ひとこと

  •  昨今話題のフェイクニュースですが、日本語で言うところの“虚偽報道”であり、簡単に言っちゃえば“デマ”とか“嘘”です。でも、こんなフェイクニュースですが、コロッと騙されちゃう人も大勢います。イギリスがEU離脱を決めた国民投票だって、多くの人がフェイクニュースに騙されて、うっかり離脱を決めちゃったわけだし、アメリカ大統領のトランプ氏が選ばれたのだって、フェイクニュースのおかげとかじゃないとか…? 諸外国ではネットを中心にフェイクニュースが流れますが、日本では新聞テレビなどを通じて、堂々とフェイクニュースが、さも真実っぽい顔して流れてしまうから手におえません。朝日新聞の従軍慰安婦報道なんてフェイクニュースもいいところだね。あと、マスコミの伝家の宝刀“報道しない自由”を駆使する事によって、真実を隠蔽し、世論を自分たちの都合の良い方向に誘導するのは、フェイクニュースとは違うけれど、フェイクニュースよりもたちが悪いと言えば、たちが悪いのです。マスコミには、両論併記のカタチで真実をのみを報道してもらいたいものです…が、無理っぽいですね。
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2015年12月の記事

2015年12月31日 (木)

今年もお世話になりました[2015年を振り返って]

 大晦日です。例のごとく、今年一年を私なりに総括してみたいと思います。

1)母の葬儀を無事に終えました

 詳しい事は、2015年7月20日 (月)の記事『母の四十九日が終わり、忌明けとなりました』に書きましたので、そちらをご覧ください。

 やはり、実母が亡くなるというのは、人生の大きな節目の一つです。親なんて、いつまでも元気で、いつまでも自分を助けてくれるものだ…とか、若い時は無意識にそんなふうに勝手に思っていましたが、そんな親も、やがては年老い、カラダも弱り、心も弱くなって、最後には亡くなってしまうものです。育ててもらった感謝を、母にきちんと伝えられたか、親孝行はしっかりとできたのか、色々と悔いは残っていますが、今、後悔しても仕方のない事なんだなあと、しみじみと思うだけです。

2)デアゴスティーニ社の『DVD 世界のオペラハウス 名演コレクション』が取りやめになった

 私、本当に、このオペラシリーズに期待していたんです。ですから、ブログ記事にも何度も書いてるくらいです。

2015年7月13日 (月)『今、DeAGOSTINIに注目!』

2015年7月21日 (火)『デアゴの3号が届きました

2015年8月19日 (水)『デアゴの「DVD 世界のオペラハウス名演コレクション」が終了してしまいました

 ただただ、無念です。残念です。悔しいです(涙)。日本には、そんなにオペラファンが少ないのか!

3)喘息発作で死にかけました

 この件に関しては、2015年1月29日 (木)の『死にかけました』という記事に詳しいことを書きましたので、詳細については、そちらを読んでいただきたいのですが、ホント、人間って、どんなきっかけで死んでしまうか分からないものです。私も、あの時、死んでいたかもしれません。あの発作が起こる直前まで、私は自分が死んでしまうかもしれない目にあうなんて、夢にも思っていなかったのです。

 まあ、当たり前と言えば当たり前の話です。

 でも、人間、何の拍子でうっかり死んでしまうか分からないという事を、身をもって経験したわけです。で、その後、母の死も迎え入れ、今の私は、昨年の私よりも、ずっと死を身近に感じられるようになったわけです。

 妻とも、たまに、私が死んだ時の事をボチボチと話すようにしてますが、私が自分の死の話をすると、妻は決まって「そんな話はしないで~」と言ってきますが、でも私、いずれそのうち死んでしまうんだよ。問題は、それが遠い将来なのか、それも割りと近い将来なのか、もしかすると今晩の話なのか…って事ぐらい違いがあるだけで、私、間違いなく、やがて死にますから。

4)両肩が結構痛いのです

 今年になって、やたらと両肩に痛みを感じるようになりました。もしかしたら、五十肩と呼ばれる肩関節周囲炎ってヤツかもしれません。大げさに騒ぐほどの激痛ではないので、様子を見ている状態なのですが、腕が後ろに回りづらくなり、無理に後ろに回すと、肩から上腕にかけて鈍い痛みが発生します。右腕も痛みますが、左腕の方がより痛むかな。
 「なぜ腕を無理に後ろに回す必要があるの?」

 私、通勤カバンをデイパックにしているんですよ。デイパック、つまり小さめのリュックサックです。これだと両腕が開くので、徒歩通勤の私には色々と都合が良いのですが、デイパックって、背負う時に腕を後ろに回すでしょ? その動作をする時に腕が痛むのです。

 あと、私は横向きになって寝るのですが、最近は目覚めた時に肩に痛みがある事もあります。また、腕立て伏せなどのような体勢を取ると、その体勢になっただけで、肩に痛みが生じます。うーむ、若い時は、腕立ての100回や200回は平気だったのに、今やそのポーズを取るだけでギブアップだよ。年は取りたくないね。

 痛みが無い時に、無理をしないように、腕を伸ばしたり回したりして、肩の可動域の確保を心がけていますが、これも老化現象の一つなんでしょうね。

5)ノドも弱い。風邪もひきやすい。体力の衰えを感じる

 ブログを読み返していると、ほんと、私って、よく風邪をひきますね。風邪をひくと、たいていノドも腫らしています。風邪って、体力が衰えたり、ストレスがたまったりするとひくと言います。私の場合、ストレスは毎日の音楽の練習で解消していますので、体力の衰えが風邪の原因…なんだろうと思うし、実際、寝不足を感じている時に風邪ってひく傾向にあります。

 まずは睡眠時間の確保だろうけれど、なかなか若い頃からのライフスタイルは変わりません。若い時は、睡眠時間の不足は体力でカバーしていたのだけれど、もうこの年になると、カバーしきれるほどの体力もない…って事ですね。ならば、なるべく無理をせず、体力温存と睡眠時間の確保を心がけるようにしないといけませんね。

6)目が弱くなって、困ることも増えてきた

 老眼が進行してきたようです。今かけている老眼鏡では細かいモノだ見えなくなりつつあります。どれくらい困っているのかと言うと、本を読むのが面倒になるくらいに見えなくなってきています。ああ、老眼が着実に進行しているんだろうなあ。そろそろ、老眼鏡を作りなおさないといけないみたいです。ふー。老人って、色々とお金がかかるんだなあ。

7)金魚の入れ替わり

 今年のお正月の水槽には、サクラ[二代目]、ホノカ、アズサ(アズニャン)、タキ(オタキサン)の四匹がいました。年末を迎えた現在、この子たちは一匹もいません。

 2月に、丹頂のサクラが星になり、代わりに更紗オランダのハナ(ハンナ)がやってきました。

 3月に、東錦のアズニャンが星になり、代わりに三色琉金のヤヨイがやって来ました。また、やって来たばかりのハンナが星になり、代わりに素赤オランダのミカンと、黒出目金のミドリ[二代目]がやって来ました。これで、長らく4匹体制でやってきた我が家の水槽の金魚が5匹体制になりました。巨大魚ばかりの水槽だったので、4匹体制だったわけだけれど、サクラやアズニャンのような巨大魚の代わりにやってきた子たちが、みな小さな子だったので、金魚の数を増やしてもかまわないだろうという判断でした。

 また、この頃、メダカを20匹入れましたが、すぐに食べられてしまい、ここのところ5匹で落ち着いています。

 4月には、素赤琉金のホノカが星になりました。4匹体制に戻ったわけです。

 6月に、丹頂のマルコと素赤琉金のミーナがやって来ました。今度は6匹体制になったわけですが、マルコは我が家にやってきた5日後に星になってしまいました。残念。やはり、6匹体制は色々と無理があったようで、5匹体制に戻ってしまいました。

 6匹体制を諦めきれなかった私は、7月に、丹頂のエナを緋ドジョウ三匹と一緒に、水槽に投入しました。この時の緋ドジョウのうち、一匹だけがやけに小さかったので、その子はいつの間にか“マッチボウ”と呼ばれるようになりました。他の二匹には、まだ名前はありません。

 しかしと言うかやっぱり、金魚の6匹体制には無理があったのでしょうね。6匹体制にした途端、ミーナが星になってしまい、五匹体制に戻ってしまいました。ううむ。

 あと、タニシを123匹投入したのも、この月でした。タニシは、その後、順調に食べられ続け、今やほんの少ししか残っていません。

 さすがに「我が家の水槽の金魚の定数は5匹である」と再確認した私でしたが、素赤琉金のシズカと出会ってしまったのが、9月でした。シズカがかわいくてかわいくて、止むに止まれぬ思いで、この子を我が家の水槽に投入したところ、10月にオタキサンが星になってしまいました。これで、お正月の水槽にいた子たちは、全員、星になってしまったわけです。

 11月に水槽掃除のための石巻貝を30匹投入しました。あっという間に水槽がきれいになって、ほんとビックリでした。

 今現在の、我が家の水槽のメンバーは、金魚が5匹で、三色琉金のヤヨイ、素赤オランダのミカン、黒出目金のミドリ、丹頂のエナ、素赤琉金のシズカです。

 ドジョウは、緋ドジョウと真ドジョウがいます。緋ドジョウは、ラズと名無しが2匹とマッチボウの合わせて4匹です。真ドジョウは、シロとクロの2匹います。ドジョウたちはシロ以外は元気です。シロだけは、いつも腹を上にして水槽に沈んで、いつも死んだふりをしています。

 メダカは5匹です。名前はついていません。ヌマエビは…たぶん4匹います。名前は当然ありません。

 貝類は、タニシと石巻貝がいます。タニシの数は分かりませんが、だいぶ少なくなっています。石巻貝は食べられないので、数は減っていません。おそらく40匹前後いると思いますが、10匹前後いる老貝たちは、ほとんと仕事をしなくなりました。

 今は、こんな感じです。

8)ダイエットのまとめ

 正直、今年はダイエットに真面目に取り組まなかった…と言うよりも、体重をきちんと計測できなかったです。と言うのも、体重って、仕事から帰宅して、そのまま入浴してから全裸で計測する約束なのですが、最近は、帰宅すると、風呂の前におやつを食べてしまうんですね。そういうライフスタイルになってきたので、体重が計りづらくなってしまいました。

 ちなみに、今年最後に計測した体重は、こんな感じでした。ちなみに11月第1週の記録です。

2015年
体重:107.6kg
体脂肪率:31.9%
BMI:34.0
体脂肪質量:34.3kg
腹囲:107.0cm

 比較のために、昨年の最後の体重測定は、11月の第3週でしたが、こんな感じです。

2014年
体重:114.4kg
体脂肪率:32.8%
BMI:36.1
体脂肪質量:37.5kg
腹囲:103.0cm

 体重は約7Kg少ないのですが、腹囲が4cmほど増えてます。ダメだね。

9)今年も幸せな私でした

 今年のこの記事をまとめるにあたり、気づいた事は「健康関連の話ばかりだな」という事です。いつもなら「声楽では~」とか「フルートでは~」と言ったまとめが入るのですが、今年は声楽もフルートも特に大きな事はなく、平々凡々と日常の中で楽しむだけだったので、これと言った事はなかったわけです。

 仕事の方はますます忙しくなり、なかなか趣味である音楽やブログに割ける時間が減ってきましたが、仕事が忙しいというのは、社会人としては喜ぶべきことだと思ってます。まあ、過労死を避けるのははもちろんですが、気力と体力の充実にますます気を使っていきたいと思ってます。

 プライペートな事に関して言えば、何もなかったわけではありませんし、実母の死は、正直こたえましたが。それもまた人生です。「禍福はあざなえる縄のごとし」です。要は、人生のバランスを取りながら、色々な出来事の帳尻を合わせる事であり、そういう点では、私は十分幸せな一年を過ごせたのではないかと思ってます。

 そんなわけで、来年もよろしくお願いします。

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2015年12月30日 (水)

今年[2015年]見たDVD

 昨日は、今年購入したCDで記事を書きましたが、今回はDVDでございます。今まではCDとDVDを同日に記事にしていましたが、今年はDVDを独立させました。と言うのも…今年は、購入したCDの枚数よりも、DVDの枚数の方が増えてしまったからです。主客転倒現象が起こってしまったので、ならばDVDを独立させましょって事にしたわけです。

 さて、私が今年購入したDVDはこんな感じです。振り返ってみると、ほとんどがオペラDVDでした(笑)。

【オペラ(デアゴスティーニ社)】
01)アンジェラ・ゲオルギュー「ヴェルディ作曲:歌劇『椿姫』」
02)ミア・パーション「モーツァルト作曲:歌劇『フィガロの結婚』」
03)マリーナ・ドマシェンコ「ビゼー作曲:歌劇『カルメン』」
04)ジョナサン・ミラー演出「モーツァルト作曲:歌劇『魔笛』」
05)アキレス・マチャド「プッチーニ作曲:歌劇『ラ・ボエーム』」

 これらの5枚のDVDは、すべてデアゴスティーニ社の『DVD 世界のオペラハウス 名演コレクション』で購入したものです。今回のオペラシリーズは、たったの5枚で頓挫してしまったわけで…ああ、悲しい。私、デアゴスティーニ社のこのシリーズには大きな期待を寄せていたのです。ああ、悲しい。

【オペラ(世界文化社)】
06)ルチアーノ・パヴァロッティ「ヴェルディ作曲:歌劇『アイーダ』」
07)ソフィア・ローレン主演「アイーダ(映画版)」
08)ジョゼッペ・サッバティーニ「ヴェルディ作曲:歌劇『椿姫』」
09)マリー・マクローリン「ヴェルディ作曲:歌劇『椿姫』」
10)ルチアーノ・パヴァロッティ「プッチーニ作曲:歌劇『ラ・ボエーム』」
11)ノルマ・フェンティーニ「プッチーニ作曲:歌劇『ラ・ボエーム』」
12)ルネ・パーペ「モーツァルト作曲:歌劇『フィガロの結婚』」
13)コンピエーニュ帝国劇場「モーツァルト作曲:歌劇『フィガロの結婚』」
14)チェチーリア・バルトリ「モーツァルト作曲:歌劇『ドン・ジョヴァンニ』」
15)チェチーリア・バルトリ「モーツァルト作曲:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』」
16)ゼッダ指揮ネーデルランド歌劇場「ロッシーニ作曲:歌劇『セビリャの理髪師』」
17)ファザーノ指揮ローマ室内歌劇団「パイジェッロ作曲:歌劇『セビリャの理髪師』」18)エヴァ・マルトン「プッチーニ作曲:歌劇『トゥーランドット』」
19)フランコ・コレッリ「プッチーニ作曲:歌劇『トゥーランドット』」
20)ナディア・ミカエル「ビゼー作曲:歌劇『カルメン』」
21)ナディア・クラステヴァ「ビゼー作曲:歌劇『カルメン』」
22)マルセロ・アルバレス「プッチーニ作曲:歌劇『トスカ』」
23)レナータ・テバルディ「プッチーニ作曲:歌劇『トスカ』」

 こちらは、世界文化社の『DVD決定盤 オペラ名作鑑賞』というシリーズものです。このDVDシリーズについては、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

【オペラ(その他)】
24)エヴァ・メイ「ドニゼッティ作曲:歌劇『ドン・パスクワーレ』」
25)ガブリエラ・ベニャチコヴァ「ベートーヴェン作曲:歌劇『フィデーリオ』」
26)中島康晴「ビゼー作曲:歌劇『真珠採り』」
27)ニーナ・ステンメ「プッチーニ作曲:歌劇『西部の娘』」
28)ホセ・クーラ「ジョルダーノ作曲:歌劇『アンドレア・シェニエ』」
29)クリスティーン・シェーファー「ベルグ作曲:歌劇『ルル』」

 私、デアゴスティーニ社のオペラシリーズが中止になった時に思ったのです。順調であったならば、毎月2枚ずつオペラDVDが入手できたはずだった。それはダメになったけれど、今後はなるべく毎月1枚ずつでもオペラDVDを購入することにしよう。世の中には、まだまだ私が見ていないオペラ作品や公演は山程あるのだから…と思ったものです。で、それからチマチマ買い集めたのが、ここにあげたDVDです。なかなか渋めのラインナップでしょ? こんなチョイスは、デアゴスティーニ社には出来るまい(笑)。

 オペラDVDは、日本語字幕が必要なため、どうしても日本メーカーが販売しているモノを購入せざるを得ないのですが、日本盤って結構高価なのが悲しいですね。それでも探せば、そこそこ安いものはありますし、26)、27)、29)は日本語字幕付きの輸入DVDなんです。最近は、輸入DVDも探すと日本語字幕付きのモノが多少はあります。ただし、日本語の訳がちょっと変な事が多いのですが…。まあ、そこはご愛嬌でしょう。

【音楽一般】
30)イアン・ボストリッジ「冬の旅」
31)ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー「バッハ作曲:マタイ受難曲」

 オペラ以外の音楽DVDも購入する私です。特にこの2枚はお薦めです。と言うのも、歌の状況説明を字幕だけでなく、演技や動作で補ってくれるタイプのモノだからです。特に31)は型破りなくらいに歌手たちが演技します。これはまるで室内オペラなのか!…って思うほどです。私のお気に入りDVDの一つです。

【一般映画&その他】

32)スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
33)スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃
34)スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
35)スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望
36)スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲
37)スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還
38)ヘアー
39)ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
40)十戒
41)ベン・ハー
42)天地創造
43)グリー[シーズン4](11枚組)
44)ビートルズ「1+」

 やっぱり、スター・ウォーズは買っちゃいました。すでに古典ですからね。一家に1セットは必需品でしょう。ヲタクの基本教養の一つです。38)と39)はミュージカル映画です。43)は海外ドラマ(ミュージカル)です。シーズン3まではNHKが放送してくれましたが、シーズン4からの放送はやってくれず、CSでも(字幕放送はあったけれど)日本語吹き替え版を放送してくれなかったので、廉価版が発売になるのを待って購入しました。私、グリー、大好きですから。44)はビートルズのビデオクリップ集です。今まで発売されていなかったんですよ、不思議ですね。

 というわけで、今年のDVDでした。来年は、デアゴスティーニ社と世界文化社の分がありませんから、もっと少ない購入枚数になると思います。

 物欲はありますが、一方、我が家の収納能力にも限界はありますので、そこらへんの折り合いを探しながら、なるべく少ない枚数で厳選されたディスクだけを購入するように、心がけていきたいと思ってます。

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2015年12月29日 (火)

今年[2015年]聞いたCD

 さて、毎年アップしている「今年聞いたCD&DVD」を、今年もアップしちゃいます。

 ここ数年の私の悲願は「なるべくCDを買うのはセーブしよう」でしたが、今年ついに達成しました。ほんと、今年、私が購入したCDは少なくなりました。

 比較のために、きちんと記録を取り始めた2010年からの数字をあげてみると…、

2010年が120枚。
2011年が70枚。
2012年が85枚。
2013年が41枚。
2014年が66枚。

 さて、今年(2015年)は何枚か言うと、なんと、たったの26枚! いやあ、ほんと、びっくりの少なさです。

 誰ですか?「26枚って、決して少ない数じゃないよ」と言っているのは、例年と比べれば、ほんとうにビックリの少なさですよ。五年前と比べると、約100枚も少ないんです。信じられないじゃないですか!

 と言うわけで、今年も例年の形式に準じて、購入したCDの記録をアップさせていただきます。ちなみに、昨年の記事はこちらです。

 では行きますよ。最初に言っておきますが、今年の私、器楽曲のアルバムを一枚も買ってません。自分でもビックリです。いやあ、そんな年もあるんですね。

【オペラ全曲】

01)フェリシテ・ロット「プーランク作曲:歌劇『人の声』」
02)ドロシー・クリステン「レハール作曲:喜歌劇『メリー・ウィドウ』」

 珍しいモノを購入しました。01)はモノオペラと言われるもので、ソプラノ歌手がたった一人で演じるタイプのオペラです。最初から最後まで、たった一人で演じて歌うんですよ。すごいですねえ。02)は原語のドイツ語ではなく、英語歌唱なんです。なかなか英語歌唱の『メリー・ウィドウ』が見つからなくて、ほんと、探してしまいました。

【オペラ・アリア集】

03)ヴィットリオ・グリゴーロ「ザ・ロマンチック・ヒーロー」
04)ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ「プッチーニに捧ぐ」
05)ホセ・クーラー「愛のヒーロー ~クーラ、プッチーニを歌う~」
06)ジョセフ・カレヤ「ビー・マイ・ラブ~マリオ・ランツァに捧げる」
07)ロランド・ヴィラゾン「イタリア・オペラ・アリア集」
08)ロランド・ヴィラゾン「フランス・オペラ・アリア集~グノー&マスネ」
09)ロランド・ヴィラゾン「ヒターノ~サルスエラ・アリア集」
10)ロランド・ヴィラゾン「モーツァルト作曲:コンサート・アリア集(テノール)」

 すべてテノール歌手のオペラ・アリア集です。03)はイタリア人のグリゴーロのフランスオペラ集(なぜ?:笑)です。04)と05)はプッチーニのオペラ・アリア集です。歌手が変われば、歌いクチも大きく変わります。06)はカレヤによるランツァのトリビュート・アルバムです。いいですよ。07)~10)はヴィラゾンのアルバムです。今年の私は、ちょっぴりヴィラゾンにはまって、テレビでもヴィラゾンをたくさん見ましたよ。ヴィラゾンはメキシコ人でスペイン語が母語ですから、09)のサルスエラなんて、なかなかの絶品です。

【歌曲集】

11)ブリテン編曲「パーセル・リアリゼーション」
12)ファウスト・テンツィ「レオンカヴァッロ:声楽作品集」
13)ファウスト・テンツィ「マスカーニ:声楽作品集」
14)ウィリアム・マッテウッツィ「トスティ歌曲集」
15)ロバート・ティアー「コープランド歌曲集」
16)バーバラ・ボニー「バーバラ・ボニー BEST ドイツ歌曲集」
17)ファン・ディエゴ・フローレス「イタリア歌曲を歌う」

 11)は、ヘンリー・パーセルの声楽作品集です。ジャンル的には古楽になります。多くの楽曲を色々な歌手たちが歌っています。パーセルの曲は古すぎて、そのままではとても演奏ができないので、作曲家のブリテンが現在の音楽家たちでも演奏できるように編曲し直しています。ですから、厳密に言えば、パーセルとブリテンの共作アルバムといえるかもしれません。あまり有名ではないけれど、美しい曲もたくさんあるし、譜面を持っている曲もあるので、いつか歌ってみたいですよん。

 12)と13)は、ファウスト・テンツィ(テノール)による珍しい声楽作品集です。なかなかレオンカヴァッロとかマスカーニの歌曲集なんて無いでしょ? 13)のトスティ歌曲集は、トスティの歌曲の中で、あまり録音されない珍しい歌曲ばかりを集めた面白いアルバムです。英語の歌曲もたくさん入っていて楽しいですよ。15)はアメリカの作曲家コープランドの作品を集めたアルバムです。これも珍しいでしょ。16)と17)は歌手が主役のアルバムです。とりわけ17)のフローレスは美声ですよ。

【ライブ盤】
18)ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ「イン・コンサート」
19)ロランド・ヴィラゾン「オペラ・リサイタル~愛さずにいられぬこの思い」」

 ライブ・アルバムは、ポピュラー歌手ばかりでなく、クラシック歌手だって発売します。

【ポピュラー&その他】

20)ブライアン・ウィルソン「ノー・ピア・プレッシャー」
21)ポール・マッカートニー「タッグ・オブ・ウォー」
22)ポール・マッカートニー「パイプス・オブ・ピース」
23)ビートルズ「1+」
24)コロムビア音源による「軍歌大全集」
25)アーロン・コープランド作曲「オールド・アメリカン・ソングス全曲集」(高声用)
26)ベンジャミン・ブリテン監修「ヘンリー・パーセル歌曲集」(高声用)

 21)はブライアン・ウィルソンの新作です。オジイチャンになっても頑張ってます。21)と22)は旧作の再発売です。とは言え、21)は昔のモノとはミックスが違うので、だいぶ音楽の印象が今っぽくなっています。22)もおまけがたくさん付いてます。23)は以前からCDは持っていたので、むしろ付属のDVD目当てで購入した…と言ってもよいかもしれません。24)は…軍歌が聞きたかったんです。

 25)と26)はCD付きの楽譜です。輸入譜には結構、こういう発売形態のものがあります。もちろんCDに入っているのは伴奏ピアノの録音です。つまり付属CDの演奏に合わせて歌の練習をすればいいという事になっているわけです。日本でも、こういう楽譜がたくさんあるといいのですが…日本では声楽を学ぶ人はたいてい音大出ているし、音大出ている人はピアノが弾けるから、伴奏CDなんていらない…って事になるんでしょうね。残念。

 今年購入したCDは、こんな感じです。来年も少なめの購入枚数であったらいいなあと願っています。

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2015年12月28日 (月)

今年[2014年]見た映画 その2

 さて、昨日の続きです。

21)ジュラシック・ワールド 3D

 ジュラシック・シリーズの第4弾です。1993年の「ジュラシック・パーク」、1997年の「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」、2001年の「ジュラシック・パーク3」に続いての作品です。中身は、前3作と基本的には同じで、遺伝子操作で恐竜を現代に蘇らせて、サファリパークよろしく飼いならしていたつもりが、恐竜たちがそこから脱走して人間を襲うけれど、最終的には人間たちに撃退されるという、パニック映画でございます。ほんと、水戸黄門のように毎回毎回同じような話なんだけれど、水戸黄門が毎回毎回おもしろかったように、このジュラシック・パークも中身は変わらないけれど、やっぱり面白いです。分かっちゃいるけれど、恐竜に襲われるのは、怖いよねえ(笑)。頭カラッポにして見て楽しむタイプの映画です。私、好きだよ。

22)ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

 トム・クルーズ主演のシリーズ第5弾でございます。定番のスパイ映画ですね。往年の007映画にどことなく雰囲気が似ているのがいいです。しかし、トム・クルーズも年を取ってきましたね。そろそろ現役スパイの役が厳しくなってきたんじゃないかしら。そういう意味でも、今回はほんと頑張っています。一応、次回作はあるという報道がされていますが、トム・クルーズは大丈夫なのかな?

 それはともかく、今作はまだまだトム氏も元気ですし、十分見応えのあるスパイ映画に仕上がっております。

23)日本のいちばん長い日

 日本が戦争に負け、昭和天皇が降伏を決定し、玉音放送、ポツダム宣言受諾までの政治家たちや軍人たちの右往左往を描いた映画です。私が見たのは2015年版ですが、元々は1967年版があって、それのリメイク映画のようです。

 冷静に淡々と歴史を描いているなあ…と思いました。映画ですから多少のデフォルメは当然あるんだろうけれど、決して情緒に流される事もなく、実に物静かな印象の映画でした。敗戦処理って難しいのだな。昔の人たちは、見事にやってのけたんだな…と思いました。

 終戦前後の事って、知っているようで知らない事も多く、でも知らなくてもいい事ではなく、こういう冷静な映画を見て学ぶのも、良い事なんだろうなあって思いました。

24)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

25)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ドン・ジョバンニ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

26)シネマ歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」

 シネマ歌舞伎を見たにも関わらず、この作品については、ブログ記事にしていなかったようです。まあ、音楽的な要素も少なかったし(こう言ってはアレですが)特に感動しなかったからかもしれません。

 歌舞伎…なんだけれど、かなりドタバタした劇なんですよ。はっきり言っちゃえば、コントです。で、コントと歌舞伎の相性って…あまり良くないような気がします。と言うのも、コントにはスピードが必要なのですが、歌舞伎の様式って、常にスローじゃないですか? 歌舞伎って、スローと言うよりも“ためてためてためて…で、見得を切る”っパターンの芝居じゃないです? ちょっとコントとは食合せが悪いような気がするんだな。

 たぶん、この「大江戸りびんぐでっど」って芝居、歌舞伎じゃなければ、そこそこ面白かったと思います。でも、これを歌舞伎にしちゃ、ダメかも。歌舞伎に現代喜劇を持ち込むなら、大阪の新喜劇のようなモノの方が相性いいんじゃないかなって思いました。

27)テッド2

 クズな映画です。ほんと、私って、こういうクズな映画が大好きなんだから仕方ないです。この映画は、字幕じゃなくて、ぜひ吹き替えで見た方がいいですよ。吹き替え版の方が、よりクズっぽさが伝わるって思うんですよ。しかし、これもまた、見る人を選ぶ映画だな(笑)。

28)アントマン 3D

 はい、ヒーロー映画です。ただし、脱力系のヒーローです。何しろ、サイズが蟻並ですから。とにかく規模が小さい。街は壊しません。ビルぐらいは壊すけれど(笑)。まあ、このアントマンも次のアベンジャーズに参加するんだろうけれど、個性的すぎて、どんな活躍をするのか、想像できない(大笑)。いやあ、とても美味しい映画でした。

29)進撃の巨人/エンド・オブ・ザ・ワールド

 実写版の後編映画です。前編であまりにガッカリして、見に行くのをやめようかと思ったのですが、物事を途中で投げ出すのは良くないと考えて、後編と言うか、結末編になる今作品もきちんと見に行きました。

 やっぱり、見に行かない方がよかったかも。なんかねー、アレコレアレコレ、あっちこっち、本当に違うんだよなあ。

30)カリフォルニア・ダウン 3D字幕

 いわゆるパニック映画です。それにしても、アメリカ人って、何よりも家族を大切にするんだね。消防のレスキューなら、家族の救出の前にやるべきことが山のようにあるだろうって思ってしまう私は、典型的な日本人なんだろうなあ。細かい事は抜きにして、パニック映画としては、まあまあですよ。ひとまず合格点です。

31)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「アイーダ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

32)ボクは坊さん。

 新米僧侶の日常を淡々と映像化した作品です。そうだね、お坊さんという稼業も大変なんだなって思いました。原作は白川密成氏(四国八十八箇所の札所・栄福寺のリアルな住職さん)が書いたエッセーが原作ですから、そりゃあ、あっちこっちリアルだよね。テレビ番組「ぶっちゃけ寺」も人気だそうですから、今ひそかにお坊さんブームが来ているのかもしれないなあ…って思いました。

33)ピクセル 3D

 宇宙人が任天堂のゲームキャラになって地球に攻めてきた…という映画です。いやあ、ほんと、バカ丸出し。で、私は、そういうバカ映画大好きだから、たまらない。これもやっぱり見る人を選ぶ映画です。人によって、あんまり馬鹿馬鹿しくて、怒っちゃうかもね(笑)。

34)図書館戦争 THE LAST MISSION

 有川浩氏の小説が原作となっている映画のシリーズ2作目で、おそらく完結編です。SF系ミリタリー&恋愛小説って感じかな? デカイ女がチビ上司に萌え萌えしながら、鉄砲撃ちまくる映画です…と書くと「お馬鹿映画なの?」って誤解されるかもしれませんが、そんなに頭の悪い映画ではありません。基本的には近未来映画ってヤツです。ま、SFです。自衛隊が撮影に協力しているので、ミリタリー要素多めです。

 実はこのシリーズ、実写映画になる前に、アニメ化されていて、そっちの方が原作に忠実なんだそうな。ううむ、アニメ版も見てみたい。CSで放送してくれないかな…。

35)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「オテロ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

36)シネマ歌舞伎「スーパー歌舞伎:ヤマトタケル」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

37)夢は牛のお医者さん

 ドキュメンター映画です。すべて実話なんだそうです。長野県の寒村のとある小学校に牛がやって来て、児童たちがその牛の面倒をみたんだそうです。その児童の中にいた、一人の女の子が、それを契機に獣医になる事を目指して、猛勉強を始め、地元の進学校から国立大学に進学して、獣医となり、一人前に成長していった26年間を取材して、まとめあげた映画です。日本映画批評家大賞ドキュメンタリー賞を受賞した映画だそうです。

 なぜ人は、他人が頑張っている姿を見ると、感動するんでしょうね。

38)007 スペクター

 かつて“007映画”と言えば、お馬鹿映画の代表のような映画でしたが、主演がダニエル・クレイグになって以来、バカ度が下がって、殺し屋度が増しています。007映画って、脳天気な映画のはずですが、すっかり根暗な映画になっちゃいました。でも、実は私、根暗な007って好きなんですよ。以前にも、ティモシー・ダルトンが007をやった時は、根暗でしたが、大好きでした。おそらく、ダニエル・クレイグの007は今作でお終いでしょう。次回作は新しい人が007として登場してくるのではないかと思われます。次はきっと、お馬鹿な007が復活するんだろうなあ。

 それはともかく、今作の007も、なかなか良いですよ。

39)ガールズ&パンツァー 劇場版

 これを萌系アニメだと誤解してはいけません。これはミリタリー映画です。ただ単にかわいい女の子たちがたくさん出てくるだけの、マジな戦車映画です。とにかく、戦車が轟音を上げて走り回り、爆撃し、街を破壊しまくり、戦車同士で戦い合う、そういうアニメです。全編、戦車愛に満ちた映画です。戦車が大好きな方に、ぜひオススメしたい映画です。

 と、まあ、こんな感じで39本の映画を見た私です。去年と較べて、見た本数が増えているのは、単純にシネマ歌舞伎を見始めたからでしょうね。その分が増えていますので、その他一般の映画を見ていくペースは例年通りでした。

 きっと、来年もたくさんの映画を見るんだと思います。

 それにしても映画館で見る映画って、いいなあって思います。デカイ画面。迫力満点な音響。物語に集中できる空間。DVDを家で見ていては、なかなかここまで作品にひたることはできません。ビバ!映画館。最近、我が家の近所の映画館には、全く客が来ていなくて、時々は私の貸し切りになっている時もあるんだけれど、頑張って、つぶれないで営業を続けて欲しいと願ってます。私もなるべく、近所の映画館で映画を見るようにするからサ。

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2015年12月27日 (日)

今年[2015年]見た映画 その1

 恒例の“今年見た映画”の記事です。振り返ってみると、今年もたくさんの映画を見ました。まあ、最寄りの映画館が徒歩圏にあるので、気軽に映画を楽しめる、恵まれた環境で暮らしているので、自然と映画を見る回数が増えるわけです。「たいした映画を見ていないじゃないか」と毒づかれる方もいらっしゃると思いますが、こんなラインナップ(主にお馬鹿映画)が、私の趣味なんだから、仕方ないです(笑)。

 念のために書いておきますと、ここに書かれた映画は、私が直接映画館まで出向いて、自腹を切って見てきた映画です。DVDやテレビ放送で見た映画は含まれていません。DVDで購入して見たものは、また後日、記事にしていますが、レンタルDVDとかテレビ放送で見た映画は、ここには含まれていません。その手の記録も残そうと毎年思うのですが、ついつい忘れちゃうんですね(爆)。

 ちなみに、昨年の記事はこちらです。昨年と比較したい方はどうぞ(爆)。

 去年の私は35本の映画を見ました。一昨年が30本で、その前が31本です。で、今年は39本です。今や40本/年に迫る勢いとなりました。いやあ、自覚ないけれど、私って映画好きなんだなあ…。まあ、これも歩いていける場所に映画館があるおかげです。ほんと、感謝していますよ。

 それでは例年通り、簡単なコメントを加えながら、今年見た映画をご紹介していきます。

01)海月姫

 以前、アニメで見た事があるので、期待してみたのですが…あまり実写化には向かない素材だったかもしれません。ただし、蔵之介(女装子)を演じた菅田将暉(すだまさき:我が家では“フィリップ”と呼ばれてます)は、すごかったです。彼を見るためだけに、この映画を見ても良いかも…ね。

02)ベイマックス

 良くも悪しくも、今時のディズニー映画です。私は好きだよ。

03)劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス

 深夜アニメ「サイコパス」の劇場版です。カッコイイです。深夜アニメは、シーズン2まで作られたけれど、この劇場版は、シーズン1のスピンアウトと思って見ると良いです。かなり本格的なSFアニメなので、SF素養の無い人が見たら、ついて来られないかも…。あと、意外とグロいです。でも私は満足しましたよ。

04)アニー(2014年版)

 ミュージカル映画です。有名なのは1982年版ですが、今回のものは、それとは時代設定なども変わっていて現代になっており、かなり雰囲気が違います。何と言っても違うのは、ハニガン女史の悪役度がかなり薄くなっていた事です。まあ、時代を現代に設定してしまうと、ハニガン女史のやっている事って、完全なる児童虐待だからね。悪役度が薄くなってしまうのは仕方ないけれど、ドラマとしては、少々つまらなくなってしまいます。私的には、どうせ見るなら、1982年版の方を強くお薦めします。

05)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

06)マエストロ!

 さそうあきら氏のコミックスを原作とした音楽映画です。私、コミックスの方は未読なので、映画単体として評価をするなら…面白かったですよ。細かい部分で、色々とツッコミどころは満載なんだけれど、これもファンタジーの一種と割りきってみると、それはそれで面白いです。しかし、つぶれたオーケストラの再生なんて…ほんと、ファンタジーだよなあ。私はこういう映画、好きなんですよ。

07)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「メリー・ウィドウ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

08)エクソダス:神と王

 これは21世紀版の『十戒』です。あるいはディズニー映画『プリンス・オブ・エジプト』の実写版というべきか。とにかく、旧約聖書『出エジプト記』を映画化したものです。いかにも“今時のハリウッド映画”って感じのSFXバリバリの迫力満点な映画です。映画館で見る分には楽しめるけれど「DVDで家のテレビで見たら、どうなの?」って感じです。私個人的には、これを見る時間があったら、チャールトン・ヘストン主演の『十戒』の方をお薦めします。1956年製作で今や古典的名画となってますが、こっちの方が色々な点で、ちゃんとしている…って感じです。

09)イントゥ・ザ・ウッズ

 ミュージカル映画です。この映画、実写映画なんだけれどディズニー映画なんだそうです。そう言われてみると、確かにディズニー映画っぽいです(笑)。元々、ブロードウェイ・ミュージカルという事で、ミュージカルとしてもよく出来ています。主な登場人物は、ラプンツェル、赤ずきんちゃんと狼、シンデレラ、ジャックと豆の木のジャックってわけで、これらの人物があれこれ騒動を起こす、バカバカしい内容のコメディですが、私、バカバカしいコメディ嫌いじゃないですから。

10)暗殺教室

 実写版の映画です。原作がコミックだからと言って、バカにしちゃいけません。ストーリーがちゃんとしているので、映画もかなり面白いです。続編が作られる予定になっていますが、私、今から続編が楽しみです。アニメも来年1月から第2期(劇中では二学期ね)が放送されるし、ほんと、楽しみです。ヌルフフフ…。

11)ドラゴンボールZ 復活のF 3D

 賛否両論ありますが、ドラゴンボールZの新作映画です。その内容は、現在放送中の『ドラゴンボール超』の中でも放送されています。今となっては、映画を見るのも良し、テレビ放送を見るのも良しです。まあ、あれこれ意見をお持ちの方がいらっしゃるようですが、休日の午前中に放送されるようなアニメは、子ども向けアニメだと思うし、今回の新作映画にせよ、テレビ放送にせよ、その主な視聴対象は、やっぱり子どもたちだと思います。かつて子どもだった人たちは、その点をわきまえるべきだと思います。

 純粋に子ども向けアニメとして考えるなら、やっぱり良く出来ていると思いますよ。

12)寄生獣 完結編

 実写版の映画です。元々原作のコミックは、連載時から大人気で、映画化の権利をハリウッドが購入したけれど、あれこれあって、結局映画化ができないまま、契約が終了したので、改めて日本で映画化されたわけです。ハリウッドが目をつけただけあって、やっぱりストーリーはちゃんとしているし、面白いです。原作がすでに完結している事もあって、大筋で原作に沿うカタチで映画化されていますので、良いと思いました。ただ、ミギーの声は、アニメ版の平野綾の方が、私の好みだなあ。

13)百日紅~Miss HOKUSAI~

 百日紅と書いて「さるすべり」と読みます。アニメ映画です。杉浦日向子氏のコミックが原作です。主人公は、お栄こと葛飾応為という名の女浮世絵師。父であり師匠である葛飾北斎と、北斎の弟子である渓斎英泉こと池田善次郎の三人が巻き起こす、江戸の雰囲気がバッチリ表現された、アートっぽいアニメ映画です。実際、海外でも上映されているし、国際映画賞等でもきちんと受賞している、真面目な日本映画です。誰にでも薦められるタイプの映画ではないけれど、今の日本映画の尖った作品の一つであるとは言えるでしょう。

14)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「カヴァレリア・ルスティカーナ&道化師」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

15)ビリギャル

 坪田信貴氏の「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」が原作の映画です。とにかく主演の有村架純氏ってか、有村架純ちゃんがかわいい映画です。

 原作は実話に基づいた話だそうですが、そんな事は忘れて、一つのファンタジー作品として楽しむと、実によく出来た楽しい映画だと思います。「努力は必ず報われる」って感じの、まるでジャンプ漫画のようなノリの映画です。

 まあ、実際、ストーリーの内容には、あれこれツッコミどころ満載だし、私も映画を見ながら、あれこれツッコんでましたが、それもこの映画の楽しみ方の一つじゃあないかな? この映画、ドキュメンタリーじゃなくて、単なる娯楽映画だからね。そこんところを忘れちゃったら、楽しめるものも楽しめなくなると、私は思います。「ドラゴン桜」を真に受ける人がいないのと同じ程度に、この映画もあまりマジに受け取らない方が良いと思います。でも、私は好きですよ。

16)シネマ歌舞伎「京鹿子娘二人道成寺」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

17)アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 3D

 アベンジャーズ、サイコー! 私は、こういうお馬鹿なハリウッド映画が大好きなんです。誰が何と言っても、好きなものは好きなんです。批判は受け入れますが、それでも好きなんですから、仕方ないじゃない。

 はっきり言って、ヒーローが出てきて、街を壊しまくる映画です。この映画を楽しむためには、知性なんていりません。頭の中をカラッポにして、ただただ「すっげーなー」と感心していればいいんです。ほんと、大好きなんです。

18)ターミネーター:新起動/ジェネシス

 「ターミネーター」という映画は、1984年に作られたB級映画なんですが、大ヒットしたために、1991年に「ターミネーター2」が、2003年に「ターミネーター3」が、2008年に「ターミネーター サラ・コナー・クロニクル(これ、テレビシリーズでしたが、面白かったですよ)」が、2009年に「ターミネーター4」が作られたわけだけれど、物語として成功したのは「ターミネーター2」までで、「ターミネーター3」は後にパラレルワールドとして無かった事になっているし、「ターミネーター サラ・コナー・クロニクル」の話は「ターミネーター4」へ繋がったけれど、今回の「ターミネーター:新起動/ジェネシス」で、またもまた、無い事にされてしまいました。いや、それどころか、今回の映画は、直接「ターミネーター」の続編であるわけだから「ターミネーター2」すら無いことになっちゃったわけです。

 なんか迷走しているなあ、ターミネーターシリーズも。

 映画としては、今回の「ターミネーター:新起動/ジェネシス」は、リブート版という事で、何かと期待させてくれます。続編、作ってくれるのかな?

19)シネマ歌舞伎「春興鏡獅子」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

20)進撃の巨人

 大人気コミックが原作の実写映画です。前編後編の前編に当たります。映像はすごいです。でも、ストーリーとか設定とかには、色々と疑問が残ります。ですから、原作とは別作品と割り切る必要があります。私は…あまり楽しめなかったなあ。

 と言うわけで、今回は最初の20本を紹介しました。明日は残りの19本を紹介します。

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2015年12月26日 (土)

最近は、山茶花の紅色が目にしみるようになりました[2015年12月の落ち穂拾い]

 最近、家の近所を歩くと、やたらと山茶花(さざんか)の何と言えない紅色が目にしみるようになりました。山茶花、いいですよね。我が家の庭にも山茶花、植えちゃおうかなって思ってしまうくらいで、先日、ちょっとその気になって、近所の植木屋さん(植木の手入れをする店ではなく、いわば大型花屋で、花ではなく苗木や種子をたくさん売っている店なんですよ)に山茶花を見に行ったら…その店が無くなっていました。つまり廃業しちゃっていたわけです。オー、ノー。今後は、近所のホームセンターに苗木を買いに行けって事なんだなって思いました。

歌手のように演奏する…とは

 よく器楽(弦楽器や吹奏楽器)のレッスンでは「歌手のように演奏する事!」と言うのは、必ず言われる事です。ただし、これは『声楽の発声を真似ること』ではなく『歌手のフレージングを参考にしろ』という事です。特に一流歌手のフレージングは実に細かくて多彩ですからね。器楽は、下手くそほど棒吹きです。ですから、そんな棒吹き野郎に「ちったあ、歌手たちの歌いクチってヤツをマネてみたらどうだね」というアドヴァイスが“歌手のように歌え”なのです。

sangueとは何なのか?

 オペラであるとか、歌曲であるとかに限らずに、イタリア語の歌詞では“sangue”という単語をよく見かけます。では、この“sangue”。どういう意味なのかと辞書で調べても、実は全然分からないと思います。

 と言うのも“sangue”という言葉は、辞書でひくと『血液』と出ていますが、オペラとか歌曲とかでは、そんな意味で使うことは、まずないですし、それ以外の意味で辞書に載っている事って、まずないからです。

 じゃあ“sangue”って、何なのかと言えば、感情とか熱情とか激しい気持ちとか願望とか嫉妬とか、まあそういうモノなのです。

 イタリア人は、全身を巡る血管の中を流れる血液に、自分たちの感情が載っていると考えるんですよ。だから、興奮すると、血液が煮立っちゃうし、目の前が真っ赤になってしまったり、頭に血が上ったりするんだけれど、それをモロにそのように感じて、表現しちゃう人たちなんです。

 だから“sangue”は血液なんだけれど、イタリア人にとっては、単なる血液ではなく、精神そのものだったりするんです。でも、そんな事は辞書には載っていないです。と言うのも、これって俗語というか、口語的な表現らしいんですね。ですから、インテリな人たちは絶対に使わない表現でもあるんです。なので、辞書には載らないんです。イタリア語には、このように、普通に使われているのに、辞書には載っていない言葉って、たくさんあって、歌曲とかオペラとかの翻訳では、辞書はあまり役にたたない雰囲気があります。

私の考える、日本への特効薬

 日本は1980年代に名実ともに経済大国になりましたが、そこがある意味、頂点でもあって、国力的には、そこからゆるやかに坂を下っています。そのため、1990年代から2015年の今年に至るまで、なんと25年間(つまりは一世代まるまるの時間)閉塞感に包まれて、鬱々とした経済状況の中にいるわけです。

 これって良くも悪しくも、団塊の世代の皆さんのおかげなんだと思います。

 団塊の世代とは、1950年前後に生まれた第一次ベビーブームの頃の人々で、この人達が三十代半ばの働き盛りの頃に、日本はバブル景気となり、彼らが仕事の第一線から管理部門に移動するに伴い、少しずつ日本の景気は低調となり、やがてデフレとなっていったわけです。つまり、日本経済の大躍進の立役者は、彼ら、団塊の世代の方々であり、その労働力であったわけです。

 そんな彼らも、今や65歳前後です。いよいよ名実ともに高齢者となります。その多くは労働人口から外れ、今や引退して、年金生活者となりました。お疲れ様でした。

 日本の経済力を推進してきた立役者である彼らですが、彼らはあまりにも人数が多く、そのため、これからの日本社会は、老人社会とならざるをえなくなります。彼らの後に続く世代は、彼らと比べると、あまりに人数が少ないのです。

 日本の年金は“賦課方式”なので、高齢者の年金を現役世代が準備するカタチになっています。これは老人が少なくて現役世代が多い場合は有効な手段であります。通常、現役世代とは20代~50代までの約40年間である一方、高齢者は65歳からせいぜい85歳(平均寿命から考えれば、こんなモンでしょ)までの20年間である事を考えれば“賦課方式”も、そんな悪いやり方ではないのです。

 でも問題は、団塊の世代の人口と、それに続く世代の人口のアンバランスにあります。つまり、団塊の世代の人数が多すぎるのが問題なのです。多すぎて、次の世代の人数だけでは、とても彼らの面倒を見切れないのが問題なのです。

 例えば福祉。老人人口が増えれば、どうしたって老人たちへの支出が増えます。本来、国家は老人よりも子どもにお金を使うべきなのです。「子どもは国の宝」とは時代を問わず、真理なのですから。それが福祉です。

 しかし、今や、老人が増えすぎ、国の福祉予算が、子どもではなく老人のために多く使われるようになりました。理由は簡単です。年寄りには選挙権があるけれど、子どもたちには選挙権が無いって事です。子どもたちを育てている若い親たちの投票数よりも、年寄りたちの投票数の方が圧倒的に多いからです。

 国家…と言うよりも政治家は、自分に票を入れてくれる人のために働きます。選挙権の無い子どものための施策をするよりも、年寄り保護の施策をした方が票が稼げるので、老人のための施策をバンバンしていきます。これは仕方のない事です。

 老人たちは、日本経済の功労者でありますが、これからは単なる消費者であって、生産者たりえません。このまま老人たちが増えたままでは、日本の経済は停滞したままとなってしまいます。

 老人たちには申し訳ないけれど、こんな社会は健全であるとは言えません。

 老人があまりに増えすぎたため、バランスを取るためもあるのでしょう、次の選挙から、選挙権が18歳に繰り下がり、若年層の有権者も増えますが、これで世の中、どれくらい変わるのでしょうね。せっかく若年層の有権者が増えても、彼らが投票に行かなければ、結局、世の中は老人中心に回ってしまいます。

 ではどうするべきでしょうか。実は、解決はとても簡単なのです。老人の人数が減って、若者や現役世代の人数が増えて、日本国全体として、人口が増え続ければいいのです。

 では、そのために今、何をするべきでしょうか? ちょっと目端の利く人には、すでに答えは見えています。書いてみましょうか?

 日本の国力を回復するためには、

 1)老人たちには消えてもらう
 2)税制改革をして、女性は働くよりも家庭にいる方が経済的に得するようにする
 3)働かない男性には刑罰を与える(刑務所での強制労働あり)
 4)安価な労働力を増やすために、大学進学率を下げ、中卒・高卒で社会に出て、働くようにする
 4)核家族をやめ、大家族制に戻して、福祉的な事を家庭に引き受けてもらう
 5)移民法を整備して、不良外人とスパイを強制送還(あるいは死刑)にする

 こんなところかな? 自分で書いていて、かなりひどい事を書いているなあって思います。でも、今の日本の将来を真剣に考えている人は、言葉にしなくても、これくらいの事は、みんな考えているんじゃないかな? でも、こういう思い切った事はできるわけないので「じゃあ、どうする?」ってところで、みんな知恵を絞っているんだと思います。

 なんかねー。長生きが祝福されない世の中って、ちょっとアレコレ間違っているのかもしれないなあ…って思ったりします。バランスが悪いんだよねえ。

今月のお気に入り マウスピース

 実は今回の品は、私、使った事がないのです。しかし、私の周囲の人々には大人気なので、ご紹介しようと思ったわけなのてす。

 品はマウスピースです。これは、何のためにどうやって使うのかと言うと、寝る時にクチにくわえるんだそうです。で、こいつをくわえて寝ると、イビキが激変し、睡眠時無呼吸症候群が緩和するんだそうです。

 ふーん。

 睡眠時無呼吸症候群とは、寝ている時に呼吸が止まってしまう病気(?)なんですね。なぜ、呼吸が止まってしまうのかと言うと、寝ている間に舌根が下がって、それが気管を塞いでしまうために、呼吸ができなくなってしまうのだそうです。で、睡眠時無呼吸症候群の人は、症状としてイビキが伴うそうなので、イビキを防いであげると、自然と気道も確保できて、寝ている間に息が止まるような事がなくなるのだそうです。

 以上の話は、睡眠時無呼吸症候群の知り合いからの受け売りです。

 なので、マウスピースをくわえたまま寝ると、舌根が下がらなくなって、夜も快適に寝れるようになるんだそうです。で、マウスピースにもいろいろな種類があって、イビキ防止用のマウスピースがとても良いのだそうです。

 ふーん。

 なので、睡眠時無呼吸症候群でお悩みの方、家族のイビキに悩んでいらっしゃる方、マウスピースはいかがですか? って話です。

 まあ、もっとも、睡眠時無呼吸症候群が病気ならば、マウスピースを購入するよりも、医者に相談する方が先じゃないかなって気もしますが…。

 とにかく、睡眠時無呼吸症候群やイビキに悩まされている方には、お薦めなんだそうですが…私はそれらに該当しないので、よく分かりません(笑)。

 私もたぶん、普通に上を向いて寝たら、睡眠時無呼吸症候群になって息が止まって、イビキをガーガーかくんじゃないかって思いますが、私は上を向いて寝ないので、イビキもかかなきゃ、呼吸も止まらないので、彼らの苦しみは、ちっとも分からないのです。と言うのも、私は抱きまくらの愛好者なので、常にちょっと横を向いて寝ているんですよ。ですから、常に気道は確保されているので、寝ている時に苦しい思いをした事がないのです。

 私が使っている抱きまくらは、近所の寝具店で購入したのものです、厳密はこれとは違うのでが、こんな感じに、適度にクネクネしたカタチのものです。抱きまくらには、長方形のモノや、ぬいぐるみのようなモノもありますが、私個人的には、それらよりも、こんな感じにクネクネした形状のものが使いやすいなあって思ってます。

今月の金魚

 特に大きな出来事はありません。気になる事と言えば、タニシが順調に数を減らしていることです。次のタニシの補給は来年の夏頃ですが、そこまでタニシが持つかどうか、とても不安です。

今月のひとこと

 寝ればカラダの疲労は取れるけれど、仕事のストレスによる心の疲労は取れません。しかし、カラダと心の両方が疲れてしまうと、病気(ま、風邪ね)になってしまうので、せめて、カラダの疲れだけは溜めないように体調管理をしている今日このごろです。(2015年11月29日~12月1日)

 紅葉と山茶花がキレイです。(2015年12月1~3日)

 11月23日(新嘗祭当日)に起きた靖国神社爆発音事件の犯人は、韓国人だったそうですね。事件の直前に入国して、爆破事件を起こして、すぐに帰国してしまったそうです…って、速やかに帰国されちゃあ、逮捕は難しかったかもしれないけれど、なんで今頃報道するんだろ? 誰をかばっているんだろ? 何を守ろうとしているんだろ? 報道は情報が入り次第、すぐに出来たでしょ? なんで10日も過ぎて、ほとぼりが冷めた辺りで報道するんだろ? ちなみに韓国という国では、反日関連の犯罪者は、日本から逮捕請求があっても、引き渡してくれないので、もう二度と逮捕できません。そりゃそうだ、日本じゃ犯罪者でも韓国では英雄だもんね。さて、地下鉄半蔵門線で起きた消火器テロの犯人も10日後に報道されたら、私は笑っちゃうよ。(2015年12月3~9日)

 中国の北京では、赤色警報という名の大気汚染警報が出ているそうです。この警報が出ると、市内を通行できる車がナンバープレートごとに規制され、市内の学校も休校、野外活動時間にも制限が加えられるほどので、多くの企業が在宅勤務を余儀なくされているそうです。私たちには想像もつかない事で、本当に北京の皆さんにはお見舞い申し上げます。で、この大気汚染って…人災なんだよね。だって軍事パレードなどがあって、工場を停止し、車を規制すると、あっと言う間に青空になるのが北京だからね。原因が人災なら、手の打ちようがあるだろうに、中国政府は何をしているのでしょうか? さすがにこの件に関しては、北京市民に同情します。(2015年12月9日)

 靖国神社爆発音事件の犯人が、日本に再入国してきたので逮捕されちゃいましたね。チョン・チャンハン(全昶漢)という名で27歳の韓国人男性です。なぜ爆発犯…と言うか、はっきり書いちゃえばテロリストが、再入国してきたのか謎です。私が思うに、韓国で逮捕して日本に引き渡すという当然の事(日韓犯罪人引渡し条約というのがあります)だけれど、韓国国内では英雄を逮捕するわけにはいかないし、ましてや日本に引き渡すことなどできない。だからと言って、知らぬ存ぜぬをしていると「テロリストをかばう韓国」って事になって、日本のみならず、世界中から“テロ支援国家”として白い目で見られるって思ったんでしょうね。おそらく、一種の政治取引が日韓であって、今回の逮捕につながったんだと思います。これで「建造物侵入罪」で初犯だから不起訴で釈放…とかになったら、日本人は怒り狂っていいと思うよ。(2015年12月9~15日)

 軽減税率について、あれこれ決めている最中のようですが、なるべく国民生活を楽にする方向で(で、税収が欲しいのだろうから、贅沢品などにはグっと税をかける方向で)行って欲しいと個人的には思ってます。で、分からないのは、新聞が軽減税率の対象になりそうな事。言っちゃあなんだが、新聞はオワコンでしょ? 無くてもしなない。むしろ、今時紙データーで情報を手に入れようなんて、贅沢なんじゃないの? 情報はテレビもラジオもあるし、ネットもあるわけで、新聞が軽減税率の対象になるなら、テレビやラジオやパソコンやスマホなど、いわゆる家電も軽減税率にするべきでしょ。そんな事をするくらいなら、いっそのこと、消費税を全廃して、物品税を復活させればいいんじゃないの?(2015年12月15~22日)

 先日の深夜、ヲタク向けのアニメ映画を見に行きました。さすがに、平日のレイトショーでヲタクアニメを見るクズなオトナは私ぐらいしかいないだろうとタカをくくっていましたら、映画館がほぼ満席でした。そうか、ヲタクと言っても、私のように昼間はまともな社会人に擬態しているヲタクたちは、仕事が終わってからアニメを見るわけだから、レイトショーなんて大好物である事に気が付きませんでした。ああ、ウカツだった。次は早朝の上映の時に出掛けてみるか!(2015年12月22日)

 私も大好きな、テレ東の大人気番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が、今冬は特番ではなく、劇場版となって2016年2月に上映される事は、すでに公式ホームページで告知されているわけですが、その上映劇場の中に、神奈川県の映画館が一つも入っていません。元々、上映する映画館が少ないようですが、それにしても神奈川県では上映しないってのは、前代未聞じゃないですか? 今や、我が国第二の都市である横浜ですら上映しない! なんか、すごい。なんか、清々しい。自分の地域では上映されない映画を、わざわざ上京して見に行く地方の人の気持ちが、ちょっぴり分かったような気がします。(2015年12月22~24日)

 多くの皆さんが誤解しているだろう事を正したいと思います。まず、クリスマスは12月25日だと信じていらっしゃる方が多いと思いますが、これは半分だけ正解で、半分は間違いです。と言うのは、キリスト時代の西側世界と、現代の日本では一日の区切り方が違うからです。今の日本では、一日とは、夜中の0時に始まって、翌日の24時に終了するわけです。これは現在のヨーロッパ社会も基本的に一緒なのですが、キリスト時代の西側世界での一日の区切り方は、こうではなくて、日没から日没までが一日だったのです。ですから、クリスマスは12月25日ではなく、12月24日の日没以降から、12月25日の日没直前までがクリスマスなんですね。ですから、クリスマス・イブは“クリスマスの前日”という意味ではなく“クリスマス(当日)の夕べ”という意味だし、一日の中心というかハイライトは“夕べ”なので、むしろ当日感的には、クリスマスは12月25日と言うよりも24日なんですよ。だいたい“イブ”って“Evening”の略だからね。ですからクリスマスケーキは24日の晩に食べるのが正解で、25日では時期外れなのです(もっとも、時期が外れていてもケーキは美味しいですけれどね)。ちなみに、サンタさんがやってくるのも24日の深夜なのは、その時間がクリスマスだからです。(2015年12月24~25日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2015年12月25日 (金)

やっぱりジャズフルートっていいなあ

 先日、久しぶりにジャズフルートの生演奏を聞きました。思えば、久しくジャズフルートを聞いていなかった私です。なにしろ、ここんところ、フルート音楽と言えば、クラシックばかり聞いていたし、吹いていたもんなあ。

 別にクラシック系のフルート音楽に文句はないです。そもそも私はクラヲタですし、クラシック音楽大好きですし、そのクラシック系のフルート音楽も大好きです。私の感性に合う音楽…って感じです。

 それでもジャズはいいですね。まず、音色が優しいです。クラシックのフルートは、中音域~高音域をよく使いますが、フルートの高音域って、正直、少々ヒステリックな響きがしませんか? まあ、気持ちがかきむしられるような感じがします。そこがいいんだし、そこは作曲家の狙い通りなんだろうと思います。クラシックにおけるフルート音楽は、基本的に人を興奮させる方向に音楽が作られているような気がします。なにしろ、一見、癒し系に思える音楽も、使用する音域は、かなり高くて、音楽では落ち着かせる方向であっても、音色の方で心をかきむしってくるわけです。

 ジャズの場合は、クラシック同様に、人を興奮させる方向の音楽もありますが、逆に心を落ち着かせ静める方向の音楽もあります。特に、日本人作曲家による音楽は、フルートを癒やしの楽器として用いるモノが多いように、個人的に思ってます。使う音域も、低音域~中音域で、このあたりの音色って、ほんと、心に沁みるんだよね。

 日本人にとって、笛って、癒やしの楽器…じゃないかな。私はそんな気がします。平安時代の昔から人々は、心を癒やすために笛を吹いてきたんじゃないかな…と私は勝手に妄想しているのです。

 それとクラシック音楽って、基本的に予定調和の音楽だから、演奏が始まった瞬間に、終わりが見えちゃうわけです。出だしの第一音を聞いた途端に「ああ、あ~」と、その日の出来が分かっちゃうんです。そこが安心できると言うか、安定しているというか、とどのつまりは、やっぱり予定調和の音楽なんです。

 一方、ジャズって、全然、予定調和ではなくって、むしろ型にはまっているようで、そこからはみ出しちゃった部分を楽しむ…的な、なんとも一寸先は闇っぽい楽しみ方があるじゃないですか。特に演奏楽曲がオリジナル曲だと、全然先は見えないし、よく知ったスタンダード・ナンバーだって、どんなふうに調理してくるか、ほんと楽しみでしょ。そういう“一品物”っぽい楽しみがジャズにはあると思います。

 もちろん、クラシックと違って、音楽の品質は保障されていませんから、上出来な曲もあれば、どうにもならなかったダメな演奏もあって、その振り幅は実に激しいのだけれど、そこがナマっぽくていいかなって思いました。

 そんなことを、ジャズフルートの演奏を聞きながら思ってしまいました。いいなあ、ジャズって。

 久しぶりに、笛先生のレッスンを受けたくなりました。別にクラシック音楽がイヤになったわけではないけれど、やっぱり私のフルートのルーツには、笛先生に育てていただいたジャズが根っこにあるんだろうなあって、改めて思ったわけです。

 ジャズフルートって、ほんと、いいよ。

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2015年12月24日 (木)

上達していると感じる、小さくて、つまらない事

 たまにはポジティブに行きましょう(笑)。私は基本的に根暗で後ろ向きで否定的な人間なので、いつもいつも「アレができない」とか「これもダメ」とか思いがちですが、そんな事ばかり考えていると、せっかくの趣味も楽しくなくなってしまいますので、たまには、出来るようになったことをカウントして、晴れ晴れとして気分になるのも良いのではないでしょうか!

 まずは声楽編。

 “歌っていてノドが枯れなくなってきた” 以前は1分も歌っていたら、ノドが枯れて、声が無くなっていた私ですが、最近、ふと気づいたら、以前ほどノドが枯れなくなっていました。今では、ほぼノドが枯れるという自覚症状無しで歌っています。立派に上達していますね。

 “長い時間歌えた” これは上記とも関連しますが、ある程度の長い時間歌い続けていても平気になってきました。ほんと、以前は声が1分も保たなかったので、1曲歌い切るのも難しかったわけですが、先日、クリスマス・キャロルを40分ほどぶっ続けて歌いましたが、全然平気で声が最後まで持ちました。昨年までは、あっという間に声が無くなって、涙目になりながら歌っていたことを考えると、エライ進歩だなあと思ったわけです。

 “ノドが絞まる感覚が減った” 以前は歌っているうちにドンドンとノドが絞まり、特に高音が出てくると一気にノドが絞まって苦しくなってしまったものでした。それがだいぶ減りました。全く無いわけではありませんが、以前ほどは強く感じないようになりました。例えば、現在レッスンで歌っているモーツァルトの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」なんて、一度キング先生のところで学んだのですが、その時は、歌い出すやいなや声は無くなるは、ノドは絞まるは、散々な思いをして、結局、全然歌えなかった曲なのですが、それが今では、まだまだ傷だらけではあるものの、さほど苦しい思いをせずに最後まで歌えるのは、なかなかのモノだと思います。

 もっとも、うっかり歌ってしまうと、以前の感覚が蘇り、そうなると徐々にノドが絞まってくるので、まだまだ油断ならない状況ではあります(涙)。

 “自分の声が聞こえなくなった” はい、だいぶ聞こえなくなりました。もちろん、壁からの跳ね返りでは聞けますが、戸外などの全く反響のない場所だと、ちょっと不安になるほど本当に何も聞こえなくなりました。これは声を塞ぐモノがなくなり、声が素直に外に出ているために、自分のカラダの中から自分の声が聞こえなくなったわけです。つまり、効率よく声が音波に変換されているわけで、無理無駄のない発声に近づいてきたというわけなのです。

 “譜読みが楽、音取りが楽” 本当に楽になりました。ようやく、音階なるものが自分のモノになりつつあるようです。音階のイメージが自分の中に出来てきたので、譜読みをしても、それを歌うのが楽になったし、音取りも格段に楽になりました。問題は、その音階が、相対音感にも絶対音感にも基づいていない事です。絶対音感は今更無理としても、相対音感による音階ぐらいは身につけたいのですが、それはまだまだ先の話のようです。

 “大きな声(音量)や音域(高音)にこだわりがなくなった” 不思議ですよね。あれほど、音量やら高音やらにこだわりがあった私ですが、今はそんなものは「別にどうでもいいや」って感じになりつつあります。

 もちろん、声は小さいよりは大きな方が良いに決まっているし、テノールなんだから高音がバリバリ歌える方が良いのに決まっています。それはそうなんだけれど、でもそこにこだわる気持ちが薄くなってきたのも事実です。

 結局は自分なんですよ。歌なんて、自分の持っている音量でしか歌えないわけだから、それ以上の大きな声で歌うとノドを痛めるわけだし、小さな絞った声で歌い続ける事だって辛いのです。私は私。私にふさわしい音量でしか歌えないという事に関して、悟りというかあきらめがつくようになりました。

 音域もそうです。一応、音域拡大を目指していますが、別にガツガツしているわけではありません。もしも今後も実用音域がGのままであっても「まあいいか」ぐらいにしか思ってません。確かに歌える曲は減ってしまいますが、それしか自分の声で歌えないのなら、それはそれです。

 なぜ、音量や高音に関するこだわりが少なくなってきたのかというと、それよりも何よりも“総合的に上手く歌いたくなってきた”んです。大きな声や高い声で周囲をビックリさせるのではなく、上手い歌を歌って、人々に感心されたくなってきたんですよ。

 ね、上達してきたでしょ?

 次はフルート編。

 “出ない音がない、音楽に不安はあっても音には不安がない” 正直に告白しておくと、第4オクターブの音はC♯までしか出せません。Dはかなり不安定な発音しか出来ないので、全く“出ない音がない”状態ではないのですが、私は吹奏楽をしているわけではないので、第4オクターブは当面出なくても困ることはないので、現状として“出ない音がない”と言い切ってもいいんじゃないかと思います。

 すべての音が楽に発音できるならば、後は運指とか音楽性とかに集中すればいいわけですから、やはり私のフルートも上達しているんだと思います。

 とりわけ最近まで前打音を苦手としていた私ですが、ふと気づくと、以前はほぼ出来なかった前打音が、何の苦もなく、スルとできるようになっていました。なんかコツをつかんだみたいです。うれしいなあ、うれしいなあ。ドンと来い、前打音!って感じです。

 で、この前打音をマスターしたせいもあるのですが、今はどんなに難しい運指の曲でも「練習していけば必ず吹けるように成る」という根拠のない自信が生まれるようになりました。もちろん、練習期間は数ヶ月から1年近くはかかるかもしれませんが、時間さえかければ、たいていの曲が吹けるような気がしています。ほんと、根拠は全くないのですが、なんかそんな気がします。

 以前は「この曲なんて、一生練習しつづけても絶対に吹けるようにならない」とか思っていた事もしばしばあったわけですから、そこから考えると、私、飛躍的に上達してませんか?

 一方、練習を練習をサボると、途端に下手になった自分を感じるようになりました。これって、うれしい事でしょ? だって“下手になれる程度に上達している”って事じゃないですか? やったね、すごいね、スーパーだね、エクストラだね!

 なので、最近はたいていのフルートの譜面を見ても「この曲は今は吹けないけれど、それは取り組んでいないから吹けないだけで、真剣に取り組めば、絶対に吹けるようになるから、うれしいなあ」って思ってます。

 ふふふ、上達するって、こんなに楽しい事とは思わなかったですよ。

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2015年12月23日 (水)

勉強会の歌を決めました

 声楽のレッスンの続きです。

 曲の練習に入りました。まずは、モーツァルト作曲「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」です。

 高い音を歌う時に、声のポジションを、中音域を歌っている時のまま、それを上に向かって平行移動させてはダメだと言われました。高い音は広い音なので、高音域は中音域に較べて、上も広げるけれど下も広げないといけません。音程が高くなるほど、ノドは広がり、より声が深くなる…というやり方が良いのです。だから「音が高くなる」という意識より「ノドが上下に伸びる」という意識の方が良さそうです。

 スラーの歌い方。スラーの部分は、フルートのスラーと同じ感じで歌うのが良いみたいです。つまりスラーの冒頭の音だけはしっかりと狙って出すのだけれど、スラーで続く音は、しっかりとは狙わずに、前の音から息の方向やノドの伸ばし方を変えて歌います。フルートでは、スラーはタンギングを使わずに息をつなげて吹いていきますが、歌でも同様の事が言えるみたいです。

 休みながら歌う事について。高い音は広い音であるという意識が良いと書いたばかりだけれど、休みながら歌う時は、むしろノドはほどほどの広さのまま歌います。つまり、ノドの開き方もほどほどでいいわけです。ただし、腹筋はしっかりと使います。これは軟口蓋を上げるような小さな筋肉は疲れやすいのだけれど、腹筋などの大きな筋肉は疲れづらい事と関係があるのかもしれません。また、ノドをほどほどにしか開けないので、当然、高音のあるフレーズでは休めません。曲の最中に中音域のフレーズが続くあたりが休み時、と言えるのかもしれません。とにかく、曲の最初から最後までクライマックスにしていたら、歌なんて歌えるものではないので、曲に緩急をつける意味においても、適当なところで休むのは大切です。

 まあ、こんな感じでしょうか。とにかく、言われてすぐに直せるのがプロですが、こちとら趣味のオジサンなので、同じことを何度言われても、ちっとも直せずに、先生を手こずらせてばかりいます。困ったものです。

 さて、勉強会(兼新年会)の曲を決めたので、それを先生に報告しました。先生は、私がてっきり「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」を歌うものと思っていたようですが…そんな難しい曲を人前で歌うのは、ちょっとイヤな私なんです。

 私、こう見えても、見栄っ張りだし、メンタル脆弱なので、人前でカッコつけたいんです。ですから、歌えない歌を人前で歌うのはイヤだし、失敗しそうな曲もなるべくなら避けたいのです。もちろん、自分で選んだ曲で失敗するのは自業自得なので仕方ないのですが、先生と言えども他人の意見で選曲したもので失敗して恥をかくなんて、ほんと、もうコリゴリなんですよ。キング先生に歌を習っていた時は、発表会の曲はすべて先生が決めて、我々生徒は先生の選曲で歌っていたわけですが、私は発表会では、一曲たりともきちんと歌えた事がなく、すべてのステージで失敗に失敗を重ねて、恥のかきまくりだったんです。あれは悪夢です。もう、あんなのはイヤだし、二度とごめんです。

 なので、失敗せずに、今の自分の実力ならギリギリ歌えそうな曲を選んできました。持ち時間は10分で2曲までなので、これらの曲にしました。これなら合わせても7分弱で、時間にたっぷりと余裕があります(もう1曲歌えるぐらいだね:笑)。

 最初の曲は、いわゆるテノール歌手(やソプラノ歌手)がよく歌うポピュラー・ソングで、モリコーネが作曲した「Nella Fantasia/ネッラ・ファンタジア」です。元々は、映画「ミッション」の中の劇中曲で、そもそものタイトルが「ガブリエルのオーボエ」という器楽曲です。歌としてのオリジナルはサラ・ブライトマンのモノだそうですが、今では女性歌手よりも男性歌手の方が多く歌っているような気がします。

 「誰のイメージで歌いたいですか?」と先生に尋ねられたので「イギリスのテナー、ラッセル・ワトソンのように歌いたいです」と即答しましたが、すぐにはYouTubeで参考音源が見つからなかったので、歌のイメージをラッセル・ワトソンからポール・ポッツに変えました。クラシック曲と違って、ポピュラー・ソングの場合は、誰の歌をイメージするかで、アレコレ違うので、伴奏をするピアニストさんに、誰の歌を元歌にするかを伝える必要があるのだそうです。と言うわけでで、私、ラッセル・ワトソンではなく、ポール・ポッツに寄せて歌う事になりました。まあ、ラッセル・ワトソン大好きだけれど、ポール・ポッツも嫌いじゃないので、まあ良しです。もっとも、持って行った楽譜はジャッキー・エヴァンコの楽譜なので、ワトソンともポッツともアレンジが違うのだけれど…まあいいか(笑)。と言うわけで、ポール・ポッツの音源を貼っておきます。

 もう1曲はミュージカルのソングで、ロウ作曲の「On The Street Where You Live/君住む街角」です。これは「マイ・フェア・レディ」の中のテノールのソングで、ポピュラー・ソングとして歌われるだけでなく、ジャズ・ナンバーとしても歌われたり演奏されたりするスタンダード曲の一つです。こういう定番の曲も歌いたい私なんです。

 たぶん、これは映画の該当シーンじゃないかな? セリフ部分と歌の部分で声が違うのは、歌は吹き替えなんだと思います。昔のミュージカル映画では、それが当然だったそうです。今では考えられませんがね。私が使用する楽譜は、セリフ部分は飛ばされていて、ソング部分だけをつないでいるバージョンなので、当然私もそのように歌います。まあ、セリフが言えないのは、ちょっと寂しいですが、セリフもしゃべるとなると、相手が必要になるので、自分一人で完結するには歌だけでいいんです。でも、歌だけでもいい感じでしょ?

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2015年12月22日 (火)

音域拡張を頑張ります

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンは、音域を広げる練習でした。音域を広げると言っても、別に低音をどうこうするわけではなく、もう少し高音がきちんと出るようにしましょうってレッスンでした。

 私は、一応、テノールという事になっていますが、高い方の実用音域がGまでしかありません。つまりGまでなら、歌うのが難しい音形以外なら、まあ何とかなっちゃうって事です。逆に言うと、それより高いA♭やAは微妙な感じで、音程的には届いたとしても、とても使えるような声ではないという事です。Gまでは、上が開いている声なんだけれど、A♭になると、途端に上が閉じて前面に押し出す声になってしまうのだそうです。つまり、GまでとA♭以降の声の出し方が明らかに違っているのだそうです。ってか、Gまでは自然の流れで発声出来ているのに対して、A♭以降は無理やり出しているわけです。

 この無理矢理出すやり方は、キング先生の所で奨励されたやり方で、それが今でも身にしみているんだよなあ…。キング先生の所では『とにかく無理でもなんでもいいから、何度も何度も発声していれば、やがて楽に出せるようになる。理屈は考えなくていいから、とにかく歌え!』という方針だったわけで、馬鹿になって歌っていました。とにかく、コツとか上手いやり方などは考えずに、正面突破あるのみが、キング流だったわけだし、そこに私がテクニック的なモノを持ち込もうとすると、叱られ続けていましたので、よく覚えているわけです。

 まあ、発声に関する考え方の違いだね。キング先生のやり方で結果の出ている生徒もいるわけだから、一概にダメなやり方というわけでなく、私には合っていなかったやり方だったんだと思う。まあ、優秀な先生なら、生徒を見て、その生徒に合ったやり方で指導してくれるものなんだけれどね(残念でした)。

 とにかく先生が変わったのだから、生徒もそのやり方を変えていかないといけないのだけれど、新しいやり方でやっていこうという気持ちはあっても、カラダで覚えたことは、そうそう簡単に変えられるほど、柔軟性を持ち合わせていない…と言うよりも、私の場合、失ってしまったと言うべきだろうね。年を取ると、物事を覚えるのに苦労するけれど、一度覚えたものを忘れるのも苦労なんだな。

 とにかく、A♭は色々とマズイのです。力技で出しているので、どうしても音程的には低くなりがちだし、力技なので力が足りなきゃA♭を出しているつもりでもGのままだし、仮に力づくで音程的にA♭が出ていても、音色的にはアウトです。Gまでと同じ要領で、A♭やAが歌えないのはダメなんですよ。

 そのためにも、A♭はもちろん、Aまでは上を閉じることなく、上も下も開いたまま、腹圧で歌わないといけないのです。

 キング先生に習っていた頃は、Fまでが実用音域で、F♯とかGは音程的に無理やり出していたけれど、あの頃は、ノドの上に蓋があって、声が蓋にぶつかって上手く出せなかったという自覚がアリアリでした。あの頃、それを何度もキング先生に訴えたけれど、解決方法は教えてもらえなくて、当時はかなりモヤモヤしていました。だって、Gはおろか、F♯を出すのも力づくだったし、博打だったわけだからね。テノールなのに、F♯が博打ってありえないでしょ。だいたい、それじゃあ歌える歌がほとんどないしね。

 あの頃は、声に蓋をされたと感じたら、それでお終いでしたが、今は声に蓋をされても、それを開ける方法をY先生から習いました。だから、以前は博打だったF♯やGが実用音域になったわけだけれど、今度はA♭やAを無理やり発声するようになった私です。キング先生の時代にはA♭やAなんて、音にならなかったわけだから、それが無理やりでも声になるのなら、上達していると言えますが、使えないのなら、あまり意味はありません。

 ただ、A♭やAの時にノドが閉じて蓋がかかっているという自覚は、実のところはありませんでした。先生に言われて「あれ? ノド閉じているんだ!」と言う自覚に至ったわけなので、そこはキング先生時代とは違います。ノドが蓋されている事の自覚がなかったので、先生に言われなければ、ずっとずっと高音はダメなままだったもしれません。

 とにかく、ノドに蓋をしないようにしたまま歌わないとA♭やAは発声できないのですが、そのためには私の場合、音色に気をつけた方が良いみたいです。平たい声で歌っていると、すぐにノドに蓋がかかります。しかし、深い声で歌っていると、なかなかノドに蓋がかかりにくくなります。深い声で歌うとは、ノドの奥が開いた声の事です。

 でも、ノドの奥が開く感覚って、なかなか分からないし、ノドの奥を開くって、どうすればいいのでしょうね。理屈では“口蓋垂を上に上げれば良い”と言うのは分かりますが、口蓋垂は見えないし、上がっているかどうかも自分の感覚だけでは、私には分からないのです。要は声を聞いて判断するのだろうけれど、私の場合、耳もそんなに良くないので、声でも判断できない。いやあ、厄介だ。

 筋肉は連動しているものです。よく「こめかみを上げるとノドが開く」という人がいますが、私の場合は意味がなさそうです。「目を見開くとノドが開く」という人もいるようですが、これもダメです。色々と試行錯誤した結果、クチビルを縦開きにして歌うのが、比較的結果が良いみたいです。おそらくクチビルと言うよりも頬の筋肉が、口蓋垂を上げる筋肉と、私の場合は、どこかでつながっているんでしょうね。どうやら、この方法が私には良さそうです。とは言え、これで完璧というわけではありませんから、まだまだ試行錯誤が必要です。

 とにかく、高音が楽に出なければテノールとしては役立たずなので、音域拡張、頑張りますよ。

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2015年12月21日 (月)

楽器を置き忘れた事って、ありますか?

 私、実は一度だけあります。

 あれは、当時の私のフルートの先生であった笛先生が、ちょっとしたアンサンブルの会を催して、そこに、ここのブログの愛読者の方と一緒に参加し、会の後に軽くお茶飲んだ(ってか、ミニオフ会をやったわけですが、その)時の事でした。おしゃべりがあんまり楽しく夢中になって、お店から出る時に、椅子の背に掛けておいたフルートをうっかり忘れて店から出てしまいました。

 私は気づきませんでしたが、一緒にいた方が気づいて「大切な楽器を忘れちゃダメじゃないの」と教えてくれたので、事なきを得ましたが、あのまま忘れてしまったら…どうなっていたんでしょうね。

 私はプロではありませんから、楽器が無くなったとしても、とても凹んで趣味を諦めるだけで済みます。別にそれで生活が壊れるわけでも何でもないわけですが、とても凹みます。凹んで凹んで、精神のバランスが壊れてしまうかもしれません。まあ私、こう見えても、メンタルが虚弱ですから(笑)。凹んで凹んで、それが原因でカラダを壊しちゃうかもしれないし、奇行に走るかもしれないけれど、せいぜいそんなモンです。

 プロの方が楽器を置き忘れて、それが出てこなかったら…シャレになりませんね。

 以前、ネットで読んだ事(だからうろ覚えなん)だけれど、あるフルートのプロ奏者の方が、コインロッカーに入れておいた、ご自分の仕事用のフルートが無くなってしまった(って、はっきり言って盗難ですね)そうです。プロの仕事用のフルートですから、当然、ゴールドフルートで、それもサブを含めて、二本消えてしまったんだそうです。

 色々と大変な事があったそうですが、結果として、楽器はその方の手元に戻ってきたそうですが、その間、とても心配だし、仕事にアナを開けるわけには行かなかったでしょうから、おそらく別の楽器をなんとか調達して、仕事はこなしていたのでしょうが、やはりこれは生活に直結する大問題だと思いました。ほんと、無事に戻ってきて良かった。

 楽器って貴重品ですからね。ましてはプロが使っているような楽器は高価ですから、盗む価値ありですよ。フルートもゴールドフルートになれば、けっこうなお値段がしますが、ヴァイオリンなどではフルートの比ですなく高価ですから、ほんと、盗難は怖いです。(もっとも、それだけ高価な品だと、換金するのも難しいかもしれませんが)。

 その点、私のフルートはありふれた総銀ですから、簡単に叩き売る事もできるでしょうし、売れば、小遣い程度の金額にはなります。プロの方の楽器と違って、悪意で盗まれたら、二度と出てこない可能性は大です。ですから、置き忘れから紛失してしまい、そのまま見つからない…なんて事もないわけじゃなかったと思うと、すぐに気づいてよかったなあと思いました。

 あの時以来、絶対に楽器を忘れてはいけない…と固く心に誓って、それ以来、フルートを持っている時は『肌身離さず携帯し続ける』を実践しています。例えば、お茶を飲むなら、フルートを肩から下げたままの姿勢でお茶を飲むとか…ね。もう、外で楽器を我が身から離さないように、本当に気をつけるようになりました。財布の入ったかばんは、網棚に置いても、楽器は網棚には置きません! それくらい気を使っています。

 皆さんは、楽器をどこかに置き忘れてしまった…なんて事は、ありませんよね。

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2015年12月20日 (日)

デジタル式とアナログ式

 先日、壁時計を二つ買いました。一つは浴室の時計。もう一つは書斎の時計です。当然ですが、時計屋に行って、あれこれと見比べて新品を購入したわけだけれど、今時の壁時計って、色々な種類があるんですね。

 いわゆる“鳩時計”を始めとする“からくり時計”は面白いですね。高価なものが多いので手は出ませんが、あれこれ工夫があって、見ていてなかなか楽しいです。いずれは一つぐらい欲しいです。でもあの手の時計って、一時間ごとに大騒ぎするわけですから、寝室とか居間(テレビ見る部屋)には置けないよなあ。

 壁時計となると“振り子時計”も、ちらほらあります。私も以前、居間の時計を振り子時計にしていた事もありますが、現代の振り子時計の振り子って、フェイクなんですよね。昔々の振り子時計は、振り子が振れることで、時間の正しさをキープしていたわけですが、今の振り子時計は基本的に電池式時計なので、振り子の有無に関わらず、正確な時刻を刻むわけで、振り子と時間は全く関係ないのです。関係ないどころか、振り子を振り続けるための動力が別に必要だったりするので、普通の電池時計よりも電池を多く使うし、案外、振り子の部分って電力を食うらしく、簡単に電池切れになって、振り子が止まっちゃったりするんです。

 振り子時計は、見ていて癒されるんですが、ちょっと電池を使いすぎる傾向がありますし、振り子が止まったまま時を刻み続けていく振り子時計は、見ていて、物悲しいものがあります。

 時計と言えば、デジタル式とアナログ式があります。デジタル式は時刻を直接数字で表示するタイプの時計で、多くの場合は液晶画面を使っています。一方アナログ式は、旧来の針がグルグル回るタイプの時計です。デジタル式であれ、アナログ式であれ、今は電池で動く時計が主流で、時計の心臓部である時刻を刻む部分はほぼ同じで、それをどう人間に対して表現するかという表示タイプが違うだけ…とも言えます。

 腕時計などでは、両者の勢力も拮抗していますが、壁時計では圧倒的にアナログ式の時計の方が数多いです。やはりアナログ式の方を好む人が多いのでしょうか? あるいは、腕時計ではデジタル式も多いので、壁時計ぐらいはアナログ式の方が喜ばれるのでしょうか?

 私の腕時計は、いわゆるデジアナ式と呼ばれる時計で、アナログ式をベースとして、文字盤上にデジタルの液晶画面があるというタイプで、私は普段からデジタル式とアナログ式の両方を適宜使い分けているわけです。

 時間を見る時に、時刻を感覚的に捉えるにはアナログ式が良いかもしれません。「今、何時だろ?」と思って時計を見る時、針の位置を見て「ああ、今、こんな感じか」と把握します。決して、何時何分何秒なんて思いません。大体の針の位置でOKです。

 でも時刻を正確に知りたい時はデジタルの部分を見て、今の時刻を「何時何分」であるか知ります。あるいは「何秒」であるかを知ります。そこから目的とする時刻まで頭の中で計算する事もあります。

 私はそんな感じですが、皆さんはいかがでしょうか? おそらく、そんなに違いは無いのではないかと思います。

 結局、時計に関しては、アナログ式が伝統的な表示方法であり、デジタル式が最新の表示方法であるのは間違いないのですが、どうも見やすさとか、日常の使い勝手という部分においては、大雑把に時間を把握できるアナログ式の方に分がありそうです。でなければ、最新型のデジタル式が登場した時に、伝統的なやりかたであるアナログ式は駆逐されてしまったはずだからです。実際、振り子と歯車で制御されていた機械式の時計は、現在の電池式の時計が出てきた段階で駆逐されています。今は、同じ電池式のクォーツ時計と電波時計でしのぎを削っている時代ですからね。後発の良い製品が出てきた段階で、それまであった伝統的だけれど、少々不便な製品は駆逐されていくの、世の常だからです。

 デジタル式が登場したにも関わらず、アナログ式が消えていかないどころか、壁掛け時計においては、今だにアナログ式が主流なのは、アロナグ式が決してデジタル式に較べて、見劣りする表示法ではないとういう一つの証なのだろうと思います。

 なんでもかんでも、新しければいいというわけではないようです。

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2015年12月19日 (土)

金魚のフンの話

 タイトルで分かると思いますが、今回はフン(排泄物)に関する記事ですので「ちょっと勘弁」という方は、また明日お越しください。

 さて、金魚と言えば“フン”は外せません。「金魚のフン」と言う言葉もあるくらいですから(笑)。

 では、すべての金魚がいつでもフンをつけて泳いでいるのかというと、必ずしもそうではありません。金魚には胃がないので、食べたものは割とすぐに消化されてフンになるようです。なぜ、それが分かるのかというと、昼ごろにしているフンは、朝やったエサの色(朱色)で、夜にしているフンは夕方食べた水草の色をしています。ちなみに灰色のフンをしている時は、タニシを食べた時です。このように、直前に何を食べたかが分かるくらいに、すぐにフンをします。

 そして出したフンがちぎれなければ“長いフン”になりますが、簡単にちぎれてしまえば、フンはすぐにお尻から離れてしまいます。

 金魚のフンと言うと“長い”というイメージがあります。確かに、ヤヨイやシズカのフンは長いです。体長の何倍もの長さのフンをしています。それは実に見事なものです。しかし、ミカンやエナがそんなフンをしているのを見たことがありません。

 今まで何匹もの金魚を飼ってきましたので、ちょっと色々と思い浮かべてみたところ、一つの結論が出ました。それは…

 『琉金のフンは長い』です。

 そうなんです、金魚のフンという言葉ありますが、すべての金魚のフンが長いわけではありません。オランダ獅子頭系の金魚のフンは短くて、すぐに切れてしまうので、尻にフンがついている状態を見ることは、まずありません。しかし、琉金たちは、ほぼ例外なく、フンが長いです。

 そう言えば、昔飼っていた和金もフンが長かったかもしれません。出目金のフンは多少は長いのですが、和金や琉金ほどではなかったような気がしますし、らんちゅうは、あまり数多く飼っていませんが、フンは短かったかもしれません。

 つまり『和金と琉金のフンは長い』のです。和金と琉金と言えば…金魚すくいの金魚たちです。そう『金魚すくいの金魚のフンは長い』のです。ですから、金魚すくいの金魚しか育てたことない人は「金魚ってフンが長いなあ」と思うわけで、オランダ獅子頭やらんちゅうなどの金魚のフンは短いという事は知らないのだなあと思った次第です。

 ちなみに、我が家のように、同じエサを琉金とオランダ獅子頭に与えて、琉金のフンだけが長いとなると、エサの違いがフンの長さの差ではなく、やはり金魚の種類によって異なるんだなあと思います。

 これは私の個人的な推測ですが、肛門周り(ってか、正確に言うと“総排泄孔周り”の筋肉の強さが金魚の種類によって違うんじゃないかって思います。フンの長い子は、比較的筋肉が弱くて開けっ放しなので、フンが長くなり、フンの短い子は、筋肉が強いために、ちょっと出しては、クイッと肛門をしめてちぎるので、フンが短くなるのではないかと思いってます。

 それはさておき、よく「金魚はかわいいけれど、フンをくっつけて泳いでいるのがイヤだ」とおっしゃる方は、ぜひオランダ獅子頭系の金魚をお買い求めいただくと良いです。この子たちは、フンをしないわけではなりませんが、お尻に長々とくっつけて泳いでいるような野暮なマネはいたしませんよ。ただし、金魚すくいではお目にかかることはまずありません。金魚専門店はもちろん、ホームセンターや総合ペットショップにもいます。金魚を飼いたいけれどフンはイヤという方には、お薦めです。

 特に“東錦”という白をベースに色とりどりの赤と黒の模様のついた透明ウロコの三色系のオランダ獅子頭は、なかなかかわいいですよ。

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2015年12月18日 (金)

ほんと、ビックリぽんやね

 今年最後のフルートのレッスンに行ってきました。次にH先生と会うのは、来年のレッスンになります。

 と言うわけですが、レッスン自体は淡々といつもどおりに行いました。最初はロングトーン練習から。心なしか少し調子が戻ってきた? 先生と合わせていても音が濁りません。ちょっといい感じです。

 エルステ・ユーブンゲンの13番は…むふむふ、合格しやした。きちんと暗譜をして、ほぼ完璧に吹きましたよ。だって、そりゃあもう、今年最後のレッスンですからね。積み残しはいけません、気合を入れて練習してきたんだから(笑)。

 もちろん、13番に全力を注いできたので、14番はこれから暗譜です。でも、暗譜できてないだけで、曲としてはきちんと吹けるようになりました。スラーとスタッカートの混在した曲は苦手ですが…これなら、なんとかなりそうです。13番が合格したので、15番が代わりに入りました。これは、なめらかに音階を演奏する曲のようです。頑張りますよ。

 プチ・エチュードの12番は…えへえへ、こちらも合格してまいりやした。前回、リズムと言うか、ビートがメタメタだったので、たっぷりとメトロノーム練習を重ねて、きっちりと仕上げてまいりました。元々、前回の段階で、ほぼミスブローは無くなっていたので、ビート感さえちゃんとすれば、そりゃあ合格でしょ。

 でも、そんなわけで、ちょっと天狗になっていたかもしれませんが、先生と合わせて吹いた時に、どんどんテンポが上がっていってしまい、最後の方は走り去るようなテンボで演奏してしまいました。元々 Allegro な曲ですから、速いは速いし、先生はその正規のテンポに持って行ってくれたのでしょうが…あまりに速い演奏だったので、マジで、死ぬかと思いました。

 ちょっとばかりフルートレッスンの間隔があいてしまうし、新曲(プチ・エチュードの13番)がんばりますよ。

 さて雑談です。

 先生に「よくバレエなどでは、練習を1日休むと、それを取り戻すに1日かかると言いますが、フルートの場合はどうですか?」と尋ねてみました。

 「そこまでシビアではないけれど、やっぱりフルートを吹かない時間が長くなると、ちょっと違和感があるよ。でも、そのうち感覚も練習すれば戻ってくるから、あまり気にしないんだよ」との事でした。

 「それに、フルートを吹かない時間なんて、12時間もないしね」なんて事を言い出しました。これはどういう事かと言うと、先生は、朝起きたらフルートを吹いて、昼間は仕事でフルートを吹いて、夜は夜でフルートを吹いているので、フルートを吹かない時間って、寝ている時間と車を運転している時間ぐらいなんだそうですから、12時間以上、フルートを吹かないって事は、まず無いんだそうです。そんなにフルート漬けなんですね、なんかすごいです。

 「だって、フルート吹くのは仕事だからね。別にすごいとか、大変だとかは思わないよ」との事です。まあ確かに仕事なら、そんなもんですよね。

 「この前、入院して36時間ばかりフルートを吹いていなかったら、だいぶ感覚が違っていたんだよ」なんて事をサラっと言い出しました。聞けば、今週、病院に検査入院していたそうです。

 ビックリぽんやね。

 聞けば、病名はブログで書けないようなマジな病気なので、私もビックリしてしまいました。「すぐには死なないから安心してください」とか笑えないシャレをかましてきました。いやあ、先生、リアクションの難しいシャレは勘弁してください。

 まあ、治療はこれからだし、完治の可能性だってないわけじゃありません。まだまだ全然お元気だし、本人も「病気だという感覚が全くないよ」なんて事を言ってますので、まだそれほど心配はしていませんが、でも場合によっては場合によるので、来年からのレッスンは、一回一回のレッスンをしっかりと噛み締めながら受けていきたいと思いました。

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2015年12月17日 (木)

K先生のディナーショーに行ってきました

 本日の記事は皆さんへの報告と言うよりも、私の備忘録的な記事でございます。

 先日、テノールのK先生こと、小城龍生氏のクリスマス・ディナー・ショーに行ってきました。あんまり素敵なショーだったので、記事に書いてアップしておきたくなったわけです。

 場所は都内某所のフランス料理のレストラン。お客はたったの16人。出演者はテノールのK先生に、ソプラノのソフィア・カルメラ嬢、ピアノの中井裕司氏。あと、スタッフ(ピアノの譜めくり、受付)が2名。とても小さなディナー・ショーでした。

 お食事は食前酒から始まって、魚料理(サーモンのカルパッチョ)と肉料理(仔牛の赤ワイン煮)に、デザート(ムースとコーヒー)でしめるという、割と小規模な感じでした。でもまあ、私は歌を聞きに来たのであって、料理をガッツリ食べるつもりはないので、こんなモンでOKです。量的には私は全然足りないのですが、お味が絶品だったので吉です。

 それにまあ、ディナー・ショーの前に、ガストで肉を二枚+パフェを食べてきたし(笑)。

 ショーのセットリストはこんな感じです。

スカルラッティ作曲「陽はすでにガンジス川から」
ボノンチーニ作曲「お前を賛える栄光のために」
ストラデッラ作曲「教会のアリア」
シューベルト作曲「セレナーデ」
ヴェルディ作曲「乾杯の歌(二重唱)」
グリーク作曲「君を愛す(カタロニア語歌唱)」
トスティ作曲「暁は光から」

クリスマス・メドレー(二重唱)
  「諸人こぞりて」~「ああベツレヘムよ」~「ジングルベル」
アダムス作曲「オ・ホーリー・ナイト(フランス語歌唱)」
フランク作曲「天使の糧(二重唱)」
レハール作曲「ヴィリアの歌(ソプラノ・イタリア語歌唱)」
バーンスタイン作曲「今宵(二重唱)」
リスト作曲「愛の夢(ピアノソロ)」
スペイン民謡「モルーチャ」
デ・クルティス作曲「泣かないお前」
チレア作曲「フェデリコの嘆き」

メドレー「フニクリ・フニクラ」~「オ・ソレ・ミオ」
ララ作曲「グラナダ」

 今回の選曲は絶妙ですよね。実に良かったです。テノール好きな方なら、唸っちゃうような選曲です。K先生はイタリア語が得意な方で、歌う曲もイタリア系が中心なのですが、今回は、それに加えて、ドイツ語・カタロニア語・フランス語・スペイン語・英語の歌を歌われました。ほんと、オペラ歌手は、言語が得意じゃないとできない職業です。

 もちろん、K先生の歌声は素晴らしいかったですし、ゲストのソプラノさんは、日本語ペラペラの外国人さんだったし、ピアノは半端無く上手だったし、それをたった16人だけのお客だけで独占していいのかという、いわれのない罪悪感を感じながら、聞いちゃいました。

 ちょっとだけ文句を言わせてもらうと「天使の糧」の時、小さいとは言えない音量で、歌手たちの歌に合わせて客席で歌っていたオッサンがいた事です。自宅で、テレビに合わせて歌うのとはわけが違います。他のお客もいる、小さなレストランでのコンサートで、普通の声で歌っちゃうのは、さすがにマナー違反でしょう。私もあの時ばかりは、左耳が突発性難聴になってくれないものかと願ったものです(声は私の左側から聞こえてきました)。

 さて、特に今回、私が気に入ったのは「教会のアリア」「今宵」「泣かないお前」「フェデリコの嘆き」でしょうか。「フェデリコの嘆き」はとても難しい曲なのですが、その方の曲は頑張れば私でも歌えるかな?って感じなので、いずれぜひ歌ってみたいと思いました。

 満員の大ホールで大編成のオーケストラをバックに歌うのを聞くのも良いですが、こんな小さな会場で、ごくごく少数の人間だけで聞くコンサートも、なんとなく秘密結社っぽくていいですね。なんとも贅沢な時空間でした。

 また、行きたいです。

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2015年12月16日 (水)

お腹を使って歌う…結構疲れる

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。

 まずは、トスティ作曲の「Tormento!/苦しみ」です。前回のレッスンでは、なかなかお上手に歌えたそうですが、今回はそんなわけにもいかず、まだまだ歌の出来にムラがある私です。とにかく、ノドの奥を上下に開いて歌うんです。特に音程が高い音ほどたくさん開いて歌うんです。これは逆に言うと、メロディーの音程がさほど高くない場合は、あまりノドを大きく開く必要もなく、楽に楽に流して歌っていいのです。いやむしろ、あまり高くない音で大きくノドを開いてしまうと、高い音に行った時に、そこから開く余裕がなくなるので、ちょっと考えもの…みたいです。

 さて、楽に流して歌うと言っても、手抜きをするわけではありません。声の響きの上の部分だけでノドに負担をかけずに歌う事を指しています。つまり、ほとんど鳴りを使わずに、響きだけで歌う感じです。

 そして高いところは、思いっきりノドを開いて、なるべくノドを鳴らさずに、響きで歌います。高い音ほど、軽い響きを歌います。そのためには、しっかりと息を支えないといけないのです。

 結局のところ、歌を歌うなら、鳴りではなく響きを中心に発声していくべきなのです。

 ところが私の声は、高い音になるほど重くなり、鳴りを中心とした声になってしまうのだそうです。こういう声の使い方は、重量級の声の出し方であって、普通の人がこれをやってしまうと、高音は出ない(実際出ません)は、ノドを痛めてしまう(実際にキング先生のところで壊れかけました)はで、良い事なんて一つもないわけです。それでもその道を突き進むというのなら「それこそ茨の道だよ」と先生に言われました。

 私、茨の道を歩くつもりなんて、全然ないし(笑)。

 とにかく、そうやって、一曲の中で、気合を入れてノドを大きく開いて歌う部分と、楽に流して軽めに歌う部分があって、歌にメリハリをつけて歌うことが、表現的に良い事だし、歌っている側の戦略でもあるわけです。私はついつい「最初っから最後までクライマックス!」という感じで、全身全霊を込めて歌ってしまうのだけれど、これは歌の出来を見ても、歌い手にとっても、結果として良い事ではないわけです。ああ、熱唱型は必ずしも吉ではないのです。

 ま、それでも今回でこの歌は終了です。個人的にとても気に入った曲なので、ぜひレパートリーとして今後も歌い続けていきたいと思いました。ちょっと、根暗な曲なんだけれどね。

 で、次はモーツァルトが作曲した歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の中にあるテノールアリアの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」です。

 この曲は、腹筋の力で歌う曲です。いわば“注射器を押す力”が必要となるタイプの曲です。高音への跳躍はすべて腹筋でグイとお腹を押して歌います。その“グイと押す”には時間が必要なので、その音になってからグイと押しても遅いので、事前にお腹をグイと押して、体内の圧力を高めておいて、その音に来たら、高めておいたその圧力を解き放して、跳躍した先の高音を歌うのです。難しいですね。

 この曲はずっとお腹を使って歌うので、曲の中間部あたりから段々腹筋が疲れてきて、お腹が動かなくなって、ノドで歌ってしまう箇所が二箇所あります。そこはフレーズの関係もあって、疲れた腹筋を動かす事ができずに、ついついノド声になってしまうのですが、そんな箇所での上手な歌い方も習いました。歌えない箇所の音符を前後に分割して、表(最初の半分)は普通に歌い、裏(残った半分)になった時は、“鳴り”はそのままにして“響き”だけを次の音程に先に持ち上げて歌います。つまり“鳴り”と“響き”を分割うわけです。例えば、メロディーが『A-B-C』という音程になっていたら、これを『“AA-AB”-“BB-BC”-“CC-CC”』という感じで歌うわけです。二つ並んだ記号の前の部分が“鳴り”で後の部分が“響き”を表現していると思ってください。“鳴り”と“響き”のそれぞれを別々にコントロールして歌うと、ノド声になりやすい箇所も、ノド声にならずに歌えます。つまり、声は“鳴り”だけでなく“響き”もあるので、それらを別々にコントロールすることが大切って事なんです。大切と分かっていても、実際に行うのは、難しいけど(笑)。

 ドナウディ作曲の「O del mio amato ben/ああ愛する人の」は時間切れでレッスンできませんでした。

 さて、レッスンの最後に、来月に行われる門下の勉強会(と言う名の新年会)の打ち合わせをしました。

 ようやくピアニストさんが決まったそうですが、いつものピアニストさんではないので、何を歌ってもいいわけではなく、事前に「この曲を歌います」と申請し、曲によっては楽譜を提出することになりました。つまり、ピアニストさんのレパートリーにある曲かどうかの確認と、レパートリーにない場合は、事前に練習をしたい…という事らしいです。まあ「当日譜面を持ってきてくれれば何でも良いですよ」と言って、お酒を飲みながら赤ら顔でどんな曲でも弾きこなしてしまう、いつものピアニストさんがすごいのであって、普通のピアニストさんなら、やっぱり練習は必要ですよね。

 ちなみに今回のピアニストさんは、歌のピアニストさんではなく、室内楽のピアニストさんなので、歌のレパートリーはあまり多くないのだそうです。ですから、ピアニストさんの手に余る曲は、F先生(元プロピアニスト、現プロオペラ歌手)がピアノを弾いちゃうそうです。

 さて、何を歌いましょうか? 今回は一人10分の持ち時間で2曲までという制限があります。一応、何を歌ってもいいという事になってます。別にレッスンをしていない曲でもOKと言われているので、レッスンで取り上げないようなタイプの曲を歌おうかと思ってます。

 一応、私の中では“定番のクラシック曲”は門下の発表会で、“無名だけれど名曲”は秋のクラシックコンサートで歌うと決めているので、新年の門下の勉強会(兼新年会)では“歌ってみたいけれど、レッスンでは取り上げないのでなかなか歌えない曲”を歌おうと思っます。具体的に言うと、ネオクラシック系の曲とか、クラシック・クロス・オーバー系の曲とか、ミュージカルのソングとか、古今東西のテノール歌手たちが歌っているポピュラー・ソングとか…ね。これらの曲は、キング先生ならばレッスンしてくださるし、発表会などでもOKなので、遠慮もいらないのですが、Y先生はこの手の曲のレッスンはしてくれないのです。「マイクを使って歌う事を前提に作曲されたモノは色々と違うからね」との事なので、ならば自分で学んでしまおうかと考えています。

 先生からは『オペラ座の怪人』や『メリー・ウィドウ』を薦められましたが『オペラ座の怪人』はキング先生のところで歌っているし『メリー・ウィドウ』だと何語で歌うか決心がつかないので、今回はバスだなあ。『メリー・ウィドウ』の原語はドイツ語だけれど、私はドイツ語は苦手だし、オペレッタというのは現地語で歌うのが基本なんだけれど、だからと言って、日本語で歌うもの、ちょっとイヤ(だって難しいし、こっぱずかしいじゃない)。先日、メトの上演を見たので、英語で歌うのもアリかなって思ってますが、まだちょっと決心がつかないし…まあ『メリー・ウィドウ』はいずれは歌うつもりだけれど、今回は別の曲でいいかなって思ってます。

 それにしても、こういう機会でもなければ、レッスンで取り上げないような曲を、なかなか独力でマスターしようなんて考えないし、いいチャンスだと思ってます。さて、どんな曲を歌いましょうか? こうやって悩んでいる時が一番楽しかったりするんですよね(笑)。

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2015年12月15日 (火)

とにかく声に“響き”を付けていきましょう

 声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発声練習だけれど、今回のレッスンでは“響き(先生は盛んに“ティンブロ/timbro”と言ってました)”について学びました。声に“響き”を付けると言うか、“響き”を見つけると言うか、とにかく“響き”の豊かな声にしましょうって事で、アレコレとやりました。

 “響き”は大切です。私の声の傾向は、どちらかと言うと“響きの無い声”と言うか“芯のある声”で、これは“響き”の成分が少なく“鳴り”の成分が多めの声なんだそうです。まあ、キング先生のもとでは“よく鳴る声”を目指したレッスンを受けていたので、よく仕込まれていたわけだし、その時の教えがまだカラダに染み込んでいるわけです。

 声は“鳴り”と“響き”で成り立っています。声の中心にあるのが“鳴り”で、その周囲にあるキラキラしたものが“響き”なんだそうです。この“鳴り”と“響き”のバランスで、声の音色や深さが決まってくるわけです。で、私の声は“鳴り”が多めのバランスなんだけれど、その声のままで歌い続けていけば、いずれノドを痛めてしまうので“鳴り”と“響き”のバランスを改善して、良い声で長く歌えるようにしましょうって事です。

 いやあ、難しい。声に“響き”を付けるには、鼻腔に息を送り込む事が必要で、男声は“ウマのいななき”をイメージすると分かりやすいんだそうですが…いやあ、それでもやっぱりイメージしずらいです。ちなみに女声は“仔犬の鳴き声”なんだそうです。

 で、次にテノールらしい声を出しましょうって話になりました。と言うのも、ここんところ、クチの奥を開くを熱心にやっていて、そのおかげで、以前よりは多少、クチの奥が開くようになったのですが、どうも、下側にばかり開いて、声が重くなってしまい、今や、テノールなんだかバリトンなんだか分からない声で歌っている私です。

 キング先生には「バリトンに転向しなさい」と命じられた私ですが、Y先生に言わせれば「すとんさんがバリトン? ありえないですよ」と言う事なので、なんともテノールっぽい声で歌うことを目指さないといけないわけです。

 そこで、テノールの声とバリトンの声の違いの説明を受けました。

 声を出す仕組みを注射器に、声を注射器から出てくる薬液に例えた説明を受けました。バリトンが標準的な注射器(先生ご自身がバリトンなので、あくまでも標準はバリトンなんです:笑)ならば、テノール注射器はバリトン注射器よりも、より太くて、もっと細い針を付けて、かなり強い力で注射器を押し込まないといけないのだそうです。

 注射器が太いと言うイメージは、息をよりしっかりと支える事で、腹筋をゆっくりと力強く動かしていく事をイメージしているそうです。針が細いとは、より軽い声で歌う事で、強い力で注射器を押し込むとは、より深く腹筋を動かしていく事で、素早く深く腹筋を動かせることなんだそうです。

 つまり、注射器をイメージとして説明してくれましたが、結局のところ「もっと力強く腹筋を使いなさい」「もっと軽く声を出しなさい」「もっと素早く深く腹筋を動かしなさい」という事なんです。

 「発声に関して言えば、テノールはバリトンよりも、ずっと難しいのですよ」 もちろんバリトンにはバリトンの難しさがあると思いますが、発声に限れば、ずっとテノールの方が難しいのだそうです。なので、テノールに対する憧れだけでテノールの勉強を始めてしまうと、それはそれは“茨の道”で苦労の連続なんだそうです。そういう点では、テノールには天性の資質というのが必要なようですが…私にその資質があるかどうか、怖くて尋ねられませんでした(汗)。

 で、これらの3つが同時に十分に達成されるのが理想だけれど、世の中、そうはいかないわけで「では、最初はどこからやっつけますか?」と尋ねられたので、一瞬考えて「声を軽くする方向で」と答えました。

 と言うのも、腹筋を鍛えるのは時間がかかるので、追々やることにして、まずは声を軽くするのが先決かな…って思ったからです。それに、以前は、ドミンゴとかデル・モナコなどの重量級の声の重いテノールに憧れ、私もそうなりたいと願っていましたが、現在の私は、今でもドミンゴとかデル・モナコは大好きですが、どうも自分はそういうタイプのテノールではない事に薄々と気づき始めたわけ(遅い…か?)だし、やはり目指すなら、中量級のリリコから軽量級のレッジェーロあたりの声だろうと思うと、まずは声を軽くする事が最優先かなって思ったわけです。

 声を軽くするには、鼻を経由して息を出すようにすればいいのだそうです。つまり鼻腔を利用して『声に響きを付けていけば、自然と声は軽くなる』って事のようです。うーむ、あれこれあれこれとつながっていますなあ…。

 とにかく、鼻腔共鳴を最大限に活かして響きを豊かに付け、声帯の鳴りは極力抑えて歌う。ノドの奥は上下に開き、声のポジションをなるべく上に持ってきて歌う。つまり、今まで教えていただいた事の再確認なんです。

 高音は発声する際は、声帯に力を入れて声帯を伸ばそうとするのではなく、ノドを上下に開ける力を利用して他力本願的に声帯を伸ばして高音を出します。その時に、すべての母音に少しずつ「オ」の要素を加えて発声すると、私の場合は、ノドの奥が上下に開きやすくなるようです。

 現在の私の発声では、高いGまでは楽に発声しているそうですが(つまり、Gまでが実用音域)、A♭やAになると、とりあえず音程としては届いている(届いていない時ももある)けれど、発声がダメになってしまっているそうです。まあ、ちょっとばかり高いので、声帯に力が入ってこわばった声になってしまうのでしょうね。音程に届いていない声はダメですが、届いていても声的にダメなモノはダメなんです。もっと声帯を他力本願的に伸ばして発声できるようにしないといけないんですわ。

 とにかく、たかが発声だけれど、されど発声なのでした。

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2015年12月14日 (月)

病気になった時、レッスンはどうするべきか?

 いよいよ、本格的な冬将軍が到来しました。

 冬ともなれば、風邪のシーズンです。私は、そもそもカラダが強くないせいもあって、気をつけていても、風邪はひいてしまいます。別に好きでひくわけではないのですが、いくら気をつけていても、風邪をひいてしまいます。

 私の場合、風邪をひくと、最初の三日間で段々具合が悪くなり、だいたい三日目が底になります。で、そこから少しずつ良くなってきて、一週間ほどでほぼ回復という道筋を通る事が多いです。

 普通の人なら、風邪は三日で治るそうですが、私の場合、三日で底につき、一週間で治る…ってパターンなんです。これも体力の無さが原因なんでしょうね、シクシク。

 ですので、風邪初日は「なんとなく具合が悪いかも…」と感じていますが、たいてい頑張って仕事に行っちゃいます。二日目はその時のウィルスさんの強さによって違っていて、弱めのウィルスさんなら頑張って仕事に行っちゃいますが、強いウィルスさんだと、たいてい寝込みます。三日目は、弱めのウィルスさんの時は、とりあえず仕事に出掛けて、その日の仕事をチャチャっと終えて、早退して寝込みます。強めのウィルスさんの時は、枕からアタマが上がりません。四日目以降は、体調と相談しながら、頑張って仕事に行きます。

 いやあ、日本人だな。つくづく日本人だな。

 日本の場合、風邪をひいたくらいで仕事を休むと、上司に叱られます(笑)。発熱でもしない限り休めません…ってか、発熱していても休めない職場はたくさんあります。私は上司なので、別に休んでも叱られませんが、部下の手前、ある程度は頑張らないと示しが付かないので頑張っちゃいます。

 日本以外の国では、風邪をひいたら、同僚にうつしてはいけないので、休むのが普通だそうですが、日本では、風邪をひいて休むと仕事に支障が出るので、仕事に支障が出るくらいなら、病身にムチを打って働くのが普通ですし、同僚にうつる? 他人の風邪なんてもらうなんて、根性が入っていない証拠だ!とまあ、精神論で片付けられちゃいます。

 そういう点では、日本はまだまだ近代的な社会なんだと思います。

 さて、そんなわけで、風邪をひいたくらいでは、簡単に仕事を休めない、ジャパニーズ・サラリーマンな私ですが、レッスンでは…と言うと、割と簡単に休んじゃいます。

 と言うのも、先生方に風邪をうつしてはいけない…と思っているからです。

 はっきり言っちゃえば、サラリーマンはいいんです。仕事を休んでも、代わりに働く人がいますし、代休やら年休やらがあるわけですから、風邪で休んでもお給料出ますしね。

 でも、自営業で個人事業主である先生方は、風邪をひいたくらいでは仕事休めません。基本的に代わりのきかない仕事をしている方々ですからね。もしも仕事を休むことになれば、自分の代役を探さないといけません。それは大変だし、面倒な事です。だったら、いくら熱があろうが、働くしかない…というわけです。

 そんな労働環境にいる先生方に、風邪をうつしてはいけないではありませんか! だから私は、仕事は少々の風邪でも頑張って出勤しますが、レッスンの方は「風邪気味かも…」と思った段階で休むようにします。

 もちろん、レッスンはドタキャンになりますので、後日、謝礼をお支払いしますし、別に振替レッスンなどは要求しません。だって、自分の健康管理がダメダメで先生に迷惑をかけてしまったわけですからね。先生に何かを要求するってのは、スジ違いだと思うわけです。

 なんでこんな事を書いたのかと言うと、どうも世の中には、私と真逆な発想をする人が居るらしいからです。

 レッスンはお月謝を支払っているのだから、休むのはもったいない。少々具合が悪かろうとレッスンには参加します…とか、病欠をしてレッスン回数が減ってましったから、当然振替レッスンをしてもらわないと困る…とか考える人がいる…らしいんですね。職場や学校は休んでも、レッスンは休まない、休んだら振替を要求する…ってわけです。

 「風邪ぐらい、大したことないでしょ。それより、私が損する方がイヤだわ」

 風邪は万病のもとです。風邪を馬鹿にしてはいけません。それに風邪だと思った病気が、風邪ではない別の病気だったらどうしますか?

 あなたの風邪のせいで、先生がコンサートをキャンセルしなければいけない状況になったとしたら、責任取れますか? 先生は色々な人と接する事が多いでしょう。あなたの病気が先生を介して、世間に広まっても、心は痛みませんか? それ以前に、大好きな先生があなたからもらった病気で苦しむ姿を想像できますか?

 私が損する方がイヤだわ…って、習い事って、基本的に、贅沢であり道楽なんです。損得なんて考えてはいけません。これはオトナの習い事であれ、子どもの習い事であれ、同じです。手からクチへの生活をしている人は、習い事はできません。『損するのが嫌だ』と思うならば、習い事をする資格がない…と私は思うわけです。

 なので、私は風邪をひいても仕事は頑張りますが、レッスンの方はあっさりと休んでしまうわけです。

 本当は、仕事もあっさりと休める方が、自分にとっても周囲の人々にとっても良い事なんだけれど、日本の社会がそれを許さないんだよなあ…。

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2015年12月13日 (日)

情緒ではなく事実で語ってもらいたい

 先日、こんな報道がありました。リンク先が切れてしまうとアレなので、以下に要約してみますと、こんな感じです。

 福島県内にある福島高校スーパーサイエンス部は、日本国内及びフランス、ポーランド、ベラルーシ各国の高校生の協力を得て、外部被ばく線量の比較研究し、その結果を、イギリスの学術専門誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」に掲載される事が決まったのだそうです。論文自体は、スーパーサイエンス部の生徒と専門家ら233人の共著とし、スーパーサイエンス部の生徒がまとめた原稿を、東大大学院の早野龍五教授が翻訳して投稿したそうです。

 研究は「D―シャトルプロジェクト」と呼ばれ、その内容は、26校の生徒(各校ともに約10名ほどの生徒が協力)と教員211名を対象に、1時間ごとの外部被ばく量を計測できる線量計を2週間持ってもらって、そのデーターを比較したわけです。実施時期は、昨年の6~12月だったそうです。

 それぞれの学校ごとの計測値の中間に位置した人の数値を1年分に換算し、それをその学校の数値として、その他の学校と比較したわけで、その結果は以下の通りになったそうです。

外部被ばく線量
 福島県は、年間0.63~0.97ミリシーベルト
 福島県以外の日本は、 0.55~0.87ミリシーベルト
 海外(フランス・ポーランド・ベラルーシ)は、0.51~1.10ミリシーベルト

 これらの実験結果を元にして結論を言うならば、福島県だからと言って、県内のすべてにおいて放射能汚染が激しいというわけではなく、福島県と、福島県以外の日本と、海外と、それぞれの放射線量を測定すると、そんなに違いはないです…って事になります。まあ、国内では福島県がちょびっと数値が高いのは否めませんが、この程度の差なら(私には分かりませんが)ほぼ誤差の範囲なんだそうです(ホントかな?)。

 ちなみに、福島高校よりも岐阜県にある恵那高校の方が外部被ばく線量が高かったそうですが、それは岐阜の方が福島よりも放射能汚染が激しく危険である…というわけではなくて、単純に福島高校の校舎はコンクリート製で、恵那高校の校舎は花崗岩で作られている…というの違いが原因なんだそうです。と言うのも、コンクリートって放射線を遮蔽するけれど、花崗岩って放射線を(逆に)放出するんだよね(笑)。

 まあ、どこの地域であれ、自然放射線というのがあるので、きちんと計測すれば、世界中のどこであっても放射線がゼロって事にならず、必ず多少なりとも放射線が計測されるわけだけれど、あれだけ被爆した福島県でも、少なくとも高校があるような地域において、ほぼ普通の数値を示した事をを考えるならば、もう福島県だからとか東北だからと言って、放射線やら放射能やらに怯える必要はないのかもしれません。

 もちろん、これらの数値が低いのは、自然にそうなった…のかもしれませんが、いわゆく除染作業が効果的だったのかもしれませんし、その他の要因が関係しているのかもしれつせん。これらの実験結果だけでは、どれが原因なのかは、私には分かりません。とりあえず、生活レベルの話で言うなら、福島にいて生活していても、それだけで被爆することは無いと言えます。

 東日本大震災と原発事故の直後、多くの人たちが放射能汚染を恐れて、西日本や沖縄に避難しました。まあ、原発近くに住んでいた人たちが避難するのは、よく分かりますが、東京を始めとした首都圏の人も、かなり多くの人が避難をしました。私が住んでいる湘南地方もその例にもれず、たとえば私にフルートを教えてくださっていた笛先生も、被爆を恐れて、沖縄に逃げちゃいました。

 あの頃、確かに一部の人たちは放射能に関してナーバスになり、パニックっていましたが、その一方で、各地の放射線量を計測して、東京よりも那覇やフランスのパリの方が数値が高いといった報道もありました。原発事故直後の福島県は、多くの場所で、確かに外部放射線量が多かったわけですが、福島県は首都圏から遠く、風にのって放射性物質が運ばれたと言っても距離の限界はあるわけだし、何より東日本は元々自然放射線量が世界的に見ても低い地域という事もあって、当時は東京の数値の低さが注目されたわけだけれど、そんな事実よりも、情緒的な心配の方が優先されて、やむにやまれぬ思いで行動を起こした人がたくさんいたわけです。

 まあ、根拠はなんであれ、それで安心するなら、それはそれで良いのかもしれません。しかし、根拠のない、個人的に不安だからと言って、そこで大騒ぎをするのはいかがなものかとも思うわけです。

 もちろん、たった一つの実験結果だけで、物事を普遍的に語るのは間違いです。

 そこで、ネットをウロウロしていたら、こんな記事を見つけました。

 その記事によると、南相馬市(原発事故による避難指示が出ていた地域)にある南相馬市総合病院の医師らが、国際的な専門論文誌に発表した研究結果だそうだけれど、その研究によれば、原発事故後、避難をしなかった人、県内の別地区に避難した人、県外に避難した人の内部被ばく量を比較した結果、臨床的に大きな差が見られなかったそうです。

 原発事故の4カ月後に、同病院で内部被ばく検査を受けた521人の結果を解析したそうです。そのうち、県内の別地区に避難した人は232人(44.5%)、県外に避難した人は209人(40.1%)という事で、そのほとんどの人が事故後1週間以内に避難していたそうです[ちなみに、計算すると、避難しなかった人は80人(15.4%)となります]。

 セシウム134が検出されたのは521人中279人で、全体の53.4%だったそうです。

 内部被ばくのリスクを数値で表すと、避難しなかった場合と1.0とした場合、県内避難で0.88、県外避難で0.86となり、これらの数値は医学的には大きな差ではないという事です。つまり、事故後一週間で、確かに被ばくはしたけれど、その一週間でほぼ被ばくし終え、その後はどこにいようと、大きな差はなかった…という事になります。

 この結果は、現在の福島には特に問題がないという点において、福島高校スーパーサイエンス部の結果と一致するわけです。つまり、今現在、福島に行っても、被爆することはほぼ無いって事です。

 無論、実験とか調査と言うのは、事実の一部分だけを切り取って客観化するものであって、切り取り方次第では結果が変わってくるものであるので、必ずそこの事を踏まえたおかなければいけませんが、そう言った制限的な事実であっても、多くの事が言えます。

 どうも、フクシマ及び福島県と言えば、いまだに「放射能汚染された地域」というイメージがあり、実際、原発近くの地区はまだまだ危険でしょうが、県内の大半の地域は、すでに安全であると言えるようです。一部の市民運動家の皆さんが“フクシマ=原発事故”と叫び「アベ政治を許さない」とか訴えている姿を報道などで見聞きしますが、福島県を原発事故のイメージだけで恐れるのは間違っているようですし、利用するのはちょっと違うのかもしれません(し、原発事故は“アベ政治”のせいではなく“民主党の菅直人元首相”がやらかしてくれた事なんですけれどね)。

 物事というものは、情緒ではなく事実で語らないといけないと、私は思います。福島をフクシマとカタカナで表記したり、原発イメージで語ったりするのは、いかがなものかなって思うわけです。

 私、福島県と言うと、裏磐梯の五色沼が好きなんです。もう20年近く行ってませんが、チャンスがあったら、久しぶりに五色沼を訪れてもいいかなって思いました。

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2015年12月12日 (土)

クチに栓をしています

 毎朝、人間が起きて、金魚たちがいる居間に行くと、金魚たちは「さあ、ごはんをおくれよ」と大騒ぎをします。それはそれは大騒ぎをします。なにしろ、金魚たちにとっては、その日のハイライトがエサの時間なんですから、五匹の金魚たちが我先にエサを求めて大騒ぎするのが、常です。

 そんなある日、例によって、朝になり、エサの時間になって、金魚たちが大騒ぎをしているのを見ていたら、その日は騒いでいるのが四匹でした。

 「あれ? 一匹、足りない…」

 黒デメキンのミドリがエサをねだっていないのです。金魚がエサをねだらない…金魚に食欲がないというのは、実はかなりヤバい事なんです。

 「どうした、どうした。具合が悪いのか?」

 ミドリは他の金魚たちと違って、よく水底に沈んで寝ている事が多い金魚です。水底に沈んで寝る金魚って、あまり元気とは言えない子なのです。元気な金魚は、水中に浮遊したまま寝るわけで、いつも水底に沈んでいる子がエサをねだらないとなると…飼い主的には、かなり心配になるわけです。

 で、さほど広くもない水槽の中にいるはずのミドリを探してみたら、水槽の奥の方で悠々と泳いでいました。でも、なんか変です。よく見ると、クチが小刻みに動いています。さらによく見ると…何かをくわえています。まるでクチに栓をされているかのように、まるで哺乳瓶をくわえている赤子のように、何かをくわえています。

 何をくわえているのか…じっーと観察をしていたら合点できました。くわえていたのは、タニシの中身でした。タニシの中身の奥の方をクチの中に入れ、タニシのフタの部分が、ちょうどミドリの口元に来ていたので、パッと見た感じでは、まるでクチに栓をしているように見えたわけです。

 タニシを一人で口いっぱいに頬張っている最中なら、そりゃあエサを食べには来ないよなあ…。

 でも、ちょっと心配しました。と言うのも、金魚には鼻がありません。彼らは基本的にクチ呼吸なんです。クチから水を飲んで、エラに送って酸素を取り込んで、不要な水をエラから外に吐き出すのです。なので、年がら年中、クチをパクパクしているわけです。サカナの種類によっては、エラだけで呼吸しているモノもいるし、ドジョウのように腸呼吸できるモノもいるけれど、金魚はクチから吸ってエラから吐き出すタイプの呼吸しかできません。つまり、クチに栓をすると、呼吸困難になるはずなのですが…とりあえず、苦しんでいる様子はなく、むしろタニシをクチから離す事を恐れている(だって、タニシがミドリのクチが落ちれば、すぐに他の子がやってきてタニシを持って行ってしまうでしょう)から、あえてモグモグしているようにも見えます。

 しかし、金魚って、どうやってタニシを貝から引っ張りだして食べるんでしょうね。手もなければ、道具も使わずに…ほんと、不思議です。

蛇足 その翌々日の事。またエサの時間にミドリがエサ争奪戦に参加せず、一人で勝手にタニシを食べていました。例によって、悠々と泳いでいたのです。「この子は、本当にタニシが好物なんだな…」と思いました。で、しばらく眺めていたら、ミドリの行動が変になりました。普段はもたもたした子なのに、急にやたらとスピーディーな泳ぎを披露し始めたかと思うと、尻を上にアタマを下にして縦になって水面に浮かび始めました。「あれあれ、何が起こったんだ!」 やがて勢い良く、ミドリのクチから食べかけのタニシが吐き出されました。…おそらくタニシがクチの中で詰まって、息が出来なくなって、もがいていたようです。タニシを吐き出して楽にはなったようですが、自分が一度吐き出したタニシをウロウロと探していたミドリですが、最終的には見つけられずに、吐き出されたタニシは緋ドジョウたちが美味しくいただいていました。自分のエサを見つけられない金魚って、生き物として、どーなんだろ?

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2015年12月11日 (金)

自営業って、基本的に“休み無し”って感じみたいですね

 あー、フルートのレッスンに行ってきました。今月最初のレッスンですが、最近仕事が忙しいからなあ…もしかすると、これが今年最後のレッスンになるかもしれません…と先生に伝えました。もちろん、次週のレッスンには行きたいと思っているけれど、行かれないかもしれないし、その次は確実に行けない。で、その次は…先生の都合で休み、で、その次の次も先生の都合で休み。そんな事をしているうちに、来年になっちまうぜいって話です。

 でもまあ、次回のレッスンには来るつもりなので、ひとまず年末のご挨拶はパスしておきました。

 最初はロングトーンの練習から。ここ数回よりはマシとは言え、まだまだ音に濁りがあります。ダメだな。それと、時折、ブォ~って感じに吹いちゃいます。まあ、色々とダメなんだな。反省。

 エルステ・ユーブンゲンは13番です。まだ自宅で一度も通っていないのですが、部分部分はかなりいけそうな気がしたので、暗譜演奏にチャレンジしてみましたが…やはり、途中で、スコーーーって抜けちゃいました。先生にも「惜しかったね」と言われちゃいました。いやあ、あそこで落ちなきゃ、後は合格だったのに…残念。

 14番は当然、不合格…ってか、まだまだ練習不足です。こういうスタッカートとスラーが混在している曲って、案外…と言うか、当然のように苦手な私です。

 プチ・エチュードは12番でした。これ、自宅じゃ結構吹けるようになったので、今回で合格かも(うっしっしっ!)と思ってレッスンに臨んだのですが、私が吹き始めるや否や、先生、いきなり拍子を取り出しました。つまり「このテンポで吹きなさい」ってわけです。確かに、私、この曲では、ちょっとばかりテンポがよれているからね。

 でも、先生に拍子を取られた途端に吹けなくなりました。つまり、自分の好き勝手なタイミングなら吹けるのに、きちんと定量のタイミングになった途端に、窮屈さを感じて、あっちこっちで破綻しちゃいました。

 つまりは…メトロノーム練習の絶対的な不足ってわけです。いやあ、痛いところを突かれました。次のレッスンまでにはメトロノーム練習をしてこないとね。

 「この曲は三拍子ではなく、二拍子だからね。聞いていて二拍子が感じられるように吹かないとダメなんだよ」との事でした。よっしゃあ、二拍子でメトロノーム鳴らしてやる!

 今回の雑談は「12月になって師走だけれど、やっぱり忙しい?」って話でした。

 私は今はすごく忙しいです。フルートのレッスンも休みがちだし、それ以前に休日出勤バンバンしているし、周囲の同僚たちは交代で倒れている状態なのに、ほんと、よく倒れないものだと自分でも不思議に思うくらいです。まあ、私の周囲を見ても、体力自慢の若い人間よりも、年寄りの方が持久力があるみたいで、結構、元気…というか、なんとか動いていますって感じです。ま、私も年寄りの範疇だから、何気に倒れずに日々をやり過ごせるんだと思います。

 でも、今のこの忙しいのは、せいぜいクリスマスまでで、その後は、溜まりに溜まった休日出勤分の代休を使って、たっぷりお休みしちゃうつもりです。正月休み+代休で、ゆっくりするんだい!

 先生は…と言うと「うーん、割りと暇かな?」との事です。と、言うのも、年内は29日で仕事が終わって、新年は2日から仕事なので、30日、31日、元日と3日も休めると喜んでいました。

 「年末の休みは、たったの三日間だけですか?」
 「それでも多いくらいだよ。休めば、お金入ってこないし、休みと言っても、お酒飲んでゴロゴロしているだけだから、仕事している方がよっぽどいいよ」

 なんでも、昔は大晦日まで第九の演奏会に駆りだされていたし、元日は元日で仕事があったので、年始年末は普通に働いていた…んだそうです。その頃と比べると、三日も休めるなんて、贅沢は話…なんだそうです。

 音楽家は自営業だし、個人事業主だからね。私のような月給取りじゃないので、働けば働くほど収入に結びつき、休めば休むほどアゴが干上がるわけだから、毎日毎日、休まずに働きたくなるんでしょうね。

 最も先生は、カレンダー通りの休みは取らないし、年始年末は忙しいのだけれど、休みを取らないわけではなく、たまにガッツリ休んで、山登りに行ったり、海外にプラ~と出向いたりするので、それなりに自由になる時間もあるし、遊ばないわけでもないわけです。

 「休みたくなくても、仕事がなければ、自動的に休みになってしまうのだから、仕事があるうちは働くだけですよ」との事です。ちなみに年始年末は忙しいのだけれど、それが一段落すると、エアポケットに入ったように仕事がなくなるので、そこで遅めのお正月休みを取る…そうです。つまり、私のような勤め人とは、違ったカレンダーで生きているだけ…なんだと思います。

 ああ、それにしても師走ですね。ほんと、これからしばらくは公私に渡って忙しくなります。ああ、お正月休みが待ち遠しいです。

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2015年12月10日 (木)

皆さん、音大に期待しすぎ(笑)

 音楽大学(以下、音大と略)も大学。一般大学と変わらない、私はそう考えます。

 では、一般大学は何のためにあるのでしょうか? 大学というところは、高等教育機関であって、そこで学ぶ学生には、それにふさわしいだけの学力と教養が与えられ、知的専門家としての基礎技能を学ぶ場であります。あくまでも、専門家としての最初の基礎トレーニングをする場であって、大学と言えども学校である以上、そこを卒業したとて、まだまだ半人前なわけです。その後の教育は、職場に出て、現場で(多くの職業の場合は、十年ほど)働きながら学び続けて、経験を積んで、ようやく一人前になる…わけです。

 それは医者を育てる医学部であっても、法曹家を育てる法学部であって、教師を育てる教育学部においても同じで、その他の学問や専門家においても、やはり同じです。

 では音大は何を育てているのかと言うと、まず第一義的には、中学校や高等学校の音楽科の教師です。そして、その中から、一部の人が大学院に進学したり、海外に留学して、プロの演奏家となります。これは、一般の教育大学で学ぶ人の大半は、普通に学校の先生になるわけだけれど、ごく一部の人間が大学院に進学したり、海外に留学したりして、教育学等の専門家(つまり、学者)になるのと同じ構造です。

 いや、一般大学を例に出すよりも、体育大学で考えた方がもっと分かりやすいかも。一流アスリートと呼ばれる人々の多くは体育大学を卒業している事が多いけれど、体育大学の卒業生の大半は、学校の体育の先生になる…でしょ?

 ですから、教育大学に進学したからと言って、その人が学者さんになるとは限らないし、体育大学に進学したからと言って、誰もがオリンピックに出場できるわけではないのと同じように、音大に進学したからと言って、プロの演奏家になると思うのは、ちょっと違うわけです。

 そんなわけで、音大入学、即、将来はプロの演奏家…と考えてしまうのは、音大に期待しすぎだと思いますよ。

 それにだいたい、音大の目的が、プロの演奏家を養成する事なら、こんなにたくさんの音大は不要でしょ? そんな事は、同じ音楽であっても、音楽科の教師にはならない、プロの演奏家養成だけを行っている、邦楽や雅楽を学ぶ施設を見ても分かります。音楽大学は、日本各地に存在する中学校や高校に音楽の先生を供給するために、学生を養成しているわけだし、実際、日本の学校、とりわけ地方では、まだまだ音楽科の教師が不足しているので、その点に於いては、まだまだ必要な存在です。

 別の話をします。音大は音楽科の教員養成をする学校であって、街のピアノ教師はもちろん、楽器店講師を始めとする一般企業のOLさんを積極的に育てているわけではないでしょう。これは、教育学部が、街の塾講師を積極的に育てているわけでもなければ、一般サラリーマンを積極的に育てているわけでもないのと同じです。でも、現在は(特に都市部では)学校の先生になるのも大変だから、いくら教育大学や音楽大学を卒業しても、なかなか教育現場で働くのは難しく、やむをえず、学校現場とは別の職業に従事する学生が出るわけです。これは本来の大学教育が目指していたモノとは違うわけです。

 違うと言われても、これが現実。人間、稼がないきゃ死んじゃうし、同じ稼ぐなら、自分の専門に近い分野で働きたいと願うのは自然な思いだしね。だから私は、教育大学や音楽大学を卒業して、街のピアノ教師になったり、一般企業に就職する人を否定しませんよ。ただ、できれば地方に出向いて、音楽の先生になってほしいかな…なんて思ったりします。それくらい、地方における音楽の先生不足って深刻なんですよ。

 さて、我々一般人は、音大を卒業した人…と聞くと、あたかも“すでにプロの音楽家”のような錯覚をしがちで、ピアノもバンバン弾けて、歌もうっとりした声で歌えると勘違いしがちですが、冷静に考えるならば、そんな事、あるわけないんです。ピアノ科卒業の先生は、歌が苦手だったりするし、声楽科卒業の先生はピアノが苦手だったりする人が、多いです。ましてや、器楽科専攻だった先生は、ピアノも歌も苦手だったりするわけです。

 実際、私は今まで、音楽大学を卒業した経歴を持ちながら、ピアノ一つ、満足に弾けない人を複数知っています。当然、歌えば音痴丸出しです。よくその程度で音大に入学できたものだと感心しますが、音大と言ってもピンきりですから、いくら専門教育を受けたとは言え、学校を卒業しただけなら、まだまだそんなレベルの方も掃いて捨てるほどいるわけです。でも、その程度では、音楽科の教員になれないのも無理はありません。プロの音楽家を輩出させられないのはもちろん、音楽科の教員養成すらまともにできないような音大なんて、必要なのかな?って思ったりします。

 大学教育って、習い事の延長じゃないんだよ。

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2015年12月 9日 (水)

声楽をやる人、合唱をやる人

 声楽(ここでは独唱する人を指します)をやる人と、合唱をやる人…同じ歌を学んでいる人なのに、結構、アレコレ違いがあります。その違いを、私が感じたままに書いてみたいと思います。まあ“私が感じたまま”なので、多少の偏見が入っている事はご勘弁、よろしくね(笑)。

 まずは基本的な性質に違いがあります。声楽の人は、目立ちたがり屋で、自己主張が強くて、独立心が強い人が多いと思います。一方、合唱の人は、従順でおとなしい感じの人が多くて、普通の心優しいおじさまおばさまの集団って感じがしますが…やたらと支配的な人で、独裁的な人が、ごく少数だけれど確実にいるのが特徴です。

 ですから、人間としての特徴も違いがあります。声楽の人は…正直、ちょっと変な人や個性的な人が多いかも。でも、彼らは決して群れないので、多少変わっていても、あまり問題にはなりません。つまり“個性的だけれど人畜無害”って感じです。一方、合唱の方には、色々な人がいます。そこは一般社会と同じかもしれません。善良な人が多いのですが、やはり集団の圧力があるせいか、イジメやいやがらせも多発します。合唱の世界って女社会なので、その良さと悪さがあるんだろうと思います。

 そう、合唱の世界って、基本的には、女社会なんですよ。ここ、ポイントかも。

 次は…レア度と言うか頻出度と言うか、どれくらいの頻度で街で見かけることができるのか…ですが、声楽の人って、まずほとんど見つかりません。極めて希少種と言えます。そして、たとえいても、その活動地域は、ほぼ都会に限られます。では本当に、地方には声楽の人はいないのかと言えば、全くいないわけではなく、声楽予備軍的な人はいますが、地方では声楽を学ぶための環境が整わない事も多くて、声楽予備軍的な人は、地方では、やむなく合唱団の中にまぎれて合唱をしている事が多いと思われます。一方、合唱の人は、世の中的には決して多い趣味とは言えませんが、それでも、結構、あちらこちら、日本の各地ごとに、それぞれいくつもの合唱団があります。現在は車社会でもあるので、多少遠方で合唱団が活動していたとしても、車で駆けつけて練習に参加することもできるので、合唱に関しては、日本中のどこでも楽しめる…かもしれません。ですから、アマチュアで歌う趣味…となると、日本全国的な規模で考えるならば、ほぼ“合唱をする”と同義にならざるをえません。

 さて、そんな声楽と合唱ですが、それぞれ互いをどう見ているでしょうか?

 声楽の人に合唱好きな人ってたくさんいます。でも中には、過去に合唱団に所属していて、そこで嫌な思いをしたという人も少なからずいて、合唱という音楽はともかく、合唱団に対しては、ちょっと冷静になれない人も少なくありません。一方、合唱の人は…と言うと、声楽の人を嫌う人が多いです。プロや音大卒の人が独唱をするのは容認しますが、アマチュアなのに独唱する人を、基本的に好きではないです。中には親の敵のように毛嫌いする人すらいます。おそらくは、嫉妬心がそこにあるんだろうと私は思ってます。本当は自分が声楽をやってみたいのを我慢して(?)合唱をやっているのに、そんな自分の目の前で声楽をやっている人がいると、どうにも理性じゃ抑えられない…って感じでしょうね。

 声楽と合唱、同じ歌だから違いなんて無いじゃん…と言いつつも、実はそれなりに違いはあります。

 声楽の人の多くは、強い声を持っています。よく響く声です。本人自身も、音量と声質にこだわりがあって、その点を重視して練習に励んでいたりします。一方、合唱の人の声は柔らかいですし、何より音程重視ですし、ハモリラブです。。

 音域が広い曲にチャレンジするような場合、声楽の人は“とにかく頑張る”か、あるいは、最初っからチャレンジを諦めて回避します。つまり、歌えるなら何としても歌ってみたいけれど、歌えないなら、諦めるしか無いじゃん…というスタンスです。一方、合唱の人は、音域が広すぎて歌えない場合は、口パクで歌っているフリだけして音楽を壊さないようにするか、あるいは男性の場合は、ファルセットで逃げちゃいます。大切なのは、自分が歌えるか歌えないかではなく、合唱団として音楽が成り立っているかどうかなので、自分が歌えなくても、他の人が歌えているなら、それでOKなんです。

 広い会場で歌うような場合は、声楽の人はやはり“とにかく頑張る”か、あるいは最初から出演を取りやめてしまいます。一方、合唱の人は、人数を増やす事を考えますし、場合によっては、トラ(エキストラ。若手プロの事が多い)を頼むでしょう。

 練習時間も違います。声楽の人は、一回の練習時間が短いようです。おそらく、長時間歌うと、声が消耗してしまうので、そこらへんを見極めながら練習せざるをえないからです。一方、合唱の人は、団体としての練習時間は、基本的に長いです。一回の練習時間が3~4時間なんて団もザラです。合宿などもあって、三日間ほぼ寝ずに歌う(か、飲む)なんて事も平気でやります。ほんと、合唱の人って、声が減らないのかしら…と心配してしまいます。ちなみに、合唱の人の個人練習時間は、人によってマチマチで、毎日長時間合唱漬けで頑張っている人もいる反面、個人練習を全くやらないという人もいます。

 声楽と合唱では、本番の際の暗譜の有無も違うかもしれません。声楽の人は、基本的に暗譜で歌います。合唱の人は…もちろん合唱団によっては、違いはありますが、かなり多くの団では、楽譜持ちで舞台にあがります。ただし、コンクールに出場するような団は、やはり暗譜が前提のようです。

 外国語で歌うかどうかという違いもあります。声楽の場合は、イタリア語が何と言ってもメインですね。次に多いのがドイツ語の歌です。もちろん、日本語歌唱もしますが、英語歌唱やフランス語歌唱もします。ですので、声楽の人は、外国語が得意である必要はありませんが、苦手意識があると厄介かもしれません。一方、合唱の人は、日本語がメインです。外国語の歌はあまり歌いません。一部の宗教曲を中心に活動している団体は、ラテン語の歌をよく歌います。でもそんな団は数多くはありません。ですから、合唱をやる人は、外国語が苦手でも、特に問題にはならないと思います。

 またこの両者は、いわゆるステージングでも違いがあります。声楽の人は、基本的に服装が派手です。女性はお姫様のような派手派手なドレス着用が基本で、歌唱そのものに関しては、真摯に歌に集中して行います。一方、合唱の人は、服装が地味です。団によっては、お揃いのユニクロ衣装で舞台に上がったりします。それと、制服が好きですね。声楽の人たちが、いかに他の人と衣装がカブらないように気を使っているに対して、合唱の人たちは、仲間と同じ服を来て統一感を出すのが好きです。あとパフォーマンスも大好きで、歌いながらダンスとか振り付けなどに凝る人たちもいます。

 合唱の人は、基本的に合唱団に所属して活動するので、団に対する帰属意識があって、それで服装を揃えたがるのでしょう。また合唱の人は、一人で複数の団に属する人も多く、合唱祭などの舞台では、一人の人が団体を変えて、何度も舞台に上がることもありますから、やはり団体ごとに衣装を揃えていくのは大切なことなのでしょう。なにしろ、団体の名前は違っていても、その構成メンバーはほぼ同じ…なんて事も珍しくないそうですから、衣装で合唱団の個性を出していくのは大切な事なのかもしれません。

 一方、声楽の人は、たいていのステージが、個人参加ですし、アンサンブル団体などに加入して活動する人もいるけれど、そこは合唱団ほど、団に対する帰属意識があるかどうかは、微妙かもしれません。やはり声楽の人は、痩せても枯れても“一匹狼”なんです。

 歌を始めた動機にも違いがあります…と言うか『歌がうまくなりたい』という理由で始めるのは、声楽であれ合唱であれ、同じです。いや、声楽の場合は『歌がうまくなりたい』以外の理由で始める人は、まずいないと言ってもいいでしょう。一方、合唱の人は、それ以外にも『友達がほしい』とか『友人に誘われて…』とか『近所に合唱団ができたので何となく…』なんていう理由で合唱を始めた人も少なからずいます…というよりも、歌がうまくなりたいと思って始めた人よりも多いかもしれません。

 ですから、歌の学び方も違います。声楽の人は、グループレッスンの人もいるけれど、やはり個人レッスンでみっちりと学んでいる人は多いです。一方、合唱の人は、合唱団の練習の中で歌を学んでいきます。中には、個人レッスンと併用しているという人もいないわけではないけれど、圧倒的多数の人は、個人的に歌を習うわけではありません。そういう点では、合唱団って“オトナの部活動”って感じなんでしょうね。

 費用のかけ方もだいぶ違います。声楽の人は、個人レッスンがメインなので、レッスン代は決して安価とは言えませんし、本番ともなると舞台衣装(ドレスとかタキシードとか)に、それなりの費用がかかるし、ピアニストさんへの謝礼だってバカにはなりません。経済的な負担は少ないとは、決して言えません。一方、合唱の人の場合は、かかる費用は、合唱団への団費程度です。経済的な負担は比較的安価なので、いくつかの団体を掛け持ちできるほどです。

 練習をしていけば、やがて本番を迎えます。本番で、気に入らない人と同じステージに立つ事になった時の反応も違います。声楽の人は、一生懸命練習をして、気に入らない人よりも、良い歌唱をして、相手を舞台上で公開処刑しようと頑張ります。一方、合唱の人は、本番前に、さまざまなイジメやイジワルをして、その人を事前に団から追い出そうとやっきになります。

 本番が終った後、良い演奏ができれば満足感に浸り、良い演奏ができなければ凹むのが、声楽の人です。打ち上げのお酒が美味しく飲めるかどうかは、専ら当人の出来にかかっています。合唱の人は、たとえ自分自身がきちんと歌えなくても、案外気にしないものです。大切なのは団としての結果ですから、自分がダメであっても、団として良い演奏ができれば、打ち上げの時のお酒も美味しく感じるものです。

 このように、声楽と合唱、同じ歌と言っても、様々に違う面があって、それぞれはそれぞれに面白いものなのです。

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2015年12月 8日 (火)

大好きな事は趣味にしておきなさい

 よく若者に「自分の好きな事、熱心になれる事を職業に選びなさい」とアドヴァイスをするオトナがいます。この言葉は一見正しく聞こえますが、少なくとも私は、そのようなアドヴァイスを若者にはしたくないなあと思ってます。

 と言うのも、仕事って厳しいものであり、シビアで情け容赦のないモノだと私は思っているからです。

 仕事になれば、働く人が、自分の好きな事や楽しい事だけを行っていくわけにいきません。仕事である以上、それが自分の嫌いな事や趣味に合わないモノ、意に沿わないモノであっても、顧客が望む以上、行わないわけにはいきません。大切な事は、顧客のニーズであって、仕事をする側の楽しさではないからです。

 仕事とは、自分のために行うわけではなく、顧客のために行うものだからです。

 顧客のニーズを無視し、仕事をする側が、自分で仕事を選び始めたら、それは仕事とは言えなくなってしまいます。ですから、自分の好きな事を仕事にしてしまった場合、その好きだった事が好きでなくなってしまう事だってありうるのです。それは悲しい事です。なので、私は「自分の好きな事、熱心になれる事を職業に選びなさい」とは、絶対に言わないのです。

 それに仕事ともなると、常に損得を考えなければいけません。損を避け、得を取る(ただし長期的視野にたてばこの限りではない)わけで、そんな事を考えたら、楽しい事も楽しくなくなりますよね。

 では、どうしたら良いのでしょうか?

 私ならば「好きな事は趣味にとどめておきなさい。得意な事を仕事にしなさい」とアドヴァイスします。人はついつい『自分の好きな事は、自分の得意な事でもある』と考えがちですが、実はそんな事はないのです。「下手の横好き」という言葉もあるくらい、人は好きな事に関しては目がくらみ、自分の実力をきちんと測る事ができなくなりがちです。案外、好きで熱心に取り組んでいる事が、実はたいしたレベルではない…なんて事は、往々にあります。そんなものを仕事にしたら、不幸です。きちんと自分の適性と実力を推し量って、得意な事を仕事にするべきです。得意であれば、好きでなくてもかまいません。いや、好きで無い方が仕事に対して冷静に取り組むことができますから、かえって好都合かもしれません。

 で、大好きな事は、趣味にとどめておくわけです。

 趣味はいいですね。趣味は、自分が好きだから行うわけで、他人の顔色をうかがう必要はありません。やりたい時にやりたいだけやればいいわけで、ある意味、わがままいっぱいに振る舞うことができます。自己主張が強くてもいいし、自己中心的になっても問題ありません。大切な事は、自分自身を喜ばせる事です。ですから、趣味では、義務的に行うようでは楽しくないし、責任なんて負っちゃいけません。だいたい、趣味では損得は考えません。損をしても楽しければいいのです。それが趣味です。

 常に楽しい事だけを追い求めるのが趣味ですから、趣味と仕事は両立しないものです。

 なので、趣味を仕事にしてはいけないと、私は考えているのです。

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2015年12月 7日 (月)

与えるコトと、望むモノ

 習い事には、必ず生徒がいます。生徒には色々なタイプの人がいます。

 その中には「上達はしてもしなくてもいいけれど…」という人がいます。そういう人たちの望みは「上達しなくてもいいけれど、友達を作りたい」とか「上達しなくてもいいけれど、老後の時間つぶしとして楽しければいい」と考えるわけです。習い事と言っても、オトナの趣味ですから、それもアリですし、そんなに少なくない数の生徒が、ここに当てはまると思います。

 その一方で、あくまでも、上達したい、どこまでも上達したい、できればプロのように演奏したい、プロ並の腕前になりたい…という激しい向上心を持って学んでいる生徒さんもいます。

 習い事には、先生がいます。先生とは、大抵の場合、専門教育をしっかり受け、演奏家としての経験があります。

 ですから先生と呼ばれる人は、上達するために何をどんな順番で習得していかないといけないのかを知っています。また、そのために、どれだけの努力と時間と才能が必要なのかも知っています。そして、目の前にいる、激しい向上心を持っている生徒には、それらが決定的に不足している事も知っているわけです。

 先生ならば、そのような生徒と接した時に、少なからずの葛藤があるはずです。

 向上心だけは激しくても、明らかに望んでいるだけの上達なんて出来ないと分かっている事を、その生徒に、どう伝えるべきだろうか?

 伝えないとするならば“いずれできるようになる”という、偽りの前提で接することになるが、それは指導者として正直な姿なのだろうか? それともいくら求めても得られないものなのだから、正直にそれを伝えて、出来る範囲で楽しめるように説得して目標を変えるようにアドヴァイスする事が良いことなのだろうか?

 先生側の本音で言えば、真剣に教えると言うのは、テクニック的にも体力的にも精神的にも大変な事です。多くの先生は、安い謝礼でレッスンを引き受けているわけです。正直、小遣い稼ぎレベルです。せいぜい生活費の足しになればいいや…という程度の金額で教えている人もいるわけです。だから、そんな程度の謝礼なのに、多くを求められても、金銭的に合わないし、正直困ると思う人がいても不思議ではありません。

 だからと言って「あなた(のような熱心な生徒)は、私向きの生徒ではありません」と言って、せっかくの金づるを手放すのは、ビジネス的には、モッタイナイわけです。習い事の先生なんて、所詮、客商売なんだし、生徒(つまり、お客)に対しては、いい顔をして、おべんちゃらを並べて、いい気分でお金を落としてくれれば、それでいい…という気持ちだって、ゼロではないでしょう。

 また、ある程度、先生としての経験がある人は知っています。

 最初は熱心な生徒であっても、大抵の場合、その情熱は長く続かない事を…。生徒が持っいていた、激しい向上心も、三ヶ月、半年、一年と経つと、段々と薄れ、やがては消滅してしまう事だってある事も…。実際、長期にわたって、熱心に学び続けられる生徒なんて、稀有な存在なんです。

 おまけに、生徒というモノは、嘘を言うモノです。「真剣に学びたいのです」と言ったくせに、全然練習してこないモノです。たいていの生徒は、口先ばかりで、態度や生活が伴っていないモノです。そんな嘘つきたちに真剣に付き合っていくのは、バカの骨頂だと思う先生だっているでしょう。

 要するに、生徒というモノは、楽して上達したいのです。楽する事と上達する事は、本来、相反するものだと先生は知っていますが、生徒は知らないのです。

 先生は、ボランティア活動ではなく、仕事として教えているわけです。仕事である以上、割にあわない事はできません。多くを求められても応えられない現実をどうするかが問題なのです。

 善意で対応するにも限界があるし、教師にだって生活はあるわけで、そこは何とも悩ませい問題であります。

 ちゃんとした覚悟も無しで、簡単に「プロ並みになりたいのです」と言って、一時的に熱心になるのは、ある意味、生徒側の甘えであり、見通しの無さであり、そんな事で先生を振り回すのは、オトナのやることではないのかもしれません。オトナならば、自分の可能性と限界の両方を見ながら、ホドホドを目指すべきであり、周囲にも自分にも負担をかけずに、趣味として極めていくべきなのだと、私は思います。

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2015年12月 6日 (日)

やっぱり日本はヤバいのか?

 ネットをウロウロしていたら、次のような記事を見つけてしまい、この国の将来がちょっとばかり心配になりました。

 その記事とは、2015年11月07日付けの、ZAKZAKで連載されているケント・ギルバート氏のコラム「ニッポンの新常識」の“「武力を使わない情報戦争」の真っただ中にある日本は大丈夫か”です。

 詳しい内容はコラムをご覧いただく事として、私が「ヤバいかもなあ…」と思ったのは、ギルバート氏がスイス政府による『民間防衛』という書籍を紹介している部分なんですが、そこに「武力を使わない情報戦争」はこのような手順で行われるので、よくよく注意しないといけない…って紹介されています。

 その引用部分をさらに引用(笑)しますと、次の通りです。

 《第1段階》工作員を政府中枢に送り込む。

 《第2段階》宣伝工作。メディアを掌握し、大衆の意識を操作する。

 《第3段階》教育現場に入り込み、国民の「国家意識」を破壊する。

 《第4段階》抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。

 《第5段階》テレビなどの宣伝メディアを利用し、「自分で考える力」を国民から奪ってゆく。

 《最終段階》ターゲット国の民衆が無抵抗で腑抜けになったとき、大量植民で国を乗っ取る。

 これを見ると、背筋がぞっとしませんか? 日本の現状と言うか…“平和ボケ日本”って、《第5段階》の状態になっている我が国の事を言っているんですよね?

 …となると、誰がこれを仕掛けている敵国なのか考えないといけないのですが…そう考えるとやはり、日本の真の敵は韓国ではなく、中国って事になるんじゃないかしら? だって、韓国では小国すぎて《最終段階》は実行不可能です。つまり、韓国では日本の敵になり得ない…という事になります。

 でもまあ韓国は、反日国家であり、国民も反日が身に沁みついているようで、色々と日本に突っかかってきます。彼らが自分たちの立場を理解しているかどうかは別として、その反日精神を中国がうまく利用している…と考えられます。つまり、韓国は中国の“単なる鉄砲玉”なんでしょうね。韓国には、目立つところで工作活動をして日本に嫌われてもらい、日本の目を、中国からそらさせるための存在でしょう。韓国は、うまいように中国に利用されているだけでしょう。

 なので、私たちは嫌韓に陥るのではなく、その裏にいる中国に対して警戒していかないといけないのかもしれません。

 日本の真の敵は、韓国ではなく、中国です…ってか“中国の野望は日本侵略です”と言うべきかもしれません。

 中国は日本の10倍以上の人口を抱えているわけだし、あの国には『国家動員法』という法律があって、中国の国内外に住んでいる中国人と、他国に帰化した元中国人が、その対象となっていて、中国政府の命令があれば、すぐさま中央軍事委員会の指揮下で動員工作(つまりスパイ活動&破壊活動)をしないといけないという、実に無茶苦茶な“国家総員テロリスト化法”がある国なんです。そういう社会体制の国が中国なんです。

 ほんと、我々とは、思想も価値観も正義も何もかも、全然違う外国なんです、中国という国家は。

 もしも良心的な中国人がいて「外国で破壊活動なんてしたくない」なんて言い出したとしても、中国は国に残っている、その家族や親族を見つけて処罰する(つまり殺しちゃう)事になっているので、家族が何よりも大切な中国人にとって、家族や親族が人質にとられているようなものですから、本人の意思とは関係なく、国家動員法が発令されたら、それに従うしかないわけです。

 つまり韓国による日本侵略の工作準備が完了しさえすれば、中国はいつでも日本に大量植民ができるわけだし、日本を中国の属国/植民地にする事ができる…というわけなんです。

 これ、怖いですよね。私たちの子どもたちが安心して暮らせる国が、外国人に奪われるだけでなく、私たちの先祖たちが受け継いだ歴史や文化が破壊される事を意味します。いやあ、怖い怖い。

 こういう戦略がある事を知ると、ほんと『外国人参政権』なんてありえない話です。一日も早く『移民法』と『スパイ防止法』を立法しないといけません。

 そして、なんとかして、政治家、マスコミ、学校の教師から、中国協力者(反日活動家)たちを排除しないと、私たちの子どもたちがかわいそうです。

>《第4段階》抵抗意志を徐々に破壊し、「平和」や「人類愛」をプロパガンダに利用する。

 つまり「平和」とか「人類愛」とか、そういう言葉を弄する人間を信用するな…って事ですね。

 …って事は、「戦争反対」と訴える事も「平和」を訴える事と同義ですし、「戦争反対」と叫ぶ事も、実は国を危うくすること…なんですね、いやあ、目ウロコです。

 確かに「安全保障関連法案」を「戦争法案」と呼び変えて、呼んでいた人たちって、彼ら自身が、意識しているか、無自覚なのかは別としても、やっている事は、利敵行為であり、私たちの子どもたちを、実は危険にさらしている人たち…って事に『民間防衛』によれば、なるわけです。

 いやあ、ほんと、目ウロコだな。

蛇足  たまにミサイルを撃ってくる北朝鮮なんかよりも、情報戦争を仕掛けてきている韓国&中国の方が、よっぽど危険な敵国って事になるわけです。

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2015年12月 5日 (土)

やっぱりドジョウが肥えてきた(涙)

 我が家の水槽の特徴と言えば、ちょっと前までは“巨大魚水槽”だったと思います。とにかく、金魚たちを始め、水槽にいる子たちが、どれもこれも巨大だったわけです。

 なぜ巨大になってしまうのか? それは、連中の求めに応じてエサを与えた結果、ブクブクと際限なく巨大化してしまったわけです。我々哺乳類だと、エサを与え過ぎると肥満になりますが、どうやら魚類の場合は肥満ではなく(いや、多少は肥満化しますが)巨大化するようなのです。

 で、金魚の巨大化ですが、ゆっくりと巨大化するのならまだしも、短い期間で巨大化した子の多くは、健康を害します。またドジョウの場合は、際限なく巨大化できないようで、ある大きさを過ぎると、巨大化ではなく、肥満化します。肥満になったドジョウも、やはり健康を害します。

 ですので、金魚もドジョウも我々人間と同じで、度を越した巨大化とか肥満化は健康に良くないのです。

 すでに、ブニョやサクラが星になった現在、たまたま巨大魚がいなくなってしまったので、これは良い機会だという事で、金魚たちに与えるエサをかなり少なめにしたのです。ですので、今の子たち、特に金魚たちは、常に欠食状態で、やたらと水草とかタニシとかを食べるわけですが、それでも、今までならとっくに巨大化していたはずですが、それでも普通に“大きめの金魚”で収まっています。よかったよかった。

 で、金魚の巨大化はなんとか阻止していますが、先日、ふと気づいたら、なんとドジョウが肥満化していました。

 肥満ドジョウは、緋ドジョウのラズと、真ドジョウのクロでした。この2匹、めっちゃめっちゃ太っちゃったんですよ。どのくらい太ったのかと言うと、アタマよりも(人間で言うところの)胸の方が明らかにデカイんです。食用のドジョウなら良いのですが、ペットとしてはダメでしょう!

 金魚は人間の与えるエサを食べていますので、食事のコントロールも可能ですが、ドジョウには最初っからエサなんて与えていません。彼らは金魚の食べ残しのエサと、タニシと、水槽中にいるプランクトンとかを勝手に食べているわけです。なにしろ、水槽のお掃除屋さんですからね。なので、彼らの巨大化&肥満化に関しては、人間のコントロールを離れているわけです。

 いやあ、それにしても二匹とも太いんですよ。どうしましょうね、いやマジで心配です。

 ちなみに、若い三匹の緋ドジョウたちは、まだまだ肥満とは無関係で、すくすくと成長していますが、連中も成長が止まると肥満化するのかしら? それはそれで今から心配です。

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2015年12月 4日 (金)

フルートがいつまで経ってもピカピカのままなんです(涙)

 そうなんですよ、私のフルートがピカピカなんです。フルートを購入して、ガンガン練習して、購入五年後に一度オーバーホールに出し、そこから現在まで約二年半たったわけです。それなのに、今もってフルートがピカピカなんです。

 「フルートがピカピカなんて、いい事じゃないですか?」

 それは違うでしょう。フルートがアクセサリーならピカピカの方がいいでしょうが、フルートは楽器です。いい音がしてナンボです。ピカピカのフルートなんて、私の好みじゃないです。

 私の好みは、黒サビだらけのフルートのマイルドな音なんです。オーバーホールに出す直前がまさにそんな状態だったんです。で、オーバーホールから帰ってきたら、フルートがピカピカになってわけです。

 ピカピカフルートだと、音が固くて尖っているから、あまり好みじゃないんです。

 私のフルートは総銀だから、キチンと毎日丹念に練習すれば、数ヶ月で白サビが表面を覆い、1年も経てば内部が黒ずみ始め、2年もすれば炭のように真っ黒になるはずなんです。少なくとも、最初の五年間では、そういう経過をたどりました。

 ところが、オーバーホールに出して以来、当初の“目もくらむばかりのピカピカさ”は、さすがに無くなりましたが、それでも“映りの悪い鏡”程度のピカピカさを維持しており、黒サビはおろか、白サビすら発生していない状況なんです。

 全然サビてないんです、だめじゃん(涙)。

 なぜ、そんな事になっているのかと言うかと、単純に言えば「練習が少ないから」です。練習が少なくて、楽器をケースの中にしまいっぱなしなので、白サビが発生しづらく、練習が少なくて、楽器の中に送り込んだ息の量が少ないので、黒サビが発生しづらいのです。

 サビサビと言いますが、化学的には、白サビは“酸化銀”であり、黒サビは“硫化銀”です。白サビは外気に触れさせることで発生し、黒サビは人間の呼気に含まれる硫黄に反応して発生します。ですから、たくさん練習して、楽器を外気に触れさせれば、フルートは白くサビるし、たくさん練習して、たくさん息を楽器に吹き込めば、フルートは黒くサビます。実際、オーバーホールに出す直前の私の楽器は、表面は真っ白に、内部は真っ黒になって、サビサビだらけでした。

 このサビサビだらけの楽器が、とても良い音がしたんです。というのも、サビと言うと、なんか良くないもののような感じがしますが、酸化銀や硫化銀でコーティング(メッキですね)したフルートと思えばいいんです。特に内部でサビる硫化銀メッキは、音色的に影響を与えると(個人的に)は思っています。

 なので、今だにピカピカの楽器を見る度に、楽器から「まだピカピカだよ、練習が足りてないんじゃないの」と責められているような気がします。

 ああ、ダメだダメだダメだ、一日も早く、フルートが真っ黒になるように、練習に励まなきゃ、ダメなんだ。

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2015年12月 3日 (木)

シネマ歌舞伎で「ヤマトタケル」を見てきました

 今年から隣町の映画館でシネマ歌舞伎を上映するようになったので、時折見に出かけている私です。シネマ歌舞伎は月イチで上映します。今月は、スーパー歌舞伎の「ヤマトタケル」を上映していました。

 スーパー歌舞伎とは何かと言うと、新作歌舞伎の一種で、歌舞伎の約束事ばかりにとらわれず、ミュージカルやストレートプレイの良い所も取り入れた“今っぽい歌舞伎”ってヤツです。演出も今っぽいし、セリフも現代語ですから、歌舞伎に慣れていない私なんかは、通常の歌舞伎上演よりも親しみやすかったりします。

 私が見てきたのは最初のスーパー歌舞伎である「ヤマトタケル」でした。初演は1986年でしたが、2012年に新橋演舞場で演じられたものを見ました。

 ストーリーとしてはヤマトタケル伝説を舞台化したもので、なかなか面白かったですよ。もちろん、歌舞伎なんだけれど、よく出来た日本語ミュージカルでもありました。芝居も衣装も化粧も派手で、全然リアルじゃなくて、そこがすごく夢々しくてよかったです。
 脚本と演出は、先代の市川猿之助こと二代目市川猿翁で、スーパー歌舞伎を考えて作り出した張本人さんです。

 主役のヤマトタケルこと小碓命(おうすのみこと)を演じたのは、四代目市川猿之助(昔の亀治郎)で、小碓命の兄である大碓命(おおうすのみこと)も演じていたので、一人二役であり、第一幕の小碓命と大碓命の乱闘シーンは、影武者との入れ替わりやら早着替えやらの連続で、なかなかおもしろかったです。あと、最後の最後に、お約束の宙乗りがあります(やっぱ、猿之助と言えば宙乗りだものね)。

 帝を演じていたのが、香川照之こと九代目市川中車でした。ちなみに映画の冒頭で、市川猿之助と市川中車の舞台挨拶(たぶん襲名披露)の映像が付いてました。

 私が特に目を見張ったのは、兄橘姫(えたちばなひめ)と、みやず姫の二役を演じた市川笑也です。この人、女形なんですが、私が今まで生の歌舞伎の舞台で見た女形や、シネマ歌舞伎で見た女形とは、ちょっと違うんです。

 女形というのは、男性俳優が女性役を演じるもので、男が女を演じるわけですから、色々と無理があるわけで、その無理さが歌舞伎鑑賞で大きな妨げになると私は思っています。

 私もこれまで、あまり数は多くないのですが歌舞伎を見ていて、芝居に夢中になっていても、女形が出てくると、途端に気持ちがスーーーと引いてしまっていました。だって女形って、違和感バリバリなんだもん、不気味なんだもん、気味悪いんだもん。いくら女の衣装を身につけて、所作を女っぽくしても、見た目はどうしても男性だし、声も男性だし、何をどうしても男性なのに、それを女性として認識しろって、そりゃあ無理だよね。でも、その無理を強いられるのが歌舞伎なんだと諦めていました。

 ところが兄橘姫を演じていた市川笑也は全然違うんですよ。映像の中の彼女は、女形ではなく、すっごい大柄な女性(笑)に見えるんですよね。なので最初は、普通の歌舞伎ではなく、スーパー歌舞伎だから、女優さんを使っているのかな?と思ってしまったくらいです。まあ、映画ですからアップのシーンがあって、その時に首筋を見た時に、女の首筋ではなく男の首筋だったので「ああ、やっぱり女形が演じているんだ」と思ったものですが、舞台などでアップで見られない状況だったら、最後の最後まで疑心暗鬼にかられたまま「女形なの? 女優なの?」と悩んでいたかもしれません。それくらい、女性に見えたんですね。

 なぜ、そう思ったのか? それはおそらく、声です。演じている時の声が、男性のファルセットでもなく、甲高い男の声でもなく、オカマの声でもなく、本物の女性の声のように聞こえました。男性でも、女性ホルモンを投与すると、こんな感じの声になるわけですが…まさか、女性ホルモンを投与しているとか(笑)。まあ、それくらい、耳で聞くと女性だったわけです。声が女性だったので、カラダつきが男性っぽくて、所作が女形女形していても、女性に見えちゃったわけなんです。

 演技にとって、声って大切なんだな。

 このスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は、もうすぐ上映が終わってしまいますが、先代であり、この演目の脚本&演出家である三代目市川猿之助が主演したモノがDVD化されていますので、興味がある方は、そちらでご覧になれます。

 四代目と三代目、演じ方がどう違うのか、私も興味があります。

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2015年12月 2日 (水)

先生から与えられる課題曲の難易度と、生徒の上達について考えてみた

 実は声楽には、器楽ほど、定番のエチュードというモノはありません。先生が生徒の様子を見て、課題を見つけて、それに合わせて既存の曲をエチュード代わりに使って学んでいきます。その中でも、エチュード代わりによく使われるのが、イタリア古典歌曲だったりします。

 イタリア古典歌曲そのものは、別に初心者向けの簡単なエチュードというわけではなく、それぞれがきちんとした芸術歌曲(あるいは古典アリア)です。ただ、発声や発音を学ぶのに適していると思われ、それ故に、初心者向けのエチュードの代わりに使われる事が多いのです。ですから、声楽の初学者は、ひとまずイタリア古典歌曲から学び始める事が多く、ある程度の曲数を学ぶと、次の段階として、その他のイタリア歌曲とか、ドイツ・リートとか、日本歌曲とか、あるいはオペラのアリアなどの曲を学ぶようになります。

 声楽では、このようにイタリア古典歌曲を始めとし、様々な既存の曲をエチュード代わりにして学んでいきます。ですから、どの曲をどういう順番で学んで、どんなテクニックを習得させるかは、先生次第なんですね。もちろん、それぞれの曲には、技術的に簡単な曲もあれば、難しい曲もあります。先生は、目の前にいる生徒の現在の力量をきちんと評価して、彼らの現在の必要に応じた“適切な難易度の曲”を課題曲として選んで与えるわけです。

 適切な難易度の曲とは…今現在は完璧には歌えないけれど、あと数回のレッスンで、歌えない部分が歌えるようになり、技術的課題を克服できるレベルの曲…ではないかと、私は思います。つまり『背伸びをすれば届く程度に難しい曲』って感じです。

 あるいは、時に応じては、難易度的に簡単な曲を課題曲として与える事もあるでしょう。その場合、歌うことに困難を感じないレベルの曲であっても、音色やフレージングなど、出来ていると思いがちな部分の確認や、気が付きにくい欠点克服などができます。

 つまり、生徒の実力から見て、簡単に歌える曲から、やや難しめの曲までが“適切な難易度の曲”と言えるでしょう。

 一方、適切な難易度ではない曲…と言えば、それは難しすぎる曲の事でしょうね。難しすぎる曲とは、どうやっても、今の実力では歌いきれない曲の事を言います。

 このように極端に難しい曲を学び続けていくと、当然、その歌を失敗しながら何度も何度も練習で歌い続けていくわけで、そんな失敗経験を積み重ねていくと、やがて、その失敗経験が固定化し、悪い癖を生み出して、上達するどころか、むしろ下手くそになっていく思います。やがて、きちんと歌えなくても、歌えない事を当たり前のように感じ、音楽演奏に関して劣等感と徒労感に襲われるようになり、無力感にさいなまれるようになります。

 そんなことを繰り返しているうちに、かろうじてその曲が歌えるようになったとしても、多くの失敗経験から悪い癖が身につき、決して素直な感じできちんと歌えるようにはならないわけで、そんな中途半端な出来でも、満足を感じる事が重なるうちに、やがて音楽に対する厳しさというのが、薄れてしまいます。

 難しすぎる曲を練習することは、百害あって一利なしです。難しすぎる曲をたった1曲、時間をかけて学んで、結局何も身につかなくて下手になるよりも、身の丈にあった難易度の曲を10曲学んだ方が、確実に実力をアップできます。

 せっかく真面目に音楽を学んでいるのに、ドンドン下手になっていくのは悲しい事です。それを避けるためにも、先生がその生徒の事をきちんと評価して、適切な難易度の曲を与える事って、とてもとても大切な事なんです。

 つまり、教え上手な先生は、生徒に適切な難易度の曲を与えて上達させ、教えるのが苦手な教師は、生徒に難しい曲を与えて生徒を下手くそにしてしまうのです。

 ですから、発表会などで、いつもきちんと歌えた記憶のない人は、よほど指導力に欠ける先生に学んでいると言えますし、発表会などで、きちんと歌えない生徒ばかりの門下の先生は、教えるのが下手くそであると言えます。

 先生に言わせれば「歌えないのは、生徒の努力不足/才能不足が原因であって、教師のせいではない」と言いたいかもしれませんが、その生徒の努力不足や才能不足を見抜けなかった事自体、その人の教師としての目かフシアナだったわけであり、その腕前はナマクラである断言できます。あるいは「今はこのくらいだが、自分が指導すれば、発表会までに歌えるようになる」と思っていたなら、それは自分の指導力を客観視できない、自惚れ屋であると言えます。

 失敗の原因を生徒のせいにするなんて、言い訳をするにしても、あまりにイージーです。

 あるいは「どうせ、趣味なんだから、上手くならなくてもいいんじゃないの?」と思っている先生もいるでしょう。確かに趣味の生徒は、プロである教師からすれば、あれこれ甘くていい加減に見えるでしょうが、プロの指導者なら、謝礼をもらってレッスンをしている以上、生徒がアマチュアであれ、プロのタマゴであれ、上達させられないのなら、それは詐欺です。

 または「この生徒は、音痴だから/オバアチャンだから/音楽経験がないから、これ以上は上達するわけがない。適当に遊ばせておけばいい」と、最初から生徒の上達を諦めている先生もいますが、こういう先生は、生徒について諦めているような口ぶりですが、実は自分の指導力の無さに気づいていないだけです。だって、そんな感じで諦められた生徒も、先生が変われば、グングン成長したりするわけですからね。

 さもなければ「歌えもしない歌を、歌いたがっているのは本人なんだから、失敗も自己責任。出来ない事を本人が望んでいる以上、完成度が低くなるのは仕方ないよね」と真面目に思っているなら、それは余りに不誠実な人間であると言えます。少なくとも、今の段階で、その曲に取り組んだ時の完成度の低さを、事前に生徒さんに説明した上でチャレンジさせたかどうか、ご自分の胸に手を当ててよくよく思い出してほしいものです。

 器楽の世界では、楽器ごとに定番といえる教則本があるので、教える先生による違いが、声楽ほど大きくはありません。ある意味、ある程度の腕前の先生であるなら、誰に習っても一緒…と乱暴ですが、言おうと思えば言えないわけでもありません。

 しかし声楽の世界では、ほんと、先生の違いは、大きな大きな違いです。指導力に欠ける先生についてしまった生徒は、人生を無駄にするばかりでなく、音楽をキライになり、音楽から離れてしまうことすらあるわけで、音楽界にとっても、その手の下手くそな声楽教師は、迷惑千万な存在だったりします。

 結論。上手な声楽教師は、生徒の実力に応じた適切な難易度の曲を生徒に与えるので、生徒はみるみる上達します。生徒が上達できないのは、生徒のせいだけではありません。教師というものは、生徒の適性や能力を踏まえたうえで指導計画を立てて、教えるのだから、生徒が上達しないのは、先生の指導力にも大いに問題があります。また、難しすぎる歌ばかり歌うのは、百害あって一利なしで、ドンドン歌が下手になるだけの話である。

 というわけで、私の場合、声楽の先生を変えた事は、とても幸せな事だったようです。もっともっと早く、先生を変えてしまえば、よかったのになあ…と、今更後悔しております。

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2015年12月 1日 (火)

多摩動物公園に行ってきた

 野毛山動物園に行って楽しかったので、今度は多摩動物公園(以下、多摩動物園)に行ってきました。目的は、来年三月で廃止になってしまうライオンバスに乗ってくる事です。

 多摩動物園に行くのは…たぶん30年ぶり(笑)。いやあ、ホントの本当に久しぶりだな。多摩動物園に行ったついでに、多摩テックにも寄ってこようと思ったら、多摩テックはとっくの昔に廃業していました、残念。

 多摩動物園に何で30年も行かなかったのかと言うと、ウチからだと交通の便が悪かったからです。なにしろ、湘南からだと、一度東京に出て、そこから多摩動物園を目指すか、あるいは新百合ヶ丘から多摩センターに行って、そこから中央大学までバスで行って、残りは山道をテクテクと徒歩で移動しないといけなかったわけで、どちらのルートを使うにせよ、軽く片道だけで約3時間かかっていたわけで、そりゃあ足が向かないよね。今は多摩モノレールは出来たし、京王線の多摩センタ~橋本間が開業した事もあって、2時間弱で動物園に着きます。1時間の差は大きいよ、いやあ、便利だね。

 私が行ったのが休日だったという事もあって、ほんと、人だかりが激しくて、改めて、動物園って人気レジャースポットなんだなって思いました。

 色々な動物がいて、楽しかったけれど、私が一番気に入ったのは、昆虫館の温室です。この温室には、沢山の種類の様々な蝶々が乱舞していました。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見ても、蝶々、蝶々、蝶々でした。おまけに、ここの蝶々は人間を恐れていないので、かなり近くに近寄って見ることができます。いやあ、こんなに多量の蝶々に囲まれた経験はありません。陳腐な表現で申し訳ないのですが、まるで夢の中にいるような気分になりました。ここ、マジでお薦めです。

 もうすぐ廃止になってしまうライオンバスは、とても良かったですよ。別に人気が無いので廃止になるのではなく、施設の老朽化のための廃止のようです。もったいないですね。なんとか、施設を建て直して、復活できると良いと思います。

 ライオンバス自体は普通の小型バスで、車体の外側の数カ所に肉片をぶらさげてライオンの放牧地を走ります。ライオンは、バスに付いている肉片を目当てにやってきて、その肉片を食べます。その肉片が、我々が外を見ている窓のそばにあるものだから、人間的には「ライオン、大接近!」ってなるわけです。すごい迫力ですよ。ライオンの大きな顔が自分の目の前に来るんですからね。たまたま私が乗ったバスにいた小さな子どもは、引きつけを起こしてしまうのではないかというくらいに大泣きしてました(よっぽど怖かったんだと思いますが…ちょっと迷惑でした。だって泣き声から逃げられないんだもん)。

 その他で印象的だったのは、カモのオリの外にいたカモ(笑)。たぶん、野生のカモなんだろうけれど、物欲しげにカモのオリの中を見つめていました。だってねえ…オリの中には群れとエサと安全があるんだもの。移動の自由こそはないけれど、野生で厳しい環境で生きているカモにとっては、オリの中は天国に見えたのかもしれません。

 あと、コンゴインコ(とても派手なオウム)の区域にいた、野生と思われる孔雀(オス)も印象に残ってます。インコも派手だけれど、オス孔雀の派手さには勝てないよねえ(笑)。

 インドゾウはおとなしいけれど、アフリカゾウって、結構イッちゃって、何かと激しかったですよ。同じゾウなのに、全然ちがっていて面白かったです。あと、オオカミって、ほぼシェパードだよね(笑)。それに、ツキノワグマって、絶対、背中にチャックがありそう(爆)。

 食事は園内のレストランで食べたのだけれど、そこで食べたカレーうどんがクチに合わなくて悲しかったです。私、普通にファミレスとかにあるようなカレーうどんの味を想像していたのに、出てきたカレーは、ミルクカレーだったんですよ。げげ~っでしょ。カレーを食べているのに、あんまりスパイスが利いてなくて、ミルクの風味が鼻の中に広がるんです。これって、カレーじゃないよなあ。「当店のカレーはお子様カレーです」とかの注意書きがあれば、カレーうどんなんて頼まなかったのに…。騙されたような気分でした。

 多摩動物園は、野毛山と違って、広くて広くて大変でした。ほぼ一日、開園時から閉園時までいましたが、本当にたっぷり歩いたなあ(笑)。野毛山は狭さが魅力だけれど、ここはこの広さがいいんだろうなあ。一日いたので、全部の動物たちを見てきたよん。やったね、多摩動物園、制覇でした!

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