ひとこと

  •  ああ、楽しい。楽しすぎる。8月に入って以降の私のプライベートライフが楽しすぎる。楽しすぎて楽しすぎて、ちゃんと社会生活に戻れるかどうか、とっても不安。ああ、本当に楽しすぎて、人間、ダメになりそう…。

お知らせ

  • ●F門下&Y門下合同発表会は、2017年9月9日(土)に行われます。●13時開場、13時30分開演です。●場所は、神奈川県の鶴見区民文化センターサルビアホールの音楽ホールです。JR京浜東北線鶴見駅、あるいは京急鶴見駅のすぐそばのホールです。●私は、後半(第2部)の2番目に二重唱「私は貞淑な人妻」を歌い、9番目で「おお祖国よ(ダニロ登場の歌)」[マキシムの歌です]を歌って、11番目に二重唱「愛のワルツ」[メリー・ウィドウ・ワルツです]を歌う予定です。●私自身は発表会の後半~終盤にかけて歌いますが、今回のホールは小さい(100席程度)のため、ゆっくり来られると、立ち見、あるいは入場制限がかかる怖れがあります。一応、入場には整理券が必要という建前になっていますが、出演者の知り合いなら、整理券がなくても入場できますので「メリーウィドウの人を応援に来ました」と言えば、よっぽど混雑していない限り入場できるはずです。●なお、リアルに私の知り合いの方は、おっしゃっていただければ、入場整理券を差し上げますので、ご連絡ください。●どなた様も応援よろしくお願いします。
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2014年10月の記事

2014年10月31日 (金)

現実はなかなかエグい?[2014年10月の落ち穂拾い]

 さすがに10月も末となると…秋ですね。ついこの前まで「暑い、暑い」と言っていたのが嘘のように感じられます。空気、ひんやりしてますよね。思わず“暖房”を入れてしまいそうになります(まだ我慢してます)。

大学の受験勉強にまつわる事

 昔々学生時代に、教科書ガイドを執筆していたすとんです(笑)。

 教科書は教師の授業のための教材ですから、独学には全く向きませんし、実際不親切な作りになっています。教科書ガイドは、生徒が授業の予習復習の手間を省略するために作られた副読本ですから、これもまた独学には向きませんし、第一、編集が十分に行われているとは言えないので、間違いや不適切な解説などが山盛りですので、あくまでもガイドで予習、授業で訂正…と言うのが正しい使い方だろうと思います。

 独学をしたい。または、授業の先取りとか、授業よりも高度の内容を学習したいと言うのであれば、ありきたりな解答になってしまいますが、大手出版社の学習参考書の利用と予備校系の受験問題集の活用、この二つの併用が良いと思います。

 大学の入試問題って(対外的に秘密ですが)最近は予備校が下請けで作成しているところも多くあります。そういう学校の問題は教科書の範囲をしっかり守って作られているので問題ないのですが、昔ながらに大学の教授たちが試験問題を作っているような大学は、平気で高校の学習範囲を逸脱した問題を、今でも作っています。

 私は、ひょんな事から、いくつかの大学で、大学の作問委員の方々に、その大学の入試問題の問題点をご指摘させていただくという役割を、数年間やらせていただいた事があります。指摘した翌年は、指摘した点について注意して作問してくださいますが、数年たって、作問委員会のメンバーが変わってしまうと、また、元の木阿弥なんですね。

 なので、受験を考えた時、高校の授業だけでは、やっぱり不十分なんです。そこに受験産業が入り込む隙間があるわけなんですが、それは大学が独自の入試問題を作成している限り、決して無くならない課題なんだと認識しています。

 なので、各大学独自の問題をやめて、大学入試を資格試験化(つまり、現行のセンター入試の拡大路線ですね)すれば、教科書の学習だけで十分になりますが、そうなると、受験産業そのものが潰れ、多くの失業者が生まれてしまうので、そんなに簡単な問題ではないと思います。

日本の、国連常任理事国入り問題に関して

 日本の常任理事国入りに賛成の国は、実はたくさんあります。ですから採決を取れば、日本の常任理事国入りは、簡単に承認されると考えている人々は大勢います。しかし現実的には、日本の常任理事国入りは、現時点ではありえません。

 と言うのも、問題は、現常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中華人民共和国)の拒否権ってヤツです。かの国々のたった一国でも拒否すると、会議で議決された事も、その承認が取り消されるというシステムが問題なんですね。そういう点では、国連というのは、全く民主的ではなく、現常任理事国の独裁的構造になっているわけです。

 要するに現常任理事国たちが「生意気な東洋人を常任理事国入りさせたくない」とか「アジアの盟主は中国一国で十分」とか思っている限り、日本の常任理事国入りは不可能なんです。これは理屈ではなく感情の問題なので、これを突破するためには、ロビー活動(はっきり言えば、袖の下の活用)が不可欠ですが、日本は、変に潔癖なので、ロビー活動で賄賂をばらまいたりとか、ハニーなお接待とかをしないので、まあ常任理事国入りなんて、無理無理なんですよ。

 おまけに、未だに敵国条項ってヤツもあるしね。そのおかげで、いつでも中国は日本を軍事的制裁をしても良いことになっている…そうなんだよね、なんだかね。国連なんて、信用しちゃダメなんだと思うよ。

通称の使用について

 ネットの本場であるアメリカでは、皆さん、本名(お役所等に登録してある氏名)での発言が基本で、通称(ハンドルネームとかペンネームとか源氏名とか、そういう本名とは別の呼び名)の使用は、あまり多くないそうです。

 一方、中華&朝鮮系の人たちは、ネットのみならず、リアルな世界でも、本名なんて使わずに、平気で通称で生活しています。

 日本もリアルな世界では、通称の類は使わないにしても、リアルな社会生活の中で本名を(とりわけフルネームで)呼び合う事って、案外少ないんです。互いに呼び合うにしても、その人の肩書(課長さん…とか)であったり、所属(営業さん…とか)であったり、屋号(越後屋さん…とか)であったり、家族関係(お母さん…とか)であったりしますし、親しくなればなるほど、その度合が強くなっていくと思います。また、そのような肩書っぽいモノがない人であっても、本名の一部(大半が苗字)を呼ぶに留めます。

 公の場での実名の使用を避けるのは、アジア的な文化の一つの特徴かもしれません。

 あと、本名を使用しない理由の一つに、嫉妬の問題も避けて通れないかもしれません。

 私、若い時に、雑誌に連載していたり、本を何冊か出していますが、最初は本名で書いて出版していたのですが、職場での嫉妬が半端なかったので、やがてペンネームを使って出すようにしました。他人からの無用な嫉妬を回避するためですが、ペンネーム使用以来、私の周囲は穏やかになりましたよ。なので、通称の使用も生活の知恵と言えなくもないです。

 ん? って事は、中華&朝鮮系の人がやたらと通称を使いたがるのは、本名ではトラブルを起こすことが多いので、それを避けるためなのかな? かな? かな? しかし、本名だとトラブルが起こるって、どんな状況なんだろ?

情報化社会になっちゃったわけで…

 昔は単純で良かったと思います。事実なんて、新聞テレビ等のマスコミが報道するものだけでしたからね。今は、マスコミも平気で嘘つくことが分かったし、かと言って、ネットは玉石混交で、虚実入り混じりだし…。最終的に信じられるものは、自分の情報リテラシーというフィルターを経由した一部の情報ぐらいになってしまいました。

 今や、無知は怠惰の証明にしかなりえない時代になりました。ほんと、生きづらいったら、ありゃしない。

 まあ、情報は生き物ですから。時々刻々とその姿を変えていくわけだし、その過程で、どんなふうに利用されるかも分かったものじゃないです。

 ネットなんて、用心深いに越したことはありませんが、用心深いだけでは、得るものは何もないわけで、得るものがないなら、最初っからやらなきゃいいわけです。じゃあ、ネットなんてやらなきゃいいじゃないか…と言うと、そういうわけにはいかないのが、21世紀の日本です。

 たとえば、昔は、中国は理想の国家で、南北朝鮮は素晴らしい国々だと思っていました。もちろん、そこに住む人たちは、我々日本人とは違って、素晴らしい方々ばかりだと、真面目に信じていました。

 今や、そんな事、日本人の誰も信じていません。いやむしろ、かの国々のイメージはかつてとは真逆のベクトルになってしまったかもしれません。

 昔は国家レベルで「我々は素晴らしい」とマスコミ向けにプロパガンダをぶっ放しておけば、それを信用してもらえたけれど、今や多方面から色々な情報が飛び交ってしまう時代となり、プロパガンダが何の役にも立たない時代となりました。

 先の仁川で行ったアジア大会なんて、それが顕著だったわけで、あっちこっちでズルい事ばかりやってしまった韓国だけれど、昔なら、そんな事はマスコミからは報道されなかったのでイメージダウンにはならなく、むしろ「ああ、やっぱり韓国は素晴らしい国だ」となり、国威発動の良いチャンスになったわけだけれど、今は色々な情報がダダ漏れなので、韓国がどれだけズルく、大会運営もひどかった事がまるわかりになってしまいました。

 きっと、2018年に開催される、平昌での冬季五輪は、以前韓国で行ったソウル五輪のようにはならないでしょう。いや、むしろ平昌での冬季五輪を契機に、韓国はさらに国際的な信用というのを失ってしまうかもしれません。

 それが21世紀の情報化社会の実情ってやつだね。

今月のお気に入り ミュージカル『レント』

 ミュージカル『ミス・サイゴン』が、オペラ『蝶々夫人』を原作としているように、ミュージカル『レント』は、オペラ『ラ・ボエーム』を原作とするミュージカルです。もっとも『レント』は『ミス・サイゴン』ほど日本じゃ有名ではありませんが、じゃあ大したこと無いミュージカルなのかと言うと、決してそうではありません。実はブロードウェイでは『ミス・サイゴン』よりも『レント』の方が、上演回数も多ければ、上演期間も長かったんです。つまり、ミュージカルの本場では『レント』の方が評価が高いのです。

 私も『レント』の評判はかねがね聞いていましたが、なかなか実際に見るチャンスがありませんでした。何しろ、日本ではなかなか上演してくれないミュージカルですからね。

 ミュージカルというものは、かなりヒットしても映像化される事はあまりありません。ですから、有名な作品でも、その道のオタクで無い限り、聞いたことも見たこともない作品って、結構あるわけです。『ミス・サイゴン』なんて、そういう映像化されないミュージカルの一つです。

 では『レント』もそんな映像化されていな作品なのかと言うと、違います。『レント』は映像化されています。実際の舞台上演を収録したもの(ライブビューイングみたいなものですね)と、映画化されたものの二種類のDVDが発売されています。ですから『レント』に関する限り、たとえ日本での舞台上演を見るチャンスがなくても、自宅で気軽に見ることが可能なんですよ。

 左側が舞台上演版、右側が映画版です。

 さっそく、舞台上演版の『レント』を入手して見ました。いやあ、すごかったです。素晴らしかったです。もっと早く『レント』を知っていればよかったと思いました。あまりに気に入ったので、すぐに映画版も入手したくらいです(でもまだ時間がないので、見てない:涙)。

 確かに『ラ・ボエーム』の20世紀版というのは嘘ではないでしょう。まさにあの物語なんです。ただし、時代が違うといろいろと変わるわけです。若者たちの職業や彼らが住む場所が異なるのはもちろんですが、若者の数も変わります。原作のミミにあたる人物が、ミミとエンジェルの二人になります。ゲイもレズもいれば、エイズもヤク中もいるわけです。なんでしょうね、この混沌ぶり。

 『ミス・サイゴン』が『蝶々夫人』よりもだいぶエグい話になっていましたが、この『レント』のエグさは『ラ・ボエーム』とは比較になりません。『レント』はエグいです。これが20世紀のアメリカの若者のリアルな生活なんだと言われれば、その通りなのかもしれませんし、それだけ現実はエグいって事なのでしょう。

 『レント』はなかなかよく出来たミュージカルだと思います。なのに何故、それほどメジャーな作品ではないのかと言うと、やはりプロモーション力が弱いのかもしれません。なにしろ、作者がすでに他界していますから、この作品は成人前に親に死なれた子どものような存在の作品とも言えます。

 『レント』の作者であるジョナサン・ラーソンは『レント』のブロードウェイ初日の未明に死んでしまった人…なんだそうです。つまり、彼は本番の舞台を見ずに死んでしまったという事になります。35歳だったそうです。死後に『レント』によって、トニー賞のミュージカル作品賞、ミュージカル脚本賞、オリジナル楽曲賞と、ピューリッツァー賞(戯曲部門)を受賞しています。ほぼ、この作品でのみ名前を残している人なんですね。でも、いくらすごい人と言っても、すでに死者なんです。彼が自分の作品を売り込む事は、もはやありえないのです。

 そのため、作者が他界してしまった作品が世に残って普及していくためには、作者に代わるだけの愛情を持ったファンが業界内にいないといけないわけで、そういう点では『レント』は多くの業界人たちに愛されてきた作品であって、そんな作品がつまらないわけないのです。

 でも『レント』は、日本人にはハードルが高い作品であるのも事実です。同性愛とかエイズとかヤク中とか貧乏とか人種問題とか…なかなか日本人には厳しいテーマです。日本人って、劇中に毒のある作品を好まないからなあ…。

 さらに『レント』は(映画版では違うそうですが)全編すべて歌なんですね。セリフというのがほぼ無くて、すべてが歌で進行していくミュージカルです。セリフがない…というのも、日本人には厳しいですよね。

 というわけで、日本では馴染みのないミュージカル『レント』ですが、ミュージカル作品としては、実になかなか素晴らしいですよ。是非ご鑑賞あれ。

今月の金魚

 今月の中旬あたりから、ホノカが丸くなりました。プクプクになりました。病気じゃないかと心配しています。

今月のひとこと

 カストラートという存在は、時代の徒花であって、とても残酷な存在であったと思うけれど、でも彼らのために多くの素晴らしい曲が書かれたのは事実です。今、カストラートが全滅しているために、それらの曲を本来の姿で我々は享受できないわけです。所詮、カストラートの曲を、メゾソプラノとかカウンターテナーが歌ったところで、それはチェンバロの曲を現代ピアノや電子オルガンで弾くようなもので、どう考えてもバチモンにしかなりえません。かと言って、カストラートを再び作り出すわけにもいかず、仮に作ったとしても、往年の名カストラートほどの実力が備わっているとは限りません。失われてしまったものを嘆いても、仕方ないと言えば仕方ないのですが、それでも私はカストラートの声を惜しみます。ちなみに私は、最後のカストラートとして録音が残っているモレスキの声を、カストラートの代表例としては考えたくないです。彼はあくまでも最後の希少な存在としてのカストラートであって、カストラート自体がありふれた存在であって、その中から実力でのし上がってきた名歌手というわけではないからです。はっきり言っちゃえば、モレスキは貴重だけれど素晴らしくはないカストラート…と私は考えているからです。(2014年9月28日~10月3日)

 韓国は反日だから、仁川(インチョン)で行われているアジア大会も、日本チームにヒドいことをやり続けるだろうなあと思っていたけれど、韓国は日本だけでなく、インドや中国、インドネシアや、モンゴルも、色々とやられているようですね。こんなにズルい国に、次の冬のオリンピックを任せても大丈夫なの? いや、ダメでしょ。ほんと、選手が可哀そうだよ。(2014年10月3~6日)

 台風、すごかったなあ。避難勧告が出ちゃったらしいけど、避難しなかった。いやあ、だって、避難所に行くのが大変だから、自宅にいる方が安全かな?なんて思っちゃったんだよね。(2014年10月6~11日)

 ええと、にほんブログ村のランキングで「大人の音楽活動」「フルート」「声楽」の三つのランキングで同時に第1位になりました(10月11日午後8時現在)。おそらく、長続きはしないでしょう…ヘタすると、12日になってしまうと、また順位が転落してしまうかもしれない(特に「大人の音楽活動」は1位を取るのが難しいです)ので、記録のために書いておきました。いやあ、三冠はうれしいです。ほんと、うれしい。(2014年10月11~17日)
 産経新聞社の前ソウル支局長の韓国からの出国禁止状態(事実上の軟禁状態)が、三ヶ月延長となったそうです。支局長に対する軟禁は、2014年8月7日から始まっています。さらに三ヶ月延長された事で、来年の1月15日まで続くことになりました。韓国では『基本的人権』と『報道の自由』は、尊重されないのでしょうか? さらに支局長の罪状は名誉毀損という事らしいです。先日、産経新聞社のソウル支局前で行われたデモで、日本の総理大臣と産経の前支局長のお面をかぶった人が土下座をした上に、周囲の韓国人から足蹴にされるというパフォーマンスを、韓国のマスコミは世界に向けて報道していましたが、これって日本国とその総理大臣、前支局長に対する名誉毀損にはならないのでしょうか? 『愛国無罪』とか『反日無罪』とか叫ばれる韓国ですが、これが民主主義を奉ずる法治国家が行っていると思うと、寒気がします。(2014年10月17~26日)

 ようやく日本ブログ村が正常化したようです。一時期、システムがおかしい状態になっていて、一部ブログのポイントが反映しなかったらしく、なんか変なことになっていたようです。実は当ブログもポイントが反映しなかったブログの一つで、一時期ブログ村のポイントが変な事になっていました。それも、時期がちょうどクラシックコンサートの結果報告のあたりでして、あの頃の記事のポイントがゴッソリと抜けちゃいました。本番関係の記事だとブログも盛り上がるのに、それが丸々抜け落ちたよう…なんか、がっかり。(2014年10月26~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年10月30日 (木)

何も考えずとも、グリーンランプが点灯するようになっていました

 さて、フルートのレッスンに行ってきました。この一週間、忙しかったけれど、それなりに練習をしてレッスンに臨みました。

 いつもは、お教室に入るとすぐにフルートを組み立てて、レッスン開始ですが、今回は私がお教室に着いた時、先生はコーヒーを召し上がっていたので、しばらく一人でフルートを吹いていました。せっかく一人の時間があったので、チューナーを取り出して、ピヤ~って吹いてみました。

 いやあ、何も考えずに吹いても、きちんとチューナーのグリーンランプが点灯しますね。うれしい、うれしい。フルートを始めたばかりの頃は、いくら頑張っても正しい音が出せずに、チューナーのグリーンランプなんて夢のまた夢だったのに、今じゃあ、ピヤっと吹いても、ドンピシャリだもんね。私も上達したものです。

 ロングトーン練習は先生と行いました。高音域に入ったところで先生から「無理に鳴らそうとしないように」と注意を受けました。フルートが鳴りづらいからと言って、力づくで鳴らしてしまうと音色が壊れるので、鳴りづらかったら、鳴りやすいところを探して吹きなさい…ってことです。

 力づくは、フルートにも女性にも嫌われるわけだ(爆)。

 で、エルステ・ユーブンゲンは5番です。練習はしてますが、まだまだ暗譜には至っていません。ですから、いつもどおり、先生の前で楽譜をガン見しながら吹きました。吹き終えたところで、楽譜から遠ざけられて「一緒に吹いてあげるから、音を探しながらついてきなさい」と言われて、暗譜と言うよりも、音を探しながら吹きました。4段目ぐらいまではなんとかついていけたのですが…結局、最後までたどり着けませんでした。次回までには頑張って暗譜してくるぞ。

 6番も楽譜ガン見で吹きました。

 「簡単な曲を吹くのって、楽しいでしょ?」

 確かに楽しいかも。何しろ、純粋に自分の音に酔えますからね(ナルシーかい:笑)。

 プチ・エチュードは7番です。音符の音程間違いが二箇所。休符の長さ間違いが一箇所。転んじゃったところ多数…でした。全般的に練習不足かな? しっかり吹き込んでおかないとね。

 さて、前回、行方不明になったパピヨンちゃんの話をしましたが、結論から言えば、その後、すぐに見つかったそうです。

 先生のオタクのパピヨンちゃんは座敷犬です。首輪もしていなければ鎖にもつながれていません。先生のお屋敷の中を自由に動き回っているのだそうです。動き回ると言っても、建物の中ばかりに籠っているわけではなく、庭に出てよく遊ぶんだそうです。でも、決してお屋敷の敷地からは出ないワンちゃんだったんだそうです。

 で、ある日、先生のお屋敷の庭に大きなバイクが乗り付けてきたんだそうです。パピヨンというのはワンコですが、チキンなワンコなので、バイクに驚いてお庭から飛び出してしまって、戻れなくなってしまったようなんですね。

 ビックリして、お庭から飛び出したのはいいけれど、戻り方を知らないパピヨンちゃんは仕方なく自宅周辺をウロウロしていたのだそうです。家の人は、パピヨンちゃんが外に出てしまったとは、すぐには気づきませんでした。パピヨンちゃんが自宅周辺をウロウロしているうちに、そばを車が通りかかったんだそうです。その車のドライバーさんが、パピヨンちゃんを見て、これは野良犬ではなく、どこかの家の飼い犬が逃げ出したに違いないと思って、パピヨンちゃんを抱っこして車に載せて、最寄りの獣医さんに預けたのだそうです。

 預けられた獣医さんは、H先生の自宅近くの獣医さんでしたが、そこはかかりつけではなかったので、パピヨンちゃんを見ても、飼い主の見当がつかず、結局、動物保護センターに送られてしまったのだそうです。

 一方、先生の方でも、パピヨンちゃんがいなくなってしまった事に気づき、近所を探しますが、すでに保護された後なので見つかるはずもなく、警察とかかりつけの獣医さんに届けたのだそうです。で、かかりつけの獣医さんが、動物保護センターに問い合わせたところ、該当するワンコちゃんが保護されているというので、慌てて迎えに行ったんだそうです。

 動物保護センターで見つけられた時のパピヨンちゃんは、もうかわいそうなくらいに恐怖で身震いしていたのだそうです。まあ、チキンなハートのワンちゃんだからね…。

 何はともあれ、すぐに見つかって、よかったですね。

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2014年10月29日 (水)

登場人物が二人もいるんです

 声楽のレッスンの続きです。次は、ガスタルトン作曲の「Musica proibita/禁じられた音楽」を歌いました。

 しかし、この曲、譜読みもまだまだの状態なんですよ。音程もあちこち怪しいし…なので、通して歌うにしても、あっちこっちボロボロで、結局、最後までたどり着けませんでした(涙)。

 で、早速、曲のレッスンとなりましたが、まずは歌詞の内容から入りました。

 まだまだ音取りですら不完全な状態なので、歌詞の訳なんて、もちろん全然手に付いてませんが、そんな事は先生には関係ありません。いやあ、イタリア語は、読みはなんとかなりつつありますが(だってローマ字だもん)、意味は全くダメな私です。きちんと辞書をひいて、頭をウンとひねらないと訳せませんよ(涙)。

 なぜ、いきなり歌詞の意味から入ったのかと言うと、この曲には、登場人物とストーリーがあるからです。そこを踏まえて歌わないといけないからなのです。

 まず、登場人物は二人います。娘と青年です。最初は娘が登場します。

 彼女は、彼女の部屋のバルコニーの下で毎晩歌われるセレナータを思い出しながら、胸をときめかせています。なんて素敵なメロディ…。そして、歌っている人もなんて素敵なの。ああ、胸が苦しい…。

 昼間、その人の事を思い出しながら、セレナータをくちづさんでいると、お母さんが怒って、歌をやめさせます。娘はしぶしぶ母親に従います。でも娘は、なぜ母親がその歌を止めさせるのかが分かりません。だから、母親がいなくなれば、またセレナータをくちづさんでしまうのです。そして、彼女はセレナータを歌いながら、あの青年を思い浮かべます。

 ここで、歌詞の主役は、セレナータを歌う青年に変わります。

 ああ、君の黒髪にキスしたい。君のクチビルに、その瞳にキスしたい。君のためなら死んでもいい。ああ、ボクの天使よ、宝物よ!

 ここでまた歌詞は娘の視点に戻ります。

 娘は昨日の事を思い出します。昨日、彼女が街を散歩している時に、道で青年の姿を見かけたのです。青年は娘の姿を見ると、いつものセレナータを歌いかけます。

 ああ、君の黒髪にキスしたい。君のクチビルに、その瞳にキスしたい。君の胸に抱かれて、愛に酔ってみたいんだ!

 うへー、この歌。こんな意味だったんだ。だって、この歌って、たいていテノールが歌っているよ。それも力強く歌いあげているよ。だから、もっと勇ましい感じの歌かと思ってました。それが実は、歌の主役は、恋にとまどう乙女だったとは…。いやあ、驚き。ガチガチの少女漫画のような歌じゃん。先生が、最初に歌詞の意味を確認した理由がよく分かりました。

 とにかく、歌の中に、男が歌っている部分と、女が歌っている部分があるわけですよ。もちろん、女性の部分では女性らしく、男性の部分では男性らしく歌うわけです。結構、演劇的な歌ではありませんか!(そんなふうに聞こえたことはないけれど:笑)。いや、演劇的って言うよりも、演歌? 歌の中で別の歌が引用されて歌われるなんて、八代亜紀の「舟唄」みたい(笑)。

 歌詞だけ見ていると、テノールが歌うよりも、女性が歌う方がよさそうだけれど、女性が歌っているのがあまりないのは、メロディがいかにもテノール向けの『しっとりと軽い』曲風だからでしょうね。音楽だけなら、典型的なテノールソングだもん。

 イタリアの歌が、歌詞よりも音楽を中心に回っているという事がよく分かる例だと思います。それにしても、なんて乙女チックな歌詞なんだ。まるで少女漫画みたい(笑)。

 とにかく、この歌、メロディーはテノールソングですから、曲の終盤に高音Aを歌う箇所があります。そのAに行くために、E-F#-G-Aと上行音形を登っていって、最後のAをロングトーンにして歌うのですが、ここの歌い方の練習しました。

 この曲で一番盛り上がるのは、当然、最後のAですから、そこに向かって歌っていくわけだけれど、そのために、クライマックスをAに持っていくと、歌としては、あまりよろしくないのだそうです。この曲のクライマックスは、最高音Aの一つ手前のGに置いて、そこまでギリギリと緊張を高めて歌い、Gの次のA(最高音)では、すでに興奮から少し冷めて、ほどほどの力で歌うのがよいのだそうです。

 理由は…Gをフルパワーで出せば、Aはその勢いでポンと出るから。またAはロングトーンなんだけれど、フルパワーのロングトーンは疲れてしまうのて、80%パワーぐらいで最高音のロングトーンに挑んだほうが何かと都合が良いのです。

 まあ、確かに、高音って、力めば力むほど失敗するよね。

 私はGとかAbぐらいまでなら、何をどうしても出せますが、Aはなかなか難しいです。その難しいAに照準を合わせてパワーを入れて歌うと、ノドがしまってしまうので、その手前に照準を合わせ直して、肝心のAは手前のGの余力で歌った方が全然いいって事なんですね。

 とにかく、軽く軽く歌うのです。高音だから言って、気合を入れずに歌うのが良いのです。ああ、難しい。

 最後に、この曲を女性が歌うとどうなるのかと、YouTubeで探してみたら、こんな感じでした。

 あれ、いいじゃん。いや、歌詞の内容を踏まえて聞けば、むしろ男性テノールが声を張り上げて歌うよりも、こういう感じに乙女チックに歌った方が良いんじゃないの? だいたい、歌の中に青年が登場すると言っても、娘を通して登場するんだから、全編女性が歌った方が良いかも…。まあ、歌曲だから、男が歌っても女が歌っても良いのだろうけれど、なんか女性の方が、曲の良さがより発揮されるっぽいなあ。

 少なくとも、娘が歌っている部分は、こんなふうに乙女チックに歌った方がよさそうだという事だけは分かりました。私が歌うと、ついついヒロイックに歌い上げてしまうけれど、それはだいぶ違うという事だけは確信しました。

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2014年10月28日 (火)

息のスピードをあげて歌おう!

 クラシックコンサート後、始めての声楽のレッスンに行ってきました。

 先生に本番の音源CDを渡して、コンサートの感想を話しました。先生からは「いかがでしたか? アマチュアの方は、たいてい、練習以上の力を本番では発揮するんですよねえ…」とおっしゃるので、「いきなり歌い出しの歌詞を間違えました」とか「上がる予定のない音を、ついうっかり上がってしまいました」とか「二重唱の声のバランスが悪すぎました」とか答えました。

 「譜面台を使わずに暗譜で歌われたのですか?」って尋ねられました。はい、暗譜です…ってか、あそこの舞台では、歌の人はたいてい暗譜ですからね。二重唱の声のバランスが悪い…と話した時は、ちょっと考えこまれたようです。まあ、これは考えたところで簡単に解決できる問題ではないのですがねえ…。

 さて、それはともかく、レッスンです。

 今回のレッスンでは“ノドを開ける”というのを、かなりしつこくやりました。とにかく、ノドを開けるんです。クチの先ばかりではなく、ノドの奥をガッと開けるんです。特に上行音形の場合、次の音に移る前に、次の音のためにノドを事前に開けておくというのを散々やりました。もちろん、一度開けたノドは下降音形であっても頑張って狭める事はしません。

 また、ノドを開けるにしても『下に開ける』のと『上に開ける』の二方向の開け方があるわけだけれど、これも片方だけに偏らずに、両方開けられるように何度も練習をしました。しかし、両方一度に開けるというのは、なかなか難しいです。やはり、私的にはまず下を開けて、そこからグルンと回しながら上に持って行って開ける…というのがやりやすいのですが、これは果たして正しいやり方なのだろうか? まあ、ノドを開けるのだって、筋肉の運動だから、慣れれば簡単にできるようになるのだろうけれど、未だに腹筋を入れるのが苦手な私だから、そう簡単にできるようにはならないだろうなあ…。(先は遠い)

 さて、歌のレッスンです。「どちらからやりますか?」と尋ねられたので、最初は、ドゥランテ作曲の「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」をお願いしました。この曲をきちんと歌える…というわけでもなく、あくまでも比較すれば、ガスタルトンよりもドゥランテの方が、多少なりとも譜読みが進んでいる…と言った程度の話ですが、ひとまず、こちらにしました。。

 まずは通して歌ってみました。自宅練習でもきちんと歌えてませんが、レッスンではもっと歌えていません。理由は練習不足、つまり『歌い慣れていない』『速さに対応しきれていない』『クチが回らずに歌詞が言えていない』などがあって、あっちこっちガタガタな歌となってしまいました。

 先生曰く「息のスピードが足りない」のだそうです。この曲は、声の大きさとか、力強さとかは特に必要なく、息のスピードが必要な曲なんだそうです。それも画一的な速さではなく、曲想に応じた速い息が必要との事です。

 具体的に言えば…

 歌い出しはトップスピードの息で歌います。

 Sottile al suon で、ギアをローに入れて、ゆったりとした息で歌います。

 Senti il vago でギアをセカンドに入れて、やや速めの息で歌います。

 guido suon で再びギアをローに入れて、ゆったりと…

 と、まあ、こんな感じで息の速度を曲想に合わせながら切り替えて歌っていくのだそうです。まあ、息の速度の切り替えなんて、この曲に限った事ではないのかもしれないけれど、この曲では、特に顕著だという事なんだと思います。

 しかし、今まで息のスピードを意識的に切り替えながら歌ったことなんて無かったから、実に新鮮な気分です。それに、息のスピードを変えるだけで、こんな歌い方って変わるんだなあって思いました。

 それにしても、この曲のテンポは速いです。あんまり、速くて、まだまだ、その速さに対応しきれていません。時折、音程が乱れるのですが、テンポをゆっくりにして歌えば、案外きちんと歌えているものです。しかし、テンポを上げた途端に、音程がグチャグチャになる…わけです(汗)。まあ、練習ではゆっくりと歌い、次第にテンポを上げて、最終的には正規のテンポでも音程の乱れなく歌えるようになれば良い…ってわけです。

 でもこの曲、結構気に入りました。

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2014年10月27日 (月)

カラオケも捨てたものじゃない

 皆さんは歌の練習をする時、伴奏はどうしていますか?

 絶対音感をお持ちの方は、別に伴奏はあってもなくても良いのかもしれませんが、そうでない人にとって、歌の練習の時には、伴奏はあった方が良いですよね。そうでないと、出だしの音を間違えたり、歌っているうちにドンドン音が下がってしまったりする事だってあるでしょう。

 流暢にピアノが弾ける人は自分でピアノを弾きながら歌の練習をしてみたり、弾きながらが無理でも、事前にピアノを弾いて、それを録音して、それに合わせて歌ってみる事が可能です。

 でも、趣味で声楽をやるような人だと、なかなかそこまでピアノが得意な人は、多くはありません。私なんかは、さすがに鍵盤を見てドレミの位置は分かりますが、じゃあピアノが弾けるのかと問われれば「弾けません(涙)」と答えるしかありません。実際、音取りをする時は、一本指奏法でつっかえつっかえ間違えながら弾いています。指が間違えるものですから、ついうっかり音も間違えて覚えちゃったりして、ピアノが弾けない事を恨んでみたりする時もあります。

 メロディの音取りですら、そんな状況ですから、伴奏なんて無理です。妻がピアノ弾ければ、お願いも出来ますが、妻もピアノは弾けないし、息子くんは高い金を支払ってピアノを習わせたにも関わらず、歌の伴奏ができるほどに上達しなかったので、私の身の回りでピアノが弾ける人はいません。

 ポピュラーソングの練習だったら、ここでカラオケに行っちゃえば済むんですが、クラシック声楽の曲って、カラオケには入っていない事が多い…と言うか、まずカラオケには無いですよね。

 カラオケ屋に無いのなら、自宅カラオケをするしかないですね。

 幸い、初歩のレパートリーや、比較的有名な曲に関しては、カラオケCD付きの楽譜が音楽之友社やヤマハから出ていますので、それらを利用すると良いでしょう。

 でも、それらの楽譜って、たいてい中声用なんですよね。あるいは、中声で歌えるように移調してあったりします。中声の方なら、それでも良いでしょうが、高声歌手である私だと、ちょっとばかり音域が低くて、遊びで歌うには良いのですが、歌の練習にはなりづらいです。

 それにだいたい、CD付きの声楽用の楽譜って、普通の楽器店で売っているモノって、そんなにたくさんあるわけじゃないし、曲数だってたくさんあるわけじゃないです。とりわけ、私のように高声用の楽譜を使うことが多い人間だと、使える楽譜にも限りがあります。だいたい、たいていのモノが声が合わなかったりするし、また、先生に指定された曲が、それらの楽譜集に入っていない場合などもあり、これですべて解決ってわけにはいきません。

 そんな時は…仕方がないので、楽譜をせっせとMIDIに打ち込んで、自分専用のカラオケを作るわけなんですが、これって結構手間がかかります。ウチの場合は、妻がサクサクとカラオケを作れる人なので、おんぶにだっこで彼女にお願いして作ってもらってます。それでもやっぱり、微妙なところは自分で調整しないといけないので、手間がかからないわけじゃないですし、お手軽じゃないし、いくら妻とは言え、他人の手を煩わすのは、なんかちょっと気がひけます。

 でも、しょうがないな~と諦めるのは、まだ早いです。

 実は日本では、あまり販売されていないCD付き楽譜集ですが、輸入盤を探すと、結構あるんですね。曲数も多いし、たくさんの作曲家の作品が網羅されているし、同じ曲でも声種別に発売されていたりします。

 例えば、私が便利に使っているのは、これ。

 イタリア古典歌曲集の楽譜で、編集が違うので、日本の全音版とは取り上げている曲が違うのだけれど、まあメジャーどころはたいてい入っています。それにこの楽譜、声種別に、同じ楽譜が『低声』『中低声』『中声』『中高声』『高声』の5バージョンで発売されています。それも“楽譜だけ”のパターンと“楽譜+カラオケ+原語朗読”のパターンの二種類ね。私は、高声用のCD付きのモノを使用していますが、全音版の高声用と調性が同じモノも多くて便利してます。今、レッスンでやっているドゥランテの「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」は、こいつのカラオケで自宅練習しています。

 他にも、シューベルトの歌曲集や、有名どころの歌曲を集めたアンソロジーものや、地方在住だとカラオケどころか楽譜すらなかなか見つけられないフランス歌曲やスペイン歌曲のアンソロジーだってあります。

 この他、探せば、オペラアリアのカラオケや古楽の声楽曲のカラオケ、トスティやモーツァルトなどの作曲家別の楽譜集のカラオケとか、輸入楽譜だと、本当になんでもアリって感じです。

 日本では、クラシック声楽を勉強する人って、音大の声楽科の学生さんたちとか、趣味であってもピアノが自由に弾ける程度の音楽的素養の持ち主という、裏設定があるんじゃないかなって思ってしまうほど、日本の声楽の楽譜って、素人の趣味人には、ハードルが高いような気がします? フルートなんて、国内盤の楽譜でも、結構カラオケ付きの楽譜がありますよ。なのに、なぜ声楽はないの?…と恨んだりしちゃいます。

 日本の楽譜がお高く止まっているのなら、輸入版を購入しちゃえばいいんです。ほら、今は昔と違って、輸入楽譜もアマゾンなどのネット通販で手軽に安価に買えますからね。私も楽譜の半分ぐらいは、ネット通販で購入しています。残りの半分は…リアルな楽器屋さんで楽譜を購入しています。まあ、だいたいは、東京の銀座の楽器屋さんだね。何しろ、地元のお店とは品揃いが違いすぎますからね。

 あと、ネット通販って、実はそんなに万能ではなく、リアルな店舗にいかないとお目にかかれない楽譜も結構あるんですよ。なので、ネットだけでは用は済まないわけですが、それもまた良しですよ。

 時間があって、きちんとネットを泳げれば、きっとクラシック声楽曲のカラオケ版ぐらいは、ネットに転がっているんじゃないかな? 特に動画サイトにはたくさんありそうな気がします。まあ、私は古い人間なので、ネットよりもカラオケCDの方をありがたがる世代なんですよ。

 今どき珍しいでしょ? 

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2014年10月26日 (日)

なんか、韓国のキリスト教って…どうなの?

 他所の人たちを責めたくはないけれど、ずっとずっと以前より、私の中には大きな疑問があります。それは韓国におけるクリスチャン(キリスト教徒)の多さです。

 世界の総人口は約70億人だそうですが、そのうち22億人がキリスト教徒だそうです。まあ、だいたい世界の約1/3はクリスチャンだと言えるでしょう。世界で一番勢力の強い宗教がキリスト教なんですね。ちなみに2番目がイスラム教の16億人で、3番目が無宗教の11億人なんだそうです。その無宗教の大半が中国人(だって中国って人口が14億人もいるんだよ)だけれど、その中国人の次に無宗教が多いのが日本(約7000万人の人が無宗教。)なんだそうです。日本の人口が約1億2千万人ですから、日本人の過半数が無宗教って事になりますね。なんと、信心の薄い国民なんだ!(でも別の統計だと、日本には宗教を信じている人が約2億人いるそうです。この数字は、各宗教団体ごとの信者さんの数を国全体で合算すると、こうなるんだって。不思議だね)

 さて、世界中にそんなにたくさんいるクリスチャンだけれど、もちろん、地域による偏りというのがあって、全クリスチャンのうち、37%が南北アメリカ大陸に、25%がヨーロッパ大陸に、24%がアフリカ大陸に、残りの13%がアジア・太平洋などその他の地域に住んでいます。

 特にヨーロッパとアフリカは住民の大半が、自分はクリスチャンであると自認しているほどにキリスト教の影響が強い地域です。

 ま、アジア・太平洋地域は、キリスト教の影響の少ない地域って言えますね。なにしろ、この地域にはイスラム教の国が多いし、仏教やヒンズー教も盛んだし、中国や日本のような無宗教の国もあるわけだからね。

 そんな、キリスト教の弱いアジア・太平洋地域だけれど、それでもクリスチャンがたくさんいる国もあります。それは、フィリピンと東ティモールと韓国です。

 韓国と言うと“儒教の国”というイメージがありますが、実は韓国で一番人数の多いのがクリスチャンで、人口の30%がクリスチャンなんです。仏教が約23%で、儒教が0.2%なので、韓国では仏教徒よりもキリスト教徒の方が多く、儒教を信仰する人は、日本におけるクリスチャンの1/10程度…って事になります(日本人口におけるキリスト教の割合は約1%ですが、人口は韓国の2倍以上います)。イメージとは違って、韓国って“儒教の国”ではなく“キリスト教の国”なんですよ。

 とにかく、韓国ではキリスト教を信仰する人が一番多くて、国民の4人に1人がクリスチャンなんです。ですから、韓国人の生活態度や考え方にはキリスト教の教えの影響が強いはずなんですが…どうも、そうは思えないから、不思議なんです。

 キリスト教と言う宗教には、いろいろな側面がありますが、その大きな特徴は『赦しの宗教』である点です。何を赦すか…罪を赦すんですね。もっとも、罪と言っても、法律用語としての“罪”ではなく、宗教用語としての“罪”なので、その点は誤解なきように…。

 じゃあ、一体、“罪”って何なのか…と言うと、すごく簡単に言っちゃうと「人間の思いと、それに基づく行動」って奴です。

 具体的に言えば…怒る事、恨む事、嘘をつく事、乱暴を働く事、壊す事、殺す事、よこしまな思いをいだく事、性的にだらしない事、盗む事、悪口を言う事、他人を貶める事、他人をねたむ事、他人をうらやむ事、他人を蔑む事、他人を見下す事、怠ける事、働かない事、浪費をする事、贅沢にふける事、大食いする事、寝過ぎる事、酒におぼれる事、学ばない事、愚かなままでいる事、父母を敬わない事、兄弟姉妹を軽んずる事、配偶者を大切にしない事、配偶者を裏切る事、子どもを支配する事、子どもをきちんと育てない事…。

 ほんと、上げていけばキリがありません。もちろん、中には法律的にも罪と言えるモノもありますが、その大半は“道徳的にアウト”なものばかりだし、これらの事すべてから自由な人なんていませんので、キリスト教では「人間はすべて罪人である」という事になります。

 で、そんな罪だらけの人を、そのまま受け入れて、それを赦すのが神様であり、神様に赦された人は、自分の罪を自覚して、今後はなるべく罪を犯さないように気をつけながら生きていけるように、自分を律していくわけです。また人間はその存在そのものが罪人であるけれど、神様に赦されている以上、神様を信仰する人は神様が赦した人を自分でも赦し、その罪人をそのまま受け入れてあげるわけです。それが、キリスト教的な生き方であり、クリスチャンという存在は、そのようでありたいと日々頑張っている(“頑張っている”であって“完全実行できている”というわけじゃないです)わけです。

 なので、クリスチャンは、なるべく他人に対して怒らないようにしますし、恨まないようにします。大事件に遭遇して、つい、怒ってしまったり、恨んでしまった場合、カトリックの人なら、神父様に告解をしますし、プロテスタントの人なら直接神様に祈りを捧げて、そんな感情を持ってしまった事を、神様に赦してもらいます。そして、怒りとか恨みから自由になります。

 なので、基本的にキリスト教を信じている限り、他人を怒り続けたり、恨み続けたりする事は、あるはずないんです。

 つまり、クリスチャンって、基本的にサバサバした人のはずなんです。

 しかし、韓国の反日活動って、このサバサバとは全く逆の行いでしょ?

 キリスト教的な視点に立てば、もういい加減、日本を赦すというか、反日活動をやめたらいいんじゃないかと思うし、なぜ韓国のクリスチャンたちは、韓国の人々に反日活動をやめさせる方向で動かないのかが、とっても疑問。彼ら的には日本を恨み続ける理由があるのかもしれないけれど、そもそも“恨み続ける”という事自体が罪だし、そんな心で日本を責めるのも罪。ましてや、賠償を求めるだとか、もう罪も罪、大罪でしょ。

 これが無宗教の国の、日本とか中国だったら、敵国を恨み続けても「仕方ないかな…」と思う部分もあるけれど、韓国はキリスト教の国だからね。クリスチャンが人口の1/4もいるわけだし、先日のローマ法王の来韓には、国をあげて大歓迎した人たちだからね。そんな熱烈なキリスト教の信仰で、いいかげん日本を“赦し”ちゃくれないものかね。

 私は日本人だし、その日本人なのに「日本を赦してよ」と言うのも、変な話だけれど、キリスト教の信仰的には、韓国のクリスチャンたちの行動って、絶対に変だと思うので、今回は、そのあたりについて書いてみました。

 もっとも、韓国が日本を赦したからといって、日本の過去の行いは消えるわけじゃないんだよ。それはそれで、また別の話ね。

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2014年10月25日 (土)

ホノカは龍眼?

 この一週間で、みるみるホノカのカラダが丸くなりました。丸くなっただけでなく、目が飛び出してきました。この目は…いわゆる龍眼? いえいえ、カラダがスリムなまま、目だけが飛び出してきたのなら、龍眼の可能性がありますが、今回はカラダが丸くなるのと同時並行で目が飛び出してきたので、龍眼ではなく、おそらく、何かの病気なんでしょうね。

 病名は分かりませんが、その急激な太り方というか、体型の変化は、とても健常な子のそれとは思えません。

 でも、ホノカ自身は元気なんですよ。これで元気がないとかなら、すぐに病院水槽に隔離しますが、元気である以上、隔離はできないかな?って思います。と言うのも、隔離したからと言って、何か特別な手立てがあるわけではなく、せいぜい絶食と塩漬けにするくらいで、それで痩せなければ、結局絶食で絶命するだけですからね。

 金魚もバカではないので、体調の悪いのは自分でなんとかするはずです。だから、元気でいる以上は、彼らが持っている自己治癒力に頼った方が結果が良いだろうと思ってます。なので、しばらくは様子見の状態にしています。

 それにしても、ほんと、ホノカは丸くなりました。先週までは、すこし太めだけれど、形のよい金魚でしたが、今週はまるでピンポン球のようにプクプクなんですよ、絶対にこれってマズイよなあ。

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2014年10月24日 (金)

発表会には出ません!

 フルートのレッスンに行ってきました。実はここんとこ忙しくて、三週間ぶりのレッスンでした。三週間のうち、最初の一週間は真面目に練習をしていたのですが、最近の二週間は、仕事の忙しさに付け加えて、体調も崩していたりして、ほとんどフルートに触っていないといった状況でした。

 ですから先生には「申し訳ない…」と謝りつつ、練習の不足を報告したところ。ニコニコしたお顔で「いいんですよ、では、ここでたっぷり練習しましょう」と言ってくださいました。生徒が若者ならば、そうはいかないでしょうが、現役の社会人を相手にするなら、そういう優しさも必要だろうと思います。

 エルステ・ユーブンゲンは5番ですが、今回は徹底的にブレスを注意されました。このレベルの曲は吹けて当たり前ですから、より良く吹くために、あれこれと注意されるのですが、今回はブレスの仕方とかタイミングとか、まあそういう細かいところを徹底的に見てもらいました。続く6番は、音の立ち上がりをだいぶ注意されました。

 エルステ・ユーブンゲンは暗譜を要求されていますが「音符だけでなく、休符とかブレスとかも合わせて暗譜してくるんですよ」と言われました。また「暗譜する時は、ブレスからブレスを一塊として暗譜すると良いですよ」とも教わりました。頑張りますよ。

 プチ・エチュードは、今回から7番です。三連符のリズムはもちろんですが、スラーとスタッカートの吹き分けに注意するように言われました。特に、スタッカートの直前の音は、通常よりも短めに吹くわけです。つまり、スタッカートは、その音符自身も短めに吹きますが、その前の音も短めに吹くことで、音として、きちんと目立たせるというか、孤立させる感じになります。

 それにしても、私が使っている譜面はフランスの楽譜なので、八分休符と四分休符の形が似ていて、実にまぎらわしい(涙)。

 さて、今回の雑談は…「来年の秋に発表会をやるらしいんだけれど、もしやるなら、出ますか?」と尋ねられたので「出ません」と即答したという話です。

 もう少し丁寧に説明しますね(笑)。

 私はH先生のレッスンをご自宅ではなく、カルチャースクールで受けています。そのため、安価にレッスンを受けさせて頂いている代わりに、レッスン時間が極端に短い(だいたいいつも15分程度)のです。まあ、ご自宅でレッスンを受ければ、もっとバッチリ見ていただけますが、その代わりにレッスン代が、今の一ヶ月分が一回分のレッスン代にしかならないので、経済的な点から考えても、まあいいかと思っているわけです。

 で、私がレッスンを受けているカルチャースクールが、来年創立ウン十年とやらで、記念行事としてスクール全体の発表会を企画しているそうで、そのために出演者の希望を取っているようなんです。なので、H先生から「もしもカルチャーの発表会があったら、出演しますか?」と尋ねられたので「私は出ません」と即答したわけです。

 だって、その発表会、キング先生も絶対に参加するだろうからね。私、彼とは顔を合わせたくないんですよ。と言うのも、彼の姿を見るだけで、私、心臓がバクバクして苦しくなるからです。理性的には彼を赦したつもりの私ですが、カラダは彼に痛めつけられた事をしっかり覚えているようで、彼を見ると、心が締め付けられるような気がして、動悸が激しくなって、体調不良になるのです。あの頃の心的外傷って奴がトラウマっぽく残っているからなんです。PTSD? まあ、そんな感じの状態になって、実にマズイんですよ。

 そんな心臓バクバクの状態になって、フルートなんて吹けないでしょ? だから即答で「私は出ません」って答えたわけです。

 本音で言えば、発表会、出たいなあ…。H門下の発表会は合宿内で行うため、私、H門下に移籍して以来、発表会には一度も参加していないんです。だから、フルートの発表会に飢えているわけで、本来なら、イの一番に参加したいくらいなんですが、会場でキング先生のお姿を拝見したら、私、倒れるかもしれないから、参加できません。

 「なんで参加しないの?」とH先生に尋ねられた時も、同様の事を答えました。先生は「ああ、それじゃあ、しょうがないねえ」と言ってくれました。「私だって、レッスンではキツイことも言うけれど、レッスンが終われば、同じ人間、同じオトナ同士なんだから、そんなところで師匠風を吹かせても仕方ないんだけれどねえ…」 まあ、H先生はそういう考え方なんでしょうが、みんながみんな、そう考えるわけじゃないですから。

 というわけで、せっかく発表会のチャンスがあったのですが、それはチャンスのまま、終えることにした私です。

 発表会の話が長引いてしまったので、今回の雑談はこれで終わりになったのですが、先生的にはパピヨンちゃんの話がしたかったようなのでした。実は先生のオタクではパピヨンを飼っているのですが、その子が先日、フラ~っと家を出てしまって帰ってこないのだそうです。ずっと家で飼っていた子なので、心配でたまらないのだそうです。今頃はお家に戻っていると良いのですが…。

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2014年10月23日 (木)

【お悩み相談】フルート…音程が合いません(涙)

 フルートを吹いていて、どうしても音程が合いません。最初はチューナーで合わせても、いつも「高い!」と言われてしまいます。いくら頭部管を抜いても、音が高くなってしまいます。

 そういうお悩みの方って大勢いらっしゃるでしょうね。私もかつてはそうでした(笑)。挙句の果てには「私は音痴だからフルートまで音痴になってしまうんだ…」とか悩まれたりして…。

 あなたが音痴がどうかはさておき、音痴以前に色々とチェックする箇所がありますよ。
 まず「フルートを吹いている息は強すぎませんか?」

 フルートって、しっかり息を支えていれば、弱くて少ない息でも十分鳴る楽器です。いやむしろ、可能な限り弱くて少ない息で吹いた方が良い楽器なんです。ですから、大量の息を勢い良く吹き込むと…きちんと鳴りません。音が割れるし、何よりも音程が上ずります。

 フルート初級者の皆さんは、おしなべて腹筋が弱くて、まだフルートを吹くカラダが出来ていない事が多いです。腹筋が弱いと、吸い込んだ息をカラダにキープする事ができないので、一度にたくさんの息を吐いてしまいます。その結果、フルートに大量の息を勢い良く吹き込むので、音程が上ずってしまうのです。

 そういう方は…しばらく我慢して練習を続けましょう。やがてフルートを吹くカラダが出来上がって、腹筋も強くなってくると、自然と弱くて少ない息でフルートを吹けるようになってきます。それまでの辛抱です、ガンバガンバ。

 「いやいや、私は腹筋は強いんだよ」とか「ロングトーンには自信があるから、それには当てはまらないよ」と言われる方もいらっしゃるでしょうね。そういう方…メンタルは大丈夫ですか? フルートの音出しに万全の自信はお持ちでしょうか? フルートの音出しに自信がない方は、ついつい強めに吹いてしまいがちです。

 また、メンタルとは関係なく、よく音をスカってしまう人も、フルートを強く吹く傾向があります。これは、フォームなどが悪くて、鳴りのポイントを外して吹いているため、ポイントを外したまま無理やりフルートを鳴らすために、力技で吹いているからです。

 それと、吹奏楽のフルートさんもフルートを強く吹き過ぎる傾向があります。まあ、毎日、指揮者から「フルート、聞こえないよ~」と言われ続ければ、強く吹く癖がつくのも分からないでもないですが…(吹奏楽のフルートは、指揮者に聞こえる音量で吹くのは容易なことではありません。フルートが音量に限界のある楽器だという事を承知していない指揮者も多いのです、困りますね)。

 「音が高い」と言われて、頭部管を抜く方がいらっしゃいますが、やり過ぎに注意してください。と言うのも、フルートって他の楽器と違って、基本的にチューニング不要な楽器なんですから。

 「じゃあ、頭部管の入れ具合を調整するのは何のため?」 それは室温や気温に対応するためです。比較的高い温度の中で演奏する時は、頭部管を浅く入れ、比較的低い温度の中で演奏する時は、頭部管を深くいれるのです。

 だいたいチューニング音(普通はA、吹奏楽はBb)を頭部管の抜き差しで合わせたところで、その他の音が音痴じゃダメですよ。「チューニングした音はバッチリだけれど、その他の音は音痴です」という方は、頭部管の入れ具合を間違えています。ちなみに、頭部管は設計によって違うとは言え、5mmほど抜いて入れるのがデフォルトで、夏はこれよりも多めに、冬は少なめに抜きます。

 あと、うっかりさんで、いつも頭部管を根本まで差し込んでいる方がいらっしゃいますが、そういう人のフルートが音程が高めなのは、ある意味当然の事です。

 とにかく、フルートの頭部管は、季節や室温や気温に合わせて、適量抜くのが良いのです。後は楽に軽く吹けばいいのです。

 「でもそれじゃあ音程が…(涙)」

 音程は自分の耳で演奏中に作るものです。だから(練習も含めて)演奏の時は耳を開いて、自分の音と他の音をきちんと聞きながら吹く事が大切です。もし、音程のズレがあったら…音を曲げて合わせます。息を前に吹けば音程は上がりますし、息を下に吹けば音程は下がります。また頭部管を前に回せば音程は上がるし、手前に巻き込めば下がります。それは見事に、上げるにしても下げるにしても、半音ぐらいの幅で大きく変わります。それだけの幅の音程が奏者のフォームで容易に変わってしまうのがフルートなんです。

 事前にチューニングをしたところで、演奏の際の奏者の息の強さで音程が変わり、奏者のフォームでも音程が変わってしまうのが、フルートという楽器なのです。ですから、事前にチューニングにあまり力を入れても、あまり意味がない事はお分かりでしょう? フルートのチューニングは、弦楽器でいうところの開放弦の調弦みたいなものです。ですから、基本となる音を基本的な奏法で吹いて音合せをしたら、後は細かくクヨクヨ悩むよりも、演奏中に耳を開いて、音程を合わせて吹くことの方がよっぽど大切です。

 だいたい、フルートの音程で悩んでいる人は、音を聞かずに、指の運動だけでフルートを吹いていたりするんです。フルートは、指も大切ですが、耳はもっと大切ですよ。いつもいつも、耳を開いて演奏していれば、やがて音程はバシっと決まるようになります。

 蛇足1 確かに絶対音感の持ち主が吹くフルートは音程がバッチリしています。歌の下手な人間が吹くフルートは、その人の歌と同じぐらいに下手なモノです。不思議なものです。

 蛇足2 チューナーの使用は…気休め程度に使う分にも問題ないです。それよりも、ピアノとか他の楽器の音を聞いて、音程を合わせられる方が大切ですね。

 蛇足3 フルートは元々室内用の楽器です。ヴァイオリンやピアノや歌と一緒に演奏すると幸せになれる楽器です。ですから、音量もそれらの楽器とのバランスを考えた上で設計されています。つまり、ヴァイオリン並みの音量しか出ません。ピアノや歌よりも音量的には弱い楽器です。そんなか弱い楽器に大音量を求めるのは止めましょう(割り切りは大切です)。

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2014年10月22日 (水)

上手い演奏とは、どんな演奏の事を言うのか?

 声楽であれ、フルートであれ、楽器の種類を問わず「上手い演奏」あるいは「この演奏、いいなあ」と言うのは、、どんな演奏の事を言うのでしょうか?

 言葉の定義によっても、その内容は変わるでしょうし“演奏”のどのような側面を重視するかで、評価する上手さも変わって当然です。

 例えば、技巧的に高いレベルに達している事を称して“上手い”と評価したり、音色の美しさとか繊細さに着目して“上手い”と評価したり、音量とか迫力などが圧倒的な演奏を称して“上手い”と評価したり、様々だと思います。しかし、これらの観点だけでは、上手いと評価される一方で「ダメだ、こりゃ!」とも評価されてしまうキライがあります。

 技巧的に高いレベルに達していれば、コンクールなどでは上位に食い込めるでしょうし、他人が出来ない事が出来たりするわけですから、そりゃあ“上手い”と言われて当然かもしれませんが、その一方で「心に染みてこない演奏」とか「まるでロボットが演奏しているみたい」とか言われてしまうケースもあります。

 音色の美しさや繊細さを評価する人もいますが、それだけでは耳に心地よいだけで、心に何も残りませんし、演奏そのものが技巧的に拙かったり、選曲があまりに平易なモノであった場合は「つまらない」と言われて、せっかくの音色の美しさに着目してもらえないままで終わってしまう事もあります。

 音量とか迫力などは、音楽ジャンルによっては、とても大切なファクターです。音楽と言うのは、音量が大きいだけでも迫ってくるものがありますが、これも度が過ぎれば「うるさい!」だけの騒音になってしまいます。

 では、これら3つの要素が同時に成り立てばOKなのかと言うと、それもなんか違うような気がします。

 そこで私が考える“上手い演奏”の条件と言うのは、“心に染みてくる演奏”“聴く人の心をわしづかみにする演奏”“思わず感動させられる演奏”という、観客の心のすきまを埋めるような、心理的にゆさぶりをかけてくるような演奏が“上手い”演奏なんだと思います。

 つまり、技巧も美音も迫力も差し置いて、聴く人の心に入ってくる演奏が“上手い”演奏なんだと思います。

 逆に言うと、心に入ってきさえすれば良いのです。技巧も美音も迫力もなくてもOKなのです。実際、我々は技巧的にはミスの多い稚拙な演奏に心を打たれることがありますし、美音とは程遠い、割れた音や歪んだ音に引きつけられたり、耳をそばだてないと聞こえないような演奏に心を持っていかれたりします。

 では、観客の心を引きつけるような演奏って、どんな演奏でしょうか? それは、演奏者が自分をきちんと表現している演奏なんだと思います。俗っぽい言い方をすれば「感情のこもった演奏」って奴かな? もちろん演奏者の人間性が薄っぺらでは、いくら感情を込めても他人を感動させることはできません。演奏者自身が、人間としてきちんと生きて生活していないと、観客を感動させられないと思います。

 まあとにかく、楽譜を音声にしただけのような、昔のMIDI演奏のような演奏ではなく、生身の人間が心を切り刻みながら演奏している演奏が良いのです。

 そういう点では、演歌歌手と言うか、演歌唱法ってのは、馬鹿に出来ないなあ…って思います。だって、彼らほど、あざとく見えるくらいに感情を込めて歌う人たちはいませんからね。

 まあ、あそこまでやる必要はないのかもしれませんが、あの姿勢は見習うべき事が多々あるんじゃないかなって思います。

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2014年10月21日 (火)

フルートを調整してもらって、金やプラチナのフルートを吹いてきたよ

 某山野楽器(笑)で、フルートフェスティバル2014が行われております。各メーカーが交代で週末ごとに試奏会と調整会をやっておりまして、先日はアルタス・AZUMIフルートフェアだったので、さっそく予約を入れて、お伺いいたしました。

 目的はもちろん、フルートの調整。春の調整会をパスした私は、ほぼ一年ぶりのフルートの調整となるので「これは行かないわけにはいくまい」というわけで、勇んで出かけたわけです。

 調整をしてくださったのは、いつものSさん。私のフルート、アゲハちゃんの製作者さんで、昨年のオーバーホールも担当してくださった方です。いわば、アゲハちゃんにとっては“実のお父さん”のような存在の方なんですね。その方に今回の調整をお願いしました。

 一年ぶりの調整にも関わらず、アゲハはほとんど狂いがなかったそうで、頭部管近くの小さなトーンホールのカップをバナーで焼いて調整する程度で済み、以前はよく行っていた、紙を切ったり貼ったりして行うタンポの調整はしませんでした。

 「状態が良くて、ほとんど調整する必要はありません」との事です。

 まあ、オーバーホールの時に、徹底的に根本からきちんと調整してもらったので、狂いづらくなっているのと、この一年間の演奏時間が、実はあんまり無い(笑)事が原因でしょうね。ほんと、オーバーホール以前と以降では、フルートの演奏の時間が、がっくり減りましたからね。まあ、仕事が忙しいからなんですが、フルートなんて、吹かなきゃ狂わない…って事だね。

 なので、調整はそこそこで、さっさと分解掃除をしてもらったら、後はたっぷりとSさんと世間話をしました。なにしろ、Sさんは、生まれも育ちもウチのご近所の方なので、私が話す地元話に花が咲くわけですね。実に細かなローカル話で盛り上がっちゃうわけです。まあ、それもアリですね。

 で、フルートの調整が終わった後は、手ぶらで帰るのもなんなので、アルタスフルートを試奏して参りました。今回吹いたのは、A18KSIIR(約300万円)とGTPR(約100万円)の二つ。

 A18KSIIRは、管体は18Kで、メカが銀製のフルート。私が次に買うとしたら、これかな?と、懐具合も考えずに決めているのが、このフルートなんです。

 さっそく吹いてみました。…ううむ、重い。別に重いと言っても、管体が重いわけではありません。音の立ち上がりが重いと言うか、アゲハよりもだいぶ腹圧をかけないと鳴りません。鳴らすのに腹圧が必要な分、音量も大きく、凛と張った音がします。見かけよりも、パワー系のフルートですね。そばにいた営業さんが「ゴールドらしい音色がします」とか言っていたけれど、私的には音色の違いはそんなに感じませんでした。私が吹く、いつものアルタスの音…って感じかな? 音量が大きく、とてもよく遠鳴りがしそうな感じですね。オーケストラの中で使うには良いかもしれませんし、ソロでも目立ちたければ、このフルートは良いかもしれません。ただ、パワーが必要な分、色々と小回りを利かすのが難しそうです。なので、趣味で使う分には、実用的な必要性は感じませんでした。でも、いいフルートですね、所持しているだけで気持ちが豊かになりそう(笑)。お金に余裕があったら、ぜひ欲しいです。

 GTPRは、普段使っている1307Rの管体にプラチナメッキをし、メカ部分には金メッキを施したというメッキメッキした楽器です。営業さんは「プラチナコーティングのおかげで音の立ち上がりが良くなっています」と言ってたけれど、こいつの吹奏感に関しては、いつも吹いているアゲハ(1307R)とほぼ同じ。ちょっと音色がすっきりしているような気もするけれど、個体差の範疇かな? 新品の1307Rでも、ときどきこういう音色の楽器があるからね。

 初心者の頃は、私がフルートを吹くと、そのフルートの素直な音が出ていましたが、最近の私が吹くと、どのフルートを吹いても、かつてのような素直なフルートの音が出ず、どれもこれも似たような音色になってしまいます。おそらくは“私自身の音色”というものが出来つつあって、そのためにどのフルートを吹いても似たような音色になってしまうのかもしれません。特に今回は、普段使いのアルタスのフルートですから、どう吹いても、音色が似てしまったんだと思います。

 まあつまり、音量増強と心情的満足を求めてゴールドフルートに買い換えるのはありだろうけれど、それ以外の理由でフルートを買い換える必要はなさそうって事です。いや、実際、今回は二本のフルートしか吹きませんでしたが、別の機会に別のフルートを吹いても、試奏をするたびに、結局「アゲハっていいフルートだなあ」という結論に落ち着くんですよ。なんでしょ? やはり、道具は使い慣れたものが一番って事になるのでしょうか? あるいは、自分色に染まった楽器は、なかなか手放せないって事になるのでしょうか?

 まあ、自分の楽器に不満がないと言うのは、良いことなんでしょうね。まだしばらく、他の笛に目移りする事はなさそうな私です。

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2014年10月20日 (月)

新曲をいただきました & 勉強会の話

 前回の声楽のレッスンの最後の最後にあったやりとりです。

 実は、前回のレッスンは、クラシックコンサート前の最後のレッスンだったので、その次のレッスン(当然、本番後)のために、新曲をいただきました。

 一曲目は、イタリア古典歌曲から、ドゥランテ作曲「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」です。「本番の後は、イタリア古典歌曲を歌う」と言うのが、Y先生のポリシーなので、この選曲で問題ないのですが、今回、この曲は高声版で歌うことになりました。「イタリア古典歌曲は中声版に限る」と言うのがY先生の主張なのですが、今回はどうも例外らしく、最初から高声版で練習してくるようにとの指示でした。頑張るよ。

 実はこの曲をいただいた時、先生から「次は“Danza”にしましょう」と言われて、即座に「ロッシーニですか!」と返答しちゃった私です。いやあ、だって、ロッシーニの「Danza/踊り」って、とてもとても歌いたい歌なんだもの。そんな憧れの曲がいただけた!とか、早合点してしまったのでした。いやはや。

 ちなみに、このドゥランテの曲、海外では「Danza, Danza」というタイトル表記が普通みたいなので、先生が「Danza」と呼ぶのは、正しいみたいです。

 さて、そんな私がいただいたドゥランテ作曲の「Danza, fanciulla gentile/踊れ、優しい娘よ」という曲は、こんな感じの曲です。

 日本人テノールの井原義則さんが歌ってます。日本人歌手は、どの歌も実に丁寧に歌いますから、勉強のためにはすごくいいんですよね。

 もう一曲は「アリアの代わりに…」という事で、ガスタルトン作曲「Musica proibita/禁じられた音楽」が選ばれました。この曲、キング門下時代は全く気にもしていなかった曲なんですが、Y門下に移り、見知らぬ人々の発表会を数多く見せていただくようになってから、すごく気になる曲になっていたんです。と言うのも、この曲、どこの発表会に行っても、誰かしらが必ず歌っているという超人気曲だったんですよ。ヘタすると、同じ発表会で三人の方にそれぞれ歌われていたりもするくらいの、超絶人気曲! すごいでしょ。なので、私もいつかは歌ってみたいと思っていたので、ちょうどいい感じの選曲かなって思ってます。

 それにこの曲、楽譜を見ると、最高音がAなので、私の勉強にちょうど良い感じなのかなって気がしてます。

 こんな感じの曲です。盲目のテノール歌手アンドレア・ボチェッリの歌を貼っておきます。

 おそらく、この2曲は、勉強会で歌う事になるでしょう。…そう、近々勉強会があるんですよ。

 元々は年末に予定されていた勉強会だったのですが、色々とあって、年明けに予定変更になったのです。

 なので、クラシックコンサートが終わったら、今度はすぐに勉強会の準備に取り掛からないとね。

 勉強会…前の門下にはなかったので、私もよく分からないのですが、どうやら“非公開の本番”って感じのようなんです。門下によってやり方は色々でしょうが、ウチの門下は、先生のご自宅(私たちが通っている教室ではなく、先生の本宅の方のレッスン室です。なにせ、先生は、ご自宅を三つほど持ってらっしゃるようなんですね:笑)のレッスン室で行うそうなんです。そのレッスン室、まだお伺いした事はないのですが、門下生が全員入れるくらいの広さなんだそうですよ。なので、そこにY門下とF門下(奥様先生の方の門下ですね)の方々が集まって、ピアニストさんを囲んで“事前練習無し・ピアノ合わせ無し”でいきなり色々な曲を歌っちゃうという本番らしいです。勉強会という名称ですが、内容は“気のおけないサロン・コンサート”って感じになるのでしょうか?

 なので、今現在、レッスンしている曲を歌ってもいいし、以前レッスンで学んだけれど、まだ人前で披露していない曲を歌ってもいいし、あるいは、全くレッスンをしていない曲でもいいんだそうです。ただし、会そのものは非公開。門下のウチウチの親睦も兼ねた勉強会なんです。それにだいたい、ピアノを囲んで歌うのは、勉強会の最初の方で、食事もお酒も出るそうなので、会が進むにつれて、きっとへべれけになるに違いないです(そんなの、公開できるわけないよな)。

 私は何を歌おうかな? これからレッスンで学ぶ二曲は確かに面白いけれど、レッスンでやってもらえないような曲を自分で勉強して、披露するのも良いですね。だって、なかなかプロのピアニストさんに伴奏してもらえるチャンスってないからね。先生がレッスンしてくれない曲と言うと…ミュージカルのソングとか、クラシック・クロスオーヴァーってタイプの曲ですね。その手のジャンルだと、ほんと、歌いたい曲が山ほどある私です。

 ある程度、曲目を決めたら、ブログに発表するかもしれません。

 もっとも、実はこの勉強会の日、まだ私の予定が確定していないんだよね。もしかするとお仕事が入っちゃう可能性もあるので、安心できません。なにしろ、年末年始は忙しいからね。だから、うまくスケジュールを合わせないと、勉強会に参加できないかも。おお、それは勘弁だな。

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2014年10月19日 (日)

旅行に行きたい

 別に私は、旅行が趣味とか、旅行マニアとかではありません。こく普通のインドア系のオタクなオッサンです。旅行はもっぱら、仕事の出張の際にするくらいで、自分から(国内外問わず)積極的にお遠くにお泊まりに行く旅行なんて、絶えて久しいわけです。

 ほんと、プライペートの旅行って、しなくなったよなあ…。いくら私がインドア系のオタクだからと言って、過去において、全く旅行をしなかったわけじゃないですし、旅行が嫌いってわけでもない。いや、基本、乗り物に乗るのは好きだし、知らない場所に行くのも好きだし、お宿に止まるのも、その土地の郷土料理をいただくのも好きです。

 なので、以前は、ちびりちびりと、宿泊をしたり、日帰りだったりと、期間は様々だけれど、それなりに旅行というモノに出かけていました。

 それがほんの10年くらい前から、すっかり出不精になってしまいました。

 ひとつは世帯年収が下がってしまった事。不景気だからね。私の給料だって、下がる一方で増えることはなかったし、妻が前の職場の契約を切られて、今の職場に移り、収入が大幅にダウンしてしまった事などがあって、我が家の家計も、すっかり余裕がなくなってしまいました。

 息子くんの教育費も少しずつかかるようになってきたし、私が音楽趣味を始めたので、習い事の月謝がかかる上に、あっちこっち音楽会を積極的に見に行くようになって、思わぬ出費がかさむようになった事とか、まあ、色々な事が重なって、旅行にお金を使えなくなってしまったのです。

 ああ、見知らぬ土地を歩いてみたいなあ…。

 旅行っていいですよね、楽しいですし、新しい発見もあるし、なにより美味しい(笑)。それに旅行って、日頃の努力とか事前の勉強とか…まあ、あった方がよいだろうけれど…なければ無いでも、十分に楽しめるモノじゃない? また、旅行は、旅行そのものも楽しいけれど、その立案とか、計画を練るだとか、お宿の予約とか、事前の行動もなかなか楽しいし。

 「趣味は旅行です」という方の気持ちが、ちょっぴり分かるような気がします。

 まあ、パスボート一つ持っていない身で、何をごちゃごちゃ言っているんだ!と言われそうですが、なんか、無性に旅行にいきたい今日この頃の私なんです。

 ちなみに、今行きたい場所ベスト3は次の三つです。

 1)四国(お遍路)
 2)父島
 3)指宿

 だったりします。…全部、国内じゃん(笑)。

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2014年10月18日 (土)

どうにも3対1になってしまいます

 たった4尾しかいない金魚ですが、どうも派閥ができているようです。ってか、サクラがハブられているというべきか? なんか、ホノカを中心に、アズニャンとオタキサンはまとまっているのですが、いつもサクラだけ別行動を取っているので、自然と、3対1的になっています。

 まあ、サクラと他の子じゃあ、年齢が違いすぎますからね。色々とつるめないのかもしれません。

 それと、若い3尾はいつも元気一杯なのですが、最近のサクラは、必ずしも元気とは言えない状況が続いてます。やはり、今年の夏が厳しかったのかもしれません。体調が悪そうにしている日が多いですね。もしかすると、仲間はずれになっているのではなく、体調が悪いので、孤立しているだけなのかもしれません。

 サクラと言えば“元気な子”というイメージでしたから、体調の悪さをよく見せるようになって、心配なんですね。早く、落ち着いて元気になって欲しいものです。

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2014年10月17日 (金)

リヒャルト・シュトラウス作曲の歌劇『アラベラ』を見てきました

 クラシック・コンサートの翌日、神奈川県民ホールで行われた、首都オペラ主催によるリヒャルト・シュトラウス作曲の歌劇『アラベラ』を見てきました。

 なぜ見に行ったのか…と言うと、主役のアラベラをF先生(藤井直美さん)が歌われるからです。私は声楽をY先生に習っていますが、発表会や勉強会などのイベントは、Y門下とF門下の合同で行われますので、全く知らない先生ではないし、また、なんだかんだと言いながら、あれこれお世話になっていたりもしますので、そんな先生が主役を歌うのですから、その舞台を見に行かないわけにはいかないですね。

 ちなみに、首都オペラとは、首都圏にあるプロのオペラ団の一つで、比較的新しく立ち上がった団体(1989年に旗揚げ公演してますね)です。横浜を拠点に活動しています。また、キャストはプロの方々ですが、専属の合唱団はアマチュア団体で、随時団員募集をしていますので、私もその気になれば、ここの団体に入って、オペラに出演できるかもしれません(大笑)。

 それはともかく、前日の疲れと風邪の身をおして、出かけました。

 JR石川町で下りて、中華街で食事をしてから、県民ホールに行くつもりでした。

 中華街で、いつも行っている贔屓の店に行こうとしたら、お店が無くなっていました(驚)。調べてみたら、1年ほど前につぶれてしまったそうです、ううむ残念。仕方がないので、その近所をウロウロして、私が学生時代から見かけていた店(つまり、昨今できたばかりの新規店じゃない店)に入ってみました。

 中華街って、お店によって味の傾向が全く違うので、どの店に入ってもいいというわけでもないし、昨今はやりの激安店とか食べ放題の店には入る気がしなかったので、いわゆる老舗っぽい店に入ったのですが、なんか私が求めていた味とは、ちょっと違いました。私が食べたいのは、こういう味じゃあないんだな。

 一言で中華料理と言ってみても、ほんと、店によって味の傾向は大違いです。

 私が愛していた店は、広東系の味付けの店で、海産物の扱いが上手で、特にエビが美味しくて、エビが売りのお店でした。今回入った店は上海系の店だった事もあって、だいぶ感じが違いました。私はどうも上海系の味付け…というか風味が苦手かもしれません。

 まあ、仕方ないです。これだけお店が並んでいると、なかなか自分の好みにピタリと合う店を見つけるのは大変です。だから、そういうお店を見つけたら、ついついそこばかりに行ってしまうわけだけれど、その好みの店が無くなってしまうと…またまた中華街ジプシーになってしまうわけです。若い頃は、そんなジプシーも楽しかったのですが、今はなんか億劫です。新しいお店を発見するよりも、確実に好みの店に通いたい…そんな気分です。

 という訳(笑)で、なんか割り切れない感じで空腹を満たしたところで、会場の県民ホールに着きました。

 入り口に入ると、さっそくY先生に声をかけられました。何でも、Y先生は今回のオペラには出演していないので、F先生のマネージャー役をやっているのだそうです。ま、マネージャーと言っても、あれこれ色々な人たちに声をかけて挨拶をしまくる仕事なんですね。我々のような素人の生徒さんはともかく、業界関係者(とりわけエライ人)に声をかけて挨拶をして顔をつないでいくというのは、自由業の方々にとっては、とても大切な事ですからね。Y先生、頑張ってください。

 会場に入りました。私たちの席は、ホールの中央ブロックの中央部。一般的には“すごい良い席”です。オーケストラを聴くならベストの席ですが、オペラだと、どうでしょうか? すこし、舞台から遠くないかな? 客の入りは…まあまあでしょうか? 1階の奥の方にはチラホラ空席があります。2階3階は確認していませんが、この広い県民ホールにこれだけ客を集めるとは、なかなか立派なモノだと思います(チケットを売るの、大変でしょうね)。

 当日のキャストは、こんな感じでした。

 アラベラ    藤井直美
 ズデンカ    渡辺文子
 マンドリカ   安藤常光
 マッテオ    佐々木洋平
 フィアカーミリ 梅津 碧
 指 揮     中橋健太郎左衛門
 演 出     佐藤美晴
 管弦楽     神奈川フィルハーモニー管弦楽団
 合 唱     首都オペラ合唱団

 肝心のオペラですが、アラベラ自体がマイナーなオペラなので、良いも悪いもなく「珍しいモノを見させていただき、ありがとうございました」って感想かな? まあ、正直、作品自体は、そんなに面白いモノではありません。なんか、音楽が小難しいんですよ。なにしろ、リヒャルト・シュトラウスだし、20世紀のオペラだし、ドイツ・オペラだし…。

 で、ストーリーの方は『ズデンコ君が、実はズデンカちゃんでした』という“どんでん返し”があるくらいで、後は陳腐な求愛モノですからね(その癖、細かいストーリーはよく分からない:涙)。話の内容に期待しちゃいけません。

 たぶん、このオペラって、通の方々が喜ぶタイプのオペラなんだと思います。私のようなトーシローは「F先生、頑張ってるなあ」とか「舞台装置が夢々しいなあ」とか「衣装も頑張ってるじゃん」とか、そういう観点でしか楽しみを見いだせませんでした。

 正直言って、私、第1幕は半分ぐらい寝ちゃいました(笑)。私の隣の老夫妻は第3幕が始まる前に帰られました。まあ、そんなモンです。

 まあ、今年はシュトラウスイヤーだそうですからね。こういう珍品オペラの上演もアリです。

 作品そのものは、それほど面白くなかったのですが、出演者の皆さんを始め、スタッフの頑張りはよく伝わりました。

 それにしても、ホールは広いし、オーケストラは大きいので、歌手の皆さんは、ちょっと可哀想でした。主役クラスの方々はともかく、いわゆる脇役の方だと、声が私のところまで届かずに、手前のオーケストラの音にかき消されていました。合唱(というよりも、声楽アンサンブルと言った方がいいくらいの人数でした)もよく聞こえなかったし…。まあ、それだけリヒャルト・シュトラウスのオペラを歌うのって、難しいんだろうなあって思いました。

 その難しさを踏まえて言うなら、ほんと、主役の方々は頑張っていました。よく、あれだけ、地味で難しい歌を歌えたものです。ほんと、脱帽です。プロってすごいなあって思いました。

 舞台装置も頑張ってましたね。日本のオペラって、金欠だし、大道具用の倉庫もないし、上演期間がごく短期間なので、舞台装置にお金をかけられないものなのですし、実際、この公演でも、そんなにお金をかけたモノではなかったと思いますが、低予算ながらも舞台に大きな階段を作ってみたりと、本当に頑張っていました。私は、こういう頑張りって、好きだったりします。

 衣装はソリストはもちろん、合唱の人たちまできちんと統一されていましたし、ヘアメイクもバッチリでした。小道具はだいぶ省略されていたかもしれませんが、特に気になりませんでした。そういう点では、普通のオペラ公演でした。でも、こういう普通のオペラ公演を実現するのって、とても大変なんですよね。だから、スタッフさんたちは、よく頑張ったと思います。

 今年は演目に恵まれなかった…という事にしておきましょう。来年の首都オペラの公演は、9月4~5日に『トゥーランドット』をやるそうです。今度は楽しめそうですね。私は見に行くかどうかは…まだ未定ですが(笑)…ってか、チケットが入手できるかどうかが不安。実は去年は『アムレット』だったのですが、気づいた時には、チケットが無かったんですよ。なので、来年は『トゥーランドット』ですから、気づいたらチケットはありませんでした状態になる恐れ、大です。見に行くなら、早め早めに関係者に声をかけておかないと…。

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2014年10月16日 (木)

2014年クラシックコンサートに出演してきました その3(音源付き)

 私のソロの出番が終了するや否や、妻は衣装替えに行きました。その間に2組(1人と1団体)が演奏しました。1人の方は…すごいんですよ。この時は声楽で、ルチアのアリアを歌ったんですが(それがなかなか上手なんです)、今回のコンサートではこの方、他にピアノとヴァイオリンも演奏したんです。一人で、楽器を替えて3枠出場です。すごいですね。それを知ったピアニストさんは「1日中、音楽をやっているのかしら?」と言ってましたが、たぶんあの人、元々才能のある人で、そんなに練習ばかりやっているわけじゃないんじゃないかと…私は推測しました。でなきゃ、三つの楽器も披露できませんって。さて、真実はどうなんでしょうね。

 もう一団体の方は、声楽アンサンブルと名乗る合唱団でした。合唱の方々の発表会は、別の日に賑々しくやっているんだから、そっちに出場すればいいのに…なんて、合唱の方で役員をやった経験のある私は、そんなふうに思いました。

 さて、妻が、キンキラキンのピンクの衣装から、ピカピカの白い衣装(ほとんどウェディング・ドレスだね:笑)に着替えてきました。私たちの順番がやってきました。ヴェルディ作曲の歌劇「椿姫」第三幕の二重唱「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」です。

 妻を先頭に舞台に飛び出て、呼吸を調えて、ピアニストさんに合図を送ります。私は右手で妻を抱きかかえます。いよいよ音楽が始まります。

 歌った感じは…こんな感じになりました。正直、出来はヒドいですよ(涙)、もしも聞くなら、覚悟して聞いて下さいね。苦情は受け付けますが…メンタルは弱いので、そこんとこはよろしくね(笑)。

 まあ、歌いきれた…とは言いがたいかな? やはりY先生に「お薦めしません」と言われた難曲だけあって、きちんとは仕上がらなかったです。実に、不出来な二重唱となりました。記録と言うよりも、記念としてアップしておきます(笑)。

 まあ、こんな出来で、その場にいたお客さんたちは災難だったかもしれない(申し訳ない)けれど、私的には経験値はアップしたから、それで良しとしよう。

 今年歌った歌の出来は、正直、そんなに誉められたものでありません。ザックリ言っちゃえば「まだまだ」ってレベルです。しかし、来年になれば、これらの歌が今年よりも上手に歌えるようになれる保証もないし、来年まで元気で歌っていられる保証もないのだから、歌いたい歌は、歌える時にさっさと歌ってしまおうというポリシーの元、無理めの歌でも歌っちゃいました。悔いがないわけではないので、チャンスがあったら、そのうちリベンジしましょう(笑)。

 今回のクラシックコンサート。準備期間はだいたい三ヶ月でした。来る日も来る日も毎日毎日練習して、やっと本番を迎えると…ほんと、あっという間に終了です。なんか、あっけないくらいに本番が終わっちゃいました。

 これで、今年の本番は終了。ご苦労様でした。

 ピアニストさんにお礼を言って、ホワイエに行きました。私たちを聞きに来てくださった方がもしもいらっしゃったら、お礼を言おうと思ったわけです。

 ネット関係では、遠路はるばるBEEさんが来てくださいました。感謝です。また直接お会いできなかった方もいらっしゃったようですが、感謝です。私すとん、今後共、精進を重ねて参りたいと思います。

 お客様への挨拶が終わると、舞台衣装からさっさと普段着に戻って、軽食を食べました(笑)。いやあ、本番後って、無闇にお腹が減るんですよね。で、空腹を満たしたところで、再び会場に戻って、今度は妻の友人たちが歌うので、客席で聞きました。

 皆さん、お上手な方は、本当にお上手ですね。そうでない方も、それなりに感動しました。どんな歌い方であれ、そこにその人の人生が見え隠れするのが、アマチュア演奏の良い所だと思います。

 ひと通りの演奏が終わって、帰路に着くと…ドッと疲れが出ました。なんか、帰宅するのも億劫な感じです。前を向いて歩いていられない…みたいな疲れ方でした。本番の時は忘れていた、頭ズキズキとか、ノドがヒリヒリとかの感覚が戻ってきました。無闇に眠くてたまりません。ああ、そう言えば私、今朝、風邪をひいたんだっけ…忘れていたよ。

 自宅に戻ると(会場から徒歩10分なんです:笑)、さっそく入浴です。一日の汗を流すと、カラダの芯からデロデロデロ~って感じで、余計に疲れが出てきました。でも、カラダは疲れましたが、気持ちは晴れやかでした。一仕事終えたって感じです。今回のコンサートは、まあ色々あったけれど、自分的には、結構満足しています。出来はともかく、今現在の100%の力を出せたかなって思いました。なので、うまく行かなかった部分は、決して不運などではなく、実力不足なんだから、これはこれで仕方ないです。今回得た教訓は、また来年の本番に活かす事にしましょう。

 とにかく、本日のお疲れは、本日のうちに取らないとね…と言うわけで、さっそく、翌日に備える私でした。翌日は…ひさしぶりに、オペラの生公演を観に行くんですよ。体調を調えないと…。

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2014年10月15日 (水)

2014年クラシックコンサートに出演してきました その2(音源付き)

 ステージ衣装に着替えて、舞台袖に入りました。私が舞台袖に持ち込むのは、楽譜とお茶と老眼鏡です。

 楽譜はお守り代わりです。と言うのも、出演直前って、なぜか急に歌詞が思い出せなくなって不安な気分になったりするので、そんな時に楽譜をすぐに見て安心するためです(舞台では暗譜で歌ってます)。実は昨年、舞台袖に手ぶらで入ったら、急に歌詞を忘れてしまい、でも確認する手段がなくて、そうしたら、いきなり不安な気分に陥ってしまったため「ああいうのは、もうごめんだな」って思ったので、今回は楽譜を持ち込みました。今回も「あれ?」と思う瞬間は何度もあったので、その都度、楽譜確認が出来て嬉しかったです。やはり、舞台袖に楽譜を持ち込む事は、精神衛生上必要かもしれませんね。ちなみに老眼鏡は…せっかく楽譜を持ち込んでも、老眼鏡がないと楽譜が見えないので、楽譜のお供として持ち込みました。

 私は本番に強い男と言われています。人前で歌うくらいで平常心を失ったりするのは、ありえないと思っていたのですが、今回はかなり違いました。

 舞台袖に入る少し前から、気分が悪く、舞台袖で控えている時は、頭痛はするは(汚い話ですが)吐き気がしていました。その吐き気を我慢しているうちに、段々息苦してなって、ノドがイガイガしてきました。こりゃマズいと思って、舞台袖から防音扉の向こう側の廊下に出たら、思いっきりゲホゲホやっちゃいました。

 なんか、まるで本番に弱い新入り君みたいになってしまいました。そんなわけで、自分の本番直前まで、頭痛と吐き気とノドのイガイガに苦しんでいた私です。「ああ、なんか急に、本番に弱い、子犬のようなオッチャンになっちゃったなあ(涙)」と思っていた私ですが、考えてみれば、この時の私、風邪ひいて調子が悪かったんですよね、忘れてたけれど(爆)。

 本番は、妻のソロが先です。彼女のステージが終わった直後、入れ替わりに私がステージに出ます。

 妻と一緒に戻ってきたピアニストさんを迎えて、改めて「よろしくお願いします」と頭を下げて、ステージマネージャーさんが「どうぞ」と言う声と同時に、笑顔を作って舞台に飛び出しました。

 ピアニストさんの方を振り向いて、タイミングを合わせて一緒に頭を下げて、すぐに精神統一&音楽の神様の降臨を待ち望みます。それまで、舞台には背中を向ける私です。

 神様がふうっと降りてきたら、ピアニストさんに合図を送って、最初の曲であるダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」を歌い出します。この曲はイントロが1音しかないので、歌い出しはピアニストさんの方を向いた状態から、客席に振り向く最中に行います。うむ、かっこいいでしょ(笑)。

 歌いながら、次の歌詞の事ばかりを考えます。なにしろ、この歌は、気を抜くと、すぐに歌詞がこんがらがってしまいますからね。でも本番では歌詞チェックばかりじゃすみません。、自分の発声はどうだろうか? 響きは下がっていないだろうか(少し低いかも…)? ほんの少しだけ、響きのポイントを上げてみましょう。ああ、いい感じになった。

 なんて事をしていたら、さっそく歌詞が飛びました(涙)。それも普段は絶対に間違えない1番の歌詞を間違えました。とっさに帳尻合わせです(笑)。一度間違えると、気持ちが動転してしまって、ミスが続きます。ガタガタです。それらを直しているうちに、1番は終わってしまいました。ふう…2番からは、なんとか平常心で歌い切りました。いやあ、出だしで穴に落ちるとは…不覚だね。

 でも「来たれ、今いちど」は無名な曲ですから、私が歌詞を間違えたところで、おそらく誰も気づいてはいないでしょう。しめしめ。

 一曲目が終わって、一呼吸置いたら、もう次の曲です。次は、トスティ作曲の「Ideale/理想」です。

 この曲は、私の前の前の人(つまり妻の前の人)が歌ったばかりの曲なんですね。観客は、数分前に同じ曲を聞いているわけで、私が歌えば、当然、その人の歌との比較になるわけですが…「よっしゃあ、それならこれでどんなもんだい!…」という気分で歌ってみました。

 その時の音源がこれです。

 どうでしょうか? いい感じでしょうか? まあ、終盤、色々とやっちゃってますが、私がすんなり歌い終えたらつまらないでしょ。これはこれでご愛嬌って事で(笑)。

 歌い終えたら、なんか肩の荷がいっきに下りたような気がしました。舞台袖に戻ると、妻が出迎えくれました。で、一言二言会話を交わすと、彼女は急いで楽屋に戻りました。そうなんです。間に二人ほど挟んだら、今度は二重唱を歌います。彼女は、衣装替えをするので、急いで楽屋に戻った…というわけですね。私とピアニストさんは、そのまま舞台袖に残りました。

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2014年10月14日 (火)

2014年クラシックコンサートに出演してきました その1

 さて、クラシックコンサート当日になりました。

 私が朝起きて、まず最初に気づいた事は「なんか、頭が痛い…。それもかなりズキズキ痛む」って事でした。

 「え! もしかして…風邪ひいた?」

 昨日まで、疲れてはいたけれど、あんなに元気で絶好調だったのに、いきなり風邪ひいた? それも本番当日の朝? 信じられない!

 とにかく、ズキズキする頭を抱えて、書斎に下りたところ、なんかノドに違和感がありますし、タンが多めに分泌しているみたい。で、何も考えずに、習慣的な動作で“のどぬーるスプレー”を噴出したら…飛び上がるほどにノドが痛かった! うげー、何、この痛み(涙)。

 この瞬間、私のノド風邪確定です。やはり、前日に1時間のリハーサルなんて、調子ぶっこいてやったのが悪かったのかな? いやあ、マズいぞ、マズいぞ。

 とにかく、いそいで発声練習をして、声を確認してみました。うむ、声は重い。高音は出しづらいけれど、中低音はむしろ厚ぼったい声がして、いいかも。どうやら、風邪の引き始めで、適度に声帯が充血しているかも…。無理をしなければ、これはこれで良いかも…なんて、楽天的に考えちゃいました(レッツ・ポジティブ・シンキング~!)。

 とにかく、鎮痛剤のバファリンと、ノドの薬の(自宅在庫の)響声破笛丸を飲んでみました。これでダメなら、あきらめよう(笑)。

 朝食は…なんとなく、うどん。レース本番は炭水化物を取るものでしょ(それはマラソンの話かも:笑)。一息ついて、舞台衣装などを入れたスーツケースをゴロゴロと転がして、会場に到着したのは、午後1時半ぐらいでした。私の出演時刻は、午後4時半前後ですから、3時間前の楽屋入りというのは、普通の行動ですね。

 とにかく、会場入りして、楽屋に荷物を置いたら、ホールのホワイエに行きました。何しに? 体操をしに(笑)。

 本当は体操なんて、楽屋でするべきなんだろうけれど、楽屋って狭いし、物音をたてちゃいけない事になっているので、ホワイエに出てみました。ホワイエは広いし、じゅうたん敷きだし、多少音を出しても平気だし…。なので、ホワイエでじっくりと体操をやりました。時間にして30分くらい? いやあ、カラダをゆるめると言うか、歌えるカラダにするには、体操の30分ぐらいは必要でしょう。

 ゆるゆると体操をして、カラダも適度にゆるみ、温まったので、客席に入って、演奏をちょっと聞いて時間調整をして、音出し部屋に行きました。楽屋では音を出してはいけない代わりに、音を出しても良い部屋というのが、別に用意されています。ちなみに、1団体(1枠)10分ずつ。私は妻と合わせて3枠いただいているので30分、音出しができます。

 音出し部屋に移動する途中、あっちこっちで挨拶を受けました。それを見ていたピアニストさんが不思議そうな顔をしていましたが…リアルな私って、実は地域の有名人なので、私が向こうを知らなくても、向こうが私を知っているというパターンが多いんですね。なので、こちらを見ている人が“私、この人知っている”オーラを出し始めたら、私はニコニコして挨拶を受けて返事をする体勢に入るわけです。

 実際、この日、挨拶を受けた人のほとんどは私の記憶にない人でした。ま、これも人生の処世術ってヤツです。妻にとってはいつものことですから慣れっこですが、ピアニストさんは、そういう場面に出くわさないので、かなりビックリしていて、面白かったです。

 音出し部屋に着くと…私の前の団体は…去年ちょっともめた例の団体でした。こりゃあ、追い出しにエネルギーが必要だなあと覚悟を決めていたら…時間は守ってくれなかったけれど、私が「時間になりました!」と言いながら部屋に入っていったら、まるで蜘蛛の子を散らすように解散をして、場所を開けてくれました。まあ、文句はないけれど、なんか変な感じでした。

 とにかく、時間もないので、ひと通り歌って、必要なところだけを返すことにしました。

 本番当日にも関わらず、まだ歌詞が飛んだり、間違えたりしました(汗)。まあ、それは焦っても仕方ないです。本番までの短い時間で、もう一度楽譜を点検して修正作業が必要ですね。

 私の当日リハでのチェックポイントは、今現在の体調でどれだけ頑張れるか? どこまで無理が効くかの見極めです。

 その結果、トスティ作曲の「Ideale/理想」は、曲の最後に控えている高音Aを使ったバリエーションは、普段ですら危ないのに、こんな体調の日では、歌えるはずもないので、回避決定。もう一つのバリエーションは…なんとかいけそうです。

 ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」は、音程的には問題ないだろうけれど、鎮痛剤のせいか、今ひとつ頭が冴えないので、いつも以上に歌詞については気をつけないとね。

 問題は、ヴェルディ作曲の「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」かもしれない。こっちは、メロディに普通にAbが出てきます。曲の中盤までのAbは対応できるけれど、曲の終盤のAbは、ちょっと厳しいかも。その時は、仕方ないので、三度下げて和音的に無理のない音にして歌うことにしました。いやあ、これが門下の発表会だったら博打を打っちゃいますが、今回はアウェーのコンサートですからね。あんまり博打を打って外したら、先生に恥をかかせてしまうので、ちょっとばかり安全策を取らせていただくことにしました。申し訳ない。

 で、声出しをたっぷりとやっても、20分しか使いませんでした。本番直前で、無駄に声を減らしても仕方ないので、歌は20分だけにして、残りの10分はピアニストさんのピアノの練習時間にして、私たち歌手は体操に励みました(暇さえあれば、体操ばかりしております:笑)。

 声出しが終わって、楽屋に戻ると、自分の出番まで、あと約1時間ってところです。なので、ゆっくりと着替えにかかります。ステージ衣装って、着替えるのに、結構時間がかかるんですよね。特に私は、カフスボタンが苦手なので、袖口をとめるだけでも、10分以上の時間をつかっちゃいますので、なんか時間かかかってしまいました。

 全部を着替え終わると、すでに30分近い時間を使ってしまいました(大笑)。着替え終わって、ちょっと客席に行って、自分用の録音機をセットして、舞台袖に行きます。舞台袖には、すでに妻とピアニストさんが待機していました。いよいよ、本番ですね。うふふ、楽しみ楽しみ。

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2014年10月13日 (月)

いよいよ前日リハーサルとなりました(音源付き)

 話は、クラシックコンサートの前日から始まります。

 私は、仕事を早めに終えて、ヘロヘロな状態で、前日リハーサルに向かいました。まあ、前日リハーサルと言っても、舞台が解放されているだけの、野放し、放し飼い状態のリハーサルで。別に主催者側の人がいるわけじゃないし、会場側の人がいるわけじゃないし、本番当日の段取りの確認をするわけでもありません。事前にリハーサル順番のタイムスケジュールが渡されているので、それに従って、順番に出演者たちがホールにやってきて、互いに遠慮しつつ、舞台を使用して自分たちのリハーサルをするだけモノなんです。

 正直な話をすると、前日に歌うのは、声が減るからイヤなんですよね。でも、事前に本番会場で歌っておく事は大切ですから、イヤだイヤだと思いながら行ってしまうのですが…。

 できれば、事前のリハーサルは、当日の午前中に行うとか、数日前(できれば一週間ぐらい前)に行ってもらえると良いのですが、出演者がやたらと多い事と、主催者には主催者の考えがあるわけです。それに、リハーサルの基本姿勢が「会場でのリハーサルは、前日に行います。希望者は三々五々やってきてリハーサルをしてください。別に無理にやらなくてもいいです」というスタンスなのです。それを知った上で、自分の希望で前日の夜のリハーサルに参加しているのですから、まあ、文句は言えませんね。

 でも、歌い慣れたホールとは言え、やはり本番前にステージでの歌唱を確認しておく必要はあります。特に、普段狭い部屋ばかりで歌っているので、ホールのような大きな空間では、ついつい歌いすぎてしまうので、本番の時に歌いすぎないようにするためにも、絶対に事前のリハーサルは必要です。

 とにかく、帰宅してすぐに軽く発声練習をして、そそくさと会場に向かいました。

 今年は、私たちの前の順番の方が、普通の常識人でよかったです。ちゃんと交代時間の1分前に舞台をあけてくれました。昨年の私たちの前の団体さんは、ちょっと熱くなりすぎて、自分たちの事しか見えず、平気で時間をオーバーし、なおかつ、時間だから明け渡してくれと言っても、なかなか渡してくれず、あげく、態度がすごく悪くて、悪態までつかれちゃいました。別に時間をオーバーして、私たちの練習時間に五分近くも食い込んだから追い出しただけなのに…ほんと、不愉快になりました。ああいう人がいるんだから、本当は主催者なり会場の人なりがいて、きちんと仕切って欲しいと思うのですが(涙)…。でも、今年はほんとよかったです。

 リハーサル時間は、昨年は1団体(1枠で)10分だったんです。それなのに5分もオーバーして、こっちに食い込むってのは…ダメでしょ。昨年は妻がエントリーしていたにも関わらず、直前で出演回避となったため、私一人で2枠のリハーサル時間(私の分と、本来の妻の分の合わせて2枠。つまり20分)があったので、まあ、なんとかなりましたが、それにしても、自分が時間を食い込まれたからと言って、次の人の時間に食い込むわけにはいかないですから、ほんと、昨年は納得いかなかったです。

 今年の私たちは、3枠(それぞれのソロの枠と、二重唱の枠で3枠ね)確保しているし、リハーサル時間も1枠で20分ずつになったので、なんと1時間もリハーサル時間があったので、ほんと、ゆっくりとたっぷりとリハーサル…ってか、会場でのピアノ合わせができました。

 ほんと、ホールってのは、広いね。こんな広い場所で歌うのは、本当に久しぶり。普段の練習は、自宅とか先生の教室とかで行っているのですが、いずれも場所としては狭いんですね。狭い場所でばかり歌っていると、狭い場所なりの歌い方になってしまいます。で、そんな狭い場所なりの歌い方のまま、広い場所で歌うと…そりゃあ色々とダメです。

 例えば、会場が広いと、狭い部屋と比べれば、当然、返しが悪いです。返しが悪いから、ついつい無意識に大きな声で歌ってしまいがちです。で、ノド声になってしまい、ノドを痛めてしまいます。しかし、いくら会場が広くても、ちゃんとしたホールですから、舞台の上では心細く感じても、声ってきちんと客席に届くんですよね。そのあたりの確認と安心を得るためにも、事前に本番会場で歌う事は大切です。

 と言うよりも、日頃、狭い場所で練習ばかりしているので、その感覚で歌ってはいけないって事でしょう。

 会場のピアノがあまり良い楽器ではなかったそうで、ピアニストさんが苦労していました。いわく「鍵盤が重い」「鍵盤の戻りが鈍い」等。ピアノは他の楽器奏者と違って、絶対に自分の楽器で本番を迎えるわけにはいきませんから…。いつでも、その会場に置いてある楽器を使うしかないわけで、良い楽器が置いてあれば嬉しいけれど、ダメな楽器ならダメな楽器なりに弾くしかないわけです。

 しかし、このホールには、グランドピアノって、2台常設してあるのに、なんで古い方のピアノを本番で使うんだい?

 本番ピアノの感触を確かめるのも、前日リハーサルでは大切な事です。

 しかし、リハーサルとは言え、舞台で歌うと色々ありますね。いつもは間違えないところで間違えたり、歌詞が(やっぱり)飛んじゃったり…ね。ピアニストさんとは「歌詞が飛んじゃって、修復が不可能になったら、そしらぬふりして黙って“今は間奏です”って演技をするから、気にせず弾いちゃってください」と頼みました。へへへ。

 でも、うっかり失敗するのは私だけじゃないですよ。3番まであるのに、勘違いして、2番でピアノの演奏が止まった時は、さすがに私、うろたえました(笑)。

 リハーサルでは、いっぱい失敗しました。いっぱい失敗して、あれこれヘマって、ヘマをやりつくしたかなって感じになりました。やっぱり、平日の夜のリハーサルって、こんなもんですね。

 私はまだまだ歌がブレていますので、どの曲も歌うたびに表現が変わっていきます。変わっていくものだから、ピアニストさんが、それについていくが大変なのが伝わってきます。

 でも、歌う事って表現でしょ? 表現するって、人間の根源的な欲望なわけで、欲である以上、常に「もっと、もっと」となるわけです。本番当日になっても、まだブレているのは、本当は良くないのかもしれませんが、本番になっても、まだまだベストを目指しているんだと思って勘弁してもらってます。

 まあ、ソリストなんて、そんなモノですよね。わがままで、オレサマなんですよ。

 今回のピアニストさんは、よく合唱の伴奏もされるそうですが、合唱の伴奏は予定調和になる事が多いけれど、独唱の伴奏は毎回毎回違うので、なんか緊張しちゃう…んだそうです。はい、当日の本番では、たっぷり緊張しちゃってください。

 リハーサルも、最初はどうなるものかと思いましたが、終盤に向かうにつれ、会場に慣れてきた事もあって、終わりの方で歌った曲は、なかなかの出来になったと思います。この水準で本番も歌えれば、もう幸せなんだけれどなあ…。

 と言うわけで、次は泣いても笑って、本番。クラシックコンサートだな。

 最後に、リハーサルで歌った、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」の音源をアップしておきます。リハーサルとは言え、本番と同じ会場で同じピアノで歌いました。ただ、本番と違うのは、お客が妻一人だったという事…かな?

 なんで、リハーサルの音源をアップしたのかと言うと…実はこの曲、本番では歌詞を大幅に間違えちゃったんですよ(笑)。ライブ会場ならともかく、録音となると、やっぱり歌詞は間違えていない方がいいでしょ? と言うわけで、この曲に関してはリハーサル音源で勘弁してください。

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2014年10月12日 (日)

なんか、とんでもない事が起こっているようです

 クラシックコンサート関係の記事は、ただ今、鋭意執筆中でございます。明日あたりからアップできるといいなあ…なんて考えております。

 なので、今日は通常のエッセイ記事を掲載しますが、これはこれで時期を外しちゃいけない話題なのかもしれません。

 ただ今、日本の産経新聞が自社のウェブサイトに掲載したコラムが原因で、同社のソウル支局長(当時。現在は東京本社への異動となったそうです)さんが、韓国で在宅起訴され、出国禁止状態となっています。

 そのコラムと言うのが「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」というモノで、これは韓国の朝鮮日報という新聞に、2014年7月18日に掲載された記事「大統領をめぐるウワサ」を紹介したモノです。

 産経に掲載されたコラムの構造って、韓国の代表的な新聞(朝鮮日報)に掲載された記事を、日本の新聞社(産経新聞)が引用しつつ紹介し、それに産経新聞の意見を付け足したコラムとなっています。

 詳しくはリンク先の当該コラムを読んでいただければいいのですが、簡単にザックリと内容を紹介すると…、

 韓国の朝鮮日報によると、セウォル号事件の時に、朴大統領が7時間に渡って行方不明になっちゃったそうです。で、その7時間の間に、大統領が男性と密会していたらしいという記事が韓国で出たよ。どうも不倫らしいし、その男性の名前も実名報道されているよ。真偽はともかくとして、そんな記事が出るようじゃあ、朴政権はすでにレームダックだよね。

 という事なんです。つまり、朝鮮日報の記事を紹介しつつ、そういう記事が新聞に掲載されるようでは、韓国政権もかなりやばいよねという、コラム記事だったわけです。

 この産経新聞のコラムに対して、韓国は韓国国内法である「情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法律」に違反しているとして、産経新聞社の前ソウル支局長を、在宅起訴し、検察当局での複数回に渡る取り調べと、軟禁状態とも言える出国禁止措置にしているわけです。

 で、どうやら韓国側が法的な根拠としてあげているのが、同法第44条(情報通信網での権利保護)にある

>(1)利用者は、私生活侵害または名誉毀損等他人の権利を侵害する情報を情報通信網で流通させてはならない。

 と、同法第44条の7(不法情報の流通禁止等)にある

>(1)何人も、情報通信網を通じて、次の各号のいずれかに該当する情報を流通してはならない。
>2. 人を誹謗する目的で、公然と事実や偽りの事実を暴露して、他人の名誉を毀損する内容の情報

 という部分らしいのです。つまり「ネットで他人のプライバシーを公表しちゃダメ」と「ネットで他人の名誉毀損をしちゃダメよ」という、まあ条文そのものは、至極まっとうなモンです。

 でもね…

 “外国の新聞社が、外国のサーバーを利用して、その国の言葉で、その国の人々に向けてアップした記事”について、国内法を適用しちゃうって、そもそも、おかしくない?

 確かに他人の名誉を傷つけるは良くないけれど、朴大統領は公人であって、その公人の執務時間内の行動に関して、それも緊急な事件(セウォル号沈没)が起きた時の行動に関して、その国の報道機関が取材をした記事を、引用して報道するのは、当然じゃない?

 元々の記事は、韓国の新聞社である朝鮮日報が韓国国内で韓国人に向かって韓国語で発行した記事なのに、その朝鮮日報には何のお咎めもなく、それを引用した産経新聞社だけが、違法に問われるって、法の適用方法がおかしいでしょ? 問題にするなら、産経新聞ではなく、引用元のオリジナルの記事を書いた朝鮮日報の方でしょ?

 自国の政権にとって不都合な事を書いたからといって、報道機関とそこに属する人が法に問われるって、自由民主主義の原理原則である、言論の自由はどこに行った?

 言論の自由が犯されていると言うのに、なぜ韓国のマスコミ一同は黙っている? 報道機関としての矜持はどこに行った?

 日本を含めた諸外国のマスコミや政府関係者が、今回の件に関して韓国に申し入れをしているにも関わらず、一向に態度を変えない韓国社会って、何?

 韓国は国をあげて反日で、日々、テレビラジオ新聞で、日本国、および、日本の天皇陛下、日本の総理大臣に関する、有る事無い事を垂れ流していて、当然、名誉毀損に類する報道だって、連日連夜行っているわけだけれど、それに関しては全く問題にしていないどころか、反日を奨励しているわけだけれど、そういうふうに他国のトップとか指導者の事は、平気で毎日のように悪く言っているのに、自国のトップに関しては、たとえそれが事実であっても、醜聞のたぐいは一切報道まかりならぬ…という韓国の態度って、ダブルスタンダードで、おかしいでしょ?

 とにかく、ありえないほど、おかしな事が起こっています。

 もしかすると、実は単純な話なのかもしれません。

 韓国の日々の反日活動の一つとして、日本の右翼系(笑)新聞である産経新聞に対して、いじわるしているだけなのかもしれません。なにしろ“愛国無罪”って公言しちゃう人たちですからね。で、思わずやりすぎちゃって、世界中から「やりすぎだろ?」って言われても、いまさら振り上げた拳をどうおろしてよいかが分からず、未だにボコボコにし続けているだけかもしれませんが…。

 それにしても、今回は、そのやり口がひどすぎます。

 まず、一刻も早く、前ソウル支局長さんを日本に帰国させてもらわないと…。出国禁止にして、何度も当局によびつけるなんて、いやがらせ以外の何モノでもないですね。彼らって、言論の自由ひとつ守れない人々ですからね~、前ソウル支局長さんの人権とか身柄の安全とか、どの程度、保証されているのでしょうか。

 今回のおかしさは、仁川のアジア大会(これも相当におかしかった)どころの騒ぎじゃないですよ。やっている事は、独裁国家も真っ青な情報統制&身柄拘束でしょ? これをやっちゃあ、さすがに韓国は、もはや民主主義国家とは言えないじゃないの? ある意味、現在の韓国って、日本人にとっては、中国よりも、北朝鮮よりも、危険な国なんじゃないの?

 よく「話せば分かる」と言いますが、この国とは話しても話しても、絶対に分かってもらえない気がします。

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2014年10月11日 (土)

なでなで金魚

 さて、本日の私は本番でございます。夕方、下手くそな歌を披露することになるはずですので、ネットの向こうからのご声援をよろしくお願いします。また、本日の様子等は、記事が書き上がり次第(来週かな?)アップしますので、しばらくお待ち下さい。

 と言うわけで、本日はいつもどおり“金魚”記事で参ります。

 最近、サクラは水面近くにいる…と言うよりも、水面から、頭や背中を出している事が多いのです。

 水面に頭を出しているので、ついつい、頭をなでたくなります。…で、頭をなでちゃうわけなんですが、サクラは頭をなでられても嫌がりません。それどころか、なんか喜んでいるようなんですね。結構、ずっと頭をなでさせてくれます。

 ちなみに、サクラの頭は、肉瘤があるので、ブヨブヨで、決してなで心地が良いわけではありませんが、私も楽しいし、サクラも嬉しいようなので、まあいいかと思っている次第です。

 普通の金魚は、頭をなぜさせる以前に、人の手が近づくだけで、慌てて逃げ出すのが普通なのに、逃げずに頭をなでさせるなんて、ほんと、サクラはかわいいヤツです。

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2014年10月10日 (金)

さあ、後は本番を待つだけだ!

 声楽のレッスンの続きです。

 ピアノ合わせの順番は、本番で歌う順番に行います。最初は、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」です。

 ひと通り歌い終えて、先生から注意された事は、大きな声はいらないから、正しい音程で歌って下さいって事です(汗)。同じ音程の音が続く時は、一回一回、音を取り直しながら歌わないと音程が下がるよ、とも言われました。まあ、先生的には、この曲は“そこそこ歌える曲”って感じのようです。

 でも、実は私、この曲の歌詞、未だにきちんと暗譜できてません。

 どうやら、私は、有節歌曲が苦手みたいなんです。繰り返す同じメロディーに、そのたびごとに違う歌詞が載ってくるのが有節歌曲なんです。いわゆる、1番、2番、3番…って構造になっている曲ですね。

 同じメロディを何度も繰り返し、そのたびに歌詞が変わるわけです。一つのメロディに複数の歌詞が関連づけられるわけなんです。音楽が何度繰り返されていても、メロディと歌詞の関係が1対1の対応になっていれば、暗譜も簡単なんだけれど、有節歌曲では、それが1対多の関係になっているので、頭の中があっちこっち、グチャグチャになってしまうんですね。

 レッスンでは、楽譜をガン見しながら歌っているので、そのあたりの困難さが表面に現れませんが、これで楽譜を外すと、歌いながら無意識に路線変更(笑)をしてしまい、1~3番の歌詞が勝手に入り混じってしまい、目を宙に泳がせながら歌う羽目に陥ります。で、その当然の結果、歌詞間違えます。歌詞間違えると、そこから先の音楽が飛びます。ああ、怖い。

 次は、トスティ作曲の「Ideale/理想」です。

 この曲を歌う前に、先生に「今日は疲れていて、とても高音Aを出せるとは思えないのですが、出せないと思っていても、今はレッスンだから果敢にチャレンジし(て玉砕し)た方が良いか、それとも高音Aが出ないなら、楽譜通り、Fで安全に歌っだ方が良いでしょうか」と尋ねたところ「じゃあ、Aは無しで」と言われたので、高音Aは無しのパターンで歌ってみました。

 で、Aは無しにして歌ったにも関わらず、肝心のFがぶら下がっちまいました。ダメな私だね。

 この曲も、フレーズの最後まで気を抜かずに歌い切って正しい音程をキープする事。高音の前は軽く軽くリラックスして歌うこと、気持ちが高ぶると、ノドに力が入って高音を失敗するのだから、常にリラックスを心がけるようにと言われました。…まあね。

 最後は、ヴェルディ作曲の「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」です。

 もう、この歌をピアノ合わせする段階で、すでにヘロヘロになってました。録音を聞くと…実に笑っちゃうくらいに、声出てません。もう、ハモるどころではなく、歌えてないよ、これ。

 なので、私、もうヤケノヤンパチ状態になって、歌う…と言うよりも、怒鳴り散らしていました。

 「全部を全部、大きな声で歌ってはいけません。自分がメロディの時は大きく歌って欲しいけれど、ソプラノがメロディの時は、聞こえない程度の声でいいんですよ」と先生に釘を刺されました。まあ、大きな声で歌っていたのではなく、ヤケノヤンパチになっていただけの話なんですね。

 とにかく、ハモるところは、きれいにハモる事。(お客は楽譜を見ているわけではないので)必ずしも楽譜どおりに歌えなくてもいいけれど、ハモるところは、キレイにハモらないと、色々と厳しいみたいです。なので、二重唱の後半をイヤになるくらいに直されました。いやあ、そこ、難しいんだよね。

 高音は、決して、パーンと出してはいけないと言われました。必ず、前の音を引きずって、前の音を発射台というか、踏切板にして、前の音の段階で高音に飛んでないと、高音は歌えないのだそうです。

 プロは誰一人、高音を、パーンと、そんな感じで歌っていないのだそうです。もしそうは見えたとしても、それは見えないようにやっているだけで、実にプロは、そこはきちんとやっているのだそうです。

 とにかく、あれこれと色々と音楽を動かしながら歌うのが、良い歌唱の第一歩なんだそうです。

 「日本歌曲がなぜ難しいか知っている?」と尋ねられました。

 日本歌曲が難しい理由…その理由の一つに、1音符に1シラブル(かな文字1つ)の歌詞が付いている事、と言うのがあげられるそうです。つまり、1音につき、歌詞も1音ずつに分けて付けられているから、難しいのだそうです。

 確かに、あちらの歌は、イタリアモノでも、ドイツモノでも、フランスモノでも、1つの音符に子音や母音が複数付いているのが当たり前で、だから1つの音符であっても、その音符を歌っている最中に、子音や母音の色を変えながら歌っていけるわけです。そうやって、音楽を動かしながら歌うのが向こうの歌なんです。それに比べると、音符は常に1つのシラブルしかついてませんから、いつも同じような感じで、動きも少なくて、そのため、こちらの歌は、ピタッと姿勢を正して杓子定規に歌っているようなものになってしまい、ついつい歌が堅苦しくなってしまって、難しくなってしまうのだそうです。

 まあ、動かずに歌うのって難しいよね。思わず、音楽に乗ってしまって、ノリノリで歌うのが、私も良いと思います(あれ、ちょっと違うか!)。

 しかし,日本歌曲はピタリと動かずに歌う…というが、デフォルトみたいだけれど、やはり音楽に合わせて、カラダをすさぶりながら歌った方がいいよね。

 さて、これで本番前のレッスンは終了。後は、前日の会場でのピアノ合わせを終えたら、本番です。気合を入れて、頑張るぞ。

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2014年10月 9日 (木)

抱き合いながら、歌ってみよう

 声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンが、本番(クラシックコンサート)前の最後のレッスンとなります。本番までは、ピアニストさんとの最終リハーサルを残すのみとなりました。

 本番直前という事で、発声練習もいつもとは違います。今回は、妻と一緒に発声練習です。同じフレーズを同じ音(と言っても、実音的には1オクターブ違います)で歌います。目的は、ピッチをビタリと合わせる、事です。私と妻できれいにハモるための練習って奴ですね。

 まあ、妻はいいんです、彼女はね。問題は、たいてい私にあります。音がぶら下がっていたり、間違っていたりするのは、ほぼ私なので、私が彼女に合わせて歌えれば、それていいんです。…が、それがなかなか難しかったりするわけです。

 「だって、この人、聞いてないんだもの」

 妻はそう言うんだけれど、別に聞いていないわけじゃなくて、聞いているけれど、それをあなたほど、うまく表現できないだけなんだよね。まあ、不器用? 一人きりで歌っている分には目立たない大雑把さも、隣に精密に歌う人がいると、その大雑把さが目立つわけなんだな。

 そこで妻と抱き合いながら歌うことにしました。抱き合うと言っても、別に正面向いて抱き合ってチュッチュッするのではなく、同じ方向を見ながら、横向きに抱き合って歌うのです。あるいは、相手の脇腹をつかんで歌うと言ってもいいかも。とにかく互いに相手を小脇に抱えながら歌うわけです。で、相手の音が『変だな?』って思ったり『ここからは高くなるから頑張れ~』と思ったら、相手の脇をギューと締めるわけです。なので、発声しながら、しょっちゅう、妻に脇腹を締められました。

 あと、抱き合っていると、音が振動としてカラダからカラダに響いてくるので、耳だけで音を聞くよりも聴きやすいような気がします。

 私の場合、よくあるパターンなんだけれど、音をずり上げながら歌う傾向があります。つまり、導入部分の音が低くて、それを歌い出してから高めに修正しながら歌っていくってやり方ね。もちろん、無意識にやってます。

 でも、この方法は、あまりかっこよくないので、できれば、音を高めにとって、低く修正しながら歌う方が、まだマシ…と言うよりも、ぜひそうしなさいって言われました。でも、なんか、音を上から取るのって、大変なんだよね。

 で、ピアニストさんはまだ到着していなかったけれど、そのまま、ヴェルディの「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」の練習に取り掛かりました。

 まず、テンポを落として、ゆっくりと音を確認しながら歌ってみました。これで、勢いで流して乱雑になっていたところを確認したわけです。ハモリが汚いところはもちろんだけれど、一人で歌っていても、音程の甘いところはビシビシ注意されました。

 「音程、命だからね」 まあね。

 この曲は、歌うこと自体が大変な曲なので、いくら練習とは言え、そう何度も何度も歌えるモノではありません。ですから、ひと通り歌ったら、後は声を抜いて歌います。声を抜くと言うのは、ファルセットで歌ってみたり、声を張らずに省エネで歌ったりする事です。まあ「軽く、軽く、ごく軽く、聞こえなくてもいいから、鼻歌程度に楽に歌ってね」って感じかな。そんな感じで、楽に歌っていると、音程がバッチリ合うんですね。つまり、大きな声で歌ったり、声を張ったりすると、音がぶら下がり、軽く鼻歌で歌えば、音程バッチリになるわけです。

 ん? …って事は、必要以上の声で歌っているって事か?

 まあ、確かに最近は、普段から(抜きはしませんが)楽に歌っている事も多く、音程は以前ほど、ひどくはないんです。でも、やはり表現を優先して歌うと、しばしば大きな声を使うわけで、そうなると音程が下がるのは…そういう事みたいだな。それと、今日のように、疲れきってレッスンに臨めば、元々声が出ないのだから、ついつい声を張り気味で歌うわけで、そうすると、音程が下がるみたいだな。

 …って頭で分かっていても、カラダはそう簡単には対応できないんだな(涙)。

 私、フレーズの出だしの音程が甘いことが度々あります。で、出だしが甘くて、歌いながら修正していくわけだけれど、出来れば、途中で修正するのではなく、最初から正しい方が良いわけです。最初からきちんと歌うためには、その前のフレーズの最後の音をきちんと歌うことが大切です。私、フレーズの最後の音を(無意識に)捨てているそうで、案外、フレーズの最後の音の音程がヒドいんだそうです。で、捨ててデタラメになってしまったところから、正しい音が出るわけもなく、それゆえに、次のフレーズの出だしの音が甘々になるわけです。

 これへの対処は、フレーズの最後の音をロングトーンのつもりで歌ってみるのが良いのだそうです。ロングトーンのつもりで歌い始めて、でも音価通りの長さで切って歌えば、最後まで正しい音程で歌えるわけで、そうすると、次のフレーズの出だしの音の音程もかなりマシになるそうです。

 やってみたら、その通り。うん。つまり、フレーズの最後まで気を抜かずに歌え、って事だな。

 さらに言えば、この曲はヴェルディの曲なので、最後を捨てない事も大切だけれど、途中もあまり流さずに歌う方が良いとも言われました。ヴェルディを歌う時は、音符一つ一つにグリグリと感情を入れながら歌うんだそうです。

 そのあたりまでやったところで、ピアニストさんが到着したので、これはここまででお終いにして、残りの時間は、ピアノ合わせになりました。

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2014年10月 8日 (水)

【お悩み相談】声楽…高音が出ません

 今回の記事は、困っでいる皆さんのために…というよりも、困っている私自身に向かっての覚書といった側面のある記事です。

 歌と言うモノは、サビというか、その曲のカッコいい部分のメロディの中に、たいてい高音があります。ですから、その高音の部分をうまく歌えるかどうかが、その歌をかっこ良く歌えるかどうかの分かれ目だったりするわけです(特にイタリア系の曲の場合は顕著ですね)。

 ところが、この高音って奴が難しい(汗)。なかなかうまく発声する事ができない。いや、最初から高音を上手に発声できる人(いわゆる“天然歌手”)もいないわけじゃないのですが、大抵の人は苦労するわけです。特に日本人は努力家が多いですから、最初はうまく歌えなくても、あの手この手を使って、頑張りに頑張るわけです。それでめでたく歌えるようになれればいいけれど、それでもうまく歌えない事も多いです。いや、かなり多くの人たちが、努力したからと言って、うまく歌えるわけじゃないって言ってもいいかもしれません。

 なぜ、そうなるのか? 結論から言うと“頑張る”からダメなんです。頑張るから高音が出ないんです。頑張って出るのは、怒鳴り声とか、悲鳴とか、その手の類の声しかありません。まあ、怒鳴り声や悲鳴でも高音は出せますが、どちらも不快に聞こえますし、第一、歌っている歌手にとって、ノドの消耗が激しくて、とても歌向きの発声ではありません。その無理を通し続けると、やがて声がつぶれて、いわゆるハスキー・ヴォイスになってしまいます(涙)。

 歌のサビで使えるような、美くしくて聴く人を魅了するような高音は、怒鳴り声や悲鳴ではないわけです。それとは別種の声なのです。

 最近のJ-POPなどでは、かなりの高音が使われていますが、あの手の高音の多くは、実はファルセットと呼ばれる発声によるものです。ファルセット…仮声とか、裏声とか呼ばれるものです。ファルセットは、ポピュラー歌唱ではアリですが、クラシック声楽の場合は使用不可な発声方法であって、これを使って歌うと“負け”になります。もちろん、特殊効果を狙って使った場合は、その限りではないし、合唱などでやむなく使うのも理解できないわけじゃないです。でも、通常の独唱で、通常の歌唱の場合、ファルセットを使って歌うというのは、まずありえません。

 もちろん、ポピュラーでも、高音をいつもいつもファルセットで歌っているわけではありません。ポピュラー歌唱では、ファルセット以外の高音発声方法として、ミックス・ヴォイスというモノがあるそうですが、私の場合「ミックス・ヴォイス? それって、美味しいの?」状態です。おそらく、ポピュラー歌唱で言う“ミックス・ヴォイス”は、クラシック声楽で言う“頭声”に近いモノかもしれませんが…同じではないと思うんですよね。

 と言うのも、ポピュラー歌唱で使われるテクニックって、基本的に、マイクの使用が前提となっている発声なので、そうやって発声される声は、それはそれで魅力的だと思うけれど、私がやっているクラシック声楽とは、全くジャンルが違う音楽なので、テクニック的には使うことはできません。

 だって、クラシック声楽では、マイクの不使用が前提だし、そのために拡声無しでもホールに響き渡るような声で歌える事というのが、最低条件になります。そこが違うので、発声テクニック的には、あれこれ違ってくるわけです。

 なので、ここで私が話すのは、クラシック声楽における高音の発声法って事になります。

 まず、高音発声に必要なのは、リラックスして発声する事です。リラックス…そうです、心身ともにユルユルになっている事です。脱力と言ってもいいかもしれません。とにかく、楽でいる事です。

 と言うのも、高音を出すためには、声の源である声帯を、薄く伸ばすというイメージが必要だからです(実際に薄く伸ばせるかどうかは私には分かりません)。そのためには、声帯を前後におもいっきり引っ張らないといけません。でも、声帯を直接引っ張る事はできないために、ノド仏を下げてみたり、軟口蓋を上げてみたりと、色々と工夫をして声帯周辺の筋肉を引っ張るわけです。

 声帯及び声帯周辺(つまりノド)は筋肉で出来ています。だから、声帯をやさしく引っ張れば、前後に薄く伸ばす事ができます(あくまでもイメージです)。大切なのは、声帯を“やさしく”引っ張る事です。絶対に、力任せに引っ張ってはいけないのです。頑張ってはいけないのです。

 と言うのも、筋肉って、力が入ると硬くなるものでしょう。力を入れると縮んで膨らむものでしょう。なので、強い力で引っ張ったり、あるいは声帯とかノドそのものとかに力を入れてしまうと、声帯付近が硬くなり、縮んでしまい、膨らんでしまいます。

 そして、高音発声に必要な、声帯やその周辺部を薄く伸ばすなんて事は、まず出来なくなってしまいます。

 つまり、高音を出そうと、頑張れば頑張るほど、高音発声に必要な動作とは、全く逆の動きをしてしまうのです。だから、頑張っちゃいけないんですよ。

 まずはリラックスです。リラックスして発声すれば、声も自然と聴きやすい柔らかい発声になります。つまり、リラックスして発声する事で、倍音豊かな声が発声できるわけです。

 でも、一から十までリラックスのしっぱなしの、ユルんだノドだけでは高音は到底歌えません。でも、高い声を出すためには、ノドはリラックスしてユルませないといけません。つまり、ノドをユルめたまま、発声できなければいけないし、その高い声を遠くまで飛ばさないといけないのです。

 そのためには、ノドではない箇所に頑張ってもらわなければいけません。

 声はノドを息が通る事で生まれます。ノドはリラックスしてユルユルにしないといけないのなら、ノドを通る息を頑張る事にしましょう。

 では、どんな息をノドに通せば、遠くまで飛ぶ高音の声になるのでしょうか?

 まず、力強い息が必要です。最も力強い息と言っても、多量の空気を短時間で噴射するような力強い息ではありません。むしろ、トルクの強い、腰の入った息が必要です。そんな息を生み出すために必要なテクニックが、腹式呼吸というヤツです。息を下半身で支える事で、トルクの強い、腰の入った息ができるというものです。

 それに、腹式呼吸ならば、ノドからも遠い箇所(主に横隔膜)を使用するので、そこを力んでも、ノドへの影響を少なくする事ができますしね。

 息は、力強ければ、それでいいのか? いいえ、それだけでは高音発声はできません。高音発声には、速い息が必要となります。なぜなら、高音とは、振動数が高い空気の疎密波なので、それを生み出すには、声帯を激しく速く振動させる必要があるからです。

 そのためには、息の速度が速くないといけない。速い息を声帯に通すことで、声帯の振動を速くする事ができるからです。ただし、息の分量は、多い必要はありません。むしろ、少なめの息の方が良いかもしれません。と言うのも、ノドを通る息の量が多いと、ノドを傷めるおそれがあるからです。

 ノドのリラックスと力強い腹式呼吸。この二つのある意味、相反する行動を同時に行う事で、高音が発声できるわけです。でも、これが難しい。頭で分かっていも、なかなかうまくはできないものです。私もそこで苦労しているわけです。でも、頑張っていますよ。
 さて、このようにして生まれた高音をどれだけ美しく響かせるかは、また別の話となるので、今回は触れません。また、アペルトとアクートの話であるとか、パッサージョの話とか、それはそれで興味深いお題がこの後に続きますが、それもまた別の機会に。

 あと、言わずもがなですが、高音をどこまで出せるかは、訓練以前に、持って生まれた声帯の性能に依存する事も忘れてはいけません。まあ、ファルセットで楽に出せない音は、出ないかもしれない…と思っていればいいんじゃないかな?

 とりあえず今回は、ノドのリラックスと、力強い腹式呼吸でなければ、高音を発声する事はかなわないという事を書いて、お終いにしたいと思います。

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2014年10月 7日 (火)

映画『舞妓はレディ』を見てきて、ついつい日本のミュージカルについて語ってしまいました

 当然ですが、映画のネタバレはありますから、気をつけてくださいね。

 さて、遅ればせながら、『舞妓はレディ』という映画を見てきました。映画はだいだい封切り日に見る私が、封切り開始から約一ヶ月後に見に行くって…つまり当初は見に行く予定がなかった映画だった…って事ですね。

 だいたい、この映画、タイトルがなんか変でしょ? それに映画館で見た予告では、ちっとも食指が動かなくって、それで見に行かない事にしていたのです(お金は大切…でしょ?)。

 『舞妓はレディ』は…『Shall We ダンス?』の周防正行監督作品。周防監督作品は『ファンシィダンス』『シコふんじゃった』『Shall We ダンス?』の3つは見ていたのですが、それ以降の作品は、路線変更もあって、なんか興味を引かなかったんです。私の中では、周防監督はすでに終わった人であって、彼の芸風は、同じ制作プロダクションに属する矢口史靖監督が引き継いで発展させているので、周防監督と言えば“矢口監督の先代さん”ってイメージだったんですよ。

 なので、『舞妓はレディ』は、周防監督の『Shall We ダンス?』以来のコメディー作品と知っても、正直「なんかなあ…」って感じがしていたのです。

 ところが、テレビでメイキングを見まして、この映画がミュージカルだと知り「これは見に行かないといけない!」と思って、そろそろロードショーも終わる頃になってしまいましたが、重い腰を持ち上げて見に行ったわけでございます。

 そうなんです。この映画。ミュージカル映画なんですよ。登場人物たちが、劇中で脈絡もなく歌い踊るタイプの映画なんですね。

 まあ、映画の出来は、見た人がそれぞれで感じればいい事で、私はミュージカル映画だからと言って、それだけで欧米のミュージカル映画と比べてはいけない…と思ってます。

 アチラのミュージカル映画と言うのは、最近であれば『レ・ミゼラブル』や『オペラ座の怪人』などがありますが、何年も何年も舞台で上演しつづけられて、ロングランを重ねて、常に作品として磨き上げ続けられてきたものが、満を持して映画化されるわけです。ミュージカル作品としては、元々素晴らしいものが、それまで舞台で稼いだ資金を投入して映画として制作されるわけですから、下手なものが出来るはずないのです。もちろん、出演する役者も、皆、歌手としても立派に通用する人たちばかり(そうでないと、世界中から叩かれます)でしょ?

 そこへいくと、日本のミュージカル映画は、基本的に新作です。舞台で練られたモノではありません。面白いかどうかさえ未知数の出来立てのほやほやのモノが映画化されるのです。役者もミュージカル畑の人は、まず使われません。ほとんどが映画俳優か、テレビ俳優さんたちです。演技力や歌唱力に難点があっても、商業的な理由から、知名度優先でキャスティングされるわけです。音楽自体も、あちらはミュージカル専業の作曲家さんが時間をかけて書いているのに対して、こちらにはミュージカル専業の作曲家さんなどいるはずもなく、劇伴専門の作曲家さんたちが限られた時間の中で書いた作品です。一生懸命やっている事自体は、洋の東西問わずでしょうが、やはり時間と資金と才能のかけ方が、我彼では全然違うのです。

 なので、比較してはいけない…私はそう思います。

 私の個人的な感想を言えば…『舞妓はレディ』は、ミュージカルでなく、ストレートプレイの映画にした方が、もっと良くなっていたんじゃないかって思います。と言うのも、ミュージカルって、セリフをソングにする事で、キャラクターの心理描写を深くエグるのですが、この映画での歌は、ただセリフにフシがついた程度で、それほどエグい歌はないので、心理描写も深くならないんです。だったら、日本映画の武器である“長いセリフ回し”ってヤツで、キャラクターの心情を吐露させた方が良かったし、だいたい周防監督って“長いセリフ回し”が得意な監督さんだったじゃないですか? そういう点では、周防監督という人は、元々、ミュージカルには向かない監督さんじゃないかなって、私は勝手に思ってます。

 『舞妓はレディ』って、タイトルからも分かるとおり『マイ・フェア・レディ』のオマージュなんですよ。でも、そこにこだわりすぎかな…って気がします。

 例えば劇中で「京都の雨は、たいがい、盆地に降るんやろか~」 って歌い出した時は、私「…どうしようか(汗)」と思ったくらいです。これって『マイ・フェア・レディ』の“The rain in Spain stays mainly in the plain!”のモジリだろうけれど、本物は“エイ”の発音練習課題がそのまま歌になっているのに対して、こちらの方は、本物の単なるパロディでしかないわけです。まあ、この曲をあえて歌うことで「この映画は、マイ・フェア・レディのオマージュなんですよ」と宣言しているのでしょうが、それって必要かな?

 それに、マイ・フェア・レディって…あれ、1964年の映画ですよ、もう50年も前の映画です。青春時代にあの映画を見ている人は…当然、アラウンド70、アラセブとでもいうのかしら? いや、団塊の世代か! つまり、この映画は団塊の世代に向けて作られたシニア映画…ってわけなんだな(納得)。

 でもね、なんかせっかくの良いテーマと素材がありながら、その仕上がりがもったいないような気がするんですよ。おそらく『Shall We ダンス?』以前の周防監督なら、この映画を万人が楽しめるファミリー向け映画に仕上げることができたと思います…が、残念ながら、この映画は、視線が舞妓志願の春子ちゃんではなく、彼女を見守る大人たちの視線になっているため、見ていて、私なんかは、実に居心地が悪いんですよ。

 そういう点では、私はまだまだ現役だし、物語の中にいたいし、だから主人公の心に自分を重ねて物語を追っていきたいのですが、この映画は、あくまでも傍観者視線なんですね。そこが面白いと言えば面白いのだけれど、見る人を選ぶ、万人向けの映画ではない…とも言えます。

 そこが周防監督と矢口監督の違いかな? 矢口監督は、きちんと主人公視線で映画を作るから、私は矢口作品を楽しむ事ができるんです。

 だいたい、舞妓さんの世界って、我々普通に暮らす人間にとっては、異世界なんだし、右も左も分からずに、その世界に飛び込んだ春子ちゃんの視線で、その異世界について、もっともっと詳しい知ることができる映画になっていたら、もうそれだけで面白い映画になっていたんじゃないかって、思います。

 ミュージカルって、セリフを歌うために、どうしてもストレートプレイと比べると、言葉の情報量が少なくなってしまうんです。でも、言葉が少ない分、音楽で感情とか情動とかを刺激できるので、ミュージカルという演劇は、キャラクターの心情を深く表現するのが得意なタイプの劇なんですが、同時に、言葉が少なくて、説明が苦手だから、ストーリーそのものは、ありきたりの平凡で定型的なお話でないと成り立ちません。

 つまりミュージカルって、知的に面白い素材には向かず、感情的に激しいテーマのモノに向くのです。キャラクターの感情がほとばしって、思わず歌になってしまうから、ミュージカルが成り立つんです。

 でもこの映画は、ちっとも感情的ではなく、むしろ説明的な映画なんです。

 日本になぜミュージカルの伝統がないのかと言うと…日本人は感情的に激しくないから…かもしれません。日本の伝統文化の中で、ミュージカルに近いものと言えば、歌舞伎がありますが、あれだって、キャラクターが歌うのではなく、歌はバックバンド(お囃子さん)が歌うわけです。つまり、キャラクターの心情を背景音楽が説明してくれるわけであって、キャラクター自身が己の心情を歌い上げるわけじゃないんです。

 となると、この映画うんぬんではなく、元々、日本映画にミュージカルが似合わないのかもしれません。

 それにしても、せっかく舞妓さんを取り上げるなら、その世界を広く見せて欲しかったと思うわけなんですよ。で、そういう意味でも、舞妓さんとミュージカルの食い合せは、あまり良くなかったかな…って思います。

 それでも、この日本で、ミュージカル映画を制作したという、周防監督の心意気は高く評価すべきだろうと思います(本当に大変だったと思います)。

 でもまあ、私自身は楽しめましたよ。最後の最後で『Shall We ダンス?』の青木・高橋ペアが出てきてニッコリしたり、ウチに帰っても、主題歌とか「京都の雨は~」とか歌ってますモン。少なくとも、代金分は楽しみました。

 ちょっとググってみたところ、音楽映画ではなく、日本における生粋の国産ミュージカル映画って、21世紀になってから、あんまり作られていないようなんですね。

2005 オペレッタ狸御殿
2006 嫌われ松子の一生
2010 矢島美容室 THE MOVIE ~夢をつかまネバダ~

 で、2014年に『舞妓はレディ』となるわけです。ちなみに私、不覚にも「嫌われ松子の一生」と「矢島美容室」は見てないんですよ。4作品のうち、2つも見逃しているなんて、ダメだな(涙)。そのうち、DVDでもレンタルして見なきゃ。

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2014年10月 6日 (月)

お達者な発表会を見てきました

 例によって、見知らぬ人たちの発表会を見てきました。その発表会、とにかく何がすごいって、ほぼ全員と言っていいと思うのだけれど、誰も正しく楽譜通りには歌わなかったという、実にスーパーな発表会でした。

 別に“楽譜どおりに歌わなかった”と言っても、アドリブをかましまくるような発表会ではなく、ごくごく普通の声楽発表会だったのですが…ただ、割りとよくある発表会とは、少し異なるのは、出演者のほとんどが、70~80代のお姉さまばかりだったという点です。それも10年も歌っていれば長い方で、歌い始めてから4~5年ぐらいという人、つまり“シニアな初心者さん”が、たっぷりといる発表会だったのでした。

 なので、実に“お達者な”声楽発表会だったわけです。

 私、この発表会を見ながら、実に気分は、ほっこりしていたわけです。だってね、もう、歌が上手いとか下手とか、そういうレベルの問題じゃないでしょ? 人生の先輩方が、実に堂々と人前で歌ってらっしゃるわけです。そして、その集客力! ホールは満員近く入っているし、誰も歌い終えると、大向うから声がかかり、観客席からは家族とか友人と思われる人々が、バラバラと舞台に出て行って、皆さん、花束を渡すのです。歌い終えた皆さん、誰もが持ちきれないくらいの花束を抱えて、舞台袖に引っ込むわけですよ。

 ああ、この人たち、愛されているなあ…。

 この年代の方々ですから、プログラムの大半は日本歌曲だったけれど、どの曲も実に味わい深いんですね。もちろん、上手くはないですが、味があるんです。そして、一生懸命なんです。イタリアやドイツの歌曲を歌っている方もいました。イタリア歌曲はイタリア語でしたが、ドイツの歌曲は…ほぼ日本語訳で歌ってましたが、それはそれでいいんです。別に、声楽発表会では、歌曲は原語で歌わないといけないというルールがあるわけじゃないのですから、すべて日本語訳歌詞のドイツリートでもいいじゃないの? きちんと歌いきれていなかったとは言え、オペラアリアにチャレンジしている人も結構いました。それってすごくない? 70歳を余裕で超えて、舞台でオペラアリアを歌っちゃうんだよ。すごいよね。

 もちろん、皆さん、自分のテンポで歌われるから、それに合わせるピアニストさんは、実に大変でした。それも歌手が一人ならともかく、二重唱や三重唱だったりすると、それぞれが自分のパートを自分のテンボで歌うわけだし、一緒に歌っても、互いに譲らないから、その中でちょうど良い所を探しながら伴奏していくピアニストさんって、すごいなあって思った次第です。

 ほんと、馬鹿にしているわけじゃなくて、良い意味で楽しませてもらったんです。

 この発表会、歌の勉強には、ちっともならなかったけれど、アマチュア歌手としての、ひとつの理想を見せてもらいました。

 私はあの年でも歌えるだろうか?
 背筋を伸ばして堂々としていられるだろうか?
 ちゃんと音は取れるだろうか?
 きちんとリズムに乗れるだろうか?
 それ以前に、元気で健康で舞台に臨めるだろうか?
 いやいや、あの年まで生きていられるか…自信がない。

 歌は上手いに越したことはないけれど、人を感動させるのは、歌の上手さばかりじゃありません。存在そのものだって、歌に対する熱意だって、人を感動させ、喜ばせるものなんです。

 それにしても、この方々、次の発表会は1年半後らしいのですが、それまで皆さん、お元気でいて欲しいと、心の底から祈ります。

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2014年10月 5日 (日)

先生にブログがバレたら困るって?[2014年10月第1週・通算20週]

体重:114.0kg[+1.4kg:+2.8kg]
体脂肪率:32.4%[+0.3%:+1.2%]
BMI:36.0[+0.5:-0.1]
体脂肪質量:36.9kg[+0.8kg:+2.3kg]
腹囲:110.0cm[+-0.0cm:+-0.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 体重、マジ、ヤバイっすねえ…。最近は、会う人会う人に「戻った?」って聞かれます。もちろん、体重が元に戻ったのかってことね。まあ、まだ最盛期には10Kgほど余裕はありますが、だからと言って、この体重で良しとは思ってません。しかし同時に、最近はダイエットが優先順位の一番には来ていない事も事実です。ユルメのダイエットしかしていないから、太るんだよなあ。もっとも、そのユルメのダイエットだって、していなければ、きっと今頃は大変なことになっていると思うから、こうして体重を計って、ユルメでもダイエットをして、ネットにその結果を晒していくというのは、大事なことなんだと思う(うんうん)。

 体重の事は、後で考える事として(これがいけないのかも)、今週のダイエット…じゃなくて、エッセイに参りたいと思います。

 さて、なんか、ピアノ系のブログさんたちの間で、ブログを書いている事が先生にバレたら困るとか、バレちゃうくらいならブログを書くのを辞めちゃうとか、身バレ(個人が特定される事)は困るので誰にも内緒でブログを書いてますとか…その手の話題で盛り上がっているようです。まあ、私的には、一部は得心するものの、一部は「???」という内容だし、私もこの話題は決して他人事とは思えないので、この話題に関して、自分なりの考えを一言二言書いておきたいと思います。

 まず、先生にブログがバレるのが心配かどうか…ですが、バレる以前に、先生に黙ってブログを書くこと自体がマズイんじゃないかって思います。

 公人やそれに準じる立場の方の事なら、ブログに書くのに、いちいち許可など必要ないでしょう。しかし、市井の人の事を書くなら、ご本人の許可というか、お断りの一つぐらいは必要でしょう。それは、黙って他人の写真をとってはいけないのと、同じレベルの問題です。

 習い事の先生は市井の人か? それとも公人なのか? そういう問題は、確かにあるでしょうね。

 先生と言っても、立場は色々です。演奏活動もしている芸術家や芸能人の先生もいるでしょうし、公的な教授職の方もいます。これらの方は公人に準じる立場の方だろうと思います。しかし、大手楽器店にお勤めの先生とか、個人事業主の先生だと、ちょっと違ってくるかもしれません。また、特にピアノの先生に多いと思いますが、モグリの内職(?)でやっている方もいらっしゃるでしょう。こうなると、完全に市井の人の営みですね。

 なので、名前を売りたい、宣伝をしたいという方もいれば、ひっそりやりたい方もいるだろうし、教えている事がバレたら困る人もいます。名前を売りたい人なら、どんどんブログに書いて宣伝してもらいたいと思うだろうけれど、バレたら困る方に習っているなら、その人に教わっている事をブログに書くこと自体がマズイことかもしれません。

 どちらにせよ、ブログに書くなら、一言「ブログに書いてもいいですか?」あるいは「ブログに書いちゃいますが、マズイことありませんか?」と先生に尋ねるべきでしょう。これは良し悪しの問題ではなく、マナーとか礼儀の問題です。勝手に写真を撮られたくない人がいるのと同様に、勝手にブログに書かれるのは不愉快に思われる先生がいても不思議はないでしょ? あるいは、ブログに書かれること自体はOKだけれど、自分の知らないところで勝手に書かれるのはちょっと…という人だって当然いるでしょ?

 まあ、大抵の先生は商売として先生業をやっているのですから、営業妨害にならない限り、ブログは歓迎だと思いますよ。なので、許可は取るべきであって「バレたら困る」は、ちょっと斜めな悩みだと思います。

 まあ、バレたら困る…と言うのは、ブログに書いた内容を先生に知られたら困る…から、そう思うのかな? でもね、誰かが困るような内容の記事をブログに書いてアップすること自体、マズくないかな?

 と言うのも、インターネットと言うのは、ブログであれ、ツィッターであり、フェイスブックやラインであれ、記事をアップした瞬間に、世界中に向けて発信しているんだという意識を忘れてはいけないと思います。「SNSだから大丈夫」「友人にしか公開していないから大丈夫」「友達同士でしかやりとりしていないから大丈夫」 …本当にそうならいいんですけれどねえ、現実はそんな事ないです。ハッキングもあれば、情報流失もあるし、ID乗っ取りやら、なりすましもあるわけですからね。いつどこでどんなタイミングで、隠れて書いたつもりの自分の記事が、世界にばらまかれてしまうか、分かったモンじゃないんです。だから、インターネットに記事をアップする時は、この記事が世界中に流布してもいいという覚悟を持って書かないといけない…私はそんなふうに思います。

 まあ、覚悟は必要ですが、実際問題として、私が書いた記事が世界中で読まれるほどの有益な内容を含んでいるかというと…まあ、そんな事は無いので、私の記事が世界中にばらまかれても、大したことにならないと安心してますが(笑)。

 とにかく『いつ誰が読んでもいい』 そういう気持ちでブログ記事を書く事は必要だと思います。

 いつでも、誰でもが読めるのなら、そこに書かれる内容も、当然考えないといけません。ブログは、便所の落書きじゃないんです。どちらかと言うと、町の広場にある掲示板とか壁新聞みたいなものです。

 ですから、ブログを使って、むやみに他人を攻撃したり貶めたりして良いはずはないですし、ウラも取らずに憶測で書いちゃいけません。ましてや、先生方は仕事として教えているのですから、営業妨害になるような事を書くときには、それ相当の覚悟をしないといけません。

 ブログはストレスのはけ口として良いモノではないわけで、自分の愚痴やら不満やらを書き散らして良いわけではないのです。

 また、流失しちゃうのは、何も記事内容だけではありません。身バレも同様です。インターネットでは、匿名なんて守られるわけないんです。誰が誰のことを書いているのか…そんな事は、ちょっと目端の効く人にはバレバレなんですよ。

 例えば、ちょっとばかり世間を驚かすような事をしちゃった人なんて、テレビや新聞のニュースでは、しっかり名前も伏され、顔も年齢も職業も分からないようにして報道しますが、そこから1時間もしないうちに、ネットじゃ、その人の名前・住所・顔写真が調べられてアップされます。不思議ですね(笑)。まあ、だいたいは“鬼女”と呼ばれる有能で時間のある方々が調べてくださるんですが…。まあ、彼女たちほどでなくても、いくつかの検索ワードをぶち込んでググれば、たいていの人の身元なんて、すぐにバレます。自覚なくネットを使っている人は多けれど、実はこの世界では、プライバシーの保護というのは、ユルいモノなんです。

 ブログ掲載許可に関して、私自身の話をするなら、当然、声楽のY先生にも、フルートのH先生にも、ブログ掲載の許可はいただいてます。ただ、お二人とも私のブログは読んでいないみたいです(残念)。以前の笛先生やキング先生にも、プログ掲載の許可をいただいていましたし、ブログも読んでいただいていました。ですからレッスンの時に「これから言う事は、ブログに書かないでね」と前置きをされる事もありましたし、そういうお願いをされた時は、もちろんきちんと守っていました。また、両先生とも、その前回のレッスンに関する私のブログを読んで、次のレッスンを考えてくださっていたようです。ありがたい事ですよ。

 それに第一、私がブログを書くのは、そもそも自分のためです。とは言っても、別に愚痴るためでもなければ、媚るためでもありません。自分がレッスンで学んだことを整理するためです。整理して、きちんと考えるべき点は考え、今回改めて学んだことを心に刻み、今回も注意された事に思いをはせ、自分の学習&成長の記録として書いているからです。あくまでも自分のために書いているです。いわば、学校の授業でノートを取っているように、学んだことをブログに書いて提出(アップ)しているだけなんです。これが私のスタイルです。

 そうそう、情報の公開/非公開の問題も考えないといけないかもしれません。コンサートやリサイタル、発表会などは公にお知らせをして行われているもので、いわゆる公開されている情報ですね。公開しているのだから、これらについてブログに書いて広くアップする事は問題ないと思います。しかし、非公開のものを黙って世間に広くお知らせしちゃうのは…マズくない?

 レッスン、とりわけ個人レッスンって、基本的に非公開でしょ? 非公開である以上、教える側と教えられる側の両方の了解がないのにブログに書いてアップしちゃうのは…良識的に考えてマズくない? いや、マズイでしょう。

 ですから、「ブログが先生にバレたら困る」と言っている人は、色々と勘違いされているんじゃないかな?…って、個人的に思うわけです。バレたら困る事は、ネットじゃなくて、自分の紙の日記にでも書けばいいじゃないですか? あるいは昔ながらに、友人を呼び出してお茶でも飲みながら愚痴りあうとか、長電話で愚痴るとか、そういうオールドな20世紀的なやり方がいいんじゃないかな? 

 もっとも、愚痴りたくなるような先生に習っているなら、愚痴る前に辞めちゃえばいいんだよ。

 とにかく、ネットって誰でも見ることができるんです。だから、そこに他人に読まれたら困る事を書く人って、実にスキだらけだなって思います。

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2014年10月 4日 (土)

サクラが死にかけてました(涙)

 先日、ふと水槽を見ると、サクラがカラダを斜めにして、水面に浮かんでいました。呼吸はだいぶ浅くて、呼吸数も少ない状態でした。これはまさに、今まさに、死んでいきそうな様子でした。

 ここ、数十分がヤマか!

 私は、一瞬で覚悟を決めました。夏が終わり、涼しくなり始めた今の時期は、金魚には鬼門なのです。夏の疲れがドッと出て、季節の変わり目をうまく乗りきれずに、今まで多くの子たちが星になってきました。サクラは、その鬼門を何度も乗り越えてきた子ですが、さすがに今年はキツかったかも…。なにしろ、一匹だけ年長魚のロートルだし、カラダが大きいから、暑さだって魚一倍身に染みたろうしね。だから、今年はついにサクラの番ではないか…と心配していたので、来るべき時がやってきたか、と覚悟しました。

 呼吸がドンドン浅くなっていきます。呼吸の回数が本当に少なくなっていきます。このまま、呼吸が止まってしまったら、それでサクラは終わりです。

 いよいよ…と思ったところで、急にバッシャンと水をハネて、サクラが動き出しました。で、普通に泳ぎ始めて、水槽を一周して、いつもの体勢に戻りました。

 どうやら、死にかけていたようでしたが、うまくリセットして、回復しちゃったみたいです。生き物って、時々、こういう事があるんですよね。

 サクラでは始めてでしたが、以前いた、緋ドジョウのチビが、よく死にかけてはリセットしていました。なので、サクラが急に動き出した時も「お、リセットしたか!」と思いました。

 魚は、哺乳類とはだいぶ違うようです。確かにさっきまで死にかけていてたサクラでしたが、どうやらヤマは越えたようです。これでしばらくは元気でしょう。

 でも、まだ秋が終わったわけではありません。まだまだ気は抜けません…が、サクラが星にならなくて、ほんと、良かったです。

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2014年10月 3日 (金)

例の動画の話題で、ちょっぴり盛り上がりました

 フルートのレッスンに行ってきました…よ。

 ああ、眠い眠い、それにしても眠い。あんまり眠いけれど、頑張ってレッスンに行ってきました。以前、笛先生に習っていた時は、フルート吹きながら、寝ちゃった事があるけれど、今回の眠さは、それに近い感じで、フルートを吹きながら、時折「ここはどこ? 私は誰?」状態になっておりました。

 とにかく、レッスンそのものは、遅刻。先生をたっぷり待たせてしまいました(すんません)。当然、姉様はサッサとおかえりです。なので、先生と二人きりでロングトーン練習をやりましたが、まあ、そんな感じです。

 さっそく、エルステ・ユーブンゲンの5番です。当然、暗譜は出来ておりません。なので、最初は一人で吹いて、次に先生と一緒に吹いて、吹き終わったところで「次回はきちんと練習してくるように」と約束させられました。

 6番もひとまず吹きました。で、5番と6番を吹き終えたところで「今日は音が良くないね。鳴らそう鳴らそうとしすぎだよ。もっと響きで吹かないとね」と言わました。実は私、今回は優しくフルートを響かせようと、かなり意識してゆっくりめに優しく吹いたのですが、その結果が「鳴らし過ぎ」ですから、なんかもうよく分かりません。

 とにかく、今回の私の音はダメダメだったみたいです。まあ、秋のアレルギーの季節だし、色々ダメでも仕方ないわな。

 プチ・エチュードは6番。こちらはさすがに合格しました。ミスブローをゼロにはできませんでしたが、まあまあの出来だったようです。

 今回、この6番を吹きながら思った事は『ブレス記号は“息を吸う”記号であって、ここでは息を吐かない。休符は音をやめる記号だけれど、息に関して言えば、“吐き出していい”記号じゃないかな?

 つまり、ブレス記号だけの箇所は、息を吸うだけで、すぐさま次のフレーズに取り掛からないといけませんが、休符は、肺の中にたまった空気を吐き出すことが許されている記号なんじゃないかと…思いました。(合ってますか?)

 6番が合格なので、先生が7番を模範演奏してくださいました。なんか、難しい。八分音符が、通常のものと三連符とが、なんか混ざっているっぽい(いやん)。

 さて、今回の雑談は、この画像について(笑)。いや(笑)と書いたけれど、とても笑い事じゃ済まないんだな、これが。

 動画の中に解説もあったので、それを見ると分かりますが、この事件は、2014年カール・ニルセン国際フルートコンクールでの出来事だったそうです。フルート奏者は、日本の大田幸江さん。結果は2位だったそうです。

 H先生と、この動画をネタに話をしました。

 「演奏中に蝶が顔にとまるなんて、よくあるんですか?」

 「いや、まずないね。でも、虫を吸い込んでしまったとかは、よくあるよ」

 「虫ですか? むせませんか?」

 「虫と言っても、蚊とか、そういうヤツ。クチの中に入って、なんかイヤな感じはするね」

 「そんな時は演奏を止めますか?」

 「いや、止めるほどじゃないよ。でも、あの蝶のヤツは、止めても良かったと思うし、止めたからと言って、アレはコンクールでは減点にはならないよ。ところで、結果はどうだったの?」

 「2位だったそうです」

 「え? 2位だったの…(以下自粛)。とにかく、失格にならなかったのはよかったね。あれで失格だと、蝶のせいって事になって、悔やんでも悔やみきれないだろうね」

 しかし、これからネットで『フルート 大田幸江』とか検索かけると、いつもこの動画がヒットするようになるんだろうね。これで腐らずに、むしろ蝶を持ちネタにして、自分を売り込んでみたらいいんじゃないかしら? なにしろ、これで“顔と名前”を覚えてもらえたわけですからね。後は自分の頑張りだ! ファイト。

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2014年10月 2日 (木)

様式うんぬんには…こだわれないだろうなあ

 さて、声楽のレッスンの続きです

 ピアニストさんがやってきたので、本番の演奏順にレッスンをしていただく事にしました。なので、最初は、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」です。

 しかし、この曲は、本当に難しいです。手強いです。

 まずに何が難しいのかと言うと、歌詞の暗譜です(笑)。だって、この曲、有節歌曲だから、1~3番まであります。つまり、同じメロディに3つの違う歌詞を載せて歌わないといけないのですが…これがすでに私の頭の中ではグチャグチャになっています。1~3番のそれぞれの歌詞を取り間違えたり、取り間違えそうになって、言いよどんでしまったり、言い損なってしまったり…いやあ、色々あります。

 一方、当初は大変だった、変拍子とか音程などは、割りと簡単に克服できるものです。
 なので(譜面を見ながら)通して一度歌ってみたところで、先生から「まあ、いいんじゃないの」と言われました。レッスンなら合格って感じなんでしょうね。

 すでに歌えているので、それに付け加えるなら…という事で言われたのが様式感です。もう少し、様式感を出して歌えるといいですね…という話なんだけれど、その具体的な内容と言うと「もっと、一本調子で歌ってみよう」です。イメージとしては『唱歌を歌う子どもたち』ですよ、全く。

 もっとも“様式”うんぬんを言い出したら、一本調子も大切でしょうが、アドリブを加えないとね。あの時代の歌は、アドリブありきだからね。

 バロックのアドリブは経験がないけれど、ジャズのアドリブは下手くそも下手くそだけれど、何度か経験があるので、あのノリで良ければ出来ないわけじゃないけれど、それをどこまで加えるか…だね。やり過ぎるとカッコ悪いからね。

 あと、もう一つ言えば、様式的に考えるなら、発声テクニックそのものが違います。私が主にやっているロマン派っぽい歌は、いわゆるべルカント(って、なんでしょうね)なんですが、ダウランドのようなルネサンス音楽の場合は、もっと人間離れした(天使のような)声で歌わないといけないような気もします。

 なので、様式感を取り入れると言うのは、私的には難しいのですが、なるようにしかならないと思うので、あまり様式様式と思わないでおこうと思ってます。

 次は、トスティ作曲の「Ideale/理想」です。これも通して歌ってみたところ「まあ、いいんじゃないの」という評価をいただきました。ちなみに、バリエーションで使う、高いAは回避しました。だって、直前の先生とのレッスンでは、高いAは出ていませんでしたか、そこに無理やりトライして、せっかくのピアニストさんとの練習を減らすのは勿体ないと思ったからです。なので、安牌を切ったわけです。

 先生からいただいたアドヴァイスは「とにかく、歌に感情をこめろ」です。ダウランドとは、全く真逆のアドヴァイス(大笑)。やっている人は同じなのにね。つまり、それくらい真逆なタイプの歌を同時に歌おうとしている私なんです、馬鹿なんじゃないの?

 で、最後は懸案のヴェルディ作曲「椿姫」の「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」です。とにかく、音がまだきちんと取れていないんですから(涙)。

 どうもねえ…一人で歌う箇所はまあまあなんだけれど、二人でハモるところは、たいていダメです。あんまり間違えるので、伴奏の際に、私の歌うフレーズをピアノで弾いてもらったりしました。(それでもなかなか難しいです)。

 とにかく、練習不足なんだな。一人の練習も足りないけれど、圧倒的に二人で合わせる練習が不足しています。もっと、ジャンジャンバリバリ練習しないと、本番まで、この崩れた状態のままになっちゃいそう。

 さて、先生に今回のプログラムを一部差し上げました。先生、そのプログラムをチラっと眺めて「今回はメジャーな曲が多いね」とおっゃいました。

 先生の言葉によると、この手の、オープンな発表会だと、各先生方は自分のお弟子たちの選曲をマニアックにするんだそうです。だって、マニアックな曲だと、観客が知らなかったりするので、ミスやアラが目立たずに済むからです。ま、私が歌うダウランドみたいなもんだね(ダウランドなんて、なかなかアマチュアの発表会では歌わないし)。

 それが出場者の皆さんたち、どなたも比較的素直…というか、定番曲ばかりを歌うので、そこを先生が「あれれ?」と感じたわけです。ちなみに、私が歌う「理想」はかなりのメジャー作品なので、私以外の人も歌います(笑)。それもまた良しです。

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2014年10月 1日 (水)

演歌の心でクラシックを歌う

 声楽のレッスンに行ってきました。

 本番も近いし、レッスンは貴重だし、いつもなら心ウキウキとレッスンに向かうのですが、今回は仕事が忙しい上に、休日出勤が続いて体力的に全く余裕がなかったので、お教室に向かうタクシーの中で「今日はこのままレッスンをバックレちゃおうかな…」なんて考えてしまいました。いやあ、ホントの話、泣きたくなるくらいに疲れていたんですよ。(そんな日々が続いているから、疲労臭が出ちゃうんだろうなあ)

 でも、頑張ってレッスンに行ってきました(エライ!)。

 今日もピアニストさん付きのレッスンでしたが、ピアニストさんが到着するまで、約30分間ほど時間の余裕がありました。そこで、その時間を使って発声練習をしました。

 まあ、発声練習と言っても、だいたい、いつもと同じメニューをやるわけなんですが…。

 最初はハミングからです。いやあ、ハミングって、実に気持ちいいですね。つい、この前までハミングが大嫌いだった私とは思えません。それくらいに、どこで声を響かせるかって、大きな問題なんです。響きが下がっていると、ハミングは気味悪いです。でも、きちんと響きが上がっていると、ハミングって気持ちいいんだよなあ。だから、ハミングをする事で、きちんと響きが上に行っている事が確認できるわけです。ハミング、大切だな。

 ハミングの後は、普通にいつもの発声練習(ってか、発声に関する筋トレ)をしましたが、今回からは、いつものメニューに、長めのフレーズを歌う発声練習が加わりました。狙いは…上昇音階では、音程が上がるたびに、支えをしっかり入れる事を練習をし、下降音階では、クチの奥を広げたまま&支えをある程度入れたまま、音程を下げていく練習って奴をしました。特に上昇音階で“少しずつ支えを入れていく”と言うのが、案外難しい、どこまで上がるのかを計算した上で、ゴール地点で目一杯になるように支えを入れていくなんて、たかが発声ですが、きちんと頭を使って計画的に出来なきゃいけないのです。どこぞの会社のCM文句じゃないですが「ご利用はご計画的に」って感じです。で、最後の最後は、声をクルリと回して出すのも忘れずに、です。

 ピアニストさんがまだ到着しなかったので、先生と二人で、トスティ作曲の「Ideale/理想」をやりました。

 まずは音色と言うか、声色の使い分けについて、もう少し気を配った方がいいと言われました。

 歌うとき、同じ音色、同じ調子のまま、一本調子で歌うのではなく、歌詞の内容に応じて、声色を変えたり、声の調子を変えたりと、より演劇的に歌うようにしましょうと言うわけです。

 で、先生からアレコレとアドヴァイスをいただいて思った事は「要するに、J-POPではなく、演歌のように歌うんだな」って事です。もちろん、様式だとか歌唱テクニックとかは違うのだけれど、歌の中に情念をわかりやすく込めて歌い上げると言うのは、演歌と共通するモノだなあって思ったわけです。

 トスティは演歌ではないけれど、演歌の心で歌えば、よりよく歌える…と、まあ解釈したわけです(間違っていたら、ごめんなさい)。

 それと、情念うんぬんと別で、テクニック的なアドヴァイスとして、低くて細かい音符の箇所は暗い音色で歌い、高くて見晴らしの良い箇所は明るい音色で歌う事なども注意されました。あと、細かい音符に細かく歌詞がついている部分を過剰に滑舌よく歌うと、違和感がある事も注意されました。(クラシック系歌手は滑舌の良すぎる人が多いので注意です)

 バリエーションで使う、高いAの発声を注意されました。ポイントは、Aに至るところで、どれだけノドを開くことができるか…なんだそうです。なので、そこに至るまで、何も考えずに高いポジションで歌い続けていて、そこからいざノドを開こうとしても、すでに高いポジションにいるので、そこからノドを上に開いていくのは無理があるわけです(でも、その無理を無理やり押し通そうとしているのが、現在の私なんですね)。

 そこで、高いAに移る前、できればフレーズなどの単位で、その前の箇所にいる時に、ポジションは高いままでも良いのだけれど、事前にノドを思いっきり下に開く必要があります。当然、何も考えずにノドを下に開けば、声は太くなって、ポジションが下がって、声が胸に落ちてしまいます。しかし声を胸に落としてはいけません。なので、気持ち的には、ポジションは高いまま(それでもいくらかはポジションが下がってしまいます)、ノドを下に開いて、そこから更にノドを上に思いっきり開いていきます。

 分かりづらければ、高音に移動する前に、ノドを一度“閉じる”と考えても良いかもしれません。ノドを一度閉じ、高音に移動する際に、ノドは閉じたまま、改めて上に引っ張って開けることで高音にトライしましょうって事です。

 なんか、言葉で書くと、全く違うことを書いているようですが、実は同じことなんです。高音Aぐらいになると、普通にノドを開いても出せない音なので、そこを出すためには、ちょっとばかり姑息な事をして、普通以上にノドを開くようにしましょうって事なんです。たぶん、矛盾して読めるのは、私自身がまだきちんと事情を理解把握していないからなんだと思います。でもそういう事なんです。

 高い声を出すために、一度、声のポジションを少々下げて、そこから改めてノドを開きます。あるいは、高い声を出すために、一度ノドを閉じて、改めて引っ張ります。

 どっちにせよ、甲高いテノールっぽい声のまま高音に行くのではなく、一度、倍音の多い、バリトンっぽい声にしてから、そこからグワーッとジャンプして高音に行くんです。難しいですね。

 まだ時間があったので、ヴェルディ作曲の「椿姫」の二重唱「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」のテノール部分の確認をしました。

 確認と言っても、この歌、リズム的に歌えないわけではありません。単に、音程を外す箇所と、音程を間違える箇所があるので、その箇所の確認をして、正しく歌えるようにしましょうってわけです。

 音程を外す箇所は、私の中にある“歌の音程のイメージ”があやふやな箇所です。音程と言うのは、イメージがはっきりしていれば、そんなに大きく外すものではありません。なので、音程を外すのは、そのイメージがあやふやなんです。なんであやふやなのかと言うと“耳慣れない”からです。

 そして音程を間違える箇所は、たいてい、テノールではなくソプラノのパートを歌ってしまって間違えるんですね。

 「パリを離れて」なんて曲は、よく知っていて、耳慣れている曲なんですね。なので、耳で結構覚えているわけですが、この“耳で覚えている”というのが厄介で、私が耳で覚えているのは、よく耳につくメロディーの箇所。つまり、ソプラノのパートを無意識に覚えているわけです。で、私が歌うべきテノールパートってのは…よく聞こえませんから、耳で覚えているという事がなくて、歌の練習では、改めて音取りをしてテノールのパートを覚え直すわけです。

 でも、人間と言うのは悲しいもので、慣れがあるわけですから、いざ歌い始めると、耳慣れたソプラノパートのメロディを歌ってしまいます。これが“間違える”の正体ですね。で、「ソプラノパートを歌っちゃいけない、テノールパートは別のメロディなんだ…」と思って、ソプラノとは違うメロディを歌おうとして、迷路とか袋小路とかに入ってしまうと“音を間違えてしまう”です。

 悲しいですね。音に関する記録力とか、絶対音感とかがあると、こういう惨めな間違え方はしないんだろうけれど、私のような、読譜力が低くて、音感の鈍い人間で、なおかつ音楽聴衆歴がそこそこあると、どうしても“耳で覚えてしまった”メロディをついつい歌ってしまうわけなんですね。ほんと、悲しいですよ、ぷぷぷ。

 それに加えて、メロディのイメージは正しいのだけれど、結果的に音程がぶら下がってしまって届いていないという間違い方もあります。これの原因は『力みすぎ』って奴です。力んで、ノドに力が入ってしまうために、ノドが不十分にしか開かず、その結果、音程が下がってしまうわけです。

 ノドに力が入ってしまうのは…不安だからです。その音程で歌えるか不安だから、その不安を打ち消そうと、ついつい力んで歌ってしまってドツボにはまるわけです。

 「Asまでは余裕で歌えるはずなんだから、もっと軽く歌いましょう」と先生に言われました。そうなんですよ、今の私、Asまでは、実用音域なんです。だから、変な事さえしなければ、Asまでの曲ならキレイに歌えるはずなんです。それが失敗するのは…変な事をしちゃうからです。

 気をつけないといけませんね。

 それにしても、音程の跳躍って難しいね。上に飛ぶのも難しいけれど、下に下がるのは、もっともっと難しいです。

 そんな事をしているうちに、ピアニストさんがやってたので、ピアニストさんを交えてのレッスンとなりました。

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