ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2015年9月の記事

2015年9月30日 (水)

最後まで歌いきれるかどうかは、体力次第…では困るんだよね(笑)

 さて、声楽のレッスンの続きです。次は歌のレッスンなので、ここでピアノが、Y先生から、本番でピアノを弾いてくださるピアニストさんに代わります。

 「本番では、どの曲から歌いますか?」と先生がおっしゃるので、トスティの「Love Me!/私を愛してください!」から練習を始めました。

 まずはピアニストさんと打ち合わせをして作ってきた演奏を、先生の前で通して披露します。先生、概ね了解。細かい点で指導が入ります。

 まずは子音“L”の歌い方について。とにかく、常に食い気味に歌うこと。と言うのも“L”はポジション矯正にとても良い子音なので“L”が出てきたところで“L”を早めの長めに歌う事で、狂ってきたポジションを直しましょうという事です。歌唱の際の、ちょっとしたコツってヤツです。

 次は息の流れの確認です。息を切って休む所(休符の箇所ですね)と、切らずに続けていくところを確認し、休む所はしっかり休み、休まない所はきちんと息をつなげていきます。と言うのも、私、休んでいるわけではないけれど、時折、息が切れて歌っている箇所が数か所あるそうで、それらをチェックして、きちんと息を切らずに歌うようにする事と、息を切って休む休符の箇所も、インテンポで決まりきった時間しか休んでいないので、そこは(箇所にもよるけれど)あまりインテンポにはこだわらず、たっぷり休むべき所は、音楽を止めてでもしっかり休むようにすることを確認しました。

 どうにも、ポピュラー音楽の感覚で、音楽は常にインテンポで演奏する癖がついてますが、クラシック音楽の世界は、音楽はインテンポで演奏される事はないわけです(だから指揮者が必要)。それなのに、インテンポで歌おうとすると、あれこれ大変になるので、まずはインテンポでの演奏を忘れ、しっかりと自分のタイム感で歌うようにする事が大切なんです。そして、歌手が歌いやすいように歌えば、それにピアノが合わせてくる…というのが、クラシカルな演奏スタイルなのです。

 と言うわけで、好き勝手に歌う歌手にピアノがどう合わせていくか…ここもポイントになるわけで、Y先生はピアニストさんに、好き勝手に歌っていく歌手に合わせるためのノウハウのあれこれを教えて下さいました。歌手もアマチュアなら、ピアニストもアマチュアなので、ピアニスト同伴レッスンだと、歌手もピアニストも、先生からレッスンを受けて、歌とピアノの両方を見てもらえるので、より歌の完成度が上がるというものです。

 次は「Starlight/星の明かり」です。こちらもピアニストさんと作った演奏を通しで披露しましたが…最後は私のスタミナ切れで撃沈しました(涙)。いやあ、ひさびさの撃沈です。レッスンで良かった良かった。とにかく、十日間も寝ていたので、歌う体力と言うか、息を支える腹筋が、曲の最後まで持ちませんでした。元々、ギリギリの博打状態で歌っていた曲なので、これはかなりマズイ状況ですが…今すぐどうこうはできないので、今後の課題としました。…もちろん、切れ切れにして部分部分で歌うならば、きちんと歌えるんですよ。でも、本番は切れ切れに部分的に歌うわけではありませんから、通して歌えることは大切な事なんです。

 つまり、この曲は体力勝負の曲となるので「Love Me!/私を愛してください!」以上に、しっかりと休む事を考えないといけません。歌手である私は、先を焦らずに、ゆっくりと、息を整えながら歌うことを心がけるわけだし、ピアニストさんも、そんな歌手をHelpしながら伴奏していかないといけません。ピアニストさんは、先生からは、歌手をHelpするためのテクニックを、あれこれ教わっていました。

 大切な事の一つにテンポ感があります。歌が先走っていて、ピアノが遅れ気味の演奏は良い演奏なんだそうです。ピアノなら、先走る歌に合わせていくのは容易なので、歌先行の演奏は全然ありなんだそうです。しかし、ピアノが先走って、歌がピアノに引っ張られていくような演奏は、良くないのだそうです。歌はピアノほど、テンポが自由に動くものではないし、無理にテンポを上げていくと、ノドが閉まってしまい、何よりも体力を大きく消耗してしまいます。歌とピアノは対等な関係とは言え、小回りの効かない歌に、演奏の自由度の高いピアノが合わせていく…のが、良い演奏関係になるんだそうです。そういう意味では、ピアニストさんが一歩引いた方がうまくいくわけで、あくまでもピアニストは自分を主張せずに“伴奏者”に徹した方が結果は良いのです。

 さて、最後はドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」より二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」ですが、レッスン時間が残り少なくなってしまったので、最後の部分だけを確認する事にしました。

 通しで歌いましたが、私が一箇所ポカをして、歌い忘れて、音楽を止めてしまいました。いやいや、ボケててゴメンナサイ。

 しかし、この曲のピアノのパートは、難しい難しい。オペラの伴奏って、ピアノ独奏曲とは全然違うし、フルートやヴァイオリンの伴奏とも違うし、合唱曲の伴奏とも違います。もちろん、声楽独唱曲の伴奏とも違うわけで、オペラの伴奏って、なんとも独特です。それもアリアなら、まだ声楽独唱曲にも通じる部分がありますが“レチタティーヴォ+二重唱の伴奏”なんて、普通にピアノをやっているだけの人なら、一生お目にかからないようなフレーズがてんこ盛りで伴奏するわけで、本当にピアニストさんは苦労が絶えないなあ…と思いながら見ていました(彼女はきちんと練習をしてきて、止まることなくピアノを弾いてくれましたが、それでも苦労をしたようです)。ですから、レッスンでも、この手のオペラ曲でのピアノ伴奏のノウハウを中心にレッスンをしてくださいましたので、レッスン時間を大幅に超過してしまいました。

 次回のレッスンはドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」より二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」を(ピアニストさんのために)最初っからみっちりと合わせる事にしました。頑張りましょう。

 それにしても、体調が悪い時のレッスンは、本当に疲れるものです、ふう。

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2015年9月29日 (火)

声の軽いテノールになったつもりで歌うと、うまく行きます

 声楽のレッスンに行ってきましたが…私の体調はあまり良くありませんでした。前回のピアニストさんとのピアノ合わせ以降、風邪をひいて寝込んでしまい、レッスン前日にちょろっと発声練習をするまでの約10日間、歌はもちろん、ロクに声も出さずじまいだった私です。いやあ、声楽のレッスンがつらかったです…が、クラシックコンサートも間近に迫っているわけですから、あんまりのんびりしたことも言ってられません。

 お教室に行って、最初にした事は、10月&11月のレッスン日の確認。と言うのも、10月から翌年の1月ぐらいまでが、Y先生がとても忙しい季節となり、スケジュールもタイトなので、レッスン日も早めに確定しておきたい…ようなのです。とは言え、まだまだ第九ラッシュとなる12月よりは、だいぶスケジュールにも余裕があるそうですが…。

 レッスンのスケジュールを確認したら、次にレッスンで取り上げる曲の候補を決めます。なにしろ、次のレッスンでクラシックコンサート向けのレッスンは終わりで、次々回のレッスンからは、普段のレッスンに戻ります。

 レッスンでは通常、歌曲1曲とアリア1曲をやります。今のところ、ペンディングになっている曲は、トスティ作曲「April/四月」(ただし、これは季節が合わないので×)と、ヴェルディ作曲「リゴレット」より「Quests o quella/あれかこれか」と、ベッリーニ作曲「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」ですが、ひとまずは直近の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」の続きをやる事は決定。で、このベッリーニの歌曲は難しいので、アリア扱いとする事にして、もう一曲の新曲は、歌曲をやりましょうという事になりました。歌曲は、特にペンディングの曲はないので、次週、何か新曲を探しましょうという事になりました。先生曰く「イタリア古典歌曲でもいいけれど、ここのところトスティづいているので、トスティの歌曲を歌いませんか?」という事になったので、次回はトスティ歌曲集の譜面を持ってきて、あれこれと選曲をする事にしました。

 さて、発声練習です。とにかく“体調不良+カラダがなまっている”ので、声を出すのも一苦労です。とにかく、こういう時は悪い癖が出るもので、しっかりノドを鳴らして発声してしまいました。当然×です。ここはキング門下ではないので、ノドを鳴らして歌ってはいけないのです。

 「“ノドの鳴り”ではなく“声の響き”で歌ってください」と何度も注意されました。ノドを鳴らして歌うのは、一見、カッコイイ声で歌っているように感じられるし、歌い手側にすれば“いかにも歌いました”という満足感も得られやすいのだけれど、そんな事をしていると、テキメンにノドを痛めるので、ダメなんだそうです。特に体調が悪い時にノドで歌ってしまうと、ノドがあっという間にダメになってしまうので、厳禁なんですね。

 ではどうするべきか? まずはイメージから。力強いテノールの歌唱ではなく、軽い声のテノールになったつもりで歌う事。これが案外、うまく行きます。

 響きが整ったところで、次は声の音色が注意されます。私の歌声は浅いのだそうです。クチはよく開くようになったけれど、まだまだ横開きなので、どうしても音色が浅くなってしまいます。クチを縦開きにする事で、深い音色になるので、気をつける事。

 で、クチを縦開きにすると、せっかく響きで歌っていた声が、再びノド声に変わってしまいます。どうやら、クチを縦開きにすると、私の場合、声のポジションが下がってしまうようです。では声のポジションを下げないためには何をするべきか…それは腹圧を上げて、声を力強く下から上に吐き出す事が必要となります。つまり声のボジションを、息の勢いでむりやりに上に持ち上げていくというやり方です。これで、なんとか声のポジションが下がることを食い止めて、高い響きのまま、クチを縦開きにして歌いましょうって事です。

 つまり結論としては『声のポジションを高く取り、常に“響き”で軽く、しかし、しっかりと息で声を支えて歌う事』を目指しましょうって事です。簡単なようで、私には難しい事です。

 これだけしかしていないのに、すでに私、汗びっちょりで、体力のほとんどを使ってしまいました。いやあ、真面目に発声すると、疲れる疲れる…。

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2015年9月28日 (月)

メトのライブビューイングで「アイーダ」を見てきました

 シルバーウィークの最後日の話になりますが、東京東銀座にある東劇で、メトロポリタン歌劇場のライブビューイングのアンコール上映で「アイーダ」を見てきました。この上演は、2012-13年シーズンのものです。

 指揮は、ファビオ・ルイージです。彼は前年の2011年よりメトロポリタン歌劇場の首席指揮者となった人です。メトと言えば“ジェームズ・レヴァインの歌劇場”というイメージが強いのですが、さすがの彼も高齢だし、病身だし、どれだけ仕事をしているのやら…。今やメトの音楽面でレヴァインを強力にアシストしているのが、ルイージなんだろうと思います。

 演出は、ソニヤ・フリゼルです。とにかく、メトの定番というか、古くから使用されている演出で、私が持っている1989年(25年も前だよ)収録の、ミッロ、ドミンゴ、ザジックによる上演もフルゼル版です。一体、いつから使用されている演出なんでしょうか? 昨今、メトでは、バブルの頃に使用されていた絢爛豪華な演出を止めて、次々と時代設定を変更した地味な演出に切り替えていますが、アイーダは未だに以前の豪華絢爛バージョンなのは、不思議と言えば不思議です。大道具・小道具は昔からのものを使い回せば良いにせよ、舞台に上がる人間が多くて、あれ、絶対に人件費だけでも相当な制作費がかかっているはず…。とにかく、今っぽくない演出だけれど、エジプトっぽさ満載だし、豪華絢爛で夢々しい舞台なので、いつまでも残しておいて欲しい名演出だと思います。

 主な歌手は、以下の通りです。

 アイーダ(ソプラノ)…リュドラ・モナスティルスカ
 ラダメス(テノール)…ロベルト・アラーニャ
 アムネリス(メゾソプラノ)…オルガ・ボロディナ
 アモナズロ(バリトン)…ジョージ・ギャザニッザ
 ラムフィス(バス)…ステファン・コツァン
 エジプト王(バス)…ミクローシュ・シェベスチエン

 このオペラ、いわゆる定番オペラで、最近はあまり見ていなかったのですが、妻が「定番オペラが見たい」と言うので、見に行った次第です。

 久しぶりに見た「アイーダ」は、以前とは受け取り方が変わっていました。以前は、アイーダとラダメスの悲恋に同情して見ていたのですが、今回は…と言うよりも、年を取り、オペラにも詳しくなった今では、このオペラが、そんな単純な悲恋物語には見えませんでした。

 ざっくり言っちゃえば「敵国の女スパイのハニートラップに引っかかって、国を売ってしまった男の転落物語」にしか見えませんでした。つまり、アイーダとラダメスの悲恋物語ではなく、ラダメスの転落物語として、オペラを見てしまったというわけです。ああ、年を取ると、物事を斜めから見るようになってイヤだね。

 ですから、私のアイーダ観が全く変わってしまいました。アイーダという女性を悲劇のヒロインとしては見ることができず、男をたらしこむ女スパイにしか見れませんでした。なので、第四幕でアイーダとラダメスの悲劇の二重唱がありますが、あれを実に嘘っぽく感じてしまいました。私が感じた二重唱は、実はあの場にアイーダはいなくて、ラダメスはアイーダの幻と二重唱をし、現実のアイーダはエチオピアに逃げ帰って、虎視眈々とエジブト攻略の作戦を練っていた…なんて妄想をしてしまった程です。ああ、ひねくれているなあ(笑)。

 なので、あのオペラで、本当に可哀想なのは、アイーダではなく、ラダメスでもなく、アムネリスなのではないか…と思いました。

 身近に置いてかわいがっていた妹分が、実は敵国のスパイであり、よりによって自分の恋人が、その女スパイの色仕掛けで、自分と祖国を裏切ったあげくに、国外逃亡をして逮捕監禁されてしまったわけです。愛する人を何とかして助けたいと願いつつも、恋人の犯したあまりの重罪の前では、自分の力は全くの無力であり、ただただ、恋人の死と失恋の悲しみに耐えるだけ…じゃないですか! これが悲劇でなければ、何が悲劇なのかって事です。ほんと、アムネリス、可哀想すぎ。

 オペラのタイトルを「アイーダ」ではなく「ラダメス」とか「アムネリス」とかに変えるべきだと思いました。

 さて、歌っている歌手は…メトの場合は、本当に外れというのが少ないです…が、あえて文句を言うなら、テノールのアラーニャかな? 彼、弱音の高音をすべてファルセットで逃げて歌っていました。録音とか放送とかだけなら、それもありでしょうが、歌劇場の生公演では、それは無しでしょうね。特にメトのような大きな歌劇場の場合は、絶対にやっちゃいけない事です。だって、ファルセットで歌ったら、劇場にいる観客には聞こえないもん。だからダメなんです、ファルセットは。

 後は…主役のアイーダをやったモナスティルスカの表情が常に硬かったのが印象的かな。おそらくあがっていたんだろうけれど、他の歌手たちが演技上手だったので、モナスティルスカの演技があまり上手くないのが目立ってしまったのかもしれません。他の歌手たちは、ひとまず水準以上でした。全般的には、良いオペラ上演だったと思います。

 さて、これで今年のアンコール上映もお終い…かな? 次に私が見に行くのは、2015-16年シーズンの作品です。今回のラインナップはこうなっています。

 1)ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』
 2)ヴェルディ作曲『オテロ』
 3)ワーグナー作曲『タンホイザー』
 4)ベルグ作曲『ルル』
 5)ビゼー作曲『真珠採り』
 6)プッチーニ作曲『トゥーランドット』
 7)プッチーニ作曲『マノン・レスコー』
 8)プッチーニ作曲『蝶々夫人』
 9)ドニゼッティー作曲『ロベルト・デヴェリュー』
 10)R・シュトラウス作曲『エレクトラ』

 ううむ、どれを見に行こうかな? 全部行きたいのが本音だけれど、オペラシーズンは仕事が忙しい時機と重なるので、案外見に行けないのが、悩み。それでも3~4作品は見に行きたいです。見たいけれど行けなかったものは、アンコール上映に期待する事にしましょう。

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2015年9月27日 (日)

どうやら、世の中には二種類の老人がいるらしい

 どうやら、世の中には二種類の老人がいるらしい…です。それは主に食性で分かれます。

 一つは「脂っこいものはイヤ」「堅いものは食べたくない」「ご飯を食べないと落ち着かない」といった食性を持つ老人の方々。白いご飯に煮物や漬物で食事を済ますタイプの方々で、その人達の事を仮に“和食老人”と呼びましょう。

 もう一方は、いくつになっても肉をガシガシ食べている老人たち。このタイプは肉だけでなく、チーズやヨーグルトも食べるし、色々なものを食べている割に、ご飯やパンなどの主食系のモノは、あんまり食べないというタイプの方々で、そういった方々を仮に“肉食老人”と呼びましょう。

 食事の質というものを考えると、肉食老人の食事はハイカロリーだし、必ずしも栄養バランスが良いわけではありません。いわゆる生活習慣病を抱えている人の多くは、肉食老人たちで、和食老人たちは、比較すると、生活習慣病との縁は薄いようです。

 和食老人と肉食老人の平均寿命を比べた統計というものを、私、見たことがありませんが、なんとなく、和食老人の方が長生きしていそうなイメージがあります。だって、食事が健康的じゃない。

 しかし、かなりのご長寿な老人たちを見ると、どうやら和食老人の割合は減り、圧倒的に肉食老人ばかりになってしまいます。それに肉食老人たちは、長命であるだけでなく、皆さん、いくつになってもお元気だったりするわけです。

 和食老人は、たしかに健康ってイメージがありますが、年を取るにつれて、枯れてしまい、健康だけれど、徐々に元気がなくなっていくような気がします。ですから、そこそこの長寿をキープできるのですが、かなりのご長寿…とまではいかないようです。一方、肉食老人は、生活習慣病を患って、早めに亡くなられる方も少なくないですが、その一方で、いつまでもお元気でバリバリしている方もいらっしゃるというわけです。

 健康で長生きを目指すなら、和食老人でしょうが、ハイリスク・ハイリターンで、生活習慣病になってしまうリスクも高いけれど、いつまでもパワフルで活動的な長寿を目指すなら、肉食老人って感じなんでしょうか?

 まあ、実際は、和食肉食を選ぶのではなく、自然とその人の食の好みが、そうなっていくんだろうと思います。

 私ですか? 私は、四十代半ばまでは、ベジタリアンと言ってもいいくらいに肉食を避けていました。ですから、そのまま年老いて、和食老人になるんだろうなあと思っていたら、五十を越えた辺りから、俄然肉食になってしまいました。今では「肉、肉、肉、チース、肉、ヨーグルト、肉、肉、肉…」と言った生活をしています。うっかりすると、食卓に主食が並んでいない時もあるくらいです。なので、私は、肉食老人なんだろうと思います。

 ちなみに、ベジタリアンっぽい生活をしていた時は、1日に3~4食食べていましたが、今は1日2食が多いです。(食べること自体は好きなので、頑張って)3食食べると、体調崩します(笑)。一回の食事の摂取カロリーが高い分、食事の回数は少なくても間に合いそうです。

 もっとも私の場合は、和食肉食の前に、ダイエットをしないといけないんだろうと思っています…が、現実はなかなか簡単には行きません。

 最近は、体重を測るチャンスも無いしなあ…そのあたりから生活を見なおさないといけないような気がしています。ちょっぴり反省。

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2015年9月26日 (土)

シズカさんです、よろしくお願いします

 先日、沼津に遊びに行ったわけですが、港からの帰り道に、金魚専門店に行ってきました。

 元は…と言うと、ウチの水槽の金魚藻が、ここのところ、危機的状況にあったので、水槽の水草をどうにかしないといけないと思っていたわけなんですよ。

 普通、金魚藻と言うのは、アナカリスとかカボンバとかが一般的で、ホームセンターとか、総合ペットショップとかでは、この二種類の水草売っていない事すらありますが、私はあえて、これらの水草はチョイスしていません。私がチョイスする金魚藻は、マツモ草、だけです。

 マツモ草は、金魚大好きですよ。本当によく食べます。アナカリスとかカボンバも食べないわけじゃないけれど、マツモ草の食いっぷりを見れば、その差は歴然。とにかく、金魚はマツモ草をよく食べます。なので、私は“金魚のサラダバー”としてマツモ草を水槽に入れるんですよ。

 でも、問題は、マツモ草の入手のしづらさです。以前は、自宅の近所に金魚専門店があったので、そこで買えばよかったのですが、その店が廃業してしまった今、マツモ草の入手に困難をきたしている私です。と言うのも、近隣にある総合ペットショプでは、マツモ草は売っていないからです。マツモ草は、少なくとも私の地域では、金魚専門店でしか販売していないのです。

 通販を使えって? はい、使いましたよ。でもね、通販のマツモ草って…ちょっと言いづらいのだけれど…クオリティーが低い所が多いし、お値段もやけに高いし、送料が半端ねえし…お金をドブに捨てているような気になるので、なるべく通販でマツモ草を買いたくないんですよ。近隣にはないけれど、電車に乗って遠方まで出かければ、金魚専門店があるので、そこに行って買ってくるしかないかな…と諦めていたわけです。

 そんなある日、沼津に遊びに行くことになったので『もしかして…』と思って、ぐぐってみたら、沼津には金魚専門店があるじゃないですか! 当然、寄りましたよ!

 沼津の金魚専門店は、見事に専門店でした。いやあ、いいなあ、沼津市民。うらやましいよ。当然、マツモ草も質の良いモノが安価で売ってましたので、買っちゃいました。これでしばらくは、我が家もしのげる…。

 と思って、帰ろうとしたら、妻が「この子が、やたらと元気なんだよね」と言い出しました。見れば、一匹の素赤琉金がやたらと妻にアピールをしていました。

 素赤琉金か…ウチの水槽って、黒が2匹、白が2匹、赤が1匹だったなあ。その赤が入院した時に、本当に水槽の中に、白い金魚と黒い金魚しかいなくて、水槽が地味になったよなあ。やっぱり、赤い金魚がもう1匹いると違うだろうなあ…と思ったので「好きなやつ、買っていいいよ」と言っちゃいました。

 で、妻チョイスで、素赤琉金が一匹、マツモ草と一緒に、我が家にやってきました。たかが素赤琉金ですが、600円しました。専門店の子ですから、カタチは完璧、色もきちんと素赤でございます。名前を、シズカと命名しました。元気に育ってくれれば、うれしいです。

 でも、シズカを購入したのは、ちょっと冒険なんだよね。と言うのも、家の水槽の金魚の定員って…たしか、今ぐらいのサイズだと5~6匹なんだよね。今いるのが、5匹だから、シズカを水槽に入れちゃうと、6匹になって、定員を超えちゃう可能性があるんだよね。で、定員以上に金魚を入れると、当然、1匹、星になっちゃうわけで…そういう意味で、6匹目を水槽に入れるのは、冒険であり、博打なんです。

 定員を超えない事を祈りつつ、シズカを我が家に迎えました。無事に育って欲しいです。

蛇足 そのお店では、緋ドジョウが売ってましたが“緋ドジョウ”という名称ではなく“ゴールデンローチ”と呼ばれていました。たかが緋ドジョウなのに、ゴールデンローチと呼ばれると、なんか高級魚みたい…ってか、お値段、少々高めでした。

 「でも、みんな、ウチのラズみたいな、綺麗な体色をしているよ」とは妻のひとことです。ラズは元気のかたまりみたいなヤツなんですが、ここの店で売っているドジョウは、皆、ラズ並に元気のかたまりってわけですね。さすが、専門店、飼育が半端無く上手…って事だな(納得)。

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2015年9月25日 (金)

高音域は、きちんとお腹をしめて、息を細めて

 フルートは、なかなか音域の広い楽器だと思います。低音域(第1オクターブ)のドから高音域(第3オクターブ)のシまで、ほぼ3オクターブの音域がありますし、吹奏楽などでは、超高音域(第4オクターブ)のレとかミとかまで使うことすらあります。きちんと設計されたフルートを、上手な奏者が吹くなら、もっと高音も出せるかもしれません。
 またH足部管付きの楽器なら、通常のフルート(C足部管付き)よりも半音低い音が出せますし、それよりも低い音(BとかAとか)まで対応している特殊フルートすらあります。とにかく、フルートの音域って、無闇に広いって事です。

 でもとりあえず、ここでは普通のC管やH管を念頭において考えましょう。

 フルートでは、この広い音域をどう吹き分けているのかと言うと…運指の違いも若干はあるにせよ、オクターブキーがあるわけじゃないし、音域によって発振体が変わるわけでもなく、単純に“息のコントロール”で音域の吹き分けをやっているのが、フルートなんです。

 息のコントロールって、そんな簡単なわけでもありません。ですから、誰もが簡単に、この広い音域を使いこなせるわけではなく、とりわけ初学者のうちは、低音はひっくり返るし、高音は全く鳴らなかったり、スカしてしまうわけです。

 一般的には「高音は味噌汁を冷ますような息で」「低音は暖かい息で」という言い方をされる事も多いのですが、要は“息のスピード”で吹き分けます。低い音はゆっくりした息で、高い音は速い息で吹けばいいのです。

 「そうか、息のスピードで音程を吹き分けるのか!」

 そうなんですが、それで多くの初学者たちがドツボにハマるんですよね。高音域は速い息が必要だからと言って、一生懸命に息を吹き込むのですが、それではうまく高音域の音は出ないし、つらいし、苦しいし、酸欠になるし…大変な思いをするわけです。

 と言うのも、速い息の作り方が下手だから、うまくいかないんです。

 私もそうでしたが、初学者の多くは「速い息で吹きましょう」と言われると、まず、吹き込む息の量を増やします。息をたくさん吹き込む事で、息の速度を上げるわけですが、それだけではフルートの音程は上がらないし、早く息が無くなるので、苦しくなるだけです。

 そこで次に口先をより狭めます。水が出ているホールの出口を指でつぶすと、出てくる水の勢いが増すのと同じ要領で、出て行く息の速度が上がります。

 息の量を増やして、口先を狭めると…確かに、高音が出やすくなります。しかし、この方法だと、音程がうわずりますし、音色も美しくありません。音程のうわずりを抑え、音色の美しさを求めるなら…息のスピードは速めにしたまま、息の量を減らさないといけません。でも、息の量を減らすと、息のスピードが遅くなって、高音が出なくなります。

 あちらを立てれば、こちらが立たず、なんとも難しいです。でも、高音はまだいいのです。低音の場合は、息をゆっくりにしようとして、思わず息の量を減らしてしまうと…そりゃあ、音なんて出るわけないですよね。

 肝心なのは、息のスピードであって、量はあくまでも二次的な要素です。で、息のスピードのコントロールは、口先の絞り方と言うか、開口スペースの問題です。

 この時に大切なのは、頬とクチビルは柔らかくする事です。まあ、ひと言で言えば“脱力”なんですが、脱力というのは案外、難しい感覚なので“頬とクチビルを柔らかくする”と思っていると良いでしょう。で、頬とクチビルを柔らかく保ちながら、なるべくクチビルの開口部を狭くします。感覚としては、軽くクチをむすんで、その状態から、息を通す事で、ほんのわずかだけクチビルを開きます。息の力でクチビルを開くわけですが、これを可能にするために、クチビルを柔らかく保つんです。クチビルを固くむすんでしまうと、かなり力強い息が必要となりますが、軽くむすぶだけなら、さほど強い息はいりません。そして、クチビルを軽くむすぶためには、頬も脱力し、柔らかくしておかないと無理なんです。

 で、頬とクチビルを柔らかく保った状態で、息を吐くのですが…これが案外、初学者には難しいのです。と言うのも、フルートを始めたばかりの頃は、呼吸筋が鍛えられていませんから、呼吸以上の息をするのが難しく、フルートを吹く際に、頬の力を利用してしまうからです。

 頬の力を利用すると、クチビルが硬くなり、そうなると、さらに息の力が必要になって、ますます強い息が必要となる…というジレンマに陥るわけです。

 必要なのは、頬やクチビルを固くせずに、息を吐ければいいのです。そこで必要となるのが、腹式呼吸です。腹式呼吸のやり方については、ここでは詳しく述べませんが、ひと言で言えば「お腹を絞めて息を吐く」って事です。お腹から息を出す事で、頬やクチビルの柔らかさが保てるわけです。

 つまり、息のエネルギーはお腹で与え、息のスピードは頬とクチビルでコントロールすればいいのです。なので『高音域は、きちんとお腹をしめて、息を細めて』となります。

 ちなみに低音域も同様です。低音域の時は、息のスピードをゆるめますが、それはクチビルの開口部をやや広めにすればいいのです。その時に、しっかりとお腹をしめて腹式呼吸で出来ているなら、低音もしっかりと鳴るのです。

 そのためには、フルートを吹くカラダを作らないといけません。フルートを吹くカラダを作るためには、フルートをガンガン吹くのが一番の近道です。ですから、初学者のうちは、熱心に脇目もふらずに練習することが大切なんです。

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2015年9月24日 (木)

沼津で満腹してきました

 せっかくのシルバーウィークだったので、妻がどこかに出かけたいと申し出ました。私は風邪をひいて寝込んでいる最中でしたが、まあ、電車バスの移動ぐらいならつきあえると思い、出かけることにしました。行き先は、妻のたっての希望で、沼津でございます。なんでも、沼津で昼食を食べたいというので、付き合うことにしました。

 行きは、御殿場線に乗りました。御殿場線はなかなか、おもしろい路線ですね。御殿場線はJR東日本ではなく、JR東海になるので、色々と勝手が違っておもしろかったです。

 まず、湘南から目的地の沼津へ行くとなると、どの路線を使っても、JR東日本とJR東海をまたぎますので、Suicaは使えないんですよ。知ってましたか? それぞれの会社の営業エリア内なら、問題なく使えるのですが、エリアをまたいだり、越えたりするのはダメなんだそうです。そういう時は切符じゃないとダメなんだそうです。ですから、私たちも、一度国府津で下りて、切符を買い直して、御殿場線に乗りました。ほら、御殿場線はJR東海エリアですから(笑)。

 御殿場線は、おもしろい路線でした。特に神奈川県内を走る御殿場線は、興味深かったです。その中でも、特に山北~谷峨の間は気に入りました。(住んでいる方に失礼は承知ですが)なんか秘境っぽい雰囲気になるんですよ。あれがたまらない。また、近いうちに谷峨まで行きたいです。でも、神奈川県を越えて静岡県に入ると、御殿場線も普通のローカル線の車窓になってしまうので…まあ、そんなもんです。

 で、沼津まで行きました。目的地は沼津駅ではなく、沼津港です。別に沼津駅と沼津港は、そんなに離れていないので、私が元気だったら徒歩で港に向かう所ですが、息苦しくて、歩く元気は無かったので、そこは迷わず路線バスに乗りました。

 バスに乗ってしまえば、あっという間に港です。港につくと、湾内巡回観光船が出発するところだったので、あわててチケットを購入して乗船しました。やっぱり船があったら、乗りたいじゃないですか?

 船に乗ったら、船尾の甲板にへばりつきました。やっぱり外で潮風浴びたいじゃないですか? 本音で言えば、船の先端に行って、タイタニックよろしく周囲を眺めたいのですが、観光船程度の小型船だと、たいてい船の先端には行けない構造になっているので、そこは船尾で我慢です。

 で、この船尾が楽しかったんですよ。と言うのも、船が出発するやいなや、たくさんの鳥たちが船を追いかけてくるじゃありませんか? ざっくり見ると、年配のカモメと、若いカモメ(まだ体色が茶色なんですよ)と、トンビ(笑)。この三種類の子たちが、30羽ぐらい、船を追いかけてくるんですね。狙いは、観光客が海に向かって投げる“かっぱえびせん”なんですけれどね。だって、チケット売り場で、チケットと一緒に、かっぱえびせんを売っているわけだから、そりゃあ、購入して、鳥たちに与えちゃうよね。

 私たちは急いでいたので、かっぱえびせんは購入しませんでしたが、周囲の子どもたちが、投げ入れるかっぱえびせんの行方を見せてもらって、堪能しました。

 ここの鳥たちは、観光客の手から直接えびせんをいただくようなマネはしません。あくまでも、海に投げ入れたえびせんを拾って食べるんです。で、カモメたちは、海に落ちて浮かんでいるえびせんを、飛びながら直接くちばしで拾って咥えていくのですが、トンビたちは足でえびせんを拾って、飛びながら、足で掴んだえびせんをクチに運んで食べるのです。まあ、カモメと比べるとトンビの方がツーアクション多いのですが、そこは山の鳥と海の鳥の差って事ですね。仕方ないです。逆にカモメの足には水かきが付いていますから、トンビほど上手にえびせんを足ではつかめないのかもしれません。それにしても、いつまでもいつまでも観光船を追いかけてくる鳥たちを眺めていると、それだけで“観光に来ています”って気分になれて、ホクホクでした。

 沼津港って面白いですね。漁港と魚市場と場外市場が一体化しているんですよ。これは面白いです。普通、漁港は漁港として海の辺りにあって、魚市場はある程度交通の便の良い別の場所にあって、場外市場はあったりなかったり…って感じでしょ? 少なくとも、ウチの地元は漁港と魚市場は離れているよ。場外市場なんて無いよ。だから、港目当てに観光客なんて来ないよ。でも沼津は、この3つが一つになっているわけよ。分かりやすく言うと、築地に漁港があるような感じだね。漁船で取ってきた魚を水揚げすると、すぐに市場でセリにかけられて、その一部が場外市場で小売りされて、周辺の食堂で採れたて新鮮ピチピチの食事になるって寸法だよね。なかなかおもしろい港です。

 観光船から降りた時間が、ちょうど昼ごはん時だったので、食堂を探しました。観光船の乗船場付近は土産物屋もたくさんあって、食堂もいっぱいあったのですが、とにかく人がたくさんいて、どこの食堂も混んでいて長蛇の列です。ですから、港の奥まで、足を伸ばして、行列の短い店を見つけて、そこに入りました。

 私が入った店は寿司屋で、魚介の網焼き(海鮮バーベキュー)もいただける店でした。いわゆるバイキング形式の店でしたので、寿司の方はまあまあ…ってか、寿司そのものは、回転寿司屋レベル(ただし、ネタは新鮮でした。種類は少なかったけれど)でしたが、魚介の網焼きの方はよかったです。ネタは色々ありましたが、私はエビをメインに、ホタテと牡蠣とサザエをガッツリいただきました。ハマグリもいただけると良かったのですが、私が入店した時点で、すでにハマグリは食べ尽くされておりました(笑)。私たちが食べているうちに、エビとホタテも食べ尽くされてしまい、私たちのしばらく後から来た人たちは、店の人に「今日の分は終わっちゃたんだよね、ごめんね」と言って、断られていました。おお、私たちはラッキーだったんだな。

 とにかく、寿司と魚介の網焼きをたっぷり食べて、苦しいほどに満腹になって、土産物屋に行って、干物(これが安くて品が良い)を大人買いして、わさび漬けをドドンと購入して、ご飯の友になる瓶詰めをババンと買って、帰りました。たくさん買ったので、最後にソフトクリームを食べて帰ろうと思っていたのに、ついつい忘れてしまったほどです(涙)。

 いやあ、面白かった。近場でなかなか楽しめました。魚も、私は湘南在住ですから、いつも相模湾の新鮮な魚介をいただいてますが、沼津は駿河湾で海が違いますから、同じ魚でも、なんかちょっと違っていて新鮮な気分でした。例えば、同じしらすでも、相模湾のとしらすと駿河湾のしらすでは、なんか違うんだよねー。まあ、小さな違いなんだけれど、やっぱり違うんだよね。そういうところが、面白かったです。

 で、せっかく沼津まで来たのだから、沼津港からの帰りに寄り道をしようという事になり、金魚専門店に行きましたが、その話は、土曜日にします(笑)。

 帰りは、疲れちゃったので、御殿場線ではなく、東海道線を使いましたが…JR東海とJR東日本で電車は分断されているので、熱海できちんと乗り換えましたよ。電車も、熱海までが5両編成、熱海からは15両編成でした。本当は、三島~小田原間を新幹線で帰りたかった私でしたが、妻に反対されてしまいました。まあ、仕方ない。でも、ずっと座って行けたので、良しとする事にしました。

 疲れたけれど、楽しかったです。当然、翌日は熱を出して、寝込みました(笑)。

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2015年9月23日 (水)

習い事における良い生徒の条件!?

 習い事における良い生徒の条件について考えてみました。

 まず、何よりも大切なのは、ぶっちゃけ、『金払いが良い事』。ま、そりゃあそうだよね。先生から見れば、生徒は(言葉は悪いけれど)“歩く謝礼”なんだから、金払いが良いに越したことはありません。逆に生徒の立場から言えば、何はともあれ、支払いだけはきっちりきちんとするのが最低限のマナーとなります。

 『よく働く事』。働くと言っても、いわばアシスタント的な作業を、先生に代わって、率先して行ってくれる生徒は良いですね。発表会の場所取りをしてくれたり、門下内の様々な集まりで幹事をしてくれたりとか、まあ、そんな事。芸事の先生の中には、芸事以外は???という人もいますので、そういう先生にとって、アシスタント業務をしてくれる生徒さんは、とてもとても大切です。

 『よくお小遣いをくれる』とか『よくプレゼントをくれる』、『季節の付け届けは欠かせない』。これらがきちんとできる人は、ほんと、良い生徒でしょう。

 以上の3条件を満たす人は、良い生徒であると同時に、良いタニマチかもしれません(笑)。以前習っていたキング先生は、このタイプの生徒さんをかわいがってました。

 『練習熱心』という資質の持ち主は、先生に喜ばれます。与えられた課題を次回のレッスンまでにきちんとやり遂げ、身につけてくる生徒は、先生の立場であれば、教えがいのある良い生徒って事になります。

 『真面目で几帳面』も生徒として愛される資質でしょう。『経済的に裕福』というのも、高価な楽器をばんばん買ってくれるわけで、先生的には、ほんと、ありがたいでしょう。

 逆に、悪い生徒の条件について考えてみました。

 まず『ケチ』や『金払いが悪い』人はダメですね。習い事って、経済的な余力があって初めて出来るわけで、色々とケチらないといけないレベルの経済力の人は、するべきではありません。習い事の前に、経済力を身につけましょう。

 『傍若無人』な人も、生徒としてはダメです。生徒って“お客”なんだけれど、あくまでも“生徒”であって“お客様”ではないですからね。ですから、消費者意識を振りかざすのは違うような気がするわけです。「お客様は神様」かもしれないけれど「生徒さんは神様ちゃいますから」です。ですから、先生に対して、自分勝手に傍若無人に振る舞う人はいけません。

 『約束を守れない人』というか『ドタキャン上等』な人もいけません。生徒さんからすれば「急用が入ってどうにもならない」からドタキャンするんでしょうが、先生からすれば、その時間に生徒が来ようが来なかろうが時間を開けて待っているわけですからね。最初から、その時間にレッスンの予約が入っていなければ、別の仕事を入れることだってできたはずですから、ドタキャンはいけません、絶対にいけません。どうしてもドタキャンしなきゃいけない時は、ホテルの当日キャンセルみたいな感じで、きちんと謝礼を支払った上でキャンセルしないといけません。自分が受けていないレッスンであっても、きちんと謝礼を支払えるほどに、金払いが良くないと、生徒としてはいけません。

 つまり、人間としてダメな人は、生徒としてもダメって事です。

 しかし人間的にはOKでも生徒としてはダメというパターンもあります。例えば『専門知識がある』というのは、生徒としては良し悪しです。特にオタク的な人は、先生よりも知識を持っていたりすると…先生によっては、やりづらさを感じてしまうものです。オタクであるくらいなら、いっそ無知の方が先生としては、やりやすいんです。

 また、知識はそこそこであっても『理屈っぽい』人は嫌われますね。「理屈をこねる前にサッサとやれよ」って感じです。だからオッサンの生徒は嫌われやすいんです。

 同様に『経験者』も嫌われます。もちろん経験者の経験度合いによっ違いますが、元プロのベテランさんが、若手プロの元に何気ない顔して入門するのは…先生からすればイヤでしょうね。あと、学校のセンセも嫌われます。ジャンルは違っていても、学校のセンセは教育のプロですからね。ある意味、同業者ですから、これまた嫌がられます。

 とりあえず、生徒としての良し悪しについて考えてみました。一番大切なのは、先生との人間的な相性だったりします。実は、先生と生徒さんのウマが合う合わない、が師弟関係において、一番大切な要素だろうと思います。

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2015年9月22日 (火)

クラシック曲とポピュラー曲、難しいのはどっち?

 さて、どちらの方がより難しいでしょうか? 歌とフルートでは、事情が違うので、分けて考えてみたいと思います。

 まず歌の場合。歌の場合は、比較が難しいと思います。と言うのも、使われるテクニックが全然違うからです。クラシック曲…オペラアリアにせよ、ドイツリートにせよ、マイクを使わずに歌うのが大前提となります。ですから、ある程度の音量が出せる発声でなければいけませんし、その上で広い音域を駆使して歌うわけです。言葉にすると単純な事ですが、実際にやってみると、これがまた難しいんです。

 一方、ポピュラー曲は、マイクの使用が前提となりますので、音量に関しては無視できます。大声でも歌えるし、ささやき声でも歌えます。音量を考えなくていいので、音域にしてもテクニックにしても、かなり自由な発声で対処できます。むしろ、クラシック音楽で使われているよりも、複雑な和音とリズムに対応する必要があり、そこが難しいと思います。

 ですから「クラシック曲とポピュラー曲、難しいのはどっち?」と尋ねられた場合、歌ならば「クラシックとポピュラーでは、歌のジャンルが違うので比較できません」と答えるのが適当だと思います。実際、クラシック歌手が歌うポピュラー曲は、かっこ悪くて聴けたもんじゃない歌唱が多いですし、ポピュラー歌手が歌うクラシックは下手さが目立つんですよね。ですから、同じ歌手というくくりにはなるけれど、別物と考えるのが妥当かと思います。

 ただし、むりやりに比較するならば、クラシック曲とポピュラー曲のちょうど中間的な存在である、ミュージカルのソングを題材にして考える事ができます。

 ミュージカルのソングの場合、クラシック系歌手が歌う場合と、ポピュラー系歌手が歌う場合がありますが、概ね、クラシック系歌手が歌った場合の方が、歌唱としての出来が良いという傾向があります。そこから考えるに、歌唱力としては、クラシック系の歌手の方がポピュラー系の歌手よりも平均レベルが高いことが考えられますし、もしもクラシック系歌手の方が歌唱レベルが高いのならば、それはおそらく、クラシック曲の方がポピュラー曲よりも難しいので、自然と歌手たちの歌唱力のレベルが高くなるのではないか…と言えると思います。

 次に、フルートの場合。クラシック曲の演奏に際しては、細かく複雑に記載された楽譜を間違いなく演奏できる事が要求されます。

 一方、ポピュラー曲に関しては、初学者のうちはクラシック音楽同様に、楽譜通りに演奏できる事が要求されます。吹奏楽やビッグバンド系だと、クラシック曲同様に複雑な楽譜を演奏できる力が要求されます。

 しかし同じポピュラー曲でも、ジャズや一般のポピュラーバンドの場合、セッションやジャムに参加するレベルになると、楽譜通りに演奏できるのは当たり前であって、さらに楽譜に頼らずにアドリブで作曲をしながら演奏できる事が要求されます。

 それらの音楽の場合、渡される楽譜は、歌詞にコードが振ってあるだけのコード譜であったり、メロディしか書かれていないメロディ譜(リード譜とも言う)だったして、自分のパートの音符なんて、一つも書いてなかったりするわけです。いやいや、ヘタすると楽譜も無しで、音源聞いてキーだけ指定されて「後はよろしく」のひと言で演奏する事もあります。そんな状況で、きちんと前奏を演奏して、伴奏を演奏して、間奏も後奏も演奏するんです。そうなってくると、オリジナルの演奏をなぞれる高い“耳コピー能力”が必要とされますし、アドリブ力も必要になりますし、新曲の場合は、自分のパートは自分で作曲して演奏できる能力も必要になります。

 ある意味、クラシックでは作曲家の意図通りに演奏できる高度な演奏力が必要ですが、ポピュラー曲の場合、どんな曲でも自分に引き寄せて自分なりに演奏できる力が必要となります。つまり、同じ演奏でも、そのアプローチや必要とされるテクニックや能力に違いがあります。

 こうなってくると、フルートは、入口付近は同じであっても、上達するに従って、歌以上にジャンルの違いが際立ってきます。だって、歌なら、余興などの軽いノリで、ポピュラー歌手がクラシック曲を歌ったり、クラシック歌手がポピュラー曲を歌ったりという事もあるけれど、フルートの場合、クラシック系のフルーティストがジャズバンドに参加するなんてありえないし、多くのポピュラー系のフルーティストたちの腕では、クラシック曲の演奏に必要なテクニックが不足しているのが現実ですから。

 ただ、これもむりやり比較するならば、ポピュラー系フルーティスト(と言うよりも、ジャズ系フルーティスト)の中には、現代的な解釈も加えつつも、素晴らしいクラシックアルバムをリリースしている方が少なからずいます。一方で、クラシック系フルーティストの場合は、いわゆるポピュラー曲を演奏しても、譜面通りにしか吹けないので、実につまらない演奏しかできなかったりします。そういう意味では『トップのポピュラー系フルーティストは無敵である』という言い方ができます。

 ただし、クラシック系フルーティストに、凄腕アレンジャーが付くと、話は別になります。クラシック系フルーティストの欠点は、楽譜通りにしか演奏できない事ですから、その楽譜をポピュラー対応にしちゃえば、全然問題ありません。もちろん、アドリブなどには対応できないので、セッションやジャムに参加するのは無理ですが、バックバンドもクラシック系の人々で固めたコンサート(つまり絶対にアドリブはしないという前提)でのポピュラー曲の演奏ならば、問題なくなります。

 いやあ、歌以上に、フルートのジャンル違いって深刻なのかもしれません。

 そういった点では、クラシックにもポピュラーにも対応しちゃう、吹奏楽上がりのフルートちゃんたちって、案外すごいのかもしれません。楽譜通りにもガンガン演奏できちゃうと、アドリブもお茶の子さいさいだもんね…って、それは言い過ぎ?

 「楽譜通りにガンガンなんて無理だし、アドリブもできないもん」

 たぶん、それはまだ未熟だから。未熟だから、まだ、できないだけ。きちんと練習をして、上達して、成長して、一人前の吹奏楽のフルート奏者になれば、クラシック曲にもポピュラー曲にも、対応できるはずだし、そうでないと困るはず…。

 おそらく吹奏楽プレイヤーの演奏上の最大の問題は、多くの奏者が、3年なり6年なりで部活を引退してしまうため、多くのプレイヤーたちが、一人前レベルに成長する前に音楽そのものを辞めてしまう事かな? そのまま続けていれば、素晴らしいプレイヤーになったかもしれない人が、たった3年とか6年とかで音楽を辞めちゃうんだよ。実にもったいないと思うし、吹奏楽という音楽ジャンルでは、常にニューフェイスだけで音楽を作っている…なんて考えると、すごいよね。

 いわゆるクラシック界にもユース・オーケストラと呼ばれる、若者たちによるオーケストラがあるけれど、そんなユースたちだって、楽器キャリアそのものは、少ない人でも10年はあるからね…ってか、キャリア10年でやっとユースなんだよ。キャリアが3年とか6年とか、それで人前での演奏をするなんて…ありえないわけです。

 それを考えれば、吹奏楽ってユース以前のプレイヤー集団なわけで、その若さって、音楽的に見ると、すごいんだと思います。

 話題が脱線したままだけれど、今日はこれで終わります(笑)。

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2015年9月21日 (月)

世界文化社の『DVD決定盤オペラ名作鑑賞』がオススメかも?

 デアゴスティーニ社の「DVD 世界のオペラハウス名演コレクション」の刊行が、途中放棄されて、やさぐれている私です。全80巻の予定が、5巻で終了って事で、悔しくて悔しくて、どうにかなってしまいそうです。まあ、終わった事をいつまでグダグダ言っても大人げないので、後は心の中で呪詛しまくるだけです(あぶねーなー)。

 で、デアゴスティーニの代わり…になるわけもありませんが、ちょっとおもしろい情報を書き込みます。

 オペラDVDをシリーズ化して発売するのは、別にデアゴスティーニ社だけではありません。今でも、割と簡単に入手できるものとして、小学館から出ている『魅惑のオペラ』があります。1冊4000円で全30巻、それに別巻として1冊5000円のモノが4冊あって、全34巻のシリーズとなっています。私も『愛の妙薬』と『エフゲニー・オネーギン』を購入しましたが、よく出来ているシリーズだと思います。

 でも、たぶん、今、普通に購入できるオペラのシリーズものって、これだけだと思います。以前は、この小学館のシリーズと一緒に、世界文化社の『DVD決定盤オペラ名作鑑賞シリーズ』というオペラDVDシリーズもあって、よく見かけたのですが、最近はトンと見かけなくなりました。どうしたのかなと思っていたら、どうやら絶版になってしまったようです。絶版とは…内容が良いのに残念だな…と思っていたら、どうやらいわゆる“在庫”というか売れ残りというか、かなりたくさんのブツが中古市場に流入したようで、現在、あっちこっちの古本屋さんで新古品として売られていたり、ワゴンに集められてバーゲン本として売られているようです。

 この世界文化社の『DVD決定盤オペラ名作鑑賞シリーズ』って、面白いんですよ。と言うのは、一冊の中に、同じ演目で違う演奏のオペラが2つずつ入っているという趣向なんです。つまり“オペラの二本立て”なんですよ。で、同じ演目ですから、当然「この2つの上演を見比べてください」という趣旨なんですね。で、このシリーズに入っているDVDの演奏が、これまた実にマニアックな演奏ばかりで、オペラ初心者には薦めづらい(だから絶版になったんだと思う)のだけれど、お好きな人には結構たまらないラインナップだったりするんです。

 二本立てという事もあって、元々の価格は約5000円と、この手のシリーズものとしては、ちょっぴり高価で手が出しづらいのですが、今回、新古品になってしまったので、市場では一冊1500~3500円程度で販売されているんですよ。この値段で、マニアックな演奏の二本立てときたら、そりゃあ買っちゃうでしょ(笑)。で、この度、私、全10巻を買い揃えましたので、この情報をネットに開示したいと思います。

 いやー、だって、自分が買い揃える前にネットに情報を開示して、私が買い揃えられなくなったらイヤじゃない(笑)。

 とにかく、お好きな方にはたまらない『DVD決定盤オペラ名作鑑賞シリーズ』なんですよ。1冊1冊、説明させていただきます(笑)。

 まず、私が推すのは、8巻目の『蝶々夫人』です。これのDisc1が、林康子主演・浅利慶太演出の1998年のスカラ座公演なんですよ。すごいでしょ? で、Disc2が若き日の八千草薫さんが蝶々さんを演じているオペラ映画なんです。「八千草薫って歌えたっけ?」 もちろん歌えません。歌はイタリアのソプラノ歌手さんの吹き替えです。ほら、マニア向けだけれど、マニアにとっては垂涎モノの1冊でしょ?

 同じような組み合わせだと、1巻目の『アイーダ』のDisc1が、マリア・キアーラとパヴァロッティによる1985年のスカラ座公演で、Disc2が、若き日のソフィア・ローレンがアイーダを演じているオペラ映画です。で、こっちの映画がすごいのは、アイーダの吹き替えをレナータ・テバルディがやっているという事。ほら、すごいでしょ。

 いかにもマニア向けというと、2巻目の『椿姫』のDisc1もすごい。と言うのも、2001年のパルマ王立歌劇場の公演なのだけれど、この公演で使われた楽譜が1853年に作曲された初演版のモノなんです。で、演出も1853年のヴェネツィア歌劇場でのモノを再現したという、オペラマニア以外には、どーでもいいような公演なんです。さらに言うと、ここでアルフレードを演じているのかサバティーニなんだけれど、彼がアルフレードを演じているDVDって、これだけなんだそうです。ほんと、マニア以外には何の訴求力もない情報です(笑)。

 定番中の定番の公演と言えば、3巻目の『ボエーム』のDisc1なんて、パヴァロッティ&フレーニ主演の1988年のカリフォルニア歌劇場の公演なんです。ほんと、ド鉄板でしょ?

 4巻目の『フィガロの結婚』はDisc1が、通常のドイツ語上演なんだけれど、Disc2は、なんと、フランス語上演なんです。まあ、たしかにボーマルシェによる原作はフランス語で書かれた戯曲なんだけれど、オペラそのものは、舞台はスペインだし、オーストリア人によってドイツ語で作曲されたオペラなんだよ。それをフランス語で上演なんて…わけわからないよ。ちなみに、このフランス語版では、通常は女性歌手によって歌われるケルビーノを男性歌手が歌ってます。いやあ、ゲテモノ上演だなあ…。

 5巻目の『ドン・ジョヴァンニ&コジ・ファン・トゥッテ』は、同じ演目の二本立てではなく、同じ歌手による二本立てで、チェチーリア・バルトリのファンに向けた1冊となっております(笑)。普段はメゾのバルトリなんですが、『ドン・ジョヴァンニ』ではドンナ・エルヴィーラを、『コジ・ファン・トゥッテ』ではフィオルディリージを、歌っております。両方とも、本来はソプラノの役なんですが、そこにメゾのバルトリがチャレンジしているっていう趣向なんです。ああ、マニアックだ。

 6巻目の『セビリアの理髪師』なんかは、Disc1がロッシーニの作曲したオペラで、Disc2が、なんと、パイジェッロが作曲した同名オペラなんです。同じ原作から違う作曲家がそれぞれに作ったオペラを楽しみましょうという、ほんとマニアだけのお楽しみ的な1冊なんです。で、パイジェッロの『セビリアの理髪師』もなかなか良いですが、やはりロッシーニの天才には呆れるばかりです。

 7巻目の『トゥーランドット』は、Disc1が、エヴァ・マルトンとホセ・カレーラスとカーティア・リッチャレッリの1983年ウィーン国立歌劇場の公演なんです。ああ、定番中の定番だ! Disc2はテレビ放送用にイタリアRAIによって製作された白黒オペラですが、ここでカラフを歌っているのが、フランコ・コレッリだったりします。こんなモノ、よく見つけたものです。

 9巻目の『カルメン』は、まあいいや(笑)。シリーズ化するにあたって『カルメン』は外せなかったんでしょうね。

 10巻目の『トスカ』のDisc2では、1961年のレナータ・テバルディがトスカを歌ってます(ただし白黒映像)。ちなみに、この巻のみ、三本立てで、Disc2には、他に白黒のオペラ映画も入ってます。オペラ映画の良い所は、舞台中継よりも映像表現にこだわれる事で、オペラでは歌詞で説明されている事が、映像でも説明してくれるので、ストーリーが理解しやすくなっている事かな?

 いやあ、実に実に、マニア向けのオペラシリーズでしょ? これが、今ならかなり安価に入手できるんです。なので、お好きな方々は、無くなる前に、ぜひ入手した方がよいですよ(笑)。

 マジで、オススメです。ただし、オペラマニアに限る(爆)。

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2015年9月20日 (日)

風邪をひいた時に、入浴するのはOK、それともNG?

 実は私、ただいま、絶賛、風邪っぴき中です。かなりしんどいです。特につらいのは、呼吸困難の症状です。どうにも、気管に痰が大量発生して、気道を塞ぎ、常時酸欠状態である事です。気道が狭くなって、呼吸するのがしんどいので、歌やフルートどころの話ではありません。

 ま、病気の話はともかくとして、私が子どもの頃は、風邪をひくと「お風呂に入っちゃいけません」と大人たちに言われたものです。でもね、風邪をひくと、汗を大量にかくわけだし、それなのにお風呂に入っちゃいけないと言うのは…かなりつらいわけです。

 で、私は考えました。考えた結果、「風邪をひいているので、積極的に入浴しよう!」と言う答えが出たので、バッチリ入浴しちゃいました。とりあえず、結果オーライです。

 なぜ、私が子どもの頃は、大人たちは「風邪をひいたら入浴しちゃいけない」と言っていたのか?

 その頃は内風呂が珍しくて、普通の人は銭湯に通っていた…そんな時代です。ご多分に漏れず、私も銭湯に通っていました。入浴するためだけに、2~3日おきに、わざわざ夕食後に銭湯へ外出していたわけです。銭湯での入浴は気持ちよかったけれど、せっかく銭湯でカラダを温めても、銭湯からの帰りの道で、カラダはすっかり冷えちゃうわけで、いわゆる“湯冷め”ってヤツから逃れることは出来ませんでした。

 そりゃあ、湯冷めは風邪の原因だし、風邪をひいている時に湯冷めをしようものなら、風邪が悪化してしまうのは間違いないわけで「風邪をひいたら、お風呂はダメです」と言うのも当然の話です。

 でも今は、自宅に浴室がある時代だし、入浴してカラダを温めたら、湯冷めをする前に暖かい部屋に移動して、服を着たり、就寝したりすればいいわけで、よっぽと間抜けな事をしない限り、湯冷めなんてすることはないので、湯冷めの心配は御無用ってわけです。

 もちろん、風邪の程度にもよるでしょう。めまいや吐き気がするほど重篤な風邪なら、体力を消耗する入浴は避けるべきでしょう。しかし、私は微熱程度の風邪で、体力うんぬんのレベルでもないわけです。微熱が出ている程度なんだから、むしろ入浴をする事で、体温を一時的に上げれば、体内のウィルス退治の手伝いができるわけで、熱めの風呂に半身浴をして、ドーーーーーッと汗をかいてやりました。いやあ、風呂あがりのスポーツドリンクの旨いこと旨いこと。格別でした。

 それになんと言っても、清潔一番です。入浴して清潔でいる事は大切な事です。

 そんな事を考えて、風邪をひいているにも関わらずに、しっかりばっちりと入浴しました。

 私が風邪ひきで入浴したからと言って、それを真似て、さらに風邪を悪化させても、その責任は私にはありませんから、あしからず。

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2015年9月19日 (土)

ガラスの壁面がミドリに濁ります

 ミドリと言っても、黒出目金のミドリの事ではなく、緑色の事です。

 最近、我が家の水槽のカラスの壁面部分が、緑色に濁るようになりました。原因は“藻”です。藻がガラス面に付着してガラスを薄くてまだらな緑色にし、人間はそのガラスを通して水槽内をのぞくので、濁って見えるようになったわけです。

 つまり、水槽の掃除が足りない…という結論になります。

 実は今まで、私、水槽の掃除と言うのを、特にしたことはありません。昔々、実家住まいだった頃に金魚を飼っていた時は、毎週のように水槽掃除をしていましたが、それはその頃の水槽の中に金魚しかいなかったからであって、今の水槽には、水槽の壁面に付着した藻をキレイに掃除してくれるエビや貝がいるのですから、私は掃除をする必要はないのです。

 水槽内の藻は、エビや貝にとって良いエサです。特に貝は、現在、タニシを中心に100匹程度いますから、連中が食事を始めれば、あっという間に藻なんて食べ尽くしてしまうはずなんですが、今年の貝たちは藻をあまり食さないようで、ガラスが結構ミドリ色になってしまうのでした。

 なぜ彼らはガラスに付着した藻を食べないのでしょうか? 理由は分かりません。

 まあ、ガラスに藻が付いていても、人間が金魚を鑑賞しづらいだけで、金魚的には全然問題がないので、放置してもいいのですが、やっぱり金魚が鑑賞しづらいのはイヤなので、先日、重い腰を上げて、久しぶりにガラスの掃除をしました。使用したのは磁石式のガラスクリーナーです。磁石式のヤツは水槽の中に手を突っ込まなくても良いので、とても便利です。

 ガラスの藻もそうですが、最近は水替えの時の水がミドリ水になっている事が多いです。つまり、水槽の中にたくさんの植物性プランクトンが生息しているって事ですね。これはアクアリウム的には良くないことかもしれないけれど、金魚が生きる環境的にはとても良いことなので、あまり問題視していません。ただ、水槽の水がミドリ水になってくれるなら、水替えの間隔をもう少し開けても大丈夫かな…なんて思っちゃいました。今は週1で水換えをしてますが、これを隔週にしても平気かも。だって、金魚の糞尿は、藻や植物性プランクトンにとっては、よいエサ(飼料)でしょ。

 ただし、見栄えはかなり悪くなるけれどね(笑)。

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2015年9月18日 (金)

フルートを吹くと、目の前が狭くなる&暗くなる

 実は私、フルートを吹くと、目の前の視野が狭まり、周囲を暗く感じるようになりました。もちろん、気楽に自宅で遊び吹きをしている時には、こんな事は生じません。自宅練習をしている時も、まあ無いかな? ではいつそうなるのかと言うと、レッスンの時です。最初は、体調不良が原因かなって思っていた事もありましたが、どうやらそうではなく、レッスンで、真剣にフルートを吹こうとすると、毎回決まって、急に視野が狭くなって、周囲を暗く感じるようになったのです。

 で、視野が狭くなっても、そこに集中できれば、たぶん問題ないのだけれど、視野が狭くなった途端に、今までピントが合っていた楽譜が、急にピンぼけになってしまい、楽譜が霞んで見えるようにもなってきたのです。

 それってマズくない? マズイですねえ(薄笑)。

 原因はなんとなく分かっているんです。おそらくは、集中力の成せる技なんだと思います。ただ、年を取ってしまったので、それがうまく働かないだけなんだろうと思います。。

 若い時は、モノゴトに集中すると、それだけしか見えなくなり、周囲のモノが全く目に入らなくなりました。一種の情報遮断ですね。この能力のおかげで、例えば子どもの頃、父が酒を飲みながらテレビでプロ野球観戦をして大騒ぎをしている、そのすぐ側で、黙々と勉強する事ができたわけです。隣で父親が騒ごうと、テレビから鳴り物の音が聞こえようとも、それらの情報を遮断して、きちんと集中して勉強する事ができたのです。「周りがうるさいから勉強できない」なんて泣き言は、一度たりとも言った事のない私でした。

 若い時は、その集中がうまくできたんです。年を取ってしまい、意識の集中と感覚の集中にズレを感じるようになったのです。

 若い時は、集中して視野が狭くなっても、その狭い視野が、その時の私の100%の視野なので、特に問題を感じなかったわけです。でも今では、感覚の集中に意識の集中が追いつかず、感覚で集中した狭い視野の外側まで意識するようになり「周囲が暗いなあ」と感じるようになったのだと思います。

 実は、これは大した問題ではないのかもしれません。問題は集中にカラダがついてこれなくなった事かもしれません。

 フルートを真剣に吹こうと思って集中すると、視野が狭くなります。これは良いのです。周囲が暗く感じるのです。これもまあ、気持ちは良くないですが、実害はありません。

 実害となる問題は、フルートを真剣に吹こうと思って集中すると、ピントが合っていた楽譜が、急にピンぼけになってしまい、楽譜が霞んで見えるようにもなってしまう事なんです。

 集中した途端に、ピントがズレたり霞んだり…つまり、目が見えなくなるのが困ってます。おそらく、若い時だって、集中すれば、ピントやらに影響が出たんだろうけれど、それらは若さによる力技で克服していたんだと思う。年を取ると、あっちこっち力技が出来なくなって、ほころびが目立つようになる…たぶん真実はそんなとこでしょう。

 今は生活の利便性を考えて、遠近両用のゆるい老眼鏡を使用しているのですが、演奏用にキツ目の老眼鏡(いわゆる読書用メガネと似たようなものですが、ピントの合う位置が30cmとかでなく、1m程度の、それこそ“演奏用メガネ”でしょうね)を用意した方がよいのかしら…と悩むシニアな私でございます。

 ああ、老眼はつらいなあ。声楽は本番の時は暗譜だし、だいたいメガネを外して舞台に上がるので、老眼うんぬんは関係ないけれど、フルートは楽譜のガン見が基本だからね。ほんと、老眼はつらいよ。

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2015年9月17日 (木)

声楽サークルを立ち上げました

 声楽サークルを立ち上げました。歌手3名とピアニスト2名が所属しております。うむ、無敵だな(笑)。

 歌手は、私と、私の妻と、私と以前デュエットをしてくださったNさんの3名。ピアニストの2名も、私が個人的な活動をする時にお願いしているピアニストさんたち。つまり、私の個人的な歌手活動(笑)をサポートしてくださる方々を集めて、サークルという名前の一座を立ち上げたって事だね。

 で、立ち上げた声楽サークルを市に登録する事で、各種公共施設の利用が可能になるという寸法なわけです。

 実は、間近に迫ったクラシックコンサートの練習、具体的に言えばピアノ合わせを、どこでやろうかと悩んだわけです。昨年まで利用していた民間施設の人気が高まり、利用料金が高くなった上に、なかなか場所を押さえられなくなり、実質的に利用が難しくなりました。で、次の場所を探していたわけです。

 で、目に止まったのが、ご近所の公民館の音楽室でした。ここは自宅から徒歩5分という近距離で便利だし、利用料は無料だし、人気もさほどはないので、予約が簡単。ただし、ピアノは電子ピアノって事と、登録されたサークルしか利用できない事がネック。でも、背に腹は代えられないという事で、サークルを新設して、公民館の音楽室を借りられるようにしたわけです。

 と言うわけで、今回は、新設サークルの活動初日という事で、私と妻とピアニストさんの3人が集まって、クラシックコンサートのピアノ合わせをした…と言うわけです。

 まず、トスティ作曲の「Love Me!/私を愛してください!」を合わせてみました。

 この曲は合わせるのが比較的簡単な、インテンポの曲ですが、それでも数カ所、テンポが揺れる箇所と、音楽を立て直す箇所があるので、そこを確認して、タイミングを合わせればバッチリです。後、数カ所、音符を抜いたり足したりし、エンディングがトスティの楽譜通りだとつまらないので、ピアニストさんと相談の上、イントロのフレーズをエンディングで弾いてお終いにする事にしました。

 次は、トスティ作曲の「Starlight/星の明かり」ですが、これは合わせが難しかったです。とにかく、ピアニストさんと私の意見が合わない合わない。もちろん、ピアニストさんは楽譜を通してトスティの意図を読み込んで、その上で色々と提案してくれるのですが、こちらにはこちらの都合もあるので、それをなかなか受け入れられないわけですが…そこは互いに歩み寄り、テンポの変化を大きくし、フレーズの立て直しを何度も行い、実に大曲風に歌うという方向で大筋まとまりました。問題は、大筋まとまったものを、どう具体的に音楽として表現していくかという点です。とりあえず、今回デキたのは、7割前後かな? まだ本番まで日があるので、各自で考えて、もう少しきちんと合わせられるようにしましょうってところまで詰めました。

 で、最後は、ドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」の二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」ですが、これはピアニストさん的には、本日のラスボスだったようです。

 とにかく、この曲のピアノパートは、実に実に難しかったそうだし、通常のピアノ曲では考えられないような音符の並びをしていて弾きづらくて堪らなかったそうです。ま、元はオーケストラ曲で、オーケストラの音をただピアノ譜に落としているだけだから、ピアニストさん的に、弾きづらくても仕方ないんですが…申し訳ない。

 またレチタティーヴォなどは楽譜通りに歌いませんから、そういった部分もピアニストさん泣かせなわけです。とにかく、歌いながら、あれこれとチェックを入れて確認をして、合わせて行きました。何度か繰り返すことで、とりあえずカタチにしたかな?

 私の曲の間に妻の曲も合わせたので、全部で5曲のピアノ合わせをやったのですが、休憩を入れつつ3時間もかかってしまいました。よく、発表会などのピアノ合わせは同じ規模で30分程度で終わらせてしまいますから、今回のピアノ合わせが、実にゆったりとした丁寧なピアノ合わせだったかって事です。

 なんだかんだ言って、もう本番まで一ヶ月ありませんからね。頑張らないといけないと思ってます。

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2015年9月16日 (水)

裏声ギリギリの軽い声で歌いましょう

 声楽のレッスンの続きです。さて、曲の練習です。

 まずはトスティ作曲の「Love Me!/私を愛してください!」からです。

 一箇所ある高いGは、母音を発する前に子音で音程を取るのが吉なんですが、その時の子音の発音に注意をしましょうと言われました。子音と言っても、具体的には“L”なんです。“L”って、舌先を前歯に付けて発声するわけですが、問題は前歯のどのあたりに付けるべきかって話です。私はだいたい“歯の付け根”に付けますが、高音を発声する時は、もう少し前で舌を付けた方が良いという事で“歯先”に付けることにしました。“歯の付け根”と“歯先”なんて、小さな違いですが、確かにノドの伸び具合とかは違いますから、発声の容易さも変わってくるんだろうと思います。

 またフレーズのアタマにある高音だからと言って、カツーンと声をぶつけるのではなく、息をテクニカルに使って歌った方が結果が良いとも言われました。具体的には、クレシェンドをかけながら、音程をずり上げるやり方です。少し低めの音程に弱めに入って、そこから息を強めながら、ノドをグイーッと伸ばして目的の高音にたどり着くというやり方です。このやり方は、ナタリー・デセイが、某インタビューで、椿姫のアリアの決めの高音を歌う時に使うテクニックであると言ってました。それくらいにありふれたテクニックのようです。

 もちろん、他人が聞いた時に、音程がずり上がって聞こえては失敗です。あくまでも歌い手の感覚で『音程のずり上がり』が行われるだけであって、聞き手的には、グワーンと高音が現れるような感じになります。

 カツーンからグワーンですよ。キング先生からは、高音はカツーンと出すように指導されていましたが、それを封印をしてグワーンです。カツーンは力技で、グワーンはテクニカルなんだそうです。なかなか難しいです。

 ちなみに、Y先生ご自身は、高音を出す時はグワーンではなくカツーンとなってしまうので、真似をしないように…と言われましたが、先生はバリトンだからね。テノール並の高音なんて出さなくていいんだから、カツーンでもグワーンでも問題ないです。

 キング先生時代は、特に高音の出し方のテクニックは教わらなかったのだけれど、キング先生ご自身は、高音をカツーンと出してましたね。それは聞いていてカッコよかったですし、先生は高音発声のテクニックをあえて教えないというスタイルだったので、先生のやり方を見よう見まねをしていたわけですが、当時はうまくいきませんでした。まあ、うまくいくはずないんです。だって、あんな力技が出来るのはキング先生が天才だからであって、凡才で趣味人である私は、あんな才能に頼った力技ではなく、冷静にテクニカルに歌うべきなんだろうなあって思っています。凡才には凡人のやり方があるわけで、凡人が天才の真似をしても、潰れてしまうだけだからね(笑)。

 次はトスティ作曲の「Starlight/星の明かり」です。この曲は、極めて軽く歌うように言われました。今の歌い方では「Love Me!/私を愛してください!」は歌えても「Starlight/星の明かり」は歌えないと言われました。私も、薄々そんな感じはしていました。軽く軽く、まるでモーツァルトのアリアを歌うような軽い声で歌った方が良いのではないかと思っているわけです。

 軽く軽く、あとちょっとで裏声になってしまう…と言ったあたりの軽い声で歌うのが良いのです。軽い声で歌うと、ノドの消耗が抑えられるし、体力も無駄に消耗しないわけです。

 また、声の消耗を防ぐためにも、テンポを十分に揺らして、ところどころで休養をたっぷり取って歌うのも、アリと言われました。確かにインテンポでグイグイ歌うと、疲れるしなあ。また「Starlight/星の明かり」という曲自体の構成が、大きく揺らせるように作られているし、あっちこっちで休めるように作られているわけだし…ね。ならば、それらを十分に活用しないと…。先生からは「ピアニストさんと相談をして決めてきてね」と言われました。

 また、高音は「Love Me!/私を愛してください!」以上に、テクニカルに発声するように言われました。テクニカルに歌うためにも、余力を残さなければ…。

 レッスンの残り時間で、ドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」の二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」をみていただきました。

 先生、譜面を見つけるのが(時間的に)もったいない…という事で「どうせ暗譜しているでしょ?」と言われて、先生に私の楽譜を渡しました。まあ、一度本番にかけた曲ですから、暗譜はしておりますがね…。

 通しで歌った所、先生からは「発表会の時よりも良くなっている」と言われました。まあ、歌いこなれてきたのかもしれません。リズムも音程もハモリも、決まるべき所でビシビシと決まっていると言われましたが、それがクラシックコンサートの本番でも決まるといいですね。それでもまだまだメロディや歌詞を間違えているところが散見されるので、それらを拾って直していきました。

 まあ、以前、本番で歌った箇所はいいのです。今回付け加えた部分は、多少の難ありで、要練習箇所なのでした。でも、歌い込んでいけば、それもきっと乗り越えていけるでしょう。

 それと最後の最後に出てくるテノールの中音のAを1オクターブ上げて高音のAにしましょうと先生からアドヴァイスが出ましたので、そうすることにしました。やっぱり、最後は歌い上げてオシマイの方がいいですものね。オペラでは、この二重唱から、ドゥルカマーラが加わった三重唱になるので、歌い上げちゃいけないのですが、私たちはこの二重唱でお終いですから、歌い上げちゃった方がいいに決まってます。それに高音Aは、もっかのところ、私か使えるギリギリの最高音だしね。そうしましょうったら、そうしましょう。

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2015年9月15日 (火)

高音は下に落ちている

 声楽のレッスンを受けました。

 さて、レッスンです。まずはハミングから。今回は、ハミングした声をカラダから離す事を注意しました。声をカラダから離す…力まずに発声すると、声がうまい具合に離れていきます。

 発声練習は、高音練習を中心にやりました。「高い音は下に落ちているつもりで発声する」と言われました。ですから、息の支えもなるべく下の方で行い、目線も下向きにして、上半身は下を向く…というか、軽くお辞儀をしたような感じになります。そして、下に落ちているモノを声を使って拾っていく感覚…なんです。とは言え、これをやると簡単に高音が出るのかと言うとそうではないのですが、出てきた高音が、より自然で美しくなるのは確かなので、下に落ちている声を拾いながら歌っていくのは、大切な事なんだろうと思います。

 あと、毎度の事ですが、声を出している間は気を抜かずに、最後までしっかり息を支えなさいとも言われました。別に気を抜いているつもりはないのですが、たぶん、安心しちゃうんだろうなあ…。

 息の支えですが、これは私の個人的な感覚ですが、腹筋を内部に引き上げる感覚をメインにするのではなく、背筋を下に引っ張る感覚をメインした方が結果が良さそうです。と言うのも、カラダの前面に注意していると背面がおろそかになる私ですが、背面に集中していても、前面の動きは割とオートマチックになるみたいなので、背筋を引っ張ることに集中していても、腹筋の動きはきちんとするんですね。問題があるとすると、少しでも気が散ると、背筋は動かなくなっちゃうって事です。

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2015年9月14日 (月)

メト・ライブビューイングで「ドン・ジョヴァニ」を見てきました

 東劇で行われている、メトロポリタン歌劇場ライブビューイングのアンコール上映で、モーツァルト作曲の「ドン・ジョヴァンニ」を見てきました。「たまには定番オペラも見てみたい」という妻のリクエストがあったので、それに応えたわけです。

 2011年のシーズンの作品で、レヴァインが倒れて、危機的状況にあったメトに、首席指揮者として就任したばかりのファビオ・ルイージの「名刺代わりにどうぞ」的な上演である…と、当時の私は思っていました。それにしても、モーツァルトって、レヴァインの十八番だったわけで、後任者として、前任者の十八番に取り組むのって…イヤだったでしょうね。

 主な配役は次のとおりです。

 ドン・ジョヴァンニ…マリウシュ・クヴィエチェン(バリトン)
 レポレッロ…ルカ・ピザローニ(バリトン)
 ドンナ・アンナ…マリーナ・レベッカ(ソプラノ)
 ドンナ・エルビィーラ…バルバラ・フリットリ(ソプラノ)
 ドン・オッターヴィオ…ラモン・ヴァルガス(テノール)
 ツェルリーナ…モイツァ・エルドマン(ソプラノ)
 マゼット…ジョシュア・ブルーム(バス)
 騎士長…ステファン・コツァン(バス)

 このオペラの上演の質は、良くも悪くもドン・ジョヴァンニ役で決まってしまいます。今回のクヴィエチェンは良かったです。イケメンだし、品は良いし、傲慢で横柄で、まさにドン・ジョヴァンニにうってつけです。あえて言うと、もう少し背が高いと完璧だったかもしれません。

 それにしても、私、いつも「ドン・ジョヴァンニ」というオペラを見る度に思うのだけれど、この役、どうしてバリトンが歌っているんでしょうね? この役、キャラクター的には、重くて強い声のテノールの役でしょ? なのに、バリトンが歌っているのが、なんとも解せません。なので、このオペラを聞く度に、モーツァルトに説教したくなります。

 当時のオペラは、初演の劇場の歌手たちにアテ書きをするのが普通だったから、良いテノール歌手が二人いなかったので、やむなくドン・ジョヴァンニ役をバリトンにしたとか…。ま、私の邪推だけれどね(笑)。ちなみに、初演した歌劇場は、プラハのエステート劇場で、同じく同劇場で初演されたオペラに、モーツァルトの「皇帝ティトの慈悲」があるけれど、このオペラでもテノール役は一人だけだもんなあ…。この劇場には、使えるテノールが一人しかいなかった…そんな気もします。ちなみに、エステート劇場は、現在では名を“スタヴォフスケー劇場”と改めたけれど、現存しているそうです。

 さて、ドン・ジョヴァンニの相方と言えば、レポレッロ。このレポレッロを演じたピザローニが、これまた演技派で素晴らしかったです。この人、歌も良かったけれど、演技が格別なのよね。この人、私が前回のメトのライブビューイングで見た「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」で、モンスターのキャリバンを演じていた人です。なるほど、キャリバンを演じられる人なら、これくらいの演技は朝飯前だね。ドン・ジョヴァンニを演じていたクヴィエチェンも演技派の歌手ですから、この二人のからみをみていると、オペラと言うよりも、普通に演劇を見ているような気がしました。

 DVDなどで、少し昔のオペラ上演を見る機会って結構あると思うのですが、最近(21世紀)の上演を見慣れた目で見ると、いくら歌は素晴らしくても、20世紀の上演を記録したDVDのオペラは、演技がダメなのが多くて、ガッカリしちゃうよね。代表例が…パヴァロッティが出演している舞台は、彼自身に演技力が無いこともあって、ほんと、ガックリものです。いくら古くても、ドミンゴやカラスのものは、きちんと演技しているけれど、そういうのって、昔は珍しかったんだよね。

 ドンナ・アンナもドンナ・エルビィーナも美人でスタイルが良くて良かったです。これも21世紀オペラの特徴だね。20世紀までは、どうしてもオペラ歌手って、デブってイメージがあったし、実際太っていました。でも、もうそれは20世紀の話で、今どきのオペラ歌手には、デブなんていないよね…。

 と思っていたら、ドン・オッターヴィオを歌っていたテノールのヴァルガスは、チビでデブで、おまけに棒立ちで演技をしない、まさに20世紀のステレオタイプのオペラ歌手でした。

 いやあ、他の歌手がみんな、美男美女揃いで演技上手だったから、ヴァルガス君の大根醜男ぶりが目立って…。昔なら、テノールがチビでデブで大根役者でもOKだったのかもしれないけれど、今の時代、それじゃあ本当はダメなんだよね。ダメなのに、ヴァルガス君のようにチビでデブで大根なテノールがメトロポリタンのような超一流の歌劇場で歌っている理由は…一流テノールの絶対数が少ないから…ですね。

 テノールって希少種なんだよね。ほんと、オペラ界にテノールはほんの少数しか存在しません。で、わずかに存在しているテノールだって、色々と問題を抱えているわけだけれど、テノール不在で上演できるオペラなんて無いから、どこの歌劇場も妥協して、チビでデブで大根なテノールであっても、必要なら使うんだと思います。

 また、ファンも優しいから、たとえチビでデブで大根であっても、その人がテノールだからという理由だけで許して受け入れてしまうわけです。これがソプラノとかバリトンなどの過当競争な声種ならば、問題アリな人だったら、絶対に認められないだろうにね…。

 生存競争の極めて激しいソプラノでは(女性なので)チビはともかく、デブでブスで大根な歌手というのは、かなり大昔に淘汰されてしまいました。ですから、今どきのオペラ歌手(ソプラノ)と言えば、美人でちょっと太めのグラマラス体型[さすがに一流のソプラノ歌手で痩せている人は数えるほどしかいない]で演技力抜群の方ばかりです。

 最近上演されたオペラで、デブでブスなソプラノって…ワーグナー作品ぐらいでしか見られません(笑)。まあ、ワーグナーのソプラノって、半端無く難しいからね、これまた歌える歌手を選ぶので、デブでブスな歌手にもチャンスが生まれるわけだ…。逆に言うと、そこまでニッチな世界に突入をしない限り、デブでブスなソプラノ歌手には、生きる場所がないって事です。

 ドン・ジョヴァンニと言えば、ラストシーンの騎士長の石像の登場シーンです。古来より、このシーンには、色々なバリエーションがありますが、今回は、歌手の顔を灰色に塗って、灰色の衣装を来て、歩いて舞台に登場するというパターンでした。まあ、歌手自身が石像に変装して歌うパターンなわけで、それもありですね。また、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちのシーンは、舞台に炎を焚いて、その奥にある奈落に落ちていく…という、よくあるパターンでした。。

 と言うわけで、演出の骨子は、比較的よく見かける伝統的なパターンでした。でもこれって、特に奇抜な事はなく、安心して見ていられました。ただ、衣装と大道具は、伝統的なモノではなく、西部劇の時代になってました。伝統的な、オリジナルどおりの時代と場所にしちゃうと、ドン・ジョヴァンニは“ちょうちんブルマ+タイツ”になってしまうのですが、21世紀の我々にとって、そんな恰好で「プレイボーイでございます」と言っても、説得力が無くなってしまうので、オペラの舞台の時代と場所を、少しこっちがわに移動したのは、むしろ良かったと思います。

 しかし、稀代のプレイボーイとして有名なドン・ジョヴァンニですが、彼がナンパ(ってかレイプ)に成功したのって、オペラ冒頭のドンナ・アンナだけなんだよね。あと、物語が語られる前のドンナ・エルビィーラもやっちゃったらしいけれど、それを入れても成功例って、たったの二人なんだよね。その他は、ツェルリーナにせよ、ドンナ・エルビィーラの侍女にせよ、あれこれあれこれ女に声をかけてはナンパしているけれど、ことごとくフラレているんだよね。あれ? 案外だらしないぞ、ドン・ジョヴァンニ。

 それにしても、メトのオペラは、演出が安心して見られるので、大好きです。

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2015年9月13日 (日)

今年は何年ですか?

 皆さんは「今年は何年ですか?」と尋ねられたら、なんと答えますか? おそらくは「2015年です」と答えるんじゃないかな? あるいは「平成27年です」と答えますか? 2015年と答える人は西暦で考えているわけだし、平成27年と答える人は元号を使っているわけです。

 ある調査で「西暦と元号のどちらを使いますか?」という質問に対する答えは、7対3で西暦使用者の方が多いんだそうです。まあ、私も普段は西暦を使用しているので、元号で尋ねられると「へ?」ってなる人なので、アンケート調査結果には納得です。

 西暦は便利ですね。平成と、昭和や大正・明治をまたいだ経過年数の計算なんかも、一発だし、海外の統計を見る時も利用できるし、パソコンやネットの世界じゃあ西暦の方が主流だし「ビバ!西暦!」って感じです。

 だってさ、天保8年と言われても、いつの事だか検討もつかないでしょ? なんとなく江戸時代っぽいな…くらいは分かっても「今から何年前?」と尋ねられても答えられません。

 実は天保8年って、西暦で言えば、1837年で、19世紀の前半になります。

 江戸時代は、徳川家康が征夷大将軍に任命された1603年に始まり、徳川慶喜が明治政府に江戸城を明け渡した1868年までです(これは学校で習ったでしょ?)から、17世紀の初頭から19世紀中頃までになります。って事は、1837年って年は、江戸時代もかなりの終わりの頃で、明治に変わるまでの、30年ちょっと前の時代(つまり明治になる一世代前って事ね))だって分かりますし、今から200年弱前になるんだよね。こんな事も西暦で考えると、すぐに分かるわけだ。いやあ、西暦って便利だなあ。

 ちなみにこの年に何があったのかと言うと…大塩平八郎の乱ですね。平和と言われた江戸時代の只中に起こった、ほぼ唯一の、それなりの規模の合戦です。

 ちなみに、大塩平八郎の乱って、調べれば調べるほど、興味深いですよ。私が小説家だったら絶対に小説にしているし、映画監督だったら映画にしているし、テレビ局のディレクターだったら、時代劇として1クールぐらいのドラマを作っちゃうと思います。それくらい興味深いです。

 閑話休題。と言うわけで、便利かそうでないかと言えば、絶対に元号よりも西暦の方が便利なのですが、お役所関係を始めとする公文書を取り扱うようなところは、元号使用を強制されたりするので、さしもの私も、元号を全く使わないわけじゃないです。

 確かに日本には『元号法』という法律はあるけれど、そこでは、元号は政令で決める事と、天皇陛下の代替わりの際に改元する事ぐらいが定まっているだけで、別に元号の使用が義務付けられているわけじゃあ、ありません。だから、いつでもどこでも西暦を使用しても問題はないはずだけれど、現実社会じゃあ、必ずしもそうでなくて、公的な暦(れき)はやはり元号で、世俗的な暦は西暦で、という棲み分けになっているみたいです。

 しかし暦って、西暦と元号しかないわけじゃありません。ま、元号を使っているのは、世界でも日本だけですが、では日本以外の国はみんな西暦を使用しているかというと、半分正解で半分不正解です。西暦だけしか使用していない国もあるけれど、日本のように、西暦と自分たちの暦の併用というところも多々あります。例えば、イスラム諸国の人々はイスラム暦と西暦の両方を使っているし、東南アジアでは仏暦と西暦の両方を使っている国もありますし、北朝鮮は主体暦でしょ? 西暦を全く使っていない国ってあるのかな? ま、そんなわけで、日本が元号と西暦の併用であっても、そんなに珍しい事じゃあないんです。

 実は、暦って『誰が時間を支配しているか』という命題と関連しています。

 西暦ってのは『イエス・キリストが時間を支配している』と考えているわけで、だからキリストの生まれた年を“元年”と定めて、年月を表現しているわけね。もっとも、現在使っている西暦は、暦を作る時に間違えてしまって、キリストが生まれて4年目の年をうっかり元年としてしまったため、キリストが生まれた年は、紀元前4年となっているんだけれど(笑)。それでも、一応、建前上は「キリストが生まれた年を元年」としているのが西暦なんです。

 同様に、イスラム暦は、ムハンマドがメッカからメディナへ移住した年を“元年”としているし、仏暦は、釈迦が入滅した年を“元年”としているし、主体暦は金日成が生まれた年が“元年”だしね。

 日本で元号を使っているのも同様で、現在の元号って、天皇陛下が即位した瞬間から始まることになっています。つまり、天皇陛下が時間を支配している…って考えているわけです。なので、1989年は1月7日に昭和天皇が崩御あそばされ、8日に今上天皇がご即位されていますので、1月7日までは昭和64年で、8日からは平成元年になります。ああ、面倒くさい。

 なので、暦って、利用する側からすれば、誰が支配している時間の中で生きているのかって事にもなるわけだから、お役所が取り扱うような、我が国の公文書関係では、元号を使わないといけないというのは、天皇陛下のいらっしゃる日本という国では、ごくごく当然の事なのかもしれません。。

 でも、やっぱり元号って不便だよね。自分たち独自の暦って不便だよね。だから、世界の国々では、事実上世界共通歴になっている西暦を併記しつつ、その国独自の暦を使っているわけだし、日本もそんな感じになっちゃっているわけです。

 ほんと、元号ってのは、天皇の代替わりごとに変更されるから、かなり面倒くさくて厄介だと思います。

 かつての日本では、皇紀という暦が使われていました。これは、神武天皇(日本初代の天皇)が即位した年を“元年”とする歴ね。ちなみに、皇紀元年は紀元前660年になりますので、今年(2015年)は皇紀で言えば2675年になります。皇紀は明治時代に正式に我が国の暦として法的に制定され、大東亜戦争(太平洋戦争とか第2次世界大戦とも呼ばれる、あの戦争)の頃に広く普及した暦です。今でも法的には有効なのですが、戦後、アメリカに占領されているうちに、使われなくなり、現在に至っています。

 ですから、法的に言えば、今年は、皇紀2665年であり、平成27年なのです。西暦2015年というのは、便利なので、みんなが勝手に使っているだけの“暦”なんですよね。

 もっとも、皇紀は正式に法律で使用が決められた暦とは言え、せいぜい明治~昭和前半までしか使われていませんから、歴史的に見れば、そんなに長い時間使われたものではないので、いつの間にか使われなくなってしまっても仕方ないですし、国内はもとより海外でも全く通用しないので、皇紀の復活は…まあ無いんじゃないですか?。

 私の個人の考えを述べれば、天皇陛下を軽んじるつもりは全くないけれど、グローバル化を迎えた現代社会では、暦に関しては、西暦一本槍でいいんじゃないかな? 陛下は元号を定めなくても、天皇である事に変わりないのだから、そこはドンと構えることにして、日本の暦は西暦で統一すると、色々と便利になる…と思うんだけれど、ダメっすかね。

 「元号の制定は天皇陛下の専権事項であって、それを犯すとは、なんと不敬な!」とおっしゃるのならば、せめて、役所などへの提出物に年月を記載する際に、元号ではなく西暦をデフォルトにしてくれませんか? それだけでも、我々の生活の利便性がググンと良くなると思うのですが…。

 私は、実利的側面からの元号廃止論者なんですが、ダメですかね?

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2015年9月12日 (土)

だいぶ育ちました

 金魚たちが、だいぶ育ちました。オタキサンだけが、いわば“前世代”の生き残りで、後のヤヨイとミカンとミドリとエナは最近来た子です。ですから、オタキサンだけが大きくて、他の子はチビちゃんで…という状態が続いていたのですが、最近、ふと気づくと、ヤヨイはオタキサンとほぼ同じ大きさまで育っていました。いやいや、オタキサンだけでく、ミドリもかなり近い大きさまで育っています。ミカンは少し小ぶりで、エナはもうひと回り小さいのですが、近い将来、オタキサンと同じ大きさになってしまいそうです。

 どうやら若い金魚と言うのは、その水槽にいる、一番大きな金魚の大きさを目指して急速に成長する生き物のようです。と言うのも、どうやら金魚の世界では、カラダが大きな奴がエラい…みたいなんですね。ですから、ほんの少しでもいいので、大きなカラダになりたがるようです。

 新入りは常に先輩のボディサイズを上回りたい…これを幾世代に渡って繰り返していると、サクラのような巨大魚が誕生しちゃうんだと思います。

 ですから、現在、一番大きな金魚がオタキサンですから、その大きさをみんな目指しているんだろうって思います。オタキサンもかなり大きな金魚ですが、サクラやブニョと比べれば、二回りも三回りも小さいですから、まあ良しです。

 と言うのも、金魚的には少しでもカラダが大きい方が良いみたいですが、カラダが大きくなるのは諸刃の剣でして、大きくなるほど不健康になりやすいんです。おそらく短い期間で巨大化するので、カラダのあちこちに無理が生じるんだと思います。ですから、ブニョやサクラのサイズではなく、オタキサンのサイズなので、ちょっぴり安心です。

 それにしても、みんな、大きさが揃ってきて、水槽が窮屈に感じるようになってきました。

 大きさもそうなんですが、オタキサンとミドリが似てきたんですよ。

 本来、オタキサンはフナ色(飴色)のオランダ獅子頭で、ミドリは黒出目金ですから、全然違うはずなんですが、なんか体色がほぼ同じになってきました。オタキサンの明るいフナ色が濃くなってきたんですよ。それと呼応するかのようにミドリの漆黒の部分が薄くなって、濃い目の金色(つまりフナ色)になってきたんです。今では、体色に関しては、オタキサンとミドリはほぼ同じになりました。

 さらに大きさもほぼ同じだし、背格好も似ている(笑)。行動が不活発な点も似ています。もう、違うのは、目玉が飛び出しているかいないか…ぐらいです。なんなんでしょうね?

 ちなみに、オタキサンとミドリはおとなしい子ですが、残りのヤヨイ、ミカン、エナは元気いっぱい、いつも活発な子です。よく三匹+メダカで追っかけっこをしています。この三匹は、まだまだキャピキャピしているんですね。

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2015年9月11日 (金)

ご利用は計画的に

 フルートのレッスンに行ってきました。今回は私の前で受けている姐さまのレッスンが長引いていたので、久しぶりに先生と姐さまのデュエットを堪能させていただきました。至福至福。

 なので、ロングトーン練習も3人で始めたのですが、すぐに先生が「二人でやっていて!」と言って、教室を飛び出していってしまいました。仕方なし(笑)に二人でロングトーン練習をしていたら、練習が終わる頃に先生が戻ってきました。

 「どうしたんですか?」と尋ねると「いやあ、防虫剤を買ってきたんだよ。秋に向けて、衣装の交換をしていたら、あっちこっちに虫食いを見つけてね。衣装を虫に食われるなんて、なんか悔しいじゃない。だから防虫剤を買ってきたんだよ」との事です。ううむ、レッスン中に買い物に行っちゃうなんて、先生、フリーダム過ぎ(笑)。

 さて、エルステ・ユーブンゲンは12番と13番です。12番は、曲の両端部分は何とか暗譜を完了しましたが、中間部分がまだまだなので…不合格です。13番は暗譜そのものに着手していませんので、これまた当然不合格なのでした。それにしても、12番のスタッカートにせよ、13番のソフトスタッカートにせよ、毎度毎度吹き方を直されます。難しいです(汗)。

 プチ・エチュードの方は、新曲の12番です。いやあ、ほんと、この曲、難しい。この一週間、結構頑張って練習したんだけれど、ほぼ全くと言っていいくらいに吹けません。曲の難易度的には、この前の11番とほぼ同じぐらいなんだろうけれど、♯と♭の違いだけで、こんなに吹けなくなるって、やっぱり私は変だよなあ…。1小節ごとに怒鳴られていました。2分程度の短い曲なのに、通しで演奏するだけで、30分近くかかっちゃいました。いかに私がこの曲を苦手とするか分かるというものです(涙)。

 この12番では、BとHが混在しています。で、その混在箇所を親指をスライドさせて、ブリチャルディキーのon-offをして対応するという姑息な手段を使っていたら、先生にバレてしまって、烈火のごとく、叱られてしまいました。「ブリチャルディキーのon-offは、事前に計画を立てて、どこで押さえて、どこで外すかを決めておきなさい」って言われました。サラ金じゃないけれど「ご利用は計画的に」です。至極もっとも。以前にもそう教わっていたんですが…そこをいい加減に対応していたのがバレちゃったわけです。

 いい加減に対応していた…と言うと、中音Ebの左人差し指の処理をついつい、いい加減にしてしまう私ですが、こういうのは先生にはモロバレで、すぐさま怒鳴られます。「人差し指を開けるか開けないかで、音色も音程も変わるんだから、きちんとやりなさい!」っモンです。とにかく、12番は難しすぎです。

 さて、今回の雑談ですが「秋になりましたね。芸術の秋ですね」って事で、先生に「やっぱり、秋って、忙しいモンですか?」と単刀直入に尋ねてみました。

 「そりゃあ忙しいね。毎日毎日、地方に行って仕事だからね。特に、今度の連休は、仕事がビッシリ入っているんだよ」との事でした。忙しい事は良いことです。

 「やっぱり、音楽家って、春と秋が忙しくて、暑い夏や寒い冬は暇なんですか?」と尋ねたら「夏は避暑地で仕事をするから忙しいだよ」との答えでした。ああ、なるほど。

 「でも、最近は、どこの避暑地でも、音楽イベントに人が集まらなくてね~。こっちは客がいてもいなくてもギャラは同じだからいいんだけれど、あんまり人が来ないと、主催者が大変だよね。イベントって出演者が多いから、その分、普通のコンサートよりも支出も多いからね。だからたくさん集客しないとイケないのに、赤字のイベントもあるってチラホラ聞くしね…」 なるほど、呼び屋さんも大変なんだなあ。

 「冬は冬で、チラホラとコンサートをやるし…結局、毎日忙しいだよ」 なるほどなるほど。

 稼いだお金の使いみちに困っているH先生に「忙しいですか?」なんて尋ねるのは、野暮というものでした(ヘマったね:笑)。

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2015年9月10日 (木)

大切な事は、やっぱりシラを切ることだな

 先日、某テノール歌手のコンサートに行きました。もちろん、プロの方のです。

 コンサートそのものは、すっご~く良かったです。選曲は、私好みだし、声はビンビンに出ていて、カッコ良かったし…。私は、満足、大満足だったんです。

 で、コンサートが終わって、さっそくご挨拶&「すっごくよかったで~す」と言いに行こうとしたら、歌手さん、私の顔を見るなり「今日は、色々とやってしまいました(謝)」と言ってきたので、つい「私、全く気にしてません。だから、その件については何も言いません。それより、コンサート、すっごく良かったで~す」とご挨拶。

 後日、歌手さんからメールが届きました。内容は、コンサートに来てくれてありがとう。体調を整えられなくて申し訳ないって書いてました。

 ここまで読んで、一体何があったの? と思うでしょ? いやいや、別に大した事は起こってないんですよ。ただ、コンサート中でHi-Cを出す場面があったのだけれど、そこで失敗しちゃっただけです。テノールにはよくある事。Hi-Cなんて、プロ歌手でもたまに失敗するくらいの超高音なんですから、私は全然気にしてませんし、歌手さんも、Hi-Cに失敗しても、その後、何事もなかったように歌ってましたしね。むしろ私は、コンサートのメニューに、Hi-Cなんて言う、スープラ・アクートな曲を入れる必要は全くないのに、毎回毎回、必ず一曲はスープラ・アクートな曲を入れる勇気に感心していたくらいです。

 それに、そんなに有名な曲ではなかったので、あそこでHi-Cが出てくるなんて、たぶん、テノールじゃなきゃ知らないです。だから、アレはアレで終わったんです。

 でも、本人は、すっご~く気に病んでいるんだなって思いました。だって、彼の失敗に確実に気づいているのは、共演者以外だと、たぶん私だけ(笑)だから。あの場に(アマチュアとは言え)私しかテノール歌手はいないからね。

 おそらく、他の人は、Hi-Cに失敗した事すら気づいてないよ。妻ですら「曲の途中で、なんかノドに引っかかったみたいだねえ」としか思ってなかったもの。実はあそこが、テノールにとっての鬼門の箇所なんだよ~って気づいてないもの。

 …ってか、気づかせないように、上手にリカバーしていた…というか、シラを切っていたんです。見事に失敗していた事など、微塵も感じさせずに舞台を勤めていたわけで「さすが、プロだな…」と思って見ていたくらいですからね。

 …それが肝心なんだ…と私は思った次第です。

 コンサートなんてナマモノですからね。当然、失敗とかウッカリとか色々あるんです。完璧に修正されたCDを再生しているわけじゃないんですからね。問題は、失敗をしてしまった時に、演奏者が動揺したり、慌てたりすると、観客の方だって「むむ? 何かしたの」って気付くわけだし、それに気付くと、今まで音楽に集中していた耳から集中が外れて、歌手の一挙一動が気になってくるわけです。歌ではなく、歌手に注目が集まるようでは、そのパフォーマンスは失敗です。だから、歌唱の失敗は仕方ないにせよ、パフォーマンスとしての失敗は回避しないといけません。

 だから、Hi-Cを失敗しても、シラを切らなきゃいけないし、そのシラの切り方が実に見事で、私以外の人には失敗に気付かれなかった事は、さすがだなって感心したわけです。

 私も、ああいうシラの切り方を身につけないとなあ…。ほんと、そう思いました。それに、Hi-C以外は、本当に見事な歌唱だったんですよ。

 それにテノール歌手のミスなんて、かわいいものです。ピアニストなんて、どんなピアニストでも、コンサートってなると、バンバン、ミスタッチしているものね。まあ、ミスタッチをしても、それが演奏に影響しなきゃいいわけだし、最低、客にバレなきゃいいわけです。たまに、コンサートに楽譜を持ち込んで、しっかりチェックしながら聞いている客もいて、そういう客にはモロバレだろうけれど、そういう人って、ごく少数だからね(でも必ずいますし、たいてい女性客なんですよね)。

 ミスはしても、バレなきゃOK。それより大切なことは、客に感動を与えること。私はそう思います。

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2015年9月 9日 (水)

フルトヴェングラーは、傾聴すべき指揮者なのか?

 フルトヴェングラーとは、20世紀前半に活躍したドイツの指揮者であり、ベートーヴェンから始まるドイツロマン派の音楽を得意とした指揮者です。日本にも多くのファンがいて、戦前~戦後に活躍したモノラルLP時代の音楽家にも関わらず、未だに復刻されたCDが現役盤として発売されているし、彼に関する著作も書店でたくさん見かけます。

 私も彼の演奏を録音したCDは複数枚所持しています。当然、かの有名な『バイロイトの第九』も持っているし、時折クリックしては聞き返します(iTunesに入れているので“クリック”ね)。聞き返すたびに「すげえなー」とは思いますが、じゃあ、これが第九のベストな録音かと言えば「それは違う」と思うし「第九を一枚だけ選びなさい」と言われたら、絶対にこの演奏は選ばないと思う。

 つまり、私にとっては、フルトヴェングラーは、すごい指揮者だけれど、あくまでも One of them な指揮者であって、世の中で持ち上げているような、唯一無二の指揮者には思えません。

 でもね~、そんな事を書くと、おそらくパソコンやスマホの画面の向こうでギリギリしている方々が大勢いらっしゃる…ような気がします。

 フルトヴェングラーこそがナンバーワン指揮者であり、時代を超えた存在であり、昔も今も光り輝く音楽家である…と信じている人が大勢いる事を、私は知っていますし、そんな方々の前で「フルトヴェングラー? 悪くないけれどサ~」なんて言うものなら、粛清されかねません。

 で、今回は粛清覚悟で、あえてこのネタに手を突っ込んでいるわけなんです。

 フルトヴェングラーって、そんなにすごい指揮者なの? とりあえず音源を聞いてみましょうか? YouTubeに、バイロイトの第九が落ちていたので、貼ってみました。1時間15分ほどありますので、聞く時は覚悟を決めてから聞いてみてください(笑)。

 さて、私はフルトヴェングラーについて語りますが、その際、フルトヴェングラーのクラシック音楽界における、歴史的な重要性とかは、あえて無視しています(実はその部分については認めていますよ)。21世紀の今を生きる、現役の音楽ファンである私個人から見た、フルトヴェングラーの演奏のすごさについて考えてみたいのです。

 まず、私にとって、フルトヴェングラーは過去の人です。歴史上の人物です。録音は聞きますが、生演奏を聞くわけにはいかない演奏家です。また、その録音も、昔のモノラル録音であって、現代人の耳で聞けば、音質的には問題外だし、その演奏スタイルも、あざといほどにおおげさで、なにやら時代がかった古めかしいモノでしかありません。オーケストラの演奏技術も今とはちょっと比較になりませんし、代表盤の多くがライブ録音という事もあって、その演奏や録音のあっちこっちに瑕疵があります。

 つまり、客観的に考えるならば『わざわざ聞く価値はない』とも言えます。実際、純粋にクラシック音楽を楽しみたいのならば、最近の指揮者による演奏の方が全然良い、と言えるでしょう。とにかく、フルトヴェングラーは音が悪くて、演奏だって古くてアクが強いんです。

 同じ年代に活躍した指揮者なのに、ワルターは録音状態の良い音源がたくさん残されていますし、演奏のスタイルも今の時代に通じるモノがあり、若者にも気軽に薦められる指揮者ですが、フルトヴェングラーは、薦めるのにちょっと勇気がいる指揮者です。いっそトスカニーニのように、彼らと同時代に活躍したにも関わらず、復刻盤の入手が難しくて、今の若い人が間違って手に取ることがないような指揮者ならともかく、フルトヴェングラーのCDは、普通に購入出来るだけに厄介なんです。

 クラシック初心者の若者が、うっかりフルトヴェングラーのCDを手にして、それでクラシック音楽を嫌いになったら…ちょっと嫌だな…って思うわけです。

 ですから「フルトヴェングラーは、傾聴すべき指揮者なのか?」と尋ねられたら「蓼食う虫も好き好き…と言いますからね。お好きな方には“傾聴すべき指揮者の一人”でしょうが、一般的な価値観で言えば“有名な、昔の指揮者の一人”です。別に無理に聞かなくても平気だよ」と答えます(ごめんなさい)。

 と、いう私なのですが、それでもたまに(年に1度あるかどうか)だけれど、フルトヴェングラーの演奏を聞きたくなって聞きます。この感覚は何なんでしょうね?

 彼の演奏って、そのスタイルがあまりに古すぎて、それを引き継いでいる現役の指揮者って…たぶんいないんじゃないかな? あえて言えば、少し前に死んじゃった、カルロス・クライバーが近いタイプかもしれません。そういう意味では、フルトヴェングラーって、天上天下唯我独尊な指揮者である事は間違いないし、今となっては、オンリーワンな音楽家なんだと思います。でなければ、こんな古い録音、店頭にCDが並んでいるわけないしね。

 たぶん、私、フルトヴェングラーの演奏スタイルが好きなんだと思う。あの、いかにもやり過ぎた感のある、今の指揮者コンクールならば予選すら通過しないような恣意的な演奏が好きなんだと思う。だって、ある意味、フルトヴェングラーって無茶苦茶な演奏するでしょ? あの、ぶっ壊れた感覚が、私の心の琴線に響くのかもしれません。

 まあ、作曲家よりも演奏家の方が偉いんだ!…と思って演奏しているのは、間違いないと思うし、楽譜は不十分で不完全だから、それを俺様が補って、より良い音楽に昇華させてみせるぜぇ!って思ってそう…。そういう考え方、私は決して嫌いじゃないですよ。ただ、そういう音楽の楽しみ方は、マニアのそれなんだよね。

 そういう意味では、フルトヴェングラーの演奏って、マニア向けの演奏であって、一般の音楽ファンとか、教養として音楽を嗜む人には向かないし、ましてや教育現場ではありえない音楽家なんだと思います。

 今となっては“枠に収まりきれない音楽家”って事なんだと思います。

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2015年9月 8日 (火)

メト・ライブビューイングで「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」を見てきました

 先日、毎年恒例、お盆以降に銀座築地の東劇で行われている、メトロポリタン歌劇場ライブビューイングのアンコール上映で「エンチャンテッド・アイランド 魔法の島」を見てきました。これは、いわゆる新作オペラで、上映当時から見に行きたかったのに仕事で行けなかった奴なんです。その年のアンコール上映も日が合わず、その後は上映されなかったので、半ばあきらめていたのです。何しろDVDは日本未発売ですから、簡単に見ることができないんです。それが、今年のアンコール上映作品の中に入っていたので、頑張って見てきました。

 2011年のシーズンの上映作品で、作曲家は誰かと言うと…ヘンデルと、ヴィヴァルディと、ラモーと、その他(笑)。つまり、バロックオペラの中から、曲を選んで、それらを組み合わせて一つの作品を作ってしまいましょうっていう手法(これをパスティーシュというそうです)で作ったオペラなんです。つまり、音楽的には「バロック名曲オペラ」って感じかな? なので、音楽的には『捨て曲無し』って事ですね。

 ちなみに「どんな曲が使われているの?」と思った方がいらっしゃいましたから、曲目リストが掲載されている、こちらのページをご覧ください。ほんと、色々な曲が使われています。

 で、ストーリーの方は、シェークスピアの『テンペスト』と『真夏の夜の夢』を足して3で割って、欠けた部分に21世紀風味のオリジナルを加えて1にしました…って感じに仕上がっています。なので、ストーリーの方も、オペラのくせして、結構面白く仕上がっていました。

 曲良し、ストーリー良しの上に、演奏者もなかなか良かったです。

 シコラクス(孤島の魔女)…ジョイス・ディドナート(メゾソプラノ)
 プロスペロー(流罪の魔法使い)…デイヴィッド・ダニエル(カウンターテナー)
 ネプチューン(海神)…プラシド・ドミンゴ(テノール)
 アリエル(妖精)…ダニエル・ドゥニース(ソプラノ)
 キャリバン(魔女の息子で怪物)…ルカ・ピザローニ(バリトン)
 ミランダ(魔法使いの娘)…リゼット・オロペーザ(ソプラノ)
 フェルディナンド(王子)…アンソニー・ロス・コンタンゾ(カウンターテナー)
 ヘレナ(漂流した恋人たちの一人)…レイラ・クレア(ソプラノ)
 ハーミア(漂流した恋人たちの一人)…エリザベス・デション(メゾソプラノ)
 ディミートリアス(漂流した恋人たちの一人)…ポール・アップルビー(テノール)
 ライサンダー(漂流した恋人たちの一人)エリオット・メイドア(バリトン)

 結構な大物とか、現在売り出し中の歌手とか、かなり揃えています。まあ、ライブビューイングで世界配信をした新作ですから、メトもかなりの力が入っているようです。

 歌唱は英語でした。とは言え、バロックのメロディに乗せてしまうので、そんなに聴きやすい英語でもなく、ミュージカルとは印象がだいぶ違います。意味的には、やはり字幕を頼りにせざるをえませんが、それでもやはり、英語歌唱なので、日本語オペラに通じる“こっ恥ずかしさ”はぬぐえません。そこが気になる人には気になるかな?

 台本作家のジェレミー・サムズが言っていたように「(ミュージカルの)マンマ・ミアの逆バージョン」というのも納得です。『マンマ・ミア』は誰もが知っているアバのヒットソングを使用して、そこに新作の物語を載せてミュージカルを作ったわけです。今回の『エンチャンテッド・アイランド 魔法の島』は、誰もが知っている『テンペスト』とか『真夏の夜の夢』を元ネタにして、余り有名ではない(けれど名)曲を並べて作ったオペラなわけです。台本・音楽ともに純粋な新作オペラよりも、コケる心配はだいぶ少ないわけです。

 後は演奏者さえ揃えば良いわけですし、今回はなかなか揃っていたと思います。

 私の感想を書くと…オペラと言えども、アメリカ人好みのハッピーエンド系の音楽劇って感じかな? ミュージカルとは全然違いますが、だからと言って“オペラ”と思わなくてもいいと思います。バロックオペラっぽいエンタメ作品です。ただし、家族向けかというと、そこはちょっと違います。元ネタの一つが「真夏の夜の夢」ですから、決して子ども向けではありませんし、2幕にあるバレエシーンも、かなり下品です。

 とにかく、ドミンゴの客受けがスゴイです。まさに神様登場って感じで、ほんと、はまり役です。ドミンゴの登場するシーンだけ、他のパートよりも室温高めですからね。特に第1幕のシーンなんて、ここだけ別のオペラみたい(笑)。

 登場する度に若返っていくディドナートなんて、最後はほぼ“美空ひばり状態”になってましたし、妖精アリエルを演じていたドゥニースは、オペラ歌手としても見事な歌唱(時折“雑”になってましたが)を聞かせてくれましたが、それよりも何よりも演技が実に見事でした。これだけ歌って演じる事のできる歌手は、なかなかいないですよぉ。

 演じると言うと、怪物キャリバンを演じたピザローニの演技がスゴかった。もちろん自分の歌もあるけれど、自分は歌わずに、黙役として、ただ演技だけをする部分もたくさんあったのだけれど、それがまた良いんです。この人も、歌って演じる事のできる歌手なんだな。

 個人的に残念なのは、プロスペローを歌ったダニエル。たぶん、バロック劇だから、主役の一人であるプロスペローをカウンターテナーのダニエルに振ったんだろうけれど、やはりこの役は、今の21世紀の観客の感覚では、カウンターテナーの役ではなく、バスの役だと思います。そういう意味では、ダニエルではミスキャスト…かな? なので、私はダニエルがクチを開いて歌う度にガッカリ致しました。オッサンの外見なのに、声はかわいい女の子なんだもの、まさにゲテモノだよね。21世紀では、かなり厳しいです。怪物役ならともかく、魔法使いとは言え、普通の人間なんだよね、プロスペローってサ。

 でも、王子様は、カウンターテナーでよかったと思います。カウンターテナーが王子様を歌うことで、王子様の気品さがうまく表現されていたと思うし、そもそも王子様って存在は非日常の存在だから、これはこれでアリです。それに、我々日本人にとっては、王子様の声が、非現実的に甲高いのも、宝塚っぽいノリにもなって、グッドでした。逆に、この役を仮にテノールが歌っていたら、なんとも生々しい感じになってしまって、ファンタジー色が薄くなっていたと思います。

 すでにこのオペラのアンコール上映での上演も終了しているので、次にこのオペラを見れるのはいつのことになるのか、私にも分かりませんが、チャンスがあって時間があるようなら、ぜひ見ると面白いと思います。

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2015年9月 7日 (月)

これ、すごく気になる…だんぼっち

 皆さんは、音楽の練習をどこでなさっていますか? 基本的に音楽の練習というのは、毎日毎日行うものですから、演奏団体に所属していて、きちんとした練習場が用意されている方とか、自宅に防音設備のしっかりした練習室をお持ちの方は良いのですが、そうでない人は、色々と大変だと思いますし、オトナの趣味人で音楽をやっている方の大半は、日々の練習場に苦労されていらっしゃると思います。

 地方の戸建てにお住まいで、隣近所とは、それなりに距離のある家に住まわれていらっしゃるとか、私のように住宅密集地に住んでいても、防音仕様の戸建てに住んでいるような方とか、マンションなどで最初っから防音仕様で作られている部屋にお住まいの方などは、まあなんとかなるでしょう。もちろん、リフォームされる時に防音室を作っちゃうという恵まれた方は、完璧ですね。

 問題は、防音仕様の造りではない家に住まわれていらっしゃる方ですね。特に集合住宅の場合は、隣の話し声も聞こえちゃうようなところもあるそうですから、そんな環境で音楽の練習をするわけにはいきませんし、戸建て住宅だって、この季節だと窓開けっぱなしのところも多く、音なんて筒抜け状態のところも多くあります。

 音楽練習も一回や二回の事なら、日頃からの人間関係で勘弁してもらえますが、日々毎日、それもそれなりの長時間、頻繁に繰り返されるわけでしょ。それもCDの演奏かと間違えられるような、美しくて素敵な演奏だったらまだしも、練習過程で音程も音色もリズムも不安定な演奏で、うまくいかない所ばかりを繰り返して聞かされたら…そりゃあ文句の一つも出ますし、実際には面と向かって言われなくても、こちらが気に病んでしまうものです。

 これが大正琴やギターのように、元々の音量が小さいな楽器なら問題はありません。ヴァイオリンや三味線のように、弱音器があるモノなら弱音器を使用すれば、音色が多少変わってしまいますが、まあ、フィンガリングを中心とする練習ができないでもありません。

 最近では“サイレント○○”と言って、弦楽器や管楽器を中心に、ミュートの働きもする弱音器がありますし、ピアノなんかもサイレントピアノがあります。サックスなどはケース型のミュートがあります。電子楽器なら、ヘッドホーンをプラグインすれば何の問題もありません。

 しかし、フルートやクラリネットなどの木管楽器には、弱音器も消音器もありませんし、当然ですが、声を使う声楽に、弱音器なんてあるはずありません。私のように、フルートや声楽を学ぶものは、日々、練習音を垂れ流しで練習するしかありません。

 それに対する処置は、出張練習か防音工事しかありません。

 出張練習…いわゆる音楽スタジオを借りて練習するわけですが、多くの趣味人の方々は、カラオケボックスを利用されるケースが多いようです。カラオケボックスなら、どんなに大音量で練習しても大丈夫ですし、たまに使用するくらいなら何とかなるでしょうが、これが連日となると、かなり費用もかかるわけです。

 それだけ費用がかかるなら、いっそ自宅に防音室をレンタルする手もありますが…防音室をレンタルすると、防音室って結構場所塞ぎですから、家が広ければ問題ありませんが、一般的に言って日本人って、そんなに住空間に余裕がない方が多いですから、それもなかな難しいわけです。

 居室に防音工事を施す…これがベストなチョイスでしょうが、それこそリフォームのチャンスがあれば、“モノのついで”って事もあるでしょうが、それがなければ、なかなかそうも簡単に参りません。

 ほんと、手の打ちようがありません、困ったもんです。「フルートとか声楽とかを学ぶ人間は、防音工事をするしか手がないのかな…」と思ったものです。我が家も、通り一遍の防音処置はしてありますが、もう少しランクの高い防音処置をしておけば良かったなあと、ちょっと後悔しております。何か、簡易な弱音器があれば、いいのになあ…と思っていたものです。

 で、先日、たまにコメントをくださるCuniCoさんのブログ(CuniCoの徒然)を見ていて、とても気になるものを見つけました。それはこれです。

 これは何かというと、組み立て式の簡易防音室“だんぼっち”という製品です。これの良いところは、まず安価である事。それに組み立て式ですから、使う時だけ組み立てて、使わない時は片付けられる省スペース設計である事。いいね。欠点は、空調設備がないので、長時間の使用には向かない事。あまりに省スペースなので、閉所恐怖症の人には向かない事。簡易防音室ですから、楽器で言えば“消音器”のようなものなので、過度な期待をすると裏切られる事…くらいかな? 割と良いんじゃないですか?

 ううむ、試してみたいなあ…。防音処置をしてある我が家に、これがあれば、家族が寝静まった真夜中でも歌の練習が出来るんじゃないかなあ…。ああ、ちょびっと欲しいかも。

 でもね、ダンボール製なんだよね。100Kgを越える私が使用しても、潰れないかしら? 実はそこが一番の心配だったりして…。ああ、試してみたい試してみたい。

 すっごく気になります、だんぼっち。

 そう言えば、以前、妻に「防音室が欲しいんだよ。そうすれば、夜中でも気兼ねなく音楽の練習ができるからね、いいでしょ」とおねだりした事があります。その時の妻の答えは「ダメ。そんなモノがあったら、あなた、防音室から一歩も出てこなくなるから…」だそうです。ううむ、だんぼっちを買って下さい…とはお願いしづらいなあ。でも、気になる気になる。

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2015年9月 6日 (日)

アベ政治を許さない…そうです

 先日、駅前で「アベ政治を許さない」と書かれたチラシを持って、大声で叫んでいる老人の方々をたくさん見かけました。

 我が国では、自由に自分の意見を表明する事が許されているわけだし、政治的な行動であっても、現地の警察の許可を取って行う分には全く問題はありません。民主主義で自由主義な我が国日本ですから、そういった政治活動を行う事自体は良いのですが、私が気になったのは、その場で使われている言葉たちです。

 まず最初に気になったのは、老人たちが持っていた「アベ政治を許さない」というチラシの文言です。

 気になった…と言うよりも、はっきり言っちゃえば「違和感を感じた」というべきでしょう。

 どの部分に違和感を感じたのかと言えば、まずは“許さない”という部分です。

 この“許さない”って言葉、何となく“上から目線”を感じます。なんか、見下されているような、イヤな気分になる言葉です。エラそう…なんですよね。なんか“許さない”って言われると、上から命令されているような気分にすらなります。『政治的な主張をしている』と言うよりも『我々の命令がきけないとでも言うのか!』と叱られているような気さえします。道を歩いていたら、見知らぬジイサンに、いきなり怒鳴られたような、なんとも不可思議で、イヤな感じを受けたんです。

 語感の問題ですが、言葉の使い方として、はなはだ適切ではない使い方だと思います。

 さらに思う事は“許さない”って何?って事です。

 “許さない”という表現はもちろん“許す”という動詞に否定を表す“~ない”をつけた言葉です。

 “許す”という言葉には色々な意味があります。漢和辞典から調べた代表的な意味を列記すると、以下の様な感じになります。

1)他人の願いを聞き入れる。承諾する。許可する。
2)そのとおりだと認める。同意する。信じる。
3)任せる。託す。あずける。
4)あてにする。期待する。
5)(女性が)婚約する。縁組する。

 おそらく、この文言を書いた方は、2)の「認める」、あるいは3)の「託す」あたりの意味で使ったんだろうなあって推測します…が、それでも、どこか、この言葉には違和感を感じるんです。

 というのも、いくら言葉の意味が分かっても「“許さない”って何?」って思ってしまうからです。

 「アベ政治を許さない」と言ったって、その“安倍内閣”を作ったのは私たちでしょ? 前回の衆議院選挙(2014年12月投票)で自民党を勝たせて、第二次安倍改造内閣を作らせたのは私たちでしょ?

 「私は自民党には投票をしていない!」

 あの老人方は、きっとそう言うと思いますし、おそらくあの人たちは、違う党に投票したか、あるいは投票自体をしなかったんだろうと思います。

 でも、私は老人の皆さん方に言いたいです。確かにあなた方は自民党に投票していないのでしょうが、あなた方以外の多くの日本人が自民党に投票し、その結果、衆議院議員の過半数を自民党や連立仲間の公明党所属の政治家さんが占めるようになり、彼らの中で相談をした結果「次の総理も、引き続き安倍総理にお願いしよう」と決めたから、今、安倍さんが総理大臣をやっているわけでしょ…と。

 で、こういうやり方がいわゆる“間接民主制”であり“議会制民主主義”って奴じゃないの? 選挙の結果が、自分たちの主張とは違っていたとしても、そういう手続で決めたんだから、それを唯々諾々と承認し、次の選挙までの政治を彼らに任せるのが、民主主義国家の国民である我々の責務って奴だし、守るべきルールってモンでしょ。で、今回の選挙結果が気に入らなけりゃ、次の選挙でひっくり返せばいいだけの話です。

 だから本来なら、「アベ政治を許さない」ではなく「選挙に行こう、○○党/○○さんに投票しよう」と訴えるべき事でしょう。なんか、やっている事のピントがズレていて、違和感を感じます。

 今回の一連の安保関連法案反対のデモとか政治集会とか、全国で何人ほどの動員があったかは知らないけれど、9月30日の国会前のデモが、一番大きなデモだと聞きます。で、そこに集まった人たちは約3万人超だという警察発表がありました。日本各地で行われている各種政治集会などを合わせても、日本全国でデモに加わった人の実数って、5万人いるかどうかって人数でしょ? 日本の人口は、1億3千万人ほどだから、デモ参加者は人口の0.04%程度の少数でしょ? デモに参加していない人は、99.96%もいるわけです。もしも、そんな少数者のゴリ押しが通り、サイレントマジョリティーの意見が押しのけられるなら、それって絶対におかしいよ。

 少数者の意見に耳を傾け、尊重する事は大切です。しかし、少数者の大声とか、暴力とか、騒乱とかで、世の中が変わるのは、絶対におかしいですし、変えてはいけません。世の中を変えるなら、きちんと選挙を通じて、我々の意見を代弁する代表者を選んで、変えるべきなんです。

 私は民主党に投票した事って無いけれど、2009年9月から2012年12月までの3年3ヶ月の間は、民主党が我が国の政権を担っていたわけで、それに対して、私はブツブツ文句を言っていたけれど、彼らが政治の任にあたる事自体は(仕方がないので)認めていました。だって、私は、この政党による国政が、個人的には気に入らなかったけれど、選挙を経て作られた政権ですからね。イヤだけれど、認めるしかないじゃない?

 で、一度は選挙に勝って、国政を引き受けた民主党だったけれど、そのあまりのグダグダな政治に国民が呆れてしまったので、次の選挙では、民主党に投票する人が減り、民主党が政権政党でなくなったわけです。つまり、国政を担う人々の事が気に入らなければ、次の選挙で負かせばいいだけの話で、こうやって国民が国政に参加できるのが、民主主義国家の良いところです。

 だから、自分が自民党に投票していないからと言って、選挙で決まった自民党政権から出てきた安倍総理を許さないってのは、民主主義政治のルールから逸脱しているわけで、民主主義を否定しているわけで、そりゃあ21世紀に生きる日本人として、ダメでしょ。

 「いやいや、次の選挙を待っていたら、間に合わないんだ!」 なぜ?

 今回の安倍内閣は、2回目の内閣だよ。安倍総理が最初に総理大臣になったのは、2012年12月に行われた衆議院選挙で自民党が勝ったからだけれど、安倍総理のやり方が気に入らなければ、次の2014年12月(ついこの前じゃん)に行われた衆議院選挙で自民党を負かせば、よかったんです。だいたい、この時の選挙で、しっかり“集団的自衛権”とか“安全保障”とかは、争点にあがっていたじゃないの? 

 安倍総理の事が気に入らなきゃ、ここで落とせば、よかったんです。チャンスはきちんと用意されていたんです。

 でも、この時も自民党が選挙に勝利して、再び安倍総理になったわけで、二度も選挙で勝って、日本人が政治を信託した政党の総理大臣に、許すとか許さないとか…そりゃあ、民主主義国家の国民として、本当の本当に、言っちゃダメな事でしょ。違和感、バリバリです。

 言っちゃダメ…と言えば、彼らがチラシをかざしながら、叫んでいた事にも違和感を感じます。

 「戦争法案(って、安全保障関連法案の事だよね、言葉は正しく使って欲しいなあ…)反対」にせよ、「子どもたちを戦争に行かせるな」と叫んでいる事にせよ、その内容に誤解があるし、悪意も感じるし、中身をよく知らない一般の人たちをミスリードする意図がある事も分かるし、聞いていてイヤだなとは思うけれど、デモの戦略としては分かるし、そんな嘘八百で騙されてしまう国民ばかりなら、日本という国も、それまでだと思うよ。だから、それに関しては、仕方ないなあ…と思うだけで、文句を言うつもりはありません。

 ただ、安全保障関連法案を批判するばかりで、中国が我が国に対して、実際に軍事的威嚇をしている事を、全く言わないのは、実に卑怯なやり口だと思いますし、それは利敵行為であるとも考えます。

 実際、日本を侵略する立場の中国と、何でも日本にケチをつけて反対する韓国以外の、世界の諸国は、今回の安保関連法案に関しては、賛成または支持を表明しているわけです。

 反対派の人々が言っているように、確かに安保関連法案は憲法違反かもしれません(個人的には憲法違反だと思ってますよ)。でも、世界の常識、グローバルスタンダードから見れば、安保関連法案は常識的な法案だし、必要な法案なのです。つまり、現実を見て発言するならば、安保関連法案について反対するのは全く非常識な行動であって、憲法違反だと訴えるのなら、憲法を現実社会に適するように、むしろ憲法改正のために行動を起こさないといけないのだろうと思います。

 閑話休題。政治的な主張を声高に叫ぶのは良しとしても、それらの文言以外に、あの老人の方々は、口々に、安倍総理に向かって「お前は人間じゃなーい!」とか「嘘つき!」とか「バカか、お前は!」とか叫んでいるんですよ。あるいは、安倍総理の顔写真に、ヤギの角を生やしたり、☓を書いてみたりする図案も見かけます。

 安倍総理は、総理大臣として、内閣の一員として働いているだけで、あくまでも、立場としては“組織の中の一人”であって、独裁者でもなければ、彼が何もかも決めているわけじゃないのに、なぜ彼らは、安倍総理に対して、個人攻撃をするの? なぜ人格を攻撃するの? なぜ侮辱するの? 一国の総理大臣相手に、そんな暴言を吐いていいの?

 政治的主張を述べる事と、他人を侮辱し軽蔑し見下す事は、全くの別物だよ。だから、違和感を感じるわけです。

 日本人が中国とか韓国とかに行って、往来で声高に、習近平さんやパク・クネさんの事を侮辱したら、即逮捕監禁でしょ。ヘタすると死刑になっちゃうかもしれない。なのに、なんで、この人たちは、堂々で安倍総理を侮辱するんだろ? きちんとした手続きに則って選ばれた、私たちの総理大臣に向かって暴言を吐くってのは、我々日本人の選挙結果に対して、つまり我々日本人の選択に対して暴言を吐いているわけでしょ? 私は、そこに強い違和感を感じるんですよ。

 なんで平気で、自分たちの選挙の結果から選ばれた人の悪口を言えるんだろ? その無神経さと無責任さに、違和感を感じるのです。政権批判をするにしても、もっとスマートなやり方があるだろうに…と思うわけです。

 さらに言うなら、なぜ“安倍”という正しい漢字表記ではなく“アベ”というカタカナ表記なのかな? 我が国の首相は“アベ総理”ではなく“安倍総理”だし、各種報道とかでも“安倍総理”でしょ? 日本人なら、誰であっても“安倍”ぐらい読める漢字じゃないの? なのに、なぜ、彼らのチラシではカタカナ表記なの? 難しい漢字じゃないんだから、人名表記は正しい表記にしないと失礼にあたるんじゃないのかな? そこにも強い違和感を感じます。

 それに、こんな簡単な漢字ですら、カタカナ表記にする点自体にも違和感を感じます。平均的な日本人には、こんな簡単な漢字も読めないって思われているのかな? なんか、馬鹿にされているような気がします。

 そんな違和感だらけの政治的な集会/デモ行動だから、たとえその内容が正しくても、理性で判断する前に、感情で拒否をしたくなります。私の魂が「この人たちの事を信じちゃいけない」って叫んでいるような気がするのです。

 政治集会であれ、デモ活動であれ、その手の活動に関して(たとえ私の主義主張と反していても)めくじらを立てる私ではありません。いやむしろ、私だって「戦争反対」だし「平和を守る」ことには、大賛成ですし、アメリカの戦争に巻き込まれるのはごめんです。

 しかし、あれこれ違和感を感じさせるようなデモを繰り返していると、私を始めとする一般の国民はひいてしまうんだよね。例えば、SEALsだって、最初こそは注目を集めて喝采も浴びていたけれど、今じゃ彼らを見ている世間の目は、決して優しくないよ。むしろだんだん世間の目も、彼らを“痛い人”“かわいそうな子”として見るように変わってきた事を、当人たちは感じているのかな?って思います。

 どんなに立派な主張であっても、その言葉や態度や行動が原因で、一般市民から距離を置かれるようになったら、その運動は成功とは言えないよね。外国では有効な手段であっても、日本には日本のやり方があるわけだから、その点はよく考えないといけないのだけれど。

 日本人って、下品な事が嫌いだからね。

 郷に入れば郷に従え…日本人なら、そんな事、常識だし、黙っていたって、うまくやるのに…。この人たちは、そこんところがダメなんだよね。彼らのやっている事は、中国の官製反日デモの手法とほぼ同じ。安全保障関連法案に対する反対運動を影であやつっている人って、一体、どんな人たちなんだろうねえ?

 選挙の無い国なら、デモも必要だろうけれど、民主主義国家ならば、デモの前に選挙でしょう。民意はデモではなく、選挙で表すものです。それがルールです。それがジャパニーズ・クオリティです。

結論 政治を変えようと思ったら、選挙に行って投票するのが、正しいやり方です。それを、今回のように、選挙の争点になっていた事に関して、選挙後にあれこれ言って蒸し返すのは、民主主義の否定であり、駄々っ子のわがままにしか聞こえません。オトナのやる事じゃないよ。

結論の結論 デモをする前に、選挙に行け!

今回のデモについて考えるべきポイント
 今回の安全保障関連法案が廃案になると、誰が利益を得るのか?
 あのデモの人たちは、誰の手のひらの上で踊っているのか?
 中国のバブルはハジけた。国の経済を一挙に立て直す、とても簡単な方法は何?
 日本は1億人を超える国民がいる。数十万人という数は、ごくごく少数。
 テレビや新聞の報道では、多数を占める賛成派の意見が報道されないのは、なぜ?

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2015年9月 5日 (土)

入院させました

 …誰を? ミカンを…です。素赤オランダ獅子頭のミカンを入院させました。

 理由ですか? はい、メダカにやたらと突っつかれるからです。メダカに突っつかれるので、避難のための入院をさせました。

 と言うのも、やたらめったらメダカに突っつかれているために、ミカンはだいぶストレスが溜まっているようで、ストレス解消のためでしょうか? 他の金魚たちに、いらないちょっかいを出して、憂さ晴らしをしているんですよ。いじめられるストレスを、他の子をいじめることで解消しているんですね、まったく。危険人物なんです。ですから、隔離です。

 じゃあ、なぜミカンがメダカに突っつかれるのか…ミカンをよく見てみると、ちょっと尾ビレなどが白くなっているんですよ。どうやら細菌性の感染症にかかっているようです。それで、感染症のためにミカンのカラダからにじみ出た体液(まあ、ほぼ膿…つまりタンパク質…ですね)を食べるために、メダカがミカンを突っついているようなのです。

 つまり、今のミカンは、メダカから見れば、回転寿司のレーンのようなもので、そのレーンの上にあるお寿司(膿)をメダカがいただいている…という事になります。

 まあ、夏は暑かったですからね、ストレスがたまって、ミカンが細菌性の感染症に罹患しても不思議はありません。

 今回はメダカに拍手です。だって、そんな小さな病変、人間ではなかなか気づきません。メダカはミカンを突っつくことで「この子は病気ですよ」と知らせてくれたわけですからね。

 とりあえず、ミカンは入院です。隔離ついでに、塩と抗生物質とメチレンブルーの溶け込んだ、強い薬液に丸1日漬け込みました。強い薬液なので、1日がせいぜいだと思います。

 退院後は、ひとまず安穏としております。ただ、金魚も夏バテの出るこの時期での入院治療ですから、養生が大切です。毎年思うのですが、金魚たち全員が無事に夏を越すことを願っている。今年こそ…といつも思うし、今年も当然そう願っているわけです。なんとかミカンも健康を取り戻して、今のメンバーでお正月を迎えたいと願ってます。

蛇足 ウチの金魚たちは、オタキサンとミドリが黒系金魚で、ヤヨイとエナが白系金魚で、唯一ミカンだけが赤系金魚なんです。その赤系のミカンが入院してしまうと、途端に水槽が地味になります。まるで葬式みたい(笑)。だって、水槽の中が白と黒なんだもん。やっぱり、赤い金魚って大切なんだな。

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2015年9月 4日 (金)

何でも#(シャープ)に聞こえてしまうそうです

 フルートのレッスンに行ってきました。

 フルートの組み立てをしても、まだ先生がお教室に入って来られなかったので、なんとなくフルートのチューニングをしていたところ、先生が入ってきて「そんなに、息を押し付けて吹くものじゃありません」と言われました。

 どうも、チューナーを机に置いて、立ち上がって下を見つめながらフルートを吹いていたのがダメみたいです。そこで、チューナーを右手で持って、目の高さに掲げながら吹いてみたら「そうそう、そんな感じでやさしく吹くんですよ」と言われました。

 私の場合、フルートを吹く時は、下を向いてはダメみたいです。まっすぐか、むしろ上を向いて吹いた方が良さそうです…が、フルートを構えていると、楽器の重さとか、譜面台の高さとかの都合もあって、どうしてもうつむき加減でフルートを吹いてしまうのですが、それはやはり止めた方が良さそうです。

 チャチャっとチューニングをして、上を向きながら、先生とロングトーン練習です。バッチリ音程が合います。うむ、うむ。

 エルステ・ユーブンゲンは12番と13番です。新曲ですから、当然、暗譜なんて出来ているわけないから、両方共、次週に持ち越しです。12番は、スタッカートの甘さを指摘され(汗)、13番はソフトスタッカートの吹き方を間違えて、怒鳴られる。いやあ、以前にもソフトスタッカートの吹き方を習ったのに、すっかり忘れて、普通にスタッカートで吹いちゃったもんだから(マジで)激怒されちゃったよ、とほほ。

 プチ・エチュードは11番ですが、ブレスの位置に細心の注意を払って吹いたので「少しテンポは遅いけれど…いいでしょう」という事で合格となりました。ラッキー。で、次の12番を先生に模範演奏してもらったけれど、12番なんて、吹ける気が全くしません(汗)。いやあ、やばい…。

 今度の12番は変ホ長調です。つまりbが3つってパターンの曲なんですが…私、bが苦手なのね。困りました。bが一つのヘ長調は、ブリチャルディキーを使用することで何とかなるのだけれど、bが2つ以上になると、なんとも色々ともたつくんですよ。私、#だったら、3つぐらい、なんてこともないのに、bになると、3つはもちろんの事、2つでもあたふたしちゃうんですよ。

 いわゆる変化記号は、#は自然体で対応できるんだけれど、どうもbは色々と手間取ってしまうんですね。ああ…。

 そこで先生に愚痴っちゃいました。「私はbが苦手なんですよ。bを見ると、ちょっと頭が錯乱してしまって…。#が相手だと、何も手間取らずにスムーズにいけるんですが…。普通、フルーティストはbが得意で、むしろ#が苦手なんでしょうが、私は反対なんですよ…」ってね。

 そうしたら先生曰く「bが得意? それはクラリネットとかサックスの話でしょ。管楽器は一般的に、#の方が得意でしょ。まあ、ブラバンのフルートは、bが得意な人も多いけれど、一般的には#の方が得意って人、多いよ」ときました。

 なんでも、管楽器の構造上、#は吹きやすいけれど、bって吹きづらいんだそうです(って、私にはチンプンカンプンですが…)。基本的にbが苦手だから、フルートにはブリチャルディキーが存在するとか?

 先生ご自身も、#が好きで、bはちょっと苦手なんだそうです。

 「同音異名ってあるじゃない、例えばC#とDbとか。ああいう音って、必ずC#に聞こえるんだよね。だから、Gbから始まる変ト長調ってあるじゃない? あれって、耳ではF#から始まる嬰ヘ長調にしか聞こえないんだよね。だから、変ト長調の曲を吹く時は、耳では嬰ヘ長調に聞こえるのに、楽譜では変ト長調で書かれていて、目と耳で音が違っていて、時々混乱するんだよ」との事でした。

 へえ、先生でもそんな事があるんですね。それにしても、先生も私と同じで、完全に“シャープ脳”だねえ(笑)。私とは、レベルは違うけれど、なんか親近感を感じちゃいます。

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2015年9月 3日 (木)

イル・デーヴの鎌倉場所に行ってきました

 皆さんは“イル・デーヴ”をご存知でしょうか? 4名のオペラ歌手と1名のピアニストで結成された重量級ヴォーカルグループです。何が重量級なのかと言えば、メンバーの総重量が500Kg超であるというほどの重量級な事です。ですから、舞台の出入りは、メンバーの誰であっても、常にドスドス言ってました。

 メンバーは、テノールの望月哲也氏(NHKのニューイヤーオペラに出演されていましたね)、テノールの大槻孝志氏、バリトンの青山貴氏、バスバリトンの山下浩司氏に、ピアノの河原忠之氏の5名です。

 一人ひとりでもすごい実力の歌手なのに、その人達がユニットを結成して活動しているんだから、そりゃあすごくないわけがないです。

 男性ヴォーカルユニットで「イル・デーヴ」という名称から分かるとおり、このグループは、世界的に活躍しているクラシック系男性ヴォーカルグループの“イル・ディーヴォ”のパクリです(笑)。いやあ、これくらいまっすぐにパクっていると、気持ちいいです。名称のみならず、その歌唱スタイルとかも、結構近いものがあります。全然違うのは、本家はイケメン揃いでスラっとした体格の方々ですが、こちらはお相撲さんかと見間違うような方々ばかりで、ルックスは似ても似つかないといった点でしょうか(笑)。あと、本家はマイク歌唱ですが、こちらは(オペラ歌手ですから)生歌歌唱って違いでしょうか。

 とにかく彼らに関する詳しい情報は、こちらの公式ブログでどうぞ。今回のコンサート関係の写真満載です。

 それと、彼らはどんな感じのグループなのか、興味がある方もいらっしゃるでしょうから、YouTubeの画像(2011年のコンサートの宣伝動画)を貼っておきますので、よろしく。

 とにかく、今回のコンサートは、おもしろかった。いやあ、満足。

 コンサート前半は、各々日本歌曲を一曲ずつ歌い、その後はドニゼッティの歌劇『愛の妙薬』のアリアと重唱を歌いまくるという趣向でした。コンサート後半は、イル・デーヴとして出した2枚のアルバムの収録曲の中から歌ってくれました。実に満足。もちろん、マイクは無しで、生歌オンリーです。マイク無しなのに、音量は爆裂で、なんかこの人たち、間違っているんじゃないかって思いました(大笑)。

 一応、当日のセットリストを書いておきます。

第1部
 [ピアノ曲:曲名忘れた(汗)](河原氏)
 からたちの花(望月氏)
 かきつばた(大槻氏)
 松島音頭(青山氏)
 かやの木山の(山下氏)
 歌劇『愛の妙薬』より
  ~序曲(河原氏)
  ~なんとかわいい人だ(大槻氏)
  ~昔パリスがしたように(青山氏)
  ~さあ皆の衆、聞いた、聞いた(山下氏)
  ~人知れぬ涙(望月氏)
  ~これだ、世にも珍しい薬とは(大槻氏&山下氏)
  ~20スクードで(望月氏&青山氏)

第2部
 シルヴィアに
 アマリッリ、私の美しい人
 ニグラ・スム
 Lilly and Rose
 朧月夜
 ダニー・ボーイ
 ロマンチストの豚
 さびしいカシの木
 涙そうそう
 ピエ・イエズ

アンコール
 いのちの歌

 面白かったのは、イル・デーヴは、テノール2,バリトン、バスバリトンという構成なんだけれど、ある曲(確か、アマリッリだったかな?)は、原曲が混声四部のソプラノ、アルト、テノール、バスという構成だったので、イル・デーヴも普段とは構成を変えて、テノールの大槻氏がソプラノへ、バリトンの青山氏がアルトへ、テノールの望月氏はそのままテノールで、バスバリトンの山下氏がバスへと、パートを変えて歌ってくれました。別にソプラノやアルトにパートを変えたからと言って、実音で歌ったわけではなく、1オクターブ下げて、声に無理なく歌ったわけだけれど、これが案外良いんです。このやり方が、すべての混声四部曲でうまく行くとは思わないのだけれど、少なくともこの曲に関しては、面白かったです。

 普段、オペラで主役をやっている4人によるユニットですから、4人で声を合わせて歌ったからと言って合唱にはならず、あくまでも声楽アンサンブルなんですが、それでもさすがはプロで、主張する所はそれぞれしっかり主張しながら、ハモるところはきちんとハモるんです。当たり前なんだけれど、すごいなあって思いました。

 しかし、生歌オンリーってしんどそうです。2時間超のコンサートでしたが、皆さん、コンサートの終了時は、明らかに消耗していましたから。いやあ、特に後半のイル・デーヴの部分は、皆さん、歌いっぱなしですからね。そりゃあ、疲れるよ。ご苦労様でした。また、聞きに行きたいですし、次のアルバム、絶対に買います(笑)。

 で、次のアルバムはこれです。9月16日発売だそうですから、もう少し待たないといけませんね。でも、楽しみ、楽しみ。

蛇足 それにしても携帯電話の着信音が、必ずと言っていいほどに、良い所で鳴るんだよね。望月氏が「人知れぬ涙」の最後のカデンツァに差し掛かる少し前から、着信音が鳴り出して(それも切らずにずっと鳴らしっぱなし)、気が気でなかったのですが、いよいよ聴かせどころに行く!ってところで、別の場所から別の着信音が鳴り出し「え!?」と思っているうちに歌が終わってしまいました。他の歌でも、結構遠慮なく携帯電話が鳴っていました。コンサート中に、こんなに携帯電話が鳴るという経験は初めて(涙)。「歌い直して欲しい…」と思ったし、それ以上に(ハイソな方々が多く住んでいる鎌倉なのに)客層が悪い…ってか、音楽のコンサートに不慣れな人が多くて、お怒りモードに突入しちゃった私でした。

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2015年9月 2日 (水)

音は本当に『上から見下ろして歌えるようにはならないといけない』

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 まず最初は、トスティ作曲の「Love Me!/私を愛してください!」です。通しで歌った後、先生に注意された事は、高音発声のテクニックとして、たった一つの方法だけが使われ、すべての高音がそのやり方で歌われているが、状況に応じて、使うべきテクニックは変えていかなければいけない…っ事です。

 つまり、私の高音発声のやり方が全部同じで、つまらない…って事ね。ちなみに、私は高音発声のテクニックとして、以下の3つのやり方を習っています。

 1)声を前の音からすべりこむように次の音(高音)に移動して発声する方法。(グリッサンドを用いて高音を出す方法)

 2)高音の手前の音を歌っている最中にノドを下に大きく開き、それをキープした状態で、軟口蓋を上に跳ね上げて、腹筋の力で高音を発声する方法。(下に引っ張って高音を出す方法)

 3)手前の音を歌っている最中に、声の響きを後ろに引っ張って、そこからグルっと後ろを回すようにして、声を前に出して高音を発生する方法。(後ろに回して高音を出す方法)

 私が今回用いた方法は、ほぼすべて1)なんだそうです…ってか、たぶん1)だよね…ってか1)です。

 前回「高音を発声する時は、グリッサンドを使いなさい」と注意されたので、その方法で頑張ったからです。いくら前回注意されたからと言って、全部を全部、グリッサンドでやっちゃあいけないって事です。『過ぎたるは及ばざるが如し』って事さ。

 それと、1)~3)のいずれの方法を使うにせよ、筋力は必要だから、筋トレは続けなさいと言われました。

 その他に注意された事と言えば、同じ音程が続く所では、後ろの音の音程が低くなリがちだから、意識的に高めにして、響きを付け加える感じで歌うと良いそうです。

 どの音も、しっかりと声を支えて歌う事が大切です。つまり、クラシック発声で歌い通す事です。英語の歌なので、ついつい(ロック調で歌う人はさすがにいないだろうけれど)ミュージカルやポップス調の発声になりがちなので、そんなに流して歌わないようにしないといけません。で、クラシック発声は全身を使って歌うので、やるとしんどいのだけれど、それはマイクを使わないのだから、ある意味当然のことであって、だからそこは決して楽をしないこと。

 この曲の“Love Me”という歌詞はとても大切です。特に“Love Me”の“L”をしっかりと発音しないといけない。本来のリズムの1/2拍程度前から子音の“L”だけを鳴らしてから“Love Me”と歌った方がよいのです。これをカタカナで表記するならば「ウ~ラブミー」ってイメージになります。

 さて、次は同じトスティの作曲で「Starlight/星の明かり」です。

 この曲はリズムが複雑(六拍子と九拍子が入れ替わりながら出てきます)なので、しっかりとリズムを数えていないと、あっという間に迷子になるので注意すること。フィーリングなどのあやふやな感覚では手に負えない曲である事を肝に銘ずる事。

 それとこの曲では、高いGが頻発するのですが、そのGを出すための準備が遅れがちなので、常に準備は早め早めに行うこと。

 2番に入ると、自分で勝手に盛り上がって、勝手に力尽きてしまい、曲の最後まで体力が持たないので、もっと冷静になって、パワーバランスを考えながら歌わないといけないのです。リラックスとか脱力が大切なのね。とにかく、2番は楽に楽に歌えるようにしないといけません。実際、力まなくても声って出るものやしね。

 それと自覚していなかったのだけれど、私、歌いながら、どんどん上を見ているのだそうです。上を見る…つまり、アゴが上がっているってわけです。これはいけません。ノドがしまってくると苦しくなるので、自然と上を向いて、ノドの絞まる苦しさを回避しようとして、ついついアゴが上がってしまい、上を見てしまうわけです。

 大切な事は、常にアゴは下に落とし続けること。もしも上がっていこうとしたら、力づくでも、それを抑えることが肝心です。アゴが上がるなんて…ありえないわけです。

 よく「音程は上から取ること」と言われますが、あれは比喩でもなんでもなく、実際に頭部のポジションは上から下を見下ろしてくるような感じにしておくことが大切です。音が高くなって声が出づらくなっても、絶対にノドを閉めないこと。ノドを緩めてアゴを落とし続けるのです。ノドが絞まって上を向くのなら、いっそノド全体を上に伸ばした方が、ずいぶんとマシなんです。

 それにしても、たかが高音発声にも、様々なテクニックやノウハウがあるわけです、それを勉強しているだけでも面白いよね。

 二重唱のレッスンは…今回も後回し。ピアニストさんが練習に参加するようになってから始めましょう…と先生に言われました。まあ、歌唱そのものは、付け足しの部分はあるにせよ、すでに一回、発表会でやっているので、歌のレッスンと言うよりも、合わせの練習が必要でしょうから、ピアニストさんと一緒にレッスンした方が良いでしょう…って事ですね。

 すでにPC表示で、このブログをご覧の方は、左欄の『お知らせ』をご覧になって、ご存知だと思いますが、携帯表示やスマホ表示の方だと『お知らせ』は表示されないので、ご存知ないかもしれませんので、改めて告知します。

 ただいま、レッスンで学んでいる曲を、今秋のクラシックコンサートで披露します。

 そのクラシックコンサートですが、10月10日(土)茅ヶ崎市民文化会館小ホールにて行います。私の出番は…トリ前なので、遅いです。出演時刻は、あくまでも予定ですが、ソロ歌唱が19:27~、デュエット歌唱が19:49~です。曲目は、ソロがトスティ作曲の「Love Me!/私を愛してください!」と「Starlight/星の明かり」。デュエットがドニゼッティ作曲の歌劇「愛の妙薬」より「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」です。どうかうまくいきますように、お祈り下さい。

 というわけで、一つよろしくお願いします。

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2015年9月 1日 (火)

近くでやるなら、教えてくださいよ、お願いします

 声楽のレッスンに行ってきました。

 「そろそろF先生の“アンドレア・シェニエ”だね…」と妻と話しながら、Y先生の教室に向かっていました。自分のコンサートの告知など、ほとんどしないY先生なんですが、珍しく、奥様のF先生が東京で“アンドレア・シェニエ”を歌う(それもヒロインのマッダレーナ)のです。せっかく、オペラに誘っていただけたのに、その日はどうしても外せない仕事が入っていたので、泣く泣くお断りをしつつも、オペラの成功を祈っている私たちでした。

 それにしても、Y先生は、毎日のように、あっちこっちで歌っていて、コンサートもバリバリやっているのに、ご自分が出演されるコンサート情報を、ほとんど私たちにくれません。「先生のコンサートにも行きたいので、情報をくださいよ」と言っても「心配しなくても、チケットは売れているから、気にしないでください」と言われちゃいます。別にチケットの心配をしているのではなく、純粋に先生のコンサートに行きたいだけなんだけれどなあ…。

 「アンドレア・シェニエ…行きたかったなあ」と話しながら、お教室に入ったところ、何やら見慣れぬチラシがありました。

 「先生、このコンサートはなんですか?」

 「これですか? これは今度、私がプロデュースした、オペラとバレエのコンサートのチラシなんですよ」 …って、もうすぐじゃん。おまけに、県内じゃないですか? それにオペラとバレエが一緒に楽しめる? これは行きたい…けれど、残念。もうすでに別のグループのチケットを買っちゃったよ。

 その別のグループとは、イル・デーヴです。

 先生のコンサートには行きたいのだけれど、イル・デーヴのチケットを、すでに買っちゃいました…って言ったら「イル・デーヴ、いいよね。それなら、イル・デーヴに行くべきでしょ! アオちゃん(バリトンの青山貴氏)、すごいからね」と即答されちゃいました。いやいや、イル・デーヴも素敵だけれど、事前に先生のコンサートの情報を入手していたら、そちらを優先したってばサ! まったくもう、商売っ気がない…というか、チケットは事務所がきちんと売りさばいてくれるから、生徒さんたちに販売しなくてもいいので、のんきにしているというか…。

 私、Y先生の生徒になる前からY先生のファンなんだよ。ファンとしては、自分のひいきの歌手のコンサートに行きたいじゃないですか! まったく、もう。

 「次に近場でコンサートをする時は、ぜひ教えて下さい」とお願いしましたが、どうにも返事が上の空なY先生でした(汗)。まったくもう。

 さて、レッスンです。

 まずはハミングの練習から。1音ごとにノドを開いていく練習しました。イメージ的には、1音ごとに音の置き場所を上へ上へと移動させていく感じです。スタート地点が、すでに軟口蓋の上なので、ハミングしていても、気持ちいいです。キング門下時代のハミングは、もっと下の口腔内でハミングしていたので、歯やクチビルが振動して、なんか気持ち悪かったのですが、今は振動箇所のスタートが鼻になっているので、そんなに不快ではありません。

 そうやってハミングでノドを開けたところで、発声練習に移りかわります。ハミングをした場所で声を出す練習をしました。やり方は、先ず最初はハミングをし、そこからクチを開いて声を出すというやり方です。“m~ア~”ってイメージです。つまり、声(母音)の前に、子音(この場合は“m”)を先に発声し、子音で音程を取ってから歌いましょうってやり方です。これ、結構大切なテクニックみたいです。

 とにかく、ハミングから自然な流れで声を出す事で、しっかりとノドを開いて歌うわけです。ちなみに“ノドを開く”とは“腹筋をクイッと入れる”事と、ほぼ同義であると考えて差し支えありません…ってか、しっかり腹筋で声を支えないと、ノドは開かないってわけです。ですから、歌う時に腹筋をあまり使っていなかったキング時代の私は、ノドも大して開いていなかったという結論になりますわな(笑)。

 とにかく「声は腹筋で出す」という簡単な事が、最近、ようやく分かりかけてきた私です。“腹筋で出す”とは、腹筋を胸郭の内部に向かって引き上げ、背筋を臀部に向けて落としていく事で、声帯をひっぱり横隔膜を活性化させて声を出す事ですね。決して、お腹を固めて声を出しているわけじゃありません。

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