませんので、食べたモノを貯める事ができず、一度の多くのエサを食べることができません。ちょっとずつちょっとずつ食べていくわけです。で、食べたモノは胃袋がないので、食べた直後に、すぐに消化されてしまいます。つまりすぐに空腹になってしまうわけです。

 金魚の祖先はフナです。フナって魚は、そんなに良い環境に生息している魚ではありません。彼らは本来、水が汚く、流れも速く、ドロだらけの環境で暮らしているわけです。まあ、昔は田んぼの用水路とか小川とかに棲んでいたようです。だから、エサには恵まれず、せいぜいが藻とかプランクトンとか小動物とかを、必死に探し出して、食べてはエネルギーにし、食べてはエネルギーにし…と生きていたんだと思います。だから、少なくて栄養価の低いエサを、ずっと食べ続けていかないと生きていけなかったわけで、そのために、エサをいつまでも食べ続けていられるようなカラダになったのだと思います。

 実際に、野生のフナとかコイなんて、汚くて、他の魚が住み着かないような場所にいるでしょ? 彼らは本来、たくましい生き物なのです。

 そんなフナがペットになったのが金魚なのです。ペットになったから言って、すぐに上品な生き物に変わったわけではなく、やはり先祖のフナ同様に金魚も悪食なのです。

 金魚は、フナ同様に、ずっとエサを食べ続ける事ができるカラダを持っています。ですから、彼らは常に人に対してエサをねだりつづけます。飼い主の存在を感じたら、即座にエサをねだるのです。

 まず一番目立つ行動は、後追いです。水槽の中で人のいる方に移動して、こちらをじっと見つめています。人が移動して、水槽の前を横切ろうものなら、長いヒレをゆらゆらさせながら、金魚も水槽の中を移動します。可愛いものです。

 やがて、その行動が激しくなってくると、後追いをしながら、水面にクチを寄せてパクパクします。これは水面に浮かぶエサを食べるジェスチャーなわけで、金魚的には身体言語なのでしょうね。エサを食べる動作をしながら「エサを入れてくれよ」とアピールするわけです。

 さらに激しくなると、単にエサを食べる動作をするだけでなく、水音をたて始めます。ヒレでバシャバシャやったり、クチで水を吹き出して、ピューピューやり始めます。結構、うるさいです。やがてガラスにカラダをガンガンぶつけ始めます。必死のアピールをするわけです。そうなると、可愛いを通り越して、ちょっと可哀想に感じます。

 ただ、そこで負けてはいけません。金魚は空腹感がないし、時間感覚が(よほど賢い子以外は)無いので、エサの時間に限らず、人がいれば、常にこんな感じなのです。困ったものです。どんなに必死のアピールをしていても、こちらが無視をしていると、やがて諦めます。そこまでは、人と金魚の根比べになるわけです。

 ちなみに、全員で一斉にエサをねだる事もないわけではありませんが、金魚の中での役割分担があるようで、エサをねだる係の子は常に一匹だったりします。で、その係の子が、上記の行動を取るわけです。

 ただし、誰がエサのねだり係をやるのかは、よく分かりません。水槽の中の王様(格付けが一番上の子)がやる事もあれば、二番目の子がやっていたり、明らかに一番下の子がやらされていたり…その時の金魚の人間関係やらパワーバランスやらで変わってくるようです。

 以前飼っていた、チョコレートオランダのカエデがエサのねだり係をやっていた時は、この子には時間感覚があって(それもかなり正しい)エサの時間になるまでは、結構自由にしていますが、時間になった途端に、激しい水音をたてて、人間にエサをねだっていました。ですから、あの頃は、カエデが音を立てると「お、エサの時間か」と気づいたものです。

 ちなみに、現在のエサねだり係は、主にヤヨイがやっていますが、ヤヨイが寝ている時はシズカが代行しています。

 ヤヨイに限らず、たいていの子は、上記に書いたような、ごく普通のエサのねだり方をします。それに加えて、それぞれの金魚に個性に合わせたねだり方をする場合もあります。

 例えば、ヤヨイはモツモツと水槽の砂利を食べては吐き出し食べては吐き出しという行為を、人がよく見える場所でやります。まるで、食べるものがないから、仕方なしに砂利をしゃぶってます…って感じのアピールをするわけです。またシズカは、葉が無くなって、茎だけになってしまった水草の茎の末端を加えて、ブンブン振り回して、エサをねだります。おそらく「エサも無ければ、水草も無い! さっさとエサでも入れてくれよ」と言っているのかもしれません。

 他にも、とにかくじっと人間を見つめて眼力でエサをねだる子もいれば、タニシの殻を転がしてアピールする子もいます。金魚もそれぞれです。

 問題は、エサを欲しがったからと言って、エサの時間以外は、決してエサをやってはいけないって事です。彼らが食べている金魚フードは、野生のフナたちが食べているエサと比べたら、無闇に高カロリーだったりするわけです。そんな高カロリーなエサを欲しがるからと言って、頻繁にあげていると、、彼らは無尽蔵な食欲を持っているわけですから、いつまでもいつまでもエサを食べ続けて、あっという間に金魚は巨大化してしまいます。

 巨大化すれば、何かと健康被害も出てきます。金魚は小柄でかわいいのが良いのです。
 ちなみに、金魚の主な死因には「水槽の水質汚濁」「ストレス」の他に「エサの食べ過ぎ」があります。金魚はエサをいつまでも食べられるようにできていますが、消化速度は決して早いほうではありません。ですから、一度に多くのエサを食べてしまうと、腸管が詰まってしまい(腸閉塞って奴だ)、それで星になってしまうこともあるので、いくらキュートにエサをねだられて、決して負けてはいけないのです。

 飼い主は、時として、心を鬼にしないといけないのです。

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2016年12月 9日 (金)

やっぱ次はファブレットでしょ(笑)

 フルートのレッスンに行ってきました。なんと、2週連続でレッスンに行っちゃったよ。すごいでしょ(笑)。まあ、本来ならば当然なんだけれどね。

 今回は(休日出勤の代休が山のように溜まっていたので、それを消化する意味もあって)お仕事を早退して、さっさと帰宅して、日頃できないフルートの練習をガッツリやってからレッスンに行きました。

 3時間も練習をしたんだよ。すごいね。

 でも、思いました。3時間ぽっきり練習しても、たいした事はないってね。それよりも、やっぱり毎日30分ずつ練習した方が、トータルで同じ時間練習する事になるけれど、絶対に毎日30分の方が、練習効果が高いよぉ。ほんと、練習はまとめてやっちゃダメです。勉強の一夜漬けと同じで、練習が身につきません。ほんとだよ。

 でも、何も練習しないよりはマシと割り切って、練習に励んでからレッスンに行きました。

 姉様のレッスンは早めに終わったので、お教室ですれちがっただけで、ロングトーン練習は先生と二人きりで行いましたが…3時間の吹き込みを功を奏したのか、実にバッチグーな感じになりました。

 エルステユーブンゲンは19番でした。暗譜をしようと結構頑張ったのですが、やはり3時間の練習時間では暗譜は不可でした。まあ、オッサンだしね。でも、前回、ほぼ吹けなくなってしまった20番に関しては、練習をしたせいもあって、普通に吹けるようになりました。やったね。でも、暗譜は全然出来てません。

 プチエチュードは15番ですが、前回のデタラメだった部分はとにかく克服し、さらにテンポも本来のテンポにだいぶ近づけて演奏できました。うむ、いい感じです。

 先生曰く「後はE♭の人差し指だけだね」 そうなんですよ、中音のE♭を吹く時、2回に1回の割合で、左人差し指を上げるのを忘れてしまうのです。フルートの運指がまだまだ自動運転レベルにまで染み込んでいない私なので、こういうツマラナイ間違いを頻発させてしまうわけです。残念無念。

 まあ、練習すれば、練習した分だけ、指は確実に回るって事を実感しました。後、音も練習した分だけ美しくなっていたと思います。練習するって、必要なんだなあ…。

 さて、今回の雑談はゲームの話。

 まずは「ファミコン、買った?」という先生のひとことから始まりました。ここで言うファミコンとは、先日任天堂から復刻されたファミコンの事で“ニンテンドークラシックミニファミリーコンピュータ”の事です。これを購入したのかと聞かれたわけです。

 もちろん答えは「いいえ」です。だって私はゲーム世代じゃないもの。私が子どもの頃はファミコンなんてなくて、ゲームセンターにあったのは、ピンボールだからね。私はピンボール世代なのよ。だから、ファミコンの復刻は知っていたけれど買っていませんでした。

 先生はお子さんがファミコン世代だった事もあって、子育ての過程でファミコンにどっぷり浸かっていたので、今回の復刻がとても懐かしいんだそうです。で、買おうかどうか迷っているわけです。で、なんで迷っているのかと尋ねると、昔ながらに(大型画面の)テレビに接続して使うのか、それとも今時のゲーム機のように、小さな画面を見つめないといけないのか…もしも小さな画面を見つめないといけないなら、買えないなあ…という悩みだったのです。

 私もそうですが、先生も老眼なので、小さな字はもう読めないのです。だからテレビに接続できるかどうかは、大きな問題なのです。

 で、話はそこから横にそれて、最近の携帯電話はみんなスマホだけれど、スマホは字が小さくて嫌だなあ…という話になりました。確かに、スマホって画面が小さいのに高解像度だったりするので、結構字が小さいのですよ。実際、私は、ボケモンGOをやっている時に出てくる様々なコメントを読むことが出来ないので、それはほぼすべてスルーしてます(笑)。まあ、ゲームですから、スルーしても大したことはないので平気ですが、気にならないわけではありません。これは結構大きな問題だし、多大なストレスとなっておるわけでございます。

 先生もスマホの字が小さいのがイヤで、未だにガラケーを使っているのですが、ガラケーって、今となってはもはや生産中止で販売もあやうい品なんだそうです。だから、今の電話が壊れたら、次はスマホになるのだけれど、スマホじゃ字が見えないから、ああ困ったと嘆くわけです。

 それでお弟子さんに相談したら、タブレットにすればいいじゃないですかと勧められたんだそうです。なので「それは止めておいた方がいいですよ」とアドヴァイスしておきました。

 タブレットで電話って…全くできないわけじゃないけれど、そもそも電話として作られているわけではないので、あれこれ不便だし、回線だってデータ通信回線を使うわけだから、音声品質も良くないし、なんと言っても、あんな大きなモノで電話しているなんて、かっこ悪いじゃないですか? なので、先生には「スマホとタブレットの中間ぐらいの大きなスマホがありますから、それに買い換える方がずっといいですよ」と勧めておきました。いわゆる“ファブレット”って奴ですね。

 ファブレットは妻が使ってます。ギリギリ手で持てる大きさですが、かなり画面も大きくて、何をするにも便利なようだし、何と言っても電話機なので電話をするのに不自由はありません。ボケモンGOもやりやすそうだし…。ただ、片手で持てるけれど、片手で操作するのは無理かもね。私はそもそも片手でスマホの操作をしないので、先生に限らず、私もファブレットの方が良いかも…って思っていたりしてます。

 私はタブレットを持っているので、前回のスマホの機種変更の際に、あえてファブレットにせず、従来型の小さなスマホにした(だって携帯するなら小さい方がいいじゃない?)のですが、確かに小さい方が色々と使い勝手か良いのだけれど、ゲームをするには、やや不便です。まさか、機種変更の時は、ボケモンGOにハマる予定は無かったからね。

 ほんと、次は私もファブレットにしようっと。でも、ファブレットがあんまり便利だったら、タブレットの出番が無くなってしまうかも…と思うと、ちょっぴり残念です。だって、タブレットって高かったんだよ(笑)。でも、タブレットって、大きくて大きくて携帯性はかなり悪いのも事実だし、重いしかさばるしね。

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2016年12月 8日 (木)

一番前で聞いちゃダメ

 何の話かと言えば、コンサートにおける座席の話です。

 私はホールに入ると、特別な事でもない限り、一番前の中央の座席に座るようにしています。つまり、指揮者の真ん前と言うか、真後ろと言うか…。つまり、指揮者が聞いている音に近い音が聞きたい…と思って、そこに座るのです。

 ちなみに“特別な事”とは…ガラガラなホールの場合が多いかな。そんなガラガラなホールなのに、一番前の中央の席に、私のようなガタイの大きな巨大デブが座って、じっと舞台を注視していたら、演奏者にとっては、ほぼ嫌がらせに近い行為じゃないの? だから、ガラガラなホールの場合は、前方約1/3ぐらいの位置の、舞台に向かって左側に座ることが多いです。そこなら、演奏者に無用なプレッシャーを与えることなく音楽が聞けるからです。

 とは言え、有料のコンサートって、大抵は客がたくさん入るので、特別な事がない限り、一番前の中央の座席をゲットするわけです。

 で、いつもはほぼオペラだったり、声楽コンサートだったりするので、一番前にすわっても問題はなく、通常の合唱のコンサート(合唱+ピアノ+指揮者)とか、オーケストラだけのコンサートでも、特に問題はありません。

 第九(ベートーヴェンの交響曲第9番)は、専ら歌う側だし、観客席で聞くにしても、人気演目ですから、なかなか良い席で聞けないのですが、今回、たまたま第九を一番前の中央の座席で聞くチャンスを得たわけです。

 聞く前までは良い席で聞けるなあ…と思っていましたし、実際、第三楽章までは問題なく聞けました。それどころか、日頃はなかなか聞き取れない微細なオケの動きなども聞けて、普段以上の満足だったのですが、いざ第四楽章の声楽部分になったら、アレアレアレ…って感じになってしまったのです。

 その時の舞台は、手前にオーケストラがあって、その奥にソリスト4名が並んで、そのまた奥に合唱が控えるといった編成になっていました。で、それだけ多くの人が舞台に上がったので(通常なら、舞台を前に延長して拡げるケースが多いのでしょうが)、今回は舞台を後ろに延長して奥行きを広げて舞台を大きくするというやり方でした。つまり、客席から見れば、声楽部門は舞台のかなり奥に配置されたような格好になったわけです。

 おそらく、舞台を前に延長しようが、後ろに延長しようが、結果は同じだったのかもしれません。第九では、それくらい多くの人間が舞台に上がり、そのために舞台が大きくなってしまうわけです。

 さらに言えば、どの舞台もそうですが、最前列の座席は、往々にして舞台よりも低い位置にあります。それも関係していたのかもしれません。

 歌が始まった途端、それまでクリアだった音楽が、いきなり風呂屋のような音になってしまいました。つまり、エコーがキツめの遠い音になってしまったのです。

 たぶん、最前列の席は舞台奥からでは、舞台の陰(下)に入ってしまい、音が頭上を通過してしまい、ホールのあっちこっちで反響した音を聞くことになってしまったのだと思います。オケの音はダイレクトに微細な部分まで手に取るように聞こえたのに、歌は回り回った風呂屋の音なのです。

 いやあ、バランスが悪い悪い。なんとも奇妙な音空間になりました。

 座席が舞台よりも高い位置にあれば、特に問題はなかったと思うし、舞台から離れていればオケと歌が混在一体となって聞こえたのだろうと思うけれど、舞台よりも低い位置の最前列の席では、オケは間近に、歌は彼方遠くから聞こえるのです。

 これはさすがに無しだわ。まあ、自分で選んで座った席だから、誰にも文句は言えないのだけれど、第九の時は、あまり前に座らない方が良い…と、今回のコンサートで学んだ私でございました。

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2016年12月 7日 (水)

決して心を折らない事

 さて、声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。トスティ作曲「Malia/魅惑」です。

 まずは、たった今行われた発声練習を踏まえた、鳴りと響きが両立している(?)声で歌ってみました。いやあ、難しい。でも曲そのものは簡単なので、なんとか頑張れます。これが難しい曲だったら、歌うだけで精一杯で、とても発声にまで気が回らないので、今回の課題曲が「Malia/魅惑」で良かったのかもしれません。

 しっかり息は支えないといけません。息の支えが足りなくなると、鳴りと響きの両立は途端に難しくなり、ただのつまらない声になってしまいます。

 この曲では“息を支える箇所”と“息をしっかり支える箇所”と“強烈に息を支える箇所”があるだけですから、どこを歌っていても、息は支えないといけないみたいです。

 とにかく、支える支える支える…です。特にフレーズの歌い出しは、ウンと支えないといけません。あたかも“PPAP”の「ウーッ! ペンパイナポーアポーペン」の「ウーッ!」の部分のように支えるのです(笑)。腹筋をキュッと締め上げて声を出すわけです。

 声のポジションの確認は、母音ではなく子音、特に発声に時間がかかる“g”とか“r”などを使って効果的に行う事。とにかく、子音にたっぷりと時間をかけて歌うのが吉なのです。ただし、子音にたっぷりと時間をかける際に、決して顔を崩してはいけないのです。だって、顔を崩して歌ったら、ブスになってしまうでしょ?

 “ソプラノブス”という言葉はありますが“テノールブス”という言葉はありません。代わりにあるのが“テノール馬鹿”です。

 “ソプラノブス”というのは「ソプラノなんて皆ブス」という意味ではなく、ソプラノという人種はたいていクソ真面目ですから、真剣に歌っているソプラノは、ついつい歌に夢中になりすぎて、顔面が崩壊してしまいがちで、それを揶揄して“ソプラノブス”って言うわけです。それくらい、ソプラノさんは全身全霊を打ち込んで歌っているわけです。

 そこへ行くと、テノールは基本的に「俺って、かっこいいだろ?」ですから、決して顔を崩すなどという事はしないのです。だってテノールって、みんな“自分サイコー!”“自分大好き”ですからね。

 さて、高音を出すコツですが、それは“失敗しても決して心を折らない事”なんだそうです。「今日はダメでも明日がある」とか「やるべき事をやったのだけれど、失敗したんだから、それは自分のせいではない」とか「今日は単純に体調が今ひとつだった」とか「なんかよく分からないけれど、運が悪かったなあ」とか、そういう能天気さが高音を出すコツなんだそうです。

 つまり馬鹿になれ…って事ですね。成功しても失敗してもくよくよしない。そこがテノールの馬鹿たる所以なのでしょう。だから、何度失敗しても、決してあきらめず、心を折らずに頑張っていれば、やがて高音も出るようになる…って事らしいです。

 ほんと、アタマの悪いやり方だよね。

 というわけで、今回は発声に重点を置いて歌ったので、アリアの方はやりませんでした…ってか、この発音じゃあ、まだまだアリアは歌えませんって。

 それでもとにかく、今の私は、良い状態なのだそうです。以前「声楽の上達は階段状」って話をしましたが、今の私は(先生によると)階段を登っている最中なのだそうです。一つ上の段に足がかかっていて、もう少しで上に行けそうなんだそうです。まあ、本人的にも、なにやら自分が変わってきている自覚はあるのだけれど…それが上達と言えるかどうかの確信はありません。

 以前は感じていた、音が高くなると声にフタがかかっていた、あの感覚が、最近はちょっと違って感じるのです。以前、私に覆いかぶさっていたフタは、とても分厚くて重くて、ちょっとやそっとではこじ開けることすら困難だと感じていました。今、私の上に覆いかぶさっているのは…ちょっと厚めのビニール。園芸用の簡易温室を作る時に使うビニールです。ビニールの向こうは見えるし、ビニールはまだ突き破れないにせよ、多少は伸びるし、伸ばせるし、もう少し頑張れば突き破れそうな感じすらします。

 まあ、日々の進歩はわずかでも、Y先生に師事するようになってから、それなりの年月になり、キング先生のところいた当時の私と比べると、今ではほぼ別人と言えるほどになっています。それがフタからビニールへの感覚の変更なんだと思います。

 歌であれなんであれ、以前の状態から上達するって嬉しいし、それが実感できるって楽しいですね。

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2016年12月 6日 (火)

鳴りと響き、両立させながら歌う

 声楽のレッスンに行ってきました。今回は遅刻せずに行けました(当然)。

 まずはハミングの練習から。今回は、声を上下に伸ばして、伸ばしきったら、ゆっくりと前に倒して、倒したら更に伸ばす…という練習をしました。で、注意点は、声を伸ばすと言うと、ついつい上にばかり伸ばしがちだけれど、きちんと下にも意識的に伸ばすように心がける事。なぜなら、上にばかり声を伸ばしてしまうとノドが絞まってしまうし、下にばかり伸ばしてしまうと、今度はノドを痛めてしまう。そこで上下のバランスを上手にとって伸ばしていくことが大切なのです。

 また倒す時は、上の部分を下に倒していくだけではなく、下の部分は上に持ち上げていく感じなんだそうで、イメージとしてはクワガタ虫のハサミが閉じる感じかもしれない(笑)。

 まあ、オカルトだね。おそらく、声を上下に伸ばすってのは、声帯伸長の事だろうし、声を前に倒すと言うのは、デッキングとかカバーリングって奴だろうと思われるわけだし、倒した後に前に伸ばすというのは…ここが難しいのだけれど“アゴの動きを加えて更に声帯伸長をする事+呼気量を増やす事”じゃないかと、私の中では変換して理解しております。

 で、ハミング練習の後は、発声練習に突入したのだけれど、今回の発声練習では、なかなか難しい事を要求されました。それは“鳴りと響きの両方を同時に鳴らして発声する事”です。先生が実際に、鳴りだけの発声と響きだけの発声を例示した上で、それらを同時に発声してみせました。つまり「やればできるから、やってごらん」って事です。

 いやあ、なんじゃい、これ…って感じです。私は次のように理解しました。

 声紋分析ってあるじゃないですか? サウンドスペクトログラムを解析して行うアレです。アレで考えると(私には)分かりやすいのです。

 鳴りだけの発声とは基音中心の発声であり、響きだけの発声とは第一フォルマントを極端に強調した発声であり、同時にその2つを鳴らすとは、基音と第一フォルマントの両方をきちんと鳴らす事であり、逆説的に言えば、その他の周波数の声は、基音やフォルマントのどちらかに寄せて集約して発声する事である…と、まあ思ったわけです。

 音声学の用語を使って話したので分かりづらかったですね。簡単に言えば「楽器のような声を出して歌う」って事です。

 楽器って、そもそも美しい音が出るように作られています。美しい音とは何かと言えば…基音と倍音がきれいに配列された音であって、たった一音であって、その内部に豊かなハーモニーがあるのが美しい音…って私は理解しております。サウンドスペクトログラムで見れば、きれいな横縞となって表現される音です。そういう音ができるように、改良に改良を重ねて作られたのが楽器です。

 一方、人間の声は、そもそも楽器ではありません。いや、それどころか発声器官ですらありません。ただの、呼吸器です。その呼吸器を使って、音声を発生させているだけであって、呼吸器を使って生み出された音(声帯原音)なんて、実にノイジーってか、雑音そのものなわけです。それを口腔内の意図的な形状変化によって、周波数を整えて音色を作って声にして母音や子音を生み出して言葉にしているのです。やっている事は、大昔のアナログシンセサイザーとほぼ同じ(笑)。これって、大変な事だと思いますよ。

 さらに歌となると、その声帯原音に更に磨きをかけて楽器のような音色に仕立た上で、その音から母音を生み出して、音程を加えて歌いなさいってわけだから、歌ってホント大変なんです。だって、声って楽器じゃないからね。そもそもが、かなりの無茶をやっているわけです。

 最初から神様に美しい声を与えられた人ならともかく、そうでない凡人にとっては、美声で歌うというのは、本来的に無理無茶の難題なのかもしれません。

 まあ、グチグチと愚痴っても仕方がなので、頑張る事にします。とにかく、基音と第一フォルマントを強調した、鳴りと響きが両立した音色の声で発声すればいいのです。

 気持ちとしては、ノドの声と鼻の声の2つの声を同時にじっくりと鳴らして歌う…って感じでしょうか。鳴りの声はノド声にならないように、響きの声は鼻声にしないように、息を十分に送って、深みと奥行きのある声で歌う…書いているを読んでも、わけが分からないでしょう? なにしろ、書いている本人もよく分かっていませんから(涙)。

 分からないのだけれど、やるのです。理解は後回しです。とにかく、やるのです。

 という訳で、あれこれレッスンではあれこれ頑張りましたよ。うまく出来たかは分かりませんが、とにかく今回のレッスンでは、こんな事をしたわけです。

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2016年12月 5日 (月)

映画『オケ老人』から考えるアマチュアの音楽活動について

 先日、『オケ老人』という映画を見てきました。まあ、映画そのものは、よくある“主人公の成長物語”であり、お話自体もよくあるテンプレなフォーマットをなぞったモノで、音楽とかオーケストラってのは、ストーリー的には、単なる彩りと言うか、お話のツマというか、ストーリーを飾る道具の一つ…って感じでした。

 それでも私は料金分は楽しめたので、満足しております。

 あと、私は根性がネジ曲がっている事もあって、おそらく、映画の製作者たちが考えもしない観点から映画を見て、それで楽しんでいた事を白状します。

 以下、多少のネタバレが入ることをお許し下さい。

 この映画には、2つのオーケストラが登場します。一つは梅ヶ丘交響楽団、もう一つが梅ヶ丘フィルハーモニーです。

 元々は交響楽団だけがあったのですが、その交響楽団内には、音楽を楽しむ人々と、音楽を極めたい人々の二種類の人がいて、ある日、その極めたい派が分離独立してフィルハーモニーを作ってしまったわけです。当然、極めたい派には、若くて上手な人たちが集結し、残された楽しむ派の人々は、老人で演奏だって上手くない人たちばかりが取り残されてしまったわけです。

 で、主人公は、フィルハーモニーの演奏を聞いて感動して、勘違いして、交響楽団に入団してしまうわけです。

 まあ、詳しい話は、当然割愛しますが、この2つのオーケストラの姿が実に対照的だったわけですよ。

 フィルハーモニーの方は、演奏が上手なんだけれど、なんだかビジスネライクでイジワルなのです。まあ、ストーリー的には悪役なのだから仕方ないのだけれど、なんとも悪印象なのです。

 一方の交響楽団だって、ひどいモノです。まともな指導者からロクな指導をされることもないので、皆、下手くそですし、熱意はないわけでないのだけれど、なんともヌルいのです。

 技術の向上を目指してセミプロ化するアマチュア団体と、仲良しグループでユルユルしたアマチュア団体。すごく極端だけれど、確かに日本のアマチュア団体の代表的な2パターンが、これだな…って思いました。

 結局、色々あって、交響楽団は初めての定期演奏会を成功させるわけですが、もちろん、その過程で、交響楽団のメンバーたちは、必死の練習をして、既存の団員たちは技術を向上させ(おそらく)若くて熱意のある若者たちを大勢入団させ、オーケストラをパワーアップさせるのです。

 この映画から私が受け取った事。それは、趣味はあくまでも趣味なのだから、まず最初にあるのは、音楽を楽しむ事なんだけれど、それは下手くそのままであって良いわけではなく、必死の練習による技術の向上が不可欠なのです。つまり、趣味なのだから楽しくなければいけないのだけれど、趣味であっても上手でなければいけないのです。趣味だからこそ、片方に偏ってはいけないのだ…って事を映画を見ながら「ふむふむ」と感じていた私なのです。

 だから私には面白かった…と言えます。

 『オケ老人』の公式サイトはこちらです。興味のある方はぜひどうぞ。まだ上映しているところもたくさんあるんじゃないかな?

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2016年12月 4日 (日)

タダほど高いものはない

 10月から三ヶ月間、スーパーフライデーというイベントが実施されております。「何、それ?」と思われる方も大勢いらっしゃるのも当然、これはソフトバングユーザー限定のイベントでして、毎週金曜日にある物が無料になるというサービスです。

 10月は吉野家の牛丼一杯が無料でした。11月はサーティーワンアイスクリームのシングルコーンが一つ無料でした。12月はミスド(ミスタードーナツ)でドーナツが2個無料なのです。

 ソフトバンクという会社は、昔からあれこれ色々な物をユーザーに無料配布する会社で、古くはWi-Fiモデムを無料で配り、最近ではゴジラが来襲してもポッキーを配っていたりという、とにかく“モノで客を釣る”という、あざとくて下品で効果的な宣伝をする会社です。

 ウチは以前、ソフトバンクの大家さんをやっていた事(現在は他所に引っ越されてしまい、代わりに接骨院の大家さんをやっていたりするわけですが…)もあり、それ以来、店子であったソフトバンクをなんとなく使用しているわけです。で、その手のイベントやキャンペーンにも参加したりしなかったりしています。今回のスーパーフライデーも、10月の吉野家さんは(通勤途中にお店がなかったので)利用しませんでしたが、11月のサーティーワンアイスクリームは毎回美味しくいただきました。

 で、今回のミスドも毎回美味しくいただこうかな…と企んでいたわけです。

 で、前回の金曜日、ミスドの初回だったわけですが、炭水化物と糖分の塊に油脂を染み込ませたハイカロリーで美味しいドーナツをいただこうと、最寄りのミスドに行ってみたら、ビックリ。すごい行列だったのです。

 サーティーワンの時も人手がスゴかったのですが、今回のミスドはそれに輪をかけてのスゴさでした。お店の周辺には、長い長い行列が出来ていました。サーティーワンでも行列は出来ていましたが、10分もかからずにアイスをゲットできましたので、ミスドの行列も案外大したことはないかも…と期待して並んでみたら…ドーナツをゲットするまで、40分並んじゃったよ(涙)。まあ、その40分間、ポケモンGOをしていたので退屈はしなかったけれど、良い年したオッサンが無料ドーナツをもらうためだけに40分も行列に並んでいたのか…と思うと、なんともモッタイナイ気持ちになりました。

 250円(今回のイベントは、実はドーナツ2個ではなく、ドーナツ250円分まで無料提供するという内容で、アシが出れば、その分は自己負担というサービスだったのです)を現物支給してもらうために40分も並ぶなんて、労働単価としては、時給380円の仕事に相当するわけです。私はドーナツ欲しさで時給380円の労働をしてしまったのかと思うと、なんともグチグチした気分になりました。

 オッサンの40分は貴重だよ。40分あったら、フルートの練習がそこそこできる時間じゃん。それをドーナツをもらうために行列しちゃったわけだよ。

 ミスドでは、ソフトバンク以外の客は列に並ばずにショートカットでドーナツが買えるようになっていました。まあ、ある意味、それも当然のサービスだと思ったのだけれど、40分も並んでドーナツをもらうよりも、きちんと正規価格を支払って、列に並ばずにドーナツを購入した方がマシって思いました。

 “ドーナツ250円”と“私の人生の40分”を天秤にかければ…“私の人生の40分”の方が重いわけで、スーパーフライデーはあと4回あるのだけれど、たぶんもう、ミスドで並ぶ事はないでしょう。

 いやあ「タダほど高いモノはない」とは、よく言ったモンです。

P.S. 久しぶりにドーナツを食べたわけだけれど、ドーナツって、実に美味しく、実にエネルギッシュな食べ物だなあって思いました。ドーナツを2個もらって、妻と1個ずつ分けて食べたけれど、結構ガッツリきました。プレスリーはドーナツの食べ過ぎで死んだと言われていますが、それも全くのデマでもないかも…って思いました。ドーナツって、スーパーデブ養成食だよね(笑)。「美味しいものほど、健康に悪い」と言うのも納得です。

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2016年12月 3日 (土)

お尻はないけれど、尻を向けてます

 今回の記事は写真でお茶を濁します(笑)。

 先日、なかなか面白い写真が取れましたので、アップします。

201612030101

 なかなかプリチーでしょ? お尻は無いけれど、お尻を向けている写真です。ちなみに、左にいるのが“マダラちゃん”ことヤヨイで、右にいるのが“残念金魚”ことシズカです。

 後ろ向きの写真だけではなんなので、集合写真もアップします。これが現在の我が家の金魚たちです。

201612030201

 左上の子がシズカで、中央上の子がアセビです。アセビは正面よりも横からの姿の方が、実は特徴のある子です。右上の子がベルちゃん。左下の真っ黒なのがミドリで、右下がヤヨイです。全員、熟睡中の写真です。

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2016年12月 2日 (金)

残念なことに忘れてしまいました

 いやあ、実に久しぶりのフルートのレッスンに行ってきました。いやあ、久しぶり。あんまり久しぶり過ぎて、フルートの運指も忘れるほどでした(マジです)。

 とにかく、姉様も交えてのロングトーン練習なんて、超久しぶりぶりぶりでした。それにしても、なんか私の音が今2つぐらいで、気持ち悪かったです。

 エルステユーブンゲンは19番。先生からは「暗譜してきた?」と尋ねられましたが「残念なことに(1回暗譜したのだけれど)忘れてしまいました」と答えました。いやあ、だってね、この曲。一度はちゃんと覚えたんだよ。暗譜演奏できるようにしたんだよ。でもね、練習をサボりすぎたら、忘れちゃったんだよ。

 声楽のY先生がおっしゃる「声楽は階段だけれど、器楽は坂道だから…」という言葉が身にしみます。声楽は階段状に進歩していくから、多少練習をサボっても現状維持がせいぜいで簡単に下手になる事はないけれど、かなり努力を重ねて練習をしつづけても、なかなか簡単に上達せず、上達する時は一気にドーンと進歩していくわけです。でも、器楽は坂道だから、練習すればするほど確実に上達していくけれど、練習をサボるとあっという間に坂道を下ってしまうわけです。現状維持なんて、あり得ない世界で、毎日毎日ガツガツと練習していかないと、あっという間に下手くそになってしまうって事を…今、実感してます。

 そう言えば声楽は、しばらく練習サボってても、再開すると、案外以前できなかった事が出来るようになっていたりする不思議な事がちょくちょくありますが、フルートはサボったらサボった分だけ下手になりますね…ってか、下手になってます。実に馬鹿真面目というか、積み重ねが大切なのが楽器演奏なんでしょうね。そういうところは、声楽とは全然違います。

 と言うわけで、エルステユーブンゲンの19番は忘れた程度で済みましたが、20番は全然吹けなくなっていました。やべーなー、おい。

 プチエチュードは15番でしたが、先生曰く「デタラメ」だそうです。酷評だね。

 まあ、とにかくフレーズが長くて長くて、途中でカンニングブレスを入れているつもりですが、それか全然カンニングじゃないから駄目なんだよな。でも、ほんと、一つのフレーズが長くて長くて、最後まで絶対に吹けないわけで、ほんと、困った困った。

 さて、雑談は、フルートフェスティヴァルの話。あれこれオフレコ話を聞きました…例によって、ここには書けないのが残念だけれど、プロの皆さん、フルートの啓蒙活動にほんと熱心なんだなって、私、感服しました。あと、やっぱり、この世界はアマチュアが支えているわけで、プロがいて、アマチュアがいて、そのアマチュアが演奏と鑑賞の両方を支えているわけで、やっぱクラシック音楽の業界って、閉じた狭い世界なんだなあって思いました(悪い意味ではないです)。こういうニッチな世界なんだから、思いっきり尖った方が面白いのになあ…なって思ったりして(ああ、無責任)。

 来週もレッスンに行きたいものです。その前に、自宅練習しないとね。

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2016年12月 1日 (木)

20年後、音楽業界はどうなっているのでしょうか?

 先日、ある講演会に出掛け、そこでの話題の一つに『20年後には無くなっているはずの仕事』の話がありました。そういう仕事は、今は景気が良さそうでも、20年後は無くなっている可能性が大だから、若者をそういう業界に行かないように、しっかり進路指導しましょうって感じの話でした。

 就職先の会社が潰れても、業界自体がしっかりしていれば、同業他社に転職すればいいけれど、就職先の業界が壊滅してしまい、ある程度の年令になってから、別の業界へ転職するって…そりゃあ大変だもの。子どもはそういう事が分からないから、オトナがしっかり、そのあたりを見極めてアドヴァスしてあげないと、その子の人生が台無しになってしまいます。ほんと、業界の景気動向を見てあげることは、進路指導にとって、大切な事です。

 で、その話を聞きながら、私は音楽業界について考えてみました。まあ、私は音楽業界の人ではなく、完全に門外漢なので、そのあたりは結構無責任に言えちゃうし、たからこそ言っちゃおうかな…ってのが、今回の記事の主旨です。

 音楽業界は、基本的には芸能界の一つの分野であって、確実性はなく、安定性もなく、実力があっても通用するとは限らず、人脈がモノを言い、綺麗事が通用せず、ハイリスクな世界だけれど、ごくまれにハイリターンも狙える、賭博性の高い業界です。

 まあ、堅気のオトナなら、若者には薦めづらい業界です。実際、私も、息子君が音大に行きたいと言い出した時は、全力で阻止しました。どうしても音楽業界に行きたいなら、ごく普通に(音大ではない大学に進学して)大学を卒業してから、周辺業界への就職を考えろと言いました。音楽家ではなく、音楽家を支える仕事ね。そっちに行くなら頑張れよって事です。演奏家は…ダメだよね、親としては、そんなリスキーな選択は許せませんって。

 ただ、演奏家は…クラシックであれポピュラーであれ伝統音楽であれ、本人には才能と人脈があり、家庭には有り余る財産(あるいは、本人には貧乏に耐える根性)があって、普通の幸せを捨てる覚悟と、その上、運と出会いがなければ成功できないとは言え、演奏家という職業自体は、決して無くなることはないでしょう。昔から、ごく一部の人しか成功できなかった職業でしたが、今後もごく一部の人しか成功できない職業として残っていくと思います。

 むしろ、周辺業界の方が厳しくなっていくのかも…ねえ。

 すでに音楽販売業(街のレコード屋さんね)は壊滅状態です。街からレコード屋さんがバンバン消えています。大きな原因は、アマゾンを始めとするネット通販の躍進や、音楽のダウンロード販売のおかげですが、ほんと、次々と街のレコード屋さんが廃業しています。

 販売業だけでなく、製作業(レコード会社さんね)も、かなり厳しいと思います。CDが売れなくなってからは、販売の中心をダウンロード販売に移行して頑張っているのは分かりますが、いかんせん、若者を中心に“お金を支払って音楽を聴く”習慣がドンドン無くなっているから厳しいです。

 今や音楽は聞きたい時にネットで聞ける時代になりました。音源をダウンロードして購入することもできますが、YouTubeに行けば、たいていの曲は、新曲であっても、あります。だから「音楽を手元に所有したい」という人は別ですが、単に「音楽を聞きたい」だけの人は、音楽を購入する必要がないのです。つまり“録音された音楽には商品価値は無い”って時代がやってきているわけです。

 それに、音楽を製作するにしても、レコード会社を経由せずに製作して発表する事も可能だし、そこから成功する人だっています。最近の例でいえば“PPAP”がそうでしょ? 近所のスタジオで製作して、YouTubeにアップして、世界中の人々に視聴してもらって、ウハウハ…ってパターンです。そんな仕事の形が定着したら、レコード会社的には、たまったもんじゃないでしょうね。

 一方で廃れないのが、興行関係です。いわゆる、ライブで稼ぐってパターンね。演奏家がいて、客がいる限り、ライブなりコンサートなりってのは、無くなりはしません。これはとりあえず安泰でしょうね。そして今後は、録音された音源は、商品として販売されるのではなく、ライブの宣伝部材として活用されるようになるでしょう。

 ただ、ライブは廃れないとは言え、規模は小さくならざるを得ません。だって人口が減っているんだもの。仕方ないよね。

 音楽教育の現場は…と言えば、学校の先生は廃れませんが、子どもの数は経る一方ですから規模は小さくなります。小学校~高校は統廃合が進むでしょうし、音大は潰れていくと思います。

 私がよく耳にするのは、都会は中高の音楽の先生が余っているけれど、地方に行くと全然足りない…という話です。ですから、学校の音楽の先生(仮にも公務員です)志望の人は、地方の教員採用試験を受けてみると良いかもしれませんね。

 少子化の影響をモロに受けているのは、街のピアノの先生でしょうね。家庭の主婦が自宅で(経済的に)内職感覚で行うならともかく、この仕事だけで生活を支えていくのは、厳しくなっていくだろうと思われます。

 似たような仕事に、楽器店の音楽教室と、そこで働くインストラクターさんや臨時講師さんがいます。今は楽器店の教室も老人相手の講座でしのいでいますが、その老人世代の中心となっている団塊の世代も、あと20年生き残っている事は…まあ、ないでしょう。となると、老人相手の商売はダメになってきますし、だからと言って、子どもの数も減ったままです。楽器店の音楽教室の経営そのものは、海外進出して行って生き残る戦略はありますが、その場合、その教室で働くインストラクターさんや講師の方々は現地採用でしょうから、日本人講師の出番はありません。厳しいです。

 楽器店も学校同様に、少子化の影響を受けています。でも、学校に吹奏楽部がある限りは、大きくもうける事はなくても、きっとなんとかなるはずです。

 楽器製造会社は、日本のメーカーはどこも高い製造技術を持って、良い楽器を生産していますが、以前ほど国内での販売は期待できないでしょう。なにしろ、日本の人口が減っているんですから、内需にはあまり期待できません…やはり、海外進出をしていくしか生き残る道はないかな? それがダメなら、海外資本に買い取られての、生き残り…ですかね。

 音楽系出版社は…本当の本当に厳しくなると思います。教科書を発行しているところはともかく、そうでない会社は厳しいです。日本の人口は減っているし、人々から読書の習慣は薄れてきているし…、音楽系に限らず、書籍は売れなくなってきています。また、楽譜は輸入譜が簡単に入手できるようになったので、クラシック系の楽譜出版を中心に据えている会社は厳しいですね。

 このように書き連ねていくと、20年語の音楽業界は、あたかもお先真っ暗のような気がしますが、別に先が暗いのは音楽業界だけでなく、日本社会のお先そのものが真っ暗なだけです。日本社会のお先が暗いのは、何かヘマをしたからとかそういうわけではなく、単純に人口が減っているためです。

 日本の人口は、2010年では約1億3千万人だけれど、2035年には1億1千万人になると言われています。わずか25年(20年でなくてゴメン)で2千万人近くも減ります。人口5千万人にと言えば、割合で言えば、日本人口の1/3にあたります。25年で人口が15%も減ってしまうわけです。人数で考えても、2千万人と言えば…チリやオランダの人口よりも多いですよ。つまり、25年でチリひとつ分、オランダ一国分の人口が日本から消えてしまうのです。驚きだね。

 国にとって、人は力なのです。子どもが生まれなくなり、老人がバンバン死んで、人口が減ると、国力が下がります。つまりは、それだけの話なのです。音楽業界も、そこから逃れることはできないのです。

 人口が減り、国力が弱まっていく中で、音楽業界で生きていくために、どうするべきかと言えば、やはりリスクヘッジの事も考えると、企業レベルで考えると、やはり多角経営をしていくしかないかな? 例えば、音楽教室なら保育園事業と提携していくとか…ね。

 個人レベルならば、音楽だけでは食べていけないのですから、副業をしっかりしていく事に尽きると思います。例えば(すでにいるかもしれないけれど)平日は工場労働者として働き、休日はピアニストとして働くとか…。まあ、工場労働者じゃなくても市役所の職員でも、大工さんや料理人でもいいのです。とにかく、定時に始まり、定時に終わる商売ならなんでもいいんじゃないかな? あるいは、昔々のように、パトロンを見つけて、資金援助を受けながら音楽家として生きていくか…。

 そう考えると、一番現実的なのは、結婚して家庭に入って、旦那が働いている時間に、パートとして音楽業界で活動していく兼業主婦だったりして…。となると、近い将来、音楽業界で働く人々は、女性ばかりになってしまうかも…。

 事実、音大の女子大化は、だいぶ進行しているそうだし、私の推測も、あながちハズレではないと思うのです。

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