ひとこと

  •  昨今話題のフェイクニュースですが、日本語で言うところの“虚偽報道”であり、簡単に言っちゃえば“デマ”とか“嘘”です。でも、こんなフェイクニュースですが、コロッと騙されちゃう人も大勢います。イギリスがEU離脱を決めた国民投票だって、多くの人がフェイクニュースに騙されて、うっかり離脱を決めちゃったわけだし、アメリカ大統領のトランプ氏が選ばれたのだって、フェイクニュースのおかげとかじゃないとか…? 諸外国ではネットを中心にフェイクニュースが流れますが、日本では新聞テレビなどを通じて、堂々とフェイクニュースが、さも真実っぽい顔して流れてしまうから手におえません。朝日新聞の従軍慰安婦報道なんてフェイクニュースもいいところだね。あと、マスコミの伝家の宝刀“報道しない自由”を駆使する事によって、真実を隠蔽し、世論を自分たちの都合の良い方向に誘導するのは、フェイクニュースとは違うけれど、フェイクニュースよりもたちが悪いと言えば、たちが悪いのです。マスコミには、両論併記のカタチで真実をのみを報道してもらいたいものです…が、無理っぽいですね。
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2016年5月の記事

2016年5月31日 (火)

出ない時は出ないのだから、無理をしない

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 曲の練習に入りました。ボエームは何とかなりそうだ…というわけで、ソロ曲の「E'la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」のレッスンからです。

 今回は私のノドの調子の悪さもあって、全曲を通す事はなく、最初から部分部分で歌いました。こういう調子が悪い時こそ、テクニカルに歌わないと歌えない…のだそうです。

 まず、普段の私の脳天気で開けっぴろげな声は封印です。だって、そんな声は曲想と合いませんからね。この曲は、細くて深い声で、全曲をpp~pぐらいの音量で歌う曲なのです。ですから、最初の一声からダメが出ました。「そんなアペルトな声(開いた声)で歌ってはいけません。ノドに負担が掛かりすぎます。ここはもっと閉じた声(キウーゾ?)で歌いなさい」と言われて、さっそく苦手にチャレンジです。

 声を閉じていくと、ついついノドに声が落ちてしまいます。声を落とさずに閉じるのは…ちょっと難しいです。で、その難しさと戦ってしまうと、声はカラダから離れて行きません。理想は、細くて深い声がすうーっと私のカラダから自然と離れていくように発声していくのです。ああ、難しい。

 先生に何度もダメを出されながらも、少しずつ少しずつ歌っていきました。

 この曲の最高音は高いAです。普段自宅練習をしている時は、ヒャラっと出る音(最近の実用音域は高いAまでなんですよ、今年、音域が全音ほど拡大したようです、エヘン)なのですが、ノドが腫れているせいか、今回は見事なほどに出ません。カスリもしません。

 高音が出ない時は、無理矢理に出すのではなく、高音発声の手順を一つ一つ確認していくのが吉です。ですから、私も手順を一つ一つ確認しましたが…今日は出ません。で、高音というものは、出ない日は出ないので、そういう日は無理をせずに、高音を諦める事が肝心なんだそうです。ですから、高いAのある箇所は、音を下げて練習しました。最初は1オクターブ下で、その次が5度下、3度下、最後が原調に戻して…って感じです。まあ、こういう感じで調子が悪い時は、調子の悪さに対応した練習の仕方を教えていただけるのが、個人レッスンの良さですね。

 さて、ボエームの第1幕の練習です。注意される事は、ソロ曲と同じで「なるべくアペルトな声では歌わない事」と「(調子が悪くても)無理せず、楽に歌い続ける事」です。ですから、メロディが2つ書いてある箇所は、当然、低いメロディで歌います。前回、注意されて、自宅でさらっておいたのが役に立ちました。

 それにしても調子が悪いと、思わずノドに力が入るようで、音程が低めになりがちです。気づき次第、高く音を取るように、支えや軟口蓋の位置を修正しながら歌いました…が、こんな基本的な心構えを、なんでキング先生は教えてくれなかったのか、それでいて、いつもいつも「音程が悪い」と注意されていたのか…そんな事が、ふと脳裏をよぎりました。いかんですね、レッスン中に余計な事を考えるようでは、集中が足りません。

 で、ボエームの第4幕は、例によって妻メインでレッスンが進みましたが、第4幕には、高いBがあるんです。そこは逃げるわけにもいかなかったので、気合一発でむりやり発声しましたが…先生から「そんな無理をすると、その後が歌えなくなりますよ。高音はパワーで出すのではなく、テクニックで出します」って、さっそくのダメが入りました。結果オーライじゃあないんですね。キング先生なら、無理無理でもちゃんと高音を発声すれば、きっと誉めてくれたろうなあ…。あ、それ以前に、キング先生のところにいたら、高いBなんて、一生出せなかったろうけれど…。

 第4幕は…やっぱりセリフが難しいです。分量的には多くないとは言え、オペラの終盤の良いところでしゃべるわけで、歌とは別の才能が必要だよなあ…。

 そう言えば、生前バーンスタインが「ウエストサイドストーリー」はオペラではなくミュージカルである理由として、フィナーレを音楽ではなく、セリフにしてしまった事をあげていました。あの部分を音楽で書けたなら、あの作品はオペラになったのに…というような事を言ってましたが、「ラ・ボエーム」はフィナーレがセリフだぞ。ボエームがオペラなら、ウエストサイドストーリーもオペラでいいんじゃないの? なんて思ってしまいました。

 そうそう、近いうちにレッスン室にグランドピアノが(また)入るそうです。今のレッスンはアップライトピアノでやっているのですが、アップライトだと、先生の後ろに我々が立つことになるので、レッスンやりづらそうなんですよね。グランドだと先生の前に我々が立てますので、レッスンがやりやすいんじゃないかな…なんて思いました。それにしても、先生、一体ピアノを何台所有されていらっしゃるのだろう。ほんと、家々部屋々々に生ピアノがあるんじゃないの…って思っちゃいました。

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2016年5月30日 (月)

煮干しは注意して食べましょう(笑)

 声楽のレッスンに行ってきました。

 到着するなり、ボエームの打ち合わせです。当日のナレーション原稿に変更する事が生じ、その説明を受けたわけです。

 ざっくり言えば、曲目変更…と言うか、ボエームの演奏曲目が若干減ります。それに伴って、シーンの切り替えも変わり、ナレーション原稿にも変更が生じた…と言うわけです。

 以前ブログで「ハイライト上演となっていますが、オペラの聞かせどころは、きっちり網羅されております」と書いた私ですが、どうにも、いくつかの聞かせどころを(涙を飲んで)カットして上演する事になりそうです(ってか、そうなるから原稿を書き直すわけです)。

 理由は…私が直接当人たちから伺ったわけではないし、細かく言い出すと、それぞれにそれなりの理由があるのだろうと思いますが、私が勝手に思うに、ザックリ言えば「たった三ヶ月の準備期間では(自分が担当するのは一部とは言え)オペラの原語上演には対応しきれません」って事じゃないかなあ…って思うのです。それほど、今回のボエーム上演は、大きなチャレンジだと思います。

 では、どんな点が対応しきれないのか…と言えば、例えば、分量の問題(一人あたりの歌うべき分量は、アマチュアの発表会では考えられないほどの大量ですからね:汗)であったり、テクニックの問題(はっきり言って、どれもこれも我々には難曲中の難曲ではあります)であったり、慣れの問題(歌曲やアリアしか歌った事のない人には、オペラの劇中の重唱を歌うなんて人生初体験ですからね)であったり、難しさの問題(プッチーニは20世紀の作曲家で、かなり現代的な曲を書きますが、普段モーツァルトとか古典歌曲ばかり歌っている人には、和音が複雑すぎて音が取りずらいし、リズムが細かすぎるのです)であったりするわけです。

 まあ、大変なのは、実際大変です。私が以前いたアマチュア歌劇団なら、歌詞をすべて日本語歌詞にして、準備期間も3年ぐらいかけて上演に取り掛かると思います。それを原語上演で準備期間三ヶ月ならば、腰が引けてしまう人がいても不思議ないです。いや、実際、私だって「担当する箇所、全部、きちんと歌えるのか?」と自分に問いかける日々ですからね。

 まあ、私は高い壁が大好きで、簡単に乗り越えられそうもない課題を何とかして乗り越えるのが好きなタチですから、問題ありませんが、世の中の人がみんな、そういう“当たって砕けろ!”タイプというわけではありませんから…ね。“石橋を叩いても、なおかつ渡らない”タイプの人もいるわけで、まあ、そこは強制も強要もできないので仕方ないです。

 まあ、聞きに来た方には、ちょっぴり残念な感じになるかもしれませんが、その分は何とかナレーションでカバーしたいと思いますので、ご落胆なく、心待ちにしていてください。

 まあ、他人の事をいくら心配しても、自分自身がしっかりしていなければ、いけません。発表会は、聞きに来るお客さんのためでもありますが、第一義的には、歌う自分たちの勉強のために開かれるわけですから、その発表会に参加する事で、なるべく多くの事を体験し、学んで、今後の芸の肥やしにしなきゃいけないわけで、そのためにも、今を頑張っていこうと思ってます。

 さて、打ち合わせを終了し、さっそくレッスンに入りました。

 実は、この日の私のノドの調子は激烈的に悪かったのです。疲れているのは、いつもどおりとは言え、前日に激しい咳を何度も何度もしてしまい、ノドが疲れきっていたのです。

 原因は…煮干しです(笑)。私はタバコは吸いませんが、タバコ代わり(?)に煮干しを食べます。煮干しって美味しいんですよ。煮干しにも色々な種類があって、今、お気に入りの煮干しは、塩味が薄くて、一匹一匹が大きくて、きちんとカラカラに干してあるタイプの煮干しなんです。これが実に美味いのですが、どうもこいつを食べている時に、煮干しの皮のクズをうっかり吸い込んでしまい、ノドの奥の方(たぶん気管側)に吸い込んでしまったようなのです。

 異物が気管に入ったわけですから、生体反応として咳をして、異物を飛ばして出すわけですが、ノドに貼り付いた煮干しの皮がそう簡単に出て行ってくれるわけもなく、止めたくても止まらない咳に苦しみ、水やらお茶やらを飲んでも解決できず、散々咳をして、疲れきったところで、意思の力で咳を抑えこみました。たぶん、煮干しの皮はノドに貼り付いたままでしょうし、違和感はバリバリなのですが、すべて我慢です。だって、ノドが痛いんだもの(涙)。我慢している事、2~3時間で、違和感が無くなりました。きっとどうにかなったんだろうと思います。

 そんなわけで、ノドがヒリヒリしたままレッスンに臨んだわけですが、先生には簡単に見破られていたんだと思います。だって、話し声からして変だったと思うからね。

 さて、そんなわけで、発声練習は、ごくごくサラッと行いました。

 今回の注意点は「発声の定位置を決めましょう」って事です。これは、母音ごと、音程ごとに、発声のポジションやらクチのカタチやらノドの開きやらが変わってしまうので、それいう事は無しにして、どんな時でもベストな状態で発声しましょうって事です。特に私の場合、すぐに声が開いてしまう癖があります。その度に先生に注意されれば、すぐに良いポジションに戻せるわけですから、やってやれないわけではないのです。ただ、無意識に開いてしまう声を、意識的に開かないようにするために“発声の定位置”をきちんと決めて歌うように癖をつけましょうって事です。

 あと、もう一つ。いつもいつも言われている事ですが、私、声の支えが弱いのです。そして、それに伴って、ノドの開きも悪いのです。この2つを別々なモノとして考えるのではなく、一つの連動した動き、つまり、声を支えれば支えるほどノドが開いていく…というような動きでできると、発声もだいぶ変わりますよ(って事は、やれって事です)と言われました。頑張ります。

 特に高音は、ノドを開くと、ノドに蓋が被るように感じるのだけれど、きちんと声を支えながらノドを開いていけば、ノドの蓋を閉じないで、深い声が出るはず…なんだそうです。いやあ、ならば本当に頑張らないといけませんね。

 ふう。

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2016年5月29日 (日)

足の爪は切らない

 えーと、別に意地を張っているわけでもなんでもなく、単純に、気がつけば「そう言えば、私は滅多に足の爪を切らないなあ…」と思いついたわけです。

 手の爪は、だいたい週に一度ずつ、週末の、時間がある時に切っています。しかし、足の爪は…めったに切らないなあ。年に数回程度、それも申し訳程度に、ほんのちょっとずつしか切らないなあ…と思ったわけです。

 手の爪はよく伸びるけれど、足の爪はほとんど伸びない?…って事はないと思うのですよ。でも、足の爪は、いつもいつも、長すぎず短すぎず、ほぼ適切な長さに保たれているのです。これは、足の爪を切った時も同じです。足の爪を切った時は、切った直後こそ、爪は短いのですが、あっという間にいつもの長さになって、そこからはずっといつも同じ長さなんです。で、時折、年に数回、グンと爪が伸びる時期があって、それで「あ、足の爪が長くなっている。そろそろ切ろう」となるわけです。

 そんなのって、私だけ? 皆さん、足の爪って、手の爪同様に、頻繁に切ってますか? それとも私のように『手は頻繁に、足はごくまれに』って感じでしょうか?

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2016年5月28日 (土)

金魚すくいの金魚をうまく飼う秘訣 飼いはじめてから編 その5 新しい子の購入について

 長らく連載を中断していた『金魚すくいの金魚をうまく飼う秘訣 飼いはじめてから編』の第5弾をお届けします。前回の記事が…2012年1月21日のアップですから…ええと…4年4ヶ月ぶり?…ですか。いやあ、実にひさしぶりのシリーズ連載の記事です(笑)。
 ちなみに、前回の記事はこちらです。(前回は「水槽の掃除の話」でした)

 今回は“新しい子の購入について”です。金魚の入手方法と選び方についての話です。
 まず金魚の入手方法ですが、おそらく大きく分けて『金魚すくいで入手する』と『ペットショップで購入する』の2パターンあると思います…が、圧倒的多数の方にとって、金魚を入手するとは“金魚すくいの金魚を入手する”って事だろうと思います。。

 『金魚すくいで入手』した場合、手に入るのは“小赤”と呼ばれる、和金のフナ型の赤い金魚だと思います。ペットショップ等では、肉食魚たちの生餌として売られているタイプで、一匹10~20円程度のお値段で販売されています(これくらい安価なので、金魚すくいに登場するわけです)。

 小赤の特徴は、丈夫な事です。多少劣悪な環境でも育ちますので、最初に飼う金魚としては適当だとも言えます。ただし、エサを制限せずに、ストレスを与えないように大事に育てると、約1年ほどで30cmほどに成長します。そうです。小赤という名前に騙されてはいけません。金魚って、実はすぐに大きくなります。金魚の食欲にリミッターがない(満腹感を感じない生き物なんです)ので、エサは与えれば与えただけ食べてしまい、あっという間にブクブク大きくなってしまいます。

 金魚の死因の一つに『消化不良』があるくらいに、際限なくエサを食べるのが金魚なんですね。

 小赤を飼う時に注意するのは、十分に広い水槽で、エサの量をしっかり管理しながら、ゆっくりと大きく育てることです。よく泳いで運動も必要なタイプの金魚なので、一般的な30cm水槽(底面の長辺が30cmの箱型水槽)では、せいぜい1~2匹しか飼えません。孤独は感じない生き物ですし、群れを作らない生き物ですから、遠慮せずに少なめの匹数で飼うのがコツです。

 次に『ペットショップで購入』する場合ですが、気をつけなければいけないのは、金魚は、泳ぎが上手なタイプの子もいれば、魚のくせに泳ぎが苦手なタイプの子もいるし、下手くそとしか言えないタイプの子もいるので、それらを同じ水槽で混ぜては飼えないので、そこは注意が必要です。と言うのも、それらを混在させた場合、泳ぎが上手な子が苦手な子をイジメて、イビリ殺してしまう事があるからです。金魚って、見かけよりも、気が荒い生き物なのです。

 ですので、なるべく泳ぎのレベルが同じような子たちを集めて飼ってあげるのが良いでしょう。ちなみに、フナ型の和金タイプの子(小赤とか和金とかコメットとかシュブンキンとかです)は泳ぎが得意です。丸型の琉金タイプの子(琉金とか、出目金とか、オランダ獅子頭など)は泳ぎが苦手です。特殊型である、ランチュウとかピンポンパールとかスイホウガンとかチョウテンガンなどは、極端に泳ぎが苦手なタイプ(ってか、泳いでいるのか溺れているのか判別が不可能なくらいに泳ぎがヘタです)なので、その種類だけで飼ってあげるのが一番です。

 一般的に泳ぎが得意な子ほど、強い個体なので、飼うのが比較的ラクです。泳ぎが苦手な子ほど、飼育するのに、あれこれ手間がかかります。金魚初心者さんは、ランチュウなどの飼育の難しいタイプの子には、手を出さないのが無難でしょう。でもたまに、金魚すくいにランチュウの幼魚が混ざっていたりするので、うっかりすくってしまったら(簡単にすくえます)大切に育ててあげてください。

 先ほどの和金のところでも書きましたが、金魚はあっという間に大きくなります。また、泳ぎが得意な子ほど、広い水槽を必要とします。よく、ペットショップの金魚売り場だと、水槽の中に金魚がひしめいていますが、あれは金魚を飼っているのではなく、ディスプレイしているだけですし、結構頻繁に個体を交換しています(そうでないと商売になりませんよね)ので、あれくらいの密度でもOKなのです。でも、お店があんな感じですから、ついつい我々も金魚を飼う時に、あれくらいの人口密度(?)で飼ってしまいがちですが、それは全然違います。

 金魚は基本的に狭い場所で飼うとストレスを感じて死んでしまうのです。

 丸型の琉金タイプを例を挙げると、普通の30cm水槽で3~4匹、やや大型の45cm水槽で、4~5匹、大型の60cm水槽で5~6匹しか飼えないと思っていると良いでしょう。もちろん、これよりも少ない数で飼えるなら、それに越したことはありません。これよりも多くの金魚を飼えば、弱い個体から死んでいき、このくらいの数で落ち着きます。琉金よりも泳ぎの苦手な子ならば、この数よりも+1ぐらいいけますが、泳ぎが得意な子ならば-1ぐらいになってしまうかもしれません。

 最後に個体の選び方です。金魚の命や健康と値段には関係性はありません。値段はその金魚の稀少性と関係します。ですから、高い金魚ほど、色々な点で珍しく、安い金魚はごくありふれた個体であると言えます。飼育のしやすさで言えば、金魚すくいの子たちは飼いやすく、高級金魚は色々と手間がかかって厄介ですよ。

 元気な個体の見分け方ですが、とにかくよく動いている子が元気です(当たり前)。金魚すくいの子が長生きしない理由の一つには、元気な子は捕まらなく、捕まるのは元気のない不健康な子たちばかりだからです。まあ、金魚すくいというシステムを考えると、当然なんですがね。

 ペットショップなどで金魚を選ぶ時には、うるさいほど動き回っている子が元気で良いです。

 あと、できればカラダに傷のない子が良いです。売っている金魚を見てみると、案外多いのが、背びれが折れている子と、ウロコが剥がれている子です。網やポイで乱暴にすくわれると、金魚の背びれが折れる場合があります。オスの多い水槽に入れられたメスは、オスの攻撃(金魚のオスは、シャレにならないくらい気性が荒いのです)で、しばしばウロコが剥がされてしまいます。折れた背びれと、剥がれたウロコは再生しませんので、そういう子を購入する際は注意が必要です。

 もちろん、白点のある金魚や、ヒレが溶けている子、エラが赤い子などがもいますが、そういう子は病魚ですから、購入してはいけません。購入して水槽に入れると、今いる子たちに、その病気が感染ってしまいます。

 私の経験では、背中がムキムキで筋肉質な子は丈夫で長生きをします。スリムな体型の子は病気をあまりしません。まあ、人間もそうですが、肥満体はだいたい病弱ですね。

 ちなみに金魚にはダイエットはありません。金魚の場合、飽食すると魚体が大きくなって腹部が膨れます。一度大きくなった魚体は、エサが不足しても、小さくはなりません。腹部も凹みません。しかし弱るわけでもありません。金魚は冷血動物なので、かなりの少食でも生きていけるのです。

 金魚を飼う秘訣は、いかにエサをやらずに育てていくか…なんだろうと思います。しかし、これはかなり難しい事なのです。と言うのも、金魚って、すごくすごくすごくエサをねだります。エサをあげないと、こちらが悪いことをしているのではないかと思うくらいに、執拗にエサをねだり、そのうち、こちらが罪悪感を抱くほどに、エサを欲しがります。しかし、彼らを元気で長生きさせたければ、なるべくエサをやらずに育てていくのが良いのです。

 そこがとっても難しいのです。

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2016年5月27日 (金)

今夏も、フルートの調整をしてもらいました

 年に2回のフルートの調整を、今夏もやっていただきました。

 今回は、昼間、別の演奏会を見て、献血をして(笑)、それから夕方にフルートの調整をしてもらったので、一日長丁場で、何とも疲れ果てた状態で調整をお願いしに行ったわけです。

 まあ、別に私が疲れ果てていても、フルート職人さんが元気なら、調整に支障はないわけで…あるとすると、私がやたらと無口で感じが悪い人になっていた…という事でしょうか?(なんか申し訳ないです)。

 一通り調整をしてもらって、試したところ、なんかうまくいってないところがあって、そこにクレームをつけたら、さっそくリングにシールを貼られて「リングを使っている人だと、リングの塞ぎが十分じゃなくて、それで音が出づらい人がいるんですよ」と言われて、試してみたら、確かに音の出がスムーズになりました。

 ダメだったのはフルートではなく、私自身でした。

 「今は青い目立つシールが貼ってありますが、銀色のシールに張り替えましょうか?」と尋ねられたので「シールは貼らなくて結構です」って断りました。自分の欠点が分かったのだから、シールでごまかさずに、練習して克服するべきなのです。

 リングの穴塞ぎに、昔はよく、シリコン製の詰め物(シリコンキャップ)が使われていましたが、それだと音程が微妙に狂ったり、音色も若干くすんでしまうということで、最近では銀色のシールを貼るそうです。こちらの方が音に与える影響が少ないし、遠目で見るとカバードのフルートのように見えるので、色々と良いのだそうです。

 さて、フルートの調整をしてもらっている間、ほとんどクチをきかず、暇だったので、そこらへんに置いてあるモノを見ていました。その日の職人さんたちの予定表も置いてあって、ちょっくら眺めてみたら、皆さん、結構高価なフルートを調整に出しているんだなあって思いました。少なくとも、スクールモデルのオーナーさんは、その日の調整会に楽器を出していませんでした。私の1307なんて、安物の部類に入りそうです。

 でも、フルートの実売数で言えば、圧倒的に高価な楽器よりも、スクールモデルの方が多いのだけれど、スクールモデルのオーナーさんたちは、楽器の調整の必要を感じない…のかな? それとも安い楽器ほど、調整の必要がない…とか? いずれにせよ、ちょっと面白い現象だと思いました。

 同時に、たまたまフルートフェアをやっていて、フルートの試奏をしている人がいました。耳に突き刺さるような音でフルートを吹いていました。いかにも吹奏楽の人って感じでした。年も若そうだから、学生さんかもしれませんね。無理矢理に鳴らされているフルートが、ちょっぴり可哀想に感じました。

 その方、私が見ても分かるほどに、フルートの構えがぎこちないし、音量命の感じがしました。某T社長さんからも、何度も音量が大きすぎると注意されていましたが、うまくコントロールできないみたいです。たぶん、まだフルート初心者でしょう。素人丸出しなんです。で、それを見て思ったのは、私がフルート試奏を繰り返していた頃、端から見れば、私もこんな感じで、素人丸出しでフルートを吹きまくっていたんだろうなあ…って思いました。なんとなく、懐かしい感じがしました。

 フルートフェアでしたから、色々なフルートが展示即売されていました。その中に、ひときわ目立つフルートがあって、それは何かと尋ねたら、24Kメッキのフルートなんだそうです。さすがに24Kの輝きは独特で人目を引きつけます。なんでも、24Kはメッキだけでも30万円するんだそうな。お高いね。

 私のアゲハちゃん(愛用の1307)も30万円出せば、24Kメッキしてもらえるのかしら? ゴールドフルートを購入するのは、なかなかお財布的に厳しいのだけれど、金メッキ程度なら、頑張ればできるから、頑張って24Kのメッキをしてしまおうかしら…。

 でも、メッキって、いずれハゲるんだよね(溜息)。それに、メッキをしちゃうと、オーバーホールの時に磨きをかけてもらえなくなるんだよね…。そう思うと、やっぱり銀無垢のままでいいかなあ…とも思うわけです。

 無料調整会は朝から晩までやってます。で、その日の最後のお客さんの楽器を調整しおえても、職人さんたちはそれで仕事終了ではなく、その後は、お店の在庫フルートの調整をするんだそうです。大変ですね。

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2016年5月26日 (木)

あなたは楽譜が読めますか? ~ 音感が欲しい

 まずは「楽譜が読める」とは、どういう状態の事を言うのかと定義しなければいけません。一応、私なりの定義付けをするならば「楽譜が読める」とは「楽譜を眺めた途端に、頭の中で音楽が流れる事」を楽譜が読めるという事にさせていただきます。

 これは「本を読める」と言うのが、本を開いて、文字が書かれているページを見た途端、書かれている内容が頭の中に流れ込んでくる事を言うのと同じような定義付けをしたわけです。いちいち、一文字一文字ずつ文字を音声に変換して、つっかえつっかえ本を読んで(ってか、音声化して)理解しているのような状態は、とても「本が読める」とは言えないでしょ? それと同じ事です。

 ちなみに、本の場合、「朗読が出来る」は、音楽における「演奏ができる」ようなものでしょうし、「詩の暗唱が出来る」と言うのは「暗譜で演奏できる」みたいなモノだろうと思うわけです。

 と言うわけで「楽譜が読める」とは、楽譜を見た途端に音楽が頭の中に流れる事です。ですから、私は、残念ながら、楽譜が読めません。

 私の場合は、楽譜を“読む”のではなく、楽譜を“解読”するのです。まるで外国語の本を読む時に、一語一語ずつ辞書を引いたり、文法事項を確認したりして、書かれている事を判読していくように、楽譜の場合、キイボードを叩きながら音程を確認して、書かれているリズムを手打ちしながら読んでいくように…ね。大変なんです。

 ですから、私は楽譜は読めませんので、頑張って楽譜を解読していくわけです。

 楽譜は読めませんから、テクニック的に容易な曲であっても、初見演奏は出来ません。いつでも、譜読みから始めて、事前にみっちりと練習しないと、曲の演奏は無理です。また、音楽の練習は、いつでも譜読みから始まりますので、譜読みを完了すると、そこで一段落するので、そこで心理的に疲弊したり満足してしまうので、なかなか表現の練習まで踏み込めません。

 それでも全く楽譜が読めないわけではなく、必ず楽譜で確認しながら学んでいますので、レコ勉しても、かろうじて、耳コピーによる無意識のパクリ演奏からは逃げられているのではないかと思ってます。

 楽譜は読めないよりも、読めた方が絶対に良い事は分かっていますが、そのための勉強(ソルフェージュって奴ですね)を、今更、する時間を持てる余裕がないので、読めないながら頑張っていきたい…と思ってます。つまり“楽譜が読めない自分”を容認して放置するわけです。

 と言うのも、私には楽譜が読めることも大切だろうけれど、それ以前に、なんとかして(絶対でも相対でも)音感って奴を身に付けることの方が優先だろうなあって思ってます。なので、読譜の練習をする余裕があったら、音感を身につける事に時間やエネルギーを使いたいのです。

 ああ、音感が欲しい。正直言って、私はいまだに、音感って奴がないんですよ。若い時に、突発性難聴(最近の言葉で言えば、トーンデフです)になって、一時的に聾者になった事があるので、私の耳のハードウェア的な性能は、おそらくそんなに良くないです。それもあって、音程の判別の閾値が普通の人よりも甘いんだろうなあって思ってます。で、そんなハードウェア的な弱点を、日々の訓練等で克服するべく邁進しているのが、私なのです。

 ちなみに、プロの音楽家さんたちも、聴力に問題を抱えている人ってたくさんいる(有名どころはベートーヴェンですが、それ以外にも大なり小なり聴力に問題のある音楽家さんはたくさんいますよ。ちょっとググると、たくさん出てきます:笑)ので、私の耳の性能が悪いのは、音楽を趣味として楽しむにあっては、決定的な傷にはならないんじゃないかと…勝手に思ってます。

 とにかく、現状として音感がないので、フルートでは苦労しています。フルートもヴァイオリンほどではありませんが、音程を自分で作っていく楽器ですから、フルートの音の良し悪しは奏者の耳次第って部分がありますからね。ましても、歌の場合、ヴァイオリン以上に音程を自分で作っていく楽器ですから、本当に苦労が絶えません。

 歌の練習の時は、いつもいつも、チューナーのお世話になりっぱなしなんです。ああ、情けない。

 あ、話が楽譜から音感にズレちゃったよ、まあいいか(笑)。

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2016年5月25日 (水)

メトのライブビューイングで「ロベルト・デヴェリュー」を見てきました

 私にしては珍しく、メトのライブビューイングで、ほとんど無名なマニア向けのオペラ作品を見てきました。いつもは、有名な作品ばかりをチョイスして見に行っている私なんですが(笑)。

 だって、せっかくオペラ見るのなら、楽しめる作品がいいじゃない? よく分からない新作オペラとか、滅多に上演されない無名なマニア向けオペラとかに、私の大切な時間とお金を使うなんて、もったいないじゃない? そう思って、新作オペラとかマニア向けオペラは避けてきた私です。

 では、なぜ今回、「ロベルト・デヴェリュー」などと言う、実にマニア向けなオペラを見ることにしたのか…それは、メトのライブビューイングで「マノン・レスコー」の時の予告映像で、この「ロベルト・デヴェリュー」の稽古シーン(第2幕のロベルトとサラの二重唱)が上映されて、それをを見たところ「このオペラは、半端無く面白いんじゃないの?」と思って、心にひっかかったので、試しに見たのでした。

 いやあ、実際、面白かったし、楽しかったですよ。オペラとしての素晴らしさなら、今まで見たオペラたちの中でも、かなりの上位に入ります。それくらい、面白かったオペラでした。

 どこが面白かったのかと言うと、全編、歌にあふれています。歌、歌、歌、なんですよ。これは実に凄いです。さらに、それらを歌っている歌手たちがすごいんです。「ロベルト・デヴェリュー」の曲って、おそらくすべてケタ外れの難曲たちばかりだと思います。それを歌い飛ばしている歌手たちの歌唱技術に酔いしれます。

 さらに、ストーリーも、結構ちゃんとしています。男女4人の愛憎のもつれというオペラ的には゛よくある話なんですが、それらがきちんとしています。オペラとしては、なかなか凄いことです。

 そして、演出も良かった。いわゆる、コスチュームプレイで、変な読み替えはありませんし、現代的な演出でもありませんでした。このオペラ、メト初演だそうですが、奇をてらわずに、ちゃんとした演出でした。(もっとも、演出上のカラクリはありましたよ。このオペラは、劇中劇という設定にし、舞台にいる合唱が貴族に扮し、彼らが「ロベルト・デヴェリュー」というオペラを見ているという設定になっていましたが…そんな設定、忘れても全然大丈夫なくらいに普通に劇が進行していました)。

 このオペラ、ドニゼッティの“スチューダー朝三部作”と言われ、メトでは、すでに先行する二作は上演済みで、これが最後のシメの作品だったんだそうです…が、ああ、先行していた二作(「アンナ・ボレーナ」と「マリア・ストゥアルダ」)を、今更ながら見てみたい私でした。夏のアンコール上映で、やってくれないかな?

 とにかく、無名なマニア向けオペラですが、実に良かったんですよ。

 基本データを書いておきます。

マウリツィオ・ベニーニ(指揮)
デイヴィッド・マクヴィカー(演出)
ソンドラ・ラドヴァノフスキー(エリザベス1世/エリザベッタ:ソプラノ)
エリーナ・ガランチャ(ノッティンガム公爵夫人/サラ:メゾソプラノ)
マシュー・ポレンザーニ(ロベルト・デヴェリュー:テノール)
マリウシュ・クヴィエチェン(ノッティンガム公爵:バリトン)

 歌手は皆、スゴイです。音域広いです。エリザベッタを歌ったラドヴァノフスキーなんて、人間技とは思えないような歌をバンバン歌ってました。テノールのポレンザーニは、明らかに普通のテノールでは出さないような高音をバンバン出していましたし、サラを歌ったガランチャなんて、メゾのはずですが、そこらのソプラノでも歌えないような高音をバンバン歌ってました。

 全般的に、皆さん、ありえないような高音を炸裂させていました…が、それがいわゆる、ベルカントオペラって奴なんですね。歌うのに難しいオペラなんだなあって思いました。なんでも、この手のオペラは、作曲された当時は歌われていたものの、その歌唱の難易度から段々と歌われなくなり、マリア・カラスがリバイバルさせるまでは、ほぼお蔵に入っていたそうです。で、マリア・カラスによるリバイバルが鏑矢となり、現在の歌手たちはみな歌が上手いですから、今では、少しずつ、この手のベルカントオペラも普通に歌われるようになってきたんだそうです。

 まさに、マニア向けのオペラ…なのかもしれません。

 ですから、このオペラ。有名なオペラを一通り見てしまった方に、強くお薦めします。「ロベルト・デヴェリュー」なかなか面白いですよ。

 ちなみに、今年のメトのライブビューイングもそろそろ終わりという事で、次年度のラインナップが発表になりましたので、書きます。

次年度演目
「ワーグナー作曲:トリスタンとイゾルデ(新演出)」
「モーツァルト作曲:ドン・ジョヴァンニ」
「サーリアホ作曲:遙かなる愛(MET初演)」
「ヴェルディ作曲:ナブッコ」
「グノー作曲:ロメオとジュリエット(新演出)」
「ドヴォルザーク作曲:ルサルカ(新演出)」
「ヴェルディ作曲:椿姫」
「モーツァルト作曲:イドメネオ」
「チャイコフスキー作曲:エフゲニー・オネーギン」
「R・シュトラウス作曲:ばらの騎士(新演出)」

 来年もなかなかおもしろそうなラインナップですね。詳しい事は公式ホームページでご確認ください。

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2016年5月24日 (火)

大変だけれど、楽しいボエーム

 声楽のレッスンの続きです。とにかく、先生的にはボエームが心配なので、発声練習もそこそこに、ボエーム(第1幕)の練習に取り掛かりました。

 10ページの“L'indea vampi in fiamma ”の部分は、メロディが二つ書いてあって、通常は高く歌うオプションの方のメロディを歌うわけだけれど、本番当日の体調がどうなるか分からないのだから、練習では本来のメロディ(実はかなり低いです)でも歌えるように練習しておかないといけないと言われました。…ってか、なかなか高いBで歌うのは大変なのですから、本番は本来のメロディで歌う可能性が高いしね(汗)。

 28ページの“Unidea!”を、私は“U-ni-de-a!”と4音節で歌ってしまうのだけれど、楽譜上は“U-ni-dea!”と3音節(3つの音符)なので、3音節で歌うように言われました。これがソロの曲ならば、言葉を優先して4音節で歌ってもいいのですが、アンサンブルですから、ここを3つで歌うか、4つで歌うかは、合わせている相手的には大事であって、私が今のまま音符4つで歌ってしまうと、おそらく次の人たちがびっくりして、うまく入れなくなるだろうって事です。

 同じく28ページの“Ottima carta~”の部分が、どうにもうまく入れません。ここはリズムも中途だし、きっかけも無いので、歌に入るのが、ほんと、難しいです(涙)。

 他にも細々としたところを指導されましたが、あまりに細か過ぎるので割愛します。

 で、私のレッスンが一通り終わったところで、妻のレッスンになりました。いつもの私なら、この時間で、先生から学んだ事を頭の中で整理して、メモ帳にまとめます(そのメモがブログのネタになります)。ところが今回のレッスンでは、妻の発声練習が終わり次第、ボエーム(第4幕)の練習になりました。第4幕は彼女がミミを歌うので、当然彼女がレッスンの主役なのですが、第4幕には、彼女との大きな二重唱があるので、必然的に私もレッスンに参加する事になり、おちおち休んでいられません。

 とは言え、第4幕はあくまでもミミのステージなので、私の役割は、二重唱とは言え、終始“合いの手を入れる”わけですから、主役の歌を邪魔しないように気をつけながら歌っていきます。ですから、275ページの“Io spero ancora”などは、ささやくように歌うわけです(本当にささやくと聞こえないのでNGです)。

 その流れで、ミミが死んだ後のシーンも練習をしました。オペラのフィナーレは、ロドルフォが歌ではなく、セリフをガンガン言っていくのですが、そのセリフが難しい。いやあ、同じ語句でも歌うのなら何とかなるのですが、しゃべるとなると、ほんと、難しい。なぜオペラにレチタティーヴォが発達したのか、分かったような気がしました。とにかく、セリフの部分は、歌と違って誤魔化しが効かないので、かっこよく演劇的に、いかにもイタリア語っぽくしゃべらないといけません、ああ大変だ。

 で、ひとまずボエームの譜読み確認は終わりました。とりあえず、カタチになっている事が分かったので、次回からはテクニカルなレッスンにしましょうと言われました。楽譜通りには(それなりに)歌えているので、よりシビアにより厳密に、あれこれ声楽的なテクニックを駆使しながら歌うことを学んでいく予定です。

 もちろん、それと合わせて、暗譜をそれぞれの責任でやっていかないといけません。正直、分量がアマチュアの発表会レベルではないので、かなり真剣に暗譜していかないと追いつきません。頑張ろう。

 今回のボエームでは、ミミが4人、ロドルフォとムゼッタが2人ずつ、マルチェッロ、コルリーネ、ショナールは1人ずつで歌います。のべ9人の歌手が登場しますが、アマチュアが6人、プロ歌手が3人の割り振り(?)になっています。どのシーンにもプロ歌手が加わっていて、実際の歌唱をリードしてくれる手はずになっています。プロ歌手が参加せずアマチュア同士の組み合わせで歌うのは、第1幕のロドルフォとマルチェッロの二重唱と、第4幕のロドルフォとミミの二重唱ぐらいで…って、両方とも私の箇所じゃん(笑)。私が歌う箇所では、プロの助けはないから、頑張んないとね。

 さて、今回のボエームですが、ハイライト上演となっていますが、オペラの聞かせどころは、きっちり網羅されております。使用する譜面だって、海外の歌劇場で歌っているプロ歌手たちが使っている譜面と全く同じもの(イタリアのリコルディ社のヴォーカル譜)を使用しているわけだし、使用言語もオリジナルのイタリア語を使って歌うわけだし、伴奏がオーケストラではなくピアノだという事ぐらいで、音楽面ではかなり本格的な上演になっています。

 そんなマジなオペラ上演に、たかがアマチュアのオジサンオバサン集団が、チャレンジするわけで、ある意味、無謀と言えば無謀、無茶と言えば無茶なのは、分かってます。おそらく仕上がりだって、プロの方々の上演レベルには、到底及ばないでしょう。でも、情熱は負けてません。

 市民オペラ団などに入団すれば、例えアマチュアであっても、オペラ合唱をやらせてもらえるかもしれません。それはそれで素晴らしい体験だろうけれど、アマチュアの我々がやれるのは“名もないその他大勢のモブたち”です。名前の付いている役は、プロの方々に独占されるのが常です。まあ、実力的にも、当然な話でしょう。

 でも今回のボエームは違います。我々アマチュアが、名前の付いた役を歌うのです。私なんて、主役だよ(笑)。もう、驚いちゃうよね。おそらく、オペラの原語上演に主要キャストで参加できるなんて“一生に一度”の事です。たぶん、もうないよ。それほど、貴重な得難い体験をしようとしているわけだから、準備が大変であっても、臆せず前に進むだけです。頑張れ、自分。

 大変だけど、楽しい。それが今の、偽らざる感想です。

 ここから、ほとんど毎週のように、本番まで、ボエーム関係の練習やらお稽古が入ってきます。そんな生活なんてしたことないし、ちょっぴり不安だけれど、ここは楽しんで乗り切るしかないと思ってます。

 頑張れ、自分。マジで頑張れ。

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2016年5月23日 (月)

ソットヴォーチェで歌いましょう

 声楽のレッスンに行ってきました。

 先ずレッスンの最初に、今後の発表会までのレッスンの日程を決めました。ボエームの全体練習ありの、通常レッスンありの、本番用のピアノ合わせありの…これから発表会まで、ほぼ毎週、いや週によって週2回の練習が入ることになりました。通常の発表会ですら、その準備は大変なのですが、今回はボエームのハイライト上演が加わりますので、通常の何倍も準備に時間と手間がかかるわけですが…それが不思議と苦にならない私です。大変は大変なんだけれど、楽しい大変さなので、心のどこかでウキウキしていたりもします。

 で、ボエーム以外に歌うアリアですが…決めました。チレア作曲の歌劇「アルルの女」のテノールアリア「E'la solita storia/ありふれた話(フェデリコの嘆き)」です。テノールにとっては、超有名曲で、知らぬ者のない名アリアなのですが、「アルルの女」というオペラが滅多に上演されないオペラであるため、テノール以外の方にとっては「聞いたことはあるけれど…」と言った程度の無名曲でございます(笑)。

 Y先生も「聞いたことはあるけれど…よく知らない。レッスンした事もないよ」との事なので、次回のレッスンまでに準備をしてくださる事になりました。…ので、ひとまず、この曲で決定なのですが、もしかすると来週、先生が「ダメ!」と言うかもしれませんが…でも、私はこの曲をとっても歌いたいので、書いちゃいました。

 ちなみに「フェデリコの嘆き」ってこんな感じの歌です。

 歌っているのは、サルヴァトーレ・リチートラですね。この人、交通事故で43歳で亡くなっているんですよね。ほんの5年前の話です。良いテノール歌手だったのですが…なんとも、残念な話です。

 さて、レッスンです。発声練習は…とにかく、音量を抑えて歌う練習をしました。音量を抑えると言っても、いわゆるppとか弱音とか「我慢して小さな声で歌う」ではなく“ソットヴォーチェ”で歌う練習です。ソットヴォーチェ…英語で言えば“ソフトヴォイス”です。つまり、優しい声で歌うこと。声を張らずに(しかしきちんと支えられた、よく通る声で)歌うことを練習しました。

 低~中音域は、まずまず行けますが、高音域に入ると、無意識に声を張ってしまう私です。先生曰く、声を張っているうちは高音は歌えない…そうです。初歩の高音は、まず響きで歌うことなんだそうです。高音を張って歌うのは、上級編なのですが、初心者がいきなり上級編にチャレンジしても、うまくいくはずがないので、まずは響きで歌えるように、ソットヴォーチェで歌う癖を付けていきましょうって話です。

 大切なのは、ソットヴォーチェで歌うこと。支えの弱い抜けた声(声を張らずに高音を歌おうとすると、私の場合、これになりやすいのです)とか、ファルセットで歌うわけではありません。ファルセットに落ちる直前のギリギリの声で軽く歌うのが良いのだそうです。

 ポイントは、しっかり支えるのだけれど、息は少なめで歌う。息を大量に使うと、どうしても乱暴な歌いクチになってしまうし、声帯を上手に響かせられないので、なるべく息は少なめで歌うのです。また同時に、ノドの奥をクイッと開ける事も大切です。具体的に書けば、軟口蓋をきちんと上に広げる事です。あるいは口腔部分の天井を高くする…とも言えるでしょう。とにかく、そうやって声帯を上に引っ張る事も、ソットヴォーチェ同様に大切なのです。

 とにかく、今回の発表会のボエームでは、Bまで使いますので、高音から逃げるわけにはいかないのですよ。頑張ろう。

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2016年5月22日 (日)

よく分からない感覚…メンツ

 “メンツ”という言葉は、漢字で“面子”と書くそうです。元々は(ってか今でも)中国語であって、日本ではマージャン用語として定着しており、その意味は『参加メンバー』と言う意味で使われます。例えば「今日のメンツは誰?」とか「今日はメンツが足りないよ」とかね。

 でも、本来の中国語の“面子”では『参加メンバー』という意味もないわけではないそうですが、それ以上に『体裁・体面』と言った意味として使われる方が多いようで、そこから派生して(って、そのまま持ち込まれて?)日本語でも「メンツが潰れる」とか「メンツが立つ」とか「メンツが保たれる」とか言います。メンツとは、立ったり潰れたりと忙しくて、何か箱のようなモノなのかしら?と思ってしまう事もありますが、この“メンツ”と言うモノは、中国人や韓国人にとっては、かなり大切なモノなんだそうです。

 辞書的にはメンツの意味は『体裁・体面』となっていますが、おそらく日本人的な感覚ならば『矜持』、英語ならば“pride”あたりが、言葉の感覚的に近いのかなって思います。ただ、メンツを『矜持』とか“pride”と訳さずに、辞書では『体裁・体面』とするには、やはりわけがあると思います。

 おそらく、誰にとっての問題なのか…という、主体の感覚が違うんじゃないかなって、私は感じるのです。だから訳語が違ってくるのです。

 『矜持』とか“pride”と言うのは、自分自身の問題です。自分の心の持ちようであり、他人は関係ありません。だから他人がどうであれ、それとは全く独立した、自分で自分を律する心の事なのだと思います。

 一方“メンツ”と言うのは、潰れたり、立ったり、保たれたりと、自分自身と言うよりも、自分と他人との関係性の問題…と言うか、自分に対して他人の行動がどう影響するのかと言った、他人任せの部分がある感覚なのかなって思います。

 「メンツが潰れる」と言うのは「世間体が悪い」とか「他人に見られて恥ずかしい」とか「自分の立場がない」とか言う感覚を、うんと強くした究極感覚のようだし、「メンツが立つ」と言うのも「恥をかかなくて済んだ」とか「今後も今の立場にいられる」とか言う感覚を、うんと強くした究極感覚のようだしね。

 もちろん、失敗した時などは「他人に見られて恥ずかしい」という感覚は、私にもあるけれど、でもそれって“ちょっと恥ずかしい”とか“一瞬、恥ずかしい”って程度だし、日本語には「人の噂も七十五日」とあるように、どんなに恥ずかしい失敗をしても、それはほんの一時的な問題であって、どれだけ恥ずかしい思いをしても必ず時が解決するし、周囲の人々にも忘れてもらえて、結局チャラにできるわけで、それなのにいつまでたっても、そこにこだわるのは、自意識過剰なんじゃないのって思うわけです。

 でも、彼らは多分違うのです。我々がすぐに忘れてしまう“恥ずかしい”という感覚を、彼らは忘れるどころ、日増しに強化強調増幅していくのではないかな? だから、すごく“メンツ”にこだわるんじゃないかな?

 失敗したり、他人の攻められたしても、我々はすぐに「水に流して」忘れてしまって、心の平静さを保つわけだけれど、彼は同じことを忘れるどころか、強く心に刻みこみ続けていくんじゃないかな? だからすぐに無理難題をふっかけてきて(つまり、マウンティングをしているわけです)、自分の優位性(本当は哀れまれているのかもしれないのに)を確認して安心しているわけです。ああ、やっぱり“自意識過剰”だね。ほんと、その感覚は私には分からないけれど、きっと、生きていくのが辛くてしょうがないでしょうね。

 我々と、中国人や韓国人は、似たような容貌で、西洋系の人には区別がつかないほど似ているようですが、『矜持』と“メンツ”の違いは大きな違いだと思います。自分自身の心を自分で律していくのか、他人に左右され続けていくのかって、人生の基本ストラテジーとして大違いだと思います。彼らがこだわり続ける“メンツ”って奴を、理屈では理解しますが、肌感覚では全く分からない私でした。

 おそらく、西洋人…ってかイギリス人も“メンツ”の感覚が分からないんでしょうね。彼らは“pride”の人たちだからね。だから、ポロッと、英国女王陛下が愚痴っちゃったんでしょうね。

蛇足 某都知事は、いやになるほどのスキャンダルが出てしまったにも関わらず、一向に辞めませんね。“禊(みそぎ)をして、水に流す”という感覚が無い人なのかな? そう言えば、彼の傍若無人さは、我々からすれば“ゴリ押し”にしか見えないのだけれど、彼の台本を書いている人って、やっぱり、メンツの人なんだろうなあ…って思います。

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2016年5月21日 (土)

マツモ草は、やっぱり実店舗で購入した方が、全然良い

 メダカもあっという間に食べられてしまい、やっぱり水槽には水草を入れる必要がある…という結論に達しました。

 でも、金魚屋の実店舗に行けるチャンスなんて、なかなか無いので、やむをえず、再びインターネットにお世話になってしまいました。

 でもね、やっぱり、こう言っちゃあなんだけれど、インターネットでの生体(と言っても、水草なんだけれど)はお薦めできません。

 まず、すごく高額なんです。私、ネットで、マツモ草を2000円分購入したのですが、送られてきたのは、予想通り、質の悪いモノがほんの少量でした。分かっていた事とは言え、なんか悲しくなりました。

 で、その2000円分のマツモ草を水槽に入れたら、あっという間に食べ尽くされてしまいました。そりゃあ、そうだよね。でもね、2000円もした水草があっという間に食べ尽くされてしまうと、無性に悲しいものてす。

 そこで、電車に乗ってわざわざ無理やり金魚屋の実店舗に行って、マツモ草を購入してきました。1000円分購入してきました。インターネットの店よりも質の良いものが、価格は半分なのに、量は4倍ほど購入できました。

 おそらく、それでもいつかは金魚たちには食べ尽くされてしまうでしょうが、これだけの量があれば、食べ尽くされてしまうまでに、それなりの日数が掛かるんじゃないかって思ってます。

 これから夏に向けて、金魚たちの食欲が増し増すわけで、これもそれも仕方のない事です。もうしばらくして、田んぼに水が入って、タニシを入手できるようになれば、また話も変わるのでしょうが、今はしばらく、マツモ草でなんとかしのいで欲しいと思っている私なのでした。

 追伸 メダカは、大1匹・小1匹の、合わせて2匹になりました。

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2016年5月20日 (金)

あなたにとって、フルートの魅力って何?

 このブログのこの記事を読んでいる方の幾人かは、大人の趣味としてフルートを楽しんでいらっしゃると思います。

 世の中の趣味にはたくさんあり、その中から音楽を趣味として選び、それも鑑賞だけではなく、あえて困難を伴う楽器演奏を選び、あまつさえ、世の中にたくさんある楽器の中からフルートを選んだのは、よほどフルートが気に入ったから…ではないでしょうか?

 なぜ、そこまでフルートに魅かれたのでしょうか? フルートのどこに魅力を感じたのでしょうか? 何が楽しくて、フルートを吹き続けているのでしょうか?

 私の場合は、何度もブログに書いていますが、フルートを始めたきっかけは“衝動買い”です。ある日、楽器店を漁っていたら、たまたまフルートが目に入り、呼ばれている…と言うか「そこを行くオジサン、私を買ってくだざい」と言われたような気がしたので、即断即決、そのフルートを衝動買いしたのが始まりです。

 なので、なぜ私がフルートを選んだのかという理由は「…呼ばれたような気がしたから」と言う、あまり笑えない理由だったりします。まあ、万人に理解される理由ではないとは自覚しています。

 衝動買いをして、フルート本体と簡単なフルート用の曲集を買って、家に帰ったわけです。普通、衝動買いをしたようなモノは、そんなに欲しかったモノではなくて、大抵の場合、何となく魔が差し買ってしまったモノですから、すぐに飽きて放り出してしまうのが常識ですよね。

 でも、私は飽きなかったんですよ。持って帰ったフルートの音はすぐに出ました。その点はラッキーだと思います。

 で、音が出たので、さっそく曲集を吹いてみました。普通に吹けました。私は元々中学生の頃まではリコーダー小僧だったので、その頃の腕前程度には吹けました。大した腕では無かったけれど、歌のメロディーぐらいは自分で楽しめる程度には吹けました。

 いい音だったなあ。リコーダーよりも、ずっとふくよかな音がしました。

 簡単な曲はすぐに吹けたけれど、ちょっと込み入った曲はもう吹けませんでした。別にそれはフルートだからと言うわけではなく、リコーダーであっても、ギターであっても、私はそんなにメロディーを演奏するのは得意ではないので(ギターはリードギターではなく、サイドギター専門でしたから)、このままではせっかく購入したフルートを楽しむ事も難しいなあと思って、さっそく個人レッスンをしてくれる先生を探して習いだしたわけです。んで、そこから今日に至る私なのでした。

 ですから、私がフルートのどこに魅かれたのかと言うと…まずは、楽器から出てくるオーラかな? その時は「買ってください」と感じたわけだけれど、とにかく楽器って、それぞれから色々なオーラが出ていると思うのだけれど、私はフルートから出てくるオーラに魅かれたわけです。

 次はやはり音色かな? それも低音だな。ふくよかな低音に魅かれました。

 フルート演奏って、中音域~高音域をよく使うのが普通で、そんなに低音は使わないと思うのだけれど、実は私、フルートの低音って好きなんですよ。今でも好きですが、最初はそのフルートの低音に魅かれたわけです。

 フルートの音色(と音域)って、女性の歌声なんだよね。私は男の声しか持っていないので、女性の声で歌いたい時って、困ってしまうわけだけれど、そんな時にフルートを吹くと、まるで自分が女性の声で歌っているような錯覚がして、ちょっぴり心が癒やされますね。

 後は、フルートって、家で手軽に吹けて、楽しいって事もあるかな? 金管楽器だと、家で手軽に吹けるとは言えないでしょ? ヴァイオリンを短期間だけ学んだ事があるけれど、ヴァイオリンは楽しいと言うよりも大変でした。まあ、大変だけれど楽しかったよ。でも、手放しで楽しいとは言えなかったかな。そこへいくと、フルートは吹いていて、単純に楽しいのがいいですね。もちろん、技術的限界があって、そんなに楽には吹けないけれど、それはそれでも、そこに大変さを感じることはあまりありません。ただ、楽しいだけなんですよ。

 私の場合は、そんな感じかな?

 皆さん、どうですか? あなたにとって、フルートの魅力って何ですか?

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2016年5月19日 (木)

もしかして、一生、合唱とは縁がないのかも…

 先日、例によって、見知らぬ人たちの声楽発表会を見てきて、そんな事を思ってしまった私だったのでした。

 その発表会の出演者の皆様の年齢層が幅広く、上の方はほとんど90歳なんですよ。90歳になっても、まだまだお元気で立派に独唱なされているわけなんです。

 つまり、元気で健康ならば、人間は90歳になっても、独唱が楽しめるという実例を見ちゃったわけです。

 私は、ついこの前まで、こんなふうに考えていました。

 今はまだ声が出るので、イタリアモノのオペラアリアや歌曲で声を育て、一通り声が出来上がったら、ドイツモノに手を伸ばしていこう。やがて声も衰えてきて、パワーよりも表現重視になってきたら、いよいよ日本モノに手を出してみよう。やがて独唱出来るほどの声も無くなってしまうだろうから、そうなったら合唱に混ぜてもらって、古今東西の合唱曲を歌っていくことにしよう…とね。

 確かに年を取っていければ、筋力は、いくら鍛えていても、若い時よりは衰えてきます。声は筋肉で発声するものですから、加齢とともに少しずつ失なっていくでしょう。ですから、いつまでもパワー主体のイタリアモノは歌えないでしょう。ならば、その時その時の体力とか声とかに合わせて、テクニカルなドイツモノや、表現重視の日本モノに主戦場を移していくのもアリでしょうし、やがては合唱にも復帰できると思ってました。

 で、先日見た、その90歳の方々は、さすがにイタリアモノは歌っていませんでしたが、ドイツモノや日本モノを歌っていて、それが十分に歌えているのです。つまり、90歳でも、まだまだ独唱できるんですね。

 ああ、すごいなあ。ほんと、すげーなー。

 で、私ですが、たぶん、私はそんなに健康ではないし、カラダも強くないので、おそらく90歳までお元気って事はないと思うのです。たぶんその頃だと、お墓に入っているだろうと思うのです。ならば、私、死ぬまで独唱できちゃうんじゃないの? なんて思ってしまったわけです。合唱なんて、これから先、一生縁がないんじゃないの? って思ってしまったのです。

 いや、だってね。今のように、声がガンガン出ちゃううちは、私、合唱、出来ないでしょ? この声のまま合唱に行ったら迷惑だって(笑)。だけど、年を取って声を失って…人並みの声しか出なくなって始めて、他人に迷惑をかけずに合唱できるようになれる…と思って、期待していたのに、声って案外、年をとっても、私が思っていたほどには衰えないみたいなんだなあ…って思ってしまったのです。

 一生独唱できるのなら、それはそれでうれしいのですが、同時に、もう私の人生で、合唱とは縁がなくなってしまったと思うと、なんか無闇に寂しいんですよ。

 だって私、本当は合唱だって好きなんだよ。ただ、声が出過ぎるので、合唱をやっている人に嫌われて、仲間に入れないだけなんです。仲間にさえ入れてくれるなら、今だって合唱をやりたいくらいなんですよ。

 ああ、合唱、やりてーなー。

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2016年5月18日 (水)

アマチュアだって真剣に向き合いたい?

 日本人は真面目だと言われています。

 それは仕事の面とか、ライフスタイルなどを指して言っているのでしょうが、基本的に何事に関しても真面目だと思います。そんな真面目な日本人が、真面目に趣味の上達を目指すと、ついつい本気モードの真剣な態度で趣味に取り組んでしまうわけです。

 もちろん“真面目”と言っても、オトナの趣味には未来はありません。だから、プロの人たちや、プロ志向の若者たちとは、おのずと真面目さのレベルが違うのは仕方がないと思います。一生をかけてそれに取り組んでいる人と、趣味で楽しんでいる人では、色々と違って当然です。それでもやはり、趣味のオトナは趣味のオトナなりの“真面目さ”とか“本気さ”と言うのがあると思います。

 オトナの趣味における“真面目さ”とは、優先順位の問題じゃないかと、私は思います。

 もちろん、オトナなのだから、生業もあれば家庭もあって、当然、それらは趣味よりも優先順位が高いわけです。それは当たり前の事です。もしも趣味が、生業や家庭よりも優先される生活を過ごしているならば、それはもはや、趣味とか道楽の範囲を超え、おそらくは、ただの“ダメ人間”になっているのだろうと思います。

 ですから問題は、趣味の範囲の中での優先順位なんだろうと思います。

 趣味の範囲の中で、かけがいのないものとして、自分の時間と能力を捧げている人に関しては「真剣に向き合っている」と言えるでしょう。もし、そうでなければ「それなりのつきあい方と言える」と言えるでしょう。そして、世間の趣味人の多くは“それなりの”つきあい方なんだろうと思います。

 私の例で言えば、私はおそらく、多趣味な人間だと思います。色々な事に手を広げています。人間としての性質が、スペシャリスト志向の人間ではなく、ゼネラリスト志向の人間である事も関係していると思われます。

 それゆえ、一つ一つの趣味に対して割ける時間には限界があり、それゆえ趣味に関して「あまり真剣とは思えない」と言われても仕方ないでしょう。実際、ブログもやっているし、ネットも徘徊しているし、映画やコンサートにも足繁く出歩くし、まとまった時間があると、ぷら~っと散歩にも行っちゃうし、本だってそれなりに読むし、漫画は大好きだし…。そんな生活の中から、音楽趣味の時間をひねり出しているわけです。その音楽趣味の時間にしたって、音楽を演奏する時間よりも、音楽を聞いている時間の方が、おそらく長いだろうなあって思います。その上、演奏している時間、て言うか、練習している時間だって、声楽とフルートの二つの楽器があるわけで、二つ掛け持ちで、一体どれだけ真剣に取り組んでいるのか?と疑われても仕方ない状況です。

 まあ、以前はこれに加えて、ヴァイオリンと社交ダンスもやっていたんだから、ほんと、多趣味というか、気が多い私です。

 でも私的に言い訳をするなら、一つ一つに割ける時間は短くても、それぞれきちんと集中して真剣に取り組んでいるつもりです。傍から見るよりも、結構(本人レベル)では真面目に取り組んでいるつもりです。

 だから、声楽にせよ、フルートにせよ、常に自分を見つめざるを得ない個人レッスンで(自分なりに)真剣に自分磨きをしているわけです。

 これは別段、グループレッスンとか合唱合奏をディスっているわけではありません。それらの人たちだって、活動に真剣に取り組み、自分を見つめて、自分を追い込んで、常に真剣にやっている人もいるのだと思います。

 それに合唱合奏でよく見かける「友達づくりが目的です」という人が真剣ではないとは言えないとも思ってます。何が主たる目的であるにせよ、音楽に対して真剣でなければ、趣味とは言え、結局、続かないものだからです。

 だから、あえて言わせてもらえれば、飽きっぽい人って、物事に対して真剣に取り組まない事が習い性になっている人なんだろうなあって思います。

 ただ、結果として“飽きっぽい”と思われる人も、周囲の手助けがもっとあったなら、飽きることなく続けられたのかもしれないと思うと、大切なのは、本人の真面目さだけではなく、周囲の環境が整っている事も大きいなあって思います。

 たぶん、趣味として選び、取り組み始めた段階では、誰もがみんな、真剣に取り組んでいるのだと思います。その時の周囲の環境次第で、本人の真面目さが影響受けてしまうだけで、途中で投げ出してしまった人でも、環境さえ許されれば、ずっと真剣に続けたかったのかもしれません。

 私のヴァイオリンのようにね。

 おそらく、日本人の皆さんは、趣味であれ、仕事であれ、道楽であれ、真剣に取り組みたいんじゃないかな? でしょ? やるからには、そこなりに極めたいものね。そういう生真面目な人間なのです、我々は。

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2016年5月17日 (火)

Windows10始めました

 タイトルの通り、自宅で使っているプライベード・パソコン(趣味用パソコン)のOSをWindows8.1からWindows10にアップグレードして使い始めました。今頃…ですが(笑)。

 なぜ、今頃なのかと言えば…とりあえず快適にパソコンが使えているのに、軽い気持ちでOSをアップグレードをして、色々と支障が出ると困るので、しばらく様子を見ていた事と、先日、体調が悪く、頭がぼーっとしていた時に、いきなり出てきた“Windows10を入手する”の窓をパスするつもりだったのに、うっかり“アップグレードをする”のボタンをクリックしてしまったためです。ああ、うっかりさんだなあ。

 なぜ、しばらく様子を見ていたのかと言うと、一般的な意味で「Windows10にして、パソコンに不具合が出たらイヤだな」という気持ちもありましたが、それ以上に、親指シフトが継続使用できるかどうかが不安だったからです。

 そうなんです、私は、今や“生ける化石”とも呼ばれる、親指シフトユーザーなのです。ですから、Windows10にして、親指シフト入力が出来なくなったら、すっごく困るので、様子見をしていたわけです。でもね、ネットを見ていても、そんなに人柱の方々の話って、なかなか無いんですよね…。もうみんな、親指シフトなんて使っていないのかしら?

 さて、うっかりWindows10にしてまった今の話をしますと…特にパソコン使用での支障は特にありませんし、不都合もありません。Windows8.1とほぼ同じような使用感で使っています。

 懸念だった、親指シフト入力も、出来る部分と出来ない部分がありますが、それはWindows8.1と同じ程度の制限なので、特に困ってはいません。ひとまず『やまぶきR』と『Google日本語入力』と『秀丸エディター』の3つを併用して、いろいろな局面を乗り切っております。まあ、これくらいの支障は不自由のうちには入りません。

 その他に使っていた、ソフトやアプリは、有料無料を含めて、特に支障はないですね。周辺機器も特に問題ありません。OSをアップグレードしたからと言って、特にパソコンも遅くなるとか、そんな事もありません。

 ですから、使用感覚は、ほぼ、Windows8.1と同じで、うっかりすると、OSをアップグレードした事を忘れてしまいそうになります。

 という訳で、自宅のプライベート・パソコンをWindows10にアップグレードした私でした。

 まあ、使用感覚がWindows8.1と変わりませんので、特に問題なしと言うか、拍子抜け? でもね、無料アップグレード期間中にアップグレードできた事は良かったと思ってます。

 あとは…仕事で使っているパソコンのアップグレードをどうしようかなってところでしょう。仕事では、Windows7とWindows8.1の2台のパソコンを使っていますが、これらをヘタにWindows10にアップグレードしてしまって、仕事に支障が出たら困るので、いまだに二の足を踏んでいます。一応、出入りの業者に、仕事パソコンをWindows10にアップグレードをしても平気かどうかの確認をさせている最中ですが…返事がなかなか来ません。このまま、8月になってしまって、無料アップグレード期間が終わってしまって、有料アップグレードをしなければならなくなったら、いくら経費とは言え、ちょっとイヤだなあ…って思ってます。

 まだまだ、使い込んではいないWindows10ですが、Windows7に近い機能のスタートボタンが復活したのは、何よりの朗報だと思います。やっぱり、スタートボタンが使えるのは、便利便利です。

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2016年5月16日 (月)

私はバリノールじゃない!

 以前の私は、よく事あるごとに自分の事を“バリノール”であるとか“テノリトン”であるとか称してきましたが、それはもう辞めることにします。私は自分をきちんとテノールであると宣言して、今後はそのように頑張っていきたいと決めました。

 ちなみに、バリノールとかテノリトンというのは、声楽俗語であって、バリノールは“バリトン+テノール”、テノリトンとは“テノール+バリトン”の事であって、高い音が出ない(ってか、高音域の上限がバリトン並の)擬似テノールの事を卑下/見下して言う時に使う言葉です。

 似たようなモノにハイバリトン(これば声楽的に正式用語)がいますが、それとは似ても似つかない蔑称です。

 と言うのも、ハイバリトンと言うのが「高音域が得意なバリトン」の事を指し、いくら高音域が出ても、ハイバリトンはバリトンの一種なのです。一方、バリノールとかテノリトンが「高音の出ないテノール」であって、あくまでも“不出来なテノール”に向かって言っているわけですが…さすがに“高音の出ないテノール”なんて、ありえないですよね。

 もちろん、高音は訓練して得るものですから、最初から高音の出るテノールは稀にしかいないわけで、多くの初心者テノールは高音が出なくて当たり前なので、そんなに心配する必要はありません。

 私が自分をバリノールであると卑下してきた理由は、キング先生に習っていた時に、どうやっても高音が出なかったからです。私の声は、間違いなくテノールの声質なのに、高音が出ない。つまり「高音の無いテノール」だから、バリノールと自虐的に称せざるをえなかったわけです。

 なにしろ、キング先生からは「どうやってもテノールの歌は歌えるようにならないから、さっさとバリトンに転向しなさい」と言われ続けてきたし、私があれこれ工夫して高音を出そうとすると「高音発声にはコツなんてない。すとんさんは、すぐに近道をして、ズルをしようとするのがいけない」と言われ「10回やってダメなら100回やる。100回やってダメなら1000回やる。1000回やってダメなら、才能がないんだがら諦める」と言われて、さっさとテノールを諦めろと言われ続けてきたのです。

 でも、私はテノールであると、自分で思っていたので、キング先生の言葉に納得できず、いつまでたってもバリトンに転向しなかったわけで、そういう部分でキング先生の言う事を聞かなかったので、長いこと、いじめられ続け、パシリとしてこき使われてきたんだと思います。

 まあ、あのまま、キング先生のところに居続けたら、本当に私はバリノールという中途半端なままでいたことでしょうね。テノールなのに、必要な高音発声を身につけられないまま、かと言っても、深みのあるバリトンヴォイスなんて出せないまま、おそらく、声楽そのものに嫌気がさして、音楽そのものを辞めていたかもしれない…と思います。

 キング先生のところからY先生のところに移動して、改めて発声を基礎から学び始めました。およそ、キング先生から習ってきた事の、真逆な事を、Y先生には言われ続け、最初は混乱をし、カラダも全然ついていけませんでした。

 キング先生には、最初の2年間をグループレッスンで、最後の3年間を個人レッスンで見てもらいましたが、その間に教えていただいたことが、私のカラダに染み付いていて、それを取り去るのに3年ほどかかりました。キング先生から3年間かけて個人レッスンで習った事をカラダから取り去るために、同じ3年間という時間がかかったわけです。

 癖を身に付けて、それを取り除いて…で、合わせて6年間。最初からY先生に習っていたら…と思うと、発声だけに関して言えば、実に無駄な6年間だったと思うし、人生の大無駄遣いだったと思います。

 今は、キング先生に習ったのとは、全く違ったメソッドによる発声方法で歌っています。高音を発声するにしても、きちんとコツや手順があって、それらをきちんと守って歌うようにしています。

 それこそ…10回やってダメなら、手順を間違えている可能性があるのだから、高音発声に至る手順を見直す。見直してもダメなら、カラダの準備ができていないのだから、しばらく時を置くことにする。決して10回やってダメだからと言って、100回はやらない、100回もやってしまうと、間違った悪い癖が定着してしまうので、かえって高音発声の妨げになる。…そうする事で、全然ダメだった高音が、最近はなんとか歌えるようになってきた事を実感しています。

 キング先生に習っていた時は、せいぜい高音はF#までで、Gはすでに博打状態でした。それが今では、GどころかA♭までは安定して出せますし、Aもなんとかひねり出せます。ラ・ボエームではBを使いますので、今はBもなんとかひねり出しています(これはまだまだ博打状態ですが、結構勝ち目のある勝負をしています)。後は、HやCをひねり出せるようになれば、独唱テノールとしては立派なものですが、すでにAまではどうにかなってますので、合唱テノールとしては必要十分な声になっていると思います。

 ですから私は、自分をバリノールであるとか、テノリトンであるとか、卑下をせずとも良い状態になってきたと思います。

 高音発声には、一定の手順があり、ちょっとしたコツを使うことで、楽に発声できる…この事を教えてくださったY先生に感謝していますし、高音の無いテノールであるために、バリトンに転向せずに済んだことが本当にうれしいです。だいたい、私のような、か細い声でバリトンなんて転向したら、バリトンの人に失礼だしね。

 正しい発声方法を身につける事で、自分の声にあった歌を歌えるようになり、成長を感じることができるようになり、本当に良かったと思ってます。

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2016年5月15日 (日)

LFJ2016 その7 4K上映は…まあ、当分はいいかな。

 マスタークラスの列に並んでいると、すぐそばの会議室で行われている催し物が気になって仕方ありませんでした。それは何かと言うと…4K上映って奴です。なので、ブラレイ先生のマスタークラス終了後、いくつか見ようと思っていたコンサートがあったのですが、またガッカリしてもイヤなので、おやつを少し食べて、ホールE(昨年までの展示ホールを改称したのです)を冷やかしてから、予定していたコンサートをパスして、4K上映を見に行きました。

クラシカジャパン 4K 2015スカラ座「アイーダ」

 4K上映は、クラシカジャパンと言う、CS局が行っていました。もちろん、自社番組の宣伝を兼ねた4K上映のデモなんですが、4K上映というものに初めて触れる私は、なんかワクワクドキドキしちゃいました。

 会場は壁いっぱいの大型スクリーン(120インチ…って言ってたような気が…)に、5.1chサラウンドの高級スピーカー(200万円の値札が付いてました!)の組み合わせです。いやあ、超豪華なホームシアターってか、小さめの映画館のような設備で、4K上映のデモが行われました。

 上映するのは、2015年にスカラ座で行われた「アイーダ」の第2幕第2場の“凱旋の場”でしたが、まずはその前にたっぷりと宣伝ビデオを見せていただきました。

 宣伝ビデオはとても面白かったですし、クラシカジャパンも良い放送をたくさんしているなあと分かりましたし、我が家はケーブルテレビなので、配信元に電話をすれば、明日からでもクラシカジャパンを見ることができるのですが、毎日が忙しくて、とても見ている時間はないなあ…と思いました。現役引退して、時間が余るようになったら、面白いけれど、現役のうちは無理って思ったわけです。でも、ほんと、良い番組が目白押しだなって思いました。

 で、肝心の「アイーダ」は、なかなか面白かったです。なんでも、スカラ座の新演出なんだそうで、今までやっていた派手派手なゼッフィレッリ演出を止めて、ヴェルディの初演当時の演出を可能な限り復元した、オリジナルに近いシュタインの演出で上演という事で、確かにウマもゾウも出ない、地味めな演出でした。何よりも「あれ?」と思ったのは、バレエシーンが一切カットされていた事です。何でも、初演の時はバレエはなかったのだそうです。

 正直、見慣れていないせいもあるけれど「アイーダ」って、グランドオペラでしょ? 祝祭オペラでしょ? こんなに地味でいいの? って感じでした。

 で、肝心の、4K5.1chサラウンド上映ですが…まあ、こんな感じ?って調子で、少し拍子抜けだったかな? 別にダメってわけじゃないんですよ。良いのですよ。でもねえ…って感じでした。

 まず、システムのオーバースペックさを肌で感じました。4Kって、ハイビジョンの四倍の高細密なんだそうですが、例えば我が家の場合、テレビはいわゆる“ハイビジョン対応のテレビ”なので、4Kの再生機を入れても、たぶんきちんと再生できません。

 じゃあ、テレビを4K対応に買い換えればいいじゃんとなるでしょうが、そんなに積極的に導入しなくてもいいかなって思いました。と言うのも、ハイヴィジョンと4Kの差は、おそらく超大型モニター(それこそ120インチ?)を導入して、やっと分かるかどかって程度の違いで、ウチの40インチテレビの場合、DVDとハイヴィジョンの差すら分からないのに、4Kなんて導入しても、DVD画質との差が分からないと思いました。

 結局、画質の良し悪しなんて、ある一定レベルを越えたら関係ないんだなって思ったわけです。だって、コンテンツの中身が良ければ、そこに集中しちゃうわけで、画質の良し悪しは、そこまで気になりません。

 それに、いくら4Kがホームシアター向けとは言え、我が家にホームシアターを構築する予定はないし、だいたい大型画面で楽しむなら、映画館に行って、メトのライブビューイングを見ちゃうもの。あっちは、本当の映画館での上映だから、画面だって比較にならないほどに大きいし、音響だって最高だよ。それと比べちゃうと、4Kって、どうにも分が悪いなあって思いました。

 4Kって、スペースの問題もあるけれど、都市部で流行らないんじゃないの? 土地に余裕があって、一部屋一部屋が大きくて、なおかつ、近隣に映画館がないような地方じゃないと、流行らないんじゃないかしら? だって皆ハイヴィジョンで足りているでしょ? それにだいたい、クラシカジャパンだって、ハイヴィジョン放送だしね…なんて思った私でした。

 …と書きましたが、案外、4K上映自体を満足して楽しんだ私でした。夕食は…ちょっと時間があったので、ガストに行って食べました。丸の内とか銀座だって、ファミレスはあるんだよね。

 夕食を終えて臨んだ最後のコンサートは、トリを飾るにふさわしいコンサートでした。

天地創造(ダニエル・ロイス:指揮、リュシー・シャルタン:ソプラノ、ゾエリーヌ・トロイエ:アルト、ファビオ・トゥルンピ:テノール、アンドレ・モルシュ:バリトン、ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィア)

 今年の(私にとっての)LFJ最後のコンサートは(私には珍しく)ホールAに行きました。

オラトリオ『天地創造(全曲)』[ハイドン]

 今年のLHFの話題コンサートの一つである、ハイドンの大人気オラトリオ『天地創造』を聞いてきました。会場はやたらと馬鹿でかいホールA(客席数5008席だって、信じられないよ。サントリーホールの大ホールの2.5倍の広さです)でした。まあ、馬鹿でかいと言っても、しっかりとP.Aが入っているので、どこに座っても決して聞こえないという事はないし、大型ディスプレイもあるので、どこに座っても決して見えないという事はないのがうれしいですが…まあ、クラシックを演奏するホールとしては、かなり邪道だとは言えます。本当は、オラトリオならば、1000席ぐらいのホールでの演奏が適切な大きさかな(サントリーホールでも大きすぎる)って思ってます。

 今回はそんな馬鹿でかいホールAのセンター前寄りの、普通ならば、良い席を確保できました。ま、ホールAは、どこに座っても関係ないんだけれどね(涙)。

 大型ディスプレイもあるホールでの演奏だから、当然、字幕サービスもあるだろうと思っていたら、字幕はなくて、入り口付近で訳詞の小冊子を無料で配っていました。去年の『マタイ受難曲』は有料で配布していたので、無料にしただけサービスが良くなったなあとは思ったものの…やはり字幕サービスを付けてくれてもいいんじゃないのかなって思いました。

 だって、ストーリーがあるのに、オラトリオだから演技はないのです。だからこそ、字幕サービスがないと、何を歌っているのか全然分からないじゃない。訳詞の小冊子を配っていても、客席真っ暗だから見れないし…。LFJと言うのは、日頃クラシック音楽との親しみのない人も楽しめるコンサートを行うのが主旨なのに、字幕サービス無しで訳詞を渡して会場を真っ暗にするなんて、主催者の頭の程度がよく分かります。

 来年もオラトリオを上演するのなら、ぜひ、字幕サービスを付けて欲しいものです。

 P.A.が入っているとは言え、やはりAホールは広すぎますね。合唱とかオーケストラは遠方からの集音マイクでの収録でも十分ですが、ソリストたちは、若い人たち中心で、声量にも差があって、マイクのレベル調整が難しかったみたいで、かなり聞きづらかったです。特に最初はテノールが本当に聞こえなくて難儀しました(とても軽い声なので、広い会場では声が散ってしまいマイクで拾いづらかったのだろうと思います)。

 ソリストは4人いましたが、かなりの部分はソプラノとバリトンで歌っていました。テノールは第1部と第2部では頑張っていましたが、第3部では最初と最後に少し歌っただけでしたし、アルトに至っては、第3部の最後の歌にちょっとだけアルトのソロパートがあるので、そこだけ歌っていました(ソプラノに較べて、アルトの仕事の何と楽な事よ!)。なので、最終曲は、元気のないテノールと、ヘロヘロになったソプラノとバリトンと、元気いっぱいでアゲアゲなアルトの組み合わせという、何ともバランスの悪い重唱となりました。ああ、ハイドン先生、これって絶対、作曲上のミステイクでしょ!

 日本ではオラトリオそのものが滅多に聞けませんし、『天地創造』という曲は、名ばかりが有名ですが、ほんと、演奏の機会の少ないオラトリオ(アリア中心のオラトリオなので、市民合唱団だと取り上げにくいのです)なので、それが聴けた事は大変うれしい事でしたし、演奏もすごく良くて、しばしばホールAで聞いている事を忘れてしまうほどでした。

 ああ、楽しかった。これで今年のLFJもお終い。今年の来場者数は45万9千人だったそうです。昨年が45万7千人だから、まあ、45万人強の入場者数という事で落ち着いてきたのでしょうね。

 来年のテーマは「ダンス」だそうです。今年よりは楽しい曲が並ぶでしょうね。来年に、乞うご期待ってところですね。

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2016年5月14日 (土)

さて、先々週の解答です

 先々週の金魚記事で「元々水槽に5匹いるメダカに、50匹加えたら、何匹になるでしょうか?」という質問を載せた私ですが、あれから2週間たったので、答えをアップしたいと思います。

 5+50=?

























 答えは…3です(笑)。

 つまり、どういう事になったのかと言ったら、一時は55匹いたメダカが、いつの間にか3匹になってしまったという事です。その内訳は、元々いた5匹が2匹になり、後から入ってきた50匹のうち、今現在元気にしているのが、たったの1匹という現状なのです。

 あれだけたくさんいたメダカたちはどこに行ってしまったのか…と言えば、おそらくは…金魚が食べちゃったんでしょうね。でも、人間がいる時間に金魚たちはハンティングしていないのですよ。しかし、朝になる度に、確実にメダカの数が減っていました。

 でも、どこにもメダカの残骸はありませんし、金魚たちにも何やら不審な動きがあるわけではありません。フンの量だって、いつもとそんなに変わらないし…。ですから、うっかりしていると、メダカたちが毎晩毎晩どこかに脱走しているんじゃないかとすら思えるのですが…やはり金魚たちに丸呑みされて食べられてしまったんでしょうね。

 さすがに、生き餌として売られていた子たちです。食べられっぷりが完璧…って言ってよいのかな?

 新入りたちが食べられるのに巻き込まれたのでしょうか? 今まで金魚たちの魔の手から逃げていた5匹(我が家では、神ファイブと呼ばれていました)も2匹になってしまいました。新入りたちに至っては、50匹いたのに、1匹しか残っていません。

 元々、5匹残っていた神ファイブもそろそろ寿命だろうから、新しい子を入れて、やがて来る世代交代に備えよう…という目的も、実は今回のメダカ投入にはありました。でもそれが、1匹しか残らないとは! 神ファイブだって、たった2匹に減ってしまうとは! いやあ、ほんと、世の中はままならぬものです。

 そうそう、それと、長く患っていて、いつもいつも腹を上にして水底に沈んでいた、シロ(最近のアダ名ではサカサドジョウ)が星になってしまいました。いくら死にかけ…とは言え、生きているうちは誰も手を出さなかったのに、死んでしまった途端に、エサになってしまい、あっちこっち食べられてしまいました。一体、誰が食べたのやら…。メダカと違って、丸呑みはできなかったようで、その残骸が残っていましたが、水槽の中は、弱肉強食って事ですね。

 しかし普通は、生きていても、弱ってくると、エビたちが食べ始めてしまうのですが、今いるエビ三匹たちが最後まで手を出さなかったのは、なんとも不思議な感じがしました。

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2016年5月13日 (金)

GWの最中だったんですが、フルートのレッスンに行ってきました

 今回も、LFJの連載はちょっと中断して、いつものフルートレッスンの記事をアップします。なにしろ、LFJの記事は、不人気な記事で、こればかりをアップしていると、どんどんアクセス数が減っていくというテイタラクなんです。いやあ、困った。私が好きなほど、皆さんはLFJがお好きではないって事ですね(だから、LFJがどんどん寂れていくんだよねえ…)。

 さて、実は、ゴールデンウィークの最中だったけれど、H先生がレッスンをやると言うので、いそいそと行ってきました。いつもは仕事が忙しくて練習せずにレッスンに行っている私ですが、今回はゴールデンウィークと言う事で、遊ぶのに忙しくて、練習しないままレッスンに行っちゃいました。

 結局、仕事に遊びに、いつも忙しい私だったりするのです(笑)。

 で、レッスンに行ったら、姉様がいて、結構ピリピリしたレッスンをしていました。まあ、そういう事もあるよね。もっとも、最近の私のレッスンよりは、だいぶ先生もお優しい様子ですが…って、私の最近のレッスンって、ほんと、激辛だよなあ…って、練習をロクにしないで行くから、激辛なのか!

 でも、姉様、精神的に相当へこんだ様子で、ロングトーン練習をやっても、全然音が合わないんです。精神状態が音に出ちゃうんだなあ、怖いなあ…って思いました。

 さて、私のレッスンは…エルステユーブンゲンの16番なんだけれど、前々回のレッスンの時が、一番調子が良かったのかもしれません。一応、ちょっとは練習しているんだけれど、練習すればするほど迷い路に入ってしまい、全然暗譜できません。

 暗譜できないどころか、スラーの後処理が下手くそだと叱られてしまいました。いつもは、この程度でも許してもらえるのに、今回はかなりシビアに注意されました。まあ、できていないのだから、仕方がないです。

 16番がそんな状態ですから、17番も当然アウトです。

 プチエチュードは14番です。どうにも臨時記号(特にダブルシャープ)がやってくると、頭がすぐに真っ白になってしまいます。これはもう、指で覚えるしかないですね。で、指で覚えるためには、嫌になるほど練習しないと覚えられないわけで…結局、練習が足りていないからダメなんだという結論に達しました。

 でもにぇ、にゃかにゃか難しいのにゃん。

 で、レッスンが一通り終わったので、夏合宿の申し込みをしました。そうです、今年は仕事関係の調整もうまくいき、H先生の夏合宿に参加しようと決心したのです。

 さっそく、課題曲が与えられました(はえー)。『ハイドンのセレナーデ』だって(笑)。これを練習して、発表会の代わりに行っている、合宿の時にお披露目演奏会で披露するんだそうです。ま、つまり、この曲が今年の私のフルートの発表会の曲って感じですね。

 原曲は弦楽四重奏だっけかな? とにかく、フルート曲ではなく、アレンジモノでございます。この曲、一般的なアレンジ譜では、そんなに難しいレベルの曲扱いされていません。アルテ1巻の真ん中あたりの難易度なんだよね。練習怠慢野郎の私の、今の実力って、先生から見たら、そんなモンなんだなあ…と改めて思いました。先生、結構冷静に評価しているなあ。

 ちなみに、こんな感じの曲です。

 演奏している方は…一体、どなたなのでしょうか? プロの方なのか、アマチュアさんなのかも分かりません。玉石混交しているのがYouTubeなのですが、まあ、この演奏は悪く無いと思います(ってか、上手だよねえ。プロか、そうでなくても、ハイアマチュアさんだよなあ…)。

 ひとまず、頑張ろうっと。

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2016年5月12日 (木)

LFJ2016 その6 音楽を演奏するって、不可能を可能にしていくオカルトなのかもしれません

 昼食を食べ終えて、予定していた次のコンサートに行きました。そのコンサートの演奏会場はとっても素晴らしかったのですが、演奏が…ねえ。事前に告知していた曲目を変更していたのです。まあ、曲目変更に関しては、本日二度目だし、まあそういう事もあるからねえ…って事になるので、それはまあいいのですが、音楽ジャンルが変わってしまうのは…いかがなものかな?

 一応、LFJですから、クラシックコンサートが前提であり、テーマも「ナチューレ(自然)」という縛りがあったはずですし、事前告知の曲目は、まあ、その縛りにかなった曲目でしたが、実際にそこで演奏された曲は、事前告知とは全く違ったJ-POPでしたし、ジャズっぽい…と言うよりも、BGMっぽいサウンドの曲が演奏されていました。ソロ楽器のコンサートでしたが、伴奏はカラオケで、ラジカセっぽい機械から音が出て、それをマイクで拾っていました。

 そういう音楽を聞きたい気分ではなかったので、ちょっぴりガッカリして、その場を去る事にしました。残念です。

 で、空いた時間が出来たので、周辺を散歩する事にして、三菱一号館美術館の併設の歴史資料室とデジタルギャラリーを見てきました。だって、無料だったんですもの。

 で、有意義に時間をつぶして、次のマスタークラスを見に行きました。

ピアノのマスタークラス

 先生は、私の大好きなフランク・ブラレイ先生。生徒さんはショパンの「舟歌」を演奏してくれました。

 実はこのクラス、フランス語の通訳の方が遅刻していたので、最初はブラレイ先生が英語を話して、それを司会の人が通訳するという方法で進められました。まあ、まもなく通訳の方が到着したので、ブラレイ先生も英語を止めて、フランス語で話しましたが…私的には、ブラレイ先生の言葉が直接分かる英語の方が良かったなあ、そのまま英語でマスタークラスを続けて欲しかったのですが、ブラレイ先生、フランス語に切り替えた途端、饒舌になっておりました。やっぱり、英語よりもフランス語の方が不自由がなかったみたいです。

 私、出入り口のドアのそばに座っていたのですが、始まってしばらくして、ルネ・マルタンがやって来て、マスタークラスを見学しようとしたようですが、あいにくの満員だったので、あきらめてすごすごと引き返していました。音楽ディレクターなのに、満員だと見れないんだな(笑)。

 さて、今回もマスタークラスで、私の心に残ったことを書き記していきます。

 クラスの初っ端に、ブラレイ先生が生徒さんに質問をしました。

 「私はショパンをレパートリーに入れていません。あなたは、誰のショパンが1番好きですか?」
 「サムソン・フランソワです」
 「サムソンは、ショパンを即興的に演奏しているように聞かせるけれど、そのためには、右手と左手が独立して動かせないといけません。片方がもう片方につられてはいけません」

 そう言って、ブラレイ先生が見本演奏をしてみました。すごく軽やかで、まるで音楽が波間で漂うかのような感じになりましたが、それを生徒さんが聞いて演奏しても、決してそうはならないのです。

 「右手と左手のルバートを揃えてはいけません。また右手と左手のアクセントも揃えてはいけません」

 そんな事を言っても、生徒さんが簡単にできるわけはありません。

 「では、私(ブラレイ先生)が左手を弾くから、君は右手を弾いてご覧なさい」と言って合わせたところ、すごく良い演奏となりました。

 「ピアノでは、右手と左手は別々の音楽家でないといけません。バレエで男性と女性がカップルになって踊るように、右手と左手は、独立して互いに支えながら演奏していかないといけないのです」

 すごく深い事を、実演をしながら、教えて下さいました。

 また、ブラレイ先生は、こんな事を言ってました。

 「ピアノはレガートもヴィブラートもできません。出来るような事を言う人もいますが、それはただのイマジネーションです。ピアノは打楽器なのです。だから、歌うように弾く事なんて物理的に不可能なのです」

 「ピアノの演奏にはイマジネーションが必要なのです。ピアノはレガートもヴィブラートも物理的に出来ません。しかし、ピアニストが強く念じて演奏すれば、レガートもヴィブラートも、客に“やっているように”聞かせる事ができるし“歌っているように”錯覚させる事もできます。そのように、出来ない事を、あたかも出来ているように思わせて弾くのが、ピアニストのイルージョンなのです」

 念ずれば、出来ない事も出来ているように聞かせられる…言っている事は、かなり無茶苦茶なんですが、その無茶苦茶を実演している人が言うと、無茶苦茶が無茶苦茶に感じられないのだから不思議です。

 ピアニストは、出来ない事をやってしまう、現代の魔術師でなければいけない…言っている事は本当にオカルトなんだけれど、ブラレイ先生は、そういうオカルトなピアニストなんだなあって思いました。

 で、私は、そんなブラレイ先生のオカルトっぽいところに、惹かれているのかもしれません。

 はあ…ブラレイ先生のマスタークラスを聞いて思った事は、やっぱりブラレイ先生のコンサートのチケットを買えば良かった。コンサートを聞きたかった!って事です。ほんと、うっかりしていたなあ…。

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2016年5月11日 (水)

LFJ2016 その5 二日目は朝から眠かった…みたいでした

 さて、LFJも二日目です。本日から本格参戦となります。意気込んで出発しようとしたら、外は大雨でした。うーむ、雨の中、傘をさして出かけると…会場で傘が荷物になってしまうわけで、さてどうしたものかと考え、天気予報とも相談した結果、見れるコンサートは減ってしまうけれど、出発を2時間ほど遅らせて、雨がやんでから家を出る事にしました。

 2時間後に家を出たものの、途中色々と乗り継ぎが良かったせいか、現地到着時刻は当初予定の90分後になりました。途中で30分時間を稼いだわけです。そのおかけで、ダメ元で、マスタークラスの整理券を貰いに行ったら、まだあったので、本日の1番目はマスタークラスを見ることにしました。

ヴァイオリンのマスタークラス

 先生は、ジュヌヴィエーヴ・ロランソー氏でした。名前だけでは分からないけれど、女性ヴァイオリニストでした。生徒さんが演奏してくれた曲は、ラヴェルの『ツィガーヌ』でした。

 やはり昨日、目一杯活動した疲れが残っていて、マスタークラスの前半部分はたっぷり寝てしまった(ごめんなさい)のですが、レッスンの後半部から、私の心に残った事を書き連ねてみます。

 「やりたい事があるのは分かるけれど、それができていない」 生徒さんがあれこれ苦心しているのを見たロランソー先生がおっしゃった言葉です。生徒さんの動きを見て、先生としては、その先(生徒がやろうとしている事)が読めたのでしょうが、生徒の方はそれができないわけです。先生はアドヴァイスとして「力を抜きなさい」「緊張を取り除きなさい」と言ってました。緊張して、カラダがこわばると、あっちこっちに力が入り、その結果、思うようにカラダが動かなくなるのだから、まずは脱力しなさいって言ってました。もっとも「それが出来る様になるには、まだ数ヶ月かかります」とも言ってました。これはテクニックの話ではなく、脱力の話ね。力を抜けと言われて、簡単に力を抜くことができるようになるまで、数ヶ月はかかる…つまり、それくらい脱力って難しい事なんですね。

 「息をたっぷり吸って、たっぷり吐いて」 音楽とブレスは関係するのだそうです。ヴァイオリンは奏者が呼吸をしなくても演奏できる楽器ですが、それでも呼吸が浅いと、音楽が単調になるのだそうです。だから、たとえヴァイオリンであっても、息は深く吸って、しっかりと吐かないといけないのです。

 「ヴァイオリンの表現や表情は弓で作ります」 弓の圧力は弱すぎても強すぎてもいけないのだそうです。弱ければ十分に鳴らないし、強ければ音の表現が飛んでいってしまいます。

 「フレーズを切るごとにブレスをする」 歌や管楽器の人には自明の事ですが、弦楽器ても、フレーズとブレスは関係するのだそうです。

 「音楽を演奏している時は、その音楽にふさわしいキャラになりましょう」 楽しい曲を演奏する時は楽しい人に、悲しい曲を演奏する時は悲しい人にならないといけないのだそうです。で、この曲の場合は、かなり神経質な人間にならないといけないのだそうです。つまり、曲を演奏するためには、まず自分がその音楽を体現するキャラになってしまえ…という事です。

 「カラダを無駄に動かさない」 カラダを無駄に動かすと、様々な動作が不安定になり、音に影響が出る(さすがに私でも分かります)から、カラダは無駄に動かしてはいけないのです。

 色々なアドヴァイスをしながら、時々、先生は生徒の楽器を借りて見本演奏をしました。その際、先生と生徒では演奏がまるっきり違い、先生の演奏は非常に表現力にあふれたモノだという事は良く分かりますが、楽器の音は、ほぼ一緒なんですね。つまりヴァイオリンの音は、奏者の違いではなく、楽器の違いによって生まれるわけです。そして、音楽は、音色の影響だってあるけれど、やはり表現の違い、つまりは奏者の違いが大きいなあとも思いました。

ピアノ連弾(伊賀あゆみ,山口雅敏:ピアノ)

 次は、国際フォーラムの隣にある東京ビルTOKIAの1階で行われた無料コンサートを聞いてきました。

モシュコフスキー:火花
ファリャ(山口編):愛のワルツ
ファリャ(山口編):火祭りの踊り
ベートーヴェン(ラヴィーナ編):交響曲第9番より 第4楽章「歓喜の歌」

 伊賀さんのピアノは2012年以来の4年ぶりです。以前も山口さんとピアノデュオだったのですが、その時は特にコメントがなかったのですが、このお二人、ご夫婦なんだそうです。他人事ながら、ビックリしてしまいました(だって、ちょっともご夫婦には見えないのだもの)。

 このお二人のピアノ連弾にはポリシーがあるようで、余り耳慣れない曲、とりわけ世界初演とか日本初演とかご当地初演とかにこだわっているのだそうです。確かに、今回の演目も耳慣れない曲ですよね。

 例によって、私はピアノは詳しくないので、よく分かりませんが、それでもモシュコフスキーやファリャに関しては、なんかすごかったです。

 面白かったのは、ラヴィーナ編曲版の「歓喜の歌」です。ベートーヴェンの交響曲をピアノ連弾にしたモノって、数は少ないけれど、無いわけではないし、私も音源で何度か聞きましたが、このラヴィーナのモノはベートーヴェンと同時代に編曲されて出版されて、あっという間に絶版になってしまった、貴重な楽譜なのだそうです。

 いやあ、ずっと絶版のまま埋もれさせておいて良かったんじゃないかな?

 この編曲は、色々とダメな編曲だと思いました。と言うのも、オーケストラ部分をピアノに移すのに一生懸命で、合唱や独唱部分がうまく移植されていないのです。歌が入っている部分に関しては、歌がメロディーなのに、そのメロディー担当の合唱とか独唱がオーケストラ部分に埋もれるように編曲されていたり、オーケストラの動きが大変な箇所だと、ごっそり省略されていたり…、こりゃあダメだなって思いました。

 これ、もしかしたら、歌や合唱の練習の際に使う、ピアノ伴奏譜なんじゃないかしら? 単独でコンサートにかけられるような編曲ではないんじゃないかしら?

 もう二度と聞かなくてもいいや…と思いました。まるで、歌なしメロディー無しのカラオケ伴奏を聞いたような気分になりました。

 もったいないなあ…、伊賀さんにしても山口さんにして、腕のいいピアニストなのに、こんなつまらない曲を演奏して。ほんと、もったいない。そう思いました。珍品と言うか、ゲテモノなので、一度は聞いてもいいかなって思いましたが、二度は結構です。ピアノとピアノの腕と演奏時間がもったいなあ…って思いました。

シューベルトの歌曲(コロンえりか:ソプラノ、広瀬悦子:ピアノ、吉田誠:クラリネット)

 時間ギリギリに会場に飛び込みました。そういう事が可能なのは、有料コンサートで指定席だからです。

春に D882
野ばら D257
月に寄す(第2作)D296
ます D550
ナイチンゲールに寄す D497
恋人のそばに D162
若い尼僧 D828
夜のすみれ(はなだいこん)D752
ガニュメート D544
さすらい人の夜の歌 D768
岩上の羊飼 D965

 で、会場に飛び込む時に見つけたのが、曲目変更のお知らせでした。ほぼ、全曲変更! 「え!」と思ったものの、会場入口で配布しているプログラムは訂正されているだろうとタカをくくったら、全く変更が反映していませんでした。つまり、開演直前に変更されたようでした。

 プログラムの変更の仔細が分からずじまいのまま、本番を迎えてしまいました。それでもシューベルトに詳しい人なら、演奏を聞けば、どの曲を歌っているのかか分かるのでしょうが、私はそんなにシューベルトには詳しくないので(だってリートなんだもの)、ちょっと困ってしまいました。だって「野ばら」と「ます」ぐらいしか分からないもの。こんな事なら、予習してくるんだった…。

 せっかく訳詞をいただいたのに…曲目変更では、困ってしまいました。リートって、詩の内容が分かっナンボじゃない? だから訳詞を見ながら歌を聞きたかったのに…。でもまあ、せっかくの有料公演だから、気持ちを切り替えて、歌詞の内容を分からないまま聞くことにしました。

 いやあ、やっぱり、ドイツリートって、地味だ(涙)。良いメロディだとは思うけれど、地味だ。いつも、リートは歌詞と見比べながら聞くから気が付かなかったのかもしれないけれど、音楽だけ聞くと、やっぱり地味だ。ソプラノさんの歌声は、美しくて澄んだ感じで、いかにも歌曲向けの軽い声なんだけれど、歌っている音楽が地味だから、今ひとつパンチを感じられませんでした。

 歌の意味が分からないと、ドイツリートって、こんなにつまらなく感じられてしまうんですね。ある意味、新鮮な感覚にビックリしています。

 演奏が終わって、周囲のオバちゃんたちも「歌っているのと歌詞カードが全然違うじゃないの」と文句言ってましたが、この人達は、それ以前に曲目変更があったことを知らなかったようです。

 曲目変更の件くらい、歌い出す前に、少しアナウンスをしてくれれば済むのに、それを怠った事で、またもLFJの評判が下がったんじゃないかって思いました。残念だな…。

 で、遅めの昼食を食べようと、国際フォーラムを出たら、あっちこっちのお店がお休みでした。そうだね、丸の内ってオフィス街だって事を忘れてたよ。休日はたいていの食べ物屋さんがお休みになるんだね。で、あっちこっち歩いて、なんとか昼食を確保しました。なんだかんだ言って、毎年、昼食難民になってしまう私なのでした。

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2016年5月10日 (火)

メトのライブビューイングで「蝶々夫人」を見てきた

 さて、今日はLFJの連載はちょっとお休みして、メトのライブビューイングで「蝶々夫人%を見てきた話を書きたいと思います。で、今回の「蝶々夫人」ですが、これは賛否が大きく分かれる上演だと思いました。

 まずは基本データから。

カレル・マーク・シション(指揮)
アンソニー・ミンゲラ(演出)
クリスティーヌ・オポライス(蝶々夫人:ソプラノ)
ロベルト・アラーニャ(ピンカートン:テノール)
ドゥウェイン・クロフト(シャープレス:バリトン)
マリア・ジフチャック(スズキ:メゾソプラノ)

 で、賛否の件ですが…私は“絶賛”致します。いやあ、素晴らしかったですよ。私は、不覚にも第2幕と第3幕は、涙流しっぱなしで感動しながら見ていましたから。オペラ…と言うよりも、演劇として、実に素晴らしい舞台だったと思います。

 主演のオポライスは、今時珍しい“歌よし、容姿よし、演技よし”の三拍子揃ったソプラノで、その彼女が、今一番気合を入れているのが、この蝶々夫人ですから、そりゃあ悪いはずがないです。彼女によって、蝶々さんの悲しい人生が演じられるのです。これは感動しないはずがありません。

 そして演技の点で言うならば、普通は子役が演じる蝶々さんの息子を、この上演では、文楽人形にヒントを得たという実物大の人形によって演じられます。この人形は、三人の人形遣いたち(黒子です)によって、実に達者な演技をしていきます。蝶々さんの息子は、普通は第二幕の登場シーンと、蝶々さんの自決シーンに、ちょっと顔を出すだけですが、今回の舞台では、第二幕で登場してから、ずっと舞台にいて芝居をし続けます。そりゃあ、そうだよね。まだ小さな幼児だもの、母親のそばにいるのが普通だものね。この人形の息子と母親である蝶々さんの言葉にならない演技が、また感動的なのです。そして、息子との関係を通じて、蝶々さんの女性としての悲しみ、妻としての悲しみに、母としての悲しみが加わって、物語の悲劇性が強く印象づけられるわけです。これが感動しないわけないじゃないですか。

 それに、アラーニャ演じるピンカートンが、クズでもなければ、馬鹿でもない、ただの若者であって、その若さゆえの純粋さが、悪意もなく、蝶々さんを悲海に突き落としていくのです。誰が悪いわけでもなく、若さゆえの盲目さが一人の女性の命を奪っていくのです。つまり、誰かの悪意の末の悲劇ではなく、運命にもてあそばれての悲劇なのです。そういう、やり場のない悲しみって、見る人の心の奥底に沈殿してくるでしょ。それが後からずっしりと来るわけですよ。

 さらに舞台美術が、とても美しくて、象徴的なのです。美しいって、悲しいでしょ。なんかもう、ほんと、いたたまれないくらいに感動してしまいました。

 だから私は、この「蝶々夫人」を絶賛するのですが…受け入れられない人には、全く受け入れられないようなのです。

 と言うのも「蝶々夫人」の舞台は、19世紀の日本の長崎なのですが、舞台で繰り広げられる世界は、全然19世紀の長崎ではないのです。いや、それ以前に、何やら大きく間違った日本が舞台になっているのです。登場人物たちが着ている和服が奇妙なのです。日本髪を模しているカツラが奇妙なのです。大道具も小道具も、すべてが奇妙奇天烈なのです。人によっては「日本を馬鹿にされた!」と思うくらいに、見方によっては、コミカルな世界になっています。

 さらに、蝶々さんの息子の人形が、気味悪い造形と受け取られかねません。

 文楽人形をヒントにしたそうだけれど、人形そのものは、文楽人形ではなく、むしろ球体関節人形に近い造形です。妙に生きた人間に似た造形だけれど、明らかに人形だし、おまけに目玉は入っていません。漆黒で空虚な穴が空いているだけなのです。その人形が、生きた人間のように動くのです。ですから、人形の息子を見るだけで、嫌悪感が湧いてしまい、そこで拒否してしまう人がいても不思議ありません。

 また蝶々さんの性格付けも、人によっては受け付けないかもしれません。私は“悲しい運命に全力で耐えていく女性”に思えましたが、これも見る人によっては“単なるメンヘラ女”“空気が読めない痛い人”に見えるかもしれません。そう見えたら、気持ちは冷えてしまうでしょうね。

 賛否両論…と言うか、実に個性の強い上演でした。私は大変気に入りましたが、でも万人ウケする上演ではないとも思いました。

 メトのオペラって、基本的に“万人受け”を狙っていくのですが、今回のは、そういう路線ではありませんでした。「メトもやるじゃん」って私は思いましたが…メトのラインナップ的には…異端児的な存在なのかな? でも、最近のメトは現代的な演出もたくさん取り入れていますから、これはこれでアリだし、個人的にはこの路線で突っ走って欲しいなあって思うわけです。

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2016年5月 9日 (月)

LFJ2016 その4 ハイライトオペラは、やっぱりいい!

お琴とソプラノ(竹内恵美:ソプラノ,多田彩子:二十五絃箏,永井英里香:ピアノ)

 LFJでお琴ですよ。珍しいですね。

春よ[ティリンデッリ]
蝶と花[フォーレ]
たんぽぽ[中田喜直&三好達治]
さくらさくら[日本古謡]
主よ人の望みの喜びよ[バッハ]
春の海 歌曲編[宮城道雄&下司愉宇起]
タイム・トゥ・セイ・グッドバイ[サルトーリ]

 『春よ』『蝶と花』『たんぽぽ』の3曲は、ソプラノとピアノだけで演奏でした。それにしても『春よ』は名曲だと思います。ソプラノで歌われることが多い曲だけれど、私も来年あたり歌ってみようかな…って思いました(季節モノだから、いつ歌ってもいいってわけじゃないしね)。

 『さくらさくら』から、お琴が演奏に加わりました。お琴と言いますが、今回使われたのは、二十五絃箏という、明治時代に作られた、比較的新しい楽器なんだそうです。だから、奏者の数も非常に限られているとか…。ちなみに、普通のお琴は十三弦なんだそうです。だから、普通のお琴の倍の弦を使っている…ということは、音域も倍あるって事ですね。

 お琴は撥弦楽器です。ですから、これに対応する西洋の楽器はハープですが、日本のお琴はハープと違ってヴィブラートが掛けられますので、ヴァイオリンのような泣き節を加えて演奏できるわけで、表現力が、かなりある楽器なんですね。すごいね。

 『さくらさくら』と『春の海 歌曲編』は、ソプラノさんにはキーが低いのか、歌いづらそうな感じがしました。もっと低い声の人が担当したら、感じがだいぶ変わったんじゃないかな?

 『主よ人の望みの喜びよ』はピアノとお琴の2人で演奏で、これはこれでおもしろかったです。

 最後の『タイム・トゥ・セイ・グッドバイ』は、1番のメロディをお琴が、2番のメロディをソプラノが担当しました。最後のAのロングトーンを、まるでテノールが歌うような歌い方でまとめ上げていました。会場はすごく湧き上がり、私の隣にいた老夫婦は大喜びをしていました。アンコールを求める声もあったくらいでした。すごいなあ。でも、ああいう歌い方は、ソプラノ的には邪道なんじゃないの(って、ちょっとやっかんでみる:笑)。

 ここまで聞いたところで、重い腰をあげて、ようやくパソナから出て行った私でした。当日は、すごく風が強くて、パソナを出た途端に、風で帽子が飛ばされてしまい、散々な目にあいました(死ぬかと思った…)。

 東京国際フォーラムのEホール(旧展示ホール)に着いて、座席を確保して、一息ついたところで、すぐそばからバンドの演奏が聞こえました。

木管五重奏

 たまたま私が座った席が、管楽器ダクのブースのそばで、そこで木管五重奏の演奏が行われ、私は座席に座ったまま聞かせていただきました。聞こえてきたのは演奏音だけで、途中のアナウンスなどは全く聞こえず、演奏者の姿も見えず、曲紹介も聴こえなかったのですが、たぶん、セットリストはこんなものじゃなかったかな?と、うろ覚えで書きます(ごめんなさい)。

カルメンより
  アラゴネーゼ
  ハバネラ
  セキディーリャ
  行進曲

 木管五重奏ですが、フルート、オーボエ、ホルン、バスーン、クラリネットという編成じゃないかな(耳で聞いただけなので、間違っていたらごめんなさい)。演奏が素晴らしかったのは当然として、アンサンブルっていいなあって思いました。

 我々アマチュアがアンサンブルと考えると、合唱とかフルートアンサンブルとかの、同族楽器同士のアンサンブルを思い浮かべがちです。これは仲間を集めやすいという事で作りやすいのですが、聞く側からすると、同族楽器のアンサンブルも悪くないけれど、異なる楽器同士のアンサンブルの方が個性の発露という点からも、聞いていて楽しいなあと思いました。

 それにしても、カルメンには捨て曲がないなあ…。

歌劇『魔弾の射手(ハイライト)』(丸の内フェスティバルシンガーズ、丸の内交響楽団、岸本祐有乃:指揮)

 そんなわけで、ダクの木管五重奏を楽しんでいるうちに時間となりました。(私的に)本日のメインイベント、ウェーバー作曲、歌劇『魔弾の射手』のハイライト上演となりました。

 丸の内フェスティバルシンガーズさんは、おそらく、アマチュアの合唱団でしょう。ここが主体となっての公演のようです。オーケストラは、同じくアマチュアの丸の内交響楽団でした。合唱団の方々は(もちろん)合唱部分を担当し、ソロはプロの方々にお願いしているようでした。まあ、いわゆる“市民オペラ”形式の上演です。

 会場がホールEという事もあって、ソリストたちはミュージカルマイクを使用し、合唱団とオーケストラは天井から下がっているマイクで音を拾っているようでした。まあ、ここではマイク無しの状況での演奏は難しいでしょうから、これはこれでアリだと思います。ただ、マイクの制約が付くので、リハーサルでは、立ち位置に気を使っていましたね(音が拾いやすい場所と、拾いづらい場所があるようでした)。

 ハイライト上演ですから、曲と曲をアナウンスで埋めていくのですが、それを担当されたのが、イタリアの方でした。ドイツのオペラをイタリア人が日本語で解説するという、国際色豊かなアナウンスでした。この方の日本語は、分かりやすい日本語で聞いていて不自由はなかったのだけれど、すっごい早口だったのですよ。あんなに早口でペラペラしゃべっているのに、ちゃんと通じるんだから不思議なものです。ちなみに、あれだけたくさんしゃべっても、だいたい1分程度のアナウンスで収めていました。やはり、ハイライトオペラでのアナウンスは、せいぜい1分が限界か…。ちなみに、アナウンスの内容だけれど…物語のストーリーには一切触れることはなく、次に歌われる曲の簡単な状況説明だけでした。曲の前後の事や、登場人物の説明すらなく、はっきり言って、何が行われるのか…冷静になって聞いていると、何も分からないのですが、雰囲気で分かったような気になってしまいます。あれじゃあアナウンスなんて無くても一緒…なのですが、そうは言っても、ハイライト上演のアナウンスがあるとないとでは大違いなわけで、とりあえずアナウンスが有りさえすれば良いみたいですから、あの程度のアナウンスでいいって事なんでしょうね。

 私もボエームの台本を、あの程度のモノに書き改めるか…と思い直した次第です。

 さて、演奏そのものは、普通に良かったです。合唱団の方々の気合を強く感じました。練習期間は一体どれくらいだったのでしょうか? かなりの完成度でした。

 私、『魔弾の射手』というオペラそのものをよく知らなかったのですが、あれこれと知っているメロディを耳にしました。結構、有名な曲なんだなあと改めて確認しました。序曲のメロディは讃美歌「主よ、御手もて」だしね。男性合唱である「狩人の合唱」もよく耳にする曲でした。他にも聞き覚えるメロディがありました。

 今度、きちんとハイライトでない上演を見てみようと思いました。

 この日は『魔弾の射手』が目的だったので、これを見終えて、さっさと帰宅しました。だって、翌日もLFJに来るつもりだったので、体力を温存しておかないと…ね。で、さっさと帰ろうと思ったら、電車が途中で止まって、1時間ぐらい電車の中に閉じ込められました。東海道線が、上野東京ラインになってから、こんな感じの電車の遅れが頻発するようになりました。明らかにJRの電車運行能力が落ちているんだなあ…と感じています。競争相手がいない路線だから、露骨に手を抜いているのかしら。

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2016年5月 8日 (日)

LFJ2016 その3 ブラームスは、やっぱりいいですね

 賑々しいポピュラーコンサートの後は、渋いブラームスのコンサートでした。

ブラームスコンサート(塩崎めぐみ:メゾソプラノ、正田響子:ヴィオラ、宮崎真利子:ピアノ)

 こう言っては申し訳ないのだけれど、ここまでが前座で、ここからが本番って感じの出演順を感じました。それにしても、ブラームスは渋くてカッコいいです。

6つの小品より、第1番『間奏曲』
子守歌
2つの歌『沈められた憧れ』『聖なる子守歌』

 1曲目の『間奏曲』はピアノ独奏でした。ffは十分に大きかったのだけれど、ppは極めて繊細だったので、静かな会場で聞きたかった演奏でした。いやあ、本当に音響の良い音楽ホールで聞いてみたかったですよ。ここはエアコンの音がうるさすぎる(涙)。

 2曲目の『子守歌』は、いわゆる『ブラームスの子守歌』って奴で、メゾソプラノ+ヴィオラ+ピアノの編成で演奏してくれました。

 で、これが良かったんですよ。歌が立体的にカラフルに聞こえたんですね。おそらく、子音をとてもきれいに歌ってくれたから立体的に、母音を明瞭に歌ってくれたのでカラフルに聞こえたのだと思います。私はドイツ語はほぼ解しませんから、言葉の意味的なモノは分かりませんが、言葉の響きが旋律の流れに伴って、声という楽器を楽しませていただきました。

 同じ事は3曲目の『2つの歌』でも言えます。イタリア好きな私ですが、リートもいいなあと思いました。それに言葉の意味は分からなくても、メゾさんの声の表現を聞いているだけで、おおよその事は分かります。これってすごいことだよね。無料コンサートにはもったいない演奏でした。アンコールをしても良かったなら、ぜひアンコールを求めていたと思います。

ピアノ連弾(松岡磨美・安岡奈緒:ピアノ)

 動物の謝肉祭[サン=サーンス]

 この曲は、本来は2台ピアノのための曲なんだそうだけれど、今回は連弾用にアレンジされたバージョンで聞きました。私はピアノに詳しくないので、アレンジされて、どう変わったかなどは分からないけれど、とても面白く感じました。それにしてもこの曲、絶対に真面目な曲ではなく、ジョークソングの一種なんだろうなあ…。

 小品集ですし、なんかしょーもない曲もありましたが、それでも光る曲もあって、私的には『水族館』『化石』『白鳥』は、やはり名曲だなあって思いました。しかし『白鳥』に関しては、オリジナルのピアノで聞くよりも、よく耳にするチェロ編曲版の方がいいなあと思った事も事実です。白鳥が優雅に泳ぐ様は、減衰音ではなく持続音で表現するべきだと思ったわけです。ですから、チェロが最高だけれど、フルートの演奏でも、ピアノよりはいいんじゃないかなって思いました。

 ピアノでメロディを歌うのは難しいなあ…と思いました。

 お二人の演奏は、息もピッタリの丁々発止で、楽しめました。

クラシックコンサート(田代華菜:ソプラノ、内田尚志:テノール、三浦千佳:フルート、武田早耶花:フルート、久保朱那:ピアノ、田町公美:ピアノ、大久保愛:ピアノ、大橋理香:ピアノ)

 一時間ほど前にポピュラーコンサートを行った新入社員5名に、2年目と3年目の社員さんを加えてのクラシックコンサートでした。同じメンバーだけれど、ポピュラーとクラッシクでどう演奏の切り口が変わるのか、楽しみでした。

歌劇「ファウスト」より『この清らかな住まい』[グノー]
歌劇「ルサルカ」より『月に寄せる歌』[ドボルザーク]
組曲「鏡」より第4曲『道化師の朝の歌』[ラヴェル]
カンタービレとプレスト[エネスコ]

 さて1曲目は、テノールアリアの『この清らかな住まい』です。クラシックコンサートだし、当然、テノールが歌うわけですから、もう私はワクワクが止まりませんでした…と言うのも、このパソナのコンサートの出演者は、毎年毎年ほぼ女性奏者だけなんです。だから、珍しく登場してきた男性の出演者には期待しますし、それがテノール歌手となれば、もう期待値マックスな私なのでした。

 テノールの彼ですが、先ほどのポピュラー発声とは変えて…あれ? あんまり変わっていなような気が…。うむうむ…うむ?って感じでした。で、よくよく耳をそばだてて聞けば、多少は声に張りと深みがあるかも…しれません…かもしれません。

 いやあ、実に小声量で、よく聞こえないのです。舞台で歌った声が、観客の手前の水田にボトボトと墜落しているんです。ああ、残念。音波としては感知できるのですが、歌としては、我々の手前で失速して墜落しているのです。ほんと、残念。

 でも、彼の名誉のために書き添えておくと、歌は…技巧的に上手いと思いました。さすがはプロだねって感じです。実際、このグノーの『この清らかな住まい』という曲は、難曲中の難曲であって、まあ、普通のテノール歌手ならば、なかなかコンサートにはかけないだろうというほどの難曲(ハッキリ言っちゃえば、コンサートではなくコンクール向けの曲…と言えば、分かるでしょ)なのですが、それをわざわざコンサートに持ってきて、難なく歌っているんだから、それは立派なものです。聞かせどころのHi-Cだって、ファルセットぎりぎりの一番美味しいところで歌えているんだから、本当に上手だなって思いました。

 でもね、ここは学校ではなく、コンサート会場なんだよね。

 学校なら上手にミスなく歌えると、良い点がもらえるのだろうけれど、コンサートではミスなんてあったとしても、それ以上の感銘を客に与えられたらOKなんだよね。大切なのは、客に感銘を与える事であり、そのためには、まず、客に歌を届けないと…ね。ミスがあろうがなかろうが(だいたい客は、歌っている歌そのものを知らない事も多いから)、そんな事は客的には、どうでもいい事なんだな。

 素直に感じた事を書くと…技巧に声が伴っていないのかな?って思いました。音楽なんて、観客に届けてナンボでしょ。まあ、歌唱テクニックはともかくとして、今後は当然発声テクニックを磨いていくでしょうから、今後に期待って事になるのかな? まあ、まだ若いんだし、何とかしてくる事でしょう。

 とにかく、Hi-Cなんて美味しい箇所を難なく歌っちゃダメだよね(笑)。それじゃあ客が喜ばないよ(大笑)。ああいうところは、楽に出せたとしても、苦しげに歌い「とっても大変な歌を苦労して歌っているんですよ」というのをアピールしないといけないのがプロなのにね。歌の聞かせ方を考えながら歌わないと…ね。

 発声も含め、数年後に期待です。これだけの技巧を持っているんだから、これで声が出るようになり、歌の聞かせ方が分かってきたら、鬼に金棒って感じになると思いますよ。

 2曲目の『月に寄せる歌』は、ソプラノ+フルート+ピアノの演奏で、音楽的にもエンタメ的にも、十分水準に達していて、すでにお金のいただけるパフォーマンスだと思いました。

 だって、三人とも若くて美人だし、演奏も上手だし、ソプラノさんは美声だしね。ただ、問題があるとしたら、このくらいの美人で演奏が上手で美声な人たちって、今のクラシック界には掃いて捨てるほどいるって事です。ソプラノもフルートもピアノも、過当競争だからね。水準以上の力があっても、プロとしてやっていくには、色々と難しいんです。売れるかどうかは、マネージャーの腕次第でしょうね。

 それにしても『月に寄せる歌』という曲は、名曲ですね。実に美しい曲です。まあ歌詞がチェコ語というハンディがあるせいか、余り歌われないのが気の毒になってしまうほどの名曲です。もっと多くの人に知られてもいい歌だよね。

 以上で新任社員の部は終了。次は2年目のピアニストさんによる『道化師の朝の歌』でした。この曲、LFJではよく聞く曲です。この曲『~朝の歌』というタイトルで、なんかさわやかな雰囲気がしそうな気もしますが、実は「飲み過ぎてグデグデになって朝を迎えた、朝帰りのオッサンの歌」なんだよね(笑)。しかし、そういうグデグデな感じを一切感じさせない、パリッとした演奏でございました。

 お次は3年目のフルートさんによる『カンタービレとプレスト』でした。いかにもフルートっぽい曲で、フルートの音色を楽しむには良い曲だと思いました。聞いていて、思わず演奏に引きこまれてしまいました。まあ、曲自体は、無名な曲なんだけれどね…。良い曲なのに、無名な曲って奴を聞く度に、フルート音楽そのもののマイナーさを感じて、なんとなく寂しくなってしまう私でした。

 ここまで6連続、パソナに居座ったままコンサートを聞いていた私ですが…この後もまだまだ居座り続けるのでした(笑)。

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2016年5月 7日 (土)

LFJ2016 その2 ポピュラー系のコンサートだって、悪くはないです

 パソナ本社に、そのまま居座り続けて、次のコンサートを待ちました。

フルートコンサート(フルート:長谷川絢香)

 次のコンサートになっても、エアコンの音はガンガン響いていました。普通、いくら大きな騒音でも、そこにそれなりの時間いたら、耳が慣れるものですが、ここのエアコンの音は、全然慣れないです。陽気もいいし、エアコン、必要なのかな? ああ、エアコン止めてもいいから、静かにしてほしいなあ。

 さて、ソプラノの次はフルートのコンサートでした。で、フルートと言えば、私の興味関心は、奏者の使っているフルートは、シルバーなのかゴールドなのかって事で、さっそく、それを見分けようとしましたが、奏者の手にしているフルートが、なぜかシルバーに見えたり、ゴールドに見えたり、なんか不思議な感じがしました。

 結局、この会場のライトが、かなりの濃い黄色のライトと白い光のライトの二つを混在させて使っているので、ステージ上の立ち位置がちょっと違うだけで、黄色い光が当たったり、白い光が当たったりして、肝心のフルートが、シルバーであってもゴールドであっても、黄色い光が当たっている場所では、同じように肉眼では黄色に見えてしまう事に気付きました。じゃあ、白い光が当たっている場所で判断すれば…と思うでしょうが、目が黄色いライトに慣らされてしまい、色がよく分からなくなってしまいました(笑)。

 とは言え、目を凝らして見た結果と、ライトの光の加減を脳内補完した結果を合わせた結論として、私の目には黄色いフルート(つまりゴールドフルート)に見えるけれど、おそらく、あれは黄色い光が当たっているシルバーフルートであろうと思ったわけです。と言うのも、フルートがゴールドに見える時は、演奏者の顔も、まるで肝臓病患者のような、黄疸の出ているような顔色に見えていましたからね。あんな顔色の人がコンサートできるわけはないので、かなり強い黄色が当たっている…と思ったわけです。

 おそらく、この会場のライトは、稲の成長に必要な光が出るように、黄色いライトと白い光のライトの二つで調整されているのでしょう。そして、室内であるけれど、おそらく太陽光に近い光を作っているのだと思いますが、やはり人間の目には、かなり黄色い光になって見えているのです。で、その光の設備のまま、音楽コンサートをやってしまうと、何もかもが黄色く見えてしまい、黄色い照明がアダになるわけです。

 まあ、何でもかんでも黄色っぽくなっても、音には関係ないから、いいっちゃあいいんです。

シリンクス[ドビュッシー]
フルートソナタ『ウンディーネ』[ライネッケ]

 最初の『シリンクス』は、フルート独奏曲としては定番中の定番曲です。ff~ppまで、美しい音色で演奏されました。いいなあ。この方の音色は、全体的に太めの暗めで、一般人が思うフルートの音色とは、ちょっと違うかもしれないけれど、楽器の音としては、なかなかに美しいです。

 1曲目はあっという間に終わり、すぐ最後の『ウンディーネ』になりました。この曲、4楽章まであって、演奏時間も20分程度あるので、今回のコンサートは、こちらの曲がメインになるわけです。

 しかし、このライネッケのフルートソナタ。フルートの演奏会に行くと、割りとよく聞きます。いい曲だと思うけれど…フルートオタクしか知らない、隠れた名曲なんだよね(溜息)。フルート音楽的には名曲になると思いますし、耳当たりだって悪く無いと思うのだけれど、やはり聞いた後、観客の心に爪痕を残せるタイプの曲とは違うので、一般的な名曲の中には入れてもらえないんでしょうね。で、フルート音楽って、たいてい、こんな感じの曲ばかりだよ。「悪く無いんだけれど、なんか残らないんだよね…」って感じの曲ばかりになってしまうのが、フルート音楽の悲劇なんだと思います。ピアノ音楽におけるショパンのような作曲家が、フルート音楽には現れなかったって事なんだろうなあ。

 演奏自体は、良かったと思うけれど、ライトのせいもあって、どうしても気が散ってしまいました。と言うのも、フルート全体はシルバーだろうと思ったけれど、リップの部分が、どうしてもゴールドに見えてしまって、最後まで「あのフルートのリップはシルバーなのかしら、それともゴールドなのかしら」と、そればかりを考えてしまいました。

 と言うのも、フルートの音がね…なんとなく、ゴールドっぽい感じがしていたし、目で見た感じもゴールドなんですよ。でも、ライトは黄色でシルバーも黄色く見えちゃう照明なんですよね…と、音楽自体とは関係ない部分に気が散ってました。ごめんなさいです。

ポピュラーコンサート(田代華菜:ソプラノ、内田尚志:テノール、三浦千佳:フルート、久保朱那:ピアノ、田町公美:ピアノ)

 その次は、今年のパソナの新入社員さんたちによるポピュラーコンサートでした。

情熱大陸[葉加瀬太郎]
ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)[サティ]
オー・シャンゼリゼ[ウィルシュ&ディーガン]
トップ・オブ・ザ・ワールド[カーペンターズ]
銀河鉄道999[ゴダイゴ]
ミュージカル「アニー」より『トゥモロー』[ストラウス]

 1曲目の『情熱大陸』は、原曲はヴァイオリン曲ですが、今回はピアノ連弾(一台のピアノを2人で弾く)でした。ヴァイオリンがピアノに変わっただけなんですが、それだけで、曲のイメージがガラッと変わります。ヴァイオリンは泣き節だと思うのだけれど、ピアノだと泣けない分、無闇に音数が増えてしまい、それを受け付けられない人だとダメだと思うけれど、私は楽しみました。

 2曲目の『ジュ・トゥ・ヴ』は、ソプラノ+フルート+ピアノの演奏でした。この曲は、そもそもシャンソンであって、歌詞も男性歌手用と女性歌手用の2つあるそうですが、今回は女声用の歌詞で歌ったそうですが…フランス語なので、よく分かりませんでした…と言うよりも、この曲って、男性歌手用の歌詞がある事を知らなかったのでビックリでした。そうか、男性が歌ってもいいんだ…と思った次第です。

 歌ったのが、クラシック系ソプラノ歌手さんでしたから、いわゆるシャンソンのイメージとは違った感じでしたが、なかなか良かったです。個人的には、シャンソン系のぼそぼそ歌唱よりも、思いっきり声を出して伸びやかに歌う、クラシックスタイルの方が好きです。

 3曲目は、テノールの人でした。片手にフォークギターを持って登場したので、あれあれあれ…と思っていたら、ギター弾き語り+ピアノの組み合わせで歌い出しました。ちなみに、歌にはきちんとマイクを使い、ぼそぼそとポピュラー発声で歌っていましたので「だったら、テノールって名乗るなよ」とちょっぴり思いました。

 まあ、テノールには、オペラとロックやポピュラーの二刀流の人もたくさんいるので、この人もそんな感じの人なのかなって思ったわけです。で、今回は、ポピュラー歌手として歌ってくれているんだなあ…と納得させながら聞きました。それにしても、この曲、ギターが似合わないよなあ(笑)。伴奏は、ピアノだけでも良かったんじゃないかしら?

 4曲目は、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」です。歌手も男性と女性の2人がいるので、てっきり、カーペンターズ並に男女デュオで歌ってくれるのかと思ったら、フルート+ギター+ピアノという演奏形態でした。ああー、ヴォーカルラインをフルートで吹くわけだね。

 勝手に期待して、勝手にがっかりするのは、私の悪い癖です。でもまあ、確かにカーペンターズの曲って、フルートが似合うよね。

 5曲目の『銀河鉄道999』は「何か昭和っぽい曲を…と思って選曲しました」って紹介していたような…。まあ、確かに昭和の曲だけどさあ…。これも男性歌手がいるんだから、ノリノリで歌ってくれるのかと思ったら、ピアノ連弾で歌はありませんでした。演奏は頑張っていたけれど、なんか色々と違うんだよなあ…と、ゴダイゴファンとしては、苦言を呈したいです。少なくとも、ミッキーのオルガンソロの部分は、あのニュアンスを再現してくれなきゃイヤだよぉ。

 最後の『トゥモロー』は、全員総出の演奏でした。今回、テノールの人はマイクを使わないで歌っていたので、彼の歌唱は全然聞こえませんでした。そりゃあ、ポピュラー発声のままで、マイク無しはキツイよね。ここは、クラシック発声に切り替えるか、マイクを使って歌えば良かったのにね。残念なのは、そこだけで、後は良かったです…ってか、このコンサートで一番良かったのはこの曲かもしれません。

 この人たちは、1時間後に同じステージで、今度はクラシック系コンサートをしてくれるので、それを楽しみに待つことにしました。

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2016年5月 6日 (金)

LFJ2016 その1 まずはお一人でお出かけをしました

 さて、今年も、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(以下LFJと略)の季節がやって参りました。今年も例年通り、丸の内に参戦してきました。

 例年、初日と最終日の2日に渡って参戦してきた私ですが、今年は事前発表のあった有料コンサートのリストを見た結果「今年は1日だけ行けばいいか!」という結論となり、色々と考えて、中日だけに行くことにしていました。

 いやあ、だってね。LFJも、以前ほどの規模ではなくなり、コンサートの数も悲しくなるくらいに減ってしまったじゃないですか? もはや、全盛期の半分以下の規模の音楽祭になってしまいました。当然、見たいコンサート、聞きたいアーチストだって、激減ですからね。なのに無理して、コンサートに行くのも、アレかな?って思って「今年は一日だけにしよう!」と決心したのです。

 まあ、お疲れも溜まっているので、LFJに行かなかった日は、休息に当てようかなって思っていた事も事実です。なので、そういう予定を当初から組んでいたのです。

 でも、間際になって発表された、無料コンサートのメニューを見て、気が変わってしまいました。「いやいやいやいや~、これは例年のように、初日は外せないんじゃないですか!」と思ったわけです。で、急遽、LFJを初日から参戦することに決めたのは、なんと、LFJ前日だったりします(笑)。

 なので、いつもなら夫婦2人で出かけるのですが、妻はすでに別件が入ってしまっていたので、仕方なく(笑)、一人でLFJに出かける事にした私です。

 と言うわけで、LFJ初日から、オッサンが一人で音楽祭を見に行ったわけです(ああ、寂しいねえ)。

ソプラノ・リサイタル(ソプラノ:山口和江)

 と言うわけで、向かった先は、日本橋にあるパソナ本社です。なんだかんだ言って、ここ数年、LFJと言うと、このパソナ本社でのミュージックメイトのコンサートに行っちゃう私でした。だって、ここのコンサートって、声楽とフルートとピアノがメインなんだもん。もろ、私好みの音楽ばかりやってくれるわけだから、そりゃあ行くしかないよね。

 今年は、一番最初のコンサートから見る事にしました。

 行ってみたら、今年は今までとはステージの場所が変わっていました。この会社の入り口入ってすぐの、本来なら、ロビーとかコンコースとか呼ばれる場所に水田を作っているのが、この会社の特徴で、いつも、この水田に蓋をして、その上をステージにし、その周りを取り囲むように座席をセッティングしていたのですが、今年は、水田に水を入れて、花(アヤメかな? かきつばたかな? 花菖蒲かな?)を咲かせていました。ステージは、水田と玄関ドアの間のスペース(いつもは観客席になっている場所です)で、客席は水田の向こう側に配置され、例年のように、演奏者の後ろからコンサートを見る…という事は無くなった代わり、どこからもちょっとずつ遠い座席配置となってしまいました。

 まあ、遠くなった分、演奏者が頑張れば良いだけの話なんだけれどね。

 それと…たぶん、去年も書いたと思うけれど、この会場のエアコンの音がうるさくてね…。おまけに、今年は水田に水を入れているものだから、水を入れるモーター音もうるさくて…無料コンサートだから文句は言わないけれど、これが有料ならば、当然クレームの対象となるほどの騒音で…そんな中でやる演奏家も大変なわけです。

 とりあえず、この日最初のコンサートは、ソプラノさんのリサイタルだったわけです。

彼方の光[村松祟継]
星に願いを[ハーライン]
からたちの花[山田耕筰]
小さな空[武満徹]
アヴェ・マリア[マスネ]
虹の彼方へ[アーレン]

 うーん、頑張っているのは分かる。でもね、歌手がエアコンやモーターの音に負けちゃダメだよね。観客に、そういう雑音が気にならない程度の音量では歌って欲しかったです。「ああ、エアコンの音がウルサイなあ…」と客に思わせちゃダメだと思いました。

 1曲めの『彼方の光』という曲は、日本人作曲家さんの作品なんですが、歌詞は英語なんですよね。でも、英語で歌っているという事に気づいたのは、曲が終わる頃になってからです。と言うのも、よく聞こえないんですよ。何か、遠くの方でアウアウ言っているのは聞こえるけれど、それか何語で、何を言っているのか分からない程度にしか聴こえなかったのです。

 2曲目の『星に願いを』も、日本語歌詞で歌っているのか、英語歌詞で歌っているのかの判別が、なかなかつきませんでした。結局、英語で歌っていたのですが、声量もさることながら、たぶん、この歌手さん、英語が苦手なんだと思いました。だから、よく聞こえないんだよね。特に英語の子音の発音が苦手そうでしたね。こちらも頑張って耳をそばだててみたのですが、母音は聞けるのですが、子音が全然聞こえず、こちらで脳内補完をしてやって「ああ、あの歌詞なんだな」と分かるくらいでした。まあ、英語で歌うのって、難しいからね。英語が苦手なんだろうなあ…と思った次第です。

 で、それを確信したのは、3曲目の『からたちの花』になってからです。いやあ、最初の2曲は残念でしたが、この『からたちの花』は良かったですよ。ここまで、何を言っているのか聞き取れなかったわけですが、この『からたちの花』は、必要にして十分な声量で、何を言っているのか、ちゃんと分かりましたもの。歌手が自信を持って歌っているのが分かりました。

 で、4曲目の『小さな空』は曲の良さもあって、とても良かったですね。ほんと、この曲、名曲ですね。私も歌ってみたいけれど、この曲はテノールで歌うよりも、ソプラノで歌った方が良いでしょうね。

 5曲目の『アヴェ・マリア』はマスネの作曲という事で、私の聞いたことのない曲でしたが、よくよく聞いてみたら、これ、ヴァイオリン曲として有名な『タイスの瞑想曲』だね。この器楽曲にラテン語の歌詞を載せてみました…というパターンで作られた曲でした。

 で、最後が『虹の彼方へ』という、再び英語の歌となりました。英語の聞き取りにくさは、あまり変わりませんでしたが、1,2曲目よりも声が出ていました。このソプラノさんは、スロースターターなのかもしれません。最初っから、コンサートの時間は30分と決められているのだから、最初の最初から声を温めておいて、バンバン歌わないといけないのになあ…とも思いました。

 まあ、ウルサイことも書きましたが、総じて楽しかったですよ。ただ、この歌手さんは30分ではなく、もっと長い時間のコンサートで聞きたかったです。ちょっと時間が短かったような気がします。あと、曲目的に、あまり本気を出していないような気もするんですよね。まあ、まだ若いのだし、頑張れ頑張れ。

 コンサートが終わって、ちょうどお昼となったわけだけれど、今年は昨年のように、お昼の休憩時間がなかったので、コンサートとコンサートの間の15分程度の休憩時間に、事前に買っておいた、おにぎりを食べてました。いやあ、水田を眺めながらの握り飯も悪く無いですよ(笑)。

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2016年5月 5日 (木)

メガネとステージ

 私は若い時から、遠視でした。

 子どもの時から視力が良くて、近くも遠くもバッチリ見えて、とても便利でした。よく眼科検診では「遠視だから矯正が必要だ」と言われていましたが、日常生活では何の不便もなかったので、放置していましたが、やはり遠視は体力的にきびしいのか、私は30歳を少し過ぎた辺りで、老眼になってしまいました。

 若白髪ならぬ、若老眼ですね(笑)。

 と言うわけで、年を取った今では、近くも遠くもよく見えない人になってしまいました。つまり、どこにもピントが合わない人なのです。ですから、手元を見る時は、手元用のメガネを、遠くを見る時は、遠く用(ってか外出用)のメガネが必要で、日常生活(ってか、仕事)では遠近両用老眼メガネで我慢しています。それでも、やっぱり中距離に焦点を合わせているので、手元や遠望はやっぱり見えません。

 まあ、そんなわけで、コンタクトも使えずに、近距離専用とか、音楽練習用とか、外出用とか、あれこれメガネを使い分けて暮らしております。

 まあ、そんな私のメガネ事情の話が今回のメインでは無いのです。とにかく、私はメガネをかけて生活をしている人だと言うわけです。

 問題は、舞台に出る時ですね。

 私は、近くも遠くも、よく見えない人なので、本当はメガネをかけて舞台に出たいのです。私が合唱団員とかオーケストラ団員とかだったら、たぶん音楽用のメガネをかけて舞台に出ちゃうでしょうね。だって、誰も私のことなんて見ていないから。でも、声楽であれ、フルートであれ、ソロとなるとメガネは掛けてられません。

 メガネって、レンズが入っていると、反射して、客席から目が見えないんです。それが良くないと私は思うのです。だって、それって結果的にはお客さんから目を隠す事になるわけで、、サングラスをして舞台に上がるのと同じことになってしまうのです。だから、どうしてもメガネをかけて舞台に上がりたいなら、メガネのレンズを外して、コンタクトを入れて、レンズ無しのメガネをするべきだと思ってますし、実際、舞台でメガネをかけている人って、そんな感じの人、多いですよね。。

 でも、強い遠視の私は、コンタクトでの矯正(ってか、ピント合わせ)ができないので、舞台では、どうしてもメガネを外す事になります。基本的に、舞台では、よく見えない世界に突入しちゃうわけです。不便は不便です。

 ですから、舞台袖まではメガネをかけて、楽譜を確認したり、色々と細かいものを見ていますが、舞台上で細かいものを見る必要なんてあまりないので、舞台に出る直前にメガネを外しているのです。これはこれで、きちんとしていれば、それほど不便ではないのですが、たまに、ついうっかりメガネをかけたまま舞台に出ちゃう事があって、後でそれに気づいて、凹んだりします。

 悩ましいです、メガネ。

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2016年5月 4日 (水)

ボエームは、やっぱり大変(汗)

 声楽のレッスンの続きです。今回は時間的な余裕も無いという事で、さっそくボエームの練習に入りました。とにかく、先生的には、第一幕が心配でならないようです。

 とにかく、レガートに歌う事。優しく歌う事。場面に応じた歌い方をしていく事です。コンサートでアリアを歌うのとは、わけが違うわけで、ガンガン歌えばいいってモノではありません。特に今回のボエームで私が歌う箇所には、アリア的な部分はほとんどありません。あるのは、ただ、セリフ的な歌唱ばかりです。おそらく、モーツァルト時代だったら、レチタティーヴォで済まされてしまうような、ストーリーを進めるための歌ばかりです。まあ、聞かせどころ的は皆無ですが、ストーリーを進めていかなければなりません。つまり、俳優として歌うわけですから、歌で目立てばいいってわけでもないのです。

 セリフを歌っていくのですから、当然、他の出演者たちとの掛け合いが多くなりますが…この掛け合いと言うのが、案外、難しいです。相手の歌を受けて歌うのですが、歌い出しのタイミングが結構難しいのですよ。拍の途中から歌い出すなんて、たくさんありますよ。ほんと、歌に入るタイミングが難しいんです。

 合唱なら、拍を数えて入ればどうにかなりますが、オペラは拍を数えている余裕がありません。と言うのも、自分は歌っていなくても、演技をし続けないといけないので、カウントに集中できないのです。そこで取るべき方法は、他人のパートも覚えてしまい、一緒に(脳内で)歌って、それから自分のパートを歌えばいいのです。これなら拍を数えて歌に入るよりも、楽だし簡単です。まあ、他人のパートを覚えていくのが、大変といえば大変なんですがね。

 とにかく、そんな調子で第一幕の冒頭部から、どんどん先生と合わせていきます。私はロドルフォを歌い、先生はその他すべてのパートを歌って、ピアノも弾いて合わせて行きます(先生が、大変すぎる!)。譜読みがまだ最後まで出来ないので、譜読みが終わったところまで合わせて、それ以降は、先生と一緒に譜読みです。いやあ、面目ない。

 とにかく先生と合わせて行って、イタリア語の間違っている箇所を直し、音程を取り間違えているところを直し…なんて事をやっているウチに、どんどん時間が過ぎていきました。

 しかし、音が取れないところは、たいてい上にはずしている私です。やっぱり、中低音を出すのって、勇気と体力がいるので、楽に歌っていると、どうしても高めになりがちのようです。気をつけないとね。うまく音が取れないところは、合唱同様に、他のパートの音を拾って確保することが大切です。やれやれです。ほんと、やれやれです。

 次回のレッスンまでに、第一幕の譜読みを完了させておく事を約束して、自分のレッスンを終了しました。

 いつもレッスンでは、私のレッスンから始めて、私のレッスン後に妻のレッスンをしていただいています。と言うのも、私のレッスンが先だと、妻のレッスンをしている最中に、その日のレッスンで学んだことを思い出しながら、メモ帳にまとめる事ができるんですね。習った事を、きちんとまとめてメモ帳に書き出すのは、学習の定着という意味で良いことですし、この時のメモ帳が、のちのちのブログ記事のネタ帳代わりになったりするのです。

 で、今回もそんな感じで、妻のレッスン中にメモメモしていた私ですが、妻も一通りの発声練習を終えたら、ボエームの練習に入りました。妻は第四幕だけなのですが、妻が歌うのはロドルフォとの二重唱の部分なので、妻のレッスン中も、私はロドルフォのパートを歌うためにレッスンに参加しないといけない(本番でも私がロドルフォを歌います)のです。もちろん、レッスンの主体は妻ですから、私は単に相手役として歌うだけですが、これが結構気が抜けません。まるで、一度に二人分のレッスンを受けたような疲労感に襲われました(笑)。

 ま、それはそれで悪くはない感覚ですけれどね。

 しかし、ボエームをやると決めたわけですが、今までの発表会での準備の数倍、時間とエネルギーがかかっています。ああ、当日までに、これらを暗記できるでしょうか? ちょっと不安になりました。一応、私の計画通りに練習が進めば、どうにかなるはずですが、途中で体調とかを崩して、練習のペースが落ちると危ないです。ですから、練習も大切ですが、体調管理も大切だなって思ってます。

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2016年5月 3日 (火)

自分の成長を感じる事は、嬉しい事です

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発表会の打ち合わせから。今回の発表会の参加人数は、とても少ないのだそうです。まあ、当門下の発表会は、自由参加制ですから、日々のレッスンだけで発表会に参加しない人もいれば、出たくても、日程的に都合が付かなくて参加を取りやめる人もいるので、いつもそんなに大勢の参加は見込まれないのですが、それでも今回は、かなりの少人数での開催となりました。ううむ、ちょっと残念。

 まあ、参加人数が少ないと、一人あたりの持ち時間が増えるわけです。

 今回は第二部で「ボエーム」のハイライト上演をやる予定で、そちらに出演する人たちは第一部の通常形式の発表会の持ち時間が少なめになる予定でしたが、全体の参加人数が少ないために、それぞれの持ち時間が多少、多めになりました。

 私も第一部の通常形式での発表会で、オペラアリアを一曲歌うつもりで、色々と考えて、短めの曲を用意するつもりでいましたが、多少は時間に融通がきくことになり、改めて選曲に関しては練り直すことにしました。前回までは、先生から3分前後の曲と言われていて、そこに1分程度の曲(笑)を持っていくつもりでしたが、さらに時間があるとなると、さすがに1分程度の曲では短いかな…もう少し、普通サイズの曲を持って行った方がいいかなっと悩むようになりました。

 まあ、次のレッスンまで半月ありますから、選曲については、じっくり悩む事にしました。

 それと、当然、発表会への参加者の人数が少なくなると、発表会への参加費も多少はお高めになります。まあ、それは仕方のない事です。おまけに、今回は、ボエームの部分で、プロの方々に助演をお願いしていますので、その方々への謝礼も参加費とは別途用意しないといけません。

 発表会(第一部の部分)のピアノ合わせは、発表会費用に組み込まれますが、ボエームの音楽稽古は、別会計になります。まあ、これはピアノ合わせと違って、長時間の稽古を゛複数回に渡って行うわけですから、これも仕方ないです。まあ、素人レベルとは言え、オペラをやるわけですから、あれこれ掛かるは、ほんと、しょうがない。オペラって、金食い虫だからね。そこは腹をくくらないと…ね。

 さて、前回のレッスンで提出した「ボエーム」の台本にダメ出しがされました。ダメの内容は「長すぎる」です。まあ、それは私も承知していたわけで、そこからカットすればいいやと思っていたので、それは良しです。

 で、それに対して、先生の要望がありました。一つはこの台本をカットして短くしてナレーションで使うこと。まあ、これは私の想定の範囲内です。もう一つは、ナレーション原稿化のために削除した内容を復活させて、歌劇「ボエーム」のあらすじ本として、プログラムに添付する事。つまり、私が最初に提出した台本を元に、それを短くして“実際に舞台で使用するナレーション原稿”を作ることと、元の台本を長くしたモノを、プログラムに添付して、休憩時間に読んでもらうための“ボエームのあらすじ本”を作る事。この2つを用意してもらえないだろうかという依頼です。

 まあ、ナレーション原稿の方は、最初からの依頼だし、元々カット前提で書いた原稿だから、まあいいとして、あらすじ本の方は、ちょっと大変かなって思いました。だってね、カットするのは楽だけれど、付け足すのは、結構シンドいよ。まあ、付け足すとしても、第一幕のベノアのシーンと、第二幕前半の合唱のシーン、最後のコメディーシーン、第四幕の中頃にあるそれぞれのメンバーたちが退場していくシーンの4つと、全般的な見直しをすればいいかなって思ってます。

 まあ、大変は大変だけれど、自分の勉強にもなるので、両方取り組む事にしました。頑張りますよ。

 さて、肝心のレッスンですが、まずはハミング練習から行いました。今回、注意されたのは「後ろを開ける」という事です。ハミングの響きが、どうにか上に定着してきましたが、今度は後ろに開けましょうという事です。一難去ってまた一難…というべきか、学ぶべき事なら山のようにあるってわけです。

 ハミングを終えて、実際に声を出しての発声練習になったところで、なるべく気張らずに発声することを注意されました。とにかく、緊張しない事。頑張らない事。大きな声で歌おうとしない事。あくまでも、何気なく、楽に、ふわっと声を出すことが大切です。もちろん、それは胸から上の話です。力む事で、ノドに力が入ることを避けるのです。なにしろ、ノドに力が入っては、出せる声も出なくなってしまうわけですからね。特に今回のボエームでは、高い音が普通にバンバン出てきますから、それに対して、一々力んでいたら、何もできない…ってわけです。

 そして、そうは言いつつも、腹筋は必死になって支えなければいけません。「ノドは楽に、カラダは必死に」歌うわけです。

 それに合わせて、今回は舌の練習もしました。ノドを脱力して柔らかくして歌うのは、もう何遍も練習してますが、今回はそれに加えて、舌も柔らかくして歌う練習をしました。ノドも舌も柔らかくしないと、良い声は出ないのです。

 たかが発声、されど発声です。しかし、こうやってY先生に毎回のように発声を直してもらっているおかげで、最近、私は自分の声が、ようやく楽器になりつつあることを感じています。昔は、音域の広さとか音量の大きさばかりにこだわっていた私ですが、Y先生に師事するようになって以来、音色を整える事や音程を安定させる事などを学び、中音域での発声が安定してきた事と、声の楽器化は、つながっていると思います。いくら高い音を大きな声で歌えても、その声が怒鳴り声であっては、ちっとも音楽的ではありません。

 私、実は以前は自分の声があまり好きではありませんでした。だって、いい声ではなかったからです。でも、今は、だんだん好きになれるようになってきました。これもY先生に発声を習ってからの変化です。ちなみに、話し声の方は、相変わらず、好きになれません(笑)。

 自分が変わる、成長するというのは、いくつになっても嬉しいことです。

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2016年5月 2日 (月)

音量を馬鹿にしてはいけない

 繊細な音楽は美しいです。

 意図された繊細さは美だと思います。しかし、単に音量不足な音楽を称して“繊細な音楽”と言うのは、間違っていると思うわけです。

 まず音楽は、観客に聞こえなければ成り立たない芸術です。ポピュラー音楽ならば、演奏者自身が出す音が小さくても、マイクによる拡声が期待できるので、音量が特に問題になる事はありません。しかし、クラシック系の音楽は生音で勝負するわけだから、演奏者自身が出す音は、常に必要にして十分な音量が無いといけないわけです。

 器楽の場合は、楽器自体が、そもそも、ある程度の音量が出るように設計されているので、音量に関しては、特に問題にはされる事はありません。問題があるとすると声楽関係です。

 アマチュアの声楽発表会は、小さな会場で行われる事が多いです。せいぜい大きくても、収容人数が300名以下の小ホールがほとんどであり、時には収容人数が100名以下のサロンホールであるとか、50名以下の会議室やレストランなどでも行われる事すらあります。収容人数が500名程度の中ホールとか、1000名を超える大ホールなどで行う事は、まず滅多にないです。これは、集客能力の問題もあるけれど、出演者の声に対して、ホールが大きすぎるからでもあります。実際、1000名を超える大ホールとなると、プロでも厳しい人がいるくらいですからね。アマチュアでは、ほんと、厳しいと思います。

 先日私が聞いた見知らぬ方の声楽発表会は、50名も入れば満席になってしまうサロンホールで行われました。私は、そんな狭いホールの、それもその一列目に座ったのだけれど、出演者の声を聞き取るのに苦労しました。はっきり言って、歌声がピアノにかき消されてしまうこともありました。もちろん、ピアノがガンガン弾いていたわけでは、もちろんありません。単に、歌手自身に声量が無かっただけ話なのです。

 でも声量が無かっただけで、出演者の方々の歌を、耳を澄ませて聞けば、皆さん、それなりに良い歌を歌っています。音程もリズムも安定していて、まるで楽譜が見えるような歌い方をしていました。

 それに声量が無いと書きましたが、全く聞こえないわけではなく、おそらく、六畳程度のレッスン室ならば、あの声量でも十分なんだと思います。ただ、たかが50名程度しか入らないとは言え、サロンホールで歌うには声量が不足していたと思うのです。

 ですから「ああ残念」と思いました。きちんと歌っているのに、歌っている場所が、ちょっとばかり広かったなあ…と思ったものです。発表会には向かないかもしれないけれど、もう少し小さくて、響きの良い部屋で歌ったら、だいぶ印象も変わったろうなあって思ったものでした。

 でも、改めて思ったのは、声量が無いと書き「ああ残念」と思ったものの、普通の人の、普通の声量って、たぶんこんなものじゃないかなって事です。もちろん、クラシック系の歌を独唱するには、声量が不足しているのは確かです。その原因はおそらく、腹式呼吸が出来ていないからでしょう。これで腹式呼吸がしっかり出来るようになれば、かなりの音量で歌えるようにあるでしょうね。

 さらによくよく考えてみると、市民合唱団にいる人にも声量の大小のばらつきはありますが、この発表会に出演されている声の持ち主なら、むしろ合唱団では、大きめの声になるかもしれないなあ…って事です。

 私は日頃、馬鹿みたいに大音量の声の人とばかり接しているので、こういう普通の感覚をうっかりすると忘れてしまいます。でも、これくらいの声量が普通なんですよね。

 普通の人が、普通に歌っていて、それで不足を言うなんて、それは求めすぎ…なのかもしれません。

 でもやっぱり、アマチュアとは言え、声楽の発表会(つまりコンサート)なのに普通の声量なのが、残念です。声楽の発表会なら、もう少し音量が欲しいかなあ…と。まあ、でも、音量は残念なんだけれど、音程にしても、リズムにしても、正しくきちんとしているんですよ。だからこそ、音量の小ささが余計残念に思えてしまうのかもしれません。

 そのお教室の先生は、どうやらピアニストさんのようで、歌手さんではないので、歌を教える際に、器楽的に音程とかリズムとかを正しさを求め、楽譜通りにきちんと正しく歌う事を求めるのでしょう。それはそれで正しい指導だと思います。そして、大きな声で歌うことを、おそらく生徒さんには、さほど求めていないのだと思います。はっきり言っちゃえば、生徒さんたちの発声指導には、それほど重点を置いていないのかもしれません。

 しかし指導と言うものは、相手に合わせてするものだし、ある部分を強調し、ある部分は捨てて教えていくことも必要です。なまじ、大声を求めていくと、音楽の正確さが失われていくのが常ですから、声量を求めていかない指導も、ある意味、正解と言えるでしょうね。

 実際問題として、趣味の人の歌ならば、このくらいの声量で十分…とも言えます。少なくとも、市民合唱団に入る事を念頭に置いているならば、これくらいの声量の方がちょうどよいかもしれません。だって、これ以上大きな声になると、合唱団でいじめられますから(大笑)。そういう意味では、実に適切な指導をされているのかもしれません。

 でも、やはり、独唱をするなら、他を圧倒するほどの声量が欲しいなあと思いました。まあ、あくまでも私の趣味なんですけれど、声で観客を圧倒し、魅了して欲しいと思うのです。

 音量よりも、正しさを優先して教えていくのは、指導方針としては正しいと思います。でも、音量もやっぱり必要だよね。吹奏楽のコンクールなどでは、音程とかリズムとかハーモニーとか響きとか、正しかったり美しかったりするのは当たり前で、その上で、それだけ迫力のあるサウンドを作れるかが勝負ポイントだからね。大きな音量がいつでも出せるのが、良い演奏とも言えるわけで、大きな音量が出せないのは、かなり厳しいと、私は思うわけです。

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2016年5月 1日 (日)

歌劇王カルーソーなんだよ![2016年4月の落ち穂拾い]

 ようやく花粉症の季節が終わりました。さあ、夏がやってきます。これからは、汗だくの日々だあ~(涙)。デブには、夏はつらい季節だよぉ~。でも、決して嫌いじゃないです(微笑)。

専業と兼業

 フルーティストって、ポピュラーの世界だと、フルート専業の人もわずかにいますが、大半はサックスとの持ち替えのプレイヤーだったりします(それもメインはサックスだったりしてね)。この持ち替え組のフルーティストの中にも、なかなか面白いプレイヤーがいます。サックスのプレイをフルートに持ち込む…と言うのかな? フルート専業の人とは、音楽のアプローチが違うんですよね。あるいは、サックスじゃできない事をフルートでやってみる…とかね。そんな感じがします。

 エリック・ドルフィーは、どちらなのかな…って思って音源を聞いてみたのですが、たぶん、彼の中では、サックスとフルート(とバスクラ)は、それぞれ別物なのでしょうね。手にする楽器が変わると、作る音楽が微妙に違うような気がします。でも、根っこはやっぱり同じで、エリック・ドルフィーは、どの楽器を演奏してもエリック・ドルフィーだったりするのが、面白いんですけれどね。

 ああ、最近、ジャズ聞いてないなあ…。たまにはジャズにどっぷり使ってみたいなあ

合唱の声、声楽の声

 合唱の人が発声を習うと、声が良くなりすぎて合唱で浮いてしまう…と言うのは、よく聞く話です。日本の合唱では、なぜかは分かりませんが、よく言うと“ピュアの声”が、悪く言うと“素人丸出しの声”が好まれます。訓練された声は、あまり好かれないんです。

 考えてみると、アイドル歌手や流行歌手も、歌が上手いと人気が出ませんから「歌はちょい下手がいい」というのが、我々日本人の感性なのかもしれません。だから、声を徹底的に訓練する声楽の声が、日本ではあまり好まれないのは、きっと歌が上手すぎるからなんだと思います。

 なので、合唱を楽しんでいる人が、その向上心からヴォイストレーニングを始め、声楽の個人レッスンを受け始めると、声が良くなって、結果として合唱団で浮いてしまい、合唱が楽しめなくなるという矛盾があるわけです。

譜面が読める事って、そんなに大切な事ではない

 ある時、神様が私の枕元に立ったと想像してください。

 そして神様が言いました。「今からお前を次の2タイプのどちらかの歌手にしてやろう。どちらが良いか、選びなさい。まず最初は、楽譜は苦手だが、耳が良くて、耳コピー能力が素晴らしい歌手になる。もう一つは、楽譜はバリバリ読めて初見もバッチリ歌える歌手になる。さあ、どちらの歌手に、お前はなりたいのか?」

 さあ、あなたなら、どちらを選択しますか。

 私は、最初のタイプですね。検討の余地すらありません。耳コピでバッチリ歌える方です。

 と言うのも、譜面が読めるかどうかなんて、声楽の世界では“どーでもいい事”じゃないかなって思うからです。

 日本のプロ歌手の皆さんは、たいてい音楽大学卒ですし、アメリカのプロも養成所上がりがほとんどだから、楽譜が読めて当たり前ですが、ヨーロッパ出身ののプロ歌手は、まだまだ楽譜が読めない人が、結構いるんですよ。それこそ、楽譜が満足に読めない歌手が多いので、歌劇場にはコレペティという専門職の人がいて、彼らが歌手たちに歌を教え、歌手たちはそれを耳コピして舞台に出ます。

 それに楽譜通りに歌う事が、必ずしも正義とは限らないのが声楽の世界でしょ?

 器楽の話では、まず楽譜通りに演奏できる事が最初に求められるわけで、その範囲の中で個性を出していけるのが、一流の演奏家だけれど、声楽だと、オペラにせよ、歌曲にせよ、そもそも、楽譜通りに歌わない事が多いですし、慣習的な歌い方というのは譜面化されていなモノが多いので、結局、先人たちの歌唱を耳コピして、それに自分の個性を足していくわけです。結局、最初に必要なのは、読譜力ではなく、耳コピ能力ですよ。

 有名な話ですが、パヴァロッティは(全くというわけではないそうですが、それでもほとんど)楽譜が読めなかったそうです。だから、コレペティのお世話になりっぱなしだったそうです。一方、ドミンゴは楽譜が読めるどころか、ピアノも上手だし、指揮者もやっちゃうくらいに音楽的素養にあふれた人だったそうです。一人でどんどん譜読みが出来たので、レパートリーが多かったんだろうなあって思います。

 なので、歌手にとって、楽譜はもちろん読めた方が良いに決まってますが、しかし読めない事は、決して決定的な欠点になるわけではないと思うのです。ならば耳が良くて、耳コピが簡単にできる方が良いなあ…と私は思うわけです。

 それに耳コピが得意なら、当然、声真似も得意なわけで、美声の歌手をたくさん聞くことで、自分の声を美しくすることも、割と早めにできるんじゃないかなとも思うわけです。やっぱ、耳コピ能力が最初だな。

今月のお気に入り 歌劇王カルーソー

 先日、時間つぶしのために近所の書店に入って、書棚に並んでいる書籍の背表紙を眺めておりましたら、著作権切れによる廉価版のDVDが多量に並んでいたと思ってください。並んでいるDVDたちは、往年の名画のDVDたちです。なにしろ、そのほとんどが白黒映画だと言うのだら、ほんと、古き良き時代の名画たちです。『風と共に去りぬ』とか『市民ケーン』とか『駅馬車』とか、そういう類の名画がズラリですよ。

 その中に、10枚1パックの安売りDVDがありました。タイトルは『名作映画 音楽の巨人たち』で、お値段は1800円でした。1800円で10枚ですから、1枚180円の激安DVDです。

 何気に棚から取り出して眺めてみました。私、昔々の白黒音楽映画って嫌いじゃないんですね。色々な音楽系の名画が入っていますが、私がビックリしたのは「歌劇王カルーソー」がその中に入っていた事です。

 知ってますか? 「歌劇王カルーソー」という映画。1951年に製作されて世界中で大ヒットしたハリウッド映画です。日本では1952年に上映されたそうですが、そんな昔の事なんて知らないよね。

 主演はマリオ・ランツァ。今で言う、クラシッククロスオーヴァー系の先駆けのような歌手です。オペラ歌手なんだけれど、歌劇場ではなく、映画スタジオをメインに活躍した人です。基本的には“銀幕の歌えるスター”と言った感じの人。この人の出た映画は、みんなヒットしたようだけれど、とりわけこの「歌劇王カルーソー」は大ヒットだったようです。

 どれくらいヒットしたのかと言うと、子どもの頃のドミンゴもカレーラスもパヴァロッティも、この映画を見て、オペラ歌手になろうと思ったくらいにヒットした映画なんだそうです。おそらく、彼ら以外にも、同じようにオペラ歌手を目指す若者をたくさん輩出したと思われる、声楽系の伝説の名画なんですよ。

 映画自体は、19世紀末~20世紀初頭に活躍した、伝説のテノール歌手、エンリコ・カルーソーの伝記映画です。ちなみに、カルーソーは、世界で最初のミリオン歌手です。最初のミリオンセラーは「衣装をつけろ」ですね。

 その伝説のテノール歌手を、当時大人気テノール歌手であり俳優であった、マリオ・ランツァが歌って演じたのだから、大ヒットしたのは、ある意味当然なのです。だって、昔の大スターの役を、当時の大スターが演じたんだからね。“大スター☓大スター”ってわけですよ。

 ですから、この映画は、オペラを歌う人、とりわけ、テノールにとっては、未だに語り継がれるほどの伝説の映画なんです。

 伝説の映画なんですが、今の日本で、この映画を見るのはなかなか大変です。なにしろ、これまで日本語字幕付きのDVDが発売されなかったのですからね。見たければ、外国製のDVDを購入するか、YouTubeにアップされたものを見るかしかなく、ちょっと見づらい環境にあったわけです。

 昔々は、日本語字幕付きLDで発売されたこともあったようですから、何かの間違いで日本語字幕付きDVDが発売されていないかどうか、私も結構丹念に調べて探したのですが、ついぞ見つけ出して入手する事ができず、半ばあきらめていたのですが、それが思いもかけない状況で出会えたわけですから、思わず衝動買いをしました。

 家に持ち帰って、すぐに見ましたよ。

 うーむ、素晴らしい。最初から最後まで、音楽にあふれている音楽映画でした。それも、大半はマリオ・ランツァの熱唱ですからね。熱いテノール魂炸裂の映画ですよ。ストーリーはただの添え物で、とにかくランツァが歌いまくる映画でした。

 いいね、これ。これが他の映画と抱き合わせとは言え、1800円で手に入るんだから、儲けものです。もちろん、抱き合わせされた映画だって、なかなかの名画だったりします。私は「歌劇王カルーソー」を真っ先に見ましたが、その他の名画も、暇を見つけては、チマチマ鑑賞しています。「グレン・ミラー物語」なんて、なかなか面白いですよ。

今月の金魚

  2016年4月23日  メダカ50匹投入!

今月のひとこと

 最近、ここ“ひとこと”欄の更新が滞ってます。気になっているのだけれど、やむなく放置状態ってのが続いています。まあ、ブログ本体の更新でヘトヘトと言うのが実態なんだけれどね。最近色々“忙しい”が重なっておりまして、こういう生活を続けていると、やっぱり、ブログの継続は無理かな…なんて、やさぐれております。とにかく、休みたい…です。(2016年3月30日~4月1日)

 エイプリルフールに嘘を付いた人はいますか? 私は忙しすぎて、嘘つくヒマもありませんでした(という嘘がもよ:笑)(2016年4月1~3日)。

 ああ、毎日毎日、肩が痛くて困っています。どうやら五十肩のようです。五十肩なら病院で治療を受けるべきなんだけれど…忙しくて病院に行っているヒマがない。それに痛いと言っても、命に別状はないし…と思うと、病院への足も遠のくというものです。ああ、時間ができたら、整形外科に行って、肩をみてもらおうっと。おっと、それもそうだけれど、歯医者にも行かないとなあ。最近、歯の詰め物が取れやすくなっているんだよね。むしろ、緊急性が高いのは歯科の方かも…。(2016年4月3~8日)

 私のうっかりミスで、本日(2016/04/08)の記事のアップが2時間遅れてしまった事をお詫びします。(2016年4月8~9日)

 最近、煮干しが美味しいと思う。大きな奴を頭からかじるのがベスト。和風のビーフジャーキーみたいな感じで食しています。(2016年4月9日)

 発表会用の『ラ・ボエーム』の原稿の第一校が仕上がった。うれしい。予定より2週間遅れだけれど(笑)。次のレッスンで、原稿を先生に渡してダメ出しをしてもらって、第二校の執筆に取り掛かるとするか。それまでは、肝心の歌の練習に邁進だな。(2016年4月9~13日)

 花吹雪の季節も終わり、いよいよ目にも鮮やかな葉桜の季節となってきました。それにしても、サクラって潔いよね。また来年を楽しみにしましょう。さあ、これで花粉症の季節が終われば、万々歳だ!(2016年4月13~20日)

 今回の九州地方で震災に遭われた方にお見舞い申し上げます。それにしても、デマ情報を流したり、応援している人を茶化したり、被災者の発言に難癖つけたりする、愉快犯の人たちが大勢いる事が悲しいです。そういう人がいるから、世間からインターネットでの意見交換が怪訝視されるんだよな。自覚を持って発言しろよ…と言っても、通じないんだから、手に負えない。「正義は常に他者にある」ことを理解して欲しい。とにかく、被災していない人たちは、直接の援助も大切だけれど、それがかなわないならば、せめて日本経済を回していこう。“金は天下の回りもの”だから、経済活動を回していくと、それがやがて被災地の活性化につながっていくんだから。(2016年3月20~24日)

 先日購入したオペラのDVDが、我が家のBlu-ray再生専門機でハネられて、再生できなかったんですよ。「え? このDVD、不良品!」とか思ったのですが、HDDレコーダーでもDVDの再生が出来る事を思い出して、そっちで試してみたら、普通に再生できました。つまり、ディスクそのものには瑕疵がなかったわけです。Blu-ray再生専用機も、HDDレコーダーも同じメーカー製品なので、基本的に違いはないはずだけれど、再生専用機は安かったからなあ…使っている部品とかが違うから、そこがネックになったのかな? CDが出始めた頃の昔は、よく、こっちのプレイヤーでは再生できるけれど、あっちのプレイヤーでは再生できないという“ディスクと再生機の相性問題”がありましたが、Blu-rayの時代になっても、まだそんな事があるんだーと、なんか懐かしい気分になりました。(2016年4月24~26日)

 今回の北海道補選を端から見ていて分かった事は『野党共闘』と言うのは「共産党主体で選挙活動をする」って事だし、全国の共産党系の市民活動家が選挙スタッフとして野党統一候補を応援しバックアップしていく選挙のやり方だと言う事です。共産党と言えば、以前はソ連系の政党でしたが、1991年のソ連崩壊以降は、急激に中国に寄っていった政党であり、今や中国の国益のために働く政党なわけです。我が国には言論の自由があり、結社の自由もあるから、そういう政治団体が存在する事自体は問題ないけれど、選挙が『自民党VS共産党』という形になるのは、不健全というか、ありえない話だと思うけれど…現実は、そんなありえない事が起こっているわけです。しかし、今回のSEALsたちの選挙応援は、公職選挙法にひっかかっていると私は思うけれどな…。勝つためには、なんでもアリなのが共産党的だな。(2016年4月26~30日)

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