ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2015年8月の記事

2015年8月31日 (月)

いきなり秋になりました[2015年8月の落ち穂拾い]

 つい先日まで「暑い暑い」と言っていたのに、急に暑さの峠が過ぎ去り、いっきに空気も涼しくなって、すぎゆく夏を惜しむまもなく、すっかり秋になってしまいました。うれしいやら、さみしいやら、なんとも複雑な気分です。

難読ネームは大変

 最近の子どもの名前の中には、読めないだけでなく、性別すら不明なモノが増えてきました。親のこだわりは分かるのだけれど、名前って一生使うものだし、社会的な道具の一つなんだよね。それなのに名付けの時の気持ちが、あまりに近視眼的で、そこんところが分かっていない親御さんが増えてきたんじゃないかと思うわけです。

 赤ちゃんって、いつまでも赤ちゃんじゃなくて、やがて子どもになり、青年になり、大人になって、年寄りになるんだよね。

 難読ネームは就職の時に不利だと言われるし、実際不利だろうなあって思う(私は絶対に採用しません)けど、就職なら、別に根気よく探せばいいのだから、難読ネームであっても、まあ希望の職種にはつけないかもしれないけれど、生きて収入を得て生活をする…という程度なら、どうにかなるって思います。

 私がやばいなあって思うのは、医療現場ですね。名前が読めないために、現場で色々な呼び方がされて、それが原因で、あってはならないはずの医療事故が起こる可能性がないとは言えないものね。看護婦Aさんの言う“さくら”さんと、Bさんの言う“ここあ”さんと、Cさんの言う“しおり”さんと、Dさんの言う“みお”さんと、Eさんの言う“あの名前の読めない人”が、同一人物だったりするわけですよ。ふりがなが振ってあれば、どうにかなる? 今度は音と表記が一致しないから、それはそれで面倒な事になると思うんだよね。

 名前には時代による流行り廃りがあるのは当然だけれど、読めない名前は、色々と面倒だと思いますし、このように命にかかわるケースだってあるわけだ。難読ネームを付ける親御さんって、そこまで考えているのかしら…ねえ。

 ちなみに、難読ネームをつける背景の一つに「女の子の名前に“子”をつけるなんて、ありえないでしょう?」という意見があります。

 確かに“子”がついた名前は減りましたね。以前は、ほぼすべての女の子の名前についていたモノですが…。

 元々“子”というのは、皇族とか貴族とかの子女の名前に用いられていた字なんですね。ですから“子”をつけた命名は、ちょっぴりお姫様気分が乗っかった命名なんです。

 あと、“子”という字には「はじめ(一)から、おわり(了)まで」という意味もあるそうですよ。例えば「花子」さんなら「はじめからおわりまで、花に囲まれた人生を」という意味になるんだそうです。案外、いい名前じゃないですか? まあもっとも、時代の流行り廃りはあるので“子”の名前自体が減ってしまっても、それはそれで仕方ないですが…。

声の深い浅い

 よく、声は成熟するものって言いますし、レイトスターターの中には、なるたけ早く熟成した声になりたいと思う人もいるようです。

 私が思うに、声は確かに成熟するものだけれど、これは訓練によって成熟するのではなく、加齢による変化の一つだと思ってます。とは言っても、老化とは捉えていません。それこそ、文字通りの成熟ね。

 だから、私なんかは声が成熟しすぎで、そろそろ終わりに近いぐらいですよ(笑)。

 声の浅い深いは年齢とは関係ないと思ってます。これは単純に響きの問題ですから、要するに骨格とテクニックがあれば深くなります。美空ひばりはティーンエイジャーの頃から声が深かったですからね。

 クラシック声楽はヨーロッパ人のものですから、彼らは何も考えなくても、声が深くなります。他民族である我々はヨーロッパ人とは骨格が違いますから、そこにハンデがあるわけで、それを補うためのテクニックを身につける必要があるだけです。で、そこが難しいわけです。

先生は苦労型と天性型がいて

 どんな芸事であり、先生という存在があり、その先生ってのは、だいたいにおいて、苦労型の先生と、天才型の先生の二種類いるわけです。

 苦労型の先生は、本人自身は現役としてはパッとしない部分はあるかもしれないけれど、デビューするまでに、たくさんの勉強をしているし、試行錯誤もしているので、才能も無ければ基礎基本能力もないアマチュア趣味人が師事するには、良い先生だと思います。逆に天才型の先生は、本人自身に華があり、現役時代はスゴかったと思うし、先生としても、生徒の側が才能と基礎基本能力に恵まれているならば、その才能の活かし方を導く道標となる良い存在だと思います。

 私の場合は、前のキング先生は天才型というか、天才なんだと思います。教わる側に、先生と同等の才能があれば、最高の先生だと思います。でも、私は凡人だから、彼に習う事で、自分を見失い、壊されてしまうところでした。今のY先生は苦労型ですね。日本の音大を2つ出て、某歌劇団の養成所も終えてますし、イタリアにも長期留学してます。たくさんたくさん勉強していますし、音楽家の友人たちも多くいます。ですから、教えるにあたって、まるでドラえもんのポケットのように、あれこれ知恵が出てくるのが面白いです。

 キング先生は天才ですし、ご自分が一番ですから「私のマネをしなさい」という指導法でしたが、Y先生は「○○を××しなさい」とは言っても、決して自分のマネをしなさいという指導はしません。自分のマネ…だけでなく、他のプロ歌手のマネもダメなんです。とにかく、マネはダメという指導法です。

 ですので、Y先生に習うにあたっては『マネして学ぶ』というやり方はダメなので、いつも正解を探して、自分の頭で考えて歌わないといけないので、面倒は面倒です。でも、これはこれで良い勉強になっているんだろうなあって思ってます。

 結果として『自分らしく歌う』という事になるからです。

6/8拍子とかワルツとか

 クラシック音楽には、6/8拍子の曲って、ヤになるくらいたくさんありますが、実はこの拍子って、日本人が苦手とする拍子らしいです。なにしろ、日本人には6/8拍子のリズムが全く取れない人も大勢いるとか?

 というのも、私も含めて、日本人って音楽を無意識に4/4拍子あるいは2/4拍子に聞いてしまうものなんだそうです。それは民族の血なのかもしれません(笑)。ですから、6/8拍子の曲を聞いても、無意識に4/4拍子として理解しようとするのです。そうなると、6/8拍子の曲って、三連符のリズムが連続した、奇妙なリズムの曲に聞こえるんです。

 だって、6/8拍子というリズムって“大雑把に言えば二拍子なんだけれど、一拍は常に三分割されているリズム”の事なんです。だから6/8拍子の曲を耳で聞いて、4/4拍子として理解するならば、三連符の連続に聞こえるのは、ある意味正解なんですから。

 三連符の連続の曲なんて、やっぱり難しいわな。そりゃあ、苦手とするはずです。でも、6/8拍子ってのは、二拍子のリズムだし、一拍の中は三連符なのではなく、ワルツのリズムなんだよね。ワルツを1,2,1,2…って踊っているというリズムなんだよね。

 ちなみに、ワルツのリズムって、馬の並足のリズムなんですよ。だから、乗馬をする人は、ワルツのリズムが体内に刻まれているわけだけれど、日本人の体内にはどうもワルツを始めとしする三拍子系のリズムが体内に刻まれていないようなんですね。

 ちなみに、付点のリズムは馬の駆け足のリズムね。日本人は付点のリズムが得意なんですよ。って事は、日本人(の祖先)は、馬に乗るといつも駆け足であって、ゆっくり並足での移動なんて無かった…って事になるわけど…、そんな馬鹿な(笑)。

 それにしても、三拍子系の音楽って、独特のドライブ感があります。だから、舞曲には三拍子系の曲がたくさんあるのも納得です。

今月のお気に入り NIKE ナイキ プリント グラフィックタオル ラージ

 今月のおすすめは、ナイキのグラフィックタオルのラージサイズです…って、それはたまたま私が購入したのがナイキのラージサイズのグラフィックタオルってだけであって、別にバスタオルでもOKです。いや、イメージ的にはバスタオルの方が分かりやすいかもしれません。

 夏場って暑いじゃないですか? 暑いので薄着で暮らすわけですし、暑いので音楽ホールなんかも冷房がガンガン入っているわけです。薄着で冷房ガンガン入っていると、カラダが冷えます。若い時はなんともなかったのですが、この歳になってくると、冷房がカラダに堪えたりするんです。

 とは言え、暑ければ、汗が吹き出すので、冷房そのものは歓迎なんです。ただし、長時間座っていると、冷房の冷気がカラダにたまってきて、体調が悪くなるんです。特にお腹が冷えるのがつらいです。

 そこでこのバスタオル(笑)を取り出して、お腹に当てると具合がいいんですよ(笑)。最近の映画館だとブランケットを貸してくれるところも多いのですが、音楽ホールでブランケットを貸してくれる所はなかなかありませんので、自前でブランケットを用意しているような感じになるわけです。

 ただ、本物のブランケットとか、バスタオルだと、かさばるんですよ。その点、このナイキのグラフィックタオルは、たたんでしまうと結構小さくなるけれど、広げて使うと、普通のバスタオルのような感じになって、ちょうど良いのです。

 ですから、私はこのタオルを小さくたたんで、百均で購入した小さな袋に詰め込んで、かばんに入れて持ち運んでいます。便利ですよ。

 ちなみに私が購入したのは黄色のタオルです。まあ、黄色でも赤でも、派手な事には変わりありません。さすがにコンサート会場に、こんな派手なプリントは似合わないので、実際に使用する時は、裏返しにして白い部分を表にして使ってます(笑)。なので、派手なのが苦手な人は、無印良品にでも行って、無地のバスタオルがいいと思いますが、本物のバスタオルだと、いくらたたんでもかさばってしまうので、そこは思案のしどころだったりします。

今月の金魚

 今年の夏は暑かったけれど、LED電灯のおかげもあって、水温低めで過ごせました。

今月のひとこと

 気が重い…実は明日から仕事で出張するんだけれど、出張って…旅行でしょ。旅行ってキライなんだよね。私って“ヲタクの引きこもり”だから、外出ってキライだし、宿泊なんて絶対にイヤなんだよぉ。プライベートの旅行なら、妻同伴なので結構楽しめるけれど、仕事で出張となると、妻を同伴するわけにはいかないので、ほんと、気が重い。きっと、見知らぬ人と同室になるんだよ。ああ、仕事で気を使って、宿舎で気を使って、夜もろくに寝れず、昼寝るとマズいし…ココロもカラダも過酷な状況におかれるのです。ああ、つらい(涙)。(2015年7月29日~8月1日)

 お江戸から帰ってきました。今回は仕事での単独出張だったのですが、いやあ、疲れました。近距離の出張だったので、仕事そのものは通いでも可能なんですが、一応、宿泊が前提とされている出張だったので、やむなく泊まりこんできたわけです。いやあ、ほんと、私って外泊に弱いなあ(涙)。もう、カラダボロボロです…。二度と宿泊を伴う出張なんて行きたくないです(大泣)。(2015年8月1~3日)

 …すっごい、疲れた。疲れがドッと出た(涙)。年を取ると、疲れってのが時間差で襲ってくるからタチが悪い。それも筋肉系の疲労ではなく、もっとカラダの芯からの疲れだよ。ああ、気分悪いし、体調悪い。だから外泊なんてキライさ。(2015年8月3~6日)

 ようやく、出張の疲れが取れてきたかも…筋肉の疲労は割りと簡単に取れるんだけれど、カラダの内部の疲れ(内臓疲労と言いたいです)は、なかなか取れません。休息を取って、カラダに優しいものを食べて…それでようやく、どうにかこうにかです。まったく、ご自愛しないと生きていけませんわ。(2015年8月6~10日)

 お湿りはいいね。気温は下がるし、植物たちがうれしそう。ただし、豪雨でない限り(笑)。(2015年8月10~13日)

 中国の天津で、事故が起こり、数十キロ離れた場所にも振動が伝わり、遠くからはキノコ雲が立ち上った様子が見えたそうな。きっと何かが起こったんだろうけれど、あの国は絶対に自分たちに都合の悪い事は報道しないから、事実は伝えられる事はないだろうね。キノコ雲によって、何かが吹き上げられ、その吹き上げられた何かは、偏西風にのって、沖縄や西日本を入り口として、日本中に撒き散らされるわけだ。爆発は昨日の深夜に起こったそうだから、これから数日間は、色々なモノが降ってくるわけだ。何が降ってくるんだろうか? でも、こんな事、日本のマスコミや新聞が報道するわけないか(ため息)。フクシマで事故が起きた時に(現地ではなく)東京から避難した人たちは、心配症な方々が多いから、また避難するのかな? どうだろ? 今度はどこに逃げるのかな? 私? 現実に呆れ果てても、自分の生活の場から逃げ出すような事はしないよ。(2015年8月13~14日)

 天津爆発事故、報道しないのかと思ったら、報道してますね。それでも死者は50人だそうです。どんな重大事故でも死者は35人と言うのが中国なんですが、今回はいつもよりも15人多いみたいです。ま、実際は数万人規模の事故でしょうが…。キノコ雲の画像も動画もすべて削除されたみたいですね。さすがは情報規制に関しちゃ世界一の国ですね。何はともあれ、被害にあった人々にお見舞い申し上げます。報道では、秘密の化学物質が爆発した事になってますが、おそらくは“戦術核兵器”ってヤツの暴発でしょうね。ま、化学物質にせよ、戦術核にせよ、それらの物質は、偏西風にのって、沖縄・西日本を始め、日本各地に降り注ぐってわけだ。ありがと、チャイナ(プンスカ)。(2015年8月14~16日)

 しばらく旅に出ます、捜さないで下さい(笑)。(2015年8月16~18日)

 帰ってきました。いやあ、疲れた疲れた。とは言え、こんな疲れは、ほんの序の口。きっと、明日になれば、いや明後日になれば、もっと疲労困憊になるんだろうなあ…。何しろ、年を取ると、疲れが出てくるのが遅くなるからねえ…。(2015年8月18~21日)

 自民党の衆議院議員の武藤貴也氏(36歳・滋賀4区)の金銭トラブルについての詳細は、私、よく分からないけれど[離党&議員辞職騒動が起こった程だから、きっとマズイ事なんだと思う。その点に関しては、きちんとした釈明&謝罪と(いわゆる)禊が必要だとは思う]、それが発覚したのが、武藤議員のLINEのやりとりからだという点について、この人は国会議員をやる資質に欠ける人なのかもしれないなあ…と思いました。国会議員なのにLINEをやっていたなんて、ほんと、ワキの甘い人だと思う。「バカじゃないの」って私は思うよ。まさかこの人、LINEの危険性を把握せずに、何の対策もせずに、日常的にFacebookと併用していたとしたら、ほんと、某国の思うがままだよ。こんな情弱な人に国政は任せられない…私はそう思ったわけです。私に言わせれば、LINEなんて“トロイの木馬”と同種のウィルスだからね。だから日本は情報戦に負け続けているんだよ(涙)。(2015年8月21~27日)

 なんか、急に寒くなった…ような気がする。ちょっとついていけない…かも(2015年8月27~28日)

 今日は、スズメバチとタイマン張った。2分30秒で、私の勝ち。命がけの一本勝負だった…。(2015年8月28~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2015年8月30日 (日)

ラブハンドルとは良い言葉だね

 皆さんは“ラブハンドル”という言葉をご存知でしょうか? 私はつい先日まで知りませんでした。これ、なんでも“お腹のぜいにく”とか“お腹のたるみ”とか“お腹の脂肪”を指して言うんだそうです。ちょうど恋人たちが抱き合った時に、自分の腕が相手の腰に行った時に、ちょうど良い具合につかめる、あの“お腹のぜいにく”を“ラブハンドル”って言うんだそうです。

 確かに、ハンドルのような感じで、持ちやすいと言えば持ちやすい。特に私のハンドルは、すごく持ちやすいよぉ。

 日本ではあれを“浮き輪”とか呼ぶ人もいますが“浮き輪”よりも“ラブハンドル”の方がいいなあ。だいたい“浮き輪”って、失礼じゃない?

 と言うわけで「私、ラブハンドルを標準装備しております」と言うと、なんとなくカッコいいじゃない?

 まあ、痩せてハンドルがなくなる方が、本当はいいんだけれど…ね。

 あ、今回の記事は、すごく短い! たまにはこういう日もいいよね(笑)。

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2015年8月29日 (土)

今年の夏は…乗りきれるかも

 今年の夏は、なんか例年以上に暑かった…ですよね。

 でも、金魚水槽は…今年は涼しかったんですよ。日中の暑い時間帯(冷房無し)でせいぜい25度。たまに27度ぐらいまで上がりましたが、でもそんなもん。夜は涼しくなるし、たいがい冷房が入るので、夜の水温は20~21度です。

 例年、我が家の水槽は、夜になっても、30度越えは当たり前だったのにね。暑い昼間は33度とかもあったし、35度ってのを見たこともあります。

 気温は今年の方が暑いのに、水温は、むしろ低いって、どうなの? この差は何なの? どこから来ているの?

 やはり蛍光灯とLEDの違いかな? それ以外には考えられません。

 つまり、例年、夏場の水温が上がっていたのは、“気温+蛍光灯による発熱”だったわけで、これが“気温+LED”になると、LEDによる発熱なんて大したことないので、5度以上の水温の差となるわけです。

 まあ、確かに蛍光灯って、熱くて持てないくらいに発熱するけれど、LEDはほんのり温かい程度で、いつでも手づかみできる温度だもんな。こんな程度の差でも、これが毎日毎日積み重なっていくと、とてもとても大きな差になるんだと思います。なにしろ、水って、熱を蓄える性質があるからね。ちょっと差でも、期間が長いと大きな差になるんだよ。

 ちなみに、町の信号機がどんどんLEDに切り替わっているのですが、北国はそれで困った事が起こっているそうです。と言うのも、信号に雪が降りかかっても、今までは信号機の熱で雪が溶けてしまったので、特に問題なかったそうだけれど、LEDは雪を溶かすほどの熱を出さないので、信号が雪で覆われてしまって、何も見えなくなってしまうんだそうですね。それくらい、LEDって、熱とは無縁なわけです。

 こりゃあ、良いかも。まだ断言はできないけれど、今年の夏は乗り切れるかもしれない…なんか、そんな気がする今日このごろの我が家の水槽でした。

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2015年8月28日 (金)

ブレスは息の都合ではなく、音楽の都合でしなさい

 フルートのレッスンに行ってきましたよん、るんるん。実は今回のレッスン、色々と予定が重なって、実に4週間ぶり! 4週間と言えば、まさに一ヶ月じゃあないか! 一ヶ月もレッスンに行っていないのに、しっかりお休みしていた一ヶ月分の謝礼をお支払いしている私って、エライ? エライ? エライ?

 ま、社会人としちゃあ当然か。

 と言うわけで、満を持してのレッスンでございました。自宅練習はバッチリ…かな? ふふふ、でもさすがに4週間あったので、そこそこは練習しておりました。なので、気分は俄然、前向きでございました。

 気分が前向きだと、音程もバッチリってわけで、ロングトーン練習は、ほんとのほんとに音程バッチリで、先生と二人で吹いていても、まるで一本のフルートしか鳴っていないんじゃないかと思われるくらいに、ビダって合っておりました。やりゃあ出来るじゃん>自分。

 さて、エルステ・ユーブンゲンは10番でございました。一ヶ月前の段階で「あわよくば合格!」というレベルまで仕上げておきましたので、今回は当然のように合格でございました。ヘヘ~んだ! ミスブローが無いどころか、たっぷりねっちょりと音色にも気を使って吹いたんでございますよん。人間、余裕があると、色々とやっちゃうものです。

 次は11番ですが、こいつも勢いに乗って、合格をいただきました。4週間もあったんだもん、暗記曲の2つぐらい、暗譜しちゃうさ。

 というわけで、次回は12番と13番です。まだ譜読みすらしていない(汗)。間に合うかしら…。

 プチエチュードは11番です。フィンガリングはほぼOK。少なくともソロで吹いている時は、自分でテンポ管理ができるので、ミスは無し。しかし、不合格でした。

 先生曰く「ブレスは息の都合でするもんじゃない! 音楽の都合でしなさい!」との事でした。つまり、音楽をきちんとアナライズして、フレーズの切れ目でブレスをする事。苦しくてもフレーズが切れていなければ息はいないし、息が余っていてもフレーズが切れたなら、必ずそこでブレスをする事。楽譜にブレスマークは書かれているけれど、楽譜を校訂した人は素人(音楽学者さんですが、先生曰く“(演奏の)素人”らしいです)”だから、楽譜を信用するな! 自分の頭でブレス位置ぐらい考えろ!ってわけです。

 で、自分の頭で考えてブレスしているのですが、どうやら不正解らしくて、ブレスをするたびに怒鳴られます(ちょっとおおげさ)。

 うーむ、指が動けば、それでOKとはならないわけなんだな。とにかく、先生に叱られた事をしっかり覚えて、正しいブレス位置を把握して、そこでブレスする癖をつけないとなあ…やれやれ。

 で、雑談です。

 今回の雑談は「お金は死んだら使えないのだから、生きているうちにパーッと使っちゃおう」って話です。もちろん、先生の話ね。私の財布には“パーっと使っちゃおう”と言えるほどは入ってません。

 まあ、音楽家という職業は、プロと言えども、どうやら貧富の差が激しくて、働いていないように見えて、使い切れないほどの収入を稼いじゃう人(つまり単価が高いんだな)と、働けど働けど生活がちっとも楽にならない人(微々たるギャラしかもらえない人)の二種類いるわけです。で、大半は“楽にならない人”なんだけれど、どうやらH先生は“使い切れないほど”の人らしくて、今回はお金の使い道について相談されました(汗)。

 で、ババンとお金を使っちゃうには、どうしたらよいだろうかと、ストレートに尋ねられたので、前回の雑談を踏まえて「じゃあ、先生、別荘を買っちゃいましょう」と答えました。

 “別荘を買うなら、湖のほとり”というのがH先生のお好みだと知っているので「山中湖はどうですか? 観光地の方ではなく、平野の方に別荘を買って、天気の良い早朝に赤富士を眺めるってのは、イキですよ」と答えたら、先生、食いつく食いつく(笑)。まあ、もちろん、実際の物件を見ながら話をしているわけじゃないので、そこから具体的な話にはならないのだけれど、どうせ山中湖に別荘を買うなら「平野もいいけれど、温泉のある石割がいいかな?」とか「やっぱり栄えている村役場の周辺もいいかも?」とか「戸建ての別荘も良いけれど、リゾートマンションも捨てがたいよなあ」と、金満なお話をしました。

 先生の事だから、グランドピアノを置いて、オーディオ置いて、大音響でガンガンやるんだから、人里離れた場所の方がたぶん良いんだよなあ(笑)。

 大好きな音楽を職業にして、お金に不自由なく、結構、趣味三昧に暮らしているんだから、H先生って、ほんと幸せなんだと思います。ううむ、かなり羨ましいぞ。

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2015年8月27日 (木)

グリッサンド、グリッサンド

 声楽のレッスンの続きです。

 秋のクラシックコンサートに向けたレッスンを開始しました。当面は、Y先生に歌を見てもらい、ある程度歌えるようになってきたら、ピアニストさんを交えてのレッスンにする予定です。

 今回は、自宅練習でどのあたりに注意しながら練習をしていけばよいかの道筋をつけるレッスンとなりました。

 最初は「Love Me!/私を愛してください!」からです。とにかく、音程が上がる時に、腹筋をグイグイ入れていくことが肝心…と言うか、それに尽きるタイプの歌なんだそうです。とにかく、グイグイ入れていくんです(笑)。

 歌詞が英語ですから、子音をしっかり立てて歌うことが肝心です。英語は子音が強い言語ですからね、イタリア語や日本語のように子音を優しく発音するのではなく、ドイツ語を歌うようにゴツゴツ角張らせて歌うんです。テノールの歌ですから、メロディが下がってきても、響きは絶対に下げない事。低音は決して声を貼らずに、軽くささやくように歌う事(つまり、捨てちゃえって事です)。これは楽譜上もそう歌うように作曲されているので、絶対に低音で声を張っちゃいけません。

 それにしても美しい曲です。歌っているだけでロマンチックな気分になってしまう曲です。でも、歌手が歌に溺れてしまってはいけません。歌に自分の感情が引っ張られないように気をつけながら歌わないといけません。でないと…聞いている観客がシラケちゃうからね(笑)。

 それにしても、本当に美しい曲です。高いGがあるのが難点だけれど、バリトンであるY先生もご自分のレパートリーに入れたいほどに気に入ったようです。まあ、高いGは作曲家自身の指示で、1オクターブ下げて歌っても良いことになっているので、下げて歌えば、バリトンでも歌える曲(バリトンにとっては、高いGはかなりきびしい高音なんですね)になりますからね。Y先生「ノドさえ温まっていれば、高いGでも行けるし…」とも言ってました(笑)。まあ、合唱バリトンはともかく、ソリストのバリトンさんは高いGまでが守備範囲ですからね。近いうちに、どこかでY先生の「Love Me!/私を愛してください!」が聞けるかもしれませんね。

 さて、次は「Starlight/星の明かり」です。

 この曲は音程の平均値が高い歌です。先ほどの「Love Me!/私を愛してください!」では高いGは2回しか出てきませんが、こっちの曲では、遠慮会釈無くバンバン出てきますし、だいたい最後は、可能なら高いHで歌うことになっている曲です。この曲も「Love Me!/私を愛してください!」同様に名曲ですが…バリトンさんには手の出ない、テノール専科な曲です…ってか、私だって、最後の高いHは歌えません。いやあ、難しいです。

 まあ、モーツァルトのアリアほどではありませんが、この曲も命を削りながら歌うタイプの曲です(っか、テノールの曲って、そんなばっか:笑)。一回、歌い終えると、ぐったりします。高いHは…最近の私なら、元気いっぱいならば、出せない音ではありませんが、この曲の最後の最後に到達した時は、元気いっぱいどころか、息も絶え絶えなので、とても高いHなんて出せる気がしません。

 この曲を歌う時の注意は…とにかく、伸ばす事。声帯を伸ばして伸ばして、引っ張上げ続けて歌います。そうしないと歌いきれません。なにしろ、音程の平均値が無闇に高いんですからね。その上、曲中に何度も出てくる高いGを、いかに美しく歌うかがポイントになるんです。

 いやあ、トスティ、さすがにテノールの声について、よく知ってるわ。テノールって、高いGが音色的に一番美しいんだよね。そこを多用してくるなんて、ほんと、トスティって、ニクいわあ…歌う方はツライんだけれどなあ(涙)。

 とにかく声帯を引っ張り続けます。それも全身で。しっかり足は地につけたまま、全身を上へ上へと引っ張ります。

 とりあえず、最後の音は、高いGでも高いHでも、楽譜上は良いことになっているので、私はひとまずGで歌ってます。息も絶え絶えになって、最後のGを発声している状態で、とてもHにチャレンジしようという気になりませんが、Y先生がおっしゃるには「伴奏のピアノの動きを見る限り、ここはやはりGではなくHが妥当」なんだそうです。だから、できればHで歌えると良いのだそうですが…さすがにHはかなり高い音なので「“Hで歌いなさい”とは言えません」との事です。

 …ってか、現段階ではHでは歌うべきではないという判断です。しっかり練習を積み重ねて「いける」と思えてからHに挑戦するべきでしょうとの事です。

 その練習も、グリッサンドで“D -> H”がスムーズに歌えるようになってからだそうです。とにかく、グリッサンドでの発音練習を何度も何度もやる事が、確実な高音発声への近道なので、ひたすらそれをやり続けるしかないそうです。グリッサンドを使わずに、いきなり“D -> H”へジャンプして声を出すと、てきめんに声帯を痛めてしまうので、それは避けるように言われました。

 とにかく、グリッサンド、グリッサンドです。

 そして、そのグリッサンドを成功させるためには、声帯を引っ張り続ける事が必要なんです。

 「Love Me!/私を愛してください!」は、曲の美しさに酔いしれてしまう事に気をつけないといけない曲ですが、「Starlight/星の明かり」は、高まる興奮に巻き込まれないように気をつけないといけない曲です。とにかく、曲の終盤に向かって、ガンガン盛り上がっていくタイプの曲です。興奮のクライマックスのすぐ後に、次の興奮が始まり、クライマックスを迎えると、また次の興奮が始まり…というタイプの曲なんです。曲自体はガンガン盛り上がっていきますが、歌い手がそれに釣られないようにしないといけません。曲の盛り上がりに釣られて、早い段階でマックスを迎えてしまうと、その後のクライマックスに対応できません。曲の興奮に巻き込まれずに、しっかりゴールを見据えて、そこまでの道のりを計算しながら、少しずつ少しずつ歌の興奮を高めていけるように歌わないといけません。ハッキリ言って、私が一番苦手な事かもしれません。

 何しろ、私、「最初っから最後までクライマックス!」って歌い方をしている人だから、徐々に盛り上がるのって苦手なんだよなあ。

 さて、最後はドニゼッティ作曲の二重唱、「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」ですが…時間切れとなりました。二重唱はまた次回まわしです。次は予定では、ピアニストさんを交えたレッスンになる予定です。

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2015年8月26日 (水)

合格したり、しなかったり…そんな私です

 声楽のレッスンに行ってきました。

 いやあ、暑かったですねえ…。炎天下の中、歩いて先生のお宅まで行くのは、結構厳しいものがあります…。

 お教室に着いたら、さっそくレッスンです。発声練習です。今回は『上アゴを開ける事』『しっかり声を回す事』『息を支える事』の3つを重点的に見てもらいました。

 この3つの事柄は、別々にあるのではなく、それぞれが互いに連結しあってつながっているのです。例えば、しっかりと声を回すためには、上アゴをきちんと開くことが必要です。でも上アゴを開いてしまうと、音程が不安定になりがちです。音程を安定させるには、しっかり息を支える必要があります。…とまあ、こんな感じです。だから注意点は3つあっても、実は一つの一連のことを行っているに過ぎないわけです。

 その他に注意された事は…なるべく充実感の無い、歌った感じのしない声で歌いましょう…って言われました。

 私は、声帯が強くて、声も強いタイプの人です。こういう人は、ついついノドを鳴らしすぎる傾向があるわけです。で、ノドって、鳴らせば鳴らすほど、歌っている本人に「ああ、今自分は歌っているなあ、熱唱しているなあ」という感覚を与え、歌うことで充実感を得てしまうのだそうです(そう言われると、思い当たる節も多々あり)。そういう歌い方は劇的であるし、感情的であるし、一概に否定していいものではないのだけれど、声帯に負担が掛かり過ぎる歌い方ってわけです(だから声帯が強い人にしかできない歌い方なんだね)。そういう歌い方をしていると、歌手生命を縮めるし、なにより長時間の歌唱が無理です。また、歌っている本人はともかく、聞いている側からすれば、うるさい声だし、男性なら怒鳴り声に、女性でもヒステリックな声に聞こえてしまう事もあるので、ノドを鳴らした歌い方は、あまりお薦めできない…というのが、Y先生の立場なんですね。

 「別に、声はノドを鳴らさなくても聞こえるから」と言うわけで、なるべくノドは鳴らさずに、ふわっとした、充実感のない声で歌うように言われました…が、それがまた難しいのよね。

 「ノドを鳴らした声は、側鳴りだからね」 まあ、私の場合は、ノドは鳴らしても、側鳴りとはまた違うけれど、ノドを鳴らさなければ、もっともっと遠鳴りの声になるのなら、やはりそこは目指さないといけませんね。ああ、難しい。

 あと“e”の発音を注意されました。“e”の発音の時に、どうしてもクチビルが横開きになってしまうのだそうです。ああ、注意しないと…クワバラクワバラ。

 さて、曲のレッスンに入ります。最初は、ローザ作曲の「Star vicino/側にいること」です。とにかく、今回でこの曲を終わりにしましょうという事になりました。この曲のポイントは、音程が上昇する時に、カツンと腹筋を入れて歌える事であり、音程が下がってきても、決してお腹を緩めない事。その二点ですが…なんとかOKをいただけました。なので、この曲はこれで無事に合格、お終いになりました。めでたし、めでたし。

 次は、ベッリーニ作曲の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」です。こちらも「お終いにしてしまいましょう」という事で頑張ってみました。

 クチをしっかりと縦開きにして、声の響きを散らさない事(これはOK)。要所要所でノドを休ませながら歌う。ただし、ノドは休ませても、お腹は休ませない事(集中しているとできるけれど、ついうっかり全力で歌ってしまいがち…)。インテンポで歌わずに、音楽の求めるテンポやリズムで歌う事(ついついポピュラーソングのように、インテンポで歌ってしまうけれど、それではドツボにはまってしまいます)。

 まあ、そんな事に注意しながら、うまく出来たり出来なかったりしましたが…結局、不合格で、もう少し歌いましょう…ってか、秋のクラシックコンサートが終了したら、ふたたびこの曲を取り上げましょうって事になりました。注意された事がきちんと出来ていないこともそうだけれど、高いAがキレイに歌えていないんですね。高いAが歌えない理由は、単純に声の回し方が足りないから。もっともっと、声を回して歌えるようにならないと、この曲は合格 -> 終了ってわけにはなりそうもありません。ううむ、残念。

 では、ぼちぼちと秋のクラシックコンサートに向けたレッスンを始めましょうって事になりました。続きはまた明日。

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2015年8月25日 (火)

東京音楽コンクールの第2次予選(声楽)と、スカイツリーと、かんざし

 東京音楽コンクールの公式サイトはこちらです。

 昨年は本選を見た“東京音楽コンクール”でしたが、今年は本選ではなく、予選(第2次予選。1次予選は非公開)を見てきました。コンクールの概要についてとか、去年のコンクールの事などは、こちらの記事に書きましたので、興味があれば、どうぞ。

 「なぜ去年は本選を見たのに、今年は予選なの? ああそうか、今年は予選と本選の両方を見るんだね」

 違います。今年は本選は見ません。

 コンクールは出場者にとっては、自分の将来をかけた真剣な戦いの場なのですが、彼らとは無縁な一般客(つまり私)にとっては、そんな事はどうでもいいわけで、要は「エンターテイメントとして成立しているかどうか」が肝心なんですが、本選は(当然ですが)エンタメ要素は、ほとんどありません。だってガチなんだもの。

 もちろん予選だってガチなんだけれど、予選は本選よりも、色々と楽しめるわけです(ってか、本選って楽しめないんだよね)。

 まず、出場者の数が全然ちがいます。今年に関して言えば、第2次予選出場者は12名でした。声種別に言えば、ソプラノ5名、メゾ2名、カウンターテナー1名、テノール1名、バリトン4名でした。まあバラエティに富んでいるでしょ。これが本選(すでに本選出場者は決定しています)になると、出場者はソプラノ1名、メゾ1名、カウンターテナー1名、バリトン2名になります。昨年なんて、ソプラノ1名、メゾ1名、バリトン2名だったんだよ。女声とバリトンだけ…ってか、半分はバリトン。

 で、本選はオーケストラ伴奏で歌うので、当然オペラアリアだけ。それもコンクール向けのアリアだから、面白みに欠けるけれど小難しい曲…というセレクトになるし、そんな曲はあんまりないので、出演者同士で曲目がカブったりもします。ガチな勝負だから仕方ないけれど、ちょっとこれは、客的には厳しいです。

 でもね、予選だとちょっと違います。

 まず色々な声種の方がいます。私の好きなテノールの人だって、昨年も今年も予選にはいます。それに、予選ではピアノ伴奏って事もあって、歌曲を必ず歌わないといけないので、どの声種の方であって、案外楽しめます。何と言っても、予選は出場者が多くて、演奏曲目も多くて、たくさんの色々な歌が聞けるのがいいんです。実に勉強になります。

 ちなみに、予選出場者と歌った曲目はこんな感じです。名前の頭に◎がついている方が、本選出場者です。

糸数知(ソプラノ)
V.ベッリーニ:追憶
G.シャルパンティエ:歌劇「ルイーズ」より “あの日から”

宮下あずみ(ソプラノ)
R.ザンドナーイ:アコーディオンの音が通りに響く
R.レオンカヴァッロ:もし!…
R.レオンカヴァッロ:歌劇「道化師」より “大空を晴れやかに(鳥の歌)”
J.マスネ:歌劇「エロディアード」より “彼は優しい人”

梶田真未(ソプラノ)
R.シュトラウス:ああ恋人よ、行かねばならない時が来た op.21-3
R.シュトラウス:君は我が心の冠 op.21-2
H.ヴォルフ:改宗した女
G.ヴェルディ:歌劇「運命の力」より “神よ、平安を与えたまえ”

◎迫田美帆(ソプラノ)
F.P.トスティ:「アマランタの4つの歌」より “私をひとりにしてくれ!息をつかせてくれ”
V.ベッリーニ:追憶
W.A.モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より “あの恩知らずが私を裏切った”

◎平山莉奈(メゾソプラノ)
G.F.ヘンデル:歌劇「アリオダンテ」より “暗く不幸な夜のあとには”
S.バーバー:歌劇「ヴァネッサ」より “冬はすぐそこまで”
R.シュトラウス:ツェツィーリエに op.27-2

郷家暁子(メゾソプラノ)
C.ドビュッシー:露台
W.A.モーツァルト:歌劇「皇帝ティートの慈悲」より “行こう、だが愛しい人よ”

◎村松稔之(カウンターテナー)
R.クィルター:若者と恋する娘が
R.クィルター:もうその唇は見せないで
R.クィルター:ヘイ、ホウ、風も吹き雨も降った
G.F.ヘンデル:歌劇「ロデリンダ」より “どこにいるのか、愛する人よ”
G.P.テレマン:歌劇「ランゴバルドの王 フラヴィウス・ベルタリドゥス」より “勇者のトランペットが鳴り響き”

澤原行正(テノール)
V.ベッリーニ:マリンコニーア、優しい妖精
G.ロッシーニ:饗宴
F.チレア:歌劇「アルルの女」より “フェデリーコの嘆き”
F.P.トスティ:理想の人
G.ヴェルディ:歌劇「十字軍のロンバルディア人」より “あの人を喜びで満たしたい”

◎清水勇磨(バリトン)
G.ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」より “私は街の何でも屋”
G.ヴェルディ:「6つのロマンス」より “ああ悲しみの聖母様”
U.ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」より “祖国の敵か”

◎杉浦隆大(バリトン)
G.ヴェルディ:「6つのロマンス」より “墓に近寄らないでほしい”
W.A.モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より “彼に目を向けてください”
G.ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」より “残酷で不吉な苛立ちが”

池内響(バリトン)
W.A.モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より “彼に目を向けてください”
P.チマーラ:海のストルネッロ
G.ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」より “私は街の何でも屋”

原田勇雅(バリトン)
A.マリアーニ:君の手と心
A.トスカニーニ:憂鬱
G.ヴェルディ:歌劇「海賊」より “沢山の愛らしい乙女が”

 ね、声種も曲目もバラエティに富んでいて、見るなら、やっぱり予選でしょ。

 勝負というのは、必ず勝ち負けが決まるわけだし、勝ち進んだ方は、本選で頑張っていただきたいと祈ってます。まだ本選が終わっていない(本選は8月28日金曜日実施)ので、個々の歌手の方々や歌唱内容については、このブログでは書きませんが、勝ち進んだ方はすごいけれど、残念だった人だって、すごかったんだよ。勝負には運も左右しているわけだし、日にちや場所が違えば、もしかしたら結果が違っていたかもしれないと思います。まあ、それくらいギリギリな感じがしています。

 とにかく、今回はたくさん歌曲が聞けて、大満足な私でした。

 で、コンクールは午前中から始まって、昼下がりに終わったので「まだ時間がある」というわけで、このまま真っ直ぐ帰宅するのも、もったいない…という事で、急遽、スカイツリー見物に行くことにしました。いやあ、スカイツリーって遠くから見たことはあるけれど、近くに行ったことがなくてねえ…。

 上野からスカイツリーまで行くのは簡単なんです。東京文化会館のすぐ前にあるバス停から、スカイツリー行きの路線バスに乗れば、あっという間(笑)。なにしろスカイツリーって、業平橋ってか押上にあるわけでしょ。上野や浅草のすぐ側なんですよ。

 で、スカイツリーに行きました。うん、デカイデカイ。デカイろうそくのような感じでした。あんなに細っこくて、風が吹いても倒れないのかな?

 主なエンタメ施設は、展望台とプラネタリウムと水族館。

 展望台の入場料は、低い方の展望台が約2千円で、高い方の展望台に行くには、さらに千円プラス。待ち時間は、私が行った時に1時間でした。別に高いところが好きというわけでもないし、東京は地元でもないので、見下ろしたところで楽しいわけでもないし、何より待ち時間がもったいないのでパスしました。

 プラネタリウムの入場料は約1100円。こちらは2時間近い待ち時間があったので、当然パス。水族館は…うっかりして行きませんでした。入場料は約2千円だし、たぶん待ち時間は無かっただろうから、行けば入っていたと思うけれど、行きませんでした。

 と言うのも、途中で経由したスカイツリーのソラマチと言われる商店街が、とてもおもしろくって、ソラマチを散歩しているだけで時間が経ってしまったからです。それで水族館まで辿り着かなかった…というわけです。

 いやあ、ソラマチ、楽しすぎ(笑)。お店を冷やかしているだけで、十分、エンタメっす。妻はとても気に入って、またソラマチに行きたいって言っているくらいだし…。

 ソラマチにかんざし屋さんがあったので、妻にかんざしを買ってあげました。「せっかく来たんだから、かんざしぐらい買ってあげるよ」と言ったら、真剣に選んでいました。実は、このかんざし屋さん、浅草にもあって、先日、浅草に仕事で出かけた時に店を見つけて、妻に土産にかってやろうと思っていたのですが、どれを選んだらいいのか分からなかったので、その時は買ってやれなかったのが、心残りだったわけです。期せず、妻同伴の今回、系列店をソラマチで見つけたので、先日の件もあったので、妻本人に好きなかんざしを選ばせたわけです。なんか、かんざし、とても気に入ったようなので、私もうれしいです。ちなみに、かんざし屋さんの公式サイトはここです。

 かんざしの挿し方にも色々あるようですが、妻がお店で習った方法はこんな感じでした。

 妻曰く「かんざしって、お手軽」なんだそうです。ネットをみると、かなり安価で可愛いかんざしもたくさんあるので、妻は何本か買い揃える気になったようです。

 かんざし…日本の女性って感じで、いいよね。

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2015年8月24日 (月)

先日、草津に遊びに行ってきました

 さて、本日より通常運転に戻りますが…再開一回目ですが、今回は、音楽とは関係ないネタだけれど、私の備忘録として、旅行の話を書きます。

 先日、お盆休みの終端あたりで、妻と二人で群馬県の草津温泉に行ってきました。夫婦で温泉旅行とは、まさに老夫婦の楽しみだね(笑)。で、今回の旅行の目的は、もちろん目的地である『草津温泉を楽しむ』もあったのだけれど、それ以上に私の興味を引きつけたのは『長引くデフレ時代における激安旅行って、どんな感じなの?』って事もありました。

 そう、今回の旅行は、驚くべき激安旅行を敢行したわけです。で、どんな激安旅行なのかと言うと…まず、現地までの足は…ホテルの送迎バス。そうなんですよ、鉄道とか路線バスとかの一般公共交通機関は使用せずに、ホテルの送迎バスで行きました。

 普通、ホテルの送迎バスって、ホテルの最寄り駅からホテルまで…と言うのが一般的なんだけれど、今回利用したホテルの送迎バスは、ホテルそのものは群馬県の草津温泉にあるにも関わらず、送迎バスは…なんと、神奈川県の横浜から出ているんです。なので、今回は、そのバスに乗って草津に行きました…いやあ、そんな長距離を運行してくれる送迎バスがあるんですね(驚)。

 とにかく、朝8時半発のバスに乗り、途中で二度の休憩をはさんで、草津に到着したのが午後3時頃。時間的には…ちょっと長いけれど、草津自体が遠方なんだから、これは仕方ありません。道中を愉しめばいいわけですからね…と言っても、乗っているのは、ホテルの送迎バスです。観光バスじゃないんです。だから道中は、全く旅行気分ではなくて、単なる移動でございました。なにしろ本当の本当に送迎バスなので、『禁酒禁煙・ガイドさんも不在』だったんですよ。私はやらないけれど、バス旅行の楽しみの一つに『車中の酒盛り』ってのがあるわけだけれど、これはNG。旅行気分を盛り上げてくれるガイドさんの軽快なトークも無し。単なる“送迎バス”だから、送迎オンリーで、実に気分は盛り上がらないわけだ。

 その代わり、交通費は激安(笑:さすがに遠距離なのでタダではなかった)でございました。

 で、そんな送迎バスに揺られて、ホテルに着けば、いかにも“昔の観光ホテル”って感じのホテルでした。あっちこっち、うらぶれているし、いかにも“人件費ケチっているなあ”といった感じで、全体的に薄暗くて、古めかしくて、掃除もあれこれ行き届いてません。宿に期待していると、絶対に失望するなあ(笑)。

 食事は…って言うと、なかなか面白かったよ。海のない草津なのに頑張ったんだろうねえ…夕食には刺し身の盛り合わせが出たんだけれど、これがどうにも不味くってねえ(涙)。私はちょっとだけ食べて止めました。いやあ、食材になってくれたお魚さんには申し訳なかったのだけれど、ほんと、不味いんだよ。こんなに不味いお刺身なんて、久しぶりに食べました。ちなみに、朝食の焼き魚も不味くて、食べる手が途中で止まっちゃったくらいさ。

 湘南の人間は、海の幸には、舌が肥えているからねえ(薄笑)。

 魚以外の料理も、ホテルの食事なのに、もやし料理とか、豆腐の煮た奴とか、ウインナーの炒めた奴とか、まあ家庭の節約料理の延長みたいなメニューばかり。それらがバイキング形式で提供されています。料理の質は全く期待できません、しかし量に関して言えば、バイキング形式ですから、いくらでも食する事ができるわけで「料理の味にはこだわらないけれど、料理の量は気になるなあ」という人向きの食事です。ま、体育会系の男子学生には喜ばれるかもしれないけれど、一般の方だと厳しいかもしれません。と言うわけで、食事に期待していると、絶対に怒り心頭になるだろうなあ(笑)。

 まあ、美味しいモノは、ホテルを出れば(ホテルは草津の中心地、湯畑にあります)、周囲にいくらでもあるので、そっちで食べて下さいってわけね。

 そうそう、食事には、料理の他に“飲み放題”が付いていました。生ビール・日本酒(冷)・ワイン(白&赤)・ハイボール・焼酎…ぐらいが付いていたと思うけれど、私が見ても分かるくらいに、お安い銘柄のお酒が並んでいました。これまた「酒の味にはこだわらないけれど、とりあえず酔っぱらえれば、それで良し」という人向きでした。

 で、普通、観光ホテルなら、高いお酒を嗜むべくバーとかがあるわけで、このホテルにもバーが二箇所ある…ことになってましたが、どちらも営業していませんでした。一軒はオープンスペースにあったので、ちょっと覗いてみたら、物置になってました。つまり、高い酒を楽しみたければ、ヨソに行きなさいってわけだ。

 とにかく、食事に関していえば、こんなものでしょう。何しろ激安旅行だからね。でも、ホテルの人たちは、みんな笑顔で親切だったのは、良い所だと思うよ。建物と食事がダメだったけれど、従業員の皆さんの笑顔と人懐っこい所に救われた気分でした。

 まあ、それにホテルがいくら安っぽくても、そこを一歩出れば、すぐ外は、本物の草津温泉なわけで、世界の観光地“草津”は、やっぱり面白かったよ。湯畑を見て「うひょー」と叫んで、西の河原に行って「うわー」と声を上げてきました。やっぱ、見知らぬ土地に行って、あれこれ見物するのは、面白いね。

 それと、ホテルは建物と食事はダメだったけれど、お湯はなかなか良かったよ。ホテルのお湯が良かったので、巡り湯をする気分にはなれませんでした。これは誉めておきます。とにかく、さすがに草津の湯。泉質がとにかく良いんです。草津温泉は温泉の東の横綱だと言われるけれど、実に納得。ザ・温泉って感じのお湯でございました。

 で、こんな激安な今回の旅行ですが、ここにお世話になりました。とにかく、あれこれあれこれダメな部分はたくさんあるけれど、とにかく、すっごく安いんです。ホテルに一泊(二食付き)で5500円/人、送迎バスが往復1500円/人。夫婦ふたりで1万5千円で一泊旅行が楽しめちゃう。ちなみにこの価格設定って、日帰りバスツアーよりも安価な価格設定なんですよ(大笑)。日帰り旅行よりも安い温泉一泊旅行って、一体なんなの?って感じです。

 あと、温泉は(当然)本物なので、お湯はすごく良いです。なので、旅行に行って、贅沢気分を味わいたい人には全く不向きだけれど「部屋がどんなボロくても、目をつぶってしまえば同じ。食事だって、お腹に収めてしまえば同じ。ただただお湯にこだわりたい」と思っている人には、案外いいかもね。これだけ安いと、気軽に何度もリピートできるので、湯治感覚でお出かけできます。実際、ポイントカードが発行されていて、何度もリピートしている人がいるみたいです。

 まあ、この激安旅行プラン、決して万人向けとは言えませんし、私もここをもう一度利用するかと言うと、今のところは何とも言えない気分だけれど、掛かった費用以上の価値はあったと思う。まあ、安ければ、安さを愉しめばいいわけだし、激安旅行にしては、良い旅だったと思うよ。なにしろ、日帰りバス旅行並の費用で、温泉一泊旅行ができるわけだから、贅沢言ったらバチが当たるというモンです。

 それにいくら激安旅行と言っても、上げ膳据え膳なわけで、日頃家事に追われている方々が、ほっと休憩できる事にはかわりありません。妻も、夕食後、まだ時間が早いにも関わらず、さっさと寝ちゃってましたからね。たっぷり休息が取れたようです。なかなか貴重な体験をしてきました。

 それにしても、湘南から草津は…遠いわあ。

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2015年8月23日 (日)

私の好きな歌曲 その12 Be my love

 この曲は、正確に言えば、歌曲ではなく、流行歌なのかもしれません。でも、オリジナルを歌っていた歌手はとっくの昔に死んでしまっているのに、未だに多くの歌手たちによって歌い継がれているし、その歌っている歌手たちも、ポピュラー歌手はほとんどいなくて、大抵がクラシック歌手(それもテノール)だったりするので、事実上、歌曲として扱って良し…と私、思ってます。

 と言うわけで、聞いてみてください。いかにも「クラシック声楽の歌曲だよ~」って風に歌っている動画が良いかなって思いましたので、テノール歌手のジョセフ・カレヤの歌唱でお聞き下さい。

 どうですか? こんな風に歌われると、歌曲扱いで全然構わないでしょ? ちなみに、歌詞はこんな感じです。

Be my love,
 恋人になってください
for no one else can end this yearning;
 この憧れを終わらせるためにも
This need that you and you alone create.
 あなたでなければダメなんです
Just fill my arms
 私の胸はいっぱいです
the way you've filled my dreams,
 あなたへの思いでいっぱいです
The dreams that you inspire with ev'ry sweet desire.
 あなたへの恋心で満たされています

Be my love,
 恋人になってください
and with your kisses set me burning;
 あなたのキスが私を高ぶらせます
One kiss is all I need to seal my fate,
 私の望みは、あなたのキスだけ。
 それが私の運命を決めてしまいます
And, hand-in-hand, we'll find love's promised land.
 そして、二人で一緒に未来を作っていきましょう
There'll be no one but you for me, eternally,
 私にはあなたしかいない、永遠に。

If you will be my love.
 もしもあなたが私の恋人になってくれるなら。

And, hand-in-hand, we'll find love's promised land.
 そして、二人で一緒に未来を作っていきましょう
There'll be no one but you for me, eternally,
 私にはあなたしかいない、永遠に

If you will be my love.
 もしもあなが私の恋人になってくれるなら

 オリジナルが聞きたくなってきた? では、オリジナルの、マリオ・ランツァの動画を貼っておきます。

 はい、ご覧のように、映画「ニューオリンズの美女」のワンシーンです。オリジナルを歌っているマリオ・ランツァは、実はいわゆる映画俳優です。「Good-bye」のところで紹介したディアナ・タービンと同じように、歌って演技ができて踊れる俳優さんです。この曲は、映画のサントラからシングルカットされて、全米でミリオンセラーを記録しているそうです、大ヒットを飛ばしたわけだ。すごいね。

 マリオ・ランツァという人は、単なるポップス歌手ではなく、今や伝説の人となっています。彼はオペラ歌手を目指して勉強していたにも関わらず、なかなか活躍の場が与えられず、ベルカント・トリオというグループ(今で言う、イル・ディーヴォのような感じなんだろうと思います)を組んで、アメリカを巡業したところ、ようやく人々に周知されるようになり、ハリウッド・ボウルで大成功を収め、映画界からオファーが来るようになったんだそうです。で、ひとまずオペラ劇場ではなく、ハリウッド映画でデビューし、瞬く間に映画で成功してしまった人なんだそうです。

 オペラ劇場デビューも、映画デビューの前後に行ってますが、映画が多忙だったために、オペラに専念する事ができず、結局、オペラ劇場ではほとんど活躍していません。

 つまり、彼は映画の人なんです。でも、映画を通して、彼の歌を聞き、それでオペラ歌手を目指したという人たちが当時はたくさんいたんですね。例えば、三大テノールの、ドミンゴもカレーラスもみんな、ランツァにあこがれてオペラ歌手になったと言ってます。皮肉な事に、望みながらもオペラ歌手になれなかったランツァの歌を聞いて、オペラ歌手になったわけです。皮肉だね。

 彼の代表作は『歌劇王カルーソ』という映画です。これは20世紀初頭のレコード黎明期に活躍した、テノール歌手、エンリコ・カルーソを主人公にした伝記映画…だそうです。テノール歌手の役ですから、まさにランツァにはうってつけで、当然、映画の中で、オペラアリアを歌いまくったわけで、それが若いドミンゴやカレーラスを大いに刺激した…というわけです。

 ああ『歌劇王カルーソ』って、どんな映画なんでしょ? ぜひ見てみたいものです。英語字幕の輸入盤は発売されてますし、YouTubeでも見れますが、日本語字幕がないと、私の場合、脳みその大半が英語の翻訳にまわってしまって音楽を楽しむ余裕が無くなってしまうので、見るなら日本語字幕付きか、あるいは日本語吹き替えじゃないと厳しいんだよなあ(涙)。ああ、悩ましい。

 で、マリオ・ランツァが演じたエンリコ・カルーソという歌手がどれくらいスゴイ人なのかと言うと、世界初のミリオンセラーを出した歌手として有名です。なんという曲でミリオンセラーを出したのかと言うと、レオンカヴァッロ作曲の歌劇「道化師」の中のテノールのアリア「Vesti la giubba/衣装を着けろ」です。どんな歌かと言うと、こんな歌です。

 1907年の歌唱です。今から…100年以上も前の録音です。CDではなく、モノラルSPで発売されました。まだ電気は普及していませんから、当然、機械吹き込みです。

 ちなみに歌詞はこんな感じです。今回の歌詞は、ウィキペディアの当該ページより転載しております。

Recitar! Mentre preso dal delirio,
 芝居をするか!逆上しているこの最中に、
non so più quel che dico,
 俺は何を言っているのか、
e quel che faccio!
 何をしているのか自分でもわからない!
Eppur è d'uopo, sforzati!
 それでもやらにゃあいかんのか、我慢してやるんだ!
Bah! sei tu forse un uom?
 ああ、それでもお前は人間か?
Tu se' Pagliaccio!
 お前は道化師なんだ!

Vesti la giubba,
 衣装をつけろ、
e la faccia infarina.
 白粉をぬれ。
La gente paga, e rider vuole qua.
 お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
E se Arlecchin t'invola Colombina,
 もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても、
ridi, Pagliaccio, e ognun applaudirà!
 笑うんだ道化師よ、それでお客様は拍手喝采さ!
Tramuta in lazzi lo spasmo ed il pianto
 苦悩と涙をおどけに変えて
in una smorfia il singhiozzo e 'l dolor
 苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

Ah, ridi, Pagliaccio,
 ああ! 笑うんだ道化師よ
sul tuo amore infranto!
 お前の愛の終焉に!
Ridi del duol, che t'avvelena il cor!
 笑え、お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 「Be my love」も「Vesti la giubba/衣装を着けろ」も、両方とも、ミリオンセラーになったほどの名曲です。ああ、私もぜひいつか、これらの曲を歌ってみたいです。

 と言うわけで、今回で夏の連載は終了です。明日からは通常運転に戻りますので、よろしくね。

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2015年8月22日 (土)

私の好きな歌曲 その11 Agnus Dei/アニュス・デイ

 さて、今回の「Agnus Dei/アニュス・デイ」は歌曲と言いながら、実は元々は器楽曲だったという曲です。オリジナルはビゼー作曲の「アルルの女」の間奏曲です。実はこの曲、そのメロディーがあまりに美しかったがために、作曲家自身が後に歌曲に書き直しちゃったという作品です。

 では聞いてみましょう。

 歌っているのは、御大プラシド・ドミンゴです。この曲は、ちょっと声が重いテノールが歌うと最高です。ほんと、いい曲ですよねえ。まるで、最初からテノール歌手のために作曲された曲みたいです。

 歌詞は…ミサ典礼文の「平和の讃歌」そのままです。それを部分的に何度も繰り返しているだけです。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi
 神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
miserere, miserere, nobis.
 あわれみたまえ、我らをあわれみたまえ。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi
 神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
miserere, miserere, miserere, nobis.
 あわれみたまえ、あわれみたまえ、我らをあわれみたまえ。

Agnus, Agnus Dei, qui tollis peccata mundi
 子羊、神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
Agnus, Agnus Dei, qui tollis peccata mundi
 子羊、神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、
dona nobis pacem.
 我らに平安を与えたまえ。

Agnus Dei, dona nobis pacem.
 神の子羊、我らに平安を与えたまえ。
Agnus Dei, dona nobis pacem.
 神の子羊、我らに平安を与えたまえ。

dona nobis, dona nobis pacem.
 与えたまえ、我らに平安を与えたまえ。

 ああ、私も歌ってみたい。ヨーロッパではクリスマスになると、この曲はよく歌われるんだそうです。え? こんな重々しい歌をクリスマスに歌うんですか!って感じです。

 ちなみに原曲の方はこんな感じです。

 動画を見ると分かるのですが、この曲のメロディはアルト・サクソフォンで演奏されています。なんでも、クラシック系サックスでは定番の曲なんだそうですね。サックスって、どうしても吹奏楽やジャズのイメージが強くて“クラシックとは無縁の楽器”と思われがちですが、こんな感じで、たまにオーケストラに混じって演奏するようです。

 器楽曲として作曲されたけれど、メロディが美しかったので、後に歌曲になりました…ってのは、他に有名な曲だと、マスカーニの「アヴェ・マリア」がそうです。元歌は、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲だよね。こちらは女声がよく歌われます。シューベルトの「ます」は歌曲が先だっけ? それともピアノ五重奏曲の方が先だっけ?

 ついでですから、マスカーニの「アヴェ・マリア」を貼っておきます。

Ave Maria,madre Santa,
 アヴェ・マリア 聖なる母よ
Sorreggi il piè del misero che t'implora,
 あなたに祈る不幸な私を支えてください
In sul cammin del rio dolor
 ひどい苦しみの道の中を歩む時も
E fede,e speme gl'infondi in cor.
 信仰と希望を私の心に注ぎ込んでください

O pietosa,tu che soffristi tanto,
 おお、慈悲深い御方よ、大いなる苦しみを受けた方よ
Vedi,ah! vedi il mio penar.
 ご覧ください、ああ、私の苦しむ姿をご覧ください
Nelle crudeli ambasce d'un infinito pianto,
 永遠に涙を流しながら、残酷な嘆きの中にいる私を
Deh! non m'abbandonar.
 おぉ! どうか見捨てないでください

Ave Maria! In preda al duol,
 アヴェ・マリア、私を悲しみの中に
Non mi lasciar,o madre mia,pietà!
 置き去りにしないでください、おぉ母なる方よ、お願いです
O madre mia,pietà! In preda al duol,
 おぉ母なる方よ、お願いです 私を悲しみの中に
Non mi lasciar,non mi lasciar.
 置き去りにしないでください、おぉ母なる方よ

 この曲も良い曲ですよね。歌っているのは、藤田瑞穂さんというソプラノ歌手の方です。まあ、この曲はメゾの方が歌うことが多いのですが、私は個人的にはソプラノの方に歌っていただきたいなあ…と思う曲だったりします。

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2015年8月21日 (金)

私の好きな歌曲 その10 Dank sei Dir, Herr/主よ、汝に感謝す

 この曲は、少し前まではヘンデルの作曲と見なされ、オラトリオ「エジプトのイスラエル人」の中の一曲であると思われていたようですが、現在ではヘンデルとは関係がなく、ジークフリード・オックス[Siegfried Ochs (1858-1929)]が作曲した事になっています。ヘンデルは、1685年-1759年ですから、全く時代が違います…ってか、それ以前に、オックスって20世紀の人じゃん! 

 オックスは、当時のベルリンでは、とても有名な合唱指揮者だったようです。彼はオペラやオペレッタ、また各種声楽作品の作曲家でもあり「Dank sei Dir, Herr/主よ、汝に感謝す」では、曲だけでなく詩も書いているんだそうです。

 つまりヘンデルとオックスは全くの無関係であり「エジプトのイスラエル人」と「Dank sei Dir, Herr/主よ、汝に感謝す」も全くの無関係である…って事になります。でも、なんで、そんな間違いが生じたんでしょうか?

 実はある日、オックス自身が「世に知られていないヘンデルのアリアを発見しましたよ! “エジプトのイスラエル人”というオラトリオに含まれるアリオーソです。タイトルは“Dank sei Dir, Herr/主よ、汝に感謝す”と言います。とっても、良い曲です。いい曲だから、皆さん、歌ってみて下さいね。今度、楽譜を出版しますから(笑)」と発表して、オックスがこの曲をヘンデルの曲として出版したらしいんですね。で、それがヒットして、今に至るようです。もっとも、出版と言っても、当時の話ですから、ピースで出版したので、今でもヘンデルの「エジプトのイスラエル人」の楽譜には、この曲は入っていません。

 もちろん、この曲は、ヘンデルの失われたアリオーソではなく、オックス自身の作品をヘンデルの作品だと騙って出版したに過ぎません。つまり、この曲はヘンデルの贋作って事になります。なんかなあ…。

 ですので、私が持っているハル・レオナード社(アメリカの楽譜出版社)の楽譜には、この曲はオックスの作曲物として出版されてますが、ネットを見る限り、日本の出版社は未だにヘンデル作曲となっているようです。それどころか、日本では「ヘンデルのダンク」という愛称すらあります。ふう…。

 では、そんな偽ヘンデル君が作曲した歌曲を聞いてみましょう。

 ああ、贋作だろうけれど、やっぱり名曲だ! 私は、この歌、大好きです。

 歌っているのは、ソプラノ歌手、ジェシー・ノーマンです。マツコ・デラックスじゃないよ(笑)。作曲は偽ヘンデル君だけれど、曲そのものは、素朴な感じの曲で、なかなか良いです。でも、明らかにヘンデル風ではないけれどね。

 この手の贋作問題って、当時は結構あったみたいです。有名な例としては「カッチーニのアヴェ・マリア」も「モーツァルトの子守唄」も、カッチーニやモーツァルト作品では無いって事です。この時代は、今の時代と違って、著作権の意識も低いし、無名な作曲家が世に出る方法の一つとして、自分の作品を昔の有名な作曲家の作品だと偽って、発表するってのは、珍しくなかったそうです。もっとも、そんな無名な作曲家が作った作品なんて、クソみたいな作品ばかりだったら、いくら有名な作曲家の名前を借りても、ほとんどは消えてしまったわけだけれど、まれに名曲が残っているから、面倒なんだな。

 歌詞はこんな感じです。今回の歌詞は、以前、よくこのブログに遊びに来てくださったCeciliaさんのブログに掲載されていたものを転載させていだきました。お元気してらっしゃいますか?

Dank sei dir Herr,
 おん身に感謝します、主よ、
Dank sei dir Herr,
 おん身に感謝します、主よ、

Du hast dein Volk
 おん身はおん身の民を
Mit dir geführt,
 おん身とともに、海をこえて
Israel hin durch das Meer.
 イスラエルに導かれました。

Wie eine Herde
 家畜の群れのように
Zog es hindurch,
 民は海を通りこえました、
Herr,deine Hand
 主よ、おん身の手が
Schützte es,
 民を護り、
In deine Güte
 お情深いみ心によって
Gabst du ihm Heil.
 民をお救いくださいました。

Dank sei dir Herr,
 おん身に感謝します、主よ、
Dank sei dir Herr,
 おん身に感謝します、主よ、

Du hast dein Volk
 おん身はおん身の民を
Mit dir geführt,
 おん身とともに、海をこえて
Israel hin durch das Meer.
 イスラエルに導かれました。

 ちなみに、この曲、日本では讃美歌としても有名なんですね。YouTubeにも色々と動画がアップされていたので、ぜひご紹介しようと思ったのですが…教会で歌われている讃美歌の動画だと、どの動画も色々と問題があって、私が見つけた範囲の中では、アップに耐えるものがありませんでした(残念)。そこで、どこの学校かは存じ上げないのですが、某学校(おそらくカトリックの女子高でしょうね)が卒業証書授与式で「感謝の歌」として、この歌の日本語バージョンを歌った動画を見つけましたので、それをアップします。

ああ感謝せん ああ感謝せん
我が神 今日まで 導きませり

げに主は
強き御手もて 我を守りませり

ああ感謝せん ああ感謝せん
我が神 永遠(とわ)へ 導きませり

我が神 今日まで 導きませり

 卒業式をキャンドルサービスで行うなんて、素敵な学校だな。

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2015年8月20日 (木)

私の好きな歌曲 その9 ロマンチストの豚

 私、日本の歌曲も好きだよ(笑)。ただ、日本語は歌うのが難しいので、聴くだけならともかく、歌いたいと思える歌曲となると、どうしても数が限られてしまいます。

 そんな中、チャンスがあったら、ぜひ歌ってみたいと、かねてから温めているのが、この曲です。木下牧子氏作曲の「ロマンチストの豚」です。

 歌詞はこんな感じです。歌っているのは、メゾソプラノの薬谷佳苗氏です。

ロマンチストの豚がいた
こころはやさしくおしりはまるく
ほそいひとみをまばたいて
いつもはなをならしていた
  ロマンチストの豚 ロマンチストの豚
  夢みる夜のあこがれに
  みもだえしながらせつなくねむる

ロマンチストの豚がいた
暮らしはひどくて希望もないが
しかしほほえみわすれずに
いつも歌をうたっていた
  ロマンチストの豚 ロマンチストの豚
  夢みる夜のあこがれに
  みもだえしながらせつなくねむる

ロマンチストの豚がいた
ある晩背中に翼がはえた
白い翼をはばたいて
豚は空へとんでいった
  ロマンチストの豚 ロマンチストの豚
  ロマンチストの豚からは
  それっきりなんのたよりもない

 ちなみに、作詞はアンパンマンで有名な、やなせたかし氏です。アンパンマンの世界にも通じるようなファンタジーの世界が歌われていますが…主人公の豚は、最後は天使になって飛んでいってしまった…って、食肉加工されたんだよね! まあ、ブラックとも言えない程度の薄味ブラックな詩だったりします。

 私のような肥満体歌手がコミカルに歌うのに、うってつけの曲なんです。

 実はこの「ロマンチストの豚」は、歌曲集「愛する歌」の中の一曲なんですが、この“歌曲集「愛する歌」”自体が、二部合唱曲集「愛する歌」から作られた歌曲集なんですね。つまり、最初は二部合唱曲として作られた曲(「ロマンチストの豚」含む)を、後に歌曲に作りなおした…と言うか、転用したというわけなんです。

 というわけで、こちらが合唱バージョンの「ロマンチストの豚」です。

 こちらの動画ではアカペラで歌ってますが、元々アカペラ歌唱がオリジナルなのかどうかまでは、私存じ上げません。でもググるとこの曲、結構アカペラ合唱のものが多いんです。それにしても、アカペラの合唱っていいですよね。歌っているのは“慶應義塾大学理工学部・国立音楽大学混声合唱団コールマイヤー”さんです。

 ほんと、この曲の歌曲バージョン、歌ってみたいです、レパートリーにぜひ加えたい曲です。それくらい、愛してます。でも、私には、ちょびっと音域が低いんだよね。合唱ソプラノの音域で作曲されているのが悩みです。五線下のCのロングトーンは、ちょっと私には無理かも…。それくらい低い音になると、短い音符ならビヤっと出せますが、ロングトーンは難しいんだよね。どうしても胸に落ちちゃって、偽バリトンヴォイスになっちゃうんですよ。テノールの声で歌うには、三度ほど上げたい気分です。ソリストが歌うには、やはり動画のように、メゾやバリトンさん向けなのかな?

 そこが残念。でも、歌いたい。

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2015年8月19日 (水)

デアゴの「DVD 世界のオペラハウス名演コレクション」が終了してしまいました

 連載を中断して、記事を一つ、ぶち込みます。

 なんとビックリ! デアゴスティーニの「DVD 世界のオペラハウス名演コレクション」なんですが、第5号を以って“休刊”なんだそうです。

 つまり、お終い。

 ああ、残念だ! ただ、残念だ(涙)。

 残念すぎて、なんか凹みます…。

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2015年8月18日 (火)

私の好きな歌曲 その8 Chanson de l'Adieu/別れの歌

 本日取り上げる「Chanson de l'Adieu/別れの歌」という曲は、昨日も取り上げたトスティの作品です。ただし、トスティが書いた曲ですが、フランス語で書かれている、フランス歌曲であります。トスティの書いたフランス歌曲の中で、一番有名な曲かもしれません。ちなみにこの曲は「さよならを言う事は少しの間死ぬ事だ」というタイトルで呼ばれる事もあります。

 歌っているのは、フランスのバリトン歌手ブルーノ・ラプラントです。いつも不思議だなあと思うのは、同じような声を持っていて、イタリアだとテノール歌手になってしまうような人でも、フランスだとバリトン歌手になってしまうんです。このラプラントという歌手もそう。この人、フランスじゃなかったら、テノールになっていてもおかしくない声を持っていますが、バリトンなんですね。おそらくフランスではバリトンが愛される…のかな? なんか面白いです。

 歌詞はこんな感じです。今回の歌詞は全音の「トスティ歌曲集1(旧版)」の訳詞をいただきました。だって、私、フランス語なんて、ちっとも分からないもの(涙)。

Partir, c'est mourir un peu,
 発つこと、それは少し死ぬことだ
C'est mourir à ce qu'on aime :
 愛される者にとって、それは死ぬことだ
On laisse un peu de soi-même
 人はどんな時どんな所にも
En toute heure et dans tout lieu.
 自分自身を少し残して行く

C'est toujours le deuil d'un vœu,
 それは常に祈りの悲しみであり
Le dernier vers d'un poème ;
 詩の最後の行だ
Partir, c'est mourir un peu.
 発つこと、それは死ぬことだ
C'est mourir à ce qu'on aime :
 愛される者にとって、それは死ぬことだ

Et l'on part, et c'est un jeu,
 しかも人は行く、それはひとつの戯れだ
Et jusqu'à l'adieu suprême
 最後の別れに至るまでの
C'est son âme que l'on sème,
 どんな別れにおいても、人が蒔くのは
Que l'on sème à chaque adieu...
 それは自分の魂だ

Partir, c'est mourir un peu.
 発つこと、それは少し死ぬことだ
Partir, c'est mourir un peu.
 発つこと、それは少し死ぬことだ

 「発つこと」と言うのは、“出発する事”“立ち去る事”“別れを告げる事”です。

 同じ作曲家のイタリア語の歌曲とフランス語の歌曲を続けて紹介したわけですが、言語が違うと、こんなに曲の雰囲気って変わるんですね。イタリアの歌曲は、いかにもイタリアっぽいし、フランス歌曲になると、こんなにもフランスになっちゃうわけです。歌曲にとって、言語(の響き)って、ほんと大切ですね。

 トスティはイタリア人ですから、イタリア語で歌曲を書きますし、当時の上流階級(つまり、音楽を熱心に聴く人たち)はフランス語がペラペラでしたから、フランス語の歌曲も書きました。それに加え、トスティは、イギリス王室付きの音楽家で、イギリスに住み、晩年はイギリスで貴族になっている人ですから、イギリス語(英語)の歌曲もたくさん書いてます。その代表曲は「Good-bye」でしょう。世界の名歌手たちは、たいていオリジナルの英語で歌っているのですが、日本ではなぜか、オリジナルの歌詞ではなく、イタリア語に訳した「Addio」として親しまれています(笑)。

 面白い動画を見つけましたので、それで紹介します。「Good-bye」って、こんな感じの曲です。

 映画用に編集されているみたいで、通常の歌唱とは、曲の構成がちょっと違っていますが、それもまた愛嬌です。歌っているのは、ディアナ・ダービンというカナダのソプラノ歌手です。活躍したのは、主にハリウッドで、歌って踊れて演技もできるタイプの映画女優さんって感じですね。当時のハリウッドには、彼女のように、歌える女優さんというのが、たくさんいたわけです。

 歌詞はこんな感じです。簡単な英語だから、和訳はつけないよ。

Goodbye, forever! Goodbye, forever!
Goodbye! Goodbye! Goodbye!

Hush! a voice from the far away!
"Listen and learn," it seems to say,
"All the tomorrows shall be as today."
"All the tomorrows shall be as today."
The cord is frayed, the cruse is dry,
The link must break, and the lamp must die --
Goodbye to Hope! Goodbye! Goodbye!
Goodbye to Hope! Goodbye! Goodbye!

Falling leaf and fading tree,
Lines of white in a sullen sea,
Shadows rising on you and me;
Shadows rising on you and me;
The swallows are making them ready to fly,
Wheeling out on a windy sky.
Goodbye to Hope! Goodbye! Goodbye!
Goodbye to Hope! Goodbye! Goodbye!

What are we waiting for? Oh, my heart!
Kiss me straight on the brows! and part again!
Again! my heart! my heart! What are we waiting for, you and I?
A pleading look, a stifled cry.
Goodbye, forever! Goodbye, forever!
Goodbye! Goodbye!

 トスティは、イタリア語で歌っても、フランス語で歌っても、英語で歌っても、良い曲はやっぱり良いですね。ほんと、心にしみる。

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2015年8月17日 (月)

私の好きな歌曲 その7 L'alba sepàra dalla luce l'ombra/暁は光りから

  はい、いよいよトスティの歌曲の登場です。イタリア系歌曲で、テノールが歌う歌曲と言えば「1にトスティ、2がイタリア民謡、3、4がなくて、5に…ええい、歌曲なんてまどろっこしいモノが歌えるかー! オペラアリアを持ってこいー! アリアだ、アリアだ!」の、トスティです(笑)。

 これもまた、私の大好きな曲であり、いつかは歌ってみたいと願いながら、あまりの難しさに、未だにチャレンジできずにいる曲なんです。とりあえず、聞いてみてください。

 音声の録音状態は良くないですが、歌唱は最高でしょ? 歌っているのは、テノールのファン・ディエゴ・フローレスです。彼はロッシーニ歌いと呼ばれる種類のテノールですが、トスティもなかなか良いでしょ?

 歌詞はこんな感じです。今回の訳詩は、私の翻訳ではなく、ウィキペディアの当該ページよりいただきました。この歌は…まだ歌ったことがないので、勉強が足りなくて訳せなかったりします(汗)。

L'alba sepàra dalla luce l'ombra,
 夜明けは 光から暗闇を分かち
E la mia voluttà dal mio desire.
 私の欲求から 逸楽を分ける
O dolce stelle,è l'ora di morire.
 おお 愛しい星よ 滅び行く時だ
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.
 さらに神聖な愛が空からお前たちを取り除く

Pupille ardenti,O voi senza ritorno
 燃えさかる瞳よ おお二度と戻らぬお前たちよ
Stelle tristi,spegnetevi incorrotte!
 悲しき星たちよ 清らかなまま姿を消してくれ
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
 私も死のう 昼など見たくないのだ
Per amor del mio sogno e della notte.
 私の夢と、そして闇への愛ゆえに

Chiudimi,O Notte,nel tuo sen materno,
 私を包んでくれ、おお夜よ、お前の母なる胸に
Mentre la terra pallida s'irrora.
 蒼ざめた大地が露に濡れている間に
Ma che dal sangue mio nasca l'aurora
 さもなくば 私の血から暁が生まれ
E dal sogno mio breve il sole eterno!
 私の短い夢から永遠の太陽が生まれてほしい
E dal sogno mio breve il sole eterno!
 私の短い夢から永遠の太陽が生まれてほしい

 この曲は「アマランタの4つの歌」という歌曲集の中の一曲で、トスティの代表曲の一つです。この曲だけ見ている分かりづらいかもしれませんが、これは恋に苦しむ男性の心情を吐露した曲なのです。恋に苦しむ…というか、欲情にかられるというか、性欲に身悶えるするというか(笑)。まあ、そう言った、肉欲的なドロドロしたオスの歌なんです。この曲は音程の平均値がすごぶる高い曲で、それゆえに音域的にはソプラノ歌手向けの曲のように思われて、実際、キング門下では女性がよく歌っていましたが、歌詞の内容を見ると、これは女性が歌うべき内容では、全く無いですね。ってか、女性に歌わせるのってセクハラになるんじゃないの?と言うくらいに、男臭くてプンプンするような曲です。

 これはぜひ、絶叫するテノールの声で歌われないといけない曲です。絶頂を目指して咆哮しないといけないのです。

 昨日も書きましたが、歌曲は基本的に誰が歌ってもいいのですが、それでも作曲家が作曲する際に、特定の歌手や特定の声種を念頭に置いて作曲されている場合は、想定されてる声種で歌うべきだと、私は思います。

 まあ、一流の作曲家と言うのは、たいてい男性で、男性故に女性が大好きで、女性歌手と言えば、花形はソプラノ歌手ですから、たいていの歌曲はソプラノが歌うことを想定して書かれているわけですし、実際に多くの歌曲は、ソプラノが歌った時が、一番映えるモノなんです。これはソプラノ以外の歌手にとっては、残念な事実なんです。

 しかし、そんな中にあっても、ソプラノ以外の声種のために曲を書いている作曲家も若干はいます。

 例えば、ロッシーニはメゾソプラノのために美しい曲をたくさん書いています。と言うのも、ロッシーニの奥さんはメゾソプラノ歌手だったからです。なので彼は“メゾラブ”なんですが、そんな作曲家は、残念ながら、少数派なんですね。ほとんどの作曲家はソプラノ歌手のために曲を書きます。少なくとも、オペラや歌曲で成功した作曲家の多くは、ソプラノ歌手を妻に迎えている事が多いので、どうしたってソプラノ向けの曲を量産するわけです。

 で、トスティです(笑)。実はトスティは、ソプラノ向けの曲をあまり書いていません。トスティが書いた曲の大半と言うか、そのほとんどはテノール向けの曲なのです。なぜなら、トスティ自身がテノール歌手であり、テノール歌手というのは、ほぼ例外なく“自分大好き人間”だし、基本的に“大馬鹿者”でもあります。そんな“自分大好き”で“大馬鹿な”テノール歌手が作曲家になって、バンバン歌曲を書けば、そりゃあ、そのほとんどがテノール向けの曲になるのは、火を見るよりも明らかですね、はい。

 当時、オペラ全盛の時代にオペラを1曲も書かずに、歌曲ばかり書いていたのだって…絶対に、自分大好きで、自分が歌うためだけに曲を書いていたから…に違いありません。ま、テノールなんて、所詮、その程度の人間ですから(笑)。

 なので、世界の名曲のほとんどはソプラノのモノだけれど「トスティの歌曲と、イタリア民謡だけは、テノールのもの」であると、私、固く信じております。

 ビバ! トスティ! トスティのおかげで、我々テノールはレパートリーに困る事がないのでありました、感謝。

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2015年8月16日 (日)

私の好きな歌曲 その6 Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ

 「Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ」 この曲も実に素晴らしい曲です。昨日取り上げたロッシーニと同じ時代の作曲家である、ベッリーニの作品です。

 ベッリーニはロッシーニと違って、早死なんですね。33歳で亡くなってます。残した作品は、ほぼオペラばかりなので、日本の一般的なクラヲタには全くと言っていいくらいの無名な作曲家なんですが、母国イタリアでは、お札の肖像にもなっていたほどの有名人だし、後の作曲家たちにも大絶賛されるほどの大作曲家です。

 もちろん、私も大好きな作曲家です。今現在も「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」を歌っていますし、それ以前にも「Malinconia, Ninfa gentile/マリンコニーア」や「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」なども歌っています。もちろん、今回紹介する「Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ」も以前に歌っています。

 歌詞はこんな感じです。

Vaga luna, che inargenti
 銀色に輝く優雅な月よ
queste rive e questi fiori
 この川辺と花々に
ed inspiri, ed inspiri agli elementi
 注ぎ込め、注ぎ込め、その光を以って
il linguaggio, il linguaggio dell'amor;
 その言葉を、その愛の言葉を

testimonio or sei tu sola
 今や証人はお前だけだ
del mio fervido desir,
 私の熱く燃えた恋心の
ed a lei, ed a lei che m'innamora
 そして彼女に、そして彼女に伝えて欲しい
conta i palpiti, i palpiti e i sospir.
 この胸のときめきと、この胸のときめきとため息を

ed a lei che m'innamora
 彼女に伝えて欲しい
conta i palpiti e i sospir.
 この胸のときめきとため息を

ed a lei che m'innamora
 彼女に伝えて欲しい
conta i palpiti e i sospir.
 この胸のときめきとため息を
e i sospir, e i sospir.
 ため息を、ため息を

Dille pur che lontananza
 伝えてくれ、遠く離れていても
il mio duol non può lenir,
 私の苦しみが和らぐことはない事を
che se nutro una speranza,
 もし希望を持つとすれば
ella è sol, ella è sol nell'avvenir.
 それはただ、それはただ未来を信じる事だけだ。

Dille pur che giorno e sera
 伝えてくれ、朝も夜も
conto l'ore del dolor,
 私は苦しみを数えている
che una speme, che una speme lusinghiera
 たった一つの希望に、たったひとつの希望によって私は支えられている
mi conforta, mi conforta nell'amor
 私を慰めている、私を慰めているのは、あなたへの愛なのだ

che una speme lusinghiera
 たったひとつの希望によって私は支えられている
mi conforta nell'amor
 私を慰めているのは、あなたへの愛なのだ

che una speme lusinghiera
 たったひとつの希望によって私は支えられている
mi conforta nell'amor
 私を慰めているのは、あなたへの愛なのだ
nell'amor nell'amor.
 愛なのだ、愛なのだ

 歌っているのは、メゾソプラノのチェチリア・バルトリです。この曲は「メゾソプラノとピアノのための3つのアリエッタ」という歌曲集に入っている曲なので、メゾソプラノが歌うのが正しい曲なのですが、歌詞の内容を見ると、完全に男性の曲ですね(笑)。

 まあ、あまりの名曲のために、メゾよりもソプラノやテノールに愛されていると言う曲だったりします。

 一般にオペラアリアは、歌う人が決まっています。“歌う人”と言うよりも、正確には“歌う声”ですね。「この曲は高くて細かい音符をキレイに歌えるソプラノ用」とか「力強く高音を伸ばせるテノール向け」とか「地響きがするほどの低音をしっかりと歌えるバス歌手専用の曲」とか、まあそれぞれにあるわけです。ですから、オペラアリアを指定された声種以外の歌手が歌うことはまず無いですし「高音/低音がちょっと厳しいから」という理由で曲を移調して歌うと言う事も、原則的には、ありえません。

 一方、歌曲と言うのは、特にそういう制限もなく、基本的には誰が歌ってもいいんです。歌詞を見れば、その歌の主人公が男性であったり女性であったり、若者であったり、老人であったりと色々ありますが、別に歌手はその主人公になりきる必要はなく、むしろ歌手は語り部として、第三者的な立場でその歌を歌えばいいので、歌の主人公の年齢や性別にこだわらずに歌っても全然良い…というか、むしろ、それが普通なんです。

 だから歌曲は、もちろん作曲家が任意の調性で作曲するのだけれど、歌われる時は、歌う歌手の声域に合わせて移調して歌われるのが普通です。

 例えば、シューベルトの歌曲集なんて、日本ではバリトン歌手やバス歌手が歌うイメージがありますが、作曲家であるシューベルト自身は、テノールのために書いているんですよ。でも、テノール用の譜面のままでは、バリトンやバスには高いので、低く移調して歌い、我々はその低く移調された譜面によって歌われた歌唱を聞いて「いいなあ…」と言っているわけです。

 別にそれでいいんです。特に器楽系の作曲家が書いた歌曲なら、それで十分です。

 問題は、声楽系の作曲家が、任意の歌手や声種を念頭において書いた曲の場合は、そんな簡単にはいかないかな…って思わないでもないのです。と言うのも、歌手個人個人はもちろんだけれど、大雑把に言っても、声種毎に歌声には特徴があるし、得意なことや苦手な事が違いますし、もちろん音色も違うわけです。歌のことが分かる作曲家は、そのあたりも踏まえて作曲しているわけで、作曲家が念頭においた声種で歌った時に作品が一番映えるように作曲されているのです。

 ベッリーニの諸作品なんて、まさにそんな感じじゃないのかな? なんて思わないでもないんです。

 「Vaga luna, che inargenti/優雅な月よ」はメゾソプラノ用に作曲された曲です。そのせいもあって、高音はありません。一番高くて、五線譜の中のEbです。その代わり、低音はCまで使います。

 先程も書いたように、この曲はソプラノやテノールにも大人気の曲なんですが、ソプラノやテノールには、正直、使われている音域が少々低いんですね。ですから、ソプラノやテノールは長三度(カラオケで言えば+4)高く移調して歌います。そうすると、音域的にはちょうどよい感じ(E~G)になります。

 私もこの曲を歌う時は、長三度上げてハ長調で歌うのですが、最近は「それでよいのか?」と考えることもあります。やはりオリジナル通り、少々低くても変イ長調で歌うべきではないのか…と考えるのです。

 と言うのも、この曲で歌われているのは「優雅な月」なんですよ。その曲をソプラノのキンキンした声や、テノールのギラギラした声で歌っては、月の優しさがスポイルされてしまうような気がするんです。やはりここは、メゾソプラノのちょっとくすんだ柔らかめの声で歌うから、月光の美しさが表現できるんじゃないかしらって思うわけです。

 歌曲とは言え、ロマン派以降の作品は、なるべく移調せずに、作曲家が作曲したオリジナルの調性で歌った方がいいのではないかしら…なんて思わなくもないんですよ。

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2015年8月15日 (土)

私の好きな歌曲 その5 La Danza/踊り

 この曲、すっげー歌いたい! もう、歌いたくて歌いたくて歌いたくて、身を捩っちゃうくらいに歌いたい曲なんです。ロッシーニの「La Danza/踊り」 別名「ナポリのタランテラ」とも言います。ほんと、すっごい曲なんです。まずは聞いてみてください。

 ね、すっごい曲でしょ。歌っているのは、ロランド・ヴィラゾンというテノール歌手です。この曲はロッシーニが引退直前に書いた「音楽の夜会」という歌曲集の中の一曲です。

 引退と言っても、ロッシーニが引退したのは44歳の時です。彼は76歳まで元気に活躍していますから、彼が作曲家だったのは前半生だけだった…という事になります。なんで、そんな事をしたのかと言うと…色々な説はありますが、ロッシーニって、すっごい才能の持ち主で、売れっ子作曲家だったんだそうです。オペラをガンガン書き飛ばして、バンバン大ヒットさせて、ガッポガッポお金を稼いで稼いで、使い切れないほどのお金を稼いでしまったので、後半生は稼いだお金を使って生活しましょうって事で、さっさと引退して(デブなので)食べるの大好きだったので、レストランを経営しながら、食道楽に励んだんだそうです。

 全くうらやましいね。

 そう思うのは私だけでなく、楽聖ベートーヴェンもそうだったみたいです。

 ベートーヴェンって、実はロッシーニと同時代の人なんですが、ベートーヴェンは、当時の市民たちがロッシーニのオペラばかりに夢中になって、自分のコンサートにはちっとも客が来てくれない…と愚痴った手紙が残っているくらいに、ロッシーニの大成功をうらやんでいたそうです。実際、当時のロッシーニの人気はすごくって、彼の現役時代に、彼の伝記が、文豪スタンダールによって書かれて(「ロッシーニ伝」です)いるくらいの超人気者の大セレブだったわけです。ほんと、すごいね。

 ま、ベートーヴェンもうらやむほどの大作曲家だったのが、ロッシーニって事になるわけです。現存する曲だけでも、キラ星のような名曲が大量に並んでいるロッシーニですから(ただしオペラに限る:笑)、彼が44歳なんて働き盛りでなく、しっかり晩年まで作曲し続けていてくれたら、どんなに素晴らしかったか…ほんと、残念で仕方ないです。

 さて「La Danza/踊り」という曲は、歌唱には作曲家によってテノールが想定されている曲なので、歌っているのも、ほとんどがテノール歌手です…ってか、プロのテノール歌手なら、ほとんどの歌手がレパートリーに入れているというくらいに超定番曲です。たまに女声が歌っているモノもありますが…やっぱり、この曲はテノールのモノだと思います。

 歌詞は…読んでも意味ないです。内容は「さあ、踊ろう。みんなで踊ろう。ひたすら踊ろう」って事を言ってるだけです。この曲の魅力は、歌詞には全くありません。ひたすら、音楽の魅力と歌手の声の力だけで聞かせる曲です。さすがは、ベートーヴェンを嫉妬させるほどの大作曲家の作品です。

 だからこそ、歌ってみたい曲なんですよ。でも私には難しすぎて、歌えない(涙)。ああ、悲しい、悲しい。

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2015年8月14日 (金)

老犬ブログが、9年目に突入しました!

 おめでとう! 8月14日は、老犬ブログのお誕生日です。そう、老犬ブログは2007年の8月14日に生まれたのです。だから2015年のお誕生日って事は…人間で言えば、満8歳? 小学2年生って感じですかね。よく頑張った、エライ!

 と言うわけで、例年通り、夏の連載を中断して、お誕生日のお祝いです。

  ★★★ 祝! 老犬ブログ、9年目、突入~! ★★★

 この8年間、ほんと、色々な事がありましたが、今日まで続けてこられたのは、やはり読者の皆さんのおかげです。アクセス数が増えたり、コメントをつけてもらったり、ブログランキングの上位で入られる事は、すごい励みになってます。今後とも、よろしくね、そして、ありがとう。

 例年やってますが、この一年間の月間トップ3の記事を発表します。老犬ブログでは、こんな記事に皆さんの注目が集まっていたんですね。それではスタートします。

2014年 8月

1位 金魚すくいの金魚をうまく飼う秘訣 エサやり編

2位 ヌーボ社のプラスチック製フルートを、衝動買いしてみた

3位 やっぱり、プロとアマじゃあ、次元が違うんだよね

2014年 9月

1位 帝国劇場で「モーツァルト!」を見てきました

2位 そもそもフルートに名曲があるのか!

3位 なぜ、May J.は嫌われるか?(そしてなぜ、小林幸子は愛されるのか?)

2014年 10月

1位 帝国劇場で「モーツァルト!」を見てきました

2位 ヌーボ社のプラスチック製フルートを、衝動買いしてみた

3位 フルートを調整してもらって、金やプラチナのフルートを吹いてきたよ

2014年 11月

1位 帝国劇場で「モーツァルト!」を見てきました

2位 ポール・ポッツについて思うこと

3位 【お悩み相談】先生の見つけ方・探し方

2014年 12月

1位 帝国劇場で「モーツァルト!」を見てきました

2位 ポール・ポッツについて思うこと

3位 ヌーボ社のプラスチック製フルートを、衝動買いしてみた

2015年 1月

1位 ポール・ポッツについて思うこと

2位 帝国劇場で「モーツァルト!」を見てきました

3位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

2015年 2月

1位 中途半端なアマチュアの演奏が一番つまらない!

2位 ポール・ポッツについて思うこと

3位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

2015年 3月

1位 私はどこまで上達できるのか?

2位 ポール・ポッツについて思うこと

3位 教育と経営は違うのだよ

2015年 4月

1位 フルートで音大に入るのは難しいのでしょうか?

2位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

3位 音大卒業生は多くても、音楽の先生は、ちっとばかり不足しているんだそうです

2015年 5月

1位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

2位 なぜ、フルートの発表会は少ないのか?

3位 ポール・ポッツについて思うこと

2015年 6月

1位 ポール・ポッツについて思うこと

2位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

3位 先生を変える事は、悲しい事ではない(フルート編)

2015年 7月

1位 ポール・ポッツについて思うこと

2位 実技無しでも入れる音大があるそうです(どこだろ?)

3位 フルートメーカーについて語る(笑)その7 サンキョウ・アルタス編

 8年目の感想は…前半は、ミュージカル「モーツァルト」と、プラ管フルートの記事が、後半はポール・ポッツとアルタスについて語った記事が人気となりました。

 ミュージカル「モーツァルト」に関しては、確か、昨年の後半は「モーツァルト」の再演が帝劇あって、それで検索してもらってアクセス数が増えたんじゃなかったっけ? プラ管フルートの記事は、2012年にアップ以来、4年に渡って、ずっと高値安定の人気記事です。

 ポール・ポッツの記事は、未だに人気記事ですが、ポッツ氏に何かあったのかな? アルタスフルートについて語った記事は…アルタスフルートってネットではあまり取り上げられる事も少ないし、情報も少ないので、検索をかけると、どうしても老犬ブログの記事がヒットするんだろうね(納得)。

 ブログの記事には流行り廃りがあります。元々はキング先生に声楽を習いだした事から、声楽ブログとして始めた老犬ブログですが、やがてすぐに笛先生にフルートを習い始めると、日々のブログ記事が、圧倒的にフルートの記事になりました。もう、毎日のようにフルート関係の記事を書いていた私です。あの頃の私ば、フルートに心を奪われていたんでしょうね。

 やがて、そこにヴァイオリンの記事が入ったり、社交ダンスの記事が加わったりして、あれこれ落ち着きのないブログとなりましたが、今は、ほぼ毎日声楽の記事ですね。ある意味、一周して元に戻った…って感じ? 最近では、まるで声楽ブログみたい(笑)。まあ、声楽の先生も変わったし、今はそれだけ『声楽が楽しい』って事なんです。Y先生のレッスンって、キング先生とは違って刺激的だもの。私自身もメキメキと上達しているし…。

 なのでフルートの熱が冷めたり、情熱が無くなってしまったわけではないのだけれど、どうしても日々の感心や情熱は声楽に偏り、フルート関係の記事を書く分量は少なくなってしまいます。それはダメですね(笑)。ですから「せめて週に一度はフルートの記事を書く」というノルマを、今現在は、自分に課しています(笑)。

 でもこうやって人気記事のトップ3を見ていると、やっぱりフルート関係の記事は人気ありますね。読者の皆さんがフルート記事を求めている事がよく分かります。なので、もう少しフルートの記事も増やさないといけないかな…って思ったり思わなかったりします。

 ぶっちゃけ、最近、フルートネタの記事が減ったのは、私の声楽ラブな気持ちが増えただけではなく、フルートネタに困りだしたから(汗)と言うのもあります。声楽ネタには相変わらず困っていないのですが、最近はフルートネタに困ってます。何かネタが思いついても「でも、そのネタで以前書いたよなあ…」と思ってしまうのですよ。ある意味、フルート関係の事は、過去記事を読めば足りちゃうでしょ? ううむ、フルートに関しては、ネタ切れ?…かも。

 かと言って、頑張ってひねり出したネタって、作為的でつまらないでしょ? ああ、音楽の神様、私にフルートのネタをお与えくださいませ!

 というわけで、老犬ブログ、9年目も頑張ります。特にフルートのネタ出しを頑張っていきます。

 ひとまず、明日からは連載を再開します。…声楽ネタだけれどね(汗)。とにかく、よろしくね。

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2015年8月13日 (木)

私の好きな歌曲 その4 Lascia ch'io pianga/私を泣かせてください

 私の大好きなヘンデルの曲です。「Lascia ch'io pianga/私を泣かせてください」は、「涙の流れるままに」という邦題で呼ばれることもあります。一般的には、やっぱりイタリア古典歌曲として知られますが、実はこの曲、パリゾッティの「古典アリア集」には入っていません。つまり、この曲が全音の「イタリア歌曲集」に入ったのは、編者の畑中良輔氏の選曲だったわけです。

 で、この曲。元々はヘンデルの「リナルド」というオペラの中のアリアなんだそうです。…と言っても、私はその「リナルド」というオペラ、未見なんですけれどね。ぜひ一度見てみたいものだと思っていますが…なかなか上演される機会もないし、DVDも購入できずに、今日に至ってます。そのうちデアゴの「世界のオペラハウス名演コレクション」に入ってこないかなあ…と期待して待っている次第です(でも、マイナーな作品だから、無理かも…)。

 どんな曲かと言うと…例によってYouTubeの動画で聞いてみましょう。

 歌っているのは、キルステン・ブライズという、古楽で活躍しているソプラノ歌手さんです。いわゆる“ヘンデル歌い”と呼ばれるタイプの歌手さんです。

 歌詞はこんな感じです。

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,
つらい運命を泣かせて下さい。
e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください。
e che sospiri, e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください、今すぐ自由に。

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,
 つらい運命を泣かせて下さい。
e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください。

Il duolo infranga queste ritorte
 私を繋ぐ、この鎖から解き放たれますように。
de' mei martiri sol per pieta, si.
 ただあなたの憐れみによって、そう、
de' mei martiri sol per pieta.
 ただあなたの憐れみによって。

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,
つらい運命を泣かせて下さい。
e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください。
e che sospiri, e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください、今すぐ自由に。

Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,
 つらい運命を泣かせて下さい。
e che sospiri la liberta.
 私を自由にしてください。

 良いですね~。この曲は(一応)歌曲(扱い)ですから、男性が歌っても女性が歌ってもいいのですが、オペラのアリアである事を考えると…この曲、捕らわれのお姫様であるアルミレーナ姫が歌っているので、やはりソプラノ歌手による歌唱が良いですね。

 ですから、女性歌手が歌う時は、レチタティーヴォの部分も合わせて歌うことが多いのですが、男性歌手が歌う時は、レチタティーヴォは割愛です(そりゃそうですよね)。

 実は私、この曲を初めて聞いた時、一瞬でこの曲の虜になりました。いわゆる“一目惚れ”ってヤツです。

 その時にこの曲を歌っていたのは、ソプラノ歌手の歌声ではなく、カストラートの声で歌われたモノでした。具体的にはこれね。

 この動画は、映画『カストラート』の中のワンシーンです。歌っているのは、この映画の主人公であり、実在の人物であった、稀代の名カストラートであるファルネッリです。そう『カストラート』という映画は、ファルネッリの伝記映画なんですね。

 映画ですから、演じているのは男性俳優(ステファノ・ディオニジ)ですが、歌声は彼のものではありません。ファルネッリの歌声は、素材としては、カウンターテナーのデレク・リー・レイギンの歌声をベースにして、それにソプラノ歌手であるエヴァ・ゴドレフスカの声の音声フォルマントを操作して男性の声のような響きに変えたモノを、コンピューター合成して創りだした、人工的なカストラートの歌声…なんだそうです。

 今なら、もっとうまくやれるのかもしれませんが、この映画が制作されたのが1994年。つまり、Windows95よりも以前の話ですからね。その時代にしては立派なモンです。とにかく、今や実在しないカストラートの声を、コンピューター合成とは言え、創りだしたんだから、恐れ入谷の鬼子母神でございます。

 動画の途中で子どもが白濁した水に漬けられるシーンがありますが、あれは去勢手術のシーンです。主人公であるファルネッリは、その美声ゆえに去勢手術を施されて、声変わりをしないように、少年の声のまま成人になるように手術されてしまったわけです。

 映画の中でのファルネッリは歌手として成功を極めつつも、身体障害者であり、それゆえに社会から爪弾きにされている自分をうまく受け入れることができずに苦しむわけです。

 ま、映画の話はいいや。興味のある方は、最近再発売されていますので、そちらをご覧ください。いい映画ですよ。

 とにかく、このファルネッリの歌声にやられて、この曲が気に入った私だったのでございます。カストラート…素敵だよねえ。女声の響きに男性の力強さが加わった声…私もこういう声が欲しかったなあ…去勢手術は絶対にイヤだけれど(笑)。

蛇足 現代版カストラートと言われているのが、マイケル・ジャクソンです。マイケル・ジャクソンは、外科的な去勢手術は受けていないけれど、少年の頃、声変わりを阻止するために、女性ホルモンを投与されて、不妊になった(つまり、男性機能を失った)という都市伝説があります。本当かどうか、今となっては分からないけれど、我々の常識では理解できない彼のハイトーンヴォイスを説明するには、実に理にかなった噂です。

 皆さんは、どうお考えになりますか? それにしても、この“黒かった時代”のマイケルって、実にチャーミングですよね。

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2015年8月12日 (水)

私の好きな歌曲 その3 Amorosi miei giorni/私の愛の日々

 今回の「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」とは、イタリアのドナウディという作曲家が書いた「古典様式による36のアリア」という歌曲集の中の一曲です。日本で発売されている「ドナウディ歌曲集」とは、この「古典様式による36のアリア」のことだったりします。ドナウディは、他にも多くの歌曲やオペラ、ピアノ曲などを書いたはずなんですが、私は全く見聞きしません。それくらい「古典様式による36のアリア」オンリーの作曲家なんですね。

 「古典様式~」とはナンジャラホイ?って感じですが、当時の声楽界では、パリゾッティによる「古典アリア集」が大ヒットしていたそうな。これは何かと尋ねたら、音楽学者であるイタリアのパリゾッティが、17~18世紀のイタリア・オペラや宗教曲のアリアをアンソロジー形式でまとめた楽譜集で、本当に当時の大ヒットだったそうです。どれくらいヒットしたのか言うと…今、日本で普通に買える「イタリア(古典)歌曲集」の楽譜ってのが、このパリゾッティの「古典アリア集」からの抜粋だったりするんですよ。そう、私たちが何気に歌っている「イタリア古典歌曲」ってのが、パリゾッティの「古典アリア集」らの曲だったりするわけです。昨日までご紹介してきた曲もすべて、パリゾッティの「古典アリア集」に入っている曲だったりするんですよ。

 まあ、それくらいパリゾッティの制作したアンソロジーは大ヒットしたわけです。

 大ヒット作品ですから、それなりの毀誉褒貶はあって、例えば「17~18世紀の作品と言いながら、19世紀的なアレンジがしてある」とか「作者の調査がいい加減」とか「パリゾッティの作品がまぎれている」とか言われていますが、やっぱり大ヒットするだけあって、良い歌曲集だと思います。

 蛇足ですが、ここに紛れ込ませたパリゾッティ自身の作品ってのが「Se tu m'ami/もし貴方が私を愛してくれて」です。なかなか良い曲ですよん(笑)。

 とにかく、今の日本でも元気いっぱいに歌われている曲がたくさん入った歌曲集ですから、当時の作曲家たちも、なんとかして「二匹目のドジョウ」を狙って頑張ったわけです。劇場型のAKB48の台頭以来、同じ劇場型のアイドルたちがたくさん生まれてきて…成功せずに大半が地下アイドルになっちゃったわけですが…そんなのと状況は同じかもしれません。とにかく、パリゾッティの後に続け! と当時の作曲家たちが頑張った中で、なんとか二匹目のドジョウになれたのが、ドナウディだったわけです。

 パリゾッティの「古典アリア集」が昔のアリアの発掘(&現代化)だったのに対して、ドナウディは「古典アリア風の新曲を作曲」する事で対抗したわけです。丸パクリではなく、自分なりの切り口で攻めていったわけです。成功者の勝ち馬に乗ろうとする後続者には必要な着眼点ですね。

 ドナウディは、まず最初に、いかにも17~18世紀風で、でも19世紀の新曲である、それっぽい曲を、12曲書いて出版したところ…これがヒットして、第二弾、第三弾と12曲ずつ書いて、それを「古典様式による36のアリア」としてまとめたのが、いわゆる「ドナウディ歌曲集」なんですね。

 で、今回私が紹介する「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」ですが、たぶん、ドナウディの歌曲集の中では、あまり人気のない曲…かもしれません。多くの人は「O del mio amato ben/ああ愛する人の」とか「Vaghissima sembianza/かぎりなく優雅な絵姿」の方をご存知かもしれませんが、「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」も実に良い曲なんですよ。聞いてみましょうね。

 今回の曲も歌曲ですから、誰が歌ってもいいのですが、歌詞の内容を考えて、男性歌手の歌唱にしてみました。今回は日本の井原義則さん(テノール)の歌唱です。中京地区でご活躍されている方で、大学の先生もなされているような方です。

 今回は、歌詞も和訳も動画の中で表示されますので、そちらをご覧ください。

 それにしても、ロマンチックな曲ですよね。ちっとも古典アリアっぽくないです(笑)。でも、当時はこんな曲でも古典っぽく感じられたんでしょうね。時代は変わるものです。本当の古典は、もっとサバサバしたドライで技巧的な曲が多いんですけれどね。

 ドナウディって素晴らしい曲を書きますよね。でも、この歌曲集以外は残っていないところを見ると、素のドナウディの作風って、たぶんつまらないんだと思います。この歌曲集の曲は、古典のスタイルを借りて書いたわけで、つまり彼個人の本来のスタイルとは別のスタイルで書いたわけですからね。

 お題をいただいて書けば良い物を書くけれど、自分の書きたいものを書きたいように書くと、全然ヒットしない…って、佐村河内守氏のゴーストライターを長年やっていた新垣隆さんのようなモノかね?

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2015年8月11日 (火)

私の好きな歌曲 その2 Piacer d'amor/愛の喜びは

 “私の好きな歌曲”第二弾は、マルティーニ作曲の「Piacer d'amor/愛の喜びは」です。この曲も、イタリア古典歌曲として有名です。でも知ってましたか? この曲、実はイタリア語の歌曲ではなく、本来はフランス語の歌曲なんだそうです。ってか、日本では、イタリア古典歌曲の楽譜にイタリア語の歌詞によるものが掲載されていて、その楽譜で勉強しますが、諸外国では事情が違うのかもしれません。少なくとも、私が持っているハル・レオナルド社(アメリカでは有名な楽譜出版社です)のイタリア古典歌曲集には“Piacer d'amor”は載ってなくて、代わりにフランス芸術歌曲集に“Plaisie d'amour”として載っているので、この曲をイタリア歌曲として学ぶのは、我々日本人だったりして(笑)。

 実際のところはどうなんでしょうね?

 とまあ、色々あるみたいだけれど、この曲が素晴らしい曲である事は間違いありません。とりあえず、この曲を聞いてみましょう。

 歌っているのは、往年の名歌手である、エットーレ・バスティアニーニです。イタリアのバリトン歌手さんです。イタリアの歌手ですから、イタリア語で歌えばいいのに、オリジナルのフランス語で歌っています。少なくとも、イタリアでは、この曲はフランス歌曲扱いなんでしょうね。

Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

J'ai tout quitté pour l'ingrate Sylvie.
Elle me quitte et prend un autre amant.

Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

Tant que cette eau coulera doucement
Vers ce ruisseau qui borde la prairie,
Je t'aimerai, me répétait Sylvie,
L'eau coule encore, elle a changé pourtant.

Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた
この小川が 遠い海へと
野を越え 流れ続けるように
私の愛も
溢れ続くでしょう、と
この岸辺で
あなたは言ったのに

 歌詞はこんな感じです。今回はウィキペディアの当該箇所から持ってきました。だって、私、フランス語なんて分からないもの(涙)。

 この日本語の訳詞ではよく分かりませんが、この曲は、ある男性がシルヴィエという名の女性に振られてしまって、嘆いている歌なんです。メロディは甘ったるいのですが、歌詞の内容は結構辛辣で「愛の喜びはたった一日で終わってしまうが、愛の苦しみは永遠に続く」と言った、全く救いようのない失恋ソングだったりします。こういう悲しい卑屈な歌は、低い声で呻くように歌うと良いので、バスティアニーニさんにご登場いただいたわけです。

 いやあ、渋いねえ…。悲しいねえ。メロディが美しいだけに、失恋の悲しみが切々と訴えかけてきます。名曲だなあ。

 ちなみにこの曲、私も声楽の習い始めの頃に歌いました。歌詞の内容なんて、ちっとも理解していませんでしたから、テノールの明るい声で元気よく、イタリア語で歌っちゃいました(笑)。色々とダメだな。

 この曲は、後にアメリカに渡り“Can't Help Falling In Love/好きにならずにいられない”としてリバイバルヒットしております。歌っているのはもちろん、エルヴィス・プレスリーでございます。

 こちらもなかなか良いですね。このエルヴィスの歌が新たなるオリジナルとなって、多くの歌手たちによってカバーされております。その中でも私が好きなのは、これ。

 クラシック歌手のアンドレア・ボチェッリと、ミュージカルで活躍しているキャサリン・マクフィーによるデュエットバージョン。こちらもなかなか良いでしょ。

 良い曲は、どんな時代に誰が歌っても良いって事ですね。

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2015年8月10日 (月)

私の好きな歌曲 その1 Caro mio ben/いとしい女よ

 今年もお盆の季節がやってきました。なので、この老犬ブログも、毎年恒例の“お盆進行”に入らせていただきます(失礼)。と言うわけで、今年も連載を始めちゃうよ。

 今年の夏の連載は…『私の好きな歌曲』をお送りいたします。昨年の連載はお薦めオペラでしたから、今年は歌曲をお薦めしたいと思います。歌曲もオペラに負けず劣らずに、なかなか良いですよん。

 歌曲というのは、オペラのアリアと比べると、どうしても下に見られがちです。それはおそらく、クラシック声楽を習い始めの頃は、歌曲ばかり学び、ある程度上達してからオペラアリアを歌うようになるため、歌曲はオペラアリアよりも簡単で初心者向けの歌と思われやすいからです。

 私は、それを全面的に否定はしませんし、そういった側面があるのも事実です。歌曲には、オペラアリアほど、声の力も必要なければ、歌唱テクニックがなくても歌える曲がたくさんあります。だから、歌曲はアリアに劣る…わけではなく、単純に求められているものが違うだけなんです。

 オペラアリアと言うのは、名人芸を披露するためのアクロバチックな技が満載された歌です。当然、歌えるのは修練を重ねた人だけです。そうたやすく誰もが歌えてはいけません。

 一方、歌曲と言うのは、作品主体であって、歌詞や美しいメロディありきで作られた曲であって、その音楽を成り立たせるために必要なら、声楽テクニックが駆使されて作曲されるだろうし、そうでなければ、平易なテクニックで作られるわけです。誰でも…とまでは言わなくても、多くの人に歌ってもらえるように作られるのが歌曲です。

 つまり、アリアと歌曲は、そもそも作曲された目的が違うわけです。

 まあ、歌曲に関する音楽的なあれこれなどについては、この連載中にチマチマと書いていきたいと思います。

 さて、本日取り上げる、私の好きな歌曲は、ジョルダーニ作曲「Caro mio ben/いとしい女よ」です。一般的には、イタリア古典歌曲として知られている曲で、原題のまま「カロ・ミオ・ベン」と言われる事も多い曲です。それこそ、初心者向け? 声楽を習い始めた人が、まず最初に取り組む曲として有名です(私もそうでした)。

 まずは聞いてみてください。

 歌っているのは、テノール歌手のパブロ・マシアスです。この曲は歌曲ですから、誰が歌ってもいいのですが、歌詞の内容を考えると、若々しい男声が良いので、この動画を選んでみました。私、勉強不足のために、パブロ・マシアスというテノール歌手については、何も知らないのですが、いい歌、歌いますねえ…。

 歌詞と訳詞は、こんな感じです。

Caro mio ben, credimi almen,
 いとしい女よ、せめて私を信じて欲しい。
senza di te languisce il cor,
 あなたがいないと心がやつれてしまう。
caro mio ben, senza, di te languisce il cor.
 いとしい女よ、あなたがいないと心がやつれてしまう。

Il tuo fedel sospira ognor.
 あなたに忠実な男は、いつもため息をついている。
Cessa, crudel, tanto rigor!
 やめてください、あなたはヒドい女だ、私につれなくしないでください。
cessa, crudel, tanto rigor, tanto rigor!
 やめてください、あなたはヒドい女だ、本当に本当につれなくしないでください。

Caro mio ben, credimi almen,
 いとしい女よ、せめて私を信じて欲しい。
senza di te languisce il cor.
 あなたがいないと心がやつれてしまう。
caro mio ben, credimi almen,
 いとしい女よ、せめて私を信じて欲しい。
senze di te languisce il cor.
 あなたがいないと心がやつれてしまう。

 まあ、こんな感じの女々しい歌なんですよ。ざっくり言えば“片思いから失恋まっしぐら”って感じの、童貞君ソングなんですね。こういう腑抜けた歌(イタリアの歌には、結構、この手の腑抜けた歌、多いです:笑)には、テノールの声がよく似合う(爆)。

 歌詞も女々しいけれど、メロディがまた輪をかけて女々しい。ほんと、まるですすり泣いているようなメロディでしょ。

 メロディに特別の技巧が必要ないために声楽初心者がよく歌う曲だし、私も歌いましたが、よくよく歌詞を読み込んで、メロディの動きを考えてみると、そんなに簡単には歌えない曲だなあって思います。第一、元気よく歌っちゃダメでしょ。ネチネチと感情は入り込むけれど、決して内向的な曲ではなく、どちらかと言えばエネルギーは外向きです。失恋そうで、まだしていなくて…でもそう遠くない将来には失恋しそうで…。そんなギリギリのところの歌なんです。

 そう思うと、そんなに軽々しく歌い飛ばせない曲です。メロディどおりに歌うのは難しくないけれど、音楽表現として歌うのは、ちょっと難しいかも…そんな感じのする曲です。

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2015年8月 9日 (日)

誰か私に“憲法九条”を守らないといけない理由を教えて下さい

 「現行法なんだから守れ」は当然の事として、とりあえずの“思考ゲーム”です(笑)。

 まず最初に言っておくべきことは、私は平和大好き人間です。戦争は嫌いだし、無秩序とか混沌とか嫌いだし、テロなんて卑怯極まる野蛮な連中のする事だと思ってます。私自身も息子くんも、戦争には行きたくないし、もちろん、徴兵制は反対です(第一、兵隊さんをやる適性が我が家のDNAには無いと思う:笑)。

 今も後も、私たちの暮らす、この日本という国が、平和で安全で豊かな国である事を望んでいます。

 その上で思うのですが、日本国憲法って、すぐにでも改正しないといけないんじゃないかしら?

 理由ですか? だって、古いじゃん。憲法だって法なんだから、時代に合わせて改正していくのが当然でしょ。そうでないと、今の時代からどんどんズレていってしまい、国の発展と我々日本国民の生活の足かせになってしまいますよ。

 いわゆる戦後、アメリカは6回、イタリアは15回、カナダは18回、フランスは27回、ドイツに至っては58回も憲法を改正しています。なのに日本は0回です。これって、絶対にオカシイでしょ?

 現在の日本国憲法には不足している点や時代遅れになっている点などが多々あると思われます。例えば、現憲法には、移民に関する取り決めとか、電子情報に関する取り決め、福祉に関する取り決め、在外邦人に関する取り決めなど、現代社会において必要不可欠と思われる事が、まるっきり抜けています。これも憲法改正を怠ってきたためだと、私は思ってます。

 今日のような事態を招いたのは、正確に言えば“憲法改正を怠ってきた”のではなく“憲法改正を阻止されてきた”からだと思ってます。と言うのも、憲法改正の話が出る度に決まって「憲法を守れ」という声が上がり、憲法改正が阻止されてきたからです。

 で、その「憲法を守れ」と叫ぶ人たちの話を聞いてみると、決まって“憲法九条”を守れという話になってくるわけです。つまり「憲法九条を守るために、その他の部分も含めて、憲法を改正してはならない」という事になり、現在に至っている…というのが、私の認識です。

 つまり“憲法九条”が守るべき価値のあるモノであるかどうかが、憲法改正の判断の第一歩って事になるんだろうと思います。(もちろん、憲法九条はそのままで、他の部分の改正という手もあるのでしょうが、その話は、とりあえず横に置いておきます)。

 で、私も、自分なりに“憲法九条”の価値ってヤツを調べてみましたが、どうも声を大にして守らなければいけないほどのモノには思えないんですよね。いやむしろ、憲法九条こそ、憲法改正の際には、真っ先に手を付けなきゃいけない条文だとすら思ってます。

 だって、おかしいじゃん。憲法九条って。

 ちなみに、憲法九条の条文って、こんな感じです。

第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 とりあえず第1項(番号が付いていない方の条文の事ね)に関しては、色々と思う所はあるけれど、まあ、その精神に関しては、平和を希求する私としては、とりあえず良しとしておきます。ただ『永久にこれを放棄する』は、言い過ぎだと思います。せめて『(日本国民は、…)これを望まない』ぐらいにしておかないとマズイなあとは思ってます。だって、この世の中、一寸先は闇だし、一体何が起こるか分からないのに『永久に』とか『放棄する』とか、中二病のお子ちゃまですか!って話です。

 戦争は確かにマズいし、私も望まないけれど、武力による威嚇とか行使とかは必要に応じて出来るようにしておかないと、戦争にはならなかったけれど、日本人全員皆殺しになっちゃいました…とかになっちゃうよ? もう少し、現実への対応を考えないとね。とは言え、すぐに威嚇や武力行使になっちゃうのもマズいから『望まない』程度にして、なるべく外交を用いて穏便に事を済ませて欲しいと願ってます。

 と言うわけで、第1項は、まあ良いです。概ね賛成です。

 問題は第2項ね。ここには問題点が2つあります。一つは『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』であり、もうひとつは『国の交戦権は、これを認めない』です。

 『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』 まず日本語が変でしょ? この文章には主語がありません。第1項からの続きで考えるなら『日本国民は』が主語になるのかな? それに『保持する』って言葉も普段使わない言葉だしね…。これって“持っている”程度の意味でしょ? だとしたら『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』ではなく『日本国民は、陸海空軍その他の戦力を持たない』となります。同様に『国の交戦権は、これを認めない』ではなく『日本国民は、国の交戦権を認めない』となります。

 とまあ、日本語の間違いを直したところで、内容が変なんだから、やっぱり改正する必要はあるよね。と言うのも、いくら憲法九条で『日本国民は、陸海空軍その他の戦力を持たない』と言っても、現に自衛隊は存在するからね。

 自衛隊って、誰がどう見たって、軍隊だよね、日本軍だよね。“自衛隊”と言い換えたって、軍隊は軍隊。誤魔化しようがない事実です。

 憲法はダメと言っているのに、自衛隊は存在する。じゃあ、なんで存在しているの?

 憲法では“戦力はダメ”と言っているんだから、自衛隊が“戦力じゃないのならOK”というふうに憲法解釈をして、自衛隊に“軍隊としては中途半端な戦力”しか持たせない事で「自衛隊は軍隊じゃありません、自衛隊です」って言い訳をして、その存続を認めているわけなんだけれど、そんな屁理屈は国内でしか通じません。日本人以外の目で見れば、自衛隊はやっぱり日本軍でしょ。

 自衛隊は立派な軍隊であるのに、国内向けの屁理屈のために、中途半端な戦力しか持たされず、その活動にも色々と制限をかけられているわけで、海外から見れば“奇妙な軍隊”でしかないわけだ。

 まあ、本来、法的には有ってはならないものがある事自体おかしいわけだし、中途半端な憲法解釈のために、きちんとした軍備を持てない自衛隊という日本軍もかわいそうだと思います。

 やっぱり、法と現状が食い違っているんだから、これは一致させないといけない、でしょ?

 おそらく“九条を守れ!”と主張している人は「だから自衛隊を解体廃止しなければいけない」って言うんだろうけれど、だったら災害救助は誰がやるの? 警察? 消防隊? 小規模災害なら、警察や消防隊でもいいけれど、大規模災害ならば、彼らでは力不足です。どこの国でも、大規模災害の時に活躍するのは、その国の軍隊です。現に日本でも、先の東日本大震災の時には、自衛隊の皆さんの大活躍で多くの人々が救われたわけです。

 もしも自衛隊が解体されてなくなってしまったら、この前の大震災で助かった命の大半が死んでしまい、災害後の生活だって、どうなっていたか分かったものじゃありません。“福島の人なんて地震や津波や原発被害で死んでしまえばいい”と言うのなら、自衛隊も不要だし解体しちゃえばいいんだろうけれど、私には到底そんな事は思えないし、いつ自分たちだって大規模災害に遭わないとは限らないわけだから、そんな時のためにも、自衛隊は、絶対必要です。

 それに、東日本大震災の災害救助はひとつの例であって、災害は国内だけで起こるわけじゃないです。今は世界各地で大規模災害が起こったら、それぞれの国が軍隊を派遣して災害救助支援に当たるのが当たり前の話になってきています。軍隊の在り方が、20世紀と21世紀じゃ違ってきているわけです。そこんとこも踏まえれば、いまさら自衛隊を解体しましょうってのは、現実的な話じゃないです。

 「だったら自衛隊は解体して、大規模災害救助隊を作ればいいじゃない?」

 これって、日本軍を自衛隊と呼んで誤魔化しているのと同じように、日本軍を大規模災害救助隊って呼び替えることにすぎないでしょ?

 「いや違う。戦力はいらないんだ。銃も戦車も無しで、純粋に災害救助を目的とする隊を作ればいいんだよ」

 大規模災害って、別に自然災害だけが相手じゃないんだよ。核ミサイルが降ってきたり、隣国の工作員が原発爆破を実行したり(そう言えば最近似たような事がありましたね)、隣国の海兵隊さんたちが攻め込んできたり、そういう大惨事の時こそ、大規模災害が発生するわけで、災害救助に戦力が不要なんて、それは“頭の中がお花畑”って言われても仕方ないし、危機感無さ過ぎ(笑)。

 さらに“武力”として突き詰めて考えるなら、問題は自衛隊だけでなく、米軍の駐留にだって問題はあるし、さらに言えば、日米安全保障条約そのものがマズいでしょう。だからと言って、自衛隊を廃止して、日米安保を破棄して、日本が軍事的に丸腰になったら……って、そりゃあ、いくらなんでもありえないでしょう(笑)。もし、そんな事を真面目に言う人がいたら、バカですよ。アホですよ。工作員ですよ。スパイですよ。売国奴です(笑)。あの、永世中立国として有名なスイスだって、自国の軍隊ぐらい持っているもの。

 まあ、世界には“軍隊を所有しない国家”ってのがいくつかあるけれど、たいていは、人口も少なく、経済的にも貧しくて軍備を揃えられないような小国だよ。こう言ってはなんだけれど、他国から狙われるような価値のない国が大半です。当然、それらの国々は、政治的・経済的・歴史的に大国の属国であって、その大国と安全保障条約を結んでいたり、大国に相手にされていないようなケースだと、周辺国同士で相互安全条約を結んでいたりするわけです。決して、軍事的に丸腰でいるわけじゃないです。

 日本も、再独立を果たした当時(1952年ね)は小国だったし、下手に軍備を持たせて宗主国であるアメリカに逆らってもマズいだろうから、宗主国であるアメリカは、日本と安保条約を結んで、軍事力を解体させたんだろうけれどね。日本が今も小国だったら、たぶんそれで問題ないんだろうけれど、日本は今や小国どころか、アメリカと肩を並べるくらいの大国になっちゃったわけです。そりゃあ、アメリカだって、今となれば色々と考えるわけさ。

 と言うわけで、現状を現実として受け入れるならば、やはり変えるのは法の方となります。『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』ではなく『日本国および日本国民は、陸海空軍および海兵隊等の戦力を持ち、その活動を監督しなければならない』ぐらいにしないとダメだろうなって思います。

 次。『国の交戦権は、これを認めない』という変な日本語を『日本国民は、国の交戦権を認めない』と直したところで、やっぱりこっちも変だよね。

 『国の交戦権を認めない』って事は、某国が日本に核ミサイルをぶち込んできても反撃しちゃいけないって事だし、某国が日本海を散歩しているカップルを拉致誘拐しても、黙って指を加えて見ているだけって事でしょ? あ、だから拉致被害者はいつまで経っても日本に帰国できないわけだ(納得)。

 戦争ってか、武力衝突と言うのは、こっちが外に攻めていく事もあるけれど、敵がこっちに攻めてくる事だってあるわけだよね。“交戦権”が無いなら、やられてもやりかえせないわけで、盗まれても取り返せないわけで、家族や大切な人が殺されても、ただ黙って見ているしかできないわけです。いつでも敵の言いなりになりましょうって事だ。これもおかしいよね。

 これまた憲法解釈ってヤツで「交戦権はないけれど自衛権はあります」って事になっているけれど、少なくとも憲法九条を読む限り、現憲法下においては、我々には自衛権も無いでしょ。自衛権って言うのは“国際紛争に巻き込まれた場合に戦力を行使する権利”には違いないわけだからね。戦力の保持が否定されている以上、自衛権なんてあるわけないんだよ。でも、そこんところを憲法解釈ってヤツで「交戦権はないけれど自衛権はあります」と言って、ごまかしているわけだ。自衛権自体が無いんだから、集団的自衛権とか個別的自衛権とか、そもそも論議する事自体がおかしな事なんだよ。「日本は自国の防衛は勝手にしない。日本の防衛は、アメリカの必要に応じてアメリカ軍が行うかもしれない」というのが日米安保ってヤツだもんね。我々の生殺与奪の権限は、日米安保にかかっているんだけれど、これがまた、頼りない“お約束”なんだよね…。

 そんなこんなのごまかしを通用させているのも、憲法改正をサボっているからなんだな。

 日本国憲法が制定されたのは1947年です。当時は、日本国という国はなく、アメリカの占領下にあった“Occupied Japan(占領下日本)”という、アメリカが支配する地域の一つだったわけだ(今のグアムみたいな扱いだね)。ちなみに、日本が主権回復して、現在の日本国として再独立したのは、サンフランシスコ講和条約を結んだ1952年のことね。つまり、日本国憲法が制定された当時は、日本はアメリカに占領されていて、独立国家ではなく、ただのアメリカの支配下に有る地域だったわけで、そんな地域に“交戦権”なんてあるわけないのは当然でしょう。だってそんなモノを認めて、宗主国であるアメリカ様に逆らうような事があったら大変だよね。だから、占領下の日本に交戦権もなければ自衛権もなかったわけだし、それらはみんな、宗主国であるアメリカが担っていたわけだ。

 そういった意味では、1947年に制定された日本国憲法は、1952年に再独立した際に、改正されるべきものだったんだけれど、時の政府がサボっちゃったんだな。ダメだなあ。

 だいたい、日本国憲法なんて、アメリカが日本を占領しやすくするために作った、占領下法なのに、その占領下の憲法を、独立国となった現在でも、未だに使っている事自体がオカシイんだよ。

 まあ、現実問題としては、再独立後も、日本とアメリカは安保条約を結び、その結果、米軍は日本に軍隊を駐留し続けたおかげで「日本を攻撃する事=米軍に牙をむくこと」となり、日本の本土に核ミサイルを打ち込まれる事はなければ、空爆される事も無かったわけです。

 その代わり、米軍が駐留していないところでは好き勝手ができるから、日本海からカップルを拉致してもOKだし、北方領土を始め、離島の1つや2つカッパらっても、全然問題ないわけだし、返す必要もないわけだ。南西諸島沖の油田から石油だってドンドン吸い上げ放題だし、アメリカをスパイするのはご法度でも、日本国の機密情報なんて抜き放題だから、結果として日本はスパイ天国になって、国民の個人情報だって好き放題やられちゃうわけだよ。

 諸外国からすれば、日本の手足はアメリカが縛ってくれているから、何でもかんでもやり放題だし、あれこれやれば、当然、日本はガーガー文句は言ってくるだろうけれど、日本には交戦権がなくて、いつも口先だけなんだから、アメリカの顔色だけチェックしておけば、日本なんてシカトしても問題ないわけだからね。つまり、日本はなめられているわけだ。なめきられているわけだ。

 だから『国の交戦権は、これを認めない』ではなく『日本国および日本国民は、国の交戦権を認めるが、その行使にあたっては、慎重なる審議を必要とする』とかにしておく必要があると思うんだよね。そうしておけば、少なくとも、諸外国の皆さんが日本国内で好き勝手に振舞っている現状を少しでも変えられると思うんだよね。

 そう思うと、憲法九条は即刻改正すべき条文だと思うし、守る対象じゃないと思うわけです。

 「いやいや、憲法九条があったら、今の日本の平和があったんだよ」

 よく“憲法九条を守れ!”と言っている人は、そう言うけれど、本当にそうなの? 私は、憲法九条があったから、日本の平和が守られてきたのではなく、良くも悪しくも、日米安全保障条約があって、アメリカの軍事力によって守られてきたから、平和を甘受できたのだと思ってます。

 だいたい、憲法なんて国内法でしかないのだから、日本国は守らなきゃいけないのだろうけれど、諸外国の行動には何の歯止めにもならないわけでしょ。憲法九条があるから、日本は外国を攻める事はできないけれど、憲法九条があったからと言って、諸外国は自由気ままに日本を侵略/攻撃できるんだから、むしろ憲法九条がある事によって、日本の平和は、常に危機にさらされているんじゃないの?

 「いやいや、憲法九条があって、日本は他国を攻撃する事ができないから、日本は平和だったんですよ。もしも日本に憲法九条がなく、他国を攻める戦力と、交戦権があったとしたら、某国の大統領が竹島に上陸した時に戦争になっていたかもしれないし、某国の工作船が尖閣諸島周辺を回遊して日本漁船を武力で追い出した時に戦争になっていたかもしれないし、某国との中間線付近でお互いの申し合わせに反して、大々的に石油開発を勝手にし、国境線付近に軍事施設に即時転用可能な巨大施設を建造している件だって、へたすると戦争になっていたかもしれないし、日本海沿岸での多数の行方不明者が某国のしわざだと分かった時に、人質奪還作戦が実行されて戦争になっていたかもしれないでしょ? そんな時でも、日本に憲法九条があって、他国を攻撃できなかったから、日本が平和でいられたのです。憲法九条があったおかげで、日本は今でも平和なんですよ」

 つまり、日本がやられ放題やられていても、やられっぱなしだから、平和でいられた…そういうわけですか? まるで『ボコボコにやられちゃったけれど、こっちは手を出さなかったから、ケンカにならなくて良かったね(笑)』って言われているみたい。

 「だって、本音で言えば、竹島だって尖閣諸島だって、どうなったっていいじゃない。我々の生活には関係ないよ。南西諸島沖の石油だって、いいじゃないの、そんなものくれてやれば(笑)。北方領土は、もうすでにロシア領土だし、独島は韓国のモノ、尖閣諸島だって中国領でいいじゃない。墓参り? そんなの、年寄りが死んでしまえば、誰も望まなくなるって。海洋資源? あげちゃえばいいじゃん。え、北朝鮮による拉致被害者の救出? 君の家族は拉致被害者かい? 違うだろ? だったら、無視しとけばいいよ。関係者が死んでしまえば、問題は解決だよ。そんな事よりも、大切なのは、今の平和だよ、平和。日本という国は、今や日本人だけのモノじゃないんだよ。周辺諸国を下手に刺激せずに、手を取り合って、共存共栄を図っていかないとね。自分たちの幸せばかりを考えてちゃダメなんだよ。アジア全体で発展していかないとね。そこんとこは、しっかりとわきまえないダメだよ。」

 マジで、こう言われた事あります(もちろん、言い回しはアレンジしてますが)。憲法九条を守ろう!と叫んでいる人たちの全部が全部、こんな薄情な考えをしているとは思いたくないけれど、私、こういう考え方には、どうも賛同できません。だってね…

 これって“国がどうなろうと、他の人がどうなろうと、自分(とその家族…ぐらいかな?)が、安全で平和なら、それでいいじゃん”って事でしょ?

 某国から核爆弾積んだミサイルが飛んできても、自分さえ無事なら、それで良いわけでしょ? 誰かの家族が死んじゃっても、どこかの町が焼かれても、自分のところが無事なら、それで良いわけでしょ?

 政治なんて自分とは関係ないから、だれが総理大臣であっても、自分の生活が居心地良ければ良いわけで、自分の生活に少しでも不安を与える人は、誰であってもダメなんだ。だから、フクシマの原発事故の犠牲者なんて、どうなったってかまわないけれど、放射能が自分の生活地域に降ってくるのは、たまったもんじゃないわけで、文句の一つでも言いたくなるわけだ。

 で、あれこれ文句を言っていると、どこからともなくチヤホヤしてくれる人が現れて、そういう人って良い人っぽいので、ついつい一緒になって行動しているうちに、色々と新しい事を教えてもらったり、新しい友人を紹介してもらったり、おもしろそうなサークルを紹介してもらったりして、今はそっちの活動で忙しかったりするわけだ。

 なんかなー。

 そういう人って、きっと、湘南地方に核ミサイルが落ちて、私が死んでも「憲法九条のおかげで、今日も日本は平和」とか言って、ほのぼのしていたりするんだろうなあ。

 私が外国の核ミサイルで殺されているのに、ほのぼのと平和を満喫している日本人がいるなんて…なんかむかつく。

 いやいや、やっぱり、そんな人でも核ミサイルは怖いと思うのかな? 今日は湘南地方でも、明日は自分の住んでいる町にミサイルがやってくるかもしれないしね。そんな人は、その不安を回避するためには、ミサイルを落としそうな国の人たちに親切にして、自分たちの安全だけは、なんとしても確保したいと思って、あれこれやっちゃうのかな? いわゆる“反政府活動”とか“反日活動”なんてのも、悪気はなくて、単純に我が身可愛さでやっている事だったりして…。

 以上、全くの私の妄想でございます。とんでもない妄想だし、ほんと、妄想のままだといいなあと思っています。

 こんな妄想すら思いついてしまうほどに、あれこれ考えだすと止まらなくなるわけです。

 ああ、それでもやっぱり“憲法九条”って守らないといけないんでしょうか? 誰か私に、その理由を教えて下さい。

 日本は、今まで問題の先送りをずっとしてきました。もちろん、これからも問題の先送りをし続ける事も可能ですが、やがてそれではやっていけなくなります…ってか、そろそろマズいんじゃないかなって思います。だからこそ、私は憲法九条を含め、日本国憲法を大幅に改正しないといけないと思ってます。もちろん、日本は平和を愛し、自国民とその未来を大切にし守っていく国家である事を宣言する憲法にして欲しいです。次の憲法も、平和を希求する憲法にするために、憲法九条を守るのではなく、現状に合った形に改正するべきだと思ってます。

 いわゆる護憲派の方々の意見を聞きたいんですよ、私は。

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2015年8月 8日 (土)

実は“日陰の身”です

 何の話かと言うと、もちろん金魚たちの話。水槽の照明を取り替えたという話は以前しましたが、それ以降の話です。

 蛍光灯の頃とは違い、LED電灯になって以来、金魚たちが水草の影、つまり日陰に入っている事が多いです。特に寝ている時は、たいてい水草の影に入ってます。蛍光灯の頃は、そんな仕草は決して見せなかったものですが…。

 単純に考えると、LED電灯は蛍光灯よりも、金魚たちには眩しいのかもしれません。実際、私もLED電灯は眩しいと思います。私が眩しいと思うLED電灯ですから、私よりも至近距離から照明を浴びている金魚たちは、猛烈に眩しいのかもしれません。

 それに金魚ってまぶたがないので、どんなに眩しくてもまぶたを閉じる事が出来ませんからね。なので寝る時(って、頻繁に昼寝ばかりしてますが:笑)は、水草の影に入って眩しさの軽減を図っているのかもしれません。

 そうでなくても、金魚のお目々は大きいですからね。ちょっとの明かりでも眩しいのかもしれません。それに金魚って、どうも視力が良いみたいなので、人間以上に眩しいのには弱いのかもしれません。

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2015年8月 7日 (金)

なぜ、初心者はアンブシュアに悩むのか?

 それは初心者にとって、適切なアンブシュアを作るのが難しいからです。適切なアンブシュアを作るのが難しいため、初心者はフルートから音を出すのを難しく感じます。まあ、フルートを始めた人って、たいてい、最初の音出しで苦労しますからね。

 私の知り合いのピアニストさんは、音大の副科でフルートを学んだそうだけれど、一学期中は音を出すことでできず、夏休み中も毎日毎日フルートの練習をして(そうしないと副科の単位が取れなかったんだから、仕方ない)ようやく9月になって、ス~ピーって感じで音が出るようになったそうです。音さえ出れば、さすがはピアニストさんですから、なんとかなるわけで、フルートの単位を落とさずに、きちんと卒業したそうです。

 今でもフルートは持っていますが、もう二度とフルートなんて吹きたくないそうです(それくらい、嫌な思い出になってしまったそうです)。それはともかく…。

 彼女はなぜフルートの音を、何ヶ月も出せなかったのか? そして、程度の差こそあれ、同じようにフルートの音出しに苦労する初心者たちが絶えないのか? そこでしょ、問題は。

 ちなみに、私は生まれて初めてフルートを構えて、ぴやっと息を吹き込んだら、ぴいぃぃぃ~と鳴りました。なので、私にはフルートを鳴らせなかったという感覚がないんです。そんな私でも、やはり初心者の頃は、低音はうまく鳴らせなかったし、第三オクターブには苦労しました。優しい中低音は鳴らせても、低音や高音は鳴らせなかったわけですから『フルートを鳴らせなかったという感覚がない』と言って、あまり威張れたものでもなかったりします(汗)。

 で、あれこれ悩んで、行き着いた先は、どうフルートに息を吹き込むべきか…つまり、いわゆるアンブシュア問題に突入してしまったわけです。

 悩みましたよ、私も、いっぱしに(笑)。色々な本を読んだり、ネットをググったりして、アンブシュア研究なんてしてみました…が、その研究が実を結ぶことはなく…私、いつのまにか、アンブシュアはもちろん、フルートの音出しで苦労を感じる事はなくなってしまいました。今苦労しているのは、フルートの音が出るとか出ないとかではなく、どうすれば美しい音を出せるようになるかなんです。

 それはさておき、かつて初心者だった私同様に、アンブシュアに悩んでいる初心者の皆さんは大勢いらっしゃると思いますので、その方々の助けになる事を書いてみたいと思います。

 ええと、まず、アンブシュアに悩んでいらっしゃる皆さんへ。アンブシュア問題は、時間が解決するので、悩まなくていいです。もっと、おおらかに構えていましょう。大切なのは、練習です。とにかく毎日毎日フルートを吹いてください。たぶん、それで解決します。

 私の友人のピアニストさんが長い期間、フルートの音が出なかったのは、今思うに、筋力不足です。ピアニストさんは、腕とか指とかは筋骨隆々な方が多いのですが、呼吸筋とか、表情筋とかをほとんど使わずに暮らしている方、結構いるでしょ? 特に子どもの頃から、ピアノ一筋で、運動もしなけりゃ、ロクに遊びもしなかったような、ピアノ一筋の方々って、案外、普段から呼吸が浅かったり、ピアノの練習三昧で、人付き合いも少ないから、表情筋も未発達だったりするわけです。それらの呼吸筋や表情筋がある程度発達してこないとフルートって吹けないんですよね。たぶん、それが問題。

 私がフルートをピヤっと吹いちゃったのは、逆に言えば、日頃から呼吸筋とか表情筋とかを声楽で鍛えていたから。だから、簡単な中低音程度なら、何の悩みもなく吹いちゃったわけだけれど、低音高音を吹きこなすには、筋力だけでなくテクニックも必要だから、そのテクニックを体得するまでは吹けなかった…そういう事なんです。

 たぶん元凶は、アルテ(笑)。[黄色い]アルテの13ページの中頃に、こんな記述があります。

>クチビルの両端を微笑した時の形(といってもクチビルの両端は上に引き上げず真横か幾分下気味)に横に引く、上下の唇は力を入れずに軽くふれ合っている程度に閉じ、両端だけは息がもれないようにに幾分力をいれるが、唇の中心部は上下共力が入って堅くなってはいけない。(中略)息を出すための穴を作る気持だと、どうしても穴のあき方が厚すぎることになるから、軽く閉じられた上下の唇が、息の圧力によって押し広げられ、息がもれ出したような気持で吹くと薄い形の穴を作ることできる。

 私は最初から音が出た人なので、当該部分を読まずにアルテを学んでしまったわけだけれど…これはダメでしょ。

 『唇を軽く閉じて、息の圧力で唇を押し広げて息を出す?』

 それはすでにフルートが吹ける人が自分の感覚を説明しているだけで、これをやったからと言って、今までフルートが吹けなかった人がフルートを吹けるようになるとは、到底思えません。だって、この通りにやったら、クチビルから出てくる息は、一つにまとまらずに、あっちこっちに散らばるし、ホオもクチビルも力がこもって堅くなってしまうし、それにだいだい息が保たないし、簡単に酸欠になってしまうよ。音だって上ずるし、だいたい苦しい。これはダメだよね。

 じゃあ、どうするか? まずクチビルできちんと穴を作る事。それもクチビルを軽く横に引いた形のままで、クチビルの中央部に穴を開ける事。よく「クチにストローを加えた感じで…」と書かれたブログを見るけれど、たぶん、ストローでは穴、大きすぎます。もっと細い穴が必要でしょう。

 では、どうやってその穴を作るのか…だから練習なんです、筋力なんです。きちんと、クチビルの筋肉が鍛えられてきたら、それくらいの事、何の造作もなく出来るんです。出来ないのは、まだ筋力が不足しているから。だから、初心者はどうあがいたって出来ないんです。だから、とにかく、毎日フルートを吹いて練習して、フルート演奏に必要な筋力を身につけるしかないんです。

 で、クチビルできちんと穴を作れるようになったら、フルートは吹けるのか? そんな虫の良い話はありません。穴は穴です、それ以上でもそれ以下でもないんです。

 次は、せっかく作った穴にどうやって息を通すのか…ここもアルテはマズってます。

 『軽く閉じられた上下の唇が、息の圧力によって押し広げられ…』

 これをやろうと思うと、普通はホオに力が入ります。ホオで息を押してしまいます。それでうまくいくはずないです。

 ホオは脱力です。クチはホオの中で大きく開きます。当然、上歯と下歯は泣き別れです。その状態で、クチビルに小さな穴を開けて息を勢い良く出そうとするなら…当然、お腹から息を出すしかないんです。そうです、ここで腹式呼吸の必要性が生まれてくるんです。でも、初心者の多くは腹式呼吸なんて出来ませんから、ロクにフルート吹けないのです。仕方ないのです。腹式呼吸をきちんとやるためには、やはり筋力が必要です。毎日毎日フルートを吹くことで、フルート演奏に必要な筋力を身につけていけば、自然と腹式呼吸だって身につくわけです。

 というわけで、初心者の方がアンブシュアに悩むのは当然として、その解決には、クチビルと腹筋背筋に筋力がつけば、自然とお悩みも解決する…というわけです。ですから、アンブシュアに悩む時間があったら、まずはフルートを吹くこと。フルート演奏に必要な筋力はフルート演奏でしか身につきませんから。とにかく、がむしゃらに練習すること。それが実は一番の近道だったりします。

 と言うわけで、フルート初心者の皆様。大切な事は、練習です。練習練習練習です。練習を積み重ねて、フルーティストとしてのカラダを作るのが、フルート上達の何よりも近道だったりするわけです。

 というわけで、健闘をお祈りしております。

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2015年8月 6日 (木)

子どもの習い事って、保育園代わりなのか

 これは私の妻から聞いた話。

 妻の実家は商売をやっていて、だから父親はもちろん、母親も、家にいる大人たち全員が昼間は家で働いていたわけで、だれも子どもたちの面倒なんて見ている暇がなかったそうな。今なら“ネグレクト”のひと言で、何らかの処罰なりなんなりのペナルティが与えられちゃうのかもしれないけれど、昔はおおらかだった(笑)ので、そういう事はなかったわけだ。

 学齢以前は保育園に通っていたので、夕方までは保育園が子守をしてくれていたので、特に問題はなかったわけだが、問題は小学校に上がってから。小学校って、特に低学年って、全然早く学校がひけるんだよねえ。そりゃあもう、保育園が夕飯時まで子守をしてくれるのに対して、小学校はヘタすると昼飯前に子どもを下校させたりするんだよ。商売人の立場で考えるなら、鬼畜のような行いだよな(笑)。昼時に子どもを返されても、迷惑至極だってえの(笑)。

 今は、学童保育という名の、小学生対象の保育園があるから良いけれど、あの頃はそんなものはなかったわけで、それで妻は、毎日毎日あっちこっちで習い事の掛け持ちをやらされて、だから色々な芸事が得意だったりするんだけれど、元々好きで始めたわけでもないし、親も期待していなかったものだから、そこそこにしか上達していないわけだったりします。

 時は流れて、息子くんの時代。

 彼の時代になれば、学童保育というものが存在したので、学齢以前は保育園にぶち込み、小学校に入ってからは、学童保育に打ち込んだわけです。でも、学童保育ってのは、小学校低学年が主流で、ある程度の年齢になったら、子どもたちは塾とかその他の習い事に行くようになるわけです。まあ、同じお金をかけるなら、ただ子どもを預かるだけの学童保育よりも、何らかの芸とか勉強とかを仕込んでくれる習い事の方が良いような気がするからだしね。ウチでも、息子くんが小学校の中学年になって、学童保育での居心地があまり良くなくなったあたりから、水泳とかピアノとかの習い事に通わせるようになりました。水泳は、湘南地方に住んでいるのに泳げないのではシャレにならないので、最低限の水泳はできるように…との願いから。ピアノは…当時からすでに歌は歌っていたので、歌えるならピアノも弾けないとマズいでしょう…という親心から。

 そんな邪な親心から習わせていたので、息子くんの水泳は最低レベルにようやく到達した程度で終了したわけだし、ピアノなんて未だにまともに弾けません(笑)。でもまあ、それも仕方ないです。保育園代わりに通わせた習い事だもの、そんな程度だよ。

 まあ、子どもの習い事の中には、親も子も人生をかけて熱心に取り組んでいる人々もいる事は知っているし、そういう人たちが、やがてプロになったり、プロにはならないまでも、ファンとして、その世界を支えていくようになるのは知ってます。でも別に、私は息子くんに、そういう芸事の道に進んで欲しいとは全く思っていないし、万が一、そういう道に進みたいなんて言い出したら、全力で潰すつもりでいましたので、そういう親の気持ちが伝わったのか、習い事もそこそこになってしまったんだろうと思います。

 でも、世の中の親なんて、大半は、そんなもんだよね。

 だって、ピアノの先生を探す時だって、その先生のピアノの演奏力とか、先生自身の学歴や賞歴や、育て上げたお弟子さんを重視するのではなく、近所で開業していて、子ども扱いの上手で、安価なレッスン代の先生が重宝されるでしょう? ウチだって、概ねそうでした。もっとも、ウチの場合は、先生の学歴とお弟子さんの進路先のリサーチはきちんとしましたが(笑)。とは言え、肝心の息子くん自身がグダグダだったので、どんな先生に習っていても、結果は同じだったろうなあ…と今は思うわけです。

 何が言いたいのか言えば、我々庶民のライフスタイルが、ここ数年で大きく変わり、専業主婦の母親ってヤツが減り、以前は商家の女将さんぐらいしか働いていなかったのが、今や、大半の母親がパートを始めとして、働いているのが普通になってしまったという事です。なのに、学校は昼過ぎとか昼下がりとかに終わってしまうわけで、そこから母親たちが帰宅するまでの空白の時間、子どもたちの面倒を見る大人たちがいなくなってしまったので、そこにビジスネチャンスが生まれた…と言うか、社会の仕組みが、その変化に追い付いていなくて、それが子どもや子どもを抱える家庭に歪となって押し寄せているっていう現状があるって事です。

 学童保育もそうだし、塾とか習い事も、その空白を埋めるために存在しているわけです。学童保育や塾は、元々、そんな空白を埋めるために生まれてきたサービスだから良いとしても、習い事っては、望んで学ぶべきものであって、受け身で習うものじゃないですわな。問題は、そこんとこにあると思う。

 で、この問題を拡大していくと、中学高校の部活動の問題へとつながっていくわけだけれど、それはまた後日って事で(笑)。

蛇足 私が子どもの時、もちろん母親は働いていたけれど、習い事をさせてもらえる経済力もなかったので、私は専ら“鍵っ子”をやってました。で、母親の帰宅前に、掃除と洗濯をし、空腹になれば、適当に調理をしてメシを食ってました。小学校低学年の時からそんな生活だったんだけれど、たぶん、今なら完全にネグレクトだな(笑)。

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2015年8月 5日 (水)

ポピュラー歌手の声の小ささには驚いた!

 もちろん例外とか、多数派少数派とかいるとは思うのだけれど、ポピュラー歌手の皆さんは、マイクを使用して歌います。…と言うか、マイク無しでは歌いません。必ずマイクを使用して、声に音響効果を付け加えて、音量を増々にして歌います。ピアニストがピアノを使うように、フルーティストがフルートを使うように、ポピュラー歌手の皆さんはマイクを使います。いわば、マイクが彼らの楽器というわけです。

 ですからポピュラー歌手の皆さんにとっては、マイク使用が大前提となるわけで“マイクありき”の歌い方になるわけです。もちろん、それで全然問題ないわけです。

 ですから、ポピュラー歌手のマイクを使用しない“素の歌声”と言うのは、あまり耳にする機会がありません(それでいいんですが…)。それでも私などは、たまに彼らの素の歌声を耳にするチャンスがあって、我々クラシック声楽を学ぶ人間とは、色々と違うんだなあって思うことが多々あります。

 まず、声の大きさが全然違います。もちろん、例外もあって、ストリートで活躍している方は、結構それなりに声を張って歌うので、決して“声が小さい”とは言えませんが、それでも我々クラシック声楽の人間とは、違います。ましてや、J-POPの人はもちろん、ジャズ系の人やボサノヴァ系の人などは、マイクを通して聞くと、実に立派な声の方でも、素の声だと、かな~り小さな声でボソボソと歌っていたりして、ビックリします。

 エレキギターなんて、素の音はほとんど聞こえないくらいなのに、アンプを通すと、大音量でアグレッシブな音になるわけで、ポピュラー歌手の皆さんも、あんな感じなんだなあって思うわけです。

 マイクを通すので、声にエフェクターをかけられるのが、ちょっぴりうらやましいですね。私などは先生から「もっと声に響きをつけなさい!」とか注意されますが、ポピュラーの人は、エフェクターで響きをつけられるので、素の音は響きのない平べったい声でも問題ナシングですからね。

 それと、声に音量が求められなければ、低い声も高い声もかなり使えます…って言うよりも、我々の場合は、客席に聞こえる音量で歌えないと、声って使えないわけですが、マイクがあれば、とりあえず発声さえできれば、後はマイクに任せられますから、かなりのローヴォイスも、ハイトーンも使い放題です。

 うん、うらやましい。

 とは言え、マイクを使うとなると、マイクテクニックって奴が必要になってくるわけで、そういう事に気を使わずに、我が身一つで歌えるクラシック声楽の方が、楽って言えば楽だな。

 要は、ジャンルに応じた歌い方ってのがあるわけで、クラシック発声でポピュラーソンクを歌ったり、その逆をやったりって、かくし芸的には面白いけれど、やはりそれは王道ではないわけで、やはりその歌は、そのジャンルに応じた歌い方をした時が、一番カッコいいと思うわけです。

 例えば、モーツァルトのアリアを、演歌唱法でこぶしを回して歌っても面白いだろけれど、それでは明らかに別物になってしまうからね。

 いやあ、それにしても、ポピュラー歌手の素の声の小ささと、マイクという楽器の性能の良さにビックリした私です。

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2015年8月 4日 (火)

楽音と騒音の間にあるものは?

 先日、私、無事にお江戸から帰宅いたしました。只今、疲れきっております…と報告しておきますです。

 さて、音楽の演奏で使われている音は、楽音と呼ばれる種類の音です。楽音とは『音波が周期的に構成されていて、振動数を正確に測定でき、聴覚に快感を与える音』であり、これを簡単に言うと『音程があって、倍音を感じられて、気持ちのいい音』の事です。一般的には楽器の音を想像すると分かりやすいです。

 楽器と言えば、その代表格はピアノだけれど、昔々“ピアノ殺人事件”というのがあって、確かにピアノの音は楽音であり、その音は『音波が周期的に構成されていて、振動数を正確に測定でき、聴覚に快感を与える音』なんだけれど、犯人にとっては“快感を与える音”どころか“不快極まる音”であって、その不快感によって殺人事件にまで発展していってしまったわけで、ピアノの音であっても、聞く人によっては、楽音どころか、単なる“騒音”になってしまうわけです。

 本来、楽音であるべきものが騒音となってしまうのは、悲しい事です。ピアノの音ですら、聞く人によっては騒音となるわけで、だから、しずかちゃんのヴァイオリンや、ジャイアンの歌声は、騒音どころか殺人音波としてギャグにされてしまうのも、一種のデフォルメとは言え、多少の事実をふまえているわけです。

 下手くそな演奏は論外であり、音楽で用いられる音には、音程が大切なのも自明の理なのだけれど、最終的には『好き嫌い』が、その音を楽音とするのか、騒音とするのかを分ける指標になるのだと思う。

 一般的なクラオタさんの中は、演歌は苦手だという人は多いでしょう。そういう人にとっては、演歌は楽音であっても、かなり騒音に近い感覚の音になると思います。詩吟や義太夫だと、演歌よりも、もっと騒音に近く感じられるだろうし、いわゆる民族音楽と言われる類の聞きなれない音楽であれば、その道の名人の演奏であっても、限りなく騒音に近いものとして捕らえられるにちがいありません。

 私自身で言えば、若い頃はビートルズに夢中でしたが、ジョージ・ハリスンのインド音楽は大嫌いでした。正直『ウザい』とすら思ってました。

 天下の名盤である『サージェント・ペーパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は大好きだったけれど、ジョージの『ヴィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー』は大嫌いでした。ほんと、聞くのをパスしたかったんです。当時はアナログ・レコードだったから、曲を飛ばせなくって…だから次の『ホエン・アイム・シックスティー・フォー 』のイントロが聞こえると、心がなごんでなごんで…。同じくビートルズと言えば、ホワイトアルバムに入っていた、ジョン・レノンの『レボリューション・ナンバー・ナイン』も奇妙奇天烈なサウンドの曲でした。ここで用いられている音は、間違いなく楽音ではなく騒音の類だろうけれど、不思議と『ヴィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー』よりも耳になじみやすくて「好き」とは言いがたかったけれど、結構気に入った音楽でした。ま、いわゆる、ミュージック・コンクレート(具体音楽)って奴ですね。

 結局、その音が楽音なのか、騒音なのかは、その音楽が好きなのか嫌いなのか、あるいは、聞き慣れているか、聞き慣れていないのかという問題に集約してしまうだけなのかもしれません。

 好きな人には好かれるが、嫌われる人には生理的にダメ…なんでしょうね。そういう点では、楽音なんて、葉巻のニオイに似ているのかもしれない。葉巻も、好きな人には好かれるけれど、嫌いな人には全くダメだものね。

 あるいは、肉と魚のようなものかもしれません。昔はよく「日本人は魚臭い」と外人に言われていたモノです。その頃の日本人は、あまり肉食はせず、タンパク質は主に魚でとっていたわけで、毎日毎日魚をたくさん食べていたので、魚をあまり食べない外人(ってか西洋人)には、日本人の体臭は魚っぽく感じられたのかもしれません。でも、日本人同士だと、そんな感覚は全くなかったわけです。私に言わせれば「牛を焼くバーベキューは良くても、焼き魚は、なぜダメってなんじゃい!」ってところです。(まあ、当時の日本人たちも、外人さんたちを“外人は臭いから香水を使うんだー”と言ってたので、お互い様ですけれどね)

 好きな音が楽音であり、不快な音が騒音ならば、私は 殺されない程度には、楽音と呼ばれる音を奏でたいと思います。そのためにも…私の音楽の練習はなるべく他人に聞かせたくないものです(笑)。

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2015年8月 3日 (月)

身の丈にあった実力通りの曲を演奏するべきか、身分不相応な大曲に果敢に挑んでいくべきか

 …それが問題だ(笑)。

 例えば私の声楽の場合。発表会等、人前で歌う機会があった時の選曲について…。

 キング門下時代は、私がいくら希望を言っても、結局、先生がすべて選曲していたので、何も悩む事もなければ、迷う事もありませんでした。先生が指定した曲を一生懸命に練習して、本番では、その曲をきちんと歌うことができずに失敗して(当時の私には難しすぎる曲ばかり選曲されていたわけです)凹む…これの繰り返しでした。

 先生がY先生に変わって以来、基本的に私が選曲をする事となり、先生はよほどの事がない限り、ダメを出さなくなりました。その“よほどの事”ってのは私の実力に較べて、曲の難易度が話にならないくらいに難しい時にダメを出しますが、少々難しい程度なら「頑張れ!」とエールをくださるくらいです。と言うのも、Y先生曰く「本人が歌いたいと思う歌を歌うのが一番だから」という考えの持ち主だからです。

 だから難しい。却って難しい。

 まずは自分の実力って、自分じゃよく分からないじゃない? それに「まあ、私って、これくらいだよね」と目星をつけたところで、その実力の範囲内で選曲するべきかって問題が次にくるわけだ。だって、私の実力なんて、たかがしれているからね。この力量の中で、安牌な曲を選択するなら…本当に曲が限られてしまうわけです。歌いたい歌など、選べなかったりします。

 で、歌いたい歌で「私でもなんとかなりそう…」って思った曲であっても、傍目から見れば、それってどう映るんでしょうね。やはり“身分不相応な曲を歌いたがる”って感じになりかねませんし、歌の難易度ってやつも、なかなか分かりづらいので、思わぬ難曲をチョイスしてしまっている可能性だってあるわけです。

 難しい。

 まあ、とりあえず、今はまだ難易度が高くて歌えない曲や先生からダメをいただいた曲は、数年後にトライするために現在の候補曲から退けておいて、大事に『そのうちに歌う曲リスト』って奴に入れておけばいいのです。

 とりあえず、今はそれでいいことにしています。でも、人生の残り時間って奴も、薄々と考慮に入れたかったりします。

 私も老人の仲間入りを果たしたとは言え、まだまだ社会では現役世代です。引退しているわけではありませんから、一般的には、まだまだこれからチャンスがあるって思われがちですし、そうであって欲しいと願ってます(でも、世の中、何があるか分からないし、来年も私が元気で歌っている保証は何もないので、本当は『そのうちに歌う曲リスト』なんてモノを悠長に作っている場合ではないのだけれど…その事は、ひとまず横に置いておきます)。

 問題は、すでに現役引退をされて数年を過ごされて、本当の本当に、来年があるのかどうかも分からないような方々の場合です。

 おそらく、今年難しすぎるという理由でやめた曲は、来年歌えるようになっているか…練習による実力の上達と老化による歌唱力の低下を天秤にかけなきゃダメでしょう。今年難しい曲は、来年はお話にもならないくらい難しくなっている事だってあります。今年は出演できる発表会だって、来年は体調不良やらなんやらで、出演できなくなっているかもしれません。もうその頃になると、人生は本当の本当に“一期一会”になっていると思います。

 発表会とか定期演奏会とかで、毎年お元気にお見かけしていた方が、今年は見られなくなって、周囲の人々に尋ねてみたら「たまたま風邪をお召になって…」なってのは稀で、大半は「家族の方の介護が大変になって」とか「ホームに入られて…」とかだったり、あるいは「入院しています」とか「亡くなられて…」とかだったりします。引退世代になると、来年が常にあるわけじゃないんだなあ…と思うわけです。

 そうなると、実力不相応とか言ってられませんよね。歌いたい曲を今歌わないと、もう一生歌うチャンスがやってこないかもしれないのです。

 ああ、難しい、難しい。

 今更だけれど、もっと若い時から、真面目に歌ってこられたらよかったなあって思います。だけどやっぱり、働き盛りの時に趣味に没頭しているようでは、ダメだよなあとも思います。ならば、残された時間を健康に過ごして、なるべくたくさんの回数、歌えるように健康管理と練習をしっかりしていきたいと思うわけです。

 それであっても、やはり、身の丈にあった実力通りの曲を演奏するべきか、身分不相応な大曲に果敢に挑んでいくべきかは、永遠の悩みだったりするわけです。

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2015年8月 2日 (日)

無籍者と呼ばれる人たちが日本にいます

 無籍者と呼ばれる人たちが日本にはいます。無籍者には二種類あって、一つは無国籍者、もう一つは無戸籍者だそうです。それぞれの人数は、法務省の調べでは、無国籍者が約1200名、無戸籍者が約500名で、合わせて2000人足らずですが、これは公的に調査した数であって、その実態は、この数十倍から数百倍の数いるんだそうです。なにしろ、籍がないので、数を調べるにも調べようがないんですね。

 まず、無国籍者から。

 なぜ無国籍者の方がいらっしゃるのか? その主な理由は3つだそうです。

 1)祖国が無くなった/祖国の国籍が通用しなくなった。
 2)祖国に出生届が出せなくて、国籍の取得ができなかった。
 3)母親が不法滞在者。

 1)の『祖国が無くなった/祖国の国籍が通用しなくなった』は、元々は正規に滞在していた外国人ですが、滞在中に国籍がいわば“失効”してしまったケースです。

 最近の例で言うと、中華民国の方々のケースです。1972年に日本が中華人民共和国と正式に国交を結ぶにあたって、中華人民共和国から条件として『中華民国(現在の台湾)との国交を止める事』が出され、日本はその条件に従いました。なぜそうなったのかは、政治的背景についての説明が必要な事なので、ここでは割愛しますが、その段階で、日本で暮らしていた中華民国の方は、…

 a)中華民国の国籍を捨て、中華人民共和国の国籍を取り直す
 b)日本に帰化し、日本の国籍を取得する
 c)あえて中華民国の国籍のままで何もしない -> 中華民国の国籍は失効。

 …となります。で、c)の方が結果として、無国籍者になってしまったわけです。このケースでは、該当する方々は無国籍者となりますが、従来の外国人登録証等では“無国籍”として登録され、日本国内にいる限りは、普通の外国人として生活できたようですが、新制度である在留カードでは…どうなっているのでしょうね?

 2)の『祖国に出生届が出せなくて、国籍の取得ができなかった』と言うのは、亡命者や難民などの子女に多く見受けられます。色々な事情があって、亡命者や難民として祖国から逃げているわけですから、親御さんたちは祖国に子どもの出生届など出せるわけないのです。だって、そんな事をすると、自分たちの居場所が祖国にバレてしまい、場合によっては、拉致監禁されて祖国に強制送還されたり、殺されたりすることもあるわけですから。そんな場合でも、アメリカのように出生地主義で国籍を与えるような国ならば、そのような亡命者や難民の子女は出生地での国籍を得られますが、日本のような血統主義の国の場合は、両親ともに外国人である亡命者や難民の子女には国籍は与えられませんから、それで無国籍になってしまうわけです。

 このようなケースの場合、日本では、その子の(従来のシステムである)外国人登録証には一応、本来の国籍国がその人の国籍として登録されますが、本国がその子の国籍を認めていないため、正式には無国籍なため、本国からの身分証明その他は一切発行されないそうです。このケースも、日本国内に住んでいる限りは、普通の外国人として生活できるようですが、今後はどうなるんでしょうね。

 しかし、亡命者や難民は、多くの場合が、国としてその人たちを受け入れているわけですから、日本が血統主義であるのは、私も理解しますが、その子女たちが無国籍となってしまうのは、いかがなものかと思います。

 3)の『母親が不法滞在者』と言うのも、子どもの出生届を出すことで、不法滞在がバレてしまい、祖国に強制送還されてしまうのを恐れて、届けを出せないわけです。この場合は、どこにも届けが出ないため、その子は母親同様に不法滞在者となります。

 理由はともあれ、無国籍者とは“どこの国の人でもない人”であり、“(法的には)どこにも居場所のない人”の事を言います。事情はともあれ、どのケースでも、本人には責任のない事情で無国籍者になってしまうわけです。日本国から見れば、無国籍者という種類の外国人としての取り扱いになります。

 一方、無戸籍者というのは、日本国籍を有する母親から生まれたにも関わらず、何らかの事情で、出生届が提出されなかった人の事を言います。日本国から見れば、推定日本人ですが、戸籍がないために、国民としての様々な権利がなく、各種公的サービスを受ける事ができませんし、あくまでも“推定”日本人ですから、何らの身分保障もしてもらえません。極端な話、教育すら受ける事が難しいです。

 母親が出生届けを提出しない理由には様々あります。

 1)夫から逃げている -> 出生届を出すことで居場所を知られるのがイヤだ。
 2)夫とは別の男性の子を出産してしまった -> 子を夫の籍に入れるのがイヤだ。
 3)親が出生届を出さなかった -> 一種のネグレクト
 4)日本の戸籍制度に反対している -> そういう人、たまにいるそうです。

 1)のケースでは、子どもは確かに夫の子なので、普通に出生届を出せば問題はないのですが、書類を提出することで、夫の戸籍に子の情報が記載され、その結果、夫に現在の母子の居場所が知られてしまう事を恐れて出生届を出せないのだそうです。DVなど深刻な問題を抱えているケースが多いようです。

 2)のケースは、いわゆる“300日問題”と言われるケースが多いようですが、必ずしもそればかりではないようです。とにかく、夫のある身で、夫以外の男性の子を身ごもるというのは、法律の想定の範囲外の出来事ですから、色々と厄介なようですが…それは生まれてくる子どもの責任ではありませんね。

 ちなみに“300日問題”とは、母親が、元夫との離婚後300日以内に子を出産した場合、その子は民法上、元夫の子と推定されます。そのため、離婚が成立する前後に、元夫以外の子を妊娠し、その子が離婚後300日以内に生まれてしまった場合、その子は(例え血縁的には別の男性の子であっても)法的には元夫の子になります。そのため、出生届を提出すると、法的には、その子は元夫の戸籍の中に入り、元夫が父となってしまうのです。

 そのような戸籍上の扱いを避けるために、あえて母親が子の出生の届出をしない事があり、そのために、子の戸籍が作製されず、無戸籍になってしまう、というケースです。これは、あくまで母親の生き方の問題であって、生まれてきた子どもには責任のない話です。

 3)は、いわゆる生みっぱなしって状態ですね。ネグレクトの一種です。また、滅多にないケースですが、母が無縁者であったり、母も無戸籍者であっても、そういう事が生じるようです。

 4)は、産んだ母親の思想信条の問題なんですが、親がどんな思想を持っていたとしても、子どもに戸籍を与えないって、ありえないと私は思います。

 無国籍者であれ、無戸籍者であれ、無籍者たちは、法的には“いない人”なんですね。身分の保証と保障がないんです。公的な書類が作れませんし、公的なサービスも受けられません。生きていく上で、色々と不便があるようです。

 とは言え、日本の場合は、戸籍とは別に住民基本台帳というものがあり、無国籍者であり、無戸籍者であれ、住民基本台帳に登録されていると、日本国内における各種公的なサービスを受ける事ができるので、無籍者であっても、住民基本台帳に登録されているならば、日本国内では、割と普通に生活できるようですし、地域によっては、戸籍のない人にも、その地域に住んでいるという実績があれば、住民基本台帳に登録する地域もあるので、そういう地域に住んでいると、本人も自分が無籍者であると知らずに育つケースもあるようです。

 例えば、公教育です。

 日本の場合、公教育を受けるにあたっては、実は戸籍ではなく、各市町村の教育委員会が作製した、学齢簿というものに準じてサービスが行われ、その名簿に記載されている子が公教育を受ける事ができるようになっています。

 学齢簿は本来的には、戸籍から作製され、日本国籍を有する子だけを記載する名簿であったのだけれど、昨今は住民基本台帳から作製される地域も多く、そのため、その地域に居住していれば日本国籍を有していなくても(つまり外国人の子女であっても)名簿に記載され、教育を受ける事ができるようになっているため、それで無籍者であっても学齢簿にさえ記載されれば、戸籍がなくても公教育を受ける事ができるようになっています。

 しかし住民基本台帳に登録されていないケースだと、学齢簿から漏れる事も多く、特にネグレクトを受けているケースでは、小学校に通えない事もあるそうです。

 また、いくら住民基本台帳に登録されていても、戸籍がなければ出来ない事もあります。例えば、結婚や、自動車免許の取得、国民年金の受給、選挙の投票などがそうです。これらはいずれも成人に達してから必要となってくる事なので、成人して始めて自分が無戸籍者である知るケースもあるようです。

 また今後、マイナンバー制度が実施され、マイナンバーが戸籍や外国人登録とも連動するそうですから、そうなってくると、無籍者の法的な扱いが、また変わってくるんだろうと思います。

 ともかく、無国籍であれ、無戸籍であれ、現に存在しているのに、法的に存在しているとは認められないというのは、ありえない事だと思います。それも本人に原因があるならばまだしも、無籍者の多くは、本人の預かり知らないところで無籍者になっているケースが大半です…ってか、母親の選択によって、無籍者になっているようです。母親の選択…と言っても、母親にその責任を負わせられないケースも多く、いわば、法の歪というか隙間によって生まれてしまうのが、無籍者という存在なんだろうと思います。

 人の情として、そういう人たちを何とかしてやりたいと思いますが、私にはそういう力ないからなあ…。そういう人たちも生きやすいような法改正を、立法府である国会と、そこで働いている国会議員や官僚の皆さんがたにお願いするしかないんだろうなあって思ってます。

 頑張れ、国会議員の皆々様。

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2015年8月 1日 (土)

みにくいメダカの子

 新入りの緋ドジョウたちの様子を観察中です。とにかく、小さいんです、細いんです。ですが、緋ドジョウですから、どこかに隠れているという事はめったに無いけれど、それでもなかなか見つけにくいんです。それくらい、小さいのです。

 でも、最近は割と簡単に見つけることができるようになりました。彼らをみつけるコツを見つけた…というべきでしょうか? 新入りの緋ドジョウたちは、割とメダカと行動を共にしている事が多いので、メダカがワサワサしているあたりを探すと、案外いたりするんです。

 たいていは、地面のあたりにいるのですが、時折、頑張って一緒に泳いでいたりもするんです。でも、悲しいかな、ドジョウはメダカと違って、長い時間水中に留まれずに、すぐに沈んでしまうので、たいていは水底にいるんですけれどもね。

 でも、メダカにまぎれて、一緒に泳いでいる緋ドジョウは、なかなか可愛いですよ。その、色艶といい、カラダの細さといい、ちょっと体長が長めのメダカのようです。

 そして長い時間水中を泳ぎ続ける事ができない緋ドジョウたちに同情してか、最近はメダカたちが地面近くを這うようにして泳いでいるんです。ですから、時折、水槽の底にメダカが全部沈んでいて、緋ドジョウと一緒になっていて、もう区別がつかないくらいになっていたりします。それもまた可愛いんです。

 とにかく、緋ドジョウたちは、割とメダカと一緒にいる時間が多くて、成体の緋ドジョウであるラズとか、真ドジョウのクロやシロと一緒にいる時間よりも、ずっとメダカと一緒にいる時間の方が長いんです。もしかすると、この子たちは自分たちがドジョウではなくメダカだと思ってやしないでしょうか? そして、メダカたちも、この子たちが緋ドジョウではなく、ちょっとカラダが長めなメダカで、自分たちの仲間だと勘違いしているんじゃないでしょうか?

 なんか、ありそうな話ですねよね。それくらいに、メダカにべったりな新入り緋ドジョウたちでした。

 やがて、1年もすれば、立派なドジョウサイズになって、メダカの大きさなんか、あっというまに越えてしまい、2年もすれば「メダカ、ウマウマ」と言いながら、メダカを食べるようになるんだけれど…ね。

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