ひとこと

  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2015年10月の記事

2015年10月31日 (土)

最近、シロとクロは仲違いしたようなんです

 ドジョウと言うのは、情が深くて、仲間を大切にする生き物です。特に、同じ時に水槽に入った連中は、本当に仲が良いものです。

 マドジョウのシロとクロも仲が良かったです。同じ時に我が家の水槽にやってきて、いつも二匹でつるんで生きていました。シロの居る所、必ず近くにクロもいて…そんな感じだったんですが、ここ最近はどうも事情が違うんです。

 最近は、シロの単独行動が目立つんですよね。シロの居る所、近くにドジョウがいるかもしれないけれど、いないかもしれない…んです。じゃあクロはどこにいるのかと言うと、後から入ってきた三匹の緋ドジョウたちと一緒にいる事が多いです。

 三匹の緋ドジョウとは、今年の7月にエナと一緒に我が家にやってきたドジョウたちです。三匹のうち、一匹だけが極端に小さいので“マッチボウ”と呼ばれていますが、他の二匹は、そこそこ大きいし、個体識別ができないので、まだ名前はついていません。

 で、クロはこの三匹たちと一緒にいる事が多くなりました。いつもこの子たちと一緒にいて、エサを食べる時も、休んでいる時も、ほぼ一緒に行動しています。

 シロとは行動を別にするようになってから、少しずつシロとクロで違いが出てきました。今では、明らかにクロの方が大きくて活発です。シロはあまり大きく育っていませんし、あまり活動的ではありません。じっとしていて全然動かない時も多いし、気絶して腹を上にして意識がないように思われる時も多々見受けられます。

 まあ、ドジョウの単独行動と言っても、ラズのように孤高のタイプなら心配しないのですが、シロは別に孤高タイプじゃなし、エサも十分に食べていないみたいだし、元気もないので、色々と心配なんです。単純に、仲間はずれになっているんじゃないかと思ってます。

 心配なんです。本当かどうかは知りませんが、ウサギは寂しいと死んでしまうそうですが、ドジョウだって、寂しがりやですから、あんまり寂しくさせてしまうと、色々とマズイんじゃないかなって思ってます。

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2015年10月30日 (金)

それでもテレビ、大好きです(笑)

 久しぶりに、フルートのレッスンに行ってきました。実に7週間ぶりです(笑)。

 別にサボっていたわけではなく、単純に仕事が忙しかったり、風邪ひいてダウンしていただけの話なんですが、それにしても7週間も謝礼だけお支払いしてレッスンを受けないなんて、コストパフォーマンス悪すぎ(笑)。まあ、習い事なんて、コストパフォーマンスの事をを考えていたら、出来ないからいいんだけれどね。

 声楽のY先生のところは、私と先生のスケジュールを合わせて、互いに時間の取れる時に不定期でレッスンを行っていますので、レッスンが無いとか、欠席するとかはないのだけれど、フルートのH先生のところは、多少の遅刻はOKだけれど、原則的にレッスンの日時が固定しているので、そこに行けなければ、レッスンをお休みせざるを得ないので、実生活が忙しくなってしまうと、どうしてもお休みが続く結果になってしまうわけです。

 で、久しぶりにレッスンに行ったら、H先生が「大丈夫? 忙しかったんだろ? 練習なんてしてなくてもいいよ。ここで練習すればいいんだから」と仰ってくれました。別に私がレッスンを休んだからと言って、サボっているわけじゃない事くらい、先生は理解してくれています。

 まあ、こういう先生だから、習い続けられるんだけれどね。

 さて、ロングトーンの練習です。バッチリ…ではありませんでした。なんか、以前のように、スキッと音が重なりません。合わせているのですが、何か微妙に違います。たぶん、私、微妙に下手になっているみたいです。

 そうこうしているうちに先生がやってきて、私の姿勢をあれこれ直し始めました。しばらくレッスンに行かなかったうちに、姿勢が微妙に崩れていたようです。楽器のクチへの当て方とか、楽器の向きとか方向、立ち位置の重心の位置とか…どれも小さな違いなんだけれど、微調整してもらいました。うむ、ちょっと注意してもらえるだけで、だいぶ吹きやすく鳴りました。

 先生って、有難いものです。

 エルステユーブンゲンは、12番ですが、合格しました。そりゃあ、7週間もレッスンに行かずに、自宅で練習していたら、暗譜もしちゃうって(笑)。次の13番は、自宅ではほとんど吹かなかったので、素であっちこっち間違えました。こりゃあ、暗譜するの、大変かも。

 次はプチエチュードですが、その前に先生から「アルテの2巻って持っている?」と尋ねられました。ええ、そろそろ2巻ですか! ようやくプチ・エチュードが半分ぐらい来たばかりなんですけれど?

 「いや、エチュードの前にアルテのスケールを吹いてもらいたくてね。ほら(君の苦手な)Es-durだろ?」

 「アルテの2巻は持っていませんが、いずれ使うなら、買って来てもいいですが、どのアルテを使いますか?」

 「ええと…いいや、スケールだけだから、次回持ってきてあげるから」って事になりました。一体私は、どんなスケールをやらされるのでしょうか?

 と言うわけで、Es-durの(笑)12番でした。

 さすがに、この7週間、マメに練習してきたと言っても、やっぱり12番、難しいです。おまけに私の苦手なEs-durだし(涙)。

 それでも、以前は苦手だった前打音も苦もなく吹いてますから、私は私で、上達しているんだと思います。ただ、やはり、私のスタッカートの吹き方が、先生の気に入らないようで「スタッカートは“音を短く”演奏するわけじゃないよ、前後の音と“分けて”演奏するんだよ」と注意されました。だから、音を短く演奏するのは、あくまでおまけであって、正しくは、スタッカートの付いている音符を、その前後の音から切り離しで吹くわけです。だから、スタッカートの音の後ろだけでなく、前も短くして吹かないと、音がきちんと分かれないわけです。なので、スタッカートの記号を見たら、その音だけでなく、その前の音にもスタッカートが付いている感じで吹くと良いのです。

 後はブリチアルディキイの扱いですね。この曲は演奏中にブリチアルディキイを入れたり外したり忙しい曲なのですが、そこをスムーズに行わないといけないのです。それって結構面倒なので、私は最初、すべて標準運指で吹いていたら(つまり、ブリチアルディキイを使わなかったわけですね)ダメを出されました。フラット系の曲は、問答無用でブリチアルディキイを使用するべきなんだそうです。と言うのも、標準運指よりもブリチアルディキイを使用した運指の方が音がきれいなんだそうです、へー、そうなんだ。だから、ブリチアルディキイの扱いに慣れるべきなんだそうです。頑張ります。

 で、今回の雑談です。

 実は、7週間レッスンを休んだ理由の一つが、仕事が忙しかったわけなんですが、本来、私、この時期は、もう少し余裕があるのです。ところが、今年は全然余裕が無くて、それでフルートレッスンを休んでしまったわけです。で、なんでそんなに余裕がなかったのかと言うと…実は私、テレビに出演していたんです。まあ、本業関係の出演だったので、ブログには書かなかったし、これからも書くつもりはないのだけれど、まあそれで、複数回に渡って、テレビ局のスタッフと打ち合わせしたり、ビデオ撮りしたり、ロケしたりしていたわけなんです。

 ほんと、メッチャ忙しかったんですってば(涙)。

 で、その話を先生にしたところ、実は先生も最近、テレビに出演されたようで、二人して「テレビ局のスタッフって、ダメだよね」という話をして盛り上がってしまいました。

テレビ局のスタッフのダメな点 その1 服装がダメ  いやあ、テレビ局のスタッフさんって、いい年した社会人なのに、どいつもこいつも“TシャツにGパン”だよ。こっちが年長者で、きちんとした服装しているのに、テレビ局のスタッフさんは“TシャツにGパン”なんです。まあ、私がなめられているのかな?と思っていたら、H先生のところに来たテレビ局の人も“TシャツにGパン”だったんだってサ。

 H先生の方は、コンサートの取材だったそうで、先生のコンサートの全容を撮っていたんだそうです。全部の演奏はもちろん、客席とかロビーの様子とか、そういう部分までビデオに収めていったんだそうです。クラシック音楽のコンサートですから、お客さんたちは、皆さんきちんとした恰好をしているのに、取材をしているテレビ局のスタッフは“TシャツにGパン”なんですよ。さすがに先生も「他の客に迷惑だから、その恰好で人前に出ないでくれ」と頼んだのに、軽く無視されてしまったそうです。

テレビ局のスタッフのダメな点 その2 言葉遣いがダメ  とにかくタメ口。こちらの方が年長者だし、社会的な立場だって、そこそこあるわけだし、肩書だってあるんだけれど、やっぱりタメ口。まあ、私はなめられているんだろうなあと思っていましたが、H先生も、やっぱりタメ口だったそうです。

テレビ局のスタッフのダメな点 その3 こっちの迷惑を考えない  たぶん、世界はテレビ局を中心に回っていると考えているのか、あるいはこちらを見下しているのか…。とにかく図々しくて、こちらの迷惑を考えてくれません。たぶん「テレビに出させてやるんだから、我慢しろ」って感じなのかなって思ってました。H先生は、演奏中の舞台の上に、“TシャツにGパン”姿のカメラマンが何台も上がってきて、すごく迷惑だったそうです。先生のコンサートがメインで、そのコンサートの取材にテレビ局が来ているはずなのに、まるでテレビ収録がメインであるかのように振る舞うので、甚だしく迷惑だったそうです。

 それだけ迷惑をかけておいて、使ったのはアンコール演奏の部分だけ(時間にして約10分ほど)だったそうです。なので、H先生、マジで怒ってました(そりゃあ、そうだよね)。

 そんなに、テレビ局の収録って、大変だし、あまり気分の良いものではないのに、なぜ私も先生もテレビの仕事を引き受けたのかと言うと…宣伝効果だね。とにかく、顔と名前を売るのに、テレビ出演は最高だもの。H先生もたった10分のテレビ出演だったそうだけれど、その後、生徒さんがドドーッと押し寄せてきたんだそうです。で、しばらくすると、その生徒さんたちが、ポツリポツリと辞めて行くんだそうです。なんかなあ…。

 とにかく、テレビの宣伝効果は抜群なんです。それを思うと、多少見下されていても、少々迷惑を被ろうと、我慢してテレビ出演しちゃうわけで、そんな姿勢が相手にも伝わるんでしょうね。だから向こうも「テレビに出させてやっているんだから…」って態度になるんだと思います。

 まあ、ある意味、宣伝のために、こちらも魂を売っているわけだから、我慢我慢なんだな。ふう。

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2015年10月29日 (木)

音楽なんて、オトナになってから始めたのでは、遅すぎませんか?

 「英雄ポロネーズが弾けるようになりたいので、ピアノを習いたいです」 そんな事を言って、街のピアノ教室の門を叩く生徒がいたら、先生として、どう思うでしょうか?

 問題は、その生徒の才能と…年齢でしょうね。まあ、才能は人それぞれだし、簡単に分かりませんから、まずは年齢で考えてみましょう。幼稚園ぐらいの子ならば(幼稚園で“英雄ポロネーズ”という曲を知っているかは別として)、先生としては、大歓迎でしょう。しっかり教えて、ぜひ立派なピアニストに育ててみようと思うかもしれません。

 小学校低学年の子だとどうでしょうか? 自分から申し出るような子なら、真面目で熱心でしょうから、受け入れたいと思うかな? 音楽経験の全く無い、小学校高学年ぐらいの子だと、どうでしょうね。英雄ポロネーズに到達するかどうかは疑問だけれど、その心意気を買って、ひとまずレッスンを始める…でしょうね。

 中学生や高校生だったらどうでしょうか? それも全くの素人で、そんな年齢になってしまった人だったら、どうしますか? 英雄ポロネーズにだけしぼったレッスンをするならともかく、色々と力をつけて、その結果、英雄ポロネーズが弾けるようになる…という事は無理でしょう。実際、音大受験希望者ならともかく、一般の中高生だと勉強に部活に忙しくて、いくらやる気があっても、ピアノの練習自体が難しい時期です。先生としても「この子は何を言っているのかしら?」と思ってしまうかもしれません。

 50歳を過ぎた、音楽の素人のオジサンが「英雄ポロネーズが弾けるようになりたいので、ピアノを習いたいです」なんて事を言い出したら、どうしますか? 客観的に見れば、本人がいくら望んで頑張っても、まあ無理ですね。絶対に弾けるようにはなりません。

 無理だから断りますか? それとも無理を承知でお茶を濁してレッスンさせますか? 
 そもそも論を言っちゃえば、ピアノという楽器が難しすぎる楽器なんだと思います。プロにならなくても、アマチュアとして楽しめる程度に弾けるまでに、相当の年月と努力と才能と経済力が必要です。50歳過ぎた素人が気軽に始めてマスターできるような楽器ではありません。

 おそらくヴァイオリンも同じような感じでしょう。管楽器は、木管にせよ金管にせよ、中学校のブラバンで始めました…という人も多いので、中高生ぐらいから始めれば、そこそこイケるのかもしれませんが、やっぱりオトナになってから始めたのでは、たかがしれてます。ポピュラー系のギターやシンセだって、やっぱり中高生ぐらいから始めていないと、色々と厳しいですね。

 ひとまず才能は度外視するならば、ピアノやヴァイオリンなどは幼少期から、その他の楽器も中高生の頃から始めないと、楽しめる程度には上達できないのではないかと思います。つまり、乱暴な言い方をするならば“音楽なんて、オトナになってから始めたのでは、遅すぎる”と言えるのかもしれません。

 まあ、オトナになってから始めるなら、所詮は趣味の範疇です。“自分なりに楽しめる程度でかまわない”と割り切るなら、それはそれでアリですけれど…。

 そこへ行くと、たぶん、歌の世界は違います。クラシックであれ、ポピュラーであれ、歌の場合は、始めるのに遅すぎるという事は、たぶん無いと思います。たとえ音楽の素人であっても、良い指導者と巡り合い、自分の声に合った曲を選ぶならば、数年真面目に頑張れば、たいていの人が聞ける程度の歌を歌えるようになります。プロと同じ楽譜を使って、上手い下手の違いはあっても歌うことが出来るようになります。

 そういう事からすれば、歌の場合は“音楽だからと言っても、オトナになってから始めても、十分に楽しめる”って言えるのかもしれません。

 なので、子どものうちに音楽に目覚めたのなら、楽器にトライしてみると良いし、オトナになってから音楽を始めたいのなら、歌にチャレンジするのが良い…というのが、私の結論です。

 そうは言いつつ、いい年してフルート吹いている私なんですけれどね(笑)。

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2015年10月28日 (水)

筋トレとストレッチが必要なんだと

 声楽のレッスンの続きです。曲のレッスンに入りました。

 まずは新曲です。トスティ作曲の「Tormento!/苦しみ」です。この曲は、歌えるか歌えないかで言えば、歌える曲なので、主に発声のための練習曲としてレッスンをしてもらう事になりました。

 まずはフレーズの歌い出しの発音について。息はいきなりガツンを出すのではなく(音としてはクレシェンドではないけれど)クレシェンドを意識して出します。息はクレシェンドであっても、響きは最初から高く、支えは常にしっかりと入れる事。

 フレーズを歌っている間は、上行音形では支えを入れ続け、ノドを開いて歌います。下降音形では支えを徐々に緩めて、ノドも少しずつ開いているのを緩めていきます。大切な事は、少しずつ緩めていく事です。力を抜いたり、閉じたりするわけではありませんし、また坂を転がるように一挙に緩めるのも無しです。

 私の場合は、ノドは開くか閉じるか。支えは、入れるか抜くか。つまり、常に“All or Nothing”であって、その中間が無い…と言われました。中間が無いから、常に“All”で行くしかないのだけれど、人間、行くだけ行ったら、必ず壁にぶつかるわけです。だから、歌っている最中に疲れてしまって、響きが落ちて、ノド声になってしまう…というわけです。

 本来は“All or Nothing”ではなく、その中間も細かく使えるのが良いけれど、それが出来るためには、しなやかな筋肉とそれを支える筋力が必要なので、一朝一夕ではできるようにはならないので、出来るようになる事を目指しながらも、まずは筋肉と筋力を身につけることを目指しましょうってわけです。

 とにかく、歌唱上達のためには、筋トレとストレッチが大切なんだそうです。声楽家の中には、とりわけストレッチにはまってしまって、ヨガをやっている人も結構いるそうです(それくらい、ストレッチは大切って話です)。

 また高音(この曲の場合はG)もガツンと出すのではなく、時間をかけて(心理的に)ゆっくりと出すことが大切です。気分はクレッシェンドのグリッサンドです。息を先行させながら、徐々にその息を声にしていく感じです。その際も、いきなり母音を出すのではなく、子音の発音にもじっくり時間をかけて、丁寧に発音していくのが大切です。特に有声子音なら、音程にも気をつけるのです。息の支えを入れながら、クチも開いていきます。

 すでにこの段階で、ヘトヘトになっています。汗がダラダラと流れ落ちて止まりません。いやあ、声楽ってスポーツだなあ…。でも「Tormento!/苦しみ」は、なかなかいい感じで歌えているようです。妻も「今までで一番いい感じに歌える曲」と言ってくれました。ううむ、この曲は、私のレパートリーに入れる事にしましょう。

 最後の曲「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」になりましたが、もう、ロクに歌える状態ではありません。でも、レッスンでは、それでいいんだそうです。疲れきって、もう歌えない状態になってから、無理矢理に歌うことで必要な筋肉が育っていくし、力任せに歌えない分、テクニックを使わざるを得ないからです。

 ちょっと声を出しては休み、少し歌っては休んでいたキング先生のレッスンが懐かしいです。あの頃は、レッスンの合間の休憩時間にお茶を飲んだり、雑談をしたりできましたもの。今は、レッスン中の雑談なんて無いし、お茶どころか、水分補給をしている間さえありません。ほんと、レッスン中は、休まず歌い続けているんです(このスタイルの方が当たり前か)。

 実はこの曲、カラダを使って歌っていく箇所と、カラダを休めながら歌う箇所があります。私はすべての箇所でカラダを使ってガンガン歌っていくので、最後までカラダが持たないし、そういう歌い方をしていると、今の状態(疲れきっている状態)では、全く歌えなくなってしまうのです。

 ですから、カラダを休めながら歌う事も覚えなければいけません…が、私がカラダを休めながら歌っちゃうと、休みすぎてしまって、全然ダメなんです。休みながら…と言っても、それは脱力とは違うのです。必要な箇所には最低限の力を入れていかないといけません。力を入れながら休む…難しいです。

 そうそう、歌っている時の姿勢を注意されました。私は時々、歌っている時にカカトが浮いてしまっているんだそうです。カカトが浮いてしまうと、せっかく息を支えても、そのチカラがカカトから抜けてしまうのだそうです。だから、カカトはしっかり地面につけて、重心を低めにする必要があります。武道で言う「腰を入れていく」ような感じが必要なんだと思います。その上で、アゴを引いてウナジを伸ばし、目はやや上目遣いにする…なんて、まるで柔道の自然体のようですね(笑)。あ、でも柔道の自然体なら、カカトは常に浮いていますから、そこは全然違うわ。

 ああ、それにしても、ベッリーニは色々と難しいです。私、ベッリーニをなめていたつもりは無いけれど、手に負えないのが現実です。ああ、大変だあ。

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2015年10月27日 (火)

ノド声はダメ、響きで歌いましょう

 声楽のレッスンに行ってきました。まずは、先日出演したクラシックコンサートの反省会です。先生と一緒に当日の音源を聞きました。

 先生がおっしゃるには、本番はいつになく丁寧で良い。この丁寧さを日頃のレッスンでも発揮してくれれば、もっと良いとの事でした。歌というものは、丁寧に歌えば、破綻する事はなく、丁寧さを失った途端、壊れて崩壊していくんだそうです。

 一曲目の「Love Me!/私を愛してください!」は、最後まで丁寧に歌えたのでOK。二曲目の「Starlight/星の明かり」は、疲れてきたせいか、歌っているうちに段々丁寧さがなくなっていき、段々声帯に力が入っていくのが聞いていて分かるんだそうです。で、高いAの音のところで、一気に息をノドにぶつけてしまい、そこから先はノド声になってしまっているんだそうです。そうなると、歌はお終いで、そこから先は、さすがに撃沈はしていませんが、声を使いきってしまい、無様な歌になっています。

 大切な事は、決してノドで歌ってはいけないという事です。ノドを鳴らしてはいけないという事です。

 ノドで歌うと、一気に声が消耗してしまいます。まあ、私の場合、ノドはかなり強いし、キング先生に鍛えていただいたので、ノド声であっても、普通なら一気に消耗してしまう声が、一気ではなく徐々に消耗していくので、すぐに声が無くなるわけではないのだけれど、それでもやっぱり、みるみる声は消耗していきます。

 だから、ノド声で歌ってはいけません。声を鳴らして喜んでいてはいけません。最後までしっかりと響きを保って歌わないといけないのです。

 でも、ノド声には罠があります。ついつい声を大きくしようとしてノド声で歌唱してしまったり、音程が届かなくて、それを届かせようとして、力んだ結果、ノド声で歌ってしまったり、鳴り響く声で歌おうとして、これまたノド声で歌ってしまったり…。そんなこんなで、最初のうちは響きで歌っていても、ついついノド声になってしまいがちなんだそうですし、私は特にその傾向が強いのです。

 実はこれらの対処法は、すべて間違っています。

 確かにノド声の方が音量は大きく感じますが、ノド声は側鳴りの声なので、大きく感じるのは自分だけで、声はそんなに遠くまでは届かないのです。また音程に関しても、ノド声で歌うと、音程が届くどころか、逆に音程がぶら下がってしまうわけです。それにノド声は感情表現がしやすい声である事は間違いないのですが、声そのものは、ひいきめに見ても“怒鳴り声”とか“ダミ声”でしかありません。ノド声は美しくないのです。

 ノド声で歌って、良いことなんて一つもないのです。むしろノドを痛め、声を壊すだけです。だから、絶対にノド声で歌ってはいけないのに…私、「Starlight/星の明かり」の途中から、明らかにノド声になって歌ってます。まずはここを深く反省しないといけません。

 ノド声を回避して、最後まで響きだけで歌い続けるために必要なのは、結局、筋力です。腹筋の筋力なんだそうです。

 つまり、腹筋が疲れてしまい、声が胴体で支えられなくなったから、ノドで支えようとして、ノド声になってしまうのです。だから、腹筋が強ければ、ノド声にはなりません。私は長年ノドで歌ってきましたし、ノドが人よりも強いし、その分、腹筋が弱いので、なかなかノド声から脱出できません。ああ、残念。ですから、腹筋を鍛える必要があるんです。

 ただし、腹筋を鍛えて強くする必要はありますが、だからと言って、腹筋を固めてはいけません。柔らかい腹筋が必要です。常に動き続けている、しなやかな筋肉が必要なのです。

 まあ、そんなわけで、まだまだ100点満点には程遠い歌唱でしたが、それでも今年の発表会以降、クラシックコンサートまでの間に、大きく上達している私ですし、その上達ぶりがよく分かる歌唱だったと、先生に言われました。そして先生も、私の上達が感じられて、うれしいのだそうです。

 と言うのも、これでちっとも私が上達していなくて、相変わらずの歌い方しかできないのなら、それは先生が無力であった事の現れであり、指導力ゼロって事の証明でしかないからです。

 まあ、私は生徒が進歩していない事の原因のすべてが先生にあるとは思いませんし、先生の指導力よりも、本人の努力とか適性とかの方が影響大きいとは思いますが、先生の立場になれば、やはり生徒が進歩していなければ、ご自分の指導力の不足を感じてしまうでしょうし、いただいた謝礼に対して申し訳ない気分になってしまうのでしょう。それは仕方のない事です。

 ですから、何はともあれ、微々たるとは言え、確実に進歩している私を見て、Y先生は嬉しくなったわけです。そしてそれは、Y先生だけでなく、私にとっても嬉しい事です。だって、キング先生のところでは、本当に歌が上達しなかった私です。いや、むしろ下手になっていたくらいです。それがY先生のおかげで、みるみる歌が上達しているんですから、ほんと、私にとっても、嬉しい事なんですよ。

 ここまでのところで時間になりましたので、二重唱の感想は、また今度にして、さっそくレッスンに入りました。

 まずは発声練習から。今回は、徹底的に響きで歌う練習をしました。

 まずは分かりやすい練習方法として、私と先生で同じフレーズを歌います。その際、バリトンである先生よりも重い声で歌うなんて論外、先生よりもずっと軽い声で歌わないとダメが入るという練習をしました。まあ、コツをつかんでしまえば簡単なんですが、最初はコツがつかめずに難しいです。特に、ノドを広げようとすると、ついつい響きが下に落ちて重い声になりがちです。正解はノドを広げて、下に落ちた響きを、支えの力で上に持ち上げて歌うのですが…これがなかなか難しいというか、シンドイです。ほんと、腹筋をしぼりあげながら歌うわけで、たかが発声練習ですが、全身から汗が噴き出る始末です。

 腹筋を絞り上げながら、クチの奥を大きく開いていきます。奥を開くと、また声が落ちてしまうので、またまた腹筋を絞り上げます。で、クチの奥を大きく開いて、響きのポイントを高く高く維持していきます。もはや、自分が発声練習をしているのか、筋トレをしているのか、定かでなくなっていきます。

 で、気を抜いて、うっかり声を落としてノドに入れてしまうと、ノドに痛みが走ります。ノドが痛くなるボジションは、ノドを壊してしまうポジションです。このまま下のボジションで歌い続けていくと、ノドが炎症を起こして、出血して壊れてしまいます。だから、ノドが痛くなったら、急いで声の響きを高くして、痛みを回避します。

 声のポジションが高い限り、ノドが痛くなることも、声が壊れてしまうこともないからです。

 それにしても、今回の発声練習は、とてもとてもハードな練習でした。

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2015年10月26日 (月)

習い事における、良い先生の条件

 『良い先生の条件』と言ったって、実は定義次第で、いくらでもどうにでもなるような気がしますので、ここは「自分なら、どんな先生に習いたいか?」という視点で考えてみる事にしましょう。これは、裏返して先生の立場から見れば「生徒は先生に何を望んでいるのか」という事にもなります。

 では、生徒たちは、どんな先生に習いたいでしょう? ざっくり言っちゃえば“良い先生”に習いたいものです。では“良い先生”とは、どんな先生でしょうか?

 “良い先生”とは簡単に言えば『生徒から慕われる先生』の事です。では、生徒から慕われる先生の条件…と言うか、持っている要素はなんでしょうか? 先生が生徒から慕われるためには、どんな要素・能力が必要なのでしょうか?

 私が思うに“人格”“演奏力”“教授力”の3つを備えていれば、生徒に慕われる先生になれるのではないかと思います。

 “人格”と、ひと言で言っても、色々なパターンがあると思います。“尊敬される”タイプの先生もいれば“愛される”タイプの先生もいるでしょう。色々なパターンがあったとしても、共通して言えることは『生徒から受け入れてもらえる』人って事です。つまり“まともな人間”って事ですね。

 「先生、怖い」とか「先生、威張ってる」とか、虚勢をはっているとか、「言ってる事と、やっている事が違うじゃん」とか、「この前言ってた事と違うよぉ」とか、「生徒の訴えをまともに取り合わない」とか、すぐに誤魔化すとか、嘘をつくとか、保身に走るとか、コミニュケーション能力が低いとか、挙動不審とか、不潔だとか…先生ってサービス業だし接客業なんだけれど、そこのところが全くダメな人って、やっぱり人間として問題があるというか…先生業に不向きなんだと思います。そういう先生は、なかなか生徒に受け入れてもらえません。生徒の側からすれば、そんな先生に習うのは、苦痛で苦悩でしかなく“先生嫌い”が、やがて“音楽嫌い”になりかねません。

 でもね、音楽家という人種は、一般的に言って、変わった人も多くて、この“人格”と言った点で“???”な人も少なからずいるんですよね(ため息)。私だって、誰とは申し上げませんが、もう少しで音楽が嫌いになるところでしたもの。

 “演奏力”が必要なのは、ある意味、当たり前と言えば当たり前の話です。しかし、学校のセンセだって、幼稚園教諭と大学教授では、求められる知的レベルが違うように、習い事の先生も、対象となる生徒たちの質やレベルや年齢や目標や野望によって、求められる“演奏力”が違うのは当然です。最低限のラインで言えば『教則本レベルはスラスラ演奏できる』が最低限かな(笑)。別に有名音大を卒業している必要はないけれど、ある程度の演奏力は絶対に必要です。少なくとも、生徒たちよりも明らかに高い演奏力を持っている事は必要ですが、だからと言って、演奏家として一本立ちできるほどの演奏力が必要なのかと言うと…対象とする生徒次第とも言えます。

 むしろ“演奏力”よりも重要なのは“教授力”かもしれません。極端な話“教授力”が高ければ“演奏力”が低くても良いかもしれません。たとえば、オーボエ奏者がフルートを教えるとか、ピアニストがソプラノ歌手を教えるとかだって“教授力”さえあれば十分に可能だし、良い学習成果をあげられるかもしれません。

 習い事の先生の場合“教授力”に必要なのは、良い演奏とダメな演奏を見抜く“審美眼”と、演奏現場で何が行われているかを推察できる“優れた耳”と、それらの改善策を生徒に的確に伝えられる“豊かな語彙”だと思います。

 それに加えて、生徒が子どもの場合は“保育能力”も“教授力”に加わるでしょう。

 生徒がオトナの場合は…先生の“教授力”が多少低くても、生徒自身が自分で勝手に学んでいく部分もあるので、子どもの生徒とは先生に求めるものが変わります。色々と違うのだけれど、一番違うのは、オトナの生徒は、先生に“ブランド”を求める事かな?

 オトナって、子どもと違って見栄っ張りですからね。子どもは自分の先生を無条件に愛してくれますが、一部のオトナの生徒にとっては、習い事の先生ってのは、自分を飾るアイテムの一つですから、同じ習うなら、自慢できる立派な先生の方がいいんです。つまり“ブランド”力の高い先生がいいですね。例えば、有名な大学を卒業しているとか、演奏家として活躍しているとか…CDデビューしている先生なんていいですね。現役音大教授とかだったら最高かもしれません。そういう先生なら、多少、謝礼がお高くてもいいんです。そんなにお高い謝礼を支払いながら、ちゃんとした先生に師事している自分が可愛いんです。

 でも、その一方で、今書いた事とは矛盾するけれど、やっぱり習い事の謝礼は、リーズナブルな方がオトナには受けます。人って、自分の子どもの習い事には、いくらでもお金をかけられても、自分の事になると、急に財布のヒモが固くなるものです。ですから本音は「破格に安い謝礼で、見栄が張れるほど立派な先生から習いたい」なんだと思います。いやあ、実に自分勝手な条件です。

 謝礼の話をすると、世の中における仕事の対価と言うのは、受容と供給のバランスの中で決まるのですが、習い事の先生ってのは、音大卒業者の就職難も相まって、先生自体が供給過多なので、本来の適正価格よりも、かなり安いんだろうと思います。

 とにかく、大学出たての、親のすねかじりのお嬢さん先生たちが、子どもの小遣いに毛の生えた程度の安価な謝礼で音楽教室を開業するので、街のピアノ教室の謝礼一般が、安価な方向に傾かざるを得ません。牛丼屋と一緒で、ピアノ教室も価格勝負の部分がありますし、ピアノ教室の謝礼が音楽教室一般の謝礼のベースになるでしょうから、謝礼に関して言うと、すでに十分安いのですから、これ以上の安さを求めても仕方ないのだろうと思います。

 結論  習い事における、良い先生の条件とは…“人格”“演奏力”“教授力”の3つを兼ね備えた先生であり、できれば皆に自慢できるようなブランドの先生の方が良くて、なおかつ謝礼も安けりゃ、なお良し…って事になります…かな(笑)

 蛇足  家の近所ってのも、良い先生の条件の一つだね。いくら良い先生でも、遠方の先生には習いきれるものではありません。私の場合『自宅から1時間以内で通える』ってのが、条件の一つかな? 以前、片道2時間程度かかる先生のところで、1レッスン2時間程度のレッスンを受けていた事がありますか、行きに2時間、レッスンで2時間、帰りに2時間ってわけで、計6時間。休日が丸々つぶれていましたが…さすがにこんなに強行軍では、習い続けることができませんでした。

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2015年10月25日 (日)

グローバル化された世界って、本当は怖い世界なのかもしれません

 数日前に、一斉に報道されたので皆さん方もご存知だと思いますが、韓国のソウル中央地裁は、産経新聞前ソウル支局長の加藤達也さんを在宅起訴し、検察側の求める懲役1年6ヶ月を認めて結審したんだそうです。判決の言い渡しそのものは、11月26日に行われるそうです。

 一体、加藤さんが何をやったのかと言うと、韓国最大部数を誇っている朝鮮日報という地元新聞に掲載された、チェ・ボシク(崔普植)記者が書いた「大統領をめぐる風聞」というコラムを、産経新聞で日本語で日本人読者に向けて紹介するコラムを書いただけです。それでアウト。それで有罪判決が下る事になったわけです。

 だいたい、今回の有罪判決の前に、加藤氏は韓国で8ヶ月間に渡る韓国からの出国禁止(事実上の軟禁状態)に置かれ、さんざん韓国マスコミ&韓国人たちから誹謗中傷暴行を受けて、ようやく日本に帰国できたかと思ったところで、懲役1年6ヶ月の判決をくらう事になりそうです。正式に判決の言い渡しが行われるまでは分かりませんが、執行猶予はつかずに実刑が申し渡されるという報道もあります。そうなると、加藤氏は再び韓国に行って、今度は韓国の刑務所で1年6ヶ月の間、刑に服する事になります。

 ネットでググると、韓国の刑務所って、暴行とか不審死とかとセットになっているけれど、加藤さん、生きて日本に帰れるかな?

 ちなみに引用元の朝鮮日報やチェ・ボクシ記者が言うには『自分たちは、産経新聞に勝手にコラムを引用されただけで、今回の件については無関係だし、自分たちのコラムは国家を憂いたコラムだが、産経新聞のコラムは破廉恥極まりないコラムだから、全然別モノだ』と主張しておりますし、実際、韓国国民もマスコミも裁判所も、朝鮮日報やチェ・ボクシ記者に対しては、特に問題にする事はなく、専ら問題視され、矢面に立たされているのは、日本であり、産経新聞であり、加藤さんなんですね。

 私たちの感覚で言えば、加藤さんのコラムがアウトなら、引用元のチェのコラムだってアウトだし、日本人である加藤さんだけ、8ヶ月も自由を奪われた上に、有罪判決なんてのは、絶対におかしいし、公平ではないと感じるわけです。それにだいたい加藤さんは個人の資格で記事を書いたわけではなく、あくまでも産経新聞社の記者としてコラムの紹介をしたわけで、“報道の自由”とか“人権の尊重”ってのは、どうなったの? と問いたいわけです。もし、有罪にするにしても、加藤氏個人ではなくて、産経新聞社そのものを相手取るべきでしょう。

 でも、それはあくまでも我々の主張であって、韓国や韓国人はそうは思わないわけです。あちらには“愛国無罪”という言葉もあるし、我々から見れば可怪しい法律であっても、あちらでは正規の法律なわけだし、色々と非常識に思えることも、韓国社会では当然の正義であったりするわけです。

 いや、まだ韓国の件はマシかもしれません。

 中国では、昨年1月に成立した反スパイ法によって、すでに4人の日本人が逮捕拘束されたという報道がありました。一部の海外メディア報道によれば、スパイとして拘束されている日本人は4人じゃなくて75人だという話もあります。

 中国は人治政治の国で、民主主義政治を行っている我々とは、社会の仕組みや法も違えば、裁判制度も違うわけで、逮捕拘束された人が、誰も知らぬ間に、いつのまにか死刑にされてしまう事もある国です。いや、死刑になっていなくても、逮捕拘束された段階で拷問を受けている可能性は否定できません。

 で、この4人ですが、もちろん日本国のスパイであるはずもなく、単なる日本人ビジネスマンだという話もありますが、そんな事、中国にとっては関係ありません。彼らがスパイだと認定すれば、根拠や証拠が無くても、スパイなんです。それが彼らの法なんです。で、スパイなら殺してもいいし、国家間の取引材料に使ってもいいのです。それが中国なんです。

 我彼の違いを認め、その違いを受け入れて、それぞれがお互いのやり方を尊重しながら、社会を営んでいくのがグローバル化された社会なら、産経新聞の加藤さんの行った事は悪であり、加藤さんは韓国の裁判所の判決に従うべきなんだという結論になります。その結果、加藤さんが死んでしまっても、それは仕方ないわけです。同じように、中国でスパイ容疑をかけられた日本人が、無実の罪でジャンジャン殺されても、それもまた仕方ない事なのです。

 まあ、アメリカなら、自国民が韓国や中国から、そんな理不尽な目にあったら、絶対許さないでしょうね。たとえ相手が韓国や中国であっても、抗議をするだろうし、それでもこちらの言う事を聞かなければ、宣戦布告をして、空爆に行くかもしれませんし、ミサイルを打ち込むかもしれません。

 でも日本は絶対に軍事力には訴えません。日本人がどんなにひどい目にあったとしても、国は文句しか言いませんから、韓国や中国はやりたい放題です。現に、北朝鮮に拉致された人たちは帰ってこないでしょ? あれと同じ事なんです。いくら外交筋を通そうと、文句なんてモノは、いくら言われても聞き流せば、それでいいんですからね。日本はやられっぱなしなんです。

 それがグローバル化された社会なんです。

 かつて国境がなくて人々が自由に行き来できる世界が、理想の社会だと思われた時代もありました。ジョン・レノンの「イマジン」なんて、そんな時代を象徴する歌です。

 しかし実際に世界の垣根が低くなり、人々が国境を越えて活動するのが当たり前の世界が到来した現在、このような方向で、我々の社会がグローバル化していくのなら、我々日本人にとって、国境のない世界は、理想の社会ではなく、恐怖の時代が訪れたのかもしれません。

 我々とは違うルールで活動する人々が、我々の社会にジャンジャン入ってきて、好き勝手な事をするわけだし、我々だって、心ならずも外国という、我々とは違うルールで営まれている社会の中に入って、社会活動や経済活動をしていかなければいけない時代なのです。ルールが違えば、常識も違うし、正義や悪も違うし、問題解決の方法だって違うわけです。

 そんな時に有効なのが、実は暴力なんですね。暴力は、ルールの違いや常識の壁を粉砕しちゃいます。知性や理性や常識やルールが通用しない世界では、暴力こそが共通言語なんです。ですから、グローバル化された社会って、私が思うに、かなり野蛮な社会じゃないかなって思うわけです。

 だから、世の中がグローバル化していって、事実上、国境が無くなった社会は、暴力を持たない人間にとっては、本当に怖い社会なのかもしれません。ただやられるだけ。ただ奪われるだけ。ただ殺されるだけ。恐怖に怯え、失っていくだけの世界になっていく…私はそう思います。

 これからも“軍事力を持たない”という選択をし続けていくのなら、いっそ、貧しくなっても鎖国しちゃった方がいいかも…って思うこともあります。大航海時代を鎖国で乗り切った江戸時代のご先祖様たちのように…。

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2015年10月24日 (土)

ラズが死んだ?

 ある日、水槽をのぞいてみました。

 水槽の隅の部分。ポンプの管とガラスの壁面の狭い空間に、ラズが縦になって、アタマを上にして浮いていました。微妙にカラダをねじって固まった状態で浮いている…と言うか、漂っているというか、まあそんな感じ。

 異様な感じがしたので、よく見てみました。

 まず、体色がいつもとは違います。いつもは濃いオレンジ色をしているのですが、この時は、真っ白でした。エラを見てみると、動いていません。目にも生気が感じられません。

 ガラスの壁面を軽く叩いてみました。……何の反応もありません。少し強くガラスの壁面を叩いてみましたが、全く動きません。

 『星になってしまった…!』 そう判断しました。

 そこで、水槽から取り出そうと思いましたが、なにしろ狭い場所にいるので、ピンセットで、そこから掻き出してから取り出そうと思い、カラダをピンセットで突いて動かしたら…ノソ~っと動き出しました。

 あれ? と思っていると、ゆっくりと泳ぎだして、水槽の底にいつものように沈みました。白かった体色も徐々にいつものオレンジ色に戻って行きました。

 どうやら、死んではいなかったようです。でも、寝ていたわけではなく、気絶していたようです。もしかすると、仮死状態だったのかもしれません。おそらく呼吸はしていなかっただろうし、心臓も動いていたかどうか怪しいです。

 それから数日経ちましたが、とりあえずラズは元気なようなので安心していますが、それでも一時は仮死状態にあったわけで、一体ラズに何が起こったのでしょうか? 心配しなくもいいのでしょうか?…と言って、心配したからと言って、何が出来るというわけではないのですが、…それでもやはり心配です。

 魚類の健康状態なんて、なかなか分からないからねえ…。とにかく、ラズが死んでなくて、よかったです。

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2015年10月23日 (金)

フルートの調整をしてきて、アルタスの頭部管について教えてもらったよ

 先日、フルートの調整をしてきました。いつもは妻と二人で出かけるのですが、今回、妻は別用事があったので、私一人で調整にやってきました。

 私は“おしゃべりなオッサン”と思われがちですが、実は無口でコミュ障なオッサンです。だって、ヲタクだもん。クチは重いし、人見知り激しいし。それでも妻がいると、彼女が色々と他人との間を取り持ってくれるので、なんとか社会生活が営めるってわけです。

 なのに、今回は一人でフルートの調整に行ったものだから、楽器店の店員さんともロクに話をせず(そのために、予約を入れていたにも関わらず、結構待たされた:笑)、調整をしてくれた職人さん(いつものSさんではなかったのです:涙)ともクチをきかず、実に物静かで微妙な空気の中でのフルート調整となりました。

 特に職人さんとのやり取りは、今思うに、少しひどかったかな?って思うほどでした。

 職人さんが「どこか調子の悪いところはありますか?」と尋ねてきたものだから「いや、別に…」と返答。さすがに、その答えだけでは職人さんも困っているようだったので「特に調子の悪いところはないのだけれど……ここのところ、フルートの調整をさぼっているものだから……見てもらおうと思って…」とボソっと言ったものだから、職人さん、やおらフルートを手にとって、あれこれチェックをし始めたら、ほとんどのキーの調子が悪かったようです(笑)。

 ですから、職人さんは、ダメになっているキーの説明をして「これらのキーを調整します」とおっしゃったものだから「はあ~」とか生返事をしちゃった私です。

 作業中も、ずっと黙っていて……私が黙っているものだから、職人さんも黙ってしまって、実に静かな時間が流れちゃいました。調整が終わって、職人さんが「いかがですか?」と言うから、チャチャッとフルートを吹いて「いいです」と、ぶっきらぼうに答えたし…。ああ、ダメだな。

 で、調整が終わって、礼を言って、フルートの調整は、お終い。いやあ、これじゃあ、ブログのネタにもならないよ(笑)。

 このままではいけない…と思った私は、見知らぬ人に話しかけるのは、とっても苦手なんですが、がんばって勇気をふるって、アルタスの新しい営業さん(始めて見る顔でした)に声をかけて質問してみました。

 質問内容は「ここに並んでいるフルートたちは、素材以外に、それぞれどう違うんですか?」です。

 素材の違いは分かるんです。銀の含有率だと、メッキの有無とかね。あと、巻き管とか、ソルダードとか、ドゥローンとかの違いも分かる。それ以外の、主にフルートの造りの違いはありますか? という趣旨の質問なんです。

 そうしたら「頭部管が違います」という答えが返ってきました。なんでも、頭部管の造りは、次の4つのグループ(私が勝手にA,Bと名づけました)ごとに、それぞれ違っているんだそうです。

Aグループ…A807,A907,A1007,A1107
Bグループ…TS
Cグループ…A1207,A1307
Dグループ…A1407,A1507,A1607,PS,AL,GPT,Platinum,その他ゴールドフルートなど。

 Aグループの頭部管は、フルート初心者が吹きやすくて、大きな音量が出るように作られているそうです。Bグループは、Aグループの発展形で、吹きやすくて、大きな音量が出て、なおかつ、総銀っぽい音する頭部管なんだそうです。Cグループが、いわばアルタスの標準で、Dグループは、Cグループの発展形で、吹きづらいけれど、良い音がするように作ってあるんだそうです。

 つまり、Aグループがスクールモデルで、Bグループがスクールモデル(上級)。Cがアルタスのスタンダードモデルで、Dが高級フルート(あるいはプロ仕様モデル)ってわけです。

 この話を聞いて、納得したのがBグループと言うか、TSモデルの立ち位置。こういうコンセプトで作られていたのかと、納得です。で、意外に思ったのが、A1407とA1507の立ち位置。これら二種類のフルートは、当然Cグループだと思っていたけれど、実はDグループだった事。つまり、A1207とA1407,あるいはA1307とA1507の違いは、単にトーンホールがドゥローンかソルダードかの違いだけでなく、頭部管の造りも違っていた…ってわけです。意外だね。あとGPTは、A1307にメッキ加工を施したフルートと思っていたのですが、話はそんなに単純ではなかったようです。

 現在、私が使っているフルートは、A1307です。つまり、Cグループのフルートになります。アルタスの標準的な立ち位置のフルートなんだけれど、それでもこんなにツンデレなら、Dグループのフルートって、本当にツンデレなんだろうね。いや、ツンデレではなく、ツンツンデレなのかも…。いずれはフルートをゴールドに買い換えようと思っている私なんだけれど、この話を聞くと、まだしばらくA1307でいいやって思ってしまいました。アルタスフルートの音色は好きだし、ゴールドにしてもアルタスがいいなあ…って思っていたけれど、今のA1307ですから、吹きづらい点は否定できないのに、ゴールドを含む上級モデルだと、その吹きづらさが、さらに増しているのなら、ちょっと考えてしまいます。

 ゴールドに買い換えてもアルタス…とか思っていたけれど、ゴールドに買い換えるなら、他所のメーカーにした方がいいかしら。…って書くと、いかにもすぐゴールドフルートに買い換えるような感じがするかもしれませんが、そうではありません。やっぱり、しばらくは今のフルートでいいやと思う私です。

 ゴールドに買い換えるのは、ずっとずっと先にしておこうっと。

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2015年10月22日 (木)

レコ勉のすすめ

 “レコ勉”とは、テノールのK先生が言っていた言葉で『レコード(つまり、今風に言うなら“音源”)をたくさん聞いて、それで音楽の勉強をしましょう。名演奏をたくさん聞きましょう。譜読みだって、レコードを聞きながらやっちゃいましょう』って、事です。

 もちろん、反対する立場の人もいるでしょうね。例えば「それって、つまり耳コピOK、モノマネ奨励っこと?」とか「いやいや、譜読みは自力でやらないと、力がつかないよ」とか「外国語はきちんと基礎から勉強して、話せるようになるまで勉強しないとね。それを聞きかじりの口移しで、中途半端な歌唱じゃダメだよ」ね。

 プロ歌手養成という視点で考えれば、まあ、色々とご意見もあるだろうけれど、趣味のオトナが相手なら、レコ勉上等じゃないでしょうか? 

 だってね…モノマネでもいいじゃん。楽譜がきちんと読めるようになる前に、アレコレと歌えるようになりたいじゃない? 音楽なんて、演奏するだけじゃなく、鑑賞するのだって楽しいじゃない? 好きな歌手がどう歌っているのか知りたいじゃない? 外国語歌唱なら、実際にどういう風に歌っているか、耳で聞いた方が早くない?

 それに、今更『レコ勉不可です』と言われても、この歳になるまで、幾多の名演奏名歌唱を山のように聞いて、それが血肉になっているのに、それらをすべて忘れて、真っ白な状態にならなければいけないなんて…それは私に「死ね」と言っているにも等しい言葉だよ。

 だから私は、オトナの趣味人に対しては『レコ勉上等!』って姿勢じゃないと、やっていないと思うわけです。

 それでも、レコ勉をする際には、色々と注意しないといけない事があるなあ…とも思っています。例えば…

 1)必ず、複数の音源を聴く事。一人の演奏家の一つの演奏だけを繰り返して聞いていると、それを耳コピしてモノマネしかできなくなってしまいます。でも、複数の演奏家たちによる複数の演奏の音源を並行して聞けば、それぞれの演奏家たちの解釈の違いや演奏の違いに気づき、それらの中からエッセンスのようなものを聞き分け、自分なりの演奏や歌唱が出来るようになる…と考えられるからです。

 2)下手くそな素人の演奏では勉強しない。ざっくり言えば、YouTubeを当てにしない…と言えます。YouTubeって、様々な音源がアップされていて便利だし、安価なんだけれど、あそこにあるのは玉石混交なんだよね。玉の方ならともかく、石の方はダメよ、ダメダメ。下手が伝染ります。ほんとうに、下手って、簡単に伝染るからね、注意しないと。

 3)本当の耳コピは不可。いくらレコ勉とは言え、楽譜を読みながら聞かないと勉強にならないと思います。あくまでもレコ勉は、楽譜に書かれている事と、実際の演奏の違いを把握し、自分ならどんな演奏をするのかをシミュレートしながらやらないと、良くないと思うからです。

 4)演奏家の特徴やスタイルには気をつける事。プロ歌手は商売ですから、自分のスタイルに合っていなくても、それが売れるなら売ります。でも、それは売れるだけで、良い演奏かどうかは、また別の話です。例えば、オテロなら、モナコとかドミンゴで勉強するのは良いでしょうが、パヴァロッティで勉強するのはいかがでしょうか? パヴァロッティのスタイルって、オテロを歌う歌手のスタイルとしては、かなり異質だから、これで勉強しちゃうのはマズイと思うわけです。でも、当時、パヴァロッティのオテロって、売れたんですって。

 5)何語で歌っているのか気をつける事。まあ、最近の歌手さんたちは、基本的に原語歌唱だし、その原語が母国語でなくても、きちんと勉強した上で歌っているのて、そんなに問題はないのだけれど、昔の歌手の中には、外国語が極めて苦手な人もいて、変な発音や間違った発音で歌っている人もいる(昔はそれだけおおらかだったわけです)ので、そういう音源で勉強しちゃあ、マズイでしょう。それと、昔は原語歌唱よりも、現地語歌唱の方が優勢だった時代もあるので、現在のミュージカルのように、オペラと言えども、翻訳語で歌っている場合もあります。今でも、ドイツ語で歌っているイタリアオペラの音源とか、割と入手しやすいけれど、それってどうなの?って感じでしょ。

 というわけで、レコ勉には、色々と欠点もあるし、お薦めしない人もいるけれど、オトナの趣味人にとっては、お手軽で効果的な勉強法だと思うわけです。だから、学び方に注意した上で行うなら、とっても良い勉強方法だと思うわけです。

 というわけで、私はレコ勉をお薦めします。

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2015年10月21日 (水)

大学院オペラ公演で『コジ・ファン・トゥッテ』を見てきたよ

 先日、国立音楽大学で行われた『大学院オペラ公演』ってヤツで、モーツァルト作曲の『コジ・ファン・トゥッテ』を見てきました。『大学院オペラ公演』というのは、大学主催で、大学院生を中心メンバーにしてオペラ公演を行うという企画です。指導者は大学のセンセたち、スタッフはすべて大学関係者、オーケストラや合唱は学生たち、場所は校内のホールだし、出演者は大学院生(&OB・OG)たちという、大学関係者たちだけで行っているオペラ公演です。今回、私は国立音大のモノを見てきました。たぶん、どこの音大でも学生主体の大学関係者によるオペラ公演って、やっているんじゃないかしら?

 さて、国立音楽大学って、最寄り駅的には玉川上水駅にあります。西武の拝島線の駅が東京都立川市にあって、多摩モノレールの駅が東大和市にあります。つまり市境に作られている駅ね(珍しい)。で、多摩モノレール駅側の通路から出ると、ほぼ一本道で、国立音楽大学に行けます。

 この多摩モノレールというのが、すぐれものだね。こんなモノレール、以前は無かったはず…と思ってググってみたら、1998年開業らしいから、私の青春時代には無かったわけで、そりゃあ知らないわ。多摩センターから、帝京大学や中央大学、明星大学、多摩動物園、高幡不動、立川駅、自治大学校、国立音大、玉川上水駅、上北台駅をつないでいる『あると便利なのに、なぜ無い!』と昔は思ったところをつないでいるモノレールなんだな。ほんと、当時、コレがあれば、あんな苦労はしなかったのに…(涙)。ちなみに、多摩センターから八王子とか町田への延長も計画されているそうで、そうなったら、もっと便利になるから(私的には)うれしいなあ。

 で、そんな便利な多摩モノレールに乗って、国立音楽大学の講堂大ホールに行きました。

 この講堂大ホールってのは、申し訳ないけれど、ダメダメな音楽ホールで、私はマジで死ぬかと思いました。何がダメなのかと言うと…座席が狭いんだよ(怒)。今時、こんなに狭い座席のホールなんて、まあ無いな。それくらい、圧倒的に狭い座席でした。

 私程度の、そこらに普通にいる成人男性には狭いです。とりあえず尻は問題なく入るので、デブかどうかは問題ではありません。問題は肩です。座席の幅が狭いので、尻は入っても、肩がはみ出ます。座席の幅が肩幅より狭いので、当然、正面向いては座れません。だって隣の人だって、肩がはみ出してますから(笑)。で、その隣の人だって肩がはみ出ていて、結局、成人男性が座ると、みんな肩がはみ出ちゃうわけ。

 成人男性の肩幅よりも狭い幅の座席って、ありうる? ありえないでしょ!

 ここは小人の国の音楽ホールかい? 結局、身を斜めによじらないと座れないわけで、これって何気にキツイのよ。おまけに前の座席との距離も短くて、膝は前の座席にぶつかったままで、ほんと、あんな狭い空間なので、身をよじ入れないと座れません。もしかすると、飛行機のエコノミー席よりも狭くないかい? 私はオペラを見ている最中に、エコノミー症候群になってしまうんじゃないかと、マジで心配しました。いや実際、身動き一つ取れず、狭くて、暑くて、苦しくて、冷や汗をドロドロかきながら、オペラを見ていたので、オペラには集中できませんでした。

 まあ、音大なんて、ほぼ女子大だし、音楽をやっている男子学生って、基本的に、運動苦手な細身で身長低めの子ばかりだから、こんなに狭い座席でも問題ないんだろうけれど、たまに声楽科あたりにいる巨漢な学生は、こんなホールだと、どうするんだろうね。お客さんだって、柔道とかラグビーとかをやっていた巨漢系の人だっているでしょ? 父兄にだって巨漢はいるでしょ? 「太っている人、背の高い人、手足の長い人はやってくるな!」ってことですか? まさかね。オペラ公演そのものが良かっただけに、ホールの狭さには辟易しました。ホールがダメなので、減点60点です。

 さて、演奏の方はと言うと…良かったです。良い意味でアマチュア感が満載で心打たれました。歌手も合唱もオーケストラも熱くて、その真剣さに感動しました。リハーサルと言うか、準備もよくされている事を感じたし、舞台上の動きの一つ一つがよく訓練されていると思いました。実に、丁寧に作られたオペラだったなあと思います。プロだと、むしろ、ここまで丁寧な作り込みって…コストパフォーマンス的にも無理だものね。そういう意味では、とても貴重で、とても見応えのある舞台でした。

 『コジ・ファン・トゥッテ』は2回公演…と言うか、2日間公演で、主な配役(6役あります)はダブルキャストでした。つまり、6人×2日で12人の歌手さんが出演したわけです。ちなみに男女の内訳は、男女とも3人ずつ×2日で、女性は全員ソプラノ、男性はそれぞれ、テノール、バリトン、バスが各1人ずつ×2日でした。

 ただし、それら12人のうち、在校生(大学院生)は、男1人女5人の合わせて6人きりで、残りの配役はすべてOB&OG…つまり助っ人さんが助演してくれていました。

 大学院公演なんだから、本来は主要キャストは全員在校生(大学院生)で行うべきなんでしょう。毎年公演をしているとは言っても、大学院の最高学年なんて人生に1回しかないんだから、主要キャストは院生、それも最高学年の学生に振るべきだと思います。それにだいたい、合唱に大勢の学生が振り分けられているのだから、学生自体がいないわけではないのだろうけれど、キャストの半分…というか、男性歌手のほとんどをOBに頼っているとは…これは国立音楽大学に限らないのかもしれないけれど、若手男性歌手の払底というか、男子音大生の水準の低さの現れなのかもしれないと思いました。

 はっきり言っちゃえば、学内には、合唱ならOKだけれど、主要キャストを任せられるような(バリトンの1名を除いた)男子学生がいない…って事なんだと思う。残酷な話だけれど…。

 一方、女子学生たちの頑張りは見事だったと思います。1名を除いて、学生たちが演じていたわけだからね。それもただ演じていただけでなく、少なくとも私が見た日の出演者たちは、歌の上手さはもちろん、美貌もスタイルも芝居も高水準で、実に見事でした。実力的には、いますぐにでもプロとしてデビューして活躍できそうなくらいでした。

 しかし…ソプラノ歌手って供給過剰なんだよね。これだけの実力を持っていても、今のままの彼女たちでは、職業歌手としてやっていけるかどうかは…素人目にも難しいんだろうと思いました。だって、この世界には、美女で歌が上手くてお芝居の上手なオペラ歌手なんて、掃いて捨てるほどいるもの。たくさんいるだけでなく、皆、大変な思いをしながら仕事をしているわけだもの。ほんと、ソプラノさんって競争率高いし、過剰供給なんだよね。つまり、美女で歌が上手くてお芝居が上手なだけじゃあ、スタートラインにも立てない…のが、現実だもの。それ以外の+αの魅力がないとデビューできないでしょう。いや、+αの魅力があって、無事にデビューできても、それだけじゃあ鳴かず飛ばずで終わっちゃうわけで、+αの魅力を複数持っていないと、実際には成功できないわけで…ほんと、ソプラノって大変なんだと思います。

 オーケストラは、なかなか見事でした。時折…ってか、結構、歌とズレていた場面があったけれど、あれはオーケストラの責任ではないので、仕方ないです。あえて言えば、指揮者が歌手に合わせられなかっただけの話だし、もっと言えば、指揮者が合わせられないような歌を歌っている歌手の責任だものね。興奮していても、歌は走っちゃダメだよね。オーケストラって、リハーサル時のピアノと違って、そんなに身軽じゃないんだからね。

 合唱は…とても上手で感心したけれど、正直、ボリューム的には物足りなかったかな。あれだけの人数が舞台に上がっているんだから、もっとガツンとした合唱でもいいのに、はっきり言っちゃえば、あの人数なのに、ソリストたちと変わらない音量しか出せないのなら、合唱の人数をさらに倍増、いや三倍増にしないと、ダメかなって思いました。あれでは、市民オペラの合唱団レベルだよ。市民オペラは趣味の老人たちの合唱だから、ボリュームが足りなくても仕方ないけれど、専門教育を受けている若い歌手たちの集団なんだから、歌が上手なのは分かったけれど、もっとガツンと歌えないとね、寂しいよ。でも、可愛かったから、良いか(笑)。

 合唱は女子学生ばかりで、やっぱり男子学生って少ないんだなあって思いました。実際の舞台では、合唱の子たちが道具の搬入とかやっていたわけだけれど、大きな道具も女子学生たちが動かしているのを見ると「なんかなあ…」と思いました。声楽科に男手が足りないのなら、他学科の男子学生を駆り集めて、黒子にする事はできなかったのかしら?とか、オジサンは思いました。

 まあ、大学自体が湘南からは遠くて行くのが大変だったし、ホールの客席が狭くて、死ぬかと思ったけれど、オペラ公演自体については、その熱演ぶりが気に入りました。来年もまた見に行きたいですね。それまでにホールの座席が広くなっているといいのだけれど…まあ、たぶんそれはないだろうなあ。

 世の中には、ままならぬ事もたくさんある、って事だな(笑)。でもほんと、オペラ自体はとても良かったんですよ。

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2015年10月20日 (火)

なぜキング先生の元では上達できなかったのか? あるいは、なぜ以前は撃沈ばかりしていたか? その2

 なぜ私はキング先生の元では上達できなかったのでしょうか? その事に気づいたのは、割と最近の事だったのです。

 先日行われたキング門下の発表会に、かつての仲間たちの晴れ姿を見に行った時のことでした。私が見たところ、皆さん相変わらずでした。特に大きな変化はなく、以前から歌える人は歌い、それなりに歌う人はそれなりに歌い、声の小さな人はやっぱり小さいし、がさつな人はがさつな歌い方のままでした。門下生の数はドンドン増えていましたが、知っている顔はだんだん減り、見知らぬ人ばかりになって、少しばかり寂しくなっていました。

 私がちょっとオセンチな気分になっていた時、ちょうど休憩時間の時でしたが、すぐそばにいたオジサン(たぶん出演者の旦那さん)が「ここの教室は下手くそばかりだな。みんなノドで歌っていやがる。あれじゃあ、いくらやっても無駄だな」と結構大きな声で、これみよがしに文句を言ってました。

 なんてひどい事を言うオヤジなんだ。みんな一生懸命に歌っているのに…。そんなにイヤなら聞かなきゃいいだろ、さっさと帰れよ!

 その時はそう思っていましたが、この事は私の心にひっかかって、数日間あれこれと、このオヤジの言葉について考えていました。

 キイワードは“下手”“ノド”“無駄”です。ああ、私がキング門下にいた頃感じていた事と共通しているではありませんか?

 キング門下ではノドで歌うことを奨励しています。もちろん、ノドだけで歌うのはダメですが、だからと言って、ノドを開放して歌うのもダメです。適度に脱力しつつ、適度にノドを絞めて歌うのが吉なんです…が、その適度ってヤツが難しいんですね。どれくらいが適度なノドの締め付けなのかを先生が指導するわけですが、その先生が思う適度と、歌う本人にとっての身体的な適度が違っていたりする事も…ままあるみたいで、そこが厄介です。妻は、先生から見て適度なノドの絞めつけを行った結果、ノドを痛めて声を壊したわけです。ある意味、諸刃の剣のような歌唱法なんだろうと思います。

 私がキング門下にいた頃は、あまり他所の人たちの歌を聴くことはありませんでしたし、コンサートもキング先生のコンサート以外、あまりプロ歌手のコンサートには、出かけていませんでした。でも今は、アマチュア歌手の発表会とかコンサートなどに足繁く出向くし、プロの演奏もあれこれ結構聞きに行きます。その結果、当時は気づかなかったキング門下で多く見られるノドに力の入った歌い方が、あの門下独特の歌い方なんだなって気づくようになったわけです。

 キング式発声法に基づく歌い方は、人を選ぶのだと思います。少なくともキング先生個人にとってはバッチグーでしょうし、キング先生に習った事で飛躍的な進歩を遂げた人もいるので、合う人には、とても効果的で良い発声法なんでしょうが、合わない人には徹底的に合わないのかもしれませんし、ノドや声を壊しかねない発声法だと思います。少なくとも、私と妻には合いませんでした。

 私がなぜ歌が下手になっていったのか? なぜいつまでも高音が出なかったのか? なぜ本番となると、必ず撃沈していたのか? すべては、キング先生がOKを出した“ノドを適度に締め付けた発声”が原因だったのです。

 ノドに力を入れると、声帯付近の筋肉が硬直します。それゆえ、中低音では緊張気味の力の入った声になるわけです。たぶん、これはキング先生にとって良い声…なんだろうと思います。

 しかし高音になり、その人にとっての適度…ではなく“過度”のノドの締め付け(しかし、キング先生にとっては“適度”なノドの締め付け)を行うと、筋肉が硬直するがゆえに、気道がふさがり、ノドが詰まります。これが“ノドがフタされた状態”ってヤツです。つまり、高音を出そうとして、過度にノドを締め付けると、ノドが緊張して力が入って、声帯周辺の筋肉が硬直して気道がふさがり、息が詰まるので、そこにむりやり息を通しても、高音が出なかったり、変な声になってしまったりしたわけです。私の場合は、気道がふさがって息が詰まったので撃沈程度で済みましたが、人によっては、適度な状態から多少強めにノドを締め付け、気道が完全にふさがらない人だと、強い息が過度に声帯にぶつかり続けて、ノドを痛めて声を壊してしまうのだと思います。

 結論。なぜ私はキング先生の元では上達できなかったのでしょうか?

 それは私に合わない歌い方を指導されていたからです。合わないものを無理やりやれば、あっちこっちが壊れていき、その結果、上達どころか下手になっていったわけです。

 でも、そんな事に気づくようになったのも、キング門下から離れて、キング先生の指導について一歩引いて考えられるようになったからです。渦中にいる時は、絶対に分からないものです。ああ、決定的に声が壊れる前に、先生を変えることが出来て、私は幸せです。

 Y先生に師事するようになって、ほぼ3年です。この3年の間に私の声は大きく変わり、いかにもテノールな声になりました。いまやバリトン転向なんて考えられません。歌うことが楽になり、楽しくなりました。もちろん、技術的にはまだまだですが、明るい未来を感じることができます。きっと私、近い将来、歌曲はもちろん、有名なテノールアリアを歌えるようにきっとなれると思います。やがて、悩むのは「この歌は歌えるか歌えないか」ではなく「この歌をどう表現していくべきか」に変わっていきそうな予感がしています。まあ、今はただの予感であって妄想ですが、きっと、そんな日がやってくるんじゃないかと思ってます。

 いや、ほんと、ここんところの私、めきめきと歌が上達しているんですからね。将来が楽しみです。

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2015年10月19日 (月)

なぜキング先生の元では上達できなかったのか? あるいは、なぜ以前は撃沈ばかりしていたか? その1

 まず最初に誤解の無いように書いておきますと、キング先生の指導やキング式発声法でメキメキと上達した人はいます。ですから、キング先生の指導は有効な指導です。しかし、私は上達できなかった…それはなぜ?という話です。

 私は2007年1月から2012年6月までの、約5年半の間、キング先生に師事して声楽を学んでいました。その間、全く上達しなかったとは、さすがに言えません。少なくとも、習い始めてから最初の2年間、つまりグループレッスンで学んでいた時期は、それなりに上達していたと思いますが、キング先生の個人レッスンに移行して以降の3年半は、正直、あまり上達しなかったと思います。

 それこそ、個人レッスンに移行した直後の2009年の6月の発表会が、キング先生時代の私のピークで、それ以降は横ばいか、むしろ逆に歌が下手になっていったと思います。これは大げさな話ではなく、このブログにアップした音源を順に聞いていけば、誰でも気がつく、明確な事実です。

 グループレッスンの頃、それなりに上達していたのは、おそらく、私自身がまだ真っ白な初心者で、伸びしろがたっぷりあって、先生が誰であれ、カリキュラムがなんであれ、とにかくどんなカタチであれ、練習さえすれば上達できる初心者だったからだと思います。それに、グループレッスンって、大勢の中の一人で、はっきり言って“雑に”しか面倒は見てもらえないわけで、あまりちゃんと教えてもらえなかった事が、むしろこの頃の私には良かったのかもしれません。

 グループレッスンで2年学んだ後は、キング先生の個人レッスンに移行しました。個人レッスンは、さすがにグループレッスンとは違って、それなりに細かく指導していただけたと思ってますが、その細かな指導が、今になって思えば、私の上達を阻み、声を壊し、歌を下手にしていったのだと思います。

 実は今だから言えるのですが、私、キング先生に習っていた時から、その事については、薄々気がついていました。「どうして歌が下手になっていくのだろう?」「どうして歌うのがつらく感じるんだろう?」「どうして声を出すのが、こんなに大変なんだろう?」ってね。

 ですから、発表会の音源をアップすると、時折、読者の方から「下手になっている」というご指摘をいただきました。それを読むと「やっぱりね」と思う半分、なんかすごく悔しかったんですよ。だって、私、すごく努力していたし、真面目に学んでいたし、キング先生を信じていたからです。でもその指摘が正しい事も分かっていたので、お金をドブに捨てているようなイヤな気分になったものです。

 キング先生に個人レッスンをしていただいた3年半の間、一生懸命歌を学んでいたにも関わらず、結果的は歌が下手になり、声を壊していっただけでした。

 まあ、私はそれでも、元のノドが強かったので、大事に至らず、良かったのですが、妻などは、キング先生の個人レッスンを受けた途端にノドを壊して、声の専門医の元に治療に通わざるを得なくなりました。専門医の元で、ノドの治療を続けると同時に、正しい発声方法も学び、それ以降、全くキング先生への信頼をなくした妻は、私と一緒にキング先生の元で学びながらも、キング先生の指導には従わないというやり方をしていたくらいです。(で、当時の私は、それがちょっぴり気に入らなかったわけです)

 もっとも、キング先生の元で学び続けていく事で、妻だけでなく、私も、次第にノドを痛め、声をダメにしていきました。キング先生の元を辞める頃は、だいぶ声がダメになっていて、レッスンに行く度にノドから血の香りがしていたくらいでした。おそらく、もう少し長くキング先生の元にいたら、確実にノドを壊して、声を失っていたと思います。

 ですから、声が決定的にダメになる前に、キング先生の元から離れられたのは良かった事だと思いますし、きっとこれは音楽の神様のお恵みなんだと思ってます。

 まあ、いいや、そんなこと(笑)。

 キング先生の元で学んでいた頃は、人前で歌うチャンスと言うのは、今よりもずっと少なくて、門下の発表会だけでしか歌っていませんでした。それも半年かけて1曲を学ぶという、丁寧な指導を受けていました。

 それだけ丁寧な指導を受けていたにも関わらず、発表会と言うと、必ず歌唱を失敗していました。いわゆる“撃沈”と呼ばれる、歌の聞かせどころになると、急に声に変調をきたして、変な声を出して失敗してしまうという無様なマネを毎回していました。まるで、お約束事のように、毎回毎回、撃沈していました。

 当然、キング先生からは撃沈回避のため、あれこれアドヴァイスを受けていました。毎日鼻の中を塩水で洗えと言われれば、毎日グエーとか言いながら鼻の中を洗っていましたし、キング先生考案の体操をしろと言われれば、毎日体操をしていました。実に素直に真面目に先生の指導に従って、日々切磋琢磨をしていたわけです。でも、撃沈は改善するどころか、ますますひどくなるし、だんだん声を出すこと自体がつらくなっていきました。やがて先生は、テノールである私に「すとんさんはテノールは無理だからバリトンに転向しなさい。オペラも無理だから歌曲だけを歌いなさい」というアドヴァイスをしてきました(さすがにその命令には従わなかった私ですが、今思うと、従わなくてよかったと思ってます)。

 結局、高い声…と言っても、五線の上の方のFあたりの声…を出そうとすると、必ず不安定になり、失敗することが多くなっていきました。そんな時の自覚症状としては、声を出そうとすると、ノドにフタがかかるように感じられて、急に声が出なくなるわけで、それを何度も何度も何度も何度もキング先生には伝えましたが、その件に対する指導もアドヴァイスもなく「練習の手を抜くな。一度やってできなかったからと言って諦めるのではなく、できるようになるまでやれ。考えるな。カラダで覚えろ、何とかしろ」と言われ続けました。

 結論から言えば『無理をしてでも高音を出せ。出せなきゃバリトンだ』と言われて、バリトンではない私は、正しい高音発声の方法も教えてもらえず、ただただ必死の思いで、無理やり叫ぶように高音発声をしていたので、歌えば必ず失敗し、ノドがドンドン壊れていったわけです。

 なぜ私はキング先生の元では上達できなかったのでしょうか?

 結論から言えば、キング先生の指導が私には合わなかったからです。キング先生は私を上達させようと頑張りましたが、キング先生の指導が私に合っていなかったため、私は歌が上手くなるどころか、ノドを壊し、声がダメになり、歌が下手になっていったわけです。

 なぜそうなったのか? もちろんキング門下にいた頃は気づきませんでしたし、キング門下を離れてからも、しばらくは分かりませんでした。

 気づいたのは、割と最近の事です。

 話が長くなってきたので、続きはまた明日アップします。

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2015年10月18日 (日)

労働時間を短くしたい!

 先ず最初に言っておく事として、私は労働が嫌いです。働くのが嫌いです。例え、生活のためであっても、自由を拘束され、時間に縛られて生きていくのは“まっぴらごめんだ!”と思っています。今風に言えば「働いたら負けだよね」と、割と真剣に思っている人です。理想の生き方は“ニートの引きこもり”とか“髪結いの亭主”とか“専業主婦(ただし、家事と子育てと夫の世話はしない:笑)”とかだったりします。

 まあ『労働の喜び』というヤツを理解しないわけではないけれど、それよりも『怠惰でルーズで非生産的で趣味生活満喫な日常』の方を好むタイプの人間です。

 おぉ、つまり私の理想の生き方は、高等遊民とか遊び人とか怠け者とかダメ人間とかなんだな。書いていて、驚いた!

 そんな私ですが、理想は理想として、現実は、地道に真面目にコツコツと働いています。定時は8時~16時ですが、7時をちょっとまわったあたりには、すでに出勤して仕事してますし、退勤は早くて18時で、 油断していると、あっという間に19時とか20時とかになっちゃいます。月~金の仕事のはずですが、土日も出勤する事多いです。

 ほんと、大変なんですから(涙)。体力が有り余っていた若い時はそれでもなんとかなりましたが、還暦が見えてきた今では、体力が続かなくて、ほんとつらいです(涙)。

 「でも、それだけ働けば残業代もたっぷりついていいですね」

 実は残業代はゼロなんですよ、ビックリでしょ(薄笑)。でも時間調整手当が出ていて、それが毎日2時間ずつ残業しているという計算で計上されている(らしい)ので、定時としては、月~金の8~16時なんだけれど、それ以外の10時間/週分の賃金は支払われている事になります。つまり、実質上の定時は、月~金の8~18時って事になるわけだけれど、それでもやっぱり、それ以外の労働は、事実上のサービス残業(サービス労働)になっております。

 一応、システム的には時間外の労働については、残業代の支払いの代わりに、代休を取得する事になっています。つまり『余計に働いた分だけ、遅刻したり早退したり欠勤したりしていいよ』って事であって『週50時間労働分の賃金を支払っているんだから、各自の才覚で、労働時間をその範囲内に収めてくださいね』…って事になっているけれど、なかなか週50時間労働を守るのは難しいです。それでもまあ、年をとって偉くなってきて、あれこれわがままも言えるようになり、若い人たちからいたわってもらえるようになったので、最近の私は、週55~70時間程度の労働で収まっていると思う。まあ、なるべくサービス残業をしないで済むようにしています。それでも、サービス残業はゼロにならないのは…つらいねえ。

 もっとも若い時は週80時間以上の勤務もザラだったから、これでも結構才覚を働かせて頑張っていると思うし、私なんかよりもハードな労働環境で働いている人もいるんだろうから、あんまり愚痴をこぼすのも、カッコイイもんじゃあない。。

 で、なんでそんなに長時間働いているのかというと…そういう業界だから(涙)。同業他社の人に聞いても、まあ、似たような感じだから、この業界は日本中、どこでもそんな感じみたいです…ってか、ウチなんかは、まだマシな方かもしれないなあという事例もたくさん聞いております。びっくりポンやね。

 まあ、残業代の有無はともかくとし、押し並べて、日本の労働者の一人あたりの労働時間って、やたらと長いと思います。特に、知的産業に従事する人ってか、ホワイトカラーって言われる人たちの労働時間って、無闇矢鱈に長いよね。定時をきっちり守って働く事の多い、工場勤務者とか地方公務員とかの人が、うらやましく感じる時もあります。

 まあ、他人をうらやんでも仕方ないし、自分にはこの生き方しか出来ないんだから、仕方ない。まあ、自分を変えて、生き方を変えれば、色々と変わっていくんだろうけれど、そんな勇気も度胸も余力もないのが、私の現実。

 高等遊民に憧れつつも、サービス残業に明け暮れる日々を過ごしているのが、私なんだな。ほんと、理想と現実が見事に乖離しているわぁ。

 と言うわけで、日々の労働時間の長さに辟易している私ですが、更につらいのが、年金支給開始年齢が遅くなった事。

 たしか…私が子どもの頃は、会社員の定年って55歳だったと思います。それが、私が働き始めた頃、年金の支給開始が60歳になったので、定年も延長して60歳になったと言われ「5年も余計に働かないといけないなんて、うんざりだな…」と思ったものです、それが今や年金支給開始は65歳からなんですよ。65歳まで働かないといけないんですよ。知ってましたかぁ? 昔の人よりも10年も長く働かないといけないんです、10年と言えば、3650日ですよぉ、高等遊民志望な私にとっては、ほんと、つらいです。

 おまけに(私の場合)定年は60歳のままだから、定年後は年金支給開始までの5年間、老体に鞭打って、どこぞでバイトで働いて食いつないでいかないといけないわけです。老人なのに、安い時給でこきつかわれるなんて…そんな生活、耐えられるかしら?

 働くの好きな人だと、大した問題ではないのかもしれないけれど、私のような労働嫌いな人にとっては、こういう状況は、ストレスが溜まっていく話なんですね。

 ああ、なんとかして、生涯労働時間を短くしたいものです。もちろん、収入の無いのはゴメンだよ(笑)。

 収入さえあれば、明日にでも隠居したい私です。

蛇足 本当か嘘かは知らないけれど、アメリカとかヨーロッパなどの白人社会では、労働は定時で終了で、バカンスもたっぷりありますって聞くけど、それって本当なのかな? だとしたら、すっご~~~~く、うらやましい!

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2015年10月17日 (土)

金魚の睡眠について

 金魚の睡眠は、我々人間とはだいぶ違います。

 金魚を始めとする魚類という奴らは、我々が考えるようなカタチでの睡眠は取りません。じゃあ寝ないのかと言えば、やっぱり寝るんです。でも、熟睡はしません。では眠りが浅いのかと言えば、そうでもないみたいなんです。

 睡眠とは、脳の休息状態の事を言います。

 我々も、いくら睡眠中とは言え、脳は全面的に休息はしません。もしも脳が全面的に休息して活動を止めてしまえば、我々は死んでしまいます。

 我々は、寝ている間であっても、心臓は動かさなければいけないし、内臓には働いてもらわないといけないし、活動レベルは低くなるとは言え、周囲の危険を察知するために、耳は常に稼働していないと困ります。

 ですから、睡眠中とは言え、最低限の脳機能は覚醒しているので、我々は睡眠中であっても、生命維持活動が行えるわけです。

 とは言え、あくまでも覚醒しているのは最低限の機能だけで、我々人間の場合は、睡眠中は、脳の大部分は休息し、その結果、我々は睡眠中は意識を消失しているわけです。

 でも、魚類は違うようなんです。魚類は最低限ではなく、かなりの部分の脳機能を睡眠中であっても覚醒したままのようなのです。「じゃあ、金魚は寝ないの?」と言えば、やっぱり寝るんです。魚類だって、脳には休息が必要ですから。

 じゃあ、どうするのか? 実は魚類は、睡眠中にかなりの部分の脳機能を覚醒させておく代わりに、脳の各部分が、それぞれ独立して働き、部分ごとに交互に順番通りに休息していくようなのです。つまり、今はAという場所が休息を取っている代わりにBという部分が覚醒したままだけれど、1時間後だと、Aが覚醒してBが休息する…という感じのようです。もちろん、金魚が起床して元気でいる時は、脳も100%覚醒しているのだけれど、睡眠中だから言って、我々のように熟睡することはなく、常に脳の半分程度は覚醒していて、脳は部分ごとに順番に休息を取っているんだそうです。

 つまり魚類って、我々哺乳類とは、睡眠の取り方(脳の休息の仕方)が根本的に違うわけなんです。おそらくは、睡眠と言うよりも、休息に近い感じなのかもしれません。

 ですから、魚類にまぶたが無いのも、彼らは目を閉じて休息する事がない(つまり、常に視覚情報を入手しているわけです。我々の耳のように…)からなんだろうと思います。

 金魚はともかく、魚類の中には泳ぎを止めたら死んでしまう種類もいるし、自然環境では常にエサにされる危険性と隣合わせで生きている連中もいるわけで、そういう事を考えると、常に脳の一部は覚醒しているというのは、彼らにとっては必要な事なのかもしれませんね。

 と言う事もあって、金魚の様子を観察していると、短い時間の睡眠を日に何度も取っているのようです。一回一回は短時間であっても、その回数はべらぼうに多いので、トータルで考えれば、かなり長い時間寝ているようです。しかし、彼らの睡眠は、そのほぼすべてが小刻みで短時間ずつ取っているので、パッと見た感じでは、金魚ってほとんど寝ていないようにも見えます。

 我々人間は、昼間活動して夜寝るのですが、彼らは時間と関係なく活動して、時間と関係なく休息しているわけです。しかし、脳が部分的に覚醒していたり休息していたりって、どんな感じなんでしょうね。いや、それ以前に、彼ら金魚には意識とかあるのかしら? 起きている自覚とか、寝ている感覚とかあるのかしら? ううむ、あまりに我々とは違い過ぎるので、想像することすらできません。

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2015年10月16日 (金)

落ち込んでいます

 クラシックコンサートが終了し、休む間も無く「次は1月の発表会だー!」と燃えていた私ですが、その1月の発表会が中止と決定しました。つまり無くなってしまったわけです。かなり楽しみにしていただけに、発表会が無くなってしまって、残念です。

 まあ、1月の発表会が無くなったからと言って(たぶん)来年の発表会自体が無くなってしまったわけではなく、おそらく例年のとおり、初夏から秋ぐらいまでのシーズン中に、来年の発表会をやる事になるだろうとは思うものの、1月に予定していた発表会では、音響の良いホール(もう、やらないので書いてしまうと、横浜のフィリアホールです)で歌えるはずだっただけに、1月の発表会が無くなってしまったのは、実に実に残念です。

 先生は、引き続き、来年の発表会をやるべく、次を考えていらっしゃる…んだとは思いますが、一度盛り上がった気持ちがポシャっただけに、私的には、なんか色々と凹んでいます。ちょうどクラシックコンサートも終わった事と重なり、軽い虚無感なんかに囚われている最中です。

 ほんと、どうしましょう。

 まあ、どうするもこうするもないわけで、ただ、日々のルーチンな生活を行うだけなんですが…。ひとまず1月の発表会は無しになったので、次回のレッスンからの選曲(私が勝手に選曲して、先生に報告するで良しって事になっています)は、全く発表会をの事を考えずに選曲することになりました。…やっぱりトスティを歌うおうかしら…と考えて、一応「Tormento!/苦しみ」を選曲して譜読みを始めてみました。簡単だろうと思って選曲したんだけれど、きちんと譜を読んでいくと、薄い伴奏で独立した旋律を歌わないといけない事に気づきました。こりゃあ、ちょっと手こずるかもしれない…。ちなみに、こんな曲です。歌っているのは、テノールのホアキン・ピクサンです。いい歌だし、簡単そうに聞こえるけれど、実際はそうでもないかもしれないなあ…って思ってます。

 発表会が中止になって良かった事としては…1月の発表会では準備する時間が足りなくて間に合わないかもと思っていたオペラの二重唱に関しては、時間的な余裕が生まれたので、そろそろじっくりとマジで選曲して、次の発表会に向けて、早めに準備を始めようと思ってます。

 最近は、発表会ではオペラアリアをメインに歌って、クラシックコンサートの方で歌曲を歌うというスタイルになっている私です。さあ、発表会では、どんなオペラアリアを歌ってやろうかしら。

 とまあ、できるだけ前向きに考えるようにはしていますが、実際に選曲作業を考えると、自分の実力の無さもあって、ちょっと気分は重くなります。どんな曲でも歌えるような歌唱力が欲しいです。

 という訳で、なんとも落ち込んでいる私です。今回は気分が↓↓なので、記事も短めでごめんなさい。

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2015年10月15日 (木)

2015年クラシックコンサートに出演してきました その3

 舞台袖に入った私たちです。その時、舞台を勤めていた人は、私たちの次にリハーサル室に入った方でした。なぜか、本番の順番とリハーサルの順番が違うんですよね。ピアノの人は、リハーサルが終わると、ちょっとだけ休憩をして、すぐに舞台袖に入って本番という流れのようなのですが、私たち歌の人は、リハーサルが終わると、たっぷり休憩があって、それから舞台に上がるようになっています。まあ、私的にはその方が都合がいいので、気にしない事にしています。

 今回出演するピアニストさんたちは、ソロ演奏で出演している方々については、ほぼアマチュアなんですが、声楽の伴奏をするピアニストさんたちは、ほぼプロの方々なんです。たぶん、アマチュア同士の組み合わせのグループは私たちだけじゃないかな? ですから、私たちのピアニストさんは、結構、そのあたりを気にしているようで「私、プロじゃないけれど、大丈夫かな?」って言います。

 全然、気にしなくていいと思ってます。彼女は、普段から日常的に合唱団とか声楽アンサンブルとかで伴奏ピアニストをしていて、声楽の伴奏には慣れているし、実際、そこらのプロのピアニストさんよりも、歌の伴奏に関しては、上手だと思います。

 まあ、プロと名乗っていても、みんながみんな、バリバリと本格的に演奏活動をしている人たちばかりじゃないし、プロと言っても、単に音楽大学を卒業しただけで、普段はピアノの鍵盤に触らない生活をしているプロもいるわけです。ピアノが弾けなきゃ音大は入れませんが、ピアノが上手に弾けても音大に入る必要はないわけです。私たちが頼りにしているピアニストさんは、ピアノが弾けるにも関わらず音大には行かなかっただけの人であって、音大には行かなかったけれど、今でも日常的にピアノを弾いて、伴奏ピアニストさんとして、あっちこっちでご活躍されている方なので、伴奏ピアニストとしては全然問題ない人なので、アマチュアであることに引け目を感じる必要なんて、全然ないんです。

 私たちの前のピアニストさんの演奏が終わりました。まずは妻の方が先に出番です。妻が舞台で歌っている間、私は舞台袖で妻の歌唱を聞きながら、体操をして自分の準備をします。

 妻が終わりました。たった2曲歌っただけなのに、汗びっちょりになって帰ってきました。ピアニストさんもヘトヘトです。ステージマネージャーさんが思わずピアニストさんに「大丈夫ですか?」と声をかけてしまうほどでした。

 舞台の進行を一瞬止めて、ピアニストさんが息を整えるのを待ってから、アナウンスが入って、私の出番です。舞台に出て挨拶をして、ピアニストさんが準備をし終えるのを確認して、目で合図をして、いよいよ一曲目の「Love Me!/私を愛してください!」です。

 カクテルライトがまぶしかったです。舞台に立つと、ライトで目がくらんで、客席が見えません。どれくらい客が残っているのか分からないけれど、客が見えないというのは、客の事が気にならないというわけで、これはこれで良いですね。

 とにかく、ノドでは歌わない事。しっかり腹筋を使う事。響きで軽く歌う事。目は閉じない事。カラダをしっかりと伸ばして開く事。これらの事ばかりに集中して歌いました。結果はすでに皆さんがご存知の通りです。

 これはいけるかも…という感触をつかんで「Starlight/星の明かり」に入りましたが、この曲は少し長い曲だったので、途中で失速してしまい、最後はノド声になってしまいました。ああ…まだまだこの曲を歌い切るほどの腹筋は私には無かったようです。途中までは良かっただけに、曲の終盤部分が実に残念でした。

 歌い終えて、舞台袖に戻ると妻が「最近の演奏の中では、今回の本番が一番良かったよ」と言ってくれました。どうやら、今回も“火事場のクソ力”に助けられたようでした。私の『本番に強いすとんさん』伝説はまだ生きているようです。

 ここで私たちはしばらく休憩です。間にお二人の方の歌唱を挟んで、今度は二重唱を歌います。

 二重唱は…悪くなかったと思いますよ。曲そのものは、以前の初夏に行った門下の発表会の時に歌った二重唱と同じ曲ですが、門下の発表会の時は、時間制限があったため、曲の前半部までしか歌えなかったですが、今回はオペラハウスで通常歌われているサイズに戻して歌いました。ですから、とにかく長い曲なので、なるべく消耗しないように、ノドで歌わないように、気をつけながら歌っていたのですが、やはり終盤、ガンガン歌いまくるところで声を使ってしまって、最後の最後の決めの部分は、すっかりノド声になっていますね。そこが残念です。

 すべての曲を歌い終わって、ホールロビーに急いで行った私たちです。お客さんが来ていれば、せめて挨拶だけでも…と思ったわけです。私目当ての客はいませんでしたが(笑)、妻の方のお客はそこそこいたので、私もそっちの方に行って、ご挨拶をしてきました。二重唱の評判がとても良くて嬉しかったです。あんまり盛り上がってしまって、ロビーの係の人に注意されたほどです。

 ああ、とりあえず、ひとまず終わったね。

 ピアニストさんに挨拶をして、楽屋に戻って着替えて、荷物を引きずって会場を出たところで雨が降ってきたので、タクシーを呼んで帰ることにしました。タクシーを待っている間に…忘れ物をしている事に気づきました。そう、客席に設置した録音機です。急いでホールに戻って客席を見たら、すでに録音機はありません。私たちはトリ前の演奏ですから、もうその時間は、コンサートも終了し、会場の片付けもほぼ終わっていたわけですから、忘れ物などもしっかり係の人に回収されていたわけです。ですから、急いで係の人を探して見つけて、頭を何度も下げて、録音機を受け取りました。ああ、良かった。

 録音機を受け取って外に出てみると、すでにタクシーはやってきていて待たせている状態でした。申し訳ない。で、タクシーに乗り込んで、帰宅して、入浴して終わりです。コンサート自体はいい感じで終了したので、まあ、満足かな。

 翌日も休日でしたが、私も疲れていましたが、妻はグロッキー状態になってました。まあ、色々と頑張ったもんなあ、仕方ないか。こんな感じで、今年のクラシックコンサートは終了でございます。

 今回は、二重唱、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」の「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」の音源をアップします。

 本人的にはまだまだ納得できたわけではありませんが、お客さん的には一番良かったのがこの曲なんだそうです。ちなみに、この曲は、かなり長いので、聞く時にはちょっぴり覚悟をしてくださいね。ちなみに、8分超あります(笑)。

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2015年10月14日 (水)

2015年クラシックコンサートに出演してきました その2

 時間になったので、地下のリハーサル室に向かった私です。時間まで体操をしてカラダを伸ばしました。

 リハーサルの持ち時間は、1人10分です。私たちは、私のソロの分と、妻のソロの分と、二重唱の分と、3枠合わせて30分リハーサル室を使えることになっていますが、それが連続ではなく、10分使ったら、他の人が10分使って、その後20分使える事になっています。間に他人が入るのが困りモノですが、おそらくプログラムの都合で仕方ないのでしょうね。ひとまず、最初の10分の部分のリハーサルを始める事にしました。

 最初の10分は、私のソロのリハーサルをします。妻は…ちょうどその頃、舞台で彼女の友人たちが歌うので、それを見に行くことにしました。

 リハーサル室に入って、まずは通しで歌ってみました。いやあ、この部屋、よく響く。この響きがホールにあれば最高なんだけれど、ホールはここよりも全然響かないので、それを考慮にいれないと失敗しちゃいそうです。

 とにかく、昨日のホールリハーサルの反省から、決してノドで歌わない事。響きで軽く歌う事。しっかり腹筋を使って歌う事。カラダは伸ばす事、開く事。目は閉じない事。…歌の方はどうにでもなるでしょうし、歌う曲も有名ではない曲なので、失敗しても堂々としていれば失敗したとはバレませんから、気にしない事。とにかく、腹筋です。ここだけはしっかりしなきゃいけません。

 そんな事を考えて歌いました。ピアニストさんと合わせの最終確認をしました。細かい点をいくつか修正しました。「Starlight/星の明かり」の最後の音は、Hi-Hなんです。普段は頑張ってHで歌っているのですが、どうも今日は調子が悪いせいか、そこまで音程が届いていないので、ピアニストさんとも相談して、楽譜通りのGで歌う事にしました。いや、実際、歌う側からすれば、本当にギリギリの状態なので、GでもHでも大変な事には違わないのですが、なるべく博打は止めましょうという事でGに変更しました(結果はお聞きの通りです:涙)。

 10分の持ち時間でしたが、6分程度で終了。何度も歌える元気が私になかったわけです。で、残りの時間はピアニストさんがピアノの練習に使いました。

 時間になって、リハーサル室を出た私たちですが、次の人が来ません。やがて妻も合流しましたが、やっぱり次の人が来ません。次の人はリハーサルをパスした…と勝手に(笑)判断した私たちは、5分早く、再びリハーサル室に入ることにしました。妻のリハーサルをして、その後、二重唱のリハーサルをする事にしました。

 妻は、ピアニストさんとみっちりリハーサルをしました。で、二重唱のリハーサルですが…いやあ、二重唱は長いですねえ。歌い終える頃には、私、汗びっちょりになってしまいました。ああ、シンドい。もう二度と歌えないって感じです。ですから、そこで歌のリハーサルは終了とし、残りはまだ10分ほどあったので、再びピアニストさんがピアノの練習で使う事にしました。私たちは先にリハーサル室を出た所、次の方が待っていたので、歌手である我々は先に退出したけれど、まだ伴奏のピアニストさんが時間いっぱいまで練習しているので、もう少し待っていて欲しいと伝えて、楽屋に戻りました。

 さあ、当日リハーサルを終了し、まもなく自分たちの出番となります。まずは着替えです。本番衣装のタキシードに着替えますが…これが結構時間かかるんですよね。もたもたしているうちに、20分も着替えに使ってしまいました。着替えが終了したところで、ササッと客席に入って、録音機をセットして楽屋に戻ると…もう、舞台袖に集合する時間です。

 一度、舞台袖に入ってしまうと、もう演奏が終わるまで楽屋には戻りません。二重唱で使うワインの瓶と、ペットボトルのお茶と、お守り代わりの楽譜の束を持って、舞台袖に集合です。すでに妻とピアニストさんがいました。

 妻が私を見るなり「あれ?チーフは?」と尋ねます。胸に挿す白いハンカチの事です。しっかり楽屋で胸ポケットに入れたつもりだったのに、胸ポケットにはありませんでした。あれこれ探していると、腰のあたりにフェイクのポケットに挿してありました。いやあ、しっかりしているつもりでも、なんか動揺しているのかな? とにかく、胸にハンカチを入れ直したところで、ステージマネージャーさんに招かれて、舞台袖に入りました。いよいよ、本番です。

 と言う感じで、長くなってきたので、続きはまた明日…です。

 今回は、トスティ作曲「Starlight/星の明かり」の音源をアップします。

 曲の前半までは良かったのですが、後半は腹筋が疲れてしまい、かなり失速してヘロヘロになっております。ヘロヘロになるとノドで歌い、ノドで歌うとアレコレ歌が壊れてしまう私でした。まだまだ鍛える余地がある私です。ああ、情けない。ああ、恥ずかしい。本来はアップしない方が良い出来栄えなんですが…私が大したことない人間である事を天下に証明するために、あえてアップしちゃいます。いやあ、暴挙だなあ(爆)。

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2015年10月13日 (火)

2015年クラシックコンサートに出演してきました その1

 本番に向けて、大切な睡眠をたっぷり取る予定だったのですが、寝入ってまもなく、左足の太ももに激痛が走り、目覚めてしまいました。

 いやあ、人って、あんまり痛いと目覚めるものなんですね(遠い目)。とにかく、左足の太ももの前面が痛くて痛くて、思わず全身から汗が吹き出しました。寝ぼけた頭(激痛で目覚めたものの、やっぱり頭は寝ているんですよね)で「足がつった!」と判断した私は、つっている左足を必死に伸ばしたところ、さらに痛みが増してきました。おまけにつっている左足の太ももが痙攣しはじめました。あまりに苦しんでいるので、妻が「救急車を呼ばなくていいの?」と尋ねてきましたが、足がつったくらいで救急車を呼ぶなんて、あまりに恥ずかしすぎます。散々激痛で苦しんでいるうちに、寝ぼけた頭もだんだんクリアになっていき、いつもの“ふくらはぎがつった時”は、ふくらはぎの筋肉を伸ばすために、足を伸ばして痛みを軽減したのなら、太もも前面の筋肉を伸ばすには…足を伸ばすのではなく、逆に曲げた方が良い事に、ようやく気づき、痛い左足の痛みをこらえて、足を曲げていったところ、やがて痛みが少しずつ軽減していきました。

 小一時間、太ももの痛みと格闘して、散々うなって声帯を傷めつけて、時間を確認すると、まだ真夜中、もう一度しっかり寝る事にしました。

 が、今度は明け方に近い時間、逆の右足のふくらはぎに激痛が…! またも痛みで目が覚めて、しかし今度はよくあるふくらはぎの激痛なので、寝ぼけた頭でも適切に対応できて、時間を確認して、三度寝をして、結局、目覚めたのは昼過ぎでした。

 私、休日は、平日の2~3倍の睡眠を取ることにしているので、昼過ぎに起きる事自体は、通常の休日の行動なんですが、それにしても、二度も激痛で目覚めた事と、その度にうなって、ノドを痛めたせいか、なんか寝た気はしないし、声もガサガサ。参ったなあ…と思ってみたものの、後悔先に立たずで、諦めて起床しました。

 居間に下りて、朝食兼昼食を食べて、軽くパソコンをして、持ち物の準備をして、発声練習をして、いよいよ会場に向かって出発です。昨日は無自覚的に声が出なかったけれど、今日は声が出ない事が自覚できるほどに調子が悪いなあ。参った参った…と思いながら会場入りです。

 会場へは自宅から徒歩で向かった私でしたが、その間、ずっと無口な私でした。なんか、しゃべるのも、かったるいって感じだったんです。

 会場には楽屋口から入り、すぐに楽屋に入って、タキシードをロッカーに入れます。

 このホールには楽屋が4つあるのですが、1つは本部用、2つは女性出演者用で、残りの1つが男性出演者用なんですが、男性出演者なんて、ほとんどいないのですよ。混声合唱団の男性メンバーと、男性のピアニストさんが1人と、ギター合奏団の男性メンバーと、私だけなんですが、混声合唱団の人たちは楽屋を使わない(自宅から本番衣装で集合…のようです)し、ピアニストさんも本番衣装で会場入りをしているので楽屋を使わず、ギター合奏団の方々はリハーサル室を楽屋として使うので、この楽屋は使わないので、男性用楽屋は、ほぼ私個人の個室同様なので、なんとも落ち着く空間だったりします。

 楽屋に荷物を広げて、すぐに客席に向かいました。一応、他の出演者の方々の演奏も見るわけです。だって、出演するだけじゃモッタイナイでしょ?

 クラシックコンサートって、出演者の大半がピアノなんです。で、残りのほとんどが歌手で、その他わずかにクラリネットとかフルートとかクラシックギターとか、そういう器楽演奏が入ります。つまり、ほとんどオトナのアマチュアピアニストさんたちの合同発表会みたいな感じなんですよ。

 で、そのピアノの出演者の皆さん方が、上手なんですね。いやあ、アマチュアピアニストさんたちを、なめてはいけません。なかなか聴き応えありますよ。

 一方、歌手の方は言うと…玉石混交ってのが正直なところです。上手い人もいれば、そうでない人もいるし、ベテラン組もいれば、いかにも初心者でございますって人もいます。ただ、今年は例年になく、歌手の出場者が多いような気がしました。

 声楽関係者の出演は、だいたい3グループに分かれているようです。で、私はその3つあるグループの一番遅いグループで歌います。2番めのグループが本番で歌っている時は、ちょうど当日リハーサルをしている時なので、私が聞けるのは、最初のグループの歌唱だけなんですが…やっぱり玉石混交でした。上手いのだけれど声が全然飛ばずによく聞こえない人とか、声は聞こえるんだけれど技術的に不安定な人とか、声もよく飛ぶし技術も水準以上なんだけれど声そのものが声楽的とは言えない響きの人とか…まあ、色々いるわけです。だって、アマチュアだもの。

 思った事は…日本歌曲もいいなあって事です。私自身は、まだまだ日本歌曲にチャレンジするつもりはないのですが、いつかはこれらの曲もレパートリーに入れて歌ってみたいと思いました。

 最初の声楽の発表タイムが終わったところで、軽食を食べる事にしました。だって、私たちの出演は、遅い時間なので、そこまで何も食べないというわけにはいきませんからね。おにぎりでも買って来て、ロビーで食べりゃあいい(あるいは、楽屋で食べるもあり)のつもりでしたが、ふと思いついて、近所の牛丼屋で並牛丼を食べる事にしました。紅しょうがをたっぷりのせて、その上から生卵をドローとかけて、唐辛子をパパっと振って…。こういう食べ方、私好きなんですよ。で、軽食を食べ終わって、再び会場に戻りました。妻は、ここから本番に向けて、メイクの時間に突入します。私はメイクをしないので、もうしばらく会場で他の方の演奏を聞きました。

 で、私のリハーサル時間になったので、リハーサル会場に行きました。リハーサル会場は、ホールの地下にあります。そこでピアニストさんと待ち合わせをしているのです。

 長くなってきたので、続きはまた明日…です。

 今回は、トスティ作曲「Love Me!/私を愛してください!」の音源をアップします。本番当日の歌唱です。

 この歌唱は私的には当日のベスト歌唱なんですよ(うふふ)。

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2015年10月12日 (月)

本番直前のピアノ合わせをしてきました

 クラシックコンサート当日の前日(笑)に、ホールリハーサルがありました。私たちの順番は、その日のどん詰まりで、ホールの片付けをしてくれれば、終わりの時間は特に気にせずに使っていいよという、割りと時間的には融通のきく順番になったのですが…時間的には、結構深い時間帯だったので、私たちはともかく(歌手という生き物は、基本的に宵っ張りです)、ピアニストさんがつらそうでした。何しろ彼女は朝型人間で、夕方に夕食を食べる(あれ?当たり前か:笑)人なので、そんなに遅い時間のリハーサルは、眠くて仕方ないんだそうです。

 ちなみに、本番もトリのひとつ前なので、結構遅い時間なんですねえ、ピアニストさん、大丈夫かしら?

 私もたっぷり仕事をして、ヘトヘトに疲れた状態で、会場入りしました。いやあ、あっちこっちに疲れが溜まっているなあ…カラダ、動くかな?

 心配していた風邪の具合ですが、病院からもらった薬+漢方薬+マヌカハニーの多量摂取で、誤魔化すと言うか、抑えこんでおります。まあ、本番が終わってしまえば、熱を出してぶっ倒れてもいいしねえ(笑)。

 会場に入ると、すでにピアニストさんは到着していましたので、挨拶を交わし、すぐに舞台袖に入りました。前の方が一生懸命にピアノを弾いてます。この方、今回はピアノとソプラノで出演なさる方なんです。なんか、すごいです。ピアノもショパンをバリバリ弾き倒しておりますが…あなた、その曲で出演するわけじゃないでしょ? 関係ない曲でもバリバリ弾き倒して、ピアノの調子でも見ているんでしょうか? 次から次へとショパンメドレーを弾いて、私たちのリハーサル時間になったら、曲の途中で、パタッと演奏をやめて、すっと引き上げて「どうぞ」とか言ってくれました。なんか、カッコイイぞ。

 さて、ホールリハーサルです。当日歌う、実際のホールの舞台でのリハーサルです。リハーサルと言っても、単純に「ご自由に舞台をお使い下さい」って感じのリハーサルで、監督とかスタッフの方とかがいるわけではありません。ホールの響きとか、舞台の広さなどの確認をするためのリハーサルです。時間も、1組15分程度の短いモノだしね(私たちは3組扱いで45分ですが、一番最後なので、時間制限はちょっとばかりユルイのです)。

 とりあえず、本番通りに通して歌って、気になる所をピックアップしましょうという事になり、まずは「Love Me!/私を愛してください!」からです。

 この曲は、特にピアノとの合わせで不安なところはなく、歌唱的にも不安はありません。一点不安があるとするなら、歌詞のど忘れでしょうか? まあ、こればかりは気にしていても仕方ないですし、万が一歌詞をど忘れして作詞しても、気づく人はいないでしょうから、気にしないことにしました。

 立ち位置の調整をしました。ピアノの位置の関係もあって、舞台の、本当の真ん中に立ってしまうと、ピアノの反響板を上手く使えないので、少しだけ上手側に立った方が良さそうです。あと、思ったより客席からの返りがありませんでした? あれ? ここのホール、こんなに声が響かなかったっけ?

 どうやら、自分で思っているほど体調は良くないようです。病状を薬で抑えているだけで、表面的には健康そうに振舞っていますが、やはり状態としては良くなく、客観的に見ると、やはり健康とは程遠そうです。私は平気だと考えていましたが、やはり声は出づらいようですし、妻曰く「すっかりノド声」なんだそうです。ううむ、そりゃあホールで声も響かないだろうね。

 次に「Starlight/星の明かり」を歌ってみました。「Love Me!/私を愛してください!で感じた、ホールの返り(反響の事です)が良くないのを克服するため、少し気合を入れて歌ってみたところ、途中で声が無くなってしまいました。客席で聞いていた妻からも、むしろ声が聞きづらくなったと指摘されました。どうやら、ホールの返りが良くないために入れた気合のおかげで、更に声がノドに落ちてしまったようです。反省です。

 ここで妻とチェンジして、少し休憩を入れ、再び「Love Me!/私を愛してください!」を合わせました。今度は、ホールの返りを気にせずに、なるべく声の響きで歌うように軽く歌ってみました。結果としては、こっちのスタイルの方が良いみたいです。ピアニストさんとは、ブレイクのところの出だしの確認をしました。

 妻からは、歌っている時「時々、歌いながら目をつぶっているのが気になるんだよねえ」と言われました。ううむ、そうなんだよね、私、時々、目をつぶって歌ってしまうという悪い癖があるんだよね。妻が言うには、目をつぶると、カラダが閉じて、声の響きがグンと悪くなると言われました。気をつけないといけませんね。

 次は再び「Starlight/星の明かり」です。ホールの返りは気にせずに、ひたすら声の響きだけで歌おうとしても、やはりホールは広いですし、高音は数カ所あって、その度に、無意識のうちに力み、結果として声がどんどんノドに落ちてしまいました。ダメですね、気をつけないと。

 前の曲で目をつぶるという指摘を受けたので、今回は極力目を開けていきました。そうすると、自分でもびっくりするくらいに、楽に高音が出ます。ううむ、やっぱりカラダが開いているというのは、大切な事なんだな。本番でも注意しないと。

 ピアニストさんとは、数カ所ある、テンポチェンジの箇所の確認をしました。ホールは広いので、Y先生のレッスンルームで決めたタイミングよりも、少し長め(ってか、遅め)のタイミングで合わせた方が良さそうだという結論になりました。

 少し休憩を入れて、二重唱の合わせです。

 このオペラの二重唱のピアノ合わせって、本当に難しいと思います。ピアニストさんは、とても頑張ってくださっていると思いました。ピアニストさんの頑張りで、とにかくカタチになりました。やはり広い場所で歌うので、予め決めたテンポよりも、幾分遅めのテンポで歌った方が良い箇所があったので、そこを確認しました。

 また、妻との位置確認や演技の確認もしました。今回は、舞台で動くことはしません。演技も手の演技止まりにしました。つまり、演技的には簡易版ですね。舞台が狭いので、本格的に動くのは…たぶん無理って判断をしたからです。まあ、演技を簡単にした分、歌に集中できるので良い事にしました。

 二重唱は…さすがに長いので、もう一回全曲通すのは止めて、部分的に気になるところをチェックしました。

 それにしても疲れました。たったこれだけのリハーサルでも、小一時間はかかりました。あんまりやって、疲れが翌日の本番に残っても良くないので、ひとまずリハーサルはこれくらいにしました。

 とにかく、ホールの広さに惑わされない事と、脱力をこころがけ響きで歌うようにする事。これらを本番でも忘れなければ、きっとどうにかなるでしょう。さあ、後は本番に向けて、大切な睡眠をたっぷりと取りましょう(笑)。

 本番当日の記事は、明日からアップする予定です。

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2015年10月11日 (日)

圧力鍋は、なかなか良い

 昨日はクラシックコンサートでございました。結果は…ううむ、どうでしょう(笑)。ブログ記事の方は、現在、鋭意執筆中でございます。書き上がり次第アップする予定ですので、今しばらくお待ち下さいませ。

 さて、私は料理ができないわけではないけれど、結婚して以来、台所仕事は妻の領分と心得ていますので、今の私が料理をすることは滅多にありません。

 私が料理ができると言っても、死なない程度の自炊ができると言った程度で、手の込んだ料理がつくれるわけじゃありません。ご飯が炊けて、味噌汁が作れて、煮物、焼き物、炒め物などの比較的手間の掛からない食事が作れる程度です。

 ですから、妻から「圧力鍋を買って欲しい」と言われた時は、一体何に使うんだろうと思った次第です。圧力鍋って、鍋のくせして、そんなに安くないんですね。どうして、こんなに高価な鍋が必要なのか?と思いましたし、私にはどうやって使うか見当もつかないモノでしたが、妻が欲しがっているし、それで旨い食事にありつけるのなら、それはそれで良いので、購入してみました。

 うむ、圧力鍋はいいね。特に煮物が美味しくなりますね。

 煮物って、簡単に手軽に作れる料理で、私も以前はちょくちょく作っていましたが、問題は、煮込みの時間なんです。たいていの煮物って、煮込めば煮込むほど美味しくなるのだけれど、だからと言って、やたらめったら時間をかけて煮込んでも、ガス代(ウチはガス調理器です)がかかって仕方ありません。かと言って、短時間しか煮込まないと美味しくないわけです。ストーブがあった頃は、ストーブの上に置いて煮るというやり方が出来ましたが、時代の流れとともに、我が家からストーブがなくなり、最近の冬の暖房は、エアコン+オイルヒーターって感じですから、暖房器具の余熱で煮込み料理が作れなくなりました。

 圧力鍋購入以前からも、妻はよく煮物を作ってましたし、それはそれで美味しかったのだけれど、やっぱり味は、家庭料理の限界っぽいものを感じていました。

 ところが、圧力鍋を導入以来、煮物が本当に美味しくなりました。まるで長時間煮込んだかのように、しっかりと材料に味はしみるし、なによりどんなものでも柔らかく煮込めます。特にトリの軟骨が美味しくなるんですよ。すごいね、圧力鍋は。まるで、圧力鍋の中にタイムマシーンが入っているかのように、本来長時間かかっていた煮込みが、短時間で出来るんです。

 すごいです。圧力鍋を発明した人は、本当にえらいですね。

 圧力鍋購入以降、妻の手料理がますます楽しみになった私です。

蛇足 圧力鍋の原型である「steam digester」を作ったのは、フランスの物理学者であるドニ・パパンだそうです。1679年の事ですから、すっごい昔の事です。そこから時を隔てて1938年(ごく最近じゃん)に、アメリカのアルフレッド・ビッシャー・ジュニアという人が現在の圧力鍋に通じる、小型の自動密封鍋を作り、そこから現代の家庭用の圧力鍋へと発展していったんだそうです。ちなみに、日本では圧力鍋の前に、その技術が炊飯器に応用されて、圧力釜が作られていったんだそうです。へー、知らなかったよね。

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2015年10月10日 (土)

緑色のフ○

 ええと、タイトルには“フ○”と表記しましたが“フン”の話です。

 金魚というサカナの特徴の一つに『長いフン』と言うのがあります。いわゆる“金魚のフン”ってヤツで、いつも金魚のそばにあって、堂々たる存在感を示す事で有名です。転じて「腰巾着」とか「コバンザメ」などの意味にも使われます(って、例示も例えだな:笑)。

 まあ、今回は金魚のフンの話なんです。排泄物関係の話が苦手な人は、以下はパスしてくださいね。
 
 
 
 
 
 さて、金魚のフンの色ですが、まあ大体、食べたものの色がダイレクトに反映されるようです。そこが我々哺乳類とは違います。面白いですね。

 ウチの場合、金魚のエサは、赤虫+ミジンコ+イトミミズの混合飼料と、エビ系の色素の入った人工飼料を、その日の気分で選んであげているわけですが、どちらも赤い色の付いたエサなので、これらのエサだけを食べていると、金魚のフンは、赤茶~こげ茶色をしています。

 以前、私が金魚にエサを与えていた時は、だいたいそんな色のフンばかりをしていました。

 私の仕事が忙しくなって、定時にエサをあげられなくなった頃から、金魚のエサやりは妻の仕事になりました。妻は金魚たちにもダイエットを要求し、私と較べて、少なめのエサしかあげません。

 少なめのエサで足りれば、それでいいし、足りなければ、ヌマエビでもタニシでもメダカでも食べればいいわけだから、金魚たちが困ることはないのです。で、時折、フンの色を見て、赤っぽければエサが足りていると判断し、白っぽければエビとかタニシとかを食べているんだなあと判断するわけです。

 で、最近の金魚たちのフンの色ですが、これがほぼ“真緑色”なんですね。実に濃くて明るいきれいな緑色なんです。あんまり色が美しいので、これがフンだという事を忘れてしまうぐらいに見事な緑色のフンです。

 何を食べれば、こんな色になるのかと言えば…そりゃあ水草です。マツモグサを大量に食べてこんな色になってしまったわけです。

 金魚は雑食性の生き物ですが、基本は肉食です。動物性タンパク質大好きな生き物であって、動物性タンパク質が豊富にあれば、決して水草なんかには目もくれないはずなんですが…よほどマツモグサって美味しい水草なんだろうと思うし、特に今回入手したマツモグサは、いつになく金魚たちにバカ人気なので、本当に上物だったようです。いやあ、すごい人気です。

 おかげさまで、シズカのお嫁入りの時に持参してきた今回のマツモグサが、ほぼ壊滅状態です。ああ、マツモグサは簡単には入手できないのでから、もう少し丁寧に食べて欲しかったな(涙)。

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2015年10月 9日 (金)

優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか

 フルートに限らず、楽器演奏において大切な事はたくさんあるけれど、とりわけ“音色の美しさ”や“運指の素早さ”つまり“速弾き”は重要視されます。だって、美しい音色は人の心を溶かしてしまうし、超人的な速度で細かな音符を見事に吹いてくれれば、そのアクロバティックな魅力に魂を奪われてしまいます。

 問題は、それぞれに習得が難しくて、なかなか両立が難しいという事です。多くのアマチュア笛吹きの場合は、音色を重視すれば、指が回らず、指を一生懸命に動かすと、音色がスカスカになるのが現状です。

 この2つを両立させるのが最終的な目標として、そこに至る前段階において、先に習得するべきなのはどちらが良いか。つまり、優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか、って事です。

 これはその人の置かれた立場や、演奏する音楽ジャンルや、師事する先生の考え方で変わるかもしれません。

 私の現状で話をすれば、H先生は“音色重視”の人なので、運指の素早さは二の次で、美しい音色で演奏することを求めます。ですから課題を出す時も「ゆっくりでいいよ、ゆっくり練習してきなさい。その代わり、しっかり吹いてくるんですよ」と言います。決して、演奏に速度は求めません。「指なんて、誰でも練習すれば、速くなるんだから、急ぐ必要はありません」と言うくらいです。

 でも、以前習っていた笛先生は違いました。とにかく、速度重視でした。音色の美しさどころか、運指の正確さを捨てても、速度を重視していました。音色が汚かろうが、指を間違えようが、とにかく規定の速度でバリバリ音楽を推進していく事を求めました。「いくら、遅いテンポならば正確に美しく吹けても、バンドと同じテンポで吹けなければ意味ないからね。指を間違えても、演奏から落ちても、すぐに音楽に戻って、常にバンドと同じテンポで、帳尻を合わせながら演奏できなければ、ライブじゃ使えません」といい、私も間違えても何をしても、帳尻を合わせて演奏する練習を散々したものです。

 同じフルートの先生で、この二人、実は同門の兄妹弟子なんですが、生徒に求めるものは、こんなに違うんです、おかしいでしょ?

 これは、H先生と笛先生の、現在活躍するフィールドの違いから来るものだと思います。

 H先生は、クラシック音楽のソロ・フルーティストです。たまに、オーケストラの中に入って、オーケストラプレイヤーとしても活躍しますが、あくまでもソロ奏者であって、ピアノやオーケストラをバックに、クラシック音楽を独奏する演奏家です。一方、笛先生は、ジャズフルーティストで、ジャズバンドの中でフルートを吹いてます。

 クラシック音楽とジャズ、ソリストとバンドメンバー、古典音楽と現代音楽。活躍しているフィールドが、本当に、全然違います。

 クラシック音楽のフルーティストならば、何よりも音色が優先される…って事なんでしょうね。もちろん、速吹きも出来なきゃいけませんが、ソリストならば、何となれば、どんな曲であっても、自分が演奏できる速度で吹いちゃえばいいわけですからね。速度が遅くても、美しい音色とか説得力のあるフレージィングとかで演奏できれば、観客は納得するわけですからね。

 ジャズ…と言うか、ポピュラー音楽と言うか、合奏音楽では、フルーティストは全体の中の駒の一つに過ぎません。音色は美しいに越したことはありませんが、とりあえず「フルートが吹いている」という事が分かれば、それで良しです。それよりもバンドの音楽に付いて行く事が最優先です。だって合奏だもん。それに、バンドの演奏って、たいてい、馬鹿みたいにテンポ速いしね(笑)。もう、落ちずについていくだけで精一杯です。

 と言うわけで「優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか」という答えに対しては「それは音楽ジャンルや演奏形態によって異なる。クラシック音楽であったり、ソリストであるならば、音色の美しさを優先し、ポピュラー音楽であったり、合奏であるならば、運指の素速さを優先するべきである」と、まあつまらない結論でごめんなさい…って事です。

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2015年10月 8日 (木)

結局、ヨウ素(笑)

 私はノドが弱い人です。ですから、風邪をひくと、必ずノドを腫らします。それは子どもの頃から今に至るまで同じです。必ず、ノドを腫らします。

 ですから、子どもの頃は…いや、二十代ぐらいまでは、風邪をひいて医者に行くと、必ず医者にノドを診られて「腫れてますね…」と言われて、茶色というか紫色というか、何とも不思議な色した薬をノドにグリグリ塗られたものです。ギャーと思うものの、確かにあれをやられると、風邪の治りが早かったような気がします。

 あの“茶色というか紫色というか、何とも不思議な色した薬”は、ルゴール液と言います。時代か変わったせいなのか、それも私がかかる医者の好みなのか、三十代を過ぎたあたりから、医者でルゴール液を塗られることはめっきり無くなりました。なんか寂しいので、ある時、お医者さんに「ルゴール液、塗らないのですか」と尋ねた事がありました。

 「ルゴール? 塗りたいの? じゃあ、イソジン出しておくから、よくうがいしてね」で終了でした。あれ、ルゴールを所望したのに、イソジンなの?

 イソジンって、うがい薬です。薬局でイソジンを入手して、うがいをしてみました。確かにルゴールっぽい味がしますが、なんともかんともです。

 実は、ルゴールとイソジン。全く同じもの…と言うわけではありませんが、どちらもヨウ素系の消毒薬でした。薬効としては、ほぼ同じ。ただ、一方が塗るタイプで、一方がうがい薬という違いだけ。でも、なんか、うがいじゃ寂しいんだよね。やっぱり、グリグリ塗りたいんだよ。

 なので、イソジンを止めて、薬局でルゴール液を買ってきて、長い柄のついた綿棒を入手して、自分でグリグリやってました。しかし、自分でグリグリやっても、うまく塗れないんですよね…。

 そんな事を薬局で愚痴っていたら「じゃあ、のどぬ~るスプレーにしてみたらどう?」と言われました。のどぬ~るスプレー? なんじゃい、それ?

 聞いてみたら、これもヨウ素系の消毒薬です。スプレータイプの消毒液で、ノドに向けてピッピッと噴霧していく薬です。綿棒でグリグリとは違って、正確さは必要ありません。適当に、ノドに向けてピッピッと噴霧すればOKです。綿棒グリグリよりも、お手軽なんです。

 さっそく使ってみました。お医者さんにルゴールでグリグリやられるのとは比較できませんが、まあ素人が自宅で治療するなら、これがベターなのかもしれません。なので、のどぬ~るスプレーを知って以来、ノドが腫れて消毒する必要を感じると、適宜、これを使ってます。あくまでも“適宜”であって、頻繁に使わないように心がけています。と言うのも、ヨウ素って、軽微なものだけれど、一応毒薬だし、中毒性もあるので、多用して他の病気になってもつまらないので、必要な時に必要な分だけ、ピッピッと使っております。

 ルゴール液、イソジン、のどぬ~るスプレー…、名前は違うし、厳密にはそれぞれ別物とは言え、薬としては、同じヨウ素系の消毒薬です。薬学の勉強をしていると、これらが同系列の薬だと気がつくんだろうけれど、素人な私たちにとっては、これらが同じような薬だとは、なかなか気づきません。

 知識を持っているって事は、大切な事なんだなあ…。

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2015年10月 7日 (水)

調子が悪い時の歌い方…について

 声楽のレッスンの続きです。とにかく、発声がダメダメな私です。

 なぜ、発声がダメなのか…私的には、まだ風邪が治りきらず、声帯が腫れているので発声がダメなんだと思っています。先生的には、腹筋が全然使えていないので、発声がダメなんだと言います。

 腹筋の話が出てきたので、ここのところの“腹筋がつりまくって激痛に怯える私”の話をしたら…プロでも腹筋がつる事はあるんだそうです。本番で歌っている最中に腹筋がつった時は、目の前が真っ暗になるんだそうです。と言うのも、腹筋って、一度つると、しばらく歌えなくなってしまうからです。それも、10分単位の時間、歌えなくなってしまうわけで、痛いより何より、それがつらいんだそうです。特に本番中に腹筋がつってしまったら、もうどうにもならないんだそうです。そりゃあ、そうだよね。

 ですから「最近、腹筋がよくつるんですが、どうしたら良いでしょうね」との問いに対する先生の答えは「ほんと、どうしたらいいんでしょうね」という返答でした。つまり、腹筋がつってしまう事は、方向性としては正しいし、プロでも日常茶飯事だけれど、特に回避の手段はないし、手の施しようはない…って事のようです。残念です。

 ちなみに、今現在、風邪で通院している事から、お医者さんにも腹筋の件を話したら、一応腹部の検査をしてくれたけれど、異常は見つかりませんでした。やはり、妻の言う“動かなかった腹筋を動かし始めたので、腹筋がビックリして、痙攣&つっている”って線で良さそうです。

 さて、先生に風邪をひいて数日歌わなかったという話をしたところ、歌を数日歌わなかったからと言って、声帯が動かなくなるわけでもなく、声も鳴らなくなるわけでもないので、そっちの心配はする必要はないと言われました。ただ、数日休むだけで、腹筋は弱ってくるんだそうです。だから、風邪をひいて歌えなくても、腹筋の筋トレだけは欠かさずにやっておかないと、すぐに喉声になってしまうので、注意なんだそうです。

 喉声とは、結局のところ“腹筋を使わず/使えずに発声する声”の事のようです。腹筋を使わないので、声帯周りの筋肉を駆使して発声する声の事です。もちろん、その他に、胸とか肩で息を送って発声するやり方もありますが、そのやり方だと音量が稼げないので、歌には不向きってわけですね。歌に使えるくらいの音量となると、ノドか腹筋かって事になりそうです。

 喉声がいけないのは、喉声そのものが不快だという事もある(そこを逆手にとって感情的な歌唱ができるわけで…キング先生なんかは、そっちの方向で指導をしています)けれど、それ以上に、声帯への負担が強く、歌っている最中に声が無くなってしまうので避けるべきなんです。キング先生に習っていた時に、よく歌の途中で声が無くなって、キング先生から「声の体力が足りない!」と叱られていましたが、喉声発声である以上、声の消耗が激しいのはしょうがないわけで、私のような凡人では、喉声で一曲歌い通すのは無理だったわけです。

 喉声の正体とは、過度に声帯に息をぶつける声の事です。特に、フレーズの頭をガツン!と歌うため、多くの息をいきなり声帯に送り、それの繰り返しが声帯を傷めつけ続ける事になり、それが声の消耗を激しくするわけです。ですから、なるべく腹筋を使って、息をレガートに送ってやって、フレーズの頭を優しく歌う事で、ノド(声帯)への刺激を少なめにして、声を持たせていこうってわけです。特に私のように、すぐに声が無くなってしまうタイプの人間は、喉声はダメダメなんですが…今回の私は、終始一貫、喉声発声になっていたんだそうです。

 先生曰く「調子が悪いなあと思っている時ほど、腹筋をよく使って歌うこと。音程が低いなあ…と思っても、力で音程を上げようなんてしない事。そんな事をしても音程は上がらず、ただただ声が消耗するだけです。とにかく腹筋を使って、息をいっぱい送ること。それだけを考えて歌うこと。また、調子が悪い時は、筋肉の反応も悪いので、曲のテンポを遅くして歌うことも手です」とも教わりました。

 1)腹筋を意識して、たくさんの息を送る事。
 2)テンポをゆっくりめにして丁寧に歌うこと。
 3)(前回教わった)響きを高くして、ノドの負担を減らす事。

 以上三点が、調子の悪い時に注意することのようです。これで、声帯さえ腫れていなければ、多少調子が悪くても、なんとか歌えるようです。

 さて、今回のレッスンでは、二重唱の合わせがメインです。具体的な注意は、実に細かく様々でしたが、大きく注意された事を書きますと…。

 互いを思いやってブレスをする事。これはデュエット相手に対してもそうだけれど、ピアニストさんに対してもそうです。指揮者がいれば、指揮者がする事だけれど、指揮者がいない場面では、お互い、息を合わせて演奏するためには、それぞれの息づかいをよく聞いて、ブレスのタイミングや速さで合わせていくのです。だから、きちんと要所要所でブレスを取るのはもちろんだけれど、自分勝手にブレスを取るのではなく、音楽の流れの中でブレスを取らなければいけないし、共演者たちに伝わるようにブレスをしないといけません。

 こっそりブレスを取っちゃあ…いけないんですよ(笑)。

 また、指揮者がいないので、音楽の骨はピアニストさんが作る事を全員が承知している事。歌手はついつい「自分に合わせろ」という感じで歌うわけだけれど、独唱曲ならそれでいいのだけれど、重唱曲では、必ずしもそれが正解ではないのだそうです。もちろん、重唱曲でもソロ的な部分があって、それはそこを歌う歌手の歌に合わせていくのですが、二人の歌手が同時に歌っている箇所とか、ソロ的な部分でも、ピアノがリードしていくべき箇所がいくつかあります。そんなところでは、歌手のご都合にピアノは合わせるべきではなく、きちんとピアノが器楽的なリズムを刻んでリードしていかないといけないのです。そういう箇所はどこにあるのか、お互いに確認し合い、どの場面では、誰が音楽をリードしていくのかを改めて確認していきました。

 ソロ曲の方は、体調が悪いので、パスをしました。とにかく今は体調の回復を優先します。歌の練習って、歌えば良いというものではなく、歌えない時は休むことも大切だし、声の事を考えれば、可能な限り、声を出さない練習をするべきなんです。特に今回のような体調では(笑)。

 とにかく、これで本番までの先生とのレッスンは終了。次は本番前日のホールでのピアノ合わせがあって、当日本番となります。いよいよです。ワクワクすると同時に、まだ暗譜も完全ではないし、体調悪いし、きちんと歌えるかどうかとても不安だし、出番がトリ前だし…いやあ、プレッシャーがかかるかかる(汗)。

 もう、なるようにしかならないわけです。ひとまず、頑張ってくるつもりですよ。

 蛇足 私が出演するクラシックコンサートは、10月10日(土)茅ヶ崎市民文化会館小ホールで行います。私の出演予定時刻は、ソロ歌唱が19:27~、デュエット歌唱が19:49~です。遅い時間で申し訳ない。曲目は、ソロがトスティ作曲の「Love Me!/私を愛してください!」と「Starlight/星の明かり」。デュエットがドニゼッティ作曲の歌劇「愛の妙薬」より「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」です。黙って見に来て「うひゃうひゃ」と笑ってお帰りになるも良し、遠い空から「すとんさんがうまく歌えますように」とお祈りくださるのも感謝です。体調を整えて、全力を尽くしてきますので、応援よろしくお願いします。

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2015年10月 6日 (火)

三ヶ月後には、発表会があるかもしれません、どーしましょー

 声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンが、本番直前のレッスンとなります。もう、今週末には、クラシックコンサートの当日がやってきてしまうからです。もちろん、クラシックコンサートでの歌唱については、来週辺りにブログにアップしますので、お待ち下さいね。

 で、クラシックコンサートは次の週末なのですが、それとは別に門下の発表会が、急遽、予定されました。

 まだ、色々と未定で、現在のところ、参加者の確定作業をしている段階なのですが、発表会の開催時機は、来年の1月の初旬となっています。まだ、ほぼ正月だという時機に発表会を行うかもしれないのです。行うかも…と言うのは、実は、今回予定されているホールは、かなり良いホール(通常、アマチュアの発表会程度では使用しないクラスのホール)で、めったに使用できないほど競争率の高いホールがたまたま利用できるチャンスがあったので、先生としては、生徒の皆さんにとって良い経験になるので、ぜひ発表会を実施したいのですが、開催に至るまでに問題が色々とあるわけです。

 一つは、開催時期がすでに間近に迫っていて、すでに予定が入ってしまった方々も多く、参加人数がそれほど見込めない事。二つ目の問題は、元々ホールの使用料が高額な上に、参加人数が少ないため、一人ひとりの参加費が、普段よりも、かなり高額になってしまう事。なので、現在、参加を申し込んでいる人たちにも、再度「参加費が高額になってしまいますが、それでもいいですか?」と確認を取らないといけないんです。

 で、「やっぱり、参加費が高額だから、参加するつもりだったけれど、今回はパスします」という人が一人でも出ちゃうと、発表会が赤字運営になってしまうので、発表会をそのものを取りやめる…という方向になっています。

 ううむ、確かに発表会まで準備の時間がたっぷりあるとは言えないけれど、音響の良いホールで歌ってみたいはの本音だよね。参加費が高額になってしまうのは、お財布的につらいけれど、それは大人の工夫ってヤツで、なんとかすれば良いわけだし、私としては、ぜひ1月の発表会を開催して欲しいのだけれど、どうなるんだろ?

 ですから、発表会が1月にあるかもしれない…という知らせを聞いて以来、もうワクワクな私だったりします。なので、本番直前のレッスンにも関わらず、次の発表会の曲決めのための楽譜は持って行ったにも関わらず、今回の本番の楽譜を丸々忘れてしまった私でした(楽譜は、息子君にお教室まで届けさせたので、問題ありませんでした)。

 ああ、次の発表会、何を歌おうかしら?

 やっぱり、歌曲1曲、アリア1曲、二重唱1曲の鉄板の組み合わせで発表会に臨みたいですねえ。そうなると歌曲はやっぱり…トスティかな? 今度はイタリア語の歌曲で頑張りたいです。アリアは…どうしましょ? 全然思いつかない。前回の発表会同様、モーツァルトで苦しみながらも自分をアップグレードさせる勉強をする方向か、自分の声に合った曲を選んでレパートリーを広げる方向か、どちらにしましょ? 二重唱は…ソプラノとテノールの二重唱は、いずれも難しい曲ばかりだし、今回は準備期間が少ないので、いっそパスしちゃうのも手だよね。勇気ある撤退ができるのがオトナというものだし。

 なんて事をワクワクしながら考えていたんです。で、先生に、発表会の曲決めをしましょうと振ったら…まだ発表会の開催が決定しないので、決まってから曲決めをしましょうって言われてしまいました。たぶん、先生としては、今回の発表会は、どうもに開催の可能性が低いんじゃないかって思っていらっしゃるようなんです。

 でもね、行うとなったら、もう日が無いのだから、私としては、発表会の有る無しに関わらず、有るという前提で準備を進めたいです。そのためにも、次回のレッスンからは、発表会の準備に取り掛かりたいんだけれどなあ…、でないと間に合わないかもしれないじゃない? なにしろ、私は、本番のための準備に時間がかかる人だからサ。

 結局、発表会の有無はメールで連絡をいただける事になりました。で、開催が決まったら、発表会の準備に取り掛かる事になりました。曲目に関しては、私が勝手に決めて良しとなりました…ってか、相談して決める時間がないし、本人が歌いたい歌を歌うのが一番だから、私が決めた曲で発表会に臨みましょうって事になりました。

 いいの、それで? 私がベッリーニの『清教徒』のテノールアリアで発表会に出演したいって言ったら、先生、本当にその選曲でOKしてくれるわけ? OKしてくれるんなら、私はベッリーニで発表会に出ちゃうよ(笑)。いや、そもそも、そんな勇気、私にはないか…。

 なんて事があったわけですが、本番直前のレッスンも愚かにはできません。『時はカネなり』です。ピアニストさんも同伴しているレッスンですから、時間は無駄にできません。さっそく発声練習からはじめました。時間もモッタイナイので、妻と二人で同時に発声練習をしましたが…どうにもこうにも、私ばかりが注意されます。今回、私の発声が全然ダメなんだそうですが…さあ、どうしましょうって話です。

 長くなってきたので、明日に続きます。

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2015年10月 5日 (月)

腹筋がつります(とてもつらいです:涙)

 最近、腹筋がつります。前面と言わず、側面と言わず、背面と言わず、外部と言わず、内部と言わず、同時多発的に、いわゆる“腹筋”と呼ばれるところが、一斉につります。もう、シャレになりません。冷や汗が出てきて、どうにもできません。あんまりヒドイ時は救急車を呼びたくなるほど、激しく強くつります。

 腹筋がつるのは、決まって発声練習後です。いわゆるHi-Cあたりの声を練習した後に起こります。

 最近の自宅での発声練習は、だいたいHi-Dあたりまでやっています。目標としては「練習ではHi-Dまでを練習し、実用音域としてはHi-Cまでをモノにする」という感じでやってます。頑張っているでしょ(笑)。

 練習している時は…まあいいんです。問題は、発声練習が終わって、汗びっちょりになって休憩している時です。ゾワゾワゾワ…と胴体の筋肉が痙攣しはじめて「あれあれ、これはやばいかも…」と思っているうちに、キューーーーーーーっと腹筋がつりはじめます。一度つりはじめたら、もうどうにもなりません。なすがまま、ただただ腹痛に耐えるだけです。腹筋と言わず胴体全体が、つりながらふるえ、ふるえながらつるんです。目の前が暗くなります。

 発声練習のやり方がマズイのか、あるいは何かの病気になってしまったのか、とても不安で、妻に相談したら「ようやく、腹筋を使って歌えるようになってきたんだね、よかったね」とサラッと言われてしまいました。

 そうなの?

 まあ、腹筋の痛みも長引くことはなく、発声練習後、30分もすれば収まります。発声練習以外でお腹が痛くなる事はないので、やっぱり妻の言うとおり、腹筋を使って超高音発声をした結果生じた腹筋の痛み…なのかもしれません。であれば、やっぱり喜ばしい事なのかな?

 とりあえず、毎度のレッスンの度に「腹筋、腹筋」と注意され続けてきたので、ようやく腹筋関係の神経が開通して、そのあたりの筋肉をわずかながらでも動かせるようになりつつあるんだろうけれど、肝心の腹筋が鍛えられていなくて非力なので、ついついオーバーワークをしてしまい、その結果“筋肉の痙攣 → ひきつり”って事になっているんだと思いますし、ぜひそうであって欲しいです。

 私の推察が正しければ、やがて筋肉が鍛えられて、腹筋は痛まなくなり、超高音も楽々と発声できるようになっているはずなのです。

 ああ、うれしい。ああ、楽しみ。それを思うと、今の激痛(本当に涙が出ちゃうくらいに激痛なんですよ)にも我慢できるというものです。たぶん、一歩一歩、前に進んでいる…だろうなあって思います。

 でも、腹筋への神経が開通したとしても、動かし方が間違っていたら、元も子もないわけで…そこに対する安心の担保が欲しかったりする私です。ほんと、大丈夫なのかな?

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2015年10月 4日 (日)

長生きの秘訣[2015年10月第1週・通算14週]

体重:109.6kg[-1.4kg:-5.2kg]
体脂肪率:31.5%[+0.3%:-1.9%]
BMI:34.6[-0.4:-1.6]
体脂肪質量:34.5kg[-0.1kg:-3.9kg]
腹囲:108.0cm[+1.0cm:+2.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 久しぶりに体重測定をしてみました…約三ヶ月ぶりです(汗)。まあ、あまり変わっていなかったので、良かったというべきか、もっとやせてなきゃダメでしょというべきか…。まあ、これから秋に向かって、少しずつでも体重を落としていきたいと思ってます。どうせ、正月にまた太るんだから(涙)。

 さて、今秋のエッセイです。

 私自身は、決して長生きを目指しているわけではありません。むしろ、もう十分に生きたので、余生を楽しむ気分で毎日を暮らしているくらいです。

 浮世は憂世であり、苦労は絶えません。終わりの時が来たら、素直に退場するつもりでいます。

 それはさておき、世の中を見ていると、本当に、お元気なスーパー高齢者の皆さんがたくさんいます。日本人最高齢者が、女性が115歳、男性が112歳だそうですが、単に長生きなだけでなく、つい先人も105歳の日本人男性がマスターズ陸上で100m走の世界記録を打ち立てたそうで、なんとも見事なモンです。

 そんなスーパーな高齢者の方々を見ていると、どうすれば“元気に長寿”ってヤツになれるのか、考えてみました。別に根拠があるわけでなく、全くの私感なんですが、どんなもんでしょうね(笑)。

 まずは、食事について考えてみました。とりあえず。食べ過ぎない事が大切かな? スーパーな肥満を避ける事は当然ですが、少々の肥満は気にしない方が、むしろ良いかもしれません。若者の肥満はダメですが、老人が多少肥満気味なのは、老化の一種ですから、気にしてはいけない…と思ってます。人間、必ずやせて死ぬわけですから、多少の肥満は死を遠ざける…んじゃないかなって思ってます。

 コレステロール値とか血圧とかも、ほどほどに高いのは老人として当然だし、むしろ元気な証拠ですから、あまり気にしてはいけない…と思ってます。ただ、血圧が高い人は、元気だけれど、血管が弱っているため、カラダに負担はかけられないので“年寄りの冷水”的な事は避けた方が無難ですね。

 老人にとって心配なのは、食べ過ぎよりも、食べ無さ過ぎかもしれません。年を取って、痩せているのはマズイです。人によっては、痩せるどころか、枯れている人もいます。人間、食べられなくなったら、お終いです。多少無理をしても、しっかり食事をしないといけません。健康なのに、エネルギー不足の体力不足で、命が止まってしまっては、もったいないですからね。

 老人にとって、食事の量も大切ですが、質も大事です。若者と違って、必要な栄養素は食事で補わなければならないんです。ですから、粗食は必ずしも健康的ではないかもしれません。長生きをしたいなら、動物性蛋白質を豊かに取る事を忘れてはいけません。また、ビタミンを始めとする微量栄養素もしっかりと摂取しないとね。普段の食事はしっかりと熱を通したものを食べるべきだろうけれど、たまには熱を通していないモノを食べる必要はあります。つまり、色々な食材を様々な調理方法で食べる事が大切って事です。

 まあ、昔から言うとおり『腹八分目』とか『海の幸と山の幸を食べる』とかが大切なんだろうと思います。

 次は運動について考えてみました。運動しないのはいけません。廃用性症候群という病気(!)もあるくらいです。とにかく、カラダを動かさないのは、絶対にダメです。だからと言って、やり過ぎもいけません。チョボチョボと毎日適度な運動を行うのが良いと思います。ならば“運動”と構えるよりも、日常の動作を豊かにする程度の事で良いのではないかと思います。なるべく歩く…とか、姿勢正しく日々を過ごす…とかね。寝転がってクターとしていてはいけません。

 スポーツは…もしかすると避けた方が良いのかもしれません。少なくとも、試合に夢中になって真剣に熱くなってしまっては、カラダに過度の負担となり、かえって良くないのではないかと思われます。と言うのも、スーパーな長寿の方にスポーツマンって、ほとんどいないでしょ? 105歳で世界記録を作った人も、スポーツを始めたのは90歳を過ぎてからで、それまで囲碁三昧だったそうです。囲碁仲間がみんな死んじゃったので、陸上競技を始めたんだそうです。それくらい、若い時のスポーツは、長寿には良くないのかもしれませんよ(笑)。

 とにかく、スポーツに限らず、運動をしないのはダメですが、しすぎるのもダメです。運動をしないと、筋肉がドンドン衰えてしまい、健康に良くありません。しかし、運動をしすぎるのもいけません。カラダに負担をかけていくと、新陳代謝が激しくなって、体細胞分裂も盛んになり、その分、老化が早く進んでしまいますからね。有酸素運動をして、酸素を多量に消費する事だって、長い目で見れば良くないでしょう。我々にとって、生きるために酸素は必要ですが、酸素は元々猛毒ガスである事は忘れてはいけません。酸素の摂取のしすぎは命を縮めるそうです。

 廃用性症候群を避けるためにも、我々は日々カラダを動かして、適度に筋肉を使っていかなければいけれませんが、その際には、大きな筋肉(足・腰・背中)を使うと、エネルギーを効率よく消費できるので、良いでしょう。また、同じ筋肉でも、呼吸筋は鍛えるべきです(息が止まれば、人は死ぬからです)。心筋は不随意運動をしていますので、鍛えられません。心筋は専らいたわるのが良いでしょう。

 心の衛生についても考えてみました。安心できる事は最低条件です。安心して毎日を暮らせることは、長く生きていくために必要な事でしょう。金銭面でも、健康面でも、環境面でも、人間関係でも、安心できる事は大切です。

 楽しいことも大切です。でも、安心とは違って、楽しさは毎日続くと、その有り難みが分からなくなってしまうので、たまに楽しいぐらいの方が良いかもしれません。

 他人に頼りにされているとか、みんなから慕われているとか、家庭や地域に自分の居場所がある事は大切です。また、夢中になれる事があるのは良いです。そういう意味では、仕事や趣味は大切ですね。

 最後に、健康について…というか、病気について考えてみました。老人と病気は切っても切れない関係です。家族よりも、お医者さんとの会話の方が多くなってしまう人もいるくらい、年をとると、病気とは無関係ではいられなくなります。

 カラダも物体です。中古品は、新品よりもメンテナンスに手間暇がかかるのは仕方ないです。だから、病気の一つや二つでビビらない事が肝心です。また、病気の早期解決も考えない事です。病気治療も大切だけれど、本当に大切なのは、治療して治す事ではなく、治療しつつ病気と共存していく事かもしれません。下手に病気に勝とうとしない方が良いかもしれません。敵もさるものです。やっつけてやろうとすると、意外な反撃を食らうことだってあるでしょう。ならば、病気と戦わなければいいのです。戦わなければ、負けません。負けなければ、勝ったも同然です(笑)。

 そう考えるなら、年を取ってからの病院通いも必要だろうけれど、若い時から、カラダを酷使せずに、息を潜めて、ひっそりと生きていくことも、ご長寿には大切な事かもしれません。

 そして、ご長寿に何より必要なのは、平和で豊かな社会です。日本人の寿命が世界でトップレベルである事には色々な理由がありますが、大きな理由としては、戦争もなく、流行病もなく、金銭的に豊かで、医療が発達した、衛生的な社会に生きている事、なんだろうと思います。そういう意味では、長生きしたければ、国の将来を真剣に考えるべきなんだろうと思います。

 私は、そのように考えました。頑張ってゆきましょう。

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2015年10月 3日 (土)

オタキサンが星になりました

 すでに先月の落ち穂拾いで、オタキサンが星になってしまった事は書きました。やはり、ウチの水槽の金魚の定員は5匹だったのかもしれません。

 で、オタキサンの死因ですが、病気ではなく、イジメです。実は、ミカンにイジメられた結果、瀕死の重傷をおってしまい、死んでしまいました。

 元々、シズカが入ってくる前から、水槽の金魚たちは、オタキサンと、ヤヨイとその子分たちというような、2グループ(?)に分かれていました。それでも、オタキサンだけが大きくて、他の子たちが小さかった時は、トラブルも無かったのですが、かつては小さかった新入りたちも大きくなり、ヤヨイを中心にまとまって来るに従って、オタキサンだけが仲間はずれになるような感じとなりました。

 まあ、他の子たちから見れば、オタキサンはお局さんのような立場で煙たかったのかもしれませんし、オタキサンからすれば、仲の良かった友達は、みんな死んでしまい、キャピキャピした若い子たちに囲まれるようになり、なんとも落ち着かなかったのかもしれません。オタキサンは気の優しい(気の弱い)子だったので、新入りたちがドッと入ってきた時は、むしろオタキサンの方がストレスを感じてしまい、それで体調を崩していますから、オタキサンは、カラダは強かったのですが、メンタルの方は、弱かったんだと思います。

 でも、オタキサン自身は、それらのストレスをどうにか頑張って乗り越えていたんだと思いますが、問題は新入りたちの方です。

 ヤヨイは我関せずと言った子なので、特に問題はありませんし、ミドリは穏やかな性格の出目金ですし、さすがにエナとかシズカでは、あまりに小さすぎて、オタキサンの敵ではありません。そこでミカンだったんだろうと思います。

 ミカンは、ヤヨイに次ぐ大きさの金魚で、オタキサンと比べるとまだまだチビなんですが、チビな分、小回りが効くんですね。オタキサンがおとなしい子ならば、ミカンは気の強い、鼻っ柱の強い子なんです。ですから、ある時から(シズカが来るずっと以前から)私が気が付くと、ミカンがオタキサンをいじめていました。下腹部をやたらとつっつくんですね。まあ、噛み付いているんだと思います。オタキサンは逃げるばかりで、戦いません。あくまでも専守防衛なんです。可哀想だなとは思うものの、水槽の中は一応治外法権なので、飼い主とは言え、見守るだけでした。

 シズカが入ってきて、よりストレスが高まったのか、ミカンのオタキサンに対するイジメが激しくなってきた事は気づいていましたが、そのイジメがある日、オタキサンに致命傷を与えてしまいました。ついに下腹部の皮膚が食い破られて、内臓が見えている状態になってしまいました。

 さすがに、これはマズイというわけで、すぐにオタキサンを隔離しましたが、そこから約24時間たたないうちに、オタキサンは星になってしまいました。

 今のミカンは、邪魔者オタキサンを追い出して、せいせいしたのが、晴れ晴れとした顔をして水槽を泳いでいます。水槽も平穏になりました。弱肉強食なのが生き物の世界の常識なので、これはこれで仕方ありません。オタキサンは生存競争に負けたわけです。

 しかし、病気で星になってしまったのならともかく、イジメで殺されてしまうのは、なんとも後味が悪いものだし、本当に我が家の水槽の金魚の定員が5尾なのか、それともたまたまイジメ事件が起こっただけで、水槽の定員は6尾とか7尾とかなのか、それは分かりません。

 それにしても、赤い金魚の中には、気性の荒いやんちゃな子が時折いるんですね。我が家で飼ってきた金魚も、たいてい、気性の荒い子は赤い子です。ます。おそらく、金魚って、フナに近い子ほど、性格が荒いのかもしれません。なんか、そんな気がします。

蛇足 ひとまず、我が家の水槽の現在のラインナップは…金魚が、ヤヨイ(三色琉金)、ミドリ(黒出目金)、ミカン(素赤オランダ獅子頭)、エナ(丹頂)、シズカ(素赤琉金)の5匹と、緋ドジョウ4尾(ラズ、名無し3尾)、真ドジョウ2尾(シロ、クロ)、メダカ3匹、タニシ多数、石巻貝少々…って感じです。

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2015年10月 2日 (金)

フルートで“歌う”とは?

 よく「歌うようにフルートを吹きなさい」とか「あの人のフルートは、よく歌っていましたね」とか言いますが“フルートで歌う”とは、どんな演奏の事を言うのでしょうか?

 おそらく“フルートで歌う”の反対語は“棒吹き”なんだろうと思います。

 “棒吹き”とは何かと言うと、音程とリズムは正確なんだけれど、抑揚も無ければ、表情付けも全く無い演奏の事です。まあ「正しいけれど、つまらない演奏」って奴で、初学者が陥りやすい演奏です。だって、習い始めの頃って、楽譜的に正しく吹くだけで精一杯で、とても抑揚とか表情とかを付けている余裕なんて無いものね。

 じゃあ“歌う”ってのは、演奏に抑揚とか表情が付けばいいのか…って言うと、だったら「抑揚をつけなさい」とか「表情豊かに吹きなさい」と言えばいいわけですから“歌う”ってのは、それ以上の事が要求されているんだろうなあって思うわけです。

 「じゃあ“歌う”って、何さー!」となりますわな。

 クラシック音楽における楽器演奏の目標って「歌うように演奏する」なんですよ。つまり“歌え!”とは“最高の演奏をしろ!”と、ほぼ同義なんだと思います。とりわけフルートは、ソプラノ歌手と音域的にはほぼ同じですから“ソプラノ歌手が歌うように演奏しなさい”って事なんだと思います。

 ソプラノ歌手が歌うように演奏する…ソプラノ歌手ですか? 頭抱えちゃますね。

 まず、ソプラノ歌手の特徴ですが…声が美しい事です。声が美しいとは、たくさんの倍音が含まれた声で歌っているという事です。具体的に言えば「芯があって強力だけれど、豊かで柔らかい音色」です。確かに、フルートでも音色作りは大切な練習課題ですね。

 上手な歌手は、基本的にレガートで歌います。ブレスをしている時以外は、ずっと息で音がつながっています。そういう意味では、フルートのスラーでの演奏法に似ているかもしれません。しかし、単なるスラーと違うのは、音と音の間が極めてなめらかだという事です。

 例えば“ド~ミ~”というフレーズの場合、フルートの場合は“ドー、ミー”と言った感じで、ドを演奏してからミを演奏します。しかし歌の場合は、ほんの短い時間であっても“レ”を経由します。つまり“ド~(レ)~ミ~”となります。いや、もっときちんと言えば、ドとレの間にある音も経由します。つまり“ド~ミ~”というフレーズならば、ごく短い時間の間にドからミの間にあるすべての音を経由して歌います。そうやって、音程移動を滑らかにして歌うのですが…これは弦楽器でなら真似することも不可能ではありませんが、管楽器ではまず無理です、難しいですね。ですから、フルートの場合は、真似はできませんが、雰囲気だけでもレガートに演奏するのがいいんでしょうね。

 そして歌には必ず言葉がつきます。言葉が持っている“言葉の意味”については、とりあえず横に置くとしても、音楽的に、言葉はメロディに複雑な要素を付け加えます。この言葉の影響はとても大きくて、無視することはできません。

 例えば、歌の言葉は、様々な音が息でつながっていますが、そのつながった音の中に、子音によって豊富な区切りが入ります。そこはフルートのタンギングのような感じでしょうが、子音の種類はタンギングの種類よりも多いです。また歌の言葉における母音は、音色のようなものですが、これまたフルートの音色と較べて、実に多彩です。ですから、フルートで歌のように吹きたいのなら、フルートでは、かなり多彩な音色と豊かなタンギングを駆使する必要があるでしょう。

 また、言葉には必ずアクセントとイントネーションがあります。このアクセントとイントネーションが、元々の音楽のメロディーの上に乗りますから、音楽に複雑な抑揚を与えます。これをフルートで真似るなら、それこそ「歌うように吹く」しかないのかもしれません(説明になってなくてゴメン)。

 美しい音色、レガートな息遣い、豊富なタンギング、多彩な音色、複雑な抑揚…これらのすべてが成り立って初めて“歌うように吹ける”のかもしれません。

 うへー、ハードル高すぎ! そりゃあ簡単にできないよ。

 「…できないよ」で諦めたらオシマイです。では、どうするか? 

 これはフルートではなく、ヴァイオリンでの私の経験話になりますが、私が以前、ヴァイオリンを習っていた時、歌うように弾くために、楽器を持つ前に、いつも必ず歌う事を要求されました。ですから、ヴァイオリンのレッスンの時は、ヴァイオリンを持つ前に、その日のエチュードを、階名唱でしたが、先生の前で歌って、歌で合格をいただいてから、ようやく楽器を持たせてもらいました。つまり、歌えるようになってから楽器を演奏したわけです。ですから、歌えない曲は、きちんと歌えるようになるまで、何度も歌のレッスンを受けて、歌で合格してか「今、歌ったように弾いてご覧」と言われて、ヴァイオリンを持ったものです。確かに、このやり方だと、歌うようにヴァイオリンが弾けました。

 フルートで歌うように演奏するのは、理屈で考えると難しいです。なので、まず、フルートを持つ前に、楽譜を歌ってみたらいかがでしょうか? そして、美しく歌えるようになってからフルートを持って吹いてみれば、きっと、歌うようにフルートが吹けると思います。

 逆に言うと、歌うようにフルートが吹ける人は、きっと歌っても、美しい歌が歌えるんじゃないかしら?

 歌うと言っても、オペラ歌手のような声で歌う必要はありません。むしろ、子どもに歌いかけるお母さんの子守唄のような感じの歌でいいと思います。そういう気持ちで歌うことを経験してからフルートを吹けば、きっと歌うようなフルートの演奏ができると思いますよ。

 お試しあれ。

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2015年10月 1日 (木)

前半は暑さと戦い、後半は風邪で寝込みました[2015年9月の落ち穂拾い]

 いやあ、風邪で寝込んでしまいました。おかげさまで、シルバーウィークは(全く遊ばなかったわけではありませんでしたが)ほぼ寝てました。見たかった映画も、いくつかは見逃してしまいました…が、仕方ありません。体調が悪い時は、寝るのが一番。元気でなければ、やりたいこともできませんからね。いやあ、ほんと、元気が一番。健康は大切です。

私たちが知っている音楽史は、ドイツ目線の音楽史である事を自覚しよう

 私たちは、学校の音楽の授業で音楽を習います。そこで習った事が、いわば日本人の音楽の常識の基礎になるわけですが、学校で教えてくれる音楽史…というか、音楽室に掲示してある音楽年表って、ドイツ目線なんですよね。

 クラシック音楽は、だいたいにおいて、音楽の父であるバッハと、音楽の母であるヘンデルから始まり、交響曲の父であるハイドン、そして楽聖ベートーヴェンにたどり着きます。その後も、歌曲王シューベルトとか、3大Bのブラームスとか、楽劇の創立者ワーグナーとか、ワルツの父のヨハン・シュトラウスとか…まあ、こんな感じに続いていきます。

 ここに出てくる音楽家って、いわゆるドイツ系の音楽家ばかりだったりします。

 でも、実際の当時のヨーロッパの音楽シーンでは、ドイツ人音楽家がブイブイ言わせていたのかと言うと、音楽の都ウィーン(ここはドイツ圏です)ですら、全然そうではなくて、地元のドイツ勢も頑張っていたけれど、やはり音楽の中心はイタリア系の音楽家だったわけです。でも、明治時代に西洋音楽を輸入した日本にやってきたのは、ドイツ系の音楽家ばかりだったので、彼らを通して西洋音楽を学んだ昔の日本人は、どうしてもドイツ目線になりがちで、それが今日まで尾を引いて、日本人がクラシック音楽をイメージすると、どうしてもドイツ目線の交響曲中心的な音楽を思い浮かべてしまうわけです。

 それは必ずしも間違っているわけではないけれど、ではそれだけが事実なのかと言えば、そこに語られないことも多くあるわけです。

 例えば、楽聖ベートーヴェン。音楽の授業では、絶対覇者のような扱いを受けていますが、実は、当時のウィーンでは、あくまでも二番手三番手の音楽家でしかありませんでした。あの時代のウィーンの音楽のトップランナーは、イタリア系音楽家であるロッシーニでした。

 当時のロッシーニとベートーヴェンを比較するなら、民衆の人気は、圧倒的にロッシーニの勝ち。

 とにかくロッシーニは人気があったので、民衆が求める、お金になるオペラばかり書き、ベートーヴェンは、追いかける立場であったため、ストイックにあらゆるジャンルの音楽(つまり結果としてお金にならないような音楽ばかり)を書かざるをえなかったわけです。

 ロッシーニは大衆に迎合した音楽を書き続けていたけれど(これはこれで大変だし、大切なんだけれどね)、ベートーヴェンはトップランナーでは無かった故に、マニア受けのする、未来を見据えた尖った実験音楽ばかり書いていたわけで、それもあって、後世の我々にとっては…と言うか、音楽史的にはベートーヴェンの方がエポックメイキングな作曲家になった事は間違いありません。

 だから、音楽史にベートーヴェンの名前が輝かしく光っていて、ロッシーニが載っていなくも、学術的には当然なのかもしれません。でも、音楽受容史的に考えると、どうなんでしょうね。

 当時のヨーロッパの音楽シーンを考えてみると“イタリアは音楽の国であり、作曲家&演奏家の生産地であり、彼らがオーストリアのウィーン、およびフランスのパリに輸出され(or 出稼ぎに出て)流行を作り出す”という図式がありました。

 だから本来、クラシック音楽を語る時には、生産地であるイタリア目線はもちろん、消費地であるウィーン目線、パリ目線の3つの目線が必要なんだけれど、不幸な事にこの3つの目線は、明治の日本には入ってこず、周辺で指をくわえて見ていたドイツ目線の音楽史が入ってきたわけだけれど、ドイツってのは、当時、ヨーロッパの辺境だったわけで、実に偏った目線だったんだなあ、これが。

 ベートーヴェンは偉大な作曲家である事には異存ないけれど、我々が学んだ音楽史はドイツ目線なので、イタリア人作曲家が不当に軽く扱われていたり、無視されていたわけで、そんな音楽史を我々は学校で学んでいるわけです。

 モーツァルト(オーストリアの作曲家)は、映画「アマデウス」以来復権できましたが、以前は軽くスルーされていた作曲家です。ロッシーニを始め、ヴェルディやプッチーニなどのイタリア系大作曲家は、まだまだスルーされていますし、フランス系作曲家のサンサーンスやドビュッシー、ラヴェルなどは、扱いが軽すぎると思います。パリで活躍したオーストリア系ハンガリー人である作曲家のリストなんて、ショパンとは比較にならないほどの大作曲家(私はモーツァルト並だと思ってます)なのに、ピアノ専科のショパン並の扱いとか…。とにかく、学校で習った音楽史って、とっても偏っているんです。

 まあ、ムキになって語るほどの事でもないんですが(笑)。

感情を込めずに歌おう

 声楽が器楽と異なるのは、言葉が使えることです。言葉が使えることで、感情表現も比較的容易にできます。そのため、未熟な歌手たちは、歌う際に、気合を入りすぎたり、感情過多になるキライがあります。私もそんな未熟な歌手の一人です(汗)。

 歌では、気合が入りすぎたり、感情が過多になると、声が重くなります。歌のジャンルにもよるけれど、声が重くてOKって事は、ワーグナーとか、ヴェリズモオペラとかのアリアぐらいでしょう。つまり、声が重くて良い事なんて、あんまりないんです。

 声は軽いほうが良いのですし、使えます。

 ですから多くの歌手にとって、歌う時は、なるべく気合とか感情とかを抜きにして、ひたすらテクニックだけで歌うようにするべきです。そのテクニックだって、作曲された時代ごとに、異なった声楽テクニックがあるわけですから、それぞれの時代にふさわしいテクニックを使うべきなのです。例えば、モーツァルトの時代の声楽曲を歌ならば『人として歌う』のではなく『楽器として歌う』ぐらいの気持ちじゃないと歌えません。

 「でも、歌なんだから、感情を込めて歌うべきだし、プロはみんなそうしているじゃないですか?」

 それはあくまでも、プロの歌手の話です。発声的にもテクニック的にも完成しているから、感情を適切に込めて歌うことができるわけです。発声やテクニックが未熟な歌手が、そんな完成された歌手をマネたところで、いい結果なんて出るはずがありません。

 上ばかり見ないで、しっかり自分の足元を見つめることも、上達のためには必要な事だと思います。

アルテとアルテス

 “「アルテ」と「アルテス」と両方聞きますが、どちらが正しいのでしょうか? ”とは、フルート界のFAQの一つです。

 あの教則本の著者は、ジョセフ=アンリ・アルテスといいます。ですから、正解は“アルテス”です。しかし、ジャパン・フルート・クラブから出ているモノ(いわゆる“黄色いアルテ”)は“アルテス”ではなく“アルテ”です。なぜなら、あの黄色いアルテの編著者である比田井洵氏は「アルテ」と言っているからです。

 逆に言えば、それ以外のモノは“アルテス”です。

 今では、アルテス(アルテ)は、黄色い教則本以外にもたくさんあります。その数は、出版社と翻訳者の数だけ、色々なバージョンがあると言えます。それはピアノのバイエルと同じような事になっているわけです。

 ちなみに、黄色いアルテは、原著に全く忠実ではなく、かなりの部分、翻訳者のオリジナルが加味されています。おそらく、アルテス本人が見たら「これは私のモノではありません」って断言するくらいに違います。だって、原著でたった1ページの15課が、黄色いアルテスだと22ページに増えてますし、巻末のガリボルディも黄色いアルテにしか掲載されていませんからね。

今月のお気に入り 薬用柿渋 ボディソープ

 夏は汗をかきます。汗をかくと、どうしても体臭が臭うわけです。まあ、体臭くらい、個性の一つだし、どうでもいいじゃん…って個人的には思いますが、世間的には“スメルテロ”とか“スメルハラ”とかいう言葉もあるようです。他人から嫌われたからと言って、困ることは個人的にはありませんが、だからと言って、あんまり臭いのも社会人として、どうなの…とも思うし、我々ジイサンは普通にしていても、若者からは、臭い臭いと言われるわけだから、不必要に嫌われてもなんだから、体臭に気を使うに越したことはないと思います。

 というわけで、最近愛用しているのが、薬用柿渋石鹸、ってかボディーソープ。これを使うと体臭が抑えられる…かどうかは本人には分かりませんが、これだけ世間でもてはやされているのだから、それなりに効果があるものだろうと信じて、使ってます。まあ、安いしね。

 個人的には、柿って好きなので、ほんのり柿の香りのするボディーソープが気に入っているという理由もないわけじゃありません。

今月の金魚

2015年9月3~4日  ミカン、入院&退院。
2015年9月21日   シズカ、我が家にやってくる
2015年9月27日   オタキサン、星になる

今月のひとこと

 コンサートに行くと、入り口で大量のチラシをもらう。で、コンサートが始まるまでの時間、そのチラシに目を通すわけだけれど、たいてい1つや2つ、私の興味を惹きつけるコンサートのチラシが混ざっていたりするわけだ。で、自宅に戻って、思わずチケピで買っちゃうわけだ。で、そのチケピで購入したコンサートに行くと、また入り口で大量のチラシをもらって…そうやって、コンサート・ゴーアーの連鎖が途切れないわけだ。ううむ、うまく踊らされているような気がする。(2015年8月29~31日)

 JRの放火事件、続いていますね。電車事故の多発から政情不安を起こし、政権弱体化を狙った行動なのかな?って思いますが、その手法は某国では通用するけれど、我が国日本では、市民の民度が高いので、通用しません。それにしても、タイミング的に考えるなら、やはりこれって安保法案反対行動の一種なのかな?って勘ぐってしまいます。だとしてら、市民の交通の足を人質にとった、かなり卑怯な手口だよな。(2015年8月31日~9月1日)

 そう言えば、私だって人生の中で、サイン・コサイン・タンジェントなんて使った事ないよ、女子じゃないけど(笑)。でも三角関数を学んだ事は、私の物事の考え方や発想法、因果関係の把握方法に大きな影響を与えたと思います。案外、数学って無自覚だけれど、自分のアタマでモノを考える時の、強力なストラテジーになっていると思います。(2015年9月1~5日)

 映画『テッド2』を見てきた。妻に「いつもよりも下品になってない?」と言われた。うむ、映画の影響を受けやすい、蓮葉な私なのでした(笑)。(2015年9月5~7日)

 腕時計が止まった(涙)。太陽電池駆動だからなあ…、最近の日照時間の少なさで、バッテリーが上がってしまったみたいだ。ほんと、自然エネルギーによる発電って、不安定でアテにならないなあ。(2015年9月7~10日)

 大雨の被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。とりわけ、鬼怒川の氾濫で避難されている方々のご無事をお祈りします。それにしても、やはり自衛隊はもっと強化するべきだと、災害の度に思います。もっと予算もつけてあげようよ、人員も増やそうよ、装備も立派なものにしてあげようよ。ほんと、そう思います。自衛隊の皆様、ご苦労さまです。もちろん、警察の方や消防の方、各種ボランティアの方々にも感謝いたします。(2015年9月10~13日)

 『コンクリートから人へ』という政策を打ちたて『事業仕分け』で大ナタを振い、多くの公共事業を中止に追い込み、たくさんの土木建築業者を廃業させた結果が、今回の鬼怒川の大氾濫に繋がったと思います。ある意味、今回の洪水は、旧民主党政権による人災と言えるでしょう。福島原発事故だって、民主党政権による人災だし、ほんと、あの政党は何人の日本人を殺し、路頭に迷わせれば気が済むのでしょうか…。(2015年9月13~18日)

 『自分と意見の異なる人間なんて、ぶん殴ってもOK!』と考える人って、どれくらいいるんでしょうか? 自分と意見が異なる人がいたら、まずは意見を交わして話し合って、お互い妥協点を探り、それでもうまく意見のすり合わせができないなら、多数決でどちらかの意見に決めて、決めたら当面は文句を言わない…というのが民主主義の原則でしょ? どこにも『自分と意見の異なる人間なんて、ぶん殴ってもOK!』というプロセスはありません。むしろ『自分と意見の異なる人間なんて、ぶん殴ってもOK!』という考え方は、専制政治とか独裁政治とかで、よく使う手法でしょ? もちろん“ぶん殴る”の代わりに“痛い目を見る”とか“消えてもらう”とかだったりするわけですが…。とすると、先日の参議院の特別委員会での暴動を見る限りにおいて、反対野党(民主党・共産党・社民党など)の皆さんは、民主主義の原則ではなく、独裁政治の手法を以って、日本の政治を牛耳ろうとしていたわけだね。つまり、民主主義を否定したわけだ。安全保障関連法案以前に、民主主義を否定したんだ。そして、その行動を英雄的に報道しているマスコミは、同じ穴のムジナってわけだ。彼らは「戦争法案が通ったら戦争が起こる」と散々騒いでいるわけだけれど、安全保障関連法案がきちんと決まったら、すぐに戦争が勃発し、日本が戦火に包まれなければ、彼らは大嘘つきとなるわけです。彼らが正直者か、嘘つきか、日本人全員の目で確認しましょう。(2015年9月18~21日)

 いろはすのトマト味を飲んだ。実は最初、ゲテモノ扱いをして、飲まず嫌いを起こして、ずっと冷蔵庫に入れたままにしておいたのだけれど、ついつい飲んでしまった。美味かった。飲まず嫌いをして、ほんと、済まなかったと思った。(2015年9月21~27日)

 “のどぬ~るスプレー”をすると、ノドが沁みる(涙)。ああ、きっと、まだまだノドは絶不調なんだろうなあ…。(2015年9月27~29日)

 トンボがたくさん飛んでいる。秋だな…って思う。(2015年9月29~30日)

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