ひとこと

  •  もうすぐ選挙ですね。選挙は、それぞれがご自分の思想信条に従って投票すれば良いことですが、その際に、枝葉の小さな問題に捕らわれて、大切な事を見失わないようにしないといけません。選挙は人気投票でもなければ、誰かを懲らしめるための手段でもありません。我々の子どもたちに、日本という国を安心安全に譲り渡すために、今何をしなければいけないのか、そしてそれを目指しているのは誰なのか、そこらへんを見極めていくことが大切なのです。問題は今ではなく、未来なのです。
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2014年7月の記事

2014年7月31日 (木)

今月はどこにもコメントを書かなかったので、ミニエッセイでお茶を濁します[2014年7月の落ち穂拾い]

 いやあ、実際、今月はメッチャ忙しかったんですよ。よくぞ、老犬ブログの記事を毎日アップしたものだと、自分で自分をほめてやりたいくらいです。それくらいに忙しかったので、他の方々のブログは読んでいても、なかなかコメントして差し上げられなかったんですよ。

Windowsアップデートを途中で辞めてはいけません

 どうにも、私が職場で使っているサブマシン(2台同時使用なんです)の方が、調子が色々と悪いです。いきなり再起動しちゃったり、ブルースクリーンになったりして…。散々姑息な手段を講じましたが、芳しい効果が見られなかったので、リカバリーをかけて、パソコンを工場出荷状態に戻す事にしました。なんだかんだ言って、これが一番確実だものね。これでダメなら、ハードヴェアの故障って事になるわけだし…。

 で、無事にリカバリーも済んで、Windowsアップデートをしている最中に、ふと工場出荷時のままではOfficeが入っていない事に気づき(ライセンス管理をしている)事務方に「Office入れてよ」と頼んだところ、すぐにやってきました。

 で、その時のWindowsアップデートは、数にして150ぐらいのファイルをダウンロードしてインストールしようとしていて、終了まで何時間かかるか分からない状態だったので、とにかく“インストールの中断”をして、Officeを先にインストールする事にしました。

 せっかく別部署からやってきた人を待たせるわけにはいかないじゃない? 相手も仕事があるわけだし。

 そうしたら、普通はすんなりインストールできるはずのOfficeのインストールに苦労し、その後はWindowsアップデートができなくなり、パソコンが挙動不審になってしまいました。

 結論、Windowsアップデートを途中で止めてはいけません。

マシンの再構成は、結構面倒くさい

 結局、その後も色々と姑息な手段を講じたものの、やっぱりダメだったので、もう一度リカバリーをかけて、退勤時にWindowsアップデートをかけて(何時間かかるか分からなかったから、一晩中マシンに頑張ってもらうつもりでいました)おきました。

 翌日、出勤したところ、まだWindowsアップデートをやってました。ああ、一晩放置して正解でした。で、午後になって、ようやくアップデートが終わったので、パソコン作業の続きをしたのですが、事務方の職員さんが夏休みを取ってしまったため、私のパソコンにOfficeをインストールを導入するのは、しばらく先になりそうです。まあ、Office仕事は、メインのパソコンでやればいいから、まあいいや。

 それよりも、マシンをリカバリーしてしまうと、マシン環境を再構成しないといけないのが面倒ですね。不要なファイル(メーカー製パソコンを購入すると、やたら不要なアプリが付いてくるのでイヤなんだけれど…職場のパソコンなので、贅沢は言えません、仕方ないです。本当は自分で使うパソコンぐらい自分で組み立てたいですよ)を削除し、仕事に必要なアプリをインストールして(そんなに数は多くない。Officeとアドビ系が入っていれば、私には十分)、親指入力環境を作れば、それで良しです。

 そうなんですよ。私は、今や絶滅危惧種である“親指ユーザー”なんですね。いまさら、ローマ字入力や仮名入力など、そんなまどろっこしくてやってられない人なんです。

 今まではJapanistを愛用していましたが、これから先の事を考えると、そろそろJapanistを捨てた方がいいのかな?と不安になります。とりあえずは“やまぶき”を使ってみようと思います。“やまぶき”とは、普通のパソコンの普通のIMEで、親指入力を可能にしてくれるユーティリティーソフトです(フリーソフトです、作者の方、感謝感謝です)。支障なく使えるようなら、Japanistから“やまぶき”に乗り換えてもいいかなって思ってます。さて、どんな感じでしょうか? 少なくとも今のところはいい感じです。

ぎっくり腰は治ったけれど、腰痛持ちになってしまったみたいです(涙)

 ぎっくり腰になって、約一ヶ月。さすがにぎっくり腰そのものは治ったようです。じゃあ、以前のように元気はつらつに回復したのかと言うと、違います。ぎっくり腰で痛めた箇所が、今でもシクシク痛みます。時折、電気が走るような痛みもします。まいったね。

 当初は「なかなかぎっくり腰って治らないものだなあ」と思ってましたが、ある時、ふと気づきました。実はぎっくり腰そのものは、とっくの昔に治っていて、今の痛みは単なる腰痛ではないのか? いや、そうだ。そうに違いない。

 これで私も晴れて腰痛持ちの仲間入りです。

 腰痛の原因は、肥満と運動不足と座業でしょうね。それ以外に考えられません。ぎっくり腰は急性の病気ですが、腰痛ってのは持病ですからね。その治療は長期的に考えないといけないんだろうなあ…ってか、治す事を考えるよりも、上手につきあっていく事を考えるべきなのかな?

 こうやって、カラダのあっちこっちが少しずつ壊れて不調になっていく…これが年を取るって事なんだなあと思いました。

今月のお気に入り マイケル・ジャクソンの新曲「Slave To The Rhythm」

 これ、すごいですねえ。一応書いておくと、この画像、ビデオ上映ではなく、ライブ演奏を収録したモノなんだそうです。マイケルの周囲で踊っているダンサーさんとかは、あの場でリアルに踊っているんだそうです(ほんとかな?)。

 これってつまり、初音ミクなんかと同じような技術を使っているわけで。ホログラムなんだそうです。すごいね。ちなみに、このマイケルは30歳当時のマイケルなんだそうです。

 しかし、そこに実在しない人のライブが見れる時代になったとはねえ…。ホログラムと言えば聞こえはいいけれど、科学的に作られた幽霊みたいなモノじゃないの? 幽霊のライブ公演なんて、いかにも夏っぽくていいでしょ?

今月の金魚

2014年7月20日(日) チビが星になりました
2014年7月21日(月) マドジョウ2匹とイシマキガイ10匹を水槽に迎えました。
    詳しい話は、次の週末にします。

 
今月のひとこと

 涙、涙、涙。2時間かけて書いていた文章が、エディタがフリーズして、突然消えた。その間、一回もセーブしていなかった私も悪かったけれど、2時間の文章量…おそらく原稿用紙にして40~50枚程度の文章を返してほしいです(涙)。ちょっとならともかく、これだけの分量の文章をもう一回書くなんて…ほんと、勘弁です(涙)。(2014年6月27~30日)

 やっちまったよ。ぎっくり腰だ! おお、痛い。おお、つらい。(2014年6月30日~7月5日)

 腰は痛かったけれど、頑張って、見知らぬ人(正直に書けば、妻の友人)の発表会に行ってきました。と言うのも、会場が我が家から徒歩10分のホールだったから。やっぱり、近さは正義だな(笑)。(2014年7月5~11日)

 腰が痛くて忘れていたけれど、そう言えば最近、息苦しさを感じなくなりました。だいぶ肺炎モドキの方が良くなったような気がします。一病息災? いやいや、無病息災が理想ですよね(笑)。(2014年7月11~19日)

 雨の中の野球応援…つら過ぎる(涙)(2014年7月19~22日)

 ココログの不調(?)で、記事がアップロードできなかった(驚)。まいったなあ…もう。(2014年7月22~23日)

 今回の鶏肉事件は、日本人は「由々しき事だ」と思っているようだけれど、現地の中国人たちは「間違っている事だけれど、よくある事だ」と思っているようで、我彼には温度差があります。だからたぶん、この問題は今後も似たような事が普通に発生する事でしょう。つまり、これがグローバル化、世界の低い安全基準に慣らされていく、って事なんだな。安全な食品を食べたければ(価格を度外視して)国産に限定しないといけないとは、貧乏人に「死んでしまえ」と言っているのと同じだよね。安くて良い品なんて、世界にはないのかしら? やっぱり、安かろう悪かろうになってしまうのかしら? しかし、いくら注意してチャイナフリーを心掛けていても、加工食品、それも外食で使われてちゃ、お手上げだな。これってつまり、加工食品を買うな、外食(特に安いファストフード店)をするなって事なのかな? かな? かな? うん、きっとそういう事なんだな。(2014年7月23~)

 またも記録を更新しました。2014年7月21日(月)のアクセス数が3054ページでした。やったね。初の3000ページ突破です。最近はコンスタントに2000ページを超えていて、日によっては2500ページになる日もあったのですが、よもや3000の大台を超えるとは思ってもいませんでした。これも皆さん方のご愛顧のおかげです。感謝いたします。ちなみに、この日の記事は「アルテを学び終えて、思うこと」でした。今回のアクセス増は、私がアルテを学び終えたことへのお祝いのアクセス…と思う事にしました、感謝です。

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年7月30日 (水)

ダウランドは一筋縄ではいきません

 声楽のレッスンの続きです。

 次に歌ったのは、ヘンデル作曲の「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」です。とりあえず、通して歌ってみました。素直に「ああ、なんて歌いやすい歌だ」と思いました。高声版だと、音域の広さといい、高さといい、音のバラけ具合といい、実にいい感じです。歌詞の内容はともかくとして、私にピッタリという感じです。先生も「良いと言えば良いし、歌えていると言えば歌えているけれど、それじゃダメなんだよね」との事でした。「せっかく歌うのだから、きちんとテクニックを使って歌ってほしいんですよ」って事なんです。

 つまり、簡単な曲で無意識でも歌えるとしても、この曲は歌のレッスンのために歌っているのだから、わざとテクニックを使って歌ってほしいとのことです。たとえ、テクニックなど使わなくても歌えたとしても、そこはわざわざおおげさにテクニカルにやってほしいとのことです。特に“ノドの奥を開く”“跳躍の前は深く歌う”“腹筋を使って声を支える”は、ぜひぜひやってほしいとの事です。

 だって練習のために歌っているわけだからね。

 それと“Dei”は「神様」という意味の言葉だから、最も美しい声で歌わないといけないも言われました。それも意識的に美しい声で…ね。

 次は、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」です。この曲は変拍子が多くて(2拍子と4拍子と6拍子が混在しています)、耳で聞くよりも難しい歌です。Y先生もちょっと嫌がってましたね。

 とにかくリズムが難しいので、最初は手拍子をしながら歌います。手拍子をしながら歌うと…どうも私は、手拍子とか指揮とかをしながら歌うと、手拍子の方に意識が行って、歌が止まってしまいがちなので、手を叩きながら歌うのは、本当はうれしくないのですが、仕方ありません。なるべく手拍子に意識が行かないようにしながら歌いました。音程に関しても、あまり大きな動きがない曲なので、簡単に思えますが、同じような音程が続く単純な歌だからこそ、1音1音、改めて音を取り直しながら歌うつもりでいるのが良いらしいです。そうしないと、無意識のうちに音程が下がってしまうってわけです。クワバラクワバラ。

 まあ、確かにリズムは難しいのですが、しっかりピアノを聞いて歌えば(特に私が使っている譜面では)歌とピアノがお互いに呼び合っているので、そんなにミスらずに歌えるんじゃないかって思ってます。

 それにしても「来たれ、今いちど」は、元々古楽で、オリジナルの楽譜は、現在の楽譜とは記譜法が違っていて、それを私は現代風に書き直してた楽譜を用いて歌うのですが、当然オリジナルとは、色々と違います。例えば、伴奏楽器は、本当はリュートなんですが、現代ではリュート一般的な楽器ではないので、当時の雰囲気を残しながらピアノに置き換えられたのが現代的な楽譜です。音階も当時と今では微妙に違いますから、当然メロディも微妙に違うんだろうなあって思ってますが、現代風に平均律に準じて歌います。

 この曲、すでにパブリックドメインだし、オリジナルそのままでは演奏できないため、様々な出版会社から色々なアレンジの楽譜が出版されていますが、会社や版が違うと(つまり監修者とか編集者が違うと)曲のメロディや伴奏が違ってきます。それって、なんか面白いです。

 この曲の本来のテンポはかなり速いのですが、速い曲を速いテンポのままで練習すると、細部がいい加減になるので、練習ではテンポを落として練習するように言われました。しかし、歌詞が英語で子音が多いので、あんまりテンポを落とすと、音楽に空白が空きすぎてしまうのが悩みです。なんか、歌いながら、ロックっぽくなっちゃうんですよね。やはり、歌詞が英語だと、歌もなんか歯切れよくなってしまいます(笑)。

 とにかく「来たれ、今いちど」は一筋縄ではいかない、癖のある曲です。

 で、最後に残った曲は、トスティ作曲の「Ideale/理想」ですが、この曲は時間切れのために、今回は歌いませんでした。まあ、仕方ないですね。

 この曲は、ピアノ伴奏が三連符を基本しているのに対して、歌の方は普通に四拍子なので、ピアノとはつかず離れずの関係で歌わないといけないのが、まずは難しいかな? そこは自分の中に、三連符と八分音符のリズムの違いをしっかりとカラダの中に入れないといけないかなって思いました。

  では、今回は「来たれ、今いちど」をご存じない方のために画像を貼ります。

 ねえ、普通に聞くと簡単そうな歌でしょ? でも、歌ってみると、案外やっかいなんですよ。

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2014年7月29日 (火)

いじわるされたわけではありません

声楽のレッスンに行ってきました。

 どうも私はハミングが下手くそのようです。“ア”を発音し、“イ”を発音し、ハミングをしてみる。そうすると、これらの順番でドンドン、ノドが閉じてしまうそうなんです。なので、レッスンの最初にハミングで始めてしまうと、私の場合、その日一日、ノドが閉じたまま歌っちゃう事になるんだそうです。

 なので、“ア”を発音している時が一番大きくノドが開いているそうなので、“ア”の発声練習をして、ノドの感じをつかんだら、それをキープしたまま“イ”やハミングができるような、そんな練習をしました。

 これを糸口として、“ア”と“イ”だけでなく、どの母音でも同じノドの開きで(つまり、おなじ音色で)歌えるようにする練習をしたわけですが、どうしても母音によってノドの開きやすさが違うので…難しいですね。

 もちろん、母音の違いだけでなく、音程の違いでも、ノドの開きが変わってしまうのが、私の欠点です。どんな音程でも、どんな母音でも、同じノドの開きで歌えないとダメですね。

 脱力って難しいですね。ノドの脱力を心がけていますが、私の場合は、先生がおっしゃるに「肩や胸で声を支えるのは止めて、お腹で支えましょう」ですって。つまり、ままだ支えの位置が高いし、肩や胸に力が入っているって事なんですね(涙)。それでも、だいぶ良くなったとは言われています。

 私の声は『軽くて太くて浅い』んだそうです。『軽い』は良いも悪いもなく私の声の特徴でしょうから、受け入れるしかないです。『太い』のは男性的でいいじゃないですか。問題は『浅い』って部分ですね。いかにも日本人的な浅い発声だと言われちゃいました。この浅さを克服して、深い声で発声できるようになると、良いんでしょうね(頑張りますよ!)。

 なぜ声が浅いのか…どうもノドの下方向への引っ張りが弱いのだそうです。ここがもう少し改善されると良いのだそうですが…ノドの下方向への引っ張りと言われても、なかなか、実際に実行するのは難しいです。

 さて、曲練習です。今回は、どの曲も新曲のようなものですから、ワクワクしてました。だから、どの曲からレッスンを始めても良かったのですが、曲によって予習の進行具合が違うので、それを伝えました。

 …ヘンデルの「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」は、高声用で音を取り直してきました。ダウランドの「Come again/来たれ、今いちど」は、音は取って歌詞もつけましたが、部分的にリズムが不安です。トスティの「Ideale/理想」は音を取ったばかりですが、まだ歌詞が危ないです。ヴェルディの「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」は、知っている曲ですが、音は全く取ってませんし、歌詞も読んでいません…とまあ、こんな感じで伝えました。

 さて、最初の一曲目は何をやるのかな…と待っていたところ「では、パリからやりましょう」との事でした。

 いやあ、そこから手をつけますか!

 …この曲は体力を使うので、レッスンの最初の方じゃないと歌えないし、音を取る前に色々と注意をしておきたい事があるし、知っている曲なら問題はないだろう…という事で、ひとまずこの曲からレッスン開始となりました。

 で、最初にやったのは…私の苦手な音程の跳躍の練習です。この曲の印象的なフレーズには跳躍が使われています。で、その跳躍なんですが、まあ、私に音感が無いせいもあって、狙ったところにうまく飛べないんですよね。特に跳躍の幅が広くなるに従って、飛んだ先の着地先が怪しくなります。先生がおっしゃるには、それはきちんとした手順を踏まずに飛んでいるので、うまく飛べないし、うまく着地できないのだそうです。

 跳躍を上手に飛ぶには、まずは飛ぶ前の音(低い方の音)を発声する時に、おもいっきり深い音色で歌うことなんだそうです。深い音色で発声すると、ノドの奥の方が広がるわけで、そうやって下を広げたら、そこに息を思いっきり流し込んで、それからノドの上を開けて、高音に飛ぶわけです。その時に注意するのは、音程が高いからと言って、上に音を飛ばそうとすると、ノドがつまるので、音を前に飛ばすつもりで歌うと、ノドがつまらず、声のポジションも変わらずに行けるのだそうです。つまり、上に飛ぶのではなく、前に飛ぶつもりで歌うと良いのだそうですよ。

 そうやって手順通りに歌って、それでもうまくいかなかったら、それは歌手の責任ではないので、気にしない事…なんだそうです。

 言葉で言うのは簡単ですが、いざ実行するとなると、難しいです。でも、練習をして身につけたいと思います。で、このあたりを注意して練習してきてくださいとの事です。

 さて最後に、この曲を知らない人のために画像を貼っておきます。

 聞くと簡単そうですが、歌ってみると、案外難しいんですよ(涙)。

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2014年7月28日 (月)

財布が寂しいけど、音楽をやりたいなら…

 発展途上国とか先進国でもスラム周辺とか、つまり貧しい人々がたくさんいる場所では、スポーツと言えば、まずサッカーなんだそうです。決して、野球とかゴルフとかでは無いそうで、貧しい地域ではサッカーが盛んなんだそうです。

 理由は…サッカーはボール一つあれば、他の道具がいらず、大勢が遊べるから…なんだそうです。おまけにサッカーボールと来たら、かなり大きいから無くなる事もまず無いし、バスケットボールやバレーボールのように、よく跳ねるボールでなくてもいいので、極端な話、ボロ布を丸めてまとめたようなものをボール代わりに使っても全然かまわないのだそうです。

 さらに、正式な試合となれば話は別だろうけれど、遊び程度なら、コートの大きさもゴールの大きさもいいかげんでいいし、人数もアバウトでいいし、ユニフォームだっていらないし、空き地にラインを書いて、ボールを持って、みんなで集まれば、それでOKなんだから、ほんと、金がかからないわけです。

 そこへ行くと、野球ならバットにボールにグローブが必要だし、ボールはすぐに無くなるから予備が必要だね。ゴルフならクラブとボール(予備含む)と…ゴルフ場が必要だね。他のスポーツでも、ネットが必要だったり、よく弾む良いボールが必要だったり、ラケットなどの専用の道具が必要だったり、専用の競技場が必要だったり…ね。乗馬なんか、馬を飼っていないとできないんだよね。ほんと、お金がかかります。

 つまりスポーツには、お金がかかるスポーツとかからないスポーツがあるわけです。

 そこへ行くと音楽は…基本的にお金がかかるものばかりです。まず、楽器が必要でしょ? で、その楽器というのがピンきりだけれど、そこそこ高価だったりします。ポピュラー音楽に使う楽器は、それでも常識的な価格でおさまっていますが、クラシック音楽で使う楽器は、基本的に非常識な値段なのがほとんどです。

 総銀フルートが一本100万円? グランドピアノが1台150万円? ヴァイオリンが時価??? 絶対に奇怪しいでしょ?

 でも高いからと言って、楽器無しというわけにはいきません。まあ、初心者用に廉価な楽器、例えばフルートなら洋銀フルートが、ピアノなら電子ピアノが、ヴァイオリンでも安い輸入楽器セットがあったりしますし、それで最初は十分かもしれないけれど、腕が上達すれば、すぐにそれらの楽器じゃ物足りなくなって高価な楽器に買い換えたくなるわけで、最初はなんとかなっても、やがてそれなりのお金がかかるようになるわけです。

 結局のところ、なかなか貧乏人では音楽を学ぶのは、とりわけクラシック系の音楽を学ぶのは、難しいです。

 安くて良い楽器があればいいのだけれど、楽器の世界って、きちんと市場が確立しているので、楽器の値段と楽器のグレードはキレイに関連しています。楽器を見極める力がない人はともかく、ある程度真面目に音楽をやっていれば、良い楽器と悪い楽器の区別がつけられるようになるわけだし、そうなった時に、良い楽器(=高価な楽器)を入手できないのは、とてもとても悲しい事です。

 そんな事は、皆さん薄々知っているわけです。だから、例えばヴァイオリンなら、ヴァイオリンを自分が始めるにしても、子どもに習わせるにしても、数年おきに楽器を買い換える必要がある事を頭の片隅にインプットして、経済的な負担がかかる事を覚悟してから手を伸ばすわけです。つまり、音楽を始めるには、経済的な覚悟が必要だって事ね。覚悟が出来ないなら、演奏を諦めて、鑑賞の方に身を置くしかないのです。

 さて、金持ちしか音楽は学べないのかと言えば、実はそんな事はありません。

 音楽に、お金がかかる一番の理由(と思われているの)は、楽器の購入とそのメンテナンスなんですね。だから、そこをパスできれば、それなりにお金をかけずに音楽を学べるわけです。

 つまり、楽器を使うからお金がかかるんだから、楽器を使わなければいいんです。

 楽器を使わない…そうです、歌です。歌えばいいんですよ。声帯はすべての人間に標準装備されていますから、改めて購入する必要はないんです。「ヴァイオリンはお金がかかる~」と嘆いたり「安い楽器でも大丈夫」とホラを吹くくらいなら、ヴァイオリンでなく、歌を始めればいいんですよ。

 もちろん、才能の有無はありますから、生まれた時から素晴らしい歌が歌える人もいるけれど、練習に練習重ねて、やっとなんとか歌えるようになる人もいます。でも、歌えない人って(脳や耳に障害がない限り)いません。苦労はするかもしれないし、たいして上手くはなれないかもしれませんが、どんな人でも最終的には歌えるようになります。少なくとも、趣味として楽しめる程度には歌えるようになります。

  お金もかからないし、努力さえすれば誰でもソコソコには上達するのが、歌なんです。だったら「音楽やりたいけれど、お金がない」とか「お金がかかるので音楽できない」と言っている人たちは、ぜひぜひ歌をやってみてください。

 お手軽なところではカラオケがあります。もう少し本気を入れるなら、バンドのヴォーカリストを目指してもいいでしょう。私のようにガチなクラシック音楽が好きなら、オペラとかリートなどのクラシック声楽もいいでしょうし、肩肘張らずに、ポピュラーとクラシックの中間あたりをお望みだったり、一人で歌うのは恥ずかしいと思われるなら、合唱をやってみるのもアリです。

 案外、歌う場所ってあるもんです。

 でも(あえて言うけれど)日本の、とりわけ男性にとって、音楽って楽器演奏なんだよね、決して歌じゃないんです。バンドなんかでも、メンバーのほとんどは男性なのに、ヴォーカルだけは女の子ってのはよくあるパターンです。「日本男子と言うのは歌わないもの」という取り決めでもあるんじゃないかというくらい、男性にとって、音楽とは楽器演奏の事であって、決して歌ではないのです。

 でも、それってどうなんだろうね。楽器もいいけれど、歌も楽しいよ。楽器には楽器の楽しみがあり、歌には歌の楽しみがあると思います。これは笛と歌の両方をやっている私だから感じることかもしれないけれど、どちらもそれぞれに違っているけれど、それぞれに楽しいです。

 だから、経済的な理由で音楽を躊躇しているなら、ぜひぜひ歌をやってほしいと思うんです。特に日本男子は、歌うべきです。食べず嫌いならぬ“歌わず嫌い”はダメだと思いますよ。

 「少年よ、お金に余裕がないなら、歌を歌いなさい!」

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2014年7月27日 (日)

夏だ! 海に行きたい![2014年7月第4週・通算17週]

体重:111.4kg[+0.4kg:+0.2kg]
体脂肪率:31.9%[+0.8%:+0.7%]
BMI:35.2[+0.2:+0.3]
体脂肪質量:35.5kg[+1.0kg:+0.9kg]
腹囲:105.0cm[+-0.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 多くは申し上げません、太りました(悲)。夏なのに…太りました。ストレスと大食のせいです(涙)。気持ちはへこんでおりますが、今週のエッセイに参りたいと存じます。

 夏になりました。海も開きました。ああ、海に行きたい、泳ぎたい…です。

 海なんて、我が家のすぐ近くだし、海水浴場だって、歩けば30分かかっちゃうけれど、自転車ならすぐそばだし、バスでも乗換無しでピヤッと行けちゃうし、その気にさえなれば、海なんか簡単に行けるはずなんだけれど…仕事が忙しくて行けない(涙)。なにしろ、平日も働き、休日も働き、たまの休みは病院に母の見舞いに行き、スキマの時間で歌やフルートの練習をして、まとまった時間が生まれれば、疲れ切って丸太のように眠りこける日々だもの。海に行ける時間と体力がない。

 まあ、さすがにお盆になれば時間が作れるけれど、できれば海は7月の下旬のうちに行くのがベストなんだよね。だって、8月になると、クラゲが湧くからね。クラゲって刺すんだよね。それも結構痛いし、腫れるそうです。

 まあ、私は、クラゲらしきものを見かけたら、絶対に近寄らないので刺された事はないけれど、たまに刺されてしまった人を見かけるけれど…あれは大変だよねえ。

 まあ、7月中に行きたいのはヤマヤマだけれど、時間が許さないので、今年の私は、クラゲの影におびえながら、お盆の海にプカプカ浮かぶ事になるんでしょうね。クラゲさえいなければ、8月の海も捨てたものじゃないんだけれどね。

 私がなぜ、そんなに海に行きたがるのかと言うと…そりゃあ『夏は暑いから!』という事もあるけれど、一番の理由は『健康に過ごしたいから』です。

 私の経験則上、夏に海水浴に行くか行かないかで、その年の冬の健康状態は大きく変わります。夏に海水浴に行っておくと、冬になっても風邪をひきづらくなるし、喘息も起こりづらくなります。なぜなのかは分からないけれど、そうなんですね。一日中お日様にあたっているから風邪をひきにくくなるのかな? それとも一日中潮風に吹かれているから、風邪をひきにくくなるのかな?

 あと、海に行くと、汗疹にならないし、湿疹も起こらない。にきびや吹き出物も消えてしまうし、水虫なんて一発で治るとも聞きます(ほんとかな?)。アトピも最初はつらいけれど、数回海に通うとキレイに消えるとも聞きます。ともかく、皮膚のトラブルの多くが海に行くと解決するんだそうですよ。なぜでしょうね。海水が効くのかな? それとも焼けた砂浜が効くのかな?

 なので、水に浸かって涼しい思いをするだけならプールでも良さそうだけれど、プールに行っても健康にはならない(どころか塩素に負けて、肌がかゆくなります)ので、私は海に行って、健康になりたいんですわ。

 浮輪を抱えて、ただただ海にプカプカ浮かんでいる…だけ。それで、すごく幸せな気分になれます。おまけに健康になれるなら、こりゃあ、行くしかないじゃん。

 海に行く楽しみは、海にプカプカ浮かぶだけじゃなくて、浜で食べるお昼も楽しみ。ここ数年は、海の家でロコモコを食べるのが、私の習慣となってます。ロコモコなんて、普段は絶対に食べません。海に行った時だけ食べます。だから、私の中では「海水浴に行くとロコモコ」って刷り込みが出来上がっているからです。

 逆に言うと、ロコモコを食べたくなったら、海に泳ぎに行きます(笑)。

 ちなみにロコモコってのは、白いご飯の上に、ハンバーグと目玉焼きを載せただけの料理。ただそれだけの料理なので、普段はまず食べたくならない料理なのですが、この手のチープな食事って、海水浴とお似合いなんだよ。以前は、海に行くと、ラーメン食べたり、カレーを食べたりしてましたが、おそらくはその延長線で、ロコモコを食べるんだと思います。

 ロコモコ以外だと…かき氷かな? 浜で食べるかき氷は、なかなかに絶品です。あと、串焼きステーキも捨てがたい。よく、お酒を飲んでヘベレケになっているオッサンがいるけれど、お酒を飲んで海に入るのは、とても危険なので、個人的には、海と酒は似合わないと思ってますが…結構、皆さん、海に行くと酒を飲むんだよねえ…。

 海に行く時の必需品は…水着とかタオルとかは当然として、ゴザが便利だね。ビニールシートを使う人が多いけれど、やはり砂浜にはゴザが一番いいよ。お手軽だし、簡単に砂を叩けるし、べたつかないね。ビーチパラソルも悪くないけれど、最近はテントもたくさん見かけます。私も今やテント派だな。砂浜にボンと投げると、ベベンとテントになっちゃう奴が最近あるじゃない? ああいう奴は便利だよ。で、そのテントの中にゴザをひいて、浜辺に流れるサザンの音楽を聞きながら(なぜか浜で流れる音楽って、サザンオールスターズなんだよね)、ウトウトするのが好き。

 海でプカプカ、浜でウトウト…。ああ、癒されるなあ。ほんと、海に行きたいです。

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2014年7月26日 (土)

チビが星になりました

 前回の記事で、チビの様子がかなり悪い事は書きましたが、あの記事をアップしてまもなくの、2014年7月20日(日)に、チビが星になってしまいました。

 チビは、ドジョウの中で一番の長生きである事はもちろんですが、金魚も含めての長寿魚でした。7年、我が家の水槽にいたわけですが、ドジョウの寿命は7年だそうですから、ある意味、天寿をまっとうしたわけです。星になってしまった事は悲しい事だけれど、きちんと寿命どおりに生きてくれた事は感謝です。

 病気がちで、よく仮死状態になっていたけれど、それでもなんだかんだ言って長生きしてくれた、飼い主思いの良い子でした。

 ドジョウって生き物は、愛情が深くて、特に仲間の死には過敏な反応をします。チビが星になって、ついにドジョウはラズだとなってしまいました。で、ラズの事が心配だったので、すぐにチビの後釜を探したわけですが…その話はまた来週。

 チビちゃん、バイバイ。

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2014年7月25日 (金)

フルートは雨で濡らしちゃいけません

 フルートのレッスンに行ってきました。

 今回のレッスンは…疲労困憊でドロドロの状態で行きました。あんまり疲れていたので、それが外見にも現れていたのでしょうか? 先生もさすがに心配してくださったくらいです。

 でも、疲れていると、フルートを吹く際に無駄な力が入らなくて、返って良かったようです…って、お前は打倒大リーグボール3号の伴宙太かっての!

 とにかく、ロングトーンも脱力脱力していたので、ばっちり決まって気持ちよかったですよ。

 エルステ・ユーブンゲンの1番は、合格。実は一カ所暗譜間違いをしていたのですが、そこは不問にしてくれました。

 H先生のレッスンでは、普通は譜面台に置いた楽譜を見ながらフルートを吹いて良いのですが、暗譜で吹くことになっているエルステ・ユーブンゲンの場合は、譜面台ではなく、鏡(それも姿見)の前で自分の姿を見ながら吹くことになっています。まあ、私の場合、自宅で歌の練習の時に姿見を使って練習しているわけですし、フルートもたまに姿見を見ながら吹いているので、姿見に映る自分の姿を見ながらフルートを吹いたところで、別にどうということもないのですが、鏡に慣れない人がやったら…平常心じゃいられないだろうなあ。

 ちなみに、私が今学んでいるエルステ・ユーブンゲンですが、これ、実は初歩のエチュードのようです。フルートを始めたばかりの初心者用のエチュードの用です。難易度的には、アルテの1巻の前半程度の難易度で、最初の方の曲は初見でも、後ろの方の曲でも、ちょっと真面目に練習しておけば、簡単にクリアできる程度に簡単なエチュードです。

 で、アルテ1巻を終えた今、それをやっています。先生には先生なりの思惑があるのでしょうね。技巧的に難しい事はプチ・エチュードで、技巧とはちょっと違う事を学ぶために、わざと平易なエルステ・ユーブンゲンを使っているんじゃないかなって思ってます。

 技巧とはちょっと違う事…例えば、音色とか、フォームとか、暗譜力とかね。頑張りますよ。

 さて、プチ・エチュードは4番ですが、こちらも合格しました。ただし先生から「指の練習が足りない!」と言われましたが(汗)。

 なので、次回までの宿題は、エルステ・ユーブンゲンの2番と3番の暗譜と、プチ・エチュードの5番です。

 今回の雑談は…フルートは雨で濡らしちゃいけないって話です。

 話の最初は、吹奏楽部の野球応援の話から始まり、バブルの頃にあった先生の仕事の話に飛びました。あの頃は景気が良くて、ホテルの開業セレモニーなどによく呼ばれてコンサートをしたんだそうです。

 で、とあるホテルの開業セレモニーが、そのホテルの屋上であったんだそうです。ホテルの屋上なので、ピアノが無くて、代わりに電子ピアノが置いてあったんだそうです。電子ピアノって音量が小さいので、マイクで拡声したそうですが、ついでにフルートも拡声しようとしたので、断ったそうです。H先生的には「フルートの音をマイクに通すなんて、ありえないでしょ」って事のようです。

 まあ、それはともかく…そのホテルの屋上のコンサートですが、演奏中に雨が降り出したんだそうです。雨は降ったものの、先生はプロ根性を出して、最後までコンサートをやりつづけたそうですが、使っていた18Kのゴールドフルートが、雨でずぶ濡れになってしまったのだそうです。まあ、フルートそのものは18Kですから、多少雨に濡れても平気ですが、問題はフルートのタンポでした。先生のフルートは、伝統的なスタイルのフルートですから、タンポの調整は紙を使って行っているのですが、フルートが濡れてしまったために、タンポとその紙が濡れてしまい、シワシワになって、全部ダメになってしまったのだそうです。

 タンポを全部取り替えて、調整をし直したのだそうです。

 「それ以来、戸外でフルートを吹く仕事は、絶対に受けない事にしたんだよ」って事らしいです。ですから、H先生的には、野球応援でフルートを吹くなんてのは「自殺行為だよ」って事らしいです。

 まあ、あれだけカンカン照りで外気に触れっぱなしだと、フルートに限らず、楽器たち、調整が狂うよね。で、そんな調子の狂った楽器でコンクールに出演するんだもん、良い成績なんて取れるはずないよな。

 だからと言って、野球応援をしないわけにもいかず、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず状態なので、おそらく、全国の多くの吹奏楽部の悩みなんだろうと思います。

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2014年7月24日 (木)

合唱的上手さと独唱的上手さ

 もちろん、本当に歌の上手い人なら、合唱だろうが独唱だろうが、どちらも朝飯前だろうが、音楽を趣味とする人は色々と能力に欠けがあるのが当たり前だし、学ぶにも順序があるわけで色々と学びきれない事もあるわけで、そうなると「合唱は上手だけれど独唱はめっきり」とか「独唱ならともかく、合唱だとねえ…」という人もいるわけです。

 つまり、素人レベルにおいては、合唱的上手さと独唱的上手さは、ちょっとばかり違うのかもしれません。そこで、素人レベルにおける、合唱的上手さと独唱的上手さの違いについて考えてみようと思います。

 まず、合唱的に上手である条件とは…『音程やリズムが正しく歌える事』『指揮に正しく反応して歌える事』『周囲によく溶けて突出しない声で歌える事』『パートをリードできる声で歌える事』でしょうか?

 『音程やリズムが正しく歌える事』 それもかなり緻密なレベルまで正しく歌えると上手だと見なされるでしょう。とにかく、音程やリズムに狂いや歪みがあると、全体のハーモニーを濁らせてしまいますから、楽譜通りに『音程やリズムが正しく歌える事』は、合唱をやる人にとっては、とても大切な要素です。

 『指揮に正しく反応して歌える事』 ある意味、アンサンブル能力が高いとも言えます。合唱は個人技ではありません。自分の音楽ではなく、あくまでも指揮者の音楽を表現するのが合唱です。ですから、指揮に正しく反応し、指揮者の意図通りの歌が歌える人は、合唱的に上手なんだと思います。

 『周囲によく溶けて突出しない声で歌える事』 合唱、特に日本の合唱では、歌っている人間の一人一人の声が聞こえてはいけません。理想は、合唱なのに重唱のように聞こえる事です。1パートの歌声が一人の歌声のように聞こえる事です。そのためには、歌っている人たちの声が、パートごとによく溶け合って、全体で一つの声として聞こえるように歌える事…とても大切な事です。

 そして同時に、上手いとされる人は『パートをリードできる声で歌える事』も大切です。つまり、客席から聞けば、周囲に溶けてしまい、その人の声としては聞こえないけれど、パートの中では仲間たちの声に溶けず、よく聞こえる声で歌えてパートを引っ張って行ける事。この両立が難しい。しかし、難しい二つの事が同時にできてこそ、合唱的に上手い人なんだろうと思います。

 一方、独唱的な上手さとは…『よく響く豊かな声で歌える事』『自分で音楽を構築しながら歌える事』『極めて高い声や低い声が出せる事』『人の心にしみ入る歌が歌える事』でしょうか?

 『よく響く豊かな声で歌える事』 やはり独唱は声が命です。美しい声で歌える事。響きの豊かな声で歌える事。大きな音量で歌える事。伴奏(ピアノであれ、オーケストラであれ、合唱団であれ)に負けずに響きわたる声で歌える事。まずは、声に魅力がなければいけません。声が聞こえないなんて、独唱ではありえない事です。

 『自分で音楽を構築しながら歌える事』 歌は音楽のメインディッシュです。独唱者の歌は、時として音楽全体を引っ張っていく役割を果たす事もあります。独唱者は、自分自身の歌を歌わないといけません。そのためにも、音楽全体の責任とイニシアチブを取りながら歌えるといいですね。

 『極めて高い声や低い声が出せる事』 メゾソプラノやバリトンなどの中声歌手はともかく、高音歌手であるソプラノやテノール、低音歌手であるバスやアルトは、それぞれに極めて高い声や低い声が出せる事が要求されます。その高さ低さは、合唱曲で求められている音よりも、かなり高くてかなり低いです。ある意味、超人的な高音低音が独唱者には求められていると言えるでしょう。

 『人の心にしみ入る歌が歌える事』 要するに、観客に感動を与える事ができる事。表現豊かに歌える事です。これが一番難しいかもしれませんが、一番要求される事でもあります。

 最初に書きましたが、本来は、合唱も独唱も両立できるほどの力量を持っていれば良いし、合唱と独唱を分ける事などナンセンスなんですが、現実問題としては、なかなかそうも行きません。メインで活躍しているのが合唱なら、これらの要素を優先して身につけるべきでしょうし、独唱メインで頑張っているなら、それらを優先して学ぶべきでしょう。

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2014年7月23日 (水)

無責任に楽器を薦めないでほしい

 日本は長い間デフレで苦しんでいます。だから「安さこそが正義」という思想がはびこってしまうのは仕方ないと思いますし、私も時と場合によっては、その言葉に同調する事もありますが…事が音楽の事となると、話は別かなって思います。

 元々、音楽ってのは、王侯貴族の娯楽だったわけで、生活に余裕のある者のみが楽しめる贅沢品だったわけです。時が21世紀に変わったとは言え、本質的に音楽が贅沢品である事は間違いないわけだし、生活に余裕がなければ楽しめない事も事実です。

 まあ、それに対して19世紀に音楽の大衆化の先鞭として、サティを始めとする『家具の音楽』の思想があったわけだけれど、あれは今のBGMのようなもので“音楽の背景化”の話であって“音楽を楽しむ”と言うのとは、ちょっと違うかなって思ってます。

 とにかく、王侯貴族でない身にとって、音楽とは本質的に趣味道楽の類である…というのが私の思うところです。趣味道楽だからこそ、コストパフォーマンスを無視して行けるし、音楽への愛があるからこそ、無理難題も越えて行けるわけです。

 趣味道楽に生活感覚を持ち込んでは、野暮というものです。

 なので、音楽趣味に対して「安さこそが正義」だという発想は、おおよそ真逆の発想だし、はっきり言えば間違っていると思います。まあ、だからと言って、むやみに贅沢をしろと言うつもりもありません。要は「音楽趣味にオカネがかかるのは仕方がないから、後は自分の財布と相談しながら、浪費を含めて、自分が幸せに感じる範囲で楽しみましょう」って事です。

 話をもう一歩先に進めます。

 音楽を趣味とする…特に演奏方面を趣味とするならば、経済的な余裕ってのは絶対に必要です。衣食住が満ち足りた上で、先生や師匠への謝礼(レッスン代)が必要ですし、楽器を購入&メンテナンスする経済力が必要です。もちろん、日々の生活に時間的な余裕がなければ練習もできません。『貧乏暇無し』の生活では、音楽を趣味にするのは、少なくとも演奏を趣味とするのは、無謀と言えるでしょう。

 とは言え、我々は王侯貴族ではありません。時間的な余裕もなく、経済的な余力もない、そんな人だってたくさんいるわけです。それでも、音楽へのありあまる熱情と愛によって、音楽を学びたい、楽器を演奏したいと願う人もいるわけですし、自覚の有無は別にしても、21世紀を生きる多くの日本人は、音楽を趣味道楽にできるほど十分に裕福だとも言えます。ならば、なおさらです。

 音楽を学ぶ事を考えた場合、先生への謝礼をケチるわけにはいきませんから、そこの節約は諦めるとして、練習時間は…睡眠時間を削って捻出する事にします。となると、楽器の購入費さえ何とかなれば…と考える人がいても不思議ありません。

 それはそれで、その人が幸せなら、比較的安価な楽器を手にして、音楽の趣味ライフを始めても良いと思います。

 フルートで言うなら、最初っから総銀フルートやゴールドフルートを手にしなくても、人は十分幸せになれると思います。国産メーカーの程度の良い洋銀フルートでも、音楽を演奏するには十分すぎるほどのクオリティがあるわけですから、その手の楽器を購入して、音楽を楽しめば、お釣りが来るほどの幸せが得られます。

 しかし「安さこそが正義だ」という思想をもって、国産楽器よりも安価な某外国製の楽器を購入したり、同価格帯で購入できる(よりグレードが高いと思われる)某外国産の総銀フルートを手に入れた場合、国産洋銀フルートを購入した場合と比べて、より幸せになれるでしょうか?

 「安さこそが正義だ」と考えるなら、同じレベルの楽器を安価に買えたり、同じような金額で、グレードの高い総銀フルートが買えるなら、絶対に良い…と思うでしょうが、現実はそんなに簡単ではありません。

 うまい話なんて、そうそう転がってないです。安い楽器には安いなりの理由があるものです。

 某外国製のフルートを実際に手にすれば分かりますが、国産楽器ほど緻密に作られていません。楽器の反応速度は遅いし、うまく鳴らない音や出ない音もあります。音色は好みの問題でしょうが、一般的な美音とは違う音色の事も多いです。また表示されたスペックと実際の楽器のスペックが一致しないという事だってあります。『銀メッキ』と表示してあっても、単なる『銀色のメッキ』だったりなんてザラです。

 なので、価格の安さに惹かれて某外国製のフルートを購入しても、品の善し悪しの分かる人ほど、幸せな気分にはなれません。たとえ国産楽器よりも高スペックであると表記されていても、カタログに載らない部分が全然違いますから、とても高スペックには感じられません。

 楽器って、緻密さに欠けて作られると、演奏するのが困難になります。演奏…と言うよりも、まともに音を出すのに、エネルギーが実に必要となります。つまり“音楽”以前の部分にエネルギーを使わないといけなくなるのです。

 まだフルートは材質の違いもあって、分かりやすいですが、これがヴァイオリンを始めとする弦楽器になると、様々な要因が複雑にからみあって、我々アマチュアには、なかなか分かりづらくなります。

 分かりづらい…と言っても、心配する必要はありません。たとえどんな楽器であれ、自分が惚れて納得すれば、それがあなたにとって良い楽器です。値段が問題ではないのです、要するにその楽器に惚れられるかどうかなんですよ。

 「そうは言っても、変な楽器を選んでしまうかもしれない。私は自分の審美眼に自信がありません」とおっしゃるかもしれませんが、その前に、素人が一人で楽器屋に行って楽器を買うこと自体が無謀だという事を知ってください。

 よほどの自信家(私の事です:笑)でない限り、先生とか先輩とかと一緒に楽器を買いに行くわけでしょうから、品定めに関しては問題ないはずです。

 安い楽器を購入する事は、一見、お買い得品を手に入れられるような気がするかもしれませんが、実は粗悪品を掴まされている可能性だってあります。

 「この楽器は値段は安いけれど、海外では中級品だから…」 日本人の要求水準はかなり高いです。外国では問題とされないような小さな欠点が日本人にとっては、取り返しのつかないほどの決定的な欠点として評価される事なんてザラです。海外では中級品として流通している楽器が、日本のスチューデントモデル以下の品質しかないなんて、よくある事です。

 どんな楽器だって長所と短所があります。その短所が全く気にならず、長所に惚れ込む事ができれば問題ないんです。しかし、そうならないケースだって少なからずあります。その楽器を実際に手にして試奏して満足してから購入するならいいのですが、実物に触れもせず、ただ他人の評判だけで、通販だとか個人輸入での購入は、リスクが高すぎます。

 特に海外製品の通販はお薦めできません。だって、例えばアメリカあたりだと、通販をして入手して、さんざん使用してから「これ、気に入らない」とか言い出して、返品して返金してもらうなんて、ザラです。業者の方もそれを見越して販売しているから「不良品なら返品してくるだろうから…」というわけで、日本企業ほど品質管理が徹底しているわけではありません。我彼では通販に対する感覚が全然違うんです。

 そういうやり取りが前提となっている海外の商品が、生真面目な我々日本人の手元に届けば…もしもその製品が不良品であっても、多くの気の弱い日本人は泣き寝入りをして我慢することでしょう。

 まあ、日本の商習慣と日本人の気の弱さが悪いと言えば悪いのですが、これは日本の文化の特徴であって、外国人のようなずうずうしさは我々の美徳とは遠いものなので、仕方ないです。やはり、我々は信頼できる人や業者を間にはさんでの購入が良いでしょうね。

 さて、話を戻します。たとえ購入した楽器が粗悪品であっても、そのご本人が粗悪品を掴まされたことが分からずに幸せ気分なら、それはそれで良いのです。また“割れ鍋に閉じ蓋”の類もあるわけで、そんな粗悪品でも、ある種の人にとっては名器になるのかもしれませんが、それはとてもレアなケースです。

 良識ある人なら、そんな粗悪品を他人に薦めてはいけません。

 楽器って、音楽をする人間にとっては、プロアマ問わず、自分の半身になるわけでしょ? そんな大切なものを、赤の他人の言う事に惑わされて購入する事自体ダメですが、そんな事も分からずに、気軽に他人に楽器を薦める人は、もっとダメです。

 自分の楽器は、自分自身で選ばないといけません。それも納得ずくで購入しないとね。自分一人では判断ができないなら、先生や先輩と言われる先達の意見を聞いても良いでしょうね。そして、大切な事は、その楽器をリアルに見て、触って、吹いてみてから、決める事です。

 これって、結婚相手を探すのと同じでしょ? 自分で納得して惚れた相手と結婚しないとね。自分では結婚相手を見つけられないって人は、お見合いなどで良い人を紹介してもらえばいいんです、でしょ?

 間違っても、誰とも知らない人が薦める、会った事もない人と結婚する人はいないわけです。楽器も同じ事です。

 だから、ネットで他人に楽器を薦める人を信じちゃいけません。通信販売で楽器を買うのも、どんなモンでしょうね。

 楽器は値段相応にレベルというものがあります。良い楽器と言われるモノほど高価です。しかし、その高価な楽器が、あなたにとってベストな楽器とは限りません。楽器のレベルと奏者の腕前が釣り合っていないとお互いの不幸になります。

 例えばフルートの場合、初心者が総銀フルートを吹くのは…たぶん難しいですね。それはまだ、初心者ではフルートを吹けるカラダになっていないからです。でも、安価に売られている事が多い洋銀フルート、特にスクールモデルの楽器なら、初心者であっても、十分に音楽を楽しむ事ができます。と言うのも、演奏者が初心者である事を前提として、そのように設計製作されているからです。ならば、その人にとっては、総銀フルートよりも洋銀フルートの方がより幸せになれるわけだし、そちらのフルートを選ぶべきなんです。

 楽器は、自分にとって納得のいくモノをチョイスするべきです。値段の安さや高さ、ブランドの有無とかではなく、実際に演奏をして、気分よく使用できるものを選ぶべきなんです。

 くれぐれも、悪意の第三者や、無知なアドヴァイザーにだまされませんように…。

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2014年7月22日 (火)

今年も野球応援に行ってきて、思う事

 私は某ガッコのしがない吹奏楽部の顧問などをやっております。とは言え、別に指導などをしているわけではなく、外部に出張った場合の責任を取る役割を主に担っております。まあいわゆる“ジジイ仕事”って奴ですね。なので、吹奏楽部が野球部のいわゆる“甲子園予選”の応援として出かける時は、引率責任者として私も同行するわけです。

 自分たちのコンクールが間近に迫っているというのに、野球部の応援をしにいかなければならないとは、結構厳しいものがあります。野球部が勝ち進むのはうれしいですが、その度毎に自分たちの練習時間が削られていくのは、複雑な思いがあります。特に今年の野球部はうれしい事に3回戦まで駒を進めたので、吹奏楽部もそれにつきあったわけです。いやあ、大変だった。

 個人的には、ぎっくり腰が良くなっても、野球の応援に出かけると、決まって腰が悪化してしまうのがつらかったです。応援に行くたびに腰が悪化していくのは、仕事とは言え、ほんと厳しかったですよ。まあ、これは野球のせいではないと思うのですが…長時間同じ姿勢でバスに乗り続けなければいけない上に、野球の応援って、暑かったり寒かったりして、カラダに負担がかかりますし、球場のベンチって背もたれがないから、上半身の重みが全部腰に来るから、本当に厳しいんですよ(涙)。

 野球応援は、私の腰にも厳しかったのですが、生徒たちにも、生徒たちの楽器にも厳しかったのです。

 だって、ガンガンに晴れ渡った炎天下の日の演奏なんて、金管楽器なんて、ヤケドするんじゃないかってくらいに熱くなるわけで、絶対に楽器の調整が狂うよね…。いや、楽器どころか、ばたばたと生徒が熱中症で倒れたし…。また、雨が大降りの中、ビショビショにカラダも楽器も濡れたままでの演奏なんて、絶対に良くないでしょ。楽器は調整が狂うどころの話じゃないです、木管楽器はタンポがダメになっちゃうし、生徒たちも風邪ひいちゃいます(実際、あの後、風邪ひいて寝込んだ生徒もおりました)。まあ、雷が鳴っている時に、雷が金管楽器の上に落ちなかったのは、不幸中の幸いだと私は思ってます(そんな事があったら新聞沙汰だよね)。

 もうコンクールまで、時間もないので、生徒たちの楽器も、このままの状態で臨まざるを得ないのですが…こんな調子っ外れの楽器で、どこまでコンクールで戦えるのか心配ですよ。

 なぜ、野球応援では吹奏楽が付き物なのでしょうか? どうして野球予選と吹奏楽のコンクールは期日が近いのでしょうか? おそらく、野球文化と吹奏楽体質って奴の相乗効果なんでしょうが、なんか、色々と考えさせられます。

 ウチの場合、部員が少ないとか、楽器が足りないとかの事情がすべて悪いのかもしれませんが、理想としては、コンクールに出場する生徒と、野球応援で演奏する生徒や楽器は分けたいのが本音です。また野球応援も、金管+打楽器主体で、木管の生徒の参加は見送らせたいくらいです。いやいや、いっそ、吹奏楽は現役の生徒たちは温存して、卒業生たちに外注したいくらいです。

 野球部が勝ち進むのは、本来はうれしい事のはずなのに、吹奏楽部の顧問としては、それを正直言って、素直に喜べなかったりします。

 それくらい、野球応援って、吹奏楽部には酷でツライ事だと思います。

P.S. とは言え、野球応援ってのはツライばかりでもありません。相手校の吹奏楽の応援を研究することもできるんですね。特に吹奏楽強豪校との試合では、我彼の違いはどこにあるのか、じっくりと観察し、それを自分たちにフィードバックできる良さもあります。

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2014年7月21日 (月)

アルテを学び終えて、思うこと

 私、先日、ようやくアルテを終了しました。約6年という歳月をかけての終了です。普通、この教則本は、1年ほどで終了するのが常なんだそうですが、それを6年かけて、ゆっくりと学びました。まあ、オトナの道楽ですから…それくらいのスローテンポがちょうど良いのかもしれません。

 もっとも、6年かかったと言っても、私の場合は、いわゆる“黄アルテ”でございまして、日本フルートクラブによる、比田井洵編著の「フルート教則本」でした。ここをお読みの方には、同じフルート教則本でも、いわゆる“白アルテ”…シンフォニア出版の植村泰一訳解説の「アルテスフルート奏法」をお使いの方もいらっしゃるでしょう。この両者は、本質的には同じモノであるはずなのに、実は色々と違います。白アルテは原著に忠実に訳され、それに色々な豆知識がプラスされているんだそうです。一方、黄アルテは原著を元に、そこにたくさんの“日本オリジナル”の部分を付け加えて作られた教則本でなんだそうです。

 ちなみに、黄アルテでは、全120ページですが、1~14課が約60ページで終了し、15課が20ページ、巻末付録のガリボルディの“ミニョン練習曲”が約20ページとなってます。私は白アルテスの現物を見たことがないのですが、白アルテスも黄アルテも14課までは大きく違わないそうですが、白アルテスでは15課はたった1ページで、巻末付録も無いので、14課が終われば、もうほとんどアルテスは終了だ~という話を聞いたことがあります。

 黄アルテでは14課終了が、心理的には「前半終了! さあ、これから後半戦に突入だ~!」という感じですから、気分的には大違いですね。もっとも、私の場合、14課終了するまでに約3年の時間がかかっていますから、やっぱり、ゆっくりもったりしていたわけです。

 で、その14課までを、私はジャズフルーティストの笛先生に習い、15課以降をガチガチのクラシック系のH先生に習いました。

 それぞれの先生で、教えるポイントが違っていて、なかなか面白かったですね。

 笛先生は『音楽を止めない事』を優先していました。ですから、演奏速度はアルテに書かれているその速度か、それよりも少しばかり速い速度で吹けることが合格条件でした。でも、その速さで音楽を止めなければ合格だったので、多少の指遣いの違いとか、リズムの揺れとかは、無問題でした。とにかく、曲から落ちずに最後まで吹ければ良かったのです。実際、ライブハウスなどでは最低限必要とされている能力ですから、これが学べたことは、とても良かったと思います。

 一方、H先生は『楽譜に正しく演奏する事』を優先していました。笛先生時代には、ほとんど注意されなかった、指遣いの癖とか、タンギングの有無、スラーの有無、アクセントの位置などを、徹底的に仕込まれました。その代わり、演奏速度の方が指定速度よりも多少遅くても「仕方無いね」と言って許してもらえました。また、演奏を間違えると、途端に音楽を止めて、そこからやり直しをさせられました。笛先生なら、例え間違えても、前に進まないと叱られたので、そこは大きな違いだったなあ。

 フルートを習い始めたきっかけは、フルートを衝動買いしたからです。

 フルートを衝動買い!…と書くと、ビックリされる方もいらっしゃるかもしれませんが、購入したのは、中国製の粗悪で安価なフルートです。お値段も約1万円でして、いわゆる“楽器の形をしたおもちゃ”と言われても反論できないレベルの楽器を購入したわけです。

 この、教則本と楽譜集と一緒に衝動買いをしたフルートが、当時はなかなかうまく吹けなかった(当然!)ので「やっぱり先生に習わないとうまくいかないなあ」というわけで、先生について習うことにしたわけです。

 というわけで、笛先生の元でフルートを始めた当初は「わざわざ教則本を買い直すのもアレだから…」というわけで、フルートを衝動買いした時に買った教則本、トレバー・ワイの『いちばんはじめのフルート教本』を使ってレッスンをしていただきましたが、やはりこの教則本では先生が教えづらいとおっしゃられて、約一ヶ月ほどで黄アルテに教則本を変えました。

 第1課は、最初に色々と文章が書かれていますが、そのあたりは、当時は読みませんでした。いや、今も読んでないかな?(笑)。御託を並べられてもアタマが痛くなるだけです。とにかく、第1課の1番のエチュードからいきなりレッスンを始めました。

 最初の1~4課までは“フルートを吹く”という点に関しては、何の問題もなく、順調に進んでいたと思います。音も最初からすんなり出たし、運指もすぐに覚えました。

 むしろ手こずったのは“楽譜を読む”という事。私、読譜が苦手なんだよね。なので、譜面さえきちんと読めれば、苦もなくフルートが吹けましたが、その譜面を苦労して読んでいたので、なかなか教則本が進まなかった覚えがあります。今思えば、簡単な譜なのにねえ。なので、第2課から、私は音符にカタカナでフリガナを振り始めていますね(苦笑)。

 ちょうど5課に入るところで、フルートを中国製のフルートから、現在使用しているアルタス1307Rに変えましたが、これはまさにグッドなタイミングでした。と言うのも、4課までは中音域を中心に学んでいたので、粗悪な造りの中国製フルートでもなんとかなりましたが、この5課から低音域の音を学ぶのです。低音域は、フルートがきちんと造られていないと出せないでしょ? 私が使っていた中国製のフルートは、粗悪な造りだったので、この低音域の音が出なかったんですね(今の私の力量でも出ません:笑)。なので、この時点で、国産のフルートに買い換えたのは正解でした。

 買ったのは総銀フルートでした。先生からはゴールドフルートを買いなさいと言われていましたが、予算の都合で総銀にしました。今のH先生からも「次に買い換えるならゴールドですね」と言われていますが、なかなかゴールドを購入する気分にはなりません…というのも、ゴールドフルートの音色って、なんか気に入らないのですよ(笑)。とは言え、今の私なら、ゴールドであろうがシルバーであろうが、きっと私自身の音色で吹いてしまうでしょうから、材質の好みうんぬんをいう必要はないはずです。むしろ、ゴールドを必要とするほど広いホールで吹くチャンスがないから、総銀のままでもいいかって思っているだけです。

 さて、私の使用済みアルテを眺めていると、4課までは楽譜がキレイなんですが、5課から先は書き込みが増えています。おそらく、このあたりから苦労しはじめたんでしょうね。それまでの“2週間で1課終了”みたいなペースでは上がらなくなってきたようです。

 8課で高音Eが始めて出てきます。今はこの音に関して、特に何の感傷も持っていませんが、当時はほんと、苦労しました。何をどうやっても高音Eを出せなかったんですよ。不思議なものですね。結局、アルテの練習では高音Eを克服できず『トレバー・ワイ フルート教本1 音づくり』の教則本の「小憎らしい“やっかいなもの”…高音のEとFis」の課題を散々練習して吹けるようになりました。トレバー・ワイ様々です。

 高音のEやFisなど、腹圧さえしっかり高めていれば、楽に吹けるのに、その頃はそんな簡単な事も知らなかった私でした。

 8課までのエチュードはすべてC-durでしたが、9課からはその他の調の練習が始まりました。いやあ、私、臨時記号って奴が苦手でねえ…。ギターを弾けるので、それでも#系はまだ良い(ギター音楽の大半は#系)のですが、b系が大の苦手でとても苦労しました。

 11課になると、ブリチアルディ・キーとアイス・レバーを学ぶ事になりますが、私の場合「アイス・レバーは使わないから学ばなくて良し」「ブリチアルディ・キーは便利なので、これを使い始めるとフルートの上達が遅れるので、今はまだ使わない事」と先生に言われて、11課以降もしばらくは、正式運指でBbを吹いていました。結局、ブリチアルディ・キーをマジメに使いだしたのは、15課に入ってたらだったと思います…というか、先生がH先生に変わってからです。「ブリチアルディ・キーをなぜ使わないの? こんなに便利なものは使わないなんて、損だよ」と言われて使い始めた記憶があります。

 ちなみに私が使っている黄アルテは33刷の平成19年のものですが、印刷がだいぶかすれていて『“ブ”リチアルディ・キー』と書かれた部分が『“プ”リチアルディ・キー』としか読めないんですね。なので、あのキーの事は当初『“プ”リチアルディ・キー』と誤読して覚えてしまったので、今でも私は“プ”と“ブ”の違いがよく分かっていません。困ったものです。

 12課までは、音符にのカタカナが振ってあります。フルートを吹くのに一生懸命で、読譜に手間取っていた当時の私は、瞬間に読めない音程(特に高音がそうです)にカタカナを振っていたのですが、それが13課から極端に減った(無くなったわけではない)のは、おそらく、このあたりで先生から「ふりがな禁止令」が出たからだと思います。

 そして13課って、難しかったなあ。とても苦労した覚えがあります。特にVar.2は難しかったです。今の力量でもう一度この変奏曲を吹けと言われても、吹けるかどうか自信はありません。それくらい難しかったし、未だに苦手意識がある曲です。なので、14課がとっても簡単に感じたくらいです。

 15課は、巻末のミニョン・エチュードと同時並行で学びました。これは良かったと思います。だって、15課って、曲がなくて、メカニカルなエチュードばかりですから、こればかりやっていたら、絶対にフルートがイヤになってしまいそうだもの。15課のメカニカルな練習に、ミニョン・エチュードが加わることで、技術と歌心の二つを同時に学べたわけです。

 実は私、15課はキライでした。だって、演奏していても、全くつまらないからね。でも、このつまらない練習をしないとフルートが上達しないなら、仕方なしにやらなきゃダメだなっと思って、我慢してやっていたくらいです。

 一方、巻末付録のガリボルディこと“ミニョン・エチュード”は好きでしたね。だって、曲だもの。だから、自宅練習でも、ミニョンばかり練習してしまう事をおそれ、意識的に15課の練習に重点を置くように心掛けていたくらいです。

 まあ、キライだったけれど、15課で学んだ、各調のスケールとアルペジオは、とても大切なんじゃないかって思ってます。だって、大半の曲って、スケールとアルベジオの組み合わせなんだよね。だから、スケールとアルベジオが吹けると、大半の曲が楽に吹ける…ような気がします。

 とは言え、15課ですべての調のスケールとアルベジオを学ぶのって…編著者に偏執狂の気質があるんじゃないかしら? この技術レベルの段階で、こんなにたくさんの調を学ぶ必要ってあるのかな?…と当時は思ってました。今は…すべてが懐かしいです(笑)。

 それにしても、6年というのは、時間がかかり過ぎだよね。でも、ひとまずアルテ1巻が終わって、良かった良かった。

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2014年7月20日 (日)

一生懸命練習に励んだところで、上達するわけじゃあない…らしいです

 今週も体重を計りませんでした…っていうか、体重を計る元気がなかったんですね。腰は痛いし、仕事は忙しいし、休日なんてほとんどないし(プンスカ!)。きっと体重、増えている…と思います。ああ、怖い、体重計が怖い怖い。

 さて、今週のエッセイです。

 生まれつきの才能がなければ、いくら練習しても楽器は上達しない…と、アメリカのミシガン州立大学のザック・ハンブリック教授(心理学)は、そう言うらしいのです。

 元記事はこちらですが、かいつまんで説明すると…チェスと楽器は、どんなに努力をしても、生まれつきの才能がなければ、上達に限界がある…そうなんです。つまり『下手の横好き』って奴になってしまうよ、という話なんです。

 ハンブリック教授によれば、練習をする事で上達する人は、全体の1/3しかいないのだそうです。残りの2/3(つまり凡人)は、知識とか才能とか何歳で始めたかで、どれくらい上達できるかが分かってしまうそうです。

 つまり、練習してあるレベルまで上達する人がいる一方、練習しなくてもそのレベルにすぐに到達してしまう人いるわけだし、いくら練習してもそのレベルに到達できない人もいるって事です。

 努力は必ずしも報われるわけではない…というわけです。

 この記事を読んだ私の感想は…ちょっと安心しました。

 だってね、私はさあ、歌もフルートもそこそこやっているじゃないですか? クラシック声楽が7年、フルートが6年ですよ。普通、これだけの期間、コツコツマジメに取り組んでいれば、今の私どころじゃないほどに上達していても全く不思議じゃないです。なのに、私の上達しないこと、実に見事なもんです。

 私、練習は大好きですよ。だから、この6~7年間、割とマジメにコツコツと練習してきたわけです。でも、あんまり上達していない。練習だけはマジメにコツコツとやってきたのに、その練習が全然報われていない? それはきっと私には才能がないからだと、薄々感じていたわけだけれど、それを他人にはっきりと言葉にして示されると、納得と安心できるんですね。

 そうか、私は才能が無かったんだ。だから、あれだけ練習しても、ちっとも上達しなかったわけだし、これから、たくさんたくさん練習しても、たいして上達しないんだなって思うと、気持ちが楽になりました。

 だってね、私にとって、歌もフルートも道楽だもん。楽しくやりたいんです、苦しいのはイヤなんです。練習は大好きだから、練習をコツコツやっていきたいけれど、それでちょっとでも上達できれば嬉しいんです。上達できないと…さすがに悲しくなりますが、それはあくまでも他人と比較して劣等感にさいなまれるからイヤなだけです。最初から自分に才能が無いと分かっていれば、他人と比べて仕方ないわけで、安心して、ゆっくりゆっくり楽しんでいけばいいだけなんです。

 これが仕事ならば、やった分だけの成果って奴が上げられなければいけませんし、それができないなら、無能と罵られても仕方ないです。でも趣味だし、道楽なんです。ある意味、結果ではなく過程を楽しんでいるわけだし、下手の横好きだし、大家の義太夫なんですわ。

 だから『下手くそを楽しもう』というか『下手から上手になる過程をゆっくり楽しんでみよう』って思っているわけです。

 私の考え方って、変かな?

P.S. たしかに私には歌の才能とフルートの才能はないけれど、声は持っているんだよな。声の強さというか、ノドの強さというか、これも一種の才能だよね。ならば私は音楽的には無才能ってわけじゃないわけだ。声という楽器に関しては、そこそこのモノを持っているんだろうと思われます。あとは、それをコントロールする技量をゆっくり身につけていけばいいわけだ。こんな小さな才能しかないけれど、才能ゼロってわけじゃないんだから、自分に与えられたこの才能を大切に育てていきましょう。

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2014年7月19日 (土)

チビが正直、ヤバいかもしれない(涙)

 緋ドジョウのチビが激ヤセをしてしまった事は以前書きました。魚は人間と違ってダイエットなどにウツツを抜かしませんから、やせてしまったというのは、良くない事だと思いますが…以前のチビは明らかに太りすぎだったから、多少細くなる事は結果として歓迎していましたが…やはりやせる事自体は良くない事みたいです。

 と言うのも、最近のチビは、時々、腹を上にして水面に浮かんでいるんです。それも身動きせず、当然、呼吸もしないで浮いているのです。一応、声をかけると目覚めて動き出すので、仮死状態って奴なのかもしれません。我が家では『気絶している』と表現していますが…。

 そんな仮死状態のチビを、最近はよく見かけるんですよ。で、ヤバいなあって思うのです。

 実は数年前にも、チビはそんな状態に陥った事があります。いつも、水面に浮かんで気絶しているのが普通で「死んでしまったのかな?」と思って、水面から上げるとビックリして動き出す…って感じでした。

 今回も前回と同じような状況なのかもしれませんが、以前とはチビの年齢が違います。あの頃のチビはまだ若々しかったのですが、今やチビも推定7~8歳だろうと思います。一説には、ドジョウの寿命は7年なんだそうです。それを考えると、チビがいつ逝ってしまっても不思議じゃないんです。

 なので、仮死状態になって水面に浮かんでいるチビを見るたびに「大丈夫かな?」と心配してしまうのです。

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2014年7月18日 (金)

やっとアルテが終わったよ(喜)

 フルートのレッスンに行ってきました。

 (マッサージに行く前だったので)腰は痛かったけれど、肺の方の調子はだいぶ良くなった私は、懸案だったアルテの15課10章のCes-durの5番のクロマチック練習を、サクっと終わらせました。もちろん、合格です。

 あれほど苦労して「こんなフレーズ、一息で吹けるわけない~」とグチっていた私でしたが、腰が痛くて、ほぼ二週間、寝たきりの生活を過ごしていたら、カラダもだいぶ休まり、肺の調子も良くなってきたようです。肺の調子が良くなって呼吸が楽になったら、このくらいのクロマチックのフレーズなんか、チョチョイのチョイって感じで吹いちゃいました。いや~、なんで今まで、こんなに簡単なフレーズで悩んでいたんだろ?って思ってしまったくらいです。

 健康って大切ですね。

 ちなみに、前回、あれほど『フルートが鳴らない(涙)』とぼやいていた私ですが、今回は、実にビンビンと鳴り響かせて吹いちゃいました。へへん、だ。

 いや~、とにかく、これでアルテの1巻、終了です。おめでとう>自分。H先生がアルテの最後のページに終了日と先生のサインを書いてくれました。これは、H先生が責任をもって、アルテを教え終えました…という証拠というか証明のサインなんだそうです。つまり、H先生による「アルテ1巻皆伝」の証ってことですね、うれしい~。

 私がアルテを始めたのは、2008年の6月です

 アルテ1巻を終えるのに、6年1カ月もかかってしまいました。小学校で学ぶよりも長い期間アルテに取り組んでいたわけです。最初の33カ月(3年弱)は、最初のフルートの先生である笛先生に14課まで習いました。で、その後の39カ月(3年強)で、現在のフルートの先生であるH先生に、15課とガリボルディを習ったわけです。

 すでに笛先生に習っていた期間よりも、H先生に習った期間の方が長くなっているんだなあ…。そして、アルテは14課までよりも、残りの15課を学ぶのに時間がかかってしまったんだなあ…。

 なんか、色々と感慨深いもんです。

 とにかく、これでアルテ1巻を終えました。これでようやく私も“フルート初心者”から卒業できそうです。これからは胸を張って“下手くそな笛吹き”と自慢できます(笑)。

 それはさておき、前回から始めたエルステ・ユーブンゲンは、課題を暗譜しないと合格にならないので、今回は頑張って1番を暗譜してきたつもりでしたが…やっぱり暗譜は無理でした。いやあ、ほんと、私は暗譜が苦手です。なので、今回も不合格となりました。

 先生曰く「70歳の人でも暗譜できたからね~、君に暗譜できないはずはないんだから、がんばりなさい」「みんな、最初は暗譜できないもんだよ。それで苦労するんだけれど、暗譜なんて、コツをつかめば簡単なものなんだよ。そのうちに、スラスラと暗譜できるようになるから、安心しなさいね」との事でした。ほんとかな?

 プチ・エチュードは4番でしたが、不合格でした。「中音レの時の左人指し指があがっていない(私の悪い癖です)」とか「スラーの時に音を押さない事」とか「スタッカートは、もっと歯切れ良く」とか注意されました。がんばるぞ。

 今回の雑談は、ミュージシャンの引き際の話。ミュージシャンはサラリーマンと違って定年がないのだけれど、だからと言って、いつまでもできるわけじゃあないんだよって話です。

 プロとしての水準を保てなくなったら、客に失礼だから、さっさと演奏活動から足を洗わなきゃダメだって話を、色々な有名人の晩年の演奏の話を通して教えてくださいました。まあ、具体名を上げるは良くないでしょうから書きませんが、H先生って、結構厳しいんだよね~。先生ご自身も、最近は年齢を感じるようになり、若い頃のように吹けなくなってきた事をグチっていましたが…。

 とは言え、近々オール・バッハのコンサートを開くそうで、今日も私のレッスンの合間に、バッハの楽譜を広げては、うっとりしてました。この人は、まだまだ現役バリバリみたいですね(笑)。

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2014年7月17日 (木)

マッサージに行ってきた

 あまりに腰の治りが遅いので、マッサージに行ってきました。

 本来ならば、もう一度ペインクリニックに行くべきかもしれないけれど、あそこはブスブス注射を打つので、なるべく行きたくないし、かと行って、整形外科は湿布貼るだけだから、こちらにも行きたくない。

 そこで東洋医学と言うか、民間療法と言うか、いわゆる“鍼灸按摩”に頼ってみる事にしました。

 で、まずは、最近、妻や息子君がお世話になっている柔道整復師さんのところに行ってみる事にしました。と言うか、妻がそこの先生に「ウチの主人は、いつまで経っても、ぎっくり腰が良くならなくて…」とグチったところ、じゃあウチに連れてきなさいって事になったので出かけてみた…というのが真相です。

 柔道整復師さんと言うのは、昔風に言えば“ほねつぎ”さんですが、最近は“スポーツ整骨院”って言うそうですが、まあ、大昔風に言えば、按摩さんです。カタカナで言えば、マッサージさんですね。以前は、文字通り、柔道の先生が道場経営の傍らにやっていたものですが、最近は、色々なスポーツ経験者の方が営んでいらっしゃるようで、私が言った整骨院の先生は、元ラグビー選手でした。ま、柔道であれラグビーであれ、パワー系の人が営む稼業のようです。

 とにかく、腰の中がいつまでもグズグズと痛いわけで、それがマッサージで治るなら、うれしいじゃないですか。

 で、ひとまず予約を入れてみました。なかなか繁盛している整骨院らしてく、予約を入れておかないと、本腰を入れて施術してもらえないそうです。まあ、按摩って、通常の病院と違って“3分診療”ってわけにはいかず、時間がかかるからね。

 とりあえず、休日の昼下がりに、痛い腰をさすりながら、妻に付き添われてマッサージに行きました。先生はゴツイ人でした。私もゴツイけれど、私よりもずっとゴツイ人でした。

 とりあえず問診をして、電気治療をしてから、腰を中心にマッサージをしてもらう事にしました。

 で、電気治療というか、電気マッサージって、私は苦手なんですね。なんか、通電に過敏っぽくて、ほどほどじゃないとイヤな人なんです。緊張しながら電気マッサージを受けて、いよいよ先生の手によるマッサージとなりました。

 先生が揉み始めて…2~3分?したところで、本日の施術は終了。ううむ、実に短いなあ…と思っていました…が、後で妻に尋ねてみたら、1時間以上もガッツリとマッサージされていたんだそうです。それも、普通は指で入れるところを、ヒジまで使って、たっぷりとやってくださったそうです。まあ、それくらい深いところまでマッサージをしてくださったようですが、肝心の私は、マッサージを始めるや否や、眠りに落ちて、マッサージが終わるや否や、目覚めるという快挙をなし遂げたので、自分的には2~3分のマッサージと勘違いしてしまったそうです。

 「あれだけ、激しく揉まれて、ちっとも痛くなかったの?」と妻に言われましたが、痛いどころか夢の世界にいた私です。よほど、気持ち良かったんだろうなあ…。

 で、結果ですが、腰の痛みは、ほぼ取れました。痛みは取れたけれど、筋力は回復していないので、カラダを動かすのは、まだまだ不自由です。少しずつカラダを動かして、筋力の回復を図らないと…。

 腰の痛みが和らぐと、今度は別の痛みに気づくわけで、右の股関節が痛い事に気づきました。で、先生に「腰は良いけれど、マタが痛いよ」と伝えたところ、またもマッサージとなりました。今度は寝なかったので、何をやられているかは、ばっちり覚えていますが、カラダにオイルを塗って、電極を持った手でカラダを圧迫しながらさすられました。あれって“リンパマッサージ”って言うんじゃないかな?と思って質問したら“筋膜マッサージ”って言うんだそうです。素人の生半可な知識じゃ間違えちゃうね。

 とりあえず、施術直後はあまり良くなった感覚はありませんでしたが、しばらくすると、腰も股関節もだいぶ楽になりました。痛みが和らいだって事です。東洋医学を馬鹿にしちゃいけませんね。

 動けないほどの痛みはなくなりましたので、これからは、積極的に動いて、筋力をつけていきたいなあって思いました。妻に言わせれば、やみくもに動くのではなく、きちんと腰痛体操のようなものをしなければダメって言われましたが…腰痛体操って、痛いんだよね(笑)。

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2014年7月16日 (水)

次からは中声用ではなく、高声用の楽譜でレッスンをしましょう

 声楽のレッスンの続きです。2曲目は、カルダーラ作曲の「Selve amiche/親愛な森よ」です。前回のレッスンで、一音一音ずつ直された曲です。まあ、今回はそんな事はされませんでしたが…。

 子音の音程について、かなり注意されました。私は、子音を打楽器的に無音程で発声しがちだけれど、先生がおっしゃるには子音にも音程があるのだから、しっかりと音程を意識して発声してください…との事でした。

 子音には大きく分けて、無声子音と有声子音の二種類の子音があるわけだけれど、打楽器的に発声してよいのは無声子音であって、有声子音は母音同様に音程に気をつけなきゃいけない…って事は理屈では分かりますが、感覚的には、よく分からなかったです。たっぷり練習はしましたが、やはりうまくはいきませんでした。たぶん、今後もしつこく子音の音程については注意されるんだろうなあ。

 とにかく、子音の音程が無頓着すぎて、特に母音に対して、子音の音程が低すぎるので、良くないって言われました。

 また、メロディーの転がすところは、きちんと音程を意識して、いいかげんな気持ちで歌わないように、と言われました。要するに、転がすところにもきちんと神経を使って歌いましょうって事ですね。こういう転がすのは、得意じゃないので、もうほんと必死です(笑)。

 この曲は前回たっぷりとやったので、今回はサラとやって、それで仕上げで、OKとなりました。なので、この曲の音源もアップしましょう。改めて聞くと…まあ、これが私なので、こんなもんです、申し訳ない(って、なぜ謝る?)

 3曲目のヘンデル作曲の「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」は…今回はやりませんでした。前回のレッスンで、私が相当に歌いづらそうにしていたので、先生もさすがに、この音域では私に合わないかも…と思うようになったそうです。

 で、この曲は、今は中声用のg-mollで練習していますが、それは辞めて、次回からは高声用に切り換えることになりました。だって、高声用だと全音高くなってa-mollですからね。それでも最高音はEbからFになるくらいで、そんなに高くはなりません。先生的には、今の私にG以上の音は歌わせたくないそうなので、高声用でも「まあいいか」という事になったので、次回までに自宅で高声用で練習してきて、改めてレッスンをしましょうって事になりました。

 で、懸案の、秋のクラシック・コンサートの選曲の話をしました。ソロ2曲は前回のレッスンの時に決めましたが、その時は二重唱がうまく決まらず、先生からお薦めの曲をいただいて、それを持ち帰って、妻と相談したところ「これは無いな」という結論になりました。

 と言うのも、フランス語だし、14分もあるし、とても今の我々では歌いきれるものではない…とまあ、そういう結論になりました。そこで、今回は改めて、別の2曲の候補曲を持って行ったわけです。

 その曲は歌曲系の二重唱でしたが、先生は「まあ、いいですね」と言って、一応、OKはくださいました。…が、一か八かの気持ちで、改めて、前回ダメを出されたオペラの二重唱を改めて取り上げて「本当は、これが歌いたいんです」と切り出してみました。

 その曲は、ヴェルディ作曲「椿姫」の第3幕の二重唱「Parigi, o cara, noi lasceremo/パリを離れて」です。先生は当然、渋い顔をしました。

 でも、私はこう言ったんです。

 …我々には“次”のチャンスはないかもしれないんです。年齢的にも若くはないし、健康にだって不安を抱えています。また、たとえ元気であっても、仕事の都合、家庭の都合で、来年もこうして歌っているかは、全く分からないのです。次のコンサートが人生最後のステージになるかもしれないのです。若い人たちのように、将来があるなら、その将来を見据えて、適切な順番で無理なくレパートリーを増やしていけばいいのでしょうが、我々には来年はないかもしれないのだから、今、一番歌いたい歌を歌わないと…悔いが残ると思います。常に「次が最後かもしれない」という気持ちでステージに立っていますので、やはり、今歌いたい歌を優先して歌わせてください…。

 …とまあ、こんな感じの事を言ったわけです。

 先生からすれば「絶対に歌ってはいけません」というほどの強い禁止ではなかったそうだけれど、実力的には無理がある曲だと判断したから止めたわけです。つまり“今の私にはこの曲は歌えないかもしれない”って事です。

 ちなみに、妻の方は、ヴィオレッタを問題なく歌えるんじゃないかな~って、先生は思ってらっしゃるようで、要するに、危惧されているのは、私の歌唱力って奴です。

 「でもまあ、歌いたい歌なら、一生懸命に練習するだろうし、上達もするだろうから…今回はこの曲で行きますか!」とおっしゃってくださいました。全面的に賛成はできないけれど、これからのノビシロを考慮した上での条件付きのOKって事になりました。

 秋のクラシック・コンサートはアウェーのコンサートです。先生の顔をつぶさないためには、しっかり練習をして、本番に臨みたいと思いました。がんばります。

 …それにクラシック・コンサートでは、本番までに仕上がらなかったら“歌わない”という選択肢もあります(笑)ので、そこまで悲壮な思いはありません。実際、かなりの人たちが、当日になって出演を取りやめたり、曲目を変えたりなんて、平気でやっていますからね。私たちの場合、もしも私の歌唱力不足で二重唱を取りやめたとしても、それぞれのソロ曲は歌うつもりですから、全く出場しないというわけではありませんし。

 でもやはり、せっかくコンサートにエントリーするのだから、きちんと歌えるように仕上げていきたいと思ってます。

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2014年7月15日 (火)

発声の階段を一つ登れたかな?

 声楽のレッスンに行ってきました。行きのタクシーで、とても不愉快な目に遭いました。その内容を書くと、怒りが再燃しますので書きませんが、あんな目に遭った事を記憶に留めておきたいので、とりあえず「イヤなことがあった」とだけ書いておきます。

 プロ意識のない職業人ほど唾棄すべき存在はない!…そう思ったわけです。

 さて、レッスンです。前のレッスンから二週間という時間があったわけですが、その大半をぎっくり腰で寝込んでいたため、自宅練習というものが、ほとんどできていない状況でのレッスンとなってしまいました。そりゃあ、起き上がるのもつらいんじゃあ、歌なんか歌えないわな。

 先生にもその事を話しました。そうしたら、先生も実は先週、腰痛になってしまって、仕事に大変な支障が生じたとの事で『同病あい哀れむ』状況になりました。ちなみに、先生はプロですから、腰が痛いからと言って仕事をパスするわけにはいかない(ちょうど先週は先生のリサイタルがあったそうです)ので、とてもつらかったそうです。歌はとりあえず乗り切ったそうですが、トークの部分が集中できずにグダグダになってしまったそうです…プロって厳しいし、自由業ってつらいですね。

 ひとまず発声練習ですが、ロングトーンをやったところ、すぐにむせてしまって、ロクに歌えませんでした。ここのところ歌っていなかったので、声帯が驚いているようですので、すぐにロングトーンはやめて、短い音で発声練習をしました。声帯の負担を考えると、確かにロングトーンよりも短い音を重ねて発声練習をした方が良いわけですね、納得です。

 さて歌の練習です。チェスティ作曲「Introno all'idol mio/いとしい人の回りに」からです。

 最初に通してサラっと歌ったところ「まあ、悪くはないですね」と褒められました。まあ“悪くない”であって“素晴らしい!”というわけではないので、図に乗っちゃいけませんね(笑)。まあ、録音を聞き直すと、あっちこっち、リズムをとちっていたりしていますので、そりゃあ、あんまり褒められた歌唱じゃないっす。

 でも、自分で聞いていても、声がちょっとばかり良くなっていると思いました。先週、一音ずつ発声を直されて、その後、ずっと寝込んでいて自宅練習が出来なかったので、前回のレッスンの内容が良い形で自分の中に定着したのかもしれません。

 自分の中の感覚では、声が胸で響くのではなく、鼻腔とか額とか眉間とかで響いているような感覚です。おそらく、響きが常に上にあるのかな~?なんて思ってます。まあ、この曲は、中声用の譜面で歌っても、そこそこ音程が高いので、響きを高くしやすくて、歌いやすいってのもあるでしょう。

 私の歌声を聞いていた妻の話では、今までとは全然違う声で歌っているけれど、それに対して先生がダメ出しをしていないから、これはこれで正解なのかな?って思って聞いていたそうです。また、私は「大きな声は要らない、響く声が歌ってほしい」と最近は言われ続けていたので、この日も、とりわけ大きな声では歌わないように気をつけていましたが、聞いていた妻の耳には、この日の発声は、今までよりもずっと音量が大きかったそうです。その癖して、楽に歌っているようにも聞こえたそうだし、音程も先生に注意された箇所(私の中で音程のイメージがあやふやだった箇所ですね~)以外は、きちんと取れていたと言ってました。

 自分的には、今までと何一つ変わった事はしていないつもりですが…発声的に階段を一つ登れた…のかなって思います。

 その他にも、アクセントをつける場所を注意されたり、音になっていない部分(しゃべってしまっている箇所…ですね)を指摘されたりしましたが、今回で、この曲はOK(つまり、終わり)という事になりました。

 最後に通して歌ったので、それをアップします。まあ、改めて聞いてみると、色々とキズはあるし、発声だって、たいして変わっちゃいないと思われるかもしれませんが、とりあえず、これが私の現在の姿なのです。

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2014年7月14日 (月)

本当に日本男子にはバリトンしかいないのか?

 「日本の男性はほとんどがバリトンで、女性のほとんどはソプラノである」とはよく聞く事です。でも、本当なのかなあ?と思う事があります。皆さんは、どう思われます?

 市民混声四部合唱団で見てみると、確かに女性はほとんどがソプラノです。そして、男性はテノールよりも圧倒的にバスが多くなります。ならば「日本の男性のほとんどはバスである」と言えるかもしれません。

 もっとも、合唱団には、普通、バリトンパートと言うのはありません。バリトンの人はバスパートを歌います。ですから、合唱をやっているバリトンの人は、普通はバスパートを歌い、バスと呼ばれます。つまり、合唱では、バスとバリトンは同一視されるわけです。

 合唱団おけるパート分けと言うのは、どのくらいの音域で歌えるかで決まります。合唱のパスパートは、音域的にはバスと言うよりも、バリトンの音域で書かれている事が多いですし、バスパートにいる人でも、音域を調べてみると、バスではなくて、バリトン寄りの人が多いので「日本の男性はほとんどがバリトンで、女性はソプラノである」は、やっぱり成り立つと言えます。

 まあ、もっと言っちゃえば、すべてではないけれど、多くの合唱曲は、テノールパートであっても、音域的には、バリトンでも歌えますので「日本の男性はほとんどバリトン」であっても、合唱団的には、何の問題もないわけです。上手くできているんですね。

 でもね、こういう事実を突きつけられても、私はなんか腑に落ちないんですよ。

 と言うのも「声種と言うのは、音域ではなく音色で決まるモノじゃないの?」って、私は考えるからです。

 同じ中央ドを発声しても、テノールとバリトンとバスでは、音色が違うでしょ? 女性なら、中央ドの一オクターブ上の音を発声した時に、ソプラノとメゾとアルトの音色が違うのはもちろん、同じソプラノでも、高いソプラノ(レッジェーロ系)と低いソプラノ(スピント系)では音色が違うでしょ? そういう音色の違いを大事にして、声種について考えるべきだと思うんです。だって、音域なんて、訓練次第でどうにでもなるでしょ?

 さて、そう考えた時、私は日本男子には、結構、テノールがいるんじゃないかって思うわけです。あくまで私の感覚なんですが、半分か、あるいは6:4ぐらいの割合でテノールがいるんじゃないかって思うのです、もちろん、テノールは“6”の方ね(笑)。

 「ええ? じゃあなんで、合唱団にはテノールよりもバス(バリトン)の方が人数が多いんだい?」

 それは簡単。合唱団では、音色ではなく音域で声種を決めているからです。

 バリトンの音域って、成人男性にとっては、無理なく楽な音域なんですよ。その点、テノールとかバスは、そうではありません。ちょっとばかり、無理をしないと出せない音があります。その無理な音を出すためには、訓練をしてテクニックを身につける必要があります。

 人は誰でも水に浮きますし、手足をバタバタさせれば、前に進むし、簡単な泳ぎも出来るでしょう。でも、スポーツとしての水泳をするために、訓練が必要だし、それぞれの泳ぎに必要なテクニックだって身につけなきゃいけません。歌も本来は同じ事なんです。誰でも声は出せるし、歌も歌えるだろうけれど、より美しく、より響く、より高い/低い声で、より大きな声で歌うためには、訓練が必要だし、テクニックが必要なんです。

 人間って、自分を磨かなければ、本来の自分の能力を十分に引き出す事のできない、不自由な生き物なんです。

 つまり、本来はテノールとかバスの声を持っている人でも、訓練が十分でなく、テクニック不足なら、音域的にはバリトンとほぼ同じなんです。

 だから、本物のバリトンも、上が出ないテノールも、下の出ないバスも、みかけ上はバリトンと同じなので、バリトン扱いされている…だけなんじゃないでしょうか?

 だから「日本の男性のほとんどはバリトン」って事になるんだと思います。

 だってね、合唱団に行って、バリトンの方と何気ないおしゃべりをしてみてください。案外、話し声は高めの人が多いよ。話し声は高いのに、歌いだすと、声を胸に押しつけたような響きで低い声で歌っている人って多いでしょ? きっと、楽に歌えば、高くて軽い声になってしまうから、わざわざ声を胸に押しつけているんだと思います。高くて軽い声なのに、本当に高い声は出ない…だからバリトンをやっている…なんて人、たくさんいると思いますよ。

 かく言う、私だって、音域だけ見れば、立派なバリトンだもの。でもね、どう考えても、音色はテノールだし、私の声を聞いた人は、皆、私の事をテノールだと言うわけだから、テノールなんだろうけれど、それにしては、高い声が苦手なので、苦労しているわけです。

 日本には、私のような“高音の苦手なテノール”なんて、履いて捨てるほどいるだろうし、そういう人が合唱団に行くと“バリトン”に分けられていくんだと思います。

 特に「あなたはハイ・バリトンですね」と言われた人は、本当に自分はバリトンなのか、それとも高い音の苦手なテノールなのか、真剣に悩んだ方がいいと思います。

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2014年7月13日 (日)

洋式か? 和式か?

 あー、体重はまだ計れる体調じゃない(ってか、暇さえあれば、カラダを横にしていたい時期なんですね)ので、今週もパスです。で、さっそく今回のエッセイに入ります。

 尾籠な話で申し訳ないけれど、今回の話はトイレの話です。

 家庭のトイレもそうだろうけれど、公共施設のトイレも、いつのまにか洋式の水洗トイレが標準となって、久しいと思います。和式のトイレは実に数少なくなりました。ましてや、汲み取り式のトイレを見かける事は…まずないですね。今の子どもたちは、すっかり洋式に慣れてしまい、たまに和式と出会うと、ビックリして用を足せない子もいるとか? だったら、汲み取り式のトイレと遭遇したら、一体、どんな反応をするんでしょうか?

 私が子どもだった頃は、家庭のトイレは、まだまだ和式の汲み取り式が主流だったと思います。トイレは家の隅にあって、部屋からではなく、縁側(すでに縁側のある家庭も無くなりましたね…)から入るパターンが多かったと思います。中は二部屋に分かれているところも多くて、手前が通称“あさがお”と呼ばれた男子の小用便器があり、奥に“女便所”と呼ばれていた女子用兼男子大用便器がありました。“あさがお”が無かった家は、“女便所”の床の高さを変えていたと思います。手前が低く、途中で段差があって奥が高くなっていました。男子の小の時は、手前の低いところに立ち、女子および男子の大の時は、一段上がって用を足したものです。

 汲み取り式は臭いますからね。たいてい、便器にフタが付いてました。で、用を足す時にフタを取るわけだけれど、フタを取った途端に、臭いがモワッと来るんだよね(涙)。さらに、トイレの消臭剤も、今のように“マイルドな花の香り”なんてものではなく、かなり強い消毒薬を使っていたと思います。また、溜めた排泄物が発酵して熱を出していますから、トイレの中って、なんか熱かったです。

 また、トイレットペーパーもロール紙が無かったから、いわゆる“おとし紙”を使っていました。でも、月末になって、色々と家計が厳しくなると“おとし紙”を購入する余裕がなくなり、代わりに新聞紙を使いました。しかし、新聞紙って硬くてね…。使う前によく手で揉まないとダメなんだけれど、でも元が硬いので、いくらよく揉んでも、お尻が切れてしまうんだよね。だから、我が家では、新聞紙は月末限定で使用していました。

 また今はポケットティッシュがあるけれど、昔はそれも無かったし“懐紙”なんて高級なモノなど、子どもは持たせてもらえなかったので、よく“おとし紙”を学校に持っていって、それで鼻をかんだものです。

 それがやがて、汲み取り式は姿を消して、ドンドン水洗式に取って代わられました。

 水洗式に代わって、何がうれしいかと言えば、臭わなくなった事。とにかく、汲み取り式の悪臭って、ほんと、すごかったからね。排泄物なんて、ただでさえ臭いのに、それが発酵しているんだからね。発酵と言えば聞こえがいいけれど、要は「腐っている」わけだよ。排泄物が腐っているんだよ、もう涙目だよね。

 あと、落ちる心配がなくなったのも嬉しかったな。なにしろ当時は、真面目な話、子どもがトイレに落ちる事件って、よくあったんですよ。あんなところ、落ちたら、目もあてられませんし、あそこで溺れて死んでしまう子もいたわけで、ほんとシャレになりませんでした。私も、小学校に入るまでは、必ず親に付き添ってもらって用を足してました。いや、ほんと、トイレって怖かったんですよ。

 トイレの洋式化に伴って、家庭用のトイレは一気に洋式になりました。でも、公共のトイレは、まだまだ和式が多かったです。「誰が座ったか分からない便座に座るのは、イヤだ」と当時の人々は(私も含めて)そう思ったわけです。

 でも、洋式トイレって、楽なんですよね。洋式に慣れてしまうと、和室がつらくてつらくて…。やがて、公共のトイレも洋式が増えてきて、今に至っています。

 トイレの洋式化がほぼ完了した現在、次の関心事は“お尻洗浄器”じゃないかな? 家庭用のトイレにはだいぶ“お尻洗浄器”が普及しましたが、公共のトイレはまだまだですし、またに設置されてても「誰が使ったか分からないお尻洗浄器なんか…」と思っていますが、やがてそんな事を気にせずに、公共のトイレで普通にお尻洗浄器を使う日がやってくるんでしょうね。

 そのうち、お尻洗浄器の付いていないトイレを見て「どうやって、お尻をきれいにするのか分からない」と、途方に暮れる子どもが出てくるんだろうなあ…。

 おしまい。

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2014年7月12日 (土)

アズニャンは男の子

 アズニャンことアズサは、東錦(あづまにしき)という種類の金魚です。体型はオランダ獅子頭で、体色は透明ウロコの上に三色が散りばめられているという、かなりキレイ系の金魚です。

 で、どうやら、このアズニャンが名前はかわいいのに、男の子である事が判明。まあ、金魚のオスメスは一目では分からないし、金魚は大半がメスなので、メス前提で命名するわけだけれど、アズニャンは男の子でした。

 オスなのに“アズニャン”という名前は…ちょっとミスマッチだけれど、仕方ない(笑)。

 ちなみに金魚の雌雄の判別方法は色々とありますが(って事は、決め手が無いとも言えます)、今回の場合はアズニャンのあからさまの求愛行動って奴ですね。もう、サクラが辟易するほどにモーレツな求愛行動をしていました。

 ほぼ、デビル状態です。

 後は、フンの太さ(オスのフンは細く、メスのフンは太い)ですかね。あと、オスには追い星(エラブタにボツボツができます)というのが現れるのだけれど、これは未確認です…ってか、アズニャンの場合、体色的に見づらいので確認は困難かも。

 とにかく、アズニャンは男の子です。サクラが女の子なのは、だいぶ前から分かっています。ホノカやオタキサンは不明ですが、たぶん女の子でしょう。

 緋ドジョウのチビとラズは、どっちがどっちかは分かりませんが、オスメスのコンビである事は間違いないです。と言うのも、ドジョウ特有の求愛行動(互いに絡まりあってイトコンニャク状態になります)って奴をやってましたので、ホモとかレズでなければ、オスメスのカップルとなります。

 ところで、金魚のオスって、程度の差こそあれ、たいてい極悪なんだよね。アズニャンも極悪金魚になるのかしら?

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2014年7月11日 (金)

かつて喜望峰というフルートメーカーがありました

 ぎっくり腰になってしまって、フルートのレッスンに行けなかったので、今週はフルートの昔話でもして、お茶を濁すことにします(笑)。

 喜望峰。今は亡き、かつては知る人ぞ知る、日本のフルートメーカーでした。メーカー名は“喜望峰”で、ブランド的には“フィナーレ”という名前のフルートを製造していました。いや、正確に言うと、フルートだけでなく、管楽器一般を取り扱っていたし、実際は、ゼロからフルートを製造しているのではなく、余所で作ったものを自社で調整して、それを販売をしていました。

 お店…というか、工房というか…は、とにかくお茶の水の楽器街ではなく、なぜか電気街の秋葉原の端っこにありました。

 当時は、安くて良質なフルートを販売しているメーカーとして、一部の人に有名でした。

 このメーカーは、中国から安い楽器を取り寄せて、それを日本で調整して、まともに使えるようにしてから販売をしていました。元が中国フルートなので、そこに日本スタッフの技術料を上乗せしても、目が眩むばかりに安い価格で販売されていたのですよ。

 どれぐらい安かったかと言えば、国内メーカーで総洋銀フルートの予算があれば、喜望峰なら総銀フルートが買えたんですよ、そりゃあもうビックリですって。頭部管銀の予算があれば、総銀フルートに金メッキを施した楽器が買えました。ね、ビックリでしょ?

 さらに言えば、当時から中国フルートは、国内のあちらこちらで販売されていましたが、その多くは売りっぱなしが基本で、調整などはしてもらえなかったんです。それは私が購入した、チャイナ娘こと、J.MichaelのFL-280CCもそうでした。では、その手の中国フルートが調整が必要になったら、どうしたのかと言えば…捨ててしまったわけです。で、調整済みの新品フルートを購入するんですね。つまり“使い捨て”だったわけです。なぜなら、それらの楽器は、まず普通の楽器店では調整を引き受けてくれないのは、調整するのが大変だから。それを無理やりにお願いすると、どうしても調整料が高くなってしまうのですが、そんな高い調整料を支払うよりも、新品を買った方が安上がりだからなんです。なんか、モッタイナイような話ですが、それくらい中国フルートは安価なわけだし、それくらい中国フルートはガサツに作られているので調整が難しかった…というわけです。

 でも、喜望峰のフルートは、元が中国製でも、喜望峰で調整してから販売されているので、調整が必要になっても、喜望峰で安価に調整を引き受けてもらえるのです。そういった、メンテナンス面での安心さも、喜望峰の人気の一つだったと思います。

 私がこのメーカーのことを知ったのは、前のフルートの先生である笛先生の情報からです。

 当時、クラシック系のフルーティストさんたちは、喜望峰の楽器に目もくれていなかったようですが、ジャズ系やポップス系の管楽器奏者さんたちは、喜望峰に注目していました。彼らは楽器のブランドにはこだわりがなく、良い楽器でありさえすればOKという人が多かったので、当然、ジャズ・フルーティストである笛先生も喜望峰には注目していました。

 なので、私がフルートを購入する時に、一つの選択肢として喜望峰の存在を教えてくれました。

 もっとも、私が喜望峰を教えてもらったのは、喜望峰が消失する1年ほど前の事だったので、かなり品質の方が危うくなっていったようで、もしも喜望峰でフルートを購入したいなら、絶対に一人で決めて来てはダメですよとも言われました。

 というのも、その当時、すでに喜望峰のフルートの品質は、全盛期の頃と比べると、かなり劣化していたそうです。「以前は、安くて良い掘り出し物がたくさんあって、みんなこぞって喜望峰の楽器を購入したものだけれど、今は、安い楽器はたくさんあるけれど、どれもこれも使い物にはならないものばかりで、使えるものは、本当にたまにしか出てこないので、しっかり選ばないとダメなんですよ」との事でした。

 というわけで、私が知っている喜望峰は、ちょうどプロ奏者たちが喜望峰から離れていった頃の喜望峰だったわけです。

 喜望峰のフルートは、取り扱っている店がほとんどなく、直売かネット販売だったのです。まあ、多くの人(とりわけプロ奏者たち)は、秋葉原の店舗に直接出向いて、散々試奏を繰り返して、気に入ったものがあれば、それを購入する、なければ買わない…って感じだったそうです。笛先生も、以前はよく喜望峰詣でをしていたそうです。

 実は私、喜望峰でフルートを試奏しようと思って、お店の前まで行った事があります。でも、なんか、独特のオーラが店頭にあって、ついに私は店内に入ってフルートを試奏することはできませんでした。なんか、入りづらかったんですよねえ…。

 結局、私は、今の愛笛である、アルタスの1307Rを購入したわけです。そして、それからしばらくして、喜望峰は突然消失してまったわけです。

 喜望峰が無くなったという話を笛先生にしたら「ああ、やっぱり」みたいな事をおっしゃっていました。「最近、楽器の質がどんどん悪くなっていったから、あれじゃあ、誰も買わないよね」との事でした。

 喜望峰のフルート。結局、私は直接、その楽器を手にすることはありませんでした。でも、その安価な値段から、サブフルートとしてはいいかな…なんて思っていました。特に、ここの金メッキフルートは、ウェブで見る限り、実に独特な色合いをしていて、良くも悪しくも個性的だったので、一本手元に置いておこうかななんて、思っていたくらいですかね。

 喜望峰は無くなってしまいましたが、その他の中国フルートを取り扱っているメーカーは多数ありますね。たとえ中国フルートであっても、きちんと調整されていて、値段相当の音が出るなら、それはそれでアリだと思いますが、問題は調整をどこでするかですね。楽器を購入する際に、調整について尋ねてみるのが良いでしょうね。どこで誰が調整してくれるのか、費用はいくらなのか、それは他の国産フルートと同じ扱いになるのか…などです。

 私の中国フルートは、購入店では“調整はしない”とはっきり言われています、メーカーに郵送して調整してもらうほど、手間もオカネもかけたくないので、使えなくなったら、捨ててしまうつもりです…が、実はすでに低音は出ませんので、捨ててもいいのですが、なんとなく捨てられずにいます。

 たとえ安物の粗悪品であっても、愛着が生まれてしまうと、捨てられなくなるものです。なので、最初から安物の粗悪品に手を出さないのがイチバンなんですが…楽器って高いですからね、モノがよく分からない初心者ほど、ついつい安い中国楽器を買ってしまうんですね。

 いやはや、なんとも。

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2014年7月10日 (木)

みんなと歌うと、むせます、咳き込みます、ノドが痛くなります

 今回の記事には結論はありません。いわば、私のグチなんですが、良かったら最後まで読んで、アドヴァイスをいただけたら感謝です。

 私の近況です。独唱なら、何の問題もないのですが、他の人と一緒に、合唱とか斉唱とかすると、決まって、歌っている途中でむせて咳き込みます。それを繰り返しているうちにノドが痛くなります。

 なんででしょ?

 歌っている私自身は、ふだんと同じように歌っているつもりなんですが、たぶん、無意識で、独唱の時とは、違う事をやってしまっているんでしょうね。

 で、この現象は、最近ではまれでなく、頻繁に起こるので、ちょっと困ってます。

 大きな声を出しているつもりはありません。声帯に当てる息がふだんよりも強いのかと思って、弱めにしても、やっぱりむせます。時折、吐き気を感じたりもします。

 他の人と一緒に歌っていると、どうしたって自分の声は聞こえないので、発声に関して、コントロールを失っている状態である事は認めます。で、そのコントロールできない状況がマズいというのも分かります。では、具体的にどこがどうマズいのかは、分からないですよ。

 このままでは合唱できません…もっとも、マジに合唱をする予定は、今のところ皆無ですから、心配いらないのですが。それでも、日常的に他の人たちと声を合わせて歌うと言う事は、生活のあちこちであるわけで、そのたびに「ゴホゴホオエー」ってやっていては、なんかなーって思うわけです。

 何が悪いんだろうなあ。どこに気をつければ、そうならずに済むのかな? ちいさな悩みですが、案外、深刻に受け止めていたりするんですね。

 P.S. そう言えば、ハミングをしていても、ノドが痛くなる事があります。ハミングでノドが痛くなるなんて、ハミングのやり方が間違っているんだろうなあ…。これも、どこかで関係あるのかしら?

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2014年7月 9日 (水)

病気になって、しみじみと思うこと

 まあ、肺炎モドキ(誤嚥性の肺炎っすね)とか、風邪をこじらせたとか、今回のぎっくり腰(正確には、病気でなくて怪我だけどね)とか、とにかく体調を悪くした時に、しみじみと思うこと。それは『妻がいてくれて、よかった』という事です。

 まあ、私の場合は“妻”だけれど、要は妻でなくても、若者なら親御さんかもしれないし、年を取っていたら、息子・娘・嫁かもしれません。要は、気の置けない身内と一緒に暮らしている事に感謝をしているって事です。

 独り暮らしは気楽で良いかもしれません。オカネも時間も自分のために使えます。自分が元気で健康なら、それで問題ないでしょう。問題は、自分が元気を無くしてしまったり、健康を害した時ですね。

 私も人生の一時期、独り暮らしをしていた事があります。

 独り暮らしはいいですね。ほんと、自由。何をしてもOKだし、何時まで遊び歩いていても(本業にさえ差し支えなければ)OKだし、好きなモノを好きなだけ料理して、いくら食べてもOKだし、オカネだって、自分の好きな事に好きなだけ使っても平気だし…。ほんと、気ままです。

 でも、一度体調が悪くなると、つらい。風邪とかひいても看病してくれる人はいないから、自分で自分を看病しないといけない。足りないものがあっても、自分で買いに行くしかないし、食べたいものがあっても、自分で作るしかない。

 食欲があまり無くて、おかゆを食べたいと思ったら、どんなに体調が悪くても、自分でおかゆを作るしかない。まあ、レトルトのおかゆも売っているけれど、そんなもの、近くのコンビニじゃあ売ってないからね。それに、おかゆが作れるくらいの元気があればいいけれど、本当に熱が高くなると、おかゆを作るどころじゃなくなるからね。そうなると、いよいよマズい。

 私が独り暮らしをしていた当時は、実家の母が元気だったから、風邪をひいたりして具合が悪くなった時は、意地は張らずに、素直に実家(当時は自転車で10分程度の距離でした)に連絡して看病してもらっていたけれど、実家が近くになかったり、親がいなかったりしたら、一体、私はどうなっていたんだろって思います。

 今はもちろん、妻と同居していますから、何も心配いりません。

 今回のぎっくり腰だって、一番つらい時は、自分一人じゃ靴下も履けなかったわけです。なので、妻の介護がなければ、暮らせなかったと思います。もしも独り暮らしなのに、ぎっくり腰になってしまって、身動き一つとれなくなったら、ほんと、シャレにならなかったと思います。きっと、病院にさえ行けなかったと思うし、日々の食事にも事欠いていたと思います。

 妻には感謝しても感謝しきれません。

 そういえば、前回、ぎっくり腰になった時は、玄関で倒れて、そのまま身動きできなくなって、救急車で運ばれたんだっけ? あの時も、妻がいたから、色々と面倒を見てもらえたけれど、もしも独り暮らしで玄関先で倒れて、そのまま身動き取れない状態になってしまったら、どうなるんだろ?

 ぎっくり腰程度なら、もうあきらめて、しばらく玄関で倒れ込んでいるか、痛みをこらえて、電話のところまで行って、救急車を呼ぶなり、友人に助けを求めるなりをするんだろうなあ。

 これが、急な呼吸困難とか、激しい頭痛とかで、倒れてしまって身動き取れなくなったら…独り暮らしだと、例え携帯電話を手に持っていたとしても、おそらく自分で外部に連絡するのはまず無理だろうから、かなり危険な状態になってしまうかもしれません。

 『独居老人、玄関先で…』なんて、それこそ、たまたま知人が尋ねてきたり、悪臭が漂って周囲に迷惑かけるようになるまで気づいてもらえなかったりするんじゃないの? ああ、ヤバイヤバイ。

 独り暮らしは自由で良いけれど、こういう非常時の時は大変だなって思いましたし、それが“自由の対価”って奴なのかもしれないと思いました。若い時は、その手の“非常時”になることは少ないので、あまり気にしないだろうけれど、この年になると、非常時が日常的にあったりするので、一緒に暮らす人がいるってのは、最低限のセーフティーネットだなって思いました。

 ところで、妻がアキレス腱を断裂した時、私は十分、彼女の世話が出来ていたのだろうかと、ちょっぴり反省しています。

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2014年7月 8日 (火)

発表会を見れば、先生の程度が分かる

 私の趣味は『見知らぬ人の発表会を見に行く』です。もちろん、友人や知り合いの発表会も見に行ったりしています。出かけた発表会のすべてを、ここに書いているわけではありません。中にはブログにネタにしづらい発表会とか、褒めるところのない発表会とかもあるわけです。別に私は、他人を傷つけたり、世間を敵に回すためにブログをやっているわけではありませんから、そういうブログネタにしづらかったり、あるいは話題が豊富にある時は、ついつい後回しにしているうちに、お蔵に入ってしまったりと、まあ、実は自分でもあきれるほどに、見知らぬ人の発表会に出かけている私なんです。

 出かける先は、ほとんどが声楽の発表会です。フルートの発表会も見たいのですが、そちらはなかなか私のアンテナにひっかかってこないんですね。あと、ピアノの発表会は声楽のそれよりも数多く行われていますが、大半が子どもの発表会なので…今の私には耐えられそうもない内容なので、そちらには出かけていません。

 アマチュアさんたちの発表会っていいですよね。皆さん、精一杯のチカラでパフォーマンスをしているわけで、技術的にはプロにかなうはずもありませんが、熱意ではプロ以上ですもん。そして、回数を重ねて見ていると、その成長する姿も見られて、なんか見ているこちらまで、心が熱くなったりします。

 それはともかく、素人の声楽発表会なんて、どれも一緒だと思ったら、実は大違いなんですよ。どの発表会も唯一無二で、他とは比べられない何かをたいてい持っています。それって出演者の個性ももちろんあるんだろうけれど、その出演者たちを指導している先生の違いも大きいですね。

 先生の違いには、先生の個性の違いも、もちろんあります。例えば、アマチュアの声楽発表会と言えば、たいてはイタリアもの、それもいわゆるイタリア古典歌曲を中心に、上級者たちはイタリアオペラアリア中心で、プログラムを編成するものですが、同じイタリアモノでも、オペラアリアではなく歌曲を中心にプログラムが組まれてみたり(イタリアモノの歌曲中心のプログラムって、オペラアリア中心のプログラムと比べれば、かなりマイナーイメージになります)し、オペラアリア中心でも、イタリアモノではなく、ドイツモノが中心だったりする発表会もあります。

 また、ドイツ・イタリアでなく、フランス語やらロシア語やら英語やら、とにかくあれこれたくさんの外国語の歌で構成された発表会もあれば、日本歌曲や愛唱歌を中心にプログラムが組まれている事もあります。あるいは、クラシックにこだわらずに、ミュージカルやポップスの曲でプログラムが組まれていたり…とにかく、アマチュアの発表会のプログラムのメニューって奴は、実に内容が多彩なんです。

 そして、先生の個性は、出てくる出演者さんたちにも現れています。と言うのも、一人一人を単体で見ていると気づきませんが、群体としてみていると、同じ門下の人って、共通した長所と短所を持っているものなんです。

 例えば、自由奔放な人々が集まっている門下もあれば、かなりキチンとした門下もあります。「ああ、上手だな」と感心せざるをえない門下もたまにありますが、たいていは、何かしら残念な部分があったりして「ああ、ここの先生は、この部分を教えるのが苦手なんだな」って分かります。

 例えば、楽しげに歌っているけれど、音程もリズムも歌詞もいいかげんな門下の発表会を聞いていると、ここの先生は、とにかく“楽しく”を優先して、あまり真剣にキリキリとは指導されていないんだろうなあって思ったりします。

 例えば、音程が悪かったり、苦しげな声や苦しげな表情で歌う人が多い門下だと、ここの先生はノドの脱力をうまく教えられないんだろうなあって思います。

 例えば、平たい声で歌ったり、小さな声でしか歌えなかったり、そんな人たちばかりの門下だと、ここの先生は響きって奴を教えられないんだなって思ったりします。

 例えば、女声にはうまい人も大勢いるけれど、男声はからっきし…では、ここの先生は男声を教えるのが下手くそなんだなって思うし、出演者が女声だけだと、この先生は男声を教えられるのだろうか?と「???」になったりします。ちなみに、逆のパターンはあまりなくて、男声が素晴らしい門下は、たいてい女声も素晴らしいです。

 その他でも、ステージマナーがなっちゃいない門下もあれば、立ち居振る舞いがきちんとしている門下もありますし、派手なドレスのところもあれば、外出着程度のオシャレで済ませている門下(ウチです:笑)もあったりします。

 実は私、以前の先生に習っていた時は、余所の門下の発表会なんて見に行きませんでした。別に興味がなかったし、自分の門下は素晴らしいと思っていましたから。でも、先生が変わり、習うことも全然変わり、だったら他の門下はどうなんだろう…そんな気持ちがアタマを持ち上げてきたので、色々と見知らぬ人たちの発表会を見に行くようになったんだと思います。

 いやあ、発表会って奴は、実に門下によって千差万別です。もしもY先生の次に習うなら、ぜひこの先生に習ってみたいと思える門下もいくつか見つけました。逆に、絶対に、ここの先生のところでは習いたくないって思ってしまうところもありました…っと言うか、そっちの方が数的には多いかな?

 世に声楽教室は多くても、私のような向上心あふれる中年男性が「次はこの先生に習いたい」と思える声楽教室って、あんまりなかったりします。そういう点では、今のY先生にとことん習って、次の先生は、それから考える…って奴でいいかなって思います。Y先生もご自身も「私のところで学び終えたら、きちんと次の先生を紹介するから」とおっしゃってくださっていますしね。

 声楽って奴は、普通、何人かの先生に習っていって上達していくモノのなんだそうです。

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2014年7月 7日 (月)

ペインクリニックに行ってきました

 先日、久しぶりにぎっくり腰になってしまいました。今回のぎっくり腰は、腰を痛めた瞬間がよく分かっています。実は、職場のマイ・デスクのイスから立ち上がった瞬間にやってしまったんです。やってしまった瞬間に「?…あ、これはぎっくり腰だな…」って、すぐに分かりました。

 やってしまったのは職場だったし、私は基本的に座業なので、しばらく様子を見ていたのですが、だんだん痛くなってくるし、つらくなってきました。時間が経つにつれ(ってか、動けば動くほど…と言うべきか)痛みが激しくなってきたので、ぎっくり腰を発症してから2時間後には、仕事を早退して帰宅する事にしました。

 帰宅しても、家には私一人です。妻にメールで連絡したけれど、ガン無視されました。とりあえず、汗だくだったので、痛みをこらえてシャワーを浴びて、昼食を食べていると、ようやく妻から連絡がありました。忙しくてメールチェックをしていなかったそうです。とりあえず、家に戻ってきてもらって、身の回りの世話をしてもらいました。で、私を病院に連れて行こうとしましたが、肝心の私は、あんまりに痛くて病院に行きたくなかったので、とりあえず、家でじっとしていました。ぎっくり腰は安静が一番ですからね。

 市販の(ただ冷やすだけの)湿布を貼って、ただただ横になっていました。

 一晩たっても良くならない(当たり前)ので、ついに重い腰(ってか、痛い腰)をあげて病院の世話になることにしました。問題は、どこの病院にいくかです。

 以前なら、近所に総合病院があったので、こういう時は何も考えずに、そこに行って、その病院の先生におまかせしていたのですが、今はその総合病院が移転してしまったので、何も考えずに行ける病院がなくなってしまいました。

 ……ぎっくり腰だと…何科の病院に行けばいいんだ? 内科じゃないよな。もちろん、眼科や歯科や耳鼻咽喉科じゃない。でも、外科? いやいや、外科は切った貼ったをする病院で、ぎっくり腰は切らないから、外科じゃない。じゃあ、整形外科? でも、整形外科に行っても、レントゲン撮って、湿布くれるだけだから、それならわざわざ行く必要なんてないし。接骨医? 骨折れてないし…。整体師? マッサージは…ちょっと違うような…。

 …となると、やっぱり整形外科かな? だったら行く必要ないし、移転しちゃった総合病院の移転先まで電車に乗って行く? それはつらいなあ…。以前、その総合病院にかかった時は何科のお世話になったのか、必死に思い出したら…ER科でした(笑)。ああ、だって、あの時は救急車で搬送されたのだから、そりゃあER科だよな。

 …とあれこれ悩んでいたときに、ふと思ったのが「とにかく、痛いんだから、痛みが取れれば、それで御の字じゃねえの?」って事です。

 痛みを取るのが目的なら、麻酔科の先生のところがいいでしょう。最近は、麻酔科の病院の事を、ペインクリニックというので、地元にペインクリニックがないかどうか、ググってみたら、ありましたありました。さっそく、ネットでググったペインクリニックに行って、痛みを取ってもらうことにしました。

 とりあえず、タクシー飛ばして、病院に行きました。病院はそこそこ混んでました。問診票がけっこう詳しくて、あれこれ答えるのが大変でした。

 しばらく待っていると、看護婦さんに名前を呼ばれました(ちなみに、名前間違っていたので、最初は気づきませんでしたが、最後の最後まで名前、間違われたまんまでした。きっと、カルテの名前も間違っているんだろうなあ…)。

 まずはレントゲンを取りましょう…って事です。レントゲンを撮ったわけですが…ぎっくり腰だと、レントゲン撮るのも一苦労です。

 で、レントゲンを撮って、処置室に入って、順番を待ちます。処置室の小さなベッドに仰向けで寝てくださいと言われた時は、そう言い放った看護婦さんを、ちょっと、恨んだものです。そりゃあ、大変でしたから!

 やがて、先生がやってきて、一番最初に言ったことは「とにかく、太りすぎ!」 よく分かってます。ちなみに、この先生、よほどデブがお嫌いだったようで、この後も診察の間に、何度も何度も「太りすぎ!」という罵声をはさんでいただきました。

 「太りすぎ!」と言われて痩せられるなら、何度でも罵ってくださいって感じです。ちなみに、後で色々と調べてみたら、この先生、とにかく太っている人を見ると、ほぼ例外なく「太りすぎ!」と言い放ってから診察を始めるそうです。どうも、デブが、本当の本当にお嫌いなようです。地元のデブ界では、評判のよろしくない先生でした。

 この先生、診察の最中に、罵声をたくさん挟み込むものの、説明自体はきちんとしてくれる人で、ぎっくり腰にも、様々な種類があって、それぞれに治療法が違う事を説明してくれました(説明自体は、とても分かりやすかったです)。

 で、ひとまずは確率的に一番可能性が高いと思われる原因に対する治療をする事にしました。“壺注射”と言ってました。具体的に何をやったのかは、よく分かりませんが、とにかく、背中に五ヶ所ほど謎の注射を打たれました。これで良くなるなら、この治療が正解。症状が全く変わらなければ、別の原因が疑われるので、次は神経ブロック注射をしましょうと言われました。

 実は壺注射を打たれても、あんまり痛みは変わらなかったような気がします。そこで注射が終わっても、しばらくグッタリしていたら「そんなに動けないようなら、神経ブロックをしないといけないかな…」と先生がおっしゃるので、ありったけの空元気を出して、起き上がる事にしました。

 神経ブロック注射って…以前も別の病院で何度か打たれた事がありますが、死ぬほどキライです。あんな、注射打たれるくらいなら、死んだ方がマシだと、私、思ってます。なので、ありったけの空元気を出して、起き上がりました。

 人間、やればできるもんですよ(汗)。

 とりあえず、飲み薬と湿布をいただきました。飲み薬は、消炎剤と鎮痛剤と漢方薬。湿布は見たこともないフィルムタイプのものでした。さすがに麻酔の専門医。整形外科とは、お土産の中身が違ってました。

 痛いは痛いのですが、付き添ってくれた妻曰く「行きよりも元気になったみたいね」なんだそうです…だといいんだけれど(涙)。

 家に戻って、飲み薬を飲んで、湿布を貼ったところ、だいぶ楽になりました。すぐさま完治とは言わないけれど、痛みが和らいだのはホント。で、しばらく寝て、目覚めたら、腰の痛みが消えていました。ラッキー。壺注射がようやく効いたようです。しかし、腰の痛みが取れたら、股関節がめっちゃ痛い事に気づきました。ああ、股関節の筋肉もやられているじゃない。

 ぎっくり腰ってのは、腰の筋肉の肉離れの事で、ペインクリニックの治療で、その腰の痛みを取り除いてもらえたけれど、その腰の痛みに隠れて自覚できていなかった股関節の痛みに苦しんでいます。

 まあ、腰の痛みだけでも取れたので、OKにしましょう。股関節が痛いと、歩くのに支障がありますが、普通に座っている分には関係なので、良しです。

 ま、痛みは取れても、肉離れそのものは直らないので、すぐに通常の活動には戻れないのだから、股関節が痛くて行動に支障があるほうが良いのかもしれません。とにかく、ぎっくり腰は、数日安静にしていれば直るわけだから、痛みさえ収まってしまえば、焦らない焦らない。

 生まれて始めて、ペインクリニックという所に行ってみたけれど、確かに痛くて困っているなら、ペインクリニックはアリかもしれないと思いました。ぎっくり腰も、腰だけが壊れたなら、すぐに痛みが取れるし、整形外科もいいけれど、ペインクリニックも十分アリだなって思いました。

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2014年7月 6日 (日)

敬語の使用と不使用

 今週は、腰が痛くて体重計に乗っていないので、体重報告は無しです。

 さて、今週のエッセイですが…、

 敬語とは、あくまでも自分と相手との人間関係の距離によって使い分けるモノだと、私は思っています。人間関係的に自分と距離のある人には敬語を使い、身近な人間には砕けた話し方をする。そういうモノだと思っています。

 だから、敬語を使用する相手は、自分と人間関係的に距離がある人、または距離を置いている人です。

 例えば、赤の他人。見知らぬ人には敬語を用いて会話をします、当然です。師匠とか先生は、教えを請う立場である以上、馴れ馴れしくあってはいけません。「三歩下がりて、師の影を踏まず」ですよ。きちんと節度ある距離を保った人間関係を作りますから、当然敬語を用います。目上の人にも馴れ馴れしてはいけません。同様に敬語を用います。組織とか団体との先輩たちは、いわゆる先達です。色々と教えてもらわなければいけませんし、一日の長だってあるわけだから、頭を低くして、敬語を使いますよ。人生の先輩たち、とりわけ親世代とそれ以前の世代の方々は、我々の前の社会を作り維持してくださったわけで、私たちが今こんなに幸せに呑気に暮らせるのも、親世代とそれ以前の世代の方々が頑張ってくださったからなので、感謝の気持ちをもって仰ぎ見ながら、敬語で接します。

 私の場合は、こんな感じです。逆に敬語を使わない人ってのは、家族と身内と友人ぐらいなものです。年下だって見知らぬ人なら丁寧語程度の敬語は使います。なので、普段、普通に使っている言葉の大半は敬語ですが…社会人なら、誰しもそんな感じでしょ?

 でもね、必ずしも、私と同じような考え方で、敬語の使用不使用を考えている人ばかりじゃないですね。なので、そこんとこの価値観というか、判断基準が違う人と接すると、ちょっと戸惑うことがあります。

 私が違和感を感じるのは、年齢で敬語の使用不使用を判断する人々です。その人との関係性とかは特に関係なく、大切なのは年齢とか学年とかで「下級生は上級生に対しては、必ず敬語を使って話しかけるもの」という価値観です。

 まあ、学生なら、それもアリだと思うけれど、いい年したオッサン同士で、コレはないかな?って個人的には思うんですが、そう思わない人がいるんですよね。それも十や二十も離れていればともかく、一つや二つ、それどころか数カ月でも数日でも早く生まれた方がエライってのはどうなんでしょう?

 で、さらに言えば、この裏返しの発想があって「相手が自分よりも若ければ、敬語どころか、乱暴な物言いでも可」って奴です。それこそ、それまで、オトナ同士丁寧な言葉づかいで話していたのに、年齢が分かった途端に、一方が他方に、やけに丁寧な敬語を使い始めたり、乱暴な物言いになったり…なんか変だなって思います。

 こういう価値観の人と「やりづらいなあ…」って思うのは、例えば相手が“年上の部下”だったりするケースですね。部下なんだけれど、年上だから、相手は横柄な態度でこちらに接してくるし、こっちの言う事もちゃんと聞いてくれなかったりします。それで仕事に支障が出ても、全く気にしていなかったりするわけで…ほんとやりづらい。まあ、こちらの人間の器が小さくて、見くびられているんだろうから、仕方ないと思う部分もありますが、それにしても、やりづらいのはホント。

 逆もまた真なりで、年下の上司って奴も、相手が年齢にこだわる人間だと、すごくやりづらいです。上司なんだから「もっと堂々と指示をしろよ」と思うけれど、部下を相手に馬鹿丁寧な言葉を使ったり、変に気を回したり、そういうのも「ちょっとな~」って思います。また逆に、何かと言うと「年下だけれど上司だからな!」とか確認して威張るタイプの人も苦手です。

 社会が多数の人間によって構成されている以上、そのメンバーに序列が付くのは当たり前だけど、問題は、その序列をどうやってつけていくか…だろうと思います。まず第一義的には、職階で順列をつけていくべきだろうし、その次は実績の違いとか、在任期間とかで順列をつけていくのが妥当かなって思います。年齢は…序列をつける要素としては、かなり後の方の条件かなって思います。

 と言うのも、未熟で成長期にある子どもならともかく、すでに成熟しているオトナにとって、年齢と言うのは、あまり意味がないものでしょう。もちろん、世代が違うほど年が離れれば、また話は別かもしれませんが、十年かそこらの違いなんて、違いのうちに入らない…と私は思います。

 それと、社会における序列と、その人の人間的な価値は、全く別ですね。時折、これを混同して考えている人もいるけれど、別に社会的に上位にいるから立派な人とは限らないし、市井の中にも立派な人はいるもんです。また、会社とかグループとかの序列を、そのまま外のグループに持ち込んでくる人も、ちょっとウザいです。会社じゃエラくても、町内会的には新参者なら、町内では、やはり新参者としての立ち居振る舞いって奴が必要なんじゃないかな?

 敬意って形式的なものではなく、自然な気持ちの発露だと私は思います。相手を立派だなと思っていたり、感謝を感じていたり、尊敬していたら、何も考えていなくても敬語を使ってしまうものです。サルのマウンティングじゃないんだから、強いられて敬語を使うのはナンセンスだなって思います。

 でもね、みんながみんな、私のように考えてくれるわけでなく、あちらの年齢が上だという理由だけで、そのように扱わないと不機嫌になるような人って、ほんと扱いづらくて困っちゃいます。まあ、アタマを下げるだけならタダなので、いくらでも下げますが、そんな表面的にカタチだけ持ち上げられて喜んでいる人なんて、あまりに人間性が薄っぺらで、返って同情しちゃいたくなりますよ。

 ああ、面倒くさい。それにしても、ああ言う人って、慇懃無礼という言葉の意味なんて、全く知らないんだろうなあ。

 実るほど垂れる頭かな…ですよ。

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2014年7月 5日 (土)

ホノカは真っ赤

 ホノカは素赤琉金という種類の金魚です。だから、真っ赤なのは当たり前…と思われるでしょうが、多くの素赤琉金は、実はそんなに赤が濃くないんですよ。いや、子ども時代は皆、それなりに赤いのですが、成長してカラダが大きくなると、赤が薄くなって黄色が強くなってきます。だから“金魚”なのかもしれませんが、赤から光沢のあるオレンジ色に体色が変わってくるのが、割と普通なんです。

 ところがホノカは、かなり成長しましたが、今だに子ども時代同様に、赤味の強い体色をしています。たぶん、これって貴重な事なんだろうと思います。

 ホノカは体型もかなり美しく、左体側部にガンがなければ、ほぼ完璧な魚体だろうと思うと、実に惜しい気がします。まあ、完璧でないからこそ、ウチの水槽にいるんでしょうが(笑)。

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2014年7月 4日 (金)

フレーズの半分も音にならない

 フルートのレッスンに頑張って行ってきました。頑張って行ってきた…と書くには理由があって、実は今回の私は、ぎっくり腰になる直前で、体調がかなり悪かったのですよ。本音で言えば、レッスンをお休みしたかったくらいに体調が悪かったのです。けれど、前回のレッスンを仕事の都合で休み、そうでなくても、今年は仕事の都合でレッスンを片っ端から休んでいましたから、レッスンに出られる時は極力レッスンに行こうと決心していたわけです。ですから、体調が悪い事を理由にレッスンを休むなんて、小学校女子のような事は、やりたくなかったんですよ。なので、疲れ切ったカラダにムチを打ってレッスンに行きました。

 実際の話、とてもフルートが吹けるような気がしなかったので、お教室に入って先生に会うやいなや「今日は挨拶をしにきました」と、体調が悪くてまともにフルートが吹けない事を先生に説明しました。今回の私の体調の悪さは、例の誤嚥性肺炎が良くなるどころか、疲労とストレスのせいもあって、悪い方向に向かっている事から来ている事を話しました。

 先生は「フルートを吹いているのに、肺炎が直らない? それはおかしい」と、独自の理論を披露して不思議がりました。「体調の悪さはロングトーンを練習をしっかりやれば直る」とこれまた分からない事を言い出しました。

 さっそく、ロングトーン練習をしましたが、今回の私は実にぶざまなものでした。

 とにかく、フルートが鳴らないんですよ。息を吹き込んでも、プスーとかスピーとかいう感じ。フルートを始めて今年で7年目ですが、そんな事は始めてでした。無理やり音を鳴らしても、目的とする音ではなく、その1オクターブ上の音だったり、下の音だったり、はたまた倍音だったり…。ようやく目的の音が鳴らせても、安定せずに、すぐに別の音に変わってしまったり。いやはや、なんともな私でした。

 やれやれ。

 レッスンは今回から加わった、ガリボルディのエルステ・ユーブンゲンの1番と2番です。

 実に簡単な曲なので初見でも吹ける…みたいな事を前回の記事で書いた私ですが、実際に吹いたところ、間違いを指摘されました。それはいくつかの音を低音域で吹かなければいけないのですが、そこをついつい中音域で吹いてしまうというミスをしてしまったわけです。もちろん、先生に注意されましたので、次回からは間違えないと思いますが…ついついやっちゃうんですよ、私。

 とにかく、そういうミスはあったものの、それ以外はきちんと吹けましたが…この課題は吹ければ合格なのではなく、暗譜できたら合格なので、当然、今回の私は不合格です。だって、ちっとも暗譜できていなかったもの。

 一応、暗譜をしようと心掛けてきましたが、なんか難しいです。

 声楽の曲の場合は、特に暗譜しようと思わなくても、数回練習すると自然とカラダの中に入ってくるものですが、フルート曲の場合、それを上回る回数の練習をしても、音符一つカラダに入ってきません。参りました、なにか特別な事をやって暗譜しないといけないみたいです。

 若い時なら、楽譜そのものを見たまま覚えられましたが、さすがに最近の私の記憶力ではそれは無理ってものです。かと言って、指の動きで覚えるとか、音で覚えるとかもできません。楽譜を何度も書き写して覚える…というやり方がありますが…さすがにそれはやりたくないなあ。負担が大きすぎますし、楽しくないし。

 たぶん、フルート曲の暗譜には、ちょっとしたコツがあるんだろうけれど、そのちょっとしたコツが分かりません。どうすればフルート曲を暗譜できるようになるんだろうか? とにかく、しばらくの間はトライ&エラーを重ねていくしかないかな。

 さて、次はアルテの15課です。残っているのは、10章のCes-durの5番のクロマチック練習と、as-mollの8番の「スケールとアルペジオ」の練習です。

 8番の「スケールとアルペジオ」はなんとか合格をいただきました。音はだいぶかすれていたけれど、指は正確に吹けたのでOKとなりました。しかし5番のクロマチック練習の方は不合格でした。とにかく指は正しくても、息が続きません。本来一息で吹かなければいけないフレーズを途中で二度ほどブレスを入れないと吹けないのですから、お話になりません。しかし、指の方はOKですから、体調さえ良くなれば、すぐに合格できるのですが…。

 プチ・エチュードは4番です。こちらも不合格でした。「指はきちんとできているし、注意した事もきちんとやっているけれど、フレーズの半分ぐらいが音になっていないんだよね。さすがにこれでは合格にはできません」と先生に言われてしまいました。音はただ出ていれば良し、ではなく、きちんと響かせて吹いてくださいと言われています。それなのに響くどころか、かすれた音でしか吹けなければ、そりゃあダメだよね。

 今回の雑談は…『買い物に行った時、財布にカネが入っていなかったら、どうする?』という馬鹿話でした(笑)。気がつくのがレジに並ぶ前だったら品物を戻し、レジで気がついたら…ひたすら謝る。というのが私の回答でしたが、先生の答えは「必死になってカバンの中を探す」でした。先生曰く「カバンの中を探せば、どこかに必要なオカネが入っているはずだから」との事でした。先生のカバンはドラえもんのポケットですか?と思ったけれど、実はレッスン代とか楽譜代とか謝礼とか、とにかく色々なオカネを封筒でいただくわけで、それらのうちのいくつかはカバンの中に入ったままだったりするんだそうです。なので、財布に入っていないオカネがカバンの中にあったりするんだそうです。

 それでもオカネが見つからない時は…やっぱりレジで謝り倒すんだそうです(笑)。

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2014年7月 3日 (木)

音程の跳躍にもコツがある

 さて、声楽レッスンの続きです。

 曲は三曲目のヘンデル作曲の「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」です。この曲には、いくつか音程が跳躍する箇所がありますので、その部分の練習をたっぷりしました。

 音程が下から上に上がる時は、声を素直に下から上に持っていくと、ノドがしまってしまうので、それはNGなわけです。音程が跳躍する時は、跳躍する前の音を歌っている時に、支えをしっかり入れて(その際に響きは多少低くなります)、そこから一気に高い響きに持っていくと、音程も自然と高くジャンプできるのだそうです。つまり、音程の移動ではなく、響きの移動であると考えた方が簡単に出来るのだそうです。

 で、音程の跳躍は、身体運動である以上、いわゆる“ジャンプ”と一緒なのです。高く飛ぶためには、その直前に身をかがめ、足を溜める事が必要です。弓矢で言えば、弓を引かなければ矢は飛んで行かないわけです。それと同様で、音程でも、高く飛ぶためには、一度身を低くするのです。その身を低くするいう発声的な動作が、支えをしっかり入れるって事のようです。

 支えをしっかり入れると言っても、腹筋の動き的には、支えを入れて保持する動きと、そこから上にジャンプさせる動きは違うので、そう言った腹筋の動きの切り返しを同時にしないといけません。それが不器用な私には案外難しい。

 音程の跳躍でなく、高い音から歌いだす時も、実はテクニック的には同じなんだそうです。ただ、違うのは、前の音符の時に声の響きを低くしてから、高い音を出すのではなく、前の休符の時に息の響きを低くしておいてから、歌いだしの高い音に備えるのです。

 この“休符の時の息の響き”って奴が、また厄介な奴なんです。

 そうそう、ジャンプした先の高い音は“歌う”というよりも“ポイと投げ捨てる”感じの発声の方が結果が良いようです。とにかく、歌うという気持ちがあると、どうしてもノドに力が入ってしまうので、歌うのではなく、投げ捨てる気分の方がうまくノドが脱力できるみたいです。

 もちろん、音符一つ一つの確認はしませんでしたが、やはり響きは常にテノールっぽく、音の上につけて歌うことは言われました。特にこの曲は全般的に音程が低いので、油断しているとバリトンっぽい歌い方になってしまうので、要注意です。

 それらが一通りできたところで「今度は広い場所で歌っているつもりで歌ってください」と言われました。広い場所だからと言って、大きな声はNGです。より響く声で歌わないといけないのです。より響く声を出すためには、今まで以上に、ノドを縦開きにして歌うのです。さらに立派な声で歌おうとすると、どうやら逆効果で、むしろ立派な声ではなく、若々しい声で歌おうと思った方が、結果が良いようです。

 危険なのは、音程が下がると響きも下がりがちなので、そこは注意をして、音程が下がった時こそ、響きは上へ上へという気持ちでなければなりません。また音程が上がったからと言って、響きを上に持っていこうとすると、今度はノドが絞まってしまうので、音程が上に上がったら、しっかりと支えを入れていく必要があります。

 とにかく、背筋と腹筋をたっぷりと使って歌っていくことを教わりました。

 もう、ヘトヘトです。発声練習から三曲連続のレッスンは、ほぼ休みなく1時間ほど歌いっぱなしです。疲れ切ったカラダには重労働ですが、声が枯れたり、ノドが痛くなったりしないのは、幸せな事です。

 さて、一通りのレッスンを終えた後は、秋のクラシック・コンサートに向けての選曲作業です。

 ソロで歌う曲は割とあっさりと決まりました。私が歌いたがっていた、ダウランド作曲の「Come again/来たれ、今いちど」はOKです。もっとも「歌うのはいいけれど、レッスンは地獄になるよ」と脅されました。と言うのも、「Come again/来たれ、今いちど」はルネッサンスの音楽なので、私が今やっているトスティ(ロマン派ですね)とは発声方法が違うので、苦労するけれど、まあいいんじゃないのって事です。

 で、「Come again/来たれ、今いちど」と合わせる曲だけれど、私は(ロマン派:笑)のトスティの曲を何曲か候補にあげたのだけれど、どれも「Come again/来たれ、今いちど」と一緒に歌うと苦労しそうなのでペケとなりましたが「Ideale/理想」なら素直な発声でいけそうだからと言われてOKをいただきました。

 と言うわけで、ひとまず、秋のクラシック・コンサートではソロの方は、ダウランドの「Come again/来たれ、今いちど」とトスティの「Ideale/理想」で頑張ってみる事にしました。

 問題は二重唱の方です。そうなんです、今回のクラシック・コンサートでは、ソロだけでなく二重唱もやってみようと企んでいるわけなんですが、こちらの選曲が難航しています。私の方で候補にあげた曲はすべて却下。先生曰く「テノールの二重唱は、どれもこれも難しいんだよね」との事。で、代わりに先生が推薦してくれた曲は、フランス語の上に全部歌うと14分もするような大曲。さすがにこれはないかなって思いました。

 というわけで、ただ今二重唱の選曲で悩んでいます。場合によっては、二重唱は先生に頼らずに自分たちで仕上げるとか、別の先生にご指導をお願いするかも考えないわけではありません。だって、ステージを作るのは、歌手とピアニストなわけで、先生はあくまでもアドヴァイザーだからねえ。

 とは言え、こんなところで先生と対立しても仕方がないので、とりあえず、再度候補曲を数曲用意して、もう一回先生と相談です。

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2014年7月 2日 (水)

音符一つ一つをしっかりと確認してもらいました

 声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンは、本当は行きたくなかったんですよ。というのも、疲れ切っていたからです。疲れて疲れて、どこにも行きたくなかったんですね。仕事から帰ったら、すぐに布団に飛び込んで、そのまま眠ってしまいたいくらいに疲れていたのですが「疲れてしまったのでレッスン休みます」なんて、どのツラ下げて言えばいいんですか? 疲れてはいたものの、頑張ってレッスンに行きました。

 ちなみに、このレッスンの話は、私がぎっくり腰で倒れる、ほんの数日前の話なんですが、こんなふうに疲れとストレスがたまっていた事が、後のぎっくり腰につながっていったのかもしれません。

 お教室に入ると、先生から発表会の時の写真と公式音源をいただきました(いただいて、すぐに妻に渡してしまったので、私、まだ写真を見ていないし、音源も聞いてないや)。改めて、発表会のアドヴァイスを先生からいただきました。

 「なんとか頑張って、声を響かせようとしているのは分かる」「会場を味方にして歌えるといいですね」

 「…声を響かせようとしているのは分かる」っというのは、声はちっとも響いていないって事で、だけど、何か変なことやっているのは分かるけれど、それがちっとも結果につながっていないという事だし、「会場を味方に…」ってのは、全く響きのない声で歌っているって事だね。

 まあ、体調の悪さもあったけれど、それ以前のテクニックの不足もあるわけで、まあ、私の歌なんて、そんなところでしょう。

 さて、レッスンは発声練習からです。

 まずは、柔らかく発声することを練習しました。私の声は、堅くて方向性が強いのです。それはクラシック的な響きある声からは、かなり遠い声質なわけです。ですから、声そのものを後ろに回して、声よりも息の方が先に出る感じで歌えると、柔らかい発声で歌えるようになるのだそうです。頑張りましたが、どれだけ出来ていたのでしょうか?

 次にハモる声の練習をしました。ピアノが和音の倍音を弾くので、私はそれを聞いて、和音の基音を発声するという練習です。最初は何がなんだから分かりませんでしたが、ちょっとしたコツをつかめば、特に難しい課題ではありませんでした。難しいのは、そこで音程的には合っていても、和音の響き的に美しい声で歌えるかどうかですね。同じミならミの音を発声しても、ピアノとハモれる声とハモれない声があるわけで、そこでハモれる声で歌えるようにする練習なわけです。これも頑張りましたが、どうでしょうね。

 とにかく、繰り返して言われた事は「強い声は要らないです。響く声が欲しいです」 私の売りは“強い声”って奴なので、売りは要らないのですね(シクシク)。

 曲のレッスンに入りました。まずは、カルダーラ作曲の「Selve amiche/親愛な森よ」からです。

 この曲のレッスンは…厳しかったなあ。とにかく、音符を一つずつ歌わされました。そして、その一つの音符ごとに、声の響きがきちんと付いているかの確認をされ、フレーズごとの確認を終えたら、今度はフレーズ単位で歌わされて、そこで響きがうまくいってなかったら、また音符単位に戻って響きの確認をされるという…賽の河原で石を積み上げているような気分のレッスンを受けました。

 響きも単に付いていれば良いというわけではなく、きちんとテノールの響きが付いていないと、やり直しになります。どうも、レッスンでY先生と一緒に歌うようになって、知らず知らずのうちに、Y先生の(下手くそな)マネをして、声の響きがバリトン的になってしまうようですが、それではダメで、やはりテノールはテノールっぽい響きがあるので、それを思い出して、そんな感じで歌わないと×になります。

 具体的に言えば、舌根を下げて響きを作ると、私の場合はバリトン的な発声に聞こえるそうです。ですから、舌根は下げるにしても、ほどほどにし、むしろ軟口蓋をあげて響きを付ける方が良いみたいです。無論、軟口蓋を上げるのですから、目を閉じたり、能面みたいな無表情ではいけないわけです。もちろん、目を開けたり、表情をつけるのが主目的ではないけれど、目を閉じたままであったり、無表情なままで、軟口蓋を上げるのは至難のワザだからです。

 キング式の発声法だと、目を閉じるのはアウトだけれど(だから私の発声はダメなんです)、表情は無表情で能面的な表情で歌えることがベストなんですね。これは、表情と発声を切り離す事が大切だというキング先生の意見で、確かにそうなのかもしれません。だから、私は発声の時に、なるべく能面のような、つまらない顔で発声するように心掛けてきたわけですが、Y先生に言わせれば、それではダメなわけです。きちんと目を剥いて、表情を崩して歌うくらいの気持ちで歌わないと、軟口蓋は簡単には上にあがってくれません。いやいや、難しい。

 Y先生には「しっかりと、目ヂカラを使って歌いなさい」と何度も言われました。いやあ、発声に目ヂカラって必要なんだ…。

 とにかく、大切なのは軟口蓋で、軟口蓋で響きを作ると同時に、転がす箇所は軟口蓋を使って転がして歌うんですよ。ああ、神よ、軟口蓋を自由自在に動かせる力を私にお与えください。

 ほんと、ヘトヘトな気分でようやく「Selve amiche/親愛な森よ」のレッスンを終えると、次は、チェスティ作曲の「Introno all'idol mio/いとしい人の回りに」になりました。

 この曲も「響きは上に」と言われましたが、「Selve amiche/親愛な森よ」とは違って、音符一つ一つの確認はしませんでした(ってか勘弁してくれました:感謝)。

 この曲には装飾音符があります。同じに見えるけれど、前打音と後打音の二つがあるので、それらを区別して歌う必要があると言われました。ちなみに、ロマン派以降の曲なら、装飾音符はたいてい前打音として処理をして良いのだけれど、古楽系の音楽(バロックとかルネッサンスね。イタリア古典歌曲はバロックに属します)の場合は、前打音と後打音の両方が使われるので、それを区別しないといけません。

 まあ、実際のところは、主となる音符にトリルがかかっているかどうかで判別するそうです。トリルと装飾音符が同時に使われていたら後打音、トリル無しなら前打音と、ザックリ判別するんだそうです。もっとも実際には、それだけでは分からず、とりあえず歌ってみて不自然では無い方を選ぶんだそうですが。

 ですから、この曲の装飾音符も「この部分は前打音だけれど、こっちは後打音として歌いましょう」って感じで、一つ一つ確認していったわけです。

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2014年7月 1日 (火)

響声破笛丸、続報

 先日、エスエス製薬の響声破笛丸が製造中止になってしまった、という記事を書きましたが、今回の記事は、その続報です。

 エスエス製薬の響声破笛丸がなくなり、その他のメーカーから発売されている響声破笛丸では、色々と内容的に不足があるので、みなさんどうしているの? っ書いたわけですが、やはり「捨てる神あれば拾う神あり」というべきか、「今がビジネスチャンス!」と思ったのかは別として、私がフラフラと近所の薬局に行って、かつてエスエス製薬の響声破笛丸が置いてあった場所に目をやると…なにやら、似たような雰囲気の箱がありました。よく見ると「響声破笛丸」と書いてあります。さらに「満量処方」とも…。

 それは北日本製薬という(申し訳ないけれど)聞いたことのないメーカーの製品でした。

 デザインも似ているし、わざわざ“満量処方”と書いてあるのも、エスエス製薬の後釜を狙った感じがします…が、あえてそこに飛び込むというのも手ですね。

 前の記事の追記に、松浦漢方の響声破笛丸へのリンクを貼った私ですが、松浦漢方と北日本製薬のどちらの方が優れているかは…分かりません。その辺の違いは、追々、ネットでレポートを書いてくださる方が出てくるでしょうから、それを待ちましょう。

 ちなみに、松浦漢方の方はよく知りませんが、北日本製薬の方は今年の6月(って先月じゃん)に発売されたばかりの、新製品だそうです。薬としての評価は、これからって感じですね。

 ちなみに、私は、松浦さんのも、北日本さんのも、当面使う予定はありません。だって、Y先生に代わってから、声の不調とは無縁な人になりましたから(笑顔)。

 もちろん、私は、松浦漢方さんの廻し者でもなければ、北日本製薬さんの廻し者でもありません。私はどちらかと言うと『薬の世話にならずに歌える人になれるように、発声方法を見直した方がいいよ』と考えている人です。

 いやほんと、私自身、先生を代えて、発声方法を変えたら、響声破笛丸が不要な人になったわけだしね。

 とは言え、現状で、エスエス製薬の響声破笛丸がなくて、お困りの方もいらっしゃるでしょうから、ちょっとした情報の提供をさせていただいた…というわけです。

 いやほんと、薬に頼らずに済むなら、その方が良いと思いますよ。

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