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  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2014年5月の記事

2014年5月31日 (土)

終わりがくれば悩みも消える…発表会 その4

 一曲目をボロボロにしてしまった私は、ある意味、落ち着きました。今日はまともに歌えない。ならば「歌えないなりにうまくやらなきゃ…」って覚悟を決めました。

 レハール作曲の「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」は、体調万全でも、ヘトヘトになってしまうくらいの曲です、当然、本日の私にきちんと歌えるわけがありません。ですから、今回は安全第一で歌う事にしました。いつもは高音を駆使したカデンツァを歌う私ですが、今回ばかりは、安全のためにカデンツァを歌わずに、楽譜通りに歌ってみました。いやあ、実につまらない。でも、今の私には、それすら贅沢な感じです。

 しかし、レハールを歌っていた時は、ベッリーニ以上に、カラダが閉じていたと思います。比較的簡単なベッリーニで失敗してしまったために、心が折れていたのかもしれません。ほんと、声が出ません。高音箇所はダメですが、せめて中音低音の箇所だけでもきちんと歌いましょうと決めました。それがきちんとできたかな?

 とにかく、悪夢のような時は過ぎ去り、ソロ曲は終わりました。もう、逃げ帰りたくなりました…が帰るわけにはいきません。二重唱がありますからね。

 とにかく自分のステージを終えると、楽屋に引っ込まずに、妻の待つホールに向いました。休憩後の第2部まで出番のない私なので、他の方々のステージを見物したわけです。

 それにしても皆さん、実にそつなく歌ってますね。それに上手。歌のカタチを壊しちゃったのは、私ぐらいです。ううむ、実に身の置き所がないです。

 第一部が終わると、そのまま全員舞台上に集合して“集合写真”の撮影です。歌がダメなら、せめて写真だけでも存在感出さないと…と思って、隅っこでおとなしく写りました(へへ)。

 写真撮影が終わると、急いで着替えです。第二部の私たちの出番は、やっぱり比較的早い順番ですからね。

 私の前の二つのステージは、Y先生が生徒さんと一緒に二重唱を歌っていました。歌をスピーカーで聞いていた感じでは、なかなか良い感じに聞こえました。生徒さんはともかく、先生はあれこれと演技をしながら歌っていたそうです。ああ、残念。先生のステージを見たかったなあ。

 そんな感じで、私たちの番になりました。登場の挨拶は無しで、板付きの状態で歌い始めました。

 何の不安もありません。流れるように歌かクチから出てきます。演技の方も、いい感じでネモリーノが降りてきたので、私は何にも煩わされずに舞台を務めました。

 夢中で歌って、歌い終わったところで、思いっきりの拍手と「ブラボー!」の掛け声をいただきました。うむ、今回の発表会で「ブラボー!」が出たのは(自慢だけれど)私たちの、この二重唱だけでした。

 実際問題として、声の調子はよくありませんでしたが、演技に没頭して動いていると、それに伴って声って出るものなんですね。なにしろ、私は憑依型の俳優ですから(笑)。演じ始めると、我が無くなりますから、そこが良い方に転がったんでしょうね。先生からも「すとんさんは、ただ立って歌っているよりも、演技をしながら歌った方が、絶対いいね」と言われました。たぶん…ほめ言葉だよね。

 ミスがなかったわけじゃないです。音楽的には大きな失敗もしてますが、ステージとしては、今回の二重唱は、大成功だったんじゃないかな? 自画自賛ですが、とても良い二重唱ができたと思います。Nさんも喜んでくれたようで、発表会に参加できて、よかったなあ。

 ちなみに、この二重唱の音源は某動画サイト[あなたテレビ]にアップしてあります。でもね、そのアドレスを教えちゃダメよと約束しているので、ここには書きません(ごめんね)。でもまあ、探せば見つかるかもしれません(笑)。

 とにかく、これで私の発表会での出番は終わったわけです。大きく息を吐いて、着替えて、再び妻の待つ客席に向かった私でした。

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2014年5月30日 (金)

ダメなものは、徹底的にダメなんです…発表会 その3

 開場時間となりました。お客さんがホールに入ってきました。妻は…本来はお客なんですが、今回は関係者(私の付き人)として、早くから会場入りしていますし、息子は、何やら何処ぞの模擬試験だし、私の方の親兄弟は母の入院先に見舞いに行ってますから、私の方は、とりたてて見知った人はいない状態でした。Nさんの方は、お母様が見に来られました。私は当然、相方としてご挨拶をさせていただいたわけですが、その時に「今回パスしていたら、この人をガッカリさせたんだな」って思ったら、なんか一つ善行をしたような気分になりました(笑)。

 やがて、開演時間となりました。私は楽屋に戻って、急いでタキシードに着替えました。はい、私、出番が早い順番なんですね。キング門下にいた頃は、トリを取ったり、トリでなくても、割と遅い出番の私でしたが、ここの門下ではペーペーですし、下手くそなので、出番が結構早いんです。まあ、男性陣の中では、私が切り込み隊長さんなんですね。

 自分の二つ前の演者さんが歌っている時に、舞台袖の入り口前ドアに集合し、一つ前の人の歌になったら、ドアを開けて、中に入って、舞台袖で前の人の歌を聞きながら待つ…という段取りとなってました。なので、相方のNさんの歌は…舞台袖のドアのところで、モニタースピーカーを通して聞きました。ああ、生で聞きたかったなあ。

 私の前の方は、シュトラウスの「春の声」を歌ってらっしゃいましたが…この曲って、長くないですか? いつまで経っても曲が終わらなくって、なんか楽しかったです。

 私は舞台袖には、飲み物と音叉を持ち込みました。まあ、お守りみたいな感じです。別にノドがカラカラになるわけじゃないので飲み物は不要ですし、今更音叉を鳴らして「何するの?」って感じですね。

 でも、やはり、お守りは必要ですよ。

 実は私、歌詞はきちんと覚えられたと思ってました。イタリア語であるベッリーニはほぼ完璧。ドイツ語のレハールは一部不安が残ってますが、まあ、たぶん大丈夫な程度には覚えました。それに間違えたとしても、どうせ誰も「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」の歌詞なんて、知らないでしょ。だから、間違い上等っすよ。

 そう割り切って、舞台袖に行った私でしたが、ふと、ベッリーニの歌詞をど忘れしてしまった事に気づきました。「えええ~?」って感じですよ。なんとか頑張って、出だしの1行目は思い出しました(まあ曲名だしね)。問題は2行目を忘れてしまった事です。ほんと、きれいに忘れました。何も頭から出てきません。

 お守りとして、楽譜を舞台袖に持ち込まなかった事を激しく後悔しました。楽譜を舞台袖に持ち込んでいれば、不安な箇所をチラっと確認するだけで済む話なのに、歌詞を忘れた事を自覚した私は、その確認作業ができないことも相まって「ヤバイよ、ヤバイよ、ヤバイよ」と勝手に追い込まれていきました。

 そのままパニック状態に…なったらカワイイもんですね。歌詞は相変わらず思い出せませんが、どうせ誰も「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」の歌詞なんて知らないだろうと思ったので、言葉につまったら「スパゲッティ~、ボンゴレ~、ペスカト~レっ!」と歌っても大丈夫じゃないの?って勝手に思ってしまいました。

 肝が据われば、こっちのもんです。「失敗したところで、誰も損をするわけじゃないし~」とか開き直っちゃいました。

 やがて、長い長い「春の声」が終わり、いよいよ私の出番です。ピアニストさん(って簡単に言っちゃいますが、実は音大のセンセでエラい人なんですね:笑)と舞台袖でガッツポーズを取り合って(前の方はご自身専属のピアニストさんで歌ってました)、いよいよ舞台に出ちゃいました。

 ご挨拶をして、会場を見渡したところ…少なっ! いやあ、あんまり人が少なくて、ビックリしちゃいました。350名入る会場が、実にスッカスッカで、なんかファイトが沸きますね。

 とりあえず、一曲目の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を歌いました。

 結論。やっぱ、ダメなもんはダメだね。無い袖は振れない…と言うか、声が無ければ歌えません。

 リハーサルで成功しちゃうと本番が残念な事になる…なんていう、都市伝説そのままにやっちまいました。

 反省点は色々とあります。

 まず最初は「調子が悪い時は、歌わない事」 やっぱり、これが一番大切。次は、声の温存を最優先にする事。練習なんてしなくても平気、って思えないとね。

 家に帰ってから、この時のビデオを見ましたが、私、無意識なんでしょうが、結構、歌っている最中に目を閉じますね。目を閉じている時は、自分の姿なんて見えませんから、今まで、この癖に気づきませんでした。でも、目を閉じれば、自然とカラダのアチコチが閉じます。ああ、こんなところで思わぬヘマをしていたわけです。

 それと、高音を発声しようとすると、無意識に背伸びをしてしまうようです。本当は逆で、高い音ほど、カラダを下に引っ張らないといけないのに…。ダメだな。

 とにかく、今回は“撃沈”と言うよりも“ボロボロ”って感じでした。自分が全力を出して、それでも失敗したとか、明らかなの力量不足のために、下手くそな歌になってしまったなら、それはそれで仕方ないし、それならそれで、いい思い出になるので、音源だって積極的に公開したいのですが、今回は不本意な、あまりにも不本意な結果だったので、音源のアップはしない事にしました。

 やはり、本調子でない時の下手くそさ加減は、ほんと底無し沼だし、仮に勇気を出して音源をアップして「調子が悪かったので、お手柔らかに」とブログで頼んでみても、鬼の首を取ったかのように勝ち誇って、ここのブログを荒らす人が必ずいるんですよね。匿名だと思うと気が大きくなるタイプの人ってね。

 まあ、以前の私なら、多少ブログを荒らされても、ブログに活気のある方が良いので、そういう人でも相手をしてきましたが、今は、仕事もプライベートも忙しくって、日々の自分の事だけで手一杯で、とても招かざる客の相手をしている余裕がありません。ですから、そんな事もあって、エネルギーの無駄遣いをしないために、今回は音源をアップしない事にしたのです。

 まあ、たとえ失敗したとしても、全力で挑んだならば、音源のアップも考えなくもなかったのですが、まあ、今回は勘弁って事で…。

 あ、そうそう。心配していた歌詞ですが、歌い始めたら、流れるようにクチから出てきました。頭では歌詞なんて覚えていなかった私ですが、カラダはしっかり覚えていたようです。

 つまり「練習は嘘をつかない」って事ですね。

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2014年5月29日 (木)

声はすぐに無くなってしまう…発表会 その2

 シュウマイ弁当を片手に、ちょっぴり型崩れしたスーツケースを引きずった私が会場入りしたのは、ほぼ予定の時刻どおりでございました。楽屋に一番乗りですよ、立派なもんです。ちなみに、楽屋は男女別でして、先生方もピアニストさんもゲスト歌手の皆さんたちも、我々と一緒に楽屋を使います。そういうところは、分け隔てがなくて、仲がよくて良いのだけれど(ゲスト歌手の方は、プロ歌手ですが、Y先生のお弟子さんなので、身内扱いでもいいんですけれど…)ピアニストさんは外部の方なので、落ち着かなかったんじゃないかしら?

 さて、楽屋に自分のスペースを確保して、楽屋周辺の位置関係やらホールロビーやらを観察して、ホールの中に入ると、すでにNさんが一人で歌っておりました。そうそう「早めに会場入りをして、動きの確認をしましょう」って連絡したんだっけ?

 朝のリハーサル前の30分ほどの時間は(誰でも)自由にステージを使っていいという事になっていたので、演技をするために、実際の現場であれこれ確認しないといけない事も多いので、Nさんを誘っておいたんだっけ?

 なにしろ、事前の打ち合わせなんて、無いに等しい状態ですからね(笑)。

 実際に、ステージに立って見た感じ、今回のステージは思った以上に狭いことが分かりました。奥行きはそれなりにあるけれど、舞台のほぼ中央にピアノ(ミニグランドです)があるので、奥の方は使えないものとして考えてみると、案外、動けるスペースが少ない事に気づいたので、若干の動きを訂正する事にしました。

 まだリハーサル前で、ピアニストさんは舞台にいないので、お互いにアカペラで歌いながら、立ち位置の確認をしました。ひとまず通してみたところで、返しをしようと思ったら、舞台袖から我々をジーと見ているお姉様方の存在に気づきました。

 「舞台を使われますか?」「待っているんです!」

 我々に遠慮する必要なんて全く無いのに…別に舞台は私たちの占有物ではないし、同時に二組三組が使っても全く問題ないと思うのですが、どうもお姉様がたは、舞台を占有したいようだし、こちらは一通りやったので、譲ることにしました(Nさんは、なんか納得していなかったようです)。まあ、当日にアレコレやって、慌てても仕方ないので、こちらは“まな板の鯉”ですね(笑)。

 ちなみに、そのお姉様がた、棒立ちデュエットでした。だったら、私たちを退かしてまでやることではないじゃんって思ったけれど、問題はそこじゃないんですよね。本番前の不安を何とかして取り除きたい、そのために舞台を使って事前練習がしたい…そういう事なんですね。

 今日は誰もが不安で、誰もがナーバスになってますから。

 そうこうしているうちに、舞台のフリータイムが終了し、リハーサルが始まりました。リハーサルは一人12分ずつです。本番が一人10分ですから、本番通りに通して、先生のアドヴァイスをもらえば、それでお終いって程度の時間です。

 私の前は、F先生の門下のお姉様方のリハーサルでした。それぞれの先生は、ご自分の生徒さんのリハーサルの時にフラっと現れてきます。ちなみに、F先生の門下生は全員女性です。Y門下は男性がほとんど、それもバリトンばかりで、テノールは私だけ、女性の生徒さんはNさんだけです。やはり、生徒さんからすれば、先生は同じ声種の人の方が良いのかもしれません。

 私のリハーサルの番になりました。ピアニストさんに軽く挨拶をして、ひとまずベッリーニから歌ってみました。この時は、ちゃんと歌えました。それもおそらく、最近にしては最高の歌唱ができたんじゃないでしょうか? 先生からは「もっと、声を遠くに飛ばして」とアドヴァイスをいただきました。

 レハールの方は…やっぱり高音はカラダが開かないですね。しかし、高音以外の箇所は、まあまあ人に聞かせられるレベルの歌が歌えたかな?って思いました。あとはカラダが開きさえすれば、どうにかなると思いました。

 で、リハーサルなんかで声をたくさん歌って減らしたくなかったので、Nさんを呼んで、早めに二重唱のリハーサルをしました。歌いながら、相手との距離を試してみたりとか、色々やってみました。先生からは「目で演技をしなさい」と言われました。歌っている人が演技をするのは、当然だけれど、歌っていない方が「今は私、関係ありませんから~」という態度を取ってはいけないんだそうです。歌っていない方は、歌のジャマにならないように、しっかりと演技をしないといけないんだそうです。

 「歌っている方は、歌うのに一生懸命なんだから、むしろ演技はしなくてもいいよ。歌っていない方が、一生懸命に演技をしないと」って言われたので、とりあえず、ネモリーノは「アディーナ、好き好き(はぁと)」という目線で演技をする事にして、リハーサルを終えました。

 リハーサルでは、なるべく声を消耗しないように気をつけていたようですが、二重唱は相手もいますので、思わず、ついつい歌ってしまって、声をだいぶ減らしてしまいました。

 で、二重唱のリハーサルの後、その続きでNさんがソロ曲のリハーサルをしたので、そこまで見物してから、お昼御飯を食べる事にしました。早めにお昼を食べて、お腹をこなしておかないと、歌に差し支えますからね。

 お弁当は、本来は楽屋で食べるべきですが、妻と二人で食べたかったので、ホールロビーで食べました。そこにNさんがやってきて「本番前に、もう一度、動きの確認をしたいんですけれど…」と申し込まれました。不安なんでしょうね…。『今更、何をしても変わらないよ』と心で思ってみたものの、そんな冷たい事を言っては可哀相なので「いいけど、御飯を食べてからにしませんか」と返事をしました。だって、そうでしょ?

 まあ、本音で言えば、リハーサル後は、自分の出番まで“無言の行”をしたかった私です。少なくともリハーサルで無駄遣いしてしまった声を回復させないといけません。でも、なかなかそういうわけにはいきません。Nさんの食事が終わったところで、ロビーの片隅で、アカペラで歌いながら、最後の動きの確認をしました。「ああ、声、もったいないなあ…」って思いながら、練習につきあいました。動きの確認を終えたところで、自分でも分かるくらいに声がスッカラカンになってしまいました。

 そんなこんなのうち、やがて会場時間が迫ってきました。

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2014年5月28日 (水)

やっぱり回復しない声…発表会 その1

 さて、発表会の事を書きましょうか(笑)。

 直前のレッスンで声を使い切った私は、そこから発表会当日まで、歌わないのはもちろん、なるべくしゃべらずに生活しました。もちろん、発表会のために声を溜めておくというのもあったけれど、一番の原因は「ノドが痛い」から(涙)。結局、風邪がなかなか治らなかったんですよ。

 発表会の前々日に、あんまり治りが悪いので、もう一度病院に行って診てもらったくらいです。とりあえず、薬を強いものに切り換えて、様子を見ましょうって事になっただけです。結局、風邪って、自己治癒力で治すしかないものね。

 悪い病気だといけないからと言って、レントゲンを撮ってみたら、肺がぼんやりと白く写ってました。「んん? 肺炎?」とお医者さんも一瞬迷ったようですが、私が喘息持ちという事と、肺炎だとしたら元気すぎるという事で、肺炎だと断定はしませんでした。なんでも、肺に空気が入らない部分があると、そこは白く写るんだそうです。…って事は、私の肺って、あんまり空気が入らないポンコツって事?

 ちなみに、肺炎って、肺の中の管が炎症起こして、あっちこっち膨れて、空気が入らなくなるので、肺炎の人の肺って白く写るんだそうです。気管支炎で息苦しくなるやつの肺バージョンってわけです(って分かりづらい例えでゴメン)。

 とにかく、肺はポンコツだわ、声帯は腫れているわ、カラダは発熱しているわ、とても歌える状態じゃなかったから、歌えなかっただけなんですね。

 しかし、本番一週間前から本番まで、レッスン以外では全く歌いませんでした。追い込みの練習とかしたかったのになあ…。とりあえず、イタリア語の歌は歌詞がカラダに入ったけれど、ドイツ語の方は、最後の最後までカラダに入ったかどうか確信が持てませんでした。ドイツ語の歌はもっと長い時間かけて練習しないと、自分のモノにはならないみたいです(残念)。

 そんな安静状態でしたから、実は本番当日まで、参加できるかどうか不安でした。

 で、当日の朝になって、軽く声ならしをしたところ…極めて悪い状態でした。

 いやあ、全般的な体調の方は、薬が強力だという事もあって、そんなに悪くはなかったです。熱も平熱に戻ったし、ノドの痛みもほぼ無くなりました。おそらく、ノドが腫れているというわけではなさそうです。その代わり、なんか、ノドが固くて太くなったような気がします。薬のせいかな? なにしろ、話し声そのものも、いつもよりも太いし、声量無いしね。高い声はカラッキシ出ないし、正直、きちんとは歌えない感じだし、カラダのあっちこっちが閉じているというか、開かない感じがします。

 「今回は、歌はパスして、宴会だけ参加しようか…」と、そんな考えがふと頭をよぎりました。実際、ここの門下には、そういう人がいますから、私もそれにならってもいいかなって、一瞬思いました。

 でもね、その時に、二重唱の相方のNさんの事を考えちゃったんですよ。

 Nさん、昨年はご自身の体調不良が原因で倒れてしまって発表会に参加できなかったんです。一昨年は、ご本人はご本人は元気だったのだけれど、相方さんが倒れてしまって、二重唱をパスしているんですね。で、今年、私が体調が悪いからと言って二重唱をパスしたら、なんか可哀相な気がしてしまったんですね。

 せっかく、縁があって二重唱のパートナーになった人を可哀相な目に遭わせてはいけません。自分一人とか、相手が妻なら、当然、今回の発表会はバスしていたと思いますが、Nさんのために、ちょっと頑張る事にしました。

 そんな、ヤク漬けの状態で、発表会の会場に向かった私です。もちろん、途中で買い込んだ、お昼御飯は、崎陽軒のシュウマイ弁当でございます(笑)。

 蛇足。そうそう、今回の私は、自分のソロ曲用衣装のタキシードと、重唱のための“ネモリーノ・セット”の衣装のために、結構荷物が多くなってしまいました。なにしろ、ネモリーノ・セットの内容って、ネルシャツとサロペット(ここらはそんなにカサばらない)に、ゴム長(これが結構場所ふさぎ)とつばの広い麦わら帽子(きわめつけに場所ふさぎ)なので、普段、本番で使っているスーツケースでは入りきれなかったので、久しぶりに大きなスーツケースを出してみたら、本当に久しぶりだったせいか、プラスチック部分が劣化していて、ちょっと触っただけで、ペキペキ折れてしまいました(涙)。まあ、ソフトケースなので、ケースのプラスチック部分が折れても、きちんと布製の部分は残りますので、型崩れをしますが、使えないわけじゃないです。でも、なんか悲しかったですよ。

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2014年5月27日 (火)

声を酷使、しました。

 声楽のレッスンの続きです。

 妻の…半年ぶりの声楽レッスンは、発声練習からです。先生曰く「昔の悪い癖が抜けている代わりに、持っていた美点も無くなってしまった」そうです。まあ“白紙に戻った”って事なんでしょうね。リセットされたとも言えます。悪い癖が抜けたのは良しとしても、半年も歌っていないと、アレコレ歌えなくなるもんなんですね。歌は筋肉で歌うわけですから、半年も歌わなければ、歌の筋肉も衰えるわけです。まあ、衰えたら、また鍛えればいいだけなんだけれど…。

 さて、間に妻のレッスンをはさんで、たっぷり休んだところで、私のレッスンが再開です。今度はソロ曲です。最初に歌ったのは、ベッリーニの「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」です。30分近く休んだ私ですが、声は回復したかと言うと…いやあ、全然回復してませんでした。やっぱり、この日の声はすべて使い果たしてしまったようです。

 この日、確認したのは「全力で歌うところ」と「一息ついても良い箇所」。理想は、全曲最初から最後まで全身全霊の力を込めて歌えればいいでしょうが、人間、そんなに体力が続くわけでなく、ましてや調子が悪い時は、歌いながら適度に休憩を入れないと、きちんと最後まで歌えません。ですから、どこで気張って、どこで休むかを確認しました…が、そういう細かい作業って、私苦手なんだよね。気張るなら全部気張る、抜くなら、そこそこでやる。そういう人なんですね、私は。ですから、結局、色々と決めても、最初から最後まで、全力で歌って、最後まで力が続かずに失速して撃沈するんですね。

 失敗すると分かって、それでもそこに飛び込んでしまう。こういう悲しい性分を見ていると、まるで夏のキャンプファイヤーの火に飛び込むカナブンのような気になってきます。ダメだダメだと思いつつ、炎の中に身を投じてしまうんだよなあ…。

 高音を出すには、その前の音でしっかり声を支え、高音に入る時に、グワっとノドを開けると高音が出るんです…が、そんなの、体調が良いときは、造作もなくできるんだけれど、調子が悪いと、何もできなくなっちゃうんだよね。

 同じことをやっているつもりでも、体調次第で出来る出来ないがはっきりと分かれてしまう私です。つまり、テクニックではなく、気分で歌っているというのが、バレバレですなあ(汗)。

 フレーズの最後の処理について注意を受けました。私、フレーズの最後の言葉を捨てる癖があるそうなんです。それも足元にポイって感じで捨ててしまうんだそうです。へえ~、知らなかったなあ。歌詞はきちんと最後まで歌いきってあげないといけなんだそうです。で、最後は言葉を投げ捨てるとしても、足元ではなく、きちんと客席に投げ捨てないといけないんだそうです。

 ポンと言葉を客席に投げ捨てて歌う。ううむ、どうすればいいんだろ?

 次の曲は、当然、レハール作曲の「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。この曲に入った段階で“すでに声が無い”どころではなく“もう無理かも”状態でした。勇気を出して「今日のレッスンはここまで!」と言えればよかったのけれど、やっぱり最後の最後のダメ出しは欲しいんですよね。だから、ついつい頑張っちゃいました。

 こうなると、何かあっても、自己責任だな(汗)。

 この曲で確認したのは、子音の大切さ。私、ドイツ語苦手なんです。歌っていても、なんかドイツ語っぽくないんです。それは子音の発音が弱いからなんですが、子音の発音が弱いから、声に弾みがつかず、それが発声の問題につながっていくんだそうです。

 例えば、しっかり子音を発音して歌えると、その子音のポジションから、次の音に入れるわけで、とりわけMとかNとかの後の音は高音を出しやすくなるわけなんですね。そういう箇所は何カ所もあるんだから、うまく利用して歌わないとダメですね。

 大切な事は、最後まで歌えることではないんだそうです。もちろん、最後まで歌えた方が良いけれど、それよりも大切なのは、途中途中をきちんと歌う事。そのために、何をどうすればよいのかを、常に考えながら歌うことが大切なんだそうです。

 難しいね。

 翌日、先生からメールが届きました。「声を酷使したので、発表会まで歌わないように…」 はい、自分でも使い切った声をため直さないといけないと思ってます。ほんと、発表会まで、歌声を休めました。まあ、しゃべり声の方は…仕事がら休ませられないのが厳しいけれど(汗)。

 さあ、発表会だ。

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2014年5月26日 (月)

声を30分で使い切りました!

 本番直前の声楽のレッスンに行ってきました。

 昨日、発表会も終わり、本来ならば、その事を記事にするべきでしょうが…物事には順序というものがあります。発表会直前のレッスンの事を書いていなかったので、まずはそちらの記事を先にアップしますね。

 発表会の事は、もう数日、お待ちください。

 さて、時は発表会の2~3日前。本当の本当に“直前”と言える時期に、発表会前の最後のレッスンが入っていました。

 ちょっとばかりリキが入っていたと言うのか、単に道路がすいていたからと言うべきか、とにかくレッスンの30分前にお教室入りをした私でした。当然、その時間は、相方のNさんのレッスンでしたが、ちょうど発声練習を終えて、曲のレッスンを始めたばかりのところに到着しました。

 Nさんはご自身のソロ曲「Amarilli/アマリッリ」と「Il bacho/くちづけ」のレッスンを受けていたところでした。どちらも、一筋縄ではいかない曲です。彼女の歌をきちんと聞けば、技巧的な穴は無数にあるんだろうけれど、Nさんはいわゆる美声な方なので、声の美しさで七難隠しているので、なんかとってもいい感じに聞こえちゃいます。

 声が美しいって、うらやましいね。私は、音量の大きさと勢いで売っている人で、美しさとは無縁なので、なんかほんと、うらやましいですね、妬ましいです(笑)。

 彼女のソロ曲のレッスンが終わったところで、二重唱のレッスンです。今回はきちんと発声練習をしていただきました。ああ、よかった。

 風邪をグズグズとひいている状態だったので、発声練習を始める前は「今日のノドの調子は…20%ぐらいかな。まあ、無理せず、状態を悪くしないようにしないと…」と思ってましたが、発声練習をしたら、80%ぐらいまで調子を上げました。それでも、まだ無理はできませんが、レッスン室で歌う分には十分なくらいになりました。やはり、先生に発声を見てもらうと、違いますね。

 で、肝心のレッスンです。曲は当然、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」の二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」です。

 さすがに本番直前ですから、私の方にも容赦なくダメが入ります。もっともダメが入るのは、技巧的にうんぬんな箇所ではなく(そんなところは直前に注意しても治らないからスルーなんでしょうね)、表現的な部分にNGがでます。

 例えば、レチタティーヴォです。レチタティーヴォはセリフです。だから、人物の感情の動きをしっかり把握した上で、劇的効果を考えて歌うわけです。音符が楽譜には書かれていますが、あまり楽譜にこだわってはダメです。だからと言って、楽譜を無視してもダメです。楽譜の指示は守りながらも、そこに演劇的効果と自分なりの役柄の解釈を加えて歌わないといけません。当日は動きながら演技を加えて歌うのですが、動く前に、まずは声でも演技ができないといけません。まず“歌ありき”なのがオペラだからです。

 例えば、私が歌うネモリーノという役はマジメな青年ですから、その歌い方はマジメで実直でなければいけません。メロディを崩す場合でも、経過音を加えて歌うのは○だけれど、ポルタメント入れたら×なんです。美しく歌う必要はあるけれど、堂々と歌ったら、ネモリーノでは無くなります。だからと言って、オドオドしたら声は前に飛びません。じゃあどうするか? それが声での演技の出発点になるわけです。

 二重唱ですから、一人で歌っているわけじゃないんです。だから、自分のペースで歌ってはいけないのです。相方がいてこその二重唱ですから、お互いに相手の息を読みあって、息の流れを意識して歌わないといけません。この曲はハモル箇所は少なく、交互に歌い合う感じの掛け合いの曲なんですが、だからこそ、バトンリレーのように息を合わせて歌う必要があるんです。

 そんな感じでレッスンを進めていましたが、調子よく進んだのは最初の30分くらいまでです。そこを越えたあたりで、私、本日の声を使い切ってしまったようです。

 調子が悪く、声が無くなった時こそ、基本に立ち返らないといけません。そこで、変な頑張りをしてしまうと、歌えないだけでなく、声を壊してしまう事になります(前の教室で経験済み)。しっかり、カラダで息を支え、ノドをしっかり開けて、声帯とその周辺の負担を極力減らして歌うこと。そうすれば、調子が悪くても、なんとか歌えるのです。

 とは言え、それはなかなか簡単な事ではありません。

 特に私の場合、体調が良ければ、息の支えもノドの開き具合も、まあまあなんだそうだけれど、疲れたりすると、それらがいきなり全部ダメになるんだそうです。まあ“All or Nothing”ってのは、なかなか勇ましいスタイルだな(笑)。なので、私の目下の課題は「体調が悪くても、テクニックでカバーする事を覚える」って事らしいです。

 とにかく、小一時間二重唱を歌って、ひとまず休憩です。Nさんはお帰りになり、残ったのは、私と妻です。そうなんです、妻が今回のレッスンから復帰となりました、おめでとう~! 先生は、このまま続けて私のレッスンを続けたかったようですが、もう、本当に声が無くなったので、ここでひとまず休憩を入れさせてもらって、妻にレッスンを受けてもらうことにしました。

 こんな時、二人でカップルレッスンを受けていると、便利なんですね。

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2014年5月25日 (日)

早起き族と朝寝族[2014年5月第4週・通算13週]

体重:109.2kg[+-0.0kg:-2.2kg]
体脂肪率:30.9%[+0.2%:-0.3%]
BMI:34.5[+-0.0:-0.4]
体脂肪質量:33.7kg[+0.2kg:-0.9kg]
腹囲:106.0cm[+1.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 ゴールデン・ウィークなどもあり、体重計測は久しぶりでしたが、さほど増えていない…というか、現状維持だったので、まずは安心です。最近は、健康を害するほど強烈な事はできないので、なかなか体重が減少できないのは残念です。まずは健康第一でいかないと、仕事に差し支えますからね…。

 今日は声楽の発表会です。たぶん私は頑張っている事でしょう。今日の事は、後日、記事にしてアップしますので、しばらくお待ちください。

 さて、本日のエッセイに参りましょう。

 現代日本人には二つの種族がいるようです。一つは“早起き族”で、もう一つは“朝寝族”です。いわゆる、朝型・夜型とも呼ばれる、全く共通点の無い二つの種族であります。

 早起き族の特徴は、言葉の通り、早起きです。朝、早い時刻に目覚めることを苦としないどころか、喜びですらあるようです。なにしろ、日の出の太陽と、どちらが早いかを競争している人もいるし、それどころか、日が昇るまでは頑張って床についている人だっているくらいだから。これらの人々は、若者なら早朝に勉強をするだろうし、社会人なら朝食会などで人脈を広げるだろうし、出勤前にジョギングやランニングやサイクリングやサーフィンなどをして、一汗かいてから会社に行く人もいるわけです。また主に家にいる人なら、早朝のワンコの散歩とか公園での体操とか、そういう事に勤しんでいるわけです。

 早起きは三文の得…日本社会では、古来より、これら早起き族が褒められ尊重される風潮がありました。

 一方、朝寝族は、現代社会では生きづらい種族かもしれません。彼らは別名、夜型と呼ばれるように、本来は夜行性であって、太陽が沈んでからが主な活動時間なんです。活力や集中力が増してくるのが日没後なんです。だから若者なら深夜に勉強したりバイトをしたりするだろうし、社会人なら頑張って残業をしたり、楽しむにしても夜の赤提灯の類だったりします。また、今どきの人なら、ゲームをしたりネットをしたり…も、やはり夜の時間帯になるんでしょうね。

 生活のパターンが朝型であれ夜型であれ、人間ならば、ある一定の睡眠時間は必要です。早起き族は、必要な睡眠を取った上で、早朝から活動できますが、朝寝族は、本来が夜行性ですから、就寝時間も当然遅いわけで、寝たと思ったら、もう朝なんですね。

 朝が来ようが何が来ようが、そのまま寝続けられる生活ならば良いのですが、朝寝族であっても、現代社会では 9 to 5 の生活をせざるをえません。つまり、朝寝族はいつも寝不足状態なんです。足りない睡眠を各種栄養ドリンク等で補っている人も少なからずいます。それはあたかも、ドラキュラが生き血をすするようなものなのかもしれません。

 私自身は…おそらく朝寝族なんだと思います。その証拠に、長期休暇で寝起きの時間が自由になると、いつのまにか「朝方就寝、午後起床」で落ち着きます。つまり、普通の人の生活とは半日分ズレた時間でする事になります。これでも自分的には不都合はありませんが、世間とは大いにズレているので、色々と困る事がないわけじゃないです。でも、このリズムだし、実に楽に生活できるんですね。

 もちろん、今は社会に適応するために、普段は無理に早起きをして生活しています。眠くなくてもなるべく早めに寝るようにしていますし、どんなに眠くても早朝に起きています。やれば出来ないわけじゃないんです。でも、無理を重ねて生活をしているので、週の始めはともかく、週末になると、かなりボロボロになっています。

 私はどんなに眠くても、朝はきちんと起きて活動をするので“寝坊で遅刻”という事をした経験はありません。でも世の中の朝寝族の中には、どうしても朝は起きられなくて、寝坊&遅刻を繰り返す人がいます。

 早起き族からすれば「だらしない…」のひと言で終わりなんですが、朝寝族の私からすれば「合わない事を無理してやっているのだから、仕方ないなあ」と思います。もっとも「仕方ない」から良しとしているわけではなく、早朝に起きられないなら、早朝に起きる必要のない場に自分を置けばいいだけの話です。学生なら、全日制をあきらめて、定時制か通信制に通えばいいんです。最近では、登校型の通信制も増えてきましたから、調べてみるといいかもしれません。社会人なら、夜勤中心の仕事にすればいいだけです。それだけで、人生が楽になるのだから、ぜひそうするべきです。

 「いやいや、やはり学校は全日制を普通に卒業したいです」 ならば“寝坊で遅刻”をしないように、自助努力をするべきです。生活を早起き族の生活に合わせるべきです。もちろん、無理な事です。でも、その無理が押し通せないなら、自分に合った生き方をするべきでしょう。

 世間は早起き族を中心にまわっているのです。社会は早起き族のためにあるんです。

 少数民族である、朝寝族は、そこを認めて、彼らの社会の中で、どうやって生きていくかも模索するべきなんです。

 頑張れ、朝寝族! 負けるな、朝寝族!

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2014年5月24日 (土)

そんなにイシマキガイはマズいのか!

 段々気温が上がってきて、我が家の金魚たちの食欲がいや増す毎日です。ほぼタニシは食べられ尽くされ、壊滅状態になってしまいました。冬の間、水槽体積の1/3は占めていたと思われる水草(金魚草)たちも食べ尽くされ、水槽の中は実にすがすがしいほどに殺風景になってしまいました。

 いやあ、ほんと、ガラガラ。

 そんなガラガラな水槽に、金魚が4匹、プカプカ浮かんでいるんです。実になんともな風景でございます。

 まあ、それでもよく見れば、地面には緋ドジョウが(ほとんど動かないけれど)2本います。でも、あれだけたくさんいた、タニシと水草が無くなると、本当に見晴らしが良くなるんです。

 そんな感じでタニシは絶滅した我が家の水槽ですが、そこでも元気にしているのが、イシマキガイです。この子たちは、ウチにいる、どのタニシたちよりも昔から水槽にいる子なんです。数は増えませんが、減ることもありません。タニシは金魚たちに良い様に食べられてしまいましたが、イシマキガイたちは全く食べられていません。

 金魚たちの餌食にならないとは…イシマキガイって、よっぽどマズい界なのかしら?

 餌食にならないと言えば、ヌマエビです。あの懐かしいトートよりもずっと前から我が家の水槽にいる、たった一匹のヌマエビ君は、今日も元気なんです。ヌマエビがマズい…わけないよなあ、絶対に美味しいはずなんだけれど、この子は金魚のエサにならずに生き延びています。

 なんなんでしょうね? でもまあ、イシマキガイもヌマエビも、金魚たちよりも古株で、水槽の先輩なので、敬意でも払ってもらっていらっしゃるのかしら?

 とにかく、気温があがると、金魚って食欲が増して、獰猛になるんですよ(笑)。

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2014年5月23日 (金)

私のフルートは音痴?

 フルートのレッスンは…風邪をひいて、高熱を出してしまったので、お休みしました。まあ、発熱を押してレッスンに行くことも考えたけれど、先生にうつしてしまってはいけないし、なによりも大きく息をすると、必ず咳き込むのでフルートが吹けないので、泣く泣くレッスンをお休みしました。

 というわけで、今回もフルートのエッセイでお茶を濁すことにします。

 私は基本的に音程が甘い人なので、歌でもフルートでも音程が甘々なんですが、最近「本当に私のフルートは音程がダメだなあ…」と思いました。

 というのも、私、歌の練習をする時に、歌う前にピアノで音を取ったり、フルートで表情漬けを確認したりしてから歌うのですが、それって、もちろん、歌い込む前なので、あまり気にならないのですが、ある時、発表会の曲をフルートで吹いてみました。もちろん、この段階で、歌の方は相当に歌い込んでいる状態なんです。

 いやあ、もう、耳を覆いたくなるほどに、フルートが音痴でした。

 私、歌の音程が甘い人ですが、フルートになると、歌以上に音程が甘々に感じてしまいました。吹きながら「え?」って思ったほどです。

 フルートは楽器ですから、普通に考えれば、声などよりもずっと音程が正確なはずです。もちろん、私のフルートも、チューナーで確認すれば、大抵の音は、きちんとグリーンランプが点灯するほどに(一応)正確な音程で演奏しております。ですから、ベッリーニも、楽譜的には正しい音程で吹けているはずなんですが、その正しい音程でフルートを演奏すると、音痴に聞こえちゃうんですよ。

 どうやら、歌と笛では、音程の取り方が異なるのではないでしょうか?

 例えば、歌って、楽器よりもかなり複雑に細かく音程を取っているんだなあって思いました。例えば、ヴィブラート。フルートのヴィブラートは基本的に音量の変化ですが、声は音量と音程の二方向から同時にかけます。また歌は、経過音を多用しますし、ポルタメントだって結構使います。音程変化が、なだらかな波のようにうねりながらメロディをつむぎます。一方フルートは、キーコントロールで音程を変化させますから、善くも悪しくも階段状にデジタルに音程変化をします。だから、楽譜どおりに楽器を演奏すると、歌のイメージとだいぶ違っちゃうんだなあって思いました。

 実はこんな事を感じたのは始めてではありません。以前も感じた事があります。それはいつかと言うと、高木綾子さんが出したカーペンターズのカバーアルバムを聞いた時です。

 このアルバムを聞いた時、最初はとっても気持ち悪かったんです。と言うのも、フルートが実に生々しくて、フルートと言うよりも なんか得たいのしれないモノが鳴っているような気がしたんです。何度か聞き込んでいるうちに、高木氏がフルートの音程を実に丁寧に、実に微妙に調整して、歌手の音程の取り方(この場合は、カレン・カーペンターの音程の取り方)をコピーしているんです。だから、聞いた感じが、フルートの演奏っぽくなくて、楽器の演奏っぽくなくて、それこそ、何かよく分からないモノが歌っているような気がしたんです。

 歌にあって、楽器にないもの。それはたぶん“節回し”って奴なんじゃないかな? この節回しって奴は、あまりに微妙すぎて、楽譜にはうまく書けないんですが、でもこの節回しがないと、歌は生き生きと聞こえないんです。クラシック声楽にはクラシック声楽の節回しがあるし、ロックにはロックの節回しがあるし、ポピュラーにはポピュラーの、歌謡曲には歌謡曲の、それぞれの音楽の、そしてそれぞれの歌手に特有な節回しがあるんです。だから、フルートで楽譜どおりに演奏しちゃうと“これじゃない”感がするんですね。で、その違和感が「私って音痴?」って気分にさせちゃうわけです。

 歌曲をフルートで、楽器で演奏するのって、実はかなり高度なテクニックが必要なんだなあって思いました。とてもとても、私ごときの腕では、歌曲をフルートで演奏することなど、できないなあって思い知ったわけです。

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2014年5月22日 (木)

とにかく、ノドを休めて、風邪を治さないと…

 いよいよ本番が近くなってきたので、ピアノ合わせをしてきました。

 本来ならば、二重唱もあるので、相方のNさんと一緒にピアノ合わせをするべきでしょうが、お互いに忙しくてスケジュールが合わなかったので、ピアノ合わせは別々に行いました(笑)。

 で、今回は私一人でのピアノ合わせとなりました。

 結果として言えば、一応ピアノ合わせはできましたが、とっても全然全く歌えなくて、せっかく伴奏をしてくださったピアニストさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 まあ、歌えないのは私がヘタッピだからなのですが、この時はまだ自覚がなかったのですが、この後、私、風邪の症状が現れて、ぶっ倒れていますし、録音を聞くと、すでに声が風邪声になってますから、本来なら、歌えるようなノドの状態ではなかったのかもしれません。

 でも、歌えないのは風邪のせいばかりじゃないよな…。調子が悪い時は、悪いなりに、きちんと歌えるようでないと…マズいわな。

 とにかく最初に合わせたのが、ベッリーニの「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」です。とにかく、高音が全く出ません。高い音が出ないものだから、気持ちは「なんとしても高い音を出してやる!」って感じになってましたが、出ないものは出ないんだよね。元気ならAsは楽々出るんだけれどなあ…。先生には「すとんさんは(ノドが)開けば、必ず歌えるんだから、頑張って(ノドを)開けてください」と言われましたが、考えてみれば、ノドが腫れていて、開けるに開けられない状態だったんだな。いわば、楽器が壊れてた状態だったので、どうにも手が打てませんでした。

 それにしても、ピアニストさんってエラいなあ…。私がこれだけボロボロな歌を歌っても、全然動じないんだもの。ある意味、すごいなあ。

 次はレハールの「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。

 さすがは本職のピアニストさんです。この曲のピアノ伴奏をきっちりと演奏してくれました。で、その“きっちり演奏版”で聞くと、この曲の伴奏って、すっごく難しくないかい? と言うのも、ピアニストさんが演奏しながら頭をひねっていたのですが、そのひねっていた原因が、私の歌の下手くそさ加減ではなく、この曲の和音進行に「???」だったようです。この曲、コード進行がいわゆるクラシックっぽくないらしいんです。まあ、実際、MIDIで演奏すると、聞くに耐えないくらいに汚い和音が続出するんですが、これは仕方ないです。だって、20世紀の曲だもの。いわゆる現代音楽だもの。使っている和音も、その進行も現代音楽なんですよ。

 それにしても、ベッリーニですから歌えないコンディションの私に、レハールが歌えるわけもないです。録音を聞き返してみると、なんか悲しくなりほど、歌えてません。

 高音が出ないので、無理やり声を張って出そうとしている私がいます。これって、キング式の発声方法に戻っちゃっているわけですが、これには先生からダメが出ました。「確かに、声を張れば、すとんさんの声なら、Gぐらいまでなら、頑張って出せるかもしれないけれど、Asは絶対に出ないですよ。声を張るくらいなら、むしろ軽く出した方が可能性は増えます」と言われました。つまり「ヤバイ!」と思ったら、頑張らずに、支えに気をつけて、フワっと出した方が出ますよって事ですね。

 でも、人間、追い詰められると、ついつい悪い癖が出るもので、頭じゃ「ノドに力を入れちゃダメだ」と分かっちゃいるけれど、ついついやっちゃうんですね。

 ああ、撃沈、撃沈…撃沈だなあ。ああ、懐かしい感覚だよぉ~(涙)。このまま、本番でも撃沈するのかなあ…嫌だなあ。先生からは、絶対に歌えるはずなんだから、と言われてますが、でも現実はこうやって撃沈しているわけで、本番までに風邪が治る自信もないし(私、一回風邪ひくと、一週間~10日間はノドが腫れているんだよね。だから本番に間に合わない可能性は大なんだな)。

 最後はドニゼッティの「愛の妙薬」の二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」です。相手役のNさんがいないので、先生を相手に歌ってみました。

 不思議なもので、前2曲は全然ダメでしたが、この曲は、フラフラしてましたが、全然歌えないというわけではありませんでした。高いBもギリギリでしたが、なんとか許容範囲まで上がれたようです。二重唱という事で、歌いっぱなしでなく、相方が歌っている時は、こっちは休めますから、ノドの調子が悪くても、その休みの間に立て直せるのかもしれません。ああ、不思議。

 とにかく、ノドを休めて、風邪を治さないと…。

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2014年5月21日 (水)

見知らぬ人たちのコンサートに行ってきました

 見知らぬ人たちのコンサート…なんか変な表現ですね。実は、私の趣味の一つに「見知らぬ人たちの発表会」を見るというのがあります。それで見つけた演奏会なんですが、実は会場に行くまで、普通に発表会だと思っていたのですが、行ってみたら、実は発表会ではなくコンサートだったという話です。

 ここで、発表会とコンサートの違いについて。

 まあ、主催者が「これは発表会です」と言えば発表会だし「これはコンサートです」と言えばコンサートなんだけれど、一応、私なりの区別があります。それは“演奏する人の楽しみのために行う演奏会”を発表会といい、通常は無料で行い、出演者もアマチュア中心です。一方コンサートの方は“観客を喜ばせるために行う演奏会”で、通常は有料だし、出演者はプロ奏者です。

 で、発表会だと思って聞きに行ったら、出演者の半分近くがプロの方々で、ご自分たちで「コンサート」と言っていたので、私の中では、一応、発表会ではなくコンサートの方に区分しました。でも、実質は発表会のような感じだったし、おまけに無料だったし…ちょっと微妙だったんですけれどねえ…。

 私が思うに…プロの方が、アマチュアと同じ土俵にあがって無料で演奏するのって、どうなんでしょうね? で、演奏が際立って上手で、アマチュア群とプロ軍団に、素人の客が聞いても分かるくらいに、大きな違いがあればともかく、アマチュアの方もそれなりに上手だった場合、客からすれば「プロもアマも変わらない…」って事になるわけで、ノーギャラで自分を安く売るのって、失うものしか無いような気がするんだけどなあ…。

 なんて思ってしまう自分は、へそ曲がりなのかもしれません。

 閑話休題。話を戻します。そのコンサートの出演者の大半は、同じ門下の方で、大半が音大卒か在学中の方々で、プロとして活躍されている方もいらっしゃる一方、数は少ないのですが、アマチュア(それもオトナの趣味)の方もいるので、コンサートと呼称してますが、その実体は“プロアマ混合発表会”ってところでしょうか? まあ、門下の発表会ではアマチュアさんがメインになってしまい、プロのお弟子さんたちが寂しくなってしまうので、そのプロのお弟子さんたちが中心になって、このコンサートを企画して、プロのお弟子さんたちだけじゃ数も足りないので、アマチュアの中でもそこそこ上手な方を入れて行った…ような感じなんですね。

 なので、形式的には、いわゆる発表会形式でコンサートは行われました。

 出演者の皆さんは、それぞれソロを2曲、重唱を1曲ずつ歌っていました。歌われた曲の種類は、日本語、イタリア語、ドイツ語にフランス語がありました。言語的には豊かですね。フランス語の歌があったところが、普通の発表会とはちょっと違うところかな? それと、イタリア語の歌と言っても、その大半は、ドナウディの歌曲で、イタリア古典歌曲を歌うはいなかったですよ。アマチュアでも初心の方が混ざっていると、イタリア古典歌曲が多数登場しますが、それが出てこなかったというだけで、歌った人たちのレベルがあまり低くないという事が分かると思います(ま、専門教育を受けた人たちばかりだしね)。

 さて、今回の私が、このコンサートから学んだ事を書きます。

 響きだけの声では、客席まで声は届かないし、声は聞こえても魂をゆさぶる事はありません。出演者の皆さんは、私のようにノドで歌うタイプの方は皆無で、皆さん、響き優先の発声をしていたのですが、響き優先と言うか、ほぼ響きだけで歌っていらっしゃる方も結構いました。

 ほぼ響きだけで歌うと、キレイな発声なんですけれど、声が客席まで飛んでこないんですね。一応、聞こえるには聞こえるんだけれど、ただ声が聞こえるだけで、客の魂にまでは届かないんですね。上手なだけに残念なんです。

 では客席までしっかり声を届けて、お客の魂をゆさぶるためにはどうしたら良いかと言えば、やはりしっかりノドを鳴らす必要があるなあ…と思いました。でも、誤解してはいけません。ノドばかり鳴らしてしまうと、それはノド声になってしまうので×です。ですから、響きをメインにしながら、多少はノドの鳴りを加えていきたいって事になりそうです。

 じゃあ、ノドの鳴りを加えよう…と思って、ノドに力を入れて歌うと…たぶんダメでしょうね。ノド声になってしまいます。

 ではどうするべきか? つらつらと、魂に響く歌と響かない歌の違いを観察していたところ、どうもそこは感情表現って奴が関わってきそうです。歌に感情が籠もれば、自然とノドが鳴るようです。どうやらそういうスイッチが人間には備わっているようなのです。

 逆に言えば、感情を横に置いて歌うと響きばかりの声になり、感情表現中心で歌うと、響きから離れていき、ノド声になったり、音程がほぼ無い演劇的歌唱って奴になるんだと思います。

 冷静な発声と、豊かな感情表現のバランスって奴が大切なんだなって思いました。

 このコンサートで歌われていた重唱は、すべてオペラの重唱、それもほぼモーツァルトオペラからの重唱を歌っていました。それまでの歌曲が原語で歌われていたのに対して、これらの重唱曲は日本語の訳詩で歌っていました。

 最初は「日本語、聞きづらい! こんなに聞けないなら、原語でも一緒じゃん」と思いました…が、やがて分かったのは、日本語の歌唱が聞きづらい人と、日本語の歌唱でもきちんと聞かせられる人の二種類いた事です。日本語歌唱でも、きちんと内容を伝えられた人は、歌曲でも魂に届く歌が歌えていた人たちで、つまり、日本語で歌うためには、きちんと感情表現と発声のバランスを考えられる人でないと、難しいって事ですね。

 日本語は我々の母語であるけれど、日本語でクラシック系の曲を歌うのは、かなり難しい、特に翻訳物は難しい…って思った次第です。

 だいたい、日本語って高低アクセントでしょ。音程の違いでアクセントを表現する言語なわけで、日本語を自然に聞かせるなら、日本語の文章の高低アクセントと、歌のメロディの高低が一致していないと難しいと思いますが…和物ならともかく、翻訳ものの場合、最初にメロディありきなわけだし、元々あったメロディと同じ高低の日本語を組み入れるってのは…相当に難しいわけで、今回私が聞いた訳では、その点にはあまり注意されていない古いタイプの訳詩で歌っていたわけです。

 日本語そのものが持っている高低のアクセントと、モーツァルトが書いたメロディとを一致させて歌う…これ、やっぱり至難のワザだなって思いました。演奏者の力量が高いレベルで揃えられるなら日本語歌唱がいいけれど、そうでないなら、素直に原語歌唱の方がいいなあって思った次第です。…だって、どうせ聞き取れない発声なら、作曲者のオリジナルの方を優先しましょうって事です。

 しかし、見知らぬ方々の(今回は)コンサートって、色々と学ぶ事が多いです。

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2014年5月20日 (火)

発表会後の課題曲をいただきました

 声楽のレッスンの続きです。ひとまず二重唱のレッスンは終え、Nさんにはご帰宅いただいたところで、私のソロ曲のレッスンとなりました。

 まずはベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」からです。

 今回の私は、発声練習をしていない事は言い訳にしたくないのですが、調子があまり良くなかったようです。特にレッスンの最初の方はダメでしたね。と言うのも、歌い始めて、ノドがちょっと痛いような気がしたんです。だから、そこは抑えて、痛くならないように、ノドを痛めないように気をつけながら歌ったのですが、先生的には「声の調子が悪いので、気を抜いて歌った」という風に解釈したようです。ですから「声の調子が悪い時は、気を抜いて歌うと逆効果ですよ、むしろしっかりと気を入れて歌った方が結果が良いです」と言われました。まあ、確かにそんなもんかもしれません。

 ですから、ノドの痛みには注意しながら、しっかりと歌って…みようとしました。

 しっかり歌うとは、声をしっかり支える事と、息をちゃんと流して歌う事、ノドを空け続けて歌う事の三つをしっかり行う事です…が、一つを立てると、他の二つがおろそかになってしまいます。ダメだな。

 とりわけ高音発声が不安定でした。高い音が出づらいなあ…と感じると、私は無意識に声を押してしまいます。そこがダメだと先生に注意されます。高い音が出づらい時は、押すよりも、むしろその前の音をしっかり支えて、ノドの開放だけを使って、その流れでなんとなく出すような感じの方がよいとおっしゃいます。つまり「高い音を狙いすぎると、返ってダメになる」って事です。“声を押すくらいなら、ノドを開け”って事なんですが、それって難しいです。たぶん、まだ私が“ノドを開いて歌う”という事が、きちんと分かっていないからなんだと思います。

 ノドを開く…たぶん、分かればなんて事無いんでしょうか、今の私には難しいです。

 次はレハール作曲「ほほえみの国」より「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。

 この曲は未だに、中間部分が歌えません。家のカラオケだとイケるのですが、先生のピアノだと歌えません。参ったなあ…。この曲の伴奏って、気が遠くなるほどに難しいので、先生は適当に、歌うのに支障がない程度に、音を抜いて伴奏しているのですが、この中間部に入る時に、私が頼りにしている音を先生が抜いてしまったので、音が取れない私なんだろうと思います…が、私がどの音を頼りにしているかが、本人的に分かっていないので、なんとも難しいです。

 結局、色々とチャレンジしましたが、できるようにならなかったので、中間部へのつなぎのピアノ伴奏から音を取るのはあきらめて、前半部の最後の部分から音を取る(つまり、中間部へのつなぎの箇所のピアノは聞かない)でやってみました。まあ、本番では先生ではなく、ピアニストさんがピアノを弾くので、この部分の弾き方も当然変わるでしょうから、それはそれで考えてみたいと思います。

 それにしても、この曲は、声と体力がドンドン消耗してしまう曲です。一回歌うと、100mを全力疾走したよりも疲れてしまいます。

 それにしても、先生の指導があると、一人で歌っているとうまく歌えない箇所も、苦労なくサラっと歌えてしまうのは不思議です。つまり、それだけ先生(と言うか、アドヴァイザー)って大切な存在なんだなって思いました。

 声と体力の消耗を防ぐためには、声と体力をセーブするのではなく、ノドをドンドン開けていけば良いのだそうです。ノドさえ開いていれば、この曲はむしろ楽に歌える曲…なんだそうです。一流テノールがコンサートなどでよくこの曲を歌うのは、実は声を休ませるため…なんだそうです。ノドがしっかり開けられる人にとって、この曲はノドを開けて、そこに息を通すだけで歌えるので、声を休ませて、体力の回復ができる、歌いながら休憩できる曲なんだそうです…が、ノドがしっかり開けられない私にとっては、声と体力がダダ漏れしてしまう曲なんです。

 ああ、ほんと、厳しいなあ。

 とにかく、レッスンでは、ノドを開けて歌う…という、この点にだけに集中して歌いました。一人じゃできないのに、先生と一緒だと、なんとなくできちゃうから不思議です。
 「テノールは、ノドを開けて歌えないとダメ」ですと言われました。実は声って、ノドを閉じ気味にして歌う方が楽だし、ある程度の高音も出せるんだそうです。でも、テノールはそれをやってはいけないんだそうです。テノールは、可能な限り、ノドを開けて歌わないといけないのだそうです。そうでないと、本当の高音(さすがにどんなテノールもノドを閉じないと出せない音)が歌えるようにはならないのだそうです。そこが低い音でノドが閉じてしまうと…高音が歌えるようにはならないんだそうです。うむ、納得です。

 「しっかり支える事」「ノドを開ける事」 ああ、課題が多い私だな。

 練習後、発表会後の事を少し話しました。まあ、ザックリ言えば「次は何を歌いましょうか」って話です。

 発表会前に歌っていた、トスティの「Sogno/夢」や「April/四月」はまだ中途でしたし、ヴェルディの「リゴレット」の「Quests o quella/あれかこれか」は、いただいただけで、まだ先生の前で歌ってすらいませんが、Y先生は、本番後は、必ずベーシックな曲をして、発声の立て直しをするのが常なので、本番後にトスティとかヴェルディとかを歌うはずはなく、歌うならイタリア古典歌曲だろうと思って「では何を歌いましょうか」という話になりました。

 先生から提案されたのは、三曲。

ヘンデル作曲「Ah, mio cor/ああ私の心である人よ」
チェスティ作曲「Introno all'idol mio/いとしい人の回りに」
カルダーラ作曲「Selve amiche/親愛な森よ」

 このうち、ヘンデルは全音の「イタリア歌曲集」では1巻に入ってます。この曲は歌劇「アルチーナ」の中で主人公(アルチーナ)が歌っているアリアです。アルチーナはソプラノの役なので、この曲は当然、女声のための歌なんですが…アリアとして歌うわけではなく、歌曲として歌うのですから、女声の曲という事は意識せずにチャレンジしましょう。実際、YouTubeでは数は少ないですが男声による歌唱もアップされているしね…もっともテノールのものは少なくて、大抵はバリトンかバスの歌唱なのが、ちと残念ですが…。私の声に合うかな?

 チェスティは全音の「イタリア歌曲集」では2巻に入っている曲です。私、イタリア歌曲集の2巻は持っていないので、さっそく買わないとね。で、この曲は、歌詞を読んでみると、どうも男声の曲のようです。実際、音源を漁ってみると、女声ももちろん歌ってますが、男声もたくさん歌っていますね。それもたいていテノールです。うむ、楽しみ。

 カルダーラに至っては、全音の「イタリア歌曲集」の3巻ですよ。持っているわけないじゃない。これも買わないと…。しかし、全音の「イタリア歌曲集」は2巻までは、お値段も比較的安いし、お手本CDも販売されていますが、3巻以降は、いきなり楽譜の値段が上がるし、お手本はないし、ちょっと扱いが冷遇されているような気がします。

 このガルダーラの曲は、牧歌劇「愛の誠は偽りに打ち勝つ」というすごいタイトルの曲の中の曲なんですが、同じ牧歌劇の中に「Sebben crudele/たとえつれなくても」も入っているのだそうです。この牧歌劇、タイトルはアレだけれど、実は良い曲の宝庫なのかな?

 この曲、私が調べた範囲では、男声の曲なのか女声の曲なのか分からなかったし、色々な音源を漁ってみても、男声も女声も歌っているので、性別を気にする必要はないのかなって思います。良い曲は誰が歌っても良いんだしね(笑)。

 今回、いずれの曲も楽譜は全音に指定されました。それも中声版。発声の立て直しと歌の基本テクニックの確認をするので、楽に発声できる音域でレッスンをしたいので、中声版なんですね。声的には高声版の方が良いのですが、そうすると、どうしても高音発声をせざるをえないのですが、その高音抜きのレッスンをしたいので中声版なんだそうです。

 で、全音版を指定された理由は…実はY門下ではイタリア古典歌曲は全音ではなく、教育芸術社版を使用することになっているのだそうです。だから、他の生徒さんなら、教育芸術社版の「イタリア古典歌曲(中声)」を薦めるのだそうですが、この教育芸術社版は、全音版に比べて、キーが低いのだそうです。なので、同じ中声版であっても、キーが高めに設定されている全音版の方が私向きって事らしいです。ちなみに、いただいた3曲は、いずれも教育芸術社版だと1巻に入っている曲です。

 まあ、発表会後の曲もいただいたわけだし、これで後顧の憂いなく(笑)発表会に臨めるというものです。

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2014年5月19日 (月)

今回も二重唱のレッスンがありました(!)

 声楽のレッスンに行ってきました。実は、ラ・フォル・ジュルネの記事をアップするのに忙しくて、後回しになりましたが、今回のレッスンは、ゴールデンウィークが終わった直後のレッスンでございます。

 今回は、二重唱の相方のNさんはいなくて、私一人でのレッスンのはずだったのです…ってか、私がそういう風に勝手に思っていただけなのかもしれません。そう思っていたから、前回、自分のソロの曲のレッスンが十分でなくても「次回やればいいか…」とか思っていたわけだし、だから今回のレッスンでは、自分のソロ曲をたっぷり見ていただける…と思ってレッスンに行ってみたら………相方のNさんがいらっしゃいました。

 驚き!

 いやあ、最初っからNさんが来ていると知っていれば、自分のレッスンの開始時間よりも少しは早めにレッスンに来ていたし(二重唱のレッスンは、お互いのレッスン時間を少しずつ融通しあって行うので、私の通常のレッスン時間よりもかなり早めにお教室に入っている必要があるんです)、前回レッスンでも自分のソロ曲も後回しにせずにできたわけで…なんてグチっても仕方ないですね。やるべきことを、きちんとやるだけです。

 とにかく、発声練習もせずに、いきなり二重唱のレッスンです。だって、私が時間どおりにやってきたので、押しているんですね(汗)。

 まあ、発声練習がないのは、準備体操無しで走り出すようなもので、決して感心できないのですが、いわゆる本番では十分に発声練習ができない事だってあるわけだから、そこは文句を言わずに、できる範囲で無理をせず、最善の声で歌いましょう。

 二重唱のレッスンは、主に、ストーリーに沿って歌に感情をどうやって載せて歌っていくかという内容のレッスンで、Nさんのレッスンに私がつきあったような感じになりました。まあ、私はこの曲を以前人前で歌って仕上げた事がありますが、Nさんは始めての新曲ですから、そこのところは仕方ないかなって思ってます。ってか、一度本番を経験している私が、全く始めてのNさんと同じレベルで注意を受けていたら、前回のあの本番経験とそこに至るまでのレッスンは一体なんだったの?って事になるわけです。

 それにしても、レチタティーヴォって難しいですね。アリアって、とりあえず歌えばいいけれど、レチタティーヴォは歌いながらの芝居が必要ですからね。特にこの曲のレチタティーヴォは会話になっていますから、自分の芝居だけでなく、相手の芝居を受ける芝居も必要となります。

 先生は、レチタティーヴォに感情を込めるため、譜面に「アホか!」とか「ビックリ!」とかの感想を吹き出しに入れて書いていたんだそうです。そういうやり方も面白いですね。

 演奏会形式で、立ちん坊のまま“歌”として歌うなら、感情表現って奴にも、そんなに苦労しないんだろうけれど、今回はNさんの希望もあって(なくても私が歌うなら、必ずそうするけれど)演技付きで、歌劇の一部として歌うので、歌の方も“演技ありき”の歌い方になるので、先生のチェックも細かく入るわけです。

 とは言え、先生が見てくださるのは、あくまでも歌だけで、実際の演技の方はノーチェックなわけで、この部分は私とNさんとで作り上げていかないといけません。

 練習(と言うか打ち合わせ)は以前行った一回きりの練習で終わりなんです。次はもう本番を迎えるだけなんです。実は今回の私の不安は、歌よりも、演技部分での打ち合わせの少なさです。

 デュエット相手が妻なら、なんだかんだと言いながら、打ち合わせはこまめにできるし、練習の方も場所を借りて、丁寧に複数回できるし、衣装やら小道具やらの打ち合わせ不要なわけです。でも今回の相手は人妻(笑)なので、何度も呼び出すわけにはいきませんし、まめに連絡を取るのも気が引けます。そんなわけで、私も勝手が違って、ちょっと戸惑ってます。

 どれくらい戸惑っているか言えば、…例えば、今回、お互い、本番で、どんな衣装を着てくるのか、言葉の上では確認してますが、実物は見ていないわけですからね。もう、不安ですよ。一応“昔のアメリカの農場(イメージ)”という設定にしましたが、私とNさんと、それぞれのイメージが一致しているとは限りませんからね。

 演技をする上で、衣装は大切ですよ、そこが演技の出発点になるわけですから。私は今回、かなりダサくてイモイモな衣装を着るつもりですが、Nさんもイモイモなアディーナになってもらっているかしら?

 演技の方も、主な動線の確認をしただけで、細かな動きの打ち合わせ(手の動きとか目の動きとか)はしていないので、その部分は本番前の打ち合わせでお互い様子を見て、本番はアドリブで…という事になると思いますが、妻とはいつも結構リハーサルを重ねてから本番を迎えているので、今回は演技の相当部分をアドリブで乗り切ることになるのです。ほんと、不安で不安で…楽しみです(笑)。

 でも、私が不安でいる事を、Nさんには気取られてはなりません。演技付きで歌うのが始めてなNさんの方が、私の数倍不安なはずですからね。私は自分の不安を押し殺して、頑張んないといけません。まあ、発表会ですから、ヘマっても、失うものはありませんから、気楽に構えないと…でも、ヘマする事を前提にしたくないですから、なんとか良いステージを作りたいと思ってます。

 アドリブメインのステージなんて、緊張感あふれる感じで、それはそれでいいんじゃないかな?

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2014年5月18日 (日)

誤嚥は怖い

 えー、今週も体重の記録はございません。まあ、自分的にはゴールデンウィークが続いているような感じで、生活がまだまだ不規則で、体重計測のタイミングを失ってしまったからなんですが…次週はきっちり計測しないとね。

 と言うわけで、いきなりエッセイに入ります。

 先日“ひとこと”にも書きましたが、私、誤嚥をいたしました。今回はその顛末記事でございます。

 それはある日の朝食時の出来事でした。

 私は御飯党なので、朝食は米の飯を食べております。妻が白米を炊いてくれた時は、そのまま食べますが、ヘルシーさを求めて雑穀米などを炊いた時は、遠慮なくネコマンマにして食べます。それは、朝は忙しくて時間がないため、チャッチャッと飯をかき込むためと、雑穀米は美味しくなく、取り立てて味わう必要がないため、ネコマンマにしてもいいや…という考えなんですね。

 ちなみに、ネコマンマとは何か? 直接的な答えは「ネコのエサ」ですが、別にネコ缶の事を指している訳ではありません。この場合「ネコを始めとする動物にエサとしてあたえる残飯。あるいは、それに類する食べ物」の事を指します。もちろん私はいわゆる“ネコを始めとする動物”ではありませんので“それに類する食べ物”の方です。具体的に言えば、飯に味噌汁をぶっかけた“ぶっかけ飯”の事をネコマンマと呼んでいます。

 ネコマンマには、ぶっかけ飯以外にもバリエーションがあります。『飯にカツブシ(鰹節)をかけて、醤油を垂らしたモノ』とか『飯に醤油をドバドバかけただけのモノ』とか『飯に煮干しを混ぜ込んだモノ』とか『飯にシラスを混ぜ込んだモノ』とか『飯にめんつゆかけたモノ』とか『食べ残したラーメンスープに飯を投入したモノ』とか、私は大好きです。

 『飯にマヨネーズをかけたモノ』とか『飯にバター醤油をかけたモノ』とか『飯に味噌を混ぜ込んだモノ』もネコマンマと呼ぶ人がいるそうですが、こういう系統のネコマンマは私の好みではないです。これでも結構、ネコマンマにはうるさい私です。

 ちなみに『飯に野菜スープをかけたモノ』はネコマンマではありません。それはクッパと言います。もちろん『飯にお茶をかけたモノ』はお茶漬けであり『飯に生卵を混ぜ込み醤油をかけたモノ』は卵かけごはんです。念のため(笑)。

 さて、その日の朝食は、雑穀米に味噌汁をぶっかけたネコマンマで、それを食した私でございます。それも結構急いでいた…のかもしれません。“心ここにあらず”状態の上の空で食事をしていました。

 で、食事中に「???」と思いました。で、次の瞬間、思わず咳き込みたくなり、飲み込んだはずのモノが逆流してきました。でも、だからと言って、食べ物がクチに入っている状態で咳をするわけにはいきません。そこはグッと咳を堪えます。行き場を失った食べ物が口腔や鼻腔には入り込みますが、だからと言って、食べかけのモノを吐き出すわけにいきません。必死に戻ってきたモノを飲み込みます。で、どうにか飲み込んだところで咳をします。

 どうやら、誤嚥…うっかりぶっかけ飯を胃袋ではなく、気管の方に入れてしまったようです。それも結構大量に…。で、カラダがそれに気づいて、激しく咳き込んで食べ物を出そうとしたようだけれど、それを堪えているうちに、嘔吐反応まで起こり、今度は胃液が上に昇ってきて…もう何が何だか分からなくなったけれど、ひとまず、力づくで食べ物を飲み込んで、それから咳き込みました。

 もう、七転八倒の苦しみです。全身の筋肉を使って咳き込みます。胸だけでなく、脇腹も臀部も内腿の筋肉まで使って咳き込みます。あまり激しく咳き込んで、一瞬、脳貧血を起こし、意識がブラックアウトして、前後不覚になってしまったほどです。

 やばい、やばい…このまま、咳き込んで、息も吸えないまま、酸欠で死んでしまうんじゃないかと思いました…が、どうやら、一命は取り留めたようです。

 しかし、胃液と食べカスが気管内のあっちこっちに残ったようで、落ち着いてからも、しばらくの間、ずっと咳き込んでいました。咳き込むたびに、面白いように御飯粒が出てくるんです。一体、どれくらいの御飯粒が気管に入り込んだのか分かりません。おまけに、胃液が喉やら気管やら鼻腔やらを荒らしてくれたようで、とにかくヒリヒリします。

 とにかく、咳のしすぎでノドが痛いです。胃液のおかげで鼻腔も口腔も痛いです。横っ腹が筋肉痛になってます。脳貧血のせいでしょうか、頭痛が激しいです。とにかく、大変な目に会いました。

 大変な目にあったけれど、これは一過性の不幸だと思っていました。

 咳き込んだその日は、そんな感じで苦しかったけれど、やがて落ち着くものです。

 翌日になっても、ノドの違和感は残っています。なんか、ノドにダンゴが詰まったような気がします。

 その翌朝の目覚めは極めて悪かったです。最近の私の目覚めは割とよかったんですよ。まあ、寝不足で「もう少し寝ていたい~」と思うことがあっても、ダルくてダルくてたまりませんって事はなかったのですが、その日は、目は覚めたものの、カラダがダルくで起き上がるのに、一苦労しました。その日の晩は、入浴していても、全然カラダが温まらなくて変な感じでした。

 夜、寝つくと、汗をびっしょりかいて、あまりの不快さに目を覚ましてしまいました。そんな事を夜中にやったせいか、翌朝は、しっかり高熱が出ていました。

 さすがに病院に行きましたよ。風邪をひいたんだなって思いました。

 朝一番で病院に行ったせいか、2時間ばかり待ちました。いやあ、病院って、老人たちが朝一番に駆け込むので、本当に具合が悪くて、診療時間30分前にやっとやっとたどり着いた私のような若造は、昼近くまで待ってないといけないんです。

 やっぱり病院って、具合が悪い時に行っちゃダメだな。元気な時にしか行けないなあ(涙)。

 とりあえず、2時間待って5分診察です(笑)。

 私は風邪をひいたものと思って、医者にそう伝えたものの、医者はなにやら解せないようす。私の症状は、風邪は風邪なんだけれど、どうにも典型的な風邪とは違うらしいんですよ。でも、あきらかに細菌やらウィルスやらそっち系の病気みたいなんです。でも、よく分からない。それでここ数日の私の行動を根掘り葉掘り尋ねるわけです。で、何気に誤嚥の話をしたところ「それだ!」と合点がいったようなんです。

 「今はまだ大丈夫だけれど、肺炎の心配があります」と真顔で言われました。

 どうやら、今回の不調は、誤嚥の際に逆流した胃液で、気管の粘膜がやられて弱くなっているところに、吸い込んだ飯粒に付いていた各種雑菌たちが、そこに巣を作って暴れているのが原因のようなんです。で、暴れついでに喘息まで起こしてくれているようなんです。

 今はとりあえず、声帯付近に巣があるようだし、気管や気管支周辺にも巣がありそうなんだそうです。肺は…よく分からないけれど、肺にも入り込んでいて巣を作ったなら、それは肺炎になるので、注意が必要なんだそうです。

 カラダに入り込んでしまった雑菌を退治するための抗生物質とか、腫れ上がったノドと熱を持ったカラダのための消炎解熱剤とか、胃液を抑える薬とか、気管を広げてくれる薬とか、咳止めとか、うがい薬とかトローチとか、説明されれば一つ一つ納得せざるをえなくなる薬を出してくれました。

 薬の束を見て…私は本当に病気になったんだなって思いました。病院に来るまでは、苦しいけれど『体調が不調なだけで元気な私』だと思ってましたが『カラ元気を出しているけれど、実は病人だった私』と思うと、途端にダルくなってしまい、歩くのもイヤな気分になりました。

 まあ、これだけ調子が悪くても、仕事を休むわけにはいきませんから(私がいきなり休んだら、仕事が止まりますからね)、のそのそと仕事に向かいました。

 たかが誤嚥なのに、実におおげさな話になってしまいました。

 とりあえず、ノドが腫れているので、発表会が近いのに歌えなくなりました。さらに、息を大きく吸うと咳き込むので、フルートも吹けません。まあ、カラダ自体がダルくて寝てばかりいるので、音楽の練習ができないのは、良いことなのかもしれません。

 なんか、ついてないなあ…。

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2014年5月17日 (土)

ラズがうれしそうに埋もれるんです

 ドジョウと言うのは、生き物の習性として、普段は地面の泥や砂利の中に姿を隠すモノです。ですから、以前買っていた、真ドジョウ(これは食用のドジョウです)とか縞ドジョウは、普段は水槽の砂利の中に身を隠して姿を見せることはありませんでした。ドジョウって、そういう生き物だと思ってました。

 しかし、同じドジョウはドジョウでも、緋ドジョウはペットとして作られた生き物で、ペット、つまり愛玩動物である以上、飼い主にその可愛らしい姿を見せてナンボのものだなと思っていましたし、我が家の歴代の緋ドジョウたちは、常にその姿を飼い主の前にさらしていました。チビは今でもそうですし、ラズも少し前まではそうでした。

 そうなんです、ラズが最近は水槽の中に見えなくなるんです。見えなくなると言っても、水槽から逃げ出すのではなく、水槽の砂利の中に埋もれてしまうのです。はっきり言って、そんな緋ドジョウ、始めてです。

 でも、普段は砂利に埋まらない子なので、砂利への埋まり方が、そんなに上手ではありません。いつも尻尾ははみ出てますし、他の子たちは目だけを地表に出して、虎視眈々としていたのに、ラズは顔丸々出していたりします。でも、顔は丸々と出してますが、なんかいつもニコニコしているような感じなんです。

 きっと地面に埋もれて、うれしいのかもしれません。

 それにしても、ラズは変わった緋ドジョウです。

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2014年5月16日 (金)

フルーティストは、心肺が強い

 フルートのレッスンに行ってきました。

 ゴールデンウィーク後、始めてのレッスンだったので、さぞかしたっぷり練習をしてきたでしょうと思われるかもしれませんが、全然そんな事はありません。なにしろ、平日は忙しいですが、休日は休日で忙しいからです。

 …実は、ここだけの話だけれど、さすがにヤバイと思って、レッスンの前日は練習しました(汗)…が、やはり付焼刃じゃ通用しません。

 宿題に出されていた、アルテの15課の10章のCes-durの2番「アルペジオ基本練習」をやってみましたが…指が違うと叱られました。Ces-durの高音のド(Ces)の時、左手薬指ではなく中指を使うのですが、これをうっかり薬指で練習してしまったので、ダメダメでした。それに、注意されても、その場で直せないから、そこもダメだね。とにかく、運指を直してらっしゃいという事でした。

 3番のトリルは合格。4番の「Ces-durのスケールとアルペジオ」は勘弁してもらいました。だって、練習してないんだもの。

 で、ガリボルディのプチ・エチュードは3番です。1月の中旬あたりからずっと3番です。もう四ヶ月も3番やってます、長いなあ~。

 今回もたくさん注意を受けましたが、大きなものは二つ。一つは「六拍子のリズムが感じられない(感じられるように吹きなさい)」と「装飾音符まわりの吹き方」です。

 最初の、六拍子が感じられないとは、強拍と弱拍の区別がなくて、ただ“ベタ~”と吹いているだけでつまらないって事です。しっかり、音楽が脈打つように演奏しないとね。

 装飾音符まわりの吹き方とは、私、装飾音符があると、装飾音符のリズム的に釣られると言うか、例えば、全部四分音符で“ミレド”というフレーズがあったとします。で、このフレーズのミにファが装飾音符で付いたとします。正しい吹き方は、ファはごく短小に吹き、ミは(本来の長さ-装飾音符ファ)の分であり、レとドは普通に吹くわけです。つまり感覚的には「ファは極短小に、ミは普通からやや短め、レとドは普通から少々長め」…という感じで正しいわけですが、私の場合、ファを極短小に吹いたら、そのままミも同じ程度に極短小に吹き、それに釣られてレとドも短めに吹いてしまい、全体的に前のめりに吹いてしまいます。

 これが正しいはずはないね。なので、注意を受けます。自分では正しいつもりで吹いていても、ついつい釣られて、ミを短く吹いてしまいます。なので、今回は、そこのところを徹底的に注意されました。

 後はいつもの「中音のレとミbは左人指し指を上げる」を何度も何度も注意を受けました。

 しばらくフルートの練習のできない時期があったわけですから、今はまだまだリハビリみたいなモノなんです。

 さて、今回の雑談は…先生の健脚自慢でした。とにかく、先生は山登りが趣味なので、足腰が強い強い。数々の武勇伝を聞かせていただきました。でも、最近は年を取って、足腰が弱くなったなあと感じる事があるんだそうです。

 とにかく、筋肉が弱くなった…と感じているんだそうです。でも、心臓は相変わらず強いし、呼吸機能も十分なんだそうです。だから、いくら歩いても、カラダは全然平気なのに、足がふらつくようになったんだそうです。「これが老化ってモンなんだろうね」と嘆いていましたが、そんなふらつく足だって、先生がふらつく状況って、私程度の一般人では、とてもとても、ふらつくどこか、歩けないほどの長距離や急登坂の話ですから。もう、レベルが違いすぎるので、本人の嘆きに全然同情できない私でした。

 「そんだけ、スタスタ歩けるのに、何を嘆いているんだろ?」って感じですよ。まったく(笑)。

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2014年5月15日 (木)

パリ・オペラ座のライブ・ビューイングで「清教徒」を見てきました

 今年始めての、パリ・オペラ座のライブ・ビューイングを見てきました。もっとも『今年始めて』と言っても、上映が始めてではなく、私が見に行ったのが始めてという意味ね。お間違いのないように…。

 さて、昨年まで、パリ・オペラ座の東京でのライブ・ビューイングは、日比谷でやってましたが、今年からは室町でやる事になりました。室町…と言っても、足利氏が幕府を開いていた室町ではなく(それは京都の室町)、東京の室町。いわゆる日本橋の一部地域となります。三越の日本橋本店がある所…と言うと、分かる人は分かると思います。そこに、コレド室町というビルができて、その中に、TOHOシネマズ日本橋という新しい映画館ができて、そこをメイン劇場として、今年のパリ・オペラ座のライブ・ビューイングを行う事になったのです。

 まあ、今度の劇場は、新日本橋駅に直結しているようだし、地下鉄三越前のすぐそばだし、私的には東京駅からすぐそばで行きやすいので、うれしいです。アクセスがいいってのは、良いことだしね。

 で、肝心のオペラの方だけれど、これがまた実に良かったです。

 まず「清教徒」というオペラ、実にマイナーなオペラで、オペラ好きな人でもなかなか鑑賞のチャンスがないオペラですが、このオペラを知らないままでは、実にモッタイナイと思います。これ、実に良いオペラだと思います。

 とにかく、捨て曲がほとんどありません。オペラ中で歌われる曲のほぼすべてが美しいんです。おまけに、アリアがほとんど無い(笑)ので、ストーリーがサクサク進みます。アリアって、オペラの聞かせ所なんだけれど、アリアを歌っている時って、劇中の時間が停まっているので、アリアが多いオペラは、どうしてもストーリーの進行がモタモタしがちですが、このオペラはアリアがほぼ無いので、実にストーリーがサクサク進行します。

 「アリアがほとんど無いって、それじゃあつまらないじゃん」って思うかもしれませんが、そんな事はありません。実は、レチタティーヴォもほとんどありません。

 「え? なに? それ?」 はい、驚きですよね。そうなんです、このオペラ、アリアもレチタティーヴォもほとんど無いんです。大半のオペラが、アリアとレチタティーヴォで出来ているのに、その二つが実に少ないんですよ。

 「じゃあ、このオペラはどうなっているの?」 はい、このオペラのほとんどは重唱でできています。重唱というのは、会話に音楽を付けたもだから、重唱を歌っている間は、劇が進行しているわけです。で、この重唱が、どれもこれも、アリア並に美しいんですよ。それも超絶的に美しいんです。さすがは、天才、ベッリーニ作曲のオペラです。

 具体例を上げましょう。例えば、このオペラのキラーチューンと言えば「a te o cara/いとしい乙女よ、あなたに愛を」という、四重唱+合唱の曲です。パリ・オペラ座の画像ではありませんが、聞いてみてください。

 これ、普通のオペラなら、テノールのアリアにしちゃうくらいのメロディを使ってますが、でもそうでなくて、あくまでも四重唱なんです。それもバックに合唱まで使ってます。アリア並の美しいメロディを惜しげもなく重唱で使って、ストーリーがサクサク進んじゃうんですよ、すごいでしょ。このオペラ、全編、こんな感じなんです。

 「そんなにすごいオペラなら、もっと有名になってもいいのに、こんなにマイナーなのは、なぜ?」 それは、このオペラが半端なく難しくて、なかなか上演するチャンスに恵まれないからです。

 例えば、テノールの場合について話をすると…普通のテノールのアリアですら、高音はA~Bまでで、まれにHi-Cと言う音が慣習的に使われます。Hi-Cはかなりの高音ですし、楽譜に書いてあるわけでないので、大抵のテノールは、Hi-Cではなく記譜された音で歌います。そこを慣習に則ってHi-Cで歌えるテノールは、素晴らしいテノールとして崇められるわけです。それくらい、Hi-Cという音は、テノールにとって高音なんです。だいたい、男声の高音限界は普通はAとされていて、ミュージカルなどでは、そのAですから滅多に使いませんから、オペラ歌手のテノールが、どれくらい人間の限界を越えた発声をしているか、察してください。

 それなのに、この「清教徒」というオペラでは、そのHi-Cよりも高い音がメロディの中に普通に使われているんです。例えば、先程聞いた「いとしい乙女よ、あなたに愛」では、普通にHi-Cisが使われています。ですから「清教徒」を歌うテノールは、Hi-Cisを楽々と出せる力量が無いといけないのです。いやいや、正直に申し上げると、Hi-Cisどころか、他の重唱のテノールパートには、Hi-Dですら、普通にメロディの中に書かれているんです。これがどれだけ、大変な事か…。さらに、記譜された音としては、Hi-D止まりですが、このオペラ、慣習的には、テノールはTop-Fと呼ばれる、Hi-CやHi-Dよりも、うんとうんと高い音も歌わないといけないんです。もちろんファルセットじゃなくて、実声で歌うんですね…もっとも、普通のテノールじゃあ、ファルセットであっても出せないくらいの高さなんだけれどもサ。

 と言うわけで、そんなテノール、世界中を探したって、そうそういるわけじゃないです。だって、この曲を歌うためには、テノールの声でアルトの音域まで歌えないとダメなんだから。そんな人、滅多にいません。これがこのオペラの上演を難しくしている、一つの要因です。

 さらに言えば、ソプラノには、いわゆる“狂乱の場”と呼ばれる、超難関な曲が待っております。これも歌えるソプラノは、そんなにいません。バリトンやバスも超難関な曲が待っております。これらも歌える歌手は、そんなにいません。

 そんなにいないレベルの歌手を4人も揃えないと上演できないオペラなので、どんなに曲が素晴らしくても、マイナーにならざるを得ないわけなんですね。どんだけ、ぜいたくな作りのオペラなんや!

 と言うわけで、そんな“お宝的”なオペラがライブビューイングで見れるんですよ。これはぜひ見に行かないといけませんわな。でしょ?

 で、実際に、このオペラを見終えた私の感想は…「なんか、声のサーカスを見てきたような気分」でございます。それくらい、なんとも、素晴らしくて、すさまじいオペラなんです。

 さらに言うと、今回のパリ・オペラ座の上演の演出は、なかなか良いです。この「清教徒」というオペラ、音楽は素晴らしいのですが、お芝居の方が分かりづらいのが欠点なんですが、今回の演出だと、これが実にすっきりと整理されていて、分かりやすいんですよ。さらに、歌っている歌手も、みな、すごくて素晴らしい。音楽が良くて、演出が良くて、出演者が良いのです。ね、すごいでしょ?

 でも、一つだけ残念な点があります。それは、これが上映された、TOHOシネマズ日本橋という映画館が、ちょっぴり残念な事です。

 実は「清教徒」を見ている時に、隣のスクリーンで上映されていた「スパイダーマン」の音が聞こえちゃうんです。たぶん映画館の壁が薄いんでしょうね。隣のスクリーンの爆発音やら、それに伴う振動が、結構聞こえるし感じるんですよ。別にこれは私だけに聞こえたわけではなく、他の人にもよく聞こえたらしくて、皆さん、結構文句言ってましたね。「だから、ハリウッド式のシネコンはダメなんだ」と大きな声で怒っていた白髪の方がいらっしゃいましたね。まあ、私なんかよりも、ずっと聴力が老化しているであろう方が怒っちゃうくらいですから、結構聞こえるんですよ。そこが残念な点でした。

 もっとも、妻は、爆発音の類、全然気にならなかったそうですから、気にならない人には全然気にならないのかもしれません。私は…聞こえたけれど、怒っても仕方ないので、無視をする事にしてました。

 なので、TOHOシネマズ日本橋以外の映画館で「清教徒」を見る分には、とても良いと思いますよ。TOHOシネマズ日本橋でなければ見られない人は…あきらめましょう。壁が薄いのはどうにもならないし、隣の映画の音が聞こえるのもやむを得ないです。そういう意味では、オペラ映画を見るには、ちょっとスペック不足な映画館なのかもしれません。

 なにはともあれ、清教徒、お薦めです。

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2014年5月14日 (水)

LFJ2014 その7 フルートサロンとピアノ小品と今年のまとめ

 東京国際フォーラムに戻ろうとした私は、その途中に見かけた銀座山野楽器に、ついフラフラと入ってしまいました。

フルートサロン

 いつものように、フルートサロン(フルート売り場)に行った私はビックリしました。いやいやいや~、エレベーターで5階に上がると、まずはヴァイオリン売り場があって、そこから管楽器売り場を経由して、一番奥にフルート売り場があるはずなのに…今までヴァイオリンが売っていた、5階の入り口付近にフルートサロンが引っ越ししていました。

 どうやら店内改装をしたついでに、一部の楽器の売り場が変更になったようです。

 フルートサロンは、5階奥の狭苦しい場所から、今までヴァイオリンがあった広々とした場所に変更ですよ。いやあ、驚いた。

 で、5階の残りのスペースはすべて管楽器売り場になってました。ヴァイオリンはどこに行ったの? と思ったら、3階の楽譜売り場の奥。つまり、今までジャズCDを売っていた場所に引っ越していました。

 じゃあ、ジャズCDはどこに行ったの?って話ですが、これは2階に引っ越してました。

 2階は今まで、フロア全部を使って、クラシック音楽のCDを扱っていたわけですが、これからは、クラシック音楽とジャズの両方のCDを取り扱うようになったわけです。まあ、これは仕方ないかな? 今はCDが売れない時代だからね。特に、クラシックとかジャズとか、買う人はいるんですか?って世の中だものね。かく言う私も、クラシック音楽のCDを毎年たくさん買いますが、そのほとんどはアマゾンで買ってます。だって、アマゾンって便利なんだもん。…ごめんなさい。

 それにしても、山野楽器銀座店の店舗改装には驚きました。

ピアノ小品(ピアノ:三浦友理枝)

 で、東京国際フォーラムに戻ってきた私は、一路、展示ホールに向かいました。展示ホールでピアノの演奏会があったからです。なにしろ、今回のラ・フォル・ジュルネでは、私、まだちゃんとしたピアノの演奏を聞いていなかったから、一つぐらいは聞いておこうと思ったわけです。

 演奏曲目は以下の通りでした。

シューベルト作曲「楽興の時第3番」
シューマン作曲「幻想小曲集より“飛翔”」
ショパン作曲「ノクターン第2番」
ブラームス作曲「バラードト短調」
チャイコフスキー作曲「四季より 11月トロイカ」
ラフマニノフ「楽興の時第4番」

 演奏曲目はいいでしょ? 大曲も良いけれど、こういう小曲も味わいがあってなかなかでしょ? でも、実際の演奏は…今一つでした。別にこれはピアニストさんに非があるわけではありません。会場の都合なんですよ。

 会場の都合…つまり展示ホールはピアノ演奏には大きすぎる…というわけで、P.A.が入っていたんです。P.A.とは、マイク&アンプ&スピーカーのシステムです。電気的に音量を拡声する装置の事です。まあ、ポピュラー音楽では普通に使われている装置なんですが、通常クラシック音楽では使いません。

 P.A.を使うと、ありえないほどの音量となり、かなり広い会場でも隅々まで音を届かせることが可能になる一方、音色が本来のモノとは変わってしまったり、音が平板になったり、音が均一化されてしまったりという特徴があります。つまり『まるでCDを聞いているかのような音』になってしまうんですよ。せっかく、目の前で生演奏してくれているのに、聞こえてくる音がCDっぽいんです。これにはガッカリでしょ? でも展示ホールは、確かに広くて、ピアノを生で演奏しただけでは、舞台近くの人にしか聞こえないとい事実もあります。まあ、P.A.はやむを得ない措置だったのだと思いますが、やはり客としては、ガッカリなわけなんです。

 良い選曲、良い演奏だっただけに、ぜひ生で聞きたかったものです。

 まあ、一日中アレコレと行動して、なんか疲れてしまったのと、その次の展示ホールでの演奏もまたピアノだったので、そこはパスして、今年は早々に帰宅する事にしました。と言うわけで、これで今年の私のラ・フォル・ジュルネは終了となりました。おつかれさまです。

今年を振り返って

 散々、ラ・フォル・ジュルネに行く前から、ノリノリではない事を書きつらねた私です。その気持ちには嘘はないし、実際、今年は会場に着いても、ノリノリってわけには行きませんでした。でも、音楽には力があるわけで、ノリノリでなくても、実際の演奏を聞けば、それなりに感動もすれば喜びも得られるわけです。そういう意味では、今年もラ・フォル・ジュルネに行けてよかったです。でもまあ、やっぱり2日も行かなくてよかったというのも、正直な気持ちです。ラ・フォル・ジュルネを1日で楽しみつくす、いわば腹八分目の楽しみでよかったような気がします。2日間もラ・フォル・ジュルネに行ってたら、すっかり飽きてしまって、やんなっていたかもしれません。

 来年は東京でラ・フォル・ジュルネをやるのかしら? やるなら、来年も参戦したいと思いますが、無ければ無しでもいいか…って気もします。でも、やるなら、ピアノとオケばかりではなく、室内楽にも力をいれて欲しいなあって思うし、個人的には、声楽とフルートを増やしてほしいと思ってます。

 あと、お祭りっぽい雰囲気に戻ってほしいなあって思います。それこそ、祝祭でしょ?みんなで、盛り上がるような企画がたくさんあるといいなあって思います。

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2014年5月13日 (火)

LFJ2014 その6 シンフォニック・ダンスと古いビルとスープカレーラーメン

 フルートの組み立て体験を終えた私は、そのまま、次の演奏を聞くことになりました。

現代音楽…アメリカ編(桐朋学園大学音楽部オーケストラ)

 場所は、フルート組み立て体験と同じ展示ホールで行われました。この桐朋学園大学音楽部オーケストラの演奏は、人気プログラムで、全席自由なんですが、私、実は一時間前に会場入りをして、席を探したのだけれど、すでに一時間前では席がすべてふさがっていたというくらいの人気演目だったのでした。

 で、席をゲットできなかった私は、仕方なしに会場をプラプラしているうちに、フルート組み立て体験に出会えたわけです。人生、何が幸いしている分かりません。

 桐朋学園大学音楽部オーケストラが演奏した曲は以下の通りです。

 ガーシュイン作曲:パリのアメリカ人
 バーンスタイン作曲:シンフォニック・ダンス

 いやあ、まさか、バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」の生演奏を生きているうちに聞けると…夢にも思っていませんでした。

 「シンフォニック・ダンス」とは、ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」のメロディを集めて、コンサート用の管弦楽曲に仕立てたモノなんですよ…と書くと、なんかお手軽な感じの曲に聞こえますが、実はそうでなく、なかなかに素晴らしい現代音楽なんです。私、大好きな曲なので、CD等ではよく聞きましたが、生は始めてでした。聞いているうち、なんか涙が出てしまうほどに感動しました。CDだと、のっぺり聞こえる音も、生だと、実に立体的に聞こえるわけだし、立体的に聞こえるが故に感じるモノもあって、ああ、生きていてよかったなあ…って思いました。音楽を聞いて、思わず涙が浮かんだのって、ほんと、何十年ぶりかしら? そんな感じです。実にいいモンを聞かせていただきました。

 今回、ナントではアメリカ音楽がテーマだったそうです。日本では、ラ・フォル・ジュルネ十周年記念という事で「10周年記念 祝祭の日」がテーマとなり、アメリカ音楽を聞けないものと諦めていたので、ここで現代アメリカ音楽が聞けてうれしかったです。それもバーンスタインですからね、感涙ものですよ。

 贅沢を言わせてもらえば、ジョン・ウィリアムスも聞きたかったかな? 彼だって、アメリカを代表する作曲家だものね。「スター・ウォーズ組曲」なんて聞けたら、最高だろうなあ…。

 さて、シンフォニック・ダンスを聞いて、満足した私は、東京国際フォーラムから一度離れて、別の会場に行きました。今度は何を聞いたのか…と言うと、実は何も聞きませんでした。その代わりに見てきました。何を? 絵を見てきたのです。

古いビル

 ほら、私、田舎モノですから、なかなか東京に出るチャンスそのものがないわけで、出てきたら、用件は一度に済ませてしまおうと考えてしまうわけで、せっかくラ・フォル・ジュルネで丸の内に出てきたのだったら、演奏と演奏の合間の時間に、別の場所で違う楽しみがあってもいいんじゃないかって思ったわけで、ちょっと調べてみたら、私がヒイキにしている画家さんが銀座で展覧会をしているので、それを見に行くことにしました。

 音楽の話題ではないので、サラと書きますが、その展覧会の会場がすさまじかったのです。会場は、銀座の古い古いビルだったのですが、本当に古くて、エレベーターのドアが手動だったんです。エレベータのドアが手動なんですよ、それも外扉と内扉の両方が、人力で開け閉めするタイプなんです。おまけにスケルトンで(笑)。もう、笑うしかないくらいに古いタイプのエレベーターだったんです。おかげさまで、絵の印象よりも、エレベーターの印象の方が強く残って困りました。

スープカレーラーメン

 で、絵を見終えたあたりが、ちょうど夕食時だったので、画廊のそばのラーメン屋に入ったところ、スープカレーラーメンなるものがメニューにあったので、食べてみました。いやあ、カレーラーメンではなく、スープカレーラーメンですよ。はい、北海道名物スープカレーにラーメンを入れてみましたという感じのラーメンでした。美味しかったですよ。

 でもね、このお店。注文して、最初に出てきたのが、何の具も載っていない素のスープカレーラーメンだったんですよ。メニューの写真には、具だくさんの写真が載っているのに…? あれあれ?と思ってたら「具、入れるの忘れた」とか、なまった日本語で店員さんが言いながら、食べている最中の私のドンブリに、ドバドバと具を入れ始めました。

 怒っちゃいけない、怒っちゃいけない。これも一種のおもてなしなんだ…。たとえ、後から具を入れたにも関わらず、トッピングのゆで卵が入っていなくて「あの~卵も欲しいのですが…」と私から改めてリクエストしたところ、実に無表情な顔つきで、ポンとゆで卵を投げ入れたとしても、怒っちゃダメなんだ…そう思う事にしました。慣れない異国で働いてる女の子を相手に怒っちゃいけない。ああ、私もオトナだなあ。

 で、そんな、スープカレーラーメンを食べた私は、東京国際フォーラムに戻ろうとしたわけです。

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2014年5月12日 (月)

LFJ2014 その5 マスタークラス(ピアノ)とフルート組み立て体験

 素晴らしいフルート四重奏団の演奏に心を残しつつも、急いで東京国際フォーラムに戻った私でした。で、何を聞いたのか…と言うと。

マスタークラス(ピアノ:マタン・ポラト)

 実はモーツァルト歌曲のコンサートが終わった時、グラントウキョウ サウスタワーに向かう前に、マスタークラスの会場(すぐそばなんです)に行って、ポラト氏のマスタークラスの整理券をもらっていましたので、これに間に合わせるために、泣く泣くフルート四重奏曲をあきらめて会場に向かったわけなんです。

 マスタークラスで取り上げたのは、モーツァルト作曲「ピアノソナタ17or16番」です。いわゆる“K570”でして、全集の版によってナンバーが違う曲なんだそうです。なんででしょ? とにかく、今では17番と呼ばれる曲なんだそうです。

 ちなみに、私が持っているイングリット・ヘブラーの旧全曲演奏だと…16番だな(笑)。グレン・グールドでも…やっぱり16番だな(爆)。如何に私が持っている音源が古いかが知れよう! まあ、人間も古いから、持っている音源も古いのだ、これでいいのだ!

 さて、今回も先生がおっしゃった言葉の中から、印象に残ったものに、私の感想を加えて書いてみましょう。

 モーツァルトの後期のピアノソナタは、オーケストラを意識して書かれているので、どんなオーケストレーションがされるだろうかと想像しながら演奏しましょう  なるほど、確かにそう言われて実際の曲を聞いてみると、確かにオーケストラの音がします。ピアノソナタなのに、ホルンの音が聞こえたり、フルートの音が聞こえたり…結構面白いです。

 この曲はオペラです。メロディは歌手になったつもりで歌うように弾かないといけません  ラ・フォル・ジュルネのマスタークラスを見ると、どの先生も『歌・歌・歌』と言います。クラシック音楽では『音楽の基本は歌であり、オペラ歌手の歌が演奏の基準』なんですね。演奏家は、楽器の演奏ができる前に、ちゃんと歌えるようにしないといけない…と先生方は皆さん、クチを揃えて言いますしね。

 モーツァルトの音楽のアチコチにはサプライズがあります。そのサプライズをきちんとサプライズに聞こえるように弾きなさい  正直、私には何を言っているのか分かりませんでしたが…そうか、モーツァルトの音楽にはサプライズがあるのか、そのサプライズを味わえるようにしようと思いました。

 和音の響きで音色を選びなさい  先生がお手本演奏をしましたが、ほんと、ピアノって音色が豊かなんですね、失礼だけれど、先生のカラフルな演奏の後に、生徒さんの演奏を聞くと、墨絵のような味気なさに聞こえます。もちろん、これ、褒めてません。

 ピアノのマスターコースを見ていると、他の楽器とは違って、観客の中に勉強目的で、楽譜を持ち込んで聞いている人を結構見かけます。たいていは紙の楽譜(ピースとかコピーとかね)なんだけれど、今回はスマホに楽譜をダウンロードして、それを見ている人がいました。「未来だな~」と思うと同時に「よくあんな小さな画面で楽譜読めるなあ…」とも思いましたが、考えてみれば、ポケットスコアと同じような感じなんでしょうね。

 で、マスタークラスが終わって、ちょっと時間があったので、地下の展示ホールをプラプラしました。この展示ホール、年々、寂しくなっています。最初の頃は、本当にたくさんの企業ブースがあって、賑やかだったんですが、ドンドン参加企業が減ってしまい、活気が無くなっていきました。今年もなんか寂しかったです。

 そんな中、毎年頑張って出店している企業があります。その一つが島村楽器さんがあります。で、毎年、ミニコンサートやミニイベントを開催しています。で、たまたま島村楽器さんの前を通り掛かった時に、ミニイベントをやってまして、興味深く見ていたら「やってみませんか?」と声をかけられたので、いそいそと参加してみました。それは何のイベントだったのかと言うと…

フルート組み立て体験

 そう、フルート組み立て体験のイベントでした。もちろん、ミニイベントですから、フルートを丸々組み立てるのではなく“足部管を分解して組み立てる”だけなんですが、これが結構楽しかったです。

 使用する道具は、柄の長いマイナスの精密ドライバが一本と、細くて小さなかぎ針のような特殊な道具の二つだけ。フルートは基本的にネジで組み立ててあるので、ドライバーでネジを外して、バネを外すのにかぎ針を使う…とまあ、こんな感じです。

 分解組立そのものは、実に簡単です。手順を教えてもらえば、サクサクできます。問題は、私はオジサンなので、すでに細かい部分は(老眼のため)見えないので、そこは勘で乗り切ったという事です。まあ、本格的にやるならば、強力なライトとルーペが必要でしょうね。でも、楽しかったです。たぶん、私なら、フルート全部も同じような感じで、分解組立ができそうです。そうなると、次は調整のやり方を知りたくなりますね。

 お土産にAisキーをいただきました。総銀だよ(笑)。さっそく、ストラップ化して、仕事で使っているUSBメモリに付けてみました。ま、私以外にフルートのキーをストラップに付ける奴って職場にはいないので、いい目印になりました。

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2014年5月11日 (日)

LFJ2014 その4 フルート四重奏団を聞きました

 モーツァルト歌曲では勝手にガッカリした私でしたが、気持ちを持ち直して次のコンサートに向かいました。次は、“LFJエリアコンサート”という奴で、会場が変わります。場所は、グラントウキョウ サウスタワーという、東京駅八重洲口方面にある駅ビル(東京駅とつながっているわけですから、そういう表現でいいでしょう…か?)で、八重洲ブックセンターのすぐそばのビルの2階にある、グラントウキョウオ―ラルヘルスケアステーション(カタカナばかりで読みづらい:涙)で行われました。東京国際フォーラムからは、早歩きで約10分の距離でした。

フルートと弦楽器による四重奏(フルート:長谷見誠)

 演奏曲目は以下の通りでした。

モーツァルト:フルート四重奏曲ハ長調
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ
モーツァルト:フルート四重奏曲ニ長調

 フルートと弦楽器による四重奏…と言うわけですが、編成としては、フルート・ヴァイオリン・ビオラ・チェロでした。まあ、モーツァルトではオリジナルの編成となりますが、チャイコフスキーは原曲が弦楽四重奏曲ですから、オリジナルのファースト・ヴァイオリンのパートをフルートで吹いてみたそうです。また、ラヴェルのオリジナルはピアノ曲ですが、こいつは作曲者自身の編曲による弦楽合奏版もあるので、それを使って、やはりファースト・ヴァイオリンをフルートで演奏してみたんだそうです。

 まあ、ヴァイオリンとフルートは音域がほぼ同じですから、こういう芸当ができるわけだし、これを使えば、フルートのレパートリーがうんと広がるわけです(賢いやり方ですね)。

 さてさて、会場に着いて「やや!」と思った事は、会場が結構狭かった事です。ラ・フォル・ジュルネの演奏会場って、どこも広いか、あるいはオープンスペースだったりするんです。と言うのも、どのコンサートにもあふれるばかりの人出が見込まれるわけですが、ここは狭い。とにかく狭い。それにびっくりしました。

 会場は確かに狭かったけれど、実は天井がすごく高くて、人がギューギューに入っていても、案外息苦しさは感じませんでした。それどころか、この天井の高さが幸いして、音響的には素晴らしかったんですよ。「まるでお風呂場にいるみたいですね」とフルートの長谷見さんがおっしゃってましたが、お風呂場は大げさにしても、それくらい深いエコーがある会場だったんですよ。

 そんな会場でのフルートと弦楽器のアンサンブルですよ。もう、その音色に聞きほれちゃいましたよ。実に素晴らしい音響でした。

 長谷見さんの使用した楽器は、リップとヘッドがゴールドのシルバーの楽器でした。うんうん、こういう楽器が私の好みです。音色はシルバーのまま、パワーがマシマシって感じで、いいですね。

 演奏の方は、演奏自体が良かったのはもちろんの事として、会場が素晴らしかった事と、選曲がよかった事もあり、すごく良かったです。期待していなかったのに、素晴らしい演奏が聞けて、ほんと、うれしかったです。

 そんな素晴らしい演奏でしたが、曲目が上記の通りなんです。この曲目が書かれたプログラムを会場入り口でいただいて見た時は、びっくりしました。だって、演奏時間は30分と予告されているのに、このプログラムだと、小1時間かかりませんか? でしょ? ラ・フォル・ジュルネって、見るべきコンサートがたくさんあるから、皆さん、きちんと時間を計算して行動している方も大勢いらっしゃるわけで、だから演奏者と言うか、主催者の方も、そこは神経を使って、予定されたタイムスケジュール通りにいくように、みんな頑張っているわけで「それでこのプログラム?」と思ったわけです。「曲の一部をカットして演奏するのかな? ちょっぴり残念だけれど、それもまあアリだな…」とか思ってました。

 で、実際はどうだったか…と言うと、カット無しで律儀に演奏していたので、やっぱり小1時間かかったみたいですよ。…みたいですよ…と言うのは、実はタイムオーバーになってしまって、最後の『フルート四重奏曲ニ長調』は聞けなかったからです。ああ、残念。やむをえず、私、コンサートを中座して次に向かいました。ああ、良い環境で良い演奏で良い曲目…なかなか三拍子揃うことは少ないですから、ほんと、後ろ髪を引かれる思いで、会場を立ち去った私でした。

 で、どこに向かったのかと言うと…やはり東京国際フォーラムでした。

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2014年5月10日 (土)

LFJ2014 その3 モーツァルトの歌曲を…ひとまず聞きました

 マスタークラスの後は、間髪を入れずに、次のコンサートに行きました。同じガラス棟の同じフロアなので、移動が楽で嬉しかったです。どうも、ラ・フォル・ジュルネと言うと、移動にエネルギーを使う…というイメージがあるので、同じフロアを移動するだけで次のコンサートに行けるなんて、楽ちん楽ちんです。

手紙からひも解くモーツァルト歌曲の世界(ソプラノ:天羽明惠)

 このコンサートが、私が見た、唯一の有料プログラムなんです。と言うよりも、今年、ラ・フォル・ジュルネに1日しか参加しなかったのも、それも中日に参加したのも、すべては、このコンサートを見たい…と言うか、このコンサート以外に見たいコンサートが無かったためなんです。

 今年のラ・フォル・ジュルネのプログラムが発表された当時、私、本当にガッカリしたんですよ。今年は特に、私の趣味から遠く離れた趣向のコンサートばかりでプログラムを組まれていたのです。「わ~い、ラ・フォル・ジュルネだ!」というワクワクしていた気持ちがプログラムを見たとたん、一挙に凹んだものです。凹んで凹んで「もう今年はいいや!」と半ば自暴自棄になった時に、目にとまったのがこのコンサートだったんですよ。

 まあ、本音を言えば、近代フランスもののフルートコンサートとか、シューベルトの歌曲とかのコンサートがあれば、万々歳だったのだけれど…贅沢を言ってはいけませんね。モーツァルトの歌曲だって、十分楽しいじゃないですか! それに今年いきなりではなく、ここ数年、少しずつ、コンサートの傾向が私の趣味から遠ざかってきたので、ある意味、来るべき時が来た…という感じでもありました。

 このコンサートを見つけて「ああ、これ、見たい!」と思ったわけで、まさに『地獄に仏』と言うか『溺れる者はワラをもつかむ』と言うか『砂漠で見つけたオアシス』と言うか、とりあえず、そんな気分の私だったのです。

 コンサートの方は、語り(モーツァルトの手紙を朗読)を交えながら、モーツァルトの歌曲を年代順に歌っていくというモノです。

 ちなみに演奏曲目は次のとおりでした。

春への憧れ
鳥たちよ、年毎に
寂しい森の中で
すみれ
喜びは胸に躍り
クローエに
魔術師
静けさはほほ笑みに
ルィーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき
夕べへの想い

 ただ、歌を歌い継いでいくだけのコンサート(クラシック系のコンサートにはままあります)と比べると、合間合間に朗読が入るのは良いです。歌だけを聞くよりも、ずっと楽しめます。

 モーツァルトの歌曲は…ドイツ語がメインだけれど、フランス語やイタリア語のものも若干ありました。どうもオペラファンの視点で見ていると“モーツァルトはイタリア語”ってイメージが強いですが、彼はいわゆるオーストリア人ですから、母語はドイツ語なんですよね。当然、歌曲もドイツ語のモノが多くなるわけです。

 そうそう、モーツァルトの歌曲として有名な「すみれ」とか「クローエに」って、よくよく詩を読んでみると、これって男性の歌だね。男性視点の歌ですね。「モーツァルトの歌曲は女声歌手が歌う」というイメージが強い私ですが、男性視点の歌があるなら…頑張って歌ってみようかな…なんて気持ちになりますね。

 それとモーツァルトの歌曲は、やはりメロディが美しいです。オペラアリアと違って、派手さはないのですが、その分メロディの美しさがきわだちます。アリアもいいけど、歌曲もね…なんて思いました。

 で、肝心の歌唱なんですが、正直、あまり楽しめませんでした。ちょっとガッカリしちゃったかな? 期待が大きすぎた…のかもしれません。

 まずは座席が悪かったです。なにしろ、歌手の斜め後ろですから(笑)。それも歌手と私の間にはフタをガーンと開けたピアノが入るわけです。おまけに場所はコンサートホールではなく、いわゆる会議室で、部屋の音響はデッドですから、あまり跳ね返りも期待できないわけです。天羽さんは素晴らしいソプラノだという前評判でしたから、すごくすごく期待していたわけですが、そんな状況だったので、コンサートそのものが楽しめず、ガッカリしちゃいました。

 おまけに45分予定のコンサートを約30分で切り上げちゃうし、アンコールもないし…。まあ、自分を安く売らないというのは、プロとして大切だけれど、あまりお高くとまっているように見えるのは、残念。もう少しお客を楽しませてくれても良いのになあ…なんて思いました。それと、天羽さん、あまりご機嫌の方もよろしくなかったようにお見受けしたし…。歌手の精神状態って、客席からよく見えるんですよね…。

 期待していた演奏(の鑑賞)の方は残念だったけれど、ラ・フォル・ジュルネはこれで終わったわけではないので、気分を改めて、次のコンサートに向かう私でした。

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2014年5月 9日 (金)

LFJ2014 その2 フルートのマスタークラスを見ました

 好田タクト氏のモノマネを見た後は、マスタークラスの整理券をいただき、それが始まるまでの小一時間、とりあえず、あたりをウロウロボケーとしていました。だってね、好田タクト氏のモノマネの後、ほんと、何もないんだよね。お土産コーナーも休憩コーナーもやってない! だから、コンビニに行ったり、コンビニに行ったり、コンビニに行ったりしているうちに、コンビニにも飽きちゃったので、仕方なしにマスタークラスの入場の列に並ぶ事にしました。私は列に並ぶのが大嫌いなんだけれど、列に並ぶのが、一番の気晴らしという状況なんだもの、仕方ないよね。

マスタークラス(フルート:ジュリエット・ユレル)

 というわけで、朝一番のマスタークラスは、フルート奏者のジュエット・ユレルのレッスンでした。先生であるユレル氏は、たぶん年齢的にはお姉さんとオバサンの中間ぐらいなんだろうけれど、美しい人なので、実年齢よりも若く見えているような気がします。クラシック音楽の世界で成功するためには、女性は美人でないといけないんだよね。ちなみに、パリ国立音楽院卒業で、現在はロッテルダム・フィルの首席奏者で、ハーグ王立音楽院の教授さんなんだってさ。

 今回のレッスン曲目は、バッハ作曲「フルートソナタ ロ短調」です。まあ、フルートの曲は、ドイツバロックと近代フランスしかないから仕方ないけれど、できればフランスモノを聞きたかった私です(贅沢ですね)。

 ちなみに楽器は、先生がたぶん14Kで、生徒さんが9Kかなって思いました。なぜそう思ったのかと言うと…管体の色ですね(お二人とも、メカは銀でした)。生徒さんのフルートは赤っぽくて、先生のフルートは薄い黄色だったからです。だから、14Kと9kと判断したわけですが…間違っていたらごめんなさい。

 さて、例によって、先生がレッスン中におっしゃっていた事に私が若干の感想を加えながら書いてみたいと思います。

 音はお客の後ろまで飛ばす事。自分のために吹かないで これは生徒さんの演奏が終わって真っ先に言いました。実は私も似たような感想を持っていて、生徒さんの演奏はとても達者だと思ったのですが、なんか音が届いていないような気がしたんですよ。ちなみに、フルートの音を飛ばすには、歌口を大きく開き、たっぷり楽器に息を吹き込む事が肝心なんだそうです。

 バッハの曲はトラヴェルソを吹いているつもりで 私たちは現代フルートを使っているわけだけれど、バッハの時代にはそんな楽器はなかったわけだし、バッハはフルートではなく、昔のトラヴェルソのための曲を書いたのだから、バッハの曲を吹く時は「自分はトラヴェルソを吹いているんだ」という気分になって演奏することが大切なんだそうです。だから、決してヴィブラートはかけちゃダメなんだって。

 クラブサンをよく聞き、クラブサンのような音で吹くこと もちろん伴奏をしているのはクラブサンではなく現代ピアノなんだけれど、フルートをトラヴェルソに見立てているように、ピアノもクラブサンに見立てて演奏して、互いに対話する事が大切なんだそうです。あ、クラブサンってのは、いわゆるチェンバロの事ね。なので、フルートも、素朴に朴訥に吹くことが大切で、決してヴァイオリンのようなレガートで吹いてもいけなんだってさ。あくまでも、バッハの場合は、クラブサンのようにボツボツと吹くんだってさ。

 フルートを吹く前に、とにかく歌って 自分でどんな風に曲を吹きたいのか、イメージがあるなら、それを固めるために、フルートを吹く前に歌ってみることが大切だ言ってました。とにかく、この先生、フルートも吹くけれど、歌もよく歌います。生徒さんにフレージングを伝える時も、フルートではなく、歌って教えます。とは言え、別にホンモノの歌手のように立派に歌うわけではありませんが、まるでフルートを吹いているかのように歌うんですね。面白いです。

 主役と脇役を常に意識する事 バッハの音楽は多声音楽ですから、自分が今吹いているフレーズが主役なのか、それとも脇役なのか、常に意識をして、主役のフレーズを吹いている時は主役っぽく、脇役のフレーズを吹いている時は控えめに吹くことが大切なんです。

 今は何調を吹いてますか? 曲が転調するたびに、先生は生徒さんに調性の確認をしています。と言うのも、フルートは調性によって、音色を変えないといけないのだそうです。転調をしても音色が変わらないというのではダメなんだそうです。だから、今は何調を吹いていて、だから音色はこう変えないといけないと意識する事が必要なんだそうです。

 バッハを演奏するならバッハの他の曲も聞きなさい。特に受難曲とカンタータをたくさん聞きなさい 結局、バッハの音楽は声楽が基礎にあるので、バッハの作った声楽曲を知らないとフルートは吹けないのだと言いたいらしいです。

 呼吸が見えない もっと呼吸を見せて演奏してくださいと言ってました。呼吸とはフレージングなんだそうです。だから、呼吸が見えない音楽は、フレーズの見えない音楽なんだそうです。だから、しっかりと呼吸をしながら演奏しないといけないんだって。

 楽譜をしっかり読む事 この場合の“読む”は分析をする事です。バッハは多声音楽で、多くの声部が入り組んで書かれているので、それらを一つ一つ解きほぐしながら演奏することはとても重要なんだってね。

 パートとパート、フレーズとフレーズの会話を楽しみましょう バッハの音楽は、曲の中に、いわば“コール&レスポンス”があるようです。だから、問いかけながら応答し、応答しながら、さらに問いかける、という姿勢が望ましいみたいですよ。

 バッハの曲は音程が変わるとエモーションが変わる メロディを感情の起伏、とこの先生は捕らえているようです。だから、音程が変わると、曲のエモーションが変わるんだそうです(私にはちょっと難しい話でした)。

 ピアノと合わせて演奏しているのだから、アンサンブルです。アンサンブルである以上、相手の事も考えてあげてください これはピアノは減衰楽器なんだから、フルートも一緒に減衰しながら吹いて上げましょうねという事らしいです。

 今回のマスタークラスは、こんな感じかな? なかなか面白かったです。

 そうそう、先生と生徒さんと二人でフルートを吹いているのを客席から見ていて思った事は、フルーティストは右手はさほど目立たないけれど、左手って目立つなあ…って事です。右手につけたアクセサリーはあまり気にならないけれど、左手につけたアクセサリーとか指輪とか時計とか、見ていて、メッチャ気になります。左手、私も気をつけようっと。

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2014年5月 8日 (木)

LFJ2014 その1 腰をすえてモノマネを見ました

 今年もラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、つまり、東京のラ・フォル・ジュルネに行ってきました。今年は5月4日の中日に行ってみました。今までは、初日と最終日の二日間出かける事が多かったけれど、今年は一日だけにしたので、当然、朝から晩までフルに楽しめる二日目をチョイスしたわけです。

 まあ、なんで例年二日間出かけていたのを一日にしたのかというと…正直、ラ・フォル・ジュルネに以前ほどの魅力を感じなくなってきたからです。少なくとも、二日間もラ・フォル・ジュルネを楽しむ自信がなかったからです。

 今年の有料プログラムを見た瞬間に「あ、ダメだ、これ」って思っちゃったわけです。「行きたくなるプログラムが…無い(涙)」って思っちゃったわけです。今までは「あれも見たい、これも行きたい」と思っていたのに、今年は全然テンションが上がらなくなってしまったのです。

 飽きた?…それはないんじゃないかな? 基本的にコンサート大好きだからね。演奏者に魅力を感じない…それは多少なりともあるかも? ご贔屓のミュージシャンが来日せず、知らない若手ばかりじゃ、魅力薄と思われても仕方ないよね。プログラムがつまらなそう…少なくとも、ピアノとオケばかりじゃ悲しいですよ。

 びわ湖のラ・フォル・ジュルネは、声楽がたくさんあって楽しそうだし、心もワクワクするでしょう。金沢や新潟は地元密着っぽくって、それはそれで面白そうだけれど、東京のラ・フォル・ジュルネは、なんかどん詰まり感を感じるんです。東京は全国区なのに、今年は丸の内のみならず、千代田区色も出してたけれど、私のような、周辺地域から来ている人たちにとって、ラ・フォル・ジュルネに神田とかアキバの店が出店してても、なんか違うような気がするんですよね。そういう迷走しているのが見えると、ますますドン引きしちゃうよね。

 来年のテーマは、フランスでは「バロック」だそうですが、東京のテーマ(つまり、日本のテーマ)は、未発表なんだそうです。6月に発表予定だそうだけれど、何か“オトナの事情”って奴があるのかな? 例えば…開催自体が決定していない…のかもしれないですね。だって、やるなら、フランスのナントと同じ「バロック」でいいじゃん。でもそこで「来年のテーマは“バロック”です」と言えないところに、色々と事情があるんだろうね。

 やれやれ。始めがあるなら、終わりがあるのは当然として、ただ、散り際を見苦しくしてほしくないなあ…と個人的には思います。

 さて、それはさておき、今年の私のレポートを始めます(笑)。

好田タクト氏の指揮者モノマネ

 毎年毎年、朝9時から『好田タクト氏の指揮者モノマネ』をやっているというのを知りながら、なんか毎年、ちょっとずつ遅刻して、きちんと見ていなかったのですが、今年はしっかり見ておこう、見ておかないと(来年は無いかもしれないし…と)思って、気張ってみました。9時開始ですからね、8時半には東京国際フォーラムに入りました!

 いやあ、面白かったです。確か、例年は、クラシック・ソムリエのコーナーの前の平場でゲリラ的にモノマネをやっていたと思いますが、今年はしっかりトーク・ステージを使って、音響スタッフさんも入れてやってました。ううむ、なかなか本格的! まるで寄席で芸を見ているみたい。

 やってくれたモノマネは、元気な頃のレヴァイン、ベト7を振るカルロス・クライバー、禁断のネタ(ネットに上げるなと言ってたので、ひとまず伏しておきます)、指揮者ラジオ体操第一(カラヤン・小沢・チェリビダッケ・コバケン・ゲルギエフ・下野竜也・佐渡裕・朝比奈隆のモノマネメドレー)をやった後、モノマネを離れて、水道ホースにジョウロをつけた簡易ホルンで“スッペ作曲軽騎兵序曲”の演奏(これがなかなかすごい)をした後、たっぷりと朝比奈隆のモノマネをしてくれました。

 すごいな、本当にすごいなって思いました。これが世界ナンバーワンの指揮者モノマネなんだなって思いました。まあ、なぜ“世界ナンバーワン”と思ったのか言えば、こんなニッチな芸は、他にやっている芸人さんいないでしょうから(笑)。

 好田さんのモノマネの、とても良いところは、愛がある事かな? 音楽や指揮者さんたちに愛がある事が見ていて、すごくよく伝わりました。だから、デフォルメをしていても、貶める事は無いんです。だから、直接笑いにつながらりづらい部分はある(そこは芸としては弱い部分かな)けれど、それはそれでいいんじゃないかな? 何も芸って、笑いを取らなきゃいけないってもんじゃなくて、「へえ、すごいなあ」と感心させるのも、立派な芸だと思うからです。

 頑張れ、好田タクト。

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2014年5月 7日 (水)

人はなぜ舞台に立つと緊張するのか?

 歌であれ、楽器であれ、音楽は時間芸術ですから、当然、学んだ成果を披露するとなると、人前での演奏という形を取る事になります。まあ、我々のようなアマチュアの場合は、門下での発表会や勉強会とか、地域での公募演奏会とか、友人知人を集めてのサロンパーティーとか、まあその手のモンです。

 中には、人前で自分の演奏を披露する事に大きな心理的な抵抗を感じて、その手のモノに一切参加しない人もいますが、それも無理からぬ事です。人前で演奏するというのは、実になかなか難儀なものだからです。特にアマチュアの場合は、かなり厳しいですよ。

 なぜ、我々アマチュアが舞台に立つのが難義だと感じるのか…そこには色々な問題点があるでしょうが、一番の問題的は『あがる』事でしょうね。『あがる』のがイヤだから、人前では演奏をしない…多いですね、そういう人。

 では、なぜ舞台に立つとあがるのか、そしてそれを克服するならどうすれば良いのか、考えてみました。

1)舞台経験の少なさ

 日常生活であがる人はいません。いつもと違う世界だから緊張してあがるのです。舞台とは非日常そのものです。非日常だから緊張してあがるのです。まあ、プロは、舞台が日常生活の一部ですけれど、我々アマチュアはどこまで行っても、舞台が日常になる事はありません。しかし、その非日常を日常に近づけていく事はできます。それは、本番をたくさん経験する事。リハーサルをまめに行う事。本番、あるいは本番に近い状況を回数多くする事で、舞台経験の少なさを少しでもカバーしていければ、あがる事も少なくなってくような気がします。

2)圧倒的な練習時間の不足

 「あがる」理由には「失敗したらどうしよう?」という気持ちが常に裏側にあるものです。つまり、本番への不安というか、失敗を恐れる気持ちが「あがる」事につながり、それが舞台を敬遠させる遠因となります。

 要は『失敗しないか』あるいは『失敗を恐れないか』そのどちらかでしか、これを回避する事はできません。我々日本のアマチュアはマジメですから、そのどちらかを選択しろと言われれば、当然「失敗しない、完璧な演奏をしたい」という方向を選択したがるのです。これがマズい選択なんでしょうね。

 失敗しないためには、道は三つしかありません。一つ目は「レベルを落として安全パイで行く」。これはこれでアリですが、少し寂しいですね。

 二つ目は「一所懸命に練習をしてミスなく行く」これが理想ですが、我々アマチュアの場合、本業があります。人生の大半を練習に捧げられるプロやプロ候補生たちとは違います。忙しい生活の合間の隙間時間でしか練習できないのが我々アマチュアですから、これはかなり厳しい選択となります。

 三つ目は「失敗しないためには、最初から参加しない」参加しなければ失敗しませんからね(涙)。

 まあ、三つ目の選択は無しとして(笑)、要は「自分の実力に見合ったモノを熱心に練習して真摯にその結果を受け入れる」しかないわけです。つまり、自分を過大評価しない事。自分を過信しない事。さらに言えば“自分で思っているほどに他人は自分を気にしていない”という事を知るべきです。「あちゃー、大失敗しちゃったよ」と本人が思っていても、他人様は「あれ、おかしいな?」とその時は思っても、その5秒後には、そんな失敗があった事を忘れているものです。人間って、他人の事には大した興味を持たないもの…なんです。

 そういう点では「失敗をしない」ように心掛ける事はもちろん大切だけれど、もっと大切なのは「失敗を恐れない」事であり、「失敗をしても気にしない」タフな心が必要なのかもしれません。

3)専門教育の不足

 ほんのちょっとした知識で回避できる失敗なんて、この世にはたくさんあります。演奏の世界でも同じです。プロはその手のコツを知っています。きちんとした専門教育を受けているわけだし、師匠や同僚などから、この世界を渡っていくための様々なノウハウを学んでいるからです。でも、アマチュアである我々には、その手のものはありません。

 これについては、どうしようもない(笑)。ここはもう開き直るしかない(テヘペロっ!)。

4)あがった時の対処方法を知る

 最後にプロだってあがります。舞台の本番を前にして、程度の差こそあれ、あがらない人なんていません。ただ、プロの場合は、心理的にあがってしまった時の対処方法をそれぞれに身につけているので、なんとかなっているわけです。

 我々には、あがってしまった時に何をすればよいか、分かっているのでしょうか? その対処方法も知らず、あがってしまったら、そのままあがってしまうのに任せて、ドンドン心理的に自分を追いこんでパニックに突入してやしないでしょうか? それじゃあ、心理的な負の連鎖状態です。いいことなんて一つもないですよ。

 おまじないでもなんでいいんです。「これをすれば落ち着く」というものを二つ三つ見つけておくと、舞台であがらずに済むんじゃないでしょうか?

 ちなみに私は、舞台袖で『水を飲む』『体操をする』『音叉でAの音を聞く』の三つをやります。この三つをやる事で、不思議と気分が落ち着くものです。

 「音叉を忘れたら…?」「水が無くなったら…?」 大丈夫です。そういう時はセカンドベストの手があります。たとえば『深呼吸をする』『打ち上げの事を考える』『ブログネタを考える』『祈る』などの道具のいらない方法もいくつか用意してあるからです。

 それに、たとえ舞台にあがった時は落ち着いていても、演奏しているうちにドンドンあがってしまう事だってあるわけです。そんな時はもう「南無三!」ってなモンですよ。そういう時は「自分を忘れる」ことにしてます。演奏している自分と、あがってしまった自分を、心理的に切り離すわけですね。そして、あがってしまった自分は横に置いて、演奏している自分に集中していくわけです。ま、いわゆる“無我夢中”って奴かもしれません。

 まあ最後の最後は「プロじゃないし、舞台で失敗したからと言って、明日のオマンマが食えなくなるわけじゃない…って事だけは、肝に銘じているので、失敗したら『ごめんなさ~い』で済ましてやろう…なんて不謹慎な考えを持っている」事は、内緒だよ(笑)。

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2014年5月 6日 (火)

讃美歌を歌うとノドが痛くなる

 讃美歌を毎日歌っている私ですが、最近はほんと、讃美歌を歌うとノドが痛くなるんです(涙)。

 別に不信仰であるとか、バチあたりな事とかは、してないつもりだけれど、讃美歌を歌うと、決まってノドが痛くなります。痛くなって、最後まで歌うこともできない事も多いし、むせて咳き込んでしまう事もしばしば。ちょっとつらいかも。なので、讃美歌を歌う時は、ノドに極力負担をかけないように、小さく軽くフワッと歌うように心掛けています。支えもほとんど無しで、口先だけで歌ってます。

 それにしてもなぜでしょう? 以前は讃美歌を歌っていても、ノドが痛くなるような事はなかったのに、割と最近、ここ一年ぐらいで、その傾向が強まってきています。

 なぜそんな事になるのか、つらつらと考えてみたところ。いくつかの原因が思いつきました。

 一つ目の原因は、歌が声に合わないから。もう少しちゃんと言うと、曲の音域が私には、少し低いから。

 だってね、讃美歌って、たいていの曲のメロディーがド~ミの10度の中に収まるんだけれど、その中の音を満遍なく使っているわけではなく、メインで使うのは、ド~ラぐらいまでの音、そこより上は、サビの部分でちょろっと使う感じで、たいていの曲はド~ラの間を行ったり来たりしているだけ…多くの讃美歌は、そんなメロディーの作り方をしているような感じなんです。

 でもね、私は、そこよりもう少し上の音を歌っていると気持ちいいし、歌いやすいんです。だから、メロディもソ~ファぐらいの1オクターブをメインに作ってくれると歌いやすいかなって感じです。つまり、あと3~5度ぐらい上だとうれしいんです。

 でも、讃美歌のメロディはド~ラが中心で、曲の大半が、私にはあまり楽には歌えない音なので、そこを懸命に歌っていると、ついついノドを鳴らしすぎてしまって、ノドを痛める…ようなんです。

 低い音は捨てて歌う…のが正しい歌い方なんでしょうが、全部が全部低い音でできている曲だと、全部を捨てるわけにもいかないので、ついつい無理無理に歌ってしまって、ノドを使いすぎてしまうんですよねえ…。

 で、ノドを使いすぎた結果、ノドが痛くなる…とまあ、そんな寸法なわけです。

 二つ目の原因は、讃美歌って、歌にはお休みがないですからね。とにかく、間奏というモノがなく、歌い始めたら、曲の終わりまで、ほぼノンストップです。おまけに、休符すらない曲だって結構あるし、大概の曲は、4番まであるから、3~5分は休みなく歌ってます。普通の人なら何の問題もないかもしれないけれど、歌の体力の無い私には、これはかなりの長丁場って奴で、スタミナ切れを起こしてしまうわけです。

 三つ目の原因は、讃美歌を歌う時は準備体操や発声練習をせずに、いきなり歌うわけです。おまけにたいていが朝一番だったりするし…。かけっこだって、いきなり走り始めれば足がおかしくなるように、いきなり歌い始めればノドがイカれるって寸法です。

 さらに…って、もういいでしょう。つまり、こんな状態なんです。

 ちょうど、私の声が本格的にテナーの声になってきたあたりから、讃美歌で苦しみだしたみたいです。そう言えば、讃美歌ってバリトンさんとかが歌うには、ちょうど良さ気な音域ですよね。

 ちょうど今は声の過渡期だから、こんなつまらない事に苦しむんだろうと思います。これですっかりとテナー声が完成したら、この程度の曲など、痛くもかゆくもないんだろうけれど。

 今は、声に合わない曲は、歌わないのが一番でしょうし、歌うとしても、無理せず、楽に楽に歌う事が肝心なんだけれど…ついつい歌だと思うと、真剣にマジになって歌ってしまう、損な性分がよろしくないですね。

 ノドもカラダも健康第一。無理はいけませんね。分かっちゃいるけれど(笑)。

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2014年5月 5日 (月)

35歳以上の女と、年収400万円以下の男は、なぜ結婚できないのか? その2

 では今度は男性の場合で考えましょう。

 こっちは難しいです。女性の場合は、年齢がネックになっているわけだから、早い話、本人の自覚(若いうちから結婚に前向きになって行動する)次第で、かなりの部分が問題解消されるわけですが、年収となると、本人の自覚だけでは難しいですね。その人の根本的な生き方の問題にもかかわるわけです。

 ざっくり言えば、どういう学歴を身につけ、どういう資格を持ち、どれだけ健康であり、どれだけの強固な肉体を持っているか。さらには趣味趣向や適性や縁故だって関係してくるわけです。それらをひっくるめた上で、どこでどうやって生業を営み収入を得るか…が決まってくるわけです。つまり男の場合、人生の選択が年収にダイレクトにかかわってくると言えます。

 女性は妊娠出産子育てと、どうしても働くのが難しい時期があります。『男は外で働き、女は家の面倒をみる』というのは古いライフスタイルだと馬鹿にされますが、でもこれが案外、それぞれの性にとって、素直で楽な生き方なのかもしれません。少なくとも、妊娠から子育てまでの期間はそれに専念し、その間の自分とわが子を男性に養ってもらいたいと願う女性がいても、当然の話です。

 そうなれば、やはり結婚相手として、女性が一定の年収がある男性を選びたがるのも仕方ない話です。目の前に、年収1000万円と年収300万円の男性がいたら、年収1000万円の人を選んでも仕方ないのです。現代の女性が結婚相手に年収600万円以上の男性を望むのも、そりゃあ当然な話です。つまり、学生の恋人を捨てて、富豪と結婚したからと言って、熱海の海岸で蹴り飛ばされるなんて、そりゃあ理不尽ってなモンです。

 じゃあ、女性の側は年収600万円以上を望むのは良しとして、では年収600万円以下の青年は結婚できないのか? って言うと、決してそんな事はないでしょう。と言うのも、年収600万円以上の男性、それも結婚適齢期の男性でそれくらいの年収のある人なんて、ほんの数えるほどしかいないからです。

 こちらのサイトの情報によれば、20代後半の平均年収が367万円、30代前半で431万円だそうです。年収600万円なんて、ほど遠いほど遠い。

 昔から若者と言うのは、夢は持っていても、お金は持っていないモノです。若者が貧乏なのは当たり前なんです。でも、昔の若者は貧乏だけれど結婚していました。だから、今の若者が結婚できない理由として、貧乏とか年収の低さだけをあげるのは間違いなのかもしれません。いや、年収は結婚の可否にとって、とても重大なファクターでしょうが、決してそれだけが理由になるわけじゃないって事です。

 私は、年収以外にも、若者の結婚を阻害する要因として、二つの事柄がからんでいるとにらんでいます。一つは、今と昔の社会構造の違い。もう一つが最近の若者の気質です。

 社会構造の違いは大きいでしょうね。まず、日本でも、ちょっと昔まで、いい若い者がいつまでも独り身でいるなんて、社会的に許されませんでした。学校を卒業して就職したら結婚して子どもを生んで育てる。これが当たり前の生き方で、そこを外れる事は社会的に許されなかったわけです。なので、恋愛であれ、お見合いであれ、とにかくみんな結婚していたわけです。本人に結婚する意志があろうがなかろう、周りの大人たちが寄ってたかって若者たちを結婚させていたわけです。

 それに昔は、女性の社会的な自立は今よりもずっと難しかったわけで、女性は結婚しないと人生が始まらないといった側面がありましたし、男性と女性では男性の方が人数が少なかった事もあって、よほど不出来な男以外は、嫁さんをもらう事ができたわけです。

 でも今は、個人主義だし、若い者は年寄りの意見など聞きません。『結婚しないといけない』というプレッシャーも昔ほどでは無いです。それに伴い、若い時代はもちろん、中年になっても独身でいる自由が世間的に認められつつあるし、社会もそれを公には攻撃しないし、本人に結婚する意志が薄ければ、いつのまにかズルズルと独身を続けていても許される風潮にあります。また、女性の社会的な自立もそれなりに進み、女性は結婚しなくても生きていられるようになったので、かつてほど切実に結婚を熱望する人の数は減ったわけだし、何よりも、今は女性よりも男性の方が人口が多いので、どう考えても、結婚できない男が街中にあぶれてしまうわけです。

 まずいね、実にまずいね。

 でも、それでも結婚できる青年はいるわけです、たとえ貧しくても。

 そこで問題になってくるのが、今の若者の気質です。私が観察している範囲でモノを言うので、間違っているかもしれませんが、最近の若者は、何かと“良い子ちゃん”が増えてきたような気がします。優等生タイプの若者と言うか、坊っちゃん気質というか…。穏やかで、争いごとを好まず、面従腹背で、大人の言うことに逆らわない代わりに聞く耳を持たないと言うか…。そして、そんなタイプの男の子たちの多くが、小心/傷心モノで、弱気で自己評価が低くて、諦めやすいようです。少し前に“草食系男子”という言葉が流行りましたが、まさにそんな感じの青年が増えたと思います。

 彼らは“結婚できない”のではなく“結婚できないかもしれないから、女の子とつきあわない”と考えて行動するタイプであり、“女の子とつきあわない”のではなく“女の子につきあってもらえないかもしれないから、最初から女の子に興味を持たない”事にしてしまうタイプなんです。

 最初から逃げ腰。戦う前から戦いを放棄しているわけです。なぜかと言えば、自分に自信がないから。年収の少ない自分は結婚/恋愛できないと信じているからです。これじゃあ、たとえ目の前に、その青年の事を愛する女性が現れたとしても、結婚できるわけないです。

 たとえ年収が少なくとも、真っ正面から女の子にアタックしていける青年なら、きっと自分と釣り合いの取れる女の子とめぐり合う事ができると思います。

 つまり、年収の低いのも問題だけれど、年収が低くて自信を失っている事も問題だし、そういう最近の青年たちのメンタルの弱さが結婚を遠ざけている…んだと私は思います。

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2014年5月 4日 (日)

35歳以上の女と、年収400万円以下の男は、なぜ結婚できないのか? その1

 あー、ごめんなさい。今週も体重を測定できませんでした。ので、さっそくエッセイに入ります。

 今回の記事は、ある意味、前回の記事の続きです。

 もちろん、35歳以上の女性でも、年収400万円以下の男性でも、きちんと結婚して、立派な家庭を築き上げている人がいる事は分かった上で、あくまでも統計的な見地から、ある種の極論で話してみたいと思ってます。

 個人的には「たとえ35歳以上でも、たとえ年収400万円以下でも、諦めずに頑張れ。頑張っていれば、やがて良い縁も巡りまわってくる」と励ましたいところです。

 さて、とは言え、統計的には35歳以上の女性が結婚するのは、どうにもきびしそうです。その理由は…おそらく単純に「35歳以上の女性は、妊娠しづらいから」なんだと思います。

 結婚とは「愛する男女が一つ屋根の下で愛を育みながら暮らすもの」であると同時に「子孫繁栄&家系継続のシステム」でもあるからです。なにしろ「子を生まぬ女は嫁失格」と言うのは、何も昔話ってわけではなく、今でも大っぴらに言わないだけで、まだまだそういうふうに考えている人って大勢いるからね、ネットを見ていても、その手の悩み相談やグチブログは掃いて捨てるほどあります。

 こちらのサイトを読むと…

>35歳を過ぎると自然な状態での妊娠率はグンと落ちて、45歳を過ぎるとお産をする人は極めて少なくなります

 …って事らしいし、実際、日本では35歳以上の出産は“高齢出産”って事で、とてもリスキーなモノとして扱われるわけです。

 妊娠しづらく、妊娠してもリスキーな高齢出産となってしまう女性を嫁として選択する…というのは、妊娠出産を中心に考えた場合、確かに賢い選択とは言えないかもしれません。なにしろ、世の中には、20代の女性だって、たくさんいるわけですから。これから結婚するなら、そういう若い女性を選べばいいのに、なのにわざわざ…って話になるわけです。

 実際、私だって、将来ウチの息子君が嫁さん候補として、35歳以上の女性を連れてきたら「ちょっと待て!」と言いますよ。なにしろ、ウチの息子君は長男だからねえ。家系を絶やしては、ご先祖様に申し訳ないわけよ。墓だって守ってもらわないといけないわけだし、出来れば男の子を生んでほしいし、それも複数生んで欲しいし、もしも女の子だけであっても、墓守をきちんとやってくれる子が欲しいわけです。なので、妊娠の可能性の少ない女性を連れてきたら「ちょっと待て!」と言って、家族会議を開かざるを得なくなるわけです。

 「自然妊娠は難しくても、不妊治療を受ければ、まだイケるんじゃないの?」と言われそうですね。

 こちらのサイトを見ると、不妊治療をすれば、確かに自然妊娠が難しい年齢でも妊娠が可能のようだけれど、それだってせいぜいが43歳まで? 35歳なら、まだ7年あると言えますが、38歳ならあと5年…。40歳ならあと3年…と言うより、そろそろ無理じゃないの?って感じになりますよね。

 それに不妊治療ってのは、病気じゃないから、お金がかかるんだよね。こちらのサイトによれば、平均で140万円だそうです。もちろん、これは妊娠して子どもを授かった人たちの平均だから、妊娠できずに途中で治療を止めてしまった人たちの支払いは入っていないわけです。不妊治療ってのは止め時が難しいようで、ある意味、無限に無期限にお金をつぎ込んでしまいかねません。1000万円以上の金額を突っ込んで、ようやく諦めがついた…という御夫婦の話はよくネットで見ます。それを考えると、不妊治療というのは、お金に余裕のある人の最後の手段的な方法であって、結婚するにあたって、それを最初から念頭に置くのは、違うような気がします。

 「だいたい、そんなにお金がかかるなら、もっと若くて妊娠しやすい女性を嫁に選んでくれよ~」と、息子を持つ親としては、そんなヒドイ事を考えたくもなるわけです。

 いくら美容に気をつけ、ファッションにも気を使って、若く見せていても、人はどうしたって老いるからね。外見は若さを保っていても、内臓はそうはいきません。卵巣だって内臓だから、その人と一緒に卵子も老いるからね。厳しいけれど、これは現実だからねえ。

 とは言え、統計は統計で、現実は現実。実際、40歳過ぎてから自然に妊娠出産をしている女性だって少なからずいるわけだから、絶対に無理とは誰にも言えないし、年齢だけをもって諦めるのは早いとも言えますがね。でも、自分の家族の問題となると、そんなキレイゴトはなかなか言えません。

 と言うわけで、今はまだ若い女性たちは、手遅れになる前に、さっさと結婚しちゃう事をお薦めします。かつて若かった女性たちは…あきらめずにいれば、やがて良い人も現れるかもしれません、気長に待ちましょう。私に言える事は、それくらいかな?

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2014年5月 3日 (土)

ポンプを取り替えました

 金魚水槽のエアーポンプを新品に交換しました。

 金魚水槽の濾過フィルターには上部式のモノを使っているので、濾過の過程で、新しいエアーを水に取り込む事ができるので、別にそれで十分と言えば十分なんだろうけれど、ウチの子たちは皆巨大魚だし、やはり酸素が足りなくて息苦しいよりも、エアーがたっぷり吹き込まれている水の方がいいだろうと言う事で、濾過フィルターとは別に、エアーをポンプで入れてます。今回取り替えたのは、その別途エアー混入用のポンプの方です。

 金魚のポンプって、実は消耗材なんですね。使っているうちにヘタレてきて、やがてパワー不足となってエアーを吹き込む事が出来なくなり、使い物にならなくなります。ポンプを廻しているモーターがヘタレてくるんだと聞いたことがあります。ですから、そういう状態になったら、そこはケチケチせずに、適当なところで新品と交換する事にしています。

 ま、そんなに高い買い物でもないので、お金をケチるよりも、エアーブクブクを選ぶわけですよ。

 で、今回、新しく購入したポンプがこれ。安くて静かでいいですよ。金魚水槽を居間に置いているので、静かさは大切なポイントなんです。

 欠点は…ちょっぴり非力なところかな? もっとお金を出して、上位機種を選べばパワフルなモノもありますが、パワフルなものは音がうるさいです。ウチの水槽で、あくまでもサブポンプとして使うなら、これくらいで十分です。これで2~3年は使えると思います。エアーポンプの寿命として、これが長いのか短いのかは分かりませんが、値段が値段ですから、別に気にしていません。

 少しでも金魚たちに、快適に暮らしてほしいと願っている私です。

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2014年5月 2日 (金)

そう言えば、フルートの調整に行ってない…

 去年の8月にフルートの調整をしてもらって以来、実は全くフルートの調整をしていません。いつもなら、8月に調整をしたとしても、秋になれば改めて調整をお願いし、春にも調整をお願いをするのに、今回は全然調整していません。このままだと、今年の秋まで、つまり前回から数えて1年以上も先まで、フルートを調整するチャンスがないのです。

 フルートを調整に出さない理由は二つ。一つは、忙しすぎてフルートを調整に出しているタイミングがうまくつかめない事。もう一つは、あまりフルートを吹いていないので、メカもさほど狂ってはいないだろうという事。

 しかし「いいのか、これで?」とか思いますが、実際、なかなか調整に出すチャンスがないので、これも仕方ないです。幸いな事に、すでに2回程調整のチャンスを逃しているにも関わらず、フルートのメカには、さほど重要な狂いが生じていない事でしょうね。

 でも、いつかどこかで心を入れ換えて、真剣にフルートの練習を始めたら…たぶん、一気にメカに狂いが生じるでしょうね(汗)。

 まあ、フルートを吹いている以上、フルートの調整は、マメにした方が良いです。自分で調整できればいいのですが、アマチュアの場合、なかなかそういうわけにもいきません。なので定期的に調整に出す事が必要となります。毎日コツコツと練習しているなら、三ヶ月~半年に一度は調整に出した方がいいし、たまにしか練習をしなくても年に一度は調整をした方が良さそうです。

 なので、私のように、一年以上もフルートを調整に出す予定がない…と言うのは、あまり褒められた事ではありません。もちろん、私がフルートを調整に出さないのは、単純に忙しくてなかなか良いタイミングで楽器屋さんにアポが取れないからです。

 だってね、うっかり調整に出してしまって、レッスンの時にフルートが無いのは困るし、私のフルートの調整は誰でも良いというわけではなく、一応、お気に入りのフルート職人さんがいるので、その方にぜひお願いしたと思っているわけだし。まあ、色々とあるわけなんです。

 ほんと、世の中は実にままならぬものです。

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2014年5月 1日 (木)

伊集院光氏は、よく分かってらっしゃる!

 伊集院光氏が、ディズニー映画『アナと雪の女王』ついて「毒にも薬にもならない映画」と評されたそうです。私は日刊スポーツのウェブ記事で、その事を知りました。

 引用先の記事はすぐにでも削除されてしまうでしょうから、かい摘んで記事の内容を紹介しますと、伊集院光氏が、4月28日のTBSラジオ「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」という、ご自身の番組の中で、以下のような事を言ったんだそうです。

 何を言ったのかと言えば「(『アナと雪の女王』は)毒にも薬にもならない映画」だとか、「誰もストーリーを褒めていない」だとか、「悪いところが一切ない。良いところも一切ない」とかね。その他、CG表現がいかにも教科書どおりの作り方だというニュアンスの事も言ってます。

 どんな文脈で言ったのかまでは分かりかねますが、ここで切り取られた言葉だけから判断すると…「伊集院氏はよく分かってらっしゃるなあ…」と私、思いました。と同時に「これが日本の(モノがよく分かっている)オヤジの典型的な感想なんだな」とも思いました。

 日本人、とりわけオヤジというモノは、ミュージカル音痴と言うか、ミュージカルの楽しみ方を知らないんだもんなあ。

 「アナと雪の女王」は、たまたま映像の部分がアニメーションであるというだけで、実はごく普通の良質なミュージカルです。だから、ストーリーが毒にも薬にもならないのは当たり前。だってミュージカルでは、ストーリーは歌のジャマをしちゃいけないんです。ストーリーが自己主張をしちゃいけないんです。ストーリーは陳腐でアリアリのモノでいいんです。あくまでも、歌の背景であり、歌の舞台なんですから。その「毒にも薬にもならないストーリー」に力のある楽曲が乗っかった時に感動が生まれるんです。それがミュージカルでしょ?

 伊集院氏は「アナと雪の女王」を“目で見て”楽しんだのだと思います。それなら、このような感想になるのも当然です。でも、この映画で大切な事は“耳で聞いて”楽しむ事です。そこにこの映画の美点があるんです。あくまでも、ストーリーやCGは二次的なモノであって、これらは歌に奉仕するためにあるんです。

 別に伊集院氏を攻めているわけじゃないです。おそらく彼は日本のオヤジたち、それも色々な事をしっかりわきまえているオヤジたちの典型的な意見を言っただけなんだと思います。彼は、日本のオヤジたちのオピニオン・リーダーの一人なんだと思います。

 だいたい日本のオヤジたちって、まず音楽を好まないからね。ましてや、ディズニー映画となればファンタジーの世界だし、ミュージカルなんて夢々しいし、非日常的だし。これら全部、オヤジさんたちが苦手とするモノでしょ? 良いとか悪いとかではなく、オヤジさんたちに取って、ミュージカルとは、苦手で受け入れがたいものなんです。だから「アナと雪の女王」がヒットすればするほど、なぜヒットしているのか、分からないわけです。だって「アナと雪の女王」ってミュージカルなんだもの。彼らオヤジには理解できないモノなんだもの。理解できない以上、どこがどう素晴らしのかなんて、分かるわけないんだもの。

 私の知人でも「アナと雪の女王」を見に行って「あんな映画のどこがおもしろいだか、さっぱり分からない」とか「子どもだましで、くだらない」とか「始まって10分で寝た!」とか威張っているのは、大抵オヤジさんたちです。そしてそれがオヤジさんなんてす。

 まあ、そういう意味では、私はオヤジとしては異端な存在なんでしょうね。だいたい、音楽好きだし、歌を歌うし、フルート吹くし。まともなオヤジさんたちからすれば、ほんと理解できない趣味をしているオヤジだもんな、私(笑)。

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