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  •  お相撲さんは格闘家であり、その素手は強力な武器であるわけだから、土俵以外の場所では、たとえ素手であったとしても他人を殴ってはいけないわけだし、ましてやその手に器物を掴んで凶器を使用してしまったら、言い訳はできないし、そもそもやり過ぎだし、卑怯ですらあると、私は思う。今回の件は、日馬富士にも同情すべき点は多々あると思うし、魔が差したのかもしれないが、鉄拳制裁はアウトだと思う。武道や格闘技は、暴力とは違うわけだが、角界の範たる横綱が暴力を行使しちゃあ言い訳できないよなあ。
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2016年11月10日 (木)

では“歌が歌える”ってのは、何を基準に言えるのでしょうか?

 ピアノやフルートのような器楽には定番の教則本と言うのがありますが、歌の世界には、そう言ったモノは、まず無いって言えるでしょう。一応、コールユーブンゲンがありますが、あれって歌の教材と言うよりも、ソルフェージュ教材としての側面が強いんじゃないかな? コンコーネもありますが、あれは確かにクラシック声楽向けのエチュード集だけれど、歌を歌う人って、クラシック声楽を歌う人ばかりじゃないし、クラシック声楽を学んでいるからと言って、コンコーネをしっかり学んでいるわけじゃないし…ね。

 歌と言っても、クラシック声楽もあれば、合唱もあるし、もちろんカラオケもあるし…歌って、ジャンルの幅の広さもあって、共通の物差しになるような教則本は無いし、この歌が歌えればOKという曲もありません。

 でも、やはり歌の上手い下手ってのはあるし、だから、のど自慢系のテレビ番組もたくさん放送されているわけです。

 のど自慢系番組の審査は、たいていの番組では、審査員(音楽が分かると思われる人)が複数いて、その人たちの合議で勝ち負けを決めるわけです。審査に際して、審査基準とかあるのかな?

 細かい点は不明で曖昧な審査だけれど、そこで出される結果という奴は、大抵の場合、私たちが感じている結果と大きく違わない事が多いので、基準の有無はともかく、万人が聞いて「ああ、この人は歌が上手い」「この人は下手じゃないけれど、さっきの人の方がいいね」とかがあるんだと思います。

 と言うのも、最近はカラオケマシンによる採点を用いたのど自慢系の番組もそこそこ増えてきて、私も好きでたまに見るのですが…カラオケマシンの採点って、人間の感覚とはどうも違うんですよね。すごいなあと思うような歌を歌われた方が、さほどでもない方に簡単に負けてますし、なんともつまらない歌を歌った人が勝ち進んだり…。マシン判定なのだから、判定結果については、フェアなんだと思いますが、勝ち負けの基準が、我々人間の基準とは、だいぶ違うようです。

 マシン判定はマシンで測定できるもの、例えば、音程とか、リズムとか、声の強弱とか、各種歌唱技法の有無とかを検出して測定し、それで採点をしてます。それはそれで、もっともなのですが、でもやっぱり、歌って、それだけじゃないんですね。

 もちろん、音程やリズムの正確さとか、適切な声の強弱などは、歌の上手さと直結しますが、歌の上手さの要素には、それ以外にも大切な要素があって、それがマシン判定だと、ごっそり抜け落ちてしまうので、我々の感覚(少なくとも私の感覚)とは異なるジャッジが下されるのだろうと思います。

 結局、ありきたりだけれど「感情を込めて歌える」って事が、上手な歌の大切な基準って事になるけれど、この「感情を込め」るうんぬんは、実に主観的で感覚的な基準だと思います。そのあたりって、簡単には、機械的に定量化はできないよね。

 話がズレてきたので、戻します。

 歌が歌えるか否かという事柄に対して“上手く歌える”かどうかといった点に関しては、ひとまず横においておくことにして、客観的には多少下手くそでも「この人は歌が歌える人だ」とか、「残念だけれど、この人は歌えない人なんだなあ…」程度の判別で構わないという事にしましょう。つまり、下手な歌であっても、自他共“歌えている”と思われれば、歌えるという事にしたいと思います。だいたい、パヴァロッティのように歌えなければダメとか言い出したら、誰も歌えることになりませんからね。

 そこまで基準を下げても、世の中には、歌が歌える人と歌えない人がいます。でも、歌が歌えない人と言われるような人だって、全然歌えないわけじゃないし、音程もリズムも正確だったりします。でも、やっぱり、本人的には歌っていても、聞いていて、歌っていない感じのする人がいます。これは上手い下手の問題とは違うのだと思います。

 何が違うのか…私、そのあたりの事が分からなくて、ずいぶん長い間、あれこれあれこれ考えていたのですが、先日、あるテレビ番組を見ていたら、ハタと気づいたのです。その番組には、ある流行歌手の方が出演していたのですが、それまでのトークの声と、歌になった時の声が、全く違ったのです。その人は、つまり、話し声と歌声の2つの声をもっていたのです。

 ハタと気づいたのは、その点でした。

 “歌えるかどうか”と言うのは、単純に“歌声を持っているかどうか”なのじゃないかな?って事です。

 歌声と言うのは、ジャンルによって、それぞれに違います。でも、その音楽ジャンルごとに、求められている歌声ってのがあります。クラシック声楽ならクラシック声楽の声が、ポピュラーソングならポピュラーソングの声が、演歌なら演歌の声が…って具合です。その求められている歌声で歌えることが、もしかしたら“歌える”って事なんじゃないかなって思ったのです。

 つまり、歌声を持っていなくて、話し声のままで歌っている人は、特定の音楽ジャンル以外では“歌が歌える”とは言えないという事になるのではないかなって事だし、話し声で歌う人の歌を聞くと「なんか違う」って、やっぱり思うのです。

 ですから、歌声の有無が歌えるかどうかの第一基準であって、その後に、音程とか何やらの諸条件がやってくるのだと思います。もちろん、音程やリズムが正しくない歌はダメだし、そんな歌しか歌えない人を、歌えるうちに数えてはいけないとは思うけれど、でもどのジャンルであっても、歌って、器楽程には音程にもリズムにもシビアでは無いわけです。そうなると、やっぱり歌声の有無で、歌える歌えないが分けられるんじゃないか…と私は思うわけです。

 だから、どのジャンルであっても、歌を志す人は(その音楽ジャンルに特化した)ヴォイストレーニングをして、歌声に磨きをかけていくのだと思います。

結論  歌が歌えるとは、歌声を持っているという事であり、これは器楽的に言うのなら、楽器を所持しているかどうかって事と同じこと。器楽奏者で楽器を所持していない人がいないのと同様に、歌手であるならば歌声を持っていないはずがないのです。楽器ならば、たとえ持っていなくても楽器店で購入してくれば済むけれど、声の場合は、歌声はどこにも売っていないわけで、歌声が欲しいならば、ヴォイストレーニングなどの訓練や修行や練習によって、作っていく必要があります。

 つまり、歌声の有無なんて、楽器の有無と同レベルの話であり、なんともレベルの低い話なのですが、楽器がなければ器楽演奏が出来ないように、歌声がなければ何も始まらないのですから、ここが一つの基準になっても良いのだろうと思います。

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声楽のエッセイ」カテゴリの記事

コメント

歌を歌えるって、きっと自分がまんざらでもないと思っている人は歌える、と答え、下手だと自覚があるひとは、歌えない、と答えるかな、。自覚次第ではないかしら、。または、歌える、と答えると、じゃあ、歌って、と言われてしまうと困る人?とかさ(笑)私なんか、歌って、と言われてなくても歌いたいんですが(笑)(笑)

こんばんは。

> では“歌が歌える”ってのは、何を基準に言えるのでしょうか?

かなり厳しいところを突かれました。
元師匠のレッスンで、エチュードに歌詞をつけて歌えと言われて、歌詞さえ付けられず、レッスンの間隔が空いてしまい、元師匠の留学で途切れました。
ただのスケールとかアルペジオでどこまで歌えるか、ド現代を除けばこの組み合わせにすぎません。
こちらは歌詞とか言葉がつけられない失語症の世界です。

失礼しました。

アデーレさん

 まさに正解。現実はアデーレさんのおっしゃる通りですね。

 後は、自意識とか自尊心とかの問題もからんでくるかも。同じ程度の歌が歌えたとしても、自分に厳しい人と゛自分に甘い人では、答えが違うしね。

 日本人は、一般的に、自分に厳しくて、他人にも厳しいと思います。すぐに他人を批評してコケ下ろすしね。自分に厳しいのは良しとしても、他人にも厳しいのはどうかなって思います。

 日本の男性が人前で歌わないのは、歌の巧拙よりも、他人の評価にさらされる事に耐えられないってのが、あるかな…なんて思ったります。

tetsuさん

 器楽のレッスンで「メロディを歌ってみろ」ってのは、割りとよくあるますね。私、毎年、ラ・フォル・ジュルネでマスタークラスを見てますが、毎年毎年、どこかの教室で必ず先生が日本人の生徒に「歌ってみろ」っ言ってます。で、たいていの日本人の生徒は、赤面してしまい、まず歌えません。ほんとに、歌わないですよぉ。

 たぶん、歌わせたら、私よりも上手かもしれませんが、心理的な抵抗があまりに強すぎて、歌えないのだと思います。

 もっとも、私の友人(ギタリスト)で、絶対に歌わない人がいます。なぜギターなのに歌わないのか…と尋ねたら、自分は歌えたらギターなんてやっていない、ヴォーカルをやっている。歌えないからギターやっているんだよ!と、逆ギレされた事があります。

 そういうものなんでしょうね。

すとんさん、おはようございます。
「歌が歌えるとは…」難しい話だなぁと、私も、常々思っていました。
アデーレさんがおっしゃるように、自分の内側から「歌いたい」という気持ちが溢れ、「歌うの、わたし♪」というのが、「歌を唄う」であり、実際それを耳にする他人は心に響く事が多いと思います。
「歌えと言われ歌う」または、「歌わないと場が悪い」等々で歌った時は、よほどその方の才能がない限り「…あ、そう」てな事になりやすいとは思うのですが、
前者、「歌いたいから唄う」の場合は、下手くそであっても、多少音痴であっても、リズムが少々悪くても聞く側は、その人の内なるエネルギーの放出と、一生懸命さや、やり切ってる感を見聞きしてワクワク感動さえもします。
要は、それって一番大事な事ですが、言い方が悪いけれど「情に訴える、浪花節」の類でもあると思います。

ただ、「歌」というモノの精度を考え「歌える」と考えると、カラオケマシンの評価やコンコーネなどがきちんと出来た人、もしくは元々そういう才能があって「ちゃんとできる人の歌」になっちゃって、それだけの歌では、上手だけれど、なんともつまらない…

あふれ出る感情とスキル、声とのバランスが取れて、しかも自分でバランスの出力調整ができる人は自在性があり、「上手い」と言われるのだと解釈しております。

一番手に入りにくいのが、声。
訓練しても、持って生まれた素材が大きく影響する訳で、感情も難しい人はいますが、それは平素生活の中での経験です。
若い頃、先生に「沢山恋をしなさい」と言われるのも、その一つ。

ボリショイだったかの日本人名脇役の踊り手の方だったかな?
自分の身体の特徴から、プリンシパル?を断念し、方向を変え、その道を選ばれたとか…そして名脇役。素晴らしいと絶賛されました。
バレーボールの小柄なセッターも同じくです。
「自分に与えられたモノを工夫せよ」という事なんだと思います。

現代一般社会では、聞く人の感覚、好き嫌いなどが評価の大部分であり、歌う人そのもののニュートラルな評価ではなく、その人の周りに着いたブランドや名誉や雰囲気や…聞く人の概念が優先されます。
テレビなどで歌手の方が「アーティスト」と称しているのは、ある意味そうであり、ある意味「アーティスト」って何だっけ?とも思うように、明確な線引きがしにくい分野での呼称の利用。
または、本人は「アーティスト」だと思っているから、そのように名乗る。それは悪い事でも何でもありません。「アーティスト」なんですから…
何でもかんでも「かわいい」のような幅広い言葉なのだな。と思います。

「歌が歌える」も、他の事も、社会的にはごっちゃになっているんです(笑)
歌えるかどうか?は、本人の自我がどうであるか。
社会、他人の感覚は別。
そう思います。

あぁ、トリトメの無い文章が長くなってしまいました…
言いたい放題、脱線。申し訳ございませんm(__)m

meeさん

>あふれ出る感情とスキル、声とのバランスが取れて、しかも自分でバランスの出力調整ができる人は自在性があり、「上手い」と言われるのだと解釈しております

 うむ、これが正しい“歌が歌える”事への定義かもしれません。さすが!

>歌えるかどうか?は、本人の自我がどうであるか。
>社会、他人の感覚は別。

 そうなんです。そこが問題をややこしくしているのかもしれません。

>一番手に入りにくいのが、声。
>訓練しても、持って生まれた素材が大きく影響する訳で、感情も難しい人はいますが、それは平素生活の中での経験です。

 声と感情…歌を作っていく大切な2つの要素は、それぞれ“手に入りにくいモノ”であり、それゆえに、歌うことって難しく考えられてしまうのかもしれません。

 声はともかく、感情を表に出すことって、日本人は苦手だもんなあ…。


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