ひとこと

  •  いよいよお盆休みもお終い。なんか残念。あの楽しかった夏の日は、もう終わり。また日常生活が始まるわけだけれど…ううむ、発表会とクラシックコンサートの準備が…。生活はいつもの日常生活に戻るけれど、その中で、着々と発表会とクラシックコンサートの準備に備えていかねば…。がんばろーっと。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2016年11月の記事

2016年11月30日 (水)

手袋、買いました[2016年11月の落ち穂拾い]

 百均で手袋買いました(笑)。ほぼ同じ色合いでほぼ同じ模様の毛糸の手袋を2組買いました。ただし、一つは指先まで覆われた手袋で、もう一つは指先が露出するタイプの手袋です。で、組み合わせを変えて、常に右手は露出、左手は覆われるようにしました。

 なぜ、そんな事をするのかと言うと…ポケモンGO対策です。ポケモンGOをするためには、やはり右手の指先は露出していないと、何かと不便ですが、だからと言って、左手はしっかり温めたいじゃないですか? 実際、右手は露出していても、いつもせわしなく動かしているので、ちっとも寒くないです。ただ、スマホを持っているだけの左手の方が、冷たくなってかじかんできたりするくらいです。

国家統合の話

 ドイツは統合しましたが、お隣の半島の統合は…まだまだ無理かもしれません。私たちは、経済力に勝る南が北を飲み込んで統合するかと思いがちですが、政治を見ていると、北が南を飲み込む事もアリかなって思います。

 ちなみに、かの半島は二分割ではなく、実は三分割されているんです。いわゆる中国の一部で、北と接している“延辺自治州”が、3つめの地域なのです。ここは無視されがちですが、ここも含めて、あの民族の人々は、2つの国と一つの地域に分かれて生活していたりします。

 なので、私は、もしも半島が統合する時が来るなら、南でも北でもなく、この3つめの地域が他の2つを飲み込むんじゃないかって思ってます。もっとも、その時は、半島の先っぽまで中国になっちゃうわけですから、日本的には由々しき問題となるのかもしれません。

ロングトーン練習の意味

 すべての練習には意味があります…ってか、意味のない事をしてはいけません(笑)。私の考えるロングトーンの練習の意味は

1)呼吸筋の筋トレ(バーベル持ち上げるのと同じ感覚で、呼吸筋を鍛えています)
2)音色作り(音色に注目しながら吹くから)
3)耳を作る(周囲の音を聞きながら、そこに音程を合わせる習慣を作ります)

 こんな感じかな?

地方の子たちの就職先と進学先について

 まず、都会と地方では、産業構造そのものが違います。地方に行くと…驚くほど職業選択の幅が狭まりますからね。

 まずは…家業を継ぐってパターンがあるわけで、農業や漁業などの1次産業従事か、町の商店や家族経営の企業を継ぐわけです。家業を継がなければ…地方公務員? 就職するとなると…土建業や観光業? 流通関係や交通関係もあるかな? 都会の大企業の工場が進出していれば、そこで働くというパターンもある。あと、地域に根ざして活躍している地方企業も若干あるかな?

 でも、いわゆる企業戦士っぽいリーマンってのは…地方には無いよね。だいたい地方にいる、その手のリーマンは、本社採用の子が地方に飛ばされてくるパターンだもの。地方採用のリーマンなんて…地方企業でもなければ、そうそういるもんじゃないです。

 つまり、地方にいたんじゃ、リーマンになるのは難しいわけで、リーマンになりたい子は都会に出てくるのが普通。で、学歴が一番必要なのは、リーマン志望だったりするわけだから、地方に定住している人って、リーマン志向が薄いわけで、リーマン志向が薄ければ、学歴もさほどはいらない…って事になるんじゃないかな? なんて、最近はチラホラ考えるようになりました。

 で、リーマンにならないなら、大学行かなくても十分だし、専門学校で専門技能を身に着けた方が、地方では生きやすいってのは、絶対あると思います。

 そう考えると、リーマンになりたきゃ、都会に出て大学受験もするだろうけれど、そうでなければ、大学受験は考えずに、ぼちぼちと生活していく…ってのが、地方の人のパターンじゃないかな…なんて、勝手に考えたりしています。

今月のお気に入り ソンバーユ

 これ、いわゆる馬油です。かなり良質な馬油だと思いますよ。なにしろ、無味無臭で無刺激なんです。だから、どこにだって塗れます。全然、馬臭くもないし、獣の感じもありません。ただのクリームです。

 皮膚に慢性的なトラブルを抱えている人には良いと思います。私も(デブなので)股擦れに悩んでいたのですが、こいつで悩みは解消しました。

 私が思うに、馬油は皮膚に潤いを与え、皮膚の再生を促し、皮膚そのものを強くするんじゃないかな?

 これをたっぷり塗ると、直後はたしかにベトベトになりますが、ほどなくベトベト感がなくなります。ベトベト感がなくなる感じは、市販のバンドクリームよりも早い感じがします。

 なので、私も冬は各種クリームが欠かせない人なのですが、最近はこれ一つですべてまかなっおります。問題は…高い事かな? すごぶる良い感じのクリームなのですが、他の製品と比べると、お値段が高いのが欠点です。

今月の金魚

 みんな元気です。

今月のひとこと

 ようやく涼しく…ってか、寒くなってきました。つい先日まで、暑くて暑くて残暑に苦しんでいたのに、わずか数日でこの寒さだよ、信じられないね。ポタポタ汗を垂らしながらポケモンGOをしていたのに、今じゃ指がかじかんで、うまくポケモンGOが出来ません。ああ、スマホゲームと手袋は相性が悪いのに、どうしたらいいんだよ!(2016年10月30日~11月5日)

 昨今の政治系のニュースは韓国の大統領があれこれ下手を打って支持率がタダ滑りだという話ばかりだけれど、なぜそんな“どーでもいい話題”ばかりを報道するんだろ? 我々の生活には何の関係も無いし、あそこの国ではアレが平常運転で、ある意味、いつものことなのに…。衆議院選挙が近々あるかもしれないと言うのに、選挙に向けて、国民の目を国政からそらしたい事でもなるのかしら? あるいは、これ以上騒がれては困る話題が日本政界にあるのかしら? そんな事を色々と勘ぐってしまう私でした。ホント、別に隣の大統領が占い師の言いなりだったとしても、私たちには全然関係ない事でしょ?(2016年11月5~11日)

 お隣の半島の南半分の大統領さんの支持率は、現在5%なんだそうです。これを19~29歳の若年層に限ってみると、なんと驚きの0%なんだそうです。いやあ、洋の東西問わず、色々な政治家さんの低い低い支持率ってのを見てきましたが、5%とか、0%とかってのは、始めて見ました。我が国の最低支持率は、ワースト1位が竹下総理の7%、2位が森総理の9%です。威張れた数字ではありませんが、いずれも政権末期で、その後に退任されて総理を交代しています。隣の大統領さんの場合、まだ任期満了まで1年以上もあるわけで、しばらくは交代もできないわけです。支持率5%の大統領なんて、民主主義的には存在し得ないわけですが…現実問題として、どうするんでしょうね。よそ事ながら「大変ですねえ…」と同情します。(2016年11月11~15日)

 我が国の宗主国であるアメリカの次期大統領がトランプ氏に決まり、皆さん、戦々恐々としていますし、おそらく日本とアメリカの関係も、今までとは変えざるを得ない部分もあるかもしれません。でも必要以上にトランプ氏の事を恐れる必要は無いんじゃないかな?って私は考えます。と言うのも、トランプ氏は有能なビジネスパーソンでしょ? 無能な人間はビジスネでは成功しないわけですから、利益にもならないような無茶な事は絶対にしません。たた、我々が見誤ってはいけないのは、トランプ氏は、旧来の政治家の論理ではなく、ビジネスマンの論理で政治をしてくるだろうって事です。その部分を見誤らなければ、トランプ氏と今後のアメリカとも、十分に良い関係を築いていける…って私は思ってます。(2016年11月15~18日)

 今朝の記事のアップの遅れは、単純に私のミスです。記事を書き上げたところで(なぜか)安心して、そのままにしてしまったので、いつもの時間にアップできなかったのでした。お楽しみにしていた方には申し訳ない事をしました。ごめんなさい。(2016年11月18日)

 あの『セウォル号沈没事故、空白の7時間』で、某大統領が何をしていたのか…当時は絶対に情報が漏れてこなかったのですが、どうやら、あの7時間で某大統領は、美容整形手術をしていた…ようなのです。デマやガセかもしれませんが、本当ならば、そりゃあ言えないよねえ。(2016年11月18~25日)

 雪が降りましたね。こちら湘南でも降りました。例年ならば、当地の初雪は1月15日頃ですから、二ヶ月はオーバーですが、約50日ほど早い初雪となりました。ああ、つい最近まで「暑い暑い」と言って残暑に悩んでいたのに、あっという間に冬将軍到来ですか! ほんと、秋はどこに行ってしまったのでしょうか?(2016年11月25~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2016年11月29日 (火)

歌声にも色々ある その2

 さて、ここまで、くどくどと書いて、何が言いたいのかというと、たとえ声域は同じでも声は異なる…って事です。

 私はテノールなので、以下はテノールを代表例として話を進めますと(ソプラノに関してはググると、嫌になるほど出てきますよ)、同じテノールと言っても、実はその中には声の異なるテノールが何種類もあるんだ…という話です。

 私がながながと説明するよりも、実際にその声種の代表的な声を持っていると思われる歌手の声を聞いた方が理解が早いと思われるので、さっそく聞いてみましょう。

 まずはレッジェーロです。何と言っても、ファン・ディエゴ・フローレスが代表でしょうね。ベッリーニ作曲の歌劇『清教徒』のテノールアリア「A te o cara/いとしい乙女よ、あなたに愛を」をお聞き下さい。

 さて、リリコに属する歌手は大勢いますので、中をさらに3つに分けて聞いてみたいと思います。以下の3つの違いは、案外微妙かもしれませんね…。

 まずもって、リリコレジェーロに該当する歌手は実にたくさんいます。私の好みで、ロベルト・アラーニャに代表してもらいましょう。『愛の妙薬』の「Una Furtiva Lagrima/人知れぬ涙」です。

 ど真ん中であるリリコには、さらに多くのテノール歌手が該当します。ここも私の好みで、フランシスコ・アライサに登場願います。。曲は『ラ・ボエーム』の「Che gelida manina/冷たい手を」です。

 リリコスピントは、上記2つの軽い声系のテノールと比べると、数は少々減りますが、それでもやっぱり多数います。それもスター歌手が多くいるのが、この声種の特徴です。今回は、マリア・カラスの音楽的な相棒として有名な、ジュゼッペ・ディ・ステファーノにしましょう。曲は…せっかくですから、カラスとのデュエットにしましょう。マスカーニ作曲の『カヴァレリア・ルスティカーナ』の二重唱です。

 スピントとなると、だいぶ数が絞られます。ここはやっぱり、プラシド・ドミンゴでしょうね。ジョルダーノ作曲の歌劇『アンドレア・シェニエ』の「Un di all'azzuro spazio guardai profondo/ある日青空を眺めて」です。

 ドラマティコは…ほんと希少種になります。そこで、我らがマリオ・デル・モナコの登場です。歌っているのは『オテロ』の「Niun mi tema/オテロの最後」です。

 ここまで聞いてお分かりのように、声にも色々あるものです。どの曲も使っている音域に大差はありません。歌っている歌手も、同じ音程を歌っていても、それぞれ聞いた感じがだいぶ違うでしょ? これが声種による違いって奴なのです。

 あと、同じ人でも、加齢によって声は変わります。一般的には軽い声が重くなっていくのが普通です。有名どころではパパヴァロッティがそうかな? 彼はデビューの頃はレッジェーロでしたが、年齢とともに声が変わっていき、晩年はレパートリー的にはスピントの役まで歌っていました。ほら、彼の最後のヒット曲(?)がトゥーランドットの「Nessun dorma/誰も寝てはならぬ」でしょ。声って変わるんですよ。

 ちなみに、私の声は、リリコ・レッジェーロなんだそうですが…そう名乗るためには、もっともっと軽やかに歌えないと行けないし、高音だって軽々と出せないといけないので、もっともっと勉強していかないといけないのです。なぜなら声種は、音域だけではなく、音色、つまり声のキャラクターで決まってくるのです。声域は努力と修練で拡げることが可能ですが、音色は天性のモノだからね。だから、声種は音色で決まると言っても過言ではありません。

 なので、クラシック系声楽を学ぶ上で危険なのは、他人のマネです。同じ声種の人のマネをするならば、得る所もあるかもしれませんが、異なる声域の人の歌声や、異なる音色の人の歌声を真似ることは、ノドを傷つけ、声を壊す事になります。キング先生は私に、有名歌手のモノマネ(それも声種の異なる歌手)を強いましたが、これは絶対にやってはいけない事です。やって良いのは“プロの歌声をイメージする”事までであり“プロの歌声をマネする”のはご法度です。大切なのは、自分自身の声で歌うことです。作り声で歌うと、特にクラシック声楽ではノドを酷使しますから、少しでも不自然なことをしてしまうと、あっという間にノドを壊し、声が潰れてしまいます。

 ポピュラー音楽ならば、潰れた声も「ハスキーですね」で済みますが、クラシック系の歌の場合は、潰れた声はガラクタでしかありませんので、細心の注意を払いながら歌を学ばないといけないのです。

 くれぐれも声は大切に…ね。

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2016年11月28日 (月)

歌声にも色々ある その1

 歌声にも色々あります。ポピュラー音楽の場合は、個性が重んじられる音楽という事もあって、楽曲は歌手に合わせて作られて、歌手たちも自分たちの個性を活かして歌っていくわけですから、歌手の数だけ歌声があると言えます。

 一方、クラシック系音楽の場合は、音楽ファーストなわけですから、それぞれの曲ごとに求められる声があり、歌手たちはその求めに応じて歌います。ですから、歌手自身の個性はありつつも、その曲が求めている歌声で歌えることが必要となるわけで、そのため、クラシック系音楽の場合は、ある程度の歌声の類型化は必要となります。

 つまり、歌手たちの声を種類別に分けて、それぞれに声に応じた曲を歌うことが求められるのです。

 一番ポピュラーな歌声の分け方が、合唱のパート分けですね。

 合唱では、人の歌声を、まず女声と男声に分け、それぞれを高音と低音に分けます。つまり、ソプラノ(女声高音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)と4種類の声に分けていきます。

 元々、人の歌声を4つに分けて使うのは、教会音楽の特徴の一つであって、昔々、まだ女声が教会で歌わなかった頃は、ソプラノ(カストラート高音)、アルト(カストラート低音)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)って感じだったそうです。現在では、カストラートは絶滅しているので、伝統を守っている教会では、ソプラノ(少年高音)、アルト(男声ファルセット歌唱)、テノール(男声高音)、バス(男声低音)で歌っているようです。

 え?「カストラートって何ですか!」…ですか?

 カストラートと言うのは、少年期に去勢手術を行って、強制的に声変わりを回避してオトナになった歌手の事を言います。ヨーロッパでは、18世紀までは、割りと普通にいたそうですし、20世紀の初頭までは、その存在が確認されました。実際にカストラートによる録音も残されていますしね。

 また、大規模な曲では、歌声を4つではなく、さらに細かく分ける事もありました。その場合は、女声男声の歌声を、高音、中音、低音の3つに分けるようで、つまり、ソプラノ(女声高音)、メゾソプラノ(女声中音)、アルト(女声低音)、テノール(男声高音),バリトン(男声中音)、バス(男声低音)と分けたわけです。

 このように、歌声を4つまたは6つに分ける教会式の分け方は、日本では学校教育でも取り入れられている分け方ですから…まあ、一般常識と言えるでしょう。

 さて、同じクラシック系の音楽であっても、劇場音楽ではもう少し細かく分けていきました。

 劇場音楽ってのは…まあオペラの事です。オペラでは、音楽でお芝居をしていくのですから、その役柄に応じて求められる声が違っていたので、同じ音域であっても、役柄の個性に応じた声が必要とされ、自然と求められる声の種類が増えていきました。

 歌手の歌声を(教会同様の音程による)声域で分けるのは当然として、演じる役の性格を上手に表現するために、歌声の音色に注目して分けました。つまり、かっこいい役にふさわしい声色とか、ひょうきんな役を歌うと似合う音色…とかね。

 歌声を音色で分ける方法には、いくつかありますが、基本的には大きく4つに分ける事が多いと思います。

 それは歌声を、レッジェーロ(軽やかな声)、リリコ(美しい声)、スピント(力強い声)、ドラマティコ(劇的に強い声)の4種類の歌声に分けます。さらにこれらは声域と組み合わされて表現されましたので、例えばソプラノならば、ソプラノ・レッジェーロ(軽やかな女声)、ソプラノ・リリコ(美しい女声)、ソプラノ・スピント(力強い女声)、ソプラノ・ドラマティコ(劇的に強い女声)って分けたわけです。で、これらを声種と呼びます。

 実際には、リリコをさらに、リリコレッジェーロ、リリコ、リリコスピントとさらに3つに細分しますので、人の声は音色によって6種類ずつに分けられると言えます。

 大体、軽やかな声は、若者とか身分の軽い人を演じる声として用いられ、力強い声は年配者とか社会的な地位の高い人を演じる声として用いられます。

 また、この方法以外にも、声楽技法とか演劇技法によって、コロラトゥーラとか、ブッフォとか、ヘルデンとか、歌声をさらに様々に分ける事が可能ですが、それらはひとまず横に置いて、今回は、レッジェーロ、リリコ3種、スピント、ドラマティコまでの分け方までで話を留めておきましょう。

 と言うわけで、学校では、人の声は、せいぜい6種類に分かれると学びますが、劇場では、それらを音色でも分けますので、6☓6種類で36種類に分けて考えます。

 36種類とは…多いですね。

 まあ、ここまでの分け方は、一般常識を越えているので、声楽に詳しくない方なら、知らなくても当然ですから、別に気後れする必要はありません。

 話が長くなってきたので、明日に続きます。

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2016年11月27日 (日)

老人に座席を譲るべきか?

 なんでも、優先席をめぐって、老人と優先席に座っている男性とで口論があって、その様子が動画としてアップされていてるそうです。それが今、話題になっているとか…。

 その動画でのやり取りは、以下のとおりです。

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言ってみろよ」

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言えよ!」

老人「日本語通じない?」

男性「もう1回言えっつってんだよ!」

老人「だから、日本語通じないのか」

男性「だから、もう1回言えよ。コラッ」

老人「なんでだよ」

男性「だから、もう1回言ってみろよ」

老人「だから、代わってくれって言ってるんだよ。席を」

男性「なんでだよ」

老人「優先席だから」

男性「なんでだよ」

老人「『なんで』ってよ」

男性「悪ぃけど、そういう人に…、譲りたくないわ(笑いながら)」

老人「あなた日本人か」

男性「悪いけどそういう人に譲りたくないわ…残念だったな」

老人「で、なに。そこ優先席だって分かんないんだ」

男性「わかんないですね」

老人「ああ、そっか。じゃ、日本人じゃないんだ。残念だな」

 実際の動画(ホンモノは見つけられなかったので、誰かがコピーして拡散した奴です。一次資料じゃなくてごめんなさい)は、こんな感じです。

 しかし、なんとも、色々な意味で残念ですね。老人も老人だし、男性も男性です。ほんと、絵に描いたようなディスコミニュケーションな場面です。

 しかし、これはたまたま動画にアップされただけで、日常的には案外、似たような事は、日本のあちこちで頻発しているのではないでしょうか?

 老人が若者に席を譲れと強要しているばかりでなく、老人が集まっている中、優先席に堂々と若者が悪びれることなく座っていたり、多少は気後れをしているのか優先席で寝ていたり(狸寝入りの可能性は大ですね)…なんて言う風景は割りと見ます。
また逆に、混雑した車内なのに、優先席だけぽっかりと空いていて、誰も座らずに、もったいない空間になっている事もしばしばあります。

 優先席とは、電車バスなどで、老人や妊婦、病人、障害者が優先的に座れると運営会社によって決められている席の事ですが、このシステムって、1970年代に当時の国鉄が「シルバーシート」という名称で始めたものが起源となっています。つまり、優先席というシステムそのものが、世界標準のマナーでもなければ、日本古来の伝統風習でもなく、割と最近に始まった日本独自の新習慣なのです。

 そもそも優先席というシステムそのものは、親切心と敬老精神にあふれた国鉄職員の方が考えられたモノなのだろうと思うのだけれど、なにやら色々と問題がある制度だなあ…って思ってます。動画のようなトラブルもそうだし、そこまででなくも、優先席関係で不快な思いをしている人って、大勢いらっしゃると思います。

 優先席の問題は色々ありますが、根本的な問題は、この制度の前提が間違っているという点かな? この制度には3つの前提があって…、

 1)人々はみな善人である
 2)老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である
 3)老人はみな弱くて守らねばならない存在である

 この3つの前提があってこその優先席のシステムだと思うし、当初は対象が老人限定で始まったものの、その後、その枠に妊婦や病人、障害者まで加わっているのが現在の優先席であって、それがさらに問題をややこしくしていると思います。

 まず、1)の「人々はみな善人である」という前提は、明らかに間違ってます。ほんと、この制度を考えた人って、アタマがお花畑な方なんだなって思います。他人の善意を無条件に信じ過ぎだって(笑)。

 もし、人々がみな善人ならば、警察もいらなければ、福祉も不要だし、宗教家なんてとっくの昔に食えなくなっているわけだけれど、私達が生活している現実世界では、警察は人手不足だし、福祉も足りなく、宗教はよい商売なわけで、むしろ世間の一般的な人々なんて“ずるい奴らの集団”って考えた方が、よっぽどすっきり世の中が回っていくと思います。

 でしょ? 性善説じゃ世の中は成り立たないのよ。

 そもそも、多くの人は、たいてい自分が可愛いわけで、それがために利己的な行動をするものですし、それは生き物としては当然の行いなのですから、人々が利己的な行動を取りがちなのは、生き物としては正しい行動だったりするわけです。

 まあ、それだけじゃあ、世の中は殺伐としてしまうので、教育とか進行とかマナーとかがあって、人々の本能的な行動を抑制し、世間を円滑に回しているわけです。

 つまり、優先席に関する前提って、理想論であって、現実には即していないわけで、はっきり言っちゃえば、そもそも間違っているわけです。

 2)の「老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である」という前提だって間違っているでしょ? だいたい、その人が老人であるかどうかなんて、ほぼ自己申告でしょ? もちろん年齢による区切りってのはあるし、年齢ぐらいは見かけから推測できるけれど、お年を召しているからといって、その人を老人として扱ってよいかとなると大間違いで、相当な人生の先輩であっても、当人的には若者だと思っていたり、実年齢はさほどでなくても、自分は老人であると思っていたりする人もいて、ほんと難しいです。目の前にいらっしゃる年配者を、老人扱いをするべきかどうかなんて、見ただけじゃ分からないよ。

 さらに言えば、障害者は、ほぼ見た目で分かる事が多いけれど、妊婦や病人は、なかなか見た目じゃ分からないよね。妊婦も臨月になれば分かるけれど、つわりの激しい時期なんて、一般人との区別はつかないでしょ? でも本人はとてもつらいわけです。また病人も見かけじゃ分かりません。内科系の病人が分からないのも当然だけれど、外科系の病人だって包帯ぐるぐる巻きにしてたり、松葉杖でもギブスでガチガチにしていなきゃ分からないって。

 ほんとにつらい妊婦や病人が優先席に座っても、外見では分かりづらいので、彼らが元気な老人に座席を譲らなければいけない現状は、何とも不条理だなあって思うわけです。

 3)の「老人はみな弱くて守らねばならない存在である」は、老人に失礼だよね。お年は召していても元気でお達者な方も大勢いるわけで、座席を譲ると怒り出すご老人も多々いるのは、この前提が間違っているからです。

 ほんと、優先席って、面倒くさい制度です。無くなってしまえばいい…とまでは言いませんが、無用なトラブルを避けるためにも、システムに関しては、色々と考えないといけないだろうと思います。

 私個人の話をすると…優先席にはなるべく座らないようにしています。だって面倒くさいもの。でも私は喘息持ちで、発作時は死の淵をマジでさまよう人なのですが、そんな死の淵をさまよっている時に電車バスに乗らなきゃいけない事もたまにあって、そんな時は、四の五の言わずに席に座ります。その席が優先席なのかどうなのかなんて考えている余裕すらありません。で、うっかり優先席に座ってしまうと、たとえ顔面蒼白で苦しんでいても、私の前に、老人は遠慮なく現れて、無言で「おら、席譲れよ」と圧力をかけてくるわけです。私は童顔で若く見られがちだけれど、実際は老人なのに…おまけに死にかけている病人なのに…と心の中でつぶやきながらも、気が弱いので、黙って席を立つしかありません。

 優先席さえなければ、こんな思いをしなくて済むのに…などという理不尽な事すら考えます。

 まあ、優先席について、つべこべ書きましたが、そうは言っても、優先席があって助かったという人も大勢いるとは思います。だから、無意味とは思いません。思いませんが…いやあ、ほんと。優先席って悩ましいシステムだよね。

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2016年11月26日 (土)

私の好みの金魚

 ウチの金魚も数年から数ヶ月単位で次々と入れ替わり、今までかなりの数の金魚たちを、私は飼育してきました。まあ、金魚の寿命ってやつは、軽く10年を越えるので、私は金魚を飼うのが下手…なのかもしれません。

 その反省は、ちょっと横に置いておいて、今までそれなりの数の金魚たちを飼育してきて、私には私なりの“好みの金魚”がいるのだなあ…と思ったので、今回はそれを記事にしてみたいと思います。

 金魚とひとことで言っても、実は色々な違いがあります。

 まずはカタチが違います。金魚の体型には、大きく分けると4種類あります。普通の魚のカタチをした和金系の金魚と、ひし形体型で“金魚”というと、よくイメージされる琉金系の子と、和金系の体型を丸く円柱形にした感じのオランダ系の子と、そら豆形のらんちゅう系の子です。

 ウチで飼ってきた子は、たいてい琉金系の子か、オランダ系の子です。和金系の子と、らんちゅう系の子は飼っていません。和金系は私の好みではなく(和金系は熱帯魚のエサにしか見えないのですよ、私)らんちゅう系は妻の好みではないからです。個人的には、らんちゅう系はとても好きなので、ぜひ飼ってみたいのですが、なかなか妻の同意が得られません。妻にはらんちゅう系の可愛らしさが分からないようなのです。

 現在の水槽で言えば、ヤヨイとシズカとアセビが琉金系で、ベルちゃんがオランダ系です。ミドリは出目金なので、どちらでもありませんが、あえて言うと、オランダ系のボディをしています。

 次は色ですね。金魚というと、やはり朱色というか、赤みがかった黄色っぽい色をしているイメージがあります。実際、シズカはそんな感じですが、ウチの水槽では赤系の子は、常に少数派です。また、濃い色の金魚(黒や茶やフナ)も必ずいますが、やはり常に少数派です。たくさんいるのは、やはり白色をベースにした白系の子かな? きっと私は白系金魚が好きなのかもしれません。

 現在の水槽で言えば、シズカが赤系で、ミドリが濃色系で、ヤヨイとアセビとベルが白系です。

 ヒレのカタチとか長さも金魚の個性の一つです。私は原則的にヒレの長いタイプである“尾長”が好きなので、今は、尾ビレが普通に長い子(ヤヨイ、ミドリ)と、尾びれがとても長い子(アセビ、ベル)がいます。シズカは、本来は尾ビレが長いタイプなのですが、実は尾ビレの一部が欠損しています。まあ、キズモノと言えばキズモノなのですが、品評会に出すわけではないので、これはこれでアリです。

 こう考えてみると、私の金魚の好みは『オランダ体型の色白で尾ビレの長い子』って事になります。現在の水槽だと、ベルちゃんが該当するかな…?

 でも、歴代の金魚たちを思い浮かべてみると、一番気に入っていたのは、やはりカエデ君かな? 2007年の夏~2010年の夏の3年の間我が家にいた、チョコレートオランダのカエデ君が、一番可愛い子だったかもしれない。

 カエデ君は、オランダ系特有の可愛らしい顔つきをしていたし、尾ビレに限らず、どのヒレもすごく長かったし、チョコレートオランダの名の通り、濃色系の体色だったけれど、光の加減では深みのある黄金色に輝いていたし…ね。あと、何と言っても、この子はアタマが良かったんですよ。金魚にしては、若干の知性を感じられる子だったのですよ。もしも、この子がクチがキケたら、楽しかったかもしれません。カエデ君は、ずいぶん前に星になってしまったにもかかわらず、今でもしっかり私の心の中に住んでいます。本当に可愛い子だったんですよ。

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2016年11月25日 (金)

フルート演奏における成長や加齢の影響や状況について考えてみた

 子ども、青年、中年、老人へと加齢を重ねる事で、フルート演奏がどう変わっていくのか、考えてみました。

 まず、子ども…と言っても、フルートの場合は、ピアノとかヴァイオリンのような英才教育は難しいですね。U字管の頭部管を使っても、せいぜいが小学校中学年くらいからでないとフルートは難しいでしょう。それは楽器を保持する体力と、息を吹き続ける体力、および楽器演奏に必要な腕の長さ等が不足しているからです。まあ、一般的に、フルートは中学生あたりから始める人が多いと思います。

 中学生でフルートを始めた人は、指導者次第でしょうが、ぐんぐん上達します。多少の才能不足も成長って奴で、案外カバーできたりします。3年間も吹けば、もう一人前で、趣味で吹くのには不足ないほどまで上達できるでしょう。少なくとも、指はとてもよく動くので「黒い楽譜も何のその!」って感じです。元気の良い演奏ができるでしょう。

 多くの人は、この段階で一旦フルートを辞めてしまうと思いますが、それでも高校に入って、もう3年間フルートを吹く人もいるでしょう。6年間若者がフルートを吹き続けているのですから、かなり上達をします。本人の才能と指導者次第では、フルートの難曲もバリバリ吹きこなせるようになるでしょう。

 ここで残りのメンバーの大半もフルートを辞めてしまうでしょう。プロ志望の子が音大に入って、プロ奏者になるための勉強を始め、アマでもフルートを極めていこうとする子は、何らかのカタチでフルートを吹き続け、いわゆるセミプロになっていきます。

 大学を卒業し、就職をして、プロの演奏家になれた人やセミプロとしての活動を継続できた人たちを除いて、ここでほとんどの人が、一旦、フルートからは足を洗うことになります。社会人として、家庭人としての生活が優先されるからです。

 無事にプロあるいはセミプロの演奏家になれた方にとって、20代から50代までは安定期です。高い演奏技術と音楽解釈によって、素晴らしい演奏が可能となります。自覚するかどうかは別として、さすがに60代に入ってくると、指が動きづらくなったり、息が持たなくなったりという話を聞きます。もちろん、人によって程度は違うでしょうし、指が動きづらいと言っても、それはその人の全盛期と比較した時の話であって、一般人から見れば、まだまだ神業のような演奏技量を保っていたりはするのでしょうが。

 指が動きづらくなるのと、息が続かなくなるのと、どちらが先かは、人よって違うようですが、演奏家になった方々は、上手にレパートリーを入れ替えて、自分の衰えを他者に悟らせるような事はしません。

 むしろ影響があるのは、目と耳の衰えの方かもしれません。目は…老眼ですね。早い人は30代から、遅くても40代には老眼が始まり、楽譜が見づらくなってきます。老眼に関しては、50代で安定するようですから、現役バリバリの頃に目のトラブルと戦っていく事になります。まあ、暗譜してしまえば、老眼は関係ないのですから、皆さん、暗譜をしていくようですが、オケ奏者の方とか、スタジオミュージシャンの方など、初見演奏の多い方々は、人知れぬ苦労がありそうですね。

 耳の衰えは…難聴ですね。50代から顕著になってくるようです。耳鳴りは難聴の入り口だと言っている人もいますが…そう言えば、私、最近、たまに耳鳴りがするんだよね。順調に老人性難聴の道を歩いているようです。

 老人性難聴は高い音から聞こえづらくなってくるようで、いきなり全体の音が聞こえなくなるわけではないし、高い音と言っても、いわゆる“高周波”から聞こえなくなってくるようですから、楽音が聞こえなくなってくるというのは、かなり先の話になりそうで、その頃は、指やらなんやらが衰えだす頃ですから、そういうのと、合わせて色々と考えてゆくことになるのでしょうね。

 難聴と言うのは、騒音にさらされ続けていると早く発症するんだそうです。クラシック音楽の騒音レベルなんて、たかがしれてますからいいのだけれど、ポピュラー音楽に携わる人たちは、ほんと、耳を大切にしてほしいなあって思います。特に、ライブやツアーを中心に活動している人は、大きな音の中で仕事をし続けているわけで、ほんと、大切にしてください。

 まあ、このように、プロやセミプロの方々は、成長とともに技術が向上し、老化とともにあれこれ不自由を感じるようになるわけです。

 さて、世の中には、私のような趣味人がおります。私はオトナになって、ゼロからフルートを始めた部類です。私のようなオトナスタートの組も、フルートの世界は少なからずいるでしょうが、やはり多いのは、中学生や高校生の頃にフルートを吹いていて、オトナになって辞めちゃった人たちが、ひょんなきっかけで再びフルートを始めるパターンで、いわゆる再開組ですね。

 再開組の人たちは、若い時の貯金がありますから、再開をしたところで、ある程度演奏できると思います。でもやはり、若い時と同様な演奏は…まあ無理ですよね。それは何と言っても、カラダが違うからです。人格は継続していても、カラダは細胞レベルで入れ替わっているわけで、中学生の自分と中年の自分は、同じ自分と言っても、ほんと、カラダが違うのです。そこは加齢の事実を受け入れないといけません。

 ある程度の演奏ができるわけですから、衰え方は…プロやセミプロの方々同様、年齢に応じた衰え方をするのでしょうね。

 オトナスタート組の方々は、老化の前に、成長とか上達とかをしないといけません。

 どんな事であれ、何歳からであれ、人は順序よく学び、適切な努力を積み上げる事で、成長とか上達をしていきます…が、オトナはオトナです。若者のような急ペースでの成長は、もはや期待できません。『三百六十五歩のマーチ』ではありませんが「三歩進んで二歩下がる」の世界です。なかなか上達していきません。昨日できるようになった事も、今日はできなくなっていた…なんて珍しくもない事です。ほんと、上達しないですよね。

 子どものように短期間では上達はしませんが、それでも時間さえかければ、オトナでも上達はします。上達はしますが、頂上は…再開組の方々と比べてしまうと…低めとなります。しょうがないよね、貯金がないんだもの。

 技術の定着もあやしいものですから、すぐに忘れたり、できなくなったりするわけです。ああ、オトナって、悲しいね。成長と老化のせめぎ合いだもの…ね。だから、本当にフルートが好きでないと続きません。

 好きこそものの上手なれ…とも言います。オトナスタート組の人たちは、私も含め、古人が好きだという気持ちを忘れずに、日々、努力と向上をしてゆきませう。

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2016年11月24日 (木)

なかなか呪縛から解き放たれません

 言葉には言霊というのがあって、言葉を他人に投げつけることで、その人の行動を長期に渡って支配する事が可能です。これを良い方向に使うのが“祝福”であり、悪用したのが“呪い”です。で、この呪いによって行動が支配された状態を“呪縛”と言います。

 誰もが“意識している/していない”に関わらず“誰か/何か”に支配されて、呪縛を受けているものです。呪った人が、親であれ教師であれ友人であれ、人が人として生きているならば、それまでに関わった幾人もの人たちに受けた言葉に支配されているものです。そうでない人がいるならば、それはよほどの、唯我独尊タイプの人と言えるでしょう。

 さて、私もたくさんの呪縛を受けています。その多くは、私自身が気づかないままに私を今も支配しているのだと思いますが、幾つかの呪いに関して、私自身が呪いに気づきながらも、なかなかその呪縛から自由になれずに困っていたりします。

 歌に関する未解決の呪縛もいくつか自覚しています。

 分かっちゃいるけれど、そこから逃れらない呪いは幾つもありますが、ほんと最近気になるのが「歌の出だしは、もっとはっきり歌いなさい」という呪いの言葉です。

 この呪いをかけた人は、私の小学3年の時の担任の先生(仮にT先生とします)です。

 小学校の音楽の時間の時に、斉唱をするじゃないですか? 先生がピアノを弾いて、それに合わせてクラスのみんなで歌うのですが、ある時の授業で斉唱をした時に、歌の歌い出しが、なんともフワッとした感じだったんでしょうね。そこに業を煮やした先生が「歌の出だしは、もっとはっきり歌いなさい」と、ちょっと怒りモードで徹底的に指導したわけです。

 当時小学3年生だった私は、実に素直にその指導を受けました。

 歌の出だしをはっきり歌うために、何をしたと思います?

 実に簡単な事ですよ。

 1)息をノドにぶつける
 2)ノドを絞って力を込めて歌う

 …です。いわゆるノド声で近鳴りの声で歌う事でした。いやあ、そういう声で歌えば、先生はご満悦なんだから、小学校教師なんてチョロいもんです。ちなみに、私の通った小学校には、音楽の専科の先生なんていませんからね。T先生も音楽が専門ではない方でした。

 おそらく、クラスの子たちがフワっと歌っていたのは、一つには歌に対する自信が無くて、ちょっと周囲を見回しておずおずと歌っていた事実はあるだろうけれど、息に乗せて柔らかく歌っていたから、フワッとした感じになっていたとも言えます。

 つまり、良い歌い方をしていた小学生を、ご自身の無知による間違った指導で、間違った歌い方に矯正ってか、悪い方向に導いてしまったわけです。

 まあ、歌い方なんて間違っていても問題ないです。別に命が取られるわけでもないのですからね。

 でも、この先生がかけてくださった呪いに、何十年も悩まされてきたのが私です。ほんと、私のノド声は、この先生の呪いによって作られたと言っても過言じゃないですからね。で、未だにその呪縛から解き放たれてはいないのです。いやあ、罪深い先生です。

 さすがに半世紀にも渡ってかかり続けてきた呪いは、そうは簡単に解けないのですよ。困った困った。

P.S. 算数が得意だった私が、いきなり算数嫌いになったのも、T先生の何を言っているのかよく分からなかった授業のおかげです。大学出たての若いお嬢さん先生でしたが、ほんと、この先生にはたくさんの呪いをかけられました。困ったものです。幸いな事は、この先生、すぐにご結婚をなされて、先生を辞められた事かな? 被害が広がらなくて、よかったよかった。今思うに、先生になるには、力不足だった方なんだと思います。

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2016年11月23日 (水)

耳は作られる

 今回の記事は科学的な証明がある話ではなく、あくまでも私の個人的な体験に基づく話です。

 私は「耳は作られる」と思ってます。“作られる”が機械的な響きがあってイヤだなと思われるなら「育つ」と言い換えてもOKです。

 具体的にどう作られていくのかと言えば「非音楽的な耳」->「音楽に使える耳」です。

 幼い時から、音楽的な環境にいたり、英才教育的なモノを受けていた人には想像もできないでしょうが、そういう環境に身を置かなかった、ごくごく一般的な庶民の耳というのは、そんなに音楽的ではありません。

 私は、幼い時は、音楽からは隔絶した環境に育ちました。ほんとに身の回りには音楽が無かったです。いわゆる蓄音機やラジオはもちろん、テレビもYouTubeも無かったし、家族は誰も歌も歌わないし、もちろん近所にピアノを弾くお姉ちゃんもいなかったのです。いやあ、今考えると、実に非文化的な環境ですが、昔はそういう家庭も少なからずあったんですよ。

 ですから、小学校に入って、最初の音楽の授業の事は、実に鮮明に覚えています。(以前も書いたかもしれませんが)、なんと聴音だったんですよ。先生がオルガンをプアーと弾いて「今はなんの音でしたか!」と尋ねると、クラス中が一斉に「ドミソ~!」って答えたんですよ。いやあ、ビックリしました。ドミソって何? オルガンがプアーって鳴っただけじゃん。音に名前なんてあるの? オルガンの音って一つしか鳴ってないじゃん。なんで、3つも答えるの?

 わずか6歳の私のアタマはグルグルと混乱しました。激しく混乱したので、この日の事は、半世紀がたった今でも鮮明に覚えてます。

 で、何が言いたいのかというと、音楽と隔絶した生活をしていると、本当に耳は“非音楽的”に出来上がってしまいます。

 聴音は今でもできませんが、それでもオルガンの和音が鳴れば、少なくとも複数の音が鳴っていると分かります。でも当時は“オルガンが鳴っている/鳴っていない”ぐらいしか分からなかったのです。だから、級友たちが(全員のはずはないのですが、当時の私は全員が…と感じたのです)即座に「ドミソ!」と答えた時は、本当にビックリしたのです。

 そんな感じで非音楽的な環境に育った私ですが、それでもなぜか音楽は好きで、小学校に入った直後あたりで「ピアノを習いたい」と親に言って、鼻で笑われた事を覚えてます。あの頃の事ですから、おそらくクラスの女の子たちがピアノを習っていて、教室などで自慢げに「ネコ踏んじゃった」などを弾いていて、それを見て自分もやりたいと思ったんでしょうね。

 あの時、ピアノを習い始めていたら、きっと私の人生は変わっていたと思います。

 それからどうしたのかと言えば、小学生ながらも、小遣いをためて、安い中古のレコードプレーヤー(兼ラジオ)を購入し、AMラジオを聞いて、当時の流行歌を楽しみ、気に入った曲があったら、頑張ってレコードを購入するというのをやってました。だから、小学校3年ぐらいの時かな? 学校から帰ると、沢田研二のレコードを聞きながら、学級文庫にあった『のらくろ』を借りてきて読むのが日課だった時期もあります。変な小学生だね。

 毎日毎日音楽ばかりを聞いていました。中学生になる頃には、興味が洋楽に変わり、今度は毎日カーペンターズのレコードを聞いてました。高校生になると、それがビートルズに変わり、大学生になると、ポピュラー音楽とともにクラシック音楽も嗜むようになりました。

 毎日毎日音楽を聞いていると、最初は単なる音の塊にしか感じられなかったものが、やがて、メロディーとそれ以外の音、メロディーとリード楽器の演奏とそれ以外の音、メロディーとリード楽器の演奏とベース音とそれ以外の音…などと、少しずつサウンドを分解して、それらの中に流れている複数の旋律を分けて聞けるようになりました。

 耳が多少なりとも作られてきたのです。それでも、小学生の頃は、まだまだ大雑把に、歌と楽器とベース音ぐらいにしか分けることができませんでした。たぶん、あの頃は、ピアノとドラムの区別もつかなかったんじゃないかな?

 中学生になって、カーペンターズを聞き始めると、ピアノとドラムの区別はつくようになりましたが、フルートとクラリネットの区別はつきませんでした。でも高校になって、ビートルズを聞くようになると、複数のギターの演奏を聞き分けられるようになりました。ビートルズって、通常は、ジョンとジョージの二人がギターを弾いているので、ギターの音が2つ聞こえるのですが、バンドの後期になると、オーバーダビングをするようになり、ギターもたくさん聞こえるようになりました。それで、この演奏ではギタリストが何人いるかが分かるようになったものの、「The End」のギター・ソロなどは、どこでいつ誰から誰にチェンジしたのかは、まだは分かりませんでした。

 私の音楽的な耳は、おそらく二十代前半に完成しました。後は、そこから徐々に衰えていったと思います。スタートが遅かったので、完成した耳も、頂点の低い、欠けの多い不十分なモノでした。なにしろ、音感なんて、絶対にせよ相対にせよ、最後まで身につかなかったものね。

 音楽的な環境で生まれ育ったなら、私の耳も、もっとちゃんとしたものに育ったのだろうなあ…と思うもの、でも「これが私なのだ」と、あきらめるようにしています。

 それにしても、もっとちゃんとした音楽的な耳を持っていたら、もっともっと音楽が楽しめただろうになあと思うと、なんとも残念です。

 その反省を持って、息子を育てる時は、なるべく音楽に触れさせるようにしたら、あいつ、いつの間にか絶対音感を身に着けていやがりました。特別な事なんて何もしていないのに、絶対音感だよ、それもかなり精度の高い耳を持っています。おまけに、正しい音を何の手がかりもなく、難なく歌えます。たいていの楽譜も初見で歌えるんだよなあ…。ううむ、我が息子ながら、実にうらやましい…です。

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2016年11月22日 (火)

フレディ・マーキュリー…生誕70周年&没後25年

 今年(2016年)は、クイーンの初代ヴォーカリストであるフレディ・マーキュリーの、生誕70周年と没後25年にあたる年なんだそうです。

 「クイーンって何ですか?」

 …1970年代から80年代前半にかけて大人気となったイギリスの4人組ロックバンドです。ギターのオーバーダビングと分厚いコーラスが特徴で、そこに初期のサウンドはこだわりを持って、NOシンセサイザーを貫いた骨のあるバンドでした。今でこそ20世紀を代表するバンドの一つですが、彼らがデビューした当時、世界は彼らを認めず、ただ日本のファンだけが彼らを認め、日本での人気から世界へと人気が広がっていたバンドで、それゆえ、メンバーは大の親日家なんだそうです。

 その初代ヴォーカリストであるフレディの生誕70周年と没後25年が、今年なのです。

 フレディは…実にすごいヴォーカリストだったと思います。もちろん、ロック歌手であり、ロック唱法をする歌手なんだけれど、持っている声がとても美しくて、おそらくオペラ歌手としての勉強をしたなら、オペラ歌手としても大成功をしたのではないか…と当時から言われるほどでした。実際に、当時の大ソプラノである、モンセラート・カバリエとのデュエット曲「Barcelona/バルセロナ」は世界的なヒットとなりました。

 ちなみに「Barcelona/バルセロナ」は、バルセロナ・オリンピックの開会式でも歌われたのですが、すでにフレディは他界していたので、ホセ・カレーラスとモンセラート・カバリエによる歌唱になったそうです。

 そんな「Barcelona/バルセロナ」は、こんな曲です(もちろん、フレディー&カバリエのバージョンです)。

 さすがに、カバリエと比較してしまうと「フレディはロックの人だな」と改めて感じますが、それにしてもパワフルで美しい声で、確かに間違ってオペラ歌手になっても成功したかも…?と思わせる歌声です。

 私も大好きなヴォーカリストです。

 実際、フレディ自身もオペラが大好きで、ロックとオペラの融合というのが、クイーンの初期のテーマの一つだったと思います。それが結実したのが「Bohemian Rhapsody/ボヘミアン・ラプソディ」でしょう。この曲は、2002年にギネス・ワールド・レコードが調査した「英国史上最高のシングル曲」として第1位になった曲で、当時はその話題でもちきりでした。…それにしても、史上最高って評価だよ、すごいよね。

 では、どんな曲なのかと言うと、こんな曲です。

 いやあ、マジですごい曲です。ちなみにこのビデオ、古さを感じさせますが、それもその通りで、このビデオ、世界初の(意図的に製作された)プロモーション・ビデオなんだそうです。年季が入っていて当然です。

 ビデオ中間部で、人の顔がたくさん映し出されている部分(この部分はオペラパートと言うそうです)の顔は、もちろんメンバーの顔なんだけれど、これは歌声を何度も何度もオーバーダビングをしている事を映像的に表現しているそうで、メンバーの声を何度も何度もオーバーダビングをして声を増やして、コーラスを厚くしているのだそうです。つまり、電気的操作ではなく、実際に多くの声を重ねてコーラスしています…って事らしいです。

 そういう事もあって、この曲のオペラパートと呼ばれる部分は、ライブ演奏が無理なわけで、この曲をステージで披露する時は、このオペラパートの部分になると、バンドメンバーは演奏を止めて、録音を流して、メンバーは舞台から引っ込んでしまうのだそうです。引っ込む理由は「この部分は僕らの生演奏じゃないよ」というメンバーの主張なんだそうです。クチパクすらしないのですから、なんとも正直ですね。

 それにしても、フレディが亡くなって、もう25年も経つんだね。つい先日亡くなったばかりだと思ってましたが…時間が経つのは、ほんと、早いね。

P.S. ちなみに現在のクイーンは、三代目のヴォーカリストであるアダム・ランバートがフロントマンです。彼はアメリカの有名な素人オーディション番組である『アメリカン・アイドル』のシーズン8の優勝者であります。で、番組を優勝をして、クイーンにスカウトされた…ってことらしいです。すでに新メンバーでの来日公演も終えたそうですが、私はコンサートには行きませんでしたが…今の時代は便利ですね。YouTubeを漁ると、公式チャンネルを始め、色々な方がアップした“Queen + Adam Lambert”があります。ああ、三代目はこんな声でこんな歌い方をするのね…と分かります。

 三代目は…かなりいいですね。声そのもののキラキラ度は初代にかないませんが、それは比較するのが野暮というものです。

 三代目と初代が共演している「Bohemian Rhapsody/ボヘミアン・ラプソディ」を見つけました。二人のヴォーカリストの共演も面白いのですが、この曲をライブでやる時はこんなカタチでやるというのもよく分かります。

 しかし、ロジャーとブライアンがすっかりジジイですね。アダムとは…爺さんと孫ぐらいの年齢差がありそうです。

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2016年11月21日 (月)

男の楽器、女の楽器

 今回は、完全100%、私の“私感”に基づいた記事です。

 楽器のイメージ。男性のイメージの強い楽器と女性のイメージの強い楽器というのが、あるじゃないですか? それをドンドンあげていこうという企画です。

 まずはオーケストラの楽器から。

 私も嗜んでいるフルートは…やっぱり女性が演奏する楽器というイメージです。もちろん、男性奏者もいるのですが、私の中では女性が演奏する楽器です。ではなぜ女性の楽器を男性である私が演奏するのかと言われれば…単純に私自身が“笛吹小僧”だからです(理由になってないかも:笑)。

 ピッコロは…男女どちらでもないって感じです。私の中では、奏者のイメージは男性なのですが、楽器のイメージが女性なんですよ。

 サックスは、どれも女性のイメージです。たぶん、私の中ではサックスは吹奏楽のイメージなのかもしれません。でも、クラリネットは男性の楽器です。これはジャズのイメージかな? オーボエとファゴットのダブルリードは男性のイメージです…と言うか、頬を膨らませて演奏する姿は男性ならではって思っているフシが私にあったりします。

 金管楽器は、トランペットにせよ、トロンボーンにせよ、ホルンにせよ、チューバにせよ、男性のイメージです。現実には女性奏者もたくさんいるし、活躍もしているのは知ってますが、やっぱり私のイメージは“金管楽器=男性”なんですよ。

 弦楽器は…ヴァイオリンは、なぜか女性のイメージです。日本のオーケストラのヴァイオリンって、女性の進出が激しいと思うし、女性奏者は色とりどりのドレスを着ているので目立つわけで、そんなこともあって、私の中ではヴァイオリンは女性のイメージです。
 ヴィオラは、男性でも女性でもどっちでもアリって感じです。でも、チェロとコントラバスは男性のイメージです。実際にコントラバスにも女性奏者がいらっしゃいますが、実際のオーケストラなどで女性がコントラバスを弾いているのをみると、もうそれだけでハラハラドキドキしちゃうほどに、コントラバスは男性の楽器というイメージです。

 打楽器はどれもこれも男性のイメージです。

 鍵盤楽器について言うと、ピアノはやはり女性のイメージです。(鍵盤楽器じゃないけれど)ハープも女性のイメージです。でも、チェンバロは男性のイメージです。それもカツラをかぶった男性のイメージ(笑)。パイプオルガンも男性の楽器って感じがするなあ…。

 邦楽方面の話をすると、笙・篳篥・龍笛などの笛は男性のイメージです…って、雅楽一般、全部男性のイメージです。
雅楽一般 男

 篠笛・神楽笛などの笛も男性のイメージで、下座音楽は男性のイメージです。

 でも、お琴と三味線は女性のイメージです。しかし、同じ三味線でも太棹と言われる津軽三味線は男性のイメージです。それと琵琶も男性のイメージだなあ。

 西洋楽器に話を戻すと、クラシックギター・バンジョー・ウッドベースも男性のイメージです。ヴァイオリンと言えば女性のイメージなのですが、フィドルと呼び方を変えると、途端に男性のイメージになります。

 エレキギター・エレキベース・ドラムスは、男性のイメージです。それも汗臭い男性のイメージね。ピアノは女性のイメージですが、ジャズピアノとかロックピアノとなると、男性のイメージになります。シンセサイザーも男性のイメージです。どうやら私の中では、ポピュラー音楽は男性の音楽であるという認識になっているようです。

 歌手のイメージは…いわゆるポピュラー歌手は男女どちらもアリってイメージです。それは演歌歌手も同じです。でもフォークシンガーという括りになると…途端に男性のイメージになります。ロック歌手も男性だあ。でもアイドル歌手というと、もうこれは女性のイメージです。ジャズシンガーも女性…かな? ちなみに、民謡歌手は男性です。

 クラシック声楽と言うと女性、それもソプラノ歌手というイメージになりますが、オペラ歌手と言うとテノール歌手(当然男性)しか思い浮かばないのは、私がテノールだからかもしれません(笑)。

 好き勝手なことを書き散らしましたが、皆さんはどうでしょうか? 異論反論大歓迎です。

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2016年11月20日 (日)

おちおち道も歩けやしない

 最近は、おちおちと道も歩けないなあ…とブツブツつぶやく事が多いです。

 路上を走っている車が危険じゃないですか? いわゆる車道と歩道が分離されているような道は問題を感じませんが、いわゆる路地道のように、同じ道を車と歩行者が通るような道…残念な事に、ウチの近所には、そういう道がたくさんあります。

 昔々は、そういう路地道に車が入ってくる事は、まずありませんでした。入ってきても、その路地周辺に住んでいる人だったりするわけですから、そんなに数は多くなく、路地では、道で子どもが遊んでいたり、母親たちが談笑していたり、紙芝居のオッチャンがやってきたり(笑:いつの時代だってえの)、歩く人だって、結構気を抜いてフラフラと歩けたわけです。

 酔っぱらいが千鳥足歩いていても事故に合うことなどなかったのです(その代わり、スリなどは暗躍してましたが…)。

 でも今は、たかが細い路地道だって、道幅いっぱいの大きな車が堂々と入ってきます。抜け道として使うんでしょうね。昔じゃあ考えられないほどの交通量になってしまった細道もたくさんあります。

 別に細い路地道を車が走っちゃいけない…なんて事は言いません。道は万人に等しく平等に道なのです。ただ、思いやりだとか棲み分けだとかは必要だろうと思います。

 そういう意味では、車が細い裏道を我が物顔に走り過ぎるのは、ちょっと違うんじゃないの?って思うわけです。路地道ってのは、まずは生活道路であって、その地を通過するだけの人々が抜け道として使うのは、ちょっと違うんじゃないのか…という言い分はありますが…それはまた、いずれ書きます。

 今回の話は、それとはちょっと違う話です。

 以前は感じなかったのだけれど、最近とみに感じるようになった事は、路地道を走っている車の危険性です。

 以前ならば、路地道に入ってきた車は、遠慮がちに走っていたものです。道に人が歩いていれば、それなりの距離を取って、スピードを落として、走ってくれる車がほとんどだったのです。

 でも最近の車は、ほんと、人とギリギリのところをかすって走っていく車が増えました。それもスピードを落とさずに…。そんなふうに人の近くを車がビュンと走り去ると、風通過する時の風に巻き込まれて、カラダが車の方に持っていかれる事もあります。で、たまに接触します。まあ、私はガタイが頑丈なので、ちょっと接触した程度では無傷ですが…たぶんこれって人身事故なんじゃないのかな?と思いますが、肝心の車は疾風のごとく走り去ってしまいますので、何もできません。

 最近、路地道の電柱に、人身事故の目撃者を求める警察の掲示が目立つように感じてますが、そういう人通りの少ないところで、小さな事故が頻発しているのではないかと心配になります。

 そしてテレビを見ると、目立つのが高齢者の交通事故です。かつては、高齢者の交通事故と言えば、高齢者が被害者になるケースがほとんどだったのだけれど、最近は高齢者が車を運転していて加害者になるケースが増えてきました。アクセルとブレーキを踏み間違えてしまったとか、歩行者をうっかり見落としてしまったとか、走っていて自分がどこにいるのか分からなくなってしまったとか…ああ、老化現象に伴う認知能力判断能力の低下による事故なんだなあ…って思うわけです。

 車の運転って、瞬時の判断が常に必要とされるわけですが、老人になって判断力が鈍り、俊敏な判断と動きでできなくなり、体力も衰えてくると、やがて車の運転もままならぬ状態になるわけです。

 それは自然な事なのかもしれません。

 車の運転がままならぬ状態になった老人たちに対しては、免許の自主返納が推進されていますが、あくまでも“自主”返納であって、免許を取り上げるわけではありませんし、いくら返納を推進しても、全部の老人が免許を返納してくれるわけじゃないです。

 都会に住んでいれば、車の無い生活も可能でしょう。でも、そうでない地域に住んでいる方も大勢いらっしゃいます。

 例えば、ウチの近所ならば、たとえ老人であっても、足腰が丈夫なら、車の無い生活も可能です。生活に必要な施設はたいてい徒歩圏内にあるし、大きな病院に行くためバス路線を充実しています。

 でも、年をとって足腰が弱ってくると…どうでしょうね。バス路線が充実していても、バスに乗るためにはバス停に行かないといけません。バス停の近所に住んでいる人は、まだなんとかなりますが、足腰が弱くなってくると、近くのバス停留所まで行くのだってさえ一仕事になってくるわけです。そうなると、バスに乗るのも大変だし、バスに乗らなきゃ、病院にもスーパーにも行けなかったりする地域もあるわけで、たかが足腰ですが、これらが弱ってくると、日々の生活にも支障が生じるわけです。

 ウチの近所ですら、こんな感じです。もっと地方に行くと、足腰の強い弱いなど関係なく、そもそも徒歩圏内に生活に必要な施設が揃っているとは限らない地域だってある程で、そうなってくると、だいぶ話が変わってきます。

 徒歩圏内に生活に必要な施設が揃っていない地域では、地域社会全体が車での移動を基本として、老若男女問わず誰もが車で移動するような車社会の地域となります。そういう地域では、たとえ老人だからと言って、免許を取り上げて、車の運転を不可にしてしまうと、たちまち暮らしていくことができてくなってしまうわけです。

 そうであれば、多少ボケていようが、多少カラダに不自由があろうが、毎日毎日車に乗り続けるわけで、そんな老人たちが町中を走っていれば、そりゃあ事故の1つや2つぐらい起こすでしょう。他人を巻き込んだり、人身事故だって起こすでしょう。

 そういう地域では、車は生活必需品なのです。

 そして同時に車は“走る凶器”でもあります。

 歩行者が運転者を信頼できなければ、車と歩行者が一緒になって通るような路地道は、を安心して歩けない道となります。いやいや、車道と歩道が分離しているような幹線道路だって、いつガードレールを破って、車が歩道に突っ込んでくるかもと思うと、やっぱりヒヤヒヤだし,コンビニで買い物してても、店内に車が突っ込んでくることだってあるわけだから、やっぱりヒヤヒヤものです。

 車社会の大前提として、人々が運転者がきちんと車を運転する…事があります。そこが崩れてしまったら、車社会は成り立ちません。

 老人たちから安易に運転免許を取り上げる事はできませんが、いつまでも老人たちが車を運転していて良いわけでもありません。例えば、18歳にならなければ免許取得可能にならないのと同様に、65歳になったら免許返納を義務付ける法律を作れるならば良いのでしょうが、現実を踏まえると、とてもそんなわけにはいかないわけで、今日も歩行者たちは身を危険にさらしながら、道を歩かなければいけないのです。

 ほんと、おちおち道も歩けやしない世の中になったものです。

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2016年11月19日 (土)

金魚の睡眠について

 金魚は…寝ます。生き物ですから当然です。ただ、彼らは床にカラダを横たえて寝ることはありませんし、まぶたも無いので目もつぶらないし、我々には彼らがいつ寝ているかが分かりづらいのです。

 魚類である金魚は、哺乳類である我々とは、色々と睡眠そのものが違ったり同じだったりするようです。

 まず、我々だとて、寝ているからと言って、全く休止しているわけではなく、呼吸は継続しているし、脳も働いています。我々の場合は、記憶の整理のために睡眠中も脳は大活躍しているとかしていないとか…。

 金魚も寝ているからと言って、全く休止しているわけではなく、当然、呼吸を継続しています。金魚はクチをパクパクさせる事で水を飲み込んで呼吸をしています。ですから、寝ていても、結構忙しげにクチをパクパクさせていますので、我々的には寝ているのだか起きているのだか分かりづらいわけです。

 おまけに金魚は寝ながら泳ぎます。泳ぐと言っても、意思を持って力強く前進するような行動ではなく、水の流れの中で漂いながら、姿勢を保っているようです。それと外界に対する反応もします。何かが近づけばヨロヨロと避けますし、音や光にも反応します。もちろん、人間だって寝てても音や光に反応しますが、人間よりも外界の刺激に関しては鋭敏のようですし、行動的です。でもだからと言って、目覚めているのとは…ちょっと違うようです。

 睡眠時間は短いです。いや、トータルすると、それなりに寝ているようですが、短い時間の睡眠を一日に何度も何度も取っているようです。人間的に言えば、ベッドで熟睡せずに、常に机でうたたねを繰り返しているような感じなのかもしれません。

 一応、金魚は昼行性の生き物で、昼間に主な活動をしますが、だからと言って、昼間寝ないわけではなく、お昼寝は大好きなようです。夜も更けてくると、さっさと寝てしまいますが、真夜中は案外起きていて、活発な活動をしているような気配もあります。

 ちなみに寝る時は、だいたいみんな一緒に寝ています…ってか、おそらく誰かが起きていると、他の子たちは安心して寝ていられないだけなのかもしれません。特に、ヤヨイが起きていると、他の子たちは寝られないようです。

 寝ている時の姿勢は、元気な子は水中に堂々と漂っています。やや元気のない子は水底に沈んで、ベチャッとした格好で寝るようです。具合の悪い子は、水面近くでカラダを斜めにして寝る傾向があります。

 可能であれば、物陰に隠れて眠りたいようですが、水槽ですと、物陰があまりないので、そこで苦労しているようです。そこで水草の陰とかに入り込むことが多いです。金魚的には、最低限、目玉が隠れれば、安心するようです。

 物陰に隠れて眠りたい理由としては、もちろん精神的に安心するから…というのもあるでしょうが、金魚にはまぶたがないため、実は少しでも暗い所で眠りたい…という心情もあるかもしれません。と言うのも、昼寝の時なんかは、ほんと、あらゆるところにアタマを突っ込んで、電灯の直射を避けるようにして寝てますからね。

 夜は水槽の電灯を暗くする(真っ暗にはせず、赤色あるいは青色のライトだけつけてます)と、あまり物陰に隠れずに(全く隠れないわけではない)寝ることもありますので、まぶしさ対策というのは、絶対にありそうです。

 とにかく寝ている金魚と言うのは、全体的な動きが緩慢です。呼吸のためにクチはパクパクするし、姿勢保持のために各種ヒレは常にヒラヒラと動いていますが、一箇所でユラユラと漂いながら目玉が動いていない時は、たいてい寝ています。

 寝ている金魚は…案外、かわいいものですよ。また、起きて活動している時は、何かと活発ですから、写真なんて簡単に取らせてくれませんが、寝ている時はスキができているので、割と簡単に写真を取らせてくれます。もっとも、ちょっとの物音や光の変化で、すぐに目覚めて騒ぎ出すので、そのあたりは要注意なんですが…ね。

 ちなみに、寝ている時であっても、光とか音とか振動といった刺激には敏感な金魚ですが、案外、匂いには鈍感のようです。彼らは常に欠食児童ですから、エサを入れると、水槽のどこにいても何をしていても、まっしぐらにエサにやってきますが、彼らが寝ている時に、エサを入れると、寝ている子はエサが入った事に気づかずに、たいてい食べ損ないます。あれだけエサ大好きなのに、寝ている時はエサセンサーがオフになっているというのも、なんか愉快な話です。

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2016年11月18日 (金)

うっかり調整をパスしてしまった(反省)

 実はうっかりしていたのですが、楽器店主催のフルート無料調整会の予約を忘れてしまいました。いや、予約を忘れたどころか、日時も忘れ、今年の秋の調整会は、すでに終了してしまったのです。

 いやあ、うっかり忘れてパスしてしまいました。てへへ。

 なんで忘れちゃったのか…一番大きな理由は、仕事が忙しくて、心がそちらでいっぱいで、フルート調整の予約電話をかける事すら失念していたというのが、表向きの理由。実のところは…最近の私の心の中でのフルートの優先度というか、心の中で占めている割合が、少しずつ減ってきていて、それでうっかり忘れてしまったという事。

 なにしろ、今年の夏から、余暇の時間の私の頭の中の大半は…ボケモンGOだからなあ(笑)。スマホゲーム、恐るべし…です。

 まあ、ボケモンGOは横に置いたとしても、年齢的な事もあって、年々仕事が忙しさを増してきています。音楽を習い始め、ブログを立ち上げた時は、一人仕事が多い部署にいたし、自分の仕事を自分で管理して、きちんと成果を出して上司に報告していればOKで、比較的時間も自由にだったし…。でも今は、部下がたくさんいて、彼らの仕事の管理もしつつ、上司とのパイプ役を果たさないといけないし、何より仕事のペースを自分のペースで進めるわけにもいかず、若い連中に合わせて、気を長くして、アレコレ教えながら仕事をしないといけないわけで…そんなわけで、余暇の時間がだいぶ減ってしまいました。おまけに、休日出勤上等な日々が続いているしねえ…。

 よくぞ、過労死しないものだ(笑)。ちなみに、昨今流行りのストレスチェックをしてもらったら、全然問題無しだそうです。まあ、毎日音楽に親しみ、いっぱい歩いて、大声出して歌っているような生活をしていたら、さすがにストレスは溜まらないわな(納得)。

 それはともかく、ここ数年、歌もフルートも、自宅練習時間がめっきり減ってしまいました。ある意味、普通のおっさんサラリーマン並になっちゃいました。下手すると、一週間の総練習時間が、かつての一日分の練習時間よりも短かったりします。

 ある意味、やばいね。でも、趣味生活なんだから、優先順位を低くて当然だから、これも仕方ない…ってわけだ。

 フルートに触れる時間が劇的に減少し、フルートの調整の狂いも、以前ほど進行していません。まあ、人が触らなければ、フルートも狂わないわな。

 それに私のフルートは、すでに新品ではなく、あっちこっち私の吹きグセが染み込んでいるわけで、そういう意味では、私仕様になっている楽器だから、私が吹いている以上は、メカ狂いもそんなに生じなくなりつつあるわけです。

 そんな事もあって、たまにフルートを吹いても(笑)、楽器の不調など感じることはないし、毎日忙しいし…なんて事が重なって、フルート調整をうっかり忘れちゃったわけです。

 まあ、次の調整会(たぶんGWあたり)まで待ちますか! それ以前に、もしメカの狂いを感じるような事があったら、職場に出入りしている業者さん(最近、ちょっと親しくなった)にでも、フルートの調整を頼めばいいわけだしね。有償になるだろうけれど、大した金額にはならないはずだよね。

 まあ、無料調整会の予約を忘れてしまったのは残念だけれど、それほど深刻には考えていない私でした。

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2016年11月17日 (木)

破裂音は難しい

 さて、声楽のレッスンの続きです。歌のレッスンに入りました。まずは、トスティ作曲の「Malia/魅惑」からです。

 この歌は、取り立てて、高い音も低い音もなく、歌いやすい歌なのですが、それゆえに、のんべんだらりと歌っているのか、テクニカルに歌っているのかが、丸見えになってしまう歌なのです。

 さっそくに注意されたのが、音程の取り方。この曲はフレーズ全体が、1音ずつ高くなりながら繰り返されていく構造になっています。つまり、大切なのはフレーズの入り口の音。この部分がしっかりと歌われなければいけないのです。

 で、音程の取り方なのですが、私の場合、キング先生時代から言われていますが、音程を“下から取る”癖があるようです。Y先生に言わせると「アンダスローで放り投げる感じ」なんだそうです。そうではなく、音程は“上から取らないといけない”ようで「オーバースローでバシッと決める」のだそうです。これが簡単じゃないんだよね…ってか、感覚的によく分からないのだよね。

 上行フレーズならば、音程が低い方から高い方へ移行するのは当然の話で、おそらくそこが問題ではないのだと思ってます。問題はフレーズ全体の発声ではなく、フレーズ冒頭の任意の音の音程の取り方ではないかと思われます。

 下から音程を取る…極端に言えば“音をズリ上げる”とか“しゃくり上げる”という事かもしれない。まあ、そんな事をしていないとは断言できないし、おそらくやっているんじゃないかと思う。これを意図的に行えば、立派な声楽テクニックだけれど、無意識に行っているなら、単なる“悪癖”だね。だからと言って、上ずった音程から正しい音程にズラしていく…つまり“音をズリ下げる”のも、なんか違う気がします。

 よく分からないながらも思うに、音を上から取るとか、下からズリ上げるとか言うと、音程の問題のように錯覚するのだけれど、実は言っている事は音程の問題ではないのかもしれないなあ。表現として音程が出てくるだけで、要因としては音程以外のモノが強く関与しているのではないか…と。

 となると、問題は息だね。息の通り道とか、回し方とかかな。息をノドからアゴを経由してクチへ出すのではなく、しっかり後頭部で回して上アゴ経由で鼻から出すと、音を上から取れるのではないかしら…なんて考えてみました。あと、息の勢いって奴も関係するかも…。ほら、息がヘロヘロだと音程って下がるし、元気に歌えば音程上がるし…、そういう事も関係するかもしれない…なんてね。いやあ、書いている事がオカルトじみてきましたなあ(笑)。

 問題は、そんなふうに推理しても、その実行がなかなか難しい事です。その難しい事が難なく出来るのがテクニックって奴なんだろうけれど…ね。テクニックも、要は“良い癖”のようなものだから、そこは訓練と修行で身に付けていくしかないわけです。

 お次は、ジョルダーノ作曲の歌劇「フェドーラ」のテノールアリアの「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」です。

 とにかく、このアリアは高音安定の曲なので、終始気を抜くことが許されません。例えば、高いGが出た後、気を抜いてしまうと、高いFがぶら下がってしまうので、高いGをうまく歌えたからと言って、気を抜いたり、休憩を入れたりは厳禁なわけです。

 そして、問題は高いAです。この部分がどうにも上手く歌えません。高いAに付いている歌詞は“ta”で、つまり子音が破裂音の“t”なのです。一般的に、破裂音の発声は難しいのです。これが“n”“m”“v”“th”などのように、単独での発音が可能な子音であるならば、子音を発声している間に高音への準備が出来るわけだけれど“t”のような破裂音の場合は、子音を発声している時間はごく瞬間であって、そこで高音への準備をするのは難しいのです。

 ですから、練習では、この“ta”の歌詞を“na”に置き換えて練習をし“na”で歌えるようになったら“ta”に戻して、破裂音でも歌えるように練習する…というやり方を取ることにしました。もちろん“na”で歌っている時は“n”の部分でグリッサンドをかけて“a”に行く前に、目標音程である高音Aに届いているようにするわけです。

 私の場合、落ち着いてしっかりと時間をかけて準備をすれば、高いAは難しいながらも、なんとか発声できます。ただ、歌の場合は、落ち着いていなかったり、しっかり時間をかけられなかったり、精神的に余裕がなかったり、プチパニックを起こしていたりして、勢い任せになり、結果として、高いAの発声に失敗してしまうのです。そういう点では、高いAは発声はできないわけじゃないけれど、常用音域になったと言うには、まだまだ厳しいのが現実のようですが…それをこの曲を学ぶ事で克服するぞー!

 と、まあこんな感じです。今回は妻のレッスンが長めだったので、私のレッスンは、こんな感じで終了しました。まあ、たまにはそれもアリですね。

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2016年11月16日 (水)

高音を発声できるカラダを作りましょう

 声楽のレッスンに行ってきました…が、見事に遅刻しました。だって、仕事が忙しくて、あれこれ飛び込みの仕事が入ってきたんですもの。いつもは、予定を確認して、時間に余裕を持ってレッスンに向かっている私ですが、今回はそうも言ってられない状況となりました。

 まあ、これがフルートのレッスンだったら、お休みをしてしまうところですが、声楽のレッスンの場合は、レッスン時間が長い上に、いつもは私が先にレッスンしていただいているわけですが、それを妻を先にしてもらうと、だいぶ時間的な余裕が生まれるので、遅刻しても大丈夫(?)って事になります。

 と言うわけで、タクシーをぶっ飛ばして、声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミング練習からです。ハミング…と言っても、通常のハミングではなく、クチを大きく開いてのハミングです。この練習の効用は…何でしょうね? 今度先生にたずねてみようかしら? とにかく、クチを開いたままのハミング練習をしました。

 そこから発声練習に切り替わるわけですが、発声練習では、ノドにフタをしないように注意しながら声を出す…という練習をしました。とにかく、ノドにフタをしない事。フタが被さってきたら、力づくでフタをこじ開けること(笑)。

 フタをこじ開けるには、…

 1)クチの奥を開くこと
 2)息の圧力を高めること(しっかり息を支える事)

 の二点が必要となってきます。

 次に、息のスピードを上げて発声する練習をしました。

 息のスピードを上げるためには、やり方が2つあって、一つは息の支えをさらに強固にして、支えている息のスピードそのものを高めるやり方と、もう一つは息を通す場所に注意をして、息のスピードを高めるやり方です。私は、息の支えが弱い人なので、将来的にはともかく、現時点では最初のやり方は無理なので、後者の方法でスピードを上げる練習をやりました。

 発声する際、ノドもクチも大きく開くのが基本ですが、全部を全部大きく開きっぱなしでは…人語になりません(笑)。基本は“大きく開く”なのですが、部分的には適度に狭くしなければ、母音の違いも表現できないわけです。で、部分的に狭くなったノドに対して、息をどうやって通すか…で、高音の発声が変わってくるわけです。

 基本的に、高音の発声というのは、かなりシンドイ作業になります。シンドイが故に、その基本となる発声方法は、楽な発声でなければいけません。つまり、楽に歌う事の先に高音発声があるのです。

 よく「響きで歌いなさい」と言われているのですが、これはノドの上辺部分に息を通して、軽く楽に歌うことを指しています。決して、ノドをフルに鳴らすわけでは無いのです。そういう意味では、ノド声で歌っている限り、永遠に高音発声は無理なのです。

 息を上の方に通すことに意識を向けて発声できれば…高音も出るわけですが、それはかなりシンドイ事なので、ついつい息が下がってしまうわけです。

 例えばの話をしますと…腕を水平に伸ばす事は、最初のうちは難なくできる事ですが、時間が経つにつれ、腕の重さを感じるようになり、次第にシンドクなってしまうわけですが、息を上に通し続ける事も、これに通じる作業のような気がします。息を上に通し続けるのは、ほんと、シンドイのです。

 だから発声練習等で出せた高音が、歌の中では使えないのは、歌では腕をずっと水平に伸ばし続けているような感じで息を支えつづけているからです。

 故に、高音発声は一朝一夕にできるようになるわけでもなく、正しいやりかたと、適切な筋トレが必要になってくるわけです。

 つまり、高音を発声したければ、高音を発声できるカラダを作りなさいって事になるわけです。

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2016年11月15日 (火)

劇団四季の「アラジン」を見てきました

 「アラジン」…すごい人気ですよね。新作ミュージカルという事もあって、物珍しさも手伝いますが、それでも人気が高いミュージカルだそうで、チケットはなかなか入手できないんだそうです。まあ本国アメリカでも「ライオンキング」と人気を二分するほどの人気ミュージカルだそうですから、さもありなんです。

 で、そんな話題のミュージカルを、海劇場の一階センターブロック、前から10列目なんいう、驚くほど良い席で見てきた私でございます(はっきり書きますが、自慢してます:笑)。

 さて感想ですが…劇団四季は、ほんとレベルが高いね。役者さんたちは、主役はもちろん、脇役やモブの方々に至るまで、歌も演技もダンスもピカイチですよ。ほんと、プロの集団です。舞台装置も派手派手のゴージャスで作品世界とマッチしているし、今回は煙や火花などもたくさん使っているし、魔法のじゅうたんに載って、宙乗りしちゃうし…そりゃあもう、派手派手のド派手な舞台でした。

 また作品そのものも、いかにも「アメリカのエンタメ」って感じでした。物語の舞台が中世のアラビアって設定のはずなのに、現代のニューヨークが舞台でも、全く違和感がないようなストーリー展開で“昔話の皮をかぶったファンタジー”であって、終始、ダンスダンスダンスとまくし立ててくるなんて、ほんと、アメリカの典型的なショービズ作品って感じです。とにかく、最初っから最後まで、歌い踊りまくってます。

 アメリカ人って、こういうショーっぽいのを、好むんだよね。実に夢々しいステージでした。

 ストーリーとか、主なミュージックナンバーは、おそらく映画と同じだと思います(私は映画を見ていないので断言できないのですが…)。まあ、ミュージカルでは、さらに新曲を何曲か追加してあるそうです。そういう意味では、映画版よりもさらにパワフルになっている…って事でしょうね。

 つまり、この「アラジン」というミュージカルは、誉め始めだすとキリがないほどの作品です。そういう事なのです。

 でも、あまり誉めると誉め殺しになるので、この辺で誉めるのを止めておきます。

 個人的に残念だなと思った事が二点あります。

 一つは、おもちゃ箱をひっくり返したようなミュージカルなので、すべてがドンドン流れていってしまう事です。せっかく「ホール・ニュー・ワールド」という、ビルボード1位になり、グラミー賞やアカデミー賞の歌曲部門の賞を授賞しているほどの名曲が歌われるのですが、じっくり聞かせるという雰囲気ではなく、劇の流れの中で流されるように歌われてしまった事が残念でした。特にこの歌は、魔法のじゅうたんでの宙乗りのシーンで歌われるので、私なんかは宙乗りそのものをハラハラドキドキしながら見ていましたので、歌なんてロクに聞けてません。だいたいミュージカル全体が、歌を聞かせると言うよりも、ショーを楽しませるという構成になっていて、歌が聞きたい私には残念だったです。

 もう一つは、作品の根幹に関わるのですが、主人公のアラジンの職業が泥棒だった事です。それもチンピラ程度の泥棒。つまり、コソ泥の小悪人なんですよ。これが私には受け入れられませんでした。

 主人公は常に正義の味方の善人でなければならない…なんて事は言いませんが、悪人の主人公ならば、ダークヒーローになれるほどに、ヒールとして吹っ切れていないとダメです。なのに、アラジンときたら、ただのチンピラの兄さんなんですよ。こんな人物にシンパシーを感じられるか…ときたら、そりゃあ無理ですって。でもそれを言い出したら「アラジン」というミュージカルを根本から否定する事になりかねないのですが…私個人的には、主人公の人物設定が本当に納得できません。こんな兄ちゃんが主役なんて…ああ、嫌だ嫌だ。

 なので、良い出来のミュージカルだとは思うものの、私的には「一度見れば十分(でも、一回は見た方が良いかな)」って感じました。

 それにしても「美女と野獣」「ライオンキング」「アイーダ」「リトルマーメイド」と来て「アラジン」ですね。近年の劇団四季は、本当にディズニーづいてますね。ファミリー向けのミュージカルとしては、ディズニーは間違いないですから、分からないでもないのですが、ディズニーミュージカルは、所詮ファミリー向けかな…なんて毒づいている私がいます。

 素晴らしいミュージカルなんだけれど、ディズニー臭さが私の趣味とは合わないかも…って思いました。

PS でも「ライオンキング」は、ディズニーミュージカルだけれど、普通に面白いミュージカルだと思ってます。さすがは手塚治虫の原作だよね(笑)。

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2016年11月14日 (月)

音楽会の雑感

 先日、同門のテノールの方とそのご友人たちで行った音楽会を見てきたので、それに関する、とりとめもない感想を書いてみたいと思います。ほんと、今回はとりとめの無い記事ですよ。

 まず、津軽三味線は生で聞くと、すごい迫力です。それにしても、テノールの音楽会に行って、特別出演の津軽三味線を聞くというのも、すごい経験ですが、それよりも何よりも、津軽三味線は本当に迫力満点の楽器です。生楽器で、これよりも迫力のある楽器なんて、ありゃしないんじゃないかしら…って思ってしまうほどです。いやあ、良いモノを聞きました。

 リコーダーとフルートでは、縦笛と横笛の違いしかないだろう…なんてザックリ考えていた私ですし、実際、バロック曲はそのレパートリーが、リコーダーとフルートとでは共通なわけですが、やはり聴き比べてみると、リコーダーとフルートでは、音色とか音量コントロールとか、あれこれ違います。種類が近い楽器なのかもしれないけれど、やはり別の楽器ですね。それと意外だったのは、リコーダーって、ちゃんと演奏すると、案外大きな音が出るのです。音色が硬い事もあって、フルートよりも耳につく感じがします。

 リコーダーは小学生が授業で吹くことが多いため、どうしても「子どもの楽器」とか「教育用の半端な楽器」というイメージがありますが、決してそんな事はなく、バロック系のきちんとした楽器なんだなって思いました。そして、古楽系のフルート曲も、実際はフルートではなくリコーダー用に作曲されているという事実を踏まえれば、我々はリコーダーという楽器に対して、もう少し謙虚な気持ちを持った方が良いかもしれない…なんて考えちゃいました。

 それにしても、他人がフルートを演奏しているのを見ると、ちょっとココロがワサワサします。ああ、私もフルートの練習をしないといけないなあ…。演奏者レベルで考えると、私もこの人くらいの演奏ができるはずだけれど、実際は練習不足でとてもとても無理なんだよなあ…ダメだなあ…とか。プラチナフルートって、案外、鳴らないモノだな(ってか、鳴らすのが難しい楽器なんだな)…とかね。

 なんと言っても、プロのオペラ歌手は(当然だけれど)すごいです。ピアノとの音量バランスが抜群です。声が出ているから、ピアノも弾きやすそうです。

 さて、最後は我が同門のテノール氏の歌唱ですが…ミスなく歌えるって素晴らしいです。そりゃあアマチュア歌手ですから、プロと比べると、あれこれ物足りない部分はあるのは当たり前として、ミスなく歌えるって、ほんと、素晴らしいです。

 ってか、私の歌唱って、常にミスがつきまとっているからね。なにしろ、なかなか楽譜通りに歌えない人なので、楽譜通りに歌えちゃう人には、あこがれを感じますよ。まあ、これには私の性格に起因する問題(常にチャレンジャーでありたいという性格)とか、なまじの声を持っている事(正直、自分の声を扱いきれてません)などが原因なわけですが、ほんとダメなんですよ。

 という訳で、他人の音楽会に行って、あれこれ反省ばかりをしてしまった私なのでした。

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2016年11月13日 (日)

人間は急には変われない!?

 「アタマがかたい」とか「頑固」と言うべきか、あるいは「ルールの変更についていけない」と言うべきか、とにかく“老害、なめんなよ”って事です。

 で、話的には、またまたボケモンGOの話です…と言うか、最近の私は、ボケモンGOを通じて人生を学んでいるわけです。ゲームから人生を学ぶなんて…21世紀だねえ。

 よく「年を取ると世の中の変化に追いついていけない」と言いますが、今回の件は「やっぱり、そういう事なのかな」って思ったのです。

 ボケモンGOに限らず、スマホゲームと言うのは、定期的にバージョンアップがあって、ゲームの仕様が変わります。まあ、一般的には「ルール変更」という風に解釈してもいいかもしれません。とにかく、今まで通用していた事が通じなくなり、仕様変更により、ストラテジーの変更を余儀なくされるって話です。

 ルールが変更になったのだから、すぐにそれに対応しないといけないのですが、ウチの近所のポケモンGOユーザーさんたちの中に、一度覚えた古いやり方に、いつまでも固執し、それで他のゲーマーさんに迷惑をかける人を、たくさん見かけるのですよ。困ったものです。

 ルールを変更しても若い人たちは、すぐにその変更に対応しますので、問題ないのですが、なにしろボケモンGOは中高年(ってか老人たち)も多く参加しているゲームで、実際、私の親世代の方々も大勢参加していて、そういう人が(私の目の前で:笑)迷惑行為ってか、いつまでも古いやり方をしていて、ほんと困ったのです。

 ゲームに関心の無い方には関係の話ですが、説明しますと“ジムに置くポケモンに関する話”です。

 ボケモンGOでは、自分のチームのジムはみんなで育て、敵チームのジムはみんなで潰すのが、このゲームの基本行動なのですが、その行動が取れない人(味方に仇をなし敵を利する人)がいるんです。ほんと、困ります。

 敵ジムをやっつけたり、味方ジムでトレーニングしたりして、ジムに自分のポケモンを一体ずつ置けるのですが、その際に、どんなポケモンを置くかは、ジムを育てていく上での大事な戦略です。

 以前のルールでは、敵ジムでバトルする時は、自分のポケモンは6体のチームを組んで乗り込んでいましたが、味方ジムでトレーニングする時は、ポケモン単騎で乗り込み、ジムにいるポケモンたちをなるべく多くやっつけるのが良しとされていました(とは言え、こちらは単騎ですから、実際は最初の1匹を倒すのがやっとでした)。

 つまりジム戦では、敵ジムでのバトルは“チーム対チーム”でしたが、味方ジムでのトレーニングは“個対チーム”なのでした。ですから、バトルとトレーニングでは、その戦略が異なっていたのです。

 以前の“個対チーム”のトレーニングの時には、ジムにいる一番弱いポケモンをやっつけるのがやっとだった事もあり、ジムの一番下にわざと弱いポケモンを置くという戦略がありました。通称“サンドバッグ”と呼ばれていました。一番下に弱いポケモンを置くことで、トレーニングをしに来た仲間たちが、確実に1匹はやっつけられるようにしたのです。なにしろチャレンジャー側はポケモン1匹しか使えないのですからね。最初のジム戦で負けてしまっては元も子もありません。

 だから、その最初の1匹を確実に倒すために、弱いポケモンを置き、そのポケモンを倒したら潔く降参をして、2番目以降にいる強いポケモンとの戦いを避けて、一旦トレーニングを終了します。それで再びトレーニングを始めると、また最初の1匹が現れるので、このポケモンをやっつける。このように、その最初の1匹だけを何度も何度も繰り返して倒して、ジムを育てていく。これは以前のルールでは、ジムを育てる戦略として、実に有効でした。

 でも現在のゲーム仕様では、トレーニングもバトル同様に、6対6のチーム戦になりました。こちらが6匹使う以上、ジムのポケモンも1匹だけやっつければ良し…ではないのです。一回のトレーニングで何匹かやっつけないといけないのです。そうしないと、味方チームの名声が上がらないシステムに変更になっています。それに以前は、最初の1匹を倒すと、それなりに名声が上がりましたが、現在ではトレーニングで1匹2匹を倒した程度では、さほど名声が上がらなくなっています。だから、トレーニングでもそれなりの数のポケモンを倒さないといけなくなったのです。

 で、さらに言うと、味方ジムで行うトレーニングの際は、敵ジムでのバトルとは、一つだけ条件が異なります。

 それは“トレーニングの時は、ジムにいる一番弱いポケモンよりも、さらに弱いポケモンだけでチームを作ってトレーニングをしないと、味方ジムの名声が十分に上がることはない”のです。つまり、敵ジムでのバトルならば、敵のポケモンよりも強いポケモンをズラーと並べてバトルをする事ができますが、味方ジムでトレーニングをする時は、ジムにいるポケモンのどれよりも弱いポケモンを6匹用意して、その弱いポケモンを率いてトレーニングをしないといけないのです。

 まあ、弱いモノが強いモノの胸を借りるのがトレーニングであって、強いモノが弱いモノをボコボコにするのはトレーニングとは言えない…というゲームの主旨には、私、共感します。

 ですから、ジムの一番下に極端に弱いポケモンがいると、迷惑至極なのです。なにしろ、その弱いポケモンに合わせてチームを組んでしまうと、最初の1匹はやっつけられても、2匹目以降の、残りのポケモンには惨敗を続けるはめに陥るからです。

 また一番下に弱いポケモンがいると、敵からすれば「簡単に潰せるジム」とみなされて、せっかく育てている味方ジムを敵に奪われかねません。

 むしろ今のゲームの仕様なら、ジムにいるポケモンの強さは、なるべく均等にして、一番強いポケモンと一番弱いポケモンの差が少ない方が、味方がやってきてトレーニングをする時にジムの名声を上げやすく、敵がやってきた時のバトルなら、敵を疲弊させやすいのです。これが今のやり方なのです。

 実際、若い人たちは、これが分かっているので問題ないのですが、中高年プレイヤーの方々は、これが全然分かっていないようで、未だに平気で弱いポケモンをジムに置くんですよ。

 これの始末の悪いのは、置いた本人は、良い事をしたつもりでいるので、一向に行動が改まらないのです。

 同じゲームをしているわけなのですから、若い人にも中高年にも同じようにルール変更は伝えられるし、実際にゲームをやっていれば、ルールが変わった事にすぐに気づくものですが、なぜ年寄りたちは、いつまでも古いやり方しか出来ないのだろか…。ふう、私も年寄りだけれど、一応、ルール変更とそれに伴うストラテジー変更にはアップアップしながらついていってるんだぜ。

 まあ、たかがスマホゲームだから、ゲーム内でいくら老害を振りまいたって、そりゃあ実生活には関わりないわけだから、構わないっちゃあ構わないのだけれど、これがゲームの世界でなく、リアルな世界だとしても、似たり寄ったりの事ってたくさんあるわけで、ほんと、老害、なめちゃいけません。いつまでたっても昔のやり方に固執されていたら、ほんとシャレにならないので、気をつけて欲しいし、私も自分に強い戒めたいと思ってます。

 そう言えば、私も仕事の席で、ついつい昔話を語ることが多くなってきました。これも若い人間からすれば“老害”なのかも…。クワバラクワバラ。

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2016年11月12日 (土)

妻の方が健康管理が上手

 何の話かと言えば…当然、金魚の話です。

 実はウチの水槽は、今の水槽を立ち上げてから、しばらくの間は、私が金魚たちのエサ係をやっていました。どんなエサを、毎日どれだけの量与えるかを決め、実際に金魚たちの様子を見ながら調整しながら、エサを与えていたわけです。

 私がエサを与えていた間は、金魚たちはよく育ち、みんな大きな大きな、ほぼ金魚とは思えないほどの巨大魚に成長していきました。

 何時の頃だか、はっきり覚えていないのですが、いつしか金魚のエサ係が、私から妻の役割に変わりました。たぶん、ブヨとかサクラ(二代目)の頃に変わったのだと思います。ですから、今の子たちは、最初っから妻のエサを食べて育っています。

 私がエサ係の頃は、金魚のエサは朝晩の1日2回でしたし、一回のエサもそれなりの量を与えていました。それこそ飼育書によく書いてある「五分で食べ切れる分量」のエサって奴です。その点、妻がエサ係になってからは、エサは朝一回限りになりました。また、1回の分量もたぶん半分以下。金魚たちは、毎朝のエサを1分かそこらで食べてしまい、食べ足りない金魚たちは、水槽の砂底を一生懸命漁っている感じです。

 妻がエサ係になってから、エサの分量が減ったこともあって、巨大魚はいなくなりました。大きく育っても、あくまでも大きな金魚のサイズです。我が家の水槽は標準サイズよりも小さな水槽なので、金魚はあまり大きくならない方が良いのですし、一匹一匹か小さければ、その分、たくさん金魚が飼えます。今は5匹の金魚が仲良くやっています。これで巨大魚がいると、2~3匹で定員オーバーになってしまいますから、これで良いのかもしれません。

 それにしても金魚が転覆病にならなくなりましたね。転覆病に限らず、病気になりにくくなりました。これもエサの分量が少なくなったからでしょう。

 エサが少なければ、金魚はエサを食べ残しません。食べ残したエサは水槽の水を汚します。また、金魚はエサを食べれば食べた分だけフンをします。フンは水槽の水を汚します。水槽の水が汚れれば、金魚が病気になりやすくなるわけです。ですから、エサは可能な限り少ない方が良いわけです。

 でも、エサが少なければ、金魚たちがうるさくなります。もっとエサをくれと、激しくねだります。私などは、それに負けて、さらにエサを与えてしまうわけですが、妻は決して負けません。いくら金魚がエサをねだっても「さっきあげたでしょ!」とピシャっと言い切って、それ以上エサをあげません。そこは見事なものです。

 そんなわけで、妻が金魚のエサ係になってから、金魚は健康にすくすくと育つようになりました。

 もっとも、金魚のフンが少なくなったために、水草の育ちは悪くなりました。なにしろ、水草は金魚のフンを栄養にしていますので…。でもまあ、問題はそれくらいで、後は良い方向に回っています。

 私は「金魚、かわいいかわいい」と猫可愛がりをしていたわけですが、妻はきちんと金魚の健康を考えて、ココロを鬼にして、金魚の世話をしているわけです。つまり、妻の方が金魚の健康管理が上手…って事になります。

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2016年11月11日 (金)

フルートの高音発音の仕組み

 ええと、実は先日、声楽のレッスンの中で、Y先生に「フルートでは高い音はどうやって出すの?」と尋ねられて答えたので、その答えを今回の記事にしたいと思います。普段は無意識にやっている事なので、これが正解かどうか分かりませんので、あえて記事にしてみたいと思います。思いっきり間違った事をやっていたなら、きっと、心優しいどなたかが訂正してくれるのではないか…と期待がこもっていたりするわけです。

 フルートの高音発声の仕組み…ってか、低音と高音の吹き分けは、基本的に息のスピードを変えることで行います。低い音はゆっくりとしたスピードの息で吹き、高い音はピャッとした素早いスピードの息で吹きます。

 もちろん、人間の息の量は有限ですから、素早いスピードの息を吐くために多量の息を使っていたら、あっという間に息が足りなくなってしまいますし、低い音が続くからと言って、ゆっくりしたスピードをキープするために、息を少しずつ出していたら、息が吐ききれなくなり、古い空気が体内にいつまでも停留して酸欠になってしまいます。

 それを防ぐためにも、息は、音の高低に関わらず、腹からは(胸からは)一定の量と速度で、常に吐き続けます。

 腹からクチビルの手前までの息は、常に一定の量と速さをキープし、それをクチビルに開けたアンブシュアの口径で、息の速度を調整します。つまり、高音を吹く時はクチビルの口径を狭め、低音を吹く時はクチビルの口径を広げて、息を吐くスピードを調整するわけです。

 ざっくり言えば、水道のホースの先端を野放図に広げておけばボタボタと水が垂れ、先端をキュッと潰せばピューと勢い良く水が飛び出る…のと一緒です。

 このようなやり方で、フルートの高音低音を吹くわけです。だからスピードに着目すれば、高音ほどスピードが必要になり、低音ではむしろ緩やかな息が必要となります。また、息の量に着目すれば、低音はたっぷりの息を豊かに使って鳴らしますが、高音は少しの量の息だけで遠くまで響き渡る音を鳴らすわけです。

 まあ、こんな感じに説明をしたわけですが…この私のやり方って、普通のやり方かな? それともかなりの我流でしょうか?

 こんな事、さすがに怖くて、H先生に確認できなかったりする、小心者の私だったりするわけです。

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2016年11月10日 (木)

では“歌が歌える”ってのは、何を基準に言えるのでしょうか?

 ピアノやフルートのような器楽には定番の教則本と言うのがありますが、歌の世界には、そう言ったモノは、まず無いって言えるでしょう。一応、コールユーブンゲンがありますが、あれって歌の教材と言うよりも、ソルフェージュ教材としての側面が強いんじゃないかな? コンコーネもありますが、あれは確かにクラシック声楽向けのエチュード集だけれど、歌を歌う人って、クラシック声楽を歌う人ばかりじゃないし、クラシック声楽を学んでいるからと言って、コンコーネをしっかり学んでいるわけじゃないし…ね。

 歌と言っても、クラシック声楽もあれば、合唱もあるし、もちろんカラオケもあるし…歌って、ジャンルの幅の広さもあって、共通の物差しになるような教則本は無いし、この歌が歌えればOKという曲もありません。

 でも、やはり歌の上手い下手ってのはあるし、だから、のど自慢系のテレビ番組もたくさん放送されているわけです。

 のど自慢系番組の審査は、たいていの番組では、審査員(音楽が分かると思われる人)が複数いて、その人たちの合議で勝ち負けを決めるわけです。審査に際して、審査基準とかあるのかな?

 細かい点は不明で曖昧な審査だけれど、そこで出される結果という奴は、大抵の場合、私たちが感じている結果と大きく違わない事が多いので、基準の有無はともかく、万人が聞いて「ああ、この人は歌が上手い」「この人は下手じゃないけれど、さっきの人の方がいいね」とかがあるんだと思います。

 と言うのも、最近はカラオケマシンによる採点を用いたのど自慢系の番組もそこそこ増えてきて、私も好きでたまに見るのですが…カラオケマシンの採点って、人間の感覚とはどうも違うんですよね。すごいなあと思うような歌を歌われた方が、さほどでもない方に簡単に負けてますし、なんともつまらない歌を歌った人が勝ち進んだり…。マシン判定なのだから、判定結果については、フェアなんだと思いますが、勝ち負けの基準が、我々人間の基準とは、だいぶ違うようです。

 マシン判定はマシンで測定できるもの、例えば、音程とか、リズムとか、声の強弱とか、各種歌唱技法の有無とかを検出して測定し、それで採点をしてます。それはそれで、もっともなのですが、でもやっぱり、歌って、それだけじゃないんですね。

 もちろん、音程やリズムの正確さとか、適切な声の強弱などは、歌の上手さと直結しますが、歌の上手さの要素には、それ以外にも大切な要素があって、それがマシン判定だと、ごっそり抜け落ちてしまうので、我々の感覚(少なくとも私の感覚)とは異なるジャッジが下されるのだろうと思います。

 結局、ありきたりだけれど「感情を込めて歌える」って事が、上手な歌の大切な基準って事になるけれど、この「感情を込め」るうんぬんは、実に主観的で感覚的な基準だと思います。そのあたりって、簡単には、機械的に定量化はできないよね。

 話がズレてきたので、戻します。

 歌が歌えるか否かという事柄に対して“上手く歌える”かどうかといった点に関しては、ひとまず横においておくことにして、客観的には多少下手くそでも「この人は歌が歌える人だ」とか、「残念だけれど、この人は歌えない人なんだなあ…」程度の判別で構わないという事にしましょう。つまり、下手な歌であっても、自他共“歌えている”と思われれば、歌えるという事にしたいと思います。だいたい、パヴァロッティのように歌えなければダメとか言い出したら、誰も歌えることになりませんからね。

 そこまで基準を下げても、世の中には、歌が歌える人と歌えない人がいます。でも、歌が歌えない人と言われるような人だって、全然歌えないわけじゃないし、音程もリズムも正確だったりします。でも、やっぱり、本人的には歌っていても、聞いていて、歌っていない感じのする人がいます。これは上手い下手の問題とは違うのだと思います。

 何が違うのか…私、そのあたりの事が分からなくて、ずいぶん長い間、あれこれあれこれ考えていたのですが、先日、あるテレビ番組を見ていたら、ハタと気づいたのです。その番組には、ある流行歌手の方が出演していたのですが、それまでのトークの声と、歌になった時の声が、全く違ったのです。その人は、つまり、話し声と歌声の2つの声をもっていたのです。

 ハタと気づいたのは、その点でした。

 “歌えるかどうか”と言うのは、単純に“歌声を持っているかどうか”なのじゃないかな?って事です。

 歌声と言うのは、ジャンルによって、それぞれに違います。でも、その音楽ジャンルごとに、求められている歌声ってのがあります。クラシック声楽ならクラシック声楽の声が、ポピュラーソングならポピュラーソングの声が、演歌なら演歌の声が…って具合です。その求められている歌声で歌えることが、もしかしたら“歌える”って事なんじゃないかなって思ったのです。

 つまり、歌声を持っていなくて、話し声のままで歌っている人は、特定の音楽ジャンル以外では“歌が歌える”とは言えないという事になるのではないかなって事だし、話し声で歌う人の歌を聞くと「なんか違う」って、やっぱり思うのです。

 ですから、歌声の有無が歌えるかどうかの第一基準であって、その後に、音程とか何やらの諸条件がやってくるのだと思います。もちろん、音程やリズムが正しくない歌はダメだし、そんな歌しか歌えない人を、歌えるうちに数えてはいけないとは思うけれど、でもどのジャンルであっても、歌って、器楽程には音程にもリズムにもシビアでは無いわけです。そうなると、やっぱり歌声の有無で、歌える歌えないが分けられるんじゃないか…と私は思うわけです。

 だから、どのジャンルであっても、歌を志す人は(その音楽ジャンルに特化した)ヴォイストレーニングをして、歌声に磨きをかけていくのだと思います。

結論  歌が歌えるとは、歌声を持っているという事であり、これは器楽的に言うのなら、楽器を所持しているかどうかって事と同じこと。器楽奏者で楽器を所持していない人がいないのと同様に、歌手であるならば歌声を持っていないはずがないのです。楽器ならば、たとえ持っていなくても楽器店で購入してくれば済むけれど、声の場合は、歌声はどこにも売っていないわけで、歌声が欲しいならば、ヴォイストレーニングなどの訓練や修行や練習によって、作っていく必要があります。

 つまり、歌声の有無なんて、楽器の有無と同レベルの話であり、なんともレベルの低い話なのですが、楽器がなければ器楽演奏が出来ないように、歌声がなければ何も始まらないのですから、ここが一つの基準になっても良いのだろうと思います。

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2016年11月 9日 (水)

ピアノやフルートは、どこまで演奏できればOKなの?

 すごく曖昧なタイトルですが、つまりのところ、どれくらいの演奏力があれば「私はピアノが弾けます」「私はフルートが吹けます」と言えちゃうのかって事だし、その演奏力の有無って、何を物差しにして言えるのかな? って事です。

 まあ私は、ピアノは弾けませんし、フルートだって怪しいので、私の書く事なんて、たかが知れてますが、物事を考えるきっかけぐらいにはなるでしょう。

 まず、演奏力の有無は、何を物差しにして言えるのか…だけれど、これについては、…

1)どこまで学び終えたのか?
2)どんな曲が演奏できるのか?

 …の2つの物差しがあるかな?って思います。

 1)の「どこまで学び終えた」というのは、教則本とか練習曲で考えると分かりやすいのかな?って思います。ピアノで言えば、バイエルとかツェルニーだし、フルートならアルテでしょう。これらの、その世界での標準的な教則本で、どの程度まで学び終えていたら「演奏できます」と言えるのかって考えるのが、手っ取り早いと思います。

 もちろん、バイエルを学ばないで別の教則本でピアノを学んだ人や、フルートだってアルテを使わなかった人がいますが、それでもどこまで学んだかは、換算とか翻訳…って言うと変だけれど「私はバイエル終了程度」とか「私はアルテ1巻の前半終了程度」とかは、だいたい分かると思いますので、問題無いでしょう。

 で、私のアタマでグチャグチャ考えても仕方ないので、ネットでサクッとググってみると、ピアノはソナチネ終了程度、フルートはアルテ1巻終了程度で“演奏できる”と考えられているようです。

 ソナチネ…って、バイエルから始めて、ブルグミューラー、ツェルニーと学んで、ソナチネの順番でしょ? その“ソナチネ終了程度”って、ごく普通のピアノ学習者(って、たぶん子供だろうけれど)で、どれくらいかかるのかな? ネットで見ていると、だいたい4~5年ぐらいかかるようですが…子どもの4~5年ですから、結構時間がかかってますね。

 フルートのアルテ1巻終了と言うのは…私は6年かかりましたが、これは才能が無い上にジジイだったからであって、ごく普通のフルート学習者(学生などの若者)の場合は、だいたい1~2年程度で終了できるようです。1~2年でフルートが吹けるようになるというのなら、吹奏楽部にいた方々は2年半、ほぼ毎日フルートの練習をしているので、吹奏楽部でフルートをやっていた方は、間違いなく“フルートが吹ける”ようになるとも言えます。

 話は横にそれますが、単純に学習期間だけを考えると、ピアノは、その習得にフルートの2~3倍の時間がかかる計算になるので、楽器としての習得の難しさの程度も、それくらい違うのだと言えるかもしれません(ホントかな?)。

 次は、2)の「どんな曲を演奏できるのか?」ですが、ピアノは、ベートーヴェン作曲の『エリーゼのために』が弾けたら一人前というのを、あっちこっちで見かけました。どうやら、この曲がピアノ演奏力の試金石のような扱いを受けているようです。この曲は、ブルグミューラー終了程度で弾けるそうなので、1)の基準よりも、ちょっとユルイ基準になるのかも…。

 一方、フルートの方では、そういう定番の曲って…無いよね。ただ、ドレミ出版の『フルート名曲31選』は有名な楽譜なので、その中の数曲がレパートリーになって、人前で披露できる程度になったら“フルート吹けます”と言ってもいいんじゃないかなって、個人的には思います。もっとも、この楽譜集に収録されている曲は、比較的演奏が容易な曲から、かなり難しい曲までピンキリだったりはしますが…。

 まあ、こんなところでしょうね。

 となると、私、ピアノは弾けませんが、フルートはアルテの1巻を終了していますので「フルートは吹ける」という事になりますが『フルート名曲31選』の曲は、どれも吹けませんので、そういった点では「フルートが吹けるとは言えません」。はは、中途半端な野郎ですね。

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2016年11月 8日 (火)

息はどこから吸いますか?

 …って、そりゃあ、鼻かクチか、あるいは両方からか…ですよね。まさか「私は目から吸います」とか「当然、耳から吸いますよね」という人がいれば、別ですが…。

 歌とか吹奏楽器の場合、吐く息で音を出しますので、その前提として、息を吸うのは当然です。で、しばしば問題になるのが「息は鼻から吸うの? クチから吸うの?」です。
 まずは歌の話から。

 私の昔々の声楽の先生であるT先生(この先生の話は、いずれそのうちにします)は「息は鼻から吸います」と断言していました。その理由としては、鼻から息を吸った方が、より深く息が吸えるからだそうです。ただし、鼻だけから息を吸っていたら、間に合わない事もあるので、そういう時はクチから吸うのも補助的に使うのだけれど、それでもやはりメインは“鼻から”吸うんだそうです。

 ちなみに、このT先生はメゾソプラノの方です。

 私はこのT先生に習っていた当時、私は鼻が悪かった(今は特に問題ありません)ので、鼻から息を吸うのが、うまくいかず、時にはズズズ…と音をたててしまい、その度に先生に嫌な顔をされていました。今となっては笑い話です。

 その後、数十年してから習ったキング先生からは「息は鼻とクチと両方で吸うけれど、クチから吸うのがメインだよ」と教わりました。息をクチから吸うと、クチの奥が大きく開くので、息を吸ったら、そのままのクチで歌い出すのが良いとも教わりました。

 さて、どちらが正解なのでしょうか?

 今の私は、T先生よりもキング先生寄りかな? ただし『息を吸う』という感覚はあまりなく、どちらかと言うと『息を吐き出す』方に重点を置いてます。

 歌い出す時も、なるべく息は吸わずに(でも軽くは吸います。その時は…鼻から吸っているなあ)、体内にある息だけでフレーズを歌い切り、歌い終われば、自然と息が体内に入ってくるので、その入ってきた息で次のフレーズを歌うという感じです。で、自然と息が体内に入ってくる時は、クチからか鼻からかと言えば…クチからです。

 ですから、あまり意識はしていないのだけれど、どうやら私は息を、クチから吸っているようです。

 次にフルートの話をします。

 フルートでは…私は専らクチから息を吸ってます。声楽とは違って、演奏前にたっぷり息を吸って、フレーズを吹き終わると、積極的に息をクチから吸ってます。おそらく、使用している息の絶対量的には、フルートよりも声楽の方がずっと多いはずですが、感覚的にはフルートの方が息の消耗が激しい気がします。

 そのくせ、フルートではよく息が余ってしまうので、フレーズの終わりに余った息を吐き出すという作業もしています。これをしないと、次第に息が吸えなくなって、苦しくなるんですよ。まあ、フルートの呼吸に関して言えば、私はまだまだ息が下手くそなんだと思います。

 そうそう、フルートでも息を鼻から吸えれば、循環呼吸などの特殊奏法ができるようになると思うのですが、息をクチからしか吸わない私には循環呼吸は、まず無理です。

 とにかく、歌にせよ、フルートにせよ、息のコントロールが大切である事は間違いないです。息を吸うのが、鼻からであれ、クチからであれ、それが上手な演奏につながるなら、本当はどっちでも良いのかもしれません。

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2016年11月 7日 (月)

ピコ太郎ってご存知ですか?

 ピコ太郎…実は私、つい最近まで知りませんでした。アンテナ低いなあ…(涙)。

 ざっくり説明すると…「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」という曲を世界的にヒットさせた日本人アーチスト…って事になります。実際、ものすごいヒットを飛ばしたわけです。

 分かりやすく、アメリカのヒットチャートの基準となる、ビルボードのシングルチャートで言うと、第77位に入ったんだそうです。ちなみに、今まで幾多の日本人アーチストがアメリカで成功しようと、レコード(古くてゴメン)を出してきたのですが、大半は討ち死にで、チャートに載ることができた(ひとまず“成功した”と言えるんじゃないかな?)日本人は、今回のピコ太郎で、やっと7名なんだそうです。

 以下に、その錚々たるメンバーを列記しますと…

ビルボードのシングルチャート(日本人掲載)

1人目 1963年 坂本九「上を向いて歩こう」第1位
           坂本九「China Nights(支那の夜)」第58位
2人目 1979年 ピンク・レディ「KISS IN THE DARK」第37位
3人目 1980年 Yellow Magic Orchestra「Computer Game」第60位
4人目 1980年 オノ・ヨーコ「walking on thin ice」第58位
5人目 1981年 Yutaka(横倉裕)「Love Life」第81位
6人目 1990年 松田聖子 & ドニー・ウォルバーグ「Right Combination」第54位
7人目 2016年 Pikotaro(ピコ太郎)「PPAP (Pen-Pineapple-Apple-Pen)」第77位

 こんな感じです。ちなみに、ビルボードにはチャートって、その音楽業界ごとにいくつもあるのだけれど、このシングルチャートってのが、ビルボードの王道中の王道のチャートで、ここが一番競争が激しい部門で、ここにチャートインしたなら、それはアメリカで売れた…と言えるんだそうです。

 そう考えると、坂本九って、ほんとすごいんだなあ…。1位を取っているし、2曲も入れているし…。それと、ピンク・レディの37位と言うのも、何気にすごいと思いますよ。YMOはインストの曲でチャートインですから、これもすごい事だと思います。オノ・ヨーコは、ジョン・レノンの追悼シングルですから、これは入って当然でしょう。Yutaka(横倉裕)さんって、誰なんでしょ? 私は知りません。松田聖子の場合は、デュエット相手の人気でチャートインですね。お相手は、当時のアメリカのアイドルグループ“ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック”のヴォーカルさんで、相方さんはチャートの常連ですから。

 それを考えると、ピコ太郎がやっちゃった事の凄さが分かると思います。

 で、そのピコ太郎の「PPAP (Pen-Pineapple-Apple-Pen)」って、どんな曲なのかと言うと…こんな曲です。

 なんじゃい、これ!

 …正直、私は驚きました…ってか、これが世界ヒットナンバー? 何かの間違いじゃないの!…そう思いましたよ。

 でも、この曲が世界で大ヒットした事は本当の事なのです。CDの発売はまだです(笑)が、すでにYouTubeでの再生回数は、9月30日~10月6日付全世界アーティストランキングで第1位を獲得しているのです。つまり、世界で一番聞かれたアーティストってわけで、この一週間だけで、1億3400万回も再生され、トータルで4億回以上も再生されているそうです。ちなみに2位のチェインスモーカーズ(アメリカの大人気デュオ。全米No.1を何曲も出してます)とはダブルスコアの差が付いているそうです。つまり、ぶっちぎりの堂々第1位ってわけです。

 すごい、すごすぎるぞ,ピコ太郎。その凄さを知らないのは、もはや日本人だけ?

 ちなみに、つい先日、ギネスにも「ビルボードホット100にチャートインした最も短い曲」(Shortest song to enter the Billboard Hot 100)として、ピコ太郎の「PPAP (Pen-Pineapple-Apple-Pen)」が正式認定されたそうです。ビルボードのみならず、ギネスも制覇とは、すごいなあ。

 ではなぜ、そんなにすごいピコ太郎の事を日本人が知らないのかというと、この人、日本人的にはアーティストではなく、芸人だからです。

 と言うのも、古坂大魔王という芸人さんが演じるキャラの一つが、この“ピコ太郎”だからです。「え? どういう事?」ってわけで、説明すると、ビートたけしが演じる“タケちゃんマン”とか、島崎俊郎が演じる“アダモちゃん”とか、志村けんが演じる“バカ殿”みたいなものが、この“ピコ太郎”だからです。だから、音楽畑の人が知るわけないのです。だってピコ太郎って、お笑いの世界のキャラだもの。だから彼が歌う「PPAP (Pen-Pineapple-Apple-Pen)」も、日本人の感覚で言えば、歌ではなく、リズムネタなのです。

 リズムネタ? そう、最近で言えば、オリエンタルラジオの「パーフェクト・ヒューマン」とか、8.6秒バズーカーの「ラッスンゴレライ」なんかと一緒。そう言われてみれば、そうでしょ? この曲って、リズムネタだよね。

 ちなみに、古坂大魔王という芸人さんは、昔、底ぬけAir-lineというトリオでコントをやっていた人で、ボギャブラとか爆笑オンエアバトルとかに出場していたので、それで知っている人もいると思いますが、最近では、すっかりメディアの露出が減っていたわけです。

 今回のヒットも、ジャスティン・ビーバーが「この曲、おもしれー」と自分のツィートで紹介したのがヒットのきっかけで、そういう意味では『逆輸入で人気沸騰』って事になるのかな?

 それにしても、すごいネタだと思います。私もこの曲を聞いて、しばらくの間は、無意識のうちに「アイハブアペーン、アイハブァナポー~」とか歌っちゃってましたからねえ。浸透力、半端ないです。

 しかし、こんなチンピラ風体が、世界的にはかっこいいらしいです。こんなゆるゆるのダンスが、世界的にはいい感じなんだそうです。こんな、単なるリズムネタなのに、世界的には、ちゃんとしたソングなんだそうです。

 何が受けるのか、全く分からないのが、ショービズの世界です。おもしろなあ…。

 しかし、今年の紅白に、ピコ太郎は出演するのでしょうか? 楽しみ楽しみですが…このキャラ、何の予備知識も無しにお茶の間に登場したら、顰蹙かわれてしまいそう…。ま、でもそれも十分アリっちゃあアリだよね。

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2016年11月 6日 (日)

私も原発反対派なのですが…

 私は原発反対派です。原子力発電所などという危険きわまりないモノは無い方が良いに決まっています。

 今回のフクシマの事故は(人災ですが)論外として、では、事故がなければ原発は安全かと言えば、決してそんなはずはなく、原発なんてモノは、設置型の原爆みたいなもので、敵国が飛行機を飛ばしてきて、原発の上から爆弾の数発でも落とせば、原発は爆破され、当然、核爆発が起こり、大変な事になるわけです。

 つまり、原発なんて、国家にとって国防上の“弱み”でしかないし“軍事的弱点”でしかありません。そんな弱点をさらしたままでいる事は、国家としてダメでしょう。そんな危険な弱点を持ったまま、この国を子孫たちに譲るわけにはいきません。だから私は、原発反対です。

 でもね、だからと言って、即座に原発廃止かと言われれば、そりゃあNOですって。私は原発反対ですが、原発廃止論者ではありません。

 原発は反対だし、原発の廃止も手順を踏んで行うのなら大賛成ですが、将来への見通しもなく、現実的な代替案無しでの原発廃止は、愚行だと思ってます。

 原発の存続も危険ですが、電力不足は危険どころの騒ぎでは無いからです。

 現代日本は、電力を基本エネルギーにしています。電力のない生活なんて…今や想像できないでしょ? 東京の方は知らないだろうけれど、東日本大震災の時の計画停電で、地方は大混乱をしました。たった、数回、数時間の停電だったけれど、その停電による我々の生活への影響力は計り知れなかったのです。

 道路の信号は機能しなくなり、電話は通じなくなりました。あっちこっちで交通事故が起こり、救急車のサイレンがうるさく鳴り響き、でも病院だって停電だから、そんなにたくさんの患者なんて引き受けられなくて大混乱だったと言う話を聞いています。

 多くの工場や商店では、停電のために休業せざるを得なくなりました。溶鉱炉の火は落ち、工場の生産ラインも止まり、地下街は真っ暗になりました。

 家庭の冷蔵庫も止まり、冷凍冷蔵品はかなりダメになってしまったそうです。オール電化のマンションなどは、電気が来ないので、火が使えないのは当然として、水も止まってしまったそうです。つまり、トイレも使用不可になってしまったのです。エレベータは止まり、高層マンションに住んでいるお年寄りは外出すらままならぬ状態に陥りました。

 たかが数時間の停電ですら、人々の生活に大きな支障が生じました。

 電力の無い生活なんて、今やありえないのです。個人の生活の質が大きく下がるのみならず、社会活動にも影響は出ます。私が心配するのは、工場の稼働率が下がる事で、日本の経済力が下がり、解雇が増えることです。だって、電力が無くて、工場が動かないのなら、雇っている人の首を切るしかないじゃないですか。

 経済力が弱まれば、社会が不安定になります。犯罪だって増えるだろうし、治安が悪くなれば、おちおちと暮らしていけません。

 なので、原発廃止の前提条件として、発電量の確保と、電気代の安値安定が最低条件になります。これらが担保されて、始めて原発廃止ですよ。

 で、現在、原発の大半が止まっています。

 現状はどうなっているのか言うと、国と電気会社が頑張っていますが、発電量そのものはだいぶ減っています。個人の生活ではあまり感じないかもしれませんが、各企業は節電を余儀なくされ続け、不足電力をやりくりして工場を回しているのが現状です。

 で、電力が不足している上に、電気代だって、実はかなり高くなってしまいました。電気は、不足している上に、高価になってしまったわけです。これは良くない事です。

 電気代が高くなると、個人のお財布も直撃してつらいのですが、各企業の金庫に直撃するわけで、あれこれ必要経費としての電気代がかさむし、工場などでは高くなった電気代の分を製品価格に織り込まなきゃいけないわけですが、このグローバル化された現代社会で、製品価格を上げるという事は、輸出の縮小にダイレクトにつながるわけで、それは日本の国力の縮小とイコールの話になるわけです。

 電力を安価に大量に供給するためには、部分的にでも原発の再稼働をするというのは、苦肉の策であり、いますぐにやらなければいけない事なのです。

 なぜ電気代が高くなってしまったのかと言えば、当然の話ですが、一時は日本の発電の1/3を担っていた原発が止まってしまったために、その分を補うために、火力発電所の設備投資が必要になったからであり、そのためにオカネがかかる事と、火力発電者を増やすと言っても、従来の火力発電所は石油燃料で動いていたけれど、それではCO2がバンバンと出てしまうため、石油燃料よりもCO2の発生量の少ない天然ガスに火力の燃料を変更せざるをえないわけで、そのための設備投資が必要だったわけです。

 おまけに天然ガスによる発電って、石油ほどコストはかからないとは言え、原子力発電よりもコストがかかります。各電力会社は、天然ガスの発電にオカネがかかりすぎるので、石炭発電を復活させ始めたのだそうです。と言うのも、石炭は(これまた原子力発電ほどではないのだけれど、天然ガスよりは相当)発電コストが安いんだそうです。

 というわけで、現在の日本では、電力の約半分を天然ガスで、3割を石炭でまかなっているそうです。残りの2割が石油と水力ね。一部の方々が大好きな太陽光発電とか地熱発電は、統計誤差程度の発電量しかないので、ほぼゼロと考えて、無視して良いようです。
 ほんと、あっという間に世の中が変わっちゃいましたね。私が副業で社会科のセンセをやっていた頃は、日本の発電量の1/2は石油による火力発電が、1/3は原子力発電が、残りが各種水力発電がまかなってます…って教えたものですがねえ。ほんと、今じゃそれが全然違うわけです。知識というのも、日々、アップグレードしていかないといけないわけです。

 天然ガスは環境に優しいけれど、高価。石炭は安価だけれど、環境に厳しい。石油はコスト的にも環境的にも論外だし、輸入に頼らないといけないので世界情勢に左右されて、実に不安定(この点は天然ガスも同様です)。コストの面だけ考えると、原子力って、極端に安価だし、一度導入すれば、燃料も補給しなくていいので世界情勢にも左右されにくいんです。もちろんCO2は絶対に出さないわけで、事故や戦争がなければ、理想のエネルギーと言えるのかもしれません。でも、安定で安価で、普段はクリーンエネルギーだから言って、フクシマを経験してしまった以上、もはや原子力に頼るわけにはいきません。だいたい、世界はそんなに平和じゃないのてすから。

 我々は早急に、天然ガスであれ石炭であれ何であれ、安定して安価に電力を供給出来る手段を考えないといけません。もちろん、環境面への配慮だって忘れちゃいけないよ。でしょ?

 それと原発を廃止するのなら、原発に代わる、原子力技術の運用についても考えないと…。

 日本は現在、原子力関係の技術においては世界トップレベルなのだそうですが、原発が止まったままだと、日本の技術もさびてしまいます。日本の後釜を、虎視眈々と韓国・中国・ロシアの新興原子力プラントメーカーが狙っているわけですから、日本はうかうかしていられません。原発が廃止されても、日本の原子力技術が磨ける場を作らないといけないのです。原子力技術だって、日本の大切な国力ですからね。それに、韓国・中国・ロシアが原子力の世界トップ3になるなんて、日本人にとっては悪夢でしかないじゃない?

 そこまで見通して、対策をたててから、原発廃止です。それまでは原発再稼働もやむなしだと思ってます。

 だって、今のまま、ずっとずっと、電気代が高いままでは、子孫たちの未来は暗いですよ。そんな事をしちゃダメだと…私は思うのです。なので、私は原発反対派ですが、原発廃止論者ではないのです。

 単純な話、私は現実論者なのです。夢の中に生きているわけでもなければ、頭の中がお花畑でもないのです。だから、元気よく「原発反対!」と、何の屈託もなくシュプレヒコールをあげている人を見ると、かわいそうに思うのです。この人には、ほんのちょっと先も見えないのだなあ…と思うし、こういう人たちが、子どもたちに生きづらい世界を押し付けていくのだと思うのです。困ったオトナたちです。

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2016年11月 5日 (土)

ガボンバとマツモグサの話

 我が家の水草を、マツモグサからガボンバに変更して三ヶ月になりました。水草を変更して、色々と変わった事をメモ代わりに書き残しておきたいと思います。

 まず、ガボンバは入手が簡単。近所の大型スーパーのペットショップ(犬猫専門店です)でも取扱があるので、夕食の材料を買いに来たついでに購入できます。マツモグサは金魚専門店でないと取扱がなかった事を考えると、ほんと楽になりました。

 ガボンバは安価です。私は一度に約1000円分のガボンバを購入して水槽に入れますが、同量のマツモグサを購入すると…たぶん1万円ほどになってしまうんじゃないかな? それくらい、安いです。

 安いのはいいですが『安物買いの銭失い』っぽい部分があります。と言うのは、ガボンバは水槽の中ではほぼ繁茂しません。全くしないわけではなく、ちょっとするのですが、あくまでもちょっと…です。成長の速度が遅いのですよ。圧倒的に金魚が食べていく速度の方が速いので、ガボンバを大量に購入しても、約一ヶ月で食べ尽くされてしまいます。ですから、毎月月末になると、以前のガボンバを取り出して、新しいガボンバと取り替えてしまいます。

 マツモグサは高価な水草ですが、よく繁茂します。さすがに春~秋にかけては、金魚の盛大な食欲に負けてしまいますが、秋~春にかけてはマツモグサの繁殖力の方が金魚の食欲を上回り、ドンドン増えていきます。真冬などは、マツモグサが元気になって増えすぎてしまうので、たまに知り合いに分けてあげたり、捨ててしまったりもしていました。それくらい、みるみると増えていくのです。ですから、マツモグサは毎週毎週、適度な長さに切りそろえて、水槽から取り分けていました。

 それに夏場は金魚の食欲に負けてしまうとは言え、マツモグサも頑張っていますので、一ヶ月で根絶やしになる事は…普通はありません。ガボンバの1/3の量があれば、夏場でも1シーズンは乗り切れるかな? なので、マツモグサ自体は高価ですが、簡単に食い尽くされないので、毎月新規購入なんて事はありません。

 今の子たちは、マツモグサも食べますが、ガボンバも全然気にせず食べてます。気にせずどころか、シズカなどは、ガボンバの茎を咥えて振り回すほどにワイルドに食べています。

 以前いた子たちにもガボンバを与えた事はありますが、以前の子たちはガボンバは食べませんでした。でもマツモグサは喜んで食べていました。そのマツモグサも、葉の部分だけを食べて、茎は食べなかったので、いくら食べても、次々と葉を出して増えていけたのです。でも、今の子たちはマツモグサなら、葉も茎もまるごと食べてしまいます。カボンバは主に葉の部分を食べますが、茎も結構かじってます。

 たぶん、ガボンバよりもマツモグサの方が美味しいのだと思います。少なくとも、マツモグサは柔らかくて、ガボンバが硬い事は事実です。

 以前の子たちは、クチがおごっていたんだと思います。まあ、高級金魚だらけだったからね。その点、今の子たちはたくましいんですよ。

 ガボンバとマツモグサでは、どちらの方が取扱いが楽かと言えば、水槽に入れて、食われ尽くされたら捨てればいいガボンバの方が楽です。近所のスーパーで売ってますので購入も楽です。マツモグサは、その成長に合わせて、毎週のように切り揃えないといけないし、無くなれば金魚専門店で購入しないといけないので面倒です。単価も高いし…。

 でもトータルの費用で考えると、実店舗で購入している分には、案外、ガボンバもマツモグサも、値段的には、そんなに大きく変わらないかも? ただし、金魚専門店が近所になくて電車に乗って買いに行かないといけないので、交通費を含めれば、マツモグサの方がオカネがかかります。実店舗でなく、インターネット通販で購入するなら、さらに費用がマシマシになります。気軽さとお財布の負担で考えるなら、やっぱりガボンバの方が勝るようです。

 まあ、金魚が美味しく食べてくれているうちは、ガボンバで行こうと思ってます。

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2016年11月 4日 (金)

実は一ヶ月以上もレッスンに行かず、二週間以上もフルートに触っていませんでした

 フルートのレッスンに行ってきました。実は今回のレッスン、本当の本当に久しぶりだったのです。ネットでは、合宿の後に、少し時系列が現実とズレていまして、妹殿のレッスンと分離してから、そんなに日が経っていないよう印象かもしれませんが、実際は一ヶ月以上も間が空いてしまいました。

 そんなに何をしていたのかと言えば…単純に仕事が忙しすぎて、練習も出来なきゃ、レッスンにも行けていなかった…だけなんです。

 だから、久しぶりのレッスンも、例によって「こんにちは」という挨拶ではなく「お久しぶりです」という挨拶で始まったりします。

 ロングトーンからレッスンは始まりましたが、最初はなんとも違和感バリバリでした。と言うのも私、リアルな話、二週間ぐらいフルートに触っていなかったのですよ。毎日帰宅が遅くて、とてもフルートが吹ける時間に帰宅できなかったし、たまに早く帰ってきても、疲れ切っていて、とてもフルートを吹く気にならなかったし、休みの日は、疲れ切ってほぼ寝てばかりいたわけです。

 まあ、そんな感じだったので、フルートを構えただけで違和感バリバリ。吹いてみると、なんとも変な感じがします。でもまあ、ロングトーン練習が終わる頃には、その違和感も解消されたわけですが…。

 ちなみに、ロングトーンそのものは、バッチリでしたよ。

 さて、エルステ・ユーブンゲンですが、懸案の19番は、実は一度暗譜をしたんですよ。かなりバッチリ暗譜したのですが、それから2週間ほどフルートに触らないでいたら、丸っきりリセットされて、忘れ切ってしまいました。

 覚えるのに時間がかかるのに、忘れるのは、あっという間です。自分でも驚きました。

 19番ですら、そんな感じですから、20番に関しては、ちゃんと演奏することすら出来なくなっていました。駄目だねえ…。ガッカリです。

 プチエチュードの15番に関して言えば、合宿後ずっとこの曲だけやってますから、そろそろ三ヶ月目に突入しますが、いやあ、ほとんど進歩してません。練習していないのだから当然と言えば当然ですがね。

 でも今回は、先生と一緒に合わせて吹いてもらいましたが…あっちこっちで指が滑る滑る滑る。いやはやなんともです。

 次回に乞うご期待ですが…次回はいつになるのでしょうか(笑)。

 で、今回の雑談は…無しです。実は先生、レッスンに翌日に小さな本番を控えていて、前日にも関わらず、まだ選曲の最中でして、練習を兼ねて吹いてくれるので、感想を言ってくれと言うので、正直な感想を言いました。

 ちなみに、オールバッハのブログラムで、すべて私の知らない曲でした(笑)。コンサートと言ってもパッケージモノで、お客も先生のファンばかりとは限らないし、中にはクラシック音楽に関心のない人もいるというので、メロディアスな曲ばかりを並べていました。まあ、バッハにもメロディアスな曲があるわけですが、やはりカラっとしたメロディよりも、ややウェットな感じのメロディーの方が、フルートには、とりわけ先生の音色には、似合うと思いました。一曲だけ、やたらとテクニカルな曲を演奏したので「先生、その曲。私は好きですが、一般受けはしないと思いますよ」と言ったら「でもね、テクニックを聞かせる曲もないとね…」という事のようでした。まあ、メロディアスな曲って、バリバリのテクニックが無くても吹けるんだよね。プロとしては、バリバリのテクニックも聞かせたいわけです。

 それにしても、前日の選曲で間に合うというのも、先生のレパートリーの広さ故ですね。

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2016年11月 3日 (木)

簡単そうに見えても、やっぱりオペラアリアは難しい

 声楽のレッスンの続きです。

 曲のレッスンに入りました。まずは、トスティ作曲の「Malia/魅惑」です。

 先生、ピアノが弾きづらそうでした…と言うのも、この曲は先生のレパートリーの中に(当然)入っているし、来月のクリスマスのコンサートでも歌う予定で、先生ご自身もこの曲を練習されているそうですが、先生が歌う時は、中低声版(具体的に言えば全音版と同じ:低い方が原調なんだそうです)の楽譜で歌うわけです。でも、私はこれを高声版で歌うので、私の方が全音(カラオケ的に言えば+2)ほど高いのです。で、この曲のピアノを弾いていると、先生、ついうっかり中低声版の指で弾いちゃうわけです。ですから、私が歌っていると、ときたま勝手にピアノが転調して(でもすぐに戻ります)「あれ?」と思ったりするわけです。

 まあ、それはさておき、最初のレッスンなので、歌詞の間違いの訂正からです。いやあ、まだまだクチは回らないし、歌詞の発音も、あれこれ間違っているので、訂正してもらえるのは嬉しいです。

 歌い方の注意としては、とにかくレガートに歌うこと。母音と母音をつなげて、丸く丸く声をこねるような感じで歌っていくこと。最初のうちは響きの少ない声でもOKだけれど、曲が盛り上がっていくにつれて、声の響きを増やしていくこと。この曲は、高いところが特に無く、最初っから最後まで中音域で歌っていくので、曲の盛り上がりを音程の上昇ではなく、響きの増量で表現していくわけです。そういう点では、ただ楽譜に書いてある通りに歌うだけじゃダメだそうです。で、最後の最後は、色気を加える…と言うわけです。

 次は、ジョルダーノ作曲の歌劇「フェドーラ」の中のテノールアリア「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」です。

 とにかく難しいです。何が難しいのかと言うと…リズムにのせて歌うのが難しいです…と言っても、テンポが速いとかリズムが細かいというわけではなく、イントロと歌でテンポが違うのです。イントロが割とゆっくりしたテンポであるのに対して、歌は…もっとゆっくりになり、その遅いテンポに私が対応できない…と言うか、もっと早く歌いたくなるんですよ。でも、それはダメ。だから、そこが難しい。

 メロディは、見た目はそんなに難しくないです。音域も広くないし、最高音はAだしね。たぶん、オペラアリアとしては、簡単な方です。でも、音域が広くない分、ずっと高値安定で、ドンドン声が削られていく中、最後の最後でAが登場する(それもロングトーン)ので、私はAの手前で疲れ切ってしまうのです。

 見かけよりも難しい曲でした。はあ…。

 とにかく、そんなつまずくように歌うのではなく、流れるようなレガートで歌うことを言われました。で、リズム読みってあるじゃないですか? あれの要領で、リズム歌いをたっぷりしてくるように言われました。つまり、フレーズの出だしの音と同じ音程で、そのフレーズをお経のように歌ってくる練習です。音程の上下を外して歌うことで、言葉のつながりとか声の流れとかをきちんとしましょうって事です。がんばってやりますよ。

 この曲そのものは、割と短めの曲なので、なるべく体力を削られないようにしながら、最後のAを出す体力を温存して歌えば、たぶん、うまくいくので、なんとか頑張っていきたいと思います。

 さて、本日は「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」の音源をアップします。このアリアは…テノールは数多くいるけれど、やっぱりドミンゴの歌唱がベストですよね。彼の声にぴったりのアリアでございます。

 聞くだけなら、そんなに難しく感じないし、譜面を見ていても、そんなに難しく感じないのだけれど、やっぱり歌ってみると、なかなか手応えも歯ごたえもあるんですよ。

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2016年11月 2日 (水)

高いA♭の手前に壁がある?

 クラシックコンサート後、最初の声楽のレッスンでした。当然のように先生から「どうでしたか?」という質問がありました。すかさず妻が「駄目でした!」と答えていましたが、本当に駄目なのは妻ではなく、たぶん私です。妻は自分のミスがとても気になっているようですが、私に言わせれば、大した失敗などしていませんし、たぶん、聞いている客は彼女の失敗には気づかないでしょう。

 私の失敗…と言うか、実力不足が露呈した部分は、聞けば誰もが分かると思うし、大半の客が「ああ、やっちまった…」と思ったでしょうが、別に私は気にしていません。いや、失敗していいとは思ってませんし、歌えるものなら完璧に歌いたいものですし、自分の実力不足を棚に上げるつもりもありません。でも、失敗も含めて私なのですから、それを反省することはあっても、恥じるつもりはありません。それに「Che gelida mania/冷たい手」などという、プロの方でも失敗しがちな難曲をサラっと完璧に歌える実力が私にあったなら、こんなところでくすぶらずに、プロデビューしてますって(笑)。

 とにかく先生には音源をプレゼントしました。さあ、次回のレッスンで先生のコメントがいただけると思いますが…冷や汗もので楽しみです。

 さて、肝心のレッスンですが、発表会~クラシックコンサートと、立て続けに本番が続きましたので、久しぶりの“学びとしてのレッスン”となりました。

 まずはハミング練習ですが、今回はかなり長くやりました。とにかく、声をノドに落とさないように、しっかり息で声を支えながらハミングをしました。

 発声練習も同様に、声を落とさないように注意されました。クチの奥を開く時、私はノドを下に広げる癖(喉仏を下に落とす癖)がついています。Y先生に習い始めた時は、それでも良しと言われていたのですが、最近はそれでは駄目と言われるようになりました。ノドを下に広げるだけでは、声がノドに落ちてしまうのです。それを防ぐためには、1)軟口蓋を上に上げる。2)しっかり息で声を支える。の2つを同時にしないといけないわけで、今ではそこまで求められるようになりました。

 そこで、ポルタメントで上昇音形を歌う時に、しっかりと腹筋を入れながら発声をするという練習を何度も何度も繰り返しましたが…いやあ、難しいです。以前よりはだいぶ腹筋も動くようになってきたものの、まだまだ必要十分なほど動くわけではありません。もっと腹筋を軽快に動かせるようにならないと…。

 むろん、高音練習もしました。先生曰く、どうやら私の声には、高いGとA♭の間に壁がある…そうなのです。この壁は調子が良いと、A♭~Aとか、Aよりも上に移動するし、調子が悪いとF♯~Gにまで落ちてしまうのだそうです。で、この壁にぶち当たると、カラダの中のスイッチが切り替わって、それまでとは異なる発声をしようと(無意識に)しているのだそうです。

 あらあ、そんな意識、無かったわ。

 高音になった時に、それまでとは発声方法が変わる事自体は間違いではないそうですが、それは高いA以上の話で、AまではFやGまでと同じ発声方法でいかないといけないのだそうです。

 ではなぜ私はAをFやGと同じ発声方法では発声できずに、カラダのスイッチを無意識に切り替えてしまうのか…。まあ、筋力不足でしょうね。私はGまでは出せる筋力があるのだけれど、それ以上の音を出すための筋力は不足しているので、そこから先は出せたり出せなかったり…って事になるんだと思います。実際の曲でも、そこらへんはフレーズ次第ですね。発声練習のように、下から順番に出していくと、Gを越えたあたりで筋力不足…と言うか、疲れてしまうようです。

 実際に自分の感覚では、高いA♭になると、カラダのこわばりを感じます。きっと不必要な力がカラダのどこかに入るのでしょうね。で、それを吹き飛ばすために、思わず息の強めにして発声してしまうのがダメなのです。フルートでも、高い音を出す時は、無闇に息を強めてもダメでしょ? 適量の息を適切な速度で吹き込まないといけないわけで、それは声楽発声でも同様…だと思います。

 とにかく今は、正しい方法で、疲れても逃げずに頑張って高音を出し続けていけば、やがて必要な筋力もついてくる…わけです。日頃の練習からの努力が必要ってわけです。とにかく今は“Aまでは筋力で(安定的に)出せるようにする”が目標かな? …それにしても、高いAまでは実用音域に入ってきたと思ったのだけれど、まだまだフレーズ次第という面もあり、危なっかしい点もあるって事ですなあ。

 Y先生がおっしゃるには、アタマかカラダか、ココロかオカネか、それぞれどちらを選んで学んでいくか…が問題なのだそうです。

 アタマかカラダか…つまり、良い発声をアタマで知的に理解して、それを実践できるように訓練していくか、何も考える事なく、良い声が出せる事だけを目指して徹底的にカラダに叩き込むか、って事だし、ココロかオカネか…つまり、良い声が出せるように自宅練習の際にココロを配って練習に励むか、オカネを出して毎日毎日先生のレッスンを受けるかって事です。つまり、自分で努力して声を作っていくのか、他人任せのプロ任せで声を作ってもらうのか…って話で、本格的にプロを目指そうという人は、後者のカラダまかせのオカネまかせになるようですが(その方が間違いは無いし、仕上がりも早いのです)、私のような趣味のオジサンの場合は、技術をカラダに叩き込めるほどの練習時間はないし、毎日毎日先生のレッスンを受けている(オカネもないけれど)時間が無いわけで、どうしたって自分で努力していく方向になるわけだから、そこのところを忘れちゃいけないわけです。

 それゆえに、発声一つをとっても、それを習得するのに手間もかかれば時間もかかるし、一歩間違えたら正解にたどり着けない…かもしれないのです。リスキーっちゃあリスキーだけれど、まあ仕方がない。間違った方向にいかないために、それを修正してもらうために、レッスンがあるんだから、先生を信用するしかないわけだ。

 さて、今回から新曲に取り組んだ私ですが、歌曲の方は、トスティ作曲の「Malia/魅惑」です。レッスンの様子は明日の記事に書きますが、ひとまず、この曲を知らない人のために音源をアップしておきます。

 音源としては、ちょっと古めですが、日本語訳がついているカレーラスの歌唱をアップします。カレーラスはトスティを得意としているだけあって、歌いクチがなかなか素晴らしいですね。私もこれだけ情感込めて歌いたいものです。

 なかなか良い曲でしょ?

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2016年11月 1日 (火)

なんとかブログが続いています[2016年10月の落ち穂拾い]

 毎日毎日忙しい私です。それでも、ブログの記事を落とさずに書き続けていられるのは、もはや奇跡と言えるでしょう…って、自分で言ってどうする?…とセルフつっこみを入れてはみるものの、ほんと、ブログを毎日書き続けるって大変な事だなあ…と、どこか冷静に他人事のように感じている私が、ここにいます。

 ネタに関しては困る事はないので、後は記事を書く時間をひねり出す事なのですが、そこが実に難しい。ああ、タイピングが速くってよかった…と心の底から感謝しています。でなきゃ、とっくにこのブログは行き詰まっていたよ。

コロラトゥーラは狂気?

 コロラトゥーラと言う声種があります。この名称は声種の名称であると同時に、声楽技法の名称でもあります…ってか、コロラトゥーラという声楽技法が必殺的に得意な人々はある特定の声に集中しているので、彼らの声をコロラトゥーラと呼ぶようになったわけで、だから、コロラトゥーラの人たちにとって、コロラトゥーラという声楽技法が得意なのは、ある意味、当たり前と言っちゃあ当たり前の話の大前提なのです。

 なので、高音が出るし得意だけれど、声を転がすのは苦手って人は、同じような声色音域であっても、コロラトゥーラではなく、レジェーロって呼ばれちゃうわけです。

 レジェーロとコロラトゥーラを分けるのは、その歌手の声楽技量だけだもの。

 逆に言うと、技量を見せつけられないのなら、コロラトゥーラと名乗っちゃいけないのかもしれません。なので、コロラトゥーラという人種は、とにかくその声楽技量の程を見せつけるのが本能みたいになっているわけで、彼らにとって声楽技量が高い事は、ひとまず歌手としてのスタートラインには立つためのマストアイテムなのです。

 後はそこから、どう表現を加えていくかって話になっていくのだと思います。

 と言うのも、高い技術だけで、なんら感情がこもっていないコロラトゥーラは“くどい”だけですもの。で、コロラトゥーラで表現される感情ってのは、…たいていの場合“狂気”なんだよね。

 つまり、コロラトゥーラって“狂気”を歌う声って事になります。ならば、コロラトゥーラの歌って、決して上品に歌われるべきではなく、いかに狂気を含んだまま、どれだけ弾けられるかが勝負かなって、個人的には思ってます。

吹奏楽部の最大の問題点は…

 どこの学校にもたいていある、吹奏楽部の最大の問題は、素人である先輩と呼ばれる生徒が、全くの素人である新入生に指導して、その生徒たちが、先輩の指導を真に受けて、膨大な時間を費やして、間違った方向に上達してしまい、結局、早期に壁にぶちあたり、そこを越えることが出来ず、学校の卒業が音楽の卒業となってしまう事…なんじゃないかなって思います。

 ごくまれに、学校に素晴らしい指導者がいて、その指導者の元で学べる生徒たちもいますが、そういう人は、本当に幸せで、たいていの吹奏楽部の生徒は、自分よりも1年とか2年とか早く始めただけの“先輩”と呼ばれる素人さんから、正しい事と間違った事を区別せずにゴッチャにして教わって、それを身に付けてしまうわけです。で、その生徒が、今度は後輩を指導するのですから、間違いの連鎖が続くわけです。

 それって学校の部活特有の問題であって、部活動の限界って奴なんだろうなあって思うわけです。結局、部活ってのは、素人が素人を指導せざるをえないという現状と、コンクールという競争が前提ありきな事と、学生時代の3年間さえ頑張る事でできればOKなので、平気でこういう事が行われるんだと思うのよ。でも、本当は、音楽趣味なんて一生ものだし、ましてや学生相手なら、その子がプロになる可能性だってあるわけだけれど、そういうところを全部無視しているのが、今の吹奏楽部の(結果的な)在り方って奴なんだと思う。

 それゆえ“音楽経験者なのに音楽嫌い”という不思議な人々を誕生させてしまうわけです。

ガッコのセンセの労働環境は、実はかなり劣悪だったりします

 中学校や高等学校のセンセたちは、たいてい部活の顧問をするわけです。そして、それはたいそう熱心にされるわけで、吹奏楽部や運動部などであれば、男性教師の家庭は、たいてい「母子家庭」状態になりますし、女性教師は嫁に行きそびれます。

 これは悲しいけれど現実なのです。そして、これは良くないことだと私は思ってます。

 本人の自覚の有無は別として、客観的に見れば、部活指導ってサービス残業でしかないものね。そして、正規な労働時間よりもサービス残業に費やす時間の方が多い人もゴッチャっといるわけで、これは教育現場における労務管理としては、いかがなものかと思ってます。国は様々な教育改革を考えて実行していきますが、そろそろ教師の労働環境(膨大な労働時間と、それに見合わない薄給、限りなく少ない休日)についても改革をしていかないと、優秀な人間が教師にならなくなってしまいます。だって、ブラックな職種だもの。これって、実は由々しき問題だと思うのです、私。

今月のお気に入り キリン 世界のキッチンから エルダーフラワー スパークリングウォーター

 ひとまずアマゾンへのリンクを貼っておきますが、近所のスーパーで買えるなら、そっちで買った方が便利だと思いますよ。

 ウチの近所のスーパーでも、以前は売っていたのですが、あまり売れないのか、最近では店頭に並ばなくなったので、ウチは仕方なく“通販で箱買い”というパターンになってしまった、エルダーフラワー風味のレモン炭酸水です。

 アマゾンでの評判は最悪と言っていいくらいの酷評ですし、おそらくホンモノのエルダーフラワー水(残念ながら飲んだことありません)とは、似ても似つかない変な飲み物なのかもしれません。

 私が飲んだ感じで言えば「ちょっと変わった風味の付いた、苦いレモン炭酸水」って感じです。で、この感じ、私、大好きです。いやあ、たまたま近所のスーパーで特売があって、安かったという理由だけで購入して、おそるおそる飲んでみたのですが、大正解だったのです。最初の一口で、私、トリコになりました。それくらい、ハマりました。

 まあ、ざっくり言っちゃえば“癖の強いレモン炭酸水”なのですが、これがいいんですよ。なので、私、毎日、晩酌の時に、アルコールの代わりに飲んでますよ。また、揚げ物料理の時なんか、食事の最中に飲んでますが…実に料理に合うんですよ、これ。ほんと、お気に入りでございます。

今月の金魚

 みんな元気です。ヤヨイのお尻追いかけ行動さえ、収まってくれたら、平和なのですが…。

今月のひとこと

 昨年(2015年)2月に、反日姿勢を強めた韓国が一方的に打ち切りを決めた“日韓通貨スワップ”だけれど、ここのところ、経済不調が続き、貿易も赤字が続き、国力がだだ下がりの韓国から、通貨スワップの再開をして欲しいという依頼があり、今年(2016年)8月に「再開のための議論を始めましょう」というところまで合意している我が国ですが、いよいよ再開に向けて具体的な話が出てきて、どうやら日本が韓国に500億ドル(約5兆円)ほど供与する事になりそうです。この“日韓通貨スワップ”ってのは、豊富な外貨準備を持つ日本が、外貨準備高の少なくて常時暴落の危機にある韓国のウォンに信用を与えるために行うもので、事実上の韓国通貨救済策であり、韓国にだけメリットがあって、日本には全くメリットのない事なのです。日本に何のメリットもないのに、反日韓国に5兆円ほどのドルを供与するってのは、なんか気持ちとしては、すっきりしないです。せめて、ソウルの日本大使館前にある慰安婦像を撤去してからあげるとか、竹島問題にあれこれ言わないと約束させてから、スワップ再開じゃダメなのかな?(2016年9月30日~10月4日)

 「モンハン」こと「モンスターハンターフロンティアG」というスマホゲームで、料金を受け取ってチート行為をしたために、奈良県警は、奈良県桜井市の通信制大学3年の男(20)を、私電磁的記録不正作出・同供用容疑で逮捕したそうな。チート行為とは“(ゲームに勝つための)ズルい行為”および“ズルをするために不法プログラムを実行すること”です。先日も、脱獄化したiPhoneを販売した業者が摘発されたわけだし…ね。いいぞ、頑張れ、警察。こういう世の中を舐めている連中には、良いお灸です。ついでに、ポケモンGOでチートをしている連中も逮捕しちゃえ!(2016年10月4~7日)

 「言わないのは、言えないから…」と思うよね、普通。何の話かと言えば、蓮舫氏の“国籍選択の宣言日”の件ね。自民党の小野田紀美参院議員も、蓮舫氏同様に二重国籍状態であった事を指摘されたので、すぐさま国籍選択の宣言日を明らかにし、立候補前にはすでに日本人であった事を証明されてますが、なぜに蓮舫氏はそれをしないのか? …できないから…と思われても仕方ないよね。どっちにしても、宣言日を明らかにすると、今までの発言の数々が嘘になってしまうから…なのかな? 国会議員なのに、過去には閣僚でもあった人なのに、外国人で、さらに嘘つきとなると…そういう人が国会議員として適切かどうか疑問ですね。少なくとも選挙で蓮舫氏に投票した人は、彼女が日本人で正直な人であるという前提で投票しているわけだからね。(2016年10月7~13日)

 先週から疲労が重なって、いつも左太ももの筋肉がけいれんをし続けるという状況になた、今週に入り、その部分が硬く腫れるようになって、ついに痛みも感じるようになりました。あんまり痛いので、就寝時に市販の湿布を貼って寝たら、なんと熟睡。最近は眠りが浅くて疲労が取れずに困っていたのですが、湿布一枚で熟睡とは…。医薬品ってありがたいモノです。いい時代に生まれてきたなあ…と大げさに感謝しております。(2016年10月13~17日)

 情けない話。蓮舫氏が日本の国籍選択宣言を行ったのは、今年(2016年)10月7日だそうです。つまり、つい最近ね。彼女は1985年に日本の国籍を取得しています。帰化ではありません。国籍取得です。通常、外国人が日本の国籍を取得した場合、次の手順をもって日本人になります。1)日本国籍を取得[この段階で二重国籍者となる]2)日本と外国籍のどちらかを選択するかを宣言する[優先する国籍の宣言]3)外国籍の離脱手続きを行い証明書を自治体に提出する[相手国の国籍抹消を持って二重国籍の解消。日本人となる]。蓮舫氏の場合、1)は1985年1月に行い、2)は2016年10月に行われたわけです。台湾は現在、法的には日本からは国家として認められていないので、手続き的には3)は不要で、2)まで行えば手続完了となり、日本人になるそうです。結論を言いますと、彼女は22歳までに行うことが義務とされている国籍選択を行わず、2016年10月までの31年間、ずるずると二重国籍者だったわけです。二重国籍者であるからと言って、即座に国会議員辞職とはなりませんが、国籍選択宣言以前に「台湾籍は放棄し、現在は日本国籍のみである」などと虚偽の発言をしているわけで、それは経歴詐称になり、公職選挙法違反になる可能性もあります(それ以前に過去には「生まれた時から日本人です」とも言ってます)。もしも公職選挙法違反となれば、当然、当選無効になりますから、国会議員の資格を失うわけです。つまり議員辞職をしないといけないわけですが…さて、蓮舫の進退はどうなるのでしょうか?(2016年10月17~19日)

 東京オリンピックのボート競技を宮城県でやるか、韓国でやるか…なんて話になっているようだけれど、東京、もしくは東京近郊でやらないのなら、それはもう“東京オリンピック”とは言えないと思うので、宮城でも韓国でもどっちでもいいし、いっその事、ボート競技は無しにしてもいいんじゃないの? どうしてもボート競技をやらなきゃいけなのなら、競技場を晴海の選手村から気軽に行ける場所にしてやって欲しいと思うよ。『東京オリンピックの選手村は晴海(ただしボート競技は除く)』じゃあ、ボート選手だけ村八分になってカワイソウじゃない。選手村じゃあ、国境や競技を越えた選手同士の交流って奴が行われるわけだけれど、ボートの選手だけ蚊帳の外じゃあ、絶対におかしいって。(2016年10月19~20日)

 伝統ある慶応のミスコンをつぶしてしまったレイプ犯は、外国人だったそうです。まああの半島の南半分の方の国の出身だそうです。在日じゃなくて、あちらで生まれて、小学生の時に両親とともにやってきて、そのまま住み着いている外国人だそうです。つまり、移民だね。これだけの事をしでかした、すでに成人年齢に達している人間なのに、移民だからという理由で、マスコミでは実名はおろか、事件の詳細さえ報道されずに、人権が守られるってのは、いくら人権大好きなマスコミとは言え、移民さんを守りすぎているんじゃないの? 犯人が日本人なら、きっとマスコミにボコボコにされているだろうに…と思うと、なんとも割り切れません。これって逆差別だよなあ…。(2016年10月20~25日)

 近所にあるポケモンGOのジムのすべてが、他チームのもので、それもことごとくレベル10のMAX状態だよ。ほんと、やる気がうせます…。(2016年10月25~28日)

 産経新聞、グッジョブ! 産経新聞は今後『生前退位』という言葉を使わずに、本来の正しい用語である『譲位』という言葉を使って報道するのだそうです。当然と言えば当然な話で、日本語は正しく使わないといけないと思います。他の新聞社やマスコミの方々も見習えばいいのに…。さて次は皇室の方々への敬称を正しく使ってほしいなあと思います。なんでもかんでも『~さま』はダメだと思うよ。きちんと『~殿下』『~妃殿下』と呼ばないとダメだよね。差し当たって『皇后さま』は止めないとね。『皇后陛下』ってきちんと呼ばなきゃだめだよ。そうそう、つい先日ご薨去された三笠宮殿下の“~さま”付も同様におかしいよね。(私も不勉強で時々間違えますが)日本語は、なるべく正しく使いましょう。(2016年10月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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