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  •  今時、インターネットエクスプローラーを使っているヤツが悪いんだろうけれど、今日のインターネットエクスプローラーは動きが遅いし、挙動が不審だ。でも、インターネットエクスプローラーじゃないと困る事だってあるんだよね。最新ブラウザのエッジがすべての面で、旧式のインターネットエクスプローラーよりも優れているわけじゃないしね。ああ、困った困った。
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2014年4月の記事

2014年4月30日 (水)

公私ともに忙しくて、人生が無理やりに充実しているような気がする[2014年4月の落ち穂拾い]

 考えてみれば、今月はもしかすると、どなたのブログにもコメントをしなかったかもしれません。なにしろ、他の方のブログを読むのは、ほとんど電車の中でiPhoneを使って読んでいるので、コメントをしたいと思っても、出来てません。まあ、平日は例によって仕事が忙しいのですが、休日も母の見舞いやらなんやらで、ほんと、忙しいです。落ち着いてパソコンの前に座ることすら、なかなか出来ません。

 老犬ブログを毎日更新するだけで、私の時間が終わっているような…。でも、へこたれないぞ。

足湯に入りたい

 母の病院は熱海にあります。熱海駅には『家康の湯』という、自由に無料で足湯ができる場所があったのですが、今は駅前の拡張工事とやらで、その足湯が無くなってしまいました。足湯が好きな私には、かなり残念な話です。

 でも、母が入院している病院にも、実は足湯のサービスがあって、毎日午後3時までなら足湯に入れるというので、私は見舞いの時は、2時頃に病院に着く様にしてますが、なぜか私が病院にたどり着くと、足湯の湯船のお湯が抜かれたばかり…という状態になっていて、今だに一度も足湯につかれた事はありません。

 なんか、運が悪いというか、タイミングが悪いというか、なんともなあ…って思ってます。ほんと、足湯に入りたいなあと願っている私です。

先生方がみんなチッチャイ

 母が入院している病院の看護婦さんはもちろん、先生方もみんな小柄なんです。だからなんだと言われてもアレなんですが、病院ってのは、案外、体格のいい方が勤めているという印象が私にはある(特にドクターは背の高い人も少なからずいらっしゃいますよね)のですが、ここの病院は、本当に皆さん小柄なんですね。これって、小柄な方ばかりをわざわざ選択して採用しているんじゃないかしらと思うほどです。

 なので、ここの病院は、ほんとう室内の見晴らしがいいんですよ(笑)。

立派な農夫姿になってやる

 発表会に備えて、どんな衣装を着て歌うのか…って、結構大切ですよね。まあ、私のソロ(歌曲・アリアとも)は、タキシードを着て歌おうと思ってます。だって、それが一番楽だもの。二重唱のネモリーノも、いくら演技を付けて…と言っても、演奏会形式なんだからタキシードでいいんじゃないかと思っていたら、Nさんが猛反対。彼女はきちんと衣装着て歌いたいのだそうです。

 まあ、歌も演技も練習が不足していますから、せめて衣装だけでもカッチリしたいと言うのは分かりますが、じゃあネモリーノは何を着ればいいの? って話になります。二人で話し合った結果、オリジナル設定(18世紀のスペインのバスク地方)は止めて(だってオリジナル設定だと衣装が大変)「20世紀始め頃のアメリカの田舎」という設定にしてあるので、いかにもなアメリカン農夫になってやろうかと思ってます。

 とは言え、アメリカン農夫って、どんな衣装を来ているのかな? たぶん、ジーンズだよね。で、長靴? 麦わら? なまじ着回しを考えて、普段使いできそうなデザインのモノを選ぶと、農夫っぽく見えないかもね~。などと、悩んでいるのも、なかなか楽しいですよ。

 最近、オペラハウスでも時代をこちら側に設定しなおして演出するのが流行っているけれど、時代をこちら側に設定し直すと、衣装が楽になりますね。それを実感しているところです。

今月のお気に入り ゴム長

 実は先日、福山ゴムの『作業ブーツ カルサーエース 700 ブラック LL』というゴム長を買ってしまいました。もちろん、雨靴として購入したんですけれどね。なにしろ、今まで愛用していた乗馬用のブーツ(を雨靴として使っていたんですよ)を取り扱っていたお店が無くなってしまったので、それに代わるモノを探していたわけですが、先日、こいつを見て、一目でピピンと来たので買っちゃいました。

 色々な意味でなかなか良いのですが、これをネモリーノの衣装に取り入れてしまうおかしらと考えている最中です。ネモリーノにしては格好良すぎる? 20世紀始めの農夫はこんなオシャレなゴム長は履かない? いやいや、作業用のブーツなんだから、ちょうど良い? 時代が今っぽい? まあ、そんなこんなで悩んでいるのも楽しいですね。

今月の金魚

 今月の金魚たちは、みんな元気でした。あえて言えば、タニシの大量殺戮が続行中だという事です。タニシ、新しいヤツを入れないとなあ…。

今月のひとこと

 最近、無性にチャーハンが食べたい。でも、そんな炭水化物のカタマリのような食事をすると、後で体調が悪くなるんだけれど、それでも食べたいです。(2014年3月30~31日)

 仕事ではなく、私事がちょっとヤバイ状況になってきました。もしかしたら、突然、予告なくブログをお休みする事になるかもしれませんが、ブログを辞めるつもりはありません。必ず戻ってきますので、そんな事になっても、待っていてください。(2014年3月31日~4月4日)

 仕事の忙しさのピークは過ぎたものの、単にピーク、つまり頂きを過ぎたというだけで、まだまだ忙しいです。平常運転になるまでは、まだ一ヶ月近くかかるかな? しかし、これだけハードに働いているのに、ウツにならないなんて、結構私、タフなんじゃないの? 普通これだけ働いていたら、心が壊れるよなあ(笑)。(2014年4月4~10日)

 つまり、STAP細胞の実現化という、とてつもない実績を、たかが小娘に取られたくないために、ありとあらゆる難癖をつけて、ぶっ潰して、その後に、どっかのオヤジがきちんとした論文を書いて、再現性も確認して、その栄誉を受ける…というシナリオなの? 私には、そうにしか思えないんだよねえ。いいじゃん、論文の細かいところがいいかげんでも。再現性が低くてもいいじゃん。これから、論文の穴を皆で埋めていき、再現性も高めていけばいいんじゃないの? 学者の名誉も大切だけれど、STAP細胞の実現を待っている患者さんたちの事も考えて上げようよ。(2014年4月10~15日)

 転びました。実にひさしぶりに転びました。道路のわずかな凹凸に足を取られて転びました。何十年も歩き慣れた道で転びました。そんな凹み、若い時なら何て事も無い凹みなのに、転んでしまいました。転んで足をひねって横転しました。ついでに痛みに耐えかねて絶叫もしてしまいました。たまたま車が通りかからなかったら良かったものの、運が悪ければ、転んだ拍子に車にひかれて死んでいたかもしれません。そういう点では、運が良かったのかもしれません(涙)。足は…まだ痛いです。(2014年4月15~21日)

 寒いです。とにかく寒いです。なんですか? この寒さは。タンスにしまったオーバーを出して来たい気分です。でも、そんな事をしたら負けでしょうね。やせ我慢をしてますが、それでも寒いモノは寒いのです。(2014年4月21~25日)

 寒いと思っていたら、なんかとっても暖かくなりましたね。これからゴールデンウィークに向かって、神様が「行楽するなら、暖かい陽気と晴れ渡る空が必要だろ」って、ポンと与えてくれたかのように感じてます。ああ、それにしても、お天気、変わりすぎ。急に気温が上がると、カラダがついていかれずに、なんかたるくてたるくて、仕方ないです。今更ですが『春眠暁を覚えず』的な状態になってます。ふう…。(2014年4月25~27日)

 それにしても「アナと雪の女王」はすごく流行っていますね。私も二度目を見ようと思っているのですが、劇場に行くと、たいてい売り切れで見る事ができず、違う映画を見て帰って来てます。なんか、すごい事になってますね。この調子だと、きっと、秋の発表会シーズンになると、全国のあちらこちらの声楽発表会で「レリゴ~、レリゴ~」と歌う人が続出するんじゃないかしら? ま、テノールの歌は特にないので、私には関係のない話ですけれど。(2014年4月27~29日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年4月29日 (火)

発表会前の最後の練習が終わりました(大丈夫かな?)

 さて、昨日の続き、声楽レッスンの話です。ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」をNさんと歌いました。

 まず最初に気をつける事は、歌の出だし。ピアノの伴奏も無しに、いきなり私の「ウナ・パロ~ラ、オ、アディーナ」とか歌いだすわけですが、ここの音程に気をつけないとね。私が歌った後にピアノが入るわけだから、音を外して歌うと、とてもみっともないわけです。ほんと、気をつけないとね。特にこの部分、出だしの音がFisという、ちょっとばかり出しづらい音だから、ほんと、気をつけないとね。

 レチタティーヴォの部分は会話だから、ただ歌っていればいいというわけではなく、登場人物の語り口にふさわしい歌い方をしなければいけません…って、別に難しい事ではなく、その歌っている部分で何をしゃべっているのかが分かっていれば、そんなに大きな間違いはしません。ダメなのは、意味を横において、単にノドで覚えたものを、そのまま歌う事。イタリア語(もどき:笑)で歌っているのだけれど、クチはイタリア語で歌っていても、頭の中ではしっかりと意味を確認しながら歌わなければいけません。

 あと、人物像をしっかりとつかんでいないといけません。何も考えずに自分のままで歌いだしてはいけません。きちんとキャラに成りきって歌わないと…ね。私の場合、地のまま歌うと…ネモリーノにしては、立派すぎちゃうんだそうです。まるでアルフレードのようだと先生に言われました。しかし、アルフレードって、そんなに立派だったっけ? まあ、自信家である事は確かだけれどね。

 次に二重唱を歌うチャンスがあったら、アルフレードを歌おうかな?

 ベッリーニでは撃沈ばかりして、高い音には届かなかった、この日の私ですが、不思議とネモリーノの時は、高音がバシバシと決まって、なんか楽しかったです。高い音も、フレーズによって、出しやすいかったり出しづらかったりとするみたいです。

 高いところは届きましたが、リズムに乗り切れない箇所が数カ所(汗)あって困りました。特にテンポが揺れる箇所、アッチェランドがかかっているところは、どうもテンポに乗り切れない私です。変化に対応できないんです、年のせいにはしたくないけれど、やっぱり年を取るとノリが悪くなる…って事だねえ。

 この二重唱は、ネモリーノとアディーナがそれぞれを主張し、口論している二重唱であって、愛の二重唱ではないので、二人がハモる箇所はほとんどないのですが、Nさんはそこがお気に召さないようです。もっとハモる箇所がたくさんある曲が良かったような事を言ってますが、今更曲目変更はできないし、シリアスな恋愛ものではなく、喜劇が歌いたいと言ってたのはNさんなので、そこんとこは我慢してもらおっと思ってます。やはり、二重唱でハモルって事は、登場人物の気持ちが重なるからハモルわけだけれど、気持ちが重なるってのは、愛し合い受け入れたから気持ちが重なるわけで、やはりそれは恋愛モノならではあって、それを喜劇に求めるのは…ちょっと違うよね。だったら、シリアスな恋愛ものを歌えば、いくらでもハモれたんじゃないのかなって思います。

 もっとも、ハモる系の二重唱だと、私が苦労(汗)するから、ちょっとパスかな? なにしろ、私は簡単にソプラノに釣られちゃう人だから、ハモる系は本当にきちんと準備をしないとダメだから、今回のような忙しい最中に発表会の準備をしなければいけない時は無理かも。

 それにしても、今回の私は再演になるわけだけれど、再演ですら、これだけ苦労しているのだから、新曲に取り組んでいたら、どんな事になっていたか…恐ろしいです。

 この曲は、曲の最後の最後で、ソプラノとテノールが同時に歌いますが、これがどうにも合わない。タイミング的に合わない。二人で歌うと合わないけれど、片方がお休みをしてピアノと自分だけで歌うと、なぜか合う。つまり、相手の歌を聞いて、それに合わせていこうとすると、なんか合いません。先生には「相手の歌を聞かないで、ピアノを聞いて、ピアノに合わせなさい」と言われました。まあ、それって、相手でなく指揮者に合わせて歌いなさいってのと同じですね。

 それにしても、Nさんとの二重唱の練習は、今回でお終いです。歌の練習も終わりだけれど、演技の練習も前回やったのが最後です。ピアノ合わせも、今のところ、各自でやるだけで、二人でやる予定がありません。というのも、Nさんが忙しくて、これ以上、一緒に練習できないからですが…大丈夫かな? まだまだ歌の合わせも足りないような気がするし、ましてや演技の方は全然ダメなんだけれどなあ。

 あとは、各自で練習して、当日はアドリブでこなさないといけないみたいですが…それを残念がっても仕方ないので、それも良い経験として、楽しんでいこうと思ってます。妻は「私が相手役になって練習すればいいじゃない」と言ってくれてますが、彼女はまだリハビリ中で、ロクに歌えないだよなあ。まあ、舞台に上がるわけじゃないから、発声がまだダメでも練習相手としては使えるだろうから、お願いしちゃうのも一つの手だなって思ってます。

 今回のピアノ合わせは…ピアニストさんが忙しい方なので、そんなに時間に余裕がないって言われました。なんでも、某音大の先生が伴奏をしてくれるそうなんです。いいのか、私たちのような素人の発表会に音大教授が伴奏をしても…。まあ、そういうチャンスはなかなか無いから、それはそれで楽しむ事にします。なんか、うれしいです。

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2014年4月28日 (月)

音程とかファルセットとか

 声楽のレッスンに行ってきました。何だかんだと言っても、発表会まで一ヶ月を切ってしまったわけで、そろそろ仕上げの時期に入らざるをえません。レッスンは基本的に隔週ですから、一回一回のレッスンがとても貴重に思えます。今回も、二重唱の相方のNさんとの合同レッスンです。先にNさんがレッスンを始めていて、仕事が終わり次第、私がそこに合流するというやり方をしました。

 私がお教室に着いた段階で、Nさんは先生にたっぷりと、今回の二重唱曲のドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」をレッスンしてもらっていました。ま、二人で一緒のレッスンですから、二重唱曲をメインにやるのは当然だよね。

 で、彼女の方が一段落ついたようなので、さっそく合わせですが…例によって、私の発声練習から始まりました。

 今回習った事は『声は上顎を通して発声する事』です。同じ音程の声でも、上顎を通して発声するのと、下顎を通して発声するとでは大違いですし、私は高音歌手ですから、そこは尚更上顎を通して発声しないといけないわけです。

 上顎とか下顎とか、なんかオカルトな表現をしていますが、これは単純に頭声と胸声のバランスの問題だろうと思います。頭声が勝った発声が“上顎を通す声”であり、胸声が勝った発声が“下顎を通す声”なんだろうと思います。

 高音歌手の場合、発声は上顎を通す声を基本にしないと、高い音程の声が出づらくなるので、注意です。私は無意識に発声すると、どうも胸声を強調する発声になりがちで、それゆえにノドそのものはテノールであっても、バリトンに間違えられやすいのは、そういう癖故のようです。つまり、普段から上顎を経由の声で話していれば間違えられづらいって事です。

 しかし、上顎経由で歌うと、実に発声が楽ですね。こんなやり方、今まで意識した事ありませんが、ほんと、楽に歌えます。この発声法が無意識に出来る様になると、世界がすごく広がるような気がします…が、今はかなり意識しないとできないのがツライです。

 あとは、例によって体幹の筋力が弱いので、それを鍛えるようなフレーズをたくさん歌って、クタクタになってしまいました。

 「では、発声練習がわりにベッリーニを歌ってみましょうか」と先生がおっしゃって、引き続きNさんにはお休みいただいて、ベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を通して歌ってみました。

 せっかく発声練習で上顎を通して歌うのを練習したのに、曲ではいつものように下顎発声をしてしまったので、まずはそこを修正。

 音程を一生懸命に取りながら歌っているので、跳躍ならともかく、音階を順番に昇っていくいくような部分は、音程を変えるのではなく、ノドの開きを変えて対応するように言われました。

 つまり、音程を変えていくには、音程をノドの振動で変えるやり方と、ノドの開きで変えるやり方の二つがあるって事なんですよ。もちろん、ノドの振動を変えることで音程を変えていくのが基本なんだと思いますが、狭い音程ならば、ノドの振動を変えるよりも、ノドの開きを変えることで音程を変えた方が何かと良い、と言うか、楽なようです。

 私はアジリタなどの細かい動きが苦手なんですが、これは音程をすべからずノドの振動だけで変える方法ばかりを使っているから、細かな動きが苦手…なのかもしれません。そういう意味では、ノドの開きで音程を変えるやり方をマスターしていけば、アジリタがもっと楽に歌えるようになるだろうし、そうなれば、もう少し古い時代の歌も歌えるようになれるんじゃないかな? 私の声はモダンよりもクラシカルな方がどうも合っているようなので、そのために必要なテクニックは身につけていかないとね。

 それにしても、レッスンの録音を聞いて思う事は、私の声は実に“浅い”って事です。歌っている時は、結構深めに発声しているつもりだけれど、レッスンの時のY先生の声と比べると、もうイヤになるくらい、全然違う。声種の違いもあるけれど、もちろんそれだけが原因ではなく、根本的に何かが私の声には欠けているんだろうなあって思うわけです。でも、私に欠けているモノってなんだろう? 先生の声にあって、私の声には無いモノ。それって何だろう?

 ちなみに、今回のレッスンでは「喜ばせてあげて」は、撃沈につぐ撃沈となりました。最近はトンと撃沈する事など無かったのですが、今回はほんと、全然高いところに声が届きませんでした。こんな日もあるわけですが、こんな日が発表会当日に訪れない事を願います。たぶん、自覚していなかったけれど、歌う前に、散々先生に発声練習でしぼられた事が影響しているんじゃないかって思います。なにしろ私、歌う体力が極端にないからね(汗)。

 そうそう、話は変わりますが、息子君はただ今高校生で、声変わりも終了しました。今までソプラノとして少年声で歌っていたわけですが、さすがにそろそろ男声として歌うことを覚えましょうというわけで、今は男声としての発声方法を習っているよう(私と息子君は別の先生に習っています)なのですが、どうも息子君は親に似ず、テノールではなく、バリトンになりそうです。まだ若いので、テノールでもバリトンでもどちらにでも行けそうなんですが、息子君の歌の先生曰く「ファルセットで歌わせると、男声のファルセットじゃなくて、女声のファルセットになってしまうんだよね。男声のファルセットが使えないとテノールには成れないからなあ…」 まあ、生まれてからずっとファルセットでソプラノを歌ってきたわけだから、ファルセットが女声の響きだと言うのも、さもありなんですが、ファルセットに男声と女声の違いがあるとは、私、初耳です。その先生に直接習っていたら「先生、男声と女声のファルセットの違いって、どこにあるんですか?」と尋ねたい気分です。

 ちなみに、テノールの発声ではファルセットは使いませんが、ファルセットが使えるようになったら、途端に高音発声が楽になったのは実感しています。おそらく、テノールの場合、高音発声(もちろん実声)とファルセットがどこかでつながっているでしょうね。だからこそ、そのファルセットが男声でないといけないのかも…。つながった先は女声だと、違和感あるというか、おそらくテノールではなくメールアルトやカウンターテナーのような声になってしまうのではないかと推測します(間違っていたら、ごめん)。

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2014年4月27日 (日)

35歳以上の独身女性は恋愛結婚できない![2014年4月第4週・通算12週]

体重:109.2kg[+0.8kg:-2.2kg]
体脂肪率:30.7%[+0.3%:-0.5%]
BMI:34.5[+0.3:-0.4]
体脂肪質量:33.5kg[+0.5kg:-1.1kg]
腹囲:105.0cm[-1.0cm:-3.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 35歳以上の独身女性は恋愛結婚できない!…んだそうです。そんな事を主張しているテレビ番組を、先日見ました。

 実際、総務庁統計局の国税調査の「年齢別未婚率の推移」を見るとおもしろい事が分かります。

 女性の場合、20~24歳の未婚率が88.7%で、25~29歳が59.0%、30~34歳が32.0%で、35~39歳が18.4%、40~44歳が12.1%です。つまり、大雑把に言えば、20代前半~後半のうちに29.7%の女性が結婚し、20代後半~30代前半のうちに27%が結婚し、30代前半~後半のうちに13.6%が結婚し、30代後半以降では6.3%しか結婚できないとも言えます。

 6.3%! 今や消費税よりも低率です。確かに、この数字は統計的には誤差と言っても良い範囲ですから、恋愛結婚どころか『35歳以上の女性は結婚できない』と言っても、統計的には間違いはなさそうです。それにこの6.3%の人たちについて、私が見たテレビ番組では、この年齢層の人は恋愛(自由)結婚ではなく、必死に婚活に励んで戦略的に結婚を勝ち取った人たちだと言ってました。だから『恋愛結婚はできない(けれど婚活に励めば何とかなるかも…)』という事なんだそうです。

 私が子どもの頃は「女の適齢期はクリスマスケーキのようなもの」と言ってましたね。つまり、20とか21じゃまだ早い。23や24あたりが一番多く売れる。25になると、焦って売り始める。26になると、かなり安く売られる。27になると投げ売り。年を越すと(つまり31を越えると)誰も買わない…ひどい言い方だけれど、妙に統計の内容にも符合します。

 何だかんだ言っても、結婚する女性は30歳までにしている…って事なのかもしれません。で、30代前半は、サッカーで言うところのアディショナルタイムなのかもしれません。

 「女ばっかり言って! 男性はどうなのよ!」と言われそうですね。

 男性の場合は、女性ほどシビアな数字にはなりません。無論、傾向は、女性と大きく違いませんが、男性の場合は、ある程度年齢が進んだからと言って、急に結婚できなくなるというようではありません。男性の場合、結婚は年齢と大きく関係するわけではなさそうです。

 むしろ男性の場合は、生涯未婚率って奴の方がヤバイかもしれません。つまり「独身のまま、死んでしまう人たちの割合」です。

 2010年のデータでは、男性の生涯未婚率は20.14%です。つまり、5人に1人は結婚せずに人生を終えてしまうというわけです。女性が『35歳を過ぎると結婚できない』どころの騒ぎではなく、男性は『(何歳であれ)5人に1人は結婚できない』んですよ。

 つまり、女性なら30歳ぐらいまでに頑張れば結婚できるだろうけれど、男性の場合は、問題は年齢にあるわけではないので、結婚の成否は年齢の如何に関わらず、結果として5人に1人は結婚できない…というのです。

 では男性の場合、結婚の可否を決める要素はなんでしょうか? と言えば、やはり年収なんでしょうね。こちらのページの『年収と未婚率の関係』を見ると、年収400万を境に、男性の未婚率が大きく変わってます。そして、次の年収600万で更に大きく変わってます。

 私の知り合いの未婚女性も「結婚相手には、最低でも年収600万円は欲しいなあ」と言ってましたが、確かに年収が600万円あれば、結婚はできそうです。年収400万円だと女性側に妥協の精神がないと難しいのかもしれませんが、それでもなんとかなりそうです。しかし、年収が400万円以下だと、結婚はかなり難しくなりそうです。

 でもね、こちらのサイトを見ると、その年収だって、相当きびしそうですよ。

 年収というのは、普通、年齢と相関関係があって、若いうちは年収が少なくても、年齢を重ねていくうちに少しずつ給料が増えていくわけですが、では平均年収が400万円を越すのが30代半ば、600万円を越すのは…って、平均年収が600万円を越す事はないようです。これじゃあ、男性の未婚率が上がるのも仕方いないし、男性に年収600万円以上を期待している女性がなかなか結婚できないわけです。

 少子高齢化化をくい止めるためには、子どもがたくさん生まれないといけません。そのためには、若い男女がきちんと結婚できる世の中を作らないといけません。少なくとも、生涯未婚率って奴を増やすどころか、減少させないといけません。

 そのために必要な事は、若い男性の年収を上げる事でしょうね。若い男性の年収が上がれば、結婚する男女が増え、自然と子どもも増えていくでしょう。つまり、少子高齢化の原因は、日本の経済力が長らく停滞している事が原因なんだと思います。世の中の景気が右肩下がりじゃ、若い男女もなかなか結婚に踏み出せない…って事だね。

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2014年4月26日 (土)

目に見えて、タニシが減っています

 …と言っても、水槽から脱走するとか、病気で死んじゃうとかではなく、単純に“金魚に食われ過ぎ”でみるみる数を減らしています。なんでこんなにタニシが食べられてしまうのかな?と妻に尋ねたところ「最近、エサの回数も量も減らしているから、それで金魚たち、お腹をすかせて、ついついタニシを食べているんじゃないの?」

 …って、それじゃあ、エサの回数や量を減らした意味ないじゃん。いや、減らした分だけタニシが食べられているんだったら、エサを増やせばいいだけで、タニシ無駄死にじゃん。

 まあ、きっと、人工飼料よりも天然のタニシの方が美味しいのかもしれないけれど…。そう言えば、タニシと合わせて、水草もかなり食べられてしまってます。

 結局、エサをやる量を減らしても、タニシを食べたり、水草を食べてりゃあ同じじゃん。

 それにしても、毎週、10個前後のタニシが食われています。いくらたくさんいたとは言え、そろそろタニシも全滅しそうです。

 タニシが全滅して、水草も食い散らかしたら、この子たち、どうするんだろ? …なんて、先のことを考えているわけないか。その時々に食べられるものを食べているだけだものね。

 それにしても、タニシが見事なくらいに食べられているのにも関わらず、同じ巻き貝である、イシマキガイは全然食べられていない。タニシと比べると、イシマキガイは食べる価値など無い貝類なのだろうか? そうとは思いたくないものだけれど。

 食べる価値など無い…というか、相変わらずいつも元気な…と言えば、ヌマエビがそうです。たった一匹だけ残った、ミナミヌマエビさんがいつも元気元気です。それこそ、エビなんて美味しくて、水槽に入れても、すぐに金魚のエサになってしまうのに、今のエビの子は、本当に長いなあ。ここ、数年、ずっと一匹だもんなあ。

 近いうちに、農家に行って、タニシを分けてもらわないといけないかもしれない。もう、それくらいに加速度をつけてタニシが食べられているのよ(涙)。

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2014年4月25日 (金)

消費増税に伴う便乗値上げとレッスン代について

 フルートのレッスンに行ってきました。実にひさしぶりに姉様とお会いすることができました…が、すれ違うだけで、一緒にロングトーン練習はしませんでした。ちと残念。

 さて、ロングトーン練習は先生と二人きりですが、気をつけるのは“脱力”です。とにかく、クチビルの力を抜いて、腹筋だけでフルートを吹くように心掛けました。こうすると、音色がキレイなだけでなく、高音もすっきりと発音できるのです。

 さて、今週は多少なりとも自宅で練習してきた事を先生に伝えました。そして、これまではメトロノーム無しで勘弁してもらっていたアルテの15課の10章のCes-durをメトロノームを入れてやってみました。

 ええと出来は…完璧からはほど遠かったです。指に問題、と言うよりも、読譜に問題…という状態でした。とにかく、時折、記譜と運指が一致せずというか混乱して、指が止まっちゃうんですね。先生曰く「指が出来ないんじゃなくて、譜面が読めてないだけだから…ひとまず合格だな」というわけで、甘々で合格をいただきました。宿題は「できるところまで」と言われました。うむ、出来る範囲をきっちりと練習してきます。

 ガリボルディのプチ・エチュードは3番ですが、今回、替え指を使って吹いていた事が先生にバレてしまいました(汗)。場所はどこかと言うと、18小節の『ソファ#ミ(ファ#)ミレ#ミ』の箇所の(ファ#)の箇所です。この箇所はすべてのリズムが八分音符で( )の次のミに( )のファ#が装飾音符でかかっていくという箇所です。つまり『ミファ#ミ』という音の動きの中で、ファ#をほんの短時間だけ吹くという箇所で、ここで替え指を使っていた私です。

 どんな替え指を使っていたのかと言うと、左薬指の代わりに中指でファ#を作っていたわけです。なにしろ、ミの時に、左手は人指し指と中指を使っていますから、ファ#を中指にするなら『ミファ#ミ』という音形は人指し指一本を上げ下げするだけで吹けるので、これを使っていたのですが、先生に替え指使用がバレて、叱られました。

 「こんなところでズルしちゃダメでしょ。ちゃんとした運指を使いなさい」との事です。

 ちなみに、ここで替え指を使ってはいけない理由は、

 1)その替え指だと正規の運指よりも音程が下がって気持ちが悪い。
 2)これくらいなら、正規の運指で十分間に合う(ってか、間に合わせろ)。

 と言うので、急遽、替え指ではなく、正規運指で吹くように言われましたが、これが全くできない。おもしろいようにできない。いやあ、参りました。ここまで自分の指が動かないとは…。“指がもつれる”というのは、まさにこの感覚だね(笑)。

 あと、最後にある十六分音符の箇所も、全然指が間に合ってませんでした。なので、まだ3番は合格をいただけないのです。

 さて、四月に入って、ようやく落ち着いてきました。あっちこっちで消費増税のために、お店での商品の売値が変わりました。正直に増税分だけ増やす店もある一方、便乗値上げをしている店もそこそこあります。その点に関しては色々と言いたい事もありますが、グッと堪えましょうなんて話をしていました。

 実は、フルートのレッスン代も値上がりしたんです。まあ、これはカルチャースクールの意向ですから、まあ仕方ないのですが、ちょっとひっかかっているのが、3~5月と三ヶ月分をまとめて3月中に支払ったにも関わらず、しっかり消費税が8%も載せられていた事。事務の人が「ウチのシステムでは、こうなります」とか言って、こちらに有無を言わせずに支払わせたけれど、そんな端金でモメるのはイヤだったので、我慢しました。でも、ちょっと納得いかないです。これも便乗値上げの一つだよね。だって、3月中に支払っているんだから、消費税は5%のままにして欲しいなあ、グチグチ…と、そんな事を先生にグチっていたわけです。

 「どこもここも、消費増税のための値上げで面倒くさいねえ」と先生がおっしゃるので「先生のところ(ご自宅レッスンの方ね)は、レッスン代の値上げはしないんですか?」と尋ねたところ「もう、15年も値上げしていないなあ」との事です。

 「15年ですか? それはもう、消費税うんぬんではなく、値上げをしてもバチが当たらないレベルなんじゃないですか?」と言ったら「でも、私は、そんなにお金が欲しいわけじゃないから、今の金額で十分なんですよ」との事です。

 実はH先生のご自宅レッスンのお値段は…世間相場よりも、ちょっぴりお高めです。もっとも、先生としての格(留学経験があるとか、オーケストラ経験があるとか、レコーディング経験が豊富とか、音大教授だったとか、弟子どころか孫弟子ですらプロ奏者がゾクゾクいるなど)を考えれば、むしろ良心的な価格設定とも言えますが、世間常識的にはややお高いお値段なのです。その事を先生ご自身も気にされていて「ウチはレッスン代が高いから、これ以上上げると生徒さんたちがかわいそうだからあげられないんだよ」との事です。

 先生曰く「幸い、演奏仕事はあるし、借金は無いし、欲しいモノも特にないし、だからレッスン代を値上げする理由がないんだよ」との事です。「まだ若ければ、あれも欲しい、これも欲しいと思うだろうし、お金も貯めていかないといけないだろうけれど、もうそんなに欲しいものはないし、貯金も十分にあるし、だからもういいんだよ」との事です。
 なんか、ちょっぴり羨ましいです。

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2014年4月24日 (木)

英語の字幕はやっぱりキツい

 発表会が迫っていますので、少ない練習時間からなんとか時間を捻出して、声楽の練習を続けている私です。

 歌う曲は三曲。ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」と、ベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」と、レハール作曲「ほほえみの国」より「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。
 ドニゼッティの二重唱は、以前にも歌った事があるので、まあなんとかなるでしょ。ベッリーニの歌曲は、歌曲だから、曲そのものに向き合えば、それでなんとかなります。問題は、レハールですね。

 この曲はオペレッタの中の曲なので、当然、この曲が入っているオペレッタ「ほほえみの国」を知らないと話になりません。このオペレッタがどんなオペレッタであって、私が練習しているこの曲は、劇中では、誰が誰に向かって、どんなシチュエーションで歌っているかが分かっていないといけません。

 でも「ほほえみの国」ってオペレッタ、日本では実にマイナーなんだよね。実は私も、オペレッタそのものは良く知りません。

 テレビ放送も無いし、DVDも日本語字幕付きは、昔はあったみたいだけれど、現在は廃盤になり、日本語字幕のものはございません。となると、高値がついている日本語字幕付きのDVDを中古で買うか、日本語字幕無しの輸入盤DVDを買うかの二者選択となるわけです。で、中古品が17000円から。一方、輸入盤なら新品が1000円で買えます。字幕以外はほぼ一緒ですから、字幕の有無だけで、値段が17倍も違うのは、さすがに違いすぎますでしょ? なので「まあ、英語の字幕で見ればいいか」と判断して、輸入盤の「ほほえみの国」を購入した私でした。

 で、その輸入盤を英語字幕で見たわけですが…いやあ、自分を過信しちゃいけませんね。確かに、この程度の英語なら、英語を日常的に読み書きに使っていた20代の頃の私だったら、なんて事もなかったかもしれません。しかし、日本語どっぷりの生活を長らく続けた、ぼけ始めたジイサンである私には、少々キツかった(涙)。

 いや、少々ではありません。かなりキツかったです。

 一応、私が、中国の皇子のスーであり、スーには妹のミーがいて、第一幕の段階では、スーはウィーンに滞在してる外交官である事は分かりました。で、ヒロインは、ウィーンの貴族の娘のリーザです。あと、いわゆるバリトンさんの役が、リーザの幼なじみでウィーンの貴族の御曹司であるグスタフとなっています。で、このグスタフはリーザに惚れていて、オペレッタが始まって早々に彼女にプロボーズをするのだけれど、リーザはグスタフには全然興味がなくて、グスタフを振っちゃいます。と言うのも、実はリーザはスーに片思いなんです。一方、スーの方はリーザに強い関心があるわけでもなくて、なんとなく二人は平行線なんですが、そんなある日の事、中国に革命が起こって、スーが国に帰らなければいけなくなった時も、スーは妹と二人だけで帰ろうとしますが、それを知ったリーザはスーの反対を押し切って、押しかけ女房的にスーと一緒に中国に旅立ちました。ちなみに、ここまでが第1幕。

 なんか分からなくなってきたのは、第2幕から。おそらく、このあたりで、私の集中力が切れてしまったからかもしれません。第2幕では、舞台がウィーンから中国の宮廷に変わっていました。私のスーはどうやら皇帝になったようです。で、恋女房であるリーザは後宮に入れられてしまったようで、リーザは自由にスーと会えなくなってしまったわけです。一方、リーザに惚れているグスタフは外交官として中国に赴任し、時折リーザに面会していました。ある日、グスタフがリーザに、スーがリーザ以外に4人の側室を持つことが政治的に決定したという情報を届けました。そしたら、リーザ半狂乱。そこにスーがやってきて、歌うのが、今回、私が発表会で歌う「君は我が心のすべて」です。

 嫉妬で半狂乱になっているリーザに「私が愛しているのは君だけだ」と歌い上げるわけだけれど、そんな歌じゃあ、リーザは全然収まらない。ブチ切れるリーザを見ているうちに、スーの方もぶち切れて「こんな分からず屋の女にはお仕置きが必要だ」とかなんとか言って、リーザを座敷牢にぶち込むのです(やっている事、結構、無茶苦茶です)。たぶん、こんな感じ(汗)。ここまでが第2幕。

 第3幕では、妹のミーがグスタフといい感じになって愛の二重唱を歌います。で、ミーとグスタフでリーザをなだめにいきますが、リーザは相変わらず、ブチ切れています。結局「こんな国、一秒たりともいられないわ」とかなんとかタンカを切って、リーザはスーと離婚して国に帰る事を決心し、ミーとグスタフとリーザで宮廷に乗り込んでリーザは「私を国に返してちょうだい!」とスーに迫ります。すべてを諦めたスーは、グスタフにリーザの事をゆだねて、帰国すること(つまり、離婚すること)を認めます。

 細かいところ、あれこれたくさん間違えているかもしれないけれど、たぶん、こんなストーリーだったと思います。少なくとも私はこう理解しました。でも、こんなストーリーなのに“喜”歌劇?

 いやあ、それにしてもやっぱり、字幕は日本語に限りますね。ほんと、なんか、あれこれ得心がいきません。

 つまり私が発表会で歌う曲は(本当は違うんだけれど)浮気が発覚して半狂乱になっている妻に向かって「誰よりも君の事が一番なんだよ」となだめるための歌っている歌なんですね。ここでのポイントは「他の子とは別れます」ではなくて「他の子の事も愛しているけれど、君がナンバーワンなんだよ」と言った部分かな? 男からすれば「ナンバーワンなんだから文句言うなよ」だけれど、女からすれば「他の女とは別れてほしい。私だけを愛してください」のすれ違いなわけだ。

 ある意味、精神的にマッチョで漢らしい歌だけれど、女心はちっとも分かっていない歌なのかもしれません。まあ、いいや。メロディはキレイだし、歌詞もかなりスイートだけれど、頑張ろう。

 それにしても「ほほえみの国」はオペレッタだけれど、ミュージカルよりもオペラの方に近い作品だなって思いました。おまけに、私が歌うアリア以外にも、良曲がたくさんあります。見ると結構楽しい作品です。ほんと、これで日本語字幕が付いていたら、かなり楽しめただろうなあと思うと、残念ですよ。

 実はもう一つ、日本語無しで英語字幕のオペラのDVDを持っています。デセイの椿姫なんだけれど、椿姫はストーリーはきっちりと分かっているので、英語でも…たぶん…大丈夫なんじゃないかな…なんて思ってます(汗)。しかし、デセイのDVDって、日本語字幕がついているものって、現行版にはほとんど無いんだよね、残念。

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2014年4月23日 (水)

フルートの練習をしないと…こうなりますよ

 最近、色々と忙しくてフルートの練習をロクにしていなかった私ですが、どうやら忙しさのピークを乗り越え、少しずつ自宅での練習もできるようになり、レッスンにもなんとか通えるようになってきました。

 そして思うことは「フルートの練習は、あまりサボらない方がいいなあ」という事です。いやあ、実に仕事の繁忙期は練習サボりまくったからなあ~(遠い目)。とにかく、レッスンが無いと、なんか気分がのんびりしてしまって、練習に身が入りません。やはり、コンスタントにレッスンに行くと言うのは大切な事です。

 練習をしなくなって良かったなあと思うことは、あまりありません。あまりにフルートを吹かなかったため、フルートのメカの狂いが少なくて、調整に行く手間が省けて良かったなあって事くらいです。本当なら、3月あたりに調整に行かなければいけなかったのに、その必要を全く感じなかったんですから。

 その一方、練習をサボってしまったために、失ってしまったものはたくさんあります。

 例えば、指の動きの円滑さ。元々、指は動く方ではありませんでしたが、ここのところは、本当に動きません。指をどう動かしていいのか、迷うことも多い(笑)し、動かし方も均一ではなくなっています。筋肉が衰えた…んでしょうね。これを以前のレベルに戻すには、かなりの時間が必要かも…。

 クチビルの脱力もダメになっていました。まるで、本当の初心者に戻ったかのようで、無駄な力がクチビルは入ってしまいます。クチビルの脱力ができないと、高音である三オクターブ目の発音はまず無理なんですが、その無理な状態に陥っている私がいます。

 三オクターブ目と言えば、そのあたりの運指もキレイに忘れてしまいました。ほんと、情けないったら、ありゃしない。

 読譜力も落ちているし、練習していた曲そのものも忘れてしまいました。ははは、ほんと、冗談じゃないよ。

 私に残っていたものは…先生がおっしゃるには「音色の美しさ」だけなんだそうです。つまり、この部分は後天的に修得したものではなく、最初から私に備わっていたモノって事なんでしょうね。もっとも、私に備わっていた…と言っても“私自身に備わっていた”と言うよりも“私の楽器に備わっていた”だけのような気がします。それくらい、アゲハ(アルタスフルート)の音色は美しいからね。

 ひとまず、仕事の忙しさのピークは過ぎたので、ボチボチと練習を重ね、失ってしまったものを、一つずつ拾い集めていくことにします。それにしても、学ぶのに難く、失うに易いのは、年寄りの習性なのかしらねえ。若い時は、いくら練習をサボったからと言って、こんなに見事なにスッパリ忘れてしまうなんて事はなかったのに。ああ、恐るべきは老化現象だな。

 きっと、1年くらいサボり続けていたら、全くフルートを吹けなくなってしまうかもしれません。若い時に見つけた事は、30年経っても案外出来るのにねえ…。やはり技術ってヤツは、習得年齢が大切なのかもしれません。でも、時間は逆さまに流れませんからね。「いつ、学ぶの?」「今でしょ!」 この言葉は結構的確に真理を突いているかもね。なにしろ、これからの人生において“今”が一番若い時なんだから。

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2014年4月22日 (火)

ラ・フォル・ジュルネに思う

 今年もぼちぼち、ラ・フォル・ジュルネの季節となってまいりました。

 今年は、4月25日(金)~27(日)が新潟でテーマが「三都物語 ウィーン・プラハ・ブダペスト ~ドナウとモルダウの間」。27日(日)~29日(祝)がびわ湖でテーマが「ウィーンとプラハ~音楽の都へ~」。5月4日(日)~6日(火)が金沢でテーマが「プラハ・ウィーン・ブダペスト~三都物語~」となっています。

 私が出かける東京は、5月3日(祝)~5日(祝)でテーマが「10周年記念 祝祭の日」となってます。ちなみに、本場ナントはすでに終わりましたが、テーマは「アメリカ音楽」だったそうです。

 また昨年までは九州の鳥栖でも、ラ・フォル・ジュルネを開催していましたが、今年はやらないようです。なんでもラ・フォル・ジュルネを開催するには、地元から興行主である制作会社へ幾ばくかの資金提供が必要で、鳥栖市は例年並の3500万円を予定していたところ、制作会社から、それよりも数百万円以上も高い金額を提示され、それを飲めなかったために、ラ・フォル・ジュルネ自体の中止を決めたという事です。

 って事は、東京・金沢・びわ湖・新潟は、値上げを飲んだって事だね。

 まあ、東京でも大々的にスポンサー企業の募集や、運営ボランティアの募集、民間からのカンパ(クラウド・ファンディング)の募集をしていて、資金繰りがきびしいんだろうなあ…とは思っていますが、ラ・フォル・ジュルネの開催そのものを取りやめてしまう都市があるとは(驚)。

 日本におけるラ・フォル・ジュルネのピークは、2007~2008年頃だったのだろうと思います。ちょうど、のだめブームだった事もあって、この頃の入場者数は東京だけでも百万人を越えたそうだし、期間も5日間にも渡る長丁場でした。そこから少しずつ規模縮小を続け、東日本大震災の年に一気に冷え込み、今に至ります。やはり大震災は、日本人の何かを変えてしまったんでしょうね。

 2005年に始まった、東京のラ・フォル・ジュルネも今年で10年。そろそろ、賞味期限が切れた頃だろうと思います。ここらで何か手を打たないと、ますます先細りしそうです。

 実際、私も、以前は丸の内に三日間通い、有料コンサートを1日に2つずつ楽しみ、その周辺プログラムもたっぷり楽しんでいました。三日通っていたのが、二日になり、1日2つの有料プログラムが1つになり、ついに今年は、1日だけ、有料プログラムもたった1つだけしか購入しませんでした。これは別にケチっているわけではなく、見たいプログラムがなかったからです。本当は、購入したプログラムも「どうしても見たい」というほどではなかったりしますが、ラ・フォル・ジュルネという音楽のお祭りに参加するためには有料プログラムを見ることは必須ですから、そのために購入したという側面があります。

 私にとって、ラ・フォル・ジュルネは、以前ほど心がウキウキするイベントではなくなってきたのです。半分、惰性になっているのかもしれません。

 だって、プログラムを見ても、オーケストラとピアノばかりなんだもの。その他となると、せいぜいヴァイオリンぐらい? 以前は、もっと多様性に富んでいたと思います。歌手たちが大勢出演していたのに、最近は歌手はほとんど出演せず、合唱団もチョボチョボしか出ません。フルーティストは元々少なかったけれど、ここんところは本当に少しです。

 結局、日本のクラシックファンは、オーケストラとピアノにしか興味がないって事なんだと思うし、それに迎合していった結果が、現在のラインナップなんだろうと思うけれど、それゆえに、先細りしているんじゃないかな?

 比較的安い価格設定で(その分、演奏時間も短め)、休日の一日を丸々音楽漬けでいられるというのは、とても斬新な試みだったと思うけれど、もはやそれだけでは人は集まらないって事なんだと思う。何かもっと、心がワクワクするようなモノが欲しいなあ。

 昨今の私は、そのワクワクをラ・フォル・ジュルネ本体ではなく、同時開催をしている周辺プログラムで補っています。東京国際フォーラムではなく、その周辺の企業のショールームとかホワイエとかでやっているヤツね。音楽を聴く環境としては、どれもこれも良くないところが多いし、立ち見も多くて、正直やってられないけれど、まだ国際フォーラムのプログラムよりも、私の気をひくプログラムがあるんだよね。だから、周辺プログラムがなかったら、私はきっと、ずいぶん前にラ・フォル・ジュルネを見限っていたんじゃないかって思います。でも、今年はその周辺プログラムにも、ワクワク感が少なくなってきたような気がします。ううむ、やっぱりそろそろ潮時なのかな? 残念だな。

 でも、今年はとりあえず出かけます。来年は…どうしましょうかねえ。

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2014年4月21日 (月)

二重唱の練習をしました

 もちろん、相方のNさんと一緒にです。と言っても(音楽的な意味での)歌の練習はY先生とのレッスンでやっていますので、今回は先生抜きの妻を加えての…で、演技の練習をしました。

 元々、Y門下では、発表会で二重唱を取り上げる事は少なくないのですが、大抵は“棒立ち”歌唱なんですね。“演奏会形式”と言ってもいいのですが、特別な衣装つける事もなく、動作や演技を加えることなく、二人で並んできちんと歌うだけ…というパターンが多かったのだそうです。そこへ前回の発表会で、我々夫婦が演技付きで二重唱を歌った事は、門下内ではちょっとした話題になりました。Nさんも今まで二重唱を発表会で歌った事はあるのだそうですが、当然、演技を付けて…というわけではなかったのだそうです。ですので、今回の私との二重唱では、当然“演技を付けて”歌いたいとなったわけです。

 まあ、私は演技を付けて歌うのは、慣れているので、それはそれで良いのですが、問題は練習と言いますか、打ち合わせの時間ですね。演技を付けるとなると、やはり演技の打ち合わせが必要となります。演出家がいても面倒ですが、演出家がいない今回のケースの場合、二人の間できちんと取り決めをしておかないと、演技がチグハグになってしまいます。

 妻との二重唱なら、打ち合わせとか練習などは、いつでもどこでも出来るので大した問題はありません。キング門下にいた時ならば、歌劇団がありましたが、その練習の前後に打ち合わせをする事ができました。今回のNさんとは、特別な接点はありません。歌のレッスンは一緒にやってますが、Y先生のところで演技の打ち合わせをするわけにはいきません。

 そこで、予定を合わせて、時間を作って、練習兼打ち合わせの時間を持ちました。貸しスタジオを2時間ばかり借りての練習です。

 まずはアディーナとネモリーノのプロフィールをどうするか? NさんがYouTubeで見てきた画像では、この二重唱はベッドシーンの後の睦言という設定になっていたそうだけれど…そういう奇抜な設定のモノは、パクるにパクれません(笑)。とりあえずは、普通に、アディーナは農園のお嬢様、ネモリーノはそこで働く農夫、場所は農園という設定にしました。

 次は年齢です。Nさんは、アディーナとネモリーノは同じ年(もちろん成人)だと思っていたようです。一方、私はネモリーノは中学生ぐらい。アディーナは、彼よりも一回り上の20代前半の適齢期だと思っていました。これはネモリーノの愚かさを、未熟とみなすか、遅滞とみなすかという違いとなります。アディーナとネモリーノが同じ年の成人男女ならば、ネモリーノは軽度の精神遅滞者となります。しかしネモリーノが中学生程度ならば、ただのネンネのお子ちゃまとなるわけです。ここは話し合って、中間を取る事にしました。つまり、ネモリーノは高校生ぐらいの若者で(農夫なので)教育を全く受けていない、少々頭の回転の遅い男とし、アディーナは、それよりも多少年上の普通の若い女性という事にしました。

 次は時代設定です。これは衣装の関係もあります。いくら演技付きとは言え、大道具があるわけではないので、普通にタキシードとドレスで歌っても全然いいのでしょうが、Nさんはやはり衣装にもこだわりたいようです。でも「愛の妙薬」のオリジナル設定である18世紀のスペインの田舎にしてしまうと、衣装に困ります(でしょ?)。

 「農夫って何を着るの?」 要はそこなんですね。モンペ? ジャージ? 作業着? ジーパン?…ジーパンにネルシャツという事にしました。だって、それなら衣装の調達も簡単でしょ? ジーパンにネルシャツなら、それはアメリカの農園って事になります。時代は20世紀前半って感じかな? まあ、それならアディーナの服装も、普通にスカートを履いてくればいいわけだし、そんな感じになりました。

 衣装が決まったので、次は舞台への出入りをどうするかです。ここは奇をてらわずに、二人一緒に舞台に登場し、まずは一礼をして、位置について、私が出だしの音を確認したら、Nさんに合図をして、Nさんが動き出したら、歌を始める…という事にしました(って、読んだだけじゃ何か何だか分かりませんよ)。

 練習は、レチタティーヴォ部分は、妻がキーボードを鳴らして行い、歌の部分はカラオケを使ってやってみました。

 とにかく、最初は「やってみましょう」というわけで、細かな打ち合わせ無しで歌ってみました。結果は、出の都合もあるけれど、アディーナは終始上手に、ネモリーノは下手にいるわけだし、自分の番以外では、ただその場に立ち尽くしているだけになってしまいました。元々この曲は、そんなに動きのあるシーンの曲ではないので、それも仕方ないのですが、それでももっと動いた方がいいだろうという事になり、少しずつ、動きを加え、立ち位置を変えて、何度もやりながら直してみました。小道具もいくつか使う事にしました。

 アディーナが歌っているネモリーノの前に立ちはだかってみたり、尻で蹴飛ばしてどかしてみたり、ネモリーノがアディーナの動きを真似して追従してみたり…。まあ、快活で感情豊かなアディーナと、どこかトロくておバカなネモリーノを表現してみました。

 とりあえず、一通りはできました。相手が妻なら、一通りできたところから、何度も練習を重ねて、さらに演技をブラッシュアップしていくのですが、相手がNさんだと、そうも何度も練習をするわけにはいきませんので、今回のこれで完成。後は本番にご期待。という事にしました。

 本番の発表会まで、まだ一ヶ月もあるので、動きを忘れてしまわないか心配です(汗)。

 歌の練習は、本番まで、たぶん後1回あります。ピアノ合わせ(動き無し)が1回。当日の打ち合わせの時に、ピアノと動きの確認があって、それで本番…という流れになるかな? はは、こうして数えてみると、本番まで、そんなに合わせる時間ってないね。こうしてみると、夫婦で一緒に歌うと言うのは、練習も打ち合わせも、その気になればいくらでもできるので、色々と恵まれているのかもしれません。

 今回の打ち合わせ&練習は2時間もあって、その間、終始しゃべりっぱなしの歌いっぱなしだったので、私は最初の90分は、堂々と手を抜いて歌いました。具体的には、声を張らずに流して歌い、ところどころ1オクターブ下を歌うという、あくまでも動きの確認を中心とし、歌は添え物という感じでやりましたが、Nさんは、歌にも演技にも手を抜かず、最初っから最後まで全力でぶつかってました。

 2時間、ずっと歌っていられるというのは、すごいなあって思いました。本当にオペラを全幕歌うなら、それくらいの歌の体力は必要ですから、当たり前と言えば当たり前の事なんですが、私自身は、とてもそんなに長い時間、歌えません。そんな事をしたら、あっというまに声を使い切ってしまいます。ですから、本気で歌うのは、最後の30分だけで、後は流していたわけです。

 なので、最後の最高音のBも2回しか出さなかった私ですが、妻曰く「全く届いていなかった」そうです(涙)。AsからBへと音が上がるのですが、ほとんど音が上がっていなかった…のだそうです。疲れないように流していたつもりですが、やはり疲れてしまったんでしょうね。そうでなくても、元々Bは無理めの高音ですから…。

 本番では、疲れていない状態をうまくキープして最後のBに臨みたいと思ってます。

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2014年4月20日 (日)

給食に牛乳は必要か?[2014年4月第3週・通算11週]

体重:108.4kg[-0.2kg:-3.0kg]
体脂肪率:30.4%[-0.2%:-0.8%]
BMI:34.2[-0.1:-0.7]
体脂肪質量:33.0kg[-0.2kg:-1.6kg]
腹囲:106.0cm[+1.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 先日、あっちこっちで報道されましたが、新潟県の三条市で、今年の12月から4カ月間、すべての小中学校(33校、結構あるね)で、給食時の牛乳の提供を試験的に中止する事に決めたのだそうです。

 三条市は2008年度より、完全米飯給食(つまり和食の給食)を実施しているのだそうです。そのため、保護者や栄養士たちから「米飯給食に牛乳は似合わない」という意見が数多く寄せられた上に、今年4月からの消費増税により食材コストが増えたため、牛乳の提供の中止を決めたのだそうです。

 つまり「保護者からも苦情が多いし~、給食の経費削減も考えなきゃいけないわけだし~、牛乳を止めて経費を浮かせれば、その分楽だし~、そうすれば増税だからと言って給食費を上げずに済むし~」って事らしいです。

 なにしろ、三条市の給食では、一人あたりの食費って、250円(安い!)なんだそうです。これが消費増税で、そのままだと270円になってしまうわけです。実際、多くの市町村では消費増税のために給食費を値上げるところも多いのですが、三条市は消費増税となっても給食費は据え置くと決めているのだそうです。となると、消費増税分のコストカットをしないといけないわけです。

 ちなみに、三条市では、給食の時に提供される牛乳のお値段は一人50円なんだそうです。250円の中の50円が牛乳なわけです。そこで牛乳を止めれば、消費増税分を差し引いても30円分の余剰金が生まれ、その分、給食のおかずに使える食材が増えるわけです。

 無論、三条市はそんなお金の話は表立ってはしません。表向きは「一汁三菜の日本古来の正しい食生活を身につけてほしい」という“食育”の観点に立っての物言いをしておりますが…。

 「牛乳を止めると、カルシウム不足が懸念される」との声に対しては、カルシウムを補うふりかけとか、おかずを考えていくそうです。…って、普通に和食を食べていれば、カルシウム不足にはならないんじゃないの?

 三条市は以前から“米飯給食に牛乳は合わない”と考えていたようで、2007年度(完全米飯給食施行の前年)には、給食時の牛乳提供を止め、その代わり、牛乳を休み時間に提供したのだそうです…が「(給食以外の時間に牛乳を提供するのは)大変だ~(涙)」という現場の声が多くなって断念したという経緯があるそうです。

 私の個人的意見を述べれば、米飯給食の時の牛乳って、絶対に奇怪しいと思います。これは食べてみれば分かります。

 私は教育実習で小学校に行って、わかめ御飯とひじきと焼き鮭と煮物の給食に牛乳が付いて来た時は、マジで「これはありえない組み合わせだろう」と思いました。でも、給食って食べ残しちゃいけないんだよね。だから、どんなに変な組み合わせだろうと食べ残しちゃいけないわけです。おまけに自分は教育実習生だし…残すわけにはいかないじゃない。すごくイヤな気分で食べましたよ。で「絶対に公立小学校の先生にはなるまい」と決心しました。だって、こんなデタラメな食事を毎日しなきゃいけないなんて、一種の地獄でしょ?

 でも、こんなヘンテコな組み合わせでも、6年間毎日食べてたら、そのヘンテコな組み合わせが当たり前になってしまうんだよね。これは恐ろしい事だと思いますよ。

 何を食べても、どんな料理の組み合わせでも、必ず牛乳を飲まなければいけない。これって、一種の食文化の破壊って奴でしょ? おおげさに言えば『日本の食文化の否定』とも言えるかもしれません。それくらい、米飯に牛乳ってのは、破壊力ありますよ。

 だいたい、パン食だから牛乳ってのも、本当は奇怪しい話だと思います。私の世代だと、子どもの頃から、パン食に牛乳の生活を6年間もやって刷り込まれているから、これが当たり前と感じてしまう部分はあるけれど、冷静に考えてみれば、洋食であっても、牛乳を飲むのって、変だと思います。

 ちゃんとしたレストランのメニューに牛乳ってありますか? ソフトドリンクのメニューはたくさんあるけれど、その中に牛乳がある店って、たぶん少ないと思います。少なくとも、私はそんな店、知りません。つまり、洋食だから言って、食事の時に牛乳を飲むわけではないのです。

 実際、いわゆる洋食では、牛乳は生で飲まれるよりも、バターやチーズやヨーグルトやアイスクリームの材料として使われるわけだし、生の牛乳が冷蔵庫にあっても、そのまま飲むのではなく、料理の材料の一つとして使われるものでしょ? 洋食ですら、生の牛乳をそのまま飲むことは少ないのに、況んや和食をや…でしょ?

 だいたい、牛乳って、子牛の食べ物であって、どんな生き物であっても、成長してから他種の動物の乳を飲んでいるって…ありえない話だよね。だから、牛乳を加工して食べるならともかく、そのまま飲むのって、かなり不自然な食生活だと思います。

 日本にも古来から牛はいたし、家畜として養っていたし、奈良時代までは、今で言うチーズやヨーグルトを食べていたようだけれど、やがて廃れてしまい、文明開化の頃から、再び牛乳が食材として注目され、戦後からボチボチと牛乳が飲まれるようになってきた…というわけで、牛乳を飲用するようになったのは、我々の食文化の延長線上の出来事と言うよりも、戦後のアメリカの占領政策の中から出てきたものだとも言えます。

 なので、給食から牛乳が無くなってしまうのは、ある意味、振り子の揺り戻しのようなもので、日本人の食事という点で考えれば、本来のあるべき姿に戻っていくだけの話なんだと思います。

 とは言え、三条市の牛乳関係の方々、つまり、酪農家の方々や、牛乳工場の方々、牛乳の流通に関わっている方々には、給食から牛乳が無くなるなんて、とんでもない話だとは思います。「学校に納めているから、ウチは安心」と思っていたのに、いきなり商売の存亡の危機ですからね。商売を畳まざるを得ない人も大勢いらっしゃるに違いないと思います。

 給食から牛乳を無くすのは、素晴らしい英断だと思うものの、牛乳関係者にとっては死活問題なわけですから、そこんところをうまくソフトランディングできないものかなと、外野席にいる私は、そう思うのでありました。

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2014年4月19日 (土)

水槽の水を替えました

 …って別に威張る事ではないですね。それに、ついこの前まで、一週間に一回、週末になると必ず水槽の水を取り替えていた私です。しかし、最近は忙しいので、どうしても金魚の事が後回しになっています。申し訳ない。

 平日の仕事が忙しいのは、もうブログで何度も何度も書いている事ですが、最近は休日も忙しいのですよ。

 とにかく、母の病状が悪く、なだからかに下降線を描いています。とりあえず、完全看護の病院に入れているので、看護とか介護とかはしなくていいのですが、でも見舞いに行って顔を見せないといけないというか、それは子どもとしての、おそらく最後の親孝行だろうし、病院との相談やらなんやらもあるわけで、休日も結構つぶれちゃってます。

 なにしろ、母の入院先まで、何だかんだと言って片道2時間かかりますからね。往復の時間+向こうでの滞在時間を考えると、ほぼ一日がかりになります。時間もそうだけれど、体力的にも、シンドイですよ。でも、こちらもシンドイかもしれませんが、母はもっとシンドイのですから、グチを言ってはいけないと思ってます。

 平日も休日も忙しくて、時間と体力に余裕がないので、ついつい金魚の事が後回しになってしまい、水槽の水替えも、多少さぼり気味になってました。

 で、その結果が、ホノカの赤斑病(?)でした。赤いブツブツが背中の背びれのあたりにウジャ~って出来ました。それどころか、頭の天辺あたりも赤くなっちゃいました。赤い金魚にもっと赤い点々ですよ、どれだけ赤いか、分かるモノです。

 その上、カラダ全体がなんとなく、白いモヤモヤがかかるようになりました。白雲病? ほんと、こりゃあヤバイなあと思って、いよいよ重い腰を上げて、先日、水替えをしました。

 そしたら、嘘のように、ホノカのカラダの赤い斑点が消えました。白いモヤモヤも無くなりました。

 水を替えただけで、状況が好転するなんて、それまでの水槽の水がよっぽど汚かったって事? ちょっと失礼しちゃうよね。

 まあ、とりあえず、状況が良くなった事を喜びたいと思いますし、なるべく水替えをきちんとしてあげたいなあと思いました。

 でも、金魚と母では、母の方の優先順位が高いんだよね。

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2014年4月18日 (金)

なぜ私はフルートを始めたのか?

 フルートのレッスンをお休みしました。今回のお休みの理由は…私ではなく、先生の都合でお休みでした。なんでも、フルート業界の大切な寄り合いがあったそうです。H先生は業界の重鎮ですから、顔を出さないわけにはいかない…という理由でレッスンお休みです。

 せっかく、二週連続でレッスンに出れたのですから、三週連続にしてみようと思っていましたが、まあ、こんな感じです。

 で、レッスンがなかったので、今回もフルートエッセイでお茶を濁したいと思います。

 今回のフルートエッセイは『なぜ私はフルートを始めたのか?』 そのあたりについて、つらつらと書いてみたいと思います。

 古い読者さんたちはご存じでしょうが、私がフルートを始めた直接のきっかけは、フルートを衝動買いしたからでした。

 ある日、楽器店をプラプラ歩いていた時に、店にあったフルートに声をかけられたような気がして、ついついその子を衝動的に買ってしまったのです。

 で、フルートを買ってしまったので、フルートを始めてみた。これが「なぜ私はフルートを始めたのか」に対する即物的な答えとなります。

 でも本当の問題は、なぜ私がフルートを衝動買いしてしまったか…って事ですよ。

 私は元々、フルートという楽器が好きだったわけではありません。いや、衝動買いをするまでは、フルートという楽器の存在すら、意識に無かったほどです。

 私は中学生の頃、時折、担任の先生(音楽の先生にして、吹奏楽部の顧問)に頼まれて、吹奏楽部の助っ人をしていました。そんな私が担当する楽器はパーカッションで、たいていは大太鼓とかタンバリンとか、そういう脇役っぽい楽器を担当していました。まあ、助っ人ですからね、贅沢はいいません。

 そういう助っ人目線で吹奏楽部を見た時に、私に見えていた楽器は、同じパーカッションであるスネアドラムであったり、トランペットやトロンボーンなどの派手な金管楽器であったり、地味な木管楽器ならば、クラリネットとかサックスとかが、よく目に入っていました。フルートも確かにその場に存在していたはずですが、全く私の目にも耳にも入っていませんでした。つまり、私のフルートに関する興味関心度と言うのは、所詮、その程度でした。

 成長するにつれ、私は由緒正しいオペラ系クラヲタとして成長しましたが、それでもフルートは常に蚊帳の外でした。だって私、オペラチックなクラヲタでしたかから、注目していたのは常に歌手なんですね。で、その歌手の伴奏をする楽器として、ピアノとかオルガンとかオーケストラって奴を認識していました。で、そのオーケストラは“弦楽合奏+管楽器たち”と思ってましたので、やはりヴァイオリンを始めとする弦楽を中心に考えていました。

 なので、クラヲタとしては、フルートの曲って、ほとんど知らないのです。実は今でも、たいして知りません。いや、ほとんど知らないと言っても良いかもしれません。これは、ある意味、子どもの頃からピアノを習っている癖して、自分が習った曲以外は知らないピアノの人…と同じかもしれません。

 なので「フルートが好きだったからフルートを始めました」は、私の場合は当てはまりません。それにだいだい、元々好きだったら、最初っから楽器持っているはずですから、衝動買いなんてしませんしね。

 では、好きではない…というよりも、興味のなかったフルートを、なぜ衝動買いをして、今に至っているのか、そこが問題となります。

 「銀色でピカピカしていたから?」 残念ながら、私、ヒカリモノには興味がございません。「フルートを吹けば、女の子にもてるから?」 残念ながら、私はオッサンなので、今更女の子にもてようがもてなかろうが、そんな事、どーでもいーです。「フルートって、メカメカしていて、男の子心をくすぐられる?」 残念ながら、私、機械とかメカとか苦手なタイプの文系男子でございます。

 返す返すもフルートを衝動買いした頃の私を思い出してみると、あの頃の私は、心に大きな欠落感を感じていた事を思い出します。その欠落感というのは「なぜ自分は女声で歌えないのか?」って事です。ま、私、精神的にも肉体的にも男性ですから、女声で歌えないのは当たり前ですが、それでも女声で歌えない事をとても残念に思っていました。

 だって、声楽界には、女声にしか歌えない曲、女声で歌わないと似合わない曲が、あまりに多いもの。もちろん、男声にしか歌えない曲とか、男声で歌わないと似合わない曲もたくさんあるけれど、今手にしているモノとか、これから手に入れられるモノには、人間って奴は興味がわかないのですね。それよりも、自分が願っても手に入れられないモノを欲しがるものです。

 私の場合、願っても手に入れられないモノは、女声だったわけです。

 たぶん、その女声に対する欠乏感がフルートに向かったのかもしれません。だって、フルートの音域って、女声の音域とほぼ一緒でしょ。

 あと、私、フルートには興味感心がなかったけれど、リコーダーは元々大好きで、中学生の頃は、笛吹き小僧だったくらですから、元々持っていたリコーダー愛が、転じて、フルートに向かった…という部分は否定しません。

 つまり、私の中では、リコーダーの上位バージョンがフルートだったと言うわけです。

 そんなわけで、女声への欠乏感と、リコーダー愛から、私はフルートを始めた。どうやら、そういう事のようです。で、衝動買いをしてから、そろそろ6年になりますが、まだフルートを続けています。最初は持ち合わせていなかった、フルート愛って奴が、そろそろ私の中に芽生えているような気がします。

 今はフルートが好きだと言えますよ、うん。 

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2014年4月17日 (木)

出来る範囲で精一杯頑張る

 さて、声楽のレッスンの続きです。今回はソロの曲の事を書きます。

 最初は、ベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」です。

 とにかく「丁寧に、丁寧に歌ってください」と言われました。リズム的にキッチリキッチリ歌わないとね。私、少し、リズムを丸めすぎていました。だって、この曲、キッチリ歌うためには、それなりにメンタルが強くないと、音楽の持っている緊張感に負けて、ついついリズム的に丸めたくなります。

 音楽が持っている緊張感に負けずに歌う…これがこの曲の課題かな?

 そのためには、ゆっくりと歌うのが一番いいのですが、あんまりゆっくり歌うと、体力的に最後まで持ちません。体力優先で、テンポをキビキビ歌うと、丁寧さに欠けてしまうわけで、ここでも問題になるのは、私の歌唱的な体力です。

 歌唱的な体力…即物的に考えるなら、体幹の強さです。私、体幹が弱いからなあ…これは散々キング先生にも言われたし、あの頃よりは多少なりとも強くなっていると思うけれど、それでもまだまだ体幹が弱い私です。こればっかりは、すぐに強くなるわけもなく、地道な努力が必要ですが、発表会は、それを待ってくれません。ですから、出来る範囲でベストを尽くさないとダメです。

 それにしても、現状では、下手くそさが結構目立っています。どうしましょうね。

 次は、レハール作曲「ほほえみの国」より「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」

 まずは通して歌ってみました。とにかく、前回注意されたとおり、最後まで歌いきる事を主眼として、軽く軽く歌ってみましたが、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしで、今度は、歌い方が軽すぎると言われました。

 この曲、20世紀の曲ですからね。ワーグナーはもちろん、プッチーニよりも後なわけで、ある程度は、重い声で歌わないといけません。でも、最初から最後まで重い声で歌ったら、それこそ声が持たないし、下手すると声が壊れてしまいます。

 で、歌いだしの二分音符は重く歌いだし、そこから少しずつ声を軽くして、ノドへの負担を減らし、次のフレーズではまた重く歌いだして、そこから軽く歌う…というやり方をする事にしました。まあ、姑息と言えば姑息なやり方ですが、そうする事にしました。

 また、レガートに歌おうとするあまり、付点音符をあまり強調しないような歌い方にしていましたが、この曲はリズム的に単調なので、むしろ付点音符は強調する方向で歌った方が良いと言われました。そうしないと、ベターとした感じに聞こえてしまうそうなんです。確かに言われてみれば、そんな感じもしますね。

 ブレスの位置もいくつか変えました。私は文章に則したカタチでブレスをしてみましたが、それでは音楽的に色々ときびしいわけで、先生は音楽に則した箇所でブレスをするようにアドヴァイスをしてくれました。文章的には、多少不自然な位置でのブレス取りとなりますが、格段に歌いやすくなりました。音楽と言葉が寄り添うように作曲されていればいいのですが、20世紀の曲ですから、そこはあえて意図的に寄り添わせずに作曲されているのです。そうなると、歌手的には、言葉を優先するべきか、音楽を優先するべきかで、悩むわけだし、一流の歌手はこの難しい課題に対して、言葉も音楽も両方を優先してくるわけですが、私ごときにはそんな芸当は無理なわけで、言葉を取るか、音楽を取るか、そこが悩みになります。

 で、今回は、音楽を優先しましょうって事です。

 発声練習でも言われた“声は常に動かしている”事は、この曲のように、ロングトーンが多用されている曲では、特に注意しないといけません。音をただ伸ばしているのではなく、カラダの中で音を動かしながら歌う事が大切です。

 それと「歌っている時に、あきらめないように」と先生に言われました。私は歌っている時は「最初から最後までクライマックス!」という気持ちで歌っていますが、それを聞いている先生からすれば「あっちこっちで、気が抜けて、手を抜いて歌っているなあ…」との事です。まあ、私の場合、気持ちはあっても、カラダがそこに追いついてこないってわけです。どうも、支えがダメだな。支えがあっちこっちで抜けてしまい、結果的に手を抜いて歌っているように聞こえるわけで…ああ、未熟だ、未熟だ。

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2014年4月16日 (水)

Bにチャレンジすることにしました

 さて、二重唱のレッスンです。

 ひとまず、最初のレッスンなので、最期まで合わせてみましょうという事になりました。「止めずに最後までいきますよ」と言って始めたものの、やっぱり途中で何度も止められては、やり直しをしました。ま、仕方ないですね。

 例えば、私のネモリーノが堂々と立派な態度すぎるとか、歌いまわしがストーリーにふさわしてくないとか、歌詞の譜割りが違っているとか、イタリア語の発音があっちこっち違っているとか、噛んでいるとか、発音が曖昧すぎるとか…。

 注意を受けた分量は、私よりもNさんの方が多少多い感じになりました。それについてNさんは少し凹んだようにも見えましたが、これは仕方ないです。だって彼女にとって、この曲は新曲であるのに対して、私は一度仕上げた曲であって、今回は再演なんですから、その私がNさんよりもたくさん注意されたら、最初に仕上げた奴は一体なんだったのって事になるわけです。

 それを考えれば、Nさんへの注意は、むしろ少ないくらいです。もしも私が新曲だったなら、この倍以上の注意を受けていたに違いないのですから。さすがにY先生に「Nさんは譜読みが速いから」と言わせただけの事はあります。

 その点、私は、譜読みも遅ければ、暗譜も遅いからなあ…。

 この二重唱では、ネモリーノの歌うパートには、伝統的にバリエーションがある部分が3箇所あります。最初のバリエーションはパスします(私には難しすぎるんですね)。そこで2番目のバリエーションをどう歌うかを相談してみました(3箇所目のパートはカットする部分に含まれていますので、今回はやりません)。

 この部分を、楽譜どおりにバリエーション無しで歌うのも一つの方法だし、キング先生に習ったバリエーションで歌うのも一つの方法だし、リッツに載っている伝統的なバリエーションで歌うのも一つの方法です。あるいはいっそ、私オリジナルのバリエーションを作って歌ってもいいのですが…今回は、歌い慣れたキング式のバリエーションで歌いたいですね。でもY先生は、キング式のバリエーションよりも、伝統的なリッツのフレーズの方がいいとおっしゃいます。なので、この部分は一度ペンディングにして、ピアノニストさんを加えて、どのバリエーションで行くか決めることにしました。

 それにしてもNさんはいいね~。実に良い声を持っていらっしゃいます。私と一緒に歌うと、実にキレイにハモります。つまり、私の声に負けていないわけです。

 自慢をするわけではないのですが、妻も含めて、私と二重唱をすると、大抵のソプラノさんは負けてしまいます。私の声とハモるのではなく、私の声にかき消されてしまうのです。これは音量的な問題もあるけれど、音質的な問題もあります。音程的にはソプラノの方がテノールよりも高いのだから、かき消されるはずはないのですが、それでもきちんと聞こえる事は少なく、ましてやハモる事はまずないのですが、Nさんの声は私の声にかき消されてしまう事はなく、きちんとハモって聞こえるんですよ。つまり、Nさんは、私と同等かそれ以上の声を持っている方って事になります。

 アマチュアでも、歌の上手いソプラノさんならたくさんいますが、声を持っているソプラノさんって、そんなに多くはないです。少なくとも、妻は違うし、キング門下にもそういう方はいらっしゃいませんでした。

 その点、Nさんは声のあるソプラノさんで、とても貴重な存在です。もちろん、声はあるに越したことはないにせよ、声があるだけで歌は歌えないわけで、そういう点では私に通じる部分はあります。とは言え、あるのは“通じる部分”だけであって、基本的に、私よりも数段、歌はお上手なわけです(そりゃあ、そうだ)。

 それにしても思った事は、このオペラにおけるネモリーノ(テノール)は、割とやさしく書かれているけれど、アディーナ(ソプラノ)の方は、そんなに簡単じゃないって事です。でもNさんは頑張っていますから、きっと本番では見事に歌っちゃうんだろうなあって思います。

 そうそう、二重唱の最後の部分。ソプラノは、FからBに上がってEbに落ち着いて解決しますが、テノールはAからDに一度下がってからEbに上がって解決します。楽譜どおりならこの通りなんだけれど、Nさんの希望で、この最後の部分は、テノールとソプラノで同じ音で歌って終わりにしたいという申し出がありました。つまり、テノールをAからDに下がらずに、AからBに上げてフェルマーターをかけてから、Ebに下がて解決しましょうって事です。つまり、Aで一度伸ばしてから、さらに上がってBでも伸ばして終わるという、二段階ジャンプアップの終わり方をしましょうってわけです。すげえぞ、これ。

 へへへ、実は私はまだ、歌でBをきちんと出した事ないよ(汗)。

 とりあえず、試しに一回Bで歌ってみたけれど、ちょっとばかり届いてませんでした。実は私、Bには全然届かないだろうと思ってましたので、一回試しに歌ってみて「ほら、全然無理だよ。Bは高くて無理だから、私は楽譜どおりに歌います」と言うつもりだったけれど、案外、その近くまでは出せるモンだなあと思いました。これなら、もう少し練習を重ねていけば、行けちゃうかもしれないと思いました。ので、ひとまずソプラノと同じBで歌えるように練習を重ねていく事にしました。

 本番近くになっても、相変わらず、届かないままなら、楽譜どおりに歌えば済むだけの話なので、とりあえず努力をしてみようかなって思ったわけです。

 それにして、ソロの二曲は、最高音をAbに押えて安全策を取っているのに、二重唱の方でBを歌うなんて…ね。今回、一番の安パイのはずだった二重唱が、一番デンジャラスな曲になっちゃいました。

 今回、始めて、発表会で撃沈抜きで歌えるかなあ…と期待していただけに、ここに至って撃沈の可能性が浮上してまいりました。ふふふ。

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2014年4月15日 (火)

声は常に動かしていこう

 声楽のレッスンに行ってきました。今回のレッスンは、二重唱の相方であるNさんと連絡を取って、彼女のレッスンの直後に私のレッスンを入れてみました。なので、私がお教室についた時は、Nさんのレッスンの真っ最中でございました。

 彼女の歌はいいですね。まあ、歌が良いから、二重唱の相方として申し込んだわけですが…。

 で、彼女のレッスンが一段落したところで、二重唱のレッスンとなりましたが、私が到着したばかりなので、二重唱の前に、まずは私の発声練習から、レッスンを始めました。(その間、Nさんは声を休めるわけです)。

 Y先生との発声練習は、準備体操ではなく、いわゆる“ヴォイス・トレーニング”となります。今回の発声練習などは、次に二重唱のレッスンを控えているのだから、本当に準備体操的な発声練習でいいのに、Y先生の性分なのでしょうか、ついつい、マジになってヴォイス・トレーニングをしちゃうわけです。

 今回習ったのは、跳ねるように発声する事。それも高いところから飛び込んで跳ねるような感じに声を出していく事。もちろん、これは私の発声の悪い癖を取り除くための練習なんです。

 私の発声の悪い癖は、まず「下から音を取っていく」があります。これは低めの音程から入って、ずり上げて音程を取っていくという事もあるし、低いポジションから入って、競り上げる様に声を上げて歌うべきであります。どちらにしても、低いところから入るのはダメなわけで、常に声は高いところから入って歌うのが理想です。子音とか息などの音程を、目的とする音程よりも高めに設定して、常に上から音を取っていくわけです。

 さらに、声が目的とする音程にはまった後も問題なわけです。私の場合は、声を口からリボンのようにスルスルと出していこうとする傾向があって、こういう発声では、声に動きを感じられないのですね。

 声には常に動きがないといけないのです。動きとは命であり、躍動なんです。だから、常に声は動いていないといけないのです。“跳ねるように歌う”と言うのは、声の中に命を込めて躍動感を与えなさいという事でもあります。

 具体的に言えば、ヴィブラートの事を言っているのだと思います。だからと言って、いわゆる“縮緬ヴィブラート”や演歌的なヴィブラートではダメなんです。体幹を使って声にバイブレーションを与えたヴィブラートでないといけないのです。そのために「跳ねる様に声を出しなさい」という指示が来るわけです。

 感覚的にはお腹の中でロータリーエンジンがグルグルまわっている感じかな? これで声をピョコタンピョコタンさせるわけです。

 まあ、書けば簡単ですが、実際にはなかなか出来ません。今回出来ても、次も出来るとは限らないわけです。そういう意味では、発声練習って、なかなか実を結ばない、精神的に過酷な練習だなあと思います。ちょっと教えれば、すぐに出来る様になるなら、先生も生徒も苦労しませんしね。

 例えば、私が毎度毎度、Y先生からしつこいほどに注意を受けているのは「発声の時に、カラダがちゃんと使えていない」という注意です。この注意を毎回毎回受けている私なんですが、さすがに何度も何度も同じ注意を受けていたので、少しずつですが、発声の時にカラダが使える様になってきました。でも、まだ体力がないので、使えてもレッスンの最初のうちだけで、やがてはいつもどおりの、カラダを使わない発声に戻っちゃうのですが、でも元気なうちは、少しずつカラダを使って発声できるようになりました。

 諦めずにトライしていけば、少しずつでもカタチになっていくもんなんですね。

 「ニ、三回、教えただけで、すぐに出来る様になってしまうなら、声楽教師なんていう職業はいらないのですよ」とは先生の弁です。ほんと、Y先生は、気長な方だと思います。同じような注意を毎度毎度私にしてくださいます。で、いくら言っても全然出来ないのに、そこで諦めずに毎度毎度しつこく注意していくと、これがやがて、少しずつカタチになっていくんだから面白い。ほんと、声楽教師というのは、辛抱強い人でないとできないのだなって思います。

 さて、肝心のNさんとの二重唱のレッスンについては…明日書きます。

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2014年4月14日 (月)

「アナと雪の女王」を見てきました

 最初に書いておくけれど、この記事にはネタバレが含まれていますので、そこをご覚悟の上で、本日の記事は読んでくださいね。

 さて、私はディズニー映画に特に思い入れはありません。少なくとも熱心なファンではありません。だからと言って、全く見ないわけではありませんが、わざわざ劇場まで足を運んでまで見るほどの事はしません。大抵は、ビデオとかテレビ放送とか、それも誰かのお付き合いで見る事が大半です。だから、ディズニー映画を知らないわけではないけれど、そんなに詳しく知っているわけでもありませんし、ディズニー映画が劇場で公開されたと聞いても、心は全くウキウキしません。

 ですから、今回「アナと雪の女王」が上映された当初も、全く見るつもりはありませんでした。主題歌が話題になっていると聞いても、過去にもディズニー映画の主題歌が話題になった事は何度もあったし、それらの映画が飛び抜けて素晴らしかったのかと言えば、少なくとも私的にはNOでしたので、今回も全然気にしていませんでした。

 でも、今回の「アナと雪の女王」は公開されてからの評判がすごく良くありませんでしたか? あちらこちらで「すごい」とか「感動的」とかの評判を耳にしましたし、記録的にも『アニメーション映画として、トイ・ストーリー3を超えて、歴代1位の記録を作った』とか『アバター、タイタニックに次いで、歴代3位の記録」』とか聞くと、これは無視していちゃダメかもしれないって思うようになりました。

 でもなあ~「アナと雪の女王」なんてタイトル、ダサクないですか? キャラもいかにもアメコミ3Dって感じで、コメディー映画ならともかく、シリアスな劇には合わなさそうだし、劇場予告で見た、オリジナルのイディナ・メンゼルが歌うキラーソングである「Let it go」を見た時も、曲自体はよく出来たボピュラーソングだけど、これくらいなら、いつものディズニー映画だよなあ…って思ってました。まあ、アニメそのものの出来はすごいと思ったけれどね。

 ちなみに私が見た劇場予告はこれね。アニメーションがすごいでしょ?

 で、ついに先日、半分だまされてもいいやという軽い気持ちで「アナと雪の女王」を見てきました。それも、2Dの日本語吹き替え版で(笑)。これ、私がこの映画にそんなに期待していない事の現れだよね。音楽に期待していたら、オリジナル歌唱の字幕版に行くべきだし、アニメに期待していたら3D版に行くべきだからね。でも、2Dの日本語吹き替え版に行きました。へへへ。

 で、見ました。

 ブッ飛びました。いやあ、これ、かなりマジなミュージカル映画だね。オープニングの合唱から始まり、主役たちがメインで歌うソングはあるは、二重唱もある。もちろん、愛の二重唱(アナとハンス王子)もある。ググってみたところ、このミュージカルには9曲ものソングがあるわけで、これだけあれば立派なモンでしょ。

 もちろん、音楽そのものは、今どきのミュージカルだから、かなりポピュラー寄り。一曲一曲を取り上げてみれば、ごく普通の上質なポピュラーソングだけれど、これがストーリーに乗っかって劇中で歌われると、それぞれの歌の世界が広がって、かなり感動的な曲に聞こえます。時にキラーソングである「ありのままに(Let it goの日本語版)」なんて、劇中で聞けば、かなり胸熱になっちゃいます。実によく出来ています。

 ストーリーはアンデルセンの「雪の女王」がベースになっているそうだけれど、私にはむしろ、プッチーニの「トゥーランドット」が下敷きになっているように思われます。もちろん、他人を拒絶し心を開かないトゥーランドット姫に対応するのは、雪の女王であるエリサ女王でしょ。でも、20世紀のオペラと、21世紀のミュージカルの違いというのもあって、21世紀ミュージカルである「アナと雪の女王」には男性の愛は、全く不要なんだな。だから、トゥーランドット姫の心を開いたのは求婚者のカラフ王子だったけれど、雪の女王であるエリサ女王の心を開いたのは、その姉妹であるアナ王女であったわけです。これって、トゥーランドット的に言えば、トゥーランドットはカラフの求愛ではなく、リューの自己犠牲によって目覚めた…的なノリになります。ここがまさに21世紀的なんでしょうね。口先で語る愛よりも、自己犠牲の愛なんですよ。

 21世紀を生きる女性には、男性の愛よりも価値あるものがある…という事なんでしょうか? 男性に愛されて女性は幸せになる…という図式は、もはや21世紀的ではないのかもしれません。だいたい、最初っから、エリサ女王は男性を求めていないしね。

 私が見たのは、日本語吹き替え版だったわけだけれど、こちらで主役をやっていた神田沙也加は、なかなかよかったですよ。しかも歌声はお母さんの松田聖子そっくりでした。オリジナル歌唱の字幕版も良いだろうけれど、日本語版もよかったですよ。

 チャンスがあったら、今度は字幕版を見に行こうかな?

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2014年4月13日 (日)

ガラケーとスマホ、どっちが良いのか?[2014年4月第2週・通算10週]

体重:108.6kg[-1.0kg:-2.8kg]
体脂肪率:30.6%[-0.2%:-0.6%]
BMI:34.3[-0.3:-0.6]
体脂肪質量:33.2kg[-0.6kg:-1.4kg]
腹囲:105.0cm[-1.0cm:-3.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 つい最近、私の同僚が、スマホからガラケーに乗り換えました。スマホからガラケーですよ、ガラケーからスマホではないんです。スマホからガラケーです。

 理由を聞いてみたら「ガラケーの方がランニングコストが安いから」「スマホだからと言って、特別に便利な事はなく、ガラケーだからと言って、特に不便な事は無いから」「やっぱり通信の音声品質はガラケーの方がいいし」「ガラケーの方が小さいし」「ボタンはリアルな方がいいし」「ガラケーの方が電波に強いし」「ガラケーの方が電池の持ちもいいし」という事らしいです。

 「でも、スマホはモバイルパソコンっぽい使い方ができるけれど、ガラケーだと、それって無理じゃない」と聞いたら「そんな時のために、タブレットパソコンがあるんでしょ?」って言われました。さらに「タブレットを使い始めたら、スマホなんて使っていられないよ」とも言われました。

 「だってねえ…スマホって画面が小さいし」「画面が狭いし」「誤動作多いし」「字が小さくて読めないし」「どうせ、メールと電話とカメラしか使わないんだし」という事らしいです。つまり、彼はスマホ一台よりも、タブレット+ガラケーの組み合わせの方がいいと言うわけです。

 そうなの? そんななの? タブレットとガラケーの組み合わせって、そんなに最強なの?

 私、スマホ使っているけれど、誤動作なんて、ほとんど無いし、メールや電話やカメラ以外にも、辞書や地図やネットやニュースリーダーやチューナーや、とにかく色々な用途に使っているし…。タブレットは画面が大きくていいと思うし、字も大きくて老眼に優しいんだろうなあって思うけれど、あの大きさだとかさばるし、ポケットに入らないし、なんと言っても、タブレットと電話の二つ持ちは、ちょっと嫌だし。

 そうなると、私はタブレット+ガラケーよりも、少し大きめのスマホの方がいいかもしれないなあ…。

 と言う、個人的な感想はさておき、ほんと、ガラケーとスマホ、もしも一つしか持たないなら、どっちの方がよいのだろうか?

 よく言われるけれど、スマホと言うのは、電話ではなく、電話もできる小型パソコンなんだと思う。だから、パソコンが得意な人(私なんかはそう)には、スマホって、とても使いやすいんですよ。

 一方、ガラケーってのは、特に、日本のガラケーってのは、日本の工業文化の中で育まれ育てられた機械であって、いわば、家電の兄弟分のような存在だと思います。家電がピンと来なければ、ビデオ機器やファックスの親戚と言ってもいいかな? とにかく、コンピューターとは別世界の、普段使いの機械の進歩発展形のマシンがガラケーなんだと思う。

 つまり、両者には『通話ができる』という以外に、特に共通点はないんじゃないかな? たまたま取り扱っている業者が携帯電話会社って事で同じだから、似たような製品だろうと勝手に思っているだけで、実は中身は全然違うマシンなんだと思ってます。

 なので、パソコンが得意な人ならスマホが、パソコンは苦手って人は、むしろガラケーの方が良いんじゃないかな…なんて、思ってます。

 それとスマホとタブレットも、似たような機械だろうと思われがちだけれど、大きさが全然違うので、その用途は違うし、電話ができる(つまり、自前で電波を送受信できる)かどうかって、大きな違いだと思う。

 え? タブレットと言っても、iPadだと電話できないけれど、アンドロイド・タブレットなら電話できる機種もあるって? そりゃあ、失礼。でも、あの大きさで電話…って、ちょっとイメージできませんね。いわゆる“テレビ電話”状態で電話をする事になるんだろうけれど…落ち着かないなあ。

 そう言えば、同僚のタブレットもアンドロイドタブレットだけれど、別にガラケーでデザリングしているわけではなく、自力で電波拾っているようだったし…、タブレットだと、iPadよりもアンドロイドの方が使い勝手良さそうだな(笑)。

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2014年4月12日 (土)

ホノカさん、お肌のトラブル?

 素赤琉金のホノカさんの左半身に大きなコブ(おそらくガン)が出来ている事は、以前報告しました。今回は、それとは別件です。

 ある日、ホノカさんが水槽の人間がいる方にやってきて、じっとこっちを見ていたので、チャ~ンスとばかりに、こちらもホノカをじっくりと観察してみました。ホノカはハートがガラスなので、あまり人に姿を見せてくれないので、観察するには良いチャンスだったわけです。

 久しぶりにじっくりとホノカさんのカラダを見ていたら、色々と気づきました。左半身のコブは、相変わらずに大きなままで、その部位のウロコもはがれたままなんですが、それ以外にも、背中の背びれの付け根のあたりに、複数(約10個ほど)の赤い斑点があるのを見つけました。もちろん、ウロコの下にあって、ウロコを透かして見えるんだろうと思いますし、元々カラダは赤い(実はウロコが赤いだけで、カラダは白身なんです)のに、その赤いカラダよりもなお赤い斑点がボツボツと出来てました。

 一体、何なんでしょうね? 赤斑点病というのがありますが、これでしょうか? でも、ネットでググった感じではちょっと違うかもしれませんし、やっぱりそうなのかもしれません。どちらにしても、実家の母の件もあって、先週、金魚の水替えをさぼってしまったので、その影響かもしれません。なにしろ、水槽の水質の劣化は、万病の元ですからね。

 とにかく、水槽の水替えをして、水に塩分を多めに入れて、様子を見ることにします。

 さらに、ホノカをじっと見つめていると…その背中から頭部にかけて、白くて薄いモノがモヤモヤとまとわりついているように見えます。…これ、たぶん、水カビだな。人間でいうところの、水虫みたいなモンだな。これも水替えをサボった影響かもしれない。

 慌てて、他の子たちの様子も見ましたが、他の子たちは特に変化ありません。まあ、カラダにコブ(たぶんガン)を持っているホノカだから、免疫だとか抵抗力だとかが、他の子よりも弱いのかもしれない。それでこの子だけ症状が出てしまったのかもしれません。

 まずは様子見だな。薬を使っての治療は、その後だね。なにしろ、薬は使い方次第では毒にもなるわけだから、慎重に使わないといけませんからね。

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2014年4月11日 (金)

今週もフルートのレッスンを受けました

 …なんて事が、ブログ記事のタイトルになってしまう事自体、異常なことだと承知していますが、でもほんと、今週もフルートのレッスンを受けてきました。

 だって頑張って、仕事を早く切り上げてきたんだもん!

 で、急いで帰宅して、レッスンに出かけたら…ICレコーダーを忘れてしまいました。いかんいかん、フルートのレッスンではノートを取るわけにはいかないのだから、ICレコーダーは必需品です。さっそく、自宅に取りに戻りました。

 よし、これで大丈夫と思って、再びレッスンに出かけたら、今度はフルートを持っていない事に気づきました。いやあ、フルートを持たずに、フルートのレッスンに行って、私は何をしようとしていたのでしょうか? またも自宅に取りに戻りました。

 そんな事を繰り返しちゃったので、レッスンの時間には大幅遅刻となりましたが、そんな私の遅刻にすっかり慣れてしまった先生は、悠々とご自分の練習をしながら、私の到着を待っていてくださいました。感謝です。

 それにしても、ひさしぶりに聞く、先生の生フルートのソロ演奏は…いいですね。実にパワフルです。

 さて、レッスンですが…実は私、前回のレッスンを終えてフルートをしまって以来、フルートをケースから取り出していませんでした。その事を正直に白状したところ「では、この場で練習って事だね」とサラリと流してくれました。たとえ練習が出来ていなくても、レッスンに来られただけで万々歳だという事を、先生はよくご承知してくださっています。感謝です。

 レッスン前にチューニングをします。先生がピャーと吹く中音域のA音に合わせるのですが、私が吹いた途端に「音程はバッチリ、音色も良いけれど、クチビルが絞まっているね。もっとクチビルを楽にして、お腹の圧だけで息を送るんですよ」とのアドヴァイス。そうでしたね、ピピンと来ました。

 フルートって、腹圧だけで吹くと、本当に楽になりますね。いやあ、そんな基本中の基礎を忘れていました。いけませんいけません。

 アルテは15課の10章のCes-durは…合格も不合格もありません。先生の前でフルートの練習をしました。

 「焦らずにゆっくりと吹きなさい」と言われ、最初のうちこそ、ノーミスで吹けたのですが、下降音形になったあたりから、気がゆるんだのか、ミスを連発です。ミスと言うか、運指をすぐに思い出せず、立ち止まってしまうのです。先生からも「どうも、ファbが苦手のようだね」と言われちゃいました。いやあ、だって、ファって#のイメージはあるけれど、bのイメージって…ないでしょ? いやあ、きびしいきびしい。

 ガリボルディのプチ・エチュードの3番もやりました。先週、一度吹いたので、だいぶ思い出してきましたし、指も先週よりは円滑に動きます。で、先生から受けた注意は「スタッカートは“強く”吹くのではなく“跳ねるように”吹くこと」です。スタッカートは、その音符の音価を短く(感覚的には1/2程度)し、強調する…と理解しています。音価を短くするために、音の後半をスパッと切るように演奏しますが、そのために結果として、その音を強く吹いてしまいますが「まあ、強調しているわけだから、多少はいいでしょ」とか思ってましたが、その理解が全然違っていたというわけです。

 なにしろ、ついこの前まで「スラーとスラーじゃないところ、スタッカートとそうでないところを、きちんと分けて吹きなさい」と言われていたわけで、スラーやスタッカートの内実についての注意はスルーされていたのですが、これらの内実についての注意を受けるようになったというのは、大きな進歩…なんでしょうね。

 とにかく、スタッカートは“跳ねるように”吹くわけで、決して強く吹いたり、乱暴に吹いたりするものじゃあないんです。

 ふう、練習とか言いながら、結構、習っているじゃん。

 さて、今週の雑談。

 最近の若者は、精神的に弱い人間が増え、打たれ弱くなっているので、注意一つするのも気を使わなければいけない、という話から音楽家一般の話に移り変わりました。

 一般の人が持っている音楽家のイメージの一つに「(心が)繊細でか弱くて壊れやすい」がありますが(あるでしょ?)、それに対してH先生は「繊細なのは事実だけれど、か弱い? 壊れやすい? そんな事はないよ」との弁でした。

 音楽家、少なくともプロの演奏家の心は「か弱い」どころか、実に「タフ」なんだそうです。先生曰く「なにしろ、子どもの頃から、イジメやシゴキにさらされてきたわけだからね。大人になっても、常に競争社会の中にいるわけだし、他人を踏み台にして自分が前に出ても、良心の呵責なんて感じていたら生きていけない世界にいるんだからね。それぐらい強い心がないと、やっていけないんだよ」との事です。

 まあ、そうなのかもね。

 合わせて「音楽家って、肉体労働者だって知っているかい? 楽器を長時間吹き続けるって、結構体力いるんだよ」確かにそうかもしれない。確かにピアニストなんて、毎日10時間程度ピアノを引き続ける人も珍しくないけれど、ピアノを弾いている時は、常に両腕を使って鍵盤というボタンを押し続けているわけで、それも10時間、つまり8時間労働+2時間残業程度も“ボタン押し労働”やっているんだから、確かに肉体労働者と言えば言えないわけでもない。

 心身ともにタフでないと、音楽家なんてやれない…となると、なんか、我々一般人の持っている、繊細な深窓の令嬢あたりが似つかわしい、はかなげな音楽家なんて、いるわけないんだな。

 世間のイメージと実情が合っていない職業というのはたくさんあるけれど、音楽家も結構違うものですね。

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2014年4月10日 (木)

歌うと吐き気がしますし、よく咳き込みます

 実は最近の悩みがこれ。歌うと吐き気がするんですよ。

 食べ合わせが悪いのかな~? 何かの病気かな~? それとも単なる老化かな~? とまあ、お気楽に悩んでいたわけですが、どうも色々と考えた結果、原因は「ノドの開け過ぎ」って奴に落ち着きました。だって、歌っている時以外は、吐き気なんてしないもの(笑)。

 歌うときに“あくびのノド”が良いって、よく言いますが、そこを通り越して“嘔吐のノド”って奴になっていたようです。ウ~ゲロゲロ。やりすぎは何事も良くないのです。

 「そのうち慣れて、吐き気も治まるよ」とY先生は慰めてくださいますが、まだ慣れないのですから、ちょっとつらいです。

 あまり吐き気を押えて歌っていると、つい咳き込んでしまいます。

 そう言えば、最近、歌っている時に、よく咳き込むようになりました。以前は、まず、そんな事は無かったのにね。咳はノドに良くないのに、よりにもよって歌っている時に咳き込むとは…

 この咳き込みが結構激しくてですね~、自分でも声帯がヒリヒリするのが分かるくらいに、咳き込みが激しいです。

 でも、この咳き込みの原因は、まだよく分かりません。Y先生は「ノドが鳴り始めていて、その感覚に慣れていなくても、つい咳き込んでしまうのです」とおっしゃいます。そんなモンでしょうか? 私自身は別の理由も考えていて、花粉症でノドが腫れていて、それで咳き込んでいると思ってます。今年の私は花粉症の症状がほとんど出ていませんが、でも、花粉症が治ったわけではないのです。ただ、症状が軽いだけなんです。なので、花粉症の症状として、ハナが出るとか、目がかゆくなる、は無いのですが、ノドが腫れやすいってのは出ているのではないかと思っているわけです。

 あるいは、ノドを鳴らせすぎている?とか とにかく、フルヴォイスで歌うと咳き込む事が多いので、これも無関係であるとは思いません。

 とにかく、最近は、ただ声を出すだけでも悩みが多い私です。

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2014年4月 9日 (水)

辞書はiPhoneに限る

 …なんて事を、マジメに思っている今日このごろです。

 元々、私は辞書大好き人間です。子どもの頃は、普通に辞書とか辞典とかを読書していた人間です。辞書って、どこからでも読み始めることができ、どこで読み終えても良しという、なかなか都合の良い本だし、どのページも本筋で無駄がない点も好きでした。

 もちろん、昔は辞書といえば、紙の辞書でした。子どもの頃に読み込んだ百科事典や辞書たちは実家に置いてきてしまいましたが、大人になってから読み込んだ辞書は(もう読むことはないのに)書斎の本題に鎮座しております。愛着があるので、いつまでも捨てられないんですね(笑)。

 講談社から出ている「大辞典 desk」とか「大図典 View」とか(この二冊は本当に好きでしたね)、岩波の「広辞苑」とか、学研の「漢和大辞典」とか、角川の「類語新辞典」とか、小学館の「ランダムハウス英和大辞典」とか、平凡社「心理学大辞典」とかね。もちろん、この他にも、辞書や辞典は大好きだったので、大中小と各種揃えていました。

 新明解ブームの時は、本当に新明解を熟読玩味してたのも、今では良い思い出です。

 辞書は面白いのだけれど、大きくて重い事と、活字が小さい事が難点でした。いや、若い時は、いくら本が重くても平気だったし、いくら活字が小さくても平気でした。

 平気じゃなくなったのは、やはり老眼になってからかな? 辞書特有の小さな活字が段々苦手になってきました。また、体力的にも衰えたのでしょうか? 辞書の重さが少しずつ辛く感じるようになってきました。

 さらに言うと、人生があれこれと忙しくなり、とても辞書を読んでいる暇がなくなり、専ら辞書は“言葉を調べるためのツール”という、本来の目的どおりの使用をメインでするようになりました。

 そうなってくると、辞書のチョイスも変わってきます。

 一時期、私は紙の辞書を辞め、メインで使用する辞書を、コンピュータの辞書アプリに切り換えました。マイクロソフトの「エンカルタ」とか、小学館の「スーパーニッポニカ」とか、平凡社の「世界大百科事典」とか、学研の「Super日本語大辞典」とかです。これらアプリ系の辞書は、読書には全く向きませんが“言葉を調べる”という点では、実に有益なツールでした。省スペースだし、検索速度も速いですしね。

 でも、これらの辞書にも欠点はあるもので、仕事がパソコンの中で完結しているなら便利だけれど、そうでないなら(つまり、リアルなノートなどを使用している時などは)結構な場所ふさぎなんですよ。何が場所ふさぎかというと、パソコンそのものが(笑)場所ふさぎ。つまり、パソコンしか使わないなら問題ないけれど、パソコン+別のモノとなると、途端に机の上が狭く感じるんですよ。なにしろ、パソコンって、紙の大辞典よりも大きいですからね。パソコン出して、ノート広げて、書き物をする…なんて、かなり広い机じゃないと無理でしょ?

 で、結構、最近まで、私はパソコンの場所ふさぎさかげんに辟易としながらも、パソコンで辞書アプリを使っていました。また最近は、ウェブにも辞書サービスがありますから、辞書アプリをインストールしていなくても、そこそこ辞書が使えるので、それなりに重宝していました。

 しかし、やはり、ウェブの無料サービスでは、それなりなんですね。どうも、かゆいところに手が届かないんですよ。かと言って、なんかウェブサービスに課金されるのも、いかがなモノなの?という気持ちもあり、そろそろ、次に乗り換えないといけないなあ…と思ってました。

 で、次は…電子辞書(専用機)ってパターンになると思うでしょ? 私も色々と検討したけれど、結局、専用機の電子辞書にはいきませんでした。理由は…単純に高いから。まあ、辞書アプリも高かったけれど、あの時代ならあの値段でも仕方ないと思います。でも電子辞書の値段は…今の時代には高いでしょ?

 それに私の場合、ちゃんとした国語辞典と英語辞典はもちろんだけれど、古語辞典と漢和辞典とイタリア語辞典とドイツ語辞典が必要だし、いずれフランス語辞典も必要になります。これだけの辞書を搭載している専用機の電子辞書って…たぶんないです。

 なので、パソコンで辞書アプリの使用に限界を感じた私は、手持ちのiPhoneに辞書をインストールすることにしました。なにしろ、iPhoneのアプリには、辞書がたくさん用意されていますからね。

 で、最初のうちこそは、パソコンの辞書アプリとiPhoneの辞書アプリを併用していましたが、やがてiPhoneだけを使用するようになりました。だって、iPhoneで辞書を引いた方が、速いし、便利だし、省スペースなんだもの。パソコンの方が便利なのは、同時にいくつもの辞書をひいて、複数のウィンドウを開いていられる事だね(これは結構便利)。でも、そんな贅沢を言わなければ、iPhoneの辞書はなかなか良いですよ。

 小学館「大辞泉」
 角川「全訳古語辞典」
 学研「漢字源」
 三省堂「ウィズダム英和和英辞典」
 小学館「伊和和伊中辞典」
 三省堂「クラウン独和辞典」

 これらの辞書が私のiPhoneには入ってます。これだけの辞書が入っている専用機の電子辞書ってあるのかな? ちなみに、そのうち、フランス語の辞書もiPhoneに入れるつもりだし、もしかするとロシア語やスペイン語も入れるかもしれません。やはりそうなると、専用機ではお手上げだよね。

 なので「辞書はiPhoneに限る」という事なのです。紙の辞書は…嫌いじゃないけれど、重いし、かさばるし、手間かかるし…やはり今どきの辞書はiPhoneに限りますって(笑)。

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2014年4月 8日 (火)

ノドにフタをしないで歌うためには

 以前の私は、歌うときに、ノドにフタがされるような感覚がありました。特に、高い音に行こうとする時に、よく感じたものです。ノドにフタがされると、それ以上、上には行けなくなります。「このフタの向こう側の音に、声を届かせたいのに、フタがあって、そこに行けない(涙)」という感覚を何度も感じたものです。

 もちろん、当時の師匠であるキング先生には、何度もこの話をして助言を求めましたが、一度たりとも明快な答えをいただいた事はありません。おそらく、キング先生には、私が何に困っていたのかが、全く理解できなかったんだろうと思います。

 まあ、私自身にも、何が起こっているのかがよく分からなくて、うまく説明できなかったのだから、それも無理のないことなのかもしれません。

 とにかく、高い音を歌おうとすると、ノドにフタされ、声が高いところに行きたくても行けなかったのです。

 「ノドにフタ」現象の原因の一つには、ノド声である事もあると思いますし、支えの弱さもまたその原因の一つですが、実際のところは、声帯とその周辺部に力が入りすぎて、声帯が固くなって、気道を塞いでしまっていただけだと思います。声帯によって気道が塞がれて、息が出来なくなったので、それを「ノドにフタをされた」と感じていたのだと思います。

 要するに「ノドにフタ」は、単なるオカルト的な感覚ではなく、物理的に気道にフタがされた状態だったというわけです。

 なので、ノドにフタをしないで歌うための方法は、理屈の上では実に簡単なわけで、それは「声帯を固くしない」「声帯とその周辺部に無駄な力を加えない」ってだけの話なんです。ま“ノドの脱力”と“声の支え”って奴で、おおむね解決をします。

 とは言え、これが結構難しい。私、今でも“ノドにフタ”感覚はあります。まあ、もっとも、キング先生の時代なら、五線の上のFとかFisとかで感じていた感覚(なのでGを出す時は、そのフタを力付くでブチ破って出す…感じでした)でしたが、今はもう少し上のあたりで感じるようになりました。歌だと、AとかBのあたり。発声練習では、CisとかDとかEsのあたりです。とにかく、今でも“ノドにフタ”の感覚はあるんです。そういう意味では、私はまだまだなんです。

 と言うのも、かなりしっかりと“ノドの脱力”をして、しっかり体幹で“息の支え”を確実にしても、ひょんな事で、声帯が閉じてしまう事があります。それを防ぐためには、しっかりノドの奥を広くする事が大切です。この“ノドの奥”を広くすると、同時に声帯が前後にしっかり伸ばされるので、ノドにフタがしづらくなるんですね。ですから、声の音質を良くするためだけでなく、フタをしづらくするためにも、しっかりとノドの奥を広げて、声帯を伸ばす事は大切なんだと思います。

 ま、分かっていても出来ないから、練習をしていくわけなんです。

 たぶん、この“ノドにフタ”の感覚が無くなった時に、本来の自分のノドが持っている声で歌えるようになるんだろうなあ…って思います。その時の私が歌う歌の音域は、かなり上の方に偏っているというか、そんな感じになるんだろうなあって思います。というのも、なんとなくだけれど、私は、かなり高い音まで出せるノドを持っているような気がします…が、結局、それが発揮できなきゃ持っていないのも一緒なんだけれどね。

 地道に、脱力と支えを頑張っていかないとね。

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2014年4月 7日 (月)

メトのライブビューイングで「イーゴリ公」を見てきました

 ロシアのボロディンが作曲した「イーゴリ公」というオペラは、一般にはあまり親しみのあるオペラではありません。私も「だったん人の踊り」という有名なバレエ音楽は知っていましたが、それ以外は特に知るところもないオペラでした。つまり「だったん人の踊り」というバレエ音楽が唯一のキラーチューンというオペラなんですね。

 まあ、これだけ有名で、なおかつ無名であるオペラは、ロシア語歌唱によるロシアオペラであるという点以外にも、オペラ自身が未完成で、決定版が存在しないという事も、ロシア以外の国での知名度があげられない理由なんじゃないかなって思います。

 実は作曲家であるボロディンは、18年もかけながら、このオペラの断片を熱心に作曲し続けたけれど、これを一つの作品としてまとめる事はできなかったのです。というのも、ボロディンはプロの作曲家ではなく、アマチュア作曲家で、作曲する時間に制約があった事と、ボロディンの死は、ボロディン自身にとっても思いがけない急死(動脈瘤の破裂だったそうです)であったため、オペラを完成させる事がなかったわけです。

 そのため、ボロディンが残したメロディーを、グラズノフとリムスキーコルサコフの両名が編集し、オーケストレーションをし、足りない詞や曲を書き加えて、なんとか上演できるカタチに仕上げたものが、現在の「イーゴリ公」なんだそうです。これを初演版というようです。

 なので、このオペラは、全体の完成度は低くても、パーツパーツの出来ばえは、なかなか素晴らしいのは、そういう理由なんだそうです。

 この「イーゴリ公」というオペラは、我々には親しみの薄いオペラですが、ロシア本国では頻繁に上演されるオペラなんだそうです。その際に用いられるのが、この初演版なんだそうです。なので、ロシア人にとって親しみ深いのは、この初演版の「イーゴリ公」のようです。

 しかし、この初演版が、一応の定番というか、普及版であるにも関わらず、その完成度の低さから、色々な人が、さらに手を加えて、再構成をした「イーゴリ公」もあるそうなんです。

 実は今回、私はメトの「イーゴリ公」を見る前に、予習として見た「イーゴリ公」は、先日、NHK-BSで放送したボリショイ劇場が上演した「イーゴリ公」でしたが、このボリショイ版の「イーゴリ公」もまた、初演版とはだいぶ違う、後世の人の手の入ったバージョンだったようです。

 ですが、私は定番である初演版を見たことがないので、今回の記事では、このボリショイ版とメト版の比較で「イーゴリ公」の話をするのですが、その点をご了解ください。

 さて、今回、私が見た、メトの「イーゴリ公」は、演出はもちろん、曲の配列、いや、曲や場面の有無に至るまで、ボリショイ版とはだいぶ違っていました(もちろん、メト版もボリショイ版も、初演版とは大きく違います)。“違っていた”というよりも、まるで“違うオペラ”のような印象でした。なんでも、今回のメトのものは、演出家のチェルニアコフが新たに再構成したものだそうで、ボリショイ版には無かった曲やシーンが加わる一方、ボリショイ版にあった曲やシーンの多くがカットされていました。

 私的には、メト版の方が分かりやすいし、見終わった時の充足感を感じられるので、メト版の方が好きかな? でも、メト版ではカットされた曲の中には、良い曲もたくさんあるし、ボリショイ版の方がバレエが充実しているので、ボリショイ版も捨て難いかな。そういう印象です。

 メト版の「イーゴリ公」では、特に序幕と第1幕では、映像が多用されていて、これがオペラのストーリー説明と、主人公であるイーゴリ公の内面表現に効果的に用いられていて、かなり良いです。

 ボリショイ版の第1幕では、イーゴリ公は敵であるポロヴィッツ軍に捕らえられて捕虜になっていますが、メト版では、イーゴリー公はポロヴィッツの捕虜にはなっておらず、戦闘でアタマを強く打ったイーゴリーが見る夢(妄想)の世界の話になっています。

 第2幕にはイーゴリ公は出てきませんが、その代わりに、敵役とも言うべき、ガリツキー公がメト版では大活躍します。これがまた良い悪役で、第2幕で散々悪行をしつくして、その幕の最期にあっけなく死んじゃいます。まさに、第2幕の主人公はガリツキー公であると言い切ってもいいくらいに、ガリツキー公にスポットを当てた幕になっています。一方、ボリショイ版ではガリツキー公は死なず、悪行ぶりも、メト版と比べると、なんとも小物感があふれていて、なんとなく中途半端な存在なので、こうやってはっきり殺してくれると、ストーリーにメリハリがあっていいですね。

 ボリショイ版の第3幕は、コンチャーコヴナがウラジミールを引き止めるシーン(三重唱)だけが、イーゴリ公の脳内妄想(あるいは記憶)として演じられるだけで、その他の多くのシーンが、メト版ではほぼカットなので、残念です。ウラジミール(テノール)の歌も、コンチャーク汗の演説も、私は好きなんだけれどなー。

 つまり、イーゴリ公の息子であるウラジミールは、ボリショイ版では、イーゴリ公と共にポロヴィッツの捕虜となり、ボロヴィッツの王女と恋に落ち、恋に殉じて、イーゴリ公が脱走した後もボロヴィッツに残り、コンチャーク汗に認められて、婿入りを許されてポロヴィッツ人になるわけだけれど、メト版のウラジミールは、序幕と第1幕の間にあった戦闘で戦死し、イーゴリ公の思い出の中にしかいない人物ってわけなんだな。

 そして第3幕(ボリショイ版だと第4幕)も、馬に乗って、さっそうと戻ってきたイーゴリー公を民たちが「なんとめでたい」と喜んで終わるボリショイ版と比べ、メト版はたった一人でボロボロの姿でトボトボと故国に戻ってきたイーゴリー公が、敗軍の将として自分を責め、無駄に失った部下たちの命を惜しみ、この復讐を他の公たちにゆだねつつ、自分は故国の復興に着手するという、なんとも現代的なエンディングとなっています。

 私は正直、このメト版のエンディングに、フクシマの姿が重なりました。

 音楽的には、ボリショイ版の方が、絶対に面白いけれど、ストーリー的には、メト版の方が筋が通っているし、やっぱり面白い。音楽性を取るか、物語性を取るかって事になるけれど、このメトの「イーゴリー公」は、やっぱり見ていて面白いですよ。

 それにしても、メト版とボリショイ版、違いすぎます。どちらを好むかは好き好きですが、元々歌劇「イーゴリ公」に親しみもっているロシア人を対象にしたと思えるボリショイ版と、歌劇「イーゴリ公」に親しみがなく、ほぼ初見の人を対象にしたメト版では色々と違っていて当然なのかもしれません。

 こうなると、ぜひ初演版による「イーゴリ公」を見たくなります。

 ひとまず、メトの「イーゴリ公」は、面白いですよ。お薦めです。

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2014年4月 6日 (日)

今週は何かとバタバタしていました

 今週は体重を計測している、心の余裕なんて、ありませんでした。

 先日、実家の母が救急車で運ばれました。以前から具合が悪かったのですが、ついに来るべき日がやってきたのか…と一報を受けた私は覚悟して、病院入りをしたわけです。

 まあ、私の母ですから、当然、十分な年寄りなわけで、今回の入院にしても、特に怪我をしたとか、病気になったとかいうわけでなく、単純に体調不良で息が出来なくなって、窒息しかけちゃったので、救急車で運んでみました…という話なんですね。

 「年を取ったから入院したんだよ」と父は私に説明してましたが、そんなもんなのか?

 私が見るに、肺気腫&気管支炎を原因とした慢性呼吸不全(つまりCOPD)が老化によって悪化した…と思ってます。

 なにしろ、母は若い時からヘビースモーカーでしたからね。周囲の人々が次々と禁煙をしていても(父も今の私ぐらいの時に禁煙しました)、そんな事を気にせずに、毎日プカプカやってました。なにしろ、風邪をひいてもプカプカ、体調が悪くてもプカプカ、いつでもどこでもプカプカやってました。

 周りがいくら「禁煙した方がいいよ~」と薦めても「タバコ止めると太るからねえ」と言って、絶対にタバコを止めませんでした。

 私が子どもの頃は、母だけでなく父もヘビースモーカーでしたから、私は空気って目に見えるものだと思ってましたもの。でも、見えたのは空気ではなくて、紫煙だったんですけど、それに気づいたのは中学生になったからかな(オバカでしょ?)。ウチが貧乏だった理由の一つが、両親の喫煙と飲酒(これがまたしょっちゅうヘベレケになってました))だったと思います。酒とタバコがなければ、もう少し、人並みの生活ができたんだろうになあと、なんか思い返すと悔しいですね。

 とにかく、若い時から老人になるまで、一貫してタバコをふかしていました。で、ある日、どうにもタバコが吸えなくなり、まもなく、タバコの代わりにボンベで酸素を吸うようになりました。ま、年貢は必ず収めないといけないって事です。長年の喫煙の代償が酸素ボンベ生活だったわけです。

 最初の頃は、酸素ボンベを転がして生活していましたが、やがてボンベでは足りなくなり、高濃度酸素発生装置を自宅に据えて、その装置のそばに置物にようにじっとして日々を過ごす人生となり、そして、その高濃度酸素発生装置の酸素だけでは不足して窒息しちゃうので、病院に運ばれた…というわけです。

 我が母ながら、なんかなあ…。

 私はタバコは一切やりませんが、アレルギー体質だし、喘息持ちだし、子どもの頃から慢性の気管支炎だし、呼吸器がかなり弱い人なのですが、これも乳幼児の頃から紫煙を吸って生活していたツケだと思ってます。まあ、親を恨んじゃいませんが、人並みの呼吸器が欲しかったなあって思います。

 私が歌っているのも、ひとつには呼吸器のトレーニングって側面もあります。普通の人と同じことをやっていたら、十分に息ができないんだから、仕方ないよね。

 母はもう、食事も取れないので、輸液で栄養補給をし、呼吸は酸素マスクに頼り、ベッドに寝たきりで、ロクにしゃべることもできない。チューブやらコードやら、なんかよく分からないモノが母のカラダからたくさん生えています。なんか、そんなのを見ていると“生きている”と言うよりも“生かされている”って感じがします。

 医者からは、医療用の酸素発生装置でも、そろそろ危ないので、人工呼吸器を取り付けるか、薬を入れて装置を外して自発呼吸に戻すかという選択を迫られたので、元気だった頃の母の意志を病院側には伝えました。

 実の親ですから、一日でも長く生きていて欲しいと願う気持ちはありますが、でも、母本人の意志も尊重してあげないといけないと思ってます。ほんと、切ないですよ。

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2014年4月 5日 (土)

サクラを食べるアズニャン

 アズニャンは欠食児童です。とにかく、早く大きくなりたいと願っているのでしょうね、いつも何かを食べている子です。

 でも、だからと言って、水槽にエサを豊富に入れてあげるわけにはいきません。だって、そんな事をしたら、アズニャンだけでなく、サクラとかサクラとかサクラとか…とにかく巨大魚たちが豊富に入れたエサを食べ散らかして、さらに巨大になってしまうじゃないですか?

 アズニャンにはかわいそうですが、今、我が家の水槽は、絶賛“エサやり少量キャンペーン中”なのです。今まで、日に二度やっていたエサを一度に減らし、一回にやるエサの量も減らしております。それだけ減らしても、金魚たちは毎日元気に生きているのですから、きっと、これはこれでOKなんだと思います。

 もっとも、エサをやらない分、タニシの数が猛烈な勢いで減っています。毎週、10個前後のタニシの貝が空になっています…つまり、毎週、それだけの数のタニシが食べられているというわけです。さて、食べているのは誰でしょうか?

 水草も結構減っています。もっとも水草を食べるとフンの色が緑色になるので、誰が水草を食べているのかは分かるのですが(たいていはサクラが食べてます)タニシを食べているのは誰なのか分かりません。でも、タニシの数が減り始めた時期と、アズニャンが急に大きくなった時期が、ほぼ同じ頃というのは、偶然の一致でしょうか?

 さらに最近のアズニャンは驚いた事に、サクラを食べるんですよ。もっとも“食べる”と言っても、サクラ本体のカラダを食べるのではなく、サクラのアタマのコブに生えているミズカビのようなものとか、カラダについているヌメリのようなものを食べているようなんです。それも結構熱心に美味しそうに食べています。食べられているサクラも、面倒くさいとでも思っているのでしょうか? 特に目立った反応はせずに、おとなしく食べられている事が多いです。

 なんなんでしょうね。

 とにかく、身近なものを手当たり次第に食べているアズニャンでした。

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2014年4月 4日 (金)

祝! フルートのレッスンに行ってきました(やったね)

 ほんっと久しぶりのブリブリで、フルートのレッスンに行って参りました私です。いやあ~、今回も実はかなりきびしかったですよ。なにしろ、レッスンの開始時間になっても、まだ職場で働いていた私でございます。なので、いつもなら「レッスン、お休みしま~す」と連絡しちゃうところだけれど、連絡の電話を入れて鼻で笑われるのもイヤだし、何よりH先生にも会いたかったので、頑張ってタクシー飛ばして、1時間の遅刻(笑)でレッスンに行ってきました。いやはや、なんとも。

 レッスンに行ったところ、なんと、姉様と遭遇。どうやら姉様も1時間遅刻だったようです。それでいいのか?H門下!

 とは言え、姉様とは入れ代わりになったので、ロングトーンの練習は先生と二人きりで行いました。なにしろ、前回のレッスンが4週間前で、その前がさらに3週間前。なんと7週間、つまり2カ月の間にレッスンがたったの2回。たしか私のフルートレッスンは毎週の予定だったはずだけれど、ほぼ月1回ペースになってました。それも日頃が忙しいので、自宅練習もままならず、練習をしても、大抵はプラ管フルートで済ませていたので、アゲハ吹くのは…レッスンの時だけ? おぉ、何と言うことだ!

 さすがに約一ヶ月ぶりに吹いたアゲハは…実に手ごわかったですよ。ロングトーンをやっていても、あっちこっちで音を出し損なうは、裏返るは、散々でした。先生からも「音色は良いけれど、クチビルがちょっと絞まっているねえ…」と言われました。一ヶ月もまともにフルートを吹いていないと、あれこれダメになっているみたいです。ま、仕方ないですね。仕事が落ち着いたら、フルートも遅れを取り戻す事にしましょう。

 そうそう、それにしても、高音域の運指をキレイに忘れていた事に、自分でもビックリしました。人間って、簡単に忘れるんですね。

 さて、アルテは、アルテは15課の10章のCes-durです。練習していないんだから、出来る訳ないです。むしろ、ほぼ一ヶ月ぶりにフルートに触ったにしては、割と頑張ったんじゃないかな?

 ガリボルディのプチ・エチュードは3番でしたが、楽譜を開いた時は、曲をすっかり忘れていて「さあて、この曲、どうやって吹いたんだっけ?」という状態から始めました。「曲を指で覚えてはいけません。しっかり楽譜を見ながら演奏しなさい」と言われて、そのようにやってきましたが、それが功を制したのか、分からないながらも楽譜を読みながら吹いていきました。臨時記号や幅広い跳躍音形には、ちゃんとは対応できなかったけれど、そうでもないところは、なんとか演奏できました。吹きながら、曲を思い出す感じでしょうか? 

 そんなわけで、アルテもガリボルディも合格にはほど遠く、むしろ「フルートのリハビリに来ました」的な感じになったけれど、まあ、これはこれで良しです。次、頑張りますからね。

 先生との雑談は、先生のグチを聞くはめになりました。若いプロの子に「それはパワハラです!」とか言われたらしくて、なんか落ち込んでいました。もちろん、当人にパワハラの気持ちは全くなく、むしろ若い人たちには、優しく親しみやすいキャラで接していたらしいのですが、それでも業界の重鎮として、どうしても言わなければいけない事があって、それを注意したら「パワハラ!」って言われたようなんです。

 私も職場で似たような経験をしますから、先生のお気持ち、分からないでもないです。

 今の若い子たちは、色々と難しいなあって思います。「仕事と言うのは、先輩の働きぶりを見て、そこから盗んでいくものだよ」と言っても、今の若者の多くには「目で見て学ぶ」という機能はどうも搭載されていないらしいのです。なので、先輩から盗んで覚えるという事がひどく苦手で、なんとも効率が悪いので、仕方なしに手取り足取り教えてあげると、今度は「先輩の教え方って下手ですね」と来るんです。一回教えたくらいできちんとできるほど仕事って簡単なモノじゃないと思うのですよ。だから、当然失敗するわけだけれど、その失敗は先輩としてきちんと後始末とフォローをしてあげて、次は失敗しないように、教え諭して、そうやって経験値をあげる手伝いをしていくわけだけれど、今の若い子は一回の失敗ですぐに凹み、失敗の原因を教えた人の責任に転嫁するので「先輩の教え方って下手ですね」って発言になるわけです。

 仕事は盗めない。教えてみれば、教え方が下手だと非難する。かと言って、放っておいても、全然仕事を覚えようとせず、ただぼけーとしているだけ。ほんと、使えない若者が増えました。

 叱ればふくれるし、注意すれば逆ギレするし、キビシク言えば仕事辞めちゃうし…。ほんと、扱いづらい。

 そんな中にも、きちんと先輩の仕事ぶりを見て、仕事を盗んで、自分なりに工夫を加えて上達していく子も少数はいます。昔はたくさんいたであろう、このタイプが少数しかいない事は、日本の未来を暗示しているかのようで、なんか不安になります。

 「今どきの若者は…」と言い始めたら、老人の始まりなんだそうですね。私は老人の始まりでも終わりでもいいのですが、本当に「今どきの若者は…」と言いたくなります。だって、本当に心配なんですよ。

 仕事で使えない若者たちが、本当に増えてきたと思います。逆に、子育てを終えたオバチャンたちが意外に有能で、職場で新人を探すなら、若者よりもオバチャンかなって思うようになりました。こうやって、どんどん若者の仕事がなくなっていき、若者の低賃金化とかパートとか派遣とか、無職とかニートとかが増えていくんだろうなあって思います。

 今までの日本の教育が間違っていたんだろうなあ…。個性を重んじ、個人を大切にし、手厚く優しく育てた結果が、こんな使えない若者の大量生産につながっていった…んだと思います。「若い時の苦労は買ってでもしろ」とか「獅子はわが子を千仞の谷に落とす」とか「鉄は熱いうちに打て」とか、そういう事がとても大切なんだなって思います。

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2014年4月 3日 (木)

声種が違うと見える風景が違う

 声種が違うと見える風景が違う…のではないかと思いました。言葉を変えて言えば「声種が違うと、同じ作曲家について語っていてもも、全然感じ方が異なるのではないか」という、しごく当たり前の事に、今更ながら感じ入ることがあったわけです。

 これはオーケストラにいても、楽器が違えば見える風景が違うでしょうし、吹奏楽をやっていても、同様な話だと思います。合唱でもパートが違えば、やはり同じ作曲家の曲でも違う風景が見えているんでしょうね。

 そんな当たり前のことですが、声楽のソロでも同じような事が言えるんだなあって事なんですよ。

 そんな事を感じたのはいつかと言うと、今度の声楽発表会のために、二重唱の相方のNさんと意見交換をしていた時の事です。

 彼女の希望は、ドニゼッティのオペラから二重唱をする事。彼女はドニゼッティが大好きなんですね。で、まあ、色々と候補を上げてきたわけで、結局は「愛の妙薬」に落ち着いたわけなんですが…。

 テノールの私からすれば、ドニゼッティと言うのは、難しい曲を書くオペラ作曲家というイメージがあります。「愛の妙薬」は奇跡的な作品で、ドニゼッティの中では、比較的難易度の高くないオペラというイメージがあります。

 「ランメルモールのルチア」「連隊の娘」「ファヴォリータ」「ドン・パスクワーレ」「シャモニーのリンダ」「マリア・ストゥアルダ」「アンナ・ボレーナ」…まあ、全曲をきちんと聞いたわけではなくて、大抵はアリア集などでしか聞いたことはなかったりする曲も多いのですが、とにかく、ドニゼッティとベッリーニとロッシーニは難しい難しい曲を書く人というイメージがあります。

 テノール的には、パヴァロッティとかクラウスとかゲッタとかフローレスとかマッテウッツィとか、ああいう超人的な人たちしか歌えないオペラというイメージがあります。同じオペラ歌手でも、ドミンゴやカレーラスでは歌えません。決して、アマチュアが手を出していい作曲家たちの曲ではない…とか思っています。

 ところがNさんは、こともなげにドニゼッティを持ってくるわけです。で「頑張りましょう」とか言うわけだけれど、頑張って頑張れる範囲と、頑張りの向こう側に突き抜けちゃった世界があって、ドニゼッティの作品は、テノールにとっては、向こう側の世界の曲だと思うんだけれど、ソプラノにとっては、こっち側で、頑張れば頑張れる曲なの? とか思っちゃいました。

 確かに、ドニゼッティのソプラノ用のオペラアリア集の楽譜は、日本でも普通に売っているもんなあ。売っているという事は需要があるわけだし、売り続けているという事は、皆が利用しているってわけだもんなあ。一方、ドニゼッティのテノールのアリア集は日本版のものはないです。もちろん、リコルディ社のものはあるけれど、普通に楽器店には並んでいません。それは需要が無いって事だし、誰も利用する人なんていないって事だよね。一部のテノールさんたちには必要だろうけれど、そういう人はイタリアに行って楽譜を購入するか、自分で取り寄せてしまうんだろうね。もちろん、私も持ってませんよ。それくらい、テノールにとって、ドニゼッティの作品ってのは、人気薄というか、需要がないんです。

 ちなみに、同じベルカントの時代というくくりで言えば、私はベッリーニが大好きなので、ベッリーニのテノール用のオペラアリア集の楽譜は持ってます。リコルディ社のものですが、それを見るたび「こんな難しい曲、歌える人がいるのかな?」と半ば呆れた顔して見ています。それくらい、どの曲もどの曲も難しいんですよ、ベッリーニは…というか、いわゆるベルカントの時代の作曲家の曲って、ほんと、難しいんですね。

 ベルカントの時代と言うのは、楽器で言えば、ロマン派の時代です。だから、曲はどれもこれも美しいのだけれど、あまりに難しすぎます。おそらく、当時の発声技術と今のそれとは全然違うんだろうなあって思います。

 ソプラノにとってもドニゼッティだって、決して簡単ではないだろうと思います、がしかし、頑張れば頑張れる作曲家なのかな?って思います。確かに、色々な人たちの発表会を見るのが好きな私ですが、アマチュアのソプラノさんって、案外、ドニゼッティのアリアを発表会で歌っていたりしますよね。ソプラノさんにとってのドニゼッティは「頑張ればどうにかなる作曲家」なのかもしれませんが、テノールにとってのドニゼッティは「才能がなきゃ歌えない作曲家」であって、私のように才能に恵まれていない歌手にとっては、夜空に輝くお月さまのような存在なんですわな、つまり“手が届かない”ってわけです。

 ほんと、声種が違うと、見える風景が全然違うんだろうなあ…。

 考えてみれば、プッチーニの「トスカ」と聞いて思い浮かぶ曲だって、私テノールは「星は光りぬ」だけれど、ソプラノさんなら「歌に生き、恋に生き」だろうね。やっぱり、見えている風景が全然違うなあ。

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2014年4月 2日 (水)

ポール・ポッツについて思うこと

 ただ今、ポール・ポッツの半生を映画化した『ワン・チャンス』が全国で公開されています。私も、さっそく見に行きました。で、久しぶりにポール・ポッツについて考えてみました。

 2007年にポッツがデビューした時の宣伝文句が「携帯電話ショップの店員からオペラ歌手へ!」で、私もそうだけれど、あの頃は、みんながYouTubeにアップされたブリテンズ・ゴット・タレントの映像を見て、ポール・ポッツに感動したものです。

 私も2007年12月4日の記事に「今が旬のテノール、それは…」でポール・ポッツを取り上げているくらいです。それほどに当時は感動しました。

 この記事の中で私は

>先程のページの「プロフィール」によれば、まあ、オーディション番組出身とは言え、全くの素人というわけではなさそう。

 と書いてます。まあ、その「プロフィール」のページがすでにリンク切れを起こしている(所属レコード会社が変わったから、プロフィールを削除された…のでしょうね)ので、何が書いてあったのか、もう分からないのですが、まったくの素人ではないにせよ、歌好きの道楽者が歌を極めて、オーディション番組で合格してしまった。道楽者の努力はすごいから、まったくの素人とは、ちょっと違うんだろうなあ…という印象を持っていたような気がします。

 つまり、ポール・ポッツという人を、私はハイ・アマチュアとして捉えていたのです。歌が好きで好きでたまらなくて、生業(彼の場合は携帯電話の販売員)の傍ら、コツコツと歌の勉強をしてきた人。そんな人が、オーディション番組で優勝してプロになりました。やったね、頑張ったね、努力の人だね…そんなふうに思っていたし、おそらく世界中で思われていたんじゃないかな?

 違いますか?

 でも『ワン・チャンス』という映画を見て、私の持っているポール・ポッツの印象が、大きく変わってしまいました。彼は純粋なアマチュアではないでしょ?

 だって、彼、音楽の専門教育を受けているじゃない? それもイギリス人なのに、しっかりイタリアの音楽学校に留学して、本場できちんとした音楽教育を受けてるじゃない? それもクラス内のオーディションで優秀な成績を収めて、パヴァロッティのマスタークラスの練習生になれているじゃん。

 それに地元でもオペラカンパニーでオペラの主演をしているし…。まあ、そのオペラカンパニーは「ギャラが出ない」という話だけれど、日本の(特に地方の)オペラカンパニーだとギャラが出ない、あるいは出ても不足するので結局手弁当とか、現物支給(チケットね)でギャラが払われるとか、似たようなオペラカンパニーがあって、でもそこに出演していれば“プロです”って名乗れたりするわけでしょ?

 そんなこんなを考えてみると、彼って、どう考えても、歌好きのハイ・アマチュアではなく、売れない(売れなかった)セミ・プロって事になるわけじゃない? なので私「ポール・ポッツはアマチュアの星だ!」と勝手に持ち上げて、勝手に感動していました。で、今は、勝手にガッカリしています(笑)。

 さらにウィキペディアを見てみると、彼は全くしょぼくれた人生を送ってきたわけでもなく、きちんとした大学を卒業した優秀で高学歴な人間であり、7年間も地元の市会議員を勤めた人で、世間的にきちんと認められた人であり、地域の信頼も厚い立派な人間だったわけです。

 そりゃあそうだよね、単なる歌好きが、いくら道楽だからと言って、熱心に勉強をしたからと言って、オーディション番組を勝ち抜いたり、プロデビューなんてできるはずないよね。

 やはり、専門教育を受けていたり、数年間にわたるオペラカンパニーでの活躍が無ければ、せっかくチャンスをつかんでも、その後の成功はありえないよね。だから、彼がセミ・プロであるのは、ある意味、当たり前なんだし、売れなかった歌手がチャンスをつかんでスターになりましたというサクセスストーリーにケチをつけるつもりは全くないけれど、彼に対して、勝手に幻想をいだいて、勝手に尊敬して、勝手に“自分と同じ側の人間”だと信じていたのに、実際はセミ・プロで“向こう側の人間”だったという事を知って、勝手に失望している、実に自分勝手な私がここにいるわけです。

 でも、なんか寂しいんですね。

 人間の耳ってのは不思議なもので、彼の事を“アマチュアの星”だと思って聞いていた頃は、彼の歌の素朴な部分も好ましく聞こえましたが、売れないセミ・プロだと思って聞くと、素朴だと思っていた部分が、欠点にしか聞こえなくなりました。アマチュアにしては、驚くほどに上手だけれど、プロとしては、かなり厳しい…そんな感じです。

 でもそんなシンデレラ・ボーイの彼ですが、ウィキによれば、2010年のあたりは苦労したようですね。今回の映画だって、元々はパラマウントで製作を予定されていたようですが、2010年に製作中止となり、同年、レコードレーベルとの契約も解除されたそうです。どうりで、スーザン・ボイルは地道に新譜をリリースしているのに、ポール・ポッツは全然だなあと思っていたら、そういうわけだったんですね。

 今回の映画がヒットして、新しいレコードレーベルと契約して、新譜が発表できるといいですね。ちなみに、この秋には日本でコンサートをするそうです。

 彼の事を知らない人のために、例の有名な画像を貼っておきます。

 そうそう、映画「ワン・チャンス」は、なかなか面白い音楽映画でした。まあ、主人公のメンタルの弱さには色々と突っ込みたくなりますが、そこも魅力の一つなんでしょう。苛められっ子のポッツ(本当にポッツは苛められっ子だったの?)が、どういうふうに、成功への階段を昇って行ったのかが、この映画の醍醐味でしょう。結果は誰もが知っているけれど、そこに至るまでの話が面白い…って事でしょうね。お薦めです。

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2014年4月 1日 (火)

先日、腕時計を落としました?

 あまりにショックだったので書かせてください!

 実は先日、私が毎日身につけている腕時計が見つからないというハプニングが起こりました。

 事の発端は、腕時計のベルトのピンがなぜか抜けてしまって、ベルトが壊れてしまったのです。幸い、抜けたピンはすぐに見つかったものの、外出先での出来事だったため、すぐにはベルトを直せず、仕方がなかったので、腕時計をコートの左ポケットに仕舞い込んだわけです。左ポケットには、最近使用していない手袋が入っていて、手袋と時計が一緒になって大丈夫かな?と一瞬思ったのですが、まあ、大丈夫だろうと判断して、時計を突っ込んだわけです。

 この腕時計は妻からのプレゼントなんです。国産品だけれど、結構、良い腕時計で、私のお気に入りだったんです。なので、大切に愛着を持って使っていました。ベルトが壊れたくらい、なんのそのです。

 で、翌日になって、ベルトのピンをはめ直して…と思ったら、肝心の時計が見つかりません。手袋はポケットにあったけれど、探している時計が見つかりません。何かの記憶違いかも…と思い、コートの他のポケットも探したけれど見つかりません。背広の上着やズボンのポケットも探しましたが、見つかりません。

 これは落としたに違いないと思い、外出先や、その後に寄り道した場所など、すべてに問い合わせをしたけれど、どこにもありませんでした。道に落としたのかもしれないと思い、急いで歩いた道も探したけれど、見つかりませんでした。交番には…余所の地方ならともかく、神奈川県警のおまわりさんって、経験上、××できないので、問い合わせはしませんでした。だいたい、この辺の人たちは、落とし物を見つけても、その近所の目につきやすい、分かりやすい場所に置いてくれるけれど、絶対に警察には届けないからね。警察には、行くだけ無駄なんです。

 で、「腕時計、無くした~」という結論を出さざるを得ませんでした(涙)。

 気に入っていた時計だったし、妻のプレゼントだし、なんか無くしてしまって、すごく落ち込みました。すごくすごく落ち込みました。

 その日は、結局、腕時計無しの生活をしたのですが、やはり時計はないと、とても不便なので、仕方ないので、その翌日に、地元の店に行って、新しい腕時計を購入する事に決意しました。

 でも、本音は今までの腕時計を見つけたいんです。でも見つからないから、新しい時計を買う決意をしたものの、ちっともココロはウキウキしません。

 「ああ~、時計無くしちゃった~」 そればかり考えちゃいます、ほんと、悔やんでも悔やみきれません。

 で、翌日になり、いよいよ新しい時計を買いに、地元の時計店に行く事になりました。でも、その前に『最後のあがき!』と思って、背広のポケットを漁ってみたら……ベルトの壊れた腕時計が出てきました。

 あ~れ~? 昨日散々探した時は、確かに無かったんだけれどなあ? それにだいたい、私が時計を入れたのは、コートのポケットだったはずなんだけどな~あ?

 まあ、なんとも不思議な話ですが、時計が見つかったので、いい事にします。

 もちろん、すぐに時計のベルトを直して、腕に巻きました。ふふふ、やっと落ち着いた。

 でも、ほんと、丸一日、時計を無くしてしまったと凹んでいた私でした。たかがモノを無くしただけなのに、こんなに落ち込んでしまうなんて、自分で自分の事が信じられません。それほどに腕時計に愛着を持っていたのか? それとも年を取って、ココロが弱くなって、感情的になってしまったのか? そのどちらかなのかは、よく分かりませんが、時計が見つかったのですから、これはラッキーな話という事にしておきます。

 ああ、本当に腕時計が見つかって、よかったよかった。

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