ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2016年6月の記事

2016年6月30日 (木)

先日はブログをお休みしてしまったわけなんですが…[2016年6月の落ち穂拾い]

 先日はココログ(私はここでブログを開設しています)の都合でブログをお休みしてしまいました。ブログ更新を楽しみにしていた方には、お詫び申し上げます。

 とにかく、あの日(2016年6月27日 月曜日)は心臓に悪かったです~。

 私、ブログの記事は前日中に仕上げて、夜中の3時30分に予約投稿をして、翌日の起床後に記事のアップを確認する…というルーティンでやっているのですが、あの日は、目覚めてネットを確認したところ、記事がアップされていなかったのです。自動投稿の失敗って奴かな?と思い、まあ、そういう事はたまにあるので、手動でアップしようと、ココログの管理画面に入ろうとしたら、ハネられたわけです。「アカウントを確認してください」なんていうエラーメッセージが出ちゃうわけです。

 これ、つまり、私のブログの管理画面に入るためには、いつもの私が使っているアカウントとは別のアカウントを使用しないと入れない…? って事は、アカウントを乗っ取られた??? 

 ちょっとヤバくね?と思いました。でも、パスワード等の入力ミスって事もあるわけだから、慎重に再挑戦してみたけれど、やっぱり「アカウントを確認してください」ってエラーメッセージが出てくるわけです。こりゃー、青くなったね。

 アカウントの乗っ取られの可能性が高まったわけで、ならば、ココログに電話をして対処法を練らなきゃいけないのだけれど、まだ早朝だったので、ココログに電話をしても無駄なわけで、ああ大変だ大変だ…と心配しながらも、その後の事を妻に託して、私は出勤したわけでございます。

 出勤して、仕事しながらも情報収集をしてみて分かった事は、ココログの障害が発生する前に、ココログが置かれている某企業のサーバー群に障害が発生しているらしく、てんやわんやだった事を知りました。時間にして、深夜1時過ぎだったそうです。あそこって確か…某有名企業とか政府機関なども利用しているサーバー群…のはずだよなあ。

 ここに来て、不謹慎ですが、ちょっぴり安心しました。どうやら、私のアカウントが乗っ取られたわけではなく、何者かが何らかの情報を盗み出そうと某企業のサーバーにアタックをかけたところ、サーバーの強力な抵抗があって、サーバー対ハッカーの戦いとなって(情報が盗み出されたかどうかまでは私には分かりませんが)結果として、サーバー側が(情報を守るために)緊急アクセス遮断をした…のではないかと予想できたからです。そして、アクセス遮断をしたサーバーの1つにココログが置かれていて、まあ、ある意味、騒動の巻き添えをくらって、ココログのシステムが止まってしまい、我々一般管理者もココログの自分の管理画面にアクセスできないようになってしまった…と予想したわけです。

 まあ、私の予想が正しいかどうかは分かりませんし、サーバー側も、たとえハッキングがあったとしても、その事実は公表しないでしょうし、ましてやその結果の通信障害であるとは、セキュリティー面からも言えないはずですので、あくまでも予想や推測の範囲でしかモノは言えないのですが、私の中では、そういう事にしておきました。

 一方、妻は妻で、ココログさんと連絡をとって、色々と話をしたところ、やはり私のアカウントが乗っ取られたのではなく、あくまでもサーバー関連の障害であり、ココログ自身がサーバーにアクセスできなくて、その時点では障害報告が出来ていないという話を聞いたそうです。

 つまり、今回の障害はココログの障害ではなく、もっと上の方で起きた障害…って事で、私の予想もまんざらハズレってわけじゃなさそうです。

 復旧作業は15時過ぎに完了したそうです、私がその日の記事をアップしたのが13時頃ですから、復旧作業中のサーバーにアクセスしていたようですから、まだ動作が安定していなかった…ってわけです。

 と言ったわけでした。私も大慌てしましたが、ネットでは大慌てをして、あれこれ言っている人たちがたくさんいましたね。ほとんどが、悲鳴の類で、その中に怨嗟の声が混じっていたりしてました。…まあ、気持ちは分かります。陰謀説も飛び交っていましたね。国家機関による言論封鎖であるとか…。個人ブログであるココログの言論封鎖をするためにサーバーを落とす…?なんて、ここは某中国じゃないんだよ(笑)。

 しかし、私の予想通り、ハッキングが今回の障害の原因だとしたら、あそこの会社のサーバーを落とすほどの凄腕強力ハッカーがやってきたんだという事になるわけだけれど、そこまでの上級ハッカーが盗みたかった情報って…なんだろうねえ? ちょっとばかり、気になりますが…通信障害を起こしたところを見ても、きっと情報の盗み出しには失敗しているんじゃないかな…って思ってます。

発表会で分かる、進学の先生と趣味の先生

 歌であれ、楽器であれ、町の音楽の先生には、(幼児の音楽指導を含む)音大進学のために教える先生と、趣味のオトナたちを教える先生の2タイプの先生がいらっしゃいます。この両方を兼ねている先生も若干いるかもしれませんが、大半は、それぞれ専業で行っているケースが多いかな…って思ってます。

 で、この先生は、どちらの専業なのかな?って、第三者から見ると、分かりやすいようで分かりにくいみたいです。看板に「オトナのための~」と書いてあれば、趣味の先生だなと分かりますが、大手楽器店の音楽教室ならともかく、町の音楽の先生だと、そこまで看板には書かれていない事が多いです。

 書いてはいないけれど、やはり専業とか、得意とする相手とかは、あるようです。それを調べる手っ取り早い方法が、発表会だと思います。

 ウチの近所にも、この2タイプの先生がいます。音大進学を念頭においた先生の発表会に行くと、生徒さん達は幼児~高校生で、実に若いです。基本的に音大進学の準備のための教室ですから、生徒さんは原則、子どもですから若いのです。たまにOGさんがゲスト出演していますが、それでも20代ですから、やっぱり若いです。

 一方、趣味の音楽の先生の発表会となると、皆さん、若いとは言えなくなってきます。女性は…アラサーぐらいからボチボチ見かけますが、やはりボリュームゾーンは還暦過ぎかな? 男性も現役引退した方々ばかりです。おそらく、子育てが一段落ついて、余暇が出来て、ピアノだと、子供時代に挫折したけれど再開します…とか、管楽器だと、学生時代以来、再び吹き始めてみたくなった…とか、歌などは、合唱を始めて、歌の楽しさに目覚めて、そこから声楽へジョブチェンジして…って感じなので、そのくらいの年齢になってしまうのだろうと思います。

 ですから、発表会を見に行くと、その先生が、音大進学のために教えているのか、趣味のオトナ相手に教えているのか、一発で分かります。

 ちなみに、発表会に出てくる生徒さんの演奏を聞けば、その教室の音楽的なレベルも分かります。

音大生に変わり者が多い、音楽をやっている人間には変わり者が多い

 音大生という存在は、それまでの人生の毎日毎日を、飽きることなく、音楽の練習ばかり、数時間もやり続けてきた方ばかりです。人生の大半を音楽の練習に費やしてきたわけで、世間から見れば、それだけで十分“変わり者”だと思います。だって、たった一つの事を飽きることなく、突き詰めてきたわけで…普通の人には無理って話です。

 だから、音大生が変わり者でも、いいじゃないの。

 私は趣味ですから、音大生には到底足元にも及びませんが、それでも毎日毎日、数分~小一時間程度は音楽の練習をしています。これを数年に渡って継続しているわけで、普通のオジサンから見たら、やはり十分“変わり者”なんだと思います。

 変わり者で結構。自分が楽しいんだから、後ろ指を刺されようと別にかまわないサ。

 でも、私に言わせれば、世間のオジサンがナイターを見て、ビールを飲んでいる時間に音楽の練習をしているんだから、そんなに変わり者でもないかな…と思ってます。

今月のお気に入り 無線マウス エレコム BlueLEDマウス/握りの極み/L/無線2.4GHz/ブラック

 先日、自宅で使っているマウスが壊れてしまった(反応しなくなってしまった)ので、新しいマウスに買い換えました。新しい…と言っても、今まで使っていたマウスの後継機種を買ったわけで、使い心地などは、以前のモノとほぼ一緒です。

 やはり、マンマシンインターフェースは、使い慣れたものが一番ですって。

 で、購入したマウスは、今時の無線式という奴で、ワイヤレスなマウスです。ワイヤレスなだけでなく、タマ無しでもあります…って、今時はタマのあるマウスの方が珍しいか(笑)。

 で、タマ無しマウスにも、色々と種類があるようなので、ここに違いを書いてみます。
 光学式…いわゆる赤色LEDを用いたマウス。マウスの裏から赤い光が出ています。紙とか木材の上なら上手に反応しますが、苦手な部材もありますし、現実的には、マウスパッドが無いと使いづらいかもしれません。それでも、タマのマウスの使い心地と比べると、雲泥の差です。

 レーザー式…マウスの裏から光が出ているはずなのですが、可視光線ではないので、人には見えません。光学式よりもだいぶ反応はいいのです。つるつるぴかぴかな素材の上でも使えますが、ガラスは苦手。あと、案外布も苦手のようです。

 青色LED式…マウスの裏から青い光が出ています。固いものの上なら、とりあえず使えます。性能的には三種類の中で一番良いのですが、その分、お値段もお高めとなります。

 で、私が購入したのは、無線で青色のマウスです。つまり、一番良いタイプ(笑)。はい、贅沢をしてますが、やはりマンマシンインターフェースは贅沢をした方が良いですよ。それに、いくら高いと言っても、所詮はマウスですから、たかが知れてますしね。それに、このエレコムの“握りの極み”シリーズは、マウスの大きさがSMLの三種類あって、手の大きさに合わせて選べるんですよ。もちろん、私はLです。

今月の金魚

 緋ドジョウが一匹、元気ではありませんが、頑張って生きてます。

今月のひとこと

 吝嗇はいけません、吝嗇は。身を滅ぼします。(2016年5月31日~6月6日)

 ひとまず消費増税が延期されました。本来、消費税の8%から10%への増税は、2015年11月に行う予定だったものを1年半延期して、2017年4月に増税する予定になっていたものを、今度はさらに2年半延期して2019年10月に増税する予定に変更したわけです。消費増税は、年金や福祉につぎ込むための税金不足を解消するために計画されたわけですが、2014年4月に消費税が5%から8%に増税されて以来、日本の景気回復は遠のいてしまった事は事実です。これを評してアベノミクス失敗と言っている人もいますし、実際、アベノミクスは消費増税で効力を失ってしまったのかもしれません。そんな現状の中で、再度消費増税を行うのは愚の骨頂なので、今回の消費増税延期は当然の判断なんだろうと思いますし、どこの世論調査でも60%前後の人が消費増税延期に賛成しているのですから、延期で良しだと思います。…と言うのも、消費税は、国民全員の消費生活にかかる税金ですから、収入の少ない人間ほど、生活費への負担が大きくなり、生活が苦しくなるものですから、今のような不景気の最中に消費増税をするのは間違っています。しかし、年金福祉のための税をどうにかしないといけないのも事実です。私が思うに、いっそのこと消費税を廃止して、代わりに物品税を復活させ、所得税や法人税を上げるのが現実的で良いのではないかと思います。無論それだけでは不足するでしょうから、何らかの形で福祉増税をせざるをえないにせよ、消費税導入以前の税に戻した方が良くないですか?(2016年6月6~10日)

 某都知事さんは、自分の給与を半額にする法案を議会に提出するそうですね。私は都民ではないので、どうでもいいのですが、都知事の給与って、給与は月額145万6000円なんですってね。半額にしても72万8000円だよね。年収で計算すると、ボーナスだって入るんだから年収1000万円は確実に超えるよね。半額にしても年収1000万円超えなら、私なら半額でも満足だね。(2016年6月10~13日)

 立ち入り禁止区域に侵入して、クマに襲われて死ぬ。つまりはクマのテリトリーに侵入したがための事故なわけで、亡くなられた方にはお悔やみを申し上げたいと思います。なんでも、立ち入り禁止区域に侵入する理由は、タケノコと呼ばれる、ネマガリダケともチシマザサとも呼ばれる山菜を取りに行くためなんだそうです。命を賭してまで入手したいタケノコとは、さぞや美味なタケノコなんだろうとは思うものの、ググれば、クマに襲われるだけでなく、遭難事故も多発しているそうな。人間の行動原理には色々あって、他人がたやすく批判はできないのだけれど、せめて命だけはお大事に…。(2016年6月13~14日)

 どうやら、早晩、某都知事は辞めざるを得なくなりそうですね。で、問題は次の人です。普通に考えるならば、橋下か東国原でしょうね、少なくともRんHうさんはやめて欲しいです。まあ、色々となってほしい方はいるけれど、私は松岡修造氏が都知事になったらいいなあって思います。だって、彼は金持ちだし、財閥の家系にして政治家の家柄の出身だし、一流のスポーツ選手だものね、クリーンだし、絶対に曲がったことはしないし、何より彼を取り巻く人達の品が良い。オリンピックの顔としても抜群だしね。やっぱり、政治家は上流階級の人がなった方が、色々と間違いをしないから良いですって。「政治家としては無能?」…かもね。だったら、優秀なブレインを身の回りに置けば済む事じゃない。政治家に必要なのは、カリスマ性とリーダーシップだよ。彼なら適任だと思うけれど…でも、いまさら政治家になるほど、彼はバカじゃないか(笑)。(2016年6月14~16日)

 某都知事が辞めることになって、世の中の関心は「次は誰?」ってわけで、有力候補と見られる方々が、次々と「出馬しません」と言ってますが…これは信じちゃダメですね(笑)。都知事選では、後出しジャンケンが有効なのです。なるべく出馬表明は後の方がいい。理想は、立候補締め切りギリギリが良いんだそうです。だから出る気マンマンであっても、今は「出ません」と言わないといけないんですよ。なぜ、そんな事をするのか…と言うと、マスコミ対策なんだそうです。早めに出馬表明をしてしまうと、早めにマスコミに取り上げられて、投票日には新鮮味が無くなってしまうのを避ける…そうなのです。ふうむ、選挙対策の一部なんだね。(2016年6月16~23日)

あ~、あ~、あ~(涙)、マウスが壊れた…。(2016年6月24~25日)

 ついに英国のEU離脱が決まりました。国益を考えるホワイトな人たちと、目先の現金を求めるブルーな人たちの戦いは、ブルーな人たちの勝ちってわけだ。世界大恐慌が…やってくるなあ(汗)。世界規模の戦争も起きるかもしれない。当然、我々日本とて、不況に飲み込まれて、戦いに巻き込まれてしまうかもしれない。とんでもねー話だな(怒)。しかし、イギリスでこれなら、アメリカもブルーな人たちの勝利になるんだろうなあ…って事は、やっぱ次はトランプ氏かぁ。(2016年6月25~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2016年6月29日 (水)

地元で、生「ラ・ボエーム」を見ました

 地元の市民会館で「ラ・ボエーム」の公演を見ました。演じたのは、ローマ・イタリア歌劇団という、ちょっと???な歌劇団。まあ、実際にはこんな名称の歌劇団というのは無くて、その実態は、スポレート歌劇場の若手メンバーに、ボローニャ歌劇場とサンタ・チェチーリア管弦楽団のメンバーを加えた、混成チームによる歌劇団なんだそうで。大道具などは、スポレート歌劇場のモノを使用しているそうです。

 おそらく、日本公演に合わせて、イタリアでメンバー募集をして作ったチームなんだろうなあって思います。

 で、そのチームが当地にやってきたわけです。メンバーはこんな感じです。

指揮 カルロ・パッレスキ
演出 ジョルジョ・ボンジョヴァンニ

ミミ キアラ・モジーニ(ソプラノ)
ロドルフォ イヴァイロ・ミハイロフ(テノール)
ムゼッタ フランチェスカ・タッシナーリ(ソプラノ)
マルチェッロ コスタンティーノ・フィヌッチ(バリトン)
ショナール アレッサンドロ・ペント(バリトン)
コッリーネ アレッサンドロ・ティロッタ(バス)

 合唱は、成人たちはスポレートの人たちのようでしたが、児童合唱は、基本的に、現地調達だったようで、当地での公演では、我が家の近所にある公立中学校の合唱部が担当していました。ま、そこの合唱部は、昔から上手という評判の高い合唱部でしたので、それで登場したんだろうと思いますが…本来、児童合唱が担当するパートを、女子中学生たちが歌ったわけです…が、これが実に違和感ないんだわー(笑)。女子中学生だと発達の差もあるけれど、背の低い子は幼児に見えるし、大柄な子でも、外人キャストに混じって歌うと、やっぱり子どもにしか見えないわけで、本物の児童合唱では出来ないような演出でも、中学生なら対応できるわけだし、何と言っても部活ですから、毎日練習できるわけで、練習密度も高いだろうし、この出来なら、なまじの児童合唱団にお願いするよりも良いかも…って思った次第です。いや、ほんと、良い出来でした。中学生たち、頑張ってましたよ。

 それにしても、中学生の分際で、本物のイタリアオペラの公演に出演しちゃうなんて、ぜいたくすぎるような…。

 ソリストさんたちは…パンフレットによると、この歌劇団の、主役さんたちが三番手、脇役さんたちでも二番手という、いわば控えのチームと言うか、補欠軍団というべきか、まあ、そんな感じのチーム編成だったようです。一生懸命にやってくれれば、私は番手にはこだわらないので、別にいいんです。歌手を目当てに見に行ったわけじゃないし…。それに、東京や大阪での公演よりもチケット安いし…。まあ、いいんです。

 ただ、やっぱりと言うか、ちょっとは文句を言いたい部分もありました。

 ロドルフォを演じたミハイロフ君、声、小さすぎ! 私は指揮者のほぼ真後ろという、なかなかに砂かぶりな席で見ていたのですが、そこでも彼の声は聞きづらかったです。ほぼ、オーケストラにかき消されておりました。聞いていて、辛かったなあ…。じゃあ、他の人たちは…と言うと、ミハイロフ君ほどじゃなくても、男性陣は押し並べて、声が小さめって印象でした。もっとも、聞き取りづらい…というほどでもないのですが、今までやってきた海外の歌劇団のソリストさんたちは、皆、爆発的な声で歌っていましたから、それらと比べると、小粒感は否めません。おそらく、番手が上の人たちなら、そういう事はなかったのかもしれません。

 ちなみに、女性陣の声は、普通に聴こえました…ってか、女性陣は良かったですよ。2人とも若くて美人で演技力にも歌唱力にも不足はありませんでした。あえて難を言えば、ミミさん、背が高すぎ(笑)。ロドルフォよりも大きいのはマズくない? ムゼッタさんは、そこへいくと小柄でかわいかったですよ。

 男性陣は…と言うと、演技力と歌唱力はさすがに合格点ですが、声量的には?な感じだし、皆、肥満体のビヤ樽のオヤジ体型でして、ビジュアル的にはかなりキツイですね。(まあ、体型に関しては、私も彼らほどでは無いにせよ、巨漢ですから、あまり言えません:汗)。

 自分が近いうちにボエームを歌うという事もあって、歌はもちろんですが、彼らの動きを、目を皿のようにして見ていました。色々と学びましたよ。泣きの演技は、真面目に泣かなくても、背中を見せて肩を震わせていれば泣いているように見えるとか…通常、ひざまづいたり、寝転んだりしながら歌うシーンも、最初だけ、ひざまづいていたり、寝転んでいたら、後は普通に起き上がって、立ち上がって歌っても可であるとか…ああ、納得って感じでした。

 それにしても、やっぱりオペラは生がいいね。最近のオペラ公演は(それも一流どころのものが)DVDで見たり、映画館で見たりも出来ますが、多少、歌手たちの番手が下がろうとも、目の前で、生で歌っている歌手さんたちがくれる感動には、かないません。やはり、劇場の作品は、劇場で見ないと、本当の感動は伝わらない…のかなって思いました。

 逆に言えば、一流どころの歌手を揃えた公演を生で見たら、きっと、ぶっ飛ぶんだろうなあ…。でも、そういう公演って、日本だと、東京あたりまで出かけないと見れないから、地方在住の私だと、なかなか経験できませんし…ね。だいたい、チケット、買えないし(笑)。

 それにしても、ボエームって、いいオペラだよね。ほんと、いいオペラだと思いました。我々も頑張って歌わないと…プッチーニ先生に失礼ってもんだね。

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2016年6月28日 (火)

音楽コンクールって、かなり理不尽なんじゃないの?

 最近、ちょくちょく、いわゆる音楽コンクールって奴を見ることが増えたのですが、審査結果について、色々と思うことがあり、それらを総合して結論づけてみると「音楽コンクールって、かなり理不尽なんじゃなの?」って思っちゃったわけです。

 理不尽な理由は…審査基準が明確ではない事。明確じゃないから、コンクールで優勝した人はいいけれど、勝てなかった人は…納得できるのかな? コンクールを見ていた観客が、コンクール後に「あの順位はおかしくね?」と審査に不服を言っているのは、よく見かける光景です。

 その点、多くのスポーツでは勝ち負けがはっきりしているので、勝敗が明確です。勝敗に基いて結果が出るのならば、それがコンクールであれ、リーグ戦であれ、トーナメントであれ、参加者も観客も納得できます。中には、フィギュアスケートのように、勝敗ではなく審査で勝負を決めるモノがあります。審査基準がかなり厳密に決められているにも関わらず、やはり細かい部分に主観が入り込み、結果が明確とは言い切れず、その勝敗や順位に物言いが付いたり、観客が納得いかなかったりする事って、よくあります。

 そこへいくと、音楽コンクールなんて、審査基準が公表されていない事が大半だし、審査内容も審査過程も秘密だし、そんな密室で決められた事が順位でございますって言われても、負けた人間的には納得いかなくて不思議じゃないでしょうし、中立な立場である観客たちも納得できない事が多々あるわけです。

 音楽家って、おとなしいね。そんな曖昧な結果で人生を決められてもいいんだー(棒読み)。

 私が思うに、おそらく、音楽とコンクールって、親和性が悪いんだと思います。はっきり言っちゃえば「音楽は勝ち負けではない」「音楽には順位はつけられない」…つまり「音楽コンクールを開催する事、そのものに無理がある」と思います。

 ただ「無理はあるけれど、必要もある」…ことも分かります。

 音楽コンクールは何のために行われているのかと言うと、音楽業界にデビューする、新人たちのショーケースとして行われています。今年の新人には、どんな人がいて、どんな事ができて、どれだけ魅力的な人材なのか…を業界の人たちが知るために行っている…と私は考えます。

 もしも音楽コンクールがなければ、新人たちにとっては、顔を売るチャンスを自分たちで確保していかなければいけないし(たぶん、それは大変な事です)、雇い主にとっても、どこにどれだけ魅力的な新人がいるか分からず、仕事はいつもの(ギャラの高い)ベテランさんばかりに頼まざるを得なくなるわけで、それらは業界の停滞化を招くわけで、雇い主にしても、優秀な新人の発掘は必要不可欠な事なのです。

 新人たちにとっては、音楽コンクールに出場する事で顔を売れるわけだし、雇い主たちにとっては、今年のニューカマーたちのラインナップを知ることがで、仕事の発注がしやすくなるわけです。

 まさに、ウィンウィンです。だから、音楽コンクールの必要性は分かるのです。そして、順位付けをする必要だって理解できます。

 必要は分かるけれど、やっぱり無理はあるよなあ…って思うわけです。

 結局、音楽の審査を数量化できない事が、審査基準を曖昧にさせるわけだし、じゃあ音楽って数量化できるものなの?って話になっちゃうわけです。

 結局、「明確な審査基準は作れないけれど、権威ある審査員の方々が揃って太鼓判を押した人だから、優秀に違いない…」って事で、コンクールの順位が作られるわけだし、雇い主さんたちも「あのコンクールで優秀な成績を残したのだから、素晴らしい新人に違いない」と信じて、仕事の発注をかけるわけです。

 だから、音楽コンクールは、新人さんたちのショーケースなのです。ショーケースに並んだ後は、一つ一つの仕事で成果を出すことで、音楽の道で食っていけるかどうかが決まっていきますが、まずはショーケースに並ぶために音楽コンクールが必要ってわけです。

 だからこそ、音楽家の皆さんは、多少の理不尽さを承知の上、コンクールって奴を受け入れているんだろうなあって思います。

 音楽家って、厳しい職業だよねえ。

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2016年6月27日 (月)

今日のブログはお休みします

 ええと、この記事はアップできるかな?

 実は、このブログを管理しているココログで障害が発生しております。記事がアップできたり出来なかったり、コメントが書けたり書けなかったり…それどころか、私、ブログの管理人なのに、管理画面に行けたり行けなかったり…。とにかく、大変なんです。

 と言うわけで、今日はココログの都合でお休みです。

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2016年6月26日 (日)

それでもあなたはリオへ行きますか?

 今回の記事は、ブラジル及びブラジル人の皆さんをディスつもりはありません…が、ネットの情報を集めて見るだけでも、これくらいに危険性があるようですねという警告の意味でブログ記事を書きました。

 さて、今年はオリンピックイヤーです。2016年8月5日~8月21日に、ブラジルのリオデジャネイロで夏季オリンピックが開催されます。

 当然、日本からも大勢の観光客がリオを訪れて、オリンピック見物をしてくるのだよねえ…。でも、ほんと、大丈夫? 色々とリオはヤバそうです。

 外務省の海外安全ホームページを見ていると、のんきにオリンピック見物なんぞに出かけて良いような国ではなさそうです。

 まず、感染症危険度がレベル1です。これは、妊娠中および妊娠の予定のある人は極力行かないでね…ってわけで、ざっくり言えば「若い女性は行っちゃダメよ」という意味です。男性ならOKかと言えば、ジカ熱は性交渉でも感染するので、たとえ発症していなくても、(現地で蚊に刺されるなど)キャリアの可能性があれば、相手に伝染させる可能性があるので、厚生労働省によれば、帰国後8週間は清い生活を心がけないといけないそうです。そんなの無理でしょ? となると、ジジイババアはともかく、中年以下の方々は、ジカ熱が怖ければ、リオに行かないに越したことはないと思いますよ。

 とにかく、ジカ熱は怖そうです。妊娠している女性がこの病気にかかると、小頭症の子どもが、かなりの高確率で生まれちゃうそうですからね。また、潜伏期間が長いので、渡航時は妊娠していないと思っていても、その後、妊娠が分かれば…やっぱりヤバいようです。

 さらに、ジカ熱の影に隠れていて話題になりませんが、ブラジルでは、現在、豚インフルエンザも猛威をふるっています。インフルエンザの怖さは…よく知ってますよね。

 さらに危険情報もレベル1です。これは、ボケっとしていたら犯罪にあうので、色々と予防策を施して出かけてね…というわけで、治安がとっても悪いですよって意味です。

 リオという街には、スラム街がたくさんあります。一説には数百のスラム街が一つの都市にあるそうです(ほんとかな?)。特に下町は、ほぼスラム街のようです。職業としてのギャングや、その関連業界で糊口をしのいでいる人たちも数万人いるそうです(ほんとかな?)。で、オリンピックシーズンは、彼らの稼ぎ時になるわけで、観光客なんて、ギャングの餌食らしいですよ。

 「オリンピックなんだから警官が増員されて、治安が保たれるんじゃないの?」

 今、ブラジルは不況の只中で、警官を含んだ公務員は、増員されるどころか、解雇されて、人数が減っているそうですよ。ただでさえ、治安が悪いのに、それを取り締まる人たちが減ってしまっているらしいです。

 さらに言えば、スラム街のギャングだけでなく、普通の人々もかなりヤバそうです。

 例えば、先日、先乗りをしたオーストラリアの五輪チームが、五輪指定の病院で強盗にあったのだそうだけれど(それも病院を爆破しながらの強盗だそうで…ほぼテロじゃん!)、その様子を見ていた一般の市民の皆さんは、誰も彼らを助けなかったんだそうです。つまり、強盗なんて日常茶飯事だし、ヘタにかかわって巻き込まれるのは、まっぴらごめんって感じなんでしょうね。日本人には分からない感覚です。

 ブラジル人は、我々日本人とは、気質がかなり違います。基本的には「出来ることをできる期間でやる」という性分なんだそうです。出来ない事はやらないし、間に合わなかったら、そこで終わりという性格で、日本人から見ると、かなりチャランポランに見える国民性のようです。ファミリーを大切にしますが、ファミリー以外は(当然ですが)親切にしません、って言うか、他人を見れば敵と思えの世界に生きているようです。陽気で愉快な人々のようですが、おもてなしの心は皆無でしょうし、外国人はカモネギに見える方々が大勢いらっしゃる国…のようです。

 それでもあなたはリオへ行きますか? …行くんだよね、きっと。行くならば、それなりの覚悟を決めて、後悔しないように行ってきてください。

 犯罪にあって、財産や命を奪われる事も、うれしくない事ですが、誘拐されないようにしてくださいね。あちらには、プロの誘拐業者の方々もいらっしゃるようですから、用心に用心を重ねてくださいね。

 観光客はそれでいいけれど、可哀想なのは選手たちですね。彼らにはリオに行く行かないの選択権なんて、最初から無いわけですからね。彼らは、人生のすべてをかけてオリンピックを目指してきたわけで、そのチャンスが得られれば、オリンピックに行くだけです。そこがリオであれ、ロンドンであれ、東京であれ、場所は問題じゃないのです。ただ、オリンピックに出るだけです。だからこそ、今回のオリンピックがリオでの開催されるって…ほんと、可哀想ですね。

 何事もなく、無事にオリンピックが終了しますように。オリンピックを見に行ったすべての観光客と選手の方々が幸せに帰国できますように。切に切に、お祈りします。

 衛生と治安に不安がある地域に出かけるのですから、日本国内旅行に行くような感覚で行っちゃダメですよ。ほんと、気をつけて、行ってらっしゃい。

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2016年6月25日 (土)

水替えはやはり負担なのか?

 先週、名無しの緋ドジョウの一匹が、かなりヤバイ状態だよ…と書きましたが、おそらく健康状態そのものは何も変わっていないのだろうけれど、具合の悪い緋ドジョウが小康状態になっています。

 別に具合が良くなったわけではなさそうですが、少なくとも、腹を上にして浮かんでいるとか、気絶して生きているんだか死んでいるんだか分からない状態…という程ではないのです。

 一体、何かあったのか…! 色々と考えてみたところ、思い当たる点は一つしかありません。それは…

 水槽の水替えをサボっている。

 …という事ぐらいかな? 夏なのに、あれこれ忙しくて、金魚の水槽の水を、ここ三週間ほど取り替えていないのです。本当は、毎週取り替えないといけないのに…ねえ。ですから、今、水槽の水はかなり汚い…はずなのです。ですから、いつ皮膚病やエラ病が発生するか、ヒヤヒヤしている私なのです。

 水槽の水を定期的に交換することは、金魚たちの健康維持には必要不可欠な事です。誰だって、不潔な環境では生活したくないものね。でも同時に、水替えは金魚たちには大きなストレスになっている事も確かです。理想は、水を変えずに、汚れだけを何らかの手段で取り除ければベストなんです。まあ、それはなかなか難しいので、定期的に水を変えるんですけれどね。

 でも三週間水を変えていないのです。そのため、ストレスが少なくて、そのせいか、具合の悪い緋ドジョウが小康状態となっています…が、さすがにそろそろ水替えをしてやらないとマズイはマズイのです。きっと、水を交換したら、いっきに具合が悪くなるんだろうなあ。察しはつくけれど、不潔なままではいけないし…ああ、困った困った。

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2016年6月24日 (金)

どうも上達している気がしない

 フルートの件ですが、どうも最近、フルートが上達している気がしないのです。

 まあ、仕事が忙しくて、レッスンになかなか通えていないという現状はあります。平均すると、たぶんレッスンは2回/月ぐらいしか通えません。本当は毎週レッスンに通うはずなのに(笑)。自宅練習も、やはり減っています。それでも週2~3回、1時間/回ぐらいはやっています。これで十分かと言われると、たぶん不足しているでしょうが、全く練習していないわけではないし、ある意味、社会人の趣味としては、コンスタントにやれているんじゃないかと思われます。

 でも、ほんと、フルート、上達している気がしないのです。

 はっきり言って、私、フルートはそこそこ吹けますよ。あくまでも“そこそこ”ね。ヴォーカル譜ぐらいなら初見で吹けると思います。まあ、フルート譜のような黒い譜面だと、初見では太刀打ちできません。練習が必要だし、練習しても吹けないかもしれません。まあ、だから“そこそこ”ね。

 趣味のオジサンとしては、ある意味、十分なのかもしれません。おそらく、前のフルートの先生、笛先生だったら、私、エチュードではなく、もっと現実的なな音楽、例えばボサノヴァとかモダンジャズとかの練習をしているかもしれません。基礎力は十分だから、ステージ向けの音楽をしましょう…って感じでね。音楽って、練習するために学んでいるわけじゃなくて、演奏するために学ぶわけだからね。きっと、そう。たぶん、そうなっていると思います。

 なんだろう? 一種の倦怠期??

 フルートがイヤになったり嫌いになったりしたわけじゃないし、相変わらずフルートは好きだし、練習だって(低頻度だけれど)定期的に行えているし…たぶん、ワクワクが不足し始めているのかもしれない。前に進んでいる感じがしないんだよね。停滞していると言うか、立ち止まっている感じがして、それでなんかワクワクしないんだろうと思います。

 特に、今、声楽がすごくワクワクしているんですよ。高音が出るようになってきて、歌える曲、チャレンジしたい曲が爆発的に増えてきたし、そのためにも高音を安定的に、魅力的に出していくためには、どうすればいいのかと、毎日毎日試行錯誤しているわけだし、オペラの練習も楽しい。もう、ウハウハのワクワクです。

 それとどうしても比較しちゃうんですよね。声楽がワクワクしている分、フルートがどよーんとしている…と感じちゃうんです。

 …ダメだね。

 以前、逆に声楽がどよーんとして、フルートがワクワクしていた時期もあった(ブログの記事を見てみれば分かるよね)のだから、おあいこさまと言うか「そんなときもあるさ」って感じなのかもしれないけれど、なんか今、そんな感じなんです。

 『上達している』と感じられるような人参がないと、気持ちが前に進んでいかないんだよねえ…。ああ、8月にはフルート合宿も待っているというのに、これじゃあ、ダメじゃん。ダメダメじゃん。

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2016年6月23日 (木)

ウチの近所の某大手楽器店の音楽教室が、オトナ向けの“歌”のレッスンを始めたのだけれど…

 実にこれが、健康に良さそうな内容なのです。

 配っていたチラシを見ただけなのですが、レッスンはグループレッスンで“ウォーミングアップ(準備体操)、ブレス&ボイストレーニング(呼吸筋を鍛える)、リズムエクササイズ(座って体操)、ハーモニーエクササイズ(発声練習&大声を出す)、レパートリー(名曲の数々を楽しく歌う)、クールダウン(整理体操)”という内容なのです。ね、健康に良さそうでしょ? ちなみに公式ホームページはこちらです。

 一つ一つの具体的内容、例えば、ブレスの練習と言っても、何をどの程度までやるのかは書かれていませんが、添えられているモデル写真などを見ても、ターゲットは、家庭の主婦と引退高齢者かな…と思われます。ま、普通に市民合唱などを楽しんでいる層とカブるわけで、おそらく、あの世代の合唱予備軍あたりを具体的に狙って開講しているのでしょう。

 楽器店の音楽教室って、楽器を販売するために行っているのですから、歌が取り上げられる事って、珍しいのですね。だって、歌なんて楽器店で教えても、楽譜ぐらいしか購入してもらえないものね。楽器店的には利が薄いのです。それなのに、歌のレッスンを開講してもらえるなんて、うれしいじゃありませんか? 理由はなんであれ、歌を学ぶ人が増える事は、とてもうれしい事です。

 まあ、内容が健康志向で、対象が高齢者だから、私はターゲット外なんだけれどね(汗)。

 ちなみに、ウチの近隣のその他の音楽教室をググってみても、歌を教えてくれるところは少なくて、あってもポピュラー系のヴォーカル指導が大半でした。そういう意味では、健康を絡めて高齢者対象の歌のレッスンって、目の付け所が良いですね。そして、私のような、ガチなクラシック声楽を学びたい人が学べる音楽教室って、本当に少ないのだなあって思うわけです。

 それにしても、確かに歌を学ぶって、絶対に健康にいいよね。歌は、ジャンルは何であれ、呼吸筋を鍛えます。呼吸は大切だよね。呼吸が出来なくなれば、文字通り『息が無くなる』わけだからね。それくらい呼吸は大切。高齢者が呼吸筋を鍛えるために、歌を習うのは、とても健康にいいと思うよ。

 でもまあ、レッスン内容をざっと見たところ、健康にはなれるだろうけれど、歌が上手くなるという事は…かなり厳しいかも? その代わりに、仲間は増えると思うよ。健康になって、仲間が増えれば…こんなに幸せな事はないでしょう。それに合唱ではないので、歌の経験の有無は問われないだろうし、変な声を出して他の人の迷惑とかは、あまり考えなくていいので、入門のハードルは低いでしょう。

 ほんと、目の付け所が良いと思うけれど、楽器も売れないのに講座を開くなんて、音楽教室って生徒難なのかな?

 それはそうとして、私はいつまで歌えるのでしょうか? 鼻歌程度なら、死ぬまで歌えるでしょうが、人前で歌を披露できるのはいつまでなのか? キング先生には「テノール歌手は50歳まで!」と言われていましたが、そこはとっくの昔に通りすぎてしまいました(笑)。とりあえず、まだしばらくはイケそうだなとは思います。とは言え、歌い続けるために、まず健康でないといけません。歌を続けるためには、まず健康第一。大切だね。

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2016年6月22日 (水)

ハモリは難しい…と言うべきか、ハモリの練習って、迷い路の入り口?だね

 ボエームの練習に行ってきました…が、すでにブログの左欄では告知していますが、念のため、記事の中でも、発表会の告知の方をしておきます。

2016年7月18日(海の日)
JR関内駅・市営地下鉄関内駅・みなとみらい線馬車道駅 下車
関内ホール 小ホール(神奈川県横浜市)
13:30開場/14:00開演 入場無料 声楽発表会

 発表会のタイトルは『Summer Vocal Concert 2016』です。

 発表会自体は二部構成となっており、第一部が通常形式の発表会で、第二部がボエームのハイライトとなっています。私は、第一部の9番目に、チレア作曲の「E'la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」を歌います。第二部では、最初(第1幕のオープニング)と最後(第4幕のフィナーレ)で、主役のロドルフォを歌う予定です。ちなみに、私が歌わない部分でのロドルフォは、プロのテノール歌手の方が担当されます。

 というわけで、千客万来、ひとつよろしくお願いします。

 さて、話を戻します。

 前回の練習で、再度、ナレーション原稿と当日プログラムに添付する読み物にダメが出たので、色々と直して再提出しました。少しでも良い物を作るためには、何度でもやり直しをするのであります!

 まず、第一幕のオープニングの練習からです。

 合同練習とは、一種の本番なわけですが、ほんと、私は本番に弱いのか強いのか分からないなあ…って思いました。

 まず、この日の朝は、寒さの中の目覚めでした。と言うのも、私が寝ている間に妻が(親切のつもりで)寝室にクーラー入れてくれたおかげで、すっかり寝汗でカラダが冷えきってしまった私は、アタマがガンガンするし、鼻はジュルジュルする、ノドはなんかイガイガするし…という状態で目覚めたわけです。ひとまず、鎮痛剤と下痢止めを飲んで対処はしたけれど、なんかイマイチです。おまけに、練習会場に向かう前に、妻が「フラペチーノ飲みたい!」と言い出したので、私も一緒にキャラメル・フラペチーノをガッツリ飲んで練習会場に向かったわけですが、そのため、体調を壊した上に、すっかりノドを冷やしてしまい、Y先生にご注意受けてしまいました。ははは(汗)。

 そんなわけで、この日の高音はすべて割れ声となってしまいました。ダメじゃん。体調管理、大切だね。

 ちなみに、飲み物の話をすると、一部のテノールさんは、常温コーラを偏愛するんだそうです。なんでも常温コーラはノドに良くて、高音が出やすくなるんだそうです(都市伝説でしょうね…)。ですから、楽屋にぬるいコーラをたくさん置いて、休憩ごとにグビグビ飲むテノールさんがいらっしゃるそうです。で、私も練習前に、常温コーラをグビグビ飲んでみましたが…別に声は良くなりませんでした(残念)。

 今回の練習でのポイントは“ハモリ”でしょうか? ハモリの箇所を重点的に練習したわけですが(合唱の人に怒られそうだけれど)ハモリの練習って、なんかイヤだな。と言うのも、全員がうまくハモれている時は良いのだけれど、そうでない時は(合唱練習同様に)一人ひとり、ちゃんと歌えているかどうか、チェックされるわけです。別に一人で歌う事なんて、なんともないのだけれど、チェックのために、他の人の歌を散々聞いちゃうと、それが伝染ってしまい、さっきまできちんと自分のパートが歌えていたのに、チェック後は、なぜか他人のパートに引っ張られたり、つい別の人のパートを歌ってしまったりして…混乱するんだよね。一度、迷い路にハマると…なかなか抜け出せなくなってしまって、本当に困ります。

 一度迷い路にハマると…と言うと、ハモリではありませんが“Un'idea!”の部分は、本当に迷い路にハマってしまいました。何をどう歌えばいいのか分からなり、その部分が迫ってくると、アタマの中が小規模のパニックになってしまい、同じような失敗を繰り返してしまいます。こういう箇所は、それこそ正しい練習を何度も繰り返して、安心を身につけるまでやらないといけないのですね。頑張ろう。

 ちなみに、ハモリパートになると、男声四重唱だと、1対3に分かれることが多いです。もちろん、1は私で、3は他の人(低声歌手さん)たちです。まあ、これは声の違いですから仕方ないのですが、一人だけ違う音で歌うというのは、結構つらいし、難しいし、釣られやすい私にとっては、ふんばりどころだったりします。

 第四幕は、例の“Ah! Mimi, mia bella Mimi!”のフレーズがうまく歌えません。ここは自宅練習でも、なかなかうまくいかず、先生のところでは、ほぼ失敗しまくっているフレーズです。なにしろ高いBがあるので、すべて、その高音に引っ張られてグダグダになってしまうわけです。体調万全でも、なかなかうまく歌えないのに、少しでも体調が悪いと、どうにもなりません。難易度の高いフレーズですが…本番に向けて、少しアプローチを変えてみようかな…と練習の時に思いました。アプローチを変える…と言っても、発声方法を見直すだけです。つまり、高いAまでの発声の延長で、ポルタメントを用いて高いBを出そうとしているわけです。このやりかたが、おそらく正解で、各種音源でプロ歌手の方々も、このやり方で歌っています。で、第一幕の高いBなら、この方法でも、なんとかなるのですが、第四幕の高いBは、私の場合、そのやり方では、どうも、どうにもならないようです。第四幕の時は、最初っから声のポジションを上げ上げにしてやってみるか、それとも全く別の発声アプローチで取り組んでみるか、さもなければ…ううむ、ちょっと自宅で試行錯誤してみたいと思います。

 ええと“Zitta percarita”の部分、半分歌で半分セリフのようなフレーズなんですが、このフレーズを歌う時に、伴奏ピアノをロクに聞かずに歌っていた事が判明(汗)。しっかりピアノを聞かないと…。

 重唱の際は、自分のパートを歌い終えた時に、メロディを引き継ぐ次の人に、どうバトンを渡していくのか…ちょっとそこに気をつけて下さいと言われました。要するに、どんな感情を込めて、次の人に音楽を託すか…って事です。そのフレーズの感情と歌い方を揃えましょうとも言えます。恋人同士の会話なら、相手を思いやる気持ちがそこに無いと駄目だし、仲間同士の軽口な会話なら、軽妙さが無いと駄目だし…って事で「楽譜にはそう書いてあるじゃん」という程度の歌い方では、ダメって話です。

 まあ、そんな感じかな? で、帰宅したわけです。帰り道、今回の練習は、なんか足りない、なんか足りない…と愚痴っていたら、妻が「今日はK先生と会っていないからね」と言われました。うむ、そうだ、そうかもしれない。私とK先生は同じ役を歌うので、本来、稽古で顔を合わせることはないはずなので、お稽古で顔を合わせなくても、当然と言っちゃあ当然なんだけれど、やっぱり、プロのテノール歌手の生声…聞きたかったなあ。

 さらにちなみに、帰りに横浜の某天ぷら屋で夕食を食べて帰ったのだけれど、その直後から、妻が激しい腹痛に見舞われました。どうも天ぷらにあたったようです。たしかに、イカの天ぷら、ちゃんと熱が通っていなかったもんなあ…危ないと思ったら、食べない勇気も必要だなって思いました。私は、苦しむというほどでもなかったけれど、やたらとゆるくはなりました。あの後、特に予定が入っていなくて、よかったなあって思いました。

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2016年6月21日 (火)

声は天賦のモノ

 先日、合唱関係の記事を書いて、ちょっとばかり荒れました。まあ、私の筆力の不足が招いた混乱であり、その点に関しては、申し訳ないなあと思ってます。

 で、私が合唱を取り上げる際に、合唱と声楽の発声の違いについて、よく取り上げるわけですが、どうやら、これが合唱の方々には気に食わないようであると察します。

 私には他意も悪意もないのはご了解いただきたいと願いつつ書かせてもらうならば、日本国内の一般的な市民音楽活動レベルにおいては、合唱と声楽では求めているモノが違うので、合唱の人と声楽の人では、やっぱり声が違うと思います。

 合唱の人たちの声は、素朴で均質で没個性的です。声質的には薄く、一人一の声量に欠けますが、音程コントロールは得意なようです。(悪口を言っているわけではない事はご理解いただきたい)

 一方、声楽の人たちの声は、個性的です。たいがいの場合、声質も声量も声域も、合唱の人達とは異なり、比較すると抜きん出ている事が多いのですが、じゃあ、どれだけ素晴らしい歌声なのかと言えば、そこはアマチュアの悲しさ、抜きん出でいる部分もあれば、逆に凹んでいる部分もあり、出来る事はすごく出来ますが、出来ない事はテンでダメだったりします。でなきゃ、とっくにプロデビューしているわけだしね(笑)。そんなダメな部分も抱えたまま、三者三様、十人十色、百人百様ってわけで、オンリーワンな個性的な存在として歌っているわけです。(そうでなきゃ、声楽なんて出来ません)

 …と書くと、一部の合唱の人たちが「キーっ!」と言って、目くじらを立てそうですが、まあまあ、落ち着いてください。

 なぜそうなのか! それは、声が天賦のモノだからです。良いとか悪いとかの問題ではなく、人は神様から与えられた声でしか歌えないのです。それこそ、楽器ならば、楽器店に行って、自分好みの楽器を買えばいいのですが、声はそうではなく、神様から自分に与えられた声という楽器を使うしか無いのです。

 だから、出来ることは出来る。出来ないことは出来ない。努力で埋められる穴は埋めたとしても、埋められない穴や、埋めるためには時間がかかる穴に関しては、オトナの対処が必要だ…と言いたいわけです。

 声って天賦のモノなわけで、人それぞれです。普通に歌うだけで、大きな音量で遠鳴りの声を出しちゃう人もいる一方で、どんなに頑張っても、ささやくような声でしか歌えない人だっているのです。目立つ声でしか歌えない人もいれば、周囲の音にすぐにかき消されてしまうような声でしか歌えない人もいるのです。

 まず、人それぞれ、声もそれぞれで、我彼の違いという現実を受け入れ、互いの存在を認め合いましょうよ。

 その上で、合唱団ならば、その合唱団の活動方針があるわけだから、それに沿って、メンバー募集をしたり、指導計画/演奏計画を立てていけばいいんじゃないかと思います。誰でも彼でも入団させるのも悪くはないけれど、入団テストを施行して、一定水準以上のメンバーを集めるようにするのも一つの手だし、誰でも彼でも入団させたとしても、オーケストラのように“降りメン制度”を導入して、曲にふさわしい声の人が舞台にあがるようにするとか、いっそ、なんでもありのごった煮の団体にするかどうか、色々と検討していけばいいんじゃないかって思います。

 その上で「この人は、ウチの団員としては、ふさわしくない」という判断が出たなら、いじわるをしたり、居場所をなくしたり、精神的に追い込んだりなどの行為は止めて、しかるべき立場の人から、事務的に通達をしてやめてもらえばいいわけです。そういうオトナの対応をしないで、いじわるをして辞めさせることを続けていくと、合唱という音楽ジャンルの敵を増やし、やがては合唱が廃れていく原因になっていくんだと思います。

 それはさておき、声は天賦のモノであり、声の違いを認めていくならば、現代日本の市民音楽活動では、声楽と合唱を両立させていくのは、なかなか難しいのかもしれませんね。

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2016年6月20日 (月)

発表会にも色々あるんだな…って思いました

 例によって例のごとく、見知らぬ人たちの発表会に足繁く通っている私です。

 あちらこちらの(声楽の)発表会を見せていただいて思うことは、教室の数だけ異なった発表会があるって事です。

 歌の上手な人たちが多く集まった発表会もあれば、歌の苦手な人たちばかりの発表会もあります。声のよく出ている人たちの多い発表会もあれば、一番前に座っていても、よく聞こえない人たちばかりの発表会もあります。生徒門下生だけで和気あいあいと行っている発表会もあれば、出演者の大半はゲストのミュージシャンの方々という体面重視の発表会もありました。

 平均年齢が70歳超という発表会は珍しくありませんが、一方で中高生中心の発表会もあります。まあ、そういうところは、音大受験が目的の教室だったりしますが…。一般的には声楽教室は高齢化が目立ち、50代60代だと若者扱いされます(私もまだまだ若いもんなのです)。

 大半の発表会は、誰でも観覧自由&無料なのですが、芳名帳に住所氏名を記入しないと入れてくれないところもあれば、整理券や招待状が必要なところ、関係者しか入れない発表会もありました。ごくまれに、チケットを購入しないと入れない発表会もありました。

 また発表会なのに、わざわざ“演奏会”とか“コンサート”などと呼称して、世間一般の発表会とは一線を画している…ような発表会もありますが、大抵の場合、名前ほど中身に違いはありません。

 多くの発表会は、土曜の午後に行われますが、日曜の夜とか、平日の午前中に行う発表会もありました。公共の音楽ホールを使用するところが大半ですが、中にはレストランやバーを使う発表会(そういう場所だとミュージック・フィーを支払います)もありました。

 先生の経歴がきらびやかな教室もあれば、地味な教室もあります。先生がご立派だと、発表会の音楽レベルが高いのかと言うと、そうでもなかったりします。

 しかし先生の性別は大切な要素のようで、女性の先生の教室だと、生徒もほぼ女性で、男性の生徒さんはいないし、いてもごく少数です。年齢の幅もそんなに広くはありません。一方、男性の先生の教室だと、男性の生徒も増え、多い教室では全体の半分近くを男性の生徒が占める教室もあります。また男性の先生の教室は、若い世代から人生の先輩方までいるところも多く、生徒さんのバラエティーに富んでいるように見受けます。なので、見る側からすると、先生が男性の教室は、見ていて楽しいですよ。

 大雑把に言えば、若い人が多い発表会は音楽的なレベルが高く、歌える人が多いのですが、だからと言って、若い人はみんな歌が上手いのかと言えば、そうでもなかったりします。

 どこの教室であれ、大抵の出演者の皆さんは、やる気十分で熱意に溢れ、技術の不足を気力で補っているのですが、中には、明らかにやる気のない人も出演していたりします。あれって、お友達に引きづられて、好きでもないのに発表会に参加しているんだろうなあって…なんか可愛そうに感じます。

 あと、歌が苦手な人が大勢いる発表会では日本歌曲が人気で、歌が得意な人たちが多い所ではオペラアリアが人気です。まあ、オペラアリアは難しいですから、ある程度歌える人でないと取り組めないのですから、これは分かるのですが、分からないのは、歌が苦手な人ほど、日本歌曲を歌っているのです。

 日本歌曲って難しいんだよねえ。曲によっては、メロディの高低と言葉の高低が必ずしも一致しているわけじゃないので、その折り合いをつけるのが難しいし、母語だから覚えるのが簡単かもしれないけれど、その分、表現を考えないといけないし、なんと言っても、日本歌曲ってメロディアスとは言えないでしょ? そのメロディアスとは言えない旋律は、本当に音が取りづらく、歌いづらいのです。また、歌詞が古語で書かれていたりすると、日本語なのに意味が取りづらかったりするし、なんかもう、大変なんです。

 歌が得意でない人ほど、日本歌曲を歌いたがる傾向がありますが、日本歌曲ほど、歌い手の上手い下手がよく分かるモノは無いんのだけれどね…。外国曲を歌った方が、下手さが目立たないのになあ…なんて思うのです。

 たまに、テノールアリアを歌う、バリトンさんがいます。もちろん、バリトンさんが歌うのですから、原調ではなく、キーを3~5度ほど下げて歌うのですが、聞いている私は、なんとも微妙な感じがします。愛唱歌や童謡、歌曲などは、歌手の音域に合わせて歌を移調して歌うのが一般的ですが、オペラアリアってのは、全体の中の一部ですし、作曲家も特定の声種を想定して作曲しているわけですから、普通は移調はしないわけですが、それを低く移調して歌われると「ウゲッ!」って思うわけです。

 バリトンのアリアにだって、かっこいいアリアはたくさんあるんだから、何もわざわざテノールアリアを低く移調して歌わなくたっていいじゃん…って思うのですが、やっぱりテノールのアリアって歌いたいものなんでしょうね。

 またピアニストさんも色々な人がいます。出演者に寄り添ってくれるピアニストさんが多いのですが、中には、絶対に出演者に合わせないで、最初から最後まで我道を突っ走るピアニストさんもいます。また、そこまでヒドくなくても、歌手が落ちようが、揺れようが、立ち止まろうが、全くひるまないピアニストさんもいます。逆に肝心なところで、ミスタッチを連発するようなピアニストも、困り者です。

 基本的には、歌手に寄り添うタイプのピアニストさんの方がほほえましくて良いです。特に変幻自在に揺れ動く歌手の歌に見事に合わせてくれるピアニストさんを見ると「お見事!」と声を掛けたくなります。

 プログラムに、出演者たちのひと言が載っているようなモノは、なんか微笑ましくて、私は好きです。

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2016年6月19日 (日)

優秀な人ではなく、有益な人になりたい

 私は都民ではありません。ですから、今回の都知事さんの件については、野次馬的な気分で無責任に見ていました。無責任だからこそ持てる感想と言うのがあります。

 私は今回の騒動を見て思ったのは「優秀な人はダメだな、有益な人であるべきだな」って事です。“優秀な人”と言うのは『頭の良い人』『優秀な学歴の人』『権力を持っている人』『世渡りのうまい人』『クチの上手な人』など、とにかく他人から見て「あの人すごいな」と思わせるような人の事で、もちろんモデルは、あの都知事さんです。

 優秀な人って、能力も高くて、学識見識も深くて、対人能力も高くて、何をやってもうまく行う素晴らしい人…って思うわけだけれど、なんか、人間って優秀なだけじゃダメなんだなって思ったわけです。昔の国司は私腹を肥やすのに忙しく、在任期間中に一財産作るのが当たり前だったそうだけれど、今の国司である知事さんも同じ?なのかなって思いました。日本人のやることなんて、1000年たっても変わねーなー(笑)。

 一方で“有益な人”と言うのは、別に優秀であるとは限りません。時として、無能であったり愚直であったりするかもしれません。でもとにかく、他人の役にたてる人の事を考えています。例えば『悩んだり困ったりしていると、何気に援助の手を差し伸べてくれる人』とか『不安な時に寄り添ってくれる人』とか『他人の幸せのために率先して働く人』であったり『良い方向に世界を変えてくれる人』とか…ううむ、なんかうまく書けない。とにかく、滅私奉公の人の事かな? イメージとしては、お金持ちのボランティ活動…って書いても、やっぱりうまく伝わらないなあ。

 別に私はお金持ちではないし、ボランティ活動からも遠い人ですが、見知らぬ人から手を合わせて感謝されるような人になりたいです。で、そういう人間が(社会にとって)有益な人になるんじゃないかって思うのです。

 「つまりお前は正義のヒーローになりたいんだな!」

 今は人の数だけ正義がある時代ですから、正義のヒーローも立場が違えば、立派な悪漢になってしまうわけで、そんなに単純なモノではないと思いますが、確かに“往年の正義のヒーロー”のような存在になりたいのかもしれません。

 だからと言って、何かに取り組んでいるわけじゃないんですけれどね。

 それにしても、今回は、優秀な人の持つ“うさんくささ”にちょっぴり辟易した次第です。

 で、無責任に見ていた都知事さんの騒動ですが、同じく無責任に見ている某国の大統領選挙でも、似たような感じを受けています。結構、無茶苦茶な事を言っているトランプ氏ですが、それでもなぜ彼に人気があるのか…専門家の方々は色々と分析していますが、私は単純に、対抗馬の元大統領夫人をはじめとする既存の政治家さんたちの“うさんくささ”に反発を感じている人たちが、トランプ氏を応援しているんだろうなあって思うし、逆にトランプ氏の“下品な言動”に嫌気が差している人たちが、元大統領夫人を始めとする反対陣営に駆け込んでいるのかなって思います。

 結局、大統領選挙は、うさんくさいオバアサンと、下品なオジイサンの対決になりそうです。どっちが日本のためになるのかと考えると…どっちも面倒くさそうですねえ。

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2016年6月18日 (土)

名無しの緋ドジョウの1匹の具合が、あまり良くないのです

 我が家にはドジョウが5匹います。マドジョウ(普通の食用のドジョウ)が1匹、緋ドジョウが4匹で、その4匹のうち、古株で大きなカラダのチビと、1匹だけカラダの小さなマッチボウがいますが、その他の2匹が、体調体色ともに似た感じで区別がつかなくて、ずっとずっと名前無しできたわけですが、その名無しの2匹のうちの1匹の具合が悪いのです。

 どれくらい悪いのかと言うと…体色が白~透明です。緋ドジョウは体調の良し悪しと体色には大きな関係があって、元気な子ほど色が濃くて、元気が無くなると体色が薄くなります。

 また、普段の状態も、腹を上にして、水面に浮かんでいるようになりました。息もほとんどしていないので、死んでしまったのかと思うと、どうやらそういうわけではないようです。

 ほとんど動かないのですが、たまに狂ったような感じで、猛スピードで暴れてしまいます。そのため、他の子達とぶつかって、緋ドジョウもそうですが、金魚も怪我をしたりします。困ったものです。

 たぶんそんなに長くない…と思うのですが、以前飼っていたウナという緋ドジョウも、こんな状態になりながらも、数年間生きてましたから、ドジョウには我々の常識は通用しないのかも知れません。とにかく、元気いっぱいとは言えないようです。

 とにかく、1匹の具合が悪くなった事で、今まで区別のつかなかった緋ドジョウたちの区別がつくようになりました。とりあえず、具合の悪い方は“サカサドジョウ2”と呼ばれています。もう1匹は…相変わらず“名無し”ですが…。

 これから夏がやってきます。今年は猛暑なんだそうですが、この夏を無事に越えられるかどうか…そこが一つの課題になってくるんだろうと思います。サカサドジョウ2だけでなく、みんな頑張れ。

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2016年6月17日 (金)

ポピュラー音楽は…そりゃあ、クラシック一辺倒の人よりは得意かもしれないけれど…

 フルートのレッスンに行ってきました。

 今回、フルートを組み立てる時、いつもより少し内向きに組み立ててみました。どれくらい内向きかというと…ほぼアルタス推奨ぐらいの内向きです。最近は、先生のフルート(ムラマツ)との音程を合わせる都合もあって、やや外向きに組み立てる事が多かったのですが、それでは音がかすれることも多く感じるようになってきたので、一度メーカー推奨の組み立て方に戻してみたのでした。

 その状態でロングトーン練習に入ったのですが…、結果は…音色に関しては、よく分からないなあ。最近、私、タンギング周りの下手くそさが目立つようになってしまい、音色云々の状態じゃあないんです。音のかすれは…心なしか無かったような…。音程は当然ですが、ムラマツとは合わなくなりました。1音1音、音を曲げていかないとビッタリとは合いません。ううむ、やっぱり外向きに組み立てた方が良いかな? まあ、しばらくは試してみる事にします。

 で、エルステユーブンゲンの17番ですが…暗譜が今ひとつ進みません。この曲のメロディーって、なんとなく、つかみどころがないような感じがして、すっきりしません。でも覚えていないのかというと、そうでもないのですが、うーむ、なんかまだダメです。たぶん、次の18番の方が、早く暗譜できるかも…。

 プチエチュードは14番です。先生に「14番なんだねえ…」と感慨深げに言われました。14番は、ほぼだいたい行けるようになりましたが、半音階でメロディーが進む箇所が2箇所あるのですが、そこだけがダメです。元々ホ長調なので♯が4つもある上に、そこに臨時記号が付くと…もう頭の中がワヤクチャになります。で、うまくできません。先生からは「そこだけ取り出して、何度も練習する」「指で覚えるのではなく、アタマで覚える」と何度も何度も繰り返して練習させられました。ううむ、次のレッスンの時までには、完璧に出来るようになっていないとマズイ雰囲気だ…。

 今回からは、夏合宿に向けて、曲の練習が入りました。ハイドンのセレナーデです。取り敢えず、装飾音符を抜きにして練習してこいというので、そのようにやってきました。だいたいはOKですが、一部でまだ指が止まってしまう箇所があります。練習不足で吹き慣れていないためなのですが、そういう箇所は練習を重ねていくうちに、何とかなってしまうでしょうから、心配していません。先生からは「今はとにかく、スラーとタンギングに注意をして練習しなさい」と言われているので、その2点に注意を払って練習するように心がけます。

 今回も雑談ではなく、夏合宿の話をしました。合宿では、ソロ曲とアンサンブル曲、それぞれ一曲ずつ課題として与えられます。私の場合、ソロ曲はハイドンのセレナーデになりましたが、アンサンブルの曲に関しては、メンバーが決まり次第(メンバーは先生が決めます)決定だそうですが、私が元々ジャズの先生に付いていたこともあって、ポピュラー曲は得意だろうから…という事で、どうやらポピュラー曲のアンサンブルチームに入るようです。

 ポピュラー曲って、皆さん吹きたがるけれど、ポピュラー曲って、クラシック曲とくらべて、リズムとか和音とかメロディーの動きとか、あれこれ違うので、クラシック畑の人にとっては、難しいのだそうです。先生ご自身「(自分は)譜面通りにしか吹けないから、ポピュラーは大変なんだ」とおっしゃるほどです。まあ、ポピュラーでは譜面通りに吹いたら負けだからね。

 で、私に白羽の矢を立てたらしいのだけれど…いくら私がポピュラーに慣れていると言っても、アンサンブルを組む相手がポピュラーに慣れていなければ、同じことなのになあ…なんて思っちゃいました。ま、ポピュラーと言っても、ジャンルが細かく分かれているし、私が習ったのは、ごくごく初級のモダンジャズなので、ジャンルが違えは、皆さんと、ほぼ同じなんですがね(汗)。まあいいや、頑張ります。

 ちなみに課題曲は、まだ未定との事ですが、一応、候補曲を聞きました。なんと、ラグタイムな曲のようです。ラグタイムって、オールドファッションなジャズだよね…。私が笛先生から習ってきたのとは、だいぶ毛色が違うようですが…まあ、いいや。曲に関しては本格的に決まってから悩む事にします。

 …しかし、ラグタイムな曲って、譜面通りに演奏したら、かっちょ悪いんだよね(溜息)。

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2016年6月16日 (木)

どうなるかと思ったけれど、どうにかなりそうです

 ボエームの練習に行ってきました。

 全員が一同に揃って…と書きたいところですが、拘束時間と場所の広さの都合もあって、時間をズラして、一緒に音楽稽古をやる人たちが集まりました。ですから、私は第1幕のオープンニングと、第4幕のフィナーレ担当ですから、第1幕の後半の稽古や、第3幕、第4幕の前半の稽古に付き合いません。本当は、他の人達がどんなふうに歌うのか、すごく興味があって、お稽古を見学したいのですが、場所の問題もあって、それはかないません。うむ、残念。まあ、当日本番の演奏を聞くことで我慢しましょう。

 で、私が練習会場に行ったのは、もう練習が始まって、だいぶ経ってからです。すでにY先生は(練習を注意するために)叫びすぎてノドが痛いと言ってましたもの。それくらい、後の時間に登場したわけです。

 私の出番の直前練習では、第4幕のロドルフォとマルチェッロの二重唱のシーンを練習していました。ここでロドルフォを歌うのは、私ではなく、テノールのK先生です。部屋に入ったら、いきなりK先生が歌っているわけで…なんかスゴイ。現役のオペラ歌手の生声をほんの数十センチの距離で聞いちゃいました。いやあ、ご満悦ですわぁ…。やっぱプロは違うわ…(って当たり前ですね)。

 で、前の稽古が終わって、ちょっと休憩を挟んで、第4幕のフィナーレの練習が始まりました。この部分で歌うのは、前半のメインがミミ(妻が担当)で、それにロドルフォ(私)が絡んでいくという構成。途中でショナールとマルチェッロとムゼッタが参加し、ミミとムゼッタの二重唱から、ムゼッタの祈りへと、歌の中心がミミからムゼッタに移り変わって、コルリーネの登場からセリフ劇に突入し、ロドルフォの絶叫で劇を終えるという構成になっています。

 バリトンのY先生、ソプラノのF先生、テノールのK先生と、3人のオペラ歌手が総掛かりで音楽稽古をしてくださいました。実に贅沢ですわ。

 ムゼッタさんの到着が遅くなるとの予定だったので、まずはムゼッタ登場以前のシーンを中心に稽古してもらいました。ロドルフォの高いBを含んだフレーズは不出来(汗)でしたが、ここは今注意したからと言って、どう変わるわけでもないので、スルー。まあ、稽古にやってきて、いきなりここのフレーズは歌えません。本番では、アリアを歌って、第1幕を歌っていますから、その後、声を冷やさないように注意していけば、きっとなんとかなるでしょう(楽天主義です)。

 いくつかイタリア語の発音を取り違えてたところや、無意識にいらない子音や母音を挟み込んで歌っていた箇所を直されました。注意されたのは、それくらいかな? まあ、基本的、私は合いの手を入れる立場であって、音楽的には完全な脇役なので、そんな感じで十分なんだと思います。

 ムゼッタさんが到着してから、その残りに取り掛かりました…が、いわゆる「ムゼッタの祈り」と呼ばれるアリエッタをどう歌うかで、先生方の意見が割れました。テンポの問題もあるし、どこまで楽譜通りに歌っていくのかもあるし、そこに表現やアンサンブルの問題もからんで…最後は一つのカタチに落ち着きましたが、まあ、色々あるわけです。

 この部分(第4幕フィナーレ)は、ミミもロドルフォもムゼッタもマルチェッロもショナールもアマチュアさんなのですが、色々な都合があって、コルリーネ役はY先生が歌う事になりました。先生だけ声が“いかにもプロ”なので、違和感があって、私は吹き出しそうになりました。やっぱり、プロとアマには越えられないほどの山や谷があるんだなあって思ったわけです。

 少しの休憩を挟みました。ムゼッタさんは帰宅し、残りのメンバーで、今度は第1幕のオープニングのシーンの練習です。Y先生は、またもコルリーネを歌うので、アンサンブルの中に入り、F先生はお子さんの面倒を見るために母屋に戻ってしまったので、この部分の稽古は、K先生のご指導で進められました。

 実は、今回のボエームの中で、我々にとって一番難しいと思われるのが、この第1幕のオープニングの男声四重唱なのです。とにかく、登場人物が4人と多いし、それぞれに歌が入り組んでいるし、歌っているのが男性だし(笑:アマチュアの歌の世界では、女性の歌のレベルと比べると、男性のレベルは庶民的だというのが常識です)、まずは歌い通すのが大変ではないかと予想されていたほどです。

 実際、難しかったですよ。生きた人間を相手に歌うわけですからね。生きた人間は、自宅練習段階で想定していた理想の相方とは、テンポも違えば、フレージングも違うわけで、こちらもあらかじめ想定していた歌い方とは変えて歌わないといけないわけで、その違いが面白かったです。

 まあ、全般的には、テンポはかなりゆっくりめになっていたし、それに伴って、パワーは若干必要となりますが、合わせそのものは、やりやすくなりました。

 どうしてもアマチュアですから、それぞれが忙しい日常の中で時間を作って練習していわけですから、人によって仕上がり具合が違うのは当たり前だし、歌っているうちに、リズムを取り間違えたり、休符を飛ばしたり、ロングトーンが短かったり、フレーズを飛ばす、落とす、間違えて歌う、他人のパートを歌うなどなど、色々と事故は起こります。そりゃあもう、大変なんです。

 私は途中から、お仲間の歌ではなく、ピアニストのピアノに合わせて歌うことにしたくらいです。いやあ、そうしないと、歌がバラバラになって分解してしまうかも…と心配しちゃったからです。

 そういう所から始めて、一つ一つ注意され、指導をされて、解決策を探して、修正していきました。私も2~3箇所、食い気味で歌って(食い気味で歌うのは良いけれど)その後のテンポを少しずつアップさせてしまったので、そこは注意され、無駄にテンポを上げないように言われました。それと、高い音の続くフレーズを張った声で歌ってしまったので、そこは声を張らずに軽く歌うように…と直されました。あと、ソットヴォーチェと指示された箇所を、ソットヴッーチェを意識しすぎて、声が半分ほど抜けた歌い方をしていたので、そこまで声を抜かずにしっかりと歌うように直したくらいかな? ま、私はそんな感じかな?

 最初はどうなるかな?と思いましたが、最後にはなんとかまとまり、よかったなあと思いましたし、やっぱり大勢で歌うのは、楽しいなあって思いました。たぶん、発表会でも何とかなるでしょうね。次回のボエームの練習の結果を見て、楽譜を外すかどうか、演技を付けるかどうかを、先生方で考えるようです。

 まあ、理想の演奏としては、楽譜を外して暗譜で歌い、衣装をつけて、演技をつけて、普通にボエームのオペラを上演することですが、何しろ大勢の人間がかかわるわけだし、みんなアマチュアで、それぞれの生活や仕事がある中で、この発表会の準備をしているわけだし、準備期間も約三ヶ月という短さだし…。そういう諸々の条件を考えると、もしかすると、楽譜が外せない人が出てくるかもしれないし、暗譜で歌うのが精一杯で芝居なんてできない人が出てくるかもしれません。まあ、そうなったら、そうなったで、一番安全安心なところを選択していかないといけません。オトナとしての妥協が必要とされるわけです。さあ、どうなるでしょうか?

 私は演奏会形式のオペラ上演(衣装も芝居も無しで譜面ガン見)でもいいやと思ってます。たまにプロの歌劇団の演奏会形式でのオペラ上演って奴を見ますが、それはそれで面白いですしね。我々が行うのは、あくまでも発表会であって演奏会ではないので、歌う人の都合に合わせて演奏形態を考えて、プログラムを組めばいいので、あえて冒険はせずに演奏会形式でいいんじゃないかって思ってます。

 ちなみに、私はすでにボエームの暗譜は、終えてますよ(えへえへ)。

 お稽古が終わって、みんなで場所を変えて反省会を開きました。私はK先生から「第4幕は、声が出しづらかったのですか?」と「高音がだいぶ出るようになりましたね」と言うお言葉をいただきました。第4幕…と言うか、やっぱりスロースターターなんでしょうね、私。声が温まるまでに多少の時間がかかりますって答えました。それと、高音に関しては、ほんと、ここ2~3ヶ月で急に出るようになりました。なんとなく、高音発声のコツがつかめてきたような気がするのです(こちらの記事を参照してくださると幸いです)。まあ、これもY先生のご指導と、ボエームに取り組んだおかげだと思います。K先生から「たぶん、ボエーム丸々一本歌えるんじゃないの?」と言わましたが、少なくとも今のところ、ロドルフォのアリア「冷たい手を」(Hi-Cがあります)は歌える気がしません。このアリアが歌えれば、ボエーム丸々一本も夢ではないだろうと思いますが…そんな夢物語を語っても仕方ないですね。

 さて、来週もボエームの音楽稽古があるぞ、頑張ろう。

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2016年6月15日 (水)

音大コンプレックスについて考えてみた

 先週は、こちらの記事で色々とお騒がせいたしました。内容を蒸し返すつもりはないので、興味ある方はリンク先をご覧になってください。

 さて、その記事のコメントで、Hiro.MTBさんからいただいたご意見に対して、私は答えていますが、その答えを、もう少し掘り下げて、今回は記事にしてみました。と言うのも、記事は読んでも、コメントは読まないよって人、たくさんいるでしょ?

 で、Hiro.MTBさんは、こんなコメントをくださいました。

>声楽にしろ器楽にしろ、この世界(オトナの趣味の音楽)には専門教育を受けた人はそうでない十把一絡げの集団よりも「偉い」というヒエラルキーがあります。

 市民合唱団であれ、市民吹奏楽団であれ、市民アマチュアオーケストラであれ、アマチュア音楽団体の中に音大卒業生たちが混じっている事、多いですね。

 我々、純粋アマチュア人の中には「彼ら音大卒業生って、アマチュアなの?」って思っている人、いますよね。確かに我々のように、年を取ってヨボヨボになってから始めた人間は当然として、学生時代に部活でやっていて、そこから現在の境遇に流れ着いたような人間からすれば、音大卒業生って“専門教育を受けたエリート”であって“幼い頃から人生を音楽に捧げ尽くしてきた人々”なわけで、本来、プロになっているはずの彼らが、なぜここに?と思うわけです。

 なぜここに?…と思いながら、現実問題として、彼らは私たちと一緒にいて、私たちよりも数段卓越した技量で演奏していたりするわけで、それを見ると、やっぱり我々ド素人とは格が違う…と思ったりして、一歩も二歩も引いてしまうわけです。

 やがて何となく“指導者”-“音大卒”-“その他有象無象”とかいうヒエラルキーを感じてしまい、自分たちを自分たちで最下層に置いて、落ち込んでしまう…という感覚は、全く分からないでもないのですが、それって、どうなんでしょうね!

 実は私自身は、音大卒の方々に対して、そんな事は全く思わないし、感じないんですよ。そりゃあ人間だもの、技量の上下はあるし、学歴の違いもあれば、職歴や年齢、その他色々と異なる人々で構成されているのが市民音楽団体でしょ? あれこれ違っていて当然だし、そこにこだわるのがおかしいし、技量の上の人は、技量の下の人の面倒見ればいいし、技量の下の人は、技量の上の人に、素直に教えを乞えばいい。ただ、それだけ。

 それにね、音大卒の人に技量の高い人は大勢いるけれど、音大卒業していなくても技量の高い人はいるし、最近は音大のレベルも下がっているようで、我々純粋アマチュアとどっこいどっこいの技量しか持たない音大卒の人もいるからね。音大卒にこだわっても、しょうがないんじゃないの? その人の人となりを見ましょうよ。

 それに、演奏技術の巧拙と、団体内のヒエラルキーって関係あるの? 演奏が上手だとエラいって感覚も分かりません。オトナの集団ならば、ヒエラルキーというものは、団体内の役割分担と指揮系統によって決まるんじゃないの? 決して、演奏の巧拙によっては決まらないと思うんだけれどなあ…。役割分担とか指揮系統とか以外の要素(演奏の巧拙…以外にも、声がデカイとか、派閥のボスであるとか、年功序列とか?)で、ヒエラルキーが決まってしまうというのなら、その団体は組織として、うまく機能していないと、私は思います。

 話を音大卒に戻します。

 まあ、音楽集団と言えども人間の集団ですし、色々あるのは分かるけれど『音大卒はエラい』という感覚は間違っていると思うし、申し訳ないのだけれど、そんな感覚持つ必要なんて無いと、私は思います。

 なんだろうなあー、やっぱり音大卒の人はエラい…と感じる心って、やっぱり劣等感なんだと思います。それも、持たなくていい劣等感だろうなあって思います。

 おそらく、専門教育を受けていない自分が、それらを受けてきた人たちと較べて、特別に劣っていると勝手に思い込み、そこで自分の中に順位をつけてしまい、自分を彼らの下に置いて、自分を見下してしまい、それが劣等感として凝り固まってしまっているんだろうと思います。

 いやあ、それって、本当に“持たなくていい劣等感”ですから! もしも、どうしても、そう感じてしまうとしても、それは相手の問題(音大卒)ではなく、自分の問題(音大卒を見るとビビってしまう自分)なんですよ。だから、劣等感なんですって。

 それにね、音大卒の人には申し訳ない言い方になってしまうのですが、音大卒って、そんなにエライのか?って事ですよ。

 別にエラくないと私は思いますよ。音大卒の人って、音楽の専門教育を受けてきたというだけの話じゃないですか? 

 音楽の専門教育を受けてきたという事は、そんなにエライのか? 別にそれ自体は、エラくも何とも無いです。音大だから音楽の専門教育を受けてきただけで、医学部で学んできた人は医学の専門教育を受けてきたわけだし、法学部で学んできた人は法律の専門教育を受けてきただけの話です。人それぞれ、卒業した大学や学部が違えば、受けてきた教育が違い、身につけた知識や技量の違いがあるってだけです。それ以上でもないし、それ以下でもないでしょ?

 「いやいや、お医者さんは病院の中ではエラいでしょ? だったら市民音楽団体の中にいる音大卒の人は、やっぱりエラいんじゃないの?」

 …別にエラくない…と私は思います。確かに、病院の中で働いているお医者さんはエラいのかもしれないけれど、医学部を卒業して医師免許を持っていたとしても、お医者さんにならなかった人とか、お医者さんであっても、いまそこの病院では働いていない人とか、お医者さんだとしても、今はひとりの患者としてその病院に来ているだけの人たちは…言い方はちょっと変かもしれないけれど…やっぱりエラくないでしょ?

 音大を卒業して、バリバリ演奏活動をしているような、プロの方が、アマチュアの団体に加わっているなら、そりゃあ先生扱いされてエラいのかもしれないけれど、そうでなくて、音大を出ていようが、出ていなかろうが、どこの大学、いや大学すら卒業していなくても、その団体のメンバーである時点で、みんな一緒、平等でしょ?

 指導者として責任を背負っているというのなら、ただのメンバーとは色々と違いがあって“エライ人”って言えるかもしれませんが、同じヒラのメンバーなら、どこでどんな教育を受けてこようとこなかろうと、その団体中での役割をきちんと果たせれば、同じですって。

 ましてや、お互いの所属団体が違えば、こちらがヒラのメンバーであったとしても、相手が指導者であっても、幹部役員であっても、対等な大人同士の関係でしかありません。

 だから、音大を卒業していないという理由だけで、音大卒の人に劣等感を持つのは、不必要な事だし、逆に音大卒の人が音大を卒業していない人に優越感を感じるとしたら、それも間違っています。もし、そんな感じの人がいたら、私ならイヤミの1つや2つ、言ってやると思います。

 音大卒だからエラい…なんて感じる心って、一種の学歴コンプレックスだと思いますよ。学歴コンプレックスなんてモノにしばられて見動きとれなくなるくらいなら、実力磨きなさい!って感じです。

 とは言っても、劣等感って奴は、理屈で説得しても、なかなか取り除くことができないんですよね。ああ、厄介だな。

 と言うのも、劣等感って奴は、現実をどう受け入れるかという問題だから、理屈じゃ解決しないんです。それに現実って奴は、たいてい、我々の希望とは違っているからね。世界は、我々ではない人を中心に回っているわけです。でも、その事実を受け入れられないと、劣等感に負けちゃうんだよね。

 劣等感を取り除く方法としては、やはり、その原因を取り去る事が一番なんだろうなあって思います。つまり、自分を取り巻く現実を変えちゃう…これにつきるかな。

 とは言っても、趣味のオトナが、今更音大に入学して卒業するなんて、非現実的な話です。でもね、きちんとしたプロ奏者に師事して、専門教育を受けることは全然可能ではないでしょうか? 音大卒に劣等感を感じてウジウジしているくらいなら、さっさと自分も専門家の元で専門教育を受ければいいのです。違う?

 で、実際、同じアマチュアの中でも、そうやって、一部の向学心あふれる人が、専門家の元で専門教育を受けているわけでしょ? それを妬いてイジワルをする人がたまにいますが、そういう人って、それこそ『音大卒はエライ』と、勝手に思い込む劣等感の塊ような人だったりします。なんでしょ? 自分の劣等感で自分が落ち込むのは勝手だけれど、自分の劣等感で他人の邪魔をして、足を引っ張ったり、異端視したり、排斥したり…なんて、オトナのすることじゃないですよ。自分の問題は自分で対処しなさいって、他人に迷惑なんてかけないでよね。ほんま、そんな、劣等感なんて、ボイっしちゃいなさいって。

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2016年6月14日 (火)

私だって、大変なんだ

 声楽のレッスンの続きです。「フェデリコ」のレッスンを終えた後、いつもとはレッスンの順番を変えて、妻の発声練習とソロ曲の練習になり、私は休憩に入りました。時間にして30分ぐらいかな? とにかく、休んでいたわけです。

 で、休憩も終わって、レッスンの後半ではボエームの第四幕から歌い始めたのだけれど…いやあ、驚きました。自分でもびっくりするくらいに、声が出ないし、コントロールできない。

 確かに歌っているのは私自身なんだけれど、私の声じゃないみたい。意図した音程を出すことすら難しい。あれあれあれ…って感じでした。

 で、そんな状態なのに、第四幕の歌い出し(Ah! Mimi, mia bella Mimi!)は…ボエームの中でも、かなり難しいフレーズでして、調子が万全でも、きちんと歌えるのは滅多にない(ダメじゃん)箇所なのに、こんな状態ですから、歌えるわけ無いです。とにかく高いBが難しい。第一幕にも高いBはあるけれど、そっちは手順をきちんと踏めば歌えるのだけれど、第四幕の高いBは、ちょっとした失敗で手順が踏めなくなります(涙)。手順が踏めなきゃ、Bは出ない。ああ、こりゃあ、難しい、鬼門だな。

 全然ダメな私を見て、先生は「やっぱり…」って感じでした。「フェデリコ」の後遺症のようです。あれだけ歌った後、休みすぎてしまうと、声がリセットされるだけでく、休止状態に入ってしまうので、再度声を出すためには、休まない事が肝心なんだそうです。今はレッスンだから休まざるをえないのだけれど、本番の時は、フェデリコを歌い終えても、次のボエームまで、声をあまり休ませないで、歌える状態をキープしておく事を心がけるように言われました。

 とにかく、出だしのフレーズは見事に失敗しましたが、後はなんとか頑張りました(が、たぶんほとんどが水準以下の出来です)。まあ、第四幕はミミが中心ですから、ロドルフォの調子が良かろうが悪かろうが、それは二の次三の次です。ロドルフォはミミへの優しさを表現できれば、それでよしです。とにかく第四幕は、いかにミミが印象深く死んでいけるか…この一点に集中したレッスンとなりました。

 ミミが死んでしまった後は、サラっと通しました。最後の最後のセリフ劇の部分は「もう少し感情を入れて盛り上がってください」と言われたけれど…レッスン室だと、なんともスイッチが入らないんだよなあ(笑)

 第一幕は…本当にサラッと通し稽古です。高いBもすんなりです。言われた事は「Euraka!」のフレーズ(高いAのロングトーン)は腹筋の瞬発力を最大限に使って歌いなさいって事くらいです(瞬発力が足りないと、微妙にフラットします:汗)。

 さて、これで今回のレッスンは終了です。次は、いよいよボエームの合わせです。門下の皆さんと一同に顔を合わせての、音楽稽古となります。ああ、楽しみです。

 「皆さんの進捗状況はいかがですか?」と尋ねてみました。答えは、人によってまちまちだから、楽しみにしているといいでしょう…でした。そうですね。

 私は、イタリアオペラ大好き人間だし、プッチーニは大好物ですし、キング先生の元でオペラの演じ方のレッスンも受けている(これには今でも深く感謝しています)ので、割と敷居低く、楽しくやっていますが、他の方々は色々あるみたいです。

 例えば、プッチーニの音楽に馴染みのない人だと、プッチーニは色々と大変みたいです。そりゃあ、プッチーニって20世紀の作曲家だし、ワーグナー以降の作曲家だし、現代音楽に片足程度は突っ込んでいるし…モーツァルトとかバッハばかり歌っている人からすれば「なんじゃ、これは!」の世界のようです。合唱から独唱に移ってきた人だと、1パートを一人で歌うという感覚に慣れないそうです。また、暗譜で歌うのが大きな負担(たいていの合唱団は、楽譜を舞台に持ち込んで、楽譜をガン見しながら歌いますからね)だし、その上さらに演技をしながら歌うなんて、まるでウルトラCの連続のような気がするでしょうね。そうでなくても、アリアはたくさん歌っているような人でも、重唱の経験が少ないと、今回のボエームなんて重唱に次ぐ重唱ですから、大慌てのようです。

 私だって、こんなに長い50ページにも渡る楽譜を暗譜するのは、始めてですよ。大変は大変です。

 でもね、大変だけれど、楽しいんだよ。乗り越えないといけない壁は高いんだけれど、ファイトが湧くんだよね。まあ、自分としては、やれる準備はやったつもりです。後は、他の人たちと合わせた時にどうなるのかな…って事です。

 私は他人に釣られやすいからなあ…。一人っきりなら、バッチリでも、相手次第では、歌いながら釣られて、どっかに行っちゃう事がよくあるからなあ…。なんか、心配(汗)。さあ、どうなるのかな? まあ、そうでなくても、相手次第ではいくらでも歌い方を変えないといけないのが重唱の楽しみだからね。不安がないわけではないけれど…でも頑張る、そして楽しむぞ。

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2016年6月13日 (月)

ナヨナヨ歌ってみよう

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発声練習から。今回は、前回のレッスンの終了時に「軟口蓋を上げるという感覚がなかなか自覚できないんですよね~」という私のボヤキを元に、軟口蓋を上げる意識づけの練習をしました。

 軟口蓋を上げる…と言っても、軟口蓋はクチの中だし、自分では絶対に確認できない場所にあるわけだから、実際に軟口蓋が上がっているかどうかは、出している声で判断するわけだし、軟口蓋を引き上げる筋肉なんて、普通の生活をしていると、なかなか自覚できないので「後頭部を後ろに引っ張り上げる」という感覚を使って、軟口蓋を上げる意識づけをしたわけです。

 やっぱり目で見てコントロールできない事は、難しいですね。こいつには時間がかかりそうです。

 合わせて、フレーズの頂点(最高音)での声のコントロールの仕方を習いました。勢いで歌っていると、頂点で吠えたり怒鳴ったりしがちですが、そうではなく、ノドをしっかり開けて息を送り込んで張り上げずに歌う癖をつけるように頑張りました。

 その際に必要なのが、腹筋の素早い動作なのだけれど、それって私の弱点なんですよね。先生と一緒に、腹筋の早動かし(笑)をしてみたのだけれど、先生には全然敵いませんでした(って、当たり前か)。でも先生がおっしゃるには、テノールはバリトンよりも素早く力強く腹筋を動かせないとダメなんだそうです。テノールの高音は、結局、腹筋の動きで出るモノだから…って事です。ううむ、筋トレしないと…。

 そこで、声楽用の筋トレの仕方を習いました。声楽における筋トレは、格闘技などでの筋トレとは違って、インナーマッスル中心に鍛えないといけないので、体育会的なやり方をすると、アウターマッスルが鍛えられて、カラダが固くなってしまい、逆効果なんだそうです。一番手軽で基礎的な筋トレが、入門時に習った、機関車の呼吸です。シュッシュッシュッシュッ言う奴ね。あれを、色々なバリエーションを加えながら、毎日やると、少しずつ腹筋が強くなっていくのだそうです。頑張りましょう。

 発表会も近づいてきたので、発声練習はそこそこにして、早速、チレア作曲「E'la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」の練習に入りました。今回は、先ず最初に、最初から最後まで通して歌いました。

 今回は、レッスンに備えて、前日、声をしっかり休めておいたので、声的にバッチリな状態で「フェデリコ」を歌ってみたのですが…まあ、だいたいOKなのですが、2回出てくる最高音(高いA)では、2回目は許容範囲かな?と思いますが、最初の高いAでは、声が割れてしまいました。高いAの発声はまだまだ安定性に欠けるようです。

 「フェデリコ」を通して歌い終えたところで、先生がおっしゃるには「とても不安」を感じたそうです。何が不安なのかと尋ねたら、おそらく「フェデリコ」そのものは何とか歌い切れるだろうけれど、その後、ボエームが歌えなくなってしまうのではないかと…不安なんだそうです。

 つまり「フェデリコ」で、その日一日分の声を使いきってしまいやしないかと心配なんだそうです。ですから「フェデリコ」でなるべく声を使わずに、声を温存できるように、軽く軽く歌うことを主眼に置いたレッスンとなりました。

 「フェデリコ」は、最高音は高いA、ロングトーンでの最高音は高いGという、テノールアリアとしては、割と標準的な構成の曲で、アリアの中では比較的歌いやすいモノだけれど、この曲の難しさは、それゆえに、知らぬ知らぬのうちに声を使いきってしまう事と、全編をpとかppの弱音で歌わないといけない事です。

 声って、そこそこ高めのフレーズの方が温存しやすいのです。中低音中心だと、知らぬ間に声が駄々漏れになってしまい、ふと気づくと、声が残っていない…という怖い事になりがちです。楽な音域だからと言って、野放図に歌っていると、後で痛いしっぺ返しをくらうわけです。

 また、声量にしても、楽に歌えるのはmfです。fとかffは多少は大変だけれど、mfの延長で歌えるから楽といえば楽です。逆にシンドイのは、pとかppで歌うことです。

 この曲は、楽譜の至るところにpとかppとかが書いてあって、基本的に弱音で歌い続けるように作曲家からの指定があります。歌手にとって楽なのは、mfからfぐらいの音量で。実際、プロでもかなりの強音で歌い飛ばしているモノもありますが、やはり作曲家の指示を尊重するならば(案外歌手というのは、作曲家の指示を無視しがちですが:笑)、この曲は弱音で歌うべきだし、私の場合は、学習の一過程として歌うのですが、やはり弱音で歌うべきだし、pあたりの弱音で歌い続けることは、私の苦手なので、なおさらやるべき…と言えましょう。

 まあ、歌に限らず、たいていの楽器で、高音を弱音で演奏することって難しいのです。この曲の課題は、そこにあるわけです。

 ちなみに弱音と言うのは“小さな音量”の音ではありません。だって、音量を小さくしたら、聞こえないでしょ? Pであっても、音量的にはfと同じ程度の音量を出さないといけません。では、pは、どこがpなのかと言うと…音色です。声で言うと“薄い声”がPの声です。薄い声であって、弱い声ではないし、支えもしっかりしていないといけません。薄い声と言うのは、低音成分の少なめな声です。基音と倍音のバランスが倍音寄りになっている声…と書いても、分からないよね。基音を弱めて倍音を強める事で、音量そのままで弱々しく聞こえるというカラクリなわけです。

 倍音強めの声って、具体的なイメージで言えば『オネエっぽい声』って感じかな(オネエの皆さん、ごめんなさい)。ふわふわした軽い声です。こういう声で歌うのが、この曲で求められているのです。

 ですから、普段は雄々しい、マリオ・デル・モナコであっても、この曲を歌う時だけはと、全然雄々しくなく、実に女々しいナヨナヨした声で歌っているものです。ああ、私もナヨナヨした声で歌えるように努力しないと…。

 ちなみに私は普段は(筋トレの意味もあって)f程度の音量で雄々しく歌っています。そのままの声で歌ってはダメじゃん。頑張って、ナヨナヨした声で歌わないと!

 とにかく「フェデリコ」では、薄くて軽い声で歌い続けないといけません。どれくらい薄くて軽いのか言えば「ファルセットになりそうで、ならないギリギリの声」なんだそうです。難しいね。分厚い声で雄々しく歌うのも難しいですが、薄い声でナヨナヨと歌うのは、それ以上に難しい感じがします。

 ああ、だから疲れ果ててしまうのか?

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2016年6月12日 (日)

本当の事を、他人に言ってはいけない

 私はデブです。自分でもよく「デブデブ」と言ってます。自分で自分の事をデブと言う分には無問題です。でも、他人から「デブ!」と言われると、ちょっぴり傷つきます。言い方次第では、心をざっくりとエグられますし、時には「死んでやるー!」とか「ブログなんて辞めてやるー!」とか思うこともあります。

 私はハゲです。とは言え、ファイナル・ハゲではなく、髪の毛が薄くて地肌がよく見える程度のハゲですから、世間的には薄毛と呼ばれるタイプの人かもしれません。まあ、ハゲとしては、ステージ1なんだと思います。

 薄毛であっても、ハゲはハゲですから、自分の事を「ハゲ」と言いますし、自分で自分の事を「ハゲ」と言っている分には無問題です。でも、他人から「ハゲ!」と言われると、ちょっぴり傷つきます。「お前に言われたくないよ…」と思うこともあるし「帽子取ってみろよ…」と言いたくなる事もあります。まあでも、デブと言われるほどには傷つきません。と言うのは、デブはステージ3ですが、ハゲはステージ1なので、傷つき具合が違うんですね。

 ちなみに、デブとかハゲとかの、ステージの違いについては、私の感覚のみで書いております(笑)ので、そこは突っ込まないように、よろしくお願いします。

 同じように「足が臭い(ステージ1)」とか「オヤジ臭プンプン(…ステージ2かな?)」とか言われると、やっぱり、ちょっぴり傷つきます。

 でも私は「チビ!」と言われても、全く傷つきません。自分の事をよくバカだバカだと言うくせに、他人から「バカ!」と言われても全然平気。「卑怯者!」とののしられても動じません。だって、心当たりないもの。あるいは、自覚していないもの。

 要は、人間って奴は、自分が「やましい」とか「マズイなあ」とか「これはちょっと」と思って自覚している事を、他人から言われると、攻撃されたかのように誤解してしまい、勝手に「負けた…」と思って、傷ついてしまう…というような心の動かし方をしてしまうようです。

 だから、本当の事(それも弱点)を他人から指摘されると、傷ついてしまうわけです。

 要は何が言いたいのかと言うと、他人に向かって、本当のことをありのままにヅケヅケと言うのは、一見、正直者のように思えますが、言われた側からすると、単なる悪魔的な所業でしかなくて、それも無自覚な悪魔なわけです。自覚的な悪魔よりも、無自覚な悪魔の方が、悪意がない分、タチが悪いのです。さらに性悪なのは、無自覚なフリをした自覚的な悪魔って奴でしょうね。ほんと、たちが悪いっす。

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2016年6月11日 (土)

目玉はやっぱり重いのか?

 我が家のミドリは、黒出目金です。今までも、何匹もの黒出目金が我が家にやって来ましたが、長生きをする事はなく、たいてい、数週間~数ヶ月で星になっていました。たぶん、1年以上元気でいた黒出目金はミドリが最初じゃないかしら?

 そんなミドリです。ほんと、元気にやっています。最近では、連日のヤヨイによる『お尻なめさせて!』攻撃(下品でごめん)の被害を一番多く受けていますが、それでも元気にやっています。ほんと、タフなんですよ。

 そんなタフなミドリですが、やっぱり疲れるんでしょうね。たぶん、水槽の中で一番睡眠時間が多くて、寝る時はきちんと熟睡モードで寝ています(だから、毎日元気なんだと思います)。

 ですから、本当に“床に投げ捨てられた濡れ雑巾”のように、脱力してきって寝ている事の多いミドリですが、ふと先日、ミドリを見ていたら、目玉を水槽のオブジェ(木炭製の土管)の上に載せて気持ち良さ気に休んでいました。

 目玉…って、やっぱり重いのかな?

 出目金の目玉って本当に大きいのですよ。特にミドリは出目金の中でも、目玉が大きい部類に入ると思います。上から頭部を見ると“目玉-頭-目玉”って感じで、同じような大きさの球体が3つ並んでいるように見えるくらいですから。いくら水中で浮力があるとは言え、やっぱり目玉って、重いんでしょうね。

 そんな目玉を預けて休んでいる姿も、なかなかキュートなミドリちゃんなのでした。

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2016年6月10日 (金)

フルートには、チューニングって必要なのかな?

 本当は“フルートには~”ではなく“管楽器には~”と書きたい所なんだけれど「フルート以外の管楽器については、お前はどれだけ知っているんだ!」と言われた時に、ちょっと窮する点もあるので、ここは謙虚に、フルート限定で話をしますが、私自身は、フルートだけでなく、程度の差こそあれ、管楽器全般(さすがにオーボエとファゴットは除きます。これらの楽器はチューニングが不要なのではなく、チューニング不可なのですから)に言えること、と思ってます。

 さて、本題に戻りますが、フルートにチューニングなんて必要あるんでしょうか?

 私、演奏直前のチューニングが必要なのは、弦楽器とティンパニーぐらいだろうと思ってます。それ以外の楽器では、基本的にチューニングは不要だと思ってます。

 弦楽器は、時間経過によって弦が伸びますので、演奏直前のチューニングは不可欠です。ティンパニーは、運搬途中で音程が変わってしまう事も多いので、楽器が会場にセットされたら、チューニングした方が良いと思います。

 でも、その他の楽器は、本当にチューニングが必要なのでしょうか?

 厳密に言えば、私もさすがに、全くチューニング無しで、楽器店から購入したままの状態で良い…と思ってません。どんな楽器であっても、調整とか調律とかは必要です。

 例えば、ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器は、演奏直前のチューニングは不要ですが、やはり演奏前に時間をたっぷりかけてチューニング(調律)するべきだと思います。まあピアノなんかは、広い意味では弦楽器ですから、本当はヴァイオリン同様に演奏直前にチューニングするべきですが、なにしろチューニングしないといけない弦の数が多すぎるので、演奏直前のチューニングは不可なのです。

 音程を持った打楽器の中でも、マリンバ(木琴)とかグロッケンシュピール(鉄琴)やチューブラベル(のど自慢の鐘)なんてのは、そもそもチューニングできないしね。管楽器であるオーボエやファゴットも、リードの状態で音程が決まってしまうので、チューニングは不可だね。

 だから、そもそも楽器にはチューニングする楽器とできない楽器があるわけなんです。

 で、フルートを始めとする管楽器に話を振りますと…管楽器って、吹き方で音程がコロっと変わる楽器なわけで、そんな楽器に対してチューニングなんて、意味ないので必要ないじゃんって思うわけです。とりわけ、フルートなんて、管の持ち方一つ、息の吹き込み方一つで、音程なんて、半音どころか、全音、いや、それ以上も変えられるわけです。

 いわゆる“ベンド”というテクニックですね。私は“音曲げ”という名称で、かなり初歩の段階で、当時のフルートの先生から習いました。吹きながら管体を前後に回す事で、音程をダイナミックに変化させるわけです。また、管を回さなくても、息の吹き込み方を変えるだけでも、微妙な音程変化ができます。腹筋をコントロールする事でヴィブラートが得られるのも、同様のテクニックです。

 つまり、フルートは演奏前に、真剣な表情でチューニングしても、演奏に入れば、全然違う音程で演奏できちゃうので、チューニングは全く意味ない…と私は思ってます。

 適当にいつもどおりに頭部管を管体に刺し、いつもどおりの角度にセッティングしたら、それでスタンバイOKじゃないですか?って話なんです。

  「チューニングしないで演奏なんて…! 音が違ったまま演奏して、平気なんですか?」って言われそうだけれど、たぶん、そういう事を言う人って、フルートを吹いた事ない人なんだと思います。

 と言うのも、フルートって、音を違えて演奏するのって、なかなか難しいでしょ? 演奏者が普通に音感を持っていて、周囲の音にうまく自分の音をはめ込める事ができれば、チューニングをしていようとしていなかろうと、無意識に正しい音で吹いて、適切な音程を取って演奏できるじゃないですか? つまり、フルートに必要なのは、楽器をチューニングする事ではなく、奏者の音感であったり、和声感覚であったりするわけです。

 そういう点では、フルートって、歌手と同じだなって思うわけです。歌手も、声をチューニングする事なんてできないわけです。同じようなフォームで歌っていても、その日の体調やらなんやらで、出てくる声は毎日いつも違うわけです。でも、それをきちんと音楽に載せて歌えるのは、歌手自身が歌いながら、音程やらその他の音楽的な要素を無意識に調整しながら歌うからです。

 フルートも同じなんですよ。

 だから、歌手にチューニングが必要ないように、フルートにもチューニングは不要であると考えるわけです。

 実際、初心者なんかだと、音感や和声感覚に乏しいので、いくら事前にチューニングしても、演奏じゃあ音痴でしょ? あれって楽器のせいではなく、奏者のせいなので、いくらチューニングを繰り返しても直らないわけです。

 だから、チューナーの使い方としては、演奏の前にチューニングで使うのではなく、演奏中に出ている音の音程を確かめるために使う方が(ベストな使い方とは言えないけれど)よっぽとマシな使い方だと思います。もちろん、チューナー無しでも、いつもばっちりした音程で吹けることが望ましいのだけれど、学習者の学習過程の中では、そんな時期があっても良いと思います。

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2016年6月 9日 (木)

高音発声のコツが分かってきたような気がします その2

 話の本題にいきなり入ります。

 高音発声の手順は、大雑把に言ってしまえば

1)背中の筋肉を下に引っ張る。
2)腹部の筋肉を背中側に引っ張る。
3)アゴを落とし、口腔を下側に広げる
4)舌根を上にあげる感じ(実際には下げる)で口腔を上側に広げる。
5)腹部の筋肉を少しずつ上に押し込めて息を圧縮していく(つもり)。
6)軽い力で(強い力だとノドが腫れて出血します)ノドを閉じます
7)ノドは閉じても気道は閉じない。むしろ積極的に気道を開いていきます。
8)気道を開いたまま、さらに軽い力で慎重にノドを上に引っ張って待機。
9)速くて少ない息を細く出し、その息に声(ってか響き)を載せて発声。
10)ノドの引っ張り加減で音程を合わせる。

 私の場合は、こんな感じです。この1)から8)までの手順を、音符と音符の間で素早く確実に順序良くやっていきます。間に合わない時は、目的の音の数音符前から歌いながら準備していきます。で、目的の音の直前に9)を行って発声し、10)で音程調整をして、高音発声に至るわけです。ちなみに6)の段階で思わず力んでしまうと、息が止まって発声そのものができなくなります。またうまく脱力できないと音程がフラットしてしまいます。7)の手順で気道が閉じたり、狭まってしまうと、いわゆるファルセットになってしまいます。声の支えがしっかりしていないと9)はできません。

 上に書いた手順には、特別な事は一つもないです。よくよく読めば、普通の発声でもやらなきゃいけない事ばかりです。でも、楽な音域だと、それらの手順を多少飛ばしたり省略しても声は出ます。高音発声のような、厳しい状況の時は、普段は飛ばしたり省略したりしている事も、一つ一つきちんと行わないと、声すら出ないってだけの話です。

 この手順通りに完璧に行って発声した高音は、今のところ、か細くて音色的にはあまり良くないです。一瞬ならともかく、ロングトーンでは使えないかもしれません。とてもプロの歌手の皆さんのような立派な朗々としたハイトーンとは比較にすらなりません。弱々しくて、かすれていたり、時には割れたりもします。それは私のカラダがまだ高音仕様になっていないからだろうと思われます。

 結局、高音発声に必要なのは、筋力…なんだろうと思います。それもいわゆるインナーマッスルという奴だと思いますし、まとめて言えば呼吸筋なんだと思います。手順正しく行い、鍛えた呼吸筋で発声していくと、立派な高音で歌えるようになるのだと思います。
 昔、よくキング先生が「テノールは50歳過ぎたらお終い」と言ってましたが、これは加齢による筋力低下で高音発声ができなくなる…と言いたかったんだろうなあって、今は思いますが、その高音発声に50歳を軽く超えた私が今更挑んでいるわけで、無茶なことにチャレンジしているのかもしれません。

 結論。 つまり、高音発声を目指す事で、呼吸筋が鍛えられるわけで、それで高音発声ができるようになれば良し。そうでなくても、呼吸筋が鍛えられる事で、日々の呼吸が力強く行う事ができるようになり、生きる力が増していく…って事なんじゃないかな…って、最近思うようになりました。

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2016年6月 8日 (水)

高音発声のコツが分かってきたような気がします その1

 私の声種はテノールで、それも軽いテノールです。あえて細かい事を言えば、リリコテノールって奴になるようです。それもだいぶレッジェーロに近いリリコテノールなんだそうです。ですから、レパートリー的には、リリコテノールのレパートリーを中心に、レッジェーロ向けの歌も少々って感じになってくるのだろうと思います。

 キング先生以前に指導をしてくださった方や、関わりのあった先生方は「君は(声的には)テノールなんだけれどね(…高音が無いよね…)」と言って、何とか私が高音が出せるように、あれこれとアドヴァイスしてくださいましたが、それらのご指導に、なんとも答える事のできなかった私でした。

 キング先生に至っては、私が自分をテノールだと言いはるので(一応)テノール扱いをしてくれましたが、事あるごとに「声的にはバリトンだよね」とか「あなたにはテノールは無理だからね」とか「テノールアリアは歌えるようにならないから、歌曲を歌いなさい」とか、とてもありがたいアドヴァイスをいただいていました。最後の頃は、しつこくバリトンへの転向を言われていましたよ。「バリトンなら簡単に出来るじゃない。何も難しいテノールにこだわる事ないでしょ」って言ってました。私の甲高い声じゃあ、バリトンのような深い音色の中低音なんて、ひっくり返っても出せないのが分からなかったのかな~。

 まあ、とにかく、キング先生のところで習っていた頃の私は「音色はテノール、声域はバリトン」という、なんとも残念なバリノールだったわけです。

 ちなみに私の声を聞いてバリトンだと判別したプロ歌手はキング先生だけで、他の先生たちは「君がバリトン? それはないでしょ」と軽くいなしていたので、キング先生に習っていた頃の私は、よほど声が重々しくなっていたんだろうと思います。

 キング先生の元で3年超の個人指導を受け、それから今のY先生の元に移動して、そろそろ4年。キング先生のところで学び、カラダに染み込ませていた事が、ようやく少しずつカラダから抜け始め、Y先生が教えてくださった事が少しずつできるようになってきました。

 3年かけて習った事を、カラダから抜くために、3年かかりました。これでようやくスタートラインに戻ってきた気分です。ああ、私の歌人生におけるこの6年間って、何だったのでしょうか?(涙)

 ま、それはともかく(笑)、以前はあれほど、どうにもならずに、バリトン転向すら命令されていた私ですが、最近になって、ようやくテノールとして必要な高音発声の光が、見えてきました。たぶん、もう大丈夫です。この方向で頑張ってカラダを作っていくと、高音もそれなりに発声できる、普通のテノールとして頑張れそうな予感がしています。

 高音発声に必要なのは、キング先生が強く否定した“コツ”です。コツという言葉が悪ければ、テクニックであり、手順です。なすべき手順をきちんと順序良く踏んでいけば、私が本来持っている音までは、きちんと発声できそうだという、予感がしています。

 本来持っている音とは…ファルセットで発声できる音域までだと聞いたことがあります。ファルセットで発声できるのなら(いわゆる)頭声でも発声できる…んだそうです。そうならば、私はHi-Fまでファルセットで出せるから、鍛えていけば、テノールのアリアは全制覇できるって事になります。だってテノールアリアの最高音は、Hi-Esだったと思うから(笑)。余裕だね。

 閑話休題。問題は、高音発声を行うには、手順を順序良く踏んでいく事が必要で、そのためには、きちんとカラダを作っていないといけないって事です。やり方だけ分かっていても、実際に行えないのでは、手順を踏むも何もないわけです。ですから、今私がしなければいけないのは、高音発声に必要な手順を一つ一つきちんと踏んでいけるだけのカラダ作りって事になるわけです。

 手順を踏むのは大切な事です。この手順を間違えると大変な事になります。以前、キング先生の元で、声を出すたびにノドを痛めて、口内が血の匂いでいっぱいになっていたのですが、これなんて、手順の間違いもいいところです。ステップ1や2を飛ばして、いきなりステップ3に行っているようなもので、あの血の匂いは、無理な声の出し方をして声帯周辺が腫れたり切れたりしていたからだと思います。あのままキング先生の元で学び続けていたなら、おそらく声帯を壊してしまい、音声障害を背負うことになっていたと思います。今思えば、よくノドを壊して声を無くさなかったものだな…と感心します。私は元来ノドが強い人なので、一時的に無茶をしても、しばらく時を置けば割と回復して、何とかなりましたが、これって、普通の人だったら、回復する前に次のレッスンがやってきますから、早いペースで声を壊して、とっくに歌を辞めざるを得なくなっていただろうと思います。

 実際、妻はキング先生に師事してすぐに声を壊してしまったので、歌手専門の声のお医者さんのところに通って、ようやく声を治したくらいで、あれが声が専門でない町医者などに通っていたら、妻は今頃歌えない人になってしまったかもしれません。

 だから、手順を順序正しく踏んで発声する事は、大切なのです。

 うむ、前フリだけで長話になってしまいました。本題は明日にします。

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2016年6月 7日 (火)

やりたいけれど出来ない合唱について考えてみた その2

 昨日の続きです。

 なぜ、以前は合唱団に受け入れてもらっていた私が、ブランクを経たら受け入れられない存在になってしまったのか…色々と考えてみました。

1)ヴォイストレーニングの結果、純粋に声が独唱向きになってしまったから

 合唱団を辞めて、私は最初の声楽の先生と出会い、その先生がヨーロッパに移住するまでヴォイストレーニングという名の声楽個人レッスンを受けていました。

 それまでの、素人丸出しの歌しか歌えなかった私が、あれこれ声楽テクニックを覚え、効率的な発声方法を知り、歌うためのカラダづくりをしてしまったので、ほんの短い学習期間でしたが、私の声は、いわゆる“素人の声”ではなくなってしまったという事が考えられます。

 だからと言って、その先生には声が完成するまで面倒を見ていただいたわけではなかったので、オペラ歌手のような声でもなく、いかにも中途半端で扱いづらい声になっていたと思います。

 とにかく、音質・音量ともに、素人離れしてしまったので、合唱団的には受け入れられない声だったのだろうと思うし、その点に関しては、おそらく今も同じだろうなあって思ってます。いや、今は当時よりも、もっともっと、音質・音量ともに素人離れをしているので、もっと受け入れがたい声になっていると思います。

 市民合唱団員の皆さんが20名ほどで声を合わせて歌うよりも、私一人で歌った方が、ホールによく響くと思うし…。別に自慢しているわけではなく、きちんと発声を学ぶと、声なんて、あっという間に変わってしまって、元に戻らないって事です。

2)音程の甘さが目立つから

 以前、素人丸出しの声で歌っていた頃は、私がどんなに調子っぱずれな声で歌っていても、声が飛ばず、誰にも聞こえなかったので、私が何をどう歌おうと、問題にはならなかったのですが、声が素人離れしてしまってからは、私の声は遠くまで良く響く声になり、合唱の中にいても丸聞こえになり、ちょっとしたミスや音程の甘さでも目立つようになりました。ある指揮者さんから「君が間違えると、合唱団全体が間違えたように聞こえるんだよ」と言われた事があります。つまり、私が歌うと私の声しか聞こえない(?)って事で、何とも名誉な話です(汗)。

 私の音程が甘いのは、声のパワーとテクニックのバランスの問題です。声にパワーが無ければ音程などの制御は簡単です。しかし、声にパワーが付いてくると、声をコントロールするのが難しくなってきます。ですから、パワーが付いた分だけ、声をコントロールするテクニックも磨いていかないといけません。

 例えれば、おとなしい馬ならば、誰が乗ってもおとなしく歩いてくれるけれど、なかなか走ってはくれません。暴れ馬を乗りこなすには、乗り手にかなりの技巧が必要になりますが、上手に乗りこなして走らせられれば、驚くほどのスピートで走りだしてくれるのと、同じような感じなのかもしれません。

 最初の声楽の先生のところでは、声が完成するまえに先生とお別れしてしまったので、私の声は、まさに“暴れ馬状態”だったと思います。その後、キング先生に習っても、当時のキング先生は、声楽的なテクニックを教えない事をポリシーとしている人だったので(今考えると、不思議なポリシーです)、やっぱり私の声は暴れ馬のままでした。今はY先生に少しずつテクニックを教えていただいているので、ちょっとずつですが、テクニカルに歌えるようになり、以前ほど、声が暴れなくなりましたが、それでもまだ声は完成したわけではありませんから、やっぱり合唱はまだまだ厳しいかもなあ…って思ってます。

3)主役じゃなきゃイヤだという厄介な性格

 これは私の人間性の問題(笑)なのですが、私、何事も主役をやらないと落ち着かないタイプの人なのです。主役が無理でも、せめて名脇役ぐらいにはなりたいものだと、常々思っている人なのです。

 つまり、目立ちたがり屋さんなのです。仕切り屋さんなのです。その場を支配したくて支配したくてウズウズしちゃう人なのです(まあ、多くのオッサンが該当すると思いますが…)。

 なので『他の人たちと同じことをする』とか『個を埋没させてチームワークに徹する』とか『名の無い存在として全体を支える』とかが、なんとも苦手…と言うか、落ち着きの悪さを感じるタイプの人なのです。

 本来、そんな人に合唱なんて、無理だよねえ(笑)。

 なので「合唱やりたい」と言いつつも、私は、いわゆる邦人作曲家の作品は歌いたくないのです。だって、その手の合唱曲って、ソプラノだけがメロディーで、その他のパートの人は、ただのハモリパートでしょ? 私という人間は、そこに喜びを見いだせない人なのです。ですから、合唱曲を歌うなら、洋物の宗教曲がいいなあ、ぜひ宗教曲を歌いたいと思っている人なのです。と言うのも、洋物の宗教曲の場合、すべてのパートにメロディがあるし、特にテノールはソプラノに次いでメロディを担当する事も多く、メロディもハモリも両方堪能できるでしょ? だから、私は洋物の宗教曲をぜひぜひ歌いたいのです。

 まあ、合唱も楽しそうだけれど、まずは自分の発声を完成させないとね。それが先決だ。

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2016年6月 6日 (月)

やりたいけれど出来ない合唱について考えてみた その1

 私は音楽が好きです。特にヴォーカルものは昔から大好きでした。器楽曲が嫌い…ってわけではありませんが、例えば、ジャズなら、インストゥルメンタルの曲よりも、ヴォーカル入りの曲の方を好みました。…と言うのも、ヴォーカル曲って、ヴォーカルがメロディを歌うじゃないですか? たぶん私はメロディが好きなのです。だから、ヴォーカル好きなんだと思います。ですから、器楽曲であっても、シンフォニーよりもソナタやコンツェルトを好むのは、独奏楽器がメロディを担当するからだろうと思います。

 とにかく、分かりやすいメロディを好む、俗っぽい趣味なんですよ、私は(笑)。

 あと、単純に、楽器としての声が好きだった…というのも否定できません。人の声って、楽器としても、なかなかの優れものでしょ。その音色の多彩さは楽器の比ではありません。それに言葉を使えるというのも、わかり易さに拍車をかけます。

 昔々、クラヲタ初心者だった頃、音楽を聞くだけでは飽きたらず、音楽の演奏をやってみたくなった私は、当然、ヴォーカルものに手を出そうとしました。でも、当時の私の感覚では「独唱はプロがやる事。素人が歌を楽しむなら合唱でしょ!」と考えて、合唱を始めることにしました。まだ先代の陛下がご存命の頃の話です。

 私が学生の頃は、どこの学校にも合唱部がありましたし、学校行事にも“合唱コンクール”があって、盛んに行われていた時代だったので『素人の歌=合唱』という刷り込みがあったのかもしれません。何しろ“独唱部”とか“独唱コンクール”なんて、どこの学校に無かったわけで、とにかく、素人の私がソロで歌うなんて、想像もしていなかったので、合唱を始めようと思ったわけです。

 で、実際、市民合唱団に入りました。そこでは、演奏会までの約1年間を過ごし、演奏会を終えて、それまでにぶつかった様々な技術的な壁を乗り越えるために、合唱団を退団して、個人指導のヴォイストレーニングに転向したわけです。この個人指導のヴォイストレーニングが、後の声楽&独唱につながっていくわけです。

 合唱団の方は、あくまでも私の方向転換で辞めたわけですから、円満退団ですし、引き止められもしましたが…その時は前に進みたかったんです。合唱団で歌っているのは楽しいけれど、合唱団では個人としての歌の上達/学習には限界がある、ならば今は個人の上達に専念してもいいのではないか…と考えたわけです。ですから、まずは個人の歌の技量を高めよう、そのためには、合唱団でみんなと一緒に歌うよりも、ヴォイストレーニングの個人指導を受けていこう…と思ったわけです。その個人指導のヴォイストレーニングの傍ら、独唱も学ぶというスタイルとなったわけで、その独唱学習の話は…まあ、その話はいずれまた。

 ですから、私のクラシック系音楽の演奏は、合唱から始まりました。

 別に合唱がイヤになって辞めた訳ではなく、単純にヴォイストレーニングと合唱を両立させるのは、時間的&経済的に無理…と判断して、その時は、ひとまずヴォイストレーニングに専念しようと思って合唱を止めた…というよりも、休んだつもりでした。

 その後、色々とあって、10年以上のブランクを経て、再び合唱に復活しようとしたのですが、そこから先は不遇の時代で、どの合唱団に行っても、邪魔者扱いされて、追い出されるか、丁重にお断りされるかが続き、今に至っています。

 まあ、人生色々。10年以上の時を経れば、人間も環境も合唱界も変わるものです。

 なぜ、以前は合唱団に受け入れてもらっていた私が、ブランクを経たら受け入れられない存在になってしまったのか…色々と考えてみました。

 で、長くなってきたので、具体的に考えた事は、また明日、アップします。

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2016年6月 5日 (日)

心穏やかに暮らしたい

 私は毎日の暮らしを、心穏やかに過ごしていきたいと願っています。

 心をざわつかせる原因には、外発的な誘因と内発的な誘因があると思います。

 まず、外発的な誘因とは言えば…それは事件事故の類の事でしょう。事件と言っても色々あって、事件には良い事件と悪い事件の二つがあります。

 良い事件…例えば、学校に合格したとか、会社で昇進したとか、昇給したとか…などの良い事なら、心穏やかなんて考えずに、それなりに興奮して、喜びを噛みしめたいです。

 問題は悪い方の事件でして…例えば、仕事のトラブルとか、友人とのいさかい、肉親の死に至るまで、悪い事件と言うのは、日々、それなりに降りかかってきます。もちろん、これらの事件にも色々あって、それぞれに、私に与える衝撃の強さには違いがあるけれど、それらの事件に遭遇しても、なるべく心を動かされないよう気をつけて、日々を暮らしています。

 そのため、ある意味では、薄情にならざるをえない時もあるけれど、事件そのものと自分の心を切り離して、自分の心が感情に流されないように、可能な限り平常心を保っていきたいと思ってます。

 そのための具体的な方略としては、立ち止まる事と深呼吸を活用しています。立ち止まる事…言葉を変えるなら“軽率に動き出さない事”とも言えます。とにかく、何かあったら、即反応するのではなく、ひとまず立ち止まる。立ち止まって、カラダよりも先にアタマを働かせるようにしています。何が起こったのか、被害の程度と範囲を考え、加害者は誰で、被害者は誰で、今どんな手を打てば被害を最小限に留めることが出来るのか…を考えます。そして、深呼吸をします。人間って、呼吸を深くするたけでも、冷静になれるものです。

 また、自分が世界の中心でいるような万能感を持たないように気をつけています。

 どんな事件事故であっても、必ず、自分よりも多くの被害や悲しみを背負っている人がいるわけです。それらの人々の事を常に心に思い、彼らの事を思いやり、自分だけが被害者ではないのだという事を、常に意識する事が大切です。

 つまり、自分の世界を、事件の中心に置かない事。そういう意味では、自己中心的な発想をやめる事。自分は世界の中では、単なる脇役、いや、その他大勢のモブでしかないという事を自覚し、脇役である自分の事よりも、まず主役である他の人たちに気を使っていく事などが思いつきます。そして脇役である自分ならば、主役の人たちにどんな助けの手を差し出せるかを考えるわけです。

 つまり、ちやほやされたり、なぐさめられて良い気分になる事を求めずに、自分を脇に置いて、自分の心を悪感情の中に突き落とさないようにします。

 内発的な誘因とは、自分の心の中でざわめく様々な感情の事です。

 さきほどの外発的誘因と全く無関係ではないけれど、日々揺れ動く自分自身の感情をコントロールしていく事は、心穏やかに暮らしていくためには必要不可欠な事です。

 内発的な誘因にも色々あります。例えば、悲しみ、怒り、嫉妬、寂しさ、無力感などです。

 悲しみに対しては、悲しみに感情が動かされないという事はありえないし、一時的に悲しみの感情に身を任せる事は、精神衛生的に必要な事だけれど、なるべくそれを引きずらず、出来る限りの短期間で平常心を取り戻せるようにしたいと思ってます。

 怒りに関しては…実は私、本格的に怒らなくなって、ずいぶん経ちます。私は、まだ十代の時に怒りの感情に身を任せるのを止めようと決心し、今に至っています。

 私の場合、全く怒らないわけではないのでが、怒りとは身体反応なので、怒り始めたら、なるべく心拍数を上げないように気をつけています。心拍数さえ上げなければ(つまり興奮状態にならなければ)案外、怒りの感情って、やり過ごす事ができます。ですから、私の経験上、怒りやすい人と言うのは、自分の感情のコントロールが苦手で、大抵の場合、メンタルが弱い人が多いと思います。また、怒りやすい人って、往々に血圧系の持病を持っている人が多いのですが、これも自分のカラダのコントールに無関心で、上がり始めた血圧を放置して、上がるだけ上がらせる事が多い性分だからだと思います。

 そして、怒りやすい人は、同時に、興奮しやすい人であって、外界の影響を受けやすいタイプの人です。外界の影響を受けやすいとは、言葉を変えて言うと“他人にだまされやすい”人であって、他人にいいように利用されがちなわけで…怒る人と言うのは、単に怒りだけでなく、様々な不利益を被るわけで、人はなるべく怒るべきではないし、怒りに自分の感情を任せることを癖にしてはいけないと…と思うわけです。

 嫉妬の感情は、肥大化した自意識が起こすものだろうと思ってます。「本来の自分はこんなモンじゃない。もっと自分は報われていいはずだ」という思いがあるけれど、現実の自分はそうではなく、むしろ特定の他者が自分の理想とする状態にあるのを見聞きした時に、嫉妬は生まれると思ってます。

 つまり嫉妬と言うものは、嫉妬自体が問題なのではなく、肥大化した自意識が問題であり、それはつまるところ、現実の自分を受け入れられない…要するに“自己受容”の問題であり、高すぎる自己評価が嫉妬を生み出すのだと思います。常に「己自身を知れ」という思いで生きていれば、無用な嫉妬とは縁が切れると思います。

 嫉妬なんてロクなものではありません。ただただ自分を苦しめ苛む感情であり、自分の心を地獄の底に突き落とす悪魔の技でしかありません。「自分は自分、他人は他人」と割り切り、身の丈にあった生活をエンジョイするのが、幸せの第一歩だと思ってます。

 無論、自己評価が高過ぎるのは嫉妬を生み出しますから、良くありませんが、低すぎるのもよくありません。

 無力感は自己評価が低すぎる事から生じる感情だろうと思います。自分の欠点ばかりを見つめ「自分は何も出来ない。自分は無能力者であり、誰も自分を必要としていない」などどいう妄想に逃げ込む暇があったならば、何事であれ、できる事から手を着けていく事が大切です。世の中には無駄なことなんて何一つ無いのです。「千里の道も一歩から」という精神を忘れなければ、徒に無力感に襲われることもないだろうと思います。

 寂しさは…他者への感謝の気持ちを忘れない事で避けられる感情だと思います。逆に言えば、感謝の気持ちをなくすと、たとえ多くの人に取り囲まれていても、孤独を感じるようになり、寂しさの中に落ちていくのだと思います。

 さて結論です。

 簡単に言ってしまえば、成功している人を見たら「おめでとう」と心の底から言える人になりたいって事です。そのためには、自分自身が、たとえどんなに小さな幸せであっても、それを見つけて、味わって、幸せでいられる事が大切なんだと思います。で、自分が幸せならば、そんな自分に害をなす人間であっても、許せる心の余裕が生まれてくる…と思うのです。

 結局は、心穏やかに暮らすには、心が平和で豊かである事が何よりも大切であるって事ですよ。

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2016年6月 4日 (土)

金魚の睡眠

 金魚は寝ます(当たり前)。睡眠時間は、人間と同じがやや短めですが、一日に何度かに分けて寝てますし、まぶたがないので“目を閉じて眠る”という事がないので、金魚に慣れていない人だと、金魚がいつ寝ているのか分からないかもしれません。

 でも、金魚って寝るんですよ(笑)。

 金魚の睡眠には2種類あって、私はそれを“通常寝”と“熟睡”と呼び分けています。金魚の睡眠は、通常時はたいてい“通常寝”をしていますが、ある程度老体になって、とりわけ夜の睡眠だと“熟睡”するようになります。

 “通常寝”をしている金魚の特徴は、眠りが浅い事があげられます。おそらく、完全に寝ているわけではないのだと思います。パッと見、ただ水中に漂っているように見えます。時折、ヒレを動かしていますし、普通にクチをパクパクもしています。しかし、目は動きませんし、ほとんど動かない事から、寝ている事が分かります。それでも、ちょっとした物音がすれば、即座に目覚め、結構機敏に動き出すので、眠りはとても浅いのだと思います。水槽に来たばかりの時や、若い金魚は、だいたいこんな感じで寝ているのです。

 おそらく警戒しながら寝ているのだと思います。

 一方、歳を重ねて大きくなった子や、水槽に慣れてきた子は、たまに“熟睡”をするようになります。熟睡している金魚は、すぐに分かります。何しろ、水底に沈んで、微動だにしませんから。姿勢よく寝ている子もいれば、完全に横になって寝てしまう子もいます。呼吸の回数も減り、ほとんどパクパクしません。ヒレもすべて脱力して、まるで床に転がっている濡れ雑巾のようになってしまいます。多少の物音では反応しません。また目覚めも悪くて、起きぬけは朦朧しているようです。何しろ、熟睡している子が入る時にエサをやると、寝ている子は食べ損なってしまうほどに、深く深く寝ているのです。

 あんまり深く寝ているので、死んでしまったのではないかと心配になりますが、金魚の場合、死んだり、具合が悪くなると、水底に沈むのではなく、水面に浮かびますし、体表の色が極端に変わります(死相が体全体に現れます)ので、水底でじっとしているのは、死んでいるのは違うわけです。

 まあ、それだけ安心して寝ているから、熟睡できるわけで、外敵のいないペットならではの行動なのだと思います。

 ちなみに、ドジョウの睡眠は…ドジョウは寝ている姿を基本的に人に見せません。ドジョウの場合、多くは砂利にもぐって、あるいは水槽のオブジェ(我が家では“ドジョウハウス”と呼んでいます)の中に入り込んで寝ているようです。ドジョウは寝姿をさらさないのです。

 メダカの寝ている姿というのは、私、見たことがありません。メダカも寝ているはずですが、いつもいつも元気よく泳いでいて、寝ている様子がどんなのなのか、私は分かりません。エビは寝ているのだか起きているのだか、まったく判別できません。タニシは…だいたい眠るのでしょうかね?

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2016年6月 3日 (金)

セレナーデの楽譜をいただきました

 フルートのレッスンに行ってきました。3週間ぶりだったので先生に「お久しぶり」と言われてしまいました。もっと、頻繁にレッスンに通わなければ…。

 レッスンはロングトーンからでしたが…今回は見事に音が合いませんでした。姉さんもいなかったので、入室してフルート組み立てて、すぐにレッスンが始まったので、フルートを温める余裕がなかったんですね。フルートって…事前のチューニングとかは必要ないけれど、きちんと管を温めておく事はマストですね。肝に銘じました。

 さて、エルステユーブンゲンの16番は、さすがに合格いたしました。何週間かかっているっちゅうねん(笑)。最後に注意されたことは「休符は無音だぞ」という、ひと言。ついうっかり、前の音を無意識に伸ばしてはいけないわけで、休符は休符で“音のない音符”なのだから、しっかり無音にしないといけないわけです。で、次回からは、17番と18番です。

 プチエチュードは、相変わらずの14番です。練習はそれなりにしてきたのですが、やはり臨時記号が入っている箇所は、グダグダになりがちです。しっかり練習してきたつもりでも、まだまだ練習が足らないのですね。そういった数カ所グダグダしてしまうところ以外は、よく吹けていると言われました。もう一息だ、頑張ろう。

 で、今回は雑談ではなく、夏合宿の話をしました。

 さっそく課題曲の楽譜を渡されました。「ハイドンのセレナーデ」です。“ハイドンの~”と言われてますが、実は贋作で、作曲者はハイドンではなく、ホフシュテッターという名のベネディクト会の修道士さんでした。つまり、プロの作曲家さんの作品ではなく、アマチュアの作曲家さんの作品ですね。なんでも彼はハイドンの大ファンで、ハイドン様式で何曲も弦楽四重奏を作曲していて、その内容がとても素晴らしかったので、当時の楽譜出版社が「ハイドン先生の作曲と騙って売れば、売れるんでないの?」と考えて、実際、そのようにして販売したんだそうです。

 著作権なんて発想の無かった時代ですからね。同様に「バッハのシチリアーノ」とか「モーツァルトの子守唄」なども、他人が作曲した名曲ですわな。

 まあ、私的には、ハイドンの作曲であれ、そうでなかれ、名曲である事には違いがないので、別に気にはしておりません。むしろ、こんな有名なホームミュージックを課題としていただいて「やったね!」って感じです。

 さて、この「ハイドンのセレナーデ」ですが、お分かりの通り、フルートのための音楽ではありません。オリジナルは弦楽四重奏曲第17番へ長調作品3-5の第2楽章『セレナーデ』なんですね。でも、あまりに名曲なので、ググるとオリジナルの弦楽四重奏以外にも、ピアノでの演奏とかフルートの演奏とかもヒットします。そうです、結構フルートで演奏される曲なんですね。まあ、確かにオリジナルのヴァイオリンも良いけれど、フルートでも良い感じの曲ですね。

 楽譜は…オリジナルの曲ではないので、編曲者の数だけ様々なモノがあるそうで、先生が持ってきたのは「この楽譜のが一番いいから」というイチオシ楽譜を持ってきてくれました。私はてっきり、ムラマツあたりの小品集の楽譜で演奏するのかと思ったら違っていました。確かに比較してみると、あれこれアーティキュレーションが違っていて、H先生好みの、メリハリのついたアーティキュレーションに仕上がっております。

 おぉ、私の苦手とするパターンだな、こりゃ(汗)。

 先生からは「長い曲だけれど、頑張りなさい」と言われました。はい、頑張ります。

 ちなみに、このセレナーデですが、次回のレッスンからレッスンのメニューに加わります。つまり、次回からは、エルストユーブンゲンとプチエチュードに加えてセレナーデも加わるのです。練習やりきれるかな? すごく心配だよ。

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2016年6月 2日 (木)

母の一周忌で考えたこと

 先日、実母の一周忌に参列してきました。

 父が中心になって準備をしたわけですが…まあ、その件で、あれこれ思うことがあったので、ちょっと書いておきます。

 参列者は父方の親戚&父の友人たちで、母方の親戚とか母の友人たちの参加はゼロでした…ってか、たぶん声すら掛けていないです。「それでいいのか!」と一瞬思ったのですが「まあそれでもいいか」とも思ったわけです。

 と言うのも、母のために一周忌の法要を行うのなら、それではマズイと思いますが、母の一周忌をダシに、みんなで父を励ますのが目的の会なら、父の身近な人で、父が楽しめる人たちを呼んだ方がいいに決まってます。

 法要ってのは、建前としては、故人の御霊を静めるために行いますが、現実的には、後に残った人たちの悲しみを昇華するためのモノなわけで、それならば、父のために母の法要を行うのも、それはそれでアリだなって思ったわけです。

 父も、母が亡くなってからは、一人暮らしになり、普段はロクにクチをきく相手もいないわけですから、こういう会が必要なわけです。まあ、本当はボケ老人の一人暮らしなんてロクなもんじゃないし、もしかすると社会悪かもしれないのだけれど、本人が変人で、息子たちとの同居を頑なに拒否しているのだから仕方ないです。アタマはボケてるけれど、カラダは実に元気なので、息子の言うことなんて、聞きやしないですからね(溜息)。

 今は、比較的近所に住んでいる弟が父宅になるべく顔を出して、様子をこまめに見ることにしていますし、田舎ですから、近隣の年寄りネットワークで互いに支えあっているようで、まあ、今はどうにかなっています。

 まあ、だいたい、一周忌の法要自体、母がそこにいたら(笑)「私のために、そんな大げさな事なんてヤメテよ」と言って、取りやめになっちゅうでしょうから、一周忌自体、残された父のためにやるようなものです。

 もっとも父に言わせれば「一周忌なんて、やりたくないんだよ。あれは、寺のボーズがやれやれ言って、しつこいから仕方なしにやるんだよ」との事のようです。それでもまあ、父が楽しい時を過ごせたようなので、それはそれでアリだなって思った次第です。

 それにしても、もう一年経ったんだな。長いようで短い一年だったと思います。

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2016年6月 1日 (水)

磁石が効きます![2016年5月の落ち穂拾い]

 6月ですね。暑いです、衣替えをして、夏服を着ても汗が吹き出ます。これで真夏になったら…と思うと、もう今から憂鬱です。

悪い癖を身につけちゃいけません

 人生、何事もそうなんでしょうが、間違った事をし続けていくのは良くないです。それは道義的な意味でも良くないのですが、音楽の練習などでも、間違った事をし続けていくと、その間違った事がそのまま定着し“悪い癖”になり、一度癖になってしまうと、それを修正するのは、とても難儀なんだそうです。

 私のフルートの先生であるH先生は、滅多な事では吹奏楽出身の人を生徒に取りません。

 先生曰く「吹奏楽の人は、学校で先輩に間違った事ばかり習っていて、悪い癖が身についているので、教えたくないんです」との事です。先生は、生徒が上達するために教えるのは好きだけれど、悪い癖を矯正するために教えるのは、お好きではないようです。

 「3年かけて身につけた癖は、3年かけても抜けないからねえ…」というのが、先生の持論なわけです。「せめて、部活に入る前に私のところに来ていれば、色々と違っていたのに…」とも言います。確かに、自分よりも、たった1~2年早く始めただけの素人に習っただけの人は、プロ奏者の目が見れば、あっちこっち間違っているんだろうと思います。

 間違った事を身につけてしまうのは、本当に、人生の遠回り…というか、無駄なんだと思います。私もそれで遠回りをしましたので、本当に、最初からきちんとした指導を受けることは大切なんです。

自分の楽器の特性を受け入れましょう

 楽器の特性…まあ、器楽の人は大丈夫だと思います。自分の楽器の特性について誤解をしている人は…まあいないし、いたらヤバイよね。

 問題は声楽です。合唱団員とかアマチュア歌手の中には、自分の楽器(つまり声)について、よく知らなかったり、誤解していたりする人も少なからずいます。例えば、声種とか音域とか声の軽重とかね。まあ、私も以前は勘違いしていたので、あまり偉そうにはいえないのですが(汗)。

 よくあるパターンが、ソプラノなのに、たまたま地声で歌う癖が付いていたり、ポピュラー発声で歌っていたり、低音発声が得意だったりすると、アルトだと勘違いしてしまうとか…。あるいは、未訓練であったり、間違った発声方法のために高音が得意でないテノールを、バリトンだと勘違いしてしまうとか…。本当によくあるパターンです。

 特に誤解が多いのは、高音発声に関してでしょう。出る/出ないもそうですが、出ればなんでもいいと言うわけにはいきません。例え高音がバンバン出ても、それ以上に中低音が魅力的であるならば、あえて高音歌手になる必要はありません。高音域に余裕のある魅力的な中低音歌手になればいいのです。

 でも人間のサガという奴は悲しくて、そんな事は理屈では分かっていても、どうしても高音にトライし続けたくなものてす。

 高音って、高音発声の練習ばかりしても、出るようにならないし、声も磨かれません。よく聞く話だと、高音を得意になりたければ、高音練習は控えて、まずは中音域を徹底的に練習するのが良いそうです。で、中音域を練習すると、放っておいても自然と高音が鍛えられ、出るようになるんです。何しろ、中音と高音は地続きである部分も多いですからね。逆に、中音域をきちんと練習しても、思っていたよりも高音が伸びない場合は、その人の音域が、それまでだっただけ…という話になりそうです。

 「低音は限界があるけれど、高音は練習すればするほど伸びる」とよく聞きますが、これは低いレベルの話ならば正解だけれど、高いレベルの話では間違いです。初心者の場合は、練習すればするほど伸びますが、ある程度声が完成すると、やはり楽器としての適正とか限界とかを考慮しないといけないようです。

 分かりやすく言えば、テノールの私がどれだけ頑張っても“夜の女王のアリア”は歌えないんです(笑)。やはり、自分の声という楽器を知ることは大切で、自分が持っている“楽器のポテンシャル”を最大限に活かすことを考えるべきだと思います。それを見失うと、ロクな事はありません。

 器楽の人は、良い楽器を購入して練習に励めば、いくらでも良い音で演奏できるようになりますが、声楽の人は、歌声を購入する事はできないし、練習に励みすぎると声を壊してしまいます。ですから、どこかで自分を見つめて、受け入れるという作業がどうしても必要なんだと思います。

歌は他人の真似で上達できない

 器楽の場合は、師匠のやり方をガン見して、それを丸々コピーをして、一気に上達するというやり方があります。弟子が師匠のフルコピーであっても「やっぱり○○さんのお弟子さんですね」と誉められたりします。時には「よっ! 二代目」とか言われたりします。

 でも声楽の場合は、そうも行きません。まず、性別とか体格が違えば、コピーそのものが不可能ですからね。仮に、同じ性別で、同じような体格、骨格であったとしても、発声の基本となる“声帯の使い方”とか“響きの付け方”とか“息の送り方”とかを真似するのは、なかなか難しいです。と言うのも、これらは全部、カラダの内部で行われているので、どうやって行っているのかは、全く見えないし分かりません。結果として出てきた声を聞いて「おそらく、こんな感じでやっているのだろう」と推論して真似るわけです。それが当たっている事もありますが、たまたま結果が同じだけで、違ったメカニズムであったりもします。また、表面的には似た感じになっても、実は全く逆の事をやっている事だってあるわけです。

 たとえ師匠であっても、他人の真似ができない…これが歌の難しさだと思います。結局、誰に習おうが、自分を極めていく以外に、歌の上達方法はない…と私は思っています。

 そして、簡単に他人の真似ができないから、万人共通の歌唱テクニックというのが必要になり、それを身につけることが肝心になってくるのだと思ってます。つまり『急がばまわれ』『基礎は大切』って話です。

今月のお気に入り ピップ マグネループ EX 高磁力タイプ

 私、ひと言欄でよく愚痴りましたが、首が痛かったり、肩が痛かったり、腕が上がらなかったりしています。医者で診断してもらったわけではありませんが、いわゆる俗に言う“五十肩”に類するモノと、そこから派生する肩こりが原因なんだろうなあって思ってます。これまで肩こりとは無縁な人生を送っていましたが、今は毎日毎日肩こりと戦っているわけです。

 私の肩こりは、まるで子なき爺が背中に取り付いているみたいです。

 それで、あれこれと愚痴っていたわけですが…あれこれググったところ、色々な解決方法が見つかりました。その中の一つに磁気ネックレスの着用があったので、騙されたと思って、身につけてみたところ、コレが結構調子がいいんです。

 私、元々、パワーストーンなどでも体調が良くなる人なので、人一倍、鉱物パワーの影響を受けやすい人なんだろうと思いますが、磁気ネックレスをして以来、すっきり、首の痛みは消えました。

 ほんと、調子いいですよ。問題は、磁気ネックレスだと、首とその周辺には効果的なのですが、肩とか腕とかの首からちょっと離れた箇所にまでは、磁気ネックレスの影響が及ばないって事です。ですから、首の痛みは消えましたが、腕の痛みと、そこから引き起こされる肩の痛みはまだまだ痛いままです。

 実は、そっちはいわゆる“エレキバン”を貼って対処しています。でも、エレキバンは…評価が難しいですね。と言うのも、エレキバンは使用感と効果が今一つなのです。

 エレキバンを数日貼りっぱなしにすると、貼った箇所がかぶれますので、ずっとは貼り続けられません。2日貼って、1日休む…みたいな感じで使ってますか、それが結構面倒です。

 それでも、貼っている日はまあまあ楽なんです。でも、貼っていない日は痛みと戦っていますし、貼る場所で痛みがすんなり治まったり、あまり関係なかったり…貼る場所が難しいです。なので、エレキバンは万人向けとは言えないかもしれません。しかし、磁気ネックレスの方は、首に巻けば、首の痛みが消えるので、これはほんとお薦めかな?って思います。

今月の金魚

2016年5月5日 サカサドジョウこと、シロが星になりました。残念。

今月のひとこと

 オーストラリアでは、中国企業が豪企業(牧場関係で同国最大企業)を買収するのは国益に反する事として認めなかったそうな。この国では、以前にもダーウィン港を長期に渡って中国企業に賃貸した事が安全保障上の問題になるとして議論されていたので、その流れでの買収禁止となったようです。確かに、外資系企業に土地や公共施設などを賃貸するのは、危険と言えば危険。日本も、中国や韓国の企業や金持ちに、土地や建物を売っているけれど、これも色々と危険と言えば危険。特に水源地を中国人にたくさん売っているけれど、ほんと、日本大丈夫なのかい?(2016年4月30日~5月1日)

 もしも私が、アメリカの大学に入学して、何かの式典の時に、アメリカ国旗が掲揚され、みんなでアメリカ国歌を歌うことになったとしたら、たぶん私は喜んでアメリカ国旗を見上げ、皆と一緒にアメリカ国家を歌うと思う。だって、アメリカの大学生なんだから、誇りを持って歌うと思う。その式典で、日の丸が形容されない事に怒ったり、君が代が歌われない事に憤慨などはしないと思う。だってお門違いじゃない? なのになぜ、日本の多く大学では『外国人留学生とか多国籍の学生などに配慮する』という理由で、国旗掲揚や国歌斉唱をしないのだろうか? なんか、そこに誤魔化しを感じる私です。そんな理由は無しで「わが校は、伝統的に国旗掲揚も国歌斉唱もしないのです」と言っちゃう学校の方が、清々しくて好きだな。(2016年5月1~5日)

 中国外務省の洪磊副報道官という人が、5月4日(つまり、憲法記念日の翌日)の定例記者会見で、日本各地で護憲派が集会を開いた事に関して「日本政府が歴史の教訓をくみ取って民意に耳を傾け、平和的発展を堅持するよう望む」と言ったんだってサ。まあ、内政干渉であって、中国は日本を自分の植民地や奴隷程度にしか考えていないって事なんだけれど、それはさておき、中国にとっては『護憲派の主張こそが中国の利益』ってのが本音になるわけです。中国の利益とは、つまり『日本の不利益』ってわけで、これはすぐにでも憲法を改正するのが正義って事になるわけです。でだ、憲法のどの部分を真っ先に改正したら、中国の不利益(つまり日本の安全)につながるかを、考えて、行動しないといけません。(2016年5月6~9日)

 アメリカ共和党大統領候補に近い男、ドナルド・トランプ氏が米軍駐留経費の全額負担を要求していて、それに対して日本政府は「非現実的な主張」と言っているけれど、防衛省のHPを見ると、すでに日本は1900億円の負担(これは全体の75%なんだそうで、つまり2500億円あれば十分って話になります)をしているわけです。「あと25%(630億円)も出させるのかよ~」と思いがちですが、実は日本は、周辺対策とか施設の借料などを負担していて、これが1826億円になってます。つまり、すでに150%も負担している事になっています。さらに、SACO関係経費(46億円)と米軍再編関係経費(1426億円)も加えた、在日米軍関係経費を計算すると、5200億円になります。つまり、必要費用の200%も在日米軍関係に支払っている事になります。ドイツ、韓国、サウジなどは、支払ってもせいぜい30~40%なんだそうです。日本、支払い過ぎ(笑)。逆に「全額でいいのですか? 多く支払わなくていいのですか?」と言い返せばいいんじゃないの? それにしても、トランプ氏は勉強不足なんだと思うよ。(2016年5月9~16日)

 先週は、なんかカラダがだるくて、気分が悪くて、微妙に熱があって…つまり、軽い風邪症状に悩まされていました。どうせなら、ガーと熱が出て、その代わり、2~3日で回復するのが望みです。なんか、ダラダラダラダラ…具合がいいんだか悪いんだか、なんともな状態が続くのは、色々と面倒でシンドいです。今から、数カ月先まで忙しい事は分かっているのだから、こんなグダグダな健康状態では、色々と支障があるんだけれどなあ…。(2016年5月16~20日)

 某都知事のスキャンダルが連日のように報道されていますが、たぶんアレって偶然じゃないような気がします。何かの意思の元、情報がリークされ続けているのだと思います。その証拠に、情報源の事は何も報道されないでしょ? スキャンダルのリークは都知事が「辞める」と言うまで続くのではないかと私は思うし、急にタレント政治家さんたちのテレビの露出が増えたのも、都知事選(あるいは衆参同時選挙)へのウォーミングアップを開始したからなんじゃないかな? それにしても都知事さん、金か女か、あるいはその両方で某国のトラップにひっかかっているんじゃないかな?(2016年5月20~23日)

 笑点の次期司会者は春風亭昇太師匠に決まりましたね。昇太師匠は『BS笑点』や『笑点Jr』などの笑点系の番組で、ずっと大喜利の司会を担当してきましたので、順当な人事であると言えば順当過ぎて、競馬で言えば大本命過ぎて、面白みに欠けます。しかし、以前から、笑点本家は見ずに、BS笑点や笑点Jrばかりを見てきた私としては、来週からの笑点は目が離せなかったりします。いっその事、回答者たちも総入替えしちゃえ!(2016年5月23~24日)

 ハガレン(鋼の錬金術師)が、日本人キャストで実写映画化だそうな。外国を舞台にし、西洋人を主人公にしたアクション物語を日本人キャストで邦画化するなんて、「進撃の巨人」や「テラフォーマーズ」の後に続いているだけのような気がします。客は、邦画にコスプレとアクションは求めていない事が分からないのかな? マンガの西洋人キャラってのは、ファンタジーな存在なんだから、それをリアルに実写化した段階で拒否感が生まれるって事に、企画した人は気がついていないのかな? あるいは気が付いた上でやっているのかな? ハガレンは好きな作品だけに、なんか無性に残念です。(2016年5月24~29日)

 ハガレンに引き続き、ジョジョ(第三部)も実写映画化なんだそうな。なぜ、舞台が外国で、外国人もたくさん出てきて、登場人物のほとんどがビッグでマッチョな連中ばかりという、実写化がほぼ不可能な作品を選んで実写化する? あの物語を日本人キャストでやれば“貧相なコスプレ学芸会”にしかならない事が、なぜ分からない? ジョジョを実写化映画しても、誰も喜ばないでしょ? あ、主役に抜擢されたイケメン俳優のファンは喜ぶか! でも、それなら、もっとイケメンがイケメンらしく見えるような恋愛映画とかを作った方がいいんじゃないの? 血反吐が飛び散るようなバトル満載の物語に、女性ファンを呼びこもうって…いくらイケメンが主役でも厳しいんじゃないの? 女性は、グロい映画はお嫌いですよ。(2016年5月29~31日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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