ひとこと

  •  ああ、楽しい。楽しすぎる。8月に入って以降の私のプライベートライフが楽しすぎる。楽しすぎて楽しすぎて、ちゃんと社会生活に戻れるかどうか、とっても不安。ああ、本当に楽しすぎて、人間、ダメになりそう…。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2015年3月の記事

2015年3月31日 (火)

花粉症の季節ですが、皆さんはいかがですか?[2015年3月の落ち穂拾い]

 3月下旬と言えば、花粉症真っ盛りの季節ですね。なんでも今年の花粉の飛散量は、例年並なんだそうですが、前年度比だと約3倍なんだそうです。つまり、去年はあんまり花粉が飛ばなかった…って事なんでしょうね。

 で、私の状況と言えば、全く花粉症の症状が出ない…というわけではありませんが、まあ何とか乗り切っています。服薬と目薬とマスクぐらいしかしてませんが…、目は日に二度ほど定期的にアレルギー用の目薬を点していれば、うっかり目をこすらない限り大丈夫です(うっかり目をこすっちゃうと…かゆくてたまりません:笑)。鼻は…たまに垂れるぐらいで、まあ大丈夫。むしろノドのイガイガの方が症状激しいかも。でも、ノドは水やお茶を飲んだりして洗い流せる部分も多いし、そうでない部分は優しくタンを出して、なんとか凌いでいます。長時間外出していると、頭痛がしたり発熱したりしますが、それはご愛嬌って事で(笑)。だいたい、花粉症の頭痛や発熱なら、家に帰って落ち着けば収まりますからね。むしろ、カラダはいつも花粉と戦っているので、他の時期と比べて、疲れやすくなっているので、意識的に睡眠を多く摂るようにしています…って、春眠暁を覚えずって奴かもしれませんが。

憲法について

 私の場合、憲法について、一つの記事にできるほど、きちんと考えているわけではありません(だからここに書いているわけです)。

 ただ、事実として、日本国憲法は世界の中で最も古い憲法として有名です。“古い”と言うのは、改正も修正も追加もされずに、制定された当時の原型のままでいる期間が長いっていう意味で“古い”憲法だと言うのです。大抵の国では、憲法というのは、もっと手軽に頻繁に時代に合わせて改正修正されるものです。日本国憲法は1947年の施行ですが、これ以前に施行された憲法で、改正されていない憲法は、少なくとも先進国にはありません。もちろん、日本国憲法よりも後に施行された憲法だって、たいていは何度も改正修正されています。

 日本と同じ敗戦国であるドイツだって、戦後は60回近く憲法改正してますよ。何かと日本に文句を言う、中国や韓国だって、10回程度憲法改正しています。日本に憲法を押し付けたアメリカだって6回ほど憲法改正しています。

 なのに日本だけ憲法を時代に合わせて改正できないなんて、なんか変ですし、一人前の法治国家とは言えませんよ。私はそう思います。

 日本の憲法は、すでに時代に合わなくなってきています。何かと話題に上りやすい軍事周りの法整備も必要だけれど、そこだけが憲法改正が必要な部分ではありません。例えば、国内を跋扈している在日外国人問題なんかもそうです。きちんと移民法を制定しなければ、彼らのやりたい放題のまんまです。そのためにも憲法改正は必要です。

 私は個人的は反対ですが、同性婚だってそうです。現状の憲法のままでは、同性婚は憲法違反であり、認めてはならないモノですが、これだって憲法を改正することで、合法な存在とする事ができます。

 通信に関する法整備とか、ソフトウェア(つまりモノではないモノ)に関する著作権利の扱いとか、あげつらえば憲法を改正して、法律をきちんと整備しなければならない事って、それこそ山のようにあるわけです。

 なので、憲法改正をしないのは怠慢以外のナニモノでもありませんし、憲法改正反対なんて、日本を1945年の敗戦国のままにしておきたいだけの、某国の工作員たちの陰謀なんじゃないかって勘ぐりたくなりますよ。

吹奏楽部の顧問

 チューナーって便利ですよね。参考音源って、ほんと、参考になりますよね。

 中高生に限らず、一部の吹奏楽部顧問(指導者)にも、少なからず、チューナーや参考音源に頼りっぱなしという人がいらっしゃいます。

 でも、これはある意味、仕方のない事なんです。と言うのも、吹奏楽部顧問の方って、学生時代に自分が経験した部活動以外の音楽経験のない方も大勢いらっしゃるからです。つまり、吹奏楽部の顧問をなさっている方の大半は、音楽的な専門教育を受けていない方なんです。

 多くの顧問のセンセは、ご自分が中学高校の部活(人によっては大学時代のサークル活動も含む)経験があって、大学は一般大学で教育を学び、教師としては音楽以外の教員資格で学校に赴任して、学生時代の部活動の経験から、吹奏楽部の顧問をおやりになる方、大勢いらっしゃると言うよりも、それが昨今の吹奏楽部顧問の王道と言って良いでしょうね。昔のように、必ずしも音楽科の教員が吹奏楽部の顧問をなさるわけでないのが、21世紀のトレンドなんですよ。

 まあ、音大を卒業されている音楽科の教員って、その多くはピアノ科か声楽科のご卒業なので、音楽の専門教育を受けていると言っても、管楽器や打楽器を主体とする吹奏楽に関しては、ジャンル違いの素人さんも同然なので、だったら、音大以外の学校を卒業されていても、ご自身が学生時代に吹奏楽を経験されていらっしゃる方のほうが、吹奏楽部顧問として、より適切だ…とも言えるんですよ。

 専門教育を受けていても、その分野に関しては素人の先生と、音楽的な専門教育は受けていなくても学生時代の経験のある音楽的には素人の先生と、どっちが良いかという話であって、吹奏楽を音楽の一つのジャンルだと考えれば、音大卒業の先生の方が良いのでしょうが、吹奏楽部の部活という側面を重視するなら、学生時代に経験のある方の方が良いとも言えます。

 なので、指導者なのに、チューナーや参考音源に頼りっぱなしという現状があっても、やむをえないかな…なんて思うわけです。

今月のお気に入り 龍角散

 最近の私は、以前と較べて、発声方法を変えてカラダへの負担を減らした事もあって、ノドが痛くなったり、声が出なくなったりというトラブルが、とても減りました。しかし、全くないわけではありません。例えば、今の季節は花粉症の影響もあり、ノドにタンがたまる事も多く、外出から戻った時などは、ノドがイガイガする事もあります。

 うがいで治まるものなら良いのですが、そうもいかない事もあります。そんな時はノド飴の出番です。まあ、一粒二粒で治まるならノド飴も悪くありませんが、ノド飴ってカロリーがあるんですよね。ダイエット中の人には、あまり良いものではありませんし、ノド飴って、どれもこれも効き目が穏やかで、即効性に欠けるきらいがあります。

 そこで、はたと思い当たって、龍角散を使用してみました。トローチとか飴タイプのものではなく、昔ながらの粉末状の奴です。

 これ、いいですよ。まず、カロリーがない(当然)。漢方薬なので、効き目が強くて即効性があります。ノド飴の比ではありません。味が私好み(笑)。欠点は、粉薬なので、携帯性がちょっと悪い事と、服用がちびっと面倒くさい事…かな? まあ、だからトローチタイプや飴タイプの龍角散が発売されているんだと思います。

 ゴホゴホ言っている暇があったら、サクと龍角散を処方するのが良いと思います。別に龍角散に咳止めの作用はないはずですが、不思議と龍角散を処方すると、咳が穏やかになるんですね。不思議です。声のためには、良いお薬だと思います。

今月の金魚

2015年3月4日  アズニャン(本名:梓)、星になる
2015年3月8日  ヤヨイ(弥生)がやってくる
2015年3月14日  メダカ20匹、投入
2015年3月19日  ハンナ(本名:華)、星になる
2015年3月21日  ミカンとミドリ[二代目]とエビ5匹がやってくる
2015年3月30日  ミドリが入院する

今月のひとこと

 師走って12月の事だけれど、たぶんそれは江戸時代の話だよね。今の師走は、絶対に2~4月の事だと思うよ。いっそ季節を、春・夏・秋・冬・師走と5つに分けてもいいくらいだよ。(2015年2月28日~3月3日)

 最近、スパムコメントが増えています。まあ、ほとんどがアメリカの商売人からの自サイトへの誘導コメントなんだけれどね。負けないよ、見つけ次第、削除削除です。こんな事では、私はめげないんだから(笑)。(2015年3月3~9日)

 自民党が憲法改正を考えているらしい。それはそれで結構な事。憲法改正反対なんて、思考停止もいいところだからね。問題は、何をどう変えるのかって事でしょ?「戦争の放棄」なんて、今どき、どの国の憲法でも書いてある事なんだから、今更でしょ? 問題は色々あるけれど、私は移民関係に関する項目を作って欲しいと思います。そして移民法をきちんと制定することが大切かなって思います。(2015年3月9~15日)

 最近は、疲れすぎがデフォルトとなり、自分が疲れているという自覚があまりありません。でも、目をつぶるだけで、簡単に意識を失える状況は『おつかれさん』としか言えません。で、疲労回復のために、なるべくたくさん寝ようと試みるんだけれど、どうも睡眠の質が悪いのか、寝ている割には疲れが取れません。ああ、疲れが貯まる一方だ。どうせ貯まるなら、お金が貯まって欲しいものだが…いくら身を粉にして働いても収入にはつながらないのが寂しいね。(2015年3月15~16日)

 上野東京ラインが開通して、ネットでは、あちらこちらで悲鳴が聞かれるようになりました。これだけ怨嗟の声が上がるなんて、一体、誰得なんでしょうね? 少なくとも従来の東海道線ユーザーには、良い事なんて一つもないみたいです。まあ、上野東京ラインの開通は、乗客の利便性を考えての事ではなく、品川の車両基地を廃止するためのモノらしいので、仕方ないと言えば仕方ないね。なにしろ、品川の車両基地を廃止して、そこに新駅を作って周辺を開発するのが目的という噂がありますね。都市開発か…もうかるだろうねえ。(2015年3月16~25日)

 今時期は、いわゆる“春休み”って奴で、児童生徒学生さんたちは長期休暇でございます。私は相変わらずの繁忙期です。ちょっぴり彼らがうらやましいです。私も、しっかり休んで疲れをふっ飛ばしたいです。(2015年3月25~26日)

 渋谷区で「同性パートナー条例」が可決されたそうな。簡単に言えば“ホモカップルやレズカップルも正規の夫婦として扱いましょう”っていう内容の条例。同性愛者には悪いけれど、これはさすがにマズいでしょ。憲法に違反するのはもちろん(憲法では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』って決まっているからね)、犯罪に使われそうでイヤだな。この条例って、つまり条例なわけで、正式の結婚よりも色々と敷居が低いのは当然として、だからこそ犯罪目的で使用されそうでイヤです。例えば、在日犯罪外国人の戸籍ロンダリングとかね。まあ、それ以前に“不自然”というか、結婚制度の否定につながるわけで、そこもイヤです。それにね、同性婚を認めるのなら、私は重婚(複数の異性と同時に結婚できるようにする事)も認めるべきだと思うよ。金持ちが正式にお妾さんを持てるようになれば、不倫カップルだって正式の夫婦になれるわけだし、いわゆる私生児も無くなるわけだしね。同性婚と違って、少子化問題の歯止めの一つになるかもしれないじゃん。なので、同性婚より重婚の方を先に認めるべきだと、私は思います。さらに言えば、私は反対だけれど、獣婚とか児童婚だって同じ俎上にあげるべきでしょ(でなきゃ、フェアじゃないよね)。男女のカップルだって“内縁の関係”があるんだから、ホモさんレズさんたちも“内縁”で我慢しとけば良いと思うけれど、それを法的に認めろってなるのは、かなりオカシイと思うわけです。(2015年3月26~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2015年3月30日 (月)

オペラとミュージカルの違い

 オペラとミュージカル。両者ともに歌芝居であって、似ているようで違い、違っているようで共通点も多いモノです。では、両者の違いはどこにあるのでしょうか?

 私が思うに、制作された時代が違うだけ。それだけだと思います。後の違いは、オペラとミュージカルの違いと言うよりも、個々の作品の違いに起因するのではないかと思います。だから、両者を較べて、オペラの方が芸術性が高いとか、ミュージカルの方が楽しいとか、そんな事はないと思います。

 しかし、制作された時代が違うと言うのは、実はかなり大きな問題だと思います。

 例えば、主に使用される言語が違います。オペラは、制作当時のヨーロッパにおける音楽界の共通語であったイタリア語が主に使用され、一部のオペラでドイツ語やフランス語、ロシア語などの現地語が使われました。一方、ミュージカルは巨大な国力をバックにブイブイ言わせているアメリカの英語(アメリカ語:事実上の世界共通語)が主に使用され、一部のミュージカルは、ドイツ語やフランス語、日本語などで作曲されました。

 この使用される言語の違いは、台本の違いにつながっていきます。オペラはイタリア語で台本が書かれているものが多いので、物語はイタリア的な気質に満ち満ちているわけですし、ミュージカルは英語で書かれているものが多いので、アメリカっぽい作劇になっているわけです。そしてこれら使用される言語の違いは、その時代において、どの言語が音楽界を席巻していたのかという違いから来ています。

 さらに言えば、オペラは原語上演主義で、基本的に世界のどこに言っても『椿姫』はイタリア語で、『カルメン』はフランス語で上演されます。同一の台本を使用するので、ジェット機に乗って世界中を飛び回って活躍するスター歌手が存在します。一方、ミュージカルは翻訳上演主義ですから、大半の作品が現地語に訳され、現地のミュージカル歌手たちが現地の言葉で上演します。世界的なスター歌手がいないわけではありませんが、基本的にローカル歌手たちによって上演されるのがミュージカルです。

 なぜオペラでは原語主義なのか? おそらくは当初のオペラはヨーロッパが主な消費地であり、ヨーロッパという地域では、多言語が日常で錯綜している地域で、複数の原語を理解する人も多かったからではないでしょうか?(この部分、私の推測です) 今の時代は…やはり現地主義というか、何でもローカライズして、広い層にまで受ける必要がありますよね、そうしないと経済的に成り立たないし…。

 また、オペラはせいぜい20世紀前半までに作られています。レパートリーとしては、すでに完結しているので、基本的に新作は作られません。一方ミュージカルは20世紀中葉から作られ始め、今でも新作が作られ続けています。

 ある意味、時の洗礼をすでに受けているのがオペラです。ですから、現存するオペラにはハズレがありません。すでに愚作は淘汰され、優秀な作品のみが残っているわけです。一方ミュージカルは、まだ時の洗礼を受けていませんから、実に玉石混交です、って言うか、駄作が多すぎますが、それはご愛嬌でしょう。

 また、ミュージカルは基本的に二幕仕立てで、上演時間も休憩を入れて3時間前後なのですが、オペラは二幕とは限らないし、上演時間も作品によってまちまちです。今は昔ほど時間に余裕がないと言えるのかもしれません。

 オペラとミュージカルは、制作年代が違うために、作品の様式もかなり違います。同じ音楽劇とは言え(例外もありますが)基本的に音楽だけで芝居を進行していくのがオペラであり、芝居そのものはセリフ劇で進め、要所要所で歌うのがミュージカルです。

 違いは劇の進め方だけではありません。オペラは基本的に分業制で関わる人間が多いです。例えば、オペラでは、歌手は歌手であり、ダンサーはダンサーです。また、歌手も一人一役が当然で、ソリストはソリストであって、合唱は合唱です。

 しかしミュージカルは違います。ミュージカルは関わる人間が少なくて、色々な人が色々な事を兼ねながら劇を進めていきます。歌手がダンサーを兼ねるのは当然です。歌手たちが場面転換の際に大道具の移動を行うのも普通です。とにかく、主役以外の人は、一人で何役もやります。当然、歌手としても、ソロも歌えば合唱もやります。ですから、贔屓の歌手がいるなら、香盤表のチェックは大切です。それにしても昔の方が、人員的には贅沢で、何かと余裕があったんでしょうね。

 機材も明らかに違います。舞台・照明と大道具小道具、それにオーケストラの伴奏で演じるのがオペラですが、ミュージカルはそれに加えて、音響設備って奴が加わります。つまり“マイクとスピーカー”って奴です。ですから、オペラでは生歌が前提ですが、ミュージカルではマイクテクニックを駆使した歌い方が必要となり、必然的に歌唱テクニックが違ってきます。オペラではより遠くまで響く声が、ミュージカルではマイクで上手に拾える声が、必要となってきます。やはり、その時代時代に応じたテクノロジーが採用されるのです。

 だいたい、オーケストラを構成する楽器も違います。オペラは、いわゆるクラシック音楽(交響曲をイメージしてもらうと分かりやすい)で使用される楽器でオーケストラが構成されていますが、ミュージカルではむしろポピュラー音楽のバンドに近い形態のオーケストラが使用されます。例えば、ドラムやエレキギターやエレキべース、シンセサイザーにサクソフォーンなどクラシック音楽ではあまり耳にしない新しい楽器も、普通に使います。もちろん、ヴァイオリンなどの伝統的な楽器も使うけれど、オペラのように十数台も使うわけではなく、せいぜい2~4台ぐらい。足りない分は、シンセでそれっぽい音を出して補うわけです。やはり、現代的な音楽を演奏するには、現代の楽器を使う必要があるんでしょうね。

 というわけで、オペラとミュージカルの違いは、制作された年代が違うだけ…と言うのが、私の意見です。

 あと、これは本質的な違いではないでしょうが、日本特有の事情による、オペラとミュージカルの違いがあります。

 まず、ミュージカルは、そこに携わる人たちがそれで食えます。日本のミュージカル・カンパニーって、営利団体として健全な団体が多いです。一方、オペラじゃメシは食えません。オペラ上演で生活を成り立たせることは、まず無理です。オペラ・カンパニーって、営利団体としては成り立っていない所が大半です。だから、一部のオペラ歌手以外は、バイトをしないと生きていけないわけです。いや、その一部のオペラ歌手だって、オペラ上演以外の仕事(例えば、大学で教鞭を取るとか、テレビでタレント業をするとか、リサイタルなどの自主公演を行うとか)を仕事の中心に据えて、なんとか続けているぐらいです。だから、ミュージカル歌手は職業かもしれませんが、オペラ歌手は道楽なのかもしれません。

 そんな食えないオペラ歌手なのに、成るには、原則、音大卒業が必須となります。この音大ってやつが、コストパフォーマンスが最高に悪い大学なんですよね。一方、ミュージカルは多彩な人材がいて、その出自も様々で、ミュージカル歌手になるためのチャンスもあっちこっちに転がっていて、結局学歴ではなく実力がモノを言う業界だったりします。

 つまり、オペラって、日本ではインテリの教養なんですね。それも古臭い教養なのかもしれません。だから、オペラの観客って(私も含めて)高学歴の年寄りばかりなんです。一方、ミュージカルはエンタメです。客層も老若男女幅広くいます。さらに言えば、最近では2.5次元のミュージカルも大流行です。例えば『テニスの王子様』とか『弱虫ペダル』とか『神様はじめました』とか『デスノート』とか…なんかもう、すごいですね。ほんと、ザ・エンタメって感じです。でも、馬鹿にしちゃダメですよ。結構、ここからスターが生まれていたりするわけですから。

 まあ、日本では、オペラは芸術だけれど、ミュージカルは芸能扱いなのかもしれません。芸術もいいけれど、芸能も悪くないよね。

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2015年3月29日 (日)

どうもスリにやられたらしい

 今週は年度末という事もあって、送別会やらなんやらが目白押しで、まじめにダイエットできなかった上に、体重測定をしている暇すらありませんでした。たぶん、来週は体重測定できるだろうけれど、減るどころか…たぶん増えている(笑)。ああ、どれくらい増えているのだうか…ちょっとビクビクです(涙)。

 さて、今週のエッセイに参ります。

 なにぶん、色々と分からない事があって、はっきりしないのですが、どうも先日、スリにやられたらしいのです。あ、私ではありませんよ、息子くんが…です。なので、今回の記事は「皆さん、スリには注意しましょう」という祈りを込めてアップします。

 では息子くんが、いつスリにあったのか…これがよく分からないのですよ。

 その日は休日で、息子君は渋谷に行って模擬試験を受ける予定だったのです。だったら、まっすぐに渋谷に行けば良いのに、何故か上野を目指してしまったんです。理由ですか? 単純な話で「上野東京ライン」に乗りたかった…だけなんです。で、上野経由で渋谷に行くつもりだったんです(すっごい遠回りですなあ)。

 地元の駅で、スイカにチャージをしたので、その段階では財布にお金が入っていたわけです。で、上野に着いて、エキナカのラーメン屋で昼食を食べようとして、30分も並んで、やっと券売機のところにたどりついたら、財布の中がカラだった…という話なんです。

 最初は「スイカをチャージする時にお釣りを取り忘れたんじゃないのか(5000円札で2000円分チャージしたのです)」と思ったのですが、本人はしっかりお釣りはもらったと言うし、上野のラーメン屋で財布を見た時は、札だけでなく、小銭も無くなっていたというのです。スイカのチャージで札を取り忘れたとしても、小銭が無くなるのは不思議だ…というわけなんです。

 で、スリにあったんじゃないかって話になるわけです。

 仮にスリにあったとしても、スられたのは、お金(札と小銭)だけ。財布は手元にあるし、財布に入れていたスイカもスられていません。なので、スリだとしたら、一度息子くんからスッた財布から、札と小銭だけを抜き出して、財布を戻した…という事になります。ううむ、スリだったら、財布をスるだろうけれど、財布を戻すか? もしも戻すとするなら、そりゃあプロの犯行だよなあ…。

 スられた金額は3000円+小銭少々だけです。まあ、金額的には大したことはないけれど、高校生的には大金だろうし、小遣いをもらった翌日にスリ被害にあったわけだし、何よりもスリにあったという事実が悔しいじゃないですか?

 でも、どこでスられたのか、全然分からないんですよ。地元の駅なのか、上野東京ラインの車内なのか、上野の駅で移動中の話なのか、上野のラーメン屋の行列に並んでいる時なのか? 本当に、全く分からないのです。どこでスられたのか分からないし、当時は時間もない(結構ギリギリの時程で動いていた)ので、警察や鉄道公安室に被害届も出せなかったんですよ。

 まあ、結果としては泣き寝入りですね。だって、本当にスられたのかも分からないし、スられたとしても、どこに届け出るべきかも分からないし、お札に名前を書いておいたわけではないので、絶対に戻ってくる事はないし…。

 本人にスキがあったのは事実です。だって、暇さえあれば、いつでもどこでもゲームをしていて、ゲームに集中しているわけです。ポケットから財布を抜かれようが何されようが、あれじゃあ絶対に分かりません。

 まあ、今回の件は「移動中は気を抜かない事。気を抜くと、財布をスられることもある」という事を学んだ授業料と思う事にしました。

 知る人は知っているから、これは風評被害には当てはまらないと思うのだけれど、上野って、東京の有名な観光地の中では、かなり治安が悪い事で有名なんだよね。

 あそこは、ほんと、昔から治安が悪いんです。だから私は、息子くんと同じ年の頃から、上野に行くときは、あれこれと警戒していたものです。私に言わせれば、治安の良くない街に行くんだから、それなりの危機意識をもって出かけなきゃいけないのに、警戒も何もなくて、ボケーッとゲーム三昧していたのは、あまりにマヌケだと思うわけです。

 こんなスキだらけの人間が海外に出たら、真っ先に犯罪に巻き込まれるんだろうなあ…。ああ、心配だ。

 上野東京ラインで上野と湘南が電車一本でつながったと言うことは、東海道線の中の安全度が下がったという事でもあるんだよなあ。まあ、元々、電車の中では、そんなに気を許すことはない私だけれど、今後はさらに警戒をして電車に乗らないといけないって事だね。特に、横浜-品川間なんて、ただでさえ殺人的に混雑する箇所だから、そこにスリが紛れていたら、どうにもできないし、ならないよね。ああ、クワバラクワバラ。

 ところで、上野東京ラインって、マジ、ヤメテくれないかな…。少なくとも、埼玉群馬栃木方面の電車は品川で全部ストップして、川崎横浜方面の電車は東京で全部ストップする。利用者的には、それだけ路線が重複していれば、それでいいんじゃないの? 何も無理して、埼玉群馬茨木と神奈川を電車一本でつなぐ必要は無いと思うんだよなあ。途中、上野や東京で乗り換えれば済むだけの話じゃないの? 埼玉群馬栃木と神奈川を電車でつないだ結果、神奈川県を走る東海道線の車両連結数が、15両が標準だったのに、今は(特に混雑時は)10両標準になってしまいました。乗り込める客の数が2/3になってしまったんだよ。ただでさえ、ラッシュ時はスシ詰め状態なのに、本当にヒドいことになっています。これでは、ダイア改正ではなく、ダイア改悪だよね。ほんと、上野東京ラインって、ヤメテくれないかな…。

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2015年3月28日 (土)

ミカンとミドリ(二代目)と、エビが5匹やってきました

 短命に終わったハンナの代わりの子を買い求めてきました。

 やっぱりホームセンターの子はウチには合わない!って事で、今回行った店は、隣町の総合ペットショップです。ヤヨイを買い求めた店に、再びやってきました。

 ハンナはサラサオランダでした。で、元々ハンナはサクラ(丹頂)の次の子ですので、枠的に言えば、今回買うべき子は“二色金魚”の枠なんですが、店にいた二色金魚は…丹頂だけでした。丹頂を見ると、まだサクラの事を思い出してしまうので、ちょっと丹頂はパスです。そうなると、二色金魚は買えません。なので、二色金魚は諦め、別の種類の子にする事にしました。

 とても可愛い茶金(チョコレートオランダ)がいましたが「オタキサン(フナ色のオランダ)とキャラがカブるからダメ」と妻に言われて止めました。他にも可愛い青文(鉄色のオランダ)もいましたが、やはりこの子もオタキサンとキャラがカブリそうなので止めました。

 ううむと唸っていると、私の目の前を、オレンジ色の可愛い子がスーと泳いでいきました。でも、赤い金魚はホノカ(素赤琉金)がいるしなあ…。買えないよなあ…。

 で、買っちゃいました(笑)。素赤オランダでした。もっともこの子は、赤い金魚と言ってもオレンジ色で、かなり黄色がかっていますので、同じアカでも、真っ赤なホノカとは、だいぶ印象が違います。おまけに体型も琉金であるホノカとは全然違うし…。それで「まあ、いいか」と言う事にしました。

 この子はオランダなので、頭に肉瘤が付いてますが、あまり美しい肉瘤ではありません。なんか、瘤と言うよりも粒って感じです、肉粒ね。さすが総合ペットショップ、薄い体色といい、形の悪い肉瘤といい、いわゆるハネモンの金魚です。でも、そんなハネモン感が可愛いので、気に入りました。特に、そのオレンジ色の肉粒が可愛いんです、だからミカンと名づけました。

 オタキサン(フナ色オランダ)とヤヨイ(三色琉金)とミカン(素赤オランダ)か…なんかシマラないなあ…と思っていた私の目が、ふと止まりました。その水槽は、ヤヨイが入っていた水槽で、まだまだたくさんの三色琉金たちが泳いでいましたが、その子たちが私の目をひいたのではありません。私の目をひいたのは、漆黒の子です。

 いわゆる黒出目金です。でも、普通の出目金と違って、目があまり出ていません。出目金なのに、目の飛び出し方が中途半端で、出目金と言うよりも、龍眼と言った感じです。これまたハネモンですね、こんなに形の悪い出目金は、専門店ではお目にかかれません(笑)。でも、これがなかなか可愛いんです。

 この子も買っちゃいました(笑)。いやあ、ハネモンの可愛らしさは、雑種犬の可愛らしさに通じますなあ(大笑)。ちなみに、この子は漆黒の体色なのでミドリと名づけました。緑って、英語に訳すと、GreenとBlackの二つの意味があるけれど、Blackの方の意味で名づけました。「みどりの髪」って言い方があるでしょ? あれですよ、あれあれ。ミドリという名の金魚は以前にもいたので、今回の子は二代目になります。ちなみに、先代も同じ黒出目金でした。

 金魚を二匹購入して、気持ちが大きくなった私は「そうそう、ウチの水槽からエビがいなくなって、随分経つなあ…」と思ったので、ついでにヤマトヌマエビを5匹も購入しました。

 うふふん、ほくほく。とりあえず、これで水槽もだいぶ賑やかになるなあ。

 ちなみに、お値段の方は、ヤマトヌマエビが140円/1匹で5匹合わせて700円。ミドリ(黒出目金)が380円。ミカン(素赤オランダ)が640円。いずれの子も総合ペットショップなので、安い安い。金魚専門店では、なかなかこのお値段で金魚は買えませんよ。桁が違っちゃいます(笑)。

 とにかく、ミカンとミドリです、よろしくお願いします。

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2015年3月27日 (金)

最近の私の反省

 フルートのレッスンを…お休みしたので、今回もフルートエッセイでお茶を濁します。
 最近の私の反省と言えば…練習をしない事。ほんと、自分でもびっくりするくらい、フルートの練習をしていません。まあ、これはフルートに限らず、声楽でも同じ事なんだけれど、それでも声楽は歌わなくても、コツコツと歌詞を読んだり、発声について考えたりと、練習以外の時間でも声楽について心を砕いている事も多いのですが、フルートに関しては、練習していないと、ほんと何もしないんです。ヘタすると、フルートについて何も考えないまま、2~3日が経ってしまったりして、ビックリしています。

 別にフルートの事がキライになったり、飽きたりしたわけじゃないんだけれど、フルートの場合、フルートという楽器/道具に触れない限り、フルートモードにならないのが私の欠点かもしれません。だって、声楽の楽器であるノドは,いつも身につけているわけだから、常時声楽モードとも言えます。常に楽器を身につけているかどうか、そこがフルートと声楽の大きな違いかもしれません。

 そんな私にも、毎日熱心にフルートの練習をしていた時期がありました。

 老犬ブログの過去ログを何気なく漁っていたら、こんな記事を見つけました

 「私の日課練習・フルート編(2009年6月現在)」

  2009年6月の記事ですから、今から約6年前の話です。この頃の私は、前の先生である笛先生について、アルテの8課を学んでいた頃です。フルートを始めて、ようやく1年経った辺りで、とても熱心で真面目だった頃です。

 詳しい事は、当該の記事を読んでもらう事として、そこに書かれている、当時の私の日課練習を羅列してみると、以下のようになります。

1)ノンタンギングでのスタッカート練習
2)強く強く息を吹き込む練習
3)オクターブの練習
4)音曲げの練習
5)軽くソノリテ
6)トレバーワイとかを少しずつ
7)倍音の練習
8)ホイッスルトーンの練習
9)スケールの練習
10)アダージョな曲を吹く

 ううむ、時間があったんだなあ…。この日課練習、まじめにやると、軽く小一時間はかかりますし、実際、それくらいの時間をかけて、毎日フルートの練習をしていました。まあ、暇と言うか、趣味に時間をかける余裕が、当時の私にはあったんだと思います。

 フルートだけでなく、これより少し後になるけれど、声楽もレッスンを毎週入れてみたり、アマチュア歌劇団を立ち上げたり、さらにはヴァイオリンも始めちゃったりして、この頃の私は、たっぷりと趣味に時間を割けたわけです。ああ、うらやましい(笑)。今の私には、こんなに趣味に時間を割ける余裕はないですから…。

 今は月に2回の声楽レッスンと、毎週のフルートレッスンに行くだけで、ほんと、アップアップです。それどころか、レッスンに行くだけで、練習も足りないし、フルートなんてレッスン自体を休んでしまうことも結構あるしね。

 でもまあ、振り返ってみて、この当時の日課練習は、よく考えられているなあって思います。これを挫折せずに毎日毎年繰り返していたら、絶対にフルートが上達すると思います。

 練習は嘘をつかないと言います。基礎的な練習をきちんきちんと正しいやり方でやり続けていくと、絶対に上達すると思います。実際、この当時の私は、フルート、上達していたと思います。

 今の私は上達していないわけではないけれど、やはり上達するスピードが遅くなっている事と、以前の練習の貯金で成長しているだけなのかもしれないと思う事があります。

 こういう記事を見ると、励まされますよ。ああ、練習がしたい、練習がたっぷりできたなら、私もまだまだ上達するんだろうなあって思うんです。

 でも、今はあまり練習できません。本業が忙しいですから。それでも、大切なことは止めないこと…かなって思ってます。たとえ日々が忙しくて、ロクに練習できなくても、止めさえしなければ、下手くそにはなりませんし、いつかまたチャンスが与えられて、たっぷり練習できるようになった時に備えて、今を頑張るのです。

 一度止めちゃうと、復帰するのが大変でしょ。

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2015年3月26日 (木)

音痴は克服できるのか?

 ここで言う音痴とは、音程がうまく取れない人の事です。

 実は私の身近な方で、人前で歌うことが多いのに、音程がうまく取れない人がいて、その人から「音痴を治す良い方法はないのか?」と尋ねられた事がありました。

 その時は“ありません”とは言えなかったので「練習をすれば、きっと良くなりますよ」という無責任な返答をしてお茶を濁してしまいました。

 でも本音で言えば、その人に限っては、治す方法は…たぶん無いです。と言うのも、その人、もう30年以上も人前で歌う生活をしていて、自分が音程がうまく取れないという自覚もあるのに、全く改善されていないという実績があるからです。つまり、音痴という個性が、その人の中にしっかりと組み込まれているからなんです。もはや、音痴はその人の一部なんです。

 とは言え、何か病気や障害があって音痴というわけでなく、長年の音痴生活(?)が今の音痴状態を固定化させているので、今更素人がアレコレアドヴァイスをしたところで、その音痴を克服する事は無理だろうからです。

 おそらく、きちんとしたヴォイストレーナーなり、歌の先生になりについて、数年間、熱心に真面目に歌の基礎練習からコツコツとやれば、音痴も克服できるでしょうが、それ以外の方法は、私には思いつかないのです。

 音痴克服…つまり、正しい音程で歌えるか否かってのは、絶対音感なんていう洒落たものの持ち主以外では、正しい音階で歌えるかどうかって事なんだと思います。端的に言えば、音痴の人って、間違った音階の感覚を持っているか、あるいは、全く音階の感覚を持っていないかのどちらかなんです。

 つまり、音痴って、感覚の問題なんですよ。

 感覚は、理性や知性ではコントロールできません。感覚は体験を通してカラダに覚えさせるしかないのです。音階の感覚が間違っているのなら、正しい感覚に修正しないといけませんし、感覚がないのなら、まず音階の存在に気づかせ、正しい感覚を持てるように訓練しないといけません。

 感覚の修正とか、新たな感覚の獲得なんて、不可能じゃないけれど、すごく時間がかかる事です。

 それに他人の感覚なんて、外からじゃ分からないし…。だから、その人にとって、音楽がどう聞こえているのか、それすら分からないのに、どうアドヴァイスをしろって言う事なんです。だから、そこは専門家による正しい指導が必要なんだと思うわけです。

 音痴は克服できるのか? 簡単には行きませんが、専門家の援助と音痴を克服するのだという強い意志があれば、克服は可能ですが、そうでないなら、まず無理です。

 私は、そう考えます。

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2015年3月25日 (水)

練習すればするほど上達するものなのか?

 「ああ、こんなに練習しているのに、なぜ自分は上達しないのか?」

 皆さんは、こんな悩みを感じた事はありませんか? ネットを見ていると、あちらこちらで似たような嘆きが聞かれます。趣味の音楽人にとって、練習をする事自体が大変な事で、忙しい日常生活の中で、何とか時間をやりくりして、日々練習を重ねているのに、なぜこんなにも上達しないの?(涙)…って感じなんでしょうね。

 ちなみに私は、あんまりそのような事を感じた事はありません。だって、そんなに自分に期待していないもん(笑)。

 日本人の多くは「努力は必ず実を結ぶ」と考えます。『考える』…と言うよりも『信じている』と言った方が正しいかな? まあ、そう信じないと努力出来ないから…とも言えますが。

 実は私、そういう信仰を持ち合わせていません。私は「努力はしないと確かに上達しないけれど、努力をしたからと言って、必ずしも上達するものではないし、上達するとしても、たいていは微々たるモノだ。上達する人間は、努力の量とは関係なく、勝手にドンドン上達していくものだし」と思ってます。実に身も蓋もない考え方ですね。

 これ、音楽の上達だと思って考えるから分かりづらいんです。もっと、卑近な例で考えれば、よく分かります。例えば、学校の成績。

 学校の成績って、勉強しないと向上しません。これ、当たり前。でも、一生懸命に勉強すれば、成績はメキメキと上がるのかと言うと、上がる人と上がらない人がいます。いや、上がるタイプの人が、一生懸命に努力をしているのかと言えば、目に見えて努力している人もいる一方、学生生活を満喫しながら成績を向上させている奴もいるわけです。そして一方、ガリ勉をしながらも、ちっとも成績が上がらない子も同時にいるわけです。

 勉強をしないと成績は向上しません。これは真理です。勉強せずに成績が向上するなんて有り得ません。しかし、勉強したからと言って、どれだけ成績が向上するかは、その人次第なんです。ほんのちょっとの勉強でガンガン成績を上げちゃう人もいる一方で、寝食を忘れて勉強しても、ほんのちょっとしか成績が向上しない人もいます。

 その違いはどこにあるのでしょうか? ザックリ言っちゃえば、勉強の才能の有無です。あるいは、勉強に対する適性の違いかな? つまり、人間が勉強向きに出来ているか否かという問題なんです。

 元々、勉強向きに出来ている子は、ちょっとした刺激を適切な時期に与えるだけで、グングン成績が伸びていきます。だって、そういう風に人間が出来ているんだから。でも、世の中には全く勉強に不向きに生まれついている人もいます…ってか、そういう人の方が多いかも。そんな人たちにとっては、自分に不向きな事をコツコツやろうが、ガンガンやろうが、結果は知れたモンです。どんなに努力しても、結果はたかがしれているんです。

 だから、学校の成績が悪いからと言って、塾通いを始めても、たいていの子は成績が、ちょっとしか伸びないのは、元々、そのくらいの成績しか取れないように生まれついているからなんです。ああ、ほんと、身も蓋もないけれど、これが現実です。

 音楽もそう。結局、上達する人間は、ちょっとの練習でメキメキと上達するんです。でも、上達しない人間は、どれだけ努力しても、ちょっとしか上達しないんです。つまり、努力の量と、上達の度合いは、全く関係ないのです。

 私はそれを知っていますので、自分がほとんど上達しなくても、全く平気です。だって、自分に音楽的な才能がない事ぐらい知っているモン。でも、才能はないけれど、音楽それ自体は好きだし、演奏するのは、もっと好きです。だから、ほんのちょっとしか上達しないけれど、練習を続けるわけです。

 他の才能あふれる人から見れば“ほんのちょっと”でしかないかもしれないけれど、自分的には、最大速での上達だもの。こりゃあ、うれしいじゃない?

 フルートのアルテの1巻を終えるのに6年強も掛かるなんて、時間の掛け過ぎかもしれないけれど、これもフルートの上達を諦めずに、コツコツとちょっとずつ上達していった結果なんです。だから、他人と比べると、時間のかかりすぎかもしれないけれど、自分的にはこれで良いのです。だって頑張ったし、結果も出したし。

 ああ、こんなに練習しているのに、なぜ自分は上達しないのか?…と悩んでいる方は、じっくりと自分の才能を精査すると良いのではないかしら…とオジサンは考えます。

 日本には「身の丈を知る」とか「分をわきまえる」とかの言葉があります。つまり“自分自身の事について、よく知りましょう”って事です。自分の事を知っていれば、自分に関する悩みや嘆きも減りますよ(笑)。

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2015年3月24日 (火)

研究と教育とエンタメは違う

 私がザックリ考えるに、クラシック系のプロの音楽家には、研究者と教育者とエンターテイナーの三種類の音楽家がいると思います。

 研究者ならば、学問的な正しさを追求する事は大事です。例えば、古楽と言われるジャンルの音楽ならば、当時の音楽的な様式感とか、演奏方法に注意を払い、可能ならば当時の楽器を復元して演奏するべきでしょう。我々が使用しているピアノは、いわゆる現代ピアノであって、ショパンやリストの時代に完成された楽器なので、モーツァルトやベートーヴェンの作品を演奏する時には、当時のピアノを使用して演奏するべきでしょうし、バッハの時代にはそもそもピアノが存在しなかったので、彼の鍵盤楽器をピアノで演奏するべきではないと思います。

 そういうこだわりを持った演奏家は、ヨーロッパには少なからずいますが、日本やアメリカだと少数派のような気がします。

 一方、教育者ならば、学問的な縛りは緩いでしょうね。むしろ、現実的だと思います。バッハであろうが、モーツァルトであろうが、ベートーヴェンであろうが、ショパン、リスト、ラヴェルにドビュッシーであろうが、現代ピアノを使用し、伝統的な演奏テクニックで一般に流布している表現方法で演奏すると思います。自分の先生の演奏方法を踏襲し、それを自分の弟子たちに伝えていきます。自分の先生の姿が見えるような演奏をし、その姿を弟子たちに伝えていくわけです。つまり、演奏者としての形とか様式を大切にしていくわけです。常に気にしているのは、自分の先生の教えであり、見ているのは弟子たちの未来です。

 たぶん、日本で演奏家として活躍している人の大半が、このタイプの演奏家じゃないかなって気がします。

 エンターテイナーとしての演奏家は、とにかく客を喜ばせる事を主眼に置いてます。客を喜ばせると言っても、あくまでもクラシック音楽である以上、ある一定の枠の中にいます。この枠をはみ出ちゃった人は、ポピュラー音楽の世界に行くんだと思います。

 クラシック音楽としての枠組は守りつつ、客を喜ばせる演奏。例えば、独自の解釈による尖った演奏をするとか、音楽は正統的であっても、衣装や舞台装置にこだわってみたり、話術で客を沸かせてみたり、他ジャンルとのコラボをしてみたり、アレンジ曲を主体に演奏してみたり…。作曲家と演奏家の二つのわらじを履いて活躍している人も、このタイプなのかもしれません。

 三者三様であって、それぞれであって良いと思います。

 まあ、私的にはエンタメに特化した演奏が一番好きだな(笑)。少なくとも、演奏を聞きに行きたいと思うのは、このタイプの演奏家さん。逆に一番好みでないのは、研究者タイプです。

 私の場合、単純な話、コンサートは楽しみのために出かけるからです。だから、楽しければ、それでいいし、楽しければ、何でもアリなんです。少なくとも、チケット代金分の悦楽の時を過ごせれば、それでいいんです。だから、学問的に正しかろうが正しくなかろうが、全然問題ではないのです。

 だから私は、古楽って音楽が苦手なんだろうなあって思います。だって、このジャンルの演奏家さんって、たいてい、研究者タイプなんだもん(笑)。そこへ行くと、オペラと言うのは、基本、エンタメだからね。だから私はオペラが好きなのかもしれません(大笑)。

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2015年3月23日 (月)

発声というのは、歌のジャンルで大きく違うもの…ですね

 私はクラシック声楽を学んでいますので、ついつい発声の基準と言うか、美しい声の基準をクラシック声楽とかオペラのそれに置いて考えてしまいがちです。

 この基準にたって考えるなら、ポピュラー歌手の発声なんて未熟そのものですし、アイドル歌手の歌声なんて、クソも同然です(言葉が汚くてごめんなさい)。

 でも、これって、単なる、傲慢なんだよね。

 オペラ歌手の歌が素晴らしくて、アイドル歌手の歌がダメならば、なぜ世間の人々は、アイドル歌手の歌にはお金を支払って、オペラ歌手の歌はレコード(CDとかダウンロードと置き換えても良し)にならないのでしょうか?

 むしろ、世間の人々の支持を考えるならば、ダメなのはアイドルではなく、オペラの方かもしれません。

 じゃあ、本当にオペラがダメなのかと言うと…人気という点では確かにダメだけれど、技術レベルとしては決してダメではありません。そして、それはアイドル歌手の歌唱についても、同じ事が言えるのです。

 つまり、オペラ歌手とアイドル歌手を比べるのが、そもそもの間違いなんです。この両者は、実は同じように“歌手”と呼ばれていても、歌のジャンルが違い、住んでいる世界が全く違うのです。

 歌とひとくちで言っても、たくさんの種類の音楽があり、様々なジャンルの歌があるんです。

 オペラ歌手とアイドル歌手も違いますが、演歌歌手もだいぶ違います。何かとシャウトしたがるロック歌手と、叫ぶことのほとんどないフォーク歌手も、その歌い方はかなり違います。そこに、詩吟とか浄瑠璃とかの邦楽を加えたり、中国の京劇やら、アルプス地方のヨーデルとか、世界各地のローカル音楽の歌唱法も加えると、ほんと、歌の世界って、実に混沌としている事が分かるし、美しさの基準って、歌のジャンルごとに大きく違うって事が分かります。

 また、美しければ素晴らしいというわけでも無い事にも気付かされます。美しさよりも、激しさや強さの方に価値を置かれる音楽もあれば、単に美しいだけなく、そこに独特のニュアンスとか価値観がより重視される音楽もあるわけです。そう考えると、歌の世界って、混沌としているだけでなく、実に広いんだなあって思うわけです。

 大切な事は、寛容な心かな? 別にすべての音楽を受け入れる必要はないし、好きになれない音楽があってもいいと思うけれど、それでも決して、他のジャンルの歌を見下したり、蔑んだり、馬鹿にしてはいけないと思うわけです。ジャンルが違えは、その良し悪しが分からなくなって当然なんです。それを自分の価値観だけで、良いだ悪いだ、上手いとか下手くそだとか言うのは、傲慢なだけだと思うのです。

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2015年3月22日 (日)

ニートがヤバイ5つの理由[2015年3月第4週・通算7週]

体重:105.6kg[-0.8kg:-9.3kg]
体脂肪率:30.2%[-0.2%:-3.2%]
BMI:33.3[-0.3:-3.1]
体脂肪質量:31.9kg[-0.5kg:-6.5kg]
腹囲:107.0cm[-0.7cm:-9.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 ニートとは、本来は“ Not in Education, Employment or Training”の事であって、日本語に訳せば「就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない」状態を指します。ザックリ言っちゃえば“無職者”の事だけれど、社会通念としては、同じ無職者である“家事手伝い”や“失業者”“フリーター(アルバイトやパートタイマー,契約社員・派遣社員として生計をたてている人々)”とは区別されています。まあ現代日本においては、ほぼ、ニートという言葉は“引きこもり”状態の人を指す用語と考えて良いと思います。なので“引きこもり状態にあるために無職状態である人”の事を、ニートと呼ぶ事にしましょう。

 さて、ニートという存在は、ヤバイです。よろしくありません。少なくとも、社会的に奨励される存在ではありません。

 ニートになってしまった理由は、人それぞれにあるでしょうし、個人的にそれを責めても何も始まりません。また、一度ニートになってしまった人が、そこから抜け出す事が、困難な事も理解しています。

 ひとまず、すでにニートとなってしまった人たちは、自分自身で問題を解決してもらう事としましょう。

 私はそれよりも、今現在、ニート予備軍と言うか、半ニートと言うか、ニート初心者たち…つまり、完全にニートになりきっていない若者たちが、ニートのヤバさを知り、ニート状態を回避して、社会に参加する事を目指してもらえるように、あえてニートのヤバさを書いてみたいと思います。

 ニートって、ある意味、かなり絶望的な状態で、一度どっぷりその状態に浸かると、抜け出すのが容易ではないので、ニートにならない事が、何よりも大切な事だと、私は思うわけです。

 さて、私はニートってヤバイと思ってます。本当にヤバイと思ってます。特に以下の5点に関して、無茶苦茶ヤバイと思っているわけです。

1)無為に年齢を重ねている

 世間には、その人の年齢に応じた社会的な役割というのが与えられている/期待されているわけです。例えば、若い人は、世間的にはまだまだ修行中であり、社会人としては様々な能力を習得中であります。いわば、社会に出て、社会の中で大人として知恵や知識、立ち居振る舞いを学んでいる最中なわけです。

 学んでいる最中だから、ある程度の失敗も許されるわけだし、本人たちも失敗しながら多くの事を学び、やがて指導的な立場になっていくわけです。

 しかしニート諸君は、そんな若い日の学びの時期を無為に自宅で過ごして、世間的に見れば、一人前の年齢、あるいは指導的な立場にいるべき年齢になっても、まだ社会的な教育を受けずにいるわけです。

 ニートというのは、いつまでも続けられるわけではありません。ニート君を養ってくれる親御さんの存在があって初めて成り立っているわけです。しかし、親御さんだって、いつまでも元気でいて、ニート君を養い続けられるわけではないので、やがてニート君が望むと望まざるとに関わらず、親御さんの庇護から離れ、世の中に出て勤労生活をせざるをえないわけです。だってそうしないと死んじゃうもの。

 つまり、ニートって、必ず終わりが来るものなんです。

 その終わりの時にあたって、年齢がいっているにも関わらず、社会的な学習を終えていない、つまり、その年令で学んでいないといけない事を全く学んでいない存在と言うのは、ほんと、かなりヤバイでしょう。ニートって、無為に年齢を重ねてしまった報いを必ず受けることになるんです。

2)社会の序列を乱す

 終身雇用制度が崩壊したとは言え、まだまだ世の中では、年齢や学歴、職歴などで職場における立場(地位)が決まります。ザックリ言えば、オジサンオバサンはたいてい偉く、若者はまだまだペーペーなのが普通なんです。

 でも、ニート諸君が世間に出たとすると…かなりイレギュラーな存在にならざるをえません。だって、年齢は重ねて、見かけは偉そうだけれど、全然中身が無くて、実際、一番下っ端だったりするわけです。

 それって、本人もつらいけれど、周囲もどう扱って良いのか困ってしまいます。そういう点では、ニート君が世間に出ると言うことは、その場の序列を乱すわけです。

 しかし人間という存在は、一般的に、世間に出なければ生きていく事はできないわけです。人って社会を支えながら、社会に支えられて、生きて行くんです。

 社会の序列を乱し、イレギュラーな存在として生きるのは、本当に大変だし、つらい生き方だと思います。

 若いうちなら堪えられる苦労も、年を取るとなかなか堪え切れなくなるものです。自分の無能力を思い知る事になるだろうし、自我を守ることが難しくなるかもしれません。だから一度世間に出ても、つらい出来事にぶつかれば、またニート状態に戻ろうとするのかもしれません。気持ちは分かります。でも、それを繰り返していては、永遠にニート状態から抜け出せなくなってしまいます。この負のループは、なかなかヤバイ事だと思うわけです。

3)受け入れられる状況がない

 実は、年齢と社会経験が乖離していると言うと、出産育児等で職歴を中断した女性と似ている部分があります。昔は、結婚して出産育児をする女性は、娘時代はともかく、その多くは、いずれ家庭に入って家事育児に専念し、社会で活躍する事はあまりありませんでした。

 それが世の中が変わり、結婚して出産育児をしても家庭に収まらない女性が増えてきました。あるいは、一時的に家庭に入っても、やがて社会復帰をする女性も増えてきました。そして世の中は、ようやく、そんな女性たちの生き方を少しずつ受け入れ始めました。まだまだ、子育て中の女性の就労にやさしい世の中とは言えませんが、それでも少しずつ社会が変わってきている最中です。

 女性の労働ですら、長年かけて、こんなモノです。

 ニートなんて、まだまだ世の中に認知されて日が浅く、彼らが世の中に出ようと思ったところで、社会は簡単に彼らを受け入れてくれるわけではありません。社会はニートを受け入れる状況に慣れていないのです。ですから、ニートの社会進出には困難が伴って当然なんです。そんな彼らを受け入れる状況が社会にないんです。これはヤバイですね。

4)学歴・職歴がなく、家庭的にも落ち着いていない

 ニート諸君の多くは職歴がありません(当たり前ですね)。学歴も多くは中卒か、せいぜい高校中退です。高校中退は、世間では中卒扱いです。ずっと自宅にいますから、恋愛経験も乏しく結婚もしていません。結婚していないのだから、いい年なのに妻もいなければ、子どもの一人もいません。

 世の中を渡るにあたり、学歴(や資格)は無いより有った方が絶対に良いのは当然の事ですが、本人の頑張りと周囲の状況次第では、学歴の無さは、ハンディではあるけれど、乗り越えられないほど大きなハンディにはならないかもしれません。

 むしろ、学歴の無さよりも、職歴の無さの方が、事態は深刻かもしれません。職歴が無いとは、社会人として必要な経験が無いという事なんです。

 人を雇用する立場の人から見れば、有能な人を安い賃金で雇い入れたいのが本音です。だから誰でも出来るような仕事なら、賃金の安い若者を雇い入れるでしょう。ある程度の年配者の雇用を考える場合、まず職歴が見られます。職歴を見る事で、その人のその業界での力量が推測され、雇い入れた場合の活躍を見込まれて、雇用につながるわけです。

 例えば、コンビニバイトのような業種であっても、単純労働ならば賃金の安い若者で十分ですが、店長候補を雇い入れたいと思い、外部から新しい人を迎え入れると考えるなら、経験の無い若者ではなく、海千山千の年配者を雇い入れるわけです。だから職歴のない年配者なんて、使い道がないんです。冷たいでしょ? でも世の中なんて、そんなモノです。

 さらに言えば、特に男性の場合、結婚して家庭を持ち、妻子を養っている事は、社会的な重みを持ちます。

 例えば、就職してバリバリ働いていたとしても、いつまでも独身のままの人だと、出世は遅くなるし、あるところで出世も止まります。男性の場合、結婚して妻子を養う事で、世間的な信用を得、出世の階段を登る資格となる事が多いのです。

 だから、いい年して結婚もせず、妻子もいないニートは、ほんと、ヤバイんです。

5)オタクは理由にならない

 ニートに対する社会の偏見があります。ニートは『オタクの引きこもり』だからダメなんだと思われがちです。また、ニート諸君にも、自分は『オタクの引きこもり』だからダメなんだと思っているフシがあるように思われます。

 確かに『オタクの“引きこもり”』だからダメなのかもしれませんが、決して『“オタク”の引きこもり』だからダメなのではありません。

 つまり、ダメな部分は“オタク”だからではなく“引きこもり”だからなんです。

 よく世間では『オタクは変態』とか『オタクはコミュ障』とか『オタクはキモい』とか思われがちですが、実はそうではありません。変態じゃないオタクもたくさんいますし、コミュ障どころか社交的なオタクもたくさんいますし、全然キモくないオタクもたくさんいます。つまり、ごくごく普通に社会生活を営んでいるオタクはたくさんいるんです。いや、普通どころか、リア充なオタクだって履いて捨てるほどたくさんいます。

 と言うのも、実はオタクという生き方は、ほんとお金がかかるんです。

 そんなオタクという生き方を、引きこもって親御さんに面倒みてもらうわけでもなく選択できる人って、きちんと働いて、きちんと収入を得て、きちんと社会生活と家庭生活を両立させて、その上でオタク活動をしているわけです。

 だからニートがダメなのは、オタクだからではなく、引きこもりだからなんです。

 オタク趣味があっても社会生活は営めます。コミュ障だって、社会でもまれているうちに克服できます。変わった趣味の持ち主なんて世の中にはたくさんいます。ただ、みんなそれぞれ自分たちの趣味を大切にし、自分の趣味を他人に押し付けたりはしません。趣味の押し付けをしなければ(オタク的な意味合いで)変態とかキモいとか呼ばれることはないでしょう。

 引きこもってさえいなければ、やがて、あなたを気にかけてくれる異性の存在にも気がつけるようになります。リア充は爆発して死すべき対象ではないのです。自然な人間生活の営みの一つなんです。

結論

 だから、今、ニートになりかけの若者諸君。ニートは、本当にヤバイです。

 ニートになりかけの諸君にとって、自宅の外の世界を怖く感じるかもしれません。いや、実際、怖くて怖くてたまらないかもしれません。

 でも、怖いからと言って逃げていたら、本当にヤバイですよ。

 世間は、怖いかもしれない、挫折するかもしれない、頭ごなしに叱られるかもしれない。それでも頑張って、あなたの居場所を世間の中に見つけないと…。

 特に男性は、手に職をつけて定収を得られるようになって、やっと一人前の社会人として認められるものです。どんな世界でも、一人前になるのは大変なんです。だから、歯を食いしばってでも社会に出て、学んでいかないといけないのです。

 若者諸君、絶対にニートになってはいけないよ。ニートになったら、そこから抜け出すのは、本当に容易な事ではないのだから、まずはニートにならないように頑張って欲しいです。

 それが、オタク気質なオジサンからの、若者たちに向けた、忠告です。

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2015年3月21日 (土)

メダカを20匹投入したら、ハンナが星になっちゃいました

 メイン水槽がスカスカで寂しいのです。なにしろ、ほんのちょっと前まで、サクラ&ホノカという巨大魚が我が物顔で水槽の中を泳いでいたのです。ところが、サクラは星になり、ホノカは長期入院中。中型金魚であるアズニャンも星になり、今現在のメイン水槽の中は、中型魚のオタキサンと、幼魚であるハンナとヤヨイがいるだけでした。

 オタキサンはすでに大人ですから、もともとそんなに活発ではありません。ハンナとヤヨイは幼魚ですから、キャピキャピしている時はともかく、キャピキャピしているとすぐに疲れてしまうようで、暴れていたかと思うと、すぐに熟睡モードに突入して、水槽の床に死んだように転がっている事があります。

 で、結局、この3尾は、水槽の隅っこの方で、かたまって寝ている事が、とても多いんです。なので、メイン水槽をのぞくと、大抵、金魚がスミにかたまって寝ていて、その他の子たち…と言っても、貝とドジョウですからね、どれもこれも地味な子ばかりなので、水槽の中がスカスカで寂しい状態なのです。

 そこでウチの水槽にはニギヤカシが必要だと思いました。本来なら、ミニサイズの金魚を、もう2~3尾入れると良いのかもしれないけれど、金魚は成長しますので、今は良くても、後ほど困ると思うので、金魚の増加は却下。そこで、これ以上大きくならない子たちを導入しましょうって事で、メダカを20匹投入する事にしました。

 メダカ…鑑賞用ですから、ヒメダカです。20匹購入(1000円、一匹50円ですね)して、一晩検疫(薬液につけて放置してます)していたら、一匹星になってしまい、実際にメイン水槽に投入したのは19匹なんですが、まあ、それだけの数のメダカを水槽に入れました。

 私、金魚とメダカが混泳する水槽が大好きなんです。でも、それって巨大魚が水槽にいると無理なんですよ。と言うのも、巨大魚にとってメダカって、美味しい生き餌でしかありません。具体的に言えば、ホノカが元気なら、とてもメダカを水槽に入れるわけにはいきません。おそらく、20匹のメダカなんて、2~3日で食べ尽くしてしまうことでしょう。

 しかし、今は巨大魚が水槽にいません。中型魚であるオタキサンはいますが、彼女のクチではメダカを食べることはできないでしょうし、何よりも、オタキサンにはメダカを食する習慣がありません。そこで今がチャンスとばかりに、金魚とメダカの混泳に踏み切ったわけです。

 金魚とメダカの混泳に踏み切ったところで水槽を観察してみると、メダカは我関せずですが、金魚的にはメダカがうざくてうざくてたまらないようでした。実際、オタキサンなどは、水槽でおとなしくしている事が多いのですが、周りにメダカが集まってくると、うざく思うのか、ある一線を越えると、いきなり切れて、水槽の中を大暴れしていたります。どうも、メダカがストレスになるようです。で、ひとしきり暴れると、やっぱりおとなしくなるんですが…。

 まあ、いくらメダカがうざかろうが、ホノカが元気になってメイン水槽に戻れば、メダカの全滅は免れません。ある意味、メダカの命はホノカの帰還までの限定的なものですが…それまでメダカたちには、水槽を賑やかにしてもらおうと思ってました。

 ところが、メダカが水槽に投入されて、約一週間して、ハンナが星になってまいました。ハンナが星になった事と、メダカの投入に関係があるかは分かりません。

 思うに、ハンナはホームセンターの子で、売り場では、たった一匹で広い水槽を泳いでいた子でした。そんな孤独を愛する子がウチにやってきて、水槽は狭いし、貝やドジョウもいて居心地が悪いのに、そこにメダカが投入されて、それらがストレスになってしまったのかもしれません。

 一応、メダカの名誉のために書きますと、メダカがハンナをいじめたりとか、そういう事はしていません。ただ、ハンナの目の前で、金色の小魚がウヨウヨしていただけなんです。だいたい、メダカたちは、ハンナやヤヨイのような幼魚には興味がないようでしたが、目の前を小魚(と言っても、あんまり大きさ的に変わりません)たちが泳いでいるのが、ハンナにとっては、ストレスだったのかもしれません。

 メダカが投入されて、約一週間、ハンナ自身が我が家にやってきて、まだ一ヶ月というところで、星になってしまいました。なかなかかわいい子だっただけに、残念でなりません。

 命あるモノには寿命があるのは当たり前ですが、それにしても、早すぎると思いました。この子の最後の一ヶ月は、幸せだったのでしょうか? 

 どうも、ホームセンターで購入してきた子は、ウチではきちんと育ってくれないようです。次の子はどうしようかと、ちょっと考えてしまいました。

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2015年3月20日 (金)

実は公務員になりたかったりします

 今回は、遅れずにきちんとフルートのレッスンに行ってきました(笑)。そのため、久しぶりに姉様と会いましたが、姉様のレッスンはだいぶ前に終了した様子だったので、一緒にロングトーン練習は出来ませんでした。残念。

 で、先生と二人でロングトーン練習をしましたが、ロングトーン練習って、ほんと、回を重ねる毎に、メキメキと気持ち良い状態になっています。今回なんかは、すべての音域でバッチリで、チョー気持ち良かったです。ああ、私って、上達しているわ…。

 さて、エルステ・ユーブンゲンは8番でした。前回、やっと7番を合格して、8番の暗譜演奏は初めてだったし、実はこの二週間、この曲の練習は全く行っていなかったのです。ですから、当然不合格になるだろうし、次回もこの曲に取り組むんだろうなあと思っていましたが、レッスンの時に、試しに譜面を見ないで吹いたら、最後までノーミスで吹けちゃったので、合格をいただきました。あれれ?って気分です。

 まあ、前の曲である7番の暗譜に時間がかかり、その間、じっくりと楽譜をガン見しながら8番を吹くチャンスがあったので、そのおかげで、自然と暗譜してしまったんだろうと思います。

 さて、8番が合格してしまったので、次回までに9番を暗譜しないといけないのですが、9番は…今回のレッスンが初見でした(笑)。いやあ、その状態で、次回までに暗譜は、かなり難しいです。

 エルステ・ユーブンゲンの練習に限らず、今の私は、本業が繁忙期に入り、フルートにせよ、声楽にせよ、自宅練習がままならぬ…ってよりも、自宅練習が可能な時刻に帰宅できずに、練習をロクにしないまま、レッスンに向かう事が多くなっています。更にフルートに関して言えば、レッスンに行けない事すら増えています。昨年も同様だったし、おそらく今年も来年も同様だと見込まれます。

 まあ、失業していたり、仕事があっても暇でロクな収入につながらない人も大勢いる中、ひとまず定職があって、きちんと安定した収入がある事に感謝し、趣味に時間が割けない程度の忙しさなら、文句を言うべきではない…んでしょうね。ああ、感謝感謝(笑)。
 プチ・エチュード10番も、今回のレッスンが初めてで、こちらもほぼ初見に近い状態、つまり、ノー自宅練習状態で臨みました。なので合格どころか、あっちこっちミスブローばかりでした(当然だね)。

 まずは、普通にミス無し状態で演奏できるようにならないとなぁ。その上で、この曲には、私のキライな装飾音符がたくさんあるので、これらを加えていかないとね。ああ、この10番って、私の苦手なタイプの曲なんですよ、ほんと、溜息が出ちゃいます。

 今回の私のフルートの音は、どの曲もほぼ初見で、かなりムキになって演奏していた事もあり、音色的には、かなり汚かったようです。フルートって、心の状態が演奏の音にダイレクトにつながる…ものなんだそうです。ですから、余裕のない状態で演奏すると、演奏音も余裕が無くなるんだそうです。だから、たとえ本当は余裕がないとしても、気持ちだけはゆったりとしていないと、音が聞き苦しくなるので、そこは注意しなさいと言われました。

 音色の美しさぐらいしか取り柄のない私から、音色の美しさが無くなったら、何も残らないからね。ほんと、注意しないといけません。

 さて、今回の雑談は「教育公務員っていいよなあ…」って話です。

 実は、私もH先生も公務員ではありません(当然か!)。ですから、半分は公務員に対するヒガミとか偏見のようなモノも入っている事は否定できませんが、それでも私たちは『教育公務員っていいなあ』って思うわけです。

 教育公務員とは、簡単に言っちゃうと(公立学校の)学校の先生の事を言います。もちろん、大半の先生方は、ちゃんとしていると思うし、そういう方は、今回の私たちの話題には上りませんでした。今回、私たちの雑談に上がってきたのは「教師の適性が無くて、実際に、教育現場から外されているにも関わらず、解雇されることもなく(雇用主である自治体ごとに違いはあるけれど)簡便な作業を義務的にこなすだけでお給料をいただいて、ぬくぬくしている人たちって、いいなあ」って話です。

 まあ、話題としては不謹慎な事は承知していますが、そんな状態になっても解雇されない、公務員という立場がうらやましいって話です。だって、同じ学校の先生でも、私立学校なら、そんな教師は、すぐさま解雇されちゃいますからね。ましてや一般民間企業の労働者をや…です。

 でも、公立の先生は公務員ですから、いくら本人に能力や適性が欠けるからと言って、一度雇い入れた人を、そう簡単には解雇できないのです。いくら仕事が出来ないからと言っても、教職員として採用されていますから、教職以外の全然別の職種につけるわけにも行かず、とりあえず身分は保障したまま、適当な作業をさせて給料を与えているわけで、これって一見、懲罰的に見えるけれど、その実態は、飼い殺しなんじゃないの?って思うわけなんです。

 飼い殺し…される側からすると、能力もあり意欲もある人間ならば、飼い殺し状態は耐えられない程ヒドい扱いと感じるでしょうが、元々、さほどの能力があるわけでなく、公務員だと失業の心配がないから…程度の志望動機で公務員になったような人間にとって、飼い殺し状態ってのは、案外ぬるま湯で居心地いいんじゃないの?って事です。

 だとしたら、これって不労所得を与えているだけなんじゃないの? H先生は「たとえ公務員でも、働かない人間は、解雇しないとダメだよぉ~」とおっしゃいます。私は、働かない人間の解雇は当然ですが、たとえきちんと働いていても、時代の変化によって、担当部署が無くなったり、余剰人員が生まれた場合は、解雇すべきだと思います。民間企業なら、工場を閉鎖したら、その工場で働いていた人って解雇でしょ? 公務員だって同様だと思うのです。この少子化の時代ですから、教職員の数は余っているはずですから、たとえ働いている人に問題はなくても、児童生徒の数が減った分、教職員を解雇すべきだと思うんです。ましてや、働かない教師の給料を支払うなんて、言語道断だと思ってます。

 公務員の身分保障制度って、やり過ぎだと思うし、終身雇用制度が崩壊した今の時代に合っていないと思います。

 ちなみに、教育業界では、このような飼い殺し状態にある方を、M教師と呼びます。

 仕事をちゃんとしなくても、仕事できちんと成果をあげられなくても、解雇される事なく、給料もきちんと一人前いただけるなら、あえてぬるま湯状態を望む人間だっているでしょ?

 H先生はともかく、私自身は、今の仕事…と言うよりも、労働そのものがキライで、本当なら「働いたら負け!」とか言うタイプの人間です。おまけに外出は嫌いだし、人付き合いも苦手なので、一歩間違えていたらニートになっていたかもしれない人間なんです。そんな、ニート脱落者(笑)から見れば、M教師って…うらやましいなあ。働かなくても、お給料がいただけるんだよ。成果をあげなくても解雇されないんだよ。公務員という身分を一度手にすれば、経済的な不足を感じる事はなくて、人生安泰なんだよ。

 ああ、うらやましい。ほんと、うらやましい。公務員になれば良かったな(捨て台詞)。

 実際にM教師という立場にいる方から言わせれば、そんなに楽な人生じゃないって言うでしょうが、それはその人の感じ方であって、外部から客観的な視点で見れば、そんな“穀潰しライフ”って、素敵に見えます。まあ、一般市民的な観点で見れば「そんな働かない公務員の給料のために、税金を収める事に納得がいかない!」と叫んでおきます。

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2015年3月19日 (木)

音楽は演奏者だけでは成り立たない

 先日、あるコンサートに行きました。そこで、色々と不愉快な目(主に主催者側のホスピタリティの不足が原因)にあったのですが、ブログで私の不満をぶちまけても、面白くないでしょうから、その一件については書かないことにしますが、私がかなりの不機嫌な気分で、そのコンサートを聞いていたと想像してください。

 音楽って、不機嫌な気分で聞くものじゃないですね。

 そのコンサートは歌系のコンサートだったので、歌曲やオペラアリアが歌われていたのです。

 不機嫌な気分でいると、心って、閉じてしまうのですね。だから、舞台で歌手が一生懸命歌っても、こちらの心には何も入ってこないのです。入ってこなければ、感動も何もないわけです。

 それでも歌曲は、まあいいです。歌曲は曲自体が美しいので、不機嫌な気分で聞いても、不機嫌なままでいるくらいですから。

 問題は、オペラアリアです。

 不機嫌な気分の時にオペラアリアを聞くと、不機嫌を通り越して、不愉快な気分になり、怒りがこみ上げてきます。私、不機嫌なはずなのに、アリアを聞いているうちに、いつのまにかイライラしだして、怒り出していている自分を見つけて、この心境の変化にビックリして、表面的には不愉快ですが、深層では実に愉快になってしまいました。

 そう、不機嫌な気分でアリアを聞くと、人って不愉快になって、イライラして、終いには怒り出すんです。

 なぜ、オペラアリアを聞くと、不愉快になるのか…それはオペラアリアって、歌曲と違って、美しいだけじゃないからでしょう。アリアでは、必ず要所要所で、奇声が発せさられるでしょ? この奇声が、不機嫌な神経を逆なで、不機嫌な気分から不愉快な気分に落としてくれるのです。

 「奇声って何?」

 ほら、ソプラノやテノールの発する、あの“高音”です。あれって、ワクワクした気分で聞くと、心を一気に桃源郷に運んでくれるミラクルな声ですが、閉じた心にぶっかけられると、単なる奇声でしかなく、ますます心が冷え、気分を害します。

 「ああ、一般の非オペラファンがオペラアリアを聞くと、一様に拒否反応を示すのは、この心理作用が原因じゃないか?」 私はそう考えました。

 オペラのハイトーンって、オペラ好きが聞くとたまりませんが、非オペラファンが聞くと、地獄の鬼たちの悲鳴にしか聞こえないんでしょうね。

 まるで、納豆や、くさやの干物みたい(笑)。お好きな方にはたまらぬ美味ですが、普通の方には、臭くて臭くてたまらない、とても食えたものではない…ってのと同じかもしれません。

 つまり、オペラアリアを美しい音楽として成り立たせているのは、演奏者の見事な歌唱だけでなく、観客の“オペラ大好き心”があってこそのモノなんですね。

 オペラが美しい音楽として成り立つためには、演奏者だけでは無理って話なんです。

 これって、もしかするとオペラアリアだけの話ではないかもしれません。

 長大な演奏時間を誇る交響曲とか、超絶技巧を魅せつける協奏曲なんかもそうかもしれません。お好きな方にはたまらないでしょうが、そうでない方には退屈の極みだったり、音数が多すぎて耳障りだったりするんじゃないでしょうか?

 良い演奏さえすれば観客は感動する…と演奏者は考えがちですが、それはおそらく大間違いです。良い演奏の前に、良い環境と理解ある観客の存在がないと、音楽は人々に受け入れられるものではないのかもしれません。つまり、演奏者が上手いだけでは、誰も感動なんてしないって事です。

 良い舞台は、決して、演奏者の努力だけでは成り立たない…のかもしれません。演奏者の努力はもちろんだけれど、マネージャーとかスタッフさんも頑張らないと、お客は逃げちゃうって事です。信頼を築くには時間がかかるけれど、信頼を壊すのは一瞬でできるからね。一度逃げた客は、帰ってこないものだよ。

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2015年3月18日 (水)

レチタティーヴォは難しい

 再度、声楽のレッスンの続きとなります。で、モーツァルトから連続して、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」の二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」のレッスンに入りました。

 とにかく、レチタティーヴォの部分は「歌い過ぎ!」と言われました。「レチタティーヴォは、もっとしゃべらないと声がもたないよ」とも言われました。ただし、きちんと歌わないと歌えない箇所もあるから、歌うべき箇所はしっかり歌い、そうでないところは、話し言葉として軽く流す…という事が大切なんだそうな。とにかく「歌うな!」って事です。

 歌なのに歌わないってのは、案外、難しいです(笑)。それに歌ならごまかせる(笑)歌詞も、しゃべるとなると、かなりきちんと発音しないといけません。はは、語学力が求められますなぁ。練習練習ですよ。

 ラララ…の部分も、鼻歌と言えども、ここは歌の部分だから、きちんと歌わないといけないけれど、鼻歌だからと思って、ついついいい加減になってしまいがちだし、かと言って、やっぱり鼻歌は鼻歌だから、あんまり真正面から取り組んでいけないし、歌の部分も、単にキレイに歌えばいいのではなく、歌の中に演技は加えないといけないし…やっぱりレチタティーヴォは難しいです。

 あと、リズムが符点だからと言って、その符点をあまり強調しすぎては、却って変な感じになるので、声は符点でリズミックに歌っても、お腹ではリズムを加えずに、息は常に真っすぐに歌わないとね。

 ラララ…の最後の1オクターブの跳躍は、ファルセットで歌うようにアドヴァイスされました。確かにこの部分をファルセットで歌っている歌手は…多いですね。もちろん、実声で歌っている方もいるけれど、確かにファルセットの方がいいかも。ただ、ここでいきなりファルセットに切り替えるのは、難しいわぁ。それに、うまくやらないと、失敗したように聞こえちゃうから面倒ですよ。

 二重唱は二人で歌うもの(当たり前)なので、音程は一人で歌う時よりもシビアにならざるをえません。一人の時は、多少音程が甘くても何とか聞けますが、二重唱の時は、音程が甘くなると、ハモリが汚くなるので、要注意です。二重唱はハモリが命ですからね…。

 この二重唱、発表会では伝統的なカットを施して歌う事は、以前書きましたが、もしかすると、さらにザックリとカットして、後半1/3を丸々カットしてしまうかもしれません。理由は、発表会に出演する皆さんが時間いっぱい歌いそうなので、短くできる人は、可能な限り短くしないと、全体の演奏時間が会場を借りている時間から、はみ出してしまいそうだから…という事らしいです。

 まあ、私たちは、当初、後半1/3をカットした方が良いと思っていた(でも、先生は最後まで歌いましょうっておっしゃった)ので、まあカットになっても仕方ないかなって思うけれど、いざ、最後の1/3を練習してみると、この箇所をカットするのは、確かにもったいない気がしてきました。可能なら(たとえ伝統的なカットを加えたとしても)全曲歌いたいですね。でも、舞台の演奏時間の制限にひっかかるなら、仕方ないかなあ…とも思います。まあ、今回の発表会では大幅カット版で歌って、フルサイズの歌唱は、演奏時間に制限のない勉強会で歌えばいいかな…と勝手に思ってます。勉強会は…早ければ、今年の夏に、遅くとも来年の正月にやるはずだから、それを楽しみにしましょう。

 でも、勉強会は、非公開だから、門下の人しか聞けないけれどね。

蛇足 それにしても声楽のレッスンの記録を書く際に、なるべく簡潔にまとめて書いているつもりですが、ドンドン分量が増えてしまいます。特に今回は長くなってしまい、3回に分けざるを得ませんでした。ごめんね。それにしても、キング先生の時は、レッスン記録は書くべきことが少なくて、あれこれ頭をひねって、ブログ記事として適当な長さになるように、努力して書いていた事から考えると、今の声楽レッスンって、ほんと、中身が濃いんだなあ…って思います。

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2015年3月17日 (火)

やっぱりメンタルの問題かな?

 声楽のレッスンの続きです。曲の練習に入りました。最初は、モーツァルト作曲「コジ・ファン・トゥッテ」のテノールアリアである「Un'aura amorosa/恋のそよ風」です。

 例によって途中まで歌ったところで(未だにレッスンでは最後まで歌った事ありません)、先生に「(高音)ラまでは完璧だけれど、ラ以降は歌が壊れています」と言われました。つまり、高音ラを出そうとする事で、高音ラが出なくなる事はもちろん、それ以降の他の音の発声まで壊れてしまっていて、発声的に立ち直れていない…って事なんです。

 だから私にとって、モーツァルトは難しいって、言ってるじゃん!

 高音ラを出すにあたって、以前はそこを目指して直接的にスパンと狙って出そうとしていましたが「それではダメ」と言われて、今は声を回してグリッサンド的に音程を上げて出すというやり方を心がけているわけですが、その“声を回す”という手法がうまく行かないんですね。まあ、寝起きという事もあるけれど、寝起きでなくても、声を上手く回せる時もあれば、上手く回せない時もあるわけです。上手く回せればラが出せるけれど、上手く回せなければラが出ないわけで、それじゃ、直接狙うか、迂回して狙うかの方法論の違いはあっても、結局、高音は博打のままなんですね。

 先生曰く「出せるはずの音が出ないのは、やはりメンタルの問題ですかね…」との事です。「発表会の曲を変えますか?」とも言われたけれど、そこはスルーして返事をしませんでした。

 だって、あと二ヶ月足らずで発表会なのに…、あと一ヶ月程でピアノ合わせをしなければいけないのに…、今更曲目を変更するなら…当然、変更先の曲は、今すぐにきちんと歌えて、暗譜も容易にできる曲って事になるわけです。つまり『レパートリーの中から選曲しましょう』って事でしょ? イタリア歌曲の『ニーナ』あたりを中声用の譜面で歌えばいいのかもしれないし、それもアリっちゃあアリだけれど、なんかそれって“逃げ”っぽい感じがしてイヤだな。

 アウェーの演奏会で失敗しちゃダメだけれど、門下の発表会なんて、いわばホームじゃん。ホームグラウンドでのプレイなんだから、果敢に挑んで撃沈、じゃダメかな? ってか、私、発表会で撃沈せずに歌えた事なんてないから、別に今回も撃沈とか轟沈とかしても、全然平気なんだけれど、やっぱりそれってダメなのかな?

 テノールの声帯を持っているのだから、高音ラなんて、歌うのは楽…と言うのはY先生の言い分なんです。本来は楽に歌える音が歌えないのは、やるべき事をきちんとやっていないから。やるべき事とは『しっかり息を支える事』『しっかり軟口蓋を上げる事』、この二点で、高音ラに行く直前までは、それが出来ているのに、高音ラに近づいた途端、これらが崩れてしまって、発声が崩壊しているっていうのです。

 声を回そうと、なまじアガくから、発声が壊れてしまうようです。

 なので、高音ラが近づくと、お腹が固まって動きがなくなり、クチの奥が狭まってしまって、高音ラが発声できるどころか、より出来ない方向にカラダが動いてしまっているのだそうです。

 大切な事は『お腹は動きつづけ、しっかり息を支える事』と『たとえ高音が近づいても、クチの奥はしっかりと開け続ける事』です。まあ“ノドにフタ”状態からは脱却できたようですが、それは単にフタされていないというだけで、肝心なのは、ノドにフタされていない事ではなくて、ノドが大きく開いていないといけないって事なんです。

 確かに、レッスンの録音を聞いてみると、肝心の高音ラのところは、かなり苦しげな発声に聞こえるなあ…。かろうじてノドは開いているけれど、かなり力づくで開いている感じです。声を回そうとして、却ってノドに力が入っているのかもしれない。意識すべき事は、声を回す事よりも、ノドの脱力の方が優先なのかなって思いました。だからと言って、力を抜き過ぎてノドが開かなくなっては本末転倒。いやあ、難しい。

 先生からは「(高音)ラは真っ向勝負をせずに、軽く流して歌うように。別に音量が必要な箇所ではありませんから」とアドヴァイスをいただいてますが、それもまた難しいですね。

 この曲は高音ラが克服できるかどうかが、大きな境目なんだろうなあって思いますし、先生もそうおっしゃいます。高音ラが楽に発声できれば、この曲はほぼ完璧になるけれど、高音ラが克服できなけれど、ボロボロの轟沈モードになってしまうって事です。だからと言って、高音ラを意識すればするほど、ノドに力が入って、失敗する確率が増えるって事です。

 さすがはモーツァルト、やっぱりオペラアリア、素人の趣味人の手には、なかなかに余りますね。

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2015年3月16日 (月)

バリトンよりも重い声で歌うテノールが、ここにいます

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回は色々とあって、私はレッスンにやや遅刻をしました。妻は先にお教室に乗り込んでいたので、私が先生のお宅に到着した時には、すでにレッスンを開始していました。私は静かに素直に、レッスン室のソファーに座って自分の番を待っていました。

 でもね、ソファーに座るや否や、意識が無くなりました(笑)。よっぽどお疲れだったんでしょうね。ふと気づくと、私のレッスンの番になっていました。立ち上がるのもやっとの状態で、フラフラの状態のまま、歌い始めました(笑)。

 ハミングをして発声練習をしたのですが、寝起きの状態では、辛い辛い(笑)。

 ええと、何を習ったんだっけ? そうそう「声が重すぎる」って言われたんだっけ? バリトンの先生よりも、重い声で歌っているって注意されたんだっけ?

 寝起きの状態である事を差し引いても、私は決して軽い声ではありません。本来の声は軽いはずなんだそうですが、それが歌うとなると重い声になってしまうのです。

 つまり、重い声を出すような発声が癖になっているってわけで、たぶんこれは状態的には、よろしくないのだろうと思います。

 と言うのも、重い声は声帯に負担をかけます。声帯に負担をかけると、疲れやすくなるし、高音発声も難儀になります。本来の声が軽いのなら、その声に合わせて、軽く発声すれば、疲れにくくなるし、高音発声も楽になるって話です。

 つまり(意識していないけれど)作り声で歌うのではなく、私自身の本来の声でのびのび歌いましょうって事ですが…それが実は難しいのね。重い声で歌う、私の悪い癖が、カラダの隅々まで染み込んでいるわけです。悪い癖を取り除くのは、良い習慣を身につけるよりも難しくてエネルギーのいる事だからね。

 それにどうやれば、自分の本来の声で楽に歌えるんだろ? ああ、分からない、迷い道に入り込んでしまったようだ!

 それといつものことだけれど「クチをもっと縦開きにして歌いなさい」と言われました。まあ、注意されれば意識して歌えるのだけれど、注意される前に自分で意識できるようにならないといけませんね。

 クチの縦開きが足りない時って…自分の意識の中では、軟口蓋の上がりが悪いような気がしていて、一生懸命に「軟口蓋を上げなきゃ、口蓋垂を上に持ち上げなきゃ」と思っていました。で、ふと思い立って、後日、自宅練習の時に、自分の口内にライトを当てて鏡で見たら、確かに私が普段歌っている状態だと、口腔内の容量はかなり少なくて「こりゃあヤバイなあ」と思いました。更に、よく見てみると、軟口蓋は結構きちんと上がっていました(笑)。むしろダメなのは、舌根の方でした。舌根をしっかり下げると、あら不思議、あんなに狭かった口腔内が広々としちゃいました。問題は、軟口蓋ではなく舌根にあったようです。

 声楽って、楽器演奏と違って、演奏に伴って実際にやっている事が、演奏者から見えないので上達が難しい…とよく言われますが、今回の件なんて、まさにそうだね。

 私、自分的には軟口蓋に問題があるんじゃないかって思ってましたが、実際は軟口蓋ではなく舌根に大きな問題があったわけです。それなのに一生懸命「軟口蓋を上げよう」と意識しても、そりゃあ舌根が放置されたままでは、状態が改善されないよね。上達できないはずだよ。

 ところで、舌根を下げるにはどうしたら良いのかしら。以前「ノドの奥にスプーンを突っ込んで、舌根を抑えながら歌うのが効果的だよ」と当時の指導者に教わりましたが…そのやり方って、ナンセンスだよね。だって、スプーンで抑えていれば、きちんと歌えるようになっても、スプーンが無ければ、きちんと歌えないのならば、人前で歌うことなんて一生出来ないでしょ? 幼児なら“スプーンをくわえたまま”の状態も、かわいいかもしれないけれど、ただのオッサンがスプーンをくわえた状態で舞台に上がったら…絶対変だよね。

 まあ、たかが発声ですが、色々と難しさを感じています。

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2015年3月15日 (日)

今と昔、老人の質が異なってますね[2015年3月第3週・通算6週]

体重:106.4kg[-0.7kg:-8.5kg]
体脂肪率:30.4%[-0.3%:-3.0%]
BMI:33.6[-0.2:-2.8]
体脂肪質量:33.4kg[-0.5kg:-6.0kg]
腹囲:107.7cm[+0.7cm:-8.3cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 ふと先日気づいたのですが、私、祖母が死んだ年齢を越えていました。

 私は、幼い頃は祖母に育てられたのです。ですから祖母は本当に身近な存在でした。

 祖母は私が小学校に上がる頃に亡くなってしまいました。だから、ずっとずっと昔に死んだわけで、当然ですが、戦前の人で、大正生まれの人でした。で、亡くなった時は、今の私や妻よりも、ずっと若かったのですが、それでも腰は曲がり、髪は白髪で、変な話ですが、乳房はしぼんで垂れ下がっていました。入れ歯で、いつも和服を着ていて、作る食事も和食オンリーでした。

 住んでいたのは東京のど真ん中でしたが、当時の祖母の家には、土間はあっても洋間はなくて、電話もなく、玄関の扉も引き戸で、道も舗装されていなくて、トイレは汲み取り式で、窓の立て付けが悪くて、隙間風はビュービュー吹きこんだし、テレビは白黒で、週に一回は紙芝居屋が家の前にやってきていた…と書くと、どれくらい昔なのか分かると思います。

 祖母は、見かけはすでに立派な老人でしたが、目も耳も元気だったのは、生命体としては、まだまだ若かったからかもしれません。私も耳はまだまだ大丈夫だと思いますが、すでに目は亡くなった時の祖母よりも悪くなっていると思います。

 今の老人は、私も含めて、外見はあまり爺婆していません。背の曲がっている人は皆無だし(染めているからでしょうか)白髪の人もあまり見かけません。たまに街なかで白髪の方を見かけますが、それらの方々は、私の親の世代の方ばかりで、私と同世代で白髪の人は、ほぼいません。

 入れ歯の人も同世代ではほとんどいないと思われます。乳房は…確認するすべがないのですが、おそらく、私と同世代の方々は、まだまだ原型を留めているのではないかしら?

 そう考えると、今の世代の老人は、昔の老人たちよりも、だいぶ若いと言うか、老化の速度が鈍っているような気がします。少なくとも、外見上は。

 内面と言うか、神経系はどうなんでしょうね。老眼になったり、難聴になったりするのは、昔も今も変わらないような気がします。昔は年をとって頑固になる人はいたけれど、いわゆるボケ老人は少なかったような気がします。今の世代の老人は、外見は昔の老人よりも若々しさを保つようになってきてますが、神経系に関しては、昔ながらと言うべきか、昔よりも老化が激しくなってきているのかもしれません。

 この辺りの研究データがあったら、ぜひ見たいものです。

 なぜ、こうも違うのか…と言えば、我々の生活が大きく変わったからでしょうね。

 祖母の時代には冷房はなく、人々は夏の暑さの中でただ耐えるだけの生活をしていました。冬の暖房はあったけれど、今ほど快適とは言えません。暑さ寒さの中で頑張って生きてきたわけです。食事も和食オンリーの白米中心の食事で、栄養学的に十分な栄養をバランス良く摂取なんて、有り得なかったでしょうね。それに、まだまだ労働の大半は、肉体労働が主流であって、男女ともにカラダを酷使しながら生きてきたんだと思います。予防医学も当然今ほど発達していなかったわけですし。

 たった2世代の違いですが、実に大きく違っているんだなあって思ったものです。

 さらに言えば、祖母はもちろん、母が私と同じ年令だった時よりも、今の私の方が若々しいような気がします。

 今、私の母は死の病に取り憑かれて、明日をも知れぬ状況なのですが、おそらくふと気づくと、その母の年令を越える日が、私にやってくるのかもしれないなあ…って思うと、なんか不思議な気がします。

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2015年3月14日 (土)

ヤヨイがやって来ました、よろしくお願いします

 アズニャンが星になってしまい、メイン水槽の中は、中型魚であるオタキサンと幼魚のハンナだけになってしまい、本当に水槽がガラガラになってしまいました。これでホノカが元気になって戻ってくれば、また話は別なんですが、まだまだホノカはメイン水槽に戻れそうもありません。

 そこで、アズニャンの代わりになる子を水槽に迎え入れる事にしました。名前はヤヨイ(弥生)です。もちろん、春三月に我が家にやってきた子だから、ヤヨイです。

 価格は640円(安い!)。購入先は…隣町のショッピングモールに入っている総合ペットショップです。マドジョウのシロとクロを購入したお店です。金魚専門店ではないから、この値段なんだろうと思います。

 お店では、キャリコ琉金として売られていました。でも、たぶん、この子はキャリコ琉金ではないと思います。と言うのも、よくよく観察してみると、キャリコ琉金とは色々と違うんです。では何かと尋ねられると、これまた返答が難しいなあって思います。

 例えば、ウロコ。この子のウロコは透明ウロコなんです。キャリコ琉金のウロコは一般的には透明ではありません。琉金の場合、透明ウロコを持っていると“桜琉金”という種類になります(以前、飼っていた事があります。初代のサクラがそうでした)が、その場合、ベースになるのは、サラサ琉金(2色琉金)であって、キャリコ琉金(3色琉金)ではありません。キャリコ琉金で透明ウロコを持っていた場合、かなりの希少種になりますので、高級金魚扱いになりますが、高級金魚が640円で入手できるはずありません。

 と言うわけで、この子の顔つきを見てみると、かなり丸い顔をしている事に気づきます。キャリコ琉金の顔つきは三角形で、両目の間はかなり狭いのですが、この子は丸顔の上、両目がかなり離れています。これは琉金と言うよりも、オランダ系金魚の特徴となります。

 丸顔の三色金魚で透明ウロコを持っているとなると…アズニャンがそうであったように、普通は、東錦という種類になります。じゃあ、今度来たヤヨイは東錦なのかと言うと…やっぱり少し違うんですよ。まず頭部に肉瘤がありません。東錦なら大小問わず肉瘤があるものですが、ヤヨイの頭部には肉瘤がありません。さらに体型が東錦っぽくないのです。東錦にしては、背中が広いんですね。背中が広いのは琉金の特徴なんですが、じゃあ琉金の体型をしているのかと言うと、腹部のあたりはオランダ系の体型なんです。

 どういう事かと言うと、頭部と腹部とウロコは東錦と一致するんだけれど、背中と肉瘤の有無から考えると琉金なんです。つまり、かっこ良く言うと、ハイブリッド。ザックリ言うと、雑種。金魚業界的に言うと、ハネモンになります。ハネモンと言うのは、C級金魚の事で、売り物にはならない金魚の事を言います。通常は、金魚すくいに回されるか、肉食魚のエサにされるタイプの金魚の事を言います。

 金魚は通常、美しくて傷がなくて品評会などへの出品が可能な個体はA級金魚として、金魚専門店や観賞魚専門店に卸され、個体の容姿に何らかの問題があって品評会などには出せない子は、B級金魚として、ホームセンターや総合ペットショップなど、金魚の専門家のいない店に回されるわけです。で、売り物にならないのがハネモン、つまりC級金魚ってわけです。

 おそらくヤヨイは、キャリコ琉金なのか東錦なのか、その特徴がはっきりしない(おそらく)雑種金魚だったので、本来ならC級金魚で廃棄処分にしてもよかったのだろうけれど、その姿が美しかったので、B級金魚に昇格して、問屋から総合ペットショップに卸されたのではないかと思います。たとえ雑種で品評会に出せない子でも、総合ペットショップに金魚を買い求めにくる客は、品評会に自分の金魚を出すタイプの客ではないので、問題ないんです。

 まあ、東錦とキャリコ琉金の中間ならば、値段の高い東錦として販売しちゃってもよかったのかもしれませんが、東錦最大の特徴である肉瘤がない以上、ヤヨイは、東錦として販売できず、価格の安いキャリコ琉金扱いで売られていたのだと思います。

 まあ、私的には、キャリコ琉金であれ、東錦であれ、金魚なんて、可愛ければ、それでいいので、別に損したとか得したとかは思いません。それに雑種金魚、無問題ですよ。雑種なら、一匹で二度美味しいじゃない?

 まあ、それはさておき、肝心のヤヨイなんですが、大きさは、ハンナとほぼ同じぐらいです。ですから、まだまだ幼魚です。ハンナ的には同級生がやってきたって感じでしょうし、オタキサン的には、ウルサイ奴がもう一匹増えた…って感じでしょうね。

 元気いっぱいで、ハンナと一緒に広い水槽をビュンビュン泳ぎまくっています。

 と言うわけで、ヤヨイちゃんです、よろしくお願いします。

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2015年3月13日 (金)

私の欠点を数えましょう

 フルートのレッスンは、仕事が忙しすぎて行けませんでしたので、今週はフルートエッセイでお茶を濁す事にします。それに、たまには自分と向き合うのも良いでしょうし…ね。

 私のフルート演奏には、多くの欠点やら未熟な部分があると思いますが、その中でも、とりわけ重症な欠点を数え、心に刻んでみることにしましょう。

 まず、第一の欠点は…指ですね。指の運動性です。

 フルートという楽器は、運動性の高い楽器で、細かい音符を連続して演奏するのが得意です。声楽的に言えば、コロラトゥーラソプラノのような特性を持った楽器なんです。

 もしも、細かな動きの苦手なコロラトゥーラソプラノがいたら…それはコロラトゥーラとは言えません。コロラトゥーラは細かな動きができてナンボって声ですからね。

 フルートも同じ。細かな動きを機敏に演奏してこそ、フルートの特性が活かされるというものです。だから、指の運動性が悪いのは大きな欠点と言えます。そんな大きな欠点を私は抱えているわけです。

 H先生は「指なんて、練習すれば誰でも動くようになるから心配する必要はない」とおっしゃって、格段、私に指の練習(特にドリルのような練習課題)を強いることはありません。今は専ら、音色を良くすることと、暗譜能力の向上を図りながら、フルートの定型フレーズをカラダに叩きこむレッスンを受けています。「指の練習に気を取られると、音色が悪くなるから、気をつけるように」とすら言われています。

 ちなみに「ヴィブラート? そんなものは必要になれば、勝手に出来るようになるから練習する必要はない」と言って、全くレッスンでは取り上げません。指の運動性とヴィブラート。他の大人の趣味人でフルートを吹いている人は、誰もがこだわる二つの能力ですが、それに全くノータッチな私です。

 第二の欠点は…タンギングです。とにかく、タンギングが汚いんですね、私。苦手と言っても良いでしょう。自分でも薄々感じているのは、きれいなタンギングって、舌先とクチビルで作り出すものでしょ? ところが、私のタンギングは舌の中央部と上アゴで作っているんです。と言うのも、舌先とクチビルでタンギングをしようとすると、どうしてもクチビルに力が入って、クチビルが硬くなるんですね。おまけにアゴにも力が入るし…。で、それを無意識に回避して、舌の中央部と上アゴでタンギングをしているんですが…うううむ、邪道だな。

 第三の欠点は…読譜力の弱さでしょうね。ほんと、私、楽譜が苦手です。それでも、以前よりは、だいぶ読めるようになりました。これも笛先生のおかげです。

 歌う人って、案外楽譜が苦手だったりします。結局、歌って、耳コピで覚えちゃうんですよ。特に合唱とかやっていて、毎度毎度、音取り音源のお世話になっていると、全然読譜力が身につきません。独唱であっても、参考音源ばかり聞いていたら同様です。だから、声楽オンリーの人は、なかなか読譜力が身につかないのです。

 ところが楽器を学ぶと、そうは行きません。まず、お手本が少ない事。音取りCDなんてありませんからね。それに楽器って、耳コピで演奏できるほど大雑把な演奏しませんからね。どうしても、細かく楽譜をチェックしないと演奏できません。フルートも同じです。

 まあ、私の場合、アルテやガリボルディ程度の楽譜をえっちらおっちら読んでいるに過ぎません。とてもとても、黒くて難しい譜面は読めませんし、ピアノのような二段譜もダメ。読譜力が弱いと言わざるをえないでしょう。

 最後の欠点は…アドリブ力の弱さかな? アドリブ演奏は、ほんの入口しか習いませんでしたし、実践の場もさほど積み重ねてきませんでした。おそらく、笛先生にずっと習っていたら、もう少しアドリブ演奏ができるようになっていたかもしれませんが、それは仮定の話です。今はクラシックオンリーですから、ことさらのアドリブ力は不要ですが、いずれはポピュラーの曲も演奏するようになるでしょう、その時には、アドリブ力の無さは大きな欠点になるでしょうね。楽譜どおりにしか吹けない笛吹きなんて、バンドの演奏では、何の役にもたちませんからね。それは悲しいことです。やはり、きちんと基礎練習して、アドリブ力も身につけていかないと、色々とマズいかなって思ってます。

 まあ、他にも欠点はあるでしょうが、大きなモノはこんなところかな? 欠点を自覚したら、これを心に刻んで、毎日少しずつ練習をして前進して、やがて、これらの欠点を克服できるようになるといいなあって思います。

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2015年3月12日 (木)

レッスンと飲水

 皆さんはレッスンの最中に、水とかお茶とか飲みますか? 私は、以前はバカスカ飲んでいましたが、今は飲んでいません。だって、飲む必要ないし、飲んでいる時間がもったいないし…。

 私の先生方は、レッスン中に飲水することは禁じてませんが、中には嫌がる人もいますからね、ほんと、レッスン中の飲水には、注意です。

 元々、私がレッスン中(?)に飲水する習慣がついたのは、合唱団にいた時です。

 合唱団って、練習中に飲水する人、多いですね。まあ、合唱の練習って一般的に時間が長いし(一回の練習が3時間なんて団はザラでしょ?)、ノド声で歌っている人も多いので、ノドが渇くので、どうしても飲水は必要なんですね。

 ノド声…そうです。ノド声で歌っていると、すぐにノドが渇くんですね。不思議です。だからでしょうか、キング先生のところで学んでいる時は、レッスン中によく飲水していました。だって、すぐにノドが渇くんだもん。そして先生ご自身もレッスン中の飲水を薦めていたので、もう大きな顔してガブガブ飲んでいました。

 もっとも、キング先生は水を飲むのは薦めていましたが、お茶は禁じていました。レッスンどころか、声楽家は普段からお茶を飲んではいけない…みたいな事を言ってました。なんでも゛お茶は殺菌作用があって、それがノドを痛める原因の一つなんだそうです。なので、お茶は厳禁でしたが、その他はOKでした。むしろ、スポーツ飲料などは、お薦めされていましたが、スポーツ飲料って、普段飲みしてしまうと糖尿病へ直行してしまうんだよね、おお、怖い。

 なので、私はキング先生のレッスンの時だけ、水を持参して、それ以外ではガブガブお茶を飲んでました(笑)。だって、お茶、大好きなんだもん。

 そう言えば、F先生も絶対にお茶飲まないよな…。

 キング先生のところでガバガバ飲水する習慣があったので、フルートの笛先生のレッスンでも最初のうちは飲水してましたが、レッスン中に飲水する時間がもったいなくなって、やがてフルートでは飲水を止めて、声楽だけで飲水をするようになりました。

 Y先生に変わった直後も、飲水をガバガバしていました。あんまり私が水ばかり飲んでいるので、先生に心配された事もありました。

 それにキング先生のレッスンでは、レッスン自体がゆったりとしているので、レッスンの最中であっても、要所要所で飲水が可能な瞬間があったのですが、Y先生のレッスンは実に忙しくて、なかなか飲水をする時間を見つけることができませんでした。それが最初は辛くて厳しくて…。やがて、発声を直されていくうちに、歌っていてもノドが渇く事がなくなり、やがて飲水をしなくても1時間程度は歌い続けられるようになりました。発声方法が改善されてきたからです。

 今では、風邪をひいているとか、体調が悪い時を除けば、飲水せずとも不自由を感じることがなくなりました。

 飲水をしなくなった頃から、ノド飴もなめなくなったし、声の漢方薬の使用もほぼ無くなりました。発声方法を見直す事って、大切なんですね。

 レッスン中に飲水を必要と感じるのは、もしかすると黄色信号なのかもしれません。ただし、合唱団の練習のように3時間も歌いっぱなしだと、やはり飲水は必要かもしれませんが(笑)。

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2015年3月11日 (水)

私はどこまで上達できるのか?

 プロ並みの演奏力を身につける…これを上達の最終目標としましょうか?

 よくネットで見聞きする情報の一つに「一万時間練習するとプロ並みの演奏ができるようになる」があります。

 一万時間と、ひと言で言っても、なかなか具体的に想像できません。

 一万時間と言うのは、毎日2時間ずつ月~金の週5日間練習する(大人の趣味人としは、かなり真面目な方ですね)と仮定するなら、丸々20年かかります。

 だって、2時間/日で、週5回なら、1週間で10時間の練習でしょ? これで一万時間をクリアするには、1000週間かかるわけです。一年間は52~3週ありますから、単純に1週間を50週として計算すると、20年かかる計算になります。

 つまり、大人の趣味人が、かなり真面目に練習を積み重ねていけば、20年でプロ並みの技術が身につく…ってことになります。

 これが20代の若者なら、20年たってもまだ40代です。40代でプロ並みの技術が身につくなら、それはそれで楽しいでしょうね。

 私はすでに50代ですから、今から20年後だと70代になっちゃいます。70代でプロ並みの技術が身についたからといって、それでどうだというのでしょうか? だいたい、70代になって、今のようにカラダが動いて、元気ハツラツとは限らないじゃないですか。だいたい、その頃まで音楽を趣味としてやり続けることができているかどうか、甚だ疑問だし、それ以前に、その年まで元気で生活している…いやいや、生きているかどうかも怪しいものです。

 仮に、それらをすべてクリアしていたとしても、私、そんなに真面目じゃないから、一万時間を積み重ねるのに、20年じゃあ、たぶん無理。40~50年は軽くかかるけれど、そうなると、ますます生きているかどうか疑問でしょ?

 つまり、私の場合、一生懸命、音楽の練習をしたところで、プロ並みの演奏技術を得ることは…無理ってことです。

 その上、時間だけではなくて、才能の点からも、プロ並みの演奏技術を身につけるのは、かなりきびしいと言わざるをえないよね。

 例えばフルート。私の場合、アルテの1巻を終えるのに6年超の時間がかかってますが、実はこのテキスト、人によっては1年足らずで終えてしまうのだそうです(それも結構多くの人が…ね)。もちろん教則本なんて、その人のペースで学べばいいのだから、時間の多少は問題ではないとしても、彼我の上達進度の違いは才能って奴の違いです。1年程度で終わるテキストも、私程度の才能だと6年かかってしまうってだけの話です。ああ、才能、無いなあ。

 物事には常に始まりがあって終わりがあるわけです。もちろん、始まりも終わりも“意図せずに”とか“いつのまにか”と言うこともあれば“ある事件をきっかけに”とか“せざるをえなかったから”などが、きっかけになる事もあります。つまり、始まりにせよ終わりにせよ、我々の意思が、そこに介在する場合もあれば、介在しない場合もあるわけです。

 私の場合はすでに始まっているわけだから、あとはいつ終わりがやってくるかって事が問題なんです。

 やむをえない事情で、私の意思を超えたところで終わりがやってくるなら、仕方ないですが、どこかで終了を決断しないといけなくなる時がやってくるかもしれません。

 例えば、ヴァイオリンを辞めたのは、東日本大震災があって、先生が落ち着いてレッスンをしてくれなくなった事と、やはり声楽とフルートの二つを学びながら、その上にヴァイオリンまで学ぶというのが、思った以上に大変だった事の2つが原因かな。ある意味、やむをえない理由でヴァイオリンを辞めたと言えます。

 振り返って考えてみれば、昔々(20年近く前に)合唱を辞めたのは、さらなる進歩を目指して声楽にシフトしたからです。で、その声楽を辞めたのは、先生が留学をするために、お教室を畳まれたから。でも、その際に色々とあって、私はちょっとばかり傷ついて、しばらく音楽から遠ざかってしまいました。

 もちろん、今はその傷も癒えて、声楽だけでなくフルートも学んでいる私ですが、それでも割りと最近、フルートも声楽も、先生が変わっております。フルートのように、前の先生が引っ越しをされたために円満に別れたり、声楽のように、散々な目にあわされて放りだされたりもしています。特に声楽の先生から受けた仕打ちは、トラウマになってますが、それでも歌を辞めてはいません。普通に考えれば、あれだけ人格攻撃を受けたら、声楽家不信、アンチ声楽人間になっても不思議ないほどに、傷めつけられたのにね(笑)。

 そうならなかった理由は(若い時と違って)今、音楽を辞めたら、もう死ぬまで音楽に戻ってくる事がないから、それを神様が哀れんでくださって、音楽を辞めるという決断をさせなかったんじゃないかって思ってます。

 だから、前の先生とお別れをした直後に、もっと素晴らしい先生と、すぐに出会えたんだろうと思ってます。

 今、習っている先生とも、やがては別れの時が来るでしょう。それが円満な別れであれ、さんざんイジメられて追い出される形であれ、そこで次の先生が見つからなければ、ジ・エンドです。でも、すぐに次の先生が見つかれば、音楽を継続できると思います。

 そう考えると、私の場合、上達のゴールに辿りつけない事が分かった以上、私がどこまで上達できるのかは、私がいつまで習い事を続けられるのかと同義かもしれません。すなわち、私がどこまで上達できるのかは、縁を取り持つ“音楽の神様”次第って感じになるかな?

 少なくとも、私には自ら音楽の学びを辞めるという選択肢は、たぶん無いだろうからね。やむなく道が閉ざされるまでは学び続けるだろうし、学び続けている限り、微々たりと言えども、絶えず上達し続けていくだろうからね。

 そういう意味では、毎日が薄氷の上を歩むような感じで、音楽を学び続けている私と言えるかもしれません。

 ううむ、でも、まだ、もっと、ちょっとでも、前に、上に、上達していきたいと、切に願っていたりします。

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2015年3月10日 (火)

師匠は大切

 「何事にも先達はあらまほしきものなり」と言いますが、やはり、先輩とか先生とか師匠という存在は“あらまほしきもの”であると思います。

 なぜそう思ったのかと言うと…アニメの話で申し訳ないけれど『ドラゴンボール』というアニメで、主人公である悟空と、そのライバルであるベジータの関係に思いが及んだからです。

 二人とも、戦士と言うか、格闘家で、互いに競い合う関係なんですが、いくらベジータが修行を重ねて強くなっても、決して主人公である悟空には敵わないのです。二人とも、格闘の天才という設定だし、それぞれ(アニメですから)人知を超越したような無茶苦茶な修行をして、想像を絶するほどに強くなるのですが、それでもベジータは決して悟空よりも強くなれないのです。

 まあ「アニメだから…」「主人公だから…」と言ってしまえば、それだけですが、それ以外に理由はないものかな?と思ったので、ちょいと色々と考えました。

 やはり、二人を取り囲む人間関係の違いに原因があるかなって思いました。

 ベジータは孤高の天才なんです。部下はいても友人はいない…という寂しいタイプの人(でも嫁さんはいる)なんです。一方、悟空は高度なコミュ力を持っていて、至る所に友人知人がわんさかいるタイプなんです。

 やはり、孤高な人よりも、友人の多いタイプの方が、何事であれ、芸を学ぶには有利ですよね。「我以外、皆、我が師なり」とは、小説「宮本武蔵」の中で、作者である吉川英治が武蔵に言わせたセリフですが、人間って知らぬうちに多くの事を他人から学ぶものなんですよ。そういう点では、友人が多い人間は、ボッチよりも物事を学ぶには有利な環境にあるわけです。

 とりわけ師匠の有無は大きいかも。ベジータには、もちろん、師匠はいません。でも、悟空には、入門期には亀仙人が、達人クラスになってからは界王様という師匠がいます。さらに短期間に限れば、それ以外の名人達人にも弟子入りをして多くの事を学んでいます。

 師匠について学ぶ人である悟空と、独学で孤高なベジータ。この違いが、力量の違いの根本にあって、だからベジータは悟空を追い抜けないのかもしれないって思いました(ちなみに、悟空の息子の悟飯と悟空の師匠はピッコロさんで、孫悟空自身はウーブの師匠になります)。

 話を一般化すると、だから独学はダメだ…と言いません。独学でも上達する人は上達するし、名人になれる人はなれるからです。でも、師匠について学ぶよりも、非効率だろうし、上達するまでうんと時間がかかるんだろうなあって思います。

 師匠について学ぶ事の利点の一つは、間違いのない道筋で、短時間で効果的に上達できるという点があるでしょう。また、師匠についていれば、サボったり怠けたりする事はできないですから、これまた上達速度は増すでしょうね。

 さらに言えば、師匠は、身近な手本であり、目標であります。芸事における一つの到達点が自分の師匠なわけですから、常にゴールを見定めて学べるし、師匠の芸を見ながら(真似をしながら)上達できるわけです。

 やっぱり、師匠について学ぶ事って大切ですね。

 さらに、師匠を通して、兄弟姉妹弟子との関係も大切ですね。ある意味、師匠から学ぶ事とは別の事を多く学び合えるわけです。悟空には、クリリンという兄弟子がいたわけだし。

 そういう事になると、芸事の上達には、コミュ力が最も必要って事になるのかな?(笑)。

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2015年3月 9日 (月)

錦織健プロデュース『後宮からの逃走』を見てきました

 “見てきました”…と言うよりも、今回は“見れませんでした”という内容の記事です。

 実は私、かなり前から、このオペラの事を知っていて、チケット発売とほぼ同時に入手して、この日この時を心待ちにして楽しみに待っていたんです。だから、仕事が繁忙期であるにも関わらず、何とか時間をひねり出して、このオペラに出かけたのですが…結果として、ホールの座席で居眠りをしてしまい、ほとんど舞台を見ることが出来ませんでした(残念)。

 仕事の調整をして時間を作っても、すでに若くない身、無理はできないって事ですよ。ここんところ、早朝から夜遅くまで独楽のようにクルクルと回りながら激しく働いていましたからね。体力の消耗、疲労の蓄積、これらが半端無く「オペラを見たい」という気持ちに対して、カラダは強制休息を取らせにかかったわけです。

 だから序曲は覚えているんですよ。でも、あの長い序曲を聴いているうちに、段々眠くなくなって「こりゃマズい」と抵抗したものの、幕が開いて舞台セットが出てきたところまでは覚えているんだけれど、そこから先の記憶は、ウツロでマダラ。ふと気が付くと、万雷の拍手で第1幕終了。

 ああ、丸々1幕を寝てしまい見逃してしまった! と後悔するものの、すでに時は遅し。幕間には、トイレに行って、簡単な体操をして、しっかりと目を覚ましたものの、第2幕が始まって、幕が開いて、歌手が歌い始める前にすでに記憶はウツロでマダラになってしまいました。で、ふと気が付くと、万雷の拍手で第2幕終了。第1幕と全く同じ事をしてしまいました。

 ちなみに出演者は、コンスタンツェが佐藤美枝子氏、ベルモンテが錦織健氏、ブロンデが市原愛氏、ペドリロが高柳圭氏。ほら、スター揃いでしょう? そんな美味しい舞台のはずなのに、2幕まで丸々寝ちゃったんですよ。彼らがどれだけ素晴らしいパフォーマンスをしていようと、それらに心惹かれる事なく、眠り続けちゃったんです。ああ、モッタイない。

 結局、どんなに素晴らしいパフォーマンスがあっても、眠気には勝てないってわけです。

 ああ、残念。この公演は、歌の部分こそ原語上演(ドイツ語)ですが、芝居を進めるセリフ部分は日本語上演という、ちょっとおもしろい形式での上演で、おそらく日本語部分では、ギャグを取り入れながら、ドッカンドッカン会場が盛り上がっていたはずなのに、私はそれを知らないのです。座席は、前列中央部なんていう、特大に素晴らしい席でチケットだって安くなかったのに…ああ、寝ちまったよ。

 第2幕終了後、カラダは妙にダルく、頭痛はするし、意識はボーっとしたままだったけれど、さすがにこのままではマズいと思いました。まずは薄着のまま、場外に出て、激しく体操をし、ちょっとそこらをグルグルと走ってきました。息を調えて、アイスブラックコーヒーをガブガブと飲みました。そして「次も寝たら、チケット代が丸損! それ以前に仕事をやりくりしてまで、ここに来た意味がなくなる!」と自分自身に強く言い聞かせました。次も居眠りしたら、マリンタワーから飛び降りてやる!…そう決心して第3幕に臨みました。

 さすがにマリンタワーから飛び降りなくて済みましたが…第3幕って、たった30分しかない短い幕なんだよね(涙)。結局、私は30分だけのオペラを見るために、あれこれ無理をしたわけです。だったら、最初っからオペラなど見ないで、仕事した方がずっとずっとマシだったなあ(涙)。

 このオペラ、音楽的な見どころは2幕までで、3幕は終曲の合唱があるくらいで、後はストーリーの帳尻合わせのお芝居があるくらいです。だから、3幕は寝ずにガッツリ見ていたけれど、音楽的には全然不満足。面白くもクソもない! まあ、私が悪いんですが…。

 結局、仕事の繁忙期にも関わらず「なんとかなるだろう」と思って、チケットを買ってしまった私の判断ミスって奴です。どんなに素晴らしい公演であっても、寝てたら意味ないもんね。

 それにしても、オペラなのに、丸々寝ちゃったというのは、初めての経験です。今回以上に体調が悪くても、オペラで丸々寝ちゃった事はないし、ナマの舞台でなく、映画上演ですらオペラで寝ることは、まず無い私です。昨今だと、H先生主催のコンサートで寝ちゃったけれど、あれはオペラではなく、器楽演奏だったから寝ちゃったんだよね。だって、歌の時は、ちゃんと聞けていたもの。

 今回はオペラだったにも関わらず、私が好きな演目だったにも関わらず、そして席だって良かったにも関わらず、爆睡。

 もう、こんな思いをするのはコリゴリです。今後は春先のオペラ公演には、行かないようにしよう…と心に決めた私でした。オペラなんて、いつだってやってるんだし(ふん)。ああ、自業自得だ!

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2015年3月 8日 (日)

寂しい交番[2015年3月第2週・通算5週]

体重:107.1kg[-1.6kg:-7.8kg]
体脂肪率:30.7%[-0.8%:-2.7%]
BMI:33.8[-0.5:-2.6]
体脂肪質量:32.9kg[-1.3kg:-5.5kg]
腹囲:107.0cm[-1.4cm:-9.0cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 私は湘南、つまり、神奈川県に住んでいるわけですが、神奈川県という地域における警察に関するネットの評判って、すごぶる悪いんですね。あまりに悪すぎて悲しくなるくらいです。

 一応、私にも地元愛というのがあるので、地元の警察の悪口は書きたくないので、ネットに上がっている“神奈川県警×無能”ネタは、ここには書きませんが、もう頭を抱えたくなるくらいに、思い当たることが多くて困ってしまいます。

 まあ、ネットのネタはネタとして放置するとしても、私がリアルな生活で「さすがに地元の警察が、これじゃあ困るよなあ…」って事があります。

 それは『無人交番の多さ』です。交番なのに、警官さんが誰もいないんです。

 私の地元周辺では、交番に行くと、ぽつんと机が一つだけあって、その机の上に電話があって、交番に用がある人は、そこから電話をかけて警官を呼び出すというシステムなんです。
 私、用があって、この電話を使った事ありますが、電話をかけてから実際に警官が来るまで、10分近くかかりました。交番は駅前交番で、実は地元の警察署とは歩いて5分ほどの距離にある場所だったのですが、こんな近くでもこんな状態なら、少し離れたところにある交番なら、もっと時間がかかるでしょう。

 実際に、交番が無人なので、たまに交番で暴力事件が起きたり、婦女暴行事件が起きたりする事があって、地元の噂にありますが、…報道されないんだよなあ。

 なので、地元の小学校などでは、怪しい人に追いかけられたりしたら、交番ではなく、近所の商店に飛び込むように指導しています。地域のパトロールだって、警官じゃなくて、地域の人たち(主に小学校のPTAの役員さんたち)が行っています。

 他府県に出かけると、たいてい交番に警官さんがいるので、うらやましいです。神奈川県だって有人の交番はいくつかありますが、圧倒的多数は無人交番なんですよ。それに有人交番でも、警官さんが奥の部屋でくつろいでいて、一見無人に見える交番もかなりあります。

 昔々の大昔、私がまだ若者だった時、用があって交番に行って電話をかけたら、奥の部屋から警官さんが出てきた事ありましたもん。いるんなら、きちんと表に出てきて欲しいって思ったものです。

 あと、派出所ではなく駐在所なのに、電話をしたら、ヨソから警官さんがやってきて、ビックリした事もあります。つまり、駐在所なのに、そこに住んでいる警官さんがいなかったわけです。それってどうなの?

 だから、なんかもう、不安なんですよ。地元の治安は地元の人々が自分たちで守るものであって、警察が関与するモノではないんですね、神奈川県では。

 でも、それってダメでしょ。間違っているでしょ。ならば、何のために警察という組織があるのかって事です。車のスピード違反の取り締まりだけのために警察ってあるもんじゃないんだよ。

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2015年3月 7日 (土)

アズニャンが急死しました(涙)

 アズニャンは、その日の朝は元気だったんです。「今のウチの水槽で、一番美しいのは、アズニャンだねえ…」と声掛けをしたばかりでした。

 ホノカとサクラの巨大魚が入院して以来、メイン水槽を仕切っていたのはアズニャンでした。アズニャンは、おっとりした性格で、いつも人間の生活を見ていた子でした。アズニャンとオタキサンは実に仲が良く、よく二匹で並んで、こちらを眺めていたものです。

 本当に朝まで元気だったんです。

 その日一日家にいて、なんとなく水槽を観察していた妻によると、昼頃、激しくハンナに追っかけられて(金魚の幼魚は、時々成魚を追いかけ回すんです。幼魚的には遊んでいるつもりでしょうが、追っかけられる成魚にとってはたまったもんではありません)、逃げまわっているうちに、腹を上にして浮かんでしまったのだそうです。

 で、そのまま。

 おそらく、逃げまわっているうちに心臓がバンクして死んでしまったのでしょう。心臓麻痺は金魚によくある死因の一つです。

 実に、突然死です。参ったなあ…。あまりに急で、悲しむよりも、ビックリしています。

 アズニャンが我が家にやってきたのは、2014年の2月です。つまり、一年ぐらいしかウチにいなかったわけです。

 当時の記事を見ると、まるで今のハンナみたい(笑)。ハンナも一年たつと、立派に成長するんでしょうね。でも、本当に、アズニャンは美しい金魚だったんですよ。

 バイバイ、アズニャン。

 ちなみに、ハンナは残ったオタキサンを追い掛け回しています。オタキサンも今までに見たことのない機敏な動きをしています。ううむ、こうやってアズニャンもハンナに追いかけられたんだなあ…。いつもはんなりしているメイン水槽にしては、珍しい光景となっています。あ、そうそう、ホノカは入院水槽で元気にしておりますよ。

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2015年3月 6日 (金)

教育と経営は違うのだよ

 フルートのレッスンに行ってきました。

 お教室に入るなり「実は、このフルート、前回のレッスンでしまったまま、一度も組み立ててません」と正直に白状しました。「まあ、仕事が忙しそうだからね。せめて、ここに来た時くらい、たくさんフルートを吹いておきなさい」と勘弁してもらいました。へへ、そうさせていただきます。

 ロングトーン練習は、実にバッチリです。ここんとこ、いつもいつもバッチリバッチリと書いてますが、今回のバッチリは実にバッチリでした。何というか、バッチリの精度がドンドン上がって来ているような気がします。

 エルステ・ユーブンゲンは7番です。はっきり言って、まだまだ暗譜はマダラですが、先生と合わせたところ、なんとかノーミスで吹けたので、合格をいただきました。まあ、先生と吹いていると、一人っきりで吹いているの違い、ちょっと自信のない箇所は、コンマ数秒発音するのを遅らせて、先に先生に吹いてもらって、その響きにピヤっと合わせる…という、姑息な手段が使えるので、結果としてノーミスっぽく吹けました。まあ、合法的なカンニング?かもしれませんが…勘弁してくださいな(笑)。

 さて次は8番を暗譜です。で、合わせて9番も練習してきなさいって感じです。

 プチ・エチュードは9番です。吹き始める前に「今回で上がらせましょうね」とプレッシャーをかけていただきました(涙)。

 実際、この一週間、笛を持っての練習はしませんでしたが、前回注意された事は覚えてますよ。とにかく、指が滑ってしまうのを防ぐために、無闇に速く吹くのではなく、自分がコントロールできる速度で吹くことを心がけました。なので、心持ちゆっくりなテンポかな? とにかく、急ぎたくなる心を抑えながらの演奏をしました。

 でも、テンポのちょっとの違いがかなり大きかったようで、ほぼノーミスで行けました。なので、こちらも合格をいただきました。

 で、最後に9番を先生と合わせて吹いたのですが、先生、ゆっくりどころか、容赦なく速いテンボで吹くものだから、私はミスブローの連発どころか、あっちこっちで置いてけぼりを食らいました。私はやはり指の動きに難点があるんだな。速さに対応できません(涙)。

 今回の雑談。H先生は元音大の教授さんなので「音大を卒業してもピアノが弾けない人がいるのは、どういうわけですか」とストレートに疑問をぶつけてみました。

 その解答が「教育と経営は違うのだよ」との事でした。

 教育者としては、あまり実力の無い子を合格させるのは忍びないと思うのだそうです。と言うのも、実力の無い子って、やはり大学四年間、一生懸命指導しても、そんなに伸びるものではないんだそうです。伸びる子は、最初から輝いているんだそうです。つまり「音大で学ぶと、上手い子はより上手くなるけれど、上手くない子はそのまま」なんだそうです。だから、実力のない子を合格させて入学させるのは、本当に忍びないのだそうです。

 さらに言うと、一向に上手くならないからと言って、留年させるわけにもいかないのだそうです。と言うのも、留年させれば上達するなら、いくらでも留年させるのだそうですが、そういう子って留年したからって上手になるわけじゃないんだそうです。何年勉強しても上達しないのなら、さっさと四年間で卒業させてあげるのが、せめてもの情けなんだそうです。

 本科の楽器ですから、そんな状況ですから、副科ピアノの実力なんて、推して知るべしなんだそうです。

 それに、そういうレベルの子は、卒業したからと言って、プロの演奏家になれるわけじゃないのです。それどころか、音楽で食べていくのは難しいんだそうです。だから、そういう子に向かって、H先生は「学校卒業したら、音楽から足を洗って、カタギになるんですよ」と言ってあげるんだそうです。でないと、夢を見続けて、かわいそうな事になるから…なんだそうです。でも、H先生のように正直な先生ばかりじゃないから、出来ない子にも夢と希望を与えたまま卒業させてしまう先生もいるんだそうです。

 それで、ピアノもロクに弾けないピアニストさんが誕生しちゃうんだそうです。

 「そういう子は、ピアノが弾けないどころか、ロクに楽譜も読めなかったりするんだよ」って教えてくれましたが、ほんと、そんなレベルの子を入学させていいんですか?

 教育者としては、そういう子は、合格させたり入学させたりするべきではない…と考えるそうですが、理事の立場になると、または話は別なんだそうです。

 理事ともなると、学校の経営も考えないといけないわけです。「校舎を新築するために、今年は学生を多めに取ってください」と事務方から言われてしまうと、やはり合格のためのハードルを下げないといけないって感じてしまうんそうです。

 たとえそうでなくても「音大の先生たちはカスミを食べて生きているわけじゃないからね。生徒をたくさん入学させないと、お給料が支払えないのだよ」と考えてしまうのだそうです。つまり、理事としての自分と、教育者としての自分が分裂してしまうんだそうです。

 …分かるわあ。

 教育者の本音としては、将来、プロの演奏家になれる子だけを入学させて、みっちり育てて、卒業後の仕事の世話もきちんと見てあげたいのだそうです。でも、経営者の本音としては、学生の腕前に関わらず、一人でも多くの学生を合格させて、安定した経営を目指してしまうのだそうです。

 学校だって企業の一つです。企業なら、安定した経営で、従業員の生活を支えるのは当然の事です。安定した経営のためには、たくさんの学生が必要で、たくさんの人数を確保するためには、合格の基準がおのずと低めになってしまい、それがピアノが弾けないピアニストを生み出す一つの要因になってしまうのだそうです。

 なんとも世知辛い話です。

2015年3月 5日 (木)

声楽は、男性教師に習うべきか、女性教師に習うべきか

 楽器の演奏には基本的に性差というものはありません。もちろん、男性と女性ではカラダの大きさとか肺活量の多少とか腕の長さとか、色々と違いはありますが、それらは個性の違いに収斂される程度の違いでしかありません。

 しかし、声楽では性差はとても大きな違いです。それは器楽的に言えば、楽器が異なるほどに違います。音域も違えば音色も違います。いわゆる音楽としての運動性能や運動特性も全然違います。それゆえ、声楽を習う時は、男性の先生に習った方が良いのか、女性の先生に習った方が良いのか、それとも全く先生の性別については考えなくても良いのか、多くの人が悩むわけです。

 声楽初心者の場合、大雑把に、以下のような傾向があると思われます。

 女性の生徒さんは、同性である女性教師を選ぶ傾向があります。女性同士の方が何かと安心できるからという理由が多いようです。一方、男性の生徒さんは、教師の性別をあまり気にしないようです。まあ、男性の場合は、先生の性別を気にしないと言うか、無頓着だというケースが多いようですが、中には「やっぱり、若いお姉ちゃんがいいよね」と言って憚らないオヤジもいるわけです(笑)。

 声楽の基礎基本的な部分は、実は男女で大きな違いはありません。ですから、初心の段階では、先生の性別はあまり関係ないのかもしれません。むしろそれより、その先生が初心者の指導が得意かどうかの方が大切かもしれません。

 あと、同性の先生だと、色々と真似をしながら学ぶ事ができますが、異性の先生だと、真似をする事ができません。真似ながら学ぶのは、良い方法ですが、真似てばかりいると、いつまでたっても自分の歌い方を確立しづらいという側面があります。そこはあえて(同性・異性を越えて)先生の真似をせずに、自分の声や歌い方を追求して学ぶというやり方もあります。

 女性同士だと、よくカラダを触り合いながら、カラダの動きを確認しながら、レッスンをするという話を聞きます。異性間ではもちろん互いのカラダを触り合いながらの指導は無理ですが、男性同士でも、なかなかカラダを触って指導というのは無いみたいですから、この触れ合いのあるレッスンは、女性同士ならではなのかもしれません。

 また女性同士だと、いわゆる“ガールズ・トーク”ができるので、先生と生徒の心理的距離感が縮まるとも聞きます。

 そう考えると、なんか女性の生徒さんの場合は、やはり女性教師の方がいいのかな? なんて気もしないではないです。でも、一番大切なのは、性別うんぬんよりも、実は人間的な相性とか、人柄とかかもしれませんよ。だって、その方が同じ事を教えていただいても、素直に受け入れられるでしょ? 信頼関係も築きやすいでしょ? そういう事です。

 中級以上の生徒さんになると、話は変わります。そのレベルになると、先生の性別にこだわる生徒さんも少なくなるようです。レッスンの内容もより難しくなりますし、男声女声の違いと言うよりも、声種ごとに異なるテクニックの違いなどを学ぶことになってきますので、先生の実際の性別というよりも、その声種の指導ができるかどうかという点の方が重要になります。

 声楽の場合、入り口付近の基礎基本の部分は、みな一緒ですが、ある程度上達してくると、やはり男女では学ぶべき事が少しずつ変わってきます。なにしろ、男声と女声の特性の違いってのが、やっぱりあるからです。

 例えば、女声は声に軽さと運動性能が強く求められますが、男声の場合は、力強さとかレガートさが求められます。もう少し言うなら、声種による違いもあって、高音歌手なら、つややかな歌声が必要ですが、低音歌手ならば声に安定性か求められるようになります。

 実は先生方には、それぞれ得意分野と不得意分野があります。

 一般的に男性の先生は、女性も男性も教えるものですが、女性の先生は女性の生徒さんしか受け入れない方もいます。また、低音の先生は低音はもちろん、高音の方の指導もしますが、高音の先生は高音の生徒さんに限るケースも多々あります。また、初心者の指導をメインにしている先生もいらっしゃれば、中級以上の生徒さんの指導に限る人もいるし、音大受験生の指導のみを行う人もいれば、“音大受験生はお断り”と言う方もいます。

 そう考えると、先生の得意分野ではなく、先生の性別にこだわるのは、やはり初心者のうちだけなのかもしれません。

 声楽に限らず、音楽では、自分の成長や上達に伴って、師事する先生を変えていくのが普通ですから、最初は自分と同じ性別の先生に基礎基本を習って、その後は、それぞれに求めるモノに応じた先生に師事するのが良いのかもしれません。

 ちなみに私は、個人レッスンは、女先生、男先生、男先生の順番で習い、現在三人目の先生の元で学んでいます。

 最初の女先生はメゾの方で、まだ私も二十代の若者でした。紹介者のツテで学び始めたので、先生も断りきれなかったようで、不承不承引き受けたというオーラを常に出してました。まあ、歓迎されていなかったのかもしれません。事ある毎に「基本だけ教えます」「ある程度歌えるようになったら、テノールの先生を紹介しますから、そちらで学んでください」とか言ってました。おそらく、男声の生徒さんを取りたくなかったのかもしれません(私以外の生徒さんは皆女声でした)。

 この先生は、ご自分が拠点をヨーロッパに移すという事で、1年ほど学んで辞めました。その際に色々あって、私は音楽がイヤになって、しばらく声楽から離れたわけです。

 その後、15年以上して、心の傷も癒えたので、今度はテノールの先生に歌を習い始めました。ツテもコネもなかったので、いわゆるカルチャースクールのグループレッスンから始め、やがて個人レッスンに変わりました。よく遊んでくれた先生でした。5年ほど学びましたが、自分の型にはめようとするタイプの先生で、学んだ時間ほどには上達しませんでした。でも楽しかったですよ。あと、謝礼が安かった(これには感謝してます)。まあ、同性の先生で学んだからと言って、必ずしも上達するわけじゃないって事例ですね。

 で、今のバリトンの先生です。同性ですが同声ではありません。学び初めて、そろそろ3年になります。ツテとかコネとかを使用して、生徒募集をしていなかったにも関わらず、生徒に加えていただきました。申し訳なさと感謝で一杯です。今までの先生の中では、一番私を上達させてくれた先生です。もっとも、謝礼は前の先生の3倍もしますし、レッスンにはタクシーで通ってますので、お財布からお金がボンボン飛んでいきます(笑)。あと、ご自分の演奏活動が忙しくて(教えるのは、あくまでも副業なんです)、ちっとも私と遊んでくれません(爆笑)。

 今の先生とは、ある程度上達したら、次の先生を紹介していただけるという約束を最初に取り交わしています。つまり、門下の卒業を前提に習っているわけです。でもまあ、今のところ、先生からは、まだまだたくさんの事を学ばないといけないので、次の先生の事なんて、考えられない状況です。

 感謝な事に、これらの先生方、みなさん地元の方なんですね。だから、電車を利用したり、徒歩だったり、タクシー利用だったりはしますが、平日の仕事帰りにレッスンに行けるのがうれしいです。地元にちゃんとした声楽の先生のいない地域も多い中、やはり湘南という地域は、芸術関係には色々とアドヴァンテージがあるもんだなと感謝しております。

 最初の話題から、だいぶ遠くに来てしまいました(笑)。

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2015年3月 4日 (水)

あまりに難しすぎて、心が折れてしまいそうです

 声楽のレッスンの続きです。

 さて、発声練習も終わり、いよいよ曲の練習に入りました。最初は、モーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」のテノール・アリアである「Un'aura amorosa/恋のそよ風」からです。

 実は、レッスンの開始時刻少し前に、先生から妻にメールが入りました。その内容は「旅先から直接レッスンに行くので、手元に楽譜が何も無いので、楽譜を用意して欲しい」でした。その連絡を受けた妻は、さっそく私の書棚を漁って「Un'aura amorosa/恋のそよ風」の譜面を探したそうですが、彼女が見つけたのが、リコルディ社から出ている「モーツァルト・テノール・アリア集」だったわけです。しかし、私が普段使っているのは、音楽之友社の「テノール・アリア集」だったので、同じ曲でも、楽譜がちょっと違ってました。まあ、ちょっとしか違っていないのだけれど「○○ページの○小節目」という指定ができなくなったので、レッスンでは少々混乱が生じました。やはり、同じ曲であっても、同じ楽譜を使った方が、レッスンははかどりますね。

 さて、この曲。歌うには、体力が必要と言うか、声の消耗が激しすぎます。家で練習していて、最初から最後まで歌うと、最初こそ元気よく歌いますが、最後は青息吐息になってしまうので、最近では、歌い出しから声をセーブして歌うのが癖になっていました(そうやって、最後まで声を持たせようとしていたわけです)。当然、先生からは「もっとしっかり歌うように!」と注意されます(ま、当然ですね)。

 で、しっかり歌い始めるとダメが出ます。その理由は“声が開きすぎてます”という事です。開いた声…テノールには結構いるんですが…まあ簡単に言うと“馬鹿っぽい声”の事を“開いた声”と言います。で、私の声は、いかにも開いていて馬鹿っぽい声なんだそうです。この開いた声のままでは、声の消耗は激しいのだそうです。声の消耗を防ぐためには、声をしっかり閉じて歌うことが大切です。

 しかし“閉じた声”で歌う事と、ノドを閉じる事とは関係ありません。開いた声が横開きならば、閉じた声は縦開きなんです。つまり「縦開きの声で歌いなさい」って意味なんですね。で、なぜ縦開きの声が良いのかと言うと、音色が深くなって良いのは、もちろんだけれど、高音に行った時に、声を被せやすくなるので、より高音発声が楽になるんだそうです。ただし、注意しないといけないのは、中音域では、声を被せるのはもちろん、声を閉じるのも、あまり良くないのだそうです。もちろん、開いた声が厳禁なのは当然として、中音域であまり声を閉じてしまうと、テノールらしさが無くなってしまうので気をつけるように、と言われました。

 「あまり、私の発声を真似しないように」と先生から言われました。先生はバリトンなので、テノールの私よりも、低い音域で声を閉じて被せてしまうのだけれど、これはバリトンとテノールの声種の違いによるものだから、たとえ先生がお手本で歌ってくれた時であっても、先生の発声方法自体は真似しちゃいけないんとの事です。まあ、それはそうかもしれません。先生は先生、私は私なんですから。私は私の流儀で歌わないといけないのです。

 実際、Y先生は「Un'aura amorosa/恋のそよ風」をお手本として歌う時でも、1オクターブ低い音域で歌うからね。真似をしたら、大変なことになるわけだ(笑)。

 とにかく、声は閉ざし、ノドは開けたままで歌うのです。

 さらに声の消耗を防ぐためには、息は常にまっすぐに出し続けることも大切なんだそうです。音程の上下移動に合わせて、息も上下に移動して歌うのは、確かに楽な歌い方なんだけれど、それをやってしまうと、声があっという間に消耗してしまうのだそうです。だから、音程が上がろうが下がろうが、息は常に真っすぐに前に出し続けて歌うと、声の消耗を抑えられるのだそうです。

 また休んじゃいけない箇所で休んでしまうと、声があっという間に消耗してしまうとも言われました。とにかく、キツイ箇所ほど、休まずに歌い続ける事が大切なんですが…これは実際に行うと、めっちゃ厳しいです。辛い箇所だから、つい休みたくなるわけだけれど、そこで休んでしまっては自滅への第一歩だから踏ん張れ…と言われても、それが出来れば、最初っから休まないわけで…ああ、モーツァルトはイケズだなあ…。もちろん、休んでも良い箇所は、率先して、たっぷりと休む事も大切なんですね。ああ、難しい。

 で、ヘロヘロになったので、少し休憩を入れて、次は二重唱の練習です。ドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」より二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」です。

 とにかく、この曲は初めてだったので、最初からドンドン歌わされました。いやあ、難しい。この曲は3つの曲で構成されているのですが、今回見てもらったのは、最初と2番目の曲だけ。最後の曲は…譜読みが間に合っていなかったので、パスさせてもらいました。いやいや、正直な話をすると、2番目の曲だって、レッスンの前日にようやく目を通すことが出来たくらいで、音取りすら満足ではなかった状況だったのです。

 なぜ、そんな状況でレッスンに臨んだのかって? そりゃあ簡単な話で、1曲目がとても難しくて、そこに集中して取り組んでいたので、2曲目3曲目にまで手が回らなかったからです。

 1曲目と言うのは、ネモリーノのレチタティーヴォなんです。楽譜にすれば3ページです。モーツァルトのアリアである「Un'aura amorosa/恋のそよ風」が楽譜で4ページですから、このレチタティーヴォ、結構な長さなんですよ。で、私、レチタティーヴォ、実は初体験なんですね。いやあ、レチタティーヴォって、ほんと、難しいですね。アリアとは全然別な感じで、なんかもう大変です。

 とにかく歌うよりもしゃべるって感じだし、でも、やっぱり歌だから歌うんです。リズムは細かくて難しいし、一見しゃべっているだけに聞こえても、実はしっかり旋律は決められているので、その音程に当てはめてしゃべらないといけないし、なんと言っても、速い(涙)。いやあ、ほんと、手に負えてません。だからと言って「出来ません」じゃ済まないので、あれこれ一生懸命に練習をしてレッスンに臨んだので、他の曲がおろそかになってしまったわけです。

 と書くと、1曲目のレチタティーヴォが完璧に仕上がったかのように読めるかもしれませんが、実際は、全然ダメ。とりあえず「止まらずに歌える…かな?」レベルです。いやあ、このレベルにまで持っていくのが、やっとだったんですよ。

 私のあまりに拙いレチタティーヴォを聞いた先生が、見本を見せてくれましたが…とても真似できるレベルじゃないです。いやあ、難しい。先生はイタリア語がペラペラなので、レチタティーヴォも、立て板に水状態で、スラスラと感情を込めて歌えますが、こちとらイタリア語はペラペラどころの騒ぎじゃないわけで、ほんと青息吐息ですよ。とにかく、練習に練習を重ねないと、こりゃをダメだなって感じです。

 で、続く2曲目からは、ソプラノも入って、本格的にデュエットをするわけですが、前日に簡単に音を取った程度なので、ハモリが難しいです。救いは、この曲でのハモリは、常にテノールの方がソプラノよりも音が高いので、私的に歌いやすいのがうれしいです。と言うのも、ソプラノの方が音が高いと、私もつられてついつい高いメロディを歌いたくなってしまうからです。『馬鹿と煙とテノールは、高いところに登りたがる』という習性があるから仕方ないのだけれども…。

 とにかく、音取りも満足ではないので、インテンポでリズムを合わせるのも甘々なのはもちろんとして、自由なテンポで歌う箇所なんて、歯車が噛み合わない噛み合わない。もう、笑うしかない状態となりました。

 これでKさんのように、二重唱なのに、ピアノ合わせと本番しか、相方と歌が合わせらない環境なら、私、絶対に二重唱は歌えないな。

 ともかく、自由なテンポで歌う箇所を何度も合わせました。特に、最後のカデンツァの部分は、テンポのみならず、音も難しいので、とても悲惨な事になりました。ふう。まあ、これも練習あるのみですね。

 二重唱の練習(それも全体の2/3)に時間が取られすぎて、妻のオペラ・アリアのレッスンが出来ませんでした。次回は二重唱も大切だけれど、妻のアリアのレッスンを優先的にしないといけないでしょうね。

 はあ、アリアにしてもデュエットにしても、難しすぎて、心が折れてしまいそうだ…。でも、発表会なんだから、そんな難しい曲にチャレンジしないとね。頑張りましょう。

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2015年3月 3日 (火)

いかにノドを開けたままでいられるか、ここが肝心なんです

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンは、私も仕事の繁忙期で忙しかったのですが、先生も現在オペラの全国巡業中なんだそうで、この日も四国から飛んで帰ってきてのレッスンで、翌日はまた四国に飛んで行くのだそうです。ほんと、お忙しい事です。

 なので、レッスンもギュウギュウに詰まっていたようで、私たちの直前は、普段は誰もいない空きの時間なのですが、今回はバリトンのKさんのレッスンが入っていました。久しぶりに、他の人のレッスンが見れて、ラッキーでした。

 Kさんも発表会では、ソプラノさんとの二重唱をするそうで、そのデュエット曲のレッスンを受けていました。そのソプラノさんとは、ピアノ合わせと本番の二回だけしか合わせないそうなので、レッスンでのデュエット相手は、専らY先生なんですね。まあ、普通はそんなモンなんでしょうね。いつも本番のデュエット相手と練習できる私は恵まれているんだなあと改めて思いました。

 それにしても、なにやらカッコいい曲を歌っていましたが…バリトンのデュエット曲に興味のない私は、何を歌っているのか、全く分かりませんでした。

 さて、Kさんのレッスンも終わり、いよいよ私のレッスンとなりました。

 まずは発声練習ですが、今回、重点的に習ったのは、声を後ろに回す事です。先生はこれを称して「後頭部を使って歌いなさい」と言います。これ、難しいです。ちなみに、声を後ろに回すのは、高音域に入ってからであって、中音域の時から声を後ろに回してしまうと「やりすぎ」と注意されます。なかなか、使うタイミングが難しいです。

 今の私は、高音域に入ると、声が前に出過ぎてしまうのだそうです。声が前に出過ぎてしまうと、高音が発声しづらくなるので、だから高音域に入ったら、積極的に声を後ろに回すことで、より高い音を発声しやすくしましょうって事です。で、超高音域に突入したら、今度は逆に声を前に出していくのが良いのだそうです。なんか難しいですね。

 ちなみに、声を後ろに回すためには、支えが必要です。支えが弱い私は、声を後ろにうまく回せないわけです。うむ、頑張らないとね。

 高音を発音する時に、その音を狙いすぎるのは良くないのだそうです。これは私に限らず、テノール全般の悪い癖なんだそうです。音を狙いすぎると、どうしてもノドが閉じてしまい、息の通りが悪くなるんだそうです。だから、高音になっても、音はザックリと発音し、ノドをある程度開いたまま歌えるようにする事が大切なんですって。この息を通すという作業が、歌には大切で、息が通らなければ、声は音にならないわけです。息が通らないところを、むりやり息を通すと、どうしても痩せた細い無理め声になってしまうのです。つまり“悲鳴”ですね。悲鳴はいけません。

 つまり、豊かな高音を出すためには、いかにノドを開いたまま、効率よく息を流し続ける事ができるかって話になるわけです。だから、高音を発声しようとすると“ノドにフタがされる感じになる”のは方向が逆なわけで、最低最悪の状態なんです。

 そう言えば、キング先生に習っていた時は、よく“ノドにフタがされる感じ”を感じていましたし、それを何度も先生に訴えました。キング先生は、それを力づくで突破するように言ってましたが、それはキング先生には可能でも、私には無理だったんだと思います。だから、あの先生の元では、いつまでも経っても高音が出せなかったんだなあって思います。

 高音を発声するには、いかにノドを開いた状態を保ち、声を通し続けることができるかなんですね。そのためには、ノドで発音するのを止めて、しっかり息を支えないといけないし、だからノドの脱力が必要不可欠になるわけです。少しずつ色々なことが私の中でつながり始めてきたような気がします。後は、それを頭で理解するだけでなく、実際に行えるようにならないと意味はありませんが…。

 確かにこれが簡単にできるようになると、私の場合、Hi-Cも夢ではなくなると思います。あくまでも“簡単にできるようになると”という条件付きですが(笑)。

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2015年3月 2日 (月)

年を取ったら、ピアノを習いたい

 そうなんです、実は私、ピアノを習いたいんです。でも、それは“今”ではなく、未来の話。今でも十分にジジイな私ですが、もっともっと年を取って、身も心も高齢者となって隠居生活に突入したら、ぜひピアノを習いたいと思ってます。

 もちろん、そんなジジイになってからピアノを始めるのだから、ロクに上達もしないだろうし、ヘタすると、まともな曲の一つも演奏できるほどには上達できないかもしれません。それでもいいのです、ジジイになったら、ピアノを習いたいのです。

 なぜ、そんなにジジイにこだわるのかと言うと…ピアノって、習得に手間暇かかる楽器だからです。上達に要する時間がむやみにかかると言うべきか、やたらめったらに練習しないと目に見えた上達が不可能な楽器だからです。

 要するに、時間に余裕のある人(あるいは、時間の余裕を作れる人)でないと、ピアノは学べないからです。毎日を忙しくクルクルと回りながら生活しているような人がピアノを学ぶなんて…ちょっと難しいからです。ましてや、私のように、声楽とかフルートとかをすでにやっていて、ピアノを学ぶとしたら、三番目の楽器として学ぶわけで、そんな三番目扱いの楽器の練習時間程度でピアノが上達できるのか…と言えば、そりゃあ無理でしょ?

 どんな楽器だって、習得には時間がかかるし、たくさん練習しないといけませんが、ことピアノに関しては、その時間とか練習とかが、絶対に他の楽器と比べると、むやみやたらに多大なんです。だから、現役時代には、絶対手出しできないわけです。隠居して、毎日が日曜日にならないと学べないんです。

 いわゆる“ピアノの先生”って、そこんとこ分かってるのかな? って時々思います。
 物心つくかつかないかの時から、毎日毎日ピアノの稽古をして、音大などに入学して専門教育を受けた方って、自分たちが人生の大半の時間をピアノに費やしてきた事の自覚があるのかな?って思うわけです。それこそ、音大入学までに、何千時間、いや、何万時間という膨大な時間をピアノの前で費やしたのか…の自覚ですね。割合で言えば、ピアノの前で費やした時間が、人生という時間の中で、どれくらいの高い割合だったのか…という自覚だったりするのです。

 ザックリ計算します。3歳から18歳までの15年間、1年のうち350日ほど、毎日毎日3時間ずつ練習したとしても、約1万6千時間だよ。毎日5時間だと、約2万6千時間です。もう、嫌になるくらいの時間でしょ。もちろん、5/24時間なら、人生の約20%にあたるわけです。それってスゴイよね。

 たぶん、他の楽器で音大に入学した人って、ここまで人生を音楽に捧げていないでしょ? 管楽器なんて、中学校のブラバンで音楽に目覚めたって人も多いし、声楽なんかだと高校に入ってから始めましたなんて人もたくさんいるくらいだし…。

 とにかく、ピアノって、習得に時間がかかる楽器なんです。

 もちろん、私はプロ並の演奏技量が欲しいなんて、夢にも思っていないから、そんな何千時間とか何万時間とかの練習は無理としても、ピアノが他の楽器と較べて、やたらと習得に時間がかかる楽器である事は理解してます。

 実際、ピアノって、楽器の中でも難しい楽器だと思いますよ。

 だから、ピアノを習うなら、隠居して練習三昧が出来るような環境が整えられてから、時間に追われることない環境の中で学ぶべきだなって思うわけだし、そういう環境が与えられたら、ぜひピアノを学びたいと思うのです。

 というわけで、ピアノを学びたい私でした。

 でも、実際は、ピアノを始める前に、ヴァイオリンに復帰したいかな…とも思ってます。となると、声楽、フルート、ヴァイオリン、ピアノって順になって、ピアノは第4の楽器って感じになるけれど…。いくら隠居生活だと言っても、4つも習うのは、無理かな?

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2015年3月 1日 (日)

あれよあれよという間に、3月になりました[2015年2月の落ち穂拾い]

 いやあ、2月は短い。短い上に、仕事は繁忙期とくれば、まさに“光陰矢のごとし”って感じです。それにしても、花粉も飛び始めましたね。ああ『春はあけぼの』ではなく『春は憂鬱』な私です。

銀の黒サビ

 フルートが黒っぽく変色…いわゆる“銀のサビ”ですね。サビとは言いつつも、酸化銀ではなく、硫化銀なんだそうです。我々の息の中に含まれている硫化水素にフルートの銀が反応して黒く変色するんだそうです。で、息の中にどれだけ硫化水素が含まれているかは、それこそ人それぞれなので“体質”って言われちゃうんですね。

 最初は白っぽく銀が濁り、やがて黄ばんできて、最終的に漆黒になります。硫化銀は硬いんだそうです。ですから、我々は「フルートがサビた!」と悲しみますが、フルート的には、柔らかい銀を硬い硫化銀でコーティングした…という感じになります。つまり、硫化銀メッキをした…とも言えますね。

 音質的には、ただの銀フルートよりも、硫化銀でコーティングされた銀フルートの方が音も良いし、遠鳴りもすると言われてます。ただ、硫化銀でコーティングされると…みかけが美しくなくなるんですよね。

 私も、以前はフルート、真っ黒でしたよ。でも、オーバーホールに出して磨いてもらったら、ピカピカになって帰ってきました。

 ちなみに、フルートの黒ズミがイヤだからと言って、ゴシゴシと力を込めてフルートを拭いちゃダメですよ。どうしても気になるなら、アルコールを噴霧して拭き上げるのが良いです。

富国強兵とは

 教育って、本来『富国強兵』のために行うものです。だから国家が主体となって国民の教育に励むわけです。

 でも、ゆとり教育ってのは、全くの左翼思想(ってか教育から競争を排除しようとしたのだから、共産主義的思想かな!)から生まれた教育だったから『富国強兵』とは真逆の方向にカジを切ってしまい、多くの日本人の生活レベルを下げる事に力を入れてしまったわけです。

 ちなみに現代日本における“兵”というのは、軍事的な“兵”の事だけではなく、経済的な“兵”や社会で活躍する“兵”を言います。つまり“兵=庶民”ってわけです。『富国強兵』ってのを現代の言葉で言い換えるなら“国力をアップし、国民の生活を向上させる”って事なんだよな。

 そう考えると、ゆとり教育ってのも、反日活動の一つだった…のかな。

今月のお気に入り 気化式加湿器 エルク‐グリーン ULT-EL-GR

 冬って乾燥しますよね。乾燥って、ノドやお肌を始め、人間にとってあまり良い状態ではありません。なので、最近では、あっちこっちで加湿器を導入する人も増えたわけです。我が家でも、寝室に加湿器ありますよ。今のやつで三代目かな? 今使っているやつは、強制的に加湿するタイプのもので、スイッチを入れると霧を噴霧し、オフにすると止まるって奴。あまり賢いタイプではないけれど、まあ、安いし、用が足りているので、これで良しとしています。

 ちなみに居間は加湿器不要なんです。なぜなら、居間には金魚水槽があって、そこから水分が適度に蒸発して加湿してくれているからです。

 というわけで、最近、書斎が乾くなあ…と思うようになりました。書斎は、本が山のようにあるので、強制的に噴霧するタイプは適しません。書斎の湿度を監視しつつ、適切な湿度を保つようなタイプの加湿器でないと困ります。でないと、本がカビるからね。でも、そういう頭の良いタイプの加湿器って高いんだよね。高いのはイヤだけれど、仕方ないかな…と思っていた時に、こいつと出会いました。

 これ、安価だし、電気使わないし、部屋の乾燥具合に合わせて加湿をしてくれるので、なかなか良いです。まあ、欠点を言えば、そんなに加湿性能が高いわけじゃなってことかな? 部屋にぬれタオルを干しているのと変わらない感じかな? でも、書斎なら、その程度で十分。むしろ、加湿性能が控えめな方がうれしいくらいです。

今月の金魚

 2015年2月1日(日) 少し大きめの病院水槽購入 -> ホノカに続き、サクラも入院
 2015年2月17日(火) サクラ、星になる。
 2015年2月21日(土) ハンナ、我が家にやってくる。

今月のひとこと

 改めて観察してみると、町中で歩きタバコをしている人って、多いなあ。確かに喫煙場所が限られるようになり、公共の場所を始め、様々な場所で、自由にタバコが吸えなくなって、喫煙者の方々が不自由を感じているのは分かる…けど、やっぱり町中で歩きタバコは、良くないと思うよ。一応、道路も公共の場所なんだし、むき出しの火を手に持って移動するというのは、やっぱり危険だよ。よく『酒タバコ』とひとくくりにされるけれど、歩き飲酒とかありえないよね。タバコも、歩きタバコは、本当に控えてほしいなあと願ってます。喘息持ちは、タバコの煙でも発作が誘発されるんだよぉ(涙目)。(2015年1月30日~2月9日)

 背中が痛いです。お医者さんに言わせると「寒さに負けた」んだそうです。そう言えば、今朝は氷柱を見たし、雪も降ったっけ。やっぱり寒いんだろうなあ。(2015年2月9~12日)

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015の有料公演が発表になりましたね。さっそく、今年はどの公演を見に行くか、決めないとね。ふふふ、私はアレとアレを見に行きたいなあって思ってますが…チケットが入手できるかな? かな、かな、かな?(2015年2月12~18日)

 別に自分が失敗したわけでもなんでもないけれど、立場上、他人から叱責を受けたり、罵詈雑言を浴びせられたりする事があります。確かに管理責任って奴があるわけだから、厳密に言えば、私は無罪とは言えないわけで、だから甘んじて受け入れるわけだけれど、やっぱり、心はササクレだつね。特に相手が、自分のストレス解消とかの、何かの悪感情の発散で怒り狂っている場合は、ほんと、心がめげます。だからと言って、言い返せるわけでもないしなあ。相手はすっきりするんだろうけれど、私はその分のストレスを抱え込まなきゃいけないわけで…ああ、つらいなあ。(2015年2月18~22日)

 先日、久しぶりに食べ放題の店に行った(笑)。時間制限一杯、アレコレアレコレ食べたら、食べ過ぎて苦しくなった。満腹感は翌日までひきずったよ。いやあ、これってもしかして“食べ溜め”って奴? 人間って、満腹になるまで食べたら、2~3日食べなくても平気なように出来ているのかしら?(2015年2月22~28日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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