ひとこと

  •  昨今話題のフェイクニュースですが、日本語で言うところの“虚偽報道”であり、簡単に言っちゃえば“デマ”とか“嘘”です。でも、こんなフェイクニュースですが、コロッと騙されちゃう人も大勢います。イギリスがEU離脱を決めた国民投票だって、多くの人がフェイクニュースに騙されて、うっかり離脱を決めちゃったわけだし、アメリカ大統領のトランプ氏が選ばれたのだって、フェイクニュースのおかげとかじゃないとか…? 諸外国ではネットを中心にフェイクニュースが流れますが、日本では新聞テレビなどを通じて、堂々とフェイクニュースが、さも真実っぽい顔して流れてしまうから手におえません。朝日新聞の従軍慰安婦報道なんてフェイクニュースもいいところだね。あと、マスコミの伝家の宝刀“報道しない自由”を駆使する事によって、真実を隠蔽し、世論を自分たちの都合の良い方向に誘導するのは、フェイクニュースとは違うけれど、フェイクニュースよりもたちが悪いと言えば、たちが悪いのです。マスコミには、両論併記のカタチで真実をのみを報道してもらいたいものです…が、無理っぽいですね。
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2016年1月の記事

2016年1月31日 (日)

今月の私は、肩が痛かったのです[2016年1月の落ち穂拾い]

 暖冬だ~と油断していたら、急に寒くなって、色々と大変でした。まあ、体調を崩された方も大勢いらっしゃるでしょうが、私、風邪はひきましたが、医者に行かずになんとか治しちゃいました。そんなわけで風邪はなんとかしましたが、なんともならないのが、肩痛でした。今月は、ほんと、肩痛との戦いでした。とにかく痛みが出てくると、近所の整骨さんに通って痛みを取ってもらいました…が数日すると、やっぱり痛くなるんですね。で、また整骨さんに行くと…この繰り返しをしながら、徐々に痛みが和らいでいきました。月末の今は、なんとか小康状態ですが、いつぶり返すか不安な毎日を過ごしています。

労働とは

 要は、時間を切り売りして稼いでいるか、知力や才覚を切り売りして稼いでいるか、あるいは特殊能力の切り売りで稼いでいるか…世の中の労働って、そんなものかもしれません。もちろん、一般労働者は時間の切り売りでしょうし、経営者や企業の管理職と呼ばれる人たちが知力才覚で、職人さんたち(音楽家もここでしょう)は特殊能力の切り売りだと思ってます。それぞれに、それぞれのライフスタイルがあるんだと思います。

 特殊能力を持たない私にとって、才覚を切り売りして稼いでいる会社の社長さんたちって憧れです。でも会社を経営するのって、稼業としてはハイリスクな仕事だと思います。これは、東芝やらシャープやらサンヨーやらを見ていると、会社の大小には関係ないかもしれません。良い時は良いし、悪い時は悪いし、上がるのも速ければ、落ちるのも速い。何が起こるかわからない今の時代、1年後の自分の姿が想像できないわけだし、まさにリスキーです。でも、その分、仕事そのものには没頭できるし、それが人生のやりがいになっていくと思います。そこは時間を切り売りしている一般労働者とは、全然違う部分だと思います。

 特段の能力がなければ、時間を切り売りして生きるわけですが、昨今の不景気で、なかなか時間も買ってもらえない若者たちが増えてきました。生家が豊かなら家事手伝いとかニートなどの道もありますが、そうでなければ…浮浪者にならざるをえません。私は浮浪者にならずに済みそうだけれど、息子がなあ…。今の時代、若者が自分で稼いで生きて行くというのは、かなり厳しいからねえ。息子なんて、一歩間違えると、あっという間に浮浪者の仲間入りしかねないからなあ。ほんと、政府には、増税を考える前に、日本の景気ってやつを、きちんと立てなおしてほしいと思うわけです。

プロをなめちゃいけない

 私、思うのです。時折アマチュアの方で「プロ並」とか「プロを超える」とかを目指している方がいらっしゃるようですが、クチで言うのは簡単ですが、プロの方々の生活を知っていたら、そんなとぼけた事言えないんじゃないかな…ってね。

 プロの方々は、幼少期より人生を捧げて、今も捧げ、それらが日常になった上で、チャンスを掴んで今の地位にいるわけで、アマチュアのジイさんが、ちょっとばかり気合を入れて練習したからと言って、決して彼らに追いつけるはずもない…ってね。

 どんな分野であれ、職業人って、その分野ではすごいんだと思ってます。

私の好きなフルート奏者

 私が何と言っても大好きなフルートプレイヤーは、イアン・アンダーソン(Ian Anderson)です。彼を聞くなら“Plays The Orchestral Jethro Tull”というアルバムがお薦めです(特に“Eurology ”という曲は、フルート大活躍で大好きな曲で、ほんと大好きなんです)が、彼はジャズというよりもロックなフルートプレイヤーなので、除外しますと…やはり、ヒューバート・ロウズ(Hubert Laws)です。彼はクラシックとジャズの融合を目指した人で、彼を聞くなら、やはりショーケース的なベスト盤“The best of Hubert Laws”が良いのですが、廃盤のようです。マッコイ・ターナー(McCoy Tyner)のアルバム“Fly With The Wind”があるのですが、そこでのロウズのプレイズはなかなか良いと思います。

 まあ、ひとまずは、彼らの名前をYouTubeの検索窓にでも入れて、数曲聞いてみてください。

今月のお気に入り 森川健康堂 プロポリスキャンディー

 ノドの不調を感じると、マヌカハニーをベロベロと舐めてきた私ですが、マヌカハニーは何と言ってもお高いのが欠点です。もう少しお財布に優しく、ノドの調子を整えるものはないかしら…と思って手を出したのが、プロポリスキャンディーです。

 プロポリスキャンディー…と言っても、実にメーカーや製品ごとに違うことが分かりました。今世に出回っているモノすべてを、もちろん、試したわけではありません。たった数社のものをなめ比べてみた(安価だからできるわけです)のですが、今はとりあえず、このキャンディーに落ち着きました。

 実は私、長いこと、ボイスケアのど飴(プロポリスが配合されています)を愛用していました。そちらも割と良い感じでしたし、常用するならそれもありですが「ちょっとノドやばいかも…」と感じた際には、ちょっとばかり力不足を感じていました。森川健康堂さんのキャンディーは、ちょっとヤバイけれど医者に行くにはちょっと…と言った時にいいかもしれません。少なくとも、私はこいつをなめていたおかげで、何回かノド風邪を回避できたと思ってます。

 ただし、お味の方は刺激的で、お世辞にも美味しいとは言えませんので、広く万人にはお薦めできないかも。美味しいプロボリスキャンディーをご所望の方は他社の製品の方が良いですよ。大抵のモノは、このキャンディーよりも美味しいです。

今月のお気に入り 龍角散

 前述のプロポリスキャンディーは、ノドの不調を回復させてくれる良いキャンディーですが、咳をすぐに静めると言った作用はありません。いやむしろ、味がかなり刺激的ですから、却って咳が出てしまうかもしれません。

 咳って、ほんと、ノドには悪いですからね。咳を静めるだけでも、ノドって回復するんですよね。

 咳止め薬って色々ありますし、人によって効き目も違うようです。最近の私は、もっばら龍角散を使ってます。これ、水なしで飲めるので手軽ですし、私の場合は、本当にピタリと咳が止まりますから、うれしいです。

 欠点は…龍角散を服用した直後は、龍角散臭くなるようで、妻に「龍角散飲んだでしょ?」とモロバレになります。私はオッサンなので、龍角散臭くても平気ですが、匂いが気になる人だと、ちょっと厳しいかもしれませんね。

今月の金魚

 とりあえず、みんな元気です。

今月のひとこと

 先日、リンガーハットという長崎ちゃんぽんのチェーン店で食事をした。皿うどんというメニューがあって、なかなか美味しい料理なのだから、ちゃんぽんを食べた後に皿うどんを食べると、妙に皿うどんが味気なく感じられました。つまり、ちゃんぽん→皿うどんという順番で食べる組み合わせは、あまり良くないという事なんだと思います。それにしても、なぜそう感じたのかな? 味付けの問題かな? 普通のラーメン店で、とんこつラーメンの後に焼きそば食べたからと言って、味気なくなるなんて事ないのに…不思議だ。(2015年12月25~28日)

 ほとんど恐喝だよなあ。今、韓国で行われている日韓外相会談だけれど、韓国が、ソウルの日本大使館前に設置している慰安婦像の撤去の代わりに、20億円を要求しているのだそうです。1体につき20億か。今、世界中に慰安婦像って何体あるんだろ? 今回の20億でソウルの日本大使館前の像が撤去されたとしても、新しく像を設置しないという約束はないわけだから、今回の20億に味をしめて、今後も像の撤去のために、ガンガン金銭を要求してきそうで、なんか嫌だな。こんな韓国の横暴をやめさせるためには、戦争以外にどんな方法があるのか、真剣に考えないとダメだろうなあ。結局、日本はなめられているんだと思います。(2015年12月28日)

 結局、日韓外相会談では、日本が韓国に10億円支払う事になっただけのようです。韓国外相がいくら「この問題が最終的かつ不可逆的に解決することを確認する」と言ったって、大統領が変われば、また慰安婦問題を蒸し返して、我々に大金をせびるわけだよ。これは歴史が証明しているじゃん。日本政府はまた同じ失敗を繰り返したわけだ。慰安婦像撤去に関しては「関連団体との協議を行うなどして、適切に解決されるよう努力する」であって、結局、撤去しない事になりそうじゃない。日本政府が頑張った事って、20億円の請求に対して、それを10億円まで値切った事ぐらいじゃん。で、税金が足りないからと言って、消費税を10%に上げるのなら、なんとも納得がいかないねえ。安保関連法案の時にあれだけ反対してデモをした人たちが、今回の件ではだんまりというのも納得いかないねえ。あの人たちは日本が力をつける事に関しては猛反対するけれど、韓国が得をする事だと黙って見過ごすんだね。語るに落ちたじゃん。(2015年12月28~2016年1月1日)

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。(2016年1月1~5日)

 正月早々、何やら中東がきな臭い。(2016年1月5~6日)

 民主党の岡田代表は、国政選挙に立候補できる被選挙権年齢を引き下げる公職選挙法改正案を今国会に提出する事にしたそうな。ちなみに現在の被選挙権年齢は、参議院選挙や都道府県知事選挙で30歳以上、衆議院選挙や市区町村長選挙は25歳以上です。つまり、被選挙権年齢を20歳とか18歳とかにしたいわけだ…って、そんな事をしたら、SEALDsの皆さん方がどんどん立候補できちゃうようになるわけですねって…おそらくそこが民主党の狙いなんだろうね。彼らを担がなきゃならないほどに、当選の可能性の高い候補者(つまり、神輿だね)が足りないのが、民主党の現状ってわけだ。でもね、18歳の知事とか国会議員とか…さすがに経験不足過ぎて、マズくない? 政治家って職業は、アマチュアのお遊びじゃないよね。(2016年1月6~13日)

 先日、起床したら、なんかノドが痛い…と言うか、たっぷり疲労感がありました。これは『一晩中いびきをかいて、ノドを酷使してしまったからだ』と思いました。私、普段はいびきをかかない人なんですが、疲労困憊とか寝相が悪いとかのせいでしょうか、たまにいびきをかくこともあります。いびきは、ほんと、ノドに悪いので、いびきをかかないように気をつけて寝ているのですが、ああやっちまったなあ…という気分になりました。それで妻に「昨日はいびきかいて寝てた?」と尋ねたところ「かいてなかったんじゃないの?」と言われて疑心暗鬼になっていましたが…ようやく判明しました。私、やはりいびきはかいていませんでした。単に“ノド風邪”をひいただけでした。今年の初風邪です。ああ、それにしても、ノド痛い~。プロポリスの飴+龍角散+のどぬーるスプレーで乗り切ろうっと。(2016年1月13~18日)

 強風で傘の柄が折れて、傘が吹っ飛んだ。そんな事もあるんだな。(2016年1月18~20日)

 メガネのレンズを新調しました。フレームは“お気に”なので、変えませんでした。今度のレンズは、老眼補正がかなりキツ目の中近両用レンズです。いやあ、本当は遠近両用が良かったのですが、老眼がキツすぎて、遠近両用だと差があり過ぎて一枚のレンズにまとまらず、やむをえず中近両用レンズです。一応、建前的には「遠方はメガネを外せばOK」という事です。で、新しいレンズで、さっそく外歩きをしたところ、なんか世界がグルグルまわりました。新しいレンズの度に慣れていなくて、軽く船酔い(陸酔い?)状態になりました。へへ。(2016年1月20~24日)

 琴奨菊、優勝おめでとう。大相撲は、ワールド・ワイドだがら、外国人の横綱がいてもいいし、外国出身力士の優勝が続いても、それはそれで良いのだけれど、やはり日本人力士が優勝すると、うれしいなあ。いやあ、うれしい。本音で、うれしい。(2016年1月24~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2016年1月30日 (土)

サカサドジョウについて

 我が家には“サカサドジョウ”がいます…とは言っても、別にそういう種類のドジョウがいるわけではありません。

 我が家にはマドジョウ(普通の食用ドジョウ)が2匹います。それぞれ、シロ、クロという名前が付いています。そのシロクロのうち、シロの事を“サカサドジョウ”と呼んでいます。

 と言うのも、シロはいつも腹を上にして、水底に沈んで、ピクリとも動かないからです。逆さになっている状態が常態だから“サカサドジョウ”なんです。

 でも、だからと言って死んでいるわけではなく、突っつくと、ちょっと動きます。体調が悪くて死にかけているのかと思ってましたが、もう逆さ状態になって数ヶ月たちますが、状態は安定していますので、体調が良いとは言えませんが、死にかけているわけではなさそうです。

 それにだいたい、本当に体調が悪かったら、たとえドジョウであっても、水底に沈んでいられません。必ず水面に浮かんでしまうでしょうし、あっという間にヌマエビやタニシたちのエサになってしまいますが、水面に浮くわけでもなければ、エビやタニシもたかりませんから、当面は死にそうにないのでしょう。

 シロが逆さになった当初は、とても心配しました。今にも死んでしまうのかもしれない…と思って心配していましたが、こんな状態が数ヶ月続き、すっかり慣れてしまいました。今では、サカサドジョウという種類のドジョウが存在するのではないかと錯覚するほどになりました。

 ドジョウって、パッと見で黒いのですが、シロは腹を上にしているので、パッと見では白いのです。シロは白く見え、クロは黒く見えるなんて、何となく面白いなあって思いました。

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2016年1月29日 (金)

趣味はフルートです

 先週、声楽は、歌うのも、聞くのも大好きだけれど、フルートは大好きだけれど、聞く方はあまり積極的になれない…と書きました。

 そんな私ですが「あなたの趣味は何ですか?」と尋ねられて「趣味は歌うことです」とか「声楽が趣味です」とは答えるには、ためらいがあります。

 それはなぜかと言うと…歌が好きって他人に言うのって、恥ずかしくありませんか? 私は、なんとなく、恥ずかしいです。

 その一方で「私の趣味はフルートです」とか「フルートを吹くのが好きです」とか「毎日、フルートを吹いてます」とかは、割と平気で言えちゃいます。

 おもしろいでしょ?

 でも、なぜそうなんだろうかと、考えてみました。

 まず、声楽と器楽の違いはあるかな?って思いました。フルートは器楽で、フルートという道具(楽器)を媒介として音楽を奏でるわけです。つまり、自分と相手の間に道具が介在するわけです、モノが介在するわけです、ワンクッション置くわけです。モノを介することで、なんか安心できるような気がするんです。

 一方、声楽は自分の声がダイレクトに相手に伝わります。特別な道具は使いません。演奏者と観客(つまり、私とあなた)が直接つながるわけです。

 声楽の方が、器楽よりも、肉体性が高いと言うか、より我が身に近いと言うか、なんか道具を介在させないために、むき出しっぽい感覚になると言うか、スッピンで舞台に立つような…とにかく、声楽って、恥ずかしいんですよ。より、私がさらされているようで、なんとも言いようのない感覚になるわけです。それで素直に「声楽が好きです」と言いだしにくい部分はあります。

 その根本には、やはりコンプレックスの問題が存在すると思います。

 器楽は楽器を使いますから、楽器さえちゃんとしていれば、少なくとも音痴にはなりません。歌は…少なくとも私の場合は、フレーズが難しいとか、音域的に無理があるとか、きちんと音が取れていないとか、音程跳躍が激しいとか、疲れているとか、眠いとか、体調悪いとか…とにかく、様々な理由で音程が甘くなってしまう事もあり、ややもすると音痴状態に陥ることだってあります。歌は楽器ほど、正しい音程で演奏するのは簡単ではありません。それが私にとって、一つのコンプレックスになっている事は事実です。

 それと、世の中に笛が吹ける人は、吹奏楽部の普及もあって、世間には結構たくさんいます。ですから「フルートが趣味です」と言っても、そんなに怪訝な目で見られることはありません。しかし声楽は…ねえ。「趣味はコーラスです」なら、コーラスの人口は多いので、フルート同様に、さほど怪訝な目で見られる事もないのでしょうし「趣味はカラオケです」だったら、ごくありふれた趣味ですから「いるよね!」とか共感されたりするでしょうが、趣味が声楽ってなると…ねえ。ほんと、人数が少なくなります。

 「声楽…って、カラオケと違うの? 一体、何を歌うの?」なんて尋ねられて「イタリア歌曲とか、オペラのアリアとか歌うんだよ」なんて、ストレートに答えたら、まずドン引きだしね。特に、私のようなオッサンだと、変態扱いされかねません。

 なんか、オペラとか歌曲とかって、クラシック音楽の中でも、割と尖った音楽扱いされるんだよね。クラシック音楽なら、やはり、ピアノでしょうし、交響曲でしょ? 歌ものであったとしても、合唱ですよ。特に、女性の趣味で“合唱”というのは、割とあります。でも、声楽は…なかなかいないです。

 見も知らない人に、趣味を真面目に答えた結果、ドン引きされて、変態扱いされるなんて、私、耐えられないです。

 それに、フルートを吹くのは、本当に大好きだし「趣味はフルートです」なら、嘘をつくことにもなりませんし、胸を張って大声で言えるんです。

 なので「私の趣味はフルート」…だったりするわけです。声楽は趣味なんだけれど、なんとなく、公言するのがはばかられる感じがするんです。

 ちなみに、声楽も恥ずかしい趣味だと思ってますが、実はブログもかなり恥ずかしい趣味だと思っていたりしますので、なかなか実生活で「私、ブログをやっているんですよ」って言えなかったりします。ああ、趣味って、ほんと恥ずかしい。

 逆に言うと、フルートをやっている事は、別に恥ずかしくないし、むしろ誇らしいと思っている私ですが、それは一体なぜなんでしょうね?

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2016年1月28日 (木)

声楽を習うとカラオケ上手になれるのか?

 以前、キング先生の門下でグループレッスンを受けていた頃、毎月のように、新規顧客さんがやってきました。新規顧客さんがやってくると、先生は私たちのレッスンを放り出して、新規顧客さんのための体験レッスンにメニューを切り替えました。それが結構不満だったので、よく覚えています。なにしろ、レッスンが進まない進まない。向学心にメラメラと燃え上がっている私にとっては、新規顧客さんのおかげでレッスン内容が切り替わるなんて、迷惑千万だったわけです。

 それはさておき…新規顧客さんがやってくると、先生は必ず「どうして歌を習おうと思ったのですか?」と尋ねます。その時の顧客さんの返答は様々でしたが、多くの人(特に男性)は「カラオケが上手になりたいのです」という返事をしました。ちなみに、女性に多い答えが「コーラスをやっていて、ヴォイストレーニングを受けた方が良いと周囲の人に薦められたから」って感じですかね。何はともあれ、カラオケ上達を目指して、キング先生の門下のドアを叩く人は少なからずいました。

 で、そう言った人たちは、体験レッスンの後、二度とやってこない事が多かったわけです。まあ、カラオケ上達を望むのなら、クラシックの人であるキング先生を尋ねるのではなく、演歌の先生やポピュラーの先生を尋ねるべきだと私は思いますし、近所にはポピュラーヴォーカルの学校もあるんだから、そっちに行くべきだろうと思います。だから、体験レッスン後に二度と来ないのは、ある意味正解です(で、そのためにレッスンが切り替わるんだから、ほんと、不満タラタラだったわけです)。

 ここから本題です。

 カラオケ上達が主たる目的ではないけれど、声楽を習うと(副次的に)カラオケが上達するのでしょうか?

 その問いに対する、私の答えは「YESでもあり、NOでもある」です。と言うのは、クラシック発声とカラオケ等で使うポピュラー発声の違いがあるから、そこはストレートにイコールではつなげないなあと思うからです。

 おそらく、男性の場合は、クラシック発声とポピュラー発声は、そんなに遠くないと思います。事実、ヨーロッパにはクラシック歌手とポピュラー歌手の二足のわらじをはいている人も少なからずいますし、テノール歌手は、よくポピュラーアルバムを出しますし、日本でも、テノール歌手の錦織健氏はロックバンドであるクイーンの曲を十八番にしてますが、絶品でしょ? 男性のクラシック発声とポピュラー発声には親和性があり、全く同じであるとは言いませんが、かなり応用できますので、男性がクラシック声楽を学んでいくと、カラオケが上手になれると言えます。

 一方、女性の場合は、必ずしもそうではありません。日本人女性がクラシック発声をすると、大抵はソプラノになりますが、そのソプラノの発声とポピュラー発声は、全く違います。ですから、ソプラノ歌手として勉強をすればするほど、ポピュラー発声から離れてしまい、カラオケが上達するどころか、逆に縁遠くなってしまいます。まあ、下手になるとは言いませんが、クラシック声楽が上達しても、カラオケが上達するわけではなく、両者は全くの別物です。

 ただし、女性であっても、メゾソプラノやアルトになると話はちょっと違うようです。男性は、テノールであっても、バスやバリトンであっても、ポピュラー曲を歌いますが、女性の場合は、ソプラノ歌手がポピュラーに挑戦するのは稀ですが、メゾソプラノやアルトは、たまに挑戦しています。メゾやアルトもやはりソプラノ同様、発声方法そのものはポピュラーとは遠いのですが、音域が近いので、使う道具は違うのだけれど、似たような絵描ける…と言った感じになるのだろうと思います。

 でも、日本には、メゾやアルトの人って、ほとんどいないんだよね。合唱団にいるアルトの人も、ほとんどが『低い音も出るソプラノ』であって、アルトはもちろん、メゾですらないんだよね。

 なので「声楽を習うとカラオケ上手になれるのか?」と尋ねられたなら「男性は上手になれますよ」「女性の場合は、クラシックとカラオケは別物だと思った方がいいですね」と答えるべきだと思います。

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2016年1月27日 (水)

拍子記号は分数じゃない!

 表記の仕方に、そもそもの問題があるとは思うのだけれど、拍子記号ってのは、初心者さんにはなかなか厄介なものなんだと思います。一応、義務教育で、簡単な楽典は教えてくれるんだけれど、小学生の頃に習ったことなんて、オトナになれば忘れてしまうわけだから、大半の人にとって拍子記号の意味なんて「習った…かもしれない」程度の話で、思い出すことが出来ないわけです。

 拍子記号ってのは、楽譜の左端にある、ト音記号やヘ音記号の隣に書いてある“分数”の事を言います。ほら、4/4とか、3/4とか書かれているアレね。アレの意味って、ご存知ですか?

 見た目(表記)だけでなく“4/4拍子”と書いて「よんぶんのよん びょうし」とか読むわけだし、ほんと、拍子記号って、分数か何かの親戚のような誤解を生じやすいのだけれど、決して分数ではありません。

 例えば、3/4。

 分数ならば、全体を4分割したうちの3つという意味になります。分母は分割した数を、分子は分割されたモノの個数を表現しているわけです。だから、3/4は小数で表すなら“0.75”になるわけです。

 一方、拍子記号ならば、四分音符を1拍とし、3拍で1小節とするという意味になります。ですから、分母は基準となる音符を表し、分子は何拍で1小節となるかを表しています。なので、3/4を小数で表す…なんて出来るわけないんです。

 全く概念が違うのに、表記の表現方法が似通っていて誤解を招きやすいという点が、ちょっと厄介なんですね。今はオトナですから、拍子記号についても、ちゃんと理解していますが、習ったばかりの小学生の頃は「2/2も4/4も、同じ“1”じゃん」って思ってましたもの。…拍子記号は分数じゃないんだけれどね(溜息)。

 拍子記号は(表記方法が似ているけれど)分数ではありません。ですから、2/2と4/4は全く違います。通分とか約分とかしませんし、小数にも換算しません。しかし、2/2と2/4は違うように見えて、実は同じだったりします…なんて事も、当然、小学生だった私には分かりませんでした。まして、3/4と6/8は、全くの赤の他人で、似て非なるモノである事も分からなかったし「2/4は全部マーチで、3/4は全部ワルツだ」なんて誤解もしていたりしていました。

 ええと、解説します。

 2/2と4/4は、分数なら“1”ですから同じになりますが、音楽では2/2は二拍子で、4/4は四拍子ですから、音楽的に全然違いますし、2/2は二分音符が基準になりますが、4/4は四分音符が基準になりますから、楽譜の見た目もだいぶ違います。

 2/2と2/4は、同じ二拍子です。ただ、二分音符と四分音符という基準となる音符の違いがありますが、それは表記上の違いであって、実際に演奏された音楽を聞くと、同じに聞こえます。

 3/4と6/8は厄介です。ともに1小節内に、四分音符なら3つ、八分音符なら6つの音符が入るわけで、違いなんて全く無いように思いがちですが、実は全然違っています。3/4は三拍子です。6/8は六拍子と言われますが、実際の演奏では二拍子になります。三拍子と二拍子では、音楽として全然違います。楽譜の見かけも、3/4は四分音符が3つ並んだ形が多いですが、6/8は、八分音符が3つずつ連符(音符の旗がつながっている音符)になっているので、違いが一目瞭然です。

 2/4もマーチも同じ二拍子ですが、2/4の曲には速い曲もあればゆっくりした曲もありますが、マーチは必ず歩く速度で演奏されますし、マーチのリズムには必ず『裏打ち』と呼ばれる特徴的なリズムが付きます。

 3/4は単なる三拍子ですから、速い曲もあればゆっくりした曲もある一方、ワルツは踊る速度で演奏されるのはもちろん、ステップの都合上、二拍目でダンサーが大きく動くので、二拍目が他の拍よりもやや長めに演奏されるという特徴があります。

 さらに拍子記号に関して面倒な事を言うと、同時に複数のリズムで演奏するポリリズムの曲の場合、各声部ごとに拍子記号が違っていたりします。例えば、ビートルズの“All my loving”という曲は、12/8と表記される事が多いですが、実は、曲の前半部のヴォーカルは2/4で、ギターが6/8だったりしますし、実際、そのように書かれているバンド譜も見たことがあります。曲の前半部は2/4と6/8のリズムが同時進行し、後半部は普通に4/4になるので、曲全体を通して、最大公約数的に12/8という表記が採用される事が多いわけです。

 まあ、彼らはおそらく、この曲をポリリズムの曲であるという認識はなく、いかしたシャッフルの曲だと思っていると思います。

 そうなんですよ、シャッフルって4/4拍子なんですよ。ただし、普通の4/4とは違って、1拍を3分割した三連符を多用するリズムなんです。ですから、表記としては…12/8になったりしますが、音楽そのものは4/4だったりします。

 ですから、4/4と言っても、シャッフルも4/4だし、ロック(8ビートも16ビートも32ビート)も4/4だし、ボサノヴァも4/4だし、バラードもスウィングも4/4なんです。つまり、リズムを拍子記号で表す、クラシカルな方法は、すでに時代から取り残されているというか、昔のやり方なのかもしれません。

 昔のやり方だから、我々素人は、そこにあまり注意をしないので、余計に拍子記号を分数と勘違いしてしまう…って事はないか(笑)。でも、軽視しがちなのは事実です。

 クラシック音楽には美しい曲が多いけれど、リズムの多様性と和音進行の複雑さを考えるなら、クラシック音楽は、ポピュラー音楽の後塵に甘んじている…と言えるのかもしれません。

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2016年1月26日 (火)

身も蓋もない話をします

 先日、某市民オペラ公演を見てきました。市民オペラと言うのは、恒久的なオペラカンパニーではなく、NGO的だったりNPO的だったりする団体が、オペラを安価な費用で制作して上演しているヤツを言います。なぜ“市民オペラ”と言うのかと言いますと、上演に際して市民(つまり、地元のアマチュア音楽家たち)の参加が前提で企画されているからです。なぜ市民の参加が前提となっているのかと言えば、地域振興と経費節約と集客力アップの3つが目的だったりするわけです。まあ、とにかく出演者や裏方に、市民を大勢採用して行うので“市民オペラ”というわけです。

 市民オペラにも色々ありますが、一般的なケースで説明すると、演出家と指揮者と主役陣の歌手たちはプロで、これは主催者がオファーして決めます。オーケストラや合唱団、裏方の一部は市民たち…つまり、アマチュアとボランティアにお願いします。で、脇役の歌手たちは、オーディションで選ばれる事が多いです。オーディションですから、プロの方もいれば、セミプロやアマチュアの方もいて、実力的には千差万別ですが、一応最低基準はクリアしているという事になってます。

 そんなわけで、市民オペラというモノは、外国の歌劇場の引っ越し公演はもちろん、二期会とか藤原歌劇団などのオペラカンパニーと較べて、安価なオペラ公演として実現するわけです。

 安価は大切です。なにしろ、オペラって、普通に上演すると、チケット代が高価…と言うか、バカ高いですから、少しでも安価ならば、それだけ多くの人に気軽に見てもらえるわけだし、それがひいてはオペラの普及にもつながっていくわけです。

 それはともかく、市民オペラと呼ばれるものは、地域振興とか経費節約とか集客力アップとかが念頭に置かれているのでは、時には、演奏の質的なモノには、あまり期待できない…と言うか、ある程度のところで妥協されているタイプのオペラ公演であると言うわけです。

 ですから、私が先日見てきた市民オペラも、実に色々ありました。

 いやあ、オーケストラは、実に音痴でした。最初っから最後まで、音外しっぱなしで、音がずーっとウネッていました。私のみならず、多くのお客さんたちが、露骨に嫌がってました。私の前に座っていた上品そうなお姉さまは、序曲などでオケがむき出しで演奏している時に、音を外したりすると、小さく舌打ちなされていましたくらいですからね。ほんと、お上品だこと。おそらく、チューニングの段階で、色々と問題があるオケだったと思います。

 合唱はバランスが悪かったです。ソリストさんよりも大きな目立つ声で歌っている合唱の方もいて、なんかハチャメチャでした。歌手たちのそれぞれの音程が合っていても、ハモらない音楽ってあるんですね。

 まあ、オーケストラにしも合唱にしても、上手では無い事は、当初からの織り込み済みの事項ですから(ホントは、あまり良くないけれど)まあ良い事にします。問題は、歌手たちの歌が良ければ、それで良いのですが…。だって、オペラは歌が命ですからね。

 主役をやっていた歌手の皆さんは、実に良かったです。素晴らしかったです。水準以上の出来栄えで、聞いていて納得です。問題は、オーディション組である脇役さんたちです。この脇役さんたちの力量に大きな差があって、ビックリですよ。

 まず、小さな会場だったにも関わらず、オーケストラに負けてしまって、声が観客席まで届いていない人がチラホラいました。また頑張って舞台で怒鳴っている(歌っている?)人もいました。本人は最大音量で歌っているつもりなんでしょうが、おそらくは側鳴りなんでしょうね。よく聞こえないし、声が全然響いていないんです。そんな人もチラホラいました。

 あと、実に立派な声で演技も歌唱も上手で良かったのだけれど、その役柄が老人役なのにも関わらず、歌手さんはロクに舞台化粧をしていないので、若さがむき出しで、あまりに若い容姿と若い声だったので、役柄とのミスキャストぶりが目立っていたり…と色々あったわけです。

 そんな脇役さんたも、パンフレットに記載されている経歴を見ると、立派な専門教育を受けたプロ歌手ばかりとお見受けされるのに、どうしてどうして、歌手としては残念な方もたくさんいました。

 「さすが市民オペラ、歌手の質も、ピンきりだね(笑)」なんて、最初はボーと思いながら聞いていた私ですが、オペラの途中で、ふと、ある事に気づいてしまいました。

 それは、歌声がきれいで立派な主役陣たちは、実はセリフ部分の話し声(そのオペラはレチタティーヴォが少なくて、アリアとアリアの間はセリフ劇で繋いでいくタイプのオペラだったんです)が、とても立派で美しいという事に気づきました。一方、脇役さんで歌声が貧相な方々は、セリフの部分の声もやせて貧弱で、貧相で音量が少なめで、よく聴こえなかったんですよ。

 つまり、歌声の素晴らしさと、話し声の立派さは、単純な比例関係にある事に気づいてしまったわけです。

 結果的に分かった事は、美しい歌声の歌手は同時に、美しい話し声の持ち主であったわけです。

 ああ、身も蓋もないって、この事だよね。

 歌声が美しい歌手は、元々の話し声が美しいわけだし、歌声が大きな人は、元々の話し声が大きいわけです。歌声がはっきりハキハキしている人は、話し声の滑舌もいいんです。

 つまり、持ち声の良い人が、良い歌手になっているってわけね。それって、才能の有無の問題であって、努力でどうにかできる範疇を越えているって事でしょ? ほんと、身も蓋もないわー。

 でもまあ、そんなモンだろうとは、以前から薄々とは思ってました。話し声がダミ声なのに、歌ってみたら、鈴を転がすような美しい声…になるわけないもんね。普段から全力で話していても、声の通らない人が、音楽ホール全体に響き渡るような声で歌えるわけないもんね。努力とか訓練とかの積み重ねで、多少はどーにかなる部分もないわけじゃないだろうけれど、やっぱり、持ち声の良い奴には敵わないって事です。

 才能で、結果の大半が決まってしまう…というのは、私的には、あまりうれしくない事なんだけれど、声楽の世界では、才能一発って部分が、やっぱり大きいんだろうなあって思った私です。

 でもね、じゃあ才能に恵まれていない人は、どうすればいいの?って話になるわけじゃない? ほんと、どーしたらいいんでしょうね。まあ、プロならば、歌手になる事を諦めるしかないだろうし、アマチュアならば、下手の横好きで行くしか無い…って事になるわけで、ああ、現実って、厳しいんだなあ…なんて事を、オペラ鑑賞をしながら、ふと考えてしまったわけです。

 何やってんだか(笑)。

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2016年1月25日 (月)

キンメを食べに行って、思い出の確認をしてしまいました

 先日、ふと「そうだ、キンメの煮付けが食べたい」と思いたちました。

 そこで、休日の昼食に“キンメの煮付け”を食べに、行きつけの料理屋さんに行くことにしました。その店は、江ノ島の近くにある店なので、ついでに江ノ島から鎌倉にかけて散歩に行く事にしました。

 休日、ゆっくりと寝坊して、朝食を抜いて、キンメ(金目鯛)を食べに行きました。いやあ、うまかった。実際には、キンメの煮付けだけでなく、地魚の刺し身も食べたんだけれど、昼間っからサイコーでした。

 いつもなら、そこから江ノ島に入って、江ノ島観光をするのですが、今回は趣向を変えて、すばな通りを逆に歩いて龍口寺に行ってみました。道すがら購入した、ふぐの皮の焼き物と、カマスの串焼きを、デザート代わりに食べました。いやー、美味かった。ふぐの皮がぷりんぷりんでした。カマスはただの塩焼きだったんだけれど、美味でしたよ。

 龍口寺に行きました。ここは、すぐ近所に友人が住んでいたので、子どもの頃は良い遊び場だったのですが、今では境内で遊んでいる子どもなんていなくて、なんか静寂なお寺さんになっていました。子どもの頃は、まっすぐに仏舎利塔に登って、その近辺で遊んでいた私ですが、オッサンになった現在、仏舎利塔ではなく、五重塔に上り、そこで一休みしました。そう言えば、小学生の時、担任の先生に連れられて地層の勉強に来たのも、この五重塔だったなあ…なんて思い出しました。五重塔のあたりから見える、江ノ島海岸の風景が絶品でした。

 龍口寺から江ノ電の腰越駅に向かいました。途中のお惣菜屋で、アジフライとエビフライを購入。いやー、美味かった。揚げたては、ほんと美味しいです。

 腰越から江ノ電に乗って、湘南海岸公園で下車しました。ちょっと南下して、境川の川沿いを歩いて、西方公園からふたたび駅に戻り、そこから新屋敷に向かいました。実は私、子どもの頃、新屋敷に住んでいました。昔住んでいた家(まだありました)を見たり、子どもの頃の友人たちの家の前を通ったり(さすがに訪ねることはしませんでした)、子どもの頃遊んだ空き地や沼や丘を尋ね(すべて民家になっていました)、私が五年生まで通った小学校や、弟の通った保育園、遊んだお寺の境内などを尋ねました。母と一緒に毎日の食材を買いに行った八百屋さんは、代替わりをして立派になっていましたが、肉屋さんと魚屋さんは廃業してしまい、両方共アパートになっていました。私が子どもの頃、お世話になっていた名医の評判が高かったお医者さんは廃業し、やぶ医者で有名だった病院は立派になっていました。時の移り変わりを感じました。

 鵠沼駅から再び江ノ電に乗って、鎌倉に行きました。

 鎌倉では、御成通りを歩いて、そこから参道に入って、Uターンして八幡様の方に向かい、途中から小町通りに入って、色々な店を冷やかしました。お箸やスプーンを購入したり、はちみつ買ったり、干物を買ったり、せんべいを食べ歩きしたり…という、ごく普通の観光をしました。鎌倉は、よく来るのですが、来る度にお店が入れ替わっているんで、いつ行っても新鮮な気分になります。

 母が元気だった頃に、2人でお茶したお店にも寄ろうと思いましたが、別の店になっていました。ほんと、時のたつのは早いものです。

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2016年1月24日 (日)

あなたの“おふくろの味”って何ですか?[2016年1月第4週・通算2週]

体重:105.6kg[-0.8kg]
体脂肪率:30.0%[-0.5%]
BMI:33.3[-0.3]
体脂肪質量:31.7kg[-0.8kg]
腹囲:106.0cm[-1.0cm]
     [2016年当初との差] ※今回は特別。前回が年初なので(笑)。

 今週も体重を計測してみました。うむ、なかなかいい感じですね。目標は100Kgを切る事ですから、焦らずに頑張りたいと思います。

 さて、今回は“おふくろの味”について語りましょう。

 おふくろの味について…まずは言葉の定義を確認すると…ざっくり言っちゃえば「その人の母親の得意メニュー」であり「幼少時から食べ慣れた家庭料理」の事を言います。その料理は、しばしば懐かしい記憶とつながり、多くはその土地の郷土料理であります。そういう料理が“おふくろの味”であって、昨今耳にする“ソウル・フード”とか“国民食”のようなものかもしれません。

 ネットでググると、実はこの“おふくろの味”という言葉、そんなに古い言葉ではなく、料理人の土井勝氏(子どもの頃によくテレビで見ました)が流行らせた言葉なんだそうです。知りませんでした。

 まあ“おふくろの味”といって、一般的に想起されるのは、小料理屋さんなどで出されるお惣菜でしょう。家庭料理っぽい酒の肴…と言うと分かりやすいかも。肉じゃがとか、卵焼きとか、きんぴらごぼうとか…。最も最近では、カレーライスとか、ラーメンとか、ハンバーグとか、唐揚げとかが、おふくろの味と言い張る人もいるかもしれませんね。お袋の味も、時代によって変わるんでしょうね。

 で、私の“おふくろの味”ですが…『しらす飯』かな? 釜揚げしらすに少量の大根おろしと醤油をかけたものを、ご飯の上にのせたモノ。昨今『しらす丼』などと言って供される料理にかなり近いものです(しらす丼だと、具材に青じそが加わります)。たぶん、これが私の“おふくろの味”であり、ソウル・フードでしょう。

 「しらす飯が、おふくろの味だなんて、なかなかおしゃれですね!」

 別におしゃれでもなんでもないよ。これって、ただのビンボー飯だよ。給料日近くになって、家が金欠になると、母がよく作ったメニューなんだからね。

 だって、しらす飯なんて、材料としては、ご飯と、しらすと、大根の切れっ端と、醤油だもの。それだけでOKでしょ? ご飯と大根の切れっ端と醤油は家に常備しているわけだから、わざわざ用意するのは、しらすだけです。で、しらすなんて、他所はともかく、昔の湘南だと、魚屋に行けば、ビニール袋にたっぷり詰め込んで、タダみたいな値段で売ってました。だから、金欠になった我が家では、しらす飯は、頻繁に食べたものです。

 昨今は、しらすがおしゃれな食材みたいな扱いになって、値上げもしてしまったので、昔のようにむやみに安くはないけれど、それでもやっぱりスーパーなんかに行けば、格安な食材である事には変わりありません。釜揚げどころか、生しらすだって、季節になると、結構安い値段で売っているんですよ。

 だから、よそ者…じゃなく、観光客の皆さんが、湘南にやってきて、しらす丼をありがたがって食べているのも見ると「うへっ!」って思います。だって、私にとっては、しらす丼なんて、ビンボー飯の延長料理だし、タダみたいな原価なのに、なんであんなに高い値段で売っているんだろうって思うわけです。

 しらす丼がキンメの煮付けよりも高いなんて、ありえないよね。

 じゃあ、しらす丼は嫌いか?と尋ねられると、そうではなくて、やっぱりしらす飯は好きです。しらす飯を食べると、なんか懐かしくなります。

 今でも、たまにしらす飯を食べますが、やはりなんか、私にとって、特別な感じがする料理です。

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2016年1月23日 (土)

水温も急に下がってきたようです

 我が家の水槽の水温計が壊れているのかもしれないと、ついこの前まで思って様子を見ていました。と言うのも、冬だというのに、水槽の水温計が、だいたい22~25度を指している事が多かったのです。一応、真冬だよ。それなのに、そんな水温でいいの?って感じでした。

 金魚たちにとっての適温と言うのは、17度前後なんだそうです。魚類は変温動物だから、“水温=体温”であって、適温から外れれば外れるほど、カラダに負担がかかってきますし、金魚たちの行動も変わってきます。

 真夏など、あきらかに水温が高い時などは、金魚もむやみに活発で、食欲は旺盛ですが、やたらと体力も消耗するみたいで、それが長期間に渡ると弱って死んでしまいます。湘南地方は、秋になっても夏並に暑くて、秋になっても夏の延長戦をやっているので、体力の無い子から順番に星になってしまいます。

 逆に真冬など、あきらかに水温が低い時などは、金魚が不活発になり、食欲も無くなり、ほぼ動かなくなります…と言うか、水温が低すぎて動けなくなります。

 で、我が家の場合、ついこの前まで、水槽の水温計が22~25度だったので、金魚標準よりもだいぶ高めという事になります。

 「真冬なのに、なぜこんなの温度なの?」

 まあそれはないわけではありません(だから疑いつつも様子見をしていたわけです)。と言うのも、我が家の金魚水槽は居間にあるので、だいたい人間が快適に過ごせるような室温に常時置かれているので、そんなに極端に水温が上がったり下がったりする事はありません。

 でもね、ようやく水温が下がりました。今週になって、急に寒くなったじゃないですか? このあたりから、金魚たちの動きが明らかに違ってきたのです。

 今は水温は18~20度ぐらいです。まだ適温よりは高いとは言え、だいぶ水温が下がりました。

 これまで、元気に泳いでいた子たちですが、ここんところは、めっきり泳がなくなり、皆して水底に沈んでじっとしている事が多いんですよ。ただ、食欲は無いわけでないので、そこまで極端に水温が冷たいとは思わないのだけれど、それでもかなり水温、低いんじゃないかなって思うわけです。

 どうやら、ウチの子たちは、高い水温に慣れてしまって、適温ではうまく動けないみたいなんです。ダメだな(笑)。

蛇足 水槽の照明が、昨年までは蛍光灯だったけれど、今年はLEDになりました。蛍光灯は、結構熱が出ます。夏場はそれが困りモノでしたが、冬はヒーター代わりになります。一方、LEDはほとんど熱が出ませんので、夏は明るいけれど涼しくて良かったのですが、冬は寒いんですよ。去年までは冬になってもヒーターを入れずに済んだのは、蛍光灯を使っていたからというのもあります。金魚用のヒーターも我が家にあるけれど、まずはヒーターを入れる前に、蛍光灯の復活から考えてみようかな? 古い機材だけれど、それなりに利点もあるわけだからね。

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2016年1月22日 (金)

正直に告白します

 正直に告白します。私は、声楽は、歌うのも、聞くのも大好きです。しかし、フルートは、吹くのは大好きですが、聞く方は、あまり積極的にはなれません。

 ですから、私の場合、声楽は、本当に大好きなんでしょうね。でも、フルートの場合は…巷によくいる「自分の練習するけれど、他人のパフォーマンスには興味がない子」と同じタイプの人なんです。

 いるでしょ? ピアノが大好きで、毎日毎日ピアノを練習している小学生ぐらいの女の子で、そんなにピアノが好きなのに、他人の演奏には全く興味も関心も示さない子って。あれと同じタイプの人間なんですよ。

 つまり、私は、声楽…と言うか、歌が好きなんです。クラシック声楽も好きだし、オペラも好きだし、ロックもジャズもポピュラーも好きだし、演歌や民謡だって好きです。人の声で作る音楽、それもメロディーが美しい音楽が好きなんです。

 歌が好きだから、歌う事も、聞く事も好きなんです。

 一方、フルート音楽そのものは、たぶん、そんなに好きじゃないんです、私。いや、フルート音楽のみならず、器楽一般に興味が薄いんだろうと思います。

 まず、アンサンブルは、演奏するのはもちろんですが、聞くことも好きではありません。だから、オーケストラや吹奏楽は苦手です。かろうじて楽しめるのは、室内楽とか協奏曲などです。つまり、主役と脇役がはっきりしている音楽なら、楽しめます。つまり、メロディーと伴奏がはっきり分かれていて、メロディーを楽しめる音楽が好きなんですね。サウンドの素晴らしさなんて、猫に小判なんですわ。

 フルートって、本質的にアンサンブルの中の一部を担う楽器であって、あんまり主役にならない楽器なんだよね。そこへいくと、歌はもちろん、ヴァイオリンとかピアノとかは主役になるケースが多いです。だから私は、歌や、ヴァイオリン曲やピアノ曲は好きなんだと思います。

 フルートって、ほんと、なかなか主役にならない楽器だものね。だから、私が楽しめるフルート音楽って少なくて、フルート音楽の中の一部だけです。

 フルートが主役になる音楽はなぜ少ないのか? それは単純に、作曲家たちがフルートという楽器に興味を持てなかったからです。作曲家たちは、良い曲を思いついたら、まずは、それを歌にします。これは古今東西に共通した事です。歌では表現しきれない曲の場合、それを器楽曲に仕立てますが、その時に作曲家が使う楽器が、ピアノであったり、ヴァイオリンであったり、エレキギターであったり、シンセサイザーであったりします。つまり、表現力が豊かな楽器たちです。これらの楽器でも足りないとなると、アンサンブルやバンド、オーケストラになります。それだけの話です。

 フルート曲のうち、かなりの数の曲が、歌やヴァイオリンやピアノの曲からのアレンジものであるのは、そう言った理由からでしょう。

 でも、いいや、そんな事。それと私がフルート音楽をあまり好まないのは、たいした関係があるわけじゃないから。

 私は、フルートという楽器は好きですよ。自分で演奏するのも大好きです。でも、他人が演奏するのを聞くのは、好きじゃありません。相手がプロであれ、アマチュアであれ、同じ事です。

 他人の演奏を聞いていると、なんか、時間がモッタイナイような気がするんですよ。フルート音楽を聞く時間があったら、声楽曲を聞きたいとか、フルートの練習をしたいとか、アニメを見たいとか、ネットを徘徊したいと…まあ、そう思ってしまうだけの話なんです。つまり、フルート音楽を聞く事は、私の人生の楽しみの中での優先順位がかなり低いんです。

 では、フルート音楽があまり好きじゃないのに、なぜフルートが好きなのかと言うと、単純にフルートの音色が好きだから。それも自分の演奏するフルートの音が好きだから。フルートの音を楽しむなら、別に音楽のカタチになってなくてもいいし、演奏は上手いに越したことはないけれど、別に下手でも楽しいです。ただ単に、音色を慈しむんです。それが好きなんです。

 そこへいくと、他人が吹くフルートの音って、なんか私の好みとは、違うんだよね。

 それと、フルートの音域って、女声の音域なんですよね。私は男声だから、女声の音域では歌えません。だから、女声の曲って歌えないんですよ。もちろん、1オクターブ下げれば歌えるけれど、それでは曲の雰囲気がガラッと変わってしまうのです。だから、自分の声で女性の曲を歌うのを諦めた代わりに、フルートで女声曲を吹くのです、歌うのです。いわば、フルートが自分の第二の声帯、それも女声の声帯なんです。

 だから、フルートを吹くのは大好きです。まるで自分が女声になったような気がするんですよね。

 フルートは音だけでなく、練習していく事も好きです。だって、楽器の練習って、ちょっぴりゲーム感覚もあるでしょ? 難しい課題曲を征服して、吹けるようになると、うれしいじゃないですか。エチュードを一曲一曲片付けていくのは、ゲーム画面をひとつずつクリアしていくのと同じ感覚でしょ?

 そんな感じでは、私、フルートを吹くのは好きですが、フルート音楽を聞くのは好みません。フルートは吹くこと自体が好きなので、人前で吹けなくても全然平気なんです。声楽の場合だと、歌う事が好きだし、練習も好きだけれど、人前で歌う事がとても好きな私ですが、フルートの場合だと、練習止まりで全然平気なのです。

 実際、今のH門下に移動してから、一度もフルートの発表会に参加していませんが、それでも全然平気なんです。もちろん、発表会から逃げているわけではありません。単純に仕事の都合で参加できないのですが、それを残念に思わないんですよ、私。

 そんなわけで、今後ともフルートを吹き続け、練習し続けていく私ですが、フルート音楽を積極的に聞きに行かない私でした。

 以上、ぶっちゃけた話を終了します(笑)。

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2016年1月21日 (木)

次に歌う曲を決めました

 声楽のレッスンの、さらに続きです。

 ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」が終わったので、次は何にしようかという話になりました。私は以前からあたためていた、レオンカヴァッロの「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」はいかがでしょうかと提案してみました。

 先生は少し悩まれました。と言うのも、この曲は、音域が広いので、どうだろうかと心配されたわけです。と言うのも、この曲は、下は五線下のBから、上は五線上のGまで使うわけです。上も厳しいけれど、下がかなり低いところまで使うのが、心配だったようですが、私が「テノールと言えども、下はAぐらいまで歌えないと、色々困るので…」と言ったところ、OKとなりました。

 実際、低音に関して言えば、クラシック曲だけなら、テノールは五線下のCまでしか使わないけれど、ミュージカルやクラシッククロスオーバー系の曲はAまで使うのが普通なので、Bで文句を言ってはいけません。

 それにだいたい、この曲は、作曲家のレオンカヴァッロが、当時の大テノール歌手であった、エンリコ・カルーソーのために作曲した曲なんだそうです。ならば、テノール歌手のために作った曲なんだから、テノールに歌えない事もないだろう…とも言えます。

 さて、この曲をよく知らない人のために、例によってYouTube画像を貼っておきます。歌っているのは、ローレンス・ブラウンリーと言う、黒人のテノール歌手です。黒人のテノール歌手と言うのも、なかなか珍しいので、これを貼ってみました。

 しかし、この曲、テノール歌手用の曲だけあって、誰も楽譜どおりには歌いません。たぶん、楽譜通りに歌うのは、オリジナルのカルーソーぐらいかもしれません。とにかく、歌手が違うと、間奏の位置や長さが変わったり、最後のフレーズのメロディーも当然変わるし、調性すら変わります。つまり、慣習で色々な歌い方のバリエーションがある曲なのです。ですから、自分が歌うなら、どんな歌い方にするか考えておかないといけません。

 一番面倒がないのは、カルーソーのように、楽譜通りにそのまま歌うやり方ですが、そう歌う歌手は今やいませんし、実はカルーソーの歌い方では、間奏がないので、それでは私には大変過ぎるかもしれません。そこはやはり、現在のスタンダードとも言える、パヴァロッティの歌い方をコピーしてみたいと思ってます。今のテノール歌手の大半は、パヴァロッティと同じ歌い方をするわけですし…。このやり方なら、最後近くに4小節ばかり間奏が入って、少し休めるし、一番最後のメロディーにある低音を回避して中音で歌ってしまうので『少し歌うのが楽かな』って思ったりもします。

 まあ、とにかく、まだ譜読みもきちんとしたわけではありませんが、頑張ってみたいと思います。

 ちなみに、この曲のタイトルである『マッティナータ』ですが、何かと思って調べてみたところ『セレナータ』に対して『マッティナータ』なんだそうです。つまり、恋人の窓辺に行って、夕刻に歌う恋の歌が『セレナータ』なのに対して、朝方に歌うのが『マッティナータ』なんだそうです。

 まあ、どちらにせよ、ロマンチックな歌である事には間違いないわな。

 蛇足だけれど、Y先生との曲決めの際、私、割りと自由に、アレコレと歌いたい曲を提案していますが、なぜそんな事が出来るのか言うと、楽譜を用意するのが私だからです。ですから、私が自分の手元にある楽譜の中から「これが歌いたいです」と提案できるので、私の希望が言えるシステムになっています。あくまでもレッスンでは、私のファーストオーダーが検討されるわけで、仮に先生がその曲について知らなかったとしても、特に問題無し…という事になっています。

 キング先生の時は、次に歌う曲はキング先生が決めて、楽譜もキング先生が用意してくださっていました。あくまでも先生主導型で選曲をしていました。それはそれで楽で良いですし、私の知らない曲を学ぶ事で見聞を広める事もでき、決して悪いやり方ではなかったのですが、やはり人生は短いし、私はアマチュア歌手なので、やはり歌いたい歌を優先的に学びたいというのが本音です。

 と言うのも、今回「O del mio amato ben/ああ愛する人の」を学び終えたところで、Y先生から、この曲に関する感想を聞かれた時、正直に「歌っていても、何の喜びも感じられない曲でした」と答えちゃったくらいですからね。

 だいたい、なぜ「O del mio amato ben/ああ愛する人の」を学ぶ事になったのかと言えば、キング先生時代に学んだ曲を、先生を変えてもう一度学び直してみましょうという事になり、妻が「だったら、この曲がいいです」と提案して決まったからなのです。

 だいたいキング先生時代に学んだ曲である…と言う事は、私の趣味ではなく、あくまでもキング先生の趣味で選んだ曲なわけで、ほんと、全くと言っていいくらい、私の趣味ではない曲であり、今回、改めて学んで、ますます「私はこの曲が好きじゃあないなあ…」と思った次第です。好きじゃない曲を学ぶのって、ほんと、気がのらないんですよ。

 次の「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」は、私が歌いたくて選曲したので、モチベーションが全く違います。なんか、気持ちが晴れ晴れとし、前向きになれるのを感じます。自分で選曲するのって、大切なんだなあと思った次第です。

 それに自分で選んだのだから、必ずきちんと歌えるようになろうという、責任感のような強い学習意欲すら湧いてきます。さあさあ、頑張っていきたいと思います。

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2016年1月20日 (水)

音程が甘いのは、よくないですよ

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 まずは、ドナウディ作曲「O del mio amato ben/ああ愛する人の」からです。

 歌う時に、楽譜通りに清潔に歌いすぎているきらいがあるので、注意をするように言われました。棒歌いとは違うのですが、あまりに楽譜通りって事です。もう少し、表現に気をつけなさい…って事なんだろうと思います。

 音符一つ歌うにしても、その音符を一色で歌うのではなく、音符の中で色々と色をつけて歌い回す…それは歌に色気を加えることでもあります。ラブソングなんだし、テノールなんだし、やはりセクシーに歌えないとダメと言うか、歌うと自然にセクシーになっちゃうくらいじゃないとテノールの歌としては物足りないというか、まあ、そんな感じに先生の言葉を解釈しました。テノールって、声的にはイケメンなんだから、イケメンはイケメンっぽく歌えないとテノールの意味や存在理由が無くなってしまうって事だな。

 この曲のメロディーの音域は、全般的に低いです。最高音ですらFです。だから、テノールとしては、この曲を極力“開いた声”で脳天気に歌うべきだと思います。とは言え、音楽の重心が低いので、声的に馬鹿になりきれない私がいます。あっけらかーんとした、開放的でおバカな声で歌いたいなあ。

 ただ、最高音のFに関しては、開いた声のまま歌うべきか、この音だけ閉じた声で知的に歌うべきかは、音楽解釈次第ですと言われましたが、私的は、最後まで、徹頭徹尾、開きっぱなしの、脳みそ軽い系の声で歌い通したいです。だって、私、大好きなテノールはドミンゴだけれど、憧れるテノールはディ・ステファーノだもん。

 最高音Fを開いた声で歌うか、閉じた声で歌うかは、音楽表現だけの問題ではなく、その後に続く低音メロディの歌い方にも違いが出ます。続く低音のメロディをしっかり歌いなら、Fは閉じた方がよいけれど、そのFを開いた声で歌ってしまったら、低音メロディをしっかり歌ってはいけないのです。と言うのも、開いた声のままでは、音程の幅が広いメロディーにはうまく対応出来ないことが多いので、その場合は、低音のメロディ部分は、軽く流すように、リキを入れずに歌う事が必要となってきます。

 流して歌うのは…苦手なんだよなあ。

 最後の“senza il mio ben”の部分は、声を1つずつ前に前に置いていく感じで歌います。

 これでこの曲は終了。最後に感想を先生に尋ねられたので、正直に「歌っていても、全く喜びの感じられない歌でした」と言ったら、苦笑されました。いや、実際、私はこの曲、嫌いだし…。嫌いな曲だけれど勉強のために歌うのなら仕方ないとは言え、歌っていて楽しくなかったのも事実です。ああ、これでやっと、この曲から開放されると思うと、ハレバレした気分になります。

 次は、モーツァルト作曲の「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」です。この曲は…難しいですね。歌っていると、困難を感じますが、それゆえにファイトも湧いてくる曲です。

 で、今回、ほんと、奇跡的に、楽に、のびのびと、この曲が歌えちゃいました。何が起こったのでしょうか? 妻にも「良かった」と言われるほどに、格段の出来栄えだったんですよ。以前、キング先生に習っていた時には、たった四小節ですら、まともに歌えなかったのにね(笑)。一つには、お正月休み明けだったので、休養たっぷりで、声に余力があったからかもしれません。なにしろ、いつもレッスンの時は、疲労困憊の状態で歌ってますから、声も体力も余力なんてありませんからね。

 あとはやはり、指導者の違いかな? これはかなり大きな違いです。

 楽に歌うのは良い事です。でも、その楽さって、歌っている本人からすると、ややも不安に感じる部分があり、ついうっかり、自己満足を求めて、声を押してしまいがちです。今回は、歌っている時に、多少の理性があったので、声を押さないように気をつけることができましたが、次回も理性を保ったまま歌う自信は…全くありません。そこが私の課題でもあります。

 この曲の最高音はGです。最高音そのものはあまり高くありませんが、メロディーの音程の平均値がやたらと高いのが特徴です。それでも、メロディがGまでに収まっているので実用音域の範囲で歌えます。それを確認して、高音にビビらずに歌っていきたいです。

 と言うのも、先生がおっしゃるには、私、Gが近づくと、声が失速するんだそうです。たぶん、無意識に、最高音へのビビリがあるんだと思います。無意識にビビっているんだから、世話ないよね。なので、意識的にビビらずにアクセル踏んだまま突っ込んで歌っていきたいと思います。

 あと、歌うのが難しいので、どうしても発声に注意が行きがちで、うっかりすると、音程に関して失念して、甘々な音程で歌ってしまいがちです。そのたびに先生に注意されて、歌い直すのだけれど、きちんと音程に注意して歌えば、別にそんなに甘い音程にはならないので、発声だけでなく、音程にも気を配って歌わないといけません。そのためにも、あんまり焦らない事が大切かもね。幸いな事に、この曲はテンポがゆっくりなのだから、発声にも音程にも気を使う事でできるのだから、やらないといけません。

 速いテンポで乱暴に歌い飛ばしてしまうと、音程が甘くなってしまうのです。

 音程が甘くなる理由のひとつは、上記の注意力散漫というのもあるけれど、他にも“ノドの開き方が下手”と言うのと“脱力しきれていない”と言うのが、あります。

 “ノドの開き方が下手”と言うのは、具体的に言えば、ノドってヤツは上にも下にも開くのだけれど、下に開き過ぎると、声が胸に落ちるし、音程もぶら下がるわけです。上に開き過ぎると、うわずるし、低音の発声に困難を生じるようになります。ですから、うまい具合にバランスをとって開かないといけないのだけれど、私の場合は、どうやら、下にばかりノドを開いてしまうようなのです。で、声が下に落ちがちなんです。それはテノールとしては、ダメなのね。なるべくノドの奥を上に開くように意識していかないとなあって思うわけです。

 “脱力しきれていない”と、声帯の振動が悪くなって、自動的に音程がぶら下がるわけです。これはもちろんダメですよ。とにかく、力まない。軽く歌うのです。

 「O del mio amato ben/ああ愛する人の」とも通じるけれど、あまり低い音程のメロディを、必要以上にしっかり歌わないようにする事も大切です。低い音をしっかり歌いすぎると、ノドが下に開きすぎてしまい、上に開きづらくなって、高音発声に困難が生じるわけです。もちろん、低い音だって歌うのだけれど、そんなときも、しっかりした声で歌うのではなく、サラっと流すように歌う事が必要なんです。

 いやあ、ほんと、声楽は難しいね。

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2016年1月19日 (火)

何も加えない

 今年始めての声楽のレッスンに行ってきました。

 まずはハミングの練習からだけれど、今回、気をつけたのは、ハミングの響きを徹底的に上に持って行った事です。とにかく、上で、開いた声で、ハミングする事。響きを目よりも上に持っていくことです。

 発声練習は、例によって、高いAへどうやって声を持っていくかといった練習を中心にやりました。

 私の場合、高いGまでは、特に問題なく発声できます。しかし、最高音がAになると、途端に発声がダメになるそうです。その時、Aがダメな声になるのは当然としても、最高音がGまでならOKだったGまで、ダメになってしまうようです。

 おそらく最高音がGまでなら、すべての音が自然体で発声できるのだけれど、最高音がAになると、無意識に、Gから上の音で“何か”をやってしまい、そのため結果として、Gよりも高い音がダメになってしまうようなのです。大切な事は、高いAまでは、極力、何もしない事。FもGもAも、同じ感覚で、同じ仕組みで、同じ音色で、発声していく事で、Gだから、Aだからと言って、何かを変えてはいけないのです。しかし、いくら同じにしていくと言っても、実際問題として音程は違うわけだから、支えも開きも違ってくるわけで、むしろ同じ声で歌い続けるためには、音程が高くなるにつれて、支えも開きも強力にしていくことで、結果を同じに出来るわけです。

 支えや開きを強くできないから、何かをやってしまうのかもしれませんし、それ以外の何かがあって、しくじってしまうのかもしれません。このあたりのところは、もう少し冷静に分析していかないといけないのかもしれません…が、ひとまず“何も変えずに”Aまで発声できるように意識していきたいと思います。

 高い音を発声する時は、ノドを大きく開かないといけません。私もその点、かなり気をつけているつもりですが、実際は、ノドを大きく開こうと思いつつも、高い音になると、逆にノドがドンドン狭くなっていくのだそうです。

 困ったなあ…と思っています。で、頑張って、ノドを開けようとしていますが、どうやらノドを開けようとして、クチを開いているのが、私の現状のようです。と言うのも、ノドを開くのと、クチを開くのは、似て非なる事だからです。

 クチを開かないと歌えませんから、発声する時はクチを開くのは当然なのですが、クチを開き過ぎると、逆にノドは閉じってしまうのです。まあ、獅子舞のクチのような感じというのでしょうか? 口先が開くことで、ノド奥が閉じるわけです。ああ、厄介です。口先を開きながら、ノド奥も開く…と言うのは、上歯と下歯を平行な関係のまま開いていくわけで、人間の骨格ってそういうふうには出来ていないのだけれど、それを無理矢理にやっていかないといけません。大変だけれど、がんばりますよ。

 たかが、発声ですが、なんか今、自分が大きな成長のほんの手前にいるような気がしていますので、頑張っていきたいと思ってます。

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2016年1月18日 (月)

劇団四季のミュージカル『コーラスライン』を見てきました

 先日、当地の市民会館で催された劇団四季によるミュージカル『コーラスライン』を見てきました。

 いやあ、ほんと、出演者の皆さん、ご苦労様でした。ほんと、大変な舞台だと思います。1幕物のミュージカルで休憩時間がないのに、出演者の皆さんたち、ほとんど舞台に出ずっぱりだし、それもただ出ているだけでなく、始終踊っているわけで、よく体力が持つなあ…と妙な点を感心してしまいました。

 ミュージカルは、よく3つの要素、演技と歌と踊りで成り立っていると言います。客の立場で言えば、芝居と音楽とダンスの3つを同時に楽しむ事のできる複合芸能なわけですが、出演者には、良い俳優であり、良い歌手であり、良い舞踏家である事が求められます。

 たいていの作品は、この3つの要素が良いバランスに保たれていますが、今回の『コーラスライン』は、そうではなく、ダンスに偏ったミュージカルでした。とにかく、最初から最後まで、ずっと踊っているってイメージの作品だし、踊っているダンサーを見て感動するタイプのミュージカルなのです。

 もちろん、芝居も歌もあるけれど、正直、芝居に関して言えば、脚本と言うか、元々の物語が、ちょっとダメかなって思いました。だって、何か事件が起きるわけでもなく、ただダンサーたちが順番に自分語りをしていくという物語なんです。で、その物語が、貧乏自慢とか、ホモ差別とか、人種差別とか、ネグレクトとか…そういう暗い話なんです。「僕達マイノリティーですけれど、頑張って生きてます!」って感じの話。なので、私、物語には、全く共感できません。

 その上、そんな恵まれない人たちが目指しているのが、夢のあるポジションではなく、舞台で踊るだけの名もないバックダンサーだったりします。私、舞台とか物語とかって、本質的に夢々しいところだと思ってます。登場人物たちが、たとえ今、恵まれた生活をしていなくても、物語の中で色々な経験をして、最後は夢にたどり着き、幸せになるってのが定番でしょ。まあ、いわゆるハッピーエンドなんだけれど、この物語は、ハッピーエンドとは言えません。夢々しいどころか、闇で真っ暗なお話なんです。真っ暗なだけで、バッドエンドでもないのです。妙に不条理で現実風な味付けがしてあって、いかにも世紀末に作られた暗い話なんです。ミュージカルを見終えた時の後味が悪いんですよ。

 歌の方も、有名な“One”以外は、あまりパッとしない音楽ばかりです。その“One”だって、特に優れたキラー・チューンってわけでもなく、あの地味な音楽の中では、割とマシって程度の歌です。音楽的にはかなり寂しいミュージカルです。なので、ソングを歌い終えると、普通は拍手するものだし、一応観客の皆さん方は拍手をしていましたが、私はなんか拍手したい気分にはなれませんでした。拍手って、マナーとか、礼儀とか、お作法でするものではないと思っているので、なんかちょっと白々しい気分になりました。でも演者の皆さんは、一生懸命歌っていたわけで、白々しい気分の責任は演者ではなく、作曲家にあるって思いました。

 でも、ダンスはなかなかおもしろいです。とにかく、出演者全員が、舞台の端から端まで使って、物語の最初から最後まで踊っている…というイメージなんです。踊りを見るには、良いミュージカルです。特に群舞が多くて面白いです。ですから、この『コーラスライン』というミュージカルは、オペラよりもバレエに近いスタイルのミュージカルだと思います。

 踊りながら語り、踊りながら演技し、踊りながら歌うシーンもたくさんあります。ダンスを楽しめる人なら、かなり楽しいミュージカルと言えるでしょう。

 私の場合は…おもしろかったですよ。でも、私はダンスを楽しめるタイプの人間ではないので、正直、次はもういいかなって思いました。

 実はこのミュージカル、私、最初は映画版で知っていたんですよ。映画版『コーラスライン』って、私にはつまらない映画だったので、今回舞台版を見るにあたって、私は全然期待していなかったのです。期待はしていなかったけれど、せっかくだから見てみるか…その程度のノリでした。

 でも、舞台は映画とは全然違いました。舞台版は楽しいですよ、エンタメです。

 例えば、舞台も映画も基本的なストーリーは同じだけれど、舞台では群像劇として描かれた物語が、、映画ではキャシーを主役として、彼女に物語の焦点が合わせられます。まずはそこで好みが分かれます。私は主役を立てた事で、物語を追いかけやすくなった代わりに、薄まってしまったと思いました。

 舞台では、目の前でリアルなダンサーの肉体が踊ります。映画では、カメラ越しです。アップのシーンもロングのシーンもあるけれど、それゆえに、少しリアルから離れてしまいます。舞台では、舞台シーンしかありません(が、劇に集中できます)。映画は他の場面もたくさんあって、画面にもバラエティーがあります(が、気が散ります)。まあ、そんな感じ。

 しかし、このミュージカル。劇団四季ならではの演目だなあって思いました。ダンス中心の群像劇…これを演じられるのが劇団四季だと思います。日本の他のミュージカルカンパニーだと色々と厳しそうです。

 ほんと、返す返すも残念なのは、音楽の弱さと物語の暗さです。まあ、物語の暗さは諦めるにしても、音楽がもっともっと魅力的であったなら、本当に素晴らしいミュージカル作品になったでしょうね。だって、こういうスタイルのミュージカルって『キャッツ』も同じでしょ? どちらもストーリーは群像劇で、ダンス中心の演目でしょ。違いは、音楽の力の差。

 とは言え『コーラスライン』には“One”があります。世の中の多くのミュージカルには、ヒット曲の一つもないミュージカルも星の数ほどある事を考えると、“One”があるにも関わらず、『コーラスライン』の音楽は弱い…などと言う私は、強欲なヲタクなのかもしれませんね。

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2016年1月17日 (日)

言葉の言い換えって、なんかスッキリしない[2016年1月第3週・通算1週]

体重:106.4kg[-1.2kg:-9.0kg]
体脂肪率:30.5%[-1.4%:-2.7%]
BMI:33.6[-0.4:-2.8]
体脂肪質量:32.5kg[-1.8kg:-6.1kg]
腹囲:107.0cm[+-0.0cm:-8.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 さて、新年最初の体重測定を致しました。結果は以上の通りです。

 まだまだデブデブだけれど、少しは頑張った成果が出ていると思います。前回の体重測定は…と言うと、昨年の11月ですから、約二ヶ月ぶりの計測なんだけれど、途中にお正月は入っています。私、正月直後って、太るんだよね。ちなみに『2015年当初』と言うのは、1月の第3週なので、ちょうど一年前の数値です。二ヶ月前と較べてもそうだけれど、一年前と較べても、そこそこきちんと体重、落としているでしょ? 一年間で9Kg体重落としているんだよ、まあ、悪くない数字でしょ。

 頑張ったのは、私…ではなく、たぶん妻です。妻が一生懸命、私の食生活の事を考えてくれたので、こうなれたのだと思います。と言うのも、昨年の私、そんなに積極的にダイエットしていたわけじゃなくて、結構毎日、たらふく食べておりました。なんか、ダイエット疲れしちゃってね(笑)。

 ただ、食べるものは明らかに変わりました。今は、肉と野菜と豆を中心にして、米と小麦は極力クチにしないようにしています。ここ数ヶ月だけで考えても、米を食べる量よりも、豆を食べる量の方が増えました。そう言った食生活の変化が体重を減らしてくれたのだと思ってます。

 妻に感謝したいと思ってます。

 さて、今回のエッセイです。

 私は原則として、言葉の言い換えってのが好きではありません。なんか誤魔化しているような気もするし、何と言っても、言い換えた事で、本質が見えにくくなったり、分かりづらくなったりするからです。

 誤魔化しだなあ…と思っているのが、差別語の言い換えです。

 例えば『盲(めくら)』という言葉は、現在では差別語です。この言葉を公の場で使うのは良くないという事で、今は『目の不自由な方』とか『視覚障害者』という言葉に言い換えます。確かに『盲』という言葉を使う背景には、差別の気持ちもあるでしょうし、その言葉を使いたくないという優しい気持ちも分からないではないです。

 そこで『盲』という言葉を回避して『目の不自由な方』とか『視覚障害者』と言い換えるわけだけれど、『目の不自由な方』は、必ずしも『盲』の人だけを指しているわけではなく、『弱視』や『斜視』『色盲』の方も入ります。もちろん『盲』と『弱視』や『斜視』『色盲』は、皆それぞれ違います。違うものを、同じ言葉で表現するのは、間違っています。差別語を回避したいが余り、言葉の正確な使い分けを捨ててしまうのは、ちょっと違うと思ってます。

 それに私が思うに、行うべきなのは、言葉の言い換えではなく、我々の心の持ち方だと思ってます。ざっくり言えば“差別する心”が問題なわけで、言葉なんて、ただの道具であって、差別する心の持ち主が使えば、どんな言葉だって差別語になるわけです。

 本来『盲』という言葉には差別的な意味合いはなく、ただ差別意識を持った人によって使われてきた過去があり、そのため、現代では差別語のニュアンスが強くなっただけです。差別語のニュアンスが強くなったから『盲』の使用を止め『目の不自由な方』という言葉に言い換えても、我々の心の中に差別する心があれば、やがて『目の不自由な方』という言葉も、差別心のこもった卑しい言葉に成り下がります。

 だから差別語の言い換えなんて、何の解決にもなっていないし、言葉の言い換えをする以前に、我々が抱えている、他人を差別する心をどうにかするべきだと思ってます。

 ま、とは言え、実際問題としては、心に闇を抱えている人は、常に一定数いるわけだし、他人を差別しなければ生きていけない人も、常に一定数いるのが現実だから、人間社会から差別を取り除くことは、かなり難しい事です。だから、言葉の言い換え程度で問題解決なんて、全くできないんだよ。それは問題解決を先延ばしにしているだけの話です。

 『盲』のように深刻な話じゃなくても、例えば、ハゲを『薄毛』と呼んだり、デブを『体格が良い人』と呼んでいるのも、本質的に同じ事で、言葉の適用範囲を広げる事で、本来の意味を薄める事で差別意識を薄めているつもりなのかもしれないけれど、これもやっぱり誤魔化しだよね。

 先日、テレビで、70代の人の事を『初老』と呼んでいたけれど、初老は40代の事だから、ハゲを『薄毛』と呼ぶ以上の誤魔化…いや、それどころではなく、やりすぎです。ここまで来れば、誤りとすら言えます。

 言葉の言い換えには、他にも色々な動機があります。現実を見たくないために言い換える…という事もあります。例えば、8月15日を『終戦』記念日と呼んでいたり…ね。本当は『終戦』ではなく『敗戦』なんだけれど、負けを認めたくなかった…のかな、やっぱり。

 国際連合、つまり“国連”って組織があります。世界人類を代表する何かの組織のような名称ですが、実はここって“United Nations"の事で、戦中は同じ組織を“連合国”と呼んでいました。日本はこの“連合国”と戦争していたわけです。戦争中は“連合国”と呼んでいた敵チームに、戦後になって入ろうとした我が国は、チーム名を訳し変える事にして“United Nations"を“国連”と言い始めたのだそうです。自分たちを打ち負かした敵のチームに加えてもらうというのは、忸怩たる思いがあったのかな? この言い換えの首謀者は当時の外務省なんだそうですが、やっぱり誤魔化しの匂いを感じます。

 ちなみに、日本は元々敵国だし、国連には敵国条項というルールがあって、未来永劫、日本とドイツはハブにされる事になっているので、どんなに頑張っても、日本は国連では常任理事国になれるわけないのです。

 言い換えと言えば、爆撃機がやってきて、人々が生活している地域に爆弾を落としていく事を、最近では『空爆』と呼んでいますが、あれって『空襲』の事だよね。『空襲』と呼ぶと、戦時中の記憶が蘇るのがイヤなのだろうし、それは理解するけれど、でもやはり『空爆』ではなく『空襲』と呼ぶべきじゃないかなって思います。『空爆』と言うと、何か他人事だけれど『空襲』と言うと、私は父や祖父たちの話を思い出し、中東の人たちの辛さや苦しさが分かるような気がするんだよね。だから、言葉って、安易に言い換えをするべきじゃないって、個人的に思うわけです。

 体裁を整えたり、外面を良くするために、言葉を言い換える事もあります。

 たとえば、昔は『行かず後家』と呼ばれていたであろう人たちの事を『おひとり様』と呼んでみたりしてね。実態は何も変わらないけれど『行かず後家』と言われると、否定語の“ず”が入っているせいか、なんか負けたような気がして不快に思うかもしれませんが『おひとり様』という言葉には、そんな否定語は入っていないですから、気持ちがニュートラルになります。

 『高利貸し』の事を『消費者金融』と呼ぶのも、悪いイメージを隠すためですね。『屠殺』の事を『食肉処理』と言うのも同じ。まあ『殺』ではなく『処理』と言い換えたい気持ちは分からないでもないけれど、でも事実は、どんなに言いくるめても『殺』なんですよね。牛さんや豚さんを殺さないと、どうやっても、食肉にはならないんです。

 そうそう、カタカナで言うと、なんかわけもなくかっこ良く感じる…って事は、否定出来ないかもしれませんね。いわゆる『外部委託』の事を『アウトソーシング』と言ってみたり、『日帰りの預かり介護』の事を『デイサービス』と呼んでみたり、大切な『保存記録』の事を『アーカイブ』と言い換えてみたりしてね。

 私は最初『デイサービス』と聞いた時、反対語の『ナイトサービス』から連想して、昼間っからエッチな事ができるサービス?って勘違いしました。まさか“老人の保育園”の事とは夢にも思いませんでした。

 気を使って言い換えるって事もあります。例えば“融通がきかない堅物”の事を『基本に忠実』って言うと、角が立たずに済むよね。“怠け者”とか“わがまま”と言わずに『自分の気持ちに正直な人』と言うと、なんか立派な気すらするよね。“他人の意見に全く耳を貸さないおバカちゃん”には『信念を持っている人』って言い換えると、なんか立派な人のように感じちゃいます。“気の小さな弱虫”には『謙虚な人』って言うと、人格者のような気すらします。

 目の前に色々と不都合な現実があって、その現実から目をそらす必要があるから、言葉を言い換えるのだけれど、本当は、そんな不都合な現実から目をそらさずに、しっかりと見つめて、現実的な対応していく事が、人生にとって大切な事だと個人的には思ってます…が、逃げ出したり、現実逃避をしながら生きていく生き方も、否定しないつもりです。

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2016年1月16日 (土)

シズカの尾ビレがちぎれていました

 何が起こったのか定かではないのだけれど、シズカを見ていた時に、ふと「あれ? この子、もしかすると…尾ビレがちぎれちゃってないかい?」と思った次第です。

 きちんと観察してみると、右側の尾ビレ下部が、根元から丸々ありません。

 金魚、特に琉金とかオランダ獅子頭などの、俗に“丸もの”と呼ばれる種類の金魚の尾ビレって、通常の魚とは、ちょっと形が違っています。尾ビレそのものは、他の魚同様に、大きなヒレが一枚あるだけなんだけれど、金魚の場合は、それが∩字型になっていて、また横から見ると>字型になっているので、パッと見で、尾ビレが4枚あるように見えます。

 その4枚の尾ビレのうち、右下の尾ビレが全く無いのです。尾ビレが途中からちぎれていれば、さすがにその日のうちに気づくでしょうが、根元から丸々無いのです。

 最初に気づいたのは妻でした。妻曰く「尾ビレの形が変じゃない?」 いえいえ、別に変ではありません。あなたが“尾ビレ”と言っているのは、実は“尻ビレ”です。尻ビレって、そんな大きさでそんな形でしょ? でも、そう言われてみると、確かに全体のフォルムに違和感があります? あれあれ…どうしたんだろ? と思って、よくよく見たみたら、右下の尾ビレが丸々無かったわけです。

 いやあ、これだけザックリとヒレが無いと、あまりに清々しくて気づきませんよ。

 別に傷口らしいものもないし、出血したり、体液が漏れていたりという事もなさそうですし、魚類には痛覚がないので、本人的には、もう全然平気なのかもしれませんが…でも、なんで? いつそうなったの?

 我が家に来た時は、尾ビレはきちんとありました。だから、我が家に来てから怪我をして尾ビレを失ったのだろうけれど…毎日毎日シズカの事を見ていますが、本当に気づきませんでした。一体、何があったの?

 シズカは、尾ビレが一枚無い以外は、カタチの良い金魚なだけに、ちょっと残念です。まあ、尾ビレが一枚無いぐらい、生きていくためには何の支障にもならないだろうけれど、それにしても…飼い主として、うかつだったなあ…反省。

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2016年1月15日 (金)

両肩が痛くて、フルートの練習ができませんでした

 今年始めてのフルートのレッスンに行ってきました。

 今回のロングトーン練習は、姉様も一緒に三人でやりました。先生と二人だと音程も音色もビシっと合うわけです(二人なら相手に合わせるだけなので簡単)が、三人だとなかなかビシっとは合わなくて気持ち悪いですね。一応、先生の音程と音色に合わせていくわけですが、私と姉様がそれぞれに先生の笛に合わせても、だからと言って、私と姉様の笛がビシっと合うか…というと、必ずしもそういうわけにはいきません。人間の違いもあるし、笛の違い(当然メーカーやモデルは違います)し…ね。先生がムラマツ、姉様がヤマハ、私がアルタスですから、なかなか合わないのですよ。これが三人でなく、十人ぐらいいれば、それぞれの違いも集団の中に吸収されて目立たなくなるのでしょうが、ある意味、三人ぐらいがそれぞれの違いが目立って、一番合わせづらいのかもしれません。

 さて、エルステ・ユーブンゲンです。今回からは14番と15番になりますが…うっかりしていた事に、私、14番も15番も、ほとんど自宅練習をしていませんでした(!)。この二つの曲ともに、そんなに難しくないはずなのに、練習していないのですから、暗譜しているはずありません。ああ、やっちまったよー。と言うわけで、二曲ともに次回に持越しです。

 で、なぜエルステ・ユーブンゲンの練習していなかったのかと言うと、理由は二つあって、一つは「プチ・エチュードの13番にかかりっきりだったから」なのです。

 いやあ、エチュードなんだから難しいのは当たり前ですが、大好きな♯系の曲だし、特にリズムが難しいわけでもなく、なんとかなりそうなのに、いくら練習しても、音楽がスムーズに流れていかない“もどかしさ”があり、いくら練習してもスッキリせず、なんか悔しい曲なんですよ。だから、自宅練習でも、この曲にばかり集中してしまい、それなのに、ほとんどうまく演奏できずに、悔しいんです。

 何しろ、ちょっと吹いてはつまづいて、ちょっと吹いては音楽が止まり、挙げ句の果ては、運指が分からなくなってしまう…というテイタラクですからね。

 これまでになく時間を割いて練習しているつもりですが、まだまだ練習時間が不足しているという感じなのです。ま、そういう事もありますよね。この曲とは、相性が良さそうで、案外、相性が悪いのかもしれません。

 今回、徹底的に注意されたのは、中音ド♯の運指です。運指関係で言うと、中音レ&レ♯の左人差し指はよく注意されますが、今回はそれに加えて、ド♯も叱られ続けました。
 先生がおっしゃるには、標準運指の中音ド♯は、すべてのトーンホールを開けっ放しにするため、弦楽器における開放弦のようなモノで、音程も音色も悪いので、色々と注意が必要であるという事で、特に“中音のレ-ド♯”という音の流れの場合は、ド♯を標準運指ではなく、替え指で吹くのが普通だから、今後は標準運指ではなく、替え指を使いなさい…というわけでして、この曲には“中音のレ-ド♯”という動きがたくさんあるので、その度毎に注意され続けたわけです。

 ちなみに、このような時は、中音レは標準運指で、そこから左手をピヤっと離す事で、ド♯にするんだそうです。その方が音程がいいんだそうです(し、実際良い感じです)。それに標準で“中音のレ-ド♯”という運指をすると、フルートをがっちりつかんだ状態から、放り出すように指を離すわけで、音程もそうですが、楽器のホールド的にもあまり良くないような気がします。また“中音のド♯-レ”の場合は、手放し状態から、ほぼすべてのトーンホールを押さえるような動きになるわけで、ちょっと確実性も低いです。さらに“中音のレ-ド♯-レ-ド♯…”のようなトリルの場合、標準運指だとかなり厳しいです。で、実は私、この“中音のレ-ド♯”のトリルが厳しいので、標準運指ではなく、右小指を使った替え指のトリルをしていたのですが、それよりは、左手で操作する方の替え指の方が良いというのです。

 頑張りますよ。とにかく、この曲に関しては、練習あるのみです。まあ、次回とその次までレッスンはお休みなので(先生のご都合)、練習時間はたっぷりあるわけだから、頑張りますよ。

 で、最後に、エルステ・ユーブンゲンの練習をしなかった、もう一つの理由は…両肩が痛くて、腕が上がらず、年末年始の間、フルートを持てなかったからです。

 「すわっ、五十肩か!」と思ったわけですが、どうやらそうではなく、単純に姿勢の問題だったようです。デスクワークが多すぎて、知らず知らずのうちに、前かがみで両肩が前に入り込むような姿勢でパソコンばかり操作していたので、常時背中の筋肉が引っ張られて、やがてそのままの体勢で固まってしまい、耳が痛くなったり、肩や腕が痛くなったりしていたようです。

 でもね、パソコンを打つ時って、キーボードの都合で、どうしたって、両手がカラダの真ん中付近に近寄ってくるわけで、両手が近づけば、自然と両肩も前に入り込むよね。それが一日に連続で何時間も続くわけだから、そりゃあカラダに良くないわけだ。

 パソコン仕事が私の仕事の大半だから、これはいわば職業病のようなモノなんだな。

 とにかく、毎日のように整体師さんの所に通って、固まった筋肉をほぐしてもらい、前にズレてしまった肩を元の位置に戻してもらっていますので、少しずつですが、痛みもおさまり、フルートを持てるまでに回復しました。肩が痛いと、歌は歌えますが、笛は吹けませんからね。そんなわけで、年始年末はフルートの練習が出来なかったんですよ。

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2016年1月14日 (木)

献血に行ってきた

 先日、献血に行ってきました。久しぶりの献血でした。調べてみたら、10年ぶりでした(笑)。別に理由があって行かなかったのではなく、チャンスが無くて、気がついたら10年ほど献血に行ってませんでした。それだけの話。

 若い時は、なるべく短いスパンで献血に励んでいました。だって、献血って身近で簡単にできるボランティアでしょ? 善行でしょ? そりゃあ可能な限り行かないと…ね。

 もっとも、私が熱心に献血に行ってたのは、献血手帳にデータをちまちま書いていた時代のもので、献血データがコンピュータ化される以前の話なので、現在の血液センターに残っている私の献血回数は…たったの4回です。少ない…。

 まあ、現在の住居地の近所には血液センターがなくて、献血のチャンスって、献血バスと都合よく出くわした時だけだもんなあ。そりゃあチャンスがなくて、当たり前だよね。

 久しぶりの献血だったので、色々と勉強させてもらいました。その事を少し書いてみたいと思います。

 まず、献血って誰でもできるわけじゃなくて、一応、年齢制限があります。お年寄りは献血不可という事で、原則、64歳までじゃないと献血できないのです。ただし、60~64歳の間に献血実績があると69歳まで献血できます。逆に言うと、70歳以上の献血はありません。逆に若い方は16歳未満は不可ね。

 あと体重制限とかあって、ヤセの人は献血不可だし、ヘモグロビン濃度を計測して、血の薄い人(貧血だね)も不可なんです。それと献血総量も決まっていて、1年間で男性が1200ml,女性が800mlまでしか献血できません。

 こういう条件をクリアした上で、個別の条件で「今回はご遠慮いただきます」ってケースがあるようです。具体例を上げると…

当日の体調不良、服薬中、発熱等の方

 「これ、わざわざ書くの?」とか思うよね、普通。でも、実際、結構あるんじゃないかな? 私も昔、風邪ひいていて、医者から薬もらって飲んでいるのに、うっかり献血に行った事あるし、発熱していても、仕事休めない…とかで日常生活している時に、うっかり献血に行ったりとか…あるでしょ? それとも、そんなヤツは私だけ?

妊娠中の人、授乳中の人

 妊娠中の人とか授乳中の人で献血したいとか思う人っているのかな? これってあれだよね。自分では妊娠しているなんてつもりもなくて、献血に来て、調べたら実は妊娠していました…とかいう事なのかな? でも、献血に来て「あなた妊娠ししてますよ」って言われたら、びっくりしちゃよなあ…。

三日前までに歯科で治療を受けた人

 理由は何かあるのだろうけれど、近々で歯医者に行った人は献血ダメって…歯医者に行ったかどうかなんて、あまり意識して生活していないよね。

最近、予防接種を受けた人

 これは結構いるんじゃないの? この時期だと、インフルエンザの予防接種とかね。

六ヶ月以内に、ピアスの穴をあけた人、いれずみを入れた人

 六ヶ月以内って、結構な長期間だよね。しかし、いれずみって、献血だけじゃなくて、温泉も市民プールもダメなんだし、市民生活を送る上であれこれ制限が生じるものですが、それでもいれずみを入れる人っているんだよね。なぜ、入れるんだろ? 私には分かりません。

海外旅行から帰国して四週間以内の人

 私のすぐ後のお兄ちゃんが、これで断られていました。海外から帰国して一ヶ月しないと献血できないんだってさ。じゃあ、仕事で年中海外に行っている人なんて、献血ダメだね。また国によっては、四週間ではなく、もっと長い期間ダメって言われることもあるそうです。

 さらに海外関係で言えば、某国で生まれた人とか、某国生まれの人が親の人もダメなんですよ。別に人種差別ではなくて、風土病の関係らしいです。某国がどこか知りたい人は、ググるか、血液センターに行って尋ねてください。

特定の病気にかかった事のある人

 具体的には、心臓病とか、悪性腫瘍とか、痙攣性疾患とか、血液疾患とか、脳卒中とか…ね。私には喘息の有無は聞かれなかったからOKだったけれど、本当は喘息の人も献血アウトらしいです。おそらく、献血中に喘息発作をおこされたらマズイッしょって事だろうと思います。それともステロイド薬を常用しているから(私は使ってないけれど)ダメなのかな?

 その他、あまり耳慣れない病気もたくさん注意されました。世界は広く、病気にもたくさんの種類があるんだなあって思いました。それらの耳慣れない名前の病気にかかったことのある人も献血できません。

六ヶ月以内に新しい人と性的接触のあった人

 理由は尋ねなかったけれど、ダメなんだって。まあ、相手の方の人間関係が“オープン”ではないとは限らないからでしょうね。後は察して…って事で。

 その他にも、あれこれあれこれダメな理由があって、献血って、そんなに簡単にできるものではないんだなあと思いました。

 で、献血をすると、いい事もちょっぴりあります。お土産がもらえます。もっとも、以前はたくさんお土産がいただけましたが、今回はほんのちょっとだけでした。やっぱり景気が悪いせいでしょうね。お土産は少なくなりましたが、それでもうれしいのは、無料で血液検査をしてくれる事です。血液検査って、病院で普通にやると、結構お高いですからね。それが無料なんですから、健康管理的には、かなりのお得です。

 血液検査の内容は、項目的にはごく一般的なものです。以前は献血をするとエイズ検査もしてくれて、その結果を本人に知らせてくれたそうですが、今はそういう事はないんだと言われました。詳しくは聞けませんでしたが、おそらくエイズ検査はするんだろうし、検査の結果、陽性になって血液を廃棄する事になったとしても、その結果を血液提供者には知らせない…って事のようです。「エイズ検査をしたければ、献血ではなく、保健所を利用してください」って言われちゃいました。別に、私、エイズでもなければ、そんなリスクも背負ってませんけど…。好奇心が強いと、あれこれ疑われちゃうわけです。

 それとも、私、そんなにエイズっぽく見えたのかな? いや、なまじエイズ検査に興味を見せたから、疑われただけかもしれません。不要な好奇心は命を縮めるのかも(笑)。

 まあ、何はともあれ、献血は気軽にできる善行です。今後も私、断られないかぎり、あるべく献血していきたいと思いました。

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2016年1月13日 (水)

池袋で遊んできた

 年末年始に池袋に遊びに行ってきました。最初の目的地は、サンシャインシティ。以前はサンシャイン60と呼んでいた、あのあたりです。去年は、何度か乙女ロードに遊びに行った私ですが、サンシャインには行かなかったので、どれくらい久しぶりかと言うと…ヘタすると、アポロが持ち帰った月の石を見に行って以来なので、20年ぶりかもしれません(笑)。

 ちなみに、あの頃は、日本中が月の石に萌えていましたよねえ~。私も頑張って見に行きましたが…現在の研究成果によると、月の表面はどこもかしこも砂しか無い砂漠であって、石とか岩とかなんて、存在しない事になってます。では、私が見た月の石って、何だったのでしょうか!

 閑話休題。サンシャインシティに行って、おのぼりさんの定番である、水族館とプラネタリウムに行きました。私たちが到着したのは午前中で、今後の混雑が予想されたので、まず水族館の入場券を常設展と特別展のセットで購入して、それからプラネタリウムの入場券を購入しました。で、プラネタリウムの開始時刻まで小一時間あったので、ひとまず昼食を食べる事にしました。

 実はこの判断は間違いでした。と言うのも、本当は、この小一時間で水族館の特別展だけでも先に見るべきだったのです。なぜなら、この時、特別展には行列はなく、特別展の展示なんて、10分もあれば見れる程度のラインナップだったので、ここは迷わずに特別展を見て、それから昼食を取るなり、しばらく時間を潰すなりしてプラネタリウムに向かうべきだったのです。

 でも、私たちは昼食をチョイスしました。時間が微妙に早かったため、待たずに食事をして、プラネタリウムに戻って、プラネタリウムを楽しみました。

 プラネタリウムの番組は、今時のショーアップされたもので、これはこれで楽しかったですが、人間がオールドなので、やはりプラネタリウムと言えば、昔ながらの「今夜の当地の夜空」の解説が欲しかったです。南極の夜空の事を知っても、私の人生とは全く縁がないもんなあ…。まあ「今夜の当地の夜空」については、今度、地元のプラネタリウムで楽しむ事にします。

 で、プラネタリウムが終わったら、その足で水族館の常設展を見ました。サンシャイン水族館は、水族館としては、可もなく不可もなくと言ったところかな? この水族館が出来た当時は、都市型水族館の先駆けとして特別なポジションにいて、大いに注目を集めましたが、今は都会に水族館があるのは、必ずしも珍しくないし、サンシャインも色々と頑張っているのは分かるけれど、やはり色々な面で後発組に負けているし…というわけで「頑張れー」とエールを送る事にしました。アシカのショーは楽しかったよ。

 それと、これは土地柄の問題なのか、客層の問題なのか、判断つきかねるんだけれど、皆さん、やたらと水槽の写真をとるんだね。サンシャインの水槽って、小さな水槽が多いのだけれど、その小さな水槽にカメラを向けて、誰も彼もパチパチ写真を取るんです。取る人は、ほぼすべての水槽で写真を取るんだけれど、これが結構迷惑なんだよね。と言うのも、水槽が小さいからカメラを構えられてしまうと、もうそれで結構いっぱいいっぱいで、よく見えないし、写真を取るために人だかりが激しくてね…。ほんと、人がスムーズに流れないんです。で、全体の進行が遅いから、子どもが飽きちゃうんだろうね。あっちこっちを走り回っているし、叫んでいるし、なんかもう阿鼻叫喚。

 写真を取るな!と言うつもりはないのですが、そこは臨機応変と言うか、空気を読めよと言うか、写真を撮りたかったら、平日の午前中とかにお願いしたいです。休日の家族連れの多い繁忙期に、堂々と水槽を塞ぐのはいかがなもんかな…なんて思うわけですよ。それとも、東京の人って、なんでもかんでも写真を取らない気が済まないのかな?

 また閑話休題。ここまでは人混みをよけながらも順調に進んでいたのですが、ここから特別展に移動したところで、1時間ほど待たされちゃいました。いやあ、参りました。ちょっとの判断ミスで、時間の無駄遣いをしてしまったわけです。残念無念。まあ、待ち時間はiPadでネットサーフィンをして遊んでいたので、全くのムダ時間では無かったのだけれど…。

 水族館の次は、ポケモンセンターに行きました。ポケモンセンターがまだ浜松町にあった頃に一度行きましたが、それ以来だったので、ちょっと懐かしかったです。色々な人種の子どもたちがいたし、色々な言葉が飛び交ってましたよ。さすがは世界のポケモンだね。

 すでに時刻は昼下がりになってしまったので、乙女ロードに行きました。妻がコスプレ専門店に食いつきました。と言うのも、コスプレ衣装って、ちょっと手直しすれば、声楽のコンサートの衣装に転用できそうなものがたくさんあるし、またお値段も安いじゃないですか。実際、私も、コジ・ファン・トゥッテの二重唱(いつか歌おうと温めています)で使えそうな洋剣の模擬刀を見つけました。そのうち、買いに来るかも(笑)。王子様衣装もたくさんありましたが、どれも私が着れるようなサイズじゃなかったのは残念でした(大笑)。

 それにしても“おそ松さん”の人気ってすごいねえ。どこに行っても、グッズの一つも売れ残っていないんだよ、信じられる?

 日も暮れたので、池袋のヤマハに行ったら、楽譜のバーゲンをやっていたので、ついつい万札はたいてアレコレ買ってしまいました。都会に出ると、ついつい楽譜の大人買いをしてしまう私でした。

 まったくやっている事は、おのぼりさんなんだけれど、ほんと、都会って楽しいよね。

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2016年1月12日 (火)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その11 「小さな空」

 今回の曲は、武満徹作詞作曲の「小さな空」です。日本歌曲集などには入っていない、楽譜の入手困難っぽい曲ですが、案外、この歌、あっちこっちで聞きます。結構、人気あるみたいですし、実際、良い歌だしね。

 この曲は、元々はTBSラジオドラマ『ガン・キング』の主題歌だったそうで、初演歌手はジェリー藤尾だったそうです。1962年の作曲です。どんなドラマだったんでしょ? まあ、そういう意味では、作曲家はクラシックの人だけれど、音楽としてはポピュラーソングだったわけです。

 YouTubeで検索すると、この曲、独唱曲としてよりも合唱曲としてアップされていて、なぜなんだろうと思ったら、1980年代になって、合唱曲にアレンジされて、今では合唱曲としても歌われている…ってか、合唱曲としての方が有名かも…って感じになっているわけです。ここではもちろん、独唱バージョン、メゾソプラノの波多野睦美氏の歌唱で聞いてみましょう

 合唱曲も何本か聞きましたが、やはりこの曲は独唱の方が寂しさがうまく表現されて、いいんじゃないかと思いました。とは言え、合唱曲を否定するつもりはありません。日本の合唱とか吹奏楽などの音楽は、演奏するための音楽であって、演奏する人が気持よく歌えることが最優先な種類の音楽である…と私は認識しているので、この曲の合唱版を歌うと、確かにメッチャ気持ちよくなるだろうと思いますので、合唱曲としても、当然ありだと思いました。ただ、聞く立場として言うなら、合唱よりは独唱かなって思うくらいです。

 武満徹と言うと、なにやらよく分からない現代曲ばかり書いている作曲家であると、私は偏見を持っていましたが、この曲に限らず、数は多くはないのですが、優れた歌曲もいくつか書いているんですよね。特に「死んだ男の残したものは」という曲は優れた楽曲だと思いますが…その詩の内容のあまりの重さに、到底私では歌いきれない曲だなあって思ってます。

 やっぱり日本歌曲って、歌うのが難しいなあ。

 次回から、通常運転に戻ります。

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2016年1月11日 (月)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その10 「初恋」

 今回からは日本歌曲です。アマチュアさんの発表会に行きますと、日本歌曲を歌う人って多いんですよね。私などは、日本語歌唱の難しさを壁と感じてしまうので、日本歌曲にはなかなか取り組めませんが、逆に外国語歌唱に難しさを感じる人にとっては、日本歌曲は大切なレパートリーになると思います。

 今回取り上げるのは、越谷達之助作曲の「初恋」です。(「初恋」というタイトルの歌曲は複数ありますので、間違えないようにしないといけません。)歌ってらっしゃるのは、ソプラノの小川明子氏です。

 定番とも言える名曲ですね。私も歌ってみたいと思いますが…歌ってみると、案外、難しいんだと思います。

 まず日本語で歌うのが難しい。それについて、ここで語ると、大きな脱線になってしまうのでしないけれど、例えば日本歌曲の楽譜って、モノによっては、歌詞をカナではなくローマ字で表記しているものがあるでしょ? あれって別に日本語の出来ない外人さんのために親切にしているわけではなく「もっと子音を意識して歌いなさい」って事なんだよね。ほら、日本語ってカナ表記をしているために、子音とか母音とか意識しないでしょ? でもそれじゃあ、ちゃんと発音できないんだよね。

 でもね…、実はね…、日本語ってローマ字で表記できるほど、発音体系が単純な言語じゃないから、ローマ字だけでは、まだまだ歌の歌詞表記としては、不足なんだよね。かと言って、発音記号で書くわけにもいかないから、その不足は勉強ってやらで埋めていかないといけないわけで、私はそこを難しいと感じています。なまじ日常会話でいい加減な日本語を使っているだけに、改めてきちんとした日本語の発音を勉強するのが難しい…って事です。

 それに、表記や発音の問題をクリアしても、表現の問題が残ります。日本歌曲の歌詞って、結構インテリジェンスが必要な歌詞が多いんだよね。おバカな歌詞の歌って、まず皆無です。

 だから、日本歌曲を歌うには知性も必要だし、歌詞の深みを表現する力も必要です。そういう事を考えると、日本歌曲に関しては、もっと枯れて、人生の深みを歌で表現できる年頃になってから取り組んだほうがよさそうだなあと思ってます。

 歌うのにインテリジェンスが必要と言った点では、日本歌曲ってドイツ歌曲に通じる…というか、ドイツ歌曲を模範にしているんだろうなあって思うわけです。

 ドイツ歌曲も難しくて、歌うのに躊躇しちゃうジャンルの歌曲だよね。

 というわけで、実際、今の私の年齢と経験では、この「初恋」という歌は、歌えないよ。石川啄木は天才だと思います。

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2016年1月10日 (日)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その9 「アマリッリ」

 今回の曲も、前回同様にイタリア古典歌曲からです。カッチーニが作曲した「アマリッリ」です。初心者の方々が、よく発表会等で歌っています。

 アマリッリとは、イタリアの女性の代表的な名前の一つなんだそうで、この曲はそのアマリッリに向かって歌っているので、当然男性の歌となりますが…やっぱりメロディは男性向きではありません。となると…カストラートのための曲だったんでしょうね。

 イタリア古典歌曲が作曲された時代って、カストラート全盛期だったそうですから、自然とカストラート向けの曲がたくさん収録されていて、今やそれらを歌う歌手たちが絶滅してしまったために“オペラ・アリアだけれど、どの声種であっても歌ってもかまいませんよ”的な雰囲気になっているのかもしれません。

 例えれば、シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」のような存在なのかもしれません。今やアルペジオーネという楽器は存在せず、しかしアルペジオーネ・ソナタという名曲は残っているわけで、だからソロ曲に恵まれない、フルートとかビオラとかチェロなどの他の楽器が、アルペジオーネ・ソナタを頑張って演奏していく…みたいな感じ? ちょっと違うかな?

 「アマリッリ」という曲は、カストラートの曲ですから、音域や音色で考えるならば、現在では純粋な歌曲として、女性歌手が歌うのがベスト…なんだろうと思います。でも、本来男性の曲ならば、男性に歌わせてみたいというのが人情ですが、でもカストラートなんて現存していないのだから…カウンターテノールの歌唱で聞いてみましょうって事にします。と言うわけで、カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーの歌唱でお楽しみ下さい。

 こうやってカウンターテナーの歌唱で聞いてみると、カウンターテナーも捨てたもんじゃない…ってか、やっぱりバロックの歌はカウンターテナーの方がいいんじゃないかって気にもなります。

 さて、歌詞ですが、今回の訳詞は、こちらのモノです。

Amarilli,mia bella
 アマリッリ、私の美しい人、
non credi,o del mio cor dolce desio,
 信じないのか、私の心の優しい望みよ
d'esser tu l'amor mio?
 あなたが私の愛する人だと。

Credi-lo pur:
 どうかそう信じておくれ
e se timor t'assale
 そうすれば、たとえ不安があなたを襲ったとしても
dubitar non ti vale.
 恐れる必要はないのだから。

Apri-mi il petto e vedrai scritto in core:
 私の胸を開いてごらん、そうすれば心の中に書いてあるのが見えるだろう。
Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

Credi-lo pur:
 どうかそう信じておくれ
e se timor t'assale
 そうすれば、たとえ不安があなたを襲ったとしても
dubitar non ti vale.
 恐れる必要はないのだから。

Apri-mi il petto e vedrai scritto in core:
 私の胸を開いてごらん、そうすれば心の中に書いてあるのが見えるだろう。
Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

Amarilli e` il mio amore.
 「アマリッリこそ私の愛する人だ」と。

 カウンターテナー、いいですね。でも、男性なのに女性の音域で歌うのは、一般人の感覚で言えば「気持ち悪い」わけだし、クラシック的に考えると、合唱では歌うパートがないし、オペラでは役がないです。まあ、アマチュアの場合、カウンターテナーになっても、活動範囲が著しく狭くて趣味としては楽しみきれないかも…しれません。ではプロ歌手さんたちの場合は…いっそ芸能人としてタレントさんになるという道が開けますが…一流のカウンターテナーである米良美一さんや岡本知高さんでさえ、テレビに出ればオネエタレント扱いだったり、デブキャラ扱いなので、そこが一つの壁かもね。日本じゃカウンターテナーは不遇だよね。彌勒忠史さんのように音楽だけの活動ができる人は希少なんだよねえ。

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2016年1月 9日 (土)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その8 「すみれ」

 今回ご紹介するのは、スカルラッティ作曲の「すみれ」です。イタリア古典歌曲なので、ごく初心者の方が多く歌われています。でも実はこの曲、歌は初心者の方がチャレンジしますので平易な曲というイメージ(あくまでもイメージであって、必ずしも平易とは言えません)がありますが、ピアノの伴奏が厄介だって知ってました? 特に全音(全音楽譜出版社)の高声版で歌うと、伴奏者の方が嫌な顔をされます、それくらいに厄介で面倒な曲なんですよ。でも、歌う側からすると、高声版って、ちょうどいい感じなんですけれどね。

 テレサ・ベルガンツァの歌唱を見つけましたので、これを貼っておきます。画面の中に訳詞も出てきますので、今回は訳詞をここに載せるのはパスしておきます。

 この曲、歌詞の内容を見ると、明らかに男性が歌っている歌なんですよね。“すみれ”って“乙女”の暗喩でしょ? でもメロディーは男性向きではない。テノールなら歌えないメロディーではないけれど、テノールの良さがあまり引き出せないタイプのメロディーです。歌詞は女性向けでなく、メロディーは男性向きではない。では、誰のための曲なのかと考えると…カストラート向け?だったのかなって思います。

 イタリア古典歌曲って、そのほとんどはバロック時代の古典オペラのアリアなんですよ。ですから、純粋な歌曲ではないわけで、ですから、歌い手が歌の主人公なわけです。ですから、歌詞の内容と、声の特性は本来一致していないといけないのだけれど、この曲のように、それらが齟齬をきたしている場合は…今ではいなくなってしまった声を念頭に置いて書かれた可能性があります。

 カストラートと言うのは、男性の声質で女性の音域を歌える歌手で、もちろん現存していません。カウンターテナーとかメールアルトやメールソプラノなどの希少種とも言われる歌手たちが、現代版カストラートだと言われますが、彼らはファルセットで歌う歌手であって、カストラートはファルセットではなく、男性歌手同様に実声で歌っていたそうですから、かなり違うのではないかと、個人的には思ってます。

 まあ、カストラートは現存しないし、残っている音源も、録音状況が良くないし、第一、歌っている歌手が一流とは限らないので、あまり参考にはなりません。そういう意味では、カストラートとは、今となってはファンタジーな存在なんだろうと思います。

 まあ、どのみち、この曲は声がかなり軽くないと歌えない曲です。そういう点では、私のような声を軽くしたいテノールあたりの人は、この曲を学ぶと良いのかもしれませんね。

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2016年1月 8日 (金)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その7 「猫の二重唱」

 今回の曲は、ロッシーニ作曲の「猫の二重唱」です。ほんと、アマチュアの発表会で二重唱と言うと、この曲とモーツァルトの「手紙の二重唱」がよく取り上げられます。

 この曲は、二匹の猫がニャーニャー鳴いているだけの曲なので、歌詞がありません。歌詞がないので、外国語が苦手な方でも歌える…というので、人気があるんだと思います。まあ、聞いていて面白い曲だと思います。

 この曲は、発表会等では、だいたいソプラノさん同士で歌っているモノが多いし、音域的にその方がネコっぽいくていいのですが、ソプラノとテノールでの二重唱も少なからずあります。と言うわけで、ここではソプラノとテノールの二重唱版のモノを貼りたいと思います。その方が両者の違いがよく分かりますしね(笑:いや、実際、ソプラノの二重唱ではそっくり同じ声[同じ門下なんだから当たり前?]の声で歌っている事も多くて、それでは聞き手にとっては、あまり面白いもんじゃないですからね)。

 歌っているのは、ソプラノは Branislava Podrumac で、テノールが Ljubomir Popović ですが、両者とも何とお読みするのでしょうね。二人ともセルビアの方で、お名前も当然セルビア語なので、私には読めません(汗)。

 歌詞がないので、訳詞もございません。

 私も何度か妻と、この二重唱を歌おうかと試みますが、今のところ、チャンスに恵まれません。見た目よりも難しいんですよ、この曲。特にあっちこっちにハモリ箇所があって、ハモるのが苦手な私には、ちょっとばかり気が引ける曲だったりします。しかし、歌詞の制約が無い分、設定に凝れるし、演技にも集中できるので、舞台向きの二重唱だったりすると思います。

 まあ、この曲はレパートリーに入れておいて損はないので、いつかは自分のモノにしたい曲です。

 でもネコの二重唱なら、この歌の前に、ロイドウェーバーの「キャッツ」の“マンゴジェリーとランペルティーザの二重唱 ”を歌う方が先かな?

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2016年1月 7日 (木)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その6 「グラナダ」

 今回ご紹介するのは、ララ作曲の「グラナダ」です。この曲、ほんと、よく聞きますね。とにかく、ある程度歌えるようになったテノールなら、誰でも歌うと言っても過言ではないほどの、大人気曲です。まずは、全盛期のドミンゴ(1987年)の歌唱でお聞き下さい。

 ほんと、いい曲ですね。この曲は、テノールでなければいけません。ソプラノでもバリトンでもダメなんです、とにかくテノールでなければならないし、本当にテノールのために書かれた曲、私はそう思ってます。

 私も歌ってみたい、ぜひ歌ってみたい…そう願ってます。ただ、Y先生はこの曲をレッスンで取り上げたくないような事を言っていたので…独学で学んでレパートリーにするしかないかなあと思っています。独学で仕上げるとなると…ちょっと難しいなあ…とも思ってます。

 今回の訳詞は、こちらのモノです。

Granada, tierra sonada por mi,
 夢に描く土地、グラナダよ
mi cantar se vuelve Gitano cuando es para ti;
 君に歌うとき私の歌もジプシーの色合いをおびる
mi cantar hecho de fantasia.
 幻想でできた私の歌
mi cantar flor de melancolia que yo te vengo a dar.
 愁いの花にも似た私の歌を君に捧げにやってきた

Granada, tierra en sangrentada en tardes de toros;
 闘牛の昼さがりには血に染まる土地、グラナダよ
mujer que conserva el embrujo de los ojos moros;
 ムーア人の瞳の魔法を今も守る女よ
te sueno rebelde y gitana cubierta de flores,
 夢に描く君は花に覆われた異端のジプシー女
y beso tu boca de grana,
 口づける赤いその唇は
Jugosa manzana que me habla de amores.
 私に愛を語る汁多い林檎の実

Granada,manola cantada en coplas preciosas;
 美しい歌に出てくる粋な娘、グラナダよ
no tengo otra cosa que darteque un ramo de rosas,
 私の捧げ物はバラの花束しかない
de rosas de suave fragncia
 やさしい芳香を放つバラの花は
que le dieran marco a la Virgen Morena.
 褐色の聖母マリアのまわりを飾るにふさわしい

Granada, tu teirra esta llena
 グラナダよ、君という土地は
de lindas mujeres, de sangre y de sol
 美しい女たちと血と太陽に満ちている

Granada, tu teirra esta llena
 グラナダよ、君という土地は
de lindas mujeres, de sangre y de sol
 美しい女たちと血と太陽に満ちている

 いやあ、ほんと、ノリノリな歌ですよね。いかにもスペインなノリって言うのかな? イタリア歌曲にはない魅力があります。作曲家のララはスペイン人ではなくメキシコ人ですから、この曲は正確に言うと、スペイン歌曲ではなくメキシコ歌曲って事になるのかな? まあ、十把一絡げで日本人的には“ラテン歌曲”って感じになるんでしょうね。

 現在のポピュラー音楽の主流占めるのは、いわゆるテクノ寄りのロックですね。いわゆる“打ち込み系”ってヤツです。それ以前は、テクノ要素の無いロック、つまりエレキギターをギンギンに弾きまくっていた時代の音楽が主流であり、その前…と言うか、ロック以前に主流だったのがジャズです。で、ジャズの前は…と言うと、日本ではラテン音楽と言うのが流行っていました。

 そのせいがあるのかどうかは定かではありませんが、こういうラテン系の音楽や歌、ここで言うところの、ラテン歌曲を含むスペイン語で歌われる歌曲に関して語ると…この手のスペイン語系の曲って、日本のクラシック歌手たちは、あまり歌いません。およそ、例外的に、この曲が歌われる程度です。

 このように我が国のクラシック系歌手はあまり取り上げないラテン歌曲ですが、アメリカのクラシック系歌手たちって、ラテン系の歌…と言うか、スペイン歌曲などのスペイン語の歌って、古今東西問わず、結構歌われます…と言うよりも、あちらではスペイン語って、イタリア語と並んで“歌の言葉”として認知されているようです。

 まあ、ニューヨークあたりでは、英語を話す人よりもスペイン語を話す人の多いので、スペイン語が幅をきかせているんだと私に教えてくださった方もいらっしゃいますが、そんな事情もないわけではないのでしょうが、スペイン語が歌に向いた言語である事は、どうやら事実のようです。

 日本ではスペイン語系の歌曲を歌う人は少ないから、私、このジャンルに挑戦してみようかな。案外、お年寄りは昔懐かしのラテン音楽って事でシンパシーを感じてくれるかもしれないし…でもまあ、それならそれで、少なくともスペイン語の読みぐらいはちゃんとできないといけないだろうなあ。そこは厳しいね。

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2016年1月 6日 (水)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その5 「口づけ」

 さて、今回ご紹介するのは、アルディチ作曲の「口づけ」です。ほんとこの曲、かなり難しい歌だろうと思いますが、よくソプラノさんが歌っていらっしゃいます。と言うわけで、ミリアム・ガウチの音源を貼っておきます。

 さすがにこの曲を歌うテノールさんは…いませんね。明らかに女性向けの歌詞だし、メロディも、いかにも女性向けの華やかな曲です。これはテノールに限らず、男性が歌ってはダメな曲でしょう(笑)。女性的な…受け取り方によっては、かなり色っぽいというか、エロっぽい歌で、それこそ男性が歌ったら、ちょっとおかしいな気分になるようなタイプの歌だと思います。また、歌手によって、加わるバリエーションが異なるので、同じ歌であっても歌手が違うと、印象が変わる曲でもあります。いいですね。

 歌詞も熱烈な愛の詩です。今回の訳詞は、こちらのモノです。ま、実際の歌唱は、同じフレーズを何度も何度も繰り返して叫んでいますので、歌詞を目で追って…なんて事をやっても、不毛かもしれません。

Sulle labbra se potessi dolce un bacio ti darei.
 あなたに口づけができるなら
Tutte ti direi le dolcezze dell’amor.
 愛の歓びが自ずとあなたに伝わるだろう

Sempre assisa a te d’appresso, mille gaudi ti direi, Ah! ti direi.
 百千の喜びを語らずとも。私の心臓の鼓動も, ああ、
Ed i palpiti udirei che rispondono al mio cor.
 愛の歓びと共にあなたに伝わるだろう。

Gemme e perle non desio, non son vaga d’altro affetto.
 宝石も真珠も求めない、他の人の愛情もいらない。
Un tuo sguardo è il mio diletto, un tuo bacio è il mio tesor.
 あなたの眼差しは私の歓び、あなたの口づけは私の宝、

Vieni! ah vien! più non tardare!
 ああ、遅れずに来ておくれ。
Vieni a me, vien d’appresso. Ah vieni a me!
 ああ、来ておくれ

Ah vien! Nell’ebbrezza d’un amplesso, ch’io viva sol d’amor!
 二人して生命の愛に酔いしれようではないか。ああ!
Sulle labbra se potessi dolce un bacio ti darei.
 あなたに口づけができるなら

Vieni a me, vien d’appresso. Ah vieni a me!
 ああ、来ておくれ

 歌の主人公さんは…盛り上がってますねえ、テンションあげあげですねえ、明らかに発情してますね、最後はイッちゃっているし…。いや、情熱的と言うべきか。とにかく、激しい愛の歌です。そういう意味では、おしとやかな人が多い日本女性には向かない曲ですが、向かないからこそ、パーッとはじけてもらって、自分とは違う人格になった歌い飛ばすのも良いかもしれません。日頃の自分とは違う自分になってみるというのも、立派な自己表現ですからね。いやあ、それにしても、激しい歌です。

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2016年1月 5日 (火)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その4 「喜ばせてあげて」

 私も発表会で歌った事のある、ベッリーニ作曲の「喜ばせてあげて」です。この曲も、やたらとアマチュアの発表会で聞く曲です。だって、美しいものね。

 私も歌いましたが、この曲は本来ソプラノのために書かれた曲なので、ソプラノで聞いてみましょう。歌っているのは、日本のソプラノの加地早苗氏です。

 ベッリーニという作曲家は、ロマン派の時代の作曲家で、オペラ的に言うと、ベルカントオペラの時代の作曲家で、代表作が「ノルマ」や「清教徒」「夢遊病の女」である事から分かるように、歌手の名人芸を聴かせる曲を多く書いた作曲家で、ベッリーニの作品は「歌うのに難しい」ものが多いのですが、この歌はその中では「優雅な月よ」と双璧の“ベッリーニの中では歌いやすい歌”なのが人気なんだと思います。

 いやあ、ほんと、ベッリーニって、歌うのに難しい曲が多いんですね。でも歌いたい…となると、この曲が選ばれるのだと思います。

 ベッリーニがどれくらい難しいのかと言うと、一般的にはオペラ・アリアよりも歌曲の方が歌いやすい曲が多いのですが、日本で販売されているベッリーニの歌曲集って、ながらく中声版しかなく、原調版がようやく最近になって発売されるようになったというくらいなんです。歌って、キーを下げると難しい曲でも、それなりに難易度が下がるのですが、中声版…つまりキーを下げた版しか、これまでは手に入らなかったという事からも分かる通り、ベッリーニって、歌曲と言えども難しいんですね。当然、ベッリーニのオペラ・アリアなんて、目が飛び出るくらいに難しいんで、日本では楽譜の入手すら、なかなか困難です。ま、普通の“オペラ・アリア集”には、まず入っていないくらいですからね。

 今回の歌詞は、このブログにもたびたびご訪問くださるヴェルヴェッティーノさんのところのモノです。

Ma rendi pur contento
 美しい私のあの女(ひと)の心を
della mia bella il cuore,
 喜ばせてあげてください。
e ti perdono, amore,
 たとえ私の心は楽しまなくとも
se lieto il mio non è.
 愛の神よ、私はあなたを許します

Gli affanni suoi pavento
 彼女の苦しみは私の苦しみよりも
più degli affanni miei,
 もっと気にかかります
perché più vivo in lei
 私は自分のうちに生きている以上に
di quel ch'io vivo in me
 彼女の中に生きているからです

 ブログの記事を書きながら、何度も何度もこの曲を聞いているのですが、ほんと、溜息が出るほどに美しい曲ですね。あと、ソプラノ向けに書かれた歌曲のはず(実際、メロディラインは、ソプラノさんにぴったり)ですが、歌詞の内容は、男性目線の歌詞ですね。なんとも不思議な気がします。

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2016年1月 4日 (月)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その3 「禁じられた音楽」

 この「禁じられた音楽」という曲は、ガスタルトンが作曲したもので、ジャンルとしてはイタリア近代歌曲ですが、たまにカンツォーネの楽譜にも入っていたりします。この曲も、プロの歌唱に限ると、テノール歌手ばかりが歌っていて、すっかりテノールの曲というイメージが強い曲ですが、アマチュアでは、結構女性の方も歌います。

 歌詞の内容を見ると、女性から男性への恋の歌である事は間違いないので、女性歌手が歌った方が良さそうですが、メロディーラインがテノールにドンピシャリなので、声をひけらかしたいテノールにとっては、詩の内容はさておき、歌ってみたい曲である事は事実だし、結果として、プロではテノールばかりが歌ってしまうのだと思います。

 私自身も、歌詞のことをあまり考えずに歌いましたし、とても好きな曲の一つなんですが、歌詞の内容を知ってしまうと、なかなか歌いづらいと言うか、歌の中に入り込んで歌うのが難しく感じるようになりました。私はオペラ好きという事もあって「歌手=歌の主人公」と考えて歌う方がすっきりする人なので、歌手と歌の主人公が別(歌曲では当たり前)に違和感を感じる人なんですね。

 ま、憑依型の歌手なんでしょうね、私は。

 ですから、この歌、テノールが歌ってもいいと思いますが、内容を考えると、もっともっと女性にも歌ってもらいたい名曲だと思ってます。と言うわけで、ソプラノのローザ・フェオーラの音源を貼っておきます。

 いい曲ですよね。私はある発表会に言った時に、同じ発表会で別々の方々がこの曲を歌っていたのに出くわした事があります。それも2人ではなく3人ですよ。一回の演奏会で、歌手は違えど、同じ曲を3回も聞かせていただいたのです。それくらい、人気のある曲だったりします。

 歌詞はこんな感じです。今回の訳詞もこちらのモノです(感謝)。

Ogni sera di sotto al mio balcone
 毎晩 私のバルコニーの下で
Sento cantar una canzone d'amore,
 ラブソングが歌われているのが聞こえるわ
Più volte la ripete un bel garzone
 ハンサムな男の子が何度も繰り返して歌うと
E battere mi sento forte il core.
 私の心臓は思い切りドキドキするの
E battere mi sento forte il core.
 私の心臓は思い切りドキドキするの

Oh quanto è dolce quella melodia!
 ああ、なんてステキなあのメロディ!
Oh com' è bella,quanto m' è gradita!
 なんてキレイなの、あたし大好きよ!

Ch'io la canti non vuol la mamma mia:
 でもこの歌をあたしのお母さんは歌わせてくれないの
Vorrei saper perché me l'ha proibita?
 どうしてダメなのかあたし知りたいわ
Ella non c'è ed io la vo' cantare
 お母さんがいなかったら あたし歌っちゃうのに
La frase che m'ha fatto palpitare:
 あたしをドキドキさせるあのフレーズを

Vorrei baciare i toui capelli neri,
 ぼくは君の黒髪にくちづけしたい
Le labbra tue e gli occhi tuoi severi,
 君のくちびるに そしてきりりとしたその瞳に
Vorrei morir con te,angel di Dio,
 君となら死んでもいい 神様の天使よ
O bella innamorata tesor mio.
 ああ 美しいぼくの宝物よ

Qui sotto il vidi ieri a passeggiare,
 昨日あの人が歩いていくのを見たわ
E lo sentiva al solito cantar:
 そしていつものように歌ってるのを聴いたの

Vorrei baciare i tuoi capelli neri,
 ぼくは君の黒髪にくちづけしたい
Le labbra tue e gli occhi toui severi!
 君のくちびるに そしてきりりとしたその瞳に
Stringimi,o cara,stringimi al tuo core,
 君となら死んでもいい 神様の天使よ
Fammi provar l'ebbrezza dell'amor.
 ああ 美しいぼくの宝物よ

 しっかし、なんて乙女な歌詞でしょ。男臭いテノール歌手たちが、こんな乙女な歌を歌っているなって思うと、なんか背中がこそばゆくなる気がします。ほんと、演歌の世界のようですね。演歌ではよく、男性歌手が女性目線の歌詞の歌を切々と歌ってますからね。まさにあの世界なんですが、ああいう世界観があるので、私は演歌が苦手なんだと思います。私は演歌のメロディーとかサウンドとかが嫌いではなく、歌手と歌の主人公の性別が一致しないところが苦手なんです。

 でも、この部分を乗り越えられないと、歌曲も歌えなくなるんだよなあ~。頑張んないとな~。でも不思議と、女性が男性の歌詞を歌う事には違和感を感じないのですよ。専ら男性が女性の歌詞を歌うのが、ダメなんですよ、私。へへへ。

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2016年1月 3日 (日)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その2 「薔薇」

 さて、今回の「薔薇」もトスティ作曲の歌曲ですが、この曲はトスティの歌曲の中では珍しく、女性が歌うことが多い歌曲です…と言うか、テノールはあまり歌わない曲とも言えます。花の名前が曲のタイトルという事もあって、イメージ的には女性向けの歌曲?という気もしますし、実際、発表会等でもソプラノさんがよく歌っていて、実質的には、トスティ歌曲の中では、数少ない女性向けの曲という扱いになっています。

 という訳で、今回は、ソプラノの斎藤景さんが歌っているものを貼っておきます。

 今回の訳詞は、こちらのブログのモノです。

Una povera rosa è rinserrata
 哀れなバラは挟み込まれている
Nel tuo piccolo libro di preghiera:
 君の小さな祈りの本の中に。
Una povera rosa di brughiera
 荒れ野で積んだそのバラは
Che la lunga stagione ha disseccata.
 長い間に色あせている。

Chi te l'ha dato quel mesto fiore?
 誰がその悲しい花をくれたのか。
Qual ti rammenta sogno gentil?
 どんな優しい夢を君に思い出させるのか。
"Ahi," tu rispondi,
 ああ、君は答える
"Fugge l'amore!
 「愛は去って行く。
Fuggon le splendide sere d'april!"
 素敵な春の夕べは去って行く」と。

"Fugge l'amore!
 「愛は去って行く。
Fuggon le splendide sere d'april!"
 素敵な春の夕べは去って行く」と。

Or muta la contempli, e, d'improvviso,
 あるときは黙って見つめると思わず
Ti si vela di pianto la pupilla:
 君の瞳は涙に曇る。
Or, la baci, tremando, e disfavilla
 あるときは震えながら口づけすると
Su la tua fronte, un vivido sorriso!
 君の顔には明るい笑顔が輝く。

Chi te l'ha dato quel mesto fiore?
 誰がその悲しい花をくれたのか。
Qual ti rammenta sogno gentil?
 どんな優しい夢を君に思い出させるのか。
"Ahi," tu rispondi,
 ああ、君は答える
"Fugge l'amore!
 「愛は去って行く。
Fuggon le splendide sere d'april!"
 素敵な春の夕べは去って行く」と。

"Fugge l'amore!
 「愛は去って行く。
Fuggon le splendide sere d'april!"
 素敵な春の夕べは去って行く」と。

"Fuggon le splendide sere d'april!"
 「素敵な春の夕べは去って行く。
Fugge l'amore! "
 愛は去って行く」と。

 ううむ、歌詞を読んでみると、男性向けの歌のような気もしないでもありません…ってか、男性が女性に向けたラブソングでしょ、これ。そのうえ美しいメロディだし、私も歌ってみようかな…と思っても、トスティって名曲の宝庫なんですよね。この曲を歌うチャンスがあっても「いやいや、それよりも、こっちの曲やあっちの曲を歌うのが、先だな…」と思ってしまうわけです。つまり、テノールにとってはこの曲、歌う優先順位がかなり低くならざるをえないわけで、結果として、女性歌手がこの曲を歌っているのが目立ってしまうのだと思います。

 まあ、女性が主に歌うトスティ歌曲というのもあっていいので、この曲は女性の皆さん方にお譲りすることに致します(笑)。

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2016年1月 2日 (土)

素人の発表会でよく耳にする歌曲 その1 「理想」

 さて、今回の連載企画ですが「素人の発表会でよく耳にする歌曲 」というのをやりたいと思います。

 私の趣味の一つに「身も知らない人の発表会を聞きに行く」というのがあり、結構、あっちこっちの門下の発表会を聞くわけですが、それらの発表会でよく耳にする曲があります。それらの曲を紹介してみたいと思ったわけです。

 第一回目の今回は、トスティ作曲の「理想」です。「理想の女」という邦題もあり、一般的にはテノールの歌と思われていますが、発表会等では、よくソプラノさんたちが歌っていたりします。と言うわけで、今回はソプラノさんの歌う音源を貼ってみたいと思います。歌っているのは、ジリアン・ザミットで、彼女はトスティの歌曲でアルバムも発売しているほどのトスティ歌いさんです。

 歌詞はこんな感じです。なお、この訳詞は、こちらのサイトのものです。

Io ti seguii come iride di pace
 ぼくは平和な虹のようなあなたを追いかけたのです
Lungo le vie del cielo:
 天国の道を通り抜けて
Io ti seguii come un'amica face
 ぼくは親しげなたいまつのようなあなたを追いかけたのです
De la notte nel velo.
 夜のヴェールの中を

E ti sentii ne la luce,ne l'aria,
 そしてあなたを感じました、光の中に、大気の中に
Nel profumo dei fiori;
 花たちの香りの中に
E fu piena la stanza solitaria
 そしてこの寂しい部屋は満たされたのです
Di te,dei tuoi splendori.
 あなたに、あなたの輝きに

In te rapito,al suon de la tua voce,
 あなたに心奪われて、あなたの声の響きに
Lungamente sognai;
 私はずっと夢を見ていました
E de la terra ogni affanno,ogni croce,
 そしてこの世のすべての悩みも、すべての苦しみも
In quel giorno scordai.
 この日の中で忘れたのです

Torna,caro ideal,torna un istante
 戻ってください、大切な理想の人よ、ひとときだけでも戻って
A sorridermi ancora,
 もう一度微笑んでください
E a me risplenderà,nel tuo sembiante,
 そうすれば私に輝くのです、あなたの面影から
Una novella aurora.
 新しい夜明けが

Una novella aurora.
 新しい夜明けが
Torna,caro ideal,Torna,Torna,
 戻ってください、大切な理想の人よ

 歌詞の内容を見ると、男の歌となっています。しかし歌曲では、歌の主人公と歌手は同一人物でなくても良いのですから、別に女性歌手が男の歌を歌ってもマズイことは一つもありません。それにイタリア歌曲では大半の詩人が男性であるという事もあって、男性目線の歌詞が多く、歌曲の主人公の性別にこだわっていては、女性歌手たちの歌える歌曲に制限が掛かりすぎます。ですから、歌手と歌の主人公は切り離して歌うべきだし、聞くべきだと思います。

 とは言え、この歌の場合、テノール歌手ばかりが歌うので、聞く側もテノールでの歌唱に慣れているフシがあります。イメージとしては“男性歌手専門の歌曲”というイメージもないわけではないので、発表会などで女性が歌っているのを聞くと、正直、ドキッとしたりしますが…そこにこだわってしまうと、名曲揃いのトスティを女性歌手が歌えなくなってしまうし、聞けなくなってしまいます。そこはやはり『名曲は、男性が歌っても女性が歌ってもいいですね』という事にしておきましょう。。

 こんな感じで、今回の連載は続きます。しばらくはお付き合いのほど、よろしくお願いします。

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2016年1月 1日 (金)

さてさて、今年[2016年]の抱負でございます

 あけましておめでとうございます。今年も、私ならびに、この「老犬ブログ」をよろしくお願いいたします。

 さて、今年も「新年の抱負」からブログを始めましょう。まずは例年どおりに、昨年の抱負を検証するところから始めましょうか。ちなみに昨年の元記事はこちらです。

去年の抱負 1)高いB♭までを常用音域にしたい

 ×です。高音に関しては、昨年同様に、常用音域はGまでで、A♭やAは、頑張れば出せないわけではないけれど、音程の正確さや音色の悪さなどの問題があって、とても常用音域ではありませんし、Aまでならともかく「B♭? なんですか、それ?」というのが現状です。

 とは言え、昨年の発表会で歌ったモーツァルトの「Un'aura amorosa/恋のそよ風」(歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」のテノールアリア)で、頻出した高音Aをなんとかやっつけていますので、以前ほどA♭やAが無理ゲームという感じではありません。

 でもまだ常用音域ではないんだよね。今年こそはなんとかしたいものです。

去年の抱負 2)ガリボルディのプチ・エチュードを終了させたい

 ×です。終了できませんでした。昨年は8番から始めて、年末には13番に着手できましたので、ひとまず5曲クリアって感じですかね。プチ・エチュードは20番まであるので、残り7曲で、この調子だと、終了予定は…来年? でも、昨年はフルートのレッスンにあまり行けなかったので5曲しか進まなかったとも言えますが…。

去年の抱負 3)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 ×です。“誰も死ぬことなく”どころか、メンバー総入替えでした。全然ダメでした。

去年の抱負 4)まずは100kgを切りたい

 これも×です。言い訳もできません。

去年の抱負 5)ブログを続けていきたい

 ○です。実は何度か危機はありましたし、これからも色々と危機はあると思います。来年まで続いているかの保障は、今の私にはできませんが、ひとまず無事に正月は迎えられたという事です。

去年の抱負 6)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 ○です。実母の死は受け入れるとして、ま、こんなもんでしょう。

 昨年の抱負は2勝4敗で、負け越しとなりました。ちょっと残念です。

 これらを踏まえて、今年の抱負を発表します。

1)高いB♭までを常用音域にし、Hi-Cにも挑戦したい

 昨年の抱負とあまり変わりませんが、一応、B♭ではなくHi-Cが目標になっているところが、ちょっと違います。「Hi-CとかB♭どころか、A♭だって危ないじゃん」と言われると、そのとおりなんですが、そこは抱負ですから、目標は高く掲げたいんです。

 それに、A♭とかAとかは、なんとか今年中にやっつけて、できれば今年の年末あたりはB♭と戦っていたいというポジティブな希望もあったりします。とにかく、頑張るつもりなんです。

2)ガリボルディのプチ・エチュードを終了させたい

 昨年の抱負と全く同じです。冷静に考えると、まだまだ無理な目標なのですが、そこはぜひ頑張っていきたいと思ってます。

3)何か運動を始めたい

 運動、始めたいですね。本当は妻と社交ダンスを再開したいのですが、妻にその気が全くないので、そっちは諦めて、何か一人で夢中になれる運動なりスポーツなりゲームなりを始めたいのです…が、時間と体力がないのが悩みです。

 散歩が運動的な趣味なんですが、なかなか散歩に行ける時間も確保できないので、なんとかしたいんですね。

4)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 ここ数年同じですが、やはり今年もこれを抱負としてあげたいです。特に今年は、水槽のメンバーが総入替えになったのですから、今年一年ぐらいはメンバーチェンジ無しで年を越したいと願ってます。

5)まずは100kgを切りたい

 これもここ数年同じです。100Kg切りたいんです。

6)ブログを続けていきたい

 これもずっと同じです。ブログはとりあえず続いているので、継続なんて簡単な事と思ってらっしゃる方も大勢いらっしゃると思いますが、いやいや、実に大変なんですよ。ブログの舞台裏では、色々なことが起こっているのです。毎年毎年、ブログ継続の危機は何度も訪れているわけですが、それを何度も乗り越えて、今があります。

 この一年も発生する諸問題をすべて乗り越えて、何とかブログを継続できたらいいですね。

7)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 これも同じですが、同じで当たり前ですね。家内安全ですよ、家族の健康ですよ、安心して暮らしたいのですよ。当然じゃないですか。でも、この当然の願いの実現って、実はそんなに簡単じゃないんですね。日々の努力の積み重ねってヤツが必要なんです。

 今年も小さな事をコツコツと積み上げていき、家内安全を心がけていきたいと思ってます。

 と言うわけで、今年もよろしくお願いします。

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