ひとこと

  •  なんかねー、最近、あれこれツイてないんです。あまりに小ネタ過ぎてブログに書くほどでもないのだけれど、なんかプチ不幸な日々が続いてます。なんかなー。

お知らせ

  • ●クラシックコンサートのお知らせをします。●10月8日(日)、茅ヶ崎市青少年会館ホールで行われます。今年のコンサートは、第1部ジュニア、第2部器楽、第3部声楽と、3部に分けて行われます。第3部の開演は15時20分となっています。●私は、第3部の10番として、トスティ作曲「Tristezza/悲しみ」とレオンカヴァッロ作曲「Mattinata/マッティナータ(朝の歌)」を歌い、次の11番目で、妻と一緒にレハール作曲「メリー・ウィドウ」より「A Dutiful Wife/従順な妻」の二重唱を歌います。私の登場時刻は、およそ16時30分前後になる予定ですが、あくまでも予定であって、これより早くなることもあるし、遅くなることもあります。●入場料は無料の千客万来系のコンサートです。ただし、例年までは市民文化会館で行われていましたが、今年は工事中となって、古い公民館系のホールで行われます。●会場的には、古くて小さい上に設備的にも??がつくような会場で「ここで歌うのはヤだな」という理由で、多くの方々が参加を取りやめたというほどの会場です。私も、練習で使用するならともかく、ここに人を招待して…となると、躊躇せざるをえません。なので、会場までお越しいただく事は望んでいませんが、もしよかったと、どこか遠くの空から、無事に歌えることを祈っていただくと感謝です。
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2015年11月の記事

2015年11月30日 (月)

今年は秋って…ありましたっけ?[2015年11月の落ち穂拾い]

 いやあ、ほんと、急に寒くなりましたね。なんか、ここんところ、毎年、そんな事を言っているような気がします。季節が、夏から急に冬になってしまった感覚です。もう少し秋を楽しみたいですよ。昔の人は、よく「春と秋と、どちらが素晴らしい」とか言っていたようですが、21世紀の現在、春はありますが、秋はほぼ無くなってしまいました。なんか、残念です。

フルートにおけるスケールの違いなんて、実は大した問題じゃない

 現代フルートには、様々なスケール(音程設計)で作られたものが流通しています。いわゆる旧来型の伝統的なスケールで作られたモノもある一方、最新技術によって作られたスケールモデルもあるわけです。

 もしもフルートに、厳密で正確なスケールが必要ならば、現代の最新技術で作られたスケールが登場した途端に、旧来の伝統的なスケール設計は破棄されて、あっという間に新しいモノが古いモノに取って代わるはずなのに、未だに古い設計のフルートは生きていますし、プロ奏者ですら、古い設計で作られたフルートを愛用して、それで演奏していたりします。

 これをもってしても、フルートにおけるスケールの違いなんて、実は大した問題じゃないと言えます。

 まあ、元々、フルートは音痴な楽器でした。それを少しでも是正する方向で進歩し続けていくのは、無駄ではないと思うのです。なにしろ、モーツァルトがフルート曲をあまり書かなかったのは、フルートの音痴さに我慢がならなかった…という説もあるくらいですから(笑)。おそらく、現代フルートは、モーツァルトの時代と比べれば、かなり音程的にマシになっていると思います。これもフルート職人さんたちのたゆまない努力の結果だと思うのです。でも、元々が音痴な楽器ですから、多少の音痴も許容されてきたし、おそらくこれからも許容され続けていくのだと思います。なので、伝統的なスケールの楽器もまだまだ現役なんだと思います。

 それに、スケールが変わると、微妙な音程が変わるだけでなく、個々の音の倍音構造も変わると聞きます…が、そのあたりは、あまりに微妙すぎて、少なくとも私には、分かりません。

 まあ、私がアルタスフルートを選んだ理由も、別にそれが最新のベネットスケールで作られているからではなく、単純に、その音色が気に入ったからです。フルートを選択する理由は、人それぞれでしょうが、スケールの違いでフルートを選ぶ人って、どれだけいるんでしょうね。おそらく、かなり耳が良い人でないと、スケールの違いって聞き分けにくいんじゃないかと思います。

暴力論

 暴力は否定したいですね。私たちの国、日本では、暴力に訴える事は卑劣卑怯な行いとされています。でも、世界では暴力なんて、日常であって、別段卑劣でも卑怯でもないわけです。このあたりで、すでに、日本の常識とグローバルスタンダードに食い違いがあるわけです。

 私たち日本人の欠点は、日本の常識が世界の常識だと思い込んでいる事だと思います。世界中が、日本のような社会であり、世界の人々が日本人と同じ価値観を持っていて、日本人と同じような生活水準であると錯覚している事です。

 全部、間違いなんだけれどね。

 だからグローバル化された社会は怖いんです。日本人の常識が、世界の常識に飲み込まれてしまうからです。日本の良さは、日本人の常識が通用する社会にあると思うのです。これでもしも、日本社会が世界の常識に飲み込まれてしまうと、日本の良さが無くなってしまうと思うわけです。

 日本の良さを守るにはどうするべきか? まあ、軍事力を持って、暴力には暴力で対抗できるようになるのが一番だと、個人的には思ってますが、たぶんそれは無理でしょう。ならば、いっそのこと鎖国しちゃえと思うわけですが…鎖国も無理となると、近隣諸国からの暴力で、最終的には、国と民族と私たちの子どもたちが滅んでしまうわけです。

 と言うのも、暴力を否定して、目をそむけ続けていくと、実際に暴力を振るわれた時に、なすすべもなくやられてしまうだけなのです。

 まさか、アメリカが日本を守ってくれる…なんてデタラメを信じている人なんて、いないよね。アメリカはアメリカの国益のために戦うだけで、結果として日本を守る事もあるかもしれないけれど、日本を見捨てることや、敵に回ることだってあるんだよ。

 国も個人も、護身術程度の暴力は身につけておかないと、マズイと思います。平和ボケというか、脳内お花畑のままでは、ほんと、マズイと思うんですが…ね。

楽器にこだわりがある…大いに結構じゃありませんか!

 プロの方はともかく、アマチュアの人は、楽器談義も楽しいですから、私もやりますし、みんなでワイのワイのとやるのが良いと思います。別にそこでは結論というものは必要ないので、誰もが勝手なことを言っていればいいし、そこに楽器屋さんも乗っかって、大いに業界を盛り上げていけばいいと思います。

 で、楽器談義を致しますと、私は、フルートにとって一番大切なのは、メカだと思います。きちんと調整されたメカ、これに如くものはないでしょう。

 頭部管は、全くの好みだと思います。確かに頭部管には良し悪しと言うか、奏者と相性のようなモノがあると思います。でもそれは奏者にとっての違いであって、観客にはほとんど伝わりません。観客に伝わるのは、楽器の違いではなく、奏者の違いです。ですから、頭部管であれなんであれ、自分の好きな楽器を使えば、それで良しというのが私のスタンスです。どんな楽器を使っても、観客には“フルートの音”としてしか聞こえないのですから。

 だからと言って、楽器をコレクションする人とか、頭部管をコレクションする人を否定するつもりは全く無いです。と言うのも、それらの違いは観客には通じなくても、奏者本人にとっては大きな違いであって、コレクションの価値があるものだからです。

 音楽は誰のために演奏するかという問題があります。プロは当然、お客のために演奏し、その対価として金銭を得ます。アマチュアは誰のために演奏するのでしょうか? 私は、その対象に自分があってもいいと思ってます。対価として得るのは…満足です。ならば、楽器にこだわりがあってもいいのではないか…そう考えるわけです。

 私は自分のためにフルートを吹きます。自分のためだから、アルタスのツンデレフルートを吹いています。おそらく観客のためにフルートを吹くのなら、コントロールのしやすい素直なムラマツを手にした方が良いと思ってますが、他人のためにフルートを吹くつもりはないので、素直なムラマツではなく、ツンデレなアルタスを吹きます(笑)。

今月のお気に入り 『新世紀エヴァンゲリオン』(漫画版)

 『新世紀エヴァンゲリオン』という漫画があります。

 有名なのは、アニメの方で、テレビで放送したのが1995年で、その頃に一度、ブームを巻き起こしていますので、昭和の方々なら、たとえアニメファンでなくても、作品名ぐらいは、一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか? テレビ放送後に数本の劇場版が作られ、1998年の劇場版『DEATH (TRUE)2 / Air / まごころを、君に』でシリーズ完結後、2007年より劇場映画として、リブートされて、現在なお継続中であったりします。

 アニメとは別に、アニメよりも先に漫画版が、1994年より月刊漫画雑誌に連載され、2013年にようやく連載が終了しました(約20年がかりだよ、すごいね)。この漫画版は、1995~1998年に作られたアニメ版と世界観を共有している物語です。作者が違う(アニメは庵野秀明氏、漫画は貞本義行氏)ので、お話が色々と微妙に違っているのが面白いです。

 で、今回はその漫画版の話です。

 私、このエヴァンゲリオンという作品が好きで、アニメ版も見ていますし、漫画版も読んでいました。実は、漫画の方は、全14巻中、13巻までは買いましたが、14巻(最終巻)だけ持っていませんでした。理由は…ちょうど、そのあたりから、私が紙の本を買うのを止めようかどうか悩んでいたからです。

 今の私は、なるべく本は電子書籍で購入することにして、紙の本はなるべく買わないように心がけています。

 それはなぜか?

 実は、我が家は家中、私が購入した本で溢れておりまして、それが実に悲惨な状況を生み出しているので、家の中が、これ以上本であふれるのを阻止するために、紙の本の購入をやめようと決意したからです。

 なので、ある時期から、本は電子書籍版のみ購入することにしたのですが、このエヴァの最終巻の発売時期が、まさに電子書籍へ切り替えようかどうか悩んでいた頃で、悩んでいるうちに、ついつい買いそびれてしまったんですよ。

 本って、一度買いそびれると、なかなか買えないものですね。で、読みたいなあと思ってたけれど、なかなか買えなくなってしまったわけです。

 ところが、今月のある日、ふとアマゾンを見ていたら、このエヴァの漫画版が、一冊50円で売りだされていたのです。14巻全冊をまとめ買いしても700円。実は漫画版エヴァって、紙の本で買うと、一冊626円(つまり700円)なんですよ。ですから、未購入だった14巻の紙の本を一冊買うお金で、電子書籍版が一気に買い揃えられるというわけで、即座にポチをしました。

 いやあ、お得なお買い物でした。

 で、数日後、改めてアマゾンを見ると、一冊が563円になっていました。おそらく、この値段が電子書籍版としての通常価格(電子書籍って、紙の本よりも若干お安くなっているんです)なんでしょうね。まとめ買いをすると7882円で、私が購入した値段の約11倍になっていました。

 一種のタイムセールだったんでしょうね。なんとも嬉しい、オタクならではの、お買い物でした。

今月の金魚

2015年11月23日(月) 石巻貝30匹とマツモグサ4束投入

今月のひとこと

 私はテレビ朝日の『ぶっちゃけ寺』という番組が好きで、深夜時代から一回も欠かさずに(笑)見ていたのですが、最近の放送では、VTRばかりで、ちっともお坊さんがぶっちゃけてくれないので、つまんないです。私にとっては、仏教系豆知識なんて、どーでもいいので、お坊さんの話が聞きたいんですよ。どうして、深夜番組がゴールデンに進出すると、途端につまらなくなるんでしょうね。ああ、残念。(2015年10月30日~11月1日)

 新しいウェブページを公開しました。『発表会等で取り上げてきた曲[声楽編]』です。今までどんな歌を人前で歌ってきたのか、記憶と記録に残っているものをリストアップしてアップしました。こうしてみると、結構歌っているんですね、私。フルートの演奏記録もアップしようと頑張ったのですが、フルートの演奏記録は、紙ベースで残っているものが手元にほとんどなく、ブログの記事の中から拾ってこないといけないので、時間がかかりそうなので、後回しにして、紙ベースで情報が拾える声楽を優先してアップしてみました。これも人前で歌う度にアップデートしていきたいと思ってます。フルートの演奏記録もそうですが、実は金魚たちの飼育記録もまとめてアップしていきたいという野望がありますが、これもフルートの演奏記録同様、ブログの中から情報を拾ってこないといけないので、まだまだ先になりそうです。(2015年11月1~7日)

 世界同時発売のビートルズ「1+」を購入しました。内容は、とりたてて新味は無かったわけですが、このようにまとまったカタチでPVが公式から発売された事はなかったので、それはそれでうれしいです。なにしろ海賊版PV集は画質が極端に悪かったからねえ(笑)。でもね、ビートルズのコアなファンは、すでに70歳前後(アラセブ?)ですから、こんなカタチでのビートルズ商売もそろそろ限界だと思います。今まで、映画「レット・イット・ビー」がDVDとして正式発売された事は無いのですが、出し惜しみしていると、コアなファンの方々が死滅してしまって、誰も買わなくなっちゃうよ。いや、マジで。(2015年11月7~10日)

 10月27日早朝、京都大学の吉田南1号館(つまり校舎)を、中核派系全学連のメンバーが、その入り口五ヶ所にバリケードを作って、校舎を封鎖したんだそうです。なんでも「安倍政権が戦争への道に進んでいる事」と「京都大学が国家権力である警察とナアナアである事」の二点が気に入らないので、バリケード封鎖を行い、自分たちの意見を広く訴えたのだそうです。校舎の入り口を封鎖するなんて、そりゃあ迷惑至極なわけで、大学側はすぐさま警察に連絡して、バリケードを実力排除してもらうように依頼したんだそうだけれど、警察が手を下す前に、一般学生たちがワラワラ駆けつけて、サヨク学生たちが作ったバリケードを実力で撤去してしまったんだそうです。一般学生たちが言うには「ストをしている人は『大学が意見を押しつけている』と主張していたが、建物を勝手に封鎖することも、ほかの人に対する意見の押しつけじゃないか」と言って、校舎を勝手に封鎖されるのは迷惑と切って捨てて、実力行使をしたんだそうです。もはや、一般学生たちに支持されない学生運動って、何なんだろうね?(2015年11月10~15日)

 某都市で路線バスに乗った。車窓からストリップ劇場が見えた。なんでも入場料は5000円なんだそうな(バスの車窓からでもはっきり見えるほどに、堂々と壁に書いてありました:すごい)。国立西洋美術館[常設展]の拝観料が430円。上野動物園が600円。新作映画のロードショウが1800円。新江ノ島水族館 2100円。メトのライブビューイングでも3600円。ナマの女体鑑賞というのは、それらよりも高価で価値があるって事なんだな。でもなんか、納得できない。メトのライブビューイングの方が安価だなんて、なんか腑に落ちない。(2015年11月15~18日)

 テレビのニュース解説番組で、今年の6月26日に連邦最高裁の判決により、アメリカの全州で同性婚法案が可決されたというニュースを今頃やっていた。合わせて、日本の渋谷区の“同性パートナーシップ条例”の話をしていた。そのうちに「アメリカで認められたんだから、日本でも認めろ」という意見が、あっちこっちからワラワラと出てくるようになるんだろうなあと推測します。だって「本国で認められた事んだから、属国でも認めろってんだよ」って論理です。まあ、アメリカで決まった事が十年後に実現するのが日本社会だから、それもまあ仕方ないと思いつつ、日本では同性婚って憲法違反なんだよね。日本国憲法第24条1項には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とあるわけで、この「両性」というのは、どう考えて“男女”のことであって“男男”とか“女女”の組み合わせを「両性」とは呼べないものね。なので、同性婚を国に認めさせたい諸君は、ぜひとも憲法改正を目指してください。オジサン、応援しているよ。(2015年11月18~20日)

 競技かるたの第一人者で永世クイーンの渡辺令恵さんと将棋の吉田正和五段が、今年の11月17日にご結婚されたそうです。おめでとうございます。お二人とも初婚だそうです。で、このお二人のご結婚で私がビックリした事は二つあります。一つは吉田五段はプロ棋士なんですが、永世クイーンの渡辺さんの方はサラリーマンなんですね。つまり、将棋はプロがいるけれど、かるたにはプロがいないという事。あと、吉田五段が29歳なのに対して、渡辺さんの方は51歳。つまり22歳の年齢差ってわけです。うーむ、女の方が22歳年上だなあ、男の立場から見ると“母親と結婚”するようなもんだよね。少なくとも、私と実母の年齢差は22歳もないよ(笑)。私目線で考えると、母よりも年上の女性と結婚するわけで、それってどんな気分なんだろ?(2015年11月20~21日)

 驚いた事がありました。あんまり驚いたので、ブログに書けないほどです(ギョ!)(2015年11月22~25日)

 急に寒くなりました。おでんが恋しいです。(2015年11月25~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2015年11月29日 (日)

生まれ変わるなら、男? 女?

 ちょっと古い調査だけれど、@niftyの“何でも調査団”で「生まれ変わるなら、男? 女?」という調査が行われました。結果は以下の通りです。

 男性…生まれ変わるなら男性 79%・生まれ変わるなら女性 21%
 女性…生まれ変わるなら男性 36%・生まれ変わるなら女性 61%

 男性の約8割が、女性の約6割が、今と同じ性に生まれ変わりたいと願っているようです。“今と同じが良い”と言うのは、現状に満足しているわけですし、幸せな人生を送っている証拠だと思います。現状に不満があれば、今とは逆の方向の選択をしがちですからね。

 そう言う意味では、男性よりも女性の方が同じ性に生まれ変わりたいという数値が低い(と言っても、過半数超えているわけだから、低い低いとは言えないと思います)のは、女性の方が、今の人生に不満やストレスを感じている人が多いのかもしれません。

 まあ、私個人の事で言えば、“生まれ変わり”と言うものを全く信じていないのです(笑)が、もしも“生まれ変わり”があるのなら、やっぱり、人間の男性として、生まれ変わりたいです。

 つまり、生まれ変わって、人生をもう一度やり直すのなら、やはり男性として生きていきたいと思っているわけです。だって、なんだかんだ言っても、世の中は男性社会だし、そんな社会だからこそ、男性として社会に真正面から関わっていきたいじゃない? 女性としての人生も、かなり面白そうだけれど、それは今の年齢だから言えるわけで、たぶん私が女性として生まれ変わったならば、若い時は「なぜ私は男に生まれなかったんだろ」と不平不満をタラタラ言う娘になりそうなので、パスだね。まあ、オバちゃんになっちゃえば、また考えも変わるだろうけれど「人生これから!」という時分なら、絶対に男性に生まれたかったと叫び続ける女の子になっちゃうと思うんだよね。

 おそらく、その上に、私が女性として生まれたなら、きっと勉強ばかりして、女子力の低い、モサっとした女子になりそうだし、たぶん、モテナイ(笑)。おまけにデブだろうし…。恋愛に興味津々で結婚願望も高いのに全然モテず、それなのに、男を選り好みして、婚期を逃し、出産しないまま“行かず後家”になって、軽く世の中と男どもをディスりながら“意識高い系”のフリをして生きる…そんな女の子になりそうで…それじゃあ、さすがに幸せとは言えないよねえ。

 自分の不遇を数えながら生きるよりも、自分を肯定しながら生きる方が幸せかな…って思うわけです。なので、私の気質から考えれば、女性として生きるよりも、男性として生きていく方が、おそらく幸せ。まあ、あくまでも“私個人で考えれば…”という話ね。

 男性であれば、社会の仕組みが男性中心にできているので、世間ともあれこれと関われるし、社会の主役にもなれて、やりがいはあると思うけれど、その反面、色々と責任も生じてシンドイと言えばシンドイと思うし、辛いと言えば辛い人生になると思います。まあ、そこは覚悟の問題かもしれないけれど…。

 男性は、学業を終えると、死ぬまで労働でしょ? 一つの職業を全うする人もいれば、色々な職業を転職しまくる人もいるけれど、原則、死ぬまで働き詰めでしょ? 私、“労働は苦役だ”と思っている人なので“一生働き詰めの人生だ”と思うと、めまいがしちゃうんですよ。

 まあ、女性の人生が楽だとは全然思わないけれど、女性なら、働いて社会に関わる人生もあれば、結婚出産子育てをして家庭を切り盛りする人生もあるわけで、なんか色々と人生の選択肢があって、うらやましいです。特に、専業主婦という生き方をしている人を見ると、うらやましいですね。特に理由はないけれど、憧れちゃいます。

 妻として、夫に愛されながら家庭を切り盛りしていくのって、なんか幸せそうなんだよね。専業主婦として生きられるなら、女性に生まれ変わっても良いかも(ここポイントです)。

 まあ結論としては、男性であれ、女性であれ、幸せな人生を送りたいってのが、本音です。だから、生まれ変わるのなら、男でも女でもどっちでも良い…と言うのが本音で、幸せな人生を送れれば、どちらでも構わないというのが、本心です。

 それに、幸せな人生を送る要素としては、自分が男性であるか女性であるかは、もしかすると大した事ではないのかもしれません。もちろん、男性の人生の幸せと、女性の人生の幸せは、違うモノかもしれないけれど、それぞれがそれぞれで幸せになればいいだけの話だからね。

 じゃあ、幸せな人生を送るために必要なモノってなんでしょうね? お金? 教育? 平和? いつの時代のどこの国に生まれるかも大切な要素だろうし、生家が豊かか貧乏かでも色々と条件は変わってくるし…そんな事を考えると、なまじ別の人生に生まれ変わるよりも、今の人生をもう一度やり直せる方がいいかも…ってか、生まれ変わりなんてなくていいや、今の人生をたっぷりと満喫したいよ。それが私の願いです。

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2015年11月28日 (土)

石巻貝とマツモ草をリアル店舗で購入してみた

 先日、私の趣味である“見知らぬ人の発表会”ってヤツを見てきました。声楽の発表会だったのですが、実に良かったです。特に感銘したのは、60歳を過ぎてから本格的に声楽を始めたという男性(テノール)のステージでした。その方は、その年になってから、様々なコンクール等に参加して入賞し、それらが呼び水となって、今ではアマチュアであるにも関わらず、客演の仕事もぼつぼつとやっているというのだそうです。もう、ほとんどプロのような方なのですが、その方の歌が、ほんと、素晴らしかったのです。ハリのある美しい声で、やたらと難しいオペラアリアを歌っていました。歌だけ聞いていると、まさか70歳を越えているとは思えませんでした。おそらく60歳まで歌っていなかったので、声が減っていないのでしょうね。「テノールは50歳まで」とはキング先生がよく私に向かって言っていました。まあ、精神的な嫌がらせってヤツで、当時の私は、ほんのチョビっと、極々軽くですが凹まないわけではありませんでした。だって、師の言葉とは言え、思いっきりやる気を削ぐ悪魔の言葉ですからね。

 今でも、その言葉に呪われている私だったりしますが、いやいや、人によっては50歳すぎてからも光り輝くテノールがいるんですね。なんか、元気と勇気が湧いてきました。

 で、そんな発表会に感銘したところで、その地で営業しているリアルな金魚屋に行ってきました。

 以前は、我が家の近くにも金魚専門店がありましたし、市内にも数軒の金魚専門店がありましたし、隣町にも立派な金魚屋さんがありましたが、今では、それらの店が全部潰れてしまいました。一応、我が家の近くには、総合ペットショップがあって、ちょっとしたグッズの類は購入できるけれど、やはりそれだけでは、金魚の飼育には足りないものがあるんです。金魚屋専門店が無くなって、久しくなり、色々ボチボチと困るようになりました。

 近所に金魚専門店が無くなってからは、やむなくネット通販を利用していた私です。でもね、ネット通販って、便利なようで、案外不便だし、やたらと高価なのも気になっていました。

 そこでせっかく、金魚専門店のある地に行ったのですから、店に出向いて、ウチの水槽に不足しているモノを購入してみることにしました。

 で、何が不足しているのかと言うと、巻き貝と水草です。

 巻き貝は、毎年初夏のあたりに、近所の農家さんにタニシを100匹程度分けてもらっているのですが、ここのところ、金魚たちがタニシをたくさん食べるようになって、100匹程度では1年もたなくなりました。季節は、そろそろ12月で、次のタニシの投入まで半年ちかくあるというのに、すでにタニシの数は激減している状況なのです。で、タニシが激減すると何が起こるのかというと、水槽の壁面が汚れます。そうです、タニシは金魚の生き餌であると同時に、水槽のお掃除屋さんでもあるのです。タニシが減ってしまうと、誰も水槽の壁面を掃除しないので、ガラスが緑色になってしまい、私がガラスを掃除しないといけなくなってしまうのです。

 それは大変な事でしょ?

 水草は…量的にはあるにはあるのですが、状態が悪いのです。本来は、緑色でなければならないマツモグサ(我が家の水草は、マツモグサ一択です)なのですが、黒くなっています。水中の苔に負けてしまったのか、LED電灯では光量不足で枯れたのか…、まあ元々、ネット通販で購入したマツモ草ですし、我が家に来た時から、黒っぽかったモノですから、元々、こんな感じだったのかもしれませんが、あまり状態が良くないので、生きのいい水草と、可能なら、リプレイスしたかったりします。

 と言うわけで、リアルな金魚専門店に行ってみたわけです。

 さすがは専門店。品揃えはバッチリです。ほぼ、何でもある…という状況でした。巻き貝は、タニシと石巻貝の両方を売っていたので、今回は石巻貝を購入する事にしました。と言うのも、タニシよりも石巻貝の方が安かった事と、金魚はタニシを食べてしまうので、タニシだと減ってしまいますが、石巻貝は食べないので、数は減らないので、水槽のお掃除屋さんとしては、むしろ石巻貝の方が良いのです。

 やはりリアルな店舗はいいですね。生体の状態が良いだけでなく、お値段も安かったんですよ。リアルな店舗では、石巻貝は一匹30円でした。30匹購入したので、900円でした。ネットで石巻貝を30匹購入すると、だいたい一匹80円程度で送料が600円ですから、約3000円になります。やはり、リアルは安いです。

 マツモグサはリアル店舗では、一束200円でした。これを4束購入したので、800円でした。ネットで買えば、一束600円程度で、送料も600円ですから、4束購入すれば3000円になります。

 リアル店舗だと、石巻貝とマツモグサを合わせて購入しても1700円で済みますが、同じだけネットで買えば6000円近くになります。おまけに、当然の話ですが、マツモグサは、ネットよりもリアルな方がモノが良い…と言うか、特別に良いものを店頭で選んで買ってますので、ハズレはありません。おそらく石巻貝もネットで買うよりも、生きがいいでしょうね。少なくとも、流通業者が数日かけて運んでくるよりも、私の手で数時間かけて大切に運んで来る方が、生体にとってのストレスとしたら、段違いでしょうからね。

 近所に専門店がなくて困っている人なら、ネットでの購入もやむなしだと思いますが、やはりリアルな専門店には敵いません。今後は、なるべくネット購入ではなく、リアルな金魚専門店に出向いて買物をするように、心がけたいと思いました。

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2015年11月27日 (金)

楽譜は高くて、階段は怖い

 フルートのレッスンに行ってきました。前回は仕事が忙しくてレッスンに行けなかったので、二週間ぶりのレッスンでした。

 しかし、あの長期レッスン休み以降、どうにも私、フルートが下手になってしまったようで、ジリジリしています。指が動かないのは当然なのですが、音色がかなりダメになってしまいました。以前の私は、あれこれダメでも、音色だけは褒められていたのに、昨今は、その音色すらもダメなので、全くほめてもらえる所のない劣等生と化しております。なんか悲しいです。

 レッスンの最初はロングトーン練習なんですが、以前は先生とバッチリだったロングトーンも、なんか微妙に汚いんですよ。ああ、ああ、ああ~、悲しい。

 エルステ・ユーブンゲンは、例によって13番ですが、ちっとも暗譜できません。先生に「今回も暗譜できませんでした!」と懺悔したところ「暗譜は二の次なんだから、それはいいんだよ。暗譜してしまうほど、何度も何度もたくさん練習してきて欲しいだけだから。こんな簡単な曲を覚えてしまうほど、何度も何度も繰り返して吹いていると、自然と音色が良くなってくるからね」 ああ、今の私は以前の音色を取り返さないといけませんから、音色が美しくなる練習なら、頑張るぞい。

 そんなわけで、当然、13番は不合格で、次回に持越しです。次の14番は不合格以前に、アーティキュレーションの誤りを指摘されました。私の苦手なスラーとスタッカートの混在する曲です。スラーはスラーらしく、スタッカートは切れの良いスタッカートで吹かないとね。

 プチ・エチュードは12番でした。先生曰く「まあ、いいんだけれどね…」と奥歯にモノがはさまったような言い方で不合格となりました。テクニカル的な部分は合格基準に達しているらしいのですが、問題は、つまらないミスがあっちこっちにあるので、ダメなんです。最近のH先生は、音楽を止めずに最後までたどり着かないと合格をくれません。ある意味、当然です。今回も、何度も何度も音楽を途中で止めてしまいました。凡ミス多発なんすよ。つまり、練習不足って奴だね。がんばって練習しないとね。

 それにしても、ほんと、私、練習時間が減ったなあって思います。別に音楽やフルートに飽きたわけでもなんでもなくて、単純に仕事が“仕事の工面が自由に利く研究職”から“他人の仕事のペースに合わせる管理部門”に変わったわけで、ほんと、労働時間が長くなってしまいました。もっとも、そのかなりの部分が“待機”なので、時間ほどは忙しくないのだけれど、長時間職場に拘束され、在宅時間が減ってしまいました。在宅時間が減ると、自然と音楽の練習時間が減るよね。

 以前は、3~4時間/日の練習時間が普通だったけれど、今じゃ30分練習できれば良い方で、1時間練習できれば嬉しい環境です。なにしろ、練習しない日が連続することもあるくらいだから。そんな厳しい状況の中で、声楽とフルートと2つも学んでいる私って、なんかエラくない?(自画自賛)。

 まあ、練習時間がないのは、現役世代の労働者なら誰もがそうなんだから、言い訳せずに出来る範囲で真面目に練習を積み重ねていくことにしましょう。

 さて、今回の雑談は…楽譜にも国ごとに特徴がありますねえ…という話。

 フランスの楽譜は、音符が大きめ(老人には見やすい)な代わりに、ページ的にはスカスカで、印刷の紙は悪いのに、やたらと高額であるという事です。紙は悪い…と言っても、最近はそれでも白い紙に印刷してくれるようになったので良くなったそうです。先生が若かった時は、わら半紙程度の質の悪い紙に印刷されていたそうです。

 モノがしっかりしていて、見やすくて使いやすいのが、ドイツの楽譜なんだそうです。価格もフランス程は高くないのが、うれしいのだそうです。さらに見やすくて安価なのがアメリカの楽譜。ただし、製本が簡易なモノが多く、楽譜の作りがチャッチカッたり、簡便にホチキス止めだったりするので、そこがマイナスです。

 日本の楽譜は、すごく安くて、作りもちゃんとしているけれど、音符が小さめで、ページにぎっちりと印刷されているので、今となっては使いづらい…との事です。若い時はいくら小さくても平気だったし、お得感も感じていたそうですが、年を取った今では、日本の楽譜は、拡大コピーをしないと使えないのがつらいそうです。あと、日本の楽譜は、基本的に増刷をしないので、見つけたら、その場で購入しないと無くなってしまうので、継続的に使用するのが困難…とも言ってました。

 先生はフルートの人なので、楽譜と言うと、フランス、ドイツ、アメリカ、日本となります。私は歌も歌うので、イタリアの楽譜も結構持っていますが、イタリアの楽譜はドイツとフランスの間ぐらいかなあ? フランスほど粗末ではないけれど、ドイツほどきちんとはしてません。音符の大きさはドイツよりもフランス寄りで、かなり大きくて見やすいのだけれど、スカスカ感は否めません。でも値段は、フランスやドイツよりも全然安いで、スカスカでも「まあ、いいか」という気分になります。全般的に印刷の品位が低いのが、気になると言えば気になるかも。版(あるいは版下)が古いんだろうと思います。

 日本の楽譜は、歌の立場で見ると、間違いが多いし、謎の移調譜も多くて、正直、あまり信頼できません。でも、訳詞が付いているし、解説とか言葉の説明などの付録も多くて、正直助かります。出版社によっては、外国語詩にふりがなを振っているのもあって、そういう部分は、いたれりつくせりだなあって思います。

 で、いつもはこれで終わりなんだけれど、今回はレッスンの後、先生と駅まで一緒に帰ったので、そこでも雑談をしました。どんな話かと言うと「階段って、怖いよねえ」という話。階段を昇る時、自分が思っている程、足が持ち上がらなくて、それでつまづいて転んだりとか、階段を降りる時に、うっかり階段を踏み外したりして怖いので、先生、なるべく階段を利用しないようにしているんだそうです。

 階段が怖い気持ちは、私もよく分かります。なので、私は階段の昇り降りでは、必ず手すりにつかまるようにしています。手すりさえつかんでいれば、踏み外したり躓いたりしても、最悪の事態は免れますからね。

 すると先生「私はいつも荷物が多くて、両手がふさがっている事が多くて、手すりに掴まれないのだよ」との事でした。確かに、フルートバッグに書類かばんに衣装かばん…荷物多いよなあ。基本的に移動は車で行うとしても、建物の中は階段だらけなんだよね、ほんと、階段って怖いよねえ。

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2015年11月26日 (木)

色々とイチからやり直しだよね

 さて、声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。

 まずはトスティ作曲の「Tormento!/苦しみ」です。この曲はそこそこ歌ったので、今回で終了のつもりで始めました。

 今回、集中的に学んだのは“フォーカスを絞って歌う”という事です。今の私の歌い方は、ボヤッとしたノドに落ちた声で歌っているので、それを止めて、高い響きを保ったフォーカスを絞った声で歌いましょうって事です。

 フォーカスを絞った声…と言うのは、どんな声かと言うと、私の理解した範囲で言えば…。

 1)声帯をきちんと合わせた実の入った声
 2)声質的には細くて硬い声。ただし、音色的に狙って出すのではない。
 3)腹筋は上に、背筋は下に引っ張る感じ。声に緊張感を与える。

 イメージとしては、レーザービームのような声ですが…私の場合は、あまりに小出力なので、レーザービームと言うよりも、小型懐中電灯って感じかもしれません(笑)。

 ポイントは息の支え方かもしれません。今までは、息を送り込む事に集中して支えていましたが、息は送り込みながらも、息を保持して無駄に息を声帯に送らない…つまり、必要な量の息を必要な速度で適切に送って支える…というわけです。難しいねえ。とにかく、息の支えをノドではなく、腹筋でしっかりと行うわけです。

 ノドを使い過ぎるとノドは壊れます。しかし腹筋は使いすぎても筋肉痛になるだけで壊れることはないので、バンバン使わないといけません。

 声帯を合わせた声と言っても、ノドを締めるわけではありません。実のある充実した声にするだけであって、うっかりノドを絞めてしまうとノド声になってしまうので、注意が必要です。ノドを開いた声で歌う事を目指していますが、ノドを開くついでに、声帯まで開いてしまうと、息漏れの多い声になってしまい、実のある声から遠ざかってしまいます。

 とにかく、息はこれまで以上にシビアに支える事。ノドを開けても、声帯はしっかり閉じる事。声をノドに落とさない、響きは高く保つ。やるべき事はたくさんあります。

 結局、以上の点に気をつけながら、自宅練習をしっかりやってくる事になりました。で、つまりこの曲は、次回もまた歌うことになりました。

 次はドナウディ作曲の「O del mio amato ben/ああ愛する人の」です。キング先生によって一度仕上げられた曲を、今の私が歌う際、へんな癖が出てこないかの確認のレッスンだったりします。

 この歌は発声的には、とても楽な歌です。ですから、気を張っていても、ついついカラダが怠けてしまう(それでも歌えちゃう)ので、いつも以上に気を張って、しっかり支えて歌わないといけません。全体を通して、パワーレスで歌わないと声が余ってしまうので、抑え気味に歌う必要があります。

 先生が心配していたキング流の『ガツンとした歌い出し』は、さすがにしませんでした。きちんと子音と母音の分離を意識して歌いました。ただ、音域が低いので、テノールの声で歌うのが難しく、ニセ・バリトンみたいな声になってしまいました。これは私の声の響きが低いためで、この点は要修正ですね。声は抑えながらも、響きは高く高く歌えるといいのですが…。

 「久しぶりに歌ってみた感想はいかがですか?」と尋ねられたので、「スカッとしない曲で、歌っていて楽しくない曲です。ただ、割とよく歌えていると思いますが…」と身も蓋もない本音で返事をしました。

 さすがに、そこそこ歌えているとは思うけれど、ほんと、歌っていて、楽しくない曲です。なにしろメロディが、ずっと中低音ばかりに溜まっているんだもの。いやあ、突き抜けない突き抜けない。好みじゃないです。

 「好きじゃない曲を、どうして選曲したの?」
 「だから、この曲は自分で選曲したわけではなく、元々は前の先生に与えられたから練習したわけだし、今回だって、妻の提案で歌っているだけで、私の選曲じゃないですよ」

 そう、ドナウディには、もっと他に私好みの曲もあるのですが、この曲は残念ながら、好みではないのです。だいたい、キング先生が最初の発表会の時に「トスティとドナウディ、どっちが歌いたい?」と尋ねたので、即座に「トスティ!」と答えたら、イジワルされてドナウディを歌うことになったわけですから…。それも私の歌の好みを知った上で、この曲を選んでいるのだから、キング先生という人は、本人は冗談か何かのつもりなんでしょうが、実にイジワルな人なんです。自分よりも立場の低い人間にイジワルをしてスカッとするタイプの人なんですね。

 キング先生のイジワルはさておき、こういうしっとりした曲を聴かせられるように歌えるならば、本当に『歌が上手い』って言えるんだろうなあと思います。

 さて、次もキング先生の元で学んだモーツァルト作曲の歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の中のテノールアリアである「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」です。

 この曲は、当時、本当に歌えませんでした。当時の様子は、2011年12月26日 (月)にアップした「声を張るな! 当てて行け![音源付き]」という記事見ると、よく分かります。

 当時の私は、まだまだキング先生大好きで、彼に対して全幅の信頼と愛情を注いでいましたが、今思えば、すでにキング先生自身は、私の事を憎んでいて嫌っていて、あれこれと嫌がらせとイジワルをし始めた頃だったんです。今になって当時の事を思い出すと、よく分かります。でも、当時の私は、そんな事、かけらも分かっちゃいなかったんですね、ほんと、めでたい人だ>私。

 とにかくキング先生は、私に歌を辞めさせたい。そのためには、歌を嫌いにして、歌を諦めさせよう、私の声を壊してしまおうとしていたと思います。そんな中で与えられたのが、この曲でした。

 この曲は、当時の私に歌えるはずのない難曲だったし、おそらくキング先生との関係が悪化しなくても、キング先生の指導では一生歌えないの曲だと思います。たぶん、あの門下にいたら、今でも歌えないと思います。だって、キング先生はテクニカルな事は何も教えてくれないし、だからあそこの門下にいても、ちっとも歌は上手くなりませんからね。それくらい、キング門下にいては無理無理な曲です。当時アップした音源も、ほんと、無様ですよね…。

 閑話休題。とりあえず、通して歌ってみました…ってか、最後まで通りました。いやあ、Y先生に学んで、そろそろ三年ですが、こんな難しい曲、カタチだけでも、歌えるようになったんですね。立派立派。以前は頑張って歌っていましたが、声が保たず、音程も実に不安定で、高音なんてちっとも届いていなかったわけですが、今は一応、妻が聞いても「以前よりも、全然普通に歌えているよね、上達したよね」と言われる程度に、歌えるようになりました。

 でも、決して上手に歌えているわけではないので、Y先生は、かなりご不満のようです。

 「難しい曲だから、声をセーブしながら歌うのは良いけれど、だからと言って、支えが抜けちゃダメだよ」との事です。“声は軽く、支えはしっかり”していないといけません。

 イメージとしては、太い注射器になったつもりで歌うと良いのだそうです。注射器自体は巨大で、そこから力強く押すのですが、針はあくまでも細くて、薬液が細く強く出てくるように、声を出して歌うのです。「Tormento!/苦しみ」でやったフォーカスを絞った歌い方を、さらに極端にした感じです。腹筋をガンガン使って歌います。とにかく難しいです。

 この曲は、何箇所もロングトーンがありますが、その時も、ただ声を伸ばすのではなく、自分の中で声のうごめきを感じて発声することが大切です。高い音が頻出するので、つい低い音が出てくると気を抜いて支えも抜いてしまいがちですが、低い音でもしっかり支えて、フォーカスをきちんと絞って歌う事が必要です。もちろん高い音では、しっかり支えるだけでなく、息もたくさん流さないといけません。息をたくさん吐くためにも、細くて絞った声で歌わないと、息が持ちません。

 レッスンしてもらいながら、何度もココロが折れました。だって、求めることが難しいだもん、厳しいよ、この曲、やっぱり、イチからやり直しだよな。

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2015年11月25日 (水)

重心をちょっとだけ前に移動する

 声楽のレッスンを受けてきました。

 まずは先生に詫びを入れました?と言うのかな…。次の門下の勉強会に、夫婦で揃って参加する予定だったのですが、妻は先約があった事を忘れ、ダブルブッキングになってしまったため、欠席あるいは早退する旨を伝えました。勉強会なんてものは、参加人数次第で、参加費とかが変わってくるので、そこんところはちゃんとしないといけないわけです。私は…妻と一緒に欠席あるいは早退し、そちらの用事に行ってしまおうかとも悩んだのですが、たぶん勉強会には genkinogenさんがいらっしゃるだろうし、もし参加されなくても、夫婦二人とも欠席というのもアレなので、私は勉強会の方に最後まで参加することにしました。

 私はコミ障なので、妻がいないと不安で不安でしかたありません(笑)。

 懸案のY先生の魔笛の件ですが、ようやく仮チラシができたそうで、それをいただきました。「仮チラシって何?」って感じですが、仮チラシは仮チラシなんだそうです。まあ、本物のチラシが出来上がる前にチラシを配りたい人向けのチラシなんだそうですが、その仮チラシ、私たちのレッスンの前日に先生の手元に、ようやく届いたそうです。いやあ、本番は年明け早々なのに、まだ本物のチラシが出来ていないわけ? 主催者さん、やる気無しだなあ(笑)。チケットは、さすがに“仮”は無いので、まだ手元には届いていないそうです。ああ、本当に主催者はチケット売る気が無いなあ(大笑)。

 チケット売る気が無いと言えば、テノールのK先生も、あと数週間でクリスマス・コンサートで、私たちは「ぜひ見に行きたい」と連絡済みなのに、全く連絡がありません。大丈夫なのかなあ? こちらもチケット、売る気があるのかしら? そうそう、息子くんの先輩君は、オペラ初出演(年末に行うわけです)なんだそうだけれど、知らせてくれるのが遅くて、知った時にはすでにチケット完売だったよ。応援したかったのに、残念無念。

 なんか最近、チケット購入がうまくいってない私でした。

 今回はレッスン前に、以前入手したリコルディの“初心者向けのテノールアリア集”を先生に見てもらいました。イタリアで発売しているアリア集には、初心者向けのアリア集がある事自体ビックリですが、その中に入っている曲って、あまり親しみのないものばかりだったので、ひとまず先生に見てもらって、良さそうなアリアがあればレッスンしてもらおうと思って持ってきたわけです。

 初心者向けアリア集を見た先生曰く「オペラそのものは知っているけれど、これらのアリアは印象にないなあ…」 まあ、テクニック的に簡単そうな曲を集めると、アリアとしては、どうしても印象が薄くなるのかもしれません。一応、私もYouTubeで一通り収録曲を聞いてみましたが、やはりピンと来なかった曲ばかりでした。でも、ピンと来るかどうかよりも、大切なのは、学ぶ対象として適切かどうかってわけで、今の私の必要を満たすのなら、歌ってみても悪くはない…と思ってます。それにマイナーな曲ばかりなので、練習してレパートリーに入れると、誰も知らないアリアだったりするので、私が歌っても、他人と比べられないので、気が楽と言えば楽だしね。

 さて、発声練習です。今回は姿勢に注意してみました。私、歌う時の姿勢は、そんなに悪くないんですよ。じっくりと、どっかりと、堂々と、直立した姿勢を保っています。きちんと体重を背骨にかけて、スクっと立っているので、長時間立ったままで全然平気なんです。それくらい、ちゃんとした立ち姿で歌っております。

 きちんと骨で体重を支えて立っているので、楽なんですが、その姿勢を少し変えてみましょうかと、先生に言われました。と言うのも、あまりに楽に立っていて、腹筋も背筋もロクに使わずに立っているので、それは歌唱スタイルとしてはどうなの?って話なんです。

 歌手の立ち姿として考えるなら、立っているだけで、腹筋・背筋はある程度使用されていないといけないわけです。もちろん、全力で使うのではなく、ある程度と言うか、筋肉のギアをローギアに入れておくって感じですね。そんな感じが良いのだそうですが、私の場合は、エンジンを切って停車しているような感じなんです。ですから、立ち姿の段階で、ある程度、腹筋・背筋を使用している姿勢に変えましょうって事なんです。

 「上半身だけを骨盤から少し前にズラしてもらえませんか?」

 気分は…微妙にお辞儀? ちょっと出っ尻になる感じです。でもお辞儀ではないので、アタマは下がりません。チョンマゲと尻尾を後ろにいる人につかまれながら、前にちょっと倒れこむ感じ? とにかく、上半身の重心を少しだけ前に置き直す事で、楽に立てなくなり、楽に立てない分だけ、腹筋と背筋が緊張するわけで、そこが狙い目だったりします。重心をちょっとずらすだけで、ナチュラルに腹筋・背筋が緊張するんです。そんな感じで歌うと、普通に歌っても、腹筋や背筋を使用した声になるから不思議です。

 ノドは開かないといけません。でも開きっぱなしでは息漏れを伴った声になるので、ある程度は声帯を閉ざさないといけません。声は前に飛ばすのはもちろんですが、後ろにも飛ばさないといけません。とにかく、中庸が必要なのです。

 さて、ノドを開いて、声を後ろに飛ばそうとすると…ついつい声がノドに落ちて、太くて重い声になってしまいます。声がノドに落ちるのは、支えが弱くて、息の勢いが弱くて、そのために声が下に落ちてしまうわけです。背筋・腹筋を緊張させると、支えがやや強くなります。それで声が下に落ちづらくなります。もちろん、それだけではダメで、しっかり声を支えて、落ちるどころか、声を上に持ち上げていかないといけません。大変だけれど頑張りましょう。

 私の声が平たいのは、クチを横に開いているからです。クチ…と言うか、ノドの奥を縦開きにするのが良いのですが、ただ単にクチの奥を縦開きにするだけでは、声が低くなり、同時に声の響きも低くなります。声を落として、響きが低くなり、クチの奥を開いて、響きが低くなる…二重に声が低くなるので、テノールの私が、バリトンのY先生よりも太くて低い声で歌う事になります。これはマズイマズイ。

 声の響きがあまりに低くなってはいけません、だってテノールですから(笑)。軽い声で歌えないといけません。軽い声で歌うために、声の響きを上に持ってこないといけません。そのために、まずは丹念に声を鼻腔で響かせるところから始めましょう。服をフックに掛けるような気分で、声を鼻腔で響かせてから歌うのが良いです。

 声を鼻腔に響かせるためには、声そのものを細くしてピンポイントに鼻腔に入れないと…鼻声になってしまいます。鼻腔に響く声は良しですが、鼻声はアウトです。声を細くするためには…やっぱり息の支えが必要で、息をたくさん出すのも支えですが、少しだけしか出ないようにキープするのも支えです。声帯をピタリと合わせて、適量(少量)の息をしっかり支えて声を出すことで、細い声になります。で、それを鼻腔に入れるわけです。これで、開いた細い声になります。

 書いてもよく分かりませんが、行うともっと分かりません…が…この日の私は、割とうまく出来たようです。

 「いつも、言ったことがちゃんとできないすとんさんだけれど、今日はビシビシと決まりますね。何かあったんですか?」 何かあるといいですが、いつもの通り、仕事終わりで疲労困憊な私でした。

 「きっと、今日でガラっと変わりますよ。これで一度にウンと上達するはずです。自宅での練習をしっかりとやってください」と先生に言われました。今までも、レッスンに来る度にちょっとずつ上達していた私ですし、上達することは楽しいと思っている私です。ガラと変われるのなら、しっかり練習しちゃいますよぉ(笑)。

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2015年11月23日 (月)

野毛山動物園に行ってみた

 先日、横浜にある野毛山動物園に行ってみました。たぶん、20年ぶりぐらい(笑)。

 野毛山動物園とは、横浜の桜木町から高台に登ったところにある動物園です。距離的にはJRの駅から、徒歩移動も可能な距離にあるけれど、上り坂なので、行きはバスで、帰りはテクテクと歩いて帰るというのが定番の動物園です。公営の動物園だけれど、入場は無料です。横浜には他に、ズーラシア動物園と金沢動物園があって、どちらも経営母体が一緒なのですが、他の二つは普通に入場料がかかるのに対して、野毛山動物は無料なのがうれしいです。

 無料だから、しょぼいのかと言うと、決してそんな事はありません。ライオンもトラもキリンもペンギンもいます。パンダだっています、レッサーパンダだけれど(笑)。ただ、ゾウとサイとホッキョクグマはいません。

 横浜最古の動物園で、昔の感覚で作られた、今となっては手狭な動物園なんですよ。で、横浜の一等地にあるので、今更時代に合わせて施設拡充もできないので、狭いまんまなんです。

 野毛山が狭いので、大型動物を飼育するために、分園として金沢動物園が作られたわけだし、狭い野毛山を廃止にして、いっそ郊外に広い広い動物園を作って、そこに移転しようという計画もあって、それがズーラシア動物園を作る発端だったらしいのですが、どういう経過かは知りませんが、ズーラシアが完成した今も、ちゃんと野毛山は残っています。あれ?

 20年ぶりに行った野毛山動物園は、私の記憶の中の野毛山動物園とは、色々違ってました。まあ、20年ぶりだもの、違っていて当たり前ですね。

 まず、動物園の入り口が違ってました。昔は、きちんとしたゲートもなく、道を歩いていて、ひょいと横に入ると、そこは動物園でした~ってノリだったのですが、今はきちんとしたゲートもあって、売店もあって、普通の動物園のようでした(笑)。今でも動物はたくさんいますが、昔はもっとたくさんいました。特に昔はサル系が充実していたような気がしますが…今はサルはチンパンジーとマントヒヒぐらいですかね。あと、小型のサルがいくつか。ニホンザルがいないのが寂しいです。

 タヌキが数頭いましたが、どれもこれも近所で捕獲されたタヌキさんでした。横浜って、街なかに普通にタヌキが生活しているんだね。まあ、山が多い土地だからかな?

 昔の規格なので、園内が絶妙に狭くて、老人の散歩には適度な広さです。今時の動物園は広いからね~。今時でなくても、上野動物園あたりは、ほんと、広いですからね。あれと比べると、野毛山動物園の狭いこと狭いこと。心地よい狭さです。

 大抵の動物が、飼育場に入っているのですが、孔雀だけは、園内放し飼いでした。なんか、面白い(笑)。

 クマ舎とラクダ舎には、肝心のホッキョクグマとラクダがいなくて、クマ舎はホッキョクグマの人形が二つ、ラクダ舎にはラクダのパネルが一つあったのは、ご愛嬌ですね。

 展示動物たちの中で、私が一番気に入ったのは、ドジョウ(笑)。横浜メダカと一緒に飼育されていたのですが、メダカの中に混じって、メダカみたいな顔をして水槽の中をスイスイと泳いでいたのです。ウチで飼っているドジョウも、自分をメダカと間違えているフシがありますが、ここのドジョウは完全に勘違いしていて、それが愛らしくて愛らしくて(笑)。かわいいねえ、ドジョウって。ちなみに、妻はライオンが気に入ったようでした。

 なんか、動物園っていいね。幼児を連れて行くのがデフォルトなんだろうけれど、オトナだけで楽しむ動物園も悪く無い…って思いました。

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2015年11月22日 (日)

就職難…と言うか、若者の離職率の高さには驚いた

 新卒就職者…つまり『学校を卒業して、すぐに就職して、そのまま働き続けている人』の事を言いますが、この新卒就職者の割合が、今と昔では大違いなんだそうです。

 昔…私が若者だった時代は、売り手市場と呼ばれ、基本的に人手不足だったので、就職そのものは、それほど難しいものではありませんでした。会社や業種にこだわれば難しいトコロもありましたが、就職そのものはなんとかなったものです。就職率100%というわけにはいかなかったでしょうが、まあ、なんとかなったものです。

 今は、かなり厳しいそうです。現在は、高校入学を100とした場合、新卒就職者、それも3年以上継続して勤めている人は、47なんだそうです。つまり、高校入学した者の約半数は離職者となり、仕事に困っているんだそうです。

 具体的に書きます。

 ある高校に100人の生徒が入学したとします。そのうち、卒業できるのは94人で、中退者が6人です。この6人の大半は正規就労ができないため、離職者扱いとなります。

 高校を卒業した94人のうち、高卒で就職するのが18人、専門学校に進学するのが21人、大学に進学するのが51人で、高卒後、無職あるいはフリーターとなってしまうのが4人います。この4人は離職者扱いとなります。

 高卒で就職した18人のうち、3年以内に退職してしまうのが7人で、この7人は離職者となります。

 専門学校に入学した21人のうち、卒業後就職できるのが17人で、無職あるいはフリーターとなるのが4人です。この4人は離職者扱いとなります。専門学校から就職した17人のうち、7人は3年以内に離職してしまいます。

 大学に進学した51人のうち、卒業できるのは45人で、残りの6人は中退者であって、これらは離職者扱いになります。

 大学を卒業した45人のうち、大学院に進学するのが6人、就職するのが28人、就職できずに無職あるいはフリーターとなるのが11人います。この11人は離職者扱いとなります。

 大学を卒業して就職した28人のうち、8人が3年以内に離職してしまいます。

 これらを計算していくと、高校で学んだ人のうち、離職者あるいは離職者扱いとなる人は53人で、高校・専門学校・大学を卒業後、3年以上勤め続けている人は47人しかいないのです。

 ううむ、なんと世知辛い世の中だよ。ざっくり言えば、高卒の離職率が36%、大卒の離職率が29%って事になるわけです。

 ちなみに、離職率の高い業種としては、宿泊業&飲食業、生活関連サービス&娯楽業、教育&学習支援業がトップ3なんだそうです。

 宿泊業と飲食業はどんな仕事か分かると思います。生活関連サービス業とは何かと言うと、理容美容、クリーニング業、エステやネイル、旅行業、家政婦さん、冠婚葬祭関係などだそうです。娯楽業と言うのは、映画館、劇場、劇団、舞踊団、競馬・競輪、スポーツ(野球・ゴルフ・サッカー・テニス・フィットネスジム・ボーリングなど)、遊園地、パチンコ、麻雀、ゲームセンター、カラオケ、芸者さんなどだそうです。教育業は、学校の先生、幼稚園の先生などです。教育支援業は、塾講師、英会話学校の先生、カルチャースクールの先生、動物園や博物館の職員(売店の売り子さんもここに入るそうです)などだそうです。

 確かに、昨今、学校の新任の先生って、3年続かないよなあ…。大学卒業して教員の資格をとっても、ほんと、続かないよなあ。それだけ学校ってブラックな仕事なんだと思うよん。

 閑話休題。もちろん、せっかく就職したのに、わずか3年も勤め続けられない責任は、当事者である若者自身にありますが、これだけ多数の若者たちが離職している現状を見ると、一概に若者本人だけのせいにはできない、何かがあるのかもしれません。

 理由はどこにあるにせよ、若者の半数が仕事にあぶれ、正規労働者として生業を営み、経済的に自立できないのは、大きな社会問題だと思います。これだけ多くの若者が経済的に追い込まれているから、彼らには恋愛している余裕もなく、結婚できる条件も揃わず、その結果、少子化につながっている…と私は思います。

 少子化対策をしたいなら、まずは若者の就労環境を整え、若者たちの離職者を少なくしていかないと無理だと思います。経済的な不安があれば、結婚しないだろうし、出産だってしませんよ。いくら年寄りが「子ども産め、子ども産め」と言っても、将来に不安を抱えていたら、子どもなんて産めませんって。

 私が思っていた以上に、今の若者を取り巻く環境って、シビアなんだなあ。ウチの息子くんは、きちんと就職して、結婚できるのかな? なんか、とても心配になってきました。

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2015年11月21日 (土)

貝塚を作る金魚

 以前から、薄々とは気づいていましたが、どうやら今の金魚たちは、タニシを食べると、食べ終わった貝を一箇所に集めているようなのです。で、結果として、空っぽの貝の山が作られるわけで、金魚たちによる“貝塚”が水槽の中に出現するわけです。

 一体、あれは何なんでしょうね。金魚にゴミを収集する性癖があるとは思えないし、偶然にしては、あまりにきちんとしているのです。やはり、意図的にカラになった貝をそこに集めているのか、貝を食べる時は、必ずそこで食べるので、食べ終えた貝が残るのか…。どうなんだろう?

 まあ、飼い主的には水槽を掃除する時に、その貝塚に集まったカラになった貝だけを取り出して片付ければいいんだから、ほんと、便利は便利で、楽は楽なんです。

 でも、不思議。金魚が貝塚作るなんて。

 ちなみに、タニシはみんなが大好物で、金魚もドジョウもエビも、みんなしてタニシを食べてます。日々タニシを食べているので、夏の段階で100匹以上いたタニシもだいぶ減ってしまいました。タニシって、田に水が張られている時期じゃないと採取できないんだよねえ。まあ、田んぼに入り込んで、地面をほじくり返せば、冬眠中のタニシが採取できますが、それって面倒だし、タニシ自身の身も痩せているし、あまりやりたいことではないんだよね。なんとか、来年の夏まで、タニシを保たせてほしいなあ。昨今は、春先にタニシを食べ尽くしてしまって、水槽にタニシがいない時期もあるけれど、それは水槽のためには良くないんだよね。

 タニシたちもヤバいと思ったのが、ここのところ、一生懸命に繁殖してます。あっちこっち卵を産み付けているし、卵から孵って、本当に小さなタニシが水槽の中にいたりしますが、どれもこれも金魚たちのいい餌になっているみたいです。時に小さなタニシなんて、金魚にとってはウマウマでしかないみたいです。

 まあ、貝は美味しいよね。私も寿司ネタで貝は好物だし、金魚たちが貝を食べつくす気分も分からないじゃないです。

 それにしても、貝塚を作っちゃう金魚たちって、不思議。今まで、そんな子たちなんて、いなかったからね。ウチの金魚たちは貝塚文化を持っている…そう考えると、ちょっぴり愉快だね。

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2015年11月20日 (金)

フルートを学ぶと長生きできるのか?

 私の中に、ずっと引っかかっていた事があります。それは、いわゆる“フルート健康法”ってヤツです。簡単に言っちゃうと「フルートを吹いていると健康になれます。ご長寿になります」ってヤツ。本当にフルートを吹いていると健康になれるの? 本当にフルートを吹いているとご長寿になるの?

 きっかけは、萩本欽一氏のテレビSPでした。その番組の中で“フルート健康法”を取り上げていた事です。ご覧になった方も大勢いらっしゃると思いますが、そのテレビで言っていた事を元に、私がアレコレと考えてみたわけです。

 まず『フルートを学んでいると、腹式呼吸となり腹筋が鍛えられて、健康になります』

 一見、正解です。どこにも嘘も間違いも無いように思われます。

 フルートって、学び始めの入り口のハードルが高い楽器として有名です。初心者の段階では、呼吸のコントロールがうまくいかず、楽器を鳴らすことが難しく、何度も何度もチャレンジしているうちに、酸欠になりやすい楽器でもあります。特にオトナになってからフルートを始めた人は、その初歩の段階で、酸欠と戦った人、大勢いらっしゃるわけです。

 また酸欠にならなかったとしても、フルートは弱々しい息では鳴りませんので、ある程度の息を吐くチカラが無いと話になりません。その息を吐くチカラが身につくまでに、並々ならぬ時間が必要な方もいらっしゃいます。

 一般に“○○健康法”と言うのは、健康に不安を抱えるような人がやるモノであって、若者や、カラダが健康で頑強な人は、まず手を出しません。病気がちな人や、ヨボヨボしかけた人がやるものです。あと「健康のためなら死んでもいい」と思う健康オタクの人もやるかも(笑)。

 まあ、健康オタクの人はともかくとして、病気がちな人とかヨボヨボした人に、フルートって、ちょっとハードじゃありませんか? 

 番組では、欽ちゃんがフルートをやっていましたが、彼は74歳で、肺気腫を患っていて、階段を数段登るにも息が切れて、休み休みじゃないと階段登れないほど弱っている人なんだけれど、そんな人にフルートを薦めてもいいの?

 私の母は肺気腫で亡くなりましたので、肺気腫については、ちょっとばかり勉強させてもらいましたが、この病気って、一度なってしまうと治らない病気なんですよね。不可逆性の病気で、悪くなることはあっても、良くなることはない病気で、だから治療も、回復を目指すのではなく、悪化を防ぐことを目的とした治療をするわけで、決して無理を強いることはありません。

 肺気腫は、肺が壊れて機能不全を起こしている病気で、ちょっと動くだけで苦しいし、体全体に大きな負担がかかる病気で、患者はカラダに負担をかけずに、穏やかな生活をすごす事が求められます。もちろん、呼吸リハビリとして、無理のない軽い運動でカラダに負担をかけずに、呼吸筋を鍛える必要はありますが、あくまでも無理のない軽い運動であって、フルートのように、酸欠になって、目の前がクラクラするような負担のかかる運動をしちゃダメでしょ。私はそう思います。

 なので、今現在、有り余るほどに健康な人ならともかく、呼吸に不安を感じている人には、フルートは薦めるべきではないと思います。もっと軽い運動の方がいいですね。

 さて、ここからは“健康に不安がないお年寄り向け”という前提で考えたいと思います。

 『フルート演奏はボケ防止になる』 そうかも。

 確かにフルートは、指が十本、それぞれ独立して動かせないと演奏できません。指を動かすというのは、脳の活性化に良いし、ボケ防止になるでしょうね。

 ただ、ハードルは高いよ。まあ、出来ないからと言って、酸欠になるわけでもないし、命に別状はないので、時間をかけてゆっくり取り組めばいいんだと思います。でもね“指を十本、それぞれ独立して動かす”というのは、できる人から見れば、造作も無いことだけれど、出来ない人にとっては、永遠にできないんじゃないかと思えるほどに、難易度の高い事なのです。ボケを心配するような年齢の人にとって、これ自身がストレスになりかねません。健康法でストレスをタメてちゃダメだよね。

 フルートを吹くためには、楽譜が読めたり、耳コピーができたりする必要がありますが、老人になるまで、音楽とは無縁に生きてきた人には、楽譜を読んで演奏したり、耳コピーで演奏したりって、ハードルが高いんじゃないかな?

 また、フルートは安くないよね。国産スクールモデルでも6万円前後、中国のフルートのカタチをしたおもちゃであっても、1万円前後します。年金生活者には、その1万円が高価だったりするんだよね。

 私は思うのです、フルートが健康に良いと言えるためは、フルートを始める年齢にもよるのではないかと。本当の老人になってから始めるのでは、フルートは色々とハードルが高いような気がします。まだ、現役世代であって、老後を見据えて、フルートを始めるのなら、まだギリギリ間に合うかもしれませんが、本当に老人になってしまうと、フルートは厳しいと、個人的には思います。

 私は、老人たちには、音楽であるならば、フルートを薦めるのではなく、歌、とりわけ合唱、あるいは愛唱歌の斉唱などを薦めた方が良いし、もっと言えば、音楽をやるよりも、散歩を薦めた方がいいんじゃないかって思うんです。

 散歩は、自分のペースで、自分の体力に応じてできる有酸素運動だし、足脚と言う大きな筋肉を動かして血行も良くなるし、なにより、日光にも当たれるし、外気にも触れるし…散歩、最高じゃん。

 老人はフルートを吹くな! とは申しませんが、自分の健康と体力を鑑みて、一番ふさわしい事を楽しく行うべきだと思うし、それがフルートであるならば、のびのびとおやりになればいいんだと思います。

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2015年11月19日 (木)

マネるな、危険

 先日は『レコ勉のすすめ』と言う記事を書き、大いにプロのマネをしましょうと書いた私です。

 その考えは、今でも変わってはいませんが、マネをするにしても、上手なマネ方をしないといけないわけで、下手なマネ方をするのは、ちょっとマズイかも…という話を、今回はします。

 プロのマネをする…基本的に良い事だと思います。音楽の解釈、フレージング、ブレスコントロールなどは、大いにマネるべきでしょう。フルートを始めとする器楽なら、音色作りなども大いに参考にするべきです。

 でも声楽の場合は、マネをするにしても、ちょっと気をつけた方が良い事もあります。私が危惧するのは、マネはマネでも、モノマネをするのなら、よくよく相手を見極めてからモノマネをしないと、危ないかも…と思うわけです。

 モノマネ…歌い方はもちろん、その声質までマネをしてしまう事です。問題は“声質までマネをする”という部分ね。

 「上手な歌手の声をマネて、どこが悪い?」

 自分と違う声質の歌手のモノマネは、マネをする際に、声に過重な負担がかかる恐れがあります。

 さすがに、テノール歌手がバス歌手のモノマネとか、ソプラノ歌手のモノマネとかはしないでしょう。それをやりすぎて、テノールなのにバスのモノマネが得意になってしまったら、その人はテノールではなく、バスに転向するべきだし、ソプラノ歌手のモノマネがとてもとても上手なら、いっそメールソプラノになるべきであって、テノールではいられません。

 私が言いたいのは、そういう話ではなく、同じ声種の中での話です。

 例えば、レジェーロとかリリコあたりの声の軽いテノールさんが、スピントとかヘルデンとかの重い声のモノマネをする…これは可能だと思いますよ。で、それが巧みにできるようになれば、軽い声の曲ばかりでなく、重い声の曲も歌えるようになり、レパートリーが広がる…人もいるでしょうが、往々にして、自分の声に合わない曲を歌い続けることで、ノドに過重な負担がかかり、声がダメになってしまう人も少なからずいます。

 …ってか、歌手なら、自分の声に合わない曲は、声の健康のために、避けるべきなんだと思います。あるいは、軽い声の歌手が、重い声の人がよく歌う曲を歌うのなら、重い人のマネをするのではなく、自分の声で(重い声向きの曲であっても)軽く軽く歌っていくべきだと…私は思います。

 そういう点で「レコ勉でプロ歌手のマネをするのは、大いに結構だけれど、モノマネをして、声に負担をかけるは、マズイですね」と、言いたいわけです。

 歌い方をマネるのは大切な事だけれど、発声そのものに関しては、自分の声で歌う事が大切で、自分の本来の声とは違う声で歌い続けるのは、声帯に負担がかかるわけだし、時には音声障害が発生することもあるので、慎重にって事です。

 そういう点では、よく、声優さんがキャラクターの声でアニソンを歌う…というのが、最近はよくありますが、キャラの声でしゃべるだけならともかく、キャラの声で歌うというのは、本当にすごいことだと思います。まあ、クラシック系の歌手とは違って、発声に音量が求められないので、声帯にかかる負担は違うのだろうけれど、それにしても、やっぱりすごい事なんだと思います。

 見過ごしがちだけれど、発声って、結果オーライの部分があります。「この発声方法が絶対的に正しいのだ」なんて事はありえず、その歌手にとって、最大限に効果的なパフォーマンスができる発声法が正しいのであって、そのやり方が、他の人に通用しなくても、その人にとって効果的なら正解なんです。

 そんなわけで、発声方法には、色々なやり方があって、それらは先生から生徒へと伝わっていって、いわゆる“流派”とか“門下”を作るわけです。だから、師事する先生が変わって、流派や門下が変わると、発声方法もガラッと変わること…よくあるわけです。

 そんな事もあるので、先生が変わって、劇的に声が変わる人っているわけだし、それを期待して、先生を変えて学んでいく人もいるわけです。まあ、自分に合う発声方法を求めていくわけです。

 てなわけで、同じ声種の同じようなタイプの歌手のマネであっても、自分と同じ発声の傾向を持つ歌手のモノマネならともかく、別の流派の歌手の発声をマネするのは、ちょっと危険かなって思います。

 特にアマチュアの場合、同時に二人の先生とかコーチについて学ぶ事が多々あります(特に合唱をやっていて、複数の合唱団に所属していると、団ごとにヴォイストレーナーが違っていて、言うことが違う事もあるわけです)が、それらを真面目に忠実に学んでいこうとすると、場合によっては厄介な事になりかねません。

 根がちゃらんぽらんとか、真面目な人であっても、技術的に不足していて、コーチの言うとおりにはできません…とか言う人なら問題ありませんが、真面目で努力家タイプの人だと、ホント、複数のコーチの師事を仰ぐというのは、危険だなあって思うし、テクニックの混乱が生じるんだろうなあって思います。

 また、優秀なボーイソプラノだった人が、変声期とその前後に、自分の声を見失ったまま歌い続けて、声をダメにしてしまうケースもよくあるそうです。元々あふれる才能を持っていたからポーイソプラノとして頭角を表すことができたのだろうけれど、変声期をうまく乗り越えられずに、大人になって、平凡な、あまりに平凡な歌手になってしまう人はたくさんいる…というか、プロ歌手の多くは、オトナになってから歌い始める人たちばかりなのは、変声期におけるヴォイストレーニングの難しさという現実があるんだろうと思います。

 カストラート(外科手術を施すことで、オトナになっても少年の声を維持している歌手)と言うのは、そのあたりの難しさを克服する一つの手段だったのかもしれないけれど、19世紀に絶滅した手法だしね。ああ、少年歌手をオトナの歌手に育て上げるのは、本当に難しいのかもしれません。

 閑話休題。たとえ同じ声種であっても、軽い声の歌手が重い歌手のモノマネをすると、声を壊してしまう事もあるので、十分に気をつける事が必要です。でも、逆は有益なんだそうです。声の重い歌手が軽い歌手をマネて、軽く軽く発声する事は、声の健康上、とても良い事なんだそうですよ。つまり、重い声を必要とする曲を歌う場合、プロ歌手は重い声で朗々と歌うことでしょうが、アマチュアの場合は、プロ歌手のマネはせずに、たとえ重い声用の曲であっても、自分の声で軽く軽く歌うことが、我が身と我が声を守る秘訣かもしれませんよ…という話でした。

 そういう意味で“マネるな、危険”という事なんです。

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2015年11月18日 (水)

発声練習は単なる声出しではない(フルートのロングトーン練習もね)

 私が常々思っている事は『発声練習は、単なる声出しではない』という事です。

 もちろん、発声練習には“声出し”という側面がある事は事実です。準備運動の代わりに声出しをする事は良い事です。声だって、他の運動同様に、体の各部位の筋肉を使って出すわけですから、いきなり動かすよりも、少しずつ適度な刺激で筋肉を温めてから動かして、声を出すのは、健康的にも良いことです。

 ですから、本格的に歌う前に、声出しとしての発声練習をするのは良い事だと思います。

 でも、発声練習って、それだけじゃないですよね。声出しの側面はあるけれど、決してそれがメインではないはずです。

 よく「プロ歌手は発声練習をしない」という都市伝説があります。もちろん、ここで言うプロ歌手と言うのは、クラシック系の歌手の事です。そういうプロ歌手の中には、発声練習もロクにせずに、舞台に上がってしまう人が少なからずいるという事です。

 たぶん、その話は全くの都市伝説ではなく、発声練習をせずに舞台にあがる歌手もそこそこいるんだろうと、私は思います。だって、プロ歌手って忙しいもの。舞台の前に、やるべき事が多すぎるでしょ。化粧も衣装替えも(必要ならカツラ装着も)するわけだし、打ち合わせも必要ならあるし、来場されたご贔屓さんたちのところを挨拶まわりをしないといけない事だってあるわけです。本番前の歌手さんって、本当に忙しいんです。ですから、出番直前の声出しに時間が割けないのでパスという人もいて当然です。

 それに、声って消耗するから、やたらと本番前に使えないのです。アマチュアのように、一曲5分間だけ歌って終わりってわけにはいきません。コンサートでも2時間、オペラなら3~4時間は歌うわですから、歌手によっては、声の消耗を恐れて、本番前に発声練習どころか、おしゃべりすら、ロクにしない人もいるくらいです。

 だから、発声練習もしないで舞台に出て、軽めのレパートリーから歌い始めて、徐々に声を温めて、それから大曲を歌うというコンサートリストで臨む歌手は多いし、オペラなども、開幕直後のアリアって(プッチーニや後期ヴェルディは別として)軽めのアリアが多いのは、そんなわけです。

 つまりプロは、声出しは本番のプログラムの中で徐々にやるから、声出しは必要ないし、発声練習もしない…って事です。

 声は温めておかないといけないけれど、使いすぎてもいけない。それは我々アマチュアだって同じことです。で、本番時間の短いアマチュアは、舞台で声を温めるわけにはいきませんから、発声練習と称して声出しをするわけです。つまり、声を温めるために行う声出しは、準備体操なのです。ですから、このケースの場合は、発声練習と言いつつも、その実態は声出しであって、あくまでも本番に向けて声を温めているだけに過ぎません。

 でも、それはそれでいいのです。準備体操は、準備体操として、とても大切です。しかし、準備体操ばかり行っても、上達しません。

 では本来の発声練習と言うのは、何のために行うのかと言えば、もちろん歌唱テクニックの向上のために行います。歌が上達するために行うのです。

 で、その具体的な内容は何かと言えば、文字通り、発声の練習です。よく、発声練習の事を“ヴォイトレ”という人がいますが、まさにその通りで、ヴォイスのトレーニングをするのが、発声練習の本質です。

 発声の練習とか、ヴォイスのトレーニングとか言っても、何の練習とかトレーニングをするのかと言えば、“発声テクニックの練習”のためにするわけです。つまり、技術向上のために練習をするんです。そのあたりは、普通のスポーツなんとか一緒です。

 スポーツだって“準備体操してゲームをして”の繰り返しだけでは、あまり強くなれないでしょ? やはり準備体操をしたら、基本動作の確認をしたり、個人技の練習をしたり、チームの連携プレイの練習をしたり、ひたすら走ってスタミナ付けたり、ダッシュを繰り返してスピードを身につけたり…とか色々とトレーニングをした上でゲームをやって、テクニックの実践的な使用方法を身につけて、強くなるわけです。

 だから、発声練習を、ただの声出しだと思ってやっている人と「これは発声の練習なんだ」と思って、日毎に課題を見つけて練習していく人とでは、歌の上達スピードが全く変わってくると思います。それは、野球のバットの素振りを、アタマを空っぽにしてブンブンとバットを振り回している人と、練習課題を見つけて、それを克服するために素振りをする人では、打撃の上達が全く違うのと同じです。

 ですから、発声練習も、日毎に自分の課題を見つけて、行う事が大切で、決して単なる声出しではないのだと思います。

 また、同じ事は、フルートのロングトーン練習についても言えると思います。一息で長い時間ロングトーンを吹ける事は大切だけれど、それだけに終始していたら、ただのビックリ人間になるだけで、フルートの上達は芳しくないと思います。ロングトーンをしながら、音色の事や支えの事、音程の事、タンギングの事などに気を配り、自分の課題克服のための練習としていたなら、きちんとフルートだって上達していくと思います。

 何事であれ、練習していく事は大切ですが、せっかくの練習を無駄にするのも、有益な練習にするのも、その人の心がけ一つなんだと思います。

 結局、音楽であれ、スポーツであれ、同じことをやっているのに、それぞれの上達速度が違うのは、才能の違いもあるけれど、練習に臨む、態度とか意識とかの違いが大きいと思います。頭をカラッポにして練習している人は、たぶん上達しません。今求められている事と、これから身につけなければならない事を察する事ができる人でないと、上達しないんだと思います。上達しないだけならともかく、我々オトナの趣味人にとって、時間はあまり残されていないわけですから、頭をカラッポにして行うことは、人生の無駄になりかねません。若者なら、そんな遠回り人生も良い経験になっていくでしょうが、今更人生経験を積み上げても仕方ないお年頃ならば、無駄を避け、グイグイと前進していきましょう。

 私ももちろん頑張っていきます。

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2015年11月17日 (火)

メトのライブビューイングで「オテロ」を見てきたよ

 この上演は、今回からの新演出なんだけれど、これがまたお薦めなんだな。実に良かったですよ。私、今まで色々なオペラを見てきたつもりですが、その中でもかなり上位となるほどの素晴らしい上演でした。未見の方は、ぜひご覧あれ。

 ただし、この「オテロ」、邪道な「オテロ」ですから、そこはきちんと知った上で見るべきだと思います。

 なにしろ、今回の新演出では、オテロがムーア人ではありませんから(笑)。オテロは、普通に白人でイタリア人って設定なんですよ。イタリア人のオテロ? ありえないですね。それに時代が19世紀に移ってます。これも気になる人には気になるでしょう。

 以前(20世紀)は、メトのオペラと言えば、分かりやすくて、正統的で、オペラ初心者にも薦めやすいモノばかりでしたが、最近のメトの公演、とりわけ新演出に切り替えたものは、奇をてらいすぎるキライがあって、せっかくのオペラの世界をぶち壊しにしている事も、ままあったわけです。今回の「オテロ」も新演出で邪道なんですが、その邪道さを差し引いても、良い上演だったと思います。

 何が良かったのかと言うと、オペラがきちんとした心理劇に仕上がっていた事。オテロとデズデーモナとカッシオの三人がイアーゴの手玉に取られて、それぞれがあやつられていく様が、見る人にとって、実に分かりやすく演じられていました。

 伝統的な「オテロ」の上演だと、主役テノールの声の素晴らしさを堪能するためのオペラ公演となりがちなんだけれど、ここではきちんと「オテロ」という歌劇を堪能できるように演出されていたわけです。もう、それだけで、お薦めですよ。

 とにかく、主役の3人(オテロ、デズデーモナ、イヤーゴ)の歌唱と芝居が素晴らしかったんです。演技のバランスが良かったんです。そして何より、ドラマがオテロ中心ではなかった事が良かったんですよ。

 「オテロ中心ではなかった? 一体、何を言っているんだい」

 普通、「オテロ」というオペラは、テノールの声を楽しむためのオペラであると言っても過言ではありません。それくらいに「オテロ」では、歌唱もストーリーもオテロ中心に演出されます。まあ、オテロって役は主役ですからね、普通に考えれば当然です。

 しかし、オテロ中心にストーリーが進んでいくと、デズデーモナは哀れな被害者だし、カッシオは頭の軽い青年将校となり、オペラ全体が“嫉妬に狂ったオテロ”対“狡猾なイヤーゴ”という図式になってしまいます。

 でも、今回の演出でこのオペラを見ると、そういう対決オペラではなくなるのです。

 今回の「オテロ」では、イヤーゴの手のひらで、オテロとカッシオとデズデーモナが転がされて落ちていくのです。オテロ1人がイヤーゴに翻弄されるのではなく、デズデーモナもカッシオも翻弄されていくわけです。そう、主役はオテロではなくイヤーゴなんです。狡猾なイヤーゴが、策略を用いて世界を変えようとしていくドラマとなっているわけです。とは言え、イヤーゴが大悪役なのかと言うと、そうではなく、妙にリアルな悪役と言うか、絶妙な小物感漂う悪役なんです。

 なので、誰もイヤーゴと対決しません。ただただ、イヤーゴの手のひらで踊るだけなんです。オテロもデズデーモナもカッシオも踊るだけです。その結果、オテロとデズデーモナは死んでしまうわけです。カッシオも殺されてしまうはずでしたが、彼はイヤーゴが放った刺客を返り討ちにするという番狂わせを起こして、それがイヤーゴの計略を壊すきっかけになるわけですが…。つまり、最後の最後で、イヤーゴに勝ったのはカッシオって事になります。カッシオにやられちゃうイヤーゴなんて、ほんと、小物ですよね。

 このカッシオという人物。普通は取るに足らない脇役テノールの役なのですが、この演出では、イヤーゴとは別の意味で、オテロと対峙するキャラクターであり、なかなかに重要なキャラクターです。イヤーゴの右手で踊らされているのがオテロなら、左手で踊っているのがカッシオなんです。何しろ、イヤーゴはキプロス総督のオテロだけでなく、その副官であるカッシオも失脚させて、自分がキプロスの総督に収まろうと画策しているわけですからね。オテロだけを失脚させても、カッシオが残ってしまっては、イヤーゴ的にはダメ(だってイヤーゴよりもカッシオの方が上役なんですからね)なんですが、今までの演出では、あまりにカッシオの扱いが軽かったんだと思います。

 イヤーゴはナンバー3の男なんです。彼がトップに行くためには、ナンバー1と2の両方を失脚させないとダメなんです。今回の演出は、そこを上手に分かるようにしてくれました。カッシオはナンバー2の男なんです。青年将校ではなく、オテロの仕事上のパートナーである、力のある立派な将軍なんですよ。だから、オテロはカッシオに嫉妬するんです。いつでも自分に取って代われる実力を持った将軍がカッシオなんです。そんな演出の「オテロ」、私は初めて見ました。

 いいすよ、いいすよ。

 さて、歌唱面の感想を言うと、やっぱりオテロを歌っているアレクサンドルス・アントネンコは素晴らしいテノールだと思います。良い楽器を持っているなあ。あの声は努力だけでは勝ち取れない声だと思いました。そういう点では、彼は天才テノールなのかもしれません。良い楽器は持っているし、演技も上手なんだけれど、歴代オテロ歌いたちと比べると、スターとしてのオーラは、かなり欠けます。オテロなのに、貫禄があまりありません。でも、今回の演出では、そこが良いのです。存在感の薄いオテロだから、今回の演出が生きた…と言えます。

 デズデーモナを歌ったソニア・ヨンチェーヴァの第4幕のアリアは絶品でした。おまけに美人(やや太めなのはご愛嬌)だしね。歌だけで言えば、主役はデズデーモナだったのかもしれません。イヤーゴを歌ったジェリコ・ルチッチは、歌を聞かせると言うよりも、イヤーゴという役の独白と言った感じのドラマ性を重視した歌い方をしていた…と私は思いました。あと、アリアは一つもなかったけれど、カッシオを歌ったディミトリー・ピタスがよかったです。これからも貴重な脇役テノールとして頑張って欲しいぞぉと思いました。

 今回のライブビューイングは「オテロ」本編も良かったのですが、幕間に上演された「舞台からスクリーンへ」というドキュメンタリーが面白かったです。舞台中継を作っているスタッフたちの物語でしたが、これ、単独の番組としてテレビ放送できるほどによく出来たドキュメンタリーでした。いやあ、これを見るだけでも、面白いよ。

 最後に、舞台セットの“ガラスの宮殿”は素晴らしかったと思うし、第3幕で、そのガラスの宮殿の中を徘徊しながら、イヤーゴがカッシオとオテロを彼の術中にはめていく様は、まさに演出の勝利…って感じの出来でした。

 いやあ、本当に、今回の新演出の「オテロ」はよかったです。ぜひ「オテロ」の定番の演出として定着してく事を願うくらいです。

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2015年11月16日 (月)

市民合唱団(混声)の高齢化問題について考えてみた

 私が合唱団体の発表会(?)に行かなくなって、ずいぶん経ちます。以前は、その手の団体の役員までやっていたと言うのに(笑)。私は行きませんが、妻は友人関係もあって、その手の催しに出かけますが、帰るなり「出演団体が減っていた」とか「どこも人数が減っていた」と寂しい事を言います。

 以前より危惧されていましたが、いよいよ、市民合唱団の高齢化問題が、のっぴきならない状況になってきたんだなあと思います。

 市民合唱団の高齢化問題…具体的に言えば「世代交代が進まず、徐々に高齢化し、団の存続維持すら難しい状況の団体が増えてきた」って事です。

 ですから、問題の根幹にあるのは、実は“高齢化”ではなく“世代交代が進まない”事なんです。現団員がドンドン高齢化しても、それ以上に若い団員が入団して団を盛り上げているなら問題はないわけです。でも、若い団員が入団しなければ、現団員だけで団を盛り上げていかないといけないわけですが、現団員ってヤツは、年を追うごとに年を老いるわけで、10年経てば10歳老いて、20年経てば20歳老いるわけです。で、ふと気づくと、以前は皆さん壮年でバリバリしていたのが、今や老人ばかりになってヨボヨボになっているわけです。

 私が合唱団体の催しを見なくなったのは、どの団体もヨボヨボになってきたからです。いや、ヨボヨボだけならまだいいのです。「お達者ですね」とニコニコしながら見ていればいいから。でも、舞台で倒れる人が続出してくると、舞台を見ていても、痛々しくて、いたたまれないんですよ。

 倒れるご本人にすれば、来年の本番に出られるかどうか分からないのだから、出演できる今年は多少の無理をしても、なんとかして…という気持ちでご出演されるのでしょうし、それを止める権利は私にない事ぐらい分かってます。でも、全くの赤の他人であっても、そんな命を削ってまでの舞台なんて、痛々しくて見れないじゃないですか?

 それに舞台で倒れなくても、今まで毎年見かけていた顔が見れなくなった事に気づく寂しさも、ちょっとイヤですし…。聞けば、ご家族の状況が変わって、合唱をしている余裕が無くなったとか、ご本人がご病気になられたとか…しばらく噂も聞かないなあと思ったら、鬼籍に入られたという話を人づてに教えられたりして…ほんと、寂しいんですよ。

 ですから、以前はたくさんメンバーがいた団体も、メンバーがドンドン消えてしまい、今や少人数編成で頑張る団体ばかりになってしまいました。いや、少人数になっても存続しているところは、まだマシで、メンバーがいなくなって解散してしまった団体だってあります。

 ほんと、寂しいね。

 では、なぜ既成の団体に、なかなか新人が入ってこないのでしょうか?

 理由は簡単なんです。市民合唱団って、基本的に閉鎖的な団体が多いからです。

 一応、外向けには「団員募集、初心者歓迎」と歌ってますが、実際は全くの嘘です。まあ、団員募集は嘘ではないのかもしれませんが、誰でもいいわけでもないし、全くのよそ者の初心者を歓迎しているわけではありません(当たり前の話です)。

 よしんば初心者で無かったとしても、自分たちよりも下手な人は、邪魔だから、入って欲しくないのです。また、自分たちよりも上手な人は、目障りだから、入って欲しくないのです。結局、邪魔にならない人しか入れません。そんな邪魔にならない人って誰?と言えば、それは現団員の友人です。つまり、全くの新人ではなく、団員の知人・友人・知り合いぐらいしか、入れないのです。そして、老人の知り合いは、たいてい老人であって、だから若い人が入ってこないのです。

 結局、合唱団員の平均年齢が下がる事って、まず無いのです。

 それに、これは団体の責任ではありませんが、合唱音楽そのものの人気が、以前と比べると、凋落しているのも原因です。

 なぜ人気が無くなってきたのか? それは若い人が合唱に親しまなくなったからです。では、なぜ若い人が合唱に親しまなくなったのかと言えば…昔はどこの学校にもあった合唱部が、今はほとんどの学校で廃部になってしまったからです。かろうじて残っている学校の合唱部は、そのほとんどが女声合唱の合唱部になっています。

 その女声合唱の合唱部出身は、数は多くはないけれど、今でもOGを輩出しつづけていますので、その人たちが、お母さん合唱(以前は、ママさんコーラスと呼んでいた音楽ジャンルです)を支えるコアなメンバーになっていくので、お母さん合唱は、今も昔も盛んなのですが、そういう人たちは、老人中心で、混声合唱や男声合唱を中心に活躍している市民合唱団にはなかなか入っていきません。

 つまりザックリ言っちゃえば、普通の若い人たちは合唱をしないので、市民合唱団が廃れてしまった…と言えるのかもしれません。

 と言うのも、今や、普通の人が歌を楽しむなら、合唱ではなくカラオケでしょ? 若い世代は、むしろ年配の世代の人たちよりも、音楽は好きだし、歌は好きだけれど、みんなカラオケに行っちゃうんです。決して合唱団には行かないのです。

 と言うのも、元々合唱ってのは、ヨーロッパの教会音楽を元にした外来の音楽なわけで、日本人のDNAには無い音楽です。DNAには無い音楽だから、放っておいたら誰もやりません。

 日本の歌って、今も昔も、実は“ウナる”音楽であって“ハモる”音楽ではないんだよね。だから、放っておいたら、誰もハモらないんです。西洋音楽の影響を受けたポピュラー音楽ですら、曲の盛り上がり部分を“コーラス”ではなく“サビ”にしてしまうのが日本人なんです。だから、普通の人には、ハモるとかコーラスとかの概念がないんです。

 だから、しっかりと教えて、親しませて、馴染ませないと、日本人はハモらないし、合唱しないんです。やっぱり、学校に合唱部が無くなったのは、合唱界にとって、痛い出来事だと思います。

 まあ、それでも、若者の一部は合唱に興味を持ちます。その数は昔よりもずっとずっと少ないかもしれないけれど、合唱に興味を持つ人たちは出てきます。ただ、そんな彼らが、既成の市民合唱団に入る事は、まあ無いでしょう。なぜなら、彼らは既成の団体に加わるよりも、自分たちの団体を立ち上げて、そこで活動しちゃうからです。それが今時の若者気質です。

 そりゃあそうでしょ、合唱なんて、気の合う仲間たちと歌うから楽しいのであって、見も知らない老人たちと一緒に歌っても楽しくないもの。それに、その手の若者って、技術が高いから、老人団体と一緒だと、不完全燃焼になってしまうしね。

 まあ、そんな若者たちの団体が増えれば、合唱の世界も廃れないのだろうけれど、若者たちの団体って、そんなに数多くないんだよね。結果として、老人を中心とした団体は、メンバーが減り、団体が消失してしまうが、それを補うほどに、若い人たちの団体が生まれているわけではないので、全体として合唱が廃れていくというイメージとなってしまうわけです。

 合唱を再度盛んにするにはどうしたら、良いのでしょうか?

 やはり学校教育にかけるしかないかなって、個人的には思います。学校の音楽の授業に、もっと合唱を取り込み、若い人なら誰でも合唱ができるくらいにしておけば、やがて合唱好きが生まれて、合唱も盛んになると思います。しかし、学校教育の現状を見ていると、今後、音楽の授業が減ることはあっても、増えることは、たぶんないです。

 それに、少子化が進む中、どこの学校も生徒数が少なくなってしまい、大勢の人間を必要とする合唱は、なかなか学校教育で取り上げづらいという事実もあります。

 では、学校教育に期待できないのなら、何に期待できるのでしょうか?

 一つは、やっぱり、テレビかな? 合唱をテーマにしたドラマを作って、それがヒットさせれば、日本人ってミーハーだから、すぐに合唱も復興する事でしょう。問題は、今までも合唱をテーマにしたドラマがいくつか作られたけれど、どれもこれもブームを引き起こせるほどにヒットしたドラマはないという事実。

 と言うのも、いわゆる、邦人合唱って、やっぱり古臭いんですよね。だから、合唱をテーマに取り上げた時点で、ドラマが古臭くなってしまい、若い人たちには訴えづらくなるわけです。

 アメリカだと『ハイスクールミュージカル』とか『グリー』とかの、合唱をテーマにしたヒットドラマがあるけれど、やはり、ヨーロッパ文化が根底にあるアメリカ人と、そんなものは皆無な日本人の違いがあると思うし、そんなアメリカだって、ミュージカルのソングとか、ポピュラー音楽のマッシュアップなどを中心にすえた合唱をやっているわけで、決して伝統的で古臭いタイプの合唱をやっているわけじゃありませんし、ロックバンドを伴奏にした、ガンガンの合唱をやるくらいぶっ飛ばないと、今の若者の気を引くのは難しいのかもしれませせん。

 こうなりゃ、腹をくくって「老兵は死なず、ただ去るのみ」とカッコつけて、時間の流れに身を任せるしかないのか…もね。

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2015年11月15日 (日)

オフィスの照明を明るくした

 別にどうでも良い事なのかもしれないけれど、どうでも良い事を書いてアップするのが、個人ブログの醍醐味なので、今日も“別にどうでも良い事”を書いてアップします。

 で、オフィスの照明を明るくしました。正確に言うと“オフィスの照明を元に戻しました”なんだけれどね。

 事は、東日本大震災の直後の電力不足から始まります。関東地方では、東京の都市部以外で、計画停電が行われ、電気代が値上がりし「電力が不足しているので、節電に励んでください」という宣伝が散々行われて、日本中が節電に励んだ時期があったわけです。

 あの時に、ウチの職場では、私の前任者が、一箇所に4本ずつ入っていたオフィスの蛍光灯を、各2本ずつにして、節電に協力しました。蛍光灯はオフィス一部屋で約200本ずつ使われているので、それこそかなりの節電効果があったんじゃないかなって思います。

 あれから4年半。すっかり節電ムードもなくなりましたが、天井は高いので、一度外した蛍光灯をなかなか付け直す事も面倒で、つい先日まで暗い中で仕事をしていましたが、さすがに光量が少なくて、目に負担がかかり、夕方になると(鳥目じゃないはずですが)細かい字が見えなくなるなど、色々と不都合が生じてきました。

 そこで前任者が外した蛍光灯を、すっかり元に戻すことにしました。

 いやあ、明るい。今まで夕方になると、目がしょぼしょぼしていたのが嘘のよう。これだけ明るければ、夜中まで仕事できます(しないけど:笑)。いやあ、今まで本当に暗い中で仕事していたんだなあ…って思いました。

 しかし、今思うに、あの計画停電って必要だったのかな? あれって、電力会社のいやがらせ…じゃなかったのかな…って思います。本当に電力が足りなかったのなら、一番多く電気を使っている場所に我慢してもらうのが、先でしょ? 都心のオフィス街が真っ先に停電の対象になるべきだったと私は思います。工業地帯とか、住宅地とか病院とかを停電にしちゃダメでしょ。でも、あの時は、東京都心のオフィス街では停電が行われずに、工業地帯とか、地方の住宅地とか病院とかが停電になりました。

 実に不公平でした。

 たぶん、あの計画停電を考えた人は、東京都心のオフィスで仕事をしているエリートの皆さんなんだろうね。ちなみに東京電力の本社は、千代田区内幸町…つまり新橋界隈にあったりしますし、首相官邸とか経済産業省は霞が関(ここも千代田区)にあります。

 非エリートの方々が働き暮らす郊外を中心に計画停電を行い、非エリートの方々に「もしも電気が無い世界になったら、こんなに大変なんですよ。だから、なんとしても電気は必要なんですよ。でも今後しばらくは原子力発電所は動かせないんですよ」と知らしめて、その後に続く電気料金の値上げのための布石としたんじゃないかな? つまり「少々電気料金が上がっても、電気の無い世界よりマシなんだから、電気料金の値上げも我慢しましょう」と、我々非エリートに納得させるためだね。何しろ“世論”ってヤツを作っているのは、エリートじゃなくて、非エリートの我々だからね。

 もちろん、フクシマ関係の補償をするために、東京電力は多額の資金が必要だし、東京電力の収入は電気料金なんだから、発電コスト云々を抜きにしても、電気料金を上げないと、フクシマ関係にお金使えないからね。だから電気料金を上げるしかないのは自明の理なんだけれど…やり方がコスイよねえ。

 それにしても、当時の民主党政権はアホンダラだったと思います。ちゃんとした政府ならば、電力会社が計画停電をしたいと言い出したら「国民の生活を守れ。死ぬ気で電力を発電しろ!」と言うべきだったと思いますよ。みんな、事情は分かっているんだから、節電をしろと言われれば協力したんだし、計画停電なんて不要だったんじゃないかなって思います。

 今も昔も、民主党は、日本人の生活なんて、どうでもいいと思っているんだろうなあ。

 それ以前に、政権担当者がどこの党であれ、地震と津波は避けられなかったとしても、原発事故は、民主党が政権を担当していたから起こった人災である事を忘れちゃいけないと思います。フクシマをあんなにしたのは、民主党なんだからね。

 さらに言えば、津波&地震の復興が遅れているのも、民主党のせいだね。民主党が政権を取るなり「コンクリートから人へ」とか言って、土木建築業界に大打撃を与え、多くの業者を廃業に追い込んだおかげで、震災後、人手が足りずに、今の現状があるわけだ。もうひとつ言えば、リーマン・ショックに対して無策だった事もあって外需が減った事に加え、やはり、土木建築業に大打撃を与えて内需を悪化させた事で、日本のGNPは大きく下がって、2010年(当然、民主党政権時代)に世界第二位の経済大国という地位を中国に明け渡さざる得なくなったわけで、民主党になって、経済的に日本が沈没して中国が浮上してきたと言えます。

 民主党がいかに日本の国力を削ぐことに懸命だったか、もっともっと書きたいけれど、今日はこれくらいで勘弁しておきます(怒)。

 さて、閑話休題。しかし、計画停電のあの時ほど、都会の人を恨めしく思った事はありませんでした。正直、今でも恨んでいるし、妬んでいます。ほんと、停電って、大変なことなんですよ。電力が無いと、本当に我々の生活が成り立たないって事がよく分かりました。

 それはともかく、オフィスが明るくなって、良かった、良かった。

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2015年11月14日 (土)

シロが半分死んでます

 どうにもこうにも、マドジョウのシロの状態があまりよろしくありません。

 常時、腹を上にして身動き一つ取らずに、水槽の底で沈んでいる事が多いのです。時折、エラが動きますので、死んでしまったわけではないのですが、目はうつろだし、生気も薄いし、なんともな感じなんです。

 魚類と言うのは、死ぬまで元気…と言うのが一般的です。元気ハツラツだった子が、ある日突然星になってしまう…というのが普通のパターンなんです。まあ、明らかに病気になってしまう子もいますが、たいていの場合は、病気になっても元気だったりします。なので、シロの場合は、病気とも違うみたいなんです。

 おそらく、シロは、元気が極端に無い状態なんだと思います。人間で言えば、餓死しかかっているような状況なんだと思います。つまり、エネルギー不足。そのため、元気がないのです。ただ、やたらと仮死状態が長いんです。まあ、気絶しているわけですね。むやみに気絶しているわけなんです。で、たまに元気を取り戻して、正気に返って、普通にドジョウの生活をしているんです。でも、それも長続きはせずに、ふと気づくと、また腹を上にして気絶しているわけなんです。

 エネルギー不足ならエサを食べればいいと思うし、エサを食べなくても、水槽の中で呼吸しているだけで、ウチの水槽の場合は、エネルギーが取れる(水槽の水は、緑水です)ので、身動き取れないほどのエネルギー不足には陥らないはずなんです(現にラズはほとんどエサを食べませんが、元気いっぱいです)。…となると、やはりシロは健康面で何らかのトラブルを抱えている…って事になるのかもしれません。体内に栄養を入れても、それがうまくエネルギーになっていかない…それも広く見れば病気なのかもしれませんが、とにかくシロは元気が無いんです。

 ちなみに、他のドジョウたちは元気です。かつてのシロのパートナーであったクロは、元気ハツラツで、金魚に混じってエサを食べるほどに活発だし、緋ドジョウのラズはいつも水槽の隅でデーンとしてますし、小さめの三匹の緋ドジョウたちは、メダカに混じって、水槽の中を泳ぎまくっていますし…。ですから、シロの仮死状態が悪目立ちするわけです。

 人間なら、点滴一発で元気が出るように、ドジョウにも点滴ができたら、すぐにでも問題解決しそうなのですが、そういうわけにもいかずに困っています。

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2015年11月13日 (金)

ばっちりビートを聞かせた音楽を奏でましょう

 フルートのレッスンに行ってきました。実は、先週のレッスンはお休みだったわけですが、別に私の都合で休んだわけでもなく、先生の都合で休んだわけでもなく、教室事務所の都合でお休みになりました…ってか、事務所から「先生、レッスンやりすぎです。たまには休んでください」と言われて、しぶしぶレッスンをお休みにしたんだそうなんです。

 実はH先生のレッスンは、一応、年44回と言う事になっているのですが、H先生はそんな回数を全く無視して、お盆と正月以外は年中無休でレッスンをしているので、レッスンの回数が年50回を軽くオーバーしているそうなのです。で、ついに事務所から注意が入って、レッスンを休まざるを得なくなって、先週はお休みになりました。そういう事です。うむ、残念。

 ちなみに、年始年末も、レッスンを1回だけ休むつもりでいたH先生ですが「それでは休みが足りません」と事務所に言われて、2回連続で休むことになったそうです。

 「あんまり休むと、生徒が下手になっちゃうからね」という事で、あんまり休みたくないのが本音のH先生でした。

 さてレッスンです。ロングトーンの練習からですが、どうも私、まだロングトーンのカンツボを思い出しきれていないようで、なんか色々と変でした。なんか、しっくり来ないんだよね。やっぱり、レッスンを長く休んじゃダメだな。

 さて、エルステユーブンゲンは13番です。二週間あったのだから、さぞ練習してきて暗譜も完璧だろうと思うでしょうが、実はダメでした。いや、先週はそこそこ練習して、暗譜もOK?とか思っていたのですが、今週に入って忙しくなり、フルートの練習をサボっていたら、せっかく覚えたものが、すっかり揮発していました(笑)。いやあ、人間って、忘れる生き物なんですね。13番、不合格でした。

 13番が練習不足なんですから、14番なんて、全然ダメでした。いやあ、お話になりませんでした。

 プチエチュードは12番でした。先生、アルテ2巻のE-durのスケールを用意しておくと言いながら、キレイに忘れていました(私も忘れていましたので、他人の事は申せません)。さすがに、前回のレッスンの時によりもミスブローは減りましたが、まだまだ合格には程遠い出来でした。特にダメなのは、曲の後半のビート感です。プチエチュードはエチュード集なので、どの曲も意地悪に作られていますが、この曲も無意識に吹くと、巧みなブレスの位置のおかげで、ビートがズレて聞こえるように作られています。ブレスの位置がどこであろうと、きちんと音楽のビートを意識して、強拍はしっかり強拍として、弱拍はしっかり弱拍として、メリハリをつけて演奏しなさいと言われました。

 ううむ、次回までにこの点を修正してこないといけないのだけれど、これって難しいぞ。

 さて、今回の雑談ですが、前回に引き続き、テレビ撮影クルーの悪口に終始しましたので、割愛します(笑)。いやあ、他人の悪口は蜜の味だねえ(笑)。

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2015年11月12日 (木)

老人声の特徴

 子どもには子どもらしい声があり、青年には青年らしい声があり、オトナにはオトナの声があって、老人にはいかにも老人を感じさせる声があります。これは事実です。気もココロも肉体も若いつもりでいる私ですが、年齢だけを考えると、老人の入り口に立っているというか、すでに老人予備軍というか、新人の老人であるというか、自覚のない老人というか、つまり「老人に関する諸問題が他人事ではない私」なんです。

 なので、やがて私もなるであろう『老人声』について、アレコレ考えてみました。

 まず、都市伝説かもしれませんが、よく言われる事に「年を取ると、女性は声が低くなり、男性は高くなる」というのがあります。これは性ホルモンの分泌が若い時よりも減少し、性ホルモンがカラダに与える影響が少なくなってきて、カラダが中性的になってくるからだと言う人もいます。ほんとかな? でも確かに、人間、本格的に老人になってしまうと、外見からでは、オジイチャンなのかオバアチャンなのか、区別がつきづらくなる人が大量にいるわけで、老人の中性化ってのは、まんざらの嘘でもないような気がします。

 それに市民合唱団にいるオジイチャンオバアチャンたちに話を聞くと「若い時はバリトンだったけれど、年を取ってテノールになった」という人や「若い時はソプラノだったけれど、今じゃすっかりアルトよ」という人、たくさんいますしね。

 なので「年を取ると、女性は声が低くなり、男性は高くなる」というのは、性ホルモンだけの影響とは限りませんが、あながち間違いではないのかもしれません。

 年を取ると男性は声が高くなる…と聞くと、私のような高音に苦労しているテノールは「年を取ると高音が楽になるなら、待ち遠しいなあ」と思いがちですが、それは期待しすぎみたいです。いやいや、実際、年を取ると、男性の場合、音域は高い方向に移動するようですが、音域が変わると同時に音色も変わるんですよ。ざっくり言えば“ジジイ声”になるわけです。テノールってのは、実年齢はさておき“若者声”で歌うものです。つまり“声の若作り”というか“声の童顔”がテノールなんです。だから、音域が高い人がテノールなのではなく、声が若々しい(ので音域も高めな)人がテノールなんです。なので、いくら声が高めだから言っても、音色が年寄りになってしまっては、そりゃあテノールじゃないよねって話なんです。

 まあ、合唱では、歌手の一人ひとりの音色なんて、どーでもいいので、ジジイ声になったからと言って、そんなに悩む必要はないのですが、ソロ歌手にとっては、大きな問題です。歌曲はともかく、オペラアリアの中には、若者の声を前提にして作曲されているモノがいくつかあるわけで、それらのアリアを人前で歌うのを諦める必要(あるいは、気にせず歌う厚顔さ)が生じてくるからです。

 老人声の音色的な特徴と言うと…声に色艶がなくなってきて、全体的にパサパサな乾いた音色になります。声の響きが浅く薄くなってくる…とも言えます。そう言えば、いくら頑張っても私の声に深みが加わらないのは、すでに老人声になっているからかもしれませんね(涙)。

 歌いまわし的な事を言うと、早口が苦手になるようです。まあ、私などはすでに早口苦手だし、ろれつが回らなくなって来ていますので、すでに老人声になりつつあるんでしょうね。声量も乏しくなってくるようです。また、女性の場合は、いわゆる“ちりめんビブラート”が目立つようになってきます。

 市民合唱団の方々を見ていると、若い時から継続的に歌ってきた人は、声の若さをキープしている人も多く、案外声が衰えないようです。逆に、年齢が行ってから歌い始めた人は、衰えが早い…と言うか、上手になりづらく、少し間を置くと、元の初心者レベルに戻ってしまうようです。かっこ良く言えば「永遠の初心者」になるわけですが…本人が楽しいなら、別にそれはそれでいいんじゃないかって思います。

 声の若さは、案外、見かけの若さと通じるみたいで、外見がしっかりしている人は、しっかりした声で歌い、よぼよぼしている人はそれなりの声でしか歌えないようです。なので、老人の場合、外見を見れば、どれくらい歌えるのか、ほぼ察しがつきます。まあ、元気な人は、声まで元気って事です。

 声の話から、少し離れてしまうけれど、年を取ると、聴覚が衰えるわけですが、補聴器を使用していても、歌える人は、耳のハンデを感じさせないほどに、しっかり歌えます。ですから、補聴器を使用するようになったからと言って、歌をあきらめる必要はなさそうです。しかし、補聴器ってヤツは、耳から外れると、ピーーとハウるので、そこが厄介かな? 逆に言うと、ハウるほどに大きく拡声している人でも歌えるってわけですね。

 年を取るのは、ある意味、そこまで元気でいられたわけだから、めでたいことです。めでたいついでに、歌まで楽しめるなら、声が老人声になろうが、悔やむことはなく、元気に老人声で歌ってやればいいんじゃないかって思います。

 それは声だけでなく、ハゲもデブも入れ歯も同じ事です。年寄りになれば、ハゲたり、デブったり、入れ歯になったりするわけだけれど、その時その時の自分を愛して受け入れていけば、人生、大いに楽しめるんじゃないかと、老人の中ではまだまだ若造で生意気な私ですが、ホントのホントにそう思ったわけです。

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2015年11月11日 (水)

手に余るのなら、手放してしまいましょう

 声楽のレッスンの続きです。歌のレッスンに入りました。

 まずは、トスティ作曲の「Tormento!/苦しみ」からです。

 声の支えを抜かない事。しっかり支え続ける事。私はところどころ、特にフレーズの中でメロディが低い音に移ったところで、すっぽり支えが抜けてしまう傾向があるそうですが、低い音でもしっかり息を支えないと、次に控える高い音が支え不足なってしまうので、気をつけなければいけません。つまり、いつでもどこでも、息の支えはしっかりとね…って事です。

 子音の音程、特に有声子音の音程を大切にしていかないといけません。高音発声の場合は、母音を発声する前に、子音で音程を確保しておくと、比較的容易に高音が発声できます。これはマジ大切なテクニックで、子音先行で高音発声に挑むと、高音だからと言って力まずに発声できるようになります。リラックスして柔らかい高音が発声できるわけです。そのためには、子音で音程を取ったら、そこでクイっと腹筋を入れて母音を子音の中に流しこむような感じで発声するわけです。

 私、このテクニックをぼちぼち使えるようになってきたのですが、これを使うと、ほんと、高音が確実に発声できるんですよ。でも、色々と間に合わなくて、子音を先行させて発音するのが出来なくて…って事が多くて、先生から注意されしまうわけです。「Tormento!/苦しみ」は、ゆっくりしたテンポの曲なので、あれこれのテクニックを活用していく余裕があるのですが、速いテンポの曲でも、しっかりテクニックが使えるようならないといけないわけで、たくさん練習して早く身につけないといけませんね。

 和声感を大切にする事。同じ音程でも、バックの和音で、微妙に音程が変わるわけで、常に和音を聞きながら、そこにすっぽりとはまる音程で歌う事が大切です。そのためにも、歌いながら、きちんとピアノを聞かないといけません。そうしないと、なんとなくハマりの悪い歌になってしまうわけです…が、私、ピアノをいい加減にしか聞かない癖がついているんです。

 私だって、昔はピアノを聞きながら歌っていたんですよ。でもね、それをやると、ピアノがミスると、ピアノのミスにつられて歌えなくなっちゃうんですよ。キング先生はよくピアノをミスってましたからね。自然と、ピアノがミスしても動じない…と言うと、かっこいいですが…ピアノは適当に無視して歌う癖が付いてしまいました。Y先生は、キング先生のようなピアノのミスタッチはあまりありません(その代わり、冒頭からバリトン用の低い調性でピアノを弾き始める事は多々あります:笑)ので、私がピアノを軽く無視して歌うのが気に入らない(?)ようだし、それはマズイことだと認識しているようです。

 ピアノを聞きながら歌えるように、新しく癖を付け直さないといけませんね。次回もまた「Tormento!/苦しみ」を歌います。

 さて次は、ベッリーニ作曲の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」です。

 歌のメロディーが、付点のメロディー(正確には、四分音符と八分音符の組み合わせ)になっている事には理由があるそうです。これは作曲家が歌手に対して「休みながら歌っていいよ」というメッセージが込められているのだそうです。つまり長い音符を息を飛ばしながら、しっかり歌って、短い音符でちょっと休んで…という感じで、チカラを入れたり抜いたりして歌いなさいって事で、これがもしもずっと長い音符だけでメロディーが作られたら、歌手のクビが締まってしまうのだそうです。歌手のクビが締まらないように、作曲家の方で配慮しながら曲を作っているのだから…短い音符では、きちんとノドを脱力させなきゃダメでしょ…って事なんです。そうでないと、この曲のように、上行音形をメインに作られている歌は、あっという間に歌手のノドが締まってしまうのだそうです。

 まあ、いくらノドを脱力しなさいと言われても、腹筋の脱力は不可である事を再確認しました。

 それにしても、この曲には高音Aがあって、自宅練習ではなんとか歌えているつもりなんだけれど、レッスンになると、明らかにダメダメなんです。まあ、自宅で歌えても、レッスンで歌えなければ、到底人前で歌うことは出来ないわけだし、自宅で歌えているつもりでいても、実際はきちんと歌えていないので、レッスンで全然歌えないわけです。

 私の認識の中では、レッスン後半でこの曲に挑むので、カラダが疲れて、腹筋が全く使えない状態なので、その状況でこの歌を歌うのは、かなり難しくて、いつも失敗してしまっていると思っています。ですから、カラダの疲労が少ない、自宅の方が良く歌えている…と、まあ思っているのです。

 しかし、妻に言わせると、自宅の方が、全然歌えていないのだそうです。レッスンでは高音はダメだけれど、それ以外はなんとかなっているのに対しては、自宅では最初から最後まで、無い声をふりしぼっている感じで、全然ダメって言われました。

 つまり「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」という曲は、なんにせよ、今の私の手に余っている状況ってわけです。それは私も薄々は気づいていましたが、先生も同様に感じられたようで、この曲、決して仕上がったわけではないけれど、今回で終わりにする事にしました。

 「歌えるようになったら、また聞かせて下さい」って事です。

 で、「次に何を歌いますか」と先生に尋ねられたので、しばし考えてから、モーツァルト作曲の「ドン・ジョヴァンニ」の中のテノールアリア「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」を歌いたいと言いました。

 レッスンでは歌曲とアリアを一曲ずつ歌う事になっていて、「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」は歌曲なんだけれど、難しい曲なので、アリア扱いで学んでいたので、当然、ここはアリアを歌うべきだと思って、モーツァルトを提案したんです。

 「この曲、難しいよ」と先生がおっしゃいました。私は「前の先生のところで、この曲に取り組んだのですが、その時は、曲の冒頭部分しか歌えずに、てんでダメだったので、改めてきちんと学び直したいのです」と言いました。

 すると先生「他にも前の先生に習った歌はありませんか。それもできるだけ早い段階で習った歌がいいです」と言いました。つまりモーツァルトのような難しい曲ではなく、もっと簡単な歌で、キング先生に習った歌はないのか…という事ですね。

 そこで妻が(笑)ドナウディ作曲の「O del mio amato ben/ああ愛する人の」を提案してきました。先生も、それはいいですねって感じで、即決です。おいおい、私の意見はどこにあるの?

 先生がおっしゃるには、前の先生に習った歌を、今、改めて歌うことで、今の私に、どれだけ悪い癖が残っているかを知りたいのだそうです。つまり、昔学んだ歌でも、Y先生に習ったテクニックを使って歌えるなら、それはそれで良しだし、前の先生に習った悪い癖が定着したまま歌っているのなら、その悪い癖を取り除いて、正しいテクニックで歌えるように、学び直しましょうって事なんです。

 キング先生、全面否定ってわけです。

 最近のレッスンの流れを見ていると、そのうち、そうなるんじゃないかと危惧はしていました。でもね「O del mio amato ben/ああ愛する人の」は、私とキング先生の蜜月時代の、良い思い出が詰まった大切な曲なんですよ。だから、自分としては、この曲はあえて封印していたわけですが…妻のひと言で、その封印も強制解除されちゃいました。なんかなー。私としては、ヘンデル作曲の「Ombra mai fu/オンブラ・マイ・フ」あたりを提案したかったんだけれどなー。

 まあ、仕方ないです。次のレッスンに向けて、モーツァルトの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」と、ドナウディの「O del mio amato ben/ああ愛する人の」の二曲の譜読みをしておこうと思います。

 それはさておき、1月の発表会が無くなった代わりに、1月に門下の勉強会(兼、飲み会)をやる事になりました。昨年は、公民館のピアノのある会議室で行いました。今回は、きちんとした音楽ホールを確保したんだそうです。それもスタンウェイのある音楽ホールだよ。いやあ、先生、でかした! ただ、問題は、ピアニストが現時点で確保できていない事です。いつもお願いしているピアニストさんは、当日、別の仕事が入っているそうなので、改めて別のピアニストさんにお願いしないといけないので、ただいま、その人選をしているそうです。まあ、先生が選ぶピアニストさんなら、どなたであっても、凄腕は間違いないので、安心です。

 まあ、勉強会は非公開なので、特に宣伝はしません。私の音源はアップするかもしれませんけれど(笑)。となると、勉強会に向けて、色々と準備を始めないといけませんね。さあ、何を歌いましょうか?

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2015年11月10日 (火)

どうも、チケットってヤツは、売ればそれでいい…と言うわけでもなさそうなんです

 声楽のレッスンに行ってきました。月の初めのレッスンだったので、来月のレッスン日を相談して決めたわけだけれど、ほんと、先生、忙しいみたいです。で、忙しい理由の一つに、秋って、日本じゃあオペラシーズンなわけで、先生も日本のあっちこっちでオペラに出演するので、忙しいわけです。で、いつもは「先生、お忙しいですね」で終わりなんですが、今回は私も情報をつかんでいますので「で“魔笛”の本番はいつですか?」とぶち込んでみました。先生もビックリしたようで「“魔笛”の事って……話していたっけ?」と聞いてきますので「前回のレッスンの時に、ヒントをいただきましたので…」と答えると、あちゃーって顔をしてました。

 よっぽど、私たちに自分のオペラを見てもらいたくないみたいです(笑)。でも私は、Y先生の生徒になる前から、Y先生のオペラを見てきたファンですから、生徒になろうとなるまいと先生の出演するオペラは見たいわけです。

 白状させました(笑)。年明けに東京の某所で“魔笛(日本語歌唱)”に出演するそうです。パパゲーノをやります。さっそく、私の予定に入れました。いやあ、楽しみ。最近はオペラ鑑賞と言うと、原語歌唱のモノばかりだったので、日本語歌唱の舞台は、案外楽しみだったりします。

 話のついでに、今回のオペラのギャラのお支払い方法について、教えてもらいました。

 と言うのも、どうも話を聞いていると、音楽事務所経由の仕事ではなさそうだったので「今度のオペラはショクナイ(内職…事務所通さずに内緒でする仕事)ですか?」と尋ねたら、ギャラが安すぎて、事務所に報告する必要がない仕事なんだそうです(つまり秘密ではないけれど、報告義務がない仕事って事ね)。一応、事務所との契約では、一定金額以上のギャラが出る仕事については、必ず事務所を通すことになっているんだそうですが、小遣い程度の少額な仕事に関しては、自由裁量で仕事を引き受けてもよくて、特に音楽事務所に届けなくていいんだそうです。で、今回の仕事のギャラは、驚くほど破格に安い(実際に安いんだそうです)ので、事務所に届けなくていいんだそです。

 音楽事務所経由の仕事だと、ギャラは事務所と分け合う事になりますが、事務所を通さなければ、とりあえずギャラは全部歌手の懐に入りますので、少ないギャラの場合、事務所と分け合っちゃうと可哀想なので…って理由のようです。まあ、事務所を通さない分、ご自分で確定申告をする必要が出てきますが。

 それにまあ、いくら安い仕事と言っても、月にいくつか数をたくさんこなせば、すぐにサラリーマン程度の収入にはなりますから、一つ一つの仕事のギャラが安くても、馬鹿にしちゃいけないんだそうです。

 またオペラの仕事は、ギャラが安くても、チケットによる現物支給があるわけです。つまり「ギャラは安いけれど、足りない分はチケットを売って稼いでね」ってやり方が割と普通なんだそうです。

 「じゃあ、たくさんチケットを売ればいいんですよね」と尋ねたら、今回に関しては、そうでもないんだそうです。

 と言うのも、今回の公演は、チケットは売上がなくても、チケットを預かった出演者は、必ず主催者にチケット預り金として、一定額を上納しないといけないシステムなんだそうです。ですから、ある程度の枚数のチケットを売ったところから、利益が出てくるのだそうなんです。ならば、売れば売るほどウハウハなのかと思ったら、売上枚数に応じて上納額も増えてくるので、チケット売り上げで、ギャラの不足が大幅に補えるのかと言うと、そうでもなく、それどころか、お得意さんにチケットを安く売ってしまうと、売れ残りのチケットを返納する際に計算違いが生じるので、それもできないと…と、今回の公演では、チケットを販売するにしても、色々と面倒ばかりが増えて、ちっとも美味しくないんだそうです。

 それに出演者たちがチケット売らなくても、ほぼ主催者の方でチケットは売ってしまうので、出演者の方にはあまりチケットが回ってこないんだそうです。なので、チケットは持ち出しにならない程度に、そこそこ売れればいいわけで、今回の場合は、出演者にとってチケット販売って、そんなに美味しいわけでもないそうなんです。そう言われると、なんかねーと思うわけです。

 ちなみに、本番はもうすぐなのに、まだチラシも出来ていないんだそうです(ってか、ネットを探しても、まだ何の情報も告知されていません)。先生的には、まだキャスト写真を要求されないので、本当に上演するのかと、ちょっと心配なんだそうです。まあ、完売が見込まれるほどの公演なら、チラシ作りにも熱が入らないのかもしれません。でも、この時期になっても宣伝をしないとは…先生ならずとも、心配になります。

 で、今度の魔笛は日本語上演なんだそうですが、歌詞が(著作権の都合で)音友版なんだそうです。先生のカラダには、ドイツ語原詩と二期会版の歌詞が入っているんだそうです。そこに改めて音友版の歌詞を入れないといけないので、二期会版とゴッチャになってしまって、なかなか暗譜が進まなくて困っているそうです。まあ、似ているものほど覚えにくい…って感じなんでしょうね。

 さて、レッスンです。今回は、クチを大きく開く事と、声に躍動感を与える事の二つに集中して取り組みました。まずは息をクルクル回す事。息をクルクル回しながら歌うと、声に躍動感が生まれるんだそうです。ちなみに、私の歌い方は、のっぺりしているだそうです(涙)。

 息を切るのも、クチで切らず、息を吐き切ることで切るようにします。と言うのも、クチで息を切ると、音程が不安定になり、ぶら下がり気味になるからです。つまり、クチは開けたままで、息を切りましょうって事です。

 あと、息を上手に支えるために、意識としては、常に“背伸び”をしている感じがよいのだそうです。背伸びをすると、嫌でも腹筋が内側に入るので、背伸びをすることで自然と腹筋が使える事になるんだそうです。

 声は、なるべく鳴らさずに、軽く軽く歌うことが私には必要ですが、軽く歌おうとすると、支えが抜けて、支えをしっかり入れると、声が重くなって、ノド声になってしまうのが、今の私なんだそうです。息を支えながら、軽い声で歌えるようになりたいものです。また、音程によって、息の当てる場所を変えないようにとも言われました。息を当てる場所を変えてしまうと、声の音色が変わってしまうので、良くないのだそうです。

 なんか、色々と難しいんです。

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2015年11月 9日 (月)

レトルトだからと言って馬鹿にしてはいけないわけで…

 昔々、フルトヴェングラーという人が、レコード録音を「音楽の缶詰」と呼んでいたそうです。もちろん、これは誉め言葉ではないわけですが、彼が録音をした1930~40年代の頃は、ちょうど第二次世界大戦(1939~1945年)の前後が含まれている時代で、標準的なレコード録音では、スタジオで演奏したものを、テープ録音(モノラル)で収録し、それをLPレコードとして発売するといった時代で、当時の技術陣は頑張ったんだろうけれど、技術的な限界もあって、今、我々が復刻版CDで聞ける程度の録音だったわけです。

 いや、再生メディアが、当時はCDではなく、LPだったわけだし、オーディオ機器の性能だって、あまり良くなかったから、今の我々が聞いている復刻版CDの演奏よりも、相当劣悪な音楽鑑賞状況であったと推測されます。

 だから、フルトヴェングラーの言う「音楽の缶詰」の“缶詰”と言うのは“美味くない保存食”程度の意味なんだろうと思います。音質的には全然ダメなんだけれど、音楽はコンサートホールに行って聞くものという常識があった時代に、自宅で一流の音楽家の演奏がいつでも聴けるという利点があったわけです。

 さて、現代です。流石にモノラルのLPはなくなり、音楽を聞くメディアは、ステレオのハイファイ録音によるモノが主流となり、その配布形態も、CDあるいはネット配信が主流となりました。フルトヴェングラーが「音楽の缶詰」と言っていた状態では、すでにありません。私に言わせれば「音楽のレトルトパック」あるいは「音楽の冷凍食品」状態かなっているかなあと思います。

 ここでは両者をまとめて「音楽のレトルト」と呼ぶことにしましょう。

 現在のレトルト化された録音音楽は、なかなか良いと思います。私はコンサート派の人間ですから、録音された音楽よりも、生演奏の音楽の方が良いと思っているし、録音では再現できない何かが生演奏にあると思ってます。

 しかし、その一方で、今の録音音楽って、生演奏を越えている部分があるんですね。

 たとえば、録音音楽には、生演奏にありがちな演奏の瑕疵がないんです。つまり録音では、どんなレベルの演奏家であっても(その録音が商業ベースにのっているモノなら)演奏ミスは修正されていますので、完璧な状態に仕上がっています。実はどんなベテランの音楽家であり、どんなに一流と呼ばれている音楽家であっても、生演奏ではミスがあるものなのです。いや、ミスがあって当たり前なのです。だって人間だもん。大切な事はミスが無い事ではなく、ミスがあっても、そのミスを帳消しにできるほどの、圧倒的な感動を客に与えられるかどうか…なんですね。

 現代は録音音楽が広く普及した事もあって、観客は演奏家にノーミスを要求している部分があり、ミスが多い演奏家は、それだけでマイナス評価をもらうことが多く、私は少しばかり可哀想だなあって思います。だから、若手の登竜門である各種コンクールでは、演奏ミスが少ないことが、勝ち残るために大切な事なんだね。

 ミスとは違いますが、今の時代なら、グレン・グールドのように、ピアノを弾きながら歌っちゃうピアニスト(それも肝心なピアノの音よりも彼自身の歌声の方が大きい:笑)は、どんなに音楽性が豊かであっても、受け入れられないだろうね。同様に、指揮をしながら唸っちゃうトスカニーニも無理だね。

 それに、録音音楽ならば、古今東西の一流演奏家の演奏が聞けるし、珍しいレパートリーだって聞けます。とうの昔に亡くなってしまい、今ではその演奏が聞けない人の全盛期の演奏が聞けたり、現役バリバリであっても、日本に来てくれないとか、日本に来ていても自分の自宅近くに来てくれないとか、そもそも来ていてもチケットが入手困難で聞きにいけないような演奏家であっても、録音音楽なら聞けます。また、コンサートではどうしても客が呼べる曲しか演奏してもらえませんが、録音ならば、ステージにはかけないような曲であっても、録音してくれます。

 これって、何気にすごい事でしょ。

 そして、録音された音って、確かにコンサート会場の特等席で聞く演奏と比べると、まだまだダメだなって思う部分はあります…と言うよりも、これだけ録音技術が進んだ現代でも、録音できないモノがあります。その場の空気感とか、場の振動とか、音の色艶とか、歌手自身が持っているオーラとか熱量とかね。あと、本当に細かな音とか。例えば歌手の場合、ステージでは、録音よりもずっと子音を立てて歌っている人が多いのですが、おそらく歌手の発音する子音の微妙な感じまでは録音しきれないのか、あるいはノイズとして処理されてしまうんでしょうね。

 なので、やはり録音音楽よりも、生演奏の方が良いなあと個人的には思ってますが…それはあくまでも特等席で演奏を聞いた時の話です。

 コンサートホールの安い席で聞くぐらいなら、録音の方がマシって感じる時、正直、あります。安い席、つまり演奏家から遠い席ですが、そういう遠い席だと、そもそも録音で聞けない微妙な感じが演奏にあったとしても、遠くにいるので、それは聞こえません。それ以前に、演奏家によっては、ちょっと音量的に厳しい時だってあります。そのくせ、ミスはよく聞こえたりします。

 まあ、それ以前に、私の場合、コンサートを聞きに行って、客に感動も与えられないような、しょぼい演奏にぶつかってしまった時は、家に帰ってから、口直しに録音音楽を聞く事があります。

 それってまるで、外食先でマズイ料理に出会ってしまった時に、ウチに帰ってから、美味しいレトルトで口直しをするようなものです…って、そんな事をするのは、私だけ? だから太るの?

 そう言えば、レトルトにせよ冷凍食品にせよ、下手な外食よりもずっと美味しかったりするし、安い外食先だと、厨房でレトルトや冷凍食品を使っていたりするしね。料理の世界では、すでに一流レストランを別格とするなら、そこらの飲食店が提供する料理と、レトルトや冷凍食品では、それほど大きな差がないのかもしれません。

 音楽もすでに料理同様、一流演奏家以外だと、生演奏も録音音楽も、大きな違いはないのかもしれませんね。

 となると、生演奏が録音音楽に優っている点とは…生演奏だと、録音では聞けない地元の凄腕ミュージャンの演奏が聞ける事…かな? 頑張れ、ローカル演奏家。音楽も地産地消で頑張りましょう。

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2015年11月 8日 (日)

それでも私はハムを食べるぞ![2015年11月第1週・通算15週]

体重:107.6kg[-2.0kg:-7.2kg]
体脂肪率:31.9%[+0.4%:-1.5%]
BMI:34.0[-0.6:-2.2]
体脂肪質量:34.3kg[-0.2kg:-4.1kg]
腹囲:107.0cm[-1.0cm:+1.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 2015年10月26日に、世界保健機構(WHO)は“ベーコンやソーセージ、ハムなどの加工肉には、発がん性がある”と発表しました。実は、専門機関である国際がん研究機関(IARC)が世界保健機構に報告したものを、世界保健機構が代理で発表したわけなんですが…。

 国際がん研究機関が言うには「加工肉を毎日食べた場合、50グラム(ベーコン2切れ以下)ごとに大腸がんにかかる確率が18%上昇する」そうなんです。ベーコン2切れなんて、日常的に食べてるよ(呆)。

 『大腸がんにかかる確率が18%上昇する』となると、タダ事ではないです。18%と言えば、無視できない数字です。100人中18人ですか? 学校のクラスで言えば、1クラス(40人と仮定)に7人ほど大腸がんになるってわけで、そりゃあ大変な事です。

 なぜ、そんなに危険な食品…いや、食品と言うよりも毒物?を、なぜ国は取り締まらないのでしょうか? ネットでは「もうハムは食べない」とか「冷蔵庫のソーセージを全部捨てた」とか、そんな話をちらほら見かけます。そりゃあそうだよね、ハムを食べると、100人中18人も大腸がんになるなら、そりゃハムはゴミ箱行きだし、金輪際、スーパーでハムやソーセージなんて買えないよ。そろそろお歳暮シーズンなのに、誰もハムを買わなくなって、ハム会社、大打撃じゃん!

 ちなみに、国際がん研究機関によれば、加工肉ってのは、肉を加工したものすべてを言うのであって、燻製とか塩漬けとかも加工肉だし、塩や保存料や調味料を加えただけでも、加工肉になります。それどころか、加熱するだけでも加工肉になってしまうのだそうです。

 そうなると、ベーコン、ソーセージ、ハムだけじゃなくて、サラミだって、コンビーフだって、ビーフジャーキーだって、カルパスだって加工肉に入るし、レトルトのハンバークとか冷食のトンカツだって加工肉だし、真空パックのシュウマイとかスーパーで売っている調理済み肉製品(餃子とか焼き肉とかピーマンの肉詰めとか)だって、牛丼のタレだって入ります。それどころか、肉のエキスを使ったソースとかブイヨンとかも加工肉の範疇に入るわけです。いやいや、ファミリーレストランなどで供される食事だって、工場で作られた料理がそれぞれのお店に運ばれて、それを加熱して提供しているわけだから、立派な加工肉じゃない。

 もう、そうなると、生肉を買ってきて、自宅で調理する以外の肉料理は、ほぼすべて加工肉になるわけです。

 つまり『加工肉を食べない』と言うのは、すなわち『肉食をあきらめる』って事になりかねません。ええ! ほぼ肉食な私にとっては「メシ喰うな!」と言われるにも等しい宣言です。

 でも待った! 18%も大腸がんが増えるというけれど、その18%とは、何に対する18%なんですか? 本当に100人のうち18人も大腸がんになる人が増えるという意味なんでしょうか?

 実は、日本人は、現時点ですでに、男性の11人のうち1人が、女性が14人のうち1人が大腸がんになるんだそうです。つまり、男性で考えると、11人のうち1人ですから、パーセンテージで言えば、約9.1%です。つまり、今現在、ハムを食べようが食べなかろうが、100人中9人は大腸がんになるんです。これが日本の現状なんです。

 で、その100人中9人が大腸がんになる環境で、ハムを食べ続ける事と、大腸がんになる危険度が18%増しになるというのが、実は今回の世界保健機構が言っている事なんです。

 つまり、もともとがんになる確率が9.1%あるなら、その9.1%の危険度が加工肉を食べ続ける事で、18%増えるという話なんです。つまり、9.1%に対しての18%増ですから、実は、9.1%が18%増えても、結果は9.1%が10.7%になるだけなです。

 ハムを食べなくても、100人いれば、9人が大腸がんになるところを、ハムを食べ続けると、大腸がんになる人が100人中11人ぐらいに増えるかもしれませんよ…って事なんです。

 つまり、国際ガン研究機関は「ハムを食べると大腸がんが18%増える」と言ってますが、それって「ハムを食べない人たちと比べると、ハムを食べる人が大腸がんになる確率は、現状よりも18%増える」って話なんです。

 ですから、数字は間違っていませんが、数字の出し方が間違っている…というか、明らかなミスリードなんです。「ハムを食べると大腸がんが18%増える」の数字には間違いはないのでしょうが“何に対して18%増える”が書かれていないので、その話を聞いた人々が「ハムを食べると大腸がん(になる人)が(全人口に対して)18%増える」と誤解するわけです。

 でもよくよく考えれば、そんな事はなく、加工肉を常食する事で、現在の大腸がんの発生率が、18%増しになるってだけの話で、それを日本男性で考えるなら、9.1%の発生率が10.7%になるって話なんです。加工肉を常食する事で大腸がんの発生率は増えることは間違いないけれど、それは日本男性の場合、現在の発生率よりも1.6%ほど発生率が増えますよって話なんです。だから、数字としては1.6%という数字を出した方が誤解されにくいと思うのだけれど、それをわざと18%という大きくて誤解されやすい数字を出してきたわけです。だって、勝手に誤解されるかもしれないけれど、間違いじゃないですから。でも、わざと大きな数字を出し、世間をミスリードしたのは事実だし、そこには何らかの意図があるんです。

 なぜ世界保健機構がそんなミスリードをするのかというのは、色々な筋からのリーク報道がありますが、概ねアメリカの国内政治的な事柄が原因のようです。つまり、我々日本人にはあずかり知らぬこと…というか、とんだトバッチリなわけです。

 それに、9.1%の大腸がんの発生率が10.7%に増えるって、私、書きましたが、実はこの数字だって、本当はかなり大きな数字で、多少の嘘が混じっているんです。

 と言うのも、私は計算の根拠を現在の大腸がんの発生率に置きましたが、現在の大腸がんの発生率で調べられている人の中には「加工肉を食べない人」もいるだろうけれど「毎日毎日加工肉を大量に食べている人」だって、すでに9.1%の中に含まれいてますから、実際に厳密な計算をすると、加工肉を食べる人が大腸がんになる確率は10.7%どころではなく、もっと低い数値になるはずなんです。

 ですから、ハムを食べ続けたところで、大腸がんの発生率は、実際は1%増えるかどうかってレベルの話なんです。統計上は、1%の増減ってのは、通常“誤差”扱いされますので、ハムを食べ続けたからと言って、大腸がんになる人が増えるとは言えない…というのが正しい姿勢だと思います。

 それに、世界で一番ソーセージ(加工肉の王様的存在ですね)を食べるのはドイツ人なんですが、ドイツって、大腸がんの発生率が低い国として有名なんですね。だから、加工肉を食べると大腸がんになると言うのは、統計上は嘘ではないと思うけれど、取り立てて言うべき事柄ではない、と私は思います。

 アメリカ国内のアレコレが原因で、色のついた情報が出てきたからといって、そんな情報に踊らされちゃダメなんじゃないかなって思うのです。それこそ、我々の情報リテラシーが試されている…ってわけです。

 と言うわけで…「それでも私はハムを食べるぞ!」と決意したわけです。

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2015年11月 7日 (土)

ヤヨイとミドリがむやみに仲が良いのです

 現在、我が家の水槽には、金魚が五匹います。三色琉金のヤヨイと、黒出目金のミドリと、素赤オランダ獅子頭のミカンと、丹頂のエナと、素赤琉金のシズカです。

 それぞれの金魚には、それぞれの個性があって、それを観察していると面白いです。例えば、ヤヨイは人懐っこい子ですし、ミドリはオトナしくて物静かなタイプの子です。ミカンは活発で気が荒くて、他の子をよくいじめています。もしかするとオスなのかもしれません。エナは単独行動が好きで、飄々とした性格です。シズカは他の子をいじめる事はありませんが、かなり気が荒くて、動作もどこかガサツです。この子もオスかもしれません。

 カラダの大きさは、一番大きなヤヨイであっても、そんなに大きくはありません。胴体部分の面積だけなら、名刺サイズ程度です。これは、あまり大きくならないように、飼い主側でエサをセーブしているからなのですが、いくらエサをセーブしても、勝手に水草やタニシを食べてしまうので、こちらの意図通りな小型金魚にはなってくれませんでした。

 まあ、それでも、一時期ウチにいた、ブニョやサクラのような巨大魚たちと比べると、ほんと、かわいいモノです。

 そんな金魚たちですが、金魚たちにも対人関係ならぬ、対魚関係というのがあって、どの子とどの子が、仲が良いとか悪いとかがあります。で、最近の水槽状況を観察していると、どうにも、ヤヨイとミドリが仲が良いのです。

 どれくらい仲が良いのかと言うと、いつも二匹で一緒にいます。普段もこの二匹は割りと近くにいますし、エサを食べる時も、ほぼ一緒です。タニシを食べる時は、二匹で一つのタニシを分けあって食べているくらいですし、寝る時などは、二匹で頬を寄せて並んで寝ています。

 なんなんですか? この二匹?

 今まで何年も何世代モノの金魚たちを飼ってきましたが、ここまで仲の良い子たちは初めて見たかもしれません。で、これが(推定)メス同士だから、笑っちゃいます。二匹とも、まだ若いのですから“仲良し女学生グループ”って感じなんでしょうか?

 まあ、仲が良いことは良い事なので良しです。むしろ問題なのは、あっちこっちで、他の子の肛門(金魚なので、正確には“総排泄腔”と言います)をかじりまわっている(本当に暇さえあればやっているんですよ)ミカンの方かもしれません。

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2015年11月 6日 (金)

他人がクチをつけて吹いたフルートなんて、吹きたくもない!

 リコーダーって衛生製品扱いなんだそうですね。まあ、直接クチにくわえて演奏するわけだし、歌口に何か付いていれば、当然、舐めてしまうだろうし、唾液だってべったり付くし、そう考えれば、他人と同じ楽器を共有するのは、ちょっと気が引けてしまうわけで、衛生製品扱いでも当然かなって思うし、実際、子どもの頃は、他人のリコーダーを吹くのは嫌だったし、自分のリコーダーを他人に吹かれるのも嫌だったな。

 と言いつつも、ウチは貧しかったので、リコーダーは兄弟で共有していたので、一本のリコーダーを弟と使い合っていたのだけれど、たとえ弟と言えども、リコーダーの共有なんて、本当に嫌で嫌でたまりませんでした。だから、リコーダーを使う前は、かならず水道に行って、リコーダーをジャバジャバ洗って、びしょびしょのまま、音楽室に持って行ったものです。

 リコーダーだから、ジャバジャバ水洗いできたわけだけれど、普通の楽器だと、そうもなかなかいかないし、水洗いだけじゃ不足だと考える人もいるわけで、当然だけれど、同じ楽器の共有…ってか、使い回しってイヤだなっと感じる人がいても不思議じゃありません。

 ですから、金管楽器にはマウスピースという部品があって、たとえ楽器そのものを他人と共有したり、他人から譲り受けたとしても、自分専用のマウスピースを用意できるわけで、マウスピースを交換する事で、嫌な思いをせずに他人の楽器を演奏できるわけです。

 木管楽器でも、オーボエは、リードと呼ばれる、クチを付ける部分は自分専用です。サックスはマウスピースを交換出来ますので、たとえ楽器本体を他の人共有していたり、中古楽器を使用していても、自分専用のマウスピースを用意すれば、無問題です。

 これがクラリネットとなると、リードは自分専用だけれど、マウスピースは楽器ごとに固有となっていますので、奏者が変わっても、リードの交換しかできず、マウスピースは心ならずも共有する事になります。フルートに至っては、マウスピースというのもが存在しませんので、交換もへったくれもありません。

 時々、フルートの頭部管の事をマウスピースと呼称する人がいますが、それは間違いであって、頭部管は頭部管であって、マウスピースじゃありません。どうしても英語で言いたいなら、アレは“head-joint”であって“mouthpiece”じゃないんです。

 さて、話を戻して。フルートにはマウスピースはなく、頭部管があります。マウスピースなら、交換は可能だろうし、個人所有も可能だろうけれど、フルートの場合は頭部管なので、交換は不可能ではありませんが、そんなに気軽にできるものではないし、安くもないし、それ以前に、頭部管も楽器の一部なので、交換をしないという前提で楽器が設計されています。

 つまりフルートの場合は、楽器を共有すれば、当然、頭部管も共有するわけだし、中古品を入手すれば、前所有者が散々使用した頭部管を使用する事になります。「他人がクチをつけて吹いたフルートなんて、吹きたくもない」と言ったところで、それは無理な相談てわけです。

 中古楽器はもちろん、新品楽器だって、販売店に並ぶ前に、メーカーで、楽器を作り調整する過程で職人さんたちに散々吹かれてしまいます。味見せずに提供される料理が無いように、試し吹きを経て色々と調整された楽器が店頭に並ぶわけです。これはフルートそのものもそうですし、単体で販売されている頭部管だって同じ事です。どんなに新品な楽器であっても、フルートという楽器は、我々の手元に届く前にすでに、どこかの誰かさんによって、すでに試し吹きをされている楽器なんです。

 なので、他の楽器ならともかく、少なくともフルートという楽器は「他人がクチをつけて吹いたフルートなんて、吹きたくもない」と思ってしまうような潔癖症な方には、全く合わない楽器だと言えるでしょう。

 もっとも、フルートの場合、他の吹奏楽器と違って、歌口の部分をくわえる事はありませんし、息は吹きこむだけで、吸い込むことは間違ってもないし、歌口をなめる事もないし、楽器そのものが、抗菌物質である銀でできているので、そんなに神経質になる必要もないと私は思ってます。それに楽器店などでは、フルートをエチルアルコールで磨いていますので、衛生的にはバッチリだと思ってます。

 自分自身でもフルートのお手入れには、エチルアルコール使っているし…。もっとも、そうであっても、もしも仮に他人と一本のフルートを共用する事になったとしても、おそらくは、リッププレートの部分をハンカチとかで一拭いする程度で、特に気にせず吹いちゃうだろうね。

 むしろ、若い女性と共有なら、リッププレートをベロベロ…なんて絶対にしませんよ(笑)。特殊な趣味は持ちあわせていませんから。

 まあ、フルートって、あんまり神経質な人には向かない楽器だ…という事が言いたいだけです。

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2015年11月 5日 (木)

声楽には[基本的に]簡易版の楽譜がない

 おそらく、オトナになってから、趣味で音楽を始めた人にとっては「え? 一体なんのこと」と思われるでしょうが、実は器楽の方では、楽器屋さんに行って楽譜を見ると、いわゆる“初心者向け”と称された、簡易版の楽譜が普通に販売されています。いや、わざわざ“初心者向け”と歌っていなくても、案外、楽しげな表紙をした楽譜たちの中に混ざって、普通の顔をして、簡易版の楽譜が販売されていたりするんです。

 器楽の人たちが、発表会などで使用する楽譜は、腕前が中級者とか上級者とかになってくると、作曲家が作曲したままの楽譜を使って演奏する事もあるでしょうが、まだまだ初心者だったり初学者だったりした場合、先生から発表会の曲としていただく楽譜は、たいていの場合、作曲家が書いたオリジナルのものよりも、音符が少なくなっていたり、リズムが丸められていたり、移調されていたりして、難しい箇所がカットされていたりして、演奏しやすくなった、簡易版の楽譜であったりする事が多いわけです。

 例えば『子犬のワルツ』にしても、ショパンが作曲した通りの楽譜もあれば、そこから音数を減らしたり、音楽そのものをカットしたりと、色々と引きやすく工夫された楽譜もあるって事です。

 ですから自分がレッスンで習っている曲と同じ曲を、プロが演奏しているのを聞くと「なんか、どこか違う?」と違和感を感じるのは、使用している楽譜が違うからなんです。

 という事が、器楽の世界ではよくあって、簡易版の楽譜は大活躍しているのですが、こういう簡易版の楽譜って、声楽の世界では、あまりありません。

 その代わり、声楽の世界でよく見かけるのが、声の種類ごとに、別の楽譜が販売されているケースです。いわゆる、中声版とか、高声版とか、そういうの。これは、作曲家が書いた曲を、それを歌う歌手たちの声の種類や音域に合わせて、移調してある楽譜なのです。この移調作業は、器楽の場合の「簡単に演奏ができるように」という目的とは異なり、あくまでも「歌手が持っている声で歌えるように」という目的で移調しますので、プロの歌手のコンサートでも、普通に移調譜が使われたりします。

 いやむしろ、日本では、シューベルトなどのリートは、わざわざ低く移調した、中声版や低声版で歌われる方が、オリジナルキーでの演奏よりも多かったりします。

 あと、オーケストラ伴奏の曲は、オーケストラの部分をピアノ伴奏に変えた楽譜も、たくさん使用されますが、別に伴奏がオーケストラからピアノに変更されているだけで、歌の部分は全く同じなので、簡易版とは、とても言えません。

 つまり、声楽の世界では、簡易版の楽譜というのは、まずなくて、せいぜいあっても、歌手の声に合わせた移調譜がいくつかあるだけで、それ以外は、作曲家が書いた楽譜を、少なくとメロディーの関しては、そのまま歌うのが普通です。

 ですから、声楽始めて半年程度の初心者であっても、プロ歌手と同じ楽譜で歌を勉強するって事です。器楽の人から見ると、信じられない話かもしれません。

 逆に言うと、声楽の人から見ると、プロが演奏するような難易度の高い曲を(簡易版の楽譜を使っているとは言え)器楽の世界では、初心者の皆さんたちが演奏しているのを見ると(簡易版の譜面の存在を知らなかったりするため)すごいなあって思うわけです。だって声楽の世界では、オペラアリアは“そのアリアが歌えるようになるまで歌えない”のが当たり前。高くで出ない音を出しやすく低くしてあるとか、広い音域を狭く調整してあるとか、そんな事はありえません。

 あえて簡易版と言えば、外国語の歌詞に(読みがなとして)カタカナが振ってある楽譜があるので、あれがある意味、簡易版の楽譜なのかもしれません。もっとも、それらの楽譜だって(フランス語やロシア語の)歌詞にカタカナでルビが振ってあっても、音楽部分には、一切の手心は加えてありませんから。

 実際、私などは、先日のクラシックコンサートで歌った二重唱は、イタリアのリコルディ社から出ている、全曲譜(ピアノ伴奏)を使いましたが…それしか楽譜が入手できなかったので仕方ないのですが…世界中の歌劇場でプロの方々が使っている楽譜と全く同じ楽譜を使って歌ったわけです。ドミンゴやパヴァロッティが使った楽譜と同じ楽譜を使ったんだなって思うと、なんか感慨深いです。

蛇足  声楽の簡易版の楽譜って、全く無い訳じゃないです。初学者でも歌いやすいように、移調してあったり、曲の途中での転調を回避してあったり、一部のメロディを変更したりとか…やっている事は器楽の簡易版とほぼ一緒なのですが、数はごくごく少ないのですが、無いわけじゃないです。

 例えばこれなんか、いわゆる名曲が割と簡単に歌えるように編曲してあって、なかなか便利な楽譜なんですよ。

蛇足2 声楽でも、いわゆる“愛唱歌”のジャンルになると、結構、簡易版の楽譜、あります。まだ合唱曲にも、簡易版の楽譜があるものもありますね。

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2015年11月 4日 (水)

音痴の特徴

 世の中には“音痴”と呼ばれる人がいます。音痴にも色々なタイプがあるようですが、ここではザックリと「歌うと、音程やリズムが甘い人」の事を言う事にしましょう。ですから、元々“歌わない人”とか“耳や脳に障害を持っている人”は除外します。

 さて、ある意味、程度の差こそあれ、我々は皆、音痴であるとも言えます。だって、人間は楽器ではないし、パソコンでもありません。ほとんどの人の歌は、機械で測定すれば、音程やリズムが甘かったり、ズレていたり、誤差を大きく含んでいたりしますが、もちろん、それらは程度の問題であって、普通の人がその人の歌を聞いて「あれ?」と思わない程度の人は、音痴には入れない事にします。

 つまり、音痴とは、他の人が聞いて「あれ?」と思う程に、音程やリズムが甘い人って事です。

 音痴である最初のポイントは“他の人が聞いて~”という部分でしょう。つまり、音痴かどうかと言うのは、他人が決める事なんです。と言うのも、音痴の人って、往々にして、自分が音痴だという自覚がない事がありますし、音痴の自覚があっても、その深刻さを自覚していない事が多いからです。

 つまり、音痴だという自覚がないから、音痴なんです。

 音痴だという自覚がないので、音程が外れていても、外れているという自覚がなくて、そのために、いつまでたっても音が外れたままになり、音痴が持続して固定化しちゃうわけなんです。

 逆に言うと、音痴脱出の第一歩は、自分が音痴であるという事実を認めて、受け入れる事なんだと思います。

 では、自分が音痴だと自覚すれば、音痴は解消するのかと言うと…そんなに簡単な話ではありません。

 ままならないのは、自分のカラダです。自分のカラダの各所が、常に自分の意思どおり動かせるのなら、問題は解決です。いや、音痴の解決どころか、スーパーアスリートにだって、なれちゃいますよ。

 しかし、多くの人は、自分の意思どおりに自分のカラダを動かすのは、実は、苦手です。苦手と言うか、出来ないと言うか、不器用なのです。不器用だから、音楽の音痴だけでなく、運動オンチもいるわけだし、色々と生活上の不便があるわけです。特に年を取ってしまった音痴は厄介です。

 話を音楽に戻しましょう。

 ドを聞いて、その音をマネて、ドの音が歌えますか? いやいや、ドの音を聞きながら、その音に合わせて、ドの音を歌えますか? 「はい、それは簡単な事です」とおっしゃる方は音痴ではないのでしょう。しかし、音痴の人は、そんな簡単な事すら、出来なかったり、意味が分からなかったり、出来ても苦労をするわけです。出来ないからと言って、いい加減に取り組んでいるわけではなくて、ドを歌おうと努力はしますが、その努力が実を結ばないから、音痴なんです。

 まずは、自分の意思どおりに自分のカラダが動かせるように…つまり、音程であれ、リズムであれ、自分の意思どおりに声を出せるように訓練をしていく必要があるわけです。そのためには、色々と筋力が必要だし、狙った筋肉をきちんとコントロールできるような器用さが必要です。つまり、訓練とか練習とかが必要なんです。だから、音痴脱出は簡単ではないのです。

 歌が上達するために、発声練習が必要不可欠なのは、そういう事なんです。

 メロディーを正しく歌えない理由の一つに、イメージの問題もあるかもしれません。ドとかレとかの単音ならともかく、歌やメロディとなると、イメージが必要です。メロディーのイメージ、伴奏の和音進行のイメージ。これらをきちんとイメージする事ができ、そのイメージ通りに声が出せれば、歌えるんだと思います。ですから、単に声が出せるだけでは音痴脱出は無理で、歌のイメージをきちんと持つ事ができるかどうかは大切な事なんです。

 歌以前に、その人の中で、正しいメロディーがイメージできなければ、いくら発声を頑張っても、正しく歌えない…って思うわけです。メロディをイメージするためには、音感も必要だろうし、聴覚記憶も必要だろうし…ってなると、それらも合わせて訓練する必要があるのかもしれません。

 この部分の練習には、厳密に考えるなら、ソルフェージュを学ぶ必要があるのでしょうが、趣味のオトナの場合は、なかなかソルフェージュの学習までは手が出ません。ですから、何か代替となる手段を考えて学ばないといけないのだろうと思いますが…それもまた難しい話ですね。

 つまり、音痴には、発声の部分に問題があるケースと、歌のイメージの部分に問題のあるケースと、2ケースがあるんじゃないかと思います。で、両者はそれぞれに独立した問題であると同時に強い関連性もあるわけで、あたかも車の両輪のような関係なんじゃないかと思います。

 と言うわけで、音痴の特徴をまとめてみると…。

 1)自分が音痴であるという自覚が無い。
 2)自分が音痴であるという自覚はあっても、訓練不足のためにうまく歌えない。
  2-A)発声に問題があってうまく歌えない。
  2-B)イメージに問題があってうまく歌えない。
  2-C)発声とイメージの両方に問題があってうまく歌えない。

 こんな感じでしょうか。

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2015年11月 3日 (火)

クラシック音楽との出会い

 若い時は、クラシック音楽を(学校で習うせいもあって)何か難しくて嘘っぽい音楽だと思ってました。なので“あんな音楽”なんて好きな人がいるはずもない…と思ってました。また、たまにいる「私はクラシックが大好きなんです」と言う人も、本当はクラシック音楽が好きなのではなく、クラシックが好きって言うと、頭良さそうに思われるから、無理して、クラシックが好きなふりをしているんじゃないのかと思ってました(マジです)。ま、今で言う“意識高い系”の人だろうと思っていたわけです。

 まあ、その頃の私は、まだ中学生。見える世界も知っている世界も狭く、私は音楽好きでしたが、クラシック音楽は好きではなく、少なくとも私の周囲にも、ごく少数なオタクっぽい男子以外は、そんな感じでクラシック音楽には見向きもしませんでした。文化レベルが低いと言うか、身近なモノ以外は受け入れないという生活習慣だったのかもしれません。とにかく、クラシック音楽に関しては、断固拒否をしていたわけです。少なくとも、表向きは。

 で、表向きは、クラシック音楽を拒否をする一方で、本心では、何とかしてクラシック音楽に親しみたいとも思っていました。反発しながらも憧れる…まあ、今で言う“中二病”だったのかもしれないし“意識高い系”男子だったのかもしれません。とにかく、小難しそうで、スノッブなクラシック音楽が密かな憧れの対象だったんです。

 なので、決して余裕があったわけではありませんでしたが、小遣いで廉価盤のクラシックレコードを購入して、訳もわからずに聞いていました。

 たぶん、一番最初に購入したのは、ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏で「運命」と「未完成」のカップリングLP。まあ、当時の売れっ子指揮者による、よくあるカップリングのLPだったわけです。このLP、何度聞いたことだろう。ほとんど毎日聞いていたんじゃないかな? 一時期は、まるでこのLPを聞くのが、毎日の日課のような感じでした。

 ちなみに、昔は「運命」と「未完成」のカップリングって、よくあったんですよ。今でも少々あるみたいだけれど、今の主流は、ベートーヴェンはベートーヴェンで、シューベルトはシューベルトでカップリングをするのが主流のようなので、私が購入したLPの音源も、今ではそれぞれ別々にCDとして復刻されているけれど、昔とは異なるカップリングで復刻されているのは、ちょっと寂しいです。

 閑話休題。その後も、イングリッド・ヘブラーのモーツァルトのピアノソナタとか、イ・ムジチの「四季」とか、演奏家は忘れちゃったけれど「春の祭典」とか、親に買ってもらったホーム・クラシックのアンソロジー盤とか…。そんな感じで少しずつクラシックのLPが増えていきました。

 でも、元々、そんなにクラシック音楽は好きじゃなかったので、中3の頃、カーペンターズを知ると、いつの間にか、毎日聞くLPが、クラシックからカーペンターズに変わってしまいました。で、高校に入ってビートルズを知ると、今度は、カーペンターズがビートルズに変わったわけです。

 そんな私が再びクラシック音楽に戻ってきたのは、大学生になってからです。

 大学二年の時に知り合った友人の一人に、クラシック・ヲタクがいて、彼の影響と言うか、導きで、再びクラシック音楽を聞くようになりました。その友人はクラヲタと言っても、交響曲ヲタクだったので、私に薦めるのも交響曲ばかりでした。彼と一緒に、彼の自慢のコレクションの中から、ハイドンの交響曲を、最初から最後まで聞いたのは、いい思い出です(ハイドンの交響曲って、100曲以上あるんだよ:涙)。

 たぶん、この時に、私のクラシック音楽に対する素養が出来たんだと思います。

 交響曲をたくさん聞いたけれど、それはあくまでも友情をベースにして聞いていたので、本音で言うと、まだまだクラシックよりもロッケンロールな私でした。

 それが就職をして、隣の席のお局様が、大のペラゴロと言うか、ドミンゴファンだったので、私は大学時代の友人が決して触れなかった、オペラを知ることになりました。

 いやあ、はまりましたね、オペラ。交響曲では退屈しか感じなかった私ですが、オペラは一気にハマりました。お局様所蔵の、レーザーディスクでたくさんのオペラ(ほとんどがドミンゴ主演:笑)を見ました。自分でもNHKのBSで毎週放送されていたオペラを録画して見ていました。その頃のビデオテープ、まだ持ってますよ(笑)。二期会の公演にも行くようになりました。オペラのCDもガンガン買いましたね。大人買いです。ちなみに、私が最初に買ったオペラのCDは、マリオ・デル・モナコ主演による、レオンカヴァッロ作曲の「道化師」でした。これ、今でも大好きなです。でも、今やそんな名盤も廃盤なんですね。ああ、時の流れを感じます。

 オペラを聞くだけでは物足りず、やがて、そのお局様が声楽を習っていたので、私もお局様の紹介で、同じ先生に声楽を習い始めたりもしました。(そのあたりの話は、いずれまた日を改めて)

 そんな感じで、今につながっていきます。これが私とクラシック音楽の出会い、だったわけです。

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2015年11月 2日 (月)

一体、プロって何なんだろうね?

 先日、あるところで行われた声楽の演奏会に行ってきました。その演奏会は、声楽グループによる演奏会で、プロのクラシック系歌手の皆さんが複数名出演し、入れ替わり立ち替わり、歌を披露していくという趣向の演奏会でした。出演している方々は、いずれも立派な音楽大学を卒業され、地元で演奏活動&音楽教室を主催しているような方々です。客席も、音楽教室のお弟子さんたちと思われる方々がたくさん見に来ていたわけです。で、そんな身内で和気あいあいとした演奏会に、縁もゆかりも全く無い私が、普通の客として見に行った…と思って下さい。

 いやあ、つまらなかった! そして、呆れちゃいました。プロと言っても、ほんと、ピンきりなんだね。

 会場は、いわゆる小ホールで、私はその中段の上手(かみて)側に座っていました。歌を聞くには、割りとよい座席だったと思いますが…その席まで、しっかり声を届かせてくれたのは、たった一人の歌手さんだけで、残りの方々の歌声は、伴奏ピアノにかき消されて、ほとんど聞こえませんでした。歌っている歌も、よく聞こえないので、何語で歌っているのかも分からない状況でした。イタリア語の歌だとばかり思って聞いていたら、それが日本語の訳詞で歌っていたり、ミュージカルのソングだったので、日本語だと思って聞いていたら、どうも(オリジナルの)英語らしかったとか、そんなレベルの演奏会で、それくらい、みなさん、声が出ていなかったのですよ。

 声だけで言ったら、発表会に出てくる上手なアマチュア歌手さんたちの方が、全然出ていると思います。プロなのに、こんなに乏しい声量なの? なんかもう、それだけでガッカリでした。

 聞こえない声に、懸命に耳を澄ませて聞いてみると…たいてい、歌詞を間違えてます。当日歌っていた歌は、私もよく歌う程度の、初心者さん向けの曲ばかりで組まれていましたので、私もよく歌詞を熟知している曲ばかりだったのですが、ほんと、いい加減に歌ってました。ヒドいのは、楽譜を持って歌っているのに、クチが回らずに、クチの回らなさを、いい加減にごまかして歌っていた人を見つけた時です。なんなんですか、この人たちは。

 音楽、なめてませんか? 練習、足りてないでしょう? 日頃から歌っているわけじゃないんでしょうね。

 お一人などは、終始、音程がフラットしていたし…ほんと、この人達、プロなんですか?と、改めて確認しちゃいましたよ。立派な学歴が恥ずかしくないのでしょうか? 普通のアマチュア歌手の方が、数倍、心をうつ歌唱をしていますって。

 この人たち、普段は地元で音楽教室を主催している方々ばかりなんですが、そこの生徒さんたちは、この人たちから一体何が学べるのでしょうか? 私なら、数日で見限って、子弟の縁を切らせてもらうかもしれません…なんかもう、悲しくなるくらいに、ダメな歌で、残念な演奏会だったんですよ。

 まあ、明らかに身内だけで楽しむタイプの演奏会に、一般客として入場した私が無粋だったのかもしれないけれど、だったら“関係者以外入場お断り”にしておけよ、と捨て台詞を吐きたくなるほどでございました。

 一体、プロって何なんだろうね? 音大出たらプロなんですか? 音楽教室を主催していたらプロなんですか? グループを結成して演奏会を開けたらプロなんですか?

 たしかにプロと言う言葉は、単に“職業として行っている”程度の意味しかなく、プロ音楽家の条件に、演奏が上手であるというのは、必須項目にはないので、演奏がいかに残念であろうとも「私はプロの音楽家です」と言い張れば言えるわけだし、これだけ残念な演奏会であっても、行うことで喜んでくれる人がいるなら(いるのかな?)それで良いのだろうけれど、そうであっても、私は改めて“プロってなんなんだろう”と考えてしまったわけです。

 職業として音楽家を行っていても、それだけでは生活が成り立たないレベルであるならば、それは本当にプロと名乗って良いのか? 音大を卒業した事で、プロとして名乗って良いのだろうか? 

 プロがみんな演奏上手だなんて、神話だね。

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2015年11月 1日 (日)

10月はちょっとだけアレルギーでした[2015年10月の落ち穂拾い]

 私は花粉症です。ですから、3月下旬~5月上旬の約二ヶ月間は、結構つらいんです。

 今は秋です。花粉症とは無関係の季節ですから、毎日がハッピーラッキーかと言うと、今年は、何となく目はかゆいし、鼻はたれるし、くしゃみは出るし…。まあ、大騒ぎをするほどではないけれど、ちょっとばかりアレルギーっぽい感じになってます。

 アレルギー反応って、突然発動して常道化するんだよね。今は大したこと無くても、やがては大事になるのが見えているわけで、年に2回もアレルギーになるのは、ちょっとうっとおしくて面倒だなって、今から震えている私です。

ペットは何を飼いたい?

 ほんの少し前まで、家庭のペットと言えば、イヌだったそうです。で、二番人気がネコでして、だから俗に「イヌ・ネコ」という呼び方をされていたわけですが、近年、ネコ人気がグングンと高まって、近いうちに“ペット人気ナンバーワン”の地位は、ネコになるという話もあります。

 ネコ、すごいね。

 ネコ人気の原因は、色々あるようですが、一番の理由は「散歩がいらない」という点なんだそうです。近年、ペットは中高年の家庭(ずばり老人しかいない家庭)で多く飼われる傾向があるそうです。足腰の弱った老人に、イヌの散歩は…リハビリやトレーニングや日々の運動になりますが、つまりはそれくらい“負担になる”って事です。その点、ネコは散歩が不要なので、老人でも飼いやすいんだそうです。

 ふーん、そうなんだ。

 実は昔々、私はイヌを飼ってました。スピッツの雑種とか、ビーグルの雑種とか、何だかよく分からない雑種(笑)とか。とにかく、雑種イヌばかり飼ってました。イヌは、若くて元気でしっぽをぶんぶん振って、そこらを駆けまわっている時期は良いのですが、年を取ってきて介護が必要になってくると、なかなか飼うのも大変だし、飼い切れるものではないです。

 昔は飼いイヌが死んだら、自宅の庭に埋めるのが普通でしたが、最近は庭がなかったり、あってもイヌ(特に中型犬以上)を埋葬するには狭い家も多くて、なかなかそうもいかず、かと言って、法的には“燃えるゴミ”として出すことも可能だけれど、ペットを燃えるゴミ扱いできる人なんていないし、じゃあ、お寺とか埋葬業者の世話になる? なかなか手間がかかります。ま、私の場合、一番最近のワンコは、お寺で供養してもらって、動物用の共同墓地に埋葬しましたよ。イヌはカラダが大きいという事もあって、死んだ後の埋葬関係が簡単ではないので、面倒くさがり屋の私は、たぶん、もうイヌを飼う事はないと思います。それに今からイヌを飼ってしまうと、イヌよりも私の方が先に召されてしまいそうだし、そうなったらそうで、これもまた面倒くさいですしね。

 ネコは近年大人気ですが、私はネコアレルギーがあるので、ネコは最初からパスです。

 『ペットが飼い主になつく』と言うのはペットを飼う楽しみの一つですが、人になつくと言う点で考えると、鳥もいいですよ。小鳥は人によくなつきます。文鳥とかインコとか、かわいいですよ。ただ、繁殖力が強いので、うっかりしていると、あっという間に増えてしまうので気をつけないといけません(笑)。

 小鳥は騒がしくてイヤだという人には、魚類とか爬虫類がお薦めです。彼らは鳴きませんから、実に静かなものです。その上、散歩も不要で、埋葬も簡単です。金魚などは、初心者向けのペットだと思います。

 色々と面倒くさいことを抜きにして、本音で、今、私が飼いたいペットと言えば、実は、馬が飼いたいんです。乗馬馬ね、ポニーじゃないよ(笑)。速い馬が好きなので、やっぱりサラブレッドが飼いたいです。

 私、乗馬が好きなんですよ。だから、馬を飼って、休日ごとにトレッキングに行きたいんですが…馬を飼うのは容易なことではないし、近所にトレッキングが出来る場所もないです。愛馬を乗馬クラブに預けるという手もありますが…私、そこまで裕福ではないので、諦めています。ま、旅行に行った先の観光牧場で乗馬を楽しむのが、関の山かなって思ってます

ノドが不調の時はどうしてますか?

 アマチュア歌手の皆さん、本番間近なのにノドの調子が今ひとつの時は、どうしていらっしゃいますか?

 睡眠不足が原因なら、なるべく寝るようにするし、肉体疲労が原因なら…私なら近所の温泉に行っちゃいます。風邪気味なら、さっさと諦めて、かかりつけの医者に行って、消炎鎮痛剤をいただいてきます。

 問題は、それほどはっきりした原因があるわけじゃないけれど、何となく調子が出ないなあ…って感じる時ですよね。

 以前は、エスタック漢方から発売されていた響声破笛丸という、効果抜群の漢方薬があったので、それを飲んで乗り越えていましたが、これ、生産中止になってしまったんですよね。で、がっかりしたのですが、今は、北日本製薬という会社から、ほぼ同じ内容の響声破笛丸が出ているそうです。買いだめしたエスタックの響声破笛丸が無くなったら、次はこの会社のモノを試してみようかなと思ってます。

 漢方薬は、他にも龍角散も服用しますよ。これは主に、ノドがイガイガする時に使います。

 漢方薬以外に頼るモノと言えば、私の場合は、ノド飴かな? ノド飴にも色々ありますが、ボイスケアのど飴はなかなか良いと思います。

 はちみつ関係はノドの炎症に良いと聞きます。前回のクラシックコンサートの直前では、私、マヌカハニーをベロベロなめました(笑)。これ、美味しいんですよ。ノドにも良かった…ような気がします。

 プロポリスも人気がありますね。私の場合、プロポリスと七種類のハーブが配合されているボイスケアのど飴を舐めるので、プロポリスそのものを摂取する事はありませんが、ノドのケアには、のど飴よりも、プロポリスのシャワーとかの方が効きそうな気がして、たまにアマゾンでポチッとやってしまう誘惑にかられます(笑)。

 ノドへのシャワーと言えば、のどぬーるスプレーも愛用しています(笑)。

なぜ指揮者は必要なのか?

 いわゆるクラシック音楽には、どこか時間の流れが無いような部分があると思います。厳密には、クラシック音楽と言えども『時間芸術』ですから、時間の影響が無いわけではないのだけれど、時計の秒針がチクタク進むような感じで、定量的に流れる音楽の流れとは別の時間の流れの中で音楽が流れているような気がします。これを言い換えると、物理的な時間ではなく、心情的な時間でリズムを刻む音楽…ってわけで、だからクラシック音楽の場合、時計の秒針がチクタク進むような、物理的に正しい時間に対してリズムを刻む場合は、わざわざ“インテンポ”という指示を付けるわけです。

 つまり、クラシック音楽ではインテンポと指示されない限り、時計の秒針がクチタク進むようには音楽は流れていかない…というわけです。では、どんな時間が流れているのかというと、奏者の心の中に流れている時間…心情的な時間に対してリズムが刻まれていくわけです。当然、10人の奏者がいれば、それぞれに心情的な時間は異なるわけですから、実際の演奏者では、誰かの心情的な時間に、その他の奏者たちは合わせて演奏していくわけです。これが合奏ですね。

 これが室内楽的の規模の音楽なら、互いの呼吸で合わせたり、ソリストに合わせて音楽をまとめていけばいいのですが、楽団の規模が大きくなっていくと、そんなに簡単な話ではなくなっていきます。

 そこで心情的な時間をコントロールする専門家が必要になってきます。それが指揮者です。クラシック音楽では、指揮者が時間の管理をします。指揮者の感じる心情的な時間の流れに演奏者たちが合わせて合奏をするわけです。ですから、一見、音楽の流れが無いようにみえるクラシック音楽でも、指揮者が音楽の時間の流れを管理することで、一糸乱れぬ合奏ができるわけです。

 一方、いわゆる大衆音楽は、物理的な時間に対してリズムを刻んでいきますので、指揮者は不要なのです。ドラマーの叩く、バスドラムのビートに音楽を合わせていけば、それでどうにでもなるんです。

 だから、メトロノームとかドラムマシーン、リズムボックスなどの物理的な時間に対してリズムを刻んでいく機材は、大衆音楽では有効でも、クラシック音楽音楽では使いものにならないというのは、そういう事だろうと思ってます。

今月のお気に入り 新版 朝鮮カルタ 韓国のことわざ100選

 これ、内容がヒドくて面白いです。目が開かれます。

 この本は、いわゆる嫌韓本ではありません。歯がゆいほどに冷静な本です。一部の方々が差別的な内容を含んだ本だと言ってますが、私はそう思いませんが…ちょっと下ネタが多いのが気になります…ってか、ことわざに下ネタ混ぜんなよ>韓国人。

 朝鮮(北朝鮮&韓国)のことわざが、カルタ風のイラスト&解説と共に掲載されている本です。日本にも、ことわざをカルタ化した『犬棒かるた』というモノがありますが、あれの韓国版みたいなものです。もちろん、実際に、こんなカルタが実在するわけではなく、著者の牛辺さとし氏が、朝鮮の実在のことわざをカルタ風に本にまとめて紹介しています。ここで紹介されていることわざは、ネットなどで創作されたモノではなく、本当に朝鮮で、昔から人々の間で伝えられているリアルなことわざなんだそうです。そういう点では、この本、きちんとした文化紹介本なんですね。

 紹介されていることわざは、私たち日本人の視点で見ると、かなりヒドイことばかりですが、でもこれが彼らのことわざなんですよね。朝鮮は隣りにある国だけれど、いくら近くても外国だし、いくら彼らの容貌が我々と似ていても中身は外国人であって、我々とは考え方が全然違っているわけで、それが当たり前なんです。ある意味、これらのことわざを“ヒドい!”と感じてしまうのなら、それは自分とは異なった考え方を受け入れることの出来ない、偏狭な心の持ち主であるのかもしれません。グローバル化された21世紀の社会では、生き残れないかもしれません。

 さて、この本に載っていることわざをいくつか引用してみます。

「自分の食えない飯なら、灰でも入れてやる」

「女は三日殴らないとキツネになる」

「嘘もうまくつけば稲田千坪にもまさる」

「悪口は祝福の言葉」

「火事場で泥棒をする」

 やっぱり私は、偏狭な心の持ち主だな(笑)。こんなヒドイことを、ことわざとして大切にしている人とは、仲良く出来そうもない。

 でも、こういう人もいるんです。こういう考え方をする国の人もいるんです。自分とは全く異なった行動原理で動く人々の心情の幾分かを見れたような気がします。彼らは物事をこう考えているんですね。いい勉強になりました。

 ちなみに、この記事を書いている段階で、この本、アマゾンで売上総合第1位だそうです。売れているんだなあ…。

今月の金魚

 特に大きな出来事はありません。

今月のひとこと

 安全保障関連法が成立して10日以上たちますが、まだ戦争になりません(笑)。あれほど「戦争法案が成立したら、ただちに日本は戦争に巻き込まれます」と大声で叫んでいた人たちがたくさんいたのに、まだ戦争になりません(笑)。一体、いつになったら戦争になるんだろ? このまま、数ヶ月、数年、平和な状態が続くなら、民主党やSEALDsを始めとする“あの人たち”は大嘘つきのスパイ野郎という事になりますが…きっと大嘘つきなんだと思います…よ?(2015年9月30日~10月5日)

 どうやら、ノドの風邪に加えて、お腹の風邪もひいてしまったようです。風邪のダブルヘッダーですよ、シャレにもなりません。(2015年10月5~11日)

 クラシックコンサートも無事終わり、レッスンに持っていく曲も考えないといけないし、次の発表会向けの曲も考えないといけないし、何より、ちょっとサボっていたフルートを頑張らないといけませんね。ああ、忙しい忙しい。そうそう、ブログの方の記事もまもなく3000記事になります。おそらく達成予定日は…11月4日かな。もう、ほんと、まもなくだね。(2015年10月11~16日)

 九州電力川内原発2号機(鹿児島県薩摩川内市)が再稼働し、反原発派の運動家たちが抗議運動のために集まっているようだけれど、彼らの地元住民たちに対する仕打ちが、あまりにひどいとの報道がありました。なんでも、地元住民たちに暴言を吐く、脅す、などは日常茶飯事で、道路を塞いで、通勤のマイカーや路線バス、病院バスを足止めさせたり、無許可で海岸にテントを張って荒らしたり(当地の海岸はウミガメの保護地域だそうです)、民家の水道を勝手に使ったり、その水道で洗濯をしたりカラダを洗ったり、私有地に勝手に車を止めたり、ゴミを放置したり、真夜中でも大声で騒いだり徘徊したり…。報道の通りだとするなら、彼ら反原発派の人々の行動は、良識ある日本人の行動とは思えません。そりゃあ、地元の人たちも怒るよね。で、怒った住民たちが、反原発派の人々を指導するように県と市に要望書を提出したというから、事は穏やかではないです。もちろん、住民たちは反原発派の団体に対しても抗議をしたそうですが、反原発派の団体は「そんな事実は確認できない」という声明を出したようで、住民の要望に関しては完全無視の様子です。たぶん、地元住民って、反原発派の運動家たちから見下されているんだと思うよ。地元住民に限らず、彼らは、地元の社会も文化も習慣も風習も、見下しているんだと思うよ。だから、傍若無人なんだと思う。(2015年10月16~23日)

 なんかもう、朝晩、涼しいねえ。ついこの前まで、汗まみれになっていた事が信じられないよ。(2015年10月23~28日)

 ハンバーガーチェーン店のロッテリアが商標侵害(つまり、パクリ)をしてしまったそうです。期間限定で「京都黒七味風味」のポテトを販売していたそうですが、「黒七味」は、京都の原了郭が商標登録をしていたんだそうです。すでに販売を中止し、原了郭に謝罪をしたそうです。「黒七味」が商標登録されている事に気づかなかったというのがロッテリア側の言い分であり、原了郭側に言わせれば「全く似ても似つかない別の味だった」そうだから、ロッテリアに悪気はなく、単純に調査不足だったのだろうけれど、最近、親会社のロッテでお家騒動があって、ロッテが韓国系在日企業である事が周知され、客離れが起こっている最中なのだから、たとえ悪気がなくても「ああ、韓国系だからパクるんだな」と誤解されてしまうわけです。頑張れ、ロッテ。ちなみに、ロッテは創業者が在日韓国人で、系列会社が韓国で財閥となっていますが、本社であるロッテホールディングスは、ちゃんとした日本企業です…が、現在の会長である重光昭夫氏は、本名をシン・ドンピンという韓国人だし、その会長自ら「ロッテは韓国企業だ」と公式発表をしていますので、色々とややこしいわけです。(2015年10月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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