ひとこと

  •  ああ、腰が痛い…。またまた、ぎっくり腰をやっちまいました。今回の原因は不明。先日、何となく腰が痛いなあ…と思って、整体に行ったら「ぎっくりですね」と言われちゃいました。ぎっくりと言われる前は何となく痛かった程度だったのに、ぎっくりと言われた途端にめっちゃ腰が痛くなりました。…言霊って、すごいなあ。
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2014年3月の記事

2014年3月31日 (月)

リング式と月謝とiPhoneと[2014年3月の落ち穂拾い]

 春ですね。今年は仕事が忙しく、昨年の四月には「たまにはブログをお休みする事があるかもしれません」と予告していましたが、何だかんだ言って、この1年間休まずにブログ記事を掲載する事ができました。これも皆さんに支えられての事です。感謝です。

 まあ、記事の休載は免れましたが、忙しさにかまけて、たまに吟味の足りない記事を掲載してしまった事は、ちょっぴり反省しています。そのおかげか、昨年まではずっと第1位だったブログ村の順位も、今年は1位を取れない事の方が多くなりました。やっぱり、吟味の足りない、作者自身が満足していない記事の掲載が続くと、順位って下がるものだなあと思いました。

 なるべく、きちんと内容を吟味し精査した記事だけをアップしていきたいと思っているものの、なかなかそういうわけにもいかないのが現実って奴ですが、だからと言って、諦めているわけでもなければ、投げ出しているわけでもありません。

 これからも、忙しさと戦いながら、なんとかブログを継続していきたいと願っていますので、これからも応援のほどをお願いいたします。

私がリング式で苦労していないわけ

 やはり大切なのは、手のフォームなのかな?

 私はアルテ4課から5課に進む時に、カバードからリングに変えました。まだフルートを始めて三ヶ月程度という時期にフルートを持ち変えたという事もあるでしょうが、実はカバードを使っていた時から、手のフォームについては、結構きびしく指導されていました。指が必ずキーの真ん中を押えていないと、即注意! カバードなんだから、別にキーのどこを押えても問題ないはずですが、先生はそれを許してくれませんでしたね。

 「キーの真ん中にマニキュアを塗って、いつも真ん中を押えているんだという感覚を身につける事が大切です」って言われてました(でも、マニキュアは実際には塗らなかったです)。

 カバードの時代から、きちんとキーの真ん中を押える様に仕込まれていたおかげでしょうか、リングに変えても、何の問題もなかったです。無論、詰め物は最初から無しです。

 先生がおっしゃるには、フルートを練習して腕を上げてくれば、必ず楽器を買い換える日がやってくるわけで、その時にほとんどの人がリング式を選ぶけれど、それまでにきちんとフォームができていないと、リング式に変わった時に苦労するから、最初の最初からきちんとしたフォームを身につけておくことが大切です…って言われていました。おかげさまで、私はリングで苦労していない…ってわけです。

謝礼の支払い方法

 謝礼のお支払い方法は、先生によりけりだと思います。

 一番最初に習った声楽のT先生は、ご自宅で開かれている個人教室でしたが、謝礼は月謝制でした。お休みしても、別に補講とか無かったです。キング先生も月謝制でしたが、これはカルチャースクールだったので、当然の話ですね。もちろん、お休みしても補講はありませんでしたが、私、休まなかったので、別に関係なかったです。

 今のY先生は、その度毎にお支払いをするシステムになってます。なるべくドタキャンはしないように、予定の変更があったら、早めにご連絡をするように心掛けています。もしも流感などでドタキャンせざるをえなくなったら、その次のレッスンの時に、お休みしてしまったレッスン代をお支払いするつもりです。というのも、こちら側の都合でドタキャンした場合、先生の側に責任はないどころか、わざわざ時間を空けて待っていたわけですから、その空けた時間分の謝礼はお支払いするべきだろうと思うからです。実際、妻がアキレス腱を切ったその直後のレッスンでは、妻のレッスンはありませんでした(ってか、できませんでした)が、きちんと妻の分のレッスン代もお支払いした上で、これからしばらく妻はレッスンを休み、私一人だけのレッスンになりますと話をして、今後のレッスン時間と費用の相談をしました。

 今のフルートのH先生は、キング先生と同じカルチャースクールなので、システムは全く同じです。違うのは、レッスンを仕事で休まざるをえない事が多いのですが、それに対する補講も何もない事です。ここのところ、ずっとレッスンに通えていませんが、それでもきちんきちんと月謝はお支払いしています。

 以前習っていた笛先生は、基本は月謝制でしたが、よく追加のレッスンなどを入れていただきました。そういう追加の時は、その度毎にお支払いをしていました。ヴァイオリンのヒイロ先生は、その度毎でしたね。

 昔々習っていた社交ダンスのT先生は、チケット制でした。三カ月間有効の10枚つづりのチケットを購入してレッスンを受けるのですが、レッスン一回に付き、チケットを一人2枚ずつお渡しするやり方でした。私のレッスンでは、妻同伴だったので、妻の分もチケットを渡していました(別に妻が習っていたわけじゃないのですが…)。で、購入してから三ヶ月以上経つと、それまでのチケットが無効になるわけで…私、無効になったチケットを何枚か持ってますよ(汗)。

 習い事の謝礼の支払い方には色々とあると思いますが、チケット制は、なんか納得できないですね。

iPhoneを買い換えました

 遅ればせながら、やっとiPhoneを買い換えました。4から5sです。さすがに、4sや5を飛ばしただけあって、なかなか大きな変化を感じられます。例えば『電池の持ちがとても良い』とか『通信速度がメッチャ速い』とか『画面が細長くなって、結構便利』とか『指紋認証って、すごく便利』とかね。

 電池は容量が増えたのでしょうね。長い時間使用できるようになったのはいいけれど、充電にも時間がかかるようになりました。

 通信速度の件は、3GからLTE(表記上は4Gですが)になった事も大きいけれど、iPhone自身のCPUも高速化されているのも大きいだろうなあって思ってます。とにかく、ネットの動きが実にサクサクして快適快適ですよ。

 画面が細長くなって、表示できるアイコンが一列増えました。これはちょっぴりうれしいです。でも、横幅が以前と同じなので、結局表示できる画面の大きさ(横幅)はまったく一緒です。iPhoneの横幅は、片手で持って操作するには、ちょうど良い大きさなのは認めるけれど、老眼には画面が小さすぎるのが欠点だな。もう少し横に大きいとうれしいのです。もちろん、そうなると片手で操作はできなくなって、片手でiPhoneを持ち、空いた手で操作するという、アンドロイド携帯のようになってしまい、操作性が犠牲になるけれど、でも画面が小さいのは厳しいなあ。やっぱりiPadを買ってしまおうか…と、早くも悩んでいる私でした。

今月のお気に入り

 色々考えたけれど、やっぱり“iPhone5s”かな? 噂ではまもなく“6”が出るという事だし“6”になると、横幅が広くなるという噂もあるけれど、まだ世に出ていないモノについて、つべこべ言っても始まらないし、実際、“4”から乗り換えて、その快適さにビックリしている私です。

 もっとも、横幅の広い“6”が出たら、ちょっぴりガッカリしてしまうかもしれません。だって、携帯って、一度買うと、2年縛りがあるから“6”は絶対に買えない私です。まあ、その時はしばらく我慢して“6s”か“7”を買うことにしましょう。

今月の金魚

 今月は、みんな元気にしていました。

 
 
今月のひとこと

 気がつくと、眠っている…それが私の人生なのかもしれない。「ああ、眠い、眠い、眠ってしまいそうだ…」と睡魔と戦った経験が全くないのよ、私は。さっきまで元気だったのに、次の瞬間に目覚めるという事はよくあります。私には、寝入った瞬間の経験ってないのですが、目覚めた瞬間の経験なら、数えきれないほどあります。いや、目覚めを感じるからこそ、それまで寝ていたのだなって判断するわけなんだけれど…人はどうやって眠りに入るのだろうか…私には永遠の謎です。(2014年2月27日~3月3日)

 三月になりました。雨が降りました。ようやく、降り積もった雪が溶けました。やっぱり、湘南に雪は似合わない…そう思いました。うんうん、雨ならいいんだ、雨なら…ね。(2014年3月3~9日)

 積雪で悩んだ二月も終わり、ふと気づけば花粉飛び交う三月となりました。それに伴い、衣装も冬物から春物へと徐々にシフトしている最中です。毛糸の帽子を被るのを止めました。靴もブーツをやめて、普通のものに替えました。マフラーはもうしません。手袋をしたりしなかったりって感じかな? 寒いのはつらいからね、暖かくなるのは歓迎です。(2014年3月9~11日)

 ああ忙しい(涙)。トイレに行く暇もないくらいに大人気な私です。人はこうして膀胱炎とやらになっていくんだろうなあ…。あんまり忙しすぎて、花粉症になっている暇もないよ、参ったね。(2014年3月11~16日)

 春ですね、花粉症の時期ですね。今年の私は、花粉症の症状が軽くて、うれしいです。一応、薬は飲んでいますが、マスクがいらない程度の症状です。このまま、シーズンを乗り越えられるとうれしいなあって思ってますが、はてさて、それはどうでしょうね?(2014年3月16~25日)

 マスクのいらない春の日なんて、ほんと、何十年ぶりかしら。こんなにも、春って輝く季節だったんだね(うるうる)。(2014年3月25~29日)

 お花見に行ってきましたー! いやあ、マスク無しだと、花見も楽しいですよ。ソメイヨシノは、まだ満開にはもう少し先って感じでしたが、ヨシノザクラはどこも満開でしたよぉ。千鳥ヶ淵でボートに乗ってのお花見は、なかなかにグッドでしたよ。(2014年3月29~30日)


 今月は以上です。よろしくお願いします。

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2014年3月30日 (日)

花粉症から開放されています(喜)!

 今週も毎日忙しすぎて、うっかり体重計に載るのを忘れてしまいました。ああ、失敗したなあ。

 と言うわけで、さっそく、今週のエッセイに入ります。

 私はモノゴコロついた頃から、花粉症な人でした。いや、昔は花粉症という言葉がなかったので、いつも春になると、アレルギー性鼻炎って奴に悩まされていました。目がかゆくて、ハナは垂れっぱなしで、微熱っぽくて、いつもボケ~としている…って奴です。もう何十年も、この症状につきまとわれていました。

 この症状が、アレルギー性鼻炎から花粉症と名称を替えたあたりから、世間でも認知されてきたのでしょうか、色々と対策が打てるようになり、多少は春先をしのげるようになったものです。対処療法でしょうが、医者で抗アレルギー剤がいただけるようになったし(今年からは薬局でも買える様になったんですよね)、目薬や点鼻薬もいただけるようになったし、マスクをしていることも、世間的に許されるようになってきました。

 まあ、そんなこんなで、例年、花粉症対策をしてきました。対策の結果、症状が多少は軽くなるものの、根本的な根治は無理だし、症状がなくなる事だって、ありえませんでした。

 去年までは……実は、今年は違うんですよ、

 今年も花粉症の季節がやってきて「ああ、また花粉症の季節がやってきた。春なんて大嫌いだー!」と思いながら、年明けの頃から、花粉症対策を始めました。花粉症の薬(つまり抗アレルギー剤)って即効性がないので、シーズンが始まる前から飲み始めるわけで、今年もしっかりシーズン前から薬を飲んで備えていました。マスクも買い込んだし、目薬や点鼻薬も準備万端。花粉症なんてイヤだけれど、できるだけの準備をして備えていたわけです。

 ところが、今年は一向に花粉症の症状が私に現れません。目もあまりかゆくならないので、目薬はたまに利用する程度だし、鼻は普段程度にしか垂れない(ので、点鼻薬はまったく不要です)。くしゃみもたまに出るけれど、まあ、これも日常生活の範囲内です。熱も出ないし、花粉症が原因でアタマがボーとする事もない。

 つまり、今年は、花粉症の症状が、ほとんど出ていないんです!

 やったね! すっげー、ラッキーです!

 まあ、今年は花粉の飛散量が例年になく少ないという事もあるでしょうが、それでも花粉症で苦しんでいる人は大勢います。私も例年は重症な花粉症患者でしたし、その症状は重くなる一方で軽くなる事なんて、まったく無かったのですが、今年はほんと、実に症状が軽微なモノで、ほとんど花粉症を気にせず行動できちゃってます…ってか、自分が花粉症患者である事を忘れちゃっている時もあります。。

 なにしろ、マスクを使わなくても、外を普通に歩けるんだよ。こんな日が来るなんて、夢にも思っていませんでした。

 いやいやいや~、本当にうれしいです。

 でも、なぜ今年、私に花粉症の症状が出なくなったのか? それは私にも分かりませんが、原因はいくつか考えられます。

 まず、一番大きな理由は、かかりつけのお医者さんを変えた事(笑)。今まで20年以上に渡ってお世話になっていた先生に見切りをつけて、近所で新しく開業した先生に乗り換えました。当然、今年の花粉症の治療薬も、その新しい先生から処方していただいています。

 前の先生は花粉症には不案内だったみたいです。最初の年にアレロックを処方してくれましたが「去年の薬はあまり効かなかったみたいなんですよね。別の薬にしてください」と言ったところ、次の年はアレグラを処方してくれました。でもやっぱり効果を感じられなかったので「別の薬を…」と言うと、薬がアレロックに戻っちゃいました。

 当然、アレロックは効かないので「また別の薬を…」と言うと、今度はアレグラに変わります。で、つまり、あの先生は、アレロックとアレグラの二つの薬を交互に服用している感じだったので、ある時、先生に「アレロックやアレグラ以外の薬をお願いします」と言ったところ「花粉症の薬なんて、どれも一緒だよ」と言って、その二つ以外の薬を処方してくれなかったんだよね。

 まあ、実際、抗アレルギー薬なんて、どれもこれも同じなのかもしれないけれど、細かいところが違っていたりするんだから、アレコレある薬を試してくれてもいいじゃない? 少なくとも患者である私がそれを望んでいるんだから、アレロックやアレグラ以外の薬を処方してくれてもいいのに…ねえ。

 今度の先生には「アレロックとアレグラは散々試して、効果を感じられなかったので、別の薬をいただけますか?」と言ってみたら「では、クラリチンから始めてみますか? これで効果を感じられなかったら、また別の薬にしますよ」と言って、クラリチンの処方箋を書いてくれました。で、これを薬局に持っていったら「クラリチンには価格の安いロラタジンというジェネリック薬がありますが、どうしますか?」と尋ねられたので「安いに越した事はないので、それでお願いします」と言って、ロラタジンを飲みました。

 ただ今、ロラタジン1年生の私ですが、すごぶる調子いいです。ロラタジン、私と相性いいのかも(笑)。安くて効果があるなら、早くからこれにしておけばよかったよ(涙)。

 もっとも、抗アレルギー剤の違いだけが、花粉症軽減の原因ではないかもしれません。

 昨年と今年の私の大きな違いは、昨年の私は、菜食主義のユルいベジタリアンでした。マクロビオティックで推奨されるような、健康的な食事をしていました。でも、今年は違います。今年の私は、肉・肉・肉の、肉食野郎に変わりました。ほぼ、毎日のようにステーキを食べてます。ステーキを食べない日も、トンテキとかチキンステーキとか食べてます。小腹がすいたら、魚肉ソーセージや唐揚げやキャンディーチーズを食べ、ヨーグルトも毎日毎日食べてます。ほんと、肉食な野郎に変わりました。

 尾籠な話で申し訳ないのですが、以前は肉類を食べると排泄物が黒々として汚かったのですが、最近では肉類を食べているとキレイな排泄物が出るようになりました。その代わりに、炭水化物多めの食事をしちゃうと、体調崩す事も多くなり、排泄の方も下痢気味になります。カラダがほぼ肉食体質になっちゃったようです。この肉食体質に変わった事が、花粉症を軽くしている可能性はあります。

 他にも考えられる原因はあります。

 例えば漢方薬の服用。私は大柴胡湯という漢方薬を飲み始めて、そろそろ2年になります。私が大柴胡湯を飲んでいる理由は、体質改善と体質のベースアップを目的としているわけですが、その効果が、2年を迎えた今年あたりから、徐々にカタチになってきた…のかもしれません。実際、最近の私は、体質的に以前よりもだいぶ強くなってきたなあって思うしね。

 もちろん、漢方薬は自己判断ではなく、ちゃんとした漢方医の指導のもと、服用しております(当然ね)。

 あと、ヤクルトも毎日飲んでいるしなあ。ちなみに、養命酒は、最近はなんとなく辞めちゃっているので、今回の件と養命酒は関係ないです。ただ、養命酒を飲むと、私の場合は、確実に体質が変わって体重が減るので、また飲み始めてもいいかなあとは思ってます。

 まあ、どれが原因なのかは分からないし、これらの複合的な作用なのかもしれませんが、とにかく、今年の私は、マスク無しで生活できる、ラッキーでハッピーな人なんです。

 来年も、花粉症の症状が出ないといいんだけれどな。

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2014年3月29日 (土)

さて、ウチで長生きなのは誰なのかな?

 ウチの水槽で一番長く生きているのは誰だろうと思いました。

 金魚の中では、何と言ってもサクラですね。今のサクラは二代目のサクラですから、我が家にやってきたのは、2010年の6月になります。今は2014年の3月下旬ですから、4年9カ月になります。うむ、長生きだね。

 この子が一番長生きかな?と思ってましたが、上には上がいるもので、よく考えてみたら、ウチの水槽にはヤマトヌマエビが1匹だけおります。この子は、トートが来る前からウチにいた子なので、ちょっと調べてみたら、なんと2008年8月に我が家に来ているみたいです。となると、5年7カ月ですか? サクラよりも一年ほど前から我が家にいることになります。

 うわー、すげえなあ、と思っていたら、なにやら水槽の奥の方でアピールする奴がいます。よくみたら、緋ドジョウのチビじゃないですか? さて、こいつはいつから我が家にいるのかなと調べてみたら、2008年のお正月に我が家に来ていますので、すでに6年3カ月ですか? そうだよね、ドジョウって長生きなんだよね。以前、我が家にいた、食用ドジョウのセボネマガリは享年7才だったんだよね。ドジョウって、結構長生きします。

 我が家の長老はチビで決定! と思ったら、やっぱり、水槽でナニゲにアピールする子がいます。それは、名もないイシマキガイたちです。イシマキガイは、近所の農家さんからタニシをいただけるようになる前は、よく金魚屋で買っていた巻き貝なんですが、タニシをいただけるようになってから、まったく買っていません。つまり、ウチにいるイシマキガイたちは、タニシ以前からいる子なんです。

 で、我が家にタニシが始めてやってきたのは、2007年の夏なんです。と言うことは、イシマキガイは、間違いなく、2007年の春先には、すでに我が家にいたことになります。と言うことは、少なくとも、7年以上は我が家にいることになります。なにしろ、イシマキガイは個体識別ができないので、今の子たちがいつ我が家にきたのか分かりません。下手をすると、水槽を始めた時に購入したかもしれないくらいの子たちです。となると…10年オーバー?

 エサもやらずに、特に面倒をみることなく、それでもモクモクとけなげに生きてきたイシマキガイ。一番長生きで、一番すごいのは、君たちなのかもしれません。

 本当にすごい奴は、案外目立たないものなのかもしれません。

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2014年3月28日 (金)

どうも消費税があがるようですね

 フルートのレッスンは…今回は、私ではなく、先生の都合でなくなりました。私の方は、うまくスケジュールをやりくりして、レッスンにイケるように準備万端整えていたのですが、ダメでした。なんかも、フルートのレッスンとは縁が切れてしまったのかしら?  決して、フルートへの情熱が冷めてしまったわけではないのですが、なんか変だな。

 とりあえず、今週もレッスンがないので、フルートエッセイ(もどき)でお茶を濁すことにします。

 さてさて。日本では、来週になると、消費税が5%から8%に上がります。なので“駆け込み需要”とやらで、皆さん、大きな買い物や、大量の買い物をなさる方が大勢いらっしゃいます。テレビのニュース番組でも、カートにいっぱいの商品を詰め込んでいる買い物客が取材されていたりします。

 でもね、家とか土地とかマンションとかの本当の高額商品を買うなら分かるけれど、日常雑貨程度なら、たくさん買って、買いだめをして、部屋を狭くするくらいなら、必要なモノを必要な時に必要なだけ買う方を選びます。

 そうでなくても、物に埋もれた生活をしているんだから、できるだけ物は買いたくないんです。

 それはさておき、フルートは、さすがに高額商品だと思います。フルートを買い換えるつもりがあるなら、消費税が値上がりする前に買ってしまえ!という方の気持ちは分かります。総銀フルート1本、約100万円だとしたら、税金が5万円で済むところが8万円もかかるわけです。差額が3万円もあります。さすがに3万円という金額を無視できるほどの金持ちではありません、私は。

 まあ私は、当面、フルートを買い換えるつもりはないので、安穏としていられますが、もしもフルートを買いたい病にかかっていたら、きっと4月前に「えいやー!」と買ってしまっていたことでしょうね。

 それにしてもフルートって、なぜか定期的に買い換えたくなりませんか? 私は、最近はそうでもないのですが、やはり何かの拍子で急に「フルートを買い換えたい!」って思います。別に今のフルートに不満はないのにね(笑)。

 ゴールドの音はあまり好きではないのに、なぜか「ゴールドフルートが欲しいなあ…」って思ってみたり、大好きなバイノンの音源を聞いて、うっかり「バイノンが使っているPSモデルに買い換えちゃおうかな」とか思ってみたり、ちょっと疲れることが続いて、フルートを吹いていても、アルタスフルートの難しさに辟易しちゃうと「いっそアルタス以外のメーカーに乗り換えてみても面白いかな」なんて浮気心がウズウズしたり、フルート買換えのスイッチなんて、どこでどう入るか分からないものです。

 でもなんか、定期的に「フルート、買い換えたいなあ…」って思うんですよ。歌と違ってフルートは楽器の買換えができるんですよ。歌は、好きであれキライであれ、自分の声でしか歌えないので、諦めるしかないのですが、フルートは楽器を買い換えることができるだから、楽器を買い換えなきゃ損だとか思ったりするわけです。

 皆さんは、どんなことがきっかけで、フルートを買い換えたくなりますか?

 ちなみに、私の場合、H先生に「フルートを買い換えたいのですが…」なんて相談をしたら…きっと「フルートの買換えなんて、まだ早い。もっと練習をする方が先だ!」って絶対言いそう。で、たくさんたくさん練習して、買換えしてもいいですよとなっても、では何に買い換えたら良いでしょうかと尋ねたら「ムラマツの9Kがいいですよ」と絶対言われそう…。まあ、ムラマツの9Kは良いフルートだろうけれど、なんか趣味っぽくないフルートなので、触手が動かないです。9Kに限らず、ムラマツって“道楽の玩具”と言うよりも“きちんとした実用品”って感じがして…なんかねえ、遊び心が見えないんだよね。。

 だって、私は道楽でフルートを吹いているんだから、買い換えるなら、道楽者にふさわしいフルートに買い換えたいですよ。だから、ムラマツじゃないんだよね。

 ところで、いったい、どれだけの人が、この1~3月の間にフルートを購入したんでしょうね、きっとたくさんの方が総銀フルートあたりを買われたんじゃないかなって思います。

 世間では、駆け込み需要で買い物が増えた分、四月になると、売り上げがガックリ減ってしまうそうで、戦々恐々としているお店もたくさんあるそうですが、フルートに関しては、それはあんまりないでしょうね。

 と言うのも、フルートが一年で一番多く売れるのは、何と言っても、4月~6月の春なんだそうです。いわゆる、吹奏楽部のフルートちゃんたちが楽器を新規購入するのが、この時期ですからね。日本全国、この春先がフルートが一番多く売れる時期なんだそうです。だから、消費税の影響で、売り上げが落ちるということは、フルート業界に関しては、あまり無いんじゃないかな?

 とまあ、グチグチ書きましたが、要するに「消費税増税には反対です」ってことを、穏やかに言いたかっただけです。

 いっそ、消費税を廃止して、昔のように贅沢品にだけ税金をかける“物品税”の復活を望みます。もっとも、そうなったら、フルートってうんと税金がかかってしまい、簡単に買い換えることでできなくなるかもしれませんね。でも、それもまたいいんじゃないかな?って思えるようになったのは、私が年を取ったからかもしれません。

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2014年3月27日 (木)

いい気になって、歌いすぎないように

 声楽のレッスンの続きです。発表会も近いので、すぐに曲の練習に入りました。

 まずは、ベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」からです。この曲は簡単なんだけれど、実に難しい曲です。まず、一通り歌ったところで先生がおっしゃった事は「音を置くように歌っていて、全然歌が前に進まない」です。つまり、声に歌を進ませるだけの推進力がありませんって言われました。

 丁寧に優しく歌っているつもりが「音を置くように歌っている」と聞かれてしまってはダメですね。丁寧に優しくは良いけれど、音楽が前に推進していかないと、聞いていて面白くないですからね。ここは一つ、音楽を前に進めないと!

 声に推進力を付けるにはどうすればいいのでしょうか? って、実は簡単な話で、しっかり発声すれば、自然と声に推進力がつきます。私の場合は、支えが足りないので、声に推進力が足りなく聞こえちゃうんですね。

 歌い始めの“Ma”とか、次のフレーズの出だしの“E”などは、しっかり腹筋を使って、カツンと発声する事が大切ですが、その際に、音が短くなりすぎないようにしないといけませんし、音を長めに発音したなら、その音の切り際もきちんと飛ばすように切らないといけません。ううむ、難しい。

 ゆっくりした曲なので、すべての音符をしっかり、その音価の分だけ伸ばさないといけないし、伸ばしすぎもいけません。また、音を伸ばしたら、声を膨らませて、色気も表現しないといけません。ほんに、やることが多すぎです。

 ブレスをしたら、基本的には仕切り直しです。ブレスの前の世界を断ち切って、改めて歌いだす事が必要です。もちろん、テクニック的に前の世界観を引きずったまま歌った方が良いケースもあるけれど、基本的には仕切り直しです。

 私は、ちょっと前まで、ブレスをしたら、仕切り直ししすぎて注意されていましたが、今回は仕切り直さなすぎで、逆の注意を受けました。ブレスで仕切り直しをしないまま歌い続けると…最後は声がつらくなります。だから仕切り直すんですが、このくらいの曲だと、仕切り直さないままで歌えてしまうので、そこがダメなんだな。

 本当に、簡単だけれど難しい曲です。

 次はレハール作曲「ほほえみの国」より「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。

 ドイツ語は難しいですね。まだ、舌がうまくまわらないし、母音の音色も微妙に違っているような気がします。ああ、もっともっとドイツ語を歌い倒さないとなあ…。

 この歌は、実はかなり危険な歌です。と言うのも、本当に、歌いやすいんですよ。

 音域的に、テノールにとって、ちょうどよい音域で曲が作られているので、ついつい歌い飛ばしてしまいがちですが、あまりに歌い飛ばしていると、ノドが極端に消耗してしまいます。

 私も、ついつい、いい気になって、この曲を歌い飛ばしていたら、ノドを鳴らしすぎてしまい、ノドがかゆくてかゆくてたまらなくなりました。で、それを我慢しているうちに、我慢の限界に達して、ついに歌の最中にむせてしまいました。ダメですね。

 むせたくなければ、ノドの鳴りを抑えて歌う必要があります。でも、この曲、簡単だし、声を出しやすい曲なので、ついついノドを鳴らして歌ってしまいます。

 この曲は20世紀の曲なので、多少ノドを鳴らして、声を重くして歌うのもアリなんだそうです。ですから、私がついついノドを鳴らして歌っていても「そのスタイルで最後までイケるなら、それはそれでアリだな」と先生も思っていらっしゃったので、今回は「軽く、軽く」とは言わなかったんだそうです。

 でも、このスタイルでは最後まで歌うのは難しいのですから、やはり、この曲も、なるべく軽く歌って、極力、ノドを鳴らさないように歌わないといけないみたいです。

 しかし、ノドを鳴らさないように歌うのと、支えを抜いて歌うのは違うわけだし、支えをしっかり入れると、声が大音量になってしまう私ですが、それも本来は関係ないのです。ノドを鳴らさないためには、しっかり響きを豊かにして歌わないといけません。

 そうそう、この曲には高いAs(最高音です)が4回登場しますが、曲の最初の部分では、この音はさりげなく歌わないといけません。これだけの高音をpで歌うのは、かなり難しいです。でも、最初の数回はPで歌い、最後に近づいたら、一発カマせばいいわけです。高い音だからと言って、いつもいつもクライマックスであるかのように歌うのは、下品だし、第一、声が持ちません。歌には、きちんとメリハリをつけないとね。

 それにしても、この曲、本当に歌いやすいです。

 テノールである私には歌いやすい曲ですが、バリトンであるY先生にはあまり歌いやすくないようで、先生は常に1オクターブ下で歌いながら指導なされていました。同じ曲の同じフレーズなのに、テノールである私と、バリトンである先生では、こんなに違うんだなあって思いました。とにかく、あれだけ低い音がバリバリ簡単に出している(ように聞こえる)って、すごいなあって思いました。あれを聞くと、私はバリトンに転向しなくて正解だなって思いました。

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2014年3月26日 (水)

柳葉敏郎氏になってしまってはダメなんです

 声楽のレッスンを受けてきました。今回は、久しぶりに時間に余裕があったので、タクシー利用ではなく、自宅からテクテク歩いてレッスンに向かいました。徒歩約45分の距離なんですが、有酸素運動的にはちょうどいい感じだし、先生のお宅に到着すると、いい感じで声もカラダも温まっているので、歩いてレッスンに行くのは、とても良い事だと思ってます。

 さて、実は今回のレッスン、本当は振り替えレッスンなんですね。当初、約束していた日にレッスンができなかったのですが、その理由は、先生のお宅でウィルス性の胃腸炎が蔓延して、一家でダウンしていたからなんです。まあ、先生のお宅には赤ちゃんがいるわけで、まだオシメをしている坊っちゃんがウィルス性の病気にかかって下痢などをすれば…そりゃあ、一家中に蔓延するのは必至なわけで、まあ仕方ないですね。

 とにかく、みなさんお元気になられて何よりです。

 レッスンは発声練習からです。

 Y先生との発声練習は、単なるウォーミングアップではなく、発声のテクニックを磨いたり、私に身についた悪い癖を取り除いたりする、とても大切な練習なんですね。ある意味、レッスンのメインディッシュの一つなのかもしれません。

 今回学んだ事は、メロディーを歌っている時の音程の変わり目で声の音量を変えずに歌う事。音程が変わるたびに、声をブチブチ切らないで、レガートに歌えばいいだけの話ですが、私はそれが上手にできていないというわけです。どうも音程が変わるところで、イチイチ声がブツっと切れて、歌い直し(音程の取り直し)をする癖がある[ポップス系の歌手はたいていこういう歌い方をするので、私の歌い方はポップス寄りの歌い方、と言えるのかもしれません]ので、声や息を流したまま、音程だけを変える練習しました。

 意識すればできない訳じゃないのだけれど、意識しないとできないはダメですね。

 次にやったのは、子音の音程を高めにとって歌う事です。私の発声では、母音に比べて子音の音程が低い事が多く、そのためにしゃくり上げて歌っているように聞こえるのだそうですが、クラシック系の歌い方では、母音に比べて子音の音程は高く取るのが常識なんだそうです。ここでもまた、私はクラシック的に非常識な歌い方が癖になっているわけです。これは、意識してもなかなかできません。子音の音程を高めに歌うのって、案外難しいじゃない?

 声を伸ばしていると、段々声が閉じてしまうのも私の悪い癖です。声が内向きと言いましょうか、あまり前に声が飛んで行かないのだそうです。なので、もう少し声を開いて、声が前に飛んで行くように歌う練習をしました。もちろん、声は開きすぎてはいけないのですが、それにしても私の声は閉じすぎなんだそうです。

 声が閉じてしまう理由の一つに、私の歌っている時の表情にも問題があるようです。これは意識しているわけではないのですが、私は眉間にしわを寄せ、まるで柳葉敏郎のような顔をして歌っているのだそうですが、それではダメなんだそうです。特に“眉間にしわ”は絶対ダメなんだそうです。

 そこで、両方の頬骨をつかんで、強制的に思いっきり外側にグイーンと開いてみました(良い子は顔面骨折をするかもしれないのでマネしちゃダメよ)。すっごく痛いのですが、これをやってから歌うと、すごく歌うのが楽だし、高い声もスラスラ出ちゃいます。顔面を横に思い切って開くと、歌うのがとても楽になるのに、額にしわを寄せると言う、顔面を横に思い切って寄せて歌うのは、歌う動作的には、わざわざ難しくして歌うようなモノなんだそうです。

 だから、額にしわを寄せて歌ってはダメなんです。むしろ、ニコニコ笑顔で歌う方が全然良い訳なんですよ。

 そして、それと関連しているけれど、声を前に飛ばす練習も散々やりました。これも私には難しい。声を大きくするのと、声を飛ばすのは違うわけで、声を飛ばすには、しっかりした支えと、流れる息が必要になります。

 声が飛ばなかったり、閉じてしまうのも、その原因を考えてみると、私の、息を省エネにして節約して歌う歌い方が、いけないんだなあって思います。確かに、息を節約して歌えば、長いフレーズも楽に歌えるけれど、その分、声は飛んでいかないのです。そして、息を流し続けるには、支えが必要なわけで、ほんと、私の場合、一にも二にも、支え支え支えってわけです。

 それに加えて、毎度の事ですが、クチの奥を開くことも散々注意されました。毎回注意されても、全然できるようにならないのは…本当に申し訳ないと思う一方、一度注意した程度ですぐにマスターしてしまったら、先生もさぞ教えがいがないだろうと、勝手に同情しています(汗)。

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2014年3月25日 (火)

外人はズルイ!

 …って思います。この場合の“外人”は、いわゆる“白人”さんたちを指しています。
 では外人さんたちのどこがどうズルイのかと言うと…

 1)顔の彫りが深い
 2)胴体が厚い
 3)カラダがデカくて、部分部分のパーツもデカイ
 4)外国語が得意

 …まあ、こんなところかな?

 フルートを吹いている時は、正直、あまり『外人はズルイ!』とは思いません。あえて言えば、3)の“部分部分のパーツもデカイ”って点では、外人さんはカラダのパーツが本当にデカイと思うし、私と同じぐらいの身長でも、手の大きさを比べると、連中は指が長いし、手のひら自身も一回り大きいし、厚いんですね。ピアノを弾かせたら、だいぶ楽だろうなあ~とは思うけれど、フルートでは、そんなに決定的なアドヴァンテージになるほど、彼我の差は大きくないと思うんです。

 しかし、歌手としては『外人はズルイ!』と心底思います。

 いやあ、だってね~。顔の彫りが深いって、ズルイよなあ。だって顔の彫りが深いってのは、顔の造形が立体的ってわけで、もうそれだけで、黙っていても声が深くなるわけでしょ。

 みなさんは、中学に入って、始めて英語を習った時、外人さんたちのしゃべりを、テレビとかラジオとか音声教材とかで聞いた時に、その音色に違和感を感じませんでしたか? 言葉が違うだけでなく、しゃべっている声の音色そのものが我々とはだいぶ違っていたでしょ? 当時、ガキンチョの私は感じましたよ。なんか我々とは声の音色が全然違っていて、外人って外人特有の声でしゃべるんだなあってね。

 しゃべり声からして、外人さんたちは深いんだよ、そんな彼らが歌えば、そりゃあデフォルトで深い声になるわけじゃない? 深い声ってのは、クラシック声楽的には“良い声”なんだよね。一方、我々日本人は、顔が平べったいせいか、素のままでは、声も平べったいわけです。歌う時には、平べったい声を深い声にするわけで、そのために深い声の出し方を特別に習得するわけですよ。それって、それなりに苦労だったりするわけです。で、外人さんたちは、その苦労が少なくて済むんだから『外人はズルイ!』って思いますよ。

 外人さんたちは、おしなべて胴体が厚いですね。ってか、日本人の胴体が薄べったいと言うべきなのかもしれません。正面から見れば、日本人も外人さんも変わらなくても、横からみれば、全然違います。本当に彼らは、どんなにやせ型の人でも胴体は丸くて、正面から見ても、横から見ても、あまりサイズは変わりません。一方、我々日本人は、狭いところを通る時に、カラダを横にすれば結構楽に通れることからも、カラダが薄くできています。

 薄いカラダと厚いカラダ。当然、体積が全然違うわけです。体積…つまり肺活量も全然違うわけです。まあ、歌と肺活量はダイレクトにつながらないとは言え、肺活量はデカイに越したことはありません。また、体積が違えば、共鳴(や共振)に使える空洞の体積だって大きくなるわけで、そういう意味で『外人はズルイ!』って思いますよ。

 カラダがデカイってのもズルイです。カラダがデカければ体重も重くなるわけで、デカくて重いスピーカーほど良い音がすると言うのは、オーディオ界の常識ですが、スピーカー同様、音を発信するモノとして考えれば、歌手はカラダがデカくて、体重が重い方が有利じゃないですか? で、カラダがデカイと言う事は、同じ体重なら、カラダのデカイ方がスリムになるわけで、我々日本人が彼ら並の体重を得ようとするなら、かなり太らないといけないわけですよ。スリム(に見える)体型のまま、体重がキープできる『外人はズルイ!』って思いますよ。

 さらに言えば、外人は外国語が得意じゃないですか? アメリカ人やイギリス人は英語が得意だし、イタリア人はイタリア語が得意だし、フランス人はフランス語が得意だし、ドイツ人はドイツ語が得意だし、ロシア人は……ええい、とにかく彼らはズルイですよ。

 「日本人だって日本語が得意じゃん」って言われても、全然そんな気になれません。だって日本語で書かれた世界的に有名で普遍的なオペラってありますか? 日本語詞で歌われる世界的に有名で普遍的な歌曲はありますか? モーツァルトは日本語の歌を書いてくれましたか? バッハは? ベートーヴェンは? シューベルトは? でしょ?

 アメリカ人にはミュージカルがあるし、イタリア人にはイタリアオペラがあります。ドイツ人にはドイツリートがあるし、フランス人にも有名なフランス語の歌曲もオペラもあります。

 「日本人にも日本歌曲があるじゃないか」と言われても、なんか今一つ、マイナーな感じがするんだよね。日本歌曲って、クラシック声楽的には、王道と言うよりもキワモノっぽい感じがします。音楽的には素晴らしい曲もあるけれど、あまりにマイナーな存在だし、知られなさすぎ、取り上げられなさすぎで、知る人しか知らない曲?って思いますが、これは私の偏見でしょうか? そう思うたびに彼らの母国語に有名な曲がたくさんあるわけですから、『外人はズルイ!』って思いますよ。

 ああ、ズルイズルイズルイ、外人はズルイ!

 まあ、それはある意味、クラシック声楽が外人さんたちのモノであり、我々日本人にとっては、余所の国の文化でしかないわけで、身の丈に合っていない音楽だよと言われれば、そんなものなのかもしれませんし、我々日本人のカラダでクラシック声楽をやるのは、実に大変な事…なのかもしれませんし、身体的にハンデがあるのかもしれません。

 私は日本人に生まれてよかったなあと思っている人なので、外国人に生まれればよかった…と思うことは、あまりありませんが、歌っている時だけは、外人に生まれればよかった、できればイタリア人に生まれたかったなあっと思う次第でございます。

蛇足 私がズルイと思うのは、何も外人さんたちばかりではありません。背が低い人もズルイと思います。だって、背が低ければ、それだけで労せず高い声が出るじゃん。高い声の苦手なアマチュアテノールとしては、背が低い人と言うのは、それだけでズルイと思いますよ。私もチビに生まれたかったなあ…。

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2014年3月24日 (月)

イチゴ狩りに行ってきたよ

 忙しい忙しいと毎日のように言っている私です。実際、本当に忙しいのです。先週など、あまりにカラダがシンドイので、さすがに仕事を早めに切り上げて、定時で帰宅して、家に着いたら、そのままダウン。真夜中に目覚めてしまい、そこで晩御飯を食べて、二度寝して、翌日、普通に寝不足の状態で仕事に出かけるという、わけの分からない生活をしている始末です。

 しかし、忙しいからと言って、遊ばないのは、もっとダメです。だって、疲れってのは、肉体的な疲労の他に、精神的な疲労ってやつだってあるわけです。肉体的な疲労は寝てれば取れますが、精神的な疲労は寝ていても取れません。パ~っと遊んで発散しないといけません。

 ってわけで、精神的な疲労を発散させるために、疲れ切ったカラダにムチ打って、妻とイチゴ狩りに行ってきました。

 ええと、イチゴ狩りに行ったと言っても、別に私が車を飛ばしてイチゴ農園に行ったわけではなく、格安(笑)バスツアーって奴を利用してイチゴ狩りに行ったわけです。いやあ、バスツアーっていいですね。バスの中で、疲れて寝り惚けているウチに目的地に着いちゃうんだから、楽で仕方ないです(笑)

 今回の行き先は、山梨県の勝沼です。ぶどうとワインの街、勝沼ですが、春先はイチゴ狩りもやっているんですね。さすが、果物王国の山梨です。年がら年中、何かしらの果物があるって寸法のようです。

 ちなみに勝沼は、この冬の大雪で、あっちこっちのビニールハウスが倒壊し、実にたくさんのブドウの木が倒れていました。見ていて、なんか胸が苦しくなりました。

 私が行ったイチゴ農園は、幸運にも、そういう被害から免れた農家さんだったようです。

 イチゴ狩りです。イチゴを栽培しているビニールハウスの中には、数種類のイチゴが栽培されていて、それらを自由に食べてよい事になってましたので、さっそく食べ比べをしたところ、私のお気に入りは“紅ほっぺ”という品種である事に気づきました。

 いやあ、イチゴって、品種によって、甘さとか酸味とか香りとかが微妙に違っていて、それらが絶妙な味の違いとなって現れるのだけれど、色々と食べ比べてみた結果、紅ほっぺという品種が実に色々とバランスが良くて、私好みである事に気づきました。

 いやあ、実に美味しかったですよ、紅ほっぺ。あんまり美味しいんで、こうしてブログの記事として書かなきゃって思った次第だもの。

 もっとも、紅ほっぺ。美味しいはずだね、これでも一応、イチゴの中では高級ブランドって奴に属するらしいです。まあ、確かに高級そうでした。一口では食べられないほどに実は大きいし、甘みはたっぷり、香り豊かで、ジューシーだもの。そりゃあ、高級果実だわな。

 イチゴ狩りを始める前に、ビニールハウスの入り口で練乳をいただきましたが、紅ほっぺは実に美味しいので、練乳なんて、全く必要ありませんでした。いや、練乳よりも、紅ほっぺの方が甘いんじゃないかな? 少なくとも、紅ほっぺは、練乳無しでも十分に美味しいイチゴでした。

 そんな、高級イチゴをこれでもかこれでもかと、食べまくってきた私です。いやあ、楽しかった。いやあ、美味しかった。

 ちなみに、イチゴは食べ過ぎると、お腹が落ち着かなくなります。反省。

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2014年3月23日 (日)

私は白い御飯がキライでした[2014年3月第4週・通算9週]

体重:109.6kg[-0.8kg:-1.8kg]
体脂肪率:30.8%[+0.2%:-0.4%]
BMI:34.6[-0.1:-0.3]
体脂肪質量:33.8kg[+0.1kg:-0.8kg]
腹囲:106.0cm[-1.0cm:-2.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 私は食べることが大好きです。だから、体重がなかなか減らないので困ってますが、食べる楽しみがある事に感謝しています。

 私はあまりキライな食べ物はないのですが、それでも一応、好き嫌いはあります。特に子どもの頃は、それなりに好き嫌いがありました。その多くは大人になる過程で克服しましたが、今回はそんな『子どもの頃大嫌いだった食べ物』の一つ“白い御飯”について語ってみたいと思います。

 子どもの頃、私は“白い御飯”が本当に大嫌いでした。“白い御飯”と言うのは、いわゆる『白メシ』とか『ライス』とか『主食』とか呼ばれるアレです。アレが大嫌いでした。

 とにかく、見るのもイヤでしたし、匂いもキライ。食べるのも、本当はイヤだったんです。

 何がイヤだったのかと言うと、まず食感がダメでした。

 ウチの御飯は、父の好みで、常に半粥状態でした。よく『米粒が立っている御飯は美味しい』と言いますが、ウチの御飯は、米粒が立っているどころか、米粒が溶けて原形を留めていませんでした。かと言って、ちゃんとしたおかゆでもなく、いわゆる“半殺し”状態の御飯でした。食感は、常にネチャネチャで、粘土を食べたら、きっとこんな感じだろうなあって思ってしまうような食感でした。

 おまけに味も良くなかったんだと思います。家が貧しかったせいもありますが、米は常に一番安い米、標準価格米という、最近では見かけなくなった米を食べていました。この標準価格米の正体って、実は、地元産のノーブランド米の古米なんですね。美味しいはずないです。

 これを、昔の事ですから、マイコン制御ではなく、サーモスタット制御のガス釜で炊くんですよ。今の炊飯器と違って、焦げたり、お米の芯が残ったりと、安定して上手に炊けなかったんですね。

 炊きたての御飯って、本当は美味しい香りがするものですが、ウチで食べていた標準価格米は、炊くとイヤな匂いがしていました。体調が悪い時は、この御飯の炊ける匂いを嗅いで、よく吐き気をもよおしたものです。

 おまけに、ウチは朝、御飯を炊くので、朝食はまだ暖かい御飯を食べることができましたが、昼食は弁当ですから冷や飯だし、ウチにはジャーのような保温器はありませんでしたから、夕食も冷や飯でした。半粥の冷や飯って、美味しいはずないでしょ?

 本当に、御飯が不味くって、私は大嫌いでした。

 なので、食事は、おかずの味で御飯の味を消して食べていました。でも、ウチは貧しかったので、食卓におかずがいつもあるとは限りませんでした。特に月末近くは、お金がなくて、おかずが買えなくて、よく『お漬け物と梅干しだけ』とか『ふりかけだけ』とか、もっといよいよとなると『醤油をかけて食べる』とか『ソースをかけて食べる』とか『塩をかけて食べる』とかもしていました。おかげさまで、今でも何もなければ、平気で醤油メシは食べられます。

 醤油メシは醤油が御飯のイヤな匂いを消してくれるので、なんとか食べられましたが、塩はダメですね。御飯のイヤな匂いが残ります。なので、子どもの頃は、母が握ってくれたおにぎりが大嫌いでした(だって臭いんだもん)。ソースは…半粥とは合いませんね。特に冷や飯との相性はダメダメです。マヨネーズは…マヨネーズは高価なので、ウチにはありませんでした(笑)。よく『マヨネーズと御飯は相性がいい』という人がいますが、私は御飯にマヨネーズをかけて食べた事がないので、分かりません。ってか、子どもの頃にマヨネーズを食べなかったので、今でもマヨネーズは得意ではありません。

 実は白い御飯って美味しいものだ、と私が知ったのは、大学生になって家庭教師のアルバイトを始め、バイト先で夕食をいただくようになってからです(私は、月謝は少なめでいいので、夕食を食べさせてくれる事という条件で、家庭教師をしていました)。ほんと、余所の家の御飯は美味しかったですよ。まるで外食みたい(笑)に感じました。

 無論、今では、自分で家を構えていますし、妻は普通にきちんと御飯を炊いてくれるので、今の我が家の白い御飯は大好きですよ。ただ、妻が私の健康を思って、あんまり白い御飯を炊いてくれないのが、残念です。割とよく炊くのが、雑穀米と言って、白い御飯に色々な雑穀(麦とか稗とか粟とか豆とか)を混ぜたモノを炊くのですが、これが白い御飯と比べると、ちょっとばかり残念なんですね。それでも、私の健康を考えての事だし、実家の白い御飯と比べると美味しいので、文句は言いません。

 ちなみに、たまに実家に顔を出して母が作る食事を食べる事がありますが、今でも変わらずに半粥御飯を出してくれます。実家でも、最近は、マイコン制御の炊飯器を使っていますが、それでも半粥御飯なので、これは確信をもって半粥にしているわけなんです。そのため、実家で母の手料理を食べるのが、実は苦痛だったりする私です。

 最近気づいたのですが、どうも母は御飯だけでなく、料理全般が苦手のようなんですよ。なので、母の作る食事って、あまり美味しくないんです。

 でも、子どもの頃は、母の作る食事が絶対で、それしか食べませんでしたから、心のうちに不平不満を抱えていても、それを食べるしかないのですが、オトナになって、標準的な家庭料理というモノを知ってしまうと、なかなか母の手料理を食べるのは、勇気が必要となりました。

 特に私は普段、妻の手料理を食べていますが、妻はなかなか料理上手なので、妻の料理に慣れてしまった今、母の手料理を食べるのは、本当につらいんです。

 なので、実家に遊びに行って、母に「何が食べたい?」とか尋ねられたら「寿司がいいなあ」と答える事にしています。だって、寿司なら母の手料理を食べずに済むでしょ? たまに、何も聞かれずに、うっかり母の手料理を食さねばならない時もありますが、そんな時は、かなりつらい思いをしています。

 そんな私は、親不孝な息子かもしれませんが、やっぱり美味しくないものは、美味しくないんです。

 よく「男はオフクロの味に弱い」と言いますが、私は母の料理が苦手なので、いわゆる“オフクロの味”って奴は、苦手です。私は妻が作る、今どきの家庭料理の方が好きです。

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2014年3月22日 (土)

見ると見られる

 私、最近、見られているなあ…と感じる事が多いです。

 誰に見られているのかと言うと、キキョウにです。

 人間と金魚の関係は、一方的に『人間が金魚を見る(眺める)』という関係だと思っていますし、実際、今まではそんな感じだったのですが、どうもキキョウは違うようなのです。あの子は、ひがなずっと、人間を見ているようなのです。まるで私たちが金魚を見ているような感じで、人間を観察しているようなのです。

 ほんと、視線を感じるんですよ。

 まあ、キキョウは金魚ではなく、鉄魚ですから、習性も金魚とは色々と違うのかもしれないし、第一、本来は鑑賞魚ではないので、ペットとしては似つかわしくない振る舞いをする事もあるキキョウですが、人間を観察するのを、楽しみにしていると言うのも、なんか、こちらとしては感じるものがあります。

 四六時中、見られているのって、ちょっと緊張しちゃいますね。金魚たちって、こんなふうに感じているのかしら?

 とにかく、やたらと人間を観察しているキキョウでした。

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2014年3月21日 (金)

フルートの音色にこだわるべきか?

 レッスンには…行けませんでした。

 レッスンのお休みの連絡を入れた時に、連絡を受けた事務の方々に笑われてしまいました。いや、電話を取った人だけでなく、周囲のザワザワする音まで聞こえてしまいました。何があったんでしょうね。まあ、私の事では無い事を祈りますが…。

 確かに私はフルートのレッスンを休み続けていますが、それでお教室の事務の方々に迷惑をかけているはずはないと思うのですが?

 まあ、物事をネガティブに受け取って、卑屈になるのは簡単な事だけれど、そんな事をやったところで、誰が得するわけでもないし、自分がつらくなるだけだから、そんな方向に心を持っていくつもりはないけれど、でも「お休みします」「プッ!」と言うやり取りは、かなり凹みますね。

 決してレッスンをサボっているわけではなく、単純に死ぬほど仕事が忙しくて、そのためレッスンの時間に仕事が終わらないので、お休みを続けているわけですが、全く正当な理由でレッスンを休んでいるにも関わらず、それでもレッスンを休む事に一種の罪悪感を感じている私です。ですから、ちょっとした事でも心に突き刺さるんですよ。

 先生には良くしてもらっていますが、お教室的には「辞めろよ」というサインなのかな?って思わないでもないです。

 さて、レッスンに行けていないので、今回もフルートエッセイでお茶を濁します(笑)。

 フルーティストというものは、美しい音色にこだわるのは当たり前です。フルーティストである以上、常に音作りにはげむものだし、そのためには、美しい音色のフルートを愛笛にすべきでしょう。

 当然の事を書き散らしたように見えますが、では“美しい音色のフルート”って、何でしょうか?

 フルートという楽器には個性があります。実際のところ、フルートは楽器によって、モデルによって、メーカーによって、その音の傾向は異なる事は事実です。だから、フルーティストたる者、そこにこだわりを見せるのは当然で、だから楽器を選ぶときには、試奏は必要なんだ、…それはそうでしょうね。

 しかしここで一つの問題が生じるわけです。

 それは、フルートには確かに楽器固有の音色があるのにはあるけれど、それ以上に奏者固有の音色というものがある事も事実なんです。特に、上級者になるればなるほど、どんなフルートを吹いても、その人の音にしか聞こえなくなってしまうものであるわけです。

 どんなフルートを吹いていても、その奏者の音でしか聞こえないのなら、観客的には、その奏者がどこのメーカーの何というモデルのフルートを持っていようと、全然関係ないわけで、フルーティストがフルートの音色にこだわりを持っていたとしても、それはほぼフルーティストの自己満足の範疇の問題になってしまうわけです。

 もちろん、音色は観客的には同じでも、奏者的には違うわけだし、たとえ聞こえる音色に違いはなくても、笛ごとに操作性などの違いはあるのだから、奏者がフルートにこだわるのは、まったく正しい事だと思います。

 つまり、フルーティストがフルートにこだわるなら、音色ではなく、それ以外の点に注意しながら選ぶべきなのかもしれません。

 どこで知ったかは忘れてしまいましたが、ゴールウェイがクーパーからムラマツに乗り換えたのも、音色うんぬんではなく、メカの堅牢性や安定性を求めての事だし、ムラマツからナガハラに乗り換えたのだって、メカの良さが原因なんだそうです。つまり、ゴールウェイはフルートの音色ではなく、フルートのメカの良さでフルートの乗り換えを決意しているらしいのです。まあ、事実、ゴールウェイクラスになると、どんなフルートを吹いても、同じ音になってしまいますから、音色にこだわる事は、愚かな事なのかもしれません。

 それがよく分かるのが、あの有名なYouTube画像です。念のために貼っておきますね。

 この画像を見るたびに、フルートを選ぶ際に、吹きやすさとか操作性の良さでフルートを選ふべきであり、音色へのこだわりが無意味に感じられるようになります。

 もっとも、この話は、フルート上級者たちの話であって、フルート初級者とかフルート初学者のレベルなら、まだまだフルートに吹かされている段階なわけで、それならばフルートの固有の音にこだわるのも、ある意味、仕方がないのかもしれません。

 そうやって、フルート固有の音にこだわっていたレベルから、腕が上がるに従って、フルート固有の音へのこだわりが薄れ、フルートの別の要素にこだわりが移り変わっていく…という事なんだろうなあって思います。

 私はまだまだフルート固有の音にこだわりますよ。某社のフルートよりもアルタスのフルートの方が絶対に良い音色のフルートだと思っています。でも、そう思っているうちは、まだまだ私の尻が青いって事なんでしょうね。

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2014年3月20日 (木)

歌における音程の取り方について、私なりのアドヴァイスを… その3

 話はさらに続きます。

 単音の音程がポツリボツリと合うようになってくると、色々と欲がでできます。その欲とは、音域と音量って奴でしょうね。

 高い音や低い音が格好良く歌えたら、そりゃあいいですよね~。

 でも、まだ単音の音程がポツリポツリと合い始めてきた段階では、欲張っちゃだめです。自分にとって、高い音や低い音は、この段階では捨てた方が良いです。歌える音域が狭くても仕方ありません。音域は少しずつ広げていくものです。それをいきなり高い音/低い音にチャレンジしてしまうと、せっかく歌えるようになった音の音程までダメになってしまいます。歌って、そういうモノなんですね。その事については、私もごく最近まで気づきませんでしたが、そういうモノなんですよ、全くね。なので、高い音や低い音にチャレンジするのは、ずっとずっと後でいいのです。今は、自分に楽に歌える音域の歌をしっかり歌えるようにするだけです。まずは、そのための努力をしましょう。

 一つ一つの音が何となく正しく歌えるようになったら、次は、音階練習です。音階ってのは、ドレミファソラシドの事です。

 なぜ音階練習をするのか? それはメロディーってモノは、音階で出来ているので、単音の音程が正しくても、音階で音程が正しく取れなければ、歌として、音程正しく歌うことはできないからです。

 なので、単音ずつ音程正しく歌えるようになったら、次はキーボードに合わせて、ドレミファソラシドをきちんと歌えるようにしましょう。この段階で、全音と半音の時の違いが分かるようになると、上々でしょうね。

 ドレミファソラシドの音階が間違いなく歌えるようになったら、次は跳躍音程を歌えるようにしましょう。つまり、ドレミファソラシドではなく、ドミソドで歌えるようにするんです。ドミソドができるようになったら、次はドファラドにチャレンジしましょう。一つの調性だけでなく、移調しながら、色々な調性で、ドミソドやドファラドが歌えるようになりましょう。ここまで学べば、2~5度の基本的な音の跳躍はOKなはずです。

 ここまで出来るようになって、始めて、簡単な曲なら、なんとか歌えるようになったと言えるでしょう。つまり、音程が苦手な人が、音程正しく歌えるための努力として、最低限、これだけの地味な基礎練習が必要って事です。ああ、厳しいね。

 基礎練習をある程度終えたら、次は自分の歌いたい歌の楽譜を入手しましょう。もちろん、音域的に無理のない選曲にしてくださいね。そして、下手でも良いから、それをキーボードで弾いてみてください。もちろん、メロディーだけで結構です。そして、自分が弾くキーボードに合わせて、実際に声を出して歌ってみるのです。この作業を“音取り”と言います。

 この音取りという作業ですが、歌が苦手な人って、案外、音取りをしないまま歌う事が多いと思います。特にカラオケをメインステージにしている人って、音取りという作業がある事を知らないままの方も大勢いらっしゃるのでは? で、いつもいつも、歌の音取りをしないまま、なんとなくの感覚で歌ってしまうので、結果として、音程が怪しいんですよ。

 ですから、まず、音程正しく歌うためには、きちんと音取りをしなければいけません。音取りをして、始めて、きちんと歌えるようになるものだと思ってください。

 実は、プロの声楽家だって、新曲は音取りをするんですよ。いくら楽譜が読めて、絶対音感を持っていても、音取りはするのだそうです。プロですら行う音取りなんです。況んやアマチュアをや…ですよ。

 それに耳コピって、案外、いいかげんに覚えていたりします。第一、きちんと耳コピできる人なら、最初から音程に苦労せずに歌えるはずです。

 つまり、しっかり音取りをしてから歌えば、そんなにひどいことにはならないって事でもあります。なので、音取りをしっかりしましょう。

 私が言える事は、とりあえず、これくらいかな? 今回、エラそうな事をついつい書いてしまいましたが、私自身、昔から、そして今でも、音程の甘さに苦しんでいます。だからこそ、悩み、解決策を模索し、努力を積み重ねてきたつもりです。なので、ここに書いたある事は、そんなに大きく間違っていないと思います。

 とは言え、これもまた、万人向けの解決策であると胸を張って言えるレベルではない事も白状します。あくまでも、こんなやり方もあります…って程度で、アタマの片隅に入れておいてください。

 そして、音程の甘さに悩む人の悩みが、少しでも軽くなる事を祈っています。

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2014年3月19日 (水)

歌における音程の取り方について、私なりのアドヴァイスを… その2

 話は昨日の続きとなります。

 まずはチューナーに向かって発声してみてください。それからチューナーを見てください。この順番は大切で、チューナーを見ながら発声するのではなく、発声してからチューナーを見るようにしてください。

 発声してチューナーを見て、自分の声が目的とする音程に近いのか、うんと遠いのかを確認してみてください。そして、そこから目的とする音に近づくために、自分の中を色々と変えて、再び発声してみてください。そしてまたチューナーを見てください。この繰り返しが大切です。何度かやっているうちに、コツがつかめてくると思います。やがて、どんな声を出せば、音程が高くなり、どんな声を出せば、音程が低くなるかが分かるようになります。そうなれば、こっちのモノです。最初の一歩は成功です。

 でも、チューナーに頼りッきりじゃダメです。チューナーって、結構、非音楽的な機械だし、実際の歌はチューナーを握りながら歌うわけにはいかないので、どうしてもチューナーを使わなくても、正しい音を発声できるようにしないといけません。そのためには、声ばかりでなく、耳を鍛えていかないといけないのです。

 なので、チューナーで確認しながら、なんとなく目的の音の近くの音程で声が出せるようになったら、チューナーを横において、次はキーボードと仲良くなりましょう。そして、キーボードの音と一緒に発声してみて、キーボードの音に合わせて、正しい音程で発声できるようになれるのが、次の段階かな?

 キーボードはチューナーと違って、分かりやすい形で音程の間違いを指摘してくれませんので、間違いに気づくためには、ちょっとした心遣いが必要です。

 まず、キーボードと一緒に発声した時に、耳をすませて見てください。何となく、声がうねるような感じなら、音程がズレています。その証拠に、そんな時は、すぐにチューナーで確認すると、外れている事が分かります。音程が合っている時は、なんかしっくりするので分かります。まずはしっくりする感覚を覚えましょう。

 最初は、無理なく、発音しやすい音域で練習をし、正しく歌える音を一つ一つ増やしていきましょう。

 慣れない人がよくやる失敗として、音程を高くしようとして、ついつい大声になったり、音程を低くしようとして、声を太くするってのがありますが、これらはすべて間違いであり、無駄な努力となります。ちょっと考えれば、音程と音量、音程と音色、それぞれの間には、何の関係もないのです。だから、高い声を出そうとして、ついつい大声になったり、低い声を出そうとして、ついつい太い声にしても、何の解決にもなりません。そんな事をするくらいだったら、キーボードを弾く手を休めて、チューナーを見ながら音程を確認して、発声してみましょう。

 あと、これは邪道な方法だけれど、音程が狙った音よりも低い時は、軟口蓋のあたりを上に持ち上げる感じで声を出してみると、音程が高くなるし、声が狙っていた音よりも高い時は、舌の付け根のあたりを下に引っ張る感じにして声を出してみると、音程が低くなります…が、これらは方法として、付け刃的な一時しのぎでしかないので、常用するのは危険ですが、どうしても困ったときには、こんな方法もあるので、試してみてください。

 それと音程って奴は、小さな声で歌った方が、合いやすいようです。なかなか音程が合わないなあ~と思ったら、小さめの声で軽く鼻唄のような感じで、ハハハ~ンと歌った方が良いです。特に、カラオケで歌おうと思っている人は、どうせマイクを使うのですから、自分の声に音量がなくても、何の問題もありません。

 カラオケを征しようと考えるなら、大声はいりません。小さな声でも良いので、耳をすませて正しい音程で歌えるようにしましょう。

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2014年3月18日 (火)

歌における音程の取り方について、私なりのアドヴァイスを… その1

 楽器には運指とかポジションとかがあって、その形に指を持っていけば、とりあえず、それっぽい音程の音が出るけれど、歌って奴には、運指も無ければポジションも無いわけで、そんな中、どうやって音程正しく歌うのかって事に大いに悩む人は、どんな時代にもある一定数いるわけです。

 世の中には、音程をハズすなんて夢にも思わない人もいる一方、どうすれば音程をバシっと歌えるようになれるのか、日々悩んでいる人もいるのです。数的には、音程正しく歌える人よりも、音程に苦労する人の方が、圧倒的多数ですが、これらの人たちは、サイレント・マジョリティーだし、イヤな事から目を背け、逃げ出す自由も人間にはあるので、そういう人たちは、自分が音程正しく歌えない事を、無い事として日々の生活をすごしているわけです。

 普段はそれで良くても、何かの拍子で、本当の自分と向き合わないといけない時はやってきます。仲間うちでのカラオケパーティーとか、結婚式に呼ばれちゃったとか、忘年会とか送別会とか女子会とか…人って奴は集まると、ついつい騒いで、酒飲んで、歌を歌いたくなるようなんですね。

 そのたびに「もう少し、歌がうまく歌えれば…」と悩むわけです。今回の記事は、そんな人のために、私なりに、ガッツリと有効と思われるアドヴァイスをしちゃおうかな~という趣旨で書いてみました。

 いきなりですが、結論を書いちゃうと、音程正しく歌うために必要なのは“音程が正しい声を出すために必要な、自分の中での正しい感覚を持つ事”なんです。簡単に言えば“音程正しく歌える自信”って奴です。もちろん、その自信は根拠のない自信ではなく、現実に則した根拠のある自信でなければなりません。つまり、音程正しく歌うためには、すでに音程正しく歌える事が必要ってわけで、音程正しく歌える自分がいるから、常に音程正しく歌えるのです。

 あー、つい本当の事を書いちゃったよ。

 つまり、楽器における運指とかポジションって奴に相当するものは、歌では“自信”って奴なんです。

 『こういうふうに声を出せば、必ず低いドになる』という自信があって、始めて低いドの音を音程正しく歌えるわけです。

 ドゥー・ユー・アンダスタン?

 なので、音程正しく歌えるようになりたければ、常に音程正しく歌い、それをカラダに染み込ませて、自信にするしかないのです。そのために必要な事は、実に地味で基礎的練習だったりします。

 でも、世間の歌の先生たちは、その点を知ってか知らずか、言わないんですね。言わないものだから、いつまでたっても生徒は音程正しく歌えないわげす。

 私も以前、キング先生に「どうすれば、音程正しく歌えるようになれますか?」と相談した事があります。その時、先生は私の質問をはぐらかし、答えを誤魔化したのを覚えています。おそらく彼は、音程正しく歌うための方法を言いたくなかったのでしょう。あるいは、言う事を放棄したのか、知らなかったから言えなかったのかのいずれかだったのでしょう。もっとも、その時の私は、きちんと決められた謝礼を支払っていた生徒だったわけですから、彼には受け取っている謝礼分の指導はする必要があったと思いますが、彼にとってみれば、その質問に対して適切な回答をするには、私の支払う謝礼では少なすぎると思ったんでしょうね。

 結局、彼からは音程正しく歌うための方法は、何も学べませんでした。

 おそらく、多くの歌の先生に対して、同じ質問をしても、同じような反応しか返って来ないかもしれません。なぜなら、彼らには、音程を間違えて歌うという事が理解できないからです。つまり、彼らには才能があるので、才能の無い人間の事など想像もできないし、ましてや、その解決策すら思いつかないのが現実なんだと思います。

 しかし世の中には音程の合わなさに悩んでいる人は大勢いるわけです。私自身、今だに音程が甘々でしか歌えませんが、それゆえに音程で苦しんでいる人の気持ちは、声楽の先生方なんかよりも、ずっと分かるつもりでいます。そして、私なりに問題点の在り方も分かっています。

 まず、音程で苦労している人は、霧の中で道に迷っている人と同じようなものです。今、自分がどこでどう迷っているのがが分かりませんし、目的地からどれぐらい離れているかも分からないのです。まずは、今、自分がいる場所を確認し、目的地の方向と、そこまでの距離を知る事から始めないとダメです。

 そこで必要なのものは…根性…ではなく、チューナーです。クロマチック・チューナーを使えば、今、自分が出している声の音程と、目的としている音との位置関係や距離関係が分かります。

 まずはクロマチック・チューナーを入手しましょう。チューナーは、もちろん、楽器店に行けば買えますし、アマゾンなどの通販でも買えます。また、パソコンのアプリにもチューナーソフトはありますし、スマホやタブレットのアプリにもチューナーソフトはあるので、それでも十分です。

 ちなみに、最近の私は Cleartune というiPhone用のチューナーアプリを使ってます。これはなかなか便利なソフトですよ。このアプリについて詳しく知りたい方は、iPhone系のユーザーさんならこちら、アンドロイドならこちらに行ってみてください。

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2014年3月17日 (月)

楽屋名人なんだなあ…

 私はつくづく楽屋名人なんだな…って思います。

 楽屋名人ってのは、楽屋じゃ名人だけれど、本番の舞台ではカラッキシという人を指す言葉で、普段は上手なのに、人前に出るとボロボロになる人の事を言います。ま、私の場合“普段は上手”というレベルではありませんが、自分の中では、本番よりもレッスンの方が、レッスンよりも自宅練習の方が、出来が良いという感触を常に持っていますので、間違いなく『楽屋名人』の範疇に属する人間であると言えるでしょう。。

 例えば、歌の高音発声を例に考えてみます。

 自宅練習だと、実はHi-Esまでは出せるんです。もちろん、この高さだとファルセットての発声になります。それにしたって、実は私、ファルセットが苦手で、ついこの前までは、ファルセットなんて、ほとんど出せなかったわけです。それが今では練習を積み重ねて、ファルセットでこんな高い声を出せるようになったのです。あとは、このファルセットを上手に実声とつなげ発声できるようになれば、御の字なんだけれど、レッスンにいくと『ファルセットと実声をつなげる』? とてもそれどころではなく、そもそも、そんな高音、出せなくなります。いやいやいや、どうかすると、ファルセットすら出せなくなります。ダメじゃん。

 というわけで、レッスンではファルセットは諦めて、実声ばかりで歌っているわけだけれど、その実声の方の高音は、今のところ、高いBまでだそうです。が、これはレッスンでの発声練習の時の上限であって、曲になると、これがせいぜいがAsまでに下がります。Aになると、もう危ないです。

 いやあ~、本音で言えば、Aは楽々と発声できるようになりたいですよ。だって、Aは一応、ミュージカルなどでの男声の上限音だから、Aまで発声できれば、ミュージカルナンバーでは音域の不足はないわけだし、オペラアリアでもAまで発声できれば、かなりの曲が歌えるわけで、テノール的にはAは実用音域にぜひ入れたい音なんです。

 それに、Aなどの高音発声に限らず、発表会の準備などで、課題曲をしっかり歌いこんで「もう大丈夫」と思っていても、いざ本番になって、舞台で歌い始めると、、思わぬところで失敗をします。まったくダメじゃん。

 フルートも同様で、自宅で完璧でも、レッスンではボロボロってのは、日常茶飯事です。

 やっぱりメンタルが弱いのかな? でもこのボロボロさは“あがる”というのとは、ちょっと違う気がします。

 というのも、私の場合、心はどんな場面でも、案外、落ち着いているんです。ダメなのはカラダなんですね。

 心は平気なのに、カラダが勝手に平常な状態を失って、バランスをくずして、出来ていたはずの事が出来なくなってしまうのです。

 …結局は練習不足なんだろうなあ。普段から“カラダで覚える”とか“ノドで覚える”で覚えるとか“指で覚える”とかいうレベルまで練習を積み重ねていないから、状況が変わるだけで×になるのだろうと思います。

 あるいは“集中力の不足”とか“ケアレスミスの積算の結果”とも言えるでしょう。

 集中力の方はさておき、ケアレスミスを誘発するのは、日頃から細部まで神経の行き届いた細かな練習ができていないからで、結局は練習不足だったり、練習のやり方のまずさが原因であって、それらが積もり積もって、楽屋名人という状態を生み出しているのだろうと思います。

 ああ、練習をガッツリとやりたいなあ…。音楽に対する熱意は、売るほどあるけれど、あまりに時間が足りません。ああ、残念だ、ああ、悲しいよ。

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2014年3月16日 (日)

電気料金って、高くない?[2014年3月第3週・通算8週]

体重: 110.4kg[+1.2kg:-1.0kg]
体脂肪率:30.6%[-0.4%:-0.6%]
BMI:34.7[+0.2:-0.2]
体脂肪質量:33.7kg[-0.2kg:-0.9kg]
腹囲:107.0cm[+-0.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 もうすぐ春だと言うのに、まだ正月太りが解消できません。ってか、正月に太って以来、デブが定着しちゃってます。ダメだなあ…。この体重でキング門下にいたら、絶対にキング先生に「100Kg以下にならなかったら、発表会に出さない!」って言われるだろうし、そう言われたら、そりゃあ困るから、必死にダイエットに励んで、一ヶ月4Kgペースで体重落としちゃうだろうけれど、Y先生は絶対にそんな事言わないから、私もついつい甘くなって、ダイエットをしているつもりが、せいぜい体重維持しかできないわけです。

 ダイエットだけを考えたら、キング門下にいたままの方がよかった私です。

 さて、今週のエッセイですが…ほんと、電気料金って高くないですか? そう思いませんか? なにしろ、例の東日本大震災以来、電気代がことあるごとに値上がりしているでしょ?

 家計も大変ですが、会社はもっと大変じゃないですか? ウチも電気代があがってしまって大変ですよ。でも、仕事でかかる部分は仕方がないので、その他の部門で節電につぐ節電をして、全体の電力使用量を減らして、なんとか電気代を節約しようと、そりゃあ努力をしましたよ。

 蛍光灯が4本入っているところは2本にして、その電灯も一つおきにしかつかないようにスイッチングを切り換えたり、冷暖房も設定温度をシビアにしてみたり、まあ無い知恵をしぼって、ああでもない、こうでもないと頑張って、昨年の同月よりも確実に電気使用料を減らして「おお、頑張ったな~」と思っても、電気代そのものが値上がりするので、電気を使用料を減らしても、支払う電気代は増えてしまったりしています。

 きっと、どこの会社でも、必要経費のうちに占める電気代の割合がドンドン増えているんじゃないかな? いくらアベノミクスで多少なりとも景気が良くなったと言っても、その分の利益が電気代に吸い取られているんじゃないの?…などと、言いがかりにも近い感情になります。

 でもね、電気代があんまり値上がりすると、モノを作っているところは、原価が上がってしまって利幅を減らさざるを得なくなるし、利幅を減らすにしたって限界はあるわけだから、値上げをしなければいけなくなるだろうし、値上げなんかしたら、このグローバル社会の中、あっと言う間に安い外国製品にとって代わられてしまうよ。

 電気代が上がることが、日本のモノづくりをダメにし、日本の産業界をダメにし、日本の経済界をダメにし、ひいては日本の国力をダメにしていると思います。

 電気代が上がっていくことが、回り廻って、我々の生活を貧しくさせ、子どもたちの未来を暗くし、夢や希望を奪っていくのです。

 これってもしかして、見えない戦争をしかけられていて、知らぬ間に負けているんじゃないの?

 なんとか、電気代を安くしてもらいたいよなあ…。今や、電気無しの生活なんて考えられないでしょ? 電気は、今や我々現代日本人の生活には、空気や水同様に、無くてはならないものでしょ? その無くてはならないものが、高くなったら、ほんと、生きていけません。

 電気ってインフラの一つだと思うし、だからこそ安価に抑えておかないといけない、って思います。、

 だからと言って、電気代を空気のようにタダにしろ…とは言わないけれど、せめて水道代ぐらいになって欲しいなあって思いますよ。でないと、我々の生活が豊かにはならないし、我々の経済だって上向きにならないよ。

 それに電気代が高いと、我々だって自衛のために、節電節電となって、電力会社だって、結局は経営不振になるんじゃないの? 電気代を安くして、バンバン使ってもらった方が良いのではないかしら?

 そうなると、問題は、バンバン使ってもらえるほどに、電気を大量に生産する必要があるわけだけれど、そのための発電所が足りない…とかいう問題になるんだろうね。

 諸般の事情で原発が動かせないのは理解するけれど、だからと言って、金食い虫の火力発電に頼っていたら、じり貧になるのは見えているし、水力発電にスイッチするためにダムをたくさん作らないといけないけれど、それは無理というものだし、だからと言って、今流行りの代替エネルギーなんて奴に舵を切ったら、経費がかかりすぎて、一気に国力ダウンすること間違い無しだしね。

 なんかいい方法はないかしらね?

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2014年3月15日 (土)

雑に飼っても、金魚は育つ

 私は金魚を飼っています。今の子たちは、結構丁寧に飼っているつもりですし、愛情も結構そそいでいるつもりです。ですが、きちんと金魚を飼いきれているか尋ねられると、ちょっと不安になります。だって、ウチでは金魚の命って、そんなに長くないものね。

 短い子で数ヶ月ですが、これはウチの水槽の水が合わなかったとか、元々弱い体質であったとか、病気を持っていたとか、などの原因が考えられますが、長い子でもせいぜい3~4年程度の命だと思います。おそらく、今いるサクラなどは、かなりの長老さんになるんじゃないかって思います。もしかすると、この子は我が家の歴代長寿1位になってしまうかもしれません(ブログを付け始めてからの子は、ブログを丹念に調べていくと、寿命が分かるのですが、今はブログをチェックする元気がありません:笑)。

 なので、私は金魚を飼うのが、あまり上手な飼い主ではないのかもしれません。

 私、実は金魚って、今回始めて飼っているわけではありません。子どもの頃から何度も飼ってました。

 その中でも思い出深いのが、小学校の高学年の頃に飼っていた子たちです。

 例によって、金魚すくいの金魚だったのですが、その頃の金魚すくいって、今と違って、割と金魚の種類にもバリエーションがありました。ある年の夏、五匹の金魚が私にすくわれて、我が家にやってきました。いわゆる素赤和金が2匹、黒デメキンが1匹、鉄魚が1匹、らんちゅうが1匹という、なかなかにアンバランスの組み合わせの5匹でした。

 飼育環境は、父が数年前に放棄した熱帯魚水槽をもらって、水槽も濾過装置も砂利ももらったものを、そのまま使って金魚たちを飼い始めました。

 水槽が置いてある場所が玄関で固定されており、大きさも60cmという大きな水槽だったし、当時の私はまだまだ子どもでしたので、今の子たちのような丁寧な飼い方でできず、結構、雑な飼い方をしていました。

 エサはとりあえず、毎日与えていました。1日一回です。たまに忘れることもありましたが、当時の子たちは人にエサをねだる事はなかったので、こちらも気にすることはありませんでした。それにだいたい、与えるエサも子どもの小遣いで買うのですから、当時一番安いエサ(一箱100円程度の本当に安いエサです)でした。それをケチって、ちょびちょびとしかあげませんでした。

 水替えは…しませんでした。いや、一度は試みたかな? でも、小学生に60cm水槽の水替えは無理でした。なので、水替えはやった方が良いとは知りつつも、水槽の水が減ってしまった時に、水道水をドバドバと入れてやる…くらいしかできませんでした。また、濾過装置のフィルターも換えませんでした…というか、フィルターって、換えるモノだという知識がなかったんですね。

 水草も入れてやらず、貝類もいなければドジョウもいなくて、60cm水槽に砂利を敷いて、ただ、水が入っているだけの空間に金魚がポツンと5匹泳いでいたわけです。ただ、それだけ。実に殺風景。

 そんな環境ですから、やがて水槽のガラス面に緑色の藻が生えます。藻が生えると、中が見えなくなって、なんとなく汚らしく感じるので、たまにガラスの掃除をしてやりましたが、やがて私も中学生になると、日々の生活が忙しくなり、それすら面倒に思うようになって、やがてガラス掃除をさぼるようになり、ごくたまにしか掃除をしてやらなくなりました。水槽の水もやがて濃い緑色になってしまい、中に何がいるのかよくわからなくなりました。それでもエサだけはやりました。だって、食べる子がいるんですからね。

 たまに金魚がガラス面近くを泳ぐと、そのカラダが見えましたが、どの子も30cm近い巨体になってました。巨大金魚が5匹、緑色の水の中で悠々と泳いでいたのです。

 そんな劣悪な環境にも関わらず、金魚たちは1匹も星になる事もなく、実に10年以上の年月を我が家の水槽で暮らしたのです。

 小学生の時に飼い始めた金魚たちですが、私が結婚をして家を出るまで、私のズボラな管理下にいましたが、さすがに結婚して家を出るとなった時、金魚たちを連れて行くという発想もなかったので、その世話を弟たちに頼みました。

 たぶん、三ヶ月ぐらいして、実家に戻ったら、玄関の水槽がモヌケのカラでした。どうやら、私が家を出てしばらくして、金魚たちが全滅したようですが…どうも弟たちが何か余計な事をしたのが、その原因らしいので、詳しく聞きませんでした。

 おそらく、水槽が見苦しかったので、キレイに掃除をして、水も替えてやったんじゃないかな…って思います。そして金魚全滅。まさに『水清ければ魚棲まず』です。

 金魚って、環境の激変に弱いからなあ…。それに、人間にとってのキレイと、魚にとってのキレイは、おそらく違うんだと思います。

 今思うと、金魚って、案外、雑に飼っても…というか、雑に飼った方が、彼らにとっては幸せなんじゃないかな。ガラス面に藻が生えて、水も緑色になるくらいの方が、きっと金魚にとっては好都合なんだろうと思いますが、それでは飼育者&鑑賞者である人間の目からは汚らしく見えるんですよね。人間にとってもキレイで、金魚たちも住みやすい環境作り…今でもそのバランスに悩んでいる私です。

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2014年3月14日 (金)

レッスンも色々

 フルートのレッスンに…行けませんでした。ここのところ、レッスンをお休みする事が多いので、今回はなるべく行こうと努力しましたが、仕事が片づけられず(それどころか危うく職場で日付が変わってしまうところでした:汗)、今回もレッスンをお休みしてしまいました。ああ、ほんと、仕事、忙しい。

 ここで、このブログをご覧になっている方に、素朴な疑問が生まれるでしょうね。

 なぜ声楽のレッスンには毎回きちんと行けているのに、どうしてフルートのレッスンばかり休んでいるの? もしかしたら、すとんさんって、フルートがキライなの?

 いやいや、事はそんなに単純じゃないんですよ。

 実は声楽のレッスンは、先生のご自宅で、その都度、レッスンの日程を決めて行っている不定期レッスンなんです。なにしろ、Y先生は歌うのが本業で、レッスンの方は、歌の仕事の合間にやっているので、定期的にレッスンを行う事が出来ないのです。ですから、声楽のレッスンは、私と先生の都合の良い時を選んでやっているわけです。ですから、平日の夜にやったり、休日の昼間にやったりと、実に様々な時間帯で行っています。それに、どちらかの都合が悪くなったら、すぐに連絡を取り合って、レッスンの日を変えます。レッスンの謝礼も一回ごとに支払うシステムになっているので、もしも都合が悪くなったり、日程の調整がうまく行かなくて、しばらくレッスンに行けなくても、それは“お休み”って事にならないわけです。

 一方、フルートのレッスンは、カルチャースクールでやっているので、時間の制約があります。一応、先生がお教室にいる間に来れば良いことになってますし、生徒さんも一応複数いる(と言っても、たったの三人らしいです)ので、かち合わないように調整しています。私は姉様の直後の時間帯をレギュラーとしていますが、私の後は誰も入っていないので、先生は、カルチャースクールが閉まるまでは、私の到着を待ってくれるので、私は多少遅刻しても頑張ってレッスンに通うわけだし、レッスンの主体がカルチャースクールなので、レッスンの振り替えとかは一切なく、休んだら、それまでという事になってます。

 そう書くと、なんかフルートのレッスンって、割高っぽい感じがしますが、実は全然違います。先生のレッスン代は、実はカルチャースクールで受けるのと、ご自宅レッスンでは謝礼の額が全然違うんです。私の一ヶ月分の謝礼が、だいたい自宅レッスンでの一回分なんだそうです。その代わり、レッスン時間が全然違います。自宅レッスンでは、毎回1時間はきっちりやるそうです。私の場合は、カルチャースクールですから、やるべき事をやったら、即終了となってます。だから、きちんと練習をしてきて、ばっちりレッスンを受けられると30分ほどのレッスン時間となりますが、ロクに練習もしていないと、10分程度で終わっちゃう事もありますが、10分程度でも、お値段相応なので、私は文句を言うつもりはありません。

 まあ、本音を言えば、お休みした時のレッスン代くらいは…と思わないわけではありませんが、これだって、私の都合で休んでいるのですし、私のレッスンがあろうがなかろうが、先生はレッスンをするために、わざわざカルチャースクールまで出向かれているのですから、文句の言えた義理ではないなあと諦めてます。

 それとH先生のレッスンは、カルチャースクール的には年36回って計算の授業料になってますが、実際は毎週、ほぼ休みなくやっているので、少々お休みしても、振り替えレッスンをする必要はない…って事になっているわけですが、それにしても私はレッスン、休み過ぎですよね。

 今までの先生の事を書くと…キング先生は、カルチャースクールでしたから、H先生とだいたい同じ感じでしたが、カルチャースクールでレッスンを受けても、ご自宅でレッスンを受けても、謝礼は同じ額でした。ただし、出張レッスンを受けると、普段の謝礼に交通費をプラスする事になってました。キング先生の授業料は、かなり庶民的な金額でしたし、たいていレッスンをカルチャー・センターで決められた時間よりも長めにやってくれる、コスト・パフォーマンスの良い先生でした。当時は、そのレッスンの姿勢に感謝していた私です。

 キング先生のレッスンは、休む事はほとんどなかったですね。それどころか、隔週のレッスンを毎週にしたりと、レッスンの回数をカルチャースクールで決められた数よりも多くしてました。まあ、あの頃は仕事も時間に融通きく状態だったので、そんな事も可能でした。今、キング先生のレッスンを受けていたら…フルートのレッスン同様に、ほとんどレッスンを受けられなくなっていたでしょうね、いや、キング先生のレッスンは割とギチギチに入っていましたから、フルート以上に通いきれなかったと思います。

 そういう意味では、良いタイミングで先生を変えられたなあと思います。

 ちなみに、声楽の先生を変えて、私の経済的な負担はどう変わったか…と言うと、実は増えました。レッスンの回数や時間は減りましたが、金額の方は、ほぼ倍額になりました。ま、そういう意味では、Y先生はそんなにコストパフォーマンスが良くない先生ですが、習い事にコストパフォーマンスを考えても仕方ないのですし、先生によって謝礼の額が違うのも当たり前なので、金額的な事は気にしない事にしていますし、Y先生からは、謝礼の額以上の事を教えてもらっていると思っています。

 フルートの笛先生は、先生が毎回イベントスペースを借りてくださって、そこに生徒さんたちが通ってレッスンを受けるという形式でした。なので、先生のレッスン代の中には、そのイベントスペースのレンタル代も含まれていましたので、時折、先生がご好意でレッスンを延長してくださる時がありましたが、その際は、レッスン代はサービスで無料にしていただきましたが、イベントスペースのレンタル代だけはお支払いさせていただきました。

 笛先生とH先生のレッスン代は、金額的には大きく変わりませんが、時間的には笛先生の方がたっぷりゆったりとレッスンしていただけたなあって思います。そういう意味では、笛先生もコストパフォーマンスが良い先生だったわけです。

 ヴァイオリンのヒイロ先生は…毎回毎回、レッスンの時間と場所が違ってました。ヒイロ先生も演奏がメインの先生でしたし、当時ヴァイオリンの生徒は私一人しかいなかったので、レッスンは毎回、二人で相談して決めていましたし、レッスンも一回1時間という約束で始めたものの、実際は平気で2~3時間やるので、ヴァイオリンのレッスンのある日は、それだけで半日つぶれてしまいました。先生が熱心すぎるのも、生徒にはつらい事だったりします。でも、レッスンそのものは、実に楽しかったし、色々と学べたなあって思います。

 音楽のレッスンとは言え、相手が大人ですから、子どものピアノ教室のように、時間と場所が決まっていて、毎週定期的にレッスンをしているとは限らないのが、面白いですね。

 子どもは毎週レッスンをしないと忘れてしまうでしょうが、大人は毎週やると忙しくてたまらないし、毎週では宿題がやりきれないという事もありますね。H先生のレッスンは毎週なんですが、ほんと、宿題をやりきれない事が多くて、心苦しいままレッスンに行く事が多いです。大人の場合は、二週に一度ぐらいのレッスンの方が色々と良いような気がします。もちろん、そんな回数だと、発表会間近になると、かなり苦しくなりますけれどね。

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2014年3月13日 (木)

楽譜通りに歌うべきか、それとも“オ”や“ア゜で歌うべきか”

 さて、残りの一曲、ベッリーニ作曲「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を発表会で歌う曲とするかどうかのチェックとなりました。

 「この曲、自分でも歌った事ないし、レッスンでも取り上げた事ないんですよ…」とは先生のお言葉です。先生にとって、この曲はかなり目新しい曲のようです。なので、最初は先生、ピアノでこの曲を弾いて確かめていましたが、弾いているうちに段々思い出されたのか、すぐに了解されました。まあ、この曲は、ソプラノやテノールなどの高音歌手はよく歌いますが、低音歌手の皆さんはまず歌いませんからね、すぐに思い出せなくても仕方ないかも。

 この曲はイタリア語の曲なので、歌詞の読みはOKという事で、すぐに歌ってみました。

 いやあ、歌ってみて感じた事。すっご~~~~~く、楽。いやあ、レハールとは雲泥の差ですよ。何、この曲の楽な事。もっとも、楽に歌える事と、きちんと歌えることは違うわけだから、きちんと練習をして、きちんと歌えるようにしないと。

 この曲はテンポがゆっくりだから、リズムが誤魔化せません。ピシッピシッとリズムは決めていかないといけませんし、音程も少しでも甘いとすぐにバレます。そういう意味では、下手くそが丸見えになってしまう曲なんです。怖いですね。でも、私、この曲が好きなので、下手くそが丸見えになってもかまわないので、歌いたいと思いました。

 簡単だけれど、難しい曲。そこがこの曲の印象です。

 とりあえず、歌いすすめていたところ、曲の終盤近くにある二つのフェルマーターの部分で、先生の手がハタと止まりました。この曲をこのまま、楽譜通りに歌わせて良いものだろうか…という疑問が先生のアタマの中をよぎったわけです。

 そうそう、低音歌手の皆さんは、曲を、割と楽譜通りに歌うのですが、高音歌手たちは、ソプラノにせよ、テノールにせよ、楽譜通りに歌わない事が、ある意味当たり前になっているわけで、楽譜通りに歌わないからと言って、それはでたらめに歌っていいと言うわけではなく、伝統的に「この曲のこの部分はこうやって歌う」という慣習があるわけです。それを人はカデンツァって言うわけだけれど、この曲にもカデンツァがあるんじゃないかと、先生は思ったようです。

 で「ちょっと待っててね」と言って、レッスン室を飛び出していきました。

 しばらくして戻ってきました。どうやら、奥様であるF先生(ソプラノ)に、この曲のカデンツァについて尋ねてきたようです。答えは「ソプラノの場合、この部分の高いラの音の部分は、普通“イ”ではなく“オ”で処理をする」という答えを得てきました。つまり『ヴィーヴォ』を『ヴィヴォー』と歌うわけです。

 まあ、テノールの場合、多くの歌手は楽譜通り“イ”で処理するケースが多い(代表例:パヴァロッティ)のですが“オ”で処理する人もいないわけではないし、私は“イ”が苦手なのでF先生のやり方に乗る事にしました。

 ちなみに、私なりに調べてみたところ、ソプラノ歌手はたしかにF先生のおっしゃる通り“オ”で処理されている方(代表例:カバリエ)もいらっしゃいましたが、案外“ア”や“エ”で処理されている方(『ヴィヴァー』とか『ヴィヴェー』とか)もいらっしゃって、ビックリしました。いやいや、それどころか、ソプラノの場合、楽譜通り“イ”で処理されている方が少なくて、むしろ、こっちの方がビックリかな?

 まあ、歌だからね。歌手という楽器の特性を考えたり、歌心って奴を注入すると、必ずしも楽譜通りにはならないって事だろうね。

 例によって、この曲の事をご存じない方のために、YouTube画像を貼りつけておきます。歌っているのは、ファン・ディエゴ・フローレスで、彼は例の箇所を“オ”で処理しているテノールなんですね。こんな風に歌えたら、いいなあ…。

 とりあえず、これで発表会用の曲が決まりました。問題は、しっかり練習して、曲をカラダの中に入れる事ですね。とにかく、今は仕事が忙しい時期なので、無理はできませんが、カラダが空き次第、これらの曲に集中して練習しないとね。

 頑張っていきましょう。

 レッスンが終わって、雑談をしている時に、モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテの二重唱がボツになって残念だという話をしました。ま、実は私的には、コジでノリノリだったのですが、お相手のNさんが、最近はモーツァルトばかり歌っているので、モーツァルトは遠慮したいというわけで、ボツになったらしいのですよ。でも、私は、モーツァルトを歌いたいんですね。だって、モーツァルトなんて、名曲だらけなのに、ロクに歌った事ないだもん。

 なので先生に「今度、モーツァルトの歌曲とか、歌いたいですねえ~」と軽く切り出したら「モーツァルトは、もっと声の軽い人が歌うモノですよ、すとんさんでは歌える歌はほとんどないです」とバッサリでした。ちなみに「ドニゼッティは愛の妙薬以外は、テノールとソプラノが同じ音域で歌うので、普通にHi-Dとかが出せる人じゃないと歌えないですよ」との事でした。

 ああ~、モーツァルト、歌いてー!

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2014年3月12日 (水)

現代ドイツ語で歌う事にしましょう

 さて、声楽のレッスンの続きです。

 すでにレッスンは、発表会モードに突入しています。

 今回はまず、発表会の曲の最終決定をしないといけません。

 以前、ブログで発表した曲目は、最終決定ではなく、先生のご意見をいくつかもらって、それに自分の希望やNさんの希望を加味したものです。私的には、これでいきたいというリストセットだったわけです。それを今回、先生に伝えて、最終的に発表会の曲とするかどうかを決めます。

 Y先生は、基本的に生徒さんの希望を尊重してくださいますし、先生が与えた曲よりも自分で選んだ曲の方が良いと考えている方です。しかし、生徒が明らかに歌えない曲を持ってきた時や、歌えても声に合わない曲を持ってきた場合は、ストップをかけるわけで、曲目を最終決定する前に、ちゃんと歌えそうかどうかの確認をしないといけないわけです。ちなみに、すでに数名の方が、先生のチェックをパスできずに、曲目変更を余儀なくされたそうです。果たして、私は大丈夫でしょうか?

 というわけで、今回のレッスンは、曲の練習というよりも、私が提案した三曲を本当に発表会の曲目にして良いのかの確認レッスンってわけです。

 まずは、レハール作曲「ほほえみの国」より「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」です。この曲は、あまり高い音がありません。せいぜいがAsまでです。そういう意味では、音高的にはなんとかなりそうだけれど、問題は歌詞がドイツ語だっていう事です。

 実は私、今までドイツ語の歌は、第九の合唱ぐらいしか歌った事がないんですよね。今まで歌ってきた歌は、日本語・英語・イタリア語・ラテン語ぐらいなもんです。ドイツ語経験は実に乏しい私です。

 さすがに第九はドイツ語で歌いますが、あれって合唱だから、言葉を結構いいかげんに歌っていてもバレません(本当は丁寧に歌うんですよ:念のため)が、今回はソロですから、ある程度はドイツ語っぽく聞こえるように歌えるのかという心配があります。そこで、最初のチェックは、この曲の歌詞をどれだけ読めるのかの確認からです。現段階では、完璧でなくても、ある程度のドイツ語は読めないと、とても本番までに間に合わないから、ここはチェックしないといけないわけです。

 で、頑張って読みましたよ。発音し慣れない音列が続くので、すごい片言になってしまいましたが、ドイツ語の読み方のルールは覚えていたようです。なので、とりあえず、ドイツ語の壁は突破できたようです。

 そこで先生から「ドイツ語の発音は、現代ドイツ語で行きますか? それとも古語で行きますか?」と尋ねられましたので、ピンと来て「現代の発音で行きます」と答えました。

 なんでも先生がおっしゃるには、ドイツ語の場合、スペリングは古語も現代語もあまり変わらないけれど、時代によって、発音は大きく異なるのだそうです。子音をゴツゴツと発音するのが古語で、英語っぽく流しぎみの発音をするのが現代語なんですね。ちなみに、日本の第九歌唱で使われている発音は、大抵、古語の発音ですね。当地の第九は、指揮者の先生によって、古語で行くか、現代語で行くかと決めて、その指揮者ごとに発音を替えていくのですが、そんな経験をしているので、私的には、古語でも現代語でも歌った事があるので、その時の経験から、私的には古語よりも現代語の方が歌いやすいと感じているので、現代語でいきたいなあって思ったわけです。先生も「レハールだし、現代語の方がいいかもね」とおっしゃってくださいました。

 まあ、もっとも、古語とか現代語とか言う前に、そもそものドイツ語を正しい発音で歌えるかどうか、私の場合、そっちの方がより心配なんですけれどね。

 で、とりあえず、歌詞はOKをもらったので、次は軽く歌ってみました。

 確かにこの曲は、高い音はあまりないけれど、和音進行がなんですか? 結構ヘンテコリンですね。まるで、ミュージカルの曲みたい。不協和音もたくさんあるし、リズムも結構細かいし、案外歌いづらいです。その上、全曲通して歌ってみたら、なんか精も根も使い果たしたような気がしました。

 「ヘトヘトになりました」と言ったら「この曲は、高い音は無い代わりには、体力的にはすごく消耗する曲なんだよね」とサラっと言われました。いやあ、実にヘトヘトになりました。

 この曲、基本的には4/4拍子だけれど、中間部は6/8なんです。この6/8のリズムにうまく乗れなくて、ちょっと苦労しました。

 でもまあ、この曲は歌えそうだな…と言う事で、OKとなりました。

 この曲をご存じない方のためにYouTubeの画像を貼っておきますね。歌っているのは、ヨナス・カウフマンです。この人くらい歌えたら、死んでもいいやと思えますね。

 で、次は、ドニゼッティ作曲「愛の妙薬」より二重唱「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」です。この曲はキング先生時代に一回やっているので「とりあえず、歌ってみてください」という事で、歌ってみました。

 いやあ、忘れている部分もありますが、間違えて覚えている部分もたくさんある事が発覚しました。たぶん、最初から出来てなかったんでしょうが、当時のキング先生が目をつぶって、スルーしてくださったんでしょうね。あっちこっち、派手にリズムやら音程やらを間違えてます。それこそ『変な癖が付いている』状態です。

 なので、その『変な癖』を取っていきましょうって事になりました。

 この曲は、それでもすでに一回カラダに入ってますので、悪い癖を取って、忘れてしまったところを覚え直せば…という事にして、OKという事になりました。

 それにしても、以前歌った時は、すごく歌いづらかったところや、つらかったところが、今回は、そんな感じではなく、楽に感じます。それは私自身の歌のテクニックが上がった事と、日頃から「楽に歌いなさい、楽に歌いなさい」と言われている事が、少しずつ実を結んできたんだろうと思います。前回よりも楽しく歌えそうです。私的にはOKです。後はNさんの方のチェックをしてから、OKという事になりますが…Nさんは、私などよりも全然歌える人で、これくらい歌なら、たぶん問題ないでしょう…という事で、この曲でほぼ決定という事になりました。

 この曲もご存じない方のためにYouTube画像を貼っておきましょう。古い画像ですが、字幕が付いているので歌の内容が分かりやすいので、これにします。歌っているのは、マリア・カラスとジョゼッペ・ディ・ステファーノです。いわゆる歴史的音源って奴でしょうね。

 残りの一曲については、また明日書きます。

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2014年3月11日 (火)

鳴らすな、力を抜け

 声楽のレッスンに行きました。

 ひとまず、いつもどおり、発声練習からです。

 今回は、音程の取り方を注意されました。これはキング先生の時代からよく注意された事ですが、音程を上から取るように気をつけること。私は、音程を下から取る癖がありますが、これはダメだと言われました。

 音程というのは、最初からバッチリ取れればそれに越した事はないのでしょうが、そうでないなら、低めから入ってズリ上げるよりも、高めから入って落ち着かせる方が良い…と解釈しました。まあ、方法論的には、口の奥をしっかり開けておく(そうすると音程が高めになります)事が大切だという事なんだろうと思います。

 あと、ノドに力が入っていると音程はどうしても低くなりがちです。音程を高めに取るためには、ノドの脱力も必要な事です。

 次に注意されたのは、高い音域になった時の声の出し方です。私は高い音になるほど、声が前に出てしまう癖があります。声が前に出てしまうと、どうしても薄くてギンギンした感じに聞こえてしまいます。それを防ぐためには、声を後ろに引っ張る感じが必要です。感覚的には、軟口蓋の後ろに声をしまう感じ。具体的には、軟口蓋を高く上げ、クチの奥を広げてます。でも、そういう歌い方をすると、ノドが鳴りづらくなります。そこで必要なのは、横隔膜による息の支えなのですが、私は息の支えが弱いために、軟口蓋をあまり上げず、クチの奥もさほど広げずに、さらにノドに力を入れて歌ってしまって、結果としてノド声になってしまうわけです。

 高音発声のテクニックのうち、ノドを鳴らして発声するやり方と、ノドを鳴らさずに発声するやり方は、根本的に違うわけです。Y先生は私にノドを鳴らさずに発声するやり方を身につけさせたいのですが、私はノドを鳴らして発声するやり方からなかなか脱却できないわけなんです。

 一度身につけた癖を抜くのは、容易な事ではないのです。

 私の場合、中音域はだいぶ良くなったそうです。高音域は、ご覧の通り、ノドを鳴らそう鳴らそうとしてドツボから抜け出せないという状態が続いているので、それをどうにかしないといけない状態です。

 低音域に関しては…これもまた高音同様に鳴らし過ぎだと言われました。

 私の声はテノールのそれなので、本来は低音はそんなに鳴らないのだそうです。で、鳴らない低音を、無理やり力付くで鳴らしているのが現状なんだそうです。なので、低音になると、声に力みが出てくるんだそうですが…それがかなり不自然な感じなんだそうです。

 「出ない音は出ないままでいいじゃないか」という割り切りが必要でしょう…と言われました。確かにそうかもしれません。テノールなのに、バリトン並の低音を出そうして、結果的に、ノドに余計な負担がかかっているようだとの話です。

 歌う時に気をつけないといけないのは、ノドに余計な負担をかけない事…なんだそうです。ノドに余計な負担をかけていたら、歌なんてロクに歌えないんです。歌をちゃんと歌うためにも、ノドに余計な負担をかけずに、楽に楽に歌っていく事が大切なんだそうです。

 今までの私は、全音域に渡って、ノドに力を入れて、むりやりに声をひねり出していたわけです。このやり方は、歌っている側からすれば、あたかも熱唱しているような感じになるし「歌った~」という達成感を得られる歌い方だけれど、聞いている方は聞きづらいし、歌っている方もつらいので、この発声方法は推奨できないわけです。

 やはり歌は、歌う方も楽で、聞いている方もいやされるような歌声で歌うのが、何よりです。そういう発声ができるようにと、Y先生にレッスンしていただいているわけです。とりあえず、中音域に関しては、だいぶ力が抜けてきたようだけれど、低音域&高音域は、まだまだ力が抜けきらないんですよ。厳しいですね。

 歌って、自分の持っている声以上の声では歌う事ができないんです。それは音域しかり、音量しかりです。楽器としての声には、限界があるわけです。ただ、多くの人は、その限界まで声を使いこなせていないわけで、それを使いこなすためにレッスンを受けて、声の扱い方を学ぶわけです。私なんかは、まさにその段階なんです。

 歌うとは、己を知る事でもあります。やはりどんなに努力しても歌えない歌ってのは、あります。また、年齢を重ねていく事で、声は変わっていきます。声が変わることで、今まで歌えていた歌が歌えなくなる一方、今まで歌えなかった歌が歌えるようになるわけです。3大テノールとして頑張っていたドミンゴが、今ではすっかりバリトン歌手になってしまったのは、そういうことなのかもしれません。

 ちなみに、これがドミンゴのバリトンアルバムですが、ネットで視聴したところ…どう聞いても、バリトンの声に聞こえないんだよなあ(笑)。いつもの、あっらかんとしたテノール声でバリトンパートを歌っています。まあ、これもアリっちゃあ、アリなんだよな。

 それにしても、Y先生と発声練習をしていると、発声練習って、単なる準備体操ではなく、きちんとした発声テクニックを学ぶ場なんだなって感じます。発声練習で習ったテクニックを応用して、それぞれの歌をどうやって歌っていくかが、大切なことなんだなって思いました。

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2014年3月10日 (月)

横浜の“シネマ・ジャック&ベティ”で「椿姫ができるまで」を見てきました

 実は私、ナタリ・デセイ主演(?)の「椿姫ができるまで」というドキュメンタリー映画を見たかったんですよ。元々はミニシアター系の映画で、こちらでは東京は渋谷で単館上映されていた作品です。そこで上映している時に、見たかったのですが、ちょうどその頃、妻がアキレス腱を断裂してしまい、とても映画どころの騒ぎじゃなかったので、泣く泣く諦めてた映画でした。「いずれDVDになるだろうから、それまでの辛抱だな」と心を決めていたわけですが、ある日、半年遅れで横浜でやるという情報を聞きつけ、ググって調べたところ、横浜にある、シネマ・ジャック&ベティでやるというので、心をウキウキさせながら、ジャック&ベティに行きました。

 ジャック&ベティは…どことなく昭和の香りのする映画館でした。聞けば、元々は横浜名画座という由緒ある映画館だったそうです。向かいには横浜日劇という、これまた由緒ある映画館があったそうです(現在はマンションになってます)。

 ここの映画館は…ミニシアター系の名画座…という形態なんでしょうね。あまり、多くの劇場でやらない、マイナーだけれど良い映画を、それもロードショーではなく、しばらく日にちが過ぎてから上映するというコンセプトの映画館です。館内では、常連客たちによる「次に見たい映画」のリクエストボックスがあったりして、なかなか面白い映画館だと思いました。「岩波ホールで上映するような映画を、人々が忘れかけた頃に上映する映画館」というと、そんなに間違ったイメージではないと思います。

 公式サイトはこちらなんですが…上映作品のラインナップを見ると、どれもこれも面白そうな作品ばかりでしょ? 実際、私、近所に住んでいたら、通っちゃいますよ!

 さて、映画「椿姫ができるまで」ですが、面白かったですよ。オペラ「椿姫」のリハーサルをドキュメンタリーに仕立てたもので、オペラの演出って、こういうふうにやるんだなって事が分かる映画です。特にオペラの演技に興味がある人には、ぜひぜひお薦めな作品です。ちなみに、ジャック&ベティでは、フィルムではなく、ブルーレイで上映していたようですが、そのブルーレイの家庭用が、まもなく発売になります。

 それにしても、いつも思う事だけれど、ナタリ・デセイの演技は、鬼気迫るものがあります。元々は、ナタリ・ウッドに憧れて女優になった人で、歌が素晴らしいので、女優になってから、声楽のレッスンを受けて、オペラ歌手になった人なんだそうで、元々が女優さんだから、そりゃあ、演技は実に本格的だったりするわけですが、こういうメイキングを見ると、改めてそのスゴさが分かります。

 例えば、映画の最後のシーンは、オペラの最後のシーンの稽古なんだけれど、その最後のシーンは、ヴィオレッタ(椿姫の事。デセイが演じている役)が倒れてお終いというシーンなんです。この倒れて…の、倒れる芝居を、デセイと演出助手の二人が、何度も何度も確認しながら練習するわけです。見ているこちらからすれば、実に見事な倒れ方なんだけれど、二人は気に入らずに、何度も何度も倒れてみて、これでいいのか、これでいいのかと確認し合います。

 で、その倒れ方なんだけれど、崩れるようにバタリと倒れるのだけれど、本当にバタリと倒れていたら大怪我をしてしまうわけです。実際、指揮者がデセイに「アタマをぶつけないように気をつけて」と声をかけていますが、あれって演技で倒れているのだから、危険そうに見えて、実に安全に倒れているわけです。だから、何度でも倒れる練習ができるわけです。で、繰り返しその動作の練習をするわけですから、私も見ていて、カラダの使い方がなんとなく分かりました。

 立っている状態から、一度、後ろにふらつくと同時にヒザを緩めて、その場に素早く沈み込むようにしゃがみ込んで、しゃがみ切る前に、腰から横に、腰、腕、肩の順番でカラダを着地させて倒れます。その際、カラダは倒れ込みながら少々伸ばして、アタマは、倒れきってから床に置くわけです。この一連の動作をテキパキと行う事で、その場にバタリと倒れ込むように見えるわけです。実にうまい、実に訓練された動きだなって思いました。

 倒れるという動作一つ取っても、きちんと計算された安全で効果的な動きがあるわけで、素人が見よう見まねで演技をしているわけじゃないんだなって思ったわけです。

 歌だって、ちゃんと歌うためには日々の練習が欠かせないわけだけれど、やっぱり、演技をするためにも、そういう基本的な動きの練習をしておかないといけないんだなあって思いました。

 ちなみに、このドキュメンタリーでは、デセイの歌声はあまり楽しめません。なにしろ、彼女、演技に集中するためでしょうね、歌のほとんどを1オクターブ下の音域で歌っていますから、音楽的には面白くないですよ。あくまでも演技中心、演出中心のドキュメンタリーです。でも、腕の上げ下げにも、指の動かし方人にも、計算されている事が分かり、舞台って奥が深いんだなあって思いました。

 ああ、面白かった。それに昭和の香りのする映画館もよかったです。また、チャンスがあったら、見に来たいものです。

 そうそう、昭和の香りのする映画館と言えば、ジャック&ベティに行く途中の黄金町の駅そばに、横浜光音座という、これまた昭和の香りがプンプンとする映画館がありました。この映画館もジャック&ベティ同様に、一つの映画館に二つのスクリーンがあるタイプの映画館ですが、ジャック&ベティがミニシアター系の映画館であるのに対して、横浜光音座は、なんと、ピンク映画&ゲイ映画専門の映画館でした。ピンクにゲイとは…実にニッチなところを攻めている映画館だなって思いました。こっちの映画館には…たぶん私が行くことはないだろうなあ…って思いました。しかし、ピンク映画(成人向けの性交描写の多い映画の事ね)って、まだ製作されていたんだ! いやいや、ゲイ映画(男性同士の性交描写の多い映画ですね)なんてジャンルが、この世にあるんだ! そういう事実にビックリした私です。

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2014年3月 9日 (日)

ああ、銭湯って昭和を感じさせるよね

 今週は、本当に忙しかったので、体重を計るのを忘れてしまいました。なんという事! なので、今回は、あっさりとエッセイに突入します。

 先日、見知らぬ街を歩いていると、面白い店を見つけました。それは、一見、普通のコインランドリー店のようでしたが、よく見ると、洗濯機の前にはシャワールームがありました。そう、コインシャワー&コインランドリーのお店でした。「ああ、なるほど。服を洗濯している間に、シャワーを浴びてしまえば、服も我が身もキレイキレイでうれしいな!って事だね」と妙に納得をしました。

 で、そこから数歩歩くと、またもよく似た感じの入り口がありました。ってか、同じようなコインシャワー&コインランドリーの店でした。そして、よくよく見れば、さっきのコインシャワー&コインランドリー店と同じ建物なんですね。つまり同じ建物の中に二軒のコインシャワー&コインランドリー屋さんがあるわけです。違うのは、一軒は普通の(?)コインシャワー&コインランドリー屋さんで、もう一軒が“女性専用の”コインシャワー&コインランドリー屋さんだった事です。

 そう言えば、街に銭湯を見かけなくなって久しくなりました。見かけなくなった銭湯の役割を、この手の店が後を引き継いでいる…という事でしょうか?

 私が子どもの頃は、まだまだ内風呂が珍しかった時代で、街には普通に銭湯がありました。

 “お風呂屋さん”と呼ばれていた銭湯は、それはそれは繁盛していたモノです。だって、その地域に住んでいる人なら、皆利用していたんですから、繁盛しないわけないですよね。

 入り口で履物を下駄箱に預けて、木札の鍵を受け取って、男女別の入り口を入って、番台にいる店の人に入浴料を支払って利用します。番台は男女別の入り口の間にあります。つまり、そこだけは男風呂と女風呂の共有スペースで、男性は男湯の入り口から入って番台の人に入浴料を支払い、女性は女湯の入り口から入って同じ番台の人に同じように入浴料を支払っていたわけです。

 つまり男湯も女湯も番台に座っている人は同じ人なわけで、その人が男湯・女湯の両方の料金を徴収していたわけです。当然、番台からは、男湯も女湯も両方見れるわけです。ま、番台さんの仕事は、元々は入浴料金の聴取がメインではなく、入浴中に脱いだ衣服が盗まれないように番をするのが役目(だから“番台”なんだね)なので、両方の脱衣場がよく見えないと仕事にならないわけです。

 仕事で見ているとは言え、毎日多くのお客さんたちの裸体を番台さんは見ているわけで、番台さんって、異性の客の裸体を見ていても、平気だったのでしょうかね? 特に若い男性が番台に座っている時だってあったけれど、彼は女湯で見かける若いピチピヂしたオネーサンの裸体を見ても、なんともなかったのでしょうかね?

 お風呂屋さんに入ると、まず、番台さんに入浴料を支払うわけだけれど、髪を洗う日は「髪を洗います」と申告して、洗髪料を支払ってましたね。たぶん、洗髪すると余計にお湯を使うから…なんだろうけれど、女性のロングヘアーならともかく、坊主頭の小学生男子からも洗髪料って取っていたのかしら? そのあたりはの記憶が私には無いんだけれど、どうでしたんでしょうね。

 それはさておき、銭湯と言うと、まずは風呂ですね。湯船が大きくてうれしかったです。湯船に漬かりながら、手も足も伸ばせるんですよ。当時はそれが当たり前と思っていましたが、今となっては、これはうれしいですね。なにしろ、内風呂と言うモノは、私のよう巨漢な人だと、身を縮めて入らないといけないわけで、ノビノビとゆったりお風呂に入るには厳しいですものね。大きな湯船には、今では温泉にでもいかないと、入れないのは残念ですよ。

 それと、お風呂屋の湯は、必ず入浴剤が入っていましたね。あれはお湯の汚れや匂いを隠すために入れてある…と今なら気づきますが、当時はあの緑色のお湯がなんかうれしかったです。

 それと、お湯は季節によっては、菖蒲湯とか柚湯とかの事もあり、お風呂屋さんで季節を感じていたりもしましたね。

 そう言えば、湯船の背景には、たいてい大きな壁絵がありました。富士山の絵…だったそうだけれど、なぜ銭湯の壁には富士山の絵が飾られていたのでしょうね。

 洗い場の黄色いケロリンの洗面器が懐かしいです。なぜか、銭湯にはケロリンの洗面器がありました。今でも、たまに温泉に行くと、ケロリンの洗面器が用意されているお風呂があったりすると、なんか懐かしく感じます。ああ、懐かしい…と思っていたら、今はケロリンの洗面器って、通販でも買えるんですね、なんかビックリです。

 銭湯は、男湯と女湯があって、当然、男性は男湯へ、女性は女湯に入るのだけれど、男の子はお母さんやお姉さんと一緒に、女湯に入るモノでした。もちろん、私も当時は子どもだったから、女湯に入ってました。どこのウチもお風呂に入る時間は似たりよったりだったから、お風呂屋で、クラスの子によく合ってました。男の子はもちろん、女の子だって、お風呂屋でハダカのつきあいをしていたわけです。

 私は小学校に上がってしぱらくすると内風呂のある生活となり、銭湯通いを止めてしまったのですが、男の子たちは、何年生(あるいは何歳)まで女湯に入れるものだったのでしょうね?

 そうそう、銭湯と言うと、大きな扇風機と大きな体重計がありました。扇風機の方は、今でも温泉などに行くと、よく見かけると思います。でも、体重計は、当時のモノはほとんど見かけなくなりましたね。

 お風呂屋さんの体重計は、今の電子式とは違って、バネ式の大きな台秤で、体重を示すメモリは、ちょうど目の高さぐらいのところにありましたし、こちら側と向こう側の両方から見えるようになっていて…って説明しても難しいですね。「昔の体重計」で画像検索でもかけてください、そうすれば一発で分かります。

 それとお風呂屋さんには、かならず、近所の映画館で上映中の映画のポスターが張ってありました。

 ま、当時は映画館のポスターなんて、街の至る所で見かけたものですから、別に銭湯にあっても全然不思議な感じはしなかったけれど、今思えば、大勢の人が必ず利用する風呂屋に宣伝ポスターを貼るなんて、なかなか上手だなって思いますし、実際、そのポスターを見て、映画を見に行ったりもしていたわけだしね。

 そうそう、コーヒー牛乳とか、フルーツ牛乳とか、なぜか風呂上がりに飲みたくなるものだし、たいてい誰かが飲んでいたりしていたなあ…。

 そう言えば、あの頃は、お風呂は銭湯でお金を払って入るものだったから、人々には毎日入浴するという習慣がなかったような気がします。たいていの人は、一日置きとか、二日置きとか、そういうリズムで風呂屋に通い、髪を洗うのは週に一度ぐらい? だったような気がします。

 今の人は、毎日入浴し、毎日髪を洗うでしょ? その感覚で考えると、昔って不潔…と言うか、さほど清潔であることに気を留めていなかったのかもしれません。銭湯通いを止めて、内風呂にした当時も、銭湯時代の感覚が残っていたから、お風呂に入らない日が当然あったわけです。それがいつしか、毎日入浴するのが当たり前になったわけで、気づかないうちに我々は贅沢に慣れてしまったのでしょうね。

 銭湯は昭和とともに消え去ってしまった…モノの一つなんでしょうね。

 で、時代は平成となり、街には、コインランドリー&コインシャワー屋さんが現れるようになったわけです。

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2014年3月 8日 (土)

サクラのウロコがはがれてました(涙)

 サクラって白い魚なんです。頭頂部だけが赤くて、他は白。丹頂(たんちょう)という種類の金魚なんです。まあ、別名は「日の丸金魚」とも呼ばれてますが、それくらい“白地に赤い”金魚なんですね。

 で、金魚って、白身の魚なんですよ。赤身や青身じゃあないんです、白身なんですね。なので、白身の魚の場合、ウロコがあってもなくても、その場所は白いので、パッと見では全然分からなかったのですよ。

 ある日、ユラユラと泳いでいるサクラの左の横腹を見ていると、ウロコがないことに気づいたわけです。それも1枚とか2枚とかではなく、結構の範囲でウロコがなくなってます。

 ウロコって、一応再生するようだけれど、結構時間がかかるんだよねえ。

 もしも、まだ水槽にトートがいたら、きっとサクラは食べられてしまったことでしょう。それくらい、派手に大きく、ウロコがはがれています。

 かわいそうに…。

 ウロコは外傷ではがれる事が多いです。おそらく、何かが激しくぶつかって、はがれてしまった…んだと思います。でも、一体、何が当たったんだろう?

 そう言えば、少し前から、サクラは左の横腹を、ポンプの吸い込み口に当てている事が多くなりました。もしかしたら、ポンプに吸われて、ウロコがはがれしまったのかしら? それとも、ウロコがはがれたのが不快で、それをポンプに吸い込まれることで誤魔化していたのかしら? 今となって全然分かりませんが、なんか、ウロコのはがれたサクラが不憫でなりません。

 本人的には痛くないのだろうけれど(なにしろ、金魚には痛覚がないからね)、見ていてイタイタしいですよ。

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2014年3月 7日 (金)

発表会のことについて

 どうやら、やっと今年の発表会が決まったようです。今回は確定情報でございます(笑)。

 2014年5月25日(日)に、横浜市社会福祉センターホールでY門下とF門下の声楽合同発表会を行います。時間は、14時開演予定。ちなみに、横浜市社会福祉センターホールは、JR桜木町駅の目の前にあります。ちょうど、桜木町駅を出たら、みなとみらいと逆側の信号を渡った所にあります。駅の目の前です。足の便は最高ですよ。

 しかし、すでに発表会まで、三ヶ月を切った状態でございます。なんか、色々と焦る私です。

 いやあ、今回の発表会は、私的には日程的にあまりうれしくない日程です。と言うのも、仕事が忙しい時期なんですよね。私、すでに仕事は殺人的に忙しいのですが、この忙しさはゴールデンウィークまで続くんですよ。で、ゴールデンウィークを終了後から、本格的に発表会準備に取り組むわけですが、その間、たったの三週間しかありません。おそらくレッスンは1回。多くても2回で本番ですが…そのうち一回はピアノ合わせでしょうから、実質は1回あるかどうかってところ…。どうやって準備せいって言うねん! ああ、焦る。

 なので、すぐにでも練習をガンガンやっていきたいところなんですが、大人の事情ってやつで、なかなか、そういうわけにもいかないのです。

 さて、選曲です。一体、何を発表会で歌いましょうか?

 今回の発表会の持ち時間は、一人10分となりました。私的には、前回同様、オペラアリア、歌曲、二重唱の三曲を歌うつもりです。問題は…と言うか、手間取っている部分が二重唱です。

 実は、妻はまだ怪我が回復しないので、今回の発表会はパスする事になっています。で、妻の代わり…と言っては失礼ですが、今回の私の二重唱のパートナーは、同じ門下のソプラノNさんになりました。ま、私からプロポーズしたわけですが(照)。

 で、Y先生のご意見を参考に、Nさんとあれこれと連絡を取りながら選曲作業に入っているわけですが、どうしてもメールで連絡を取り合っているので、なかなか話が進みません。相手が妻なら、直接話もできるので、すぐにでも選曲できるのですが、今回はそういうわけにはいきません。

 ちなみに、今まで話し合ってボツにした曲はと言えば…ビゼー作曲「カルメン」の「母の便りは(1幕)」と、ドニゼッティ作曲の「ドン・パスクワーレ」の「私のもとに帰って来て(3幕)」、モーツァルト作曲の「コジ・ファン・トゥッテ」の「誠実な許婚の腕に(2幕)」の3曲です。カルメンがボツになったのは『フランス語は無理』と『演奏時間が10分を越える(笑)』からです。ドン・パスクワーレがボツになった理由は『テノールのメロディにHi-Cがあるから(驚)』で、モーツァルトがボツになった理由は…よく分かりません(汗)。

 ま、それぞれに歌の好みもありますし、アマチュアならではの“技量の限界”って奴もあるので、選曲は難航しております。しかし、いつまでも悩んでいると練習&暗譜の時間が無くなってしまうので、なるべく早く曲を決めて、練習を始めないといけないなあって事で、結局は、ドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」の「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」に決まりました。

 はい、私、以前、キング門下の時に歌った事のある曲です。つまり、今回は再演と言うか、リベンジ戦になるわけです。

 それに今回は、指導者も違えば、デュエット相手もピアニストも違うので、たとえ曲自体が同じでも、色々と違う部分もあるでしょうから、結構楽しみにしています。それに、仕事が忙しい私にとっては、以前歌ったことのある曲なら、練習にせよ、暗譜にせよ、かなり楽ですからね(よかったよかった)。

 この「そよ風に聞けば」の演奏時間は、カットをしても7分ほどとなります。二重唱ですから、時間的には1/2のカウントになりますから、自分的には3分半の曲となります。ですから、ソロで歌える時間は、残りの6分半なんですね。

 で、今のところ、オペラアリアは、レハールの喜歌劇「ほほえみの国」の「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」にしようかなって思ってます。ドイツ語歌唱ってのが難点だけれど、ドイツ語は第九の合唱でも歌っているので、全く親しみが感じられないって事もないし、ここらでドイツ語の歌にチャレンジしておくのも、悪くないかなって思っています。もっとも、音楽的には、オペラではなくオペレッタ(喜歌劇)のアリアなので、メロディーが俗っぽくて、親しみやすくって、歌いやすいのが良いかなって思います。ても、決して、オペラアリアと比べて簡単とは言えないのが、ちょっと残念かな?

 で、この「君は我が心のすべて」が約3分半の曲なので、残りの持ち時間は、なんと3分ほどになってしまいます。

 Y先生からは、トスティの「Ridonami la calma!/私に静けさを」を薦められています。ただし、私の忙しさを考慮して、二重唱やアリアで手一杯なら、一度レッスンで仕上げた「L'ultima canzone/最後の歌」でもいいですと言われていますが、どちらも3分じゃ無理ですね。「私に静けさを」も「最後の歌」も演奏時間は約5分だものね。厳しい厳しいです。

 なんとか3分で収まる曲を考えないければいけません。

 発表会で歌う曲ですから、聞き映えがして、派手めな曲が良いのだけれど、3分という演奏時間と、あんまり技巧的に難易度の高い曲は歌いたくないし、やはり歌うなら歌いたい歌を歌うべきだろうと考えて、ベッリーニ作曲の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」を候補に上げてみました。次のレッスンで、きちんと先生に相談してみましょう。

 とりあえず、今現在の(私の中での)発表会での候補曲は…

ドニゼッティ作曲の「愛の妙薬」の「Una parola o Adina/そよ風に聞けば」
レハールの喜歌劇「ほほえみの国」の「Dein ist mein ganzes Herz/君は我が心のすべて」
ベッリーニ作曲の「Ma rendi pur contento/喜ばせてあげて」

 …です。イタリアオペラに、ドイツオペレッタと歌曲。内容はバラエティに富んでいると言うか、バラバラだね。でも、これが私だから、いいっしょ。

 Y先生は、基本、生徒の選曲を尊重してくださる方なので、発表会が楽しみです。とは言え、実はまだ最終決定まで時間があるので、先生のご意見も取り入れて、もっと別の曲に変わる可能性はあるんだけれどね。

 さあ、今年最初の本番だ! 頑張るぞ。

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2014年3月 6日 (木)

なぜ音大には非常勤講師ばかりがいるのか

 フルートのレッスンに行ってきました。ほんと、約一ヶ月ぶりのレッスンでしたよ、それなのに、30分も遅刻しました(汗)。先生は「この時期は忙しいからね…」と笑顔で許してくれました、ああ、ありがたい。

 肝心のレッスンの方は、いつも通りですが、ここんとこ、本当に忙しくて、フルートの練習なんてロクにやっていなかったものですから、色々と「ダメだなあ~」と思う事ばかりです。

 例えば、ロングトーン練習。いつものようにやったわけだけれど、なんか、音の立ち上がりがやけに汚くなっているような気がします。なんか、まるで、ほら貝のように『ブッフォ~』って感じで鳴ります。タンギングがかなり下手になっているようです。

 アルテは15課の10章、bが七つあるCes-durです。一体、bが七つなんて、そんな調性の曲って、どれだけあるんでしょうか? とにかく、指的には、#が5つのH-durと同じなわけで、すでに簡単に(?)できるはずなんだけれど、H先生曰く「しっかり楽譜を見て吹かないと意味ないよ」のひと言で、楽譜をガン見してますが、ガン見すればするほど、わけわかんなくなります。

 私、bって苦手なんだよね。臨時記号なら、むしろ#の方が好き。アタマが#だと割とスムーズに変換できるけれど、bだと、ちょっと考えないとダメなんですね。

 特に、ドがHだったり、ファがEだったりすると、もうお手上げです(涙)。

 今回は、ロングトーンと1番の音階準備練習をやりましたが、とにかく、楽譜をガン見するがゆえに、迷子になるという笑えない状態となりました。…練習量が絶対的に不足しております。とにかく、不合格でした。

 ガリボルディのプチ・エチュードは、相変わらずの3番です。こっちも久しぶりに吹いたので、あっちこっち、ケアレスミス続発で、なんともな状態です。でも、それらを差し引いても、装飾音符の箇所と、レミbレミレファ#レソ…の箇所に二カ所は、どうにもうまくいきません。ま、ここらも練習量が不足しているんだろうなあ。これまた、不合格でした。

 どうも、最近は、フルートは目の前にニンジン(本番ね)がぶら下がらない事もあって、ついつい練習も後回しになる傾向があるし、そこに仕事の忙しさがかぶさってくると、途端に練習量が減ってしまいます。これは良くないので、これからは意識してフルートの練習をするように心掛けないとね。

 歌の練習は、何も準備が要りませんが、フルートは楽器を取り出して組み立てて練習し、終わったら磨いてしまわないといけないわけで、そういう道具の取り廻しの事を考えると、つい「ま、今日は良いか」って思っちゃうわけです。ちっとも良くないのにね。

 さて、今週の雑談は、なぜ音大の先生たちは非常勤講師ばかりなのか…という話です。

 H先生は、昔々、某音楽大学の教授をやっておりました。フルート科の主任教授って感じのポストについていたらしく、なんかものすごく忙しかったんだそうです。大学の教授って、授業をするだけじゃなくて、その他にも様々な事をしなければいけなかったんだそうです。例えば、大学運営/経営に関する仕事とか、教育事務的な事もやれば、学生の就職指導とかもあって、そんな雑用に駆り出されてばかりいたんだそうです。それでも、色々と人間関係もあって、簡単に大学教授の職を放り出せずにいたそうです。

 で、教授職にあった時、実にうらやましかったのが、非常勤講師でやってくる同業者たちだったそうです。自分が雑用に駆り出されている時に、非常勤講師は授業だけをして、その他の時間は、自分の練習と演奏に充てられるわけですからね、本当にうらやましかったそうです。なので、先生も、その大学を見事辞めた後は、どんなに声がかかっても、非常勤しか引き受けなかったんだそうです。

 「確かに大学教授をやっていた時は、収入は安定していたけれど、私は音楽家だからね。たとえ収入が不安定でも、演奏をして暮らしていきたいんだよ」なんだそうです。

 ま、教授よりも非常勤講師の方がいい、なんて音楽大学ならではの話ですね。だって、彼ら音楽家は、大学で教えなくても、演奏で稼げるし、腕もみがけますから。これがごく普通の大学なら、企業の研究室にいるような人でもなければ、大学の教授をやっている方いいよね。だって、非常勤講師は収入が安い上に不安定だし、自分の研究室が持てないわけで、研究をするにしても、教授の部屋の隅っこを間借りしてやらなきゃダメで、なんか居心地悪いだろうし…、教授という肩書がないと、美味しいバイトも声かからないだろうし…そういう点では、自分の研究室を持てる身分になりたいでしょうね。

 ちなみに、大学教授という、なんかお給料が高そうですが、実は同年配の高校教師の方が良い給料をもらっているんだそうです。これは、知り合いの大学教授が、付属高校に出張って行って、あっちの先生たちと飲んだ時に出た話を、私が聞いて知った情報なんですが、…その大学教授さん、なんかすごくショックだったらしいです。…当然、大学教授の方が、高校教師よりも高給取りだ!と思っていたんだそうです。

 でも、大学の先生の場合は、本業以外のバイト代を含むと、そこそこの収入になって、高校の先生よりも、結果的には、稼ぎが良くなるんだそうです。ま、高校の先生は、バイトをやっている暇がないものね。

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2014年3月 5日 (水)

演奏と衣装の関係について

 音楽の演奏と言うのは、練習はともかく、いわゆる本番と言う奴は、人前で行うわけですし、衣装を着て演奏するわけです。ですから、衣装について、しっかりと考えておかなければいけないと…まあ、そう思うわけです。

 演奏の場のTPOってのもあります。ジャズのライブに、タキシードで出演したらおかしいし、クラシックの舞台にTシャツ&ジーパンとか、トレーナーとかありえないでしょう。その場、その場にふさわしい衣装というか、ドレスコードというのがあるわけです。

 私は、赤の他人の発表会に行くのが趣味ですが、そこで感じるのが、舞台マナーの悪さと、衣装の???感です。

 クラシック系の発表会の場合、ステージって晴れの場だし“お客様に聞いていただく”モノですからね。幼稚園ぐらいの子が、いかにも『ピアノ発表会でございます』といったフォーマルな衣装で演奏するのは微笑ましいし、学生さんが学校の制服姿で出演するというのも好感持てます。

 その一方で、最近、特に多く見かけるようになりましたが、ちょっとオシャレな外出着程度の服装で出演しちゃう方もいらっしゃいます。いやいや“ちょっとオシャレな外出着”なら、まだマシで、中には“部屋着に毛が生えた程度の普段着”で舞台に上がっちゃう人もいます。そういう人を見つけると、さすがに「エッ!」って感じで驚いちゃいます。

 いや、普段着なら、まだマシで、先日はジャージ姿の方々を見ました。詳しくは述べませんし、述べたくないです。なんか、音楽そのものに対する意識とか姿勢とかが、そんなモノなのかなって思いました。

 音楽は衣装で行うモノではありません。しかし、あまりに普段着っぽいのは、いかがなモノでしょうか? たとえジャージ姿であっても、本人的にはオシャレをしているつもりで、全然OKな気分だったりするのかもしれません。あるいは「オシャレ着とか外出着のどこが悪い」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。「服装なんて、その人の自由でしょ」と言う人だっているでしょう。

 私は、そういう人の意見も認めたいと思います。がしかし、同時に、その手の衣装では、どうしても日常を引きずってしまい、今一つ“晴れ”の気分に乏しくなってしまう事も事実でしょ? あまりに、その場にそぐわない衣装の方を見ていると、ちょっと白けちゃうんです。

 だって、ステージって、日常生活の延長じゃないでしょ? 非日常を体現する場所がステージ、なんだと私は思ってます。礼服を着なさい…とまでは言いませんが、何か「いつもとは違う感じ」を出してほしいなあって思うわけです。

 そこんとこは、クラシック系でもポピュラー系でも言えることで、ステージでは、非日常をさりげなく演出できる衣装を着こなしてほしいなあって思うわけです。つまりは“かっこいい衣装”とか“素敵な衣装”ってやつを身につけてほしいのですよ。

 まあ、プロの場合は、そのあたりを事務所なり、プロモーターなり、主催者なりが考えているだろうから良いし、舞台やテレビ収録などでも、男性のタキシードや燕尾服、女性の白ワンピ+黒スカート程度は、多くの場合、演奏者の自前だけれど、それ以外の衣装は、特に自前で衣装を用意したいというのでなければ、たいていは主催者側がスタイリストさんを雇って、衣装を用意してくれるのだそうです。

 衣装の心配なんて、全然いらないね。

 その点、アマチュアの場合は、本番衣装は、自分セレクトだったりするので、しっかりしていないとダメです。

 衣装と言うと、クラシック系の男性の場合は、ネクタイが必須だったりしますが、このネクタイって奴が実は厄介なんです。だって、ネクタイって、程度の差こそあれ、ノドを締めつけますものね。歌手や管楽器奏者の多くは、ネクタイをしめたくないというのが本音のようですし、可能ならば、ネクタイをせずに済ませてしまう事も多いようです。

 Y先生に尋ねたところ、やはりネクタイはイヤなんだそうです。でも、いつもせずに済むわけではないので、わざとシャツの首回りを大きめに作っておくのだそうです。そうやって、ネクタイの締めつけ回避をするんだそうです。また、どうしてもピッタリ(とか小さめ)のシャツを着なければ行けない時(衣装だと、そういう事もあるそうです)は、第一ボタンをハズして、その上からネクタイをユルメにするんだそうです。これもノドの締めつけ回避ですね。

 その点、女性は胸元が大きく開いた衣装着ることが多いので、問題なさそうです。もっとも、女性の場合は、コルセットなどの補正下着でカラダを締めつける事がありますが、コルセットはカラダを締めつけると同時に、体幹の弱さを補ってくれるものなんだそうで、一長一短があるようです。むしろ、女性の場合は、ハイヒールの方が問題かな? もちろん、ハイヒールは腹式呼吸の味方をしてくれるアイテムなんですが、履き慣れていないと色々と戸惑いもあるようです。

 あと、問題になるのは…メガネかな? ステージにメガネ姿で上がるのは…禁じられているわけではありませんが、多くの方がメガネをハズしていきますよね。かく言う私もメガネをハズします。声楽の場合は暗譜ですから、メガネがなくても平気ですが、フルートの場合は、どうしましょう? メガネがないと、私、楽譜読めませんからね。私のような境遇の方は、コンタクトレンズを愛用するのでしょうが、私、コンタクトってキライなんだよね。だったら、いっそ、衣装として使えるようなカッコいいメガネを奮発して、それをつけて舞台に上がっちゃおうかしら(笑)。

 あと、カツラは衣装の一部だと思いますので、堂々と着用の上、舞台にあがると良いと思います。カツラの代わりに帽子をかぶる方がいらっしゃいますが、帽子はなかなかオシャレアイテムとしては、着こなしが難しいかなって思います。私、普段は帽子を愛用する人ですが、さすがに舞台に帽子をかぶって出ようとは思いません。

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2014年3月 4日 (火)

子どもたちの声楽発表会を見に行ってきた

 先日、子どもたちの声楽発表会を見てきました。子どもたちと言っても、別に私の子どもでもなければ、知り合いの子どもでもなく、全くの赤の他人の子どもたちです。そう、私の趣味の一つである『見知らぬ人たちの発表会を見に行く』で、たまたま見た発表会が、子どもたちによる声楽発表会だったわけです。

 声楽発表会って、たいてい、趣味の大人の人たちが中心で、時折、マジ系で音大進学のための声楽教室が、中学~高校生中心の発表会を行っているわけですが、習い事の子どもたちを中心とする声楽発表会って、かなり希有な存在だと思い、興味津々で見に行ったわけです。

 出演者は、幼稚園年長組から趣味の大人まで、実に幅広い年齢層でしたが、何と言ってもボリュームゾーンは、やはり中学~高校あたりでしたが、音大進学のマジ系ではなく、趣味系のお教室のようだったので、見ていて色々と勉強になった次第です。

 まあ、個々の子どもたちは、みんな一生懸命で発表会的にはよかったと思いますが、全体を通して眺めてみると、色々と感じる事はあります。

 発表は、ほぼ年齢順でしたが、やはり小さな子の歌は、声量的に厳しいモノがありますね。私はホールの前から五列目のところに座って聞いていたのですが、この五列目ですら、歌を聞き取るのに苦労しました。もっとも、それは主催者(って先生でしょうね)側も分かっていたようで、幼稚園児~小学生ぐらいまではマイクを使って歌わせていました。で、中学生からマイク無しで歌うのですが、その中学生の歌がほとんど聞こえない。もちろん、人前で歌うので、あがってしまい、日頃よりもずっと声が出ていないという事も考慮しても、前から五列目の座席まで声が届かないってのは、キツいよねえ。高校生ぐらいになると、まあ、なんとか耳をそばだてれば聞こえるかな?程度で、安心して聞けるのは、大学生たちの歌唱でした。

 声量と年齢が面白いように比例していました。

 音大進学系のマジな教室だと、たとえ中学生でも最初から安心して聞けますから、ここは割と素に近い状態の生徒さんたちばかりなんだろうなあって思いました。

 子どもたちはほぼ全員女の子だったわけですが、ごく少数ですが、男子もいました。が…男子はキツいなあって思いました。声楽って、子どもと女声は発声の仕組みも似ているし、指導も共通なモノでいけると思いますが、男声は発声の仕組みも違うし、指導法も子どもや女声と違うどころか、テノールとバリトン&バスでも、違うんです。無論、基礎基本はどの声種でも共通していますが、人前で歌うとなると、基礎基本を越えて、声種に特有の訓練だって受けなければいけないのです。その上、変声期絶好調ならば、それに詳しい先生につかないと声を壊しかねませんが、あの子たちは、大丈夫かなっと他人事ながら、心配になりました。

 とまあ、大半の出演者たちが女の子だったわけですし、女の子って、小学生も後半になれば、ほぼ体格的に大人と一緒。だから、小学生であれ、中学生であれ、高校生であれ、大学生であれ、成人女性であれ、体格的に有利不利はないはずなのに、見事に声的には、年齢に比例して立派になっていったのは、不思議だなって思いました。

 つらつらと考えるに、これは筋肉の問題かなって思いました。

 女の子は、確かに幼くても、身長的には大人と変わらないほどになりますが、見ていると、幼い子たちは、カラダの各部の肉付きがダメですねえ。全体的に筋肉量が少なくて、線が細い感じがします。女の子の成長は、まず身長が伸びて、女性機能を含めた内蔵関係が充実してから、筋肉が発達し、あわせて体脂肪が蓄積される…という順番かなって思いました。そうならば、幼いうちは、かなり頑張らないと声は出ないねえ。だって、声って筋肉(と脂肪)で出すものだからサ。

 もちろん、テクニック的な問題もあります。これは教える先生が、中学生と高校生で教える内容を違えているせいもあるのかな?って思いましたが、中学生たちは、全般的に音域が低い上に、頭声と胸声が分離したまま歌っているので、歌を聴いていると、なんかガクンガクンした印象になりますが、高校生あたりから、歌う音域を上げてきて、ほぼ頭声のみで歌うようになり、大学生になると、頭声と胸声がきもちよく融合してくるように聞こえました。

 これらのテクニック的な違いが、音量の違いにもつながってくるんだろうなあと、聞きながら思っていました。

 それに、クラシカルな曲は高校生以上しか歌わず、中学生以下は、ジブリソングとミュージカルソングを歌っていましたが、私が思うに、曲の難易度的には、ジブリソングやミュージカルソングの方が、クラシカルな曲(と言っても、イタリア古典歌曲が中心ですが)よりも、和音進行や、メロディーの跳躍、リズム進行などを考えると、総合的には難しいかもしれませんし、ジブリソングやミュージカルソングって、マイクの使用が前提となって作曲されているわけで、それをホールで子どもたちが、マイクを使用しないで歌うのって、かなり厳しいんじゃないかと思いました。

 中学生になれば、学校で英語を習うだろうから、英語でミュージカルソングを歌わせちゃうのかもしれないけれど、英語で歌うのって、やっぱり難しいと思います。難しい英語歌唱にチャレンジさせるくらいなら、カタカナイタリア語でいいから、イタリア語の歌を歌わせてあげた方が楽なんじゃないかな? どうせ、英語の歌だって、内容的にはチンプンカンプンだろうから、だったらイタリア語でも一緒…なんて思うんだけれどな。

 とまあ、総論的には色々と思いましたが、子どもたちが一生懸命に歌う姿には、ココロ打たれますね。ただ、子どもってどこで変わるか分からないわけで、今は習い事として軽い気持ちで学んでいても、ある日突然目覚めて、歌手になりたがらないとも限らないので、どの年齢の子であっても、常に最高レベルの指導をして、いつでも音大進学、音高進学に対応できるようにしてあげた方がよいかな…って余計な事を考えちゃいました。

 それにしても、やはり、たとえ女の子であっても、小学生以下の子が声楽を学ぶのは早いかもしれないなあ…って思った事も事実です。小学生以下は、独唱ではなく、合唱の方がいいんじゃないかってのが、私の正直な感想です。理由ですか? カラダが未成熟なので、大声を出して歌うのは厳しいだろうなあって事ですよ。

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2014年3月 3日 (月)

メトのライブビューイングで「ルサルカ」を見てきた

 標題の通り「ルサルカ」を見てきました。「ルサルカ」って、あまり有名なオペラではないので、まずは基本的な事を書きます。

 作曲者はドヴォルザーク。使用言語はチェコ語。初演は1901年で、著名なオペラだと、プッチーニの「蝶々夫人」とほぼ同じ頃の作品になります。

 ルサルカは、若い女性の水の精(ソプラノ)で、本編の主人公です。話は、チェコに伝わる民間伝承を元にしているそうだけれど、アンデルセンの「人魚姫」(って事は、ディズニーの「リトル・マーメイド」)と同じような話となります。

 自分の領地である深い森の中の湖で、しばし狩りの休憩を取っていた人間の男(王子:テノール)を見初めて惚れてしまった水の精であるルサルカは、ぜひ人間となって王子と結ばれたいと願い、魔法使いのおばあさん(アルト)から、声と引き換えに人間の姿になれる秘薬をもらって飲み、人間の姿となり、無事に王子と恋仲となって、王子の屋敷に迎え入れられ、結婚をする事となります。しかし、クチもきけず、体温のない彼女を見て、周りの人間は恐れをいだきますが、一人王子だけは、その事に気を留めませんでした。

 しかし、結婚式の当日、招かれた客の一人である、外国の王女(メゾソプラノ)に誘惑された王子は、ルサルカを捨ててしまい、失意のどん底に落ちたルサルカは、故郷の森の中の湖へ帰ります。

 湖に戻ってきたルサルカは、元の精霊たちの世界に戻る事もできず、かと言って人間世界にも行けず、たった一人で絶望感にうちひしがれて、湖のほとりを彷徨っていました。魔法使いからは、元の精霊の姿に戻るためには、王子を殺して、その血を浴びなければいけないと言われたが、まだ王子を愛していたルサルカは、そんな事は出来ないと、それを拒否し、絶望して自殺します。

 自分のひどい仕打ちを恥じた王子は、湖のほとりに行き、湖に向かって、ルサルカに許しを乞うと、湖から、今や、死んで呪いの亡霊となったルサルカが現れます。彼女に許しの口づけを求める王子。ルサルカは呪いの亡霊となった自分と口づけをすると、王子まで死んでしまうと告げるが、王子はそれでもかまわないと答え、ルサルカは王子に口づけをし、王子は死んでしまいます。

 …とまあ、実に救いのない話です。

 このオペラ、作品としては、かなり良い作品です。20世紀のオペラですから、ストーリーもしっかりしていますし、音楽もワーグナー以降の音楽で申し分ありません。

 ドヴォルザークと言えば「交響曲第9番 新世界より」や「スラブ舞曲」「チェロ協奏曲」「ユーモレスク」「我が母の教えたまいし歌」など名曲が数多くありますが、オペラ「ルサルカ」はそのいずれにも負けず劣らずどころか、おそらくは(無名であるだけで)ドヴォルザークの最高傑作と言ってもいい作品でしょう。とりわけ、第1幕で歌われる「月に寄せる歌」はドヴォルザークが書いた最高のメロディの一つと言えるかもしれません。

 その作品の素晴らしさに比べて、上演頻度が低くて、有名ではない理由は…やはりチェコ語の作品であるって事じゃないかな? 我々日本人に取っては、チェコ語もイタリア語も『よく分からない言語』と言った点では同じでしょうが、ヨーロッパやアメリカのオペラファンに取って、チェコ語のオペラはチンプンカンプンで遠ざけてしまわざるをえない作品なのかもしれません。なにしろ、向こうの歌劇場には、日本のそれと違って、字幕のサービスはありませんからね。あちらの観客は、歌われる言葉をそのまま聞き取ってストーリーを理解するわけです。

 ヨーロッパにおける音楽の共通言語は、イタリア語です。また、優秀な作曲家をたくさん輩出しているため、ドイツ語も受け入れられやすいでしょうし、同様な理由でフランス語もOKでしょう。でも、この三つの言語以外で書かれたオペラは、厳しいと言わざるを得ません。

 チェコ語のオペラと言えば「ルサルカ」以外にも、スメタナの「売られた花嫁」とかヤナーチェクの「利口な女狐の物語」「イェヌーファ」などのオペラがあって、チェコの作曲家たちは結構頑張ってオペラを書いて、成功もしているのですが、世界的な視点で見ると、どうしてもマイナー感が漂います。実際、私も、チェコのオペラを見たのは、今回が始めてだもの。

 今回のメト版では、主役のルサルカをルネ・フレミングが、王子をピョートル・ベチャワがやってました。ちなみに、ルサルカのCDやDVDを検索すると、古い20世紀の録音はともかく、最近の録音を探すとルネ・フレミングのモノばかりです。おそらく、今はフレミングがルサルカの第一人者って感じなんでしょう。

 このオペラの面白いのは、主役であるルサルカは、人間の姿になると声を失う(つまり、歌えない)ので、第1幕の途中から、第2幕の終盤まで、ソプラノが歌いません。歌いませんが、しっかりと舞台の上で演技はし続けるわけです。歌えなくても、主役を張れるだけの演技力のあるソプラノじゃないとルサルカは演じられないわけで、チェコ語歌唱もそうだけれど、ルサルカは主役のソプラノを選ぶオペラだなあって思いました。

 一方、王子は最初から最後まで歌いっぱなしです。演じたベチャワによれば「スラブ版オテロ」とも言えるほど、テノールにとっては難役なんだそうです。

 メトの演出は、マイナーオペラのためか、最近の流行りの演出ではなく、オットー・シェンクが昔々に作った演出をそのまま使用していました。これが良いのですよ。

 オットー・シェンクと言えば、フランコ・ゼッフィレッリと並ぶ、1980年代を代表するビッグなオペラ演出家ですが、その演出がそのまま使われているわけです。今や、ゼッフィレッリやシェンクが作ったプロダクションって、昔のDVDで見れるぐらいで、そのセットや衣装の豪華さもあって、最近の生の舞台ではほとんど使われていないのです。

 なにしろ、最近の歌劇場では、現代的な演出というのが流行りで、オペラの時代設定を近代に設定し直し、それでセットや衣装にかける費用を安くあげるのが普通です。

 ルサルカも、DVDなどで入手しやすいロバート・カーセンの演出(現代的な演出)だと、女性は皆、白いワンピース姿、男性はスーツ姿ですけれど、シェンク版だと、登場人物はみな中世の衣装を着ているし、妖精を始めとしたモノノケたちは、いかにもモノノケっぽい衣装を着ています。現代的な演出が良い味を出すオペラもあるでしょうが、ルサルカのようなおとぎ話をベースとしたオペラの場合、現代的な演出では、どうなんでしょうね? メトで使われているシェンク版のような、コテコテな演出の方が良いのではないかなって思いますし、コテコテな演出の方が、ストーリーがよく分かります。

 シェンク版の演出は、映像化された事がないのだそうです。なので、この演出でルサルカを見るなら、今回がチャンス(あと、アンコール上映もあるだろうけれどね)です。

 ルサルカって、マイナーオペラだと言って、馬鹿にしてはいけないオペラだと思います。

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2014年3月 2日 (日)

Windowsって、本当に大丈夫なの?[2014年3月第1週・通算7週]

体重:109.2kg[-0.6kg:-2.2kg]
体脂肪率:31.0%[+-0.0%:-0.2%]
BMI:34.5[-0.2:-0.4]
体脂肪質量:33.9kg[-0.1kg:-0.7kg]
腹囲:107.0cm[+1.0cm:-1.0cm]
     [先週との差:2014年当初との差]

 私はWindowsユーザーです。元々はMS-DOSでパソコンを使っていた人で、DOSからWindowsに乗り換えたのは、Windows95の時です。そこから始めて、95 -> 98 -> 98SE -> 2000 -> XP -> 8 -> 8.1 と乗り換えてきました。仕事で使っているパソコンは、98SE -> 2000 -> XP -> 7 って感じで、今では、仕事ではWindows7(32bit)を、趣味ではWindows8.1(64bit)を使ってます。

 私のようなパソコン歴の方って、たぶん、たくさんいらっしゃるでしょうね。

 さて、何が大丈夫なのかと言うと、現実的に、現代社会では“パソコン=Windows”という図式がありますが、このWindowsに支配された現代社会って、ほんと、大丈夫なの?って、なんとなく、思っているからです。

 で、なんでそんな事を“なんとなく”私が思っているのかと言うと、例えば、Windowsの最新バージョンであるWindows8及び8.1の普及状態だったりします。

 ちょっと調査データが古くて申し訳ないのだけれど、昨年(2013年の10月頃)のデータを元に話をします。

 ちょうどこの頃に、Windows8.1が出て、多くの人が8.1に乗り換えたはずだったので、タイミングがよかったのでしょう。この頃、人々の使用WindowsOSのアンケート調査(ウェブ調査会社Net Applicationsの調査)が行われました。

 で、昨年10月の段階でのデスクトップOSのシェアの第1位は、Windowsの最新バージョン8.1ではなく、なんとWindows7がトップシェアだったそうです。デスクトップパソコン全体の46.4%にあたるマシンがWindows7のままなんだそうです。へえーですよね。

 この時、すでにWindows8がリリースされてから、約1年も経っているというのに、今だ旧バージョンの7がトップシェアなんですよ。皆さん、最新バージョンに乗り換えないんですねえ…。

 で、第2位はWindowsの…XPなんだそうです。なんとシェアは…31.2%だって。でね。7とXP、両方のシェアを合わせると、全体の77.6%になるわけで、そんなに多くの人たちが、以前の古いOSを使っているって結果が出ました。

 ちなみに、Windows8のシェアが7.53%で第3位、最新版にして現役のWindows8.1のシェアが1.72%で第4位なんだそうです(ちなみに1位~4位を合計しても、86.85%にしかならないので、残りの13.15%は、その他色々なOSのシェアって事になるんでしょうね)。

 第3位と第4位を、大雑把にWindows8であると解釈したところで、そのシェアはたったの9.25%にしかならないわけで、最新版であるWindows8のシェアって、全体の1/10にも届いてないわけです。

 なんなんでしょうね、この数字。

 XPと7の間に存在したVistaがアンケート結果の俎上にあがってこなかった事から言える事は、XPから離脱した人は、すでに7か8か8.1を使っているわけで、今だXPを使っている人は、ずっとずっとXPを使い続けているってわけです。また、Vistaから7への乗り換えはスムーズだったのに対して、7から8への乗り換えがあまりなされていないってわけです。

 つまり、Windowsユーザーには3つのタイプの人がいるって事です。

 1)10年くらい前からずっとパソコンを使い続けて、OSを新しくしようとしない人
 2)8に不安を感じて、不本意ながら7で足止めを余儀なくされている人
 3)ひとまず、新しいOSを使っている人

 私は3)ですね。あまり深く考えてません。なので、趣味のパソコンは8.1なんです。仕事のパソコンだって…多少の注文は付ける事はできるけれど、基本的に支給品ですからね。深く考えて7にしたわけではなく「仕事で使うんだから、枯れたOSの方がいいだろう」という現実的な判断をして7にしただけであって、何かのポリシーがあっての選択じゃないんです。もしも、選択肢にXPがあったら、XPを選んじゃったかもしれない程度の人なんです、私って。だから、私は、基本的に3)のタイプの人なんです。

 たぶん、ちゃんとモノを考えているパソコンユーザーさんは2)なのかもしれません。今までのソフトとの互換性とか、パソコン自体の使用感とか操作性とかを考えて、8ではなく、7にしているんでしょうね。

 問題は1)の人たち。この人たちは、私以上にモノを考えていないですね。

 2014年4月9日、つまり来月になると、XPはサポート切れとなります。サポート切れになると、セキュリティ関係のサポートも終了します。OS自体のサポートが終了するため、サードパーティー製のセキュリティソフト関係もサポートを終了します。つまり、サポート切れとなった時から、XPは徐々にセキュリティが弱くなっていき、そう遠くないうちに、穴だらけのOSになっていくってわけです。

 穴だらけになれば、当然、ウィルスやらなんやらから、悪意ある攻撃を受ける事になるでしょう。パソコン内のデータは流出するだろうし、XPパソコンを経由して、ウィルスをばらまく事にもなるし、ネット経由でXPパソコンを使われて、なりすましなどもされてしまうかもしれません。犯罪に巻き込まれる事だってあるかもしれません。おぉ、怖い!

 だから、Microsoftを始め、様々なところで「XPを止めて、新しいWindowsに乗り換えましょう」と声高に言われているわけです。

 でも、まだXPを使っている人が3割以上もいるんだよ。まあ、このデーターは古いので、今となっては、さすがにXPユーザーの数が減っているかもしれないけれど、でもたぶん、そんなに大きく減ってはいないと思う。ちなみに、NHKのnews watchの調査だと、2013年末の段階で、国内の企業や自治体では723万台が、個人ユースでも597万台のパソコンが、まだXPなんだって。

 それらの人たちって、聞けば、単なる情報弱者ってわけでもなく、例えば、XPでなければ動かない専用ソフトを業務に使っているとか、高齢者なので、今更新しいOSの使用方法を覚えたくないとか…そんな理由もあるらしいです。

 まあ、私だって、本音を言えば、Windows7や8には乗り換えたくなかった人だもの。いつまでもXPを使い続けていたかった人だもの、その気持ち、分からないでもないです。

 だから言います「Windowsって、本当に大丈夫なの? 4月以降、何かが起こるんじゃないの? いまや、パソコンがなければ廻っていかない社会ですよ。世の中に、何万台もの、情報ダダ漏れパソコンが存在するわけで、そんなパソコンが大量にあって、社会的な混乱とか引き起こされないって、誰が言えるの?」

 もちろん、問題は日本だけの話じゃないでしょ? 調べたわけじゃないけれど、諸外国だって、似たようなモンじゃないの?

 「Windowsって、本当に大丈夫なの?」 私は、結構マジで心配してます。

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2014年3月 1日 (土)

ホノカのコブとアズニャンの成長

 ホノカにコブが出来ました。と言っても、いわゆる立派な金魚の証である、頭頂部の肉瘤ではなく、左体側部に大きなコブができました。ま、いわゆる肉腫、ガンってやつですね。人間ならば、あれだけガンが大きければ、さぞや痛いだろうし、苦しいだろうけれど、金魚には痛覚が無いせいもあって、本人は至って平気な顔をしております。

 飼い主的に、手の打ちようがありません。

 良性のコブである事を祈って、日々見守っていくぐらいの事しかできません。奇跡が起きて、ゴブが小さくなっていく事を願ってますが…まあ、無いだろうなあ。

 もっとも、ガンになったからと言って、すぐに星になるわけではないですし、この前のナゴンもそうでしたが、金魚の多くは星になる直前まで元気に活動する事も多いので、その日が来るまでは、精一杯可愛がってやろうと思ってます。

 さて、先週、我が家にやってきたアズニャンですが、先週の段階で、他の三匹の、どの頭部(だけ)と比べても小さかったのですが、この一週間でだいぶ成長し、すでにどの頭部と比べても、明らかにアズニャンの方が大きくなりました。

 この一週間で、二まわりぐらい成長しております。このペースで成長すると、あっと言う間に、他の子たちに追いついてしまいそうで怖いです。何が怖いと言っても、急激に成長して、カラダを大きくした子は、色々と帳尻が合わないようで、すぐに病気になったりするんですよ。ですから、飼い主的には、ゆっくりと時間をかけて大きく成長してほしいのですよ。

 今の子たちで言えば、ゆっくりと大きくなったのは、サクラです。ま、キキョウも、それなりに時間をかけて成長してきたと思います。ホノカは割とすぐに大きくなったと思います。なので、アズニャンにはぜひ、ゆっくり大きく成長してほしいと願ってますが、金魚的には、すぐにでも大きくなりたいんだろうなあ…。

 巨体は力…どうやら金魚界では、そういう事らしいです。

 まあ、どうせ巨体になるなら、健康で元気な巨体になってくれるのが、一番なんですが(笑)。

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