ひとこと

  •  理解できない事。昨今の中国では「脚臭塩」と呼ばれる、足の臭いのする食塩が蔓延しているそうだ。分析してみると、亜硝酸塩という毒物さえ混入しているそうだ。また逆に健康に良いとされている短鎖脂肪酸が入っているケースもあったそうだ。どちらにせよ、食塩というものは、ほぼ純粋な“NaCl”じゃないの? 国際食品規格委員会で定められた食塩の品質に照らし合わせても、亜硝酸塩とか短鎖脂肪酸などが入り込む余地は無いんだけれどなあ。食塩というのは、人間が生きていく上で必要不可欠なものなのに、その食塩の品質すら危ういなんて、ああ理解できない。ちなみに、足の臭いのする食塩とか言うけれど、足の臭いって…どんなんだろ? 足って、そんなに臭いか?
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2015年1月の記事

2015年1月31日 (土)

最近、よく見かけるクロ

 最近、水槽でよくクロを見かけます。クロとは…我が家に二匹いるマドジョウの一匹です。ちなみに、もう一匹はシロといいます。

 マドジョウとは、いわゆる普通の食用のドジョウです。我が家のドジョウが、ラズだけになってしまった時に、入れた二匹のうちの一匹がクロなんです。本当は、ラズ同様に緋ドジョウを水槽に入れたかったのですが、ちょうど市場から緋ドジョウが消えていた時期だったので、仕方なくマドジョウにしたんです。なぜ“仕方なく”なのかと言うと、マドジョウって奴は、ペットの自覚がない奴らで、人に飼われているくせに、まず姿を見せないという、ペット界のゴクツブシだからです。なので、シロもクロもある程度育って、地面に自力で潜れるようになってから、全然姿を見せなくなりました。マドジョウって、そういう生き物なんです。

 そんなマドジョウでしたが、ラズのために入れました。と言うのも、ドジョウって、仲間思いで愛情深く、寂しがりやなので、一匹飼いなんて有り得ないからです。

 さて、そんな感じで人間に姿を見せないはずのマドジョウであるクロが、最近はよく姿を見せるんですよ。で、見せるだけでなく、あまり動かないのです。ドジョウと言うのは、臆病で、何かあるとマッハで動くのですが、最近のクロは、つっついても“フニャ~”と動く程度で、本当にユルイのです。

 こいつも体調が悪いんだな…。

 病気で調子が悪いのは、ホノカとサクラだけでも十分なのに、クロまで体調不良とは! なんかなあ~って気分です。

 ただ、クロは病気に見えないんですよね。一体、何が良くないのだろう…。

 相方のシロは…本当に私は姿を見ないのですが、たまたま妻はシロを見かけたのだそうです。それによると、シロはやたらと大きくなっていたそうです。…となると、クロは栄養不足か、内臓疾患があって、大きくなれないのかな? もっとも、魚というのもは、あまり大きくならない方が健康的なんだけれどね。

 と言うわけで、ホノカ、サクラに加えて、クロも要観察魚になりました。ああ、忙しい忙しい。

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2015年1月30日 (金)

なぜフルートは銀で出来ているのか、考えた

 フルートのレッスンに行って…来れませんでした。いやあ、まだ風邪が治りきっていなかった頃だったし、ゴホゴホやってもいたし、とてもフルートを吹ける状態ではなかった事と、そんなゴホゴホやって、風邪を先生に伝染してはいけない(治りかけの風邪が一番他人に伝染しやすい?)ので、レッスンを休みました。フルートのレッスンは、仕事の都合でよく休むので、ホントは病気ごときで休みたくなかったのですが、こればかりは仕方ないです。

 そんなわけで、今回の記事もフルートエッセイでお茶を濁したいと思います。

 なぜ、フルートは銀で出来ているのか、皆さん、考えてみた事ありますか?

 実は、教科書的な答えは一瞬で出ちゃいます。それは…現代フルートを発明した、テオバルト・ベームが、色々と試行錯誤した結果、フルートの素材として最も適切なものは銀であると決定し、実際に銀のフルートを製作使用し、それらを普及させたからです。

 つまり、現代フルートは銀で作るものだから、フルートは銀で出来ているんです。

 ちゃんちゃん。終了~。もう、議論の余地すらないね(溜息)。

 とは言え、現在のフルートは、銀以外に、ニッケル系合金(洋銀ね)とか、金とか、白金(プラチナ)とか、木(グラナディラだね)とか、プラスチックとかでも製作されているのは事実です。一応、ベームはこれらに限らず、色々な素材を検討したらしいけれど、それでも最終的に銀に決めたわけです。

 「じゃあ、銀以外の素材で作られているフルートってダメなの?」

 私はダメとは思いません。ベームの時代では、それらの素材をボツにせざる理由があったんでしょうが、それはあくまでも19世紀の話であって、21世紀の現代は、創始者であるベームの意見は尊重しつつも、現代なりのアレンジを加えていけばいいんだと思います。特に19世紀にはなかった新素材などは、一考の余地在りですって。

 でもね、そんな目線で考えても、事実、現代フルートって、やっぱり銀でできているでしょ? 少なくとも、金とか白金とかの、超高級フルートを除けば、フルートの大半は、やっぱり銀製でしょ?

 「いやいや、私のフルートは洋銀製だよ」

 洋銀製のフルートだって、銀メッキをされているんじゃないの? あるいは、頭部管とかリッププレートとかは、少なくとも銀製じゃないの? メッキの中身がなんであれ、銀メッキされて表面上は銀なら、そのフルートは銀製みたいなものです。

 ここはかなり重要な点じゃないかなって私は思います。

 と言うのも、いわゆる金属製の楽器(ほとんどが金管楽器ですね)って、銅系合金(真鍮、つまりブラス)で作られているのに、フルートは銀、あるいは銀メッキじゃないですか?

 「でも、金管楽器だって、マウスピースは銀メッキされているよ」

 そうなんですよ。真鍮製の楽器であっても、マウスピースは銀メッキ(あるいは金メッキ)されているんです。

 銅系合金で作られている金管楽器のマウスピースは銀メッキ製、フルートも銀製または銀メッキ製。これは何を示しているのかと言うと、金属製の楽器では、人のクチビルが接するパーツには銀を使っているって事です。

 つまり、人のクチビルが接するパーツには銀を使いましょうという、暗黙の了解とか、不文律とか、そんなモノがあるのかもしれません。

 ではなぜ、人のクチビルが接するパーツには銀を使わないといけないのでしょうか?

 それは単純な話で、銀は無害で、無臭で、アレルギー等を引き起こしづらいからです。

 ニッケルなどはアレルギーを引き起こしやすい材質である事は、よく知られています。また、銅は最近でこそ無害認定されましたが、少し前までは錆びて緑青を発生させたものは有毒であると思われていたので避けられていました。その他の金属でも、錆びやすい金属はダメだし、特有の匂いのする金属もダメです。

 もちろん、金や白金などもほぼ無害&無臭ですが、これらは何と言っても高価なので、あまり広くは使えません。またチタンも無害ですが、硬いので加工が面倒です。…などと考えると、フルートの材質として、やっぱり銀は適切なんだろうと思います。

 それに大体、銀って、高級食器の材料だもんね。食器に使える材質なら、クチビルをいけても平気なのは、当たり前っちゃあ当たり前だもんね。

 と言うわけで「なぜフルートは銀で出来ているのか」に対する私の答えは「毎日クチビルをつけても安全だから」です。

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2015年1月29日 (木)

死にかけました

 ええと、いつも割りと大げさなタイトルを好んで記事につける私ですが、今回は、そんなに大げさな話ではなく、本当に死んじゃっていたかもしれなかったんです。

 話は昨日(2015年1月28日)の事です。場所は職場の休憩室。食事を終えて、お茶をゆっくりと飲んでいたと思ってください。飲んでいたのは、ほうじ茶です。

 同僚と楽しく食後の談笑をしていた時に、急にむせて、咳き込んでしまいました。まあ、ここ2週間は、毎日毎時間毎分のようにゴホゴホ、ケホケホ、咳き込んでいる私ですから、別に特に気にすることもなく、自然に咳き込んでいたのです。

 コホッコホッ、コホッコホッ…。私はだいたい、咳を2回1組でします。これを2~3組もすれば、タンが取れて、咳は治まります。ですから、そのつもりで咳をし始めたら…最初の咳こそ、いつもの可愛い咳だったのですが、やがて咳が自動運動になり、激しい咳になってしまいました。

 それこそ丹田から咳き込む感じの激しい咳になり、止められなくなってしまいました。

 意識ははっきりしていて「これはマズい。このままじゃ、ほんとマズい」と思いました。頭の中はエマージェンシー・コールが鳴り響きます。周囲の人たちも、私の異常事態に気づき「大丈夫?」と声をかけてくれるのが、遠くから聞こえます。視界がドンドン狭くなり、目の前が赤くなり、それがやがて暗くなっていきました。「ああ、このまま死んじゃうのかもしれない…」 目の前の景色がフェードアウトして、真っ暗になりました。私が覚えているのは、ここまで。

 周囲の人たちに言わせれば、突然激しく咳き込みだした私は、顔を真赤にして苦しげにもがいて、座っていたイスから落ちて、やがて静かになったんだそうです。「これはマズい! 救急車を呼ぼう!」となり、右往左往しているうちに、私がむっくり起き上がって「大丈夫だから、騒がなくてもいいよ」と言ったんだそうです。

 でも、そんな事。全然覚えてな~い。

 意識を失う直前までの事は、しっかり覚えているくせに、意識が戻ったあたりって、全然記憶にないんだよね。なんか、濃い霧の中にいるような、ボヤ~っとした感じで、激しい頭痛がしていました。たぶん、目はロクに見えていなかったし、耳もあんまりはっきり聞こえていなかったような気がします。とにかく、手足がしびれていて、自分のモノじゃないような気がしていた事と、腹筋・背筋・腰・内モモが激しく痙攣をしていて痛かった事を、何となく覚えているかな? 「大丈夫だから、騒がなくてもいいよ」なんて言った覚えないんだよなあ~。

 とにかく、後になって冷静に考えれば、突然、激しい咳発作に襲われた私は、咳が止まらなくなり、酸欠状態になって、意識を失って倒れたようです。まあ、パソコン的に言えば、誤動作をして、マシンの電源がいきなり落ちてしまったわけです。

 そこで、フリーズしちゃったら、たぶん死んでた。でも今回の私は、うまい具合に再起動が出来たみたいで、それで今、こうしてブログ記事を書いてるわけだ。

 ああ、やばかった。ほんと、やばかった。

 原因は…喘息ね。喘息の咳発作って奴です。喘息って死に至る病だからね。毎年、2000人以上の人が、喘息発作が原因で死んでいるそうです。私も、あやうく今年の2000人の中に入ってしまうところでした。やばい、やばい。

 さすがに職場の同僚たちも「仕事している場合じゃないでしょ、病院行きなよ」って感じだったので、仕事を放り出して病院に行きました。

 さすがに失神までしたので、病院でも隠れた病気があるんじゃないかと、採血したり、レントゲン撮ったり、綿棒を突っ込まれたり、あれこれ調べましたが、結果、やっぱり喘息でした。風邪は、もうすっかり治っているだそうです。

 つまんねーの。

 私は検査の結果を待っている間、不謹慎だけれど、何やら大げさな病気である事を期待してました。だって、どうせ患うなら、難しげなカッコ良さげな難病っぽい病気の方がいいじゃん。それで、いきなり「入院でーす!」とかなったら、すっげーカッコいいなあ…なんて、やっぱり不謹慎というか、不真面目な事を考えておりましたが、結果は喘息。いつもの喘息でございました。

 喘息って、本当はかなり大変な病気なんだけれど、どうも非喘息者から見ると「ちょっとゴホゴホやっているライトな病気」ぐらいにしか思われなくて、全然同情されなくて、つまんないんだよね。酸欠でボケーとしていると、サボっていると思われるし。苦しくて作業を中断していると、怠けているように思われるんだよね。ああ、損だ、全く、損だ。どうせ死にかけるんなら、もっと、かっこいい病気で、三途の川の河原まで行きたかったですよ。

 ああ、残念。でも、ひとまず、死ななくてよかった。

 蛇足。人は死にかけると、それまでの人生を走馬灯のように思い出すって言うけど、たぶん、あれは嘘です。結構、意識が無くなるまで、意識そのものはしっかりしているので“思い出が駆け巡る”なんて、無いっす。あれは、物語的な脚色だよね。実際は「マズい、マズい、マズい、マズい、ここままじゃ死んじゃうよぉ、どーしよー(汗汗汗…)」です。で、いきなり緞帳が下りて、ジ・エンドなんだな。

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2015年1月28日 (水)

声楽の勉強会って奴に行ってきました

 時間は少し逆上ります。私がゴホゴホ風邪をひく少し前の話です。

 新年会を兼ねた、声楽の勉強会に行ってきました。勉強会そのものは非公開で、一般の方々の観覧は無しでした。(ちなみに、私はこの日の朝、転んで左足を捻挫し、二週間ほど歩行が困難でした:涙)

 当日、集まったのは、Y門下、F門下、旧K門下の皆様方。この三つの門下は、K先生がご存命の時から、いつも一緒に発表会やらなんやらをしていて、K先生没後は、K門下の方々は、それぞれ別の先生の元に移動したのですが、それまでのご縁もあって、割りと多くの方が、F門下やY門下に移動されたので、今でもこの三つの門下が合同で色々とやったりするんです。

 この旧K門下と言うのが、団結力が強くて、今回の勉強会でも、自然と旧K門下とそれ以外という具合に別れてしまうくらいの団結力なんですよ。もっとも“それ以外”と言っても、その大半はF門下だったりします(笑)。と言うのも、今回Y門下で勉強会に参加したのは、私と妻だけだからです(大笑)。なにしろ今回の勉強会には、Y先生ご自身が参加していないぐらいですから…。もっとも、当時Y先生は入院中だったので、Y先生はもちろん、門下の方々も不参加だったのは仕方がないとも言えます。

 つまり、この勉強会、私にとっては、ホームなんだかアウェーなんだか、よく分からない状況だった…という事なんです。

 今回の勉強会、某貸会議室を借りて、飲食物持ち込んで、飲めや歌えの会だったんですよ。もちろん、飲食物の中にはアルコールも入っていたので、皆さん、結構酔っ払って歌っていたんです。それくらい、ラフな会で「そりゃあ、非公開だよなあ…」って感じでした。

 リハーサルとかそういうのは一切無しで、当日、歌う順番も毎回くじ引きをして、自分の番になったら、楽譜をピアニストさんに渡して、ピアニストさんは初見で伴奏をして、その伴奏に乗せて歌っちゃうっていう趣向でした。もちろん、酔っぱらいながらね(笑)。ですから、勉強会なんだけれど、内容的には“生ピアノによるカラオケ大会”だったんです。

 一応、私は、すべて歌い終わるまで、アルコールは飲まず、食事も自制しながら過ごしました(真面目でしょ?)。酔っ払いながら歌えるほど、性能の良い声帯を持っているわけでもなく、まともに食事をして満腹になってしまったら、全く歌えなくなってしまうのは、日頃の行動で分かっていたからです。ですから、私はすべて歌い終わるまで、飲食を我慢をしていました。

 で、何を歌ったかですが、二重唱は、ヴェルディ作曲の『椿姫』の『Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて』。ソロ曲は、すべてトスティの曲で、『La Serenata/セレナータ』、『Ideale/理想』、『L'ultima canzone/最後の歌』の合わせて四曲。勉強会の雰囲気も分からないし、他の方々もどんな曲を歌うのか分からなかったので、自分なりに無難で、門下の皆さんの前では歌っていない曲を用意してみました。

 歌う順番はくじ引きです。王様ゲームで使うような割り箸のくじをしたところ、私、1番くじをひいてしまいました。正月早々縁起が良いねって事で『La Serenata/セレナータ』を歌いました。今回持ってきた曲の中で、一番難易度が低い曲ですから、出だしの一曲って感じですね。

 で、私が1曲歌い終わって、他の皆さんの歌うのを聞いたのですが、いやあ、皆さん、マジでデカイ曲を持ってきていて、びっくりしました。いやあ、最初で良かったですよ。私、あの雰囲気の中に混じって、トスティの軽い歌曲を歌う度胸は私には無いです(汗)。例えば、椿姫の『そは彼の人か』のフルーバージョンや、魔笛の「夜の女王のアリア」の二連発とか、ボエームのミミのアリアとか、なんかよく知らないフランス語やドイツ語の長~いアリアとか、まるで普段の発表会では時間制限があって歌えない大きな曲を、ここぞとばかりに歌ってみました…みたいなノリでした。

 いやあ、ビックリ。そして、これらの大曲を皆さん、酔っ払っているのにシレッと歌っちゃうわけだから、さらにビックリです。もちろん、それを伴奏しているピアニストさんも顔をアルコールで真っ赤にしながら、ガンガン弾いていたりするわけで…こんな酔いどれな勉強会、やっぱり非公開で正解だな。

 さすがに皆さん、大曲揃いだったので、私も二巡目(の妻の番の時)に『Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて』を歌いました。(今回は曲数も多いので、音源アップはパスね)

 で、その後、お一人挟んで、今度は私自身の番になったので『Ideale/理想』を歌いました。いやあ、アリア並に難しいヴェルディの二重唱のすぐ後では、いくらトスティの歌曲でも、ちょっとエネルギー切れを起こしちゃいました(涙)。

 で、大きな曲を歌ってきた皆さんは、だいたい1~2曲しか用意していないので、三巡目になると、参加メンバーも少なくなり、雰囲気も変わってきたので、『L'ultima canzone/最後の歌』を歌いました。

 で、四巡目は…さすがに私を含めて、生徒さんたちは誰も曲を持ち合わせていなかったので「F先生の独唱を聞きましょう」って事で、むりやりにF先生を歌わせてしまいました。先生も酔っ払いながらも、快く歌ってくれました。これも非公開だから、できる事…ですね。

 ちなみに、Y先生の病室と会場をラインでつないで中継していたのですが、こちらの音声が病室に響き渡ったそうで、病室は個室だったにも関わらず、途中で看護婦さんが乱入してきて、ラインを切られちゃったそうです。残念ですね。

 勉強会の後は、当然、打ち上げで、私はそこでF先生を捕まえて、熱くダウランドを語りました。いやあ、酔っぱらいって、イヤね。それに迷惑ですね(汗)。

 この勉強会、なかなか楽しかったです。で、この楽しい勉強会にY先生は参加できなくて、どうやら悔しいらしいので、また近いうちに(おそらく年内?)また勉強会を開くような事になりそうです。ううむ、勉強会はいいのだけれど、そこで歌えるようなデカイ曲のレパートリーなんて持っていないぞ、私。

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2015年1月27日 (火)

iPad Air2を使ってみました その3、テザリングの2

 最初に書いたデザリング情報に関する記事はこちらです。興味のある方は御覧ください。

 iPad Air2を購入してから、数ヶ月が経ちました。その間、何度もiPad Air2を連れて外出しました。ほんと、iPad Air2って、外出のお供にピッタリです。

 例えば、外でちょっと調べ物をするにしても、こいつがあると、すぐにピピッと検索できます。もちろん、ネット検索だけなら、スマホでも出来ますが、スマホよりも快適だし、反応も速いし、何よりも見やすいので、ついついコイツを使っちゃいます。ほんと便利。

 あと、私は電車の中で本を読む事が多いのですが、それもiPad Air2があれば、リアルな書籍を持ち歩かずに済みますから、だいぶ楽になりました。だって、本はキンドル(電子書籍です)で読めばOK。いわゆる名作文学の類なら、青空文庫で行けちゃうし、それも飽きたら、ネットをウロウロすれば済みます。おまけに字の大きさは好みにできますので、老眼にも優しいし、ほんと便利になりました。

 音楽もラジオも聴けます。データ量に注意しないといけませんが、YouTube画像だって見れます。ほんと、iPad Air2は外出の友です。

 まだ、色々と考えることがあってキイボードは購入していないので、出張電子書斎としての能力は、まだ試していません。文字入力うんぬんは横において、それさえしなければ、パソコンはほぼ要らずの状態になっている私です。

 さて、そんなiPad Air2ですが、私は、外出の際のネット接続を、iPhoneとのテザリングで行っています。それは私のiPad Air2がWi-Fiモデルだからです。

 iPad Air2にはWi-FiモデルとWi-Fi+Cellularモデルの2種類があります。Wi-Fiモデルは、アップルストアとか普通の電器店やパソコン通販で買えるモデルで、電話会社との契約無しで使えるタイプです。一方、Wi-Fi+Cellularモデルは、携帯電話会社から買うiPadで、これはiPadの購入と同時に回線の契約も行うタイプのものです。

 どちらが便利かは、その人の使用スタイルで変わるでしょう。どちらが安いか…となると、そりゃあ回線契約をせずに購入できるWi-Fiモデルとなります。ただ、Wi-Fiモデルは回線契約をしないので、接続許可されたWi-Fi基地への接続以外ではネット接続ができません。ですから、基本的に、自宅のWi-Fiモデムか、自分のスマホ、フリースポットのWi-Fiのいずれかがないと、ネットに接続できません。

 その点、Wi-Fi+Cellularモデルは自分自身で回線契約を結んでいるので、電話の電波の届くところなら、どこででもネット接続が可能です。

 単純にネット接続の利便性だけを考えるなら、Wi-Fi+Cellularモデルの勝ちです。ただ、Wi-Fiモデルもスマホにテザリングしちゃえばいいのだから、そんなに大きな差は出ません。

 ただ、世の中にはフリーのWi-Fiスポットと言うのは、めったにありませんので、Wi-Fiモデルを戸外で使用する場合は、ほぼ100%テザリングに頼らないといけません。

 その一方、完全フリーではありませんが、携帯電話会社ごとのWi-Fiスポットなら、都市部ではあっちこっちにあります。それって、特定の携帯電話との回線契約さえ結んでいれば、無料で使用できるWi-Fiスポットなので、結構便利なんですよ。

 例えば私の場合、iPhoneはソフトバンクと契約しているので、案外、戸外ではソフトバンクのフリーWi-Fiスポットが使用できます。便利です。しかしiPad Air2では…これはWi-Fiモデルですから、どこの会社とも回線契約を結んでいないので、それらのフリースポットは使用できないのです。

 私のiPhoneはフリースポットを利用できるので、まずiPhoneでフリースポットに接続して、その電波をテザリングでiPad Air2に飛ばしてやればいいじゃんと考えた事もありますが、どうもそれは無理のようです。と言うのも、iPhoneを“インターネット共有(つまり、テザリング可能状態)”にすると、自動的に外部とは4G回線で接続するようになっているみたいなんです。これは、iPhoneとiPad Air2の接続が、Wi-Fi接続であれ、Bluetooth接続であれ、外部とは4G接続をしないとテザリング機能が働かないのです。

 どうも、そういう仕様のようです。まあ、当然と言えば当然ですが、もうすこし気前よくてもいいのになあ…と残念な気分になりました。

 フリースポットが使えれば、データ使用量を気にしなくても済むので、戸外でも動画を見放題だなって思っただけで、動画を諦めれば、テザリングだけでも、そんなに困ることないので、いいんですけれどね。

 と言うわけで、iPad Air2を戸外でヘビーに使いたいなら、Wi-Fi+Cellularモデルの方が良いかもしれませんが…その分、色々と経費がかかりますよ。私の場合、現在の使用状況を考えるなら、Wi-Fiモデルで十分でした。だって、そんなに戸外でネットしないもの。

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2015年1月26日 (月)

私、壊れてます

 私、壊れております(涙)。もちろん、メンタルではなくフィジカルの方です。もう少しちゃんと言うと、ノドが壊れております。ははは(汗)。

 なんで壊れちゃったのかと言うと、風邪です。何度も“ひとこと”で書いている通り、風邪をひきまして、これがタチの悪い風邪で、すっかりノドが壊れちゃいました。

 今回の風邪は、昨年、発表会の時にひいていた風邪に似ています。つまり、喘息を引き起こす(と言うか、喘息の症状を伴う)風邪なんですね。ですから、今現在、とても息苦しいんですよ。

 なんで、息苦しいのかというと、やたらとタンが詰まるからです。タンが詰まって気管を狭めたり、塞ぐからです。つまり、息を普通に吸っても、肺まで十分な量が届かないのです。ま、一言で言えば“万年酸欠”状態なんです。

 そこで、それを打開するために、タンを取り除いて気管の通りを良くすればよいのです。そのために、やたらめったら咳をするわけです。咳をしてタンを取り除けば、多少は息苦しさも軽減されます。と言うか、それしか方法がないと言うか…。

 でも時間が経てば、また気管はタンで塞がれるので、元の木阿弥。それでまた咳をするわけです。この繰り返し。

 で、ゴホゴホやっているうちに、ノドが壊れちゃうわけ。だって、ゴホゴホって音は、声帯が振動して出る音だよ。それも爆裂なほど強烈な息で出る音なんだよ。これを一日中絶えることなく続けていれば、大抵のノドは腫れ上がって、ダメになります。

 で結局、今現在、ノドがダメになっております。つまり、壊れてしまったわけね。もっとも、私のノドは強いので、風邪が治って、ゴホゴホがなくなれば、やがて、また元通りに回復するので、あまり気にはしていませんが、ノドの弱い人だと、こんなことを繰り返していると、やがて声がハスキーになってしまう事もあるんだそうです。ああ、それは怖いねえ…。

 まあ、それはともかく、今現在、私のノドは壊れているわけです。

 でも今は、本番があるわけでもないので、結構のんびり構えていて、ゴホゴホやり始めてから、ほとんど歌っていない私です。もちろん、無理すれば歌えない事はないのです。実際、発表会の時は、ゴホゴホやってましたが、無理無理に歌って…撃沈したわけだしね。

 今回は、のんびりと壊れた状態を楽しんでいる私です。だって、ノドなんて、滅多に壊れないじゃない? だから、壊れた状態が新鮮で新鮮で(笑)。とりあえず、咳でノドを痛めてしまうのは仕方がないけれど、それ以外では、なるべく声を休めよう、無駄に声を痛めるのは止めよう…そう思って、のんびりしています。

 私、今回、ノドが壊れて分かった事があります。ノドって、壊れても、低音は比較的カンタンに出るんだなって事です。もちろん、響き的には籠もった感じになるけれど、まあ、なんとかなります。しかし高音はダメですね。それこそ「ノドにフタされた感じ」になります。

 そう、キング先生のところで歌を学んでいた時、いつもいつも高音になると「ノドにフタされた感じ」がして、撃沈していたのですが、あの感覚と瓜二つの感じなんですよ。ほんと、偶然の一致にしては、感覚がまるで一緒。

 今の私が、高音が出ないのは、ゴホゴホやって、声帯に細かいキズがたくさんついて、それでノドが腫れてしまったからです。元々分厚い部分は、多少腫れて厚くなっても、あんまり変わらないのかもしれませんが、薄い部分が腫れてしまうと、かなり違います。まあ、高音が出ないのは、本来、高音を出すために、声帯が伸びて薄くならないといけないのに、声帯が腫れてしまって伸びない上に薄くもならないので、何をどうやっても高音が出ない…ってわけです。

 そりゃあ、無理でしょ。声帯が伸びて薄くならなきゃ、高音は出ないわな。

 今は、ノドが腫れているから声帯が薄くならないのだけれど、以前は、声帯そのものが腫れていたわけじゃないのに、なぜ“フタされた”感覚になったのかと言えば、声帯が別の要因で、伸びなかったから…でしょうね。声帯って、伸びなきゃ薄くならないんだよね。

 では、その別の要因とは何かと言えば、声帯が力んでいたから(笑)。人間の筋肉って、どこの筋肉であっても、力むと硬くなって厚くなって収縮性がダメになるでしょ? アレよ、アレアレ。高音を出そうとして、気合を入れて、根性を注入した結果、ノドに力が入り、声帯が硬くなって伸びなくなって、狙っている高音がまるで“フタをされた”ような感じになって、出なかったわけだ。

 高音を出したければ、力んじゃだめだね。思いっきり声帯を引っ張って薄く伸ばさないとダメだな。これが体感として理解できただけでも、今回、ノドが壊れて良かったと思います。

 たとえ転んでも、何かをつかんで起き上がらないとね。たとえ掴んだものが、犬のクソであっても、そのクソを有効利用しなけりゃ、転んだ意味がないじゃないの(笑)。

 いやいや、ブログでクソなんて書くなんて、私、メンタルも壊れてしまっているのかな? まあ、歌えないってのは、それくらい欲求不満に陥るものなんだな。ああ、早く歌いたいものだ。

 あ、あと、風邪をひいてノドがやられると声が低くなるってのも、たぶん、同じ現象だね。声帯が腫れて厚ぼったくなって、振動が悪くなって、振動数が減れば、耳には低い音に聞こえるわけだもんね。

 どちらにしても、ノドは大切にね。私もなんだかんだと言って、そろそろ一週間以上、歌っていないぞ、プンスカ。

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2015年1月25日 (日)

中年って、実は若い人の事を言うんだぞ!

 中年とは、青年と老年の間の年代を指します。

 青年とは、色々な定義があるけれど、一般的には10代後半から20代までを指します。一方、老人は何歳からでしょうか?

 老人の入り口を“初老”と呼びますが、この初老という言葉は『40歳の異称』であります。つまり、老人とは40歳以上の人間を指して言うのが、本来の正しい言葉の使い方です。

 参考までに、初老の次が中老です。中老とは英語では“middle age”に当たり、50歳前後の年齢を呼びます。で、中老の次は本格的な“The 老人”ってわけで、これは還暦を過ぎた人の事を言うと思って間違いないわけです。

 つまり、子供時代(少年期)と言うのは10代前半で終わり。続く10代後半から20代までを青年期と言い、人間として成熟しつつ、一人前になっていく年齢なわけです。

 で、一人前になった人を、中年と呼びます。中年は、別名“壮年”とも呼ばれ、仕事に家庭に社会に、まさに中心的な活躍をする人生の盛の年齢で、これが30代を指します。

 で、その盛りに陰りが見え始め、やがてフェイドアウトするわけだけれど、そのフェイドアウトの最初が40歳で、ここから初老と呼び、前線から一歩引いたところで活躍するようになります。

 そのフェイドアウトが一層進むと、中老、つまり50歳となります。で、やがてフェイドアウト…引退&隠居をし、いわゆる(本格的な)老人になるわけです。

 つまり、このように中年とは、30代の男盛り/女盛りの若くてエネルギッシュな人々の事を指します。

 「じゃあ、中年太りとか、中高年とか、あれはどういう意味よ」

 おそらく、中年と中老(middle age)がゴッチャになってしまい、本来は中老である人々を中年と誤用した使い方なのではないでしょうか? でも、中老は老人の一種です。いわば亜老人なわけで、決して若い人を指すわけではありません。一方、中年は元気いっぱいの若い人を指します。ですから、この言葉の誤用は、かなりひどい間違いって事になりますね。

 では、一応「還暦過ぎたら本格的な老人」と書きましたが、実のところは、何歳からが本格的な老人なのでしょうか?

 仕事を引退し、隠居生活に突入すれば老人と言えそうです。現代的に考えるなら『年金を受給している人が老人』と言っても間違いではないでしょう。

 その年金の受給開始年齢ですが、昭和17年(年金開始年)は55歳となっていました。つまり、55歳から老人だったわけです。これが昭和29年に60歳から支給開始と全面改正され、その後色々と改正され、平成25年から年金支給開始年齢が、65歳になってしまいました。

 つまり、戦後しばらくまでの間、老人とは55歳から上の人を指していたわけですが、その後、色々と年金を整備したり、社会状況の変化を鑑みた結果、戦後は60歳から上を老人として扱う事にしたわけです。まあ、これは還暦との絡みを考えたら、打倒な線でしょう。

 その後、平成25年から、人々の長寿化と財源不足から年金受給年齢を65歳に引き上げ、同時に様々な法律も改正して、65歳から上を(前期)高齢者。さらに、75歳以上を後期高齢者と呼び分ける事にしたわけです。

 結果として、現在は、65歳以上の人を老人として扱い、75歳以上の人を高級な老人として扱うことになったわけです。

 本格的な老人(ってか、標準的な老人)が65歳以上だから、必然的に中老の年齢が広がり、今や中老は50~65歳までって感じになりました。つまり、中高年の“中”を担当している年齢は、50~65歳って事になるわけです。

 ほんと、オジサン、おつかれだよ。

 しかし、世の中を見てみると、還暦過ぎても、十分な年収が得られずに、老体にムチを打ちつつ、生計をたてている方々がいらっしゃいます。若い時に一生懸命働いたのに、隠居できず、老人扱いされず、引退させてもらえないなんて、これって一種の“老人いじめ”だよね。

 実は私も、そうなりそうで、怖いですよ。今の職場は、60歳定年なんですね。でも、年金の支給開始は65歳でしょ?

 年金の支給開始年齢に合わせて、定年を延長している会社(主に大企業だね)もあるそうだけれど、ウチは違う。世の中が変わっても、きっちり60歳定年なんです。一応、希望すれば再雇用してもらえる可能性があるそうだけれど、それも確実ではないし、お給料は新人にリセットされた上、時給で支払われるようになるし、労働時間もこちらでは決められないので、せっかく再雇用されても、ほとんど無収入になってしまう可能性もあるわけです。つまり、再雇用されても、それだけじゃあ暮らせない可能性大なんですよ。

 最悪、定年退職をしてから年金受給までの間の5年間、無収入の時代がやってくる…かもしれないのです。まあ、再雇用されるにせよ、ヨソで働くにせよ、この5年間は、バイト生活をせざるをないでしょうが、60歳からの就活なんて…かなり厳しいよね。収入が下がるのは我慢しても、体力的にキツイ仕事や、資格や経験が必要な仕事は出来ないからねえ。ほんと、どうしましょうかね?

 ほんと、困ったもんです。今は、とりあえず、考えない事にしておきます(現実逃避だな…)。やっぱり、安い賃金でこき使われながら、不足分を退職金で補いながら、食いつなぐしかないのかな?

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2015年1月24日 (土)

サクラのウロコが剥がれちゃって、痛々しいです

 我が家には入院水槽は、実は大小二つあります。今、大の方にホノカが入院していますので、小の方が空いてます。

 サクラの怪我の状態が、ちょっとひどいです。松かさ病でウロコが浮いてしまったところに、いつもいつもポンプの側にいるために、尾ビレ近くのウロコが軒並み剥がれてしまったのです。見ていて痛々しいです。まあ、金魚には痛覚はありませんから、本魚的には、全く平気なんでしょうがね。

 ウロコが剥がれたから、すぐにどうこうはないのですが、見ていて気持ちの良いものではありませんし、傷もあるでしょう。本来なら、入院して抗生物質で処置してあげるのが良いのでしょうが、あいにく大きな入院水槽はホノカが使用しています。小さな入院水槽は、アズニャンやオタキサンならともかく、ホノカもサクラも小さすぎて使用できません。ですから、サクラはメイン水槽に入れっぱなしです。まあ、他の子達がサクラをいじめるならともかく、そういう事もないので、経過観察ですね。

 同時に二匹病気になられると、色々と手が足りなくて困ります。

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2015年1月23日 (金)

ブルーベリーは、本当に目に効くらしい

 フルートのレッスンに行って参りました。時間的には、ちょっと遅れてしまったのですが、私の前の姉様のレッスンも、ちょっと長引いてしまったようで、私が教室に辿り着いた時に、ちょうどレッスンが終わった頃のようで、私が荷物を降ろす前にも関わらず「さあ、ロングトーンの練習をしよう!」と先生に言われて、慌ててフルートを組み立てた次第です。

 ロングトーンの練習そのものは、特に面白いこともなかったです。なんか、最近は、ロングトーンの練習はきちんとできて当たり前になりつつあります。

 さて、エルステ・ユーブンゲンは、まだまだ7番です。今回は、自宅練習をちょっぴりしていましたが、さすがに暗譜までは、たどり着けなかった(ってか、最初の4小節しか暗譜できなかった)ので、最初は一人で吹いて、次に先生と一緒に吹いて…というスタイルのレッスンを受けました。8番を一人で吹いた時に先生に音色を誉められましたが、先生と一緒に吹いた時には、逆にダメ出しをされちゃいました。

 「一人で吹いていると、すばらしい音色で吹くけれど、一緒に吹くと、途端に音が悪くなるねえ…」と言われましたが、別に当人は同じ気持ちで吹いているわけで、無意識の部分の違いが、音色の違いに反映しているようです。相手が先生ですから、競争心などはありませんが、やはり自分の音をきちんと聞きたいとか、相手の演奏にあわせて行きたいとか、そんな思いがないと言えば嘘になるわけで、そういう点が音色を悪くしてしまうのかもしれません。反省反省。

 プチ・エチュードは8番です。「よく吹けてますよ、次回からは、もう少しテンポアップしましょう」と言われました。つまり、ノーミスで丁寧に吹いているのは良いけれど、あまりに遅すぎるので、もう少しテンポアップしなさい…って事ですね。そう言えば、この曲、アレグレットだった(汗)。私の今のテンポは…ほとんどアンダンテだもんな。(アンダンテは、どちらかと言えばゆっくりとした速度。アンダンテは、むしろ速めのテンポなんだな)

 少しずつ少しずつテンポアップできるように練習しましょう…って、それ以前に、練習時間を確保する方が優先か(笑)。

 今回のプチ・エチュード8番を先生と一緒に吹いている時に、息が足りなくなって、思いっきり腹筋を絞ったら、そのまま腹筋がつってしまいました。最近の私は、やたらとあっちこっちの筋肉がつるんですね。で、今回も腹筋がつって痛かったのですが、冷や汗を垂らしながら痛みを我慢して演奏したわけです。で、演奏が終わって開口一発「実は腹筋がつりました!」と言って、腹筋を伸ばしにかかったら、先生が「フルートを吹きながら、腹筋がつる人なんて、珍しいね」とおっしゃいました。ええ、そうでしょうね。フルートを吹きながら、腹筋がつっちゃう人なんて、私も珍しいと思います。

 「たぶん、色々とあれこれ足りなくて、それで筋肉がつってしまうんだと思います」と答えました。

 「サプリとか飲んでる? 結構効くよ」と先生がおっしゃいました。

 実は、先生もサプリを飲んでらっしゃるそうで、今はウコンとゴマとブルーベリーのサプリを飲んでらっしゃるのだそうです。中でも、ブルーベリーは効果があると言ってました。

 なんでも、免許の書き換えの時に、だいぶ視力の衰えを感じていて、いよいよメガネの条件がつけられてしまうなあ…と心配になっていたので、その事を薬剤師をやってらっしゃるお弟子さんに相談したら「先生、いいものがありますよ」と言って、持ってきたのがブルーベリーのジュースだったんだそうです。一本、ウン千円の奴で、その一本をだいたい4日ほどで飲んでしまうのだそうです。それを「高いなあ…」と思いつつ、一ヶ月ほど飲み続けて免許の書き換えに行ったら、メガネ不要でOKになったんだそうです。それどころか、楽譜が読みづらかったのが、何となく楽譜を読むのも楽になったんだそうです。「ブルーべりーって、本当に目に効くんだね」との話でした。

 もっとも、そのブルーべりーのジュースは高い上に、甘かったので、今は錠剤のブルーべりーにしているんだそうです。ほら、先生、酒飲みだから、甘いジュースって大の苦手なんですね。

 錠剤のブルーべりーに切り替える際に、最初は、普通の価格帯のブルーべりーの錠剤を飲んでいたそうです。そうしたら、目に見えて視力の衰えを感じるようになったんだそうです。で、さっそく、薬剤師さんのお弟子さんに相談したら、高価なブルーべりーの錠剤を薦められたんだそうです。それを飲み始めたら、またまた目がよく見えるようになったんだそうです。

 「やっぱり、高いサプリはいいね。安いに越したことはないけれど、背に腹は変えられないよ」との事でした。私も目がだいぶやられているので、ブルーべりーの錠剤を飲みたいのだけれど、高価なものでないと効果がないなら、ちょっと飲めないよね。

 ちなみに、私は、友人のお医者さんに言われて、大柴胡湯とビタミンBとC、乳酸菌(ビオフェルミン)を飲み、それに加えて、私の趣味(というか必要)で、ビール酵母を(マルチビタミン剤として)飲んでます。ウコンとゴマとブルーべりーか…私も飲みたいけれど、これ以上、サプリにばかりお金をかけていられないからなあ…。

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2015年1月22日 (木)

とりあえず、モーツァルトかな?

 声楽のレッスンの続きです。

 最初は、ボノンチーニ作曲の「Per la gloria d'adorarvi/お前を賛える栄光のために」です。今回のレッスンでは、ギア・チャンジの大切さを学びました。

 ギア・チェンジ…普段は無意識にやっている事です。それが上手く行っていれば問題ないのだけれど、上手く歌えていない時は、往々にしてギア・チェンジがうまく行っていない事が多いので、しっかり意識的にギア・チェンジが出来るようにしましょうって事です。

 「じゃあ、そのギア・チェンジって何?」って事ですが、簡単に言うと、歌うポジションの切り替えと言うか、フレーズの基盤となる音程の切り替えと言うか、歌唱をする仮想床の高さを変えると言うか、まあそんな感じの事です。

 多くの場合は、歌い出しの音になるのだけれど、メロディ・フレーズには、そのフレーズの出発点になる音があるわけです。その出発点から始めて、上行音形なら、クチをドンドン開いていき、下降音形ならノドの形をキープしながら少しずつクチを閉じて歌っていくわけです。その出発点の音ってヤツは、声帯周辺の筋肉の所作で決まるわけで、その最初の音の声帯周辺の筋肉の所作を、フレーズごとに切り替え、切り替えた後はクチの開きで音程を作っていって歌うわけです。

 つまり、音程って、ノドとクチの二箇所で分担して作っているわけなんですよ。大雑把な音程はノドで作り、それをクチで細かく調整する…って感じかな? だから、ギア・チェンジってのは、その大元となるノドで作る音程の切り替えの事…なんだな。

 この切り替えがうまく行かないと、低いポジションのまま高い音に突っ込んで撃沈したり(以前の私がこれ)、高いポジションのまま低い音に突っ込んで、かすれた貧弱な声になったりするわけです。

 だから、ギア・チェンジって大切で、これを無意識で巧みにできれば良いのだけれど、私なんかはそうはいかないので、意識的にスパンスパンとギアを切り替えられるようにしましょうって事です。

 意識的にしようとすると、結構難しいです。

 それと、歌っている時は、音楽を止めてはいけない…とも習いました。音楽は、カレーを煮込んでいる時のように、絶えず鍋の中をかき混ぜて、停滞させてはいけないのです。もしも、鍋をかき混ぜるのをやめて、鍋の中を停滞させてしまうと、カレーは焦げ付いてしまうわけです。音楽も同様で、絶えず動き続けて、停滞させてはいけないのです。音楽は停滞した瞬間に死んでしまうからです。

 で、私の歌は…死んだ音楽…なんだそうです。とにかく、音楽がすぐに落ち着いてしまって、ちょっとも動かない…んだそうです。そんな音楽はつまらないからダメってことですね。もっと、しっかり音楽を動かしながら歌え~って事です。私がトリルが苦手なのも、大元の音楽が全く動いていなからで、しっかり音楽が動いていれば、トリルももっと簡単に自然に出来る…って事になります。ふう、頑張らないとね。

 次は、モーツァルト作曲の歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より「Un'aura amorosa/恋のそよ風」です。難しいです。100万年学んでも歌えそうもありません。

 なぜ、そう感じるのかと言うと、この曲を歌うために必要なモノが、私の歌の引き出しに入っていないからです。

 この無力感は、以前、キング先生のところで、同じモーツァルト作曲の歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のテノール・アリアの「Dalla sua pace la mia dipende/彼女こそ私の宝」を歌った時に感じたモノと同じだからです。

 結局、ドン・ジョヴァンニのアリアは、全く歌えないまま、全然手も足も出ないままで終わり、キング先生に「君にはテノールは無理。バリトンに転向しなさい」ってレッテルを貼られてしまった曲なんですね。

 つまり、モーツァルトのアリアにはトラウマがある…と言うか、苦手意識しかないんです。

 おまけに曲の難易度からすれば、キング先生の元で学んだドン・ジョヴァンニのアリアよりも、今回のコジ・ファン・トゥッテのアリアの方が、誰がどう見ても、数段難易度が高いんですよ。

 …こんなの、歌えるわけ無いじゃん。

 実際に、普段の私のスタイルで、ドン・ジョヴァンニにせよ、コジ・ファン・トゥッテにせよ、これらのアリアを歌おうものなら、わずか数小節で声が無くなって、最後まで歌えないんです。つまり、これらのモーツァルトのアリアを歌うために必要なモノなんて、私、持ちあわせていないのです。

 ああ、世の中には、モーツァルトの音楽を軽々と歌っている人々もいるのに、私は手も足も出ないなんて、ちょっぴり悔しいなあ…。

 と、グチグチ言っていても始まらないし、歌えないからレッスンを受けるわけだし、そのあたりは開き直って、ダメな自分を全開にしてレッスンに臨むことにしました。

 レッスンの場では、ひとまず課題曲は止めずに、最初は通して歌うのです。一度最後まで歌ってから、頭に戻ってアレコレ注意を受けながら治していくのですが…案の定、最初は最後までたどり着けませんでした。それどころか、最初の2小節で止まりました。いやあ、だって、譜割りが難しいんだもん。その後も、少し歌っては、止まっての繰り返しで、やっと半分まで行ったところでお終い。結局、最後までたどり着けませんでした。いやあ、難しい。

 おまけに発声だって、かなりフニャフニャ。いやあ、少しでも芯のある声で歌うことが怖いんです。だって、芯のある声で歌ってしまうと、その時点で声が終わってしまいそうだから…。

 フニャフニャの声で歌う事自体は、決して悪い歌い方ではないと先生に言われました。縦にビシッと決める普段の歌唱スタイルではなく、横に流してつないでいく歌唱スタイルも、歌唱スタイルとしては悪くないそうです。ただ、やっぱり、フニャフニャそのものはダメなんです。しっかり腹筋を使って、息で声を支えて、声を横に横につないで歌っていくのだそうです。

 声はメロディーを紡ぎながら、横に横に流していって、決して上に伸ばさない事。上に伸ばして、高音を掴み行った途端に歌が破綻するので、高音はつかみにいかない。とりあえず、高音については、うまくギア・チェンジをして、触ったりナメたりすれば、それでOK。とにかく、歌は横に横に流して前進していく。しっかり支えながらも、優しく優しく歌っていく。

 結論で言えば、モーツァルの曲は、天才でも無い限り、持ち声だけでは歌えないのです。モーツァルトのアリアは、むしろテクニックで歌う曲だから、しっかりと手順を守って歌わないとダメ。逆に言えば、手順通りにやって、それでも歌えなかったら、それは自分のせいじゃないと開き直るくらいの気持ちで行かないといけないのだそうです。とにかく、手順を守って、テクニックを駆使して歌うのが、モーツァルトの曲なんだそうです。

 だから、高音も“出す”という感覚があるうちはダメなんだそうです。高音発声は単純に“クチを開く”事で“出ちゃう”のが正解なんです。それで出せなければ、テクニック的に手順が間違っているだけの話なんだそうです。

 とにかく、この曲は、息の支えだけで歌う曲と言っても良いのだそうです。一瞬でもノドに力が入ったら負け、という曲なのです。

 だからでしょうか? レッスンの後半に入って、私が疲れてきて「もうこれ以上は歌えない」と思っている時の方が、歌の出来は良いのだそうです。それくらい、脱力をしないと歌えないんだそうです。

 「元気な時でも、疲れきった時と同じような感じで歌えると良いですね…」と先生に言われちゃいました。いやあ、ヘトヘト。ほんと、この曲は、体力をとてもとても消耗します。

 「歌の規模としても、ちょうど良いので、この曲で発表会に出ませんか?」と先生に言われてしまいました。「え? この曲で??」 マジですか?

 妻も「今の段階にしては、これだけ歌えるなら、モーツァルトもなかなか良いんじゃないの?」と言ってくれました。もちろん「今の段階にしては…」という条件付きですが。どうも本人が思っているほどに、モーツァルトはダメな感じではなさそうです。ならば、発表会まで、約半年あるわけだし、この曲をガッツリ学んで、モーツァルトに対するトラウマと言うか、キング先生に貼られた「君にはテノールは無理。バリトンに転向!」というレッテルを剥がすためにも、頑張ってみると言うのも悪くないかも…って思いました。

 なので、発表会で歌うオペラ・アリアは、モーツァルト作曲の歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」より「Un'aura amorosa/恋のそよ風」にします。

 後は、二重唱曲と、歌曲を選曲しないとね。でも、その前に、勉強会(兼新年会)の準備もしないと…おお、忙しい忙しい。

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2015年1月21日 (水)

発表会の準備をボツボツと始めました

 話は昨年の年末に戻りますが…2014年の最後の声楽のレッスンに行ってきました。

 まだブログでお知らせしていなかったようなので、書きますと…Y門下の発表会の日程が決定しております。F門下と合同の発表会で、2015年5月23日(土)に、かなっくホール(JR東神奈川・京急仲木戸、ともに徒歩1分)で行われます。発表会そのものは5月の末であっても、私自身が3~5月のゴールデン・ウィーク開けまでは仕事が忙しくて身動きが取れない事と、先生が2~3月にかけて、仕事の都合で演奏旅行に出られてしまってレッスンが出来ない事を鑑みて、年が明ける前から、発表会の打ち合わせに取り掛かったわけです。

 発表会の打ち合わせ…と言っても、何を歌うか決めるだけの話です。一応、発表会では曲のカブリを避けるために、先着順で曲決めをするので、早い者勝ちと言った部分もありますし、私自身の練習時間を確保するために、早めに曲を決めておきたいという事もあります。

 で、色々と話をしたのですが、なかなか簡単には曲は決まりません。

 今回も、持ち時間は一人約10分ですから、前回同様に、よほど大きな曲で無い限り、二重唱1曲、オペラアリア1曲、歌曲1曲の計3曲で行けそうですが、どれも選曲が難しいのです。

 原則的には「歌いたい曲でいいですよ」と、先生はおっしゃってくれますが、問題は“歌いたい曲の中に歌える曲が無い”って事が問題なんです。

 テノールの曲は、二重唱もアリアも、主役の歌しかなくて、私のような半端でテクニックもなければ高音も出ないようなアマチュア・テノールには歌える歌が無いって事です。まあ、歌曲の方は探せば、数曲はありそうなので、最後に選曲する事として、まずは二重唱曲、そしてオペラ・アリアを決めておきたいのです。

 なぜ二重唱の選曲を急ぐのかと言うと…今回の発表会にはプロのテノールさんをゲストに呼ぶ事が決まっていて、そのため、門下のお姉さま方の多くがプロ・テノールさんとのデュエットを希望しているので、うっかりしていると、テノールとソプラノの二重唱曲が売り切れてしまうからです。プロ・テノールさんは、何でも歌えるでしょうが、こちとら歌える曲に限りがあるわけですから、まずはこちらを優先していただかないと…って感じなんです。

 ほんと、毎回の事ですが、選曲には先生ともども悩みます。とにかく、次のレッスンまでに候補曲を上げてくるようにという、ペンディング状態で、今回の話し合いは終了で、レッスンに入りました。

 さて、レッスンでは例によって、歌い出した途端にゲホゲホしちゃいました。この“ノドゲホゲホ”は間違った発声法から来る“ゲホゲホ”なんだそうです。どこが間違っているのかと言うと…歌うボジションが低いのが原因なんだそうです。ポジションが低いのに、そこに高圧の息をかけると、ノドに負担がかかりすぎてゲホゲホするんだそうです。ですから、これを回避するためには、歌うポジションを高くすればいいだけの話なんだそうです。歌うポジションを高く設定する事で、ノドの負担を軽くしてやれば“ノドゲホゲホ”は避けられるというわけです。

 つまり、毎度毎度、レッスンの開始時にノドがゲホゲホする私は、歌のポジションが低いからゲホゲホしていたわけで、レッスンを受けているうちに、段々、歌のポジションが高くなってきて、それでゲホゲホしなくなるだけの話だったのです。

 良い話を聞きました。

 今回は、クチの開きの注意を受けました。私は口先の開きは良いのだけれど、口奥の開き(つまり、ノド)の開きが悪いのだそうです。で、大切なのは、口先ではなく、口奥。ノドをきちんと開いて歌わないといけないのです。そのために必要な感覚は…“声を回す”という感覚。声を後ろに回して歌えるなら、口奥が開いているという事なんだそうです。

 しかし、声を後ろに回してしまうと、往々にして声が後ろに引っ込んで籠もってしまいます。もちろん、それはダメなので、声をしっかり後ろに回しながら、最後の最後では声をしっかりと前に出さなければいけません。それに必要なのが“息の力”であり“息の支え”になります。

 結局、ノドを開いて歌うためには、腹筋が頑張らないといけない…って事です。

 今回のレッスンから発表会の準備を何となく始めたわけだけれど、実はその前に、勉強会(兼新年会)があるんだよね。先生は入院欠席になりそうだけれど…さて、何を歌おうか。まだ、全然準備をしていないんだよね(大笑)。

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2015年1月20日 (火)

新春浅草歌舞伎に行ってきました

 先日…と言っても、まだまだお正月気分が抜けなかった頃の話ですが『新春浅草歌舞伎』を見に、浅草の公会堂に行ってきました。

 夜の部だったので、演目は『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)[五段目&六段目]』『猩々(しょうじょう)』『俄獅子(にわかじし)』の三本立てでした。主な出演者は、尾上松也さん、坂東巳之助さん、中村米吉さん、中村児太郎さん、中村隼人さん、中村種之助さん、中村歌昇さんでした。

 この『新春浅草歌舞伎』というのは、若手メンバーだけで上演するものなんです。若者たちによる一生懸命な舞台はいいですね。お一人を除いて、皆さん、平成生まれだそうですから、ほんと、青年たちが一生懸命に頑張っていたわけです。

 もっとも、平成生まれの若者揃いとは言え、彼らは皆、梨園の御曹司たちですから、ほぼ“年齢=芸歴”なわけですか、皆さんどなたも芸歴20年超えなんですよ。そう考えると、色々とすごいなあって思うわけですよ。私が彼らぐらいの年齢の時は、やっと学校を卒業したばかりの、社会人的には単なる“ペーペー”だった事を考えると、いやはや、頭が下がります。

 『仮名手本忠臣蔵[五段目&六段目]』とは、忠臣蔵の一部ですが、いわゆる私たちがよく知っている“忠臣蔵”のお話ではありません。いわゆる“おかると勘平”の物語です。詳しくは、ネットでググってみてください。

 今回、座席はあまり良くなく、2階席だったのですが、芝居を見るには、特に不自由はありませんでした。ただ、舞台から遠いせいか、観劇の緊張感も薄くて、休養たっぷりで臨んだはずなのに、時折意識が消失してしまったのは、失敗です。

 しかし、これだけ遠くから舞台を見ていると、女形が全く自然に見えるから不思議です。平土間の、比較的舞台から近い席で歌舞伎を見ると、女形がどうしても不自然と言うか、男が女を演じている事を意識してしまう私なのですが、2階席という、遠くの席から見ていると、女形の役者が、女性に感じられるのだから不思議です。骨格だって、声だって、男丸出しなんだけれど、それらが距離があると気にならず、誇張された女らしい動作がよく伝わり、なかなかに艶っぽい女性に見えるんだから不思議です。

 歌舞伎は、あまり舞台近くで見るものではないのかもしれません。考えてみれば、昔の舞台小屋なんて、薄暗かったわけで、舞台がよく見えなくて当然という環境で生まれた女形という役者なんだから、遠くの客席からよく見えないくらいの距離で見る方が良いのかもしれません。

 それと、遠方からだと舞台の全景が見えるのも面白いかもしれません。

 歌舞伎って、実にリアルからは離れた、夢々しい芝居なんだなって思いました。歌舞伎では、演じている人(と言うか、セリフを言っていたり踊っていたりする人)以外は、皆、止まっているんですね。舞台の近くとか、テレビ中継やDVDだと、演じている人しか見えないから、他の人が何をやっているかなんて気にしませんが、舞台の全景を見ていると、演じていない人は、演じている人の芝居を邪魔しないように、皆さん、石のように固まって止まっているんですね。なかなか、面白いです。

 で、演じている人の動作も、実に全然リアルではなく、動きそのものは、かなりの誇張があるし、いちいち見得を切る(決めポーズを取る、あるいは、ストップモーションを入れる)わけだし、なんか芝居と言うよりも、アニメでも見ているような気分になります。

 実際、歌舞伎の成立を考えるならば、人形浄瑠璃(人形劇の一種)を人間が演じるようになったのが歌舞伎という説(異説も、もちろんありますよ)もあるくらいですから、役者の動きがどこか非人間的(それゆえにアニメを連想させるわけだけれど)なのも納得です。

 とにかく、役者の動き一つ取っても、型とか様式美というものをヒシヒシと感じますね。若い時は、そのファンタジーっぽいところが苦手でしたが、年を取ってくると、そういう型や様式美ってヤツに心惹かれるようになってくるのだから、年を取るのは楽しいのです。

 それにしても、今回は『仮名手本忠臣蔵』の中間部だけを見たわけだけれど、ぜひ通し狂言(ストーリーを最初から最後まで連続して見せる事)で見てみたくなりました。でも、それはなかなか難しいですね。歌舞伎って、なかなか通し狂言の上演をしてくれませんからね。

 それと、今回は見ていて「歌舞伎ってオペラに似ているなあ…」とも思いました。もちろん、違いもありますよ。一番の違いは、女形の有無。次は、オペラでは役者は歌手であって歌いますが、歌舞伎では役者はダンサーなので踊るという違いです。

 ですから、オペラでは役者は踊りません。踊りは、専門のバレエダンサーが行います。歌舞伎では役者は歌いません。歌は、専門の太夫(歌手の事です)が担当します。でも、大きな違いはそれくらいで、音楽で劇が進行する点や、芝居が歌とダンスで成り立っている点や、恋愛モノ、それも悲恋モノがレパートリーの中心である点。大衆に愛されて現代まで生き残っている伝統演芸ある点などが共通しています。

 それに発生した時代もほぼ一緒なんだよ。大きなユーラシア大陸の西の端で生まれたのがオペラで、東の果て生まれたのが歌舞伎なんだと思います。

 『猩々』と『俄獅子』はダンスでした。『猩々』は、種之助さんと隼人さんの二人で踊るデュエット・ダンスだったのですが、これがまあ、実に見事なものです。バレエが飛んだり跳ねたりするダンスなら、歌舞伎のダンス(日本舞踊ですね)は、なめらかな動きと見得を切るダンスなんだなって思いました。飛んだり跳ねたりするのも大変ですが、なめらかに動くのも大変だなあって思いましたよ。あんな動き、私には到底出来ないもの。さらに見得ですが、これもまた不思議なポージングで止まるものですね。まるで“ジョジョ立ち”みたい…と言うか、ジョジョ立ちって、一種の見得なんでしょうね。それを言い出すと、魔法少女や変身ヒーローたちの(変身とか必殺技とかの)バンクシーンも、ありゃあ、見得だね。『俄獅子』の方は、その他の方々総出の、実に派手派手で賑々しい、いかにもお正月っぽい群舞でした。しかし、女形って下駄はいたまま踊るんだね。すごいなあ。

 この歌舞伎、実は妻がチョイスした観劇であって、私はさほど乗り気では無かったのですが、いやいや、見て驚いた。実に楽しかったですよ。

蛇足 しかし、息子くんには難しかったらしくて、アイツは最初から最後までつまらなそうにしてました。実際、感想を聞くと、やっぱり「つまらなかった。何を言っているのか、ちっとも分からないだよ」だそうです。そう言えば、彼が物心ついた時には、すでに時代劇ってジャンルは死滅した後で、彼には江戸言葉やそれに類するような言葉に親しみがないんですね。彼には外人並にイヤホンガイドが必要だったのかもしれません。

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2015年1月19日 (月)

メサイアを歌ってきました

 先日、鎌倉で行われた、メサイアのシンガロングって奴に初参加をしてきました。

 シンガロング…Sing Along、まあ「ドンドン歌おう」とか「一緒に歌おう」とか、そういう催し物でして、今回のシンガロングに即して具体的に説明するなら、舞台にオーケストラと指揮者がいて、彼らが伴奏してくれるので、客席にいる皆で合唱パートを歌っちゃおう…っていう催し物ですね。だから、普通のコンサートにいる“演奏を聴くだけ”のお客さんってのはいなくて、みんな楽譜持参で歌うのが前提なんです。

 だいたい、座席そのものが、パート別に分かれているわけだしね。

 以前から、このシンガロングの存在は知っていて、いつか参加したいと願っていたのが叶ったわけで、私的には嬉しかったし、楽しかったり、色々と満喫してきたわけです。

 まずは私の個人的な話から。

 今回のシンガロングは、土曜日に開催されたのですが、私は前日の金曜日の朝に、いきなりノドを腫らしました。木曜日の夜から乾燥が激しそうだから、加湿器のスイッチを入れておいてくれと妻に頼んで寝たんですが、妻が加湿器のスイッチを入れなかったために、心配していた通り、ノドが乾燥でやられてしまって、パンパンに腫れてしまったわけです。金曜日は仕事に行きました。病状的には、しゃべったりフルートを吹いたりは出来るけれど、歌うのはちょっとパスかな…って程度でした。

 金曜日の夜にあれこれと手を打ってみたもの、結局、症状的には、ひどくはなっても回復しないまま、当日の朝を迎えてしまいました。

 「ノド、痛い~、声、出ない~」とグチグチ文句を言ったものの、乾燥による風邪であって、別にウィルスがどうのこうのってわけでもないと(勝手に)判断して、シンガロングに参加する事にしました。

 「まあ、他人に伝染る病気でもないし、ソロでなく合唱なんだから、歌えなければ歌わなきゃいいし、辛くなったら、いつでも止めればいいわけだし…」とまあ、そんな感じです。

 会場に着いた私は、ワクワクです。だって、合唱歌うのって、数年ぶりだもん。なんか、合唱する感覚を忘れていた事を思い出しちゃうくらいに久しぶり。パートの中に入って、その他大勢になる感覚を味わっていました。

 と同時に、自分が合唱に向いていない性格なんだなって事を、歌う前からひしひしと感じていました。と言うのも、私、パートに入ってその他大勢になると、すごぶる無責任になるもの(笑)。そして、その無責任な感覚を喜んでいるんです。これは合唱人としてはダメだよね。

 どう無責任なのかと言うと「自分自身はきちんと歌えなくても、パートとして歌えてりゃいいや(だから、そんなに真剣にならなくてもいいんだよな)」という感覚。本来、合唱人としては「自分は合唱の一部を担う人間として、全力を尽くして歌おう」と思うべきなんだろうし、それは理屈では分かるんだけれど、感覚的には「…楽しよう」って思っちゃうわけです。ほんと、合唱には不向きだよね。

 実際に、このシンガロングに備えて、自主練をしてきましたが、その自主練だって、めっちゃめっちゃ甘めの練習でしたもの。きちんとメロディの音程やらリズムやらを把握していなくてもOKという基準でドンドン練習していたからね。

 ほら、なにしろ、自分がきちんと歌えなくても、合唱なら、周囲がきちんと歌っているから、それに合わせればいいわけでしょ? いわば、カラオケなら『ガイドメロディに合わせて歌えばいいじゃん』状態ですね。いやあ、無責任無責任。

 だから「ちゃんと歌おう」よりも「楽しんで帰ろう」が、私の中では優先されていたわけです。ああ、ほんと、合唱を真面目にやっている人に怒られそうな私です。

 こんなゆるい感じでシンガロングに臨んだ私です。ですから、必ずしもきちんと歌えたわけではなく、あっちで落ちたり、こっちで落ちたりとかしてました。まあ、変な音を出さないように、自信のないところとか、周囲に合わせられそうもないところは、率先して、傍観者になっていました。

 で、とにかく、合唱全体を壊さないように気をつけていました。

 歌っていると、たまに私しか歌い出さない時が何度かありました。最初は「あれ? 間違えたか? ヤバイ!」とか思って、そういう時は、すぐに引っ込みましたが、それを何度か繰り返しているうちに、実は私だけが合っていて、周囲が総崩れだった事が分かり、練習不足なのは、私だけではないと分かりました。その後は、周囲がついて来なくても、マイペースで歌いました。まあ、私が引っ張れるところは引っ張り、他の方が引っ張っている時は、それについていく…という緩さですね。実際、私も何度も落ちましたし(笑)。

 あと、何よりノドが痛かったんですね。ですから、ノドを第一に考えて歌いました。

 ノドが痛い時は、とにかくノドを使わずに歌うのです。しっかりお腹で息を支えて、ポジションは高くして、声を絶対に張らずに、息を流して歌う。これが出来ないと、ノドが痛くなりますので、本当の本当に気を使って歌っていました。自分的には、正しい発声で、ごくごく軽く控えめに歌っていたわけです。

 そんな控えめヴォイスで歌っていた私ですが、ソプラノパートにいた妻によれば、私はいつものように“突き抜けた声”で歌っていたそうです。遠く離れたソプラノからでも、私の声はよく聞こえたそうです。ああ、合唱を壊すつもりは毛頭ない私なんですが、こればかりは声質の問題もあって、例によって、合唱クラッシャーになっていたそうです(汗)。

 ちなみに、テノールパートには、私以外にも、数人、突き抜ける声の人たちがいたそうで、妻が言うには、突き抜けた人たちは突き抜けた同士で合わせて歌っているように聞こえたんだそうです。しかし、その“突き抜けたーず”とその他のテノールパートが全然合ってなかったそうです。指揮者さんは苦労したことでしょうね。

 そうそう、懐かしく感じた事もありました。それはメリスマ(いわゆる十六分音符が羅列されている箇所ね)の歌い方です。私はそういう箇所に限らず、フレーズ全体を滑らかに歌うように心掛けていますし、すでにそれか癖になっています。でも、合唱畑の人って、決してフレーズを滑らかには歌わないんですよね。どっちかと言うと、メリハリをきちんとつけてカクカク歌うんです。大勢で合わせて歌うためには必要なことなのかもしれません。でも並んで歌うと、全然違うので、思わずニコニコしちゃうわけですよね。いわばメリスマの箇所を私が「ア~~~~~~」と歌っているとしたら、隣の人は「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ…」と歌っているわけなんです。ああ、ほんと、懐かしい。私も以前は「ハッ、ハッ、ハッ…」と歌っていたわけで、それを直されて今があるわけですからね。

 このあたりの歌唱法の違いは、ソロと合唱のスタイルの違いなんだと思います。、

 話題を私の事から離してみると…参加者の大半が、人生の先輩ばかりで、先行きがとても心配になりました。無論、参加している人たちはお元気な方々ばかりなのですが、失礼だけれど、このうち五年後、十年後もお元気な方って、どれだけいらっしゃるのかな? たとえ体は元気でも、声はドンドン衰えていくわけです。いや、すでに全盛期から比べれば、衰えが隠せない人もとても多そうでした。人間ですから、どうしたって衰えますし、それはそれで受け入れるべきだと思います。でも、それは個人の話。団体としては、先輩たちが衰えた分、後輩たちが頑張ればいいのですが、このシンガロングに限らず、合唱界には、いわゆる後輩たちが、なかなか入ってこないんですよね。だから、全体としてもドンドン衰えてしまい先細ってしまうわけです。だから先行きが心配になるのです。

 それって、歌う人もそうだけれど、このシンガロングを支えているスタッフの人たちにも同じことが言えます。働いている方々は、高齢者ばかり見受けられるけれど、大丈夫かな…って思いました。

 別に、このシンガロングだけに限らず、合唱界全体に激しい高齢化の波が押し寄せているのは事実だし、実際、ドンドン(混声)合唱団が無くなっています。このシンガロングにしても、次回、本当にやるかどうか(できるかどうか)は「これから考える」と、会の最後に司会の方が言ってましたしね。

 まあ、このシンガロングに限らず、合唱関係のイベントは、今後ドンドン激減していくでしょうから、今のうちに参加できるものはドンドン参加していかないといけないなあって思いました。「ああ、参加したかったのに、無くなっちゃったよ」と愚痴らず済むようにね。

 私もかなり緩い覚悟で参加した今回のシンガロングでしたが、実際に、かなり緩かったです。歌っている時は、自分は楽器の一つになっていて、演奏の状況などよく分かりませんが、傍観者になって、演奏を聞いている時は「こりゃあ、大変だな」って思ったものです。まあ、幸い、シンガロングには純粋な観客はいないので、いくら大変でも全然構わないのですが。

 もしも、来年も開催されるようなら、私のスケジュール次第ですが、また参加したいなあって思いました。今回、きちんと練習できずに、当日は傍観者にならざるをえなかった数曲もしっかりと予習しておいて、もうちょっとちゃんと歌えるようになっておきたいです。と言うのも、やはり、ちょっとでも若い人間が、色々な点で支えていかないと、マズいなあって思ったからです。で、もしも私にできることがあるなら、それはしっかり歌う事かな…って思ったからです。

 だからと言って、責任を感じたわけでは全くなく、やはり根本的にお気楽で無責任な感じなんですけれどね。

 とにかく、楽しかったです。で、当日は、ノドがちょっぴり痛いくらいの私でしたが、翌朝から、いきなり激しい腹痛に襲われた私でした。どうやら、会場でもらって帰ってきたみたいです(涙)。ああいう閉鎖空間に大勢の人間が集まって、歌う(って事は、激しく呼吸をする)と、空気感染的なモノは、どうしてももらってきますよね。こちらが元気いっぱいなら、問題なくても、ちょっとでも参っていると、こうやってつらい目に合うわけです。まあ、私は「…お腹痛い(涙)…」で済みますが、これがご老人だと命取りになったりするわけで…皆さん、大丈夫だったかな?

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2015年1月18日 (日)

新年最初の体重計測は…かなりヤバイですね(汗)[2015年1月第3週・通算1週]

体重:115.4kg[+1.0kg:+5.0kg]
体脂肪率:33.3%[+0.5%:+2.1%]
BMI:36.4[+0.3:+1.8]
体脂肪質量:38.4kg[+0.9kg:+4.0kg]
腹囲:115.0cm[+2.0cm:+7.0cm]
     [前回との差:2014年当初との差]

 数字を見ると、一目瞭然ですが、昨年の一年間で、私は大いに5Kgも太ったみたいです。太ったと言うよりも、肥えた?感じですね。ちなみに、10年前と比べると、体重は約30Kgほど増えております。ダメじゃん。ちなみに、私の人生の中で最大限に太っていた時が、125Kgでしたから、そのマックスサイズまで、あと10Kgという状況になっております。いやあ、やばい。

 実は、体重が125Kgだったのは、約10年ほど前の話なんです。さすがに、125Kgになった私は、やばいと思って、1年で(正確に言うと、三ヶ月で)40Kg体重を落としたんです。で、そこから10年かけて、ジリジリと体重が増えちゃったわけなんです。

 リバウンド…と言うよりも、これが私の本来の姿なのかもしれませんが、だからと言って、これで良いとは思ってません。

 体重を40Kg落とした当時と今では、私の状況がかなり違うので、今はそんなに簡単にドドンと体重を落とすのは難しいかもなあ…。

 私の人生を通して考えてみると、私はだいたい、10年置きに大きなダイエットをして、体重をドドンと落として、その後10年かけて元に戻る…を繰り返しています。ああ、次の10年めがそろそろやってきたのかな?

 でも、今までは若さとか、若さの残照とかがあったら、無茶してドドンと体重も落とせたけれども、今は明らかに私自身が老人体質になってしまっているので、かつてのような無茶はできません。さあ、どうするか? どうするべきか?

 …悩みます。なんとか今年中に、40Kgとは言わないけれど、15Kgぐらいは減らして、せめて100Kgを切りたいですね。さあ、どうしましょうか?

 食べないのが一番の早道(今まではそうしていました)なんだけれど、これをやると、確実に劇的に体調が悪化するんだよね。体調が悪くなって病気がちになるし、私は空腹になると、攻撃的になって短気になる人なんです。なので、ダイエット中って、いつもイライラして短気だから、仕事でもミスが多いし、家庭でも妻に当たりまくるし…分かっていも、こればかりは止められないからね。

 心が穏やかである事が、私と私の周囲にとっては大切な事なんだけれど、そのためには、常に満腹…とまでいかなくても、飢えを感じない程度でいないといけないんですよ。でも、痩せるには常にカラダを飢餓状態に追い込まないといけないんだよね。

 ストレスで太るタイプなので、やはり仕事が今のポジションから変わらない限り、やせるのは無理っぽいけれど、そう言って、体重のマックス記録を更新するわけにもいかないから、なんとかしないとね。本当になんとかしないとね。

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2015年1月17日 (土)

入院したホノカの状況について

 今現在、ホノカは入院治療を受けています。一匹だけ入った小さめの水槽に、抗生物質とココアを溶かしこんだ真っ茶色の薬液の中で泳いでいます。

 状況ですが、体中にあった風船が小さくなりました。その代わり、数が増えたかもしれません。松かさ病で、めくれ上がっているウロコとカラダのすきまに、今は無数の風船がある事を確認しています。もしかすると、この小さな風船は以前からあったけれど、今まで気が付かなかっただけのものかもしれません。だとしたら、病状は良くなっているのかもしれません。

 カラダ全体は、相変わらず真ん丸で、琉金と言うよりも、ピンポンパール(という種類の金魚がいるんですよ)みたいな感じです。

 まあ、そんな感じですが、ホノカ自身は元気だし、明らかに不満気なオーラを全身から発しています。こんな状態になりながらも、本当に、フィジカルもメンタルも強い子だと思います。

 一方、同じ病気(ただし、かなり軽症)のサクラですが、この子はフィジカルは強いのだけれど、メンタルはかなり弱い子なので「私、もうダメ。今にも死にそう…」というオーラを出し続けています。でも、病気としては、明らかに軽症なので、メイン水槽に入れたまま経過観察をしています。

 現在のサクラは、常時水槽の隅のポンプのそばにいつもいるので、メイン水槽がとても広く感じられます。そして、いつもポンプに吸われているので、吸込口が尾ビレの付け根に当たるので、その周辺のウロコが剥がれてしまって、痛々しいです。

 サクラが水槽の隅にいるため、メイン水槽がとても広く感じられます。その広い水槽に、アズニャンとオタキサンの二匹が泳いでいるのです。この二匹だけだと、メイン水槽は広すぎますね。なんか寂しいです。

 そうそう、この二匹、とても仲が良いのですよ。なんか、いつも二匹で連れ添いながら、泳いでます。大きな魚が見えなくなって、のびのびしている感じですね。

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2015年1月16日 (金)

悪い癖が抜けたり、復活したり

 今年初めてのフルートのレッスンに行ってきました。先生から「久しぶりだね」と言われちゃいましたが、実際に一ヶ月ぶりのレッスンだったんですよね。そりゃあ、確かに“久しぶり”と言われても仕方ないです。

 さっそく、ロングトーン練習です。いつも「高いよ」と注意されて、低め低めの音を出すように心がけている私ですが、今回は「低いよ」と、いつもとは違った注意を受け、その都度、高め高めの音を出すようにしました。ちょっとフルートを吹いていなかったうちに、色々と感覚が違っているようです。

 エルステ・ユーブンゲンは7番と8番ですが、当然、暗譜はできていませんので、次回に持越しです。そうそう、7番のスラーのかかったソフト・スタッカートの吹き方に注意をいただきました。

 プチ・エチュードは8番です。あれだけ苦労した装飾音符ですが、一ヶ月ほどフルートを吹かなかったせいか、悪い癖が抜けてしまい、普通に吹いたら、それが正解だったようで、先生からほめられました。あんなに苦労して練習しても、きちんとできなかったのに、しばらく怠けていたら、その悪い癖が抜けて吹けるようになるなんて、練習をサボるのも悪いことばかりじゃないのかもしれません。

 装飾音符をクリアした代わりに、中音レの運指がいい加減になってしまうという、以前の悪い癖が復活していて、それを散々注意されました。レがきちんと吹けない限りは合格はないわけです。さっそく、楽譜のレの音符に○をつけて注意を喚起しました。これでも間違えるなら、ヤバイね。

 さて、今回の雑談ですが、先生が最近困っている事を話されました。

 実は先生、事情があって、最近はオーケストラの方の仕事もやっているんだそうです。で、何に困っているのかと言うと、外国人指揮者との練習なんだそうです。

 H先生、どうも英語が苦手らしいのです。若い時にドイツに留学していたので、ドイツ語はペラペラなんですが、英語は(本人曰く)全然ダメなんだそうです。で、今のオーケストラの指揮者さんがフランス人なんだそうで、練習の時は、英語を使うんだそうです。なので、練習をしている時に、指揮者が小節番号を指示する時は…当然英語で指示を出すわけです。48小節を指示する時は“forty-eight!”とか言うのだそうです。

 で、そう言われると、H先生、混乱しちゃうんだそうです。

 と言うのも、H先生にとって、外国語ってドイツ語なんだそうです。だから、日本語以外の言葉を聞くと、自動的に脳みそがドイツ語モードになってしまうのだそうです。で、英語って、日本語と同じで、数字の呼び方は、桁の上の方から下の方に呼んでいくわけですね。“48”なら“よんじゅう・はち”と、「(十の位)->(一の位)」の順番で読んでいくわけです。

 ところが(H先生によると。私自身はドイツ語はよく分かりませんが)ドイツ語では、数字は、桁の下の方から上の方に向かって呼んでいくんだそうです。つまり“48”なら“はち・よんじゅう”という具合になるんだそうです。

 で、ドイツ語脳に切り替わった時に、英語で“forty-eight!”って言われると、とっさに“84”だと勘違いしてしまい「いやいや、マズいマズい」と思って、頭の中で数字を換算しているうちに、ドンドン練習が進んでしまうのが、お困りなんだそうです。

 日本語すらロクに使えない上に、外国語なんてからっきしな私からすれば、よく分からない困り方をされているので、なんかうらやましい話です。

 ちなみに「アマチュアの方なら、一年かけて練習しているような曲を、我々プロは1~2回の練習で本番に載せなきゃいけないから、大変なんだよ」とめずらしく愚痴ってました。ああ、先生、ちょっぴり凹んでいらっしゃるみたいです。

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2015年1月15日 (木)

実は久しぶりにフルートを吹いた(笑)

 いや~、実は、年始年末はほとんどフルートを吹かなかった私です。理由ですか? そりゃあもう『忙しくてフルートを吹いている暇がなかった』ってモンです。

 もっとも“忙しい”の内容が、その時期その時期で違っていたわけですが…。

 クリスマスぐらいまでは、本当に仕事が忙しかったです。もう、目が回るほど…。だから、フルートのレッスンに行けてなかったくらいです。クリスマスが過ぎて、年越しぐらいまでは、仕事もまだあったけれど、基本的にはコンサート三昧でした。連日連夜コンサートです。年末って、クラシック音楽のオンシーズンだからね。第九やメサイアはもちろんだけれど、プロ歌手の声楽コンサートなんてのも行ったんですよ。

 年明けはテレビ三昧(笑)。私は割りと日常的にテレビを見るオッサンなんです。年始年末特番の類を昼夜を分かたずガンガン見ておりました。で、合間を見ては、勉強会(兼新年会)や発表会、某プロジェクトの準備をしていました。ですから、フルートは吹かなかったのですが、歌の方は(熱心ではありませんが)ボチボチと歌ってました。

 そんな私のフルートに関する近況なんですが…つまり、年始年末どころか、12月の最初にフルートのレッスンがあって以来、松が取れるくらい(約一ヶ月?)まで、フルートを吹かないどころか、組み立てたり触ったりもしなかった…という状況だったわけです。

 いくらなんでも、ちょっとヒドいよね。

 …と、反省したので、近々のレッスンのためには、重いカラダを持ち上げて、フルートを吹いてみた…というわけです。何を吹いたのか? そりゃあ、レッスンの宿題ですよ(爆)。

 久しぶりに吹いたフルートの感想は…“音はセーフ、指はアウト”って感じでした。

 よく聞くのが「フルートを久しぶりに吹いたので、音がかすれて全く鳴りませんでした」という声ですが、私に関しては、それは全くなかったです。毎日吹いていた時と比べると、やや丸みに欠ける音色(とは言え、尖っているというほどではありません)なので、ちょっぴり残念でしたが、だからと言って、このくらいの音色でフルートを吹いても、特に問題はなさそうだなって感じました…ってか、これくらいの音色でフルートを吹いている人なんて、ざらにいるからね。

 まあそれに、たまに…とは言え、歌は歌っていましたので、呼吸筋が衰えることが無かったのも“音はセーフ”の原因かなって思いました。

 問題は指の方…かな? まず感じたのは手の中にあるフルート脳(って分かりますか?)がボケボケになっていた事。なので、指を動かす時は、指が自動運行する事はなく、いちいち脳みそで考えながら吹かないと、指が全く動かなかったのです。参ったね。さらに言うと、その、脳みそと指の間の配線も詰まっていたり、切れていたりする感じがします。つまり『全く意のままには動かない指』という現実を突きつけられたわけです。

 こりゃあ、あかんわ。明らかに、下手くそになってる。

 まあ、焦っても仕方ないので、また最初から指はさらい直しです。焦らずに、少しずつやれば、また以前と同じ程度の下手くそには戻るでしょう…と気楽な気持ちで練習を再開しました。

 しかし、これだけ下手くそになってしまったら、レッスンに行った時、先生に何て言い訳したらよいでしょうか。さすがに悩みます。

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2015年1月14日 (水)

上手くても物足りない演奏

 去年の年末、某G音楽大学のメサイアを聞きました。さすがに日本のトップレベルの音大生たちが束になって取り組んだメサイア演奏です。実に上手な演奏でした。特に、合唱なんて、あれだけの人数で歌っているのにも関わらず、クリアな合唱で、メロディラインも歌詞も、実によく分かりました。ほんと、お手本として聞くなら、最高の演奏だったと思うし、あれだけの高水準な合唱は、なかなか聞くことは出来ないと思います。

 合唱も高水準だったけれど、オーケストラも、ソリストたちも実に高いレベルで演奏をしていました。

 …と書くと、べた褒めっぽいですが、実はそうでもないんです。

 技術的に上手であることと、観客を魅了したり、満足させるのは、全くの別物だということです。しかし、今回に関して言えば「エンタメ性が乏しい」とか「観客に聞かせる事を念頭においていない」などとは言いません。エンタメ性に乏しいなんて事は無く、演奏者たちは観客の心を揺さぶる演奏を一丸となって行っていました。

 じゃあ、問題はどこにあるのかと言うと…会場にあります。会場が大きすぎたのです。

 今回の演奏は東京文化会館大ホールで行われました。このホール、5階建てで2300席以上もある、本当に大きなホールです。そして、この大きなホールで演奏するには、今回のオーケストラや合唱では、あまりに規模が小さく、ソリストたちもこのホールで歌いには、甚だパワー不足であっただけなんです。今回のG大の演奏規模なら、会場の大きさは、せいぜい1000席程度かな? このくらいの規模のホールなら、実に適切で魅力的な演奏になった思いますが、あの東京文化会館大ホールでは、ホールが大きすぎた…と思った次第です。

 クラシック音楽では、演奏するのにP.A.システム(俗に言う“マイクとスピーカー”)は使わないのですから、演奏する際には、その演奏者たちに適した大きさの会場で演奏するか、あるいは演奏会場の規模に応じた演奏者たちを集めないといけません。そこに齟齬が生じると、クラシック音楽の場合は、色々と不都合が生じて、うるさすぎたり、物足りなさを感じたりするわけです。ポピュラー音楽ではP.A.システムがあるため、一人の歌手が巨大な競技場でも場末のクラブでも、その両方で同じような演奏をすることも可能ですが、クラシック音楽では、演奏者と演奏会場の組み合わせが、演奏の質に大きく関わる要因となります。

 今回のG大の演奏者たちには、今回のホールは大きすぎたと思います。今回のホールの大きさに対応できたのは、おそらく男声合唱とトランペットとティンパニーぐらいじゃないかしら? 女声合唱も弦合奏もソリストたちも、極めて上手なんだけれど、全然物足りなかったです。

 合唱の規模をもっと大きくする事は出来なかったのかしら? オケも人数を増やすわけにいかなかったのかしら? ソリストは…そもそも古楽の声楽を勉強しているような人に、あのホールは不向きでミスマッチだったと思います。あのホールは、オペラ向きでしょう。かと言って、オペラの声楽を学んでいる人たちに、メサイアを歌わせるのでは、演奏者と歌唱スタイルにミスマッチが生ずるわけだし…やはり、演奏会場が合っていなかったというべきなのかもしれません。

 幸い、私は砂かぶりの席(って言い方も変ですね)に座っていたので、そのような演奏でも楽しむ事ができましたが、会場の反響音の乏しい演奏音は、いくら上手であっても、多少なりとも聞き苦しさを感じるものです。ましてや、ホールの中央部の席だと、一体どんなふうに聞こえたんでしょうね。実に丁寧で上手な演奏をしていただけに、音が会場を拡散してしまっていたのでは、不満足にしか聴こえないと思います。

 良い演奏だっただけに、会場の大きさとのミスマッチが、とても残念に思えたのでした。

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2015年1月13日 (火)

年を取ったら、きちんとカラダのケアをしないとね

 今日から2015年の平常記事をアップするはずなんですが…その第一弾は…実は昨年末の話になります(ごめん)。連載をしている最中にアップしたかった記事がたまっているもので…。

 年末は、第九やメサイアやその他諸々の演奏会ってヤツに、仕事の合間を縫って、連日連夜出かけておりました。なにしろ、年末はクラシックのオンシーズンってヤツですからね。

 そんなある日、どうにもこうにも、腰が痛くてたまらなくなりました。痛いからと言って、医者に行っている暇はないので、ロキソニン系の湿布薬を貼って誤魔化していたのですが、ある時、スポッと時間が空いたので、ぎっくり腰を直してもらった、例の行きつけのマッサージさんのところに出かけました。

 「腰が痛いんですよ、ぎっくり腰になりそうな予兆があるくらいに、腰が痛いんですよ」と訴えました。さっそく体を診てもらったところ、腰もヒドいが、それ以上に肩がガチガチ。「肩はとても痛いでしょう…」と言われましたが、肩は無痛で無自覚なんですね。

 なので「もしかすると、私は、肩こりですか?」と尋ねたら、「肩こりなんていう状態は、とうの昔に通り越してますよ」とのお返事でした。「肩はガチガチで、これでは肩甲骨なんて、ビクとも動かないでしょう」と言われました。肩甲骨が動かなければ、歌えないじゃないですか? そりゃあ、一大事だ!

 腰の痛みは、ガチガチに固まった肩から背中経由で筋肉が引っ張られ続けているが原因なんだそうです。ですから、一番、大変なのが肩であって、首から肩甲骨周辺にかけてがガチガチなんだそうです。で、ガチガチになって筋肉が収縮しているので、それが背中の筋肉を引っ張り続け、背中もガチガチ。で、背中の筋肉が常に上に引っ張られているので、腰の筋肉もそれらに引っ張られてガチガチ。で、そのガチガチになった腰の筋肉が痛みを発しているわけです。

 ですから、腰が痛いのは当然として、本来は、その経由である背中も痛いはずだし、何よりも元凶である肩は激痛のはずなんだそうですが…肩や背中に関しては、無痛で無自覚なんですねよ。

 とにかく、当座の(自覚された)故障ポイントである腰のマッサージはもちろん、その原因となる肩から背中にかけてのマッサージをたっぷりやってもらいました。

 どれくらいたっぷりやってもらったのかと言うと…ぎっくり腰の治療の時ですから、気持よくて寝てしまう私が、終始覚醒したまま、治療の痛みと戦う…と言うくらいにキッチリとやってもらいました。いやあ、背中も肩も、マッサージが痛くて痛くて(涙)。

 手技だけでは足りない、と言うので、電気や超音波によるマッサージも併用してもらって、小一時間ほど体を揉みほぐしてもらいました。

 たぶん、効果はあったのだと思います。だって無事に年を越せたんだもの。

 それにしても、日頃から“肩こり知らず”を吹聴していた私ですが、その実態は“肩こり知らず”ではなく“肩こり分からず”だったようです。ちょっとショックです。もう少し、自分のカラダの状態をきちんと把握できる人間にならないといけないなあって思った次第です。

蛇足 ちなみに、今は両足が痛いです。左のくるぶしは、先日、道に開いていた穴にハマってひねってしまいました。右ふくらはぎは、ついこの前、寝ている間につってしまい、それ以来バンバンに腫れたままです。で、両足とも痛いので、ロクに移動も出来ずに、ますます太ってしまいそうです(笑)。

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2015年1月12日 (月)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その10 キャッツ

 『すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ』最終回の今回、私が薦めるのは、ミュージカルでございます。『ジーザス・クライスト・スーパー・スター』『オペラ座の怪人』『エビータ』などで有名な、ロイド・ウェーバー作品である『キャッツ』はいかがでしょうか?

 「あんな有名なミュージカルの、どこが“脱初心者”なの?」 はい、このミュージカル、ストーリーがありませんし、恋愛ものでもありません。役者たち(ミュージカルの世界では“歌手”ではなく“役者”と呼びます)は、皆、ネコに扮して、ネコになって、歌って踊るんです。そして、このネコたち、実は上演する国で少しずつメンバーが違うのです。当然、ネコが違えば、曲もダンスも違うわけです。(ま、ミュージカルというモノは、必ずローカライズされて上演されるものだから、当然と言えば当然なんですね)

 どうですか? ちょっとワクワクするでしょ?

 日本では劇団四季によって、常にどこかで上演されていますので、チャンスさえあれば、割りと簡単に見に行けるミュージカルなので、一度直接見てみると良いと思います。そんなチャンスが、なかなかない人もDVDは発売されているので、それをご覧になってもいいと思いますよ。DVDの方は、ロンドン上演バージョンのようなので、劇団四季版とは、当然、色々と違います。両方ご覧になって、その違いを味わうのも良いかも…です。

 ストーリーは…本当に無いんです。ただ、色々なキャラクターのネコが登場して、自分たちの事を歌って踊るだけなんです。だから、ストーリーはないけれど、多種多様なネコたちが登場します。オス猫、メス猫、オトナのネコに仔ねこ。長老のネコに、若頭のネコに、その右腕ねこ。泥棒ネコや、魔術師のネコ、役者ネコに娼婦のネコ。ロック歌手のネコもいれば、鉄道ネコや魔女のネコもいる。それらのネコたちが自分語りをしていく、そんなミュージカルなんです。ですから、ストーリーらしいストーリーはありません。ただただ、ネコたちが入れ代わり立ち代わり、歌って踊っていくだけのミュージカルなんです。

 それが面白いのか? 面白いんです(笑)。ストーリーはない代わりに、全編、歌と踊りで満たされていますからね。これぞ、ショービズって感じのミュージカルなんです。

 有名な曲は…当然『メモリー』です。

 それと『キャッツ』の雰囲気がよく分かる画像を見つけたので、これも貼っておきます。そう『キャッツ』って、こんな感じのミュージカルなんですね。

 『キャッツ』を見ていると、同じ歌芝居と言っても、オペラとはだいぶ違うものだなあって思うわけです。

 あ、明日から、通常営業に戻りますです、はい。

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2015年1月11日 (日)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その9 蝶々夫人

 脱初心者と言う点で考えるならば、プッチーニの『蝶々夫人』は外せないでしょう。

 「『蝶々夫人』って、有名なオペラじゃないの?」 いえいえ、これは日本を舞台にしたオペラなので、日本では比較的有名なオペラとして勘定されますが、実はプッチーニ的には“お客の入らない残念なオペラ”なんです。まあ、アメリカにおける『西部の娘』と同じ扱いの“ご当地オペラ”と言って良いかもしれません。

 さらに言うと、このオペラ、日本のオペラカンパニーが上演しているモノは、まあ見られるものが多いのですが、海外で上演されるモノは、我々日本人には、ちょっと見られないモノが多くて、ゲテモノ感満載なんです。

 だってね、主役の蝶々さんは、15歳の日本の少女という設定だけれど、これを見るからに巨漢の白人のオバサンが演じていたりするとゲンナリするよ。おまけに、なんか登場人物たちの和服の着付けは変だし、大道具小道具は日韓中合同っぽかったり、プッチーニの音楽自身が、なんか無国籍だしね。冷静に見ると、実に紛々ものなんです。

 まあ、このオペラを映像で楽しもうと思ったら、浅利慶太が演出し林康子が蝶々さんを歌ったスカラ座の公演か、八千草薫主演のオペラ映画のどっちかしかないと思います(それでも、細かく言うと、色々と可怪しいんだけれどね)。

 と言うわけで、すでに絶版なのだけれど、もしも中古で手に入るなら、この本はお薦めです。だって、一冊の中に、浅利慶太版と八千草薫版の二つのDVDが字幕入りで封入されているんですよ。いやあ、お得お得。

 ストーリーは簡単。アメリカの将校であるピンカートンは、日本に駐在するにあたって、身の回りと夜の相手をする女性を必要としていた。そこで女衒に口利きを依頼し、紹介されたのが落ちぶれた武家の娘である15歳になったばかりの蝶々さんであった。蝶々さんを身の回りのお世話係として雇うために出された条件は、結婚式をあげる事であった。赴任先での結婚なんて、遊びのようなものと考えていたピンカートンは、何も考えずに蝶々さんと結婚式を挙げて、一緒に暮らし始める。一方、蝶々さんは自分が売られた事など気づかずに、本当にピンカートンに嫁入りをしたのだと信じ、甲斐甲斐しく彼に仕えるのであった。

 幸せに暮らす二人。やがてピンカートンは日本での任期を終える。「駒鳥が巣を作る頃に、君を迎えに来るよ」と、その気もないのに適当な事を言って、ピンカートンはアメリカに戻り、蝶々さんの事を忘れて、アメリカで正式な結婚をする。

 ピンカートンの帰国後、彼の子を産み、彼を待ち続ける蝶々さん。やがて3年が経った。

 ピンカートンの乗る軍艦が、ふたたび蝶々さんの住む長崎に到着したのだ。自分のことなど、とっくに忘れているだろうと、タカをくくっていたピンカートンは、蝶々さんがまだ自分の事を忘れずに待っている事、さらに二人の間に男の子まで生まれていた事を知り、驚いてしまう。蝶々さんの家…かつてピンカートンと蝶々さんの二人で暮らした家であり、今は蝶々さんと、白人ミックスの彼女の息子の二人で暮らしている家に、ピンカートンは訪れる。あいにく蝶々さんは外出していて、彼女の代わりにスズキ(蝶々さんに仕える女中ですね)が出てきたので、ピンカートンは、蝶々さんを迎えに来たのではなく、息子を引き取りに来たのだと言ったところ、猛烈にスズキになじられ、いたたまれなくなって、その場から逃げ出してしまう。

 留守の間にピンカートが訪ねてきた事を知った蝶々さんは、やっとピンカートンと会えると思い、ワクワクしながら、彼の帰宅を待っていた。そこに現れたのは、ピンカートンではなく、彼の代理の妻のケイトであった。すべてを理解した蝶々さんは、おとなしく息子を引き渡す事を誓い、一人にして欲しいと頼み、ハラキリをして自殺してしまうのであった。

 …とまあ、ヒドい話だし、色々とおかしい話だったりします。

 有名な曲は、蝶々さんが歌う『ある晴れた日に』ですね。

 まあ、色々とおかしなところがあるオペラだけれど、このオペラがあるおかげで、日本人ソプラノ歌手が大勢、世界でデビューできたのも事実だから、プッチーニ様様だし、『蝶々夫人』様様なのは、事実。我々、日本のオペラファンは、ほんと、プッチーニには、足を向けて寝られないですよ。

 でも、オペラのテーマそのものは良かったのでしょう。このオペラを原作とした『ミス・サイゴン』という名作ミュージカルが、後に生まれたのですから。

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2015年1月10日 (土)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その8 ホフマン物語

 今回お薦めするのは、オッフェンバック作曲の『ホフマン物語』なんですが、これも何とも奇妙で変わったオペラなんです。

 まず、未完成なんです(笑)。でも有名な作曲家の遺作という事なので、未完成部分を(カルメンを補筆完成させたギローという作曲家が)何とか補筆して上演可能な形に仕上げて上演してみたわけです。で、それはそれで大成功だったらしいのです。

 で、その成功を見た他の劇場でも(当時はオペラ作曲家の地位よりも、劇場支配人や歌手たちの方が地位が上だったし、そもそも作曲家自身がすでにこの世にいないので)自分たちの劇場の都合に合わせて、自分たちの劇場に合うように、色々と手を加えた様々なバージョンの『ホフマン物語』が生まれるわけです。

 さらに、本来、未完成だった楽譜に書き加えられるはずだった作者の草稿(と思われる楽譜の断片)が、あちらこちらでポツリポツリと見つかり、見つかった曲がまた素晴らしかったものだから、それらもドンドン付け加えられて、その度に新しい版の『ホフマン物語』が生まれたのです。

 あんまりたくさんの異なる楽譜が生まれたので、今度は音楽学者たちが色々と検討し、真筆補筆偽筆を選り分け、なるべく作者の意図通りの作品に再構成しようと努力した結果、なぜか複数の再構成作品が出来上がってしまい、決定版が複数、世に存在するようにななり、それらはそれらで、それぞれ、未だに上演されつづけている…とまあ、百花繚乱的な状態のオペラなんです。

 だから、3幕版もあれば、4幕版もあるし、5幕版もあるし、ヒロインの数も2人だったり3人だったり、その登場順番も版によって違っていたり…とまあ、あるはあるは別バージョンって状態です。だから、解説するにしても、どのバージョンで解説したら良いのか…実に迷う次第です。この私自身、何度か『ホフマン物語』を見てますが、その度に違う『ホフマン物語』を見ているぐらいですから(笑)。

 ストーリーはこんな感じ。

 ある歌劇場近くのバーに、売れない詩人のホフマンが、親友のニクラウスと共にいた。ホフマンは歌手のステラに惚れていて、ラブレターを書いて渡したのだが、返事がなくて、少し凹んでいた。実は彼の書いたラブレターは、彼の恋敵であるリンドロフの手に渡り、にぎりつぶされていたのだ。そうとは知らないホフマン。やがて、オペラの幕間となり、大勢の客がバーにやってきた。浮かれるホフマン。ある客がホフマンに恋をしているのかと尋ねると、それを否定するが、リンドロフにからかわれる。ムキになったホフマンは、如何に自分が持てない人生を歩んできたのかと話し始めるのであった。

 最初の恋話は、オランピアの話だった。若き日のホフマンは、科学者スパランツァーニに弟子入りをし、科学者になろうとしていた。ある日、スパランツァーニは、娘のオランピアを社交界におひろめするのだと言って準備を始める。オランピアを見て、一目惚れするホフマン。ニクラウスは「あんな人形のどこがいい」と言って取り合わない。夜会が始まって、招待客にお披露目されるオランピア。客人たちは、オランピアの素晴らしい出来に賞賛した。そう、オランピアは自動人形(つまり、アンドロイド)だったのだ。ゼンマイで動くオランピアは、しばしばゼンマイが切れてしまい、動きが止まるのだが、その度ごとに発明者のスパランツァーニが慌ててゼンマイを巻く。オランピアの美しさに心を奪われているホフマンは、その事に全く気が付かない。

 夜会は食事会となり、一同は場所を移動する。当然オランピアは食事をしないので居残り。ホフマンもオランピアと共に会場に残る。あれこれとオランピアを口説くホフマン。やがて暴走して部屋から出て行ってしまうオランピア。クチ、ポカーンのホフマン。ニクラウスは、ホフマンにオランピアがゼンマイ人形である事を告げるが、ホフマンは取り合わない。

 そこに、オランピアの目玉の部品を作った下請け業者であるコッペリウスが現れ、スパランツァーニに代金の支払いを要求する。スパランツァーニは手形で支払うが、その手形は不渡りであった。怒り狂うコッペリウス。代金が支払えないのなら…と言って、オランピアを破壊してしまうコッペリウス。バラバラにされるオランピア。バラバラにされたオランピアの残骸を見て、ようやくオリンピアが人形であったことに気づき、失神するホフマン。招待客は、人形に恋をしたホフマンを見て、大笑いをする。

 次の恋話は、高級娼婦のジュリエッタの話である。ベネチアの歓楽街で大勢の貴族たちが女遊びをしている中に、ホフマンとニクラウスもいた。ホフマンはジュリエッタの事が気になっていたが、ニクラウスに「娼婦に惚れるなんて止めておけ」と忠告される。

 魔法使いのタベルトゥットは、ホフマンの影を欲していた。そこで、ホフマンがジュリエッタに惚れている弱みにつけこみ、彼女に大粒のダイヤモンドを渡し「ホフマンを誘惑して見事に影を奪ったならダイヤをあげよう」と約束する。欲に目がくらんだジュリエッタは、言葉巧みにホフマンを誘惑し、無事に影を奪う。喜んだジュリエッタは、従者の差し出すワインを飲むが、それは毒入りであった。ホフマンの腕の中で死ぬジュリエッタ。それを見て、大笑いをするタベルトゥット。またも、失恋をしたホフマンであった。

 最後の恋話は、病弱な歌手であるアントニアの話。アントニアは病弱であり、歌い続けいると死んでしまうと医者から告げられていた。ある日、ホフマンとニクラウスがアントニアの家にやってきて、なぜ突然引っ越してしまったのかと尋ねる。アントニアは何を尋ねられているのか分からない。ホフマンとアントニアは明日、結婚する事を約束をする。
 そこにミラクル医師がやってきたので、ホフマンとニクラウスは身を隠す。ミラクル医師は、アントニアの母が死んだ時の医者だったので、アントニアの父は彼を信用していなかった。ミラクル医師はアントニアに、その若さと美貌と才能がありながら、歌わないでいられるものかと言い放つ。怒る父親。

 医者と父親が出ていったのを確認して現れるホフマン。医師と父親のやりとりを聞いていたホフマンは、アントニアに歌を止めるように説得する。納得するアントニア。

 一人になったアントニアの元にミラクル医師が現れ、彼女に歌をそそのかす。抵抗するアントニア。その時、アントニアの母の亡霊が現れて、アントニアに歌うように強要する。狂ったように歌い始めるアントニア。やがて歌い疲れたアントニアは死んでしまう。驚くホフマン。ホフマンはまたも失恋したのだった。

 以上の話をし終えた頃、歌劇場の公演も終わり、プリマドンナであるステラがバーにやってくる。酔いつぶれるホフマン。彼女の到着が遅かった事を愚痴るニクラウス。満面の笑みでステラを迎え、腕をとって、二人きりでバーを退出する、リンドルフとステラ。残されたホフマンは、そのまま死んでしまう。

 死んでしまったホフマンの魂は、音楽の神であるミューズがやさしく天国に導くのであった。

 …というストーリーだったりします。もちろん、版によっては、これとは多少違うストーリーだったりする事もあるから、気をつけて下さい(ほんと、厄介なオペラだね)。

 とまあ、ストーリーも厄介だけれど、実は上演では、もっと厄介な事が起こります。と言うのも、敵役である、リンドロフとコッペリウスとタベルトゥットとミラクルは、通常、同じ歌手によって演じられます(つまり、人物は違っていても、ホフマンにとっては同じ人間である…という暗示ね)。また、ホフマンが恋する相手であるステラとオランピアジュリエッタとアントニアも同じ歌手によって演じられます。さらに、ニクラウスは女性歌手が男装して演じ、音楽の神ミューズも演じます。つまり、ニクラウスは実在の人物ではなく、ホフマンの守護神であるという設定なんだな。

 ああ、色々と面倒くさいオペラでしょ?

 こんなに欠陥だらけで矛盾だらけのオペラなのに、なぜ人気があるのかと言うと…曲が素晴らしいからです。

 『ホフマン物語』と言うと、まず有名なのがニクラウスとジュリエッタで歌う『舟唄』です。たまに、この曲をフルート曲だと勘違いしている人がいますが、この曲は、元々、オペラの二重唱なんですよ。

 オランピアのアリアも忘れてはいけないでしょう。

 ホフマンと男声合唱で歌う、この曲も外してはいけないでしょうね。

 とにかく、色々と問題の多いオペラである『ホフマン物語』ですが、その音楽の圧倒的な魅力によって生き残っているという、稀有なオペラであります。

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2015年1月 9日 (金)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その7 ランメルモールのルチア

 今回お薦めするのは、ドニゼッティ作曲の『ランメルモールのルチア』です。このオペラにも、ほとんどストーリーはありません。

 だってね、ストーリーと言っても、こんな感じですよ。

 エンリーコの一族は衰退していた。一族を復興させるためには、政略結婚が必要。そこで、エンリーコは妹のルチアを、近隣の有力者であるアルトゥーロと結婚させようとする。しかし、ルチアにはエドガルドという恋人がいたのだ。それを知った兄であるエンリーコは、ルチアの気持ちを無視して、勝手に縁談をすすめる。さらに、エドガルドがルチアを捨てたと嘘をついて、ルチアを騙して結婚式に及ぶ。

 結婚式当日、エドガルドに捨てられたと思ったルチアは、一族のためにしぶしぶと結婚証明書にサインをする。そこに現れるエドガルド。自分を捨てて、他の男と結婚してしまったルチアに怒り狂う。場は混乱し、逃げ出すエドガルド。

 混乱はなんとか収まり、結婚披露宴が続いた。しかし、自分は騙されて結婚させられたと知ったルチアは、気が狂い、新郎であるアルトゥーロをナイフで刺殺し、自分も狂い死にしてしまう。それを聞いたエドガルドは、自殺してしまう。

 こんだけ(笑)。こんだけしかストーリーはありません。

 このオペラの見どころは『狂乱のアリア』です。つまり、気が狂ってしまったルチアが、その気違いっぷりを歌で表現して、もう訳の分からないことを口走っているというアリアなんですが、このアリアが、もう難曲中の難曲なんですよ。難しい上に長い! このアリアを聞くためだけに、このオペラは存在すると言ってもいいくらいなんです。

 YouTubeでは、ナタリー・デセイが歌う、狂乱のアリアが3つに分割されてアップされていました。

 このアリアを心の底から楽しめたなら、もはや“脱初心者”どころか“通”かもしれませんね。それくらいに、玄人好みのアリアだと思います。

 あと、このオペラも『ドン・カルロ』ほどではありませんが、色々とバリエーションがあります。まずは、フランス語の台本で上演されるか、イタリア語の台本で上演されるかの違いがあります。ちなみに『ランメルモールのルチア』はイタリア語上演の時のタイトルです。フランス語だと『ランマームールのリュシー』というタイトルになり、イタリア語台本と、台本の中身が若干違います。だいたい登場人物の数も違うので、台本的にはかなり違います。台本が違えば当然、音楽も変わります。差し替えられた曲も多数ありますので、イタリア語で上演されるか、フランス語で上演されるかは、実は結構大きな違いです。

 それに実は目玉である『狂乱の場』にも、色々な違いがあります。あまりに長いので、中間部をカットして上演する事も結構多いです。また、難しすぎるので、本来は無伴奏のところを、伴奏を入れてみたり、カラオケよろしくメロディラインをフルートでなぞるように吹かせてみたりと、色々なバリエーションがあります。また、当然の話ですが、歌手ごとにカデンツァを変えてきますので、聴き比べをしても楽しいですよ…って、それ以前に、あまりに難しいので、めったに上演されないというオペラなんですけれどね。

 でも、一度ハマると、なかなか抜け出せなくなるオペラだったりします。『ニーベルングの指』同様、“脱初心者”向けと言うよりも“通好み”なオペラかもしれません。

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2015年1月 8日 (木)

ホノカを入院させました

 本来なら『すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その7』をアップする予定でしたが、予定を変更して、今回は金魚記事をアップします。『すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その7』は、また明日、改めてアップして連載を継続する事にしますね。

 ええと、年始年末をなんとか越えた、病魚、サクラ&ホノカですが、最近のホノカの状況が、また変わりました。普通の松かさ病かと思っていたのですが、どうも普通どころか、重篤な松かさ病になってしまったようなんです。

 一時は持ち直したホノカだったのですが、ちょうど年越しの辺りにガンが再発しました。どうなる事か思っていたのですが、年を越えた途端に、そのガンが収縮しました。やれやれと思っていたら、それからしばらくして、今度は、以前にも増してウロコが逆立ち、逆立ったウロコのすきまから水疱、つまり風船が出てきました。

 以前患ったガンが残っているのは左体側なんですが、風船だらけになっているのは、新しくガンが出来て消えた右体側なんです。

 風船は透明な風船で、水泡眼(という種類の金魚がいます)の目の下にあるような、あんな感じの風船なので、中に入っているのは、単なる体液(おそらくはリンパ液がなんかでしょう)か、あるいは病原菌がたっぷりと詰まった膿だと思います。

 とにかく、カラダの丸みが激しくなり、ウロコも激しく逆立ち、おまけに風船だらけになってしまいました。当魚は元気なのですが、見かけは、すごくすごくインパクトがある状態です。

 なんかもう、金魚じゃない生き物のような感じになってきたホノカです。まるで、ウルトラ怪獣のタッコングのような姿です。

 さすがに、これはあまりにヒドい…と言うので、2015年1月7日に、病院水槽の方に隔離する事にしました。薬液漬けです。ちなみに、サクラは尾びれの方のウロコがわずかに逆立っている程度なので、隔離せず、今まで通りメイン水槽にいます。

 ちなみにホノカは、病気でさえなければ、かなり形も色つやも良い美形金魚なんです、本当なんですよ。それだけに、重篤な病気になってしまって残念です。しかし、ここまで重篤な症状になってしまったという事は、それだけ強い魚だとも言えます。おそらく、他の子なら、ここまでひどくなる前に星になってしまっているでしょうからね。

 とりあえず、ホノカが元気になる事を願っています。

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2015年1月 7日 (水)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その6 イル・トロヴァトーレ

 今回お薦めするのは、前回お薦めした『ドン・カルロ』同様、ヴェルディ作曲の『イル・トロヴァトーレ』です。

 “トロヴァトーレ”とは“吟遊詩人”という意味なんだそうですが…あまりオペラのテーマとは関係のないタイトルです。

 前回お薦めした『ドン・カルロ』が演劇的なオペラだとしたら、この『イル・トロヴァトーレ』は非演劇的というか「ストーリーなんて、どこにあるのサ?」というほどに、わけの分からないオペラです。その代わり、全編、きらめくような音楽に彩られているのです。主役は歌。ストーリーは、その歌の雰囲気作りのための小道具。そんな感じもするオペラです。

 むりやりストーリーを説明すると…先代のルーナ伯爵には息子が二人いた。ルーナ家の子どもに呪いをかけたという疑いで、あるジプシー女を火刑にした。それと同時にルーナ兄弟の弟は行方不明となり、焼け跡から子どもの白骨が発見された。兄である現ルーナ伯爵は、行方不明となった弟を探している。

 そんなルーナ伯爵は恋をしていた。相手はレオノーラ。ある晩、レオノーラを見かけたルーナ伯爵はレオノーラに抱きついてしまう。二人でイチャイチャしていると、別の男が現れた。その男の名前はマンリーコ。近所のジプシー団の頭目であった。実はレオノーラは、マンリーコの事が好きで、マンリーコと間違えてルーナ伯爵に抱きついてイチャイチャしていたのだ。激高するマンリーコ、レオノーラにふられて頭に血がのぼるルーナ伯爵。二人の決闘が始まり、レオノーラは気絶してしまう。勝負はつかずに、逃げ出すマンリーコ。

 マンリーコはルーナ伯爵に殺されてしまった、と信じ込んでいるレオノーラ。もう生きていても仕方ないと、修道院入りを決意する。修道院に入るくらいなら、自分のところに嫁に来いと画策するルーナ伯爵。そんなルーナ伯爵の計画を邪魔に入るマンリーコ。レオノーラを奪われたルーナ伯爵は、腹いせにマンリーコの母親であるアズチェーナを誘拐する。

 結婚式をあげようとするマンリーコとレオノーラ。そこにアズチェーナが誘拐されたという知らせが入る。怒り狂うマンリーコ。軍隊を率いて、ルーナ伯爵の城に攻め入る。

 戦いはルーナ伯爵の勝ち。牢屋にぶちこまれるマンリーコ。レオノーラは「マンリーコを解放してくれたら自分はルーナ伯爵と結婚する」と約束をする。喜ぶルーナ伯爵。マンリーコは釈放される。それを確認し、服毒自殺をするレオノーラ。騙されたと知ったルーナ伯爵は、再びマンリーコを捉え、殺してしまう。

 息子の死を見たアズチェーナはルーナ伯爵に向かって言う。「あれはお前の弟だよ」そして「母さん、復讐は終わったよ」と。実は先代のルーナ伯爵に火刑にされたジプシー女とはアズチェーナの母であったのだ。そして、焼け跡から見つかった子どもの骨とは、アズチェーナがルーナ伯爵の子どもと間違えて、うっかり火の中に放り込んだ自分の息子であって、死んだ息子の代わりに先代ルーナ伯爵の子を息子として育てていたのだ。それがマンリーコであったのだ。

 …というのがストーリーなんだけれど、まあ、デタラメもいいところでしょ? というわけで、ストーリーには、ほぼ見るべき点のないオペラなんです。日本人って、どうしてもストーリーとか、気の利いたセリフとかに価値を見出す人なんだけれど、そういう日本人的な視点から見ると、ガックリくるオペラなんです。とにかく、歌、歌、歌なんですよ。

 『イル・トロヴァトーレ』と言うと、真っ先に思い浮かぶのが『見よ、恐ろしい炎を』というアリアです。

 実に、なんかも、すごいとしか言えないアリアでしょ。この曲の聞かせどころは、最後の最後の "All'armi!" という箇所なんです。この箇所、楽譜では高音Aのロングトーンなんです。高音Aのロングトーンなんて、普通のテノールじゃあ簡単に歌えないほどに難しいのですが、それを大抵のテノール歌手が、さらに甲高いHi-Cのロングトーンで歌うんですよ。なんで、そんな大変なところを、さらにわざわざ余計大変にして歌うのか、馬鹿ですね、ほんと、テノールっていう人種は馬鹿ですね。そんな愛すべき馬鹿たちのお馬鹿っぷりを集めたモノを見つけたので貼っておきます。笑ってやってください。

 もちろん、こんな馬鹿丸出しの曲ばかりではありません。「ああ、美しい人」という、実にメロディアスな曲だって歌われるんですよ。ちなみに、この「ああ、美しい人」と先ほどの「見よ、恐ろしい炎を」は続けて歌われるんですけれどね。

 この曲も有名ですよ。アンヴィル・コーラスとも言われる『鍛冶屋の合唱』です。

 メゾソプラノのコンサートではおなじみの『炎は燃えて』も、このオペラの曲です。

 他にもソプラノの『穏やかな夜』『恋はバラ色の翼に乗って』や、バリトンの『君の微笑み』とか、また二重唱や三重唱にも、すごくメロディアスな曲が揃っているオペラです。

 ストーリーはともかく、とにかく音楽を聞きたい…という人向けのオペラです。

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2015年1月 6日 (火)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その5 ドン・カルロ

 さて、今回お薦めするのは、ヴェルディ作曲の『ドン・カルロ』です。

 このオペラのストーリーは、実話を元にしたもので、かなり重いです。

 スペインの王子ドン・カルロは、許嫁のフランス王女エリザベッタと相思相愛です。しかし、政治の都合で、エリザベッタは王子妃ではなく、王妃としてスペイン王フィリッポ二世(カルロの年老いた父)の元に嫁ぎます。

 エリザベッタを諦めきれないカルロ。彼を励ます親友のロドリーゴ。ロドリーゴは、スペインが弾圧を加えているフランドール地方の事を耳打ちします。単純なカルロは父への反発もあって、すぐさまフランドールに飛び、彼らをまとめて、スペインからの独立運動の先頭に立ちます。その行動はスペインに対する反逆とみなされ、カルロは逮捕されて牢屋にぶちこまれます。

 フィリッポ二世は、行きがかり上、仕方なくカルロを牢屋に入れたものの、本当はカルロの事が可愛くて、悩ましくて、彼の処遇を悩みます。また、彼の反発の原因が、自分とエリザベッタの結婚にある事も知っているわけだし、そのエリザベッタは、どうも今でもカルロの事を愛しているのではないかと邪推する(実はエリザベッタは、とうの昔にカルロの事を忘れていて、今は身も心も王妃なのですが、それがうまく王に伝わっていない)わけです。

 カルロを心配するロドリーゴは、何とか彼を逃がそうと画策し、その最中に暗殺されてしまいます。何とか牢屋から逃げ出したカルロは、フランドール地方に落ち延びる前に、祖父のカルロ五世の墓で身を隠していると、やがて追手が迫ってくる。危機に落ちるカルロ。その時、墓の中から死んだはずのカルロ五世が現れて、ドン・カルロを墓の中に連れて行ってしまう。

 と、まあ、ストーリーを単純に書いてしまうと、こんな感じになります。でも実際の舞台は、もっとドロドロとしているし、結構ストーリーもきちんとしていて、演劇的なオペラなんですよ。

 このオペラの代表曲と言えば、『我らの胸に友情を』という、有名なテノールとバリトンの二重唱があります。この曲はいつか、Y先生と二重唱できたらいいなあと、心に秘めている曲なんですよ。

 このオペラが脱初心者向けなのは、実は色々な版(つまり楽譜)が存在するからです。と言うのも、このオペラ、元々はフランス語の台本に作曲されたフランス語オペラだったのです。ちなみにこの時はフランスのグランド・オペラの形式に準拠して、バレエ入りで5幕だったんです。今でも、このフランス語5幕版で演奏されることは多いです。

 その後に台本をイタリア語に書き換えて、大幅に場面を加除し、バレエも省略し、新しい曲もバンバン加えて、フランス語版にあった第1幕を丸々カットして、全体を4幕に圧縮して改訂しました。これが現在、一番多く使われているイタリア語4幕版と言われるものです。

 さらにその後、4幕版ではストーリーの流れが分かりづらいという評判がたったので、ヴェルディ自身がカットした第1幕を書き直した上で復活させて、更に台本と音楽に手を加えたものを作りました。これがイタリア語5幕版です。

 一応、完成形は最後のイタリア語5幕版なのですが、割りと多くの歌劇場で(様々な理由から)イタリア語4幕版が愛用されています。また、それに飽きたらず、各歌劇場ごとに、色々と手を加えた形で、この『ドン・カルロ』というオペラは演奏される事もあるので、実に様々な版がこの世に存在します。

 例えば、アメリカのメトロポリタン歌劇場の場合は、イタリア語歌唱で、内容的には5幕版とほぼ同じにして、全体を3幕版として構成しなおした楽譜を使ってます。ですから『ドン・カルロ』を見る場合、1)何語で演じられるのか? 2)何幕で演じられるのか? 3)バレエシーンはあるのか?に注意すると面白いと思います。

 ま、つまり、演じる歌劇団ごとに、色々なバージョンがあって、それぞれが違っていて、それぞれが見ものとなるオペラが『ドン・カルロ』ってわけです。

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2015年1月 5日 (月)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その4 ニーベルングの指輪

 今回オススメする『ニーベルングの指輪』と、これを制覇したら、本当に“脱初心者”間違いなしという作品です。と言うのも、このオペラ、全部を聞くだけでも、容易なことではないからです。

 まず『ニーベルングの指輪』って、1日では見きれません。作者であるワーグナーは4夜かけて見ることを前提として作品を書きました。なにしろ(休憩なしで)演奏にかかる時間が約15時間。実際の上演の際は休憩時間が必要ですから、そうなると約19時30分かかる…ってぐらいの超大作となります。

 実際は、以下の様な感じになります。

序夜  『ラインの黄金』 上演時間:2時間40分(休憩なしなので2時間40分)
第1日 『ワルキューレ』 上演時間:3時間50分(休憩入れると約5時間10分)
第2日 『ジークフリート』 上演時間:4時間(休憩入れると約5時間20分)
第3日 『神々の黄昏』 上演時間:4時間30分(休憩入れると約6時間30分)

 私、メトの旧演出版のDVDを持っていますが、それだと全部で7枚です。たった一つの作品なのに、DVD7枚だよ。もう、すごいでしょ?

 ストーリーは…とても複雑で長いですので、ごくごく簡略して書きます。

 世界を支配する力を持つと言われる、ラインの黄金は、ライン川の水底でラインの乙女たちに守られていたが、それを小人族のアルベリヒが騙して盗み出し指輪に加工する。一方、神々の長であるヴォータンは、その居城であるヴァルハラ城を巨人族に作らせるが、その支払に困っていた。火の神ローゲの提案で、小人族のアルベリヒから黄金の指輪を取り上げて、それで支払うことにし、力づくでアルベリヒから黄金の指輪を取り上げる。アルベリヒは指輪を取られる際に、指輪に死の呪いをかける。指輪を受け取った巨人族の兄弟は互いに殺しあう。神々は自分たちの居城に入城する。(以上、ラインの黄金)

 ある嵐の日、フンディング(夫)とジークリンデ(妻)の夫婦の家に、怪我をしたジークムントがやってくる。フンディングは怪我人であるジークムントを手厚く介抱するが、彼が自分の一族の敵である事に気づく。フンディングは「今晩は客人として扱うが、明日は決闘だ」とジークムントに言い放つ。一方、なぜか心が惹かれ合う、ジークリンデとジークムント。生い立ちを話しあううちに兄妹である事が判明。フンディングに眠り薬を飲ませ寝ているうちに、駆け落ちをする事にしたジークムントとジークリンデ。出かけに、フンディングの家の側のトネリコの木に刺されたまま誰も引き抜けなかった名剣ノートゥングを引き抜くジークムント。実はこの剣は、神々の長ヴォータンが、その息子であるジークムントのために用意しておいた剣だったのだ。(つまり、ジークムントとジークリンデの兄妹、神々の長ヴォータンと人間の女の間に生まれた兄妹ってことね) 逃げる二人、やがて睡眠薬から目覚めて、二人を追いかけるフンディング(そりゃあ、そうだ。一族の敵がある上に、自分の女房を連れて逃げているわけだからね)。

 一方、神々の世界では、ヴォータンが死せる英雄の魂を集めていた。その手先として、彼は自分の9人の娘たち(ワルキューレ)をその使者として使っていた。フンディングとジークムントの戦いを知ったヴォータンは、ワルキューレの長であるブリュンヒルデに、フンディングを勝たせ、ジークムントを殺させて、彼の魂を持ってくるように命令した。

 さっそく外界に下りたブリュンヒルデ。ジークムントにその死を伝えるが、彼は「ならば、今ここでジークリンデと共に死にます」と宣言。その愛の深さに打たれたブリュンヒルデは、彼らの味方に成ることを誓います。

 そのまた一方、神々の世界では、夫を捨てて他の男に走ったジークリンデの不貞が結婚の神(にして、ヴォータンの妻である)フリッカには許せない。なぜならフリッカは結婚の神であり、結婚の秩序を何よりも大切にするからである。それなのに、ジークリンデはジークフリートと近親相姦まで犯して、その体内に子どもを宿しているのである。フリッカの怒りは収まらず、必ずフンディングを勝たせないといけないとヴォータンに確認する。心配になったヴォータンも外界に降りる。

 今真にフンディングとジークムントの決闘が行われようとしていた。そこでブリュンヒルデの裏切りに気づいたヴォータンは、ジークムントに一鐵を加え、ノートゥングを折り、ジークムントを殺してしまう。ヴォータンがやってきた事に気づいたブリュンヒルデは、あわててジークリンデを連れて逃げ出してしまう。

 うまくジークリンデを森に逃したところで、ブリュンヒルデはヴォータンに発見される。愛する娘であるブリュンヒルデに罰を与えるヴォータン。その罰とは、彼女から神性を奪い、無力のまま岩山に寝かせて放置するというものであった。そして、最初に彼女を発見した男が彼女にキスをしたら、ブリュンヒルデはその男のモノとなるという罰であった。

 悲しむブリュンヒルデは、せめて眠る自分の周りを業火で囲み、真の勇者でなければ炎を越えられないようにしてほしいと願い、その願いは受け入れられる。(以上、ワルキューレ)。

 森に逃げ込んだジークリンデは行き倒れたところを、小人族のミーメに助けられる。ジークリンデは難産の末、一人の男の子を産むが、出産直後に死んでしまう。その子はジークフリートと名付けられ、ミーメの元で育てられる。

 ミーメは優しい養父であったが、ジークフリートは馬鹿で乱暴者で、ちっともミーメに恩を感じていなかった。それどころか、何かにつけミーメを愚弄し、彼の仕事である鍛冶仕事を手伝うこともなかった。ある日、自分の姿がちっともミーメに似ていない事を不審に思い、ミーメを問いただして、実の母と形見の剣の話を聞き出す。形見の剣とは、折れてしまったノートゥングの事だ。ジークフリートはミーメに、この剣を直すように命令するが、ミーメには直せなかった。業を煮やしたジークフリートは自分でノートゥングを打ち直して修理してしまう。

 ジークフリートの扱いに手を焼いたミーメは、森の奥にいる大蛇(なぜかドイツ・オペラでは、すぐに大蛇が出てきます:笑)を退治するのが良いだろうと彼をけしかける。

 ノートゥングで、あっという間に大蛇を退治してしまうジークフリート。実はその大蛇は、指輪を奪い合った巨人族の片割れが変身した姿であって、その洞窟にはラインの黄金から作った指輪を始め、巨人族の金銀財宝と魔法のアイテムが隠してあったのだ。黄金の指輪を手にするジークフリート。そこにやってきたアルベリヒは、洞窟の中に黄金の指輪がある事をミーメに伝える。ミーメはジークフリートから黄金の指輪を取り上げようとするが、ジークフリートに殺されてしまう。

 洞窟から出たジークフリートは燃え盛る岩山に行く。途中で地上に降りていた祖父ヴォータンと出会い、話をかわすが、ジークフリートのタメ口に腹をたてたヴォータンは、怒りの一撃をジークフリートに喰らわせるものの、あっという間に反撃されてしまう。

 ヴォータンを破ったジークフリートは、業火をものともせずに、岩山を登り、炎の中で眠るブリュンヒルデを見つけ、そのクチビルにキスをして彼女を自分の妻にするのであった。(以上、ジークフリート)

 夫婦となったジークフリートとブリュンヒルデは、互いに大切にしているものを交換する。ジークフリートは黄金の指輪をブリュンヒルデに預け、ブリュンヒルデは神馬であるグラーネを彼に預ける。グラーネに乗ったジークフリートは、新たな冒険の旅に出るのであった。

 アルベリヒと人間の女の間に生まれたハーゲンは、異父兄妹であるグンターとグートルーネ(ともに人間、ただし王族)と暮らしていた。黄金の指輪の持ち主がジークフリートであると知ったハーゲンは、なんとかして指輪を手に入れたいものだと思い、策略を練る。

 まず、旅先のジークフリートを彼らの家に招き入れ、食事に招待する。そこで忘れ薬をジークフリートに飲ませ、過去の事を忘れさせて、グンターと親交を結ばせ、グートルーネと結婚させてしまおうと考えた。計画は見事に成功し、ジークフルートは過去を忘れ、グンターの親友となり、グートルーネの婚約者となった。グンダーが岩山に眠る美女(つまり、ブリュンヒルデ)に興味を持っている事を知ったジークフリートは、彼のために、彼に変装して、岩山に上り、ブリュンヒルデから指輪を奪った上で、彼女を拉致してグンターの屋敷に連れて来た。

 屋敷に拉致されて、改めて周りを見回して、ブリュンヒルデは気づいた。自分の夫であるジークフリートは、グートルーネと結婚をしようとしている事、グンターに奪われたと思っていた指輪は、変装したジークフリートに奪われた事。つまり、ジークフリートに捨てられて裏切られたと知ったブリュンヒルデは、頭に血が上り、ジークフリートに復讐を誓う。

 そこにハーゲンが近づき、言葉たくみにジークフリートの弱点を聞き出す。ジークフリートは、ブリュンヒルデによって不死身の魔法をかけられていたが、敵に背中を見せない男であると思われていたので、ブリュンヒルデはわざと彼の背中には魔法をかけなかったのである。それゆえ、ジークフリートは背中への攻撃には無力であると。

 それを知ったハーゲンは、ジークフリートの背中にやりを突き刺して、彼を殺してしまう。しかし、彼の指から指輪を抜き取ることはできなかった。

 ブリュンヒルデは、ジークフリートの葬式(火葬)の準備をする。燃える火の中に、愛馬グラーネと共に飛び込むブリュンヒルデ。黄金の指輪は、炎の中からライン川へと落ち、ラインの乙女たちの手元に戻ったのであった。(以上、神々の黄昏)

 はあ、疲れた。以上、ものすごーく、ストーリーを端折って書いてみました。本当は、これ以外の伏線がたくさんあるんだけれど、そこまで書いたら、どれだけの分量になるかわからないので、これで勘弁してください。

 ちなみに、映画『アベンジャーズ』に出てくる、マイティー・ソーは、『ラインの黄金』に出てくる雷神のドンナーがモデルです…ってか、あのマイティー・ソーの世界は『ラインの黄金』に出てくるヴァルハラ城の世界がモデルになってます。

 さて、このオペラの代表曲と言えば…泣く子も黙る『ワルキューレの騎行』でしょうね。

 この曲、演奏曲だと思っていた人、多いんじゃないでしょうか? 実はこの曲、重唱曲だったんですよ。ただし、主役級の女性歌手を8人も集めないと歌えない曲なので、それだけの歌手を集めるのが大変なので、普通の上演では、ヴォーカル部分を演奏しないで、オケのカラオケ部分だけを演奏して済ませてしまうんですよ。それで、演奏曲だと勘違いされますが、実はこの時、こんなメロディーの曲だったんですね。

 これだけ長いオペラなんだから、他にも有名なアリアはないの? と思われた方。実はそこも、このオペラの“脱初心者”な点なのですが、このオペラには、一曲たりとも“アリア”と呼べる曲はないのです。「え?」と思われた方、いらっしゃるでしょう。でも、本当なんですよ。このオペラにはアリアは無いのです。全編、派手なオーケストラと、難易度の高いメロディアスなレチタティーヴォと重唱だけで成り立っているのです。

 例えば、こんな感じです。これは『神々の黄昏』の冒頭部です。

 まあ、全編を通して、こんな感じで重厚な音楽が流れていきます。この曲を最初から最後まで聞き終えた人は、間違いなく、オペラの脱初心者です。

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2015年1月 4日 (日)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その3 魔笛

 は~い、すとんです(笑)。今回、私が薦める“脱初心者”向けのオペラは、前回に引き続き、モーツァルトのオペラです。その名も、マジック・フルート『魔笛』です。主役のタミーノは、魔法のフルートの力で魔物をやっつけて、愛と正義を我が手にする物語なんです。

 馬鹿でしょ? そうなんです、このオペラって、すごく頭の悪い、お馬鹿なオペラなんです。

 開幕早々、登場するのは、大蛇の姿をした魔物に追われる主人公のタミーノ。初演の設定では、このタミーノは狩衣姿でチョンマゲ姿だったそうです…って、日本人かい! とにかく、このタミーノは弱っちいので、魔物に襲われて、あっという間に気絶してしまいます(ダメな主人公…)。あわや、魔物に殺されるそうになるタミーノ。そこに割って入ったのは…正義の味方ならぬ、三人の侍女たち。この侍女たちは、魔法使いなんですね。ですから、不思議な魔法を使って、あっという間に魔物を退治してしまいます。

 魔物を退治して、倒れている人を見たら「あら、素敵なイケメンじゃないの?」って事になって色めく三人。事の顛末を自分たちのボスである“夜の女王”に報告しないといけないのだけれど、誰が行くか(って、誰が残ってイケメンの介抱をするか)でモメて、結局、気絶しているタミーノを残して、三人で報告に行くことになります。

 放置されるタミーノ。そこに鳥刺しのパパゲーノ(はっきり言って、こいつも魔物の一種。立ち位置的には、ロケット団のニャースのような存在)がやってきて、タミーノを眺めている時に、タミーノは目を覚まします。そばに鳥の魔物(バードマン?)であるパパゲーノがいて、自分を襲ってきた蛇の魔物が倒れている…となれば、この鳥の魔物が自分を助けてくれたものと誤解するわけだし、誤解されたパパゲーノも、あえてその誤解を解かずに、偉そうに自分の手柄にしちゃいます。

 そこに、さっきの三人が戻ってきて「あなたを助けたのは、私たちなのよ」となり、パパゲーノは嘘をついた罰として、くちばしに鍵をかけられてしまいます。

 侍女たちは、タミーノに一枚の絵を見せます。そこには若くて美しい女性が描かれています。その名はパミーナ。パミーナは彼女ら三人の侍女たちのボスである夜の女王の一人娘なのです。そのパミーナは今、悪者のザラストロに囚われているので、彼女を悪者の手から救い出してくださいと、侍女たちはタミーノにお願いします。「それなら私が救い出しましょう」と(弱っちいのに)いい気になって安請け合いをするタミーノ。ついでにパパゲーノにも、パミーナを助けにいくなら、くちばしの鍵を外してあげると(半ば)脅迫して、タミーノに同行させます。

 そこに雷鳴と共に夜の女王が登場し「どうか我が娘を悪の手先から助けて下さい」と懇願し、魔法のアイテムとして、タミーノには魔法のフルートを、パパゲーノには魔法の鈴を渡します。タミーノとパパゲーノは、三人の天使たちに導かれて、ザラストロが住む悪魔の城へと向かいます。

 空を飛んで、一足早く城への潜入に成功したパパゲーノは、さっそく囚われのパミーナを発見します。彼女は、奴隷頭のモノスタトスに囚われて、言い寄られていました。黒人であるモノスタトスの黒い肌が気に入らないパミーナ(なんとも差別的ですな)は、彼を拒否しまくります。でも諦めないモノスタトス。そこに鳥の魔物であるパパゲーナが突入したもんだから、ビックリするモノスタトス。てんやわんやの大騒動があったのだけれど、魔法の鈴の力で、無事パミーナ奪還に成功するパパゲーノ。「まもなく、あなたを助けにタミーノさんがやってきますよ」と彼女に告げるパパゲーノ。

 一方、テクテクと歩いて悪魔の城に辿り着いたタミーノ。城の内に入るため、城の門番たちと話しているうちに気づきます。「ここって悪魔の城じゃなくて、徳の高い立派な方が治めている城なんじゃないの?」 そうなんです、実はザラストロは悪者ではなく、立派な人格者だったのです。そして、救い出すはずのパミーナは、ザラストロの娘であって、彼女は父親の元で幸せに暮らしていたのですが、たまたま今、ザラストロは城を留守にしていて、その留守を狙って、奴隷長であるモノスタトスがパミーナを口説いていただけだったのです。

 その時、ザラストロが帰城します。そこにパミーナとパパゲーノ、パミーナを追ってきたモノスタトス、タミーノがやってきます。モノスタトスはザラストロによって罰せられます。タミーノとパミーナは一目見るや一目惚れ。恋に落ちます。その様子を見たザラストロは「今のままでは娘はやれない。三つの試練に打ち勝てば、娘をお前にやろう」という事になり、パパゲーノと一緒に三つの試練に臨む事になったタミーノ。

 最初の試練は沈黙です。元々がおしゃべりであるパパゲーノには沈黙は無理。何かとタミーノに話しかけては、注意されるパパゲーノ。やがて諦めて、タミーノの沈黙の試練にに付き合います。

 そんな試練と戦う二人の元に老婆が現れてます。さっそく老婆をからかうパパゲーノ。老婆の方はパパゲーノにからかわれながらも、まんざらでもない様子。次にパミーナがやってきます。しかし、パミーナが何を話しかけても、沈黙の試練と戦っている真面目なタミーノは無言のまま。(タミーノが沈黙の試練と戦っているを知っているはずなのに、なぜか)タミーノに嫌われたと思ったパミーナは絶望します。

 こうして沈黙の試練は続くわけだが、タミーノはパミーナをゲットできるというご褒美があるわけで、たとえパミーナが絶望に落ちても(試練を乗り越えれば必ずパミーナをゲットできると信じているので)熱心に最初の試練である沈黙の試練に臨むのだけれど、それに付き合っているパパゲーノには何のご褒美もないわけで、当然、早々にパパゲーノは試練に脱落してしまいます。

 試練から脱落してしまったパパゲーノに、ある神官が「お前には望みはないのか」と尋ねます。パパゲーノは「自分にも彼女ができるなら、もっと試練にも熱心に臨めたのに…」と答えます。するとさっきの老女が現れ「自分と結婚しないとアンタは地獄に堕ちるよ」と脅します。もうどうでもいいと思っていたパパゲーノは、老女と結婚の約束をした途端、その老女は若い娘(ただし、パパゲーノ同様、鳥の魔物)に変身し、自分はパパゲーナだと名乗ります。喜ぶパパゲーノ。二人は結婚します。

 一方、絶望したパミーナは自殺をしようとしていたところに、三人の天使が現れて、嘆くパミーナをタミーノの元に届けます。タミーノは沈黙の試練を終え、次の試練に向かうところだったので、今度はパミーナと二人で、次の、火の試練、水の試練に臨む事にします。試練は激しく厳しいものだったけれど、タミーノの持つ魔法のフルートのおかげで、難なく二つの試練をクリアします。

 無事、三つの試練をクリアしたタミーノは(夜の女王から娘を奪還してくれと頼まれていた事をすっかり忘れて、夜の女王を裏切り)ザラストロの祝福の元、パミーナと結婚します。めでたし、めでたし。

 ほら、馬鹿満載でしょ? これぞ喜劇ってモノです。しかし、最初は悪者だと思っていたザラストロが、実は正義の人だったり、夜の女王とザラストロが、実は元夫婦で、娘を取り合いをしていただけだったり、なんか、力が抜けてしまうようなお話でしょ。また、主人公のタミーノは、別にカッコいいわけではなくて、ただ単にバカ真面目なお人好しだったりするわけだし、なんかなあ…ってお話なんだけれど、音楽はモーツァルトご謹製ですから、はずれなしです。

 まあ、そんな『魔笛』ですが、何と言っても『夜の女王のアリア』が有名です。

 ほとんど人間技とは思えないような歌唱ですね(笑)。ソプラノの最難曲の一つと言われるのも、分かります。

 『魔笛』には他にも名曲がありますが…この曲の次だと何を出しても霞むだけなので、曲紹介はこれで終わりにします。

 ストーリーはこんなにお馬鹿さんなのに、音楽はS級なんですよ、このオペラ。ちなみに、『魔笛』は、モーツァルト生前の最大のヒット曲だったという話もあります。人生の最後に大ヒットを飛ばしたモーツァルトなのに、なぜ早死しなければいけなかったのか、私には分かりません。

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2015年1月 3日 (土)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その2 ドン・ジョヴァンニ

 今回オススメする“脱初心者”向けのオペラは、モーツァルト作曲の『ドン・ジョヴァンニ』です。ドン・ジョヴァンニとは、いわゆる“ドン・ファン”の事で、伝説の女たらしさんの話です。実はオペラ界には、ドン・ファンものというジャンルがあるらしく、古今東西、ドン・ファン伝説を元にしたオペラが数多く作曲されましたが、結局、残ったのが、この作品だけなんです。

 ストーリーはこんな感じです。女たらしの貴族ドン・ジョヴァンニが、ある日、貴族の娘ドンナ・アンナに夜這いをかけた。ドンナ・アンナは自分の許嫁のドン・オッターヴィオがやってきたと勘違いして受け入れてしまったが、事を終えて、相手が違っている事に気づき、大騒ぎをする。(演出によっては、未遂の段階で大騒ぎをする。)騒ぎを聞きつけた父親である騎士長が現れるが、ドン・ジョヴァンニの手にかかって殺されてしまう。闇に紛れて逃げてしまうドン・ジョヴァンニ。操を奪われ、父を殺されたドンナ・アンナは、ドン・ジョヴァンニに復讐を誓うのであった。

 この後、ドン・ジョヴァンニは、ドンナ・アンナに命を狙われながらも、町娘ツェルリーナをレイプしようとしたり、かつての恋人(ってか被害者?)のドンナ・エルヴィラの侍女を誘惑したりと、色事に余念がない。

 色々とあって、墓場に逃げ込んだドン・ジョヴァンニ。騎士長の墓の前で休憩を取っていると、墓の騎士長の石像がドン・ジョヴァンニに語りかける。それを愉快に思ったドン・ジョヴァンニは石像を夕食に招待する。で、石像の姿をした幽霊となった騎士長は、本当に夕食に現れ、ドン・ジョヴァンニに悔い改めを要求するが、ドン・ジョヴァンには全く意に介さない。騎士長は何度も悔い改めを求めるが、ドン・ジョヴァンには拒否し続ける。その結果、騎士長はドン・ジョヴァンニをむりやり地獄に引き込んでしまった。

 地獄に落ちたドン・ジョヴァンニ。登場人物たちが全員現れて、よかったよかったと合唱してお終い。

 このオペラが“脱初心者”なのは、モーツァルト作曲の古典派の音楽なのに、あれこれ定型をやぶっている点です。つまり、ゲテモノ・オペラなんですね。

 例えば、オペラのストーリーと言うのは、基本的に全部恋愛モノなんです。だから、愛しあうテノールとソプラノに、メゾソプラノかバリトンが恋路の邪魔をする…というのが定型なんです。でも、このオペラは、まずは恋愛ものじゃないんです。なにしろ、最初がレイプシーンから始まりますから。じゃあ、恋愛モノの次に多い、復讐モノなのかと言うと、それも違う。確かにドンナ・アンナは復讐の鬼と化してますが、全然うまく行ってません。じゃあ、このオペラは何なのかと言うと…ダークヒーローモノなんです。

 そんなお話、モーツァルトの時代にはありえない話なんですが、そのありえないモノが、あったりするんですね。

 さらに言えば、主役のドン・ジョヴァンニがバリトンというのも、これまた珍しいんです。オペラのお約束ならば、ドン・ジョヴァンニは、たとえ女たらしと言えども主役ですから、テノールでなければいけません。でも、それなのにドン・ジョヴァンニはテノールでなくバリトンなんです。そこも、ちょっと変わったところです。

 また、このドン・ジョヴァンニは名曲だらけのオペラです。特に、ソプラノさんとバリトンさんは大好物なんではないでしょうが?

 まずは、ドン・ジョヴァンニの従者であるレポレロ(バリトン)が歌う『カタログの歌』、ドン・ジョヴァンニを追っかけてきた、ドンナ・エルヴィラに向かってレポレロが「旦那様に食われた女は貴女様だけでなく、こんなにたくさんいるんですよ」って歌うアリアです。とても、脇役が歌うアリアとは思えないほど魅力に富んだアリアです。

 もちろん主役のドン・ジョヴァンニも負けてはいません。“ドン・ジョヴァンニのセレナータ”という別名もある「窓辺に出でよ」は有名なアリアです。

 二重唱にも名曲があります。ドン・ジョヴァンニとツェルニーナ(ソプラノ)で歌う「お手をどうぞ」は色々な楽器で演奏されるほどの名曲です。

 ソプラノのアリアと言うとドンナ・アンナのアリア「もう、お分かりでしょう」も色々な楽器に編曲されるほどに有名です。

 他にも「シャンペン・アリア」とか「薬屋の歌」とか「ぶってよ、マゼット」とか「恋人を慰めて」とか、もう『ドン・ジョヴァンニ』って、名曲の宝庫なんです。そこが一番“脱初心者”向けかもね(笑)。

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2015年1月 2日 (金)

すとんが薦める、脱初心者向けのオペラ その1 セビリアの理髪師

 さて、新年早々のお正月進行による連載ですが(笑)、昨年の夏に連載した『すとんが薦める初心者向けオペラ』の第二弾、“脱初心者”向けのオペラ紹介連載でございます。

 「私はまだ初心者なんですが…」という方は、夏の連載を読んで、ひととおり作品を制覇してからでも良いし、しないままでも、別段、今回の連載を楽しむには支障はないと思います(笑)。ちなみに、夏の連載は、こちらですよ。

道化師, 椿姫, 愛の妙薬, カルメン, トスカ, オテロ, フィガロの結婚, メリー・ウィドウ, ウエスト・サイド物語

 さて、新年一発目の“脱初心者”向けオペラは…ロッシーニ作曲の『セビリアの理髪師』です。

 このオペラ、ストーリー的には、モーツァルト作曲の『フィガロの結婚』の前日譚となります。『フィガロの結婚』に登場した、伯爵と伯爵夫人の結婚に至るまでのラブストーリーをオペラにしたわけで、『フィガロ~』に登場してきた人物たちが大活躍する、スピンオフなオペラなんです。

 ストーリーは単純な話で、後の伯爵夫人となるロジーナは、医者である後見人のバルトロ(実はフィガロの実の父)の家で暮らしていた。バルトロは、ロジーナの持つ財産を目当てに、いずれは自分の妻にしてしまうおうと企みながら、その日が来るまで、彼女の面倒を見ていたのだ。

 そんな彼女を、ある日、若き日の伯爵は見初めてしまい、一目惚れをしてしまった。そして彼女の暮らしているセビリアを訪ね、自分の身分を隠し、苦学生リンドーロとしてロジーナの前に現れ、求愛しました。若いリンドーロの情熱に打たれ、彼に恋するロジーナ。

 一方、伯爵が当地にやってきた事を知ったバルトロは、伯爵にロジーナを取られる事を恐れ、さっさと結婚してしまうおうと計画をする。相思相愛となったリンドーロとロジーナだが、バルトロの邪魔が入り、なんともうまくいかない。そこで旧知のフィガロを見つけた伯爵は、彼に何とか二人の間を取り持ってもらえないかと相談する。

 フィガロはバルトロ家出入りの理髪師であったので、家の中に入り込み、ロジーナと連絡を取り合って、なんとかバルトロを出し抜こうとする。一方、とにかくロジーナに会いたい伯爵は、兵隊に化けてバルトロ家に宿泊しようとしたり、バジリオの弟子アロンゾに扮して、ロジーナと接触を計ったりと色々と手段を講じる。

 そんなドタバタの中、バルトロは(リンドーロが扮装している)アロンゾがロジーナに近づいたのは“ロジーナを伯爵に売り飛ばす”ためであった、というデマをロジーナに吹き込み、ロジーナはその言葉を信じて、リンドーロに裏切られたと思い、彼への復讐のため、バルトロとの結婚を承諾する。

 そこへフィガロとリンドーロが現れる。リンドーロの裏切りをなじるロジーナ。リンドーロ(=伯爵)は、身分も財産もないリンドーロの事を本気で愛してくれたロジーナに感動して、自分の正体を明かす。そこへうまい具合に公証人がやってきたので、さっさと結婚してしまう伯爵とロジーナ。バルトロが、フィガロとリンドーロの逮捕のために軍隊を引き連れてやってきた時には、すでにすべてが終わった後だったのだ。

 伯爵はバルトロを許し、ロジーナの持つ財産はいらない(つまり、バルトロにやるって事ね)と言い、バルトロはロジーナを諦める。その後、フィガロとバルトロとバジリオは、改めて伯爵家のお抱え業者となるわけだが、そんなこんながあったので、バルトロはフィガロに対して、良い感情を持てないまま、ストーリーは『フィガロの結婚』につながっていくのです。

 このオペラが初心者向けでない点は…ヒロインであるロジーナがソプラノではない事です。かわいいはずのヒロインが、実はメゾソプラノで歌われます。つまり、オペラ的には、ヒロインのロジーナは、あんまりかわいい子ではない…という事になります。そんな、あんまりかわいくない女の子を中心として、男たちの恋の鞘当てが行われるわけです。そこがなんとも皮肉なオペラなんです。

 金も身分もあるため女性に不自由しない伯爵だから、田舎娘でパッとしないロジーナに心惹かれるわけだし、バルトロはあくまでもロジーナの財産だけが目的だし、ロジーナはロジーナで、自分の分を知っているから、高望みをせず、苦学生のリンドーロに恋するわけです。実になんとも皮肉たっぷりな人間関係じゃありませんか?

 さて、このオペラを代表する曲と言えば、そんなロジーナが歌う「今の歌声は」です。ロジーナに恋するリンドーロ(実は伯爵)がロジーナの部屋のバルコニーに向けて、愛をこめてセレナータを歌い、そのセレナータに心を撃ち抜かれたロジーナが、リンドーロに対する恋心を歌っているのが「今の歌声は」です。

 良い曲でしょ? 「こんな良い曲をメゾソプラノに歌わせるなんて勿体ない!」とばかりに、名ソプラノと言われる人たちもこの曲を録音しています…どころか、本来メゾソプラノで演じられるこの役を、ソプラノたちも演じていたりします。それくらい魅力的な歌と役なんでしょうが、この役をソプラノが演じちゃったら…ドラマツルギーの均衡ってヤツが壊れちゃうので、本当はお薦めではないのですが、音だけで聞くなら、メゾソプラノよりも、やっぱりソプラノにふさわしい曲だと思います。

 最後に、YouTubeでこんな画像を見つけたので貼っておきます。古今東西の名歌手たちが「今の歌声は」を歌っているのを比較している画像です。ちなみに、いつもオチで「FAIL!(あんたの負け!)」と出てしまっているのは、キャサリン・ジェンキンスですね。彼女は、オペラ歌手ではなく、クラシック・クロス・オーヴァーの歌手です。まあ、音楽的な立ち位置的には、ポール・ポッツとかスーザン・ボイルなどと一緒。でも、彼らよりも若さと美貌に恵まれている点で風当たりが強いのでしょうね。確かに彼女はオペラ・アリアも歌うけれど、それはレコーディングとかコンサートで歌うだけで、決してオペラ劇場で歌っているわけじゃないからね。それなのに、一流のオペラ歌手たちと比べられても…という同情するべき点はありますが…それを抜きにしても、色々な歌手でこの曲を聴き比べできるのは、単純に面白いです。、

 ま、それくらいに、このオペラとこの曲は有名だ、と言う事です。

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2015年1月 1日 (木)

さあ、今年[2015年]の抱負だよ

 あけましておめでとうございます。今年も、私ならびに、この「老犬ブログ」をよろしくお願いいたします。

 さて、今年も「新年の抱負」からブログを始めましょう。まずは例年どおりに、昨年の抱負を検証するところから始めましょうか。ちなみに昨年の元記事はこちらです。

去年の抱負 1)Aまでの曲なら自信を持って歌えるようになりたい

 ×でした。高音Aはちょっとまだ自信がないですね。その半音したのAbならなんとか行けそうな気も持てますが、Aはまだちょっと難しいです。

去年の抱負 2)今年こそアルテ1巻を終了したい

 ○です。アルテは昨年の7月に無事終了しました、えっへん。

去年の抱負 3)社交ダンスを再開したい

 ×です。それどころか「再開しないよ」と妻に言われちゃいました。問題は…練習場所。安いところが軒並み借りられなくなってしまったので、練習場所が確保できない…というのが理由です。残念ですが、こればかりは仕方ないです。でも、運動不足に拍車がかかる…。

去年の抱負 4)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 ×です。ナゴンがアズニャンになり、キキョウがオタキサンになりました。1/2も入れ替わってしまったのですから、×も×ですよ。

去年の抱負 5)まずは100kgを切りたい

 ×です。切るどころか増えてしまってます。直近の計測で約115Kgですからね。ほんと、シャレになりません。

去年の抱負 6)ブログを続けていきたい

 これは○です。

去年の抱負 7)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 まあ、△かな。

 と言うわけで、昨年の抱負は、2勝4敗1分となりました。散々だね(笑)。

 さて、それを踏まえて、今年の抱負、行ってみようか!

1)高いBbまでを常用音域にしたい

 実はこれ、一昨年の抱負に書きました。

 「高音Aも満足に出せないのに、そこよりも半音高いBbを抱負にあげるなんて、何を考えているの?」

 私の中では高音Aを常用音域にするのは、今年中にやり終え、出来れば、その次までやり遂げたいと願っているからです。と言うのも、高音発声は、努力ではなく、コツさえつかめばOKじゃないかって思い始めているからです。だから、コツさえつかめば、一気にBbまで行けそうな気がしているんです。甘いかな?

2)ガリボルディのプチ・エチュードを終了させたい

 昨年、念願のアルテ第1巻を終えた私です。アルテに変わる目標は…と考えた時に、当面の目標となりうるのが、ガリボルディのプチ・エチュードかなって思ったので、それを上げさせていただきました。正直言って、このエチュードを今年中に終えるのは厳しいかもしれませんが、頑張りますよ。ちなみに、もう一冊のエチュードである、エルテス・ユーブンゲンの終了は、約10年先ぐらいかな…なんて思ってます。もっとも、私があと10年ほど、フルートを続けられたら…という話になりますが(笑)。

3)金魚たちの誰もが死ぬことなく、元気な毎日を過ごさせたい

 毎年掲げていますが、今年も抱負としてかかげさせていただきます。

 しかし、今現在、ホノカとサクラという、二尾の病気の金魚をかかえていますので、実はすでに難しい抱負なのかもしれません。でも、奇跡が起こって、二尾とも元気に回復するかもしれないじゃありませんか。諦めたら、そこで終わりです。ですから、私も諦めずに、また同じ抱負を掲げます。

4)まずは100kgを切りたい

 昨年も書いて、115Kgになってしまった私ですが、ほんと、100Kgは切りたいです。

 食べる量を減らす事も必要だろうけれど、やはり一番必要なのは運動だろうね。社交ダンスを再開しない事になった私ですから、次はどんな運動をしたら良いのでしょうか? あと、空腹にどう対処するべきか。色々と考えないといけない事は多々ありますが、それでも。なんとかして100Kgは切りたいです。

5)ブログを続けていきたい

 ま、これこそ例年通りですが、続けていきたいですよ、これからも。

6)家内安全、家族が健康で安心して暮らしていく

 これまた例年通りですが、本音で『家内安全』と『健康』ですよ。

 と言うわけで、今年も例年通りと言いますか、前年と同じような抱負になってしまいました。まあ、これが“オッサンの人生”なんだろうなあって思います。オッサンはオトナだからね、若者と違って、良くも悪しくも人生か安定しちゃっているわけだ。

 平凡な生活に感謝ですよ。とまあ、今年も最初からこんな調子なんですが、これに懲りずに、今年も「老犬ブログ」をごひいきにお願いします。

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