ひとこと

  •  理解できない事。昨今の中国では「脚臭塩」と呼ばれる、足の臭いのする食塩が蔓延しているそうだ。分析してみると、亜硝酸塩という毒物さえ混入しているそうだ。また逆に健康に良いとされている短鎖脂肪酸が入っているケースもあったそうだ。どちらにせよ、食塩というものは、ほぼ純粋な“NaCl”じゃないの? 国際食品規格委員会で定められた食塩の品質に照らし合わせても、亜硝酸塩とか短鎖脂肪酸などが入り込む余地は無いんだけれどなあ。食塩というのは、人間が生きていく上で必要不可欠なものなのに、その食塩の品質すら危ういなんて、ああ理解できない。ちなみに、足の臭いのする食塩とか言うけれど、足の臭いって…どんなんだろ? 足って、そんなに臭いか?
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2015年3月11日 (水)

私はどこまで上達できるのか?

 プロ並みの演奏力を身につける…これを上達の最終目標としましょうか?

 よくネットで見聞きする情報の一つに「一万時間練習するとプロ並みの演奏ができるようになる」があります。

 一万時間と、ひと言で言っても、なかなか具体的に想像できません。

 一万時間と言うのは、毎日2時間ずつ月~金の週5日間練習する(大人の趣味人としは、かなり真面目な方ですね)と仮定するなら、丸々20年かかります。

 だって、2時間/日で、週5回なら、1週間で10時間の練習でしょ? これで一万時間をクリアするには、1000週間かかるわけです。一年間は52~3週ありますから、単純に1週間を50週として計算すると、20年かかる計算になります。

 つまり、大人の趣味人が、かなり真面目に練習を積み重ねていけば、20年でプロ並みの技術が身につく…ってことになります。

 これが20代の若者なら、20年たってもまだ40代です。40代でプロ並みの技術が身につくなら、それはそれで楽しいでしょうね。

 私はすでに50代ですから、今から20年後だと70代になっちゃいます。70代でプロ並みの技術が身についたからといって、それでどうだというのでしょうか? だいたい、70代になって、今のようにカラダが動いて、元気ハツラツとは限らないじゃないですか。だいたい、その頃まで音楽を趣味としてやり続けることができているかどうか、甚だ疑問だし、それ以前に、その年まで元気で生活している…いやいや、生きているかどうかも怪しいものです。

 仮に、それらをすべてクリアしていたとしても、私、そんなに真面目じゃないから、一万時間を積み重ねるのに、20年じゃあ、たぶん無理。40~50年は軽くかかるけれど、そうなると、ますます生きているかどうか疑問でしょ?

 つまり、私の場合、一生懸命、音楽の練習をしたところで、プロ並みの演奏技術を得ることは…無理ってことです。

 その上、時間だけではなくて、才能の点からも、プロ並みの演奏技術を身につけるのは、かなりきびしいと言わざるをえないよね。

 例えばフルート。私の場合、アルテの1巻を終えるのに6年超の時間がかかってますが、実はこのテキスト、人によっては1年足らずで終えてしまうのだそうです(それも結構多くの人が…ね)。もちろん教則本なんて、その人のペースで学べばいいのだから、時間の多少は問題ではないとしても、彼我の上達進度の違いは才能って奴の違いです。1年程度で終わるテキストも、私程度の才能だと6年かかってしまうってだけの話です。ああ、才能、無いなあ。

 物事には常に始まりがあって終わりがあるわけです。もちろん、始まりも終わりも“意図せずに”とか“いつのまにか”と言うこともあれば“ある事件をきっかけに”とか“せざるをえなかったから”などが、きっかけになる事もあります。つまり、始まりにせよ終わりにせよ、我々の意思が、そこに介在する場合もあれば、介在しない場合もあるわけです。

 私の場合はすでに始まっているわけだから、あとはいつ終わりがやってくるかって事が問題なんです。

 やむをえない事情で、私の意思を超えたところで終わりがやってくるなら、仕方ないですが、どこかで終了を決断しないといけなくなる時がやってくるかもしれません。

 例えば、ヴァイオリンを辞めたのは、東日本大震災があって、先生が落ち着いてレッスンをしてくれなくなった事と、やはり声楽とフルートの二つを学びながら、その上にヴァイオリンまで学ぶというのが、思った以上に大変だった事の2つが原因かな。ある意味、やむをえない理由でヴァイオリンを辞めたと言えます。

 振り返って考えてみれば、昔々(20年近く前に)合唱を辞めたのは、さらなる進歩を目指して声楽にシフトしたからです。で、その声楽を辞めたのは、先生が留学をするために、お教室を畳まれたから。でも、その際に色々とあって、私はちょっとばかり傷ついて、しばらく音楽から遠ざかってしまいました。

 もちろん、今はその傷も癒えて、声楽だけでなくフルートも学んでいる私ですが、それでも割りと最近、フルートも声楽も、先生が変わっております。フルートのように、前の先生が引っ越しをされたために円満に別れたり、声楽のように、散々な目にあわされて放りだされたりもしています。特に声楽の先生から受けた仕打ちは、トラウマになってますが、それでも歌を辞めてはいません。普通に考えれば、あれだけ人格攻撃を受けたら、声楽家不信、アンチ声楽人間になっても不思議ないほどに、傷めつけられたのにね(笑)。

 そうならなかった理由は(若い時と違って)今、音楽を辞めたら、もう死ぬまで音楽に戻ってくる事がないから、それを神様が哀れんでくださって、音楽を辞めるという決断をさせなかったんじゃないかって思ってます。

 だから、前の先生とお別れをした直後に、もっと素晴らしい先生と、すぐに出会えたんだろうと思ってます。

 今、習っている先生とも、やがては別れの時が来るでしょう。それが円満な別れであれ、さんざんイジメられて追い出される形であれ、そこで次の先生が見つからなければ、ジ・エンドです。でも、すぐに次の先生が見つかれば、音楽を継続できると思います。

 そう考えると、私の場合、上達のゴールに辿りつけない事が分かった以上、私がどこまで上達できるのかは、私がいつまで習い事を続けられるのかと同義かもしれません。すなわち、私がどこまで上達できるのかは、縁を取り持つ“音楽の神様”次第って感じになるかな?

 少なくとも、私には自ら音楽の学びを辞めるという選択肢は、たぶん無いだろうからね。やむなく道が閉ざされるまでは学び続けるだろうし、学び続けている限り、微々たりと言えども、絶えず上達し続けていくだろうからね。

 そういう意味では、毎日が薄氷の上を歩むような感じで、音楽を学び続けている私と言えるかもしれません。

 ううむ、でも、まだ、もっと、ちょっとでも、前に、上に、上達していきたいと、切に願っていたりします。

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音楽一般」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
すとんさんの音楽遍歴は、けっこう大変だったんですね。
私はそんなトラウマもなく、のんきにやっています。

が、「どこまで上達できるのか」は同世代の私も、よく同じことを考えます。

声楽を先生について習う以上、プロになるつもりは無くても、「プロ並み」のレベルにはなりたいですね。
それでも、始めたころは、「いつまでにこれができないといけない(試験がある)」学生さんと違って、趣味でやってんだからのんびりいけばいい、と思ってました。

しかし最近、半分芸術、半分スポーツの声楽は、年齢に限りがある、ということに思い当たりました。
だから、「若い」アマチュア声楽家ならば、じっくりやっていけばいいですが、50も半ばの自分にはそう時間が無いな、と気がつきました。

もちろん80歳を過ぎても朗々と歌っていらっしゃる方はいますが、そういう方は、若いうちにしっかり基礎を身につけていらっしゃるようです。
55歳でゼロから始めた自分は、せめて60歳くらいまでには、しっかりした基礎を身につけないと、その先歌う事が難しくなるような気がします。

ああ、連日の書き込み、お許しください。
すとん様のフレーズ
>>>物事には常に始まりがあって
を2つ、変奏致しますと、
A:物事には時期がある
B:始めるには時期がある

まず、Bに関して。某響奏者曰く、
バイオリンは小学生で始めるのは少し遅い。中学生で始めるのはあまりに遅い。
ま、これは、趣味で始める場合ではなく、
本格的にプロを目指すような場合でしょう。

次にAに関して。某共産主義国で、某時期、芸術が疎んじられて、
音楽大学の学生の手から楽器を奪って、その手に農機具を持たせて、
「音楽なんてやらなくていい、今すぐ農村に行って、農業をやれ!」
数年間、楽器に触れず、農業をやらされ、
数年後、音楽大学に戻ることができ、楽器に触れることができたが、
しかし、その後、誰も音楽家として大成できなかった、とのこと。

楽器絡みの、かなり極端な例を挙げてしまいましたが、
もう少し一般論的に考えてみても、誰もの人生に、
何かを始める時期、軌道に乗せるべき時期、集中するべき時期がありましょう。

高校で数学をやめてしまって、社会人になって数学をやり直すのは、
不可能ではないでしょうが、かなり難しいでしょう。
英語は社会人でやり直すことは可能ですが、
しかし、幼児期からバイリンガル教育を受けている人の域に達することは、
不可能ではないでしょうが、かなり難しいでしょう。

そんな、たいそうなことを書いてしまった私を、
どうか、すとん様、お許しください。

おはようございます。一万時間の法則、有名ですよね。どこが出典なのでしょうかねえ。私も計算したことがあります。だんだん掛け算していって、出た答えにびっくりして、「は?・・・今さら?、無理~」と思いました。
アマチュアは楽しくなくちゃ続かないし、苦しい思いはアクセントのようなものだと思うんです。プロになろうとする修行は、苦しい思いが先で、それもものすごく苦しい一万時間が続くんですよね。ということは、苦しいことが楽しめるくらいにストイックで、マゾっぽい性格であり、かつ、格闘家のようなド根性を根っこに持っているっていう三本の柱一人の人の中にあることが第一条件ってことなのでしょうかね。
早い話、普通の人から見るとものすご~く大変なことが苦しみながら楽しめちゃう性格・・・考えてみれば、それ自体がもうすごい才能ですよねえ。

若者意外についてです~~;
加齢が宿命の身に、上達は分野にも依りスピードは違うのではないかと思います。
声帯も老いるし、支える腹筋も当然です。
が、アリアなどは選曲により10年は衰えを隠していけるかな~と思っています。


楽器、フルートは分かりませんので・・ピアノは20年後も手入れさえ良ければ、
老いた音色出ないはずです。
問題は使う人間の方ですよね。

そこで潮時がよぎるんです。
レッスンはしていても、人前では醜態は避けたい。

プロのバレエ的には高齢での主役、エライ!とは思いますが、見たいくない。
後輩の道も狭められている事も考えると、尚更です。
年齢は残酷ですね。 
ゲイジュツの裾野に身を置く物にとって。

その日が来るまで、継続しましょう~?


私も心配ではあります!どのくらい上達できるか!いつまで歌えるか【あくまでも美しく歌える…という意味で】加齢により妙なビブラートがかかった声に変わる人まいますが発声に問題があるのか…。
また、舞台で歌う【発表会など】場合、女性は見た目も大事でドレスをきて見苦しくない程度に見た目も頑張りたい所。

美しく歌える…というと目標ともいえる先生の美声を目指しておりますが声楽って、急に上達できるものでもないのです。ただ、少しづつ熟成されていくのかな~と。その度合いはある意味、師匠の腕にかかっているかもですよね~。弟子の声を聞けば先生のレベルがわかりますものね~。
だから、いい師匠につくのが一番よいかもね!人によっては10年かかる声が7年で出来上がるとか、師匠の腕や生徒の資質によってはありなのかなぁ~。じつに才能があれば前からやってた人を簡単に抜いちゃうことはあるようですね~!才能=並外れた美声 ってこと?あとは、勘のいい人も効率的に学べるかな~。アマチュアにしてはよく歌えてる…というレベルが理想像かな~

のんきなとうさん

>しかし最近、半分芸術、半分スポーツの声楽は、年齢に限りがある、ということに思い当たりました。

 そうなんですね。前の先生であるキング先生はよく「歌は50歳まで。50を越えたら上達しない。だから50になる前に一人前に成らないといけない」とよく言ってました。たぶん、彼は私の年齢を知らなかったんだろうなあ~。あるいはイジワルを言っていただけなのかもしれません(結構イケズだったんですよ)。

 まあ、若者のように、時間もなければ未来もないわけで、だから到達できる高さにはおのずと限界はあるだろうけれど、自分の中での最高峰を目指して、ただただヨロヨロと登っていくだけです。

 たとえ年を取っていても、自分が上達していると感じられるのは、嬉しい事です。

operazanokaijinnokaijinさん

>何かを始める時期、軌道に乗せるべき時期、集中するべき時期がありましょう。

 ありますね。だから若者には無為に人生を過ごしてほしくないと思ってます。だらけた若者は、自分の可能性を消費しているだけの存在で、社会的には罪だと思ってます。

 若い時の苦労は買ってでもしろ…と言いますが、まさにそのとおりだと思ってます。好きな事キライな事問わず、色々なことにチャレンジして、たまにはムチャブリをされたり、無理難題を押し付けられたりしながら、人は可能性と適性を見つけて成長していくんだと思います。

 そのためにも、若い時は、是が非でも、体力と教養を身につけないといけないんだと思います。体力もなければ教養もない若者なんて、誰にも相手にされないよって事です。

だりあさん

>早い話、普通の人から見るとものすご~く大変なことが苦しみながら楽しめちゃう性格・・・考えてみれば、それ自体がもうすごい才能ですよねえ。

 昔、国際コンクールに出場するピアニストの卵さんのお世話をした事があります。彼は、朝起きてから寝るまでの間、食事とトイレ以外は、ずっとピアノを弾いてました。コンクールが近いから必死に練習をしているんだろうなあ…と思っていたら、別にそういうわけではなく、彼にとっては、それが日常生活なんだそうです。そして楽しい日常生活のようでした。端から見ると見ると、なんとも大変な生活に見えますが、本人は大好きな事を毎日とことんやれて幸せのようでした。

 そういう人がプロになるんだなあ…って思ったわけです。

 一万時間と聞いてひるんでいるようじゃ、まだまだだなって思いました(笑)。

wasabinさん

 声楽の場合、自分の年齢や技量に合わせて歌っていけば、案外年をとっても楽しめるんだろうなあって思います。

 私も以前キング先生に習っていた時に「ベッリーニを歌いたい!」と訴えたら「ベッリーニなんて簡単な曲は、年をとってから幾らでも歌えるから、今はオペラアリアにチャレンしなさい」っと言われて、結局ミュージカルのソングを歌った経験があります。

 今思えば、ミュージカルのソングの方が、ベッリーニよりも全然難易度低いじゃんって思いますし、ベッリーニこそ、若い内に歌わないと歌えなくなっちゃうって思ってます。ベッリーニって、激しく難しい曲が多いものね。

 それはともかく、確かにオペラアリアは若くて体力があるうちでないと歌えないかもしれません。もはや私は若いとは言えませんが、少なくとも、明日の私よりも今日の私の方が若いので、頑張って歌っていこうと思ってます。

アデーレさん

>加齢により妙なビブラートがかかった声に変わる人まいますが発声に問題があるのか…。

 私の年代だと、晩年の淡谷のり子氏がそうでしたね。若い時の録音を聞くと、なかなか素晴らしいのですが、晩年の女史の歌唱は、それはもう目も当てられないほどでした。「なんで、この人は、こんな醜態をさらすのだろう」と思ったものです。おそらく、本人的には今でも十分歌えると思っていたのでしょうが…誰か止めてあげればよかったのにね。晩節を汚す…と言ったところでしょうか。

>弟子の声を聞けば先生のレベルがわかりますものね~。

 まさにその通りです。せっかくの逸材も、下手くそな先生の手にかかると、上達できないどころか、ぶっ壊されてしまいますからね。ほんと、先生はしっかり選ばないといけません。

 妻の声がぶっ壊れた時には、ほんとビックリしたものです。もちろん、今のY先生のことではありませんよ。

こんばんは。ご無沙汰しています。

> 一万時間と聞いてひるんでいるようじゃ、

全くその通りです。元理系崩れですが、10代後半のおそらくピークであった当時は毎日文庫1000ページをメドに読んでいました。翻訳ものなので、語学は別の話題です。
当時は全くフルートには触れていませんでしたが、大学にはオケとか他にもサークルがあった(今もありますが)のでもったいなかったかもしれません。
フルートは2,3時間/週程度でなんとか続いている、というかやっぱり止められません。
四捨五入すると自分でもオドロキの年齢ですが、未だに一つのことに集中できない浮気者です。それはそれで面白いのですが。

>少なくとも、私には自ら音楽の学びを辞めるという選択肢は、たぶん無いだろうからね。やむなく道が閉ざされるまでは学び続けるだろうし、学び続けている限り、微々たりと言えども、絶えず上達し続けていくだろうからね。

ここ↑を、今あらためて読ませていただいて、心がズンとして、しみじみ~としています。
私も、すとんさんの書かれたこととまったく同じことをよく考えます。私も、死ぬまで音楽は手から放さないでしょう。たとえ今流行りの「認知症」となっても、たぶん、私の場合はところ構わず歌う認知症ばーちゃんで顰蹙をかうことになるんでしょうね・・・。
または、ピーピーピーとうるさい笛音をまき散らす笛吹き認知症ばーちゃんでしょうね。どちらにしても騒音型ですね。でも、学びを続けていれば、アタマはしっかり働き続けますよね。そっちに希望をつないで、せっせと楽譜を読み続けよう、と思いました。

tetsuさん

>未だに一つのことに集中できない浮気者です。それはそれで面白いのですが。

 スペシャリストだけが素晴らしいのではなく、ゼネラリストも素晴らしい、と私は思ってます。確かに一芸に秀でている事は素晴らしい事ですが、何事であっても嗜みがあるというのは教養の一つだと思います。

 若者なら、色々と経験する中から、自分にふさわしいものを見つけられるでしょうし、若くなくても、色々と経験する事で、自分の人生に広がりを感じることができると思います。

 ビバ! ゼネラリスト。

だりあさん

 ありがとうございます。雀百まで踊り忘れず、でありたいと思ってます。

 あと、音楽家ってなかなかボケないという都市伝説もあります。おそらく、一生懸命楽譜を読んで、一生懸命に指を動かしたり歌ったりして、そういう事を日々繰り返している事で、ボケ予防につながっているんじゃないかしらって思います。少なくとも、音楽趣味を続けていると、適度に脳みそと肉体を使いますからね。良い事だと思います。

 それ以前に、きっとボケたら、音楽趣味は続けられないんじゃないかって思います。だって、音楽って、意識がクリアじゃないと演奏できないでしょ? そう思うと、ボケうんぬんよりも、音楽ができなくなることの方が悲しいです。

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