ひとこと

  •  ポケモンGOの仕様が大きく変わって戸惑ってます。たぶん改良されたのだろうと思うのだけれど、どう楽しめば良いのか、正直戸惑っています。年寄りは変化が苦手なんだよねえ。ああ、以前のゲームシステムが懐かしい…。
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2015年6月の記事

2015年6月30日 (火)

今年も半分終わったら…夏がすぐそこまでやってきてます[2015年6月の落ち穂拾い]

 六月もいよいよ終了です。さあ、もうすぐ夏がやってきます。

 実は私、夏はあまり好きではありません。だって暑いモン。まあ、冬とは違って、病気になる事はないし、いつも元気でいられるし、長期休暇はあるし、色々と良い事もあるけれど、圧倒的に暑いじゃない? もうそれだけで、私、夏が嫌いです。

 もしも夏が涼しかったなら、うれしいのになあ…。

 一方、冬の寒さはまだ我慢できます。と言うか、私が住んでいる湘南地方の冬は穏やかなんです。雪はまず降らないし、好天の日が多いし、温泉も快適じゃない? 確かに冬ともなれば、風邪はひきやすくなるし、家の外も中も寒いけれど、クリスマスも正月もあるし、鍋料理は美味いし、熱々の料理をハフハフ言いながら食べるのは最高でしょ?

 それに何より、冬の寒さは我慢できるけれど、夏の暑さは我慢ならないのよ、私。

デブにも衣装?

 最近の一部のオペラの演出における衣装について、全く歌手の事を考えず、結果として彼らを貶め、観客からオペラの感動を奪い取るものだと、私は思ってます。

 オペラを上演する際に、物語の時代背景を現代に移すのは、よくある演出方法ですが、これによって感動が深まる事はあまりありません。むしろストーリーが分かりづらくなったり、設定に矛盾が出ることもあるので『下手にいじってほしくない』と言うのが観客としての本音です。しかし、時代背景を現代に移すことで、衣装をすべて街中で売っている既製服(例えばユニクロとかシマチュウとか)にできるために、経費が安くなる事は理解できます。どこの歌劇場も厳しい中で運営しているわけですから、それに関しては、努力も工夫も必要ですので、そういう手法を取らざるをえない劇場に関しては、同情さぜるをえません。

 オペラ演出をほとんどやらない、他分野の演出家を起用する事だって、その演出家のネームバリューを利用して、新たな顧客の開拓を目指している…というのも分かりますが、オペラの約束事を知らないために、オペラのクオリティーを下げてしまうような演出すら、多々あります(困ったものです)。

 それにしても、衣装です。本来、衣装というのは、出演者の体型的な欠点を覆い隠し、それで観客の注目を歌とか演技とかに集中させる役割も持っているはずなんですが…往々にして最近では、出演者の体型的な欠点を強調し、歌や演技から目をそらさせる結果となってしまう衣装もあります。

 歌手に恨みでもあるのでしょうか? それとも「私の演出したオペラに、デブなんて呼ばないでよ」とか思っていらっしゃるのでしょうか?

 全く、プロの仕事とは思えません。

原調版楽譜による歌唱ではなく、移調譜による歌唱の方が有名

 先日、私、シューベルトの『冬の旅』をライブで聞いてきました。歌っていたのは、テノールのヨナス・カウフマンです。

 『冬の旅』という曲は、その詩の内容を考えると、女の子にフラれた若い男性がグチグチグチグチ、愚痴っているだけだったりします。あまり、かっこいい内容でもなければ、ヒロイックな曲でもありません。ひたすら暗く、ひたすら陰気で、ひたすら落ち込んで内向しているボッチな曲なんです。

 「オペラは一人称で歌い、歌曲は三人称で歌う」とはよく言われる事です。ですから、歌曲は誰が歌ってもいいのです。しかし『冬の旅』の場合、曲の内容を考えると、あまり立派なオトナの男性を彷彿させてしまうような声で歌われると、いかにも主人公が立派なオトナに聞こえてしまうわけで、声の立派さと詩の内容のへなちょこさが実にミスマッチで「ちょっとなあ…」となってしまいます。

 やはり、この曲は若者っぽい声で歌うべき歌でしょう。テノールか、もしくは声の若いバリトンが歌うのが本来的には良いのでしょう。ただ、シューベルトが書いた“原調”は、高声男性歌手向けに書かれているのも事実です。テノール…それもかっこいい系のテノールではなく、ひ弱・軟弱・頼りない系のテノールが歌うのがふさわしい曲なんだと思います。

 日本では、フィッシャー・ディースカウとかハンス・ホッターなどのバリトンやバスによる歌唱が有名となり、そういう声で歌うものだと思われているフシがありますが、実は男声高声歌手用の曲だったとは、なかなかおもしろい話だと思いました。

良い癖と悪い癖

 癖とは、何も考えずとも行ってしまう、習慣であったり行動であったりします。そして癖には、良い癖と悪い癖があります。学習とはすべからず、良い癖を身につけるために行っているわけです。例えば、漢字の練習。これなんかは、考えずとも漢字が書けるようになるために書き取りの練習をしているわけです。この“考えずとも”できることを癖と呼ぶわけで、このように学校の勉強のみならず、何事においても学習というのは、良い癖を身につけるために行っているわけで、音楽の習い事だって同じ事です。

 レッスンなどで身につけるべきなのは“良い癖”なんですね。

 ですから問題は、独学とか部活とか流派の異なる先生に学んだ結果、現在の先生から見れば“悪い癖”が身についている場合です。この悪い癖だって、独学とか部活とか異流派の先生の時には“良い癖”だったりするわけです。だって、これらだって“学習の成果”でしょ? それが先生が変わって、メソッドが変わって“良い”と思われていたものが悪者扱いになるわけです。

 なんか、厄介ですね。そういう意味では、先生はあまり変えない方が良いのかもしれません…が、それではその先生を越えることはできませんし、その先生の教えてくださった以上には成長しませんから、そこも厄介です。

 ああ、面倒くさい。

たこ焼きと朝ごはん

 先日『これは気に入った(笑)』という記事を書いた私です。その中で取り上げた初音ミクが歌っている『たこ焼き屋のおばちゃん』ですが、ともさんのご指摘により、オリジナルが判明しました。この歌、上海太郎舞踏公司さんが原典のようです。と言うわけで、そのオリジナル音源をここに貼っておきます。

 しかし、リアルな人が歌っていると、なんとも生々していですね…。

 実は、上海太郎舞踏公司さんによる“交響曲第5番『朝ごはん』”は、今回の記事に入れるつもりだったのですが、この画像って、埋め込み引用できないんですよね。それで泣く泣く諦めたという経緯があります。ちなみに、名作『朝ごはん』を見たいかたは、こちらをクリックしていだくと、YouTubeに飛んでいって見れますよ。

今月のお気に入り オドジェルミンNEO

 オドジェルミンと言うのは、オドレミンの後発製品で、いわゆる制汗剤って奴です。ジェネリックと言うか、バチモンと言うか…、そういう立場の製品です。

 別にオドジェルミンの方が安いとか、そういう事はありません。価格帯的には同じ位置づけの製品です。両者の違いは、オドレミンは液状だけれど、オドジェルミンはジェル状なので、使いやすくて塗りやすい事。しかし、効果は圧倒的にオドレミンの方が強いため、オドレミンでは、体質的に合わない人には全然合わないし、かぶれる人もいます。一方、オドジェルミンは、効き目が柔らかなため、オドレミンが合わなかった人でも使えたりはしますが、やはり効果はそれなり…という事になるわけです。

 オドジェルミンにせよ、オドレミンにせよ、汗腺を薬効で塞いじゃうタイプの制汗剤なので、一般的な制汗剤よりも効果は強いのですが、合わない人には合わないし、合う人でも、カラダが薬物に慣れてしまうと次第に効かなくなるそうです。

 まあ、それはおいといて…。

 本家本元で効果も抜群だけれど少々使いづらいオドレミンと、後発製品ゆえに使いやすくて便利だけれど薬効が柔らかめのオドジェルミンがあるわけですが、そこにオドレミンの後発製品として、オドジェルミンNEOが登場しました。使いやすさはそのままに、薬効は本家本元並になりました…という商品です。

 とりあえず、私、使ってます。今のところ支障はありません。使いやすくて、効果が高まったなら、それはそれで良いことだと思ってます。

今月の金魚

  2015年6月20日(土)  マルコとミーナがやってくる
  2015年6月21日(日)~23(火)  オタキサンが入院
  2015年6月25日(木)  マルコ、星になる
  2015年6月28日(日)  エナと3本の緋ドジョウがやってくる

今月のひとこと

 ちょっと今、テンパっているかもしれない(笑)。まあ、人生の通過儀礼の一つなんだろうけれど、焦っていないようで、何気に平常心を失っているような気がする。でもそれが人生なんだ。(2015年5月29日~6月1日)

 今はビワの収穫が真っ盛りです。今年はウチもビワが大豊作で、とても食べきれないくらいに取れちゃいました。近所に配っても配っても、まだ余ってます(てへへ)。(2015年6月1~3日)

 映画を見に行ったら、映画中に頻繁に外部の人と電話をしているアンちゃんがいて、大迷惑。それも結構デカイ声で堂々と電話しておりやした。映画鑑賞中にデカイ声で電話をするのが迷惑行為だと気づいていないんだろうね。オッチャン、もう少しで、直談判しに行っちゃうところでした。プンプン。(2015年6月3~8日)

 今年のビワの収穫をやっと終えました。最後の収穫では、半分以上、鳥にくわれてしまい廃棄しましたが、それでも100個以上(ってか200個近く)収穫できました。ご近所や知人にも配り終えたし、後は食べるだけだけれど、何日食べ続けないといけないのか…案外、大きな悩みだったりします。(2015年6月8~10日)

 金のフルートと言っても、14Kだと銅が多いので錆びるんだなあ…。宝飾の世界では、18K以上でないと“金製品”として認めないのだそうです。金含有率は14Kで約58%、18Kで75%。もしかするとそのあたりに理由があるのかなあ…。(2015年6月10~19日)

 先日以来、右手の人差し指と中指の関節が痛い。筋をちがえたように痛い。どうやら“マウス腱鞘炎”という病気っぽいです。医者に行くべきかどうか悩んでいる最中だけれど、この手の病気って医者に行ったからと行って治るわけでもないんだよね。と言うわけで、テーピングをしてごまかしてます。きっと、パソコンを使わなければ治るんだろうけれど、パソコンを使わないことは、仕事上でもプライベートでもありえないので、ほんと、どーしましょうって感じです。(2015年6月19~23日)

 右手のテーピングは、とりあえず止めて、様子見をしています。が、今度は左足首にサポーターをはめてます。いやあ、足首がマイルドに痛いんだよね。なんか、怪我が絶えないと言うか、いつも微妙にカラダが痛む私でした。年…なんだろうなあ。(2015年6月23~27日)

 昨今のネットでのX-Dayは、7月9日のようです。さて、7月9日に何が起こるのか。私には全く関係ないことですが、暴動とかテロとかが起こらないと良いなあ…と願ってます。詳しい事を知りたい方は“7月9日”でググると分かります。あ、別に『ヤマダ電機、11店追加閉鎖』じゃないですよ。(2015年6月27~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2015年6月29日 (月)

高音発声のコツ(テノール編)

 今回の記事は“自分のための備忘録”と言った側面があることを明記しておきます。ですから、私に有効であっても、万人に有効であるかどうかの保証はできかねますので、その点はご承知おきくださいませませ。

 さて、高音発声のコツです。ここで言う高音とは、テノールにおける高いA~HI-Cの事です。他の声種の方は、それぞれ自分の音域に合わせて読み替えてください。

 一般的に、男声の高音の限界はAだと言われています。なので、合唱曲におけるテノールパートの高音限界はAですし、ミュージカルのソングなどでも男声ではAまでの曲が大半です。Aよりも高音は、限られた歌手のための曲にあるくらいです。

 一方、クラシック声楽におけるテノールにとって、Aより上の音が美味しいところであり、聞かせどころです。テノールの魅力と言うのは、高いA~HI-C(の、それもロングトーン)を、いかに美しく、いかに柔らかく、いかにパワフルに歌うかにかかっているわけです。つまり、クラシック声楽におけるテノールと言う存在は、男声の限界を超えた高い声で勝負をしている人たちの事を言うわけです。

 なんとも、アクロバチックなことをやっているわけですね。ほとんど、サーカスの曲芸のノリだね。そんな事、普通の人には、まず出来ません。

 出来ないと諦めるのは簡単ですが、しかし現実問題として、自分がテノールであり、クラシック声楽を学んでいる以上、なんとかして高いA~HI-Cの発声を可能にしないと、歌える歌が限られてくるのも事実です。いやあ、何とかしないといけません。

 “テノールの訓練”とは、ほぼ“高音発声の訓練”と同義です。それくらい、テノールって、高音発声の事ばかり考えて、日々、高音発声にトライし続けているのです。私のようなアマチュア歌手の場合、趣味人生の大半を高音発声に捧げていると言っても、過言じゃないくらいです。

 実際、ほんと、そうなんですよ。特に、以前はテノールのキング先生について学んでいた事もあり、高音発声には、とても強いこだわりを持っていまじた。

 キング先生の教えでは「高音発声にはコツはない。努力あるのみだ」と言うのがポリシーでした。“10回トライしてダメなら、100回トライする。100回トライしてダメなら1000回トライする。1000回トライしてダメなら、テノールを諦める”であり“楽するためにコツを見つけるのはダメ。高音は苦労して身につけなければいけない”と常々言ってました。

 ですから、私も私なりに頑張りました。先生と二人三脚で頑張りましたが、頑張れば頑張るほど、高音が出なくなり、声が割れるようになり、ノドから血の匂いがするようになりました。つまり、キング先生のやり方では、私の場合、高音発声なんて無理だったんですね。むしろ、頑張れば頑張るほど、ノドが壊れていってしまったのです。

 キング門下を離れて、そろそろ三年。キング先生に習った事が、少しずつカラダから抜けてきました。そして、ふと気づくと、高音発声が少しずつ出来るようになってきました。で、ちょっとずつ高音発声を繰り返しているうちに、コツのようなものが分かってきたので、それを整理する意味で、今回の記事を書いている…というわけです。

 出し惜しみせずに、そのコツを書くならば、

1)ノドは脱力。肩もアゴも脱力。とにかく、肩より上は、楽にする。

2)腹筋はしっかり収縮させつづける事。特に胃袋を肺の中に突っ込む感じでグイグイ行く事。

3)アゴは楽に大きく開ける事。アゴの骨はしっかり外す事。外したら、アゴを下にズドーンと落とす事。

4)決める時は一発で決める事。1回やってダメなら2回目のチャレンジは無し。

 こんな感じかな? こんな事に気をつけて発声すると、高音がうまく発声できるような気がします。

 実はこれ、Y先生がいつも言っている事だったりします。

 “高音発声”という特別な発声方法があるわけではなく、高音は中音の隣にあるのですから、まずは中低音をしっかり発声できるようにする事が大事。実は、高音発声のコツと書いた1)~3)は、中低音の発声のコツと全く同じです。つまり、高音も中低音も気をつけることは、全く一緒なんです。ただ、中低音は結構無頓着なままでも、なんとか発声出来ちゃうのだけれど、高音発声は、気をつけるべき事にしっかり気をつけていないと発声できない…というだけなんですね。

 難しいからこそ、基礎基本により忠実でないと出来ないんです。

 私は以前「高音を出そうとすると、ノドにフタが被さる」と言ってましたが、こいつの正体は、ノドに力が入って、ノドが絞まる事だったんですね。感覚としては“フタが被さる”感じなんですが、実際は、声帯付近に力が入る事で、声帯が硬くなって閉じてしまって、振動もしなければ、息も通らなくなっただけの話なんです。ですから、ノドの脱力を少しずつ身につけることで“ノドにフタ”状態から脱出できました。そして、ノドだけでなく、アゴとか肩とか、とにかく上の方を脱力して楽にする事で、声帯付近の筋肉が良く伸びるようになって、高音が出やすくなるようです。真剣に悩んでいた私に、なぜこんな簡単な事をキング先生は教えてくれなかったのか、大いに疑問です。

 腹筋を使う事、腹式呼吸をする事は、とても大切な事です。でも、腹式呼吸はすればいいのではなく“何のために”“どうやって”するのかが、とても大切です。

 腹式呼吸の目的は“大量の息を力強く吐き続ける”ために必要なんです。そう、大切なのは、息の吐き方なんです。上手に息を吐き続けるために腹式呼吸をするんです。

 実はキング先生のメソッドは逆なんですね。腹式呼吸は息を吐かないために行うんです。息をあっという間に吐かないように、少しずつ少しずつ吐き出して長く息を使うために腹式呼吸を行います。だから、腹筋の使い方も、Y先生に習ったやり方とは違います…が、別にこれは間違っているわけではありません。私が某合唱団で習った腹式呼吸もキング先生と同じで、やはり“長く息を保たせる”ために腹式呼吸を学びました。もっとも、その某合唱団では、テノールは、高音発声はファルセットで歌う事になっているので、リアルな声で高音を歌える必要は全くないのです。

 閑話休題。でも、結局、高音は(高音だけに限りませんが、声は)息を吐かなきゃ、音にならないんです。だから、高音発声をするためには、きちんと息を吐かないといけませんし、高音発声は、低中音よりも、激しく声帯を振動させなきゃいけないのだから、スピードのある息を吐かなきゃいけないんです。だから、腹筋、大切です。

 アゴを開くことも大切です。それも普通に大口を開ける程度では足りません。アゴって、大口を開けた、その先までは、実は開きます。その時、アゴの骨がカクンと外れる感覚があります。実際に外れるかどうかは分かりませんが、感覚的には“アゴの骨を外す感じです。で、アゴの骨をカクンと外した、その先までまだ開きます。その時、アゴが重力に従って、大きく下に落ちていくんですね。アゴって、ここまで開きます。アゴの開閉は、一般的に思われている限界の、その先の向こうまで開くんです。

 これ、実は出来ない人が多いです…ってか、普通の人がこれをいきなりやると、顎関節症という病気になるそうです。ですから、無理しちゃいけません。少しずつ少しずつ、アゴを開いていって、まずはアゴの骨を楽に外せるようにしましょう。最初は、うまく外れなかったり、外す際に痛みが伴ったり、物理的な抵抗がある人もいるそうですし、簡単に外せるようにならない人もいるそうですが、そこはやんわりと頑張る(笑)。無理なく繰り返していくうちに、やがて無造作に自由にアゴが外れるようになります。でも、最初はアゴの骨を外すので精一杯。さらにアゴを下に落とすなんて、無理無理無理。でも、アゴが楽に外せるようになると、やがて自然に楽にアゴが落とせるようになります。何事も慣れですね(笑)。

 実はアゴを開く運動は、声帯を伸ばす運動と連動しているようなんです。だから、アゴを大きく開けば開くほど、声帯がよく伸びるわけで、声帯が伸びれば伸びるほど、高音を出しやすくなる…とまあ、そういった仕組みらしいです。

 さらに、アゴを限界まで開いて、口腔内の容量を最大限にした状態で、限界以上の高音を出そうとすると、声って、自然にアクートになるんだそうです(これはK先生受け売りです)。だから、アクートを楽に出すためにも、アゴをガッと開く事は大切なんだそうです。確かに、アゴを最大限まで開くと、高音がほんとに楽になります。問題は、歌いながら、きちんとそこまでアゴを開ききることができるか…って事でしょうね。これが難しい。

 そして、一番大切なのは、高音って、出せない時は出ないのだから、出せない時は出さない勇気が必要なんです。10回やってできなきゃ100回やると…ノドを壊します(ほんとです)。そういう、敵の戦闘機に竹槍で突っ込むような暴挙は自殺行為なんです。私が体験していますから、本当です。絶対にやっちゃダメよ。

 手順通りにやっても高音が出ないのは、その日はきっと、そういう星のめぐり合わせの日なんです。努力や根性でどうにかできるわけじゃないので、その日は素直に諦めて、また明日チャレンジです。そうやって、無理なく成功体験を重ねていかないと上達しません。

 結局“10回やってできなきゃ100回やると…”のメソッドって、徒に失敗経験を積み重ねていくだけなんだよね。失敗経験を重ねていくと、やがて失敗する事が癖になって、簡単に失敗ばかりするようになって、うまく出来るようになりません。これは理屈で考えれば分かる事です。声楽に根性論は不要なんですね。もっとクレバーにいかないと。

 こんな事に気をつけながら、私は今、高音発声にチャレンジしていますし、これらの事に気を使っているうちは、うまく行きそうな予感がするんですね。

 「中低音を発声するのと、全く同じ事を丁寧にやっていくと、高音発声につながります」 Y先生が口を酸っぱくして言っていた事が、ようやく身に沁みるようになってきたお年頃な私です。

 このやり方が私以外の人に有効であるかは、保証しませんよ(大切なことなので、最後にもう一度書いてみました:笑)。

蛇足 高音が発声できる事と、正しい音程で発声できる事は、別問題です。まあ、発声方法が良くなると、高音発声が可能になり、音程もより正しく発声できるようになるそうですが、それでも両者は別問題です(笑)。

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2015年6月28日 (日)

道の真中にフンが転がっている(涙)

 あー、体重測り忘れた(笑)。それに、ここんとこ宴会とパーティーが連続していたので、絶対に体重増えている、必ず増えている。いやになるくらいに増えている…はずだから、余計に体重計に乗りたくない私が、ここにいます(涙)。

 でも、体重減らさないと、体調がよくならないよなあ…。

 さて、今週のエッセイです。

 私は職場まで毎日歩いて通っています。主に健康上の理由からですが、とにかく、家と職場の往復を徒歩で行う事が、私のほぼ唯一の運動になっています。毎日毎日、片道約40分の道をテクテク歩いています。

 以前は無かったのですが、最近よく見かけるのが、フンです。歩道の真ん中に、よく転がっています。それも1箇所だけではなく、2~3箇所、要注意地域があります。

 ほんのすこし前までは、歩道でフンを見かけることもなかったので、ボケ~と道を歩いても平気でしたが、今は必ずフンが転がっていますので、気をつけて道を歩いていないと、フンを踏んづけてしまいます。それはとてもイヤな事なので、いつも気を張って歩いています。

 フンは…おそらく、犬のフンでしょうね。猫のフンにしては大きいですし、人のフンは…まさかねえ。

 確かに湘南地方は犬がたくさん住んでいます。それも中型~大型犬が多いです。大抵は早朝に散歩してます。私が出勤する頃には、大半のワンコが散歩を終えているわけです。私が毎日のように目撃するフンは、大抵がフレッシュですから、朝のお散歩タイムでいたしているモノなんでしょうね。

 まあ、ワンコも生き物ですから、フンもしますよ。犬の習性で、外出した先でフンをしますよ。で、大半の飼い主が、自分の飼い犬のフンを回収しながら散歩してます。どうやら、それが犬の散歩のマナーのようですから。

 確かに、昔のように、地面が普通に土の地面で、雑草も生え放題のような場所なら、犬のフンも自然に土に還りますから、致した後は放置でも良かったかもしれませんが、昨今の犬の散歩道は、たいていが舗装道路でして、そこにフンを置いたままにしても土に還ることありませんから、フンの回収マナーは、ありがたい…と言うか、当然の行為なのかもしれません。

 と言うわけで、私が毎日フンを見かけるようになったというのは、飼い犬のフンの回収を怠っている、マナー違反の飼い主が最近出没しはじめた…という事なんでしょうね。参りました。

 私は気をつけているので、今のところ、フンを踏まずにいられますが、実はフンを踏んでいる人が毎日のようにいるんですよ。と言うのも、私が見かけるフンは、オリジナルの形状を保ったままのものもありますが、すでに踏まれて潰れているフンも少なからずあるからです。で、たいてい、潰れたフンの前後には、フンを道になすりつけた跡があります。そりゃあ、フンを踏むなんて、イヤだよね。だって、自分の靴にフンが付いてるんだよ、臭っているんだよ。そのままオフィスに入れば、オフィスの床がフンで汚れて臭うんだよ。んで、フンで汚れた靴や床が、最初はフンのニオイだけでしょうが、やがて発酵してきて、発酵したフンのニオイに変わるんでよぉ~。ああ、イヤだイヤだ。たまらないねえ。

 私が明日、フンを踏まないという保証はありません。ああ、恐ろしい。犬のフンによる“無差別テロ攻撃”じゃないですか。私がフンを踏むのもイヤだけれど、オフィスで近くのデスクの人がフンを踏んできたら、私、途端に仕事のクオリティが下がるかもしれない。いや、これはマジでヤバイっすよ。

 飼い主の皆様。犬の散歩で舗装道路を歩く際、ワンコがフンを致してしまったなら、後から道を歩く人の事も考えて、ぜひぜひ、フンの回収をお願いします。でないと、靴とオフィスがフン臭くなって、たまらない事になるからです。

 ほんと、よろしくおねがいします。

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2015年6月27日 (土)

マルコとミーナです、よろしくお願いします。でもね…

 実は、ウチが頻繁に使っていた近所の金魚屋(徒歩5分ほどの距離)が、ついに今月(2015年6月)いっぱいをもって、廃業することになりました。ウチの金魚たちの半数以上は、この店から購入していた事もあって、実に残念です。ここ数ヶ月は、開店しているんだかしていないんだか、はっきりしていない状況でしたし、予告なく店を閉じていた事もあったので、色々と「やばいなあ…」とは思っていたものの、ついに終わりの日がやってくる事になりました。

 で、先日、この店の最後の金魚を購入しようと思って、勇んで出かけたところ、すでに生体はメダカ数匹を残していなくなっていました。実に残念です。せっかく、新しい子を迎え入れる気マンマンだっただけに、盛り上がった気分をどう沈静化するべきか悩んでしまいました。

 で、仕方ないので(笑)ウチからバス一本で行ける、チェーン店の総合ペットショップに行くことにしました。ヤヨイやミドリやミカンを購入した店です。金魚専門店と比べると、色々と問題のある店ですが、これからはここが最寄りの金魚屋さん(ってか、ペットショップ)になるので、文句ばかり言ってもいられません。ちなみに、オタキサンは、今回廃業してしまう近所の金魚専門店で購入した最後の子って事になりました。

 で、新しく我が家に迎え入れたのが、マルコとミーナです。

 マルコは、丹頂です。640円でいわゆるB級の金魚です。丹頂は別名“日の丸金魚”とも呼ばれ、頭頂部に赤くて真ん丸の模様がデーンとあって、それがまるで日の丸のように見えるので、日の丸金魚と呼ばれるのです。以前、我が家にいたサクラは丹頂でしたが、近所の金魚専門店で購入してきた金魚だけあって、素晴らしいほどに大型金魚になりましたが、それだけではなく、赤い部分が真ん丸で、肉瘤も立派で、実に立体的な日の丸金魚でしたが、マルコの赤は全然丸くないです(笑)。肉瘤もあるんだかないんだか、はっきりしません。総合ペットショップで扱っている金魚なんて、こんなモンです。ちなみに、大きさは、メダカやヌマエビよりも小さくて、本当にオチビさんです。

 ミーナは素赤琉金…のはずですが、全身真っ赤ではなく、結構あっちこっちが白くなっています。白い体色に赤が乗れば“サラサ琉金”ですが、赤い体色に白が乗っているのは、単なる“出来損ない”なんです。金魚の世界も厳しいですね。一緒に売ってた他の素赤琉金は、赤い体色に白と黒が乗っていたり、尾びれや背びれが極端に短くてチンチクリンだったりして、明らかにB級金魚たちばかりでした。別に命にはAもBもないんですが、やはり等級が下がるにつれ、美しくなくなるわけだし、内臓疾患などを患っている事も多いので、なかなかそういう金魚には手を出しづらいです。と言うわけで、ミーナさんは380円でした。なお、ミーナさんは、体色こそ難がありますが、体型はなかなかキレイで立派ですよ。あと、動作がとても可愛いんですよん。

 購入してきてから、二匹ともたっぷり検疫をしました。専門店で購入してきた金魚は検疫の必要はありませんが、総合ペットショップの子は病気を持っている事も多く、実際、ミカンとミドリは白点病のウィルスを持っていて、ちょっと面倒でした。マルコもミーナも、同じお店の同じ水槽で泳いでいた子なので、当然、白点病を始め、色々なウィルスを持っていることが想定されるので、塩+抗生物質+メチレンブルーの三種混合薬水槽に一晩漬け込んでから、メイン水槽に入れました。

 まあ、色々あるでしょうが、総合ペットショップともうまく付き合っていかないといけませんから、我慢我慢です。

 と言うわけで、マルコとミーナです。よろしくお願いします…というわけで、一時は6匹体制になった我が家の水槽ですが、それからわずか5日後、マルコが星になっちゃいました。マルコが元気に泳いでいたのを確認して「マルコ、かわいいね」と声をかけてから、お風呂に入って、風呂から出てきたら死んでました。あちゃー、世の中何があるか、わかったもんじゃないですね。

 「私以外の丹頂を可愛がるな!」とか、サクラが思ったのかしら?

 なので、これで我が家の水槽は、オタキサン(フナ色オランダ獅子頭)、ヤヨイ(たぶん三色琉金)、ミドリ(目があまり出ていない黒出目金)、ミカン(オレンジ色の素赤オランダ)、ミーナ(二色に見える素赤琉金)の、合わせて5匹体制になりました。よろしくお願いします。

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2015年6月26日 (金)

なぜフルートは銀で出来ているのか、考えた その2

 以前、私は『なぜフルートは銀で出来ているのか、考えた』という記事を書きました。そこでの結論は、身も蓋もなく「現代フルートを発明した、テオバルト・ベームが、色々と試行錯誤した結果、フルートの素材として最も適切なものは銀であると決定し、実際に銀のフルートを製作使用し、それらを普及させたからです。つまり、現代フルートは銀で作るものだから、フルートは銀で出来ているんです。」と結論づけました。

 ほんと、身も蓋もない(笑)。それだけで議論を終えてはつまらないので、さらにもう少し考えた結果「(銀製ならば)毎日クチビルをつけても安全だから」という理由も考えました。

 それは「銀は無害で、無臭で、アレルギー等を引き起こしづらいから」です。「金や白金などもほぼ無害&無臭だが高価」であったり、「チタンも無害だが硬くて加工が面倒」であったり、「銀は高級食器の材料」だからという理由も添えてみました。

 その後も、私は色々と考えたり、ネットで調べてみたりしました。で、更に別の理由も追加できるかも…と思って、今回の記事を書くことにしました。もちろん「毎日クチビルをつけても安全だから」という結論は変わりません。むしろ、この結論をさらにサポートする理由を思いついた…って感じですかね。

 銀がなぜ“高級食器の材料”として使われるのか、調べてみました。もちろん、無害&無臭という理由もありましたが、実は銀って『毒物に即座に反応する』という性質があるんだそうです。毒物と言っても、主には“砒素”系と“硫黄”系の毒物なんだそうです。すべての毒物が対象ではないとは言え、直接クチビルにつけるわけですから、毒に反応し、毒が塗られていたなら、それが即座に分かる、つまり“安全面が担保されている”のは、うれしい事です。ですから、フルートを銀で作るのは、良い事なのかもしれません。

 ちなみに、銀製のフルートを吹いていると、やがて黒ずんできますが、あれは息に微量に混入している硫黄に反応しているんだそうです。ですから、フルートが黒ずむのは、ある意味健全なんですね。

 そして銀には『微生物や細菌の繁殖を抑える』という性質があるようです。そのメカニズムは私には分かりませんが、最近、身の回りの衛生製品等(主に消臭剤ですが)で、雑菌の繁殖を抑えるために、銀イオンがよく用いられているじゃありませんか。なぜ、銀イオンが雑菌の繁殖を防ぐのかは分かりませんが、雑菌が繁殖しないなら、衛生的でいいじゃないですか!

 あと、銀は鉄とは違って“錆びない”という性質があります。もちろん、この場合の錆とは、酸化鉄の発生と、それに伴って腐食生成物も発生しないって事です。鉄の錆って、イヤですものね。

 厳密には銀もサビます。いわゆる“銀の白錆”と言うのが“酸化銀”であり、“銀の黒錆”が“硫化銀”です。銀も酸化するのですが、酸化鉄とは違って、いわゆる腐食生成物を発生しないので、例え銀が錆びても、表面を削って錆を落とせば、白錆であれ黒錆であれ、すぐに元通りになるわけです。メンテが楽なのも、楽器に使う材料としては良い性質ですね。

 銀同様に、サビづらい金属としては、いわゆる貴金属と呼ばれるものがあります。貴金属とは、理科的には“卑金属”の事を指すそうで、具体的に言うと、金、銀、白金(プラチナ、ルテニウム,ロジウム,パラジウム,オスミウム,イリジウム等)がそうです。これらの金属の中で、実は銀って、圧倒的に比重が軽いんだそうです。つまり、金とかプラチナとかのフルートって、重くて、使うのが大変…ってわけです。ですから、貴金属の中でも軽量な銀が採用された…と言えます。

 が、昨今は、重さに負けずに、金のフルートを使っている人も大勢増えました。楽器が重いほど、一般的には音量が増しますので、重さと音量を天秤にかけて、音量を選択する人が増えた…って事でしょうね。

 ちなみに、卑金属ではないけれど、化学的に安定しているという性質に着目して、一般社会では、銅と水銀も貴金属として扱う事があります(ですから、オリンピックのメダルは、金・銀・銅、なんでしょうね)。

 まあ、水銀が楽器材料に向かないのは当然として、銅は、フルート以外の金属製楽器の材料としてかなりポピュラーです。しかし、銅で作られた楽器を直接クチビルにつける事はなく、たいていはマウスピースを経由して人体と接触するわけです。

 銅はたやすく酸化して緑青を生成します。緑青は、割りと近年まで毒物であると思われていたので、銅を直接クチビルに接触させるのは避けられたのだと思います。ちなみに、現在では緑青は無毒という事になっています。また緑青は生成されても、それは銅の表面に付着するだけで、銅を侵食するわけではないので、銀に対する酸化銀・硫化銀のようなものだという事になってます。

 もしも銅のサビである緑青が毒物なら、水道管って銅で作られている事が多いので、水道水を飲む人は全滅しちゃってますって。

 銅イオンは銀イオン同様に、雑菌の繁殖を抑える作用もあります…と書くと、なぜフルートは銅で作られないのかという話になりますが、銅は、なんと言っても、アレルギーを引き起こしやすい金属なんです。そのため、銅が安価で安定していて、緑青が無害であっても、直接クチビルに触れる部分に銅は使いづらいわけです。

 とまあ、こんな理由も付け足して、銀は「毎日クチビルをつけても安全だから」フルートの材料として最適って事にしておきます。

 あ、“銀はキラキラで美しいから”という理由も付け加えておきます。いや、実際、銀特有のあの輝きに魅了される人は多いですし『キラキラだから銀のフルートが好き』という人もいるわけで、キラキラは無視しちゃいけない理由だと思いますよ(笑)。

蛇足 銀の含有率を表現するのに、よく見かけるのが『Ag***』とかいう表現ですね。この『***』の部分の数字は“***/1000”の略で、フルートの含有率には、百分率ではなく千分率が用いられているってわけです。例えば、Ag925とは、92.5%の銀と、7.5%の銅で出来ていることを示しています。これはスターリングシルバーと言って、一応“純銀”扱いなんです。ちなみに、硬貨で使われているコインシルバーはAg900となります。まあ“ほぼ純粋に近い銀”という扱いですね。

 なぜ銀に銅を混ぜるのかと言うと、銀そのものはかなり柔らかい金属であって、それだけではあまりに実用性に欠けるので、銀よりも硬い銅を加えて、硬さを増して、使いやすくするためなんだそうです。なので、真正の純銀はAg1000という事になりますが、柔らかすぎて、現実には、なかなか使用することができないのだそうです。

 フルートでも、Ag997の銀(メタライズドシルバーと言います)を使用したフルートまでは存在しますが、Ag1000のフルートって存在するのかな? ちなみに私のフルートは、Ag958のブリタニアシルバー製でございます。

 なぜ、銀のフルートは銀の含有率にこだわるのかと言うと、銀の含有率が多いほど、その音色が優しくふくよかになるからだ…と言われているからです。が、フルートって別に管体が鳴って音を作るのではなく、管内の空気が振動して音が作られているので、管体の材料と音質には、何の関係も無いはずなんだけれどなあ(笑)。もっとも、そんな事を書いている私が、Ag958のブリタニアシルバー製フルート、つまり“一般的に純銀と呼ばれる銀よりも含有率の高い、銀の中の銀で作られた銀のフルート”を使っている時点で、説得力は、まるで無しなんだけれどね。

 でも、フルートって、塩化ビニールで作っても、金銀プラチナで作っても、音は同じ…って言われても、にわかには納得できないよね(うんうん)。

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2015年6月25日 (木)

先生によって到達目標が違う

 今回の記事は、ある意味、とても当たり前の事を書いているのかもしれません。

 学ぶ側である生徒にとって、習い事の目標は一つではありません。『上達したい』と願っている人もいれば『友達が欲しい』ので“友達づくり”のために習っている人もいれば『暇つぶし』という有閑マダムな人だっているわけです。

 自分たちの側で求めるものがそれぞれに違うのに、私達はついつい、教える側の人、つまり先生たちが、いつでも全力投球で真っ直ぐに自分に向き合ってくれるものと、なぜか無条件に考えてしまいがちですが、我々学ぶ側にも色々あるように、教える先生側にも、それぞれ色々あるわけですし、あって当然です。

 もちろん、生徒は“趣味”として学ぶけれど、先生は“ビジネス”として教えているので、趣味とビジネスという立ち位置の違いはあるけれど、ビジネスならば、ビジネスとしての効率とか目標とか損益分岐点とかがあるわけです。

 実は以前から心にひっかかっていた事があります。それは、キング先生のところを辞める少し前に「すとんさんには、もう教える事がありません」と言われた事です。これは“もうあなたには教えたくないです”という訣別の言葉かと思って、すぐに確認をしたら、そうではなくて“本当に教えるべき声楽技術はすべて教えたので、後はそれをできるようにするだけ”だと答えられました。

 その言葉を聞いて、即座に私は不審の塊になりました。「この人は、こんなに無能な先生だったのか!」と思ったわけです。

 だって、私、ちっともダメじゃん。全然、ダメじゃん。こんなにダメなのに、先生として『教える事がありません』ですって? 一体何を言っているでしょうか! 生徒が出来るようになるまで教えるのが先生の仕事でしょ? 教えっぱなしの投げっぱなしですか? これで私は完成形ですか? おかしくないですか? 絶対に、おかしいよね?? 無責任にも程があるんじゃないの!

 …と心の中で思ったものの、当時は、先生のおっしゃる事は絶対でしたから、ニコニコしながら、先生の言葉をグッと飲み込んだわけです。

 案の定、Y先生の教室に移ってから、私の欠点の数々が露わになり『あれもできない』『これもできない』『それは間違っている』『そんなやり方をしたら下手になるだけだ』『それじゃあ何年かかって出来るようにならない』とかまあ、散々に言われながら、キング先生に習った事を一つ一つ修正していきました。その度毎に「昔、キング先生から『教える事はありません』って言われたけれど、私はまだまだこんなにたくさん学ばなければいけない事だらけじゃないか! そんな私に、あの人は、よくも抜け抜けと『教える事はありません』って言えたもんだな!」と怒っていたものです。

 私、かなり長いこと怒っていました。支払っていた謝礼が無駄金だったような気さえしたものです。だまされたわけではないのに、なんか、だまされたような気さえしていたものです。

 でも、ある時、ふと気づいたんですね。「これは、キング先生がダメなわけではなく、キング先生とY先生で、生徒に何を求めているのか、どこまでの上達を念頭において教えているのか、つまり教えるにあたっての“到達目標”が違うだけなんじゃないか」 そういう事なんだろうと気づいたわけなんです。

 分かりやすく生活レベルに話を落としてみるなら、例えば“掛け算”です。

 掛け算を習うのは小学2年生です。この段階では自然数の掛け算ができればOKです。小数の掛け算は5年生、分数の掛け算を習うのは6年生です。方程式は中学生になってからだし、三角関数とか微分積分は高校になってから学びます。ですから、小学2年生の先生は、生徒(厳密に言えば児童)が自然数の掛け算ができるようになれば良いわけで、それ以上の事を求められても教える必要はありません。それよりも、生徒たちが自然数の掛け算に習熟することを望むでしょうね。

 しかし、小学6年生の先生なら、自然数の掛け算があやふやな生徒がいれば、しっかり教えないといけないだろうし、さらに進んで小数や分数の掛け算だってマスターさせなければいけません。生徒が求めていなくても、小学6年生として必要ですから、叩き込むわけです。中学校になれば、掛け算はもとより、方程式が扱えないといけないし、高校生が相手ならば、先生は、三角関数だって微分積分だって、首根っこを抑えてでも教えこむしかないわけです。

 声楽の先生だって同じなんだと思います。趣味の人を教える先生と、音大受験生を教える先生では、到達目標は当然違いますし、趣味の人を教えるにしても“楽しく学んで欲しい”と願う先生もいれば“たとえ趣味であってもきちんと上達してほしい”と願う先生では、到達目標は違います。

 そう言えば、Y先生について学ぶ時に、先生から「オペラアリアが歌えるようになりたいのですか?」と尋ねられたっけ。もちろん「はい」と答えたから“オペラアリアが歌えるようになるレッスン”を今してもらっているわけです。

 そう言えば、キング先生のところは、厳密にはクラシック声楽を教えて頂いていたわけではなく、あくまでもヴォイス・トレーニングのレッスンだったわけだし、ずぶの素人でもウェルカムなレッスンだったわけです。

 その事に思いが及んだ瞬間に、この件に関して、今までキング先生に抱いていた怒りがスッと消えました。

 つまり、キング先生にはキング先生なりの、生徒に対する到達目標があって、そこから見れば、もう私には『教える事はありません』って事になるけれど、Y先生にはY先生の到達目標があって、そこから見れば、私なんかは、全然まだまだのダメダメで、あれもこれも教えなければならない事だらけの劣等生って事になるわけです。

 キング先生の門下に入門する人の大半は、全くの素人さんばかりです。呼吸法はもちろん、立ち方から教えなければいけないレベルの人ばかりです。ほとんどが趣味のオジサンオバサンばかりだし、月謝も格安だし、レッスン時間だって、1回30分という、ごくごく短時間しかありません。その30分のレッスンも、20分ぐらいはおしゃべりタイムだったりするわけです。レッスンのペースがゆっくりな上、発表会だって2年に1度のスローペースというわけで、あれこれゆるゆるの声楽教室なんです。でもね、レッスンはゆるゆるだけれど、門下生たちは仲良くて、互いに親しくて、キング先生の元で学び続けていく事は楽しいんですよ。

 門下発表会などでは、お上手な門下生たちもいるけれど(内情をばらしちゃうと)、ああいう人たちは、キング先生以前に別の先生に習っていたり、音楽の専門教育を受けていたりしていて、すでにアマチュア歌手として完成された方々で、そういう方々がキング先生の門下で楽しく遊んでいるわけだったりするので、キング先生の指導だけで上達したわけではない人も、大勢いたりするわけです。

 それはさておき、とにかく楽しいんですよ、キング門下って。

 “ある程度、歌えるようになったら、楽しく声楽ライフをエンジョイしましょう”ってのが、キング先生の到達目標なんだろうと思います。だから、そこそこ楽しめるようになれば、もうそれで十分だし、先生としての役割も一段落終えるわけです。

 そこそこ楽しめる程度の実力から、その先に進もうとすると、本人も先生も茨の道を歩むことになるわけです。だって、そこから先は色々と大変だもん。だから、その先に進まずに、お楽しみの道にハンドルを切るのだって、指導者として、決して間違いだとは言えないわけです。

 そう言えば、キング先生のところを辞める一年以上も前にも「すとんさんは、声楽の実技だけなら、もう、音大の入試を合格します」って言われた事があります。その時のキング先生は、ニコニコしていました。「よくぞ、ここまで成長したものだ(エッヘン)」っていう気分だったのかもしれません。

 つまりキング先生の「教える事はありません」という言葉は「(ウチの門下で目標としているところには、すでに達しているので、これ以上を求めるなら別だけれど、ここではそこまでのモノを教えるつもりはないので、もうあなたには)教える事はありません」って事だったんですよ。

 ああ、すっきり。そして、キング先生のところを辞めて、よかった、よかった。

 だって私は“楽しい趣味ライフ”ではなく“厳しくても成長する喜びを感じられる趣味ライフ”を望んでいる人だもの。私という人間は、真面目なんですよ、かっこ良く言うと“求道者”であり“修行者”であり、ちょっぴり“マゾ”なのかもしれません(笑)。

 今いるY先生の門下は、一見さんとか初心者さんは入門できません。しかるべき紹介者からの紹介がないと入門できません。門下には、趣味のオジサンオバサンがたくさんいますが、音大受験生もいれば、セミプロもいるし、現在売り出し中の若手プロもいます。譜面が読めるのは当然だし、イタリア語も「当然分かってますよね」というレベルでレッスンが成り立っています。だから、ただの趣味のオジサンオバサンたちであっても、目を剥くほど上手だったりするから、始末におえません。私、たぶん、今の門下だと、一番下手くそかもしれません(悲しい現実です)。

 Y先生の門下は、レッスン自体はちっとも楽しくないし、楽しいイベントもあまりありません。門下生同士のつながりだって、そんなに強くないし、特別に仲が良いわけでもありません。むしろ、先生の元でしっかり学んで、別の場所で活躍する…って感じですね。当然、Y先生の考えていらっしゃる到達目標も、キング先生とは全然違うわけです。

 この違いは、キング先生とY先生の違いだけでなく、誰であれ、習い事の先生にはあるんだと思いますよ。

 例えば、私のフルートの先生だってそうです。最初に学んだ笛先生は『楽しくジャズフルートを演奏できるようになる』『セッションに行っても困る事がないようになる』『楽譜がなくても演奏できるようになる』などの目標がありました。一方、現在のH先生のところは『楽譜通りに演奏できるようになる』『ドイツバロックを中心に、クラシック音楽全般のフルート演奏ができるようになる』という目標があるように思えます。ほら、フルートだって、先生によって、到達目標が全然違うわけじゃん。

 つまり、生徒にも色々いるように、先生にも色々なお考えの方がいらっしゃるって事です。

 ですから、自分の求めるモノと、先生が提供するモノが合致する師弟関係がベリーグッドなわけです。そういう先生と出会える事は幸せだろうと思います。また、最初は合致していても、生徒自身も成長して、求めるモノが変わってくこともあるわけで、その度毎に、良い先生との出会いがある人は、神様に愛されているって言えるんだろうと思います。

 なので、私は、キング先生を恨むのではなく、音楽の神様に愛されている事を感謝する事にしたわけです。

 それにしても、習い事の先生って、看板は同じでも、内容が全然違うのですよ。ほんと、違うんですね。

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2015年6月24日 (水)

みんなで軍歌を聞きませう

 最近、いわゆるアラサーやそれ以下の若い世代の間で、軍歌が流行っているそうなんです。

 「そうなんですか?」 どうもそうらしいです。YouTubeやニコ動の軍歌関係のアクセス数が増えていたり、アマゾンなどでも軍歌関係のCDが売れているそうです。レコード会社も、最近はCDが売れずに困っていますから、若者向けにジャケット・デザインを一新して、頑張って軍歌のCDを販売しているそうです。

 軍歌が流行っている…もしかすると、若者の右傾化? 別に関係ないと思います。彼らの多くはファッションとして軍歌を捉えていると思います。

 …日本は戦争への道を歩みだした? それって『テレビを見ているとバカになる』とか『ゲーム脳は子どもをダメにする』というのと同じ類の妄想妄言ですね。J-POPでラブソングばかりが歌われているからと言って、日本の若者たちが、年がら年中発情して、性犯罪を犯しまくっているのかと言えば、そりゃあ違うわけです。むしろ草食系男子が増えて、未婚率がグングン上昇して少子化社会を迎えて、大変な状況になっているじゃないですか?

 とは言え、イデオロギー的に軍歌を受け付けない人たち(主に団塊の世代以上の、戦後すぐのアメリカによる“War Guilt Information Program”に沿った教育を受けた人々)がいる事は理解してますし、心情的に軍歌を受け付けられない人や、軍歌が悲しい思い出とリンクしているような人は、無理して軍歌を聞く必要もないわけです。

 今回の軍歌ブームなんて、ただの流行りですから(笑)。

 軍歌とか戦時歌謡と言っても、ただの、約70年前の日本の流行歌なわけです。歌詞が現代の世相に合わないのはもちろん、イデオロギー的に反感を覚える人がいても、そりゃあ仕方ないです。だって、大昔の流行歌だもの。今の価値感覚で考えると、色々あって当然です。

 たぶん、若い世代にとっては、軍歌って、今まで聞いたことも無い、新しい音楽なんじゃないかな? 若者って、新しもの好きだからね。そういうモノに飛びつくのは、彼らが若いからでしょう。

 さて、最近、軍歌が若者に流行っていると聞いて、私も久しぶりに軍歌を聞いてみました。どうせ聞くなら、今一番流行っている曲がよいでしょう。ちなみに、今、一番流行っているのは、林伊佐緒&ボニー・ジャックスによる「出征兵士を送る歌」なんだそうです。これです。

 いやあ、軍歌だなあ…。しかし、21世紀の今の耳で聞くと、確かに個性的なサウンドだよね。若者にとっては、斬新すぎるくらいに斬新な音楽です。こりゃあ、イデオロギー抜きで若者が飛びつくのも分かります。歌も伴奏も、嫌味なく真っ直ぐだし、単純明快でスカッとした音作りをしています。

 ちなみに、ここで歌っているのは、作曲家である林伊佐緒氏ご自身ですね。この曲は、歌手である林伊佐緒が自ら作った歌なわけで、今で言う、シンガーソングライターのハシリのような人ですね。

 さて、戦時歌謡を含む軍歌と言うと、私などは子供の頃に散々聞きましたね。私は…もちろん戦後生まれですが(笑)、私が子どもの頃は、まだ駅前には傷痍軍人をカタる乞食がたくさんいて、物乞いをしていた時代だったんです。乞食…今の若者は、乞食なんて、リアルに見たことないでしょうね。

 軍歌も普通に町中に流れていました。軍艦マーチなんて、パチンコ屋の定番曲で、聞きたくなくても耳に入ってきましたね。テレビ番組でも、普通にBGMとして軍歌が流れていたし、オトナたちもお酒が入ると、普通に軍歌を歌ってました。のど自慢番組でも、頻繁に軍歌が歌われていました。そんな風に、私が子どもの頃は、まだまだ軍歌が愛されていました。

 やがて時が流れ、新作が作られなくなった軍歌にとって変わって流行り始めたのが、演歌でした。演歌とは、つまるところ“古賀サウンド”であって、子供時代を朝鮮で過ごした古賀政男が、作曲家として世に出る際に、幼い頃に耳にした朝鮮音楽を自分流に咀嚼して創りだした音楽であって、当時の日本の音楽とは異なったニューサウンドだったわけです。まあ『日本人作曲家によるK-POP』って感じだったんだと思います。とにかく、当時の演歌ってのは、新しい音楽だったんです。

 そんなわけで、だんだん、軍歌を耳にする事が減り、街中に、演歌が響くようになりました。私の子ども時代は、ちょうど、軍歌から演歌に切り替わる時代でした。あの頃はよく「演歌は日本人の心の音楽だ」という言葉を耳にしました。考えてみると、演歌って、朝鮮出自の音楽であって“日本人の心”とは程遠い音楽なんだけれど、当時はそんな事、毛ほども思わなかったんですね。

 まあ、やがて演歌も古びてしまい、当時のニューサウンドであるJ-POPに飲み込まれてしまうのだけれどね。こうして、世の中は繰り返されていくわけです。

 と言うわけで、軍歌って、私にとっては懐かしい子どもの頃の音楽なんです。小学生の頃なんてクラスメートと一緒に耳で覚えた『月月火水木金金』とか『同期の桜』とか『露営の歌』とか歌ってたよ(笑)。…たぶん、今でも歌える(大笑)。

 だいたい、子どもの頃、夢中になって読んだ漫画は『のらくろ』のカラーの単行本(たぶん、復刻版だったんだろうなあ…)だったりするし、アニメでも『のらくろ』見てたし、今でも軍隊の階級は、二等兵,一等兵,上等兵…と『のらくろ』が出世した順番で頭に入っているし…。だから現在の自衛隊の階級を言われて「それって、昔で言うと、どの階級?」とか尋ねちゃったりします。

 たぶん、日常生活の中で軍歌と親しんでいたり『のらくろ』に夢中になったのは、私が最後の世代じゃないかなって思います。だから、今の若い人たちにとって、軍歌が新鮮に感じるのは理解できます。

 『軍歌は危険だ!』と思っている人は、21世紀を生きる現代人の耳で聞き直してみると良いと思います。歌詞は、今となっては、全くリアリティーがありません。だって70年も経っているだもの。当時は国威発揚のために作られた曲だったでしょうが、今、これを聞いて国威が発揚するかって言うと、そりゃあ無理だよね。国威発揚どころか、なんともレトロなサウンドに、癒やされちゃうかもしれません。国威発揚だったら、軍歌よりも、サッカーの国際試合でサポーターさんたちが歌っている歌(よく分からない曲ですよね)の方が、よっぽど国威発揚しちゃってますよん。

 と、何をどう言っても、人間、年を取ると頑固になってしまいますから「軍歌はダメ」と思い込んだら、誰がなんと言ってもダメなんでしょうが…。まあ、ご本人に軍歌に対するアレルギーがあったとしても、若い人たちの楽しみに、目くじらを立てるのは、老人として正しい行いとは思いません。いいじゃないですか、若者たちが喜んで楽しんでいるなら…。やがて彼らも軍歌に飽きるし、飽きたら次に行きますから(笑)。

 で、若者たちにとっては、軍歌なんて、ただの流行りモノでしょうが、私にとっては、とてもとても懐かしい音楽なので、これを機会にCDを買っちゃいました。なんか、最近は軍歌ばかり聞いてます。いいですね~。ちなみにこのCDでの「出征兵士を送る歌」は林伊佐緒バージョンではなく、伊藤久男氏によるカバーバージョンです。

 軍歌は、主にキングレコード、コロムビアレコード、ビクターレコード、テイチクレコードなど、古くからあるレコード会社に音源があって、それらの会社から発売されています。音がクリアでステレオ録音されているのは、いわゆる“戦後録音”と言われる奴で、今の人にも普通に聞ける音質です。一方“オリジナル音源”とか“戦前・戦中音源”と呼ばれるのは、作曲された当時の音源で、当時の人々が聞いていた音源なんですが、たいていはモノラル録音であったり、SP録音だったりするので、現代人の耳には厳しい録音が多いです

 それにしても、軍歌を聞いていて思うのは、これって、やっぱり、基本的には“吹奏楽”なんですよ。ブラスバンドのサウンドなんですね。とは言え、昔々の吹奏楽なんでしょうね。最近の学生さんたちが演奏する吹奏楽って、みっちりしていて、こってりしていて、ジイサンの耳には色々と厳しいのですか、軍歌程度の密度の吹奏楽なら、心地よく聞けたりします。このくらいのサウンドなら、吹奏楽が苦手な私でも積極的に聞けるんですがねえ…。あと、軍歌って、演歌以前の日本の流行歌ですから、声が実に伸びやかなんですよね。この点も良いです。

 数ある音楽の一つとして、軍歌を楽しむのも、良いんじゃないかなって思います。

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2015年6月23日 (火)

これは気に入った(笑)

 いつもエラそうな事をブツブツと書き連ねている私ですが、本日は趣向を変えて、最近、YouTubeを漁っていて、面白かった動画の紹介をしたいと思います。たまには、こんなのもいいでしょ?(笑)。

 まずは『たこ焼き屋の初音ミク』です。これ、モーツァルトの「夜の女王のアリア」の替え歌なんですが…聞いてみてくださいな(笑)。

 バカですね~。こういうバカ系の替え歌、私大好きです。これを聞いた後は、よく「不景気でやってられまへんねん」って、口ずさんでしまいます。

 次は、ああ、懐かしい。『恋のマイアヒ』です。流行ったよなあ~。「のま、のま、イェイ!」

 次は『悲しいラジオ体操第一』です。まあ、音楽を短調にして、映像を白黒にして、涙声のナレーションを加えただけですが…よく出来てますよね。ナレーションが微妙に関西弁というのも悲しげプラスになっているのかもしれません。方言って、なんか、エモーショナルっすからねえ。

 次は、とても他人事とは思えない、フローレンス・フォスター・ジェンキンスさんの有名なアルバム「人間の声の栄光????」より『夜の女王のアリア』です。ニコ動からYouTubeに転載されたものなので、弾幕もなかなかすごいのですが、やっぱり、歌がすごいです。ニコ動の人たちのご意見は、かなりかなり厳しいのですが…だったら、自分で歌ってみろ!とか言いたくなります。歌って難しいんだよ、特にオペラアリアって難しいんだよ。確かに、歌の出来は誉められたものではありませんが、私はジェンキンスさんを応援したいと思います。

 でもね、このジェンキンスさん。実は、アマチュアの趣味のオバちゃんとは違うんだよね。この人、wikiによれば、子どもの頃から音楽の専門教育を受けているし、音楽留学も希望していたくらい、きちんと音楽を学んだ人だったようです。で、実際、ピアノの先生として生計を立てていたそうだから、かなり音楽は出来る人だったようです。

 なのに、こんな歌を歌っちゃうなんて…人生って残酷だよね。

 下手っぴな音楽を聞いたので、最後は神業的に上手な演奏で締めくくりましょう。ファジル・サイが演奏する、モーツァルトの『トルコ行進曲』です。彼、こんな演奏してますが、れっきとしたクラシック系のピアニスト兼作曲家さんなんだよね。すごい才能です。

 たまには、こんな記事も良いでしょう(笑)。

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2015年6月22日 (月)

テノールは50歳まで…という呪いを無視することにしました

 「テノールは50歳まで。50歳を過ぎたら、高音は出なくなって歌えなくなる」

 これは、私がまだキング門下だった頃、初めてのガラ・コンサート(と言う名称の発表会)があって、そこで何を歌いましょうかと先生と相談していた時に言われたセリフでした。

 当時の私は(今もそうだけれど)ベッリーニが歌いたかったんです。持ち時間から考えて、ベッリーニの『3つのアリエッタ』を先生の元に持って行って「これを歌いたいです」って言ったわけです。事前に、歌いたい歌を各自で用意して持っていくという約束になっていましたからね。

 ここで言う『3つのアリエッタ』と言うのは『Il fervido desiderio/激しい希求』『Dolente immagine di Fille mia/フィッリデの悲しげな姿よ』『Vaga luna che inargenti/優雅な月よ』の3つの歌曲から成り立っている歌曲集で、本来はメゾソプラノ用に作曲されたものだけれど、結構、ソプラノさんやテノールさんも歌う歌曲集なんですね。もっとも、ベッリーニが書いたオリジナルの調性の楽譜だと、いかにも“中声~低声”用なので、大抵の場合は、テノールは高めに移調された“高声”版の譜面を使って歌うわけです。で、私も当然のように、高声版の譜面を持って行って「これを歌いたいです」って言ったわけです。

 なぜ高声版の譜面を持っていったのか言うと、単純に、やはり高い音で歌いたかったからなんですが、万が一「これ、難しくて、歌えないんじゃないの?」と言われた時には「じゃあ、オリジナルの調性で歌います」と宣言して、何とかOKをもらおうと、二段構えで考えていたからです。それくらい、この歌曲集が歌いたかった私なんです。

 で、キング先生は、ひと通り高声版のベッリーニの楽譜を眺めて「テノールは50歳まで。50歳を過ぎたら、高音は出なくなって歌えなくなるから、今回は別の曲にしましょう。なあに、ベッリーニなんて、年を取って、声が出なくなってからチャレンジしてもいいでしょう。今は、もっと難しい曲にしましょう」と言いました。

 そう言われて、しぶしぶ別の曲…ロイド・ウェーバーの『オペラ座の怪人』にしたわけだけれど、はっきり言って、ロイド・ウェーバーよりも、ベッリーニ(高声版)の方が高い音をたくさん使うでしょう? それに、ロイド・ウェーバーも難しいけれど、ベッリーニも負けず劣らず難しいと思うんだけどなあ。何よりベッリーニの曲を、あたかも簡単な曲であるかのように言うのは、どうなんだろ?

 当日のガラ・コンサートでは、ベッリーニの『3つのアリエッタ』は、別の人が歌いました。私が言い出した時に、すでにその人が歌うことが決まっていたのか、それとも私にダメを出した後で(私を悔しがらせるために)別の人に歌わせたのか、それは分かりません。仮に、すでに歌う人が決まっていたとして、曲のカブリを避けているだけなら、最初から「曲がカブるからダメ」って言ってくれればよかったのにね。

 まあ、ベッリーニが簡単うんぬんは横に置いといて、その時、私の心にグサっと刺さったのは「テノールは50歳まで」というセリフ。私はまだ気づいていなかったんだけれど、この頃、すでに先生の私に対する嫌がらせは始まっていたんです。悪意を持った指導者と、その悪意に気づかずに純粋に彼を信じて、謝礼をお支払いして、頼まれた雑用をこなして、休日を返上してパシリに徹して、夫婦ともども、先生のために真心込めて尽くしている学習者…ああ、バカだな、私って。

 「テノールは50歳まで」 このセリフ、当時、すでにアラフィフだった私にとっては、死刑宣告も同じようなものでした。このセリフからほどなくして「すとんさんには、テノールは無理。バリトンに転向しなさい」という、例の事件が起こったわけです。

 この頃の私は、キング先生のおっしゃる事は、神様のご信託のようなものですから「テノールは50歳まで」というセリフを真摯に受け入れました。でもこのセリフは「お前はもうお終い」「学んでも無駄」と言われたのも同然でした。

 すっごく、ショックでしたよ。ベッリーニが歌えない以上にショックでした。

 なんて言うのかな。私のまだロクに始まってもいない声楽人生が、始まる前に終了のゴングを鳴らされてしまったような感じがしました。

 「え、まだスタートラインにすら並んでいないのに、もう終わり?」

 そんな感じでしたね。

 当時はこう考えました。プロのオペラ歌手の世界を見てみると、確かにキング先生のおっしゃるとおりで、50歳になっても現役バリバリのテノール歌手って、鉄人クラスの歌手たちばかりで、ほんとレアケースです。大半のテノール歌手は、50歳前に引退して、歌うのを辞めて、後進の育成って奴にジョブ・チェンジしてます。だから「テノールは50歳まで」と言われて「ああ、そうなんだ」と疑うこと無く信じてしまったわけです。

 「プロが辞める年齢から始めたって、そりゃあ、始まる前に終わって当然だな…」

 なんか、やさぐれてしまいました。今思えば、キング先生、精神攻撃、上手すぎ! 年齢という、他人のどうにもならない弱点を突いてくるなんて、ほんと、ナイスっ!

 この後、キング先生から、様々な嫌がらせと精神的虐待を受けて、門下と歌劇団を辞めざるを得なくなった私ですから、Y先生の門下の扉を叩いた時は、精神的には、ほんと満身創痍で傷口から血が吹き出していたような感じだったんです。(キング先生から受けた仕打ちに関しては、PTSDのような感じになっているので、あまり詳しく書きたくないので、勘弁ね)

 キング先生から「テノールは50歳まで」とか「すとんさんにはテノールは無理」とか言われ、反発を感じながら、どこかでキング先生の言葉を受け入れていた私がいたわけです。いわば、キング先生の言葉に、呪われていた私です。

 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」
 「テノールは50歳まで」 「すとんさんにはテノールは無理」

 キング先生の言葉が、呪いとして、私の魂に染み込んでしまいました。もう、私は年寄りだから、テノールとしては無理なのかな? プロの声楽教師が言うのだから、本当に私にはテノールは無理なのかな?

 なんかもう、世界から「お前はダメだ」「お前は欠陥品だ」「やるだけ無駄だ」「恥を知れ!」と言われているような気分だったんですよ。

 実は、つい先日まで、この呪いの言葉に支配されていた私でした。Y先生の元でレッスンをしていても、いつもいつも、このキング先生の呪いの言葉が、私の心から離れたことはありませんでした。

 でも、今回の発表会を経て、ようやく私は、この呪いから解き放たれたような気分になりました(だから、こうして記事にして書いているわけです)。

 で、ここから本題です(笑)。

 2011年も後半ですから、私がキング門下を辞めるまで数ヶ月と言った時の話です。当時、キング先生からいただいた課題曲が、モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」のテノールアリア「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」でした。この曲が、私にはすごく難しくて、それこそ最初の数小節を歌うだけで、青息吐息になって全く歌えなかったのです。この曲は、数ヶ月学び続けましたが、結局、最後まで歌えるようにはならず、サジを投げるような形で終わりにしました。結論から言えば、ドン・ジョヴァンニの「彼女こそ私の宝」という曲は、私の手には全く負えなかったわけです。

 この時「オペラ・アリアって難しいんだな」って事と「自分はまだまだだな」と思ったわけです。それまでは、課題曲として与えられた歌は、下手くそながらも、なんとか形にしてきた私にとって、これは大きな“つまづき”であり、ちょっとしたトラウマ(モーツァルに対する苦手意識)となりました。で、そんな気持ちを抱えていたところに「テノールは50歳まで」「すとんさんにはテノールは無理」と言われちゃったわけですから、キング先生の言葉が魂に染み込まないはずはなかったのです。

 そこから、だいぶ時は流れました。

 実は今回の発表会の曲として、Y先生からモーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」のテノールアリア「Un'aura amorosa/恋のそよ風」をいただいた時に、私、心理的には複雑だったんですよ。だって、モーツァルトに対する苦手意識はあったわけだし、50歳を過ぎたジイサンに歌える曲なのか、テノールとして「無理」と言われた私に歌えるのか。とてもとても不安だったわけです。でも一方で、モーツァルトに対してリベンジをしたいという思いもないわけではありませんでしたが…やはり不安の方が強かったです。

 おまけに実際に歌ってみたら、ドン・ジョヴァンニの「彼女こそ私の宝」と同じように、最初の数小節で青息吐息になり、それ以上歌えなくなってしまったわけです。キング先生の呪いの言葉を思い出しては「やっぱり自分には無理なんだ」と情けない気持ちになりました。

 ですから、課題曲を与えられた直後、私は半分、投げ出したような、諦めたような気分で練習をしていました。与えられたからやる…なんか、魂のこもらない、単なる作業として練習をしていました。当事者である私自身は、そんな感じで、なんとも覇気がない状態だったにも関わらず、指導してくださるY先生は、かなり熱血でした。私の欠点を一つ一つ潰し、教えても出来ない事は、何度も何度も出来るようになるまで、手を変え品を変えて、繰り返し何度も教えて下さり、時間をかけて手間をかけて、執念深く教えて下さいました。

 指導者の熱意は、学習者に伝わります。やがて、諦めたような気分で練習していた私も、Y先生につられて、いつしか熱心にコジ・ファン・トゥッテの「恋のそよ風」に取り組むようになりました。

 曲としては、キング先生にいただいたドン・ジョヴァンニの「彼女こそ私の宝」よりも、Y先生からいただいたコジ・ファン・トゥッテの「恋のそよ風」の方が、難しい曲でした。より、テノールとしての高いハードルを跳ばないと歌えない歌でした。でも、Y先生と一緒に頑張りましたよ。

 で、そんな感じで迎えたのが、前回の発表会だったんです。結果はすでにアップしていますから、皆さんもご承知の通りです。はっきり言って、ヘッタクソな歌です。でも、下手はヘタなりに、一応、形になっているでしょ? ひとまず「下手くそなテノールが頑張って歌っている」ように聞こえるでしょ。ここが大切なんですよ。

 学び始めた頃は、最初の数小節でギブアップしていた曲が、なんとか最後まで撃沈せずにたどり着けるようになったわけです。実はすごい進歩をしているんです。50歳を過ぎたジジイ歌手なのに。プロの声楽教師から「テノールは無理」と言われたのに。

 そんなダメダメな私が、いかにもテノールのアリアであるこの曲を(下手くそながらも)歌いきったわけです。

 やったよ、やった! ほんと、頑張った!

 私、キング先生の呪いの言葉を、やっと、信じない事にしました。

 「50歳を過ぎていても、まだまだ上達できる」
 「今は無理でも、いずれは高音で歌えるようになる」
 「(苦労はするだろうけれど)私にテノールは無理じゃない」

 そう信じる事にしました。

 だって「歳だから」とか「(今は)下手だから」とか、そんな理由で、自分で限界を決めて、自分の可能性を潰すのは、愚の骨頂だと思うからです。

 思えば、キング先生の呪いの言葉は、私の未来と可能性を潰す呪いだったんです。そこに気づかずに、キング先生の術にはまり、心理的に凹んで、自分自身の限界を勝手に決めて、自分で自分の上達を阻んでいただけなんですね。

 ああ、長いこと、自分で自分をダメにしていたんだなあ…。何事も前向きに行かないとダメでしょ。「笑う門には福来たる」ですよ。落ち込んで、呪われていたら、上達するものも上達するわけないんです。

 ああ、キング先生のところを辞めて、本当によかったなあ。私は、自分の可能性を信じて、これからも、Y先生の元で、上達し続けますよ。うん、頑張るんだ、そう決めたんだ。やったるぞ!

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2015年6月21日 (日)

今度の道路交通法の改正は、自転車族にとっては、大改正かもね[2015年6月第3週・通算12週]

体重:107.2kg[+2.2kg:-7.6kg]
体脂肪率:30.3%[+1.1%:-3.1%]
BMI:33.8[+0.7:-2.6]
体脂肪質量:32.5kg[+1.8kg:-5.9kg]
腹囲:105.0cm[+1.5cm:-1.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 実は前回の体重測定は4月第3週でしたから、約二ヶ月ぶりの測定となりました。いやあ、実はこの二ヶ月、色々ありました。ゴールデン・ウィークがあったり、ラ・フォル・ジュルネがあったりの五月前半もたくさん食べましたが、五月下旬から今に至るまでも色々とありました(詳細は時が来たら書きます)。きっと太ってしまったに違いないとは思ってましたが、まあ、この程度で済んでいるのは感謝感謝と言ったところでしょう。まだきちんとは落ち着いていないので、もう少し太るかもしれませんが、早く落ち着いて、ふたたびダイエットに励めるようになりたいと思います。

 と言うわけで、今回のエッセイです。

 自転車は、法律上は軽車両というものになります。軽車両と言うのは、エンジンを積んでいない車両の事で、免許ナシでも運転する事が許されている車両です。もっとも、免許は不要でも、車両に変わりないので、道路交通法の支配下にあって、違反をすれば罰せられる存在なのです。具体的に言えば、自転車、リヤカー、人力車、馬車、犬ぞりが軽車両になります。面白い事に、馬や牛などは、車輪がついてなくても、それ自体が単体でも軽車両になります。

 逆に、車いす、三輪車、ショピングカート、スケートボードなどは、車輪が付いてますが、軽車両ではなく、歩行者扱いなんだそうです。なんか難しいです。

 と言うわけで、自転車は(軽)車両ですから、車道を走らないといけないし、車いすは歩行者なので、歩道を走らないといけないわけです。

 さて、自転車は軽車両です。道路交通法の支配下にあるので、たとえ免許不要であっても、法の定めに背けば罰せられます。と言え、自動車などの普通車両とは法的な扱いが違い、軽車両に関しては、免許が不要なため、いわゆる“切符を切る”ことができず、もしも罰則を加えるとしたら、今までは罰金しかなかったため、よほど目に余る行為でない限り、たいていの事は大目に見てもらえたわけです。

 しかし、今回(2015年6月)の道路交通法の改正によって、軽車両に対しては、罰金の手前に“安全講習”の受講義務が生じるという罰(!)が新たに設けられました。

 なんでも、3年間のうち、2回法律違反をした時に“安全講習”を受けないといけないのだそうです。ちなみに、この“安全講習”は無料ではなく、6000円近い手数料がかかります。オトナにとっては微々たる額かもしれませんが、自転車に乗った高校生にとっては大金ですね。さらに“安全講習”をガン無視していると、罰金5万円となって裁判所に呼び出されるんだそうです。

 つまり、道路交通法を守っていればいいわけです。

 で、今回の道路交通法の改正で、自転車が守るべき具体的な事柄が明記されたのだそうです。

1.信号無視
2.通行禁止違反
3.歩行者専用道での徐行違反等
4.通行区分違反
5.路側帯の歩行者妨害
6.遮断機が下りた踏み切りへの進入
7.交差点での優先道路通行車妨害等
8.交差点での右折車妨害等
9.環状交差点での安全進行義務違反等
10.一時停止違反
11.歩道での歩行者妨害
12.ブレーキのない自転車運転
13.酒酔い運転
14.安全運転義務違反

 分かりやすい項目もありますが、よく分からない項目もあります。分かりづらい項目をも含め、我々の生活レベルに落として説明すると、以下の様なこと気をつけないといけないようです。

自転車は道路の左側を走らないといけない

自転車は車道を走らなければいけない

自転車が歩道を走る場合は、自転車から降りて、おさないといけない

どんな場合においても、歩行者の安全を優先しないといけない

一時停止では、必ず足を地面につけて停車しないといけない

自転車も“一方通行”を守らないといけない

自転車も信号を守らないといけない

携帯電話を使用しながら自転車を運転してはいけない

イヤホンで音楽を聞きながら自転車を運転してはいけない

夜は無灯火で走ってはいけない

遮断機の下りた踏切に突入してはいけない

交通の妨げとなる場所に自転車を停車してはいけない

酔っ払って自転車を運転してはいけない

競輪で使われているブレーキの無い自転車は、道路を走ってはいけない

ピストと呼ばれるスポーツ用の自転車もアウト

 知ってましたか? 実は私、これらの違反のうち、いくつかはOKではないかと思っていましたが、今回の改正でダメになってしまいました。

 なんでも、自転車が関与する交通事故というものは、以前は圧倒的に対車の事故が多くて、自転車は被害者側だったのだそうですが、近年は、自転車による対人事故が増え、自転車が加害者になるケースも増えてきたそうなんです。で、そういう事故を起こすのが、子どもとお年寄りという事で、今回の交通法改正なんて、モロに高校生をターゲットにせざるをえなくなった…というわけのようです。

 まあ、いいんじゃないの、と言うのが私の個人的な感想かな。確かに最近、傍若無人な自転車が増えてきたような気がします。私も道を歩いていて怖い思いをする事も多いので、今回の道路交通法の改正には賛成です。

 危険な自転車は、ジャンジャン取り締まっちゃえー!

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2015年6月20日 (土)

エビは四尾、タニシはそろそろ壊滅状態?

 表題の通り、現在、ヌマエビは四尾います。五尾投入したのですが、一尾食べられてしまったようです。ちなみに、この四尾は、常に三尾+一尾の組み合わせで行動しています。ハブにされている一尾は、大きい子で、残りの三尾は小さい子集団です。エビと言うのは、長生きしたから大きくなるわけでもなく、ある程度の大きさまで大きくなったら、それ以上は大きくなりません。これは以前ウチにいた子(トートと一緒にいた子です)は、かなり長い間水槽で生活していましたが、いつまでたってもおチビさんのままでしたからね。

 と言うわけで、エビの成長は割とすぐに頭打ちになります。ですので、大きな一尾は、人間の目で見ると、他の三尾と同じ種類のエビに見えますが、エビ同士では、もしかすると違う種類のエビなのかもしれません。例えば、犬で言えば、秋田犬とチワワのような感じなのかな(そこまで極端じゃないか:笑)。でも『個体差』という言葉で片付けるには、大きさがあまりに違いすぎます。

 タニシは昨年120匹投入しましたが、順調に金魚たちに食された結果、ただいま、ほぼ壊滅状態になっております。数えていませんが、たぶん、残りは20匹程度かもしれません。まあ、生き餌として入れている事もあるので、食べられてしまうのは想定の範囲内ですが、次の子たちを入れる前に全滅するのは避けたいです。

 ちなみに、次のタニシは…もう田んぼも田植えが終わっていますので、知り合いの農家さんに声をかければいただく事ができますが、問題は、私が忙しくて、タニシを取りに行っている時間がない事(涙)。夏休みに入れば、たぶん時間が作れるので、そうしたら、そそくさとタニシを取りに行くつもりです。

 あと、水草は相変わらず、色が悪くて発色が悪いです。水草と言っても生体ですからね。やはり生体はインターネットで買うべきじゃないのかな? 通販では、個体の状態を確認できないものね。次からは気をつけたいです。

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2015年6月19日 (金)

やっぱり指揮者は必要!

 フルートのレッスンに行ってきました。

 今回もレッスンの前にちょっぴり時間があったので、しっかりチューニングして準備をしました。音程はバッチリだったけれど、先生から「頭部管抜き過ぎ!」とダメが出されました。結局、頭部管をしっかり入れて、音を曲げ曲げして対応しました。色々難しいね。

 結局、頭部管を多めに抜くことで音程が合うというのは、基本的な奏法が“吹き過ぎ”で音が上ずるからでしょうね。フルートを吹くのではなく、鳴らす方向で演奏できれば、頭部管をかなり入れても音程バッチリになるわけだし、その方が音色的に美しくなるみたいです。

 正しい音程で吹ければいい…というわけでもなさそうです。ううむ、難しい。

 さて、エルステ・ユーブンゲンの9番は、しっかり練習してきましたが…まだ暗譜が完全じゃなくて、あっちこっち指を間違えました。不合格です。ああ、本当に暗譜が苦手だな。でも、前回よりも確実に暗譜は進んでいます。次回までには、きちんと暗譜できるかな? 頑張ろう。

 プチ・エチュードは10番です。前回注意された事はしっかり練習してきましたよ。で、やっと合格をいただきました。いやあ、長かった。そして、難しかった。

 さっそく次の11番の模範演奏をしてくださいました。いやあ、11番って、実に真っ黒な楽譜で、音符がみっちりと詰まってますねえ(涙)。この曲、私に吹けるのかな? 先生からは、いつものように「ゆっくり練習してくればいいからね」と言われていますが…こんな真っ黒な譜面、速くなんて吹けませんから、ご心配無用です。

 さて、今回の雑談は、春先に行われたH先生のコンサートの件です。

 先生にいきなり「この前のコンサート、来てたよねえ? どこの座席で聞いていた?」と尋ねられたので「客席中央やや前方寄りの、下手側の席です」と答えました。私、どこのホールに行っても、たいてい、そのあたりの座席に座ります。と言うのも、そこだと、ピアニストやフルーティスト、ヴァイオリニストの手の動きがよく見えるからです。

 で「聞こえた? きちんと聞こえた?」とか聞いてくるのです。もちろん、きちんと聞こえましたよ。

 なんでも、その日のコンサートのCDが出来上がり、関係者さんたちに配布されたそうなんです。で、そのCDを聞いた先生、ご自分のフルート演奏がきちんと録音されていなかったそうで、それで客席に、自分の演奏がきちんと聞こえていたのかどうか、とても不安になったんだそうです。

 と言うのも、その日のコンサートでは、H先生は指揮者をやっていましたので、ご自分がソロを吹いたフルート協奏曲以外はバッチリ録音されていたそうですが、自分が吹き振り(って事は、指揮者がいない演奏って事になります)の協奏曲では、やたらと弦の音ばかりが強調され、先生のフルートの音がヴァイオリンたちにかき消されていたんだそうです。だから心配になって、当日観客席にいた私に尋ねてきたのです。

 確かにフルート協奏曲では、弦楽器の人たちが、むやみに頑張っていたかな? でも、それでフルートの音がかき消されるという事はなかったと思います。まず、先生は18K厚管なんていう強力な楽器を使っているわけだし、人間の耳って優秀だから、少々音量バランスが悪くても、脳内で補正するので、問題なく聞こえちゃうんですよね。

 録音セッションではなかったので、当日の演奏の録音は、天井からぶら下がっている吊りマイクによる収録だったそうですし、フルートとヴァイオリンは音域がかぶるし、フルートの音色が優しいのに対して、ヴァイオリンは鋭角的な音を出しますからね。事によると、先生が聞かれたような、フルートがヴァイオリンにかき消されてしまうような録音となってしまった可能性はあります。

 「だから指揮者が必要なんだよ」とH先生はおっしゃいます。と言うのも、指揮者というのは、演奏の現場監督なわけで、テンポはもちろん、音量バランスなどにも気を使いながら、演奏をリードしていくわけです。なんでも、当日のオケは、先生が指揮をしていても、弦が暴れる傾向があったそうなので、指揮者がいなくなった途端に大暴れをした…と思われているようです(し、たしかにあんまり抑えた演奏をしていたとは思えません)。

 なんか、色々難しいですねえ。先生は指揮者の必要性を痛感し、私は人間の耳の優秀さに感じ入った次第でございます。

 市販のCDの録音って、人間が耳で聞くような音バランスで録音するされていて、それが普通だと私なんかは思ってしまうのですが、そういう話を聞くと、自然な音バランスで録音するのって、本当はとても難しい事なのかもしれません。サウンド・エンジニアさんの仕事って、すごく地味だけれど、とてもとても大切な仕事なのかもしれませんね。

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2015年6月18日 (木)

ハンガリー国立歌劇場の『セビリアの理髪師』を見てきました

 先日、当地の市民会館で行われた、ハンガリー国立歌劇場による、ロッシーニ作曲の
『セビリアの理髪師』を見てきました。データ的なものは、以下の通りです。

ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団
指揮 イシュトヴァーン・デーネシュ(ヤーノシュ・コヴァーチュの代理)
演出 アンドラーシュ・ベーケーシュ(オリジナル版)
   バラージュ・コヴァリク(リニューアル版)

フィガロ:ジョルト・ハヤ
ロジーナ:ガブリエラ・バルガ
アルマヴィーヴァ伯爵:オトカール・クレイン
バルトロ:タマーシュ・スレ
バジオリ:アンドラーシュ・パレルディ
ベルタ:ジュジャンナ・バジンカ

 当地ではよく6月頃に、主に東欧の歌劇場がやってきてオペラの公演をしてくれるのですが、今年はハンガリー国立歌劇団がやってきてくれました。当地での上演では、スター歌手はまず来ないのですが、海外歌劇団の引っ越し公演ならではの、派手な衣装や、凝った演出や、チームワークの良いアンサンブルと、抜群にうまいオーケストラ演奏が楽しめます。

 いつも当地でのオペラ公演は、ほぼ満席になるのですが、今回は少しばかり空席が目立ちました。私的には隣の席が空いてて、楽に座れて良かったです…が、主催者的には、ちょっと困った状況なんだそうです。私が思うに、いつも当地ではベタな演目をやるのですが、今回はちょっとばかり通好みの演目になったため、それで客足が遠のいてしまったのではないでしょうか? つまり今まで、毎回オペラが満席になっていたのは、別に当地にオペラファンが大勢いるからではなく、ライトなクラシックファンが多くて、それで有名な演目なら「ちょっと見てみるか」と思って来てくれるけれど、ちょっと演目が通好みになると「どうなの、これ?」とか思ってしまい、やってこないだけなのかもしれません。

 当地の映画館で、オペラのライブビューイングを一回だけやった事がありますが、その時も客の入りが悪かったんです。生演奏ならともかく、映画でオペラを見るほどのオペラ好きがいなかった…んでしょうね。そのせいでしょうか、同じ系列の他所の地域の映画館では、その後もオペラのライブビューイングが続いているのに、当地はその一回だけで終了し、その後、オペラのライブビューイングが続かなかったんですね。その代わり、私よりも少し上の年齢の方を対象にしたと思われる、ポップス系のステージ中継は続いていますので、音楽が好きな方は多いのだけれど、オペラのような重めのクラシックではなく、軽くて親しみのあるポップスの方が受け入れられる…っていう、地域的な特徴があるわけです。ま、良くも悪しくも、そんな感じなんです。

 海外の歌劇場の引っ越し公演も、以前は年3回だったのが2回になり、それが1回になり、さらに最近は数年に1回という頻度まで下がっていますから…この観客数が影響して、もうオペラやりません…ってならない事を願ってます。

 閑話休題。さて、公演そのものは、すっご~く面白かったですよ。向こうの歌手は、演技力が半端ない! ほんと、そう思います。歌唱だけなら、日本人の歌手だって負けませんが、演技力はこなしている舞台の数の違いなのか、やはり外人さんの方がすごいです。あと、歌手のアンサンブルの上手さとオケの巧みさも、外人さんの方が上かも。

 今回のメンバーで言えば、フィガロを演じたジョルト・ハヤが若くてイケメンさんでした。別にフィガロを演じる人はイケメンである必要は全くないのですが、若くてイケメンさんがやってくれると、女性客はうれしいでしょうね。

 ロジーナを演じたガブリエラ・バルガは、舞台に普通にいると、なかなか可愛いのですが、舞台のバルコニーに昇ると、客席から見上げるカタチになるせいもあって、ちょっと老けて見えてしまいます。残念です。まあ、女性を下から見上げるなんて事は普通しませんから、仕方ないですね。

 アルマヴィーヴォ伯爵を演じたオトカール・クレインはかっこいいテノールで、アルマヴィーヴォ伯爵だって、別にかっこいい必要は全く無いのだけれど、かっこいい人が演じていました。この人、アルマヴィーヴォ伯爵よりも、ヒーロー系の役の方が似合うんじゃないかな!

 なんと言っても、バルトロを演じたタマーシュ・スレは芸達者でした。このオペラは、バルトロを演じる歌手が、大真面目に間抜け役ができるかどうかで、喜劇としての面白さが決まると思いますので、スレの真面目な間抜けぶりは、とても面白かったです。

 今回、ハンガリー国立歌劇場は、『セビリアの理髪師』に加えて、他所では『フィガロの結婚』を上演します。お話的にはそれぞれが前後編になるわけで、役柄も共通していたりします。それで『理髪師』と『結婚』で、それぞれ誰が何の役をやるのか、比べてみました。

 『理髪師』で“フィガロ”をやっていた歌手は『結婚』では役を替えて“伯爵”をやります。バリトンだもんね。じゃあ『理髪師』で伯爵をやっていたテノールさんは『結婚』では…“バジリオ”をやるんですね。“バジリオ”は脇役ですが『結婚』唯一のテノール役だし、アリアもあるし…って感じなんでしょう。

 『理髪師』でヒロインである“ロジーナ”を演じた歌手は『結婚』では“ケルビーノ”をやります。まあ、メゾつながりですね。『結婚』では“ロジーナ”こと“伯爵夫人”の役は『理髪師』では、お休みしていた主役ソプラノさんがやります。

 ソプラノさんと言えば『理髪師』では“ベルタ”という脇役のソプラノ役がありますが、この役をやる人は『結婚』では“マルチェリーナ”をやります。やはり脇役ソプラノは脇役ソプラノを歌うんですね。『結婚』での“スザンナ”役は『理髪師』ではお休みしていたソプラノさんのお仕事です。“スザンナ”も主役ソプラノさんがやる役だものね。

 最後に『理髪師』で“バルトロ”を歌っていた人は『結婚』でも“バルトロ”を歌います。うむ、役柄が首尾一貫していいいですね。

 そうそう、今回の公演では、舞台を普段よりも大きく拡張していました。当地の市民会館の舞台って、オペラ上演を想定して作っていないので、オペラやミュージカルを上演するには狭いんです。色々と不便があるでしょうが、今まではどこも、そこは工夫して、狭いなりに頑張っていましたが、今年はそれを諦めたらしく、舞台を大きく前に広げていました。おかげさまで、オーケストラピットの一部が潰れてしまって、オケピがかなり狭くなってしまいました。狭くなっただけならともかく、舞台袖からオケピに入る通路が塞がれてしまったので、オケのメンバーや指揮者さんは、オケピに入るために、普通に客席の間を通って、客席側からピットインしていました。最初は「それってどうなの?」と思いましたが、これはこれでアリっすよ。

 以前、オケピが狭すぎて、楽器が入りきらずに、一部の楽器を舞台に上げて上演したところもありました。つまり、舞台にせよ、オケピにせよ、当地の市民会館は狭くて使い勝手が悪い…って事なんでしょうね。ああ、申し訳ありません。でも、これに懲りずに、来年もオペラ上演をしてくださいな、よろしくね。

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2015年6月17日 (水)

ディナーショーに行ってきた

 ディナーショーに行って参りました…とは言え、豪華ホテルの豪華ディナー付きの豪華で高価なディナーショーではございません。都内のこじゃれたレストランでリーズナブルなお値段のディナーショー(形式のサロンコンサート?)って奴に行ってきたわけです。

 お目当ては、テノールのK先生こと、小城龍生さん。ちなみにお名前は『こしろ・たつお』ではなく『こじょう・りゅうせい』と読みます。ま、難読ネームかもしれませんね(笑)。

 いやあ、遠かった…。距離的に遠かったのはもちろん、人身事故って奴で、電車が大幅に遅延していたもんで、時間的にも遠かった。余裕をだいぶかまして到着する予定だったのに、現地に到着したのが開場30分前だもん。ほんと、ぎりぎり(笑)。何しろ土地勘がないものだから、とりあえずお店の所在地を確認して、近所のガストで軽食を食べてから(笑)、ディナーショーに臨みました。まあ、ディナーショーと言っても、料理の質はともかく、量的には全く期待していなかった私なんです。食事って、ほんの少量だけ胃袋に入れると、かえって飢餓感が増すんだよね。食べるなら食べる、食べないなら食べないというメリハリが人生には必要なわけです。

 さて、ガストで軽食を食べて(笑)、開場時間になったので、お店に向かいました。店の外で、K先生が待ち構えていました。お客さん、一人ひとりを出迎えているようです。到着するや否や、ドリンクを確認されて、指定された席に着きます。真正面で舞台にかぶりつきの席でした。あれ? こんな良い席でいいの?

 会場は普通の“町のレストラン”って感じで、座席数は(数えたら)33席でした。チケットは完売って事ですから、お客さんは33人入るわけです。ざっと計算すると、まあ悪くない売上になります。

 お客さんはたった33人しかいないので、全員揃ったところでコンサートが開始されました。と言うか定時になってもお客が全員揃わなかったわけです。5分ほど遅刻された方がいたので、その方を待ってコンサートが開始されたわけです。

 当日のセットリストは、以下のとおりです。

君は我が心のすべて(レハール)
カロ・ミオ・ベン(イタリア古典歌曲)
マレキアーレ(トスティ)
最後の歌(トスティ)
ニュー・シネマ・パラダイス(モリコーネ)
私に愛させて(レオンカヴァッロ)

休憩

帰れソレントへ(カンツォーネ)
マリウ、愛の言葉を(カンツォーネ)
ブリア(カンツォーネ)
つれないお前(カンツォーネ)
忘れな草(カンツォーネ)
誰も寝てはならぬ(プッチーニ)
ヴィーヴェレ(カンツォーネ)

アンコール

フニクリ・フニクラ(カンツォーネ)
オ・ソレ・ミオ(カンツォーネ)
慕情(ポップス)
グラナダ(ララ)

 コンサートのテーマは『イタリアを歌う』だったので、なんと半分以上がカンツォーネ!でした。やはり“テノール+イタリア=…”と来ると、答えは“カンツォーネ”か“トスティ”になりますわな。で、今回はカンツォーネメインでしたというわけです。ああ、それにしても、一度は歌ってみたい曲ばかりが並んでいました。

 1曲目の「君は我が心のすべて」は、元々はドイツのオペレッタ「ほほえみの国」のアリアであって、ドイツ語歌唱が普通なんですが、この曲をイタリアの某ポピュラー歌手がカバーをしてカンツォーネとして歌って以来、イタリアではイタリア語で歌われるようになったそうです。そんな理由で、今回はイタリア語バージョンでの歌唱となりました。

 で、この歌は1曲目という事もあって、曲紹介をする前に歌い出したので、私、歌を聞きながら「これ、何の曲だっけ?」と一生懸命頭を回しました。「メロディは確実に知っている…でも、この歌詞の曲は知らない…え?なんで?なんで」と、ちょっとパニクりましたが、曲が終わるまでには曲名が分かりました。だって、数年前の発表会で歌った曲じゃん(笑)。

 5曲目の「ニュー・シネマ・パラダイス」はジョシュ・グローバン版の(当然だけど)歌詞付きです。6曲目は、レオンカヴァッロの珍しい歌曲です。

 ここまで歌って、休憩。休憩時間に食事が出ました。食事は、サラダと肉と魚にワインとパン。女性なら、これで良いかもしれないけれど、私には(当然だけれど)足りませんでした。ちなみに肉料理は…ローストビーフのような料理で、肉もそこそこ厚みがあって美味しかったです。魚はカジキだね。私の前に座っていたカップルはシャンパンを持ち込んで、グイグイやっていました。…慣れているね。

 皆さんの食事が終わった頃を見計らって、第2部が始まりました。第2部は、怒涛のカンツォーネ特集です。ここからアンコールまで、ノンストップで12曲歌われました。

 よく知っている曲ばかりなんだけれど、8曲目の「ブリア」と13曲目の「ヴィーヴェレ」は始めて聴く曲でした。「ヴィーヴェレ」なんて、まるでK先生の生き様を歌ったような曲でした。7曲目の「マリウ、愛の言葉を」はよく聞くけど、譜面持ってないや(残念)。12曲目の「誰も寝てはならぬ」では、以前からの予告どおり、今回唯一のスープラ・アクートを披露されました。うむ、Y先生のおっしゃる“勝負どころ”って奴は、これなんだな。

 アンコール以降は、イタリア語縛りは解除して自由な選曲になりました。イタリア語縛りから逃れた「慕情」と「グラナダ」はすごく良かったです。

 K先生の歌唱スタイルは、場所が狭くて天井が低い(だって普通のレストランだもん)せいもあって、軽く歌っていました。軽く歌っていたけれど、声はかなりギラギラで、声の中にたくさんのギラギラ成分が入っていました。

 歌手の歌声って、クリーミーな成分(横に広がる、周囲と溶け合う声)と、ギラギラな成分(指向性が強くて、周囲から突き抜ける声)があって、それらが適度に混ざり合って絶妙なバランスの上に成り立っているのが、いわゆる美声って奴ですね。K先生の声は、かなりギラギラなんだけれど、たっぷりクリーミーでもあるので、聞いていると、実に輝かしい金管楽器のような声なんです。やっぱり、歌手にとって必要なのは、個性的な歌声なんだな…と思いました。

 それにしても後半12曲、ノンストップだったけれど、歌のスタミナは豊富だなあ。

 発声そのものは軽い発声なんだけれど、音量はすさまじかったです。K先生の声量に負けじとピアノ(ミニグランドでした)も頑張っていましたが、ピアノの音は割れ気味で、音量的には歌手の勝ちだったと思います…ってか、軽く歌って、あのヴォリューム(普通の歌手のフルヴォイスよりも音量大:笑)ってのがスゴイなあ。声量が、息の強さとか多さとかではなく、響きによってもたらされるという事の、リアルな証明でした。

  なぜそんな声が出せるのか、私も不思議に思って、K先生が歌っている様子を一生懸命観察してみました。で、おそらく腹筋の使い方にヒントがあるんじゃないかな…って思いました。腹筋を背中側に凹ませているのではなく、肺の方にえぐるように凹ませているように見えました。つまり腹筋…と言うか横隔膜で、肺をポンプアップしているような感じなんです。ですから、胸郭を思いっきり広げて、下からグイグイ息を押し上げている感じなんです。その上で、クビもノドもラクラク脱力しているようです。だからよく響くんだな。

 もちろん、骨格的なアドヴァンテージもありますね。胸が厚くて、よく響きそうだし、アゴがしっかりしていて、いかにも口腔内の容積が広そうだし…。クチの開き方は大きくて、極端な程に縦開きでした。

 よく考えてみれば、Y先生がいつも私に注意している事と同じ事を実践しているだけなのかもしれません。つまり、Y先生とK先生は、同じ発声メソッドを使っているってわけです(そりゃあ、イタリアの同じ都市で勉強していた留学仲間なんだから同じメソッドを学んでいても不思議ないよね)。Y先生にレッスンのたびに、毎度のように指導されて、見本を見せてもらっても、バリトンさんの見本では、今ひとつピンと来てなかった私ですが、同じことをテノールがやると、こうなるのか…と思いました。良い見本を見せてもらったわけです。

 あと、K先生は、歌いクチが独特ですね。少なくとも日本人歌手としてはかなり珍しい歌いクチの歌手です。もちろん歌っているんですが、聞いていると、歌うと言うよりも語る感じなんです。で、語っているんだけれど、しっかり歌っているんです。日本人の歌手は、よく歌う人は多いけれど、語りと歌を両立させて歌う人は少ないと思います。この歌いクチがK先生の強い個性となっていると思います。

 K先生の本業はもちろんオペラ歌手だけれど、副業で、外国語学校のビジネス系のイタリア語の先生をやっているくらいイタリア語が得意なので、そういう事が出来るんだろうなあって思いました。今回歌った曲の多くは、私も学んだ曲なので「テキストの処理がすごく上手…まるで生粋のイタリア人の歌を聞いているみたいだ」と思ったわけです。

 とにかく、選曲と良い、歌いクチといい、発声といい、私大好きですよ。とても気に入りました。あと、人間的にも気が合うしね(笑)。なので、コンサートが終わって挨拶に行った時に「ぜひ、次も来たいです!」と言っちゃいました。次の予定を、メールで教えてもらう事にしたので、楽しみです。うふふ。

おまけ ネットでこんなのを見つけたので貼っておきます。K先生とフルーティトさんが共演している動画です。曲は…ララの「グラナダ」です。どこぞのレストランでのライブっぽいですね(食器がカチャカチャなる音がしてます)。

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2015年6月16日 (火)

キャリアの短い人ほど、上達するんだそうです

 声楽のレッスンの続きです。

 まずはローザ作曲の「Star vicino/側にいること」のレッスンです。この曲は、いわゆるイタリア古典歌曲って奴です。高声用の楽譜を使用します。

 この歌は…歌うだけなら簡単です。でも、歌えるかどうかが問題なのではなく、必要なテクニックをきちんと行使しながら歌えるか…という点が大切なのです。

 今回のポイントは、息の使い方。とにかく軽く歌うのです。そして、息を流しながら歌うのです。だからと言って、息をたくさん使うわけではないのです。少ない息を速い速度で常に一定量を保っていられるように加減しながら、吐くのです。音量は要りません。とにかく、軽くて速い息で歌うのです。ですから“軽く歌う”と言っても、ふわっと歌うのではなく、身の入った充実した声で軽く歌うわけです。イメージするのが…難しいですね。

 曲の途中にバリエーションの指示がありますが、今回は本来の楽譜の指示通りではなく、バリエーションの方を採用して歌うことにしました。理由は…その方が音楽的だから(笑)です。もっともバリエーションと言っても、言葉の譜割りが本来のものと異なっているだけで、音符の並びは一緒なんですが、言葉の譜割りが異なると、当然、ブレスの位置が変わってくるので、注意です。

 曲の中で、いわゆるメロディーが“転がる箇所”がありますが、この箇所の音程は、腹圧で滑らかに変えていきます。絶対にノドで音程を作ってはいけません。

 あと、私の歌が全体的にややぶら下がり気味だけれど、これは息の流れが悪いからです。もっとトルクの強い息で歌うことで、音程が改善されます。そのためにも息をきちんと流す事が大切です。

 と言うわけで、今回のレッスンでは、

 1)息を流す
 2)腹筋を使う

 この2点を重点的に見てもらいました。そうしたら、時間が無くなってしまったので、ベッリーニ作曲の「Vanne, o rosa fortunata/お行き、幸せなバラよ」のレッスンはパスとなりました。まあ、いいや。実は私、この曲に関しては、まだ練習が足りなくて、舌がうまく回らなくて、あっちこっち言葉が不明瞭なんだよね。先生も、もう少し勉強してから、この曲のレッスンに取り組みたいのだそうです。なにしろ、この曲、まず絶対にバリトンでは歌わない曲なので、あまり馴染みがないんだそうです。まあ、たしかに、この曲はソプラノのために作曲されたはずだけれど、実際の演奏会場で歌っているのは圧倒的にテノールだよね、それも軽めのテノールさんばかりです。。

 さて、レッスンの最後に先生と、ちょっと面白い雑談をしたので、書きます。いわゆる“歌手年齢”って奴です。

 人は年を取ります。声も年を取ります。だからと言って、生物学的な年齢と声の年齢、とりわけ歌声の年齢は、必ずしも比例するわけではないそうです。あまり歌っていない人の声は、生物学的に年を取っていても、若い声なんだそうです。で、歌声と言うのは、ある程度歌っていると、やがて完成し、一度完成した声は、少しずつ少しずつ衰えていくのだそうです。ですから、声に関して言うと、老化すると言うよりも、使い減りをする…と考えた方が良いのかもしれません。

 そうなると大切なのは、歌手としてのキャリアなんだそうです。キャリアの長い人ほど、使い減りをしているわけです。ですから、キャリアの長さが歌手としての年齢のようなものに相当するそうです。キャリアの短い人の声は、まだまだ声が若くて未完成で、子ども同然で成長の余地があるけれど、キャリアが長くなってくると、完成されつくして、それ以上の上達は難しく、あとは段々と衰えてくるだけなんだそうです。

 だから歌を学ぶなら(子どもはカラダそのものが未完成なので、横に置いといて)一般的には、若ければ若いほど良いのだそうですし、オトナであっても、歌ったことのない素人さんほど良いのだそうです。とにかく、子どもであれオトナであれ、歌手としての経験の短い人ほど、伸びしろも多く、変な癖もついていないので、教えれば教えるほど伸びていくのだそうです。

 だから、歌うのが好きで独学で歌っていたとか、カラオケファンだとか、合唱マニアだとか、とにかくカタチは何であれ、歌っていた期間の長い人ほど、教えるのが難しいんだそうです。

 ちなみに「私はどうですか?」と尋ねたら「…大変です」と即答されちゃいました(汗)。ま、そうだよね。分かりますって。そんな私ですが、実は歌のキャリアって、休んでいた時期がたっぷりあるから、そんなに長くないんだよね。全部足しても、だいたい10年くらいなんだよね。それでも、歌を学ぶには、長すぎるキャリアなんだな。

 一般的に考えると、変声期が終わって10年って言うと…ヘタするとアラサーだもんね。アラサーと言えば、大学も卒業した年齢だから、そこから何かを学ぶには、少なくとも“早い”というイメージはないよね。

 と言うわけで、実年齢もジジイだけれど、声年齢的にも決して若くない私なのでした。

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2015年6月15日 (月)

何事も、想像力が大切

 発表会後、初めての声楽のレッスンに行ってきました。

 まずは発表会の反省から。『愛の妙薬』の二重唱は「まずまずの成功。良かったですよ」との事です。問題は、ソロで歌った、モーツァルトの「Un'aura amorosa/恋のそよ風」です。「学習の過程としては大成功で、この曲に取り組む事で、格段の進歩を遂げたわけですが、曲の仕上がり的には疑問が残る結果になりましたね…」って事でした。とは言え、曲の出だし部分は、なかなか良かったそうです。しかし、始まってすぐにメロディを間違えてしまったわけですが、やはり聞いていて、あそこから色々と崩れていくのが分かったんだそうです。で、崩れていくのを必死で押さえながら歌っているわけで、それでまあ、あんな仕上がりになったんだろうなあ…との事でした。「もしも、あそこで間違えずに、歌い出しの調子のまま最後までいけたら、良かったですね」って事でした。

 まあ、本番ですから。色々あって当然ですから。結果は謙虚に受け入れないと。

 先生がおっしゃるに、モーツァルトの曲って、本当に難しいのだそうです。楽譜を見ると、あまり難しくは見えないので、歌が下手な人は、サラっと歌ってしまって「モーツァルトなんて簡単だよ」とうそぶくのだそうです。歌に真面目に取り組んでいる人は、モーツァルトに対して真正面からぶつかっていくわけで、モーツァルトの楽曲って、簡単そうに見えて、実はかなりテクニカルな処理を要求する曲が多いので、きちんと歌おうとすると、やたらと難しいのだそうです。だから、モーツァルトの曲を難しく感じるというのは、真正面から音楽に取り組んでいるわけだから、良い学習をしているって事になります…って事らしいんだけれど、私の場合、そんなに立派なモンじゃなくて、単純に、サラっと歌えるほどの力すらないので、難しく感じてしまう…という身も蓋もない状態だと思ってます。

 まあ、それはともかく、100回の練習よりも1回の本番です。今回の発表会を通して、先生にも色々と私の課題が見えてきたそうなので、さっそくレッスン開始です。

 まずは息を流す練習から。私は無意識のうちに、息を吐かずに歌ってしまう(キング先生の元で学びました!)ので、きちんと息を吐きながら歌うこと、それも上手に息を吐きながら歌うことを目指して練習を始めました。

 “よく回った速い息”で歌えるようになるための練習です。いきなりは無理なので、まずは速い息で歌う練習をし、その次によく回った息で歌えるようにして、最後によく回った速い息で歌えるようになれればよいのですが…なかなか難しいです。速い息は冷たい息であり、よく回った息は暖かい息なんですが、よく回った速い息って、暖かくて冷たい息の事? いやあ、よく分かりません。

 と言うわけで、リップロールをしました。リップロールとは、クチビルを軽く閉じて、そこに息を通して、クチビルをブルブル言わせるアレです。これをやりながら歌ってみたわけです。この練習は私のような欠点を持つ人間には、良い練習なんだそうです。と言うのも、クチビルをブルブル言わせるためには、クチビルが脱力していないといけないし、息が常に流れていなくてはいけないのです。私のように、脱力とか息の流れとかに難点がある人には、必要な練習なんだそうです。

 実際、最初のうちは結構苦労しましたが、やがて慣れて、普通に出来るようになりました。

 最初は先生が見本を見せて「これをやってください」と言われて、行うわけなんだけれど、先生がバリトンさんであるため、先生の見本を見て行うと、どうしても音域や響きが低めになってしまいます。なので、ついつい低めの響きで始めると「テノールはもっと高い響きでやらないといけませんよ」と注意されます。なんでも、声になるかならないかのギリギリの響きの音程でやらないといけないのだそうです。

 で、リップロールが出来ると確認されたので、次はリップロールをしながら実際に歌います。これが案外難しい。まあ、歌うと言っても、発声練習に毛の生えたようなモンだけれどもね。

 で、先生のリードの元で、リップロールをしながら必死になって歌っていきます。何しろ、ちょっとでも気を抜くと、リップロールにならなくなってしまうわけだから、脱力とか息を流し続けることとか、その他諸々まで神経を行き届かせながら歌わないといけないので、ほんともう必死です。

 で、そうやって必死に歌っていったところ、最終的に、HI-Cまできちんと音が当たって歌えたんだそうです。私自身は必死ですから、どの高さまで歌っているかなんて自覚はないし、上行音型だとは分かっていましが、もっと上までも行けそうな楽な感じでした。なので、先生がピアノを止めた時は「まだイケるよ、早くねえ?」と思ったものです。

 とりあえず先生はHI-Cを確認して止めました。なんでも、私はテノールなのでHI-Cまで歌えればいいので、それ以上は無理してトライする必要はないし、そういう事をすると発声が壊れしまう事もあるので、今回はHI-Cまでで終了って事になりました。

 確かに、HI-Cよりも高い音を出すテノールもいるけれど、ああいうテノール(ウチの門下ではIさんが相当します)と私では、同じテノールであっても、種類の違うテノールなので、ああいう人を真似たり、憧れたりしてはいけないんだそうです。

 「テノールの人は、やたらと高音にこだわるけれど、高い声が出ても、それでお客を感動させられないなら、それはつまらない高音なんですよ」との事です。だからHI-Cが出ても、ラクラクと出せてしまうなら、そこに感動はないわけです。でも、HI-Cがラクラク出せないと歌えない歌(ベッリーニとかドニゼッティのオペラアリア)もあるわけです。逆に言うと、そういう難しい歌は、歌える人にまかせて、歌手ならば、自分の声が一番良く響く箇所を使う曲を歌うべきなんだそうです。だから、一般的なテノールにとって、HI-Cなんて、ラクラクに歌えてはいけないわけなんです。客から感動をもらえる発声で歌えないといけないわけで、声は出ればいいというわけではないのだそうです。

 あああああ~、難過ぎて分からないよ。高音なんて、出りゃあいいじゃん、ダメなの、それじゃあ!

 …ダメなんだそうです。高音って奴は、出りゃあいいわけじゃないんだそうだし、出なければダメなわけでもないのだそうです。要は、自分の“勝負どころを間違えるな”という事であって、高音そのものが勝負の弾にはならないって事らしいんだけれど、やっぱり高音なんて、出れば出るだけ偉いんじゃないの?

 閑話休題。リップロールでHI-Cまで歌った私です。つまり、これ、息の流れさえしっかりできれば、HI-Cまで歌える能力を、すでに現時点で持っている…という事なんだそうです。なのに、私と来たら「Gまでは完璧。G#になると崩れ始め、Aで崩壊」してしまい、そこから上の音を使うことが出来ません。

 発声できる能力を持っていながら、実践では使えない。その理由の一つとして『想像力の欠如』があるんじゃないかと言われました。具体的に言えば、Gが完璧なのは、私がGという音のイメージをしっかり持っているからで、Aがグダグダなのは、私がAという音のイメージを持っていないためグダグダになってしまっているのだ…という事です。

 たぶん、合ってる。確かにGに関してはイメージがあります。どれくらいの音程であるとか、カラダをどう動かしているのかとか、どんな響きなのかとか、私なりにGのイメージがあるので、そのイメージ通りに行かないと「失敗した!」ってなるわけだし、実際、失敗しています。

 一方、Aに関しては、音程に対するイメージは、まあないわけじゃないけれど、あんまり自信はないわけで、よくうわずったりぶら下がったりするわけです。カラダの動かしからも試行錯誤の最中でよく分からないし、響き? イマイチ分かんないよなあ。

 そうか、イメージの欠如か。確かにそうかもしれないです。なので、先生から「しっかりAという音のイメージを持つ」事を言われました。それも自分の声のイメージで…なんだそうです。

 美しい声で歌うためには、美しい声のイメージがないとダメなんだそうですが、その美しい声のイメージが、誰か別の人の声のイメージではダメなんだそうです。と言うのも、その別の人は私ではないので、全然参考にならないのだそうです。大切なのは“美しい自分の声”であって、誰かのものまねであってはいけないのです。

 つまり、私の場合、私自身の声で、美しくAを発声するイメージがあれば、Aの発声をクリアできるわけです。でも美しくAを発声できないのに、美しくAを発声するイメージを作るなんて、なんか難しいよね。鶏が先なのか、卵が先なのか。難しいよなあ。

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2015年6月14日 (日)

寺社連続油被害事件 [日本国籍を強調していて気持ち悪い]

 ええと、体重は…またまた測っていません。ダメですね。ついつい計測を忘れてしまってます。

 さて、今週のエッセイです。

 例の、日本中のお寺に怪しげな油をまいて、建造物損壊とか器物破損とか文化財破壊とかが繰り返された、あの事件は『寺社連続油被害事件』と言うそうですね。

 ようやく犯人(と言うか、現段階では一応、容疑者)が分かったそうで、逮捕状が出たそうです。

 きちんと報道されているので、書いても問題ないでしょうから、私も書きます。

 容疑者は、金山昌秀という米国在住の韓国系日本人です。昭和37年に在日韓国人として東京に生まれ、私立駒場東邦高校在学中の昭和54年に日本に帰化。ちなみに、帰化前の名前はキム・チャンス(金昌秀)と言うそうです。日本名は、当時使用していた通名だそうで、その名前で帰化したようです。で、高校卒業後はアメリカに移住し、医師となったわけです。

 医師としての肩書はたくさん持っていて、

  ニューヨーク子宮内膜症センター所長、
  米国産婦人科学会認定専門医、
  ニューヨーク Mount Sinai 医大生殖医学科臨床助教授、
  Johns Hopkins大学医学部病理学客員研究員、
  Global Koinoniaミニストリー(ノルウェー)理事及び国際顧問、

 …なんだそうです。数はたくさんありますが、それぞれがどれだけ立派な肩書なのかは、私には分かりません。

 平成25年に、韓国系キリスト教会のインターコープを創立。現在は、同団体のディレクター兼国際宣教理事も兼任しているそうです。

 このインタースコープという団体は、キリスト教系新興宗教って奴で、いわゆるカルト教団です。キリスト教系と名乗っていても、いわゆる“キリスト教”とは無関係な点に、ご注意してください。ちゃんとしたキリスト教の方は、他の宗教やそれを信じる人に対しても、信仰心そのものを尊重しています。仏教および寺社仏閣だって尊重しているから、他宗教のものであっても、絶対に破壊活動なんてしません。

 現在は、アメリカ・ニューヨーク在住。もちろん生活の基盤はアメリカにあるわけです。実家は、東京の江東区に本社をかまえる医療用洗浄機メーカーのダイアモンド電気です。その家の長男として生まれ育ったわけですが、現在は容疑者の姉である金山梨花(国際基督教大学アジア文化研究所)が跡をついで、社長を勤めているわけです。お姉さんは立派な方のようですし、カルト教団にも所属していませんし、本件とは無関係のようです。

 報道によると、3月下旬より、千葉県警と奈良県警、京都府警が防犯カメラの画像から、犯人のめぼしをつけており、慎重な捜査をしていた最中であったそうです。しかし、容疑者がアメリカ在住であって、海外にいる限り、日本の警察は手出しが出来ないため、日本に一時帰国をした際(ちょくちょく来日しています)に、千葉県香取市の香取神宮に対する建造物損壊容疑で逮捕する予定でしたが、容疑者の帰国前の6月1日に、朝日新聞デジタルが本件についてスクープ報道をしてしまったため、予定を変えて一時帰国を取りやめ、現在に至るわけです。そして、容疑者は取り調べすら受けない自由の身のまま、海外に潜伏し、行方をくらませて、安穏と暮らしているわけです。

 朝日新聞社、グッジョブ!

 一応、日本国からパスポート返納命令が出ているので、行方が分かり次第、強制送還となり、帰国&逮捕となるようだけれど…本当に逮捕できるのかね?

 ちなみに『寺社連続油被害事件』で被害を受けた寺社は、次のとおりです。

奈良県(19)  岡寺、長谷寺、橘寺、飛鳥寺、金峯山寺、東南院、久米寺、当麻寺、東寺、橿原神宮、安倍文殊院、東大寺、談山神社、信貴山朝護孫子寺、松尾寺、春日大社、唐招提寺、長谷寺の塔頭・普門院、薬師寺
山形県(5)  善宝寺、出羽三山神社、若松寺、立石寺、慈恩寺
京都府(4)  飛鳥坐神社、狸谷山不動院、清水寺、東福寺
千葉県(3)  香取神宮、成田山新勝寺、神野寺
兵庫県(2)  伊弉諾神宮、保久良神社
茨城県(1)  鹿島神宮
新潟県(1)  弥彦神社
群馬県(1)  尾曳稲荷神社
東京都(1)  八王子市の神社
神奈川県(1) 江島神社
福井県(1)  曹洞宗大本山永平寺
滋賀県(1)  都久夫須麻神社
和歌山県(1) 粉河産土神社
香川県(1)  金刀比羅宮
大分県(1)  宇佐神宮亀山神社

 また同時期に起こった類似事件は以下のとおりです。これらは手口が違う(かけたものが、油ではない)ので、油被害事件とは、別の犯人による犯罪ではないかと、私は思ってますので、別項目にしました。

東京都(4)  心光院(尿)、円福寺(黒い液体)、天祖神社(白いスプレー)、光明寺(尿)
京都府(3)  二条城(機械油)、向日神社(尿)、西本願寺(落書き)
栃木県(1)  日光東照宮(白い粉)
千葉県(1)  鋸山日本寺(石像破壊)
神奈川県(1) 鶴岡八幡宮(放火)
兵庫県(1)  書写山円教寺(接着剤)
福岡県(1)  警固神社(石像破壊)

 さて、これらの一連の事件は“油被害”などという簡単な言葉でごまかしてはいけない、重大な犯罪であり、日本文化に対するテロ行為である事を、我々普通の日本人は知らないといけないと思います。

 「油をまかれただけなら、拭き取ればいいじゃない。簡単に元通りになるような、子どものイタズラのような事件に目くじらを立てるなんて、大人げない」

 いえいえ、それは違います。まず容疑者がターゲットにした国宝や重要文化財などの建造物や仏像は、たいてい木製品であって、木製品に油をかければ…簡単に油が染みこんでしまいます。一度染み込んだ油は…木を変色させて、もう取れません。拭き取ろうとしてもそう簡単にはできません…ってか、無理無駄なんです。

 私は以前、ヴァイオリンの製作…というか、塗装をした事がありますが、ヴァイオリンのネックに、エゴマ油を塗りましたが、木製であるネックに、すぐにエゴマ油は染みこみ、良いツヤが出ました。一度塗った油は、もう取れません。もし、この油を取り除く必要があるなら、ネックをそこそこ深く削らないと無理です。

 ですから、文化財の修復専門家たちも、今回被害にあった仏像などに関して「完全に修復するのは難しいだろう。早くしないと黒い染みとなって残ってしまう」と指摘しているのは、当然の事です。

 つまり、これは単に“油をまかれた”のではなく“取れない汚れを付けられてしまった”と理解するべきです。それも単なる汚れではなく(仏教から見れば邪教である)カルト教団の呪いのこもった油ですから、信仰的には単なる汚れとは全く違います。物理的に、文化的に汚されただけでなく、信仰的にも汚され、呪われたわけです。

 何百年もの間、先祖代々、人々に大切に守られ、心の拠り所となり、信仰されてきたモノが、カルト教団の創設者である容疑者によって、不可逆的に決定的に汚されてしまったのです。

 我々は、その重大性に気が付かなければいけません。

 それにしても、今回の事件。色々と腑に落ちないことだらけです。

 まず、事件の報道の仕方が気に入りません。記事のタイトルにも書きましたが、この事件、最初に容疑者の事をテレビのニュース等で報道する時に『キリスト教関係者の、日本国籍の医師による犯行』と何度も何度も報じられました。やたらと犯人の日本国籍を強調していて気持ち悪かったです。名前も顔写真も何も出なかったのに、ただただ日本国籍ばかりが強調されたわけです。

 今まで、どんな重大な犯罪であれ、軽微な犯罪であれ、犯人が日本国籍を持っている事を報道した事ってある? まず無いですね。日本人が容疑者の場合は、国籍の事など話しません。だいたい、外国人が犯罪を犯した時だって、白人とか黒人とか、あるいはカタカナ名前の人の場合は、たいてい国籍も合わせて報道されますが、アジア系の人で、通名を持っている人(って事は、北朝鮮・韓国・中国人だね)が犯罪を犯した時は、まず国籍の事は報道されず、本名も報道されずに、通名で報道されるので、たとえ外国人の犯罪であったとしても、まるで犯人が日本人であるかのように報道されるのが、これまでの通例であったわけです。

 例えば、同じように最近話題に上がった事件として、人が密集している地域で危険なドローン飛行を繰り返していた少年がいましたよ。あの少年の国籍って話題になりましたか? 報道ではただ単に『ドローン少年』と呼ばれていたわけで、決して『日本国籍を有するドローン少年』とか『日本人のドローン少年』とか呼ばれていなかったと思います。彼の国籍がどこの国であるか、私は知りません(ネットでは帰化人だ、在日韓国人だとか、かすまびしいです)が、日本のマスコミなんて、たいていの場合、容疑者とか犯罪者の国籍まで報道することって、まずないんですよ。

 それなのに、今回は容疑者の日本国籍を強調しているわけですから「これはきっと何かある!」と思ったわけです。

 で、確かに容疑者は日本国籍を持っていますよ…でも、この人、帰化人じゃん。元韓国人で、元在日外国人じゃん。出自が韓国人だから、やたらと“日本国籍”を強調していたわけだね。

 そう言えば、報道では「日本国籍を有している医師」と言ってたけれど、決して「日本人医師」とは言ってなかったのは、こういう微妙な事があったからなんだね。彼らの感覚では、たとえ日本の国籍を取得して帰化しても、韓国人は韓国人(つまり“同胞”って奴だ)であって、決して日本人ってわけではない…という事なんだろうね。

 さらに、名前も顔写真も出なかったのは、彼の名前や顔写真が出たら、いくら“日本国籍”を強調しても、一発で、元在日韓国人だという事が分かっちゃうもの。彼の出自を悟らせまいとしたというのは、やはり、報道にあたって、何らかの意図が介在したんでしょう。よほど、元在日韓国人の犯した犯罪である事を知られたくなかったんでしょう。

 さらに言えば、警察が手ぐすね引いて容疑者の帰国を待っていたのに、どうして朝日新聞は、帰国前に容疑者の事を報道をして、彼が帰国をしないで済むようにしてしまったのだろうか? 日本は法治国家だから、いくら明らかに犯人だと分かっていても、裁判を経なければ法的責任は問えない仕組みになっています。今回の場合、建造物破損という刑事事件でもあるけれど、それらに対する損害賠償請求だって、当然あるわけで、立派な民事事件でもあるわけです。これだけの事をしたら、損害賠償の金額だって半端ないわけですが、それらも逮捕されて裁判を受けて結審しなければ、責任は追求されず、支払い義務だって生じないわけです。

 従軍慰安婦の件もそうだけれど、朝日新聞社って、ほんと、日本と日本人と日本民族と日本文化の敵だよな。

 結局、容疑者を逮捕する事もできず、責任を追求する事もできず、行方をくらませたまま、やがて事件そのものがうやむやになってしまい、なんとなくフェイドアウトして終わってしまうのかと思うと、ほんと、私は悔しいです。

 さらに言えば、これだけ広範囲に渡って、これだけ多くの寺院への破壊工作が、本当に一人の人物によって成し遂げられたのでしょうか? 不思議に思いませんか? それもアメリカに住んでいて、産婦人科医師という激務についている人物が出来ることでしょうか? また、同時期に起こった類似事件の存在からも分かる通り、必ずしも犯人が一人とは限らないじゃないですか?

 実は金山容疑者の行った破壊活動なんて、ごく少数かもしれません。この事件には、もっと多くの人たちが関わっているのではないでしょうか? でも、その人たちの存在が明らかになっては困るので、アメリカに住んでいて、簡単に捕まることのない人物を、スケープゴードにしたてて、トカゲの尻尾切りじゃないけれど、これで事件をオシマイにしようとしてないかい?

 それに、カルト教団の設立者であり、伝道師であるのに、そんな彼をあたかも、ごく普通のキリスト教会の聖職者であるかのような報道をしたのは、なぜ?

 容疑者が韓国系カルト教団に所属している事を報道されては困る人がいるから? なにしろ、ネットでは、関係している教会の礼拝で、彼が日本各地の寺院に出向いて油をまいている事を自慢気に話している動画が多数アップされていて、当然、その時にその礼拝に参加していたその韓国系カルト教団の人たちは、事件が盛んに報道されていた時に、事件の犯人が誰であるかを知っていたわけだけれど、誰も彼もクチを閉ざして黙っていたわけでしょ? 彼らのこのメンタリティ、なんなんだろうね。

 犯人をかくまうのは、共犯関係にあるって言えるんじゃなかったっけ?

 カルト教団における彼の礼拝メッセージなどを見るに、それが本当に彼の言葉であったとしたなら、この人は、日本国籍こそ持っているけれど、中身は反日の塊であって、反日韓国人そのものだと思いました。そして、今回の一連の油被害事件の犯人だとしたら、日本文化と日本人の信仰に対する尊敬も好意もないわけで、なぜ、そんな人が日本国籍を取得し、日本人になれたのか、はなはだ疑問なわけです。

 色々分かりません。ただただ、不快なだけです。そして、汚されてしまった神社仏閣仏像の類は、簡単には元通りになりません…ってか、元通りにならないと覚悟を決めるべきです。私達が先祖伝来、何百年も祈り守ってきたものは、蛮行によって汚され呪われてしまったと考えるべきです。

 ああ、不愉快だ。不愉快だ。今日も犯人は、自由気ままにノウノウと暮らしていると思うと、ほんとうに、不愉快だ。そして本当に悪い奴らは「しめしめうまくやった」とほくそ笑んでいると思うと、腸が煮えくり返る気分です。

 これで軍艦島をはじめとする『明治の産業革命』の世界遺産登録がポシャったら、目覚めた日本人たちの、韓国人と在日韓国人とその家族や関係者に対する怒りが沸点に達する…と思います。嫌韓なんて、甘っちょろいモンじゃないんじゃないかな? そうなると、きっと、何かが起こる。そんな気がします。もしも我々日本人が起こさなくても、日本の八百万の神々が、黙っちゃいませんよ。きっと何かが起こります…そんな気がします。

 ああ、不愉快だ。不愉快だ。そして、朝日新聞、気持ち悪い。

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2015年6月13日 (土)

オタキサンの尾びれにはメダカがたくさんたかります

 どうやら、金魚のサカリ…と言うか、繁殖期は、落ち着いたようです。あれだけオタキサンをしつこく追いまわしたヤヨイ君も、落ち着きを見せ始め、今やオタキサンには興味も関心もないようです(彼の現在の関心事は“エサ”だけです:笑)。それもあってオタキサンの生活も普段に戻りました。でも、ヤヨイ君のもうチャージのおかげで、オタキサンの尾ビレは見るも無残にボロボロになってしまいました。しかし、あっちこっちに傷が残り、傷口は白いカサブタだらけになってしまいました。

 で、そんなカサブタだらけのオタキサンは、本来なら病院水槽に隔離して、傷を治してあげないといけないのだけれど、その白っぽいカサブタ状のものを、メダカたちが食べているし、その状態をオタキサン自身が嫌がっていないようなので、放置する事にしました。

 まるで、メダカがドクターフィッシュのように見えます。

 メダカがカサブタを食べる事に効力があるかどうか…私は分かりません。もしも、オタキサンが嫌がっているようなら、私も手を打つべきでしょうが、今のところ、オタキサンは全然平気だし、メダカも、以前のように、オタキサンをからかって突っついているのとは違うようなのです。

 まあ、カサブタと言えども、タンパク質。メダカにしてみれば、美味しい食事なんでしょうね。しかしカサブタを食べるなんて、この点に関しては、私、理解できません。やっぱり、魚類の行動は、人間の考える事を簡単に越えちゃいますね。それにカサブタのように見えるものが、実はカサブタでなく、何かの菌のカタマリだった(可能性は否定できません)としても、メダカが食べてしまうことで治療効果があるなら、それはそれで良しと思っている私でした。

おまけ 妻が先日「もしかして、オタキサンって名前、“あじさいちゃん”って意味だったの?」と聞いてきました。ええ? なんで今まで気づかなかったの?

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2015年6月12日 (金)

なぜ、音楽家には、大酒飲みばかりしかいないのだろうか?

 フルートのレッスンに行ってきました。いやあ、実に三週間ぶり(笑)。だって、色々と忙しかったんだも~ん。

 私がお教室に到着した時、先生はコーヒータイムだったので、フルートを組み立てて、それでもまだ少し時間があったので、久しぶりに“チューニング”って奴をしました。

 いやあ、だって、普段は、家でもレッスンでもチューニングなんてしないもん。ザックリ目分量でフルートを組み立てたら、後は適当に音を曲げて、周囲に合わせて演奏していたからね。チューニングなんて、不要だし、H先生も「チューニング? 別にしなくていいよ」というタイプですからね。

 でも、時間があったので、チューナー取り出して、チューニングしてみました。もちろん、Aで合わせるんだよ(私は吹部上がりじゃないので、Bbでは合わせません)。ピャピャッとチューニングを終えると、先生登場。さっそく、ロングトーン練習からです。

 いやあ、やっぱり一手間かけると違うねえ。チューニングしてから吹くと、音も余り曲げずに済むので、楽ですなあ(笑)。今度からチューニングしてから吹いてみようかしら(大笑)。

 エルステ・ユーブンゲンは、例によって、まだ9番。当然、暗譜は終了していません。だいたい覚えたんだけれど、まだところどころ怪しいんだよね。先生曰く「どんな曲だって、二度吹けば、覚えられるでしょ?」と、私の暗譜が遅いことを不思議がります。いやいや、先生とは脳みその構造が違うから…。それでも、暗譜以外の事は、いい線行っているので、私が練習を(一応)している事は分かってくれてますので、なおさら不思議がります。

 皆さんも、フルートの曲、二度吹けば暗譜できるんですか? 私は、たぶん20回でも無理。200回吹いたら…曲の長さによっては、暗譜出来るかしれないけれど「どんな曲だって~」と言うためには、おそらく2000回以上は必要っす。これって、普通? それとも、ドン臭いのかな?

 ちなみに、声楽曲なら歌詞も含めて、20回歌えば、大雑把に覚えてしまうけれど、精密に覚えるために、50回くらい歌わないとダメかも。フルート曲よりも、覚えるコツみたいなモノがカラダに染み込んでいるんだよねえ。

 「もしかして、覚えちゃっているかもしれないじゃない?」と先生に言われて、試しに先生と一緒に吹いてみたけれど、やっぱり所々に記憶の空白部分があって、指が止まっちゃいました。まあ、次回までに頑張ってきます。

 なので、エルステ・ユーブンゲンは暗譜していないので、まだまだ合格できません。そんな状態なのに「(次の課題の)10番は暗譜した?」とか、さらっと聞いてくるんですよね、あの先生は(もちろん、できてるわけないじゃん)。

 プチ・エチュードの方は、まだ10番。先生曰く「指も音も良し。ただし、スラーとタンギングが、まだいい加減。あと、数カ所、音を間違えている」と言われました。ちなみに、音を間違えているのは、装飾音符の♯を落として吹いている箇所が2つあった事を指します。まあ、だいたい良いんだけれど、もう少し頑張ってきなさいって事で、こちらも不合格です。はい、頑張ってきます。

 さて、今回の雑談です。音楽家の死因から話が始まりました。

 人は誰でも死にます。音楽家だって死にます。

 なんでも、オーケストラの方々は、たいてい心臓関係の病で亡くなるんだそうです。「何しろ我々は、毎日のように、ストレスとプレッシャーの中で働いているから、心臓が参ってしまうわけなんだよ」との事です。まあ、毎日のように、大きな舞台に載って、間違いの許されない作業を万人の衆目の中でこなしているわけですから、我々一般人には思いもつかないよう、厳しいストレスに毎日毎日さらされているのですから、まあ、H先生の言い分はよく分かります。そんな大きなストレスで心臓が参ってしまう事も、なんとなく分かります。

 「ちなみに、歌手は違うよ。彼らは心臓じゃなくて、脳みそが壊れて死ぬんだよね。指一本動かすことなく、毎日毎日、頭の中をカラッポにして、高音を響かせているから、脳みそが揺さぶられて死ぬんだよ」との事です。私はてっきり「歌手の心臓には毛が生えているから、心臓はこわれやしないんだよ」とか言い出すんじゃないかと思ってました。

 まあ、H先生の言葉には、多少の偏見が入っているような気はしますが(笑)H先生の経験則からは、器楽演奏家は心臓関係で、歌手の方々は脳の血管関係の病気で亡くなる事が多そうです。

 H先生がおっしゃるには、器楽奏者であれ、歌手であれ、音楽家は毎日毎日がプレッシャーとストレスの中で生きているし、仕事中はハイな気分でアゲアゲになっているんだそうです。で、舞台が終わっても、ずっとアゲアゲな気分のままだと、早死してしまうので、仕事が終了し次第、気分を落ち着かせないといけないのだそうです。

 で、多くの音楽家は、酒の力を借りて、気分を下げるんだそうです。

 「だから、音楽家は酒好きが多いんだよ。仕事が終わるたびに打ち上げをして、大酒飲むのは、ハイな気分を下げるためなんだよ。ハイな気分を下げないと、休養が取れず、次の日の仕事に差し支えがでるだろう? だから、我々音楽家は飲んで、興奮を冷ましているんだよ」との事です。

 本当かな? でも、そこに幾分かの真実は含まれていそうだし、確かに音楽家の皆さん、大酒飲みな方、多いですね。

 サラリーマンでも、ストレスの多い職種の方は、結構飲みますからね。ストレスから解放されるために酒を飲むというのは、人間の習慣の一つなのかもしれないですし、そう考えると、H先生のセリフも、まんざら嘘とは言えないような気がします。

 たしかに、音楽家は、大酒飲みの方が多いですからね。

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2015年6月11日 (木)

なぜ、こんなにもテノールって希少種なのか?

 この場合のテノールというのは“完成されたテノール”という意味です。つまり、声質・声域・性格ともにテノールである“テノール”ことです。

 まあ、最後の“性格”はともかくとして(笑)“声質”および“声域”ともにテノールである人って、実際問題として、日本のアマチュアの声楽界とか合唱界では、なかなかいません。希少種です。

 なぜ、そんな事が起こるのか? 理由は色々とあります。一つには、日本男子の大半はバリトンなので、そもそもテノールの絶対数が少ないから(身も蓋もない)。

 もっとも、それでは合唱は成り立たないので、本来はバリトンをやるべき“テノールもどき”の人が、大勢テノールをやっているため「もっとテノールがいたらいいのになあ…」という渇望感が、心理的にテノールの不足感をあおっているから。

 また、本来、テノールをやるべき高い声の持ち主は、ロックなどのポピュラー音楽や邦楽(民謡や詩吟、長唄、小唄、地口に、謡とか各種浄瑠璃とか、などなどの日本伝統の声楽)などに行ってしまうため、クラシック音楽には流れて来ず、どうしてもバリトンさんが頑張ってテノールをやらざるをえないため、テノールは希少種にならざるをえないからだ…という説もあります。

 私は最近、これらの説とは別の説を聞きましたので、今回はその説をご紹介したいと思います。

 それは、テノールとは自然に発生するものではなく、努力と研鑽の果てに生まれてくるものだからだ…という説です。つまり、テノール後天説です。で、テノールになるのは難しいので、たいていの人はバリトンを目指さざるをえないからだ…という事なんです。

 これはある意味「日本男子はみんなバリトンである」という説と、同根かもしれません。

 低音は、持って生まれた声帯によって、発声できる低さに限界があります。だから、バス(男声低音歌手)は努力をしたからと言ってなれるものではありません。生まれつきバスの声帯を持っていないとなれません。これは自明の理です。一方、高音は、持って生まれた声帯が高音用であれば有利ですが、別にそうでなくも発声する事は可能です。分かりやすく楽器を例にして言えば、チェロの低音はヴァイオリンには発声できませんが、ヴァイオリンの高音はチェロでも出せるって事です。だからチェロの名曲をヴァイオリンで演奏するためには、曲そのものを移調して、音域を高くしないと演奏できませんが、ヴァイオリンの名曲をチェロで演奏する場合は、技巧的に難しくなりますが、そのままの音で演奏するが可能です。

 声も似たようなもので、低音は、低い音が発声できる声帯でないと発声できませんが、高音は、努力と研鑽次第で、たいていの声帯で発声できるようになるというのです。

 つまりテノールになるために必要なのは、テノール用の声帯ではなく、テノールになるための訓練と、それをやりぬく努力と、積み上げられた研鑽なのです。

 「テノールが努力次第でなれるものなら、テノールなんて人気があるんだから、いくら難しいとは言っても、もっと大勢のテノール歌手がいても不思議じゃないのに、なぜ少ないの?」 当然の疑問です。

 その答えとして、指導体制の不備が挙げられます。

 例えば、合唱団。どこの団にも指導者はいますが、一人の指導者が、団員一人ひとりを細かく指導していくのは無理です。どうしても個々人ではなく、集団に対しての指導にならざるを得ません。発声は集団指導でどうにかなるようなモノではありませんから、合唱団の指導から、努力と研鑽が必要なテノールが生まれてくるのは、なかなか厳しいわけです。で、結果として、テノールは少数派の希少種となるわけです。

 では、集団指導ではなく、個人指導ならどうなの?と思うわけだけれど、こちらにも問題はあります。何が問題なのかと言うと、指導者の力量の問題です。テノールの指導と言うか、高音発声の指導って、実はかなり難しいらしいんですね。私に言わせると、ソプラノだってバリトンだって、それぞれに難しいだろうから、テノールだけ特別なんて事はなく、みんな一緒じゃないの? と思いますが、実際にプロの方々から話を聞くと、そうでもないみたいなんです。テノールを育てるのは、指導者として、かなりの力量が問われる…んだそうです。

 実際、日本には、俗語でバリノールと呼ばれる「声質はテノールだけれど、声域はバリトンなので、テノールとして活躍しているけれど、本当の高音は出せないので、高いところはファルセットで歌ってます」という人が大勢います。これなんかは、本来テノールになるはずの人なのに、指導者に恵まれずに、高音開発をしてもらえなかったために、音域が広がらずに“ほぼバリトンの音域+ファルセット”じゃないとテノールの曲を歌えないテノールの事を言うらしいんです。なんか、悲しいですね。

 私は以前、尊敬するテノールの指導者の方[キング先生ではなく、某音大声楽科教授さんです]から「(テノールなら)ファルセットを使ったら負け」と言われたので、合唱でもファルセットを使わずに歌い、他のメンバーと音色が合わずに、よく叱られます(汗)。それくらい、日本の(特に)合唱のテノールさんたちは、高音になると、ファルセットを多用します。

 つまり、日本には、力量のある声楽教師が少ないので、きちんとしたテノールを育てる事ができず、結果として、テノール歌手が少ないんだという説です。面白いですね。一聴の価値あり…とは思うものの、ならば、優秀な声楽教師が多い国(例えばイタリアとか)では、テノールがたくさんいるのかと言うと、やっぱり少ないので、あまりアテにはならない説だなと思いました。

 個人的には、努力して『テノールになる』のは難しいと思います。やはり『テノールに生まれる』必要があるんじゃないかと思ってます。

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2015年6月10日 (水)

シネマ歌舞伎で『京鹿子娘二人道成寺』を見てきた

 Y&F先生のコンサート終了後、その足で、隣町の映画館に出向いて、シネマ歌舞伎で『京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)』を見てきました。

 シネマ歌舞伎と言うのは、オペラのライブビューイングのようなもので、歌舞伎座などの劇場での演技を映画として収録したものを、それを映画館で見ると言うものです。あるいは、週末の夜にNHKで放送される歌舞伎の舞台中継を映画館で見るというイメージの方が、より近いかも。とにかく、映画館で歌舞伎を見るというわけです。

 ライブビューイングとは違って、月替りで(割と定期的に)上演しています。上映期間は原則的に一週間(これはオペラと同じ)。ただし、映画館によって、一日に2~3回上演するので、オペラと違って、割と見やすいです。あと入場料も、今回の『京鹿子娘二人道成寺』は1000円と、えらく安かったけれど、その他の演目は、たいていは2100円です。一般映画(1800円)よりは割高だけれど、メトのライブビューイングの3600円と比べると安い安い。

 私は以前から、シネマ歌舞伎に興味はあったものの、近所で上映しているわけでもなく(オペラと違って)わざわざ遠方まで見に行くほどの情熱もなかったので、見に行かなかったのだけれど、今年から隣町の映画館での上映が始まったので、オペラ同様、歌舞伎も見ることにしたわけです。シネマ落語も近所でやってくれれば、見に行くのに…。

 ちなみに、シネマ歌舞伎も、メトのライブビューイングも、配給は同じ松竹ですが、配給の規模と上演回数は全然違います。歌舞伎の方が、上映する映画館が圧倒的に多いですし、一日に上映する回数も多いです。まあ、オペラよりも歌舞伎の方がファンが多いという事ですね(納得)。

 私が見に行ったのは、記事の冒頭にも書きましたとおり『京鹿子娘二人道成寺』です。漢字の羅列が目にきついですが、いわゆる、能で有名な『道成寺』です。お寺の鐘に女性の亡霊が取り付いて、蛇の姿になって大暴れをする…という、アレです。

 ただし、今回私が見たのは、能バージョンとは異なる歌舞伎バージョンだし、その歌舞伎バージョンも、通常版とは異なる『娘二人』バージョンなんです。

 まず同じ『道成寺』であっても、能バージョンと歌舞伎バージョンでは、どう違うのか?

 能バージョンには、きちんとしたストーリーがあって(当然だけれど)起承転結がしっかりしたお芝居なんです。しかし歌舞伎バージョンの場合は、ストーリーがあるんだかないんだか、よく分かりません。と言うのも、歌舞伎の場合、とにかく“踊る踊る踊る”わけで、全編ストーリーそっちのけで踊りまくっています。さらに言えば、歌舞伎バージョンでは、ストーリーの途中で、舞台は終わっちゃいます…ってか、ストーリー的に落ちに行く前に終わっちゃうんです。いいのか、それで!

 つまり、能バージョンが芝居なら、歌舞伎バージョンはダンスショーなんです。

 さらに言えば、歌舞伎バージョンでも、通常の『京鹿子娘道成寺』では主人公(つまりプリマ)は一人なんですが、私が見た『京鹿子娘二人道成寺』では“二人”という言葉がはさまっている事から分かるように、主人公を二人の役者が演じます。シネマ歌舞伎では、坂東玉三郎と尾上菊之助の二人の名優が、白拍子花子という一人の役を同時に演じているわけです。

 主人公は一人なのに二人で演じる…ちょっと分かりませんよね。

 実は、基本的に主人公の花子を演じているのは、尾上菊之助なんですね。だから、踊っていないシーンでは、花子は一人しかいません。それがダンスシーンになると、どこからともなく、もう一人の花子が現れてきて、ペアダンスを踊るんですよ。つまり、芝居のパートでは一人で演じ、ダンスのパートは二人で踊る…という事になっています。

 二人でペアダンスを踊る…これがなかなかすごいんですね。寸分違わぬシンクロされた動作で踊ってみたり、シンメトリーになって踊ってみたり、全く違ったダンスをしたり…。本来は一人で踊る道成寺ですが、二人で踊る事で、ダンスの幅がウンと広がって、見応えが増すってわけです。

 また、ダンスがすごい。歌舞伎のダンスですし、女形のダンスですから、いわゆる日本舞踊なんです。だから、アクロバチックな動きなどはありませんが、とにかく、踊る踊る踊る。結構な運動量なんですよ。

 また、めまぐるしく衣装を替えます。この衣装が、実にダンスに不向きな振り袖(笑)。それも実に美しい(けれど、たぶん重い)衣装なので、目が幸せになります。

 なんだろうね、この興奮は。とにかく、頭を空っぽにして、ダンスを楽しむ歌舞伎、それが『京鹿子娘二人道成寺』ってわけです。そういう意味では、歌舞伎素人の私にも、十分楽しめました。

 蛇足…と言うわけではないけれど、邦楽のオーケストラと言うか、歌舞伎で音楽を担当している方々の演奏も、なかな見応え聴き応えありました。楽器編成など、細かい事はよく分からないけれど、見た感じでは、歌手と、三味線と、笛と、太鼓と…あと何があったかな? 歌はソロもあれば、合唱もありました。ほぼ全員、男性高音歌手(!)。まあ、発声法が違うのでテノールという言い方はできませんが、実に興味深かったです。

 ちなみに、DVDでも販売されています。

 シネマ歌舞伎、面白かったので、また、見に行こうと思ってます。次は何を見ようかな? とにかく私は、オペラと違って、歌舞伎はあんまり詳しくないので、基本的な演目から見ていこうと思ってます。

 そうそう、シネマ歌舞伎を見て思った感想を最後に書きます。

 シネマ歌舞伎、さすがに選ばれた演目だけあって、歌舞伎そのものは、すごいんですが、単純にそれだけですね。映画館での上映ですから、音響もバッチリだし、画面も大きくて迫力はあるけれど、これではちょっとねえ…と思いました。

 なぜ、解説を加えないのかな? って思いました。これじゃあ、映画にする意味、ないよね。

 例えば、白拍子の主人公が一生懸命に踊っているけれど、そのダンスの種類とか意味とかストーリの中での役割とか、字幕でいいから解説があると良かったのになあ…って思いました。はっきり言って、見てるだけじゃ、よく分からないです。分からないと楽しくないよね。

 それに役者がセリフを言っている場面に、字幕を入れた方が良いよね。あのセリフ回しを、聞くだけで分かる人しか相手にしていない限り、歌舞伎ファンは絶対に増えないよ。

 今年の正月に息子くんを連れて歌舞伎を見に行ったけれど、彼の感想は「何を言っているのか分からないから、歌舞伎はつまらない」だもの。今回のシネマ歌舞伎だって、誘ったけれど断られたもの。今どきの若者には、歌舞伎の言葉なんて、外国語のようなものだからね。テレビから時代劇も消えてしまった21世紀だよ。耳で聞いただけじゃあ(歌舞伎で使っている)江戸言葉なんて、言葉として認識できないわけだ。だから、字幕は必要だと思う。役者が言ったセリフそのままか、あるいはいっそ、現代語訳を表示しても良いかも(マジです)。

 息子くんはオペラは字幕が出るから好きだけれど、歌舞伎は字幕が無いからダメって言ってますよ。こういう無名の高校生の素直な感想を、関係者の方々は肝に命じた方が良いと思うわけです。

 とにかく、見ているだけじゃあ、私でも、分かりづらかったです。私は事前にwikiを見て予備知識を入れておきましたが、そうでなくても楽しめるようにするのが、エンタメって奴でしょ? 歌舞伎座に行けば、音声解説があるんだから、ああいった情報を必要に応じて、画面にインサートするだけで、歌舞伎に慣れていない人々も楽しめるようになると思うんだけれど…シネマ歌舞伎、ちょっとお高くとまっているようで、もったいないです。

 それと、わざわざ映画館に足を運んでいるのだから、そこに映画館ならではの“付加価値”って奴が欲しかったね。メトだと、舞台を終えたばかりの歌手のインタビューとか入るでしょ。別に歌舞伎にライブ感はいらないけれど、見どころ解説みたいなモノがあるとよかったのにね。これじゃあ、NHKのテレビ放送(舞台中継)の方が楽しいよ。あと、スタッフのインタビューとかもあるといいよね…あれ、結構面白いんだよ。

 私はメトのライブビューイングを見慣れているせいか、シネマ歌舞伎のフォーマットが残念で残念で仕方ないです。せっかくコンテンツが良いのに、その提示方法がイマイチなんだよなあって思うわけです。料理に例えれば、食材はいいのに、料理人の腕がイマイチって感じかな。もう一工夫するだけで、だいぶ違うと思いました。

 頑張れ、シネマ歌舞伎。

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2015年6月 9日 (火)

Y&F先生のコンサートに行ってきました

 Y先生こと吉原祐作さんと、F先生こと藤井直美さんの『初夏に聴く日本の歌 vol.3 + オペラ』を聴いてきました。会場は、横浜磯子区の杉田劇場です。

 Y先生は、コンサートとかオペラ出演とかあっても、まず生徒さんたちに教えてくれません。K先生情報によれば、今月はオペラ「トスカ」でスカルピアを歌っているはずなのですが、どこで歌っているのか教えてくれません。尋ねても「チケットなら売れているから大丈夫」と言われちゃいます(いやいや、チケットの売上を心配しているのではなく、純粋に先生の出演オペラを見たいだけなんです)。

 そんなY先生ですが、このコンサートだけは毎年教えてくれますので、毎回チケットを買ってます…って書き方をしたのは、昨年はチケットだけ買って、聞きに行けなかったからです。…ちょうどぎっくり腰をやっちゃって出歩けなかったんですね(涙)。

 一昨年は全編日本歌曲。昨年は日本歌曲+芸術歌曲。今年は日本歌曲+オペラ、という組み合わせです。ああ、歌曲なら昨年聞きたかったなあ(涙)。

 さて、今年のセットリストは以下の通りでした。

第一部
 七つの子(F)
 赤い靴(F)
 青い眼の人形(F)
 悲しくなったときは(Y)
 木菟(Y)
 月曜日の詩集(ソプラノとバリトンのための二重唱)
  しあわせ(Y&F)
  橋(F)
  道ばた《靴やさん》(Y)
  待ち合わせ(Y&F)
  海(Y)
  花屋さん(F)
  ゆびわ(Y&F)

第二部
 カタログの歌~歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より(Y)
 それじゃあ、私だわ~歌劇「セビリアの理髪師」より(Y&F)
 愛の神よ、安らぎをお与え下さい~歌劇「フィガロの結婚」よ(F)
 私の子孫の娘たちよ~歌劇「チェネレントラ」より(Y)
 亡くなった母を~歌劇「アンドレア・シェニエ」より(F)
 マリオ、マリオ、あなたと…/誓った忠誠を破らねばならないとすれば/歌に生き恋に生き~歌劇「トスカ」より(Y&F)

アンコール
 パパパの二重唱~歌劇「魔笛」より(Y&F)

 いやあ、自分の先生たちだという点を除いてもスゴかったですよ。特にF先生はスゴイです。妻が「私が知っている日本の現役ソプラノ歌手の中では、ピカイチだと思う」と言ってましたが、私もその意見には深く首肯しますし、そのF先生と堂々と渡り合っているY先生もなかなかのモノだと思います。

 聞き所は、F先生の、第一部の「青い眼をした人形」と第二部の「トスカ」でしょうね。「青い眼をした人形」は岩河智子さんの編曲バージョンで、まるでオペラアリア(それもかなりの大曲)風のアレンジで、聴き応えバッチリの歌に仕上がっていました。「トスカ」は、とても演奏会形式とは思えない迫力でした。いやあ、良い物を見せていただきました。Y先生の聞き所は、第一部の「木菟」と第二部の「チェネレントラ」でしょうか? 「木菟」は、代々木八幡にある白寿ホールで聞いたテノールの田代誠さんの歌唱がピカイチだと思っていましたが、なかなかどうして、バリトンのY先生も、それに匹敵するほどの出来栄えでした。「チェネレントラ」は、いわゆる“早口言葉”系の歌で、Y先生、すごく頑張ってました。

 これだけの演目で2000円とは、ほんと、安いなあ。

 当日近くになっても「今回は、全然チケットが売れていないんですよ。全然売れていないのですよ」とY先生は嘆いていました。どうも、アテにしていた大口団体顧客さんに、チケットを買ってもらえなかったそうで、かなりピンチだったんだそうです。実際、その分だったのでしょうか、ご自宅にはチケットが束でポンと置いてあったので「今回は本当に売れていないのだなあ…」と思っていたのですが、フタを開けてみたら、ほぼ満席。妻曰く「あの先生の“売れていない”くらいアテにならない言葉はない」そうです(笑)。そうかもしれない(大笑)。ちなみに、杉田劇場のキャパは約300席です。

 こんなに安い金額なのに、たっぷり楽しませてもらって、本当に申し訳ありません。

 コンサートが終わって、ご挨拶に伺ったところ、F先生には「舞台に出て、一番先にすとんさんを見つけてしまいました」と言われました(汗)。私、目立つからなあ(笑)。Y先生は私の顔を見るなり、逃げ出して「いつも言っている事が全然出来てなくて申し訳ない!」と叫んでいました。いやいや、十分楽しませていただいたので、何の問題もありません。

 仮に自分たちの先生でなかったとしても、このコンサート、聞きに行ってたと思うし、楽しんでいたと思います。実際、私は、彼らのコンサートには、まだキング先生に習っていた時から、聞きに行ってたものなあ。あの頃は、まさかこの人たちに声楽を習うことになるとは思ってもいなかったんですよ。ただ漠然とY先生の歌を聞きながら「次に習うなら、この人だな」とは思ってました。だから私、Y先生、F先生の歌は、純粋にファンとして大好きなんですよ。だって、いい歌、歌うからね。

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2015年6月 8日 (月)

先生を変える事は悲しい事ではない(声楽編)

 さて、今回の記事の前編にあたる“フルート編”では、先生を変える理由と、変えるための方便の話をしました。今回の声楽編では、先生を変える事で、失う事と得られる事を比較してみたいと思います。

 私がなぜ声楽の先生を変えるに至ったかという内容の記事を期待していた方には…ごめんなさい。私、声楽の先生を変えるにあたっては、当時の先生から、ひどい仕打ちを受けて、それがPTSDのように心理的外傷となって残っているので、今でもあの頃の事を思い出すと、体調不良になるので、あまり書きたくないんです。

 なんて書くと、まるで私がひどい不義理をしたように思われるかもしれませんが、事実は逆で、私は誠心誠意キング先生に仕えていたわけですが、その年は、私がターゲットになってしまって、門下から追い出されただけなんです。

 実は、キング先生は、トラブルメーカーさんで、毎年のように生徒さんたちやピアニストさんや仕事関係者さんたちとケンカ別れをしていました。私は歌劇団の代表をしていた事もあり、追い出される生徒さんを慰めたり、仲介をしようとしていた事もあって、そういう先生の気質については、熟知していたつもりだし、先生のそういう性格も含めて愛らしく思っていたわけですが、その攻撃の矛先が、まさか自分に向かうとは思っていなかったし、慰めていた生徒さんの言い分は、大げさだなあと思っていたわけですが、実は控えめにしか語っていなかった事にも気づいたわけです。

 まあ、いいや。これ以上書いて体調不良になっても、誰も得しないから、止めておきます。閑話休題です。

 先生を変える事は、100%良い事とは限りません。もちろん、先生を変える事で得られる事もありますが、失う事だって少なからずあります。私のように、先生から嫌がらせを受けて辞める…のような、緊急の場合はともかくとして、普通のケースでは、先生を変えようという決断をする前に、考える時間があると思いますので、その時点で、得るもの失うものを、よくよく天秤にかける事をお薦めします。

 では、私の事例を元に、得るものと失うものの比較してみましょう。

 まずは、先生を変えて失うものです。

1)先生を介した仲間や知り合い、友達

 キング門下は門下生の仲が良く、仲間意識が強いのが特徴の門下でした。特に歌劇団(私が立ち上げ、運営も私と妻で行っていました)の団員は、互いが特別な関係にあったと言えます。当然、門下を追い出された時、歌劇団も追い出されて、私の知らないうちに歌劇団の団長も私から別の人に変わっていて、すべて事後承諾でした。ヒドい話ですが、あの先生ならやりかねない事でしたから、驚きはしませんでしたが、同じ門下の人たちとの縁が一度に断ち切られてしまったのは、当時、とてもつらかったです。今では、キング先生と内緒でつながりを回復した方もいるけれど(その人に迷惑がかかるので、ここでは書きません)、皆さん、先生の性格を考えると、私とつきあいがあるなんて、誰も言えないわけです。困った話です。

 私のところは極端な話ですが、でも先生を変えると、先生を介した人間関係が無くなってしまうのは事実です。ですから、先生を変える時には、その先生を介してつながった人間関係をどうするべきか。その先生を抜きにしても、つながれる関係にある人はいるのか、そんな辺りも、先生を変える際には考慮に入れてしかるべきだと思いますよ。

2)金銭的余裕

 先生が変われば、謝礼や習い事にかかる費用は、当然、変わります。

 キング先生は、とても安い先生でした。一方、現在の声楽の先生であるY先生のところの謝礼は、まあ、業界の標準的価格です。ですから、キング先生のところは毎週レッスンがあって、月一回歌劇団の練習があって、それらにかかる費用の約一ヶ月分が、Y先生のところの一回分の謝礼に相当する…わけです。ですから、Y先生ところは、月二回ほどレッスンに通ってますので、一ヶ月の謝礼関係費は、単純計算で言うとキング先生時代の2倍+αなんですね。

 費用は倍増ですが、時間は激減しております(笑)。コスパは確実に悪くなってますが、レッスン内容は充実しているし、私もめきめきと上達していますので、費用が倍増するのも仕方なしと思ってます。発表会などの参加費も倍額では済ませんから、金銭的に厳しくなったのは事実です。

 でも、安いのは正義ですからね。先生を変えると、大抵の場合、謝礼関係は増えるのが普通のようですから、そこらへんについては、よくよく覚悟を決めておく必要はあります。

 私の場合、先生を変えて失ったものは、これくらいかな? でも“人と金”ですから、大きな損失ですよね。

 次に先生を変えて得られた事を書きます。

1)健康と希望

 キング先生のところで学ぶと、私の頃は、ノドを壊す人が少なからずいました。私の妻は、キング先生に習い始めて、あっという間にノドを壊して発声障害を起こしてしまい、声楽専門のお医者さんのところ駆け込みました。まだ決定的に壊れる前だったので、そのお医者さんに医学的に治療してもらい、(キング式とは全く異なるメソッドの)ノドを壊さない発声方法も教わり、なんとか歌の世界に復帰できたわけですが、みんながみんなそういうわけにはいきませんから、注意をしないといけません。

 かく言う私も、辞める直前は、かなりノドがイカれていました。私は、誰にでも感心されるほどに、ノドが強い人で、滅多にノドを痛める事などなかったくらいに、強いノドを持っている人なんですが、その私が、なにしろ、歌い始めるとノドから血のニオイが上がってくるほどでしたからね。それは可怪しい事なので、それを回避しようとすると、先生からダメ出しがあって、一番つらい状態で歌わないとOKが出なくなり、レッスンでノドを傷めて、休んで回復して、またレッスンでノドを傷めて…が続きました。

 おそらく、あのまま、キング先生の元で歌い続けていたら、ノドを壊して声を失ってしまい、歌をあきらめなければいけなかったろうと思います。

 キング先生のところを辞めた時に、妻がお世話になった声楽専門のお医者さんのところに通うつもりでいたくらいでしたが、タイミング的に、お医者さんのところに行くよりも先に、Y先生のところに行くことになり、当然、ノドの痛みと血のニオイについて相談をしたところ、すぐにそれを解決してくれたので、お医者さんに通わずに済みました。

 やはり、ノドの痛みと血のニオイの原因は、私に合わない発声方法にあったわけです。キング先生が理想とする発声方法や声は、結果として、私や妻には合わず、それが原因でノドが壊れて声を失いかけていたわけなんです。

 Y先生のところに移り、ごく一般的な発声方法を学ぶ事で、私は健康を手に入れ、以前よりも声がよく出るようになり、アマチュア歌手としての将来への希望を手に入れました。先生を変えた事で、健康と希望を手にしたわけで、これが私が先生を変えて得た事のナンバーワンと言えるでしょう。

2)積極性と出会い

 キング先生の門下は、みんな仲良しなんです。それはとても良い事だけれど、反面、仲が良すぎるために、人脈が外に広がっていかないというキライがありました。

 Y門下は、皆さんクールで、つるみません。仲は悪くないのですが、そもそも顔を合わせる機会があまりありません。ですから、仲間がいない分、その分の楽しみを外に求めていかないといけない状況にあります。Y門下の方々は、それぞれ個人で音楽的な広がりを持っています。アマチュア歌劇団にいる人、プロのオーケストラ付属の合唱団にいる人、プロの歌劇団に合唱メンバーとして参加している人、声楽アンサンブルを結成して活動している人、自分で演奏会を企画して(ついでに自分も出演して)いる人、ほんと、様々な人がいるのです。

 私も自分で活動の場を広げていかないといけないと感じました。そう思った時に、めぐり合わせがあるんでしょうが、複数のピアニストさんと知り合いになるチャンスに恵まれ、キング門下時代では考えられなかった、地元のクラシックコンサートに出演するチャンスに恵まれるようになりました。環境の変化によって、否応なしに積極的に動かざるを得なくなって、それでピアニストさんと巡り会い、定期的に(アウェーな)演奏会に出演できるようになって、うれしいです。これも先生を変えたから得られた事の一つだと思ってます。

 やがてもっと上達したら、ボランティア演奏会などにも、ピアニストさん持参で出演しちゃおうかしら…なんて事だって考えているんですよん。

3)テノール歌手としてのプライド

 キング先生の元では、散々にけなされていた私でした。私は、キング先生以前の先生方によって、テノールとして見出され、テノールとして頑張ってきた人です。いわば、テノールである事は私の一部となっていました。

 でも、キング先生のところでは、そのテノールの自信というか、アイデンティティーが事ある毎に傷つけられ、壊されてきました。キング先生に習う前には軽々と出ていた高音が、キング先生の指導を受けるようになってからは出なくなり、あげくの果てに「君にはテノールは無理だから、バリトンに転向しなさい」と宣言される始末。ほんと悩みました。自分のアイデンティティーの一部を、こうも簡単に否定されてしまったわけですからね。私にとっては、人格を否定されたのも一緒です。

 今、Y先生の事で、再びテノールとして学んでいます。Y先生がおっしゃるには「すとんさんがバリトン? ありえないでしょ。すとんさんはテノールですよ」と軽く答えてくださいますし、失った高音も少しずつ戻りつつあります。とても良い感じです。アマチュアテノール歌手としてのプライドが修復され、精神的に癒やされている事を感じます。

4)妻の笑顔

 キング門下にいた頃、私はキング先生が大好きで、彼に仕える事も喜びだったわけですが、妻は違いました。妻は、入門早々にノドを壊された事もあって、キング先生には最初から不信感しか持っていなかったし、私がキング先生に仕えるので、仕方なしに私のために、キング先生の仕事の下請けをやっていたわけです。

 ですから、妻はキング先生の事が大キライだったし、何かと批判的でした。レッスンが終わる度に、キング先生の指導の間違った点やおかしな点をあげつらい、それが夫婦げんかの火種になっていました。

 Y先生の指導には妻も満足していますので、今では声楽のレッスンの帰り道は、和気あいあいとしています。、妻も、以前と違ってレッスンを楽しみにしていますので、家庭も円満です。声楽を一緒に習うことで、妻が喜んでくれるようになってくれたのは、とてもうれしいです。

5)声楽の技術と上達の確信

 私は歌が好きです。ですから、キング先生のところで声楽を習っていた時も、それなりに満足していました。とにかく、レッスンは毎週あるので、毎週歌えたわけですし、キング先生は生徒を遊ばせるのが上手なので、私も先生の手のひらの上で遊んでいて、それはそれは楽しかったです。

 歌そのものは、あまり上達していない…というか、むしろ下手になっている事は、薄々分かっていました(ブログでたまにその点を指摘されると、胸が痛かったです)。上達を望んでいなかったわけではないけれど、毎日毎日が、それなりに楽しかったので、それで良かったんですよ。まあ、最後の方では、ノドが壊れてしまい、歌うことそのものが楽しくなくなってしまい、その上、自分の歌が下手になっている事実と直面しなければいけなくなった時は、本当につらかったです。

 今のY先生のところに移動してから、発声法にせよ、歌唱法にせよ、基礎の基礎の根本から見直しをして、練習していますので、私の実力がメキメキと上達しているのを感じます。それでも、あそこの門下の中では底辺をウロウロしているのは事実ですから、もっともっと頑張って、上達しなきゃいけないって気になります。向上心が刺激されるわけです。

6)時間的余裕

 キング先生のところはレッスンが毎週あったし、毎月アマチュア歌劇団の練習がありました。もちろん、それらの準備にも時間が必要でしたから、ほんと、毎日が忙しかったです。あの頃は、仕事に時間的な余裕があったので、それでもなんとかなりました。

 キング先生の所を離れてから、しばらくして、某所から声がかかって、私は転職をしました。今の職場は、以前とは違って、大変忙しい職場です。部下もたくさんいます。私自身の仕事量も増えました。生業が忙しくなって、趣味に時間が割けなくなりました。

 ですから、キング先生に追い出されなくても、キング門下で学ぶのは難しくなっていたと思うし、早晩、キング門下をやめざるを得なくなっていただろうと思います。

 Y先生のところは、レッスン回数が少ないです。おまけにキング先生とは違って、定期的にレッスンをするのではなく、私と先生の空きスケジュールを調整してレッスン日を決めるシステムになっていましたので、毎日が忙しい私には、無理の無い日程でレッスンが組めます。これはうれしい事です。おまけにレッスンの回数そのものは少なくても、一回のレッスンの内容が濃い(ブログでもだいたい二回に分けて記事をアップするほどに、内容がもりだくさんなんです)ので、忙しい社会人である私にはピッタリです。

 まあ、こんな感じでしょうか? 私の場合、失った事もあるけれど、得られた事もあるし、得られた事の方が多いので、先生を変えて正解だったと言えると思います。

 もっとも、オトナの習い事の場合、上達よりも、“楽しさ”とか“仲間とのふれあい”を優先する考え方だってあります。そういう人の視点で見ると、私の選択は、もしかすると、間違いなのかもしれません。「いくら上達しても、楽しくもなく、仲間もいないんじゃダメ」と言われたら、返す言葉がありません。

 キング先生は、生徒さんを喜ばせ楽しませる事は上手でした。そういう点では良い先生だと思うし、良い先生だから、彼を慕う生徒さんはたくさんいるわけだし、門下も年々拡大し、門下生も増えているわけです。生徒さんの数だけで言えば、Y先生の10倍以上もの大勢の生徒さんを抱えているわけです。声楽教師としては、Y先生などよりも、圧倒的に成功していると言えるでしょう。

 私だって、キング先生の事が好きだったし、とても慕っていたわけですからね。先生としての魅力があるわけです。私の場合は、先生から嫌われてしまい、門下を追い出されたので、やむなく、今は別の先生に習っているだけです。きっと、先生に追い出されることがなければ、今でもキング先生のところで学んでいると思います。

 しかし今は、キング門下を辞めたわけだし、辞めた事は正解だと思っています。キング門下を辞めた事は、おそらく音楽の神様の計らいだったのだと、今では思ってます。人間の知恵を越えた大きな意思の力によって、私の人生が動かされている事を実感しています。だから、これでよかったんだと思ってます。

 ですから、先生を変える事は、悲しい事ではないのです。変えた当座は、悲しくてつらい事かもしれませんが、やがて冷静になって当時を考えれば、あの時の判断に感謝する自分がいる…かもしれませんよ。だから、先生との関係に違和感を感じているなら、勇気を出して、先生を変えるのも、アリですよ。

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2015年6月 7日 (日)

先日、プロの料理人と話をしました

 まず体重の話をすると、たぶん私、ここ一ヶ月ほど体重を測っていません。『忙しい』が理由なんですが、ほんと忙しいのです。今は渦中なので書きませんが、やがて時が来た時にはお話をしたいと思ってますが、とにかく忙しい。忙しい上に、暴飲暴食もしていますので、たぶん体重…増えている(涙)。せっかく、今年1月からダイエットに本腰を入れて、順調に減らしてきたんだけれど、たぶん、かなり戻っている(涙)。それもあって、体重計に乗りたくなかったりするんだよなあ。でも、そんな事も言ってられないので、近いうちに体重計に乗るつもりです(でも今日はまだ乗らない!)。

 で、今回のエッセイです。

 先日、いわゆる“一流”と呼ばれる料理人の方とざっくばらんに世間話をしました。その話の中で出てきた話題の一つに、料理人さんの舌がいかに高性能であるかという話が出ました(別に自慢されたわけではなく、話の流れの中でそんな話になっただけで、彼はとても謙虚な方です)。

 どれくらい高性能なのかというと、料理を食べると、その料理に使われている食材や調味料は、まず間違いなく分かるんだそうです。食材程度なら、私たち素人でも分かりそうですが、彼は食材そのものはもちろん、おおよその産地まで分かるんだそうです。すごいね。調味料は、いわゆる隠し味であっても、だいたい分かるそうです。また調味料は、何が使われているかが分かるだけでなく、どれくらい使われているかも分かるし、どこのモノが使われているかも分かるんだそうです。どこのモノ…とは、例えば、醤油なら、その種類(濃口とか薄口とか)だけでなくメーカーも分かるんだそうです。ほんと、すごいなあ。

 別に、彼ほどの高性能な舌を持っていなくても、料理人はできるそうだけれど、やはりそこまでの性能を持っていないと、いわゆる“ちゃんとした料理屋”で働く事は難しいんだそうです。すごいね。もっとも私は、彼の勤めているような料理屋には行きませんので、その凄さが今ひとつピンと来なかったりします(笑)。

 彼の話を聞いて思った事は、やはりプロって、我々素人とは住んでいる世界が違うんだなって事です。私なんか、食事をしても、単純に、美味いとか不味いとか、満腹になれるかどうか程度の判断しかしないけれど、きっと彼らは、料理をクチに入れるだけで、クチの中がカラフルに感じる事だろうし、様々な味が複合した立体的モノとして感じられるんだろうなあって推測します。ま、推測するだけで、想像すらできませんが(笑)。

 私は音楽が好きで、色々な音楽を聞きますが、所詮は素人です。音楽も、楽しいとか悲しいとか、そんなレベルで自分なりに楽しんでいますが、プロの音楽家の方々は、音楽をカラフルに立体的に聞こえ、楽しんでいるんだろうなあって思うと、彼らのような耳が欲しいなあ、彼らが見聞きしている世界レベルで音楽を楽しみたいものだなあ…って思うわけです。

 でもまあ、我彼は当然違うわけで、元々の才能も違えば、努力とか勉強とか訓練とかの度合いも違うわけで、ないものねだりをしても仕方ないです。

 私は私のレベルで楽しめはいいんだと結論づけています。楽しみは身の丈に合わせて楽しみましょうって事です。

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2015年6月 6日 (土)

水槽の水が濁ってました(涙)

 ここのところ、色々とあって、メチャメチャ忙しくて、ついつい金魚の水換えが疎かになっていました。いつもは週一度の間隔で水換えをしているのですが、今回は忙しくて、1回パスし、翌週もパスし、その次の週もパスして、気づけば3度も水替えをパスしていました。さすがにヤバいと思い、3度目にパスした翌々日に時間をつくって、なんとか水換えを敢行しました。たぶん、25日ほど(約一ヶ月だね)水槽の水を変えていませんでした。

 水槽の水を変えずに済むなら、それにこしたことはありませんが、やはり水が古くなると病気が発生しますので、なるべくマメに変えてやらないといけません。サクラやホノカなどの巨大魚がいた時代なら、25日も水替えをしないなんて、ありえない事でしたが、最近の子たちは、割りと小型で水もあまり汚さない事をいいことに、ついつい水替えをサボってしまったわけです。

 今回は、三度の水替えチャンスを逃してしまったので、さすがにマズかろうと思って、重い腰をあげて水替えをしたのですが、実は心の中では「あまり水も汚れていないみたいだし、まだ大丈夫じゃないの?」と思っていた事は事実です。

 ところが、水替えをし終えた水槽を見て、ビックリ。だって、水が透明なんだもの。いやいや、水替え前の水も、透明ちゃあ透明だったけれど、それとこれでは透明度が全然違うわけです。

 水槽の水って、毎日少しずつ汚れていき、少しずつ水中に藻が繁殖するんだと思います。藻が繁殖するのは問題ないけれど、水が汚れていくのは大問題です。でも、毎日少しずつ、水の色が変わっていくわけだから、毎日水槽を眺めている身としては、昨日と今日の違いなんて、無いに等しいので「まだまだ水槽の水は大丈夫」とか思ってしまうわけだけれど、25日たった水と、真新しい水は、その透明度が全然違っていたわけなんです。

 いやあ、ビックリしました。そして、金魚たちに思わず謝ってしまいました。「もっと早く気づいて、水替えをしてやれなくて、ごめん」と。

 とりあえず、今回は水が多少濁った程度で済み、金魚たちに病気は発生しなかったようですが、これから夏を迎え、水も傷みやすくなるわけで、なるべく水替えはコマメにしてあげようと思った次第であります。

 水替えは、サボっちゃだめだな。

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2015年6月 5日 (金)

先生を変える事は、悲しい事ではない(フルート編)

 習い事をしていると、たまに「先生、変えた方がいいかな?」と考える方がいらっしるようです。

 その理由は色々です。

 先生に不満がある。例えば、時間にルーズだとか、おしゃべりが多くてレッスンが少なめだとか、教え方が未熟だとか、人間的に頼りないとか、約束が守れないとか、嘘をつくとか、都合の悪い事はごまかすとか、やたらと厳しすぎるとか、生徒を見下すとか、おっかないとか、色目を使うとか、他人の悪口ばかり言うとか、なんだか人間的に合わないとか、なんだか自分にばかり辛く当たってくるとか、理不尽な事ばかり言って来るとか…。

 先生に不満はないけれど…というパターンもあります。例えば、謝礼が高すぎるとか、お教室が遠すぎるとか、お教室にイヌネコがいるとか、治安の悪そうな場所にお教室があるとか…。

 先生ではなく、自分の方の状況が変わり、今のままでは続けられなくなった…というパターンだってあります。例えば、出世したり転職したりして、今までは同じような時間の使い方が出来なくなったとか、育児や介護に時間が取られるようになったからとか、収入がガックリと減ってしまったとか…、まあ、理由なんて色々あるものです。

 百人生徒がいれば、百通りの理由があるものです。

 まあ理想は、今習っている先生と和気あいあいと、いつまでも良好な師弟関係を続けられる事ですが、それはあくまでも理想であって、理想通りに行かないのが世の中なわけで、やむなく「先生、変えようかな」と思う事もあるわけです。

 でも、そうは思っても、実際になかなかそれを言い出せないのも事実です。

 だって、先生を変えるなんて、なんか先生に対する裏切り行為みたいじゃないですか? たとえ今はうまく行ってなくても、やがて雪解けの時がやってきて、うまく行くようになるかもしれないじゃないですか? あるいは自分がもっと上達すれば、先生の態度だって変わるかもしれないじゃないですか? 必ずどこかに良い解決策が必ずあるはずです…なんて、思ってしまうわけです。

 分かります。私だって、そう思いましたよ。先生は、私にとって、あくまでも先生であり、それは尊敬すべき対象であって、かけがえのない存在なんだから、多少の不満があっても、そこには目をつぶれば良い。自分さえ我慢すれば、丸く収まるんだから…なんてね。

 でも、こうも考えられます。

 どんなに幼稚園の先生の事が好きでも、子どもは成長するので、一生幼稚園にいるわけにはいかないのです。どの子もやがては小学校に進み、中学校高校大学と進学して社会に出なければいけないわけです。自分の年齢が増え、学年が上がると、先生も変わっていくわけです。つまり、成長するからこそ、先生とお別れするのです…とね。

 たとえどんなに素晴らしい先生であっても、一人の教師が教えられる事には限界があります。その先生から学ぶべきことを学んだら、さらなる上達のために、先生を変えていくのは、プロを目指す方なら当たり前ですが、アマチュアだって、そうあるべきなのかもしれません。

 先生の中には、生徒の成長を喜び、進んで次の先生を紹介し、引き渡してくれる方もいらっしゃいますが、逆に生徒の囲い込みをしようとする先生もいます。特に、オトナの習い事の場合は、囲い込もうとする先生が少なくないような印象を、私は持っています。そんな先生にぶつかれば、先生を変えることは悪だと教えられて、不満を感じる事すら罪悪感として感じるようになるわけです。

 まあ、先生も商売だから、生徒の囲い込みをしようとする気持ちも分からないではないですが、やはりそれは仁義上、良からぬことだろうと思いますし、先生として不誠実だと思います。

 あげくの果てに、辞めようとする生徒に嫌がらせをする先生…結構多いんですよね。そんな話、あっちこっちで聞きます。ほんと、困ったものです。そうなると、不満があっても、先生を変えようと思えなくなるわけです。その先生で我慢して習い続けるか、いっそ、音楽を捨てるかの、二択になってしまいます。

 私の持論を言わせてもらえば、不満は我慢せず、まずは話し合いで解決できれば、それがベストです。話し合いで解決ができないならば、我慢し続けるのも一つの手ですが、やはり先生を変えて、状況の打破を試みた方が、長い目で見た時には良いと思います。

 先生を変える…そのためには、今の先生の元で学ぶ事を辞める必要があります。『辞める』と言っても、これまでと変わらずに接してくださる先生や、事務的に対応してくださる方なら問題ないのですが、中には激しく抵抗し、引き止める方もいらっしゃいます。そんな時はどうするべきか…方便を使う事も必要でしょうね。たとえば「辞める」という言葉は使わずに「しばらく休む」と言い変えてみるのも良いでしょう。「休む」と宣言して、その後、行かなければいいのです。「しばらく」休んで、そのまま復帰しなければ、辞めたも同様です。先生も諦めてくれます。

 仁義として、次の先生の元に通うのは、今の先生ときれいに別れてからにしましょう。二股は、恋愛同様、あまり良いことではないですよ。

 さて、かく言う私の事を事例にして書きましょう。

 私のフルートの先生は、現在、二人目です。最初の先生である笛先生の教室を辞めて、今のH先生に変わりました。

 私と笛先生は、実に良い師弟関係を築いていたと思います。でも、その笛先生の教室を辞めて、今のH先生のところに変わったのは、私がある事を不満に感じて、それを解決するために決断したからです。

 きっかけは…東日本大震災とその後に続いた原発事故です。

 その日が来るまでは、私と笛先生の関係も実に良好だったのです。しかし、地震がやってきて原発事故が起こり、それ以降、すべてのフルートのレッスンがキャンセルされてしまったのです。

 まあ、確かに、地震直後は日本中が混乱していましたし、同時に習っていた声楽のレッスンも多少の混乱が生じたので、フルートのレッスンの一時的なキャンセルもやむを得なかったと思いますが、一ヶ月を過ぎてもレッスンのキャンセルが続きました。

 どうしたものかと先生と連絡を取ってみると、先生、原発事故以降、湘南から沖縄に避難してしまったのだそうです。こっちにいないんじゃあ、レッスンできないよね。私、笛先生の事は大好きだったし、レッスンに不満はなかったけれど、正直、一ヶ月もレッスンがなかったのは辛かったし、今すぐにでもレッスンの再開を望んでいましたが、先生は沖縄に避難しているし、いずれは帰ってくるつもりのようでしたが、いつ戻るかは未定だったので、今後のレッスンの見通しが立たなかったわけです。

 それで私は笛先生の元を離れる事を決めました。あの時、私が恐れた事は、レッスンを休んでいるうちに、なし崩し的にフルートを辞めてしまう事でした。フルートを練習しない事、レッスンに行かない事に、自分が慣れてしまう事を恐れたのです。そのためにも、一刻も早くレッスンを再開したかったし、そのためなら先生を変えても、仕方ないと思ったわけです。それくらい、フルートのレッスンに飢えていたわけです。

 先生とは(直接会える距離ではなかったので)電話で話をしました。先生は、事故のほとぼりが冷めて、関東地方の放射線量が下がったら帰ってくるので、それまでレッスンを辞めないで欲しいと言ってましたが、関東地方の放射線量がいつ下がるかなんて、誰にも分からないじゃないですか?(実は当時も今もそうですが、関東地方よりも沖縄の方が放射線量は多いんですね、知ってましたか?) それより私は、今すぐにレッスンを再開する事を望んでいました。レッスンをすぐに始めたい私、原発事故の影響で湘南に戻るのが怖い先生。とりあえず、私は笛先生のレッスンをお休みする事にし、その間、別の先生に習う事にした(これが現在のH先生)わけですが、結局、先生は沖縄に永住することに決め、こちらには帰らない事になったので、先生の元を離れる事にしたわけです。

 笛先生は、こちらに戻らないと決めた段階で、門下の生徒さん全員に次の先生を紹介してくれました。でも私は、その先生の門下に移動することを断って、すでに習い始めていたH先生との学びを継続する事にしました。

 まあ、すでにH先生と良い関係ができていて、今更、別の先生のところに移動する理由もなかったし、実は笛先生がご紹介してくださった次の先生には、全く期待できなかった…という理由もあります。と言うのも、その方は、フルートで音大を卒業しただけの方で、卒業後は一般企業に就職し、結婚をして家庭に入った方でした。子どもの手も離れたので、余暇を利用して自宅でフルート教室を新規開業しようという先生だったからです。

 今までバリバリの演奏家だった笛先生に習っていたので、プレイヤーとしての経験のない方に習うのがイヤだったんです。おまけに新規開業とくれば、教師としても新米なわけで、そこも不安だったんですね。まあ、私のわがままと言えば、わがままですね。

 一方、H先生は今も現役バリバリのプロのフルーティストさんですし、元は音大教授だった事もあって、教える方もプロだし、お弟子さんもたくさん育てていらっしゃるわけで…そりゃあ、笛先生が紹介してくださった先生とは、全く比較にならないわけですよ。

 東日本大震災とそれに続く原発事故は悲しいことだし、それが契機となって先生を変わった私ですが、今から見れば、先生を変えるタイミングとしては、良いタイミングだったと思ってます。

 笛先生はジャズフルーティストさんで、先生からはジャズフルートとボサノヴァを習っていたわけだけれど、これらの音楽って、やはり初心者が習うべき音楽ではないと思いました…というよりも、これらの音楽は、フルート音楽としては、いわゆる“応用編”に属する音楽だと思います。ですから、これらの音楽を学ぶ前に、まずはフルート演奏の基礎基本を、それとは別にしっかり固めるべきだと思ったわけです。

 フルート演奏の基礎基本って何かと言えば、やはりクラシック音楽の演奏技巧でしょう。それにだいたい、現在ジャズフルーティストとして活躍されている笛先生だって、二十代まではガチガチのクラシック音楽の人だったわけで、最初っからジャズをやっていたわけではないのです。となれば、やっぱりまだまだ初心者である私も、ジャズの前に、きちんとクラシックをやるべきでしょうね。

 さて、フルート音楽の基礎基本はクラシック音楽であって、それもロマン派前後のフランス系の音楽がきちんと演奏できる事が、最低限の話になってくると思うわけです。ザックリ言えば、アルテの時代です。まずはここが出発点です。この時代の音楽をきちんと演奏できるほどのテクニックを自分のものとしてから、ジャズとかボサノヴァとかをやるべきだなって思いました。つまり、その時の自分は、一度ジャズやボサノヴァから離れて、一途にクラシックを学ぶ必要がある…というか、そういう時期になったと思ったのです。

 ちょうど教本のアルテも14課が終わったところでした。フルートそのものには慣れてきましたが、当時の私の演奏には、緻密さが決定的に欠けていたと思います。だから、15課からH先生の元で、きちんとクラシック音楽として学び直したわけです。まさにタイミング的にはグッドだったと思います。

 人生に“もしも”はありませんが、もしも、ずっと先生が変わらずにフルートを習い続けていたら、きっと私のフルート人生は、今よりもずっと楽しいモノになっていて、あっちこっちのライブステージに登っては、ピーヒャラやっていたんじゃないかって思います。ただし、フルーティストとしての腕前は、経験を重ねて指が回るようになったとしても、なんか微妙に下手くそなままで「ライブでアドリブを吹くのは様になっているけれど、楽譜はきちんと演奏できないので、いつも“すとん流”の演奏しかできない」人になっていた可能性があります。まあ、それはそれでいいのでしょうが、根がクラオタな私ですから、きっとそんな自分がイヤになっていた可能性はあります。だから、あの時点で舵をジャズからクラシックに変えたのは、正解だと思います。

 今のフルート趣味は、ジャズをやっていた時ほど楽しくはないですが、着実に自分が上達している事を感じます。大胆にも緻密にも演奏できるように育っていると思います。このままクラシックの道に進んでもいいし、いずれはジャズの世界に戻って、また笛先生か、あるいは別のジャズフルーティストさんの元でフルートを学んでもいいと思ってます。まあ、道を変えた事で、私の世界が広がったと思います。

 H先生に感謝すると同時に、笛先生にも感謝しています。お二人の先生がいたから、今の自分がいるんだと思います。そういう意味では、私は先生を変えて、良かったと思ってます。

 と言うわけで、フルート編は終了です。いずれ、声楽編も書く予定です(笑)。

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2015年6月 4日 (木)

舞台で衣装を身につけて歌うことについて考えてみた

 先日、発表会で二重唱を歌ったわけだけれど…。もちろん、歌は練習を重ねて準備をして、当日は全力を尽くして歌いました。もちろん色々あったわけだけれど、それなりに頑張って歌ってみたわけです。まあ、歌に関して言えば、同じ曲で、まだ次のチャンスも、その次のチャンスも一応考えているので、更なるパワーアップを目指しております。

 なので、歌の事はさておきで、今回は衣装について考えてみました。

 次とその次の時は、同じ二重唱を歌うにしても、たぶん、今回のような衣装は身につけずに歌うつもりです。いわゆる“演奏会形式”って奴で歌うつもりなのです。だから、衣装はつけず、小道具は持って、スタンディングで上半身だけの小振りな演技を付ける程度のスタイルで歌います。

 ですから、次に本格的に衣装をつけて歌うのは、来年の門下の発表会になる予定です。

 『来年の話をすると鬼が笑う』とありますように、実際のところ、来年の事なんか、まだまだ先の話なんですが、それでも色々と思惑とか希望とか願いとか…あるわけです。私も、来年の発表会に向けて、先生に提案したい事とかあるわけです(まあ、却下されるだろうけれどね)。私の提案が通れば良し、通らなければ、また妻と二重唱をすれば良いわけだし、それに他の門下生からの提案があって、そっちの方向になるかもしれないし…まあ、あれこれあれこれ考えてみたりしています。

 どっちにしても、来年の発表会では、今年以上に気合を入れて、衣装やらなんやらを揃えていきたいなあって思ったわけです。

 今年のネモリーノの衣装は、昨年の発表会の衣装と一緒でした。昨年の衣装は、デュエット相手のNさんと相談して決めたのですが、時代設定を20世紀の前半に(つまり100年前って設定ね)し、場所もアメリカ南部の農村地方って決めて、衣装もそれに合わせてみました。いわゆる“オペラの現代的演出”って奴だ(笑)。とは言え、オリジナルの設定が、19世紀後半のスペイン・バスク地方だから、21世紀の日本人から見れば、大した違いじゃないかもしれない(笑)。

 大切な事は、若い農夫と、地主の娘という事が、衣装で分かる事…そんなところです。なので、ネモリーノとアディーナに関しては、衣装をそれ風にしておけば、舞台は遠目で見るわけだし、まあなんとかなると言えば、なんとかなるわけです。

 で、問題は次なんですね。来年、何を歌うかは…心づもりはあるけれど、まだ決定していないし、変更になるかもしれないし、予想外の曲を歌うことになるかもしれないけれど、あれこれと予想と言うか、覚悟というか、準備なるものを、ボツボツとしているわけです。

 で、その準備の一環として、衣装はどうしようか…は、もちろんなんだけれど、来年は衣装だけでなく、化粧とかカツラとかどうしようか…と悩むわけです。と言うのも、私、化粧なんてした事ないし、カツラもかぶった事ないから、心配で心配で(笑)。

 考えてみれば、舞台に立って、芝居をするんだから、衣装と小道具だけでなく、化粧もカツラも必要なのは、当たり前って言えば、当たり前。今までは、たまたま化粧とカツラの不要なモノばかり歌ってきたわけで(例えば『愛の妙薬』のネモリーノでしょ。『オペラ座の怪人』の怪人さんも化粧もカツラも不要だし『椿姫』のアルフレードなんて、衣装すらいらない:笑)、来年もそんな化粧もカツラもいらない役を歌うとは限らないわけです。

 例えば、今、候補に上がっている役の一つが黒人なんだけれど、黒人の役を歌うなら、当然、褐色のドーランを顔に塗らないといけないわけだ。当然、顔を黒くしたからと言って、それだけで黒人になるわけないから、目とか鼻とかに影を入れて、彫りを深くしないといけないだろうし…。髪型だって、黒人ならば、黒人っぽい髪型ってのがあるわけで、アフロは極端にしても、黒人が七三分けなわけないもんな。かと言って、マンガチックな化粧をすれば、やれ人種差別だとか言われるだろうから、そっち方面の化粧はできないし…。

 逆にヨーロッパの貴族とか王子様なんてのも考えているわけで、デブデブの日本の親父を、どうすればヨーロッパのお貴族様に見せられるか、考えてしまうわけです。金髪のカツラは必要なのか? ちょうちんブルマにタイツは履かないといけないのか? あごひげとか付けないといけないのか? やっぱりカラコンを入れて瞳の色は変えるべきだろうか? 手に持つ刀は日本刀じゃマズいだろうけれど、サーベルなら何でもいいのか?…などなど、ちょっと考えると、わけ分かんなくなるわけです。

 『さて、困った』とか悩んでいるわけです。

 で、昔なら、困ったところで煮詰まってしまうわけだけれど、今はインターネットの時代ですから、困った事をあれこれググると、ネットに色々なヒントが転がっているわけです。便利な世の中になったわけです。

 舞台用の化粧品もネット通販で買えるし、化粧の仕方も(簡単な初心者向けのモノだろうけれど)ネットで教えてもらえるし、カツラとか小道具なんて、アマゾンでも買える(笑)。現物を見たければ、東京の専門店を尋ねればいい。その気になれば、かなり本格的にできそうだ(そこまでの本格的にするつもりはないのだけれど)。

 もっとお手軽に考えるなら“コスプレでいいじゃん”って気になってきます。

 “舞台で役を演じて歌う”=“コスプレして歌う” なら、舞台専門店に行かなくても、都会のアニメイトとか、いっぞ池袋の乙女ロードに行けば、いくらでも安価で質の良いコスプレ用品が揃っているわけで、そのあたりで手を打っちゃう事だって可能なわけだ。

 こういう事って、やり始めるとキリがなくなるんだよね。それに、演じ手のこだわりについて、聴く方は、どこまで受け入れてくれるのかも心配。気合が入りすぎて、客に引かれても困るし、衣装や化粧にばかり注目が集まって、歌を聞いてもらえなくなるのも、なんか残念な気がするし。

 まあ、今すぐ、どうこうというわけではないので、今のところ静観しているわけだけれど、これが切羽詰まってくると、あれこれ心配になってくるわけだけれど…こうやって悩んでいる時が、一番楽しい時なのかもしれません。

 たぶん、私が一番似合うのは、執事のコスプレだろうけれど、執事の恰好して歌うテノールのアリアって、あったっけ? フランス語が出来れば、軍服着て、カルメンのホセを歌えるんだけれど…フランス語はチンプンカンプンなんだよね(笑)。

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2015年6月 3日 (水)

ヨナス・カウフマンの『冬の旅』を聞いてきた

 先日、ミューザ川崎で行われた、ヨナス・カウフマンのリサイタルを聞いてきました。演目は、休憩なしのテノール70分一本勝負となる、シューベルト作曲の『冬の旅』でした。ちなみに、ピアニストは、御大ヘルムート・ドイチェでした。

 演奏会そのものは、字幕無し、曲間のMCもなし、休憩もなければ、アンコールすら無しと言う、ピアニストと一緒に現れたカウフマンが『冬の旅』1曲だけを歌うコンサートでした。これで、お一人様2万6000円です。知らない人が聞けば「なにこれ、メッチャ高いじゃん。ボッタクリちゃうの?」と思うかもしれませんが…全然ボッタクリじゃなかったです。

 “女房を質に入れても見るべきコンサート”かもしれません(断言)。もっとも、私は女房を質に入れるどころか、女房と一緒にコンサートを見ましたが(笑)。

 なんでしょうね…よく「見ると聞くとでは大違い」という言葉がありますが、カウフマンは「CDやDVDと、生歌じゃ大違い」というタイプの歌手でした。

 とは言え、別に「写真で見るよりもチビじゃん」とか言いたいわけではありません。いや、確かにチビでした(笑)。でも、テノールってのは、基本的に“チビでデブ”と“大柄なデブ”と“イケメンだけどチビ”の三種類しかいないわけですから、カウフマンが“イケメンだけれどチビ”なのは仕方ないのです(ちなみに私は“大柄なデブ”タイプのテノールです)。

 私が言いたいのは、彼の声の魅力…と言うか、発声の完璧さは、録音では気づきづらいのだけれど、そこが実に見事であり、素晴らしいという事です。そして、それこそが、聞くべきポイントだという事です。

 ミューザ川崎という、おおよそ声楽関係のコンサートには向かないであろう会場で、ピアニッシモからフォルテッシモまでキレイに決めてきたのは、本当に神業だなあと思いました。

 カウフマンはテノールと言えども、私とは違う種類のテノールで、いわゆる、スピント系の声、いやむしろ、リリコ・ドラマティコと言ってもいいくらいに、どっしりとした太めの声です。系統的にはドミンゴのような「バリトンでも十分やれるけれど、高音が出ちゃうので、テノールやりま~す」というタイプの歌手なんだろうと思います。だから、もともと中低音が充実しているので歌曲にも十分対応できる声を持っているわけです。

 『冬の旅』という歌曲には、極端な高音や低音は出てきませんので、イタリア・オペラ的な声の楽しみ方は出来ないのですが、それ無しでもカウフマンの歌は十分に楽しめました。とにかく、すごかったのは、デュナーミクの広さと幅です。ほんと、舌を巻くほどに見事でした。

 どうやれば、あんなに繊細で、会場の隅々にまで届くような声でピアニッシモが歌えるのだろうか? どうすれば、あれだけの迫力のあるフォルテッシモを怒鳴らずに歌えるのか? 聞いていても、全く分かりません。カラダの使い方に秘密でもあるんじゃないかしらと、双眼鏡でバッチリアップで見ていても、全然分かりません。終始カラダもノドもリラックスしているようでした。

 そうなんです、終始リラックスしているんです。70分という長丁場を休憩なしで一挙に歌い上げてしまうのですから、声のスタミナの事も考慮しているとは言え、本当に楽にリラックスした声で歌っているのです。リラックスしているだけれど、きっちりと充実した声で歌うわけです。ああ、どうすれば、こんな声で歌えるんだろ? 全く分かりません。

 で、時折、スイッチが入ったように力強いフォルテッシモや針のように細いピアニッシモで歌うんです。私も、色々と世界の一流と言われるプロの歌手の生歌唱を聞いてきたつもりですが、これほどまでに発声の巧みな歌手は、なかなかいません(当社比です、もちろん!)。

 テノールと言うのは、多かれ少なかれバカで、元々持っている楽器が良くて、その楽器に助けられている部分が多々あるのが普通なんですが、カウフマンは、どうやら、そういうバカテノールとはちょっと違うみたいです。なんか、モノを考えて歌っているみたいなんです。そういう点では、バリトン歌手みたい(笑)。歌を、才能とか勢いとかではなく、テクニックを知的に組み合わせて歌っている…そんな印象を受けるんですよ。

 たぶん、この人、真面目な努力家で、ストイックなインテリさんなんだろうなあ。ああ、そんな人がテノールにいるなんて、信じられない! 声同様に、どこかバリトンっぽいところがある人なんだろうなあ。

 私とは声の質が全然違うので、この人を目指しちゃいけないんだけれど、この人のテクニックは真似できるものなら、ぜひ真似したいと思いました。特に、あのピアニッシモ。どうやって出すんだろ? カウフマンのマスタークラスがあったら、見てみたいものです。

 ここからは戯言。

 会場のミューザ川崎って、変なホールでした。どこもかしこも床が斜め(笑)。舞台を客席が螺旋状に取り囲んでいるわけで、床も斜めなら、もちろん座席配置も隣と高さが少しずつ違うわけです。たぶん、舞台から客席を見ると、すご~く気持ち悪いだろうなあ。だって、会場のどこにも、水平というラインがないんだよ。あ、それはさすがに言いすぎだな。一応、舞台は水平でした。でも客席には水平な箇所なんて、たぶんないです。だから、舞台から客席を見ていると、平衡感覚がグチャグチャになるだろうね。おまけに奥行きが、さほどないのに、高さがあるから、舞台からみると客席がそそり立つ壁のようだろうしね。舞台と客席の段差が少ない上に、舞台の後ろにもたくさん客席があって、歌手の命綱とも言うべき反射板が存在しない会場なんです。そんな会場の時は、歌手はピアノに寄り添って、ピアノの反射板を利用して歌うのが、裏テクなんだけれど、カウフマンはそれもせずに、舞台の真ん中でポツンと立って歌っていました。つまり、彼、かなりの大音量の持ち主ってわけです。そんな大音量をリラックスした声で歌っているわけだから、それがすごいんです。

 客層が、普段の高額クラシックコンサートのそれとはだいぶ違っていました。これだけの高額クラシックコンサートだと、皆さん、それなりの恰好をしてくるのが普通です。男性ならジャケット+タイ、女性もきちんとオシャレをしてきます。和服率も高くなるのか普通なんですが、今回のコンサートでは、もちろんそういう方も少なからずいましたが、Gパン+ポロシャツなんていう、ラフな恰好の人も極めて多かったので、ビックリしちゃいました。ドレスコードなんて言葉は、死語なんでしょうかね?

 あと、スマホで写真をパシャパシャ取る人がたくさんいましたよ。それこそ20とか30とかではなく、もっともっとたくさんいました。コンサート会場で写真取っちゃダメという事すら知らない人も、今回の客にはたくさんいたんだなあって思いました。

 今回の客…と言えば、会場は、実にスカスカでした。たぶん、半分もお客さんは入っていませんよ。客は中央部に集まって座っていましたので、正面を見ると、そこそこ客が入っているように見えますが、横や後ろや上の方は、見事なくらいに誰も座っていなかったし、正面だって、4~5人毎に空席を挟んで座っている状態だもの。主催者的には、チケットが売れなくて、頭をかかえる状態だったんじゃないかな?

 プログラムも定価4000円を割り引いて、一部3000円で売ってましたが、あの金額設定じゃあ、あんまり売れないでしょう。実際、プログラム売り場の前には、人だかりはほとんどなく、CD売り場の方にはたくさん人が群がっていました。だって普通、3000円出すなら、プログラムじゃなくてCDを購入するでしょうね。私ですか? 私はカウフマンの容姿には興味ありませんし『冬の旅』の内容は頭に入っているし、3000円出すならCDを買いたい人だけれど、CDならアマゾン経由で輸入盤を購入しちゃうタイプの人なので、グッズ売り場は素通りしちゃいました。いやあ、チケットに大枚はたいているんだから、会場にお金を落とす理由もないわな。

 カウフマンは、東京のサントリーホールでは『詩人の恋』を歌ったそうです。そちらは結構チケットが売れていたようです。そうなると、これだけ客席がガラガラなのは、川崎という地が悪いのか、『冬の旅』という演目が悪いのか、たぶんどちらかなんでしょうね。

 『冬の旅』は、日本ではバリトンやバスが歌うというイメージが強いのですが、作曲家であるシューベルトはテノール向けに作曲しているので、テノールで聴くのが本来の形なんだろうし、カウフマンのように中低音が充実しているテノールの歌唱が理想な形なんだろうけれど、それって日本じゃ受け入れられないスタイルなのかな?

 かく言う私だって『冬の旅』も良いけれど『詩人の恋』も聞きたかったです。二者択一なら『詩人の恋』かな? でも気づいた時には、東京のチケットは入手困難で、川崎しかチケットが買えなかったんだから『冬の旅』でも仕方ないです。

 …ってか、やっぱり、今となっては『冬の旅』も『詩人の恋』も両方聞きたいです…ってか、チャンスがあれば、もう一度、生で聞きたいです。それくらいに、私、感動しちゃいました。

 カウフマン、すっげーぞ。あ、大阪でのリサイタルは、これからだね。ちなみに、大阪も、70分テノール一本勝負の『冬の旅』だよ、よろしくね。

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2015年6月 2日 (火)

進歩している私

 Y先生について早3年。発表会を期に、自分でも感じるようになった、その間の上達について、まとめてみました。

良くなった、上達したと思われる点

1)歌うのが楽になった

 と言うか、楽にならざるをえなくなった…と言うべきか。とにかく、私が少しでも苦しげに歌っているとダメが出ます。Y先生は「良い声よりも楽な声」を目指しています。キング先生の「楽に歌おうとするな。全力を尽くせ。プロだって苦しいんだ」とは真逆なんです。キング先生は「苦しくても良い声で歌え!」なんですね。なので、キング先生がOKを出してくれる良い声と言うのが、私には、どうしても苦しくてつらい声になってしまうわけです。ノドも痛めてしまいますしね。

 とにかくY先生のところでは、楽に歌うことが大切なんです。「楽な声でなきゃ、オペラは歌えませんよ」との事です。まあ、オペラの舞台って、3時間前後も歌いっぱなしだものね。それを可能にするためにも、日頃から楽に歌う癖を付けないといけないわけです。だいたい、楽に歌えないと歌っていて楽しくないですものね。

2)声のポジションがかなり高くなっている

 たぶん、これは楽に歌うようになった事と関係しているのかもしれません。楽に歌うことで、色々な事が無意識に改善されているんじゃないかって思います。しかし、あれほど注意されつづけていても出来なかった、声のポジションを高めに取る事が、今では自然と出来るようになったのは、不思議と同時にうれしい事です。

3)鼻腔に声が響き始めている自覚がある

 元々私は鼻腔を利用して歌うタイプの人でした。でも、たぶん、それが上手には出来ていなかったんだと思います。だから、キング先生の門下に入門して、まず最初に注意されたのが、鼻腔の響きを使って歌っていた事です。これは厳禁なんです。当時の私の鼻で響かせる声は“鼻声”と言われて、声の響きをまずは一旦、鼻から下に落としました(結果として喉声になってしまいました)。それで高音が出なくなったり、ノドを痛めるようになったんだと思います。

 Y先生の指導の元、楽に歌い始めて、本来の自分の声で歌えるようになると、以前は禁忌であった“鼻の声”も自然と復活してしまいました。おそらくキング先生なら、すかさずにダメを出すでしょうが、Y先生は「鼻腔を使うのは良いことです」と言って、私の鼻の声を多めに見ていただいています。鼻声成分が多いかもしれませんが、これが私の声であると認めてもらえると、やっぱりうれしいですね。

4)(まだまだ不確定だけれど、HI-Cぐらいまでの)高音の発声ができるようになった

 発声練習でも楽に発声するようになり、そうすると、かなりの高音の発声ができるようになりました。今は常時HI-Cぐらいまでいけちゃいます。調子が良いとHI-Esまでいちゃいますが、これは本当に調子が良い時だけですから、カウントしない方がよいでしょうね。それに、常時HI-Cまで発声できても、それは発声練習の時だけで、歌の中で使えるわけではありません。ですから、次はこれらの高音を歌の中でも使えるようにしないといけないわけです。

5)Gまでは、特に不安がない

 それで現在はどれくらいまでの高音なら、歌の中でも大丈夫かと言うと、胸を張って「Gまでは、特に不安はありません」と言える状態になりました。まあ、これはキング先生に習っていた末期の頃、Gを手に入れつつありましたから、順調な成長の結果と言えるでしょう。

6)Aまでなら、もって行き方次第でどうにかなる

 キング先生時代にはAなんて夢物語の高音でしたが、今では“もって行き方次第でどうにかなる”と思ってます。問題は、どうもっていくか…なんですね。そこが課題だったりします。しかし、Aの発声に不安がないのが、一人前のテノールの条件の一つですから、頑張らないといけませんね。そして、高音Aも課題ですが、それよりも高いBやそれ以上の音にも徐々にチャレンジしています。ここらへんになると、Aとは発声方法が全く違うのです。頑張りますよ。

9)ファルセットが使えるようになった

 キング先生時代には、まず絶対に出来なかったファルセットですが、今は普通に発声できます。ファルセットって、ノドに力が入っていると絶対に出来ないんですよね。だから、喉声だった時代の私にファルセットなんて発声できるわけなかったんです。

10)暗譜がかなり楽になっている

 これは慣れかな? ほんと、以前では考えられなくらいに、暗譜が楽になっています。キング先生の時代には、半年かけて、やっと一曲暗譜できるかできないかだったのに、今では2ヶ月ちょっとで、2~3曲の暗譜をしちゃえるようになりました。もっとも、プロの方々のように、三ヶ月でオペラ一曲暗譜には、到底叶いませんけれど(笑)。

11)イタリア語の発音に慣れてきた

 はい、なんとなく慣れました。慣れてくると、発声もだいぶ楽になります。しかし、慣れただけで、理解はしていないので、歌詞の意味は未だにチンプンカンプンだったりします。

12)声がギラギラになってきた

 録音だと分かりづらいかもしれませんが、私の声、確実にギラギラになってきております。

13)中低音の声に深みとコクがついてきた

 先生がバリトンの方であるため、ついつい無意識にバリトンっぽい発声を真似してしまうのですが(そのたびに注意されます)、バリトンの持つ中低音の美しさを無意識のうちに少しずつ真似しているのかもしれません。とにかく、中低音の声に深みとコクがついてきました。

14)ノドの薬の世話になることが、極端に減った

 ほんと、ノドの薬の世話になる事が減りました。だいたい、のど飴をなめなくなり、のど飴の消費量がガタ落ちになりました。たぶん、良い事…なんだろうと思います。

15)歌っている時の水分補給も極端に減った

 レッスン中の飲水は、キング先生の時は良かった…と言うか、奨励されていました。Y先生も別段、レッスン中の飲水は禁じていませんが、まず飲水のチャンスがありません。レッスンが始まると、終わるまでずっと歌い続けていますので、水を飲むチャンスがありません。結果として、水分補給が極端に減りました。本番の舞台袖でもペットボトルを持っていても、まず飲まなくなりました。たぶん、良い事…なんだろうと思います。

16)結構長く歌えるようになった

 楽に歌うようになったためでしょうか。歌の体力の消費が抑えられるようになり、結果として、そこそこ長い時間、歌えるようになりました。以前は、歌の途中で声が無くなってしまう事も多々ありましたが、今はそういう事は、あまり考えずに済むようになりました。

17)オペラアリアばかりではなく、歌曲の楽しみも分かるようになってきた

 私は元々“オペラ命”の人でして「歌曲なんて声のない人間が歌うモノだ!」という偏見を持っていました。ダメですね。何も分かっちゃいなかったんですよ。

 今でも、基本的には“声をひけらかす事に快感を感じるタイプ”であることは否めませんが、そんな私でも歌曲の楽しみが少しずつ分かるようになってきました。特に最近はドイツ・リートの渋さにひかれています。ドイツ語は苦手だけれど、やがてチャレンジしてみたいです。

18)声がだいぶ軽くなってきた

 とは言え、どうやらレッジェーロというほど軽いわけでもないみたいです。おそらくは、リリコ。それもたぶん、ど真ん中かな? もっともっと上達すると、もっと声が軽くなって、最終的には、リリコ・レッジェーロあたりに落ち着くかもしれないけれど、今のところはリリコっぽいです。

 キング先生のところにいた時は「めざせ、デル・モナコ。めざせ、ドミンゴ」だったわけで、スピント系の声を目指して、頑張って強くて重い声を出そうとしていたけれど…それやっちゃうと、喉声になっちゃうんだよね。

頑張っているけれど、まだまだダメな点

1)低音になると、まだ声が胸に落ちてしまう

 低音は難しいよね。

2)Aより上になると、ガラっと音色が変わってしまう、あるいは、Aより上になると、ファルセットになってしまう事も増えた

 高音も中低音と同じ発声法で、同じ音色でいかないといけないのだけれど、ついつい発声法が変わって音色が激変したり、ファルセットになってしまう事も増えました。以前は、音色が変わったり、ファルセットになる前に、ノドにフタが被さったり、音程がぶら下がっていたりしていたわけだから、それよりはまだマシって感じだけれど、それでもやっぱりマダマダだなあって思います。

3)疲れてくると、音程がぶら下がる

 つまり、疲れてくると、以前の悪い癖が出てきて、喉声になって、音程がぶら下がるって事です。くわばらくわばら。

4)テンパると、ついつい勢いとパワーとかで、どうにかしようとして、結果、怒鳴り声で歌ってしまう

 まだまだ、昔の悪い癖が抜け切れていません。

5)まだまだハモリは苦手

 簡単に、他所の人に釣られます。

6)まだまだ音程が甘い

 残念です。

7)黒い楽譜が苦手

 なので、メリスマなんて、とても歌えません。

8)まだまだカラダを使って歌いきれていない

 カラダの使い方が身についていないと言うか、基礎基本がまだ出来てません。

9)まだ自分に合っている曲、合っていない曲の違いがよく分かっていない

 自分で自分の選曲をするようになって、自分に合った曲について、色々と考えています。力量とか音域とかもあるけれど、曲の雰囲気とか、声のどの部分が多用されているとか、自分のキャラとの関係もあるし、なかなか自分の事は自分では分かりません。

 でも、分からないままじゃダメなんですよね。自分に合っている曲かどうかの判断は、きちんと自分でつけられないようでは、いけないと思ってますが…それがなかなか難しいです。歌いたい歌が歌えるわけじゃないのは当然としても、歌いたい歌が、なんとか歌える歌であったとしても、それが上手に聞こえるわけでもありません。同じ努力をして自分のレパートリーに加えるのだから、聞き栄えのする曲がいいよね。それが分かるようになりたいです。

10)大きな音量とか、高い音程とかへのこだわりが抜けきっていない。

 まだまだ、ダメです(笑)。

 というわけで、今の私は、こんな感じです。へへ、日々精進精進だな。

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2015年6月 1日 (月)

メトのライブビューイングで『カヴァレリア・ルスティカーナ』と『道化師』を見てきました

 本来なら、もっと早くアップすべきでしたが、発表会の記事を優先してしまったために…すでに映画館での上映は終了してしまいましたね、残念。まあ、今回見逃しても、お盆を終えた頃、アンコール上映が始まりますし、必ずそこで上映されるでしょうから、そちらで見てくださいって感じで、レビューを書きます。

 とにかく、今年のライブビューイングのトリの作品である『カヴァレリア・ルスティカーナ』と『道化師』の二本立てを見てきました

 まずはデータ的な事を書きます。

 指揮は、ファビオ・ルイージ。演出は、デイヴィッド・マクヴィカー。この二人は、両作品に共通です。歌手の方は、主役テノールがマルセロ・アルヴァレスで、バリトンがジョージ・ギャグニッザで、この二人も共通です。あ、あと、合唱も共通ですね。

 まず最初に、マスカーニ作曲の『カヴァレリア・ルスティカーナ』のレビューから。

 主な配役は次の通りです。

 マルセロ・アルヴァレス(テノール:トゥリッドゥ)
 エヴァ=マリア・ヴェストブルック(ソプラノ:サントゥッツァ)
 ジョージ・ギャグニッザ(バリトン:アルフィオ)

 まず、聞いて驚いたのが、主役のアルヴァレスの声も歌い方も、若い時のプラシド・ドミンゴを彷彿させるモノだった事。ビックリしちゃいました。最初は「コピーをしているのか…」と勘ぐった私ですが、もちろん、ドミンゴの歌を参考にはしているのでしょうが、しっかり自分の役にして歌っているので、単純にコピーをしているわけではなさそうです。それに、後日、冷静になって、ネットにアップされた今回のアルヴァレスの歌唱を聞いても、ドミンゴのコピーと言えないくらいにアルヴァレスの個性が発揮されていました。

 でも、劇場で見ていた時は、本当に「ドミンゴそっくりだなあ」って思ったものです。なぜなんでしょう? とにかく、私にとって、最高のテナーはプラシド・ドミンゴですから、彼を彷彿させる歌唱というのは、私にとって、最高の歌唱ってわけです。うむ、マルセロ・アルヴァレス、良いテノールなんでしょうね。好きになってしまうかもしれません。

 私は、アルヴァレスのデビュー当時のCDを持っていますし、愛聴していますが、この頃の彼の歌声は、それほど素晴らしいとは思わなかったものですが…人って、成長するんですね。

 演出は、舞台が暗くって、舞台装置も衣装もみな黒づくめです。悲劇ですから、これはこれでアリだと思いますが、シチリアの輝く太陽が、個人的には恋しくなりました。

 このオペラの最近よくある演出では、主役のメゾさん(この公演ではソプラノが歌っています)が、劇の最初から最後まで“出ずっぱり”というパターンが多いのですが、今回の演出も同じように、出ずっぱりでした。見ている側は、常にヒロインの視線で物語を見ることができますが、演ずる歌手さんは、結構しんどいでしょうね。まあ、全般的に演出そのものの癖は強いですが、分かりやすい演出だと思います。

 ソプラノのヴェストブルックの演技は、私好みでよかったです。よくDVDなどで見るサントゥッツァって、どれもこれもおどろおどろしくて(笑い)。サントゥッツァって若い娘のはずなのに、まるで鬼ばばあのようなキャラにされてしまう事のが多いのですが、それはやり過ぎって、いつも私は思っていたので、ヴェストブルクの演技は、その点、中庸的で良かったです。捨てられた女の恨みと、若い娘の持つ儚さが両立していたと思います。サントゥッツァという役はメゾソプラノで歌われる事が多いのですが、役柄の設定年齢を考えても、今回のようにソプラノ歌手に歌わせた方がいいんじゃないかって思いました。

 このカヴァレリア・ルスティカーナというオペラ、一般的には、一番有名な曲(いわゆる、キラーソング)が、演奏曲である間奏曲なんですよね。まあ、実際、良い曲だし、一般的に“カヴァレリア・ルスティカーナ”と言うと、この間奏曲の事を指すわけだし、この間奏曲のメロディーに歌詞をつけて「アヴェ・マリア」として歌われている事も、よく知っていますが…キラーソングは、他にもあるでしょ。

 …と言うか、この曲、名曲ぞろいの良いオペラだと思いますよ。メゾ(やソプラノ)の歌う「ママも知るとおり」や、テノールの歌う「おお、ローラ」や「お母さん、この酒は強いね」や「乾杯の歌」や、合唱団の歌う「オレンジの花は香り」なんて、どれもこれも最高でしょ? なのに、なぜ演奏曲が一番有名なの? いつもいつも疑問と不満を感じる私です。

 次は、レオンカヴァッロ作曲の『道化師』について。主な配役は以下のとおりです。

 マルセロ・アルヴァレス(テノール:カニオ)
 パトリシア・ラセット(ソプラノ:ネッダ)
 ジョージ・ギャグニッザ(バリオン:トニオ)
 ルーカス・ミーチャム (バリトン:シルヴィオ)

 こちらのアルヴァレスを見ても、やはりドミンゴを感じた私でした(笑)。冷静になって聞くと、やっぱり違うんですが、一体私の感性はどうなってしまったんでしょうね(笑)。

 こちらの演出は、カヴァレリアと同じ演出家による演出でしたが、カヴァレリアと比べるまでもなく、かなり具象性の高い演出で、とてもとても分かりやすい演出でした。黙役にコメディー系の俳優さんを起用しているし、ソプラノのラセットが芸達者という事もあって、第二幕の劇中劇は、なかなかの見応えがありました。ただ、彼女の体型はあまりにオペラ歌手で(笑)、劇中劇のコスチュームは、かなり見ていて厳しかったです。最近はオペラ歌手にも美貌が求められる時代ですからね。

 結論。オペラ歌手には男女問わず、ボディーラインを露わにするような衣装を身につけさせてはいけない。それだけで、作品の魅力が壊滅してしまいます(涙)。

 実際、このオペラ、ラセット以外にもボディーラインに難のある人が多くて、それが大きな傷になっていましたが、それを除けば、実に素晴らしい公演だったと思います。それだけに、衣装が残念なんだよなあ…。

 それにしても『カヴァレリア・ルスティカーナ』と『道化師』の二本立てって、最強の組み合わせだよなあ。どちらも捨て曲のないオペラだし、テーマも(裏切った人間に男女の違いはあれ)不倫で共通しているし、オペラの雰囲気も割りと似ているし…。ほんと、双子のような作品だよね、これって。今シーズンの最後の最後が、これらの作品というのは、納得です。

 さて、来年のラインナップがすでに発表されていますので、転載しておきますね。

ヴェルディ《イル・トロヴァトーレ》
  指揮:マルコ・アルミリアート
  演出:デイヴィッド・マクヴィカー
  出演:アンナ・ネトレプコ(レオノーラ)
     ディミトリ・ホヴォロストフスキー(ルーナ伯爵)
     ヨンフン・リー(マンリーコ)
     ドローラ・ザジック(アズチェーナ)
     ステファン・コツァン(フェルランド)

ヴェルディ《オテロ》新演出
  指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
  演出:バートレット・シャー                              
  出演:アレクサンドルス・アントネンコ(オテロ)
     ジェリコ・ルチッチ(イアーゴ)
     ソニア・ヨンチェーヴァ(デスデーモナ)
     ディミトリー・ピタス(カッシオ)
     ギュンター・グロイスベック(ロドヴィーコ)

ワーグナー《タンホイザー》
  指揮:ジェイムズ・レヴァイン
  演出:オットー・シェンク
  出演:ヨハン・ボータ(タンホイザー)
     ペーター・マッテイ(ヴォルフラム)
     エヴァ=マリア・ヴェストブルック(エリーザベト)
     ミシェル・デ・ヤング(ヴェーヌス)
     ギュンター・グロイスベック(ヘルマン)

ベルク《ルル》新演出
  指揮:ジェイムズ・レヴァイン
  演出:ウィリアム・ケントリッジ
  出演:マルリース・ペーターセン(ルル)
     スーザン・グラハム(ゲシュヴィッツ伯爵令嬢)
     ヨハン・ロイター(シェーン博士/切り裂きジャック)
     ダニエル・ブレンナ(アルヴァ)
     ポール・グローヴス(画家/黒人)

ビゼー《真珠採り》新演出
  指揮:ジャナンドレア・ノセダ
  演出:ペニー・ウールコック
  出演:ディアナ・ダムラウ(レイラ)
     マシュー・ポレンザーニ(ナディール)
     マリウシュ・クヴィエチェン(ズルガ)
     ニコラ・テステ(ヌーラバット)

プッチーニ《トゥーランドット》
  指揮:パオロ・カリニャーニ
  演出:フランコ・ゼフィレッリ
  出演:ニーナ・ステンメ(トゥーランドット)
     アニータ・ハーティッグ(リュー)
     マルコ・ベルティ(カラフ)
     アレクサンダー・ツィムバリュク(ティムール)

プッチーニ《マノン・レスコー》新演出
  指揮:ファビオ・ルイージ
  演出:リチャード・エア
  出演:クリスティーヌ・オポライス(マノン・レスコー)
     ヨナス・カウフマン(デ・グリュー)
     マッシモ・カヴァレッティ(レスコー)
     ブリンドリー・シェラット(ジェロント)

プッチーニ《蝶々夫人》
  指揮:カレル・マーク・シション
  演出:アンソニー・ミンゲラ
  出演:クリスティーヌ・オポライス(蝶々夫人)
     ロベルト・アラーニャ(ピンカートン)
     ドゥウェイン・クロフト(シャープレス)
     マリア・ジフチャック(スズキ)

ドニゼッティ《ロベルト・デヴェリュー》MET初演
  指揮:マウリツィオ・ベニーニ
  演出:デイヴィッド・マクヴィカー
  出演:ソンドラ・ラドヴァノフスキー(エリザベッタ)
     エリーナ・ガランチャ(サラ)
     マシュー・ポレンザーニ(ロベルト)
     マリウシュ・クヴィエチェン(ノッティンガム公爵)

R・シュトラウス《エレクトラ》新演出
  指揮:エサ=ペッカ・サロネン
  演出:パトリス・シェロー
  出演:ニーナ・ステンメ(エレクトラ)
     ヴァルトラウト・マイヤー(クリソテミス)
     エイドリアン・ピエチョンカ(クリテムネストラ)
     ブルクハルト・ウルリヒ(エギスト)
     エリック・オーウェンズ(オレスト)

 メトのライブビューイングの公式ホームページはこちらです。来年も、なかなか楽しみなラインナップですね。私は…あれとあれとあれを見る予定です(笑)。

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