ひとこと

  •  ああ、楽しい。楽しすぎる。8月に入って以降の私のプライベートライフが楽しすぎる。楽しすぎて楽しすぎて、ちゃんと社会生活に戻れるかどうか、とっても不安。ああ、本当に楽しすぎて、人間、ダメになりそう…。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
2017年8月
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2015年2月の記事

2015年2月28日 (土)

ハンナさんがやってきました

 サクラが星になってしまったので、サクラの後継者をウチの水槽に迎える事にしました。今度の子は、サラサオランダです。オランダというのは、オランダ獅子頭という種類の金魚の事で、サラサとは更紗であって、体色が紅白2色の子を言います。だから、今度の子は、体色が紅白のオランダ獅子頭なんです。なんとも、めでたいでしょ!

 ちなみに購入は、隣町のホームセンターで820円でした(笑)。しかし、金魚専門店ではなく、ホームセンターで金魚を購入するのは、実に何年ぶりかしら?

 名前を“ハンナ”こと“華(ハナ)”と名づけました。今、水槽にいるのは“アズニャン”こと“梓(アズサ)”と、“オタキサン”こと“滝(タキ)”ですから、二つ名を持っている子たちばかりとなりました。ちなみに、ただ今入院中のホノカには、二つ名はありません(笑)。

 ハンナは本当に小さな子です。まだまだ幼魚ですが、あまりキャピキャピしていません。落ち着いた感じの子です。そういう性格の子なのか、ホームセンターの子なので、色々と問題を抱えていて、それでキャピキャピできないのか…今のところは分かりません。

 金魚って、販売ルートに載る際に、実は格付けされるんですよね。Aランクの子は金魚専門店とかアクアリウム専業店とかに出荷され、Bランクの子はホームセンターなどの一般店に、Cランクの子は金魚すくいに、Dランクの子は肉食魚のエサになるんですよ。

 ウチはたまたま、近所に複数の金魚専門店があったので、今まではその手のお店から金魚を購入していましたが、ここ数年で、それらの店がバタバタと廃業してしまいました。今では、ウチの近所に一軒あるだけになりましたが、そこもなんかどーなんでしょ?みたいな感じで、新規のお店を探していたところなんです。

 で、今回はたまたまホームセンターでの購入となりました。以前にもホームセンターで金魚を購入した事はありますが、あまり良い思い出はありませんが、今回のハンナには是非元気に育って欲しいなあと思ってます。

 ただ今のハンナの大きさは、長さで言えば、アズニャンやオタキサンの1/4程度、体積で言ったら1/20ぐらいかな? まだまだチビさんです。しかし、きっと、あっという間にグングンと成長して巨大魚になるんだろうなあ…。将来が楽しみだな。

 と言うわけで、ハンナをよろしくお願いします。

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2015年2月27日 (金)

楽器って、勝手に鳴り響くようにできている

 フルートのレッスンに行ってきました。

 仕事は忙しいけれど、頑張ってレッスンに行ったよ、ちょびっとばかり遅刻したけれど。どんまい。

 先生はゆっくりとコーヒーを召し上がっていたので、その間に、サッサとフルートを組み立てて、じっくりと管を温めて、さくっとチューニングをして…やがて先生がやってきたので、ロングトーン練習をしました。うむ、じっくりと管を温めておくと、どの音も気持ちよくなってくれます。うれしいうれしい。

 まずはエルステ・ユーブンゲンの7番から。自宅練習はそれなりにしたので、暗譜の方もだいぶ進みました。6~7割程度かな(笑)。なので、レッスン本番では、二度しか落ちませんでした…って、二度も落ちれば十分ですね。先生からは「もう少しだね」とのお言葉をいただきました。8番もサクッとやりました。

 プチ・エチュードは9番です。落ち着いて吹けば、おおかたイケるのですが、それでもうまく指が回らない箇所がいくつかあります。そんな箇所は練習するしかないのです、頑張りましょう。

 問題は、練習の時は問題なく出来ていた箇所が、レッスンでミスブローしてしまう事。原因は…気負ってしまって、ついつい練習の時のテンポよりも速めのテンポ設定で吹き始めてしまう事かな? 演奏って、速ければいいってもんじゃないんだよね。もちろん、可能な範囲で速めに吹くのは良いけれど、自分の能力を越えた速さだと、あっちこっち間違えてしまうわけです。

 私も、ついつい指がすべて転んでしまいます。もっと、一つ一つの音を意識的に出さないとダメだな。無造作に演奏するから、指が滑るんだよ。反省です。練習でもレッスンでも、自分の分を守って、演奏可能なテンポで演奏できるようにならないとね。

 さて、今回の雑談は…良い音を出すなんて、簡単な事なんだよって話です。

 先生曰く、音が悪くなるのは、無理やり楽器を鳴らすからなんだそうです。それぞれの楽器は、きちんと美しい音色で鳴るように作られているのだから、それをそのまま無理なく鳴らせば、美しい音が出るんだそうです。

 フルートで言えば、楽器を吹き込むのではなく、スープを冷ますような感じで、優しく息を楽器に入れるだけ良いのだそうです。それだけで、楽器は本来の音で鳴り響くように作られているのです。だから、それ以上の無理を楽器にさせちゃダメって事です。

 「楽器は勝手に鳴るように作られているのだから、楽器の邪魔をしちゃダメだよ」との事です。うむ、そうなんだろうね。

 そこで思ったのは、脱力の大切さ。特に声楽では、脱力が大切なんですね。脱力をする事で、ノドが本来の声で鳴り響く…んだろうと思います。だから、力を入れて歌っちゃダメなんです。

 フルートも同じ事で、力いっぱい息を楽器に入れてはいけないのです。必要最低限の量の息を、細く細くやさしく入れてあげると、管体が激しく振動して良い音で鳴るのです。

 そう言えば、先生に「良い音ですね」と言われる時って、たいていフルートの管体が勝手に振動してブルブルしている時ですね。これが「楽器が鳴る」っていう状態なんだろうと思います。

 最後はちょっと偉そうで、ごめん。

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2015年2月26日 (木)

遠鳴りと側鳴り

 遠鳴り(とおなり)と側鳴り(そばなり)…声楽ではあまり使わない言葉かもしれませんが、合唱とかフルートとかの業界では、よく聞く言葉ですよね。『遠鳴りする楽器』とか『あの人の声は側鳴りだ』とか言って使うわけです。

 具体的には、音量の割にはホールの隅々までよく聞こえる音が“遠鳴り”で、音量の割にはホールではよく聞こえない音を“側鳴り”と言います。さらに具体的に言うなら、舞台の上では「小さめの音かな? この程度だと

 音とは波であり、我々が音として認知している波は、一般的には、複数の波(正弦波)が合成された複雑な波形をしたモノなんです。その複数の波が複雑に合成しあって、いわゆる音色を作るわけです。このあたりは、パイプオルガンとかシンセサイザーとかで音色を作る過程を想像してもらえると、分かりやすいかもしれません。

 基音に対して、様々な倍音を載せたものが、音声なんですよ。

 複数の波が合成される過程で、それぞれの波はお互いに強め合ったり、打ち消し合ったりするわけです。そ客席で聞こえるのかな?」という印象なのに、客席では十分な音量で聞こえる音が遠鳴りで、舞台の上だとうるさいくらいなのに、客席ではあんまり良く聞こえない音が側鳴りです。

 音楽って、聞こえないとダメなんですよね。それも客席でちゃんと聞こえないとダメなんです。これは当たり前の前提ですね。

 一方、音って、波なんです。舞台上の声なり楽器なりが、その場の空気を振動させて、その振動が波となって、客席にいる観客の耳に届いて、始めて音楽が成立するわけです。

 音は波なので、当然、減衰します。減衰すれば聞こえなくなります。要は、減衰しづらい音が遠鳴りであり、減衰しやすい音が側鳴りと言って良いと思います。

 もちろん、音量は関係すると思います。大きな音ほど、減衰しても遠くまで聞こえます。でも、遠鳴り側鳴りと言った場合は、音量は関係しません。むしろ、同じ程度の音量なのに、客席までよく聞こえる音を遠鳴りと良い、聞こえづらいのが側鳴りなんです。

 同じ音量なのに、客席までよく聞こえる音と、聞きづらい音があるわけです。その原因は、一体どこにあるのでしょうか?

れは波における位相の関係で、そうなるわけです。まあ、難しい話は抜きにすると、一般的に整数倍、あるいは分数倍の関係にある波は、お互いに強め合い、そうでない波は互いに干渉しあって打ち消してしまうのです。

 “整数倍、あるいは分数倍の関係にある波”が多く合成された音と言うのが、いわゆる楽音であり、美しい音と呼ばれるものです。よく“倍音を多く含んだ音”とか“倍音がよく聞こえる音”と言う奴です。一方、そうでなく、無関係な音が何の脈絡もなく合成されると、それはノイズ(騒音)と呼ばれるわけです。

 なので、同じ音量であっても、遠鳴りをする音と言うのは、その音を形作る個々の音波が整数倍あるいは分数倍の関係にあって、互いに強め合うので、遠くまで響くわけです。側鳴りの音とは…一応楽音だから、整数倍や分数倍の関係にある音もあるけれど、それ以外の音波もたくさん含み、それらが互いに干渉しあって打ち消してしまうので、遠くまで届かないのだろうと思います。

 一言で言えば、ノイズの要素の少なくて、倍音を豊かに含む美しい音が遠鳴りする音であり、ノイズの要素を多く含み、倍音関係が歪んだ美しくない音が側鳴りと言えます。

 だから美的な必要のみならず、実用の意味も込めて、楽器も声も、美しさを求めていくわけです。

 もしも「あなたの声/楽器は、側鳴りですね」と言われたら、それは音が美しくないと言われているわけだし、それを遠鳴りにしたいのなら、発声/発音方法の練習をして、美しい音で奏でないといけないって事ですね。

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2015年2月25日 (水)

やっぱり歌は声なのか!

 先日、趣味の“見知らぬ人の発表会を聞きに行く”って奴をやりました。

 あるテノールの方が、ヴィヴァルディのテノール・アリアを歌っていました。実に見事。声質も一般的なテノールのイメージとは違っていて、まるでカストラートが蘇ったような、なんとも中性的な音色の声でした。歌唱技術的にも素晴らしくて、一発で、このアリアとその歌い手さんに心を奪われました。

 二曲目は、方向を全く替えて、ヴェルディのオペラ・アリアでした。一曲目のヴィヴァルディに感服した私は、この人がヴェルディをどう料理するのか、そりゃあもう、ワクワクして待っていたんです。ヴィヴァルディをあんな感じで素晴らしく歌ったのですから、時代も様式も全く異なるヴェルディでは、どんなアプローチがされるのか。ほんと、楽しみでした。

 で、ヴェルディになったのですが…声も歌い方も、全く変わりませんでした。

 ある意味、拍子抜け? だって、中性的な澄んだ声でラダメスですよ? 私はとっさに『カストラートのアレッサンドロ・モラレスがラダメスを歌ったら、もしかするとこんな感じになるんじゃないの?』って思ったくらいです。

 ヴィヴァルディもヴェルディも、まったく同じ声で、同じテクニックで歌い切りました。つまり、私を魅了したヴィヴァルディの時の歌声は、発声テクニックによるモノではなく、彼の持ち声だったわけです。

 二曲とも、上手いか下手かと問われれば、上手い歌唱だったと言えます。好きか嫌いかと尋ねられた『ヴィヴァルディは好き、大好き、惚れた』のですが、ヴェルディは『正直、勘弁して欲しい』と思いました。それは私がヴィヴァルディのオペラに関しては無知であり、それ故、純粋に“歌”として楽しめたからですが、ヴェルディのオペラに関しては、かなり聞いていて、私なりに“理想の歌”があり、その理想型から、あまりに彼の歌は離れていて、むしろ異質な感じすらあったからです。

 たぶん、そんな事は私が指摘しなくても、彼自身、よく分かっているんだろうと思います。それでも、歌いたかったんだろうなあ。で、歌ってみて、それはそれで良かったと思いますよ。単純にヴェルディは私の趣味ではないってだけで、歌唱としては、きちんと成り立っていたもの。実際、会場でのウケは、素晴らしかったです。オペラうんぬんを抜きにすれば、アレはアレでアリなんです。

 さて、ヴェルディはさておき、ヴィヴァルディは素晴らしかったです。本当に素晴らしかった。そして、あの素晴らしさは、彼の声に起因するわけで、あの声が、おそらく天性のモノであるならば、歌を勉強するって、どういう事? とか思ってしまいました。

 と言うのも、テクニックは磨けるけれど、声は、その人の持ち声の範囲でしか歌えないじゃない?

 極端な話、私がテクニックを磨きに磨いて、ほぼソプラノと同じ音域の声を手に入れたとしても、私は男性だから、その声はあくまでも「異常に甲高い男声」でしかなく、同じ音域であっても、耳で聴けば、女声とは全く違うわけです。それこそ、クチとかアゴとかを整形手術して、小振りに作りなおして、女性ホルモンでも注射しまくれば、女声に聞き間違えるような声で歌えるかもしれないけれど、それはなんか違う気がするわけです。

 所詮、男声はどう磨いても男声なんです。

 そこまで大げさに極端な例を出して、女声との比較で考えなくても、テノールの中にだって、色々な種類のテノールがいるわけです。

 私は、どう考えても、ヴィヴァルディを人前で歌えるような声じゃないもんなあ。ヴィヴァルディのテノール・アリアなら、本来は、私が感服した彼のような中性的な声でなくても良いのだけれど、それでもかなり軽くて、どこか天使の歌声っぽい感じが必要になりますが、私の声はどう考えても、そういう方向の声じゃあ、ありません。まあ私自身は、どうしてもヴィヴァルディを歌いたいと願っているわけではないから、それはそれでいいのだけれど、もしも「私はどうしてもヴィヴァルディを歌いたいんだ!」と願ったら、どうするんだろう? 私の声じゃあ、ヴィヴァルディは絶対無理なのに…。

 そう考えると、持ち声って大切だなって思うし、自分の持ち声を知るって事は大切なんだろうな?

 ところで、私の持ち声だと…どのあたりがいいんだろ? キング先生にはバリトン転向を命じられた私ですが、Y先生に言わせると、まだまだ私は自分の声で歌えていないけれど、きちんと発声が確立すれば、かなり軽くて高い声になるんだそうです。でも、だからと言って、レッジェーロというほどではないそうだから、軽めのリリコって感じかもね。

 まあ、声質の心配はとりあえず横に置いて、まずはきちんと自分の本来の声で歌える事が先決であって、レパートリーうんぬんは、もっと後の話になるんだろうと思います。とにかく、まだまだノドに力が入っていて、不必要に重い声になっているんだそうです。

 まともに歩けない人間が、歩くよりも先に走りだす事を考えるのは、本末転倒なわけで、私の歌なんて、まさにそんな状態なんだろうと思ってます。

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2015年2月24日 (火)

音楽を趣味にしていてイヤだなと思うこと

 趣味とは、好きだから行うわけであり、好きだから楽しいわけで、そのために自分の生活の幾ばくかを趣味活動に捧げているわけです。だけど、趣味って楽しいばかりではなく、モノによってはイヤな部分だってあるわけです。でも、そんなイヤな部分と好きな部分を天秤にかけて、好きが優っているから趣味として行っているわけです。決して手放しで大好きってわけじゃなかったりします。

 私は音楽が趣味だし、好きだし、楽しいけれど、音楽を趣味にする事で、全面的に喜びを感じているわけじゃないです。イヤだなって思うことも、少なからずあります。

 例えば、音楽には練習が必要な事。それもちょっとやそっとの練習ではなく、かなりの時間を費やさないといけない事。とにかく、音楽には演奏技術って奴が必要で、その演奏技術を身につけるためには、膨大な練習時間が必要なんです。毎日毎日コツコツと練習をして、それも何年も何年も練習して、そうやって初めて目的の曲が演奏できるかどうか…なんて事は珍しくないです。

 つまり、趣味を始めてから、楽しめるようになるまでに、すごく時間と手間がかかるのが、音楽を趣味にしていてイヤだなって思う事です。なんか、修行をしているみたいなんだもん。ヘタウマが許されないって、趣味としてきびしいよね。

 それだけ修行に近い事をやれる気質を持った人って…、内向的で非社交的で引きこもりのオタク系の人がメインになります。プロの演奏家のように、モノゴゴロがつく前から音楽をやっていると、そうでもない人もいるでしょうが、大人になってから自発的に音楽を趣味として選択した人って、多少なりとも、そういう内向的で非社交的で引きこもりのオタク系の気質がないとは言えません。少なくとも、私はそうですよ。内向的だし、非社交的だし、引きこもり気味だし、オタクだし…。一言で言えば“まじめ”なんでしょうが、まじめな人って、つまらないからねえ…。

 あと「オレ、サイコー」って思っている人も、音楽を趣味にしている人には多いよね。自己顕示欲が強くって、鼻持ちならない奴も少なからずいるわけです。特に自分の好きな音楽ジャンルが最高の音楽だと思って、他のジャンルの音楽を軽蔑している人って、何気に多いです。傍から見ていると、実に非寛容で、視野狭窄。同じ音楽ファン同士なんだから、ジャンルの垣根を超えればいいのにと思うけれど、これが案外、仲が悪いんだな。

 音楽って、本当はただ聞くだけでも楽しいはずなのに、学校で習うせいか、勉強をしないと深いところまで楽しめないと誤解している人も多く、そういう人の弱みにつけこんで、ウンチクを語るオジサンってのがいるわけです。このオジサンってのが、うっとおしいんだわ。ウンチクオジサンって、ウンチクがすごいけれど、実力が伴わなかったりして、でもキャリアばかりは長いから、すぐに指導者ぶったりして、ほんと、参ります。でも、音楽を趣味としていれば、その手の人たちともつきあっていかないといけないので、気が滅入ります。

 さらに言えば、音楽って、一人じゃできないんだよね。音楽って、演奏する人と聴く人の両方がいないと成り立たないんだよね。ここがちょっとつらい。音楽って練習が必要だから、どうしても孤独な練習が好きな人が多いと思うけれど、孤独な練習が好きなタイプと、人前で演奏が楽しめるタイプって、実は両立しないんじゃないかなって思います。練習好きで本番嫌いなのも困るけれど、ロクに練習もせずに本番ばかりやっているのも、客としては困ります。

 客としては…と言えば、好きでもないけれど、色々な縁とか関係とかで入手しちゃうチケットって奴にも困ります。欲しくもないし、行きたくもないけれど、断るとカドが立ちそうだし、決して安い値段じゃないし…。断るに断れなくて、泣く泣く引き受けている人も結構いるんじゃないかしら。

 なんか、悪口っぽい事をいっぱい書いちゃいました。実は、一つ一つはそれほど深刻に思っているわけじゃないけれど、じゃあ、こういう事を全く考えないかと言えば、それは嘘になります。

 色々イヤな事はあるけれど、それよりも好きな事の方が多いから、今でも辞めずに音楽の趣味を続けているわけだけれど、もっと純粋な気持ちで、好きという気持ちだけで、音楽の趣味を続けられたら、もっといいのになあって思います。

 結局、音楽の趣味って、音楽以外にも、仲間づくりが大切なんじゃないかなって思います。あと、素晴らしい指導者との出会いもね。でも、それらって、本来的には音楽趣味とは、関係ないはずなんだけれどねえ…。

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2015年2月23日 (月)

メトのライブビューイングで「メリー・ウィドウ」を見てきました

 「メリー・ウィドウ」を見てきました。もちろん、横浜のブルク13で、です。

 客の入りは…良かったよ。客席の7~8割は埋まるくらい、もう感覚的には満席状態でした。109MMでやっていた時よりも客足が増えているかもしれません。まあ、演目が演目だからかもしれませんし、何と言っても、109MMよりもブルク13の方が、地の利に恵まれているしね。とにかく、かなり一杯一杯で、なんかうれしい気分でした。

 でも、私の両側ともにお客さんが入って、ちょっぴり狭くて窮屈でした(涙)。

 前回指摘した“大きすぎる音声”ですが、今回も最初は「音が大きいなあ」と感じたものの、やがて慣れてしまいました。で、上映中も音の飽和を感じませんでしたので、まあ満足です。ワーグナーとレハールでは、オケの厚さも合唱の規模も桁違いですから、比較にはなりません。劇場側が何らかの対策をしたかもしれませんし、全く手を打たなかったのかもしれませんが、少なくとも、今回は音的には悪くなかったです。

 音的には悪くありませんでしたが、お客さんの中に、困ったちゃんが一人いました。この方を、仮にMさんとします。Mさんは一人で観に来たお客さんで、一番前の中央の席に座っていました。あの席って、映画館を独り占めしたような気分になれる席なんですよ(ちょっと画面が近すぎるキライはありますが…)。で、実際に独り占めした気分になったかどうかはともかくとして、上演を見ながら、奇声を上げるんです。「ウー!」とか「ホォー!」とか「ヤー!」とかね。それもかなり大きな声なんです。最初は、画面から聞こえるのか思うほどに大きな声だったんです。ただ、画面の声とは音質がかなり違っていて(はっきり言って、細くて薄くて尖った声なんです)違和感があったのです。それが1回や2回ならともかく、2~3分置きに常時やられると、さすがにそれが誰から発せられた音なのか分かるというものです。とにかく、やかましくて、うるさいんです。

 それでも、曲に興奮してとか、ストーリー展開に大ウケした反応で声を上げるなら分かるのです。とにかく、何に反応して奇声をあげるのか、全く分からないんです。どうも、彼と私では感動するツボが全く違うみたいなのです。おまけに、奇声を上げるだけでなく、画面に向かって、腕を振り上げたりしてます。さらに(観劇中なのに)注意してみると、彼、座席ではなく、床に直に座っているみたいなんです。とにかく、ちょっと危ない雰囲気を醸し出している方なんです。だから、前半(1幕)は、肝心の舞台ではなく、この怪しい人に気を取られてしまいました。ううむ、残念無念。

 あんまり、その態度がヒドいので、直接注意してやろうかと思いましたが、私がそれをすると、トラブルになるかもしれない(私って、実はかなり血の気の多い人間なんです)ので、自重して、劇場側にチクりました。たぶん、劇場にチクった人は私だけではなかったと思いますよ。と言うのも、私はトイレを済ませてから係員さんにチクったのですが、「劇場11なんですけれど…」と前振りをしただけで、係員のお姉さん、うんざりした顔で対応してくださいましたもの。ああ、ありがたい。

 後半(2幕&3幕)が始まった途端に、Mさんは奇声を上げるんですが、そこに若いお兄さんのスタッフの方がつかつかと近寄って(おそらく本当に奇声を上げるのか確認していたのでしょうね)Mさんに何やら告げると…Mさん、それ以降は、本当に静かにおとなしく映画を見ていました。あれ? あの人、他人の注意を聞ける人なの? きちんと自制心を持っていた人なの? 注意されて収まるのなら、最初から騒がなければいいのに。私はてっきり自分を抑えられないタイプの人だと思っていましたが、そうでなく、単純にマナーの悪い小心者の客だったようです。

 なら、第1幕の感動を返せよ。

 と言うわけで、上演の前半分を台無しにされました。ほんと、もったいないです。

 なぜなら、このメトの「メリー・ウィドウ」、本当に良い上演だったからです。今まで何度も見てきたメトのライブ・ビューイングですが、おそらく今回の上演が、その中でも、かなり良い出来だと思います。少なくとも、私にとってはナンバーワン上演です。それくらいに良かったんです。それなのに、Mさんに邪魔されて、もうプンプンですよ。

 今回の上演は、もちろんレハール作曲の「メリー・ウィドウ」だったわけですが、この作品は、実はオペラではなく、オペレッタなんですね。オペレッタと言うのは、オペラがミュージカルに変化するその過程に存在した音楽劇の事です。つまり、オペラとミュージカルの中間的な存在…と言うか、オペラの様式を守ったままミュージカルをやっていると言うか、エンタメ性の強いオペラというべきか。とにかく、オペラの殿堂であるメトが、本気でオペレッタをやってみました…というのが、今回の上演なんですね。

 主役のメリー・ウィドウことハンナをやったのは、メトのディーヴァ(つまりオペラ歌手の)ルネ・フレミングですが、主役に負けず劣らずに大切なヴァランシエンヌ(歌の量は、主役のハンナとほぼ同じくらいあります)を演じたのは、ブロードウェイのトップ女優であるケリー・オハラ(つまりミュージカル女優)でした。

 コーラスも、大使館やハンナの別荘が舞台である第1幕と第2幕は、上流階級の方々が集まるシーンなので、コーラス隊も、いかにもオペラ歌手という方々がやっていましたが、第3幕で舞台がマキシム(キャバレーです)に変わった途端、いかにもミュージカル女優といった方々が登場して、コーラスをやっていました。このマキシムのコーラス隊がすごくよかったんですよ。何が良かったのか? まず体型(笑)。すごく健康的でセクシーな体型なんです。おまけにダンスが半端無く上手。まるでバレリーナのように踊ります。そして、歌がメッチャクッチャに上手い! それも超絶的なダンスを踊りながらガンガン歌うんです。もう、オペラでは考えられない演出です。

 演出と言えば、今回の上演の演出をしたのは、スーザン・ストローマンという、これまたブロードウェイの演出家さん。なので、オペラの演出をするのは初めてなんだそうですが…演出方法は、とにかく踊って踊って踊って歌う、と言った感じの演出で、これまた通常のオペラとは、かなり毛色の違った演出でした。特に第3幕のカンカンはすごかったです。とにかく動きが激しいんです。バンティ見せまくりの下品さは、マキシムという場のいかがわしさをうまく表現していて、さすがミュージカルの人だなって思いました。ミュージカルって、下品で猥雑なものでも平気で分かりやすく表現しちゃうでしょ? 普通のオペラは、そのあたりをオブラートにつつんでお上品にやっちゃうけれどね。

 そして、ヴァランシエンヌを演じるケリー・オハラも、これらの女優さんたちに混じって、ガンガン歌って踊るんです。すごいなあ。

 ちなみに、ヴァランシエンヌ以外の役は、オペラ歌手の皆さんがやっていました(メトだから当然か)。

 オペレッタ、とりわけ、レチタティーヴォがなくて、曲と曲のあいだはセリフでつないでいくタイプのオペレッタの場合、あらすじは決まっていても、細かい部分の設定やセリフは演出家に任されているのが普通です。つまり、メリー・ウィドウのようなタイプのオペレッタは演出家が変わる度に台本も変わるのが普通なんです。で、今回のメトのメリー・ウィドウのセリフ部分なんですが、実にコミカルで楽しいですよ。もちろん、説明的で分かりやすいセリフが続きます。このセリフ部分の芝居もまた、お薦めです。

 そうそう、今回の上演では、主役のフレミングが「メトの音響スタッフに助けられた」と言ってました。通常のオペラでは(収録は別として、会場への拡声のための)マイクは使用しないのが普通ですが、今回のオペレッタでは、見えない部分で控えめにマイクを使用している可能性がありますね。と言うのも(オペラ歌手たちの)セリフの部分が、いかにも演劇的な口調ではなく、自然な感じのセリフ回しなんですね。また(ミュージカル女優さんたちの)歌の部分の発声が、いかにもなオペラ発声ではなく、自然な感じのミュージカル発声なんですね。で、おまけにメトという劇場は、半端無くデカイんです。それらを考えると、今回は収録のためだけでなく、拡声のためにマイクを使用したのかもしれません(これらは私の憶測です)。ま、それはそれでいいんじゃないの?って思います。だって「メリー・ウィドウ」はオペラじゃないし、スタッフにも出演者にもミュージカルの人(日頃マイクの使用が前提の人)がいるんだから、それで良い結果が出るならOKOKでしょ?

 とにかく、メトの「メリー・ウィドウ」は、お薦めです。今回見逃した方も、ぜひアンコール上映でご覧ください。ほんと、すごいよ。

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2015年2月22日 (日)

決して自分を安売りしてはいけない[2015年2月第4週・通算4週]

体重:108.7kg[-0.9kg:-6.2kg]
体脂肪率:31.5%[-0.7%:-1.9%]
BMI:34.3[-0.3:-2.1]
体脂肪質量:34.2kg[-1.0kg:-4.2kg]
腹囲:108.4cm[-2.8cm:-7.6cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 逆ラマダン・ダイエット、頑張っております。体重も、今のところ1Kg/週ぐらいで減っております。計算によれば、あと9週間で(つまりゴールデン・ウィーク前後に)目標である100Kgを切ることになってますが、世の中はそんなに甘くないので、もう少し時間がかかるでしょう。でも、何とか秋になる前に目標をクリアしたいものです。

 ちなみに、逆ラマダン・ダイエットは、当初思っていたよりも辛くありません。確かに、夕方~夜にかけて、腹の虫が鳴り止まない時はありますが、グーグー言う音は妻しか聞きませんし、腹の虫が鳴っていても、私自身は案外平気だったりするので、なんとかなっています。

 それに1日で一番大量に食事をしていた夕食を取らなくなったせいで、若干、胃袋も小さくなったような気がします。例えば、今までは夕食にカレーを食べると、三杯はおかわりをしていました(たまに四杯食べてました)が、ついこの前食べた時は、空腹だったにも関わらず、二杯で満足を感じました。なので、外食などの時に、今までの感覚で食事を注文すると、食事を取り過ぎてしまい、満腹を通り越して食べ過ぎで辛く感じるようになりました。

 胃袋が小さくなる…これも一種のリハビリかもしれません(笑)。

 そんなわけで、逆ラマダン・ダイエットは、今の私には適したダイエットのようなので、楽な気分で、今しばらく続けていくつもりです。早く、目標の100Kg切りをしたいなあ。

 さて、今週のエッセイです。

 昨今、労働環境が極端に悪かったり、賃金が安かったり、サービス残業が多い会社を“ブラック”と表現するようです。

 他人に雇われるとは、自分の労働力を雇い主に提供する事で賃金を得る事です。雇い主側からすれば、自分の手元に集まった労働力を最大限に活用し、なるべく多くの利益をあげようとするわけです。

 なるべく多くの利益を得るためには、二つの条件があります。それは、売上を増やす事と経費を押さえる事。これらによって、利益は増えていきます。人件費、つまり会社が労働者に支払う賃金は、経費に含まれます。だから、賃金の支払いを渋れば渋るほど、会社(ってか経営者)の懐は暖かくなるわけです。

 何が言いたいのかと言うと、要するに『すべての会社は、程度の差こそあれ、すべてが本質的にブラック企業である』という事なんです。つまりは程度の問題であるって事です。

 ブラック度の低い職場環境とは、賃金が高めの職場はもちろんの事、賃金が低めであったとしても、労働時間に融通がきくとか、働く事が楽しくて苦にならない環境であるとか、今はたとえキツくても、確実に未来につながっている環境であるとか…こういった職場環境ならば、良いのです。労働者も納得ずくで働くことができるからです。

 ただただ、賃金が安くて、労働がキツくて、夢も希望も未来も無くて…つまり、労働が単純に消費されるだけで、見返りの少ない環境で疑問や不安をいだいたまま働かざるをえない職場環境を有する会社が、ブラックと呼ばれるのだと思います。

 では、どうすれば、ブラック度の高い企業を避け、労働的に良い環境で働けるのかと言えば、実は簡単な話なんです。それは『自分の労働力を安売りしない事』なんです。言葉を返して言えば、今現在、ブラック企業に勤めている人は“自分を安売りした結果”そこにいるわけです。あるいは“うっかりブラック企業で働いてしまった”か“ダマされてブラック企業で働いている”のかもしれません。

 うっかりさんとか、ダマされた人は、すぐさまそこを辞めて、再度就活をすればいいだけの話ですが、問題は、自分を安売りしてしまった人でしょう。

 安売りをした人には、その人なりの理由があって、自分を安売りをせざるをえなかったのだろうと思います。同情はしますが、安売りしてしまったものは、仕方ないのです。一度下がった価値を上げ直すのは、なんであれ、なかなか難しいです。

 だから私は若者たちに言いたいのです。決して、自分を安売りしてはいけないのだと。そして、そのために、自分にしっかりとした付加価値をつけるべきであると。

 付加価値とは、個性と言い換えてもいいかもしれません。“手に職”が最強ですが、学歴や美貌、各種国家資格はもちろんですが、体力であるとか、愛嬌であるとか、職務経験などは、付加価値になりえます。つまり、若い時からコツコツと自分を高めていれば、何らかの付加価値が身についているはずだから、それをうまく利用して、自分の価値を高めて、ブラック度の低い環境で働かなくても済むように願ってます。

 そんな付加価値は持ち合わせていないけれど、ブラックな環境で働きたくないと言う人は、他人に雇われてはいけません。じゃあどうするべきか。そういう人は、リスクは大きいかもしれないけれど、自分で起業すれば良いのです。まずは小さな店舗から始めればいいのです。

 いやいや、私には起業するような力はありません…と言うならば、人間はカスミを食べて生きていけるわけではありませんから、そんな時は、誰かの世話になって生きるか、諦めて、ブラックでもなんでもいいから、誰かに雇われて働くしかないでしょう。

 なぜなら「働かざるもの、食うべからず」が、この世の原則だからです。

 と言うわけで、若い人たちは、自分を安売りしなくても済むように、今のうちからせっせせっせと、自分を高めて参りましょう。頑張れよ。

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2015年2月21日 (土)

サクラ[二代目]が星になりました

 サクラが星になってしまいました。新しい入院水槽に入って、半月ほどでした。

 サクラは、実は二代目なんですね。最初のサクラは、桜琉金で、2007年の10月から半年ほど我が家にいました。二代目は丹頂で、2010年6月から2015年2月まで我が家にいたわけです。あしかけ五年…夏を5回も越えた強者なんです。4年8ヶ月…きちんと調べていませんが、おそらく、我が家にいた金魚たちの中では、最長記録かもしれません。長くいただけあって、思い出はアレコレあって、尽きることはありません。

 サクラは、愛嬌があって、人懐っこい金魚でした。ただ、ここ数年は体調を崩している事が多かったですね。ちょっと体調が悪くなると、途端に「死にそう~」って感じになりました。「大して具合悪くないんだから、がんばれよ」とよく言葉がけをしたものです。とにかく、フィジカルは強いのだけれど、メンタルは弱い子でした。それでも、サクラなりに頑張ったんだと思います。

 バイバイ、サクラ。

 ちなみに、サクラよりも、ずっとずっと具合の悪いホノカは…元気なふりをしています。こいつはサクラとは逆で、フィジカルはそんなに強くなく、どちらかと言うと病弱なんだけれど、メンタルがやたらめったらに強いんです。普通なら、サクラなんかよりも、とっくの昔に星になっているはずのホノカなんですが、とにかく“生”への執着心が半端無く強いので、ズタボロになりながら、入院しています。

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2015年2月20日 (金)

後輩の面倒を見る事は、先輩への恩返しでもあるわけです

 フルートのレッスンに行ってきました。

 最近の私が心がけているのは「毎日が忙しいからと言って練習をパスするのは止めよう。たとえ5分でも10分でも練習をしよう。声楽だったら発声練習だけで歌の練習が出来なくてもいいじゃないか。フルートだったら、通しでたった一回でも吹ければ良いじゃないか…」なんていう『ひとまず練習をしましょう』って事です。つまり「練習しない事を癖にしない」を心がけています。

 なので、今週も時間的には大した量ではないのですが、地味にコツコツとフルートの練習をしたわけです。で、たとえ量的に少なくても、練習をしていると、胸を張ってレッスンに行けますね。ほんと「えっへん!」って気分で、足取りも軽く、お教室に向かえます。

 で、油断をしたので、レッスンには遅刻しちゃいました(ダメじゃん)。

 いつものように、先生はコーヒーを飲みながら、私の到着を待っていた…と言うか、お待たせさせてしまったわけです。ああ…。

 ロングトーン練習をサクッと済ませた私は、エルステ・ユーブンゲンの7番に取り組みました。先生からは「暗譜した?」と尋ねられましたが、やはりまだ自信はありませんと答えざるを得ませんでした。いくら毎日練習をしているとは言え、そんなに時間もかけられず、コンも詰められない状態では、暗譜が間に合っていないんです。

 それで、ひとまず楽譜ガン見で吹いた後「とりあえず合わせよう!」と言われて、楽譜を閉じて、先生と一緒に吹きました。もう、必死ですよ。暗譜は不完全で、記憶も所々マダラですから、あっちこっち落ちるわけですが、そのたびに一緒に吹いている先生の演奏を聞いて、音を探して食い下がる…という状況でした。当然、不合格です。頑張ります。
 プチ・エチュードは9番です。とにかく、アーティキュレーション・ブレスですよ。もう、この一点にのみに集中して練習してきました。とにかく、アーティキュレーション・ブレスに関しては「よくやった!」と誉めていただけましたが、いかんせん、ミスブローが多すぎ。指の動きがまだまだ不正確で、音の精度が悪いんです。「ブレスができたから、次は指だな」と言われました。頑張りますよ。

 さて、今回の雑談は、当然、先日行われた先生のコンサートに関する雑談です。色々と演奏秘話と言うか、楽屋秘話や舞台袖秘話を聞かせていただきました。当然、秘話ですから、ネットにはアップできません(ごめん)。先生的には、今回の仕事は、面倒な仕事だったようですが、若い人たちに演奏の場を与えてあげられた事が良かったとおっしゃってました。プロの演奏家は、まず、名前と顔を覚えてもらわないといけません。そのためには、人々の前でたくさん演奏の機会がないと厳しいですからね。

 そうそう、今回のガラコンサートとは直接関係ありませんが、先生の愚痴を一つ書いちゃいます。(日本全国で共通とは限らないのかもしれませんが)地域の音楽家協会って奴は、なんでも、音大を卒業していないと入会できないのだそうです。で、まあ、先生は当然音大を卒業されているので、そこに入会しているわけです。そして現在、先生は先生の地元の音楽家協会の会長って奴をやっているんだそうです。

 でも、先生は現役の演奏家なわけで、普通は、そういう人は音楽家協会に所属はしても、いわゆる役職の類は回ってこないんだそうです。そういう役職は、音大を卒業したけれど、演奏家にはならずに、公務員になったり、教員になったり、町の音楽教室の先生になったりと、比較的時間に融通の効く人、それも多くはすでに現役を退いたような人がやるケースが多いのだそうですが、今は色々な事情があって、現役演奏家であるH先生が会長をやっているだそうです。

 現役の演奏家だからできる事もあるけれど、やはり現役演奏家が、自分の時間を割いて、そういう仕事をするのは、色々と難しいしキツイんだそうです。

 言われてみれば、ウチの地元の音楽家協会も、現在の会長さんは、退職されたガッコの音楽の先生だし(前任者は、H先生と同じく現役の演奏家の方だったけれど)二代前の方は市役所の職員さんだったよな。まあ、現役の演奏家の方が会長をやるケースは、少なからずあるみたいですが、H先生がおっしゃるとおり、色々と難しいみたいですね。

 まあ、音楽家協会も一種のNPOみたいなもので、基本はボランティアのようですが、色々な仕事があるようです。まあ、面倒と言ってしまえば面倒な仕事なんでしょうが、後輩の面倒を見てやると言うのは、どんな分野であれ、ベテランになれば、積極的にする事/せざるをえない事ですから、H先生も愚痴るのは大いに結構ですから、愚痴りながら、頑張っていただきたいなあと思います。

 自分が若い時、先輩方に世話になったわけなんだから、自分が先輩という立場になったら、若い者の面倒を見るのは、当然と言っちゃあ当然の事だし、後輩の面倒を見る事が、先輩への恩返しになるわけだしね…って、これはH先生へと言うよりも、私自身が心に留めておかないといけない事だな。うんうん。

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2015年2月19日 (木)

隠れ歌好きについて考えた

 歌と言うものは、クラシック声楽に限らず、カラオケであっても、酔って放歌するのであっても、基本的に歌好きしか歌いません。歌が好きでない人は、歌を聞くのも歌うのもが苦手なので、人前であろうがなかろうが、歌うことはありません。

 ただ、歌好きにも色々なレベルがあって“歌が好き”という気持ちがあっても、それよりも“人前で歌うのは恥ずかしい”というシャイな気持ちの方が強い人の場合は、たとえ歌好きであっても、滅多に歌うことはありません。特に日本の男性の場合は、それが顕著だと思います。せいぜい歌っても、一人っきりの入浴の時に鼻歌でちょっぴり歌うって感じで、歌が好きで歌いたいにも関わらずカラオケなどでも歌わなかったりします。

 そういう人って、歌が好きなのに歌わないのですから、ある意味“隠れ歌好き”と呼ぶことができます。そして、日本は音楽市場としては、アメリカについで世界第2位の規模であるという事実を踏まえるならば、多くの日本人は“歌が好きでよく聞くけれど、人前で歌うのはちょっと…”という、隠れ歌好きばかりなんでしょうね。

 では、なぜ隠れ歌好きな人は隠れているのか? それは自分の歌声では自分の美意識を満足させる事ができず、自分が満足できないのだから、他人も満足させられないだろうと推測して、人前で歌うこと止め、恥をかくことを回避しているからです。ある意味、謙遜であり、謙虚であると言えるでしょう。むしろ、人前で堂々と歌っちゃう人は、恥知らずで図々しい奴なのかもしれません。少なくとも、日本人の一般的なメンタリティとは違うのかもしれません。

 一般的な日本人である隠れ歌好きの人は、日頃は隠れているので、彼らの歌を聞くチャンスと言うのは、普通は滅多にありません。でも、私はなんだかんだと言って、彼らの歌を聞けるチャンスが、たぶん、普通の人よりも多くあるんです。で、聞いてみると、色々と思うことがあります。

 隠れ歌好きの人は、程度の差こそあれ、大半が“ジャイアン状態”です。音程が悪い…と言うよりも、音階にはまっていなくて、リズムが悪い…と言うよりも、テンポ感が希薄で、何よりも発声そのものが悪い…と言うよりも、話し声や怒鳴り声、あるいは裏声で歌ってしまっています。

 つまり“音痴”なんです。

 でもね、この音痴という言葉、実にヒドい言葉だと思いますよ。音痴…音の痴れ者。つまり、音楽バカって意味です。もちろん、悪い意味で使っています。

 でもね、隠れ歌好きが一般的な日本人の姿であり、これが日本人のデフォルトならば、そのデフォルトな存在に対して“バカ”は無いと思います。これは一種の冒涜です。

 なんか、音痴という言葉には「歌は上手に歌えて当たり前。歌えない奴は劣った奴」とでも言いたげな言葉だと思います。他人を上から見下す言葉です。なんか、嫌な気分になります。

 いっそ、音痴という言葉、いや音痴という概念を、我々日本人の思考の中から追放したい気分です。「歌は上手に歌えて当たり前。上手に歌えない奴はバカ」ではなく「歌を上手に歌うのは難しいから、それは専門家に任せ、我々は下手くそでも楽しく堂々と歌いましょう」と発想を転換したいです。

 つまり、下手でもイイじゃん、稚拙さを寛容しましょう。

 稚拙さを寛容すること。これって大切な事だと思いますが、真面目な日本人たちは、なかなかこれが出来ないのです。と言うのも、我々は稚拙さを見逃せないんです。稚拙であるならば、常に何とかしようとします。そして何とか出来ないと知ると、マイナスの感情が生まれます。特にその気持ちが自分に向かって発動した時は“恥”を感じるんです。

 それが日本人。ケンチャナヨ精神ではいられないのです。ケセラセラなんて言えないんです。

 まあ、恥は慎みとつながりますから、恥じらう気持ちも大切にしないといけませんが、それも程度問題です。まずは、他人の稚拙さを寛容する事から始めませんか? でなければ、いつまでも隠れ歌好きの人は隠れたままで、大好きな歌を楽しむ事ができないからです。

 歌うって、一種のスポーツのようなモノだと思います。ただ普通のスポーツとは違って、使うのがカラダの表面の筋肉ではなく、カラダの内部の筋肉であり、それゆえ目で見えないだけで、やっている事は普通にスポーツと同じだと思います。

 歌は筋肉で歌うもの。それゆえ、日頃の鍛錬とか練習とかが必要であり、だから隠れたままで歌う事をしなければ、いつまでたってもジャイアン状態であり、ジャイアンのままでは音痴と言われ、罵られ続けなければいけないのです。その連鎖を断ち切るためにも、稚拙さを寛容していけるようになり、稚拙な歌を恥じないメンタルを獲得するところから、我々は始めなければいけないのだなあと思うわけなんです。

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2015年2月18日 (水)

音大卒業しているからピアノが弾けるとは限らない…みたいですね

 クラシック声楽を趣味として学び始めてから、色々と知った事があります。今回の記事は、そんな事柄の一つを記事にしてみました。

 私たち一般人は、音大を卒業した人を“音楽の達人”であると認識しています。おそらく、その誤解を与える原因の一つが、学校の音楽の先生でしょうね。

 音楽の先生って、ピアノも弾けば、歌も歌うし、合唱指導もやっちゃうわけで、それを小学生とか中学生とかの子どもの目で見れば“音楽の先生=スーパーマン”とか思っちゃうわけです。で、そんなすごい音楽の先生は、他の先生たちとは違っていて、音大なる学校を卒業しているわけで、そこから『音大を卒業していると、音楽はなんでもできる』とか思っちゃうわけなんです。…誤解なんですけれどね。

 でも、現実は、ちょっと違うわけです。確かに、音大を卒業して、音楽に関する事なら何でもOKな人もいますが、音大の卒業資格を持っているにも関わらず、歌も歌えなければ、ピアノもロクに弾けない…という人も少なからずいるんですね。この現実を知った時は、私、驚いたものです。

 でも、ちょっと考えてみれば分かるわけです。音大なんて、たかが大学なんですよね。例えば、大学の法学部を卒業したからと言って、全員が全員、六法全書を暗記しているわけでもないし、みんながみんな、法曹界で活躍できるわけではないのです。中には、やっとの思いで大学を卒業した人だっているだろうし、自分の適性の無さを思い知って、早々に別の道に進路変更した人だっているわけで、でも、そんな人でも法学部出身だったりするわけです。また、大学にもレベルの違いって奴があるわけで、多くの司法試験合格者を出す学校もあれば、結果の芳しくない学校だってあるわけです。

 音大だって、実は似たようなもので、やっとの思いで卒業した人もいるだろうし、適性の無さを思い知って、早々に別の道に進みだしてしまった人もいるでしょう。また、学校のレベルの差だってあるわけです。

 音大を卒業して、バリバリの演奏家として活躍している人もいる一方、バイトをしながら音楽活動をしていたり、レッスンプロで生計を立てていたり、一般的な仕事をしながら趣味やボランティア的に音楽活動をしている人もいるわけです。まあ、ピンきりなんです。

 でも、そんな事実は、我々一般人は知らないのですから、そういう人を見るたびにビックリしたりしなかったりするわけです。

 で、私が驚いたのは、バイトをしながら音楽活動をしている、あるピアニストさん。

 正直な話、いくらプロの音楽家と言っても、なかなか音楽活動だけで生活を成り立たせるのは大変です。特に、キャリアもなければ人脈もまだまだな若い人だと、実力があっても、音楽活動だけで生活を成り立たせるのは困難です。

 具体的な話は避けますが、そんな若手のピアニストさん(もちろん、某音大のご卒業の方です)に伴奏系の仕事を依頼したと思って下さい。事前に、その日演奏する曲の楽譜は送っておきましたので、とりあえずは、ひと通りの演奏をしてもらいましたが、その演奏が実にあんまり上手ではないのです。あっちでボロボロ、こっちでボロボロ、音を落としたり、和音を間違えたりするんです。人間は機械ではありませんから、ある程度間違えるのは仕方ないですが、それでも限度があります。さらに、移調をお願いすれば、さらにボロボロな演奏になってしまうし、テンポの変更をお願いしても、最初のうちだけは指定のテンポで弾いていても、やがて元のテンポに戻ってしまったりとか、ちょっとアレアレな演奏をするんですね。これでも一応、ツテを頼って紹介してもらって仕事を依頼したはずなんですが…。

 私は甘い人間だし、紹介してくれた人の顔をたてる意味もあったので、そのピアニストさんには、出来る範囲で頑張ってもらう事にしました。でも思った事は「この程度で、ピアノが弾けると言えるのか? この程度の技量なのに、ピアニストとして仕事を引き受けるか!」って事です。

 いやあ、参りました。もちろん、その方に二度と仕事を依頼することはありませんでした。でも、実はそんな事は、そのピアニストさんだけの話ではなく、その後も、依頼したピアニストさんが同じようなタイプの方だった事が何度もありました。私も慣れてしまったので「また、弾けないピアニストを雇っちまったよ…」とやさぐれるようになりました。

 おそらく、一番の問題はギャラなのかなって思いました。ピアニストさんには、その団体の規定どおりのギャラでお願いしたのですが、そのギャラが、私個人から見ると、破格に安いんですよ。こんな安いギャラで来てくれる人なんているのかな?と思っちゃうくらいに安かったんですね。結局、安いギャラで仕事の依頼をかけると、その程度のギャラでも仕事を引き受けてくれる人(つまり、自分を安売りする人)しか仕事を引き受けてくれなかったんだと思います。

 ギャラって大切ですね。でも、それはそれ。これはこれです。でもでも、そんな事があって以来、私は音大卒という肩書を信用しなくなりました。

 今、私が個人的に依頼しているピアニストさんはアマチュアで、音大なんか卒業していませんが、これらのピアニストさんと比べるのが失礼なくらい、ちゃんと普通にピアノを弾いてくれます。音大を卒業していなくても、音大卒業生以上にピアノが弾けるアマチュア・ピアニストさんもいるわけで、そうなってくると、音大という教育機関の存在意義って何? とか思ってしまったりします。

 …てな話を、先日の声楽の勉強会の後、その日のピアニストさんを捕まえて、グダグダと語ったわけです(オジサンってイヤね)。そうしたら「すいません、それは私達の力不足です」って謝られてしまいました。あちゃー、そう言えば、この日のピアニストさん、音大の先生だった(汗)。

 でもまあ、音大卒業しているからピアノが弾けるとは限らない…みたいですね。

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2015年2月17日 (火)

最近のカラオケは…勉強になるねえ

 年末に、職場の同僚と一緒に昭和歌謡をカラオケで歌いまくって楽しかったので、自分のカラオケのレパートリの確認&拡大をするために、先日、妻と久しぶりにカラオケに行ってみました。とりあえず、気になる曲を片っ端から歌ってみて、自分に合うかどうかを調べてみましょうって感じだったわけです。

 いやあ、最近のカラオケは色々と勉強になるねえ。私が昔、熱心にカラオケに通っていた頃とは、だいぶ違っていました。

 まず、歌本がなくて、すべて大型リモコンで操作するようになってました。大型リモコンは便利なんですが…一覧性が悪くて、曲を探したり選んだりするのにコツが要りますね。それにリモコンも色々なタイプがあって、性能差もあるみたいです。始めてのお店で始めてのリモコンだと、戸惑うことばかりです。

 私はオールドスタイルの人なので、歌本をペラペラとめくりながら曲を探す方がいいなあ(笑)。

 でも最新リモコンならではの良さも、もちろんあります。例えば、曲を転送する時に今のリモコンだと『原曲キー送信』って奴があって、とても便利です。昔のリモコンだと、曲のイントロが流れだしてから、歌本を見て、キーをいくつ上げ下げするかを確認して操作したものです。でも今は“原曲キー送信”をしておけば、最初のイントロから、オリジナルの調性で演奏してくれるから、うれしいです。

 と言うのも、私は移調されちゃうと歌えなくなってしまうタイプの人だからです。

 別に絶対音感を持っているわけではないから、移調と言っても、半音程度ならば、上にでも下にでも移調されても全然気づかないと思います。しかし、カラオケによくある“+3”とか“+4”の移調だと、間違えてしまう人なんですよ、私。だって“+3”とか“+4”の移調って、三度の移調でしょ? 三度の移調だと、伴奏に対して三度高く歌ってしまうんです。伴奏に対して三度高く歌うのって、案外難しくないし、若干の無理を感じながらも、和声的には微妙にOKだったりするんですが…やがて歌い進めるに従って無理が生じて、ある時点で歌えなくなってしまいます。行き詰まって始めて「やや、キーを間違えた」って感じになるんです。

 まあ、絶対音感にせよ、相対音感にせよ、それらの音感を持っていれば、こんな間違い方はしないのでしょうが、私は基本的にロクな音感を持っていないんですね。私が持っているのは『和声的にOKかどうか』という感覚だけなんです。これはいわゆる音感とは、ちょっと違うわけで、合唱を歌う場合など、きちんと自分のパートのメロディを把握していないで、いい加減な状態で歌い始めると、平気でオクターブ間違えたり、他のパートを歌ったりと、そういう間違い方をする人なんです。

 だから、カラオケはオリジナルの調性でないと、ほぼ歌えない人なんです。不便ですね。

 最近のカラオケに備わっている『精密採点』と言うのは面白いですね。よくテレビでカラオケ番組をやっていると画面の下の方にあらわれて、リズムや音程、各種歌唱テクニックをチェックしているアレです。今回は、この精密採点を起動しながら歌ってみました。そうすると、色々と分かります。

 まず、リズムや音程の正確さが可視化されるので、今歌っている曲が、人前での披露に耐えられるかどうかが、すぐに分かりますね。さらに点数が付くので、全国平均と較べて、どれくらい歌が上手いのか(あるいは、下手くそなのか)が分かります。

 私の場合は、悲しいことに、全国平均を下回るような点ばかりを叩きだしてしまいました。本人的には「???」です。妻曰く「聞いていて変な感じはしないけれど…ガイドメロディ通りに歌っていないからね…」とのこと。つまり「ちゃんと正しいメロディを知らないために、自分勝手に作曲しながら歌っているから点数が低いのよ…」って事ね。

 「え? カラオケって、自分流にメロディを変えて歌っちゃダメなの? そんな、オリジナル歌手と全く同じに歌ったら、つまらないでしょ? 和声的にOKだったら、変奏しながら歌うのは、ポップスの常識でしょ」

 と愚痴ってみたものの、点数が低いのは気に入らないので、ガイドメロディとほぼ同じように歌ってみたところ…それでも、やっぱり全国平均前後ぐらいの点数しか取れない。あちゃー。

 妻曰く「音程が甘いのよ」 そうなんだよね、精密採点を見ていても、メロディラインがぶら下がっている事が多いんだよね。で、そんな時に限って、講評が『歌っていて苦しくないですか?』と出ます。私、ちっとも苦しくないのですが、機械的には“苦しげな声”と判定されてしまっています…おそらく、ノドに力が入っているのでしょう。

 ノドに力が入っていると、力を込めた分、音程が下がります。逆にノドの脱力に成功していると、結構音程バッチリで歌えるものです。ですから、こんな私でも、ノドの脱力を心がけて歌えば…全国平均をぐ~んと越える事ができます。ノドの脱力って大切ですね。

 それと、意図していませんが、結構、ビブラート加点が付きます。私、歌う時にビブラートというのは、ほとんど意識していませんし、ビブラートをつけて歌おうという気持ちもないのですが、歌っている時に気持ちが入ると自然にビブラートがついて、それがカラオケでは加点されるようです。ちょっと驚きです。もっとも私の場合、歌唱テクニックとしてのビブラートではないので、すべてのビブラートが『基本形』というタイプでした(笑)。

 『安定性』という項目は、常にほぼまっすぐで、『リズム』はだいたい真ん中、『ロングトーン』もだいたいフルマークだから、歌の基本形としては、そんなに悪いわけじゃないと思うし、以前の採点機だと、結構高得点を出せたのだけれど、精密採点になって、精密に採点されるようになったせいか、私の歌の中にある色々なアラが見つかって、それで得点が低くなってしまうんだろうなあ。反省です。

 採点とは違うけれど、マイクを使って歌うのって難しいね。私は声量だけはある人間だから、機械の音量をかなり絞った上でマイクを持った手をウンと伸ばして歌わないと、歌声が部屋中に響き渡って、自分がうるさくてかなわない。採点をしないのなら、マイク無しで歌っちゃうんだけれど、採点も面白いから、どうしてもマイクを使わないといけないわけで…ほとほと自分の大声には困ったもんです。

 まあ、カラオケは、クラシック声楽とはジャンルが違うわけなので、あれこれ勝手が違うのだけれど、やっぱり歌だから、私には楽しいですよ。

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2015年2月16日 (月)

H先生のコンサートに行ったんだけれど…

 前回のフルートレッスンで、H先生の尻に火をつけた、その原因となるコンサートに行ってきました。

 今回のコンサートは、先生のコンサートと言うよりも、先生がプロデュースをしたガラ・コンサートと言った方が良いみたいです。とにかく、企画運営をしたり、役所と折衝したり、ミュージシャンたちの間を取り持ったり、他人のリハーサルなんかにもアレコレ関わってみたり…と、なんだかんだと忙しかったそうです。おまけに、ご自分もきちんと演奏なさったわけで…。

 そんな、H先生の八面六臂の活躍によるガラ・コンサートに駆けつけた私ですが…正直に書いちゃうと、ほとんど寝てました。いやあ、コンサートに行って、寝るつもりは全く無かったわけだし、すべての演奏を食い入るように聞いてみたかったのですが、どうもイスに座ると…途端に意識を消失して、演奏前の拍手で目を覚まして演奏の冒頭部分を聞き、すばらくすると気絶して(笑)、演奏終わりの拍手の音でビックリして目覚める…を繰り返してしまいました。

 いやあ、ほんと、演奏者の皆様に失礼な事をしてしまいました。反省しております。

 原因は単純に疲れていた事…ですね。とにかく、今は仕事が繁忙期で、疲労とストレスは溜まりまくる一方なので、きちんと休息が取れていない状況ですからね。休日があって、今回のようにすぐに出かけてしまう(ここが私のダメな部分です)ので、結局、カラダが休まらないのです。

 あえてもう一つの理由を書くと…器楽系のコンサートだったので、歌が少なかった…というのも理由かな?

 実は今回のコンサートは4部構成で、第1部は声楽だったんですよ。H先生がオケの指揮をして、ソプラノさんが歌ったのですが、この声楽のコンサート部分は、割としっかり聞いているんですよ。私、人が歌っている間は、なんとか正気を保てるみたいで…でも、歌が無くなって間奏に入ると、途端に意識を喪失します。で、歌が始まると「おぉっ」って感じで目覚めるんです。ですから、声楽コンサートであっても、ところどころで意識が途切れている私なんですよ。ましてや器楽をや…。

 やはり、人の声(特にソプラノのハイトーン)って、人間の注意を喚起し、意識レベルを高めるんでしょうね。

 一方、楽器の音色は(特にフルートは)心を穏やかにして和ませてくれるので、それを耳にした途端に、あっという間に睡魔に負けてしまうんだと思います。

 それでも起きている時に聞いた、H先生のバッハは良かったですよ。音色がすごく優しくて…それで意識を無くしちゃうんだよね。H先生の指揮によるメルカダンテのフルート協奏曲も、音楽が美しすぎて…それで意識をなくしちゃうんだよね。H先生が演奏に関わらなかったピアノ協奏曲なんて、聞く義理もなかったので、まるっきし記憶に無い(笑)。ああ、ダメだ、私。やっぱり、疲れている時に無理してコンサートに行っちゃダメだな。特に器楽系のコンサートの時は、体調バッチリじゃないと、時間と交通費をかけて、わざわざ不義理をしに行くようなものだから、ほんと、気をつけないと…。

 反省、反省、また反省だ。

 それだけ眠いのに、行き帰りの電車の中では…寝れないんだよね。なんか電車では、周囲を警戒してしまう私なのでした。ああ、私にとってコンサートって、本当に“癒しの空間”なんだなって思いました。

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2015年2月15日 (日)

私は喘息持ちです[2015年2月第3週・通算3週]

体重:109.6kg[-1.6kg:-5.3kg]
体脂肪率:32.1%[-0.8%:-1.2%]
BMI:34.6[-0.5:-1.8]
体脂肪質量:35.2kg[-1.4kg:-3.2kg]
腹囲:110.2cm[-1.1cm:-4.8cm]
     [前回との差:2015年当初との差]

 私は喘息持ちです。とは言え、普段から喘息で困っているわけではありません。まあ、普段は、多少、息がひゅーひゅーする事はありますが、そんな時は、ピークフローメーターを用いて、喘息の程度を確認するようにしています。私の場合は、喘息と言っても軽度なので、発作さえ起きなければ、日常生活は全然平気だったりします。ですから、多少調子が悪くても、色々と自重してやり過ごしていれば、やがて平常に戻りますので、今は調子が悪いのかどうかを客観的に把握するために、ピークフローメーターを使ってます。

 私の場合、問題なのは、風邪なんですよ。風邪をひくと、たいてい喘息を誘発してしまい、風邪は治っても、喘息でいつまでも苦しむという事になりがちです。

 大体、風邪と喘息は全く違う病気なので、いくら風邪薬を飲んでも、喘息はよくならないんです。それに、風邪は3日も寝ていれば、たいていは自己治癒力とやらで治りますが、喘息はそうはいきません。喘息はアレルギー性の病気ですから、放っておいても治るわけではなく、むしろ放置しておくと悪化し、慢性化してしまうので、やっかいです。

 風邪なら家で寝て治しますが、喘息の場合は医者に行って薬をもらって治す事になります。

 問題は、普通に働いていると、医者にはなかなか行けないって事です。

 それでも以前は、職場の近くの病院をかかりつけにしていたので、仕事の合間に病院に行くことができたのですが、今は、その病院との20年来のお付き合いをやめてしまって、行くべき医者がないし、仕事自体が忙しくなってしまったので、本当に病院に行けなくなってしまいました。

 なぜ、その20年来のお付き合いの病院をやめてしまったのかと言うと、色々と小さな不信感が積もり積もった結果なんですが、決定的だったのは、喘息の発作が起きて苦しかったので病院に行ったら「そんな重い症状の病気なんて、ウチじゃ面倒みれないから、ヨソに行ってくれ」と追い返されたことです(マジな話なんですよ、これ、マジ)。せめて、緊急の対応として、吸引の一つでもしてから、他の病院への紹介状でも書いてくれれば良いのだけれど、それも無しで、追い出されるようにして放り出されたのです。こちらは調子が悪いので、何も言えずに、仕方なく別の病院(当然、初めての病院です)に行って、吸引をしてもらって、落ち着いたわけです。

 そこらへんの顛末については、以前「病院に診察をことわられた(笑)」に書いたので、よかったら読んでみてください。

 とりあえず、今現在の私は、ちゃんとした“かかりつけ”と呼べる病院がない状態なんですよ。で、困っております(でも、病院に行っていないわけではなく、単純に“かかりつけ”と言えるような関係にある病院がないって事です)。

 何が困っているのかと言うと、喘息患者って、調子が良い時は、まるっきり普通の人なんです。普通に仕事をして、普通に生活をしているわけです。で、一旦、調子が悪くなると、本当にひどくて、なかなか病院に行く元気もなければ、病院に行こうという気すらなくなってしまうのです。で、ちょっと体調が持ち直して、症状はゲホゲホ言う咳と息苦しさぐらいになってしまうと、頑張って仕事に行っちゃって、病院に行っている暇がなかったりします。

 たぶん、これをズルズルやっていると、慢性化してしまうんだろうなあって思います。慢性化してしまえば、調子の悪いのが日常となり、でも日々の生活はしないわけにはいかないので、無理に無理を重ねて働いているうちに、ある時大発作を起こして、呼吸困難となり窒息してしまい、救急車騒ぎになって…場合によっては、そのまま天に召されてしまったりするわけです。やばいね。

 幸いなことに、私の喘息が長いこと慢性化しなかったのは、幸い、かかりつけの病院が職場の近くだったので、仕事の合間に病院に行けたからです。でも、今はそんな事はできないのです。で、結局、病院に行かない事が増えてしまいました。

 さあ、どうする。さあ、どうする。

 喘息の治療と言っても、私は元々、最近流行りのステロイド系の予防目的の薬はやってません。これらの治療の副作用である『声が枯れやすくなる』『声が出づらくなる』を恐れているんですね。ですから、私は喘息になっても、気管支拡張剤を使用するという対処療法で乗り切ってきました。逆に言えば、喘息になっても、気管支拡張剤さえあれば、なんとか乗り切れるんですね(喘息と言っても、その程度の喘息なんです)。

 以前は、気管支拡張剤として、テオロングをもらっていました。テオロングというのは、テオドールのジェネリック製剤だそうですが、本家のテオドールよりも高価なジェネリックとして有名な薬なんだそうです。んん? だったら、安いオリジナルのテオドールをくれればいいのに、なぜ、わざわざ高価なジェネリックだったんだろ?

 それはともかく、テオロングにせよ、テオドールにせよ、医師の処方箋がないと購入できない薬です。つまり、薬局に行っても「テオロングください」と言っても、簡単に買えるわけではないのです。

 じゃあ、薬局に行って、喘息の薬は手に入らないのかと言うと、そうでもないんです。要は、気管支を広げて呼吸を楽にして、せきをしずめ、たんの排出を促してくれれば、役目としては十分だからです。

 と言うわけで、喘息の時に飲む薬のジャンルとしては、いわゆる咳止めになります。「喘息が出始めた?」くらいの軽症なら、これらでもなんとかなります。

 これらの薬は、薬局で普通に売っている薬ですから、お医者さんの処方箋がなくても購入できますので、急場を凌ぎにはなります。もっとも、お医者さんの処方箋がないと買えないタイプの薬と比べると、だいぶ効能は落ちるようですが、だからと言って、素人判断で多めに飲んではいけません。必ず、用法用量は守ることね。

 と言うのも、これらの薬は、乱用者が多いため、厚労省の指導で、一人に一瓶ずつの購入しか認められていないという、市販薬にしては、結構ヤバイ系の薬たちなので、本当に気をつける事が大切です。で、どうヤバイのかと言うと、これらの薬の中には、体内に入ると覚醒剤っぽい効果のある成分がドドーンと入っているだそうです…ってか、そういう成分が入ってないと咳は止まらないと言うか、とりあえず副作用に注意しながら服用しないといけないってタイプの薬のようです。

 だから、私は紹介はするけれど、他人には薦めないよ。私自身も、これらの薬を積極的に服用したいと思わないもの。今回の記事を書いてアップしたのも、自分でこれらの情報を調べたので備忘録としてアップしただけです。だって、情報をブログにアップしておけば、後でその情報を探る時に検索をかければ、容易に取り出せるでしょ? そういうために、今回の記事をアップしているのです。

 なので、喘息の症状が出たら、病院に行くことを薦めます。でも、現役世代の人間が気軽に病院にいけない事も事実です。実際、私自身、病院にはなかなか行けない状況にあるんだもの。あと、地域によっては、無医村…は言い過ぎだけれど、近所に病院がないって地域もあるでしょ? そういう人たちも、なかなか病院には行きづらいよね。

 じゃあ、どーするかと言えば、そのための薬局なんだし、そのための市販薬なんだよね。

 だから、市販薬って大切だと思います。でも、あくまでも急場しのぎであって、本格的に治療目的では使えないと思います。生兵法ケガのもと…素人判断で薬を飲む事は、本当に危険だし、効果的とも言えません。でもね、忙しいけれど、体調が悪くなったら、自分はどうするかと考えると…ううむ、やっぱり市販薬に頼っちゃうかも…。喘息の発作が起きた時に備えて、いずれは手元に備えておくかもなあ…。

 まあ、ある物は有効利用しないとね。でも、最後は自己責任なんだからね。そこんとこ、よろしく。

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2015年2月14日 (土)

病院水槽の近況

 現在、我が家の二大巨頭が病院水槽に入院しております。サクラとホノカですが、二匹とも、いわゆる“松かさ病”という奴です。パッと見た感じは、サクラの方が悪そうですが、この子はメンタルが弱い(けれどフィジカルが強い)ので悪そうに見えるだけで、実はホノカの方がずっと重篤な状態です。

 ホノカは元気なんですが、とにかく状態が悪いです。ウロコはほぼすべて逆立ち、ウロコの下の皮膚は水疱状態に腫れ上がっています。エラも相当に腫れ上がっていて、息もかなり苦しげです。カラダも、いわゆる死斑が浮かび始めています。かなりマズイ状態なのですが、動作は元気そのものなんですね。カラ元気を出しまくっているホノカです。

 一方、サクラも決して軽症というわけではありません。普通に重症です。カラダの左半分の尾びれ付近のウロコが逆立ち、右半分の尾びれ付近のウロコが剥がれて取れてしまいました。メイン水槽にいた時は、垂直状態になっていたサクラでしたが、隔離水槽に移動してからは、すっかり転覆するようになってしまいました。ただ、ずっと転覆状態ではなく、戻ろうと思えば戻れるようですが、一番楽な姿勢が転覆状態のようで、そういう点では、メイン水槽にいた頃よりも、病状は悪くなっています。

 治療は日々続けていますが、二匹とも、状態は悪くなっているようです。

 治療法は、抗生物質+ココアの薬浴をしています。時折、抗生物質の代わりに食塩が投入されますが…まあ、そんな感じ。あまり、よくありまん。

 一方、メイン水槽の方は、中型魚のアズニャンとオタキサンの二匹が穏やかに悠々と泳いでいます。少し寂しい気もしますが、入院している子たちが戻ってきた時の生活スペースを確保するために、新しい子を入れるわけにはいかないので、仕方なしです。

 死斑の浮かんでいるホノカと、転覆しているサクラ…状況は明るくないのですが、それでも、まだ回復する可能性は否定できません。ってか、なんとかして、回復してほしいものだと願っています。

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2015年2月13日 (金)

今回は、雑談は無しでした

 フルートのレッスンに行ってきました。私がお教室に着いた時は、先生は熱心にご自分の練習をしていました。それもかなり本気モードの練習みたいで、実に見事な音でボーボー吹いてました。いやあ、たかがフルートなのに、鳴らす鳴らす鳴らす。さすがプロのフルーティストさんだなって感心しちゃいました。

 さて、さっそくフルートを組み立てて、ロングトーン練習です。ロングトーン練習も基本的には、ほぼバッチリなんだけれど、どうしても、先生と高音Hが微妙に合わないのですよ。そこだけ、ちょっと気持ち悪い。そこもバッチリ合わせられるようになると良いのだろうけれど、なんかいくら音を曲げても、いつもの事だけれど、高音Hは合わないんだよなあ。他の音はバッチリなだけに、実に残念な気持ちがします。

 さて、エルステ・ユーブンゲンは7番です。練習もそこそこしてきたのですが、まだ暗譜には至りません。なんか暗記がマダラなんですね。なので、今回もバッチリ、ガン見で吹きました。続く8番も同様にガン見です。

 先生に、音色がますます良くなってきたと誉められました。「こういう簡単な曲を、ゆっくり吹きながら、丁寧に音を作っていくんだよ」と言われました。確かに、このレベルの曲は、指なら余裕で回ります。だから目標は指じゃないんだね、音なんだね。きれいな音で曲を吹く…そのための練習なんだね。練習目標が分かれば、そこに集中して練習できるわけで、そういう点では、一歩前進だね。

 プチ・エチュードは9番です。いやあ、なかなか難しい。とにかく、アーティキュレーション・ブレスの完全習得が、この曲の目標なんだそうです。

 アーティキュレーション・ブレスは、ブレスなんだけれど、絶対に息を吸ってはいけないのだそうです。ただ、クチを開けるだけ。逆説的に言えば、クチが開かなければ、ダメなんだそうです。クチを開けるためには、最後の音をしっかりと吹くこと、いや、吹ききる事。最後の音をしっかり吹いて、息を吐き出して、クチを開けば、それだけで息は吸わなくても体に入ってくるわけです。

 これって、声楽で毎回やっている事と同じじゃん。でも、フルートって声楽ほどには息を使わないから、どうしても息が体内に残るんだよね。でも、息を残しちゃアーティキュレーション・ブレスは出来ないから、そこはうまく息を吐かないとダメだね。息を吐くのは…楽器を持っていなければ、なんとか出来るのだけれど、楽器を持っていると…難しいなあ。

 細かい音符で、中音のレ-ド#-レと続くフレーズがあります。これを以前は「練習だから…」と言って、正規運指で吹いていた私ですが、今回からは正規運指ではなく、替え指で吹くように言われました。替え指と言っても、簡単なもので、正規のレの運指から、右手は動かさずに左手だけを外してド#の音を出します。これは運指的にも楽なのですが、音色的にも良いのだそうです。ただし、音程的には少し違ってしまうので、細かい経過音の時にしか使えない替え指なんだそうです。だからこそ、今回のようなフレーズの時に使うべき運指なんだそうです。まあ、運指が楽で、音色的にも美しいなら、やっぱ採用だよね。

 とにかく9番は、標準的なテンポでも、あと少し練習を積めば吹けそうですが、問題はそこにはないそうです。この曲が(吹けないのはダメだけれど)吹けるようになっても、アーティキュレーション・ブレスがマスター出来なきちゃ合格にはしないそうです。だから、ゆっくりしたテンポでブレスの一つ一つを確認しながら練習してきなさいと言われました。ゆっくりしたテンポで指を確認しながら吹く…と言うのはよく言われますが、ゆっくりしたテンポでブレスを確認しながら吹くというのは、初めての経験です。まあ、それだけ、ブレスが大切って事なんでしょうね。

 で、レッスンが終わると、いつもなら楽しい雑談タイムになるのですが、今回は無し。と言うのも、レッスンが終わると、先生、やおらご自分の練習を始めたのです。私が部屋に入った時に吹いていた曲を、またボーボー吹き始めました。熱心に練習をしてらっしゃるので、私は声をかけずに、お教室を出ました。そんな日があっても良いと思いますよ。

 なんでも、本番が近いらしいのですが、今回はプロデューサー的な立場なんだそうで、フルートさえ吹いていれば良いというわけでもなく、あれこれ色々なことを抱えてしまって、ご自分のフルートの練習に時間が割けない…という事らしいのです。先生でも、尻に火がつく事があるんですね。

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2015年2月12日 (木)

高音への跳躍

 声楽のレッスンの続きです。

 発表会の相談でレッスン時間を使ってしまったので、今回はハミングは省略。でも、発声練習は割りと丁寧にやったかもしれません。事前に、まだ医者通いをしている事と、数日前まで寝込んでいた事などを伝えたので、先生なりに気を使ってくださったようです。一つ発声練習するたびに「ほう」とか「へえ」とか言いながら、何やら確認しながら進めてくださいました。おかげさまで、歌うのがだいぶ楽になりました(状況として、ダメな部分は相変わらずダメなので、無理はしませんが)。

 発声練習も終わったので、さっそく曲の練習に入りました。

 まずは、ボノンチーニ作曲の「Per la gloria d'adorarvi/お前を賛える栄光のために」です。で、レッスンを開始しようとしたところで、先生からひと言。「今日は“愛の妙薬”の楽譜を忘れずに持ってこようと思ったら、他の曲の楽譜を全部忘れてきてしまいました…」と言うので、私の使っている楽譜をピアノに置いて、一つの楽譜を先生と一緒に見ながら歌うというスタイルでレッスンをしました。

 ピアノはアップライトです。私はそのそばに立っているわけです。楽譜をピアノに置くと、ピアニストは楽譜が見やすいでしょうが…私は楽譜が見づらくて仕方ないです。だって、楽譜の高さが腰の高さぐらいなんですよ。おまけに、距離的には1メートルぐらい離れているわけだし…、私は老眼だし、視力も弱いし…。楽譜を見ようと深々としたスタイルになれば、もちろん歌うのは無理だし…ううむ、かなり大変だな。

 という訳で、基本的に暗譜で歌いました。暗譜が怪しいところだけ楽譜を見たのですが、やっぱりきちんと楽譜が見えないので、あれこれデタラメに歌ってしまいました。特に歌詞は壊滅的にダメでした。

 そんな状態でのレッスンでした。まあ、それでもやればできるわけです。

 今回注意されたのは、メロディーが上下に動いても、それにつられずに、息は常にまっすぐに出して歌いなさいという事です。まあ、これは気をつけていれば、すぐに改善される点なので、私の心がけ次第てっ感じです。で、この曲は今回で終了です。

 次は、発表会でも歌う、モーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」のテノールアリアである「Un'aura amorosa/恋のそよ風」です。

 この曲は、声の良し悪しとか強さとか感情とか情念とか勢いとか…そういうイタリア・オペラ的なノリではなく、あくまでも冷静にしっかりカッチリ歌わないと歌えないんだそうです。ある意味、声楽的な曲ではないんだそうです。だから、声楽的なノリは通用しないのです。この曲は(モーツァルトの曲全般に言えるそうですが)器楽的な曲なんだそうです。ですから、声も一つの楽器として扱えないといけないのです。

 で、この曲のモチーフは“高鳴る恋心”なわけで、それを音楽的には上行跳躍で表現しているわけです。つまり、やたらめったらに、高い音符への跳躍があっちこっちで使われているわけです。だから、このアリアは“高音への跳躍”が得意ならば、何てこともない曲なんです。

 “高音への跳躍”…楽器だって難しいよね。うっかりすると、音がひっくり返ってしまいます。アマオケなんかだと、ベートーヴェンの第九の四楽章のホルンの独奏部分なんて、上行跳躍のところで、たいてい音が裏返っているわけだしね。フルートだって、1オクターブの跳躍とか、やっぱり難しいわけです。

 楽器演奏でも難しいのに、それを声楽で、それもバンバン連発するのが、このアリアなわけです。こりゃあ大変だ。

 で“高音への跳躍”ですが、天才的な歌手ならば、何も考えずにピャッと出来てしまうのでしょうが、そうでない凡才は、きちんとテクニカルに歌わないとできません。まあ、1回とか2回なら、勢いでどうにでもなるかもしれませんが、このアリアぐらい連発されると、テクニカルに歌わないと、いずれ破綻して、結局歌えなくなってしまうのです。

 今回のレッスンでは“高音への跳躍”をするためのテクニカルな練習をしました。それはいわゆる“息を回して歌う”という歌い方です。

 よく、アマチュアの声楽発表会で、自分の前に手を出して、それをグルグル回しながら歌っている人がいるでしょ? あれは一生懸命、声を回そうとして、イメージの力を借りて行っているわけです。あのテクニックを着実に身につけましょうってわけです。

 “高音への跳躍”をテクニカルに行うために、息を回して歌うことは大切ですが、別に腕をグルグル回す必要はありません。あれはあくまでもイメージ的な事であって、しっかりポイントを押さえて歌えば、それでOKなんです。ただ、そのポイントを押さえるための手助けが、例の腕グルグルなわけです。

 まず息を回すためには…

 1)喉仏をしっかり下に下げる。
 2)腰部の背筋をしっかり膨らませて、一度横隔膜を下に引っ張る。
 3)その状態をキープしたまま、さらに背部の背筋を外側に引っ張る。
 4)ノドの奥を広く開き、口蓋垂を思いっきり上に引っ張る。
 5)腹筋を絞込み、息を思い切り吐き出して声にする。
 6)声はしっかり息に乗せ、低音から高音に向かって、ポルタメントをかけるように音程を上げていく。
 7)最終的に、声は前に向かってビームのように出す。

 これが“息を回す”というイメージの中で、実際に行われる身体活動です。ですから、成すべきことが分かった上でイメージを使うのなら、とても有用な方法ですが、やるべき事が分からずに、ただただイメージだけで歌うと、あれこれ抜けてしまいそうですね。

 とにかく、このようなやり方を用いる事で“高音への跳躍”を安定して行えるようになるわけです。

 だから、今回、私がこのアリアを通して学ぶべきことは、この“息の回し方”って奴です。息の回し方をって奴を徹底的に学び、得意になると、このアリアが楽に気持ちよく歌えるようになるわけです。いやあ、それは大変だな。

 でもね、こういう声楽テクニックを教えてもらうと、やっぱり嬉しいですよ。以前の先生は「すとんさんは、すぐにコツを見つけようとするけれど、歌に近道はないんだよ。とにかく、歌って歌って何度も歌って身に付けるしか無いんだよ」と言って、テクニックの類を教えてくれない…と言うよりも、テクニックを否定していたからなあ。彼は自称“天才”でしたから、自分はテクニックなど習わなくても歌えたんでしょうが、私は自称でも他称でも“凡人”でしたから、そんな暗闇の中に放り出されるような事をされると、なかなか前に進めないんですよ。コツでもテクニックでも、そういう暗闇を照らす灯火と言うか、拠り所になるモノが必要なんだよなあ…。

 そうそう、昨年の発表会で私の二重唱の相方を務めてくださったNさんが、お教室をお休みする事になりました。昨今、F先生の方は生徒さんがドンドン増えているそうなので、Y先生の生徒さんが減ってしまうと、なんとなく肩身が狭い(分かります)ので、Y先生、生徒さんの募集を掛けたいのだそうです。とは言え、Y門下は、初心者歓迎って門下でもないし、基本的には関係者の紹介によって入門するタイプ(私自身もNさんに紹介していただいて門下に入ったわけだし…)の門下なので、生徒募集と言っても、そんなに簡単な話ではありません。

 今、私の身近にいる人で、声楽の先生を探している人って…いないよなあ。妻は、数人の友人に声をかけてみると言ってますが…。まあ、そんなわけで、リアルな私を知っている人で、ぜひY先生に声楽を習ってみたいという方がいたら、ぜひ連絡してください(笑)。

 あるいはお悩みの方とかね、例えば「今の先生は悪くないのだけれど、なんか行き詰まっているんだよなあ…」と感じていたら、先生の替え時かもしれませんよ。

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2015年2月11日 (水)

伝統的なカットでいきましょう!

 声楽のレッスンに行ってきました。

 前回のレッスンを休んでしまったので、私にとっての今年初めての声楽のレッスンだったのです。先生に会ったら「あけましておめでとうございます」と挨拶するつもりだったのに、すっかり忘れてしまいました(笑)。

 まずはレッスン日の確認をしました…と言っても“次回のレッスン日の確認ができない”事を確認したのですけれどね。

 と言うのも、2月の先生のスケジュールがあまりに忙しい(今月は『オテロ』で全国巡業するんだそうです)ので、今のところ確実に「いつなら時間が取れる」というのが、はっきりしないのだそうです。ですから、レッスン可能になったら(その2~3日前に)連絡をくれるので、それで勘弁して欲しい…という事なんですね。まあ、本業が忙しいのなら、仕方ないですね。お互い様です。その代わり、3月のレッスン日を先に確認した次第です。

 それと、発表会のピアノ合わせの日を確認し、その他にもあれこれと日にちを確認しました。うむ、まだまだ先と思っていた発表会だけれど、実はすでに結構忙しいぞ。

 で、その発表会の曲も決めました。私のソロ曲は、以前から申し上げているとおり、モーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」より「Un'aura amorosa/恋のそよ風」です。この曲は4分前後ってところでしょうね。妻もモーツァルトのアリアを歌うことにしました。レチタティーヴォの部分をカットしても、やはり4分前後ってところです。ですから、二人合わせて8分ぐらいですね。持ち時間は16分前後ですから、残りは半分の8分前後ってところでしょうか?

 で、懸案の二重唱ですが、やはり先生の薦めてくださる、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より二重唱「Caro Elisir! Sei Mio!/素晴らしい妙薬」にする事にしました。

 問題は、この曲のどこをカットするか…です。だって、そのまま楽譜どおりに演奏すると10分近くかかってしまいますからね。

 この曲は、大雑把に三つのパートから成り立っています。最初はレチタティーヴォでメモリーノが酔っぱらいながら、あれこれグダグダと愚痴っています。その後、二重唱になります。最初の二重唱は割と有名な二重唱です。最後にはカデンツァも加わり、この部分で音楽的には一度曲が終結します。で、終わった曲を再び歌い始めて、最後の二重唱になります。つまり、この曲、実質的にはレチタティーヴォ1曲と二重唱2曲の複数の曲で成り立っているわけです。

 ですから私は、有名な最初の二重唱だけ歌って、レチタティーヴォや後半の二重唱は思い切ってカットするのもアリかなって思っていました。ですから、その旨を先生に伝えましたら「それじゃあ、つまらないでしょ? それにレチタティーヴォの部分は、このオペラのタイトルにもなっている大切な部分だから、ちゃんと歌いましょう。終わりの方も、演技をするなら必要だしね…」って事になりました。

 とは言え、楽譜通りに全部を演奏するのは大変だし、時間的にもオーバーしてしまいますから、伝統的なカットをしましょうと言う事になりました。

 それによると、最初のレチタティーヴォと有名な二重唱はそのままで、最後の二重唱は繰り返し部分をバッサリカット(そうすると半分程度の長さになります)するんだそうです。これでまあ、8分程度の長さかな? なるべく小気味良いテンポで歌えば、もう少し時間的に短くなるかも。どっちにしても、なんとかギリギリ持ち時間に収めましたって感じになります。

 ちなみに、最初の二重唱の末尾のカデンツァは、ドニゼッティのオリジナルではなく、これも伝統的に使われているリッチのカデンツァに替えます(この二重唱におけるリッチのカデンツァは二つありますが、普通に使われている方のカデンツァを採用する事にしました)。

 こんな感じです。こんな感じで、今年の発表会の曲目が決定しました。つまり二重唱に関しては、普通にオペラ劇場でプロの歌手さんたちが歌っているように歌いましょうって事です。

 うへー、そうなりゃ、あとは頑張るのみです。ああ、それにしても、私にとっては、ソロ曲は馬鹿みたいに難しいし、二重唱は手に負えないくらいに長いぞぉ…。

 曲が決まったので、さっそく発表会の準備です。本格的なレッスンは次回からになりますが、今回は自宅で練習するためのヒントをくださいました。

 まずはレチタティーヴォの歌い方。とにかく、リズムが大切なので、しっかりリズム読みをしてくる事が大切。一見、同じように見えるフレーズも微妙に異なっている事があるので注意が必要です。とにかく、レチタティーヴォはリズムが難しいので、そこが大切であり、そこが肝心なのです。

 リズム読みができるようになったら、次はイタリア語の発声。とにかく、レチタティーヴォはセリフなので、しっかりとイタリア語がしゃべれないといけないので、イタリア語の練習が必要です。

 それらがきちんとできた上で、指揮者になった気分で、ピアニストにきっかけを与えられるように、しっかりピアニストをリードしながら歌う練習をしてきなさいってわけです。

 レチタティーヴォの部分と言うのは、テンポにせよ、間にせよ、あれこれ歌手に任されているわけです。で、ピアニストは、歌手の歌を聞いて、それに合わせて演奏するわけですから、歌手は独り善がりではなく、ピアニストが合わせられるような歌い方をしないといけないのです。つまり、きっかけをピアニストに出しながら歌うです。

 とにもかくにも、二重唱、頑張ってきなさいって事です。この二重唱は、とにかく、ネモリーノ(テノール)の歌う部分が多いし、全体的にネモリーノが曲を引っ張っているので、テノールがしっかりしていないと、曲全体がグダグダになってしまいますって事です。つまり、今回はテノールが圧倒的に大変だよって話です。

 この曲に限らず、テノールとソプラノの二重唱と言うのは、主役同士の二重唱なので、基本的に長いし難しいのです。おまけに、テノールとソプラノは同じメロディーを歌うことが多いのだけれど、それって実はテノールにとっては、かなり難しい事(テノールはソプラノほど、声の運動性が高いわけではないし、高音が得意ってわけじゃないからね)をしないといけないので、自ずと二重唱では、上手なテノールによる歌唱が前提になるわけです。

 上手なテノールの歌唱が前提となっている曲を、私のような趣味のオヤジテノールが歌うわけだから、そりゃあ大変になって当たり前です。

 ああ、発表会まであと三ヶ月とちょっと。その間に仕事の繁忙期も入ってくるし…こりゃあ、今からかなり頑張らないと、間に合わないぞ!

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2015年2月10日 (火)

メトのライブビューイングで「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を見てきました

 私は、メトのライブビューイングを、たまに東京(東劇)や川崎で見ることもありますが、だいたいは横浜で見ています。横浜では、どの映画館で上映しているのか言うと、ついこの前までは、横浜高島町にあった“109シネマズMM”で上映していましたが、この映画館が先月(2015年1月)で閉館になってしまったので、今月から横浜桜木町の“横浜ブルク13”に場所を替えて上映することになったので、そっちに行ってきました。

 “109シネマズMM”は、空き地にぽつんとあるような感じの立地で、周辺はちょっと寂しい感じの場所でしたが、横浜駅から徒歩で行けるのがうれしかったです。“MM(=みなとみらい)”と名乗っていましたが、みなとみらいも端の端で、地下鉄の高島町駅がすぐそばにあったくらいですから、そりゃあ寂しいのも無理ないわけです。

 今度の“横浜ブルク13”は、JR桜木町駅のすぐ側で、北口改札から映画館の入っているビルまで、徒歩1分ほどの近接地。なかなかに賑わっている地区の映画館です。

 映画館そのものは、かなり大きなシネコンで、スクリーンが13もあって、各種ライブビューイングも積極的に上映している映画館だし、松竹の資本も入っている映画館のようなので、まあメトのライブビューイングが、この映画館に引っ越してきたのは、ある意味、必然なのかもなあ…と思いました。

 さて、肝心のオペラの話をします。

 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、いわずと知れたワーグナーの楽劇なわけですが、なんでも、一夜のうちに上映するオペラの中では最長作品という話もあるくらいに、上演時間が長いオペラです。

 今回のライブビューイングでは5時間34分の上映時間だったけれど、どうも今回は“ライブビューイング”と銘打っているけれど、休憩時間の大幅カットをしているみたいです。と言うのも、第1幕と第2幕の間の休憩時間が約25分に、第2幕と第3幕の間の休憩時間が約30分になっているからです。実際の劇場での休憩時間は、出演者のインタビューによれば、それぞれ45分ずつだったらしいので、都合25分の休憩時間をカットして全体の上映時間の短縮を行ったわけです。…となる、実際の上演時間は約6時間だったのでしょう。

 日本での上演は“ライブビューイング”と言いながら、実際はライブビューイングではなく、字幕付けなどの編集作業をしてから、約2ヶ月遅れで上演しているわけです。その際に、休憩時間のカットもしていたのでしょうね。まあ、実際の劇場ならともかく、映画館でダラダラ休憩が長いのも良くないという判断で休憩時間のカットなんでしょうが、私的には、もう少し休憩時間が長くてもいいかなって思います。だって、オペラの休憩時間って、別にトイレに行くためだけにあるわけじゃないでしょ? 食事をしたり、お酒を楽しんだり、前の幕を振り返ってみたり、友人たちとあれこれ雑談をしたり…という楽しみも含まれているわけで、そこが一般映画とは違うはずなんだけれど…せめてあと5分でもいいから休憩時間が長いとうれしいなあって思います。

 で、そんな長いオペラ(映画三本分だよね)なんですが、ストーリーが面白いこともあって、そんなに長さを感じません。なにしろ、喜劇だからね。なかなか面白いんですよ。

 主役のハンス・ザックス役は、当初はヨハン・ロイターの予定でしたが、降板してしまったので、代役のミヒャエル・フォレが歌っていましたが、フォレのザックスは、飄々としたザックスで、なかなか良かったですよ。

 まあ、フォレに限らず、メトは歌手が良いので、歌的にはあまり不満はありませんでした…が、メトは歌劇場自体が大きいためか、ワーグナー作品では、最近の流行りに逆行して、巨漢歌手を採用する傾向があります。今回の歌手の皆さんも、皆さん、実にデップリしている方々ばかりでした。

 はっきり言っちゃえば、オペラ歌手なんて、程度の差こそあり、みんなデブだから、デブに対する許容範囲って奴が、かなり広くないとオペラは楽しめません。それでも、許せるデブと許せないデブがいます。

 例えば侍女役のマグダレーネなんて、侍女ですから、太っていても痩せていても、どっちでもいいのです。だから、マグダレースの役には太めの歌手さんでもいいですし、実際今回のカレン・カーギルは、かなりの巨漢歌手でしたが、全然問題ありませんでした。これは許せるデブですね。

 でもね、今回、ヴァルターを演じたテノールのヨハン・ボータは、さすがに太りすぎ。これはさすがに許せないデブです。と言うのも、体型がビヤ樽体型と言うよりも、ほぼドラえもん体型で、全盛期のパヴァロッティよりも絶対に丸いと思います。問題は、ヴァルターという役は、エファ(このオペラのヒロイン、当然ソプラノ)が一目惚れしちゃう美青年って設定なんだよね。おまけに、貴族で騎士なんです。私のデブに対する寛容な心を持ってしても、これはかなり厳しいです。せめて、もうひと回り小さければ、脳内補正をかけまくって、彼を美青年として認識することも可能ですが、ボータは、見ているだけで微笑んでしまうようなデブなので、彼をイケメンとして脳内補正をするのは…やっぱり無理です(笑)。なので、彼がカッコいい(と思われる)演技をするたびに、私、心の中で「プププッ」と吹き出してしまいます。だって、可笑しいだもん。

 とは言え、世界のトップヘルデンテノールって、現在、5人もいないんだそうですね(これは、メトの支配人のピーター・ゲルブの言葉です)。世界で5人しかいない、超希少種ならば、こんな体型でも引く手あまたなのも、仕方ないのかもしれません。そう考えると、声と体型が両立しているヨナス・カウフマンって、奇跡的な存在なのかもしれませんね。

 演出は「いかにもメト」って感じの、オールドスタイルの演出でしたが、これがいいんです。最近流行りの現代的な演出って、なんか安っぽい感じがして、私は好きではありません。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も、登場人物たちに普通のスーツを着せて、現代的に演出している上演もありますが、それって、なんか違うような気がするんです。ちゃんとメトのように、昔っぽい衣装を着て、セットも中世っぽくしてくれた方が、私は嬉しいです。

 あと、メトは合唱が豪華ですよね。やっぱり合唱は、人数が多くないとつまらないですよね。

 で、また映画館の話に戻っちゃうんだけれど、ブルク13、音量大き過ぎ。音が飽和しています。このオペラ、特に合唱が歌うシーンは、かなりの音量があるんだけれど、そこが残念なんだね。全体の音量をもう少し下げれば、pとfの違いもはっきりするのに、全体的に音量が大きいので、すぐに音が飽和して、もう何がなんだか分からない状態になってます。ほんと、残念。そこのところの音量設定は、まだ劇場側が慣れなくて、適切な設定ができないのかな? それとも音響施設が実は貧弱なのかな?(まだ開業して5年ほどの新しい映画館なんだけれどね)

 今後も音が悪い状態が続くようなら、横浜ではなく川崎に行って、ライブビューイングを見ても良いかも…。何しろ、横浜と言っても桜木町なので、湘南からだと、時間的に(乗り継ぎの時間もあるので)川崎とほぼ同じなんだよね。同じ時間で同じ値段だったら、良い環境で楽しみたいものね。

 もっとも、音響的に悪いと言えば“TOHOシネマズ日本橋”だね。なにしろ、静かなシーンだと、隣のスクリーンの音が聞こえちゃうんだもん。ありゃヒドい。音楽うんぬん以前の問題です。さすがにブルク13は、あそこまでヒドくはないですよ。

 今回上演していた11番スクリーンは、音響だけでなく、客席のキャパに対して、スクリーンが小さめなのも残念な感じです。なんか“109シネマズMM”が恋しくなってしまいますよ、無い物ねだりは良くありませんが…。小さなスクリーンなら、前の方の席で見ればいいのかもしれませんが、そうすると、ただでさえ大きな音なのに、もっと大きく聞こえて、音の悪さをより実感しちゃうので、なかなか難しいですよ。

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2015年2月 9日 (月)

人は三週間歌わないと、こうなる

 医者に行って、とりあえず咳発作は薬で抑えているので、ぼちぼち歌い始めないとマズいなあ…と思いました。だって、そろそろ次の声楽のレッスンじゃないの? 前回はお休みしてしまったので、次こそはちゃんとレッスン受けたいし…。

 いきなりレッスンで歌うのもアレなので、リハビリと言うか、慣らし運転と言うか、ちょっとずつ声楽の自宅練習を復活させました。

 完全に治ったわけではないので、まだノド周辺の腫れが残っている事と、さすがに三週間歌わないと、あれこれ筋肉が衰えているって事がネックかな?

 とにかく、声帯の感じが以前とはだいぶ違います。

 以前も書きましたが、声帯の薄い部分(と思われる箇所)の振動が悪いですね。特に、ファルセットが全く鳴らない事にはビックリしました。

 中低音はとりあえず鳴りますが、鳴っている音色が、やはり以前とは違って、かすれた感じでツヤのない声になってしまっています。それに呼気を吐き出す力も弱くなっているし、何より腹筋が弱くなっています。

 ノドに負担をかけないように歌おうと思って、意識的に腹筋を動かしたら、あっという間に腹筋がつってしまって痛かったです。ダメですね。

 元々、上がりが悪かった口蓋垂も上がりづらくなってしまったようです。

 それと、全く声量が落ちてしまいましたね。声量を増そうと、少し多めに息をノドに送ると、ノド痛いですよ(涙)。自分の息の勢いにノドが負けてます。大した息ではないのですが…。ここで無理をして、ノドを壊しても仕方ないので、ノドが痛くならない程度の息で加減して歌うので、ほんと、つまらない感じです。

 でも良い事も少しはあります。例えば、今まで積み上げてきた声楽テクニックが、崩された積み木のように床に散らばっている感じなので、それを改めて積みなおす事ができます。その過程で、以前は積み上げに失敗していた箇所も、今回改めてきちんと積み上げられるかな…という比喩表現になりますが、こんな感じ、伝わりますか?

 ホント、私の声は、かなりダメ…と言うか、衰えてしまっています。まあ、元気になって、歌い続ければ、やがて戻ると信じていますので心配はしていませんが、今現在ダメなので、ちょっと凹こむ一方、ダメになって初めて分かる事もあるみたいで、色々学んでますよ。

 状況的には、あまりよろしくないのですが、今がどん底と考えれば、少しは気分も上向きになるってものです。

 …でも、ほんと、声量、声域ともに大幅ダウン。モーツァルトなんて、歌い切ることすら出来なくなりました。三週間なんて、ちょっと病気をこじらせてしまうと、それくらい簡単に過ぎてしまいますが、声楽にとって、三週間休むというのは、かなり大きな休みなのかもしれません。

 さあ、また頑張りますかね。

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2015年2月 8日 (日)

ダイエットを真面目に再開したいと思います[2015年2月第2週・通算2週]

体重:111.2kg[-4.2kg]
体脂肪率:32.9%[-0.4%]
BMI:35.1[-1.3]
体脂肪質量:36.6kg[-1.8kg]
腹囲:111.3cm[-3.7cm]
     [前回との差]

 正直に言って、ここ数年の私のダイエットに向かう姿勢は、かなりユルユルでした。まあ、ユルユルにせざるをえない事情もあったわけですが、そのために、前回…と言うか、今年最初の体重測定で、115.4Kgなんていう数字を叩きだしてしまったわけです。

 私の体重は125Kgがデッドラインで、そこを超えると、本当にデッド(=死)に面してしまうので、ほんと“115.4Kg”という体重はシャレになりません。

 さすがにヤバイので、いよいよ私も本気になる事にしました。今年はまじめにダイエットをやります!

 まずは目標は『100Kg以下の体重にする事』としました。つまり「頑張って、15Kg減らしましょう」というところです。現実的でしょ?

 で、方法です。以前(10年ほど前の話ね)三ヶ月で40Kg落としたことがあります。その時は、ガンガン運動して、筋肉つけて脂肪燃焼をして…という王道の方法でやりました。元々、私は柔道をやりますので、トレーニングの量を加減して体重をコントロールするというのが得意なんですね(これは体重制のスポーツをやっている人なら皆そうだと思います)。

 でも、今回はその方法は使えません。理由は簡単で、トレーニングをしている時間と体力がないからです。

 今現在、私は(本業はもちろん真剣にやってますが)趣味として、音楽に相当の時間とエネルギーを費やしています。音楽にかけている“時間とエネルギー”をダイエットに振り返るなら、トレーニングで体重コントロールをするのも可能ですが、今のところ、音楽は続けていこうと思っていますので“音楽を続けながら、ダイエットをする”のなら、今までの方法でなく、別の新しい方法を考えないといけないのですが、なかなか良い方法も思いつかず、だからこそ、ここ数年のダイエットはユルユルだったんですが…。でも、ユルユルのままでは体重は減らないので、ここらでちょいと本気になろうと思いました。

 とにかく『運動はできません』『時間のかかる事もできません』 そして『体力を落とすような事』や『病気になるような事』はできません。

 じゃあ、どうやって痩せるの?って話です。

 色々考えた結果、やはり減食系のダイエットをするしかないかな…って思ったわけです。

 でも、あれこれ面倒くさいダイエットとか、条件の多いダイエットはうまくいきません。もちろん、栄養が偏るようなダイエットもダメです。それに、あくまでも減食系のダイエットであって、絶食系ではありません。そんな事をしたら、仕事に支障が出ますもん。

 そこで色々考えた末に、今回私が採用する事にしたダイエット法は『逆ラマダン・ダイエット』です。別にイスラムにケンカ売っているわけではないので、勘違いしないでくださいね。

 ラマダンと言うのは、イスラム教の習慣の一つで、太陽が出ている間は、食事も水も、とにかく飲食物を体内に入れない。その代わりに、太陽が沈んでいる間は、食事も水も酒もあれもこれも、たらふく食べましょうって事を、毎年約一ヶ月ずつ行うというものです。

 私は、このラマダンにヒントを得て、その応用をやってみようと思いました。つまり

 『太陽が出ている間は、好きに飲み食いをするけれど、太陽が沈んでいる間は、カロリーのあるモノはクチにしない』です。

 なにしろ昼間は働いていますし、普通に社会生活を営んでおります。ですから、この時間はエネルギー切れを起こしてはいけませんし、空腹で機嫌が悪くなってもいけませんから、昼間は普通に飲食をします。で、太陽が沈んでしまったら、仕事も終盤ですから、あまり気を使わずに済みますので、多少不機嫌でも構わないでしょう。また帰宅したら、後は音楽の練習をやって寝るくらいですから、空腹でも何の問題もないでしょう。イライラしても、当たり散らされるのは妻ですから、彼女さえ我慢すればいいんです(笑)。それに、あんまり空腹が辛くなったら、サッサと寝ちゃえばいいんです。目覚めれば朝ですから、食事が出来ますからね。

 つまり、朝食と昼食は普通に食べて、夕食と夜食は食べないって事です。まあ、運動をしませんから、そんなに早くやせる事はないと思いますが、明らかに摂取カロリーは大きく減ります(おそらく半分以下になります)から、やがて体重も落ちてくるだろうと信じています。

 もっとも、本当にずっーと夕食を食べないと、気が狂ってしまう(食欲は、三大欲求の一つですから、身体的にはもちろんですが、精神的にも満たされないといけません)ので、休日の夕食は、家族と一緒に食べたり、外食ならば夕食であっても食べる事にします。また仕事がらみの宴会なども食べることにします。あと、レッスンの日は、夕暮れ時におやつを食べる事にしました。だって、イライラした気分でレッスンに行ってはダメでしょ?

 まあ、所詮は私のやる事ですから、あっちこっちユルユルなんです。でも、こんなユルユルダイエットであっても、やらないよりは、やった方が数倍マシでしょ?

 さて、この“逆ラマダン・ダイエット”を行う事にした私です。一体、この方法で、どれだけやせる事ができるでしょうか? 実は、もうすでに始めているのですが、いかがでしょうか?

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2015年2月 7日 (土)

少し大きな病院水槽を購入しました

 現在、我が家には病院水槽というの名の隔離水槽が2つあります。一つは小型の水槽で、通常サイズの金魚やその他の魚介類が入ります。もう一つは中型の水槽で、巨大魚たちが一匹ずつ入るモノです。

 つい先日まで、ホノカが中型の水槽に入っていました。それで問題が一つ発生したのです。

 それはホノカのみならず、サクラも調子が悪く、今までサクラは、メイン水槽で要観察状態でしたが、いよいよ観察から治療に踏み切らないといけないかなってという段階に達しました。しかし、サクラは巨大魚です。入院するなら、中型の水槽なんですが、そこは今現在、ホノカが使ってます。どちらかを小型水槽へと考えましたが、彼女らを小型水槽に入れてしまうと、たぶん、狭くて身をよじることもできないでしょう。困りました。

 そこで中型の水槽をもう一つ購入しようと思いましたが、どこの店も、ちょうど良い中型水槽がありません。無いと言うのは、取り扱いそのものがなかったり、取り扱っているけれど売り切れだったりしているからです。ネットで購入…現物を見ないと、なかなか踏ん切りつかないよなあ。ううむ、すぐに適当な水槽が欲しいのだけれど…。

 中型水槽はどこにもありませんが、普通に大きな水槽(30cm水槽)などは売ってます。でも、そんな水槽は大きすぎて使いようがありません。

 それであれこれ、色々なペットショップを探し歩いて、ちょっと大きな水槽を見つけました。どれくらいのサイズかと言うと、小型水槽の容量が約500ミリリットルで、中型水槽の容量が約2リットルならば、今度のちょっと大きな水槽の容量は約5リットルほどです。5リットルあれば、巨大魚2匹が一度に入ります。うむ、これは別々に一つずつ水槽を容易するよりも便利かもしれない。

 さっそく、そのちょっと大きな水槽を購入しました。その水槽は立方体なので、縦にも横にも高さにも、それぞれ余裕があって、巨大魚が2匹入っても、なんとかうまくいきそうです。

 水をガバガバと入れて、さっそくホノカとサクラの2匹を立方体水槽に投入しました。狭いかな…と思いましたが、案外そうでもなさそうです。もちろん、広くて快適とは言えませんが、これくらいの広さがあれば、なんとか泳げるし、良いのではないかと思います。

 と言うわけで、ただいま、2匹の巨大魚が、病院水槽で隔離され、薬浴をしております。

 ですから、メイン水槽(45cm水槽)には、中型魚である、アズニャンとオタキサンが悠々と泳いでおります。広くて快適そうですが、やや水槽が寂しい感じがします。だからと言って、新しい子を入れるわけにはいきません。だって、巨大魚二匹が元気に回復してメイン水槽に戻る可能性が…ゼロってわけじゃないですからね。と言うか、飼い主的には、きっちりと病気を直して、元気になった2匹をメイン水槽に戻すつもりなんですから。

 だから、今はメイン水槽がスカスカでも我慢我慢。でもでも、あの2匹がいないだけで、こんなに水槽がスカスカに感じるなんて、よっぽど、ホノカとサクラの存在感がすごいって事です。

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2015年2月 6日 (金)

乾燥は笛吹きの敵です

 フルートのレッスンに行ってきました。

 決して遅刻したわけではないけれど、いつも私の前にレッスンしている姉様が、かなり早く終わったみたいで、私がお教室に到着した時には、先生はコーヒータイムをしていたし、姉様は荷物をまとめて帰るところでした。むしろ早めに到着したのに、なんか自分が遅刻してきたみたいな、ヘマったような気分になっちゃいました。

 それはともかく、そそくさとフルートを組み立てて、ロングトーン練習です。ロングトーン練習そのものは、可もなく不可もなく、いつもの調子でした。

 最初は、エルステ・ユーブンゲンの7番です。全く練習しなかったわけではないけれど、やはり、ここ数日は、寝込んでいるか働いているかのどちらかで、まともに練習できていなかったので、とても暗譜までにはたどり着けませんでした。この曲は、演奏するだけなら、すでに問題ないので、先生にも「早く暗譜してらっしゃい」と言われてしまうのも仕方のないことです。ちなみに、8番も演奏だけなら、すでにバッチグーです(汗)。

 次はプチ・エチュードの8番です。先生からは「もっとスピードアップしてらっしゃい」と言われていたので、頑張って、速めの速度で演奏をして、合格をいただきました。やったね。

 もともと、この曲の自宅練習では、いつも少し速めのテンポで練習してしまいます。ただ、そんな速めのテンポだと、ミスをしがちなので、練習ではなるべくゆっくりのテンポになるように心がけて吹いていて、ミスのない演奏を目指していたわけです。で、そのゆっくりしたテンポをキープして、レッスンに臨んでいたわけです。でも、先生にスピードアップを命じられたので、自宅でも速めのテンポで、なおかつノーミスを目指して吹くように練習の方針を変更しました。普段から速めなので、それをさらに意識して速めに演奏できるように練習をしてきたわけです。

 無論、速く演奏すると、ミスをする…と言うか、指がすべります。ミスをしないまでも、リズムがいい加減になりがちです。ですから、練習の際は、そのあたりに注意していたわけです。それをどれくらいレッスンで発揮できたかな? 私なりに頑張りました。もちろ、ノーミスというわけにはいかず、いくつかミスブローをしてしまいましたが…だいだい良いというので「もっと練習するんだよ」とのお言葉付きで、合格をいただいたわけです。

 7番を合格したので、次は8番です。8番は、アーティキュレーション・ブレスの練習曲なんだそうです。ですから、この曲は、どこでブレスをしているか、客に気づかれてはいけないのだそうです。もちろん、ブレスはするんですが、それをアーティキュレーションの切れ目切れ目にちょっとずつ行って、あたかもブレスレスで演奏しているように吹くのだそうです。難しいね。

 なので、いきなり冒頭の1小節だけを吹かされました。もちろん、アーティキュレーション・ブレスの確認です。いきなりやって、すぐにできるわけもなく、何度かダメをいただいた後、ようやく「そうそう、そんな感じで家で練習してくるんだよ」と言われました。はあ、結構大変だぞ。

 さて、今週の雑談は…乾燥しているよねえ…という話でした。

 冬は寒さも大敵ですが、一番の敵は何と言っても“乾燥”です。なにしろ「さあ、フルートを吹くぞ」とクチビルに楽器をつけて、息を吹き込んだら…その息の勢いで、クチビルがバックリ割れてしまう事はありませんか? 私は気をつけているので、そういう事はありませんが、H先生はたまにやってしまうのだそうです。で、クチビルがパックリと割れて、血をダラダラと流しながら、血まみれになってフルート吹くんだそうです。まるで、スプラッタだね。でも、当事者は必死なわけで、決して笑いものにしちゃいけません。

 とにかく、乾燥は大敵ですよ。

 でも、まだ日本の乾燥なんて、甘っちょろいんだそうです。なんでも、ドイツはもっともっと乾燥するんだそうです。ただ息をしているだけで、水分がドンドン、カラダから抜けてしまうんだそうです。それくらい、ドイツって、猛烈に乾燥しているんだそうです。

 「乾いた空気に、石造りの建物、高い天井。こんな環境だから、音なんて、勝手に響いてしまうんだよ。だから、ヨーロッパで(音楽の)勉強をすると、音の響かせ方なんて、自然に分かってしまうんだ」との事です。

 「ドイツの風景写真って見たことあるでしょ? どこもかしこも青い空でしょ? なぜ空が青いのかと言うと、乾燥していて、雲も無いから、空が青いんだよ。ロンドンって、空がどんよりしているイメージでしょ? だってロンドンは雨が多くて、そんなに乾燥していないから、空が暗いんだよ」との事でした。そうなの? そうだったの?

 「とにかく、ドイツは乾くんだよ。だから、みんな、ワインやビールをガバガバ飲むんだよ。なにしろ、水より酒の方が安いから。そんなわけで、ドイツの酒は水代わりだから、どれもこれも薄いんだ。だからいくら飲んでも酔わないんだよなあ…」 ホントですか? H先生は飲兵衛だから、酒に関しては、話半分に聞いておいた方が良いかも…。

 乾燥は色々とツライこともあるけれど、音がよく響くことと、酒が上手く感じる事は、乾燥の良い点かもしれません。あと、洗濯物が部屋干しでも簡単に乾いてしまうのが良い…と先生はおっしゃっていました。いやあ、声楽家にとっては地獄のような環境だな。

 私は肌が弱いし、元々乾燥肌なので、この時期は色々とつらいですよ。各種クリームに頼りっぱなしです。乾燥トラブルを回避するには…ダイエットを忘れて、動物性脂肪をたっぷりと食べることです。そうすると、お肌プルンプルンで乾燥に強くなります(笑)。でも、脂肪はカロリー高いからね(涙)。

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2015年2月 5日 (木)

アンチウィルスソフトについて考えた

 Windows8では、アクションセンターというソフトが標準装備され、大抵のパソコンで常駐稼働していると思います。このソフトは何をしているのかと言うと、パソコンのメンテナンスやセキュリティに関するミニプログラムの取りまとめをしています。

 このアクションセンターの下で働いてるミニプログラムには色々とあって、有名どころだと、ウィンドウズ・アップデートとか、ウィンドウズ・ディフェンダなどがあります。

 ウィンドウズ・アップデートとは、Windowsを常に最新状態に保つべく、アップグレードをしてくれるソフトの事です。

 また、ウィンドウズ・ディフェンダとは“ファイヤウォールソフト + アンチウィルスソフト”の機能を持ったソフトです。

 ファイヤーウォールソフトと言うのは、ハッカーとか、マルウェア、スパイウェアなどの、ヤバイ輩の侵入を阻止する、門番というか、“そそり立つ壁”のような役割をしているソフトです。まあ、外部から手を突っ込んで悪さをされるのを防ぐための、防御の役割をするソフトです。

 一方、アンチウィルスソフトと言うのは、文字通り、コンピュータウィルスの侵入を阻止したり、駆除したりするソフトです。まあ、病気にかからないように予防接種をしたり、かかった時に一発で治るように注射をしたり…そんなイメージでいいと思います。

 つまり、最近のパソコンって、ウィンドウズ・アップデートで常に最新状態を保ち、ウィンドウズ・ディフェンダが働いて、外敵の侵入を防いだり、ウィルスの予防をしてくれる…そういう機能が標準で実行されているわけです。なんか、いたれりつくせりって感じになってます…と言うか、今までが、ちょっと不用心過ぎたのかもしれません。

 ここで気をつけないといけないのは、これらの機能は、Windows8版のウィンドウズ・ディフェンダからの新機能であることです。つまり、Windows7にも、ウィンドウズ・ディフェンダは標準装備されているけれど、Windows7のウィンドウズ・ディフェンダには、アンチウィルス機能はないという事です(ファイヤーウォールソフトとしての機能はあります)。なので、Windows7では、ウィンドウズ・ディフェンダ以外に、別途、他社製のアンチウィルスソフトが必要だという事です。

 ここで私には不可解な事があるんです。と言うのも、Windows8には、上記の通り、アンチウィルスソフトが標準装備されているにも関わらず、その事があまりおおっぴらになっていない事と、Windows8にサードバーティー社製のアンチウィルスソフトをインストールすると、ウィンドウズ・ディフェンダーは何の警告もなく動作を停止し、まるで最初っから無かったかのような動作をする事です。

 Windows7のウィンドウズ・ディフェンダーには、アンチウィルスソフトの機能はありません。この事自体は、当時結構あっちこっちで言われていて、だからウィンドウズ・ディフェンダを導入しても、同時にサードパーティー社製のアンチウィルスソフトを入れないと危険ですよと、あっちでもこっちでも散々言われていました。

 でも実は、Windows7にも“セキュリティ・エッセンシャルズ”という、無料アンチウィルスソフトがマイクロソフト社から用意されていました。ただし、標準装備ではなく、ネットからダウンロードをして使うようになっていました。逆に言うと、誰でもネットからダウンロードして、インストールさえすれば、無料で使用できるようになっていたんです。それにも関わらず、このソフトの事も、あまりきちんと宣伝されていなかったように思われます。

 WindowsVistaの件は、はちょっと横に置いて(笑)、その前のWindowsXPの頃、もちろん日本では、アンチウィルスソフトは、サードパーティー社製のモノを使用するのが当たり前でしたが、海外(ってか、アメリカ)のウィンドウズには、機能限定の簡易版だったらしいけれど、マカフィー社製のアンチウィルスソフト(懐かしいねえ…)が標準装備だったそうです。

 そして、マカフィー社がインテルに合併吸収されてしまったので、Windows7以降、マイクロソフト社は、自社でアンチウィルスソフト(最初はセキュリティー・エッセンシャル、現在はウィンドウズ・ディフェンダ)を用意する事にしたという話も聞きました。

 もちろん、Windowsに標準添付されているアンチウィルスソフトは、最低限の機能しかついていないので、もっと高度なセキリュティを必要とする人々には、サードパーティ社製の強力な専門ソフトが必要でしょうが、私のような一般庶民には、基本機能しかないけれど、お手軽で安価(できれば無料)なアンチウィルスソフトさえあればいいのです。

 そういう、お手軽で安価なアンチウィルスソフトが、海外では以前からウィンドウズに標準装備されていたにも関わらず、日本では、XP以前には全く用意されておらず、Windows7では用意されていけれど、自分でダウンロードしないと使えないという状況だったのです。そして、Windows8からは標準装備されたにも関わらず、宣伝されていなくて、うっかりした人はWindows8になっても、サード・パーティー社製のアンチウィルスソフトを入れてしまう現状なんです。なんか、色々と腑に落ちないのですよ、私。

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2015年2月 4日 (水)

久しぶりにちょこっとだけ秋葉原を散歩してみた

 私はヲタクです。種族としては“パソコンヲタク”という人種で、今はだいぶ落ち着きましたが、以前は秋葉原に入り浸って、パソコンのパーツをニタニタと見ては、ニヤニヤしていたタイプの人です。なにしろ、あの頃、パソコンのパーツなんて、秋葉原の雑居ビルの中にある怪しげな店に行かないと手に入らなかった時代ですからね。

 今は地方都市の駅前の電器店でも、パソコンのパーツは買える時代ですし、ネット通販を使えば、手にはいらない物はない時代です。私もいつしか、秋葉原に行かなくなり、あっという間に時間が流れてしまいました。

 最近では、東京に出ても、秋葉原には行かず、銀座ばかりに行く始末です。たまに秋葉原に行っても、それはJRからつくばエクスプレスに乗り換えるためだったりします。

 私にとって、秋葉原って、アキバって、そんな程度の町になってしまいました。

 それが先日、ちょっとした時間的な余裕があって、短時間だけれど、アキバの町を散歩してみました。

 電気街口から出たら、驚きました。

 なんと、秋葉原デパートがアトレになってました(驚愕)! 当然、実演販売のアトラクション(笑)もありませんでした。代わりに、メイド服を着た女の子たちがビラ配りをしていました。秋葉原も駅舎が大幅に変わって、慣れるまでだいぶ時間がかかりましたが、変わったのは駅舎だけじゃなかったんですね。

 さらに歩けば、ラジオ会館が小奇麗になっているじゃありませんか!。もちろん、第一家庭電気はありません(倒産したんですよね)。あっちこっちにあったソフマップの看板もめっきり見かけなくなりました。バスケットコートのあったところには、なにやら黒くて大きなビルが建っています。

 それよりも何よりも驚いたのは、ザコン(ラオックスのザ・コンピューター館)がなくなり、そのビルは、アニメート(アニメグッズ販売店)とか、らしん盤(同人誌販売店)とかが入っている、オタ系雑居ビルに変貌していた事です。いやあ、驚いた。我々、パソコンヲタクのシンボルだったザコンが、今やオタ系雑居ビルですよ。ほんと、時代も変わるものです。

 ちなみに中に入ってみたところ(私、これでもアニオタに理解があるんですよ)、時代は変わり、ビルに入っているテナントも変わったけれど、そこにいる人々は、今も昔も変わらない若いヲタクたちだったので、ちょっと安心しました。ただ、ビルの上の方の階で、とても美しい若い女性を見かけました。とても外見はヲタクには見えない、素敵な感じの女性だったんだけれど、きっと彼女もヲタクなんだろうね。一人っきりでキビキビと意志的に動いている様は、とてもニワカには見えませんでした。私の時代にはいなかったタイプの女の子でした。とても残念です。あんな美女なのに腐ってしまうから、日本は少子化が進むんだよなあ…。

 そう言えば、私の時代は、秋葉原で食事をするのが困難でした。とにかく、アキバって食べ物屋が少ないというイメージしかありませんでした。秋葉原デパートの1階と、じゃんがらラーメンとベンガルとキッチンジローと…後は何があったっけ? だから、肉の万世に行ったり、駅の反対側の昭和通り口の方まで行って食事をしたモノです。それなのに、今は街中のあっちこっちにどこでも見かけるようなチェーン店系の飲食店がたくさんあります。なんかね…。

 飲食店だけじゃなく、昔はパチンコ屋もカラオケも無かったんだよね。その代わり、本当にたくさんの電気屋さんがあったものです。秋葉原というと“電気街”ってイメージなんだけれど、今は電気屋さんの大半が撤退しちゃったみたいですね。

 昔よく特殊電池を購入していた店はなくなり、ジュースの自販機が並んでいました。メモリを買いに行ってた店は、LEDの専門店になってました。通りにならんでいたワゴンやパラソルの露店は全く見かけなかったです。

 代わりに見かけるようになったのが、アイドル系の店とフィギュア店。小さな劇場らしいモノがあっちこっちにありました。ああ、いわゆる“地下アイドル”と呼ばれる子たちは、こういうところでライブをやっているんだな…と思うと同時に、その頂点に立つのがAKB48なんだなって思いました。そりゃあ、ちょっとやそっとのアイドルでは、AKB48に勝てないのも道理だなっ思いました。

 フィギュアを売っている店もたくさんありました。お店に各種フィギュアが並んでいるのを見た私は、不謹慎だけれど、仏具屋に並ぶ仏像さんたちを思い出しました。

 たぶん、仏像とフィギュアって、ルーツは同じなんじゃないかなって思います。両方とも、人の心の理想を三次元化した信仰や愛情の対象物と言った点では全く同じだものね。違うのは、年月の経過と骨董品としての価値の違いぐらいでしょ?

 分かっていたけれど、ショックだったのは“T-ZONEミナミ”が“AKB48劇場”になってい事だね。“パソコンの街アキバ”が“アイドルの街アキバ”に取って代わられた象徴のようなものだからね。

 老兵は死なず、ただ立ち去るのみ。

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2015年2月 3日 (火)

中途半端なアマチュアの演奏が一番つまらない!

 中途半端なアマチュアと言うのは『プロ並に上手いアマチュア演奏家』の一部を指しています。

 「プロ並みに上手いなんて、アマチュアにしてはすごいじゃないですか? アマチュアなんて、たいてい、下手くその集まりで、プロと比べられるほどの技量を持った人なんていないんだから、素晴らしい事じゃありませんか?」

 確かにアマチュアなのに、プロ並みの腕前であるなんて、素晴らしいと思うし、すごいと思うけれど、でも大抵はつまらないんです。だって、上手いだけなんだもん。余裕がないほどに上手な演奏だから、聞いていて、本当につまらないんですよ。

 この点においては“中途半端なアマチュア”だけではなく“売れないプロ奏者”も同じです。売れないプロは、売れようが売れなかろうが、プロとして活躍しているくらいですから、とにかく上手いんです。でも、上手いだけでつまらないから、売れないのです。売れないから、客も入らず、客が入らなければ、プロを廃業するしかないわけですから、この世には“売れないプロ”というのは希少な存在だし、一時的な存在なので、あまり問題にはならないのです。

 ですから活躍しているプロの演奏は、技量的に完璧であるばかりでなく、演奏そのものがチャーミングであったり、アグレッシブであったり、情熱的であったりして、聴く人をグイグイと演奏に引き込む何かを持っています。その演奏を聞いていると、その演奏が、いかに技量的に素晴らしいものなのかなんて、全然問題ではなくなるほどです。

 そして、アマチュアであっても、人の心を打つ演奏は、必ずしも技量的に満足がいくレベルに達しているとは限りません。おそらく、感動は、技量とは別次元に存在するモノなんだろうと思います。

 「とても下手くそな第九に感動した話」を先日書きましたが、あの後、今度は「中途半端なアマチュアの演奏会」や「売れないプロの演奏会」を聞き、本当に退屈をして、なぜ、これだけちゃんと演奏しているのに、どうしてこんなにつまらないのだろうかと考えてしまったわけです。

 まあ、演奏者がプロであれ、アマであれ、演奏そのものがヘタクソで良いとは、私、微塵も考えません。上手いに越したことはないし、たとえアマチュアであっても、人前で演奏する以上、技量的にあるレベルを超えていないとダメだろうとも思います。

 しかし、観客の立場であれば、上手な演奏と言うよりも、楽しい演奏、心に響く演奏、感動的な演奏を、聞きたいのです。クラシック音楽とは言え、エンタメですからね、演奏を聞いて、何かしらホッコリしないとダメでしょう。

 そこらへんの、エンタメ性を忘れているのが、中途半端なアマチュアだったり、いずれ消えてしまう、売れないプロだったりするのかなって思うわけです。

 音楽の練習を、修行や修練として捉え、日々自分磨きの一環として行っている人がいる事は知っています。それはそれで立派だと思うし、それほどまでに厳しい姿勢で音楽に取り組めるなんて、うらやましいです。でも、その厳しさは稽古場では美徳ですが、舞台ではいかがなものでしょうか? 

 練習室や稽古場では自分との戦いですが、舞台では観客の存在を忘れてはいけません。
 舞台人であるならば、観客を楽しませたり喜ばせたりすることを忘れてはいけないと思います。そこを忘れてしまった音楽は、かなり残念な音楽だなって思います。

 まあ、これは私自身に向かって言っているようなモノなんですがね(笑)。 え? “お前は中途半端に上手い”ではなく“きちんと下手くそだ”って? まあ、そうかもしれませんがね。気持ちだけは、いつも前向きの上昇志向でありたいんです。

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2015年2月 2日 (月)

今年最初の声楽のレッスンを休みました

 実は、勉強会が終わって、しばらくして、Y先生が退院されたので、声楽のレッスンがあったのですが、ちょうどそれが私の体調が悪かった時期と重なりました。この状態ではは歌えないし、風邪もひいていたので、そんな病気を先生に伝染してもいけないので、思い切って声楽のレッスンを休みました。

 フルートのレッスンは、仕事の都合でちょくちょく休む私ですが、声楽のレッスンはうまく仕事のスケジュールと合わせて、なるべく休まないように組んでいるだけに、レッスンを休んでしまったのは、とても残念でした。

 なので、レッスンには妻が一人で行き、私の分も合わせて、発表会の相談をしてもらいました。

 まず発表会ですが、持ち時間が変わりました。今回は、日程とか会場とかが良いのでしょうか? あるいはゲストの人気でしょうか? 参加メンバーが多くなりそうなんだそうです。ですから、当初案では、一人10分の持ち時間を予定していましたが、出入りを含めて、一人7~8分の持ち時間になりました。まあ、我々の場合は、二人合わせて15分ってところでしょうか?

 一人の持ち時間が7~8分と言うことなので、尺的には秋のクラシック・コンサートとほぼ同じです。この時間なら、普通は、オペラアリア1曲+短めの歌曲1曲という組み合わせになります。

 今回の発表会では、ゲストのテノールさんを呼ぶらしいです。ですから、同門のお姉さま方は、そのテノールさんとの二重唱を希望される方が多そうなのですが、二重唱ってどれもこれも長いので、ソロ曲を断念され、二重唱1曲にしぼる方も少なからずいらっしゃるんだそうです。

 1年に一回しかない発表会が二重唱1曲、それも相方はピアノ合わせと本番ぐらいしか一緒に歌えず、レッスンでは黙々と自分のパートを練習するだけ…というのは、ちょっと寂しいかもしれませんね。

 私たちの場合は、すでに私がソロ曲として、モーツァルト作曲の歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より「Un'aura amorosa/恋のそよ風」を歌う事が決まっています。この曲は、4~5分ですから、残りは約10分しかありません。その10分で、二重唱と妻のソロ曲も考えないといけないので…まあ、Y先生から、歌曲の候補曲もいただいたのですが、時間の都合もあるので、とりあえず歌曲は保留にして、まずは、妻の歌うオペラアリアと二重唱の選曲を優先する事にしました。妻のアリアと二重唱を歌っても、まだ時間が余るようだったら、私がもう一曲短めの歌曲を歌うというつもりです。

 さて、二重唱ですが、当初は私が「コジ・ファン・トゥッテ」のアリアを歌うわけですから、同オペラから二重唱を選ぼうと思っていました。ほら、何しろ「コジ・ファン・トゥッテ」って重唱曲の宝庫じゃないですか? それでその旨を妻経由で先生に伝えたところ、却下されました。理由は…「コジ・ファン・トゥッテ」の二重唱は、アリア並に難しい。今回はアリアが難しいので、アリアも二重唱も難しいのでは、手に余るだろうから、二重唱はもう少し歌いやすい曲にしておいた方が無難…という事でした。実は今回の発表会は、準備期間が私の仕事の繁忙期と重なっていて、準備にあまり時間が取れない事を先生に伝えてあったので、そういうお返事をいただいたのだと思います。

 まあ実際、ソロで歌う「Un'aura amorosa/恋のそよ風」は本当に難しいので、今回はそちらの練習に集中して、二重唱は比較的歌いやすくて短めで暗譜もさほど負担のかからない歌の方が良いのではないか…とは、私もそう思うわけです。それくらい、今回はあまり準備に手間と時間をかけられそうもないのです。

 なので「コジ・ファン・トゥッテ」から二重唱を選ぶのは止めました。で、代わりに何を…という話ですが、ドニゼッティの「愛の妙薬」には有名な二重唱が二つあり、すでに一つは歌っているので、もう一つを歌ってみてはいかが? というアドヴァイスをいただきました。

 「愛の妙薬」のもう一つの有名な二重唱と言えば、ネモリーノが愛の妙薬(偽薬:本当はただのワイン)を飲んで酔っ払っているところにアディーナがやってきて、あれこれ言うシーンの二重唱です。実はこの部分、かなり長いんですね。なので、歌うのはいいのですが、丸々やると約10分かかるので、当然、カットをしたり、省略をしないといけません。なにしろ、カット無しでまるまる歌うなら、私のソロとこの二重唱だけで持ち時間が一杯になってしまい、妻がソロ曲を歌う時間的な余裕がなくなってしまいます。やはり、二重唱も大切ですが、ソロ曲が歌えないのは残念ですし、優先順位的には二重唱曲よりも各自のソロ曲かな?とも思うわけです。ですから、私と妻とそれぞれがソロ曲を歌った上で、この曲に割ける時間がどれだけあるかが問題になりそうな気がします。あちらこちら二重唱曲をカットしたり省略しても、妻がソロ曲を歌った残りの時間から、はみ出してしまうのなら、二重唱の選曲を別の曲にしないといけません。

 ちなみに、この曲はどんな曲なのか…パヴァロッティとバトルが歌っているのがYouTubeにあったので、アップしておきます。この演奏は、テンポ自体はかなり速いですが、一応、全部歌ってます。つまり、こんな速いテンポで歌っても、カットしないと9分近くかかるってわけで、普通のテンポでやれば、軽く10分オーヴァーってわけです。やはりカットは必要だな。

 私の目論見としては…途中で拍手が入るでしょ? 今回は、とりあえずそこまで歌えばいいかな?なんて考えてますが…それでも約6分はかかりますよね。いや、普通のテンポなら、もっとかかるかな? となると、まだまだカットが必要になります。まあ、最初のネモリーノのレチタティーヴォの部分をカットして…それでようやく5分程度になるかな? それくらいの時間にすれば、妻のソロ曲と両立できそうだけれど、そんなにカットしていいの?とも思うわけです。

 やはり、先生と要相談だな。

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2015年2月 1日 (日)

1月はお正月と風邪っぴき![2015年1月の落ち穂拾い]

 今月は、前半がお正月で、めでたいなモードで、後半は風邪から喘息になって大変だなモードでした。いやあ、今月はお正月だったんですよねえ…もう、お正月気分なんて、吹っ飛んじゃって、懐かしい感じでございます。ハレの気分って、長続きしないんだねえ…。

数学は、すべての思考の基本手順

 数学は、すべての思考の基本手順と言うか、人間の思考法なんて、たいていは数式で表現出来ちゃうと私は考えています。だから、数学が苦手な人(ごめんね)は、考えるという作業には、不向きだなって程度の認識を持っています。

 まあ、考える事が苦手でも、人間は別のやり方で物事を決定したり、判断しています。たとえば、感情とか、思いつきとか、希望とか、願いとか、愛情とか、パワーバランスとか空気読むとか…。まあ、それらの要素も、実は人間の思考には大切な要素で、それらを抜きにして、純粋に物事を思考のために思考して判断すると「情が無い」とか「冷血」とかのお言葉をいただいてしまうほどです。

 とは言え、やはり数学は思考においては、とりわけ、論理的な思考においては、ごくごく基本的な手順であり、必要なストラテジーであると、私は考えます。少なくとも、文明社会のいわゆる市民階層に属する人間にとって、数学とは、必要最低限の能力だろうと思うわけです。

 なのに、我が国日本では、多くの大学の受験科目から、数学は外されております。

 私立文系の受験科目から数学が外れているのは、あくまでも商業主義のなせる技であって、教育機関としては、経営との妥協の産物なんだと思ってます。ざっくり言っちゃえば、入試科目に数学があると、それだけで受験を回避されてしまうからです。

 これは悲しい事だし、良くない事だと、私は思います。

 と言うのも、大学は教育機関であり、研究者を育てるという目的があるからです。でも、入試科目に数学の無い大学では、なかなか論理的思考に長けている学生を集めるのは難しいと思います。その手の大学で学んで、研究者を目指している人の努力には頭が下がる思いです。やっぱ、数学がワカランチンのままでは、まともな研究はできないからね。文学部だって、法学部だって、研究者を目指すなら、自分の思考を数式で表現出来る程度の数学力は必要だと思うよ。

 「いやいや、確かに入試に数学は無くても、高校できちんと数学を勉強しているでしょ?」

 実は、高校では、数学は最初の1年間だけが必修で、その後は選択科目になってしまうんです。だから、いわゆる文系の生徒たちは、事実上、数学をたった1年間だけ学んで、お終いなんですね。おまけに、大学受験に不必要となれば、受験の頃には、数学の事なんて、すっかり忘れてしまい「私は文系だから、数学できないモン」とか開き直ったりするわけです。

 まあ、それはそれで仕方ないわけですが…。

 数学って奴は、“数字と関数を使った言語”であって、数式なんてモノは、いわばフレーズなんだと、私は考えます。

 でも、学校教育における算数とか数学ってのは、そういう発想とは別物だよね。むしろ、数学は“言語”というよりも“クイズ”だよね。だから、教える人も学ぶ人も、問題解法ばかりに力を入れてしまい、数学の本質から遠ざかってしまうわけです。

 だから、数学って難しく感じられるんだと思うよ。

 だって、そんな数学は、高等算数でしかないわけでしょ? 算数って、加減乗除の塊で、難しいんだよね。いわゆる言語とは、ちょっと性質が違うような気がします。

 で、実際、入試の数学なんて、受験生を落とすためにやるのだから、言語と言うよりも、難しい難しい高等算数になってしまっても、これもある意味仕方がない。数学の本質は、論理を数式で表現する事なんだけれど、入試問題の都合で、数学が難しい高等算数になってしまうのだから、数学の教師も数学教育ではなく、高等算数教育をせざるをえないわけだ。

 結局、大学入試が、良くも悪しくも日本の教育に強い影響を与え、日本人の思考にも大きな影響を与えるってわけなんだな。

 若者たちが、言語としての数学を学べるようになると、日本はもっと知的な国家国民になっていくと思います。そのためには、大学入試とか、大学の在り方とかを、どーにかしないといけないんだろうと思います。

下手くそなアマチュア

 アマチュアであっても、技術の向上を常に目指して努力していくのは当然として、だからと言って、プロ並みのテクニックが必要かどうかとなると「それはどうかな?」と私は思ってしまいます。それにだいたい、アマチュアが、そう安々とプロ並みの腕前になっては、プロの存在価値がなくなってしまうでしょ? なので、アマチュアの演奏は、プロの演奏とは異なった視点で楽しむべきだと、私は常々感じています。

 アマチュアに必要なのは、情熱とか、熱い思いとか、頭の下がるほどの熱心さとか、必死さとか、晴れがましさとか、そういうものだろうと思うし、それらを舞台から感じ取れることで観客もまた、ほっこりした気分になれるのだろうと思います。そこがアマチュア演奏の醍醐味なんだと思います。

 「俺達はこんなに上手なんだぜ~」なんて姿勢が見え透いてしまうような演奏は、アマはもちろん、プロですら、願い下げですよ。でも、時折、そういう姿勢で演奏をしているアマ個人/団体を見たりします。なに、思い上がっているんでしょうね…と思う私です。

 音楽が好きだから、演奏をしてみたいと思い、技術の向上を目指すわけです。あくまでも最初にあるのは「音楽が好き」という気持ちであって、その結果、技術の向上を目指すのです。技術の向上を目指しているうちに、音楽が好きだった気持ちを忘れてしまうようでは、アマチュアの風上にも置けませんね。

 だから、アマチュアは下手でもいいとは言いませんが、下手でも感動できるし、下手な演奏でも聞きたくなるんですね。

歌謡曲と芸術歌曲

 歌謡曲と歌曲ってどこが違うんでしょね?

 曲の個性でしょうか? 類型的で無個性な曲は、消耗品としての音楽であって、歌謡曲とかJ-POPと呼ばれるジャンルにはたくさんあります(消耗品ほどよく売れるわけです)。一方、その類型から外れた個性的曲が、いわゆる芸術歌曲ってヤツになるんだろうと思います。

 類型的な曲と言うのは、パターン化されたリズムに、お決まりのコード進行を載っけて作られた、耳に馴染みやすい音楽の事です。どこかで聞いたような音楽だから、聞いていても安心、ってわけです。ま、大量生産品の音楽です。

 その点、芸術家曲ってヤツは、個性的な音楽であって、類型に収まらない部分があるんだろうと思います。大量生産っぽくない音楽なんですね。どこかに、作家性が残っている音楽が、芸術歌曲なんだと思います。

 そう考えると、バッハやモーツァルトの音楽は、今でこそ芸術扱いを受けてますが、当時的には、明らかな大量生産品のポピュラー音楽だったんだと分かります。現代のポピュラー音楽の中からも、いくつかの作品は、クラシックやスタンダードナンバーとして後世に残っていくのだろうなあって思います。

映画は口パク

 オペラ映画とか、ミュージカル映画とか呼ばれるモノがあります。私、それらの映画、大好きですよ。何も考えずに、ただただ楽しむなら、ほんと、サイコーですね。でも、勉強として見ると、ちょっと色々あると思います。

 例えば、スクリーンに映し出される歌手たちの姿をみて、歌い方を学ぶ…のは、危険です。と言うのも、多くのオペラ映画/ミュージカル映画って、絵と音が別撮りだからです。つまり、口パクなんです。音声の収録と芝居の収録は別に行っています。それらは、収録場所も違いますが、収録時期も大きく違う事があるくらいです。

 一般的に、音声の収録は、声が良く出でいる時期(だいたいオンシーズン)に行います。で、オフシーズンの間にダイエットをして、シーズンの頭にやせた状態で芝居を取るのが、割りと普通のオペラ映画なんですよ。ですから、三ヶ月から半年は間が開いているものです。ミュージカルは、オペラとは違ってシーズンはありませんが、やはり似たような感じで、音声収録と芝居の収録には、ある程度の感覚を開けるものです。

 大半のオペラ映画/ミュージカル映画は、そうなんですが、世の中には常に例外が存在します。近年大ヒットをした『レ・ミゼラブル』は、その例外的な作品で、映画の常識を破って、歌と芝居を同時に収録…と言うか、役者が演技をしながら歌っている音声を本番音声として使用したという、実に稀有な作品なんですね。

今月のお気に入り 健康保険

 先日、病院に行きました。そしたら支払いが、病院の治療費が約6000円。薬局行って薬をもらったら約2000円でした。一回の通院で約8000円支払ったわけです。高っけえ~な~、もう。

 まあ、高いけれど、支払えない楽じゃないし、命あってのものだから、仕方ないわけだけれど、それでも、決して、うれしい金額ではありません。

 我が国日本では、国民皆保険で、かく言う私も保険診療であったので、8000円の支払いで済んだとも言えます。

 保険って、三割負担だよね。だから、私が支払った8000円も、本当は27000円ぐらいのはずなんだよなあ。

 具合が悪くて病院に行って、診てもらって薬をもらったら、約3万円でした…なんて事になったら、どーしますか? さすがに3万円は、ポンとは支払えないよね。

 となると、病院に行って、お医者様が「○○の疑いがあるので、××検査をしましょうか?」と尋ねられても、検査はお金がかかるので二の足を踏んでしまうかもしれません。あるいは「あまりお金がないので、検査はパスさせてください」と言っちゃうかもしれません。検査をパスすれば、正確な診断はできないかもしれませんし、そうなると行われる治療も適切とは言い難いものになってしまうかもしれませんが…検査代をケチれば、そうならざるをえません。

 お医者さんで処方箋をいただいて薬局に行く時だって、たくさん薬が書いてあれば、支払いをビビって、薬局にいかないで済ませてしまうかもしれません。

 お医者様に「手術をしましょう!」とか言われても「セカンド・オピニオンが…」うんぬんとその場ごまかしをして、手術をごまかしてやりすごしてしまうかもしれません。

 医療費が安い…少なくとも、庶民の手の届く程度の範囲で収まっているというのは、大切な事です。もしも、健康保険のない国に生まれていたら…幼い頃は貧乏な暮らしをしていましたので、ヘタすると、すでに死んでいるかもしれません。そう考えると健康保険って、『お気に入り』もお気に入り、超お気に入りなな私でした。

今月の金魚

2015年1月7日 ホノカの松かさ病があまりにヒドいので入院させました。

今月のひとこと

 クリスマスも終わりました。いよいよ年末です。仕事の日は朝から晩まで働き、休みが取れると遊びまわっています。なので、ちっとも年末っぽい感じがしません。テレビはよく見ますが、テレビも年末だからと言って、特番こそ連発するものの、昔のように季節感のある番組をしてくれるわけではありません。それにだいたい、最近は年末年始だからと言って、街全体が祝日モードにはいるわけではなく、普段通り、店は営業し、人々は労働に勤しむわけで、カレンダー通りに休める人は、一部の恵まれた人たちだけ…という21世紀の日本の現状を見つめるなら、年末年始だからと言って、浮かれている方が浮いている存在なのかもしれないなあ…なんて考えてしまいました。全く「小人閑居して不善を為す」のパターンにハマっている私だな(笑)。(2014年12月26~28日)

 近隣の金魚専門店がドンドン廃業している中、先日、近郊のショッピングモールに割りときちんとしたペット専門店(獣医&トレーナーまでいるようなタイプの店)が新規開店している事を発見。金魚も、きちんとした子たちを取り揃えておりました。うむ、ここの店なら安心して金魚を購入できそうだ。安心安心。(2014年12月28~2015年1月2日)

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。(2015年1月2~4日)

 私は、RSSリーダーに“Live Dwango Reader”を使っているのだけれど、こいつが元日からずっとサーバーが落ちていて、PCでは接続できず、全く使えない。ですから、皆さんのブログも読みにいけない。正月早々、とても困ってます。早く復旧して欲しい。(2015年1月4~10日)

 ここ数日、いきなり左目に激痛が走るという経験を何度かしました。何か大きな尖ったものが刺さったような気がするほどの痛みだけれど、実際には何も刺さっていないわけです。まあ、痛いだけで、後は不自由がないので良いのですが、あんまりにも痛いのが悩みです。(2015年1月10~16日)

 目はだいぶ落ち着いてきたんですが、今度はカラダのあっちこっちがよくツリます。何が足りないんだろ? ツルともちろん痛いのだけれど、その痛みに慣れてしまった自分を見つけて驚いています。(2015年1月16~19日)

 風邪が悪化して、発熱以外の症状が出揃いました。いやあ、発熱が無いだけでも、ありがたいものです。不幸中の幸いとは、まさにこの事ですな。(2015年1月19~20日)

 風邪は、下痢がおさまりましたが、頭痛と咳とノド痛が収まりません。暇さえあれば、ゴホッゴホッとやってます。あんまり激しく咳をするものだから、たまに酸欠になって、意識が飛びかけます。ううむ、なかなかにダイナミックだなっと。あと、どうやら喘息も併発しているみたいです、参ったね。(2015年1月20~23日)

 現在、風邪の諸症状はほぼ収まり、ただただ、喘息で苦しんでおります。なので、歌えなければ、笛も吹けません(涙)し、日常生活に著しい支障が生じております。酸欠になると、何もしたくなくなるんですよね…。(2015年1月23~28日)

 人って、生きているだけでも奇跡みたいなもんなんだなって思いました。感謝です。(2015年1月28~30日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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