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  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2014年6月の記事

2014年6月30日 (月)

体調悪いんだけれど、頑張ってます[2014年6月の落ち穂拾い]

 体調が実に微妙なままです。

 先月の発表会のあたりが一番体調が悪かったのですが、そこからある程度回復しましたが、だからと言って完治したわけではなく、日常生活に支障がないレベルまで回復したところで、そこから先は良くならず、疲れたりストレスがたまったりすると、逆に悪くなったりしています。

 原因となる病は…肺炎モドキというか、誤嚥性肺炎って奴です。どうも、肺というか、呼吸がすっきりしないのですよ。

 そうは言っても、普通に生活する分には支障はないし、通勤は徒歩でしていますが、徒歩程度の運動なら問題はありません。しかし、ピークフローメーターはしっかりイエローゾーンの下の方ですし、肺活量は計測していませんが、おそらくはかなり少ない数値になっているんだろうなあって思います。

 ピークフローメーターというのは、呼吸機能に関する簡便な計測機器で、こいつの数値が低いと呼吸能力が低下していると言えるわけです。グリーンゾーンでOK、レッドゾーンでアウト、イエローゾーンは要注意って感じです。そのイエローゾーンの下の方ですから、かなり注意が必要って感じです。

 しっかり休めれば、すぐにでも良くなるはずなんですが、ちっとも休めないどころか、疲労に疲労を重ね、ストレスを溜め続けている私なので、病気がちっとも良くならないのでした。いやあ、ほんと、今月の月末のあたりは仕事を数日休みたかったくらいに体調不良な私でしたが、数日休むどころか、逆に休日出勤を重ねていた私でした。なにしろ、私が休むと、現場が止まるからなあ(涙)。

 医者に行きたいけれど、そのためには職場を休まないといけないし、職場を休むには、熱でも出なければ勘弁してもらえないので、医者にも行けません。とにかく、ほんと、時間がなくて忙しいんですよ。なのに、熱は出ないんだな(笑)。だから医者に行けません。仕方がないので、なんとなく半病人の感じで日々を過ごしています。

アクセスを増やしたければ、他人に寄生するべきなのか?

 我が老犬ブログで、長らくアクセス数ナンバーワンの記事は“ヌーボー社のプラ管フルート”の記事でした。それを最近“エスエス製薬の響声破笛丸”の記事が抜きました。

 この老犬ブログは、私の趣味ブログで、元々は習い事を主なテーマにした日記ブログなわけです。ですから、声楽とフルートの学びを中心に(以前は、これにヴァイオリンと社交ダンスも加わっていたのですが)金魚や体重の記録も加え、たまにエッセイなども書いておりました。ですから、プラ管フルートの記事も、漢方薬の記事も、このブログにあっては、異端的な存在の記事だったわけです。

 でも、その異端的な記事がアクセス数を稼いでいるなんて、ちょっと心外。

 このブログはあくまでも私個人の日々の出来事を書きつらねているモノなのに、私自身の事よりも、他人の話の方が人気を博しているなんて…まあ、私の事よりも、私が取り上げた人気者の方が人気がある…当たり前と言えば当たり前の事なんですが、ちょっと複雑な気分です。なんか、他人のふんどしで相撲を取っているようなと言うか、他人に寄生しているような気分です。

Lascia ch'io pianga/私を泣かせてください

 「Lascia ch'io pianga/私を泣かせてください」という曲は、声楽の方では、割と初心者が取り組む歌曲です。たぶん、歌を始めて、1年くらいしたら、誰もが歌うんじゃないかな? 『イタリア古典歌曲集』という初心者が最初に取り組む曲集に入っている曲です。

 この曲は、元々はバロック時代のオペラのアリアなんだけれど、今は後期ロマン派風の伴奏をつけて、歌曲として歌う(この編曲されたバージョンをバリゾッティ版と言います)のが普通だし、大半の演奏も、ヘンデル自身の書いた譜面ではなく、バリゾッティがアレンジした譜面で演奏するので、この曲をバロックバロックと思ったら、間違えてしまいます。

 実際、ヘンデル版のオリジナルだと、ダカーポで戻った後は、いわゆるアドリブになっていますから、演奏者が自分で変奏を考えないといけないわけ(それゆえに、この時代のアリアの事を、別名“ダカーポ・アリア”と言います。で、歌手たちは、ダカーポで戻った先が聞かせ所なので、そこで己を誇示するわけです)で、そんな難しい曲にチャレンジするのは、マジな古楽の演奏家たちだけです(笑)。

 なので、この曲を歌う際は、バロックうんぬんとか、カストラートうんぬんではなく、純粋に歌詞を読んで、その歌詞に共感して演奏すれば、OKだと思います。歌詞の対訳なんて、ネットにはごろごろ転がっているでしょ? それを読んで感じる事が、まず最初です。

今月のお気に入り 握りの極み

 握りの極み…ELECOM社製のワイヤレスBlueLEDマウス。型番はM-XG2DBBK。5ボタン式の国産高級大型マウスって奴です。

 このマウスについては、以前記事にしましたので、続報というカタチになりますが、やはりいいですね、このマウス。ほんと“お気に入り”になりました。当初は心配された、マウスの軽さですが…慣れました(笑)。ほんと、人間って適応性が高いです。

今月のお気に入り エスケイプ デラックス・エディション

 マイケル・ジャクソンの新作アルバムです。「え? マイケル・ジャクソン? 確か4~5年前に死んでいるじゃなかったけ?」 はい、そうです。2009年に亡くなってますね。それでも、新作アルバムの発売です。それも、実に、2枚目です(笑)。

 2010年に発売された、死後発表の1枚目のオリジナルアルバム「Michael」は、世間的には売れましたが、ファンの間では、評判が芳しくなかったですね。「声の感じがちょっと違うけれど、あれは本当にマイケルが歌っているのか?」とか「作風が今までのマイケルの曲とだいぶ違うけれど、本当にマイケルの作品なのか?」とかね。たしか、あのアルバムが発売された時、マイケルの娘さんが「あれはお父さんの声じゃなく、別の人の声よ」とか言い出して大変なことになったと聞いた覚えがあります。

 私がアルバムを聞いてみた感じ、本当にマイケルが歌っているのか、それともダミー歌手が歌っているのかは分かりません。アルバムに収録された曲が、マイケルの真作なのか贋作なのか、それも分かりません。ただ、分かった事は「マイケルのアルバムにしては、パンチ不足でつまらないかも…」って思いました。でもまあ、それも仕方ないと思います。だって、マイケルの生前、お蔵に入れた曲を引っ張りだして作ったアルバムですから、曲の魅力自体は弱い曲ばかりを集めて作ったアルバムですからね。

 そんな、墓堀り同然に、死後発表オリジナルアルバムの第2弾が発売されたわけです。前作以上に、色々と厳しい条件の中作られたアルバムだと思います。1作目と同じ手法では、さらに批判にさられてるだけです。そこでスタッフたちが考え出しやり方が実に秀逸でした。

 それはマイケルのオリジナルバージョン(ほぼデモテープ状態です)と、発売用にスタッフたちが再プロデュースしたバージョンの二つのバージョンを同時に収録して販売したんです。いわば“使用前と使用後を比較できる”ようにしてあるんです。

 これがなかなか良いんです。

 まず、元々のマイケルのオリジナルが聞けます。いかにも未完成っぽいけれど、確かに私たちがよく知っているマイケルのサウンドになっています。懐かしい感じがします。

 そのオリジナルに対して、今回のスタッフたちが作り上げた新バージョンが、これまた面白い。彼らはこの作業を“コンテンポライズ(現代化)”と呼んでいるそうですが、確かにマイケルのオリジナルのままの“古いサウンド”よりも、いくぶんパンチを効かせた感じに作り直されています。このオリジナルと新バージョンを比較しながら聞くと面白いし、スタッフの苦労の跡もよく分かります。

 いきなり新バージョンだけを聞くと違和感がある曲も、オリジナルを聞いてから聞くと、違和感どころか「ああ、ここをこんな風にいじると、サウンドが今っぽくなるんだな…」と新しい発見をしたりします。

 アルバム自体は、やはり全盛期のマイケルにはかないませんし、新バージョン単体ではアルバムとしては弱いと思います。でも、オリジナルと組み合わせた事で、単なる足し算以上の魅力を得られたと思います。

 なので、このアルバムは、デラックス盤がお薦めです。通常盤は新バージョンしか入っていないそうですから、それは薦めません。

今月の金魚

2014年6月4日(火) キキョウが星になりました。
2014年6月8日(日) オタキが我が家にやってきました。

 
 
今月のひとこと

 ノド風邪の方は、まだすっきりしないけれど、医者に行って薬をもらわないと辛くて仕方がない…という状況は脱しました。つまり、一週間ズレていたら、発表会に支障なかったというわけで、なんか、発表会を狙って具合が悪くなったような気がします。誰かに呪いでもかけられていたのかな? まあ、もしも呪いがかけられていたとするなら、呪われるくらいの大人物だったという事で、それはそれで良しです。でも、まだ咳は取れませんし、油断をすると、普通に誤嚥するし…。肺がレントゲンで白くなった件はすっきりしたわけじゃないです。まあ、でも、人生なんて、なあなあで生きるのがちょうど良いだろうから、深くは気にしない事にします。(2014年6月1~6日)

 関東地方も梅雨入りをしました。さっそくの大雨でございます。ついこの前まで、暑くて暑くて、もう夏になってしまったんじゃないかと思ってましたが、梅雨はきちんとやってくるものなんですね。ここからしばらくは、梅雨寒になるんでしょうね…。私はカラダが冷えると、お腹が痛くなる体質なので、これからはしばらくの間、冷えに気をつけないと…。(2014年6月6~8日)

 今日、錦織健氏のコンサートのチケットを購入した帰り、ネズミを見た。いわゆるドブネズミって奴だと思う。大きさは、小型のネコぐらいで、全体が茶色っぽくて、尾が細長い。あれで尾が太かったらリスだと勘違いしてしまったと思う。私の目の前を何度も横切るその姿は、正直「かわいい…飼ってみたい」と思ったが、冷静に考えれば、害獣なんだよな、飼うのは無理か。(2014年6月8~18日)

 毎日仕事が忙しく、休日も趣味に見舞いに忙しい私は、いつ休んだら良いの? ああ、贅沢な悩み…なんだろうなあ。それにしても、声楽にしても、フルートにしても、日々の練習時間を捻出するのが困難だ!(2014年6月18~22日)

 ハッピー、ラッキー、おめでとう! アクセス数&訪問者数ともに、最高記録を樹立しました! 日付は2014年6月19日木曜日の事です。アクセス数2712ページ、訪問者数1949人でした。わー、パフパフパフパフ~。この日の記事は『ベートーヴェンはなぜ有名なのか?(そして、ヴェルディはなぜ有名ではないのか?)』でしたが、たぶん、この記事がアクセスを伸ばしたんじゃないと思う。きっと人々を呼び込んだのは、その前日の『響声破笛丸(エスエス製薬)が製造中止になっていました』だと思う。だってあの記事、アップしたその日のうちに、複数のまとめサイトに勝手にアップされ、たぶん、そのおかげもあって、6/19のアクセス数が増えたんだと思う。そして、その2日後の6/21日には、今度は複数のニュースサイトで「響声破笛丸が中止!」話題が取り上げられたもん。だから、ここんとこ、訪問者が増える増える(笑)。でも、響声破笛丸が製造中止になったのは、だいぶ前なのに、私が記事をアップした途端に、世間が注目するってって何?…って感じ。まあ、時期は単なる偶然で、私の妄想がたくましいとも言えるけれど、まあ、私的にはそういう事にしてます(笑)。でもねでもね、ついに“プラ管フルート”記事よりも強い記事が書けて、なんかうれしいな。(2014年6月22~27日)

 改めて気づいたこと。それは「ブルーカラーの方々は、押し並べて声が大きい」ってこと。きっと彼らが声楽を始めたら、結構いい線いくんじゃないかなって思うけれど、彼らは流行歌は歌っても、クラシック声楽には鼻もひっかけてくれないのでした、ううむ、残念。(2014年6月27~28)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年6月29日 (日)

バイトする暇があったら、勉強した方がカネになる?[2014年6月第5週・通算16週]

体重:111.0kg[+0.8kg:-0.2kg]
体脂肪率:31.1%[+0.2%:-0.1%]
BMI:35.0[+0.2:+0.1]
体脂肪質量:34.5kg[+0.4kg:-0.1kg]
腹囲:105.0cm[-1.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 独立行政法人、労働政策研究・研修機構の統計情報の「ユースフル労働統計 労働統計加工指標集 2013」の「生涯賃金など生涯に関する指標」(PDFファイルなので注意)によると、高卒男子の生涯賃金は約2億円です。一方、大卒男子の生涯賃金は2億5千万円なんだそうです。これは、学校を卒業して、すぐに働きだし、60歳の定年まで正社員として働いた時の賃金(月給)の総計なんだそうです。賃金の総計なので、退職金は含まれていないし、[転職を前提としているので]勤めている会社の規模なども平均化した数値なので、実態とはちょっと違うかもしれません。

 実際の収入としては、退職金も考慮に入れるべきだし、企業規模も大きな問題だと思います。と言うのも、やはり学歴によって勤める企業の規模が変わってくるのは事実ですからね。

 で、やはりこの統計を後ろの方まで見てみると、退職金を含み、企業規模まで考慮した数値もきちんと調べていました(ま、そりゃあそうだね)。

 というわけで、学歴別賃金に、退職金などを含め、さらに企業規模の違いまで含めた統計によると、大企業(企業規模1000人以上)に勤めた大卒男子の場合、生涯賃金は、約3億8千万円となります。一方、中規模企業(100~999人)に勤めた高卒男子だと、約2億5千万円になります。

 「なぜ、学歴によって企業規模を変えるのか」と言われれば…だってそうでしょ? やはり大卒は大企業に勤める…と言うか、大企業は大卒を取りたがるし、高卒の方は、地元密着の企業に勤めることが多いけれど、地元密着だといくら大きくても中規模程度の企業になるわけです。もちろん、例外も多いし、個人差や地域差もあるけれど、あくまでモデルケースとして考えれば、大卒は大企業、高卒は中規模企業と言うのが妥当じゃないかな?

 で、そう考えると、大卒と高卒の生涯賃金の差は、約1億3千万円。大卒の方が、4年間も労働時間が短いのに、1億3千万円の差があります。4年間と言えば、労働時間的には約8300時間ほどになります。そんなに長い時間余計に働いているのに、1億円以上の差が生じるなんて、高卒的には、ちょっと解せない気もしますね。

 さて、ここでちょっと視点を変えて、大学受験について考えてみます。

 大学受験に備えた勉強、つまり受験勉強って、一体どれくらいするものでしょうね?

 ここでは現役ストレートで入学するものと考えます。そうなると、2年生までは部活やらなんやらが忙しくて、そんなに本腰を入れて勉強するわけにはいかないと思います。受験編強のスタートは、せいぜい早くても4月以降。部活の活動次第でしょうが、本格的に受験に取り組むのは、夏の大会後になるかな? 休日とか長期休暇はそれなりに勉強できるだろうけれど、平日は学校の授業の予習復習だってしなければいけないから、案外受験勉強に取り組む暇がないかもしれません。

 とすると、受験勉強を開始してまもない頃は、平日2時間、休日6時間も勉強すれば一杯でしょうし、本格的に勉強に取り組んで、頑張って勉強するようになれば、平日は4時間程度、休日が8時間ぐらいは勉強できるようになるかな? で、そう考えて、それらモロモロを平均化すると、1日4時間程度受験勉強を毎日している…と考えると、かなり上出来な部類に入るんじゃないかしら?

 で、その1日4時間程度の受験勉強を、高3の4月から始めて、受験直前の翌年の2月いっぱいまでし続けたと考えると、約1300時間ほど受験勉強をする事になります。

 その1300時間ほどの受験勉強を経て、希望大学に入り、卒業して大企業に就職して定年まで勤め上げると、約3億2千万円の生涯賃金を得られるわけです。一方、同じ高校の同じクラスにいても、大学受験をせずに、高校3年生を、恋に部活に趣味にバイトに楽しく過ごし、高卒で働き始めると、その生涯賃金は約2億5千万円となります。

 つまり、これで分かる事は、受験勉強って、1億3千万円のカネを生み出す、とっても美味しい労働って言えます。どれくらい美味しいのか、時給換算をすると…約10万円だよ。1時間勉強すると10万円稼いだ事になります。1日4時間受験勉強すると、毎日40万円も稼ぐことになります。

 ね、実に受験勉強って、美味しいでしょ?

 もちろん、これは机上の空論だし、個人差もあるし、世の中、そうそううまくいかないとも言えますが、一般的に学歴による収入差があるのは、我々が肌感覚で知っている事です。ただ、何となく差があるとは感じていても、実際にどれぐらいの差があるかまでは考えないわけです。さらに大学に合格するために必要な受験勉強って奴だって、それも乱暴だけれど数値化してみて、収入差と考え合わせてみれば、例え、すごくすごく乱暴な数字とは言え、ざっと計算すると、こんなに違っているわけです。

 それにしても、時給10万円だよ。高校生に人気の居酒屋のバイトでも、時給は約1000円がいいところでしょ? 確かに高校生時代に、時給1000円ってのは魅力だし、それで月に数時間稼げれば、なかなか良いお小遣い稼ぎになる事は分かるけれど、でも、居酒屋でバイトする時間があったら、家で受験勉強をしている方が、かなりマシって事が分かります。

 だって、かたや時給1000円で、もう一つは時給10万円だよ。その差は軽く100倍だよ。居酒屋で100時間働いて、やっと受験勉強1時間分の金銭価値になるわけです。居酒屋で100時間働くって…1日5時間働く(居酒屋は時給はいいけれど、労働時間が長めなんですね。だからバイト代が良いのです)と考えると、20日もかかります。これって、週5日バイトするというシフトでも、1カ月かかります。つまり、居酒屋で1カ月働いて得られる金額と、たった1時間受験勉強をして得られる金額がほぼ同じって事になるわけです。

 これってどうなの?

 全国の高校生諸君に「バイトする暇があったら、勉強した方がカネになるよ」と教えてあげたくなるでしょ? 違う?

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2014年6月28日 (土)

そして、イシマキガイだけが残った

 タニシが金魚たちに食べられ尽くして、絶滅してから、だいぶ日が経ちました。そして、それとほぼ同時に緋ドジョウのチビがやせ始めてしまいました。まあ、単なる偶然と思いたいですが、チビはタニシを主食にしていた可能性が無いとは言えません。

 金魚たちにタニシを食べられて絶滅してしまったとは言え、なぜ私が動き出さないかと言うと…仕事とプライバシーの両方で忙しくて、なかなかタニシをもらいに行けないという事情もあるけれど、実はタニシが絶滅しても、我が家の水槽に貝がいなくなったわけではないので、それで焦っていないとも言えます。

 はい。確かにタニシは絶滅しましたが、イシマキガイたちは健在です。たった4個しかいませんが、この子たちが、タニシがいなくなっても、水槽のあちこちのお掃除に頑張っていて、タニシの不在の穴を埋めているのです。

 …ってか、タニシって、あんまり水槽のお掃除に役にたっていなかったのかもしれません。だって、イシマキガイだけになってから、それなりに日が経ってますが、水槽のガラスがピカピカだもん。

 イシマキガイ…金魚屋で普通に売っている水槽用の巻き貝です。一つ500~600円もする、そんなに安くない子です。ウチでは、タニシを水槽に入れるようになってから、新しいイシマキガイは入れていないし、イシマキガイは水槽では繁殖しないので、今いる子たちは、初代のタニシ以前からいた子って事になります。…って事は、タニシは2007年から我が家に来るようになったので、それ以前からイシマキガイはいたという事になります。…となると、少なくとも7年はいるわけだ。チビよりも古くから我が家にいるのかもしれません。

 ああ、実は我が家の最古参メンバーは、イシマキガイたちなのかもしれません。

 それにしても、やっぱり、このままではマズいので、近々タニシを大量にいただいてこないといけないだろうなあ…。

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2014年6月27日 (金)

結露の季節がやってきましたね(憂)

 仕事の都合で、今回のフルートのレッスンはお休みしました。なので、今週も、フルートエッセイでお茶を濁したいと思います。さあ、いくよ。

 春も終わり、梅雨がやってきました。もうすぐ、ギラギラの“ナツいアツ”がやってきます。いやいや“暑い夏”か(笑)。

 皆さん、お部屋に冷房は入れましたでしょうか? 「冷房が無いのは、空気がないのと同じ」というポリシーの私は、さっそく書斎の冷房は“オン!”でございます。

 寒ければ暖房を、暑ければ冷房を入れる私ですが、冷房を入れてフルートを吹くと、フルートが結露しませんか? 私はします。もう、ダラダラ(笑)。

 フルートを始めて間もない頃って、実に熱心にフルートの練習をするものです。私の場合、フルートを始めたのが春先でしたから、一番熱心に練習をしていたのは、その年の夏だったと思います。もう、暇さえあればフルートを吹いていたかもしれません。

 なので、その頃の私は、フルートの管先から水分がドロドロ出てきたり、フルートのメカ、とりわけパッドの部分がネチャネチャ音を立てても、それは練習熱心なあまりに、クチから息に混じって出てきた唾液のせいだと思っていました。なので、ちょっとバッチイけれど、それぐらい熱心に練習しているんだなあと、我ながら感心していました。

 でも、事実は、熱心さとは関係ありませんでした。

 あの水分は結露、つまり部屋の水蒸気だったんですね。

 練習部屋に冷房を入れて部屋の空気を冷やすと、フルートも冷えます。フルートは金属製で熱伝導率が極めて良いので、すぐに室温程度に冷えてしまいます。そこに、室温よりもグっと温度の高い、体温並の温度を持った息を吹き込むわけです。そうすると、フルートの内部の空気が温められます。フルート管内の温かい空気が、冷たいフルートの管に触れると、空気の中の水蒸気が、水蒸気のままの状態ではいられなくなり、水分に戻ってしまい、その水分が、温かい空気と冷たい管体が接した部分に付着します。それが結露です。そうやって発生した水分がフルートの管内に溜まったり、メカのパッドに付着したりするわけです。

 なので、どれだけ熱い魂で熱心に練習したかではなく、フルートの管内の空気の温度と、フルートの管体の温度差があればあるほど、多くの水分が発生するわけです。まあ確かに、熱心に練習すれば水分ダラダラになるけれど、いいかげんな気持ちで練習したからと言って水分ダラダラは無し…ってわけじゃないんです。

 さて、結露の季節です。私も床に水分をダラダラ垂らしながら練習していますし、メカからクチャクチャ音を立てながら練習しております。ダラダラにクチャクチャですよ、なんか、イヤな感じ。でも、我慢。

 結露を避けるために、冷房を切ったり、冷房を弱くすると、フルートから水分が垂れる事は無くなるだろうけれど、今度は私自身から汗が吹き出してきて、あっちこっち水分だらけになるわけです。汗が吹き出すと不快になるだけでなく、フルートを持つ手が滑ったりします。手だけでなく、クチビルのあたりも滑ったりして、吹きづらくなります。

 結露もイヤだけれど、汗もイヤだね。

 まあ、仕方ないか。そういう点では、フルートって、さわやかな高原地帯で吹く楽器であって、日本の夏のような高温多湿でジメジメした地域には似合わない楽器なのかもしれません。

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2014年6月26日 (木)

ヘンデルは、どこを切ってもヘンデルですね

 今、Y先生から課題曲として、ヘンデル作曲の「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」をいただいて、一生懸命、練習しております。

 この曲、全音の『イタリア歌曲集』の1巻に入っている曲なんですが、実は全然歌曲ではなく、オペラのアリアだったりします。『アルチーナ』というオペラ(ヘンデルの時代のオペラですから、いわゆるバロック・オペラですね)のアリアなんです。

 せっかく勉強するんだから、どんなアリアなのか、オペラ本体を見て、学んでみよう…と思いました。

 なにしろ『アルチーナ』は以前、DVDを購入して、一度見ているはずなんですが、ほとんど記憶に残っていないんです。特に「Ah, mio cor」がどこで歌われたかなんて、ちっとも覚えてません(汗)。人間って、忘却の生き物ですからね。

 久しぶりに『アルチーナ』のDVDを取り出して見てみました。ちなみに私が見たのは、このディスクの『アルチーナ』です。

 この『アルチーナ』は現代的な演出で、少々エロチックな演出でございます。なにしろ、主役のアルチーナは薄物を着ているので、カラダの線はもちろん、乳房も乳首も丸見えでございますし、なんと舞台上で生着替えをして全裸になってしまいます(カメラは、その時はさすがに脇役のアップで、全裸を映し出しませんが:笑)。

 まあ、それはともかく。

 いやあ音楽は、どこを切ってもヘンデルですね。最初から最後まで、徹頭徹尾、ヘンデルですね。もう、音楽がヘンデル臭くて、プンプンしてます。笑っちゃうくらいに、ヘンデルです。

 ヘンデルって…個性が強いなあ。この個性の強さは、モーツァルト並かもしれない。モーツァルトも、どこを切ってもモーツァルトだもんなあ(笑)。とにかく、どこを切ってもヘンデルな音楽を聞きました。

 そうそう、お目当てのアリアは、第2幕の終わり近くにありました。

 『アルチーナ』というオペラのストーリーを、実に乱暴に説明すると…手練手管を用いて男にモテモテで、男を弄んでいた魔女のアルチーナが、うっかりマジで恋をして、その恋人に捨てられる…というストーリーです。男を捨てる事はあっても、男に捨てられた事などなかったアルチーナが、マジで恋人に捨てられた事を自覚した時に歌う曲が「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」なんですね。だから、すっごく悲しいし、ほぼ慟哭なんです。血の涙を流していても、全然不思議じゃない状況での、魂の叫びを歌にしたんです。

 いやあ…ここまで心理的に濃い歌だとは思いませんでした。と、同時に、これ、テノールが歌う歌じゃないよね。まあ、歌曲として歌うなら関係ないと言えば関係ないけれど、実に女臭くてドロドロした歌なんだな「Ah, mio cor」というアリアは。

 でも、曲の背景を知ることができて良かったです。

 いわゆる“イタリア古典歌曲”って、実はほとんどがバロック・オペラのアリアなんですよね。アリアである以上、ストーリーを背負っているわけです。だから、そのストーリーを理解した上で、歌うのが本筋なんじゃないかなって思いましたが…バロック・オペラって、なかなか見ること、できませんねえ。

 例えば、私が今学んでいる他の2曲、チェスティ作曲「Introno all'idol mio/いとしい人の回りに」と、カルダーラ作曲「Selve amiche/親愛な森よ」は、チェスティの方が、歌劇『オロンテーア』のアリアで、カルダーラの方は、牧歌劇『愛の誠は偽りに打ち勝つ』のアリアなんだそうです。『オロンテーア』に『愛の誠は偽りに打ち勝つ』だって? 生上演はもちろんだけれど、DVDでだって、見れないんじゃないの? そういう点では、割と映像化されているヘンデルの作品は、学びやすいと言えば学びやすいです。

 まあ、歌曲として、その曲にじっくり取り組めばいいんだろうけれど、やはりアリアとして作曲されているなら、元々、どういう場面で歌われているのか、歌っているキャラクターはどんな思いを背負いながら歌っているのか、そしてその歌は、相手役に届いているのだろうか? など知った上で歌いたいと思います。

 だって、まず、そこんところを押えておかないと、表現って奴に手が届かないじゃないの?

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2014年6月25日 (水)

マリボール国立歌劇場の「カルメン」を見てきました

 当地では、年1~2回、東欧の歌劇場の引っ越し公演が開催されます。今年は、スロヴェニアのマリボール国立歌劇場による、ビゼー作曲の「カルメン」が上演されました。

「スロヴェニア? スロヴァキアじゃないの?」…違うんですね。スロヴェニアは、以前はユーゴスラビアの構成国の一つだった国で、スロヴァキアは、チェコ・スロヴァキアの一部だった国です。名前は似てますが、全然違う国です。

 で、今回は、元ユーゴスラビアのスロヴェニアの方の、国立歌劇場が来てくれたわけです。

 今回の上演の目玉は、主役のカルメンを、オクサナ・ヴォルコヴァが歌う事でした。ヴォルコヴァは、世界中を飛び回っている、今売り出し中のオペラ歌手の一人です。先日見た、メトのライブビューイング(エフゲニー・オネーギン)にも出演していました。そういう人の生歌唱が聞けるというのは、実にありがたい事だったりします。

 で、ヴェルコヴァ以外の歌手は、東欧を中心に活躍している人たちばかりだったけれど、歌はみな、実に上手かったですね。音楽的には、ほぼ満点な上演でした。

 この上演が15500円で見れたのは嬉しい事です。だって、同じモノが東京だと23000円なんだよ。上演場所がちょっとひなびただけで、チケット代が2/3にディスカウントされるんだから、良いよね。おまけに、私的には我が家から徒歩10分の会場だから、交通費もかからなければ、時間もかからないわけで、ますます良いわけです(笑)。

 音楽的には実に満足のいく上演でした。演出の方は…最近の上演だなって思いました。原作の雰囲気を壊さないように配慮されていましたが、やはり時代設定は、かなりこっち側になってました。ま、おかげさまで、なじみやすいと言えば、なじみやすくなっているので、それに関しては良しとしましょう。

 意見が分かれるとすると、エスカミーリョの扱いかな?

 たまたまかもしれないし、意図的かもしれないけれど、エスカミーリョがそんなに格好良くなかったんですよ。歌っていたヨジェ・ヴィディツは、チビデブなバリトンさんでした。バリトンはチビデブでも役があるので、それはそれで良いのですが、普通エスカミーリョを歌うバリトンは、大柄でイケメンなバリトンが歌う役で、そんな大柄でイケメンなバリトンは、この世に掃いて捨てるほどいるのに、そういうバリトンさんではなく、彼にオファーが行ったのは、なぜなんでしょうか? なんで彼がエスカミーリョを歌ったのかと言えば…やっぱり、演劇効果を狙ってキャスティングされたんだろうなあって思います。オペラのラストで、カルメンがホセに刺されて死んでしまうのですが、今回の演出では、同時にエスカミーリョが闘牛に刺されて死んでしまうのです。ホセはカルメンを殺しながら、カルメンを殺す事で同時に、エスカミーリョへの復讐を遂げたという演出なんですが、この辺の演出とキャスティングに関係があるのかもしれません(断言はできないんですが…)。

 断言できないと言えば、ホセ役のヤベ・トメ・フェルナンデスの衣装というか小道具というか、はっきり言っちゃえば、彼の頭髪の扱いに「???」です。

 フェルナンデスは細身で長身のテノールなんですが、アタマがハゲているんですよ。それもデコチンハゲとカッパハゲのWハゲなんです。彼は細身だし、長身だし、顔の造作だって悪くないのですから、カツラさえ被れば、十分、若者に見えるし、カルメンに振り回される田舎の純朴な青年役にふさわしい外見になるのですが、アタマがハゲてちゃ、オッサンにしか見えません。エスカミーリョ共々、分別のあるオッサン二人が、小娘でしかないカルメン(ヴォルコヴァのカルメンは、とても若い娘に見えます)に入れあげちゃうようにしか見えません…が、これも演出として狙ったんだろうなあって思います。だって、オペラって、普通、カツラかぶるもの。オペラに限らず、演劇って、役作りのために俳優にカツラをかぶせるものでしょ? それをわざわざかぶせなかったと言うのは、意図的に演出の必要上、カツラをかぶせなかったと考えるべきでしょ?

 なので、第三幕のホセとエスカミーリョの一騎討ちのシーンは、若い娘を取り合うオッサン同士の対決で滑稽だったし、それを止めに入るカルメンも「もう~、オジサンたち、いいかげんにしてよ~」的な感じで、なんか客あしらいに慣れたキャバクラのお姉ちゃんみたいなノリになってました。で、このシーンが伏線となって、ラストのカルメン&エスカミーリョ同時刺殺という演出になるんだろうなあって思います。

 ま、それはそれで、アリだけどね。

 私が個人的に“素晴らしい”と思ったのは、フラスキータを歌ったソプラノのヴァレンティナ・チュデンです。彼女いいですよ。歌も演技も良いけれど、何よりも存在感があっていいです。主役二人が舞台の中央で二重唱を歌っている時に、舞台の後ろの方で何やら小芝居をしていると、私の視線は主役ではなく、そっちの小芝居の方に釘付けになってしまいました。なんか、彼女の演技から目が離せませんでした。

 チュデンは、2004年に学校を卒業して、そのままマリボールでコーラスガールになって、2009年にソロデビューしたそうです。…苦労してます。年はおそらくアラサーでしょう。クラシックだけでは芽が出ないとあきらめているのかもしれませんが、この人、お国では、ポピュラー歌手としても活躍しているみたいですね。まあ、ソプラノは競争が激しいですからね。それでも、チャンスさえつかめば、すぐにでも世界デビュー出来そうな感じの歌手さんです。でもね、そのチャンスをつかむのが難しい世界なんだけれどね…。

 で、主役を歌っていたヴォルコヴァは、そんなチャンスをつかんで世界デビューできた幸福な歌手なんだよね。要するに、歌手として成功するためには、才能以外に、歌唱技術とか演技力とか美貌とかも必要だけれど、一番必要なのは音楽の神様にどれだけ愛されているかだったりしてね。

 そんなわけで、主役の一人であるミカエラを歌っていたアンドレヤ・ゴサンシェク・クルトについては、あまり記憶がありません(ごめんね)。悪くなかんたんですが、個性が弱くって…。

 さて、当地での次のオペラ公演は、いつになるんだろ? 以前は年2回ずつやってくれてたんだけれど、最近はめっきり回数が減ってしまって…。原因は、リーマン・ショックでしょうか、それともフクシマかな? どちらにせよ、貴重な外国の歌劇場の引っ越し公演なので、開催されれば、私は見に行くし、会場だって確実にほぼ満席になるんだから、もっと頻繁に行って欲しいなあって思いました。

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2014年6月24日 (火)

モノマネと演奏

 「“学ぶ”とは“真似”ぶ事である」とは、よく言われる事ですし、真理の一面をうまく表現していると思います。

 ただ、より良く学ぶためには、ただ単に、やみくもに真似ているだけではダメで、ある部分は真似を超えた部分(いわゆる“オリジナル”)がなければならないと思います。「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」とも言う通り、やはり何事にも指導者とか師匠と呼ばれる存在は必要で、その指導によって、どこまでを真似て、どこからは自分流にするべきか、その道を導かれなければならないと思います。

 これはすべての学問・芸事に通じることだと思います。

 ここでは音楽にしぼって考えてみましょう。

 先人の演奏スタイルの、どこまでを真似て、どこからは真似るべきではないのか。これは簡単そうで、実は難しい課題かもしれません。

 憧れの演奏家がいて、その演奏家に瓜二つの演奏ができる事を目標として学ぶ…これは音楽を学ぶ目標として、割とある目標だと思います。ランパルやゴールウェイと瓜二つの演奏ができたら、嬉しいですよね。マリア・カラスと区別がつけられないほどの歌が歌えたら、天にも昇る思いですよね。私はテノールですから、ドミンゴやデルモナコのように歌えたら死んでもいいと思ってます。

 ランパルやゴールウェイのように演奏したいから、ゴールド・フルートを購入する。これはアリだと思います。彼らのようになりたいから、彼らが校訂した楽譜で演奏する…これもアリです。彼らのように演奏したいから、彼らの音源を聞いて、そっくり耳コピーをして演奏する…微妙ですね。そこまで行ってしまうと「個性って何?」という話になってしまいます。でも、真似をしている自分は、そこまでできるようになれば、限りなく嬉しいですね。

 歌で言えば、マリア・カラスやドミンゴと、全く同じに、そっくりそのままの歌が歌えるようになれれば、本人は嬉しいでしょうが、第三者的には“ただのモノマネ”にしか聞こえなくなります。そうなると、それは“音楽”ではなく“演芸”の領域に突入してしまう事でしょう。なんとも微妙な話です。

 一生懸命に音楽を学んだ結果が、演芸になってしまったら、本人的には喜ばしいだけに、端から見れば、立派な喜劇になってしまいます。

 歌を学ぶ上で、モノマネになってしまうのは、ある意味『学びは“真似”び』のダークサイドに陥ってしまう事だと思います。

 それじゃあダメでしょう。

 あと、フルートなど、楽器の場合は起こりづらいのですが、歌の場合『作り声で歌う』というダークサイドもあります。

 『作り声で歌う』事自体は悪い事ではないと思います。声優さんが、アニメの役(キャラクター)になりきって歌う“キャラソン”などでは、声優さんは当然、演技として“作り声”で歌うわけです。これは立派な歌唱テクニックの一つだと思います。

 でも、プロやプロの卵の人が、すでに成功したプロ歌手を真似て、作り声で歌うのは、いかがでしょうか?

 例えば、J-POPの男性歌手の中で、サザンオールスターズの桑田さんのモノマネになってしまっている人って、たくさんいるでしょ? 桑田さんのモノマネでなければ、B'zの稲葉さんのモノマネや、ブルーハーツの甲本さんのモノマネだったりします。でしょ? 私などは、そういう二番煎じの歌手の歌を聴くくらいだったら、桑田さんなり、稲葉さんなり、甲本さんなりのオリジナルを聞けばいいんだから、そんなモノマネ歌手なんて聞く必要ないって思っていたりします。

 しかし、同じ事をアマチュアが行った場合は…微妙でしょ? アマチュアの場合、必ずしもオリジナリティは必要ではないわけです。それどころか、コピーがもてはやされる場合だってあります。それは、コピーバンドやモノマネ歌手という遊び方につながっていくからです。そういうのって、モノマネされるご本人そっくりに歌えれば、本人も嬉しいし、それを聞いている人も笑顔になるわけです。

 ううむ、難しい。

 ただ、歌でも、クラシック声楽の場合は、その人のノドの能力限界まで使って歌いますから、モノマネをしたり、作り声で歌っていたら、早晩、ノドを壊すことになると思います。ポップス歌手なら、ノドを壊して、声をつぶしても「ハスキーな声ですね」と済みますが、クラシックの場合は、単なるポンコツでしかないです。

 かつての私は、当時の先生に言われた事もあって、上手くもないモノマネに励んでいた時があります。私が真似たのは、もちろん、大好きなデルモナコ。彼の真似をしなさいという指導を受けていたので、少しでも彼の声に近づくべく頑張っていた事があります。

 …が、結局、それって、すごい遠回りの上に、行き先を間違えていたんだなって、今は分かります。私がデルモナコの真似したって、真似できるわけないし、もしもできたとしたら、そんな声、全く使い物にならなかったと思います。

 だって、私はレッジェーロ系のリリコテノールだけれど、モナコはスピントなテノールです。軽自動車がダンプカーのマネをするようなモンです。そんな事、できるわけないです。そんな無理の事を要求されたから、ノドを壊しかけたんだと思います(まあ、それだけが理由じゃないと思いますが…)。

 「“学ぶ”とは“真似”ぶ事である」は真理です。しかし、演芸としての音楽を目指すのでなければ、モノマネと言われるほど、瓜二つの真似は良くないだろうと思います。スタートこそは真似であっても、どこかでオリジナルのスタイルへと舵を切っていかなければいけないと思います。

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2014年6月23日 (月)

ヴォルフと楽譜

 先日、おぷーさんから教えていただいた、ドイツの作曲家であるヒューゴ・ヴォルフの歌曲に興味を持ち、少しずつ聞き始めているところです。もちろん、私が「興味を持ち、少しずつ聞き始めている」というのは、いつの日か自分でも“歌いたい”、という前提があるからです。

 なので、音源を仕入れながら、楽譜の手配をしようとしました。

 楽譜は…ドイツ系の作曲家ですから、ショット社(ここがオリジナルを発売した会社ですね)か、大手のペータース社やベーレンライター社あたりの楽譜を入手すれば良いのでしょうが、私、ドイツ語苦手だし、入手の容易さから考えても、日本の楽譜出版社のモノを利用するのが良いかなと思って(だって歌詞の現代語訳や解説が付いてるでしょ?)、ググってみたところ、日本では全音がヴォルフの楽譜を販売しているようです。

 全音のヴォルフの楽譜が、いわゆるアンソロジー形式(名曲集って奴だね)で、高声用と中声用が、それぞれ全2巻で発売されています。

 やったね。早速、高声用を購入しよう…と思ったところで「???」となりました。というのも、よく見てみると、全音のヴォルフ歌曲集は、高声用と中声用で、ちょっと中身が違うらしいのです。

 まず、高声用が原調版のようで、要するに“高声用がオリジナル”なんです。まあ、これ自体は、よくある事で、あちらの作曲家の歌曲集って、日本に持ってきた時、音域の関係なのでしょうか? たいていオリジナル(つまり原調版は)高声版として発売され、オリジナルを数度低く転調したものを(日本人向けに)中声用とか低声用として発売するんですね。

 これは、日本の歌手は、ヨーロッパの歌手よりも高い音が苦手…と言うか、高い音が回避されている楽譜の方が売れる…とか、まあ、そんなオトナの事情があるんだろうなあって思います。

 それは商売上の事だから、いいんです。

 でも、私個人は、自分の声にあった楽譜で歌いたいし、できれば作曲家が作曲した原調で歌いたいと思ってます、とりわけ、ヴォルフのように近代の作曲家の場合は、なおさらね。

 だから、私は迷わず『高声用』の楽譜をポチしようとしたんですが、その手が止まったんです。と言うのも、その全音の楽譜には“ヴォルフ歌曲選集 1(高声用=原調版/女声用選曲)”なんて書いてあったからです。

 女声用選曲? 慌てて中声用を見たら“ヴォルフ歌曲選集 1(中声用/男声用選曲)”って書かれいるじゃありませんか? つまり、全音のヴォルフ歌曲集の場合、高声用と中声用では、掲載されている曲が違うんです。実際、曲目リストを見たら、共通する曲もあったけれど、やっぱりかなり違ってました。

 一応、歌曲と言うのは、男視点であれ、女視点であれ、男言葉で書かれていても、女言葉で書かれていても、どの曲も、男女問わず歌ってよい…というのが普通ですが、ヴォルフの場合は、近代歌曲という事もあって、男性が歌う曲と、女性が歌う曲の区別があるみたいです。ならば、私は男性だから、男声用に選曲された楽譜を購入するべきだろうけれど、男声用は中声なんだよね。わざわざ低く移調してあるんだよね。中声版の楽譜は、歌うのが楽なのはいいけれど、なんか華がなくていけないし、何より勉強にならないわな。できれば、高声用で歌いたいものですが…日本だと、高声用は女声用の選曲なんだよね。

 つまり、私のような人間(男声だけれど高声用の楽譜で歌いたい人)は、輸入楽譜でも買ってくださいって事なんだろうな。

 しかし、輸入楽譜は、やっぱり高いし、日本語訳もなければ、曲の解説もないからなあ。その手の情報をネットで探すと言っても…ヴォルフってマイナーな作曲家だから、ロクな情報がネットに転がっていないんだよね。ああ、なじみのない作曲家だからこそ、日本の楽譜で購入したいんだよなあ。

 なんかなあ、割り切れないなあ。

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2014年6月22日 (日)

母が転院しました[2014年6月第4週・通算15週]

体重:110.2kg[+0.2kg:-1.0kg]
体脂肪率:30.9%[+0.2%:-0.3%]
BMI:34.8[+-0.0:-0.1]
体脂肪質量:34.1kg[+0.3kg:-0.5kg]
腹囲:106.0cm[+-0.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 一時は明日をもしれぬ命だった私の実母ですが、危機を脱して安定してきたので、入院している病院を転院する事になりました。

 実は今までも母は何度か倒れて入院する事がありました。で、病院で治療してもらって、良くなったら退院して、自宅で安静に養生するという生活をしていました。でも、自宅に戻ると、すぐに具合が悪くなって、入院。で、良くなると退院。で、しばらくすると、また入院。で、退院して入院して退院して入院して…この繰り返しを何度もやっていたのだそうです。

 母は父との二人暮らしで、我々子どもたちとは離れた土地で暮らしています。父は見栄っ張りで、いつもカッコ付けたがる人なので、母の具合が悪い事や、入退院を繰り返している事を、我々子どもたちを始め、親戚一同に隠していました。自分一人で母の面倒を見れる…と思っていたようですが、若い時ならともかく、自分自身も年を取ってカラダがうまく動かせなくなっている上に、軽くボケていて、他人とのコミュニケーションもうまく取れず、病院のセンセの言うことも軽く無視して、なんでもかんでも「大丈夫、大丈夫」で済ませてきたわけです。

 で、今回、母が何度目かの入院をした時に、ほとほと困った病院が、父をすっ飛ばして、我々子どもたちに直接連絡してきたので、母が具合が悪く、何度も入退院を繰り返し、今や死線を彷徨っている事などが分かった次第です。

 ほんと、父の事だから、きっと母が死んでも、それを認めずに、家族や親戚の誰にも連絡をしないで、葬式もせずに、済ませてしまいかねないですからね。あの時くらい、病院に感謝した事はないです。

 で、今回、病院の手厚い治療と看護のおかげもあって、死線を彷徨っていた母も、なんとか生き長らえそうなところまで回復しました。で、本来なら退院して自宅療養に切り替わるのですが、でも退院すれば、また父の元に帰ってしまいます。そうなると、早晩、また死にかけた状態で病院に担ぎ込まれてくることは明らかなので、そこで病院と父がモメにモメたわけです。

 とにかく、父の家に母を戻すわけにはいきません。それではこれまでの二の舞、三の舞になるだけです。本当なら、私たち子どもが母を引き取ればいいのですが、それには父が大反対しているわけだし、父も一緒に引き取りますよと言えば、それもイヤだと言うわけです。とにかく、自分たちを放っておいてくれと叫ぶわけだ。年寄りだし、ボケているし、言い出したら収まりません。

 でも、自宅に戻せないからと言って、いつまでも病院に入院させておくわけにもいきません。病院のベッドの空きを待っている別の患者さんだっているわけだし…。

 母は自宅には戻せない。母を子どもたちのうちの誰かの家で引き取る事もできない。でも病院にずっと置いとくわけにはいかない。そういうジレンマの中、結論として出たのは『別の病院に転院』する、です。

 別の病院…そう、日本には色々なタイプの病院があって、外来などが無い、入院患者専門の滞在型の病院があるんですね。母が入ったのは、そういうタイプの病院です。

 病院とは言え、積極的な治療をするわけでもなく、現在の状態を維持する事を目的としている病院です。母は呼吸器が壊れているので、空気の清浄な部屋で、高濃度の酸素吸入をして安静にしていないと死んでしまうわけです。でも、そんな環境さえ提供してくれれば、とりあえず母は安定しているので、滞在型の病院に入院する事にしたのです。

 なにしろ、実家に戻れば、部屋はロクに掃除されておらず、ゴミだらけのホコリまみれで、座敷犬が走り回っているし、とても清潔とか清浄とか言える住環境ではないし、父はロクに家事をしませんから、病気をおして母が家事をすれば…そりゃあ、あっと言う間に死にかけてしまうわけです。ですから、入院専門の病院であれ、清潔で安静にできて、酸素がきちんと吸える環境が母には必要なわけです。

 なにしろ、母の具合が悪くなったあたりから、たとえ子どもと言えども、他人を家の中に入れないようにしている父です。家政婦さんとかヘルパーさんなども絶対に利用しません。母の具合が悪くなって、家の中が汚くなっているのを、誰にも見られたくないようなんです。そんなわけで、母をそこに戻すわけにはいかないのです。困ったものです。

 しかし、今度の病院は、人里離れた山の中にある病院です。なにしろ、最寄り駅から病院までの公共交通機関が“無い”んですよ。もちろん、駅から歩ける距離では、到底ありません。なので、病院へは、自家用車で行くか、駅から病院が用意している送迎バス(平日は6便/日、土曜は3便/日、日曜休日は運休)に乗っていくしかないわけです。それもその送迎バスは、最寄り駅からではなく、なぜか、病院から少し離れた駅から出発していました。

 で、母の転院の日は仕事の都合があって、同行できなかったので、転院が完了したところで、さっそく見舞いに行ってきました。

 私は自家用車ではなく、公共交通機関を利用することを良しとしている人なので、多少は不便でも、まずは電車バスを利用して見舞いに行くことにしました。

 そこで、送迎バスに乗るために、指定された駅に行ったところ、すごい所に来たなあ…と思いました。なにしろ、その駅前には…商店など一軒もなく、ただただ駐車場が広がっていました。近隣住民の方々は、自宅から駅まで車でやってきて、駅前の駐車場に車を置いて、出勤する…というライフスタイルなんだなって思いました。

 この駅には…いわゆる公共交通機関としてのバスは無いようです。あるのは、タクシーと、各施設が運行している送迎バスぐらいでした。

 ちなみに、この駅から母の病院までタクシーを使うとすると…片道だけで4000円を超してしまいそうです。とてもタクシーには乗れません。もっとも最寄り駅からタクシーに乗っても3000円を超えそうですから、自家用車を利用するのでなければ、病院の送迎バスを利用するしかないのです。なにしろ送迎バスなら無料で利用できますからね。

 ともかく、病院の送迎バスを待つ事にしました。

 私が見舞いに行った日は土曜日でしたから、平日は6便走っている送迎バスが、3便しかありません。3便しかない送迎バスの2便目に乗って病院に行って面会をし、3便目に乗って帰る…そういう予定でした。

 電車の都合もあって、駅で30分ほど送迎バスを待っていたら、やってきました。バスというのですが、実際は、15人乗りのワゴン車でした。で、このワゴン車が道々、すっ飛ばすんですね。もう、すごく飛ばすので、私はもう少しで車酔いになってしまうところでした。で、それだけ飛ばしても、駅から病院まで30分かかりました。どんだけ、山奥なんだい! 病院の近所にはゴルフ場が一つあるだけで、あとはほぼ原生林と言えば、どんな感じかは想像つくのではないでしょうか?

 病院に着いて、母の病室を訪ねました。久しぶりに会った母は、だいぶ元気になっていました。見舞いに行けて、色々と安心しました。

 それにしても、入院専門の病院は、ウチもそうだけれど、色々とワケありの方々が入院しているみたいで、なんかすごかったですよ。病室のあちらこちらから、休む間もなく奇声や悲鳴が飛び交ってます。

 母は最初は個室でしたが、病院側の要望もあり、個室を二つに割って、二人部屋にして入院しているのですが、その相方のオバアチャンが、ずっとずっとずっと、わめいているタイプの方で、これじゃあ精神が休まらないなあ…と思いました。

 なので、母は普段はヘッドフォンを付けっぱなしにして、ずっとテレビを聞いているんだそうです。それもどうかと思うけれど、奇声や悲鳴をずっと聞かされるよりはマシなんでしょうね。

 父さえ納得してくれれば、今すぐにでも母を私の自宅に引き取りたいと思いました。ウチは部屋が余っているし、大きな病院だってすぐそばにあるし、母の面倒ぐらい何とでもなるんですが…父が絶対に首を縦に振りませんから、それもできません。

 母は呼吸器は壊れていますが、心の方は正常ですから、こういう阿鼻叫喚の中で暮らすのはたまらないでしょうね。

 母の見舞いを終え、遅い昼食を病院の前のゴルフ場のクラブハウスで食べ(病院には食堂がないので、それ以外に選択肢がないんです)、帰路につきました。

 しかし、病院、遠いなあ…。電車バスで行くのは、かなり厳しいです。

 次に病院に見舞いに行く時は、私のポリシーには反するけれど、電車バスじゃなくて、やはり車で行かないとダメかもしれません。実際、電車に乗っていくよりも、レンタカーを借りて移動した方が速いし、なにより安いんですよ。

 「電車バスで行けない所には行かない」と普段は言っている私ですが、さすがに母の入院先ともなると、そんな事は言ってられませんからね。さてさて、どうしたモンでしょうか。

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2014年6月21日 (土)

チビがやせ細ってしまった

 ウチには緋ドジョウが2匹います。大きな方がラズで、もっと大きな方がチビです。大きいのにチビと言うのも不思議なネーミングですが、我が家に来たばかりのチビは、本当に小さかったんです。だからチビです。

 さて、最初は小さかったチビですが、やがて成長をして、長く太く大きく成長しました。はっきり言って、デブになりました。頭は…まあ、普通サイズなんですが、頭が終わって胴体部分になるやいなや、ボーンと太くなってました。小さな頭に太くて大きなボディが続いていたと言うと、想像つくかしら? とにかく、名前はチビでしたが、カラダは大きくて、ブクブクに太っていたんです。

 それが先日みたら、実にすっきりとやせていたんです。それも以前とは真逆で、胴体の方が頭よりも細くなっていました。まるで、毒蛇みたい(笑)。

 標準体型を維持しているラズ(この子は実に健康優良児なんです)よりも、長いくせに細いかもしれません。いや、やせた…と言うよりも、やつれてしまったのかもしれません。以前は、太っていて、ロクにカラダを曲げることができなかったのに、今は余裕でグルグルとカラダを巻いています。

 魚って、一度大きくなると、滅多に小さくならないモノだと思っていました。一度太った子は、やせる事はない…そんな風に思っていましたが、どうやらチビは例外的にやせてしまいました。

 やせても、一応、元気なようです。

 一体、何があったのでしょうか? 一応、体調/体色はラズほどではありませんが、悪くはなさそうです。でも、魚がダイエットとかするかな? やはり病気、あるいは加齢でやせてしまったのではないかと心配してます。あるいは、タニシの絶滅とチビのやせ始めの時期が一致していますから、そのあたりが関係しているのかしら?

 ブログを見ると、チビは2008年の4月以前から我が家にいるみたいですから、少なくとも6年以上は生きてます。ドジョウの寿命って、どれくらいあるんでしょうね? ググると水槽での飼育なら7~10年ぐらいだそうだから、それを考えると、チビもそろそろ…って感じなのかもしれません。

 チビに限らず、どの子もそうなんですが、いつまでも元気で生きていてほしいと願ってます。

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2014年6月20日 (金)

フルートは吹かずに、鳴らしましょう

 フルートのレッスンに行ってきました。もちろん、アルテを終わらせる気、満々でした。

 とにかく(笑)、30分ほど遅刻してお教室に入りました。で、さっさとフルートを組み立てると、チューニングもせずに、いきなりロングトーンの練習です…もう、慣れました(汗)。このロングトーンの練習は三オクターブ目のHまでやるのですが、この最後のH以外は、先生ともほぼピッタリの音程で吹けるようになりましたが、最後のHだけは、微妙に音が濁るんだよねえ…、ああ残念。

 で、アルテに入る前に、先生からアルテの次のテキストをいただきました。ペータース社の“GARIBOLODI ERSTE UBUNGEN”でした。日本語で書けば「ガリボリディ 第一練習曲」って感じでしょうか? 58曲のエチュードからなる練習曲集でした。

 さっそく、テキストを開いて、1番と2番にチェックを入れて「60で吹いてきなさい。数多く吹いて、暗譜をしてください」と言われました。ちなみに、この1番と2番は、初見でも吹けそうなくらい簡単なフレーズです。だから、楽譜を見て吹くなら、一発合格がもらえそうですが…それを暗譜するくらい練習して来いとの事です。

 「なぜ、この課題が簡単なのかは、それは指の練習のための曲ではなく、音色のための練習だからですよ。だから、ただ吹いてくるのではなく、キレイな音で練習してきなさい」との事でした。頑張るぞ。

 ちなみに、お値段は2070円だそうです。「ドイツの輸入楽譜は安いんだよね。アメリカも安いけれど、フランスはバカ高いから、フランスの輸入楽譜なんて、買わずに済むなら、その方がいいね」との事でした。

 と言うわけで、次のテキストをいただいたからには、頑張って終わらせないといけませんね、もちろん、アルテを!

 で、さっそく残りのCes-durの5番のクロマチックの練習と、as-mollの8番の「スケールとアルペジオ」の練習に取り組みました。

 5番のクロマチックは…どうしても一息では吹けませんでした。ダメだなあ。一息でスラスラ吹けないと合格をいただけないので、次までガッチリ練習してくる事になりました。

 8番の「スケールとアルペジオ」の練習は…ボロボロでした。今週は割と練習したつもりでしたが、それでもなかなかうまくいきませんでした。練習してもしなくても出来が一緒だと、だいぶ凹むなあ…。

 とにかく、アルテを終わらせる気、満々でしたが、それは次回までオアズケとなりました、残念。

 プチ・エチュードは4番ですが、吹き始めて、いきなりダメが出ました。「吹きすぎ」と言われました。とにかく、私は息の入れすぎ、力の入れすぎなんだそうです。だから、音が汚いと言われました。

 「フルートは吹くものじゃないよ、鳴らすものだよ」と言って、先生はごくごく軽く、ごく少量の息で、フルートを豊かに鳴らしました。すごいなあ、これを私にもやりなさいってわけで、最初の“ミソソソ”のフレーズを何度も何度もやりました。「ダメ」「まだダメ」「全然ダメ」と言われ続け、私がダメを出す度毎に、先生も懲りずにお手本を吹いてくださいます。確かに、先生は軽々とフルートを吹いてますが、私はなかなかそんな感じでは吹けません。

 やっとの事でOKをもらった時は、もうヘトヘトでした。

 「フルートの鳴らし方をカラダで覚えなさい」との事です。ああ、それにしても、今まで私の吹き方とは全然違うじゃないの…。これは大変だ。

 最初の1拍にたっぷり時間を使いましたが、同じ要領で残りの部分も吹きました。とにかく、息を入れすぎたら、即座にダメが出ます。もう、ヘトヘトのヘロヘロで最後まで行きました。

 どうもうまくいかねえーなー。

 この4番という練習曲、指は簡単なんだけれど、こんなところに落とし穴があったとは…。とにかく、この曲は全然ダメという事で、またまたこの曲も次回までの宿題となりました。

 今週の世間話は…無駄話ではなく、久しぶりのフルート談義でした。

 私が息を入れすぎる欠点は…私の心の奥底に「フルートから音が出なかったらどうしよう…」という恐怖があるわけで、その恐怖を克服するために、いつも息を多めにフルートに入れてしまうわけです。まあ、これは初心の頃に、音出しで失敗した経験がトラウマになっているわけですね。

 「他の先生に習った人は、みんなそう言うんだよね。最初から私に習った人には、ありえない事なんだけれどね…」との事ですが…H先生に初歩から習うのって、大変な事なんだけれど、それをサラっと言っちゃう先生って、お茶目というか、ご自分のハードルの高さを忘れていらっしゃるようです。

 H先生、たとえ初心者でも、最初からフルートを鳴らせない人は、断るんじゃなかったっけ? 「音出しに苦労する人は可哀相じゃない。適性がないのにフルートで苦労する必要はないですよ。その人に合った楽器を演奏すればいいのだから、何もフルートにこだわる必要なんてないんですよ」との事です。で、断っちゃうんだそうです。

 努力の前に才能を見るんです、H先生は。

 「すとんさんは、黙っていてもフルートを鳴らせる人なんだから、もっと自分に自信を持ってフルートをしっかりと鳴らしなさい」って励まされました。

 「フルートを鳴らすためには、まず自分の音をしっかり聞く事ですよ。自分の音を聞きながら吹けば、必ずフルートは鳴るようになります」って言われました。これって、かつて笛先生に「耳を開いてフルートを吹きなさい」と同義ですよね。あの時の笛先生の言葉が、今更ですが、私の胸に刺さってきました。

 「フルートは、優しく、楽に吹くんです。大きな音なんていらないんだよ。必要なのはキレイな音なんだからね。力一杯吹く事で満足するような程度なら、フルートなんか、辞めてしまいなさい」とは、厳しい言われ方もされましたが…今更フルートを辞める気はありませんから、力一杯吹くのではなく、美しく吹けるように頑張りますよ。

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2014年6月19日 (木)

ベートーヴェンはなぜ有名なのか?(そして、ヴェルディはなぜ有名ではないのか?)

 「クラシック音楽の作曲家を1名あげなさい」という質問があったとします。皆さんは、何と答えるでしょうか?

 まず、ベートーヴェンでしょうね。それと、モーツァルト。バッハ。この三人で回答の大半を占めるでしょう。残りは、チャイコフスキー、ショパン、ブラームス、シューベルトあたりになるかな? さらにグッと少なくなるでしょうが、ヴィヴァルディとか、ヘンデルとか、シューマンとか、ヨハン・シュトラウス2世とか、ラフマニノフとか、マーラーとかの名前も出てくるかもしれません。もしかすると、ビゼーとか、ワーグナーとか、スーザとか、ドビュッシーとかフォーレの名前も上がるかもしれません。

 でも、ヴェルディの名前をあげる人はどれだけいるでしょうか? プッチーニは? ロッシーニは? ましてや、トスティとか、ベッリーニとかの名前をまずあげる人は皆無でしょうね。

 なぜそうなるのか? それは“我々がいつどこでクラシック音楽について学んだか”…って事と関係するでしょうね。

 多くの日本人にとって、クラシック作曲家について学んだのは、学校の音楽の時間でしょうし、それも壁に貼ってあった“作曲家の肖像画”とか“音楽史年表”に書かれていた作曲家の名前じゃないでしょうか? そして、それらは作曲家たちのキャッチフレーズと共に暗記されていたりします。

 例えば“楽聖”と言えばベートーヴェンでしょ? “神童”と言えばモーツァルト。“音楽の父”がバッハで、“音楽の母”がヘンデル。“ワルツ王”がヨハン・シュトラウス2世で、“歌曲王”がシューベルト。“ピアノの詩人”がショパンですね。

 では、ヴェルディのキャッチフレーズはなんでしたっけ? “歌劇王”…かなって思ったりしますが、実は“歌劇王”または“楽劇王”はワーグナーのキャッチフレーズだったりします。プッチーニにはキャッチフレーズはありましたっけ?

 実はこの二人、キャッチフレーズどころか、学校の音楽室に、肖像画が貼られていなかったり(一応、肖像画セットの中にはあるようですが、スペースの都合上、貼られる作曲家と貼られない作曲家があるわけです)、音楽史の年表にも記載されていなかったり、記載されていても、小さな字でしか載っていなかったりします。

 二人とも大作曲家なのに…。

 おそらく、その理由は、ここが日本だからでしょう。そして、この二人が日本人受けしない作曲家だからでしょう。

 彼らが日本人受けしない理由の一つは、オペラ作曲家だという事です。それもオペラしか書いていない点が、全く受けない原因の一つです。例えオペラ作曲家であっても、モーツァルトやビゼーは、オペラ以外にも有名な曲を書いてます。

 また、ワーグナーはオペラしか書いてませんが、彼はドイツ系の作曲家です。オペラしか書かず、ドイツ系ではない作曲家…これが日本人受けしない理由なんだと思います。

 オペラしか書かず、ドイツ系ではない作曲家…ヴェルディやプッチーニ以外にも、ロッシーニやオッフェンバック、ドニゼッティにベッリーニなどもそうです。

 つまり、日本人にとってのクラシック音楽とは『器楽曲』であり『19世紀前後のドイツ系の民族音楽』なんです。だから、たとえクラシック音楽でも、そこから外れる作曲家の音楽は、マイナーな扱いになるんです。

 これが、ベートーヴェンは有名だけど、ヴェルディが有名ではない理由…だと私は思います。

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2014年6月18日 (水)

響声破笛丸(エスエス製薬)が製造中止になっていました

 キング先生に習っていた時と、Y先生に習うようになってから、私の声楽ライフは色々と変わりましたが、一番変わったのは、薬の使用の有無かな? とにかく、キング先生に習っていた時は、ノドをいたずらに痛めつけていたので、よく声嗄れとかを引き起し、ノドを痛めて、レッスンの後は声が出なくなることもしばしばでした。なので、あの頃は、ノド飴とか、うがい薬とか、ノドによく効く漢方薬とか、それは色々と研究して利用していました。

 いわゆる“ヤク漬け”の日々だったわけです。

 ところがY先生に変わって以来、ノドや声を酷使することが無くなり、その手のモノのお世話になる必要が無くなってしまいました。至って健全なモンです。

 今では、ノドが痛くなることはありませんし、声も嗄れる事はありません。だいたい、レッスンの間(小一時間ぐらいです)、ずっと歌いっぱなしでも平気です。まあ、ヘロヘロに体幹が疲れることはありますが、だからと言って、声に障害を生じる事はありません。

 …キング先生に習っていた時は、5分も痛い続ければ、ノドがヒリヒリしていたものですし、10分以上、続けて歌った事などありませんでした…ってか、それは無理でした。

 それはともかく、そんな事をやっていたので、キング先生のレッスンに行った時、特に最後の年は、ほぼ歌うたびに『響声破笛丸(きょうせいはてきがん)』のお世話になっていました。なにしろ、先生がOKをくださる声は、私のノドを痛める方向の発声でしたし、無理を重ねた苦痛極まる発声だったので、すぐにノドを痛くしてしまったからです。

 なので、響声破笛丸です。これって、歌いすぎでノドを痛めて声か出なくなってしまった人向けの特効薬です。腫れが引き、痛みが治まり、声がすんなり出るようになります。本当に、よく効くんです。ジャンルを問わずに、歌手の皆さんが重宝にしている漢方薬です。

 …が、その薬が製造中止になっていました(涙)。

 もちろん、製造中止になってしまったのは、エスエス製薬の響声破笛丸だけで、他社の響声破笛丸は、もちろん販売していますが…問題は、エスエス製薬の響声破笛丸が製造中止になってしまったという事です。と言うのも、なぜかエスエス製薬の響声破笛丸だけが、歌手たちに愛されているからです。だから、エスエス製薬の響声破笛丸が製造中止になってしまった事は、歌手的には、実は大問題なんです。

 でも、私がその事実に長らく気づかなかったのは、響声破笛丸が不要だったから(笑)。そして、今回、肺炎モドキになって、声が出づらくなって、響声破笛丸の事を思い出してググってみて、初めて気づいたから(大笑)。

 まあ、私自身は響声破笛丸の世話になる事は当分無いだろうから、製造中止になっても困ることはないのだけれど、そうもいかない人々は困っている事でしょう。

 もしも今でもキング先生に習っていたら、エスエス製薬の響声破笛丸が製造中止になった段階で、私の歌手生命は終わっていたかもしれません。そういう点では、あの段階で先生が変わってよかったんだと思うし、先生が変わったからこそ、今でも歌えているんだと思います。

 さて、なぜ響声破笛丸はエスエス製薬のものでなければならないのか? おそらくは、半分は信仰のようなモノでしょうね。残りの半分は…漢方薬って、製造メーカーによって、調合が少しずつ違うので、薬効が変わってくるんですよ。一番の違いは、薬の濃さだと言います。エスエス製薬の響声破笛丸は薬が濃いと聞いた事があります(事実かどうかは確認してませんよ)。やはり、緊急事態の時は、濃い薬は薄い薬よりも求められますよね。

 エスエス製薬の響声破笛丸がなくなった今、この薬のお世話になっていた人たちは、今頃どうやってやりくりしているのかしら? 別のよく効く薬に変えたとか? 後学のために、知りたい私でした(ってか、正直に言うと、ちょっと興味のある私でした)。

 今の私に必要なのは、響声破笛丸ではなく、体幹の筋肉を効率よく鍛える道具/方法です。とにかく、体幹の弱さを日々感じている私ですから(涙)。体幹が強くないと、高い声も響く声も長い声も、全部無理だもの。

〈追記〉

 エスエス製薬の響声破笛丸は、もうありませんが「響声破笛丸なら何でもいいから欲しい」という人のために、松浦漢方の響声破笛丸へのリンクを貼っておきます。エスエス製薬のものとは、色々と違いますが、1包で足りなきゃ、2包3包とまとめて飲んだりすれば、多少は違うのではないでしょうか? リンクを張るのは12包のものですが、ここは300包のものもあるので、必要ならドド~ンと飲むのも手ですが…あくまでも自己責任でお願いしますよ。

〈追記2〉

 この記事の続きを「響声破笛丸、続報」として、こちらに書きました。

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2014年6月17日 (火)

ドイツ歌曲が心にしみる

 少し前までの私は、イタリア語で歌われる曲にこだわっていました。イタリアオペラのアリアとか、イタリア歌曲とか、カンツォーネとか…ね。これらの曲を偏愛し、勉強する対象も、これらの曲でした。もちろん、オペラにも歌曲にも、イタリア語以外の曲にも名曲がある事は知っていましたが、あまり耳を傾けませんでした。第九はドイツ語で歌いますが、あれは合唱曲ですから、ソロで歌うのとは全然違います。まあ、ドイツ語の歌に関しては、教養的に知っているだけで、魂で知っていたわけではありません。

 それが、先日の発表会で、レハール作曲の「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」を歌うことにしました。自分がドイツ語で歌い始めた事もあって、ドイツ語で歌われる他の歌を、ドイツ語に耳を慣らす事もあって、少しずつ聞くようにしたところ、なんともドイツ歌曲が心にしみてくるじゃありませんか。

 ドイツ歌曲を歌う歌手には名歌手もたくさんいるんですが、なぜか今回、私の心のすきまに入り込んできたのは、なんと韓国のソプラノ、スミ・ヨーが歌っている、ドイツ歌曲初心者向けのアラカルトのアルバムでした。

 我ながら、どうせハマるんなら、ドイツの名歌手の歌った通好みのアルバムにハマればいいのに、よりによって韓国の歌手(って事は、ドイツ語は外国語なんですよね)のアルバム。ちなみに韓国なのは歌手だけでなく、伴奏しているミュージシャンたちも韓国人揃いなんだそうです。ああ、そんな韓国風味たっぷりのドイツ歌曲のアルバムにハマり、彼女の歌声が心にしみてきたんです。

 たぶん、本格的にドイツ歌曲を勉強している人からすれば「すとんさん、何やっているんだい」と思われるかもしれないけれど、でも、このアルバムのこの歌唱にズキュンと撃たれたんだから、仕方ないっすね。

 私は、自分の感性を疑われたとしても、正直でありたいんです。

 さて、言い訳はそこまでにして(笑)。最近の私は、ドイツ歌曲をシミジミと「良いなあ~」と思っているわけです。

 イタリアの歌と比べると、全体に地味だし、技巧も見せびらかす事なく、高音をひけらかすでもなく、それでも実際に歌ってみると、結構難しいし、高音だって地味にたっぷり使っていたりして、聞いたよりも、うんと難しいんですね。派手じゃない分、第一印象的には強くはないけれど、繰り返し聞いていると、ドンドン染み込んできます。

 無論、良いなあと思ったのは、ドイツ歌曲のメロディとかサウンドとか、そういうノン・バーバルな部分。「ドイツ歌曲は歌詞とサウンドが密接な関係にあって…」とかは、よく聞く話だけれど、歌詞の意味は全然分からないんだから、仕方ないよ。私は音楽を聞くときに、歌詞カードとかは見ない人なので(DVDなどだったら字幕をきちんと読みます…)、歌詞と音楽の蜜月感は全く分からないけれど、でもドイツ歌曲のメロディとかサウンドとかに強くひかれたわけです。

 ほんと、ドイツ歌曲も、いいじゃない。モーツァルトやシューベルトが良いのは当然として、今回改めて良いなあと思ったのは、シューマンの歌曲。スミ・ヨーのこのアルバムには「献呈」しか入ってませんが、これがなかなか良いです。そう言えば、このアルバムには入っていないけれど「女の愛と生涯」とかは、以前から大好きな歌曲集だったっけ(絶対にテノールは歌うべきじゃない歌曲集だけどね:笑)。

 私はテノールなんだから、本来なら「詩人の恋」あたりが好きになれればいいんだけれど、この歌曲集の印象って、実はあんまり良くない私でした。良くない…と言うよりも「なんか手ごわそう」って印象なんですよ。

 2011年のラ・フォル・ジュルネで聞いたハンス=イェルク・マンメルの歌唱が、とても素晴らしかったけれど「詩人の恋」で感銘したのは、それくらいかな? たぶん、この曲って、歌うのがすごく難しいと思うし、テノールの曲だと、ついつい“自分が歌うなら”という視点で聞いてしまうので、音楽を純粋に楽しめないキライがあります。ペーター・シュライヤーの録音を聞いても、ついつい分析的に聞いちゃう私です、そりゃあ楽しめないよね。

 ドイツ歌曲は、フィッシャー・ディスカウのイメージのせいか、テノールが歌うものではなく、バリトンが歌うジャンルの音楽ってイメージが強かったのですが、古くはペーター・シュライヤー、最近ならイアン・ボストリッジがテノールとしてドイツ歌曲で頑張ってますよね。テノールが歌ってもサマになるドイツ歌曲もたくさんあるわけだし、ほんと、食わず嫌いは止めて、ドイツ歌曲にも積極的に取り組めるようにしましょう。

 まずは、そのためにも、ドイツ歌曲をきちんと聞く事から始めないとね(笑)。まずはドイツ語の耳を作る事、理想はドイツ語をペラペラに話せる事だろうけれど、それはちょっと無理なので、せめてドイツ語の耳を作らないと、ドイツ語の歌は歌えません。ドイツ語の耳を作るためには、ドイツ歌曲をたくさん聞かないとね。

 これからは、英語とイタリア語の歌の中に、ドイツ語の歌も混ぜて聞くようにしましょう。

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2014年6月16日 (月)

譜面は読めないけれどピアノは弾ける?

 私はガッコに勤めております。でも教える事がメインではないので、今年は、高3の「古典」を1クラスと、中2の「音楽」を2クラス担当するに留まっております。

 で、中2の「音楽」なんだけれど、この授業はティーム・ティーチングで合奏を指導する授業なんです。で、今年の私は、鍵盤楽器と笛の指導を担当する事になったので、ピアノはもちろんですが、いわゆる木琴・鉄琴の指導もしております。

 ピアノとか木琴・鉄琴とか…その楽器を希望する子は、たいていは音楽が得意だったり、ピアノを習っていたりしているので、合奏の指導にはあまり手間がかからないはず…なんですが、実は色々と違うんですね。

 で、今回は、その中でもピアノを担当する子たちの話をします。…ってか、最近のピアノを習っているっていう子たちの話…というべきかな?

 とにかく、今の子たち。とりわけ、女の子たちは、結構な割合でピアノを習っているんです。ほぼ全員がピアノを習っている…と言っても過言じゃないです。で、そういう子たちは、ピアノも好きだし、音楽も好きなんですね。休み時間などは、グランドピアノ(私が勤めているガッコは、校内の数カ所にグランドピアノが置いてあって、生徒が自由に弾いて良いのです)に群がって、あれこれ色々な曲を弾いて遊んでいます。

 ですから、合奏におけるピアノの指導なんて、簡単だと思うでしょ? ところがドッコイなんですよ。と言うのも、ピアノを習っている子たちって、ほんと、ピアノが好きで得意なんだけれど、譜面がほとんど読めない子が大半なんです。なので、合奏の楽譜を渡しても「???」状態なんですね。

 で「センセ、弾いてみてよ」とか言い出すわけです。私を誰だと思っているんだい、自慢じゃないが、ピアノなんぞ、弾けるわけないじゃないか!

 しかたがないので、ピアノの旋律を歌って聞かせるんですが、そうすると、和音(と言うか重音)を無視して単旋律でピアノ弾くんですね。ある意味、すごぶる耳が良いとも言えますが、それじゃダメなので、最終的には、私が弾けないピアノを汗をかきかき弾くわけです。実に稚拙な演奏ですが、それでも目の前で弾いて見せてやると、どうやら合点するらしく、私が稚拙に弾いたものをヒントにして、なんとか譜面を読めるようになり、やっとこさ演奏する事にこぎつきます。もちろん、すぐにできるはずもなく、練習は必要なんですが…。

 あれだけ遊び弾きは達者で、今でも定期的にピアノのレッスンに通っている子が大半なんですが、そんな子でも楽譜がほとんど読めないって、どういう事なんでしょうか?

 もちろん、これは一人や二人の特殊な事例の話じゃないんです。

 ガッコには合唱コンクールというのがありまして、そういうピアノ好き女子たちは、伴奏者をやりたがるのですが、その伴奏だって、まず初見は無理で、話を聞いたところ、楽譜をもらったら、まずその楽譜を自分のピアノの先生に見せて演奏してもらい、それを見て覚えてから、自分の練習を始めるんだそうです。

 やっぱり、耳はいいなあ。でも、楽譜は全然読めないじゃない?

 どの子もどの子も十年以上、ピアノの個人レッスンを受けているのに、なぜ楽譜が読めないの? ほんと、その点が実に不思議です。

 ウチの息子のように、ピアノを十年以上習ったけれど、練習をほとんどしないので、全然腕前があがらず…と言う子なら、楽譜が読めなくても理解するけれど、練習を良くするピアノが得意な子が、楽譜読めないって…ああ、私には理解できません。

 だって、練習なんてほとんどせず、だからピアノもロクに弾けない、ウチの息子も、楽譜は読めるよ。腕が悪いので、楽譜が読めても、きちんとピアノを弾く事はできないけれど、それでも初見で楽譜を読むには読むよ。なぜ読めているのが分かるのかと言えば、すべての声部を初見で歌えるから。だから、楽譜は読めているし、歌えるけれど、技術がないのでピアノでは弾けないわけだ。

 だから、あんなに達者にピアノが弾ける子たちが、揃いも揃って楽譜が読めない現状を見ると、私は頭の中が色々と錯綜するわけです。

 町のピアノ教室では、何を教えているんだろ? 少なくとも、伝統的なピアノ音楽、つまりクラシック音楽を教えているなら、読譜はまず最初にやるべき事じゃないの? なぜ、そこがすっぽり抜け落ちたままなんだろ? 楽譜が読めず、かと言って、耳コピーだけではとても弾けそうもない曲でも、気軽に遊び弾きするのはなぜ? あれだけピアノが上手なのに、歌わせると、ほぼ歌えないのも、実に不思議。

 なぜ? なぜ? なぜ?

 ほんと、不思議。不思議でたまりません。

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2014年6月15日 (日)

やがて日本の半分が消滅する?[2014年6月第3週・通算14週]

体重:110.0kg[+0.8kg:-1.4kg]
体脂肪率:30.7%[-0.2%:-0.5%]
BMI:34.8[+0.3:-0.1]
体脂肪質量:33.8kg[+0.1kg:-0.8kg]
腹囲:160.0cm[+-0.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 ネタ的には、少し古くてゴメンナサイなんだけれど「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」という、いわゆる有識者さんたちで構成された会が、今年(2014年)の5月に発表した内容を基に、今回の記事を書いてみたいと思います。

 なんでも、この人たちの言う通りなら、2040年(今から約25年後)には、日本の半分が消滅しちゃうかもしれないんだそうです。

 もうちょっと丁寧に言えば、現在、日本全国には約1800の市区町村があるそうですが、そのうちの49.6%にあたる896の自治体で、2040年になると、20~39歳の女性(子どもを産める年齢の人たち)の人口が現在よりも50%以上も減ってしまうそうです。女性がいなくなれば、必然的に子どもが生まれなくなるわけで、その市区町村の若い世代の人口が極端に減ってしまって“人口が先細り”するわけです。そして、若者がいなくなれば、やがて、その市区町村には人がいなくなってしまう…かもしれません。つまり25年後の未来には、日本の市区町村の半分が消滅してしまうかもしれない、という話なんです。

 この条件に当てはまる自治体を“消滅可能性都市”と言うのだそうです。

 さらに、それら896ある“消滅可能性都市”のうち、523の市区町村(日本全体の約3割)が、2040年の段階で、人口が1万人を割る可能性があるんだそうです。これらの市町村は“消滅可能性”どころか“衰退可能性”うんぬんという話になってます。

 …しかし、私的には“消滅”と“衰退”だと“消滅”の方がヤバいイメージだけれど、この方々の言葉の使い方だと“衰退”の方がヤバい事みたいです。…“消滅”って『すべて消えてなくなる』事で、無論、本体も無くなってしまいますが、“衰退”は『力が衰えて元気がなくなる』事で、本体そのものは弱体化しつつも残るイメージなんだよね。

 閑話休題。確かに、人口1万人と言えば、だいたい日本武道館や福岡国際センターの収容人数とほぼ同じです。よく比較に出てくる東京ドームとの比べてみると、1万人と言うのは、東京ドームの収容人数の、たった1/5です(少ないねえ~)。日産スタジアムこと横浜国際総合競技場との比較だと、なんと1/7。ほんと、少ない。でも、クラシック系で言えば、サントリーホールの大ホールの5倍だし、国家レベルで言えば、沈みかけたツバルの人口とほぼ同じ。そう思えば、なんとかなりそうな気もしないではありません。

 それにしても、人口が減るのは、何も女性の人数と、出生率の低下だけが原因ではありません。人口流出だって大問題です。特に、その村に高校とか大学とかの教育機関が無かったり、きちんとした産業がなければ、若者は、学ぶため、働くために、村を出ざるを得ません。都会に出て行き、行った先で異性と巡り合い、家庭を作ります。そのうちの何割かの者は、生まれ故郷に戻るかもしれませんが、都会で働いて家庭を持っている若夫婦が、今更、学校もない、仕事もない田舎に帰るのは、難しく、そのまま都会に定着してしまっても不思議ではありません。そんな理由で、地方の人口って減っていきます。

 人口が1万人を切るのは大問題かもしれません。平成の大合併の際に、合併をうながす根拠の一つとして、総務省は「人口が13000人ほどいないと、中学校の設置は望ましくない」とか言ったそうです。つまり、人口1万人になっちゃうと、大学や高校はもちろん、義務教育である中学校すら、村から無くなってしまう可能性がある?のかな…。まあ、実際には義務教育である中学校が無くなる事はないでしょうが、無くならない代わりに、いくつかの学校が統合されて、子どもたちは遠方にある学校へ通学することを余儀なくされるかもしれません。

 まあ、中学生は若くて元気だから、遠方の学校への通学で良いかもしれません。

 人口が少なくなると、十分ではなくなるのは、学校だけではありません。例えば、病院とか介護施設とかだって、数が減ります。体調が悪いのに、遠方の病院へ通院せざるをえなくなるでしょう。持病の治療のために定期的に通院し続けないといけないかもしれません。急病の時は…あきらめる…わけにもいかないけれど、救急車とか来てくれるのかな? まあ、そこまで緊急事態でなくても、地方ともなると、バスなどの公共交通機関も十分にはないでしょうから、どうしても自家用車による移動がメインにならざるをえません。

 実際、すでに自動車がないと暮らせない地域が日本のあちこちにあります。でも、自動車って、子どもと老人は運転できないんですよね。子どもは免許がないから。老人は…運転する事そのものが危険だから。そういう人たちは、移動の自由すらままなりません。

 それに、たとえ立派なオトナであって、私のように、どこに行くのも、徒歩と公共交通機関を使う人間だと、地方では生活できないかもしれません。

 さらに言うと、青森、岩手、秋田、山形、島根の5県は“消滅可能性都市”が全県の8割以上になるそうです。つまり、これらの県は、県そのものが消滅してしまう可能性があるって事です。

 地方の市区町村が消滅するとは、具体的に言えば、人口が減りすぎて、インフラがダメになり、その地域での人々の生活を支える事ができなくなり、残った人々は、やむなく田舎から都会に移り住む…って事です。このように、田舎に人がいなくて、都会にばかり人がいる社会を“極点社会”というのだそうです。現在、このような状況にあるのが、韓国だよね。なにしろ、韓国の場合、人口の約半分がソウルに住んでいるんだから、極点も極点だよね。

 まあ、韓国の事は横に置くとして…人口が減ってしまう地方は困りますが、実は人口が集まってしまう都会だって、困ることはたくさんあります。

 たとえば、学校などは、子どもがあふれたとしても、自治体が懸命に頑張って学校を作るだろうから、なんとかなるとしても、義務教育年齢外、たとえば、保育所の設置は、人口の急増には間に合わず、多くの待機児童を生み出してしまうでしょう。そうなると、乳幼児を抱えた子育て世代の女性が働けなくなるし、またそれを見た若い女性は、出産を控えるようになります。これは日本の産業に良くないし、人口減の一つの原因となります。

 また、人口が増え、人口密度が高くなれば、人々の精神も不安定になり、世の中がギスギスし始め、犯罪が増え、治安が悪くなります。ゴミもたくさん出るようになり、ゴミ問題だって発生するでしょう。

 人口が少ないのも問題ですが、多すぎるのだって問題です。だから、極点社会なんて、全然良くない社会なんですよ。

 日本創成会議・人口減少問題検討分科会の皆さんは、これらの問題の解決策として“正規雇用の拡大”を図って、年収を倍増させて、30代後半の夫婦の合計年収を500万円に引き上げる事を提案したんだそうです。合わせて、子育て世代の男性が育児や家事に参加できるように“残業代の割増率を現在の25%から50%へ引き上げる”と共に、企業に対しては、残業を避けるように提案したんだそうです。そのために、公的年金とか税制とかを見直して、高齢世代への優遇を止めるように提案しているんだそうです。

 つまり、お年寄りへの優遇処置は止めて、その分のお金を若者に回して、若者があくせく働かずに済むようにすれば、子どもも産むだろうし、育児にも励むだろうし、そうすれば日本の人口だって増えていって、地方の人口減にも歯止めがかかるんんじゃないの?…って発想ですね。

 “若い世代が、金欠で生活が苦しいから、子どもを産めない”という分析は、あながち間違いではないと思うけれど、そこから先は、なんか違うような気がします。

 まず“正規雇用の拡大”が年収の倍増につながると考えているのは、あまりに近視眼的で、間違っていると思うよ。21世紀では、ビジネスってのは、ワールドワイドに考えないといけないわけで、コストって奴も、国内事情ではなく、世界の常識って奴で考えないといけないわけです。

 日本の1人あたりの国内総生産は、アジア最貧国といわれるバングラデシュの60倍、中国の8.4倍、韓国の2倍、マレーシアの4.6倍、インドネシアの13倍なんだそうです。国内総生産というのは、市場で動いているお金を指し示すわけで、ザックリ言えば、我々の日々の生活費って奴です。つまり、我々日本人は、日々の生活にバングラデシュ人の60倍もの費用をかけて生活しているって事です。単純に「日本人の給料は、バングラデシュ人の60倍」と言い切っても、そんなに大きく間違っていないと思います。

 つまり、それくらい、日本人の給料(人件費)って高額なんです。

 一方、国際競争というのを考えれば、商品であれ、サービスであれ、そんな高額を客に吹っ掛けるわけにはいきません。世界的に競争力のある価格に設定して商売をしなければ、競争に負けて、企業そのものの存立が危うくなります。そのため、企業は商品価格を抑えるために、企業支出の大半を占める“人件費”を低く抑えないといけません。だから、各企業は、工場を海外に移転したり、国内ならば非正規雇用を雇って、なんとか人件費を抑えて、国際競争力を得ようとしているわけです。

 それなのに、むりやり日本人の“正規雇用”を拡大すれば、どの企業も人件費が膨れ上がり、国際競争力が衰え、企業規模が小さくなり、年収の倍増どころか、企業自体が倒産しかねません。つまり、今の日本では、そんなに簡単に正規雇用の拡大なんて出来ないんです。それを強行すれば、日本経済、総崩れの共倒れになるんじゃないの?

 同じような理由で、残業代の割当率を増やすのもアウトだと思います。だって、人件費が膨れ上がっちゃうでしょ? また、社員たちに残業をさせないようにしても、仕事そのものは減らないわけだから、残業分の仕事を別の人たちがやらないといけません。その部分を、いわゆるワークシェアとかで補うつもりだろうけれど、それを正規社員の新規雇用で補えば、人数割になっている福利厚生などの出費がかさむわけだから、現実的ではありません。それに企業的には、ワークシェアよりも残業の方が安上がりだしね。

 日本創成会議・人口減少問題検討分科会の皆さんのおっしゃる解決策って、一見、まともそうだし、ある意味、健全な案なんだけれど、どこか発想が社会主義的と言うか、計画経済的な発想なんだよね。古いタイプの左翼さんたちみたい(笑)。現実の社会の経済構造とか、会社の運営とか、どう考えてらっしゃるんでしょうね。

 日本の企業って、ねだれば、いくらでもお金を出してくれる、打ち出の小槌とでも考えてらっしゃるのかしら? でもね、この方々のおっしゃる事って、もしかすると大企業なら可能かもしれませんが、日本の会社の大半は、経済的基盤の弱い中小企業だよ。小さな会社に、そんな無理な事をねだっちゃいけません。

 私が思うに、やっぱりデフレがダメだったんだと思うよ。

 今は安倍さんが量的金融緩和政策で、2%程度のインフレ状態を引き起こして、少しずつ経済の建て直しをやってますが、これってジワジワとしか効果が現れないんだよね。薬に例えれば、弱くて優しい薬です。本当は、もう少し強い薬の方が効果が早く出るんだろうけれど、薬に過敏な人もいるから、あんまり強いインフレを起こすと、それだけでパニックになる人(お年寄りだね。だって若者はインフレそのものを知らないから)もいるから、こんな弱い薬しか使えないんだと思う。

 とにかく、インフレ状態を継続して、モノの値段を上げれば、お金を溜め込む人が減るでしょ? そうすれば、市場にお金が出回り、モノが売れ始め、景気が良くなって、雇用も促進されるでしょ。そして、若者に限らず、日本人全体の給料は増えるし、仕事も増えて失業者も減るし、世の中が明るくあって、ついつい子どもも産んじゃったりするんじゃないかな?

 要するに“貯蓄は美徳”“ケチケチ節約生活が賢い生き方”なんて思っている人が大勢いるうちは、日本はますます消滅やら衰退やらの方向に行かざるを得ないって事です。

 行うべきは、いたずらに“正規雇用の拡大”を大声で叫ぶのではなく、恐れずに、もう少し程度の強いインフレを招くべく、量的金融緩和政策をもっともっと前進させていく事なんじゃないかな?

 結局、景気回復ってのは、皆がお金をたくさん使い合い始める事なんだよね。不景気ってのは、ケチケチ生活をして貯金に励むことなんだ。そして、皆がお金を使うためには、お金の価値を下げる必要があるわけです。「貯金してたら損」と思わせないとダメなんだよ。だから、経済は常にインフレじゃないとダメなんだよ。

 ほんと、覚悟を決めなきゃ、このままじり貧だよ。

 え? 乱暴だって? まあ、確かに乱暴な話かもしれないけれど、デフレによって傷んだ日本経済は、今の政策のような弱い薬では、なかなか治らないと思うんだよね。

 我々はその事をもっと自覚するべきだと思うよ。デフレに慣れた頭で考えちゃダメなんだよ。安く買い物が出来るなんて喜んで、多くの日本人が経済の本質を見失ったから、景気が悪くなったわけだし、その結果、人口が減っているんだと思います。

 デフレ政策とゆとり教育が、日本をダメにしたんだと思ってます。

 …でね。人口が減ると、市区町村が消滅する前に、軍事力が衰えてきます。軍事力が衰えると、隣国が攻め入って、日本を占領して我々の財産と、未来と、希望を、略奪しかねないよ。私は、市区町村の消滅よりも、そっちの方が、ずっと怖いなあ。だから、人口って、あんまり減らしちゃいけないんだと思います。

 外国に占領されたら『日本の半分が消滅』ではなく『日本の全部が消滅』って事になります。でしょ?でしょ? 私ほんと、そっちの方が、怖い怖い。

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2014年6月14日 (土)

オタキが我が家にやってきました

 先週、キキョウが星になってしまい、水槽がガランとしてしまいました。そのまま放置していると、残りの三匹がムクムクと巨大化してしまうので、それを阻止するためもあって、先日、キキョウの後釜となる子を連れてきました。

 その子の名前は、オタキと言います。私はオタキサンと呼んでいます。アジサイは別名オタクサと言うのですが、これはシーボルトの命名なんですね。その名は、彼の日本妻『お滝さん』から取られ、オタキサン -> オタクサ、となったんだそうです。なので、アジサイの季節に我が家にやってきた子の名前は、オタキ(サン)としました。漢字表記はもちろん“お滝(さん)”です。

 オタキサンはフナ色のオランダ獅子頭です。はい、キキョウ亡き後、やっばりフナ色の子が欲しかったんです。でも、今度は鉄魚ではなく、ちゃんとした金魚、オランダ獅子頭です。ですから、お値段もちょっとばかり高くて、1480円でございました。

 大きさはそんなに小さくなく、ウチで一番小さなアズニャンを二まわりほど小さくした程度で、おそらくホームセンターあたりで売られている金魚と比べたら、全然大きいです。年齢もそこそこイッテイルかもしれません。なにしろ、水槽に入れても、回りの子にビビる事なく、平然としていましたからね。すでに小魚のキャピキャピした感じはありません。すでにそこそこのオトナだと思われます。たぶん、アズニャンと同じ年齢じゃないかな?

 そんなわけで、オタキサンをよろしくお願いします。

 で、それよりも何よりも、今回気になったのは、オタキサンを買ってきた、我が家の行きつけの金魚屋さんの状況です。実に、いよいよ、ヤバイです。

 水槽と言うか、金魚が入っているフネの中に、魚はほとんどいませんでした。店舗の方も電気もつけずに真っ暗だし、内部は内装が半壊しているし、商品もほとんど無くなり、残っているモノも砂ぼこりにまみれていて、知らない人が前を通っても、ここで商売が行われているとは、とても思えない状況になっています。

 あの店、長くはないなあ…。

 もう一軒、いきつけにしていた隣町の金魚屋は夜逃げ同然に廃業してしまい、今はこの金魚屋さんぐらいしか、近くでマジメに金魚を扱っている店はないので、ここがなくなってしまったら、もう金魚の補充は難しくなってしまうかもしれません。

 まあ、今どき、金魚をマジメに飼っているウチなんてないのかもしれないけれど、でも、なんか寂しいです。

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2014年6月13日 (金)

人はやましい事があると、黙るものなんです

 フルートのレッスンに行ってきました(ピース!)。今日も姉様はお休みだったようで、先生は、本を読み終え、ご自分の練習も終え、やることなくてロビーで、一人でお茶してました。いやあ、なんか時間通りにレッスンに行ったにも関わらず、なんか申し訳ない気分マックスになっちゃいました。

 で、さっそくロングトーン練習ですが「音程はバッチリなんだけれど、クチの中が狭いんだよなあ…」とダメ出しをされました。

 「クチビルから力を抜いて、アゴは自然に落として、クチの中はあくびをかみ殺したような感じで開いて、腹圧だけで息を出してフルートを吹きなさい」と言われました。ああ、声楽で毎回やっているアレをやればいいわけですね。

 ってわけで、声楽で毎回やっている“マジな腹式呼吸”でフルートを吹いていました。結構、疲れます。今まで、フルートを吹く時は、そのあたり、結構いいかげんにしていたもんなあ…。

 「今までは、大きな音と正しい音程で吹くことを目指してきたけれど、これからは響きでフルートが吹けるようになりましょう」と、新しい目標を掲げられちゃいました。響きですか…フルートと声楽、違うようで同じことを言われているような気がする私でした。

 で、アルテですが、15課の10章のCes-durの5番のクロマチックは不合格。指は出来るようになったんだけれど、スラーの部分を一息で吹けなくて、何度かブレスをしてしまったのが敗因です。「次回はワン・ブレスで吹けるようにしておいてくださいね」と言われました。うむ、肺炎モドキが治りきっていないからと言って、やっぱ手を抜いちゃダメか(当たり前)。

 as-mollの6番と7番は合格。8番の「スケールとアルペジオ」は練習時間が足りなくて、ヘロヘロになって不合格です。つまり、クロマチックと8番の「スケールとアルペジオ」が終われば、いよいよアルテ1巻が終了となります。うむ、終わりが見えてきたね。

 「これが終わったら、次はアルテの2巻ですか?」

 「いやいや、2巻はまだ早いよ。それまでに2冊ばかり、エチュードを暗記してもらうからね」

 …暗記?っすか? 練習じゃなくて、暗記っすか? なんか、怖いっすよぉ~。

 ガリボルディのプチ・エチュードは4番です。いやあ、結構難しいですね。まず、テヌートとスタッカートの吹きわけを注意されました。それとsfはきちんと強調する事も言われました。

 でも、それより何より「拍を感じていないねえ…」と言われました。いやあ、だって、こんなに真っ黒な音符を追い掛けるだけで精一杯っす。十六分音符を連続で吹いていると、四分音符をついつい短めに吹いてしまいます。あと、どう見ても八分音符にしか見えないフランス式の四分休符をしっかり一拍休むのも勇気がいります。八分音符? 長く吹いていいのか短めに吹いた方がいいのか、迷っちゃいますよ。

 …ってそんな事を言っている段階で、拍を感じていないって事が証明されちゃいます。ここで吹奏楽だったらメトロノームを使って練習するんだろうけれど、ガリボルディはクラシックなので、それは御法度です。きちんと自分で音楽の流れを感じて、その流れの中で一拍を感じて、流れの中でブレスをしていかないといけないのです。決して、機械的な時間の流れの中で音楽をやっているわけじゃないですからね。

 私はまだきちんと回復したわけではなく、さほど息が長持ちしません。ですから、楽譜に書かれているよりも多くの回数、ブレスをしてしまいます。それでも、音楽を壊さないように気を使ってブレスをしているつもりですが、先生曰く「ブレスがデタラメ」なんだそうです。まあ、そうかもしれません。とにかく、ブレスは決められた箇所以外では、絶対に取らないように言われました…健康になれば、そんな言いつけは簡単なんだけれどなあ…。

 「もっと舌でつきなさい」と注意を受けました。フレーズの頭は、息を流したまま、舌をついて吹き始めるのですが、私はそこで、息を切ってフレーズの頭を吹いてしまいます。これは和笛のテクニックであって洋笛のテクニックじゃないのは、重々承知しているけれど、ついついやってしまいます。これもDNAのなせるワザかしら? とにかく、ブレスをする時以外は、息は流しっぱなしで吹くのがフルートの常識らしいです。

 これって声楽で言うところの「レガートに歌いなさい」というのと同じじゃないかしら?

 ま、そんなこんなで、ガリボルディの4番は、もっともっと頑張ってきますよ、私。

 さて、今回の雑談は、先生と一緒に某大手スーパーの悪口を言い合いました。いやあ、他人(ってか他社)の悪口って楽しいなあ~。

 なんでも先生、その某大手スーパーのプライベート・ブランドの“信州そば”を購入したんだそうです。で、ウチに帰ってパッケージを見たら、信州そばなのに、生産国が中国だったそうで「中国で作った信州そば? そんなモノ、私は認めません!」との事です。うむ、気持ちは分かります。そのスーパーも、長野県で生産加工されているわけじゃないなら、普通に“そば”って書けばいいんです。それをわざわざ“信州そば”なんて書くから、いらぬ怒りを招くんですよ。ましてや、中国で生産加工されているんですよ。

 中国の食品生産のひどさは、散々報道されましたからね。

 で、先生、それ以来、そのスーパーのプライベート・ブランドの生産国に気をつけるようになったのだそうです。でも、どれを見ても、中国、中国、中国で「中国以外のモノは売ってないのかい!」「中国のモノなんか、怖くて食べられるかい!」とか思って、中国生産品を避けていたら、ある日突然、そのプライベート・ブランドの商品から生産者(生産国)の記載が無くなったのだそうです。「これってつまり“中国製って書いてあると売れないから隠します”って事だろ?」と言うわけで、もうそれ以来、そのスーパーのプライベート・ブランド品を買うのを辞めたんだそうです。

 それまでは、そのスーパーのプライベート・ブランド品であっても、生産者の欄を見て、中国以外なら購入していたのに、分からなくなったから、全部買わない事にしたんだそうです。

 「ニンニクなんて、国産と中国産じゃあ、全然違うでしょ? ほんと、中国産は怖くて食べられないけれど、どこで作ったのか分からないものは、もっと怖いよねえ」との事です。

 私も、先生のその気持ちには、100%同意します。もっとも、私は中国ばかりでなく、韓国のものだって怖いし、北朝鮮産のモノだって怖い。国産と書いてあっても、元々は中国や韓国で生産されたものを、一時的に国内の倉庫で預かる事で、国産表示にしているモノがある事も知っていますので、国産品にだって完全な信頼を置いているわけではありません。

 かと言って、不安がってばかりいたら食べるものが無くなってしまいますから、そこは色々と覚悟を決めて買い物をしているつもりです。もちろん、生産者が書かれていないプライベート・ブランドは、怖いので、買うときは、清水の舞台から飛び下りる気分ですよ。

 でも、国産のものしか食べないってわけにはいかないのも事実です。適度に輸入品や海外で生産された加工品も食べないとお財布が持ちません。まあ、私や妻はもう老人ですから、何を食べても、影響が出る前に寿命が尽きてしまうでしょうから、あまり気にしても仕方ないですが、さすがに息子の食事については、考えざるを得ません。彼の人生は、まだまだ長いですからね。わけの分からないものを食べさせて、不健康にしたり、病気にせさるわけにはいきませんからね。

 それにしても、生産者を明記できないプライベート・ブランドって、絶対に“人には言えない何か”を隠しているんだよなあ…。

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2014年6月12日 (木)

歌詞はきちんと発音しないといけない

 私はイタリア語とかドイツ語とかは苦手です。歌う時も、気をつけていますが、それでも結構いい加減に発音しているかもしれません。一応、歌の歌詞の発音に関しては、一語一語きちんと調べて、先生のチェックを受けて、できる限り正しい発音で歌いたいと思ってます。それでもおそらく、聞く人が聞けば、えらく舌っ足らずな発音になっている事でしょう。

 それは分かっています。分かった上で、自分の事を棚に上げて言うのですが、やはり歌詞はきちんと発音しないといけないと思います。

 例えば日本歌曲。私たちは日本人ですから、日本語の発音に関しては、かなりシビアです。変な発音で歌われるのはイヤだし、いいかげに言葉をごまかして歌われたら「なに、それ?」って思います。「ゆうやけ、こやけの、あかとんぼ」は「ゆうやけ、こやけの、あかとんぼ」と歌ってほしいのです。これを「ゆーやき、くやきの、あかつんぶ」とか「ぶーにゃげ、おにゃげど、ばかとぅんヴぉ」と発音されたら「???」だし(前者は母音の一部がダメで、後者は子音がダメ)、ましてや「にゃーニャにゃ、にゃニャにゃニャにゃ、○×△■★~」と発音されたら、それは日本語以前の問題でしょ? だったら、いっそ、スキャットやヴォカリーズで歌ってよと言いたくなります。

 我々は日本人だから、日本歌曲は、歌う人も聞く人も言葉に気をつけます。でも、外国曲の場合は、歌詞が外国語だから、歌う人の中には、外国語が苦手を理由として、日本歌曲の時ほど、気をつけない人もいるような気がします、特にアマチュアの場合は…。

 確かに歌い手の中には、自分が不得意な言語の歌詞の歌を歌う人も少なからずいるでしょう。私もその中の一人です。でも、歌う人はその言語が苦手だったとしても、それを聞く人の全部が全部、その言語が苦手とは限りません。

 例えば英語。英語は日本人の中にも、比較的得意な人と苦手な人がいます。私は比較的得意な方かな? だから、間違った英語とかカタカナ英語とかで歌われているのを聞くと、その歌が英語に聞こえず、イライラします。

 先日の某発表会で、英語の歌を歌われていた方々がいらっしゃいました。実に美しい英語で歌っていた方もいたけれど、最初は何語で歌われているかさえ分からないくらいに、いいかげんな発音で歌っていた方もいました。おそらく、元々カタカナ英語なんだろうけれど、それではあまりに英語っぽく聞こえないと思われて、自分なりに英語っぽく発音して歌っていたんだろけれど、その英語っぽくの方向が間違っているので、全然英語に聞こえなかったわけです。さらに、歌詞をきちんと覚えられなかったのか、時折、わざとあいまいな発音をして歌詞をごまかして歌っている様子が見られました。

 とても不快でした。でも、返す刀で自分自身を切らざるを得ないことも感じました。

 英語だから、その発音のいい加減さも不自然さも分かるけれど、これがイタリア語やドイツ語だったらどうだろうか? かなりいい加減な発音で歌われても分からないだろうし、その不自然さを感じる事もないでしょう。いえいえ、それどころか、自分がイタリア語やドイツ語で、いい加減に発音し、不自然な事をやっていても、自分自身は、そのいい加減さに気づかないまま、分かる人たちに不快な思いをさせながら歌を歌っているんじゃないかしらとさえ、思うわけです。

 だから、できる限り、歌詞はきちんと覚えて、きちんと発音しないといけないなあって思います。そういえば、一流の歌手の皆さんって、ほんと、耳がいいなあって思います。どう耳がいいのかと言うと、たとえ日本語が話せない人でも、日本語のお手本を聞けば、それをまねて言うのが実に上手。まるで日本語がしゃべれるんじゃないか錯覚させてしまうくらいに、流暢に自然な日本語を使います。でも、それでもやはり、それは、教えられたフレーズをおうむ返ししているだけで、それ以外はダメだし、その自然な感じのフレーズだって、意味までは把握していなかったりするんですが…。

 自分が歌う曲の言語がきちんと話せる事は理想だけれど、少なくとも、話せなくても、発音だけはきちんとしないといけないし、そのためには歌詞をきちんと暗記するのは最低限の礼儀だなあって思った次第なんです。

 ほんと、歌詞が不自然に聞こえると、音楽以前に、その変な発音に心がひっかかって、音楽が楽しめなくなりますからね。

 他山の石、他山の石。

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2014年6月11日 (水)

息をしっかり流して歌う

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 まず最初に見ていただいたのは、カルダーラ作曲「Selve amiche/親愛な森よ」です。この曲は、ちょっとばかり、声を転がす箇所があります。その転がし方について、色々と注意を受けました。

 「この曲を音大で習うと“転がすところでは絶対にノドは動かさずに、腹筋で音程を変えていきなさい”と必ず習います、が、それをやるのは、とても大変なので、お腹で息をしっかり支えつつ、音程は(ノドではなく)軟口蓋の上げ下げで付けるようにするのが良いですよ」と教わりました。

 まあ、本格的なやり方は難しくて出来ないだろうから、次善のやり方でいきましょうってわけです。これは「本当はカレーってのは、各種スパイスを調合して作るんだけれど、それをやったら大変だから、市販のカレールウを使ってもいいよ」的なアドヴァイスだろうなあと解釈しました。まあ、本格カレーには敵わなくても、市販のカレールウで作ったカレーだって、なかなかのモンだから、私はそれで行きますよ…って気持ちになりました。

 実際、私の弱々な腹筋では、とてもこの転がしのスピードにはついていけないのは、明々白々ですからね(涙)。だからと言って、ノドで音程を作ったら、あっと言う間にノドが閉まってしまうわけだから、軟口蓋で音程を作って歌うのが、現実的なんだと思います。

 転がしている時も息はしっかりと流して、声が一本の糸でつながっているように歌うようにも言われました。ついつい音程にばかり気を取られていると、息が切れ切れになってしまうので、それはダメって事ですね。

 符点の箇所は符点らしく、アクセントがついている箇所はアクセントがついているように、しっかりと違いをつけて歌うことも確認されました。

 メロディが音程的に動いていない箇所は、強弱を強調して音楽を動かす事が必要だと教わりました。

 次は、チェスティ作曲「Introno all'idol mio/いとしい人の回りに」です。

 フレーズの歌いだしは、常に上から音を取るように心掛ける事。そのためには、毎回毎回、クチを開け直す作業が必要です。また、この曲では、最高音がフレーズの頂点ではないため、最高音の部分はあくまでも経過音として、サラっとあっさりめに歌う事が大切。そこを強調しちゃうと、変な感じになります。間違っても、高音で声を張らない事。高音は軽く歌うこと、そのためには腹筋が食い込むほどにしっかりと息で支えることが大切です。

 フレーズ全体は横に流して歌いますが、個々の音は流さずに、しっかりと歌うことが大切。

 最後は、ヘンデル作曲「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」です。この曲は、本当にメロディが低い方に集まっていて歌いづらいのですが、いくらメロディが低めだから言って、声まで低い方に落としてはいけないのです。メロディは低くても、声は常に高め高めに取って歌うことが大切です。気分は「体重計に、そっと乗る」ような感じで歌うといいのだそうです(笑)。

 また、随所にアクセントがあるので、そこはしっかりとアクセントをつけることも忘れずに…って感じかな?

 先日、発表会が終わったばかりですが、先生から「暮れに『おさらい会』をやりますよ」と言われました。つまり、半年後に、また本番みたいなモノが門下で開催されるってわけです。

 私は先生の別宅の方でレッスンを受けているのですが、本宅の方は、先日建て直されて、広い広いレッスン室を作られたのだそうです。なので、その広いレッスン室に門下生を全員集めて、そこで『おさらい会』をする事にしたのだそうです。先生のご自宅で行うので、非公開なんですが、同じ門下生同士で歌を聞き合うわけで、ある意味、一番厳しい耳を持つ人々を観客にする本番なので、緊張すると言えば緊張しますね。

 それに、発表会の時は、自分は歌うのに忙しくて、他の方々の歌までは聞けませんから『おさらい会』で他の方々の歌が聞けるのは、とてもうれしいです。

 しかし『おさらい会』に出るとなると、暮れの第九は…今年もパスかな?

 さてさて『おさらい会』もいいのだけれど、私たちは、その『おさらい会』の前に、地元開催の『秋のクラシック・コンサート』に出場するつもりです。

 発表会が終わったばかりですが、クラシック・コンサートに向けて、そろそろ準備に取りかからないといけません。とりあえず、次のレッスンの時に、先生と選曲をしようという事になりましたので、それまでに私の方で、何曲か候補曲を準備しないといけません。

 さて、秋は何を歌おうかしら?

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2014年6月10日 (火)

本来の声で軽く歌えるようにする

 発表会後、始めての声楽のレッスンに行ってきました。

 先生曰く「すとんさんは、色々と追い込まれていたようですね…」という感想でした。実に優しい感想です。当日…と言うか、その前から私が病気になっていた事は、直接先生には伝えていませんでした。変に気を使わせたり、レッスンに手心を加えられるのを避けるためですが、発表会も終わり「実は私…」という話をしました。つまり、当日の不出来は先生の指導力不足のせいではなく、単純に私の体調のせいであると…まあ、少しは安心してもらえたらなあって事です。

 「それにしては二重唱は見事に歌えていましたねえ…」と言われましたが、それこそ、二重唱の方は、以前にも一度本番に上げた曲で、他の曲とは累積練習量がケタ違いですから、その練習量の多さが調子の悪さをカバーしたんだろうと思います。つまりは“歌い込みの量の違い”って奴ですね。

 「高音は、どんなに調子が良くても、失敗するときは失敗するんです。でも、体調がどうであれ、必ず一定の手順を踏んで高音を発声するようにしないといけません。体調の善し悪しなどで発声方法を変えてしまうのはいけません」と言われました。確かに今回、調子が悪かった事もあって、ちょっとばかり力任せのノド任せの以前の発声法に戻ってしまった部分があります。それはやはりダメなんですね。

 一定の手順…つまり、高音発声にはコツがあるわけだし、やり方があるわけです。調子が良くても悪くても、やり方さえ守って発声すれば、そんなにひどい事にはならないし、どんな体調の時でも、そのやり方をきちんと守れるように練習しておかないといけません、って事です。

 つまり、それが“テクニックで歌う”と言う事です。Y先生は、ノリや勢いで歌う事を否定しますし、カラダで覚える事も良しとはしてくれません。大切なのは、手順であり、その手順を常に冷静に行っていく事なんです。そのため、発声に必要な手順に関しては、細かく細かく注文するわけですが…でも私が大雑把でノリを重視する人間なので、そこがうまく出来なかったりするわけです(ダメですね)。

 今後の課題は“もっとテクニカルに歌えるようにする”って、事です。「しばらくは歌曲を中心に、もっと丁寧に歌えるようにしないといけませんね」との事です。私もそう思います。

 さて、発声練習になりました。今回は『声の軽さ』について学びました。とにかく、私の声は、本来は軽いはずなのに、私自身が重く重く発声する癖があります。ですから、その癖を取り除いて、本来の軽い声で歌えるように気をつけましょうって事です。それをしないのはモッタイナイって話なんです。

 と言うのも、高音を発声するためには、二つのルートがあって、一つは声の軽さを利用して高音に行くやり方と、腹筋を鍛えに鍛えて筋力で高音発声をするやり方があるそうですが、私の場合は、元々の声が軽いのだから、その声の軽さで楽に高音に行けるはずなのに、わざと重く発声して、その声の軽さを殺しているのがモッタイナイので、ぜひ、本来の軽い声で軽々と高音を歌ってほしい…とまあ、そんなところなんです。

 まあ、私、普段の発音からすでに、ついつい声を胸に落としているからなあ。そんなバリトンっぽい発声方法でテノール音域を歌っていたら、そりゃあ色々と無理はあるよね。

 とにかく、声を重くしない。声を胸に落とさない。そのためには、クチを上に開いていく事が大切なんだそうです。今の私は「クチを縦に開いて!」と言われると、舌根を下げて、アゴを落としてクチを開こうとするわけです。それでもクチは縦に開くし、やり方としては拙くはないのだけれど、これでは声が軽くはならないのだそうです。だから、クチを開くなら、舌根を下げるよりも、軟口蓋を上に上げる方をメインにした方が結果が良い…というわけです。

 うーむ、舌根を下げるのは感覚的に分かるんだけれど、軟口蓋を上げる感覚は、今の私にはないなあ…ないから出来ていないんだろうなあ。

 まあ、難しい事を考えつつも、気持ちとしては“軽い声”を“軽く”出して“軽やかに”歌えば良いみたいです…って、それが難しいのだけれど、それをテクニックとしてマスターすることが大切なようです。

 先は長いぞ。

 とにかく軽く歌うためには“立派な声”とか“豊かな声”とか“大きな声”はいらないのだそうです…って、それって私の売りのすべてが要らないって事ですねえ(涙)。

 次のステージに登るためには、色々と捨てていかないといけない事が多そうです。

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2014年6月 9日 (月)

見知らぬ人の発表会に、今年も行ってきました

 またも“見知らぬ人の発表会”に行ってきた私です。ちなみに、ここの門下の発表会は、昨年もうかがっていて、色々と感動し、たくさんの事を学べたので、今年も見に行ったわけなんです。

 なにしろ、この門下は、本当の趣味のオトナから、プロ歌手まで、実に幅広いメンバーで構成されているんですもの。歌われる曲目も、日本歌曲はもちろん、ミュージカルソングやポップスやカンツォーネからマジな歌曲やオペラアリア、オペラ二重唱と、幅広いんです。だから、色々と多くの事が学べます。

 例えば、歌には、それぞれのジャンルがあり、そのジャンルにふさわしい歌い方があるって事です。マイクを使う前提で作曲された歌は、やはりマイクを使って歌唱するべきで、それを声楽的な発声方法で歌った場合、その曲が持っていた良さが消えてしまう事があります。また、逆も真なりで、オペラアリアをポップス発声で歌われると、背中がむずかゆくなります。

 本当に正しい声楽的な発声の声は、なまじマイクを使って拡声したモノよりも、大きく聞こえるし、耳に心地よく響くとか。また、声の特徴って、本当に人によってマチマチで、声量的には乏しいけれど、実に良い音色で歌う人もいるかと思えば、やたらと声は大きいけれど、声は割れ気味だったり、音程を外し気味だったりする人もいるし、声量もあって音程も正しいのだけれど、つまらない音色で歌う人もいたり、こういうアマチュアの歌唱を聞いていると、プロの方の音程正しく声量豊かで美しい音色の歌声って、ほんと、貴重なモノだし、努力のたまものなんだなあって思うわけです。

 選曲についても考えました。これは好みとか偏見とかもあるけれど、やはり作曲家が想定した種類の歌手が歌わないと、なんともシマラナイという曲もあると思います。例えば、ナポリターナはテノール歌手が歌ってナンボでしょう。女性ポップス歌手が歌うと、特に高音域に入ると、声を裏返して歌ってしまうタイプの歌手さんが歌うと、ほんと、しまりません。聞いていて、なんかズッコケます。

 二重唱はバランスが大切です。一人で歌っている部分、二人で対等に歌う部分、一人がメロディーで他方はハモリの部分、それぞれに歌のバランスが大切です。オペラを歌う人って、たいていがソリストで、自分が前に出ることが好きな人が多いのですが、二重唱などのアンサンブルの場合は、出るところは出るけれど、引っ込むところはきちんと引っ込まないと。そうしないと、聞いていて、うるさく感じるんですね。

 美声は七難隠します。多少、音程やリズムや表現に難があっても、声が美しければ、すべてを許してもいい気になります。それくらい、声が美しい事って、大切なんだなって思いました。

 もっとも、ここの門下は、音程やリズムに難のある人は、ほとんどいませんでした。そこは割と皆さん、きちんとしてました。

 でも表現に関しては、実に個人差があると思いました。声であれ、動きであれ、的確な表現をする人もいれば、ほぼ棒立ちの東海林太郎のようなスタイルの方もいます。でも、その一方で、手ばかりがやたらとうるさく動く人とか、何をやりたいのかよく分からないけれど激しい動きをする人(つまり、演技が空回りしている…んでしょうね)などは、その動きにばかり気が取られて、肝心の歌の方が、歌っている方も聞く方もおろそかになっているような気がします。

 なんか、学べた点を羅列していると、悪口っぽくなるけれど、決してそんなつもりはありません。それどころか、ここの発表会を聞いて、私、かなり感動しました。3時間ほどでしたが、その3時間があっと言う間にしか感じられなかったもの。客の心を惹く何かがある歌い方をする人が多いんですよ。あれって何なんでしょうか? でも、ここの門下の人は、上手い人もそうでない人も、実に魅力的な歌い方をするんです。それが何か分かったら、私も思いっきり盗む(笑)んですが、今のところは、その魅力の正体が分からないんですよ。

 また、来年も見に行って、今度は、そこらへんの解明でもしますか。

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2014年6月 8日 (日)

マウスが壊れた(涙)!

 あー、今週はうっかり体重計り忘れた! でも、体調回復を狙って、仕事以外じゃあ、食っちゃあ寝をしているので、たぶん、体重増えている…はず。ちょっとマズいかも…。

 さて、今週のエッセイです。

 どうやら、自宅で使っているキーボードとセットになっている光学マウスが壊れてしまったようなんです。

 今まで使っていたのは、マイクロソフト社製の『ワイヤレス キーボード+マウス Wireless Desktop 3000』のマウスです。この製品はロングセラーらしく、同じ製品名でもリビジョン違いがいくつかあるようですが、私が使っていた物は、昨年の春ごろに購入した、割と新しい製品です。同時に2セット購入して、一つは自宅に、もう一つは職場で使ってます。それくらい、お気に入りなんです。職場で使っている方は、使用時間がウンと長いにも関わらず、今も絶好調です。使用時間の短い、自宅で使っている方のマウスの調子がすごぶる悪くなったわけです。

 具体的にどう悪くなったのかと言うと、マウスポインタの動きが悪くなりました。非常にカクカクとした動きになったのです。さらにたまに、全く動かなくなります。接触不良かな?と思ったのですが、ワイヤレスマウスですから、接触不良もくそもないわけです。ちなみに、同じレシーバーを共有しているキーボードの方は、実に快調に動作していますから、レシーバーの不調というわけではないようです。

 最初は「電池が切れたか…」と思いました。以前にも似たような状況になった時に、電池を交換したら一発で元気になったので、さっそく新品の電池に交換したところ…全く状況は変わりません。別のマウスを使えば、マウスポインタは正しく動くので、パソコン本体の故障でもありません。やっぱりマウス本体の故障ないしは劣化じゃないかという結論にせざるをえなくなりました。

 実際、光学マウスの受光素子は劣化するパーツなんだそうです。約1年使って(ちょっと早いのかもしれないけれど)パーツが劣化して使えなくなった…のかもしれません。

 マウスなんて、安価なパーツですから、ダメになったら修理するよりも、新品に買い換えた方が安上がりです。しかし…このマウス、キーボードとセットなんですよ。マウス単品での販売は…どうやら無さそうなんですね。だったら、キーボードごと新しいモノに買い換えるという手もありますが…なんかそれも勿体ないような気がします。

 やっぱり、マウスだけ新品に買い換えるか…。

 でも、マウスがダメになったのが、週の始めだったこともあるし、最近の私はたとえ週末になっても、パソコン屋でゆっくりとマウスを品定めをしている時間的な余裕がない生活をしているし、それ以前に、地元のパソコン屋の品揃えって、実に不満足な品揃えなので、実店舗に買い物に行っても良いマウスと出会えるという保証もありません。

 やっぱり、ネット通販しかないか…。

 私のマウスの好みって、結構うるさいんですよ。まず、ワイヤードのものは、コードがうざいのでパス。小さなマウスは嫌い。軽いマウスも嫌い。大型で多少の重量があるものが好きです。ボタンも通常の3ボタンの他に『戻る』と『進む』のボタンは必須。ホイールを回すと画面が上下にグリグリ動くのも必須。そうなると、自然と海外メーカーであるマイクロソフト社かロジクール社の高級マウスになってしまうのですが、それらは輸入品ですから、お値段がお高くなるキライがあります。

 まず、使いやすい事、手になじみやすい事、そして出来れば国内メーカーの製品を使いたいのですが、なかなかふさわしいモノがないんですね。なにしろ国内メーカーはたいてい“小型軽量”を追求していますから、私の好みのマウスを最初っから作っていなかったりするんです。あと、値段に固執はしませんが、それでもやはり、マウスは消耗品ですから、そんなに馬鹿高いものを購入するのも気がひけます。

 贅沢かもしれませんが、それでも出来れば、ほどよく安くて使い勝手の良い国産メーカーのマウスが欲しいわけです。

 で、色々とググって、見つけたのが、ELECOM社のワイヤレスBlueLEDマウスの『握りの極み Lサイズ』というマウス。正しい製品名を「ELECOM ワイヤレスBlueLEDマウス M-XG 2.4GHz 5ボタン 握りの極み Lサイズ ブラック M-XG2DBBK」と言います。これを見つけたので、購入しました。

 ELECOM社は、大阪に本社を置く日本のメーカーです。この会社は、昔からマウスを製造販売していたメーカーですが、これまでは、安価で、ほんと~~に小さなマウスばかりを製造販売していた会社で、私のイメージでは“女性向けマウス”を作っている会社ですね。もちろん、今でも安価な小型マウスを製造販売はしていますが、カタログを見ると、今の一押しは、海外メーカーのような、大型高級マウスのようです。まあ、軽量小型のマウスなら、中国がタダみたいな値段でマウスを製造販売していますから、そこで商売しても今や勝てませんからね。色々と考えているんでしょう。

 私が今回購入した『握りの極み』は国産高級大型マウスって奴です。マウスなんて500円出せば買える時代に、標準販売価格が5000円超なんて高級もいいところでしょう。パッケージも日の丸をデザインして、国産を強調していますし、部品も国産部品を使っている事を売りにしていますしね。

 ちなみに私が購入したのは、Lサイズです。このマウス、手のカタチを元にデザインされているので、MサイズとLサイズの2種類あるようです。女性や小柄な男性はMサイズを、私のようなデカい男性はLサイズがいいんじゃないかな?

 使ってみました。うん、いいですね、これ。

 実は注文してから、現物が届くまで、マウスが使えないと不便なので、以前使っていたロジクール社のMX610という、レーザー式の高級大型マウスを取り出して、ひとまず使っていたのですが『握りの極み』は、そのロジクール社のマウスに劣らぬ使い勝手、なかなかグーです。あえて欠点を言えば、電池を一本しか使わないため、本体がやや軽いという事。これはマイナスですね。マウスはある程度重い方が制御しやすいんです。これ軽めなので、細かいところがビシっと決まらないキライがあります。まあ、慣れればいいんでしょうが…。

 そんなわけで、マイクロソフト社のマウスがダメになって以来、ほんの短期間、ロジクール社のマウスを使っていた私ですが『握りの極み』が到着してからは『握りの極み』を使っている私です。

 でも『握りの極み』ってネーミング、なんか、お寿司みたいで面白いですね。

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2014年6月 7日 (土)

キキョウが星になりました

 実にビックリしています。ほんと、悲しんでいる暇すらありません。なんと、キキョウが星になってしまいました、それも急に。

 2014年6月3日(火)、日本全国が暑くて、北海道では記録的な猛暑があっちこっちで観測されたあの日、人間様が全員留守にしている真っ昼間、キキョウが星になってしまいました。

 キキョウは、フナ色をした鉄魚です(金魚の親戚ですが、金魚ではないんです)。

 この日の朝のキキョウは、すごぶる元気だったんですよ。いつものように、人間の方を見て、適当に愛嬌をふりまいて、サクラとエサの奪い合いをやっていたんです。

 妻が第一発見者でした。夕方になって帰宅した妻が水槽を見ると、キキョウが転覆していたんだそうです。ウチにはたまに転覆金魚がいるので、転覆そのものにはビックリしないのですが、転覆をするのは、たいてい体調の良くない金魚ですから、まさかキキョウが転覆するとは思っていなかったんです。ですから、キキョウが転覆していて、妻はビックリしたんだそうです。ウチの水槽で、次に転覆するとしたら、ホノカだろうと思っていましたからね。

 実はホノカは、ほんのたまに転覆するんです。熟睡すると、うっかり転覆するみたいです。そんな時は、軽く水槽のガラス面を叩いて、目覚めさせて上げると「ああ失敗、失敗」って感じで目覚めて、転覆から回復して泳ぎだすんです。

 だから、キキョウもついうっかり転覆していると思って、ガラス面を軽くコツコツと叩きました。でも、一向にキキョウは目覚めないんです。

 それどころか、転覆しているキキョウをサクラがしつこく突っ付くんですね。

 水槽の中に転覆金魚がいても、サクラはその子を突っ付いたりはしません。でも、今回は、キキョウをしつこく突っ付いていたんだそうです。

 で、よくよくキキョウを見てみると、どうも呼吸をしていないようだったんだそうです。そこで水槽の水からキキョウを上げてみたら、何の反応も無かったのです。つまり、キキョウはすでに死んでいた…ってわけです。

 キキョウの姿は、とてもきれいだったそうです。ですから、キキョウは怪我が原因で死んだわけではないのです。おそらく、暑い室温と肥満が原因で、心臓発作を起こして死んでしまったのだと思います。

 実際、キキョウは見事なくらいに太ってましたからねえ…。

 キキョウが我が家に来た時は「さすがに鉄魚は金魚よりもフナに近いだけあって、カラダが実に薄いねえ…」なんて言ってたんです。それがいつのまにか、ブクブクと太り、琉金であるホノカはもちろん、サクラよりも福々しく、丸々と太ってしまったわけです。どれくらい太っていたかというと…普通、金魚の目って体側に付いていて、前も後ろも見える位置にあるんですが、キキョウは、とってもカラダに厚みがあって、それでも頭の大きさは標準サイズですから、頭からカラダに移り変わる角度が普通の金魚よりも大きくなって、目が体側というよりも、ほぼ前面に付いてしまっていたんです。それはまるで人間のようです。きっと、キキョウは後ろが見えないでしょうね。その代わり、立体視ができたかもしれません(笑)。

 とにかく、何の前兆もなく、キキョウは、急に星になってしまいました。

 いやはや、実にビックリですよ。でもきっとあの子のことですから、あっちに行っても、人間に愛嬌をふりまいていることでしょう。

 さようなら、キキョウ君。

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2014年6月 6日 (金)

燻製肉とチャーシューと角煮

 フルートのレッスンに行ってきました。

 お教室のドアを開けた途端に、先生から「やあ、久しぶりだね!」と声をかけられちゃいました(笑)。実際、3週間ぶりのレッスンだし(汗)。今年に入ってから、レッスンを受ける回数よりも、お休みする回数の方が、絶対に多い私です。妻からは「そんなにレッスン、お休みばかりしているなら、辞めちゃえば…」とも言われてます。まあ、そう言われても仕方ない現状なんですよねえ…。

 さて、今回のレッスンは、私の前の時間の姉様もお休みしていたみたいで、時間よりも早めにお教室に入った私でしたが、先生、ご自分の練習をバッチリしていました。それくらい、たっぷりと待っていてくださったようです。

 さっそく、フルートを組み立てて、いきなりロングトーンの練習です。息を入れて管を温める作業とか、チューニングをするとか、そういう作業すら無しです。組み立てたら、出たトコ勝負です。もしも音が違ったら、その場で耳で聴いて調整しなさいって事です(汗)。

 とにかく、徹底的に先生の音(音程)に合わせて、自分のフルートを吹いていくって練習も兼ねているわけです。先生曰く「これはアンサンブルの良い練習になります」だって。まあ、そうかも(笑)。

 しかし、家での練習はチョボチョボやっていた私ですが、レッスンは久しぶりなので、そのせいでしょうか? フルートの運指をいくつか忘れていた私でした(やべえなあ…)。あと、そろそろ初夏って事で、部屋に冷房は入っているものの、やはり暑いわけで、クチビル周辺にも汗をかくわけで、フルートが滑る滑る…。とにかくそれでも、ロングトーン練習は、大過なく終了しました。

 さて、アルテは15課の10章のCes-durです。宿題だった2番「アルペジオ基本練習」は合格。4番の「Ces-durのスケールとアルペジオ」合格。しかし5番のクロマチック練習は、もたもたやってしまったため、不合格。「もっとしっかり練習をしてきなさい」って言われました。ですから、次回の宿題は、5番のクロマチック練習に加え、いよいよ最後の課題である、as-mollに入ります。このas-mollが終われば、いよいよアルテ1巻が終了となります。

 ふう~、普通の人は1年で終わるこの教材を、一体私は何年かけてやっているんだい(笑)…って、2008年からやってますから、仮に今年中に終わったとしても、もう7年もやっているわけですね。中学1年から始めたなら、もう高校も卒業して、大学1年生ですよ。学生ならば、目を見張るほどに上達しているでしょうが、私はオジサンなので、ほとんど上達していないわけです。まあ、悲しいと言えば悲しいですが、7年前の私からすれば、すごい上達なわけで、これはこれで良しとしないといけませんね。

 で、ガリボルディのプチ・エチュードは3番です。さすがに、今回は合格をいただきました。前回のレッスン記事でも書きましたが、この曲、今年の1月からずっと吹いているわけですから…さすがにそろそろ次の曲にいかないとマズいって事でしょ。

 次の4番は…さっそく先生がお手本演奏をしてくれましたが、吹きながら、楽譜のブレスの位置をドンドン変えていきます。「この曲はゆっくりでもいいから、その代わり、しっかりと1音1音を鳴らしていかないといけないよ」というアドヴァイスをいただきました。頑張るぞ。

 さて、今回の雑談は…燻製肉(ハムのようなもの)とチャーシューです。実は先生、お知り合いから、上質なブタのバラ肉のブロックをいただいたんだそうです。で、レッスンが終わって帰宅されたら、さっそく、バラ肉を調理して食べたいんだけれど、燻製肉にして食べるか、チャーシューにして食べるか、それが悩みだ! …って事なんですね。

 つまり、これから作って食べるなら、燻製肉かチャーシューのどっちがいい?って話です。

 私と先生の意見は一致して、味を優先して考えるなら燻製肉。しかし、燻製肉は出来上がるまでに日数がかかるのが難点。今晩作っても、今晩食べることは無い。その点、チャーシューなら、今晩作って、今晩食べる事ができるので、作る手間と食べられるようになるまでの時間を考慮するなら、チャーシューも捨てがたい。とまあ、こんな結論になりました。それにチャーシューなら、煮汁も二次利用できるので、無駄が少ないからねえ…。

 でも、先生には言わなかったけれど、もしも私がバラ肉を手に入れたなら、燻製肉やチャーシューではなく、角煮にして食べちゃうかも。だって、あの角煮のトロトロは、至福の喜びじゃない! 特に、家に帰ってから、調理をしてすぐに食べたいなら、圧力鍋を使って、豚肉を煮込んで角煮を作るのが、一番速いと思うんだよね。違う?

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2014年6月 5日 (木)

オペラのライブビューイングを、ちょこっと比較してみました

 日本では、地域によって違いがありますが、大都市を中心として概ね、外国の有名な歌劇場の最近の上演を映画館で見る事ができます。それを、オペラの“ライブビューイング”と呼びます。まあ、本来のライブビューイングは“生中継”の事を指すし、実際、これらのライブビューイングによるオペラは、諸外国では生中継をされています。でも日本の場合、字幕を入れる作業が必要な事もあり、生中継用に収録されたものに字幕などを付加して上映する事もライブビューイングと呼ぶようです(少なくも、オペラではそんな感じです)。

 関東地方では、三つの歌劇場のライブビューイングを楽しむ事ができます。一つが、アメリカのメトロポリタン歌劇場で、二つ目が、フランスのパリ・オペラ座、三つ目が、イギリスのロイヤル・オペラ・ハウス(いわゆる、コヴェント・ガーデン)です。メトロポリタンが松竹系の映画館で、パリ・オペラ座が東急系で、ロイヤル・オペラ・ハウスがイオン系で見ることができます。

 この中で、私と縁遠いのが、ロイヤル・オペラ・ハウスのライブビューイングです。なにしろ、イギリスで上演し収録したものを、すぐに字幕などを付けて、翌日に1回きり上演してお終い…なんです。まあ“生中継”ではないけれど“取って出し”なのが特徴です。

 まあ“取って出し”とは言え、たった一日で翻訳を付けて上映するのですから、オペラの日本語訳は事前に用意しておいて、それを映像に合わせてはめ込んでいくのでしょうが、それでも、その作業をたった1日でするのですから、スタッフは大忙しでしょうね。ですから、このロイヤル・オペラ・ハウスのライブビューイングでは、オペラ本体には日本語訳が付くそうですが、幕間の解説部分には字幕が付かないそうです。まあ、英語が聞き取れる人なら、何の支障もないでしょうが、案外、クラシック音楽ファンって、英語の苦手な人も多いので、字幕無しではつらく感じる人も多いのでは?

 あと、なにしろ“取って出し”なので、上映するのが、平日の夜となります。上映劇場の近くに住んでいた勤めていたりするれば別ですが、私はそうではないので、全く見に行くことができない、幻のライブ・ビューイングなんです。

 以前、最寄りの映画館で、一週間だけ3Dで、ロイヤル・オペラ・ハウスで上演されたビゼー作曲の「カルメン」の上映をしてくれましたが、まだ上映方法が試行錯誤だったのでしょうし、おそらく当地では思惑ほどに人が集まらなかったので、現在の方式に変わってから、上映劇場から外されているのだと思います。

 たとえ平日夜の上映でも、近所の劇場だったら、なんとか都合をつけて見に行くだろうに…ああ、残念です。

 日本でオペラのライブビューイングを始めたのは、メトロポリタン歌劇場(通称、メト)なんだそうです(ほんと?)。

 とにかく、メトのライブビューイングは、実によくできていると思います。まずは演目が素晴らしいし、出演歌手たちも素晴らしい。旬の大物歌手がよく登場するし、無名な人であっても、かなりの実力派揃いだから、見ていて結構安心できます。また、演出も気をてらったものが少なく、割とオーソドックスなものが多いのも良いです(それでも最近の“新演出”は奇をてらったものがあるので、注意する必要があります)。

 幕間のインタビューも実に情報量が多いし、休憩時間もたっぷりあって、休み時間もあって、うれしいです。なにしろ、オペラの1幕って、普通の映画の1本分あるので、立て続けにやられると、結構つらいんですよね。

 メトの最新上演作を約一ヶ月遅れで上映してくれるのもうれしいです。ですから、オペラのシーズンは、10月開始の5月終了ですが、日本のライブビューイング版は、11月開始の6月終了となるのも、なんかいい感じです。さらに、メトの場合、8月中旬から9月中旬のオフシーズンにかけて、アンコール上映があるのもうれしいです。上映する映画館はさらに限られますが、シーズン中に見逃した作品を見ることができるのが、うれしいです。

 私の中では、このメトのライブビューイングが、ライブビューイングのデフォルトとなっています。

 そこへ行くと、パリ・オペラ座のライブビューイングは色々と変わってます。まず、パリの場合、メトと違って、あまり有名な歌手は出演しないようです(失礼)。その代わりに演出が、結構奇抜だったり斬新だったりします。メトがオペラ初心者向けなら、パリはオペラ中級者向けかもしれません。あと、メトはすべての演目がオペラなのに対して、パリはオペラは半分だけで、残りはバレエだったりします。だから、メトが1シーズンに10作前後のオペラを上映するのに対して、パリは5作前後と、ややボリュームに欠けます。幕間のインタビューもメトほど充実しているわけじゃないです。

 ただ、メトと違って、全国一律の日程で上映しているわけじゃなく、それぞれの上映館で、少しずつ上映日程が違うのが面白いです。メトだと見逃したら、アンコール上映まで待たないといけませんが、パリの場合、少し待てば、別の上映館で見ればいいのです。そこがちょっと便利かもしれません。

 以前は「World Classics @ CINEMA」という企画があって、ヨーロッパのいくつかの歌劇場の上演をセレクトして、日本でも数年間はオペラ上映をしていたようですね。ネットでググると今でもヒットしますが、最近は上映していないようです。残念ですね。

 しかし、これら映画館でのオペラ上映も、よくよく考えてみれば、大都市圏だけの話です。生のオペラ公演が大都市だけでしか行われないのは、収益性を考えれば仕方のない事ですが、映画上映であっても、大都市近郊でしか上映されないとは、よっぽどオペラって、儲からないコンテンツなんですね。いやあ、残念。

 最後にそれぞれの公式ホームページをリンクしておきます。

 メトロポリタン歌劇場のライブビューイング

 パリ・オペラ座のライブビューイング

 ロイヤル・オペラ・ハウスのライヴビューイング

 World Classics @ CINEMAのライブビューイング

 しかし、ライブ・ビューイングも良いのですが、やはりオペラは“生”に限りますよ。今年は何回、生のオペラを見られるかな?

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2014年6月 4日 (水)

メトのライブ・ビューイングで「ラ・チェネレントラ」を見てきました

 「エフゲニー・オネーギン」「ファルスタッフ」「ルサルカ」「イーゴリ公」…これが今のところ、私が見た、メトの今シーズンのライブ・ビューイングのオペラの数々です。ううむ、実にマイナーどころばかりを選択しているなあ。

 で、今回は、これまでの作品に、さらに輪をかけてマイナーな「ラ・チェネレントラ」を見てきました。もう、病膏肓だねえ(笑)。

 あんまり地味でマイナーな作品なので、作品解説から始めちゃいます。

 まず、作曲家はロッシーニです。ロッシーニのオペラと言えば、普通の方(ってか、それなりのクラシックファン)でも「セビリアの理髪師」ぐらいしか知らないでしょうね。それも無理のない事で、ロッシーニの作品って、どれもこれも上演が難しいんですね。だから、なかなか上演の機会が得られず、上演されないうちに、みんなみんな忘れられてしまったわけです。まあ、そんな中、わずかながらも上演され続けている、この作品は、実に立派なものなのかもしれません。

 話の筋は簡単です。だって、世界的に有名な『灰かぶり姫』のお話だもの。この『灰かぶり姫』を、フランス語で言えば“サンドリヨン”で、英語で言えば“シンデレラ”、イタリア語で言えば“チェネレントラ”だもん(笑)。だから、オペラの話と、ディズニー・アニメの『シンデレラ』とは、話の大筋はほぼ一緒。でも、細かい道具立てが、あれこれ違ってます。

 例えば、オペラには、魔法使いも、カボチャの馬車も、ガラスの靴も出てきません。意地悪な姉さんたちはいますが、意地悪な継母はいません。

 魔法使いの代わりに出てくるのが、王子様の家庭教師(哲学者)。元々は彼が王子のお嫁さん探しに、町内をあれこれと彷徨っていたところ、偶然出くわして親切にしてくれたのがチェネレントラだったわけで、チェネレントラの優しさと気立ての良さを気に入った家庭教師が、あれこれと手を尽くして、彼女と王子と出会わせ、恋に落とす(まさにそんな感じ)わけです。つまり、使ったのは“魔法”ではなく“策略”ね。

 カボチャの馬車は全く出てきません。その代わりに、普通の馬車が出てきます。

 ガラスの靴は出てきません。その代わりに、ブレスレットが出てきます。アニメでは、舞踏会での王子様との別れ際、シンデレラは靴が片方脱げてしまい、それを忘れていきますが、オペラの場合、自分から片腕のブレスレットを王子に渡し「もう一つのブレスレットを身につけている自分を探しに来てほしい、そして、その姿を見て、まだ気に入ってもらえるなら、よろこんで私はあなたのモノになります」という主旨の事を歌って別れます。

 お姉さんは、シンデレラもチェネレントラも、ほぼ同じ。彼女を見下して、こき使って、その存在を認めません。

 意地悪な継母の代わりに、飲んだくれで横暴な継父が出てきます。この継父は落ちぶれているけれど男爵です。だから、お姉さんたちは男爵の実の娘たちなわけで、リアルな貴族のご婦人方なんですね。

 一方、チェネレントラは、男爵の後妻の連れ子という設定で、その母はすでに亡くなり、他に身寄りのないチェネレントラは、男爵の家で、意地悪をされていると言うよりも、メイドとして働いている…という状態なんです。

 おそらく、チェネレントラとその母は、貴族ではないのでしょう。チェネレントラの実父は、金持ちの庶民(商売人か何かだったのかもしれません)で、夫の死後、その財産を継いだ母が、その財産を持参金にして男爵と再婚をしたんだと思います。落ちぶれた貴族の男爵からすれば、金持ちの庶民を後妻にするのは、願ったり叶ったりでしょう。で、後妻は結婚して、すぐに死に、残された連れ子は(戸籍上は男爵の三女なんですが)庶民の出身であるため、貴族扱いされず、貴族のお屋敷に住む、当時の庶民の常として、住み込みのメイドとして働いていた…ってわけです。

 オペラの方は、おとぎ話のくせして、結構、あっちこっちがリアルな設定になっております。

 なので、王子様のお嫁さん探しの舞踏会に、チェネレントラだけ呼ばれないのも、ある意味、当然なんです。だって、庶民の子が社交界に出入りできるわけないもの。

 それを家庭教師の先生の計らいで、身分を偽って、舞踏会に行くことが出来、王子様と相思相愛の仲になり、ついには結婚をするという、お話なんです。

 で、実際の舞台は…と言うと、実に面白い喜劇です。それも「クスッ」って笑うタイプの喜劇ではなく「ガハハハハハハハハ~」と笑うタイプの喜劇です。実際、おかしいですよ。

 さらに、音楽は感動的でスポーティーでもあります。これでもか、これでもかという感じで、すごく難しいフレーズが延々と続くわけです。これ、プロとは言え、歌えない人も大勢いるだろうね。それくらい、難しいフレーズが続きます。つまり“音の曲芸”として、かなり面白いです。

 でも、その一方で、実に音楽が美しかったりもします。この曲には、普通のテノールは出てこない(ロッシーニ・テノールと呼ばれる、かなりの高音域を軽やかに歌えるテノールが必要なんです)ので、私が歌える歌など一曲もないオペラなんですが、たとえ声が合わなくても、一度は歌ってみたい曲ばかりです。それくらいに、美しくて、楽しいオペラでした。

 主演のジョイス・ディドナートは、今回のこのステージで、自身の当たり役であるチェネレントラ役を引退するそうです。歌手そのものは継続しますが、もう二度とチェネレントラは歌わないのだそうです。

 歌手は年齢に応じて、持ち役を変えていくのですが、そういう意味で、ディドナートの行動は実に当然な話なんでしょうが、自分の当たり役に別れを告げるというのは、どんなに寂しい感じなんでしょうね。舞台のフィナーレでディドナートが泣いていたのは、役柄的に感動したからだけではなく、自分にとって愛着のある役から降りることの寂しさも含まれているんだろうなあって思いました。

 主役のディドナートの歌唱が素晴らしいのは当然として、王子役のファン・ディエゴ・フローレスの歌唱が、実に素晴らしかったです。ほんと、憎ったらしいくらいに素晴らしかったです。アリア(この曲にはテノールのアリアは1曲しかありません)を歌い終えた時には、オペラの最中だと言うのに、拍手が鳴りやまずに、フローレスは、舞台に呼び戻されて、挨拶をせざるを得ませんでしたからね。

 また、継父やお姉さんは、歌が見事なだけでなく、コメディアンとしても有能で、この三人のパートになると、感動しながらも笑い転げちゃいました。

 前回、パリ・オペラ座のライブ・ビューイングで見た『清教徒』でも感じましたが、いわゆる“ベルカント・オペラ”と呼ばれる、ロマン派のオペラは、曲が難しいため、現代ではなかなか上演される機会がないのですが、そんな難しい曲揃いのオペラであっても、内容が素晴らしいので、難しさを乗り越えて(ごくまれに)上演されるんだなあ…って思いました。

 そして、世界の裏側の一流歌劇場でごくまれに上演されたものが、極東の庶民である私が楽しめるのも、HD配信やDVD販売を始めとする、文明の恩恵なんですね。21世紀の日本で暮らす幸せって奴を、オペラ鑑賞を通じて感じる私でございます。

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2014年6月 3日 (火)

見知っている人の発表会に行きました(笑)

 私の趣味は『見知らぬ人々の発表会を見に行く』ですが、今回は『見知っている人々の発表会』を見にいきました(笑)。

 実は昨年の秋のクラシックコンサートで伴奏をお願いしたピアニストさん(アマチュアですが、凄腕です)がお世話になっている先生の門下の発表会を見に行きました。その教室は声楽をメインに据えた音楽教室ですが…まあ生徒さんの大半はピアノを習う小学生女子ってわけなんですね(よくあるパターンです)。

 で、このお教室は、発表会を年2回やっているのだそうです。一つは子どもの部。もう一つがオトナの部なんですね。で、私、オトナの部の発表会を見に行きました。

 場所は…すごく良いところで、ザックリ書けば“鎌倉の洋菓子店の2階のサロンホール”でした。実にオシャレなホールでした。そこで発表会が行われたわけです。

 でもね、よくよくプログラムを見てみると、生徒さんはたったの6人。そのうち1名は怪我をしてしまったための欠席で、当日の生徒さんの数は5名。この5名のために発表会が行われたわけで、我がY門下もかなり小さな門下ですが、ここもなかなかに小さな門下でした。

 ちなみに、生徒さんの数があまりに少ないため(歌の生徒さんが3名[うち1名欠席]、ピアノの生徒さんが2名)、生徒さんの演奏(2~3曲)は第1部にまとめ、第2部はゲストの皆さんの演奏会(プロの方々ね)でしたし、先生もたくさん歌ってらっしゃいました。たとえ生徒さんの数が少なくても、発表会を行ってくださる先生は良いですね。

 生徒さん方の発表は、とてもよかったです。特に昨年私のピアノ伴奏をしてくださった方は、モーツァルトのソナタとショパンのワルツという、大曲を二つも演奏してましたが、とても好感の持てる演奏をしていました。ううむ、今年も彼女に伴奏を依頼しちゃおうかしら。

 前半の生徒さんたちの発表会もよかったのですが、私的には後半のゲストの皆さん方の演奏から多くを学んだ気がします。特に男声歌手(テノールなのかバリトンなのか、声を聞いただけではちょっと分かりませんでした。たぶん、重い声のテノールなのかしら?)の方が歌った、ダウランドの歌曲がよかったですね。

 ダウランドと言えば、イギリスのルネサンス期の作曲家ですが、いいですね。私がダウランドの歌曲を知ったのは、ロック歌手のスティングがクラシック曲としてマジメに演奏した盤なんですが、今回の発表会から帰ると、無性にダウランドが聞きたくなって、このスティングのアルバムをヘビーローテーションしてしまったくらいです。

 実は自分でもダウランドを歌いたい気分になって、楽譜を探してみたのですが、ネットの無料楽譜は見つけたのだけれど、リアルな紙の楽譜集(笑)が見つからなくて…。音楽は無料ではないわけで、作曲家や編集者や出版社への対価を考えれば、きちんと出版されたリアルな紙の楽譜集を購入したいものです。それもできれば、ピアノ伴奏でソロで歌えるようにアレンジされていると良いのだけれど…やっぱりルネサンスの音楽だから、ピアノ伴奏の楽譜ってなかなか無いのかな…なんて考えちゃいました。

 どんな方々の発表会であれ、行けば必ず学べる部分があります。だから、見知らぬ人々の発表会巡り(今回は“見知って”いましたが:笑)は、やめられないんです。

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2014年6月 2日 (月)

今回は遅くなって、ごめんなさい[2014年5月の落ち穂拾い]

 今回は、発表会の記事を連載しているうちに月を跨いでしまいました。いつもよりもアップするのが、遅くなってしまいましたが、毎月、落ち穂拾いは(たとえ遅れても)忘れずに行いたいと思ってますので、今後ともよろしくお願いします。

クラシックもポップスも

 よく女性と話をすると「私はクラシックしか歌えないのよ。歌謡曲はダメなの」とか、逆に「ロックならいいんだけれど、クラシックはキーが高くすぎて全然歌えないのよ」とか、その手の類の話を聞きます。どうも、女性の場合、クラシックは裏声で、ロックやポップスは地声で歌うので、声の使い方が全く違うので、どちらかしか歌えないってパターンの方が大勢いらっしゃるようです。

 その点、私はテノールだからという事もあるけれど、ロックもポップスもクラシックも、どれでもイケますって感覚でいます。

 だいたい、テノール歌手って、ポップス歌手と兼任する人も少なからずいるし、ガチガチのクラシック歌手でもポップスアルバムを平気で出すしね。古くは、ドミンゴもバパヴァロッティもカレーラスも結構ポップス歌ってたし、逆に最近だとポール・ポッツとかラッセル・ワトソンとかアンドレア・ボッチェリとかジョシュ・グローバンとかアルフィー・ボウとかのオペラも歌うポピュラー歌手って人もいて、そういう人って、大抵テノールだし、ペーター・ホフマンなんかはバイロイトで歌いながら、ロックアルバムをリリースしていたし。むしろ「ポップスを歌わない一流テノール歌手なんていないよ」と、言い切ってもいいくらいの勢いです。

 日本のテノール歌手の錦織健なんて、ライブだと、ヘンデルを歌った後に、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を歌ったりするし(爆)、それが結構格好良かったりするし。ちなみに、錦織健は「ボヘミアン・ラプソディ」を完全に持ち歌にしているので、YouTubeで検索すると、結構出てきます。

ポピュラーソングを吹きたい

 フルートでポップスを吹きたい…という需要は、常に一定の割合であると思います。で、そういう人は、一生懸命に譜面を探すわけです。

 曲によっては、フルート演奏用に編曲されたポップスの楽譜もありますが、そんなにたくさんあるわけではないです。ですから、普通に歌本とかピアノピース(弾き語り用)を使って吹く人が多いと思います。

 問題は歌本などに載っているメロディーって、耳で聞くよりも、単純に簡単に書かれていて、そのまま演奏すると残念に感じる事が多いって事です。

 と言うのも、ポピュラーの楽譜って、クラシックのそれとは違って、目安程度にしか書かれていないかったりするからです。

 さらに、ポピュラーの曲は、同じ曲でも、楽譜が違うとアレンジが違うし、難易度が違うし、ものによっては、メロディそのものが微妙に違う(採譜した人の癖があるんでしょうね)んです。つまり、同じ曲でも、出版社が違えば、その中身が違うのが、ポップス界の常識なんです。そこんとこは“楽譜至上主義”のクラシックとは、根本的に違うわけです。

 なんでそんな事がまかり通っているかと言えば、ポピュラーの世界では『楽譜どおりに演奏したら負け』という前提があるからです。

 楽譜に書かれているのは、いわば演奏の下書きのようなもので、それを自分流にアドリブを加えて演奏する前提なんですね。そのために、楽譜にはコードネームが書かれている必要があるんです。そう、つまり、ポピュラーソングの演奏には、コードを見ながらアドリブができる能力が必要なんです。

 ですから、クラシック系の音楽しか勉強していない人がポピュラーソングを演奏するのって、実はそんなに簡単な事ではないのかもしれません。だって、アドリブができなければ、歌本などを使って演奏してもつまらないわけで、どうしても、クラシック奏者向けにきちんとアレンジされた専用の楽譜が必要となってきます。

 で、そういう楽譜って、少ないんですよ。そこが問題なんですね。

あいうべ体操…難しい

 『あいうべ体操』とは、まあ詳しくは、こちらのサイトをご覧いただきたいのですが、簡単に説明すると、クチビルとか舌とか、クチビル周辺の簡単な体操を習慣的に行って、そのあたりの筋力をつけましょう…って趣旨の体操の事です。

 この体操をしてクチビル周辺の筋肉を鍛えると…

 1)口呼吸をしなくなる
 2)免疫が正常化し、その結果、関節リウマチ・全身エリトマトーデス・アトピー性皮膚炎・気管支喘息・潰瘍性大腸炎・鬱病などの治療に効果が現れる

 …んだそうです。私の場合、アレルギー体質だし、喘息を持っているし、寝ている時に胃液を誤嚥しちゃうわけなので、ぜひぜひ『あいうべ体操』をやって、クチビル周辺の筋肉を鍛えましょう…と友人(医者)に薦められちゃいました。

 「…歌の上達にも効果あるよ」とも言われました。ううむ、そうなんかな? やっぱり??

 で、さっそくやってみましたが、これがなかなか難しい。何が難しいのかと言うと、私の場合、ちょっと気が抜けたり混乱したりすると「あ」も「い」も「う」も「べ」も同じクチのカタチで発音しちゃうから。つまり「あ」のクチのまま「い」も「う」も「べ」も発音できちゃうんです。でも、それをしちゃうと、おそらく『あいうべ体操』の意味はないなあ…って思います。

 ああ、しっかり「あ」は「あ」のクチで、「い」は「い」のクチで、「う」は「う」のクチで発音するって、難しいんだなあ…。

今月のお気に入り  「運命と呼ばないで: ベートーヴェン4コマ劇場」

 このマンガ、なかなかのお薦めです。ベートーヴェンって、イメージが暗いでしょ? それが4コマギャグマンガの主人公ですよ、ギロチンチョップ!ですよ。面白いです、実にお薦めです。さらに、このマンガ、もちろんフィクションなんだけれど、事実を元にしたフィクションってところが、ちょっとばっかりうれしいです。

 元々は、ウェブに連載していたマンガなんだそうです。公式サイトはこちらね。

 これが、今年の私のラ・フォル・ジュルネの戦利品だったりします。そう、発売されたばかりの本を、ナクソスのブースで買ってきたんですね、ワクワクして、すぐに読み終えちゃいました。ふふふ。

今月のお気に入り 山安のひもの

 皆さんは魚の干物(ひもの)を食べますか? 私は食べますよ。以前はよく食べましたが、年を取って、御飯を控え、その分、肉を食べるようにしたため、以前よりも干物を食べる機会がグンと減りましたが、それでもたまには食べるようにしています。

 干物って、どれも同じようなモノだと言えば、その通りなんですが、やはり細かい違いはあって、美味しい干物とすごく美味しい干物の違いはあります。スーパーなどで売っている格安干物も十分美味しいのですが、やはり干物専門店で売っている高級干物は、あきらかに格安干物よりも美味しいです。まあ、そもそも、干す前の魚のグレードが違うし、つけ汁も違うし、魚の干し方にも色々と工夫があるわけで、小さな違いだけれど、格安干物と高級干物には、味の差があります。

 味の差と言っても、小さな差なので、あまり気にしなくてもいいし、価格差ほど味の差があるかと言うと、私は無いと思っているので、コストパフォーマンスを考えれば、高級干物はご贈答用で、自分の普段遣いは格安干物で十分って思ってます。

 ところがね、この山安さん。いわゆる、老舗の干物屋さんだし、高級干物を扱っている店なんだけれど、ここでは“キズパック”と呼ばれる“わけあり品”を普通に販売しているんですよ。キズとは、製造過程でちょっとしたキズが入ってしまったために売り物にならなくなってしまったモノとか、大きさが規格外のために売り物にできないモノとかを、袋詰めにして、極めて安価に販売しているんです。それがかなり安いんですよ、スーパーで売っている格安干物並と言うか、それ以下と言うか。わけはあっても、高級干物が格安干物程度の値段で売っているので、それは確実にお買い得なわけです。

 でも、足代をかけて買いに行ったり、送料を支払ってネット通販してもらうほどではないと思うので、私はリアル店舗(私の場合は、鎌倉店)の前を通りかかった時にだけ、キズパックを買うことにしてます。小さな差とは言え、格安干物とは違うわけで、キズパックを購入できたら、そこからしばらくは干物三昧になっていまいますが、それがうれしいんです。

 ちなみに、公式サイトはここね。

 
 
今月の金魚

 それがまあ、どの子もこの子も、食欲旺盛で、元気すぎるくらいですよ。

 
 
今月のひとこと

 久しぶりに温泉に入った! それも地元の温泉(笑)。毎週熱海に行っているのに、なぜか温泉とは無縁だった私(涙)。しかし…久しぶりの温泉は疲れるね。翌日は、普段の倍の時間、寝ちまったぜ。今までカラダの奥深くにしまっていた疲れが、温泉で一気に棚卸してしまったような感じです。これをしばらく続けると、また元気な私に戻れるのかな? かな? かな?(2014年4月29日~5月3日)

 韓国フェリー転覆事故は、実に痛ましい事故で、亡くなった若い人々の事を考えると、とても気持ちが暗くなります。本当にかわいそうな事だったと思います。お悔やみ申し上げます。…にしても、このニュースを聞いて、気持ちが暗くなるのは、若い命を失ったからだけではありません。韓国の人って、ほんと、平気で嘘をつくんだよね。それもちゃんとしたオトナたちが、平気で嘘をバンバンつくんだよね。保身のための嘘もあれば、体面のための嘘もあるけれど、中には「そこでなぜ嘘ついた?」と嘘をつく理由の分からない嘘もたくさんあります。ほんと、この人たちの考えている事は分かりません。きっと慰安婦問題だって、こんな調子で嘘に嘘を固めた話なんだろうと思うし、創始改名とか日本による占領とかだって、彼らの主張の中に、絶対に嘘がたくさん紛れ込んでいるはず…と私は今回の事からそう考えました。「韓国の人たちの言う事を、鵜呑みにしてはいけない」 これが今回の事件から私が学んだ教訓です。それにしても、そんなにケバブは不謹慎なのか?(2014年5月3~7日)

 久しぶりの記録更新…と言うか、最近チェックしていなかったので、アップしておきます。今まで、訪問者数の最高は2013年8月14日(水)の1205人と発表していましたが、実は4月に入って以来、一日あたりの訪問者数が1205人以上になる事もあったのですが、私がチェックし忘れていました。ダメだな…。と言うわけで、訪問者数の最高は、2014年5月6日(火)の1439人が目下のところの最新情報となっております。ちなみに、ページビューの方は、相変わらずで、2013年6月23日(月)の2674ページが最高です。なかなかこの記録は抜けません。毎度、ご愛読ありがとうございます。(2014年5月7~10日)

  私、思うのだけれど、京都アニメーションで、枕草子をアニメ化したら、絶対に面白いと思うんだよね。だって、枕草子って、元祖『日常系』でしょ? 日常系をアニメ化させたら、京アニに勝てるところはないわけです。見たいな~、京アニ版の枕草子。ちなみに、源氏物語は何度もアニメ化されているけれど、どれもこれもちょっぴり残念な出来だと思います。なぜ残念になってしまうのかと言うと「源氏物語は、こうでないといけない」という思い込み(?)が激しくて、今一つ、殻を破れていないからなんだと思う。ここはいっそ、シャフトでアニメ化したらどうだろ? ツンデレの葵の上とか、ロリロリの若紫とか、鬼畜な弘徽殿女御とか、語りすぎる源氏君とか…絶対に過剰気味な演出で面白くしてくれそうな気がします。ダメかな?(2014年5月10~13日)

 朝食を誤嚥した。死んでしまうんじゃないかというくらいに苦しかった。窒息死一歩手前でした。地獄の釜のフチから帰還するために、激しく咳き込み、誤嚥したものを吐き出したのはいいけれど、あんまり激しく咳き込んだものだから、ノドが痛いです。声帯付近が痛いです。ノドの奥の方がヒリヒリしてまして、これは絶対に声帯付近を怪我したものと推定されます。ああ、発表会も近いのに、大事をとって、しばらくは歌わない事にします。(2014年5月13~16日)

 ポンジュース、うま~。今の私には、程よい甘さと酸さで、グイグイ飲めちゃいます。ああ、カラダがポンジュースを求めているようなんです。ビバ、愛媛。ビバ、温州ミカン。さらに国産ジュースだと思うだけで、なんか安心安全な気がするから、不思議だね。
(2014年5月16~19日)

 5月19日(月)の記事のアップロードがうまくいきませんでした。通常は3時半にアップしているものが、その日は6時になってしまいました。楽しみになさっていた方には、申し訳ない事をしました。ごめんね。言い訳をすると…実は私の記事は、ココログの予約投稿の機能を使ってアップロードしているんです。その日もきちんと予約投稿の手続きをしておいたのですが、なぜかココログさんがアップロードをしてくれなかったんですね。それに気づいたのが6時でして、あわてて手動でアップロードをしたわけです。ココログさん、しっかりしてほしいなあ…なんて思ってます。(2014年5月19~24日)

 あまり風邪が良くならないので、三度通院したところ、お医者さんにも「まだ治らないの?」って不思議そうな顔されました。なんだかんだ言っても一週間経っても症状が好転しないわけですから、ついにレントゲン&血液検査されちゃいました。いやあ、肺全体が白くてモヤモヤした感じでビックリ! 血液が真っ黒でビックリ! いやあ、健康じゃあ無いんだなあ…。とりあえず、何か悪い病気だったら、お医者さんからすぐに連絡が来るはずだけれど、今のところ何も無しなので、安静にして英気を養っております。(2014年5月24~27日)

 発表会が終わった途端に、声が回復!…ってなればいいんですけれどね。むしろ、発表会で無理して頑張った分のぶり返しが、今の私を襲ってきます。元気が思いっきり目減りしています。元気は目減りしてますが、体調の方は良くなっているようです。体調は良くなっているのに、元気は日増しに無くなっていくという、世にも奇妙な状態な私でした。(2014年5月27~29日)

 本日(2014年5月29日)の記事のアップが遅くなってしまいました。申し訳ない。今回はココログのせいではありません。単純に私のミスです。アップした気になっていたんですよ。でも実はアップしていなかった。こんなことって、たぶん始めての事じゃないかな? まあ、色々と心に余裕のない私なので、こういうつまらないミスもしでかすんですね。反省です、以後、十分気をつけます。(2014年5月29日~6月1日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年6月 1日 (日)

終われば、反省会です…発表会 その5

 自分の出番が終われば、気楽なものです。実にリラックスした感じで、他の方々のステージを見せていただきました。それにしても、圧巻は、夜の女王のアリアでしょうね、それも2曲とも歌っちゃったんだよね。すごいすごい。F先生の生徒さんですが「私は何も教えていないんだよね」って先生がおっしゃってましたし、歌っている本人も「別に努力をしたわけじゃなく、高い声が楽に出る声帯を持っているだけ…」とか言ってしました。半分は謙遜にしても“才能に勝る努力は無し”ですね。まずは才能。そして、それを努力で磨き上げる…のが歌の世界ですね。

 それを痛感したのは、ゲスト歌手の方の歌唱。これだけたっぷり、上手なアマチュアさんたちの後で歌っても、きちんと格の違いを見せつけてくれるわけですから、ほんと、プロって上手なんだなって思うし、これだけ飛び抜けていないと「私はプロです」って言えないんだろうなあって思います。

 自分がどれだけ努力をしても、決してプロには近づけない…って思いましたよ。いや、マジです。

 本番が終われば、打ち上げでございます。

 今回の私は、日頃話さないF先生(そりゃそうだ)のそばに陣取って、F門下のお姉様方に混ざって、あれこれとお話をうかがってました。Y先生とは色々と視点が違っていて、色々と勉強になりました。

 F門下のお姉様方は、皆さん二重唱をやりたいのだそうですが、でも、なかなか相手がいなくて「あなたは二重唱の相手がいて、いいわね」と言われ続けちゃいました。

 まあ、門下にソプラノしかいなければ、なかなか二重唱はできないよねえ。一応、発表会前にF先生にお願いすると、F先生が、生徒さんとY先生のデュエットをコーディネートしてくれるのだそうですが「でも、私が歌いたい歌をF先生に言っても『あ、それダメ。これもダメ。ダメ、ダメ、ダメ』って言われ続けて、ほんと、いやになっちゃう」ってこぼしてました。「ちなみに、どんな歌が歌いたいんですか?」って尋ねると、たいていがソプラノとテノールの二重唱。そりゃあ、ダメって言われるよなあ、Y先生、バリトンだもん。

 考えてみれば、世の中の有名な二重唱って、たいていがソプラノとテノールの愛の二重唱なんだよね。ソプラノさんからすれば、歌いたい二重唱があっても、テノールの相方がいないと歌えないんですね。

 「私は『乾杯の歌』が歌いたいのよ~」と酒の席で叫んでいましたよ。その気持ち、分からないでもないです。

 でも、私のカラダは一つだし、私の二重唱のパートナーは妻だしね。今回は、妻が怪我して歌えなかったので、代役をNさんに頼んだけれど、妻が回復したら、やっぱり妻と歌うことになるから、なかなか、余所の人の相手役にまで手が広がらないんだよね。それにあれこれと二重唱ばかりしたら、自分のソロ曲を歌う余裕が無くなるし…。

 だったら、Y門下(男性多数の門下です)の他の方にお願いをしたら…と思っても、私以外の男性陣は、基本的にバリトンだからなあ…。

 お姉様方の魂の叫び声を聞いて「じゃあ、次の発表会では、テノールの人をゲストに呼びますか?」とY先生は言ってました。やっぱり、そうでもしないと、収まらないかもね。
 打ち上げの席でY先生に言われたことは、色々ありますよ。

 「すとんさんは、演技をしながら歌うと、よく声が出る」って言われました。F先生からは「すとんさんは、アンサンブル向きなのかもしれません」とも言われました。挙げ句の果てにY先生からは「次の発表会では、ドン・バジリオのアリアをフリ付きで歌ってもらいましょうか」とも言われましたが、それは勘弁だな。

 だって(フィガロの結婚の)ドン・バジリオのアリアって、超難曲ってことで有名だけど、聞いてみると案外地味だし、オペラでもよくカットされちゃう程度の曲でしょ? それに二重唱で相手がいるから演技もしやすいけれど、ソロのアリアで手振り身振りで歌っても…それは演技って言えるのかな? 単なる“タコ踊り”って言うんじゃないのかな?

 「だいぶテクニックが身についてきて、以前のような乱暴な歌い方をしなくなりました」とも言われました。まあ、年が年ですから、勢いとか若さなどありませんから、これからはテクニックがないと、まともに歌えなくなると思ってます。だからこそ、頑張って歌のテクニックって奴を身につけたいですよ。頑張りますよ。

 「残念なところは残念だったけれど、それ以外は、なかなかよかったですよ」 やっぱり、残念なところは残念だったんだ(涙)。でも、そこ以外はよかったと褒められると、悪い気はしないものです。

 「今回の発表会で一番よかったのは、愛の妙薬でしたよ」 まあ、外交辞令と受け取っておきますが、客受けが一番よかったのは間違いなかったと思います。声が出ない分、心を込めて演技させていただきましたから。

 打ち上げが終わると、先生方は二次会に繰り出していきましたが、私は体調が悪いし、翌日は朝から仕事だったので、さっさと帰りました。自宅に着いたら、私よりも先に、妻がダウンしました。私は本番だったので、アドレナリンを垂れ流しにしていたので、なんとかなりましたが、妻はとっても疲れたようです。一日、私につきあってくれて、ありがとう。

 次の本番は…地元開催の“秋のクラシック・コンサート”だな。今年は何を歌おう。次こそは、健康な状態で、満足のいくステージを行いたいものです。

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