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2016年5月26日 (木)

あなたは楽譜が読めますか? ~ 音感が欲しい

 まずは「楽譜が読める」とは、どういう状態の事を言うのかと定義しなければいけません。一応、私なりの定義付けをするならば「楽譜が読める」とは「楽譜を眺めた途端に、頭の中で音楽が流れる事」を楽譜が読めるという事にさせていただきます。

 これは「本を読める」と言うのが、本を開いて、文字が書かれているページを見た途端、書かれている内容が頭の中に流れ込んでくる事を言うのと同じような定義付けをしたわけです。いちいち、一文字一文字ずつ文字を音声に変換して、つっかえつっかえ本を読んで(ってか、音声化して)理解しているのような状態は、とても「本が読める」とは言えないでしょ? それと同じ事です。

 ちなみに、本の場合、「朗読が出来る」は、音楽における「演奏ができる」ようなものでしょうし、「詩の暗唱が出来る」と言うのは「暗譜で演奏できる」みたいなモノだろうと思うわけです。

 と言うわけで「楽譜が読める」とは、楽譜を見た途端に音楽が頭の中に流れる事です。ですから、私は、残念ながら、楽譜が読めません。

 私の場合は、楽譜を“読む”のではなく、楽譜を“解読”するのです。まるで外国語の本を読む時に、一語一語ずつ辞書を引いたり、文法事項を確認したりして、書かれている事を判読していくように、楽譜の場合、キイボードを叩きながら音程を確認して、書かれているリズムを手打ちしながら読んでいくように…ね。大変なんです。

 ですから、私は楽譜は読めませんので、頑張って楽譜を解読していくわけです。

 楽譜は読めませんから、テクニック的に容易な曲であっても、初見演奏は出来ません。いつでも、譜読みから始めて、事前にみっちりと練習しないと、曲の演奏は無理です。また、音楽の練習は、いつでも譜読みから始まりますので、譜読みを完了すると、そこで一段落するので、そこで心理的に疲弊したり満足してしまうので、なかなか表現の練習まで踏み込めません。

 それでも全く楽譜が読めないわけではなく、必ず楽譜で確認しながら学んでいますので、レコ勉しても、かろうじて、耳コピーによる無意識のパクリ演奏からは逃げられているのではないかと思ってます。

 楽譜は読めないよりも、読めた方が絶対に良い事は分かっていますが、そのための勉強(ソルフェージュって奴ですね)を、今更、する時間を持てる余裕がないので、読めないながら頑張っていきたい…と思ってます。つまり“楽譜が読めない自分”を容認して放置するわけです。

 と言うのも、私には楽譜が読めることも大切だろうけれど、それ以前に、なんとかして(絶対でも相対でも)音感って奴を身に付けることの方が優先だろうなあって思ってます。なので、読譜の練習をする余裕があったら、音感を身につける事に時間やエネルギーを使いたいのです。

 ああ、音感が欲しい。正直言って、私はいまだに、音感って奴がないんですよ。若い時に、突発性難聴(最近の言葉で言えば、トーンデフです)になって、一時的に聾者になった事があるので、私の耳のハードウェア的な性能は、おそらくそんなに良くないです。それもあって、音程の判別の閾値が普通の人よりも甘いんだろうなあって思ってます。で、そんなハードウェア的な弱点を、日々の訓練等で克服するべく邁進しているのが、私なのです。

 ちなみに、プロの音楽家さんたちも、聴力に問題を抱えている人ってたくさんいる(有名どころはベートーヴェンですが、それ以外にも大なり小なり聴力に問題のある音楽家さんはたくさんいますよ。ちょっとググると、たくさん出てきます:笑)ので、私の耳の性能が悪いのは、音楽を趣味として楽しむにあっては、決定的な傷にはならないんじゃないかと…勝手に思ってます。

 とにかく、現状として音感がないので、フルートでは苦労しています。フルートもヴァイオリンほどではありませんが、音程を自分で作っていく楽器ですから、フルートの音の良し悪しは奏者の耳次第って部分がありますからね。ましても、歌の場合、ヴァイオリン以上に音程を自分で作っていく楽器ですから、本当に苦労が絶えません。

 歌の練習の時は、いつもいつも、チューナーのお世話になりっぱなしなんです。ああ、情けない。

 あ、話が楽譜から音感にズレちゃったよ、まあいいか(笑)。

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音楽一般」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

> 一応、私なりの定義付けをするならば「楽譜が読める」とは「楽譜を眺めた途端に、頭の中で音楽が流れる事」を楽譜が読めるという事にさせていただきます。

https://www.youtube.com/watch?v=hrymva3SHCo
Brian Ferneyhough Cassandra's Dream Song Flute Denizcan Eren
この演奏の評価は別として(譜面があっただけ)、「楽譜を眺めた途端に、頭の中で音楽が流れる事」という経験がこちらは残念ながらありません。
何回か聴いたことのある曲の譜面を見れば面白いという程度です。

19c.以前の曲であれば、24の長調と短調のスケールとアルペジオ、エクササイズとしてはモイーズの480あたりをさらうと元師匠曰く現代曲でなければ初見はできるらしいです。元師匠は当時数回通していたらしいです。
こちらはモイーズの480は1回もまだ通せていません。

失礼しました。

tetsuさん

 YouTubeの奴はおもしろいですね。現代音楽と言うのは、他人に演奏されたり、鑑賞される事を拒絶し、なおかつ、それがカッコいいと思っているんだなあって思います。

 作曲された曲の大半は演奏されず、一度でも演奏されれば、名曲扱いされるのが、現代音楽の常識だと聞いたことがあります。じゃあ一体なんのために作曲しているの? って聞きたいし、それならアマチュアの日曜作曲家とどこが違うのって尋ねたくなります。

>19c.以前の曲であれば、24の長調と短調のスケールとアルペジオ、エクササイズとしてはモイーズの480あたりをさらうと元師匠曰く現代曲でなければ初見はできるらしいです。

 なのかもしれませんね。所詮、音楽は音階とアルペジオの組み合わせで出来ているわけですから。それを考えると、初見演奏が出来る事と、楽譜が読める事は、厳密には違うのかもしれません。楽譜が読めなくても、訓練さえ受けていて、楽器の演奏が巧みなら、初見演奏はできちゃう事になりますから。読譜は、楽器の助けがなくても、可能でないといけない…と私は思うのですよ。

こんばんは。

> 現代音楽と言うのは、他人に演奏されたり、鑑賞される事を拒絶し、なおかつ、それがカッコいいと思っているんだなあって思います。

神戸国際コンクールでのパユ Pahud(当時のプロフラムではポー。誰のこっちゃ。)による武満のVoiceはすごかったです。
パユはTVで放送された水洗トイレの音は音楽と聴けるかどうかは別にして表現としては面白いです。
パユがファーニホーを演奏しているかどうか聴いたことありませんが、現代音楽は演奏者によるところがとても大きいし、表現の可能性がメチャ広がります。

こちらは現代音楽マニアでもなんでもありません。
A.ベルグとかP.ブーレーズあたりしか聞いていなかったところで、神戸国際で新作とかいろいろ聴いて少し面白くなったという程度です。

神戸国際フルートコンクール 第9回大会実施要項および課題曲
http://www.kobe-bunka.jp/flute/pdf/160426kifc_jp.pdf

1,2,3次と本選でスケジュールがメチャ長くなってしまいました。
3次の現代曲の課題曲の候補ではベリオのセクエンツァみたいな古典まで入ってビックリです。コンクールのための新作はなくなってしまったようです。
関東から日帰りなら本選のジョリヴェ(モーツァルトでもイベールでもない)目当てで聴きにいきたいところです。

tetsuさん

 武満は、現代作曲家ですが、凡百な現代作曲家たちとは、明らかに違います。ベルグやブーレーズも(好き嫌いは別として)才能ある作曲家だと思います。

 現代音楽の不幸は、優秀な作曲家と凡庸な作曲家、優れた芸術作品とただのゴミが混在して、世の中を流通している事であり、世間的には“凡庸な作曲家&ただのゴミ”の組み合わせのインパクトが強すぎて“現代音楽=つまらないゴミ音楽”って思われている事かもしれません。

 私も、そういう偏見にとらわれていて「現代音楽=汚物」ぐらいにしか思っていませんでしたが、よくよく考えて見れば、素晴らしい音楽もたくさんあるじゃないですかって感じです。

 でもやっぱり、変に凝り過ぎた譜面は、演奏を拒絶している…という考えを改めるつもりは、全然ない私です(わら)。

 神戸国際フルートコンクールですか…行ってみたい気もするけれど、新幹線や飛行機に乗る勇気が私にはありません(オタクですから…)。

すとん様、こんにちは。

本題では無く、コメントの方で興味深いテーマがあったので、割り込ませて下さい。

誰も聴かない現代音楽、のくだりです。

現代の作曲家、吉松隆氏の本に、「誰にも聴かれない音楽作品はこの世に存在していると言えるのだろうか?」という言葉がありました。

吉松氏は「楽譜は単に記録でしかなく、演奏によって大気が震えて初めて音楽と呼べる」と言っています(彼にとって楽譜はプログラムで、オーケストラはそのプログラムを実行する巨大人力シンセサイザーだそうです。そして、プログラムの実行結果が「音楽」)。

そこから推測するに、作曲家にとっては自分が書いた楽譜が演奏され聴衆に聴かれて初めて作品が完成するのであって、聴かれない事を良しとする人はたぶんいないのではないかと思います。

あー、でも吉松氏は「現代の作曲家」であって「現代音楽の作曲家」ではないから、あてはまらないのかなぁ…

楽譜が読めない、という知り合いの歌を習っている方がおります。そう、本当に、それは楽譜が読めないのを全てチャラにしてもよいかも?ってくらい美声で、歌うテクニックもあるからそれはそれで良いのしらね。ステージでは、多分、お客さんには楽譜読めない、とかまさかバレないし(笑)先生は指導的には困っていらっしゃるかもしれないけども、、。まあ、見事に歌いますよ、彼は。で、ビジュアルもよいのよ、コレ大事!
で、イタリア語もわかるのよ、しかし楽譜が読めない、なぜ?なぜ?もしかして、少しLD的なもの?よく数字が駄目な人とかいるのじゃないの、勉強しても理解することが苦手、駄目なの、とか。そんな感じかしらね。しかし、気立てもよいしあとは完璧なんです。だから、アマチュアならいいよね?ほぼ耳コピで複雑な曲もまあ正確に歌いますよ、ま、プロにはなれんでしょうなあ、しかしアマチュアのスターにはなれる?(笑)頑張ってほしいです!

Hiro.MTBさん

>吉松氏は「現代の作曲家」であって「現代音楽の作曲家」ではないから、あてはまらないのかなぁ…

 鋭い! そうですよ「現代の作曲家」「現代音楽の作曲家」って分けないといけないのかもしれません。

 「現代の作曲家」さんというのは“現代に生きて活躍している作曲家”さんの事ですが「現代音楽の作曲家」さんと言うのは“現代音楽というジャンルの音楽を作曲している作曲家”さんのことで、そこには自ずと違いがあります。

 と言うのも、現代音楽の定義の中に「芸術音楽である」「大衆音楽ではない」という項目があると思うのです。まあ、それはそれで分からないでもないのですが…。それはやはり、特殊な音楽なんだろうと思います。

 今、我々が楽しんでいるクラシック音楽と言うものは、その当時の「現代の音楽」であって「芸術音楽」かどうかなんて、おそらく誰も気にしていなかったと思うし、ベートーヴェンにせよ、モーツァルトにせよ、大衆志向の音楽家であり、当時は今のような大衆音楽というものは存在しなかったけれど、世間の人にどれだけ受け入れられるか常に考えて作曲していたわけです。

 そうでなければ、ベートーヴェンがロッシーニに嫉妬なんてしませんて(笑)。

 クラシック音楽は、21世紀の現代では古典音楽であり、それゆえに芸術音楽となりましたが、それはあくまでも結果論であって、作曲された当時は、現代の音楽であり、大衆を見据えた音楽であったわけです。

 ですから、現代の音楽ならともかく、現代音楽は、特殊な音楽であるという認識が必要なのだろうと思います。

アデーレさん

 器楽の方はともかく、声楽の方だと、プロアマ問わず、程度の差はあれ、楽譜が読めない人って、結構いますよ。

 オペラの世界には、コレペティートルという職業の方がいて、この人は楽譜の読めないオペラ歌手のために、楽譜を読んであげて、曲を教えて、個人練習の手助けをするという役割で、個人でコレペティさんを雇っている歌手もいれば、オペラ劇場などには劇場専属のコレペティさんがいたりします。

 ちなみに、私の次の発表会(ボエームを歌うアレです)では、日本の某歌劇団の専属コレペティさんが伴奏してくれる事になっています。コレペティさんなので、オペラのピアノ伴奏なんて、ばっちこいって感じの方です。

 有名な話ですと(事の真偽は分かりませんが)パヴァロッティは譜面が読めなかったそうですよ。ちなみにドミンゴは楽譜がちゃんと読める人だったので、3大テノールの時は、ドミンゴがパヴァロッティにあれこれアドヴァイスをしたとかしなかったとか…。まあ、彼に限らず、私の周辺にも、楽譜が読めない、苦手というプロ歌手さんは何人かいます。

 だいたい“音取り”という作業をしている段階で「私、楽譜が読めないのです」と白状しているようなものです(楽譜が読めれば、音は取らずに歌えます)。声楽の世界では、プロアマ問わず、楽譜が読めない人はいますが、例え楽譜が読めなくても、きちんと曲を勉強して、美声の持ち主で、感動的に歌えれば、それで大きな問題はないんですね。

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