ひとこと

  •  ああ、楽しい。楽しすぎる。8月に入って以降の私のプライベートライフが楽しすぎる。楽しすぎて楽しすぎて、ちゃんと社会生活に戻れるかどうか、とっても不安。ああ、本当に楽しすぎて、人間、ダメになりそう…。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
2017年8月
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2014年12月の記事

2014年12月31日 (水)

今年もお世話になりました[2014年を振り返って]

 大晦日です。例のごとく、今年一年を私なりに総括してみたいと思います。

1)母が倒れて入院しました

 私の実母が倒れて、生死の境目をウロウロしてしまったのが、3月です。あの時は、父も含め、兄弟で、これから起こりうる事について、あれこれ考えて右往左往したものです。ま、それらも取り越し苦労で終わり、やがて母の病状が安定して、寝たきりになってしまったので、完全介護の老人病院へ転院しました。

 入院費などをケチったために、最初に入院した病院は、なかなかヒドい環境の病院でした。あまりに厳しい環境だったので、わずか一ヶ月で転院して、現在の病院に移りました。今の病院も、入院費の安さ故のセコさはありますが、母が毎日を安心して暮らせる環境がありますので、それで良しとする事にしました。

 金さえあれば、もっと環境の整った病院にも入院させてあげられるのですが、ごく普通の庶民である我々にとっては、このレベルが精一杯のところなんです。

 ちなみに、日本の老人は、寝たきりになってから、平均10年はお元気なんだそうです。母も病気で倒れて以来、寝たきりになりましたので、普通に考えると、ここから10年はお元気なわけです。10年かあ…長いなあ。

 だから家族も長期戦のつもりで母の入院に付き合わないと、やってられないなあって思いました。

 ちなみに、この年始年末は、たっぷりと母の顔を見に行こうと思っていたのに、病院全体でインフルエンザが流行っているそうなので、入院患者全員、面会謝絶って事で、見舞いにいけないのが、とても残念です。

2)誤嚥性肺炎になりました

 5月のある日、朝食を誤嚥した私は、それが原因となって、肺炎になってしまい、おまけに、咳を連発したためでしょうか、声帯まで怪我をしてしまいました。さらにその上、喘息の発作まで併発してしまいました。ほんと、ついてない(涙)。

 そんな最悪の状態で迎えたのが、今年の(声楽の)門下の発表会でした。我ながら頑張ったと思いますが、病気をおして無理に出演したのが良かったのかどうかは、今でも分かりません。人間、何と言っても、健康第一ですね。あ、今はもちろん元気ですよ。

3)初めて麻酔科のお世話になりました

 6月のある日、ぎっくり腰になってしまい、その治療のために、初めて麻酔科の開業医の先生にお世話になりました。さすがに、痛みを取るなら、麻酔科ですね。

 ぎっくり腰は、痛みを取ったからと言って治るわけではありませんが、痛くては日常生活にも支障が出るというものです。まずは痛みを取って、それから治療って感じですね。とにかく痛みをとってもらって、本当に有りがたかったです。

 まあ、実際のぎっくり腰の治療は、麻酔科の先生ではなく(麻酔科の先生は、上から目線の感じの悪いお医者さんだったので、二度と行かなかったんです)、柔道整復師である元ラガーマンのマッサージ師さんのお世話になりました。マッサージは、ぎっくり腰によく効きますよ。

4)すっかり目が弱くなった

 以前から老眼で、近くのモノが見えなくなっていた私ですが、それがだいぶ進行して、手元のモノや細かい字などが、本当に見えなくなりました。かなり老眼が進行してきたようです。さらに言うと、モノを見ること自体を億劫に感じるようになりました。かなり目が弱くなってたようです。また、老眼鏡を買い換えないといけないかな…今の眼鏡、かなりお気に入りなんだけれどな。

5)iPad Air2を購入した

 たかが、デジタル・ギアだけれど、こいつの購入で私の生活が一変した事は事実です。だって、ブログの記事を書く以外の日常の作業の大半は、iPad Air2でできちゃうだからね。

 iPad Air2なら場所を選びません。別に書斎で作業をする必要はないのです。電車の中で、寝室でも、出先でもOKです。たぶん、職場でも可能だろうけれど、職場の私は忙しすぎる事が分かっているので、iPad Air2を持参した事はありません。

 一番大きいのは、iPad Air2の購入と共に、キンドルを本格的に導入して、電子書籍に乗り換えた事かな? 電子書籍って、老眼にやさしいんですよ。いや、マジで、紙の本を読むよりも、iPad Air2で電子書籍を読む方が読みやすいんだから、仕方ないじゃないですか。

6)アルテが終了した!

 2014年7月、ようやくアルテの第1巻を学び終えました。やったね、ご苦労様です。

 私がアルテを始めたのは、2008年の6月ですから、アルテ第1巻を終えるのに、6年1カ月もかかってしまったわけです。小学校で学ぶよりも長い期間アルテに取り組んでいたわけです。最初の33カ月(3年弱)は、最初のフルートの先生である笛先生に14課まで習いました。で、その後の39カ月(3年強)で、現在のフルートの先生であるH先生に、15課とガリボルディを習ったわけです。

 15課を終えるのに、全体の半分以上の時間を費やしてしまったわけだし、14課までお世話になっていた笛先生よりも、15課から面倒を見ていただくことになったH先生に習った期間の方が、長くなってしまったわけです。なんか、感慨深いです。

 アルテの第2巻に取り掛かるのは、現在やっているエルステ・ユーブンゲンが終わってからですが、そのエルステ・ユーブンゲンが半年で、たったの6番までしか進んでいません。エルステ・ユーブンゲンは全部で58番まであります。それなのに、半年で6番ですから、単純計算をすれば、全部終わるのに…58ヶ月? つまり、5年近くかかることになります。いえいえ、後半に行けば行くほど、曲は長くなるし難しくなので、話はそんなに単純じゃないです。おそらくは、全部終えるのに、6年とか7年とかかかってしまいそうです。

 ふむ、エルステ・ユーブンゲンを終えるのに、アルテ第1巻にかかったのと同じくらいの時間が必要になりそうです。それから、ようやくアルテの2巻に入るようですから、まだまだ私はアルテ2巻にはたどり着きそうもありませんが…頑張りますよ。

7)金魚たちの入れ代わり

 今年のお正月のメンバーは、サクラ、ナゴン、キキョウ、ホノカでした。

 サクラは…あまり調子が良くありません。お腹も少し膨れてきましたし、ウロコも少々逆立っています。松かさ病…なんでしょうね。サクラは2010年の初夏に我が家にやってきた子で、今度のお正月が5度目のお正月なんですね。なんとか、無事にお正月を越させてやりたいし、松かさ病も治してやりたいものです。

 ナゴンは、2012年の9月に我が家にやって来て、2014年の2月に星になりました。代わりにやってきたのが、アズニャンです。アズニャンは、今のところ、元気一杯です。

 キキョウは、2012年11月に我が家に来て、2014年の6月に星になりました。代わりにやってきたのが、オタキサンです。オタキサンも元気にしていますよ。

 ホノカは2013年の7月に我が家にやってきました。最初は小さな琉金でしたが、みるみるうちに巨大魚になり、今ではサクラとほぼ同じ程度になってしまいました。治癒力の高い子で、今までもたいていの病気を直してきました猛者ですが、今回はついに松かさ病を発症してしまいました。さらにほんの2~3日前に、右体側の背びれの付け根あたりに新しいガンが出来ていました。実に満身創痍な金魚です。松かさ病もガンも、持ち前の自己治癒力で治して欲しいと思いますが、どうでしょうね。サクラともども心配な子です。

 と言うわけで、今、水槽にいる金魚は、サクラ、ホノカ、アズニャン、オタキサンとなっています。サクラが丹頂で、ホノカが素赤琉金、アズニャンが東錦で、オタキサンがフナ色のオランダ獅子頭です。

 その他の子たちの話をすると、緋ドジョウのチビが7月に星になっています。代わりにやってきたのが、マドジョウのシロとクロの二匹です。この二匹は、今いる緋ドジョウのラズと合わせて、元気に生活をしています。また、8月にはタニシを大量に水槽に投入しました。

 まあ、こんなところが、我が家の今年の水槽の状況です。

8)ダイエットのまとめ

 ダイエットは、最後にブログに載せたデータがこれです。

体重:114.4kg[+0.4kg:+3.2kg]
体脂肪率:32.8%[+0.4%:+1.6%]
BMI:36.1[+0.1:+-0.0]
体脂肪質量:37.5kg[+0.6kg:+2.9kg]
腹囲:103.0cm[+3.0cm:+3.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 データとしては、11月第3週です。決してダイエットをしている…と威張れる体重ではありません。「元気が一番」という方針で食事の量をあまり節制せずに、めっきり運動不足のまま、この1年を過ごしてきました。これがこの数値です。

 ダメだな~。運動不足が一番いけないような気がします。社交ダンスも全然やってないし…。愛用していたエアロバイクは廃棄しちゃったし…。何か運動をしないといけないけれど、時間がないし、気がのらない。毎日、腹筋運動ぐらいすればいいのに、やんないんだから、あんまり言い訳もできない。

 それこそ三日坊主なんだよなあ…。

9)今年も幸せな私でした

 2014年の年の始めに、私はプロフィールの1行紹介で、以下のように書いてます。

 2014年度の私のテーマは『無病息災&家内安全』です。ああ、小市民的なテーマだな(笑)。でも『無病息災』は大切です。病気をしない事、災いに出会わない事、健康で安全な暮らしは何よりです。昨年は妻の車椅子を押す生活をしていました。自分もそうだけれど、家族の誰かが病気や怪我をしても大変だなって思いました。ですからやはり『家内安全』ですよ。仕事や趣味も大切だけれど、それよりも大切なのは、自分と家族だからね。今年の私は、そんな内向きな小さな幸せを求めていきたいと思ってます。

 おかげさまで、妻の足はすっかり良くなりました。私は途中色々とあったものの、ひとまず、今年一年を無事に過ごせました。息子くんも無事に(?)進学でき、今年は“無病”とは言えなかったけれど、ひとまず“息災で家内安全”に一年を過ごせました。本当に感謝な一年でした。

 プライベートの方も良かったのですが、仕事の方もなかなか順調で、色々としっかり結果を残せていると自負しています。まあ、問題があるとすると、忙しすぎる事…かな? 忙しすぎるけれど、その忙しさに慣れてしまった自分を発見した一年間でした。

 過労死だけはしないようにセーブしないとね。

 来年も、よろしくお願いします。

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2014年12月30日 (火)

今年[2014年]聞いたCD&DVD

 毎年アップしている「今年聞いたCD&DVD」を、今年もアップしちゃいます。今年も、ついつい、いっぱい買っちゃってました(汗)。

 ここ数年の私の悲願は「なるべくCDを買うのはセーブしよう」です。世の中に、YouTubeという便利なモノがあるのだから、なるべくそっちを利用することにして、CDを購入するのは止めよう。そうでないと、自宅がCDに埋もれてしまう…と思いつつも、実際にはなかなか実行できなかった私です。

 きちんと記録を取り始めた2010年からの数字をあげてみると…、

2010年が120枚。
2011年が70枚。
2012年が85枚。
昨年(2013年)が41枚、となります。

 で、今年(2014年)は何枚になったのかと言うと、66枚です。ゾロ目です。せっかく、去年は少なめな購入枚数になったのに、なんかまた増えちゃいました。ダメじゃん。

 と言うわけで、今年も例年の形式に準じて、購入したCDの記録をアップさせていただきます。ちなみに、昨年の記事はこちらです。

 では行きますよ。

【ポピュラー系】

01)グリーキャスト「サウンドトラック Vol.4」
02)グリーキャスト「サウンドトラック Vol.5」
03)グリーキャスト「サウンドトラック Vol.6」
04)グリーキャスト「サウンドトラック Vol.7」
05)グリーキャスト「ザ・ロッキー・ホラー・グリー・ショウ」
06)グリーキャスト「ザ・ウォーブラーズ」
07)グリーキャスト「ザ・グラデュエーション・アルバム」
08)グリーキャスト「ザ・クリスマスアルバム」
09)グリーキャスト「ザ・クリスマスアルバム Vol.2」
10)グリーキャスト「ザ・クリスマスアルバム Vol.3」
11)グリーキャスト「3Dコンサート・ムービー」
12)グリーキャスト「グリー presents グリース」
13)グリーキャスト「グリー・シングス・ザ・ビートルズ」

 “ポピュラー系”と言うよりも“グリー系”と言って良いラインナップです。ああ、それほどに私はテレビドラマ『グリー』が大好きなんですよ。それなのに、NHKはシーズン3までしか放映してくれないのでした。グリーはシーズン6まであると言うのに、前半分だけ放送して、残りは軽く無視している状況です。

 まあ、シーズン4以降は“つまらない”という評判だし、そんなつまらないドラマを放映する余裕は今のNHKには無いのかもしれないけれど、物語がつまらなくても、音楽は楽しいのだから、なんとか放映してくれないかな…と日々願ってます。

 「NHKで放映してくれなくても、FOXチャンネルで見ればいいじゃん。FOXチャンネルは、シーズン4以降もきちんと放映しているじゃん」 そりゃあそうだけれど、FOXチャンネルは字幕放送でしょ? 私は“洋画は吹き替えに限る”派なんですよ。字幕放送なんてチンタラしたものは見たくないんです(贅沢? 老眼なので、字幕は読みたくないんです)。なので、FOXチャンネルではなく、NHKでの日本語吹き替え版による放送で楽しみたいわけなんですよ。

 ああ、なんとかグリーのシーズン4以降を、NHKで放送してくれませんかね?

【ロック系】

14)ジェスロ・タル「神秘の森」
15)ジェスロ・タル「逞しい馬」
16)ジェスロ・タル「ストーム・ウォッチ~北海油田の謎」
17)ジェスロ・タル「A」
18)ジェスロ・タル「ザ・ブロードスウォード・アンド・ザ・ビースト」
19)ポール・マッカートニー&ウィングス「ヴィーナス・アンド・マーズ(2枚組)」
20)ポール・マッカートニー&ウィングス「スピード・オブ・サウンド(2枚組)」
21)マイケル・ジャクソン「エスケープ」

 ロック系と言っても、ジェスロ・タルとマッカートニーとマイコーだけです。私のポピュラー趣味も、かなり偏っているってわけです。

 実は今年、フルート系のCDを全く購入していない私なのですよ(驚き)。なので、あえてフルート系と呼べそうなのは、このジェスロ・タルのアルバムだけ。そういう意味でも、趣味が偏っているよなあ(笑)。

【楽譜系】

22)(テナーのための)ヴェルディ・ゴールド(2枚組)
23)(テナーのための)プッチーニ・ゴールド(2枚組)
24)ピアノと歌う世界の歌曲
25)畑中良輔監修「イタリア歌曲集2」(2枚組)
26)フェイヴァリット・ジャーマン・アート・ソング(高声用) Vol.1
27)フェイヴァリット・ジャーマン・アート・ソング(高声用) Vol.2
28)芸術歌曲アンソロジー:高声用(3枚組)
29)イングリッシュ・ソングズ ルネッサンスからバロック:高声用(2枚組)
30)古典的聖歌集

 昨年からジャンルとして独立させた【楽譜系】ですが、これは何かと言う、楽譜付属/準拠のCDの事です。あくまでも主役は楽譜であって、その楽譜の伴奏部分を音源化してCDに録音してあるという、趣味の音楽人にとっては、実に便利な楽譜さんたちなんですよ。フルート用の楽譜も世間にはたくさんありますが、今年私が購入したのは、すべて声楽系のモノですね。

 22)と23)は、それぞれヴェルディとプッチーニのテノール・アリア集です。主だったアリアの楽譜と、それらの伴奏音源が付いているんですよ。ちょろっと勉強するのに便利です。24)はヤマハの楽譜で、割りと有名なクラシックの曲を歌いやすい音域に移調して、その伴奏音源が付いているってパターンです。真面目な歌の勉強には使えませんが、遊び用には十分だと思います。

 25)は伴奏ではなく、きちんとした演奏が入ってます。譜読みの助けになるようなCDです…が、これをこのままコピーして歌ったら勉強にはならないわけです。

 26)~30)はアンソロジーです。これらはすべて輸入楽譜です。日本の楽譜に入っている曲もありますが、日本の楽譜では見かけたことの無いような曲も結構あります。アンソロジーって、その国の歌い手の好みとかも反映しているんでしょうね。なかなか面白いです。特に英語の歌詞の芸術歌曲って、日本だとなかなか手に入りませんが、実は結構あるんですね(驚きです)。

【ミュージカル系】

31)オリジナル・ロンドン・キャスト「シェーンベルク作曲:ミュージカル『ミス・サイゴン』」
32)プラシド・ドミンゴ「ウィーン,我が夢の街」

 今年購入したミュージカルのCDは実質的には、『ミス・サイゴン』ただ一枚限りです。これだってDVDが販売されていたら購入しなかったと思います。ドミンゴのアルバムは、オペレッタのアルバムなので、便宜上、ここに入れました。

【オペラ系】

33)カール・ベーム指揮「モーツァルト作曲:歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』」(3枚組)
34)カバリエ主演「ベッリーニ作曲:歌劇『清教徒』
35)フアン・ディエゴ・フローレス「人知れぬ涙~究極のベル・カント」
36)ファン・ディエゴ・フローレス「ロッシーニ・アリア集」
37)ルチアーノ・パヴァロッティ「ロッシーニ・アリア集」
38)ラウル・ヒメネス「ドニゼッティ&ベッリーニ・オペラアリア集」
39)マルセロ・アルバレス「デビュー!オペラ・アリア集」
40)ジョセフ・カレヤ「アモーレ」

 ここは、オペラの全曲とアリア集でまとめてみました。ほぼすべて、遊びとか楽しみとかではなく、勉強のために購入して聞いたものばかりです。つまり、私の今の声楽の勉強の方向…と言うか、興味の方向が、いわゆる“ベルカントオペラ”の方向を向いているという事が、購入したCDリストから分かるわけです。まあ、最も勉強のために購入していますが、じゃあレッスンや本番でこれらの曲が歌えるのかと尋ねられると…それは厳しい…としか答えられないのは、とても残念な現実です。でも、いつかはこれらの曲をレパートリーに入れたいと願っている私でした。

【ベスト・アルバム系】

41)フランコ・コレッリ「アイコン」(4枚組)
42)プラシド・ドミンゴ「ドミンゴ・アット・ザ・メット」(3枚組)
43)カルロ・ベルゴンツィ「偉大なるカルロ・ベルゴンツィ」(2枚組)
44)ヨーゼフ・シュミット「アリアと歌曲 1929-1936」(2枚組)
45)ルネ・コロ「ザ・オペラ・シンガー」(2枚組)
46)ニコライ・ゲッダ「ベリー・ベスト・オブ・ニコライ・ゲッダ」(2枚組)
47)アルフレード・クラウス「ベリー・ベスト・オブ・アルフレード・クラウス」(2枚組)
48)フリッツ・ヴンダーリヒ「不滅の声~オペラアリア集」
49)サルヴァトーレ・リチートラ「サルヴァトーレ・リチートラ・ザ・ベスト」
50)マリオ・ランツァ「100ヒット・レジェンド マリオ・ランツァ」(5枚組)

 ここには、テノール歌手たちのベスト・アルバムをまとめてみました。選曲的にはアリア中心の人もいれば、バランスよく歌曲を入れている人もいますが…あくまでも、勉強のために、彼らの声を聞くために購入したモノばかりです。

 これらの中で、特にお気に入りなのは、実はマリオ・ランツァなんですよ。いいですよね、マリオ・ランツァ。大好きです、マリオ・ランツァ。

【歌曲系】

51)ヨナス・カウフマン「シュトラウス歌曲集」
52)ツィーザク&オディニウス「モーツァルト歌曲全集」(2枚組)
53)ペーター・シュライアー「メンデルスゾーン歌曲集」
54)イアン・ボストリッジ「シューベルト作曲:冬の旅」
55)イアン・ボストリッジ「シューベルト作曲:白鳥の歌」
56)イアン・ボストリッジ「オンブラ・マイ・フ~グレイト・ヘンデル・アルバム」
57)イアン・ボストリッジ「ヴォルフ:歌曲集」
58)イアン・ボストリッジ「ブリテン:歌曲集」
59)ウェルナー・ギュラ「ヴォルフ作曲:メーリケ歌曲集」
60)クリストフ・プレガルディエン&ユリア・クライター「ヴォルフ:イタリア歌曲集」
61)レオナルド・デ・リジ「レスピーギ歌曲集vol.1」
62)アルフレード・クラウス「イタリア古典歌曲集」
63)アントニーノ・シラグーザ「理想の女~トスティ歌曲集」
64)プラシド・ドミンゴ「知られざるプッチーニ」
65)トスティ作曲「英語による歌曲集」(4枚組)

 こちらのCDたちも勉強のために購入しました。シュトラウス、モーツァルト、メンデルスゾーン、シューベルト、ヘンデル、ヴォルフ、ブリテン、レスピーギ、プッチーニ…いずれの作家の歌曲も、いつの日か歌ってみたいものばかりです。とりわけトスティの名曲の数々は、ぜひ歌い潰したいすね(笑)。65)は、そんなトスティの歌曲の中でも、英語オリジナルの歌曲ばかりを集めた、珍しいCDなんですよ。トスティと言うと、イタリア語の歌曲ばかりが有名ですが、トスティには、英語やフランス語で書かれた歌曲にもいい曲はたくさんあります。フランス語は私の手には負えませんが、英語ならなんとかなりそうだなって気持ちがあります。それに英語って、我々日本人には慣れ親しみやすい外国語だしね。私も、いずれはトスティの英語歌曲を歌ってみたいと思ってます。

【その他】

66)45秒でわかる 超訳☆孫子ちゃんの兵法 vol.1

 孫氏の口語訳と解説を声優さんが萌えキャラに扮して朗読してくれるCDです。みかけは馬鹿ですが、内容はしっかりしているんですよ。

【DVD】

01)フレミング主演「ドヴォルザーク作曲:歌劇『ルサルカ』」
02)グルベローヴァ主演「ベッリーニ作曲:歌劇『清教徒』」
03)ドノーセ主演「ロッシーニ作曲:歌劇『ラ・チェネレントラ』」
04)ハンプトン主演「ヴェルディ作曲:歌劇『マクベス』」
05)ルビッチ監督「メリィ・ウィドウ」
06)ブレンデル主演「ワーグナー作曲:楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』」
07)ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年映画版)
08)ジーザス・クライスト=スーパースター アリーナ・ツアー(2012年)
09)レント(映画版)
10)アニー(1981年映画版)
11)デセイ主演「ヴェルディ作曲:歌劇『椿姫』」
12)コロ主演「レハール作曲:喜歌劇『ほほえみの国』」
13)ドミンゴ主演「プッチーニ作曲:歌劇『西部の娘』」
14)メイ主演「モーツァルト作曲:歌劇『後宮からの逃走」
15)バックコーラスの歌姫たち

 これらはDVDです。01)~06)までは、オペラのライブ・ビューイングの予習のために購入しました。09)以降は、純粋に楽しみのために購入したモノです。購入して後悔しているのは、実は13)のDVDです。実はこれ、日本語字幕が付いてなかったのですが、商品が到着するまで、その点に気付かなかった私です。ネット通販で購入したのですが、実はきちんと「日本語字幕はありません」という注意書きがしてあったのに、うっかり見落としてしまったのでした。ううむ、残念。

 というのが、私の今年のCDとDVDの購入リストでした。来年こそは、購入枚数を減らさないとなあ…。

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2014年12月29日 (月)

今年[2014年]見た映画 その2

 さて、昨日の続きです。

16)テルマエ・ロマエ2

 いいよねえ、この映画。ほんと、馬鹿映画です。ここまでお馬鹿な映画で突き抜けていると、爽快感すら感じます。で、オペラ聞きたくなって、温泉にも行きたくなるんだから、見事にマインドコントロールされちゃうわけだし、いいね。いいね。

17)パリ・オペラ座ライブビューイング「清教徒」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

18)WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~

 今どきの、良い日本映画を見ました。派手なCGや爆発シーンもなく、主人公は世界を救わない。ただただ、主人公の成長と、彼を取り巻く(ちょっぴり風変わりな)日常を淡々と描いていく。いいなあ、日本映画って。

 おまけに、この映画では、主人公の日常を彩る道具として“林業”が描かれます。林業だよ、林業。関係者には申し訳ないけれど、私、今まで林業について考えたことすらなかったです。でも、この映画を見て、ちょっぴり日本の林業に興味を持ちました(ホントだよ)。

 こういう、ちょっと変わった職業やテーマを取り上げるのって、日本映画独自の風味だよね。昔だと伊丹十三作品を、近年だと本作の監督、矢口史靖作品もそうだし、周防正行作品もそう。こんな風味の日本映画を、私は、これからも見続けていきたいです。

19)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ラ・チェネレントラ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

20)ノア 約束の舟

 アメリカの映画を見ていて、私が常々思うのは、彼らにとって、家族って、きっと地球よりも大切なんだろうなあって事です。

 この映画は、いわゆる“ノアの方舟”の映画なんだけれど、全然、聖書っぽくないのが、今の時代の映画なのかな? 何やら分からないモンスターとお友達になっているし、セム・ハム・ヤペテが中年の妻帯者であったという設定は無かったことになっているし。まあ、聖書のお話から切り離して、単なるアメリカのファンタジーとして見れば、見れないこともない映画です。

 なんで聖書の物語をテーマにしたんだろ? 出来上がりを見れば、聖書じゃなくても全然問題なさそうなのに…訳わかりません。なんとも中途半端な映画だなって思いました。

21)トライセンデンス

 なかなか、地味だけれど味わいのあるのスリラー系のSF映画でした。ジョニー・ディップがいい味出してます。

 この映画、アメリカと中国の合作映画だそうですが、映画そのものは、まるっきりアメリカ映画で中国っぽくないんです。こういう中国映画もあるんだなあと、変なところで感心しました。

22)オール・ユー・ニード・イズ・キル

 原作は、日本のラノベです(笑)。もちろん、映画は、ラノベに忠実には作られていません。ラノベの中のエッセンスをうまく取り上げ、それを映画として昇華させています。

 私は原作のラノベは…読み始めてすぐに諦めました。ちょっと、読みづらい…かな? そこで、小畑健によるコミック版で読みました。コミックは映画とは違いますが、これはこれでアリだし、面白いと思いました。

 映画とコミックと、どっちが良いかなんて問題じゃないです。好みの問題でしょう。ただ、私は、トム・クルーズの映画版もとても良かったと思うけれど、このコミック版をそのまま映画にしても、良かったろうなあって思いますが…きっと、このコミック版のままでは、アメリカでは受けないんだろうなあっとも思いました。

 コミックも映画も、どっちもなかなか良かったですよ。

 ちなみにこの映画、日本公開のタイトルは、原作ラノベに準じて『オール・ユー・ニード・イズ・キル』ですが、こんな和製英語を、さすがにアメリカでは映画のタイトルにはできないからでしょうか、アメリカでは映画公開の時には『Edge of Tomorrow』というタイトルで上映され、あまりに客が入らなかったためでしょうか? 後にDVD化された時には『Live Die Repeat』とタイトル変更されたそうです。『Edge of Tomorrow』を直訳すれば『明日の瀬戸際』だし、『Live Die Repeat』は直訳なら『生きる 死ぬ 繰り返す』だけど、これじゃあ日本語じゃないから、ちょっと意訳して『輪廻転生』って感じかな?

 たぶん、問題はタイトルじゃなくて“生まれ変わり”というコンセプトがダメだったんじゃないかな? だって、生まれ変わりは仏教的な発想でしょ? キリスト教だと、死んだら人は天国に行くわけで、生まれ変わっちゃダメなんだから、こんなストーリー展開にはついていけなかったんじゃないかな?

23)マレフィセント

 実写版「眠れる森の美女」です。ディズニーは、これまでも自社の名作アニメの実写化をしてきましたが、このマレフィセントは、単なる実写化ではなく、主人公そのものが、眠ってしまった姫様から、眠らせてしまった魔女に変わっているのが、ミソです。

 さらに言えば、テーマもアニメとは違います。アニメのテーマは「男性の愛が姫を目覚めさせる」であったのに、こちらは「(育ての)母の愛が姫を目覚めさせる」んですよ。アナ雪でもそうだったけれど、最近のディズニーでは“男性の愛”が軽んじられる傾向があります。今どきの少女には、男は不要なのか…たぶんそうなんでしょうね。だから、映画がヒットするんです。

 女は女同士で充足し、男は二次元に満たされる。これが21世紀なのか…な?

24)ゴジラ(2014)

 かっこいいぞぉ~。このゴジラなら、ゴジラと認めてやってもいいぞぉ。ほんと、このゴジラはハリウッド製だけれど、かっこいいゴジラですよ。この映画の成功で、アメリカで、この映画の続き(つまり、第二弾)が製作されている(今度は、モスラやキングギドラも出るらしい)そうだし、日本でも東宝が新しいゴジラの製作に着手したとかしないとか。急にゴジラ周辺が賑やかになって、私は、うれしいです。

25)パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト

 パガニーニとは、19世紀に実在した、天才的なヴァイオリニストであり、この映画は、その彼の自伝的映画である…のですが、この映画のみどころは、そんなところではないのです。

 天才的なヴァイオリニストであるパガニーニを演じているのが、ディヴィッド・ギャレットである事が最大の売りなんです。ギャレットは、掛け値なしの、現代の天才ヴァイオリニストであり、その彼が演じるからこそ、パガニーニが光るというのです。もちろん、映画の中でのパガニーニの演奏シーンは、すべてギャレットが(演技ではなく、本当に)演奏しているのです。現在の天才が、伝説の天才の役を演じているんですよ、そんな映画が素晴らしくないわけないじゃない。

 ギャレットが演じるパガニーニを見るもよし、パガニーニを演じているギャレットを見るもよし。今昔の二人の天才的ヴァイオリニストを同時に楽しめるのが、この映画の最大の見どころなんだと思います。

26)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ばらの騎士」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

27)トランスフォーマー/ロストエイジ 3D

 トランスフォーマー自身は、日本の玩具がテーマになって作られた、日本のオリジナル作品です。アニメなども多数作られてきた、名実ともに日本の作品ですが、それがアメリカで映画化され、めでたいめでたいと思っていたら、この第四作目にあたる「ロストエイジ」では、映画そのものが、アメリカと中国の共同製作になり、中国俳優さんたちがたくさん出演し、映画の舞台も後半は中国に移動しちゃいました。

 なんかなあー、日本のオリジナル作品をアメリカに貸し出したら、中国に取られちゃった…みたいな感覚です。映画そのものは面白いので文句はないのですが、なんか、そんなところが、ちょっぴり残念に思ってます。

28)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ラ・ボエーム」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

29)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

30)超高速! 参勤交代

 面白いです。時代劇って、ちょんまげを結ったファンタジーなんだなって思いました。いわゆる正統的な“娯楽映画”です。これぞ、日本の喜劇映画ですよ。

31)舞妓はレディ

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

32)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「マクベス」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

33)太秦ライムライト

 もちろん映画なんだけれど、ドキュメンタリー的な要素もたくさん含んでいる映画です。

 落日の太秦と、切られ役俳優の悲哀。消えつつある時代劇の伝統。なんだろう、一つの文化の終焉を記録した映画…になっては困るのだけれど、なんか、そんな感じ。

 多くの人に見てもらいたいなあと、心底から思える映画です。しんみりする映画です。

34)寄生獣 Part 1

 今流行の寄生獣を見てきました(笑)。原作とは違う部分はたくさんありますが、この映画はこれで良いのだと思いました。ミギーがあまりにコミカルなので、そこにちょっとばかり違和感を感じないでもないのだけれど…。まあ、映画全体の評価は、Part2を見てからでしょう。

 それにしても、今、何気に“寄生獣プーム”らしいですよ。

35)インターステラ

 あっちこっち、つじつまの合わない部分はあるものの、かなり頑張っているSF映画です。「結局、アメリカ人はファミリーが大切なのかよ」と思うものの、重力と相対性理論をうまく道具として使っているなあと思いました。

 あっちこっちに、日本のアニメがオリジナルの“ニセ科学”をそのまま使っていて、製作者たちの日本アニメ好きがかいま見られて、なんかうれしかったです。でも、ニセ科学はあくまでもニセ科学なので、一般のアメリカ人には理解できたのかしら?

 …とまあ、今年もたくさん映画を見たわけです。映画は、安い庶民の娯楽ですからね。来年もきっとたくさんの映画をみるんだろうなあ。ああ、楽しみだ。

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2014年12月28日 (日)

今年[2014年]見た映画 その1

 恒例の“今年見た映画”の記事です。今年もたくさんの映画を見ました。まあ、たいした映画を見ていないじゃないかと毒づかれる方もいらっしゃると思いますが、こんなラインナップが私の趣味なんだから、仕方ないです。私はこれでも結構楽しみました。

 念のために書いておきますと、ここに書かれた映画は、私が直接映画館まで出向いて見た映画です。DVDやテレビ放送で見た映画は含まれていません。DVDで購入して見たものは、また後日記事にしていますが、レンタルDVDとかテレビ放送で見た映画は、ここには含まれていません。実は今年、それらの映画の視聴記録も最初のうちは残していたのですが、途中で立ち消えてしまいました。なんでしょう、面倒くさくなってしまった…のかもしれません。記録的には、ちょっぴり残念です。

 ちなみに、昨年の記事はこちらです。昨年と比較したい方はどうぞ(爆)。

 去年の私は30本の映画を見ました。一昨年が31本ですから、年30本平均がいつものペースだったけれど、今年は35年です。今年は、例年よりも多くの映画を見た事になります。まあ、これも歩いていける場所に映画館があるおかげです。ほんと、感謝していますよ。
 それでは例年通り、簡単なコメントを加えながら、今年見た映画をご紹介していきます。

01)ルートヴィヒ

 同名映画に、ヴィスコンティ監督の有名作がありますが、それとは別の映画です。

 こちらは、2012年にドイツで製作された映画で、バイエルン王ルートヴィヒ2世の伝記映画です。王様の伝記映画? まあ、そうなんですが、ルートヴィヒ王の人生には、大切な脇役としてワーグナーが関わってくるので、当然、映画でも、ルートヴィヒ王とワーグナーの両者の人生が描かれるわけです。私のような音楽ファンだと、ついついワーグナー視点で見てしまいます。地味な映画ですよ。でも、淡々と物語をつむいでいく良質な大河ドラマだと思いました。

02)大脱出

 『大脱走』ではありません。『大脱出』です(笑)。

 スタローンとシュワルツネッガーの主演での初共演映画だそうです。往年のファンにはたまらない組み合わせですね。内容は、いわゆる脱獄ものです。シュワちゃんがインテリ役なのは、なんか似合わないです。実際の彼は政治家だったわけですから、けっしてお馬鹿さんではないのは分かってますが、映画の中の彼のイメージは“筋肉野郎”ですからね。その彼がインテリ役というのは、ほんと、違和感があります。

03)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ファルスタッフ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

04)トリック劇場版ラストステージ

 テレビドラマ『トリック』の劇場版第4弾です。『ラストステージ』とありますが、今回、本当に“ラスト”なんだろうなあって思いました。前回の『劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル』の時も「これで終わりなんだろうなあ…」と思っていましたので、今回の『ラストステージ』の上映を知った時はビックリしました。だって、もう、このドラマ、色々と無理があるでしょう。なのに、なんでやるの?…と思ったものでした。

 で、見ました。「これで本当に終わりなんだ」と思いました。たぶん、製作者たちは、このドラマにきちんとした幕引きをしたかったんだうなあって思いました。とにかく、終わりです。で、終わりと同時に、一番最初に戻るって事なんだろうなあって思いました。つまり“ゴール”ではなく“振り出しに戻る”という、ループの始まり。物語は再生していくって事なんだと思います。

 アニメではなく、生きた役者を使ったドラマですから、こういう終わり方もアリだなって思いました。逆に言うと、きっとアニメだったりしたら、ルパン三世のように、何年も何年も作り続けるような物語になっただろうなあって思いました。

05)劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語

 まどマギは好きだけれど、そんなに熱心なファンというわけではありません。テレビ放送はCSでの再放送で見ましたし、映画の前編後編も、テレビの深夜放送で見たクチです。この映画だって、封切りの時は見逃しました。封切りが終わってしばらくして、たまたま、近所の映画館が二番館上映をしてくれたので、その時に見に行きました。

 うーん、ほむらちゃんが悪魔か…。

06)マラヴィータ

 ロバート・デ・ニーロ主演、リュック・ベッソン監督の、お馬鹿映画です。

07)マイティ・ソー/ダーク・ワールド

 いわゆる“アベンジャーズ”シリーズ第2弾の、『アイアンマン3』に続く2番目の物語です。私はアベンジャーズ・シリーズが大好きなので、とっても楽しめましたよ。

08)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「ルサルカ」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

09)椿姫ができるまで

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

10)ロボコップ

 たしか、かつてのロボコップはオムニ社の製造で、オムニ社ってのは日系企業だったはずだけれど、今度のオムニ社は、日系企業であるかどうか不明な上、工場そのものは中国にあるようです。つまり、以前のロボコップは“メイド・イン・ジャパン”だったかもしれないけれど、今度のロボコップは明らかに“メイド・イン・チャイナ”ってわけです。

 これも時代の流れなんでしょうね。1980年代にはイケイケだったジャパン・マネーでしたが、2010年代にイケイケなのはチャイナ・マネーって事なんだと思います。

 そう言われてみると、昨今のアメリカ映画は、中国人俳優を多様化し、ロケ地も中国だったりする事が増えました。まあ、日本人も頑張っているようですが、中国人ほどじゃないので、ちょっとばかり愛国心が刺激されます。

 しかし、現代版のロボコップは、頭部と右腕しか人体部分がないんですね。なんか、ショックです。でも、これって、人間であるマーフィー的には“生きている”って言えるのかな? もしも生きているのなら、ロボコップはロボットじゃなくてサイボーグって事になりますね。でも、実は死んでいて、細胞死していない人体を生体パーツとして使ってます…という状態なら、アンドロイド、つまりロボットって事になります。1980年代のロボコップはサイボーグっぽかったけれど、現代のロボコップは…アンドロイドっぽいよなあって思います。

 どうでしょうか?

11)ワンチャンス

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

12)メトロポリタン歌劇場ライブビューイング「イーゴリ公」

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

13)アナと雪の女王

 この映画については、すでに記事を書いていますので、詳しくはそちらをご覧ください。

 また、主題歌のレリゴーに関しては、こちらの記事でも色々と書いてます。

14)キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー

 いわゆる“アベンジャーズ”シリーズ第2弾の3番目にあたる物語です。キャップというキャラそのものは大好きなんだけれど“キャプテン・アメリカ”という名前がねえ…。私はアメリカ人じゃないから、他国の名前を背負ったキャラを目の前にすると、疎外感を感じるんですね。だから、アベンジャーズの中でも、キャップはなんか、苦手。私は、むしろ、アイアンマンの方にシンパシーを感じるんだけれど、アイアンマンのスーツは全部廃棄しちゃったわけでしょ? アベンジャーズ2では、一体どうなるんでしょうね? ちなみに、アベンジャーズ2は、来年の夏に公開予定なんだよね、楽しみ。

15)アメージング・スバイダーマン2 in 3D

 スパイディーって、原作コミックでは、アベンジャーズのリーダーの一人のはずなんだよね。なのに、映画では、スパイダーマンとアベンジャーズは無関係。まあ、オトナの事情ってヤツなんだろうけれど、ちょっぴり残念。

 さて、今年見た映画はまだまだあるけれど、長くなってきたので、続きはまた明日にします。お楽しみに。

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2014年12月27日 (土)

声楽ネタ三連発![2014年12月の落ち穂拾い]

 今月の落穂拾いは、いつもより若干早目です。まあ、いわゆる“年末進行”ってヤツですね。明日以降は、年始年末恒例の記事になりますので、よろしくお願いします。

ノドに蓋

 “ノドに蓋”がかかるように感じる現象は、状況的には『ノド(声帯)が閉まって息が通らなくなる』現象なのです。

 高い声を出そうとすると、どうも声帯と言うのはノドを閉じようとするみたいです。自然とそうなるのは、人間の生理上、仕方がないらしいのですが、力を込めて人為的にそうなってしまうと、声帯が過緊張状態となり、完全に硬く閉じてしまうのです。この状態が“ノドに蓋”の状態です。

 そうなってしまうと、息が声帯を通らなくなるので、高音どころか息そのものが出なくなります。それを力づくで息を通して声を出しても、声帯は緊張しすぎているので高い声(高い声を出すには、より多く声帯が振動しないといけないのですが、過緊張のために動きが悪くなっているので、目的としている高音)は出ないし、そこをむりやり出しても、歌声が怒鳴り声になるだけです。これがいわゆるノド声です。

 キング先生は「黙って百回歌え! 百回がダメなら千回歌え! そうすれば高音が出るようになる!」という趣旨の事を断言なさり、ノドに蓋がカブっても、力づくで蓋を取っ払って、正面突破しろ!、と何度も何度も自信を持ってご指導されていました。

 まあ、そういうやり方もあるでしょうが、普通の人がそれをやると、ノドを壊しますし、さすがの私も、その指導のおかげもあって、かなりノドがボロボロになりました。

 Y先生は別のアプローチをされます。それは“ノドの脱力”です。なるべくノドには力を入れない。楽にする。ノドに蓋をカブせない。

 もちろん、高音を出すために、ノドが緊張し、自然と閉じてしまうのは仕方がないけれど、その状態から高音を出すために、ある二つの事をします。一つは喉仏を下げる&軟口蓋を上げる(つまり、口腔を縦に広げる)事であり、もう一つは腹筋を使って、息を思いっきり吐く事、です。

 ノドの緊張は仕方ない事としつつも、過緊張は厳禁です。その上で、口腔を縦に広げる事で、ノドの縮こまりを防ぎ、声帯を(結果的に)薄く伸ばして高音を出しやすくし、さらに腹筋を使って息を送る事で、ノドに力を入れずに、速い息を声帯に送ります。これで高音発声を目指すわけです。

 つまり、高音発声を、力づくではなく、テクニカルなやり方で可能にしようというわけです。一部の強靭な声帯の持ち主を除いた普通の人には、Y先生のテクニカルなやり方のほうが、より高音発声ができるようになる可能性が高いと思います。

ボイトレの正体

 合唱団における“ボイトレ”と言うのは『声の準備体操』の別称だと私は思います。あくまでもフィジカルで準備的な運動の事を“ボイトレ”と呼んでいるに過ぎません。と言うのも、テクニカルで教育的な意味合いの“ヴォイス・トレーニング”は、先生と生徒が man to man でないと出来ないので、合唱団では所詮無理なんだと思います。

 合唱団にとって大切なのは、団としての技術の向上であって、個人個人がどうなろうとそれは関係無いというのが、多くの合唱団の(指揮者/指導者の)本音だろうと思います。

 合唱という音楽は、歌い手個人の音楽ではなく、あくまでも指揮者の音楽であって、合唱団は、指揮者の楽器でしかないのです。これは音楽の性質上、仕方のないことだと思います。歌い手個人のやりがいを追求するなら、合唱ではなく、独唱とか声楽アンサンブルで歌うしかないと思いますよ。

地声と裏声

 地声と裏声は、声帯の使い方が違うんですよ。

 地声は声帯を全部使って振動させて出す声で、裏声は声帯の一部を閉じて、残りの部分だけを振動させて出す声…だと、音響学の授業で学びました(昔の話ですね)。

 よくテノールが高音を出そうとして“声が裏返ってしまう”現場が目撃されますが、あのメカニズムは、目的の音を出す際に、声帯全部を使って発声するつもりだったのに、思わずカラダが無意識に声帯を閉じて発声してしまったので、声がひっくり返ってしまうのです。だって、高音は、声帯全部を使って発声するよりも、声帯を半分とか1/3だけを使って発声した方がら、絶対に楽だもの。

 これは弦楽器で考えれば分かる事です。高い音を出すなら、開放弦ではなく、ネックを使って、弦の途中を押さえた方が高い音になるでしょう。開放弦のまま高い音を出したいのなら、弦の太さを細めのものに取り替えるか、より強く引っ張って張力を増せば、開放弦のまま高い音が出ます。歌だって、声帯だって、同じ事なんですよ。

クラシック音楽って、本当に“音楽の基礎”なの?

 よく巷では「クラシック音楽は、すべての音楽の基礎だ」と言われますが、それはなぜなんでしょうね?

 「学校で習うから?」 正解です。でもね…いわゆる“クラシック音楽”って、実は、ヨーロッパ地方の昔の民族音楽なんですね。地域とか時代とかが限定された、あくまでも一地方における民族音楽なんですよ。

 なので、本来は現代アジアに住む我々日本人には縁遠い音楽だし、実際、大半の日本人にとって、クラシック音楽などは「何それ? 美味しいの?」状態なのも仕方のないモノだと思います。

 でも、そんな昔のある時代に、ある地方で、一時的に流行った音楽(18~19世紀の西ヨーロッパを中心に栄えた民族音楽)が、たまたま明治維新の頃の日本に、先端音楽として輸入され、クラシック音楽と命名されて学校教育に取り入れられた結果、日本ではそのクラシック音楽がすべての音楽の基礎に据えられるようになったわけです。我々日本人には、連綿と続く邦楽の伝統と歴史があったにも関わらず、それらを押しのけて、音楽の基礎基本として位置づけられたわけです。

 まあ、その結果、学校教育にうまく順応した一部の人間にとって、子供時代から学校で慣れ親しんだクラシック音楽は、身近に感じられる音楽となっているだけ…だと思います。まあ、私なんかは、そのクチですね(笑)。

 ただ、学校教育にうまく順応した一部の人間の、そのまた一部の人たちって、クラシック音楽しか知らない(ってか、学校で習った事以外は知らない)ので、クラシック音楽が、すべての音楽の基礎基本だと勘違いしているし、またそんな人たちって、声がデカイし、世の中で力を握っていたりするので、彼らの発言には影響力があって、そのため「クラシック音楽がすべての音楽の基礎だ」という、そんな誤解が蔓延してしまった…んじゃないかって思ってます。

 まあ、無関心による無知からの誤解ってヤツです。実際、クラシック音楽の根っこを持たない音楽なんて、この世には掃いて捨てるほど、たくさん存在しているしね。

今月のお気に入り ゼブラ 蛍光ペン ジャストフィット

 これねえ、すごくいいのよ。何が良いのかと言うと、ペン先がほんの少しだけ柔らかいのです。だから、線を弾いていても、ペン先が紙面にピタッと吸い付いて、キレイに楽に線が引けるんです。ほら、普通の蛍光ペンって、ペン先が硬くて、紙面がきちんと平になっていないと、うまく先が引けないじゃないですか? でも、この蛍光ペンなら、多少の曲面は問題ではありません。実にスラスラと線が引けます。

 合唱をやっている人は、楽譜の自分のパートに蛍光ペンで線を引くことが多いでしょう? そんな時に、こいつはお薦めです。

 ちなみ、私は、今まで色々な色の蛍光ペンを使ってきましたが、最近は、黄色に落ち着きました。黄色って、塗りムラがあっても目立たないし、コピーを取ると、消えて見えなくなるし、でも肉眼でははっきり見えるし。割りと使い勝手が良い色だと思います。

今月の金魚

 みんな元気…と言いたいところですが、ホノカは真ん丸、サクラはウロコが逆立っています。それでも元気なので、今は様子見の状態です。アズニャンとオタキサンは元気丸出しですよ。

今月のひとこと

 桜はいいね。春は花吹雪を楽しみ、秋は色づく葉が楽しめる。桜はいいね。(2014年11月28~29日)

 映画を見てきました。「太秦ライムライト」という渋い映画を見てきましたが、すごく面白かったです。でも、映画館の客は私たち夫婦だけでした。期せず、映画館を貸し切りにして見たわけです。うむ、贅沢だ。(2014年11月29~12月6日)

 選挙速報ってどうなの? 『自民党が優勢だ』『300議席は取りそうだ』『2/3議席も取っちゃうかもしれない~』って報道が姦しいです。これって『自民党が優勢だ…だから、自民党の支持者の方々は投票に行く必要はないよ』だったり『300議席は取りそうだ…だから、自民党に投票する必要はないよ、野党に入れてね』だったり『2/3議席も取っちゃうかもしれない~…よ、そうすると憲法を改正して戦争始めちゃうよ、いいの、それで?』だったりというメッセージが隠されているような気がして仕方ないです。選挙結果を予想して(私見をたくさん混ぜて)報道するなんて、マスコミが世論を操作しようとしているわけでしょ。それってフェアじゃないよね。報道が正義ならば、どこにも組みせず、予断も許さず、ただ粛々と、それぞれの党や候補者の主張を公平に伝えればいいんじゃないの? いつも感じるんだけれど、マスコミって、アンフェアだよね。(2014年12月6~14日)

 ドナウディの歌曲の中に「Amorosi miei giorni/私の愛の日々」という曲があって、私はその曲をすっご~~く歌いたいのだけれど、この曲を先日のレッスンで妻に取られました(涙)。いや“取られた”と言うよりも、正確には妻がレッスン曲として勉強し始めた…って事なんだけれど、なんか釈然としない。他の曲なら、妻が歌っても、別になんとも思わないのだろうけれど、この曲だけは、なんかイヤ。理屈じゃなくて、感情として、なんかイヤ。忘れられない昔の恋人の結婚式に出席するような気分で、なんかイヤだ。(2014年12月14~18日)

 大韓航空の前副社長さんが無双した、いわゆる“ナッツ・リターン事件”ですが、横暴極まる副社長さんの社員を見下した態度に、人の上に立つ人としての器量の無さを感じますが、そんな副社長さんを国家をあげて感情的に罵倒し攻撃する態度は、いかにも“やり過ぎ”と言うか「この国にはルールはないのか?」と思っちゃいますよ。確かに、副社長さんの行動はおかしいけれど、あくまで社内で解決する問題だし、飛行機の離着陸に支障が生じた件だって、乗客及び関係各社と当局で処理すれば済む問題。国内どころか、海外に大々的に報道されて、社会的な罰を受けるような問題ではないと思う。実に、感情的で無法な人たちだと思う。この件は、産経新聞社の前支局長さんの問題とか、日々止まない反日活動とかにも通じる、あの国の文化なんだと思う。“妬みと恨み”が元気の素なんだろうね。溺れる犬は棒で叩け、なんだろうね。(2014年12月18~23日)

 いやあ、失礼しました。2014年12月23日の記事のアップが遅れてしまいました。申し訳ない。記事のアップは、予約送信で3時半に行い、それを毎朝5時前後に確認するというルーティン作業をしていたのですが、なぜかこの時に、予約送信が行われず、私も朝の確認を見逃すというテイタラクで、このような事が起こってしまいました。毎朝、記事を楽しみにしていた方がいらっしゃいましたら、ほんと、申し訳ないです。なぜこのような事が起きたのか…どうやら予約送信中にエラーが起こったようです。記事がアップされていない事を確認した段階で、真っ先に予約送信を確認したのですが、きちんと定刻に記事はアップされていたのですが、それが万人が読めるように公開されていなかったのです。記事をアップしてあるのに、読めない? 不思議ですが、そういう事だったようです。ヒューマン・エラーではなかったので、ちょっとホッとすると同時に、マシン・エラーだったので、今後がちょっと心配です。たまたま起こったミスなら良いのですが、今後も頻繁に発生するようなら、色々と考えなければいけませんからね。それもそうだけれど、毎朝の確認でヘマをしなければ、もう少し早めに対処できたのに…というのは、私個人の反省事項です。(2014年12月23~25日)

 クリスマスはキリスト教社会のイベントです。キリスト教の世界では、1日の始まりは夕方なんですね。つまり、日が沈むと1日が始まるんです。そして、日が昇って、日が沈むと、次の日なんですよ。クリスマス・イブと言うのは「クリスマス当日の夜」であって、決して前夜祭じゃないんですよ。むしろ、25日の夜は、すでに「クリスマスの翌日の夜」なんですね。なのに、なぜ、25日の夜になったのに、クリスマスケーキが定価販売なんだ~! さっさと、叩き売って欲しかったぜい(涙)。(2014年12月25~26日)

 と言うわけで、今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年12月26日 (金)

なぜフルートは素材ごとに音色が違うのか?

 師走で走り回っている私です。今回も、見事にレッスンをお休みしました。だって、レッスンの時間になっても、職場で仕事していたんだから、仕方ないでしょう。

 と言うわけで、今回もレッスン記事ではなく、フルートエッセイでお茶を濁すことにします。

 フルートは、楽器の一部が振動して音を作る楽器ではありません。楽器そのものは単なる筒でしかなく、その筒の中の空気が振動する事によって音が作られる仕組みとなっています。もう少し具体的に言うと、歌口に息を吹き込む際に、息が歌口のエッヂに当たることで生じた空気の疎密波が、管体の長さに応じて反射して戻ってきた際に、歌口から改めて入ってきた空気の疎密波と干渉しあって、音波となり、歌口から外に音として出て行く…という仕組みになっているのだそうです。

 つまり、フルートの音に影響を与える楽器の要素としては、歌口と管体であって、歌口は、その形状によってフルートの音色に、管体は、その容量(長さと太さ)によって音程に、それぞれ影響をあたえるわけです。

 音色に関してのみ言えば、大切なのは、原音とも言える、最初に空気の疎密波を生み出す歌口のエッヂの形状が大切なんです。そして、そこにどんな息を当てるのか、奏者のクチビルの形状や柔らかさ、腹圧、口腔内の容量などの、奏者側の息の質の問題も絡んでくると思います。

 フルートの音色を作るものは、奏者の出す息と、歌口のエッヂの形状って事になるわけです。そして、どちらがより音色に影響を与えるのかと考えるならば…これは経験的に言わせてもらうならば、奏者の出す息の方でしょうね。

 と言うのも、フルート奏者にはフルート奏者ごとの固有の音色というものがあります。どんなフルートを吹いても、奏者が同じならば、観客には同じフルートの音として聞こえるからです。フルートの歌口のエッヂの形状が音色に大きな影響を与えるならば、奏者が楽器を持ち帰る度に、音色が大きく変わっていくはずですが、現実にはそんな事はありません。

 フルートという楽器そのものの違いは、音色の違いには、あまり関係しないのです。であれば、その楽器の素材がなんであれ、音色には関係しない、って事になります。

 だから、よく“洋銀の音”とか“銀の音”とか“金の音”とか言うじゃありませんか? でも、そんな音はこの世には存在しないって事になります。実際に観客席に座って、フルートの音を聞いて、そのフルートの素材が当てられるかどうかなんて…誰にもできません。まあ、当てずっぽうがたまたま当たるという事はあるでしょうが(笑)。逆に、演奏する人が有名な方で、聞く観客も耳が肥えていたら、その音を聞くだけで、誰の演奏かを当てることは可能でしょう。それくらい、奏者ごとの音の違いは顕著だと思います。

 このように、理屈で考えると、フルートの素材が音に与える影響は、ほぼありません。でも、体験的にフルート奏者たちは、素材ごとに音が違うことを知っています。これはなぜでしょうか?

 一つには、素材の違いは、その楽器の音色には影響しないけれど、別の部分に影響を与えるからです。

 これも経験則からの話になりますが、素材が高級になればなるほど、音が遠くまで届く…と言われます。実際、奏者が同じなら、ゴールドフルートの方が他の素材で作られたモノよりも大きくて迫力のある音が出ると言われています。

 その理由を科学的に考えるなら、フルートはどんな素材で作られていたとしても、楽器としての大きさはすべて一緒です(でないと、演奏のしやすさや音程に影響が生じます)。同じ大きさのものを比重の異なる金属で作れば、当然、比重の高いモノで作られた楽器ほど重量が重くなります。

 オーディオの常識として、音波の発信体(オーディオ業界ではスピーカーを指します)は重ければ重いほど、より効率的に音波を発する事が分かっています。楽器も音波の発信体である以上、重い楽器ほど、より効率的に(つまり美しい音をより大きな音として)音波を出すことが出来ます。

 ですから、素材の違いは、音色の違いにはつながらないけれど、音量を増加させることはできるわけですし、より大きな音量が必要な会場では、金属として比重の大きな、銀や金のフルートを使った方が有利となるわけです。

 また、これも素材とは全く関係ありませんが、多くのフルートメーカーで、楽器の価格帯によって、歌口のカットの仕方を変えているのが現状です。歌口のカットが変われば、多少なりとも、音色に影響があります。ただし、その影響は、観客に分かるほど顕著なものではありませんが、奏者にはよく分かる程度の違いです。ですから、奏者は、素材の異なる楽器を吹き比べた時に、カットの違いによる音色の違いや吹奏感の違いを感じて、それを素材による違いだと勘違いしてしまうのだと思います。実際は、素材の違いによる音色の違いなどではなく、歌口のカットの違いが音色の違いとして現れているだけの話なんですが。

 ですから『なぜフルートは素材ごとに音色が違うのか?』という問いに対する答えは『フルートは素材の違いによって商品としての販売価格が異なり、その価格の違いごとに、メーカーは歌口のカットを変えているから、フルートは素材ごとに音色が違っているように、奏者には感じるのである』という答えになると思います。

 おまけ 歌口のカットでフルートの音色が変わるならば、当然、フルートメーカーごとに音色の違いは存在するでしょうし、同じフルートメーカーのモデル同士であっても、歌口をカットした職人さんごとに音色は変わります。実際、フルート職人さんの中には、フルートを吹いた途端、このフルートを作ったのは自分であるかどうか、瞬時に分かる人もいるそうです。それくらい、歌口のカットの違いは、大きいのだそうです。まあ、繊細な話ですがね。

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2014年12月25日 (木)

職場の同僚たちとカラオケに行ってきた

 いやあ、楽しかったです。職場の同僚たち、それも同世代のオッサンたち六人でカラオケに行ってきました。傍から見ると、まさに“危ない集団”ですし、若さもなければ色気もない、ただただむさ苦しいだけの集団だったのですが、そんなオッサンたちに混じって、カラオケで遊んできました。

 いやあ、まさに昭和歌謡のオンパレード! 普段は若者に気を使って、カラオケでは歌えないようなベタな古い歌とか、女性に受けない男くさい歌やアニソンなんかも、ガンガン歌っちゃいました。いやあ、楽しい。

 実を言うと、私の場合、普段は職場の同僚たちとはカラオケに行かないものだから、カラオケそのものが楽しい楽しいのでした。でも、普段カラオケに行かないから、カラオケのレパートリーが無いので困ったのも事実でした。

 私はカラオケに行くとしても、普段は妻と二人で行くことが多いです。で、妻と出かけると、専ら歌うのは洋楽ばかりです。だって、洋楽って歌いやすいんだもん。でも、職場の同僚とのカラオケで洋楽? そりゃあ無いよね。

 昭和歌謡だと、私がよく歌うのは、ジュリーこと沢田研二の全盛期の頃の曲なんだけれど、ジュリーは一緒に行った先輩同僚の十八番なので、今回はパス。結局、私が歌ったのは、井上陽水とオフコースとサザンとゴダイゴでした。

 ちなみに、井上陽水は、まあまあの出来。サザンは「TSUNAMI」を歌いましたが、最後の最後に出る最高音が届きませんでした(残念)が、後はパーペキ。しかし、オフコースは「さよなら」を歌いましたが、サビの部分は全く歌えませんでした。キーは原曲キーでしたので、私は小田和正ほどのハイトーン・ヴォイスでは無いって事です。ゴダイゴはカラオケのキーがやたらと低くなっていて、とてもとても歌いづらかったです。妻とふたりきりなら「キーを上げて!」と要求できますが、その場のみんなで合唱をしちゃうような場では、それも言い出せずに、色々と厳しかったです。

 普段、同僚たちとカラオケに行くことがないし、声楽の勉強をしている事も(尋ねられないので話していないのです)知りません。ですから、私が歌い始めると、皆、ただただビックリしていたようでした。

 「すごい声量!」「美声じゃん!」「まるでオペラ歌手みたい」「なんで、こんな高い音が出るんだ!」

 なんであれ、誉められて嬉しくないわけないのですが、こちらは毎月高額のレッスン料を支払ってプロのオペラ歌手に歌を習っているのですから、歌が上手くて当然なわけで、ここで驚かれるような歌が歌えないのなら「レッスン料を返してくれよ~」と叫びたくなるわけです。なので、誉められて嬉しい半面、ちょっとばかり複雑な気持ちにもなりました。(決して、図に乗っているわけじゃないんですよ)

 それにしても、普通の人って、すごくキーが低いんだね。彼らに合わせると、私、ほとんど歌えなくなっちゃいます。言い換えるなら、私は、ほんと、歌声が甲高いって事になるんだろうと思います。話声なら、私も彼らもそんなに大きく違わないのですが、歌になると、途端に私は、甲高い声になります…ってか、歌声のポジションが上がるって言うんだろうね。話声と同じ場所では歌ってません。

 楽に声を出せる場所(話声のポジション)と、きれいに声が響く場所(歌声のポジション)が、私の場合は違うんだろうと思います。たぶん、この二つが一致していると、バリトンになるんだろうなあ。響く場所が、話す場所よりも高いとテノールに、低いとバスになるような気がします。女性の場合は、話声は地声だけれど、歌声は裏声になる人が多いから、日本の女性のほとんどはソプラノになってしまうのだろうと思います。

 それにしても、同僚とのカラオケ、楽しかったなあ。一年後ぐらいに、また参加したいです。それまでに、昭和歌謡のレパートリーを増やしておかないといけないかしら?

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2014年12月24日 (水)

バッハの平均律で遊ぼう!

 皆さん、ご存知だと思いますが、フランスのグノーが書いた「アヴェ・マリア」という曲があります。こんな曲です。

 この曲、メロディ部分はグノーの作曲ですが、実は伴奏部分はバッハの曲です。バッハの『平均律クラヴィーア曲集 第1巻』の「前奏曲 第1番 ハ長調」が元になっています。ほぼ、バッハの曲そのものだそうですが、一部改変されているそうなので、全く同じ…ってわけではないそうです。

 でも、面白いですね。既存の曲を伴奏にして、新しいメロディを乗っけてしまうというやり方。

 バッハの『平均律クラヴィーア曲集』と言うのは、成立過程などを考えると、現代のピアノの原型となったクラヴィーアという楽器のための練習曲…と考えて良さそうです。24あるすべての長調短調で、前奏曲とフーガがそれぞれ一曲ずつ書かれています。これを練習することで、色々な調性の曲が弾けるようにしましょう…って練習曲だと思います。ですから、調性そのものがテーマに作曲されていますので、その調性からハズレることはありませんし、練習曲ですから、何度も繰り返せるように、程々の長さで作曲されています。

 この曲、聞くだけでも興味深い音楽ですが、グノーが伴奏に用いたように、このバッハの曲をアドリブ練習のバッキングとして流用するという事が可能です。

 私、実はたまに、そんな遊びをしています。

 例えば、グノーが「アヴェ・マリア」の伴奏に使用した「第1巻 前奏曲 第1番 ハ長調」はハ長調の曲ですから、この曲を流しながら、ハ長調の音階を使って、アドリブをかませば、余程のヘマをしない限り(ジャズ的に)聞けない音にはなりません。何度も何度も繰り返して練習すれば、段々と、よく響く音とちょっと濁った感じの味のある音の違いも使い分けられるようになるでしょう。

 そんな感じで、たまに私はフルートで遊んでいます。楽しいですよ。

 アドリブ力は、バンドとのセッションを繰り返していくことで身につけていくものらしいのですが、バンドとセッションするチャンスがなくても、バッハのこの曲があれば、アドリブの自学自習ができるわけです。なかなか、おもしろいですよ。お薦めします、ぜひどうぞ。

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2014年12月23日 (火)

とっても下手くそな第九を聞いてきました

 年末ですね。日本の年末と言えば、ベートーヴェン作曲の交響曲第9番、いわゆる“第九”の演奏ですね。私も、ご多分に漏れず、今年もそれなりに、あっちこっちで第九を聞いております。で、今回は、どこでとは証せませんが、先日某所で聞いた第九の感想を書きます。

 第九は様々な団体が様々なレベルで演奏会を開いています。一流のオケとソリストを揃え、プロの合唱団や音大の学生たちが合唱を担当する、いわば“プロフェッショナル”な第九もありますが、アマオケに市民合唱団に、その市民合唱団から選ばれたソリストたちで演奏をする、アマチュアリズムあふれる演奏会まであります。

 私が先日聞いたのは、ソリストと指揮者だけプロで、後は市民の皆さんたちが担当するという、割りとありふれたタイプの第九の演奏会でした。

 私も様々な団体の第九演奏会を聞いてきましたが、その団体の演奏会を聞くのは…もしかすると初めて?かもしれません。まあ、それくらいになじみのない団体さんの演奏会だったのですが、聞いてビックリしちゃいました。と言うのも、演奏が、本当に、掛け値なしで、下手くそだったんですよ。

 まずはオケが下手くそ。弦楽合奏は最初っから最後までうねりっぱなし。管楽器のピッチのズレは当然として、あっちこっちで音はひっくり返るは、落ちるは跳ねるは外れるは…。ツマラナイ演奏だと、あっという間に眠りに落ちる私ですが、ここまで規格外だと、目をランランにして集中して聞いちゃうから、驚きです。

 第四楽章に入って、ソリストたちが歌い始めると…途端につまらなくなりました。だって、ソリストさんたちはプロ歌手の皆さんだったので、実にソツがなくて、見事なんだけれど、つまらないです。「あ~」と思って聞いていたら、やがて合唱のパートとなりました。

 オケもすごかったけれど、合唱はさらにさらにすごかったんですよ。もう、音が合っているとか合っていないとかのレベルではなく、これは歌なのか?というレベルの合唱をやってくれました。第一声を聞いた時に、私、イスからずり落ちましたモン。合唱団の発声が見事なくらいの生声で、聞いていて痛々しいくらいでした。

 いやあ、音楽的には、全く美しくなかったです。

 演奏もヒドいと言えば、ヒドいのだけれど、観客は誰も、その程度の事で不満を露わにすることは無かったように思います。

 と言うのも、この手の、アマチュアづくしの演奏会のお客さんって、たいてい、演奏者の身内なんだよね。「お母さんが歌うから…」「お兄ちゃんが演奏するから…」「知り合いが舞台に出ているから…」「近所の若い人が出ていると聞いたので応援しに…」とか、まあたいていはこんな感じなので、演奏の出来不出来よりも、知り合いが出演していて、一生懸命やっている事が大切なんですね。

 つまり、最初っから、上手いとか下手だとかは問われない状況の中での演奏だったわけです。だから、私も、この演奏に対して、確かに上手い下手を問われれば「下手な演奏だった」とは言いますが、その点に関して文句を言うつもりはありません。それよりも、身内の応援を受けて、懸命に演奏している皆さんを見て「いいなあ~」って思ったくらいです。

 演奏も歌唱も下手だったけれど、一生懸命さがビンビンに伝わってきて、なんかホッコリする演奏会だったんです。だから、これはこれでOKだったと思いますよ。

 たぶん、演奏会後の打ち上げは、大いに盛り上がったんじゃないかしら? 美味しいお酒が飲めたんじゃないかしら? アマチュアなんだから、こういう楽しみもありだし、そういう音楽の受容の仕方もありだなって思った私でした。

 結局、中途半端になってしまうくらいなら、突き抜けた方が面白いとも言えます。下手なら下手で、そのまんまでも、情熱さえあれば、それはそれでエンタメになるって事です。

 でも、私が第九を歌うなら、この団体は、ちょっとパスかも(笑)。

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2014年12月22日 (月)

能力不足と練習不足

 私は音楽に関しては、趣味人です。それも実力のかなり低い“下手の横好き”タイプの道楽者です。まるで、落語の『寝床』に登場する旦那のようなものです。

 だから、色々な事が満足にはできません。才能が足りなかったり、テクニックが足りなかったり、能力や教養や知識が足りなかったり…と、まあ色々と足りないわけです。

 そんな時に思うのは『なぜ、これが出来ないのか? それは私の能力が不足しているから出来ないのか、それとも練習不足だから出来ないのか?』です。

 もしも出来ない理由が能力不足ならば、その事実を受け入れなければいけないと思います。でも練習不足なら、頑張るしかないのです。単純な練習量の不足なら、時間を捻出して効果的な練習を考えないといけないでしょうし、練習方法そのものが間違っていたり、不適切であるならば、練習方法の見直しをしないといけません。

 例えば、私はテノールですが、高音発声が苦手です。テノールの中には、ハイCどころか、それよりももっと高い音を歌う人や曲があります。私も、それらの曲の中に是非歌ってみたい曲が何曲かありますが、まあ、それら歌うのは、おそらく無理でしょう。と言うのも、そういう歌手と私の声は、同じテノールと言っても、声色はかなり違うので、それは持って生まれた能力(才能とも言いますね)が違うわけですから、私がそれらの曲を歌うのは無理です。それを望むのは、夜空の星を取ってくれと言って泣いている子どものようなものです。

 しかし高音AとかBとかが出せないのは、明らかに練習不足です。私の声では、Hまでは出るそうなのです(Y先生の見立てです)が、それが出来ないのは、まだまだま練習量が足りなくて、それを実行するためのテクニックを身につけていないからです。

 なので、能力不足は受け入れなければいけないと思いますが、練習不足はなんとかして克服しないといけないと思ってます。

 また、私はハイDなどを用いるような曲が歌えなくても、別に恥じませんし、自分がダメだとは思いません。しかし、普通に高音Aが出る曲が満足に歌えない現状は、大いに恥じるべきだと思っていますし、実際、恥ずかしいです。たかが高音Aも満足に歌えないで、何がテノールだ!…とか思うわけです。

 「いやいや、能力不足だと思っている事だって、本当は練習不足なんじゃないの? 時間をかけて丁寧に練習をしていけば、なんとかなるんじゃないの?」

 確かに、その言葉は簡単に否定できません。能力不足だと思っている事だって、突き詰めて考えれば、それもやっぱり練習不足なのかもしれません。あるいは、練習不足の言い訳として“能力不足”と言っているだけかもしれません。

 まあ、その見極めはともかく、今すぐに解決できない不足点を私は“能力不足”と読んでいるだけなのかもしれません。

 ならば“練習不足”だと感じる事柄って、今すぐにでも解決できる問題なのに、練習不足のために、それを棚上げしているだけかもしれません。ならば、怠けずに、さっさと解決しないとね。そのために、努力をしていかないとね。

 なので、私は『能力不足は結果』であると考えています。今までの人生とか努力とか才能とか環境とかの結果ね。それに対しては『練習不足は過程』であると考えています。過程であるのだから、少しの努力で、その後は十分変わっていけるのです。

 つまり、練習不足が積もり積もった結果、人は能力不足に陥るのかもしれません。

 結局、練習をすれば、大抵の事は克服できる…って事になるのかな? でも、世の中を見ていると、どんなに努力をしても、才能のある奴を越えることはできない…というのも事実です。そういう事から考えると、練習不足の結果が能力不足である…とは言えない気もします。

 要は物事を、マクロな視点で見るか、ミクロな視点で見るかで、違って見えるって事なのかもしれません。

 この事実は、私は音楽で考えましたが、実は学校の勉強などにも通じることかもしれませんね。

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2014年12月21日 (日)

たまには本屋に行かないといけないって思いました

 私、昔はよく本屋に行ったものです。それこそ毎週のように数軒ある近所の本屋に出かけ、数時間かけて、書棚の本を端から端まで眺めたものです。本を買う時もあれば、買わないけれど「今、こんな本が流行っているんだな」などの情報を入手したものです。それでもまあ、月平均で1万円前後は図書を購入していました。

 今でも毎月、1万円前後の図書を購入していますが(だから、家中が本であふれているわけだけれど)、その大半はアマゾンを始めとするネット通販で購入しています。最近は、近所の本屋で図書を購入することは、まずなくなりました。

 だってね、近所の本屋には週末でなければ行けません。欲しい本があっても、週末まで我慢しないといけません。でも、ネット通販なら欲しければ、すぐに注文すればいいだけです。2~3日もすれば、本が届きます。月曜日に注文すれば、水曜日には読めたりするんです。一週間我慢する必要がないのです。そりゃあ便利だよね。

 なので、私はアマゾンが日本に来る以前の、パソコン通信の時代からネット通販を利用していました。当時愛用していたのは『シロネコヤエスの宅本便』。今でも八重洲ブックセンターは通販をやっているようですが、シロネコヤエスという名称は辞めちゃったのかな? ホームページには、そのようなサービスは見当たりませんでした。なんとなく、残念です。

 まあ、本しか買えないシロネコヤエスよりも(当時は画期的だった)本も音楽CDも買えるアマゾンの方が魅力的だったのは否めません。そのアマゾンも、今ではちょっとした百貨店並に何でも買えるようになってきたのは、時代の流れなんでしょうね。

 それにしても、リアルな本屋さんは、大抵どこも規模縮小をしていて、以前のような魅力ある品揃えの本屋さんは少なくなりました。どこも雑誌と漫画と文庫本を中心としたラインナンプの本屋ばかりとなってしまったので、店に行く気も失せるというものです。

 なので、勢い、本はネット通販で購入してしまう事になるわけですが…。

 そのネット通販での買い物って、大抵が目的買いなんですよ。つまり「欲しい本があるから、それを買う」って感じです。ネットで本を買えば、手アカのついていないキレイな本が割引で買えたりするわけです。欲しい本が決まっているなら、キレイで新品な本を購入するに越したことはないわけです。

 でも、近所の本屋だと、どこの誰だか分からない人が立ち読みした、少々くたびれた本しか手に入らないかもしれないけれど、目的には無かった本との、思わぬ出会いがあったりするモノです。ほんのすこし前まで、その存在すら知らなかった本と、運命的な出会いがあったりするわけです。

 そう言えば、昔は本屋に行く時に、最初から買う本を決めて店に行った事なんて、あんまり無かったかもしれません。ただ財布だけを持って「何か、おもしろそうな本でもないかな?」とか漠然と思って出かけていただけかもしれません。で、店について、興味を引いた本を手にとって、中をパラパラと見て、面白そうだと思ったら購入していました。

 でも、ネット通販だと、そうは行きません。だって、まずは『手に取る』事が出来ません。本を手に持って感じる、手触りとか重さとか、紙やインクの匂いやら、ピカピカ光る光沢紙で印刷された表紙のきらめきとか、これらのつまらない事柄を、ネットでは感じることができないのです。

 本の現物を手に取ってみる…実はこれって、すごく購買意欲を刺激します。逆に言うと、それがないと、なんか寂しいですね。

 それでも最近はネットも頑張っているわけで、立ち読み不可なネット通販だから、立ち読み代わりに、中身を少しだけ見せてくれるようなサービスもありますが、これだって本物の本をパラパラと見るにはかないません。

 それにネット通販だと、一つの本を選べば、そこから“おすすめの本”が次々と提示されますが、どれもこれも何らかの関連した本であって、突飛もない無関係な本が出てくるわけじゃないです。

 例えば、美術系のグラビア本を見に行って、脳科学のエッセイ本を購入する…リアルな本屋ならありえますが、ネット通販ではまず無いでしょ。つまりは、そういう事です。

 しかし、近所に限らず、リアルな本屋は、今やネット通販に押されています。以前は、徒歩圏内にいくらでも本屋がありましたが、今じゃ、まともな本屋は駅前か…ヘタすると、そこから電車に乗らないと見つけられないって時代になりました。残念です。

 であっても、やはり、たまにはリアルな本屋に出かけて、本の実物と出会わないといけないですね。人生、常に新鮮な出会いを求めないといけません。

 お恥ずかしい話だけれど、私、先日、参考書のコーナーに行って、驚いたんですよ。何が驚いたのかというと、最近の参考書ってCDが付いているんですよね。で、そのCDに何が入っているかというと、その参考書の内容を朗読したものが入っているモノがあるんですね。それも、いわゆる朗読調のものもあれば、声優さんがキャラに扮して読み上げているものすらあります。マンガの参考書が出た時もビックリしましたが、今は声優さん朗読CD付きなんですよ、いやもう私、浦島太郎になった気分です。

 で、あんまりビックリしたので、自宅に戻って、アマゾンをウロウロしていたら、思わずこれを買っちゃいました。

 『ボイスCD 45秒?でわかる!萌訳★孫子ちゃんの兵法Vol.1』です。これはCD単体で発売していますが、元になる書籍も販売されています。

 このCDは、いわゆる“萌え声”で『孫氏の兵法』の現代語訳&解説を朗読してくれるのです。さっそく聞きましたが、なかなか、おもしろまじめで、良いですよ。おまけに160円なので、とってもお安いし(笑)。

 最近は、通勤の行き帰りに、このCDを聞くことが多いです。仕事に行き詰まった時なんか、結構触発される事、多いです。しかし、萌え声朗読の孫氏だって。なんか、やっぱり、21世紀なんだなあって思いました。

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2014年12月20日 (土)

サクラが太った?

 サクラは巨大魚ですが、スマートなのが売り物だったのですが、昨今、お腹がデップリとし始めて、ちょっと気になっていました。サクラが太った? 確かに胴回りは太くなりましたが、他のパーツを見ていると、太ったという印象はありませんでした。

 しばらく放置していたら、ウロコが逆だってきました。どうも、太ったわけではなくて、松かさ病にかかったようです。

 細菌感染の病気ですが、別に水槽に普通にいる常在菌が原因で、金魚が元気ならかかるはずのない病気が、松かさ病です。つまり、サクラの体力が衰え、体調が良くないので、つい松かさ病になってしまった…というわけです。

 本魚は、松かさ病になった癖に、元気一杯ですし、行動もいつもどおりですので、しばらく様子を見ることにしました。…と言うか、サクラはでかすぎて、隔離をしようにも、入れられる水槽がない(笑)ので、仕方ないです。いや、無理に隔離水槽に入れることはできますが、一度隔離水槽に入ったら、身動きできなくなってしまい、そのために別種のストレスがたまって、むしろヤバイかな…って思うぐらいです。

 ウロコはピンとしているけれど、たぶん、ホノカとサクラは同じ病気だと思います。ただ、ホノカは体力があるので、病気に負けないだけなんです。サクラも体力はあるほうだろうけれど、ホノカほどではないので、ちょっと病気に負け気味なだけなんだと思います。

 ネットを調べると、治療方法は書いてありますが、私の経験則から考えるに、それらの治療法はあまり効果がないかなって思います。どんな治療薬よりも、本魚の治癒力に勝るものはありません。治癒力に頼る以上、ストレスの少ない環境で過ごさせてやるのが一番ではないかなって思ってます。

 それで星になってしまうのなら、そこまでがその子の命だったんだと思うことにしてます。

 サクラは、四度目の夏を無事に乗りきれた…と思ったんだけれどなあ。やっぱり、そうは簡単にはいかなかったかな? でも、頑張れ。

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2014年12月19日 (金)

フルートがバラバラ(涙)

 師走ですね。先生も突っ走る季節です。はい、私も突っ走っております。まあ、忙しいのは、いつもの事ですが、やっぱり師走は色々と忙しいですよ。

 で、レッスンの時間になっても職場であれこれやっていたので、今回のレッスンはお休みしてしまいました。ああ、もったいない。

 ですから、今回はレッスンの話ではなく、先日我が身に降りかかった不幸について書きたいと思います。

 あれは、レッスン日の前々日のこと。朝食を取っていたら、何やら我が書斎から、ドスドスドスのバキバキバキ~という不思議な音がしました。「何事?」と思って書斎に行ってみたら、山積みにしていた我が蔵書が雪崩を起こして、床にたくさんの書籍が散らばっておりました。

 「ああ、やっちまったな…」と思いましたが、出勤前だったので、あえて手を付けずに放置する事にしました。妻からは「ヴァイオリンは大丈夫だった?」と尋ねられました。なにしろ崩れた場所がヴァイオリンを出しっぱなしにしているそばでしたから。まあ、ヴァイオリンが置いてある場所はうまく回避され、ヴァイオリンは無事でしたから、まあ良しです。

 で、仕事に行って、夜遅く帰宅して、改めて書斎を点検しました。溜息を付きながら、崩れた本を再び積み直している(笑)と、なにやら見慣れぬ光景が…。

 崩れてしまった本を片付けたら、その中からフルートスタンドが現れました。で、そのフルートスタンドには…プラ管フルートの足部管だけが刺さっていました。胴部管から上は…そこにはありませんした。

 どうやら、本が上から大量に落ちた結果、フルートスタンドに刺さっていたプラ管フルートを叩き折ってくれたようです。

 「はあ~」と溜息をつきました。本が崩れただけでも凹みましたが、プラ管フルートも折れて壊れてしまったって事です。これが溜息をつかずにはいられましょうか…って感じです。

 まあ、崩れた本は積み直せばいい。折れてしまったプラ管フルートは…買い換えるか。安い楽器なんだから、買い替えても、財布には大きな負担にならないしな…。そう思って、自分を慰めました。

 とにかく、崩れた本を片付けなければ…。

 崩れた本の中から、何やら黒い物体を発見しました。「むむむ、これは何だ」と思って、よく見ると、どうも、プラ管フルートの成れの果てだと分かりました。最初に見つけたのが、メカの部分が全部外れて、ただの黒いプラ管に成り果てていたプラ管フルートの頭部管と胴部管でした。管体そのものは無事のようでしたが、メカは無くなっていました。

 メカが無くなっていたから言って、それをそのまま放置するわけには行きませんから、気分は『割れたガラスを拾い集める』感覚で、バラバラになったプラ管フルートのメカの部品を探しました。プラスチックでできている部分に関しては見つけましたが、ネジとかバネとかの細かい部品は見当たりません。無くなってしまったのでしょうか?

 とりあえず、集めたそれらの部品を見て、子どもの頃にプラモを日々作っていた時の、熱いプラモ魂が蘇りました。もしかして、これって、もしかするんじゃないの?

 試しに胴部管と足部管を合わせてみましたら…うまくハマりました。折れてしまったと思っていた足部管ですが、この部分の構造は金属管とは違っていて、足部管を胴部管に差し込むのではなく、咬ませてねじ込むタイプなので、ねじ込んだ箇所が外れししまっただけのようでしたので、改めて咬ませてねじ込んだら、うまくハマっちゃいました。レレレ?

 メカの部分もバチンバチンとはめ込んだら、うまくハマりました。うまくハマったどころか、きちんと動作します。どうも最初っから、このプラ管フルート、ネジもバネも使用していなかったようです。

 プラスチック…特に、このプラ管フルートで使われているプラスチックは、かなり柔らかいタイプのものだったようです。一度に過剰な圧力がかかった結果、プラ管が大きく歪んで、嵌めこんであった部品が一度にハズレてしまったのが今回の状況だったようです。これがなまじ硬い素材で作られていたら、折れたり曲がったりしていたかもしれませんが、柔らかい素材だったので、歪んでねじれて外れただけで済んだみたいです。

 それに、ほんのちょっととは言え、フルートを組み立てた経験も役だったようです。

 とにかく、ハズレてしまった部品をはめ込んで、吹いてみたら、違和感ありません。どうやら、修理完了してしまったようです。

 ううむ、本の雪崩にあっても、壊れずに、ただ部品が外れてバラバラになっただけなんて、プラ管フルートって、実にタフだなあ(笑)。

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2014年12月18日 (木)

男女の音程差について

 男女の歌声における音程差というものについて、ちょっと考えてみました。言葉を変えて言えば「普通、男の人と女の人って、どれくらい(音程的に)離れた音で歌っているの?」って事ですね。

 ざっくり考えるなら“1オクターブ”違うと考えてよいでしょうね。もちろん、女性の方が男性よりも高い声で歌います。

 でもこれは、あくまでも“ざっくり考えた”場合の話であって、もう少し丁寧に考えると、少し違った結果になります。

 例えば、クラシック声楽の場合。ソプラノとテノールの差、で考えてみましょう。

 両者ともに『高音で勝負する声種』ですから、普通のテノール歌手/ソプラノ歌手を想定した合唱などの場合、それらの曲で求められる最高音で比較すると、その違いがはっきりするでしょう。

 普通の合唱曲では、テノールではAが、ソプラノではそれよりも高いCが最高音として求められます。テノールのAとソプラノのCの音程差は、実音では10度です。8度が1オクターブですから、テノールとソプラノの音程差は、1オクターブよりもやや広めと言えるでしょう。

 一方、ポピュラー歌唱の場合で考えると、ポピュラー歌手は性別による違いもありますが、それぞれの歌手の個性を強く尊重するので、あまり類型化はできません。小田和正のように女性とほぼ同じ音域で歌う男性歌手もいれば、和田アキ子のようにテノールよりも低い、バリトンの音域で歌う女性歌手もいるからです。そこで、ポピュラーソングの中では、比較的類型化しているミュージカルで考えてみたいと思います。

 ミュージカルの場合、クラシック声楽と違って、とんでもない高音と言うのは、特殊効果として狙う以外の目的では、案外歌われません。と言うのも、あんまり高い音で歌うと、言葉が聞き取りづらくなるからです。またミュージカルの場合は、ダンスも要求されるので、オペラと違って、歌に特化した歌手が歌うわけではないので、技巧的に難度の高い事が求められない点もあります。

 それでも「ここ一発!」という場合は、クラシック合唱とほぼ同じ程度の高音を求められる事もありますが、基本的に、男女ともに胸声で歌うことが前提条件として求められますので、音楽の作り方としては、中低音が重視される傾向があります。なのでむしろ、ミュージカルの場合は、男女の違いで、低い音がどこまで求められるかについて考える方が適切かなと思います。

 さて、ミュージカルの一般的なソングで求められる最低音と言うのは、男性がA、女性はそこから1オクターブ上のGあたりである事が多いです。この差は7度ですから、男女の差は1オクターブもないと言えます。

 つまり、男女の音程の差は、高音で比較するなら10度、低音で比較するなら7度の違いがあるわけで、やはりざっくり考えた「男女の差は1オクターブ」と言うのは、答えとしては適切と言えるでしょう。

 ちなみに、音域で考えるなら、男性がA~Aの2オクターブ(15度)で、女性がG~Cの18度となり、やはり女性は裏声を使用する分、男性よりも音域が広い…と言えるようです。

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2014年12月17日 (水)

この曲は、ちょっと無理ッぽいです

 声楽のレッスンの続きです。

 歌のレッスンに入りました。最初はガスタルトン作曲の「Musica proibita/禁じられた音楽」です。今回は、クチの奥を下に開くことを意識して歌ってみました。ちなみに『クチの中を下に開く』は『深い音色で歌う』のと、ほぼ同義ではないかと思います。

 それにしても不思議だなっと思うことは、高いAの音。この曲には高いAの音があります。自宅で練習している時は、高いAはほぼ博打です。うまく出せる時もありますが、半音ほど低い時も多いです。でも、先生とのレッスンでは、割りと簡単にスルっと出ます。まあ、曲を歌う前にあれこれヴォイトレしてから歌うわけですが、それにしても簡単にスルっと出るわけです。

 高いAを高い音だと思うと、ノドに力が入ってしまい、声を張ったり押したりしてしまうので、結果としてぶら下がるわけです。先生がおっしゃるには「Aなんて、Eぐらいのつもりで歌えば、簡単に出るはずですよ」という事です。つまり、Aがうまく出せないのは、メンタルの問題って事になるわけだけれど…まあ、そうかもしれないですね。

 声を張ると言うと、曲の最後の“l'ebbrezze del (l'amore)”の部分はずっとFisで、決めのフレーズなので、私はついつい声を張って歌ってしまうのだけれど、この部分も、決して声は張らずに、むしろドンドン、クチを開いて(息を多くしながら)歌った方が良いそうです。

 とまあ、あれこれあって、この曲は、今回で終了です。通して歌っていないので、アップできる音源がないのが、残念です。

 次は、新曲であるボノンチーニ作曲の「Per la gloria d'adorarvi/お前を賛える栄光のために」です。

 まず最初につまづいたのは“tr”ってヤツです。トリル…ですね。今まで歌ってきた曲にもこのトリルは付いていましたが、基本的には無視して歌っていましたが、今回からはしっかりとトリルも付けてみましょう…となりました。

 バロック時代のトリルは、上から取るのだそうです。つまり、ソにトリルが付いていたら、ラソラソラソラソラソ…と歌うわけです。理想は、腹筋に力を入れて、ヴィブラートの強めのような感じで歌える事ですが、男声の場合は、どうしてもノドやアゴも動員しないとうまくトリルはできないそうなので、そこは頑張って、ノドアゴ腹筋の三者協力でトリルをやってみましたが、初めてやったトリルはかなりぎこちなかったです。誰でも最初はうまくいかないものです。まあ、練習が必要でしょうね。

 ちなみにこの曲は、息をしっかり支える練習をするのに良い曲なんだそうです。ですから、音程が上がる時は、しっかりと息を力強く支える事を意識しないといけないのです。

 で、1番・2番の最後に“penero, vamero, lucicare”を2回繰り返します。最初はfで歌って、二度目はpで歌います。普通は最初のfの部分はうまく歌えて、二度目のpの部分で失敗するんだそうですが…私は逆なんだそうです。最初のfの部分は実に下手くそで、二度目のpの部分が上手に歌えているそうで、先生は頭を抱えていました。

 いやあ、だって、pの部分は、イヤでもしっかりと支えないと声にならないから、死に物狂いで、ノドを開いて、ばっちり支えるわけだけれど、最初のfの部分は、野放図にやっても歌えちゃうから、下手くそになってしまうのですよ。

 で、2曲、レッスンしたので、これで終わりかなって思っていたら「モーツァルトをやりましょう」と言われました。

 モーツァルト…それは、モーツァルト作曲の歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の中にあるテノール・アリアの「Un'aura amorosa/恋のそよ風」の事です。

 実は前回のレッスンの時に「コジのUn'aura amorosaって、いい曲ですね。ひっかけのAがあるけれど、問題なければ、レッスンで取り上げてもいいと思うので、譜読みをしておいてください」と言われたので、とりあえず譜読みをしておきました。

 先生に、どうですか?と尋ねられたので「フレーズごとに歌うなら何とかなりますが、全体を通して歌うのは無理です」と言ったら「とりあえず歌ってみて…」と言われて歌ってみました。

 いやあ、モーツァルト、頭から湯気が出るくらいに難しい(涙)。とにかく、チャンジしてきた曲の中でも、最大級に難しい曲です。この曲を歌うためには、私、色々と足りないと思いました。結局、この曲は最後まで通せず、途中で力尽きました。

 「次回から、この曲をやりましょう」と先生。注意する点は、とにかくこの曲は、軽い声でないと歌い切れないので、声を軽く軽くして歌うこと。しかし、声は軽くても、しっかりと支えないと歌いきれませんよ…との事です。譜面が真っ黒なので、細かいところまでしっかりと正しく歌えるようにしておく事、特に符点の箇所は符点が際立つように歌う事。

 この曲を全く知らない人のために、例によってYouTube画像を貼っておきます。歌っているのは、最近売り出し中のTopi Lehtipuu(なんて読むんだろ? トピ・レティプー?)というテノールの歌唱です。

 ほら、難しそうでしょう? 実際、めまいがするくらいに難しいです。たぶん、この曲は私には歌いきれない…なんかそんな気がします。

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2014年12月16日 (火)

お腹は柔らかく、歌に合わせて、自由に動かせ!

 声楽のレッスンに行ってきました。お教室に着くなり、先生から「言って置かなければいけない事があります」と何やら深刻な表情でした。聞けば、先生、体調不良で近く手術をしなければいけないのだそうです。

 「大変(病状が)つらいでしょうから、なるべく早期に手術をしましょう…」という主治医の言葉で手術をする事になったけれど、先生の仕事の都合と病院の執刀医のスケジュール(主治医とは別の、有名な先生が執刀するそうなんです)を調整したら…来年の1月の半ばに手術日が決まったのだそうです。

 まだ一ヶ月以上も先じゃ~ん。つまり、今のつらい状態がまだ一ヶ月も続くわけです。その間にも先生はコンサートやらテレビの収録やら録音やらがみっちり入っているわけです。なにしろ12月は、歌手にとっては稼ぎ時らしく、年が明けるまで、まとまったお休みが取れないらしいんですね。

 ちなみに体調不良というのは、ヘルニアに起因する腰痛ですね。重度のヘルニアだそうで、もう手術しか手が打てない状態なんだそうです。

 で、先生が手術 -> 入院してしまうので、1月のレッスンの予定が立たないばかりか、1月に予定されている“勉強会兼新年会”も、先生抜きで実施される事になりました。何しろ、手術の二日後が勉強会兼新年会ですからね。私たちが歌っている時、先生、たぶん、病院のベッドの中でしょう。まあ、勉強会兼新年会は、Y先生はお休みでも、F先生とピアニストさんで仕切るので、問題ないっちゃあ無いんですけれどね。

 「勉強会に私はいませんが、それでもいいですか?」と先生が尋ねられたので「こちらもオトナですから、大丈夫です。ただ、先生がいらっしゃらないと、私、暴れるかもしれませんよ」と釘を刺しておきました(笑)。

 Y門下やF門下の人たちとは、発表会ぐらいでしか顔を合わせないし、顔を合わせても、あんまり会話をしないので、実は親密とは程遠い状況にあるんだよね。知らない人たちに囲まれると、無駄にハイになっちゃうから、冗談でなく、暴れちゃうかもしれないよなあ…。

 まあ、何はさておき、先生のご健康をお祈りするばかりですよ。

 さて、レッスンです。ハミング練習は、クチの奥を開ける、つまり軟口蓋を上げっぱなしで歌う練習をしました。これはこれで結構キツイのです。

 発声練習は、クチの開けるタイミングと息の支えに重点を置いてやりました。クチを開けるタイミングは、常に目的の音よりも早めに開けておく。その上で、しっかりと息を支えて歌う練習も合わせてしました。クチを開けると声の音色が変わるし、息をしっかり支えると、これでも声の音色が変わります。ですから、この声の音色の変化がしっかりと感じられるように、クチを開ける/息を支えるわけです。タイミング的には、裏拍が感じられるタイミングで、グパっとクチを開いて、グイって息を支えます。

 で、頑張って、グパっとクチを開いたところ「ちょっと残念」と言われました。

 何とか頑張ってクチの奥を開いているのですが、私のクチの開き方が、軟口蓋が上がるばかりで、舌根が下がっていかないのだそうです。なので、軟口蓋と舌根の両方を開けるためにも、意識は「クチを下に開ける」感じが良いと言われました。

 この、軟口蓋と舌根の両方をグパっと開けるのは、高音を発声するには必要な事で、片側しか開けないうちは、なかなか高音の発声は難しいと言われました。うむ、では頑張るしかないですね。

 日本語のイやエはクチビルを横に引っ張って構音します。どうしてもその癖が抜けずに、ついついイやエの時には、無意識にクチビルを引っ張ってしまいますが、これは厳禁です。イタリア語(に限らず西洋語)では、イやエはクチビルではなく、舌で構音します。なので、クチビルは動きません。無意識にクチビルを引っ張ってしまうので、意識的にクチビルで引っ張らないようにしないといけません。

 音程の上昇に伴って、クチを大きく開きますが、クチを大きく広げると、よりしっかりと息を支えていかないと声が出なくなります。息の支えが弱くなると、音程が下がります。

 先生がおっしゃるには、どの音域にも関わらず、私の音程がぶら下がり気味に聞こえるのは、歌い始めの支えの状態のまま、音程が上がっても、支えが変わらないので、結果として支えが足りなくなって、音程がぶら下がるのだそうです。音程を常にジャストミートにしたいのならば、音程の上下に合わせて、息の支えの強さを変えていかなければいけないのだそうです。

 音程が上がるにつれ、支えを強くしないといけないのですが、音程が下がっていった時に、支えを弱めてやらないと、過剰に息がノドに当って、ノドを痛める原因にもなるそうです。つまり、何事も適量が大切で、高い音程にはそれに見合った息で、低い音程にもそれに見合った息で歌うことが大切なんです。

 つまり「お腹を固めて歌っちゃダメ。お腹は柔らかく、歌に合わせて、自由に動く」事が大切って事ですが…それが実に難しかったりするわけです。私が音程が悪いのは『耳が悪いからだ』と今まで色々な人に散々言われてきたわけですが、Y先生は『音程の上下と支えの動きが連動していないから音程が悪いのだ』とおっしゃるわけです。耳の悪さはなかなか直らないけれど、支えなら、一生懸命訓練していけば、今よりもずっとずっとマシになるだろうから、なんか未来が明るく見えるような感じがします。

 なんか、実行できそうな努力目標が与えられると、なんか明るい気分になるし、ガッツがわきますね。

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2014年12月15日 (月)

自分の声が好きですか?

 楽器の場合、自分の演奏音がキライなら、楽器をグレードアップするとか、演奏する楽器そのものの種類を変えてしまうなどの手段があって、自分が理想とする演奏音に近いものに近づくことができます。憧れの奏者と同じ楽器だって、お金さえ出せば、購入できるわけです。しかし、歌(声)ではそうはいきません。いくら、パヴァロッティやカラスに憧れていても、あの声は彼らの声であっても、真似はできても、同じものを入手することは出来ません。

 歌の場合は、どうしたって、自分の声で歌うしかないのです。少なくとも、クラシック声楽の世界ではそうなります。(最近のポピュラーの世界では、ヴォコーダー使用とかボカロなどの別の手段もありますね)

 私自身の話をします。

 私は自分の声が大っ嫌いでした。だって、変な声なんだもん。それに私が思い描いているようには歌えないので、私の歌は私のイメージから大きくかけ離れたモノでした。だから、自分の歌を録音したものなんか、聞きたくなかったものです。(まあ、聞けばガッカリするだけですしね)。

 まあ、自意識が高い…と言いますか、理想が高い…と言いますか、耳が肥えている…と言いますか…。

 でも、最近、私は私の声が好きになったし、私が歌う歌も好きになりました。変われば変わるものです。

 私が自分の声を好きになった理由は、とても簡単です。自分の理想に、少しだけだけれど、近い形で歌えるようになった事と、以前よりも、比較的聴きやすい声で歌えるようになった事…単純にそんな単純な理由からです。

 声を交換することは出来ませんが、声を変えることはできます。もちろん、性別を越えた変更は無理だし、持って生まれた声種を変更するのも無理というものです。でも、与えられた自分の性&声種の中での変更…と言うか、発声を上達させる事は十分に可能です。そして発声が上達してくれば自分の声を「変な声」と思うことも少なくなりますし、好きにもなれるものです。

 声楽レッスンの録音を聞き返している時に、時々、自分の歌声に聴き惚れてしまったりしています。ああ、ナルシストだね(笑)。でも、今はそれくらい自分の歌声が好きなんだから、仕方ないです。

 でも、私は、私の歌声がベストだから好き…というわけではないんです。やはり、私よりも良い声で歌う人や、巧みに歌う人の歌は、好きです。私の歌よりも好きです。私の歌は、私の中の“好きな歌(声)”ランキングの中では、順位が低いんです。

 今の私がどんなに頑張っても、やはりレコーディング・アーティストの皆様の方が素晴らしいですからね。どんなに頑張っても、私の声は、所詮、私の声ですから。

 でも、練習を重ね、レッスンに通い、発声がどんどん上達し、それに伴って歌も上達しています。だから、きっと、半年後は今よりもずっとずっと自分の声が好きになっているだろうし、来年はさらに好きになっている事でしょう。

 なんか、そう考えると、年を取るのが、すごく楽しみです。

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2014年12月14日 (日)

従軍慰安婦は無かった…そうですよ

 少し古い話になりますが、ウェブ版の産経新聞(2014年11月27日付け)で『米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに』という記事がアップされました。

 詳しくはリンク先の記事をご覧いただきたいのですが、ここではその要旨をかいつまんで、ご紹介してみたいと思います。

 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて、国防総省、国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局(FBI)などにある未公開の公式文書を点検し、ドイツと日本の戦争犯罪に関する資料の公開を指示し、両国の戦争犯罪の大規模な調査を行い、それを「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月に発表した。

 その報告書の中で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。また、当時の米軍は、日本軍の慰安婦制度を、日本国内の売春制度(当時は合法)の単なる延長としか捉えていなかった。

 報告書の序文で、IWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」したと表明し、今回の調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」もまた「こうした結果になったことは残念だ」とコメントした。

 つまり、いわゆる“従軍慰安婦”という存在を示す証拠はなかったという米国(つまり、敵国)による信頼できる調査結果がすでに存在していた…という話なんです。IWGや世界抗日戦争史実維護連合会と言った、日本を悪く言いたい人たち(つまり日本に敵する立場の人、今風に言えば“反日”関係者)ですら「(従軍慰安婦に関する)証拠がなくて、とても残念」とコメントしているのだから、本当に証拠が無かったのでしょう。

 この調査結果が発表されて、すでに7年以上の年月が経っているにも関わらず、世界はこの調査結果を無視して、未だに日本人をレイプ犯として取り扱っているわけです。自分たちにとって都合の悪い証拠は無かった事にしている?のでしょうか??

 今回、この記事が産経新聞のウェブ版にアップされた経緯は、産経新聞が、慰安婦問題の調査をしている米国人ジャーナリストのマイケル・ヨン氏との共同取材を行ったからです。産経新聞の記事は、新聞記事だから、おカタイ文章で書かれていますが、ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏の文章は、もっとくだけていて分かりやすいですよ。

 このマイケル・ヨン氏の文章は、弁護士のケント・ギルバート氏によって、分かりやすい日本語に訳され、ギルバート氏のブログに掲載されていますので、興味のある方は、そちらも是非ご覧いただくと良いです。これを読むと『慰安婦なんて、絶対に存在していなかった』と納得できる内容となっています。

 私は以前から、慰安婦問題の話を聞くたびに、様々な疑問が心に浮かんで、全然納得できなかったのですが、今回、ヨン氏の文章を読んでみて、ヨン氏の文章が私の疑問の数々に明快に答えていて、なんかスッキリしました。

 私達の祖父たちが、当時は日本人であった朝鮮の女性を組織的にレイプしたなんて…ありえない事だと思っていました。でも、思うだけで、それを明確に否定できる材料がなくて、なんか胸の中がモヤモヤしていたんですよ。

 つまり、現在問題となっている従軍慰安婦問題って、事の真偽は実は問題ではなく、日本に対する情報戦なんだろうなあって思います。日本国と日本人を貶めて、国際政治における様々な場面で日本を窮地に追い込もうって事なんだと思います。

 ヨン氏の文章を読んで、改めて考えると、反日の大元って、実は中国じゃないかって気がします。よく『反日=韓国』というイメージがありますが、実は韓国って、いいように中国に利用され、踊らされているだけなんじゃないかって思います。つまり、中国は、韓国を利用して、日本を貶めているわけで「韓国も日本も、自分の手のひらのうちにある」とか思っているのかもしれません。

 日本は困った立場に置かれていますが、韓国もかわいそうな立場にいるんだなあって思うし、中国って、実にしたたかなんだなって思います。

 我々は、中国との情報戦に負けてはいけないのは当然として、それに加えて、祖父たちの汚名を全力でそそがなければいけないって、思います。そうしないと、また戦争が始まる可能性があります。

 だって、太平洋戦争だって、アメリカとの情報戦に負けた結果、戦争をしかけざるをえない立場に置かれた日本が、相手の手のひらの上で踊らされた結果の戦争だった…と私は理解していますが、今度はその相手が、アメリカから中国に代わるだけで同じようなモンだと思ってます。

 まあ、日本人は騙されやすいお人好しだから、情報戦ではからっきし…というのは、今も昔も変わらないのかもしれませんが…。

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2014年12月13日 (土)

ホノカ、再発か? 再びまん丸になる!

 一度は、真ん丸になったものの、先日、普通の肥満体体型に戻ったホノカですが、最近、再び、真ん丸になってしまいました。

 本魚は元気ですし、転覆をするわけでもありません。眼の輝きもランランとして良いし、カラダは膨れていますが、ウロコは特に異常はありません。とりあえず、体型だけの問題なのですが、不必要にパンパンに膨れるのは、良いことではありません。

 体内で色々なものが発酵してガスが貯まると、カラダがパンパンになると聞きます。あるいは腹水症と言って、体内に水分が貯まりすぎてしまうこともあるようです。また、ストレスとか水槽の水質が悪くてパンパンになったり、水槽の常在菌にやられてパンパンになってしまう事もあるようです。

 つまり、原因はたくさんあって、素人には特定できないって事です。もっとも、金魚の医者なんて、少なくとも、私の身近にはいませんので、病気の特定は無理ですし、特定が無理な以上、積極的な治療は出来ません。

 結局は、また、ホノカ自身の自己治癒力頼みとなります。一日も早く元気になって欲しいと思います。

 しかし、今回のパンパンさは、前回のパンパンさよりも、ひどいかもしれない…。

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2014年12月12日 (金)

久しぶりに挫折感ってヤツを感じました

 フルートのレッスンに行ってきました。

 とにかく、寒い。ほんと、寒い。まあ、北国とか雪国とかの人と比べれば、どうって事ない寒さかもしれないけれど、常夏湘南の人間にとっては、かなり寒いです。今回もH先生と二人で「ああ、寒いねえ」「ほんと、寒いですねえ」という挨拶を交わしたくらいです。

 とにかく、Tシャツ一枚では出かけられないほどに寒いですよ。なので私は、Tシャツの上にボロシャツとウィンドブレイカーを着込んで出かけました(ま、寒いと言っても、その程度の寒さって事だね)。でも、我々には、これでも十分寒いんです。

 「雪って何ですか? それ、美味しいんですか?」という世界に住んでます。

 ちなみに、レッスンですれ違った姉様は、しっかりコートを着て、マフラーもしていました。そんな格好をして、汗をかかないのかしら?

 さて、ロングトーン練習をして、さっそくエルステ・ユーブンゲンの6番です。もう、当然のように、バッチリです。合格ですよ、ふんふんふん。次回は7番を暗譜です。頑張るよ。

 で、懸案のプチ・エチュードの8番は…全くダメ。まあ、まだ一部指が回っていない箇所があるけれど、それは時間をかけて練習すれば克服できるはずだから、今は出来ていなくても、そんなに気になりません。

 しかし、これから百万年練習しても出来ないんじゃないかって箇所があるんです。それは“装飾音符”ってヤツです。詳しく言うと“前打音”、それも“短前打音”ってヤツね。これがどうにも手に負えないのです。

 前打音と言うのは、本来の音の前に、小さな装飾的な音符が書いてあって、その装飾音をちょっとだけ吹いて本来の音へとつなげて吹くというヤツね。タイミング的には、本来の音が始まるタイミングで装飾音を吹くのです。これが私には出来ません。

 私が吹いちゃうと、装飾音が付いていようと付いていなかろうと、本来の音は本来あるべきタイミングで吹いちゃいます。つまり、装飾音符はタイミング的には、その前に吹いちゃっう訳です。装飾音符が、その音符がついている本来の音符を喰っているのではなく、本来の音符の前の音符を喰っているわけなんです。

 ちょびっと弱起っぽく吹いちゃうんです。

 でも、それはダメなんです。あくまでも装飾音符は、本来の音符が鳴り始めるのと同じタイミングで吹きます。でも、それが頭で分かっても、なかなか出来ません。

 先生と合わせて吹くと出来るんだけれど、その時は、すご~~~く気持ち悪いんです。気持ち悪いから気持ち良いタイミングで吹くと、それはダメなんです。

 私が吹くと気持ち悪いタイミングなのだけれど、先生が吹くのを聞いている分は、収まり良くていい感じに聞こえるのです。

 だから、前打音という装飾音符って、収まりの良い装飾音符なんだと思うけれど、たぶん私の中にはリズム的に無いモノなのかもしれません。だから、聞けば気持ちいいのに、吹くと気持ち悪いのは、そのせいかもしれません。

 自分の中に無いものは、出ません。いくら頑張っても出ません。これでは百万年練習しても出来そうもありません。

 久しぶりに、挫折感をたっぷり味わいました。

 まあ、自分の中に無いのなら、改めて入れればいいだけの話で、百万年練習しても…は、大げさな話なんだけれど、年をとると、なかなか自分の中に新しいものが入りません。入らないから、挫折感を感じるわけだし、だから『百万年…』とか言っちゃうわけだ。

 ああ、年なんて、取りたくないものだ。

 とにかく、色々と分析をしつつ、メトロノームに助けてもらって、何とか克服しないと、前に進めないから、泣きながら頑張るよ。レッツ・ゴー!

 さて、今回の雑談は「12月ですね、第九の季節ですね」というわけで、H先生の第九の思い出話を聞きました。いやあ、出るは出るは…第九の事故話を山ほど聞きました。今は有名なタレント指揮者さんとか、業界の御大の話とか、ネットに書けない類の話をたっぷり(笑)。いやあ、昔はすごかったんですね。

 昔はすごかったと言えば、先生曰く「最近の第九のオーケストラは、編成が小さくなっていいね」との事です。第九なんて、今はだいだい二管編成で演奏されます。本来的にも、オーケストラはこの程度の大きさで良いのだそうです。ちみなに、二管編成と言うのは、管楽器が二本ずつ(つまり、フルート二本とピッコロ一本という編成)の編成ですね。昔は第九と言うと、四管編成(つまり今の倍の大きさ)とか六管編成(三倍だあ)とか、無茶苦茶なサイズのオーケストラで演奏していたそうなんです。

 「昔はそれくらい奏者の数がいないと、ホールで演奏できなかったんですよ」との事なんだそうです。じゃあなぜ、今はオケの編成が小さいのですか?と尋ねたら「今の人は、みんな上手だから、人数が少なくとも大きな音が出せるんですよ」との事です。

 合唱なんかだと、歌手一人ひとりの技量が低くて声量が無いと、人数を増やすことで音量の増加を図るけれど、歌手一人ひとりの技量が高くて、声量が豊かなら、少ない人数で演奏できるわけで、おそらく楽器の世界でも似たような事が起こっているんだろうなあって思います。同じ音量が得られるなら、奏者の数が少ない方が、音色が澄み渡るからねえ…。

 まあ、音楽の世界に限らないだろうけれど、とりわけ音楽の世界では、世代が新しいほど、トップレベルのレベルの高さが際立ちますね。ほんと、昔の巨匠も良いけれど、最近の若手のホープの方が、技量は高いんだろうなあって思うもの。

 でも、音楽ってヤツは、技量だけでは、良い演奏が出来ないのも事実なんだけどね。うふふ。

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2014年12月11日 (木)

どうしてそんなに楽譜にこだわるのか?

 もちろん、ガチなクラシック系フルーティストの方は、大いに楽譜にこだわった方が良いと思うし、自分の個性を加えながら、丁寧に楽譜通りに演奏するべきだと思います。と言うのも、クラシック音楽においては、演奏家は作曲家に尽くす下僕のようなモノだからです。私はこのような状況を“楽譜至上主義”と呼んでいます。とにかく、エライのは、その名曲を創造した作曲家であって、演奏家は作曲家が創りだした名曲を、寸分違わずに演奏として具現化していくのが使命だからです。

 つまり、演奏家に求められているのは、音楽の再生(プレイ)なんだよね。

 ところが、趣味でフルートを吹いている人って、どれだけガチなクラシック系の奏者の方なんでしょうか? 一度手を胸に置いて考えてみると良いかもしれません。

 ポピュラーソングとかJ-POPとか吹きませんか?

 もちろん、バッハやモーツァルトも吹くけれど、ポピュラーソングもJ-POPも吹きますって人の方が、ガチなクラシック系のフルーティストさんよりも、数が多いんじゃないかしら? 少なくとも、趣味の世界で楽しんでいる人は…ね。

 もちろん、私もそうです。レッスンではガチなクラシック曲(それもみんなエチュードですよ:涙)を吹いてますが、遊び吹きでは、普通にポピュラー曲を吹いてます。今は発表会などに参加するチャンスがありませんが、もしも発表会にお呼ばれしたら…ホーム・クラシックとかライトクラシック、あるいはクラシック・クロス・オーバーな曲を選ぶかもしれません。

 つまり、趣味でフルートを吹いている人って、そういうユルめの人も少なからずいるって事です。

 実は、ポピュラー曲ってのは、クラシック作品とは根本的に異なっています。何が異なっているのかと言うと、ポピュラー曲では楽譜というのは、後付だったり目安だったりするんです。クラシックが“楽譜至上主義”であるならば、ポピュラーは“出たとこ勝負”と言うか“パフォーマンスがすべて”だったりします。楽譜通りに演奏するよりも、演奏者の自分らしさを表現する事の方が優先されます。当然、演奏にはオリジナリティが求められるわけだし、アドリブやフェイクはあって当然です。

 ポピュラーの世界では「カバー曲はオリジナルを越えなければ意味がない」としばしば言われますが、これなんてクラシックの世界ではありえない話でしょ? 「オリジナルを越える? なにそれ??」って話ですよ。

 ポピュラーでは、オリジナルと同じ事をやったら負けなんです。作曲家の指示通りにすべて演奏したらアウトなんですよ。私の前のフルートの先生はポピュラーの人でしたが、私が曲を楽譜通りに演奏すると、よく注意したものでした。「楽譜通りに吹かないで。それじゃあつまらないでしょ」ってね。

 もちろん、楽譜通りに演奏できる事は前提です。楽譜通りに演奏できないから、楽譜から逸脱した演奏をするのではなく、楽譜通りに演奏できるけれど、その上で、あえてオリジナルを越えた演奏をする…という思想なんですよ。

 つまり、楽譜通りに演奏できるけれど、あえてやらない、それがポピュラー音楽の世界なんですね。

 あと、ポピュラー音楽では、意外なことかもしれませんが、読譜よりも耳コピの方が重視されるんです。だから(特に海外では)プロであっても、楽譜の読み書きに不自由のある人も少なくないですよ。もっとも、楽譜が読めなくても、耳コピ能力が高いので、仕事には不自由しないんです。

 実際、ポピュラーの演奏会場で配られる楽譜には、音符が書かれていない事もあります。歌詞とコードしか書いてないんだよ。音符が書いてあっても、ヴォーカルのメロディしか書いてないモノもたくさんあります。でも、それでみんな、きちんと演奏しちゃうんだから、やっぱりポピュラー音楽は、クラシックとは違います。

 もっとも、クラシック音楽でも、楽譜が得意じゃない人もいないわけじゃないです。

 パヴァロッティは、楽譜が読めないと噂されていたそうです。それに対して本人が某インタビューで反論をしていて「私が楽譜を読めないという噂があるけれど、それは間違いです。少なくとも、歌のメロディをピアノで弾くくらいはできます」という趣旨の事を、胸を張って答えてました。その言葉を信じるなら、パヴァロッティが楽譜を読めないと言うのは、言い過ぎかもしれないけれど、楽譜が苦手というのは本当でしょうね。ちなみに、ドミンゴは指揮者としても活躍していますので、楽譜はバッチリなんだろうと思います。

 ビートルズのポール・マッカートニーは、楽譜がとても苦手で、だから彼は最初のクラシック曲である「リパブール・オラトリオ」を作曲した時に、カール・デイヴィスという指揮者兼作曲家の人と組んで、彼に曲を記譜してもらったそうだけれど、そうやって作り上げた作品が、マッカートニーとデイヴィスの共作になってしまったそうです。その事に、ポール・マッカートニーは大いに不満があったというインタビュー記事を読んだ事があります。だから、彼は次のクラシック作品からは、他人と組まずに、一人で作曲して、記譜はコンピュータに任せているんだそうです。

 そう考えると、コンピュータ以前の世界では、優れた作曲能力をもった音楽家がいても、楽譜が書けないばかりに作品を残せなかった人もいるんだろうなあ、それって、なんかもったいないなあ…なあんて事を考えちゃいました。

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2014年12月10日 (水)

なぜ女性は裏声で歌うのか?

 ま、クラシック系音楽限定の話ですね。ポピュラー音楽の場合、女性でも男性同様に、裏声を使わずに、あくまでも、地声と言うか、胸声で歌います。かなりの高音でも、拡張された胸声(ベルティングと言うそうです。典型的なベルティング発声は、スウェーデンのABBAの歌声なんだそうです)を使います。

 まあ、特殊効果として裏声を使うことはあるけれど、基本的には胸声で歌い切るのがポピュラー音楽の女性歌手であり、高音どころか低音までも裏声(正確には純粋な裏声ではなく“頭声”になります)で歌うのがクラシック系女性歌手の特徴でしょう。

 この違いは大きいですね。

 我々男性は、ポピュラーであれ、クラシックであれ、基本的に裏声は使いません。あくまでも地声(胸声)で押し切ります。でも女性は、ポピュラーなら男性同様に地声で、クラシックなら裏声で歌うわけです。

 なぜ、クラシック系の音楽では、女性は裏声で歌うのでしょうか?

 ちょっと考えてみれば、裏声で歌うのって、不自然じゃありませんか? だって、裏声って、本来の生活では使わない声…だから“裏声”って言うわけでしょ? 話し声では使わない声だから“裏声”なわけでしょ? 児童合唱と言う名の女児合唱を聞いてみても、多くの子たちは地声で歌っています。まあ、やがて上達してくると、きれいな裏声(頭声だね)で歌うようになりますが、あくまでも幼い時は地声で歌っているわけです。

 たぶん、女性にとっても、地声で歌うのが、本来的と言うか、楽で自然な発声なんだろうと思います。少なくとも、わざわざ話し声とは違う発声で歌うのは、ある種のテクニックが必要な特殊な歌い方なんだと思います。

 ではなぜ女性は裏声で歌うのか?

 ザックリ言っちゃえば「学校の音楽の時間で歌っているうちに、裏声で歌うようになりました」あたりが、正解なのかもしれません。では、なぜ学校の音楽の時間で歌っていると裏声発声になるのか…と言えば、学校の音楽の時間に教えてもらうのは、クラシック系の歌だからでしょう。

 じゃあ、なんで、クラシック系の音楽では、女性は裏声で歌うのか?

 一つはヨーロッパ人の好み(笑)。元々、クラシックなんて、ヨーロッパの民族音楽だからね。ヨーロッパ人は、キリスト教なわけで、クリスチャンって奴は、常に高みを目指して生きているわけだから、それを音楽的に表現しようとすると、女性(とりわけソプラノ)は人間の限界まで高い音を要求されるわけで、そんな高い声は裏声じゃないと出せません…って事じゃないかな?

 二つ目の理由は…女性歌手は、あくまでも少年の歌の代替だから。大人である女性が、子どもである少年と同じ音域で歌おうとした場合、どうしても地声では無理があるから、そこは頑張って裏声を使うようになるわけです。

 三つ目は、女性性のアピール…かな? 女性とは、男性と対になる存在だから、男性の歌声が低いなら、女性はその違いを際立たせるために、あえて逆の方向、つまり高い音域にいくのです。

 あと、高い声の方がかわいいとか、上品だとかいう意識もあるかもね?

 もちろん、当然の事だけれど、母や姉などが裏声で歌っているから、自然とそういうふうになったというのもあるだろうし、日本の場合、ヨーロッパ人がそう歌うから、クラシック音楽とは、そういうものだから、裏声で歌ってみました…という理由もあるでしょう。

 まあ、だいたい、女性の場合、裏声を使わないと、クラシックの曲は歌えないし、学校教育の音楽も、クラシックがベースにあるから、女性は裏声で歌うようになるわけだ。

 そうやって「女性は裏声で歌う」事が半ば常識化しているけれど、冷静に考えてみるなら、これって実はかなり希有なことではないのか? 違うかな? 私としては、女性たちからの意見が欲しいところであります。

蛇足 最近、子どもたちの音域が下がっているとよく言われますが、これは裏声で歌わない/歌えない子どもが増えてきたので、平均値としての音域が下がっているのだそうです。

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2014年12月 9日 (火)

【お悩み相談】音痴って言われます

 音痴…なんて嫌な響きの言葉でしょうね。でも、そう言わざるをえない状態の人がこの世にいる事も事実です。

 音痴と呼ばれたり、あるいは音痴の自覚があっても、歌や音楽があまり好きでなかったり、歌を歌う環境にいなければ、特に問題ありません。

 問題は、歌が好きで、自分でも歌いたいのに、歌うと音痴と罵られる、あるいは音痴と自覚せざるをえない場合です。あるいは、職業として歌う立場にいながら、お手本となるような歌い方ができないと言うのも、同様かもしれません。

 歌いたいのに歌えない。あるいは、歌いたいから歌うと、いつも調子っ外れ。歌わなければいけない立場だから歌うけれど、いつもなんか外れている…これはとても悲しい事です。

 では、どうすれば良いのか? 解決方法はただ一つ。『常に正しい音程で歌う』 これだけです。でも、この唯一の解決策にたどり着くのが難しいから、音痴と呼ばれてしまうわけです。

 では、正しい音程で歌うためにはどうしたら良いでしょうか?

 まず、病気でない事が最低限の条件となるでしょう。難聴であるとか、音が歪んで聞こえるなどの病気を持っている人は、まずそちらの治療を優先してください。

 健康体なのに音痴と呼ばれているなら、その原因は、経験不足か、誤った練習か、…のどちらですから、それらを解決すれば、歌えるようになります。

 まず、経験不足ですが、音楽を聞く経験と、歌う経験、つまりインプットの経験とアウトプットの経験の両方が問題となります。

 音楽をあまり聞かない人が音痴なのは仕方ない事です。そういう人は、音楽を楽しんで聞くことから始めると良いと思います。音楽を聞いて聞いて、ある程度、音楽のリスニング経験が増えてくれば、それで問題の多くは解決します。とは言え、音痴と呼ばれるレベルの人なら、かなりの量の音楽を聞かないと厳しいかもしれませんが…、そこはファイトあるのみです。

 普通から音楽を楽しんで聞けるようになれば、そこそこ歌を歌えるようになりますが、人間にはどうしても、器用な人と不器用な人がいます。不器用な人の場合は、やはり歌う経験が必要となります。

 普通の人は、何も考えなくても、走る事ができますが、中には走りだすと転んでしまうとか、転ばないにしても違和感を感じてしまうとか、走るのが苦手とか、色々な人がいます。歌うことだって、同様なんです。何も考えずに歌える人もいますが、ちゃんと歌えない人とか、歌っても、なんか変になってしまう人とか、色々いるんです。

 走るのが下手な人でも、走る経験を積み重ねていけば、やがて走れるようになります。歌だって同じなんです。最初は下手くそでも、歌い続けていけば、やがて歌えるようになります。ですから、恥ずかしがらずに、歌う経験を積み重ねていけば、やがてこれも解決する事でしょう。まあ、そのための経験数は人によって大きく違いますから、とてもとても時間がかかる人もいるでしょう。

 それでも、市民合唱団レベルなら、これでいけると思います。合唱団なら、自分一人では完璧でなくても、同じパートの人たちに囲まれて、合わせて歌えばよいのですからね。歌う経験値を積み重ねるのなら、市民合唱団は最高ですよ。

 問題は、そこそこ歌える程度では満足できない人や、かなり不器用で、かなりの数をこなしたにも関わらず、あまり上手に歌えない人は、きちんと歌の練習をして、体系的に歌のテクニックを学ぶ必要があるでしょう。

 ちゃんとした声楽トレーナーの元で、正しい発声を学べば、遠からず正しい音程で歌えるようになりますから、ご安心ください。

 問題は、間違った練習をしているケースでしょうね。

 先生についていれば、よほどその先生がボンクラでない限り、歌は上達します。たとえ普段は間違った練習をしていても、先生の導きによって、正しい練習方法を学びます。教えるのが下手くそな先生についてしまったら…そうなると、話がズレてしまうので、今回はそこには触れない事にします。

 となると、問題は、独学で歌の練習をしている時でしょうね。

 歌は、自分自身が楽器となって歌うので、正しく歌えているかどうかの判定を自分自身では出来ないのが、歌を学ぶ時の最大の難点だと思います。ですから、先生…とまでは言わなくても、必ず他人と一緒に歌の練習をして、音が間違っていたら、細かく指導される環境でないと、いつまでたっても歌は上達しません。

 クラシックであれ、ポピュラーであれ、プロの歌手ですら、歌の練習をする時は、必ずトレーナーのお世話になるそうです。ましてや、素人をや、です。

 つまり、歌を独学で学ぶのは、とても難しい事です。百歩ゆずっても、独学で貫徹するならば、必ず録音する事が必要でしょう。歌う度に録音し、録音したものを、自分できちんと(チューナーや楽器を使って)確認していく…そういうマメな学習態度が必要となります。大変ですね。

 つまり、一人カラオケを重ねているだけでは、歌なんて決して上達しないって事です。
 日本人は、ことのほか、恥をかくのを避ける傾向にあり、そのため、学び事の際に、たった一人で独学の道を選びがちですが、歌の練習に関しては、他人の関与が必須です。つまり、恥を書き続けないと歌は上達しない…と思います。

 恥をかかずに、歌を上達したいなら、早い段階で、合唱団などに入って、歌う経験を積み重ねていくことをおすすめします。

 あるいは、自分の歌声をネットにアップして、色々と欠点を指摘してもらうのも良いかもしれません。ただし、ネットには情けの無い人もいますから、心がボキボキと折られてしまうかもしれませんが…ね。

 あと、歌が正しく歌えないパターンとして『音程は合っているけれど、リズムが甘い』というのがあります。いわゆる“リズム音痴”ってヤツですね。しかし、日本ではリズムが甘いのは、割りと許容される傾向にあります。つまり、見逃されるわけです。リズムって、本当は音程同様に正しい事が求められるはずなんですが…私が子どもの頃は、プロの流行歌手でも平気でリズムが外れていたくらいですから、リズムに甘いのは国民性なのかもしれません。

 実は、音程音痴よりも、リズム音痴の方が根深いくて修正が難しいのですよ。

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2014年12月 8日 (月)

中声用も良いけれど、やっぱり個人的には高声用で歌いたい

 今回の記事は、はっきり言って、私の愚痴なんですが、老犬ブログは個人ブログなので、私の愚痴も平気でアップしちゃいます(笑)。

 何を愚痴りたいのかと言うと、歌の話です。

 今、声楽の課題(宿題)として、ボノンチーニ作曲の「Per la gloria d'adorarvi/お前を賛える栄光のために」という曲が先生から与えられています。で、この曲をせっせと自宅で練習しているわけです。

 先生からは(全音社の)中声用の譜面で歌うように指示されています。まあ、この曲を中声用の譜面で歌うことに、大きな不満があるわけじゃないし、実際に色々な歌手の音源を聞いてみると、テノールと言えども(ってか、この曲は本来テノールの曲のようです)、案外、中声用の譜面で歌われている例も多く、この曲は、この調性で歌うのが普通なんだろうなあって思います。前回アップしたカレーラスの音源だって、中声用の調整で歌っています。だから、先生も中声用を指定されたのかな?って思うわけです。

 先生に言わせると、高い音がある曲を私に与えると『高い音ばかりに気がいってしまう』のでダメなんだそうです。まあ、そういう傾向が自分にある事は、否定しません。

 でもね、実際に、この曲を譜読みして、声に出して歌ってみると、色々と小さな不満が生じるわけです。

 曰く『中声用で歌うと、楽だけれど大変』 曰く『声が太くなりすぎて、私ではないような気がする』 曰く『歌っていて、楽しくない』などです。

 中声用と高声用の楽譜の違いは、音程にすると、わずか長2度。カラオケ的に言えば、キー2つ分。中声用のレの音が、高声用のドになる程度です。実はそんなに大きな差ではありません。たった1音だけしか音高が変わらないのですよ。

 大した違いではないでしょ? いや実際、冷静に考えると、そんなに違わないと思います。でも、歌ってみると、この長2度の差って、結構大きいんですね。

 まず、歌った感じですが、最高音がファになるかソになるかと言った違いがあって、最高音がファだと、歌うのに実に楽で、ほぼ鼻歌状態でも歌えちゃうのですが、これがソになると、気を抜けません。しっかり歌わないと、高いソの音程がぶら下がっちゃいますからね、要注意だし、良い練習になります。とは言え、高いソは、博打でなく、割りと確実に出せる実用音なので、回避するほどの音ではありません。

 最高音に関しては以上の通りですが、その他のメロディを構成する音に関して言うと、実は高声用の方が楽なんですよ。中声用だと、全体的な音程が心持ち低めで、そのために発声するにしても、ノドが鳴る感じがして無駄に力が入る感じだし、何よりも声が前に出づらく、簡単に胸に落ちてしまいます。テノールなのに、声を胸に落としちゃダメでしょ。その点、高声用だと、いい感じのポジションで歌い続ける事ができます。

 まあ、たった長2度の差ですが、曲としての難易度がグンと変わるのです。面白いですね。

 そんなわけで、歌っていて楽しいのは、断然、高声用なんですよ。中声用は、歌っていると『楽だなあ』と思う反面、楽しくないし、なんかうまくイッてない感じがするんですね。

 おそらく勉強になるのは、中声用なんでしょうね。

 もっとも、全音社の高声用よりも半音高い、Schirmer社の高声用(最高音がラb)だと、今度は高くなりすぎて、曲の難易度が上がっちゃって、私、きちんとは歌えなくなります。たった半音なのに『いい感じで楽しく歌える』と『これは大変。歌えないかも…』になるんです。たった半音なのに、曲の難易度がグンと変わります。これは最高音だけでなく、メロディを構成している音に関しても同様で、半音上がると、メロディを歌っていても、なんか苦しい感じがします。

 まるで、モーツァルトの曲を歌っているみたい。全般的に高くて、休みもロクになくて、ほぼ消耗戦って感じになります。さすがの高音好きな私でも、これはパスしたくなる感じです。

 と言うわけで、たかが半音全音の違いと言っても、これが曲全体に渡ると、かなり大きいのです。ですから、中声用も良いけれど、やっぱり個人的には高声用で歌いたい、それもSchirmer社ではなく、全音社の高声用で歌いたいです。

 でもまあ、世間一般では中声用の調性っぽいから、これで勉強するべきなんだろうなあ…。

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2014年12月 7日 (日)

キラキラネームって、当然知ってますよね?

 日本人は、生まれたらすぐに、その名前を戸籍に登録する事になってます。当然、本人は生まれたてですし、母親も養生が必要な時期ですから、その作業をするのは、父親とか親戚の大人たちの仕事になるわけです。名前って、実は本人のあずかり知らないところで、命名され、登録されるモノなのです。

 ですから名前とは(後天的に人格形成に関与してくるケースはまれにあるけれど、基本的には)本人の趣味趣向人格とは全く関係のないモノです。あえて言えば、その両親の趣味趣向人格が反映したモノと言えますが、それとて多くは、子どもへの愛情とか願いから成り立つものです。ただ、その愛情とか願いとか言うものは、強すぎるために行き過ぎた極端な形を取ることもあるって事です。誰が悪いというのではなく、愛情ってモノは、しばしば人を盲目やそれに近い状態にするって事です。

 キラキラネームと言うのは、独創的な難読ネームの事を言います。

 それの良し悪しはともかくとして、日本人の名前って、ほんとにバリエーションがあるなあと思います。その数多い名前の中でも、特に独創的で難読系の名前の事を、最近では“キラキラネーム”と言うそうです。ま、ある意味、名前として“新作な名前”とも言えます。

 で、そのキラキラネームなんですが…ネットを見ていて『2014年上半期キラキラネームランキング』と言うのを見つけました。これは、スマホ向けアプリ『無料 赤ちゃん名づけ』とウェブサイト『赤ちゃん名づけ実績No.1/無料 赤ちゃん名づけ』で、2014年上半期にアクセス数の多かった名前をランキング化したものらしいです。これを見ると、最近流行りのキラキラネームの傾向が分かるわけです。

 それによると、2014年上半期のキラキラネームのトップ10は、以下のようになるそうです。

1位「苺愛」
2位「黄熊」
3位「七音」
4位「姫奈」
5位「希星」
6位「彪雅」
7位「愛羅」
8位「今鹿」
9位「姫星」
10位「琉絆空」

 どうですか? 読めますか? 戸籍に記載するのは、名前の漢字であって、読み方に関する規定はないそうですから、別に読めない名前で命名してよいし、戸籍にも登録可能なんですが…それにしても、ホントに難読な名前がズラッと並んでいますね。

 ちなみに、読みの正解は、次のようになるそうです。

 “イチゴに愛”と書いた「苺愛」は「いちあ」あるいは「べりいあ」と読むそうです。“いちご”から“いち”、“あい”から“あ”と読ませているのでしょう。まあ、難読は難読ですが、まあ読めないでもないですが、もう一つの読みである「べりいあ」は“いちご”という漢字を“べりい”と読ませているのでしょうね。私には無い発想です。当然、辞書辞典には載っていない漢字の読ませ方です。この名前を正しく読ませるのは、難しいですね。

 “黄色い熊”と書いた「黄熊」は「ぷう」です。明らかにディズニーキャラクターの“くまのぷーさん”からの命名でしょうね。漢字のインパクトも無論ですが、アニメキャラからの命名と言うのも、私には無い発想です。それにしても“ぷう”という言葉には、ディズニーキャラクターの名前以外に『無職』とか『無宿』という(俗語としての)意味もありますが、命名する時に、そちらには配慮しなかったのかな?

 それと私はデブなんですが、私の数あるアダ名の一つが“ぷうさん”なんですね。もちろん、デブだからそう呼ばれているのですが“ぷう”という呼び方には“肥満”という意味もないわけじゃないようです。ぷうさんとも呼ばれる私からすれば、本名が“ぷう”と言うのは、色々と感じるものがあります。

 “七つの音”と書いた「七音」は「どれみ」または「おんぷ」と読むんだそうです。まあ、かわいい名前であるとは私も理解します。しかし私なら「七音」と書かれたら「ななお」とか「しちね」って読んじゃいますよ。「ななお」ちゃんなら(世間的にも)なかなかかわいい名前として受け入れてもらえると思うのですが…。「どれみ」はともかく「おんぷ」という名前を音声で聞いたら、まず間違いなく「音符」って漢字で書かれちゃいますよ。難読だけでなく、難書ネームでもありますね(こりゃ、きびしい)。

 “姫に奈良の奈”と書いた「姫奈」は「ひな」または「ぴいな」なんだそうです。“奈”は明らかに仮借ですから、意味としては「姫奈」さんは「姫」さんと同じ意味になります。ですから、この名付け、意味的には分かりますが、音的には難しいですね。「ひな」と読ませたいなら「雛」という漢字が適切だと思うけど、この漢字ではイヤなんでしょうね。「ぴいな」という名は…古来からの日本人の名前にはパ行音は使われませんから、実に新しすぎて、私、ついて行かれません。

 “希望の星”と書いた「希星」は「きらら」または「きてぃ」と読むそうです。しかし、この名前、漢字ヅラとしては、なかなか良いですね。カッコいいと思います。問題は、読みですね。私の感覚だと「きせい」または「まれぼし」です。「きらら」は「き」はともかく“星”を「らら」と読ませるのは無理でしょう。ましてや「てぃ」と読ませて「きてぃ」は、読んでもらうことを放棄しているとしか考えられません。しかしなぜ「希星」で「きてぃ」なんだろ? 「きてぃ」って、あのサンリオのキティちゃんの事でしょ?

 “彪(ひょう)が雅(みやび)だ”と書いた「彪雅」は「ひゅうが」または「あやさ」と読むそうです。“彪”は動物の“ヒョウ”のことであり、漢字の読み的にも“ひょう”なのですが、慣用的に“ひゅう”と読んでも良いのだそうです。また“彪”を“あや”と読むのも実はアリなんですけれど、“雅”を“が”ならともかく“さ”と読むのは難しいなあ…。うん、難しい。

 「愛羅」と書いて「あいら」と読むのは分かります。この名前は、中国系の女性にたまに見られる名前です。なので、在日中国人の方がこの名前を子どもに付けるなら分かります。でも、普通の日本人が自分の娘にこの名前をつけるとしたら、なんでだろ?

 実は「愛羅」には、もう一つの読みがあって、それは「てぃあら」と読むそうです。“ら”しか合ってません。これを正しく読めというのは、初見じゃ無理でしょう。

 “今は鹿”と書いた「今鹿」は、最初は全く読み方が分かりませんでしたが、答えを聞いて、なるほどと思いました。これ「なうしか」って読むんですよ。“今”という漢字を“なう”という英語読み(?)するんですね。いやあ、反則ですね。でも、トンチが聞いてます。まあ、キラキラネームの中でも、理解できるタイプのキラキラさです。

 “姫の星”と書いた「姫星」の読みは「きらら」とか「きてぃ」だったりします。確かに“姫”という漢字は“き”と読むけれどね…。

 しかし「希星」と「姫星」が全く同じ読みなんですね。私は「希星」って男の子の名前かと思ってましたが「姫星」と同じ読みという事は「希星」って女の子の名前のようですね。ああ、分からない。

 “琉球の絆の星”と書いた「琉絆空」の読み方は「るきあ」だそうです。確かに“琉”は“る”と読むし“絆”は“きずな”だから“き”と読ませ“空”は“空ける(あける)”の時は“あ”と読ませるからね。難読だけれど、読みとしては理解できます。読みは分かるけれど…“るきあ”って何? 意味のほうは分かりません。ブリーチやポケモンにルキアというキャラがいるけれど、まさか、そこからの命名? まあ、本当のところは別なんだろうけれど、そういう誤解も招きかねません。で、本当のところはどうなんだろ?

 確かに、子どもの命名は、親の専権事項だから、親が好きなように名づけて良いのだけれど、あんまり凝った名前を命名してしまうと、子ども本人が苦労すると思うんだよね。

 分かりやすく言えば、この手のキラキラネームって、難読ネームでしょ? まず、どこに行っても、誰と会っても、名前を正しく読んでもらうのが難しいし、正しく呼んでももらえないよね。初対面の人に、いつもいつもいつもいつも「申し訳ありませんが、お名前、何とお読みしたらよいでしょうか?」って尋ねられないといけないわけでしょ。本人がイヤにならないといいのだけれど…。

 読まれないだけでなく、名前が独創的過ぎると「変な名前の人」という印象ばかりが残って、肝心の名前そのものを覚えてもらえないので、会う度に「(ええと、この人、変わった名前だったと思うけど)あの~失礼ですが、お名前、なんておっしゃいましたっけ?」って確認されっぱなしになり、面倒くさい思いをするんじゃないかな?

 少なくとも、学校じゃあ苦労するだろうね。名前をからかわれて、いじめ問題が発生しないといいのだけれど…。それに、何かにつけて、悪目立ちするから、常に衆目を集めることにもなって、心がなかなか休まらないだろうし、ストレスも貯まるだろうねえ。

 大人になるまでに、名前をネタに出来るほど、メンタルが強い子に成長できればいいけれど、そうでないと、色々と困ると思うよ。

 それでもまあ、キラキラネームって基本、下の名前だけですからね。いくら難読ネームと言っても、苗字が平凡な名前なら、名前は無視して、苗字だけを呼べばいいから、社会生活の方は、なんとかなるかなって思います。

 しかし、苗字までも難読ネームさんだったら、苗字も名前も難読になってしまって、誰もその子の名前を正しく読んであげる事が出来なくなってしまいますよ。

 と言うのも、日本には、難読な苗字というのが、ヤマのようにあるわけだしょ? いや、生まれた家の苗字が平凡であっても、結婚して、難読苗字に変わる事もあるのだから、やっぱり名前は、誰でも読めるモノにしたらいいんじゃないかしらと思うんですが、いかがですか?

 最近では、キラキラネームの子は、就職の際、書類審査の段階で落とされるという話を聞きます。都市伝説かもしれないけれど、少なくとも、私が会社の人事部長だったら、キラキラネームの子は、書類審査の時に、真っ先に落とすかもなあ。だって、なんか面倒くさそうだもん。人事部長としては、そういう火種を抱えた新人は、なるべく避けたいでしょう。だから、その話、ありそうだなあって思います。

 名前って、本来的には、その個人を他の個体と区別して呼称するための記号なんだよね。記号だから、何でもいいと言っちゃえは、その通りなんだし、何でもいいからこそ、命名する人は、そこに願いや思いを込めるわけだ。

 でも、それが行き過ぎて、簡単に呼称できなくなっては、記号本来の意味を果たせなくなるでしょ? 名前は記号なんだから、誰にでも、正確で簡単に呼称してもらえないと、全く意味がないです。記号のくせに、誰にも読めなかったら、それは記号の役目を果たせないのですから、記号としては失格です。

 親がかわいい我が子のために、凝った名前をつけるのは全然OKだと思います。でも、凝りすぎて読めない名前は、記号としては、役にたたない名前だと言えます。つまり、本末転倒ってわけだ。

 たぶん、子どもに凝った名前をつけたがる親って、大昔からいたんだと思う。でも、昔は大家族だったし、周囲の大人たちとの関係性も濃密だったから、子どもに凝り過ぎた名前をつけようとしたら、ストップがかかっていたんだと思うけれど、今は核家族だし、若夫婦と周囲の大人との関係性も昔と比べると薄い…と言うか、個人主義が強くなってきたので、若夫婦の思いが、周囲の大人たちのチェックを受けずに、そのまま子どもの命名されてしまうのだと思います。

 正直、そういうキラキラネームの子を見ると『親に愛されているなあ』と思うと同時に『本人のメンタルが強くないとやれないなあ』って思います。まあ、それは余計なお世話だって事は重々承知していますが。ただ、強く生きて欲しいと思うだけです。

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2014年12月 6日 (土)

水草が繁茂しすぎちゃったので、潔く整理しました

 夏の暑い暑い時期は、金魚たちも活動的で、与えたエサだけでは足りなくて、水草をガンガン食べてしまうので、水草は繁茂する余裕もなく食いつくされてしまいますが、秋から冬にかけて、水温が下がってくると、金魚は変温動物ですから、おもしろいように非活発になります。そうなると、食欲もなくなって、与えたエサだけで足りるようで、水草を食べなくなります。金魚たちが水草を食べなくなれば、当然、水草が繁茂します。

 水草が繁茂しすぎて、水槽の半分以上が水草の領域となってしまって、金魚たちが水槽の下の方で、じっとしているしかなくなってきたので、たくさんある水草を潔く整理しました。

 簡単に言うと、水草の大半を捨てちゃったわけです。ああ、もったいない。

 整理する時に、元気な水草を残して、元気のない水草を整理する方針にしていたのですが、今年の水草たちは、どれもこれも元気がないんです。たぶん、肥料が足りないのかもしれません。水草の肥料と言うのは、金魚のフンであったり、金魚のエサの食べ残しであったりするのですが、今年はあえてエサを少なめに与えているので、金魚たちのフンの量が目に見えて少ないですし、食べ残しもあまりありません。ですから、水草たちも肥料不足で、元気に育たない…みたいです。

 春先までは、金魚も水草を食べないので、その間に水草たちには元気を取り戻して欲しいと思ってますが、その頃になればなったで、たくさんある水草は、金魚たちに食いつくされてしまうんだよね。

 食べりゃ食いつくされて、食べなきゃ水槽全体に繁茂する。どうもうまくいきません。

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2014年12月 5日 (金)

どうせ私は、大山登山に関しては、素人そのものです

 ええと、フルートのレッスンに行ってきました。遅刻したのは、もちろんの事ですが、実は先生に言わなかったのですが、前回のレッスンが終わって以来、一度もフルートを吹かずに、この一週間を過ごしてしまいました。

 仕事が超忙しかった事も事実ですが、それよりも、大山登山の疲労が案外取れなくて、仕事が終わって帰宅すると、毎日毎日、グダグダ過ごしてしまい、とてもフルートなんざぁ吹いている心の余裕が無かったんですわ。

 ヒドい話だね。

 それでもとにかく、レッスンには行ってきました。まあ、この一週間、フルートの練習をしなかったので、せめて、レッスン室で練習させてもらおう…って事ですね。

 それにしても寒くなりました。お教室に入ってフルート組み立てても、すぐには吹くわけにはいかない季節になりましたね。フルート組み立てて、一生懸命にフルートに息を入れて、温まるまで…いやあ、時間がかかりますね。もう、それだけで一仕事しちゃった感じがするくらいです。

 フルートを温めて、ロングトーンの練習をして、さっそく、エルステ・ユーブンゲンです。

 この一週間、フルートを放棄していた私ですから、エルステ・ユーブンゲンの6番なんて吹けるわけない…とか思って吹いていたら、なんと、最後まで通っちゃいました(あれ?)。とりあえず、曲としては最後まで通ったけれど、ブレスの箇所を2箇所間違えていたという事で、不合格になっちゃいましたけれど(笑)。なので、次回は間違えてしまったブレスの位置を修正すれば合格できる…はずです。

 続いて7番は…いやあ(ほぼ)初見で吹くのは、案外厳しいですね。ついつい、オクターブ間違えて演奏してしまいます。えへへ。

 プチ・エチュードは8番ですが、いやあ、指が回らない回らない、面白いように回りません。おまけに、宿題として出された装飾音符の練習なんて、金輪際やってないわけだから、全くできません。出来ないものだから、先生に何度もダメを出されてやり直すんだけれど、元々練習していないのだから、出来るわけありません。

 なんかね、装飾音符は、リズム的にダメなんですよ。これもまた、メトロノームの世話になりながら練習しないとダメかもしれません。

 とにかく、次回のレッスンは、今回のようなテイタラクではなく、きちんと練習をしてからレッスンに臨まないとね。

 さて、今回の雑談は…私の大山登山報告でした。先生曰く「今の時期の大山に行くなんて、馬鹿だよ、君は」と切って捨てられました。おまけに私が行ったルートが、普通の観光ルートだったので「こういう時期は、別ルートから登るものだよ」とも諭されました。

 とにかく「なっちゃいない」と言うので、次は先生が大山を案内してくれるそうです(山頂で鍋を食べようと言われました)。いやあでも、H先生と一緒に山に登ったら…こっちの心臓がパンクしそうで、怖いですよ。妻にも「H先生から一緒に大山登山をしようと誘われたよ」と言ったら、全力で拒否られました。H先生と一緒に山登りをするなんて、それは自殺行為にも等しい荒行になってしまう…と思ったようです(笑)。

 だって、H先生って、登山に関しては、スーパーマンだから。

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2014年12月 4日 (木)

【お悩み相談】息が続かなくて困ってます

 声楽であれフルートであれ、初心者の頃は、息が続かなくて、長いフレーズを演奏しきれずに悩むことがあります。そして思うことは「もっと肺活量があればいいのに…」ですね。

 もしも本当に肺活量の問題ならば、女性は声楽や管楽器をやるべきではありません。なぜなら、男性と比べると、女性はどうしたって肺活量では勝負になりません。肺活量がなければ、歌もフルートもダメならば、女性には向かないわけで、女性はピアノと弦楽器をやっていればいいんです。

 でも、女性のフルート奏者はたくさんいるし、ソプラノ歌手のほとんどは女性です。女性でも、きちんとフルートも吹ければ、歌だって歌えるのだから、息が続くか続かないかは、肺活量の問題ではない事が分かります。

 つまり、問題は息の量ではなく、息の使い方って事になるわけです。息の使い方が、まだまだ未熟で、息のかなりの部分を無駄遣いしているために、息が足りなくなって、続かなくなる…というのが正解です。

 つまり、練習を重ねて、技術の習得がある程度なされれば、それほど息が足りなくなるという事はなくなります…それにはある程度の時間が必要となります。もちろん、技術の習得に時間がかかるという事もありますが、それ以前に、歌うカラダ、笛吹くカラダが出来上がらないと、息を効率よく使うことが出来ないからです。これは単純に、筋肉と神経の問題です。

 なので「息が続かない(涙)」と悩んでいる初心者の方々は、練習し続けていけば、やがて解決する問題なので、あまり深刻に考える必要はありません。焦りは禁物です。

 具体的に言えば、腹式呼吸をマスターする事。息の支えに熟練する事。息量は少なくても、トルクの強い息を吐く事、などです。

 ただし、病気を持っている人は、必ずしもその限りではありませんので、そこは差っ引いて考えてください。具体的に言えば、私は喘息持ちですので、調子が悪くなると、別に発作が起こらなくても、みるみる息が続かなくなります。逆に言うと、息が続かなくなったら、喘息状態に突入したんだなあと理解するほどです。

 まあ、いくら努力を積み重ねても、さすがに病気にはなかなか勝てませんから(笑)、これは仕方がない。

 もっとも、フルートだけならば、きちんと服薬をして喘息をコントロールをするのが良いと思います。問題は声楽ね。喘息をコントロールする薬は、長期にわたって服薬すると、声帯から弾力が失われて、声がしわがれるとか声域が狭まるなどの副作用があるようなんです。さすがに声がしわがれる(つまり、ハスキーヴォイス)になったり、今でも上が出なくて悩んでいるのに、これ以上声域が狭くなっては困るので、私は喘息薬を使用していません。なので、たまに死にかけます(笑)。声に影響の出ない薬があれば、利用してもいいんだけどな(大笑)。

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2014年12月 3日 (水)

いつでもどこでもどんな時でも、ノドを開いて歌う事が、肝心肝要なわけです

 声楽のレッスンの続きです。

 まずは、ドゥランテ作曲「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」からです。上昇音階を歌う時、前回はしっかりと息を吐いて歌うことを学びましたが、今回は、それに加えて、しっかり支える事とノドを開くことを学びました。息を吐き気味で歌う時に、下手をすると、声をノドで押してしまいがちなるのです(私だけ?)が、それは良いことではないわけで、それを避けるためにも、ノドをしっかりと開いて歌うことが必要だし、ノドをしっかり開いて歌うためには、さらにしっかりと息を支えないといけないわけです。

 歌に関する注意点というのは、色々あるわけだけれど、それらの多くは相互に関連があって、単独で注意をしていれば、それで良いってわけではなさそうです。

 つまりは、バランスの問題なのかもしれません。

 特に、高音になると、人のノドと言うのは、閉じたがるものらしいですが、それに逆らって、ノドを開いて歌うためには、強い意志と強い筋力が必要なわけです。そして、それらを獲得するために、練習とかレッスンとかがあるわけなんだな。

 二分音符などの長めの音符を歌うのは、難しいです。八分音符やそれよりも短い音符は、ひとまず歌っておけば、それで形になるわけだけれど、二分音符などの長い音符を歌う時は、その音符の中に気持ちを入れて歌わないと、棒歌いになってしまいます。

 人間が歌うのだから、どの音符にも思いを込めて歌うんです。

 pと言うのは「弱く」と習うものですし、その部分を弱音で歌うのは正解なのですが、弱音で歌おうとして、ノドが閉じてしまったらいけないのだそうです。だから、ノドを閉じないと弱音で歌えないなら、いっそ思い切って歌ってしまった方が良いのだそうです。もちろん、ノドを開いた状態で思い切って、ですね。それと、クレッシェンドはしっかりと意識をする事。

 と…色々学んで、この曲は今回で終わりになりました。通してきちんと歌っていないので、アップできる音源がないのが残念です。

 次回からは、ボノンチーニ作曲の「Per la gloria d'adorarvi/お前を賛える栄光のために」になります。この曲は、中声用の譜面で勉強するように言われました。ちなみに一番高い音はFになります。高声用は全音高いだけ(最高音はG)なので、私的には高声用で歌いたいのですが、先生としては、イタリア古典歌曲では、私にはなるべく高い音を歌わせたくないようなのです。「すとんさんは、高音があると、そこだけ一生懸命になるから…」というのが、その理由なんですが、テノールなんて、そんなモンでしょ? 先生としては、イタリア古典歌曲では、高音発声以外の歌のテクニックを学んで欲しいようなので、あえて高音は封印しちゃうようなのです。

 「中声用で、どうしても歌いづらかったら、その時に高声用に切り替えましょう」との事ですが、全音版の楽譜では中声用と高声用では、全音しか違わない(笑)ので、歌いやすさなんて、あんまり違わないような気がします。輸入譜であるSchirmer版の楽譜なら高声用の最高音はAsなので、それなら高音として回避するのも分かるけれど…まあ、いいか。

 ちなみに、この曲をご存知ない方のために、動画を貼っておきます。カレーラスのライブです。かっこいいですよね。こんなふうに歌えたら、いいなあ…。

 次は、ガスタルトン作曲の「Musica proibita/禁じられた音楽」です。ちなみに、この曲はアリアの代わりに学んでいますので、高音発声は解禁されているのです(笑)。

 詩の内容を考えて、全般的に抑え気味に歌っていたら、先生から「声を抑え過ぎない事。出すべきところは思い切って出しましょう」と言われました。どうも、私の歌は、バランスが悪いというか、極端に走りがちなようです(涙)。

 で、懸案の高音Aですが、今回は、実にすんなりと出せました。まあ、この曲のAは、ブレス後、E-Fis-G-Aと、音階で登っていって出すので、比較的簡単なAなのですが、そんなに簡単でも、今まではなかなかうまく歌えなかったのです。で、色々と考えて、自宅練習で、Aの手前のGを、本来なら十六分音符で短い音符なのですが、あえてここをゆったりとゆっくりと歌って、Gを安定的に出せたところで、そこからひょいとAに声を上げるように歌ってみる歌い方に変えてみました。このやり方が良かったようで、レッスンでもうまくAで歌えました。

 つまり、Aを特別な音として捉えずに、Gの延長線上にある音として発声してみたというわけです。そのやり方で、レッスンでも歌えたのだから、一歩前進したと言えるでしょう。

 と言うのも、自宅練習で歌えても、レッスンで歌えないと意味ないですからね。更に言えば、レッスンで確実に歌えるようにならないと、本番では使えませんからね。本番で使えない発声なんて、何の意味もないわけです。で、本番で使えるようになるためには、自宅練習やレッスンで実績を積み上げて安定させないといけないわけです。

 先生からも「なかなか良いですよ」と誉められました。まあ、今回は割りと楽に高音Aが歌えましたが、これをいつもいつも安定して歌えるようにならないといけません。体調とか気分とかで、高音Aが歌えなくなるようでは、ダメですからね。

 それと、最後の“l'ebbreze del l'amore”の“del”の部分にはテヌートがかかっているので、音を長めに歌うのはもちろんだけれど、しっかりノドを開いて歌うことが肝心なんだそうです。

 つまり、いつでもどこでもどんな時でも、ノドを開いて歌う事が、肝心肝要なわけです。それにしても、サラっと高音Aが出た時は、嬉しかったなあ…。

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2014年12月 2日 (火)

個人事業主は…つらいですねえ

 声楽のレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンで、最初に習ったのは『胸を横に開く練習』。胸の関節(胸にも関節って、あるんですよ!)を上手に動かして、胸を横に開いて、胸の容量を増すのです。もちろん、胸の筋肉だけで胸を横に広げてもいいのですが、腕を上手に使うと、より簡単に胸を広げる事ができます。ただ、腕の使い方を間違えると、カラダの重心が高くなってしまいますが、それは絶対に避けないといけません。常に重心は低め低めにするのです。

 胸を横に開いて、下から腹筋を入れて、声を支える。これが上手にできると、鳩胸になるそうです。ですから、鳩胸で歌えるようになったら、goodなわけです。なかなか難しいです。

 先生曰く、私の当面の目標は、高いAを安定して出せるようになる事。もちろん、Aが出せればそれで良しではなく、Aに至るまで、母音の響きを同じままキープできるかとか、よりノドの奥を開いているかとか、そういう点もしっかりチェックされます。なかなかに難しいです。

 Y先生がご自分でおっしゃっていた事ですが、先生は発声練習が大好きで、レッスンをしていても、発声に関しては、ドンドン厳しくなってしまうのだそうです。で、先日もある生徒さんから「先生、発声練習はもう結構ですから、歌を見てください」と言われてしまったようです。なので、私に対しても「発声練習が厳しすぎたり、しつこすぎたら、言ってくださいね」とおっしゃってましたが、先生、私も発声練習は大好きなんですよ。それに、発声練習をして、今まで出せなかったような声が出ると、うれしいじゃないですか? その上、Y先生に発声を習うようになってから、私の声は、メキメキと上達していますしね。だから先生、私には遠慮なく、発声練習をかましてやってください。

 …と答えましたが、でもやはり、Y先生の発声練習は、ちと厳しいのも事実です。厳しすぎて、参ってしまうことが無いわけではありません。でも先生がおっしゃるには「楽な練習を100回するよりも、厳しい練習を10回やった方が、確実に効果があるんですよ」との事です。まあ、筋肉を鍛えるには、多少厳しい事をやった方が良いのは確かですしね。

 「それに、楽な方法で大きな声を出せば、当然、ノドに負担がかかります。それは一見楽なように見えて、実はカラダには大きな負担になっているんです。しっかり筋肉を使って声を出せば、当初は辛く感じても、ノドは楽だし、声も長持ちするんですよ」

 確かに、キング先生のところで習っていた頃は、ノドで歌っていたので、私の声は3分と持ちませんでした。先生には「声の持久力をつけなさい」と言われていたけれど、そんな事をするより、筋肉を鍛えて、ノドではなくカラダ全体で歌う方法に切り替えていけば、楽勝だったわけです。私はまだまだ全身で歌っている…とは言えませんが、それでもだいぶノドの負担を減らして歌えるようになったので、以前のように3分で声が品切れになるという事はなくなりました。ありがたいことです。

 全然違う話になりますが、Y先生、ヘルニアになってしまったんだそうです。お可哀想に…。なんでも、三週間に渡る秋のツアーが原因だったそうです。

 仕事で三週間、家に帰る事ができず、その間の寝泊まりはすべてホテルだったんだそうです。で、都会のホテルならまだしも、地方のホテルと言うのは…どこもベッドがフカフカなんだそうです。いわゆる、スプリング式の、カラダが沈み込むタイプのベッドなんですね。そういう柔らかいベッドに連日寝泊まりしていたら、腰をやられて、ヘルニアになってしまったんだそうです。

 同僚の歌手の皆さんからは「地方のホテルでは、ベッドではなく、床で寝るのが常識」と口々に言われちゃったんだそうです。へえ~、私、そんな常識、知りませんでした。

 とにかく、ヘルニアで、腰がビンビンに痛いんだそうです。本当は歌うのもつらいんだそうです。でも、音楽家という職業は、個人事業主ですから、体の調子が悪いくらいでは仕事を休めないので、頑張っているわけです。特に12月は、NHK関連の仕事も多く入っているし、レコーディング等の仕事もみっちり入っている“稼ぎ時”なので、休んでいる暇がないんだそうです。とにかく、年始年末に向けて、大回転をしているわけです。

 「皆さんがお休みの時に忙しく、忙しい時期に暇な商売なんですよ」とおっしゃってました。

 フルートのH先生も、山から滑落して瀕死の重傷を負っても、仕事は休めなかったそうですからね。Y先生も、ヘルニアごときでは、仕事に穴を開けられないのでしょうね。音楽家という職業は、個人事業主ですからね。私のようなサラリーマンではありませんから、有給休暇なんてありませんし、仕事の予定だって簡単には変更/キャンセルはできません。それに仕事の単価が高いので、キャンセルした時の損害だって大きいわけです。

 H先生にしろ、Y先生にしろ、プロの音楽家と言うのは、割りと稼げる仕事ではあるようですが、病欠なんてできないシビアで厳しい仕事ですから、私のような軟弱な精神の人間には、とてもとても務まりませんわ。

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2014年12月 1日 (月)

私、大山をナメてました(謝)

 と言うわけで、神奈川県の大山へ紅葉狩りに行ってまいりました。何が「~と言うわけ」かと言えば、前回のフルートレッスンで、H先生との雑談に大いに刺激されたので、ひょいと大山に出かけた…というわけです。

 江戸の昔から、大山と江ノ島は、庶民のお楽しみだったほどに親しまれている観光地です。まあ、江ノ島の方は、私、隅から隅まで知り尽くしているつもりですが、大山は、小学生の時に学校行事で泊まりに行った時以来、全く行ってませんので、ここは一発、大山詣&紅葉狩りに出かけることにしたわけです。

 計画を立てました。

 まず出発時刻は…近所というわけですから、遅めに設定します。何しろ、日々、お疲れさんなので、きちんと睡眠を取ってからお山に登ろうと考えたわけです。睡眠不足で登山…なんて、絶対にやっちゃいけない事だからね。で、午後の時間帯で登山決行し、夕飯時には自宅に戻る…という計画を立てました。

 具体的には…

 10時   伊勢原駅到着
       バスに乗って大山へ(乗車時間は約20分。待ち時間込みで1時間)
 11時   こま参道[土産物店が密集している通り]にて昼食
 12時   こま参道出発
       女坂経由で阿夫利神社下社を目指す
 13時   下社到着(30分休憩)
 13時30分 下社出発
 15時   山頂到着(30分休憩)
 15時30分 下山開始
 17時   下社到着
       ケーブルカーにてこま参道へ降りる
       こま参道でお買い物
 18時   こま参道出発
 18時30分 伊勢原到着

 …と考えました。まあ、無理の無いプランでしょ。でも、世の中は、往々にして計画通りに行くとは限らないわけです。

 まず、なんだかんだ言って、自宅を出発するのが30分ほど遅くなってしまったので、伊勢原駅に到着したのが、30分遅れの10時30分となりました。いきなり出だしから遅れちゃったんです(笑)。

 で、到着して、トイレ(混んでた!)に行って、バスに乗ろうとしたら、バスの列が長かったのですよ。どこまで長いのかと言うと、バス乗り場は駅の北口にあるのですが、北口のバス停から列は始まって、北口の広場をぐるぐるとうねって伸びて、そのまま駅の中に入り、改札口を通り後して、反対側の南口に出て、その南口広場をうねうねと並んで、駅前から外れて、線路脇の道に入り込んで、かなり駅から離れたところに、列の最後尾はありました。いやあ、列を追いかけるだけで、疲れちゃって、めまいがしました。そんな事をしていたので、列の最後尾に並んだ時点で、すでに11時になっていました。

 最後尾で案内をしていた職員さん曰く「乗車までの待ち時間は約1時間です」 その言葉を聞いて、幾人の人が残念そうな顔をして、あきらめて帰りました。私はその言葉を聞きながら『本当に、この列は1時間ではけるのかい?』と思ったものです。

 とりあえずバスを並んで待ちました。お昼をこま参道の土産物店で、名物の豆腐料理を食べるつもりだったけれど、それは時間的に無理と判断したので、列に並びながら、ドーナツを購入して、それを食べて済ませました。結局、1時間ではバスに乗れず、2時間も待ってしまいました。なので、バスに乗り込んだのは、13時になっていました。もう、この時点で、クタクタです。

 バスは当然ギューギュー詰めで立錐の余地もないわけです。私達が乗り込む時に、座席はわずかにあったので、それを妻と息子君に譲り、私は立つことにしました…そうしたら、道が混んで混んで、普通なら20分程度で到着するはずのバスが1時間半たっても、まだ到着しません…って、登山道に入って以来、ほとんどバスは走っていませんでした。駐車場に車を入れる自家用車の群れが、バスの通行を邪魔して、全然進めなかったのです。

 私を含めた、大半の客が、途中でバスを降りました。そこから30分歩いて、ようやくバスの終点に着きました。結局、こま参道についたのは、15時です。予定どおりなら、山頂に到着している時間です。

 まあ、バスを途中で下車して歩いてきたため、本来ならバスで通過してしまったはずの、いくつかの滝を見物できたのはラッキーかな?(そう思うことにしました)

 やっとの思いで到着したこま参道は、思いっきり素通りです。あれこれ気になるものが売ってましたが、心を鬼にして通過しました…のですが、結局、唐辛子屋の唐辛子があんまり美味しそうだったので、さすがに唐辛子だけは買っちゃいました(笑)。

 で、そのまま女坂を登る事にしました。女坂への入り口はケーブルカーの駅でもあるのですが、駅の入り口では「ただいま、ケーブルカーの待ち時間は1時間です」という案内が出ていました。でもたぶん、1時間で乗れるわけないよな(笑)。

 まあ、元々ケーブルカーには乗る予定が無かった私達なので、ケーブルカーの駅の混雑を横目に見ながら、そこは気楽に素通りして、女坂に入りました。

 女坂に入って、すぐに気が付きました。「これはマズイぞ」と。

 大抵の山には登道が2つあって、キツイ方を“男坂”、ユルイ方を“女坂”と呼びます。私達夫婦は、女坂程度なら、ひょいひょいと気軽に登れるものと考えていました。少なくとも、よく山散歩をしていた頃なら、この程度の坂道なんて、物の数ではありませんでした…が、それはよく考えてみたら、息子君が小学校に入る前の話です。今、彼は高校生です。つまり、あれから10年は軽く経ってしまい、私達は10年老いてしまったのです。

 以前なら、ヒョイヒョイ登れた坂道なのに…10年の歳月は残酷でした。なんて足を運ぶのがつらいのか、なんてカラダを重く感じるのか…10年の歳月を甘く見てはいけないのです。ですから、女坂を一気に登るつもりだったのに、途中で何度も休憩を入れざるを得ませんでした。

 でもまあ、それはそれでいいんです。別にタイムトライアルレースをしているわけじゃないのですから。その時の体調や体力に合わせて、自分の現在のペースで登っていけばいいんです。山道なんてものは、登ってさえいれば、かならず目的地に到着しますからね。大切なのは、無理や無茶をしない事です。

 坂の途中にあった、大山寺の紅葉は実に華麗でした。参道が深い赤で包まれているのです。これを見るだけでも、大山に来た甲斐はありました。大山寺で、甘酒飲んで、こんにゃく食べて、休憩をして、さらに上を目指しました。

 大山寺を過ぎたあたりから、坂を降りてくる人たちの雰囲気が変わりました。それまでは、シンドい顔をしながらも、登山を楽しんでいる人たちとすれ違っていたのですが、このあたりから、すれ違う人たちの傍若無人さが目立つようになりました。

 犬を連れて(歩かせて)下山している人(神域に動物を連れ込んでいいのかい?)、周囲の人に平気でぶつかりながら降りてくる人(主にジイサン)、道の真ん中で立ち止まってトウセンボしている人(主にバアサン)、あまり余所の山では見かけないタイプの人たちです。

 後で思った事ですが、おそらくこれらの人たちは、登山を楽しんでいるのではなく、下山のために乗るケーブルカーの長蛇の列に嫌気がさして、ケーブルカーの駅を一駅だけ降りて(大山寺のそばにケーブルカーの駅があるんです)ショートカットして、途中からケーブルカーに乗ろうした人たちだったんだと思います。だから、ケーブルカーがすいていたら、坂なんか降りてくるはずのなかった人なんだと思うし、だから坂を楽しんでいるわけでもなく、単純にひと駅飛ばして、列をショートカットして、途中からケーブルカーに乗ろうと考えているだけの人なんです。だから、山道を楽しんでいるのではなく、駅から駅を移動しているだけで、ただただ、頭の中は「少しでも早くケーブルカーに乗りたい」という思いだけだったんだろうと思います。

 でも、坂を下るって、そんなに簡単な事ではないんです。登山は、上りよりも下りの方が厳しいんですよ。

 だから、下り始めたはいいけれど、あまりのキツさに立ち止まってしまったり、下り始めたものの、うまく下りられずに、勢いが余って、あっちこっちの人にぶつかりながら下りて行ったりしていたのだと思います。

 私も何人ものジイさんたちにぶつかられました。愉快じゃありません。でも、彼らは私にぶつからなければ、そのまま勢い余って崖下に落ちてしまうでしょうから、ぶつかられるのも仕方ないと思いつつ、それでもやっぱり愉快ではありませんでした。こっちだって疲れているわけだし、見知らぬ人をイチイチ受け止めながら坂を登るなんて、しんどくてたまりません。

 でも、私はいいんです。巨漢ですから。それくらいは、我慢します。でも、妻はいけません。小柄な女性ですから。

 あるジイさんが、よりによって、坂を猛スピードで下りてきて、そのまま私の前を歩いていた妻にぶつかりました。当然、妻は飛ばされます。飛ばされて、階段から落ちて、崖に向かって転んでしまいました。

 妻が崖を滑っていきます。私はこの瞬間、妻が滑落してしまう事を覚悟し、次に取るべき行動を一瞬でシミュレーションしました…が、妻はなんとか、崖の途中で踏みとどまり(と言うか、全身でブレーキをかけて)なんとか滑落を免れました。

 ホッとした私は、妻を突き飛ばしたジジイを、妻の代わりに崖下に落としてやろうかと…いやいや、妻を突き飛ばした事に対して、文句の一つでも言ってやろうと思って探しましたが、すでにその頃には、そのジイさんはずっと坂の下まで行っちゃってました。“すみません”とか“大丈夫ですか?”の一言も無しです。当て逃げですよ、人を殺しかけておいて、逃げちゃったんですよ。信じられません、まったくもう。

 妻は幸い、滑落による大怪我(あるいは死)は免れたものの、左足を打撲してしまいました。もう、これ以上の登山はできません。まあ、時刻も遅くなってしまっていたので、山頂を目指すことは諦めました。

 幸いな事に、妻が滑落しかけた場所は、神社の下社のすぐ下だったので、妻は痛む足をひきづりながら、なんとか下社にたどり着く事ができました。すでに時刻は、16時30分になっていたと思います。

 下社に着いて、簡単に怪我の手当をして、売店で、おでんと団子を食べて休憩しました。残念なのは、もみじ汁をいただきたかったのですが、タイミング悪く品切れだった事かな? もみじ汁…どんな味するんだろ?

 妻が怪我してしまったので、下山は坂を降りるのを諦め、ケーブルカーを使うことにしました。ケーブルカーに乗るために1時間並びました。並んでいるうちに日が暮れてしまいました。大山から眺めた夜景がキレイでした。

 それにしても、すでにこの段階で「1時間でケーブルカーに乗れるなんて、ラッキーだな」と、感覚がややおかしくなっていました。

 こま参道に着いたら、すでに18時でした。バスに乗る列が、ケーブルカーの駅のすぐそばからできていました。そこからバスに乗るまで、2時間ほど並びましたが、並んだところが土産物店が立ち並ぶ場所ですから、案外飽きずに並べました。こんにゃく食べたし、イカめし食べたし、たい焼き食べたし(笑)。おまけにフリーWi-Fiもあったので、iPadでネットもスイスイ出来て、時間も簡単につぶせました…が、さすがに肉体的にはキビシクて、夫婦ともに立っているだけなのに、太ももがプルプル痙攣しちゃいました。

 伊勢原駅に着いたのは、20時30分でした。当初の予定では18時30分着でしたから、2時間オーバーですが、これは山頂へのアタックを諦めての2時間オーバーですから、仮に山頂に行ってたとしたら、大変な事になっていたと思います。

 伊勢原駅を出てから、伊勢原駅に戻るまで、私が座ったのは、神社下社の売店でおでんを食べた10分ほど。つまり、10時30分から20時30分までの10時間の間、私はずっと立ってるか、歩いているかしていたわけです。そりゃあ疲れるよな。

 そんなこんなで、結構散々な目にあった、秋の紅葉狩りでしたが、大変ではあったけれど、楽しかったですよ。特に、大山寺の紅葉の見事さは、本当に筆舌にしがたいほどでしたし、キツイとは言え、山道を登るのは楽しい。長蛇の列に並ぶのだって、その間、ベチャベチャと妻とおしゃべりしていたわけだし、それはそれで楽しかったわけです。まあ、妻の怪我がなくて、もっとスムーズに移動できて、山頂登山にチャレンジできたら、申し分なかったのですが…。まあ、怪我を直したら、山頂登山にリベンジしないとね。

 そのためにも、少しだけ(笑)、カラダを鍛え直すか。

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