ひとこと

  •  お相撲さんは格闘家であり、その素手は強力な武器であるわけだから、土俵以外の場所では、たとえ素手であったとしても他人を殴ってはいけないわけだし、ましてやその手に器物を掴んで凶器を使用してしまったら、言い訳はできないし、そもそもやり過ぎだし、卑怯ですらあると、私は思う。今回の件は、日馬富士にも同情すべき点は多々あると思うし、魔が差したのかもしれないが、鉄拳制裁はアウトだと思う。武道や格闘技は、暴力とは違うわけだが、角界の範たる横綱が暴力を行使しちゃあ言い訳できないよなあ。
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2016年2月 1日 (月)

日本語で歌うのは難しい

 私はクラシック系の日本語の歌、つまり、日本歌曲って、歌うのが難しい歌だと思っています。

 その理由として、まずは日本語できちんと歌を歌うこと自体が、相当に難しいです。もちろん、話し言葉の延長として、ポピュラー歌謡のような歌い方をして良いなら、そんなに悩まなくてもいいのかもしれませんが、クラシック系の歌曲って、マイクの助けがないので、発声発語をきちんとして歌わないと全然わけわからんちんになってしまいがちです。ですが、日本語の発声発語って、クラシック声楽のそれとは、かなり違うし親和性も低いので、日本語をクラシック声楽の発声に載せて、きちんと歌うのって、本当に難しいと思います。

 クラシック声楽の発声に載せて歌うためには、まず母音子音ともに、クリアに発声できないと、ちょっと厳しいと思います。ところが、日本語をクリアに発声するのって、物理的には特に難しいものではないと思います。所詮、人間が話す言語ですから。だから物理的には、他言語と同じ程度に難しいにすぎないのでしょうが、知的にクリアに発声するとなると、これが案外難しいんですよ。

 と言うのも、日本語ってカナ表記をするじゃないですか? あるいは漢字表記だったとしても、その漢字は、頭の中でカナに変換されてから発音されるわけでしょ? 問題は、このカナの歌い方なんですよ。

 カナって1文字で1音を表現している、とてもクレバーの表記だと思います。ほんと、我々の生活感覚にぴったりマッチしている、素晴らしい表記だと思います。

 しかし、実際の1音ってのは、我々が1音と感じていても、実は“子音+母音”の組み合わせで成り立っているわけでしょ? いや音によっては“子音+子音+母音”だったり、逆に“母音のみ”だったり…。いやいや、同じ“子音+母音”の組み合わせなのに、子音と母音の発音時間違いで区別したり、全く違う発音の音列を関連づけて誤解を生じさせたり、同じ表記なのに違う音だったり、違う表記なのに同じ音だったり、休符だったり…。私たち日本人は、そんな面倒くさい事を、カナと言う便利の表記を使って飲み込んで、先祖代々無意識にやっていたので、今更それらをきちんとやりなさいと言われても、色々厄介なわけです。

 具体的に考えてみます。

 “子音+母音”ってのは、普通の音の事で「か」とか「わ」とかの類です。“子音+子音+母音”ってのは、いわゆる拗音の事で「きゃ」とか「にゃ」とかの類です。まあ、二番目の子音は、大抵半母音だったりするわけだけれどね。“母音のみ”ってのはア行音で「あ」とか「い」です。まあ、この辺は特に問題ないと思います。

 『同じ“子音+母音”の組み合わせなのに、子音と母音の発音時間違いで区別したり』ってのは、ほんと意識の薄い人も多いのだけれど、有声音と無声音の違いであり、清音と濁音の区別です。具体的に言えば「た」と「だ」の違いです。

 「た」と「だ」って、実は同じ子音なんですよ、知ってましたか? ただ違うのは、子音を発声してから母音を発声すると清音の「た」になり、子音の発声と同時が、それよりも早く母音を発声すると濁音の「だ」になります。そんだけの違いです。

 『全く違う発音の音列を関連づけて誤解を生じさせたり』と言うのは、ハ行音とパ行音とバ行音の事です。まあ、バ行音が濁音ってのは分かると思うけれど、じゃあ「そのバ行に関連している清音って何?」って尋ねると、多くの人はハ行音って答えると思うけれど、それって実は間違いです。実際に発音してみれば分かるけれど、バ行音を清音化してみると、実はハ行音にはならず、パ行音になります。つまりパ行音って清音なんですね。「じゃあハ行音って何?」って事になるわけだけれど、いやあハ行音ってのはなかなかの曲者なんですよ。つまり、少なくともハ行音と、パ行音バ行音は、特に関係のない音列なんです。

 ハ行音と同様に曲者なのがサ行音です。たとえば「さ」と「し」の子音は違うのに、同じサ行音としてくくられているわけで、ほんと厄介。

 『違う表記なのに同じ音だったり』の有名な例は「す」や「が」ですね。文中の「す」と文末の「す」は違う音ですし、語頭の「が」と語中の「が」は違う音です。「す」は文中では“子音+母音”ですが、文末だと“子音のみ”になります。「が」は語頭では濁音(子音+母音)ですが、語中では鼻濁音(子音+子音+母音)という別の濁音になります。厳密に言えば別の音なのに、表記が同じなんですよ。

 “子音のみ”の音というと「ん」もそうですね。「ん」の場合は、その前後に付く音で、実は発音が違っているのですが、これもご存知ですか?『さんま』『でんぱ』『さんおう』の「ん」の発音は全部違います。実際「ん」の発音には8種類あるといわれるほど、前後の音のつながりで「ん」の発音って違います。ああ、面倒くさい。

 『違う表記なのに同じ音だったり』は「お」と「を」とか「じ」と「ぢ」とかですね。まあ、場合によっては、これらのカナの発音をし分ける事もありますが、でも現実的にはこれらのカナは同じ音を表している事の方が多いです。“休符”ってのは促音、つまり「っ」で、このカナの時って、実は我々、発音しないで息を止めているんです。つまり、「っ」って発音をしない事を表記しているわけで、いわば休符なんですね。

 日本語って、こんなにタイプの違う発音の音が多数あるのに、それらをカナという表記方法で細かな違いを飲み込んで、ザックリと表記されるために、案外我々は発音の仕組みの違いに無頓着のまま、日常生活を送っているわけです。日常会話なら無頓着でもいいわけです。だって、きちんと発音出来なくっても、適当に間違っていても、前後の脈絡から色々と類推できるので、特に困ることはないのです。しかし、歌としてきちんとした発音で歌うとなると、案外難しいのです。なにしろ、我々日本人は日常生活では、無意識に適当に発音していて、それで平気なんです。それを歌の時だけちゃんとしろというのは無茶ぶり過ぎるのです。

 ですから、それを回避するために、楽譜の歌詞をかな漢字で表記するのではなく、ローマ字表記で歌詞を表記してみるというやり方もありますが、ローマ字表記はカナ表記よりはマシとは言え、ローマ字表記で対応できるほど、日本語の発音って簡単ではなく…って考えちゃうので、日本語を歌うのって、難しいなあ…って私は思ってます。

 以上は、子音と母音の組み合わせの話でしたが、日本語歌唱は、母音単体で考えても、厄介だと思います。

 まず、日本語のナチュラルな母音って、クラシック歌唱には載りづらいと思います。その理由は、日本語の母音はヨーロッパ語(イタリア語だと思って下さい)と比べると、圧倒的に浅くて平たいのです。ほぼ響きがありません。

 なぜ日本語の母音に響きがないのかと言えば、おそらく生活環境の中に響きがないからでしょう。日本人の生活環境では、音ってのは“周囲に筒抜け”がデフォルトです。音が壁や天井に“跳ね返ってきて響く”のではなく、壁や天井から音が“漏れたり逃げたり抜けたりして戻ってこない”のです。日本では、音は直進しなければ届かないのです。その極端な発声法が、民謡発声であったり、市場の行商人の発声であったり、詩吟や義太夫や講談の発声法なのです。クラシック歌唱の発声法とは、ある意味真逆の、ノドを締め付ける系の声です。この方向が日本語のデフォルトな発声なのですから、日本語とヨーロッパ語の母音って、本当に違うのだなあと思います。

 とは言え、日本人の生活環境もだいぶ欧米化され、今は昔の家屋ほど、音が筒抜けにはなっていないので、少しずつ日本人の発声も変わってきていると思いますが、やはり先祖代々受け継いできたものは、おいそれとは変わりません。日本語の母音は、歌にのりづらい母音だと思います。

 あと、日本歌曲が、その誕生期において模範としたのがドイツ歌曲だったせいもあって、歌詞が真面目で難しくて文学寄りで、いかにも芸術歌曲である点も、簡単には歌えない理由だと思います。いやあ、表現が難しいのですよ。イタリアとかイギリスとかの、歌詞よりも音楽に重きを置くタイプの歌曲を模範にしていれば、歌い飛ばしていればいいので、かなり違ったと思うのですが、お手本にしたのがドイツ歌曲ですから、ほんと、表現が難しいんです。人生に風格がないヤツが歌うと、薄っぺらになって困るんですよ。

 では結論です。日本歌曲は…

1)きちんと意図的に発声発音をするのが難しい
2)そもそも母音がクラシック発声向きではない
3)真面目な歌詞が多くて表現そのものが難しい

 という訳で、歌うのが難しい歌曲であると、個人的に思っています。

 どうでしょうか?

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コメント

日本歌曲、一番困るのが、歌詞が紛らわしい歌だと暗譜しずらい。また、似たような言い回しが外国語より多く、暗譜しても間違える(笑)似たような意味の言葉で勝手に置き換え歌ってしまう、って意味ね(笑)その点、イタリア語で暗譜したらそんな事にはまずならない。だから、日本歌曲は嫌いかも。。。音程的にも低めで発声は浅くなり本当、大変!高音よりのソプラノやテノールさんはやっぱり苦手では?日本歌曲のハイツェー超えとか、そんな曲、あったっけ?ないよね?(笑)

アデーレさん

 日本歌曲は有節歌曲(いわゆる、1番、2番…というヤツ)が多いので、同じメロディーに数通りの歌詞が載っかっているので、ほんと、暗譜しづらいですね。あっちこっち、ゴチャゴチャになっちゃう事も多いです(私の場合)。イタリア歌曲の場合は、歌詞が変わると、繰り返しに思える箇所もメロディーが変わってきますので、歌詞とメロディーがよくつながって暗譜しやすいと思います。

>音程的にも低めで発声は浅くなり本当、大変!

 そうそう、ほんと、そうですね。ドイツ歌曲と日本歌曲は、バリトンさんが歌うのに、ちょうどいいんじゃないかって、個人的には思ってます。音程的に低めならば、移調すれば、高音になりますが、そうなると全体的に高くなるので、それはそれで大変なんですよね。

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