ひとこと

  •  テレビ番組『題名のない音楽会』の司会が、五嶋龍から石丸幹二に代わって、はや二ヶ月になりますが…やっぱり石丸幹二に代わってから、良いね。安心して見ていられます。彼は言葉に力があるし、若くないのも嬉しいです。五嶋龍は頑張っていたけれど、やっぱり彼は若すぎたと思います。テレビタレントとしても経験不足だし、見ているこっちがハラハラドキドキしていたもの。おまけにニューヨーク在住で収録の度にアメリカから来日していたそうだから、彼の司会は、あれこれ無理があったんだと思います。石丸幹二の司会はまだ始まったばかりだけれど、黛敏郎の33年は無理としても、羽田健太郎や佐渡裕のように7年ぐらいはやってほしいなあって思います。
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2015年10月25日 (日)

グローバル化された世界って、本当は怖い世界なのかもしれません

 数日前に、一斉に報道されたので皆さん方もご存知だと思いますが、韓国のソウル中央地裁は、産経新聞前ソウル支局長の加藤達也さんを在宅起訴し、検察側の求める懲役1年6ヶ月を認めて結審したんだそうです。判決の言い渡しそのものは、11月26日に行われるそうです。

 一体、加藤さんが何をやったのかと言うと、韓国最大部数を誇っている朝鮮日報という地元新聞に掲載された、チェ・ボシク(崔普植)記者が書いた「大統領をめぐる風聞」というコラムを、産経新聞で日本語で日本人読者に向けて紹介するコラムを書いただけです。それでアウト。それで有罪判決が下る事になったわけです。

 だいたい、今回の有罪判決の前に、加藤氏は韓国で8ヶ月間に渡る韓国からの出国禁止(事実上の軟禁状態)に置かれ、さんざん韓国マスコミ&韓国人たちから誹謗中傷暴行を受けて、ようやく日本に帰国できたかと思ったところで、懲役1年6ヶ月の判決をくらう事になりそうです。正式に判決の言い渡しが行われるまでは分かりませんが、執行猶予はつかずに実刑が申し渡されるという報道もあります。そうなると、加藤氏は再び韓国に行って、今度は韓国の刑務所で1年6ヶ月の間、刑に服する事になります。

 ネットでググると、韓国の刑務所って、暴行とか不審死とかとセットになっているけれど、加藤さん、生きて日本に帰れるかな?

 ちなみに引用元の朝鮮日報やチェ・ボクシ記者が言うには『自分たちは、産経新聞に勝手にコラムを引用されただけで、今回の件については無関係だし、自分たちのコラムは国家を憂いたコラムだが、産経新聞のコラムは破廉恥極まりないコラムだから、全然別モノだ』と主張しておりますし、実際、韓国国民もマスコミも裁判所も、朝鮮日報やチェ・ボクシ記者に対しては、特に問題にする事はなく、専ら問題視され、矢面に立たされているのは、日本であり、産経新聞であり、加藤さんなんですね。

 私たちの感覚で言えば、加藤さんのコラムがアウトなら、引用元のチェのコラムだってアウトだし、日本人である加藤さんだけ、8ヶ月も自由を奪われた上に、有罪判決なんてのは、絶対におかしいし、公平ではないと感じるわけです。それにだいたい加藤さんは個人の資格で記事を書いたわけではなく、あくまでも産経新聞社の記者としてコラムの紹介をしたわけで、“報道の自由”とか“人権の尊重”ってのは、どうなったの? と問いたいわけです。もし、有罪にするにしても、加藤氏個人ではなくて、産経新聞社そのものを相手取るべきでしょう。

 でも、それはあくまでも我々の主張であって、韓国や韓国人はそうは思わないわけです。あちらには“愛国無罪”という言葉もあるし、我々から見れば可怪しい法律であっても、あちらでは正規の法律なわけだし、色々と非常識に思えることも、韓国社会では当然の正義であったりするわけです。

 いや、まだ韓国の件はマシかもしれません。

 中国では、昨年1月に成立した反スパイ法によって、すでに4人の日本人が逮捕拘束されたという報道がありました。一部の海外メディア報道によれば、スパイとして拘束されている日本人は4人じゃなくて75人だという話もあります。

 中国は人治政治の国で、民主主義政治を行っている我々とは、社会の仕組みや法も違えば、裁判制度も違うわけで、逮捕拘束された人が、誰も知らぬ間に、いつのまにか死刑にされてしまう事もある国です。いや、死刑になっていなくても、逮捕拘束された段階で拷問を受けている可能性は否定できません。

 で、この4人ですが、もちろん日本国のスパイであるはずもなく、単なる日本人ビジネスマンだという話もありますが、そんな事、中国にとっては関係ありません。彼らがスパイだと認定すれば、根拠や証拠が無くても、スパイなんです。それが彼らの法なんです。で、スパイなら殺してもいいし、国家間の取引材料に使ってもいいのです。それが中国なんです。

 我彼の違いを認め、その違いを受け入れて、それぞれがお互いのやり方を尊重しながら、社会を営んでいくのがグローバル化された社会なら、産経新聞の加藤さんの行った事は悪であり、加藤さんは韓国の裁判所の判決に従うべきなんだという結論になります。その結果、加藤さんが死んでしまっても、それは仕方ないわけです。同じように、中国でスパイ容疑をかけられた日本人が、無実の罪でジャンジャン殺されても、それもまた仕方ない事なのです。

 まあ、アメリカなら、自国民が韓国や中国から、そんな理不尽な目にあったら、絶対許さないでしょうね。たとえ相手が韓国や中国であっても、抗議をするだろうし、それでもこちらの言う事を聞かなければ、宣戦布告をして、空爆に行くかもしれませんし、ミサイルを打ち込むかもしれません。

 でも日本は絶対に軍事力には訴えません。日本人がどんなにひどい目にあったとしても、国は文句しか言いませんから、韓国や中国はやりたい放題です。現に、北朝鮮に拉致された人たちは帰ってこないでしょ? あれと同じ事なんです。いくら外交筋を通そうと、文句なんてモノは、いくら言われても聞き流せば、それでいいんですからね。日本はやられっぱなしなんです。

 それがグローバル化された社会なんです。

 かつて国境がなくて人々が自由に行き来できる世界が、理想の社会だと思われた時代もありました。ジョン・レノンの「イマジン」なんて、そんな時代を象徴する歌です。

 しかし実際に世界の垣根が低くなり、人々が国境を越えて活動するのが当たり前の世界が到来した現在、このような方向で、我々の社会がグローバル化していくのなら、我々日本人にとって、国境のない世界は、理想の社会ではなく、恐怖の時代が訪れたのかもしれません。

 我々とは違うルールで活動する人々が、我々の社会にジャンジャン入ってきて、好き勝手な事をするわけだし、我々だって、心ならずも外国という、我々とは違うルールで営まれている社会の中に入って、社会活動や経済活動をしていかなければいけない時代なのです。ルールが違えば、常識も違うし、正義や悪も違うし、問題解決の方法だって違うわけです。

 そんな時に有効なのが、実は暴力なんですね。暴力は、ルールの違いや常識の壁を粉砕しちゃいます。知性や理性や常識やルールが通用しない世界では、暴力こそが共通言語なんです。ですから、グローバル化された社会って、私が思うに、かなり野蛮な社会じゃないかなって思うわけです。

 だから、世の中がグローバル化していって、事実上、国境が無くなった社会は、暴力を持たない人間にとっては、本当に怖い社会なのかもしれません。ただやられるだけ。ただ奪われるだけ。ただ殺されるだけ。恐怖に怯え、失っていくだけの世界になっていく…私はそう思います。

 これからも“軍事力を持たない”という選択をし続けていくのなら、いっそ、貧しくなっても鎖国しちゃった方がいいかも…って思うこともあります。大航海時代を鎖国で乗り切った江戸時代のご先祖様たちのように…。

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コメント

すとんさんの暴力論、興味深く読ませていただきました。
暴力には問答無用の破壊的なパワーと恐怖、それと同時に動物的な魅力もあります。それらを体で理解できるのは、暴力を経験した者だけです。あるいは想像力の豊かなインテリなら、過去の歴史から暴力の恐ろしさをシミュレーションできるでしょうけど。

人が触れたくないもの、世の中で隠されているものの中に、世界を構成する重要な要素があります。半分ぐらいは隠されてますかね。それらは悪とか不道徳などのレッテルを貼られています。セックスもそうですね。大昔のセックスは生きる喜びのようなもので、愛と同義だったのでしょうけど、いまや暴力と同様、タブーになってしまいました。

暴力は必要悪です。暴力が好きか嫌いかは問題ではなく、自分に加えられる暴力に対しては、暴力で対抗するしかないです。話し合いが成立するのは、相手が自分と同じ知性と価値観を持ち合わせているときだけです。話し合いが通じる知的な相手ならば、そもそも暴力を振るってくるはずがないわけです。暴力を否定する人たちも、本当はそのへん薄々感じているのではないでしょうか。ただ、暴力を必要悪と肯定して自分が穢れるのは嫌なので、どうしてもそのあたり矛盾が生じてしまうのでしょう。だからなるべく考えたくないのだと思います。

私が後進国に住んでいた時に、人権主義者たちが差別者に変わるのを見ました。それは彼ら(彼女ら)が守ろうとしていた被差別者と思われていた対象が、実は純粋な暴力的存在であって、人権主義者たちに危害を加え始めたからです。私はその被差別者の危険性をすぐに察知して、最初から敵対していましたから被害はなかったのですが、この呑気な人権主義者の変遷ぶりは興味深く観察させてもらいました。まさに180度、人権派が弾圧者に変わりました。

よって、平和ボケと呼ばれる日本人も、いざ侵略されれば暴力の恐ろしさを理解して、ころっと変わるものと思われます。日本人は極端なところがあるから、逆にその時の反動を想像すると怖いですね。

在日日本人さん

 暴力は否定したいですね。日本では、暴力に訴える事は卑劣卑怯な行いとされていますしね。でも、世界では暴力なんて、日常であって、別段卑劣でも卑怯でもないわけです。このあたりで、すでに、日本の常識とグローバルスタンダードに食い違いがあるわけです。

 私たち日本人の欠点は、日本の常識が世界の常識だと思い込んでいる事。世界中が、日本のような社会であり、世界の人々が日本人と同じ価値観を持っていて、日本人と同じような生活水準であると錯覚している事です。

 全部、間違いなんだけれどね。

 だからグローバル化された社会は怖いんです。日本人の常識が世界の常識に飲み込まれてしまうからです。日本の良さは、日本人の常識が通用する社会にあると思うのです。これでもしも、日本の社会が世界の常識に飲み込まれてしまうと、日本の良さが無くなってしまうと思うわけです。

 日本の良さを守るにはどうするべきか? まあ、軍事力を持って、暴力には暴力で対抗できるようになるのが一番だと、個人的には思ってますが、たぶんそれは無理でしょう。ならば、いっそのこと鎖国しちゃえと思うわけですが…鎖国も無理となると、近隣諸国からの暴力で、国と民族が滅んでしまうわけですが…少なくとも、私の生きているうちには、そんな事になってほしくないと思ってます。

 平和ボケというか、脳内お花畑のままでは、ほんと、マズイと思うんですが…ね。

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