ひとこと

  •  もしも私が北の首領様で、日本や韓国やアメリカに喧嘩を本気で売るなら…韓国には風向きの良い日に風船爆弾のようなもので化学兵器(サリンとかああいうヤツ)をぶっこんで、日本には漁民に装わせた兵士(伝染病に罹患済み)を送り込んでバイオテロを引き起こし、アメリカには…サイバー攻撃だな。銀行とか株式市場とか経済方面の施設を一斉に襲うとか、いっそ原発を遠隔コントロールして大惨事を引き起こすとか…そういう手立てを考えます。そんなわけで、別に北の国が核爆弾とかミサイルとか持つ必要なんてないじゃん。むしろ、そんなモノを持っていると「北のくせに生意気だ!」って言われて、ジャイアンにボコボコにされちゃうよ…ってわけで、ジャイアンはいつコブシを振り上げるのでしょうか? 産経新聞は…12月18日が開戦日かも…って言っているけれど、だとしたら、もう来週じゃん。
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2016年10月の記事

2016年10月31日 (月)

今頃知った話

 常日頃からアンテナが低いなあ…と思っていますが、今回は本当に自分のアンテナが低い事に嫌気が差しました。

 世界的にも貴重なヘルデン・テノールの一人である、ヨハン・ボータが今年(2016年)の9月8日に亡くなったのだそうです。享年51歳。若すぎます。

 実は今、ウィーン国立歌劇場の来日公演が行われていて『ナクソス島のアリアドネ』のテノール歌手/バッカス役としてボータがやってくるはずだったのですが、当然、代役がたてられたわけで、その関係で、ようやく私の低いアンテナにも、ボータに何ががあったらしい…という事がひっかかり、今回の訃報に到達したわけです。

 ああ、ボータの死去も悲しいですが、私のアンテナの低さも悲しいですし、ポータほどの歌手であっても、訃報が一般的なニュースにならないという事も悲しいです。なんか、あれもこれも悲しくて、私、ちょっと取り乱しています。

 私はボータを生で見たことはありません。メトのライブビューイングの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で見た程度です。声は素晴らしいのですが、容姿がほぼドラえもんなのが残念…みたいな事を書いた覚えがあります。亡くなったと知らせを聞いた時は「糖尿病?」と思いましたが、そうではなくてガンだったそうです。

 ボータは南アフリカの出身で、最近ではウィーンに住み、ウィーン国立歌劇場を始め、ヨーロッパの歌劇場で活躍されていたそうです。

 ボータを知らない方のために動画を一つ貼っておきます。

 2008年にウィーン国立歌劇場で歌った『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の中のテノールアリア『朝はバラ色に輝き(優勝の歌)』です。この美声を聞くと、体型がドラえもんでも許しちゃいますね。ほんと、素晴らしいテノール歌手を失いました。合掌。

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2016年10月30日 (日)

ポケモンGOにおける“横取り”から学んだ事

 ええと、また、ポケモンGOの話題です。ポケモンGOの話題が皆さんには受け入れられていないという事実は、アクセス数から知っていますが、それでもなにしろ、私、ただいまポケモンGOに夢中なものですので、ご勘弁ください。「ポケモンの話なんて読みたくもないや」という方は、明日は通常運転に戻りますので、また明日いらしてください。

 さて、本日はポケモンGOにおける、ジムの横取りから学んだ事について話をしたいと思います。

 ジムの横取り…他チームのジムに対してバトルを仕掛け、そのジムの名声を0にして、ジムに自分のポケモンを置こうとした時に、他の人が自分よりも先に、そのジムにポケモンを置いてしまい、せっかく自分が潰したジムなのに、自分のポケモンがジムに置けない…という状態の事を言います。

 これはどういう事かと言うと、ポケモンGOというゲームは、自室でスタンドアロンの環境で行っているゲームではなく、屋外で多くの人々とネットワークでつながった環境の中で行うゲームなので、色々な事が他の人たちとのタイミング次第で変わってしまう事が大いに有り得るだからです。

 具体的に書きます。

 ジムでバトルをし、そのジムの名声をゼロにすれば、ジムに自分のポケモンが置けるわけです。

 そのジムの名声がゼロになるのは、ジムレベル1~2の時のバトルで、最後のポケモンを倒した、その瞬間です。しかし、ポケモンを倒したから言って、すぐに自分のポケモンをジムに置けるわけではありません。

 ジムの名声がゼロになってバトルが終了すると、スマホの画面はアニメーション画面に変わって、そこでは、ジムの名声が減っていく様子がアニメーションで表現されます。そのアニメーション画面の下部にある☓ボタンをタッチして、通常のマップ画面に戻り、そこから改めてジムをタッチして、ジムの画面に表示される、自分のポケモンをジムに入れるボタンをタッチしないと、ポケモンをジムに配置できません。

 つまり、ジムにいるポケモンたちをやっつけて、名声をゼロにしても、自分のポケモンをジムに配置するまでには、アニメーションを見たり、画面をタッチする作業やらがあって、実際にポケモンを配置するまでに、そこそこの時間がかかってしまうのです。

 しかし、そんなふうに頑張ってジムを潰した時に、そばにいる人たちのスマホではどんな事が起こっているのかと言うと、そのジムの名声がゼロになった瞬間に、周囲の人達にそのジムが無所属になった事が知らされます。早いですよ、ほんと、あっという間に伝わります。そこで、無所属になったジムに入ると、ジムを潰した本人がまだアニメーション画面を見ていて、どうにも出来ないにも関わらず、たまたま、そのジムに入った人なら誰でも、自分のポケモンを置ける状態になっているのです。で、自分のポケモンを置けるので、つい置いてしまうと…それが結果として“横取り”になるわけです。

 つまり、これはゲームの仕様の問題なのだけれど、ジムを潰した場合、ジムのポケモンたちをやっつけた本人よりも、周囲にいる人々の方が、先にジムにポケモンを置けるようになっているのです。

 ちょっと「どうなのかな?」という仕様ですが、そういう仕様なので仕方ないです。おそらくゲーム制作者たちは、ジム攻略を“一騎打ちではなく、チーム戦で行う”という前提があるのかもしれません。一騎打ちが前提ならば、ジムを最後につぶした人にジムの権利を与えるべきでしょうが、チーム戦が前提ならば、チーム内の誰がジムをつぶしてもいいわけだし、チーム内の誰がジムにポケモンを配置してもいいのです。

 このゲームは引きこもりのゲーマーが対象ではなく、お散歩大好きな普通の(今までゲームに興味のなかった)人々を対象にしているゲームなので、そんな人たちが、リアルな人間関係の中でパーティーを組んで、共同でジム戦をする…というコンセプトなんだろうと思います。ならば、この仕様でも問題ないわけです。

 さて、実は私自身もジムの横取りをされたり、横取りをしてしまったりという事があります。

 最初にジムを横取りされた時は、結構、怒りがこみ上げてきました。だって、苦労してやっつけたジムなんですよ。そしてやっと名声をゼロにしたのに、他のチームの人に取られて、自分のポケモンをジムに置けなかった時のがっかり感は言葉にできない程です。で、悔しくて、横取りされたジムを再度やっつけて名声ゼロにしても…アニメーションを見ているうちに、横取りした人のポケモンが再度置かれてしまうのです。その時は、そんなやりとりを3度もしました。3度ジムを潰し、3度同じ人に横取りされました。

 さすがに3度も同じ事を繰り返されると、なんかおちょくられているような気さえして、怒りが湧き上がるのを覚えましたが「いかんいかん、たかがゲームじゃないか」と自分に言い聞かせて“たまたま出会った相手が悪かった”と思って、4度目のチャレンジをせずに、その場を立ち去りました。

 私は怒りを収めましたし、おそらく大半の人は苛立ちを感じながらも、怒りを収めていくのだと思いますが、ネットはもちろん、新聞やテレビなどで報道されるように、しばしばジムの横取りが原因で傷害事件が起こっているようです。

 いくら悔しくても殴っちゃいけないでしょう。それはやりすぎ…だけれど、怒る気持ちは、よく分かります。

 でもね、その一方で私、横取りする方の気持ちも分からないではないのです。

 だって、道を歩いていたら、目の前のジムがいきなり無所属になって、ポケモンが置ける状態になっているのですよ。「ラッキー(はぁと)」と思っても誰も文句は言えないでしょ。自制心を働かせて、すぐに横取りせずに、しばらく待っていても、誰もポケモンを置かないようであれば「だったら置いちゃおう」って感じで自分のポケモンを置いてしまうのです。でも実は、すぐにポケモンを置かないのではなく、先に書いた事情によって、すぐにポケモンを置けないだけだったりするのです。ほんと、かなりの時間をかけないと、ポケモンを配置できる画面にたどり着かないのですって。

 これなどは、悪意のない不作為の横取りと言えるでしょう。

 もちろん、横取りの中には、悪意…と言うか戦略的に横取りする人もいます。私が以前食らったのも、そんな感じで横取りしてきたのだと思います。その手口ですが…近くのジムでバトルが行われていると分かったら、そのジムのそばに行って、名声が0になるのを待って、0になった瞬間に横取りをするのです。労せずジムに自分のポケモンを置けるのですから、賢いと言ったら賢いやり方ですし、バトルをしているジムにさえ行ければ、実に簡単な事です。

 ただ、注意する事は、横取りされた方は私に限らず、苛つきますし怒りますし、人によっては暴力をふるう事だってあるし、恨まれる事だってあるだろうから、なるべくこちらの正体を知られないように横取りしないといけませんし、多くの場合、横取りされても、誰に横取りされたか分からない事が多いです。

 私自身、何度も横取りされていますが、多くの場合、誰に横取りされたか、分かりませんが、たまに分かる時もあります。

 私はジムでバトルをする時には、以前横取りされた経験から、なるべく人混みの中でジム戦をしない事に決めているのです。ジムでバトルをする時は、見晴らしいの良い場所で、私以外の人がジム戦をしていない事を確認した上でジム戦をします。

 ある時、私がジムでバトルをしていると、すっと私のそばにやってきて、何もせずにただスマホを見つめて、私がそのジムを潰した瞬間にパパっとスマホを操作してジムを横取りした人がいました。よく覚えてますが、その人は、グレーのパーカーを着た細めのお兄ちゃんでした。またそれから数日後に、同じ手口で、やっぱり私から横取りした人がいましたが、その時は、ブルーのカーディガンに黒のスカートのロングのお姉ちゃんでした。横浜でジムを横取りされた時は、上から下まで真っ黒に決めた革ジャン着た二人組の兄ちゃんたちでした。

 まあ、どちらにせよ、彼ら横取り犯が、すぐそばにいた私がジム戦をしている事を知っていたのかどうか…ですか、彼らはおそらくリアルな人間が、自分たちのすぐそばでジムを潰しているかもしれない…という感覚がなかったのかもしれません。ゲーマーさんたちに有りがちですが、スマホの中で勝手にジム戦が行われていて、まもなく目の前のジムの名声が0になりそうだと思ったので、そのジムの近くにやって、横取りをしただけなのかもしれません。

 ポケモン以外のスマホゲームって、ネットワークを使っていても、基本的には、その場には自分ひとりしかいなくて、他の人が同じ場所にいる…という事がないので、彼らゲーマーは他人に対する配慮が皆無で、人に無頓着で、平気でヒドイ事ができるのだと思います。こういう人が殴られるんだと思いますよ。

 私も、すぐそばの若者にジムを横取りされたわけで、非常に悔しかったし、ほんの一瞬だけど、ぶん殴ってやろうかと思わなかったわけでもないけれど、こちらはオトナなので、そんな事で相手に文句を言ったり危害を加えたりしません。そんな事をすると…傷害事件になるんだろうなあ…。相手は失うもののないゲーマーさんだから大胆な行動も取れるけれど、こっちは失うものばかりのオトナだからね。行動はより慎重にならざるをえません。

 まあ、こういうケースはレアケースで、多くの場合、横取りをした人が誰かは分かりません。自分の姿をさらしてジムの横取りをするなんて、危険極まりない事をする人はほとんどいなくて、多くの場合、人混みに紛れて自分の存在を消している事が多いし、あるいは物陰に隠れて横取りをする人もいるからです。

 これを汚いとかチートとかは言えないと思いますし、マナー違反だとも言えません。だって、横取りが可能なのは、ゲームの仕様である上に、別段、横取りを禁ずるようなゲーム内ルールもないわけです。横取りも含めてゲームなのですから、横取りされるのがイヤなら、せいぜい横取りされないように気をつけるだけです。

 最初のうちこそ、横取りされて悔しかった私ですが、不作為であったり、棚ぼたであったりと、色々なケースがあるけれど、私自身も横取りをしてしまう事も増え、色々と考え方が変わってきました。

 最近では、横取りをされると、溜息を一つついて、すぐに気分を立て直しています。そりゃあ、せっかく潰したジムを横取りされたのは悔しいけれど、取られたら取り返せばいいだけの話だし、取り返すためのバトルをすれば、自分のプレーヤーとしての経験値も増えるし、たいたい横取りされた直後のジムはまだ弱いので、すぐに取り返せるので、あまり気にしないようにすることにしました。それでも以前のように、何度やっても取り返せない時は…イヌにかまれたものと思って、諦める事にしました。

 そうしたら、案外、気分が楽になりました。

 世の中の幸不幸も、程度の差はありますが、こんな感じなのかなって思いました。

 確かに横取りされるのは不運です。不幸と言えるかも。でも、ゲーム内では、横取りされるばかりではなく、横取りだってできちゃうし、思わずしちゃう事だってあるわけで、それを考えると『禍福は糾える縄の如し』なのかもしれません。ならば、ジムを取っただの取られただのと、一喜一憂せずに、横取りされても冷静に取り返せばいいだけの話なのです。自分の不運を嘆き、不幸の中に身を落とすよりも、たとえ世界は変わらなくても、すぐに気持ちを切り替えて、仕切り直して、その時の最善の手を打てばいいのです。

 それって、何もポケモンGOに限らず、あらゆる人生の局面においても同様であるわけです。たかがスマホゲームで、人生を教えられた私です。

 熱くなりすぎて傷害事件を起こすなんて、そんな事で人生を棒に振るなんて、ほんと、愚の骨頂だよ。

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2016年10月29日 (土)

ヤヨイは他の子が目障りで追い出したい…のかもしれない

 以前から不思議に思っていた事のひとつに、ヤヨイのお尻好きがあります。ヒマさえあれば、他の子のお尻を追いかけ回しています。

 金魚のオスの習性の一つに、メスのお尻(ってか総合排泄腔)を刺激して排卵を促す…と言うのがあるので、そういった生殖関係の行動かな?って、思っていました。と言うのも、以前いたアカネ君こと“レッドデビル”の行動に似ていたからです。だけど、アカネはオスだし、実際、お尻を追いかけた後に、大量の稚魚が発生したわけで、あれは間違いなく生殖行動だけれど、ヤヨイはどうみてもメスだし、実際に稚魚は一匹も発生していないし、それなのに、オスのような行動を取るヤヨイは変な子だな…と思ってました。

 でも、最近のヤヨイの様子を見ていると、彼女のお尻好きは、どうもそういった疑似生殖行動とは違っているのかもなあ…と思うようになりました。と言うのも最近はお尻を追いかけるだけでなく、他の子をガラス面に追い込んで、幅寄せをして、体当たりをぶちかますという大胆な行動すら取り始めてきたからです。

 そこで思いついたのが、縄張りの主張。ヤヨイは縄張りを主張して、自分の縄張りから他の子を追い出そうとしている…のかもしれません。

 そう考えると、あれこれ合点が行く事があります。

 まず、ヤヨイのターゲットになっているのは、昔からミドリでした。またカラダが大きくなってきた途端に、シズカもヤヨイのターゲットになっています。と言うわけで、現在、ヤヨイのターゲットになっているのは、ミドリとシズカの2匹だけ。カラダの小さな、アセビやベルちゃんは、ヤヨイの攻撃対象になっていません。これはおそらく、ヤヨイ的に、自分と同格だと思える金魚たちだけを攻撃対象にしているのであって、アセビやベルちゃんのような、まだ体格的に劣る子たちは排除対象になっていない…だけなのかもしれません。

 また、水を替えたり、水草を新しく入れたりなど、水槽の環境が変わると、ヤヨイのお尻追いかけ行動が、しばらく止みます。おそらく、水槽の環境が変わることで、場所も変わったと錯覚して、ヤヨイ的には自分の縄張りが一度リセットされるのかもしれません。まあ、ヤヨイって、金魚の中でも、アタマの悪い方の部類に入る子ですから…ね。

 で、水換えをちょっとサボって水槽の環境を変えないでいると、やがてヤヨイのお尻追いかけ行動が始まります。

 もしもヤヨイのお尻追いかけ行動が縄張りの主張ならば、それをさせないに越したことはありません。だからと言って、頻繁に水槽の水換えをするのも良くないし、水草の入れ替えだって頻繁には出来ません。すぐに出来る事は、ヤヨイを水槽から取り出す事…かな。具体的には隔離して(別に病気じゃないけれど)病院水槽に移動させる事です。でもこれは一時しのぎなわけで、またメインの水槽に戻せば同じ事をするだろうし、かと言って、ヤヨイの乱暴な所業をいつまでも見過ごす事も、他の子たちの安心安全を考えると出来ないよね。

 それにしても、縄張りの主張もオスの行動であって、オスが他のオスに対して行う行動なわけで、ヤヨイはメスだし、他の子たちもメスなので、縄張り行動というのも、珍しいは珍しいのです。だから、私の観察もハズレかもしれないけれど、そうでなく、ヤヨイが単純に変わった子なのかもしれません。

 それに縄張りの主張行為ならば、24時間途切れることなく続くのですが、ヤヨイのお尻追いかけ行動は、結構途切れるのです…ってか、ある一時期に集中して行われますが、それが過ぎるとパッタリ止みます。見ているとヤヨイの体調と関係があるのかも。

 ヤヨイが元気な時に、その元気を持て余して、お尻を追いかけているようなのです。ヤヨイの体調が悪くて、水槽の中で、ちょっと斜めになっている時などは、絶対に他のこのお尻なんて追いかけませんから。

 それにしても、たまにしかないとは言え、ヤヨイのお尻追いかけ行動には目に余る事もあるわけで…さあ、どうするべきか。少し考えないといけませんね。

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2016年10月28日 (金)

ヤマハフルートがインドネシアで生産されるらしい…

 私、不勉強で、アンテナが低くて、ごく最近まで知らなかったのですが、ヤマハフルートの、いわゆるスチューデントモデルである、YFL-221、YFL-211、YFL-311、YFL-411が生産終了になるそうです。いやあ、ビックリしました。

 これらのモデルは、洋銀モデル~管体銀モデルであり、ヤマハの一番の売れ筋フルートであり、多くの学校の吹奏楽部で使われているフルートでもあります。

 これらのモデルが生産終了となり、後継モデルは同規格ではあるものの、型番が変わり(モデル番号の末尾の1が2になるそうです)、製造国が変わります。日本製からインドネシア製になります。

 日本製であろうが、インドネシア製であろうが、ヤマハブランドで販売する以上、一定以上のクオリティは保証されるでしょうし、ユーザー的には、どこで作られていてもヤマハ製品である事は間違いないし、その点は信用してよいのだろうと思うけれど、国内生産だったものが海外製品に置き換わるのは、なんかちょっと寂しい気がします。

 生産地変更は、単純に経費の問題でしょうね。なにしろ、日本人の人件費は高いですから、高い人件費を支払いながら、普及価格の楽器を生産しつづける事に限界が生じたのだろうと思います。日本で作り続けるならば大幅に価格改定をするしかないでしょう。価格の上昇をなるべく抑えたいなら、人件費の安いところで作るしかないわけで、ヤマハはヤマハなりの計算があって、人件費の安いインドネシアでのフルート生産に踏み切ったのだと思います。

 まあ、これが「中国生産に切り替えました」とか言われたら、一挙に客離れを起こしかねませんが、インドネシア生産ならば「国産じゃなくなるのか(ちょっと残念…だけど仕方ないか)」って感じになるんだろうと思います。

 やり方としては、なかなか上手だと思います。

 しかし生産拠点が海外に流出する事は、同時に技術の流出であり、国内技術の流失になるわけで、技術立国日本としては“安価で高品質なフルートの生産”が二度とできなくなる恐れもあるわけで、やむをえない事とは言え、孫子の世代のことを考えると「どうなんだろ?」と思わないでもありません。

 まあ、世界不況の中、ヤマハも経営が厳しいのかな? 特約店はともかく、ヤマハの直営店の数は、みるみる減ってますしね。残っていても、音楽教室だけで楽器販売をしていないヤマハのお店もあります。ラ・フォル・ジュルネからも早々にスポンサーから撤退してますし…ね(いつの話だい!)。

 今は楽器が売れる時代ではない…のかもしれません。ピアノはかなり以前に普及しつくしてますし、新たにピアノを買う人も、アップライトではなく電子ピアノを選ぶ時代です。また、ヤマハの主力製品であるエレクトーンだって、エレクトーンを買わずに電子キーボードを購入されちゃう時代です。昔は若者がモテたいがためにフォークギターを買って練習してましたが、今の若者はそこまでして女の子にモテたいとは思わないようで、ギターも売れていないようです。音楽制作も楽器を使わずに、コンピューターだけで作っちゃう人がプロアマ問わず増えました。

 もっとも楽器が売れないのは、何もヤマハだけの話では無いでしょう。ヤマハ以外の楽器店だって、楽器売場とCD売場の面積は縮小傾向にあります。

 頼みの綱は…吹奏楽部のようで、ヤマハのお店に行くと(気のせいかもしれないけれど)いつもいつも“吹奏楽フェア”をやっていたりします。でも、吹奏楽部頼りじゃあ、そりゃあ頭打ちにもなるよね。

 モノが売れない時代になってきたんだね。

 楽器が売れない、CDも駄目。そんな中、頑張っているのが音楽教室のようですが、その音楽教室も幼児だけではなく、最近はジジイババア向けコースも充実してきました…ってか、充実せざるをえなくなってきた…と言うべきなのでしょうね。これは単純に、子供だけを教えていたのでは採算が取れなくなってきただけなんだろうと思います。

 少子化・高齢化社会になって、久しいもの。

 頑張れヤマハ。とにかく私は、今回のインドネシア製のフルートを支持しますよ。いっその事、サードフルートとして、ヤマハのインドネシアフルートを購入してみようかな?

 しかし、フルートの練習時間そのものがひねり出せないに、フルートを3本も持っていても仕方ないか(笑)。

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2016年10月27日 (木)

ではなぜ、私はクラシック声楽を歌っているのか?

 歌が好きだから…では答えになっていないですね。歌が好きならば、なぜ流行歌を歌わないのか、演歌を歌わないのか、民謡を歌わないのか、詩吟を、義太夫を、新内を…って話になりかねません…ってか、義太夫や新内はクラシック声楽よりもニッチか。

 なぜ私が、歌が好きなのに、わざわざクラシック声楽という、愛好者の少ない音楽ジャンルの歌を好んで歌うようになったのか?という問いに答えるべきなのだと思います。

 うーむ、学校の音楽の授業などで、クラシック声楽やその類似音楽には無自覚的に触れていたと思いますが、私が意識的にクラシック系の歌に触れたのは…就職して、私の教育係になった方がマリア・カラスのファンだったので、その方の影響でクラシック系の声楽に親しみを感じるようになった…というのが、そもそもの始まりだと思います。

 私は、おそらく、この世代としては、平凡で平均的なつまらない音楽遍歴をしてきたと思います。思春期前は、普通にテレビから流れてくる流行歌を好み、思春期の頃は邦楽暗黒時代だった事もあったので、洋楽に親しみ、カーペンターズを同時代のスターとして好んでいました。そこからアバも好きになって、ビリー・ジョエルに親しみ、マイケル・ジャクソンやプリンスに夢中になったわけです。もちろん、古典音楽として、ビートルズやウィングス、ジョン・レノン、ビーチボーイズも大好きでした。

 ああ、つまらない。ごくごく平凡な音楽遍歴だこと。

 それで就職して、マリア・カラスを知って、そこからマリオ・デル・モナコを知って、オペラ&テノールに目覚めたのです。

 そう、ターニング・ポイントはモナコだったわけです。

 モナコを始めて聞いた時に思った事は、不遜ながら「同じだ!」って事です。不遜と言うよりも、不謹慎とか身の程知らずというべきかも(笑)。とにかく“同じ”だと思ったのですよ。

 何が同じなのかと言うと“声”が同じだと思ったのです。もちろん、モナコと私では、声そのものは“月とスッポン”ほどの違いはあるけれど、声の方向と言うか、ジャンルが一緒だと、一瞬でピーンと理解したのです。

 私が若い時って、日本の流行歌って、特に男性の歌って、キーが低かったんですよ。歌っている歌手もバリトン~バスぐらいの声域の人が多かったと思います。だから、私には当時の流行歌って、歌いづらくてね…。当時の流行歌には、私の気を引くような歌もあまりなかった事もありますが、洋楽の方が男性歌手のキーが高くて(洋楽の男性歌手は、たいていテノール音域です)無意識に親しみを感じていたのかもしれません。

 そんな素地があったので、モナコを聞いてピーンと来て「ああ、私はテノールという人種だったのか(納得)」となったわけです。

 で「テノールなら歌える!」と根拠もなく思い立って、市民合唱団の扉を叩いたわけです。「なぜモナコを聞いて合唱を?」と思うかもしれませんが、私の音楽趣味の入り口はカーペンターズでありアバであったわけで、当時はオペラの朗々とした独唱よりも、美しいハーモニーの方が好物だったからです。

 ちなみに、今でもハーモニーは大好きですよ。自分がハーモニー向きの声で無いだけで、ハーモニーは大好物です。合唱は、特に上手な合唱は大好きなんですよ。

 で、1年間合唱をやってみて「君の声は合唱じゃなくてオペラ向き」と言われて(体よく追い出された?)クラシック声楽の先生を紹介されて、その先生の元でさらに1年間勉強したところ、先生の都合で、門下生全員が破門されるという事件が起こり(今考えると、ヒドイ話だし、ヒドイ先生だったと思います)私は破門のショックで、そこから15年ほど音楽から距離を置いた生活をしたわけです。

 その後の音楽の再開も、合唱からです。私は当時、地元の音楽協会の幹部だったのですが、そこで昔所属していた合唱団の幹部さんと再開して、合唱団への復帰を誘われたのです。

 以前は、誰でも参加可能なオープンな合唱団だったのですが、あれから月日が経ち、その頃までには、入団には簡単なオーディションが課せられるようになり、私はそのオーディションに落ちてしまい、合唱団への復帰が叶いませんでした。落ちた理由は単純で「声が強すぎて合唱に向かない。あなたが歌うと、合唱団全体の声が、あなたの声になってしまう」という、実に残念な理由でした。ソリストの道を薦められ、先生もご紹介していただけそうだったけれど、断って、自分で先生を探すことにしました。

 だって、先生をご紹介されたら、どんなに遠くの先生であっても、どれだけ謝礼が高価な先生であっても、断れないじゃない? 当時の合唱を歌いたかった私は、独唱の勉強に時間やお金をかける気になれなかった…という事もないわけじゃなかったのです。

 そして見つけたのが、キング先生だったわけです。安かったし、近かったし、当時の私の条件にはピッタリの先生でした。で、ここから先の話は、このブログに書いてあります。

 ではなぜ、私はクラシック声楽を歌っているのか?

 一つには、出会ってしまったから。マリオ・デル・モナコという歌手の歌声を(CDだけれど)聞いてしまったから。クラシック声楽と出会わないまま、人生を終えてしまう人だって大勢いるなか、私は幸せなことにクラシック声楽と出会うことが出来、そこから歌うことに目覚めたのです。

 もう一つの理由としては、声が独唱向きだったから。私が本来目指したのは合唱あり、合唱団員として学び続けて上達していく事を願ったのだけれど、神様からいただいた声が合唱向きではなかったため、やむをえず、当時的にはイヤイヤ、独唱を始めたわけです。実際、キング先生に入門した時も「独唱ではなく合唱で歌えるようになりたい」と言って、ちょっと嫌がられた事(キング先生は合唱の先生ではなく独唱の先生だからね)を覚えています。で、キング先生の元で学んでいるうちに、独唱の楽しさと素晴らしさを教えていただき、今に至るわけです。

 結論。私が今、クラシック声楽を歌っているのは、デル・モナコとキング先生のお二人に出会ったから…という事になりますね。

 人との出会いが、人生を左右する事もあるのです。

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2016年10月26日 (水)

カラオケは歌うのに、なぜ合唱や声楽は歌わないのか?

 かつて、日本人、とりわけ日本男子は歌を歌わない人たちであると思われていたそうです。明治期にキリスト教を伝えた宣教師たちが、クチを揃えて「日本人、とりわけ男性は歌(讃美歌)を歌ってくれない」と嘆いていたそうです。

 でもそれは、今は昔の話で、街中にあふれるカラオケ店の隆盛を見ると、日本人は男女を問わずに歌が好きで、毎日毎日どこかで誰かがマイクを握って歌っていることが容易に想像できます。テレビ番組だって、カラオケ番組が毎日のように放送されているわけだし、カラオケは、本当に日本人に愛されている娯楽の一つであると言えるでしょう。

 現在の日本人は、かつての日本人と違って、歌が好きだし、個人によって巧拙はあるだろうけれど、おしなべて言えば、決して歌が苦手なわけではないでしょう。それほどの歌好き・歌上手な日本人だけれど、流行っているのはカラオケばかりであり、街の市民合唱団とか声楽教室などは、決して流行っていると言える状態ではありません。その上、それらに参加している人々の平均年齢もかなり高くて、どの団や教室も、男性全般と若い女性は、常に圧倒的に不足しているわけです。

 男性や若い女性は、カラオケでは歌うけれど、合唱や声楽の方には流れてこない…というのが現実の姿…なのかな?

 同じ“歌”なのに、カラオケは大人気で、合唱や声楽が不人気なのは、なぜなのだろうか? カラオケにあって、合唱や声楽には無いものってなんだろう? このあたりについて、ちょっと考えてみました。

1)カラオケは、機械(カラオケマシン)が伴奏してくれる。だから伴奏者に気を使う必要はないし、伴奏者の都合をうかがう必要がない。気軽でお手軽。

2)カラオケは、機械演奏なので正確無比だし、毎回毎回、判で押したように全く同じ伴奏をしてくれるので安心だし、伴奏に合わせて歌うことも割と楽。。

3)カラオケに行くためにわざわざ練習をする人はいない。カラオケ自体が歌の練習であり、本番であり、カラオケで歌うこと自体が目的である。

4)カラオケでは歌える曲だけを歌うので、譜読みの必要がない…と言うよりも、楽譜が読めなくても楽しめる。

5)カラオケでは知っている曲だけを歌うので、知らない曲にわざわざチャレンジする必要がない…ので、楽譜が読めなくても楽しめる。

6)カラオケだと下手でも叱られないし、落ち込む必要がない。上手に歌えれば、みんなに誉められて、その場が盛り上がる。

7)カラオケなら仲間とワイワイ楽しみながら盛り上がれる。デートにも使える。

8)カラオケでは歌うのは原則的に日本語の歌ばかりなので、外国語が苦手でも大丈夫。

9)カラオケだと最新流行の今時の歌をいち早く歌える。

 まあ、カラオケと合唱や声楽では、音楽ジャンルが違うのだから、アレコレ違っていて当然なんだし、カラオケと比べた時に、合唱や声楽の方にアドヴァテージがある事だってあるわけだけだし、それらを列記することだって可能だけれど、これだけカラオケの特徴をあげた後だと、それをしても、ディスる結果になりかねないので、止めておきます。

 さて、実際の話、カラオケにだって、ごく少数とは言え、クラシック系の歌も入っているけれど、歌う人は少ないのが現実です。

 となると、問題は“カラオケVS…”ではなく、そもそも合唱曲とか声楽曲って、人気が無い?って事なのかもしれません。

 まあそう言われれば、そうかも(笑)。だいたい、人気の有無以前に、一般ピープルに、合唱曲とか声楽曲とかって、ほとんど知られていないというのが現状かもしれません。

 カラオケでよく歌われる人気曲って、たいてい新曲です。カラオケを利用する若い人たちにとって、音楽というのは、せいぜい2~3年以内に発表された曲ばかりです。5年前の曲で「うわー、懐かしい!」であり、10~20年前の曲は馴染みのない曲。30年前の曲は「それ、この前お父さんが歌ってた!」曲であり、懐メロであり、教科書で学んだことのある曲なのです。50年前の曲は…そこまで来ると、自分たちとは無関係な曲なわけです。

 クラシックの曲は、一番新しくても、せいぜい100年前でしょ? もう、音楽としては無関係もいいところだし、だいたい外国語だし、難しいし、馴染みないし…まあ、若者たちに人気がなくても仕方ないかな?

結論 クラシック系の音楽は、若者たちに馴染みがないので、人気がなく、そのために歌われることが少ない。

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2016年10月25日 (火)

カラダのサイズに合わせた楽器を使いたい?

 楽器と言うものは、特にオーケストラで使われているような西欧の楽器は、基本的に西欧人、とりわけ西欧男性のカラダのサイズに合わせて作られていると思います。

 例えばフルート。インライン&リングキーのフルートの操作で苦労している方がよくいらっしゃいますが、それはたいてい日本の場合、女性の方で、男性がリングキーで苦労しているって話は(実際はいるのかもしれませんが)ネットではあまり見かけません。私も別に何の苦労もなく、最初っからリングキーのフルートをごく普通に吹いてました。

 女性がリングキーの操作で苦労するのは、単純に指が細くてホールを塞ぎきらない事と、指が短くて無頓着に操作したら、指の腹でキーを押さえられないからです。だから、かなりの訓練とか慣れとかが必要だし、それだけ頑張っても、結局押さえられない人がいたりするのですが、男性の場合、特に私のようにガタイだけなら西欧人並の人間ならば、無頓着に操作しても、指は適度に長いため、きちんとホールに届くし、指の太さもホールを塞ぐのに十分なほどありますので、普通に演奏できるのです。つまり、手の大きさとフルートの大きさがマッチしているわけで、ほんと、操作しやすいのです。

 ヴァイオリンなども、無頓着にフルサイズの楽器のネックを握っても、楽にした指の間隔が自然と全音の間隔になっていますので、音程を取るのが割と楽です。そういう意味では、カラダの大きさがヴァイオリンに合っているわけです。他の楽器も大半は、楽器の大きさとカラダの大きさの釣り合いが取れている事が多いので、操作の巧拙はともかく、操作は本当にし易いものです。

 そもそも、セレナーデの例に出すまでもなく、いわゆるクラシック音楽の演奏は、あちらでは男性が中心になって行われてきました。男性が女性のために心を込めて(あるいは、モテたいがために一心に)演奏するってのが基本にあるわけです。演奏は男性のやるべき事だったわけですから、名門オーケストラのメンバーになるのだって、つい最近までは男性しかなれなかった…なんてところもゴロゴロあるわけです。つまり、音楽の演奏は紳士の嗜み…だったわけです。

 ですから、音楽ホール等の舞台上は、男性だらけ…というのは、そんなに珍しい光景でもありませんでした。まあ、最近では、音大の卒業生のほとんどは女性となっていますから、将来は大きく変わるのかもしれませんが、ともかく、それでも現状ではまだまだオーケストラプレイヤーの多くは男性だったりするわけです。

 だから、そういう歴史的経過を見るならば、オーケストラで使う楽器が、男性サイズしかないのは、道理といえば道理なわけです。

 じゃあ、女性は音楽を嗜まないのか、あるいは楽器を演奏しないのか…と言えば、そんな事はありません。日本ではお琴が、西欧ではピアノが、女性が嗜む楽器という位置づけでした。

 お琴やピアノが女性に嗜まれた理由は…完全楽器だったからじゃないかな? つまり一人で音楽を演奏できるので、家にいる事が多かった女性に好まれたのだと思います。だって、管楽器にせよ弦楽器にせよ、それらの楽器単体だけで音楽を楽しむのは…難しいよね。大抵の楽器は、アンサンブルをするのが前提なわけで、そうなるとアンサンブルのために、ちょくちょく外出できることが必須になってくるわけで、昔から洋の東西を問わず、男性は気軽に外出をするのだけれど、女性はなかなか外出しづらかったので、どうしても女性は家庭で一人で音楽を楽しむ方向にならざるをえなかったわけです。

 ならば、オーケストラの楽器が男性サイズであるように、ピアノなどの鍵盤楽器は女性サイズになっているのかと言えば…それは全然違うわけで、ピアノもやはり、手の大きな男性サイズになっているような気がします。

 「鍵盤楽器なんて、別に手の大きさは関係ないじゃん」 一応、オクターブ奏法が出来るか…つまり、1オクターブの広さを片手で楽に叩けるかって、私は考えます。ちなみに私は、ピアノはロクに弾けませんが、何気にピヤっと左手を広げて、鍵盤をガツン!と叩くと、親指と小指の関係が、たいてい1オクターブになっています。無理すれば、もう少し開くかもしれませんが、無理する状況になった事がないので分かりません(笑)。まあ、ピアノも私のカラダのサイズに合っているのだと思いますので、ピアノの鍵盤も男性サイズなんだと思います。

 なぜなのかな? 1つには、ピアノを楽しむ層に女性が多いとは言え、やはり昔からピアノのトッププロは男性だったし(日本はともかく西欧では)教会のオルガン奏者も男性が多かったわけだし…。

 男女では、カラダの大きさが違うのは当然なわけで、こればかりは、いかんともしがたいでしょう。そこで女性用の小型楽器というのがあっても良いかもしれません。個人持ちが前提となる楽器なら、男性は男性サイズを、女性は女性サイズの楽器を使用すればいいわけで、実際、ヴァイオリンやギターなどの弦楽器では、通常の標準サイズよりも小さなサイズの楽器が用意されていますし、トッププロであっても、女性の奏者の中には、それらの小型楽器で演奏される方がいます。管楽器の場合は、楽器の大きさと調性に関係があるので、女性だからと言って小型楽器を使うわけにはいきませんが、フルートならばカバード式があるように、あれこれ工夫をして、手の小さな人でも演奏しやすくなっているものもあるわけです。

 問題はピアノを始めとする鍵盤楽器です。

 実は鍵盤のサイズには、標準的なモノの他に、トイピアノや一部の電子キーボードで用いられているミニサイズのものがあります。標準サイズのキーボードで演奏困難を感じていても、これらのミニサイズの鍵盤ならOKという人も大勢いらっしゃいますが、ではミニサイズのピアノやオルガンが普及しているかと言えば、答えはNOですね。おそらく、今後も普及しないでしょう。

 答えは簡単。ピアノは個人持ちの楽器ではないからです。ホールなりステージなりの、設備として備え付けが前提となる楽器だからです。施設備え付けが前提の楽器ですから、ホールごとに鍵盤サイズが異なっていてはいけないのです。鍵盤のサイズは世界共通でないと、あそこのホールでは演奏できるけれど、こっちのホールでは演奏できない…などという困った事になりかねないからです。

 つまり「私は手が小さいから、普段、家ではミニサイズの鍵盤のピアノで練習しているの」なんて人がいたとしたら、その人は自宅でしかピアノが弾けないわけで、他所の家やホールの標準サイズのピアノの前では、何も出来なくなってしまう事になります。また、ホールのピアノがミニサイズの鍵盤ならば、普段は標準サイズのピアノで練習している人たちが、そのミニサイズの鍵盤のピアノを嫌って、そのホールを使わなくなるだけです。それも困った話です。

 しかし、昔は昔、今は今だし、将来は将来なのです。ピアニストは洋の東西を問わず、女性が多いです。トッププロにも女性が増えてきました。教会のオルガニストだって、今はおそらく女性の方が多いかもしれません。音大なんて、ほぼ女子大化しています。そろそろピアノを始めとする鍵盤楽器も、何らかの方法で平均的な体格の女性でも普通に楽に弾ける工夫が必要じゃないかなって思います。一つの可能性は電子ピアノの普及かな? 電子ピアノなら、奏者ごとに“マイ鍵盤”を用意し、それを目的の楽器につなげればいいわけだしね。

 とは言え、クラシック音楽を電子ピアノで演奏するようになるには、まだまだ時間と科学の進歩って奴が必要だろうけれどね。

 でもね、手が小さいからと言って、手を大きくする手術(みずかきの部分を外科手術で切って、指を大きく開けるようにする手術が有名)をするよりも、ミニ鍵盤で演奏する方が、健康に良いし、健全だと思うわけです。でも、生のグランドピアノにミニ鍵盤は…普及しないだろうなあ。何か良い方法はないものかしらね?

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2016年10月24日 (月)

ソプラノばかりって…どうなの?

 先日見てきた(プロ歌手たちによる)コンサート。なかなか良かったと言うか、悪くは無かったと言うか。とにかく、興味深いものもあったけれど、どうにかならないものかなと思った事も確かなのです。

 まあ、企画は悪くないです。前半は出演歌手たちが入れ代わり立ち代わり、得意のオペラアリアあるいは歌曲を歌っていくという、いわゆるガラ・コンサート形式で、後半は一人の作曲家に焦点をあてて、その作曲家の代表作を発表年順に歌い継いでいくというもの。前半は歌手の歌声を楽しみ、後半は作曲家の作品を味わうという趣向だったわけです。
 だから企画は悪くないのです。

 ちょっとなあ…と思ったのは、出演者が全員、女性歌手だった事。それも7人中6人までがソプラノだった事。残りの一人は一応メゾソプラノという事だったけれど、私の耳にはメゾと言うよりも、少し太めの声の強いソプラノにしか聞こえませんでした。だから私的には全員ソプラノだったわけです。ちなみに司会をしていた方もソプラノ歌手で、かろうじてピアニストがソプラノではなく(当たり前)、オジサンでした。

 別にピアニストの性別なんて、どうでもいいだよね。私は器楽奏者の性別は全然気にしません。年取ったジイサマでも、若い娘さんでも、良い演奏をしてくれる奏者なら、誰でも歓迎だよ。

 でもね、歌手は違います。歌手は性別が大切です。性が違えば声が違い、それは器楽的に言えば、楽器が違うのに相当します。「トランペットとチューバは同じ楽器」だと思っている方なら、歌手の性別の違いも気にならないかもしれませんが「トランペットとチューバは同じ金管楽器だけれど、音域も違えば、アンサンブルでの役割も違うわけで、やっぱり違う楽器だ」と思っている方なら、私の言うこともご理解いただけると思います。

 出演者が全員ソプラノ…と言うのは、ソプラノを愛する方には、まさに垂涎モノだとは思うものの、私などのように音楽や歌は好きだけれど、別にソプラノを偏愛しているわけではない人にとって、ソプラノしか出演しないコンサートって、まるで金太郎飴のようなモノなのです。最初は良くても、同じような声ばかり聞いていると、すぐに飽きちゃいます。

 例えて言えば、フルート奏者ばかりが集まってコンサートをするようなモノです。フルート好きにはたまらないでしょうが、ずーっとずっとフルートばかり聞いているわけですから、普通の音楽好きとかクラシックファンなら、すぐに飽きてしまいます。

 分かるでしょ?

 企画が良かっただけに「なぜ、ソプラノで統一した!」という残念すぎる思いがしたのですよ。歌手を7人揃えるのなら…理想を言えば『ソプラノ3人、メゾとテノールが1人ずつ、バリトン2人の計7人』がいいなあ。諸般の事情でソプラノをたくさん使わないといけないのだとしても、一人ぐらいは男性歌手…二重唱があるのならテノールを、無いならバリトンかな!…を入れると、だいぶイメージが違うのだけれどね。

 プロのコンサートなんて、エンタメなんだから、お客を喜ばせてナンボですよ。そういう意味でも、ソプラノばかりのコンサートなんて、狙っている矛先がニッチ過ぎますって。

結論 そんなコンサートに行った私が馬鹿者だったって事です。残念。

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2016年10月23日 (日)

ポケモンGOの地方格差問題について その2 ジム戦

 さて、ポケモンGOをやりこんでいると、やがてプレイヤーのレベルというのが上がります。ある一定以上のレベルになると、ジム戦という楽しみがゲームに加わります。

 ジム戦と言うのは、簡単に言うと、陣取りゲームです。ポケモンGOには3つのチームがあって、すべてのプレイヤーは、それぞれのチームに所属しないといけません。で、その3つのチームが、互いにジムを取り合うのです。

 ジムと言うのは、ポケストップ同様に、リアルな施設とリンクされた仮想的な場所です。プレイヤーは、そのジムが設置されている場所に行く事で、仮想空間におけるジムに入る事ができます。で、ジムに入ると、自分が育てているボケモンを、そのジムに駐在しているポケモンたちと戦わせる事ができます。

 ジムは、各チームごとの専属となっています。ポケモンのチームは色別対抗なので、各ジムは、その時々で、赤チームのモノであったり、青チームのモノであったり、黄色チームのモノであったりするわけです。各ジムには1~10までレベルが設定されていて、レベル数と同じ数だけのポケモンが駐在しています。

 訪れたジムが、自分のチームのジムであれば、トレーニングができます。ジムでトレーニングをして、ジムに駐在しているポケモンに勝てば、そのジムの名声(つまり、ポイントね)を上げることができます。ジムの名声を上げていくと、ジムのレベルも上がっていきますので、そのジムに駐在できるポケモンの数も増えてきますので、増えたところに自分のポケモンを配置して、そのジムの一員に加わる事ができます。

 訪れたジムが他色のチームのモノなら、バトルができます。バトルでジムに駐在しているポケモンに勝てば、そのジムの名声を下げる事ができます。ジムの名声が下がっていくと、ジムのレベルも下がっていきます。ジムのレベルが下がっていくと、そこに駐在できるポケモンの数もドンドン減っていきます。名声を下げ続けて、そのジムにいるポケモンをすべて排除してしまうと、ジムのレベルが0になります。ジムのレベルが0になると、いわば道場破りのようなカタチになるので、カラになったジムに自分のポケモンを配置する事ができます。自分のポケモンをそのジムに配置すると、そのジムを、自分たちのチームのモノにできます。

 この陣取りゲームが、結構面白いんですよ。

 まず戦うこと自体が楽しいのです。ポケモンは仮想世界のモンスターで、それぞれのポケモンごとに強さ(CP:戦闘力)が設定されています。CP値が高いほどに強いポケモンと言えますが、実際の戦闘では、CP値が高いポケモンが必ず勝てるのかと言うと、そんなに単純ではないのです。

 ポケモンにはタイプというのがあって、タイプごとに相性が決まってます。例えば、くさタイプのポケモンは、みずタイプのポケモンと相性が良くて、攻撃を食らってもなかなかダメージを受けないし、攻撃すれば効果的に相手にダメージを与えることができます。一方、くさタイプのポケモンは、ほのおタイプのポケモンとは相性が悪くて、攻撃を食らうと酷いダメージとなりますし、攻撃してもたいしたダメージを与えることができません。ですから、相性を考えて戦うと、CP値が低くても相手に勝つことができます。

 またポケモンにはCP値とは別の強さ(HP:体力)も設定されていて、このHP値が高いほどに、相手の攻撃を食らっても耐えることができます。実はポケモンの戦いでダメージを受けると、このHP値が減っていき、HP値が0になるとポケモンは気絶して戦闘不能になる(HPを回復することで、また元気になるので死ぬわけではない)というシステムです。ですから、相手よりもCP値が低くてもHP値が高ければ、持久戦に持ち込んで、相手をやっつける事もできます。

 さらにポケモンには、数値設定はされていませんが、確実に素速さに種類差/個体差があります。攻撃をしかけるにしても、攻撃をかわすにしても、素早く確実に動けるポケモンもいれば、どうにも鈍くさくて動きが鈍いポケモンや、攻撃をするにしてもタメばかりが長くてトロいポケモンもいます。相手のCP値が高くても、動きがトロいポケモンは、攻撃をかわせばいいので、そんなに怖くないです。

 そんなわけで、ポケモンのジム戦は、単純な強さで勝ち負けが決まるわけではないので、きちんと戦略を立てて戦えば、かなり効果的に戦えるわけで、平凡な手駒で手強いジムをつぶすことも出来て、ほんと、面白いのです。

 また、ジム戦には陣取り合戦だけではなく、実は賞金稼ぎという側面もあります。

 前回、モンスターボールをリアルな現金で買うという話をしましたが、実はリアルな現金でなく、ゲーム内の仮想貨幣でも買えます。その仮想貨幣(ポケコインと言います)は、ジムに自分のポケモンを駐在させる事で得られます。ポケコインを得られるのは、一日に一度きり(ってか、前回のチェックから21時間経てば再度可能になってます)です。その時に、ジムに何匹のポケモンを駐在させているかで、もらえる仮想貨幣の金額が変わってきます。ですから、私はリアルな現金は使用しませんが、日々ジム戦をしてポケコインを毎日いただくように頑張って、それでゲーム内のお買い物をしています。

 それもあって、みんなジム戦に励むわけです。

 都会だと、プレイヤーの数も多く、ジム戦の攻防も激しくて、ある場所のジムを占拠しているチームも猫の目のようにコロコロ変わっていきます。実に健全です。もちろん、本当の地方にはポケストップ同様にジムも無いので、全然ジム戦が楽しめません。私の住んでいるようなプチ地方だと、そこそこジムはありますが、プレイヤーの数が少ないので、ジムの攻防がゆったりとして、ついついジムのレベルが成長してしまいます

 ジムレベルの最高は10なのですが、そこまでジムのレベルが上がってしまうと、誰も手を出せなくなります。と言うのも、そのジムが自分のチームのジムであっても、最高レベルの10になってしまったら、定員いっぱいなので、そこでトレーニングをしても、自分のポケモンをそのジムに配置する事が出来なくなってしまうし、そのジムが他色のチームのジムであったとしたら、そんな高レベルのジムを潰してレベル0にまでしないと、自分のポケモンが置けないのだけれど、レベル10のジムを一人で潰すのって…そりゃあ大変なんですから。

 だいたい、上手に戦ってもレベル10のジムを潰すには、延べで50匹程度のポケモンを倒さないといけません。弱いポケモンならともかく、ジムにいるポケモンって、それぞれのプレイヤーの選りすぐりの強いポケモンが駐在しているので、こちらも強いポケモンをたくさん用意しないといけません。延べで50匹かそれ以上の数のポケモンが必要です。

 実際は、一度に50匹のポケモンを使うわけではなく、一度に使えるポケモンは6匹となっています。この6匹で戦って、少しずつ相手のジムの名声を減らしていくのです。もちろん、戦えばこちらも無傷というわけにはいきません。多くのポケモンが気絶したり、ダメージを受けたりします。

 それらのポケモンを元気にするためには、きず薬と呼ばれる回復アイテムが必要となります。当然、多くのポケモンをバトルに投入すれば、それだけ多くの回復アイテムが必要になります。きず薬にも各種あり、それぞれに効果が違いますが、50匹のポケモンを回復させ続けるには、各種きず薬を上手に組み合わせても、100~150個程度のきず薬が必要かな? これら各種のきず薬も、モンスターボール同様に、ポケストップで補給しなきゃいけません。更に言えば、モンスターボールとは違って、きず薬はショップでは購入できないので、本当にポケストップに行けないと、ジム戦を楽しむ事ができないのです。まあ、ポケストップ以前に、地方にはジムがありません(涙)けれど…。

 ほら、やっぱり地方ではジム戦をロクにできないのですよ。

 都会では、ジムがレベル10まで成長することはほとんどありません。せいぜいレベル3とか4止まりです。それほど、人の出入りが激しいわけです。ですから気軽にジム戦ができるし、各色同士でジムを取ったり取られたりの陣取り合戦が面白いわけだし、簡単にジムを自分のモノにもできますから、賞金稼ぎも楽しいのです。

 でも、プチ地方では、プレイヤーの数が少ないために、そんなに人の出入りが激しいわけではありません。その結果、ジムが成長してしまって、我が家の周辺のジムはどこもかしこもレベル10まで育ってしまっています。困ったものです。

 自分の色のジムなら何の手出しも出来ないし、他色のチームであっても、そこを潰すには労力がかかりすぎてしまい、二の足を踏んでしまいます。結局、プチ地方では、ジム戦から足が遠のいてしまうわけです。私も自宅近所のジムではジム戦が出来ないので、毎日、比較的人の動きがあってジムのやり取りができるジムまで遠出をしてる始末です。

 ジム戦って面白いのに、それが気軽に出来なくなってしまうと、なんともストレスが溜まるものです。これがプチ地方の悲しさだね。

 ああ、ポケモンGOを楽しむなら、やっぱり都会がいいなあ。それも大都会がいいなあ。ポケモンGOを楽しむために、上野公園の西郷さんの足元でホームレス生活をしちゃおうかしらと、一瞬でも迷うほど、都会の誘惑は激しいのです。

 ああ、都会で暮らしたい(ボソッ)。

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2016年10月22日 (土)

ヤヨイとミドリが、なかなか立派に成長してきました

 今、我が家にいる金魚たちは、基本的に“駄金”です。いわゆる“はねもの”と呼ばれる、B級あるいはC級にランク付けされるような金魚たちです。

 以前の私は、金魚は金魚専門店で購入していたので、我が家の水槽には、自然と高級金魚やらA級金魚やらで揃っていました…と言うか、専門店で観賞用として売られているのは、そういう高級金魚だけで、いわゆる“駄金”は熱帯魚などの肉食魚のエサとして売られているだけなのてす。だから、とりたてて区別や差別をしているつもりはなかったのですが、ウチの水槽は高級金魚だらけだったわけです。

 でも、長引く不況のせいなのでしょうか? 近隣に複数あった金魚専門店がドンドン廃業してしまいました。今じゃあ、一番近くの金魚専門店でも、そこに行くためには、電車に乗って1時間以上かけなければいけません。とても、気軽に出掛けられません。

 今、街にあるペットショップだって、その相当数はイヌネコの店であって、金魚や小鳥を扱っていません。ホームセンターのペットコーナーも、生体は扱わない所が増えました。規模の大きな総合ペットショップにでも行かないと、金魚が買えなくなりました。残念ですが、金魚はペットとしてはマイナーな立ち位置なのでしょうから、これはこれで仕方ないです。

 なので、我が家でも金魚の購入先を総合ペットショップに変更せざるを得なくなり、今いる子たちは、シズカだけが金魚専門店の子で、後はみんな総合ペットショップの子です。

 ちなみに、シズカは沼津に遊びに行った時に入った金魚専門店で購入した子です。現在シズカは、なかなか立派な魚体に育ってます。さすがにお高い金魚だけはあります。ただし(おそらく購入時に私が見落としていたのでしょうが)シズカは尾ビレの一部が欠損しているという重大な欠陥があるわけですが、それを除けば、本当に立派な金魚になりました…ってか、高い値段で売られていたのですから、立派に育って当然です。

 シズカ以外はみんな駄金なわけですが、一応、購入時に私の厳しい審査をくぐって我が家にやってきただけあって、元は駄金でも、そこそこ立派に成長しています。

 特に最近思うのは、ヤヨイとミドリが、なかなか立派になってきたなあ…という事です。

 まあ、ヤヨイに関して言えば、魚体の立派さは、シズカにやや劣るものの(シズカと比べると、ヤヨイはややボテッとした魚体です)、カラダのバランスはかなり良いですし、ヒレはどのヒレも長くてカタチがいいし、何よりも三色琉金には珍しい事にウロコが透明だったりします。これで頭部に小さくても肉瘤があれば、東錦(高級金魚です)に分類されたんでしょうが、残念な事に、ヤヨイには肉瘤はありません。

 実に健康ですし、目もクリクリ動いて活発です。まあ、性癖にやや困難があります(他の金魚のお尻が大好き)が、それを除けば、高級魚にも見間違うほどの金魚に育ちました。

 ミドリも立派になりました。目玉もドカンと大胆に横に飛び出しています(出目金の駄金は、目玉の飛び出しが少ないのです)し、カラダは小ぶりですが、ヒレは実に長いです。体色も一時は薄くなりましたが、最近は再び『上から見ると漆黒、下からみると黄金色』の黒出目金としては理想的な体色になってきました。

 問題があるとすると、元気がない事…かな。おそらく内蔵に問題を抱えているんだろうと思いますが、ひ弱なのです。普段から、あまり泳ぎ回ることもなく、静かにしている事多いですし、一日の大半を寝て暮らしいてます。元気あふれるヤヨイとは、実に正反対だったりします…が、魚体だけなら、ヤヨイやシズカよりも立派かもしれません。おそらく、今までウチで飼っていた黒出目金の中でも、一二を争うほどに美しい出目金らしい魚体に育ちました。

 まあ、アセビとベルちゃんは、まだまだ子どもで、どう育っていくのかは、これらかの楽しみですが…どうだろ? 今のところは元気だけが取り柄って感じです。

 駄金として安価に売られていた子たちですが、命の価値に高いも安いもありません。ただ、市場に出される前にプロの鑑定士さんにハネられた子たちですから、なんらかの問題を持っている事は確かです。まあ、そのあたりの事を問題を気にせずに、受け入れてあげれば、それはそれでかわいい子なのですよ。

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2016年10月21日 (金)

ああ、指が動かない(涙)

 私は、おじいさんになってからフルートを始めたせいか、指の運動性は極めて悪いのです。ちょっと速い曲とか楽譜が黒い曲は指が追いつきません。それでも、始めたばかりの頃は、毎日毎日数時間ずつフルートを吹いていましたので、出来ないながらも、自分基準では「そこそこ指が回るようなった」わけです。

 よくH先生は「指なんて、誰でも練習すれば動くようになる」とおっしゃいますが、それはまさにその通りで、練習を重ねていれば、指なんて(その人なりに)動くようになります。

 夏合宿の頃の私なんて、まさにそんな感じだったもんなあ。

 ところが、ここのところ、仕事が忙しくて、自宅での練習もままならず、レッスンにも行けていないわけですが、そうしたら、ジワジワと指が動かなくなってきた事を感じるようになりました。

 特に顕著に感じるようになったのは、低音または中音におけるレミレミレミ…というフレーズです。もう、右の薬指や小指が自分の意志通りに動かない動かない(涙)。もう、嫌になるくらいに動かない。まるで他人の指みたい。

 これは筋肉の問題と言うよりも、神経の問題だろうなあ。練習をして、指を動かすという命令が通りやすくなったにも関わらず、それが定着せずに、すぐに元の指が動きづらい状態に戻ってしまった…んだと思います。

 おそらく、若い時ならば、人生の一時期に集中して身につけたことは、しばらくやっていなくてもカラダが覚えていてくれるわけですが、年を取ってから身につけたことは、なかなか定着せず、しばらくサボってしまうと、すうっとカラダから抜けてしまい、元の木阿弥となるようです。

 早いなあ…カラダから抜けていくのが、早いなあ。ほんと早い。

 まあ、また時間を掛けて練習していけば(そもそもそんなに高いレベルではないので)以前の状態に戻れると思いますが、努力が定着しないという事実と向き合うのは、なんとも悔しい事です。

 努力が定着せずに、むしろ忘れてしまう…という状態では、上達とか進歩とかなどとは無縁な世界なわけで、なんとも情けない話です。精神衛生上も極めて良くないです。

 でも、年をとるってのは、そういう事なんだな。情けないけれど、仕方がないです。

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2016年10月20日 (木)

やっぱり独学は薦めない

 昨日は独学を薦めた私ですが、今日の私は独学を薦めません。独学はダメです。

 確かに独学だとハードルが低くて、入門しやすいのですが、その分、底が浅いのです。底が浅いので、すぐに学びの限界に到達してしまいます。まあ、天才的な才能を持っている人は別でしょうが、凡人だと、すぐに上達が止まり、飽きてしまいます。そこそこ出来るようになったところでお終い。決して、本格的な習得にまでは達する事ができません。

 「別にオトナの趣味なんだから、それでいいじゃん」

 そう言われてしまうと、その通りなんだし、本人が本当にそれで良いのなら、別にそれでも良いのです。でもね、それって、お宅拝見的な言い方をすると、玄関に入ったところで「もう分かった」と言って、帰っちゃうようなものです。玄関から入ったところに、本当の楽しさがあったりするわけですよ。例えば、立派なシステムキッチンがあったり、広い広い居間があったり、書斎やオーディオルームが充実していたり、ロフトがあったり、屋根裏部屋とか地下室とかがあったり、心静まる和室があったり、見事なお庭があったり…。玄関で帰っても、その家に行った事には間違いないけれど、やはり家の中に入らないと、お宅を拝見した事にはならないわけです。

 オトナの趣味だって、同じ事だと思うのです。

 一通りの事が出来るようになって、例えば楽器演奏ならば、童謡とか愛唱歌を演奏できるようになれば、それはそれで楽しいでしょうが、それだけでは、知り得ない楽しみがたくさんあるわけです。その楽器のために書かれたクラシックの名曲を演奏するには、もっと技量が必要でしょうし、ジャズやポピュラーで活躍するにも力不足でしょう。オーケストラなどの団体に参加するにしても“一通り”程度の力量では厳しいでしょうね。

 楽器演奏以外の趣味だって、同様です。やはり上達すればするほど、力量が上がれば上がるほど、見える世界か変わるし、出来る事、楽しめる事が増えていきます。

 でも、そこに到達するためには、独学だけでは無理です。「すこしの事にも、先達はあらまほしきことなり」と兼好法師が言っているのは真理です。高く深く学ぼうと思えば、先達、つまりはあなたを導く人が必要になります。今風に言うなら「先生について学びなさい」って事です。

 先生について学ぶと、独学と較べて、こんなに良い事があります。

 まずは、練習をサボれなくなります。独学だと、誰も怠惰を戒めませんから、ついつい練習サボってしまいがちですが、先生についていると、次のレッスンまでに、ある程度は仕上げないといけないので、必ず練習をするようになります。

 それに、先生に謝礼をお支払するわけですから、お支払の分だけ、一回一回のレッスンは真剣にならざるを得ません。真剣になって学べば、そりゃあ上達するわな。

 独学だと練習して終わりですが、先生について学ぶと、発表会とか、おさらい会とかが付いてきます。練習をすれば上達しますが、発表会に参加すれば、飛躍的に上達します。

 グループレッスンであればなおさら、個人レッスンであっても、先生を通じて、同じ趣味の仲間が増えます。それはとても楽しい事です。同好の士が集まって、合宿なんてした日には、自分でもビックリするほど上達するものです。また多くの人と知り合い、人の輪が広がり、新しい出会いもあれば、さらに世界が広がります。無限の可能性だって感じられるかもしれません。

 先生について学ぶ。同好の士と交わると言うのは、本当に自分を広げてくれるものです。

 ですから、最初の最初は、お試し的に独学っぽいところから始めたとしても、その趣味を真剣にやろうと思ったなら、やはり独学ではなく、しっかりと師匠について、きちんと基礎から学んだ方がいいですよ…とお薦めする私でした。

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2016年10月19日 (水)

独学の薦め

 オトナが趣味で何かを始めようとした場合。例えば、私のように、歌を上達させたいとか、笛を吹きたいとか…他にも、絵を書いてみたいとか、小説を書きたいとか、ダンスをしたいとか…あるいは、ダイエットをするとか、ヨガとかエアロビをするとか…。とにかく、何か思い立って、それを行動に移そうと思った時にどうするのかと言うと…最近なら、まずはネットにアクセスして、それらのテーマに関するウェブページを読んで、見よう見まねから始めるんじゃないかな? ちょっと前だったら、本屋に行って、実用書のコーナーを漁って、自分の興味を満たしてくれそうな本を購入して、とりあえず本に書いてある通りの事をしてみるとか…そんな感じではないでしょうか?

 実際に自分も似たようなモノでした。中学生の時に(オトナじゃないけど勘弁)ギターを始めたのだけれど、楽器屋で適当な教則本を買ってきて、根性で最初から最後までやってみたら、ギターが弾けるようになっていました。

 私はコンピューターを、結構自由自在に取り扱っていますが、これだって誰かに習ったわけでなく、ひたすら、パソコン雑誌とソフトウェアの解説書とネットの情報だけを頼りに、ここまで上達してきたわけで、ある意味、私のコンピューター力は独学なんです。

 おそらく、多くのオトナが、学校や仕事以外で、何か趣味的なモノを始めようと思った時、まずはネットや実用書に当たって、そこに書いてあることを参考に、見よう見まねでマネをして始めてみるのではないかしら? そして、それって、実は“独学の第一歩”なんだと思います。

 最初は記述通りに見よう見まねで行って、面白ければ、更に前に進み、思ったほど面白くなかったり、大変だったりしたら、そこで辞めてしまう…学習の第一歩が独学であれば、始めるハードルも低く、途中で辞めるのも簡単です。簡単どころか、「ちょっとお試し」的な気分で、最初っから長々とやるつもりがないから、ハードルは低ければ低いほど良いわけで、そういう点でも、まずは独学で始めると言うのは、気楽で良いのです。

 何事も、見ると聞くでは大違いなわけで、外から見れば楽しそうでも、実際に楽しいかどうかは、やってみなければ分からないわけだし、他人には簡単でも自分には合わないことや、自分の隠れた才能を引き出せる事もあるわけだから、気楽な気持ちで、新しい事にチャレンジできるのは大切な事です。

 そこで、周囲に気を使わずに始められて恥ずかしくない独学は、本当にもう、ベストなチョイスなわけです。

 だから、きっかけなんて、何でも良いのです。「ちょっと面白そうだ」「なんとなく楽しそうだ」「自分でもできたらいいなあ」といった程度の興味関心で良いのです。とにかく、一歩を踏み出してみましょう。そこで新しい自分を発見できるかもしれません。そのために、独学でちょこっとだけお試しでやってみる…というのは、とっても良い事だと思いますよ。

 さあ、何でもいいから、レッツトライ!

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2016年10月18日 (火)

原点は、西城秀樹!

 今の若い人は知らないかもしれませんが、昔、西城秀樹(さいじょう・ひでき)というアイドル歌手がいました。スラっとして背が高く、髪が長くて、かっこ良くて…現在の嵐と同じか、それ以上の人気がありました(ほんとだよ)。

 私が幼少の頃は、ちょうど西城秀樹の全盛期で、テレビをつければ、毎日毎日、どこのチャンネルでヒデキが歌っていました。いや、歌うだけでなく、芝居をやっていたり、コントをやっていたり、カレーの宣伝をしたり(笑)。ヒデキの事は、見たくなくても目に入るし、聞きたくなくても耳に入る…と言った状態でした。いや、べつに、見たくないわけでもなければ、聞きたくないわけでもなくて、実際は、毎日でも見たいし聞きたかったわけだけれどね。たぶん、日本中みんな、ヒデキの事が好きだったんだと思います。

 その頃の私は、実は、健康的なヒデキよりも、退廃的なジュリー(沢田研二)の方が好きでした。今でもカラオケで、ジュリーの歌は歌いますが、ヒデキの歌は歌いません。実は私にとって、ヒデキって、そんな感じの歌手でした。嫌いじゃないのだけれど、特に大好きってわけでもなっかたのです。

 でも、ヒデキの歌って、当時としては、実に圧倒的だったのです。

 ルックスが良いのはアイドルなんだから当然として、歌が抜群に上手いし、アクション(ダンスではなく、振り付けなんだけれど、彼の場合はアクションと呼んでいました)は、棒立ちで歌うのが当たり前の時代には(これでも)ド派手だったし、何と言っても、決めになると絶叫。絶叫絶叫絶唱…という歌唱スタイルでした。今見ると、そんなに絶唱していないような気がしてますが、当時はなんかすごかったなあって印象でした。何しろ彼のライブステージがテレビ中継されたりすると、私は必ず見ましたが、ライブの終盤では、絶叫のしすぎで、声が無くなっていましたもの。でも、その無くなってしまった声で、ふりしぼるように歌続けるのが、またカッコ良かったわけです。

 このヒデキの歌唱スタイルが、無意識のうちに私に刷り込まれていったのだと思います。いや、それは私だけでなく、私と同世代の男の子たちは、みんなヒデキにやられたと思います。

 だから、歌うってなると、ついついヒデキのスタイルで歌う…つまり絶唱しちゃうんです。これは、私よりも若い世代で、歌うとなると、サザンの桑田君のスタイル…歌詞の日本語をわざと変な発音に変えて歌う…になっちゃうのと、ある意味、同じなわけです。

 絶唱スタイルは…時代なんだろうなあって思います。日本ではヒデキが絶唱してましたが、当時はハードロックの時代でしたから、洋楽でも多くの歌手たちがハイトーンで絶唱していました。そういう時代です。私も長じるにつれて、歌謡曲から洋楽に趣味を変えていったのですが、ヒデキに慣れた私は、やっぱり絶唱型のハードロックは普通に聞いていました(でも、音楽趣味的には、ハードロックよりも、メロウなポップの方が好きでしたが:笑)。

 結局、ヒデキからハードロックへと続く私の音楽趣味の流れが、オペラのテノールにたどり着いたのかもしれない…なんて、思うようになりました、ってか、たぶんそうです。となると…私の歌の原点は…ヒデキ? 西城秀樹…なのかな?

 なんて事を、ある日、ふと思い立ったしまったのでした。でも、たぶん、これ、正解なんだと思います。

 最後に、ヒデキの事を知らない人のために、動画を貼っておきますね。

 ちなみに、私が好きなジュリーはこっちです(笑)。今じゃ左ボケしちゃった残念なジイさんですが、若い時は格好良かったんですよ。

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2016年10月17日 (月)

歌う時、急に音量が変わる人がいる

 話す声は普通なのに、歌い始めると急に声が大きくなる人がいます。かと思うと、歌い始めた途端に、蚊の鳴くような小さな声になる人もいます。音程…というか、声のピッチが急に上がる人も入れば、下がる人もいます。ほんと、世の中には色々な人がいるものです。

 かくいう私も、話す声と歌う声は違います。歌う時の声の方が、甲高くて細くて深い声になります。軽いテノールだからね(笑)。

 普段使っている話し声と、歌う時の歌声って、誰でも普通は違います。

 で、どちらが本来の声なのかと…と言えば、未訓練で誰でも使っているのは話し声ですから、本来の声と言うのは、話し声の方かもしれません。歌声は、多かれ少なかれ、訓練しないと使えませんから。

 歌声で話す人って、あまりいませんが、話し声で歌う人って、ポピュラー系音楽などには、たくさんいます。それを考えても、人の本来の声って、話し声なんでしょうね。

 いわば、本来の声、つまり“ニュートラルな声”である話し声に訓練を加えて、より遠くまで聞こえるようにしたり、より美しく、決められた任意の音程で歌えるようにした声が歌声…って感じなんでしょう。

 身近な所では、よく家庭の主婦が、近所の奥様方と話している時の声と、電話を取り次ぐ時の声を自然と使い分けていますが、あれなんかと同じように、人は話す時の声と歌う時の声を自然と使い分けているんだと思います。

 さて、歌声の話に入ります。

 歌う時に、急に声が大きくなる人がいます。これには2つのタイプの人がいて、1つは、よく響く声で歌うので、声が大きく聞こえるタイプの人と、単純に怒鳴り声で歌うので大きく聞こえるタイプの人がいると思います。

 実は、昔の私は、たぶん後者のタイプだったんじゃないかなって思います。別に怒鳴りたくて怒鳴っていたわけじゃなくて、子どもの頃に「もっと大きな声で歌いなさい」と言われ続けて、それが癖になっていただけなんだと思いますが。ほら、未訓練な人間に「大きな声を出しなさい」と命じても、大きな声の出し方なんて知らないから、ついつい怒鳴ってしまうわけで…それが定着していただけね。

 今でも、ついつい声帯を鳴らして歌ってしまいますが、声帯って鳴らし過ぎると、怒鳴り声になってしまうので、注意が必要です。

 歌う時に、急に声が小さくなるのは…単純に未訓練で、カラダが声を出すようになっていないだけなんだと思います。最初は小さな声でしか歌えなくても、めげずに歌いつづけていけば、必要な筋肉も鍛えられて、やがては大きな声で歌えるようになるでしょう。

 歌い始めた途端に声のピッチが変わる人は…高く変わる人は、ある意味クラシック声楽向けって言えるかもしれませんね。ただ、声のうわずりが激しい人は、腹筋を使う事を気をつけた方がいいかもしれません。低く変わる人は、ノドに力が入っている可能性がありますので、注意した方が良いでしょうね。

 声は小さいよりも大きな方が良いでしょう。ただし、怒鳴り声や悲鳴はアウトです。声が高くなったり、低くなったりは、不快な声でなければ、楽に歌える方で歌った方がいいでしょうね。よく分からなかったら、とりあえず高い声で歌った方が、後々つぶしが効きます(笑)。

 歌声について考え始めると、際限がなくなってしまいますね。

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2016年10月16日 (日)

ポケモンGOの地方格差問題について その1 ポケストップ

 今回は、スマホゲームの『ポケモンGO』に関する事を記事にします。ゲームを知らない人のために、解説を入れながら記事を書きますが、それでも分からなかったら、ごめんね。

 よく、都会と地方の比較と言うか、都会で暮らす事と田舎暮らしの比較とかが、ネットでされています。だいたい「都会は何かと便利。地方は(精神的に)豊か」という結論に落ち着き、都会も地方も、どっちもいいよね…というタマムシ色の結論になりがちだし、実際、求めるものの違いで、そもそもどちらに軍配が上がっても不思議はないと思います。

 でもね、ことポケモンGOに関して言えば、地方よりも都会の方が絶対に良いです。と言うか、地方でポケモンGOをするのは、色々と厳しいです。

 まず、ポケモンGOというゲームは、どんなゲームなのかと言えば、スマホゲームの一つで、スマホ片手に散歩に出掛け、ゲーム内の地図情報が現実とリンクしていて、リアルに散歩をしていく先々でスマホの中に現れる各種のポケモンを捕獲(ゲット)していくゲームです。肝心なポイントは、スマホを持って、実際に外に出ていかないと何も始まらないって事。実際に外を歩かないと何も起こらないという点。部屋に引きこもっていては、何も始まらない…と言うゲームなのです。

 つまり、オソトな人たち向けのゲームなのです。

 最初は、歩いているとスマホの中に現れるポケモンをゲットしていきます。そのためには、ゲーム内に用意されているモンスターボールというアイテムが必要で、このボールをゲームの中のポケモンに(仮想的に)うまくぶつけてあげると、ポケモンが捕獲できるというシステムになっています。

 そうやってたくさんポケモンをゲットしていくと、プレイヤーの経験値が上がっていきます。ポケモンをたくさんゲットして、自分の経験値を上げていくことが、最初の頃のゲームの楽しみです。

 でも、この段階で、すでに都会と地方では大きな格差があって、ゲームの入り口の段階で、地方の人間はポケモンを楽しめなくなってしまうのです。

 ポケモンの出現そのものは、都会も地方もあまり差はありません。人がほとんど住んでいないような山奥でも、ポケモンは律儀に現れます。問題は、それをゲットするためのモンスターボールの入手なんです。

 ゲームをスタートしたばかりの時は、それなりの数のモンスターボールが与えられていて、それを使っていけばいいのだけれど、最初にもらったボールなんて、実はあっという間に使い切ってしまいます。

 と言うのも、ボールは消耗品なのです。一回投げたら、それでお終い。現実社会のようなに、投げたボールを拾って使うなんてありえないのです。投げたら投げっぱなしなのです。ですから、どんどんボールを消費するわけです。で、手元にボールが無くなったら、どうするのか? ボールを補給してくればいいのです。

 モンスターボールの補給はどうやってするのかと言うと、2つの方法があって、その1つは、ポケストップという任意の場所に行って補給作業をするという方法です。私は専らこの方法を活用しています。

 都会なら、一箇所のポケストップでモンスターボールを補給をしたら、100歩も歩かないうちに次のポケストップがあるので、ポケストップからポケストップへと渡り歩けば、いくらでもモンスターボールの補給が可能です。ボールさえあれば、ポケモンなんてゲットし放題なんてす。ちなみに、一箇所のポケストップで補給できるモンスターボールの数は、その都度変わりますが、だいたい1~5個ぐらいで、感覚的には、一箇所のポケストップで3個程度のモンスターボールの補給ができるかなって感じです。だから、あっちこっちのポケストップを日々たくさん訪れる必要があります。でも、都会ならポケストップが密集しているので、それも実に簡単な話なのです。

 でも地方だと、密集どころか、肝心のボケストップそのものがありません。ポケモンはどんな山奥にでも現れますが、ポケストップはどこにでもあるってわけじゃあありません。ポケストップは、基本的には人里にしかありません。神社とかお寺とかキリスト教会、郵便局に公園、美術館、博物館、マクドナルドにソフトバンクショップなどの現実の施設とゲーム内のポケストップがリンクしています。ですから、リアルな世界でこれらの場所を訪れないと、ポケストップに行くことができません。

 でも、地方だと、自分の生活圏内にこれらの施設なんて一つもない(涙)なんてこと、あるでしょ? スマホの画面をいくらグルグル回して探しも、ポケストップが一つもないなんて事は、地方だと、掃いて捨てるほどあります。私も今年の夏に野尻湖に出かけていって、それに近い状況に陥りました。なにしろ宿泊したホテルから見えるポケストップは、たった一箇所しか無く、それは湖の中の無人島の神社で、そこに行くには、貸しボートで行くか、泳いでいくかしか手段がない…つまり、見えるけれど、行けないって状況だったのです。これじゃあ、無いのも同じです。その時は、ヤマカンを働かせて、ゲームの中では見えない場所である、湖の対岸側(こっちの方が少し賑やか)に行けば、ポケストップがあるんじゃないかと思って、頑張って湖の対岸側まで散歩をしてきました。湖の対岸側には、確かにポケストップがありました…が、2箇所っきりでした(笑)。おそらく、そのあたりでは、そこ以外には徒歩圏内でのポケストップは無いと思います。

 つまり地方では、わざわざ車で移動しない限り、ポケストップを巡回してモンスターボールの補給なんて、できないって事です。ポケモンGOでの移動は徒歩が原則で、せいぜいが自転車移動までです。車で移動すると『高速で移動した』というふうにゲームが判定して、その間の移動距離がノーカウントになります。実はポケモンGOではプレイヤーの移動距離も大切なゲーム攻略の要素なので、そうなると、おいそれと自動車利用はできないわけです。でも、徒歩や自転車で移動していては、とてもポケストップを巡回する事ができない。ポケストップに行けなきゃ、モンスターボールの補給はできない。ボールの補給が出来なきゃ、ゲームが出来ません。ほら、困った。

 そんな人のために、もう1つ、ボールを補給する方法があります。方法があると言うか…おそらくは救済処置になるのだろうと思いますが、それはリアルな現金を使って、ボールを購入する事です。ポケストップを巡ってモンスターボールの補給が困難ならば、モンスターボールを購入してください…ってわけです。

 ゲーム内にはショップがあって、そこでは、モンスターボール20個が120円で販売されています。120円…つまり1ドルだね。で、それだけ支払うと、ボールが20個購入できます。でも、たったの20個ですよ。

 私は毎日ポケモンを約100匹程度ゲットしています。1匹のポケモンに使うボールは、たぶん1~3個程度。一応、一匹について2個使うと計算しても、一日に200個程度のボールを使用しているわけです。

 モンスターボールを200個まとめて購入すると、実は安くなるので、ボール200個は960円になります。もしも私が毎日使用しているモンスターボールをポケストップの巡回ではなく、ショップでの購入で入手するならば、毎日約1000円分のモンスターボールをショップで購入しなければならないわけです。ゲームはほぼ毎日やっていますので、一ヶ月で約3万円の支出?になります。

 たかがスマホのゲームに、毎月3万円ずつ支出するなんて、普通の感覚の持ち主には考えられない事です。自分で汗水流して得たサラリーの中から3万円をゲームに使用するなんて、ありえないありえない。その3万円を得るために、どれだけ働かなきゃいけないわけよ。ありえないって。

 ですから、ポケストップがなければ、ショップでモンスターボールを購入すればいいようになっていますが、現実問題として、ショップでモンスターボールを購入してまでゲームに参加するのって…心理的抵抗が強くありませんか? 私なら無理です。

 実際、私はポケモンGOではリアルな現金は一切使用していません。ゲーム開始当初から今日に至るまで、ポケモンGOには1円の現金は投入していません。すべて無料で遊んでいます。でなければ、ゲームなんて続けていません。

 それは、私の住んでいる地域が、都会ほどではないけれど、近所にそこそこの数のポケストップがあって、都会と比べると、たくさん歩かないとダメだけれど、それでもポケストップの巡回が徒歩でできる程度にはあって、そのため、モンスターボールの補給が随時できているからです。

 もちろん、補給が間に合わなくて、モンスターボールが手元から無くなってしまう事もあるけれど、そんな時は出現したポケモンを指をくわえて眺めるだけで、捕獲することをあきらめて、ただひたすらポケストップの巡回に専念して、モンスターボールの補給に専念するだけです。

 ちなみに、私の場合、3~4日に1度はそんな感じになります。と言うのも、毎日使用するモンスターボールが200個/日なのに、一日に巡回できるポケストップは約40箇所なのです。一箇所で3個補給するとしても、一日に補給できるモンスターボールは120個だから、当然ボールが不足するわけで、そのために、モンスターゲットをあきらめて、ひたすらボールの補給のみに専念する日が出てきてしまうわけです。

 そんな事もありますが、それでも私はリアルな現金を使用せずにポケモンGOを楽しんでいます。でも本当の地方に住んでいて、近所にポケストップが無ければ、毎日1000円ずつ支払ってゲームを楽しんでいるか? まさかね、それは無いでしょう。私には、ゲームのために毎日1000円ずつ、毎月3万円ずつ支払っていくなんて事は、できません。

 私のような感覚の人は多いと思います。となると、やはり、地方でポケモンGOを楽しむのは、厳しいですよ。

 話が長くなってきたので、続きはまた来週にします。

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2016年10月15日 (土)

金魚のあだ名について

 金魚の名前なんて、あだ名みたいなものだから、あまり気にすることはないにせよ、最初につけた正式名称の他に、いつのまにかついてしまった、あだ名、あるいは二つ名を持ってしまう子もいます。

 あれこれ思い出してみたら、今に至るまで4匹の金魚たちに、あだ名が付いていました。

 たぶん、一番古いのが、素赤琉金のアカネ君に付いた“レッドデビル”かな? とにかく、アカネは金魚のくせに、粗暴で粗暴で、当時一緒に水槽いた子たちを、何匹もいびり殺しているくらいに粗暴でしたので、ついつい“赤い悪魔”こと“レッドデビル”と呼んだものでした。

 次が青文のスズネに付いた“白鳳様”というあだ名。スズネは青文ですから、本来は漆黒のボディだったのですが、晩年、色々あって体の色素が抜けてしまって白くなってしまったので、最後の頃は白鳳様と呼ばれていました。

 次がブログにも頻繁に登場した、素赤オランダのフウカことブニョです。あれ、ブニョことフウカだっけ? とにかくブニョです。ブニョはなかなか立派な金魚でした。尻ビレがちょっと短いという欠点はあったものの、体は堂々とした巨大魚だったし、頭部の肉瘤はやたらと発達し、ほぼ目が見えないほどにまで成長した金魚でした。たまに専門店でブニョっぽい子を見かけましたが、どれもこれも数万円の値が付いているほどでした。それくらいに立派な高級魚ちゃんでした。

 当時は『崖の上のポニョ』の時期でして、息子くんがフウカを見て「ポニョじゃなくてブニョ」と命名したわけです。まあ確かにポニョっぽい雰囲気は当初から持っていたけれどさあ。ほんと、かわいい子でした。

 で、今の子たちの話になります。つい先日、我が家にやってきた、タンチョウのベルちゃんですが、最近では、妻と息子がベルちゃんを捕まえて“アカヘル”と呼ぶようになりました。確かに白いボディに頭部の肉瘤だけが真っ赤ですから、赤いヘルメットをかぶっているようにも見えなくないけれど、だからと言ってアカヘルはないでしょ! 今までも何匹もタンチョウを飼ってきたけれど、誰一人“アカヘル”とは呼んでいなかったのに、なぜ、ベルちゃんだけがアカヘルと呼ばれなきゃいけないの! なんとも納得行きません

 ベルちゃんなんだから、野球つながりで呼ぶなら、アカヘルではなく、ベルタソと呼びなさいと何度も注意しているのに、ふと気づくとアカヘルと呼ばれているわけで、なんか納得いきません。

 でもまあ、あだ名で呼ばれている子って、なんだかんだ言っても、愛されている子なんだと思います。

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2016年10月14日 (金)

さあ、いよいよ本番です、クラシックコンサート その2

 楽屋に入って着替えると言っても、今回は別にタキシードに着替えるわけではありません。なにしろ、オペラの1場面を演じるわけですから、普段着から、普段着っぽい衣装に着替えるわけです。具体的に言えば、色柄の靴下を黒い靴下に履き替えて、ジーパンから黒い綿ズボンに、ヨレヨレのシャツから、チェック柄のパリっとしたシャツ(に見えるジャケット)に着替えて、メガネと腕時計を外して、ポケットにミミの部屋の鍵を入れるくらいです。ほんと、代わり映えしません。なにしろロドルフォは部屋着なんですからね。おまけに演出ごとに服装も大きく変わるので、ロドルフォのイメージってのも、決まりきったものがあるわけでもないし、妻からも「わざわざステージ衣装に着替える必要があるの?」と言われたくらいに、現代っぽい普段着となりました(笑)。

 ちなみに妻の方はミミの衣装ですが、さすがに冬のパリと、残暑厳しい日本では、かなり変えないといけないし、ミミの場合は、やはり“ミミっぽいイメージ”というのもあるので、結構衣装衣装した格好になりました。上から下までモスグリーンで統一して、ロングスカートにケープです。さすがにピンクのボンネットは被りませんでしたが、まあ、舞台でよく見かけるミミの衣装です。おまけに舞台用のメークをするわけですから、私と違って、かなり作り込んでいます。

 それはさておき、着替え終わったところで、楽屋のモニターを見ると、そろそろ舞台袖に入らないといけないタイミングになっている事に気づきました。ですが、その前に観客席に戻って、録音機を仕掛けないと! あわてて、客席に入って録音機をセットしてスイッチを入れました。今年はたぶんちゃんと録音できるんじゃないかな?

 急いでいたので、ハンカチを持つのを忘れていたので、一度楽屋に戻ってハンカチと(お守り代わりの)楽譜とペットボトルを持って、舞台袖に入りました。ピアニストさんと妻はすでに舞台袖で控えていました。出番が近づいていました。ステージマネージャーさんは、私たちが持ち込んだ小道具のうち、ろうそくを見て、ギョッとしていました。そりゃあそうだよね。舞台上は火気厳禁ですからね。

 「…それはろうそくですか?」

 「いいえ、電池式の照明です」と妻が答えて、目の前でスイッチを入れたところ安心したようです。確かに見た目はロウソクにしか見えませんが、私たちが持ち込んだのは、電池式のハンディな照明器具なんですよ。これ、なかなか良いですよ。見た目は全くのろうそくで、我々も“ろうそく”と呼んじゃうほど、良い感じのフェイクなろうそくです。

 前の人の歌唱も終わり、いよいよ我々の出番です。ステージマネージャーさんが、ピアノのフタを大きく開けて、パイプ椅子二脚を舞台に運び込んだところで、ウグイス嬢さんが我々の紹介をしたところで入場です…が、ウグイス嬢さんがいい具合に噛んでくれたので、ちょっとズッコケながらの出番となりました。

 ろうそくは最初から点灯した状態で持ち込み、イスの位置を微調整し、鍵をいい感じに落としたところで、三人で目配せをして、歌を始めました。ノンストップで15分間のパフォーマンスの開始です。

 歌そのものの出来栄えは…今回はいつもにも増して、かなり聞き苦しい出来になってしまいました。自分で言うのもアレだけれど、かなりヒドかったのよ。まあ、私の歌唱実力が曲に全く追いついていなく、肝心要のところでズッコケちゃったわけで、言い訳もできないほどの仕上がりになりました。これが予想できたので、Y先生も当初は反対したわけです。ま、先生という存在は、たいてい、正しい判断をするものなのですから、先生の反対を押し切るなんて事は、滅多にしちゃダメなんだな。

 とは言え、直前のレッスンでは「レッスンどおりに歌えれば、いい感じになると思います」という程度には完成度を高め、成功へのお墨付きをいただけたのに…まあ、当日はレッスンどおりに歌えなかった私だったのです。

 いつもなら、かなりヒドい演奏でもアップしていた私ですが、今回はデュエット相手の妻からストップがかかったので、このページにリンクしない事にしました。ごめんね。

 なぜストップがかかったのかと言うと…今回の彼女の歌唱は、本人が言うには「恥ずかしい出来だった」という認識なのでストップをかけてきたのですが、私に言わせれば、一箇所(最後の箇所です)、歌詞を噛んでしまって、歌い直しをした程度で、あんなに難しいアリアなのに、他はきちんと歌えていました。むしろ恥じなきゃいけないのは、私の歌唱であって、妻は自分の失敗を理由にストップを申し出ていますが、おそらくは、私の歌がひどすぎて、これは世間にさらしてはいけないと思ったのかもしれません。なにしろ私は、どんなヒドい失敗でも公表しちゃう、極めてオープンなマインドの人間ですからね(笑)。

 リンクしないとは言え、音源そのものは、すでにYouTubeにはアップしておりますので、検索かければヒットするかもしれません…が、そこまでして聞く価値は無いと思いますよ。だって、かなりお聞き苦しい上に、長い演奏(約15分)ですもの。そんな事で人生を浪費してはいけません。人生の浪費覚悟で聞きたいとおっしゃる奇特な方がいらっしゃるならば、メールでご連絡ください。妻と相談の上、ご連絡します。

 さて、今回のパフォーマンスで、今までと違った点があるとすると、それは私、今回は歌よりも演技に神経を使っていた事でしょうか? 実際に、舞台にいる時は、演技のことばかりを考えて、歌にせよ、発声にせよ、ほとんど眼中にはありませんでした。それが、今回の歌の不出来に繋がったと思います。実際に、舞台にいた時は、歌っている感覚はほとんどなかったんですよ。ただ、演じていた…それだけだったのです。

 手元にある音源を聞き直してみると、発声、駄目だねえ。もっと深い声で歌わないといけないのに、こんなにぺちゃんこな声で歌っちゃダメだね。歌い方も、乱暴だね。準備も全然足らないし…。音程優先で弱々しく歌うつもりだったのに、そんな事を忘れて、力任せに歌っていて(これが失敗の原因だな)、あっちこっち届いてないし…。何より一番いけないのは、あっちこっちで声を押して歌っていることだね。こんな事、最近はレッスンでは数も減ってきて、だいぶ声を押さなくなってきたなあ…と思ってきただけに、人は注意散漫になると、悪い癖がボロボロ出て来るものなのですね。

 ほんと、歌に関しては、やっちゃいけない事ばかりやってます。これは、本当に駄目だね。歌だけでもやり直したい気分ですが…、歌はともかく、客席のお客さんには、かなりの好印象で良い評判だったのが救いです。歌はダメダメでしたが、芝居は分かりやすかったようで、演技に集中したのは、お客さん的には良かったようです。

 なにしろ、オペラの原語上演なのに、字幕が無いのは…アマチュアですから当然として、事前の曲の説明もアナウンスもなく、客からすれば、何の説明もなく、いきなりわけの分からない言葉で歌い出すわけですから、歌いながらの演技だけで、お客に状況説明…今、何が起こっているのか、この二人はどういった関係なのかを説明しないといけないのですから、かなりオーバーな演技を丁寧にしていかないといけないわけです。でも、そこはなんとか伝わったみたいなので、演技者としては、ほっとしています。

 あとは、演技をしながらも、きちんと歌が歌えれば、もっと良いのですが、そのためには、自分の実力を上達させる事もさることなから、もっと身の丈にあった選曲も必要ですね。何しろ、今回は明らかに、格上の曲を実力不足を承知で挑んでわけですからね。当たって砕ける思いでぶつかって行ったら、見事に玉砕しちゃったわけです。

 これも、良い老年の思い出ですよ。今際の際に、きっと思い出す事でしょうね。

 ボエームの第1幕を歌うことは、私がキング先生の元で勉強していた時からの夢…と言うか、妄想でした。キング先生からは「絶対に無理!」と断言され続け、おそらくキング先生の元にい続けたら、今でも歌うことは叶わなかったと思います。もっとも、実際にやってみたら、相当に無理だったわけで、この件に関しては、キング先生もそんなに間違った判断じゃなかったとは思います。

 でもこれで夏の発表会と合わせて、ボエームの第1幕をほぼ歌い終えたわけで、私の妄想の大半が実現化できたわけで、2016年は私にとって、とてもうれしい年になったわけです。いや、第1幕だけでなく、歌劇「ボエーム」の大半…約7割程度を(出来はともかく)歌ったという経験を得られたことは、ほんと、アマチュア歌手冥利に尽きます。ああ、幸せだ。ほんとうに私は幸せだ。

 歌い終えて、すぐに録音機を回収して、友人や知り合いに言葉をかけてもらって、ポケモンを狩りながら(笑)帰宅しました。出来は良くなかったけれど、今回のクラシックコンサートで、私の長年の妄想をカタチにする事が出来たわけだし、この一年をかけて学んでいたボエームにも区切りがついたわけだし、そんなあれやこれやもあって、その日の興奮は、なかなか覚めませんでした。もちろん、本番の後は、いつでも興奮状態になって、なかなか落ち着けないものですが、この日の興奮は特別で、ほんと、全然覚めませんでした。そのおかげで、ほぼ一睡も出来ず、翌日はかなり辛かったのですが…それはそれで、また別の話です。

 そんな良い思い出となった、クラシックコンサートですが、来年以降の開催は、全くの未定だと、主催者さんからは言われています。最後にボエームという大曲を、不出来な仕上がりになってしまいましたが、歌う事ができて、本当によかったと思います。

 さあ、夏の発表会~秋のクラシックコンサートと、本番が続きましたので、ここらで少しクールダウンをして、地道に基礎固めをしていきたいと思っています。

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2016年10月13日 (木)

さあ、いよいよ本番です、クラシックコンサート その1

 さて当日です。当日は、ノドを休めるという意味もあって、たっぷりと朝寝をしました(笑)。起きたのは、昼下がりでした。よく、朝ごはんと昼ごはんを兼用にして“ブランチ”と洒落込む人がいますが、今回の私は、朝ごはんと午後のおやつを兼用にしたわけです。なんと呼びましょうか?

 朝ごはんを食べて、軽く発声練習をして、自分たちの出番の3時間前に会場入りしました。今回はスーツケースを転がしながらの会場入りだったので、ポケモン狩りはほどほどでございました(ちょっと残念)。

 会場入りをして、楽屋に荷物を置こうとしたら、ピアニストのM先生(男性)が楽屋の入り口に立って困っていました。なんでも、そろそろ出番なので、楽屋に入って着替えようとしたら、楽屋の中に子どもがいて、着替えているので、楽屋に入れないというのですよ。

 確かにクラシックコンサートって、お昼から夕方までが子どもの部で、夕方から夜にかけてが大人の部なのです。まだ大人の部が始まって、30分くらいしか経っていないから、子どもの部の出演者で、出番が終わり近くだった子がグズグズと着替えをしているかな? と思ったけれど、楽屋はみんなで共同で使うものであって、一人で独占してよいわけはないし、着替えていると言っても、男同士なら問題ないだろうと思って、心の中で「M先生は何をビビっているんだが…」と遠慮会釈なく、男性の楽屋に入ったところ、中で着替えていたのは…確かに子どもだったけれど、女の子でした。パッと見で小学校高学年ぐらいかな? そんな女の子が父親らしいオッサンに手伝われながら着替えていました。それも着ている最中と言うよりも、まだ脱いでいる最中のようでした。

 一瞬「アレ?」とは思ったものの、男性の楽屋で着替えている方が間違っているわけだから、ズカズカと楽屋に入り込み、堂々と荷物を部屋の奥に置いて、すぐに楽屋から出ていきました。出ていく時に「着替えるなら、女性の楽屋で着替えろ。みんな迷惑をしている」と言い捨てておきました。いやあ、みんなと言っても、迷惑しているのはM先生だけなんだけれどね。でも、M先生も実は舞台袖にそろそろ入らないといけない時刻なのに、まだ普段着のまま楽屋入り口で困っていたのは事実だからね。

 女性の楽屋は広い部屋が二箇所用意されています(ちなみに男性の楽屋は小部屋が一つだけれど、出演者の大半が女性である事を考えれば、妥当なところだと思います)。おそらく、付き添いと思われる父親らしい人が女性の楽屋に入るのをためらって、たまたま空いていた男性の楽屋に娘を入れて着替えさせたのか、あるいは女の子自身が女性の楽屋にたむろしているオバサマたちのパワーに負けて、女性の楽屋が居づらくて、男性の楽屋に逃げてきたのか、そのどちらかだと思うけれど、数少ないとは言え、男性の出演者だって、そこそこいるわけだし、男性の楽屋は一つしか無いから、そこを占拠されると、本当に迷惑なのです。おまけに、ゆっくりゆっくり着替えているわけだしね。

 まあ、いずれにせよ、小学校の高学年の娘の着替えを手伝うなんて…父親も娘もおかしいと思うよ。幼児じゃあるまいし、それくらいの年齢の女の子が一人で着替えられないはずもないし、仮に着慣れないドレスを着替えるとしたって、女性の楽屋に行けば、ドレスの女性なんて掃いて捨てるほどいるわけで、パワフルなオバサマもいるけれど、子どもに優しいお母さんたちだっているわけだから、ちょっと声をかければ、着替えぐらい手伝ってくれるだろうにね。それにそんな年齢になって、父親に着替えを手伝ってもらうというのは…女性として恥ずかしくないのだろうかね?

 あと、女の子が着替えているからと言って、部屋の外でおとなしく待っていたM先生もウブだねえ…。どう考えたって、楽屋を占拠している方が迷惑をかけているわけだし、舞台なんて待った無しなんだし、出番が終わった連中なんて追い出して、自分が着替えてスタンバイしないとマズイのに、おとなしく部屋の外で待っているなんて…ね。普段着で舞台に上がるつもりだったのかしらね?

 とにかく、私が一発かましたせいかは知りませんが、その親子は、すぐに男性用楽屋から出てきて、M先生もすぐに着替える事ができました。めでたし、めでたし。自分たちの出番が終わったからと言って、舞台が終わったわけじゃないんだし、みんな本番を迎えて、神経ピリピリしているわけだし、ほんと、困ったモンだ。

 で、楽屋に荷物を置いた私は、妻の友人たちの舞台を見るために客席に座って何人かの歌唱を聞きました。聞きながら、どこに録音機を置いて、どういう段取りでスイッチを入れて、どのタイミングで録音機の回収をしようかと考えを巡らせていました。と言うのも、ここ数回、どうも録音がうまくいかないのですよね。録音開始の時にドタバタしてしまったり、いい感じで録音できなかったり、録音機の回収を忘れたりって事が続いたのです。ダメじゃん。

 妻の友人たちの舞台を見た後は、会場から出て、お昼ごはんを食べました。もう、日は沈んでいたけれど(笑)。消化のいいものが良いので、うどんを食べて、妻は楽屋に戻って、化粧と着替えを。私はもう少し舞台を見ることにし、自分たちの声出しの順番が来るまで客席にいました。

 今年は…ってか、今年も、男性歌手は私だけでした。伴奏ピアニストとか器楽演奏者だと、他にも男性はいるのだけれど、歌手は私だけでした。当地には混声合唱団も結構あるわけだし、第九演奏会も例年あっというまに定員に達するほど、アマチュア男性歌手もいるんだけれど、誰も参加しないでやんの。女性は合唱団で頑張って、ソロでも活躍して…という人が結構いるのに…ねえ。もっと、みんな参加しようぜい!

 さて、我々の声出しの順番がやってきて、地下にあるリハーサル室に行きました。私たちに与えられた時間は20分間。しかし、私たちの楽曲は通しで歌うと約15分。いそいで、一回通して歌う事にして、残った時間で気になったところを返すことにしました。

 軽く歌ったつもりでしたが…おそらく、この日、最高の会心の歌唱をやっちまいました。うわあ…、歌い終わった後に、ピークが今過ぎ去った事を悟りました。またまたやってしまいました。だから、本番直前の声出しって、嫌いなんだよ。シクシク。

 返しは、主に演技の都合で、音楽的にタメが生じるところがあって、その部分をどうピアノと合わせていくかって所を数か所返しました。

 声出しが終わって、私もさすがに着替えのために楽屋に行きました。

 続きはまた明日。

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2016年10月12日 (水)

クラシックコンサートのゲネプロだったわけです

 さて、ゲネプロです。ゲネプロとは、簡単に言っちゃえば“直前リハーサル”って感じでしょうか? プロの場合は、当日の午前中に本番会場で行う事が多いようです。午前中に会場入りをして、そのままリハーサルをやって、お昼を食べて、休憩を入れたり入れなかったりして、午後、または夕方から本番を行うという段取りです。

 我々の場合、ゲネプロは希望制で、やりたくない人はやらない、やりたい人は前日の午後~夜にかけて行う…という手順です。

 本番の持ち時間は毎年一定(器楽は10分、声楽は7分)ですが、ゲネプロの時間は希望人数によって変わります。ゲネプロ用に確保された舞台の使用時間は毎年一緒なので、希望者が多ければ一人あたりのゲネプロ時間は短く、希望者が少なければゲネプロの時間が増えます。今年は希望者が少なかったようで、一人あたり30分ずつという、例年になく多めのゲネプロ時間となりました。なにしろ少ない年は、一人あたり10分という、本番とほぼ変わらない程度の時間しかもらえなかった年だってあるんだよ。

 リハーサルの時間は短いよりも長い方が良いです。あまり長すぎて持て余したら、さっさと引き上げることが可能ですが、短すぎて不足した時は、どーにもなりませんからね。

 とにかく、今回は一人30分です。我々は二人分(2枠)申し込んでいますから、1時間のゲネプロの時間が与えられました。順番的には、いつものように一番最後。だって、平日の夜にゲネプロをやるのですから、仕事が終わってから駆けつける私にとっては、最後しかやれる時間がないですからね。

 とりあえず、仕事から帰って、一息ついて、すぐに本番会場に向かいました。会場には少し早くついたので、近所でポケモンを狩って時間調整をしてから、ゲネプロ会場(本番会場)に入りました。

 会場入りしたところ、入り口に来年の事が掲示されていました。やっぱり…来年の開催は未定だそうです。一応、会場を代えて行いたいとは書いてありましたが、それが実現する可能性はかなり薄いですね。長年続いたクラシックコンサートですが、さすがにもう無くなっちゃうのかな?

 さて、舞台裏に入ったところ、私たちの前の順番の人たちは、とっくにゲネプロを終えて、遊んでいるようでした。このゲネプロの時間って、オーバーする人たちが多くて、それが常にトラブルの原因になっているわけですから、早めに終えて遊んでいるというのは…なかなか良い傾向であったりするわけです。

 で、時間になったので、気持ちよく、ささっと舞台を引き渡してもらいました。さて、我々のゲネプロです。

 まず確認するのは、ピアノの位置です。このピアノの位置を元に、本番の動きを決めていくわけです。ピアノは、ピアノ独奏をする人たちもいるし、本番では出演者ごとにピアノを動かす…などの丁寧な対応はしてくれないので、だいたいピアノは舞台の真ん中に置かれるのです。まあ、ピアノ独奏以外の人にとって、こういう配置は面倒で困るのですが、文句は言いっこなしです。

 今年のピアノも、舞台中央に置いてありましたが、それにしても、かなり舞台の前方にあります。客席とピアノの距離が近い近い。ほんと、ピアノ演奏の事だけしか考えていないような配置になってます。ふう。

 とにかく、小道具として使うイス二脚を置く位置を決めて、舞台への出と挨拶のタイミングを決めてから、ひとまず通して歌ってみました。

 思っていたよりも舞台が狭くて、演技しづらくて、やはり色々支障が出ましたので、返しながら、細かな演技を変更していきます。

 まずはイスを置く位置を変え、ミミが落とした鍵の場所も変えました。狭い舞台だけれど、なるべく広く使えるように、二重唱や独唱を歌う場所もあれこれ変更しました。立ち止まって歌っていたものも、動きながら歌うようにしたり、逆に動きながら歌っていたモノを立ち止まって歌ってみたり…ほんと、本番会場に入ると、あれこれ手直しが必要となります。

 それにしても、舞台って、結構、乾燥しているものですね。舞台に立っているだけで、クチビルが乾く乾く…。やはりリップクリームは必須だな。

 たかだか15分足らずのパフォーマンスに1時間のゲネプロなんて、時間が多くて余るんじゃないかと思ってましたが、あれこれと演技を変更しているうちに、あっという間に一時間が経ってしまいました。いやあ、ほんと、1時間が短い短い。歌だけなら、ともかく、やはり演技は本番会場に立ってみないと決まらない部分がありますからね。時間を長めに確保しておいて正解でした。

 さあ、後は、本番を待つのみだ!

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2016年10月11日 (火)

弱々しい声で歌うこと…にするか!

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 テノールアリア「Che gelida mania/冷たい手」のレッスンに突入しました。

 まずは楽な音域だからと言って、歌いすぎない事。結局、歌うという作業は多かれ少なかれ声帯が疲労するわけだから、なるべく歌わないようにして声帯の疲労を防ぐ事。さらに言えば、歌わないようにすると同時に、なるべく腹筋を入れて、ノドではなく、腹筋が疲れるように歌いましょうって事です。腹筋と声帯では、筋肉の大きさが全然違います。筋肉って、大きな筋肉ほど疲れづらいし、疲れても頑張れるんです。だから、ノドではなく腹で歌うのは、そういう事なのです。

 同様に高い音域であっても、高音を狙ってバシッと出すと声帯が痛みます。フワっと出すことでノドへの負担が減りますので、高音はフワっと出すか、低い音から順番に上がっていくのがよろしいのです。

 フレーズの歌い終わりは、ひとまず、早めに終えて、次の準備をしているように言われました。

 フレーズの最後を長めに歌うのは“テノール病”の1症状だから、それは止めた方がいいと言われました。へへへ。フレーズを長めに歌ってしまうと、次の準備が出来なくなってしまうので、フレーズは常に短めに終えて、さっさと準備をする癖をつけた方が良いという事なのです。

 もちろん、プロのテノールは、結構フレーズを長めに歌いますが、彼らはプロであり、フレーズの最後を長めに歌って、そのまましっかり腹筋を入れていって、次のフレーズの準備をしているのです。つまり、彼らがフレーズの最後を長く歌っているのは、それが次のフレーズの準備だからであって、それができるなら、それでもいいのだけれど、我々素人は(ってか私は)そんな事できないのだから、だったら、早めに次の準備に取り掛かりなさいって事なのです。

 それと高いBの件ですが、この期に及んでも、まだきちんと歌えるようにはなりません。かなりの博打状態ですが、もう本番まで日がありませんから、そろそろ覚悟を決めないといけません。どんな覚悟なのかと言えば、…

 1)一か八か、うまくいくかどうかは分からないまま、博打状態のまま突入する。
 2)音色優先で、音程の無い声で歌う。
 3)音程優先で、弱々しい声で歌う。

 今までは、本番の奇跡に期待して1)で行っていたのですが、本番の奇跡って…なかなか起こらないのですよね(汗)。なので、今回は、もう私もいい年したオトナなので、3)で行くことにしました。声が弱くなっても、音程重視で、まずは楽譜通りに歌ってみようという覚悟です。

 キング先生の元で歌っていた時は、高い音は、ノドにフタが被さるのですから、声の強い弱いもなくて、出るか出ないかという二択しかなかったわけ(で、出なくて撃沈していたのです)が、Y先生の元で無理せず高音を出す事を身に着けたので、一応、高いBであろうが、Hi-Cであろうが、出るか出ないかで言えば、出せるようにはなりましたが、まだまだ未熟で、音程と音色の両立が難しい段階です。音程を優先すると、弱々しい声でしか歌えず、音色を優先すると、音程が届かなかったり、すっ飛んでしまったりという状態なのです(これは正確には出ているとは言えませんな:笑)。

 Hi-Cについては、かなり早い段階から、きちんとした声で歌うのは難しいと思っていたので、今回は早々と回避する事にしましたが、せめてBの方はきちんと歌えるようにしようと思っていましたが、やっぱり間に合いませんでした。Bの方は回避策が用意されていないので、楽譜通りに歌うか、楽譜通りに歌うのを諦めるか…って事になるので、今回は楽譜通りに歌う事にしました。

 あとは、弱々しい声と言いつつも、観客に聞こえないといけないので、そこをどうするかって事だけです。

 ppの部分はしっかりppで歌う事。グランパウゼの部分はしっかりと長めの休止を取って、ノドを休める事。とにかく焦らない事。テンポをあまり緩めない事(テンポを緩めるのと、途端にノドが疲れるのです)。

 妻のアリアを経て、最後の二重唱「O soave fanciulla/ああ、うるわしの乙女よ」です。

 ところどころ喋る箇所があるけれど、決してイタリア語で詰まらない事。歌えないのはともかく、喋れないのは、単純に練習不足だから、何度も何度も練習して、イタリア語で詰まる事の無いように…。流暢なイタリア語でレガートに歌いなさいって言われました。

 歌は母音で歌うものだけれど、子音もしっかりと利用しなさいとの事です。特に、高い音や、アクセントをつけたい箇所などは、母音を強く押し出すのではなく、しっかり子音を歌うことで、母音を楽に歌う事が一つのテクニックとなります。特に、この二重唱での最高音、高いAの箇所は、子音を上手に利用すると、歌いやすくなるわけです。

 後は…声の音色。私は浅めの声で歌うことが多いのですが、それではノドの消耗が激しいので、自分では声が奥に入りすぎてしまったと思うくらい、深い声で歌って、ちょうど良いし、その方がノドの消耗も少なく済むのだそうです。

 さて、これで本番前の最後のレッスンが終わりました。後は、ピアニストさんと三人で本番会場でゲネプロをやって、いよいよ本番です。頑張りましょう。

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2016年10月10日 (月)

リコルディで歌いましょう

 さて、クラシックコンサートの本番は…無事かどうかはともかくとして終了しました。さっそく記事にしてアップしたいところですが、まだ前段階の話が残っていますので、そちらを片付けてからアップしたいと思いますので、もうしばらくお待ち下さい。

 …と言うわけで、クラシックコンサート本番直前の声楽のレッスンに行ってきた話をします。

 まずはレッスンの前に、次回からのレッスンで歌う課題曲を決めるところからです。私が持っていった曲は、歌曲はトスティ作曲の「Malia/魅惑」。オペラアリアの方は、ジョルダーノ作曲の歌劇「フェドーラ」のテノールアリア「Amor ti vieta/愛さずにいられないこの思い」です。

 アリアの方は、もちろんOK。先生からは「このアリアは、もっと早く学んでも良かったね。“E lucevan le stelle/星は光りぬ”よりも前に歌ってもよかったくらいだよ」との事です。私が「星は光りぬ」を学んだのは、もう3年も前の話なんだけれど…。

 歌曲の方は、もちろん「魅惑」を歌うことは問題ないのだけれど、今回私が持って行った譜面は、皆さんがよく使う(たぶん、日本では標準的な楽譜だよね~)全音楽譜出版社(略して全音)のトスティ歌曲集(旧版)でしたが、先生がちょっと難色を示しました。「この譜面だと、ちょっと低いんだよね…」

 ですから「確かに全音の楽譜はちょっと低いんですよね。リコルディ社の楽譜[高声・原調版]だと全音高い(カラオケ的に言えば+2高い)んですけれど…」と即答しました。私的に言えば、これでもテノールですから、ちょっとでも高い楽譜で歌いたい気持ちはあるけれど、事前の先生との約束で、トスティなら全音社の楽譜を使う事になっていたし、本番後の歌曲は、なるべく低めの曲を使って中音域の見直しをするのが常だから、全音社の楽譜でもいいか…と思って、それを持って行ったわけです。

 「リコルディ、持っているの? じゃあ、そっちにしましょう」と、あっさり高声版の楽譜で歌うことが決定です。もっとも高声版と言っても、最高音は五線にひっかかるFですけれどね。だから、高声版でも、そんなに高いわけじゃないんです。

 そうこうしているうちにピアニストさんがやってきたので、慌てて発声練習をしました。

 今回重点的に注意されたのは、発声のポジションの位置。私が何気に普段発声するポジションは、ちょっと低めなので、常にもう1段高いポジションで歌うように言われました。つまり「発声のギアをもう一つ入れなさい」って事ですね。確かに、ポジションを1段階上げるだけで、声って、ガラッと変わります。それは音色的に変わるってだけじゃなくて、声の発声の楽さ(つまり、消耗度)も大きく変わります。高いポジションで歌った方が楽なんですね

 だったら最初っから高いポジションで歌えばいいじゃないか…って事ですが、なんかうっかり、いつも低めに歌っちゃうんですよ。もはやこれは癖ですね。それも悪い癖なんです。

 さて、それではボエームのレッスンに取り掛かりました。まずは、最初から最後まで、本番同様に(ただし演技は抜きで)通して歌いました。結構、シンドイですね(汗)。
で、一通り歌ったところで、返しながら先生の指導が入りました。

 まずは最初の二重唱「Grazie, Buona sera/ありがとう、おやすみなさい」です。

 フレーズの最後で声を絶対に落としてはいけない…と言われました。逆に言えば、わたじはいつもフレーズの最後で声を落としてしまうってわけです。声を落とすのはいけないどころか、常に息を上げてフレーズを終えるくらいの方が良いのです。そのためには、歌い終わりでグイっと腹筋を入れていく必要があるのです…が(汗)。

 この曲はオペラであって歌曲ではないので、単にキレイに歌えばいいというものではなく、オペラの登場人物(ロドルフォ)の感情を常に考え、歌にキャラの感情が反映していないといけないのです。つまり「歌に魂を込めろ」って事ですね。あるいは「歌っている人物の人となりが分かるような歌い方をしなさい」と言うことであります。

 中音域などの楽に発声できる箇所でも、しっかり腹筋を使って歌いなさい。楽な音域は、腹筋で声を支えなくても歌えるだろうし、その方が楽に感じているかもしれないけれど、それは腹筋が楽なだけで、確実に声帯は疲労し、声は目減りしているのだから、たとえ楽な音域であっても、しっかりと腹筋を使って、なるべく声帯が疲れないように、声が減らないように気をつけて歌うこと。

 オペラアリアなどを部分部分で取り出して歌うなら、案外歌えるものだけれど、それを一曲通して歌うとか、一幕通して歌うとか、オペラ一曲通して歌うとかなると、なかなか歌えるものではないのだけれど、それは単純に筋力であったり、体力であったりの問題なのです。

 キング先生の元で学んでいた時に、歌っていると、すぐに声が消耗してしまって、たった一曲であっても、なかなか歌いきれなかったわけだけれど、それも実は同じ事なのです。要するに、声帯が疲れてしまって、声が無くなってしまっただけなのです。キング先生は、それを「歌の体力がない」と言って「体力つけろ」と言って、具体的なアドヴァイスとかは全く無かったわけだったので、何年経っても、私は上達しなかったわけです。

 もちろん、体力を付けるのは当然だろうけれど、それは今日明日できる話ではないので、今ある体力の中で歌いきるにはどうするべきかと言うのが、Y先生の指導なのです。なるべく声帯に負担をかけないように、声を長持ちさせて歌うために、どこをどんなふうに気をつけなければいけないのかを教えてくださるわけです。

 キング先生も悪い先生じゃないのかもしれないけれど、私には全然合わなかったんだね。少なくとも、私の欠点の改善に関して、具体的なアドヴァイスをくれない先生だったからね。だからと言って、自発的な努力は全面否定する人だったから、一体何をどうすればいいのかと、よく頭を抱えたものです。

 何も教えてくれないのに、自助努力を否定されると、上達なんて出来るわけないよね。それどころか、下手になる一方ですよ。謝礼をお支払して下手になってんだから、ほんと、世話ないです。

 声楽なんて、標準的なテキストとかエチュードとかがあるわけではないので、指導者ごとに指導法や指導ポイントって、あれこれ違うわけだけれど、先生ごとに腕も違えば、生徒との相性もあるわけです。だから、声楽を真剣に学ぶ生徒は、複数の先生に教わる事が必要になってくるわけです。私に関して言えば、もっと早くキング先生からY先生に移りたかったですが…でも過去を悔やんでも仕方ないですよね。

 まあ、今は、自分でも上達していることを、しっかり感じながら学べていますから、幸せなんだなあって思ってます。それは妻も同様だと言ってます。妻もキング先生の元では、全然上達しなかったらねえ。

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2016年10月 9日 (日)

Windows 10 Anniversary Update って奴をしてみた

 先日、職場のマイパソコンの一つが勝手に(笑)にWindows10をバージョンアップしやがりました(そういう設定になっているだけなんだよね:笑)。そしたら、あれこれ見た感じが変わりましたので、ちょっと調べてみたら、今回のバージョンアップは、かなり大きなバージョンアップで“Anniversary Update”と言うんだそうです。

 職場のパソコンが勝手にアップデートしたにも関わらず、自宅で使っているパソコンは、いつまでもバージョンアップしないので、エイヤーと強制的にバージョンアップしてみしました。

 やり方は簡単。[設定]から[更新とセキュリティ]へ行き、そこから「Windows Update」にある[詳細情報]を選ぶと「Windows 10の更新履歴」というページに行くので、そこで「Anniversary Updateを入手する」をクリックすると「Windows 10 アップグレード アシスタント」がダウンロードされるので、それを実行すると、Windows 10 Anniversary Updateへのアップグレードが行えます。面倒くさかったら、ここにリンクを貼っておいたので、それを利用しても可ですよ。

 ちなみに、本来はそんなに焦らなくても、いずれWindows Updateで(私の職場のパソコンのように)勝手にアップデートされるので、気にしなくてもいいのだそうです。単純な話、マイクロソフトが、世界中のパソコンに対して、一斉にダウンロード&アップロード可にしていないだけで、適当に順番に、それぞれのパソコンで時間差をつけてダウンロード&アップロードができるように工夫しているだけの話なのだそうです。まあ、世界中で一斉にアップデートできるようにしたら、サーバーがパンクしちゃものね。

 ですから、私も焦らなくても良かったのですが、なんとなく…焦っちゃいました(へへへ)。

 まずダウンロードですが、それは別に問題ありませんでした。ちょっとトラブったのは、インストール作業ですね。もちろん、インストール作業も自動なのですが、なかなか進まなかったのですよ。職場のバソコンではインストール作業は20分程度で終了したような気がしたのですが、自宅のパソコンは一晩経っても84%しかインストールできませんでした。別にインストール中でも、普通にパソコンは使用できるので、普通に使っていたのですが、そこから半日したところ、インストールの達成率が99%にで上昇しましたが、そこから先にはなかなか進みませんでした。で、さらに半日しても、やっぱり99%のままだったので、なんか気に入らずに、インストール中にも関わらず、シャットダウンしちゃいました。

 翌日、パソコンを立ち上げた所、もちろん、バージョンアップ前の状態で立ち上がったわけだけれど、デスクトップ上にある「Windows 10 アップグレード アシスタント」をもう一度クリックして、再度バージョンアップを試みたわけです…ってか、クリックしてバージョンアップ作業が始まったら、ポケモンが狩りに出掛けました。

 3時間ほど散歩兼ポケモン狩りをして、帰ってきてパソコンを見たら、バージョンアップが終了していたようで、見慣れないロック画面が出ていました。前日のあのチンタラしていたのは、なんだったんだよーと文句の一つも言いたい気分になりましたが、終わりよければすべてよし、なので気にしない事にしました。

 “Anniversary Update”をして、何が変わったのかと言うと『スタート』のアイコンをクリックして現れる『スタートメニュー』が、ちょっと変わったかなって感じです。『エクスプローラー』と『設定』と『電源』が左端にアイコン化された事と、『すべてのアプリ』が最初っから展開されている事ぐらいはすぐに分かりましたが…後はよく分からない。まあ、色々違いはあるみたいだけれど、そのあたりはネットで調べてみてください。たぶん内容的にはアレコレ大きく変わったのだろうけれど、使用感そのものはあまり大きく変わりません。少なくとも私の環境では、何も変わりませんでした。

 むしろ、iPhoneのOSを10に変えた方が、アレコレ設定が面倒で、いかにも「アップデートしました」感がありました(笑)。

 新しいWindows10をいじってみた結論を言えば「全然、気にしなくてもいいんじゃない。別に特に変わらないし…。いずれ勝手にバージョンアップするから、それを待ってもいいと思うよ」と、自分自身は強制的にバージョンアップしたくせに、こんな事を結論に持ってきちゃいます。

 それくらい、特別感の無いアップデートでございました。

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2016年10月 8日 (土)

ついにメダカが全滅したようです

 大小のメダカが仲良く暮らしていた我が家の水槽ですが、ついに水槽に、メダカの姿が見えなくなりました。全滅…してしまったようです。

 原因は…ガボンバの再投入? 実はフルート合宿帰りに入れたガボンバですが、あれから一ヶ月とちょっと経ったら、もうすでに、そのほとんどが消えてなくなってしまいました。葉が無いのはもちろん、茎もだいぶ短くなり、食べつくされてしまうのも時間の問題となりました。

 安いガボンバは、今の子たちには、高価なマツモグサよりもクチに合うようで、そりゃあ有り得ないほどのスピードが食べちゃうのですよ。

 先日なんて、シズカがカボンバの根本をクチに咥えて振り回していましたもの。以前の子たちなら、考えられないほどのワイルドな食いっぷりです。ほんと、ガボンバ、食べ慣れているようです。

 で、ガボンバなんて安くて入手簡単なこともあるので、さっさと入れ替えることにしました。どうせすぐに食べ尽くしてしまうのなら、ドドンと大量に水槽に入れてあげる事にしました。前回同様、約1000円分ほど購入して水槽に入れたら、水槽の中がガボンバだらけになりました。

 水槽の中がガボンバで一杯になり、泳ぐ余地がなくなったわけだけれど、これが案外、好評で、みんな、ガボンバに突入しながら泳ぐわけです。どうも、遊んでいるようなのです。特にドジョウは、ガボンバの森が大好きで、よくカラダごと突っ込んでは、水草の中で休憩しています。金魚も水草のスキマをうまく見つけては通り抜けをして遊んでいます。

 もちろん、メダカとかエビとかの小動物も森状態になったガボンバが大好きで、よくその中に潜んでいました。

 ああ、うまく回っているなあ。やっぱり水草がたくさんあるのっていいなあ…なんて、呑気にかまえていたのです。

 で、ある日、ふと水槽の中を除いたら、メダカの小が一匹だけで、濾過水の吹き出し口で流れに逆らって遊んでいるの見えました。メダカって、濾過水の吹き出し口で流れに逆らって遊ぶのが大好きなのです。以前はよく、メダカが群れになって濾過水の吹き出し口で遊ぶ姿が見られました。最近は、メダカは大小しかいなかったのですが、この二匹が並んで遊んでいる姿をよく見ました。

 それが今回は小一匹だけで、大の姿が見えませんでした。水槽の他の場所も探しましたが、みつかりませんでした。翌日になると、誰も濾過水の吹き出し口で遊ばなくなりました。そう、メダカの姿が見えなくなったわけです。

 どうやら、メダカが全滅してしまったようなのです。

 おそらく、ガボンバの森の中で休んでいるところに、金魚たちが突入してきて、おやつにされてしまったのだろうと思います。まあ、弱肉強食の世界ですから仕方ないのですが、水槽にメダカが全くいないのは、それはそれで寂しいものです。

 まあ、また近いうちにメダカを投入しようと思ってますが、10匹程度では一晩で食べつくされてしまうので、次は一度に100匹程度投入しようと思ってます。さすがに100匹もいれば、金魚たちも一晩では食べきれないだろうし、その間にメダカたちも生き残りの術を学ぶ奴も出てくるだろうからね。

 あ、そう言えば、エビの姿も見かけなくなったぞ。

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2016年10月 7日 (金)

妹殿のレッスンとは、前回でお別れになっていたようです

 ええと、ポケモンを狩りながら向かっていたら、時間ギリギリになってしまいました。ええ、もちろん、フルートのレッスンの話です。

 私がお教室に入った時には、すでに妹殿のレッスンは終了していました。残念。ちなみに、妹殿は、次回からレッスンの時間が変更になるんだそうです。もっと早い時間に移動します。ですから、私のレッスンは、次回からは元の時間…現在、妹殿のレッスン時間に移動します。つまり、姉様の次の時間帯に変更ってか、戻ることになりました。

 妹殿の成長を見守るのは、とても興味深かったわけですが、レッスン時間が移動するんじゃあ仕方ないです。ああ、残念。

 今回のレッスンでは、先生から合宿のアルバムをいただきました。そう、アルバム、写真集って奴です。きちんと製本されていて、なかなかの出来です。しかし、私、やっぱり写真で見ると、ウルトラデブだな。つまり、客観的には、相当なデブってわけだ。デブでハゲで臭い…三重苦だね(涙)。私がフルートを吹いている様子は、まるでクマとかゴリラとかが、千歳飴をしゃぶっているような感じにしか見えない! ああ、残念。

 さて、レッスンだけれど、その前に先生に「今回は、ほぼ練習していません」と告白しました。いや、ほんと、全然フルートにも触っていないくらいなんだからね。

 ひとまずはロングトーン練習です。これは誉められましたよ。たぶん、本日最初で最後の誉め言葉です。

 その次は、エルステユーブンゲンの19番と20番。19番は、とりあえず吹けるけれど、暗譜はまだまだと言った状態です。20番は…なんと、きちんと吹けない。指がからまる(!)。いやあ、焦りました。でも、初見じゃ吹けないよ。ここまで、とりあえずの曲は皆、なんとか初見で吹けましたが、ようやく(笑)初見じゃ吹けない曲が登場しました。うむむ、やばい。エルステユーブンゲンも、ここら辺りから難しくなるのかもしれません。いやあ、ほんと、指回らないよ。

 プチエチュードは15番ですが、前回よりも下手になっていました。ああ、残念。先生も「その程度じゃ、一緒に吹いてあげられないよ」とサジを投げちゃった次第です。ああ、頑張らないとね。

 今週の雑談は、先生の旅行の話。先生、先日、温泉旅行にお一人で出かけられたのだそうです。良いホテルに泊まって、お風呂と食事を満喫したようです。あまりに食事が美味しかったので、お酒を注文したのですが、なんとウィスキーは全く無かったんだそうです。先生って、酒好きだけれど、飲むのは専ら、ウィスキーとワインなんだそうです。ワインは留学中に水のように飲んでいたので、取り敢えず飲むならワインなんだそう。ちなみに、好みは、ボルドーのような濃いめの赤ワインなんだそうです。

 で、じっくり、お酒を味わいたい時に飲むのが、ウィスキーなんだそうす。ウィスキーの、あの独特の香りがたまらなく好きなんだそうです。ウィスキーじゃなきゃダメで、同じ洋酒でもブランデーはパスなんだそうですし、日本酒や焼酎や泡盛もパスなんだそうです。

 でも、そのホテルでは、酒と言えば、日本酒、それも地酒しかないんだそうです。仕方ないので、その地酒を飲んだんだそうですが、やはり好みではないモノを飲んでも、身も心も全然満足しないって事を、改めて知ったんだそうです。冷で飲んでもダメで、熱澗にしてもらってもダメで、やっぱりダメなものはダメだったんだそうです。

 やっぱり、お酒って嗜好品なんだなって思いました。お酒ぐらい、好きなものを飲みたいでしょうねえ…と、ちょっぴり同情しちゃう私でした。

 でも、ホテルに泊まるわけだから、ウィスキー持ち込みってわけにもいかないし、色々難しいものですね…と思いました。

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2016年10月 6日 (木)

クラシック音楽の本質とは何か?

 今回は、ちょっとタイトルが大げさになりました。“本質”と書きましたが、高尚な事を語るつもりはありません。

 この場合の“本質”とは“クラシック音楽だけが持つ大きな特徴”といった程度の事だと思ってください。

 さて“クラシック音楽だけが持つ大きな特徴”とは何かと言うと…、おそらく専門家の方々に言わせると、あれこれたくさん挙げられる事でしょうが、私が思うには、ただ一点「紙に記録された音楽」である事ではないでしょうか?

 つまり、音楽をどのように後世に伝えていくかと考えた時に、紙に書いて記録するという方法に進化していった音楽が、いわゆるクラシック音楽、つまりヨーロッパ古典音楽って奴なんだろうと思います。

 別に音楽を演奏していたのは、ヨーロッパ人だけではありません。我々日本人のご先祖様たちだって音楽を演奏していたし、他の民族の方々だって、あれこれ音楽を演奏していきました。でも、それらの音楽の大半は、口伝であったり、聞き覚えの伝承であったりしました。邦楽を始めとする、いくつの音楽には、一応、楽譜がありますが、クラシック音楽の楽譜と比べると、大雑把であり、ザックリとした覚書程度の記録方法であると言わざるをえないと思います。

 つまり、クラシック音楽とは、記録されるために発達し、整備されてきた音楽であると言えるのではないでしょうか?

 もちろん、記録されるためには、音楽の細かいところまで規定されていないといけません。たとえば、音階や音程、調性と言ったものの発明。リズムの定量化。つまり、時間と音波の周波数を任意に定め、それらを記録する方法を整備してきたわけです。

 その集成が、いわゆる五線譜の楽譜って奴なのです。

 ですから、クラシック音楽とは何かと言えば、あの五線譜に記載された音楽がクラシック音楽であると言えます。つまり、音楽とは音波の集まりではあるけれど、それを音波のままではなく、一度データに変換して、データで後世に伝えようとしたのです。

 だから、クラシック音楽では、データである楽譜から、実際の音波の集まりである音楽への変換作業、つまり演奏という作業が必要になってきます。

 クラシック音楽の楽譜は、他の音楽と比べると、かなり緻密なモノですが、だからと言って、完全な記録方法とは言えません。20世紀以降に発達した、録音や録画には敵いません。でもいいのです。それでいいのです。

 もしもクラシック音楽が、録音や録画並の再現性の高い方式で記録された音楽であれば、今日のような演奏家の活躍はなかったでしょうし、演奏家の活躍がなければ、愛好者の数も幅もグンと狭まっていたと思います。

 クラシック音楽は、演奏家の活躍によって、常にリブートしている…と言えます。

 いくらベートーヴェンのピアノソナタが優れた作品だからと言って、現在のように様々な演奏家たちが世界中のコンサートで演奏してくれるから、世に残って、人々に愛されているわけで、もしもベートーヴェン自身の録音が残っていて、みんなその音源を聞くだけで、誰もベートーヴェンのピアノソナタを演奏しないのなら、ベートーヴェンの音楽ですら、すでに消えてなくなっているかもしれません。

 クラシック音楽の本質が楽譜にあるから、その楽譜から音楽を再生する際に、演奏家の個性が加わり、演奏家の数だけ演奏される場も広がり、それが今日のクラシック音楽の隆盛につながっていったのだと思います。

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2016年10月 5日 (水)

合唱団におけるイジメの原因について考えてみた

 声楽をやっている人のうち、少なからぬ人たちは、合唱で嫌な経験をしています。「声が目立ちすぎる」「声が大きすぎる」「一人だけギラギラして声で歌っている」「声が周囲と溶けない」「あなたが歌うと合唱にならない」とか言われてね。合唱経験のある声楽の人なら、これらの事の一つや二つ、身に覚えがあるでしょ?

 別に彼らとて、悪意を持って邪魔をしているわけではなく、自然体で普通に歌っているだけなのです。それだけで「声が目立つ」「大きい」「ギラギラ」「溶けない」とか罵倒されているわけなんです。わざとじゃないんだ…と言っても、合唱の人はそれを信じてくれないのですね。「目立ちたがり屋なだけだろう」「声なんていくらでも小さくできるじゃないか」「ギラギラした声は/周囲に溶けない声は、発声が悪いからだ」と言って、同情すらしてくれません。

 我々は皆さんと同じように、熱心に普通に歌っているだけなのです。ただ、出てくる声が違うだけなのです。

 周囲の方々と同じような声で歌えるものなら、とっくにやっていますって。出来ないから困っているわけだし、申し訳ないと思っているわけです。

 攻撃されている立場では、強くは言い返せないから、皆さん黙ってますが、心の中では「周りの人々がもっとしっかりした声で歌ってくれれば、私だけが目立つことはないのに」「…もっと大きな声で歌ってくれれば…」「…もっと声を飛ばしてくれれば…」「…もっと強い声で歌ってくれれば…」「…もっと…もっと…」と思わない事もないのですよ。ただ、言わないだけです。そんな事を言えば、火に油をそそぐだけで、もっと皆さんのご機嫌を損ねてしまうだろうなあって、なんとなく感じるからです。だから怖くて言えないのです。

 はっきり書いちゃえば、合唱の皆さん方が、今以上に大きくて通りの良い声では歌えないように、声楽に逃げ込んだ人たちの多くは、今以上に小さくて控えめで遠慮した声では歌えないだけなのです。合唱の人たちが声楽の人たちのような声で歌えないように、声楽の人たちが合唱の人たちのように歌うには、かなりのテクニックが必要だし、多くのアマチュアシンガーさんだと、それらのテクニックの習得までは出来ていないのです。

 実際、音量増々で歌うよりも、音量を絞って歌う方が、ずっとずっと難しいのです。

 音量増々では歌えない人に「もっと小さな声で歌え!」と言われると、心の中では「音量を絞る方が、音量増々で歌うよりも難しいんだぞ。なのに、音量増々で歌えないような人には言われたくない…」とか毒づいちゃいます。

 あと、音量を絞って歌うのは、難しい事に加えて、楽しくもないのです。声を出す喜びが薄いのです。つまり声の出る人間にとって、小さな声で歌うというのは『労多くして功少なし』なわけで(声楽をやっている人のすべてにあてはまるわけではありませんが)私のような享楽的な人間だと、本能的に避けてしまうわけです。嫌気がさしてしまうわけです。だって、我々アマチュア音楽家にとって、音楽なんて趣味だよ、趣味。まずは楽しくないと! 自分がハッピーになるために音楽をやっているわけでしょ? なのに、苦労を強いられて、砂を噛むような思いで音楽やるなんて、本末転倒じゃん…という訳で、合唱は好きでも、合唱団に対して居心地の悪さを感じるわけで、そんな状態の時に、イジワルされたり、嫌がらせされたりすると「ええい、こんな合唱団なんか辞めてやる!」という事になるわけです。

 だから誤解してほしくないのだけれど、合唱を辞めて声楽を始めた人たちの多くは、その特定の合唱団がイヤになっただけで、合唱音楽そのものがイヤになったわけではないし、受け入れてもらえる合唱団があれば、喜んで入団して合唱活動をしたいと思う人もたくさんいるわけです。

 「じゃあ、普通の合唱団ではなく、オペラ合唱団で活動すればいいじゃん?」

 実際、そうしている人もたくさんいますよね。ある程度、声の出ちゃう人が合唱やろうと思えば、その道くらいしかないかもしれません。

 私個人の話をすると…オペラ合唱団は、今のところはパスなんだな。と言うのも、オペラ歌うなら、合唱団としてモブを歌うのではなく(たとえ舞台がどんなに小さくても)ソリストとして役名の付いているモノを歌いたいんですね。

 なので、今のところ、合唱はいいか…と思っている私です。

蛇足 合唱団に行くと、やたらと絡んでくる人いますよね。新参者に興味津々と言うべきか、密かに(明らかに?)こちらの値踏み&格付けをしているフシもあります。群れの中での位置づけってのが大切なのは分かるけれど…うっとおしいなあ。あの、うっとおしさがイヤなので、合唱には足が向かない…というのも、正直ありますね。

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2016年10月 4日 (火)

私の野望(笑)

 私には野望があります(笑)。もちろん、世界征服とか、そういうモンじゃないです(世界征服を目指す…ってのも、20世紀のアニメや特撮っぽいですね)。私の野望は、もちろん“音楽趣味の野望”であって、それ以上のモノでもなければ、それ以下のモノでもありません。

 まあ、普通なら“夢”と呼んでも良い事柄なのかもしれませんが、私の場合“夢”と呼ぶにはギトギトしているし、心の奥底では「なんとかならねーものかなー」と思っているので“夢”と言うよりも“野望”と呼んだ方が適切かな…なんて思っているわけです。

 で、私の野望を列記していきます。

1)どこぞのアマオケのフルート奏者になる

 ちょっとだけ奥ゆかしいのは“アマオケ”と限定した点かな? でも、私にとっては見果てぬ野望である事は事実です。地域にもよるでしょうが、私の地区にもアマオケは数団体ありますが、どこもフルートは余っています。そして他の楽器ならともかく、フルートは基本的には募集していません。と言うのも、フルート奏者は、ほぼ音大卒業生か、吹奏楽部OGで間に合っているからです。人が余っているなら、どこの団体でも、より上手で確実な人材が欲しいわけで、私のような老人になってからボツボツと始めたような人は、及びじゃないのです。そんな事は、よくよく分かっているのです。

 でも、野望は野望なので、書いておきます(笑)。

 ちなみに、アマオケには入りたいのですが、吹奏楽団には入るつもりはありません。単純に、マーチとかポップスとかは演奏したくないのです。もっとも、それ以前に、吹奏楽団からお呼びがかからないし(笑)。

 でも、ビッグバンドだったら…ううむ、心がグラグラ動くなあ。

2)どこぞのアマオケの弦楽器奏者になる

 弦楽器とは、具体的にはヴァイオリン奏者を指してますが、ヴィオラでも良いかも。コントラバスも可。チェロだけは…ちょっと無理かも(笑)。

 アマオケの弦楽器は、フルートよりは門戸が広いです。私のような超レイトスターターでも、全く不可能ではありません…腕があれば! そう、問題は腕前なんですよ。少なくとも今現在の腕前では不可能です。でも、10年くらい頑張ってからなら…全くの無理とは限らないでしょ? だから野望なんです。だって、実際問題として、これからの10年をヴァイオリンに捧げるつもりはあるのか…と言われれば、言葉を濁すしかないからね。

3)フルート職人になる

 野望と言うよりも、妄想だね(笑)。でも、自分のフルートぐらい、自分で調整できる程度でいいので、フルート職人の真似事みたいな事ができるといいなあと思ってます。

4)以下のアリアを歌いたい

4-1)ベッリーニ作曲 歌劇「清教徒」より「A te o cara/いとしい乙女よ、あなたに愛を」
4-2)ヴェルディ作曲 歌劇「トロヴァトーレ」より「Di quella pira/見よ、恐ろしい炎を」
4-3)レオンカヴァッロ作曲 歌劇「道化師」より「Vesti la giubba/衣装をつけろ」

 1)~3)と比べると、グッと規模の小さな野望を書いてみました。でも、出来そうで出来ないじゃないかと思っているので、野望なんですね。

 私は声楽を習っているので、たいていの歌曲とかテノールアリアは、自分が望めば、技術的な問題が多少はあっても、いつかは歌えると思ってます。あるいは、歌うチャンスが巡ってくると思ってます。

 でも、そうであっても、なかなか難しい曲もあるわけで、上記の3曲は、それらの中でも、歌うチャンスがまず巡ってこないだろうと思われる曲なのです。だから、野望なんです。

 4-1)は単純に私の声では無理…と言うか、これって本当にテノールのアリアなのって感じなんです。メロディの中に、普通にHi-C#があります。メロディーの中ですら、この高さなんですから、もちろんカデンツァなんて考えたくもないほどの音が使われているわけです。これって、テノールじゃなくて、メールアルトとか、カストラートとか言われる人が歌うべきアリアなんじゃねーのー…って、マジで思ってます。

 そうは思いながらも、実に美しい歌で、私大好きなんですよ。でも、今は歌えないし、おそらく将来的にも歌えません。でも歌いたいです。

 4-2)は、カデンツァの最高音がHi-Cで、おまけにロングトーンなのです。難しいですね、ほんと難しいですね。それでもある日奇跡的に歌が上達して、もしかすると歌えるようになるかも…って、たまに妄想したりもしますが、冷静に考えると、それでもやっぱり、このアリアも私が歌うのはちょっと無理なのです。と言うのも、このアリア、Hi-Cと言う技術的な難しさもあるのですが、男声合唱と共演するという、機会的な難しさもあるのです。男声合唱との共演はアリアの後半で、その手前で歌うのを止めるとか、合唱を省略して歌うという手もありますが、それでは後半部分の一番カッコいい部分が歌えないからです。

 実際コンクールなどで、合唱部分を省いて歌う人がいますが、それでは、かなりマヌケな感じがするんですよ。やはり、この曲は合唱部分も含めてのアリアですから、合唱を抜くわけにはいかないかな…って思うと、私のような人間には、チャンスすら巡っていこないですね。

 4-3)は、そこへ行くと、かなりハードルが低いです。別にメロディやカデンツァに甲高い音が入っているわけじゃないし、別に他人と絡む必要もないし。合唱も不要。たぶん、歌だけなら、今でも歌えるかもしれない。でもね、この歌は、常に演技と一体化しているわけだし、その演技というのが“泣きの演技”なんだよね。泣きの演技は…難しいです。先日の門下の発表会で、ちょっとだけ“泣きの演技”にチャレンジしたんだけれど、これが難しい。まだボエームの場合は、顔をそむけて背中で泣いて…という“ごまかし”が出来たけれど、この曲では、演者は通常、客席に正面の顔を向けた泣くのです…ってか、泣きの表情が歌にとって、とても大切なのです。

 このアリア、昔から歌いたいアリアの1つなのだけれど、泣きの演技の事を考えると、とても私には歌えないような気がしているのです。さらに言うと、泣きながら、舞台化粧をするのが本当なのですが、泣くだけでも大変なのに、人前で舞台化粧をするのは…もう、無理ゲーですよ。そもそも、舞台用の化粧道具なんて持ってないし(笑)。

 というのが、私の野望でございました。

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2016年10月 3日 (月)

演技を付けてみました

 もうまもなく、クラシックコンサートの本番がやってきます。歌のレッスンを重ね、ぼちぼちと形になってきた「ボエーム」ですが、今回、ようやく演技をつけて歌う練習をしてみました。

 練習に参加したのは、私と妻とピアニストさんです。近所の公民館に声楽サークルとして予約を入れて、そこの音楽室で練習をしました。

 実は私と妻と、その友人たちで、アマチュアの声楽サークルを立ち上げているのです。ただし、活動は不定期(笑)。必要に応じて、公民館を借りてサークル活動をしているのですが…まあ、今回の我々の「ボエーム」の練習も、サークル活動の一端として行いました。ちなみに、ピアニストさんも、その声楽サークルのメンバーだったりしますので、特に無問題です。

 さて、会場に入って、イスやら机やらを片付けて、本番ステージ程度のスペースを作ったら、実際の演技を入れて歌うことにしました。

 演技が入るのは、今回の舞台の最初と最後で歌う二重唱の部分です。アリアの部分は、ソロ曲ですから、歌っている方は歌に一生懸命だし、歌っていない方は歌の邪魔をしない程度にしか動けませんから、演技的には、そんなに難しくないです。ですから、演技的に合わせが必要なのは、舞台の最初と最後に歌っている二重唱の部分なのです。

 最初の二重唱は…、別れの挨拶をする。ミミが鍵を無くした事に気づく。鍵を無くしたと騒ぐ。「そこにいたらロウソクの灯が消えてしまうよ」と注意するロドルフォ。ミミのロウソクが消える。「ああ大変だ」と嘯きながら自分のロウソクを吹き消してしまうロドルフォ。床に這いつくばって鍵を探すミミ。「一緒に鍵を探して欲しい」とロドルフォに頼むミミ。承知するロドルフォ。すぐに鍵を見つけてしまうロドルフォ。ロドルフォが鍵を見つけたと感づくミミ。「見つかりましたか」と尋ねるミミ。「いいえ」とごまかすロドルフォ。鍵を探すミミに忍び寄るロドルフォ。タイミングを見計らってミミの手を握るロドルフォ。ビックリして声を上げてしまうミミ…。見つめ合う二人…、これだけの演技をしながら、二重唱を歌います。

 結構、大変なんだな、これが…。今回は演出家がいるわけではないので、私と妻と相談しながら、動きのあれこれを決めていきました。

 決めた動きを入れながら、音楽に合わせながら演技を行うわけで…とりわけ難しいのが、ミミの手を握るタイミング。どうにもうまくいかなかったりします(汗)。

 とにかく、音楽と動きのタイミングが合わなければ、合わせるまでです。歌詞が跳んでも、うろたえずに演技を続けないといけません。当然、歌の方も、演技が入るので、音楽稽古の時とは、テンポやら何やらが変わってしまいますが、それはそれで仕方ありません。

 互いのアリアはソロ曲ですから、基本的な動きは、それぞれが考えればいいわけで、アドリブもありです。ただし、多少のカラミがありますから、その部分はしっかりと決めておきます。例えば、私のソロ曲では、手を握り合ってまま歌い出す訳だけれど、どのタイミングで、立ち上がって、ミミをイスまでエスコートするのかとか、ミミはイスに座らせたまま、ロドルフォはどこで歌っていくのか(当然、歌いながら移動するわけです)とか。ミミのアリアでは、どのタイミングでイスから立ち上がって舞台の前に出ていくのかとか、ロドルフォが合いの手をいれる場面ではどう動くかとかね。

 最後の二重唱は…舞台の前で歌っているミミに、ロドルフォがどのように近づいていくのか。肩を抱くのは、どのタイミングか。キスをするのは、どのタイミングか。ミミがロドルフォのキスをどうやって拒絶するのか。拒絶されたロドルフォのリアクションはどうするのか。キスを拒絶されたにも関わらず、なおも食い下がるロドルフォをどう身体表現していくのか、結局、言葉でミミを丸め込むロドルフォだけれど、ミミは丸め込まれていく様をどう表現していくのか。そして、月夜の晩にミミを連れ出すロドルフォの仕草をいかにコミカルに演じるか。そのロドルフォにミミはどう応えていくか。最後の月に向かって歌い上げるシーンはどう演じるのか…。まあ、色々あるわけです。

 ここで難しいのは、ミミがロドルフォのキスを拒否するシーンです。色々なやり方はありますが、ヨーロッパ的なソフトな拒絶ではなく、日本的な強い拒否反応の方が、見ていて分かりやすいでしょうから、それを採用する事にしたものの、その拒否の仕方が、少々シリアスに流れすぎるので、その後のロドルフォの食い下がりは、分かりやすくコミカルに演じる事にしました。

 月夜にミミを連れ出すシーンは、たっぷりと時間をかけて演技をして、歌うようにしました。楽譜上は、2拍しか時間の余裕がありませんが、ほぼ2小節分の時間をかけて演技することにしました。やっぱり分かりやすさ優先だよね。

 最初は少しずつ止めながら演技確認をし、一通り通したところで、部分的に返しをして、休憩。休憩後は、音楽を止めずに通して演技をし、その後、部分的に返しをして、本日の練習を完了しました。それでも2時間半はかかったよ。ああ、大変でした。

 練習の後は、ポケモンを狩りながら、本番衣装になりそうなモノはないかと大型スーパーに行きました。ミミのショールと、ロドルフォの上着を購入しました。まあ、今回は衣装として使うけれど、いずれは普段着にしてしまうつもりです。

 なにしろ、以前歌った「愛の妙薬」のネモリーノが履いていた長靴は、今は私の普段使いの長靴になっているくらいですからね。衣装として購入しても、時期が来れば普段使いになってしまうのですよ(笑)。

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2016年10月 2日 (日)

ポケモンGOユーザーは、クズ野郎ばかりなのか?

 私はポケモンGOのユーザーです。だから、ポケモンをやらずに、冷ややかに批判だけをしているオッサンたちとは違い、自分もポケモンをやり、その中であれこれ感じる事があります。そんな私が、世間から悪者扱いされているポケモンGOユーザーたちについて語ってみたいと思います。

 まず、タイトルに書きました“ポケモンGOユーザーは、クズ野郎ばかりなのか?”という問いに対しては、一応“否”と答えておきます。正確には“クズ野郎ばかり”なのではなく“クズ野郎もいます”あるいは“クズ野郎が目立ちます”…と答えます。

 私が実際に見聞きし、ネットでもあれこれ調べてみると、ポケモンGOの一般的なユーザーと言うのは、実はオトナたちである事が分かりました。それもはっきり言っちゃえば、オッサンオバサンたちがメインユーザーであって、彼らはごく初期のポケモンのテレビ放送を、彼らの子育ての最中に子どもたちと見て馴染みがあって、それで今回のゲームにハマってしまったようなのです。

 実際にポケモンGOに出てくるポケモンたちって、約20年前に放送された初期ポケモンたちばっかりだしね。そりゃあ、オジサンオバサンたちには、懐かしいわけだよ。

 ですから、決して、他のスマホゲームのように、若い兄ちゃんたちがメインユーザーではないようです。そして、オッサンオバサンたちは、社会を担っている人たちですから、当然のようにゲームにばかりに、うつつを抜かせるわけもなく、日々の生活の隙間の時間でゲームをやっているわけですから、ヘビーユーザーではありません。はっきり言っちゃえば、ライトユーザーばかりです。さらに言えば、ポケモンGOしかやらない人も大勢いるようです。

 まあ、オトナは忙しいからね。で、こういう人たちが、クズ野郎なわけはないのです。

 でも、ちょっとばかり目をしかめる事をしでかす人たちはいます。

 例えば、歩きスマホ。歩きスマホはいけません。もちろん、歩きスマホと言うのは「スマホを持って歩く」事ではなく(そりゃあそうだ)、「スマホの画面だけを見て、他を全く見ないで歩く」事です。これは危険です。周囲にも危険だけれど、まずは自分自身が危険です。

 ポケモンGOは、そのゲームの仕組み上、歩きスマホを誘発するように出来ています。だから、ポケモンをしながら、ついつい歩きスマホをしてしまう人がいるわけですが、これは危険。ほんと危険。

 「他のスマホゲームだって、歩きスマホを誘発するんじゃないの?」

 いいえ、他のスマホゲームは、歩きスマホとは無関係です。もちろん、歩きながらスマホゲームをする連中もいますが、それは少数派です。他のスマホゲームは基本的に、屋内で遊ぶように作られています。スマホゲームと言っても、スマホをゲーム機として使うだけで、主に室内でゲームをするようになっています。外にスマホを持ち出して、ゲームをするようには作られていません。

 でも、ポケモンGOはスマホを持って、街歩きをしないとゲームになりません。ここが他のスマホゲームとは決定的に違うところであり、実際の道を歩き、路上で出会うポケモンを捕獲し、実際に設定された特定の場所(ポケストップとかジムとか)を訪れないとゲームになりません。リアルに散歩をしないとゲームが進行しないわけで、ついつい歩きスマホをしてしまうわけです。

 歩きスマホ…私は怖くて、そんな事できません。

 歩く時は、常に前を向いて歩く。ポケストップに近づいたら、道の端によって立ち止まってゲームをする。ポケモンが現れた時も同様です。すべての作業が終わるまでは歩き始めません。だって怖いもん。ジム戦をする時は、周囲に迷惑がかからないよう場所(公園なら公園の中に、その他の施設でもそれらの施設を利用する人の邪魔にならない場所)に移動して行います。そうしないと自分自身が安心できないじゃない。それでも、夜は明るいスマホの画面を見つめることが多くて、夜目にならないので、色々と見落とすこともありますし、私は実際に道にあいていた穴に落ちて、足をくじきました(涙)。

 ほんと、歩きスマホは怖いです。特に夜は怖いです。

 でも、世の中には、怖さを感じない人もいるようだし、安全でなくても平気な人がいます。ほんと、こういう人には困ったものです。

 でも、歩きスマホなんて可愛いモノかもしれません。私、頻繁に目にするのが、自転車に乗ってスマホでポケモンをやっている人です。自転車で走りながら、全然前を見ないでスマホを見つめているんです。あれ、ほんと怖いです。ポケモンGOって、歩いてゲームをするように作られていますが、ああいう人は歩きたくないのでしょうし、なるべく移動距離を稼ぎたいのでしょうね。自転車に乗ってポケモンGOをするわけです。私、ポケモンをするのに「自転車に乗るな!」とは言いません(でも、サトシ君は自転車じゃなくて徒歩でポケモンやっているよね)。でも「前を見ないで自転車を走らせるな!」とは言いたいです。自転車を運転する時は、ちゃんと前を見て、ハンドルはしっかりと両手で握って、スマホは腕とか胸とかにバンドで密着するように持てば、……あれ、そんな事をしていたら、いつポケモンが現れたか分からないよね。自転車に乗りながらポケモンGOをするのは、かなり危険だし、難しいんじゃないの?

 でもまだ、自転車でポケモンGOをやっている人は、可愛いのかもしれません。と言うのも、車を運転しながら、片手でスマホをいじっている人を、よく見かけるからです。ああいう人は必ずポケモンGOをやっているとは断定できません。メールやラインやツイッターかもしれませんが、画面の色からしてポケモンGOをやっている人も少なからずいます。

 でも、車の場合、運転しながらスマホをいじっていたら、明らかに脇見運転だし、法律違反じゃないですか? ほんと、怖いですよ。車を運転しながらのスマホなんて、ポケモンGOをやっていてもいなくても、クズ野郎決定です。

 他にも、ポケモンGOのユーザーのマナーの悪さがしばしば報道されます。こちらはオジサンオバサンでなく、少数派だけれど目立つ若者ユーザーたちの行動が、しばしば問題とされるわけです。

 ポケモンGOの楽しみの一つに、ポケモンの捕獲があります。ポケモンって、いつでもどこにでも現れるわけではなく、特定の場所に特定のポケモンが決められた短時間だけ出現するのですが、世の中には、ポケモンの現れやすい場所と現れにくい場所があり、その中でもポケモンが集中的に現れる事があります。そんなポケモンが現れやすい場所のいくつかが、日本国内でも情報が拡散されていて有名なのです。例えば、その一つに上野の不忍池があります。

 私も(年甲斐もなく:恥)何度か不忍池に行きましたが、ほんと、ここはすごいですよ。実際に、不忍池はポケモンがたくさん出現します。それを求めて、若いポケモンGOユーザーが多く集まり、立錐の余地もないほどの混雑ぶりです。私なんか、ほんと、ジジイすぎて浮いちゃうくらいです(汗)。

 で、そこにいる大勢の人々が、みんながみんな、手元のスマホばかりを見つめて、ちょっと進んでは立ち止まって、ちょっと進んでは立ち止まっているのです。もちろん、ポケモンをゲットしているわけですが…ほんと、異様な雰囲気です。で、時折「ミニリュウが出たぞー」という叫び声が聞こえると、その声の元に向かって(冗談ではなく)何百人もの男女が一斉に走り出すのです。怖い怖い。

 私はオジサンですから、その駆け出す集団には加わりません。だって、その集団って、まるで暴動のようなんだもの、怖いもん。まだ怪我をしたくないので、絶対に加わりません。彼らが来れば、私はささっと道の脇に寄って、彼らを通してあげます。巻き込まれたら一大事ですからね。

 でも、そんなふうに彼らを見送る私のスマホに、彼らが欲しがっているポケモンである、ミニリュウが現れたりして、それを難なくゲットしたりしているわけです。まあ、人生なんて、そんなモンです。

 ちなみにミニリュウは、ネットでは“レアポケモン”と呼ばれていますが、案外、近所の河川とか小川とか池とか、つまり水辺に行けば、結構います。私もたまに近所で見かけますよ。そんなにレアって感じはしないポケモンです(笑)。なので、ウチの近所は、ミニリュウの進化形であるカイリュウを持っているユーザーさんがたくさんいて、どこのジムもカイリュウだらけだったりします。

 閑話休題。とにかく、それくらいにポケモンGOユーザーに大人気な不忍池ですが、つい先日、その不忍池にある弁天様が、ポケモンGOユーザーたちに、境内への立ち入り禁止を宣言しました。つまり、弁天様の境内に入った、ポケモンGOはしないでね…って事ですよ。逆に言えば、弁天様の境内に入るなら、静かに弁天様をお参りしてねって事です。

 と言うのも、弁天様の境内でのポケモンGOユーザーたちの振る舞いが、あまりに傍若無人であり、弁天様に対して不敬だというわけです。

 まあ、そりゃあそうだろうね。だって彼らは、弁天様を参拝に来たのではなく、ポケモンをゲットしに来ただけですからね。

 信仰の場に、信仰心を持たない人々がズカズカと入り込んで、好き勝手にやっちゃあ、そりゃあダメだよね。信仰心を持て!…とまでは言わなくても、他の人たちが大切にしているモノに対して、それを尊重したり、敬意を持って接する事は大切であり、この件に関しては、完全にポケモンGOのユーザーが悪いと思います。

 自らの行動を自分で律する事ができない奴なんて、クズ野郎ですって。

 ちなみに、弁天様の境内は、当然の話ですが、私有地です。上野の寛永寺さんが管理している場所なんですね。信仰のために人々の出入りが出来るようにしているだけで、ゲームをする人のための場所ではないのです。

 そうやって、境内への立ち入りを禁止したにも関わらず、それらの警告を無視して、今日も多くのポケモンGOユーザーの皆さん方が、弁天様の境内を我が物顔で闊歩しゲームをしているそうです。

 そんな事をやっているから、ダメなんだよね。グズ野郎なんだよね。

 別に不忍池は弁天様しかないわけじゃないし、ボート池の方をグルグル回っても、結構ポケモンはゲットできるんだけれどなあ…。

 先日はお台場にラプラスが現れたという情報がネットで流れて、ポケモンGOユーザーさんたちが大挙してお台場に集結し、お台場の道路を彼らが塞いでしまって、大変な交通渋滞を招いたとも言われてます。これもダメだよね。おそらく、報道されないだけで、似たような事は日本中で起こっていると思います。

 不忍池にせよ、お台場にせよ、そこに集まるユーザーさんは、メインユーザーのオジサンオバサンではなく(オジサンオバサンには、そんなエネルギーはありません)若い人々が多いです。彼らの多くは、少し前まで、自室にこもってゲームをしていたオタクさんとかゲーマーさんなんだろうと思います。彼らは社会経験が少なく、世の中のルールに疎い事もあって、悪意なく、そのような迷惑行為をしてしまうのだろうけれど、悪意があろうがなかろうが、ダメなものはダメなんだな。

 特にゲーマーと呼ばれる人たちは、一種のマニアであって、ゲームに勝つことに一心不乱になるわけです。熱心なのは責められることではないけれど、それが原因で社会とうまく折り合いがつかない人もいるわけで、そこがかなり残念なところでもあります。

 たとえゲームをしていても、世の中とか社会の一員である事には違いがないのだから、きちんと社会と折り合いをつけられないで、ゲームばかりに邁進しているのなら、クズ野郎と言われても、仕方ないよな。

 話はちょっと変わりますが、ゲーマーの中には、いわゆる“チート”な連中がいます。チート…つまり“ずるい”連中です。彼らはチート技を使って、ゲームを自分に有利に進めます。具体的に言えば、不正な手段を用いて、ボケモンをゲットしたり、ユーザーの経験値を稼ぐわけで、それをサポートする違法ソフトがネットにはゴロゴロしているわけです。

 そのような違法ソフトを使用するためには、iPhoneであるならばiPhoneの“脱獄化”が、Android携帯であるならば“root化”が必要ですが、そんなのはちょっと腕のある人なら、ちょいちょいと出来ちゃう事ですが、それはある種の違法改造であり、決して誉められた事ではありません。

 先日、脱獄化されたiPhoneを販売していた業者が逮捕されました。売る方もクズなら、買う方もクズだと思います。そんな人たちが、ゲームをつまらなくさせるんだよね。

 他にも書きたい事はたくさんあるけれど、ここまででも結構長文になっちゃったので、それらはまた別の機会にします。

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2016年10月 1日 (土)

9月は暑かったし、彼女は二重国籍だったわけだし…[2016年9月の落ち穂拾い]

 今年の9月は、暑い上に、いつもジトジトと雨ばかりが降り、たまに台風がやってくるという、悪天候に恵まれた(!)一ヶ月だったと思います。やれやれ。10月こそは、秋晴れの空を拝むことができるかな? もう少し過ごしやすい気候になるかな? それも、ここから一気に冬に突入しちゃうのかな? なんか、本当に我が国には四季があるのか、昨今は疑問に思う次第です。特に、秋の存在感の薄いこと薄いこと。ほんと、大丈夫かいな?

火中の栗を拾う

 プロの方々に対する敬意というモノを、私のようなアマチュア連中は、決して忘れてはいけない事だと思ってます。

 私が思う『プロに対する敬意』と言うのは、その演奏技量の高さに対する敬意だけではなく(それは当然の事として)“音楽家として生きると決めた人生の決断”に対する敬意ではないかと思うのです。

 誰かが火中の栗を拾わなければいけない時に「私がその栗を拾います」と宣言して、実際に火中の栗を拾う生活をする事、その事を決めた決断に対して敬意を払いたいと思うのてす。

 誰だって火中の栗は拾いたくないし、誰も拾わないという選択肢だってあるけれど、そこであえて、火中の栗を拾う人生を選んだ人に対する敬意、それを忘れずにいたいものだと思う私です。だって、その拾った栗は、きっと“黄金の栗”に違いないからね。

腹筋の使い方

 気を使っている時や、比較的低い音域のフレーズを歌う時は、いい感じでノドの力も抜けているようですが、気を抜いたり、高音に挑んで気合が入ると、喉声全開になってしまいます。

 要するに、声って、ノドの力で出すか、腹の力で出すかの2つがあり、それらは適度なバランスの上で成り立っているわけで、ノドだけとか、腹だけとかの発声はありえないのです。で、そのバランスが極端にノドに傾いた声が喉声であり、理想の声楽発声は、ノドよりも腹での発声を重んじているってだけの話です。

 ただ、腹重視の発声は、美的には美しい声になるでしょうが、人間の感情は込めづらくなります。感情表現に重きを置くならば、ある程度はノドも使わないといけません。そういう点では、キング先生は、美的な発声よりも感情表現を重視した歌い方を指南していたのだと思いますが…そういう指導をなされている先生自身の発声は、感情表現よりも美的な美しさを追求していらしゃいました…んです。

 ま、人生いろいろです。

 私の場合は、もともとノドが筋肉的にも強く、喉声発声に向いている資質を最初から持っていたのが、やっかいな点なのかもしれません。ノドが最初っから強いので、腹を使う発声に慣れないとも言えます。ただ、腹を使う発声にしないと、高音はどう頑張っても出ない…ことだけは確実なのです。

日式合唱?

 日本の合唱だって、やはり合唱である事は間違いありません。ただし、いわゆる西洋音楽における合唱と全く同じものかというと、私は首を傾げざるを得ません。

 ラーメンとかカレーライスなども、元々は中華料理だったり、インド料理(一説にはイギリス料理)だったりするわけだけれど、今の日本の巷にあふれるラーメンやカレーは、オリジナル料理とは、かなり違っているわけで、最近では日本のラーメンやカレーを“日式ラーメン”とか“日式カレー”と呼んで、本来のラーメンやカレーとは区別する方向にあります。

 日本には、異国のモノを取り入れた後、自分たち流に上手にアレンジして、オリジナルとは別の、もっと良い物に進化改良させてしまうという民族性があるわけです。

 合唱も、もしかすると、ラーメンやカレーと同じ事になっているのではないでしょうか?

 もはや、日本の合唱は、日式合唱、あるいは邦楽風味の合唱になってしまったのかもしれません。いわゆる、ローカライズです。

 これらの日式合唱は、我々日本人の耳に心地よく、歌うに優しいモノですが、教会音楽や劇場音楽をベースにした西洋音楽における合唱とは、違った方向の音楽に変わってしまった…と言えると、私は思うわけです。

今月のお気に入り モバイルバッテリー iBUFFALO BSMPB2602P1

ポケモンGOを始めて、気になったのは「スマホの電池があっと言うまにカラになる」って事です。

 それまでの私は、スマホは電話機能とメールぐらいで、たまにiPadのデザリング基地として使うくらいで、一度充電すれば、電池は一週間近くは保っていました。なので、充電をするにしても、画面に見える電池のアイコンが赤くなってから「ぼちぼち充電しようかな…」とのんびり構えていても全然平気でした。

 ところが、ポケモンGOを始めてから、スマホの電池が保たないのです。

 普段の日は、フル充電にして出掛けても、我が家に帰り着く頃には、ほぼカラの状態になっていて、毎日毎日充電せざるを得ない状況ですし、休日などで外出すると、ほぼ外出先で電池が切れてしまいます。たった一日なのに、電池が保たないのです。

 なんてこったい!

 そこで困った私は、ついにモバイルバッテリーというモノに手を出すことにしました。これがあれば、外出先でiPhoneの電池が切れても、すぐに充電できるし、充電しながら外部電池として使うことも可能で、ひとまずこれを持っていれば電力不足で悩む事はなくなります。

 モバイルバッテリーは、通販を見れば、いくらでも安いモノがありますが、バッテリーって、品質の悪いモノって、実は怖いんですよね。爆発したり、液漏れを起こしたり、バッテリー自身は大丈夫でも、過充電のためにiPhoneを痛めたりするモノもあります。信頼第一なので、私は多少高くても、国産メーカーのモノにしました。国産メーカーと言っても、実際の製造元は中国ですが、国産メーカーのチェックを受けて、国産メーカーのブランドで販売されるのですから、そこは大丈夫だと信じているわけです。

 特に私の場合、外出先で充電をするのはiPhoneだけでなく、iPadも充電しますので、大容量&高速充電可能のバッテリーでなくては困ります。バッテリーの品質が悪いと、本当に怖いのです。

 一応、私が買ったバッテリーは、iPhoneだと2回充電できます。もっとも、1回目はフル充電になりますが、2回目は80%止まりですが…。あと、放電量も大きいので、充電速度も早いですよ。私はよく映画館で映画を見ながら充電しますが、残り20%ぐらいの状態(電池のアイコンが赤くなるのはここらへんからです)から充電を始めて映画を見ていると、映画が終わる頃にはフル充電になります。これは結構便利です。もちろん、過充電や過放電の対策はされていますし、充電のオンオフの切り替えスイッチも付いてます。

 それにしても、スマホを毎日充電するようになるとは思わなかった。ましてや、モバイルバッテリーを所持して、出先で充電しながらスマホを使うようになるとは、本当に、夢にも思いませんでした。

今月の金魚

2016年9月4日 ベル、我が家にメダカ10匹を連れてやってくる。でも、メダカはその日のうちにすべて星になる(涙)。

今月のひとこと

 民進党の蓮舫議員は、やっぱり二重国籍者なのかな? もっとも、我が国日本は、中華民国/台湾を国とは正式に認めていないので、中華民国の国籍を持っていても、そんなのは無いのも同然だから、日本の法律的には、二重国籍には当たらないし問題無いのだろうけれど、中国(中華人民共和国の方ね)は「一つの中国」をスローガンに掲げていて、彼ら的には中華民国の国籍の者は、もれなく“中国人”なわけで、そんな中国視点で見ると、蓮舫議員が仮に中華民国の国籍も持っているならば、それは中国的には立派な中国人なわけで“中国人が日本の国会に入り込んで政治活動をしている”という図式になるわけです。最悪、スパイを国会に送り込んでいるようなモノとも解釈できます。そう疑われることくらい、頭の良い蓮舫議員なら分かるだろうに…。だから、中華民国の国籍を持っていないのなら「持っていません」と名言すればいいのに、それをしないで、ごまかしているのは、なんか怪しいです。だいたい、彼女のメンタリティーって、日本人離れしていて、ちょっと違和感があるんだよね…。ちなみに、民進党の代表? 誰でもいいんじゃないの。日本の政治的には全く影響ないでしょ?(2016年9月2~3日)

 上野の不忍池は、なんとも凄い人だかりなのですが、あれでよく怪我人が出ないものだと感心しています。おそらく、海外ならば、あの人だかりだと、ほぼ暴動と同義になってしまうと思うのですが…日本人って、そういう意味では秩序だっていると言うか、よく飼いならされていると言うか。もちろん、私も含めての話なんですがね。(2016年9月3~6日)

 蓮舫氏の二重国籍問題は、かなり根が深そうです。彼女は国会議員ですし、国会議員の場合、立候補する際に、日本人であることを証明するために戸籍を提出しますから、現在、彼女が日本国籍を有している事は間違いないのですが、問題は中国との二重国籍者ではないかという疑いがあるわけです。彼女の父親は台湾出身者で、母親は日本人で、本人は日本生まれの日本育ちです。昭和59年に国籍法が改正されるまでは、父親が日本人でなければ、外国人を父に持つ子どもは、たとえ日本で生まれても、日本国籍が取得できなかったので、昭和42年生まれの蓮舫氏は、子供の頃は日本人ではなく、いわゆる“在日台湾人”って扱いでした。では台湾(中華民国)の国籍を持っているのかと言うと、昭和47年の日中国交正常化で、日本国は中華民国を国と認めなかったため、当時“台湾籍”だった者は、中国(中華人民共和国)の主張[中国は当時から“一つの中国”を主張しています]に従って、自動的に中国人とみなされ、国籍も中国籍になりました。だから蓮舫氏の場合、昭和47年までは中華民国国籍で、47年以降は中華人民共和国国籍なのです。つまり、彼女は中国人だったわけです。問題は蓮舫氏自身「高校3年18歳」で日本人を選んだとテレビで言った事です。彼女は外国人ですし、日本国籍を持っていなかったので、当然帰化しているはずですが、日本では帰化するためには“年齢が20歳以上”という条件がありますし、台湾の国籍法でも、他国に帰化するために台湾の国籍を喪失するには“年齢が20歳以上”という条件がありますので「高校3年18歳」で日本人になったと言うなら、彼女は日本に帰化したわけではなく、何らかの別の手段によって、18歳で日本国籍を取得したという事になりますが、その部分の説明が未だに無いのです。そこが問題だし、自分の国籍に関して即答できないってのは、何かあると思われても仕方ないですね。(2016年9月6~7日)

 民進党の蓮舫氏の二重国籍問題は、やっぱりモヤモヤしたままです。彼女は自分が日本人である事を何度も強調していますが、問題はそこではなく、日本人でありながら台湾(あるいは中国)の国籍も持っている二重国籍者だったのかどうかって点です。元は外国人でも、日本に帰化等をして日本人になった人は、日本に対して忠誠心を持っている(とみなす)ので問題ありません。二重国籍者の場合、その人がどちらの国に忠誠心を持っているかが問題になるわけだし、それは心の問題なので、本人以外は誰も真実を知りようがない事が問題なのです。つまり、A国とB国の2つの国籍を持っている人が仮にいるとします。その人は表向きはA国民として暮らし、A国で国務大臣をやる等、A国に深くかかわるようになったとします。しかしこの人はB国に忠誠を誓い、実はB国のために暗躍し、A国の大臣として背任的行為(スパイ活動とか、悪意ある決断など)を重ねていたら…二重国籍者が国の重要なポストに就くと言うのは、そういう危険性があるのです。結局、蓮舫氏の「私は生まれた時から日本人でした」という発言は、嘘/間違いであった(彼女は台湾人として生まれています)わけだし、台湾の国籍放棄の手続きを今現在行っている事や、その理由が「確認が取れないから」ってのは、全く分からない話です。と言うのも、実は台湾って、日本同様に戸籍制度がある(戸籍制度があるのは、日本と台湾だけで…ってか、台湾は日本の戸籍制度を導入したのです)ので、国籍うんぬんの証明は、実は簡単なのです。だって彼女の場合、父親の戸籍に当たれば、彼女の国籍の有無なんて一目瞭然のはずなのです。それが分からない? いや、何を言っているのか全く分かりません。実は二重国籍者だったので、慌てて除籍をしている…と勘ぐられても反論できない状況です。まあ、私は別に、民進党の代表になる人が二重国籍者であろうとなかろうと、別に気にしません。今の民進党は、日本をどうこうする力も無い弱小政党ですからね。しかし民主党政権の時代には、彼女は内閣府特命担当大臣だったわけだし、例の“仕分け”の時は、日本の科学分野に大打撃を与え(当時、一部では、あの仕分けは利敵行為と言われていました)、確実に日本の国力を下げた戦犯であるわけですが、その原因が彼女が二重国籍者であり、スパイ活動をしていたから…と言われても、これまた現段階では否定できないところではないでしょうか? ああ、当時、民主党に投票した人々を恨みます。(2016年9月7~8日)

 “ひとこと”欄の文章が長いのは、ほんとに読みづらい…と思った私でした。(2016年9月8日)

 蓮舫氏が29歳の時の雑誌インタビュー記事が見つかり、その中で「自分の国籍は台湾だ」と名言しているそうです。その記事が正しければ、蓮舫氏が17歳の時に、父親に連れられて台湾籍を放棄したというのは嘘になるし、自分の国籍についてよく分からないというのも嘘になります。蓮舫氏は、やっぱり?、つい最近まで日本と(中国扱いの)台湾の二重国籍者であり、蓮舫氏のアイデンティティーは日本ではなく、台湾にある…と言う事になります。二重国籍者が国会議員になっちゃいけないという決まりがないからOKというのは、眉唾な言い訳であって、他国人としてのアイデンティティーをもっている二重国籍者が日本の国会議員になるかもしれない…という前提がないから、そもそも法律で禁止されていないだけの話であって、二重国籍者が国会議員になって良いなんて事はないのです。それどころか、二重国籍のまま22歳になっていたとしたら、日本の法律では(原則的に)日本国籍を失う事になるので、彼女が国会議員になった時(36歳です)本来ならば日本国籍を失っていて当然の状態だったのかもしれません。民進党の代表どころか、議員辞職すら視野に入れなきゃいけないんじゃないのですか?(2016年9月8~10日)

 ああ、なんかタルい…。夏の疲れが今時になって出てきたのか? それとも誰かの呪詛なのか? 特に病気ってわけじゃないけれど、ひどくタルいです。ああ…、ああ…。(2016年9月10~13日)

 結局、蓮舫氏は二重国籍者だったわけです。で、まもなく台湾国籍を捨てる手続きが完了するので、そうなると、国籍は日本だけになるわけですから、何もかも問題無し…と言い切ってますが、果たしてそうなの? まあ、民進党の代表なんてのは、二重国籍者だろうが、外国人だろうが、どうでも良い話だし、過去の閣僚としての職務遂行については、大いに疑問が残るけれど、今文句を言ったところで、彼女の売国まがいの行動が取り消されるわけではないので、悔しいけれど不問にする事にして、今後はスパイ活動をしかねない、日本の利益よりも他国の利益を重んじる、二重国籍者を政治の場から駆逐できるように、きちんと法的な整備をしないといけないと思うわけです。(2016年9月13~15日)

 蓮舫氏は二重国籍者であるだけでなく「国籍は日本だけれど、アイデンティティーは台湾」という発言まで発掘されるほどに、みごとに在日中国人なわけですが、そんな彼女が、見事に民進党の代表選挙で勝ちました。おめでとうございます。人間の本質が中国人であるだけでも日本の国会議員としては、どんなもんだろうと個人的に思うのですが、そんな彼女を代表にしちゃう、民主党の党員&サポーターの方々の見識は、その程度のものかと確認した次第です。民進党が国政の決定権を持つことは、私が生きている間はもうないでしょうから、誰が代表でも無問題ですが、彼女が自民党の議員さんだったら、きっとマスコミが大騒ぎをして、議員辞職に追い込んでいただろうと思うと、マスコミって、どこまで親中なんだろうなあって思うわけです。利敵行為もいい加減にしろよって思う私です。(2016年9月15~19日)

 ポケモン狩りをしていたら、近所の公園でカワセミを見た。ポケモンのようにカワセミもゲットできたらいいのになあ…なんて、妄想してしまいました。ははは、それにしてもカワセミは美しい野鳥だね。(2016年9月19~27日)

 ポケモンGOをしている時は、周囲に気をつけて、歩きスマホなどで事故にあわないように気をつけている私ですが、先日、道の穴に足をとられて、ちょっとばかり足を捻挫してしまいました。夜だった事もあるけれど、立ち止まってはスマホの画面を見ていた事もあり、夜目になりきれず、道の凹凸がよく分からなくて、穴に足をツッコんでしまったようです。しかし…普通、舗装された道に穴なんて空いているか? 我が地元の道路行政の不甲斐なさに八つ当たりをしたい気分です。それにしても、足、痛い(涙)。(2016年9月27~28日)

 うっかりして、ブログ記事の投稿予約を入れるのを忘れてしまい、本日(9/28)の記事アップ時刻が遅くなってしまいました。楽しみに待っていた方々、申し訳ない。それにしても、記事を書いて、ちゃんと準備したつもりだったのに、予約を忘れるとは…色々と疲労がたまっているのかしら…ねえ?(2016年9月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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